中里恒子 時 雨 の 記〈新装版〉 目 次  時 雨 の 記  中里恒子年譜 [#改ページ]  時 雨 の 記〈新装版〉  二階の書斎を下りて、庄田《しようだ》は、しんとした家の中を歩きまわった。敷き替えたばかりの灰色の絨毯《じゆうたん》の上に、点点と、猫の足跡がついている。老猫の三毛は、池のまわりの湿《しめ》った土の上を歩いては、すぐ、居間の敷物の上で足の裏を拭《ふ》くようにして、食堂の隅の椅子の下に座りこむ。  三毛は、小さい時から糞尿の癖がわるくて、三毛の好む場所へ砂箱をおいても、ほかの場所へ尿をする。細君は、泥足を拭くのと、砂箱を移動させて、三毛の気に入るように置きかえ、そこへ三毛をすりつけて、糞尿を教えるのだが、わかったような振りをするだけである。 「牝《めす》の三毛は縁起がいいとか言って、左官屋さんが持って来たのですけど、やっぱり似るのかしら、職人衆が、ちょっとその辺で用を達《た》すでしょう、猫だって、見てるのだわ、」  庄田は、元もと、猫ぎらいだが、面倒臭いから、細君の猫可愛がりを、黙認している。  猫も老いて来ると、抜毛がひどく、方方に、猫の毛が抜け落ちているのは、うすぎたない。猫がそばへ来ただけで、毛がまつわりついた。  午後から、下阪中《げはんちゆう》の古い友達の壬生《みぶ》がたずねて来る。壬生は、話したいこともあるし、夕食をともにしたいと言って来た。 「そんなら家へ来ないか、全部出払って、僕ひとりだ、夕食はお弁当ぐらいで我慢しても、話をきくには、家の方が気らくだろう、」 「そうだな、そうしよう、」  庄田は、壬生の話というのは、ビジネスではなく、個人的のことと直感した。小学校からの仲間で、壬生の家が没落するまでは、同じ町内の一番大きい、古い屋敷であった。  請願巡査の住んでいる、石の門の脇の小家屋の前を通ると、巡査は、昼は出勤しているが、細君が庭に向って、いつも縫物をしていた。子が無いせいか、壬生の友達が出入りするたびに、じろっと見据《みす》える。押しボタンがついていて、あやしいと思えば、すぐ母屋《おもや》へ通報する仕掛になっていると、壬生が言った。物乞、ゆすり、そういう一理窟《ひとりくつ》書いた刷り物など持った連中が、時折来るので、巡査の家で、その応対をする。そこで喰いとめられないと、玄関へゆく前に、ボタンを押す。あとは、書生なり、庭番なりがひき受ける手筈《てはず》だそうだ。  壬生は、そういう家の次男で、男ばかり四人の兄弟であった。庄田には、妹が二人いたので、壬生の家では、庄田の家へ遊びにゆくことを、あらかじめ禁じていた。中学生の壬生に対しても、女というものと接近することを、いましめていたらしい。……  家族が出かける前、庄田は、言った。 「壬生が来ることになってる、いい弁当でも頼んでおいてくれ、」 「まあ不意だわね、じゃあたし、出かけるのやめましょうか、あなたは、壬生さんによくお世話になるでしょう、」 「いいよいいよ、お前は、悪妻で通ってるのだから、かまわないよ、」 「あなたが売りこんだのよ、悪妻悪妻って、」 「本当じゃあないか、壬生のとこも、相当悪妻だから、かまわんよ、ゆっくり夕食をとって、かまわずにやってくれ、」 「じゃ、悪妻らしくしましょう、三毛には、牛乳かけて、ひき肉の缶詰と、かつぶしを混ぜて、蠅帳《はいちよう》に入れておきます、」  元来、妻は客ぎらいで、酒肴のとりなしなど出来ない女である。たまたま喋《しやべ》り出すと、客の見さかいもなく、関係もないことをとめどなく話しつづけて、相手を、不愉快にするのが、落ちであった。  庄田は、正面から悪妻と言いたてて、自分のつきあいには、相伴《しようばん》させない。  卓の上に、最中《もなか》が鉢《はち》に盛ってある。茶の仕度《したく》も出来て、大きな魔法瓶が、ワゴンに乗っていた。  やがて、壬生孝之助《みぶこうのすけ》が訪れた。  壬生は、庄田と同年だが、頭髪が灰色がかり、そのせいか、顔色は、桃色に冴《さ》え冴《ざ》えして、ひと頃より若若しく見える。 「近く、ヨーロッパをひとまわりして来る、公用のほかに、私用もある、」 「なんだ、そんなことか、」 「……まあ、三ケ月だから、ちょっと、旅行にしては、長いや、簡単に言うよ、君にも隠していたひとがいる、そのことで、君には迷惑でも、知って貰《もら》って、なにかの時、力になって欲しいんだ、」  庄田は、庭の方に顔を向けたまま、 「たとえば、事故とか、いやなたとえだけれど、連絡とるとか、あとあとのこととか、」 「それもある、しかしまあ、なにか起ってしまえば、それまでだ、僕は、家を出ようかと迷っている、」 「えっ、それは切羽《せつぱ》つまった話だな、いっしょになろうって言うのかい、」 「いや、反対してる、向うは、とめにかかってるよ、だが……僕はようやく今になって、ほんとに生きている気がするんだ、反対させないつもりでいる……」  堀川多江《ほりかわたえ》を知ったのは、いや、まだ知ったとは言えない、見ただけだったから、それは、たぶん、あのひとも二十そこそこの頃で、僕は勿論、独身だったから、何十年前になるかな、そんなことはどうでもいい? いやそうではない。それから僕たちが再会したのは、あのひとが四十すぎ、僕も五十を過ぎていた。  そんなに長い月日の間、僕たちは、全然、離れていたのに、どこにどうしていたかも知らずに、お互いの運命は、べつべつに人生を辿《たど》っていたというのに、僕は、二十そこそこの頃に見たあのひとの面差しを、忘れていなかったのは、やっぱり、一つの縁というものではないだろうか。——  その日、勤務先の会社と関係深い社長の通夜で、大森の高台の屋敷へ行った。ごたごたしている中で、焼香がはじまったので、僕も、末席に列《つら》なる為《ため》、離れの大広間の方へまわった。帰りは、庭の方から出るということなので、外套《がいとう》や帽子をもって、離れの渡り廊下を通ってゆくと、入口のひと間に、三人ばかりで、客の持ちものを預っていた、若い女のひとが、 「どうぞ番号札を、」  と声をかけた。僕は外套と帽子を渡し、思わず顔を見合せた。  目礼した顔の、産毛《うぶげ》の生えた蝋《ろう》のような頬と、濃い髪の毛を束ねた無表情の顔に、一瞬きざした赤味もすぐ消えて、帽子がつぶれないようにと、もちものを、急ごしらえの台の上に乗せるべく立ちあがった。  ひょろひょろした躰《からだ》つきを、わたしは漠然と、なにか非常な重味に耐えているひとのような、理由もない哀感を覚えて、思わず手を差しのべてしまった。 「わたしが乗せましょう、」  そのひとは首を振って、そのまま、ほっそりした躰を伸ばして荷物を片づけ、また、そこに黙って座った。わたしは、そのまま通夜の席にゆき、会社の者といっしょに、奥との連絡に、広間の出口を往《い》ったり来《き》たり、下《した》っ端《ぱ》らしく雑用を手伝ったりする度に、そのひとが、じっと、何処《どこ》を見るでもなく、伏眼勝ちに座っているのを、何度眺めやったろうか。なんとなく、気になるひとであった。  あとできけば、そのひとは、社長の身内の資産家の三男坊かなんかに嫁いだひとで、平常は、良人《おつと》の好みで洋服ばかり着ている、快活なあかるい性質だと言われて、わたしは、あてがはずれたように、がっかりしたものだ。なんだ、そんな幸福な若奥さんなのかと、やきもちに似た、つまりその良人にそういう気さえ感じた。けれども、他人の奥さん、それだけで、もうわたしは、すっかりそのひとに関心を失くしてしまった。その頃は、人妻は、高嶺の花、まかりまちがえば、不義密通、駆落、心中と、ろくなことにはならない。ひと眼で好きになったくらいのことが、どう具体的になろう筈《はず》もないではないか。  しかし、第一印象というものは、おそろしい。わたしは、堀川多江が、四十すぎて、その間にいろいろの出来ごとがあって、身の上が変っていることなど、思いもよらずに、昔のままの、蝋《ろう》のような頬が、ふっくらしているのを見たとき、はっと思った。 「あのひとだ、あのひとに違いない、」  わたしたちが再会したのは、知人の息子の結婚式の席でしたよ。従って、あのひとは紋付を着て、派手やかに粧《よそお》っていたのに、わたしには、何十年か前の、あの故しれぬ哀感が、まざまざと蘇《よみがえ》ってねえ。  偶然なことに、テーブルが向いあっていたので、わたしは、話しかける機会を窺《うかが》っていた。どういうわけか、主人らしいひとも居《い》ず、わたしも、妻を同伴しなかったので、ひとりの男と、ひとりの女を向いあわせて、何組かのカップルの中に入れたのは、係りの組み合せの気転だったにすぎないが。  戦後の帝国ホテルで、これだけの客をしたのは、製薬会社をもっている知人の、顔の広さもあり、家柄のよさもあり、招かれた客も、すぐに、どこそこの誰彼とわかる顔ぶれが多くて、わたしも、財界の端に顔を出している関係で、デザートになると、早速《さつそく》、三、四人の知人と、話し合いながらも、あのひとが、いつ、席を立つかと、気が気ではない。  そのうち、立ち上って、主人公の方へ行きかける気配だったので、わたしは、友人をおいて、いそいであのひとのそばへ行った。 「お忘れかと思いますが、以前、大森の……」  わたしは、名刺を出した。 「壬生孝之助さまで……はい、大森は伯父の家でございますが、まだ嫁いでまもなくの頃で、」 「お通夜の席で、広間においでになった、お忘れでしょう、当然です、わたしは覚えておりました、」 「申しわけございません、若い頃からのぼんやり者で、失礼いたしました、」 「……お送りいたしましょう、どちらへでも、」  わたしは、有無を言わせず、そのひとに寄り添ってクロークへゆき、そのひとがコートを着ている間に車を呼び出して、押し込むように乗りこませた。我れながら、強引だと思ったが、今、ここで手離したら、手がかりがなくなるという性急な気で、とうとう、思ってもみなかった犯人をつかまえたような態度に、すらすらとなっていた。  本当のことには、本気になる。  商売、交際、無論のことだが、女に対して、わたしは、こんな親切めいたことを、臆面もなく押売りしたことがあったであろうか。 「東京駅で結構でございます、」 「お荷物がおありだし、お送りしてはいけませんか、」 「そんなことは……でも、大磯でございますから、」 「大磯ですか、それではやっぱり駄目ですな、もっとも駄目なことはありません、お送りしましょう、」 「いいえ、電車の方が、らくでございますので折角のお志を無にするようでございますが、」 「………」 「ありがとうございました、」  わたしは、突然、またも、飛んでもないことを口走った。 「大磯のおところには、明日、お伺《うかが》いしてもよろしいでしょうか、」  多江は、おそれとも、怒りとも思えるような表情で、一瞬、眼を見張り、 「どうして、明日お出でになりますの、」 「どうしてって、」 「おもしろいことを仰言《おつしや》いますわ、大磯の山側の方で、古いところでございます、」 「おもしろいことでしょうか、わたしの言うことは、どうも、おかしい男だと、」 「率直で、珍《めず》らしい方だと思いました、こちらこそ失礼いたしました、」  ぱっと車を下りて、わたしの車が走り出すまで、舗道《ほどう》に立ってあのひとは見送っていた。わたしは、引き返したいような気になった。そして、よし、明日は行く、そうきめた。明日は、日曜日である。  雨でも風でも行くと、きめてしまった。  思いたったら是が非でもということは、人間、なにかとありますよ、釣好きが川で果てたり、ギャンブル狂が、女房を質においてもという眼のいろの変り方、わたしは、庄田君も知っての通り、男のくせに小さい時から、いろんな稽古ごとをやらされた。水泳、柔道、茶、絵画、書、一つぐらいものになるだろう、暇があるのはいかん、怠惰はいかん、車夫馬丁でもいい、一番の馬丁になれという主義で、びしびしやられたものだ。  ところが、長兄の定之助は、弟三人とは区別された存在でね、幼時から別室で育てられ、水泳はしたが、柔道で、耳でもつぶしたらいかんと、させなかったし、茶と書はしたが、絵画は、どういうわけか習わなかったね、その代り、兄の為《ため》の家庭教師が住みこみでいて、学校の勉強は勿論、外国語も、英独をやらされていた。医者になるわけでもないのに、何故|独逸語《ドイツご》をやったのかわからないが、恐らく、父親の学問好きの犠牲だろうか。学者と言えば、むやみと尊敬してね、関係方面の学者を手厚く後援してましたよ。  家の跡を継ぐ長男は、すでに幼時から、一種の帝王学のような、特別の場に座る人間として躾《しつ》けられていたから、わたしのように、学校の勉強をきらって、君たちと、いたずら遊びに余念なく熱中する、溢れるような野放図な性格ではなかったね。  きちんと、わくの中で、最上に仕立てられて、それを守り得た、やっぱり抑制の利いた男だと思わないか。君たちは、兄に出会うと、硬直して、神妙に振舞っていた。つまり、目下の者を、平等に扱う、特に、誰が好き、これが嫌いと、自己を出すことを禁じられ、ひとでも、ものでも、それについての喜怒哀楽を露骨に表現することは、小さい時からしなかったよ、いわゆる八方丸く穏《おだや》かに取締る風格ある余裕を、どんな場合にも失わない人間として、躾《しつ》けられていたから、到底、僕たちの、おもしろい遊び相手ではなかった。  わたしは、兄のような人間にはなりたくなかった。わるい奴だと言われても、したいことはかまわずやって見る、失敗しても、やりたいことはやった方がおもしろい、そういう、慾望に満ちた生き方にあこがれたものだ。  まあ、自分に関係のない話は、一応おあずけだ、とにかく、再会した翌日、わたしは、あのひとに会った嬉しさだけで、わくわくと会いに行ってしまった。  会ってどうしようなんてことは、考えなかった、昨日会った、明日も会いたい、それだけのことでねえ。どうして昨日会ったから、また今日も会いたいというのがおかしいのか、わたしは合点がゆかない。  そりゃあ、会いたくないひとには、幾日会わなくてもいいのさ、けれど、堀川多江とわたしが出会ったのは、最初も偶然、再会も偶然なんですよ。  ところがそのあとは、偶然なんてものではない、わたしは、会いたい衝動にかられて、それが、常識に反しようが、多江が、どんな境遇にいるのかもわからずに、ただ、会いたいから行ったのです。  大磯の駅で下車すると、妙に、あたりが古風で、こんなところにいたのかと、それだけで、あのひとが、なにやら隠れ住んでいるような、感慨に沈んだねえ。  堀川多江に、良人が存在することなんぞ、念頭になかった。あのひとは、昔、あの大広間の一隅で、ぼうっとひとりで座っていたときのまま、この大磯のどこかでも、ずっとひとりで座っている感じなのだ。自分に都合のいい考え方だけで、わたしは、あのひとを見ている。  これは悪童時代からの、わたしの勘でね、ここに蛇がいると思うと、きっといた、とぐろを巻いていた。いやあな予感がする、すると、その日、父親が急死したと学校に迎えが来た。だからさ、わたしは、多江が待っていると、勝手にうきうきして田舎町を歩いた。  ガードをくぐって山の方へ向った。その線路沿いの通りに、小体《こてい》な魚屋があったので、堀川さんというお宅は、ときいたのだ。これがすぐ当った。 「堀川さんですか……この道ずっとゆくと、流れがあって、その前に、手入れをしていない古い大きな屋敷があります、その横を山の方へはいると、竹藪《たけやぶ》があって、新しいお宅が工事中です、その奥です……新しい家の地所も、元は、堀川さんのお庭でした、」  きかないことまで教えてくれたので、わたしは、せかせか歩き出した。心臓がどきんどきんするので、深呼吸して、流れのふちの枯野菊など眺めやって、もう、何度か、来たことのある道のように、落着いて歩いていった。  小さい門が開いている。  山椿《やまつばき》の花が散り敷いている。  門の扉がこわれていて、一枚立てかけてある。これは不用心だ、なおさなければいけないな、わたしは、それからベルを押そうとした。すると、張紙がしてあって、 「ベルはこわれています。御用の方は、|どら《ヽヽ》を叩いて下さい」とある。  茶室のようでもないが、|どら《ヽヽ》を使うとは、愈愈《いよいよ》わたしは気に入った。叩いた。 「どなたさまで、」  玄関を開けずに、応対があった。 「壬生孝之助です、昨日の、」 「まあ、ほんとにいらしたのですか、たいへんだわ、とり散らしておりまして、」  それから玄関の差込みを開け、鎖を外し、あのひとが顔を出した。  流石《さすが》に、わたしは顔が赧《あか》くなった。つむじ風が吹いて、竹藪《たけやぶ》がざわざわ鳴って、竹の葉が舞いこんだ。 「どうぞ、おはいり下さいまし、今日は、風がつよくて、冷とうございましょう、」  つかつかと、わたしは座敷へ通った。  午後の日の当る縁先近くに、炬燵《こたつ》があって、そのまわりに、小裂《こぎれ》が散らばり、小《こ》抽斗《ひきだし》の裁縫箱から、赤い針山がみえる。なにか、小娘がひとりで遊んででもいるような、のんびりしたたたずまいで、わたしは、こんな光景を、終《つい》ぞ見たことがないままに、すっかり、見惚《みほ》れてしまったねえ。 「ほんとに来ました、御迷惑なんて考えませんでした、」 「そうでしょうね、いきなり不意に、きのうの今日、お出になるんですから、そんな方は、わたくし見たことがありません、」 「来たいから来た、ではいけないのですか、」 「いけないって、だってもう、そこにいらっしゃるのですもの、とりちらしたこのありさま、」 「ありさまなんて、どうでもいいのです、僕は、あなたにお眼にかかりたかったから、」  多江は、唇元《くちもと》に笑みをうかべて、 「そのように仰言《おつしや》っても、わたくしお返事のしようがないわ、」 「………」 「でも、なんとなくわたくしも、」 「来るとお思いだったでしょう、そうなんだ、昨日の出会いも、因縁です、共通の知人の席でね、不思議です、いや会うときまった因縁があるんです、」 「因縁なんて仰言ると、なにか、前世のことにつながりそうな、」 「皆目、御様子はわからない、それでも来ましたから、やっぱり前世の……」 「ほそぼそと、じっとしております、古い着物など繕《つくろ》ったり、」 「いいなあ、いい暮しだなあ、」  わたしは、いつの間にか、堀川多江がひとり暮しであることを諒解した。  それからわたしは包みをほどいた。 「お使いになれたら使って下さい、」 「……なんでございますか、頂きものまで、ありがとうございます、開けますわ、」 「いや、つまんないものです、」  多江は、上手に風呂敷をたたんで脇におき、箱の紐をほどいた。肘《ひじ》をついて、中の茶碗をとり出した。 「朝鮮でございましょうか、よくわかりません、いい仕覆《しふく》ですこと、」 「それより、そっちの重箱をあけて下さい、」  わたしの顔もみずに、多江は、紙袋にはいった、ビニール包みをほどいた。 「まあ、てんぷら、おいしそう、」 「ゆきつけの店で、日曜は休みなんですが、病人が食べたいというから作れと言ってね、揚げたてを、東京駅で受け取って来ましたから、重箱は、てんぷら屋に返さなくちゃ、」 「病人だなんて……嘘《うそ》ついて、」 「そのくらいの嘘は、便利だから、」 「てんぷらとは、親身なお土産、」 「お好きでしょう、」 「どうしてわかります、」 「わかるんだな、」  それであのひとは、台所の方へいってしまった。  わたしは、暖かい気温の避寒地とは言え、小さな炬燵《こたつ》ひとつの座敷を見まわした。床《とこ》の掛物も細ものの短冊《たんざく》である。仕立は地味な利休間道《りきゆうかんとう》に、紅地金砂子《べにじきんすなご》の短冊は、与謝野晶子の、気質とはうらはらな優《やさ》しい細い書体で、し乃《の》ゝめや夜の去ることを惜しむ灯乃二三またゝく網代《あじろ》の岬、夜の去ることを惜しむ灯の、と、わたしはつぶやいた。歌のことはわからないが、あのひとが、こういうものを朝夕眺めて、ひとり暮しの無聊《ぶりよう》をかこっているかと、可哀そうな気がした。  花生《はないけ》も、小棚も、桑の生地の卓も、古びてはいるが、やはり、昔は資産家であったろうという名残りが、そちこちに残っていた。  炬燵《こたつ》がけのつぎはぎの絞りも、若い時の多江の衣料であったであろうか。わたしは、この家へはじめて来たのではないような、自分の心に解けこんだ雰囲気に浸って、立ったり座ったりしていたが、瑠璃《るり》いろの花生の、きゅっと締った口に、緋《ひ》いろの木瓜《ぼけ》の花がただ一輪はいっているのを、手にとって眺めた。  瑠璃無地のずん胴の、口の締った瓶は、古伊万里《こいまり》であったから、わたしは、それに小さな花一輪を、短く入れたそのつよい美に首をかしげてしまった。教えて出来ることではない、金で買える美ではない……こりゃあ、ただの女じゃあないな、気に入った、わたしは、そりゃあ、玄人《くろうと》相手の遊蕩《ゆうとう》も、相当しているからねえ、女の好みぐらい見当はつくよ。  この家のなかは、柔かく静かで、いかにも女の棲家《すみか》らしい落着きがあるが、二、三おいてある品を見ても、道具類を見ても、男っぽいと言おうか、じゃらじゃらしていないんだ。素っ気なくはない、充分、いろ気も感じられるが、こびるような感じがないのに、こりゃあ、難物だと思いながら、あの何十年も前の、平凡な若おくさんが、現在、こんな棲み方をしていることに、わたしは、はかり知れぬ興味をもった。  やがて、茶道具と、例の天ぷらを中皿に、寸法を揃《そろ》えて持って来た。 「突然いらしたので、ろくなお茶菓子もございませんで、おもたせを、わたくし頂きとうございますわ、天ぷらで、お煎茶《せんちや》なんて、おかしいかしら、」 「うまいだろうな、それは、」  多江は、お手塩に、レモンと塩を添えて出し、自分から先に、箸をつけた。 「まあおいしいこと、海老《えび》がこりこりして、」  わたしは、嬉しかったねえ、女房はともかく、なにかの折に、御婦人を食事に誘っても、妙にちびちび食べて、こんなもの食べあきてるような、まずそうな食べ方をするんだ、気取ってものを食べて、うまい筈《はず》はないんだよ、だから、このひとのように、臆面なくばりばり食べて、唇のあぶらを懐紙で拭いながら、つづけて二尾食べて、熱いお茶をひとくち入れてから、やっと、わたしの居《い》るのに気づいたように、 「おいしく頂きました、あとは、御飯にのせて、あたため直して頂きますわ、」  そう言って、にっこりした。まるで、天ぷらなど、食べたことがないとでも言うような、喜びようなのさ……このひとは、さんざんの贅沢《ぜいたく》をした筈だ。僕などの若いときは、カツレツについたキャベツに、ソースをじゃぶじゃぶかけて食べてもうまかったものだ、そんなうまさを知らないこのひとに、こんなに喜んで貰《もら》えたことに、有頂天になったわたしは、 「揚げたてを食べにゆきましょう、もっとおいしいから……明日どうですか、」 「明日?」  多江は、笑い出した。 「壬生さん、あなたの仰言《おつしや》ることは、なんでも明日ね、」 「いいじゃないですか、明日はお差支《さしつか》えでもおありですか、」 「いけないと言っても、きっと、」 「承知しません、迎えに来て、引っ張り出しても連れてゆきたい、」  すると多江は、 「そういうひと、近頃は、珍物の種族だわ、男の体面も考えずに、」 「そんなもの、あなたは必要とするのですか、」 「いいえ、しませんよ、」  これで、わたしは、また、多江と、明日は東京で会う約束をして、帰ると言った。  ひきとめもせずに、風呂敷と重箱を手わたした。それから、茶碗を出して、 「どういうものですか、教えて頂きたいわ、」 「先刻仰言ったように朝鮮の絵高麗《えこうらい》です、李朝前期で、力づよくて、柔かで、好きなんですよ、」 「もう一つございますが、これは、」 「それは、発掘仕立の蕎麦《そば》です、」 「いい艶《つや》ねえ、ねずみの肌も奇麗ですね、形も、ひねっていて、」  わたしは、ちょっと赤面した。蕎麦茶碗は愛蔵品の一つであったが、あなたのそばにいたいという意味を含めて、持って来たのだ。それが、このひとには通じない。  いまに通じる、通じさせてみせる、そう思ったねわたしは。  日が照ったり、雨が降ったりする自然現象のように、壬生と会うことに、多江は、なんの抵抗も覚えませんでした。めぐり逢《あ》ってから三ケ月ほど経った頃には、三日にあげず、食事にいったり、展覧会にいったり、ひとの出入りの多い場所を歩きまわったり、買物したり、東京駅まで迎えに来る壬生と、あいびきめいた気持ではなく、まるで身内のもののように、なんの警戒もなく会っていました。  壬生が家庭をもっていることも、息子がいることも、いつとはなくわかっていましたが、わたくしたちは、お互いに、身の上話めいたことはしませんでした。現在のありよう、それだけでした。 「あなたの方から、電話をくれたことはないね、いつも、わたしが呼び出す、」 「会社にお電話すると、秘書室を通して、姓名を名のったり、御用件はなんてきかれたり、あれは、あやしまれてるみたいで、いやですから、」 「そうか、そういうこと、気になるの、じゃ早速《さつそく》、直通電話をつけましょう、この番号は、誰にも知らせない、わたしが出る、秘書室を通らずかかるようにすれば、いいでしょう、」 「そんなこと、出来るの、」 「出来るとも、一本は、社内、社外を問わず、必ず、秘書室を通ってかかる、一本は、わたしに直通にする、あなた以外からは、かからない、だから、五度ぐらい鳴っても出ないときは、わたしが、部屋にいないと思ってくれればいい、明日、すぐその手筈《てはず》をしましょう、」 「それはいいわね、でも、」 「明日の三時頃、電話のつき次第、番号を教えるから、」  多江は、晩《おそ》めの昼食をともにして、別れようとしました。 「何処《どこ》へまわるの、そこまで送ってあげるよ……わたしも、三時の約束がある、」 「そう、じゃあ四丁目で下して頂くわ、」  冷え冷えした町へ出て、人混みの中をつっつと歩いても、多江は、気分がぱっとしていました。自分のことを思ってくれるひとがいる、それだけで幸福でしたから、お茶を買っても、嬉しいのです。それに、なによりも気持がいいのは、壬生が、何処で知人に出会っても、堂堂として、決してわたしと一緒のことを隠そうとしないことでした。  多江が良人と死別したあと、それまでは親しく交際した良人の友人たちは、殆《ほとん》ど、顔をみせなくなりました、それは、いずれもひとりになった女を、警戒するような、男の自尊、保身の心がけからでしょう、また、女の心細さにつけいるような気もしたでしょうし、気があるように思われては困る、という体面みたいなものもあったでしょう。多江から言えば、それらのことは、男のうぬぼれにすぎません。良人を亡《な》くした女は、そんな甘い気持をあてにはしていないのです、心細く頼りない日日にも耐えなければならないことを、充分知っています、ひとはいつか別れを経験する、それが生き別れであろうと、死に別れであろうと、鉄鎚《てつつい》のように心を打ちのめし、いっそひとりでいれば、もう半分になる恐れだけからは逃れられると、それだけの打算も、分別も、一応は、多江の身にも沁《し》みていました。  ですから、ようやく残った一軒の家の庭の半分を売って、ひきこもって暮す気になったのでした。同じように四十前に寡婦になった友達が、着飾っては出歩きました。家にいても淋しいし、外に出れば、またどんなチャンスに出会うかもしれない、このまま埋もれてしまうのはやりきれないというのでした。たしかにそうなのです、女の気持としては、まだ自分は、男の愛を受ける資格があるという自負もあるでしょう、心細いでしょう、そういうもの欲し気な気持も、多江にないというのではありませんでしたが、多江は、どこか、男をそれほど頼りには思えなかったのです、また、男の愛をそれほど絶対のものにも思えなかったのです。男がいなくては、生き甲斐《がい》がないと思えるほどの、激しい情愛も知りません、半分だけ生きていたような、さらさらした夫婦であったということが、多江を、こんな竹藪《たけやぶ》の奥の、古い家にじっとこもらせてしまうほど、人生に、失望に近い諦めをもたせてしまったのでしょうか。  知らない世界は、知らないままでいられる。これは、慾望や好奇心のなさからではなくて、慾を抑《おさ》えることに馴れた女の、小さな小さな、安住の願いからではなかったかと思われるのです。  雨の日には、竹がしなって、ぱらぱら軒を打ち、晴れれば、竹の葉ずれのきららかな日光も、庭隅の濃すみれの群落も、ひとの心よりもたしかに思われました。こうやって、このまま老いるのかと思っても、さのみ残念な思いもなく、自分ひとりの為《ため》に、かりかりと鰹節をかいて、桜の花を削ったような、肉いろをしたけずり節を、山のように玉子にまぜて煎《い》り玉子《たまご》を作りながら、また、魚を焼きながら、多江は自分のために生きていることを発見しなおしました。誰のために生きているのでもない、自分のために生きてる、それで充分でした。世捨びとというほどの覚悟はなくても、多江は、もう身内の殆《ほとん》どの、頼りになる者たちと死にわかれてしまったので、いつか、世の中に、なんの期待も失っておりました。  それがまあ、壬生が現われてからというもの、ぱあっと日が射したように、心持がはずんで、会って、話して、というだけで、何ごともおもしろく、幸福に思えるようになったのですから、他愛もありません。ゆきずりに出会った男と女ではなく、多江と、壬生の正体は、何年も前から知れていました。離れ離れの年月に、互いの身の上がどう変っていようとも、元の正体が知れている気やすさ、それは、多江のように、人に馴れにくい女にとっては、一番安心なのでした。もしも、その長い年月の間に、壬生が、わるい男に変っていようとも、多江は、疑いもせず、「あなたを覚えている、」という壬生の言葉を信用したでしょう、そして、そういう愚かさを、たぶん壬生は、珍重してくれたでしょう。 「お早よう、いま、なにをしてるの、」 「髪を結って、そろそろ電話がかかるかな、ほんとかな、直通なんて……いくら社長でも、そんなこと出来るのかな、出来るとすれば、社長という孤独な仕事もわるくないな、などと思ってました、」 「なんだ、くだらない、番号を言うから書きとめて、〇〇の〇〇〇の〇〇〇〇です、これは、あなた専用だから、」 「こんなの、わたくし生れてはじめてだわ、でも、社長の資格で、うちへいらっしゃっても駄目よ、」 「男の資格でゆきますよ、いま、人が来た、切りますよ、」  男の資格で来るなんて、どういうことだろう……多江は、はっとしました。壬生とは、まだ、そういう関係にはなっていないのです。愛だの、好きだのとも、言ったことはありませんでした。  でも、いつかは、そのような、男と女が辿《たど》るところへ辿り着くであろう、それは思念していませんでした。羞《はずか》しくてそんなことどうして出来るでしょう、多江は、本能的に、なるべく壬生が近寄りすぎるのを避けていました。それは壬生も気づいていたらしく、或るとき、襖《ふすま》を開けて座敷へはいったとき、襖のかげに立っていた壬生が、いきなり、多江を抱えそうになったのに、思わずあとじさりすると、壬生は、からから笑って、手を離して、 「うまくゆかないものだね、キスをするのはどうやるのだと、藝者にきいたんだ、まあ驚いた、キスもしたことがないのですか、一体どういう方、って言うから、お前たちとは違うんだよ、だから勝手が違って……まあ、ただでは教えませんよなんて、そこは玄人《くろうと》だねえ、たとえば、襖のかげとか、廊下の端とかにいて、出て来るところをつかまえて、キスぐらい、わけなく出来ますって言うからさ、それを実行しようと思ったんだがね、……」 「おあいにくさま、」  そんなことがあっても、壬生は、べつにどうと言うこともなく、時折、車に食糧を積みこんでやって来るのです。そしては、多江を誘い出して、横浜あたりへ食事にゆき、また送って来て、そのまま帰りました。 「運転手さん、へんに思うかしら、」 「こんなことは、へんでもなんでもない、もう十年あまりも、私用の運転手で、会社の車ではないよ、このくらいのことは心得ているし、あなたが気を使うことはありませんよ、」  そう言えば、昔、多江の家にも車があった時代、運転手は、主人の出先について他言《たごん》したことはありませんでした。ぺらぺら喋《しやべ》るようなことは、勤務の性質上、厳禁されていたことで、また、よほど疑われている主でない限り、私的な身辺について、家の者が、伴《とも》のものに問《と》い質《ただ》すのは、野暮なことでした。ですから多江なども、主人に、囲われていたひとがあったことなど、死ぬまで知りませんでした。  死んだあとで、周りの者から、応分の手当をしたことを知らされましたが、多江は、だまされたとも思わず、だから男は油断がならないとも思いませんでした。きっと、自分はいろ気がないので、そういうひとのところで、主人は鼻毛を抜かれていたのであろうと、滑稽な気さえしたくらいです、人間味さえ覚えたくらいです、多江は、女としては、出来そこないだったかもしれません。  良人でもない、妻でもない、壬生と多江との間にあるのは、愛などと言って済《す》むようなものには、思えませんでした。  ひととひととの思いやり、男と女の友情、いいえやっぱり、男と女の色恋沙汰であったでしょうか。好きのなんのと言わなくとも、その気があるから、会うのです、会いたいのでした。  壬生からは、毎朝十時半に、電話がかかりました。 「食べるものはあるの、」 「ありますよ、」 「なにか欲しいものはないの、こちら御用達だから、」 「いいお急須の口を、ちょっと欠いてしまいました、惜しくて、」 「そんなの、わけないよ、金繕いさせるから、忘れずに、持ってらっしゃい、じゃ、四時半までに迎えにゆく、今日は一日、忙しくて、」  多江は、全《まつた》く壬生を便利やさんのように、のし袋を買ってとか、万年筆の修繕を頼むとか、そんな雑用の為《ため》に、一日出てゆくわずらわしさから逃れられることを、重宝に思っていました。やっぱりひとがいることは懐しい。がたがたした雨戸を、毎日開け閉めするのも、庭掃除も、瓦斯《ガス》やだ、水道やだ、ひとりで、内外ともに気を配り、煩瑣《はんさ》なつきあいから、生き死にの場まで、手代りもなく、その上、二日も三日も、どうかすれば、他人と言葉を交えることのない明け暮れが、どんなに息苦しいものか、ひと気がないということが、何年か凄涼《せいりよう》なものであったと、多江は、壬生と会ってから痛感しました。 「お早よう、変ったことはありませんね、」  この声が、毎日きけるようになってからというもの、多江は、ふたりで定めた時間にどちらかが電話に出なかったら、なにか異変があると、すぐ気をまわすことが出来るであろう、なにかの処置をとれるであろうと、たとえ倒れても、気づよく思うようになりました。  堀川多江に注がれている眼がある。心がある。それは、優《やさ》しいありがたいことでした。若い頃から無信心で、神社仏閣の前に立てば、手を合わせることはあっても、心底、ありがたいと神仏に後生を願うような、謙虚なものではありませんでした。それが、壬生が現われたというだけで、神仏のおかげを蒙《こうむ》っているような、あたたかい心をとり戻《もど》しました。  どのように気を張っているつもりでも、多江も、胸の奥の動揺に、とぼとぼゆきくれる迷い多い日日に沈みがちでしたから。壬生には、それとは告げず、 「あなたに頼ろうなんて思っていないのよ、ですからどうぞ重いおつきあいにならないように……てんぷらは頂きます、でも、自分の身をあなたにあずけて、孤独の境界から抜け出ようなんて思っていないの、直通電話だけで、たいへん嬉しいわ、わたくしね、学校で、復活祭の前にある黙想という、何日間だったかしら、口をきいてはいけない行事を知っています、たった何日間でも、ひとりの世界に徹底するというのは、とても苦痛なことなのね……でも、わたくしには、その黙想、無言の日日が、何年続いたかしら、そこへ直通で、毎日どうしているかと言って頂くだけで、どんなにわたくし生き返ったかしれないんです、」 「だから、縁がつながっていたと言ったでしょう、わたしは、あくまで、男と女のつもりでいるのに、電話の声だけで充分なんて言われては、全《まつた》く、立つ瀬がないな、」 「どうしようって言うの、」  すると、どうでしょう、壬生は、いきなり柔道の足がかりで多江を倒して、馬乗りになりました。 「やめて、やめて、そのうち、きっと言うことをきくかもしれません、乱暴な、」  多江の手を引いて起した壬生の手を、ぴしゃっと打ちました。壬生は、笑ってじっと見据《みす》え、 「これまで、あんたの周《まわ》りにいた男たちは、みんな聖人ぶって、手出しはおろか、丁寧な言葉づかいで、あんたをいい気にさせていたんだ、わたしは、わたし流にするよ、お前さんと呼ぶよ、お前だっていいんだ、遠慮なんかしないよ、羞《はずか》しいなんて言わせない、わたしの大事なものを、わたしが自由に扱うのが、どこがわるい……」 「まあ、ごろつきみたい、」  そうは言うものの、多江は、確かに今まで大事にされて暮して来たのは、むしろ飾りもの的で、開いた眼で見られていなかったのだと気がつきました。 「お前だなんて、そんなこと言われたことがないんだね、わたしは、ごろつき流でゆくからね、……」 「………」  呆然としながらも、男の本能をまざまざ見た多江は、却《かえ》って、正直で、男らしいと感じたのですから、ひとの心のうわべ一枚|剥《は》げば、体裁なんて、ものの数ではないのですね。否応なしに曳《ひ》きずってゆかれる不安と好奇の心が、突然、多江の心の根をゆすぶりました。 「柔道はどのくらい、柔道なんて、見たこともなかったわ、あなたのような、嘘《うそ》は便利だ、女は自由にするわ、仕事はばりばりやるわと、わる智恵のあるひとが、業《わざ》もうまいのね、」 「軽蔑していたんだろ、講道館五段、大学では選手になった代り、落第もしている、普通部の時から、講道館にはいって、便所の掃除、先輩の下駄の歯の掃除と、女のやることは、女以上に仕込まれてるよ、」 「それにしては、華奢《きやしや》な体ね、骨格はいいけれど、お洒落《しやれ》で贅沢《ぜいたく》で浪費家で、講道館精神に反するじゃあないの、」 「それが、見当違いですよ、礼儀はきびしい、身だしなみはやかましい、浪費ではないのよ、安もの買いはしない主義でね、ひとを使うには最上の待遇をする、しかし、つべこべ言わせないよ、それだけの力があると思っている、今だって、三人の暴漢に襲われても、充分、防げるでしょう、実質五段、名分八段と言えば、益々、あんたに、ばかにされそうだけれど、」 「へえ、これはお見それしました、」  多江の周《まわ》りに、こんなひとは、全《まつた》く見当りません今まで……、口がうまくて、恐妻家で、何より世間体が恐くて、不正直に生きているようなひとこそ、世間で好人物、上等紳士で通っていましたから。壬生のような、正直と言えば正直、慾望を失わず、しかも、好悪の情|烈《はげ》しく、未《いま》だに血の気の多さを保っているのは、一種の純粋種の系統だと思うのです。  だんだん多江は、壬生に惹かれてゆきました。楽しいのです会っていると、これが他人の良人という気がしないのです。妻子があろうとも、妻子から、壬生をひき離そうとは思わないのです。また、そんな無鉄砲な壬生でないことも見抜いていました。多江は、多江の領分で、壬生を所有する。多江は、壬生が、口にするように、 「いつか、一緒に暮したい、そのときがきたら、ついて来てくれるかい、」  と言うたびに、 「そうね、そのときはあの世になるかもしれないわね、」  と、まじめに言いました。 「いやだ、此の世のうちに、どうしても、あんたのそばに来る、何も彼も捨てて、無一物になって来る、」 「そうしたら、ひきとってあげましょう、なんのかのと、そらぞらしい人さわがせな、肩書のついたあなたのうちは、絶対だめよ、ただの男と、ただの女なら、好きで苦労するぶんには、人間的なことですもの、」 「覚えているぞ有無は言わせないよ、」  その時から多江は、いつか壬生に身をまかせるような、自然の時が迫って来るように思いました。それが不貞などと、どうして思えるでしょう。性と魂と、一つに合致する、それ以外になんにもありませんでした。けれど、どうして簡単に、壬生が、無一物の男になれるでしょう。壬生は会社の筆頭株主になっているということでした。  壬生が、身を引けば、銀行関係は勿論、社員たちは動揺するでしょう、対応するだけの人事をたてて、後継者を据《す》えてからでなければ、身を引けない筈《はず》なのです。多江にはよくわかりませんが、壬生は、自分の息子は不出来で、到底、跡を委《まか》せる器《うつわ》ではない、古参の者は、互いに、虎視眈眈と地位をねらっていて、半数以上の人望ある人物がいない。どんぐりの中から、ひとりを選べば、社内は分裂しかねない、男の世界というものは、凄絶《せいぜつ》な死闘で、次期の者を納得させる為《ため》の工作に、どうしても、二、三年はかかるからね……それまでは、身動き出来ないのだよ、そう言っておりました。 「やっぱり、あの世ねえ、」  多江は、あの世でもいいと思うのです。浄瑠璃《じようるり》の心中《しんじゆう》ものを御覧なさい、みんな、思うひとには添われずに、来世を信じて、此の世を逃れていっているではありませんか。  一番いい状態を、永久にとどめようとするならば、生を断ち切って、もう変ることのない、無の世界にゆくのが、完全かもしれませんね、死は終りではありません、けれど、そのような望むべき状態には、いってないのです。決して、厭世《えんせい》などと、多江に、そんな、そんな、そんなことがございましょうか。  なんで多江が、心中などという古風な、色恋のゆきつく先を、軽軽しく口にいたしましたかと言えば、壬生が、或る時、夏も終りの頃でした。  贔屓《ひいき》にしている茶屋へ、多江を連れていったのです。多分、壬生は、あたくしの存在を誰か、第三者に知らせたかったのでしょう、心せいていたのでしょう。 「どうでございます、キスは成功したんですか、一体、キスもさせないような女の方って、どういうお顔かみたいわ、結婚もなさったことがあると伺《うかが》えば、まんざらその道のことを知らないわけはないじゃあありませんか、」  半分は焼き、半分は呆れて、女たちが、壬生をけしかけたらしいのです。 「玄人《くろうと》というのを見せてあげよう、そりゃあ、あんたとは別世界の人間だが、おもしろいよ、わたしなんかも手玉にとられるから、参考になりますよ、」 「藝者さん、」 「藝者って言っても、みんなあんたより上の連中さ、色恋、慾得、百戦百場のつわ者で、素人の扱いは百も承知だから、」 「じゃ、すこしかまってゆこうかしら、」 「いやいや、いつもの通りでいいの、着物も髪形も、いつものあんたを見せたいんだ、」 「野暮てんなんて、あなたがからかわれるわ、」 「わたしは、粋の極致は、野暮てんだと思っている、奴さんたちは、絶対、野暮てんになれないんですよ、羨《うらやま》しいと思うよ、」  言われるままに、絽《ろ》の両面染の小紋に、桃いろの手綱の紗《しや》の袋帯を締めて、髪は、いつもの束髪で、素顔に近い多江が、壬生のあとから座敷へ通ると、お内儀《かみ》さんと古参のねえさんが二人、待ち構えておりました。 「さあ、どうぞこちらへ、」  床《とこ》の間《ま》の前へ連れてゆくのです。 「困るわ、」 「今日は、あなたがお客さまだから、わたしは、こっち側に座るよ、」 「あら、なんですか、お並びになって頂かないと、あたし達の居場所がございませんわ、」  多江は、黙って麻の座蒲団の上に座り、一種肌合いの差を覚えながら、姿よく動きまわる女たちを見ていました。衿足《えりあし》が、描いたように剃《そ》ってあり、くっきりした、首と髪の生えぎわの肉感的な白さ、思わず、もやもやと首に乱れるおくれ毛を、撫ぜつけてみても、衿足は比ぶべくもない未整理で、ただ衿をかきあわせ、衿足を見せない心算《つもり》で、きゅっと背筋をたてていました。 「おくさま、どうぞおひとつようこそ、もうこちら様から、兼ね兼ね伺《うかが》っておりましたんですよ、全《まつた》くあたくしどもは、なにを伺いましても、それっきり蔵《しま》っておくのが心得でございますからね、それをいいことに、嬉しいことはきかされっ放し、」 「そうですか、おもしろいでしょう、ひとの内緒ごとをきくなんて、」 「あら、そうお思いになりますか、」 「壬生さんて、そんなにお喋《しやべ》りになるのかと思って、きっと、あなた方をおもしろがらせていらっしゃるんでしょう、嘘《うそ》でもなんでも、煙にまくつもりよ、」 「なんだ、あべこべに、煙にまかれてるじゃあないの、あんまりうまいものはないけれど、早く出しなさいよ、飲めないのだから、」  そのうち、お内儀《かみ》が、壬生に耳打ちした。 「そう、待ってるのなら、すぐ、きかせて貰《もら》いたいね、案内しておくれ、」  壬生は、多江に言いました。 「新内って、知ってますか、その名人を聴くことになっているのですよ、それから宮薗《みやぞの》のうまいひとも来てるし、そういう連中は、どうしたって若くはないからね、」  多江は、はいって来る人たちに、黙って会釈しました。藝を通して出来上ったひとの身のこなし、ひと通りの礼を済《す》ますと、緋毛氈《ひもうせん》の上に順に並ぶそれは、儀式のように厳粛な感じでした。座ってしまうと、びくともしない態度で、間を見合って、蘭蝶《らんちよう》の静かな語りから、いきなり張りつめた細い声で、縁でこそあれと、語りはじめる息詰る情緒の展開を、うつむいて多江は耳に、焼きつけました。  連れ弾きで、ひとの心に沁《し》み入《い》るような恋の節節が、文句も知らず、こんな情念にうとい多江にも、綿が水を含むときの、ぼってりした重みにつれて、自然に滲みこんで来るのでした。男が女を恋いしたい、女が男に離れがたなくなる思いを語り訴えた、末はこうなると納得させるいっときの情緒に、ただ、このひとつに心を傾けた男女の生き方をありありと語りのべるのでした。  一座は、また派手やかな曲をきかせて、賑《にぎや》かに座敷を出てゆきました。 「いま評判の宮ふじさんです、ようやくこの頃、声がかかってきたんですからね、藝人というものは、はかないものです、」 「……流しできくものだった、それを座敷でま正面からきいて、うっとりさせるようになったけれど、こういうものをきいて、心中《しんじゆう》ものの心がわかるかね、」 「……わかりますとも、」  多江が、急に言いました。  心中にまで追いやられる男女の物語は、浄瑠璃《じようるり》で何度かきいて、うつつには、物語の文句さえ記憶しているものさえありました、それにはいずれも障害がつきものでした。  親子、妻子、世間、主従のしがらみを越えても、思いをとげようとすれば、死ぬよりほかはない、生き恥をさらすよりも、死をもって解決しようというのが、たいていの心中もののゆき場でありました、自分たちさえ思いが達しられれば、という個人的なものではありませんでした。金銭という絶対のものと、世間という絶対のものに対処して、死ぬよりほかに、身の置きどころがないという、そこに生きようとするつよいものでさえありました。けれども、死んで花が咲こかいな、ふかきおもいにたえかねて、などと、小春髪結いの、お綱のそれとない意見も、一方にあるのです。  決してその頃その時代でも、心中を讃美したわけではなく、生きる道を、あれやこれやと思案して、結局は、しあわせをそこにとどめようとしての、思いきった方法でした。  ひとはどうでもいい、自分たちさえ満足ならば、また、恋は法度《はつと》でなくなり、姦通密通も、愛の自由となった現代に、死を代償にするほどの純粋な恋のとりこに、どうしてなれましょう……生きて、それを通すことは、罪科不義理の対象にはならないではありませんか。  それでも……それでも、恋はやさしいものではありません、たのしい、嬉しいだけのものではありません。どうやって永久にそのしあわせを保持しようかと、互いに、憂身をやつすのが、ひと通りの重さではないようです、重さに耐えれば耐えるほど、その恋が、ほんもののような気がするところは、恋は盲目の昔ながらの譬《たと》えが、なんと身に沁《し》みることでしょうか。  こうやって絃歌《げんか》の下にさざめいている女たちも、落着くまでには、幾つかの恋の下をくぐり抜け、だましたり、だまされたりしてみなければ、女ひとりで生きようなどと、殊勝な気にはなれなかった筈《はず》です。多江には、そのように心を蕩《とろ》かすような出来ごとは、なんにもありませんでした。そりゃあ、明日の御飯にさし支《つか》える苦労はいたしませんでしたが、我儘に育った良人の、なにごともやりっ放しの跡始末をして来た気苦労で、実のところ、良人を亡《な》くしてからの、人間的な解放感は、何度か再婚の話がもち出されても、もうそんな夢のようなことがあろうかと、情けないことに、男の手を借りる気はなくなっておりました。それにまあ、どうにか、茶の稽古では、ひとに教えられる許しも持っておりましたから、知りびとだけの仲間うちの、十人あまりのお弟子をとっているだけで、細ぼそながら、ひとりの暮しはたちました。藝が身を助ける不幸などと申しますが、なんにもわが身になければ、ここまで気丈でいられましょうか。  いったい身のゆく末はどうなるのやら、子供も身寄りもない多江にとって、死ぬのはいいが、病気になっても、水いっぱい飲ませてくれる人間が身近かにいないとなったなら、どれほど悲しかろうと、折節《おりふし》は、知人の葬《とむら》いなどに出会うとき、ひょっと我が身をかえりみるのでした。  そうかと申して、そのための用意に、なんで男の手が借りられましょう。花に集まる虻《あぶ》を追い払って、花のないあとに虻を求める、そんな、虻が一匹だっているでしょうか。  多江の育った家も、嫁いだ家も、堅気の、世間さま第一の、内幕はひと様に見せるものではないといましめていましたから、多少の辛抱は、当然のことと苦にはなりませんでしたが、ふっと、そんなものかなぐり捨てて、仕たい放題のことをして、残った家屋敷も売り払って、思いきり楽しんでみたい気になったことも、何度かございました。  けれど、楽しみと言ったところで、多江には、想像がつかないのです。衣裳もちものに贅《ぜい》をつくしたとて……それはもう或るところまで、やってしまいました、遊ぶということが、実のところ、多江にはよくわからないのです。  おいしいものを食べれば、うまい。よい景色を見れば、美しい。好きな着物を着れば、嬉しいのですけれど、海辺で貝殻を拾って、それを毎年毎年拾い集めて、箱いっぱいの貝殻を、ざらざらと揺り動かしてみる自然の色や形の神秘さ、ダイヤモンドの比ではありません。ダイヤモンドを幾つか身につけた女の、実感なのでした。そういう心持の多江にとって、さて、どうでもこうでも身を投げ出したいほどの価値を、どこにみつけたらいいのか、虚無の、人ぎらいのというのではなく、実際に、住むところと寝るところと、食べるだけのものがあれば、しかもそれが、自分の気に適《かな》っていれば、ほかには、たいした望みのあろうことかと、不足を知って暮すことに、安住しておりましたのです。  そこへ、どかどかと、裸足で踏みこんで来た壬生の、生きているというのはこういうことかと思わせる、欲しいものは、是が非でも欲しい、男が、素手で女を愛してなにがわるい、人間自然の摂理でこそあれ、誰はばかることがあろうかという、野性とでも言いたい慾望に満ちた出現に、多江が、眼を見開いたのは当然のことでございました。  いやこれこそ、相手の弱味を知った男のやりくちか……でもおかしい、二十年も前の、たった一度会った女を覚えている、これまでも、弱味につけこまれたと言えましょうか。多江は、そのような疑い方を、頭から打ち消して、相手の様子も見定めずに、いきなり不用心に現われた壬生の生一本さに、どうしても心打たれてしまうのでした。  ひとを好きになるのに、なんとかかんとかと、理窟をつけようとする内心の乱れは、多江の防ぎようもないことでした。  三月ほどは、七日に一度、三日に一度、きのうもきょうもと、催しごとに誘われたりする、なんとなく舟の風待ちのような、潮どきを見るに似た逢《あ》う日が、こともなく過ぎました。それ以上は、踏み入ったら最後……  毎日、定った頃あいに電話がかかるのです、それが、甘いことひとつ言うわけでもないのに、心を落着かせました、声をきいたら、飛んでいっても逢いたいなどという、烈《はげ》しさとは違った、つよい響きあいを、おたがいに感じてね……大人のふれあいというのでしょうか、いつかはきっとと、自信というのか、自恃《じじ》というのか、そんな運命的なものに支えられていたように思うのです。  その日も、いつもより遅く、壬生から電話がありました。 「変りはないのね、こっちは、ちょっと、鼻血がどっと出て……今やっと納って、これから、病院へゆく、心配しないでいいよ、あとで知らせる、」 「……やっぱり血の気の多いひとは違うのね、」 「そうなんだ、こっちだけのぼせて、」 「いいえ、おたがいさまよ、でも、鼻血って、のぼせだけではないんですって、軽くお考えにならないでね、」 「わかってる、すこしぐらい心配させてやれと思ってる、」  多江は、壬生が、なんでもない、なんでもないと言いながら、どこかに故障があったら、どうしようと思っていることが、よくわかりました。  それは、これからの、ふたりのゆくすえをさえぎることになるからでした。  いつかはいっしょに暮したい、そばにいたいというだけの、夢のまた夢の日が、此の世では来ないかもしれないという不安|危惧《きぐ》が、多江を、我に返させ、壬生も、そうならずには済《す》まないような、羽目におちいり兼ねない、大ごとに思われました。  多江は、終日、電話のそばにいました。  夜になっても、その後のことはわかりませんでした。  風が吹いて、生あたたかく、いやな夜でした。 「天候のせいだわ、頭が重いわあたしだって……鼻血ぐらい驚くことないわ、」  強《し》いて多江は、そう思うことにして、電話の前をはなれて、庭へ出ました。草むらに立って、夜空を見上げました。まっくらで、生あたたかい空気は、湿《しめ》っていました。  その時、電話が鳴りました。 「夜分失礼いたします、運転手の前川でございます、旦那さまは、入院して、おしらべになるそうですが、心配しないようにと、おことづてでございます、」 「まあ、」 「明日、またお知らせいたします、」  多江は、ふらふらと、また庭へ出てゆきました。そのとき、このまま、壬生に逢《あ》えなくなったらどうしようと、蒼白《そうはく》な気持のなかに、はっきりと、壬生に惹《ひ》かれている心の、どこにもやり場のないことに気づきました。  多江のことが気になって、翌日遅く出社すると、すぐ、多江専用の電話をまわした。五度まわしても出ないんだね、どうしたんだ、あのばかやろうが、と、気になり出した。  あのばかやろうは、ひとりで、何処へ出かけたんだ、きのう、鼻血の出たことまで、こっちは、そんな些細なことまで知らせているのに、その後の様子がわかるまでは、なんで家で待っていないのだ。  わたしは、そのとき、ふっと考えた。  俺は、自分の心配だけを多江に負わせようとしている、多江のことが心配で心配でたまらないのだ、ちょっと眼をはなすと、多江が、居《い》なくなってしまうのではないか、また、二十年も、行方がわからなくなってしまうのではないかと、そんな恐怖に、おちおちしていられないのですよ。  どっちが、ばかやろうだかわからない。  その時、来客が二人あったので、わたしは、自分の部屋に通させた。もしや、多江が、専用電話をかけて来るかもしれない、その時、俺が出なかったら、いくらあのぼんやりでも、さては、病気だと思いこんでしまうだろう。単なる鼻血だったということを、早く知らせる為《ため》には、専用電話のそばを離れられない。  壬生は、来客といつも通りの明るい態度で、談笑していた。 「……今井が、三度めの細君を貰《もら》ったね、あんな運のいい奴はないよ、」 「いいかな、」 「いいさ、しかし今度は、英文タイピストで、社内とびきりの美人だそうだ、」 「問題はないのかね、」 「ないさ、平取締りぐらいが、一番自由が利くし、向うは、仕事が出来るから独身でいたのだから、なんの文句もありゃあしない、」 「うん、」  壬生は、気のない返事をしている。まだ、音沙汰がないのは、どうしたことだろう。つとめて、元気にはしているが、壬生は、友人が美人を貰ったことなんぞ、眼中になかった。ただ、そういう風に、俺と多江の間は、うまくゆくであろうか。  障害と言えば、多江にはないが、こっちにある。妻子を納得させることが出来ようか……今井の細君のように、病死でもしないかぎりは、……そこまで思いかけて、壬生は、身震いした。そんなことを考えるなんて、いかん、これはいかん。  その時、専用電話が鳴った。  壬生は、すぐ受話器をもった。来客の前もかまわず言った。 「きのうのこと、心配ないからね、この通り元気だよ、どこへ出かけていたのですか、」 「まあよかった……電話下さったのね、あたし、魚屋まで、」 「そうかそうか、あとで、かけます、」  壬生は、電話を切った。急に、元気が出た。 「そろそろ失礼しよう、なんかあったのかいきのう、」 「いや、たいしたことじゃあない、」 「そうかな……」  友人は、立ち上った。壬生も、ひきとめずに、扉のところまで送っていった。 「明日の、朝食会には、出るね、」 「出ますよ、」  快笑して別れた。壬生が、すぐ部屋にはいろうとすると、常務のひとりが、 「あの、ただ今、お時間がおありでしょうか、」  足早に、近づいて来た。壬生は、 「ない、こっちから知らせるから、」  ぱたんと扉をしめて、つかつか、電話をまわし出した。 「いま、来客中だったから、こっちは、その前に、五度もかけているよ、」 「魚屋へ行ったら、いいものがあったので、食べたくなって選んでいたのよ、」 「君は、僕が、病気かもしれないというときに、ひとりで、うまいもの食べる気になれるのかい、」 「あら、鼻血が出ただけなんでしょう、きのうは、陽気がのぼせ気味だったのよ、いいじゃないの、ひとりだからこそ、食べたいわ、食べずにいる方がいいんですか、」 「僕だったら、あんたに病気でもされたら、うまいもん食べる気なんてなくなるね、」 「………」 「魚屋に、なにがあったの、」 「めばるの大きいの、かさごもよかったわ、」 「食べたいね、そっちへいっていいだろうか、めばるの煮たの好きなんだ、」 「めばるは買いません、ひとりでは食べきれないと思って、かさごにしたわ、」 「なんだ、魚屋に、配達させればいいよ、すぐ頼んだら、」 「ほんとに、いらっしゃるの、」 「ゆきますよ、」 「きょうは、おやめになったら、また、のぼせるといけないから、」 「ちょっと待ってくれ、電話だ」  壬生は、秘書室からの用件をきいた。出かけなければならない用事である。 「……残念、用が出来た、明日、かけますよ、」  多江は大事な存在だ。しかし、壬生にとって、会社の仕事は、それ以上に自分がかかっている。仕事を放り出してまで、多江のもとに走るような男を、多江は、信用しないであろう、相手にしないであろう、そんなひと、きらいよ、そういうであろう。  わたしは、多江の気性として、それはわかるのだ。金があるとか、ないとか、そんなことじゃあない。生きのいい男であるということなのさ。仕事をやめるのは、病気以外にはないことだね男にとって。わたしには、多江の言うように、そんな日が、此の世のうちにあるであろうか。  いや、必ず、此の世で、たとえ十日でも、一年でもいい、俺は、どうしたって、あの女を、掌中に握ってみせる。  わたしには、それが出来る自信があった、男のうぬぼれではない、実感として、そんな日が、刻一刻と、迫って来るように思えて仕方がないのさ。  三日後に、多江と会った。  わたしは、社用で、連日、社外の要人と会う仕事があり、社にいても、来客が多くて抜け出すことが不可能なため、宴席で、うまい料理がたまたま出ると、あれに、食べさせてやりたい気がしてならないんだ。これが人情というのか、あんな家で、ぽつんとひとりで食事をしているのかなあと思うと、可哀そうになるのさ。  なにも、食うものも食えないほどの貧乏暮しではないのだけれど、うちの細君なんか、到来ものはもちろんだが、毎日のように、芝居だ、買物だと出かけてさ、みんな、俺に、そのつけをまわして、平然としているからね。それが当り前のような顔をしているのだ。 「ね、ちょっと関西へ行って来たいわ、」 「なにかあるのかい、」 「庄田さんとこで、茶室をお作りになったっていうじゃあないの、拝見したいし、」 「そんなのは、細君の稽古用らしいよ、見るほどのものじゃあるまい、」 「まあ、それはつけたりとしてもですよ、いいじゃあありませんか、京都へもゆきたいし、あなた、御都合つかないの、」  わたしは、むっとしたね。 「社用でゆけというのか、そんなことは、俺はきらいなんだ、公私の金は、別に使うべきだ、ゆきたければ、誰とでも行ったらいいだろう、そのくらいの費用は、充分、持っているだろう……」 「お金のことばかりじゃないわよ、たまには一緒に行ってもいいでしょう、」 「だめですよ、あんたのお供は出来ないよ、いつだって、しまいには、けんかになるじゃあないか、」 「……だって、あんなまずいお茶を出されて、私、我慢出来ませんよ、あなたが文句をおっしゃらないから、私が言うことになったんでしょう、あんな宿、駄目よ、」  わたしは、黙ってしまった。その宿は、わたしの友人の紹介で、わざわざ、いつものホテルをやめて、そこへ行ったのだが、妻は、友人のすすめを、てんからばかにして、 「よくこんな宿を贔屓《ひいき》にしてらっしゃること、なにか、特別の関係でもあるのでしょう、」 「……なんだ、そんな言い方をして……ホテルへゆこう、むりに、君に泊って貰《もら》う必要もないだろう、」  着くなりこんな始末で、言い出したら、ねちねちする妻の性質を知っているから、わたしは、当らずさわらずにしている、日頃、万事、うっとうしいから、さからわないんだ。誰が、もう、妻と旅行なんかするものか。  誰でも、気の合う友達とゆきなさい、俺はゆけないよと、突っぱねた。  わたしは、なにも、妻の顔かたちのことなど、別に問題にしていない、気だてなんだよ、見合いで、おとなしそうだというのを第一にしたのだが、わたしの出世というのもおかしいが、だんだんよくなるにつれて、妻までが、虎の威をかるような、鼻にかけた態度になって来たので、ああ、見そこなったな、と、わたしは落胆したほどだ。  それに、母との折合いが下手で、母は、親父でさんざん苦労しているから、男を立てることを知っている。妻が、わたしの言うことに従順でないのは、お前がわるいからだと、わたしを叱り、妻の立場にたって、妻の望むことは、たいがい通しているのだが、それでも妻には感謝の気持がない。お前を叱れば妻として、お前の肩をもつのは、むしろわたしを喜ばせることだという、そんな親心を察しる初歩さえも知らない。自分の子は可愛くて眼がないまでに甘やかしているのに、わたしの子であるお前に対しては、わたしの前で、いっしょになってお前をなじる。たかが、宴会で馴染になった妓《こ》が、歳暮の品を届けたということで、こんな趣味のわるいもの困るわとか、全《まつた》くとるにたらないこんなことにも反撥する妻を、母は、出すぎるというのさ。  いろいろあるんだよ、食べものの好みや、花がどうのこうの、一切、わたしは口をはさまないし、どっちの味方にもならんが、母は、高齢だし、妻を貰《もら》うときは、母が積極的で、顔より気立てと言っていたのに、長年のうちに、その気立てがわるい、継母《ままはは》に育てられているから、ひとの気心がわかるだろうと思ったのに、反対にひねくれている、意地がわるい……若い時から、今によくなるかよくなるかと虫を殺して、お前たちのことには口を出さなかったのに、だんだんと眼に余る……遂《つい》に、母は、別に食事するようになってしまった。  わたしも、妻が優《やさ》しくないことは不満だが、両方に不自由のないように、出来るだけの気を配っているだけでね、 「お母さんは先がないのだから、多少のことは我慢しなさいよ、」 「あら、先がないって、お年のこと、わからないわよ年寄がさきに死ぬかどうか、わたしだって、やっと少しは気ままが出来るようになっただけです、」  こう言われては、わたしも、 「|老少 不定《ろうしようふじよう》だね、わたしが、先になるかもしれないな、」  今頃、こんなことを言ってもはじまらないが、わたしは、母がいいと言うから貰《もら》った嫁なんだ、家のなかがうまく行けば、男は、充分、外で働けるからね……事によれば、好きな女だって出来るかもしれん、実際、ひと頃、妻の、つべこべ言うのにうんざりした。  金で自由になる遊びもしましたよ、茶屋遊びも、しかし空しくなった、それでも、四、五年続いた女もあったけれど、これが、どういうことか、睡眠薬の飲みすぎで死んでからは、ぷっつり、女遊びはやめた。大勢で、わあっと騒ぐことはあっても、惚《ほ》れたのどうのということはなくなった。  なんだか寂しい気になった。  自分には一生をかけての恋なんて、ないのだな、みんな、その時どきの出来心さ、俺が死んだとても、誰が、本気で泣いてくれるだろうかと気がついて、寂しくなる。  妻は、金の手蔓《てづる》がなくなるのを悲しむだけだ、子供だって、親より自分のことさ。  しかし、努力した精一杯の日日に後悔はないよ、食べるだけのものがあればいい。いつか、わたしは、家屋敷も妻子もおいて、独りで、山住みをしたいという気になっていったんだ。  母を見送ったら、それでいい、わたしの役は済《す》む。子供は、それぞれの家庭で独立する。わたしは、解放されて、ひとり暮しをしたいんだ。  兵役で仕込まれてるから、自分のことは、自分で出来るし、躰《からだ》も、柔道で鍛えてあるからね、鉄砲打ちも免状あるし、魚釣りも凝《こ》ったから、山男の暮しには、自信があるのさ。  九十九までも、と言うのは、わたしの場合は御免だ。そういう夫婦ではない。それが不幸かどうか知らん。  俺は、責任は持つ。しかし、妻から解放されたい気は、年ごとに深くなる。いや、女というものからかな……  そういう俺が、多江にめぐり会ってからは、生きられるものなら、百までいっしょに暮したいと思うようになった。  勝手なものだねえ。  どこがいい? ここって、言えないのだけれど、心が通う、黙っていても通いあう女とでも言うほかはないだろうか。  若いときなら情熱だけで、なんでも出来た。もう、そうはゆかない。精神的な満足がなければ、気が向かない。  へんな方にとって貰《もら》っては残念だが、まあそっちの方も、精神的なものですよ、青くさいことを言うようだが、躰《からだ》だけでいいなどというのは、空しいものさ、げんに、俺は、そういう経験を充分もっている。男は心だ、なんて歌が流行してるそうだが、女も心さ。  まるで青二才の言うような、プラトニックというあれ、あれは、本気なんだよ、本気になるから、死ぬの生きるのと、どこまでも追求するんだね。  その青二才の心境に、今の俺がなっているということは、晩《おそ》い青春だ。慾も得もないのさ、今まで築いて来たものを、みんな失っても惜しくないという、のぼせようなのだ。  まだ、なんにもしてないよ。  大事なものには、むやみに手が出せない。じっと、待っている、会うことだけは、自由に出来ると、それだけで満足しているのだから、他愛もない。  どこまで、俺のこの気持、相手に通じているかな。  そう思うと、息苦しくなって、心臓まひでも起すのじゃあないかと……そんなめに会っちゃあたまらないから。  多江は、そこへゆくと、あんな藪《やぶ》かげの古い家に、平気でいるんだ、憎《にく》らしくなる。あのばかやろうめ。  事によると、多江は、もし今までの日日に不幸があったとしたら、究極としては、その時分に修練を得てきた女だから、一種の境地を得ているのかもしれないのだ。  そういう女を、こっちへ向かせるのは、やり甲斐《がい》があるよ。  なんにも言わないけれど、凡《おおよ》そ、身の上の見当はつくからね。言わぬは、言うにまさる。  三時に、東京駅へ着きました。  壬生は、出口に近い硝子張《ガラスば》りの案内所のなかから出て来ると、 「あんたの歩いてるところを、さっきから見ていた、脇見をしないんだね、僕が、どこかから出て来ると思って、自分では、探そうとしないでいた、」 「そんなことないわ、案内所のあたりと仰言《おつしや》るから、そこをめあてに来たのよ、」 「そうか、なにが食べたいの、」 「洋食にしましょうか、そうそう、その前に、料紙と懐紙を買わなければ、」  わたしたちは、専門の紙屋へゆきました。わたしが必要な物を買っている間、壬生は、千代紙を見ているのです。そばへゆくと、 「どうだろう綺麗だね、いい柄がある、」 「あたし、ちびちび買って、だいぶ持っているの、絞り紙もあるわ、」 「そうだろうと思った……これ全部いいでしょう、」 「この柄も、これも持ってるわ、」 「持ってたって、いいじゃあないか、みんなお持ちなさい、」 「そう、嬉しいわ、こういうくだらないものが好きなの、いくつになっても、でも、こんなに、いっぺんに買ったことないわ、」 「………」  壬生は、黙って、あたしの料紙と一緒に代金を払いました。 「ほかに、買うものはないの、」 「ありません、」 「じゃ、食べに行こうか、」  すこし暮れなずんだ空から、ぽつりぽつり降って来ました。わたしは、降られるのと、夜になるのをおそれて、帰りたいような気になりました。わたしが帰ってしまっても、壬生には、家族もあり、宴会もあるのです。わたしは、暗くなってから、電気もついていない家へ、ひとりで戻《もど》るのが、未《いま》だに、嫌なのです。あかるいうちに、家のなかへはいりたいのです。  恐いとか、淋しいとかいうのではなくて、夜暗くなるまで、賑《にぎや》かな外を出歩いていて、そのあとの違いかた、それを繰り返すことが、辛いのです。だから辛くならないうちに、さっと、いつもの自分に戻りたいような、言わばずるいのかしら、辛い目を避けよう避けようという、用心のような気が、無意識に起るのでした。 「どうしたの、行きたくないの、」 「行きたいけれど、おそくなると、帰るとき悲しくなってしまうし、」 「なんだ、送ってゆきますよ、」 「でも、雨になるでしょう、湿《しめ》っぽくなると、お躰《からだ》にわるいわ、」 「冗談言っちゃあ困るよ、濡れたぐらいでどうなるもんか、車が、竹藪《たけやぶ》のとこははいらないが、傘もトランクにはいっているし、」 「……よく、心臓まひを起しそうだなんて仰言《おつしや》るから、」 「そんなこと、気にしてるの、」 「ええ、」 「ばか正直なんだな、うちの者は、僕が言ったことなんぞ、そばから忘れてしまうよ、大事なことは、だから言わない、これから、あなたに、なんでも言って、きいて貰《もら》うだけで、どの位《くらい》、僕は気がやすまるかしれない、」 「………」 「洋食は、この次にしよう、肉を買って帰って、うちでオイル焼でもビフテキでも……」 「うち、って仰言《おつしや》ったわね、」 「そうよ、あんたのうちが、僕のうちだと思ってるから、」 「まあ、押し込み押し売り、」 「早くしよう、そうと定ったら、僕が買うよ、霜降りを一キロもあればいいでしょう、」 「そんなに要らないのよ、」 「残ったら、また使い途があるでしょう、野菜は、あんたに委《まか》せるよ、」  わたしたちは、車を東京駅へ寄せて、わかれて買物をすると、そのまま車を走らせました。壬生は、食後のレモンパイまで買っていました。  先刻、壬生が、うちへ帰ってと言ったのが、そのまま本当に、ふたりは昔からこうやって、連れ立って買物をして、我が家へ帰っていっているような錯覚を起しました。  わたしは、これが幸福なんだと思いました。壬生が、こんなに喜んでいるのだから、それでいいではないか、そんな気もしました。途中から、雨は、本降りになりました。  保土ケ谷あたりでは、かなりの吹き降りです。いつも、保土ケ谷、戸塚の間では、よく降るのです。大磯を出るときは晴れていても、戸塚辺から雨になることが多いので、わたしは、吹きつける雨の滴が、太い線になって窓を打つのを、見つめていました。  こんな雨の日に、壬生とふたりでうちへ帰るなどということを、夢にも思ったでしょうか。人生には、突然、降って湧いたような、心なごむ思いがけぬ喜びが起るんですね。なんの期待もない日日が、俄《にわ》かにわたしを揺り動かすのです。  良人が在世の頃には、このような喜びはなかった、良人がいるのは当り前のことで、お互いに相手のために存在しあい、助けあうのになんの不思議も感じませんでした。けれど、壬生のように、心に沁《し》みる優《やさ》しさを、良人は見せなかったように思える、それは、妻に甘く見られることを用心し、男の体面を重んじることに汲汲《きゆうきゆう》としていたのだろうと思います、釣った魚に餌はやらない、釣られた方も、それを観念していて、たまに、良人がキスでもしようものなら、まあ、あなた、よしてよ、などと羞《は》じたのです。  たとえ牛肉を買って、一緒に帰ったとしても、当り前のこと、どちらにも、感激などはなかったようです。どういうのでしょうか、あんまり情愛のない夫婦だったのかもしれません。  他処《よそ》の夫婦の様子は、わたしは気になりませんでした、わたしの良人は、こういう性質、どうかして、わたしが飛びあがって喜んだりすると、そんなに興奮するなとか、子供じゃあるまいしとか、むしろ冷たい眼で、わたしを見るのでした。まるで、殿さまと姫さまのように、きちんと座りこんで、良人は、写真の整理をしたり、わたしは、編物をしたり、台所で、ことこと煮物をしたりして、それが、平凡無事なことだと思いこみ、着るものにでも凝《こ》るのが関のやまでした。  それでも、みんながしあわせだ、しあわせだと言うので、しあわせなんて、あまりおもしろくないものだが、折角《せつかく》、そう言われているのに、無理に、そうじゃあないと言うこともないと、言われるままの状態を、忠実に守っていることが精一杯でした。  壬生は、はじめから、全然違った形で、わたしを惹《ひ》きつけました。 「好きなんだ、毎日でも会いたいよ、いまに見てろ、どうしたって、一緒に暮すから、」  こんな乱暴な、露骨なことを、臆面もなく言いました。 「そんなこと出来る筈《はず》がないわ、」 「ない? あんたを好きになるのは、僕の自由じゃないか、なに言ってるんだ、伊達《だて》や、酔狂で、こんなこと言えるものか、」 「………」 「よっぽど、御主人は、君を大事にとり扱ったか、無視したか、どっちかだ、」 「いいひとでしたよ、」 「そうでしょう、いいひとだと思う、君をすこしもこわさずにおいたいいひとだ、催眠術みたいなものだな、」  そう言われたとき、わたしは、はっとしました。男と女、正に、壬生は男として、わたしは女として、ここにいるのでした。 「冷たい手をしてる……」  壬生は、わたしの手を、両の掌にはさんで、こすりました。それが、なにはばかる気色もなく、運転手の前のミラーにうつるほど、おおっぴらでやるのには、わたしは、へいこうして、 「もう結構、血のめぐりがわるいんだわ、」 「そうだ、手ばかりじゃあない、全体に、血のめぐりがわるい、」 「……ばかと言うことかしら、」 「いいよ、決して僕は、あなたの頭脳に惚《ほ》れたんじゃない、女としてのあんただ、」 「いやに、おだてること、そんな色気は全然ないと思っていたわ、色気って、どうやればいいのかわからなかったわ、だからあたし、色気コンプレックスになっていたくらいなの、」 「それでいいんですよ、じゃらじゃらされたら、かなわない、色気なんか、どうすりゃあ、どうなるってものじゃあない、わたしが、感じるものなんだ、」  そんな、とりとめない話をしているうちに、家に着きました。 「今、開けます」  雨は、殆《ほとん》どやんでいましたが、枯草はびっしょり濡れて、竹の葉の露《つゆ》が、首に落ちるのを振り払って、奥の戸口を開け、ぱっぱと玄関のあかりをつけ、壬生を中に入れました。運転手の前川さんが、大包みを抱えて来ると、壬生は、札を渡して、 「なにか食べて来なさい、一時間あまりしたら、戻《もど》って来て、邪魔にならない場所で待っててくれ、」 「はい、」 「どこか電気屋を探して、外灯のとりつけを頼んで来なさい、明日にでも来て貰うように……こんなうす暗くちゃ、不便だ、」 「はい、」  わたしは、早速《さつそく》に、ビフテキの用意をして、グリンサラダを作り、壬生に、鉢《はち》ごと渡して、よくかきまぜてね、まぜるほどおいしくなるわと、躊躇《ちゆうちよ》なく頼みました。 「焼くのは、|レヤ《ヽヽ》でいいよ、切ったら血の出るような奴、」  御飯をたいて、辛子《からし》をといて、玉子のお露《つゆ》を作って、出来るそばから、卓子《テーブル》に運びました。 「もういいから、座ってよ、楽しいね、辛子まで違う味がする、」 「あら、ただの洋辛子よ、誰がといたって同じだわ、」 「いいや違う、ぷうんとする、うちのは、色もわるい、」 「そう、お世辞もありがたいわ、」 「サラダだって、うちのレタスなんかばりばりするだけで、馬でも食べるようにかたくて、こんなに、しなしなしないよ、」 「駄目、おうちのことは言わないの、あたしはあたし流なんですから、」 「うまい、お代りだ、」  壬生は、その間にも、お茶をいれろの、レモンはないのかのと、自分で立って、台所へ行ったりします。わたしは、冷蔵庫をあけて、腐りかかったレモンを、壬生が捨てるのを見やっても、言いわけもしませんでした。  ひとり暮しというものは、なんでも使いきれなかったり、忘れたりするのです。ひとりだからとて、部屋を一人前だけあたためるわけにゆかないように、一本の大根を使いきるのは、大さわぎです。さりとて、小さな大根はおいしくない。大根の相手を毎日変えることで、続けて使わないと、大根もまずくなる。万事、ひとりでも、やるだけのことをしないと、生活の雰囲気が出ないのです。わたしは、元気に生きたいことだけを願って、自分の生活の手をゆるめずに来ました。  それを、壬生が、多少みとめてくれたように思うのです。 「いい皿があるね、」 「………」 「金目《かねめ》のものはなさそうだけれど、可愛いものがいっぱいある、筋のいいものだ、」 「あら、金目のものはないの、失礼な、」 「こんど、お宅の品品を、拝見させて貰《もら》いたい、見せておくれよ、」 「そんなこと言って、いいものがあったら取りあげる気……」 「あんたも、言うことは言うね、」 「世間には、後家さんをだましたりする男がいるでしょう、」 「いるね……よく今まで、だまされなかったな、珍《めず》らしい、」 「………」 「慾がなかったのが、よかったと思う、たいてい、ひとりになると、慾深くなるものだがね、年とともに、うちのなんか、ありあまっても、慾が深い、」 「またまた、いけません、」  食事が終ると、壬生は、帰りたくないと言い出しました。 「だめよ、楽しかったわ、」  わたしは、笑顔でいましたが、壬生が、このまま帰らなかったらいいなという気もしたのです。 「また、手料理をしましょうか、」 「うん、そうしよう、材料は、僕にまかせてくれ、」 「お魚は、こっちの方がいいわ、」 「……そのうち、母屋《おもや》を乗っとるか、」  そんなことを、ずけずけ言う壬生に、わたしは、小気味よいものを覚えて、さぞ、うちでは暴君だろうと、言いました。 「いや、おとなしい、さからわない、」 「やっぱり、うわ手、」 「さからっても、おもしろくないから、あんたのように、打てば響くんでなかったら、面倒なだけになる、」 「その鬱憤《うつぷん》を、うちに、晴らしにいらっしゃるの、」  そうだという壬生に、多江は、飛びつきたいような衝動を覚え、そうしました。  十一月の初めで、再会してから五ケ月過ぎてしまった。  その間、ほんとに、僕はただ、僕という男を、なんとか、あのひとに強要したいためばかりに、熱中した。  暗い部屋のなかでも、何処《どこ》になにがあるか、手探りでわかる、何番目の抽斗《ひきだし》の右側に時計が二つはいっている。爪切《つめきり》、判《はん》こ、万年筆、耳かき、眼鏡、半巾《ハンカチ》、懐紙、毎日必要なものは、小《こ》抽斗《ひきだし》に分類してある、あんたのように、がまぐちは何処だったかしら、鋏《はさみ》をどこに置いたかしらと、一日、何かを探しまわっているときいては、見ていられないよ。  一度、すっかり整理してあげようか、お稽古のものだけは、手順が揃《そろ》っているようだが、ほかのことは、ごちゃごちゃらしいね、受取はなくしてしまった、請求書はどこかにまぎれてしまったと、それでまあ、一年も経って、失くしたと思って、買った手套《てぶくろ》の片方が出てきたなんて、手品みたいだ。僕は、その日着たものは、全部、一つの籠の中に入れる。翌日は、別のものを着て出る。日常使う眼鏡、万年筆、札入、小銭入、時計は、ひとまとめの手籠に入れてある。  そんな、くだらないことでも、僕の性格がのみこんで貰《もら》えるかと思ってさ。  あのひとは、笑って茶を飲んでから、 「あたしは、散らかしてあるようですけれど、自分のことは、自分でわかるのよ、そりゃ、お財布おき忘れたり、おひとが見えたりして、それっきりになったりしますけれど、」 「だから、置き場所をきめて、必ずそこへ戻すことにおしなさい、あとで、と思うから、ごちゃごちゃになるんでしょう、」 「おくさんにも、そういう注意をなさるの、」 「しない、」 「………」 「あんたには、僕の性分が、もうわかって貰えていると確信してさ、その上にも尚《なお》、こういううるさい奴だと知って貰いたいから、」 「うるさがられてしまったら、」 「いや、すくなくとも、関心はもつだろう、言わば、前宣伝さ、押売りしているのも、そりゃあ、てれるよ、だけど、早く自分を知って貰《もら》うために、性急になってる、とにかくあんたのことが、気になって仕方がない、惚《ほ》れた弱味だね、なにか、無理難題を言われたいし、こっちも、ふっかけたい……」  多江は、壬生の気持を察していた、壬生の眼から、うすぼんやりの女にみえるのも承知しているであろう。 「でも、いっしょに暮そうなんて、お思いになるのは、無理よ、」 「なにが無理だ、」 「あなたをそんな無分別な男にしたくないわ、」 「なんだ、男の気もしらないくせに、」 「およそは、わかっているわ、でも、好きだから、あなたが、誰かに恨まれたりするのはいやなのです、」  壬生は、こいつ、と言って、多江を抱きかかえ、 「そんな風に言われると、僕は、たまらないよ、弱い奴にはかなわない、」  会えば、全《まつた》くらちもないことを言いあって、それで、水が滲みこむように、互いの心の底がみえて来る。  正月は、壬生は、家族の希望で、毎年、箱根の定宿にゆき、梅見に出かけたり、スケート場へつきあわせられたり、三日間缶詰状態になるのが、苦痛でさえあった。  多江は、壬生のそんな生活を想像しただけで、やっぱり壬生の言うことには、半分、嘘《うそ》があると思っている。無一文になって、風呂敷包み一つで家を出るなどと、それは、壬生の一種の夢のようなことだと、相手にしない。  世のわずらわしさから逃れたいという、男の世界の真剣勝負にまつわる息抜きなのでしょう。だから、息抜きに、多江がなるならば、それだけでいいではありませんか。多江もそれでいいのです。あなたを独占しようなどと、到底そんな気はないのよ。それは分別ではなくて、思いをこめて言っているのです、友情なら、つづくと思うの、色恋となったら、さめるときがあるわ、もう、そういう別れも、淋しさも、あたし経験したくないの、好きでいいじゃあないの……  そんな中途半ぱなことでごま化そうたって、そうはゆかないよ、俺は、あんたを力ずくで自由にしようと思えば、いつだって出来る、そうしないのは、あんたが大事だからさ、四海波静かで、ずっと行こうなんて、そんなのあるかい。  ホテルの洋食を食べながら、うまいおいしいと言いながら、そんな話をしているのが、嬉しいのだなあ。女と、こんな本当の話をしたことはなかった。  別に、多江の機嫌をとるというのではないが、彼女が黙っていると、なんとか笑顔がみたくて、わざと、ばかなことを言ってみる。  おもしろいかたね、そう言って、安心しきった表情になる。この女におもしろがられることに、俺は、どんなに満足したろうか。  自分が嬉しいおもしろいと言うよりも、多江が喜ぶことで、俺も嬉しくなる。それに、決して、多江は、自分から何か欲しいと言ったことがない。  若い時は、たしかに、贅沢《ぜいたく》自由な暮しをしたであろう。だが、大磯の家の暮しぶりは、どう見ても、その頃とは雲泥《うんでい》の差《さ》だ。パンでも焼きましょうか、おいしいチーズがあるし、そう言って、トースタアを持ち出したとき、俺は、眼を見張ったね。  戦後はじめて出来た頃の、安もののパタンパタンと両側を開けて、焼けた頃、とり出す式のあれさ、今は、自動式といって、焼けると、ぽんと出て来るのが普及している。俺は、じっと、その銹《さ》びかかったトースタアを見ていた。 「……時代ものだね、」 「でも、まだ使えるのよ、」  彼女は、けろっとしている。俺は、そういうところが一層好きになった。アイロンも古い。もっと便利な、スチームのがあるのに、シュウシュウ霧を吹いて、足袋の皺《しわ》を伸ばしている。  俺は、その日、多江と、海辺を散歩するつもりで行ったのだ。ちょっと待って、と言って、足袋にアイロンをかけている多江をみると、なにか、しみじみと哀れな、懐しい郷愁を覚えたものだ。  たかが海岸へ行くというのに、まっ白な足袋にはき代える、それは、俺に対する情愛のように思えた。いい育ちだ、とも思った。  比較する気はないのだが、ありあまる時間があっても、足袋にアイロンはおろか、手のかかることは一切しないで平然としている我が家の暮しぶりと、多江のつつましさが、いやでも眼につく。  当人は、なんとも思っていないのが、尚《なお》、俺にはじいんと来るんだよ……  海辺で冬の波を見ているうちに、風が寒くなって来た。  運転手の前川に、膝掛けを出させて、多江の背にかけた。 「まあ、軽くてあったかい、らくだ?」 「らくだなんて、もう言わなくなったね、らくだだろう、」  そんな、言葉のはしはしまで、俺は気に入っている。大正時代に還った気がする。多江のまっ白な足袋が、あっと言うまに、夕波に濡れた。 「もう帰ろう、足袋を脱ぎなさい、毒だ、」  車の中で、俺は、予備の靴下を出して足江の足にはかせた。きゅうっと足の裏の反《そ》った細い足首に、骨が露《あら》わに出ている。 「いい足だね、」 「いやあね、へんなこと言って、でも、お友達に、足首のずどんとしたひとがいて、どんないい靴をはいても、重そうに見えたわ、」  その日は、それでお終い、足首をみただけで。そんな些細《ささい》なことが、積み重なっていって、いつか自然に、多江は、俺のものになる、時間の問題だ。  女を手なずけることならば、多少の技術は、本能的に、男は知っているものだ。だが、多江には、そんな手は要らない。俺の真実を信頼すれば、多江は、きっと懐ろにとびこんで来る女だ。ばか正直な性質で、そうなったら、素直に感情をさらけ出すであろう。  ひとの言うことは、疑っても、自分の心は疑わない女だと思っている。しかし、銹《さ》びた、パタンパタンと、両側を開けるトースタアは、なんとも心に沁《し》みた。  だから俺は、次の時、多江と会った日に、東京駅まで送って、風呂敷包みをわたした。 「この位《くらい》、もてるでしょう、」 「なあに、これ、」 「帰ってから開けてごらん、ケーキが上にあるから、つぶさないように、」 「あら、ありがとう御馳走さま、あたし、電車の中で、食べようかしら……」 「いいね、そんなこときくと、一緒にゆきたくなるじゃないか、」 「そう、いいでしょう、外を見ながらケーキ食べて、」  多江が車内にはいるのを見届けて、俺は、駅を出た。  決して多江はそんなことはないと思っているのに、ひょっとして、多江が、早く帰ると言って、夕食もとらずに戻《もど》ったのは、外に、寄るところがあるのだろうかと、電車に、乗せてしまうまで、気がかりでもあったからね、全《まつた》く、どこまでも、気になる女だ。  俺は、おそらく、焼きもちやきなのだろう、はっきりと、多江に、そう思われてしまう方が、気がらくになる。  仕事の面では、たしかにみとめられた。庄田も常常、運もいいが、男にもてる男だお前は、悪妻のおかげかもしれんぞ、可愛い女と添ってみろ、ふにゃふにゃして、男からは、いやな野郎だとなる、男は、女にもてるより、男にもてなければいかんな、小姓じゃないよ、粉骨砕身の徒だよ、いったん引受けたからは、とことんやったもの、北《きた》樺太《カラフト》石油《せきゆ》が出来たとき、弱冠《じやつかん》の身でお前は引き抜かれ、会社の設立に大童《おおわらわ》だったのは、僕たちも知っている、いいポストにいたのに、それを投げ打って、お前を見込んだひとの鞄もちをして失望させなかったものな……今の立場だって、僕たちより遥かに早くついている、そりゃあお前の器量だ、仕事に食いついたら、離さない念力のようなものだよ、だが、それでは、満足しない、今になって、まだ一つの世界に惹《ひ》かれてゆくそれが、僕は心配なんだ、どうして、家まで捨てて、そっちへ行きたいというのだ、なんとか、適当にやれないのか——俺は、あの時の、庄田の言葉が、耳朶《じだ》にこびりついている。  もう一つの世界、仕事のほかの……それが多江であってどうしていけないのか、晩《おそ》い恋をする晩年の輝きに、俺は眼がくらんでいるのであろうか。  一応、仕事をしたあとで襲う空虚な人生、仕事のほかにはなんにもないと言ってもいい日日の終りが、わたしに近づいて来る。  母は、一草亭さんに花を習っていた。別棟で暮していて、特に客があることもなく、たまたま、身内の者がたずねて来るほどの、|きら《ヽヽ》を張る暮しではなかった。息子が出世したと言われるようになっても、おかげさまでと言うだけで、指環一つ買ったこともない。羽根蒲団の寝具を揃《そろ》えたときも、 「勿体《もつたい》ないねえ、天皇さまから葡萄酒を給《たまわ》ったり、せめて軽いようにと、羽根蒲団を送られたりすると、もう先がないということなのね、ありがたいけれど……」 「ぴんぴんしているうちの、僕の気持ですよ、弱ってから、なにをしてあげたって……僕は、母さんがぴんしゃんしているから、それを、永続きして頂きたいと思っているのさ、」 「そうね、死んでから、金棺に入れられたって、嬉しくないものね、」  そうなのだ。生きているうちに、せめて、願うことの一つぐらいは、充足充実してみたいじゃあないか。  恋は、若いときの情熱だけであろうか。出会の問題であろうか。俺の心をかきたてる情熱は、にべもなく言えば、男の本能であろう。若い時は、本能のほかに、野望も、征服慾も、雑多な不純物もまざっていた。尋常に暮して、妻子にも不自由させず、仕事も一応やるところまでやった男の、その上の、また別の世界で、恋しい女と、一日でも思いをとげたいという慾望は、過去のことごとくを捨てる覚悟の上の、捨身ではなかろうか。  閃光《せんこう》に似たものが、多江との間にきらめく。多江は、このままひっそり過したいと言う。そういう女を、ひきずり出しても、膝下に、どうしても抱えこみたい。これは暴風のような、俺自身で、どうすることも出来ない情感であった。こっちを向かせてみせる自信にうち勝つのが、精いっぱいの俺の節度であって、多江に会うと、はやる心を見すかされているようで、俺は、会えるだけでもいい、だから、このままそっとしておきたい気で、心が鎮まるのだ。 「誕生日はいつなの、」 「二月よ、寒い頃でしょう、べつに、何処《どこ》へ連れてって貰《もら》ったこともないわ、」 「……連れてゆこうか、どこでもいいよ、」 「そうね、それも、」 「世間体か、へんに思われるって言うの、いいじゃないか、これから、どっちみち、へんになろうって言ってるのだから、」 「そうね、へんでもいいけれど、今頃、誕生日だなんて、もういいわ、」 「僕も、一人前になってからは、誕生祝いなんてして貰わないな、会社でなんとか言われるようになってからは、わたしの誕生日には、家族の者に、なにかやる習慣になった、」 「それもいいじゃあないの、」 「細君がそう言い出したのさ、だからめいめい好きなものを買って、僕にそれを支払わせる、その上、中華料理を一卓設けろなどと……仕方がない、やってる、」  多江が黙ってしまったのに、俺は気がついた。細君や、家族のことは、多江の前で言うまいと思いながら、逆に、多江に、そうしてやれないことが残念で、強制する家族をひきあいに出したくなる。  俺は、そんなこと、ちっとも楽しくないのだ。しかし、今までのしきたりをやめたら、細君が、なにをたくらむかわからない、面倒なことだ。同じ、そっとしておくのでも、多江をそっとしておくのと、家族の強制をそっとしておくのでは、次元が違う。 「僕は、五月だよ、どうだろう、誕生日には、贈りものをするとか、好きなところへゆくとか、ふたりでやろうじゃないか、僕は、あんたから、贈りものをして貰《もら》いたいよ、こんな楽しいこと、ほかにあるもんか、」  多江は、そうね、あたしも、誕生日の贈物みたいな真似、したかったの。よし、そうしよう。そこに一つの手がかりが出来た。  そうそう、この間、多江が、珍《めず》らしく電話をかけて来た。俺が部屋へはいって、秘書が、一日のめもを持って来たところにだ。すぐ受話器をとった。秘書は、すうっと、部屋を出ていった。 「うちのトースタア、気にしていらしたのね、いいものを頂いたわ、焼き上ると、ぽんと出て来てスイッチはきれるし、デザインもいいし、ありがとうございました、」 「古いのは、博物館ゆき……あんたは、買うのを忘れるから、お節介をやいただけよ、次の御注文はなにかな、僕は、新しいもの見たり買ったり、好きなんだ、」 「……ちょっと、にくまれぐち言っていいかしら、トースタアとか、てんぷらとか、不意をつかれたわ、うまいものだなあ敵ながら……」 「まいったか、」 「まいってますよ、その点は、」 「今日は、出て来ないの、ちょっとでもいいから、」 「それが、三日ばかりして、うちのお茶会があるのよ、お弟子さんたちの、それでお道具など、あわせてみなければ……」 「それじゃ、あした、こちらから行きますよ、見てあげるもおこがましいが、いい機会だから、あんたのものを、見にゆく、」 「そう、金目《かねめ》のものはなくっても、お宅にないような、センスをお見せするわ、」  多江の声がきれたあとも、俺は、うきうきしたね、話しているだけで、はずみがつくんだ。おもしろい女でもないし、絶世の美人でもないし、愛想がいいわけでもないし、どこがどうって目立つところはないのに、惹《ひ》きつけられる。近頃、宴会でも、妓たちがそらぞらしくてさ、そらぞらしくあしらわれても、充分興のあった頃の、その関心がないのさ。のっぺらぼうを相手にしているようで、ぽかんとしている。  肩を叩かれても、膝と膝をくっつけてきても、黙って、ひとの眼鏡をとりあげて、薄いむらさき色の紙で拭いてみたり、長襦袢の袖口で、つるを拭《ふ》いてみたりしていても、これが、一向《いつこう》に、妓の手のうちを見ているようで、心もそらなる平気の平気…… 「どうかしてらっしゃるわ、もの思い、」 「そう見えるかい、」 「にくらしい、」 「見えるとすれば、そうかもしれない、」  俺は、半分は|てれ《ヽヽ》、半分は嬉しく、女にみつがれたり、入れあげさせたりする男の、けちな奴の心根が、羨《うらやま》しいような気さえするのだから、妙な気分なのだった。  売った土地に建った、木の香も新しい住み心地よげな家に、紅梅が咲き出しました。紅梅は、黒田梅とかいう濃い花で、それを、藪《やぶ》に沿って五、六本植えこみ、わたしが住んでいた頃とは全然べつな、お金をかけた庭になっているのです。  多江の小さな庭には、二本あった梅の古木が、一本は枯れ、一本は、売った土地の方につけたまま手離したので、梅の木はもうありませんが、風に乗って、時には馥郁《ふくいく》とした香が漂います。梅が香という、ありきたりの匂いが、なんとなく好きで、火のそばに、二粒も置くと、わたしは、清風が吹きぬけるように思います。  毛氈《もうせん》をひろげて、軸や、道具の箱を、幾つか並べました。風炉先屏風《ふろさきびようぶ》も、二つ出してみました。床には、土器の提瓶《ていへい》に、隣家の黒田梅の蕾《つぼみ》を一枝所望して、掛物は、日常のままに、無尽蔵《むじんぞう》をそのまま、多江は、壬生の現われるのを待っていたのです。  春浅い日射しもあたたかく、茶室造りではないまでも、萩枝の天井と、六尺に満たぬ床《とこ》の間《ま》と、半畳の左寄りに切ってある炉で、一応は、ま四角な茶室の標準にはなっているのでした。  多江は、道具畳の前で、箱の紐を解きはじめていると、合図の呼鈴が鳴って、壬生が、庭先からはいって来ました。 「だいぶ出しているのね、いい瓶をもってるな、」  立ったまま、室内を見まわして、早くも壬生は、多江の所持の品が、どの程度のものか、見当がついた様子で、靴を脱いだ。そこへ、運転手の前川が、風呂敷包みを二つ抱えて来て、端近《はぢか》に置いた。 「帰っていいよ、電話するから……それとも、外へ食事に出ますか、」 「いいえ、そんな時間ないわ、」 「失礼いたします、」  多江は、立って、運転手にのし袋をわたした。御苦労さまでした。七時頃までにね、そう言うと、壬生は、三時四時五時と数えて、七時半に来なさい、半時間でも重要なんだ、と笑顔で言う。運転手が立ち去ると、多江は、いいんですか、労働組合とかに叱られるんじゃないの。いや、勤務中だ、道具を検分に来る、家を見にゆく、社用と関係があるよ、いざという時の担保物件になる。 「まあ恐い、いよいよまきあげるつもり、」  壬生は、からから笑って、全部まきあげても、たかが知れてる、僕があんたのものをまきあげるなんて、ひどい想像だよ。多江は、あかくなりました。真底、そう思っているわけではない、ひどい女、そういう用心ごころを、壬生にあたえておきたいような、壬生の不用心をたしなめたいような、既に、壬生に傾いた心のさせる、なんであろう、あか信号の点滅をしているのでした。  ひと休みすると、多江は、茶碗や、水差や、茶入を、箱から出しました。壬生は、一つ一つ眺めて、ぽいと、脇へおいたりします。 「花生《はないけ》は、これで申し分ない、僕も、一つ用意して来たの、久尻《くじり》の江戸中期頃かな、すこし、僕好みすぎるから、その提瓶《ていへい》の方がいいでしょう、」 「久尻って言うと、瀬戸でしょうか、」 「よく知ってる、しっかりした形で、口のまわりが灰釉《かいゆう》で、茶色とのつりあいがいい、花うつりは、なんにでも合う、」  壬生は、それから、古染付の徳利を出しました。藍《あい》いろの、口元の緊《しま》った大ぶりの徳利は、充分、花生《はないけ》になる、白い花を入れたら、さぞ引立ちそうでした。  多江は、色の深い静けさに見惚《みほ》れました。 「この土器お好き、」 「いいね、灰が黒く滲んで、扁壺《へんこ》より丸味があって……座りは、木を使っているね、」 「ちょっと、木の色が目立つでしょう、」 「麻縄で、こしらえさせてあげよう、寸法はどの位かな、」  壬生は、提瓶の底をみて、手帳に、その形と、底の大きさを書きとめました。 「道具屋に早速《さつそく》作らせる、座りもいいし、目立たないし、なんでもないよ作るのは、」  多江が、掛物を箱から出して、壬生が、片方をもち、ひろげて見て、すぐ巻いてしまいました。もう一本も、見て、すぐ巻きます。壬生は、その掛物が不満らしいのです。それから持参の軸を、黙って、無尽蔵《むじんぞう》の軸とかけ替えました。そんな場合の態度が、無造作で、馴れていて、自分のものをかけ替えているような、自由な様子で、思わず多江も、このひと、よほど道具をいじったひとだと感じると同時に、そこにかかった、奈良絵の、物語の残欠《ざんけつ》の、渋い間道《かんとう》で表装されている古びた趣きの、なんともしれぬ情景に、はっとしました。  絵は剥落《はくらく》している箇所もあり、坊さんの姿と、姫君姿のかすれたような裳《も》に、長い髪の毛が尾をひいている縁先に、小さな木が一本あって、霞のような地も亦、剥落した、茅屋《ぼうおく》の光景でした。 「なにも、会にこれを使いなさいっていうのじゃないよ、ちょっと、珍《めず》らしいから、」  多江も、はじめて手にとってみるのでした。奈良絵本というものがあって、お伽草子あたりのなかの物語を、絵巻にした、上等ではないが、愛好家には、大仰でなく、稚拙な味わいのある絵本として珍重されていると、きいてはいましたが、ほんの、耳にしているだけのことで、実際に、どういうものであるのか、見当もつかなかったのです。 「巧妙でなくて、いいわね、」 「かと言って、下手でもないし、おかしなものだね、以前は、たくさんあったのでしょう、大和絵の流れだろうけれど、それほどの巧者でなく、気安く、民家で使用したものだろうね、」  壬生と、こんな話をしていると、二時間ぐらい、すぐ経ってしまうのです。いつ頃、壬生が、こういうものにも興味をもったのかわかりませんが、たぶん、いいものを手にした揚句《あげく》、むしろ、その精緻さがうっとうしくなって、このような、とぼけた絵巻の残欠など、漁《あさ》ったのではないかと思うのです。 「これね、もう亡《な》くなったけれど、入交《いりまじり》という友人が、たくさん持っていてね、こんなもの仕様がないだろうけれど、よかったらやると言うからさ、七、八枚|貰《もら》ったかな、それを、ひとにもやったし、白描のと、彩色のと、三枚ばかり表装しなおしてあったんですよ……ふっと、あんたの家に、こんなものの一つ、掛けてあってもいいと思った、」  多江は、嬉しかった。高価そうに見えないものに、壬生の好みがあるのもわかっていましたが、入交から貰ったと、何気なく言うのも、このひとの、いや味のないところと思っているのでした。  性質でしょうけれど、男でも女でも、このわかめは、どこそこの解禁初めのもので、色があざやかでしょうの、この茶は、そこのうちの初摘みの手もみのわらかけのと言ったり、菓子の由来から、干魚のやっと手にはいったのと、ことこまかに言わなければ気のすまないひともいます、ありがたいと思っても、多江は、勿体《もつたい》つけられるのがどうも性に合わなくて、わかめだって、干魚だって、食べてみれば、うまいか、まずいかわかるものを、とやこう言いたてられると、そのような珍品を頂いては申しわけのないような、御礼のしようのないような気になります、粗品、粗菓などと贈物に書く伝統が、粗品どころではないのを、いやになるほど経験しましたよ。  西洋流に、これはうまいのです、一番上等ですと、あっさり言われると、多江は、すらすらっとすぐ食べたくなる。ほんとに人間とは勝手なもので、言い方ひとつで、どちらにでも感情がうつるものなんですね。  壬生は、その点、あっさりしていて、めったに説明も、勿体《もつたい》もつけません。  ところが、道具やもちものに関しては、多江の太刀打ち出来ないほど、隅から隅まで眼が届くので、うっかりしたことは言えません。  毛氈《もうせん》の上に出してある茶碗や、香合や、茶入れをひと通り見て、二つ三つ、脇へどけました。それから壬生は、 「こんなもの、捨ててしまいなさいよ、」 「どうして、」 「あんたが持っているには、ふさわしくない、高いの、安いの、ということではありませんよ、僕がいやなんだ、」 「あなたのものでもあるまいし、」 「……そんなことは万万ないけれど、もしもだね、あなたの亡《な》いあとに、誰かが、この道具を見るとしよう……そうすると、あなたの持っているいい品まで、下《さが》る……」  多江は、どきりとしました。  稽古用にと、たしかに、下《くだ》らないものも幾つか数を揃《そろ》え、多江自身、気に入らないものでも、数として、ひと通りは揃えてあるのでした。  たしかに、身一つの自分が、そういう立場になったとき、ただ、数だけ揃えてあったところで、どこに、執心が残ろうか。好きなものを、二つでも、三つでも、多江らしいと言われるものを残した方が、どんなにか、すっきりするであろう、すぐ、それは、多江の心を波立たせました。 「ずいぶん、容赦のないことを仰言《おつしや》る……でも、それは、あたしも考えてました、」  壬生は、笑い出して、 「そんな深刻がるには及ばないよ、あなたの始末は、僕が、必ずする、僕は、あなたを残しては死なないから……」  多江は、胸を突かれました。  気心はわかったようなものの、まだただの関係なのです、壬生とは、男と女の関係でありながら、ただの、男と女のままでいるのでした。  それでも壬生は、そんな、遠慮のないことを言い、多江も、壬生がそう言ってくれても不思議な気がしないという、まことに、気を許した間柄になっていることに、不意を突かれました。人間愛というには、すこし他処《よそ》ゆきでもあり、恋というには、青くさく、色恋とでも言いたいような、それも、正面きって、どうこう言わなくても、これが、色恋沙汰というものではなかろうかというほどの、一つの証明のような気がしました。 「そうね、あたしより先に、死んではだめよ……」 「いっそ、いっしょに、死んでしまえるといいな、」  壬生は、あぐらをかいて、炉《ろ》の火をかきたてました。 「……また浄瑠璃仕立《じようるりじたて》、」 「でも、そう思わないかい、」  多江は、このひとが、死んでしまったら、こんな日日は、二度と来ない、専用の電話なんか、勿論かからない、黙って、銹《さ》びたトースタアに注意してくれるひとなんかいない、心をえぐるような話を、自然に、なにげなく出来るひともいない……とたんに、悲しく、寒気がしました。  でも、涙なんか見せたくないのです、多江は、すっと立ちました。 「よしなさい……泣きたければ、僕の前でいいじゃあないか、」 「いや、おかしがるから、」  そう言って、多江は、袂《たもと》から紙を出して、鼻をかみました。  その時、壬生の眼も潤んでいました。  茶室は家の隅にあって、庭から、中門を通って直接出入りが出来るようにしたのは、多江が、稽古を知人たちにするためでした。  露地を作り、自然のままの山庭を活かしてある代り、隣地の竹藪《たけやぶ》の葉音が、雨のようにきこえて、ここにひとりで座り、自然の音をきいていると、孤独《こどく》三昧《ざんまい》の地の底に沈みこんでゆくような、覚つかないもの思いに、とらわれがちでした。  多江は、華やかに暮していたときも、大勢の者にかこまれていた時も、べつにそれが、どれほど自分の心に適《かな》っていたか、覚えがないほど、過去に執着はありませんでした。他人が想像するほど、孤独は怖しいものではありません。ときに、ふっと、ひとりの無力を感じても、馴れてしまえば、そんな哀傷感激も、煙りのようにとらえようもなくなるのですから、人間って、よくしたものですね。  執念ぶかい性質ならいざしらず、多江は、思ったことを、その場で反応してしまえば、けろっと、きりがついてしまう薄情にみまちがえられる無頓着な気質故に、どのくらい助かったかしれないのですよ。  なにも、痩我慢や意地でなく、根からの淡泊さで、いつまでもいつまでも覚えていたいことまで、糸のきれるように抜けてしまうのです。  握力という、握る力、あれが、小さい頃はゼロに近く、なにかにつかまる、ぶら下る、という握る力が弱くて、つかんだものをいつも、さっと離してしまいました。握力は、手だけでなく、心理的にもあるのではないかと、多江は、自分で自分を判断しているのでした。  壬生が、もう五時すぎたと言う。 「あらたいへん、なにか作りましょう、あっちの部屋の方がいいわ、」 「持って来た、また天ぷらだけれど、その容器のまま温めればいいから……スープも三本はいってるでしょう、これも温めるだけでいいし、漬物ぐらいあるでしょう、食後の甘味もあるから、」 「漬物だけじゃあありませんよ、お昼に、かれいを余分に煮てあるし、蕗味噌《ふきみそ》で、蕪《かぶ》も和《あ》えてあるし、お肉の時雨煮《しぐれに》もあってよ、」 「うん、そっちの方を食べさせて貰《もら》おう、」 「ひとりだからって、ばかにしないこと、ひとりだから、うまく食べる工夫をするのよ、」  壬生は、台所へ出て来て、多江のまわりをうろうろしながら、出来上った皿を、食卓へ運んだ。ふきんに、頭文字がはいっている。食器戸棚は、ぎっしりと、皿小鉢《さらこばち》でつまっている。 「ずいぶん多いな、」 「はい、出せるだけ出して、ふだん使っているの、あたくしね、日常使用出来ないようなもの、欲しくないの、古染《こそめ》だって、使い通し、皿底のざらめを、手伝いのひとが、たわしでごしごしやったので、びっくりしたわ……でも、なんともないの、強いものですね、」  僕は、じっと、多江の動きまわる姿をみていた。髪が多いから、衿足《えりあし》なんかもやもやしている。妙に、それは官能的でね、人間の女って、感じなんだな。  つるつるに剃った、作った衿足とはくらべものにならない性的な無造作さが、僕は、気に入った。ちょっと、あの産毛《うぶげ》の伸びたようなもやもやを、引っぱってみたい気で、多江のうしろへまわったんだ。  くるっと多江が顔を向けたとき、ひとりでに、きゅっと唇を合わせてしまった、有無を言わせず、たくらみもなく、そういう風になったのだから……だが、多江は、そこにあった手拭で、ちょいと、口のあたりを抑《おさ》えた。僕は、なんて女だろうと思いながら、なに食わぬ顔で、食卓に座りこんだ。  多江も、そんなことがあったかという風情で、 「どうぞ、凄い御馳走になったわ、合名会社のせいね、」  俺は、多江は、真底からこんな淋しい暮しに満ち足りているのだろうかと疑う。そおっと足音をしのばせて、大きな声もたてないのは、性根の据《すわ》った達観なのか、下手な男にかかわったら、身も皮も剥《は》がれるというかた気の女の用心なのか。そういう用心に用心をしていた女が、ころっと、だまされて、最近、自殺したことを、壬生は知っている。  その妓《こ》が、まだ一流の花街に出ていたとき、肉づきのいい、ぽんぽんした性質で、宴会の中にいつも顔を出す、はやりっ妓であった。妓の方が、積極的で、一度でもいいわ、と、据膳は出されたが、妓が眼を見張る金を出し、あと腐れなく、その後も、宴席で、気持よく贔屓《ひいき》にした。いい旦那がついて、別の一流の場所に、料亭を開いた。  押しも押されもしないお内儀《かみ》さんに納ったその女の家で俺は、四、五人の客をしたとき、 「こうなることと、先は、わかっていただろう、よかったね、運がつよいんだな、」 「おかげさまで……あたしと棒組だったあの子、かわいそうに、旦那がうまくゆかなくなったでしょう、また、出ましたんですよ、いやですって、同じ場所は、」 「どこへ行ったの、」 「わるいけれど、二流もいいところ、でも、そういう場所は場所で、気らくでいいのですって……ほんとに、はかないわ、あたしだって、貧乏しても、かた気になりたいと思いますよ、」  俺はそのとき、おや、そんな気で、これだけの、一流の料亭を掌中にしているのかと思った。金ずくでない男を、こういう女たちが望んでも、どうも、長続きがしない。それでも、かた気ということを、勲章のように思っているのが純情である。いいじゃないか、玄人《くろうと》で一生通した方が、生き甲斐《がい》じゃあないのかと言いかけて、旦那がしっかりしているから、御安泰だよ、と笑いすごした。  それから三週間と経たずに、そのお内儀《かみ》が自殺したのだ。  ことの次第は、こういうことであった。料亭を開いて四年め、重役仲間といっしょに、おとなしい男がいつも同席して、客の接待をしたり、あと始末に居残って、いつか、お内儀の心をつかんでしまった。かた気の勤め人で、会社もわるくない、お内儀より、年齢も三つ下であった。離婚して、目下はひとり者と言う。お内儀がそれとなくしらべてみると、寸分の違いはなかった。  お内儀は信用してその男と一緒になる約束をした。その前に、玄人のお内儀が誘って、なだれ落ちるように、離れがたい間柄になってしまった。お内儀は、旦那に申しわけがないと、相談役を入れて詫びた上で、手を切ることになった。その時の旦那が、料亭をこれまでにしたのはお前の力だから、続けようと、やめようと、お前に餞別《せんべつ》にやる、といさぎよく言った。お内儀は、きっぱりと、やめます、かた気になって、日向《ひなた》を歩きたいのですと言い切った。  僕は、あの女らしいと思った。  料亭も引き受ける者があって、居抜きのままで、売りわたした。お内儀は、アパートを買って、ぼつぼつ荷も運び入れた。いよいよ、最後の受け渡しになったとき、男も同席した。その席で、お内儀が、あとあとの話を嬉しそうにしている間に、男は、先に帰った。  金包みの大半を、男は、持って出ていった。お内儀が、紫の風呂敷包みがなくなったのに気づいたのは、男が、先に帰ってから、四十分足らずあとのことである。  料亭にも戻《もど》っていない、アパートにもいない。男を待って、お内儀はまんじりともせず、つめたい床《とこ》に寝た。翌日も、男は戻らなかった。  その時になって、お内儀は、これはだまされたと気づいた。いても立ってもいられぬ腹立しさ以上に、いい玄人《くろうと》が、ここへ来て、ばかを見た、みっともなくて世間に顔が出せぬ、玄人の手練手管《てれんてくだ》を知りつくしていながら、それが、素人に、男に、身も皮も剥《は》がれては顔むけが出来ない。男を恨むより、身を恥じて、毒をのんで自殺したのである。  俺は、その噂をきいたとき、そんなに、かた気、かた気と、あれだけの女が執着したことが、なにより気の毒で、息がつまった。日向《ひなた》の道が、そんなに歩きたいのか……  俺は、そんな出来ごとは、多江には言いはしない。多江は、いまのところ、到底、この家を出ようとはしないであろう。どんなにもちかけても、そのようなことは、壬生の夢の話だと、あべこべにやりこめるのである。 「……だって、あなたがあとに残って、あたしが、先にゆくとしたら、まだ、十年や十五年かかるわ、あたしは、そのくらいの未来があると思ってるのですもの、」 「いいよ、何年でも待つよ、僕の方は、無一物になって家を出ても、取締役権をもって、ずっと働くのだから、どうにでもなる、山小屋へこもって、男の一人も使って暮すということは、うちの者は、承知の上だ、変りもの、ということで、家族に不自由をさせなければ、居《い》なくてもかまわない存在なのさ、」 「……そういうときが来るかしら、」 「来るとも、あんたに、無理強いはしない、けれども、僕は、もしもあんたが来てくれなくても、来てくれなければ尚《なお》のこと、早く、そういう暮しにはいるだろう……あんたが、負担に思うことはなにもない、僕は、このままで、時折やって来て、自分のうちのような顔をしてさ、誕生日に、やりとりするなんて、こんな楽しいことはないのだから、」  多江は、そうねと、しんみり言う。  俺には、ゆくところというか、黙っていても心のなごむような場所がないのだなあ。いい友人も何人かいる、相談相手になれる人物もいる、宴会で顔をあわせ楽しい友人もいる……妻子家族、たしかに申し分はないのだ。  だが、弱味をみせられない人間たち、そういう気がする。決して、友人や家族を信頼していないわけでもない、俺の反骨ばかりでもない、いずれにしても、大なり小なりの利害関係というか、弱音をあげたら、そういうバランスの崩れる相手だという気がするな。俺は、どこまでもしゃんとしていなければならない道化だと思うな。  多江は違う。はじめから、俺は弱味をみせてしまった、気のつよいことばかり言って、本当は、気が弱いのよ、などと言われて、そう思われることに満足であった。  野蛮な、強引な、自己中心な、他人を意識しない、我がまま勝手な男、その上、さんざんの道楽をしている危険人物と、承知の上で、多江は、僕を、正直な純真な男と言った。  こんな嬉しい見方を、誰がしてくれたであろう。男がひとりで世間のまんなかに出てゆくには、ひとには言えない悲憤もあるのさ、そんなことは当り前だよ、それとなく、そういうものを感じとって貰《もら》える女……それが、女房ではなくて、淋しい暮しの多江なんだから、人間というのは、お互い弱味をかばいあえる場所が欲しいのだ。  けれど、それを真正面からもち出してはいけないね、胸に含んでいる、含んでいるものは、なんとなく滲み出す、このなんとなくの合致が、仄仄《ほのぼの》とした暖かさをかもし出す。自分で自分のあたたかさに酔ったようになる、それだけで、恋ごころの半分は発散される。  男と女が寄れば、すぐただならぬ仲になるなどというのは、ただの本能だ。恋のたのしみを長くたのしむ為《ため》には、ただならぬことになってはいけないとさえ、僕は思いはじめた。多江に、そのような自覚があるかどうかは、知らぬ。  僕の女にしてしまいたい反面、自由自在とは言いかねる、へだたりのある、暗黙の裡《うち》の許しあいを、多江もたのしんでいると、うぬぼれているこの純真さ、これは恋をしているものの本心だと思っている。  年齢? そんなことは関係ない。たしかに障害はある、障害があるから募《つの》る、思いが募るから抑《おさ》える、抑えるからつよくなる、という因果のようなものじゃあないか。  多江には、どうにか暮せるだけのもちものがある。それは、ものだけではない、現実的な生活力でもあるのでね、これが、かなり差しさわりになっているんだ。  向うも無一物、こっちも無一物だと、妙な遠慮も憶測もありゃあしないが、たいしたものを持ってるわけでもないのに、だまされはしないかという用心を無意識に重ねてきた女だけに、それに慾はなし、やりにくいね。  慾ばりだと、僕のつぎこみ方もあるのだけれど、なにか水を向けても、 「いいえ、そういうものは要りません、」 「そんなのより、もっといいのが、あるのよ、好きで大切にしてるわ、」  一向《いつこう》に乗らないんだ。桃山の一文字の螺鈿《らでん》の香合をみせた時は、あら、洒落《しやれ》たものね、と、仕覆《しふく》をとってじっと眺めていたが、納戸《なんど》の方へ行ったかと思うと、箱を出して来た。 「これは、あたしのものの中で、いい方なのよ、」  |紫 《むらさき》縮緬《ちりめん》の包みから、仕覆を出して脱がせてみて、僕も思わず、 「うん、定窯白磁《ていようはくじ》じゃないか、青白いまでの白玉のような艶《つや》、形もいいね、」 「一文字と、とり替えましょうか、」 「とんでもない、そっちの方が上だよ、一文字は、好きなら使って下さい、」 「………」 「いつ頃から、こういうものに手を出したの、道具屋ははいっていただろうけれど、」 「それは、父のものでした、茶道具屋は、まだ、うちが微禄《びろく》しない頃、出入りしてましたから、あたしも、着物を作らずに、気に入ったものに心が向いたんです、その頃はお金も多少使えましたし、第一、今の値とは格段の違いでしたから、」 「……御主人も、そういう趣味はあったの、」 「ありませんでした、古いものは好みませんでした、義母が、金沢の出で、お道具にはあかるかったので、」 「いっぺん、見せておくれよ、残っているものを見たいよ、」 「そうね、消息《しようそく》は、あたしが集めたのよ、お茶用のものというのではなくって、好きなものを選んだわ、歴史的の人物が主ですけれど、文人のもあるわ、」  多江が、掛物はすぐ出せるというので、僕は、いっしょに、納戸《なんど》へはいっていった。  天井に渡した棚の上に、かなりの箱があるので、僕はかまわず手を伸ばして、ひと抱え、多江にわたした。  埃を払って、座敷へもって来た軸を、僕は、無造作にひろげては、巻いた。蕪村《ぶそん》の手紙がある。かなり細かい字である。  僕は、二度三度眺めた。 「出来すぎてるね、あやしいな、」 「そう、」 「どこで、」 「倶楽部《クラブ》で買ったのよ、だいぶ前です、」 「……これは、もの欲し気でいかん、あんたらしくない、何かの折に、出してしまった方がいいな、」 「………」 「この山水も、」 「あたしも、あんまり……ただ数のひとつなのよ、」 「それはあんたらしくない、本当に、たいしたものはないんだね、」 「ひどい、」 「しかし、いいものを選んである、ひとが眼をつけないものに、手をつけているね、」 「消息《しようそく》は、わりに買いやすかったのと、手紙って、その人柄が出ておもしろいから……詩句などの字は、初めから、書こうとして書いた字が多いでしょう、手紙は、公開するつもりではないから、用件だけ一筆書くとか、|筍 《たけのこ》を貰《もら》った礼を一言とか、なんとなく暮しが出ているのよ……あたし、そういう実感のあるものが好きなの、」  僕は、多江の、ものの持ち方に賛成した。とかく、身につかない、そらぞらしいもので身辺を飾りたがるのは、やりきれない。と言って、売っているものを買うのは自由なのだから、誰しも文句は言えない。  多江は、僕が避けたものを一包みにして、納戸《なんど》へ立っていった。  案外素直である。  車の音がした。 「……この次、また見せて貰うよ、二つ三つおいてゆきますから、使えたら使って、」 「………」 「じゃ、帰る、」 「帰るとき、いやだわ、」 「居据《いすわ》ろうか、どうする、」  多江は、笑っているような、愁い顔で、車のところまで送って来た。僕も、多江を残して帰るときの、きゅっと胸を突く思いは、いつも経験しているのだった。  壬生は、いつか多江の心のなかに、常時|居《い》るひとになってしまいました。水か空気のように、自然でいて、手足の一部のような血の通いあう存在なのです。日向《ひなた》の寝椅子で横になっている壬生の膝の前で、多江は、えんどう豆の実をむいていました。まだ若い青豆で、御飯をたこうというのです。  今日が、壬生の誕生日でした。 「ね、どうだろう、これからドライヴして、箱根でも、河口湖でもいいから、泊って、」 「泊るなんて駄目よ、」 「誕生祝いをしてくれるのじゃあないのかい、贈りものなんていいからさ、」 「そうね、でもこうやっていて、楽しくないの?」 「いいよ、ただあんたを外へ連れ出したい、この間、うちの連中が行って来て、山草の話だの、料理のことだの、ほめてるのを聞いて、僕は、あんたにも、そういう思いをさせたくなった、」  多江は、笑いました。 「だめ、そんなの独創的でないわ、昼の食事をうちでして、ゆっくり、そのへんの山でも歩く方が、ずっといいわ、」  壬生は、本当言えば、ここに居るのが一番いいんだ僕は……あんたが喜ぶことをなにかと探してるんだよ……、その代り、今夜は置いて貰《もら》う、と言い出しました。 「そんなことしてごらんなさい、奥方にあやしまれるから、」 「俺は信用はあるし、第一、女なんてかまうのは、もう飽きたと思われてる、社用で泊ることは度度あるし、今日も、友人三人で集ることになっている、箱根の友人の家だから、晩《おそ》くなれば泊ることにしてある……」  多江は、じっと壬生をみつめました。 「手配りのいいこと……泊って、どうするつもり、」 「どうするって、そんなこと、きくばかがあるものか、」 「泊るだけなら、泊めてあげるわ、それだけで充分楽しいじゃあないの、夜噺《よばなし》のお茶でもないけれど……紳士協定でね、」  壬生は、にこっとして、それも乙だね、あんたを手ごめにしようなんて、けちな量見はない、堂堂と、細君にそっくり明け渡して、約束通り、ひき受けてくれるまで、待つよ、あんたを、日陰ものにしようなんて不心得は、毛頭ないんだ、日のかんかん当る道を、ふたりで手をつないで歩くまで、お前さんは大事にとっておく、そう言うのです。  子供が、おいしい御馳走は、一番あとで食べる、惜しくて、すぐには手を出さないという、あれでした。 「そう、信用するわ……お客蒲団なんて、何年も使ってないの、」  これは素敵な誕生日だと言って、壬生は庭へ出ると、散歩、散歩しようと言いました。なんだか多江も、気が大きくなって、壬生と並んで、山の方へ歩き出しました。  五月の湿《しめ》った風が、甘く香っています。山藤が、斜面に垂れて、山吹の花も、木立の間をあかるく染めているのでした。坂道は、急になりました。多江の手を曳《ひ》いていた壬生の手が、冷たいのです。 「どうなさったの……」  壬生は、草の上に座りこんで、 「日頃、殆《ほとん》ど歩かないから、いかんな、柔道もやめてしまったし、」 「あたしだって、ふうふうと息苦しいわ、頂上まで、登ることはないのよ、」 「うん、気をつけよう、」  わたしたちは、そろそろと、手を曳《ひ》きあって、山道を下りました。途中で、土地のひとに出会い、多江は、わるびれずに挨拶し、壬生も、会釈しました。壬生とこうしていることを、公認されたような、隠す気もありませんでした。  壬生と、多江が一緒にいたからと言って、それが、どんな憶測を生むのでしょうか。多江は、ひとを恋することは自由だという、信念で、壬生の愛を肯定していました。なるべく穏《おだや》かに、壬生の家族を刺激しないで、ふたりの目指す境地——一種のゆーとぴあへ辿《たど》りつきたい思いなのです。  その夜、奥座敷へ、床を並べてとりました。一尺ほど離れて、その間に、番茶と水の盆をおいて、それが、男女の結界のような気持でした。  壬生は、嬉しいな、ひと晩中、話していてもいいんだ、手を伸ばせば、あんたが居《い》る、寝られる筈《はず》はないや……と言いました。  多江も、身の上話じみた昔語りをしました。家が破産したとき、蔵は、全部、執達吏《しつたつり》に赤紙をはられ、親戚が肩代りして、生活に必要なものは、赤紙を剥《は》がされて、持家の一つに移ったことを、ぽつりぽつり話しました。  詳しい記憶はありません、五、六歳の頃のことでした。貧乏になった、貧乏になったと、母が、みんなに言いきかせて、俄《にわ》かに手不足になった暮しを納得させました。それでも、すっかり片づくまで、店の者は残りましたが、奥の者は、暇をとったのです。わたしを産んだあと、母の肥立《ひだ》ちがわるくて、乳母《うば》を頼みましたが、その乳母は、うちが破産する前に、嫁にいって、隣り町の薬屋の女房になっていたのですから、わたしのことを、殊《こと》に可哀そうがって——その頃、浅田飴という、咽喉《のど》の弱い子に利く水飴があったのよ、箸へまき取って、しゃぶらせて貰《もら》うと、咽喉がすっとする、漢方薬の一種なのね。  乳母は、その浅田飴を、一|打《ダース》と、しゃぼんを三打と、ガーゼ、タオル、洗い粉など、小僧にかつがせて、見舞に来たのですって。  多江は、年頃になっても、浅田飴をみると、その乳母を思い出し、あの薬屋は、まだやっているのかと、母にたずねたことがありました。 「……店を横浜へ出して、横浜の大地震で、影も形もなくなってしまったそうだ、気だてのいい女だった、」  そうなの、横浜の震災で、多江の家は、根こそぎ、焼失したのです。  壬生は、そんな多江の身の上を、興味深げにきいたあとで、 「でも、あんな、資産家へ嫁にいったじゃあないか、君の御主人は知らないけれど、あの一族の中には、傑物もいたよ、」 「家は貧乏になりましたけれど、父母の兄妹には、資産家がいて、その知りあいなのよ、」 「しかし因縁だね、君のつながりと、俺の縁とが続いていたのだから……だから、あんたとは、こうなるような、運命にあったんだ、」  壬生は、手を伸ばして、多江の手を握ると、いくばくもない一生なんだ、かげろうのようなものなのさ、出会えたということは、しあわせなんだよ、わかっているのかいと、多江の手を、ぎゅっと両手で握りしめるのです。  多江は、うなずきました。 「……終りの花、残りの花かしら、」 「そんなことはない、僕にとって、初花だ、五十すぎても恋は出来る、出来た、晩年のしあわせが、本当のしあわせだよ、若い時のはかない盛りとは違うよ、しずかに思える、」  多江は、いつか、眼をとじていました。こんなに安心して眠りにつくことは、幾年ぶりのことでしたでしょうか。男がそばにいる、ただそれだけのことで、心の半分が預けられ、身が軽くなるのでした。  二度と良人《おつと》はもつまい、しかし、情念は呼びさまされたように、多江をゆさぶり、ゆきつく果《はて》が目前に迫っているように思えました。  戸の隙間から、日が射して来ました。 「……来月のはじめから、三ケ月|位《ぐらい》の予定で、ヨーロッパからアメリカを廻って来る、前からの懸案だった、外国の会社と合同の仕事もあり、向うの社長はすでに来たので、どうしても、僕が行かねばならない——それで、大体、僕の引きぎわの仕事は終るつもりだ、」 「三ケ月……長いわね、」 「あんたと会ってから、もう、何ケ月だろうか……僕も、先にのばしたいが、そうゆかなくなった、やるだけのことは、やってしまいたい、帰って来て、それからは、もう、僕は、うちの奴がなにを言っても、居直《いなお》る、ゆく前に、関西へ旅行しよう、」  多江は、その時、もう壬生に服従する覚悟がついたのです。 「向うで、あんたに、ぜひ会わせたい友人がいる、知らせておきたいんだ、あれなら小学校時代からのつきあいで、わかって貰《もら》える、あんたのことを頼んでおきたい、」 「まあ……」 「いいじゃないか、なにかの時の、連絡を頼んでおきたい、」 「三ケ月でしょう、おおげさな、」  だが、多江は、壬生の言う通りにする気になりました。三ケ月と言えば、百日です。どのような事態が起るかもしれない、いいえ、明日にも、起るかもしれないのです。それを、今まで、うかうかと、壬生は、毎朝電話をして来る。会う。ということ以外に、なんの変化も起らないであろう、この状態は、生きているかぎり続くであろうと、のんびりした気でいたのです。言われてみれば、ふたりの甘い気持に、どのような落し穴があるかもしれないことに気づきました。  多江は、あかるくなった部屋の戸を開け、 「いいお天気、何処《どこ》かへゆきたいわ、」 「昼頃、迎えが来ることになっているが、あとで、運転手の家へ電話して、少し早く来て貰おう、東京へ出て、食事をして、旅行に必要なものを買おうよ、」 「ありますよ、昔のびろうどの鞄、まだ使えるわ、」 「あんたに相談してると、らちがあかない、僕がいいようにする、誕生日の贈りものに、あんたの身につけているものが欲しいな、」 「あげるようなもの、あるかしら、」 「ある、あんたが編んだ細い毛糸で編み込み模様のマフラーがある、あれは、ずっと眼をつけていた、いつか、取ろうと思っていた、それと、毎日、長い髪の毛を梳《す》く櫛《くし》、あれが欲しい、」 「黄楊《つげ》の荒櫛よ、こまかいのは、髪にまつわりつくので、荒櫛でといて、あと、細い櫛を使うの……もう十年も使って、自然に脂《あぶら》がしみて、よごれてますよ、」  壬生は、ぐずぐず言っている多江を無視して、鏡台の抽斗《ひきだし》を開けました。 「あった、あった、」  とうとう、多江の丹誠したマフラーも、絹のマフラーも持っていってしまいました。 「ケントのブラッシをあげるつもりにしてあるのに、」  多江が笑うと、お前さんにはまだそのへんのことが察しがつかない、つかなくてもいいんだ、これは、お守りとして、あんたが身につけたものを、外国旅行に持ってゆく。壬生が、お守りなどというので、多江は、自分にもあるそういう古風な好みの一致に負けて、言う通りに、希望の品を贈物として、白い紙に包みました。 「あたしも、なにか剥《は》ぎとろうかしら、」 「いいよ、どうせ、僕自身がころがりこむから、煮るなと焼くなと、」  壬生と多江は、二時前に東京に着き、多江が好きないつもゆく寿司屋でゆっくりすると、壬生は、土産も作らせ、急に多江に、家へ帰りなさい、買物は、僕がしておく、東京駅まで送ると、言い出しました。  多江は、言われた通りに、壬生と別れて車内にはいり、きのうからのことを、蜃気楼《しんきろう》のように、鮮明に泛《うか》べながら、揺られていました。  消えないように、そっと眼ぶたを閉じて、蜃気楼をうつつに見続けていました。  壬生は、鼻血が出たあとで、再再の出血があった為《ため》、時間をかけて、検査を続けていた。血圧が低くて、コレステロールが異常に多い。心臓も膵臓《すいぞう》もいい状態ではない。注意しないと、いつ爆発するかわからない。心労過労を避けて、出来るなら重責を下りて、休養状態にはいること、命令はしても、仕事から次第に手を抜くのが、長命を守るための節制法だと言いわたされている。  この医師も、中学までは同級で、現在は循環器系統の成人病の権威である。 「どうだろう、五、六年は保証できるかい、」 「そりゃあ、君次第だ、十年だって、十五年だって、無理はよせということだ、」 「そうなったら、一応、バトンタッチの為《ため》に、手をつけた仕事を片づけて、ゆっくりするよ、」  僕は、多江の前では、必ず君を見送って、俺は、八十六までは生きる、安心しろ、などと言っているが、心中の衝撃は大きい。しかし、そんな弱味は、社内はもちろん、家族にも見せられない。あくまで健康で実権を握っていなければならない。  細君には、ほのめかした。 「だいぶ、俺はいたんでいるらしい、そのうち、社長はやめる、山住いがいいんだ、」 「なんですって、誰にわたすおつもり、信用出来ないわそんなこと、誰かの陰謀じゃないかしら、駄目よ、まだまだ十年は、わたしちゃあ駄目だわ、筆頭株主なんですもの、弱気になることないわ、」  壬生の躰《からだ》よりも、地位が大事だと言わんばかりの妻に、俺は、情けない気がしたね、同時に、病気になって動けなくなったら、じゃけんにされるだろうなと、怖れを覚えたね。  男の一生は、一生本音を言わずに、芝居をしつづけることだろうかとも考えた。よし、芝居なら、大芝居を打とう。病気を理由に、妻子に全部をわたして、家出を承認させる。病人になったからと言って、離婚までは承知しないにしても、或る程度の自由はみとめるであろう、——そこから、俺は公然と居直《いなお》る。多江に、いつ、躰の不調を知らせるかということだ。  外国旅行を済《す》まして、公的な仕事を片づけた上で、一日も早く、一緒に暮すことを納得させよう。  多江のそばで死にたい。それだけは……壬生は、多江に、そこまで言うのは残酷に思えたが、あの女なら、その残酷に耐えてくれるかもしれない。そんなことは御免だ、と言われても、そこまで言える相手であることに、間違いはない。  多江は、僕の終りの花なのだ。初花であって、終りの花なのだ。  俺の心底には、もはや、動じるものはなくなった。  庄田に会わせるために、俺は、多江を着飾らせる気はなかった。あれの好みは、そのままで、ことごとくが、俺の感覚に合致した。多江の古いびろうどの鞄をみた時、それと同じようなものが、現代のフランスの一流品として、百貨店に、一つ出ていたのには、驚いたね。  買うものとても思いつかないので、化粧用具入れと、軽い草履《ぞうり》と、帯〆を二本同じものを求めた。多江は、あれこれと迷わないのだ、暮しぶりを見ているとね。  いいと思ったものは、同じものを、再再買っている。いつも同じものを身につけているようで、それが、決していたんでいないのは、同じ品を、新しく買い替えているだけだ、と言う腰がきまっている。  そんな多江と、いくばくかの月日を送れるのかと思いつめれば、僕は、いてもたってもいられない、たまらないもの思いに襲われる。  東京駅から、ならんだ席に着いて、大阪へ向った。  すると、どうだろう、知人に二人も会ってしまった。一人は、開通したばかりのこの新幹線の中の椅子に、カヴァをかける会社をやっている男でね、妙な商売だが、これが独占事業だそうだ。  わざわざ僕の席へきて挨拶したついでに、多江に向って、 「御主人には、いつもお世話になっております、」  と、よけいなことを言うんだ。多江は、にっこり会釈して、わるびれた様子もない。 「……うまいよ、」  思わず、僕は言った。 「そりゃあ、前歴がありますから……」  他愛もないことなのだが、それらしく見えるということが、僕は嬉しかった。多江は、袋の中から、爪磨きを出してこすっている。この容れものが、また、僕の目についた。 「見せてごらん、」  母親ゆずりだというが、舶来|更紗《サラサ》のこまかい模様で、折畳になって、中に鋏《はさみ》、針差し、糸まき、やすり、がはいって、親指一本ぐらいの大きさで、くけ台の代りをする、赤銅《しやくどう》の鎌のような引っかけがついている。大変な細工だ。針差しのふっくらした山には、水浅黄《みずあさぎ》の絞りが使ってあって、なんとも色っぽいのさ。女の、身のまわりの目立たないものほど、驚くべき色気があるんだ。 「なんでも、大事にしているね、」 「珍《めず》らしいでしょう、けちんぼのせいもあるかしら、サンローランより、機能的でしょう、」 「よしよし、イギリスあたりで、それの現代版を探して来る……それは、僕がほしいよ、」 「あなたは、ほしがり魔ね、」 「いや、一時は、なんでも人にやってしまって、くれ魔だったんだよ、」 「……あら、」  このようなとりとめのない話をしながらの、女と連れ立った旅を、何年にもしたことはなかった。社用で関西へ出かけることはよくあっても、済《す》めば、すぐ戻《もど》るというような……気持のゆとりもない、ただ、その場、その場は、愉快な日日のうちに、それはそれなりの我が身の果報と思ってはいたが……  それが、多江がそばにいるだけで、全然、心のはずむ変りようなんだよ。話しても楽しく、黙っていても充足した気持で、窓の外をみながら、何度か見ている景色が、今日ばかりは、違う場所のように思えてね。  人生は、さまざまに輝くものだと、僕自身、思っても叶わないときめていた方向に開けてゆくように思える。 「ホテルの方がいいと言っておいた、庄田は、いい宿をとっておくと言ったが、まあ、一日は、ホテルの方が気らくでしょう、続いた二部屋を頼んだ……また、文句が出るといけないから、」  俺は、やっぱり多江を、わがもの扱いにすることに、不安を感じているような口ぶりになる。 「……さっき、おくさまなんて言われても、反対しなかったでしょう、そのくらいの従順さはあるのよ、」 「ちがいます、なんてやられたら、台なしだよ、せめて道中は、おんびんにね……どんなわがままを言ってもいいよ、言われたいんだ……多江だって、もう、」  僕は、そのとき、急に多江と名を呼んで、 「今ごろになって、こんな野人に、ここまで思いこまれるとは思っていなかったろう、」 「すこし、おそすぎましたけれど、人生は、無限だと感じてるわ、」  空の色も、ぎっしりつまった屋並も、なにか自分たちとは別の空間にあるような、自分たちがほんとで、ほかは絵そらごとのような、ふわっとした気持がする。 「なにしろ、てんぷらで、釣り上げたひとなんだから、先ず、腹ごしらえがかんじんだ、」  多江は、なにを言われても、もう、僕の言うなりになる余裕がついたようだ。僕の積極的な性格、押しのつよさ、なりふりかまわぬ打ちこみ方、ひと目はばからぬ闊達《かつたつ》さ、好きな女を好きだと言って、なにがわるい、下手《したで》に出るだけ出ても、つべこべ言うなら居直《いなお》る、なにもかも捨て切る、という真情が、多江に通じたらしい。  末はどうなろうと、槿花一朝《きんかいつちよう》の夢でもいい、この恋に身を埋める決心がついた。一体どこに、僕をこれだけ思いこませたものがあるのか見当はつかない。なんであろうか。あんたそのものをあんた以外にはもっていないお前の中味さ。中味がどうしてわかるの。古いことだよ、ひょろひょろして、僕のもちもの受けとってくれたあの時の、お前さんの表情、あれできまった……その面影が焼きついた、そのお化けが、突然、眼前に現われたんだ、もう離すもんかこいつめ、因縁浅からずと思え、じたばたするな。  僕は、多江とのそんなやりとりを思い出して、胸がさしこむように熱くなって、全《まつと》うしようが、全うしまいが、もうゆきつくところまで、ゆかずにはいない宿命なのだ。手をさし出すと、多江の握った指を一本一本こすり出しながら、 「こうやると、躰《からだ》にいいんだって、心臓なんかに、利くそうだ、」  そう言って、急に、俺は、口をつぐんだ。 「心臓?」 「嬉しいことは、かなり心臓を刺激するからさ、」 「あんまり、心臓をわるくしないように気をつけましょう、長生きするんでしょう、八十六まで、」  すると、壬生は、眼をぱちぱちさせて、更《さら》に、多江の手を抱きかえた。 「車掌が来るわ、」 「かまうもんか、」  多江は、うつむいて眼をつむってしまった。僕は、鼻がつうんとしたので、半巾《ハンカチ》をあてた。  ホテルへ着くと、一つ部屋に置かれた鞄の一つを抱えて、多江は、隣室へ行こうとし、また、壬生のそばへ戻って、 「どうしたの、怒ってる、」 「いや、そのコップの水をくれ、」  僕は、胸がきゅっと痛くなり、そういうときに、冠動脈をひらくニトロールを一粒口に入れた。多江には言わずにいるが、すでに、狭心症を再度起して、医者から注意されていてニトロールは、急場用に常備していたのだ。  会社にも、家族にも、心臓がすこしわるいが、別に、心配なことはない、外国旅行も差支《さしつか》えないそうだ、用心の薬|万端《ばんたん》は、医者が調えるから、そう言う僕の言葉を、誰も疑いはしなかった。血色もよく、動作も活溌《かつぱつ》で、病人らしい気《け》は、みじんもみえない、みせなかったと、言った方がいいか。  多江も、安心しきっている。気をつけて、無理さえしなければ、まだ六十やそこらまで、という気持だった。  それが、その夜、庄田を招《よ》んで、三人で座敷に落着き、紹介が済《す》むと、俺は、言い出した。 「……このひと、なんかあったら、どうしようもないのだから、君が、連絡とって、指示をしてくれ、三ケ月もかからないようにしたいが、すでに、スケジュールがすっかり出来ている、むりのないよう、休養の日を充分とってあるので、ひとまわりして、アメリカへはいるのが、六十日めぐらいかな、ニューヨークには、小堀夫婦が待ちかまえていてさ、ここも、七、八日滞在するんだ、だから、このひとのことは、頼むよ、」  庄田は、笑いながら言った。 「君の代りに、毎日、電話で様子をきくのかい、なにごとかあれば、出来ることは、きっとするが、君も、用意周到すぎるな、」 「ないと思ってる、しかし、このひとは、言ってゆき場がないわけさ、それが、心がかりだから……笑い話になってもいいんだ、」 「わかった、しかし、外国旅行は、僕も、面倒になったね、暮すにはいいが、」  多江は、ふたりのそんな話をきいていて、自分が、壬生の心の負担になっているような、またそれほど心にかかる人間であることに、責任のようなものを感じている風だった。 「君は、しあわせだよ、晩年の輝きをみつけた、あとしらなみとゆくか……」 「百までとはゆかなくとも、半生以上奉仕したからな、せめて、十年ぐらいは、ゆーとぴあに生きたい、まじめな話さ、」 「……わかるよ、君が戻《もど》るまでは、及ばずながら、なにかの用は承知した、」 「これが、スケジュールだ、ホテルから、出発から、出先から、全部書き出してある、わたしておく、コピイを三枚とって、君と、多江と、秘書が持っているようにした……だから、電話もはいっているだろう、」  庄田は、こまかいスケジュールをみて、そのゆく先での、会社の仕事の機微がわかったのか、イギリスも長いね、スイスも、フランスも相当だね、と言った。僕は、 「スイスは、シャモニーへ一週間|位《ぐらい》滞在するよ、絵も描きたいし、休養だ、仕事も仕事だが、半分は、実績をあげた慰労のようなものでね、そろそろ、交替する準備なのさ、」 「慰労しておいて、もうひと働きさせる気じゃあないのかい、」  僕は、首をふった。 「もう、切り上げる、なんと言われようと、自分の人生に戻りたいよ、」  多江は、俺のその気持のなかに、自分が投影されていることを感じて、仕事に賭けて来た壬生のたくましさを、どう吸収したらよいのか、という惑いといっしょに、そういう男に、没入する喜びに、わななくような気持の、笑顔を向けている。 「お疲れでしょう、明日はどうする、」 「明日は神戸へゆくんだ、ぶらりぶらりするなんて、何年ぶりのことだろう、帰るまでに、また電話しますよ、」  三人で、料亭を出た。  なまあたたかい風のなかに立って、ふたりは握手し、多江とふたりになると、俺は、 「……これで安心した、いい気持だ、」 「向うも、こんな陽気かしら、外国で暮したら、気らくでしょうね、」 「来るかい、」 「………」  多江は、そんな夢のようなこと、実現出来たらと、うなずいたようなのさ、外国にも、うき世はあるとしても、なにか、現実のうき世とは別な、おおらかな、ひろびろした古代の日日に似たものが、髣髴《ほうふつ》と、ものを思わせるのさ、これが恋ごころのまぼろしか—— 「ついてゆくわ、何処《どこ》へでも、」 「そうかい、それじゃあ、頼みをきいてくれるね、」 「………」 「仕事が済《す》んで、オワフ島で、十日間ほど、休息をとることになっている、帰って来れば、当分忙しくなるから、その時にどうだい、」 「それより、その休息の日を、早く帰って来て、どこかで、ぽかんと暮したら、」 「……そうゆかないんだ、スケジュールがそうなっていて、打ち合せも、ゆく先先で、秘書がとるからね、一日飛行機を替えると、全部なおす大ごとになる、君が来るぶんには、なんの差しさわりもない、」  多江が、一旅行者として島へ来て、俺と出会うことは、たしかに、なんでもないことだが、なんとなく勝手すぎる気がして、あまり、やいやいとは言えないんだ。けれど多江は、そのくらいの階段を駆けあがる好奇心に変っていったのであろうか。 「そうしましょう、ゆくわ、」  多江は、茶を教えていると言っても、古くからの友達や、その家族たちが主で、ひとり者の多江を、それとなく気をつける意味の集りで、稽古は、月に一度であったり、二度であったり、それぞれの都合のよい日に、稽古をかねてたずねるというほどの、ささやかなものだからね。  ちらっと、多江は、そういう人びとの顔を思いうかべたらしいが、それは、多江の心をひきとめる、なに一つの力になりそうもないどころか、そういうものからさえ、逃れたいような表情で、 「ゆくわ、」 「よし、約束したぞ、向うへ行って、スケジュールが、なんとか動かせるようだったら、もっと、早く来て貰《もら》うよ……なにしろ、私的な旅になるのは、あとの一ケ月でね、二ケ月間は、公的な仕事、見学、会見、こっちにいるのと、大差はないのだから、」  多江は、黙っている。  そういう、言わずにいる多江の気持が、手にとるようにわかるんだ。  色恋の哀切は、こういうなにも言わぬときなのだ。  青もみじの開いたばかりの柔かい葉ずれ、ぽとりぽとり落ちる雨、山藤の残り花が、むらさきいろに垂れている道、壬生と多江は、加茂の奥へゆきました。  どこでもよかったのです。ふたりで走らせている車も、大地が動いているような速度でした。 「……外国なんかへゆきたくないよ、あさっては発つんだ、」 「いいところへ来ると、あとは、またあした、という惜しみかた、そう思いましょ、」 「お前さんは、あしたのないことをまだ知らない……」  壬生が、淋しそうに焦《い》ら立《だ》って言うのを、多江は、笑って言い返しました。 「こうやっている今が満足なのあたしは、あしたは、ないかもしれない、そう思ってるわ……でも、あなたが、予定通りに行ってしまうことは、とめようがないでしょう、あたしには、」  壬生は、多江を困らしたいのです。わかっているのです。 「ものわかりがよすぎる、お前さんは、女なんて、わけのわからないことをぐずぐず言って、男をうんざりさせる方が、ときにはいいんだよ、」 「ああ言えば、こう言う、」 「いい相手だ、」 「打たなくても、響くひとなのあなたは……そこが好きなのに、」  多江が突きはなすと、壬生は、まあ怒りなさんな、百日の行《ぎよう》だからね、待つこともたのしいんだ、そう言って、車をとめて、ふたりは、まだ、わからずや、などと言いあいながら、御《み》手洗川《たらしがわ》に沿って、奥山への道にはいりました。  小流れのふちには、羊歯《しだ》の赤い芽が水に洗われ、青青した草の小径《こみち》が、だんだん深くなって、加茂八島竜神《かもやしまりゆうじん》 の社《やしろ》の前に出ました。  二葉姫《ふたばひめ》稲荷《いなり》の祠《ほこら》もあり、うすぐらい木立と、流水の上に、ひとひらふたひら花びらが流れてゆきました。 「いいね……」  多江と壬生は、肩を寄せあって、立っていました。悲しくなるようなしあわせに、多江は、一種の脅怖《きようふ》さえ覚えて、壬生の手をひきました。  あかるい日光の下へ出ると、八島竜神や、二葉姫の祠《ほこら》までいったことが、禁制のことのように思われるのでした。 「ちょっと、凄《すご》いところね、行ってはいけないところだったかしら、」 「……竜神と、二葉姫と、どういう関係だろう、」 「悲恋かな、邪恋かな、でもそんなこといいの、きょうはいい日なんです、」  多江は、沈みがちになる壬生を、ひきたてるように、 「きめたでしょう、鞍馬寺《くらまでら》へゆくこと、あそこに、お知りあいが、勤めているって、」 「そうなんだ、いろんなことやった奴でね、それが、鞍馬寺の、なんか役職についているんだ、ちょっと、会いたい気がする、」  人の身の上のはかりしれぬ変相は、多江自身、身に沁《し》みることでした。壬生と、こうしていることだって、きょうまで、なんの予想もありはしません。  人生は、出会こそが凡《すべ》てだ、そうとしか思えません。  由岐神社の舞台作りの拝殿が、山道にかかっている杉木立の深さ、菊畑という芝居の一幕に、鬼一法眼《きいちほうげん》三略の巻に出て来る場所なのですが、山道はまだうねうねと高く続いて、車がようやく、鞍馬寺の石段の下に着くと、すっかり明るく展《ひら》けて、菊畑は、このあたりではなかったかと思うほど、赤い山土の上に、低い寺がありました。  多江が、鞍馬というにふさわしい、馬の背のような山地に立って、深い谷谷を眺めていると、壬生が社《やしろ》の中から出て来て、 「あいにく、町へ行ったと、寺にいることはいるんだ……やっぱり人里がいいんだろうな、」  壬生と、鞍馬寺にいる知りびとと、過去にどんなつながりがあったのか、多江にはわからないことでしたが、このような山奥まで、訪ねてみる気をもった壬生の優《やさ》しさが、多江に、幸福のさなかにも、ひとを思いやるひろやかな慈愛が伝わって来るのでした。 「ね、このままでいいと思うわ、」  多江は、壬生を、現在の形のままにしておくということ、開きなおったりしないこと、日が当らなくてもかまわないということ、を、静かに言い出しました。 「ばか、僕の言うことがわからないのか、君は、僕が犠牲になるとでも思うのかい、犠牲になるのは、そっちなんだ、」 「それでいいじゃないの、」 「いやだ、大手を振って、お前さんと暮したいから、足がかりを作っているんだ、生き返ったのは僕だよ、お前さんがそうしてくれたんだ、恩人だと思ってる、恩は、一生、きていたい、お前さんはばかだから、わからないらしいが、色恋っていったって、男が、何も彼もかなぐり捨ててゆくには、それだけの覚悟も自信もある……」 「そう、寺男になっても、」 「いいともさ……鞍馬寺へ隠れるなんて、遂《つい》に、悟《さと》ったのだろう、細君に、四度も死なれた男だ、」  多江は、壬生の話をきいていると、世間には、いくらでも生きる場があるような、気を病むことはないような、さばさばした気になってゆくのです。  宿へ帰る山道で、時折、時雨《しぐれ》にあいました。時雨のように、壬生がさっと通りすぎていってしまっても、多江の肩に、濡れた露《つゆ》がしっとりと残っていることは、疑いようもないことでした。 「じゃ、明日から、もう電話はかからないよ、夕方には、発つからね、」  多江が、長い髪を梳《す》いているそばで、壬生は、うつろな表情で、庭を見ていました。それから、多江の髪の毛を二本抜いて、絹糸のように結び、封筒に入れ、紙入れの中に納めました。 「これお守り、」 「………」  暫《しばら》くして、壬生は、果実《くだもの》をむいている多江に、ちょっと、ためらい勝ちに、 「医者は、大丈夫と言っているが、実は、あまり完全ではないようだ、時どき、ふっと、そんな自覚がある……でも、お前さんのそばでなければ死なないよ、お前さんが生きているかぎり、死なないから、万一だよ、へんだと思ったら呼ぶからね、来ておくれ、」 「いやだわ、そんなこと言い出すなんて、」 「言うまいと思っていた……だが、お前さんを見ていたら、言わずにいられなくなった、」 「おやめになればいいでしょう、スケジュールなんか、全部御破算にして、」 「そんなことは、とっくに考えたよ、しかしなんと言っても、男には、仕事の責任がある、それだけは果したい……それに、死ぬほどわるい状態じゃない、ただ、僕は、君が、どんなことがあっても、しっかりしていてくれるように、おどかしておくのさ、前もって……君のそばに、きっと帰ってくる、」  とうとうそんな未練なもの案じで、ふたりとも、まんじりともしませんでした。  翌朝は、からっと晴れて、ゆうべの繰り言が、笑止なまでに、あかるい顔の壬生は、 「さあ、紫野から北野へまいって、そのまま帰ろう、荷物は赤帽が持って来てくれる、食事は、頼んだ店から、汽車に間に合うように届く、あんたは、小田原で下りて、そのまま車でお帰りなさい……僕は、夕方、発つからね、」  てきぱきと、壬生は言いおいて、 「怒らないで、これをわたしておくよ、」 「なあに……あらお札じゃないの、」 「用意はあるでしょうが、もし、呼んだら来て貰《もら》いたいのが、一生の願いだ、航空会社のこれこれの者に、すぐ、切符の手配をして貰うように、」  多江は、泣きそうになりました。やっぱり、壬生は、なにかを予感しているのかもしれません。 「あたし、いやだわ、それなら、はじめから着いてゆくわ、」 「………」 「あたしはあたしで、勝手に、あとをつけるわ、」 「だめなんだよ、二ケ月間は、僕が団長格で、若い者と言っても、みんな人物だが、そういう仲間と、見るところを見て、会う人間に会って、仕事の打ち合せがある、休養時間は充分とってあるが、君といっしょにいられないんだ、」 「ほらごらんなさい、世間体も、見栄もあるくせに、」  壬生は、多江を抱きしめました。 「頼む、今になって、わからずやだなあ、」  そのとき、多江は、今まで自分が、生きていなかったような、はっとした気になりました。  生きたのです。もう壬生と、充分生きたのです。時間は問題ではありませんでした。  生きたのです。それでよかったのです。壬生がどこで野晒《のざら》しになろうと、多江が、このまま、置き去りになろうと、ふたりの通いあったこの日が、現身《うつしみ》の約束なのかもしれません。 「わかったね、」  多江は、笑顔でうなずきました。予定通りに、その日の夕暮、壬生は、出発しました。  どこの飛行機ともしれぬ飛行機の音を、多江は、いつもの部屋のなかできき、行ってしまった、そう思いました。行ってしまった、何度も、そう思うたびに、壬生が、いつ帰って来るかと、もう、思いはじめるようになりました。  スケジュールに克明にしるされた、場所、時間、到着、出発の上に、多江は、丸をつけて、一日一日が経ってゆくのを、寝る前に眺めるのです、それは、百日の行でした。百日が明けたあとの多江には、危惧《きぐ》も逡巡《しゆんじゆん》もあろう筈《はず》はない、なるようになる、それだけの決心が、深まるばかりです。  三日間、多江は、壬生と暮している間、爆発物を抱えているようなおののきに震えました。それは、幸福を知ったものの弱さでした。  もうこのままの状態でいたい。壬生のよく口にする心中《しんじゆう》というものの、そこで静止する、そこで変化を拒否する、一番望む状態でそれが出来るという行為が、はっきりしました。障害のためではないのです。幸福を守るためなのです。心中をしない心中、そのような気にさえなりました。 「帰って来るよ、」 「僕も、しるしをおいてゆこう、なにがいいかな、茶道具はどうだろう、使って貰《もら》えるから……」  そう言って、発つ前においていった茶籠の箱を、多江は、まだ見ないのです。見るのが恐いのです。  壬生が帰って来るまで、中を見まい。時代ものの仕覆《しふく》を見ただけで、およそ、中味の品位はうかがわれました。守り袋の中は見ないものと、伝えられていました。それに似た気持なのです。無条件で信頼してこそ、加護の念が届くような、張りつめたものが、ぐるぐると多江の心をまわっていました。  鬱陶《うつとう》しい初夏の雨は、竹の秋と入れちがいに、まっ青に伸びた今年竹を、日毎に伸ばしてゆきます、たくましい生命感が、脂《あぶら》ぎった竹の皮にみなぎっていました。  多江は、竹林の前に立って、竹に祈りました。 「すっかり伸び切ったとき、竹の皮が全部はがれたとき、壬生は帰って来る、帰って来るのよ、」  そんな、うつけたことまでを、味方にしないではいられない気なのでした。 羽田を発って、マニラ、サイゴン、バンコック、カラチ、テヘランを経《へ》て、やっとアテネに来ました、時差七時間、少少疲れた、多江は、悠然たることだろう、そう思いたい、これから、アクロポリス中心に、見物に出かける、(多江もいっしょだ、)多江の家の様子が、眼に浮ぶ、ホテルは、この間とちがって、古代的に立派、見送りは、あんなに断ったのに|モサ《ヽヽ》が整列していたり、全《まつた》く、お前さんには、田舎ものねと言われそうなさわぎで、日本を離れるわずらわしさを感じたね、 きのうまでとは、打って変った身の上と思え、 今日は、気がボーっとしている、アテネの第一夜、第一信を書いて寝る。   多江 [#地付き]壬生   アテネの古代建築は、写真で熟知していたが、実際にみると、廃墟の大きさ、しかし、多江の趣味ではなさそう、撫子《なでしこ》なんか、一本も咲いていない。 アテネを経って三時間、ローマに着いた、お前さんは、なにをしているのか、空港からの道すがら、多江の好きそうな名もわからない花が一ぱい咲き乱れている、 晩餐会《ばんさんかい》をして、一同祝盃をあげたのに、夜のローマを散歩する者が、連中のなかに一人もいないのに驚いた、まじめなのか、恐いのか、僕は、供を連れて出ていった、 ホテルの入口には、ポン引きが、「お嬢さんはどうか、いるか、」と盛んに勧誘している、なかなかしつこくて、撃退するのに骨を折った、それでも、ひとまわりしたが、たいしたものには出会わず、結局、ロビーで、みんなと雑談、 明日はイタリヤの建築家、室内装飾家たちのレセプションがある、彼らは、ソクラテス以来優秀なのが多いそうだ、彼らの案内で、市内、郊外見物、四晩泊る、まだ裏町はみないが、表町は、壮大で美しく、ごみごみしないでいいね、 ホテルのウインドーで、いいキーホルダーみつけた、買って帰る、次はフローレンスゆき、フローレンスには、年来の友人夫妻が待っている、楽しみだ、フローレンスで、友人のおくさんに、買物のいい店を案内して貰《もら》う、なにか探せるだろう、待っててくれ、今頃、なにをしてるかと思う、留守中は、無事に、愉快にすごしてくれるよう、   多江どの [#地付き]M   一週間ばかり手紙書けなかった、すまない、スケジュールを一日一日消してゆき、あと何日で多江に会えると、毎晩の楽しみ、笑わば笑え、仕事は順調、一行のメンバーなかなか意慾的で、スケジュール以外にも、友人関係がそれぞれあるから、見学の多いこと、つきあいの賑《にぎや》かなこと、遂《つい》に、ローマでは、秘書だけ連れて単独行動をとった、ナポリをぶらついて、河岸のレストランで食事をしていると、ギターの女につかまって、ナポリ情緒を満喫した、サンタルチヤ通りをぶらぶらして、ベスビオスを写生したのは満足だったが、風邪をひいた、ナポリの夕暮は、気温が下る、日本では風邪をひかないのを威張って、いつも多江の風邪ひきを不注意だと叱っていたが、忽《たちま》ちひいた、 フローレンスでは親友夫妻が付き添ってくれ、多江に、誕生石の指輪買った、デザインがいい、僕も、揃《そろ》いのタイピンをみつけた——お前、おくさんと誕生の月が同じかと言うから、そんなこと関係ないよ、美しい色だからと言ったら、彼は、それで、万事のみこんだようだ、 のみこんだついでに、いろいろ女ものを探して貰《もら》ったが、多江にぴったりと思うのはめったにない、なにを見ても、多江にみせたい、持ってゆきたいと思う、外国人のなかにも、ちょっと眼を惹《ひ》く女はいるが、全《まつた》く、無縁の感じ……多江だったら、こうなると、すぐ思いうかぶのだ、ばかな話、 ゆうべ、あこがれのスイスに着き、ローザンヌからの、レマン湖の風景を眺めながら、ハンケチの箱のレッテルの風景、あれ本当と思った、 湖畔の夜もいい、そばに多江がいたら、そして、こんなところで暮したら、などなど今日は晴天、スケジュールにはなかったが、僕の意見で、モンブランに登ることになった、山行きの道具、シャツ、帽子、いいのがあった、ゆうべまでは熱が七度五分、だるくて、ミラノへ出るには出たが、帰りたくなったよ、よきにつけ、あしきにつけ、帰国の念がきざす、 モンブランは強行と思ったが、僕が主張した手前、決行することにした、 それにしても多江は、なにをしている、のんき者め、茶にも使えそうな、古い瓶などあっておもしろい、 僕が、別にした道具、あれは、処分しなさい、それから、気がついたかどうか、多江の居間にあったね、人形大小たくさん、あんなものは、僕が、四つ五つと、帰るときもち出して捨てたよ、たいしたものではない、それは、多江に、思い出みたいなもの、みんな捨てて貰《もら》いたいから……思い出は、これから、僕だけでいいではないかと、半分はやきもち、半分は真実、きっとそうなる、 からだに気をつけて、   スイスより いろいろ話したいなあ、  おやすみ、 人形ほしければ、いくらでも買える、こんどの手紙に、多江の希望を言ってくれ、 今頃、人形のなくなったことに気がついて、怒っているだろうな、 昨日、予定通りモンブランの一角、エクユ、ジュ、ミデー峰をきわめた、富士山より一〇〇〇米高いので、呼吸少少困難だった、多江だとぶっ倒れたことだろう、小倉山へ行ったときのあのふうふうの始末では、僕も今や以前のおもかげはないが、心臓は弱っていても、モンブラン位《ぐらい》。きれいな町だ、たべものに不自由はないし、ホテルも上等で、人間もいい、明日、飛行機でパリへゆく、こんどはゆっくり滞在し、別行動をして、なにか珍品を探したい、 念願のものがあるので、古本屋街をあさる、フランス語? そんなものに気を使わなくても、ちゃんと通じるよ、 モンブランの絵はがき送った、エーデルワイスの観光土産もあった、   多江どの [#地付き]ブラッセルより   [#地付き]六月二十三日夜  追伸、こう毎日エヤメールを出させては、秘書も不審に思うだろう、このへんで、言っておく、大事な手紙だと、 スイスを発って、機上できくと、巴里《パリ》はシーズンで、日本人が百五十人もはいっているとあって、がっかり、アメリカ人も多いそうだ、オペラ座近くのノルマンディホテルに入った、僕は特別扱いなので、今までのホテルは、格段によい部屋であったのに、花の巴里の第一夜は、パリーの屋根の下さながらの、七階の三角の屋根裏部屋だったのには、またも郷愁しきり、 天窓を明けると星がみえ、煙草の煙が細く流れ出てゆく、寝台と、椅子、古色《こしよく》蒼然《そうぜん》、この古道具、多江に買ってゆきたいと思ったほど、形がいいんだ、こんなところで、パタンパタンの銹《さ》びたトースタア思い出す、この侘《わ》びしさ、ゴッホやユトリロの生活を偲《しの》んで寝ました、 しかし、一晩でごめんだ、翌朝、支配人に厳談して、部屋を代えさせた、話によると、巴里は三十年この方、新建築がないし、悪い所を少しずつ修理する、古都保存だ、屋根裏部屋も、今になつかしくなるだろう、多江とわかれて、何日になるのかなあ、いつも、今頃は半七さんじゃないけれど、多江はどうしているかと——でも、メンバーとのつき合いもよくしているよ、山へ登ったせいか、足の指を痛めた、多江の注意通り、靴下二枚はくことにした、野暮ったいが、伊達《だて》のうす着はやめた、 さっき、ヴェルサイユの町で、いい植木鉢《うえきばち》みつけて、送る交渉をしたが、だめだった、まさか、植木鉢かかえて帰れもしない、スイスで、手提《てさげ》買ったが気に入らず、多江用にはなるまい、世界の鞄やといわれる巴里の超一級の店に案内された、 なるほど、客は一人もおらず、やかましそうなジジイが出て来て、註文をきくので、形を書いてみせたら、巴里のハンドバッグは年年小さくなっている、是非これにしろと言うから、見たら地味でシックで材質上等で目立たず、これならよかろうと……格式もあるが、高いこと相当だ、目立たないということが、モットウだが、金具だけは、さすが、寝るとき、夢でも見たいと思うが、夢にさえ多江は出て来ない、どういうことだろう、一日、行動的にやっているが、ひょいと、時間があると、なにか探している、今月中に、ロンドン、デンマルク、スエーデン、ドイツをまわって、又巴里に戻る、それで、一応、仕事のつきあいは達せられるから、アメリカやめて、帰ろうか、それとも巴里で、ゆっくりスケッチでもするか、迷っている、裏町がおもしろい、細い露路なんかはいってゆくと、江戸時代みたいな感じがする、 バアサンが多い、若い子はきれいだが、バアサンはひどいのがいる、 一流ホテルで、レター用紙もおいてない、巴里のフランス人は、けちな人間が多い、日本人は、いいカモらしい、なんでも上等のものを買うから、 今日はここまで、 ねむくなった、          多江もおやすみ そうそう、古本屋で、つまらないものだが珍《めず》らしい図録をみつけた、高いことを言うから、二日がかりで、よくしらべたら全部、にせものくさい、にせもの承知で、すこし買った、観光客相手になっているが、ちょっぴり負けた、フランスは日本人ずれがしていてよくない、それでも、見物するにはおもしろいよ、僕は、にせもの承知で買ったが、多くの場合、それとはしらず、ほり出しものしたと思って買うらしい、 古本屋街を、ぶらついている男は、ちょっと、変ったのがいる、 いまは、ミラノにいるんだよ、あちらこちら、彷徨《ほうこう》している、 もう二十五日め、オランダに来た、世界は神が造ったが、オランダはオランダ人が作ったのだと誇りを持っている水の町、海抜ゼロメーター以下の土地を、水から逃れ、水を利用し、川が百も流れ、川沿いに色美しい玩具のような家が並んでいる美しい都、川にたれ下っている出窓の花、 いっしょに、こんな風景みたいと思った、手紙なんか、何年にも書いたことのない僕が、毎夜、ねる前に、せっせと書いている、これも、多江に話しているつもりなんだ、おかしいと思うだろう、 このホテルの二階、天井の高さ、シャンデリヤ、王様のようなベッドに、大の字になって寝ました、 さて、頃はよしと起きて、ヨーロッパでは公娼をまだ廃止していない公娼街を見物に出かけた、俗に、飾り窓の女といわれる場所、スケッチを見てごらんなさい、 カーテンの閉っている窓は、目下営業中、一時頃ホテルに帰ったら、背中まるだしの良家のイヴニングドレス連中のパーティ、やっぱり、華やかなものだ、 寝室にはいったが、ドアマンの主人名を呼ぶ声と、車の音で眼がさめた、三時、 朝は四時頃明け、夜は十時すぎないと暗くならない国、これはたまらない、 デルフトの掛花とバター入れ買った、明日は、スエーデンに発ちます、だんだん荷物がふえる、秘書氏、頭をかかえて整理している、 ヨーロッパで探したいものの一つに、十六世紀から十八世紀までの、図録の残片、それを遂《つい》に、オランダの古本屋でみつけた、半日がかりでやっと出会ったのは、なんたる幸運か、これはほんもの、四十枚手に入れた、一枚日本の金で二千円から三千円|位《ぐらい》、嬉しかったな、 多江が、この中のどれを欲しがるか、楽しみだ、植物、鳥類、人物のコスチウムなんかすてきだ、たぶん、かなりまきあげられるだろう、これを、多江の寝室その他に、ちゃんとした額に入れてかけたら、一段と多江らしく美しかろう、   多江さま デンマルクの刺繍《ししゆう》のしてある絵はがき、こんなのもあるということ、木工具におもしろいものないかと、会談会合のあいまに、ひとり歩き……土産ものらしきはいけない、なんでもいいとは、お互いに思えないのが、苦労のたねです、 [#地付き]壬生   今夜は多江と無性に話したくて、夜中の二時、ベッドに横たわり書いている、鉛筆で手がくろくなった、 いよいよ最北端のスエーデン、ストックホルムに着いた、夜の十一時でも明るく、朝は二時半に明ける、白夜の国、こうしているうちにも、夜明になって来た、これが眠れない原因だが、うとうとしながら——もし、多江がこの世にいなくなっては、僕は生きられないと結論に達した、会ってからというもの、あせりと不安で、ずっと不眠がつづいたが、今は、安心してよく眠れるが、会えないからね、こんな状態が万一ですよ、僕につづいたら、生きられない、 かと言って、あんたには、なんの責任もない、これも万一、僕がいなくなっても、ずっと生きてほしい、生きて元気にしていてくれ、きっと、僕の命は、多江のなかに生きつづけてゆくだろう、そんな自信を感じている、 家のこと、息子のこと、会社のことなど、少しも頭にのぼらない、すべて忘れている、この旅行、この時期に一応決行したのは、自分のため、会社のためにもよかった、自分のためという意味は、精神的休養だ万事、会社のためというのは、僕の計画が先ず済《す》んだと考える、僕の作った機構に従って、担当役員の責任で行動させる習慣づけのよいチャンスである、こんな話、興味がないだろうが、多江ならわかってくれるだろう、愛だけではない、人間的に絶対のひとだから、 明日は南下して、コペンハーゲンに二泊、それから独乙《ドイツ》にゆく、各国の都市作り、住宅、美術館、見学しながら、暮しよく暮すことが第一で、地位などは、人間のしあわせにそれほど重要でないと、改めて認識する、だが、世捨びとになることを考えてはいない、 好きな皿小鉢《さらこばち》で、多江の作ったものを食べて、花も見てさ、見たいものは見て、道具の話など出来る相手が、ほかにいるか、ストックホルムは、欧州で一番の社会福祉国家だから、そういう集団住宅の見学や、学者の意見をきくために、時間をとった、 病気して入院しても、一銭もいらない、入院中休んでも、教育費まで国家がくれる、安心して病気治療が出来るたいした社会保障だ、こんなことは、多江も知っているかもしれないが、実地にみて、全《まつた》く感心した、国民の八十パーセントは、アパート生活、環境もいい、 それにつけても、多江がひとりで、あの家にひっそり暮していること、病気にでもなったらどうするのだと、いてもたってもいられなくなる、だから僕は死ねないよ、 独乙に、二三日いて、それから単独で巴里《パリ》に戻《もど》る、 帰ったら、どこへ行こうか、多江がしらべたが、よくわからないと言った定家の時雨亭《しぐれてい》を、いっしょに探そう、無学にして定家は百人一首より知らない、あんたが、ちらっと言ったことまで、外国にいて思い出す、時雨亭とは言わない、せめて江庵とか、多生庵とか、都の片隅に結ぶか、 国国のちがったベッドに寝ながら、考えることはそんな風にとめどがない、この旅では、秘書役が実によくやってくれた、なにからなにまでゆき届くので、僕はすっかりものぐさになり、多江の世話をするどころか、さぞ厄介《やつかい》をかけることだろう、手伝いをおくなら、女より男の方がいい、もっとも、多江の場合は困る、僕がやりたい無給で働きます、 戸締は必ず厳重に、仕事は大切にしなさい小さなことでも、仕事をもっていること、あやしいことはないでしょうな、万事気をつけて、山へもひとりではゆくな、ちゃんと食べること、つきあいもすること、こんな、思ったことをでたらめに書く僕という人間、くだらなく思うだろうな、あんたはいい友達をもっているから、まだ窓は仄《ほの》かにあかるい、   多江どの [#地付き]眠れない男より  多江の手紙、二十三日と二十八日の二通、巴里のホテルに着いていた、一行とは今朝、ハンブルグで別れ、いよいよ秘書はお役目ごめんにして、従者として、個人的な旅行の相手になる、ラファイエルホテルの豪華さ、わが身のけちくささを感ずる、バスルームに控え室、寝室、居間、それに従者の部屋みんな広びろで、ベッドは二つあるが、それが気になって、多江からまきあげたマフラアを二枚、一つのベッドにかけておく、 手紙はくり返しくり返し読んだ、あきない独乙では、東独の検閲を通って見物した、日本もこんなことにならなくてよかった、すんでのこと、なるかもしれなかった、みじめな焼跡や、家屋の残がいが山の如く陰惨で……それやこれや、手紙書く気もなく巴里へ戻ったら、嬉しいたより。 留守番がきまったそうな、通いでもいいから、手なずけること、K君おくさん連れて来たって、あれはいい青年だ、おくさんはどうか、あのK君は、すぐ多江の変化に気がついたろう、内面的になにか変化が起っていることに。 行こうか戻《もど》ろうか帰ろうかよそうかという歌、古いね、こんな歌知ってるふたりは、あの心境になっている、美人鑑賞なんて全然、その国の女は、その国の風土自然によく溶けこんだ色調の、カメレオン位《ぐらい》にしかみえない、多江の写真をしのばせて来なかったのは不用意だったが、写真なんかない方が、多江を思うことさらに強い、 なにを見ても、これがいいかと、多江の物ばかり眼につく、あんたは、いいもの持ってるから、いいものでびっくりさせる気はないよ、僕のセンスを、思いしらせてやる、友人夫妻が待っていて、明日たずねて来るから、買物の相談をする、 ホテルラファイエルに、五日滞在、絵を描く、それからニース、カンヌに出かけ、スペインへゆく、もう闘牛見物の切符を買って、友人が待っている、至る所に友あり、多江の手紙に、「外国にいると、日本の生活が小さくあわれに見えませんか」同感です、 「のびのびと原始的に暮すのが幸福でしょうね」 これも同感です、そうしよう、 だが、多江の家はいい、あわれではないよ、突然、僕の気が変って、単独アフリカのジャングルで暮す決心したとき、多江はついて来るか、はっきりきかしてくれ、ラファイエル宛によこせば、旅行先に転送するようにしておく、それから、前のホテル宛に出したかどうか、これからは、返信のきくように、日本の住所はっきり書いた方がよい、 もう二時だ、寝るよ、   お多江どの [#地付き]多生庵  きのうモナコに出かけて、丘の上の茶店から、半島の城みたいなカジノ・ド・モンテカルロを見下した、国立のトバクの本場で大トバクを見て驚いた、各国の金持のヨット、国王のヨットがついていて、八十歳以上のニクタラシイ婆さんが、札束をもってルーレットをしていた、 次の日、アンリーマチスの家と墓に詣った、その写真別送、それから四十キロとばして、セントポールに向った、ここは余り日本人ゆかず、絵かきが知っている程度で、千五百年前のお城の廃墟、城の内に百軒あまりの昔ながらの細道に並んだ家から、うす気味わるい老婆がのぞいている、そこを出た所に、金の鳩という洒落《しやれ》た料理店あり、ここは、つい先達《せんだつ》てまで、マチス、シャガール、ピカソ、ブラック、レニエ達が集って、酒を飲んで遊んだ店で、室内は、彼らの絵で一杯、ヴァレンチノみたいな小粋な黒シャツ男、女を連れて入って来た、多江にみせたい伊達男《だておとこ》さ、 ついでに僕は、ジャポネーズとしたら、押し出し態度一級品と言った、ほんとかね、といい気分、更《さら》に加えれば、ロンドンで友人の息子が案内した一流の店で、いつもツンケンと格式の高い店員が、いとも丁重に取扱った、日本の貴族がお供をつれて来たと、僕も面目を一新されたと……このくらいうぬぼれていいらしい、みとめないのは多江ぐらいと、宣伝これつとめているんだ、 夕方の飛行機で、スペインマドリッド着、今日はさすがに疲れ申した、ぼんやりしてる、六時から闘牛見物して、ホテルに帰り、一風呂あびて、一ねいりして、十時、ヴァレンシヤ料理食べにゆく、 ヴァレンシヤの流しのギターと、唄にうっとりして、わずかの酒で、テーブルで寝る、町の貴族、相当に度胸づいて、流しに景気よくやらせた、二時半、ホテルに戻《もど》り、多江にこの手紙書いている、 寝るときは、いつも、多江とか、お前とか声をかけるんだ、町の貴族だろうが、コジキだろうが、これほどほれられたら冥利《みようり》だろう、 疲れたせいか、歯はいたくなるし、ニューヨークで待ってる友達に会ったら、多江のもとに帰りたい気がしきり、充分な日程にしてあるが、やはり旅は疲れる、それでも、こんなに多江に書いてからでないと、ねられない、よほど参ってると自分で思う。 帰りたいから帰る……そうゆかないのは、僕ほどの腹をきめた男にも、多少の弱味があり、その弱味が、多江にひびくことを恐れる、 [#地付き]マドリッドより    お多江どの 遂《つい》にヨーロッパの旅もリスボンで終る、旅がらす終りの花にとまりけり などと夏の花のまぶしいこと、欧州一と言われるホテルリッツに投宿、豪遊とまではゆかないが、従者つきで、のそのそしている日本人はいないね、みんな、せかせかやってる、命みじかし、どこへいそぐかと思う、 無理はするな、ぼうっと暮しなさい、それがお前さんに一番似合う……そうは言っても、多江の烈《はげ》しい気性は、先刻見やぶっている、そこを見せないが、ちらちらっと見える僕には、ただのぼうっとした女でない、いぶしの魅力か。若いときはぴかぴかしていた、今はすっかり時代がつき、しかも保存がいい、道具も千年も前のものが、全《まつた》くフレッシュで、えも言われぬ味わいの出たものを名品とする、古びてうすよごれてはいけないのだ、道具は惜しまず使うべし、保存は丹念に、あるがままで美しく、よけいな飾りはいらないね、 そういう暮しをしよう、すでに多江はやってると思うが、そこに男が加わると、また女っぷりが違って来る、男もそうだ、ほんとに精神つかいきっても、溢れてくるものが絶えない、そうでありたい、 今日は熱っぽいので、豪奢な部屋でひとり寝ている、従者は解放、町へ出ていった、久しぶりというか、はじめて多江の夢を見た、びっしょり汗にぬれて眼がさめた、嬉しかった、もう一度見たいと思って眠ろうとしたが、二度と多江には会えず、 風呂にはいって、新しいガウンを着て、手紙書いている、イタリヤで、お揃《そろ》いのガウン作った、寸法がわからないので、届いたら、洋服やに見て貰《もら》うといい、 多江には、今となってはなにをしてもいいし、されてもいいただ一人の人間だ、安心して、鼻の下のながさも躊躇なくみせ、露骨な心のありのままさらけ出している、多江が、へきえきして破こうと、万一、他人に見られようと、このくだらない手紙になんの逡巡《しゆんじゆん》もない強烈な気持だ、 若いときは野心でまんまんと働き、或る地位に達すれば、保身栄達に汲汲《きゆうきゆう》となる、好きな女がいても極力かくす、ぐうとも言わない、これが男の本性だ、僕はその本性を見下《みさ》げる、むりに知らせることもないが、好きな女として多江のことが知れても、びくともしないぞ、 種子を蒔《ま》いたナデシコがなよなよと咲いたとか、見たいね、お前さんの若い時のあだ名がナデシコだった、しかしそのナデシコ、たくましくなった……再会したとき、僕は、これが、あのナデシコなのかとびっくりした、沈着たくましさ、率直さ含羞《がんしゆう》に、ほうっと、多江の年月を見たね、イジワルバアサンになりがちのところを、よく切りぬけたと、これは生れつきだと、だからこれからも、多江が年をとればとるほどいいと思っている、早く年をとれ、 どうして今夜は、はてしなく眠れないのか、あしたは、ニューヨークのホテルに、多江の手紙が待っていることだろう、あんたの手紙は、簡潔で内容さすがに豊富だ、余韻《よいん》じょうじょうだが、僕は、それでは充分満足しない、もっと、くだくだと書いてくれればいい、それがにくらしい、   たくましきナデシコどの [#地付き]イジワルジイサン  遂《つい》に七月も終り、友人五人飛行場に迎えに来てくれ、当分滞在しろなんて言う、アメリカは驚嘆する力の国で、つまらないが、人は好いし、のん気でいい、ティファニーだって、二の足を踏むような店でもなし、格式ばってないからね、 友人の細君がイタリヤ製の服を見立ててくれた、どうもこっちは、ナデシコが標準だから、派手なのをきらって、結局平凡なのにきめた、火事かと思うような、まっかっかの服を、スタイルのよくないのが着ていて、どきんとする、 多江は、もう手紙をくれないそうだが、さみしい、一日一日近くなってゆくが、一ケ所はしょると、飛行機を全部訂正することになり、大変らしいので、予定のコースで旅を終ることになるだろう。 そんなに暑くない、 [#地付き]ニューヨークにて    多江どの ニューヨークの目的は、友人と会食することばかりでなく、シュタイン会社の社長と会見、打ち合せをすること、クレイ事務所に挨拶する重要な用件があったけれど、無事に用を達してほっとしました。 当地に四日いたが、一つの工場を見ただけで、二日ばかり寝つづけ、二ケ月余りの疲労がとれました、もう大丈夫だ、 あとはマイアミで休養、メキシコに渡り絵を描くつもり、メキシコでは目ききが待っているから、石でも探そう、 そちらも、本格的夏でざわめいていようが、多江は、あの家で超然と静かに過していることだろう、その点かなわない、僕なんか、多江がこの世にいないことになったら、じっとしてはいられない、気がへんになる、  そのつもりでいて下さい、   お多江どの [#地付き]多生庵  まるで地図の上を歩いているように、ワシントン、シカゴ一応泊った、どうも劃一的でいささか食傷気味、暑い日本でお腹をこわさないよう、あまり食べすぎないよう気をつけなさい、ばかな心配までしている、 この絵はがきのビル、凄《すご》いでしょう、最新式のマンションの林立…… [#地付き]シカゴより  やっと昨夕、メキシコ入り、大阪|位《ぐらい》の広さと、エキゾティックな町、なかなかいい。 ヒルトンメキシコは、休暇に入ったアメリカ人でごたごたしています、日本人は僕と従者のみ、アメリカ人は敬遠されているので、われわれは好待遇です、 今日はピラミッドを見る可く、車で郊外のシャボテンの田舎家を描きにゆく、壁なんかもいいし、おもしろい焼物も見かけたが、こわれる恐れありで、送れない、その代りチャンチャンコ式のチョッキや、ハンモック送ります、巴里《パリ》から傘も送ったが着いたかしら、勿論エヤメールだ、ニューヨークでも、多江から、受けとったと書いてないし、メキシコのもどうかしら、通関料だけ払えばいい、 当地は富士山の八合目ぐらいの太陽の国だから、強烈、温度は、十七、八度ですがすがしい、スパニッシュの家、町の名は花の名で区別され、花が一面に咲いているのに、急にミゾレが降って、道路が忽《たちま》ちまっ白になる珍風景に遭遇した、高地に馴れるには、すこしこたえるね、 はり絵の絵はがきいいでしょう、風俗的に、洒落《しやれ》てるじゃないか、マイアミでは、僕も早速《さつそく》水着を買って、派手な仲間にはいって愉快にやった、水がきれいで、色彩が美しく、日本の海水浴場のような、小屋がけとは違って、万事社交的、ひとりものは殆《ほとん》どいない——アカプルコで、また泳ぐ、なんだか、話がとびとびだが、一生けんめい多江に話しているのだ、ほかのものには、旅の話なんかするものか。 今夜の食事のとき、となりのテーブルで、バースデーの祝いを家族がしていた、楽士がスペインの誕生日の曲をひいていた、本人のバアサンの膝元に、ちょこんと黒のプードルが座っていて、とてもよかった、僕も拍手してやったがこんなのは日本では見受けない光景、僕まで写真とられた、   お多江さま アカプルコへの手紙入手した、みんな着いた由《よし》、夏風邪で発熱とは困ったね、一応近所のかかりつけで診察して貰《もら》え、その上で病院の生田院長に連絡して、心臓も診て貰いなさい、多江のは、うどの大木で中味は心配してる、僕も心臓はよくないが、鍛え方が違うから、それに押しも相当だから、 面倒がらずに是非診て貰ってくれ、帰国したわ、病気だわでは意気消沈だ、暑いのに寝ているのはやりきれなかろうが、自重してくれ、すぐにも帰りたい、 アカプルコ明日発って、ホノルルにゆく、どうだ、約束通り、ホノルルに来てくれないか、ここで一週間ゆっくりしよう、僕が予定を変えるわけにゆかないのだから、ぜひ来てほしい。その為《ため》に、生田によく相談して、出発してくれ、荷物はなんにもいらない、ここで凡《すべ》て間にあう、どうせひとりで寝ているなら、こっちへ来て静養しなさい、 きまったら、電話でも、電報でも、パーソンコールというのにすると、僕が出るまでは探してつないでくれる、そのくらいのこと、しらべればすぐ出来るから、 とにかく来て下さい、僕までへんになって来た、元気で早く会いたい、もうそこまで来ているのだ、出発して下さい、   多江さま  多江は、航空便の束を膝において、考えていました。壬生の気持はいたいほどわかっている、その気持にこたえる番がきたのです。  愛はいっしょに愚かになることによって成り立つ……壬生の望むことが愚かであるか、愚かでないか、多江にはわかりませんでした実のところ……そんなことはもうどうでもいいのでした。壬生の望むことに合致する、それだけでした。  国際電話で、壬生の声をきくのは恐いような、どきどきした気がして、すぐ発つという電報を打ち、エージェンシイに手続きを依頼し、出発と同時に、壬生へ、何時何分何便到着の電話を頼みました。  多江は、サングラスをかけ、麻のスーツを着て、コートを抱え、手鞄一つ持って出ました。ちょっと東京へ行く、といった軽い格好でしたが、緊張していました。  多江は、飛行機の窓から時折外を見ました、もくもくした雲の波の中をくぐり抜けて、時折ひどく揺れます、多江の脳裡に、ふっと壬生の顔が浮びます。飛行機が無事到着することばかり祈っていました。——  飛行場の一番近い所に、壬生が立って手を振っているのを見ながら、多江は駆け下りて、「来たわ、」と言いました。 「部屋でひと寝入りしなさい、僕も休むから、別にした方がいいと思って、隣室をとってある、ヴェランダ伝いでゆききが出来る、」 「やっぱり体がまわってるみたい、」 「なにか食べるかい、」 「いいえ、ジュースが飲みたいわ、」 「パイナップルにレモンを入れて、炭酸水をまぜた冷たいのがうまい、今こしらえてやる、その間に、風呂の用意も出来るから、」  多江は、はじめて秘書にひきあわされ、案外の年輩なので、却《かえ》って気を使わずにすみました。てきぱきと、仕度《したく》をしてくれて、「夕食には御希望がございましょうか、」ときく。多江は、壬生の方をみた。やっぱり海老《えび》がいいか、貝のスープと、くだもので満腹する、それから外を散歩しよう、じゃあ早く風呂に入りなさい、疲れがとれるから、言いおいて出てゆきました。多江が、炭酸水を飲んで湯を浴びて出てくると、化粧室に、ひらひら袖の長い服と、ストロー編の靴がおいてありました。そのブルーの服と赤い靴を履いて、髪もぐるぐるっと上に巻きあげて、多江は、壬生の部屋へゆきました。「なんだ、寝ないの、」壬生は、長椅子に横になっていました。 「眠くならないわ、一日だって惜しいでしょう、」「よくわかるね、二ケ月半も、今日まで不安だった、」「なにが不安なの、」「一度発作が起って、多江に会うまでは死ねないと気が気でなかった、」「……会っても死なないでね、なんにも望まない、生きててくれればいいの、あの手紙は宝ものよ、」 「じゃ、ここでおやすみ、話してるうちに眠れるかもしれない。頼むよ、」多江は、壬生の寝台にそのまま横になって、とりとめなく話しあいました。そして本当にうとうとしました、壬生がいないのです、どこを探してもいないのです、まっさかさまに谷底へ落ちて、暗やみの中を、手探りで探しました。その時、壬生が、多江の胸の上の手を握って、「なにをうなされていたの、汗が出てる、」そう言って、タオルで拭《ふ》いてくれたのです。「いた、」多江は、壬生にすがりつきました、そしてくたくたと寝台から滑り落ちて座りこみました。だが、夢の話はしません、したくなかったのです。 「外へ出ようか、夕陽がきれいだから、」  海辺の往来へ出ると、ごたごたと賑《にぎや》かな人通りを抜けて、ベンチのある海辺に腰を下しました。風は湿《しめ》っていて、霧のようなつめたい空気が体を吹きぬけます。月が出ていました。 「いいね、こうしていられるなんて生涯の夢が叶った、しかし暮すには日本がいい、気候が激変するのは、体によくないようだ、」 「ここも、二、三日で充分、早く帰りましょう、」 「明日、島の原生林みたいな洞窟を見にゆこう、住宅地と花と、海水浴もしよう、」多江は、壬生が、むやみとプランをたてるのを止めて、午前中は海水浴、午後はひる寝、あさっては、原生林と住宅地をドライヴと訂正して、一刻を争うような壬生の気持を鎮めました。 「あんたはどうして、そう慾がないんだろう、やれるときに、なんでもやるべきだ、」「明日があるわ、」「いやそんな悠長な人生ではないよ、明日は明日で、またやることがある、」多江は、壬生に出会ったときから、その性急な、今日も明日もという積極さに、いつか同調していたのが、二ケ月半わかれている間に、何故そんなにいそぐのだろうという疑問にとらわれて、その疑念が、ふと、不吉な思いに変るのでした。そして、壬生の言うなりにならないことで、壬生を不吉な手から、逃れさせ得るような気がして来ました。  夜は、早くからカアテンを下し、灯を消して寝ました。つめたい海風が窓から通り抜けてゆきます。壬生が多江の部屋に来ました。多江は、笑いながら、毛布の端を開けて、「来たというのは、自発的なのだわ、来なくてはわるいと思って来たのじゃあないの、」壬生も笑いながら、「なんのかのと、言うことはないよ、」——  湿《しめ》った風が、蒸《む》し暑《あつ》いほどでした。ギターの音が、風に乗ってずうんと響きます。多江は、安心して寝入った壬生を残して、そっと窓ぎわに立って、暗い海を眺めました。いつまでも眺めていると、幸福なのに、なんともさみしくなるのでした。  ひょいと見ると、壬生も眼をあけていました。「なにを思っている?」 「……思うほどのことはないけれど、ここにいるのが不思議なの、ぼうっとしてるわ、」  壬生は答えませんでした、「毒だよ夜風は、」  多江も、しっとりして来た部屋の窓を閉めて、つめたくなった体を、寝台に入れると、そのまま地の底へ下りてゆくように寝入りました。  朝、多江が眼覚めたとき、壬生はいませんでした。湯の音がぽたぽたときこえます。多江は、眼ざめては、またうつらうつらと、起きあがれずにいました。 「どうしたの、眠っててもいいよ、僕は散歩してくる、用があったら、電話しなさい、」  多江は、「待って、いっしょにゆきます、」 「じゃ、コーヒーだけ運ばせて、食事は、外でしてもいいよ、」  朝から太陽はきらきらしていました、途中で大きな帽子を買い、二、三気づいた買物をして、ホテルで食事をすませて部屋に戻《もど》ると、壬生が、蒼白《そうはく》な顔色をしています。 「どうなさったの、」 「いや、朝は、どうかすると具合がわるい、今までにもあった、」  多江は、すぐ秘書の田村さんを呼びました。そして、欧州でも、一度発作があり、その時はニトロールを飲んで、一日で快くなったとききました。 「大丈夫だよ、」壬生はそう言うのですが、多江は、主治医に連絡するように田村さんに言いました。 「あなたの部屋からかけて、よくお話して、帰った方がいいかどうか伺《うかが》って、」 「はい、昨日も、ちょっと召し上り方がすくなくて、お疲れが出たのでしょう御用が多くて、」  多江は、壬生のそばにいました。ニトロールを含んだ壬生は、暫《しばら》くすると、らくになったと言いました。 「ね、お帰りになったらどう、あたしがついてますから、その方がいいわ、」 「こんどは、鉄の肺に入れられちゃうよ、」 「仕方がないでしょう、長生きしたいなら、今我慢なさって、まだまだ、未来はあるわ、」  暫くすると、秘書が戻って来て、 「こちらの医者に診《み》て貰《もら》って、影響がないようなら、帰って下さいとのことでした、先生の方でも、用意して迎えに出て下さるそうです、会社にも、お宅にも、まだお知らせしておりませんが、」  壬生は、不機嫌に、 「……ともかくそうしよう、会社には、誰と誰だけ、家には知らせることはない、そのまま病院入りということになれば、それからでいい、多江、すまないなあ、」 「なに言ってるの、迎えに来たのですもの、」 「じゃ、手配をして、係りの医者に、到着時間を知らせなさい、そんな必要もないと思うが、多江の言うことをきこう、」  午後の便がとれました。  壬生は、寝たままでいる。医者からの注意を、多江はききました。田村さんは、事務長に容体を伝え、万一の場合の吸入器をもちこみ、壬生よりも蒼白《そうはく》な表情でつき添っているのです。 「大丈夫だよ、どうかなったって、多江がそばにいてくれるんだから、僕は、安心してる、会社の用件はみんなとどこおりなく済《す》んで、書類も出してあるだろう……」  多江は、うなずきました。このひとは、なにか感じている。しかし、会わなければよかったひととは思わない。多江がまとっていたものを、外側からも内側からも剥《は》ぎとったひとであることに、まちがいはありませんでした。壬生が、突然消え失せてしまったらどうしよう、かけがえのないひとなのです。いっしょに生きたいひとなのです。  長い一日が経ちました。——  壬生は、「もう大丈夫だ、」と、いつもの表情で多江を先に、田村さんをあとにして、大勢の客につづいて機内を出ました。多江は、壬生のそばに近づくひと達と離れて歩きました。田村さんが追いかけて来て、ちょっとお待ち下さいと言うので立ちどまると、壬生が、 「いろいろありがとう、医者が来ているから、一応病院へゆく、電話するからね、」 「はい、じゃあ先に帰ります、むりをなさらないで、」壬生は、多江とならんで歩きました。それから関係者の迎えの車に乗り、多江に、秘書が車を用意するのを見て、走り去りました。全《まつた》く自然な態度で、誰にもひと言も言わせる余地のない、圧倒するような時間でした。  こうして、多江も、不意に家に帰ったのです。「ただいま、」「どなた、」庭の方から留守番を頼んだ老婦が出て来て、 「あら、お帰りのお知らせもなかったので、今日は、戸も開けませんでした、朝のうち吹き降りでしたから、」そう言いながら、がたがたと戸を開けて、「お早かったのですね、」「ええ用でいったのよ、だから……」「そうでしたか、勿体《もつたい》ないですね折角《せつかく》いらしたのに、おくさんは、寄り道ってものをなさんないのだから、わたしなんか、行ったついでに、見なければ損だと思って、」多江は、居間で、さっさと浴衣に着替えました。 「なんにもお土産がないの、これ眼鏡入れ、プリントの布……きれいだったから、なにかにして下さい、お茶が飲みたいわ、」 「御食事はどうなさいます、御飯はたきましょうね、ともかく無事でお帰りなんですから、ちょっと魚屋を見てまいりましょう、」  多江は、黙ってうなずき、泣きたいような気持で顔を洗い、ぼんやり椅子にかけました。電話が鳴る。壬生からでした。やっぱり一週間ぐらい入院することになった、心配することはないんだ、そのうち、不意打ちをかけるよ、多江は、はいそんなことに驚きませんと言ったが、壬生の声に、力のないことを感じて、晴れぬもの思いに沈みました。  あの時会わなければよかった、しかしこんなにものを案じないでいられたであろうとは思わない、壬生の身を案じることも、多江には、充実した日日なのでした。  ホノルルの強烈な花のいろと、ひらひら袖の青い服だけが、たしかな証明である以外には、四日の旅は、多江の心にうつろな影を写し出していました。本当に、壬生は、どこへ連れ去られたのか、だんだん腑《ふ》に落ちなくなるのでした。  夜になって、また電話で、壬生は話しました。家の者も、つきそいも帰った、一週間で出して貰《もら》えないかもしれない、昼間は、当分つきそいがいるが、いい折をみて、迎えを出す、東京駅まで来てくれれば、病院へ案内するから、——そこまで言ったとき、多江は、お見舞にはゆきません、ひと眼をしのんでお会いしても辛いわ、そうか、僕の勝手ばかり言って……その代り、夜、電話だけはするよ、当分死なないから大丈夫だ、そう思ってるわ、病院なんかでお会いしても、いやでしょう、弱味をみられるのおいやでしょう、多江だけには、それが平気で、ありのままさらけ出しているじゃないか今までにも。多江は、ふっと口をつぐみました。 「明日の三時、迎えを出すよ、」  多江は、笑い声をたて、いい折をみてなんて、へんなこと仰言《おつしや》るから、そうか、僕にはデリカシイがないこと覚えておいてくれ、わる気じゃないのだから……電話はきれました。今日帰って来て、明日とは、多江は無謀に思えましたが、その無謀に、はじめから惹《ひ》かれているのでした。  種子を蒔《ま》いたナデシコが、むらがって咲いています、多江は、ナデシコをひと束ねにして持ってゆく気になりました。風に乱れる花は、日光に向ってなびいていました。  明るいロビーに入ると、中庭に向った椅子に、病人らしくガウンを着た男女が、話しあっている。長い入院中、歩行を許された患者たちは、ここで、人の出入りを眺めるのが、唯一の世間への接触なのである。  見舞客、家族を、いち早く見つけて、嬉しげに歩いてみせる。痩せている病人ばかりではない。どこが悪いのかと思うような、血色のいい男もいる。壬生は、話しかけられた。 「……もういい筈《はず》なんですが、コレステロールが多いてんで、うちへ帰ると、摂食がむずかしいから、もう少し入ってろと、家族が言うんですよ、」 「そうですか、一つわるくなると、そこいら中にひびきますな、」  壬生は、地下室の扉から、多江が出て来たのをみとめた。運転手が、先に歩いて来る。 「やあ、御厄介《ごやつかい》をかけました、」 「いいえ、籠の中にいれられてかわいそうね、飛行場で待ち伏せなんて、国際的犯人みたい、」 「あやしいところもあるし……まあ、あとあとを考えて、向うさまの言う通りになるよ、」  並んで階上の病室へはいった。 「お茶入れて、なにかお菓子を出してくれ、それから、土産ものの鞄ももって来て、」  壬生は、前川さんに命じて、窓から外を眺めている多江に、 「朝、鳩が窓に来る、菓子をまいておくと、食べに来る、きっと、長年、患者たちはそうしていたんだね、」  それは死と言ってもいいかもしれぬ。それにとらわれ、近づきつつある人間の何人かは、窓辺に来る鳩に餌もやれなくなったとき、部屋には、次のとらわれびとが来る。鳩は、新しいとらわれびとに、すぐ馴れるのだ。  壬生と多江は、あまり話さずに、向いあっていた。多江は、包みの中から籠を出して、ナデシコを挿した。 「この籠は、退院なさるとき、返してね、」 「けちんぼ、」 「お宅へもってゆかれるのは困るわ、」 「ナデシコは籠に入れる、そこまでして貰《もら》えるのは、やっぱりお前さんだ、カットグラスにでこでこの花を入れて来たから、洗面所へ下げた、それでも僕は、きれいだねと言うんだよ、今、僕に死なれちゃたいへんだと言うんで、細君は血圧が上ってさわぎだ、」 「そうでしょうね、びっくりなさったでしょう、」  壬生は、不意に、 「八十六まで生きると言ったが、その自信がなくなった、だが、僕は、きっと、多江の家へ行って、多江のそばで、いざというときは、そうするからね、」  多江の沈んだ顔をみながら、僕は、この女に、なにをしてやれただろう……これが自分の晩年だとすれば、恵まれた晩年だと思える。しかしこの女を、どこへ連れ出すことが出来るだろう、そんな思いに心痛していた。 「……気の弱いこと、八十六までというのは、どこから割り出したの、六十五までだっていいじゃありませんか、月日とは関係ないわしあわせなんて、」 「そりゃわかってる、だが、一日でも長くと思うのは慾じゃあないか、三年や四年じゃあ、惜しい、」 「千年も万年もというのは、人情ね、」  俺は、何気なく言う多江の気持に、もろくも、胸がいっぱいになった。土産を早くみせたいからと、鞄を開けた。 「これは、みんな多江のものばかり別にしておいた、軽いから、箱へうまくつめさせる、」  多江が眼を丸くして、それらの品を眺めているだけで、俺は、元気が出た。自分の眼で、多江の為《ため》に一つ一つ選んだものは、華美なものはなにひとつない。気がついてみると僕は、いつか多江と暮す日を夢みて、その日のときに適合するような形、色あい、材質のものを、多江という素材をもとに描いていたんだな。 「要らないものは、ひとにあげてもいいから、幾つでもない、持ってゆけるでしょう、重いものは、僕がそのうち持ってゆく、」 「図録はどうなさったの、」 「まだひとまとめになってる、これも全部もってゆくよ、そして選んで貰《もら》うよ、」 「ほんとは、あたし要らないのよ、」 「マフラーやショールは、あんたから三枚もまきあげたからね、取り替っこだな、あんたの家の物置から、御不用品をあれこれ持って来て、みんな手入れをして僕が身のまわりにおいている、この菓子器も、お宅のだよ、」  古い春慶の六角形の立体的な蓋付《ふたつき》で、多江が、角切の会席盆などと揃《そろ》いで持っていたものである。それを僕は、ねだって、多江から貰った。そういうとき、多江は案外ころりと、「そんなに気に入ったのならあげるわ、」と言う。このあっさりした性質も、僕は好きなんだ。古いものと、斬新なものとが部屋にあっても、なんの違和感もない。これが多江の性質と似ていた。  妙に古びず、新しいピカソの皿にそら豆を入れてあっても、ピカソでございとならないのは、暮しが身についているということかな。僕の心臓は、根治《こんち》することはないようだ、どのようにもがいても、多江の暮しを根底からくつがえしてしまうことに、僕は清福を残し得ないような迷いをもちはじめている。  多江がついて来ると言っても、そのまま連れていってしまうのは、罪のように思えるのだ、だが、しまいには、罪でもいい、多江に、僕の健康のあやしいことを明らかにしたところで、多江は、そんなことかまわないの、はじめから、いっしょに暮すなんて無理だと言っているでしょう。お前さんをここから連れ出すのは容易なことではないと、はじめから僕も言っている……だからそれでいいじゃあないの、と繰り言は果しないことになるだろうな、じゃあ、なにも言わず、心臓が破裂するまで、この状態を大事に保とうという自我の念におちつくのが、関のやまなのだ。  俺は、うつらうつらと、多江が身辺にいることに安堵し、眠りはじめた。眼をあけたとき、看護婦がはいって来た。 「どうした、客は」 「さきほど、前川さんがお送りしたようですが、御存知なかったのですか、」 「うん、」  俺は、検温をすました看護婦に、前川を呼んで下さい、そう言った。  たしかに多江は来たのだ、口をつけた茶碗が、盆の上にある。眼の前で眠っていった僕を、どんな気持でみていたのか、そう思うと僕は、飛び起きて駆け出したい気になった。  扉を叩いて前川がはいって来た。 「東京駅までお送りいたしました、よくお休みになっているようなので、黙って帰るとのおことづてでした、」  壬生は、「うん、」と笑った。 「ひとの話をきいていて眠りこむなんて、よっぽど、気を許してるんだな、暗殺されるかもしれないのにな、」  前川は、礼をして卓の上を片づけ出した。主人の言っていることは理解出来た。これからどうなるのだろうという不安が、前川の身にも感じられるが、そんな素振《そぶ》りもみせず、茶器をしまうと、入れ替えに秘書がはいって来た。 「社の方に、あとのお荷物は保管してございますが、おくさまから、荷物を全部、お宅の方へ持って来てくれと仰《おお》せがありました、」 「なに、」  俺は、むっとして言った。 「土産のものは、届けてある、あとの荷は、僕がそのうちしらべなければならないものだ、そう言いなさい、それからのことだ、」 「はい、明日昼食をおもちになるそうです、御希望はなにかと、おっしゃっております、」 「うん、来なくてもいい、昼食だけのことなら、こっちで好きなものがとれるからと……安静の方が大事だと言ってくれ、」 「はい、」  秘書が帰ったあと、僕は、鬱陶《うつとう》しい気分で眼をつぶった。もう眠れない、先刻までのさわやかな空気と違った、重い、かたいものにのしかかられているような、そしてそれが、防ぎきれない業火《ごうか》に思える。  冠動脈《かんどうみやく》がだんだんつまって、糸のように細くなり、赤い絹糸のような血が通っている、いつ細い糸はきれるかもしれない、つまってしまうかもしれないのが心臓病の宿命である。車椅子にかけて、何年もそっと生きている人間もいる。必ずいけないとはかぎらないが、表舞台からは下りたことになったと、壬生の友人が、まだ、壬生の心臓がわるくならないときに話した。  この友人は、すでに細君に死なれて、色町出の茶屋のお内儀《かみ》の世話をしていたが、家の女房には出来ない、成人した子供たちが承知しないからである。反対を押し切ってまで、家に入れなくとも、自分が生きている間は、面倒もみるし、向うも、きらいではなさそうだから、金の切れめが、縁の切れめということにはなるまい、それでいいのだ、と言っていた。  その日も、定期的な診察を受けて、大半は自己資本の会社に戻《もど》り、雑務を片づけて、ぶらりと社を出た。用があれば電話をするからと、自家用車を使わずに歩いた。それから流しのタクシイをとめて、女の家へ向ったそうだ。その車の中で、急に、心筋梗塞《しんきんこうそく》を起して死んだ。  タクシイは警察に、その死にかかった、すでに死んでいたらしい客をわたして、一応のとりしらべを受けて、そのまま、また町へ走っていった。警察では検屍をして、心臓発作にまちがいないことを確かめたが、身元がわからない。所持品に、名刺一枚なかったのである。一晩、死体は保管された。  一方、お内儀の方は、来るという電話は受けたが、当人が夜になっても現われないので、持病のある人のこと故《ゆえ》気になって、店へ電話をしたそうなのだ。「……何時にお出かけになったまま、お戻りになられません、」「さあ、なにかあったのではないか、」という内輪のさわぎになった。  警察に届けた。昨日の何時に、タクシイの中で急死した事故がある。服装は、もちものは、年齢は、というしらべから、どうもタクシイの中の急死者に符合する。即刻、家の者が保管所へ急行して死体を確認した。何故その時にかぎって、名刺入をポケットに入れてなかったのかわからない。当人は、女の家へゆくのに、そんなものは要らないと思ったのかもしれない。  葬儀のとき、タクシイの中で発作を起したということをきいて、僕は、慄然《りつぜん》とした。病院でしらべて、なんともないと言われ、安心して出かけた直後のことだからである。 「……わかんないものだなあ、一寸先は、全《まつた》くわからない、はかないものだ、」  そう言ったことが、僕自身、同じ心臓を病む身になったとき、まっ先に、胸に来た。  だが、多江を愛したことに未練はある。とうてい、ゆきずりに死ぬようなことはあってはならないと思ったね。冠動脈《かんどうみやく》がつまったり、細くなったりしないようにするのは、命をのばすことにつながり、多江と暮す可能性を深める。なんの飾りも、余分のものも要らない境地で、最後の夕映えのような日は始まるのだ。  俺は、そんな空想で、ともすれば不安におちいる気を引きたてた。俺は死なない、そう思いそう信じることが、無理無体ではなく、切に願うことは必ず遂《と》げるなり、道元の随聞記《ずいもんき》にあると、母が死ぬまで信じていたこの一句が、突然、思い出されて、またそれを信じることで、気がしずまるのだ。  切に願うことは必ず遂《と》げるなり、なんという自信のある思想か……  俺は、建築家の友人に、設計を頼む気になった。思ったことは、すぐ実行するのが、これまでの俺の方針であった。友人も、それを承知していた。  電話をすると、見舞がてら病院へ来た。 「どこへ建てるのさ、三十坪|位《ぐらい》だって、山荘か、」 「そんなものだ、土地は小田原の山地にある、いずれ、いっしょにゆくよ、とにかく、図を引いてくれないか、寝ていると退屈なんだ、設計図でもみて、あれこれ楽しみたい、先ず、描いてくれ、その上で、こうしたい、ああしたいと、考えるから、」 「……ふうん、」 「想像の家を、君に具体化して貰《もら》いたいんだよ、ちゃんと、設計料払いますよ、」 「土地もみないで、やりにくいが、和式か、」 「そうだな、大ざっぱに言えば、洋式の寝室と居間、座敷が一つ、あとは台所などの水まわりは、やっぱり洋式だな、雇人の家は、物置とつづけて別棟にする、これは委《まか》せるから、」  友人は、じろりと僕の顔をみて、 「わかった、俺が在所は賤《しず》が伏屋《ふせや》の、というわけか、」 「そう、伏屋だが、中の設備は万全にしてほしい、なにしろ住み心地のよいのが一番、飾りはいらないね、」 「まあ仕方がない、引いてみよう、いくらなんでも、二週間は待ってほしい、」 「いいよ、二週間が一月でも……どうせ、建てるのは、いつ頃になるかな、」  しかし僕は、友人に設計を頼んだとき、もう、その家に、多江と住める日が確実になったような気がして、多江には黙って、その家を建ててから、いきなり、多江をその家に連れていって、さあここが、お前さんの家だと、驚かしてやりたい思惑で、わくわくし出した。  どんなに喋《しやべ》りたくても、じっと我慢して黙っている、突如、その家へ多江を連れてゆくときのことを想像すれば、絶対、秘密にしなければならない。  その秘密を守ることが、僕にはもう息苦しかった。ぽろっと、口が辷《すべ》りそうになるのをこらえて、障子も貼って、廊下の艶拭《つやぶ》きも出来て、外においた常滑《とこなめ》の壺のまわりに、さぎ苔《ごけ》の白い花がびっしり咲いた頃、その頃までは、決して一言も洩らすまい。  俺は、思わず唾《つば》をのみこんだ。その時の多江の唖然とした顔が、小気味よいのである。  ひとがわるい? 水くさい?  それくらいの隠しごとをしてみたいのだ。多江を、あの家から連れ出すには、髪の毛一本で象をつなぐような、目にみえない細い細い強靭《きようじん》な思いがかかっている。  だんだん日暮れが迫っている、一刻もあかるいうちに、先をいそぎたい気持で、僕は、家を出るという現実感よりも、自分から、自分が脱け出すような幻覚さえ覚えた。  多江は、病院から毎日速達で来る壬生の手紙を読んでいると、外国からの手紙の続きが、まだ続いているような気がしました。  でもそれは、だんだん暗い予想を伴うやるせない文面ながら、壬生が、これで三回めの発作と白状している以上、しっかりしっかりと声援する以外どうしようもあるでしょうか。  ホノルルまで出かけたのは、生霊《いきりよう》に惹《ひ》かれ、壬生の最後の手をとりに行ったのではなかろうか。看視つきで鉄の肺からやっと出たというのは、幽界から戻《もど》ったことでもあるのでしょうか。  乱れた字で、一心に手紙を書いている夜の壬生の姿を思うと、多江は、誰に、この悲しさを訴えようもありません。もう自分の出る幕はない、そう自分に言いきかせるのでした。  遠くの方でもいい、生きていてくれれば、壬生という人間がいるということだけでいいと、思うようになりました。愛が、高い天の上から降りそそぐ、掌上に雫《しずく》が落ちる、それは壬生でもない、多江でもない、男と女の生きるあかしの責苦のように思えたり、慾も得もない、無償のゆき交いが響くように感じました。  病人は、手紙の返事を、秘書宛に封入して出すようにと言って来ました。家族の当直が当分必要と医者の注意があるので、郵便物が、直接手にはいらない恐れがある、秘書は、その点、会社の用件の報告に、出勤前に立ち寄って、僕の意見もきき、連絡をとる勤めがある故《ゆえ》、手紙はまちがいなく持参するよう、よく心得させた。安心して、右の住所に出すこと——多江は、じっとその手紙を読んで、こんなにまでして、言いたいことを言い、その多江の返事をききたい壬生の焦燥《しようそう》を鎮めるために、そのような手段をとることに、一抹の疑義はありました。  その一方で、それだけ心頼みにされていることにままならぬ、悲哀を感じるのでした。人間にとっては、とるにたらない相手でも、ぴたりと気持の通じあうことに満足と喜びがある。壬生は、なにも多江に、むずかしい相談をしようというのではない、そんな相手は、がっちりと壬生をとりまいています、しかし、弱味は見せられない相手なのでありましょう、虎視たんたんたるそういう眼なんぞ、壬生は歯牙《しが》にもかけないのでしょう、べつに、用件以外には、嬉しくない相手なのでしょう。仕事はやるだけやった、会社も盛りたてた、いつ身を引いて、かげの人物になろうかという所まで、決心はついているのでしょう。  多江は、そのときの第一の壬生のよりどころなのでした。多江は、それが、うぬぼれだとは思いませんでした。どうしても、なおる、なおりたい、そしてお前さんの所へゆく、いっしょに飯を食べ、話をし、持ちあわせた道具のあれこれを品定めして、まきあげたり、まきあげられたりする、その楽しさは、そりゃあ、添《そ》い臥《ぶ》しの楽しさとは違った、尽きない、飽きない楽しみだ……男だから、お前さんを自由にしたい慾望よりも、などと君子じみたことは言わない、あんたをつかまえた、それは、あんたの躰《からだ》をつかまえた喜びよりも、心をつかまえた嬉しさの方がまさると、今では思っている、蝉《せみ》のぬけがらのような女じゃあ、我慢ならないのだ。頭のてっぺんから、足の小指の先まで、いっぱいに精神がつまっている……こんな言い方はおかしいか、僕には、そういう風に思えるあんたを、どうして、失ってなろうかという気なのだ……手紙をそんなにまでして待っている男を、憐れむか。多江は、そこまで読んで、ひとりで首を振りました。  ありがとうございます、嬉しゅうございます、だから早くなおって、いつでもいらして下さい、あなたが世間を捨てるなら、あたくしも同じようにいたします、御心配は御無用、約束は守るのが、あたくしのモラルです、出来ないことを、出まかせに言うことは一番きらいなのです、調子のいいことは言えない質《たち》で、このわからずやめと、言われたでしょう、わからずやが、いったんわかったとなったら、これは、と胸をなで下していいのよ、これ、心臓の薬より利くのじゃあないかしら。多江は、返事を秘書宛に、封書の封書にして、速達で出しました。  本当に、壬生が、垣根の前で、 「ほら、ちゃんと来たじゃあないか、そんな簡単に死んでたまるものか、」  そんな声をきいたような気がして、多江は、あけびの蔓《つる》の絡《から》んでいる木戸まで、出てゆきました。そこから更《さら》に門の前まで出て、往来を見まわしました。自転車の男が通り、子供連れの女が歩いていました。  壬生は、病院にいるのです、来られる筈《はず》がありません。来たと思えたのは、壬生の心が来たのです。  眼に見えないものに、実在感がありました。多江は、眼にみえるものだけで、壬生を見ていたのではないことにも、気づきました。  二週間、三週間、秘書宛の封書の封書の往復があって、突然、夕方、壬生から電話がありました。 「どこにいると思う、会社に出ている、きのうから、」 「まあ、」 「出たわ、また早まったわ、じゃあ、あんまり気まりがわるいから、黙ってた、」 「でも、一日や二日ではね……」 「そう来ると思った、ほんとは、もう五日前から、昼頃出て、三時頃|戻《もど》ったり、朝出て、昼頃戻ったりしてさ……いよいよ、退院とこぎつけましたよ、辛抱した、君のおかげだ、」 「………」 「それで、明日、出ていらっしゃい、二時頃、迎えを出す、きっとだよ、」 「ほんとにいいの、」 「会って驚くな、」 「痩せたの、」 「いいや、病人くさくなんかならないから、」 「あやしいわ、」 「病気中も、毎日、床屋が来て、ちゃんと顔を剃《そ》って、髪の手入れをして、ついでに、歯医者も招《よ》んで、すっかりなおした、風呂は、とめられている間は、毎日香油で拭《ふ》いて貰《もら》った……」 「それはそれは、」 「こうしていないと、いざという時、ひけめを覚えるといけない、」 「いざとはなんですか、退屈で困ってたのでしょう、毒舌の相手はあらわれないし、」 「ともかく、うすぎたないのは、きらわれるもとだから、」 「……こっちの方が油断していて、髪はばさばさ、さあたいへん、」  多江は、電話を切ると、早速《さつそく》、近くへ髪を洗いに出かけました。粧《よそお》うと言ってもそれだけのことなのです。着物と帯と合わせて、長襦袢の衿も、まっ白にかけ替え、帯揚帯〆、履物と、ひと通り、身のまわりの品をとりあわせて、はずんだ気持で休みました。明日は、午前中、三人の稽古があるのでした。  多江は、六時半には起きました。ほたるぶくろと水引草を、庭の隅から切って、茶花の仕度《したく》をし、水屋の準備を済《す》ませていると、手伝いが来ました。稽古の日には、家事を若い者に委《まか》せてしまって、暇のある年輩の奥さんが、ふたりで代りあってみえるのです。稽古も、月に一回するだけで、充分だという、嗜《たしな》みのあるひと達でしたから、多江は、午後のことは、そのひとに任《まか》せて、出かけるつもりでした。 「お出かけで、」  と言われても、壬生に会いにゆくとは言い得ません、用達《ようた》し、それでいいのです、ひとのゆく先を、根掘り葉掘りたずねるようなことは、常識ばかりではなく、おたがいに、心得ておりました。 「私なども、たまにお芝居などへゆくときには、気張るのでございますよ、役者を見にゆくのに、自分まで見られるような気がして、」 「そうですね、見られるような気持があるうちが花ですよ、」  多江は、そう言いながらも、壬生に、見られる覚悟でした、あれ以来、一年も二年も経ったような気持の動きを、互いに、感受するでしょう、会わないでいると、会った瞬間に、見えないものが心に映るのです。今か、今かと待っている壬生の顔が、ぼうっと、多江に泛《うか》ぶのでした、或る面映《おもは》ゆさといっしょに。  約束の時間に東京駅の中央改札口を出ると、多江の眼の前に、壬生が立っていました。 「迎えに来たよ、なにを食べたい、洋食か、それとも、」  全《まつた》く病気などどこ吹く風の顔いろで、話しかけるのです。多江も、普通に、 「そうね、プルニエにしましょうか、」 「……時間がどうかな、」 「しまっていたら、なにかあるでしょう、とにかくお茶でも頂きましょうよ、」 「そうしよう、中を歩いてもいいね、」  壬生は、顔馴染なのでしょう、すれすれの時間でしたが、ウエイターをつかまえて、頼むよと言うと、席を作ってくれました。 「ひらめの細切りの空揚あるかしら、」 「コンソメに、僕は舌びらめだ、空揚だけでは足りないでしょう、あんたは、ガルガンチュワ気味だから、」 「ひとぎきのわるい……小えびのサラダ、デザートは、チョコレートプリン、」 「お菓子はお土産に持って帰る……いいね、忽《たちま》ちこういう話になる、病人の見舞なんかぬきで愉快だよ、」 「なおったって、仰言《おつしや》るから、わざわざ御病気のこと言うこともないと思って、」 「そうそう、そういう気の利かない、ばかなところがいいんだ、入れ替り立ち替り来て、痩せたの太ったの、心臓病は、元気なときが要注意だなんて、ろくでもないこと言って、それが見舞のつもりなんだから、あんたのように、気にもかけないでいてくれると、」 「つまんないのでしょう、心配しているように言って貰《もら》いたいのでしょう……心配したわ、でもそんなことで言い表わせられないのよ、まさか、ひょっこり、現われるとは思っていなかったの、こっちの方が、どきんとして、今にも死ぬようなこと言って、さんざんおどかして、このやろうめと思ったわ、」  壬生は、笑い声をたてました。多江の手を握って、いいね、あんたと話していると、本当に気持がいいよ、どうして、ほかの奴は、思ったことを思ったように言わないのだろう、きまりきった、そらぞらしい話より出来ないのだから。うっかりしたこと言って、社長の機嫌を損じてはと思うのよ、わたしは、なにも、社長扱いしませんもの、自由に、お話出来る立場ですもの——多江は、そう言ったあとで、 「へんなものね、わたしだって、きらいな人の前では、自由に喋《しやべ》れないわ、丁重に、お話しますよ、」 「まるで、僕は、みんなにきらわれているみたいだな、孤独な存在だな、顔いろうかがわれて、」 「そうでしょうね、社長なんて孤独で、さみしいでしょう、みんなに弱味はみせられないし、」 「よくわかるね、なったこともないくせに、」 「………」 「こういうことを言い合える相手は、あんたのほかにはない、あんまりほめると、つけあがるから、ほめたくないのだが、」 「ほめるのはむずかしいわ、だけど、言ってもみたい、御苦心のほどは、わかっているの、時時だからいいのよ、これが毎日、このやろうめでいてごらんなさい、」 「いや、毎日、やりたいね、飽きないよ話しても話さなくても、」  食事が終ると、アーケードの中を見歩きました。多江は、北欧の木彫の馬を買って、壬生に、 「はい、心祝いあたくしの……」 「嬉しいな、僕も、いいなと思って見ていた、」 「なでしこの籠、返して頂戴、」 「すぐこれだから……社の僕の机の上にある、こんど持ってゆきますよ、」 「じゃあ、御無理をなさらないで……弱味もみせて、らくになさる方がいいわ、」 「仰《おお》せの通りだ、」  壬生とは、駅で別れて、多江は、戻《もど》ったのです。三時間足らずの楽しい会合、それには、理由もなにもありませんでした。ただ会えたということだけで、充分な、晴晴した世界がひらけはじめました。  このまま、なんの障害もなく、壬生との交流がつづけられるのであろうか、ほんとに、壬生の病気は、案ずるまでもないものであろうか、晴晴した胸の底に、こんな思いがよぎるのを、多江は、無視しました。  幸福を疑いたくありませんでした。多江は、良人と死別したとき、自分の生も終ったような、虚脱した気がしました。それでも、これと言って、強烈な思い出に耽《ふけ》る日日ではありませんでした。淡雪のように、良人の影は、薄れてゆきました。  人間は、こうやって、ひとりになる、孤独に立ち向ってゆく、それよりほか仕方がないと思っていました。  それなのに、壬生に出会ってからというもの、良人との間には萌《も》え出なかったような、烈《はげ》しい、いたたまらないような恋しさのなかで、このひとがいなくなったら、どうしようという恐怖が、絶えず、多江の心をかきみだすのでした。  壬生が、多江のいなくなることを、あのように恐れおののき、毎日、旅行先から多江に書きつづけた思いを、多江は、真底から信じ、感謝し、自分もそうなのだと、思いこみました。それでも、どうしても、とれない一抹の不安、絶望に近い不安を、ずっと今も、打ち消すことは出来ないのです。  壬生と、この先も結婚しようとは思わないのです、このままで少しもかまわない、貝合せのように、偶然に、貝の裏表がぴったりあって、どこからともなく現われた男と女のつながりが、幻術のように、前世からこうなる約束をもっていた、それでいいのです。愛情は、自然に湧き出る清水なのです。快楽だけが凡《すべ》てではありません。  残念なことに、或る年月を経《へ》た人間には、さまざまなしがらみがまといついて来る、そのしがらみをそのままにしておこうという多江の気持と、しがらみを断ち切ってもという壬生との気持のゆき違いは、互いの身の上をかばおうとする、いたわりでもありました。  なにか前途に、黒い雲が浮んでいるような、雲の正体のはっきりしない無気味さが、多江の心を締めつけていました。——  壬生の朝の電話が、再びはじまりました。 「二、三日うちに、関西へ行って来ようと思って、友達の茶室開きがあって、お手伝いながら、いいでしょう、」 「いいとも、行ってらっしゃい、……僕もゆくよ、社用で大阪へゆく、なるべく、向うで会えるように日程を組もう、一日で、用は済《す》むから、そちらの予定に従うよ、」  多江は、黙っていました。壬生は、多江を連れ出すよりも、多江の出先で、多江をつかまえようという心算《つもり》なのでしょう、その方が簡単であり、自然に思ったのでしょう。多江も、そう思うのです。旅行で、ばったり出会ったとしても、あり得ることでしたから。 「そうね、茶会のあとで、京へ出て買物でもしようと話しているの、」 「ああ、それもいい、それで帰るの、」 「帰りは、三人別べつです。ひとりは、名古屋の息子さんの家へまわり、ひとりは、大阪の御親戚、茶室開きをなさったお宅へまた一泊なさるの、なにしろ、出たついでに、あれこれ義理を果そうというので……」 「なんだ、あんたは、ひとりか、丁度いい、願ってもないことだ、ホテルに部屋をとっておくから、僕の名で、そこへ行って、どっちが先になるかな、五時前に、僕はゆきますよ、病後だというので、秘書はいっしょだけれど、それはそれで、用があるから、別行動だ……気にすることはない、ばったり会った、ひきとめた、それでいいんですよ、」 「そう……」 「いいじゃあないか、ホノルルで、心得ている、病院の手紙では、さんざん厄介《やつかい》かけているもの、なにを隠そうと言っても、無理な話ですよ、」  多江は、そうね、いいわ、会える、それだけでいいわ、壬生も、笑い声で電話を切りました、多江は、偶然のなりゆきに、心がはずみました。  此の世は、夢を見ているようなことなのでしょうか。  行く水の流れは絶えないが、もとの水ではない。壬生とこうなったことも、水の流れの逢《お》う瀬《せ》のひとときであるような、それでも、水の瀬の高まりが、多江を、せきとめきれぬ烈《はげ》しさで打ちました。  さきのことまで案じても、どうなるものかと、多江を大胆にもする、嬉しさまでが、心わずらいでもありました。  ホテルへ着くと、ロビーの椅子に、壬生がかけていました。田村さんが立って、多江の荷物を受けとると、壬生は、 「いいよ、運ばせるから……君もいっしょに、食事に行こう、」 「いいえ、私は友人の所へまわりたいので、」 「いいじゃあないか、折角《せつかく》出会ったのだから、つきあっておくれよ、色色と手数をかけた、なにも、逃げかくれて会っているわけじゃあないのだから、」  田村さんは、困ったように、 「いえ、それですから、私は、」  壬生は、すぐうなずきました。 「そうかそうか、君は、知っていたという立場にはなりたくない、なっては困るのだ、困らしてはすまないから、別行動でいいよ、でも、ゆく先はきいておこう、どんな用事が出来るかもわからない、」 「はい、それでは勝手をさせて頂きます、」  多江は、丁寧に挨拶して、小さな土産ものを田村さんに渡しました。 「ふと眼についたので、奥さまにでもと思って、あなたがお選びになったことにしてね、」 「いやあ……お心づかいありがとうございました、その上に、女房が眼をまわすでしょう、」 「まわさせておあげなさいよ、」  壬生は、このやりとりを黙って見ていました。 「あんたも、気がつくようになったね……実は、僕も、あんたからと言って、田村に、ネクタイを二本わたした……」 「………」  多江は、家に電話をして、帰宅が二日のびることを知らせました。 「差支《さしつか》えないかしら、」 「あのう、昨日、井伊さんという方がお見えでした、近くまで来たのでということで、お元気ですかと……」 「井伊さん?」 「はい男の方でございます、以前|御厄介《ごやつかい》になったと……」 「ああ、わかりました、主人の友達です、用件はべつにないの、」 「お届けものが二つ、一つは、生《なま》のものでしたので、開けて冷蔵いたしました、」 「かまわず食べて下さい、お願いするわ、」  多江は、壬生と会うようになってから、気づかいを、知らぬ間に四方にしていることを感じました。ひとに気を兼ねるというのではなく、自分が幸福を覚えることに、見えぬものの力が働いているような、その見えぬものへのありがたさが、他の人びとにも滲んでゆくようなのです。 「さて、どこにしようか、小倉山の方へでも行ってみようか、ほかに、行きたいところがあるなら、それもいいよ、」 「小倉山は愛宕《あたご》の方から行くの、」 「鳥居本《とりいもと》で鮎を食べよう、少し山麓を歩いて、時間があれば清滝をまわってさ、」  多江は、古歌をしらべていたとき、定家《ていか》の草庵が、二尊院《にそんいん》のあたりにあって、そこで勅《ちよく》撰和歌集《せんわかしゆう》から、百人の名歌を選ぶよう、時の富豪の|宇都宮入道 頼綱《うつのみやにゆうどうよりつな》から依頼され、定家の嗣子為家《ししためいえ》の妻の父に当る入道の別荘を造るために、その襖《ふすま》に張る色紙を頼まれたという故事を知っていました。  定家という歌人にも興味がある上に、はじめ選んだ歌は、のちに、為家に補定されて、|小倉百人 一首《おぐらひやくにんいつしゆ》として定着したということや、為家の二度めの妻は、十六夜《いざよい》日記《につき》で知られる阿仏尼《あぶつに》であることも、心に残っていたのです。定家の家系のなかに、すぐれた文学の血が通っていたことは、定家の明月記《めいげつき》を読んで、更《さら》に、諒解することが出来ました。  その定家の隠栖《いんせい》した跡が、時雨亭《しぐれてい》として、小倉山麓の寺のなかにあるらしいことも、史実に詳しい友人からきいていました。 「探したいところがあるのです、」  壬生は、けげんそうに、 「古代の道か、歴史か……僕も、イタリヤで、古い町や道を探すのに苦労した、とても、三時間やそこらでわかろうたって、」 「いいえ、俊成《しゆんぜい》の子の定家が出家して、|京極 中納言《きようごくちゆうなごん》となって、和歌《わか》寄人《よりうど》として活躍したとき、小倉百人一首を選んだ場所ですから、だいたいの見当はついているの……どうせ、今は、なにも残っていないと思いますけれど、松風だけでも、ききたいわ、」 「庵か、それは参考になるね、そういう心境は、定家ならずとも、」  壬生は、なにやら、もの案じ気に、それでも、多江をうながして部屋を出ました。  壬生は、二尊院の木陰の中の道しるべの囲みの中に、時雨亭《しぐれてい》の跡という立札が立っているのを、眺めていた。  一刻の栄華のときを過した男が、五十歳にも満たぬ頃に、この山深い草庵にこもって、後の世に残るような仕事に打ちこんだ。男をかりたてた情熱は、和歌文筆の道だけではなかろう、その気持を託すに文筆が選ばれたのは、託したい根本の心情が、人間的な熱い精力ではなかったのか。一方になにか心を燃す相手があって、思いのたけをまとめる動力になったのではないか。  いや、定家のことを、多江が言い出したのは、頃あいがいい。言ってしまおう。今言い出さないと、また、わざとらしくなりそうに思えるのだ。  二尊院の広い参道を歩いた。絵巻物のなかの道をゆくような、華麗な傾斜をゆっくり歩いた。木洩《こも》れ日《び》の影の向うに、白い塀が厳然と横切っている。壬生は、その時、言い出した。 「……もう六、七年前になるかなあ、あんたと会う前のことだ、僕は、息子が結婚したら、僕は別になる、息子は二人いる、どっちでも気のあう方と一緒に暮してくれ、離籍とは言わないが、女房のひすてりいには、長年かなり参った、僕が不在のときには、相手がいないせいもあるが、普通なんだ、僕がいるときは、つべこべ命令するわ、そばの者に当り散らすわ、息子に分不相応なものを買ってやれと、それでも父親かと、子供はわたしが育てたので、あなたの思うようにならないのは、わたしのせいだのと、ちょっと、理由もなくけんけん言うので、僕は、なんでもさからわずに、思う通りにさせて来たが、生活の責任はもつから、別居しようと言ったんだ……その後、女房が、いやな話だが、子宮を取る病気をしたので、なおるまで別居問題を延期した、子宮をとっても女に変りはないと医者は言ったが、元もと、女っぽくない女だったので、男性的になったね、身なりはかまわなくなる、僕の古ワイシャツを着て、庭の木を、植えたり抜いたり、植木屋をと惑わせたり、急に、あの職人は駄目だと、勝手に出入りをさしとめたり、息子に、婚約者がきまったとき、婚約指輪を、大層けちなものにしたそうだ。息子の言うこともきかないし、僕は、のけものにされるのをいい幸いに、一切、女房のやることに文句を言わずにいたがね——とにかく、先方で、指輪が粗末すぎると言ったそうだ、それを女房が怒って、指輪と結婚するようなひとは、こちらで御免こうむると、自分で断ったんだから、もう非常識を通り越している、こんな、全《まつた》く僕のはらわたの煮えかえるような日日が続いたね、専《もつぱ》ら、会社の仕事に没入して、いずれ落着いたら、と、ひすてりいも病気だろうから、なおったら実行しようと思って、まあ、そっとしている……」  多江は、僕の話に眉をひそめた。 「お気の毒ね、」 「どっちに言っているんだ、」 「両方とも、あなたの話だけ伺《うかが》っているのですもの、えこひいきになるわ、」 「どうして、そういうゆとりが、女房にはないのかな、一方的に、がんがんする、」 「それは、あなたに頼ってらっしゃるから、わたしだって、頼りきれるひとがいれば、安心して、ひすてりいにもなるわ、」  僕は、苦笑しながらも、多江の気持のさみしさに、一層の情がうつる。 「あんたが、穏《おだや》かに穏かにと言うから、僕は我慢しているんだ、とにかく、そういう状態のなかで、僕の心臓はいためつけられた、内外ともに、おそらく、大分前からだろうね、あんたに会ってからは、別の意味で、僕の心臓はやすまらなくなった、こんな風に、定家がひきこもった地を歩いていると、定家の頃には、男も女もかなり自由奔放じゃあないか、生きたいように生きている、」 「それは、貴族のせいです、今は、合法的にしなければだめなのよ、」 「君は、ときどき、赤みたいなこと言うね、」 「いいえこれは、モラルの問題よ、」 「愛も情も、モラルに反するのか、」 「………」  いつか、二尊院の墓地のなかを歩いていた。  古びた石塔や、|宝篋 印塔《ほうきよういんとう》の並ぶ前で、多江は、 「せめてお墓は、いっしょにしましょうか、」 「なに言っているんだ、生きてるうちにだ、」 「そうね、そのときがきたら、」  多江は、とぼとぼと歩いている。僕は、多江を殺したくなった。この女、殺してしまえば、僕が独占して僕も死ぬだろう。それが一番理想に近いと思えるほど、僕は、血迷ってしまった。 「なにもかもいいときなんて、決してないんだ、破れてもいいじゃあないか、このひとときだけでも、僕はいいんだ、なんか降って来た、屋根のある方へゆこう、」  僕は、多江の手を曳《ひ》いて、墓石の間をいそぎ足に歩いた。濡れる。心臓がどきどきする。今の今まで、死んでもいいと思っていたのに、死んではならぬ。濡れても毒だ。どきどきする胸を鎮めて歩いた。 「時雨《しぐれ》だわ、さあっと来て、さあっと過ぎるわ、」  時雨か。  壬生は、堂の下にはいって、煙るような細い雨が、松の葉を光らせて消えてゆくのを見つめた。  多江の髪の毛が濡れて、油のように光った。 「髪の毛を拭《ふ》きなさい、」  僕は、半巾《ハンカチ》を出した。多江の手を待たず、多江の髪の毛を半巾《ハンカチ》で抑《おさ》えた。衿先に、細い縮れたような白毛が、二、三本ちらついているのが、媚《なま》めいてみえる。ほかに多江には、性的な感じは殆《ほとん》どみえないのに、縮れた三本の白毛が、妙に、僕を刺激するんだ。 「なにしてるの、髪がつぶれるわ、」  多江にそう言われて、僕は、またどきんとしたね、そんなことをこの女に感づかれるのは、僕にしても、ちょっと羞《はずか》しいからな。  時雨《しぐれ》があがると、踏石のまわりの苔《こけ》が、びっしりと盛り上ってみえる。冷たい風が吹いて来た。 「昔は寒かったろうな、このあたり、」 「そうね、わたしたちの草庵が、万一、生きているうちにまに合うのなら、やっぱり、陽のよく当る、ぽかぽかした場所がいいわ、」  俺は、黙っていた。  小田原の山ふところの陽だまりに、建てるんだ、お前さんの家を——さぎ苔をびっしり植えて、廊下の下には鞍馬苔《くらまごけ》を這《は》わせて、青青した草の繁った頃に、突然、その家へ連れてゆくんだ。それまでは、絶対口外しないぞ。その家の見取り図を、げんに、時折眺めては、あれこれと、僕は訂正しているんだ。  先ずその前に、その土地へも検分にゆかねばならない。友人の建築家を連れて、実地に、方角や庭木をきめねばならない。 「ね、風流もいいけれど、寒いのは、」 「寒ければ暖房する、ちっとも風流に反しないように出来る、」 「そんな贅沢《ぜいたく》、わたし、自然がいいわ、」 「自然、自然、なんでもあんたは消極的だなあ、どーんとやってみたくないの、」  多江は、どーんとやったじゃあないの、ホノルルへ駆けつけたじゃあないの、そんなに大砲じゃあるまいし、どーんどーん出来ませんよ、と、俺をにらんだ。  俺は、きゅうっと胸が痛んだ。感動の痛さではない。横を向くと、ポケットからニトロールをとり出し、指の先につまんで、口に含んだ。  自分でも、顔のこわばりが弛《ゆる》むような安堵を覚え、戻《もど》ろうかと言った。  多江は、車の方に向って駆け出した。  あんなことをしている、僕は、そう思っただけで、多江と自分との肉体の違いを感じた。死が、いつも隙をねらっているような、胸ぐるしい脅《おび》えは多江にはないのだ。  死は、まだ遠くに在《あ》る。多江には、死の恐さも、死が無明《むみよう》の闇《やみ》であることも、観念だけのものなのだ。  俺は、死を実感し、いつも、すぐそばに待っている、恐るべき相手であることを痛感している。全《まつた》く、油断のならないいやな奴……どうしてもこの囲みを解かなくてはならない、切り抜けねばならないのだ。  俺は、ふうっと溜息をついた。 「どうなさったの、」  車にはいったとき、顔いろの蒼《あお》さに、多江は気づいた。 「どうもしないよ、」  僕は、笑顔になり、 「そう心配するな、前には、ひとりで三人の相手を倒せたが、それが出来なくなっただけのことです、そんなことは、自慢にならないからね、」 「そうよ、あたしみたいに、やっと生きているような、それでいいと思っているような、その方がらくじゃあありませんか、強いと思っていらっしゃるから、弱いのが気になるのだわ、」 「お前さん、時時、禅坊主じみるね、羨《うらやま》しいよ、」 「ひとりで、長年、暮しましたから、それなりの哲学が出来たのよ、あなたのように、至《いた》れり、尽《つ》くせりは……あんまり尽くされていないようだけれど、たいていのことは通る、思うままになる、なった、それが、仇《あだ》だわ、」 「思うようにならないことが、よくわかった。身に沁《し》みている、第一、あんたひとりに手こずっている、」 「ひとぎきのわるいこと、言わないで、」  しかし僕には、これが生《い》き甲斐《がい》であるような、手ごたえであるような、冷たい手にじっとり滲み出るものがある。  食事をすませてホテルに戻《もど》ると、僕は、田村を呼んだ。 「君、入浴を手伝ってくれないか、お多江さんじゃ、無理だから、」 「はい、」 「明日の三時頃の切符を手配しなさい、午前中、伏見稲荷へゆく、駅へ時間までにゆくから、荷物をまとめて来てくれ、買物は、めもに書いておくから、頼みますよ、」 「はい、| 承 《うけたまわ》りました、」  田村は、壬生が着替えてしまうと、多江の部屋をノックした。 「御用がありましたら……」 「いいえ、ボーイさんに、お茶の仕度《したく》を頼んで頂けますか、」 「はい、明朝は、九時にお電話いたします、」 「あら、その前に、起きますよ、」  多江は、それから、僕の部屋に来た。  茶の仕度が運ばれていた。僕は、横になって新聞を見ている。多江は、急須の茶を絞《しぼ》って、僕の前におき、自分も飲んでいる。俺は、新聞をどさっと置いて、 「こうやって向いあっていると、長年連れ添った夫婦のようだ、」 「ほら、催眠術、」 「おだやかで、静かで、いいじゃあないか、」 「ええ、」 「僕は幸福だ、幸運だ、」 「正直なかた、そんなに言い切って下さるのは、わたし、自信もっていいの、」 「もってくれなくては困るよ、あんたは、なにも気にしなくていい、なにが起っても、責任は僕がとる、あんたは、茶の仲間とのつきあいを大切にして、ずっと続けるんだね、その方で役に立つことがあれば紹介もしよう、道具を、一度みんな見せて貰《もら》いたいね、僕がまきあげるのではないかという疑いは、もうなくなったろう、」 「まきあげられても、たいしたことないわ、でも、こういう時期が一番あぶないのね、」 「まだ疑ってる、結構だ、そのくらいの意地がないといかん、頼るばかりが、とくではない、人間はそうなってはいけない、ぽんと言いたいことも言えなくなる、結局、顔や姿に、惑わされても、最後は気性だな、気だてのわるい人間は興ざめがして来る、顔なんか問題じゃあない、性質のいい女、僕はそう思っているからな、」 「また殺し文句、顔はなってなくても、心意気なんて言われれば、たいがい降伏するわ、」 「茶をやるのなら、とりあわせが大事だからね、道具のいい、わるいじゃないよ、性格も出るし、いっぺん、披露して貰いたい、そうだ、庄田も招《よ》ぼうじゃないか、」  僕の心のなかには、多江との生活を庄田に理解させたい気もあった。この女とは、好きだ、こうなったという男女の情以外の、友情というか、色恋をぬきにしても、立ちむかえるだけの姿勢があるのだ。それを見せたいのだ。 「庄田さんの御上京の時にでも、あんな家でよろしければ、」 「ああいいとも、料亭へ招ぶより、あんたの一服で、ありあわせの手料理が、最上のもてなしだよ、僕も、まだちゃんとした、おもてなしにあずかっていないからな、」 「いいわ、御流儀ぬきで、その前に、道具を見て頂くわ、あやしいものは使いたくありませんし……」 「いや、いいものがあるでしょう、楽しみだな、ところで、古い木綿を道具屋が持って来たので、小《こ》ぶりな仕立で、五枚送るよう頼んでおいた、ちょっといい味の縞《しま》だったから、」 「まあ嬉しい、うちの座蒲団、野暮ったいと思ってらしたのね、」 「品がよすぎる、籐《とう》もいいのがあったね、だから、普断づかいに変えるのもいいでしょう、あんたのうちのは、麻もふくふくしすぎている、もっとざつなものですよ、」  多江は、にこっとして、僕を見つめ、 「いっしょにいたら、うるさいでしょうね、なにからなにまで好みがひと通りじゃあないのですもの、でも座蒲団の古いの、わたし気になって、仕立直しさせて、ふくふくにする癖があるわ、つまり野暮なのね、」 「いいよ、その方がいい、僕は僕の好みで、勝手にしているのだから、」 「……古歌など見ていると、男は男で勝手に恋い慕い、女は女で自分の好きなように恋うのね、必ずしも一致しないけれど、思いやる心の深いこと、それも間接的に言っているのよ、」 「すこし、御教授にあずかるか、僕のはなにかにつけて、むきだしで、へいこうするのだろうな、」 「いいえ、そこがいい、」 「添《そ》い臥《ふ》しはかなわずとも、と、女房が良人《おつと》に気兼ねしている浄瑠璃《じようるり》があるじゃあないか、三勝半七《さんかつはんしち》か、あの逆みたいな気がする、」  多江は、ぱっと言った。 「かないますよ、」  秋風が吹き出しました。  夏から秋へ、移るのを待って、多江は、壬生が、泊りがけで来る日に、道具をしらべて貰《もら》うことにしました。父の亡《な》いあと、茶をたしなむものがいなかった為《ため》、茶に関する道具の残っていたものを、多江が、譲り受けました。婚家にも、相当ありました。  漆箱《うるしばこ》にはいった唐もの螺鈿茶箱《らでんちやばこ》、籠はところどころやつれてはいましたが、かぶせ蓋《ぶた》の編目の精緻さは、糸のように細く、中の茶碗は、明初瑠璃筒茶碗《みんしよるりつつぢやわん》、茶巾筒仁清《ちやきんづつにんせい》、茶《ちや》せん筒《づつ》砂張《さばり》、香合《こうごう》信楽《しがらき》、平《ひら》|棗 《なつめ》家元《いえもと》、仕覆笹蔓金襴《しふくささづるきんらん》、|燭台 《しよくだい》黒織部《くろおりべ》、水指唐津《みずさしからつ》、絵瀬戸《えせと》、麦藁手共蓋《むぎわらてともぶた》、茶入古伊万里《ちやいれこいまり》、嵯峨棗《さがなつめ》。盆根《ぼんね》ごろ日《ひ》の丸《まる》、花生《はないけ》藤原壺《ふじわらつぼ》、絵高麗《えこうらい》、萩《はぎ》、信楽。茶碗柿《ちやわんかき》ノ蔕《へた》、高麗白磁《こうらいはくじ》、古染《こそめ》筒茶碗《つつぢやわん》。古染双魚香合《こそめそうぎよこうごう》、宋白磁香合《そうはくじこうごう》、青貝一文字香合《あおがいいちもんじこうごう》、軸、光琳《こうりん》、光悦《こうえつ》、|利休 消息《りきゆうしようそく》。菓子器根《かしきね》ごろ鉢《ばち》、古秀衡台鉢《こひでひらだいばち》。など、壬生にみられても、まあましと思うものを取《と》り揃《そろ》え、あとは、皿小鉢《さらこばち》の好みの品を出しておきました。  多江は、壬生に、もちものをさらけ出すことで、自分の生涯、身の上の説明にはなるだろうかと考えました。金目《かねめ》のものはないのです、好みのものを見て貰《もら》うつもりでした。  壬生は、午後、元気な顔をみせました。座敷の箱をみて、 「やあ、あるね、僕も二つ三つ茶碗を持って来た、夏茶碗のつもりで、山茶碗と永楽の綺麗なのと、唐津の皮くじら、絵唐津で、稽古用ですよ、」 「がらくたも出しておきました、あやしいのは、この際、処分したいわ、」 「そうね、ぼつぼつ、探してあげるから、つまらないものは、捨てるんだね、」  若いときから、道具に溺《おぼ》れたというのも、壬生の家の伝来の品を、いつとはなく見覚えてからのことだと言います。茶道具より、鑑賞陶器に金を使い果たし、造ったばかりの家を売ってまで、宋の掻落《かきおとし》の壺や、青磁浮牡丹《せいじうきぼたん》の瓶《へい》、景徳鎮《けいとくちん》の染付唐草文瓶、景徳鎮の鉢《はち》、壺に熱中して、寝ても覚めても、景徳鎮に明け暮れたと言います。 「どうしても欲しいんだ、女よりも夢中になったね、だからよかったかもしれない、僕は、なんかにのめりこむ質《たち》だから、血気の頃は陶器で眼の色を変えていた……女は、こんな思いをするのは、あんたということになるかな……」 「また、そんな聖者ぶる、わたし、わるものでもかまわないの、どういう女のひとを通りすぎてこようと、かまわないの、その陶器だって、手ばなしたのでしょう、」 「ああ、そろそろ跡始末を考えて、女房子をひぼしにしないだけの用意さ、残っているのは、好きなものだけで、金めのものはないが、もう、がつがつと、探す気はなくなった、眼につけば、買えれば買うという、至って平静になった……しかし、あんたも相当だな、」  壬生は、そう言いながら、初めに、隅の道具をひとまとめに見て、 「やきものはまだしも、絵や書の贋物《にせもの》は、いけないよ、いや味なものだ、」 「そんなのあるかしら、」 「そうね、四、五本はあやしいね、あとは、女らしくていいよ、気張ってないもので、」  とうとう、ひと晩じゅう、壬生は、道具をいじったり、寝ころんだり、けなしたり、多江を相手に、美に溺《おぼ》れる麻酔のような楽しさと、美を怖れる劇薬のような苦しさを、めんめんと語らいました。  それは、壬生の人生観でもあり、人間性でもありました。満満と、水を湛《たた》えたような壬生の心情に、多江は、うっとりしてしまいました。 「若いときは、あくが強かったんだ、ぐずぐずしてる奴を見ると、突きとばしたくなるほど、烈《はげ》しかったんだ、それが鈍ったね、」 「家出も、考えなおしたでしょう、」 「いや、そうじゃあないが、うちの奴が、すこし、へんなのだよ、手術のあと、よくない、だから、ちょっと様子を見なければならない、」 「そうですとも、そんなとき、泊りがけで来るなんて、いやだわ、」 「憂鬱だよ、たださえ始末に負えないのだから、看護婦もいるし、僕がいると、却《かえ》ってよくない、急にどうなる病気ではないそうだ、弱ってる、」  多江は、壬生の家の暗い、つめたい空気を想像して、壬生が、若いときから、骨董《こつとう》などに夢中になった孤独な心のやり場が、ようやく納得出来るのでした。壬生は、なにか愛する対象が欲しかったのです。普通なら、当然妻子であったかもしれません。壬生は、もっと手ごたえのある愛の対象が欲しかったのでしょう、それがたまたま、美であっても、人間であっても、不思議はありません、それだけ豊かな人間性に溢れていたのです。  多江は、壬生を、もしそんな孤独な地獄から救えるなら、それがモラルのように思えました。—— 「庄田が、週末に出て来るから、一夕、ここへ招《よ》んでやってくれないか、」 「ええどうぞ、」 「魚以外の材料は、僕が見つくろって持って来る、前日に、届けさせようか、」 「そうして頂ければ、当日らくだわ、」 「きまった、それではやすませて頂くとしよう、ほんとに、僕は、自分の家のように思っているけれど、あんたの御厄介《ごやつかい》になっているわけだ、おそれ入りますな、」  多江は、壬生が道化ていることを知って、 「丁度いいところに、うちがあるからでしょう、これが、町はずれの新開地の長屋住いだったら、どうするつもり、」 「伺いますよ、三畳間にぎゅうぎゅう詰でも、かまいませんよ、そんなことに誰が遠慮するものか、」 「………」 「ここへ来ると、胸がすうっとする、空気のせいだけではない、あんたのせいだと思う、」 「……わたし色気がないせいかしら、」 「いやいや、ありますよ、うっかりそんなことを言っては、いやがられるから、」 「色気って、どういうことかしら、」 「そりゃ、いろいろあるよ、しかしなんだね、当人は知らなくていいのさ、」  多江は、黙ってうつむいて、耳に小指を入れていました。耳がかゆいのです。 「そういうのも色気のひとつ、」 「まあいやだ、耳がかゆいとき困るわ、」  多江は、笑いながら、座蒲団を足で押しやって、次の間へゆきました。風が出て来ました。雨戸ががたがたします。 「珍《めず》らしい、今どき雨戸の音のする古家なんて、みんな、サッシュで、かちっとしてるから、」  多江は、次の間から大声で、 「そんな家は、色気がありません、」  壬生も、すぐ、 「そう思うでしょう、わかったか、」  多江は、壬生と出会ってから、人生を禁慾という形で抑《おさ》えていたつよさが、もっと高まるような気がしました。眠っていた知覚が脱皮して、活溌に動き出したような、水に洗い流された新しい情感が、あとからあとから湧き出るのでした。  俺が玄関へ出てゆくと、ぱたぱたスリッパの音をたてて急ぎ足の細君が、いきなりに言った。 「私の部屋の壁紙張り替えたいんです、すぐ来てくれるよう頼んで下さい、」 「この間、なおしたばかりじゃないの、」 「でも気に入りませんから、」 「無駄だなあ、よく選んでしなさいよ、」 「呼んで下さらないなら、近くの装飾店に頼むわ、」 「いいのがあるまい……言っておこう、」 「今日すぐお願いしたいわ、壁紙の色が気にさわって、私眠れないんです、職人のせいよ、」 「そうかそうか、」  俺は、言えば言うだけ不愉快になるのをおそれて、そのまま出勤した。きのう買ったものが、今日は気に入らなくなる、しまったと思うことは、自身経験もあるが、それは極くさ細なことであった、単に、よくしらべなかった不注意によるものであった。だが、壁面をそう無闇にとり替えるのは大ごとだ。ちょっとの気まぐれで、張ったり、剥《は》がしたり、職人のせいにしたりする無自覚さに、なんの反省もない細君のやりかたは、きのうきょうの事ではないのだ。言っても無駄と、俺が、長年放置したことにも、後悔はあった。  もう手がつけられない。  俺は、それはそれで、そっとしておこうと言う気なのだ。言わば無視に近い心境であろうか。夫婦の因縁というよりも、他人に近い冷淡さが、互いの負担にならなくなっている。いいじゃあないか、六十年の不作と思えば、あとはもう何年でもないさ。壁紙を張り替えるように、亭主も替えます、なぜそう言わないのだろう、とさえ思うんだなあ。  こっちから、張り替えるなどと言ったら、狂乱状態になるかもしれない。脳の病気と思えば、哀れとも言うべきかな。  椅子も、じきに飽きる。あれがいい、こういうのにしたい。買い替えては趣味がわるくなり、調和のなくなる部屋に、僕は、いたたまれなくなる。落着かなくなる。  多江の家へはじめていった瞬間に、やすらかな静寂がそこにあった。  いたんで古びた家財が、そこよりほかには、一分でも動かせない位置におかれている。  これが身の置きどころだ。  我が家には、身の置きどころがない、僕はそういう雑然とした雰囲気のそとに、いつか自分がたたずんでいるのを、不審には思わなくなった。厭世《えんせい》ではないよ。同じ生きるなら、身の置きどころを得たくなったんだ。  それは、多江とともに在《あ》った、ということなのだ。ただ、女が好きになって、どうのこうのということより、いや、それもあるでしょうな、無い筈《はず》はないな、言いわけじみるが、それだけではない、精神的なものだね、もう僕が欲しいのは、金でも地位でもない、精神的な充足だな、結局、性だって、もっとも精神的なものさ、それがなくては、性は荒廃するしかない。  その夜、壁紙が完全に乾かないからと言って、細君は、隣りの僕の部屋に来た。困った。断るわけにはゆかないから、 「どうぞ、僕は、しらべものがあるし、電気をつけていると、眠れないだろうから、客間へゆくよ、晩《おそ》くまで、がさがさやるんだ、」  そう言ったね。 「……今日にかぎって、」 「そう、今夜はそういう仕事がある、」  断然、そう言った。以前、いつの頃であったか、細君ひすてりい気味の折、その興奮をしずめる意もあって、部屋へはいってゆくと、先ず、煙草《たばこ》くさいと言って、顔をそむけられた。 「そうかい、」  とは言ったものの、煙草は年中吸っていて、それも喫煙量は多いのはわかっている。長年いっしょにいれば、相手の匂いなどは麻痺してしまうものだ。断られては、かたなしだから、ただちに退散して、悠悠と寝たね。  そういうことだけが、夫婦の情愛ではないが、そういうことなしでもむつまじく優雅にゆかないのは、どっちも浅い縁だと思った。  下宿人でも、金だけ出していればいいというものではない、情が移る。うわべだけでもいいんだ、悪妻と吹聴した罰が当って、本当の悪妻になったね、僕は、悪妻というペットネームのつもりでいたんだ初めは——それが、長年の間に、正真正銘の悪妻になった、やっぱり、女は、おだてて、おだてに乗るような細君に仕立てなかったのは、僕も失敗したよ。  壬生は、しかし、離籍ということは考えなかった。いつか、自分が家を出て、別に暮したい、淋しいことだが、せめてわずらわしさ、我慢なしの、別天地に棲《す》みたい、細君も、それを拒みはせず、不自由さえなければその方がいい、とまで言っているのだ。しかし、精神障害気味ときいては、逃げ出せないんだ。それほど、僕も、薄情にはなれない。  多江のところへ、一日も早くゆきたいのに、このままの状態では、多江を、日陰におくようになるからね、それは嫌だ。はっきりと、離別したい。多江は、このままでいいと言っているが、それでは、僕の気がすまないのだ。  細君の死を待って、など、そんな悠長な気でもなし、第一、ひとの死を待つことなど、どうして出来るだろうか。じれんまに苦しんで、外国旅行に出かけたのだが、こんどは、自分が、心臓をやられてしまった。恨みは尽きない。多江をおいて、僕は死ねない。  庄田を送って、いっしょに多江の家を出た。月夜で、いい晩であった。 「思うようにならんものだな、」  ぽつりと、庄田が言う。 「いや、これ以上望むなということだろう、」 「君が、援助する必要はなさそうじゃあないか、」 「ないよ、だが、頼る気持を起させてしまったのは、僕の罪だ、多江は、心の上では僕に頼り切ってる、それまでは、会うまでは、多江は抑《おさ》えていた何ごとも、それが、可哀そうだった、それで、いま、多江の家を造ろうと思っている……内緒だ、そんなもの欲しがらない女だ、だから、すっかり出来上って、苔《こけ》づいてから、いきなり、連れてゆこうと思う、」 「ふうん、おくさんはどうなんだ、」 「近頃いいらしいよ、僕の心臓と入れちがいに、今や、元気で、せっせと、買いこんだり、遊びに出かけている、僕の息の根のとまらぬうちにと思ってるかもしれんな、一ケ月と経たずに、襖《ふすま》は張り替えるわ、台所の模様替えはするわ、つけは、全部僕にまわして、いい気分でいる、僕だって、金は余っていない、多江の家を造るには、もちもの一切出払いだ、借金もするだろう、」 「そんな無理をするな、」 「したいんだ、一日でもしたいんだ、お前は、本当に女を愛したことがない、女に打ちこんだことがない優等生だ、わかるもんか、」 「その俺に、なにを頼もうって言うんだ、」 「万一のとき、多江が、公然と、俺の話の出来るのは、お前だけだ、そのために紹介したんじゃないか、相談相手になってくれよ、決して、多江は、ひとに迷惑をかける奴じゃあない……」 「ああ、いいとも、」 「青写真が出来たら、送るよ、見て貰《もら》いたい、俺の最後の家だ、」 「なんだ、へんなこと言って、」 「芝の家だろう、麻布だろう、麻布の家は、出来て、三年と住まずに売った、高輪《たかなわ》だろう、こんど造れば、四軒めだ、もうこれで打ち止めだというんだよ、」 「………」 「普請《ふしん》道楽《どうらく》だが、こんどは、俺の家じゃあない、多江のために造りたいんだ、」 「とにかく幸運な奴だ、そこまでゆけるとは、」  庄田は、僕の肩を叩いて笑った。よくそんな意慾がある、俺なんか、門ひとつ直すのも厄介《やつかい》に思う、どうせ息子が好きなようにするだろう、そんな気だが、家を造ってお多江さんと一日でも棲《す》みたいとは、脂《あぶら》っ気《け》があるんだな、と、庄田は、感心する。俺は、ちょっと赤面したね。  しかし脂っ気のまだある五十がらみからは、自分の人生にしたい。それまでにやるだけの仕事はやったんだ。社長なんて役目も、五十までになれたらなればいいし、ならなくとも一向《いつこう》にかまわない。なったら五十五でなっても、六十までにはあとを譲るというのが僕の理想でね、かねがね皆にも言ってあるんだ、一生、鎖につながれるのは御免だ、だが、なにもしないというのじゃあない、働くよ自由に……多江は、こういう僕の伴侶でね、はじめに、社長の資格でなく、男の資格で僕をみとめてくれた、仕事仕事で集中してきた僕にとって、人間性を買ってくれた女だから、晩年は、小さな家で質素に暮すことに異存はないし、だいたいだらだら一生しがみついているより、切りあげどきが思うようにゆけば、こんな幸運はない……八十になっても、子を産ませた男もいるが、そりゃあそれぞれの好みさ。  壬生は、庄田にそんな話をしていると、いかにも、心臓をわるくした男の言いわけのように、自分に反撥した。 「あのひとなら、たしかに君と対等だからな、まかりまちがえば、君がころがりこんで、面倒を見て貰《もら》うことになるかもしれん、」 「それも、言い含めてある、ところで、家の設計図を一枚、君に持っていて貰おうか、僕に、そういう目算があったことを、いつか君が言ってくれてもいいし、知らせなくてもかまわない、多江は、新しい家なんか望んでいないよ、ただ、僕と、もしも暮せる日が来たら、新しい、終《つい》の棲家《すみか》にしたいということは言っていた、——僕の方の事情で、早急にとりかかれないので、気になっているんだ、」 「そうか、設計図は、言わば、君の誓紙みたいなものか、」  やっぱり証人は君だ、僕は、こうやって、ニトロールをいつも常備している人間だから、その点、不安なんだよ、第三者に、多江のことを話しておきたい、そのことが、多江に、有利になるか、不利になるかわからん、不利になるかもしれない、それでも、多江と僕とのつながりを、たちきりたくないね、と壬生は、苦笑した。 「社長の苦労と、女の苦労と、どっちだろうな、どっちも、重労働じゃないかな、」  庄田は、立ちあがった。僕は、 「いや、出来るものには、苦にならんと、言わして貰《もら》おう、君も、やってみると、ひとまわり違ってくるよ」 「……若き日の夢、いまだ覚めずか、」  僕は、庄田のその言葉を素直にみとめた。死ぬ直前まで、僕は、夢みる。夢を実現させるのだ。させるとも。  妙に蒸《む》し蒸《む》しする日でした。午後から、多江は、茶会の打ち合せに出かける筈《はず》で、衣類を揃《そろ》えていました。  車の音がして、しばらくすると、運転手につかまった格好で、壬生が、庭先にはいって来ました。 「あら、」 「大丈夫だよ、電話したら、来てくれ、」  前川さんは、荷物を置いて立ち去り、座敷へはいりながら、壬生は、額の汗を拭《ふ》いています。  多江は、手拭を絞ってさし出し、 「どこかのお帰り、それとも、いらっしゃるところ、」  壬生は、黙って椅子にかけました。 「どこへもゆかないよ、あんた、出かけることがあるの、」 「ええ、ちょっと、」 「いいよ、留守番していよう、その間、昼寝してるよ、」 「そう、三時までには戻《もど》りますけれど、」 「三時? だめ、遅すぎる、ちょっと顔を出して、急用だと、ほんとに急用なのだ、」  多江は、じっと壬生を見つめて、壬生が、かなり焦《い》ら立《だ》っているような、唇の端が、ぴくぴくしているのに気がついて、外出をやめる気になりました。 「つめたいもの、お茶、なにかひと口しめしたらいいわ、それとも空腹なの、」  壬生は、咽喉《のど》も乾いているし、顔を洗わして貰《もら》うよ、と湯殿にゆきました。多江は、 「出かけなくてもいいの、お断りしますから、」 「えっ、そうしてくれるか、……」  壬生は、じゃぶじゃぶ顔を洗って、服も脱ぎすてると、お湯で胸を拭《ふ》きました。 「ああさっぱりした、なにしろ、朝からわからないことを、くどくど言って、なんでも自分のつきあいに顔を出してくれと、昨夜は、連行されてさ、僕が、なにも、細君のつきあいに顔を出すの出さないのと、ばかばかしいこと言うなと、先に帰ったのを、今朝になって、くどくど言い出したんだ、」  壬生の言うことも、ことのいきさつが判然としないばかりでなく、あとさきが乱れているのは、よほど、激情にかられているのであろうと、多江は察しました。 「そう、ゆっくり伺《うかが》うわ、ひと休みなさったら、それからにしましょう、」  壬生は、ワイシャツ姿で、その場に横になりました。多江は、枕をあてがい、麻蒲団をかけて、台所にゆき、葛切《くずきり》でも作ろうかと、弱火で吉野葛をかいていました。砂糖とレモン汁を入れて流し箱に入れ、少し熱気をぬいてから冷凍室へ入れました。  壬生は十五分も横になっていたでしょうか。 「よく眠った、いい気分になった、」 「なんだか、ぷんぷんしてはいっていらしたわ、」 「そうかい、御免御免、」 「駄目じゃあないの、怒ると毒素が出て、病気になるのよ、わたし、それをきいてから、怒らないようにしています、てきめんに、毒素がなくなったわ、」 「毒素とは、うまい言葉だ、その毒素にあてられてさ、こっちは毎日、毒薬を飲んでるようなものだなあ、ここへ来ると、ふうっと、その毒が消えて来る、」  越後《えちご》から、多江の小さい頃には、毒消売りの女が来て、夏になると、毒消を飲まされたことを思い出しました。人間には、なんらかの毒があるのです、毒に当るのです、それを、消滅させるだけの薬効があったかどうか知りませんが、多江は、毒消という心理作用は、あったように思うのです。  冷たい葛切《くずきり》を硝子鉢《ガラスばち》に持ってゆくと、壬生は、すっかり機嫌よくなった表情で、 「うまそうだ、お手製で、僕も、菓子を和洋とりまぜて来たが、そんなものより、そっちの方がいい、」  するすると、冷たい葛切を二、三回すすって、壬生は、話し出しました。 「息子夫婦が、突然、家を出ると言って、さっさと、自分の車で出ていったあと、トラックが来て、まとめておいた家財を運び出した、どうしたんだ、ときいても、細君はかんかんになっていて、あなたがとめて下さらないとか、昨夜だって、息子と話ぐらいなさったでしょう、いきなり出てゆくというのを黙っていらしたんですかと、喰ってかかるしね……僕は、嫁も、よくやってると思っていたよ、息子は我ままな奴だが、おふくろに取り入っていたから、うまくいっているとばかり思っていた、それが、このさわぎで、」  多江は、返事に困りました。 「じゃ、ゆく先は、もうきめておありだったのかしら、」 「いや、ともかく嫁の実家へひきあげたらしい、それが憎《にく》らしいと、細君は、あんなひとでなしの嫁は、離縁させますと、まるで、自分の嫁のように言うんだ、息子と嫁が、こそこそ相談して、いきなり家を出たのは、けしからんけれど、僕だって、家を出たいのだから、無理もない気がしている、なんだか、みんな混乱して、いたたまれないような空気があるんだ、ひとの心をかきみだす、」 「なにか感情のゆきちがいでしょう、」  壬生は、不思議な家庭だと思うだろう、細君を、はれものにさわるようにしていたのが、もう、ここへ来て、限度になった、僕もそうだが、息子夫婦だって、よほどこたえたことがあったんだ、きいても仕方がないよ、僕は、両方に腹をたてている、ばかにしてる、と、また、興奮気味になるのでした。  多江は、身のまわりその他、これだけ神経のこまかい、頭のきれる壬生が、何故、気の合わない細君と結婚したのだろうと思いました。 「気に入らないおくさん、何故|貰《もら》ったの、お皿一枚だって、あれだけ吟味なさるのに、」 「……母がいたからね、すこし頭のわるい方がいいと思った、才気走ったのでは、母と折合わないと思った、」 「あなたのおくさんじゃあないの、」  多江は、今になって不平を言う壬生を、すこし勝手にも思いました。直接、壬生の細君に会ったことはありませんが、話をきいただけでも、壬生の性に合うひとのような気がしませんでした。 「言いわけはしないよ、結局、母は、冷たい年月を送った、細君の方がつよくて、しつこくて、諦めてしまった、すまないと思っている……こういう手違いも、運命だと思っていたが、僕は、もう、運命に従わない気になった、自分のばかに気がついた、」  多江は、尚《なお》、壬生を責める気にはなれませんでした。日が曇って、急に冷たい風が吹き出しました。 「涼しくなったわ、雨になるかしら、」  壬生も立って、庭へ出て両手を天に向け、 「すうっとした、いつもこんなに晴れ晴れしていたら、長生きするな、」 「そうね、そうしましょう、」  理《ことわり》や白菊の、理や白菊の、着せ綿を温めて、酒をいざや汲《く》もうよ、壬生は、急に、低い声で唄い出しました。気分がいいのでしょう、多江は、安心して、庭に下り、壬生に添って、山の方へ歩き出しました。  野菊が咲きみだれ、葉鶏頭《はげいとう》が色づきはじめました。 「この裏の戸は、もっと厳重に囲って、庭木戸も、鍵をかけた方がいいね、」 「あなたが、ぬうっとはいれなくなりますよ、」 「いや、僕は、どこからでもはいる、幽霊になっても、やって来る、」 「まあ気味のわるいこと言わないで、」 「幽霊だって、好きなところへ来るのだよ、思いのあるところへ出るのだよ、」  多江は、まじまじと、壬生の顔をみつめました。ただごとでない気がしたのです。 「降りそうだわ、はいりましょう、」  それから、寝椅子に毛布を敷いて、壬生をそこへかけさせ、 「やっぱり、いつもと違うわ、気分はどう、」 「いいよ、あんたのそばで死ねれば本望《ほんもう》だ、ほかに、僕のゆき場はない、」  多江は、壬生をそのままにして、近くの医師を招《よ》びました。往診に出ていました。運転手の家にも電話をしました、すぐ連絡をとって、医師を連れて来るように、どうも、様子がへんです、ひとりでは心配です。すぐ来て下さい。壬生は、多江の姿を追いながら、眼を見開いて、 「なにしてるの、そばにいてと言ってるのに、なにをあわてているんだ、」  かすれた声で言いました。 「はい、どうしました、」 「どうもしないよ、」  壬生がさし出した手を握ると、冷え切っているのです。多江は、顔色が変っているのに気づきました。 「ニトロールは、どこ、」  上着のポケットを探りました。なにかいっぱいはいっているので、全部ひき出してみると、書類やら、札入れでした。  そうだ、自分も持っていた筈《はず》と、多江は、奥へ駆け出し、薬の抽斗《ひきだし》をがたぴし開けて、ニトロールの袋を破りながら、寝椅子のそばへ戻ってみると、壬生は、すでに、むらさき色に変色して、瞳孔《どうこう》が動きません。  多江は、ゆり動かしました。どうしよう。胸をさすりました。そのうち恐ろしくなって、そこに座りこんでしまいました。  まだ、死んではいない。  医者へ電話をかけ続けていると、車が来ました。前川さんが駆けこんで来て、 「女房から知らせがありました、私は、お供した時から気になって、近くの駐車場で待ち、女房に伝えておいたのです、」  そう言いながら、寝椅子のそばへ来て、青くなって、壬生の胸を摩擦し、人工呼吸をし出しました。 「どう、」 「………」 「お医者は、会社へは、」 「はい、女房が連絡しております、ともかく、呼吸を、」  前川は、汗をかいて人工呼吸をしていましたが、力尽きたように、 「呼吸がとまっています、」  医者が来ました。多江の説明をきいて、すぐ診察しましたが、静かに顔を向けて、 「いけません、お苦しみはどうでした、」 「いいえ、なんにも、眠っているのかと思いました、」 「……大往生《だいおうじよう》でしょう、御本人は、」  とたんに、多江は、壬生が、自分のところへ死にに来てくれたと思いました。死に目に会えたのは、多江ひとりなのです。見開いたまたたかぬ眼のなかに、多江の顔は写ったのです。壬生が最後に見たのは、多江の顔だけでした。  それからの始末は、多江の見知らぬ人びとの手で、性急に運ばれました。壬生の家からは、誰も来ませんでした。  多江は、口もきかず、うつむいたまま合掌していました。壬生が、もう何処《どこ》へ連れ去られようとも、多江とのつながりはなくなるでしょう。先刻までは、多江のひとでした。  死が壬生を連れ去ると同時に、多江からも、引き離しました。脱け殻だけが、持ち運ばれるような思いで、死のあとのざわめきを、多江は、空虚に眺めていました。  居《い》なくなる。  もう来ない。  電話もかからない。  そう思っただけで、多江は、まっさかさまに突き落されたような、ショックで、気を失いました。  何時間経ったのかわかりません。多江が眼を開けたとき、そばに、見知らぬ女がいました。しいんと、家の中は静まっていました。 「どうしたのでしょうか、」 「……御心配のないようにいたしましたから、私は、前川の家内でございます、」 「まあ、御迷惑かけたのね、」 「いいえ、あちらはお手が揃《そろ》っていますので、前川が、おくさまがしっかりなさるまで居《い》るようにと、家の方は、年寄もおりますから、」  多江は、まだ、頭がぼうっとしていました。どうしたのだろう。記憶を辿《たど》って、はっと、葛切《くずきり》を作ったことを思い出しました。 「それで、壬生さんは、」 「救急車で、病院へゆく途中……」 「亡《な》くなったの、」 「亡くなられました、」  多江は、はっきり思い出しました。それは嘘《うそ》です。壬生は、多江の眼の前で死んだのです。葛切《くずきり》を食べて、庭を歩いて、それだけの別れを惜しんで、多江の手の中で死んでいったのです。 「わざわざ、死にに来て下さったのだわ、」 「左様でございます、」  前川の家内は、ぽろぽろ泣き出しました。いいお方でした、私どもは、十五年お供をいたしましたと、泣くのです。  多江は、短い月日の、濃縮した時間の烈《はげ》しさを噛みしめていました。  死という形以外で、壬生と別れることはなかったでしょう、まだ終りの火花が、ぱちぱち燃えているような凄絶《せいぜつ》な別れでした。  外が、仄《ほの》あかるくなりました。 「何時でしょうか、」 「暁方の四時ちょっとすぎました、」 「えっ? そんなに眠ったの、わたし、」 「なにか、お医者さまが、お倒れになったとき、眠るような手当をなさったそうです、」  多江は、自分が眠っている間に、凡《すべ》てのことが終ったのを知りました。誰のいたわりであったのか、きっと、それは、壬生へのいたわりと続いているような気がしました。 「ごめんなさいね、電車が通ったら、帰っていいのよ、」 「いいえ、どなたか、お手代りの方がみえるまで居《い》るように、申しつかっております、」  多江は、哀れな自分の状態を是認して、眼をつむりました。  小倉山《おぐらやま》の時雨《しぐれ》が、胸のうちに降りかかっている、冷たい、寂しい、しかし烈《はげ》しい思いがこみ上げて来て、多江は、思わず言ったのです。 「不幸ではないの、壬生さんは思いをとげて亡《な》くなったの、あの方の願うような死に方をなさったの、」  夜が明け初めました。金の筋のような光が、戸の外に射しています。 「戸を開けて下さい、お天気らしいわ、」  多江の部屋の戸が開けられると、多江は、壬生が横になった次の間の寝椅子に、眼をやりました。  そこには、事故現場のようにぽつんと、まっ白な布がかけられていました。  そうだわ、花がなくては——多江は、起き上ると、ふらふらと庭へ出ていって、露《つゆ》にしめった朝顔や野菊を手折って、白い布の上におきました。  草の道を歩いたのは、ほんの一刻前のことでした。壬生は、この草花の上を踏んで生きて、此の世の景色を眺めて、多江のそばで死ねると意識したのでしょうか。死が胸元に迫っていることを自覚したのでしょうか。虫の知らせということは、あるものなのでしょうか。  多江は、壬生に、音もなく近づいて来た死が、不意というよりも、切羽《せつぱ》つまった瞬間の消滅であったと、凍ったような寒さを感じました、蒸《む》し蒸《む》しした、湿《しめ》った午後でしたが。  寝椅子の上の、白い布を剥《は》ぎとり、置いたばかりの、露《つゆ》のしたたる花も押しのけ、多江は、そっと椅子に身を寄せました。  居《い》ない。  壬生は居ない。  ほんとに居なくなってしまったのだろうか。影も形もありません。  死というよりも、居ない、見えない、居なくなったことだけが、多江の心を沸騰させていました。  死亡広告というものに、多江が特別の注意を払うようになったのは、壬生の黒線を引いた葬儀の日取を新聞で見たときからでした。——何月何日、他出中|急逝《きゆうせい》、その字を、多江は、じっと眺めていました。その通りだと思ったのです。しかし、それからというもの、何某《なにぼう》、外出先で、何某、出張中に、急逝というような通知を見ると、外出先、出張中、ということのなかに、故人のプライヴァシイを感じて、こういう事故に似た死が、世の中には多いことを発表の形式として、当然に思うとともに、なにかの事情を含んでいるような陰影を消すことが出来ませんでした。  実際に、路上で急逝した壬生の友人もおりました。どうしてこうしてということは、一切、過去であり、すでに実在しない、みとめないということなのです。多江は、それでいい、それが無情であり、消滅と思いました。死者に、多江が求めるものはひとつもありません。電話が鳴るたびに、どきっとする。壬生からの電話はもう無いのです、それでも、十時、十時半の時刻には、かかるかな……そんな気がするのです。それだけでした。  一つの習慣を失ってしまったことに、多江は、そうだ、やっぱり壬生は、もう居《い》なくなったのだ、電話は、多江の無事生死をたしかめる為《ため》のものではなくなったのだ、電話本来の役を果すだけの機械に変った、そう思うことで、気を鎮めるのでした。期待するものは、なんにもありません。ひとを待つ気持のなくなった寂しさも、たとえて言えば、いっときの時雨《しぐれ》のようなものでありましょうか。  壬生の葬儀には、一般の告別者にまじって、多江も焼香をしました。誰にも挨拶をしませんでした。何百人列席していようと、多江には無関係のことでした。他出中|急逝《きゆうせい》、この一言で、壬生の一生の終りが告げられたのです。壬生も、本望《ほんもう》であったかもしれません。それが、多江に残した、壬生のせめてもの心やりとして、多江は、微笑さえ浮べて、花は散るものと、深く胸中にきざみつけました。  二週間も経ったでしょうか。突然に、壬生の息子と名乗って電話がかかりました。 「……父が御迷惑をかけたと知りまして、一度、御挨拶に上りたいのですが、」  多江は、低い声で答えました。 「迷惑なんて、そんなことはありません、おうちのことを、お心にかけておいでのようでした、」 「失礼のことがあったかと思います、父は、お宅へ伺《うかが》ってその場で、とききました、道路で倒れても、不思議はない病気でした、それが、お宅で倒れたということは……」 「はい、どなたでも、そういう羽目になれば、出来るだけのことをするのは、当り前でございます、それだけのことでございます、」 「どうも失礼いたしました……」  それで電話を切って、多江は、そのあとで、どきどきして、胸を抑《おさ》えてじっとしていました。息子に会っても仕方がない、息子は、どういうつもりで、来ようとしているのか、なにを問いただそうとしているのか、あらましは想像がつくのでした。  二日後に、また電話がありました。夜でした。壬生の家内ですがというのです。  多江は、くどくどと、先方の言うことに、率直に答えましたが、いつから壬生とつきあっていらしたのでしょうか、と言われて、思わず、 「昔からぞんじていました、別におつきあいはありませんでしたが、」 「どうして御存知でいらしたのでしょうか、」 「わたくしの身内の者の会社と、壬生さんが関係がおありだったときいております、ですから、その頃はなんのおつきあいもないのです、近年、結婚式場でお目にかかった時、壬生さんが覚えていて下さった、そういうことでございます、」 「壬生は、あの日、お宅へお邪魔にあがったのですね……」 「はい、」 「どうしてでございますか、」 「どうしてって……」  多江は、この調子で、壬生がやられていたのだと気づき、切り上げる算段をしました。 「偶然でございましょう、お倒れになったのは、それ以外、申し上げようがありませんので……」 「もしもし、もしもし、壬生が倒れた場所を、拝見させて下さいませんか、どういう風であったのか、伺《うかが》わせて下さい、」  多江は、細君の気持としてみれば、気になることだと思い、承諾しました。 「では、明日、息子と拝見にまいって宜《よろ》しゅうございますか、」 「はい、結構です、」  天然記念物ではあるまいし、拝見とはなんということであろう、その場に、お参りをしたいというのが、故人への愛惜ではないのかと、その会見の重くるしさを推量して、多江は、手伝のひとを、そばにおく気になりました。  まもなく、また電話です。運転手の前川さんでした。明日、そちらへ伺《うかが》うことになりました、おくさんから、前川は先方のお宅をよく知っているだろうと、度度のおたずねでしたが、私は、お供したことはないと申しました。お倒れになった日に、皆さんと伺っただけですが、道はわかります、と申しました。おくさんは、すこしおわるいので、万一、失礼なことがあるといけませんので、私は、お玄関に控えさせて頂きます、なにかございましたら、すぐおとめするつもりですから、呼んで下されば、その場に参上します、息子さんが御一緒ですから、御心配はまずないと思いますが、ちょっと、お知らせ申したくて、夜分、失礼しました。  この電話で、多江は、すっかり憂鬱になってしまいました。先ず、何を言われても、決して言いわけがましいことは言わない、失礼無礼もきき流すこと、それ以外は壬生についての質問にも、素直に応じて、先方にお悔みをのべることが、自分への悔みでもあろうかと決心したのでした。  それにしても、会いたくない人物に会うのですから、いい気持ではありませんでした。  一応片づけた椅子を座敷へ出し、白布をかけておきました。その椅子は、縁においたり、座敷へおいたりしても、なんの不審もない揺り椅子でした。壬生が、かけ心地がよいと言って、使ったものです。多江自身は、あまり使用しませんでした、ただ、形として愛用したにすぎない古風なものでした。  秋の日のさわやかな、涼しい日でした。野草は、あとからあとから咲き乱れ、その日は、水引草が盛りでしたから、多江は、ひとつかみ、たっぷりと籠に投げ入れて、部屋の隅におきました。床《とこ》の掛物を一行ものに替えただけで、平常のままに、衣服も目立たぬ無地を着て、帯だけは、壬生が、いつもほめてくれた銹朱《さびしゆ》の秋草の絽《ろ》を締めて、場合によっては、薄茶をたて出して運んで貰《もら》うかと、心をきめました。  それも、会った上での感じです。  あわただしく、感情的な出会いになるかもしれないのです。前川さんが、心配して、あれ以来はじめて電話をかけて来たというのも、多江には、細君の興奮ぶりが、異様に予想されるのでした。  約束の時間になると、前川さんが従《つ》いて、おくさんがはいって来ました。息子は、壬生とは全然感じの違う、小心そうな男でした。 「いらっしゃいませ、はじめまして、」  そういう多江を、細君は、ずぼりと立ったままじろじろ見つめて、家の中も見まわして、 「まあ、静かな、いつからここにお住いですか、」  これが挨拶であろうかと、多江は胸を撫で静め、かれこれ三十年になりましょうと言ったとき、細君は、 「壬生は、三十年も前から、伺《うかが》っておりましたのですか、」  多江を見つめて、真顔で言うのです。 「いいえ、極く最近のことで、亡《な》くなる前の二年かそこらで、まあお上り下さい、」  多江は、すっかり落胆しました。壬生が、このようなひとを細君としていたことにです。壬生の我慢はともかくも、心から、いっしょに壬生を思い悔めるような人柄でないのが残念でした。 「ずっとおひとりで、御家族は、」  多江は、こんな尋問を受けるいわれはないと思いました。 「みんな、亡くなりました、」 「そういうお宅へ壬生がお邪魔するなんて、どうかしておりますわ、」 「お母さん、」  息子が、ひきとって、 「御迷惑ですが、父の倒れた場所を、」 「はい、こちらです、」  多江は、運んできた茶をそのままに、二人を座敷へ通しました。 「その椅子の上にかけて、気分がわるい御様子もなく、大往生《だいおうじよう》なさったのですよ、」 「………」 「東京にいれば、発作が起っても、いい医者がついておりましたのに、」 「お母さん、外で倒れたかもしれないでしょう、さあ、おいとましよう、こんないいところで、よかったじゃあないか、」 「いいえ、運がわるかったわ、」  息子は、細君の手をひいて立ちました。 「そうそう、御挨拶のものを……」  ごそごそと風呂敷を開いて、細君は、志と書いた不祝儀《ぶしゆうぎ》の袋を出し、菓子折を添えました。多江は、不祝儀の袋を、返しました。 「これは、お気持だけ頂きます、」 「そんなに、仰言《おつしや》るほどのものではありません、習慣ですから……」  壬生の細君から志を受けるのも辻つまがあわない、それとも、細君は他人で、多江が、悔みを言われていい立場なのかとも思いました、それもへんですね。 「はい、お添えものはありがたく頂きますが、そのほかにはべつに、」 「その折の、医院への謝礼は、会社でしたようにききましたが、」 「はい、ですから、なにもして下さらない方が、あたくしの気持としては、ありがたいのです、お志を頂戴するほどのことはなにもございません……あたくしは、壬生さんをお見送り出来た偶然を、御縁と思っておりますから、」  きっぱりと、多江は言いました。ひとが、ひとを好きになる、仕方のないことではありませんか。壬生に思いとどまらせようとしたのは、壬生の言う、細君への不満は、わざと、多江を安心させるための口実としての心づかいと思ったからでした。たしかに、多江は、壬生と愛しあったと自覚しています。それさえも、こめられた思いをさいなむ原因でした。——こんなことなら、壬生の言う通りに、望み通りにことを運んでもよかった、とさえ思いました、このひとを見た瞬間に。  細君の身になれば、良人が、他人の家で、しかも、ひとり居《い》の女の家で倒れたとあっては、どんなになだめてもすかしても、ただごとでないと思うのも無理はありません。多江の痛恨は、そこにありました。  それなら、そのようにすればよかった、という尽きぬ恨みでした。壬生との思いは人生でした。  息子は、細君をせきたてて、玄関へゆき、前川さんがすぐエンジンをかけて、待っている間にも、細君は、 「壬生は、度度まいりましたのですか、一度でも、出先を、私にかくすひとではなかったのですが、」 「そうでございましょう、おくさまに、かくせる筈《はず》がございません、」  多江は、そう言いながらも、あの磊落《らいらく》な壬生が、必死になって、多江を隠していたことがよくわかりました。細君の性質を見ぬいていた壬生が、細君を恐れていたのは、世に言う恐妻家的心理よりも、多江に降りかかる火の粉を、細心にかばった為《ため》ではないのでしょうか。多江にも、そのくらいの言い分はありました。  とうとう、あのひとはかばい通した、思いをこめて死んだあとで、細君がさわいでも、壬生は、多江に、「どうだ約束は守ったろう、」と微笑しているようにさえ思えるのでした。  しかし、多江にとって、気持のいい訪問客ではありません。死んだ場所を見る、場所を見た細君の顔に、多江と壬生の関係が、金銭的なものではない、それが一層ねたましく思えたであろうことは、ありありとしていました。多江には、わずかにそれが慰めでした。  やっぱり、死ななければ、地上ではいっしょに暮せないひとだったのですね。壬生も、そういう思いで、死ぬときはあんたのそばで、と、あのように何度も言いつづけたのでしょうか。  これが最後の火であろう、多江自身、そういう思いで、壬生が死んでいったときを絶頂として、その火が、身うちに燃えつづけるような気がするのでした。埋《うず》み火《び》のような、仄《ほの》かな温みが、多江の寂寥《せきりよう》のなかで、赤くともっておりました。  業火《ごうか》でもない、聖火でもない、やっぱりそれは、男と女の情念の昇華した火だと、多江は、火のともった躰《からだ》を胸を、長い人生の終りに出会った縁の、くらべるよすがもないことに思いは尽き果てました。  水引草も、壬生が好んだものです。それさえも、細君は気づかずに、椅子を眺めただけでした。 「明日ゆきますよ、今日会って、明日会って、どこがわるい……僕だってうぬぼれているんだ、迷惑はかけない、そのくらい心得ている、」  壬生は、ことあるごとにそう言いました。そして、多江の手もとで息をひきとったことまで、迷惑ではなかったと、信じこんで逝《い》ってしまったようです。  多江は、壬生の、そののめりかたに、はらはらしていましたが、今まで見えなかった男の正体を、壬生によってはっきり叩きこまれました。それが、壬生の残していった唯一の切ないものでした。移り香、そのような優《やさ》しいものではありませぬ、命の間隙を縫う仕事だったとしか思えません。生きるという渺渺《びようびよう》としたものが、ことごとく含まれていました。  壬生に助けられて、多江も生きることに没入出来るようになったのです、人生は愛ですが、愛だけが生きることではない、もっと大きい。自分の信念というものに迷うことがなくなった、気取りがなくなったと、思い知りました。  ひとりでいてもひとりではない幻影の大きさは、多江の今までにない深い渦のようなものでした。若い時に出会った時は、なんの印象もなかったひとに、人生の終りでめぐりあった異常さ、いきなり渦にひきまきこまれて、とうとうと流れ合ってしまったあとの空絶……  多江は、夜の庭にたたずんで、空を仰《あお》ぎ見ました。壬生がいる。そんな気がしてなりませんでした。  日を経《へ》ずして、壬生の細君から再度電話がありました。壬生の服箪笥の中に、女もちのショールや財布や爪切道具があったというのです、漆描きの箱にはいった剃刀《かみそり》があったので、それだけは、お棺に入れました、ほかに適当な守り刀がなかったからですが、ああいうものはあなたが、壬生におわたし下さったのですかと、きくのです。多江は、剃刀は、欲しいと仰言《おつしや》ったのでさしあげましたが、あとは、覚えておりません、お眼ざわりでしたら、みんな返して下さいませんか、そう言いました。本当に、壬生のいないあの家に、そういうものを置いておくのは、意味のないことでした。すると、壬生も、あなたに、何かさしあげてあるのでしょう……多江は、怒りがこみ上げて来て、あなたにはおわかりにならないものを、頂きました、申しわけありませんが、もうおやめになって下さい、誤解をなさったままで、故人のお話をなさいませんように。いいえ、私はいろいろ伺《うかが》いたいのですよ、壬生は、今まで、ひとから、ものを貰《もら》ったりはしなかったのです。ではそうお思い下さい。失礼します。多江は、電話を切ったあとで、とりかえせるものなら、壬生が持っていった、布裂《ぬのきれ》の一片でもとり返したい、あの細君の眼にさらされるのは、たまらないと感じました。  秘書を通じて往復した手紙は、いったいどうなっていよう、それが細君の眼にふれたら、また狂気の沙汰になるのではないかと、やりきれない気になりました。  或る日、速達小包が、壬生の家から届きました。多江は、破裂でもするのではないかと、庭先の木陰の穴の中で、そっと、包みを解きました。それは、行方を案じていた多江の手紙でした。中に、壬生の使用したネクタイと対《つい》の半巾《ハンカチ》がはいっていました、形見という心づかいでしょうか。誰が、どうして、この処置をとってくれたのか不明でしたが、たぶん、壬生の息子が、母親よりさきに、壬生の書類の始末をして、このようにしたのではないでしょうか。  これは、息子が、壬生に寄せた愛惜のしるしの、ネクタイであったかもしれません。  それからも、壬生の細君から、電話がかかりました。もしもし、という声をきいただけで、多江は、おくさんはお留守です、ご免下さいと電話を切りました。そんな手段のなかに、哀愁を覚えながら、また、あの細君と、壬生の思い出話が出来るようであったなら、寂しいということの共感ぐらいは得られようか、いや、得られるわけがない、そんなことを考えるのは、どうかしている、ほんとに、壬生が曾《か》つて言っていたように、こっちまでへんになる、二度と会いたくないひとだ、話したくないひとだ、と身震いさえ覚えるのです。  三十五日だ、四十九日だ、多江は、そう思いつくと、椅子に、花を飾りました。  晩秋のしとしとした日に、多江は、あの道を壬生と歩くような気持で、最後にいった小倉山《おぐらやま》の、時雨亭《しぐれてい》のあたりをたずねてみました。壬生は、そばにいました。……  多江の心のなかでは、墓は、ここでよかったのです。あのときのように、ひと影も稀《まれ》でした。  時雨がさっと降りかかり、また晴れました。山から吹き下す松風だけでした。  花もすみれも在《あ》りし日や  爪くれないに鶯《うぐいす》の  まだ笹鳴《ささなき》も恋の夢  都忘れの池水《いけみず》に、みだるる葦《あし》の葉ずれさえ  亀 沈みゆく秋愁《あきうれ》い  あらざらむ 萩の葉かげのうたたねの  かえらぬ旅にたたんとは  今ひとたびの逢《あ》うことも  なくてぞもみじ散りにける  時雨ぞもみじ散りにける  多江が、壬生におくる、ようやくに出来た弔詞《ちようし》でした。これは、これからもひとりで生きようとする花も、もみじもなくなった、女の一生の集約でした。冷たい松風もいっしょに。  なくてぞもみじ散りにける  時雨ぞもみじ散りにける  帰る日に、多江は、庄田の会社に、はじめて電話をしました。このひととも、もう会うことはないと思いながら。 「……上京して、こちらからお話したいと思っていたんです、それも壬生から頼まれていたのだが、どうも辛くて、」 「ありがとうございます、もう、結構でございますから、また、なにかの折に、おめにかかることでもありましたなら、」 「いや、これは頼まれて、約束したことで、僕も、お伝えする義務があるんです、ええと……来月ね、十月上旬に上京しますから、御面倒でも、出て来て下さい、」  多江は、それ以上、庄田にたずねもせず、その折には、承《うけたま》わりましょうと電話を切って、……どうしたのでしょう、目頭がきゅっとしてきて、鼻がつまりました。  はじめて時雨亭《しぐれてい》の跡をたずねたとき、壬生が言いました。定家は流石《さすが》に、風土をわがものにしている、さっと降りかかっては消える、時を定めぬ雨が山路を濡らす隠棲《いんせい》の地を、時雨亭とは……そのときに多江は、三絃《さんげん》で節づける歌を考えたいと言いました。  なくてぞもみじ散りにける  時雨ぞもみじ散りにける  壬生が亡《な》くなったのちに、追憶の思いが、置歌のように、いくつか泛《うか》び出て、終りからはじめに移行していって、壬生との短い月日が、さだかとも知れぬ時雨亭の前で、ほそぼそと口ずさまれたのでした。多江は、懐紙に、書いては消し書いては消し、手向《たむけ》の歌が出来たと、小さな充足を覚えました。  庄田にも、そんな晴れた気分で、電話をかけたくなりました、出来たのです、手向けたのです、そんな喜びのしるしからでした。  それをまあ、庄田は、壬生からの頼まれごとがあるなどと——もう終ったのですよ、どんな思いを言い残したとしても、一切流れ去った水のように、返らぬことではありませんか。  庄田は、約束通り上京を知らせて来ました。多江は、辞退しました。 「そんなお心づかい頂いては、」 「きのう出て来て、用は済《す》んでます、今日の夕方は、友人と会食をして、そのまま帰宅するので、空いているのは昼なんですよ、食事でもしながらの方が、話しいいので、出ていらして下さい、いい話です、それこそ壬生の真骨頂の出た話なんですから、」  多江は、なんだろう、真骨頂などと、そう思いながら、明るい気分で、庄田の滞在しているホテルへゆきました。  受付で庄田の名を告げると、まもなく出て来た庄田が、笑顔で多江を迎えて、 「そんなにしょんぼりしてないなあ、よかった、壬生も安心しているでしょう、」 「………」 「上の食堂をとってあります、壬生といらしたこともあったでしょう、」 「はい、」  席へ着くと、庄田は、壬生の細君から、毎日電話責めで、要領を得ないことを、受け答えするのに弱りましたよ、と言い出しました。多江は、黙っていました。自分もそうだったとは、なにか、手を叩くような気がして、言えません。 「いろいろお世話をおかけいたしました、でも、気性のいいひとでした、」 「そうそう、あんなのは、珍《めず》らしい、勉強は出来なかったんですよ、だが人柄はよかった、義侠心《ぎきようしん》があって親分肌でね、普通部の頃から、僕はくっついてましたよ、」  食事が済《す》むと、庄田は、鞄から袋をとり出しました。 「実はね、壬生は、あなたの家を建てて、いきなりそこへ、あなたを連れてゆこうと、前前から計画していたのですよ、言いたくて仕方がないのを我慢していたのですね、苔《こけ》が生えて、庭木が繁って、廊下も拭《ふ》きこんで、それから、あなたを連れていって、さあ、ここに棲《す》もうと、そう言い出すのだ、それはこんな家だと言って、僕に設計図を渡しました……どうしてそんなことをしたのか、なんとなく、予感みたいなものがあって、僕に、その気持を伝えさせようと思ったのかもしれません……」  多江は、家の見取図をひろげてみました。いかにも壬生好みの、おおらかな小家屋でした。縁が南東にまわっていて、住み心地のよさそうな、手のかかった家でした。 「まあ、こんなことまで考えて、」 「それが楽しかったんでしょう、それは、持っていてやって下さい、家は建たなかったけれど、壬生の心中には、建っていたのですよ、」 「そうですね、ありがたく頂きます……いきなり連れていって驚かせたい、それが、あのひとの気性ですわ、」 「だけど、僕は、いいかげん羨《うらやま》しかった、そんな理想郷を作っていたのだからあいつは、」 「………」 「頼まれ甲斐《がい》もありませんでしたよ僕も……」 「いいえ、わたくしの身にあまることです嬉しくて、大事に、この家は、わたくしの中に建てておきます、」  庄田は、多江を見つめて言いました。 「……夢をみたと、そういうことで、壬生の心を思いやって下さい、なによりの気がかりに違いなかったでしょう、実行出来ずに、」 「……一つぐらいは、欠けることがあるって、言っていらしたのですよ、ですから、これで充分でございます、ありがとうございました、」  多江は、先に席を立って、庄田と別れようとしました。早くひとりで、その見取図の中に座ってみたかったのです。 「あの、壬生の墓は、わかっておいでですか、」 「いいえ、でもお墓も、わたくしの中にございます、壬生さんの好きだった場所を、わたくしは、お墓にきめてしまいました、ゆきたい時は、そこへ参ることにいたしますから、」  庄田は、大きくうなずいた。 「そうまでされれば、壬生は、よっぽど後生《ごしよう》がいいのだな、」 「ほんとなら、このような夢まぼろしを、信じる方がおかしゅうございましょうが、わたくしには、壬生とのことは、因縁としか思えませんの、前の世があるものとしたら、後《のち》の世もあるだろうと思えて、後の世では、此の世で叶えられなかったことを、きっと叶えられる、そんな、あかるい気がして、」  庄田は答えませんでした。エレヴェーターで下まで多江を送って、そのまま廊下を歩いていってしまいました。  多江の手に渡された一枚の紙、そこに建っている家屋、生えている青苔《あおごけ》、もう絶対に壊れることのない不動の地を、壬生は残してゆきました。  逢《あ》うことはなくても、もみじは散る。時雨《しぐれ》は降る。さあっと降るのでした。多江には、松風の音も冱冱《さえざえ》しくきこえました。 [#地付き]〈了〉 [#改ページ]    中里恒子年譜 [#地付き]年齢は満年齢による 明治四十二年(一九〇九)  十二月二十三日、神奈川県藤沢市本町一丁目に、中里万蔵(世襲名弥兵衛)、保乃の次女として生まれる。本名中里恒。 大正十一年(一九二二) 十三歳  横浜山手の紅蘭女学校(現、横浜雙葉学園)に入学。翌十二年の関東大震災に家も、紅蘭女学校も焼失したので、被害の少ない川崎に家を借りて住む。半年おくれて川崎高等女学校に編入学。その間休学。 大正十四年(一九二五) 十六歳  川崎高等女学校を卒業。 大正十五年・昭和元年(一九二六) 十七歳  この年、一年間雙葉会の会友となる。このころ、母方の遠縁にあたる文藝春秋社の菅忠雄の紹介で永井龍男を知り、そのことが文学に志す直接の動機となる。 昭和三年(一九二八) 十九歳  六月「明らかな気持」(創作月刊)、九月「砂の上の塔」(創作月刊)、十月「従兄妹同志」(山繭)、十二月「二つの偶然」(火の鳥)を発表。  十二月、兄の友人の弟である佐藤家に嫁ぐ。大森新井宿に新居を構える。仲人は朝日新聞社記者杉村楚人冠であった。 昭和四年(一九二九) 二十歳  一月「日曜日は」(火の鳥)、四月「記憶」(火の鳥)、九月「夏の芯」(火の鳥)、十一月「ぞく記憶」(火の鳥)を発表。 昭和五年(一九三〇) 二十一歳  三月「或る晩のこと」(火の鳥)を発表。  この年五月、父万蔵胃がんにより死去。享年六十五。八月十日長女圭子生まれる。 昭和六年(一九三一) 二十二歳  七月「おしんの場合」(火の鳥)、「吉田専助の希み」(作品)を発表。  この年、大田区池上堤方町に転居。 昭和七年(一九三二) 二十三歳  九月「泡沫」(作品)、十二月「露路」(作品)を発表。  この年、軽い肺結核の養生のため逗子町桜山の農家の離れに転居する。翌年、小説は、「ますく」(六月、作品)を発表したのみに終った。逗子の桜山仲町一六五六(現在、逗子五ノ十二ノ五)に家を建てて転居する。 昭和十年(一九三五) 二十六歳  圭子誕生以来、家庭生活を第一義とし、日常の煩瑣な暮しのなかでも創作の方途を模索しつづける。横光利一の提案で赤坂山の茶屋で時折開かれる句会に出席し、初めて俳句をつくる。水原秋桜子、石橋貞吉(山本健吉)、石川桂郎、石田波郷などが主なメンバーで、石川達三、清水崑、永井龍男、石塚友二、中山義秀なども時折仲間に加わった。 昭和十一年(一九三六) 二十七歳  四月「鸛の鳥」(婦人公論)、五月「花亜麻」(文學界)、六月「自由画」(文学読本)、八月「祝福」(文学読本)、九月「三日月」(婦人公論)、十二月「クリスマス」(婦人公論)を発表。  この年「文学読本」の同人になる。同誌は渡欧出発間際の横光利一が、同門の十日会の仲間に依嘱し、寺崎浩が中心になって二月に創刊された。石塚友二、大岡昇平、大鹿卓、大野俊一、庄野誠一、神西清、新庄嘉章、立野信之、中里恒子、中山義秀、丸岡明などが同人で、五号を出して終る。 昭和十二年(一九三七) 二十八歳  一月「ふみぬすびと」(文學界)、「雲の柱」(新女苑)、七月「西洋館」(文學界)、九月「花火」(新女苑)、十月「物語風景」(文藝)、十一月「樹下」(新女苑)を発表。 昭和十三年(一九三八) 二十九歳  六月「森の中」(新女苑)、八月「夏別荘」(中央公論)、九月「野薔薇」(改造)、「乗合馬車」(文學界)、十月「海辺にて」(新女苑)、十一月「日光室」(新潮)を発表。 昭和十四年(一九三九) 三十歳  一月「天国」(新潮)、五月「後の月」(文藝春秋)、七月「紫陽花」(婦人公論)、「晩餐会」(新女苑)、八月「若き日」(新潮)、十月「孔雀」(文藝)を発表。  この年二月、「乗合馬車」その他により第八回芥川賞を受賞する。八月、『乗合馬車』を小山書店より刊行。 昭和十五年(一九四〇) 三十一歳  一月「生きる土地」(新女苑)を十二月まで連載。「競馬場へゆく道」(新潮)、二月「鵞鳥の花」(文藝春秋)、四月「春愁日記」(新潮)、七月「老嬢」(新潮)を発表。  九月、『鵞鳥の花』を甲鳥書林より、十二月、『野薔薇』を実業之日本社より刊行。 昭和十六年(一九四一) 三十二歳  一月「良心」(新潮)、三月「卯の花抄」(文藝)、四月「資格試験」(新潮)、五月「自然児」(文學界)、「墓地の春」(改造)、九月「夕顔」(新潮)を発表。  八月、『生きる土地』を実業之日本社より刊行。 昭和十七年(一九四二) 三十三歳  三月「家庭」(新女苑)、六月「蜘蛛」(婦人公論)、「偽すみれ」(サンデー毎日)、また、この年、「睡蓮」を発表するが発表誌不詳。  五月、『家庭』を、十一月、随筆集『常夏』をいずれも全国書房より刊行。 昭和十八年(一九四三) 三十四歳  四月「緑の風」(新女苑)を発表。この年、軍司令部情報局の命令で、佐多稲子と共にジャワ方面へ派遣されることになる。その前に見納めのつもりで姉と伊勢神宮、京都方面に旅行、その途次激しい腹痛をおこして発熱が続き、医師の診断書を司令部へ提出して派遣をまぬがれる。 昭和二十一年(一九四六) 三十七歳  二月「まりあんぬ物語」(人間)、四月「晩歌」(婦人公論)を、五月、六月および八・九月合併号と四回にわたって連載。五月「麻利耶観音」(婦人文庫)、九月「薔薇」(座右宝)を発表。この年、ほかに「犬を愛する奥さんの話」「小仙女」(のち「夕牡丹」と改題)を発表するが発表誌不詳。 昭和二十二年(一九四七) 三十八歳  一月「世間知らず」(婦人文庫)、四月「せせらぎ」(文藝春秋)、「淑徳」(新女苑)、「おもひで」(文化展望)、九月「小獅子—その一」(婦人文庫)、十月「蘆の笛」(別册文藝春秋)を発表。  三月、作品集『後の月』を全国書房より、四月、『まりあんぬ物語』を鎌倉文庫より、六月、『夕牡丹』を角川書店より、十月、『孔雀』を細川書店より、十二月には、児童向けの作品『春の鳥』(のち『海辺の少女』と改題)を湘南書房より刊行。 昭和二十三年(一九四八) 三十九歳  三月「沼—晩歌(五)」(文學界)、「小獅子—その二」(婦人文庫)、「家畜」(女性線—二・三月合併号)、七月「余った命」(女性改造)、八月「小獅子—その三」(婦人文庫)、十二月「寝台」(小説新潮)を発表。  三月、『生きる土地』を講談社より再刊。 昭和二十四年(一九四九) 四十歳  二月「悲しみは知識なり—小獅子その四)(婦人文庫)、四月「喜劇」(小説界—三・四月合併号)、「鵲」(のち「かささぎ」と改題、小説新潮)、六月「瑠璃日記」(文芸往来)、八月「パルムの葉の日曜日」(別册文藝春秋)、十月「蝶々」(別冊小説新潮)を発表。 昭和二十五年(一九五〇) 四十一歳  一月「おらんだ蓮華」(小説新潮)、二月「とまり木」(婦人朝日)、三月「白き煖爐の前」(人間)、五月「うつぼぐさ」(風雪)、「天女の舞」(小説新潮)、八月「漂流」(文學界)、「泰山木」(別册文藝春秋)、九月「蛇苺」(別冊小説新潮)、十二月「邂逅」(文藝)、「南京更紗」(小説新潮)を発表。  六月、随筆集『純潔について』を池田書店より刊行。十一月、文壇句会に出席、以後文壇句会の定連となる。 昭和二十六年(一九五一) 四十二歳  二月「独唱」(小説新潮)、「風流閑話」(小説公園)、「血と花」(婦人公論)、三月「浜唄」(別册文藝春秋)、五月「|※[#「さんずい+自」」]夫藍《さふらん》」(小説新潮)、八月「積木の家」(小説新潮)、九月「菊の衣」(別册文藝春秋)、十一月「背信」(新女苑)、「十六夜薔薇」(小説新潮)、十二月「鸚鵡のゐる窓」(婦人公論)を発表。  九月、『晩歌』を池田書店より、新児童文庫の『かぐや姫』を三十書房より刊行。  この年、夫と別居し、逗子で圭子と二人の生活にはいる。 昭和二十七年(一九五二) 四十三歳  一月「黒い花」(別冊小説新潮)、四月「劇場」(別冊小説新潮)、「くるす抄」(別册文藝春秋)、九月「若き葡萄」(婦人画報)を翌年七月まで連載。十月「半身」(群像)、十二月「百日紅」(小説公園)を発表。  この年、長女圭子が聖心女学院専攻科を卒業し、ボストン市に四年間の留学が決まり、十一月渡米する。 昭和二十八年(一九五三) 四十四歳  一月「花とエプロン」(小説新潮)、三月「せきせい鸚哥《いんこ》」(小説新潮)、九月「夜光時計」(別冊小説新潮)、十月「瑠璃日記」(昭和二十四年の作品とは別もの、中央公論)、十一月「瑪利亜紀行」(群像)、十二月「夕波」(小説新潮)を発表。  この年二月、母保乃が老衰によって死去。享年八十三。このころからしばらくの間、住いにしていた母家を米軍軍医の一家に貸し、裏手の物置小屋で暮す。 昭和二十九年(一九五四) 四十五歳  一月「あたらしい靴」(別冊小説新潮)、四月「花の首輪」(小説新潮)、「汽笛」(別冊小説新潮)、七月「オルゴールの歌」(別冊小説新潮)、九月「女の顔」(文藝)、「夜の橋」(婦人之友)を十二月まで四回連載。十月「真昼のひと」(別冊小説新潮)を発表。  四月、『若き葡萄』を中央公論社より刊行。 昭和三十年(一九五五) 四十六歳  一月「アパートの話」(別冊小説新潮)、五月「望遠鏡」(小説新潮)、七月「他処の声」(文藝)、「ひな罌粟《げし》」(新女苑)、「青葡萄」(別冊小説新潮)、十月「誘惑」(新女苑)、十一月「ぶなの木の下で」(小説新潮)を発表。  七月、『春の鳥』を『海辺の少女』と改題して、ポプラ社より、九月、『若き葡萄』を河出書房より再刊する。 昭和三十一年(一九五六) 四十七歳  二月「菊枕」(小説公園)、四月「領事館にて」(文藝)、「草上の宴」(別冊小説新潮)、十月「安楽椅子」(文學界)、「カリフォルニヤの雪」(別冊小説新潮)、十二月「くろい鳩」(小説新潮)を発表。  この年、別居中の夫との離婚が成立する。留学中の圭子がアメリカ人レイモンド・スクリブナーと結婚することとなり、四月末渡米、査証が遅延のため、結婚式には間に合わなかった。約四カ月の滞在中に自動車事故に会い、入院治療する。十二月末、「銀座百点」の忘年句会に出席。久保田万太郎、永井龍男など十四人のメンバーであった。この忘年句会には、以後五十五年まで、四十三、四十五、四十六年を除き、毎年出席する。  一月、『夜の橋』を河出書房より刊行。 昭和三十二年(一九五七) 四十八歳  五月「仙水」(小説新潮)、十一月「空席」(小説新潮)を発表。 昭和三十三年(一九五八) 四十九歳  一月「天使の季節」(婦人之友)を十二月まで連載。十月「海のわかれ」(別冊小説新潮)を発表。 昭和三十四年(一九五九) 五十歳  三月「冬の蝶蝶」(小説新潮)、四月「芦の扉」(別冊小説新潮)、五月「鎖」(文學界)、八月「かがり火」(小説新潮)、十月「波枕」(小説新潮)を発表。  この年、「婦人之友」に紀行文を掲載のため、前年末から、一週間ぐらいの旅程で、四回ばかり各地に出かけている。前年十一月には同誌一月号の「私の旅愁」のために、羽田から福岡へ、宮崎の日南海岸、青島を経て、日向延岡から五ヶ瀬川を遡って高千穂地方に行き、帰りには西都原の古墳群を訪れて帰京。同十二月には、二月号掲載の「北の空へ冬の旅」のために北海道へ出かける。有珠、美唄原野、釧路から、大楽毛原野まで。また二月には、四月号の「春を訪ねて淡路島へ」執筆のため、明石から淡路島岩屋に渡り、鳴門崎で渦潮を見て帰京。七月には、九月号「真珠」執筆のため、志摩半島へ出かける。  六月に、『天使の季節』を文藝春秋新社より刊行。 昭和三十五年(一九六〇) 五十一歳  一月「銀座の焼芋」(別冊小説新潮)、七月「ほととぎす」(別冊小説新潮)、十二月「小さな家の小さなあかり」(小説新潮)を発表。 昭和三十六年(一九六一) 五十二歳  一月「名曲」(別冊小説新潮)、三月「サンキュウ・レター」(小説新潮)、六月「夕波」(のち「金魚」と改題、風景)、七月「燕子花《かきつばた》」(別冊小説新潮)、十二月「虹のなかの女」(小説新潮)を発表。  この年、長兄富次郎死去、享年六十六。六月二十八日、六号台風による集中豪雨のために、自宅前の田越川が氾濫して、床上に二尺近く浸水し、甚大な被害をこうむる。夏、圭子がゲイル、マイケル、ジョイスの三子を連れて九年ぶりに帰国。約一カ月滞在。 昭和三十七年(一九六二) 五十三歳  八月「衣服」(文藝)、九月「てんでんばらばら」(小説新潮)、十月「ふうふう」(別冊小説新潮)を発表。  この年、次兄栄三郎、兵庫県須磨にて死去、享年六十五。 昭和三十八年(一九六三) 五十四歳  四月、「遊蝶花」(婦人之友)、六月「赤い花をもった女の子」(別冊小説新潮)、八月「月下美人」(小説現代)、十一月「遠い紅」(文藝)、「呂宋の茶碗」(小説新潮)を発表。  この年の秋、山陰地方へ旅行。 昭和三十九年(一九六四) 五十五歳  六月「犬と女と或る日」(婦人之友)、八月「海の椅子」(婦人画報)、「乾いた芝生」(小説新潮)を発表。  この年春頃、唐津へ旅する。夏、三十六年の水害に懲りて、家屋全体を六尺もちあげ、その間七十五日ほど、大正十三年に建築された避寒避暑用の格式ある逗子なぎさホテルに逗留する。 昭和四十年(一九六五) 五十六歳  五月「うつつ・まぼろし」(小説新潮)を発表。  この年秋、大館から奥入瀬、蔦温泉、八甲田山中、酸ヶ湯、青森、弘前を経て大館に戻るみちのくへ旅する。  七月、『鎖』を中央公論社より刊行。 昭和四十一年(一九六六) 五十七歳  四月「霧」(小説新潮)、七月「当代娘すごろく」(小説新潮)、十月「あぶら蝉」(別冊小説新潮)を発表。  この年春頃、能登半島を旅する。 昭和四十二年(一九六七) 五十八歳  七月「黄独楽」(季刊藝術)を発表。 昭和四十三年(一九六八) 五十九歳  この年は創作は一篇も発表せず、随筆を数篇発表したのみにとどまる。 昭和四十四年(一九六九) 六十歳  四月「トランク商人」(のち「とらんく商人」と改題、季刊藝術)、十月「島のイソップ物語」(別冊小説新潮)、「波の上の人形」(婦人之友)を発表。 昭和四十五年(一九七〇) 六十一歳  一月「鴛鴦」(文藝)、十月「きりぎりす」(季刊藝術)を発表。  この頃から、長年休んでいた長唄の稽古を稀音家寿についてはじめる。暮には、おさらい会に出演。 昭和四十六年(一九七一) 六十二歳  一月「閉ざされた海」(婦人之友)を翌年四月まで十六回にわたって連載。十月「残月」(季刊藝術)を発表。 昭和四十七年(一九七二) 六十三歳  一月「此の世」(文藝)、六月「隠れ蓑」(文藝)、七月「終身」(季刊藝術)、十一月「夢の木」(新潮)を発表。  五月、『閉ざされた海』を講談社より、六月、『此の世』を河出書房新社より刊行。  この年四月十六日、川端康成氏ガス自殺、六月号「新潮」に追悼文「生涯一片の山水」を発表。 昭和四十八年(一九七三) 六十四歳  一月「裾野」(文藝)、二月「蜥蜴のしっぽ」(週刊朝日)、四月「静かな晩」(新潮)、五月「相生ひ」(海)、六月「赤い紐」(風景)、八月「歌枕」(新潮)、「終《つい》の栖《すみか》」(太陽)、九月「写真の家」(文藝)を発表。  十一月、『歌枕』を新潮社より刊行。 昭和四十九年(一九七四) 六十五歳  一月「花筐」(季刊藝術)、「鵲」(群像)、四月「土筆野《つくしの》」(新潮)、六月「わが庵」(文學界)、「屋根」(文藝)、七月「花を持てる童女」(海)、八月「松襲」(群像)を発表。  二月、『歌枕』によって、第二十五回読売文学賞を受賞する。年末に、逗子の町へ使いに出て転び、眼の下を縫うほどの怪我をする。  十二月、『わが庵』を文藝春秋より刊行。 昭和五十年(一九七五) 六十六歳  一月「初音」(海)、「浮絵」(文藝)、「山姫」(文學界)、三月「往復書簡」(文學界)、宇野千代との往復書簡四十通を十二月まで十回連載、四月「厄落し」(群像)、五月「もの言はぬ花」(新潮)、六月「車井戸」(文藝)を発表。  この年六月、「『わが庵』および多年にわたる創作活動の業績に対して」、日本芸術院から、昭和四十九年度第三十一回の恩賜賞が贈られる。  またこの年は、「仮寝の宿」(旅)を一月から十二月まで連載のため、各地へ旅をする。一月末に鹿児島へ、二月には、興津へ、三月には、備中、伯耆地方に行き、四月には熊野へ出かけ、新宮から京都へまわる。五月には、日光へ、六月には、来日中の娘、孫と天の橋立へ出かけ、宮津へ出る。七月には、函館を経て江差まで、九月には、宇高連絡船で琴平へ行き、金刀比羅参りをし、屋島、栗林公園に寄る。  二月、『土筆野』を文藝春秋より、七月、『気のながい話』を河出書房新社より、十月、『花筺』を新潮社より刊行。 昭和五十一年(一九七六) 六十七歳  一月「朧草子」(文學界)、「ダイヤモンドの針」(群像)、「関の戸」(新潮)、「うしろ髪」(文藝)、四月「箱の中」(群像)、六月「旅びと」(文藝)、「ふるさとは要らない」(文學界)、七月「坂道」(群像)、十月「背水の日」(群像)を発表。  三月、宇野千代と共著の『往復書簡』を文藝春秋より、五月、『仮寝の宿』を日本交通公社出版事業局より、六月、『朧草子』を文藝春秋より、十一月、『中納言秀家夫人の生涯』(『閉ざされた海』の改題新装版)を講談社より刊行。 昭和五十二年(一九七七) 六十八歳  一月「傘の雪」(群像)、「川の鯉」(文學界)、「葦手書」(新潮)、四月「柳眉」(新潮)、六月「草の敷寝」(文藝)、七月「貝母《ばいも》の花」(新潮)、「引窓」(文學界)、九月「駱駝」(海)、十月「うつつ川」(新潮)を発表。  五月、『ダイヤモンドの針』を講談社より、十月、書き下ろし長篇『時雨の記』を文藝春秋より刊行。 昭和五十三年(一九七八) 六十九歳  一月「鞍馬台」(文學界)、「冬夕焼」(新潮)、「孫の手」(群像)、四月「バンタムのにはとり」(季刊藝術)、五月「誰袖草」(文學界)、九月「置き文」(新潮)を発表。  この年九月、二十二年ぶりに渡米、サウスカロライナ州ビューフォードの圭子宅に約一カ月滞在、この滞在中に、娘圭子に帰国の意志のないことを確認し、今後の独り暮しを決意して、耐震耐火の十畳余の書斎を庭に増築することにする。  一月、『うつつ川』を新潮社より、十二月に『誰袖草』を文藝春秋より刊行。 昭和五十四年(一九七九) 七十歳  一月「松虫」(海)、「百萬」(文學界)、「山川草木」(群像)、「三丁目で」(文藝春秋)を発表。「南への道」(婦人之友)を翌年三月まで十五回連載。二月「瓢箪」(文藝—一・二月合併号)、七月「乱菊」(海)、「根曳き」(文學界)、九月「あやとり」(群像)、十一月「片袖」(文學界)を発表。  この年十月、『誰袖草』によって第十八回五十四年度「女流文学賞」を受賞した。また十一月三日文化の日に、長年の文学活動によって、第二十八回神奈川文化賞を受けた。堀辰雄あての書簡十四通が、筑摩書房一月刊『堀辰雄全集』別巻一「来簡集」に収録される。  六月、『鶏の声』を北洋社より、『百萬』を文藝春秋より、九月、『わが今昔ものがたり』を中央公論社より刊行。  中央公論社から『中里恒子全集』全十八巻を十月より刊行し、翌年三月完結。 昭和五十五年(一九八〇) 七十一歳  一月「残りの雪」(文學界)、「ブリキの金魚」(群像)、九月「魂の鍵」(群像)、十月「水鏡」(文學界)を発表。  六月、『南への道』を文藝春秋より刊行。  この年十月、乳がんの手術のため国立がんセンターに入院、十一月退院。 昭和五十六年(一九八一) 七十二歳  一月「ジェラールの瓦」(群像)、「青い炎」(文學界)を翌年三月まで十五回連載。五月「幽愁記—ガン病棟より還りて」、八月「狐火」(群像)を発表。  五月、『水鏡』を文藝春秋より、十月、『歌枕』を中央公論社より刊行。 昭和五十七年(一九八二) 七十三歳  一月「家の中」(群像)、二月「石段」(文藝春秋)、四月「飛鳥」(群像)、「伝世」(海燕)、十月「冷たい河」(群像)を発表。  この年五月、昭和六十年発表の『綾の鼓 いすぱにやの土』取材のためスペインを旅行、六月帰国。  六月、『青い炎』を文藝春秋より、八月、『不意のこと』を中央公論社より、『家の中』を講談社より刊行。 昭和五十八年(一九八三) 七十四歳  一月「うす墨」(文學界)、「祈り」(海燕)、四月「鱗錦の局、捨文」(海)を翌年三月まで十回連載。八月「鍋座」(群像)、十一月「海を渡って来る休日」(文學界)を発表。  この年一月二十一日の里見氏逝去に際し、三月号「海」に追悼文「里見先生に捧ぐ」を、三月一日の小林秀雄氏逝去にあたり、五月号「文學界」に「小林秀雄と私」を発表する。  この年十一月、芸術院会員に推される。 昭和五十九年(一九八四) 七十五歳  一月「停車場で」(文學界)、「運転手のセータア」(海燕)を発表。  四月、『関の戸』を文藝春秋より、七月、『鱗錦の局、捨文』を中央公論社より、十月、『うつつ川』(新装増補版で、昭和五十三年新潮社刊のものに「鍋座」を追加)を文藝春秋より刊行。 昭和六十年(一九八五) 七十六歳  一月「松風はかへらず」(新潮)、「梨園」(文學界)、「回転椅子」(婦人之友)を翌年七月まで十八回連載。  二月、書き下ろし長篇『綾の鼓 いすぱにやの土』を文藝春秋より刊行。  この年四月、勲三等瑞宝章を受ける。 昭和六十一年(一九八六) 七十七歳  一月「放生」(新潮)、「忘我の記」(文學界)を翌年五月まで十七回連載。  二月、『日常茶飯』を日本経済新聞社より、十一月、『回転椅子』を文藝春秋より刊行。  この年三月、腸閉塞のため横浜市戸塚区桂町の大船共済病院に入院、四月退院。 昭和六十二年(一九八七)  一月、再入院。四月五日、文藝春秋の担当者に文藝上の後事を託し、娘圭子と孫の見守るなか大腸腫瘍のため死去。十六日、鎌倉市山ノ内の円覚寺にて葬儀が行われる。戒名は「圭璋院文琳恵恒大姉位」。「文學界」五月号の「忘我の記」の最終回が絶筆となった。遺骨は生前に求められた円覚寺内の墓地に納められた。  五月、『忘我の記』を文藝春秋より刊行。  なお、昭和六十三年(一九八八)四月、『松風はかへらず』を文藝春秋より刊行。平成元年(一九八九)四月、神奈川近代文学館にて「中里恒子展」開催。これを機に遺品、肉筆原稿の多くが、同館に寄贈された。   *この年譜は、昭和五十七年三月、文藝春秋より刊行された「芥川賞全集」第二巻のために、中里恒子さん自身が記されたものをもとにして、以後没年までを文藝春秋の中里さんの担当者・高橋一清が加筆したものです。作業にあたり、小学館刊『昭和文学全集』第十九巻所収の岡宣子さん制作「中里恒子年譜」を参照しました。  単行本 昭和五十二年十月文藝春秋刊  なお、本書は昭和五十六年十月刊の文春文庫版に資料と自筆年譜を添え新装版としました。 〈底 本〉文春文庫 平成十年七月十日刊