TITLE : この人をほめよ    この人をほめよ   野田 秀樹 目次 愛を惜しみなく与えた野田秀樹さんの巻 金を惜しみなく分け与えた江副浩正さんの巻 親の七光役立たずの田中眞紀子さんの巻 気持ちのいい修行の教祖麻原彰晃さんの巻 とっても家族思い勝新太郎さんの巻 組長天皇陛下ドン・キングさんの巻 泣きボクロボサツ桑田真澄さんの巻 儲かる神様池田大作さんの巻 顔は地味だが権力者鈴木俊一さんの巻 酒場生活設計者松田ケイジさんの巻 中東の二十四時間闘う男フセインさんの巻 B級人気商品ピンク・レディーさんの巻 まっこと恐るべきは金丸信さんの巻 日本受験浪人界の救世主か元木大介さんの巻 愛と夢に生きるトリカブト疑惑のKさんの巻 エバタなのにエバッてない江畑謙介さんの巻 オバサマっていったら土井たか子さんの巻 ノダドラムスコの先祖ノストラダムスさんの巻 偉大な巨人北尾光司さんの巻 あの替え玉は野田ですなべおさみさんの巻 すさまじい清純派小柳ルミ子さんの巻 東大卒三十五歳の主宰大川隆法さんの巻 涙の絶唱デュエット景山民夫&小川知子さんの巻 ボランティアの永久機関松尾和子&三ツ矢歌子さんの巻 明日はわが身のゴルバチョフさんの巻 この人をほめよ   野田秀樹さんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 先生は野田君のことが大好きです。先生も人間、えこひいきはあります。死ぬまで愛し続けます。先生と野田君、どっちが長生きするかな?  新刊雑誌の編集者。わが子が受験当日の親。浮浪者。  いずれも、なりふりかまわぬ大人達である。なりふりかまわぬ大人を見ると、いとおしく抱きしめてあげたくなる。新宿で浮浪者を抱きしめている男を見たら、それが私である。それほど、私は人類愛に燃えている。立候補も、まぢかいかもしれない。星よー、俺《おれ》は今、猛烈に愛を分けてやりたい!  元々私は、愛を与えやすい体質である。すでに、幼少の砌《みぎり》、八歳にもならぬ頃《ころ》、通信簿なるものに「人の面倒まで、よく見る。よく見すぎて、授業中にうしろをむく。注意をすると涙ぐむ。けれども明るい」と書かれた体質である。自分が涙ぐむほど、他人に愛を与えていたのである。しかも、明るいのである。なかなかできないことである。  しかも、私の愛の与え方には無理がない。たとえば、体がでかいと悩んでいる女性には、こう愛を与える。「でかければ歯も大きい。歯が大きければ、食い物を早くかみ砕ける。栄養がいきとどく。ますますでかくなり歯も大きくなる。さらに歯が大きくなれば食い物をもっと早くかみ砕ける。すばらしいことだ」こうして、体がでかくなることに積極性をもたせる。これが、本当の愛である。  体が小さいと悩んでいる女性には、「小さければ、欠点が目立たない。年老いても、しみもしわも、小さめですむ。醜くても、その醜さの世界に占める割合が小さくてすむ」こうして体が小さいことを消極性の面から肯定させる。これも愛である。  この若さで、ここまで愛の正体を知ってしまったからにはもう、「この人をほめよ」というコラムを借りて、他人に愛を与えるしかない。ふだん、あまりにもなりふりかまわず、ガンバリすぎて、嫌《きら》われ者になっている大人を、編集者と浮浪者以外のジャンルから捜し出して、ほめてほめてほめちぎりほめ倒し、ほめくさらせる。  豪快な愛である。  今月号は自己愛である。私は、私をほめる。  いきなり私をほめるなどというのは、私の性分にあわない。しかも今回は連載の一回目でもあるし、いきなり私が私に愛を与えるというのでは、周囲の目もあろう。せめて、連載が三回、四回とすすみ、七回目あたり、夏バテがはじまった頃、読者の判断能力もなくなってきた時期を見はからって、さりげなく私をほめちぎってしまいたい。そう思っていたのだが、いかんせん意に反して、周囲から、第一回目には是非野田先生を、と推す声が強かった。今、日本人でほめられるに値するのは、野田先生をおいて他にいない、という声もでた。若き憂国の士の中には、もしも野田先生をおほめにならないのならば、首を吊《つ》って皇祖皇宗に詫《わ》びを入れたいという者まで現われ、私はその情熱にほだされ、また、これ以上政界の混乱を招くのは、一公人としてしのびなく、不承不承、「この人をほめよ」第一回のほめちぎられる人として、私は私を選んだ次第である。  このいきさつを見てわかる通り、私は私をほめるなど自重したかった。  私がエライところは、そこである。自重ができる大人だということである。  私は、私のそういうところをほめてさしあげたい。  自重というのは、うな重とは違う。そういう難しいことも私は知っている。自重という、聖人にしかわからぬ難しいことを、うな重という庶民レベルの食物を例にとり説明できる。このインテリジェンスも、私のエライところの第二点である。  第二点などと言って、まとめができる能力も私のエライところの第三点である。  更に、大地震がおころうとも私をほめるなど、御辞退申し上げたいと思っていた心が、突如、私をほめることにきり替えても平然としていられる柔軟性。すぐさま、公私混同できる縦横無尽性。なおかつ、そこになんの葛藤《かつとう》もないという楽天性。ひいては、どこにも波風をたてないという円満性。こうした人間関係の潤滑油としての役割が、私に二つの顔をもたせている。水っぽい役者なのか、油っぽい劇作家なのか、わからぬふりをして、油っぽい日本芸能界と水っぽい日本文化界との橋わたしをしている。橋わたしをするといいながら、橋をこわしている。日本芸能界と日本文化界の橋こわし。つくっているようで、実はこわしている。戦場にかける橋である。  と、ここまでドラマチックに、私は、私を盛り上げて、なおテレがない。これが私の最大の美徳である。明治の文学のインテリジェンスはテレがあった。インテレであった。  ふたぁ……♪   ピンポーン 「君といつまでも!」これは、イントロであった。  ここまで、読者をしらけさせてもなお、テレがなく、前へ前へと突き進む。ペンが前へ進む。原稿用紙に終りがくる。人生だって、それだけのことだ。テレがないと、このようにキザもいえる。ダジャレもとばせる。悪口も書ける。世間も、うまく渡れる。  ただ一点、しいて難点をあげれば、他人に嫌われる。 「嫌われたっていい」そう思いながら、ガムシャラに生きて、いつのまにか、独りになった三十女が、「大丈夫よ、これが私の生き方なのだから」と真夜中に、ぶつぶつ鏡にむかって喋《しやべ》っているという怪談をよく耳にする。  今、時刻は真夜中である。  私は、私をほめた。ほめればほめるほど、淋《さみ》しくなっていくものである。  でも嫌われたっていい。これが私の生き方なのだから。 ●後記  この人は立派ですよ。この間も東スポで、ある女優と噂《うわさ》になっていましたが、芝居の宣伝のために自分の身も売る、これはやっぱり誇るべきことですね。あと知られてないですけど、中学の時にオール5をとったことがありますね。立派ですよ。大学時代に内ゲバの殺人を目撃したこともありますね。珍しいことですから、これもほめられることです。大丈夫でしょう、この人はずっとほめられ続けます、きっと。   江副浩正さんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 福沢君に負けるな。一万円札の顔になれば、「江副と申します」と名刺代わりに堂々と札を渡せます。来学期に期待します。  もう私も三十三歳である。人生も守りに入らねばならない。家も建てなければならない、子供もつくらなくてはいけない。ひげだってそらなくてはいけない。いつまでも若者たちの神々ではいられないのだ。だいいち、若者たちの神々というのは、信者がジーパンをはいているから金にならない。  そこで今日から、体制側知識人に転向することにした。  体制側のみなさん、よろしくお願いします。私もネクタイをしめます。口調も、ですます調に変えます。若づくりもやめます。  さて、体制側の知識人として、まずやらなくてはいけないことは、お調子もんの癖をなおすことだと思います。今までは、ついついお調子もんなために、こういうエッセイを書くと、編集者という反体制側の人に、いらんことを言われて、いつのまにか一番お金をくれそうな皆さんの悪口を書いてきました。考えてみれば大損です。あれはみな、編集者という卑《いや》しい人たちが、貧乏なために豊かな社会を憎んでいるからなのです。お調子ものの私を利用して、金持ちの皆さんの悪口を書かせていたのです。本当です。本当に私にとっては、いい迷惑です。これからは皆さんのことをほめて皆さんのお役に立ちたいと思います。その証《あか》しに、まずはじめに江副浩正《えぞえひろまさ》さんをほめさせていただきます。  江副浩正という人は、えらいと思います。まずなんといっても東大を出ています。なぜ東大をでている人がえらいのかといえば、東大をでている人はすごいからです。  たとえばバーで、ある人が、然《さ》りげなく自分が東大卒であることをあかすと、ホステスさん達が、「すごぉーい」といいます。ホステスさんという人達の、考えていったことばは皆な嘘《うそ》っぱちですが、考えないでいったことばは本当です。この世に、東大出以外に、ホステスさんからすごぉーいと言われる人がいるでしょうか。  います。社長さんです。「すごぉーい、社長さんなのう」です。  煎《せん》じつめれば、東大出以外の人間は、社長になれないのなら、焼き殺してしまえということです。  そうです。江副さんの第二のえらい所が浮かびあがってきたではありませんか。江副さんは社長さんなのです。江副さんのえらさは、リクルート問題同様、次々と浮かびあがってくるところが特徴です。  東大出、社長、そのうえ社内での社員からの評判のよさ。またまたすごいえらさが、浮かびあがってきました。 「みんなから好かれる」これは、なかなかやろうと思ってやれることではありません。好かれよう好かれようと思ってイヤな奴《やつ》になってしまった鈴木健二や南野陽子のような例もあります。私とてイヤな奴という意味ではひけをとりません。でも、イヤな私は昨日までの私。今日からは、御安心下さい、体制側知識人です。  さて、こんなにもイヤな奴がはびこる社会で、江副さんは何故《なにゆえ》にそんなにも愛されたのでしょう。  それは、イイ奴だったからです。イイ奴——すなわち、江副さんは、なんでも惜しみなく与える人だったようです。  まず愛を惜しみなく与えました。愛人の数が、それを証明しています。「アイジン、タクサン、トテモイイコト」とホメイニも言っています。  金とても惜しみなく与えてくださったのです。それも平等にです。与党、野党のわけへだてなく金を与えました。金額が少ない野党の人は、テレビ出演をして稼《かせ》がせてもらいました。その平等ぶりは徹底しています。政治家にばかりあげたのではありません。マスコミは忘れたふりをしていますが、読売新聞の副社長にもあげましたし文化人にもあげました。そのうえ、ここだけの話ですが、うちの奥さんもお世話になりました。うちの奥さんは、世間でリクルート問題がおこって大騒ぎしている渦中《かちゆう》に、堂々と週刊住宅情報(リクルート刊)のコマーシャルに無知を装い出演しました。後日、私が「私にも文化人としての社会的立場があるから」といって釈明を求めたのですが、奥さんは「知らなかった」の一点ばりです。以後、うちの奥さんは、いつ国会に喚問されるかと、その時着ていく服のことを考えています。  このように江副さんは、上は一国の首相から下はうちの奥さんにまで、人々に夢を与えつづけているのです。  ただ、あえて江副さんの平等の姿勢のあらさがしをすれば、オペラの団体に多額の寄附をしていながら、私の劇団に寄附をおこたったことです。いえ、おこたったのではありません、失敗したのです。実は、その、ええい、ちくしょう、言っちまえ。実は、私の劇団も、もう少しでお金をいただくところだったのです。金の受け渡し場所は、川崎市高津区の竹ヤブでした。ところがその夜、金をとりにいった劇団員が、竹ヤブで虎《とら》に襲われて食われてしまいました。翌日になったら、あの二億円の騒ぎです。それでも江副さんに電話を入れたら、「なあに、あのくらいだったら」と気前よく、もう一度くれるというので、その夜、再び同じ竹ヤブに金をとりにいかせました。その劇団員が今度は熊《くま》に食い殺されました。川崎市の竹ヤブの治安にも本当に困ったものです。  そういうわけで、まったく本当に江副さんは、えらいと思います。 ●後記  世間は冷たいですね、ブーム引いちゃいました。かつら被《かぶ》って変装したり、ひっそりと暮らしているみたいですけどね。でもお金の配り方は、今の佐川なんかに比べたら全然少ないですよ。貧しい劇団とかの芸能関係にもちゃんと配って欲しかったな。でも江副さんはいい人ですよ。私は好きです。まだ若いしね、復帰してきますよ。   田中眞紀子さんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 「ヨード卵、親の七光」これが、先生が眞紀子さんに贈るコトバです。新潟に行ってもガンバッテ下さい。  えー、只今《ただいま》、御紹介にあずかりました野田です。  私は、新婦のマコちゃん、えー、そう呼ばせて下さい。マコちゃんのお父様にあたる日本株式会社元代表取締役角栄さんと、ジッコンにさせていただいているものです。マコちゃんが小さい、まだ米俵と米俵の隙間《すきま》で、ねずみと遊んでいた時分から、よくお父様を存じ上げております。  マコちゃんのお父さんと私は、ツーカーの仲というより「まあ、この」「なんだ、この」という仲です。  御存知の通り、お父様の多大な功績の中でも「まあ、この」ほど大きなものはなく、角さんの「まあ、この」は、長さんの「いわゆる、ひとつのとでも申しますか」に匹敵するものでありますし、日本語の不明瞭《ふめいりよう》さを最大限に活《い》かし、また、その永く人口にカイシャされているという意味あいからすれば「リンダ困っちゃう」にひけをとらない。リンダというものが、一体どういうものなのか、近頃《ちかごろ》の若いものは少しもわからないでいる。とんとリンダとはおめにかかったことがない。だから「リンダ困っちゃう」のリンダが、ポールのリンダなのか、リンダリンダのリンダなのか、山田のパンダか山本なのか、それでも若いもんは、いまもって「リンダ困っちゃう」というコトバを、ずけずけと口にする。リンダは困っちゃうの枕詞《まくらことば》化さえしている。  同様に、「まあ、この」とだみ声でいうだけで、その場が丸くおさまってしまうようなミラクルパワーがある。  現に、マコちゃんのお父様は「まあ、この」と言いながら、なんでもかんでもつくってしまい、なんでもかんでも押し通してしまい、稼《かせ》ぎまくってしまい、しまいには「まあ、この」と言いながらつかまってしまいました。つかまってからの評判はよろしくありませんが、それでも、この後、死んでしまったりすると、突然、偉大な政治家、不世出の政治家、最後の偶像などと謳《うた》われもちあげられること必至です。これは日本株式会社の特色です。  それほどの「まあ、この」なのです。けれど「まあ、この」と言いながら病いの床に倒れてからというもの、角さんの「まあ、この」がいつしか、マーコの角さんになってしまいました。マコちゃんが角さんをとりしきるようになりました。「まあ、このを笑うものはマコに泣く」といわれるゆえんです。かくて、「まあ、この」の声が聞かれなくなりました。 「まあ、この」は耳につけばついたで耳ざわりなのですが、耳ざわりな声は不肖の子と一緒で、いなくなると淋《さみ》しくなる。これもまた日本株式会社の特色です。  というわけで、「まあ、この」にそっくりのマコの「まあ、この」をいまふたたび聞いてみたいという、日本株式会社の社員が現われはじめました。  この「歴史と耳ざわりな声はくりかえす」ということわざは、歌謡界にもよく見られることで、聞きたくもないのに、耳ざわりなあまり、耳にこびりついて離れなくなった「あたし待つわ」のあみんの声は、今、動くあみんと呼ばれるウィンクと共に再来しています。  ウィンクをあみんの七光と呼べるのであれば、当然、マコちゃんは「まあ、この」の七光となるわけです。  しかし、マコちゃんの本当にエライところは、その七光をもってしても光らなかったところです。  近頃は、どこもかしこも二世ブームです。豆電球ほどの七光だけでピッカピカです。相撲界には貴花田、芸能界にもタカシマがいます、オガタがいます。野球界にはみっともないカズシゲまでいます。犯罪界にも、親子二代の木村一八がいます。サガワ君などが子供をつくったら、二世はスターになるのでしょうか。人食いが生まれるのでしょうか。それとも二世が成長する前にサガワ君に食べられてしまうのでしょうか。難しい問題が世の中には多すぎます。  この悪《あ》しき二世ブームにアンチとして登場したのが、というより二世ブームにさえも登場できなかったのがマコちゃんです。七光で光ろうにも、さびついて光れなかった。陰口を叩《たた》くバカモノもいますが、マコちゃんが、なにをしたというのでしょう。  な———んにもしていない。それこそが、マコちゃんなのです。日本株式会社元代表取締役田中角栄のムスメ。ただそれだけです。目白の女帝、じゃじゃ馬、きんかくしと騒いだのは、まわりだけで、良いことも悪いこともな——んにもしていないのです。これからもな——んにもしないでしょう。な——んにもしていない以上、な——んにもならない。これこそ、マコちゃんが、偶然見つけた哲学なのではないでしょうか。  ガンバレ、マコちゃん。なんにもするな。今までも、これからも、お願いだから。 ●後記  田中角栄さんは偉い人だけれども、眞紀子さんはよくわからない。今だから告白するが(笑)、どうやってほめればいいのかがよくわからなかった。二世ブームということでやったんだけれども、政治家になってないのだから、二世ではないですね。なると思っていたんだけれども、これはミスでした。私が苦しんで書いているのがよくわかるエッセイですね。   麻原彰晃さんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 授業中に教室で修行するのはやめましょう。みんなの気が散ります。身だしなみも大切にして下さい。  正直申し上げて、このエッセイは、私が、社会無関心派無知識人から転向し、体制側知識人として、名のりをあげるためにはじまったものです。はっきりいえば、他人の悪口を書いて貧乏でいるより、体制側の人々をほめちぎり、お金持ちになるぞというコンタンでした。  三ケ月がたちます。お金持ちになれません。こんなにへりくだり人をほめちぎってきたというのに、何故《な ぜ》なのでしょう。体制側のお金持ちの皆さん、私は浩宮サマの御結婚を心から待ちのぞんでおります。田中眞紀子サンの富を崇拝しております。本当です。これは悲痛な叫びです。私は最近、体制側にすっかり社会復帰でき、なんだ体制側の空気も体にあうじゃないか、と思っているのです。だのに貧しいマス・メディア関係者から「ひねりのきいた社会批判だ」といらぬかんぐりばかりされて一向にお金持ちが近づいてきません。  一時は、初心を捨てて、ぐれてやろうとも思いました。ヨソの国へ行ってゲリラになろうかとも思いました。難民を装ってベトナムに渡ろうかとも考えました。しかし、逆偽装ベトナム難民というのは、複雑すぎて、マスコミが相手にしてくれないだろうと思い断念しました。ノリエガ将軍やチャウシェスク大統領を救出しようとも考えました。私は社会のお役に立ちたいのです。別の言い方をすれば、お金持ちのお役に立ちたいのです。そんな心に、ある日、ふとひとつのメロディーが流れてきました。ショーコー、ショーコー、私は「これだ!」と思いました。その魂を震撼《しんかん》させる音楽のでどころは、オウム真理教といいます。その尊師は、麻原ショーコー尊師といいます。  ショーコー尊師は、日本で唯一《ゆいいつ》の最終解脱者《げだつしや》です。だから尊師は、ソンシマセン。コンサートをひらいたり、超能力を披露《ひろう》してみせたり、塩水をのんだり、アーモンドに念力を入れたりしながら、なおお金持ちです。私の望むところです。そこで、さっそく麻原彰晃氏著の『超能力——「秘密の開発法」すべてが思いのままになる!』(大和出版刊)を手に入れました。あまりのすばらしさ面白さに、「また夜が眠れなくなる」、それはシドニィ・シェルダンどころではありません。  たとえばショーコー尊師は、幽体離脱という超能力の開発法を次のようにのべられています(一六八頁〜一七〇頁)。 「第一期㈰一日一回オナニーをする。ただし射精をしてはいけない(十日間)㈪オナニーを一日二回にふやす(十日間)㈫一日三回にする(十日間)。」 「第二期㈰あなたが最も好きなタレントの、できるだけヌードに近い写真を用意する。その写真を使って想像力を働かせながら、オナニーを一日に四回行なう(十日間)㈪一日五回にする(十日間)㈫一日六回にする(十日間)。」  ここまでは、まるで抑圧された受験生の参考書のようです。深夜の勉強部屋でもできそうな修行です。もしかして、覚えのある私たちはみな、すでにショーコー尊師の弟子になる資格があったのかもしれません。でも、幽体離脱の超能力は、童貞の予備校生のままでは終りません。 「第三期、異性との交わりによる修行の開始㈰お互いに裸になり、相手を十分に愛撫《あいぶ》する。」ただし、男性の場合、「インサート時に、ひっかかる箇所があったらそこでとまる……云々《うんぬん》」  なんだか、こういう修行ならば、と勇気がわいてくるではありませんか。勇気りんりん、興味ちんちんです。  そのうえ、内気な修行者のためには、「まず、本番前のムード作りである。」(一七八頁)とお言葉をくださいます。 「雰囲気《ふんいき》のよいレストランなどで、ゆっくりと食事をし、彼女に少々アルコールを飲ませておく。」と、ナンパの卑怯《ひきよう》な手口が修行になるのだと堂々と述べてくださいます。そればかりか「食事前にムードたっぷりの洋画を観《み》ておくのも効果的である。間違っても、アニメやサスペンスは観ないこと。」といった映画の種類まで選んでくれる手とり足とりぶりは、『JJ』も顔まけののりです。それでも修行です。ナンパとは違います。修行とはそんなに甘いものではありません。ショーコー尊師は、こうお続けになります。「いよいよベッド・インとなる。注意しなければならないのは、コンドームを用いないということ。」と、ナンパの発想ではとても思いつかない修行の厳しさが垣間見《かいまみ》えるではありませんか。  こうして厳しい修行をのりこえ獲得した超能力を使うと「下着が透けて見え」たり(六一頁)、「私の感情をあなたの心に注ぎ込」んだり(六七頁)、すごい時は、天気予報は雨だといったのに、尊師が明日は晴れる! といいはったところ、晴れにしてしまった(六九頁)こともあります。驚嘆すべき超能力です。びっくりしたあまり、私はふと気付いたのですが、オナニーや天気予報なら安上がりですし、一人でできる修行ですので、なにもオウム真理教に入らなくとも良いかなとも思ったのですけど、そういうことを考えると、尊師に「だからいつまでたっても金持ちになれないのだ」と叱《しか》られそうです。私は、今月号だけは、本気で、死にものぐるいで、いわば狂気でショーコー尊師をおほめ申し上げました。だから私を女房と一緒にラチしないでください。今、書き終って、急におそろしくなりました。 ●後記  これは勉強させていただきました。本をたくさん読ませていただきましたら、本当に素晴らしいものでしたね。劇団のみんなで喜んで読ませていただいたんです。本の内容を実践してみましたけど、大変体に気持ちがいいものでした。下着が透けて見えましたし、天気を当てることができるようになりました。宗教方面の人のときはしっかり勉強させていただいて、この連載をやっていてホントに良かったなという気持ちになりましたよ。   勝新太郎さんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 親御さんへ。二学期の持ち物検査の時、薬を持っていました。注意したら、知らないと言い張りました。家庭のしつけをお願いします。  今夜あたり、突然死すると、これが遺稿ということになる。万一、えんえんと、パンツの話を書いた直後に死が訪れたりしても、それでもやはりこれが遺稿だということになる。それはまるで、新大久保のラブホテルで腹上死の状態で発見された遺体のようで、遺族に申し訳がない気がする。そんなわけで、私はいつも、のこされた家族が恥ずかしくないようにと、立派な原稿を書いている。私は家族思いなのである。  しかし、もし私の家族がとんでもない奴《やつ》らだったら、どうだろう。借金はする。薬《ヤク》はやる。人は刺す。女は好きだ。そんな子供や親しかもちあわせていなかったら、私のこの日頃《ひごろ》の立派なおこないと徳は、そのだらしない家族にとって大変な重荷となるだろう。つまり、本当の家族思いとは、もしも子供がだらしなかったら、子供よりも、もっとだらしない生活をおくり、子供にプレッシャーをかけない親爺《おやじ》になることである。逆の場合もそうである。親がだらしないのに、突然子供に立派に成長されたりしては、親も居心地が悪くて、たまったものではない。だから、親が薬《ヤク》をやるなら、子も薬《ヤク》をやる。子が薬《ヤク》をいつまでもやめないのなら、心配するなとばかり、親は借金を踏みたおす。負けじオレだってと、子は人の首を斬《き》る。なんだ笑わせるじゃないかとばかり、親はパンツの中に薬《ヤク》を隠す。  まさに勝新太郎さん一家は、このうえもなく家族思いの一家だ。  この殺伐としてしまった管理社会で、お互いに迷惑をかけずに生きていくことなど簡単だ。お互いに迷惑をかけずに生きていく家族など寒々しいではないか。お互いに精一杯迷惑をかけあって生きていってこそ理想である。私が子供の頃から夢見ていたホットな家庭、熱く燃えたぎる家族だ。迷惑をかけない暮らしでは、人のふれあいがなくなる。ふれあいがなくなるのはよくないと、「天声人語」で読んだこともある。だから、足をひっぱりあい、決して親以上にならず、子以上にならず、下目下目で生きていく。  このように、勝新太郎さんの生き方には、いつも社会の下に目をむける、社会の下の暮らしむきを見つめるあたたかいまなざしがある。その、いつも下を下をと見つめるやさしいまなざしは、今回の事件で、パンツにまで注がれている。  忘れ去られた社会の下層部、パンツに光があたったのである。パンツが主役になったのは、じつにBVDの川俣《かわまた》軍司以来である。 「そろそろまたパンツが日の目を見てもいいころだと思った」と、取調室で勝新太郎さんが語ったとも語ってないとも言われている。 「パンツが不自然に盛り上がっていた」これが、当局から怪しまれた理由であった。パンツは不自然に盛り上がり、事件は自然に盛り上がった。  これに対して、パンツ思いの勝新太郎さんが、 「じゃあ、おめえさん達はなにかい? パンツが自然に盛り上がっていたなら、税関を通してくれたのかい?」ときりかえしたことは想像にかたくない。唐突なきりかえしにとまどっている取調官に、 「じゃ、じゃ、じゃわかったよ。ゆっくり考えてみようじゃないか」と心をひらく優しい勝新太郎さんの姿が目に浮かぶ。さらに勝さんは、 「いいかい? 女を前に、自然にパンツが盛り上がったとしたらどうだい?」  当局は「やむをえない」と回答し、勝さんは「自然だろう、自然を罰しちゃいけない」「そんなことで罰しません」と、ここでは当局と勝さんの食い違いはない。  ところが「税関を前にして、自然にパンツが盛り上がる」ことに関しては、当局は「自然な盛り上がりなら、やはり無罪だ」と回答したのに対し、勝さんは「税関で、自然に盛り上がる奴こそ、おれはへんなやつだと思うね、キミがワリいや」と両者の食い違いを見せている。  そしていよいよ事件の核心の「税関を前に、不自然にパンツが盛り上がった」場合に関して、当局側が執拗《しつよう》に「有罪だ」と述べ、勝さんは「オレはおもしろいと思うな。税関のところでパンツを盛り上がらせるとしたら、どうしたって不自然な盛り上げしかない。自然に盛り上がるなんてヘンだ、不自然に盛り上がるのが自然だ」と譲らず、しまいには取調官に対し「そのうえ、この取調べでは、女性を前に不自然にパンツが盛り上がったら有罪かどうか、については少しもフレてない。こりゃ不公平だ」とごね、これには、当局からの回答は、いまだいっさいない。  とおそらく、このような感じで取調べが長びいているのである。  勝さんは引きのばし工作などする小物ではない。パンツ思いなあまりに、取調べも長びくのだ。家族思いで一刻も早く日本へ帰りたい心を殺してまでも、パンツ思いなのだ。それを思うと心がイタム。  ガンバレ、勝新太郎さん!  ガンバレ、ガンバレ、ガンバレ、勝新太郎さん!  本当にガンバレ、ガンバレ!  これは別に原稿の引きのばし工作ではない。私もそんな小物ではない。 ●後記  川俣軍司以来、また世間の目をパンツに向けた功績は大きい。パンツにこだわる人は上野千鶴子とか栗本慎一郎とかいるけれども、やっぱり自ら体を張ってパンツ一枚にならないと大衆の心は勝ちえられないですよ。で、川俣軍司より偉いのは、パンツの中に物を入れていたってこと。法廷ではそのパンツを証拠として出して欲しいですね。生まれついての才能ある役者ですよ。右に出る者はありません。顔がフセインに似ているけれどね。そして私はあくまでも無罪を信じています。   ドン・キングさんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 遅刻が多いです。そのため、髪を逆立てたまま登校してきます。ただ、金銭感覚がしっかりしていて、集金係として活躍しました。  こんなに偉い人を私は知りません。  ドンなうえにキングなのです。  これを日本社会にあてはめれば、首領《ド ン》はヤクザの組長さんで、王様《キング》はやはり天皇陛下でしょうから、ドン・キングを正しい日本語に翻訳すると、組長天皇陛下ということになります。  偉大であることは、その名にとどまっては、おりません。  髪の毛だって逆立っています。凡人は、なかなか、ああは髪の毛を逆立てることができません。  しかし、ドン・キング自身は、逆立った髪の毛について、 「ある晩、突然にそれは起ったんだ」と言っています。しかも、ムースの力を借りず、 「神が髪に力を与えた」などと、翻訳してはじめてわかる新しいタイプのダジャレを英語でとばし、 「俺《おれ》の成功は、この髪のせいだ。髪が天井を指している限り、俺の成功は続くんだ」と断言しています。  これを要約すれば、 「やい床屋、リンスなどするな」ということになりましょうか。確かに、ダメージヘアーのままがいいのかもしれません。リンスと一緒に運は、逃げてしまうものなのです。  ともあれ、名前がすでに組長天皇陛下であるばかりか、あのハリガネヘアーは神の力で逆立っているわけですから、古事記風に申せば、ドン・キングこそ、 “逆立神ノ組長天皇陛下(さかだつかみのくみをさのすめらみこと)”  ということになりましょうか。もはやこの偉大さはタダモノではありません。一体、こんなにもこんなにも偉大である、その所以《ゆえん》はなんなのでございましょうか。その人となりに、もう一歩踏みこんでみましょう。 「おっと! トーシロがうかつにソバに来るんじゃねえやっ!」  さすがに職業柄《がら》、踏みこんだとたん、パンチがかえってきます。そうです、彼こそボクシング界の大プロモーターです。身長も一九三センチ。体重は一一〇キロ、何をやっても大がつきやすいタイプではあります。仕事は金儲《かねもう》け、趣味・金儲け、夢・金儲け、得意なカラオケ・「世界は金儲けのために」、好きなコトバは「殴られたら金を儲けろ」、好きな映画は『三つ金儲けろ』。  とにもかくにも一途《いちず》な人で好感がもてます。金儲けに夢中なあまり人を殺したこともあるほどです。その時のセリフが、 「もうお前と遊んでられないんだよ」仕事熱心です。  人殺しをした頃《ころ》の彼の仕事は、ベンチャー・ビジネスだったようです。翻訳をすれば、賭博《とばく》という字をあてるとぴったりくるそうです。賭博は株にくらべて八百長があるぶん、確実です。  若くして株よりも賭博を選んだ堅実な一面も、偉人の条件として見逃せません。  ユーモアだって抜群です。  なにせ、あのマイク・タイソンを負かしてしまったくらいです。大笑いです。そのうえ10ラウンドで負けたと思わせて、実は8ラウンドで勝ってたのさ、そうさ、あのゴングこそ、ドン・キング・ゴングだったのさワッハッハ、というオチまでつけようともしました。けれど、もう一回たたかって金を儲けるのも悪くないワッハッハ、そうするか、ワッハッハ、と、ドン・キングのまわりにいると笑いがたえません。ワッハッハ、ドン・キングの腕にかかれば、千代の富士だって、幕下陥落は夢じゃない、ワッハッハなのです。  偉人として必要なのは、金儲けやユーモアばかりではありません。スター性も大切です。その点、逆立つ髪とあいまって、ドン・キングはテレビの画面の隅《すみ》に顔が八分の一現われるだけでも目立ちます。マイク・タイソンが中央にうつっている写真でも、必ず顔半分だけ登場して目立っています。そうやって順を追って資料に目を通すと、ドン・キングは、完全な姿を、いっぺんにさらしたことがありません。姿をすべてさらけださない。これは、スターとしての欠くべからざる条件であり、そのスター性はおしてシルベスター・スターローンです。と凡人が偉人へむかって軽く出したダジャレのジャブに、ドン・キングは、 「凡人でも三人寄れば、文殊の知恵だ。しかし、このワシが、四人集まれば、一体どんなことになると思う?」私は、偉人のコトバにゴクリと唾《つば》をのんだ。 「いいかね、ドン・キングが、このドン・キングが四人集まれば、ドン・キング・カルテットだ」  私は返す言葉を失った。そのうえ、なにがおかしいのかわからずポカンとしている読者に偉人は、「昔、ドンキー・カルテットというお笑いバンドがいたんだ。どうだおかしいだろう。笑え!」  腕力ずくのユーモアです。まったくもって、君はドンキー・モンキー・ベイビーな奴《やつ》です。 ●後記  惜しい人を亡《な》くしましたよね、マイク・タイソン。もう復帰できないのかなぁ。でもやっぱりえらいのはドン・キング! タイソン見捨てて、訴えた女の方をプロモーションして売り出そうってくらいのこと考えていると思う。私がプロモーターだったら、ドン・キングと勝新太郎を対談させたいですね。勝新が裁判に負けたら切り捨てられるけれど、勝ったらやるでしょうね。ドン・キングはタイソン亡き後、勝新を狙《ねら》っていると……。   桑田真澄さんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 成績はきわめて優秀ですが、協調性に欠けます。野球部よりもボーリング部のような個人競技をすすめます。 「この人をほめよ」で今までとりあげられた人物は、エライとかスゴイとかサスガという形容詞がつけられてきた。  しかし今月の桑田真澄は、偉大であることだけはわかるのだが、どこが偉大なのか、実にとらえどころがないので困っていた。  そんなある日、私は京都の寺で、白髪の翁《おきな》に出会った。  彼はミロクボサツに手をあわせながら、私に語りはじめた。これは、偉人列伝クワタについてのきき書きである。  翁曰《いわ》く、「まっこと、クワタこそ、真の修行者じゃ。その偉大な尊容を頭に浮かべればわかるじゃろ。クワタが十代の頃《ころ》じゃったか、ピッチャーズマウンドで、胸に手を当てて念仏を唱えて、球をほうる姿は、すでに、投げる泣きミロクボサツと言われておった。  とにかくホクロがある。いっぱいある。  ハナクソがついていてもわからない。天然痘《てんねんとう》になってもわからない。レーズンがついていてもわからない。ブドウパンの兄弟だといわれても、うっかり欺《だま》されてしまうくらいだ。という風に、クワタは十代の頃からすでに正体不明じゃった。  正体不明こそ、修行者の条件じゃな。 『クワタは、なにを考えているかわからない』よくバカモンはそういうが、当り前じゃ。考えていることを見透かされるようでは、真の修行者にはなれん。  それでいて、クワタはよくものを考えておる。修行の一環としてとりいれている野球道においても、その配球は心憎いし、また、現在、主だった修行としておこなっている不動産道についても、球をころがすがごとく土地をころがす極意をきわめつつある。  すでに、それほどの修行者の身でありながら、チャラチャラと浮かれたところは、まったくない。エミのひとつもこぼさない。だのに、クワタがいると、それだけで、まわりが明るくなる。どんなに暗いものも、明るく見えてくる。闇《やみ》の中に修行者クワタをおくと、闇が根負けして、じきに明るくなってしまうほどじゃ。  だからクワタは、逆太陽とも呼べる。自らは明るく照らず、その相対化で、まわりを明るくするのじゃ。人間の幸福も相対的なものであることを修行者クワタは知っておるから、クワタは自らを不幸な境遇に追いつめ、まわりを幸福にさせる。『あー、クワタみたいにならないで良かった』まわりの巨人軍の選手は、そうやって幸福感を得ている。あれほど不幸そうな山倉が巨人軍をやめきれずにいるのは、クワタの明るくなさゆえじゃ。クワタがいる限り山倉でも明るい。  正体不明で浮かれもせず明るくもない。それでいながら、クワタは妙に人づきあいがよい。電話連絡などがマメじゃ。『明日は、大切な修行の日です』などと、他人《ひ と》に教えたりもする。  修行の日のことを、俗人は登板日などと呼んで秘密裡《り》にしておるが、修行者クワタには、わけへだてがない。  とりわけ、かつて罪を犯した人間と、より深くつきあおうとする。これこそシンラン上人《しようにん》の教えであり、キリストの教えである。罪深いものとのつきあいをこそ大切にする。わかっていても、おそろしゅうて、小指でもなくしてしまいそうで、なかなかできんことじゃ。  修行者クワタの人づきあいの良さは、罪深き者たちに限らない。か弱き者、汝《なんじ》の名は女、その女性とも、時に深く、時に浅く、おしなべてひろく、かかわり、まじわり、修行に役立てているようじゃ。そのかかわり方も、慈悲深く、自らの手で女性を抱いてさしあげ、しかもお金まで施している場合が多かったようじゃ。なかなか機会はあっても、そうマメには修行できないものじゃ。これもひとえに修行に熱心であるからじゃろう」  私はここまで話をきいて、修行、修行と一口に言っているが、一体なんのための修行なのか、白髪の翁に尋ねてみた。  翁曰く、「決っておる。不動産道も女道も車道も野球道も、みんなクワタが変人になるための修行じゃ。やがて、二十世紀を越えたころに、この京都の変な山奥深くに変な寺ができる。そこに変なお堂が建つ。そこに変なミロク様が安置される。泣きミロクボサツに似ているが、ようっく見ると泣きボクロボサツと書かれている。それこそ、修行者クワタが、永遠の変人の道をきわめた真澄《しんちよう》上人の姿なのじゃ。ますみ、ますみなどと軽々しく呼べるのもいまのうちじゃ。これからは、クワタ真澄《しんちよう》上人と呼べ、ブツブツ……」  ふっと気付くと、白髪の、その翁の顔にハナクソともレーズンともつかぬホクロがある。えっ〓 と思った時、翁は白髪に手をやって、そのかつらをとり、つけひげとつけまゆ毛もとってみせた。翁の正体はクワタ本人であった。  この一ケ月の謹慎中に、野球をしてはいけないのをよいことに、堂々と不動産業界に走り、一千万の罰金を担保に京都の山を買い占めているという。  どんなペナルティーも、偉人クワタの前では、修行の糧《かて》になるばかりである。 ●後記  ホントに顔だちでしょうかね、どんなに明るいイメージを作っても生涯《しようがい》ついて回るあの暗さ。彼はもっと自分の暗さを積極的に押し出すべきですよね。人と口をきかないでボールだけ投げている男、というように。この若さで、あの借金というのも立派だし、お母さんに庭付きの家を買ってあげるというのも偉いし、この人はほめられることばかりですよ、嫌《きら》いだけどね、俺《おれ》は。   池田大作さんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] みんなに自分を尊敬するよう強要していますが、人望が薄いようです。ただ「僕はノーベル平和賞をもらうんだ」という将来の夢が頼もしいです。  今月は基本に戻りたい。  実は昔、私は若者たちの神々であった。宗教は儲《もう》かるというけれども、生憎《あいにく》とこの若者たちの神々教は、いっこうに儲かる気配がなかった。なにせ信者が若者である。貧乏なくせに生意気である。サイ銭が少なく願いごとばかり多い。そのうえ、社会に反発し、お金持ちの悪口を言う。こんな信者にまつりあげられていては、私は生涯《しようがい》お金持ち様たちから遠ざけられてしまい、気づけば道バタでゴロリと死んでいる。そんな一生を送る予感と悪寒《おかん》がしてきた。  かくて私はこの連載で、体制側知識人に転向し、人生の成功者、すなわちただのお金持ちをほめちぎり、ほめ倒し、人生に成功しよう、すなわちただのお金持ちになろうと考えついたわけである。  これがこの連載の基本である。にも拘《かかわ》らずである。 「いやあ、いつもゼロサン読んでますよ」と、道バタでなれなれしく近づいてくるのは、相も変わらず貧乏な若者ばかりである。そのたびに私は「くさい、よせ、ジーパン姿で寄ってくるな」そう叫びたいのだが、若者たちの神様の癖とでもいうのか「いやあ」などと意味不明な受け答えをしてしまう。  しかし私はついに気づいた。 「儲からない神様でいるよりも、大金持ちの人間でありたい」  この基本にこそ、あやまりがあったことに。すなわち私はこう考えなおした。 「儲かる神様になりすまし、大金持ちの人間になっちまおう」  これがまさに私の人間革命であった。  もちろん、そう私に気づかせてくださったのは、人間革命の旗手、儲かる神様であり、大金持ちの人間でもある池田大作先生である。  恥ずかしい話だが、私が人間革命したのは、一昨日のことで、まだ日が浅い。しかし、多くの革命がピューリタン革命を模倣したように、私の人間革命は池田大作先生の人間革命を模範にした。やってみてびっくりしたが、この人間革命は日が浅くても儲かる。先生は偽物《にせもの》の御本尊を、信者にバラマイてひと儲けなさったというが、元々、本物の御本尊だってタダの紙切れである。  池田先生の「信仰はタダの紙切れをありがたいと信じるかどうかだけの問題だ。偽物の御本尊であろうと本物の御本尊であろうと、見た感じも変わったもんじゃないし、ガタガタ言うんじゃねえ」という心の声が私には聞こえてくる。 「いざとなったら、ニセ札だって作っちまうぞ」という勢いまで感じられる。まことにその通りだと思う。池田先生のなさったことは、信仰の本質を捉《とら》えている。  紙だろうが木だろうが岩だろうが、信じるから、そこに信仰が生まれる。考えてみりゃ、仏像だって、ただの金属のかたまりじゃねえか、というようなことを、身をもって示されたのだと思う。そこで私は明日からは自信を持って、ティッシュ・ペーパーに、マジックで「マス革命、恥革命、人間革命」と書き、割り箸《ばし》を軸木にした掛け軸を御本尊として、世の中のジーパン姿の若者に売って歩こうと思う。  こうして、儲かる神様になったら、今度は儲けた金を金庫に入れて、ゴミ捨て場かどこかに捨てる。大金を金庫で捨てる、これこそ大金持ちの証明である。そして日々、儲かる神様から大金持ちの人間へと変身をとげていくのである。すばらしいことではないか。私は何故《な ぜ》こんな簡単なことに今日まで気づかないでいたのだろう。  しかし池田先生ほどの神様といえども、今日のようなお金持ちに至るまでは、様々な功徳《くどく》をつんでいらっしゃる。十年ほど前も、身近な信者の女性に、かたっぱしからお手をふれてまわったことを、世間におひろめになった。たくさんの女性におふれになり、そのふれた女性を、信者の男性におまわしになる。すると、その男性は神の力でパワーが倍になり、信者の中で、急にエラクなったりする。あるいは池田先生にふれられた女性が、神様の力によって、国会議員になられたりもしている。  私は、まだまだ人間革命をして日が浅いので、この辺りの「大金持ちの人間になったら女の人ともたわむれよう」という基本からの応用がうまくいっていないが、私なりに考えれば、おそらく身近な劇団の女優に、かたっぱしから手をふれてまわり、私の芝居パワーを授け、その女優にふれあきたころにはそのパワーを授け終わったことになるだろうから、身近な男優にまわし、代りにその男優はそのパワーで主演をはるということになったりするのだろうか。  やはり人間革命が完璧《かんぺき》でない私には身の毛のよだつ思いがするが、心を鬼にして、明日からはかたっぱしから身近な女優に手を出すことにしよう。愛妻家として有名な私にとっては、なによりもつらい修行となるだろうが、人間革命は、そんなことには負けない。  まっことすばらしき、マス革命、恥革命、人間革命。 ●後記  ある日学会の方が俺《おれ》の楽屋に池田大作の本を持ってきて、知らないうちに俺の化粧台の前に置いていったんですよ。俺の楽屋訪ねた人たちはみんなそこを見ただろうから、野田さんは学会の方だなと思われているかもしれない。その上チョロっと喋《しやべ》ったインタビューが聖教新聞の一面に出ちゃったこともある。それで兄貴に怒られたし、あたしゃ困ってるんだ。でも、信者が多くてえらいですよね。あと、教祖の方々はやはり女性への触れ方が上手でいらっしゃる。俺なんか、触れる前に手を叩《たた》かれてしまうのは、まだまだ修行が足りないのでしょうね。   鈴木俊一さんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 体育の授業になると、生き生きと柔軟体操をしてくれます。鈴木君には死後硬直が起こらないかもしれませんね。いいことです。  強きを助け、右足をくじく、ワッハッハ、今日も私は権力者の味方だ。しかし、それにしても近頃《ちかごろ》どうも、日本の権力者は、か弱い。こんなことでは困る。権力者が強いからこそ、日本の若者も反逆できる。反逆する者はかっこいい。だから女の子にもてる。この構図が崩れてきている。権力者が弱いがために反逆もできず若者がかっこ悪い。それで女の子が英会話に走り海外へ飛び、異人さんにやられまくっている。ああ、もう少し、祖国日本の権力者の力が強かったら、あたら若い乙女の操《みさお》を六本木の異人どもに凌辱《りようじよく》されずにすんだものを……。  というわけで今月は、とにかく権力者なら誰でも良い、ほめてさしあげたい気持ちで一杯なのである。そこでいきなり、プロ野球の審判をほめる。プロ野球の審判といえば、大変な権力者である。「アウト」といえばアウトになるし、「ストライク」といえばストライクになる。考えてみれば、あの人達のコトバはそのままその日の法となるわけで、叫ぶ六法全書と私は呼びたい。もしもプロ野球の審判が、突然「ハンバーガー」と叫べば、やむをえず、実況中のアナウンサーは「ワンストライク、ツーボール、ワンハンバーガー、ご注文は以上でしょうか?」などと言わなければならない。私達はうっかりしていたが、野球の審判というのは、それほどの権力者だったわけである。  ま、ざっとまわりを見回しても、これだけの権力者は、そうそう見当たらない。あの権力者の鑑《かがみ》、チャウシェスクでさえ「わしを撃っちゃ、いやだ」と言ったのに、グチャグチャに撃ち殺されてしまった。そのことからしても、プロ野球審判の権力者としての栄華ぶりは、平清盛をホーフツとさせる。自分に手をあげようものなら、即刻「ここから出てけえ!」と退場を命じることができる。  そんな素晴らしい権力者、野球審判が、近頃は権力をふるう前に、逆に暴力をふるわれたりする。そればかりか、町人あがりの瓦版屋《かわらばんや》ごときに、「近頃の審判は変だ」とまで言われるようになった。どうも、東欧の権力者いびりの風が、日本に迄《まで》やってきたようだ。野球審判は、めっきり弱気になって、「ホームランだ!」と言ってはみたものの「本当にホームランなのか〓」と野球チームのまとめ役の世話人(監督と呼ばれている庶民)ごときにつめよられたぐらいで、大権力者が、「ま、はっきりホームランというわけでも……」「どっちなんだよ」「だから、ホームランかなあと思ったくらいで」「はっきりしろ、ぶち殺すぞ!」「わかりましたよ、ホームランじゃありませんよ」などといった具合に弱気な権力者になり下がってしまった。私はもう審判を見限った。こうなったからには、もっと頼もしい権力者はいないものかと物色をはじめた。  いたのである。花のお江戸の真ん中に、ドドドド——と権力のシンボルをぶったてようと東京都庁を建設中の大権力者、今や日本のチャウシェスクと呼ばれている鈴木都知事である。ちょっと昔までは、都知事なのか地味なおじさんなのかわからなかった人である。  が、今ではもう、「よっ、憎いよ、お風呂屋《ふろや》泣かせ!」なのである。なにしろ、都庁の中に、ローマの権力者に負けじと、あるいはルートヴィッヒ〓なにするものぞと大浴場をつくったという噂《うわさ》がもちあがったくらいである。いや、大浴場などというシロモノではない。道後温泉からパイプをひいて産地直送のお湯につかるつもりだの、いやいやそこには何百人もの女性がかしずき、二十四時間入っているだの、サウナもあればラドンもある電気ブロもある、お望みならソープに早替りの、大混浴温泉場なのだと噂が噂をよんだほどであるから、その権力者ぶりがうかがえるというものだ。  しかも権力者として鈴《すず》さんがただものでないのは「いえそんな風呂などありません」とわざわざ建築中の都知事の部屋を民百姓に見せて油断させる、その権謀術数に富んだところだ。むろん、民百姓が、都知事の部屋をのぞいた日には、大混浴温泉場はなかった。都知事室の壁の抜け穴から、温泉場を地下へ逃したのに違いないわけで、大混浴温泉場は、大きいばかりでなく折りたたみ式であったことまでが判明したのである。折りたたみ式二十四時間美女完備大混浴温泉浴場を、花のお江戸の真ん中の、しかもその空中の楼閣内に秘密裡《り》にぶったてるのは、世界権力者史上、鈴《すず》さんだけである。そのうえ顔は地味である。言うことなしの権力者だ。  私事だが、昔私は、杉並の永福町というところに住んでいた。そこは鈴《すず》さんちのすぐ近くだった。自慢ではないが、私は永福町の大きな屋敷の呼鈴は、ほとんど押して回った軽犯罪常習者であるが、鈴《すず》さんちだけは警備が厳しく、犬もいっぱい飼っていて、とうとう押すことができなかった。あの時、鈴《すず》さんちの呼鈴を押しておけば、今頃私は「鈴《すず》さん? ああ、よく呼鈴を押しあった仲だよ」と大権力者と気軽な仲であったと吹聴《ふいちよう》することができたのに、それだけが心のこりだ。大権力者ともなるとお近づきになるのも容易ではない。教訓である。 ●後記  ご近所の俊ちゃんは、このあとお勝ちになったんですよね、磯村さんに。エッセイ書いていたときは知らなかったけれど、体が柔らかい! これはもう政治家の鑑《かがみ》ですよ。日本のヒトラーなんて呼ばれてるなら、この人は日本の首相になった方がいいんじゃないの? もうみんな老人だから、取り替えてもわからないよ。それで東京都が軍隊を持っちゃって、東京と日本が戦争をするなんてどうだろう。とにかく何かすごいよね、鈴木俊一さんは。   松田ケイジさんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 二学期の持ち物検査で薬が見つかりました。勝君と違い、小心で反省しましたが、ただ反省だけなら近頃は猿もやります。早く人間になって下さい。 『ゼロサン』を読んでいる若僧のみなさん、人生は計画的に生きて下さい。  と私が言うまでもなく、若僧のみなさんは夏のレジャーも計画を練り、これから子供を何人産み、親をいつ殺し、家屋敷、財宝をどのように手に入れ、増やし、仕事をいつ頃《ごろ》までつづけ、年金生活にいつから入るか、など、あいかわらず抜け目なく計画をたて、社会で家庭で財テクで破綻《はたん》のない人生をお送りかと思います。  そんなみなさんですが、その計画から、漏《も》れおちている生活設計があります。  それは、将来の酒場生活です。  今はいいのです。若僧は、カラオケの歌も時勢にのりおくれた曲目を選びませんし、踊りも腰を動かせば、体からみなぎる若さとしてうつります。ゲロを吐いても青春の汚物です。話題だって、流行語だって、へえっちゃらなのです。しかし、落日の明石家さんまを思って下さい。若僧の勢いだけでは、お笑い界と酒場生活に君臨しつづけることは難しいのです。  将来ロマンスグレーになった時、あるいは、ロマンスグレーのかつらをかぶるようになった時、カラオケをやってはおしまいです。ランバダはできません。栄《は》えある年金酒場生活者としては、やはり、ひっそりと酒場の隅《すみ》に腰をかけ、しかも隅といっても、便所のそばの、十分ごとに誰かがゲロゲロしたりするところはいけません。カウンターの隅です。しかもそこが、「ああ、あの人の定位置ね」と思われるようになるまで足繁《しげ》く通わねばなりません。その上、理想の年金酒場生活は、長っ尻《ちり》を許しません。小一時間もいたら、「今日は、ゆっくりなのね」と言われるようでなくてはいけません。あくまで寡黙《かもく》に。屁《へ》など突然たれてはなりません。ぶちこわしです。そして、この酒場生活のクライマックスは、こうして機が熟したある晩にやってくるのです。  その夜は店にも客が少なく、篠《しの》ひろ子風のママも心なしか人生に疲れています。  ママが言います。 「あんたが店にくるようになってからずいぶんになるけど、あたし、なにもあんたのこと知らないわ」  長い長い沈黙を破り、ついに栄光の酒場生活者が口をひらきます。 「そうかなぁ」「そうよ」  また沈黙。こらえきれずママが、 「ねえ、若い頃、なにしてたの?」「おれかい?」  そうきき返しても「お前以外の誰がいるよバカヤロー」とはママは思いません。ますます知りたくなります。そこでフフッと笑い、一気に言ってしまうのです。 「ろくなもんじゃなかったなあ。あっ、いや今は違うよ。今はすっかりカタギさ、でも悪いことなんてするもんじゃねえなあ、世話になったまわりの人間にすっかり迷惑かけちまって。カタギになっても遅かったよ。いつまでたってもこんな酒場でも、隅にすわっちまうんだから」  悪いことをしたときけば、ますますききたがる、それが人情というものです。人情は、大阪と下町だけではありません。  若い頃した悪いこと。問題は、これです。その時やったのでは、もう遅いのです。若い頃に、年金の積み立てのようにやっておかなければならないのです。アリとキリギリスを思い出して下さい。あなたがカラオケとランバダに浮かれている間に、この将来の酒場生活の為《ため》に、コツコツと悪いことをやっているまじめな人間もいるのです。  さて、若い頃にした悪いことときいて、篠ひろ子風のママは、すっかり心をひらいて口も軽くなります。 「なにをしたの? 教えてよ、もう時効でしょ」とテレビドラマで覚えたてのセリフを言ってくるのです。いよいよ、若い頃にした悪いことの大公開です。 「十四の時、おやじに黙ってタバコを吸ってな、いやあ、おこられたおこられた」  こういうやつは、黙ってハゲろ、と私は言いたい。性風俗関係の悪いことというのも、どちらかというと、イイコトしてたのねと思われやすい。やはり犯罪でしょう。犯罪といっても、他人様のものをかすめたり欺《だま》したり傷つけたりというのでは興ざめです。「根はいい人だったのに、若気のイタリで思わずやってしまったのね」とママが思うようなのがよい。そうです! ハッパとかクスリとか、あれなら他人を傷つけず、しかも、青春期のなんとも言い難い現実への絶望から、つまり「大人はみんな汚ねえよー」ぐらいの気持ちからうっかりやってしまい、やったものの反省し、反省したものの許してはもらえず、とうとうこんな酒場生活さ……に、もってこいなのです。  この『ゼロサン』創刊時のイメージキャラクターであり、しかも新潮文庫の広告にも出ていた、あの映画『キッチン』の主演男優、松田ケイジ君が、このたび覚醒剤《かくせいざい》で逮捕されました。その時の彼は、「もう俳優としてはおしまいでしょうね。コマーシャルのスポンサーや仕事で共演した方々もさぞ怒っているでしょうね」と涙ぐみ、およそ、覚醒剤をやった人間とは思えない健全な発言をしています。それで私はピンときたのです。松田ケイジ君は、アリとキリギリスのアリなのです。年金酒場生活のためにコツコツと悪いことをしたのです。そんなまじめな男です。さぞや怒っているコマーシャルのスポンサーのみなさんも、日本の将来を思うならば、どうぞ許してあげて下さい。 ●後記  松田ケイジなんてもうみんな忘れてますよ、普通。新潮社の人以外はね。直筆で手紙書いてきたんでしょ、出所したら必ずご挨拶《あいさつ》に伺いますって。行ってないじゃないか。義理は果たさなくちゃ、松田。俺《おれ》は会ったことあるからいい奴《やつ》だと思ってほめてやったんだから、と言ってもクスリの仲間じゃないよ。ところでみんな松田ケイジと江口洋介が違う人物だと知っているのかな。まあ、とにかくこれは僕の初めての短編小説です。こんな形で書くことができて、松田クンには感謝しています。   フセインさんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] あなたは申しぶんのない子です。本当に申しぶんのない、申しようのないと言ってもいい、いや申しわけないと言ってもいい、申しぶんありません。 フセイン、フセイン、僕らのフセイン  二十四時間、闘えますか  というわけで中東の闘う男は、中東の油売りたちを、 「あんたそんなところで、いつまでももたもた油売ってんじゃないよ」  と長屋のおかみさんのように叱《しか》りつけた。そのきっぷのよさがほほえましい。  プラモデルの戦艦を集め、湯船に浮かべた子供のように、世界中の軍艦を色とりどりペルシャ湾に集めて喜ぶ稚気がかわいい。  世界中の軍艦が出はらっちまったおかげで、他のどこにも戦争は起らない。  戦争を一身にひきうけ、世界平和に貢献しようとする献身がいとおしい。心が優しい。そういえば、長男が人殺しをした時も心優しかった。長男を世の非難から救おうと、みえみえの策を弄《ろう》する溺愛《できあい》ぶりは、親の鑑《かがみ》である。  むろん日本には勝新太郎という先駆者がいるし、人殺しの親になりそびれた横山やすしもいる。感動はうすいが、親の愛というものはどこの国もどんな動物も同じなのだということがわかり、わざわざ『わくわく動物ランド』を見なくともよい。おかげで時間も省ける。ありがたい。  油売りに買いことば。待ってましたとばかりこの戦争を買って出たアメリカに、言いたい放題。弱虫の日本ではとても言えなかった悪口雑言の限りを尽す。その口の悪さはヤクルトの応援団よりひどい。  一国の大統領でありながら庶民並みのヤジにも似た発言をする。庶民的で嬉《うれ》しい。紀子さまと同じだ。心暖まる話だ。  顔立ちも、どこかなつかしく庶民的だ。  レストランのボーイに必ずひとり欲しい顔である。  私事だが、ニューヨークのレストランで、威勢よく扉《とびら》を閉めて、自分の手をはさんで奥で泣いていたボーイと同じ顔をしていて、ものがなしい。  フセインの瞳《ひとみ》はいつもものがなしい。なにかうったえるようだ。ものがなしくて、もの欲しそうで、その通り、もの欲しがってぶんどってしまうのだから、ものぐるほしけれ。  世界中のみんなから、「バーカ! バーカ!」と言われて、みんなに囲まれてもあやまらない。けなげである。向こうっ気が強い。すばらしい限りではないか。  大勢の人間に囲まれるというのは、オソロシイことである。  私は二度経験がある。一度は中学の時、私がたまたまよその中学校のツッパリがつるんでいるのを、思わずニタニタッと悪気なく笑ったばかりに、 「ガンタレンじゃねえよ」「タメジゃねえかよ」「金出せよ」と、あっという間に話がエスカレートしてしまい、十四、五名に囲まれた。さんざんボロボロに言われ、私もなんとなく言い返したりしたが、いよいよ、やられる時になると、十四、五名は、私に手を出さず、私の隣でひと言もしゃべらずふるえていた男にだけ手を出した。私は無傷だった。  ハタチすぎて、下北沢で地回りに囲まれた時もそうだった。いざやられる段になると、それまで応対していた私ではなくて、隣でボーッとしていた奴《やつ》のところにパンチはとんだ。  こうした少年期から青年期の私の大勢に囲まれた体験にてらしてみると、囲まれた奴らにやられるのは、イラクではなくて、イラクの隣でボーッとしている奴が危ない。そんな気がする。  さすがフセインである。そのことを知っている。大勢に囲まれた場合のけんかのやり方を知っている。  それで、つい最近まで戦争をしていたお隣のイランに、俄《にわ》かに声をかけはじめた。なあんとなく色目を使い、仲直りをしようとしているのも、私のように下北沢で地回りに囲まれたオソロシサを知るものにはうなずける。隣人は頼もしい。やられる時は御一緒に、である。  あれほどイランとひどく長いけんかをしておきながら、その竹をわったような忘れっぽさ。すぐにも帝劇で『恍惚《こうこつ》の人』がやれる。役者である。  おまけに軍人などバカにきまっていると高をくくっている。  イランとイラクといっても、軍人の頭にはどっちがどっちだかわかるまい。鳥取と島根のようなもんだ。隣りあっててまぎらわしい。空からいざバクダンを落とす時にも、なにがなんだかよくわからない。一応、地図を見て確認しても、やはりイランもイラクも似たようなもんだ。区別がつかない。せめてどちらかに出雲《いずも》大社があれば、鳥取と島根のようにきわどく区別もつくだろうが、やはりだめだ。しかし、軍人は、バクダンを落とさずに帰るわけにはいかない。え——い、イチかバチかだ。どっちかに落とせばイラクに落ちるわい。え——いとばかり落としてみると、結局イランだったりする。そんな結末が見える。感無量である。  かくて、なにがあってもフセインは生きのこり唄《うた》いつづける。 フセイン、フセイン、僕らのフセイン  二十四時間、闘えますか ●後記  やっぱり勝新とフセインは似てますね、顔も性格も。反省というものがなぜ世の中に必要なのかわかってないですものね、この二人は。でも今アメリカに言いたい放題言えるのは世界中でフセインだけですから、利用価値はあります。日本もアメリカに言いたくて言えないことは、全部彼に言ってもらう。「日本車が一番ですよ」とか言わせて、日本人が「それはないでしょう、フセインさん」と立ち回らせるんですよ。そういう利用価値は勝新よりある人です。上手《う ま》く使わなきゃもったいない。   ピンク・レディーさんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 服装が少し派手ですが、お楽しみ会などでキャンディーズの真似をするととても上手です。明るいけれど、どこか家庭環境を感じさせます。  今年ほど、帰ってくるのはウルトラマンだけじゃないと思い知らされた年もない。プロボクシング界では、帰ってきたジョージ・フォアマンが二十四連勝を続けている! 水泳界では、帰ってきたマーク・スピッツがただ泳いでいる〓 そして、日本芸能界には、あのピンク・レディーが帰ってきた〓 「私たちはウルトラマンのようなもの。皆さんの要望があったら地球にきます」すばらしい復活の弁である。正確には、「皆さんの要望のあるなしに拘《かかわ》らず、地球に帰ってきました」であるが、そういうことを気にしない大雑把《おおざつぱ》さが、パカパカ股《また》のピンク・レディーらしくてよい。これほど粘り強い女性たちを私は知らない。  解散してから九年、ふつうなら、いくら過去に栄光があってもあきらめがつく年数である。それを、なんという粘り強さであろう。東北人の誇りである。ピンク・レディーは、東北とはなんの関係もないが、東北人の誇りである。東北の人なら、ピンク・レディーを誇りに思ってくれる気がする。  このたびのピンク・レディーの復活ほど、世の復活しようとしている人間たちやリハビリに励む人々に、希望を与える話もない。才能もない、実力もない、歌も下手、踊りも下手、けれども人気だけはあった。その輝かしい実績と奇跡を錦《にしき》の御旗《みはた》に復活をめざす姿は、かつて一世を風靡《ふうび》しながら、人気の落ちぶれた紅茶キノコやエリマキトカゲやベータビデオや家族絵合せやスタイリーやぶら下がり健康器などの励みになると思う。いい加減に懲《こ》りないものかね、とこっちは思うのだが、実力のない人気商品というものは、手をかえ品をかえ現われる。その実力のない人気商品たちにインタビューしてみると、必ず「目標はピンク・レディーさんです」という答えが返ってくる。 “スターイリー、スタイリー、スターイリー、スタイリー”でおなじみのスタイリーも、「ピンク・レディーが、あれほど爆発的に売れたのだから、いつか、わしも爆発的に売れる日がくる」そう肝に銘じながら、今日まで暮らしてきたという。だが、いっこうに、「(カタコトの日本語で)ワタシニ、デンワシテクレタヒトハイマセン、ドウゾヨロシク」だそうである。  一体、何故《な ぜ》、どんなわけでピンク・レディーはこのたび復活に追いこまれた、ではない、駆りたてられたのであろう。  いや、やっぱりピンク・レディーの場合、九年前、解散に追いこまれたように、復活にも追いこまれたような気がする。そんなせっぱつまった感じ、それこそが、ピンク・レディーの正体である。デビューの姿も、せっぱつまっていた。あのギリギリのせっぱつまったミニスカートに、つくり笑いとギコチナイ動き。売れる以外に生きる道はない、社長さん、お願いだから唄《うた》をきいていってというせっぱつまった感じが、見ているものに、ひしひしと伝わってきた。  戦後の貧しさをこえて、飽食の時代に慣れきっていた日本人にとって「恥も外聞もかなぐり捨てて」売れたがっている彼女たちの姿は、胸をうつものがあった。今回の復活にしてもそうなのである。恥を知っていたら、復活はできない。外聞など気にしていたら、復活などありえなかった。  だが、ピンク・レディーは、私たちにB級人気商品の売れ方を教えてくれる。二流以下の商品が、一流の商品と同じように売れるには、恥と外聞をかなぐり捨てさえすればよい、ということをである。  つまり「三割四割は当り前!」の精神で奉仕することである。一流のソニー商品には、まともに勝負にいっては勝てない。だったらアイワは、恥を捨てます。アイワは外聞など気にせず、いくらでも勉強させていただきます。電器製品のプライドなど、あったもんじゃございません、ええ旦那《だんな》様。三割、四割? 冗談じゃございません、八割、九割、なんだったら、かっぱらって持ってってもかまいませんよ。こういう、ドブに商品を捨てる思いきりである。  実は、このB級人気商品の売れ方こそが、今日の日本経済が、戦後、世界のA級へ入りこんでいった時の方法である。だから、身に覚えのある日本人は、ピンク・レディーに頭が上がらない。成り上がりの社長が、母ちゃんにだけは弱いようなものだ。弱みを握られているし、育ちを知られているからである。  日本人は、ピンク・レディーに弱みを握られている。「おめえら、すかしてるけど、もともとはよー、B級じゃねぇかよう」と言われているようで、ドキッとして、唄をきき、とりつかれたようにレコードを買う。罪悪感でコンサートへ行く。復活しても、売れることうけあいである。売れなきゃ、渋谷のガード下のダンボール箱の中につめて、三割引きで売るだけのことである。  そうなったとしても、ピンク・レディーなら少しも恥ずかしいとは思わない。そのダンボール箱の中で、また次の復活を待つだけである。『帰ってきたピンク・レディー』が失敗した場合の続編は、『ピンク・レディータロウ』が、すでに用意されているのに違いない。 ●後記  はっきり言って嫌《きら》いでしたね、キャンディーズと違って品がないし、田舎くさい。芸能界って苦しいんだろうな、っていう辛《つら》さが見えたよね。でも人気はあった。まあ、中央集権に対するアンチみたいなもんだな、きっと。一回ぐらいこういうカタイ言葉でまとめておこう。彼女たちにはこれからは十年ごとに出てきて、五十歳の『UFO』、六十歳の『UFO』って、百歳まできんさんぎんさんみたいに長期的にやってほしいよね。   金丸信さんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] いつも教室中に「クラスのみんなに迷惑をかけない」といった標語をベタベタ、ベタベタ貼ってくれます。それでみんなに迷惑をかけています。  竹下登の美容整形前のような顔をしてはいるが、竹下登ではない。金丸信である。  手元に竹下登の写真があったら、くしゃくしゃにしてみるとよい。あっという間に金丸信である。まっこと正体の知れぬ、おそるべきは金丸信である。しかもおそるべきは風体ばかりではない。口からとびだすコトバの数々は、もっと正体不明である。 「参院選では負けたが、これでイーハンだ」、「これでイーブンだ」という内容だと理解するには、我々凡人には時間がかかる。 「私が寸足らずのためにご迷惑をかけた」にしても、凡人なら「私が舌足らずのために」とコトバを使ってしまうところである。 「パラボラアンテナ」のことを「バラバラアンテナ」とおっしゃり、「リニアモーター・カー」のことを「リビアモーター・カー」などとおっしゃるアバウトさにもおそるべきものがある。 「環境アセスメント」などは、「環境セメント」という問題にして固めてしまわれる。  そればかりか、「明日がもうタイム・メリットだ」と、時間の厳格さを、あいまいなおコトバでお話しくださる。それでいてしまいには、「とにかく党内のコンセントをとる」らしいのである。  ラジオで自分の名前を「ナガシマシゲルです」と何度言いまちがえつづけても気付かなかった長島茂雄のアバウトな言語感覚に近く、「お姉ちゃん、もう一本ボルトね」でおなじみの村田英雄の外国語感覚に近い。  だが金丸信は、海を渡り今日も行く。日本の外へ出てアバウトな日本語を喋《しやべ》り、アバウトに約束をして、アバウトおどろくタメゴローのような外交をしてしまう。まっことおそるべきは金丸信である。  これほどおそるべき男になった金丸信の政治哲学が、これまたおそるべきものである。  金丸信は、日ごろ四原則の政治哲学を掲げている。  ㈰スジを通す  ㈪人のために汗を流す  ㈫人間関係を大切にする  ㈬困った人の相談にのる  呆《あき》れかえっている読者のために間をとった。労働者諸君の壁紙のコトバではない。金丸信の政治哲学である。技巧がない。素朴《そぼく》である。この男はなにも考えてないのではないかと思うほどの明るさがある。㈪人のために汗を流し、㈬困った人の相談にのってくれるというのだ、日本の政界の影のドンがである。明るいことこのうえない。  むろん、㈪と㈬は、わざわざ四原則のうちのふたつに分ける必要があるのか、という厳しい御意見もあろう。いや、㈫の人間関係を大切にする、にしても一緒くたにしてよさそうなものだとおっしゃるむきもあろう。だったら思いきって㈰スジを通す、これだけでも良い気がする。  この政治哲学は、小学校の教室に貼《は》ってある今週の目標よりも、わかりやすい。このおそるべきわかりやすさが、金丸信のおそるべくわかりにくいコトバをつくりだすところに人間の脳への驚嘆を感ぜざるをえない。 「土の上で起きたことは、なんとかなる」とか「政治は叩《たた》いているようでさすっている、さすっているようで叩いている」彼は、的確なコトバを用いる表現力に乏しいというよりは、左脳が、アバウトに揺れている男なのだと私は解釈したい。  もしも彼が政治家にならなければ、文壇の山下清になれたかもしれない。いやそればかりではない、金丸信のもっともおそるべきところは、どこにいても不思議のないおじいさんだというところである。  パッと入ったラーメン屋のカウンターの向こうで「あれだってね、近頃《ちかごろ》はバラバラアンテナとかいうのがあんだろ」と言いつつ、ラーメンさしだすオヤジの顔が金丸信していても不思議はないし、深夜の道路工事で車を止め、「いやあ迷惑かけてるねえ、今晩がタイム・メリットなんだよ」と車中をのぞきこむ道路誘導のおっつぁんの顔が金丸信であっても不思議はない。あのくしゃくしゃは本当に日本中どこにでもいそうな気がする。いや実際にいる。全国津々浦々に金丸信は紛れている。そこがおそるべき金丸信である。とりわけ金丸信のクローンは、田んぼにいっぱいいる。カエルの数と同じくらい。金丸信は農業国日本の顔だったのである。だから、金丸信は、きっと政治家以外であれば、まったくなんの変哲もないただのじいさんですんだ一生を、わざわざ㈬困った人の相談にのってあげようとした為《ため》に、ただものでないじいさんとなり、おそるべき男になったのである。  そして、ま、そうなっちまった以上は、おそるべき金丸信は、これからもいろいろとおそるべきアバウトなことを国内外でやっちまったうえに「アバウトのまつりだ」などとのたまってアバウトに死んじまったりするのであろうか。おそるべきは、アバウト、ああ、金丸信。 ●後記  この人には感動させられました。勉強させていただくまでは、こんなに立派な人だとは知らなかった。この政治哲学は何回読んでもすごいものがありますよ。こんなことを金丸信の政治哲学として偉そうにバーンと書けるのは、すごいと思うな。顔はどこかの劇場の支配人にしたいような、かわいい顔してるんだけどね。   元木大介さんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] クラスの女の子に人気があります。ただそれだけの元木君にならないように、下の学年に落ちても元気でやって下さい。  これからいよいよ受験界は、白熱していく季節だ。ふつうの世界は白熱すると明るくなるが、受験界は白熱すればするほど暗く重い季節になる。せめて冬の受験をやめて真夏にすれば、試験会場にも「海水パンツでの受験禁止区域」などの貼紙《はりがみ》が貼られて明るくなる気がする。  なにはともあれ、受験というのは重く暗い、思わず受難と書いてしまいそうだ。現役の受験生はまだよい。当って砕けろだ。いいのよ無理をしなくても、という励ましの声だって聞こえてきそうだ。しかし浪人生は、少しは無理をしなくてはいけない。なにせ後がない。二年も三年も浪人すれば、心は大乃国である。もう後などないのに、あるふりをして相撲をとっている。なにも知らない子供が「あっ! あのおじちゃん、ただの裸のでぶだよ」と言ってしまえば引退できるものを、あわれである。  この悲惨な、日本受験浪人界に救世主が現われた。言わずと知れた元木大介である。  元木大介が、昨秋のドラフト会議で巨人軍に一位指名された翌日、日本国中の予備校では、「君達も元木君のように、一年の辛抱に耐え来年は夢を実現できるようガンバッテ下さい」という、予備校教師のコトバが連呼されたに違いない。  そのコトバを吐いた予備校教師は、内心「オレは、こんなにもタイムリーな冗談を言って、また浪人生の暗い心をなごませてしまった。なんていい奴《やつ》なんだオレっていう奴は」と思っているかもしれないが、彼らは二浪以上の浪人生、すなわち、浪人界の大乃国たちのことを忘れている。同じ浪人界にも、元木大介と大乃国がいるのである。  そして元木大介がすばらしいのは、「オレは悪いけど大乃国とは違うぜ」という事を世に知らしめたことである。  浪人界の元木大介は、本当は巨人大学に現役で合格できたのに、田淵専門学校の校長が受験当日、いきなりやってきて別会場へ拉致《らち》してしまった。そしていかに田淵専門学校がスバラシイか懇々と諭《さと》されたのだが、どうもその田淵校長自身をみるかぎり「スピーディーで身のひきしまるような専門学校だ」という謳《うた》い文句を信じることができず、結局、一年間の浪人生活の道を選んだ。  だが元木大介は浪人といっても、お茶の水とか高田馬場で暮したわけではない。一年中ハワイで、ヘ——イヘイ(と言ったかどうかは知らないが)いいながら、明るく苦しんでいたのである。一年なんとなく、くそーっ、大変だ、でも負けないぞ、などと思いながらワイキキの砂浜を走り、来年こそはとハワイの夕陽《ゆうひ》に誓ううちに、大願が成就《じようじゆ》し巨人大学へ入った。  大学へ入れば、もうしめたものだ。仮にたいした成績をのこさなくとも、巨人大学の金看板に世間に名だたる元木大介、金、車、女、行く先々についてまわることうけあいである。たった一年の浪人生活で将来を手に入れる。日本の縮図である。元木大介にとって、世の中は甘いものなのである。  しかし、浪人生大乃国にとって、世の中はヒジョーにキビシイ——(と左手で頭の後ろから右耳の裏をかくと、あなたはもう財津一郎)。  大乃国は、横綱大学を狙《ねら》っていた。実際大乃国は、この大学に一回うかったのである。しかし小心で真面目《ま じ め》な大乃国は「オレみたいな弱虫が、横綱大学にうかるはずがない」と思いこみ、半ばノイローゼ気味に、自分は横綱大学に失格の浪人生だと信じこんでしまった。いわば、精神的浪人生である。この場合、望みはない。どんなに砂浜を走っても夢は叶《かな》わない。しまいに予備校へ行くこともこわがり登校拒否である。  異常な事態に気づいてまわりが急にチヤホヤする。「いいのよ、いいの、あなたはガンバッタのだから八勝七敗だって横綱大学は大丈夫。十勝五敗なんかしようものなら、六場所連続優勝したのも同じようなものよ」なのである。  みんな口ではそういって大乃国をなぐさめてはいるが、本当は彼に立ち直ってもらうよりも、早く横綱大学をあきらめて、チャンコ鍋屋《なべや》でもはじめて欲しいと思っているのである。ノイローゼが高じて暴れ出された日にはかなわない、なにせあの体格である。スペインから闘牛士を呼ぶしか抑える方法はあるまい。  なんだか今月は、誰をホメて誰をアワレんでいるのかわからなくなってしまった。  こういう時は、結論が必要である。  すなわち、ひと口に浪人生とはいっても、元木大介と大乃国のように、ピンからキリまである。元木大介のようなサッソーとした浪人が現われたことではじめて、夢も希望もない、後はドロップアウトしていくだけの浪人生の正体がはっきりとしてきた。  もし、今浪人生でこのエッセイを読んでいる読者がいたら、私はまずいいたい。こんなものを読んでる間に勉強しろと、そして次に、こんなものを読んでるお前は、元木のような浪人生にはなれまい。お前は大乃国だ。だったらさっさと見切りをつけて、ドロップアウトしろ。日本演劇界が君を待っている〓 ●後記  こいつはほめてやった甲斐《かい》のないヤツですね。このままずっとだめですよ、きっと。顔は歌舞伎《かぶき》役者みたいなんだけどね。やっぱり桑田の方が大物です、桑田は浪人してません。元木も江川や桑田みたいにそれなりの新しい手口を使えばよかったね。太ったことだから、相撲にでも転向して、みんなが忘れたころに巨人が関取元木を一位指名するとか。彼の回し姿は人気でるでしょうねぇ。   トリカブト疑惑のKさんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 園芸部員として活躍しました。先生にも一株わけてくれました。今度使ってみますね。  子供の頃《ころ》、私が眠れない夜に、父親がよくこんな話をしてくれた。 「池のソバに栗《くり》の木があった。そこへ風が、ヒューッと吹いてきて、栗の実がひとつ落ちると、コロコロコロッところがって、池の中へボチャーン。そこへまた風がヒューッと吹いてきて、栗の実がまたひとつ落ちると、コロコロコロッところがって、池の中へボチャーン。そこにまた風がヒューッと吹いてきて、栗の実がまたひとつ落ちるとコロコロコロッところがって池の中へ……」  話はエンドレスにつづき、じきに私は眠ってしまった。それは、子供の睡眠薬であった。  愛妻家Kさんの話は、大人の睡眠薬である。 「愛妻家Kさんのソバに妻があった。そこで、妻に保険金をドサッとかけると、妻の心臓はいちころに止り、急性心不全でコロッと死んでしまった。そこへまた新しい妻がヒョイとやってきた。そこでまた、新しい妻に保険金をドサッとかけると、妻の心臓はいちころに止り、急性心不全でコロッと死んでしまった。そこへまた新しい妻がヒョイとやってきた。そこでまた新しい妻に保険金をドサッとかけると、妻の心臓はいちころに止り、急性心不全でコロッと死んでしまった……」  ……ほら、もうあなたは眠くなった。不眠症を訴える人が多い昨今、これだけでもKさんが社会に役立っていることは、おわかりいただけたと思う。  ましてKさんは愛妻家である。妻に一億八千五百万円もの保険金をかけた。とりもなおさずそれは、妻にそれだけの価値があると信じていたからである。高価な宝石や絵画に多額の保険をかけるのと同じである。田中美奈子の瞳《ひとみ》には一億円の保険がかかっているというではないか(それにしても保険をかけると書くと思わず、賭《か》けると書いてしまうところに、そもそもこの保険という思想のおそろしさが、うかがい知れる)。  私なども愛妻家で通っているほうだが、とてもKさんのようにはいかない。月に一回、西荻《にしおぎ》の高級中華料理を食べさせるのがやっとだ。妻を愛する男に悪人はいない。Kさんは、まさにそんな男だ。  そればかりではない。トリカブトという植物まで異常に愛していた。植物を愛する人間にもまた、悪人はいない。Kさんはまさにそんな男だ。  そればかりではない。トリカブトを六十九株も買ったのである。猛毒をもつトリカブトを一株買うだけでも変人扱いされるのを六十九株、六十九である、数字までシャレている。激しい愛が感じられる(うちの劇団にも、自分の食費をけずり四畳半でピラニアを大量に飼っていた羽場裕一という役者がいる。やはり変人扱いされている)。  トリカブトといえば、白土三平の『忍者武芸帳』でよく使われていた気がする。忍びの女が村の女に化けて、たまたま訪れた幕府の要人に「どうぞ茶を」などと差し出すと「この辺りでは珍しいいい女、ふふ、どうだ、こちらへもっと……げげ、女、きさま、わしに一服もったな、げえっ!」  こんな感じだったと思う。  あの幻の毒薬である。ちくしょう、こんな毒薬があったら、あのイヤな奴《やつ》を簡単に殺してやるのに、と思っていたあの夢の毒薬である。そんな夢の毒薬が、あなたの身近にあり、しかも使おうと思えば使えないこともない。夢はただ夢で終らず、夢が叶《かな》うことだってあるのだ。そう世に知らしめた。  Kさんは妻とトリカブトを愛したばかりではない。白土三平を愛し、叶わぬ夢をひょっとしたら可能にしたかもしれない男なのだ。Kさんの意外な一面を強引に見つけ出した思いがする。  愛と夢に生きる男、Kさん。この朽ち果てた管理社会には希有《けう》の存在である。私は声を大にして叫びたい。Kさんこそ私のカガミである。  そうだ、カガミなのだ。でもカガミとは何だろう。私はKさんとそっくりなのだろうか。  どんなに妻を愛していても、妻に死なれることはあるのだ。私だって妻を愛している。その妻に死なれることはあるのだ。  そうか、そうだ、私の妻だって死ぬことはできるのだ。保険金をたくさんかけられたまんま。その受取人が、たまたま私だということもあるのだ。どんな、たまたまだろう。  そうか、そうだ、愛妻家がトリカブトを好きだというたまたまだってあるのだ。そういえば私だって植物は好きだ。トリカブトだってそんなに嫌《きら》いではない。愛妻家で植物好きの男がたまたま白土三平好きで、トリカブトの使い道をよく知っていたからといって、私の妻の死因となんの関係があるというのだ。そういえば、妻と毒とは似ている。愛妻家が愛毒家であって、なんの不思議があろう。  バタンッ!  突然、私の仕事部屋に妻が入ってきた。  私はあわてふためいてしまった。反射的に、この書きかけのエッセイを抽斗《ひきだし》に隠していた。自慰を見つかった少年のように。私はなにひとつ妻に後ろめたい思いなど抱いていないはずなのに……。 ●後記  もうKじゃなくて名前でましたね。このエッセイがきっかけになって、警視庁が動きだしたんだと思います。そういう意味では歴史的に非常に意味のあるものです……ほとんどエッセイをほめてますね。うちの劇団員のピラニアを大量に飼っていたヤツは、この事件をきっかけに名前が売れました。今そのピラニアは別の劇団員に回っていて、いつのまにか全員がピラニアの飼育に凝っているんですよ。そのうち俺《おれ》が寝てる間に(笑)水の中に放《ほう》り込むっていう話もあります。そういえばこの人も芝居が上手《う ま》くて役者でした。マメにいろいろ栽培して研究したり、非常に勉強家で、顔だちも気品があってイイ男ですし、好きですね。   江畑謙介さんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 普段は地味ですが、クラスでもめ事が起こると学級会での発言が活発になります。教室でベレー帽をかぶる癖はやめたほうがいいですね。  江畑の前に江畑なく、江畑の後に江畑なし。あの、特徴と呼ぶには、あまりにも大胆な髪型。まるでグリーン・ベレーのようなあの髪型に軍事評論家としての並々ならぬ資質を感じる。日本髪型界のドン、竹村健一への宣戦布告とさえとれる。  確かにどうせ横から髪をもってくるのなら、あのくらい思いきりよくもってくるのが、少なくなった頭髪に対する戦略というものであろう。「最後の一本たりとも無駄《むだ》にするな」、用兵の基本である。  しかもエバタなのにエバッてない。画像を見るだけで、ミサイルの機種をピタリと当てる。占い師のうらやましがるところである。当ててもシャーシャー、当然な顔をしている。「まあ死んでもせいぜい一日数人ってとこでしょう」などと、人の命を人の命と思っていない。医者のうらやましがるところである。アッパレである。そんなことを気にしておったら、軍事評論家などやっていられない。道理である。  資料を見なくとも数字が出てくる。一家に一人欲しいタイプである。「牛乳の大きいパックは何�だっけ?」「千�ですね。牛乳瓶《びん》に換算すれば、五本と、あますところ百�です」などと、数字に弱い主婦の味方になることうけあいである。  やむなくテレビに出てはいるが、決して出たがり屋ではない。兵器への愛ゆえである。「愛する兵器を、世間にまちがえて紹介でもされようものなら、いてもたってもいられない。テレビやマスコミに顔を出し、あれやこれやとヤユされて、あげくに『この人をほめよ』にまでひっぱりだされたりするのはかなわないが、他ならぬかわいい俺《おれ》の兵器の為《ため》じゃないか」この心、娘を持つ父親ならば、イタイほどわかる心根である。  うかつで不勉強なテレビのアナウンサーごときに「このミサイルは飛行距離が六百五十キロのアル・フセインですね」などと言われた日には、「いえ、これは、アル・アッバスです。しかも飛行距離は九百キロです」と正確に紹介してあげたくなる。その気持ちはわかる。真野あずさのことを、真野響子と紹介され、しかも、バストサイズが九十のところを六十五などと言われたときの父親のようで、ムナクソが悪いのである。  だが、なんといっても、この人の見落とせないところは、髪型に加えて、軍事評論家としての予測の正確さである。  日頃《ひごろ》、野球評論家の青田昇さんなどが、「次の球は百パーセント外角の低目の速球が来ます、それを狙《ねら》い打てばいいんです」と言った直後に、内角に食いこむシュートが来たりするのをまのあたりにしてきたワレワレは、評論家のコトバは、お祭りの空気銃による射的と同じで、キャラメルひとつ落とせないほど無力であると信じてきた。そればかりか、「いやあ、今日のグラウンドは風があるね。外角狙いの速球が内角に曲がったよ」などとミエすいた弁解を聞き続けてきたワレワレは、評論家というものを、「人が嘘《うそ》をついた場合に絶対にやってはならない取繕い方」特集を組んだときの『BIG tomorrow』代わりくらいに思ってきた。  だが、評論家江畑は、インディアンだった。嘘つかないのである。 「いや、まだまだ死ぬでしょう」こんな正直に聞こえるコトバを私は聞いたことがない。こんな正直な人を私は知らない。その人柄《ひとがら》に惚《ほ》れて、田舎のおじいちゃんやおばあちゃんから「ぜひ、うちの孫娘の婿《むこ》になって欲しい」とNHKに電話が殺到していても不思議ではない。ただ、江畑さんが未婚か既婚かは知らない。髪型から察すれば未婚であるが、あのカエルをにらんだ蛇《へび》のような眼光から察すれば既婚である。  そういえば、彼の私生活は実に多くの謎《なぞ》に包まれている。昭和二十四年生まれ、上智大学を卒業し、軍事評論家つまり、正直者になった。知られていることは、そのくらいである。一体、上智大学を卒業しながら、どういう過程を経て、正直者になどなったのだろう。謎である。  クマたちも、そろそろ冬眠からサメるころだ。それにしても今度の戦争がはじまるまで、江畑さんら正直者、つまり、軍事評論家というのはどこで冬眠していたのだろう。どんな私生活を送っていたのだろう。淋《さみ》しかったのだろうか。淋しかっただろうね。もしも、戦争がはじまっていなければ、冬眠しつづけていたのだろうか。かわいそうなクマさんたち。だが、好運にも戦争は起こり、クマさんたちは嬉々《きき》として目をあけた。そして私も、そのクマさんの尻熊《しりぐま》にのって、こうして江畑謙介研究家として世に通りはじめた(いや、通ればいいな、と思っている)。  いまのところ、私の江畑研究も順調であり、正確でまちがいないと思う。私が江畑研究家として唯一懸念《ゆいいつけねん》していることは、あれほど正直者の江畑さんに「いやあ、核は落ちるでしょうね。日本も例外ではありませんね、まあ、イッパイ死ぬことになるでしょう」と予測されることだ。その時には、もう発表する時間も残されていないのだろうから、せっかくのこの研究がムダになってしまう。合掌。 ●後記  勉強家で顔だちに気品があって気が長くて、この人のお蔭《かげ》でこのエッセイも格が上がったという気がします。やはり独身でしたが、それがわかるとこの人の性生活に関心がでてきます。三時の番組も若貴兄弟ばっかり追わないで、江畑さんの一日をずっと追って欲しいですね。まあ、一番偉いのは、自分からさっさときれいに消えてしまったところですよ。   土井たか子さんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 学級委員として活躍しました。いつもハキハキと大きな声で、難しいことを言わないで発言してくれます。もう少し考えてから発言しましょうね。  キャーキャー。  あたし土井たか子オバサマのミーハーなの。おタカさんなんて気易《きやす》く呼んでる庶民もいるけれど、あたしみたいな根っからのミーハーは、オバサマのことは、ちゃんと額面通りオバサマって呼んで、いつくしんでるの。  なんたって、オバサマったら化粧がステキなの。ハイ、ここからが頬紅《ほおべに》です。これは眉《まゆ》です。そして口だって、ほ——ら、こんなに大きいんですよ、とハッキリと説明してくれるような化粧、サイコーよ。変にぼかしたりして逃げないところ、ハッキリクッキリで、服のセンス、配色の大胆さともマッチしていてステキだわ。そのうえ、あのガタイでしょ。  あのガタイが、あの服の配色で、あの化粧するんですもの。もうなんだかよくわからないけど「やるっきゃない!」って感じよね。  消費税の騒動の時だって、あのガタイが、あの服の配色で、あの化粧して「ダメなものはダメなんです!」でしょ。しびれちゃったわあたし。思わず消費税はダメなんだわって思っちゃったの。でも、今はもういいみたい。だって、あたしのうちはそば屋なんだけど、パパが消費税は結構もうかるって言ってたもの。でもやっぱり、あのガタイが、あの服の配色で、あの化粧して「ダメなものはダメなんです!」そう言えば、またあたしは消費税絶対反対だな。  なんなのかしら、あの説得力って。きっとあの野太い声だわ。あの化粧とあの声は、なんだか懐《なつ》かしいと思っていたら、そうなのね、夜があけた時のおかまの顔と声なのね。正体バレちゃったっていう感じで、あの時間帯のおかまって妙にもの悲しいのよね。そのもの悲しさが、あのタヌキのようなタレ目とうまく符合しちゃって、それでもやっぱり委員長だもの、すごいわよね。  そうなのよ、オバサマったら、委員長なのよね、それも六年三組とか給食委員とかの委員長なんかじゃなくて、社会党っていうところの委員長なのよ。社会党っていったら知らないギャルもいるといけないから言っておくけど、甘党とか辛党とかいうんじゃなくて、自民党とかと同じ種類の党なのよ。  でもって、みんな忘れたふりしてるけれど、社会主義を目ざしている政党なのよ。だからオバサマって、本当はスゴイこと考えてる人なの。やがてはこの国のいろんなものを国有化するつもりの人なの。うちのそば屋も国有化されるのかしら。  でもオバサマは、優しい人だから絶対大丈夫だと思う。ていうのはね、このあいだもオバサマったら、「食糧危機で苦しんでいるソ連に、党員一人あたり二個ずつのカップラーメンを送ります」なんて、心暖まることを考えだしたくらいの人なの。  なんだか、本当に社会主義をタクラんでいる政党の委員長というよりは、六年三組の委員長が考えそうなことよね。だからオバサマって、あー良かった、って感じの人なの。この人が、うちのそば屋を国有化するわけないものって感じ。あたし達と考えてることが変らないっていうか、あたし達でも、そこまで国の大事を無造作にお粗末には考えられないっていうくらい、なんにも考えていないアッケラカンさがあってナイスだわ。そういえば、この前のオバサマの海外旅行も、あたし達OLの海外旅行に負けないくらいギャビーンて感じだったわ。  さすがオバサマよ、今一番誰もが行きたがっているトレンディーなイラクへ行ったのよねオバサマ。それも、いよいよ戦争やっちゃうわって、ブッシュおじさまもフセインおじさまも、リキミにリキンでいるところへオバサマったら、「行くっきゃない!」で行っちゃって、「言うっきゃない!」とばかり「戦争はいけない」ってフセインおじさまに言っちゃったらしいわ。そしたらフセインおじさま「そう思う」って答えてすぐに戦争はじめて死んだイラク人が十万人。オバサマすごいわ。なんの役にも立てなかったんですもの。  こうみていくと、オバサマって本当は、あのガタイと、服の配色と化粧に野太い声と語り口がかもしだすハッキリとしたイメージとは違って、考えていることは全然ハッキリしてないのよね。そこがあたしの一番好きなところなの。  あたしって、今がとっても幸せだから。うちのそば屋もうまくいってるって言うし。だから、なんにも考えていないオバサマがいてくれると、この日本はなんにも変らないでいられるでしょ。そしたら幸せがつづくんですもの。  オバサマったら、いつか絶好調のころ「山を動かします」ってあのガタイと服の色と化粧でおっしゃったけれど、そこはやっぱりオバサマならではのギャビーンなのよね。山なんか動くはずがないのを知ってるから、あんなこと言ったのよオバサマ。  今度は「都庁のビルを動かします」とでも、言って下さると思うけれど、あのビルも山に負けず重たそうだし、あのガタイと服の色と化粧の濃さと野太い声でどうなるかしら。  でもオバサマ、あたし達ミーハーはあなたについていきます。いつまでもとは言わないけれど、あきがくるまで。 ●後記  たか子ちゃん! これはとても書きたかったんだよね。この人は知恵の浅さが立派でした。深いことを何一つ考えてなかった。難しい話をできないのか、しないのかわからなかったけれど、それで政治家やってたんだから、やはりすごいところですねぇ、社会党は。あの周りにすごく情けない男をいっぱい置いたというのが、いい作戦だったんでしょう。是非、彼女には復活してほしいですね、アメリカ大統領選か何かで。   ノストラダムスさんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 教室のうしろで、時々、意味不明なことを言うのが気がかりです。大川君のように真似をする子も出てきています。ノストラ君は本当は何を考えているのか、先生にだけでも教えて下さい。  今日まで隠していましたが、私はノストラダムスの末裔《まつえい》で、ノダドラムスコといいます。末裔として、ノダドラムスコは近年また盛り上がっている先祖ノストラダムスの予言ブームを嬉《うれ》しく思います。が、同時に私はノストラダムスの予言の著作権料を支払っていただきたいと思い、あえてこのエッセイで、手前ミソではありますが、身内のノストラダムスをとりあげさせていただきます。  ひとことで予言の著作権料などと申し上げましたが、私どもでは先祖の予言の活用の仕方で料金を三段階に分けさせていただいております。  一般に、ノストラダムスの予言の本を読んだ場合、これは、新宿、渋谷の街角で、直接手相を見てもらったにも等しいので、予言が当った、当らないに関係なく、基本料金として五千円をいただきたいと思います(その支払い方法ならびに支払う口座については、直接新潮社ノストラダムス予言著作権料係へお電話をお願いします。お支払いいただいた金額の十パーセントは、来たるべき一九九九年に現われる難民救済の基金として寄附されます)。  また、予言の本を読んで「あっ、ほんとだ、当ってるよ、びっくりしたな」と感心をした時には、街頭でもよく見られるような心ヅケ「いいよ、当ってるから、ネエチャン、もらっときなよ」と、基本料金五千円にいくらかのウワノセをしていただければ、先祖ノストラダムスも浮かばれるというものでございます。  次に、料金の第二段階でございますが、これはいわゆる、予言の再利用というものでございまして『ノストラダムスの大予言』という本などを、私どもノストラダムスの末裔の許可もなく世におくりだし、まるで『頭の体操』とどこが違うのかと思わせるほどに、第二集、第三集……第七集などと、次から次へと出版し、あげくのはてに「今までのノストラダムスの予言は、皆まちがいであった、これが、新ノストラダムスの予言だ」などと言って、先祖のコトバを、アアダコウダとこねくりまわして再利用した場合の使用料金です。  ビデオならば「複製は法律によって固く禁じられています」とお断りするところでございますが、さすがにノストラダムスの末裔だけあって、私ノダドラムスコもカタイことは言いっこなしだ。先祖の予言が少しでも世に広まるというのなら、私だって、そのことについては目をつぶらないでもない。でも、つぶる目も片目まで。こちとらもこれが商売。ともかく「『この世は終りだ』ってノストラダムスも言ってるよ」というような形での予言の再利用に関しては、その再利用で儲《もう》けた料金の三割は、予言著作使用料としてノストラダムスの末裔の、このノダドラムスコに支払っていただきたいと思っています。  ただ、この予言の再利用に関して問題になるのは、きわめて親密な友人や恋人の間で交される、「この前ノストラダムスの本を読んだんだけどさあ……」などという形での個人的な再利用の場合だと思います。  これに関しては、ビデオも個人的な複製利用についてとやかく言わないような立場をとっているので、私ノダドラムスコも口うるさくは申しません。けれども、「ノストラダムスが第○章第○句で言ったんだけれども……」というような形での引用に対する敬意を私、ノダドラムスコは望みたいと思います。  そして、最後に、第三段階の料金、お寿司《すし》でいえば、特上にあたる予言著作使用料についてお話しします。  これは、予言の再利用の範囲を超えた場合でございます。正確な引用を怠った、などというものではなく、さらに悪質であり、ノストラダムスからの引用であることを隠し、まるで、自分のコトバのように「でもよう、一九九九年の七月には、この世は終るんだからさあ、処女なんか守ってたっていいことないぜ、捨てるなら今だぜ」などと引用を省き、しかも予言の利用により、きわめて多大な利益をあげた場合です。  その場合は予言著作使用料として、その利益のおこぼれというか、俗にいう甘い汁の恩恵にあずかれるならば、私ノダドラムスコもヤボじゃあございません。袖《そで》の下には弱いという一面もございます。その辺りも、予言著作使用料の計算に入れておいていただければ幸いです。  ここに述べましたような予言著作権が確立すれば、私ノダドラムスコは、金にあかせてドラムスコの道を全《まつと》うしようと思います。  ただふと末裔として先祖ノストラダムスに思うことは、あれほど予知能力のある先祖が、どうして二十世紀末に極東の国で、自分の予言が異常なブームとなることを予言してくださらなかったのか。その予言がありさえすれば、なにも今頃《いまごろ》苦労して予言著作使用料などという利益を漁《あさ》らずとも、私は、このブームを見越して、ノストラダムスまんじゅう屋とか、「実はノストラダムスは日本に来ていた!」という本を、早々と出してヒトヤマあてていたと思うのですが、やはり偉大なる先祖は末裔に、苦難の道の方をおのこしなさったのでしょう。 ●後記  このあらゆる事件をこじつける力はすごいですよね。ずいぶん前にも一度ブームになって、これを書いた頃また盛り上がったんですけど、一九九九年越えたらもう二度と甦《よみがえ》ってこないですよ、この人は。私ももちろん信じていますけど、もっと勉強してたくさん本を読んでいる人はえらい。予言によれば救世主は「黒い髭《ひげ》をはやした発明王」です。発明王といったら当然中松さんでしょう、あの人がいつ髭をはやすか。それか、発明王という名前の人が出てくるかですね。救世主には、名前を変えればなれるかもしれません。   北尾光司さんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 体も大きく、自信も大きく、何もかもがスケールの大きい北尾君。一体、何が小さいのかな。脳みそかな?  今日はちょうどお芝居の休演日で、私は骨休みできる日である。うっかり骨を壺《つぼ》にいれて休ませてしまうと、そのまま一生でてこられなくなることもあるので気をつけて骨休みしている。  こんな日に原稿を書かなければならないのは、せっかくの休みの家族サービスのようなもので、筆が重い、ウデが重い。この重さは、行楽地からの帰りの電車、くたびれはてて、立ちっぱなし、目の前の座席には女を捨てた女房がこれみよがしにグウーッと眠り、その上寝込んだガキまで抱いている時の亭主の腕の重みである。  休日の夕方の電車の中で、3DK家庭をそのまま持ち込んだような家族を見ては、「俺《おれ》は決して、こんな3DK的家庭を作らないぞ」と多感な青年期に決意したものの、いざ会社勤めをはじめてみると、そうも言ってはおられず、結局せいぜい3DKが4WDになっただけ。行楽地からの帰りの4WDの自動車の中では、女房や子供がだらしなくくつろいでいて、「あーヤダ」と運転しながらふっと見上げたバスの窓から青年がさげすむように「ああこんな4WD的な家庭は作らないぞ」と見つめていたりすると、在りし日の己を思ったりすることであろう。  人生とはそうそう自分の思った通りにはいかないのである。その意味で北尾光司ほどの人生の師がワレワレの周りにいるだろうか。北尾光司ほどの偉大な巨人(身長一九九センチ)でさえも、ことごとく自分の言ったことと、やったことは一致しなかった。この偉大な巨人は、スモートリ(つまり裸族)の分際で「ガラパンをはくパソコン青年」として世に現われた。  ふつうのスモートリならば負けが込んでも、「近頃《ちかごろ》、糖がでて……」と言うのがやっとのところを、偉大な巨人キタオは、「肝臓がいけない、GOTもどうもね」などと口にしたものである。しかし、偉大な巨人キタオは、肝臓とかGOTに関係なく負けつづけた。いけないのは肝臓よりも、スモーであった。  キタオは「オレは偉大な横綱になれる」はずだったが、さすがワレワレの人生の師である。思った通りにはいかなかった。人生の師はそういう時、頭にカーッときてやめてしまうのである。  偉大な巨人キタオはスモーをやめた。やめる時も潔《いさぎよ》かった。おとなしくやめなかった。暴れてやめた。親方夫人の腕をねじりあげるサービスまでした。やめた時に巨人はキッパリ言った。 「スモーをやめたから、プロレスラーになる、オレがそんなバカげたおきまりの道を歩むはずはない」そして、人生の師はプロレスラーになった。人生の師らしく、やはり思い通りに人生はいかなかった。  プロレスラーという、第二の人生。そこでもやはり偉大なキタオは偉人ぶりを発揮した。「オレはプロレスが大好きだ。オレのプロレスの情熱をみてくれ」そう言った。スモーをやめる時に「要するに、親方との相撲道の違いです。皆さんにいろいろと言われていますが、それは奥の深い、根の深い問題なんです……」と言っていたが、その奥の深いものへの情熱はあっさりプロレスへの情熱へ転化したのである。  そうかプロレスがそんなにやりたいならとばかり、年間百試合にものぼる試合数に、「そんなに試合をしたらネームバリューがおちる。三十で充分だ」と、さすがは元横綱、新米のプロレスラーであることを忘れ、わが道をいこうとした。むろん人生の師である。思い通りにはいかない。わが道はいけない。あっさり長州力とケンカしてやめさせられる。だが、捨てるプロレスラーあれば、拾うプロレスラーあり。まっこと人生の鑑《かがみ》のような人生を歩む巨人キタオは、やがてSWSという新興プロレス団体に拾われる。  そして運命のあの四月一日の神戸がやってくるのである。〓神戸、泣いてどうなるのか、捨てられたワガミがみじめになるだけの「キタオ大放言、大暴れ事件」である。  リング上の相手は、同じくスモートリ出身のテンタ(旧姓琴天太)。あろうことか人生の師は、レフェリーを蹴《け》り倒し反則負けすると、「てめえになんか、八百長がなければ負けやしない」とテンタにかみつき、そして客にむかい「おめえら、こんな八百長を見て楽しいのかよ」と人生の真実を語り、控え室にもどって大暴れ。いつもやめる時は潔い。おとなしくはやめない。暴れてやめる。むろんサービスを忘れない。SWS会長夫人に椅子《いす》を投げた。翌日、人生の師は反省をした。しかし遅かった。プロレスラーとしても廃業に追い込まれた。反省しても遅い。これほど身につまされる人生はない。  私は偉大な巨人キタオは四月一日という日をまにうけたのだとかんぐっている。エイプリル・フールの今日くらい、プロレスは八百長しなくてもよいと思い込み、プロレス界の禁句、「こんな八百長のどこが楽しい」を気持ち良く連発し、気がつけば、周りは青ざめ、わが偉大な巨人の人生はますますもって前途多難となったのである。  さすがに多難ぶりもスケールが大きい。今後も思い通りにいかない人生を、思い通りに歩んで欲しい。 ●後記  彼は次はヌードです。荒木さんにでも撮ってもらう暴力的な写真。これしかないでしょう。「僕は闘いを芸術するアーティスト」とか「俺《おれ》はナポレオンの生まれ変わりだ」なんて言ってますけれど、このインテリジェンスが相撲界では受け入れられなかった原因ですね。でも、ナポレオンが小男だったのは知っているのでしょうか。タイソンじゃないけれど、やはり頭と足の考えることに時差がある人なのでしょう。   なべおさみさんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 大変に責任感の強いお子さんです。ひとたび自分が悪いと知ると、サメに食われようとしたり、裸になったり、責任の取り方に問題があるようです。注意して見守っていきます。  自白します。なべおさみサンの息子サンの明大の替え玉事件で替え玉になったのは私です。警察などの発表では一応、その替え玉は早大生とか立大生がやったことになっていますが、もちろんあれはウソです。なべおさみサンが私の将来のことを心配して下さって、私をカバい、そんなことにして下さったのです。もちろん、警察も私をカバって下さり「そういうことにしておこう」と言って下さいました。警察も私の将来は大事だと言ってくれました。大事にします。読者の方もよく耳にするように、日本の警察の発表は、八割方ウソだと聞いてはいましたが、こうしてワガ身で体験してみると、つくづく身に沁《し》みます。身に沁みて日本の警察をありがたく思います。  特に将来のある人には寛大です。 「犯人は将来のある人だ」と、警察署長会議で決まると、将来のない人から替え玉を捜しだしてくるようです。三億円犯人のように、犯人はわかっているのに替え玉のなり手がいない時は、迷宮入りとなります。もっとも三億円事件の場合は犯人が有名人になれることはまちがいないので、替え玉になりたい人間がワレもワレもと押しかけてきたため、急遽《きゆうきよ》、迷宮入りが決定したとも聞いています。人肉を食べたうえ、手紙まで書いたあの佐川君の事件も本当は犯人は、篠山紀信だったとも言われています。アイニク篠山サンには将来があったため、どうでもよさそうな佐川君が犯人の替え玉になったようです。他にも、金属バット殺人事件は巨人軍の桑田が犯人だったのですが、替え玉として一柳展也《いちりゆうのぶや》君が代打のひと振りをしました。  もっともスバヤイ替え玉として有名なのは、一九七〇年の万博で、太陽の塔のてっぺんに登った犯人のつかこうへいが、警察に説得されて自首して地上へ降りてくるまでの間に替え玉に代わった事件です。さすがに将来のある人というのは、替え玉まで違うようです。  このように替え玉は将来のある人のために大変役立っています。  間接的にお世話になっている人を含めれば、日本人で替え玉のお世話になっていない人は皆無だと言っても過言ではありません。その中でも大学入試の時に替え玉のお世話になった人は圧倒的に多いことでしょう。  いまや日本の大学入試の七割から八割は替え玉だと言われています。むろん替え玉のプロが現われています。プロになると入試会場が開店する前から行列になって並び、プロ同士の間で、「一〇七番の椅子《いす》がよく合格者がデル」とか「近頃《ちかごろ》はここもデニククなった」とか話しています。合格すると替え玉のプロは、交換所で現金と受験票を交換します。他にネズミ講方式による替え玉入試というのがあります。替え玉のお世話で大学に入った人間はその後自分が替え玉をやってあげるというものです。  私などは、実はコレなのです。私が東大に合格したのは、もちろん替え玉のおかげです。替え玉をやって下さったのは、糸井重里サンだとも、リクルートの江副サンだとも間接的にうかがっています。  私はその時の恩を忘れてはいけないと思い、その後、次々と大学入試の替え玉になっていきました。今回はたまたまなべおさみサンの息子サンの替え玉をやりましたが、他にも京大に浅田彰が入る替え玉になったのは私ですし、女装して学習院を受ける紀子サマの替え玉になったこともあります。  大学入試だけではなく、女装して浩宮サマとお見合いをするという替え玉もやりました。が、こればかりはさすがに浩宮サマのお目が高かったようで、不合格でございました。  おそらくこういった一連の替え玉のハナシなど、読者の方には目新しいものはなにもなく、ひとつも面白くないと思います。  それほど当り前となった替え玉の、しかも大学入試の替え玉事件など普通世間にバレタところで、道端にタンを吐いているところが見つかったようなものです。だのに、なべおさみサンはわざわざ二度も記者会見を開いて「なぜ道端にタンを吐いたか」について申し開きをなさいました。  そのうえ替え玉がバレルというヘマをした私をかばって下さった、なべおさみサンの崇高さ潔癖さに私は改めて敬服いたしました。  このうえは、大学に入ることのできなかった息子サンになにも言えないでいるなべおさみサンの替え玉となり、すなわち、替え玉の父親として息子に謝罪しようと思いたち、ここにペンをとりました。  息子へ  なべなのに事件に蓋《ふた》ができなかった父さんを許しておくれ。  おさみなのに事件をおさめることができなかった父さんを許しておくれ。  しかも役者なのに記者会見でうまい芝居もできず、そのうえ喜劇役者なのに悲劇に終らせてしまった父さんを許せ息子よ。 ——替え玉の父より ●後記  パンツ姿で反省しないヤツもいたけれど、この人は反省して全裸になりましたね、舞台で。この事件は全然面白くなかったけれど、これで子供の代わりに謝るというのがブームになりました。謝ってくれる人が代わりにいるっていうのは、いいですね、うらやましい。長寿の家系はひいおじいちゃんから本人以外全員出て来れば、にぎやかでいいよ。   小柳ルミ子さんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] PTA会長のお父様には盆暮と結構なものをありがとうございます。学芸会でのルミ子さんのダンスは喝采を浴びましたね。先生は目の濡れ場に、いや、やり場に困りました。  小柳ルミ子を、ただの“毛を出した女”だと思われては困る。生まれついてのスターなのである。  まず第一に福岡生まれである。ひとことで福岡生まれと言ってしまったが、芸能界で成功するためには、福岡に生まれれば、もう半分は成功したようなものである。  タモリ、松田聖子、チェッカーズ、武田鉄矢、チューリップ、甲斐よしひろ、陣内孝則、森口博子、千代の富士の女房、KAN、牧瀬里穂。これに小柳ルミ子を加えれば、ほとんどこの二十年間の芸能界の歴史を語ったといっても過言ではない。  そんな先天的に恵まれていた小柳ルミ子は、福岡に生まれただけではない。運送屋に生まれた一人っ子でもある。ききながせばたいしたことではないが、自営業の一人娘というのは、これまた芸能界では半分は成功したようなものである。  オヤジは娘に弱い。そのオヤジが自営業である。金はある。学はない。使い道は知らない。そこへきて、娘は一人っ子である。かくて、一人娘やりたい放題という図になる。  福岡生まれで半分、自営業の一人娘やりたい放題でもう半分、あわせてどうころんでも、芸能界でスターになるために生まれてきた女である。  努力などする必要なかったのである。ところが小柳ルミ子は努力までした。幼少の時から歌やモダンバレエのけいこを積んだ。この必要以上の努力はまるで、シュワルツェネッガーが今更ブル・ワーカーを通信販売で買ってこっそりやっているようなものである。  そのうえ小学六年生で福岡県の書道展で第一位。その時のコメントが「歌手になったとき、ファンにサインをするために習字を習っている」なのである。  どこまでやなガキだろうと思うのは、スターになれなかったガキの場合。成功者にとってこれは美談である。  生まれついてのスターの快進撃はなおも続く。宝塚音楽学校を首席で卒業し、NHKの朝ドラ『虹《にじ》』に出演、そしてついに「わたしの城下町」で清純派歌手としてデビューを果たした。  その清純派ぶりはすさまじかった。天地真理、南沙織との三人娘であった。が、その中の位置は、山口百恵、桜田淳子、森昌子の三人娘にたとえれば、森昌子的存在であり、どうもなんだか、ひとりオバサンがまじってるんだよなあ、というくらい男は近よりがたい(というか近よるまでもない)清純派であった。  いかにすさまじい清純派であったかは、昭和四十六年の『サンデー毎日』が次のように小柳ルミ子のことを語っている。 「ルミ子はごく最近ある男性週刊誌のインタビューで『バージン?』とたずねられ、黙って下を向いてしまった。涙をこらえていたのだという。芸能界の相愛図とは関係ないところで、芸能人らしくない新しいタイプの芸能人が育ってよいはずである」  それから二ケ月もたたぬうち、小柳ルミ子は五木ひろしをパートナーにして芸能界の相愛図の中へ入りこみ、古いタイプの芸能人らしい芸能人に育っていくのである。  あたり前である。彼女は生まれついてのスターなのである。  かくて、スター小柳ルミ子はその後芸能界で大活躍したはずなのであるが、おそらく私の怠慢であろう、肝心かなめの大活躍したその後十年あまりの小柳ルミ子についての記憶はあまりない。  再び私の記憶に現われた小柳ルミ子は、白い蛇《へび》に化けた裸身であった。映画で脱いだ。へえー、と思っているうちに、すさまじい結婚式をしたときいた。  清純派としてすさまじかったのである、結婚式がすさまじくても不思議はあるまい。 「三十六年分の涙を流します」と宣言し、挙式の間に六回、一回平均十五秒のディープ・キスをした後に舌なめずりをしたところまで目撃され、なおもめげずにランバダ顔負けの愛のダンスをした。  残したコメントが「あたし達ってアメリカ的」であり「愛がはっきり見えた」であった。これが二年もまえのことである。  それからしばらく事務所にほされたと噂《うわさ》にきいて、さすが洗タク物の真似《まね》なんかして、主婦に徹してらっしゃると思っていたら、近頃《ちかごろ》“毛を出した”らしい。  なんだか今回の「この人をほめよ」は、私がくだくだとコメントするまでもなく、ルミ子さんのコメントを忠実に再現し、その生き様を描くだけで、充分にほめることができたような気がする。  むろん今回の毛のことなど、ルミ子さんだったら「毛ほどにも問題にしてない」とおっしゃるだろうし、私もまったく同感である。 ●後記  私はやっぱり先見の明がありまして、清純派歌手として売っていた昔から、なんか不潔感を感じちゃって好きでなかったんです。天地真理、南沙織の三人娘の頃には、僕は天地真理でした。三人娘っていう場合にはいつも一人不自然なヤツがいます。百恵、淳子になぜ森昌子っていうように小柳ルミ子。外反母趾《がいはんぼし》の手術で大変だったみたいですけれど、直さなきゃいけないのはもっと他にあるような気がしますね。曲がっているのは指だけか、ってね。   大川隆法さんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 昔、応援団にいた大川興業君は従兄にあたるんですか? 人を集めて大声をあげる、血は争えませんね。  ただ今、私の手元には、大川隆法主宰が執筆なさった本が十九冊ある。幸いである。私が買ったものは一冊もない。これまた幸いである。すべて他人《ひ と》からのいただきものである。これまた幸いである。  自宅の近所で、大川隆法主宰の信者から、「ファンです(多分、私の)、この本読んで下さい」とうっかり手につかまされた三冊を除くと(私は面識のない)景山民夫氏のところから編集者に送られたものが、まわりまわって私に横流しされてきたものばかりである。くれるものは拒まない信念の私は、横流しするにはもってこいらしく、奇《く》しくも三つの出版社の担当編集者から送られてきた。  むろん編集者たちは、私のことを要らない本のゴミ箱だと考えているわけではない。日頃《ひごろ》、不信心でバチ当たりな私が少しでも幸福になることを信じて、これらの本をお送りくださったのだと思う。幸いである。涙がでる。  この幸いを逃してはならないと思い、ザッと目を通した。ザッとなので幸いが訪れるとしても、ザッとやってくると思う。  しかし、読んでよかった。私にひとつの悟りがひらけたからである(もっとも私は悟りをひらくのが趣味で、このエッセイの連載中にも、すでに三回は悟りをひらいている、珍しいことではない)。  このたびの私の悟りは、「しまった! 人生、この手もあったか」であった。  というのは、実は今、私は大川隆法主宰と同年齢の三十五歳で、劇団夢の遊眠社主宰である。そればかりではない。同じ時期に東大法学部に籍をおき、むろん大川隆法主宰は立派に卒業され、私はミエをはりたい一心で中退したというささいな違いはある。しかし、人々を集めて芝居をして金をふんだくったうえに、他人に夢を売っているなどと公言してはばからないところなどそっくりである。しかも、出たがりで出しゃばりで、恥知らずである。  ただひとつの、しかし決定的な違いは年収であろう。この大きな違いは、ただただとりつかれた神様の違いによる。  私は、ハタチ頃芝居の神様にとりつかれてしまい、いまだにその呪縛《じゆばく》がとけずに困っている。なにしろ、芝居の神様というのは、世界で一番金がない。私が出会った頃などは、芝居の神様はジーパンをはいて、下駄《げた》をはき、風呂《ふろ》にもあまり入っていなかったようだ。安い居酒屋でくだを巻き、演劇論で女の子をクドキ、半ば強姦《ごうかん》じみてそのまま押し倒していた。  私は、そんな芝居の神様が嫌《きら》いだった為《ため》に、せっかくとりついていただいたのに、神様の使い道を知らなかった。  そこへいくと、大川隆法主宰はうまい時期に神様にとりつかれていらっしゃる。大学卒業にむけて司法試験、上級国家公務員試験を受けたが幸いにもすべり(今の年収を思えば幸いであろう)やむなく、大手商社トーメンへ就職などなさり、あるていど人生の先が見えてきた頃に、ちょうどよく神様にとりついていただいたようだ。  しかも、ひとつやふたつの神様ではなくて、空海、日蓮《にちれん》、親鸞《しんらん》、イエス・キリスト、ニュートン、天照大神《あまてらすおおみかみ》、卑弥呼《ひみこ》、ゼウス、西郷隆盛、芭蕉《ばしよう》、内村鑑三、ピカソ、ベートーベン、ノストラダムス、坂本竜馬《りようま》などの霊が、大川隆法主宰には入れ替わり立ち替わり出入りなさる。  その錚々《そうそう》たる顔ぶれは、並べるだけでも、「うわあーっ! 金になりそう!」な気がする。  とりつかれた霊が、私などとは全くケタ違いである。年収にすれば、三ケタか四ケタは違う。  誕生日のお祝いのなさり方もケタが違う。誕生パーティの会場は、東京ドームである(私など、一世一代のカケで、妻にせがまれ派手にやったつもりの結婚披露パーティが新宿の〈銀座アスター〉である)。  誕生パーティの司会者は、「ゆうべの秘密」の小川知子さんである。そしてパーティを演出するのは、景山民夫氏である。呼んだお客は、五万人。高校野球の開会式のような行進をし、そのうえ呼んだ客から金をとる。天皇陛下でも誕生日はもう少し地味である。  しかも、やってきた信者が、なんの悩みもなく明るい。すなわち、今までの宗教のように不幸なものが幸福になろうなどという、貧乏根性がない。はじめからおめでたい幸福な人間だけが信者のようである。これも実に利口である。幸福な人間は文句を言わない。じゃあ一体なんで宗教をやっているのか? なんで人が集まっているのか? そういうことは私もよくわからない。  しかし、とにかく地球ユートピアを建設することになっており、その費用に三千億円集めなければならないらしくて、それが大変だそうである。神様も儲《もう》かれば儲かったで楽をしているわけではない。不動産屋だってそうである。そういえば、大川隆法主宰の講義に「不動心」というのがあった。不動産屋の心がまえであろうか。私も早くミエを捨てて、この心に近づきたい。 ●後記  オウムの人の時もそうでしたけれど、教祖の方たちって中学時代の写真が出てくるところがいいですね。エライのは二人とも詰襟《つめえり》のホックを外していない。やはり教祖になるには大切な要素なんでしょう。教祖になると誕生会がハデでいいですよ、五万人も呼んじゃって。何人呼べるかというのは、子供の頃からのステイタスでしたからね。幸福の科学とオウムともう一つぐらい個性的な宗教がでてくると面白いと思う。もうしばらく様子を見ていたいなぁ。このエッセイでもたくさん本を読んで勉強させてもらいました。演説のテープまで聴きましたからね。   景山民夫&小川知子さんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 二人とも優等生ですが、時々、職員室の前で合唱するので、他の先生方も困られているようです。放課後に歌って下さい。  星よりひそかに——雨より優しく——そういえば、めっきり大物デュエットというのがなくなりました。  吉永小百合&橋幸夫、ヒデ&ロザンナ、トワ・エ・モワ、さくらと一郎……。  男と女が肩よせて、まず男が唄《うた》う、次に女が唄う。そしてハッと、うるんだ瞳《ひとみ》でみつめあい、みつめあったかと思うと、いきなり二人で息をすい、呼吸をあわせて正面をむき、二人でがなるサビ。嗚呼《ああ》、デュエット。男と女のラブソング。  そんなデュエットが、カラオケに凌辱《りようじよく》され、今はもうOLと上司のものとなり、スターさんによる大物デュエットは過去のものになった。時の流れとはいえ、私が生きている間に、もう昭和の男と女のラブソングは聞こえてこないのだろうか。昭和を生きた私がそれでよいのか、いや私は立ち上がろう。「男と女のラブソング全国被害者の会」をつくろう。まず私がその会長となり、良識のある人々に訴えよう。そう思っていた矢先である。  民夫&知子がデビューしたのである。講談社の前にいけば、連日連夜、そのデュエットが、どこからともなくきこえてくるという。どこからきたのか民夫&知子。どこへいくのか民夫&知子。なんでもいい、デュエットの大ファンである私は、この大物デュエットの友の会に入ろうと思った。  民夫&知子のデビュー曲は、「このいのちかけても」である。まず、民夫が「この作家のいのちかけても——」と熱唱すれば、知子が応《こた》えて「この女優のいのちかけても——」と唄い上げる。おー、この平成の世に、男と女のラブソングが戻ってきたのだ。  デュエットには、吉永小百合&橋幸夫やトワ・エ・モワのように、清純爽快《そうかい》、恋のはじまり、まだやってはいない二人路線というのがあれば、ヒデ&ロザンナのような、明朗大声、今が恋の絶頂やってます路線というのもあるし、そして、さくらと一郎のように陰湿涙声、いっそ死んでどろどろ、世間につらあて路線というのがある。  で、この私こと「男と女のラブソング全国被害者の会」会長の分析によれば、民夫&知子の耳をつんざく絶唱ぶりはちょっと聞くとさくらと一郎の系統の世間につらあて路線のデュエットに聞こえる。  だが、民夫&知子のラブソングとしての新しさは、三角関係を唄っているところにある。つまり、今までのラブソングはヒデならロザンナを愛し、トワならモワを愛し、さくらなら一郎を愛した。そのお返しに、ロザンナはヒデを、モワはトワを、一郎はさくらを愛した。ところが民夫&知子の愛は違う。主宰という人物が絡《から》む三角関係である。  まず、民夫は知子への愛を唄わない。民夫は、主宰という人を愛している。その主宰というのも、人並みはずれている方らしく、男なのか女なのかもはっきりしない。だから、民夫が唄いあげる主宰への愛はノーマルなのか、アブノーマルなのかもわからない。  ふつう、今までのデュエットで男が、そういうホモなのか変態なのかわからない愛に溺《おぼ》れていることを朗々と唄い上げた例はない。それだけでも、この民夫&知子のデュエットの価値は、はかりしれない。  だのに、そればかりではないのだ。民夫が「主宰への愛に走った」という設定であれば、今までのラブソングならば、知子は当然、男への恨みつらみを、おかえしのフレーズのところで唄うものだと相場は決まっていた。だが違うのである。「このいのちかけても」だけのことはある。知子も民夫同様に主宰への愛だけを唄うのである。この場合も主宰は、相変らず男か女かわからない。なんでも、この三次元にいるのかどうかもわからないような人らしいのであるから、私のようなノーマルな愛しかしらぬ俗物には、獣とか霊魂とかのSEXに走るような、そういううらやましい愛の形をついつい想像してしまう。だが民夫&知子の主宰への愛はそういうものではないらしい。民夫は主宰を愛し、知子も主宰を愛し、そして民夫と知子は記者会見場でにこにこ見つめあうだけ。そこには、主宰への愛で結ばれた三角関係の愛がある。私のように「おっ、いい女、ああやってみたい」という単純な直線的な愛をしか知らぬものにとっては民夫&知子の唄う「このいのちかけても」は、わかりにくい。だがとにかく新しい。それはなにより、知子のとりつかれたような絶唱をきけばよくわかる。あの涙声で人の胸を打つ絶唱。もっとも胸の打ち方というのにもいろいろあって、水泳で飛び込んで失敗した時に、イテエッと胸打った時に真っ赤になるような、そういう胸の打ち方だってある。だがそういう打ち方にせよ、私は胸をしたたか打った。民夫&知子についていこう、この先ずっと、この新しい愛に。またしても、そう思っていた矢先である。  民夫&知子は「このいのちかけても」唄いつづけるはずの、講談社前での熱唱キャンペーンをやめてしまった。すわ、デュエットの解散かと、打ちひしがれていたこの私に、朗報が届いた。  二人によれば、それはデュエットの解散を意味せず、まだまだ吠《ほ》えてくれるそうだ。「このいのちかけた」主宰への愛もちょっとやそっとじゃ変わらないという。おそらく、新曲の準備をはじめたということだろう。いのちの次には、一体何をかけてくれるのか、私たちファンには楽しみである。だが、必ずやまた、新しい愛の形を見せてくれるに違いない。私たち、次元の低いところで暮らしているノーマルな人間は、高次元のアブノーマルなラブソングを求め続けています。そんなワレワレに、次元の高いところから、わずかな間でも夢をみせつづけて下さい民夫&知子。ファンのみんなを代表して、心からラブふあいとおう。 ●後記 「ゆうべの秘密」を歌ってた人がねぇ。好きだったけれどねぇ。この二人もそろそろ新戦術に出るべきです。デュエットがダメな時にはカルテットにするとか、ダーク・ダックスとかボニー・ジャックスとか懐《なつ》かしい感じに変えるとか。もっと説得力のある人をたくさん加えて、小川さんを中心に新グループで活躍して欲しいですね。   松尾和子&三ツ矢歌子さんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 人のあやまちをかばおうとする、とても母性愛の強いお子さんです。ゆくゆくお母さんになった時が心配なくらいです。  今日まで隠しつづけてきましたけれども、実は私は「時には母のない子のように」運動のボランティアをやっています。  この「時には母のない子のように」運動は、まだ世間にはよく知られていません。しかし、ゆくゆくは、地球の環境保護運動や下北沢駅前の自転車駐輪禁止運動とも連動させていこうと思っています。  ただ、多くのボランティア運動において、少し誤解があるのではないかと、私が思うことがひとつあります。それは、ボランティアというのは、本来「人のいやがることを代わりにやってあげる」、あるいは「人のいやがることをすすんでやる」ことのはずです。  だから、例えば、他人の玄関先でクソをしたり、満員電車の中でゲロを吐いたりするコトは、大変人のいやがることです。そういうことを代わりにやってあげてこそ、真のボランティアといえるでしょう。  海岸や高速道路で空き缶《かん》を拾っている人々は、人の喜ぶことをやっています。人のいやがることをやるという、真の意味でのボランティアなら、窓から空き缶を捨て、湘南《しようなん》の海の中で小便も辞さないはずです。本当に「人のいやがること」をするのは、勇気がいるものです。決して自慢をするわけではありませんけれども、私は毎日、人のいやがることをしてきました。  冬の朝、早く起きて道に水をまくと、凍りついてすべりやすくなり、足早に駅へ急ぐ人々が、ほんとうにいやがります。そんな時、私はほっとするのです。  毎日毎日、冬の寒い朝に誰よりも早起きして水をまくのは、とっても辛《つら》いことなのです。けれども、その私がやったことで、人々があんなにもいやがってくれるのです。「誰がこんなことをしやがったんだ」あの人々のいやがる顔をみるたびに「ああ、良かった。今日も人のいやがることをすすんでやったぞ」そう、喜びがこみあげてくるのです。  私が「時には母のない子のように」運動というボランティアに参加した動機の根底にあるものも、やはり変わりはありません。「人のいやがることをすすんでやる」ためです。  だったら、なにも「時には母のない子のように」運動でなくとも「時には娼婦《しようふ》のように」運動でも、「指圧の心は母心」運動でも良かったのではないかとおっしゃる方々もおられると思いますが、その通りです。  ボランティアというのは、そういうものなのです。  なんでもいいのです。地球を保護していたかと思うと急に、クジラを保護したり、わりばしを保護したりするのは、ハタ目には、地球なのかクジラなのかわりばしなのか、はっきりしやがれいっ! のようにうつるかもしれません。けれども、そんなことはどうでもいいことです。俺《おれ》の勝手だろ、だと思います。  今日、私がこうして、「時には母のない子のように」運動のボランティアであることを告白したのには、理由があります。  というのは、私は最近、二組の母子《おやこ》に大変な感銘を覚えたからです。  一組は、松尾さんという母子です。もう一組は、三ツ矢さんという母子です。松尾さんも三ツ矢さんも立派な職業婦人です。職業婦人として立派なだけでなく、母としても立派、体格も結構立派、家ではくのはスリッパ、そういうことらしいのです。  どういうことかというと、松尾さんの息子さんも、三ツ矢さんの息子さんも、薬をのみすぎたらしいのです。薬をのみすぎることが良くないのは、ルルの使用上の注意を見てもわかります。一日三回三錠までと書いてあります。ルルを一回に四錠のんだりしては、絶対に絶対にいけないのです。それなのに、多分、息子さんたちは、そういう世間の常識を無視して、薬をのみすぎたらしいのです。世間の常識を蔑《ないがし》ろにすると、御存知の通り、テレビレポーターにより罰せられます。社会的責任はどうするのだ、という問題だと思います。私もそう思います。どうするのでしょう。とぼけんじゃねえやっ! みたいなことなのでしょうか? 一体、誰がとぼけてるんでしょう。私のような気もします。文章が少しラリってきました。そのはずです。今朝私はルルを四錠ものんでしまったのです。多分、今日の午後三時ごろには、テレビレポーターに社会的責任を問われると思います。私はどうすればいいのでしょう。途方にくれるばかりです。  ところが、松尾さんや三ツ矢さんの場合は、途方にくれませんでした。息子の代わりに母が頭をさげました。あれこそが「時には母のない子のように」運動の鑑《かがみ》だとおもいました。まず息子が、母親のいないところで、人のいやがることをすすんでやり、その息子がいやがる頭をさげるということを、母親が代わってやる。この理想的な母子達は、人のいやがることをかわるがわるやりつづけるボランティアの永久機関のようなものです。「時には母のない子」というのは、黙って海を見るばかりが能ではないのだということを、つくづく教えられた気がします。まだまだ私はボランティアとしては、ひよっこのようです。 ●後記  和子さんの方が何かと行動がハデですから、彼女が盛り上がれば盛り上がるほど、歌子さんの方は存在が薄れています。和子さんが自殺未遂したから、歌子さんも、という母親同士の見栄《みえ》はないんでしょうか。代わりに謝ってあげるだけじゃなくて、いっそ代わりに刑務所に入ってあげるという手は使わないのかな。もしかしたら勝新と一緒に入るかもしれませんね。中で面倒みてもらえれば、出てきたとき大物になれるかもしれない。きっと和子さんはお願いに行くでしょう。   ゴルバチョフさんの巻 [野田秀樹先生によるほめられ度通信簿] 学級委員ではなくなりましたが、他のクラスでは大変な人気者です。思いきって、他のクラスの学級委員になってはどうですか?  敵をふやすから、人物に関するエッセイは書きたくないと言っていた気弱な私をなだめすかし、「僕、野田さんの中学の後輩なんです、野田先輩!」そう言って私の愛校心にうったえ、この連載をはじめさせた編集者がいる。  私の担当をしながら、次第にひげが濃くなっていった。変だなあと思っていたら、映画監督になった。天願大介という名である。巨匠今村昌平の息子でもある。編集者のひげが濃くなると映画監督になる。私はこのエッセイで教訓を学んだ。  人は教訓を学ぶと、そこから立ち去らねばならない。来《きた》るべき時が来た、最終回である。  最終回が訪れて、私はこのエッセイと共に消えるというのに、私をのせまくった天願大介には新しい人生が待っている。  やれ、「寿司《すし》を食わせろ、女を抱かせろ!」と編集者に言いたい放題言って、実際、寿司を何万回食わせてもらったかしれない。女も、この新潮社界隈《かいわい》を歩いている女は、タバコ屋のオバチャンにいたるまでほとんど抱かせてもらった。このエッセイのおかげでいい目を見た。そう思っていた。ところが踏台にしてきたつもりの私が気がつけば、天願大介に踏台にされていたのである。天願大介は偉大である。  本来、私はこの最終回で恩返しの意味もふくめて、天願大介をほめたいのであるが、二代目担当編集者が「天願大介ばかりをほめるのは手落ちだ。俺《おれ》もほめろ!」と言い出す始末となり、やむなく私が二代目編集者に「天願大介は、まだマイナーだ、ましてやあなたのことは誰も知りたがっていない」と演説をぶち一件は落着した。  しかし私の心はおさまらない。そこで天願大介に似た男をほめることにした。名をゴルバチョフという。  実は、最終回は私にだけやって来たのではなかった。ソビエト共産党にも最終回が訪れていた。そして天願大介が最終回をのりこえたように、偉大なゴルバチョフもソ連共産党の最終回をのりこえたのである。  天願大介とゴルバチョフが似ている点は、自分だけは最終回をのりこえたところにある。他はなにもない。だが、ゴルバチョフに似ているモノは、この世にいっぱいいる。  たとえばあの一連のクーデターを伝える放送の中で、「あれっ? ゴルバチョフが日本語を喋《しやべ》ってる」よく見たら中山外務大臣だったという経験をした人は少なくないだろう。ゴルバチョフの髪型をお茶の水博士に変えて、頭の汚れをふきとると中山外相になる。  この世でゴルバチョフに似ているのは、中山外相だけではない。外づらのいいウチのお父さんなんかもそうである。外では、ニコニコして、近所からも「優しそうで、ものわかりが良さそうで、ほんとにステキなパパね」と評判なのだが、家の中では、口ばっかりでなにもしない。なにかあるとオタオタして、日和《ひより》見《み》で都合のいい事ばかりを言う。気に入らないと、手を上げたりもする。そんなどこにでもいる情けないオヤジなんかもゴルバチョフにそっくりである。  さらに洞察《どうさつ》を進めていくと、ゴルバチョフに似ているのは人間ばかりではないことがわかる。案山子《か か し》も似ている。崩れかかった家の門の飾りも似ている。  こうしてみると、いろいろなものが似ている。いや、そう考えるよりも、ゴルバチョフがいろいろなものをまねしていると考えた方がよい気がする。  すなわちゴルバチョフは、ソ連のものまねそっくり名人さんだったのである。だから本当は、なんでもよかったのである。書記長のまねをしたり大統領のまねをしたり、ノーベル平和賞受賞者のまねをしたりもしたが、所詮《しよせん》、そっくり名人さんなのである。  しかも、ゴルバチョフは、美川憲一本人よりコロッケの方が芸能界を生き延びることを知っている。美川憲一の人気がおちて番組が最終回をむかえても、コロッケには、島倉千代子もいればちあきなおみもいる、田原俊彦だって大丈夫なのである。最終回をのりこえていけるのである。  ゴルバチョフは、フルシチョフのまねもうまかったしスターリンのまねもうまかった。意外なことに、日本人の前では、人のいいおじさんのまねがうまかった。だが今、彼は、新しいものまねを勉強している。エリツィンのまねである。  たしかに最終回をのりこえるにはそれしかないだろう。だが、のりこえたらしめたものだ。やがてエリツィンが最終回を迎えたとしても、ゴルバチョフは、新たなものまねのネタを考え出しているに違いない。それにつけても最終回である。私はこのエッセイと天願大介に感謝したい。生まれてこのかた人をほめることを知らなかった私が、愛を与える喜びを覚えたのですから。だから私は今、途方に暮れています。明日から、どこで人をほめたらいいのだろう。山手線に人ほめおじさんが現われた、そんな噂《うわさ》をきいたら、それが私です。 ●後記  この人の使い方も日本はちょっと考えたほうがいいでしょう。もうソ連じゃ嫌《きら》われ者なんだから、あの頭を活《い》かして日本でシミそばかすの薬のコマーシャルにでも出てもらうとか。それにこの人がノーベル平和賞もらっていることを忘れないでほしいなあ、みんな。ノーベル平和賞もらった翌年にこれですからね、人生何が起こるかわからない。 この作品は平成四年五月新潮文庫版が刊行された。 Shincho Online Books for T-Time    この人をほめよ 発行  2002年4月5日 著者  野田 秀樹 発行者 佐藤隆信 発行所 株式会社新潮社     〒162-8711 東京都新宿区矢来町71     e-mail: old-info@shinchosha.co.jp     URL: http://www.webshincho.com ISBN4-10-861182-9 C0895 (C)Hideki Noda 1992, Coded in Japan