TITLE : 城の崎にて・小僧の神様 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、 ホームページ上に転載することを禁止します。また、本作品の内容 を無断で改変、改ざん等を行うことも禁止します。 本作品購入時にご承諾いただいた規約により、有償・無償にかかわ らず本作品を第三者に譲渡することはできません。 本文中に「*」が付されている箇所には注釈があります。「*」が付されていることばにマウスポインタを合わせると、ポインタの形が変わります。そこでクリックすると、該当する注釈のページが表示されます。注釈のページからもとのページに戻るには、「Ctrl」(Macの場合は「コマンド」)キーと「B」キーを同時に押すか、注釈の付いたことばをクリックしてください。 目 次 母の死と新しい母 清兵衛《せいべえ》と瓢《ひよう》箪《たん》 正義派 小《こ》僧《ぞう》の神様 城《き》の崎《さき》にて 好人物の夫婦 雨《あま》 蛙《がえる》 焚《たき》 火《び》 真《まな》 鶴《づる》 山《やま》科《しな》の記《き》憶《おく》 痴《ち》 情《じよう》 瑣《さ》 事《じ》 濠《ほり》端《ばた》の住まい 転 生 プラトニック・ラヴ 注 釈 母の死と新しい母 一  十三の夏、学習院の初等科を卒業して、片《かた》瀬《せ*》の水泳に行っていた。常《じよう》立《りゆう》寺《じ》の本堂が幼年部の宿舎になっていた。  午後の水泳が済んで、皆《みんな》で騒《さわ》いでいると小《こ》使《づかい》が祖《そ》父《ふ*》からの手紙を持って来た。私は遊びを離《はな》れて独《ひと》り本堂の縁《えん》に出て、立ったままそれを展《ひら》いて見た。中に、母《*》が懐《かい》妊《にん》したようだという知らせがあった。  母は十七で直《なお》行《ゆき》という私の兄を生んだ。それが三つで死ぬと、翌年の二月に私が生れた。それっきりで十二年間は私一人だった。ところに、不意にこの手紙が来たのである。嬉《うれ》しさに私の胸はワクワクした。  手紙を巻いていると、一つ上の級の人が故意《わざ》と顔を覗《のぞ》き込むようにして、  「お小《こ》遣《づかい》が来たね」と笑った。  「いいえ」  答えながら、賤《いや》しいことを言う人だ、と思った。  私は行《こう》李《り》から懐中《かいちゆう》硯《すずり》を出して、祖《そ》父《ふ》へと母へと別々に手紙を出した。  ——旅に出ると私は家《うち》中《じゆう》——祖父から女中までに何か土産《みやげ》を買って帰らねば気が済まなかった。しまいには「今度はおよしよ」と言われるようになった。それで矢張り買って来る。と、祖母《*》や母も「それぞれうまい物を見立てて」と讃《ほ》めた。  この水泳でも、来るとからそれを考えていた。しかし手紙を見ると「今度は特別に母だけにしよう」と急に気が変った。「褒《ほう》美《び》をやる」こういうつもりであった。  江《え》の島《しま》の貝細工では蝶《ちよう》貝《がい》という質が一番上等となっていたから、それで頭の物を揃《そろ》えようと思った。櫛《くし》、笄《こうがい》、根《ね》掛《か》け、簪《かんざし》、これだけを三日ほどかかって丁《てい》寧《ねい》に見立てた。  片《かた》瀬《せ》も厭《あ》きて来ると、帰れる日が待ち遠しくなった。  日《につ》清《しん》戦争の後で、戦地から帰って来た予《よ》備《び》兵《へい》が自家《うち》にも二十何人か来て泊《とま》っているという便りが暫《しばら》くすると来た。私は賑《にぎ》やかな自家《うち》の様子を想像して早く帰りたくなった。 二  帰ると、土産を持ってすぐ母の部《へ》屋《や》へ行った。母は寝《ね》ていた。悪阻《つわり》だということで、元気のない顔をしていた。  その部屋の隣《となり》は十七畳のきたない西洋間で、敷《しき》物《もの》もなく、普段は箪笥《たんす》や長持の置場になっていたが、片づけられて兵隊が十何人かそこに入っていた。その騒《さわ》ぎが元気なく寝ている母に一々聴《きこ》えて来る。それがさぞいやだろうと思った。  母は夜着から手を出して、私の持って来た品を一つ一つ、桐《きり》の函《はこ》から出して眺《なが》めていた。  ——翌朝起きるとすぐ行って見た。母は不思議そうに私の顔を見つめていたが、  「いつ帰って来たの?」と言った。  「昨日《きのう》帰ったんじゃありませんか。持って来たお土産《みやげ》を見たでしょう」こう言っても考える様子だから、私はその品々を父の机の上から取り下して見せてやった。それでも母は憶《おも》い出さなかった。  その時は気にも掛《か》けなかったが、だんだん悪くなるにつれ、頭が変になって行った。そして暫《しばら》くすると頭を冷やす便《べん》宜《ぎ》から母はざんぎりにされてしまった。  病床を茶の間《ま》の次へ移した。隣《りん》室《しつ》の兵隊がやかましくてか、それは忘れた。もしかしたらその時はもう兵隊はいなかったかも知れない。  だいぶ悪くなってからである。母が仰《あお》向《む》けになっている時、祖《そ》母《ぼ》が私に顔を出して見ろと言った。ぼんやり天《てん》井《じよう》を眺《なが》めている顔の上に私は自分の顔を出して見た。傍《わき》で祖母が、  「誰《だれ》かこれが解《わか》るか?」と訊《き》いた。母は眸《ひとみ》を私の顔の上へ集めて、少時《しばらく》、凝《じ》っと見ていた。その内母は泣きそうな顔をした。私の顔もそうなった。そうしたら、母は途断《とぎ》れ途断《とぎ》れに、  「色が黒くても、鼻が曲っていても、丈《じよう》夫《ぶ》でさえあればいい」こんなことを言った。  次に、根《ね》岸《ぎし》のお婆《ばあ》さんという、母の母が私のしたように顔を出して、自分で、  「私は?」と言って見た。  母はまた眸《ひとみ》を集めて見ていたが、急に顔を顰《しか》めて、  「ああ、いやいや、そんな汚《きたな》いお婆《ばあ》さんは……」  と眼《め》をつぶってしまった。 三  かかりつけの医者は不愛想な人だが、親切で、その上自家《うち》中《じゆう》の人の体《からだ》を呑《の》み込んでいると祖《そ》母《ぼ》などは信用しきっていた。ところがその二年ほど前、旧藩《はん》主《しゆ》の気の違《ちが》った殿《との》様《さま》を毒殺したという嫌《けん》疑《ぎ*》で私の祖父ら五、六人とともに二か月半この人も未《み》決《けつ》監《かん》に入れられた。それ以来どういう理《わけ》か縁《えん》を切った。(今はまたかかるようになったが)で、母の病気は松山という世間的にはこの人より有名な近所の医者に診《しん》察《さつ》してもらっていた。しかし祖母は何かとそれに不平があった。ことにのっぺりした代《だい》診《しん》のお世辞のいいのを不快に思っていた。  病気はだんだんと進んで行った。絶えず頭と胸を氷で冷やした。  これも理由を知らないが、病床はまた座《ざ》敷《しき》の次の間《ま》へ移された。で、二、三日するといよいよ危《き》篤《とく》となった。  汐《しお》の干《ひ》く時と一緒《いつしよ》に逝《ゆ》くものだと話していた。それを聴《き》くと私は最初に母の寝《ね》ていた部屋へ馳《か》けて行って独《ひと》りで寝ころんで泣いた。  書生が慰《なぐさ》めに入って来た。それに、  「何《なん》時《じ》から干《ひ》くのだ?」ときいた。書生は、  「もう一時間ほどで干《ひ》きになります」と答えた。  母はもう一時間で死ぬのかと思った。「もう一時間で死ぬのか」そうその時思ったということはなぜかその後もたびたび想い出された。  座《ざ》敷《しき》へ来ると、母はもう片息《*》で、皆《みんな》が更《かわ》る更《がわ》る紙に水を浸して脣《くちびる》を濡《ぬ》らしていた。——髪《かみ》をかった母は恐《おそ》ろしく醜《みにく》くなってしまった。  祖《そ》父《ふ》、祖母、父《*》、曾《そう》祖《そ》母《ぼ》、四つ上の叔《お》父《じ》、医者の代《だい》診《しん》、あと誰《だれ》がいたか忘れた。これらの人が床のまわりを取巻いていた。私は枕《まくら》のすぐ前に坐《すわ》らされた。  散《ざん》切《ぎり》になった頭が括《くくり》枕《まくら》の端《はし》の方へ行ってしまっている。それが息をするたびに烈《はげ》しく揺《ゆ》れた。われわれが三つ呼吸する間に、母は頭を動かして、一つ大きく息をひいた、三つ呼吸する間が四つする間になり、五つする間になり、だんだん間があいて行く。跼《こご》んで、脈を見ている代診は首を傾《かたむ》けて薄《うす》眼《め》をあいている……。もう仕なくなった。こう思うと、暫《しばら》くして母はまた大きく一つ息をひいた。そのたびに頭の動かし方が穏《おだや》かになって行った。  少時《しばらく》すると不意に代診は身を起した。——母はとうとう死んでしまった。 四  翌朝、線《せん》香《こう》を上げに行った時、そこには誰もいなかった。私は顔に被《か》ぶせてある白い布《きれ》を静かにとって見た。ところが、母の口からは蟹《かに》の吐《は》くような泡《あわ》が盛《も》り上っていた。「まだ生きている」ふッとそう思うと、私は縁《えん》側《がわ》を跳《と》んで祖母に知らせに行った。  祖《そ》母《ぼ》は来て見て、  「中にあった息が自然に出て来たのだ」と言って紙を出して丁《てい》寧《ねい》にその泡《あわ》を拭《ふ》き去《さ》った。  江《え》の島《しま》から買って来た頭の物はそのまま皆《みな》、棺《かん》に納めた。  棺を〆《しめ》る金《かな》槌《づち》の音は私の心に堪《た》えられない痛さだった。  坑《あな》に棺を入れる時にはもうおしまいだと思った。ガタンガタンと赤土の塊《かたまり》を投げ込むのがまた胸に響《ひび》いた。  「もうよろしいんですか?」こう言うと、待ちかねたように鍬《くわ》やシャベルを持った男が遠《えん》慮《りよ》会《え》釈《しやく》なく、ガタガタガタガタと土を落して埋《う》めてしまった。もう生きかえっても出られないと思った。  母は明治二十八年八月三十日に三十三で死んだ。下《した》谷《や》の御《お》成《なり》道《みち》に生れて、名をお銀《ぎん》と言った。 五  母が亡くなって二月ほどすると自家《うち》では母の後を探《さが》しだした。四十三の父がまた結《けつ》婚《こん》するということがその時の私には思いがけなかった。  お益《ます》さんという人の話が出た。これも思いがけなかった。この人は七つまでの友達だったお清《きよ》さんという人の姉《ねえ》さんのまた姉さんである。が、その話はそれっきりで、かえってお益さんの父から他《ほか》の話が起った。そして写真が来た。  その翌日祖母は私にその写真を見せて、  「お前はどう思う?」と言った。不意で何といっていいかわからなかった。ただ、  「心さえいい方《かた》なら」と答えた。  この答は祖《そ》母《ぼ》をすっかり感心させた。十三の私からこの答を聴《き》こうとは思わなかったように祖母は祖父にそれを話していた。聞いていて片腹痛かった。  暫《しばら》くして話は決った。話が決ると私は急に待ち遠しくなった。母となるべき人は若かった。そして写真では亡くなった母より遥《はる》かに美しかった。  ——実母を失った当時は私は毎日泣いていた。——後年義《ぎ》太《だ》夫《ゆう》で「泣いてばっかりいたわいな」という文句を聴き当時の自分を憶《おも》い出したほどによく泣いた。とにかく、生れて初めて起った「取りかえしのつかぬ事」だったのである。よく湯で祖母と二人で泣いた。しかし私は百日過ぎない内にもう新しい母を心から待ち焦《こが》れるようになっていた。 六  一日一日を非常に待ち遠しがった末に、ようやく当日が来た。赤《あか》坂《さか》の八百《やお》勘《かん*》で式も披《ひ》露《ろう》もあった。  式は植《うえ》込《こ》みの離れであった。四つ上の叔《お》父《じ》、曾《そう》祖《そ》母《ぼ》、祖母、祖父らと並《なら》んでお杯《さかずき》を受けた。その時私は不器用に右手だけを出して台から杯を取上げた。武骨な豪傑《ごうけつ》肌《はだ》の叔父さえも、謹《つつし》んでしている中で自分だけ態《わざ》とそういうことをした。しながら少し変な気もしたが、勇ましいような心持もあった。  式が終って、植《うえ》込《こ》みの中を石を伝って還《かえ》って来ると、背後《うしろ》から、  「何だ、あんなゾンザイな真《ま》似《ね》をして」と叔《お》父《じ》が小声で怒《おこ》った。私は初めて大変な失策をしたと気がついた。私は急に萎《しお》れてしまった。  広間では客が皆《みんな》席についていた。私は新しい母の次に坐《すわ》った。母は拇《おや》指《ゆび》に真白な繃《ほう》帯《たい》をしていた。かすかな沃《よう》度《ど》ホルムの匂《にお》いがした。  席が乱れるにつれて私も元気になって来た。雛妓《おしやく》の踊《おど》りが済むと、大きい呉《ご》服《ふく》屋《や》の息《むす》子《こ》で私と同年の子供がその時分流行しだした改良剣《けん》舞《ぶ》をやった。その後で四つ上の叔父と私とただの剣舞をした。  芸者が七、八人いた。われわれの前には顔立ちのいい女が坐っていた。父は少し酒に酔《よ》っていて、母の前で、その芸者に「この中ではお前が一番美しい」という意味のことを言った。何か言って芸者は笑った。母も強《し》いられて少し笑った。私はヒヤリとした。お杯《さかずき》の時した自分の武骨らしい厭《いや》味《み》な様子と、父のこれとが、その時心で結びついたのである。  お開《ひら》きになった。玄《げん》関《かん》で支度《したく》をしていると、新しい母の母が寄って来て、  「これを忘れましたから、上げて下さい」と小さな絹のハンケチを手《て》渡《わた》した。  帰ると、母はもう奥《おく》へ行っていて会えなかった。私はそれを丁《てい》寧《ねい》にたたみ直して自分の用《よう》箪《だん》笥《す》にしまって寝《ね》た。 七  翌朝私が起きた時には母はもう何かちょっとした用をしていた。私は縁《えん》側《がわ》の簀《すの》子《こ》で顔を洗ったが、いつもやるように手で洟《はな》が何となくかめなかった。  顔を洗うとすぐハンケチを出して母を探した。母は茶の間《ま》の次の薄《うす》暗《ぐら》い部屋で用をしていた。私は何か口《くち》籠《ごも》りながらそれを渡《わた》した。  「ありがとう」こういって美しい母は親しげに私の顔を覗《のぞ》き込んだ。二人だけで口をきいたのはこれが初めてであった。  渡すと私は縁側を片足で二度ずつ跳《と》ぶ馳《か》け方をして書生部屋に来た。書生部屋に別に用があったのでもなかったが。  その晩だったと思う。寝《ね》てから、  「今晩はお母さんの方でおやすみになりませんか」  と女中が父の使いで来た。  行くと、寝ていた母は床を半分空《あ》けて、  「お入りなさい」と言った。  父も機《き》嫌《げん》がよかった。父は「子宝と言って子ほどの宝はないものだ」こんなことを繰《く》り返し繰り返し言い出した。私は擽《くすぐ》られるような、何か居たたまらないような気持がして来た。  私の幼年時代には父は主《おも》に釜《ふ》山《ざん*》と金《かな》沢《ざわ》に行っていた。私は祖《そ》父《ふ》母《ぼ》と母の手で育てられた。そして一緒《いつしよ》にいた母さえ、祖母の盲《もう》目《もく》的《てき》な烈《はげ》しい愛情を受けている私にはもう愛する余地がなかったらしかった。まして父はもう愛を与《あた》える余地を私の中にどこにも見出すことができなかったに相《そう》違《い》ない。この感じは感じとしてその時でもあったから、私には子宝が何となく空《そら》々《ぞら》しく聴《き》きなされたのである。——それより母に対して気の毒な気がした。  父が眠《ねむ》ってから母と話した。暫《しばら》くして私は祖《そ》父《ふ》母《ぼ》の寝《ね》間《ま》へ還《かえ》って来た。  「何のお話をして来た」祖母が訊《き》いたが、  「お話なんかしなかった」と答えてすぐ夜着の襟《えり》に顔を埋《う》めて眠った風をした。そして独《ひと》り何となく嬉《うれ》しい心持を静かに味わった。  皆《みんな》が新しい母を讃《ほ》めた。それが私には愉《ゆ》快《かい》だった。そしてこの時はもう実母の死も純然たる過去に送り込まれてしまった、——少くともそんな気がして来た。祖母も死んだ母のことを決して言わなくなった。私も決してそれを口に出さなかった。祖母と二人だけになってもその話は決してしなくなった。  その内親類回りが始まった。  祖母が一番先、次に母、それから私と、俥《くるま》を連らねて行った。往来の男は母の顔に特別に注意した。母《ほ》衣《ろ》の中で俯《うつ》向《む》き加減にしている母の顔を不《ぶ》遠《えん》慮《りよ》に凝《じ》っと見る男の眼《め》を見ると、そのたびたび私は淡《あわ》い一種の恐《きよう》怖《ふ》と淡い一種の得意とを感じていた。  翌々年英《ふさ》子《こ》が生れた。  また二年して直《なお》三《ぞう》が生れた。  また二年して淑《よし》子《こ》が生れた。これは今年十二になる。祖母のペットで、祖母と同じように色の浅黒い児《こ》である。  また二年して隆《たか》子《こ》が生れた。また二年して女の子が死んで生れた。隆子はその乳までも飲んで母のペットになっていた。  それから三年して、眼《め》の大きい昌《まさ》子《こ》が生れた。昌子が三つと二か月になったこの正月にまた女の子が生れた。  母のお産は軽かったが、後《あと》まで腹が痛んだ。  「まだよほど痛みますか?」と私が訊《き》いた時、  「蒟《こん》蒻《にやく》で温めてもらったらだいぶよくなりました」母は力《りき》み力み答えた。  「こんなに痛むのは今度だけですね」  「年をとってだんだん体が弱って来たのでしょうよ」若くて美しかった母もこんなことを言うようになった。 清兵衛《せいべえ》と瓢《ひよう》箪《たん》  これは清兵衛《せいべえ》という子供と瓢《ひよう》箪《たん》との話である。この出来事以来清兵衛と瓢箪とは縁《えん》が断《き》れてしまったが、間《ま》もなく清兵衛には瓢箪に代わる物ができた。それは絵を描《か》くことで、彼はかつて瓢箪に熱中したように今はそれに熱中している……    清兵衛が時々瓢箪を買って来ることは両親も知っていた。三、四銭から十五銭ぐらいまでの皮つきの瓢箪を十ほども持っていたろう。彼はその口を切ることも種を出すことも独《ひと》りで上《じよう》手《ず》にやった。栓《せん》も自分で作った。最初茶《ちや》渋《しぶ*》で臭《くさ》味《み》をぬくと、それから父の飲みあました酒を貯《たくわ》えておいて、それで頻《しき》りに磨《みが》いていた。  全く清兵衛の凝《こ》りようは烈《はげ》しかった。ある日彼は矢張り瓢箪のことを考え考え浜通りを歩いていると、ふと、眼《め》に入った物がある。彼ははッとした。それは路《みち》端《ばた》に浜《はま》を背にしてズラリと並《なら》んだ屋台《やたい》店《みせ》の一つから飛び出して来た爺《じい》さんの禿《はげ》頭《あたま》であった。清兵衛はそれを瓢箪だと思ったのである。  「立派な瓢《ひよう》じゃ」こう思いながら彼は暫《しばら》く気がつかずにいた。——気がついて、さすがに自分で驚《おどろ》いた。その爺さんはいい色をした禿頭を振《ふ》り立てて彼方《むこう》の横町へ入って行った。清兵衛は急におかしくなって一人大きな声を出して笑った。堪《たま》らなくなって笑いながら彼は半町ほど馳《か》けた。それでもまだ笑いは止まらなかった。  これほどの凝《こ》りようだったから、彼は町を歩いていれば骨董《こつとう》屋《や》でも八百屋《やおや》でも荒《あら》物《もの》屋《や》でも駄《だ》菓《が》子《し》屋《や》でもまた専門にそれを売る家でも、およそ瓢《ひよう》箪《たん》を下げた店といえば必ずその前に立って凝《じ》っと見た。  清兵衛《せいべえ》は十二歳でまだ小学校に通っている。彼は学校から帰って来ると他《ほか》の子供とも遊ばずに、一人よく町へ瓢箪を見に出かけた。そして、夜は茶の間《ま》の隅《すみ》に胡坐《あぐら》をかいて瓢箪の手入れをしていた。手入れが済むと酒を入れて、手《て》拭《ぬぐい》で巻いて、鑵《かん》にしまって、それごと炬《こ》燵《たつ》へ入れて、そして寝《ね》た。翌朝は起きるとすぐ彼は鑵を開《あ》けて見る。瓢箪の肌《はだ》はすっかり汗をかいている。彼は厭《あ》かずそれを眺《なが》めた。それから丁《てい》寧《ねい》に糸をかけて陽《ひ》のあたる軒《のき》へ下げ、そして学校へ出かけて行った。  清兵衛のいる町は商業地で船つき場で、市にはなっていたが、割に小さな土地で二十分歩けば細長い市のその長い方が通りぬけられるくらいであった。だからたとえ瓢箪を売る家はかなり多くあったにしろ、ほとんど毎日それらを見歩いている清兵衛には、おそらくすべての瓢箪は眼《め》を通されていたろう。  彼は古《こ》瓢《ひよう》にはあまり興味を持たなかった。まだ口も切ってないような皮つきに興味を持っていた。しかも彼の持っているのは大方いわゆる瓢箪形の、割に平凡な格好をした物ばかりであった。  「子供じゃけえ、瓢《ひよう》いうたら、こういうんでなかにゃあ気に入らんもんと見えるけのう」大工をしている彼の父を訪《たず》ねて来た客が、傍《そば》で清兵衛《せいべえ》が熱心にそれを磨《みが》いているのを見ながら、こう言った。彼の父は、  「子供の癖《くせ》に瓢いじりなぞをしおって……」とにがにがしそうにその方を顧《かえり》みた。  「清公。そんな面白うないのばかり、えっと持っとってもあかんぜ。もちっと奇《き》抜《ばつ》なんを買わんかいな」と客がいった。清兵衛は、  「こういうがええんじゃ」と答えて済ましていた。  清兵衛の父と客との話は瓢《ひよう》箪《たん》のことになって行った。  「この春の品評会に参考品で出ちょった馬《ば》琴《きん》の瓢箪という奴《やつ》は素晴しいもんじゃったのう」と清兵衛の父が言った。  「えらい大けえ瓢じゃったけのう」  「大けえし、だいぶ長かった」  こんな話を聞きながら清兵衛は心で笑っていた。馬琴の瓢というのはその時の評判な物ではあったが、彼はちょっと見ると、——馬琴という人間も何者だか知らなかったし——すぐ下《くだ》らない物だと思ってその場を去ってしまった。  「あの瓢はわしには面白うなかった。かさ張っとるだけじゃ」彼はこう口を入れた。  それを聴《き》くと彼の父は眼《め》を丸くして怒《おこ》った。  「何じゃ。わかりもせん癖して、黙《だま》っとれ!」  清兵衛《せいべえ》は黙《だま》ってしまった。  ある日清兵衛が裏通りを歩いていて、いつも見なれない場所に、仕《し》舞《もた》屋《や*》の格《こう》子《し》先に婆《ばあ》さんが干《ほし》柿《がき》や蜜《み》柑《かん》の店を出して、その背後《うしろ》の格《こう》子《し》に二十ばかりの瓢《ひよう》箪《たん》を下げておくのを発見した。彼はすぐ、  「ちょっと、見せてつかあせえな」と寄って一つ一つ見た。中には一つ五寸ばかりで一見ごく普通な形をしたので、彼には震《ふる》いつきたいほどにいいのがあった。  彼は胸をどきどきさせて、  「これ何ぼかいな」と訊《き》いて見た。婆さんは、  「ぼうさんじゃけえ、十銭にまけときやんしょう」と答えた。彼は息をはずませながら、  「そしたら、きっと誰《だれ》にも売らんといて、つかあせえのう。すぐ銭《ぜに》持って来やんすけえ」くどく、これを言って走って帰って行った。  間《ま》もなく、赤い顔をしてハアハアいいながら還《かえ》って来ると、それを受け取ってまた走って帰って行った。  彼はそれから、その瓢《ひよう》が離せなくなった。学校へも持って行くようになった。しまいには時間中でも机の下でそれを磨《みが》いていることがあった。それを受持の教員が見つけた。修身の時間だっただけに教員は一層怒《おこ》った。  他《よ》所《そ》から来ている教員にはこの土地の人間が瓢箪などに興味を持つことが全体気に食わなかったのである。この教員は武士道を言うことの好きな男で、雲《くも》右衛《え》門《もん*》が来れば、いつもは通りぬけるさえ恐《おそ》れている新地の芝《しば》居《い》小屋に四日の興行を三日聴《き》きに行くくらいだから、生徒が運動場でそれを唄《うた》うことにはそれほど怒《おこ》らなかったが、清兵衛《せいべえ》の瓢《ひよう》箪《たん》では声を震《ふる》わして怒ったのである。「到《とう》底《てい》将来見《み》込《こみ》のある人間ではない」こんなことまで言った。そしてそのたんせいを凝《こ》らした瓢箪はその場で取り上げられてしまった。清兵衛は泣けもしなかった。  彼は青い顔をして家へ帰ると炬《こ》燵《たつ》に入ってただぼんやりとしていた。  そこに本包みを抱《かか》えた教員が彼の父を訪ねてやって来た。清兵衛の父は仕事へ出て留守だった。  「こういうことは全体家庭で取り締《しま》っていただくべきで……」教員はこんなことをいって清兵衛の母に食ってかかった。母はただただ恐《きよう》縮《しゆく》していた。  清兵衛はその教員の執念《しゆうねん》深《ぶか》さが急に恐ろしくなって、脣《くちびる》を震《ふる》わしながら部《へ》屋《や》の隅《すみ》で小さくなっていた。教員のすぐ後《うしろ》の柱には手入れのできた瓢箪が沢《たく》山《さん》下げてあった。今気がつくか今気がつくかと清兵衛はヒヤヒヤしていた。  さんざん叱《こ》言《ごと》を並べた後、教員はとうとうその瓢箪には気がつかずに帰って行った。清兵衛はほッと息をついた。清兵衛の母は泣き出した。そしてダラダラと愚《ぐ》痴《ち》っぽい叱《こ》言《ごと》を言いだした。  間《ま》もなく清兵衛の父は仕事場から帰って来た。で、その話を聞くと、急に側《そば》にいた清兵衛を捕《つかま》えてさんざんに撲《なぐ》りつけた。清兵衛はここでも「将来とても見込のない奴《やつ》だ」と言われた。 「もう貴様のような奴《やつ》は出て行け」と言われた。  清兵衛《せいべえ》の父はふと柱の瓢《ひよう》箪《たん》に気がつくと、玄《げん》能《のう》を持って来てそれを一つ一つ割ってしまった。清兵衛はただ青くなって黙《だま》っていた。  さて、教員は清兵衛から取り上げた瓢箪を穢《けが》れた物ででもあるかのように、捨てるように、年寄った学校の小《こ》使《づかい》にやってしまった。小使はそれを持って帰って、くすぶった小さな自分の部《へ》屋《や》の柱へ下げておいた。  二か月ほどして小使はわずかの金に困った時にふとその瓢箪をいくらでもいいから売ってやろうと思い立って、近所の骨《こつ》董《とう》屋《や》へ持って行って見せた。  骨董屋はためつ、すがめつ、それを見ていたが、急に冷《れい》淡《たん》な顔をして小使の前へ押しやると、  「五円やったら貰《もろ》うとこう」と言った。  小使は驚《おどろ》いた。が、賢《かしこ》い男だった。何食わぬ顔をして、  「五円じゃとても離《はな》し得やしぇんのう」と答えた。骨董屋は急に十円に上げた。小使はそれでも承知しなかった。  結局五十円でようやく骨董屋はそれを手に入れた。——小使は教員からその人の四か月分の月給をただ貰《もら》ったような幸福を心ひそかに喜んだ。が、彼はそのことは教員にはもちろん、清兵衛にもしまいまで全く知らん顔をしていた。だからその瓢箪の行《ゆく》方《え》については誰《だれ》も知る者がなかったのである。  しかしその賢い小使も骨董屋がその瓢箪を地方の豪《ごう》家《け》に六百円で売りつけたことまでは想像もできなかった。    ……清兵衛《せいべえ》は今、絵を描《か》くことに熱中している。これができた時に彼にはもう教員を怨《うら》む心も、十あまりの愛《あい》瓢《びよう》を玄《げん》能《のう》で割ってしまった父を怨む心もなくなっていた。  しかし彼の父はもうそろそろ彼の絵を描くことにも叱《こ》言《ごと》を言い出して来た。 正義派 上  ある夕方、日《に》本《ほん》橋《ばし》の方から永《えい》代《たい*》を渡《わた》って来た電車が橋を渡るとすぐの処《ところ》で、湯の帰りらしい二十一、二の母親に連れられた五つばかりの女の児《こ》を轢《ひ》き殺した。  その時、そこから七、八間先で三人の線路工夫が凸《でこ》凹《ぼこ》になった御《み》影《かげ》の敷《しき》石《いし》を金《かな》テコで起しては下の砂をかきならして敷《し》きかえていた。これらが母親の上げた悲鳴で一度に顔を挙《あ》げた時には、お河童《かつぱ》にした女の児が電車を背にして線路の中を此方《こつち》へ向って浮いたいかにも軽い足どりで馳《か》けているところだった。運転手は狼狽《あわて》て一生《いつしよう》懸命《けんめい》にブレーキを巻いている……と、女の児がコロリとちょうど張《はり》子《こ》の人形でも倒《たお》すように軽く転《ころ》がった。女の児は仰《あお》向《む》けになったまま、何の表情もない顔をしてすくんでしまった。  橋から幾《いく》らか下《くだ》りになっているから巻くブレーキでは容易に止まらなかった。工夫の一人が何か怒鳴《どな》ったが、その時は女の児はもう一番前に付いている救助《きゆうじよ》網《もう》の下に入っていた。しかし工夫は思った。運転室の下についている第二の救助網は鼠《ねずみ》落《おと》しのような仕《し》掛《か》けですぐ落ちるはずだからまさか殺しはしまいと。——ガッチャンと烈《はげ》しい音とともに車体が大きく波を打って止まった。ようやく気が付いて電気ブレーキを掛《か》けたのだ。ところが、どうしたことか落ちねばならぬはずの第二の救《きゆう》助《じよ》網《もう》が落ちずに小さな女の児の体《からだ》はいつかその下を通って、もう轢《ひ》き殺されていた。  すぐ人だかりがして、橋《はし》詰《づめ》の交番からは巡《じゆん》査《さ》が走って来た。  若い母親は青くなって、眼《め》がつるし上って、物が言えなくなってしまった。一度女の児《こ》の側《そば》へ寄ったが、それっきりで後は少し離《はな》れた処《ところ》から、立ったままただボンヤリとそれを見ていた。巡査が車の間から小さな血に染んだその死《し》骸《がい》を曳《ひ》き出す時でも、母親は自身とは急に遠くなった物でも見るような一種悽《せい》惨《さん》な冷《れい》淡《たん》さを顔に表わして見ていた。そして母親は時々光を失った空《くう》虚《きよ》な眼を物悲しげに細めては落着きなく人だかりを越《こ》して遠く自家《うち》の方を見ようとしていた。    どこからともなく巡査とか電車の監《かん》督《とく》などが集って来て、人だかりを押《お》し分けて入って来た。巡査は大きな声をして頻《しき》りに人だかりの輪を大きくした。  矢張りその人だかりの輪の内である監督がその運転手にこんなことを訊《き》いていた。  「電気ブレーキを掛けたには掛けたんだな?」  「掛けました」その声には妙に響《ひび》きがなかった。運転手は咳《せき》をして「突然線路内に飛び込んで参りましたんで……」声がしゃがれて、自身で自身の声のような気がしなかった。そこで運転手は二、三度続けざまに咳をしてから何か言おうとすると、監督はさえぎるように、  「よろしい。——ともかくもナ、警察へ行ったら落着いてハッキリと事実を言うんだ。いいか? 電気ブレーキで間《ま》に合わず、救《きゆう》助《じよ》網《もう》が落ちなかったと言えば、まあいわば過失より災難だからナ。仕方がない」と言った。  「はア」運転手はただ堅《かた》くなって下を向いていた。  「どうせ、僕《ぼく》か山本さんが一緒《いつしよ》に行くが……」とそこから急に声を落して「そこのところはハッキリ申し立てんと、示談の場合大変関係して来るからナ」と言った。  「はア」運転手はただ頭を下げた。監《かん》督《とく》はまた普《ふ》通《つう》の声になって言った。  「もう一度確めておくが、女の児《こ》が前を突っ切ろうとして転《ころ》がる、すぐ電気ブレーキを掛《か》けたが間に合わない。こうだナ?……」  この時不意に人だかりの中から、  「そら使ってやがらあ!」という高い声がした。人々は皆《みんな》その方を向いた。それを言ったのは眉《み》間《けん》に小さな瘤《こぶ》のある先刻《さつき》の線路工夫の一人であった。工夫は或る興奮と努力とをもって、人だかりの視線から来る圧《あつ》迫《ぱく》に堪《た》えて、かえってむしろ悪意のある微《び》笑《しよう》をさえ浮べてその顔を高く人前にさらしていた。    女の児を轢《ひ》いた車は客を後《うしろ》の車に移すと、満員の札《ふだ》を下げて監督の一人が人だかりの中を烈《はげ》しくベルを踏《ふ》みながらそのまま本《ほん》所《じよ》の車庫の方へ運転して行った。その側だけ六、七台止っていた電車が順々に或る間《かん》隔《かく》を取ってそれに従って動き出した。  失神したようになった、若い母親は巡《じゆん》査《さ》と監督とに送られて帰って行った。  警部、巡《じゆん》査《さ》、警察医などが間《ま》もなく俥《くるま》を連ねて来て、形式だけの取調べをした。ともかく、その運転手は引《いん》致《ち*》されることになって、なおそれと一緒《いつしよ》に車《しや》掌《しよう》とその他《ほか》目《もく》撃《げき》していた二、三人を証人として連れて行きたいといった。四十格好の商人で、その車に乗り合わせていた男がその一人になった。あと誰《だれ》かという時に少し離れた処《ところ》で興奮した調子で何か相談していた前の三人の工夫が、年かさの丸い顔をした男を先にして自ら証人に立ちたいと申し出て来た。 下  警察での審《しん》問《もん》は割に長くかかった。運転手は女の児《こ》が車のすぐ前に飛び込んで来たので、電気ブレーキでも間に合わなかった、と申し立てた。工夫らはそれを否定した。狼《ろう》狽《ばい》して運転手は電気ブレーキを忘れていたのだ、最初は車と女の児との間にはカナリの距《きよ》離《り》があったのだからすぐ電気ブレーキを掛《か》けさえすれば、決して殺すはずはなかったのだ、といった。監《かん》督《とく》はその間でいろいろとりなそうとしたが、三人はそれには一切耳を貸さなかった。そして時々運転手の方を向いては「全体手《て》前《めえ》がドジなんだ」と、こんなことをいって、けわしい眼《め》つきをした。  三人が警察署の門を出た時にはもう夜も九時に近かった。明るい夜の町へ出ると彼らは何がなし、晴れ晴れした心持になって、これという目的もなく自然急ぎ足で歩いた。そして彼らは何か知れぬ一種の愉《ゆ》快《かい》な興奮が互いの心に通い合っているのを感じた。彼らはなぜかいつもより巻《まき》舌《じた》で物を言いたかった。擦《す》れ違《ちが》いの人にも「俺《おれ》たちを知らねえか!」こんなことでも言ってやりたいような気がした。  「ベラ棒め、いつまでいったって、悪い方は悪いんだ」  年かさの丸い顔をした男が大声でこんなことを言った。  「監《かん》督《とく》の野《や》郎《ろう》途《みち》々《みち》寄って来て言いやがる——『ナア君、できた事は仕方がない。君らも会社の仕事で飯を食ってる人間だ』エエ? 俺《おら》、よっぽど警部の前で素《す》っ破《ぱ》ぬいてやろうかと思ったっけ」「それを素《す》っ破《ぱ》抜《ぬ》かねえってことがあるもんかなあ……」と口惜《くや》しそうに瘤《こぶ》のある若者が言った。  ——しかし夜の町は常と少しも変ったところはなかった。それが彼らには何となく物足らない感じがした。背後《うしろ》から来た俥《くるま》が突然叱《しつ》声《せい》を残して行き過ぎる。そんなことでもその時の彼らには不当な侮《ぶ》辱《じよく》ででもあるように感じられたのである。歩いている内に彼らはだんだんに愉《ゆ》快《かい》な興奮の褪《さ》めて行く不快を感じた。そしてそのかわりに報わるべきものの報われない不満を感じ始めた。彼らはしっきりなしに何かしゃべらずにはいられなかった。その内にいつか彼らは昼間仕事をしていた辺へ差しかかった。ちょうど女の児《こ》の轢《ひ》き殺された場所へ来ると、そこが常と全く変らない、ただのその場所にいつか還《かえ》っていた。それには彼らはむしろ異様な感じをしたのである。「あんまり空《そら》々《ぞら》しいじゃないか」三人は立ち留ると、互《たが》いにこういう情ないような、腹立たしいような、不平を禁じられなかった。  彼らは橋《はし》詰《づめ》の交番の前へ来て、そこの赤い電球の下にもう先刻《さつき》のではない、イヤに生《なま》若《わか》い新米らしい巡《じゆん》査《さ》がツンと済まして立っているのを見た。「オイオイあの後《ご》はどうなったか警官に伺《うかが》って見ようじゃねえか?」  「よせよせそんなことを訊《き》いたって今さら仕様があるもんか」  年かさの男がそれについて、  「串《じよう》戯《だん》じゃねえぜ、それより俺《おら》、腹が空《す》いて堪《たま》らねいやい」こう言いながら通り過ぎてちょっと巡《じゆん》査《さ》の方を振りかえって見た。その時若い巡査は怒《おこ》ったような眼《め》で此方《こつち》を見送っていた。  「ハハハハ」年かさの男は不快からことさらに甲《かん》高《だか》く笑って、「悪くすりゃ明日ッから暫《しばら》くは食いはぐれもんだぜ」と言った。  「悪くすりゃどころか、それに決まってらあ」と瘤《こぶ》のある男でない若者が言った。こう言いながら若者は暗い家で自分を待っている年寄った母を想《おも》い浮べていた。  「なんせえ一《いつ》杯《ぱい》やろうぜ」こう年かさの男が言った。  彼らは何かしら落着きのとれてない心のままで茅場《かやば》町まで来ると、そこの大きい牛肉屋に登《あが》った。二階にはまだ四、五組の客が鍋《なべ》の肉をつつきながら思い思いの話をしていた。中には二人で互《たが》いに酒をつぎ合いながら、真《まつ》赤《か》になった額を合わすようにして、仔《し》細《さい》らしく小声で話し合ってる客もあった。三人は席をきめるとすぐ酒と肉とを命じてそこに安坐《あぐら》をかいた。そして幾《いく》らか落ちついたような心持を味わった。しかし彼らはまだその話を止めるワケには行かなかった。彼らは途《みち》々《みち》さんざんしゃべって来たことを傍《そば》に客や女中どもを意識しながら一ト調子高い声でここでもまた繰《く》り返さずにはいられなかった。  女中どもはもうその騒《さわ》ぎを知っていた。そしてすぐ四、五人が彼らをとりまいて坐《すわ》った。  「何しろお前《めえ》、頭と手とがちぎれちまったんだ。それを見るとその場で母親の気はふれちまうし……」話はいつの間《ま》にか大変大《おお》袈《げ》裟《さ》になっていた。しかし三人はそれを少しも不思議とは感じなかった。女中どもは首を振《ふ》り振り痛ましいというように眼《め》を細めて聴《き》いていた。  年かさの男と瘤《こぶ》のある若者とはカナリ飲んだ。二人は代る代る警察での問答まで精《くわ》しく繰《く》り返した。そしてところどころに、  「ここらは明日《あした》の新聞にどう出るかネ」と、こんなことを入れたりした。  二階じゅうの客は大方彼ら自身の話をやめて三人の話に耳を傾《かたむ》けだした。三人は警察署を出てから何かしら不満で不満でならなかったものが初めて幾《いく》らか満たされたような心持がした。——が、それは決して長いことではなかった。彼らに話すべきことの尽《つ》きる前にもう女中どもは一人去り二人去りして、帰った客の後片付けに、やがて、皆起《た》って行ってしまった。彼らはまた三人だけになった。その時はもう十二時に近かったが、年かさの男と瘤のある若者とはなかなか飲むことを止《や》めなかった。そしてそのころは彼らは依《い》然《ぜん》元の不満な腹立たしい堪《た》えられない心持に還《かえ》っていたのである。最初はそれほどでもなかったが酔《よ》うにつれて年かさの男は一番興奮して来た。会社の仕事で食ってるには違《ちが》いない。しかし悪い方は悪いのだ。追い出されることなんか何だ。そんなことでおどかされる自分たちではないぞ。他愛《たわい》もなく独《ひと》りこんなことを大声で罵《ののし》っていた。  暫《しばら》くして、瘤のない方の若者が、  「俺《おれ》はもう帰るぜ」と言い出した。  「馬《ば》鹿《か》野《や》郎《ろう》!」と年かさの男がぶつけるようにいった。  「こんな胸くその悪い時に自家《うち》で眠《ねむ》れるかい!」  「そうとも」と瘤《こぶ》のある若者がすぐ応じた。  烈《はげ》しく酔《よ》った二人がいつの間《ま》にか、も一人の若者に逃《に》げられて、小言をいいながら怪《あや》しい足取りでその牛肉屋の大戸のくぐりを出た時にはもうよほど晩《おそ》かった。何方《どつち》にも電車は通らなくなっていた。  二人はすぐ側《そば》の帳場から俥《くるま》に乗るとそこからあまり遠くない遊《ゆう》廓《かく》へ向った。  「親方。大層いい機《き》嫌《げん》ですね」一人が曳《ひ》きながらこういった。  「いい機嫌どころか……」と瘤のある若者が答えた。これがすぐ台になって、彼はまた話し出した。出来事は車夫もよく知っていた。  「へえ、何か線路の方のかたが証人に立ったと聞きましたが、それが親方でしたかい」  掃《は》いたような大通りは静まりかえって、昼間よりも広々と見えた。大声に話す声は通りに響《ひび》き渡《わた》った。  年かさの男は前の俥で、グッタリと泥《どろ》よけへ突《つつ》伏《ぷ》したまま、死んだようになって揺《ゆ》られて行った。後《うしろ》の若者は「眠《ねむ》ったな」と思っていた。  永《えい》代《たい》を渡った。  「オオここだぜ——ちょうどここだ」後の若者が車夫にこう言った。  その声を聴《き》くと、死んだようになっていた年かさの男は身を起した。  「オイここだな……ちょっと降ろしてくれ……エエ、ちょっと降ろしてくれ」いつの間《ま》にか啜《すす》り泣《な》いている。  「もういいやい! もういいやい!」と瘤《こぶ》のある若者は大声で制した。  「エエ。ちょっと降ろしてくんな」こういって泣きながら、ケコミに立ち上りそうにした。  「いけねえいけねえ」と、若者は叱《しか》るようにいった。「若い衆かまわねえからドンドンやってくれ!」  俥《くるま》はそのまま走った。  年かさの男も、もう降りようとはしなかった。そしてまた泥《どろ》よけに突《つつ》伏《ぷ》すと声をあげて泣き出した。 小《こ》僧《ぞう》の神様 一  仙《せん》吉《きち》は神《かん》田《だ》の或《あ》る秤《はかり》屋《や》の店に奉《ほう》公《こう》している。  それは秋らしい柔《やわら》かな澄《す》んだ陽《ひ》ざしが、紺《こん》のだいぶはげ落ちた暖簾《のれん》の下から静かに店先に差《さ》し込んでいる時だった。店には一人の客もない。帳場格子《ごうし》の中に坐《すわ》って退《たい》屈《くつ》そうに巻煙草《たばこ》をふかしていた番頭が、火《ひ》鉢《ばち》の傍《そば》で新聞を読んでいる若い番頭にこんな風に話しかけた。  「おい、幸《こう》さん。そろそろお前の好きな鮪《まぐろ》の脂《あぶら》身《み》が食べられるころだネ」  「ええ」  「今夜あたりどうだね。お店をしまってから出かけるかネ」  「結構ですな」  「外《そと》濠《ぼり*》に乗って行けば十五分だ」  「そうです」  「あの家のを食っちゃア、この辺のは食えないからネ」  「全くですよ」  若い番頭から少し退《さが》った然《しか》るべき位置に、前《まえ》掛《かけ》の下に両手を入れて、行《ぎよう》儀《ぎ》よく坐《すわ》っていた小《こ》僧《ぞう》の仙《せん》吉《きち》は、「ああ鮨《すし》屋《や》の話だな」と思って聴《き》いていた。京《きよう》橋《ばし》にSという同業の店がある。その店へ時々使に遣《や》られるので、その鮨屋の位置だけはよく知っていた。仙吉は早く自分も番頭になって、そんな通《つう》らしい口をききながら、勝手にそういう家の暖簾《のれん》をくぐる身分になりたいものだと思った。  「何でも、与《よ》兵《へ》衛《え》の息《むす》子《こ》が松屋の近所に店を出したということだが、幸さん、お前は知らないかい」  「へえ存じませんな。松屋というとどこのです」  「私もよくは聞かなかったが、いずれ今川橋の松屋だろうよ」  「そうですか。で、そこは旨《うま》いんですか」  「そういう評判だ」  「矢張り与兵衛ですか」  「いや、何とか言った。何屋とか言ったよ。聴いたが忘れた」  仙吉は「いろいろそういう名《な》代《だい》の店があるものだな」と思って聴いていた。そして、  「しかし旨《うま》いというと全体どういう具合に旨《うま》いのだろう」そう思いながら、口の中に溜《たま》って来る唾《つば》を、音のしないように用心しいしい飲み込んだ。 二  それから二、三日した日《ひ》暮《ぐれ》だった。京《きよう》橋《ばし》のSまで仙《せん》吉《きち》は使に出された。出《で》掛《が》けに彼は番頭から電車の往復代だけを貰《もら》って出た。  外《そと》濠《ぼり》の電車を鍛冶《かじ》橋で降りると、彼は故《わざ》と鮨《すし》屋《や》の前を通って行った。彼は鮨屋の暖簾《のれん》を見ながら、その暖簾を勢いよく分けて入って行く番頭たちの様子を想《おも》った。その時彼はかなり腹がへっていた。脂《あぶら》で黄がかった鮪《まぐろ》の鮨が想像の眼に映《うつ》ると、彼は「一つでもいいから食いたいものだ」と考えた。彼は前から往復の電車賃を貰うと片道を買って帰りは歩いて来ることをよくした。今も残った四銭が懐《ふところ》の裏《うら》隠《かく》しでカチャカチャと鳴っている。  「四銭あれば一つは食えるが、一つ下さいとも言われないし」彼はそう諦《あきら》めながら前を通り過ぎた。  Sの店での用はすぐ済んだ。彼は真《しん》鍮《ちゆう》の小さい分《ふん》銅《どう》の幾《いく》つか入った妙《みよう》に重味のある小さいボール函《ばこ》を一つ受取ってその店を出た。  彼は何かしら惹《ひ》かれる気持で、もと来た道の方へ引きかえして来た。そして何気なく鮨屋の方へ折れようとすると、ふとその四つ角《かど》の反対側の横町に屋台《やたい》で、同じ名の暖簾を掛《か》けた鮨屋のあることを発見した。彼はノソノソとその方へ歩いて行った。 三  若い貴族院議員のAは同じ議員仲間のBから、鮨《すし》の趣《しゆ》味《み》は握《にぎ》るそばから、手《て》掴《づか》みで食う屋台《やたい》の鮨でなければ解《わか》らないというような通《つう》を頻《しき》りに説《と》かれた。Aはいつかその立ち食いをやってみようと考えた。そして屋台の旨《うま》いという鮨屋を教わっておいた。  ある日、日《ひ》暮《ぐれ》間《ま》もない時であった。Aは銀《ぎん》座《ざ》の方から京《きよう》橋《ばし》を渡《わた》って、かねて聞いていた屋台の鮨屋へ行って見た。そこにはすでに三人ばかり客が立っていた。彼はちょっと躊《ちゆう》躇《ちよ》した。しかし思い切ってとにかく暖簾《のれん》を潜《くぐ》ったが、その立っている人と人の間に割り込む気がしなかったので、彼は少時《しばらく》暖簾を潜ったまま、人の後《うしろ》に立っていた。  その時不意に横合いから十三、四の小《こ》僧《ぞう》が入って来た。小僧はAを押し退《の》けるようにして、彼の前のわずかな空《す》きへ立つと、五つ六つ鮨の乗っている前下がりの厚い欅《けやき》板《いた》の上を忙《せわ》しく見回した。  「海苔《のり》巻《まき》はありませんか」  「ああ今日はできないよ」肥《ふと》った鮨屋の主《あるじ》は鮨を握《にぎ》りながら、なおジロジロと小僧を見ていた。  小僧は少し思い切った調子で、こんなことは初めてじゃないというように、勢いよく手を延ばし、三つほど並《なら》んでいる鮪《まぐろ》の鮨の一つを摘《つま》んだ。ところが、なぜか小僧は勢いよく延ばした割にその手をひく時、妙《みよう》に躊《ちゆう》躇《ちよ》した。  「一つ六銭だよ」と主《あるじ》が言った。  小僧は落すように黙《だま》ってその鮨をまた台の上に置いた。  「一度持ったのを置いちゃあ、しようがねえな」そう言って主《あるじ》は握《にぎ》った鮨《すし》を置くと引きかえに、それを自分の手元へかえした。  小《こ》僧《ぞう》は何も言わなかった。小僧はいやな顔をしながら、その場がちょっと動けなくなった。しかしすぐ或《あ》る勇気を振《ふ》るい起して暖簾《のれん》の外へ出て行った。  「当《とう》今《こん》は鮨も上りましたからね。小僧さんにはなかなか食べきれませんよ」主は少し具合悪そうにこんなことを言った。そして一つを握り終ると、その空《あ》いた手で今小僧の手をつけた鮨を器用に自分の口へ投げ込むようにしてすぐ食ってしまった。 四  「この間君に教わった鮨屋へ行って見たよ」  「どうだい」  「なかなか旨《うま》かった。それはそうと、見ていると、皆こういう手つきをして、魚《さかな》の方を下にして一ペンに口へ投《ほう》り込むが、あれが通《つう》なのかい」  「まあ、鮪《まぐろ》は大概ああして食うようだ」  「なぜ魚の方を下にするのだろう」  「つまり魚が悪かった場合、舌へヒリリと来るのがすぐ知れるからなんだ」  「それを聞くとBの通も少し怪《あや》しいもんだな」  Aは笑い出した。  Aはその時小《こ》僧《ぞう》の話をした。そして、  「何だか可哀想《かわいそう》だった。どうかしてやりたいような気がしたよ」と言った。  「御《ご》馳《ち》走《そう》してやればいいのに。幾《いく》らでも、食えるだけ食わしてやると言ったら、さぞ喜んだろう」  「小僧は喜んだろうが、こっちが冷《ひや》汗《あせ》ものだ」  「冷汗? つまり勇気がないんだ」  「勇気かどうか知らないが、ともかくそういう勇気はちょっと出せない。すぐ一緒《いつしよ》に出て他所《よそ》で御馳走するなら、まだやれるかも知れないが」  「まあ、それはそんなものだ」とBも賛成した。 五  Aは幼稚園に通《かよ》っている自分の小さい子供がだんだん大きくなって行くのを数の上で知りたい気持から、風《ふ》呂《ろ》場《ば》へ小さな体量秤《ばかり》を備えつけることを思いついた。そしてある日彼は偶《ぐう》然《ぜん》神《かん》田《だ》の仙《せん》吉《きち》のいる店へやって来た。  仙吉はAを知らなかった。しかしAの方は仙吉を認めた。  店の横の奥《おく》へ通ずる三和土《たたき》になった所に七つ八つ大きいのから小さいのまで荷物秤が順に並《なら》んでいる。Aはその一番小さいのを選んだ。停車場や運送屋にある大きな物と全く同じで小さい、その可《か》愛《わい》い秤を妻や子供がさぞ喜ぶことだろうと彼は考えた。  番頭が古風な帳面を手にして、  「お届《とど》け先きはどちら様でございますか」と言った。  「そう……」とAは仙《せん》吉《きち》を見ながらちょっと考えて、「その小《こ》僧《ぞう》さんは今、手《て》隙《すき》かネ?」と言った。  「へえ別に……」  「そんなら少し急ぐから、私と一緒《いつしよ》に来てもらえないかネ」  「かしこまりました。では、車へつけてすぐお供《とも》をさせましょう」  Aは先日御《ご》馳《ち》走《そう》できなかった代り、今日どこかで小僧に御馳走してやろうと考えた。  「それからお所とお名前をこれへ一つお願い致します」金を払うと番頭は別の帳面を出して来てこう言った。  Aはちょっと弱った。秤《はかり》を買う時、その秤の番号と一緒に買い手の住所姓《せい》名《めい》を書いて渡《わた》さねばならぬ規則のあることを彼は知らなかった。名を知らしてから御馳走するのは同様いかにも冷《ひや》汗《あせ》の気がした。仕方なかった。彼は考え考え出《で》鱈《たら》目《め》の番地と出鱈目の名を書いて渡した。 六  客は加減をしてぶらぶらと歩いている。その二、三間後《うしろ》から秤を乗せた小さい手車を挽《ひ》いた仙吉がついて行く。  ある俥《くるま》宿《やど*》の前まで来ると、客は仙吉を待たせて中へ入って行った。間《ま》もなく秤は支度《したく》のできた宿《やど》俥《ぐるま》に積み移された。  「では頼《たの》むよ。それから金は先で貰《もら》ってくれ。そのことも名《めい》刺《し》に書いてあるから」と言って客は出て来た。そして今度は仙《せん》吉《きち》に向って、「お前も御苦労。お前には何か御《ご》馳《ち》走《そう》してあげたいからその辺まで一緒《いつしよ》においで」と笑いながら言った。  仙吉は大変うまい話のような、少し薄《うす》気《き》味《み》悪い話のような気がした。しかし何しろ嬉《うれ》しかった。彼はペコペコと二、三度続けざまにお辞《じ》儀《ぎ》をした。  蕎麦《そば》屋《や》の前も、鮨《すし》屋《や》の前も、鳥屋の前も通り過ぎてしまった。「どこへ行く気だろう」仙吉は少し不安を感じ出した。神《かん》田《だ》駅の高《こう》架《か》線《せん》の下を潜《くぐ》って松屋の横へ出ると、電車通りを越《こ》して、横町の或る小さい鮨屋の前へ来てその客は立ち止った。  「ちょっと待ってくれ」こう言って客だけ中へ入り、仙吉は手車の梶《かじ》棒《ぼう》を下して立っていた。  間《ま》もなく客は出て来た。その後から若い品《ひん》のいいかみさんが出て来て、  「小《こ》僧《ぞう》さん、お入りなさい」と言った。  「私は先へ帰るから、充《じゆう》分《ぶん》食べておくれ」こう言って客は逃《に》げるように急ぎ足で電車通りの方へ行ってしまった。  仙吉はそこで三人前の鮨を平らげた。餓《う》え切った痩《や》せ犬が不時の食にありついたかのように彼はがつがつとたちまちの間に平らげてしまった。他《ほか》に客がなく、かみさんが故《わざ》と障《しよう》子《じ》を締《し》め切って行ってくれたので、仙吉は見《み》得《え》も何もなく、食いたいようにして鱈《たら》腹《ふく》に食うことができた。  茶をさしに来たかみさんに、  「もっとあがれませんか」と言われると、仙《せん》吉《きち》は赤くなって、  「いえ、もう」と下を向いてしまった。そして、忙《せわ》しく帰り支《じ》度《たく》を始めた。  「それじゃあネ、また食べに来て下さいよ。お代《だい》はまだ沢《たく》山《さん》頂《いただ》いてあるんですからネ」  仙吉は黙《だま》っていた。  「お前さん、あの旦《だん》那《な》とは前からお馴染《なじみ》なの?」  「いえ」  「へえ……」こう言って、かみさんは、そこへ出て来た主《あるじ》と顔を見合せた。  「粋《いき》な人なんだ。それにしても、小《こ》僧《ぞう》さん、また来てくれないと、こっちが困るんだからネ」  仙吉は下《げ》駄《た》を穿《は》きながらただ無《む》闇《やみ》とお辞《じ》儀《ぎ》した。 七  Aは小僧に別れると追いかけられるような気持で電車通りに出ると、そこへちょうど通りかかった辻《つじ》自動車を呼び止めて、すぐBの家へ向った。  Aは変に淋《さび》しい気がした。自分は先の日小僧の気の毒な様子を見て、心から同情した。そして、できることなら、こうもしてやりたいと考えていたことを今日は偶《ぐう》然《ぜん》の機会から遂《すい》行《こう》できたのである。小僧も満足し、自分も満足していいはずだ。人を喜ばすことは悪いことではない。自分は当然、ある喜びを感じていいわけだ。ところが、どうだろう、この変に淋《さび》しい、いやな気持は。なぜだろう。何から来るのだろう。ちょうどそれは人知れず悪いことをした後の気持に似《に》通《かよ》っている。  もしかしたら、自分のしたことが善事だという変な意識があって、それを本《ほん》統《とう》の心から批判され、裏切られ、嘲《あざけ》られているのが、こうした淋しい感じで感ぜられるのかしら? もう少し仕《し》たことを小さく、気楽に考えていれば何でもないのかも知れない。自分は知らず知らずこだわっているのだ。しかしとにかく恥《は》ずべきことを行ったというのではない。少くとも不快な感じで残らなくてもよさそうなものだ、と彼は考えた。  その日行く約束があったのでBは待っていた。そして二人は夜になってから、Bの家の自動車で、Y夫人の音楽会を聴《き》きに出《で》掛《か》けた。  晩《おそ》くなってAは帰って来た。彼の変な淋しい気持はBと会い、Y夫人の力強い独唱を聴《き》いている内にほとんど直ってしまった。  「秤《はかり》どうも恐《おそ》れ入りました」細君は案の定、その小形なのを喜んでいた。子供はもう寝《ね》ていたが、大変喜んだことを細君は話した。  「それはそうと、先日鮨《すし》屋《や》で見た小《こ》僧《ぞう》ネ、また会ったよ」  「まあどこで?」  「はかり屋の小僧だった」  「奇《き》遇《ぐう》ネ」  Aは小《こ》僧《ぞう》に鮨《すし》を御《ご》馳《ち》走《そう》してやったこと、それから、後《あと》、変に淋《さび》しい気持になったことなどを話した。  「なぜでしょう。そんな淋しいお気になるの、不思議ネ」善良な細君は心配そうに眉《まゆ》をひそめた。細君はちょっと考える風だった。すると、不意に、「ええ、そのお気持わかるわ」と言い出した。  「そういうことありますわ。何でだか、そんなことあったように思うわ」  「そうかな」  「ええ、本《ほん》統《とう》にそういうことあるわ。Bさんは何ておっしゃって?」  「Bには小僧に会ったことは話さなかった」  「そう。でも、小僧はきっと大喜びでしたわ。そんな思い掛《が》けない御馳走になれば誰《だれ》でも喜びますわ。私でも頂《いただ》きたいわ。そのお鮨電話で取寄せられませんの?」 八  仙《せん》吉《きち》は空《から》車《ぐるま》を挽《ひ》いて帰って来た。彼の腹は十二分に張っていた。これまでも腹一《いつ》杯《ぱい》に食ったことはよくある。しかし、こんな旨《うま》いもので一杯にしたことは憶《おも》い出せなかった。  彼はふと、先日京《きよう》橋《ばし》の屋台《やたい》鮨屋で恥《はじ》をかいたことを憶い出した。ようやくそれを憶い出した。すると、初めて、今日の御馳走がそれに或る関係を持っていることに気がついた。もしかしたら、あの場にいたんだ、と思った。きっとそうだ。しかし自分のいる所をどうして知ったろう? これは少し変だ、と彼は考えた。そういえば、今日連れて行かれた家は矢張り先日番頭たちの噂《うわさ》をしていた、あの家だ。全体どうして番頭たちの噂まであの客は知ったろう?  仙《せん》吉《きち》は不思議でたまらなくなった。番頭たちがその鮨《すし》屋《や》の噂をするように、AやBもそんな噂をすることは仙吉の頭では想像できなかった。彼は一《いち》途《ず》に自分が番頭たちの噂話を聴《き》いた、その同じ時の噂話をあの客も知っていて、今日自分を連れて行ってくれたに違《ちが》いないと思い込んでしまった。そうでなければ、あの前にも二、三軒鮨屋の前を通りながら、通り過ぎてしまったことが解らないと考えた。  とにかくあの客は只《ただ》者《もの》ではないという風にだんだん考えられて来た。自分が屋台《やたい》鮨屋で恥《はじ》をかいたことも、番頭たちがあの鮨屋の噂をしていたことも、その上第一自分の心の中まで見《み》透《とお》して、あんなに充《じゆう》分《ぶん》、御《ご》馳《ち》走《そう》をしてくれた。到《とう》底《てい》それは人間業《わざ》ではないと考えた。神様かも知れない。それでなければ仙《せん》人《にん》だ。もしかしたらお稲荷《いなり》様かも知れない、と考えた。  彼がお稲荷様を考えたのは彼の伯《お》母《ば》で、お稲荷様信《しん》仰《こう》で一時気《き》違《ちが》いのようになった人があったからである。お稲荷様が乗り移ると身体をブルブル震《ふる》わして、変な予言をしたり、遠い所に起った出来事を言い当てたりする。彼はそれをある時見ていたからであった。しかしお稲荷様にしてはハイカラなのが少し変にも思われた。それにしろ、超《ちよう》自然的なものだという気はだんだん強くなって行った。 九  Aの一種の淋《さび》しい変な感じは日とともに跡《あと》方《かた》なく消えてしまった。しかし、彼は神《かん》田《だ》のその店の前を通ることは妙《みよう》に気がさしてできなくなった。のみならず、その鮨《すし》屋《や》にも自分から出《で》掛《か》ける気はしなくなった。  「ちょうどようござんすわ。自家《うち》へ取り寄せれば、皆もお相《しよう》伴《ばん》できて」と細君は笑った。  するとAは笑いもせずに、  「俺《おれ》のような気の小さい人間は全く軽《かる》々《がる》しくそんなことをするものじゃあ、ないよ」と言った。 一〇  仙《せん》吉《きち》には「あの客」がますます忘れられないものになって行った。それが人間か超《ちよう》自然のものか、今はほとんど問題にならなかった、ただ無《む》闇《やみ》とありがたかった。彼は鮨屋の主人夫婦に再三言われたに拘《かかわ》らず再びそこへ御《ご》馳《ち》走《そう》になりに行く気はしなかった。そう付け上ることは恐《おそ》ろしかった。  彼は悲しい時、苦しい時に必ず「あの客」を想《おも》った。それは想うだけで或る慰《なぐさ》めになった。彼はいつかはまた「あの客」が思わぬ恵《めぐ》みを持って自分の前に現れて来ることを信じていた。    作者はここで筆を擱《お》くことにする。実は小《こ》僧《ぞう》が「あの客」の本体を確めたい要求から、番頭に番地と名前を教えてもらってそこを尋《たず》ねて行くことを書こうと思った。小僧はそこへ行って見た。ところが、その番地には人の住いがなくて、小さい稲荷《いなり》の祠《ほこら》があった。小僧は吃驚《びつくり》した。——とこういう風に書こうかと思った。しかしそう書くことは小僧に対し少し惨《ざん》酷《こく》な気がして来た。それゆえ作者は前の所で擱《かく》筆《ひつ》することにした。 城《き》の崎《さき》にて  山の手線の電車に跳《は》ね飛ばされて怪《け》我《が》をした、《*》その後《あと》養生に、一人で但馬《たじま》の城崎《きのさき》温泉《*》へ出《で》掛《か》けた。背中の傷が脊《せき》椎《つい》カリエスになれば致《ち》命《めい》傷《しよう》になりかねないが、そんなことはあるまいと医者に言われた。二、三年で出なければ後は心配はいらない、とにかく要心は肝《かん》心《じん》だからといわれて、それで来た。三週間以上——我《が》慢《まん》できたら五週間くらい居たいものだと考えて来た。  頭はまだ何だか明瞭《はつきり》しない。物忘れが烈《はげ》しくなった。しかし気分は近年になく静まって、落ちついたいい気持がしていた。稲《いね》の穫《とり》入《い》れの始まるころで、気候もよかったのだ。  一人きりで誰《だれ》も話し相手はない。読むか書くか、ぼんやりと部《へ》屋《や》の前の椅《い》子《す》に腰《こし》かけて山だの往来だのを見ているか、それでなければ散歩で暮していた。散歩する所は町から小さい流れについて少しずつ登りになった路《みち》にいい所があった。山の裾《すそ》を回っているあたりの小さな潭《ふち》になった所に山《やま》女《め》が沢《たく》山《さん》集っている。そしてなおよく見ると、足に毛の生えた大きな川《かわ》蟹《がに》が石のように凝然《じつ》としているのを見つけることがある。夕方の食事前にはよくこの路を歩いて来た。冷《ひえ》々《びえ》とした夕方、淋《さび》しい秋の山《さん》峡《きよう》を小さい清い流れについて行く時考えることは矢張り沈《しず》んだことが多かった。淋しい考えだった。しかしそれには静かないい気持がある。自分はよく怪《け》我《が》のことを考えた。一つ間《ま》違《ちが》えば、今ごろは青山《*》の土の下に仰《あお》向《む》けになって寝《ね》ているところだったなど思う。青い冷たい堅《かた》い顔をして、顔の傷も背中の傷もそのままで。祖《そ》父《ふ》や母の屍《し》骸《がい》が傍《わき》にある。それももうお互《たが》いに何の交《こう》渉《しよう》もなく、——こんなことが想《おも》い浮《うか》ぶ。それは淋《さび》しいが、それほどに自分を恐《きよう》怖《ふ》させない考えだった。いつかはそうなる。それがいつか?——今まではそんなことを思って、その「いつか」を知らず知らず遠い先のことにしていた。しかし今は、それが本《ほん》統《とう》にいつか知れないような気がして来た。自分は死ぬはずだったのを助かった、何かが自分を殺さなかった、自分には仕《し》なければならぬ仕事があるのだ、——中学で習ったロード・クライヴという本に、クライヴがそう思うことによって激《げき》励《れい》されることが書いてあった。実は自分もそういう風に危《あや》うかった出来事を感じたかった。そんな気もした。しかし妙《みよう》に自分の心は静まってしまった。自分の心には、何かしら死に対する親しみが起っていた。  自分の部屋は二階で、隣《となり》のない、割に静かな座《ざ》敷《しき》だった。読み書きに疲《つか》れるとよく縁《えん》の椅《い》子《す》に出た。脇《わき》が玄《げん》関《かん》の屋根で、それが家へ接続する所が羽目になっている。その羽目の中に蜂《はち》の巣《す》があるらしい。虎《とら》斑《ふ*》の大きな肥《ふと》った蜂が天気さえよければ、朝から暮《くれ》近くまで毎日忙《いそが》しそうに働いていた。蜂は羽目のあわいから摩《すり》抜《ぬ》けて出ると、一トまず玄関の屋根に下《お》りた。そこで羽根や触《しよつ》角《かく》を前足や後《うしろ》足《あし》で丁《てい》寧《ねい》に調《ととの》えると、少し歩きまわる奴《やつ》もあるが、すぐ細長い羽根を両方へしっかりと張ってぶーんと飛び立つ。飛び立つと急に早くなって飛んで行く。植え込みの八つ手の花がちょうど咲《さ》きかけで蜂はそれに群がっていた。自分は退《たい》屈《くつ》すると、よく欄《らん》干《かん》から蜂の出入りを眺《なが》めていた。  ある朝のこと、自分は一疋《ぴき》の蜂が玄関の屋根で死んでいるのを見つけた。足を腹の下にぴったりとつけ、触《しよつ》角《かく》はだらしなく顔へたれ下がっていた。他《ほか》の蜂《はち》は一向に冷《れい》淡《たん》だった。巣《す》の出入りに忙《いそが》しくその傍《わき》を這《は》いまわるが全く拘《こう》泥《でい》する様子はなかった。忙しく立ち働いている蜂はいかにも生きている物という感じを与えた。その傍に一《いつ》疋《ぴき》、朝も昼も夕も、見るたびに一つ所に全く動かずに俯《うつ》向《む》きに転《ころ》がっているのを見ると、それがまたいかにも死んだものという感じを与えるのだ。それは三日ほどそのままになっていた。それは見ていて、いかにも静かな感じを与《あた》えた。淋《さび》しかった。他《ほか》の蜂が皆《みんな》巣へ入ってしまった日暮れ、冷たい瓦《かわら》の上に一つ残った死《し》骸《がい》を見ることは淋しかった。しかし、それはいかにも静かだった。  夜の間にひどい雨が降った。朝は晴れ、木の葉も地面も屋根も綺《き》麗《れい》に洗われていた。蜂の死骸はもうそこになかった。今の巣の蜂どもは元気に働いているが、死んだ蜂は雨《あま》樋《どい》を伝って地面へ流し出された事であろう。足は縮めたまま、触角は顔へこびりついたまま、たぶん泥《どろ》にまみれてどこかで凝《じ》然《つ》としていることだろう。外界にそれを動かす次の変化が起るまでは死骸は凝《じ》然《つ》とそこにしているだろう。それとも蟻《あり》に曳《ひ》かれて行くか。それにしろ、それはいかにも静かであった。忙しく忙しく働いてばかりいた蜂が全く動くことがなくなったのだから静かである。自分はその静かさに親しみを感じた。自分は「范《はん》の犯罪」という短編小説をその少し前に書いた。范という支《シ》那《ナ》人が過去の出来事だった結婚前の妻と自分の友達だった男との関係に対する嫉《しつ》妬《と》から、そして自身の生理的圧《あつ》迫《ぱく》もそれを助長し、その妻を殺すことを書いた。それは范の気持を主にして書いたが、しかし今は范の妻の気持を主にし、しまいには殺されて墓の下にいる、その静かさを自分は書きたいと思った。  「殺されたる范《はん》の妻」を書こうと思った。それはとうとう書かなかったが、自分にはそんな要求が起っていた。その前からかかっている長編の主人公の考えとは、それは大変異《ちが》ってしまった気持だったので弱った。  蜂《はち》の死《し》骸《がい》が流され、自分の眼界から消えて間《ま》もない時だった。ある午前、自分は円《まる》山《やま》川《がわ》、それからそれの流れ出る日本海などの見える東《ひがし》山《やま》公園へ行くつもりで宿を出た。「一の湯」の前から小川は往来の真《まん》中《なか》をゆるやかに流れ、円山川へ入る。ある所まで来ると橋だの岸だのに人が立って何か川の中の物を見ながら騒《さわ》いでいた。それは大きな鼠《ねずみ》を川へなげ込んだのを見ているのだ。鼠は一《いつ》生《しよう》懸《けん》命《めい》に泳いで逃《に》げようとする。鼠には首のところに七寸ばかりの魚《さかな》串《ぐし》が刺《さ》し貫《とお》してあった。頭の上に三寸ほど、咽《の》喉《ど》の下に三寸ほどそれが出ている。鼠は石《いし》垣《がき》へ這《は》い上ろうとする。子供が二、三人、四十くらいの車夫が一人、それへ石を投げる。なかなか当らない。カチッカチッと石垣へ当って跳《は》ね返った。見物人は大声で笑った。鼠は石垣の間にようやく前足をかけた。しかし這《は》入《い》ろうとすると魚串がすぐにつかえた。そしてまた水へ落ちる。鼠はどうかして助かろうとしている。顔の表情は人間にわからなかったが動作の表情に、それが一生懸命であることがよくわかった。鼠はどこかへ逃げ込むことができれば助かると思っているように、長い串を刺されたまま、また川の真中の方へ泳ぎ出た。子供や車夫はますます面白がって石を投げた。傍《わき》の洗い場の前で餌《えさ》を漁《あさ》っていた二、三羽の家鴨《あひる》が石が飛んで来るので吃驚《びつくり》し、首を延ばしてきょろきょろとした。スポッ、スポッと石が水へ投げ込まれた。家鴨は頓《とん》狂《きよう》な顔をして首を延ばしたまま、鳴きながら、忙《いそが》しく足を動かして上流の方へ泳いで行った。自分は鼠の最期を見る気がしなかった。鼠《ねずみ》が殺されまいと、死ぬに極《きま》った運命を担《にな》いながら、全力を尽《つく》して逃《に》げ回っている様子が妙《みよう》に頭についた。自分は淋《さび》しい嫌《いや》な気持になった。あれが本《ほん》統《とう》なのだと思った。自分が希《ねが》っている静かさの前に、ああいう苦しみのあることは恐《おそ》ろしいことだ。死後の静《せい》寂《じやく》に親しみを持つにしろ、死に到《とう》達《たつ》するまでのああいう動《どう》騒《そう》は恐ろしいと思った。自殺を知らない動物はいよいよ死に切るまではあの努力を続けなければならない。今自分にあの鼠のようなことが起ったら自分はどうするだろう。自分は矢張り鼠と同じような努力をしはしまいか。自分は自分の怪《け》我《が》の場合、それに近い自分になったことを思わないではいられなかった。自分はできるだけのことをしようとした。自分は自身で病院をきめた。それへ行く方法を指定した。もし医者が留守で、行ってすぐに手術の用意ができないと困ると思って電話を先にかけてもらうことなどを頼《たの》んだ。半分意識を失った状態で、一番大切なことだけによく頭の働いたことは自分でも後から不思議に思ったくらいである。しかもこの傷が致《ち》命《めい》的《てき》なものかどうかは自分の問題だった。しかし、致命的のものかどうかを問題としながら、ほとんど死の恐《きよう》怖《ふ》に襲《おそ》われなかったのも自分では不思議であった。「フェータル《*》なものか、どうか? 医者は何といっていた?」こう側《そば》にいた友に訊《き》いた。「フェータルな傷じゃないそうだ」こう言われた。こう言われると自分はしかし急に元気づいた。興奮から自分は非常に快活になった。フェータルなものだともし聞いたら自分はどうだったろう。その自分はちょっと想像できない。自分は弱ったろう。しかし普《ふ》段《だん》考えているほど、死の恐怖に自分は襲われなかったろうという気がする。そしてそういわれてもなお、自分は助かろうと思い、何かしら努力をしたろうという気がする。それは鼠《ねずみ》の場合と、そう変らないものだったに相《そう》違《い》ない。で、またそれが今来たらどうかと思って見て、なお且《か》つ、あまり変らない自分であろうと思うと「あるがまま」で、気分でねがうところが、そう実際にすぐは影《えい》響《きよう》はしないものに相違ない、しかも両方が本《ほん》統《とう》で、影響した場合は、それでよく、しない場合でも、それでいいのだと思った。それは仕方のないことだ。  そんなことがあって、また暫《しばら》くして、ある夕方、町から小川に沿うて一人だんだん上へ歩いていった。山《さん》陰《いん》線の隧《トン》道《ネル》の前で線路を越《こ》すと道《みち》幅《はば》が狭《せま》くなって路《みち》も急になる。流れも同様に急になって、人家も全く見えなくなった。もう帰ろうと思いながら、あの見える所までという風に角《かど》を一つ一つ先へ先へと歩いて行った。物がすべて青白く、空気の肌《はだ》ざわりも冷《ひえ》々《びえ》として、物静かさがかえって何となく自分をそわそわとさせた。大きな桑《くわ》の木が路《みち》傍《ばた》にある。彼方《むこう》の、路へ差し出した桑の枝《えだ》で、ある一つの葉だけがヒラヒラヒラヒラ、同じリズムで動いている。風もなく流れの他《ほか》はすべて静《せい》寂《じやく》の中にその葉だけがいつまでもヒラヒラヒラヒラと忙《いそが》しく動くのが見えた。自分は不思議に思った。多少怖《こわ》い気もした。しかし好《こう》奇《き》心《しん》もあった。自分は下へいってそれを暫《しばら》く見上げていた。すると風が吹《ふ》いて来た。そうしたらその動く葉は動かなくなった。原因は知れた。何かでこういう場合を自分はもっと知っていたと思った。  だんだんと薄暗くなって来た。いつまで往《い》っても、先の角《かど》はあった。もうここらで引きかえそうと思った。自分は何気なく傍《そば》の流れを見た。向う側の斜《なな》めに水から出ている半《はん》畳《じよう》敷《じき》ほどの石に黒い小さいものがいた。蠑〓《いもり》だ。まだ濡《ぬ》れていて、それはいい色をしていた。頭を下に傾《けい》斜《しや》から流れへ臨《のぞ》んで、凝然《じつ》としていた。体《からだ》から滴《したた》れた水が黒く乾《かわ》いた石へ一寸ほど流れている。自分はそれを何気なく、跼《しやが》んで見ていた。自分は先《せん》ほど蠑〓《いもり》は嫌《きら》いでなくなった。蜥蜴《とかげ》は多少好きだ。屋《や》守《もり》は虫の中でも最も嫌いだ。蠑〓は好きでも嫌いでもない。十年ほど前によく蘆《あし》の湖《こ》で蠑〓が宿屋の流し水の出る所に集っているのを見て、自分が蠑〓だったら堪《たま》らないという気をよく起した。蠑〓にもし生れ変ったら自分はどうするだろう、そんなことを考えた。そのころ蠑〓を見るとそれが想《おも》い浮ぶので、蠑〓を見ることを嫌った。しかしもうそんなことを考えなくなっていた。自分は蠑〓を驚《おどろ》かして水へ入れようと思った。不器用にからだを振《ふ》りながら歩く形が想われた。自分は跼《しやが》んだまま、傍《わき》の小《こ》鞠《まり》ほどの石を取上げ、それを投げてやった。自分は別に蠑〓を狙《ねら》わなかった。狙ってもとても当らないほど、狙って投げることの下《へ》手《た》な自分はそれが当ることなどは全く考えなかった。石はこツといってから流れに落ちた。石の音と同時に蠑〓は四寸ほど横へ跳《と》んだように見えた。蠑〓は尻《しつ》尾《ぽ》を反《そ》らし、高く上げた。自分はどうしたのかしら、と思って見ていた。最初石が当ったとは思わなかった。蠑〓の反らした尾《お》が自然に静かに下りて来た。すると肘《ひじ》を張ったようにして傾《けい》斜《しや》に堪《た》えて、前へついていた両の前足の指が内へまくれ込むと、蠑〓は力なく前へのめってしまった。尾は全く石についた。もう動かない。蠑〓は死んでしまった。自分は飛んだことをしたと思った。虫を殺すことをよくする自分であるが、その気が全くないのに殺してしまったのは自分に妙《みよう》な嫌《いや》な気をさした。素《もと》より自分の仕《し》たことではあったがいかにも偶《ぐう》然《ぜん》だった。蠑〓にとっては全く不意な死であった。自分は暫《しばら》くそこに跼《しやが》んでいた。蠑〓と自分だけになったような心持がして蠑〓の身に自分がなってその心持を感じた。可哀想《かわいそう》に想《おも》うと同時に、生き物の淋《さび》しさを一緒《いつしよ》に感じた。自分は偶《ぐう》然《ぜん》に死ななかった。蠑〓《いもり》は偶然に死んだ。自分は淋しい気持になって、ようやく足元の見える路《みち》を温泉宿の方へ帰って来た。遠く町端《はず》れの灯《ひ》が見え出した。死んだ蜂《はち》はどうなったか。その後の雨でもう土の下に入ってしまったろう。あの鼠《ねずみ》はどうしたろう。海へ流されて、今ごろはその水ぶくれのした体《からだ》を塵《ご》芥《み》と一緒に海岸へでも打ちあげられていることだろう。そして死ななかった自分は今こうして歩いている。そう思った。自分はそれに対し、感謝しなければ済まぬような気もした。しかし実際喜びの感じは湧《わ》き上っては来なかった。生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。それほどに差はないような気がした。もうかなり暗かった。視覚は遠い灯《ひ》を感ずるだけだった。足の踏《ふ》む感覚も視覚を離れて、いかにも不《ふ》確《たし》かだった。ただ頭だけが勝手に働く。それが一層そういう気分に自分を誘《さそ》って行った。  三週間いて、自分はここを去った。それから、もう三年以上になる。自分は脊《せき》椎《つい》カリエスになるだけは助かった。 好人物の夫婦 一  深い秋の静かな晩だった。沼《ぬま》の上を雁《がん》が啼《な》いて通る。細君は食《ちやぶ》台《だい》の上の洋灯《ランプ》を端《はし》の方に引き寄せてその下で針仕事をしている。良人《おつと》はその傍《そば》に長々と仰《あお》向《むけ》に寝《ね》ころんで、ぼんやりと天《てん》井《じよう》を眺《なが》めていた。二人は永い間黙《だま》っていた。  「もう何時?」と細君が下を向いたまま言った。時計は細君の頭の上の柱に懸《かか》っている。  「十二時十五分前だ」  「お寝《やす》みに致《いた》しましょうか」細君は矢張り下を向いたまま言った。  「もう少しして」と良人が答えた。  二人はまた少時《しばらく》黙った。  細君は良人があまり静かなので、ようやく顔を挙げた。そして縫《ぬ》った糸を扱《しご》きながら、  「一体何していらっしゃるの? そんな大きな眼《め》をして……」と言った。  「考えているんだ」  「お考えごとなの?」  また二人は黙《だま》った。細君は仕事が或る切りまで来ると、糸を断《き》り、針を針差しに差して仕事を片付け始めた。  「オイ俺《おれ》は旅行するよ」  「何いっていらっしゃるの? 考えごとだなんて今までそんなことを考えていらしたの」  「そうさ」  「幾《いく》日《にち》ぐらい行っていらっしゃるの?」  「半月と一ト月の間だ」  「そんなに永く?」  「うん。上《かみ》方《がた》から九州、それから朝《ちよう》鮮《せん》の金《こん》剛《ごう》山《さん》あたりまで行くかも知れない」  「そんなに永いの、いや」  「いやだって仕方がない」  「旅行おしんなってもいいんだけど、——いやなことをおしんなっちゃあいやよ」  「そりゃあ請《う》け合わない」  「そんならいや。旅行だけならいいんですけれど、自家《うち》で淋《さび》しい気をしながらお待ちしているのに貴方《あなた》がどこかで今ごろそんな……」こう言いかけて細君は急に、「もう、いやいや」と烈《はげ》しくその言葉をほうり出してしまった。  「馬《ば》鹿《か》」良人《おつと》は意地悪な眼《め》つきをして細君を見た。細君も少しうらめしそうな眼でそれを見返した。  「貴方《あなた》がそんなことをしないとはっきり言って下されば少しくらい淋《さび》しくてもこの間から旅行はしたがっていらしたんだから我《が》慢《まん》してお留守しているんですけど」  「きっとそんなことをしようというんじゃないよ。しないかも知れない。そんなら多分しない。なるべくそうする。——しかし必ずしもしなくないかも知れない」  「そら御覧なさい。何言ってらっしゃるの。いやな方ね」  良人《おつと》は笑った。  「しないとはっきりおっしゃい」  「どうだか自分でもわからない」  「わからなければいけません」  「いけなくても出《で》掛《か》ける」  細君はもうそれには応じなかった。そして「貴方がしないとはっきりおっしゃって下されば安心してお待ちしているんだけど……男の方ってなぜそうなの?」と言った。  「男が皆《みんな》そうじゃないさ」  「皆そうよ。そうにきまってるわ。貴方でもそうなんですもの」  「そんなことはないさ、俺《おれ》でも八年前まではそうじゃなかったもの」  「じゃあ、なぜ今はそうじゃなくおなりになれないの?」  「今か。今は前と異《ちが》ってしまったんだ。今でもいいとは思っていないよ。しかし前ほど非常に悪いという気がしなくなったんだ」  「非常に悪いわ」細君はある興奮からさえぎるように言った。「私にとっては非常に悪いわ」  その調子には、良人《おつと》の怠《なま》けた気持を細君のその気持へぐいと引き寄せるだけの力がこもっていた。  「うん、そりゃそうだ」良人はその時、腹からそれに賛成してしまった。  「そりゃそうだって、そんならはっきりそんなことしないって言って下さるの?」  「うう? 断言するのか? そりゃ、ちょっと待ってくれ」  「そんなことをおっしゃっちゃあ、もう駄《だ》目《め》」  「よし、もう旅行はやめた」  「まあ!」  「まあでも何でも旅行はもうよす」  「そんなにおっしゃらなくていいのよ。御旅行遊ばせよ。いいわ、多分しないって言って下すったんですもの。私が何か言っておやめさせしちゃあ悪いわ。おいで遊ばせよ。上《かみ》方《がた》なら大阪のお祖母《ばあ》さんの所へ行っていらっしゃればいいわ。お祖母さんに貴方《あなた》の監《かん》督《とく》をお頼《たの》みしておくわ」  「旅行はよすよ。お前のお祖母さんの所へ泊《とま》っていてもつまらないし、第一行くとすると上方だけじゃないもの」  「悪かったわ。せっかく思い立ちになったんだからおいで遊ばせ。そうして頂《ちよう》戴《だい》」  「うるさい奴《やつ》だな、もうやめると決めたんだ」  「……赤《あか》城《ぎ》にいらっしゃらない? 赤城なら私本《ほん》統《とう》に何とも思いませんわ。紅《こう》葉《よう》はもう過ぎたでしょうか」  「うるさい。もうよせ」  「お怒《おこ》りになったの?」  「怒ったんじゃない」  細君は良人《おつと》は矢張り怒っているんだと思った。そして何かいうとなお怒らしそうなので黙《だま》ることにした。しかし良人は少しも怒ってはいなかった。その時は実は旅行も少し億《おつ》劫《くう》な気持になっていた。  「それはそうと大阪のお祖母《ばあ》さんのお加減はこのごろどうなんだ。お見《み》舞《まい》を時々出すか」  「今朝も出しました。また例のですから、そう心配はないと思いますの」  「八十お幾《いく》つだ?」  「八十四」  細君は針箱や、たたんだ仕立かけなどを持って隣《りん》室《しつ》へ起《た》って行った。そして今度は良人の寝《ね》間《ま》着《き》を持って入って来た。良人は起き上って裸《はだか》になった。細君は後《うしろ》から寝間着を着せかけながら、こう言った。  「何だかだんだん嫉《やき》妬《もち》が烈《はげ》しくなるようよ。京都でお仙《せん》が来た時、貴方《あなた》だけ残して出《で》掛《か》けて行ったことなんか今考えると不思議なようですわ」  「あれは安心して出掛けて行ったお前の方がよほど利口だった。お前が出掛けて行ったらなお話も何にもなくなって閉口した」  「ですけど、今は到《とう》底《てい》そんなこと、できませんわ」  「俺《おれ》がそんな不安心な人間に見えるかね」  「いいえ、貴方《あなた》がそうだというんでもないのよ」  「そんなら先方《むこう》が危ないと言うのか」  「それもありますわ」  「欲目だね、俺はあまり女に好かれる方じゃないよ」  「でも御旅行だとどうだか知れないんじゃありませんか」  良人《おつと》はちょっと不快《いや》な顔をした。  「それとはまた異《ちが》う話をしているんだ、馬《ば》鹿《か》」  「何故《なぜ》?」  「もうよそう。その話は止《や》めだ」 二  翌朝大阪から良人宛《あて》の手紙が来た。朝《あさ》寝《ね》坊《ぼう》な良人はまだ眠《ねむ》っていた。名は書いてなくても、自分宛にもなっていると思うと、勝手によく開《かい》封《ふう》する細君はその手紙もすぐ開封した。  それを書いたのは他《た》へ縁付いている細君の一番上の姉で、祖《そ》母《ぼ》の病気が今度はどうも面白くないと書いてあった。祖母は貴方にお気の毒だから妹は呼ばなくていいと申しますが、会いたいことの山々なのは他《よそ》目《め》にも明らかで、昔気質《かたぎ》でそうと言えないところがなお可哀想《かわいそう》ですと書いてあった。都合できたらどうか二、三日でいいから妹を寄《よ》越《こ》していただきたい。私どもと異《ちが》って妹は赤ん坊《ぼう》の時からほとんど祖《そ》母《ぼ》の手だけで育った児《こ》ですから、それが会わずにもし眼《め》をねむることでもあると祖母や妹はもちろん私どもにもはなはだ心残りのこととなります。こんなことが書いてあった。  「また姉さんが余計なことまで書いて……」こう思いながらなお細君の眼からはポタポタと涙《なみだ》が手紙の上に落ちて来た。  寝《しん》室《しつ》の方で、  「おい。おい」と良人《おつと》の呼ぶ声がした。  細君は湯《ゆ》殿《どの》へ行き、泣きはらした眼をちょっと水で冷やしてからその手紙と、それからその日の新聞を持って寝室へ入って行った。  「お祖母《ばあ》さんが少しお悪いらしいのよ」仰《あお》向《む》きになって夜着の上に両手を出している良人に新聞と一緒《いつしよ》にそれを手《て》渡《わた》しながら言った。  良人は細君の赤い眼を見た。それからその手紙を読んだ。  「すぐ行くといい」  「そう? 行くなら早い方がいいかも知れませんわね」  「そうだよ。東京を今夜の急行で出《で》掛《か》けられるように早速支度《したく》をするといい」  「そんならそうしましょうか。早く行って早く帰って来る方がいいわ。同じことですもの」  「早く帰る必要はないから、ゆっくり看護をして上げるといいよ」  「そりゃきっとお祖母《ばあ》さんの方で早く帰れ帰れっておっしゃってよ。顔を見ればいいんだから早く帰っておくれって、きっとそうおっしゃってよ。私もいやだわ、そんなに永く自家《うち》を空《あ》けるのは」  「よくなられるようなら、それでいいが、万一そうでなかったら、なるべく永くいて上げなくちゃいけない。お前とお祖母さんとは特別な関係なんだから」  「そう? ありがとう」こう言っている内に細君の眼《め》からはまた涙《なみだ》が流れて来た。  「お前はよほど気持をしっかり持ってないと駄《だ》目《め》だよ。看護して上げるうえにも自分の感情に負けないように気を張ってないと駄目だよ」  「でも、なるべく早く帰りますわ。自家《うち》のことも心配ですもの」  良人《おつと》は細君の言う意味がそんなことでないのを知りながら、つい口から出るままに、  「俺《おれ》も品行方正にしているからね」と笑《じよう》談《だん》らしく言った。  「そりゃあ安心していますわ」と涙を拭《ふ》きながら細君も笑顔をした。「けど、そうおっしゃって下さればなお嬉《うれ》しいわ」  細君はそこそこに支度《したく》をして出発《たつ》て行った。  細君からは手紙がたびたび来た。祖《そ》母《ぼ》のは肺《はい》気《き》腫《しゆ》という病気だった。風邪《かぜ》からだんだん進んで来たものである。痰《たん》が肺へ溜《たま》るために呼吸する場所が狭《せま》くなる。そしてその痰を出すためにせく。せいてもせいてもなかなか痰が出ないと呼吸ができなくなって非常な苦しみ方をする。見ていられない。病気そのものはそれほど危険ではないが、その苦しみのためにだんだん衰《すい》弱《じやく》する。それが心配だと書いて来た。しかし何しろ気の勝った人のことで、気で病気に抵抗しているのが——残《ざん》酷《こく》な気のすることもあるが——嬉《うれ》しいと書いて来た。  細君はなかなか帰れなかった。祖《そ》母《ぼ》の病気はよくも悪くもならなかった。それは実際気で持っているらしかった。  細君が行って四週間ほどして良人《おつと》もそこへ出《で》掛《か》けて行った。しかしそのころから祖母は幾《いく》らかずついい方へ向った。気《き》丈《じよう》はついに病気に勝った。良人は十日ほどいて妻と一緒《いつしよ》に帰って来た。それは大《おお》晦日《みそか》に間《ま》もないころだった。  祖母はそれからも二タ月余り床を離れることはできなかった。しかし三月初めのある日、夫婦は小包郵便で大阪からの床《とこ》あげの祝物を受け取った。 三  それは春の春らしい長閑《のどか》な日の午前だった。良人は四、五日前から巣《す》についている鶏《にわとり》に卵を抱《だ》かしてやろうと思って、巣《す》函《ばこ》の藁《わら》を取り更《か》えていると、ふと妙《みよう》な吐《は》き気《け》の声を聴《き》いた。滝《たき》だ。女中部《べ》屋《や》の窓から顔を出して頻《しき》りに何か吐こうとしている。吐こうとするが何も出ないのでただ生《なま》唾《つば》を吐き捨てていた。  彼は籾《もみ》殻《がら》を敷《し》いた菓子《かし》折《おり》から丁《てい》寧《ねい》に卵を一つ一つ巣函へ移していた。そしてああいう吐き気の声は前にも一度聴《き》いたことがあると考えた。父の家にいたころ、門番のかみさんがよくああいう声を出していたと思った。彼はその時それを母に話すと、母は「赤ん坊《ぼう》ができたので悪阻《つわり》でそんな声を出すんだろうよ」と言った。母の言うようにそれは実際妊《にん》娠《しん》だった。  彼はそれを憶《おも》い出して、滝のも妊娠かなと思った。——彼は翌日もその声を聴《き》いた。それからその翌日も聴いた。 四  滝《たき》のが妊娠だとすると、これはまず自分が疑われる、と良人《おつと》は考えた。何しろ過去が過去だし、それに独身時代ではあったにしろ、女中とのそういうことも一度ならずあったし、また現在にしろ、それを細君に疑われた場合、「飛んでもない」と驚《おどろ》いたり怒《おこ》ったりするのは我ながら少し空《そら》々《ぞら》しい自分だと考えた。これは恥《は》ずべきことに違《ちが》いないと彼は思った。  彼は結婚した時からそういうことには自信がなかった。彼はそれを細君に言った。一人で外国へ行った場合とか、一ト月あるいは二タ月くらいの旅行をする場合とか、と言った。その時は細君もある程度に認めるような返事をしていた。  それからも良人はその危険性の自分にあることを半分笑《じよう》談《だん》にして言った。またある時はすでにそれを冒《おか》しているようにも言った。そして後のを言う場合には知らず知らず意地悪い厭《いや》がらせを言う調子で言っていた。これは狡《ずる》いことだ。その場合、彼では打ち明けることが主であった。しかし聴く者には厭がらせが主であると解《と》れるように彼は言っていた。聴く者にとって厭がらせを主として感ずれば、それだけ言われた事実は多少半信半疑の事がらになる。良人は故意でそうするのではなかった。知らず知らずにそんな調子になるのだ。もっとも細君もそれを露《ろ》骨《こつ》に打ち明けられることは恐《おそ》れていた。自身でもそれを言っていた。そして最初ある程度に認めるように言っていた細君もいつとなしに、それは認めないと言うようになった。  滝《たき》のが結果から、あるいは医者の診《しん》察《さつ》から、もし細君の留守中に起ったことということになればそれはなお厄《やつ》介《かい》なことだと良人《おつと》は思った。しかし実際は疑われても仕方がない。事実にそういうことはなかったにしろ、そういう気を全く起さなかったとはいえないからと思った。  彼は滝を嫌《きら》いではなかった。それは細君の留守中のことではあったが、たとえば狭《せま》い廊《ろう》下《か》で偶《ぐう》然《ぜん》出《で》会《あい》頭《がしら》に滝と衝《しよう》突《とつ》しかけることがある。そして両方でちょっとまごついて危うく身をかわし、ようやくすり抜《ぬ》けて行き過ぎるような場合がある。そういう時彼は胸でドキドキと血の動くのを感ずることがあった。それは不思議な悩《なや》ましい快感であった。それが彼の胸を通り抜けて行く時、彼は興奮に似た何ものかで自分の顔の紅《あか》くなるのを感じた。それは咄《とつ》嗟《さ》に来た。彼にはそれを道義的に批判する余《よ》裕《ゆう》はなかった。それほど不意に来て不意に通り抜けて行く。が、これはまだよかった。  しかしそうでない場合、たとえば夜座《ざ》敷《しき》で本を見ているような場合、あるいはすでに寝《しん》室《しつ》にいるような場合、そこに家の習慣に従って滝が寝《ね》る前の「御《ご》気《き》嫌《げん》よう」を言いに来る。すると、彼は毎日《いつも》のようにただ「うん」と答えるだけでは何か物足りない気のすることがよくあった。彼は現在廊下を帰りつつある滝を追って行く或《あ》る気持の自身にあることがよくあった。彼はそれをあまりに明らかに感ずる時、何かしら用を言いつける。「ちょっと書《しよ》斎《さい》からペンを取って来てくれ」とかあるいは「少し寒いから上へ毛布を掛《か》けてくれ」とか言う。言いながら底意のために自分ながら、それが不自然に聴《きこ》えて困った。彼は自分の底意を滝に見《み》抜《ぬ》かれていると思うこともよくあった。しかしこんなにも考えた。滝《たき》は自分の底意を見抜いている。そしてそれに気味悪さを感じている。しかし気味悪がりながらなおその冒《ぼう》険《けん》にある快感を感じている——彼は実際そんな気がした。彼は自身と共通な気持が滝にもその場合起っていると思った。そして全体滝はまだ処女かしら? それとも——こんな考えの頭をもたげることもあった。  細君が大阪へ出発《たつ》てからは必要からも滝はもっとの用を彼のためにしなければならなかった。滝はそれを忠実にした。彼の底意が見られたと彼が思ってからも滝の忠実さは少しも変らなかった。それはなお忠実になったような気が彼にはした。しかもその忠実さは淫奔《いたずら》女《おんな》の親切ではないと彼は思った。——けれどもとにかく、それは淡《あわ》い放《ほう》蕩《とう》には違《ちが》いなかった。  そう思って、彼は前の咄《とつ》嗟《さ》に彼の胸を通り抜《ぬ》けて行く悩《なや》ましい快感の場合を考えた。しかし、それを放蕩という気はしなかった。根本で二つは変りなかった。——しかし矢張りそれを同じに言うことはできないと思った。  滝は十八ぐらいだった。色は少し黒い方だが可《か》愛《わい》い顔だと彼は思っていた。それよりも彼は滝の声《せい》音《おん》の色を愛した。それは女としては太いが、丸味のある柔《やわら》かい、いい感じがした。  彼は然し滝に恋するような気持は持っていなかった。もし彼に細君がなかったらそれはあるいはもっと進んだかも知れない。しかし彼には家庭の調子を乱したくない気が知らず知らずの間に働いていた。そしてそれを越《こ》えるまでの誘《ゆう》惑《わく》を彼は滝に感じなかった。あるいは感じないように自身を不知《いつか》掌《しよう》理《り》していたのかも知れない。そういうこともある程度まではできるものだと彼は思っている。 五  良人《おつと》はこれは矢張り自分から言い出さなければいけないと思った。そう思えばこの四、五日細君は何だか元気がなくなっている。しかしまだ児《こ》を生んだことのない細君が悪阻《つわり》を知っているかしら? そう良人は思った。とにかく、元気のない理由がそれなら早く言ってやらなければ可哀想《かわいそう》だと思った。それに滝《たき》の方も田舎《いなか》によくあるもし不自然な真《ま》似《ね》でもすることがあっては大変だと思った。そして一体相手は誰《だれ》かしらと考えた。それはちょっと見当が付なかった。何しろ自分たちがあまり不《ふ》愉《ゆ》快《かい》を感じない人間であってくれればいいがと思った。彼は淡《あわ》い嫉《しつ》妬《と》を感じていたが、それは自身を不愉快にする程度のものではなかった。  良人は細君が大《たい》概《がい》それを素《す》直《なお》に受け入れるだろうと思った。しかしもし素直に受け入れなかったら困ると思った。その場合自分には到《とう》底《てい》むきになって弁解することはできまいと思った。弁解する場合その誤解を不当だという気がこっちになければそうむきになれるものではない。しかも疑われれば誤解だが、自分の持った気持まで立ち入られればそれは必ずしも誤解とは言えないのだから、と思った。  とにかく、このままにしておいてはいけない。彼はそう思って、書《しよ》斎《さい》を出て行った。  細君は座《ざ》敷《しき》の次の間《ま》に坐《すわ》って滝が物干から取り込んでおいた襦《じゆ》袢《ばん》だの、タオルだの、シーツだのを畳《たた》んでいた。細君は良人《おつと》が行ってもなぜか顔を挙《あ》げなかった。  「おい」と良人は割に気軽に声を掛《か》けた。  「何?」細君は艶《つや》のない声で物《もの》憂《う》そうな眼《め》を挙げた。  「そんな元気のない顔をしてどうしたんだ」  「別にどうもしませんわ」  「どうもしなければいいが……お前は滝《たき》が時々吐《は》くような変な声を出しているのを気がついているか?」  「ええ」そう言った細君の物憂そうな眼がちょっと光ったように良人は思った。  「どうしたんだ」  「お医者さんに診《み》てもらったらいいだろうって言うんですけど、なかなか出《で》掛《か》けませんわ」  「全体何の病気なんだ」  「解《わか》りませんわ」細君はちょっと不《ふ》愉《ゆ》快《かい》な顔をして眼を落してしまった。  「お前は知ってるね」良人は追いかけるように言った。  細君は下を向いたまま、返事をしなかった。良人は続けた。  「知ってるならなおいい。しかしそれは俺《おれ》じゃないよ」  細君は驚《おどろ》いたように顔を挙げた。良人は今度は明らかに細君の眼の光ったのを見た。そして見ている内に細君の胸は浪《なみ》打《う》って来た。  「俺はそういうことをし兼ねない人間だが、今度の場合、それは俺じゃあない」  細君は立っている良人《おつと》の眼《め》を凝《じ》っと見つめていたが、さらにその眼を中段の的《あて》もない遠い所へやって黙《だま》っている。  「おい」と良人は促《うな》がすように強くいった。  細君は脣《くちびる》を震《ふる》わしていたが、ようやく、  「ありがとう」と言うとその大きく開いていた眼からは涙《なみだ》が止めどなく流れて来た。  「よしよし。もうそれでいい」良人は坐《すわ》ってその膝《ひざ》に細君を抱《だ》くようにした。彼は実際しなかったにしろ、それに近い気持を持ったことを今さらに心に恥《は》じた。しかし今はそれを打明ける時ではないと思った。  「それを伺《うかが》えば私にはもう何にも言うことはございませんわ。貴方《あなた》がいつそれを言って下さるか待っていたの」細君は泣きながら言った。  「お前はやっぱり疑っていたのか」  「いいえ、信じていましたわ。でも、こっちから伺うのはこわかったの」  「それ見ろ、やっぱり疑っていたんだ」  「いいえ、本《ほん》統《とう》に信じていたの」  「嘘《うそ》つけ、そう信じれば、それが本統になってくれるような気がしたんだろう。ともかくそれでいい、お前はなかなか利口だ。お前は素《す》直《なお》に受け入れてくれるだろうとは思っていたが、もし素直に受け入れなければ俺《おれ》は疑われても仕方がないと思っていたのだ。しかし素直に信じてくれたので大変よかった。疑い出せば、疑う種は幾《いく》らでも出て来るだろうし、そのために両方で不《ふ》愉《ゆ》快《かい》な思いをしなければならないところだった。俺《おれ》は明らかな嘘《うそ》は言わないつもりだ。笑《じよう》談《だん》や厭《いや》がらせを言う時、かえって嘘に近いことを知らずに言うかも知れないが、断言的に嘘は言わないつもりだ……」  「もうおっしゃらないでおいて頂《ちよう》戴《だい》、よく解ってます」細君は妙《みよう》な興奮から苛《いら》々《いら》した調子で良人《おつと》の言葉を遮《さえぎ》った。  良人は苦笑しながらちょっと黙《だま》った。  「しかしあとはどうする」  「あとのことなんか、今言わないで……。滝《たき》が好きならその男と一緒《いつしよ》にするようにしてやればいいじゃあありませんか」  「そう簡単に行くものか」  「まあそれは後にして頂戴って言うのに……。もういや。そんな他《ほか》の話はどうでもいいじゃありませんか」  「他《ほか》の話じゃない」  「もういいのよ。……貴方《あなた》もこれからそんなことで私に心配を掛《か》けちゃあ、いやですよ」細君は濡《ぬ》れた眼《め》をすえて良人を睨《にら》んだ。  「よしよし。解ったらもうそれでいい。また無《む》闇《やみ》と興奮すると後で困るぞ」  「なぜもっと早く言って下さらなかったの? いやな方ね、人の気も知らずに」  「全体お前は悪阻《つわり》ということを知っているのか」  「そのくらい知っていますわ。清《きよし》さんの生れる時に姉さんの悪阻《つわり》は随《ずい》分《ぶん》ひどかったんですもの」  「知ってるのか」  「そりゃあ知ってますわ、それより貴方《あなた》の知っていらっしゃる方がよっぽどおかしいわ。男の癖《くせ》に」  「俺《おれ》は知ってる訳があるんだ」  「またそんないやなことをおっしゃる」  「お前は滝《たき》のはいつごろから気がついたんだ」  「もう四、五日前からよ」  「俺は一昨日《おととい》からだ。その間お前はよく黙《だま》っていられたな。やっぱり疑っていたんだな」  「貴方こそ、よく三日も黙っていらしたのね」  そんなことを言いながら、細君は身体《からだ》をブルブル震《ふる》わしていた。  「どうしたんだ」良人《おつと》は手を延ばして今は対座している細君の肩《かた》へ触《さわ》ってみた。  「何だか妙《みよう》に震えて困るわ」こう言いながら細君は頤《あご》を引いて自分の胸から肩の辺《へん》を見回した。  「興奮したんだ。馬《ば》鹿《か》な奴《やつ》だな」  「本《ほん》統《とう》にどうしたんでしょう。どうしても止まらないわ」  「寝《ね》るといい。ここでいいから暫《しばら》く静かに横になってて御《ご》覧《らん》」  「お湯を飲んで見ましょう」そういって細君は起《た》って茶の間《ま》へ行った。そして戸《と》棚《だな》から湯《ゆ》呑《の》みを出しながら、  「滝《たき》にはできるだけのことをしてやりましょうね」と言った。  「うん。それがいい。それはお前に任せるからね。そして言うなら早い方がいいよ。そんなこともあるまいが、不自然なことでもすると取り返しが付かないからね」  「本《ほん》統《とう》にそうね。明日《あした》早速お医者さんに診《み》せましょう。——まあ、どうしたの? まだ止まらないわ」こういまいましそうに言いながら細君は長《なが》火《ひ》鉢《ばち》の鉄《てつ》瓶《びん》から湯を注《つ》いだ。そしてそれを口へ持って行こうとするとその手はおかしいほどブルブル震《ふる》えた。 雨《あま》 蛙《がえる》 ——長与《ながよ》善《よし》郎《お》兄に捧ぐ——  A市から北へ三里、Hという小さな町がある。道に添《そ》うた細長い町で、生《いけ》垣《がき》が多く、店《みせ》家《や》は少かった。住民は大方土着の旧家で、分家分家と分れて殖《ふ》えたために百戸余りの家が大体五つか六つの姓《せい》に含《ふく》まれた。土地の人々は、道《みち》角《かど》の誰《だれ》、藪《やぶ》前《まえ》の誰、あるいは棒《ぼう》屋《や》の誰という風に呼び慣《なら》わし、その藪が十年前に伐《き》り開かれた今も、某《なにがし》が親の代に棒屋をよしていても、依《い》然《ぜん》そのままに呼んで、他の同姓から区別した。  町には昔から一つの組合があり、それで互《たが》いに助け合った。誰がそういうものを作ったか今は知らぬ人の方が多かった。町を縦に貫《つらぬ》く道は県道よりも立派だった。左右へ入る小《こ》路《みち》は冬の霜《しも》解《ど》け、雨期の泥《でい》濘《ねい》は仕方ないとして、人の歩くだけは一ト筋《すじ》に平石が敷《し》いてあった。  たとえば或《あ》る家が焼け失《う》せる。そういう時それが元のように建てられるためにはおそらく普《ふ》通《つう》の半分の費用も要《い》らなかった。用材は共有の山林からただ得ることができたし、労力も一軒《けん》から何人として寄付されることになっていた。  しかし、こういう町からもある時、町だけの生活に満足できない者が出る。その者は都会へ出る。仕事をする。失敗する。再び帰って来る。それでも、町の人々はその家を潰《つぶ》さぬだけの助力を惜《お》しまなかった。組合の同意を得れば低利資金を借り出すことさえできた。そういう町であった。  町の中ほどに土蔵作りで美濃《みの》屋《や》という造り酒屋がある。若い主《あるじ》の賛《さん》次郎《じろう》は一人っ児《こ》で中学時代には父の意《い》嚮《こう*》で農科大学を卒業し、家業を襲《つ》ぐはずだったが、五、六年前《ぜん》その父に死なれ、急に一家の若い主になった。岡《おか》蔵《ぞう》という祖《そ》父《ふ》の代からの番頭が居、家業の差《さし》支《つか》えはなかったが、家に主がいなければという祖母の考えで彼は市の寄宿舎から呼び返され、そのまま家に居ついたのである。しかし彼はこのことに不服はなかった。自分が農学士になったからとて、もっとうまい酒を土地の人々に呑《の》ますことができるとも思わなかったし、学士になって偉《えら》そうな顔をするなど言われないだけでも気安いことだ、とこんなに彼は考える方だった。  賛次郎の親しい友に竹野《たけの》茂雄《しげお》というのがある。中学を卒業すると東京の私立大学の文科に入り、詩や歌を作り、青《せい》葉《よう》という号で、文学雑誌に投書などしていた。彼は文《ぶん》壇《だん》の消息通で、よくそういう話を賛次郎に聴《き》かした。  しかし賛次郎の方は詩や歌を作ろうとは思わなかった。できないと思っていたし、興味もなかった。そして本もあまり読まなかった。したがって竹野のそういう話も身を入れて聴いてはいなかったが、町へ帰り、その生活を幾《いく》らか単調に感じ出すと、いつか竹野の影《えい》響《きよう》が彼に現れ始めた。彼は市へ出るたび、何かそういう読物を買って帰るようになった。  竹野は投書仲間の女と最初は文通に始り、間もなく話は結《けつ》婚《こん》まで進んだ。女は東京の水菓子屋の娘《むすめ》で美しいという方ではなかったが、若いにしては心のしっかりした女だった。  竹野は三男で結《けつ》婚《こん》にはしごく自由な身であると気楽に考えていると、案外にも年のだいぶ違《ちが》った長兄がそれに反対した。長兄には文学をやる女ということがまず気に入らなかった。両親は隠《いん》居《きよ》し、すべて長兄任せになっていたから、その不同意は家全体の不同意も同様だった。竹野は腹を立て、家と絶縁し、A市で女と水菓子屋を開き、それで自活することにした。  同じころ、美濃《みの》屋《や》の賛《さん》次郎《じろう》も結婚した。遠《とお》縁《えん》の農家の娘《むすめ》で彼は前から好きだったところに祖《そ》母《ぼ》から言い出され、一も二もなく承知したのである。  せきという名だった。無口であまりはきはきしない、学問のない、しかし誠に美しい田舎《いなか》娘だった。背《せ》丈《たけ》のないことを当人は苦にしていたが、四《し》肢《し》の均等した発育が、それを少しも醜《みにく》く見せなかった。首から上の小さい、髪の毛の豊かな——髪は少し赤かったが——皮《ひ》膚《ふ》の滑《なめら》かな、鼻の形の正しい、そして全体にいかにもクリクリと肉付きに弾《だん》力《りよく》のあることが見るから健康そうな感じで、何《なん》人《びと》にも一種の快感を与えた。一つ当人の知らない欠点を言えば茶色の勝ったその眼《め》に光がなかったことだ。  間もなくせきは妊《にん》娠《しん》した。その五月《つき》目、ちょうど秋の末、流感がはやり、彼女はそれに罹《かか》った。妊婦の流感で人々は気《き》遣《づか》った。そして実際胎《たい》児《じ》は流産してしまった。で、せきはそれなり直ったが、せきの上を一番気《き》遣《づか》った姑《しゆうと》親《め》が最後に同じ病気に罹り、これは肺《はい》炎《えん》に進みついに亡くなった。  ——その時から今に三年経《た》つ。せきはもう妊娠しなかった。そして気短な祖母はよくそのことを口にし、賛次郎に苦い顔をさせたが、当のせきはかえって気にも留めなかった。  白《しろ》鼠《ねずみ》の岡蔵が中風に罹《かか》り、郷里へ帰ってからは賛《さん》次郎《じろう》もいよいよ一本立ちで何事もやらねばならぬ身となった——はずである。ところで実際は気丈《きじよう》者《もの》の祖《そ》母《ぼ》が永い経験から、家事、商事、すべてに采《さい》配《はい》を振《ふ》っていてくれた。  賛次郎の文学趣《しゆ》味《み》は少しずつ亢《こう》じて来た。彼は座《ざ》敷《しき》に大きな本箱を据《す》え、それに新刊書の溜《たま》って行くのを楽しんだ。そして近ごろは自身でも短い文章を作り、竹野に見てもらったりした。  彼はせきにもそういう方面の教養を与えたいと思った。一人では何となく淋《さび》しかった。が、せきにそんなことは無理だった。賛次郎は以前の自身を憶《おも》い、察しられたから、落《らく》胆《たん》もしない代り、念《おも》い断りもしなかった。  ある日竹野から葉書で、近日、市の公会堂で劇作家のSと小説家のGとが講演をする、その時は是《ぜ》非《ひ》来るようにと知らせがあった。賛次郎はせきも連れて行きたかった。彼は返事にそのことを言い、女連れゆえ、一泊《ぱく》させてもらうかも知れぬと書いた。  やがてその日が来た。十月にしては晴れていながら、いやに生《なま》温《あたた》かい風の吹く日だった。会は三時からで、早ひるで出《で》掛《か》けることにし、その支度《したく》をしていると、手伝っていた祖母がどうしたことか不意に横に倒《たお》れた。陽気が悪かった。大したことはないが、病人を雇《やとい》人《にん》任せにしては出られなくなった。彼はせきに言った。  「お前はどうするか。竹野君が待っていると思うが、お前一人だけでも行く方がよくはないか。お前が行けば私も会の模様を聴《き》くことができるし。そうしないか」  「へい」  「病人は私がいれば心配ない。案じず、ゆっくりして来なさい」  「へい」せきは無心の眼差《まなざ》しを向け、こう答えた。  間もなく待たせてあった俥《くるま》に乗り、出《で》掛《か》けて行った。賛《さん》次郎《じろう》は店《みせ》前《さき》に立ち、その後《うしろ》姿《すがた》を見送った。今は田舎《いなか》でもあまり見かけなくなった廂《ひさし》髪《がみ*》を揺《ゆ》られながら、生《いけ》垣《がき》の続く、長い一本道をせきは一度も振《ふ》り返らず、だんだんに遠ざかって行った。  祖《そ》母《ぼ》は幾らか熱があり、常より赤い顔をしていた。賛次郎はうつらうつらしている病人の枕《まくら》元《もと》で本を読みながら、時々額《ひたい》の手《て》拭《ぬぐい》を絞《しぼ》り更《か》えた。  酒倉の前で職人たちが大《おお》樽《だる》の箍《たが》を締《し》めている。その乾《かわ》いたような槌《つち》の響《ひび》きが風《かざ》音《おと》と混り合って聞こえて来る。彼は合間合間にその方の見回りをせねばならなかった。  今ごろはどうしているだろう。彼は時々せきの上を思った。大《おお》勢《ぜい》の聴《ちよう》衆《しゆう》の中に呑《の》まれ切っている妻の姿を想《おも》い浮べるとせきがそういう場所にあまりに不調和な人間だったことが今さらに想われた。  その晩、彼は祖母と枕を並《なら》べ、早く床に就《つ》いた。祖母とは何年ぶりかで同じ部屋に寝《ね》ると思った。  夜に入《い》り、風は静まったが、廂《ひさし》にぽつりぽつり雨の音がしはじめた。変に蒸し蒸しと寝苦しい晩だった。病人は少し熱が下ったらしく、すやすやとよく眠《ね》入《い》っていた。雨はだんだん烈《はげ》しくなった。  翌日彼の起きた時には空は綺《き》麗《れい》に晴れ、風は北に変り、秋らしく冷え冷えとした、気持のいい朝になっていた。彼より先に起き出た祖《そ》母《ぼ》は半白の髪《かみ》をさっぱりと束《たば》ね、もう勝手元を働いていた。  「買物もあるし、迎《むか》いがてらAへ出ようと思うが、もうすっかり快《よ》くなりましたか」  「ああ、快くなった」  彼は食事を済ますとすぐ自転車で市へ向うことにした。前日とは急に寒くなったので、彼はせきのために肩《かた》掛《か》けを風《ふ》呂《ろ》敷《しき》包みにし、自転車のハンドルに懸《か》けて出た。  実際気持のいい朝だった。道には小砂利が洗い出され、木や草には水玉がキラキラ光っていた。薤《らつきよう》畑《ばたけ》の紫《むらさき》の花が黒い濡《ぬれ》土《つち》とともに大変美しく見えた。遠い空で雁《がん》の淡《あわ》い一列が動いている。彼はのびのびした楽しい心持で自転車を走らせて行った。  彼が水菓子屋の店《みせ》前《さき》で自転車を降りた時、竹野は溝《どぶ》板《いた》の上で遠くから届《とど》いたらしい林檎《りんご》の箱を開《あ》けていた。そして今まで俯《うつ》向《む》きに赤くなった顔をあげると当《とう》惑《わく》の色を浮べながら、前夜せきは迎雲《げいうん》館《かん》に泊《とま》り、今、ここにいないことを告げた。賛《さん》次郎《じろう》は眼《め》を丸くした。せきと迎雲館、この対照が最初彼には甚《ひど》く滑《こつ》稽《けい》に映った。市一等の旅館で、自分たちには足《あし》踏《ぶ》みならぬ場所のように考えていたからだ。しかしそれも竹野の何か事ありげな気配で、彼はすぐ不安にされた。  竹野は着ていた厚司《やつし》をその場へ脱《ぬ》ぎ捨てると、先に立って薄《うす》暗《ぐら》い階《はし》子《ご》段《だん》から天《てん》井《じよう》の低い店二階に彼を導いた。そこで竹野は彼に精《くわ》しいことを話し出した。  前日講演会が済んだのはすでに日暮れだった。続いて市の新聞社主《しゆ》催《さい》の歓《かん》迎《げい》会《かい》が昔藩《はん》主《しゆ》の別《べつ》邸《てい》だった清《せい》々《せい》園《えん》という料理茶屋で開かれ、竹野はその方に出たが、女連れはその昼、講演会場の楽屋で山《やま》崎《ざき》芳《よし》江《え》という土地の女子師《し》範《はん》の音楽教師から講演者たちに紹《しよう》介《かい》され、その時の約束で、二人は芳江と宿の迎雲《げいうん》館《かん》でSやGの帰りを待っていた。  SとGとが、烈《はげ》しい降《ふ》りの中を自動車で送られ、帰って来たのは十時過ぎだった。二人はかなり酔《よ》っていたが、それでも女たちの前では最初、割に謹《つつし》み深く見えた。  Sは色の白い、眼《め》の優しい柔《やわら》かい髪《かみ》が広い額《ひたい》を斜《ななめ》に隠《かく》し、物言いも丁《てい》寧《ねい》に、声も小さく、動作までどこか女らしい感じを与える男だった。Gは反対に眼、鼻、頤《あご》、首、すべてが強い線でがっしり描《えが》かれ、肩《かた》幅《はば》もあり全体巌《がん》丈《じよう》で、何となく力強い感じに溢《あふ》れていた。竹野の細君にはGのそういう感じが何となく恐《おそ》ろしく思われた。  席には女の飲む甘《あま》い酒と果《くだ》物《もの》とが運ばれ、——しかし人々はあまりそれに手を出さなかったが、ただ芳江だけがそれを重ね、一人はしゃいでいた。  芳江は男との関係ではよく噂《うわさ》に上り、Sとの関係もそれを知る者にはむしろ公然の秘密で、市での評判はあまりよくなかったが、その豊かな肉体と声と派手な性質とでは、今はこの市になくてはならぬ女のよう若い連《れん》中《じゆう》から思われている、そういう女だった。  皆《みんな》は気軽に話し合った。SやGの話は講演の時より面白かった。ことにGは自由に何でもいい、しまいには女連れの前では憚《はば》かられるようなことまで巧《たく》みにその露《ろ》骨《こつ》さを消して話した。  せきは呑《の》まれ切って頬《ほお》に空《うつ》ろな笑いを浮べながら、淋《さび》しい眼つきで人々の顔を見《み》較《くら》べていた。竹野の細君はそういうせきが気の毒でもあり、それに雨も止《や》む様子がなかったから、そろそろ帰り支《じ》度《たく》にかかると、幾《いく》らか酔《よ》っていた芳江が切《しき》りに止めた。一人残る方がいいはずなのに、そう思う竹野の細君はそれを軽く受け流していたが、芳《よし》江《え》は惰《だ》性《せい》的《てき》にだんだん執拗《しつこ》くそれを言い張った。心にもない我《が》を通す芳江だから関《かま》わず帰ろうとするとしまいに芳江は本気に怒《おこ》り出した。そして捨《すて》鉢《ばち》に、  「そんなら私も一緒《いつしよ》においとましてよ」そして泣き出しそうな顔で男たちを流し眼《め》に見ながらいかにも甘《あま》えた調子に、「ねえ、Gさん、私もおいとまするわ」  「そうかい」ことさら無関心にGは答えた。「しかし君にはSが何か用事があるんじゃないか」  「串戲《じようだん》言っちゃいけないよ」Sはにやりとした。  「それじゃ、芳江さんの方から用事があるのか」  芳江はいきなり荒っぽく起《た》って行ってGの背中を二つばかり強く撲《う》った。Gは故《こ》意《い》に平気な顔を見せていた。  竹野の細君は居堪《いたたま》らない気持になった。そして吃驚《びつくり》しているせきを連れ、座《ざ》敷《しき》を出ようとすると芳江は険しい眼つきで寄って来た。  「そんなら貴女《あなた》はもうお止めしないわ。けど、せき子さんだけはお止めしてよ。せき子さんはどこへ泊《とま》るのも同じだわね。そうでしょう? この降りにわざわざお帰りになることないでしょう?」  「もしおよろしければお泊りになりませんか」  Sも言った。  「へい」せきは微《び》笑《しよう》し、かすかに点頭《うなず》いた。  「お泊《とま》りになりますか?」  「どちらでも」  竹野の細君は吃驚《びつくり》した。そしてどういっていいか分らずにいる内、到《とう》頭《とう》力のある芳《よし》江《え》のために廊《ろう》下《か》へ押《お》し出された。Sが起《た》って送って来た。その後《あと》から芳江は勝ち誇《ほこ》ったようにこんなことをいった。  「いくら女だって、堅《かた》いばかりが能じゃないわ」    賛《さん》次郎《じろう》には話の重さが分らなかった。何でもないことのようでもあり、何かしら非常に困った出来事のようでもあり、見当がつかなかった。ただ、それを話す竹野の意《い》気《き》込《ご》みがただごとでなかった。  下に俥《くるま》が止り、竹野は急いで降りていった。間もなく階下《した》から、竹野の何か細君に怒《おこ》る声がして来た。  「えらい髪《かみ》に結って来られたよ」苦り切って竹野は還《かえ》って来た。  「どんな髪だろう?」  「すぐ結い直さすよ」  「いいじゃないか。僕《ぼく》もそれが見たいよ。せきのはあまりに旧式だからね。少しは新式にならんといけないのだよ」賛次郎はことさら気軽に起って行った。薄《うす》暗《ぐら》い階子《はしご》段《だん》の下にせきと竹野の細君とがぼんやり向い合って立っていた。  「どう、髪を見せなさい」賛《さん》次郎《じろう》は店の明るい方にせきを連れ出した。それは耳《みみ》隠《かく》しという髪《かみ》で、頬《ほお》に紅などをさした当世風が思いがけなくせきには甚《ひど》く似《に》合《あ》っていた。  「よろしい。よろしい」賛次郎は恥《はず》かしそうに伏《ふし》眼《め》をしているせきの尖《とが》った小さい頤《あご》を指先に摘《つま》んでこっちへ向けた。実際彼はそれから少しも厭《いや》な感じを受けなかった。せきは指先から頤を外《はず》し、また俯向《うつむ》いた。  「疲《つか》れたような顔をしているね。すぐ帰ろうか?」  せきは首肯《うなず》いた。  「講演は分ったか?」  せきは首を振《ふ》った。  「そうか。それはいけなかったね。けれども山崎女史の唄《うた》があったそうだね。いい声だったろう?」  首肯いた。  「昨晩迎雲《げいうん》館《かん》では山崎女史と一緒《いつしよ》だったか?」  首を振った。  「せき一人にされたのか?」  その時せきは横を向いたまま、意味の解らぬ微《び》笑《しよう》を浮べた。賛次郎はどきりとした。そして思わずせきの顔を見凝《みつ》めたが、せきは二タ側になった力のない眼差《まなざ》しでぼんやり遠く往来の方を見ていた。賛《さん》次郎《じろう》はそれ以上訊《き》く気がしなかった。それは許されてないことのようでもあり、自分としても訊くのが恐《おそ》ろしかった。訊けばすぐ正直に答えるせきだけに恐ろしかった。  彼の心は甚《ひど》く乱された。  すぐ帰ることにし、彼はまた階《はし》子《ご》段《だん》を昇《のぼ》って行った。上では竹野夫婦が何かひそひそ話し合っていた。彼の足音で細君は急いで起《た》ち、段の上で、昇《のぼ》り切る彼を待って降りて行った。賛次郎はできるだけ平静にと心《こころ》掛《が》けた。  俥《くるま》の来る間、二人は向い合っていたが、話が全《まる》でなかった。賛次郎は火のない宣徳《せんとく》火鉢《ひばち*》に窮《きゆう》屈《くつ》な姿勢で両手を突《つ》き、自身の心の空《くう》虚《きよ》と戦っていた。出窓の千本格《ごう》子《し》を透《すか》して向う側の競《せり》売《うり》屋《や》の二階が見えた。赤地に白くメリヤスとぬいた大きな旗が秋の軟《やわら》かい陽《ひ》差《ざ》しを受けてゆらりゆらり大きく揺《ゆ》れていた。  「そうだ肩《かた》掛《か》けを持って来た」賛次郎はふとぼんやりこんなことを考えた。  「俥が参りました」階下から細君の声がして竹野は降りて行った。賛次郎は何ということなし、忘れ物はないかしら、というような気持で部屋じゅうを見回し、それから、暗い急な階子段を用心しいしい降りて行った。  せきは店の葡萄《ぶどう》や林檎《りんご》やバナナなどを並《なら》べた間に立っていた。竹野は懐《ふところ》手《で》のまま、不《ふ》機《き》嫌《げん》な顔をして框《かまち》に突《つ》っ立っていた。賛次郎はその足元に屈《かが》んで靴《くつ》を穿《は》いた。竹野の細君は函《はこ》の大鋸《おが》屑《くず》から林檎を幾《いく》つか取出し、荒い目《め》籠《かご》に入れて、それを車夫に渡《わた》した。  「その内、また来てくれたまえ」  「ありがとう」賛《さん》次郎《じろう》は尻《しり》端折《はしよ》りをしながら、響《ひび》きのない声で答えた。  朝はそれ程でもなかったが、向いになると風は寒かった。せきは黙《だま》っている。話しかけても肩《かた》掛《か》けに頬《ほお》を埋《う》めたまま、返事をしなかった。打ち砕《くだ》かれた淋《さび》しい心、何をいってもそれに触《ふ》れそうな恐《おそ》ろしさで、凝《じ》っと、不《ふ》機《き》嫌《げん》に黙《だま》り込んでいる、そういうせきであろうと賛次郎は思った。耳《みみ》隠《かく》し、頬紅などの当世風が先刻《さつき》はよく思ったが、陽《ひ》なたの田舎《いなか》道《みち》では醜《みにく》く見えた。  彼は黙っていたかったが、年寄の車夫が彼を黙らしておかなかった。郵便の簡易保険はどういうものだろうかとか、A市の郊《こう》外《がい》に工場ができるので、田より畑《はた》の方が値がよくなったとか、賛次郎の町の某《なにがし》の息《むす》子《こ》が新潟の医専を出て、市の病院へ来るのか、それとも町で開業するのかとか、そういう話題が尽《つ》きなかった。賛次郎は車夫との話がつらくなった。彼はせきの疲《つか》れを気にしながら、「どうだろう。この辺から歩こうか」と言った。  県道から町へ分れる所に大きな榎《えのき》がある。前夜の雨に打たれた枯《かれ》葉《は》が一面に散り敷《し》いている。そこでせきは俥《くるま》を降りた。果《くだ》物《もの》の籠《かご》を自転車に移し、それを曳《ひ》き、二人は肩を並《なら》べて歩いた。熟《う》れ切った稲の香《か》が強く鼻へ来る。足元からうるさく稲《いな》子《ご》が飛び立った。逃《に》げまどった一疋《ぴき》がせきの肩に止り、暫《しばら》く二人の道連れになった。  せきは少しも口を利《き》かず、賛次郎のいるさえ意識しないように、ぼんやり遠い一点を見つめて歩いていた。その様子が賛次郎には何かせきがそこに或《あ》る幻《げん》影《えい》を認め、それを見つめることから気の遠くなるような陶《とう》酔《すい》を感じているのではないかしらという気がふとして来た。打ち砕かれた淋しさの不機嫌としてはあまりにその眼《め》は何かを夢《ゆめ》見ていた。いかにも甘《あま》い夢だ。それに酔《よ》う一種の喪《そう》心《しん》状態に思われた。賛《さん》次郎《じろう》には変にはっきりとせきのその心持が映《うつ》って来た。彼は思わず頬《ほお》に血の昇《のぼ》るのを感じた。胸の動《どう》悸《き》を聴《き》いた。力に溢《あふ》れ切ったようなと言われるGと、この美しい肉付のせきと、この関係は実際不思議な力で彼の肉情を刺《し》激《げき》して来た。彼にとって、この想像は最《も》早《はや》他人の恋《れん》愛《あい》事件ではなかった。  「あのね」彼は息をはずませながら、優しい声で言い出した。「昨夜《ゆうべ》は一人でなく、誰《だれ》か側《そば》に寝《ね》たか?」  「初めは芳《よし》江《え》さんが寝ていました」  「それから?」  「いつの間にか芳江さんがいなくなってGさんが入って来ました」  「それで?」  「GさんはSさんと芳江さんに追い出されて来たのだといいました」  「それで?」  「…………」せきは急に下を向いた。  彼は不意にその場でせきを抱《だ》きすくめたいような気持になった。せきが堪《たま》らなく可《か》愛《わい》い。そして彼は危うくその発作的な気持に惹《ひ》き込まれかけたが、ガタンと音のするような感じで我に還《かえ》ると、驚《おどろ》いてその不思議な気持から飛び退《の》いた。  「何という自分だろう」  彼はそれきりもう黙《だま》った。そして自分の気の静まるのを待った。しかし彼の胸は淡《あわ》いなりにせきをいとおしむ心で一《いつ》杯《ぱい》だった。  暫《しばら》くして、それは一方が田、一方が森になっている所で、賛《さん》次郎《じろう》は電柱に自転車を持たせ、その道《みち》傍《ばた》の草へ小用を足した。長い小用だった。その時彼は何気なく上を見ると、電柱の中ほどに何か青い物を認めた。何だろう? そう思ってすぐ雨《あま》蛙《がえる》だということに気付いたが、森の傍《そば》でなぜこんな柱などに住んでいるのだろうと考えた。雨蛙はその電柱がまだ山で立ち木だったころ、そこから小さい枝《えだ》が生えていた、その跡《あと》が朽《く》ち腐《くさ》れて今は臍《へそ》のような小さな凹《くぼ》みになっている、その中に二疋《ひき》で重なり合うように蹲《うずくま》っていた。その様子が彼にはいかにもなつかしく、また親しみのある心持で眺《なが》められた。その少し上に錆《さ》びた鉄《てつ》棒《ぼう》の腕《うで》があり、蜘《く》蛛《も》の巣《す》だらけの電球が道を見下していた。雨蛙はその灯《ひ》に集まる虫を捕《と》るため、こんな所につつましやかな世帯を張っているのだ。これはきっと夫婦者だろう、そう思った。彼はせきに雨蛙を示したが、せきは何の興味も持たなかった。  間もなく二人は自分たちの町へ帰って来た。それは昨日のままの静かな、つつましやかな町だった。いや賛次郎にはわずか数時間前に出たばかりの町だったが、それがいかにも久しく見ない所だったように彼には思われた。  その夕《ゆうべ》、賛次郎は四、五冊の小説集と二冊の戯曲《ぎきよく》集《しゆう》を本箱から抜《ぬ》き取ると、人知れず、裏山の窪《くぼ》地《ち》へ持ち出し、何か悪事をする者のような臆《おく》病《びよう》さで焼き捨て、ようやくほっとした。 焚《たき》 火《び》  その日は朝から雨だった。午《ひる》からずっと二階の自分の部《へ》屋《や》で妻も一《いつ》緒《しよ》に、画家のSさん、宿の主《あるじ》のKさんたちとトランプをして遊んでいた。部屋の中には煙草《たばこ》の煙《けむり》が籠《こも》って、皆《みんな》も少し疲《つか》れて来た。トランプにも厭《あ》きたし、菓《か》子《し》も食い過ぎた。三時ごろだ。  一人が起《た》って窓の障《しよう》子《じ》を開《あ》けると、雨はいつかあがって、新緑の香《かお》りを含《ふく》んだ気持のいい山の冷え冷えした空気が流れ込んで来た。煙草の煙が立ち迷っている。皆は生き返ったように互《たが》いに顔を見《み》交《かわ》した。  浮き腰《ごし》で、ずぼんのポケットに深く両手を差《さ》し込んでモジモジしていた主のKさんが、  「私、ちょっと小屋の方をやって来ます」と言った。  「僕《ぼく》も描《か》きに行こうかな」と画家のSさんも言って、二人で出て行った。  出窓に腰かけて、だんだん白い雲の薄《うす》れて行く、そして青磁《せいじ》色《いろ》の空の拡《ひろ》がるのを眺《なが》めていると、絵具《えのぐ》函《ばこ》を肩《かた》にかけたSさんと、腰くらいまでの外《がい》套《とう》をただ羽《は》織《お》ったKさんとが何か話しながら小屋の方へ登って行くのが見えた。二人は小屋の前で少時《しばらく》立ち話をして、そしてSさんだけ森の中へ入って行った。  それから自分は横になって本を読んだ。そして本にも厭《あ》きたころ、側《そば》で針仕事をしていた妻が、  「小屋にいらっしゃらない?」と言った。  小屋というのは近《きん》々《きん》に自分たちが移り住むために、若い主のKさんと年を取った炭焼きの春さんとで作ってくれる小さい掘立《ほつたて》小屋のことである。  Kさんと春さんとは便所を作っていた。  「割に気持のいい物になりました」とKさんが言った。自分も手伝った。妻も時々手を出した。  半時間ほどすると、Sさんが前の年の湿《しめ》った落葉を踏《ふ》んで森の中から出て来た。  「これはよくなった。これだけ出っ張りが付くと家の形がついた」と便所の出来栄《ば》えを讃《ほ》めた。Kさんは、  「厄《やつ》介《かい》物《もの》にされた便所が大変いい物になりましたよ」と嬉《うれ》しそうな顔をして言った。小屋のことは一切Kさんに任せてある。Kさんは作ることに興味を持って、実用の方面ばかりでなく、家全体の形とか、材料の使い方にもいろいろ苦心して、できるだけ居心地《いごこち》のいい家にしようとしていた。  夜《よ》鷹《たか》が堅《かた》い木を打ち合すような烈《はげ》しい響《ひび》きをたてて鳴き始めた。暗くなったので仕事を切り上げた。春さんは掌《てのひら》で雁《がん》首《くび》の煙草《たばこ》を《*》つめ更《か》えながら、  「牛や馬が登って来たから、早く柵《さく》を拵《こさ》えないといけないね」と言った。  「そうですね。作りかけを食べられちゃあ、気が利《き》きませんからね」とKさんが答えた。家《うち》を食われるというので笑った。この山には壁《かべ》土《つち》になる泥《どろ》がないので宿屋でも壁のところはすべて板張りにしてある。この小屋ではそこを炭《すみ》俵《だわら》と同じ質の大きいものを作らせて、それを二《ふ》タ重《え》にしてその間に蓆《むしろ》を入れた。  「牛や馬にはこの家は御《ご》馳《ち》走《そう》だからね」と春さんは笑いもせずに言った。皆《みんな》は笑った。  山の上の夕《ゆう》暮《ぐ》れはいつも気持がよかった。ことに雨あがりの夕暮れは格別だった。その上、働いてその日の仕事を眺《なが》めながら一服やっている時には、誰《だれ》の胸にも淡《あわ》く喜びが通い合って、皆快活な気分になった。  前の日も午後から晴れて、美しい夕暮れになった。昨日《きのう》は鳥居《とりい》峠《とうげ》から黒《くろ》檜《び》山《*》の方へ大きな虹《にじ》が出てなお美しかった。皆は永いこと、ここで遊んだ。小屋は楢《なら》の林の中にあったから、皆でその高い楢に木登りをして遊んだ。虹がよく見えるというと妻までが登りたがるので、Kさんと二人で三間ほどのところまで引っ張りあげた。  自分と妻とKさんとは一つ木に登った。Sさんはその隣《となり》の木に登って、SさんとKさんとは互《たが》いに自身の方が高くなろうとして五、六間の高さまで張り合って登って行った。  「まるで安楽椅《い》子《す》ですよ」Kさんは高いところの工合よく分れた枝《えだ》の股《また》に仰《あお》向《む》けに寝《ね》て、巻《まき》煙草《たばこ》をふかしながら大波のようにその枝を揺《ゆす》ぶって見せたりした。  Kさんの二番目の児《こ》をおぶった「市《いち》や」という年の割に顔の大きい低能な男の児が夜食の知らせに来て、ようやく皆が木を降りた時には、妻が木の上から落した櫛《くし》が灯《あかり》なしでは探《さが》せないほど、地面の上は暗くなっていた。  自分は前日のこの楽しみを想《おも》いながら、  「晩、舟《ふね》に乗りませんか」と言った。皆《みんな》賛成だった。  食事だけ別れ別れにして、四人はまた下の大きい囲炉裡《いろり》に集まった。Kさんは炉《ろ》の大きい茶《ちや》釜《がま》の湯で赤ん坊に飲ますコンデンスミルクをといていた。  Kさんは氷《こおり》蔵《ぐら》から楢《なら》の厚い板を抱《かか》えて来た。四人は大きい樅《もみ》の木に被《おお》われた神社の暗い境《けい》内《だい》を抜《ぬ》けて行く。神楽《かぐら》堂《どう》の前を通る時、Kさんはお札《ふだ》を売る人に、「お湯にお入りなさい」と声をかけた。樅の太い幹と幹の間に湖水の面《めん》が銀色に光って見えた。  小《こ》舟《ぶね》は岸の砂地へ半分曳《ひ》き上げてあった。昼の雨で溜《たま》った水をKさんが掻《か》き出す間、三人は黒く濡《ぬ》れた砂の上に立っていた。  Kさんは抱えて来た厚い板を舟《ふな》縁《べり》のいい位置に渡《わた》して、「お乗り下さい」と言った。妻から先へ乗せた。小舟は押《お》し出された。  静かな晩だ。西の空にはまだ夕《ゆう》映《ば》えの名《な》残《ご》りがわずかに残っていた。が、四方の山々は蠑〓《いもり》の背のように黒かった。  「Kさん、黒《くろ》檜《び》が大変低く見えるね」とSさんが舳《へさき》から言った。  「夜は山は低く見えますよ」Kさんは艫《とも》に腰《こし》かけて短い櫂《かい》を静かに動かしながら答えた。  「焚《たき》火《び》をしてますわ」と妻がいった。小鳥《ことり》島《じま》の裏へ入ろうとする向う岸にそれが見える。静かな水に映《うつ》って二つに見えていた。  「今ごろ変ですね」とKさんが言った。「蕨《わらび》取《と》りが野宿をしているのかも知れませんよ。あすこに古い炭焼の竈《かま》がありますから、その中に寝《ね》ているのかも知れませんよ。行って見ましょうか」  Kさんは櫂《かい》に力を入れて舳《へさき》の方向を変えた。舟《ふね》は静かに水の上を滑《すべ》った。Kさんは小鳥島から神社の方へ一人で泳いで来る時、水湖を渡《わた》っていた蛇《へび》と出会って驚《おどろ》いた話などをした。  焚《たき》火《び》はKさんのいうように竈《かま》の焚《たき》口《ぐち》で燃えていた。Sさんは、  「本《ほん》統《とう》にあの中に人がいるのかね、Kさん」と言った。  「きっといますよ。もしいなければ消しておかないと悪いから、上《あが》りましょうか」  「ちょっと上って見たいわ」と妻も言った。  岸へ来た。Sさんが縄《なわ》を持って先へ飛び降りて、舟の舳を石と石との間へ曳《ひ》き上げた。  Kさんは竈《かま》の前に跼《しやが》んで頻《しき》りに中を覗《のぞ》いていた。  「寝《ね》ていますよ」  冷え冷えとしているので皆《みんな》にも焚火はよかった。  Sさんは落ちている小《こ》枝《えだ》の先でおき火をかき出して煙草《たばこ》をつけた。  竈の中でゴソゴソ音がして、人の呻吟《うな》る声がした。  「しかし、こうして寝ていたら温《あつた》かいだろうね」とSさんがいった。  Kさんはその辺《へん》に落ち散っている枝を火に積み上げながら、  「しまいに消えますからね。寝込んでしまうと、明け方は随《ずい》分《ぶん》寒いでしょうよ」といった。  「こんな側《そば》で焚《た》いても窒《ちつ》息《そく》しませんの?」  「中で焚《た》かなければ大丈夫です。それより竈《かま》があまり古くなるとひとりでに崩《くず》れることがあるんですよ。ことに雨のあとは危ないんですよ」  「こわいわ。Kさん教えてやるといいわ」  「本《ほん》統《とう》に教えてやる方がいいね」とSさんも言った。  「わざわざ教えなくても」とKさんは笑い出した。「これだけ大きな声で話していればみんな聴《きこ》えていますよ」  竈の中でまたゴソゴソと枯《かれ》葉《は》の音を立てた。皆《みんな》は一緒《いつしよ》に笑い出した。  「往《ゆ》きましょうか」と妻は不安そうに言い出した。舟《ふね》へ来ると、Sさんは先へ乗り込んで、「今度は僕《ぼく》が漕《こ》ごう」と言った。  小鳥島と岸の間はことに静かだった。晴れた星の多い空を舟べりからそのまま下に見ることができた。  「こっちでも焚《たき》火《び》をしましょうかね」とKさんが言った。  Sさんは癖《くせ》になっているドナウ・ウェレンの口《くち》笛《ぶえ》を吹《ふ》きながら漕いでいた。  「オイKさん。どの辺《へん》へ着けるんだい?」とSさんが訊《き》いた。Kさんは振《ふ》りかえって見て、  「ちょうどこの見当でようござんすよ」と答えた。  それから、何ということなしに皆は暫《しばら》く黙《だま》ってしまった。舟は静かに進んで行った。  「岸ぐらいまでなら泳げるか?」と自分は妻に訊《き》いてみた。  「どうですか。泳げるかも知れないわ」  「奥《おく》さん、泳げになるんですか?」Kさんは驚《おどろ》いたように言った。  「いつごろから泳げるの?」と自分はKさんに訊《き》いた。  「少し温《あつた》かい日なら今でも泳げますよ。去年今ごろ泳ぎましたよ」  「少し寒そうだ」自分は手を水へ浸《ひた》して見て言った。「しかし先《せん》に紅葉《もみじ》見に行って、朝早く蘆《あし》の湖で泳いだことがあるけれど、思ったほどではなかった。それよりも、四月初めに蘆の湖で泳いだことがある」  「昔はお偉《えら》かったのね」と妻は寒がりの自分を冷やかした。  「この辺でいいかい?」  「ええ。どうぞ」  Sさんは三櫂《かい》四櫂力を入れて漕《こ》いだ。舟《ふね》の舳《へさき》はザリザリと音をさせて砂地へ着いた。  皆《みんな》は砂へ降り立った。  「こんなに濡《ぬ》れていても焚《たき》火《び》ができますの?」  「白《しら》樺《かば》の皮で燃《も》しつけるんです。油があるので濡れていてもよく燃えるんですよ。私、焚《たき》木《ぎ》を集めますから、白樺の皮を沢《たく》山《さん》お集め下さい」  一面に羊《し》歯《だ》や山《やま》蕗《ぶき》や八ツ手の葉のような草の生《お》い繁《しげ》った暗い森の中へ入って焚火の材料を集めた。  皆は別れ別れになったが、KさんやSさんの巻《まき》煙草《たばこ》の先が吸うたびに赤く見えるのでそのいる所が知れた。  白《しら》樺《かば》の古い皮が切れて、その端《はし》を外側に反《そ》らしている、それを手頼《たより》に剥《は》ぐのだ。時々Kさんの枯《かれ》枝《えだ》を折る音が静かな森の中に響《ひび》いた。 持てないだけになると、岸の砂地へ運んだ。もうだいぶ溜《たま》った。  何かに驚《おどろ》いて、Kさんがいきなり森から飛び出して来た。  「どうしたんだ」  「いましたよ。虫ですよ。あの尻《しり》の光っている奴《やつ》が、こうやって尻を振《ふ》っていたんですよ。堪《たま》ったもんじゃあない」Kさんは尺《しやく》取《と》り虫の類を非常にこわがった。息を跳反《はず》ませている。  それを見に入った。先に立ったSさんが、  「この辺かい?」と後《うしろ》の方にいるKさんを顧《かえり》みた。  「そこに光ってるじゃあ、ありませんか」  「なるほど、これだね」Sさんはマッチを擦《す》って見た。一寸ほどの裸《はだか》虫《むし》がその割に大きい尻をもたげてゆるゆると振っていた。  その先が青くぼんやり光って見える。  「これが、そんなにこわいかね」とSさんが言った。  「これからは其奴《そいつ》がいるんで、うっかり歩けませんよ」とKさんは言う。そして、「もう大《たい》概《がい》ようござんすから、焚《た》きましょうか」と言った。  皆《みんな》はまた砂地へ出た。  白樺の皮へ火をつけると濡《ぬ》れたまま、カンテラの油《ゆ》煙《えん》のような真黒な煙《けむり》を立てて、ボウボウ燃えた。Kさんは小《こ》枝《えだ》からだんだん大きい枝をくべてたちまち燃《も》しつけてしまった。その辺が急に明るくなった。それが前の小鳥島の森にまで映《うつ》った。  Kさんは舟《ふね》から楢《なら》の厚板を持って来て、自分たちの腰《こし》を下ろす所を作ってくれた。  「虫だけは山に育った人のようじゃあ、ないね」とSさんが言った。  「本《ほん》統《とう》ですよ」とKさんも言った。「初めから知っていると、それほどでもないんですが、不意だと随《ずい》分《ぶん》魂消《たまげ》ますよ」  「山には別にこわいものって、いませんの?」  「何にもいませんよ」  「大《だい》蛇《じや》なんていないの?」  「いませんよ」  「蝮《まむし》は?」と自分が訊《き》いた。  「箕《みの》輪《わ》辺《へん》まで下りると時々見かけますが、上では蝮は一度も見たことはありませんよ」  「昔は山犬がいたんだろう」とSさんが言った。  「子供のころはよく声だけ聴《き》きました。夜《よ》中《なか》に遠《とお》吠《ぼ》えを聴くと、淋《さび》しい、いやな気持がしたのを覚えていますよ」  KさんはKさんの亡くなったお父さんが夜《よ》釣《づ》りが好きで、ある夜山犬に囲まれて、岸伝いに水の中を帰って来た話とか、この山が牧場になった年、馬が食われて半分ぐらいになっているのを見た話などをした。  「その年、肉にダイナマイトを入れて、殺したら、一週間で絶えてしまいました」  自分は四、五日前、地《じ》獄《ごく》谷《だに》の方で小さい野《や》獣《じゆう》の髑《どく》髏《ろ》を見た話をすると、Kさんは、  「きっと笹《ささ》熊《ぐま》でしょう。鷲《わし》なんかに食われたのかも知れませんよ。笹熊は弱い獣《けもの》ですからね」と言った。  「じゃあ、この山には何にもこわいものはいないのね」と臆《おく》病《びよう》な妻はKさんに念を押《お》した。するとKさんは、  「奥《おく》さん。私大入道を見たことがありますよ」と言って笑い出した。  「知ってますよ」と妻も得意そうに言った。「霧《きり》に自分の影《かげ》が映《うつ》るんでしょう?」妻はそれを朝早く、鳥《とり》居《い》峠《とうげ》に雲海を見に行った時に経験した。  「いいえ、あれじゃあ、ないんです」  子供のころ、前《まえ》橋《ばし》へ行った夜の帰り、小《こ》暮《ぐれ》から二里ほど来た大きい松林の中でそういうものを見た、と言う話だ。一町くらい先でぼんやりその辺が明るくなると、その中に一丈《じよう》以上の大きな黒いものが立ったという。しかし、暫《しばら》くして、大きな荷を背負った人が路《みち》傍《ばた》に休んでいたので、その人が歩きながら煙草《たばこ》を飲むために荷の向うで時々マッチを擦《す》ったのだということが知れたという話である。  「不思議なんて大《たい》概《がい》そんなものだね」とSさんが言った。  「でも不思議はやっぱりあるように思いますわ」と妻は言った。「そういう不思議はどうか知らないけど、夢《ゆめ》のお告げとかそういうことはあるように思いますわ」  「それはまた別ですね」とSさんも言った。そして急に憶《おも》い出したように、「そら、Kさん、去年君が雪で困った時の話なんか、そういう不思議だね。まだ聴《き》きませんか?」と自分の方を顧《かえり》みた。  「いいえ」  「あれは本《ほん》統《とう》に変でしたね」とKさんも言った。こういう話だ。  去年、山にはもう雪が二、三尺も積ったころ、東京にいる姉さんの病気が悪いという知らせでKさんは急に山を下って行った。  しかし姉さんの病気は思ったほどではなかった。三晩泊《とま》って帰った来たが、水《みず》沼《ぬま》に着いたのが三時ごろで、山へは翌日登る心算《つもり》だったが、わずか三里を一ト晩泊って行く気もしなくなって、Kさんは予定を変えて、しかしもし登れそうもなければ山の下まで行って泊めてもらうつもりで、水沼を出た。  そしてちょうど日暮れに二の鳥居の近くまで来てしまったが、身体《からだ》も気持もあまりに平気だった。それに月もある。Kさんは登ることに決めた。しかしそれから登るに従って、雪はだんだん深くなった。Kさんが山を下りた時とは倍くらいになっていた。それでも人通りのある所なら、深いなりに表面が固まるから、さほど困難はないが、全《まる》で人通りがないので軟《やわら》かい雪に腰《こし》くらいまで入る。その上、一面の雪でどこが路《みち》かよく知れないから、幾《いく》ら子供から山に育って慣《な》れ切ったKさんでも、だんだんにまいって来た。  月明りに鳥居《とりい》峠《とうげ》はすぐ上に見えている。夏はこの辺はこんもりとした森だが、冬で葉がないから上がすぐ近くに見えている。その上、雪も距《きよ》離《り》を近く見せた。今さら引き返す気もしないので、蟻《あり》の這《は》うように登って行くが、手の届《とど》きそうな距離が実に容易でなかった。もし引き返すとしても、幸い通った跡《あと》を間《ま》違《ちが》わず行ければまだいいとして、それを外《そ》れたら困難は同じことだ。上を見ると、何しろそこだ。  Kさんは、もう一ト息、もう一ト息と登った。別に恐《きよう》怖《ふ》も不安も感じなかった。しかし何だか気持が少しぼんやりして来たことは感じた。  「後《あと》で考えると、本《ほん》統《とう》は危なかったんですよ。雪で死ぬ人は大《たい》概《がい》そうなってそのまま眠《ねむ》ってしまうんです。眠ったまま、死んでしまうんです」  よくそれを知りながら、不思議にKさんはその時少しもそういう不安に襲《おそ》われなかった。そして、ともかく、気持を張った。何しろ身体《からだ》がいい。それに雪には慣《な》れていた。到《とう》頭《とう》それから二時間余りかかって、ようやく峠《とうげ》の上まで漕《こ》ぎつけた。  雪の深さは一層増《ま》さった。しかしこれからはちょっと、下《くだ》りになる。下ればずっと平地だ。時計を見ると、もう一時過ぎていた。  遠くの方に提灯《ちようちん》が二つ見えた。今時分、とKさんは不思議に思った。しかしとにかく一人きりのところに人と会うのは擦《す》れ違《ちが》いにしろ嬉《うれ》しかった。Kさんはまた元気を振《ふる》い起して、下りて行った。そして、覚《かく》満《まん》淵《ぶち》の辺《へん》でそれらの人々と出会った。それはUさんという、Kさんの義理の兄さんと、そのころKさんの家に泊《とま》っていた氷切りの人夫三人とだった。「お帰りなさい。大変でしたろう?」とUさんが言った。  Kさんは「今時分どこへ行くんですか?」と訊《き》いた。  「今、お母《つか》さんに起されて迎《むか》いに来たんですよ」とUさんは何の不思議もなさそうに答えた。Kさんは慄《ぞ》っとした。  「私がその日帰ることは知らしても何にもなかったんです。後で聴《き》くと、お母さんがみいちゃん(Kさんの上の子供)を抱《だ》いて寝《ね》ていると、——別に眠《ねむ》っていたようでもないんですが、不意にUさんを起して、Kが帰って来たから迎《むか》いに行って下さいと言ったんだそうです。Kが呼んでいるからって言うんだそうです。あんまり明瞭《はつきり》しているんで、Uさんも不思議とも思わず、人夫を起して支度《したく》させて出て来たと言うんですが、よく聴いて見ると、それがちょうど私が一番弱って、気持が少しぼんやりして来た時なんです。山では早く寝ますからね、七時か八時に寝て、ちょうど皆《みんな》ぐっすりと寝《ね》込《こ》んだ時なんです。それを四人も起して、出して寄《よ》越《こ》すんですから、お母さんのはよほど明瞭《はつきり》聴いたに違《ちが》いないのです」  「Kさんは呼んだの?」と妻が訊《き》いた。  「いいえ。峠《とうげ》の向うじゃあ、幾《いく》ら呼んだって聴えませんもの」  「そうね」と妻は言った。妻は涙《なみだ》ぐんでいた。  「そんな気がしたくらいではなかなか、夜中に皆を起して、腰《こし》の上まで埋《う》まる雪の中を出してやれるものではないんです。それは巻《まき》脚絆《きやはん》の巻き方が一つ悪くても、一度解けたら、凍《こお》って棒《ぼう》になってしまいますから、とても、もう巻けないんです。だから支度が随《ずい》分《ぶん》厄《やつ》介《かい》なんです。支度にどうしても二十分やそこらかかるんですよ。その間お母さんは、ちっとも疑わずにおむすびを作ったり、火を焚《た》きつけたりしていたんです」  Kさんとお母さんの関係を知っているこの話は一層感じが深かった。よくは知らないが、似《に》ているので皆《みんな》がイブセンと呼んでいたKさんの亡くなったお父さんは別に悪い人ではないらしかったが、少くとも良人《おつと》としてはあまりよくなかった。平常《ふだん》は前《まえ》橋《ばし》辺に若い妾《めかけ》と住んでいて、夏になるとそれを連れて山へ来て、山での収入を取上げて行ったそうだ。Kさんはお父さんのそういうやり方に心から不快を感じて、よく衝《しよう》突《とつ》をしたということだ。そしてこんなことがKさんを一層お母さん想《おも》いにし、お母さんを一層Kさん想《おも》いにさせたのだ。  先刻《さつき》から、小鳥島で梟《ふくろう》が鳴いていた。「五郎助」と言って、暫《しばら》く間《あいだ》を措《お》いて、「奉公」と鳴く。  焚《たき》火《び》も下火になった。Kさんは懐《かい》中《ちゆう》時計を出して見た。  「何時?」  「十一時過ぎましたよ」  「もう帰りましょうか」と妻が言った。  Kさんは勢いよく燃え残りの薪《たきぎ》を湖水へ遠く抛《ほう》った。薪は赤い火の粉を散らしながら飛んで行った。それが、水に映《うつ》って、水の中でも赤い火の粉を散らした薪が飛んで行く。上と下と、同じ弧《こ》を描《えが》いて水面で結びつくと同時に、ジュッと消えてしまう。そしてあたりが暗くなる。それが面白かった。皆で抛った。Kさんが後に残ったおき火を櫂《かい》で上《じよう》手《ず》に水を撥《は》ねかして消してしまった。  舟《ふね》に乗った。蕨《わらび》取《と》りの焚火はもう消えかかっていた。舟は小鳥島を回って、神社の森の方へ静かに滑《すべ》って行った。梟《ふくろう》の声がだんだん遠くなった。 真《まな》 鶴《づる》  伊《い》豆《ず》半島の年の暮《く》れだ。日が入って風物すべてが青味を帯びて見られるころだった。十二、三になる男の児《こ》が小さい弟の手を引き、物思わし気な顔付をして、深い海を見《み》下《おろ》す海岸の高い道を歩いていた。弟は疲《つか》れ切っていた。子供ながらに不《ふ》機《き》嫌《げん》な皺《しわ》を眉《み》間《けん》に作って、さも厭《いや》々《いや》に歩みを運んでいた。しかし兄の方は独《ひと》り物思いに沈《しず》んでいる。彼は恋《こい》という言葉を知らなかったが、今、その恋に思い悩《なや》んでいるのであった。  こんなことがあった。ある時、彼の通《かよ》っている小学校の教員が、新しく来た若い女教員と連れ立って行く後《うしろ》から彼は何気なく従《つ》いて行った。その時不意に教員が、「オイ」と言って彼へ振《ふ》り返った。「我《わが》恋《こい》は千《ち》尋《ひろ》の海の捨《すて》小《お》舟《ぶね》、寄《よ》る辺《べ》なしとて波の間《ま》に間に。お前にこの歌の意味が解《わか》るかね」とこう言った。こう言って教員は笑いながら女教員の顔を横から覗《のぞ》き込んだ。女教員は俯《うつ》向《む》くと、黙《だま》って耳の根を赤くしていた。  彼も変に恥《はず》かしくなった。自分がそれを言われたような、またそれを自分が言ったような気がちょっとした。  「どうだね。解るかね」と再び言われると彼も女教員のしたように黙って俯向いてしまった。そして、沖《おき》の広々した所に小《こ》舟《ぶね》のゆらりゆらり揺《ゆ》られている様を、何ということなし絵のように想《おも》い浮べていた。恋《こい》という言葉を知らぬ彼には素《もと》より歌の意味は解《わか》らなかった。  真《まな》鶴《づる*》の漁師の子で、彼は色の黒い、頭の大きい子供であった。  そして彼は今、その大きい頭におよそ不《ふ》釣《つり》合《あ》いな小さい水《すい》兵《へい》帽《ぼう》を兜《と》巾《きん*》のように戴《いただ》いているのだ。咽《のど》はそのゴム紐《ひも》でしめ上げられていた。この様子は恋に思い悩《なや》んでいる者としてはいかにも不調和でおかしかった。しかし彼にとっては不調和でも、おかしくても、また滑《こつ》稽《けい》でも、この水兵帽はそう軽々しく考えられるべき物ではなかったのである。  その日彼は父から歳《せい》暮《ぼ》の金を貰《もら》うと、小《お》田《だ》原《わら》まで、弟と二人の下《げ》駄《た》を買うために出《で》掛《か》けた。ところが下駄屋へ来るまでに彼はふと、ある唐《とう》物《ぶつ》屋《や》のショーウィンドウでその小さい水兵帽を見つけた。彼は急にそれが欲《ほ》しくなった。そこで後《あと》先《さき》の考えもなく、彼は彼の財《さい》布《ふ》をはたいてしまったのである。  彼の叔《お》父《じ》に、元《もと》根《ね》府《ぶ》川《がわ》の石切人足で、今、海軍の兵《へい》曹《そう》長《ちよう》になっている男がある。それから彼はよく海軍の話を聴《き》いた。そして、自分も大きくなったら水兵になろうと決心していた。  「どうだ、このボイラーの小せえこと、恰《まる》でへっついだな」とこんな風に、ある時叔父が煙《えん》突《とつ》の上に丸いオーヴン《*》でも乗せたような熱海《あたみ》行きの軌《き》道《どう》機関車《*》を笑ったことがあった。これ以外に汽車を知らぬ彼にはこの言葉だけでも叔父を尊敬するに充《じゆう》分《ぶん》だった。そして彼は彼の水兵熱をますます高めて行ったのである。  それゆえ水兵帽を手に入れたことは彼にとってこの上ない喜びであった。が、同時に彼は後《こう》悔《かい》もしていた。せっかく下駄を楽しみに従《つ》いて来た弟が可哀想《かわいそう》だった。二人が貰った金で自分だけの物を買ったことを短気な父がどんなに怒《おこ》ることかと考えると流石《さすが》に気が沈《しず》んで来た。  しかし松《まつ》飾《かざ》りのできた賑《にぎや》かな町を歩いている内に彼はいつかそんなことを忘れて、そして前から聞かされていた二宮《にのみや》尊《そん》徳《とく》の社《やしろ》へ《*》詣《もう》でるつもりで、その方へ歩いて行くと、ある町《まち》角《かど》で、騒《そう》々《ぞう》しく流して来た法《ほう》界《かい》節《ぶし*》の一行に出会った。  一行は三人だった。四十くらいの眼《め》の悪い男が琴《こと》をならしている。それからその女《によう》房《ぼう》らしい女が顔から手から真白に塗《ぬ》り立てて、変に甲《かん》高《だか》い声を張り上げ張り上げ月《げつ》琴《きん》を《*》弾《ひ》いていた。もう一人は彼と同《おな》い年くらいの女の児《こ》で、これも貧相な顔に所《ところ》斑《まだ》らな厚《あつ》化《げ》粧《しよう》をして、小さい拍子《ひようし》木《ぎ》を打ち鳴らしながら、泣き叫《さけ》ぶように唄《うた》っていた。  彼はその月琴を弾いている女に魅《み》せられてしまった。女は後《うしろ》鉢《はち》巻《まき》のために釣《つ》り上っている眼を一層釣り上がらすように眼《め》尻《じり》と眼《め》頭《がしら》とに紅《べに》をさしていた。そして、薄《うす》よごれた白《しろ》縮《ちり》緬《めん》の男《おとこ》帯《おび》を背中で房《ふさ》々《ふさ》と襷《たすき》に結んでいた。彼はかつてこれほど美しい、これほどに色の白い女を知らなかった。彼はすっかり有《う》頂《ちよう》天《てん》になってしまった。それから彼は一行の行く所へどこまでも従《つ》いて行った。  一行がある裏町の飯屋に入った時には彼は忠実な尨《むく》犬《いぬ》のように弟の手を引いてその店先に立っていた。  ——沖《おき》へ沖へ低く延びている三《み》浦《うら》半島が遠く薄《はく》暮《ぼ》の中に光った水平線から宙へ浮んで見られた。そして影《かげ》になっている近くはかえって暗く、岸から五、六間綱《つな》を延ばした一艘《そう》の漁船が穏《おだや》かなうねりに揺《ゆ》られながら舳《へさき》に赤々と火を焚《た》いていた。岸を洗う静かな波音が下の方から聴《きこ》えて来る。それが彼には先刻《さつき》から法《ほう》界《かい》節《ぶし》の琴《こと》や月琴の音《ね》に聞えて仕方なかった。波の音と聞こうと思えばちょっとの間それは波の音になる。が、ちょうど睡《ねむ》い時に覚《さ》めていようとしながら、いつか夢《ゆめ》へ引き込まれて行くように波の音はすぐまた琴《こと》や月《げつ》琴《きん》の音に変って行った。彼はまたその奥《おく》にありありと女の肉声を聴《き》いた。何々して「梅—の—は—な—」こういう文句までが聴き取られるのだ。  「奴《やつこ》さんだよう」こんなことをいって下で両手の指先を合せ、中《ちゆう》腰《ごし》で両《りよう》膝《ひざ》を開き首を振《ふ》りながら、二、三度足を前へ挙《あ》げた形とか、捨《すて》児《ご》の剣《けん》舞《ぶ》で真白く塗《ぬ》った腕《うで》をあげて泣く様子、所はげな人形にする頬《ほお》ずり、それを想《おも》い浮べると彼の胸は変に悩《なや》ましくなった。  遥《はる》か小《お》田《だ》原《わら》の岸が夕《ゆう》靄《もや》の中に見返られる。彼は今さらに女と自分との隔《へだ》たりを感じた。今ごろはどうしていることか。  彼にはあの泣き叫《さけ》ぶような声を張り上げていた少女の身の上がこの上なく羨《うらや》ましく思われた。しかし彼はその少女にいい感じを持たなかった。彼が飯屋の前に立ち尽《つく》していた時に少女は時々悪意を含《ふく》んだ嶮《けわ》しい眼《め》つきを彼の方へ向けていたが、しまいに男と代る代る酌《しやく》をしていた女に何かこっちを見い見い告げ口をした。彼はヒヤリとした。しかし女は何の興味もなさそうにちょっとこっちを見て、すぐまた男と話し続けたので、彼はほっとした。  夜が迫って来た。沖《おき》には漁《いさり》火《び》が点々と見え始めた。高く掛《か》かっていた半かけの白っぽい月がいつか光を増して来た。が、真《まな》鶴《づる》まではまだ一里あった。ちょうど熱海《あたみ》行きの小さい軌《き》道《どう》列車が大《おお》粒《つぶ》な火の粉を散らしながら、息せき彼らを追い抜《ぬ》いて行った。二台連結した客車の窓からさす鈍《にぶ》いランプの光がチラチラと二人の横顔を照らして行った。  少時《しばらく》すると、手を引かれながら一足遅《おく》れに歩いていた弟が、  「今日の法《ほう》界《かい》節《ぶし》が乗っていた」とこんなことを言った。彼は自分の胸の動《どう》悸《き》を聞いた。そして自分もそれをチラリと見たような気がした。汽車はいつか先の出鼻を回って、今は響《ひび》きも聴《きこ》えて来なかった。  彼は今さらに弟の疲《つか》れ切った様子に気がついた。急に可哀想《かわいそう》になった。そして、  「くたびれたか」と訊《き》いてみたが、弟は返事をしなかった。彼はまた、  「おぶってやるかネ?」と優しく言った。弟は返事をする代りに顔を反《そ》向《む》けて遠く沖《おき》の方へ眼《め》をやってしまった。弟は何か口を利《き》けば今にも泣き出しそうな気がしたのである。優しく言われると、なおであった。  「さあ、おんぶしな」彼はこういって手を離《はな》し、弟の前に蹲《しやが》んだ。弟は無言のまま倒《たお》れるようにおぶさった。そして泣き出しそうなのを我《が》慢《まん》しながら、兄の項《うなじ》に片《かた》頬《ほお》を押《お》し当てると眼をつぶった。  「寒くないか?」  弟はかすかに首を振《ふ》っていた。  彼はまた女のことを考え始めた。今の汽車に乗っていたのかと思うと彼の空想は生《い》き生きして来た。この先の出鼻の曲り角《かど》で汽車が脱《だつ》線《せん》する。そして崖《がけ》から転《ころ》げ落ちて、女が下の岩角に頭を打ちつけて倒れている有様を彼はまざまざと想《おも》い浮べた。彼はまた、不意に道《みち》傍《ばた》からその女の立ち上って来ることを繰《く》り返し繰り返し想像した。彼は実際に女がどこかで自分を待っていそうな気がしていた。  弟はいつか背中で眠《ねむ》ってしまった。急に重くなった弟の身体《からだ》を彼は揺《ゆ》り上げ揺り上げして歩いた。だんだんに苦しくなる。腕《うで》が抜《ぬ》けそうになるのを彼は我《が》慢《まん》して歩いた。彼はこれを我慢し通さなければ駄《だ》目《め》だという気がした。何が駄目なのか自分でも明瞭《はつきり》しなかった。しかしとにかく彼は首を亀《かめ》の子のように延ばして、エンサエンサという気持で歩いて行った。  やがて、その出鼻へ来たが、そこには何事も起っていなかった。そして、それを曲ると彼は突《とつ》然《ぜん》すぐ間近に、提灯《ちようちん》をつけて来るある女の姿を見た。彼ははっとした。同時にその女から声をかけられた。それはあまりに彼らの帰りの遅《おそ》いのを心配して、迎《むか》いに来た母親であった。  すっかり寝《ね》込《こ》んでしまった弟を、彼の背から母親の背へ移そうとすると、弟は眼を覚《さ》ました。そして、それが母親だと知ると、今まで圧《おさ》え圧えて来た我《わが》儘《まま》を一時に爆《ばく》発《はつ》さして、何かわけの解らぬことを言って暴《あば》れ出した。母親が叱《しか》るとなお暴れた。二人は持て余した。彼はふと憶《おも》い出して、自分のかぶっていた水《すい》兵《へい》帽《ぼう》を取って弟にかぶせてやった。  「ええ、穏順《おとな》しくしろな。これをお前にくれてやるから」こう言った。  今はその水兵帽を彼はそれほどに惜《お》しく思わなかった。 山《やま》科《しな》の記《き》憶《おく》 一  山《やま》科《しな》川《がわ*》の小さい流れについて来ると、月が高く、寒い風が刈《かり》田《た》を渡《わた》って吹《ふ》いた。彼は自動車の中でつけて来た巻《まき》煙草《たばこ》を吸《す》いおわって捨てた。自家《うち》まで乗りつけることが気《き》兼《が》ねで大《おお》津《つ》への街道で降り、女はそのまま還《かえ》した。彼は歩きながら、今別れて来た女のことばかり考えた。愛する女のことを別れて考えるのは快楽だ。二重の快楽だが、家が近づき、妻に偽《いつわ》りを言わねばならぬという予想が起ると、それが暗い当《とう》惑《わく》となって彼におおい被《かぶ》さって来た。流れの彼方《むこう》に一軒《けん》建っている自家《うち》の灯《あかり》を見ると、彼はいつもこの当惑を覚えた。明らかに自分が弱者の位置に立つことが腹立たしくもあった。  彼は妻を愛した。他《ほか》の女を愛し始めても、妻に対する愛情は変らなかった。しかし妻以外の女を愛するということは彼でははなはだ稀《け》有《う》なことであった。そしてこの稀有だということが強い魅《み》力《りよく》となって、彼を惹《ひ》きつけた。そのことが自身の停《てい》滞《たい》した生活気分に何か溌《はつ》剌《らつ》とした生気を与えてくれるだろうというようなことが思われるのだ。功《こう》利《り》的《てき》な考えではあるが、一《いち》途《ず》に悪くは解されない気がした。  彼は細い土橋を渡《わた》って、門を入った。門の戸に鈴《すず》が付いている。その音にも、自分の怯《ひ》けた心が現れることを恐《おそ》れた。彼はできるだけ無心に開《あ》け、無心に閉《し》めた。しかし何がこんなに自分の心持を暗くするのだろう。自分を信じている妻を欺《あざむ》いていることが気になるからだ。  中の灯《ひ》を一《いつ》杯《ぱい》に映《うつ》した玄《げん》関《かん》の硝子《ガラス》戸《ど》を開けた。いつもすぐ出て来る妻が出て来ない。彼はさらに敷《しき》台《だい》からそこの障《しよう》子《じ》を開けた。部《へ》屋《や》の隅《すみ》にあたかも投《ほう》り出された襤褸《ぼろ》布《きれ》のように不規則な形をして、妻が掻《かい》巻《まき》に包まり、小さくなって転《ころ》がっていた。彼は妻のこんな様子を見たことがなかった。その変に惨《みじ》めな感じが、胸を打った。妻を自分はこんなに扱《あつか》っているのだろうか。妻がこんなに扱われていると感じているのだろうか。その感じが胸を打った。妻は頭から被《かぶ》った掻巻の襟《えり》から、泣いたあとの片《かた》眼《め》だけを出し、彼を睨《にら》んでいた。それは口惜《くや》しい笑いを含《ふく》んだ眼だった。  彼は何も彼《か》も、もうわかったと思った。彼は興奮した。腹が立った。黙《だま》って妻の片眼を見返した。妻が何かいうまでは一ト言も口が利《き》けなかった。  彼は隣《とな》りの座《ざ》敷《しき》に電《でん》燈《とう》をつけた。丸い金《かな》火《ひ》鉢《ばち》によく熾《おこ》った炭火が活《い》けてあった。鉄《てつ》瓶《びん》の湯が滾《たぎ》っていた。  「どうも変だと思って、電話をかけて見たら矢張りそうだった」  彼は返事をしなかった。彼は二重回しを着たまま火鉢の脇《わき》に踞《しやが》んだ。  「そんなことは決してないから……うまいことをいって、人をだまして……」いいながら妻は起きて座敷へ入って来た。彼は怒鳴《どな》りたい気になった。しかし何といっていいかその言葉を見出せなかった。彼は嶮《けわ》しい眼《め》で妻の顔を見た。妻はいかにも口惜《くや》しそうな笑い顔をしていた。が、それが異様な赤味を帯びているのを見ると、発熱しているに違《ちが》いないと彼は思った。  「お前は熱があるぞ」彼は傍《そば》へ来て坐《すわ》った妻の額《ひたい》へ手をやった。妻はその手を邪《じや》見《けん》に払《はら》いのけながら、  「熱なんかどうでもいいの」といった。  ちょっと触《さわ》っただけでも熱かった。彼は立って自分の寝《ね》床《どこ》の上に置かれた丹《たん》前《ぜん》をとり、妻にきせた。  妻は一《いつ》生《しよう》懸《けん》命《めい》だった。日ごろ少しも強く光らない眼が光り、彼の眼を真正面《まとも》に見凝《みつ》めた。彼にはその視線に辟易《たじろ》ぐ気持があった。しかし故意にこっちからも強く、  「お前の知ったことではないのだ。お前とは何も関係のないことだ」と言った。  「なぜ? 一番関係のあることでしょう? なぜ関係がないの?」  「知らずにいれば関係のないことだ。そういう者があったからって、お前に対する気持は少しも変りはしない」彼は自分のいうことが勝手であることは分っていた。しかしすでにその女を愛している自身としては妻に対する愛情に変化のないことを喜ぶより仕方がなかった。  「そんなわけはない。そんなわけは決してありません。今まで一つだったものが二つに分れるんですもの。そっちへ行く気だけが、減るわけです」  「気持の上のことは数学とは別だ」  「いいえ、そんなはず、ないと思う」  妻はヒステリックになり、彼の手の甲《こう》をピシリピシリ打った。  彼は妻に対し毛ほども不実な気持は持っていないということを繰《く》り返した。  「不実な気持がなくて、そういうことが起るはずがないじゃありませんか」  しかし彼は嘘《うそ》をいっているのではなかった。そして彼は何かいえば詭《き》弁《べん》を弄《ろう》するようになるのが自分でも不《ふ》愉《ゆ》快《かい》になった。  「そういう感情まで一生飼《か》い殺《ごろ》しになってるわけにはいかない。ただお前をそのことで不幸にしなければいいのだ」  「こんな不幸なことってない」どんな貧乏でもそんなことには堪《た》えて見せる。しかしこのことばかりはいつになっても決して平気にはなれない。  「いつも言ってることじゃあありませんか。それを今さらお前の不幸にならなければいい。どの口でそんなことがおっしゃれるの」  彼には女に対する自分の気持が本気だというところに弁解があった。が、妻には本気なら本気ほどいけなかった。どういうことにでも、割に寛《かん》大《だい》になれる性質で、もしかしたら自分のこのことにも寛大な気持を見せてくれるかも知れぬという朧《おぼろ》げな希望を彼は持ったこともあるが、それは到《とう》底《てい》不可能なことと知れた。女に対する自分の気持を累《るい》々《るい》と述べ立てることも不可能だった。そして妻のヒステリーが亢《こう》じると彼にはもう言うことはなかった。 二  五分ほど黙《だま》った。二人には思い思いのことが浮んだ。彼には女のことが時々頭を通り過ぎて行った。  「去年病院にいた時にも、もし先生が好きになったら大変だ、そう考える方なのよ。本《ほん》統《とう》に貴方《あなた》だけ想《おも》って満足しているのに……」妻は幾《いく》分《ぶん》落ちついたところで、ふとこんなことをいい出した。  「うん」彼は不思議な気持になった。妻の「先生」という、その若者を彼は明瞭《はつきり》と憶《おも》い浮べることができた。「それは分っている。何とかいう医者だ。そのことはちょっと書いておいた」  「…………」妻は急に真面目《まじめ》な顔をして彼を凝《じ》っと見た。その妻の心持はよく掴《つか》めなかった。が、それに不純なもののないことだけははっきりと感じられた。  「何といったかね」  「……でも、それはお父様のお気持なんかとは全《まる》で別なものよ。それは認めていただかなければ困るわ」  「俺《おれ》の気持と別なものとは思わない。しかしお前にいたずらな気持があったとは、それは決して思わない」  彼は起《た》って自分の机の上から一つの手帳を取った。「Aという女がある。良妻賢《けん》母《ぼ》である。しかしこの女の一生でただ一度、はっきりとは意識せぬ恋を感じ、心をときめかしたことがある。それを良人《おつと》だけが感じた。それと相手の男だけが感じた。しかし何事もなく、そういう機会もなく、そのままにそれは葬《ほうむ》り去られた。Aという女も今はそのことをもう忘れている。Bという女がある。この女にも同じことがあった。しかしBという女はそのことを自《みずか》ら意識さえしなかった」この場合、Bが妻だった。  「見て御覧。Aは広子さんだ」  妻は無心にそれを受け取ったが、見ようとしなかった。  「だけど、おかしいわね」妻は自身の気持を調べるような眼《め》つきをしながらいった。「もし私に少しでも疚《やま》しい気持があれば、お父様にいろいろお話はしないわね」  実際彼が見《み》舞《まい》に行くたびに、妻は浮き浮きした心持でその男の噂《うわさ》をした。  「それはそうだ」  「そうよ。私の心持は親切にして下さるのをお父様にも喜んでいただくつもりだったと思うわ」  「しかし好きになったら大変だと思ったのは矢張りあの医者じゃあないか。……俺《おれ》はこれにも書いたように、それだけの意識さえお前にはないと思っていたのだ」  「…………」  「四月十六日と日が入れてある、五、六、七、八、九、十、十一、十二、八か月そのことには少しも触《ふ》れないくらいだから、俺は別に何とも思ってはしない。それもお前のその気持に少しでも不《ふ》愉《ゆ》快《かい》な要素があれば、なかなか黙《だま》ってはいられない方だが、そうは思わなかった。俺は少しも嫉《しつ》妬《と》らしい気持は持たなかった。むしろ何だかお前が可哀想《かわいそう》なような気がした。お前の気持がそういうものだということはよく分っていた。病院を出る時でも、お前はガーゼの取りかえに通うというのを、そのくらいのことならここの服部《はつとり》さんで充《じゆう》分《ぶん》だと、俺《おれ》もいうし、柳《りゆう》子《こ》さんもいうんだが、お前はなかなか諾《き》かなかった」  妻は遮《さえぎ》っていった。  「それは違《ちが》います。我孫子《あびこ》の山田さんのことを考えていたから、服部さんのところも何だかきたないように思ったのです。せっかくよくなってまた黴《ばい》菌《きん》でも入ったら大変だと思って、そう言ったのよ。そんなことまで変におとりになるのは、それは少し酷《ひど》いわ」  「まあ事実はどっちだか知らないが、柳子さんもそう解《と》っていたと思う。いやな顔をして俺の顔を見ていた。あまりいうのはこっちも厭《いや》だから、お前の勝手にするようにいったが、俺はお前が意識せずにそういう気持に支配されてると解《と》ったのだ」  「そうかしら、——私はそう思わないけど……」  「俺がそう思うばかりでなく、むこうの人もそれは意識していたと思う」  「そんなら、なぜ、病院に通うことをはっきりいけないと言って下さらなかったの。私にはそういう気持はなかったと思うけど、貴方《あなた》がもしそうお思いになったのなら、なぜはっきり止めて下さらないの。それはお父様がいけませんよ」  「お前が間違いを起す人間とは第一思わないし、それでなくても、そういうことを用心しなければならぬまでにはまだ、大変距《きよ》離《り》のあることが分っていたんだ。自分がそういうことに暢《のん》気《き》でいられる人間でないことだって、一つの安心の種だし、それだけのことであまり強く何かいうのは厭な気がしていたに違いない」  彼はこんなことをいいながら自分の気持が、そのことに案外余《よ》裕《ゆう》を持っていたことを今さらに気づいた。それは妻の気持の純《じゆん》粋《すい》さが彼に反映していたからだと思った。  若い医者は生き生きした気持のいい男だった。彼はほとんど口を利《き》いたことはなかったが、少しも悪い感情を持たなかった。彼が妻の病室に入って行くと、よく入れ違《ちが》いに急いで出て行った。そういう時、妻はことに快活だった。ある時、一番下の娘《むすめ》が病院に泊《とま》り、夜中に急に自家《うち》に帰るとあばれ出した時、妻が自動車で、それを連れて不意に帰って来たことがある。翌朝の診《しん》察《さつ》時間までにかえるならばといって、それを許したのはその若い医者だった。妻は医者に冷やかされたことをいって笑っていた。そして翌朝早くまた自動車で還《かえ》っていった。彼はその医者にいたずらな気持があるとは思わなかった。しかし妻の気持に対し自分がそれに意識的である程度にはその医者も意識的であったような気がした。  退院の時、なお外来で通うかどうか迷っていたが、結局妻は厭《いや》な顔をしながら山《やま》科《しな》の医者にガーゼの取り更《か》えをしてもらうことに決めた。そして翌日その医者へ行くと、案外清潔だったので、そう決めたことを喜んだ。 三  話が妻のことに外《そ》れたことは幸いだった。妻は落ちついた。しかしそれが彼のことに対する少しでも寛《かん》大《だい》な心持をひき出す手《た》よりにはならなかった。妻はどうしても女と別れることを彼に断言さすまでは執《しつ》拗《よう》に我《が》を張った。妻の強いのはこのことだけだ。  彼は一時的にもそれを承知するより仕方がなかった。 痴《ち》 情《じよう》 一  薄《うす》曇《ぐも》りのした寒い日だった。彼は寒さから軽い頭痛を感じながら、甚《ひど》く沈《しず》んだ気分で書《しよ》斎《さい》に閉じこもっていた。時々むこうの山の見えなくなるほど雪が降って来た。庭じゅう池になっている、その池水に雪はどんどん降りこんで消えた。硝子《ガラス》戸《ど》と障《しよう》子《じ》の硝子越《ご》しに彼はぼんやり眺《なが》めていた。雪は少時《しばらく》すると止《や》んだ、止んだかと思うと、急に青い空が見えた。ここもまた山国のうちだと彼は思った。  それはそうと、このことをどう処置すべきか彼はなかなか決められなかった。自分が女を念《おも》い断《き》ることができればそれに越《こ》したことはないが、それはいやだった。妻に言われて念い断るということがすでにいやなのだ。女の方には執《しゆう》着《ちやく》はないのだから、ある時、自分の執着さえなくなるなら、素《す》直《なお》に別れてもいいが、今、この心持を殺し、別れるのはいかにも無理往生で、その気になれなかった。仮りにそう決心したところが、実行のあてはなかった。それにしろ、このまま再び妻を欺《あざむ》き続けるのも不《ふ》愉《ゆ》快《かい》だし、残るところは妻がそのことに寛《かん》大《だい》になってくれることだが、これは前の二つにも増し、不可能なことと知れていた。彼にとってこのことが可能でさえあれば申し分ない。前夜万一の望みをかけ、ちょっと切り出して見たが、思いもよらぬ空想だとすぐ知れた。  妻は今日じゅうにすべてを片づけてくれと言っている。妻は真《しん》剣《けん》だ。彼は真剣さで妻と争うことはできなかった。彼は自分が案外このことに真剣だということを感じているが、妻のそれとは一緒《いつしよ》にならなかった。  いずれにしろ、形式的にも一時別れるより仕方ないと決心したが、妻が金で済むことだと言い、彼には嫌《いや》味《み》に、女に対しては軽《けい》蔑《べつ》を示したのが、ちょっと腹に据《す》えかねた。冷やかに言えばそれに違《ちが》いない。他人の場合なら、自分もそれをいうかも知れない。しかしその言い草が日ごろの妻らしくないと彼は腹を立てたのだ。妻は裏切られ、欺《あざむ》かれたということで心が一《いつ》杯《ぱい》なのだということはよく分っていたが、彼はそれで我《が》慢《まん》する気になれなかった。  彼は女を愛し始めてからも妻に対する気持を少しも変えなかった。むしろ欺いているという苛《か》責《しやく》の念から、潤《うるお》いある気持を続けて来たが、すべてがこう露《あら》わになると、それさえ白け、乾《かわ》いて来るよう感じた。これだけのことで、すぐそう、——一時的にしろ変る自分が腑《ふ》甲《が》斐《い》なく思われるのだ。  女というのは祇《ぎ》園《おん》の茶屋の仲《なか》居《い》だった。二十《はたち》か二十一の大《おお》柄《がら》な女で、精神的な何ものをも持たぬ、男のような女だった。彼はこういう女になぜこれほど惹《ひ》かれるか、自分でも不思議だった。彼の好みの中《うち》にこういう型の女がないことはない。しかしこれほど心を惹かれるというのは全く思いがけなかった。  女には彼の妻では疾《とう》の昔失われた新鮮な果《くだ》物《もの》の味があった。それから子供の息《い》吹《ぶき》と同じ匂《にお》いのする息吹があった。北《ほつ》国《こく》の海で捕《と》れる蟹《かに》の鋏《はさみ》の中の肉があった。これらがすべて感能的な魅《み》力《りよく》だけだという点、下《か》等《とう》な感じもするが、いわゆる放《ほう》蕩《とう》を超《こ》え、絶えず惹《ひ》かれる気持を感じている以上、彼はなお且《か》つ恋《れん》愛《あい》と思うより仕方なかった。そして彼はその内に美しさを感じ、醜《みにく》いことをも醜いとは感じなかった。  彼が独《ひと》り、不《ふ》愉《ゆ》快《かい》な顔をしているところに、興奮に疲《つか》れ、疲れながらなお興奮している彼の妻が入って来た。 二  「銀行おそくならないこと?」  「おそくなったら、あしたでもいいじゃないか」  「それはいや。どうしても今日片をつけて下さらなければ……。一日延びればそれだけ私の苦しみが延びるんですもの。……それより一日でも貴方《あなた》を自分のものだなんて思わしておくの、いやなことだ。一時過ぎたのよ。私も支度《したく》しますから、すぐお支度して頂《ちよう》戴《だい》」  「お前はよす方がいい」  「いいえ、私、とても自家《うち》で凝《じ》っとしていられない」  「熱があるじゃないか」  「病気になってもいいの。病気になって死んだら、貴方も本望でしょう?」  彼は上《うわ》眼《め》使いに少時《しばらく》睨《にら》んでいた。  「笑《じよう》談《だん》にしろ、ものの軽《けい》重《じゆう》を弁《わきま》えないことをいうのはよせ」  「軽重って、貴方《あなた》にはこれがそれほど軽いことなの?」  「死ぬの生きるの言う問題じゃない」  「そうかしら」  「馬《ば》鹿《か》だけが一緒《いつしよ》にするのだ」  「でも私では一緒にならないとはかぎりませんよ」  妻の言葉は妻として必ずしも誇《こ》張《ちよう》とのみ言えないことは知っていたが、彼は矢張り腹を立てた。  「強《きよう》迫《はく》するのか。そんなことで人の行《こう》為《い》を封じようとするのは下《か》等《とう》だぞ」  妻は黙《だま》っていた。彼は口から出るまま、毒のある言葉を吐《は》いた。  妻は顔色を変え、凝《じ》っと彼を見ていたがしまいにその眼を落すと、溜《ため》息《いき》をつくように、  「貴方は本《ほん》統《とう》に勝手な方ねえ」と言った。  「初めから勝手なんだ」  「初めから勝手は分っているけれど、御自分がさんざん人をだましておいて、それが分ったからって、強迫するだの、下等だの、よく平気でそんなことがおっしゃれるわね。他人のことを批評なさる時は随《ずい》分《ぶん》抜《ぬ》け目なく突《つ》っ込《こ》んで、御自分のことだと、それが全《まる》で異《ちが》ってしまうのね。どういうわけ? 子供が嘘《うそ》を言ったりすると、厳格過ぎるほどお叱《しか》りになる方が、御自分の嘘はそう気にならないと見えるのね」  「本《ほん》統《とう》を言ってよければいつでも言う。嘘《うそ》を言うのはいやなんだ。お前がそれに堪《た》えられるならいつでも本統を言ってやる」  「貴方《あなた》は自棄《やけ》になっていらっしゃるの? お変りになったものね」  彼は不《ふ》愉《ゆ》快《かい》で仕方がなかった。もう口をきくのがいやだった。  「だから、もういいことよ。何も彼《か》も昨晩本統の事を言って下すったんでしょう? もう何も隠《かく》していらっしゃることないんでしょう? それでいいことよ。それで、どうぞこれからのことを堅《かた》くお約束して頂《ちよう》戴《だい》。もう決してそういうことをしないと、——それを私に信じさせて下さい。今までのこと私も忘れますから、それだけ信じさせて下さい。……ええ? どうなの?」  「それは分らない。ないつもりのことが起ったんだから、今後とても請《う》け合えない」  妻は急に興奮して叫《さけ》んだ。  「それじゃあ私、生きていられない」  「生きていられなければどうするんだ」  「それは自殺もしまいけど、きっと自然に死ぬようなことになる。きっとそうなるに決っている」  妻がこの調子ではとにかく、女とは一時別れるより仕方ないと思うと、彼はそのことでも苛《いら》苛《いら》した。 三  一時間ほどして、二人が京都東《ひがし》山《やま》三《さん》条《じよう》で電車を下《お》りた時には大きな牡丹《ぼたん》雪《ゆき》が気持のいいほど盛《さか》んに降っていた。山《やま》科《しな》を出る時、陽《ひ》を見て傘《かさ》を用意しなかった二人は頭や肩《かた》にそれを浴びながら、見る見る白くなって行く往来に首をちぢめて立っていた。  「一時間か、一時間半したら還《かえ》る。お前はKの所で待っているのだ。なるべく落ちついていないと見っともないよ」  妻は黙《だま》って彼の眼《め》を見ていた。  「寒いから早く行くといい。着物は充《じゆう》分《ぶん》着ているね」  妻はうなずいた。  「——それじゃあ」  彼は妻に別れ、わずかな道程《みち》なので、込《こ》んだ電車よりは歩く方がよく、往来を越《こ》して、煙草《たばこ》を買いに入った。そして再びそこを出ようとすると、胸や髪《かみ》に一ぱい雪をつけた妻が二間ほど離れた所に立ち、泣き出しそうな顔で何か小声で言っていた。妻は一と晩の間に眼に見えて衰《おとろ》えてしまった。そして彼から近寄って行くと、妻は片方の肩の上へ首を傾《かたむ》け、哀《あい》願《がん》するように、  「ねえ、いいこと? ねえ、いいこと?」と言った。  「もう、よろしい。雪の中にいつまでも立っていると本《ほん》統《とう》に病気になる」  妻はようやく還《かえ》って行った。厚いショールから出ている引《ひつ》詰《つめ》に結った小さな頭が遠《とお》ざかって行くのを見ると、いかにも見すぼらしく、哀《あわ》れに思えた。  彼はいつも会う、その宿へ入って行った。暗い茶の間の長《なが》火《ひ》鉢《ばち》に坐《すわ》った女《によ》将《しよう》は、  「まあ、えらい雪どすなあ」と言い、さも無《ぶ》精《しよう》たらしく、猫《ねこ》のような感じで起《た》って来た。  「少し用があるから、一人で来るよう。すぐ」  女将はそのよう電話をかけた。  女は珍《めずら》しくすぐ来た。そして彼がそのことを言い出すと、当《とう》惑《わく》したよう黙《だま》っていたが、しまいに「かなわんわ」と言った。芸者たちから祝物を貰《もら》ってある、それをこう早く別れねばならぬのが「かなわん」と言うのだ。理由は明瞭《はつきり》していた。そしてその理由で女は実際困るらしかった。女は泣き出した。  「何も発表する必要はないじゃないか」  「すぐ知れるわ」  「どこか遠くへ行ったとしてもいいだろう」  京都にいて、ここへ来ない自信を彼は持てなかった。実際、どこかへ行くのもいいと思った。それを言うと、  「それかて、かなわんわ」と、女は泣いたあとの憂《ゆう》鬱《うつ》な鈍《にぶ》い顔を的《あて》もなく窓の方に向け、ぼんやりしていた。  彼は女の大きな重い身体《からだ》を膝《ひざ》の上に抱《だ》き上げてやった。女の口は涙《なみだ》で塩からかった。彼は前夜矢張り妻の口の塩からかったことを想《おも》い、二人のそういう人間を持つことがいかにも自分らしくないと思った。  間もなく彼は払《はら》うべき金を払い、渡《わた》すべき金を渡し、その家《うち》を出た。戸外《そと》ではまだ雪が少しずつ落ちていた。  Kの家は東《ひがし》山《やま》三《さん》条《じよう》を西へ入った大きな寺の境《けい》内《だい》にあった。その裏門を入ろうとすると、出《で》会《あ》い頭《がしら》に妻と会った。  「凝《じ》っとしてお話しているのがつらいの」妻は弁解するように言い、彼の眼《め》を見ながら、「もう何も彼《か》も、すっかり済んだのね」と言った。  「うむ」彼はうなずいたが、うなずき方の弱いのが自分で気になった。  表面は何も彼も、もう済んだはずである。が、彼の心持は少しも片づいていなかった。彼は今も女から、遠くへ行く前一度来てくれといわれ、曖《あい》昧《まい》な返事をして来た。しかし自身には女と別れる気は全くなかった。ない癖《くせ》に妻の言葉通り何も彼も済まして来たのだ。彼は妻を欺《あざむ》く代りに仮りに自分を欺いている。自分を欺いていないとすれば、そんな風にして再び妻を欺き、女をも欺いたのだ。いずれにせよ、彼には家庭の調子を全く破《は》壊《かい》してまで正面からこのことに当ろうという気はなかった。それに価する事《こと》柄《がら》とは思わなかった。女は最初幾《いく》らか彼を嫌《きら》っていたが、今は嫌っていない程度で、妻に言われるまでもなく、女には一つの商売にすぎないことと分っていた。女のこの気持は彼には愉《ゆ》快《かい》でなかったが、その世界ではそれが道徳であり、仮りに女が彼を本《ほん》統《とう》に愛していたとしてもこの気持を完全に超《こ》えさすことはできないことだった。  それにしろ、彼は一人でいる時も、人といる時も頭から女を完全に離《はな》しきることはなかった。これが何かの意味で平《へい》穏《おん》に帰してくれるまでは彼は女と別れる気にはなれなかった。  その日彼は妻と町を歩き、夜になって山《やま》科《しな》の家に帰って来た。妻はその晩から病気になった。熱のある身体《からだ》で出たのが悪かった。 四  妻の病気は風邪《かぜ》だが、なかなか直らなかった。  「すっかり済んでしまったのね。もう安心していていいのね」  こんなことを言われると、彼は当《とう》惑《わく》した。そしてそれに応ずる言葉で慰《なぐさ》めはするが、その言い方がはればれしなかった。妻がそれと信じたがっているとなおはればれ言いにくかった。  ある時はまたこんな風に言う。「つまり家庭の病気みたようなものね。直ればもう何にも残らないわね。……だけど、この病気の方がよっぽど寿《じゆ》命《みよう》が縮まりますよ」  「病気と言う以上、またかからないとは限らない」彼は笑《じよう》談《だん》にして答える。この方がむしろ言いよかった。  とにかく、彼は早くどこかへ行きたかった。ちょうど東京へ行く用があったが、妻の病気は妙《みよう》に執《しつ》拗《つこ》く、なかなか出《で》掛《か》けられなかった。病気そのものよりは衰《すい》弱《じやく》がはなはだしく、妻は絶えず幾《いく》らか興奮していた。いつもめり込むように見えていた蒲鉾《かまぼこ》型《がた》の指《ゆび》環《わ》が手を下げると自然に指から抜《ぬ》け落ちたりした。  以下は、それから間もなく、上京した彼が受け取った妻の手紙である。  御無事お暮《くら》しの御事と存じます。御上京後毎日のように雪ふりにて大へんお寒うございますが、お神経痛はいかがでお出で遊ばされますか。〇〇様の御容体いかがやとお案じ申し上げております。そちら皆々様も御きげんよく入《い》らせられます御事と存じます。カラスミの御礼申し上げいただきたく、御《おん》文《ふみ》したためるはずでございますが、どうせただ今手紙かくのがつろうございますから、くれぐれもよろしく御《おん》申し上げいただきます。御出立の時は私の相変らずからお気をそこねおゆるしいただきます。私はそのことでは少しもひかん致しませんでしたが、その日はやはり気《き》味《もち》悪く床におりました。ただ今もずい分ずい分淋《さび》しい気持になりましたので一人涙《なみだ》が出ますので御文したためました。おかきもののおさまたげしてはいけませんと思い、ずい分ずい分こらえているのでございますが自分の胸もずい分つろうございますので、またくだらぬことをかきます。一人淋しくなりますとあのことを思い出し涙ぐみます。もうもうすぎたことだからと思いながら、こだわりて仕方がございません。どうしても、ようきの気持になれません。ほんとにもう一生のうちにこういうつらい思いをどうぞさせないでいただきます。お猿《さる》もとうとう死にました。今もかなしくてかなしくてたまりません。もうほんとにあなたを信じさせていただきます。ほんとにほんとに信じて信じていてこんなことがありましたのでございますから、この後《ご》はほんとに内しょでもいやでございます。私の我がままばかり申し上げましてお気におさわりになりますかもしれませんが私の胸の苦しみ出しましてお願い申し上げます。私はあなたに大切の人だと御《おん》申しいただいて、こんなにひかんしてはもったいないのでございますが、一《いち》途《ず》に思いますのでその方より一方のことを思い出してかなしくなります。どうぞどうぞ委《くわ》しく御返事を頂いて私の安心できるようにさしていただきます。  毎日おいそがしく、またおかきものでおつむりおつかいのこととお察し申し上げます。どうぞ十分おからだお気をつけ遊ばされますよう、お風邪《かぜ》召《め》しませんよう、少しでもお神経痛の方おわるかったら函《はこ》根《ね》に御養生にお出《い》で遊ばしますよう願い上げます。おはかまを忘れましたのでお送り申し上げましたがおうけとりいただきましたことと存じます。夜分は別にこわいこともございません。子供たち元気に致《いた》しておりますから御安心願い上げます。しじゅう泣いてばかりもおりません。時々しずみこみますといろいろ思い出してなみだが出るのでございます。自分でも一《いつ》生《しよう》懸《けん》命《めい》に気持をかえようと思っております。自分はあなたに大切にしていただき、何がおこってもふわんの気持になることないのでございますが、それは私の我がままでどうしても私一人でなければ神経がおさまらないのでございます。あなたのお気持をお察ししないで自分のことばかりかいたのはほんとにおゆるしおゆるしいただきます。これだけくだらぬことを申し上げましたら胸の苦しいのが楽になりました。皆々様にくれぐれもよろしく。  彼が外出から帰り、この手紙を見ている時、電報が来た。「オカエリネガウ」——妻がいよいよ堪《こら》えきれなくなった気持が彼には明瞭《はつきり》うかんだ。彼は妻がこれ以上我《が》慢《まん》しようとしなかったのは幸いだったという気がした。用は少しも片づいていなかったが、すぐ帰ることにした。  「病気でも悪いのかしら?」  「私が道楽したんです」  母はそれには答えなかった。そして「すぐ帰るといいね」と言った。  彼は二十分ほどで支度《したく》し、ようやく最後の急行に間に合った。 瑣《さ》 事《じ》  京都まで金を取りに行く、——そう家《うち》には言ってある。が、それは嘘《うそ》だ。 奈良の銀行に金は来ている。しかしそう言って京都へ行く口実を彼は作らねばならなかった。——京都には妻に隠《かく》れて会いたい人間がいた。  俥《くるま》に乗って上《かみ》高《たか》畑《ばたけ》の《*》友の家に行く。奈良の銀行は預金がなければとるのに保証人が要《い》るかも知れぬという話で、その保証人に頼《たの》むつもりだった。  「すぐ行くから先へ行ってたまえ。なかなか手間どるから」  友のKはあとからオートバイで行くと言い、彼は一ト足先へ出る。公園をぬけて行く。鹿《しか》が沢《たく》山《さん》遊んでいた。もう見物の人々でそこらは賑《にぎ》わっていた。下りで俥は気持よく三《さん》条《じよう》通《どお》りを走った。  「裏書きをして下さい。しかし銀行渡《わた》しになっていますから、今すぐというわけには行きませんよ」  そう言われた。  十時の汽車までにわずかしかなかった。Kが来た。  「実は今日T君が来るんだが……」彼は苦笑した。四十越《こ》した彼は女のためにこんなにして友を煩《わずら》わし、京都からわざわざ出て来る友を承知で、なお出かけずにいられない自身を恥《は》じる気持で弱った。皮肉を言うことの好きなKではあるが、Kがその時それを少しも出さないのを彼はありがたく思った。彼はその日女と約束をしていたわけではなかった。女は二十日《はつか》までは来るなと言っていた。彼はそれを女の一種のヴァニティー《*》だと解していた。彼が来ないことを他人に言われた時、女は二十日まで来るなと自分が言ってあるゆえに来ないのだと言いたいために、そんなことを言ったのだろうと解していた。実際彼は二十日までは出られそうもないと自身も思い、むこうも思っていたために、むこうはそう言い、彼もそれを承知したのである。しかし、彼は二、三日前からその人間に甚《ひど》く会いたくなった。夜ふと眼《め》を覚《さ》ます。すぐその人間のことが頭に飛びついて来る。そして離《はな》れない。彼は夜幾《いく》たびか眼をさまし、そのたび、暫《しばら》くはねつかれずにいた。彼は二、三日その寝《ね》不《ぶ》足《そく》から頭を疲《つか》らしていた。  とにかく、行こう。Tは十六、七日に来ると言っていたのだが、彼は十六日とだけ聞き、昨日一日そのつもりで待っていた。そして来ないと分ってから十六、七日と言っていたということを聞き、今日でなければ十七日だということを知ったが、心に決めた京都行きを一日延ばすことは気持の上で容易でなかった。  「どうしようかな」  「…………」  「止《や》めよう」  「…………」  Kは黙《だま》っている。Kはすすめもせず、止めもしない。しかも少しも冷《れい》淡《たん》でないことを彼は嬉《うれ》しく思った。  「金はあるかい?」彼は自分の財《さい》布《ふ》が汽車賃だけもあやしく、むこうから借りて来るのも厭《いや》な気持から、そうKに訊《き》いた。  「ないな。……いや、あるかな」  Kはポケットから財《さい》布《ふ》を出して調べた。十円札が四枚あった。彼はその三枚を取って、小切手をKに渡《わた》し、あとを頼《たの》んで俥《くるま》に乗った。  木《き》津《づ》で牛乳を一トびん取って三分の一ほど飲んだ。彼は手帳を出し、その日明け方に見た夢《ゆめ》をそれに書いた。子供らしい変な夢で、しまいに赤い一団の炎《ほのお》が自分の懐《ふところ》に飛び込むところで驚《おどろ》いて身を反《そ》らし、(実際床の中で烈《はげ》しく身を反らして)眼《め》を覚《さ》ました。その夢を初めから書いた。一時間ほどかかった。  外国人が四人——その一人は女——が乗っていて、よく喋《しやべ》り続けた。箱《はこ》根《ね》宮《みや》の下《した》の多分写真屋だろうと思う男が、それらの外国人に話しかけ、いろいろなことを説明していた。  京都で降りると彼はすぐ東《ひがし》山《やま》の宿に行った。宿の女将《おかみ》は驚いたような顔をして、今朝《けさ》、この長《なが》火《ひ》鉢《ばち》の傍《そば》に彼が坐《すわ》っている夢を見た。朝の夢は当るというが不思議なものだと言いながら、起《た》ってその人の家に電話をかけた。  「嵯《さ》峨《が》の? ふん、嵯峨の何どす? ツキキ亭《てい》? ふーん。——電話の番号お知りしまへんか? そうどっか……」  いないということが分ったが、彼は別に落《らく》胆《たん》もしなかった。電話を断《き》って、女将《おかみ》は火《ひ》鉢《ばち》の向うに坐《すわ》り、煙管《きせる》を取り上げ、  「嵯《さ》峨《が》のツキキ亭《てい》いうたらどこやろ。あまり聞かん名やな」と言った。  「そりゃあ、奈良の月《つき》日《ひ》亭《てい》だろう」  「そやろか。——ああそうかも知れまへんえ」  女将はまた起《た》って電話をかけ直した。矢張り奈良の月日亭だった。彼は笑った。無理算段をして来て見れば、行き違《ちが》いに奈良にいっていることが腹からおかしかった。  「〇〇さんとお客さんと九時十何分たらいうので行った、いうてどうしたえ。てれこや《*》な」女将もそれほど気の毒がる風はなかった。  「それは九時五十分発だ。僕は十時に奈良を出たのだ。君が夢《ゆめ》を見てくれても肝《かん》心《じん》のお清《きよ》さんが見なければ何にもならない」  「ほんまにいな。お門《かど》違いや」女将は甲《かん》高《だか》い声で笑った。彼も一緒《いつしよ》に笑った。  「そんなら帰る」  「ほんまに、つまらんことどしたな。ほしたら何《い》日《つ》おいでやす」  「あした来よう」  「あした。きっと来ておくれやしや。やっぱり今ごろどすか」  「今ごろ——もしかしたらちょっと寄る所があるから三十分くらい遅《おく》れるかも知れない」  「……しかし帰りは何時になるやろな」  「今すぐ電話をかけても五時でなくちゃ帰れないね」  「ふーん」  「奈良へ帰って電話をかけてやろうかな」  「男はんの声やったら、お清どんのことどすさかい、困らはるかもわかりまへんえ。誰《だれ》ぞ女御《おなご》はんの声でかけておもらいたらええ」  「そんなこと、頼《たの》む奴《やつ》はないよ」  彼はすぐ奈良へかえることにした。そうすれば久しぶりで会うTともゆっくり会えるし、もしまた道でちょっとでもあの人間に会えれば自分は満足できる気持になっていた。彼は自身が案外その女を愛していることを感じ、愉《ゆ》快《かい》に思った。  その家を出て、町でちょっと買物をして、すぐ京都駅から一時半の汽車にのった。  汽車の中で読むつもりで買って来た翻《ほん》訳《やく》本《ぼん》を読む。すぐ睡《ねむ》くなって彼は眠《ねむ》った。  長《なが》池《いけ》あたりで眼を覚《さ》ます。同じ客車に六十近い半白の老人とその細君らしい二十三、四の眉《まゆ》毛《げ》を剃《そ》り落した女とがいた。その二人と彼と、他《ほか》に、片《かた》眼《め》にすっかり繃《ほう》帯《たい》をした若い男とがいた。  細君は大《おお》柄《がら》な体格からいって、彼のお清に似ていた。しかし印象的に来るその性質は全く異《ちが》って見えた。お清には男のようなところがあった。彼との関係で自身が冷《れい》淡《たん》であるということを他《ひと》に見せたい気があった。自身は何とも思っていない。が、彼の方で自分を好いているのだ。こう言いたい気があった。「えらそうな顔して、すかんたらしい《*》人やと思うた」こんなことを言った。「思うて、それでどうしたんだ」と彼が言うと、女は返事をしなかった。  彼は女の自分に対する言葉や動作を女の自分に対する気持と見るよりは女の性格として見る傾《かたむ》きがあった。これは彼がすでに年寄りらしい心境に入りかけたことを語るものだった。彼には或《あ》る子供らしさも残っていたが、或る事には自分でも思いがけなく年寄り染《じ》みた余《よ》裕《ゆう》を持てることがよくあった。彼は今年四十三歳《さい》だった。その女は今年二十歳《はたち》だった。しかし外見は二十五、六歳に見える女だった。  客車の中で見た女がお清とはかなり異《ちが》った態度でその年寄った男に対しているのを彼は興味を持って眺《なが》めていた。女の気持は絶えず老人の気持を追っていた。あたかも忠実な飼《かい》犬《いぬ》がその主人から眼《め》を離《はな》さないように絶えず何らかの注意を払《はら》っていた。  彼の想像によれば老人は近く年寄った妻に亡くなられた。そして老人は家にいた善良な若い女中と関係した。それが今の若い細君である。こんなことが考えられた。七分通りこの想像は当っていそうな気がした。  若い細君が頻《しき》りに何か話しかけるのに老人は言葉少なに応じながら、その眼で女をいたわっていた。細君は良人《おつと》としてよりも父として甘《あま》えるような気持を見せながら絶えず老人に注意していた。見て、いじらしい気がした。  奈良でその夫婦は降りた。彼は二人より先に改札口を出た。  停《てい》車《しや》場《ば》前の茶店から月《つき》日《ひ》亭《てい》に電話をかけて見ようか、どうしようか、ちょっと彼は迷っていた。が、ふともしかしたらTがこの汽車で来はしまいかという気がしたので、そこに立って出て来る人々を暫《しばら》くながめていた。  彼方《むこう》からTがいつもの癖《くせ》で幾《いく》らか身体《からだ》を左右に揺《ゆ》する加減にして人々の間を縫《ぬ》って来るのを見ると、彼は矢張りその予感があたったと思った。  二人は込み合う三《さん》条《じよう》通《どお》りを話しながら歩いた。彼は今日の京都行きを正直に言うのが面《めん》倒《どう》な気がした。それで、「ちょっと用があって……」とか、「銀行まで用があって」など曖《あい》昧《まい》に言った。  彼は歩きながらまた、もしかしたらお清にも会うかも知れないという気がしていた。  「近いのはこっちから行くのが近いんだが、まっすぐにいって見ようか。——それが一番分りやすい道なんだ」彼はこの地に引き移って、Tは初めて来たのだ。  猿《さる》沢《さわ》の池から石《いし》子《こ》詰《づ》めの《き》旧《ゆう》蹟《せき》と《*》いう所を通り、一の鳥居の近くまで来ると、果して、彼はむこうから来る〇〇とお清とその客らしい男の姿を認めた。第一にお清がいつも見るとははるかに醜《みにく》い顔をしていることにちょっと驚《おどろ》いた。変に角張った、ゆがんだような不《ふ》愉《ゆ》快《かい》な顔をしていた。傘《かさ》なしに西日を受けていたためかも知れないが、とにかくそれは醜い顔だった。道《みち》傍《ばた》の鹿《しか》の角きりの玩具《おもちや》を売る大道店のその玩具を見ながら歩いている。  客は〇〇の関係者であろうと彼は思った。夏外《がい》套《とう》を着た若い男で、〇〇とどこか似たところのある顔をしていた。その客だけが見ている彼の方をちょっと見たが、お清も〇〇も全く彼には気づかずにいた。彼と並んで歩いているTも何事も気づかぬ風だった。  彼は女が奈良に来たことに何かしら自分のいる土地ゆえという気でもありそうな気がしていたが、お清のその顔を見ると、それが自分の馬鹿《ばか》馬鹿《ばか》しいイリュージョン《*》だということを想《おも》わされた。お清に多少でも彼のいる土地という気があれば彼とのわずか二、三間のへだたりのこの擦《す》れ違《ちが》いを見《み》逃《のが》すはずはないと思われた。お清にはそういう気はなかったのだと彼は思い、腹で苦笑した。が、それはお清の冷《れい》淡《たん》からか、それとも彼女の気持にデリカシー《*》がないためか、いずれかと思った。両方だろう。少くとも冷淡ばかりではないだろうと考え、彼はひとり苦笑した。  しかしいかに醜《みにく》い顔にしろ、ささやかなるイリュージョンを破られたにしろ、彼は彼女に会ったということだけでしごく満足していた。  「ここから曲って行こうか……」彼は現金に擦れ違うとすぐ言った。そして一の鳥居から曲り、四《し》季《き》亭《てい》の下から、築《つい》土《じ》の塀《へい》について行く時には我ながらおかしいほど快活な気分になって、この間そこの鷺《さぎ》池《いけ》で活動のロケーションがあり、強い若《わか》侍《ざむらい》に投げ込まれた悪者の一人が本《ほん》統《とう》に溺《おぼ》れかけたことを面白おかしく話しながら歩いていた。 濠《ほり》端《ばた》の住まい  一ト夏、山《さん》陰《いん》松《まつ》江《え》に暮《くら》したことがある。町はずれの濠《ほり》に臨《のぞ》んだささやかな家で、独《ひと》り住まいには申し分なかった。庭から石段ですぐ濠になっている。対岸は城の裏の森で、大きな木が幹を傾《かたむ》け、水の上に低く枝《えだ》を延ばしている。水は浅く、真《ま》菰《こも》が生え、寂《さ》びた工合、濠と言うより古い池の趣《おもむき》があった。鳰鳥《におどり》が始終、真菰の間を啼《な》きながら往《ゆ》き来《き》した。  私はここでできるだけ簡素な暮しをした。人と人と人との交《こう》渉《しよう》で疲《つか》れ切った都会の生活から来ると、大変心が安まった。虫と鳥と魚と水と草と空と、それから最後に人間との交渉ある暮しだった。  夜晩《おそ》く帰って来る。入口の電《でん》燈《とう》に家《や》守《もり》が幾《いく》疋《ひき》かたかっている。この通りでは私の家だけが軒《けん》燈《とう》をつけている。で、近所の家守が集まって来る。私はいつも頸《くび》筋《すじ》に不安を感じ、急いでその下を潜《くぐ》る。これは虫でも、ありがたくない方の交渉だが、その他《ほか》、私がもしも電燈をつけ忘れてでもいれば、いろいろな虫が座《ざ》敷《しき》の中に集まっていた。蛾《が》や甲《かぶと》虫《むし》や火取り虫が電燈の周《まわ》りに渦《うず》巻《ま》いている。それを覗《ねら》う殿《との》様《さま》蛙《がえる》が幾《いく》疋《ひき》となく畳《たたみ》の上に蹲《うず》踞《くま》っている。それらは私の跫《あし》音《おと》に驚《おどろ》いて、濠《ほり》の方へ逃《に》げて行くが、柱にとまった木《こ》の葉《は》蛙はできるだけ体を撓《ね》じ屈《ま》げ、金色の眼《め》をクリクリ動かしながら私という不意な闖《ちん》入《にゆう》者《しや》を睨《にら》みつけている。実際私は虫の棲《すみ》家《か》を驚かした闖《ちん》入《にゆう》者《しや》に違《ちが》いなかった。  私は一ト通り虫を追い出し、この座《ざ》敷《しき》を自身のものに取り返す。そして、書きものを始める。明け方、疲《つか》れ切って床へ入る。濠《ほり》では静かな夜明けを我がもの顔に鯉《こい》や鮒《ふな》が騒《さわ》いでいる。ちょうど産卵期で、岸でそれらは盛んに跳《は》ね騒いだ。私はその水音を聴《き》きながら眠《ねむ》りに落ちて行く。  十時。私はもう暑くて寝《ね》ていられない。起きると庭つづきの隣《となり》のかみさんが私のために火《ひ》種《だね》を持って来る。七《しち》厘《りん》はいつも庭先の酸《す》桃《もも》の木の下に出しっぱなしにしてある。かみさんは勝手に台所から炭を持って来て、それで火をおこし、薬鑵《やかん》をかけて帰って行く。私は床をあげ、井《い》戸《ど》端《ばた》で顔を洗い、身体《からだ》を拭《ふ》いてから食事の支度《したく》にかかる。パンとバタと——バタはこの県の種《しゆ》畜《ちく》牧場でできる上等なのがあった。——紅茶と生《なま》の胡《きゆ》瓜《うり》と、時にラディシ《*》の酸《す》漬《づ》けができている。  前に私は尾《お》の道《みち》に独《ひと》り住まいをして、その時は初めて自家《うち》を離《はな》れた淋《さび》しさから、なるべく居心地《いごこち》よく暮《くら》すために、日常道具を十二分に調《ととの》えた。しかし実際はそれらを少しも使わなかった経験から、今度はできるだけ簡素にと心《こころ》掛《が》けた。  食器はパンと紅茶に要《い》るもの以外何もなかった。もし客でもあると、瀬《せ》戸《と》ひきの金《かな》盥《だらい》で牛肉のすき焼をした。別にきたないとは感じなかった。かえってそれを再び洗面器として使う時の方がきたなかった。一つバケツで着物を洗い、食器を洗った。馬鈴薯《じやがいも》を洗面器で茹《ゆ》でる時、台所のあげ板を蓋《ふた》にした。  私が寝ている間に釣《つり》好きの家《や》主《ぬし》がよく鮒《ふな》や鯉《こい》を釣《つ》って行った。私のために七、八寸の大きな鮒《ふな》を鰓《えら》から糸を貫《とお》し、犬でも繋《つな》ぐようにして濠《ほり》へ放しておいてくれることがある。私はそれを刻んで隣《となり》の鶏《にわとり》にやる。  となりは若い大《だい》工《く》の夫婦で、しかし本業は暇《ひま》らしく、副業の養《よう》鶏《けい》の方を熱心にやっていた。庭に境がなく、鶏は始終私の方にも来ていた。鶏の生活を丁《てい》寧《ねい》に見ているとなかなか興味があった。母《おや》鶏《どり》のいかにも母親らしい様子、雛《ひな》鶏《どり》の子供らしい無《む》邪《じや》気《き》の様子、雄《おん》鶏《どり》の家長らしい、威《い》厳《げん》を持った態度、それらが、いずれもそれらしく、しっくりとその所に嵌《はま》って、一つの生活を形作っているのが、見ていて愉《ゆ》快《かい》だった。  城の森から飛びたつ鳶《とび》の低く上を舞《ま》うような時に、雌《めん》鶏《どり》、雛どりなどの驚《おどろ》きあわてて、木のかげ、草の中に隠《かく》れる時、独《ひと》り傲《ごう》然《ぜん》とそれに対《たい》抗《こう》し、興奮しながらその辺を大《おお》股《また》に歩き回っているのは雄《おん》鶏《どり》だった。  小さい雛たちが母《おや》鶏《どり》のする通りに足で地を掻《か》き、一ト足下って餌《えさ》を拾う様子とか、母鶏が砂を浴び出すと、揃《そろ》ってその周《まわ》りで砂を浴び出す様子なども面白かった。ことに色の冴《さ》えた小さい鳥《と》冠《さか》と鮮《あざや》かな黄色い足とを持った百日雛の臆《おく》病《びよう》で、あわて者で、敏《びん》捷《しよう》でいかにも生き生きしているのを見るのは興味があった。それは人間の元気な小《こ》娘《むすめ》を見るのと少しもかわりがなかった。美しいよりむしろ艶《つや》っぽく感ぜられた。  縁《えん》に胡坐《あぐら》をかき、食事をしていると、きまって、熊《くま》坂《さか》長《ちよう》範《はん》と《*》いう黒い憎《にく》々《にく》しい雄鶏が五、六羽の雌《めん》鶏《どり》を引き連れ、前をうろついた。熊坂は首を延ばし、ある予期を持って片方の眼《め》で私の方を見ている。私がパンの片《きれ》を投げてやると、熊坂は少し狼狽《あわて》ながら、頻《しき》りに雌鶏を呼び、それを食わせる。そしてあいまに自身もその一ト片《きれ》を呑《の》み込んで、けろりとしていた。  ある雨風の烈《はげ》しい日だった。私は戸をたてきった薄《うす》暗《ぐら》い家の中で退《たい》屈《くつ》し切っていた。蒸し蒸しとして気分も悪くなる。午後到《とう》頭《とう》思いきって、靴《くつ》を穿《は》き、ゴムマントを着、的《あて》もなく吹き降りの戸外へ出て行った。帰り同じ道を歩くのは厭《いや》だったから、私は汽車みちに添《そ》うて、次の湯《ゆ》町《まち》という駅まで顔を雨に打たし、我《が》武《む》者《しや》羅《ら》に歩いた。雨は骨まで透《とお》り、マントの間から湯気がたった。そして私の停《てい》滞《たい》した気分は血の循《じゆん》環《かん》とともにすっかり直った。  途《みち》々《みち》見た貯水池の睡《すい》蓮《れん》が非常に美しかった。森にかこまれた濡《ぬれ》灰《ばい》色《いろ》の水面に雨に烟《けぶ》ってぼんやりと白い花がぽつぽつ浮んでいる。吹き降りに見る花としてはこの上ないものに思われた。  湯町から六、七町入った山の峡《はざま》に玉《たま》造《つくり》という温泉があるが、その時ちょうど、帰るにいい汽車が来たので、私はそのまま引きかえした。  松《まつ》江《え》の殿《との》町《まち》という町の路地の奥《おく》に母《おや》子《こ》二人ぎりでやっている素人《しろうと》下宿がある。私はいつもその家で夜の食事をしていた。帰途《かえり》、その家へ寄る。  日が暮《く》れると雨は小降りになった。  暫《しばら》くして浴衣《ゆかた》と傘《かさ》と足《あし》駄《だ》とを借り、私がその家を出たころには風だけでもう雨は止《や》んでいた。昼の蒸し蒸しした気候から急に涼《すず》しい気持のいい夜になっていた。物産陳《ちん》列《れつ》場《ば》の白いペンキ塗《ぬ》りの旧式な洋館の上に青白い半かけの月がぼんやり出ていた。切れ切れな淡《あわ》い雲が一方へ一方へ気《き》忙《ぜわ》しく飛ばされて行く。  いいくらいの疲《ひ》労《ろう》と満腹とで私は珍《めずら》しくゆったりした気分になっていた。これから仕事で夜を明かすには惜《お》しい気分だった。気楽な本でも読みながら安楽に眠《ねむ》りたい気分だ。  私は帰ると、床をのべ、横になった。誂《あつら》え向きの読物もなく、読みかけの翻《ほん》訳《やく》小説に眼《め》をさらし、すぐ眠るつもりだったが、さて、毎夜の癖《くせ》で眠ろうと思うとかえって眼が冴《さ》え、なかなかねつかれなかった。  私はその小説をどのくらい読んだろう。その時不意に隣《となり》の鶏《にわとり》小屋で気《けた》魂《たま》しい鶏の啼《な》き声とともに何か箱の中で暴《あば》れる音と、そして大工夫婦が何か怒《ど》鳴《な》りながら出て来るのを聴《き》いた。私は枕《まくら》から首を浮かし、耳を澄《す》ました。鼬《いたち》か猫《ねこ》かがかかったに違《ちが》いないと思った。物音はすぐやみ、雌《めん》鶏《どり》のコッコッと啼く声だけがしていた。夫婦はそこで立ち話をしていたが、それも少時《しばらく》して家へ入り、あとはまた元の静かさに返った。まあ、鶏も無事だったのだろう、そう思い、間もなく私も眠りに就《つ》いた。  翌日は風も止《や》み、晴れたいい日になっていた。毎日のことで私が雨戸を繰《く》ると隣のかみさんはすぐ火種を持って来た。かみさんは私の顔を見るなり、  「夜《や》前《ぜん》到《とう》頭《とう》猫《ねこ》に一羽とられました」と言った。  「…………」  「母《おや》鶏《どり》ですよ。——なにネ、わが身だけなら逃《に》げられたのだが、雛《ひな》を庇《かば》って殺されたんですよ」  「可哀想《かわいそう》に……」  「あすこにいる、あの仲間の親です」  「猫《ねこ》はどうしました」  「逃《に》がしました」  「残念なことをしましたね」  「そりゃあ、今夜、きっとおとしにかけて捕《と》りますよ」  「そううまく行きますか」  「きっと捕って見せます」  雛《ひな》らは濠《ほり》のふちの蕗《ふき》の繁《しげ》みの中にみんな踞《かが》んで、不安そうに、首を並《なら》べてピヨピヨ啼《な》いていた。私が近づくと雛らはこっちへ顔を向けていたが、中の一羽が起《た》つと一斉にみんな起ち上って前のめりにできるだけ首を延ばし、逃げて行った。  「親なしでも育ちますか」  「そりゃあ」  「他《ほか》の親が世話をしないものですか」  「しませんねえ」  実際、孤《こ》児《じ》らに対し他《ほか》の親《おや》鶏《どり》は決して親切ではなかった。孤児らは見境なく、自分たちより、少し前に孵《かえ》った雛と一緒《いつしよ》になって、その母《おや》鶏《どり》の羽根の下にもぐり込もうとした。母鶏はそのたび神経質にその頭や尻《しり》をつついて追いやった。孤児らは何かに頼《たよ》りたい風で、一団となり、不安そうにその辺を見回していた。  殺された母鶏の肉は大工夫婦のその日の菜《さい》になった。そしてそのぶつぎりにされた頬《ほお》の赤い首は、それだけで庭へほうり出されてあった。半開きの眼《め》をし、軽く嘴《くちばし》を開いた首は恨《うら》みを呑《の》んでいるように見えた。雛《ひな》らは恐《おそ》る恐るそれに集まるが、それを自分たちの母《おや》鶏《どり》の首と思っているようには見えなかった。ある雛は断《き》り口《くち》の柘榴《ざくろ》のように開いた肉を啄《ついば》んだ。首は啄まれるたび、砂の上で向きを変えた。私は今晩猫《ねこ》がうまく穽《おとし》にかかってくれるといいがと思った。  その夜《よ》、晩《おそ》く到《とう》頭《とう》猫は望み通り穽にかかった。起きて来た大工夫婦は、興奮した調子で何かしゃべりながら、穽に使った箱を上から、なお厳重に藁《わら》縄《なわ》で縛《しば》り上げた。  「こうしておけばもう大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》だ。あしたはこのまま濠《ほり》へしずめてやる」こんなことを言っているのが聴《きこ》えた。  大工夫婦は家へ入った。私はそれからも独《ひと》り書き物をしていたが、箱の中で暴れる猫の声がやかましく、気になった。今《こ》宵《よい》一ト夜の命だと思うと可哀想《かわいそう》でもあるが、どうも致《いた》し方ないとも思われた。  猫は少し静かにしていると思うと、また急に苛《いら》立《だ》ち、ぎゃあぎゃあと変な声を出して暴れた。がりがりと箱を掻《か》く音がうるさい。しかしそれも到《とう》底《てい》益ないと思うと、今度はみょうみょうといかにも哀《あわ》れっぽい声で嘆《たん》願《がん》し始める。猫は根気よくそういう声を続けているが、その内私もだんだんそれに惹《ひ》き込まれ、助けられるものなら助けてやりたい気持になった。  猫はさんざんそれを続けた上で、なおその効《かい》がないと知ると絶望的な野《や》蛮《ばん》な声を張り上げて暴れ出す。それらを交《こう》互《ご》に根気よく繰《く》り返した末に、結局何も彼《か》も念《おも》い断《き》った風に静かになってしまった。  私は現在そこに息をしているものが夜明けとともに死《し》物《ぶつ》と変えられてしまうことを想《おも》うといい気がしなかった。この静かな夜《よ》更《ふ》け、覚《さ》めている者といっては私とその猫《ねこ》だけだった。その一つの生命があしたは断たれる運命にあると思うと淋《さび》しい気持になる。猫が鶏《とり》をとるのは仕方がないではないか。ことに浮《ふ》浪《ろう》者《しや》の猫が、それを覗《ねら》うのは当りまえのことだ。さればこそ、鶏《とり》を飼《か》う者はそれだけの設備をして飼っている。たまたま、強雨で、箱の蓋《ふた》を閉《し》め忘れたために襲《おそ》われたということは、猫が悪いよりも、忘れた者の落ち度と見る方が本《ほん》統《とう》なのだ。特別の恩《おん》典《てん》をもって今度だけは逃《に》がしてやるといいのだ。私は昼間雛《ひな》らを見ていた時とだいぶ異《ちが》った気持でそんなことを思った。  しかし、事実はそれに対し、私は何事もできなかった。指一つ加えられないことのような気がするのだ。こういう場合私はどうすればいいかを知らない。雛も可哀想《かわいそう》だし母《おや》鶏《どり》も可哀そうだ。そしてそういう不幸を作り出した猫もこう捕《とら》えられて見ると可哀そうでならなくなる。しかも隣《となり》の夫婦にすれば、この猫を生かしておけないのはあまりに当然なことなので、私の猫に対する気持が実際、事に働きかけて行くべくは、そこに些《さ》の余地もないように思われた。私は黙《だま》ってそれを観《み》ているより仕方がない。それを私は自分の無《む》慈《じ》悲《ひ》からとは考えなかった。もし無慈悲とすれば神の無慈悲がこういうものであろうと思えた。神でもない人間——自由意思を持った人間が神のように無慈悲にそれを傍《ぼう》観《かん》していたという点であるいは非難されれば非難されるのだが、私としてはその成行きが不《ふ》可《か》抗《こう》な運命のように感ぜられ、一指を加える気もしなかった。  翌日、私が眼《め》覚《ざ》めた時には猫《ねこ》はすでに殺されていた。死《し》骸《がい》は埋《う》められ、穽《おとし》に使った箱は陽《ひ》なたで、もう大《たい》概《がい》乾《かわ》かされてあった。 転 生 一  ある所に気の利《き》かない細君を持った一人の男があった。男は細君を愛してはいたが、その気が利かないことではよく腹を立て、癇《かん》癪《しやく》を起し、意地悪い叱《こ》言《ごと》を続けざまにいって細君を困らした。そのたび、細君は自身のその性質を嘆《なげ》き、愚《ぐ》痴《ち》を言った。  「貴方《あなた》は私のような気の利かない奥さんをお貰《もら》いになったことを心では後《こう》悔《かい》していらっしゃるでしょう? きっとそうに違《ちが》いない」  「うん。後悔している」  「本《ほん》統《とう》に?」  「本統に。しかし今さら後悔しても追っつかないと諦《あきら》めているよ」  「私、それがいやなの。それがいやなのよ」と細君は泣く。 二  「女というものは全く度し難《がた》いけだものだ」  ある日良人《おつと》は癇《かん》癪《しやく》まぎれにこんなことを思った。  それから暫《しばら》くして幾《いく》らか機《き》嫌《げん》が直ったところで、彼はまたこんなことを思った。  「しかし同じけだものを飼《か》うなら、とにかくドメスティック《*》なけだものの方が無難でいい。随《ずい》分《ぶん》野《や》獣《じゆう》を飼っている男もあるのだから。中には猛《もう》獣《じゆう》を飼っている人さえあるのだから、猛獣使いで暮《くら》すよりは、豚《ぶた》飼《か》いの方が安《あん》気《き》でいいのだ。そう諦《あきら》めるより仕方がない」  こう思って彼は自分を慰《なぐさ》めた。彼は女性解放というようなことも黒《こく》奴《ど》解放以上には解していない男であった。 三  類は友を呼ぶの譬《たと》えに洩《も》れず、来る女中来る女中、皆《みんな》気が利《き》かなかった。することすべてが彼の思う壺《つぼ》を外《はず》れた。が、彼の機嫌のいい時はそれでもよかった。しかし一たん虫の居《い》所《どころ》が悪いとなると、自分でも苦しくなるほど、彼には叱《こ》言《ごと》の種が眼《め》の前に押《お》し寄せて来た。そういう時彼は加速度に苛《いら》々《いら》し癇癪を起し、自分で自分が浅《あさ》間《ま》しくなるのであった。  「すべてに馬《ば》鹿《か》さの感じが、漲《みなぎ》ってるじゃないか。家じゅうが馬鹿さの埃《ほこり》で一《いつ》杯《ぱい》だ。眼も口も開《あ》いてられやしない」こんな風に見《み》得《え》も振《ふ》りもなく怒《ど》鳴《な》り散らした。  「また、出家遁《とん》世《せい》ですか」  「本《ほん》統《とう》に俺《おれ》は旅行するから、すぐ支度《したく》をしてくれ」  「お株が始まりましたネ」  「すぐ支度《したく》してくれ」  「何をそんなに怒《おこ》っていらっしゃるの? 何もそれほどお怒りになることないじゃありませんか。何がいけないの?」  「一から十までいけないんだ。十から百までいけないんだ」  子供から寝《ね》起《お》きの悪い良人《おつと》は朝飯の食《しよく》卓《たく》でよくこういう癇《かん》癪《しやく》を起した。空腹だと一層それが烈《はげ》しかった。 四  「つまり貴方《あなた》があんまりお利口過ぎるのね」  ある朝良人が珍《めずら》しく機《き》嫌《げん》のいい時、細君は笑いながらこんなことをいった。  「お前が馬《ば》鹿《か》過ぎるんだよ」  「そう? そんなら私も今度はできるだけ利口に生れて来ますからね、貴方ももう少し馬鹿に生れて来て頂《ちよう》戴《だい》よ。釣《つり》合《あ》いがとれないからね」  「人間に生れて来たんじゃあ、いつまで経《た》っても同じことだよ。女の馬鹿は昔から通り相場だ」  「人間でなく、何がいいの?」  「豚《ぶた》かね?」  「貴方さえおつき合い下さるなら……」細君は笑った。  「豚《ぶた》は御免蒙《こうむ》ろう」  「一番夫婦仲のいい動物は何なの?」  「何かな。狐《きつね》なんかいいということだ。樺《から》太《ふと》の養《よう》狐《こ》場《じよう》の話でそんなことを読んだことがある。しかも厳格に一《いつ》夫《ぷ》一婦だそうだ」  「感心ですわね。大変いいことですわ」  その時良人《おつと》は一夫多妻主義の動物は何か、と考えていた。しかしそれは口に出さず、  「狐も俺《おれ》はいやだよ」と言った。  「それじゃあ何がいいの? 他《ほか》に夫婦仲のいい動物あって?」  「鴛《おし》鴦《どり》かな? えんおうの契《ちぎ》り《*》で」  「鴛鴦は綺《き》麗《れい》でいいわ」  「ただし綺麗なのは雄《おす》だけだが、それでもいいかね?」  「結構ですわ。それじゃあそういうことに今からお約束しておきますよ。忘れちゃあいけませんよ」  「忘れるのはお前だ。間《ま》違《ちが》えて家鴨《あひる》なぞに生れて来ると取り返しがつかないよ」  「まさか」  「まさかなものか。あり勝ちなことだ」 五  さて、これからがお伽《とぎ》噺《ばなし》になる。何十年か経《た》ってこの口やかましい良人《おつと》は一生細君に叱《こ》言《ごと》の言いつづけ、癇《かん》癪《しやく》の起し続けで、目出たく死んでしまった。  細君は一方ほっともしたが、叱言ももう聞けないことかと思うと流石《さすが》に淋《さび》しい気持になった。細君は一層耄《もう》碌《ろく》した。そして死ぬさえ忘れたかのように気楽にそれからしばらく生きていた。  死んだ良人は約束通り鴛《おし》鴦《どり》に生れ変って、細君の死ぬのを待っていた。彼は細君が暢《のん》気《き》らしくいつまでも生きているのを相変らずだと思った。彼は一緒《いつしよ》に外出する機《おり》、よく門の外でながく待たされたことなどを憶《おも》い出していた。 六  何年かして細君の方も到《とう》頭《とう》死んだ。そしていよいよ生れ変る時が来たが、何に生れ変るのか、それを忘れてしまった。鴛《おし》鴦《どり》だったかしら、狐《きつね》だったかしら、それとも豚《ぶた》だったかしらと考えた。豚でないことは確かに思えたが、鴛鴦か狐かが分らなくなった。細君にはどうも鴛鴦だったように思えた。しかし日ごろ良人が口《くち》癖《ぐせ》のように言っていることを憶《おも》い出した。「迷《まよ》う二つの場合があると、お前はきっといけない方を選ぶ。たまにはまぐれにもいい方を選びそうなものだが、宿命的に間《ま》違《ちが》いを選ぶのは実に不思議だよ」  これを憶い出すと細君はなお迷《まよ》わずにはいられなかった。自身が鴛鴦だったように思うところにその宿命の落し穴があるに違いない、これは逆に狐を選ぶ方がかえって間違いないだろう。そう考えて、とうとう狐に生れ変ってしまった。 七  女《め》狐《ぎつね》は森から森、山から山と良人《おつと》を尋《たず》ね歩いた。しかしなかなか出会うことはできなかった。そしていよいよ尋ねあぐみ、ある山《やま》奥《おく》に来た時に、その時はすでに三日も餌《えさ》にありつかず、疲《ひ》労《ろう》からほとんど昏《こん》倒《とう》するばかりになっていたが、はるか下の方に流れの音を聞くと、せめて水なりと飲んで一時をしのごうと、力の抜《ぬ》けた足を踏《ふ》みしめ踏みしめよろよろとその方へ降りて行った。  良人の鴛《おし》鴦《どり》は清い渓《けい》流《りゆう》に独《ひと》り淋《さび》しく暮《くら》していた。彼は今も潭《たん》をなす水面からちょっと頭を出している一つの石の面《めん》に片足で立ち、うつらうつらしていると、ふと何か自身に近づくもののあるのに気が付いた。彼は驚《おどろ》いて飛び立とうとした。が、同時にそれが待ちに待った細君であることに気付くと二度吃驚《びつくり》し、思わず叫《さけ》んで、その傍《そば》へ飛んで行った。  女狐も驚いた。しかし今はあまりの喜びと空腹とから、彼《か》の女《じよ》はそのままそこに意気地なく這《は》いつくばってしまった。  さて、両方で顔を突《つ》き合して見て、初めてその大変な間《ま》違《ちが》いに驚き呆《あき》れた。  良人は女狐の臭《しゆう》気《き》にむせ返りながら、それでもすぐ持ち前の癇《かん》癪《しやく》を起し怒《ど》鳴《な》り出した。  「何という馬《ば》鹿《か》だ!」 八  女《め》狐《ぎつね》は泣く泣く自身の思い違《ちが》いを詫《わ》びた。しかしいくら詫びたところで、またよし良人《おつと》がそれを赦《ゆる》したところで、もう追いつかなかった。  良人の鴛《おし》鴦《どり》は頭の毛を逆《さか》立《だ》て、羽《は》搏《ばた》きをしながら怒《おこ》っている。女《め》狐《ぎつね》の方は詫びも詫びだが、空腹と疲《ひ》労《ろう》から意識も絶え絶えに言葉さえはっきりとは口に出なくなった。眼《め》の前で怒《ど》鳴《な》り散らしているおしどりは良人には違《ちが》いなかったが、少し意識がぼんやりして来ると、それ以上にこの上ない餌《え》食《じき》に見えて仕方なかった。要領の悪いところから兎《うさぎ》にも野《の》鼠《ねずみ》にも逃《に》げられ通して来た細君には一層その感が深かった。しかしこれは餌食ではないぞ、大事な大事な良人だぞと心に繰《く》り返して我慢しているのだが、良人の叱《こ》言《ごと》はあまりに執拗《しつこ》かった。  今はどうにも堪《た》えられなくなった。女狐は一ト声何か狐の声で叫《さけ》んだと思うと不意におしどりに飛びかかり、たちまちの内にそれを食い尽《つく》してしまった。——という話である。  これは一名「叱《こ》言《ごと》の報い」という大変教訓になるお伽《とぎ》噺《ばなし》である。    「それは口やかましい良人に対する教訓なのですか」  「そうです」  「気の利《き》かない細君の教訓にもなりますね」  「そうですか」  「叱言を言われてもその細君が良人を愛している場合には……」  「なるほど」  「これは貴方《あなた》の御家庭がモデルなのでしょう」  「飛んでもないことです。私の家内は珍《めずら》しい気の利《き》いた女です。私とても至って温厚な良人《おつと》です。私の家庭では叱《こ》言《ごと》の声など聞くことはできません。文芸春秋という雑誌に私の名で家内安全の秘法を授く、と広告が出ていたくらいです」 プラトニック・ラヴ  戸外《そと》は毎日吹雪《ふぶき》だ。石ころだらけの広い河《か》原《わら》の中を流れている川では波が流れに逆らっていた。その上を雪は真横に飛んだ。が、降る割には積らず、山の立木は綺《き》麗《れい》に吹き払《はら》われて、裸《はだか》で揺《ゆ》られていた。  来た当座、いささか圧《あつ》迫《ぱく》され気味で落ちつけなかった。烈《はげ》しい時は部《へ》屋《や》の中まで雪が舞《ま》い込んだ。机を据《す》えた傍《わき》の掛《かけ》障《しよう》子《じ》の破れ目からも、硝子《ガラス》戸《ど》の隙《すき》間《ま》という隙間からも小さな雪の粉が飛び込んで来た。炬《こ》燵《たつ》の上で見ている本の頁《ページ》の上にそれが落ちては消え、落ちては消えたりする時、一体が寒がりで、風邪《かぜ》を引きやすい私は、これはとても落ちついてはいられないと思った。三日ほどはそんな気持で慣れなかった。  しかし私にはラジウムの含《がん》有《ゆう》量《りよう》で世界第二位というここの湯が気に入っていた。いかにも厚味のあるトロリとした肌《はだ》ざわり、そして出てからいつまでもぽかぽか温まっている、これが見捨てかねた。それから遠《えん》慮《りよ》せず我がままをいって見ると、何でも快くしてくれる宿の居心地《いごこち》よさも見捨てかねた。ただ、大《たい》社《しや》詣《もう》で《*》の客が二タ組三組と団体で来る、その連中が毎晩芸者を呼んで騒ぐ、書きものをするものには、これだけは困ったが、もともとそういう場《ば》所《しよ》柄《がら》ゆえ、文句をいう方が無理で、しかし隣《となり》のない、割合に気持のいい座《ざ》敷《しき》にかえてもらい、夜具など今年作った軽いのに更《か》えさせ、いやがられない程度でなるべく勝手をいって気持よく過す算段をすると、だんだんには私も落ちついた来た。山鳥か野《の》鴨《がも》が食いたいというと、宿の者は三里のところをすぐ翌日取り寄せてくれた。  夜、戸外《そと》をさくりさくり音をさせながら人が通る。寝《ね》ながら聴《き》いていると、それがいかにも親しみのある落ちついた気持にさせた。  ある晩私は炬《こ》燵《たつ》に横になって、友達の書いた小説を読んでいた。雑誌の続き物で前のところは分らないが、何でも花《か》柳《りゆう》界《かい》芸人界に勢力のあった魚《うお》河《が》岸《し》の年寄りの息《むす》子《こ》が洋行する、それを大勢が東京駅に送るところが書いてあった。大変な見送人で、雑《ざつ》踏《とう》したプラットフォームは身動きさえできず、来は来ても本人のいる窓ぎわまで漕《こ》ぎつけることは容易ではなかった。そういう場所で主人公が、古《ふる》馴《な》染《じみ》の吉《よし》原《わら》芸者に会う。  「私についていらっしゃい」  「といって別にそう、たって見なければならないというお顔でもないんだけれど。なアんて悪いことばかり言って……お若ちゃん御《ご》免《めん》なさい」  「へーえ、お若さんは当時そういうことなのかい」  「えええ。よく見ててごらんなさい、もうじきポロッポロッと……」  こういうことが書いてあった。私はこの芸者を知っている。知っているせいもあるのか、これだけの会話の中に非常に明瞭《はつきり》とその女を憶《おも》い浮べた。「といってそうたって見なければならないというお顔でもないんだけど」もよく、「なアんて悪いことばかり言って……」と変るところは癖《くせ》で、私にはその顔が眼《め》に見えた。あとの「もうじきポロッポロッと……」こういって笑う痩《や》せた頬《ほお》の笑《え》くぼまでが見えるのだ。書いてないことがいやにはっきり見えるのは少し変なくらいだった。友達はこういうことは非常にうまい。うま過ぎると言われるくらいにうまいのだが、そのうまい以上に自分がその女をはっきり浮べていそうなので、何のことはない、読みながら頭で勝手に合作しているのだと思うとおかしくなった。  私は芸者にはあまり知合いのない方で、書くものにも芸者はほとんど現れないが、この芸者だけは前に長い小説の中に書いたことがある。登《と》喜《き》子《こ》という名にしているのでここでも仮りに登喜子とするが、今からいえば十七、八年前雛妓《おしやく》時《じ》代《だい》にちょっと見たことがあり、それから一、二年して若い芸者として、たびたび会ったが、その後は二年目に一度、あるいは五年目に一度という風に、むこうは「お父様には時々お眼にかかります」——これは宴《えん》会《かい》での話だが、それほど私とはかえって、疎《そ》遠《えん》の間がらだ。しかし小説では主人公がこの芸者を切《しき》りに想《おも》うことが書いてあるので、その縁《えん》故《こ》というのもおかしいが、私としては数少い芸者の知合いの中でもこの芸者だけは特に通り一《いつ》遍《ぺん》でない気持があった。事実、その小説の主人公というのは境《きよう》遇《ぐう》からいって私自身ではないのだが、人間としてはそのころの自分をモデルとし、その芸者に対する気持もある程度には本《ほん》統《とう》だった。それにも書いたように、一人《ひとり》角力《ずもう》で惚《ほ》れていたのだ。  最近では去年の春ごろだったか、その前年の秋だったか東京の個人所有の名画を見せてもらうため上京した折り、前の小説を書いた友達に連れられて行って会ったのが、これまた五、六年ぶりの登喜子であった。三十幾つか、年は知らないが、とにかく芸者としてはもう若い方ではないが、会った感じでは少しもそういう気がしなかった。矢張り美しいと私は思った。京都に住んで上《かみ》方《がた》の女ばかり見ていた眼《め》には綺《き》麗《れい》、きたない以外で惹《ひ》かれるものがあった。そして円熟とは異《ちが》うが、その女として内外共に美しさが完成されたように思えた。調和ができ、落ちついて来た。好きな役者の噂《うわさ》——どこで会ったら、こういわれた、ああいわれた、そんなことを言いたがった十八、九の時代、その時代をもし罪のない時代とすれば、それを言わなくなった今はかえって罪の深い時代なのかどうか、その辺のところは私には分らないが、とにかく信者の姐《ねえ》さんに連れられ、岡山県の金《こん》神《じん》詣《まい》りを三等列車の講中で出かけた話など、何も嫌《いや》味《み》もなしに素《す》直《なお》にするのを聴《き》いていると、進んだものだとつまらぬことに私は感服した。  帰途《かえり》、自動車の中で友は、頭の動き方が少し神経質過ぎる、長く一緒《いつしよ》にいるとこっちが疲《つか》れて来る、と言った。なるほどそういうところはあるかも知れないと私も思った。しかしそれは特にこの友達の場合強く感じられるのだろうとも考えた。絶えず言葉の応《おう》酬《しゆう》を抜《ぬ》け目なくキビキビやるこの友にはそれに違《ちが》いない。それを聴《き》きながらぼんやりしていてよかった自分には別に気にならなかったわけだと思った。そういえば、友が便所に立った一分か二分の間二人きりになった時、ちょっと窮《きゆう》屈《くつ》な気がしたことを憶《おも》い出した。そういう気分の反射し方が早いところはたしかにあると思った。それはとにかく、自分は昔ながらに淡《あわ》い気持でこの女に惚《ほ》れていると思った。淡いながらこれでもプラトニック・ラヴというものだろうと考えた。そしてこういうのもいいものだと思った。忘れていれば一年でも二年でも忘れている。憶い出せば恋《こい》人《びと》だ。それで、誰《だれ》一人迷《めい》惑《わく》する者もない。誰一人迷惑する者もないというような恋は恋としてはなはだ心細いものかも知れないが、こういう恋が価値がないという理由はない。  私たちがK侯《こう》爵《しやく》家《け》の有名な画《が》帖《じよう》である、「筆耕園」と「唐画鏡」とを見せてもらったのはそれから二、三日してからだった。その朝、私は一緒《いつしよ》に行くはずだった田《た》端《ばた》のA氏に時間を知らせる必要があったので、常に持っている手帳を出し、調べると、「田端四三五、A」その下に「浅一六六六」と書いてある。これは覚えいい番号だ。そう思いながら早速《さつそく》かけると、女の人が出た。  「はなはだ、恐《おそ》れ入りますが、Aさんの方《かた》をお呼び願いたいんですが……」自分としては物を頼《たの》む時の言葉だ。  「Aさん?」  「A・Rさんです」  「へえ。こちらではそういう方《かた》は存じませんが、全体何番へおかけになったんですか?」  「浅草の千六百六十六番です」  「千六百六十六番はこちらですが、でも、何かお間《ま》違《ちが》いじゃないんですか」  あいにく自分はその家《うち》の名前を知らなかった。しかし現在、手帳のA氏の名の下にちゃんと書いてあるんだから、どうも変だと思った。  「この番号で呼び出してくれという話だったのですが」  「御近所にA・Rさんとおっしゃる方はいらっしゃいませんがねえ」女の人は切り口上になった。こっちが執拗《しつつこ》いのでだいぶ苛《いら》々《いら》した調子だった。私は先刻《さつき》から何だか聞いた声のようにも思っていたが、そんなはずはないので……が、この時急に憶《おも》い出した。出ているのは登喜子だ。瞬《しゆん》間《かん》何も彼《か》も私は憶い出した。震《しん》災《さい》後暫《しばら》く電話が来なかったが最近ようやくかかったから書いておいてくれというので、どうせかける用のないことは分っていたが、まあいいとも言えず、開《あ》けた余白に私は何気なくそれを書いておいた。それが偶《ぐう》然《ぜん》にもA氏の番地を書いた下の余白だったのである。今さら名乗るよりはあやまる方が早かった。  「はなはだ失礼しました」おかしさを堪《こら》えてこちらも切り口上になった。  自分は笑った。間《ま》違《ちが》いだけでもおかしかったが、いかにも十五、六年持ち越《こ》して来たプラトニック・ラヴらしい間《ま》抜《ぬ》けさがおかしかった。御近所にないといって、曲《くる》輪《わ*》の中では、なるほどA氏の家はないわけだと思った。A氏の呼出し番号をきいていたのは自分ではなく京都から一緒《いつしよ》に出て来たHだったのである。  これが、私と登喜子との今のところでは最後の会話である。そしてこのつぎまた話すのはいつのことか。三年後か。五年後か。そう思っていたが私は今はからず友達の小説の中に登喜子を見出し、その言葉は聴《き》いた。私は満足した。私は友達へ端《は》書《がき》を書いた。  「吹雪《ふぶき》の山《さん》陰《いん》で会えるとは思わなかった」    結局私は毎夜の芸者の騒《さわ》ぎに辟《へき》易《えき》してここを引きあげた。東京の芸者を想《おも》いながら、ここの芸者に撃《げき》退《たい》されたわけだ。しかし私は久しぶりで雪見らしい雪見をしたことを喜んだ。汽車の窓から見る景色《けしき》は時々見える海のほかは見《み》渡《わた》すかぎり雪だった。四、五尺の雪だ。鳥取の手前の湖《こ》山《やま》池《いけ》、この辺の眺《なが》めは広々とことに美しかった。湖の水は一面に雪を含《ふく》んで薄《うす》墨《ずみ》色《いろ》に凍《こお》っていた。岸に近く、寄せた波がそのまま弓なりに凍っていた。気まぐれな烏《からす》が一羽、湖《こ》畔《はん》の楊《やなぎ》の木から楊の木へ気楽そうに飛び移っていた。餌《えさ》などあるわけはないのだから、遊んでいるのだろうと私は考えた。枯《かれ》木《き》の烏よりは潤《うるお》いがあり、また一段とこれはいいと思い、見て過ぎた。豊《とよ》岡《おか》、それから八《や》鹿《おか》辺では汽車から五、六間のところに鶴《つる》が遊んでいるのを見た。 注 釈 *片《かた》瀬《せ》 神奈川県東南部、藤《ふじ》沢《さわ》市にある海火浴場。対岸に江《え》ノ島《しま》がある。 *祖父 志賀直《なお》道《みち》のこと。文政十年—明治三十九年(一八二三—一九〇六)通称は三左衛門または五太夫。相馬《そうま》藩《はん》士《し》として二百石を領し嘉《か》永《えい》五年御仕法見習代官次席という職につき、以後藩に十八年間勤めた。その間二宮《にのみや》尊徳《そんとく》の影《えい》響《きよう》を受けている。維《い》新《しん》後、中村藩権知事、福島県大参事などをやり、明治五年相馬誠胤の家《か》令《れい》となり明治二十三年まで在任した。直《なお》哉《や》の人間形成に大きな役割を果たし、直哉自身「私が影響を受けた人々を数えるとすれば師としては内《うち》村《むら》鑑《かん》三《ぞう》先生、友としては武者小路《むしやのこうじ》実篤《さねあつ》、身内では私が二十四歳《さい》の時、八十歳で亡くなった祖父志賀直道を挙《あ》げるのが一番気持にぴったりする」と述《の》べている。 *母 銀。文久三年—明治二十八年(一八六三—一八九五)伊勢《いせ》亀《かめ》山《やま》城主の家《か》臣《しん》、佐本氏の娘《むすめ》。二十歳の時、志賀直《なお》温《はる》に嫁《か》し、悪阻《つわり》のため三十三歳で歿《ぼつ》した。 *祖母 留《る》免《め》。天《てん》保《ぽう》七年—大正十年(一八三六—一九二二)福島県宇《う》多《た》郡中野村の木村重基の次女。直哉が敬愛する肉親の一人で、種々の作品の中に登場する。なお直哉は次女の名をこの祖母からとり留《る》女《め》子《こ》と名付け、また最初の短《たん》篇《ぺん》集を「留女」と付《つ》けている。 *旧藩主の気の違《ちが》った殿様を毒殺したという嫌《けん》疑《ぎ》、相馬子《し》爵《しやく》家の当主誠胤に狂気と認められる粗《そ》暴《ぼう》な行いがあり、座《ざ》敷《しき》牢《ろう》に入れておいたところ、旧藩士錦織剛清が誠胤は狂人ではなく家中の陰《いん》謀《ぼう》の犠《ぎ》牲《せい》者《しや》であると主張し、明治十七年家令直道家《か》扶《ふ》青田を告《こく》訴《そ》するなどしたので、相馬の親族旧藩士らが協議して医科大学で精神鑑《かん》定《てい》をした結果、決定的な結論は出なかった。が、明治二十五年二月誠胤が死去したので錦織はこれを毒殺として告《こく》訴《そ》し、そのため直道らは勾《こう》留《りゆう》されたが、九月に誠胤の死体発《はつ》掘《くつ》が行われ、その結果毒殺の事実は否定され、十月に免《めん》訴《そ》された。そして逆に錦織らが起《き》訴《そ》され、明治二十七年五月に刑《けい》がきまり事件は落着した。明治十年代から二十年代にかけて世間を騒《さわ》がせ、いろいろの小説などにも書かれた相馬事件である。 *片息 たえだえな息。 *父 志賀直《なお》温《はる》。嘉《か》永《えい》六年—昭和四年(一八五三—一九二九)十九歳《さい》で上京し慶《けい》応《おう》義《ぎ》塾《じゆく》に学び明治九年に卒業。明治十二年第一銀行に入り釜《ふ》山《ざん》支店石巻《いしのまき》支店と転じて十八年に辞職。明治二十六年総武鉄道株式会社の創立に参加し専《せん》務《む》取《とり》締《しまり》役《やく》として手《しゆ》腕《わん》を振《ふる》い、その後同社が政府に買収される時には専務清算人となった。ほかに帝国生命保険、第一火災海上保険、八十四銀行などの役員を兼《か》ねた。事業一点張りの人間で、直哉と大正六年に和解するまで結婚問題などで長い間対立した。 *八百《やお》勘《かん》 赤《あか》坂《さか》田町六丁目にあった有名な料理屋。経営者はもと八百屋で吉田勘右衛門と言い、東京市の市会議員を勤めた人。政界方面の客が多く繁《はん》昌《じよう》したが震《しん》災《さい》で焼けて廃《はい》業《ぎよう》したといわれる。 *釜《ふ》山《ざん》 慶《けい》尚《しよう》南道の南東端にある朝鮮半島第一の貿《ぼう》易《えき》港。東洋屈《くつ》指《し》の天然の良港で、その地理的な関係から日朝交《こう》渉《しよう》史《し》に重要な役割を果たしている。 *茶《ちや》渋《しぶ》 茶の煎《せん》汁《じゆう》のあか。 *仕舞《しもた》屋《や》 店を出さない住宅だけの家。 *雲《くも》右衛《え》門《もん》 明治六年—大正五年(一八七三—一九一六年)。桃《とう》中《ちゆう》軒《けん》雲右衛門。浪《ろう》曲《きよく》界《かい》の革命児で、明治三十二年琵《ぴ》琶《わ》や浄《じよう》瑠《る》璃《り》清《きよ》元《もと》などをとり入れて雲調を創《つく》り、浪花《なにわ》節《ぶし》を東京の大劇場に進出させ、浪花節を普《ふ》及《きゆう》しその地位を高めた。常に総《そう》髪《はつ》で高座に上り武士道を鼓《こ》吹《すい》した「赤穂《あこう》義《ぎ》士《し》伝《でん》」を得《とく》意《い》とした。 *永《えい》代《たい》 永代橋のこと。隅《すみ》田《だ》川にかかる代表的な橋の一つで、中央区新川と江《こう》東《とう》区深《ふか》川《がわ》佐賀町を結ぶ。最初かけられたのは元《げん》禄《ろく》期で、赤穂浪士が討《うち》入《い》りののちこの橋を渡り泉《せん》岳《がく》寺《じ》へ行ったのは有名な話である。 *引《いん》致《ち》 国家が公力で被《ひ》告《こく》人《にん》、被《ひ》疑《ぎ》者《しや》または証人などを強制的に裁判所、検察庁、警察署に出頭させること。 *外《そと》濠《ぼり》 東京都電外濠線のこと。土橋から虎《とら》の門《もん》、四ツ谷、市ケ谷、お茶の水に至る線で明治三十七年にひかれ、都電最も古い線の一つであった。 *俥《くるま》宿《やど》 車ひきをかかえておいて、人力車または荷車を仕立てる家。 *山の手線の電車に跳《は》ね飛ばされて怪《け》我《が》をした 大正二年八月十五日、山の手線(現在山手線)にうしろから衝《しよう》突《とつ》されて怪我をしたこと。当日の日記に「晩散歩に出る、芝《しば》浦《うら》の埋《うめ》立《たて》地《ち》へ行く、水泳を見、素人《しろうと》相撲《ずもう》を見物して、帰り山の手線の電車に、後ろから衝突され、頭をきり背を打った。伊吾(里《さと》見《み》〓《とん》が、どうかこうか東京病院へ連れていってくれた。十一時だった」とある。 *但馬《たじま》の城崎《きのさき》温泉 兵庫県の北、山陰本線城崎駅付近にある温泉場。道智上人の開湯といわれる。 *青山 東京都港区にある墓地をさす。 *虎《とら》斑《ふ》 虎の背のように黄色の地に太く黒い縞《しま》のあるもの。 *フエータル fatal(英)致命的の、命にかかわるという意味。「日記」大正二年八月十九日の項《こう》に「母、おせい叔《お》母《ば》、山内、喜三郎等来てくれる、自分は『此《この》怪我《けが》は fatal な出来事なのではあるまいね』と訊《き》いたそうだ。『そんな事はない』と聞いて、それから益《ます》々《ます》快活になっていたという事だ」とある。 *意《い》嚮《こう》 心づもり。考え。 *廂《ひさし》髪《がみ》 束《そく》髪《はつ》の一種。前《まえ》髪《がみ》と鬢《ぴん》とを特に前方に突《つ》き出して結ったもの。女学生の間で流行した。 *宣《せん》徳《とく》火《ひ》鉢《ばち》 宣徳銅器の火鉢。宣徳銅器とは明《みん》の宣宗の勅により宣徳三年に製した銅器で、大《たい》明《みん》宣徳年製の字を銘《めい》記《き》してある。 *雁《がん》首《くび》の煙草《たばこ》 雁首とは煙管《きせる》の頭部。ここに煙草をつめて吸う。 *黒《くろ》檜《び》山 群馬県前橋の東北にある火山赤《あか》城《ぎ》山の外《がい》輪《りん》山の最《さい》高《こう》峰《ほう》。一八八二メートルあり、赤城山の主峰。 *真鶴《まなづる》 相模《さがみ》湾《わん》西岸にある神奈川県下良港の一つで、相模湾漁業の中心地。 *兜《と》巾《きん》 修験《しゆげん》者《じや》のかぶる黒地の布で作った小さなずきん。 *オーヴン oven かまどのこと。 *軌《き》道《どう》機《き》関《かん》車《しや》 線路上を走る蒸気機関車。 *二宮《にのみや》尊《そん》徳《とく》の社《やしろ》 報徳二宮神社。小《お》田《だ》原《わら》駅南約八百メートルの小田原城跡の一角の景勝の地にある。社《しや》殿《でん》は神《しん》明《めい》造《づく》りで明治二十七年に創建された。 *法《ほう》界《かい》節《ぶし》 明治時代の流行唄《うた》。明治十年代から二十年代にかけて明《みん》清《しん》楽《がく》がはなはだ流行し、中でも九《く》連《れん》環《かん》が最もはやった。それを月《げつ》琴《きん》に合わせて歌ったのが法界節で、二十年代を代表する流行唄となった。これを演奏しながら門《かど》付《づ》けをして歩くものを法界屋という。 *月琴 中国伝《でん》来《らい》の楽器。琵《び》琶《わ》に似て小さく、胴は円形でひらたく、四《し》弦《げん》八《はつ》柱《ちゆう》のもの。 *山《やま》科《しな》川 京都市の南東部東山区伏《ふし》見《み》区を流れて宇《う》治《じ》川に合流する川。 *上《かみ》高《たか》畑《ばたけ》 奈良市の南東部にある地名。 *ヴァニティー vanity(英)虚《きよ》栄《えい》心《しん》。うぬぼれ。 *てれこ 京都関西方面の言葉。いきちがうこと。 *すかんたらしい 関西方面の言葉。いけすかないの意味。 *石《いし》子《こ》詰《づ》めの旧《きゆう》蹟《せき》 奈良猿《さる》沢《さわ》の池の近くにある昔の刑《けい》場《じよう》のあとで、現在、石《せき》碑《ひ》が立つ。石子詰めとは昔罪人を生きながら穴の中に入れ、多くの小石をその中に入れて埋め殺す刑で、春日《かすが》神社の鹿《しか》を殺したものがこの刑に処せられた。 *イリュージョン illusion(英)幻《げん》影《えい》。 *デリカシー delicacy(英)こまやかさ。繊《せん》細《さい》さ。 *ラディシ radish(英)根の外側が赤いこかぶ。 *熊《くま》坂《さか》長《ちよう》範《はん》 平安末期の盗《とう》賊《ぞく》。承《しよう》安《あん》四年金《かね》売《うり》吉《きち》次《じ》が奥《おう》州《しゆう》に赴《おもむ》くのを美《み》濃《の》国赤《あか》坂《さか》の宿に待ちかまえて財を掠《かす》めようとして牛《うし》若《わか》丸《まる》に殺されたという伝説的な人物。 *ドメスティック domestic(英)この場合、人になれた、人家に住むの意。 *えんおうの契《ちぎ》り 鴛《えん》鴦《おう》の契り。夫婦仲のむつまじいことのたとえ。 *大《たい》社《しや》詣《もう》で 出雲《いずも》大社に詣でること。 *曲輪《くるわ》 遊《ゆう》里《り》のこと。 城《き》の崎《さき》にて・小《こ》僧《ぞう》の 神《かみ》様《さま》  志《し》賀《が》直《なお》哉《や》 ------------------------------------------------------------------------------- 平成12年10月13日 発行 発行者  角川歴彦 発行所  株式会社 角川書店 〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3 shoseki@kadokawa.co.jp Naoya SHIGA 2000 本電子書籍は下記にもとづいて制作しました 角川文庫『城の崎にて・小僧の神様』昭和29年3月10日初版刊行