野坂昭如 心中弁天島 目 次  銀座のタイコ  殺さないで  心中弁天島  くらい片隅  展望塔  呪《のろ》われ児  万婦如夜叉《ばんぷによやしや》 [#改ページ]  銀座のタイコ  そこが定席《じようせき》の、電話の前のカウンターに坐るなり、コマッちゃんは「紙ナフキン」とさけんで、それからウーンとひとつうなった。  まだ陽のあるうち、とどいたばかりの、糊《のり》でつっぱらかった白衣を、バシッと一つふり、右手を通しながら、バーテンのタカ坊は左でコップに入ったそれを、ツーッとコマッちゃんにむけ走らせ、ついでに「らっしゃい」と声をかける。 「ホテルOはなっとらんねえ。人夫を客と同じエレベーターに乗せるんだからなァ、うーん」 「どうかしたんすか?」「靴ふまれちゃったよ、地下足袋で。考えなきゃいかんよ、ああいうことは——」  長い体を二つ折りにして、しつこくナフキンで靴を磨き、「ベネディクティンのロックス」「おや、かわったものを」「いや、腹具合をおかしくしてね、下痢気味なんだ」「ベネディクティンてな、腹にいいんですか」「どうかねえ、アーサー・ミラーだったかな、芝居の中で、神経性下痢の中年女に、ベネディクティンをのませているから、まあ、いいんじゃないかね」  コマッちゃんはポケットから、きれいに包装された箱をとり出し、爪楊枝《つまようじ》で紙を傷つけぬようはがすと、きちんと折ってかたわらに置き、「なるほど」とつぶやく。「オヤ、カフスですね」「あぁサッちゃんからのプレゼント」へーえとおどろくタカ坊の前で、うやうやしくふたをあければ、大ぶりな珊瑚《さんご》を細工したもの、コマッちゃんは相好《そうごう》をくずし、「珊瑚は近頃、値がでてるから安くないよ。これは」「すごいですねえ」「ポーカーで、ガッポリいただいた上にこんなの貰っちゃわるいよねえ、うーん」早速、今つけているのと取り替えて、古いのを箱に収め、ベネディクティンを一口飲むと、「どうもおかしいなあ」トイレットへ立つ。  入れちがいに芸能雑誌の記者が二人連れであらわれ、おはよースといったとたん、まごうかたなき下痢のあけすけな音が、せまいバーにとどろき渡ったから、出鼻をくじかれて「おしずかにねがいたいねえ」と年嵩《としかさ》の一人がいい、タカ坊はニヤリと笑って「コマッちゃんですよ」 「それはそれは」おしぼりをつかいながら箱に眼をとめ、「相変らず、おしゃれだな」 「サッちゃんからのプレゼントだそうです」 「うらやましいねえ、よく一緒に飲み歩いてるってきいたけど」 「小松さんもえらくなりましたねえ」若い男がいう。「そう、パーティは明日だっけ、芸能界、政界財界えりすぐったメンバーが集まるんじゃないか」「なんの会なんですか」「いや、よくわからないんだけど、小松良輔をサカナにする会ったっけな」「おもしろそうですね」「まあね」お互いニタニタするところへ、バンドをしめ直しつつコマッちゃんがあらわれて、「どうもどうも、うーん」「どうです、サッちゃんは。リサイタルやるんだって?」「いやあねえ、ぼくはみあわせた方がいいっていってるんだがねえ、今の時点において彼女がリサイタルを行なう意義を見出せんからねえ、うーん。マネージャーの吉田くんにもいったんだが、なにしろご本人があせっとるから」「あれほどのスターでもあせるのかねえ」「そりゃそうですよ、ここんとこヒットらしいものもないし。リサイタルそのものはいいんだが、準備期間が足りないよ。昨日も赤坂へよばれて大宝の山下専務に相談うけたんだけど、いくらぼくが彼女のファンでもねえ、道をあやまらせるようなことは、すすめられないなあ、うーん」 「というと、山下さんも乗り気なわけで」「それは自分のかかえてるタレントだからね、リサイタルやりゃマスコミもとり上げるだろうし、だが、ぼくは日本に珍しいミュージカルスターの可能性を、サッちゃんに見出してるからねえ、ここでミソをつけることはないやね」  ベネディクティンをすするとコマッちゃんは、なおものいいたげな記者を無視して、受話器をとりあげ、ダイヤルをまわしながらお話し中。「ホラ、電話魔が始まった」若い男が、やや冷やかすようにいうのを、「おもしろい話があるんだ、ぼくのこの電話簿ね、これを週刊芸能のデスクが五十万で買いたいって」「五十万?」「さすがに彼はよくみてるよなあ、これには芸能関係者の立ちまわりそうなバーやクラブ、その交友関係のすべてのナンバーがひかえてあるんだから」「なくしたら大変でしょう」「いや、だからほら、後ろにちゃんとこの通り……」部厚い手帳をさし出すから、タカ坊も含めて三人がのぞきこむと、「この手帳拾得された方は、右に連絡されたし。お礼五千円呈上」と裏表紙に赤で書いてある。「一度酔っぱらって忘れてきてねえ、この時はみつかったんだけど、こりたから、ひかえを一つ作ってあるんだ。なにしろこれがなきゃ、仕事になんないからね」といいすて、ソフトを頭にのせると、「やれやれ、しんどいよなあ、座談会というのも」「どこですか」「音楽時代社なんだけどね、外タレについてのお噂《うわさ》を一席。まあ、あすこはお車代が高いし、これは税金がかからないから、まあいいお座敷だけどさ」身の丈六尺有余、二十二貫の、いかにも総身に運動神経のまわりかねたかギクシャクとイスを降り「どうも」とことさら低くつぶやいてコマッちゃんは店を出る。 「電話番号が五十万か、ぼくなら売るがなあ、そっと盗んでやろうかしら」若い記者がいうのに、年嵩は吐き出すように「いつまでたってもくだらねえハッタリをいうねえ、いい加減よしゃいいんだよ」「嘘ですか」「きまってるよ。なにしろ話が大きいんだから」「しかし、顔の広い人ですねえ」「まあ、それだけはたしかだがね」あのーとタカ坊が口をはさみ、「小松さんの本職っていうと、なんなんでしょう」  本職といわれて二人の記者は考えこんだ。彼の肩書きは、作詞家ということになっているのだが、それにふさわしい仕事はかれこれ四、五年前、ほんの少々CMソングを書いただけ。それも噂では、スポンサーが作詞の参考にとよこしたパンフレットのキャッチフレーズを、一字一句たがえずすらすらと書きうつし、最後に商品名を四つ続けたもので、さすがに間に入った代理店は、「これで作詞料をとるのか」とむくれたが、なまじ美辞麗句をならべるのより印象が鮮明と、スポンサーが気に入って、OKが出たそうな。 「マスコミ便利屋っていうのかなあ、もっともぼくなんかも、芸能プロ関係の取材をする時は、しょっ中彼を利用するから、あまり悪口をいえた義理じゃないけどさ」  そこへドヤドヤとこのバーを根城にする新劇の連中があらわれて、すわるより早く「どうしたのコマッちゃん、さっきそこで会ったけど、ソフトなんかかぶっちゃってさ」「しかも大きなチェックのスーツ、あれじゃとんと本場のダービーの予想屋じゃない」「いや、彼はおしゃれには気をつかってんですよ、先だって会ったら、講義されちゃったよ。背広をつくる時は、まず生地で買って、箪笥《たんす》にしばらくねかしとくのがコツだって、気に入ったからすぐ仕立てると、どうしても仕立てが浮わついてしまう、ところがねかせて置くと、眼が生地になれて、もっとも自分に似合うパターンがわかってくるんだそうだ、これ英国風なんだってね」 「しかし不思議だねえ、今もタカ坊と話してたんだけど、なにが本職ともわからないのに、どうしてそう金まわりがいいのかなあ」記者の一人がつぶやくと、「原稿書いてるわけでもないだろ」新劇がうけて「名前は週刊誌でよくみるけど、いつも談話だし」「つまり|という《ヽヽヽ》屋だな」「トイウヤ?」「ああ、芸能人の離婚問題について、小松良輔氏はナニナニという、あるいは、若いタレントの不勉強について小松氏はシカジカという」 「なるほど、あれ、いくらもらうのかしら」 「いいとこ三千円だろ、週に二回、|という《ヽヽヽ》でかせいで月二万四干円」「|という《ヽヽヽ》の時はコマッちゃん。むつかしいことしゃべってるじゃない、芸能人の意識のあり方に問題があるのではないかとか、ハイティーン歌手の二十年後の姿を思う時、ぼくは肌に粟《あわ》を生ずるのだとか」「いやあ、あれでうるさいんですよ、しゃべったこととすこしでもちがって書かれてると、たちまち編集長に電話がきますからねえ、一度なんだっけなあ、大スターの共演問題についてうちでコマッちゃんにインタビューしてね、彼もその新しいコンビに賛成のようだったから、まあ、小松氏は映画史上を飾る画期的新コンビというてな具合に書いたわけです。するとたちまち抗議がきて、ぼくは、たかがスターの共演について、映画史上をかざるなんていわなかった。これではいかにもぼくがおっちょこちょいで、いや、日本語に対する感覚をうたがわれるから訂正しろというんだなあ、よわったよ、あれにゃ」  別に弱った風もなく、芸能記者はうまそうに水割りウィスキーを飲み干した。 「TVの深夜ショーのレギュラーでしょう、あれ大分もらってんじゃないですか?」「ああコレクション拝見の相手役ね、ありゃいいよなあ、お見事ですねえ、大したもんだってほめてりゃいい」「ヘンなガラクタ集めてる漫画家にさ、こういうものこそ、人間的遺産というべきものでしょうなんていってたよ、長島の脛毛《すねげ》とか、朝汐の胸毛、ドモンジョの抜毛なのにさ」「ともかく月十万はもらってるだろうな、拘束されているから」「それに、今みたいな座談会もよくあるんでしょ」「結構二十万円はいくんじゃないか、俺の四倍だぜ」「馘《くび》になったら、あれをやりますか」一同、ケタケタと笑いあう。  バーを出たコマッちゃんは、座談会の会場である東銀座の小料理屋へ定刻きっかりに着き、ことさら不機嫌な表情で、座敷へ通った。「ああどうもお忙しいところを」音楽時代の担当記者とカメラマン、腕時計をながめてその正確さに感じ入り、「いや、恐れ入りました、きっかり六時」「まあ、ぼくはパンクチュアルな方ですから、これ、何時に終りますか」「そうですね、一時間半ほどで十分と思いますが」「じゃ好都合だ、八時からTホテルでパーティがあるもんで。出たくないんだけど発起人にされちゃったもんだから」「それはそれは、で、どなたの」「高川君の出版記念会でねえ、またうるさいのが集まって、たいへんだろうよ」流行作家の高川の名前が出たら記者はますます恐れ入った様子。「あ、どうもしばらく」コマッちゃんと大学同級生で音楽評論家の山本があらわれ、「忙しそうじゃない、この前TV、みたよ」「いつのTV?」「えーと三日前だったかな、消しゴムのコレクションの時」「あ、あれは失敗したんだ、ぼくも体の調子が悪かったんだけど、カメラマンが気のきかん奴でねえ、怒鳴りつけてやったんだが」「いやよかったよ、しかし、もうちょっと時間がほしい感じもするなあ」「そうなんだよ、コレクションというのは非情に人間味のにじみでるもんだからねえ、なにも夜だからってセミヌードの踊りをみせるだけが能じゃないよ、あ、今晩は、どうもしばらくでした」話の途中で席についた年輩の男に、コマッちゃんは低く頭を下げ、もう同級生はそっちのけで「部長、近頃ゴルフはいかがです。今度是非ご一緒させてくださいよ」と笑いかける。 「では、おそろいになったようですから、一つはじめていただきましょうか、どうぞ召し上がりながら」女中が水炊きの大きな鍋《なべ》を一つテーブルの真中に置き、早速コマッちゃんが箸《はし》を出す。 「今日は外人タレントのことしゃべるのかい?」部長と呼ばれた年輩者は、TV局の芸能部長、隣りの呼び屋川口にむかっていう。「そうらしいですな、私たちは商売柄、積極的には発言しにくいから、山本さん、まずなにかいってくださいよ」 「どうなんです、今、高いギャラ払って連中呼んでもうかるんですか?」 「人によりますねえ、ビートルズ級なら」 「うちなんか営業的な面だけでいうと、外タレはあまりスポンサーにはよろこばれないようだね、よほど強力でないと。とにかく橋幸夫、舟木一夫の方が、圧倒的に人気があるんだから」 「全般的にジャズというのは下火になってはきてますねえ、これも戦後二十年を経て、復古調のあらわれでしょうか」と呼び屋がいえば「なるほど、そりゃいい見方ですねえ」  ふいにコマッちゃんが口をはさみ、語尾の「ねえ」がやけに、感慨深げであった。 「小松さんは、あちらでビートルズ聴いたでしょ」「ああ聴きましたよゥ、なかなかのものでしたねえ」「なかなかというと?」「まあ、大したもんです、あらゆる意味でねえ、うーん」  座談は酒のまわるのと比例してはずんだが、コマッちゃんの発言は、「ウーン」「ナルホド」「ホントダナ」「ドーカンドーカン」にかぎられていて、しかも七時半になると、さっさと席を立ち、「私、これからホテルによんどころない用事でまいりますので失礼します」と、いやにあらたまった挨拶して、謝礼をうけとり、そそくさと姿を消す。 「まあ、大体のところは出つくしたようで、たいへんおもしろうございました。あとは、どうぞ召し上がりながら雑談でも」と記者がいい、出席の三人、ほっと体の力をぬき、いざ鍋をながめると、残るのは白菜に春菊《しゆんぎく》ばかり。 「だからいやなんだよ、小松と座談会に出るのは」  山本がうんざりとつぶやく。「あの野郎、こっちにばかりしゃべらせて、もっぱら食い気一点張りなんだからなあ」心細く箸にひっかかった糸蒟蒻《いとごんにやく》を大事そうに口に運び、「いや、私ははじめてだけれど、本当に相槌《あいづち》ばかりうってらっしゃいましたなあ、あの方は」と、呼び屋もぼやく。 「立派ですよ、あすこまで徹底すれば。ああ、担当の方におねがいしたいんだが、これのゲラね、彼のところにいちばん最初にもってってね」部長が、皮肉にいう。 「はあ、その方がよろしければ」「よろしいどこじゃないよ、あれで、結構ずるいからね、ゲラの時に、いろいろ書き加えるんだ」「まあ、しかしそれはぼくもやるけど」山本がいうと、部長は手をふって、「自分のを訂正するんじゃないよ、人の発言を抹殺《まつさつ》しちゃって、それを手前がしゃべったように直すんだよ、ひどいんだから」 「そうそう、そういや、いつか、彼に歌舞伎の芝居についてきかれましてね、まあ、なんとなくしゃべったら、奴は、すぐ近くの電話で、ぼくのいったことをそのまま自分の意見として、どこかの雑誌社へ流してるんだな、あれにゃびっくりした」「それになんですね、特殊なしゃべり方をなさいますな、小松さんて方は」呼び屋の疑問に、「古い劇評家の先生で、ああいう口調の人がいるんです。小松氏としては、それがいかにも重々しくきこえたんでしょうな、こういう席では、自然とその真似になる」部長が笑っていった。 「しかし小松さんもえらくなりましたな、今度パーティをおやりになるとか、うかがいましたが」話題を変えようとして記者がいう。「そう、学校出た時はどうなることかと思ってたんだけど、二、三年は勤めもせずにブラブラしてたらしくて、ある時ひょいとあったら、今は、詩を書いて食ってるっていわれてさ、おったまげたですよ」 「そうか山本さんは同級生でいらしたんですね、大学の」「いちおう文学部でしたからね、詩を書いたって別におかしくないんだけど、在学中に、ぼくらの同人雑誌に加わりたいって、小説を書いてきて、これがまあ、お粗末きわまりないものでクソミソにやられ、あれでこりたはずなんだけど」  コマッちゃんの卒業した大学は、文学部に伝統のある一流校で、特に彼の世代は、花の五十七回生といわれるほど、作家、評論家が輩出していた。 「彼の家は日本橋の文具屋でしてね、といってもお母さんがとりしきっていて、はじめはお妾《めかけ》さんかと思ったくらい、父親の影が家全体にうすい。よくきけば船員で、殆ど外にばかりいたからなんだけど、まあまあ裕福な家庭で、ぼくなんかもしょっちゅう飯をくいにいったもんですよ」  コマッちゃんの家の客間をサロンと心得るグループの中には、今をときめく作家の華房《はなぶさ》や音楽家の是久《これひさ》などがいて、「あるいは彼らのひきで、こういう世界に入ってきたのかなア、小松はとにかく、あのお母さんには世話になってるから」 「しかし、たいへんな読書家じゃありませんか? 私がうかがった時、廊下に古典文学大系やら、鴎外の全集がならんでいて、なんでも自分の部屋に入り切らないとかいって」音楽時代の記者はコマッちゃんに好意をもっているらしく、しきりに長所らしきところをあげるが、「なーに華房の真似ですよ。彼がまだ売れなかったころ、アパートに住んでいてその玄関に、蔵書をつみ上げておいた。それをみて感心したんですな。あの家にはあいてる部屋がいくらもあるし、第一、彼の書斎と称するところには、週刊誌しかありゃしないもの」「それはまあ小松さんの仕事としては、週刊誌の方が必読の書でしょうけど」呼び屋も、鍋をあらかたさらわれた恨みからか、コマッちゃんに悪態をつく。 「不思議な才能というべきですな、あの若さで、あれだけ交友関係がひろいというのは」「本来なら、ジャーナリストとか、プロダクション関係者として、長く現役で活躍した人が、年老いてから、売りこんだ顔を利用して小づかい稼《かせ》ぎをする、それを、若いうちにやってるわけだ、彼は」 「もっとも大分前になるけど、匿名《とくめい》でCMフィルムの批評を書いてるということはきいたことがありますよ、代理店のPR紙に」 「へーえ、そりゃ初耳ですね、なにしろ彼の文章に対する感覚ときたら、そうだ、同人雑誌にも一度だけ短文を寄稿させたことがありましたよ、それで」山本は急に笑い出し、「自分のことをどういうつもりか、貧書生と称してるんですねえ、なにかこう年老いた業界誌の記者が、一生けんめい気どったみたいで、ありゃおかしかった」 「その批評たるや、きわめて辛辣《しんらつ》でしてね、これじゃスポンサーに対してぐあいがわるい、コマッちゃんじゃなくてコマッチャウだなんていわれてましたよ」「匿名でなら、安心してケナすことができる人なんだな」「信じられませんなあ、しゃべってることはきわめて調子がよくて、人を傷つけるなど、毛頭できないのに」「いや、ああいうのは、心の中で何を考えてるかわからない、案外、ドス黒い怨念《おんねん》が渦を巻いていて」呼び屋が芝居がかっていったが、山本はにべもなく、「そんな根性のある奴じゃありませんよ、あれで結構、心そこ楽しんで生きてるんですよ」「いや、なんとも不思議な才能ですな」半ば本気で感心したように部長がくりかえし、ここでも気楽な笑いがしめくくり。  コマッちゃんはパーティの会場へつくと、芳名簿のならぶ机にむかい、「筆はないの?」と、受付の女の子にきいた。マジックだけといわれ、「こういうのは、やっぱり筆の方が重味がでるねえ、ボーイにいえばすぐ用意してくれるのに」と、余計なお節介をやいて、しばらく名簿の白い空間をにらんでいたが、やがて一気|呵成《かせい》に、おそろしく大きな字で、小松良輔としるし、その上に名刺を一枚そえた。達筆すぎて読めないといけないという配慮であった。  彼が会場へ一歩入ると、まさに煙管《きせる》の雨が降るように、名前を呼ぶ者、手を上げて合図する人、さてはワザワザ水割りのコップをとどけてくれたり、いずれもパーティに招かれたものの、あまり知った顔がなくて、手持ち無沙汰をかこっていた壁の花たちである。 「あ、どうも」コマッちゃんは低い声でその一人一人に会釈し、しかし、視線は彼らを越えて、さらに大物の、雑誌編集長クラス、あるいは有名作家の姿を求めていた。 「しばらくですねえ、麻雀《マージヤン》の方はどうですか、いっぺんやりましょうよ」ちょうど、映画評論家が声をかけた時、コマッちゃんはメーンテーブルの人混みに、大東映画のスター、柏木雄一を発見、返事もせずにそちらへ歩き去り、すっぽかされてバツの悪い評論家には、別の新聞記者が話しかけ「あれだからいやんなっちゃうねえ」「なんだと思ってんだろうな、失礼くらいいえばいいじゃないか」「俺もひどい目にあったよ、羽田空港で、コマッちゃんをみつけたからあいさつすると、あごをひょいとしゃくるだけなのさ、みると横に、KSプロの女社長がついてる、えらぶりたかったんだなあ、こっちはコンチワアなんて大きな声を出した手前、かっこがつきゃしない」  話し相手に困っていた面々、コマッちゃんがあらわれたとたん、共通の話題が生まれたようで、見ず知らずのお互いが、急に活気づいてしゃべり始める。 「他人がいるといないで、あんなに態度のかわる人も珍しいんじゃないですか、たとえばサンがクンになるし」「そう、実に極端に、よりえらい人の方へ尻尾《しつぽ》をふりますな」「大体、コマッちゃんは、高川さんとは、どういう関係なんですかね」「いや、パーティゴロなんだよ彼は。われわれが、映画の試写会へズケズケ入っていくようなもんで、招待状なんかなくても平気なんじゃないかね」「まるで関係ないパーティにもいるね、純粋に文壇的な、授賞パーティでみかけたことがあるよ。さすがに知ってる顔がなくてショボンとしてたけれど」「へーえ、文壇には弱いのかね、さしもの彼も」「そりゃそうだろ、どう考えても結びつかないよ」「でも、この前バーで、坂口の恵子ちゃんとどうしたとかって」「嘘だよ、第一なんだいその坂口の恵子ちゃんていい方は、歌手じゃあるまいし、相手は日本のボーヴォワールといわれる——」「だからさ、よほど親しいのかと思って」  パーティのコマッちゃんは、まったく水を得た魚のように活き活きとしてみえる。 「今日はおめでとうございます」主賓高川に固苦しい言葉をのべ、ツト手をのばして胸の造花のゆがみを直してやる。「おねえさん、先生にお代り」ホステスにきびしくいいつけ、「さすがに、御盛会ですねえ」「どうも苦手なんだよ、こういうのは、照れくさくってねえ」「いえいえとんでもない、そんなことを先生おっしゃっちゃ、私など」と、うかがうようにコマッちゃんは、高川をみた。 「そうか、君のパーティ明日だっけねえ、俺いかれないよ。朝、九州へとぶんだ」コマッちゃんの表情がフッとくもり「お忙しい方だから」とうらみがましく、高川はあわてて、 「祝電必ずうつよ、かんべんしてくれ」 「おねがいします」頭を下げると、すぐかたわらの同じく作家加山に、「先生、私の招待状とどきましたでしょうか」加山はよくのみこめず、高川をみる、高川は「彼のパーティがあるんだよ、暇ならちょっと顔出してよ、ぼくは発起人なんだけど、丁度具合がわるくて」  ほうほうと、加山が不得要領にうなずくのに、コマッちゃんはもみ手しながらはや心は他へ向い、今度は出版社の重役にむかう。  見送って高川は「なんだいあいつ、自分のパーティの勧誘にきやがったのかあ」と怒鳴り、加山は小声で「あの方、どういう関係の——」 「いや、よくわかんないんですなア、酒場でなんとなく知り合ったんだけど、ゲイバーにくわしくてね、ぼくも取材の時、便宜をはかってもらったことがあったりして」「ほうほう、そっちの方の専門家で?」「いや、専門家ってわけでもないし、どういうんですかねえ」  二人がながめると、コマッちゃんは今しも、女優の真杉幸子に、満面の笑みをうかべながら、ペコペコとおじぎしていて、案の定自分のパーティ勧誘をしているらしい。加山はその様子をみて、「女優さんも好きとなると、両刀使いなのでしょうかな、あの方」といったが、さすがに高川は不愉快そうな表情だった。  水炊きで腹はふくれているからメーンテーブルの料理には手をつけず、もっぱら水割りを片手にひとわたりあいさつをすませると、コマッちゃんはかえりじたく、これはかねがね母親から、「宴会に出て、最後まで物欲しそうに残ってるなんぞ、みっともないこってすよ、出世できません」といわれているからで、なるほど、有名人はパーティの途中でいなくなるようだから、彼もこのいいつけを忠実に守り、ヒョイと人のいない受付のテーブルに電話のあるのをみつけると、なれたものでまず0をまわして外線につなぎ、さてと、かける先を考える。 「小松でございます、エヘヘヘ御冗談を、嘘おっしゃって」突拍子もない、自分で自分の声の調子をおさえられないようなカン高いひびきがあって、女性に電話をかけるといつもこうなる。コマッちゃんは三十五にして、いまだ独身、しかもチリほどの艶聞《えんぶん》もない。|という《ヽヽヽ》屋がそのなりわいにしろ、TVに出演が本職にしろ、派手な女性とのつきあいは多いのだが、コマッちゃんにかぎって、いくら特定の女性とデートをかさねても、人の噂にのぼらないのだ。 「どう? でてこない? おごりますよ、本当、愛してるよ、ケケケケ」座談会と同じように、彼の電話におけるボキャブラリーもきわめて貧困であって、相手する者は、つい間をもたせるために、必要以上にしゃべらなければならず、しかも長いから、まことにくたびれる。 「コマッちゃん、飲みにいきませんかね」  芸能トップ屋のグループが帰りかけて気づき、声をかけた。「あ、いいとこであったな、これに署名してくれない?」コマッちゃんはふところから、なにやら印刷された紙を出し、「ベトナムに平和をもたらすための署名運動なんだ」そしてかつての同級生で、今は有名人の華房、是久などの名前をもち出し、「人道上の問題だからね、ゆるせないよ。まあ、ぼくなんか照れ屋で柄に合わないんだけど、一市民としてね、やはり力をつくさなければ」意外な台詞《せりふ》に毒気を抜かれたトップ屋達、署名をさせられ一口二百円の寄付金をまき上げられ、なにやら飲みにさそうのも恐れ多い感じでいると、今度は、ポケットからもう一束の紙を出して、「ところでさ、銀座にバニーガールを置く、いわばプレイボーイクラブね、あれができるんだ。君達、バーで飲むよりぐっと安上りだよ。五万円出して会員になれば、後は月五千円の維持費で、スコッチが原価。どうグループで申しこんでもいいんだ」ますます呆然とする相手に、なんのこだわりもなく、申込書をわたし、時計をみて、「うーん、TVまでちょいと時間があるなあ、ひとまわりしてくるか」と、足ばやに去る。 「なんだいありゃ、右にベトナム、左にプレイボーイクラブかい」「まったくシー調だねえ、しかしのっけに人道問題を持ち出された時はおどろいたなあ」「常に流行の先端にいなければ気のすまない人だからねえ」パーティに列席したメンバーの中で、いちばんミソッカス的存在だったこの連中、コマッちゃんに会って、急に元気をとりもどしてみえる。「彼、昔、トップ屋をやりたかったんだってな」「そう、なんでも文章が古いってんで書き直しを命じられたら、すぐさま近くの酒屋でオールドを一本買って、デスクにさし入れしたそうだ」「あたらしそうでいて旧《ふる》いんだねえ」「年ですよ、年」「今なんで食ってんだろ」「さあねえ」  コマッちゃんは、電車通りのクラブ「あすか」の、ドアボーイに「誰かきてる?」とたずねる。知ってる顔があれば、おごってもらう算段なのだが、ボーイは愛想よく首を横にふり、「うーん、どこも景気がわるいんだってねえ、近頃は」と捨台詞。その後姿に、ボーイ、ペッと唾を吐く。マダムに、「ああなれなれしくお客さまのそばにすわりこんで、只酒のんじゃハタ迷惑よ。よく知ってるのならともかく、よその店で隣りあわせに坐ったという縁で、おく面もないんだから」と、いい含められているのだ。  コマッちゃんが銀座を歩けば、ホステスのスカウトからバーテン、ゲイボーイがあいさつし、TVで顔に見覚えあるらしい通りすがりの男女が視線をおくり、あたかも花道をゆく千両役者のように彼は昂然《こうぜん》と胸をはり、やがて棒に当った。高川パーティの流れの、作家|仁礼《にれい》幸之助と、三人の雑誌記者に出会い、したたか酔った仁礼は、近くのクラブへなだれこむ道連れに、コマッちゃんを抱きこんだのだ。  一同とホステス互いちがいに坐りこみ、自由業にはちがいないコマッちゃん敬意をたてまつられ仁礼のすぐ隣り。こうなるとコマッちゃんはまるで気おくれして、一同の声高なしゃべりに耳を傾けるだけ。「おい礼子はどうした、うん、ありゃ気立てのいい子だったぞ、やめたんか」「ママと喧嘩《けんか》したらしいのよ」「いかんなあ、ここのママはなまじ美人だもんだから、ホステスと張りあっていかん、説教してやるからよんでこい」「いいわよ」「どこへ行ったかわからんのか、礼子は」仁礼がいうのに、ようやくコマッちゃん口を出して、「ぼく心当りをきいてみましょうか、場末へ行ったんならともかく、銀座新宿ならわかるはずです」「ほう、こりゃ頼もしい人だね、この人は。そんなに顔がきくものなのかね」賞められてコマッちゃん心底うれしく「まあ、いくらかは」「この人にお酌しなさい、大事なんだよこういう人は。小松さん、そう遠慮しないで女をさわったげなさいよ」「いや、先生のようなベテランの前では」「いやハハハ、さあくっついて、ぼくだけやっとったんじゃ、いかにも目立っていかん」いわれてコマッちゃん、ぐいと隣りの女の手をにぎり、とたんに女は「イタイッ」と悲鳴をあげる。電話と同じく、力の配分がわからなくなるようだった。 「ぼく、TVがありますから」これもまた切り上げ時が肝心と、少し早いのだが立ち上って、あらためて「先生、明日のぼくの会には是非いらして下さい。ビュッフェスタイルで、美人も沢山くる筈です」「美人? そりゃいかなきゃならんな」仁礼は、手帳をとり出してメモし、それがコマッちゃんの涙の出るほどうれしくて、深々と一礼して去る。 「先生はああいうの気になりませんか」仁礼とコマッちゃんのやりとりの間、かたくなにだまっていた雑誌記者の一人がたずねる。 「ああいうのってなにかね」「いやな奴ですよ」「そうかね、ぼくは一度、麻雀をしたことがあるだけで、よく知らんのだが」「汚ないでしょ、彼は」別の一人も口を出す。「人にアガられるとサンシャンテンくらいなのに、いちいち人にパイをみせて、三色《さんしよく》のがしたとか、一気通貫《いつきつうかん》でき上りとかいって」「そうだったかな、よう覚えとらんが」「なに思いついてパーティなんかひらくんだろ」「そうそう、美人がくるとかいってたなあ、なんの会なんだい」  一人が袋の中から、封も切ってない招待状をとり出して、「余ったらしくて、今日になってとどいたんですけど」中をあらためると、例によって出席欠席通知の葉書、ラベンダー色の招待カード。「われ等の人気者、小松良輔君の生誕三十六年を祝い、一夜、彼をかこみ、彼をサカナとして痛飲馬食したいと思いますか。痛飲馬食てな変ですねえ」 「どこでやるの?」「ホテルN、明日八時から」「ほーう、ホテルNで誕生パーティとは豪勢だねえ、あのでかいのを囲んで我々がハッピーバースデーと唄うわけか、おもしろいねえ」 「三十六の男のすることじゃないよ」記者は招待状をこまかく裂いて灰皿へ捨てる。 「三十六にはみえないねえ、ぼくはせいぜい三十そこそこと思っていたが」「それでまだ独身ですよ」「ふーん、いや、それで思い当ったんだが、彼はインポじゃないかね。こりゃ女性にきいた方がよくわかる、女の直感でいって、今の彼、どう思う? どっか男の迫力にかけてるところがないかね」  三十近いホステスはまさかと笑ったが、若い方はコマッちゃんを知っていて、「そうねえ、たしかに一緒に寝ても人畜無害保証つきみたいな感じよ」「と思わせておいて、実はというなら、こりゃ立派なものだが、どうだい諸君」「ゲイじゃないのかな。一時はゲイにこって、ゲイボーイこそ現代の幇間《ほうかん》てなことをいってたけど」「今はまるで熱がさめたようだなあ、近頃は、しきりに俺はママコンプレックスなんだといいふらしてるようだぜ」「ますますおもしろいね。自分でママコンプレックスと宣伝する奴が、日本にもでてきたか、文明開化だなあ」「そうなんですよ、ママコンプレックスっていうと、いかにも文化人めいてみえる。ゲイも同じことで、ホモに理解をみせることが、インテリのしるしみたいに思われたことがあったでしょう。もはや、ゲイは古いからママにうつったんだ」 「いや、待てよ、それも彼がインポであるなら、実によくわかる。いや、涙ぐましいカムフラージュだぜ」 「カムフラージュ」 「うん、彼、小松氏はある時自分が不能であることに気づいた。男にとって、これは存在を否定されたにもひとしいことだ。だから彼はこれをかくそうとして、つまり、女性を抱き得ない理由として、まず自分がホモであるが如く装ったのかも知れん。しかしこれとても、相手のあることだから、いつかはばれてしまう。まあ受身の立場をとればいいのかも知れんが、あのデカさではそれもむつかしい。ゲイがばれそうになった時、つぎなるかくれみのとしてえらばれたのが、ママコンプレックスだ。これは、まあ楽だな。自分がそういってりゃ、そんなものかと他人は信じてしまう。ぼくはママコンプレックスであるという言葉ほど、女性に敬遠されるものはないのだから、彼は常に女にフラれる男という立場で、正体のバクロされるのを防ぐ」 「でもさあ、私の知ってる女の子がね、一度さそわれたってよ、ホテルに」 「へーえ、で、うまくいったのかね」「ううん、なんでもホテルへ着くまでは、絵にかいたようなレディファーストだったんだって。ところが、部屋に通ったとたん、急に乱暴になって、洋服は破る、逃げれば髪をつかんでひき倒す。悲鳴をあげるとなぐりとばす。あんまり急にかわったんで、もうすっかり怖気《おじけ》づいちゃって、ハダシでとび出たそうよ」「ははあ、すると小松氏はサドの方なのか」記者が、むつかしい顔でいうのを、仁礼は制して、「いや、拒否されるためかも知れぬ、乱暴を働くことによって相手にきらわれる。きらわれれば、インポがばれなくて済む。しかし、変だね、それならホテルへ行かなきゃいいだろうに。ひょっとすると、彼はその女性を非常に愛してたかも知れないね。それで、止むにやまれず、とにかく後にひけぬ気持で、ホテルまで出かけた。ところが、やはり駄目だ。彼はほしいお菓子を眼の前にしながら、食べれない子供のように、ヤケを起し、女に八つ当りした。その女性は逃げ出してよかったんだよ。もし、その彼の行動を、一種の愛の表現とうけとり、そのままいたら、彼は正体露見ののっぴきならない立場においこまれ、女を殺したかもしれない。男にとって、この上ない屈辱だからねえ」 「おう、いやだ。冗談じゃないわ」「彼に殺しが出来るかなあ」「そういえば、レロレロに酔った時なんか、ものすごい勢いで、背中をどんどんとたたいたりするわよ」「それはいとしさ変じて、憎しみになったんだな、気をつけた方がいいぞ、おい」  本気でこわがっているホステスを、仁礼がからかったが誰も笑わぬ。 「とにかくいやな奴だなあ、みんな心の中で思ってんじゃないのか、うわべは調子よくやってるけど」 「そりゃそうだよ、まあ誰でもいいから、コマッちゃん近頃どうしてる? って口をきってみろ、はじめはニタニタ笑って、相変らず忙しそうだねとかなんとかいってるけど、すぐに悪口がとび出すもの」 「ほんと、彼の話をしてると、退屈しないね」 「それも彼のインポを証拠だてるものじゃないのかい?」仁礼が口をはさみ、「先生はどうしてもインポにしちまわなきゃ気がすまないらしいなあ」と一人が笑う。 「ふつうの男の場合だとね、そりゃどんなにいやな奴でも、そうそうは悪口をいえないものだ。他人のそういうアラ探しをしている自分がいやになることもあるし、自己防衛の気持も働くわな。うっかりテキの耳に入るとヤバイという心配が起る。だが、彼、小松氏にかぎって、彼を知るものがすべて楽しそうに、嬉々として悪しざまにケナし得るというのは、インポだからだ。彼を男としてみていない、みんなの潜在意識の中では、彼を中性として認めているからではないかね。女をいくらケナしたって、自己嫌悪にはかられないし、たとえそれが耳に入っても、フラれるだけだろ。小松氏にもそれと同じことがいえるんだ」 「やれやれひでえことになったなあ」 「現に、こうやってぼくも、ほとんど知らない彼について、インポだの男じゃないのってしゃべっている、なんのこだわりもなくね。ぼく自身おもしろがってるし、もし、彼がここに来なかったら、我々もきっと手持無沙汰で困っちゃったんじゃないか。ここにいるホステスどもは気が利かんし、いっこうにサービスもようない、それをカバーしてくれるのが、小松氏の存在だ。おい、彼を大事にしろよ、貴重な人物だよ、彼は。ええ」 「そうすると彼が、やたらとえらい人の名前を会話の中に出したり、スターとのつきあいをひけらかすのも、とどのつまりはインポをカムフラージュする方便」 「いや、そうはっきり考えてじゃないだろうけど、習性となっちゃったんだよ。自分を飾ることが」  コマッちゃんはTV局にいた。他の出演者がすべて芸人だったから、|という《ヽヽヽ》屋の彼ではあっても、ここでは先生と呼ばれ、別格に扱われる。もっとも、雑誌のインタビューをうける時、必ずTVスタジオを指定し、その場かぎりでは、いかにも売れっ子の軽評論家に、みえないこともない。 「われわれはまあ保守反動の方だからね、あまり突拍子もない水着は、やはり困ると思うねえ、かくすべきところをかくすことの美しさというのかなあ、女性はそれを知らなければいかんねえ、うーむ」  あたらしい水着についての感想を求めた女性雑誌記者は、冒頭に保守反動といわれておどろいたが、われわれと複数でいったのに気づいて、これはベトナムのアメリカ軍を支持する著名評論家と仲が良いのかとも考え、しかし、インタビューがすむと、例の、ベトナム平和の署名を求められて、頭がこんぐらがった。 「本番二分前、関係者以外はスタジオから出て下さい」アナウンスがあると、ことさら自分は関係者であることを強調するように、記者に出口をしめして、追い出し、うけもちであるコレクション拝見のセットへ重々しく向う。スタジオのすみの夜店の叩き売りのような台に、トイレットペーパーがならべられていて、これは貿易商が、世界をまわってコレクションしたもの。  カメラのターリーに赤いランプがつくと、コマッちゃんはニコヤカに「皆さん今晩は、小松良輔です、初夏もはや過ぎて今日この頃、めっきり夏めく気候となりました。いよいよこれからは旅行のシーズン、あれこれプランをねってらっしゃる方もいらっしゃるでしょうが——」  スタジオ上部の副調室では、カンカンになったディレクターがカメラマンにむけ怒鳴っていた。「またはじめやがった。いいからトイレットペーパーの方にカメラをむけろ、時間がないんだ」  コマッちゃんはいつも前説が長すぎるのである。まるで三十分番組の司会者のあいさつのようなことをいい、しびれ切らせてカメラを彼からはずし、肝心のコレクションの方に切り替えると、人がしゃべっているのに失礼なと、怒り出すのだった。 「トイレットペーパーといいましても、こう色とりどりで美しいものですね、夢があるというのかなあ」「はあ、これはミラノの」「レッド、ブルー、ホワイト、グレーまさに七色のペーパー。カラーでおみせできないのが残念です、うーん」「こちらの粗悪な紙は、ソ連圏内の——」「イエローが揃《そろ》うと、ほとんどの色が集まることになるのに、惜しいですね」「はあ、やはりイエローはあまりないようでして」コレクターは、すっかり当惑していたが、コマッちゃんトイレットペーパーに黄色はつきすぎているとさらに気づかず、「日本でつくったらいいのにねえ、イエローペーパー」  カメラがダンシングチームのセットへ去ると、たちまち夜店の台は片づけられ、くらがりの中で一人ぼっちになったコマッちゃんは、副調にむけて指で輪をつくり、二、三度ふった。今日は調子よくいったという意味なのだが、ディレクターは、自分ばかりしゃべったコマッちゃんに腹を立て、「奴がおりるか、俺がおりるかだ!」  ギャラをうけとり、座談会の謝礼とあわせて一万五千円をふところに、コマッちゃんは十二時半、局の車に送られ、日本橋の自宅へむかう。本来ならそのまま社旗なびかせて、六本木、青山へくりこむところだけれど、すでにパーティは、今日のこととなっていた。  日本橋といっても蛎殻町に近い小学校の前に「こまつ文具店」があり、車を降りる前、彼は二、三度クラクションを鳴らさせた。コマッちゃんが子供の頃から、車で我家へかえり、クラクションで家人をたたきおこすようになってくれと、これは母の夢だったのである。 「ああおかえり、おかえり。おつかれだったろうね、どうする、お湯さきにするかい? それとも、おまんまさきかい?」 「お風呂に入るよ」  母親の前にでると、コマッちゃんは別人のように無口になった。母親は棒のようにつったったコマッちゃんのまわりを、くるくると動いてネクタイから靴下まできれいにはぎとり、最後にブリーフのももにあたる部分を指でつまんでひろげ、中に風を入れた。むれるとよくないからと、おしめの頃からの行事。 「お背な、流そうか? 頭洗うんなら、湯ぶねの中で洗っちゃっていいからね、後は、父さんが入るだけなんだから」  湯から出ると、六尺二十二貫の体に、これだけは小学生の頃から母が手づくりの、麻の甚兵衛さんと、毛糸の腹巻き、ブカブカのパンツをまとい膳にむかう。かれいの煮物は、きれいに、身だけむしられてひとまとめにされ、他にホウレン草と、卵焼き、ハンペンを浮かせた汁。コマッちゃんは、ものもいわず、猛烈なスピードで食べて、これも母親の仕込み、「早めし早ぐそは男子のたしなみ」と、子供の頃からいわれつづけてきたのだ。 「おや、おかえり、早かったねえ、今夜は」ねずみのようにしなびた父親が顔を出し、とたんに、「うるさいですよ、早く寝ちまってくださいな、明日は良輔の大事な日なんですから」 「ああ、すぐひっこみますよ」台所へむかうのをみおくって、「また焼酎《しようちゆう》飲みやがる、お前に飲ませるため置いてあんじゃないよ、梅酒に足りなくなるじゃないか、飲んだくれの能なし爺《じじ》い」  父親は、外国航路の給仕長を長くつとめ、先年、退社に際しては、ナントカ褒章《ほうしよう》を授与されたのだが、その飾りだけは茶の間の欄間《らんま》にかざり、本人は奥の一間に押しこめられて、食べるのも寝るのも別の居候《いそうろう》同様。  コマッちゃん、親父の土産の絵葉書、コースターをひけらかすうち、何時《いつ》の間にか洋行がえりにみられ、これは好都合だったから、その話のタネを仕入れる時だけ、親父と酒を飲む。「あたしゃね、明日、いいお天気になるようにって、照る照る坊主つくりましたからね、ちょいとみてごらん、かわいいから」  雨戸をくると軒端《のきば》に、古風な、一見、首吊《くびつ》り人のような紙坊主が三つ、風にゆれている。「大丈夫だよ、車があるんだから、雨だって風だって、関係ないさ」「だってさ、やっぱりおめでたい日は、日本晴れの方が気持いいやね。あー、お母さんが保証しますよ、あー南無大師《なむだいし》観世音|清荒神《きよしこうじん》熊野|大権現《だいごんげん》東照宮水天宮八幡|大菩薩《だいぼさつ》——」日本中のめぼしい神仏を片はしからいって、両掌《りようて》をあわせる。  夫が航海に出た後、母の生き甲斐は、コマッちゃん一筋であった。学校を休む時は、かわりに授業に出てノートをとり、首尾よく小学校は卒業生総代となり、中学高校も一度もしくじらず、ただ東大に入らなかったのは心残りだったが、また大学卒業後、就職もせずにいた時は肝が冷えたが、今みれば、それも良輔には好運だったと思える。毎夜、TVのブラウン管にあらわれる我が子の姿に頭を下げ、今晩はといえば、はい今晩はと返事して、いっそ、自分の他にも大勢の人が良輔にあいさつされていることが、癪《しやく》にさわった。 「おしっこしといでよ、ためると毒だよ」食事すませた良輔にいう。「明日は何時にお起きだい? いろいろ用があるんだろ」「大丈夫だよ、もうすべて準備完了、後は体さえ運びゃいいんだから」「洋服はそこにかけておいたからね、黒のダブルでいいんだろ、たたみじわがついてるから、一晩つるしとかないとね、朝になったらブラシかけるからね。もう寝たらどう? それとも起きてるかい? ねむくないのにむりして寝るこたないやね。桃むいたげようか、苺《いちご》はもうおしまいになっちゃったからねえ」 「ぼく、ちょっと明日のあいさつを考えるから、書斎へいくよ。まあ、ぶっつけでもいいんだけど」「そりゃいけないよ、ちゃんとうまく考えなきゃ、あたしゃ覚えてるよ、山下小学校で、お前が総代になって読んだ別れの言葉」母親はフト天井をむき、「西も東もわからなかった僕達を、やさしくまたきびしくおみちびき下さった先生方、本当にありがとうございました。今、ぼく達は先生に別れ、あたらしい道へすすもうとしています。しかしうれしいにつけ悲しいに——」母親はやがてすすり泣き、かたわらに良輔の姿はない。  コマッちゃんをマスコミに押し出す、その基礎をつくったのは、母親だった。かつての同級生が、作家、評論家としてつぎつぎ名乗りを上げると、彼女は以前、自分の家の茶の間で飯をくわせた縁をたよって、息子には知らせず、その将来を頼んでまわった。頼まれた側にこれといって心づもりはなかったが、折よく週刊誌ブームが到来して、心やさしい彼等は一宿一飯《いつしゆくいつぱん》の義理を、ここに果した。コマッちゃんを良識の代表、博学の権化《ごんげ》として売りこみ、わけわからぬながらこのあたらしいマスコミと接触するうち、自分で気づかぬ間に、いつしか広く顔が売れていた。  ほとんど父親を知らず、だから齢三十に近くなっても、父親的なものに憧《あこが》れをいだき、当初、五十、六十年輩の芸能会社重役、出版社の長老に臆面もなく甘えて、それが風がわりで、かわいがられたことも、一つの理由だった。  コマッちゃんが、自分が主賓となるパーティ、今まで何百回となく口にしてきた「本日はおめでとうございます」という言葉を、今度は自分が受ける立場になりたいと考えたのは、それをキッカケに、母親の胸からはなれて一人立ちしたい気持が、底にある。だから彼はこのことをすすめるに当って、すべて一人でことを運んだ。「われらの人気者ウンヌン——」の挨拶状を書いたのも、招待状の配布さきを決めたのも、ホテル、日時、会費すべてを自分でとりしきり、このプランをすすめるうちに、母親だけではなく、もう誰にも相談せず、純粋に自分のやりたいパーティを、やりたいように行うことの楽しさにひき入れられて、発起人こそ何人かの名前をかりたが、通常の場合のような、世話人的存在を一人もたのまなかったのだ。パーティそのものが、コマッちゃんのはじめての作品といっていい。  机とスタンド、それに辞書のたたずまいは、あっぱれ文筆業のそれだったが、コマッちゃんには、先天的に文章を書く能力が脱落しているようだった。挨拶状の文句も、たまりたまった自分宛のものから、抜すいしたものであり、かつては彼はこのコレクションを、TVの自分の番組に出そうと思い、ディレクターに申し出て、ケンモホロロに断わられている。 「集めたんじゃなくて、集まったんでしょ。集める意志の働かない場合はコレクションとはいいません」 「西も東もわからぬ——」母親が朗誦《ろうしよう》し、彼もウロ覚えには記憶している、卒業生総代の時の台詞《せりふ》が、つい原稿用紙の上に、自分の意志とは無関係にあらわれた。パーティ主賓のあいさつを想い出そうとして、頭をしぼるが、片言隻句《へんげんせつく》もよみがえらぬ。しかし、このあいさつこそは、かがやかしい言葉にかざられ、明確な意志をきくものに伝えねばならぬ。「お忙しいところを、多数お集まりいただきまして、小松良輔心から感謝しております」そして最後が、「なにもございませんが、どうかおくつろぎくださいまして、存分に召し上っていただきたいと思います」拍手。その間が皆目うかばない。 「お母さんが一緒に考えてあげようか、あたしゃこれで、なかなかうまいんだよ」 「いらないよ」桃と一緒に胃腸薬をもって母親がのぞき、良輔はヒステリックに怒鳴った。小学生の頃、年中、授業参観に母親がやってきて、当時から体格すぐれ、最後部に坐る良輔に、小声で答えをおしえてくれたことを思い出した。大学の期末試験の頃には、母親はいつの間にか、遊びに来る同級生からノートを借りて、きれいに清書したものを備えていてくれた。中学生の頃、一時異常に肥満して、角力《すもう》取りのように乳房がふくらみ、それを母親はよろこんで眺めて、「お母さんのオッパイとどっちが大きいだろうね」と、乳首に乳首をふれあわせた。高校に入っても一緒に風呂へ入り、お母さんだって満更捨てたもんじゃないだろ、ほら、ちょいとここをさわってごらんよ、ピンピンしてらあね」と腰に良輔の指をみちびき、にっこりと笑った。  良輔が茶の間へ戻ると、すでに母親の姿はなく、彼は雨戸をくり、眼の前の照る照る坊主をひきちぎると、両掌でギリギリと押しもみ庭に捨てた。そして父親にふれさせぬよう鍵《かぎ》のかかった戸棚から、スコッチをとり出し、ストレートであおり、どっかとすわって、電話機のそばのメモを破り、再びあいさつを考える。「頑張ります」「あたらしい人生を」「男々《おお》しく立ち向い」「男子ひとたび志をたて」「風|蕭々《しようしよう》として易水《えきすい》さむし」「丞相《じようしよう》病あつかりき」「セラヴィ」「ラヴィアンローズ」「イレテタンプティナヴィゲー」言葉のきれっぱしを追いかけるうちコマッちゃんはいつしか寝入った。待ちかねたように、今は猿の如くちぢこまった母親が、机につっぷした良輔をやさしくだくと、胸をはだけてその右肘《みぎひじ》を、乳房にあてがい、ボールペンを持って、メモ用紙にむかう。「西も東もわからなかった私を、常にやさしくおみちびき下さいました諸先生、先輩、また友人の皆様に、心からの感謝をささげたいと思い——」すでに母親も年老いていた。  そこまで書くと、どちらが抱くでもなく、寄りそうように六尺有余二十二貫の息子と、五尺足らず九貫八百の母親は一つに溶けあい、ひっそりと静まる。  翌日は、快晴だった。  昼過ぎに起き出したコマッちゃんは、新聞の運勢欄をまずながめ、「瑞雲《ずいうん》堂に満ち、陽光ひときわ輝きをます。いざすすめ万難おのずから退く」とあったから、自然心もかるく、「お母さん、出かけるよ」 「おや、早いじゃないの」「人に会わなきゃならないんだよ、パーティと仕事は別だからね」「たいへんだね、お前の仕事も。まあだけど、あのクソ爺いみたいになっちゃおしまいさね。頑張っとくれよ」母親は脱がせた時と逆に、ブリーフに風を入れ、靴下、クレープシャツ、ステテコと着せて、燧石《ひうちいし》をとり出し、キッキッと玄関で切火《きりび》うって、良輔を送り出す。 「おい、ぼくねえ、どうも気が重いんだよ、今日のパーティ」  仁礼が、昨夜同行の雑誌記者に電話していった。「まあ、昨日の調子からいや、いかなきゃならないわけなんだけど、どうも気がすすまんなあ、どうするべえ」「いいじゃないですか、ほっといたって、そう親しいわけでもないんだから、エヘヘ」「なんだろうねえ、こう重っくるしい気分なんだな、小松氏のパーティに出席するということが」 「あんまりひどいこといいすぎたからじゃありませんか、きのう」「そうでもないと思うんだがな、つまり、自分をみてるような気がするってえのかな?」「自分?」 「うん。いろんな悪口をいったけどさ、ありゃ、ぼく自身にもあてはまることなんだねえ、ぼくだけじゃないよ、あんただってそうじゃないかな。彼、小松氏をけなすことは、結局、自分をやっつけることなんだと思うよ。だから一種の自虐的な楽しみというか、ふつうの男をけなす時と同じような、嫌悪感からまぬがれるんじゃないかい。夜、酒場でならともかく素面《しらふ》で、相対するのは、憂うつだよなあ、おい」  銀座でコマッちゃんはトルコ風呂へ入り、マニキュアをした。頭の一隅に、あいさつについての懸念《けねん》があったが、万難おのずからしりぞくの言葉が支えとなっている。  午後七時、コマッちゃんは、ホテルNに着いて、玄関正面のパーティ案内板をながめ、「小松良輔君をさかなでする会」とあるのに烈火の如く怒った。 「さかなでとはなんですか、宴会課長をよびなさい」  パーティ会場は、壁面に中国風紋様をかざり、はるか高みの天井からシャンデリアの大小六対が懸り、優に数百人を収容できる広さで、奥に一段高く舞台がもうけられ、左手にピアノ、右の壁に沿って、寿司屋、焼鳥、おでん屋の店がならび、左手前にバーがあって、中央のメーンテーブルの周囲に、衛星のごとく五つのサイドテーブル、それぞれに中華風バイキング料理がならぶ、入口の受付は混雑を予想して、硯箱《すずりばこ》四つ。  七時三十分、まず銀座のクラブから招集したホステス二十人、赤坂のキャバレーから十人、ファッションモデル六人控え室に入り、おでん湯気ひとしきり白く立ちのぼる。 「うーん、舞台の後に金屏風《きんびようぶ》を立てまわしてもらおうかなあ、お客は入れこみで、どんどんお酒を出して下さい。数がそろうまで待たせるなんざ、野暮ですよ、ホステスの人は入口の両サイドに、ずっと並んでおむかえしてね、そうだ、煙草を少しテーブルに置いて下さい。そうね、ケントにウィンストンがいいかなあ」支配人よろしく訓示を垂れる。  八時、コマッちゃんはトイレットに入った。鏡にうつる姿をながめ、「一生一代だ、おちつけ。これから何十年生きようとも、その間に味わう栄光の半ば以上のものが、ぼくの身をかざるのだ、南無大師観世音清荒神熊野——」  だが、客はあらわれなかった。  たまに入口に近づく女性はいたが、それは待人を探してのことだし、二、三人連れの男は、暇つぶしに、パーティをひやかしに来たのだった。  コマッちゃんは玄関に出て、つぎつぎと客をおろす車を見張った、見知った顔はない、自然に、電話番号ノートに手がいった。忘れたことのないそれが、黒のダブルの胸ポケットになかった、数字が、七桁《ななけた》の数字が、一瞬おどり狂い、覚えている筈のバーのナンバーすら、消えた。  近づく自動車のヘッドライトから身をのがれるようにして、再び玄関ホールへ入ると、うやうやしくボーイが近づき、「そろそろ主賓の方は、中でお待ちいただきまして」客のこないパーティを怪しんでのことだった。  すでに八時を二十分すぎていた、コマッちゃんは小走りに会場へもどり、あっけらかんとした入口両サイドのホステスをながめ、機械のように無表情に演奏するピアニストをながめ、林立するウィスキーの瓶《びん》をながめ、と、ホステスが、ふいに風になびくように、上体をかがめたから、ふりむくと、そこに母親がいた。 「良輔さん、今日はおめでとうございます。これの母でございます、どうもお世話さま」そして、さらに会場にふみこみ、天井をながめ、テーブルに眼をやり、ニッコリ笑っていった。 「おお、よくできましたことね」 [#地付き](「宝石」昭和四十一年七月号)   [#改ページ]  殺さないで 「アホんだら、チョウ待ちくされ」  おっそろしく乱暴な台辞《せりふ》がひびきわたり、道行く者すべて足をとめてながめると、グレイのズボンに鰐皮《わにがわ》まがいのベルト、黒いシャツ、足もとは雪駄《せつた》、いわずと知れたチンピラ極道《ごくどう》。  黒い塗りのベンツがその少し前方にとまっていて、男は肩をふりふり車に近づくと、まず後の車輪を脚でけとばし、身をかがめて座席のぞきこみ、運転手の前向いたままなのを、コツコツ中指でガラスたたいて合図し、 「おんどれ、気ィつかんのか、みい、泥かけやがって、おい、どないかいうたらどやねん」  運転手の横にすわっていた男が、ひょいと音もなく降り立って、チンピラのかたわらに寄り、 「すまなんだなアンちゃん、かんにんしてえな」  言葉つきは丁寧だが横柄《おうへい》にいい、もとよりチンピラにもそれは感じられたか、 「なんじゃい、かんにんしてですむおもてんのか」  梅新《うめしん》の裏の一方通行、せまい路地のこととて、たちまち車つめかけて、ここをせんどとクラクションを鳴らし、それを千軍の味方とでも気負うように、 「かりにも男の服に泥はねかえして、それでかんにんしてくれやと、ふざけんなよ、おっさん。男の服は面《つら》も同然や、いうたらおのれ男の面に泥ぬりよったわけや、どないしてくれるねん」 「そやから、あやまってるやないか」 「あやまる? それがかい」  ペッと、極道これみよがしにツバを吐き、あらためてズボンのポケットに両手をつっこむ。 「どないしたら気が済むねん」 「済むようにしてもらわんとな」  もう一度タイヤをけとばしたつもりが、ボディに当って、とたんに後の座席にすわっていた男、はじかれた如くとび出し、 「なにみとんじゃ、みせもんちゃうど」  低い声で、そば屋の出前持ち、アベック、学生など七、八人、人だかりしているのに一喝《いつかつ》あびせ、チンピラに近づくと、 「なにゴチャゴチャいいさらしとんねん、おのれ、文句あんねんやったら、交番所いくか」 「おお、おもしろいな、どこなといこか。おんどれ男の顔に泥かけよってからに、ようまあいうわ、交番でもどこでもいこやないか」  後から加わった男、やせているわりにでかい態度で、チンピラの肩抱くようにして車の反対側へまわり、まず自分が体を入れ、つづいてチンピラの手をとり、一人でのれるわいと、払おうとしたら、後からえらい勢いで突きとばされ、男の膝につんのめったところを羽交《はが》い締《じ》めにされ、なんのことはない、チンピラは天井むいて、膝《ひざ》まくら。 「なにしやがんねん」  吠《ほ》えたてたが、ビクとも動けず、脚でドアけろうにも、窮屈でそれもかなわず、なんとか腕をぬこうともがくところへ、 「どこの若い衆や」  太い声がした。 「どこのもんや、いうてみい」 「どこのもんでも関係ないやろ、お前等こそなんや」  とたんに、運転手の横にすわった男、腕をのばして、チンピラの眉《み》けんを、人差指ではじく、 「いたっ」  よほどなれているのか、力が強いのか、チンピラ眼がくらんだように思い、しかし、同じ場所を二度三度つづけて牛殺しがみまわれ、そのいかにも冷やかな動作に、チンピラふと恐怖感が起る。 「どこまで連れていく気や、交番所もう過ぎたやないかい」 「お前の面の泥ふかせてもらうわ、それで文句ないんやろ、おとなししとり」  羽交い締めの男が、これまた冷淡にいい、 「おのれ、絞龍会か、山城組か」 「そやったらどないしてん」 「どっちゃて、きいてんねん」 「山城組や」  溺《おぼ》れる者の藁《わら》で、梅新に少しは顔の利く山城の名前を出せば、いくらかはこの得態《えたい》の知れぬ連中も見直すやろと、反応うかがおうとしたら、まずケタケタと、年配の笑い声がし、運転手までがふりかえって、「山城組の若い衆か、元気ええこっちゃ」  ひやかすようにいう。 「はなせ、はなしてくれ」  もはや悲鳴に近くチンピラがさけび、その返礼に、眉けんではなく鼻っ柱を牛殺しがおそい、一筋赤い色が流れ出す。チンピラは通称マンガ、守口《もりぐち》市|寺方《てらかた》の床屋の息子で、山城組と名のったはものの、正式にその盃《さかずき》を汲《く》んだ組員ではなく、バア相手にイカクン、タコクンを卸す兄貴分の下働き、極道にあこがれて、骨惜しみせず働くから、重宝がられ、とって十七歳。中学卒業後しばらく南の自動車工場へつとめたが、生意気に悪質サラ金に手を出し、たちまち食いつめてずらかり、自衛隊へ入ろうとしたが学科ではねられ、家へもどるにも、サラ金手先のヤクザが待ちぶせているとかで帰れず、ずるずるべったりに家出の形となった。兄が三人いて、様子見にいったダチ公の話では、「あんな奴、弟でもなければ、こっちも兄貴ではない、いっそ気が強うて極道にでもなるねんやったら見込みあるけど、その度胸もないくせに、コソコソ悪いことばっかりして」と、さすがに、マンガ身の上案じて、根掘り葉掘りたずねようとする母を制し、長兄がケンもホロロにいったそうな。 「なんや、極道にでもなれてか」  マンガ、低い鼻を手の甲でこそぎ上げ、三白眼のメェむいていい、 「なんやしらん情勢わるいわ、ヤクザがよほどおどかしよったんちゃうか」 「あほんだら、気ィ弱いやて、何も知らんくせしよって」  長兄が店を継ぎ、下は松下の工場に働いて、マンガ一人年のはなれた末っ子だったから、甘やかされるというほどでもないが、なにかにつけて兄弟の庇護《ひご》を受け、それを当り前に思ううち、たしかに腕力、体格は人よりすぐれるのに、気の弱いところがあり、小学校在学中、マンガ自身このことに気がついていた。  たとえば、角力《すもう》をとれば、クラスでもトップクラス、土俵の上では投げとばす相手に、たわいもない喧嘩《けんか》ふっかけられ、その子供ながらすさまじい北河内の百姓の根性に押しまくられると、どうにも恐ろしくなって、つい涙がにじんでしまう。  よく学校から泣いてかえり、三年四年のうちはまだしも六年になって、年下の子供の、とび上りながら顔をうつのに手むかいもせず、涙にじませ、家へもどってから、「おのれ、勝負つけたる」と一人いきがり、 「アホ、喧嘩いうのは、その場で決着つけるもんじゃ、後になってなにいうとんねん」  兄貴は愛想つかしたように冷やかし、 「ほんま、このこォは気が弱いわ、気ィ弱いとこだけお父ちゃんに似てからに」  母がぼやいたが、 「よしなはれ、未練がましい。お父ちゃんのことはいわん約束やろが」  母にかわってちいさな田舎の髪床のはさみにぎる長兄がいい、父はマンガの物心ついた時はすでにいなくて、その事情きかされていないが、さだめし女でもつくって逃げ出したのだろうと、マンガにもわかり、そういわれると上三人は母に面立ち似ていたが、彼だけ父ゆずり。 「気ィ強うせなあかんよ、損ばっかしせんならんからね」  常々母にさとされ、それではと中学へ入ったその日、なんせわしは角力では人にヒケをとらんのやから、喧嘩かて強いはず、売られた喧嘩は買わんならんと、肩をいからせにらみまわすうちに、それをみとがめられて、上級生の袋だたきにあい、少しは抵抗してみたが多勢に無勢、にしても、一人二人、体にまかせてころがしたので武勇伝がなりひびき、 「呼び出しくうて、一人で堂々と勝負したんやて」 「逃げもかくれもせん、サシでかかってこいいうてタンカ切りよってんて」  小学校から一緒の連中は、半信半疑だったが、一躍、喧嘩の強い度胸ええ男とレッテルが定まり、となるとクラスメートは向うからヘイコラしはじめて、生れてはじめて餓鬼大将の味をしめ、竹刀《しない》のツバや切出し小刀の柄にホータイ巻いたのをポケットに入れて、肩で風切る羽ぶりのよさ。  一年はまだよかったが、二年にすすむと成績は群を抜いて悪く、守口駅近辺のサテンにたむろしては煙草を吸い、同年配の中学生にたかり、サツにこそ目ェつけられなかったが、いっぱしの極道予備軍。  二年の三学期になって、転校生が秋田からやって来て、体もでかければ野球もうまい、別に悪気ではなく、マンガは一塁に出たそいつに、 「スンブン走れよ」  その訛《なま》りをひやかし半分声援したら、マンガの勢威知らぬのかスンブンは、時間後、運動具置場の裏にマンガを呼び出し、いち早く子分にしたてたらしい同級生をかいぞえに決闘申しこみ、 「スンブンで何がわるい、もういっぺんいってみろ」  ものすごい眼つきでにらみ、ひょいとみる男のこの腕は、小学生の時から林檎箱《りんごばこ》の積みおろしをやっていたときかされた通り、大人ほどの太さもあり、 「勝負つけようじゃないか、な?」  マンガは必死の想いでポケットのツバをにぎりしめ、うわべはニタニタとゆとりあり気に笑っていたが、それが精いっぱい、はったりきかせていた相手が、 「こい、あんたからなぐってこい」  しり上りのアクセントでいわれると、鼻がつまって、思わずすすり上げ、その音を耳にしたとたん視界がくもって、後はセキを切ったように泣きじゃくり、自分でもあっけにとられる他愛のなさだったが、所詮《しよせん》はこれが地なので、 「マンガの奴、指一本出さへんうちに泣きよってん」  介添えの男の無責任な吹聴《ふいちよう》から、たちまち転校生があたらしい英雄となり、マンガは袋だたきにあうように、後指さされ、登下校の際も群れからはなれてたまには、 「お前も男やろ、なにも秋田のおススにスンブン威張らせとくことないやないか、やったれや、俺も加勢するで」  一人二人けしかけたが、人気はすでにスンブンがしめて、しかも彼は勉強もよくできたから、マンガは毛頭リターンマッチの意志はなく、むしろ、たまにスンブンが自分の方をながめる視線をとらえると、媚《こ》うるようにニヤリと笑ったりした。 「気の弱い奴やな、そんなことでは、世の中わたっていけんで」  戦後の混乱を、母をたすけて世渡りした長兄は、歯に衣《きぬ》着せずマンガにいい、そのつど、 「今にみとってみい、アッといわせたるわい」  心中口惜しいが、中学三年になり、卒業しても事情はかわらず、気が強うなりたい、人におうてもビクビクせんとおりたいねがいが、つい極道のはしくれにマンガをとっかからせ、ガンのつけ方、クラクションやたらと鳴らす車の前で、ことさらゆっくり道の真ん中を歩き、ふり向きざま、 「チャカマッシャイ」  怒鳴りつけるタイミングから、背広着ている時は、その裾を、まるで羽織りからげるように両手でたくしこんで、しかも口にくわえた楊枝《ようじ》をピクピクとうごめかせ、通行人をこばかにした顔つき、いちいち兄貴分の見よう見まねで、こうすればたしかに大学生もサラリーマンも、眼をおとしおどおどと足早に通りすぎる。  兄貴分のお古のダボシャツ、やたらと股上《またがみ》の深いズボン、わざと脚をガニ股に、両手を前に広げて振る歩き方、いくらか身について、バアの裏口から顔をのぞかせ、 「ここおいたでぇ」  上半身裸、縞のパンツ一枚でカウンターをふき床を流すバーテンにかける声も、ドスがきき、 「兄貴、近頃馬どないだ」  お世辞半ばに問いかけるボーイには、 「わしら、手ェ出せへんねん、なまじ内を心得てるからな」 「さよか、やっぱし、出来とんのやろか」 「出来とるてなんや」 「なんやて、つまり八百長やんか」 「あんまし、知ったかぶりいわん方がええんちゃうか、そんなこといいふらされたない人おってやからな」  もちろん馬券買うにも金はなく、まして八百長の内情などこれっぽっちも知りはしないが、いかにも消息通ぶって、ハッタリをかませ、 「あほなこというて、消された奴もおらんでもないけどな」 「消されるて、どないされるねん」 「そう、コンクリート抱かしてやな、ほかしてまうねん」 「ほんまかいな、話にはきくけんど」  ボーイものおじせぬ気性らしく、ヅケヅケとたずね、これも知ったかぶりのマンガ、いや同じような質問を兄貴分に先日して、 「鉄の規律を破ったものは、たとえ身内でも、制裁加えられる」  兄貴分酒に酔うたかええかっこして、 「制裁って、なぐるんですか」  マンガの質問にニヤリと笑い、 「なぐるのもあれば、所払い、関西へ顔みせたら只《ただ》ではおかんという奴、もちろん全国にふれまわしてあるから、どこかにワラジ脱ごう思うてもうまいこといかんけどな」 「只おかんいうと」  さらにたずねた答えがコンクリート、マンガのやや疑ぐる眼つきに、兄貴分は、 「それ以上きいてどないすんねん、サツにでもたれこもかと思ってるのか」  ふいに覚めた口調でいわれて、あわてて否定した。 「それ以上きいてどないすんねん、曽根崎《そねざき》でも駈けこんで、今きいたことベシャルいうのんか」  もう一つおまけに手近のバケツを蹴《け》とばすと、ボーイは脅《おび》えきって、口もようきけんらしい。 「煙草もろとこか」  マンガの差し出した手に五百円札をのせ、 「えらいすまんな、なんかあったらいうてや」  用心棒めいた台辞を残して店を出たとたんの、ベンツのはね。  ボーイにはったりかませた心の昂《たか》ぶりが残っていたのか、調子よく怒鳴り散らしたまではよかったが、交番所など見向きもせず、体をねじ伏せられているから行き先つかめぬし、妙におちついた車内の四人。 「す、すまん、堪忍してぇな、わし悪かったわ」  鼻孔から口にまわった血の臭いをかぐと、マンガ心なえて、ふるえ声でいう。 「まあ、よろしいやんか、そうビビらんでも、せっかく飛んで火に入る夏の虫や、大事にさせてもらうで」 「山城組のオッサン元気か、えらい気張ってはるそうやんか」 「はあ。元気にしてますわ」  元気にしてるもなにも、マンガのつきあいは兄貴分までで、その先の幹部がどうなっとるのか。顔を見たこともない。 「あの、ぼく、どこへ行くんですか」  押しだまる車内に、ますます恐怖がつのり、われながら情けない口調でたずねると、 「そやなあ、地獄やろか極楽やろか、せいぜいナムアミダブでもいうてたらどないや、元気のええ若い衆」  牛殺しの男がおかしそうにいう。 「かんにんして下さい、親分さんやいうこと知らんかったもんやさかい」 「親分さんやて? どこの親分さんやねんな」 「ぼく、まだ駈け出しの三下《さんした》ですねん、なにも知りません」 「ベチャコチャぬかすな、いわんでもわかっとらい」  車がきしみ、とまると、牛殺しの男とび出して、マンガをうけとるように待ちかまえ、すっかりしびれた両腕さするひまもなく、まず腰をけとばされ、はいつくばったところを髪をつかまえられ、 「顔に泥ぬられたやて、えらいすまなんだな、立派な顔に泥塗って。洗うたるわな」  コンクリートの道に、顔そむける間もなく額をゴシゴシとすりつけられ、マンガはもう生きた心地なく、眼をつぶっていると、 「ああ、こいつ蹴りよったとこやな、へこんどるわ」  運転手の声がカン高くひびく。 「あの、それ、ぼく直さしてもらいます、南に知ってる修理工場ありますよって」  涙まじりにさけび、 「おい、連れてこい」  太い声が押えつけるようにいい、体を引き起され、みると宏壮《こうそう》な構えの屋敷内で周囲は庭木がびっしり植えこまれ、武家屋敷風玄関は張り出し、その左手にあかあかと灯りがついている。 「早う歩かんかい」  小突かれたが、こうなっては身も世もない恐怖感に膝《ひざ》がガクガクして、 「かんにんして、かんにんして」  引っぱり上げる力に抵抗し、その場に土下座するのを、委細かまわず、両脇抱きかかえられ、足を宙に浮かせたまま、灯りのついた部屋、粗末な事務所といった構え、机が二つに、壁には芸能人の写真のついたカレンダー、隅に金庫。 「おい、山城組の若い衆いうたな」 「へえ、すんまへん、ぼく知らなかったもんですから」 「ここどこか知ってるか」  首を横にふると、 「鬼頭興業の事務所や、鬼頭の名前きいたことあるか」  きくにもきかんにも、関西に根をはる興行暴力団で、マンガふるえるより先に、これがあの有名な鬼頭の事務所かと、なにしろ山城組とは月とスッポン、ましてその鬼頭組の幹部とマンガではこれはもうたとえようないへだたりで、かえって恐怖感がうすれ、 「へえ、ようお名前だけは」  頬をゆるめてなれなれしくいったが、 「そこすわれ」  相手は何も感じない様子、すわれといわれても、椅子はなく、ただ、これはマンガの一夜漬けとはケタがちがうするどい眼光に見すえられて、その場にヘナヘナとしゃがみこむ。 「割箸《わりばし》もってこい」  牛殺しの男がいい、 「ついでに、残っとる奴みな呼んでな、おもろいことさせたるいうて」  抽出《ひきだ》し開けると、カチャカチャと音させて小さい箱をとり出し、 「お前、小便出たいか、便所ちょっといってこい」  顎《あご》でしゃくり、立ち上ると一人がつきそって、 「両方出させとけよ、こんなところで垂れたらどもならん」  便所はあたらしく造ったものらしく、屋敷の横のくらがりにあって、すぐにすませ、もどろうとしたら、 「でかい方も出るやろ、さっきいうたんわからんかったんか」  もうまったく逆らう気持マンガになく、命ぜられた通り暗闇にしゃがみ、「すんまへん、すんまへん」いうてもしようがない詫《わ》び言を壁にむかってつぶやき、「お母ちゃん」一言呼んでみる。  事務所には、一眼で極道とわかる若者、あるいはパジャマのような派手なダボシャツにステテコ、またレースの七分袖に黒いズボン、ランニングの上に黒のダブルのスーツなど、六人の新顔が増えていて、無表情にマンガをむかえ、マンガは丁寧に礼をしつつ、また壁ぎわに立ち、 「赤ちんあったやろ」  牛殺しの言葉に、ははあこれは指つめられるわけか、指つめられるんやったら、こら救《たす》かった、指つめて山城組の兄貴にみせたらどないいうか、 「こいつゴツイ奴やねん、鬼頭のオッサンのベンツに文句つけて、それで指つめさせられたらしいけど、見どころあるやんか、向う意気つよいで」  ほめてくれるのとちゃうか、かねがね兄貴分は鬼頭のことようはいうとらんかったから、そのベンツけとばしたきいたら、よろこぶやろ、 「おわびのしるしに指つめますわいうたら、向うもびっくりした顔してねぇ」  これくらいのはったりいうてもええやろ、いや、指つめる時に悠々しとったら、この鬼頭の幹部連中が感心して、組に入れてくれるかも知れん。度胸あるいうて。  マンガの思惑とは関係なく、牛殺しは割箸を一本一本バチンと裂くと、それに箱の中からとり出したGペンのペン先をくいこませ、内職仕事するように数をかぞえて、 「誰か、あの餓鬼のデボチンに丸つけたれ」  一人が赤チンと筆を持ち、鼻と額、それに両の頬に印をつける、ツーッと冷たい赤チンが流れ、思わず手の甲でふこうとしたら、 「動くな」  するどい牛殺しの声がかかって、視線をそちらへむけると、なにかとんできて思わず手で払いのける、とたんに視界の左で人影が動き、今度は払うより先に頭にコツンと何かが当り、みると、Gペンを矢尻にした割箸の投げ矢。  キラキラとペン先を光らせつつ、それからは雨霰《あめあられ》と六人の若い衆、それに車に乗っていた三人も加わり、あるいは下手投げ、ギッチョ、下からすくうように投げる奴、わざわざ少しはなれて、全力でほうる奴、顔をおおった掌のすき間からたしかめるうちはまだしも、やがて眼をあけている暇もなく、しゃがみこんで頭を手でおおい、その手の甲や、二の腕に、ピッピッと痛みが生じ、三本に一本はペン先が肉にくいこんでブラリとぶら下るが、それを払ういとまもない。  室内は妙にしずかで、靴の床をこする音だけ、マンガは、あまりにひんぱんに痛みが襲い、それはたかがペン先ではあったがそのつど、全身にしみ通り、はっきり形あるものの如く、胸から悲鳴のしぼり出るのが意識でき、それは唇を出た時、妙に空気のぬけたような、勢いを失ったさけびだったが、やがて一人、頭かかえこんだマンガに業《ごう》を煮やしたのか、シャツをもぎとろうとしてつかみかかり、反射的に抵抗すると、若い衆はええかっこをみせたいのか、ストマックに一発ぶちかまし、 「往生際ようせんかや」 「かんにんして下さい」  それまでの一同の沈黙に、とっかかりようもなかったマンガ、声をかけられて、すがりつくところを、もう一人加勢に加わり、ズボンまではぎとられる。 「ソレーイッ」  気楽なかけ声と共に、今は全身いたるところに痛みが雨の如く降りそそぎ、そのつど筋肉がピクピクと反射的にうごいていたが、すぐにくたびれたのか、半ば気を失ったのか、一本の棒のように顔をうつむけて床に横たわる。 「いったいなんでこんなことになってしもたんやろ」  マンガはひょいと、もう痛みをいちいち自覚するゆとりもなくなったのか、夢のように思え、 「この私刑《リンチ》がすんだら、指つめるのやろか、そやけど、なんぼくらい穴あいたやろ、入墨かてこんなに痛いのかな、このボツボツの体みたら、みんなおどろきよるわ。ペン先でブスブス突かれたかて、ちっともこたえへん、俺不死身やねんからなあ、兄貴も感心しよるで」  女かてびっくりするやろ、虫くわれたみたいになんねんやったら恰好わるいけど、風呂入ったらペン先の跡がバアと赤く色づいて、あれ桜彫りいうんやったかな、あんなんやったらきれいで。 「なんや、気ィ失うたんか」  耳もとで声がし、とにかくじっと体を動かさぬ方が得策と、まだいくらかは理性がはたらく、 「どや、山城のデブに連絡したろか」 「丁度ええがな、これでギューいわしたったら」  話すのは牛殺しと横におった男らしく、その間も、若い衆は投げ矢をはなつ。 「こいつなんちゅう名前や」  頭をけとばされ、眼をあけると眩《まぶ》しい灯りで、眼をしょぼしょぼさせながら、 「マンガいいます、本名は渡辺慎吾」 「マンガやて」  笑いつつ、牛殺しはダイヤルをまわす、ふたたびマンガは眼をとじ、 「組長来てくれるのか、人質にとられた俺をたすけに来るねんな、兄貴もいっしょやろ。かえり、どこかでいっぱい飲んで、組長、これを機会に盃をやるいうかも知れん、ええ度胸しとる、山城組の面子《メンツ》立ったいうてな」  うとうと眠りかけたのは安どの余りか、いち早く一人がみつけて、バケツの水をざっと浴びせ、思わず上半身起したところを、したたか胸をけとばされ、にぶい音を立てて棒のようにマンガ倒れる。 「なんや、あんたでは話わからん、山城のオッサン出しなはれ、人情ないねんなあ、あんたとこの若い衆やねんで、本人がいうとんねんから間違いないやろが、それとも山城はん、もう近頃は、若い衆のいちいち顔も名前もわからんほど多勢になったんかいな」  牛殺しがうれしそうにいう。  マンガは鼻がツーンとしびれて、なんやこんな気分になったこと前にもある、あれは学校の角力大会やったか、俺は角力つよいねんけど、対抗試合いうと、いつも負けたな、やっぱり気ィ弱いせいやろか、土俵の下におちて頭打った時、やっぱし鼻がツーンとしびれよった、おちてひょいとみたら、同級生の章子がおって、俺かっこうわるい思うたけど、章子は俺のスウチャンやったもんな。スウチャンいうても、章子はクラスの委員やし、俺が章子の親戚の奴に、章子好きやいうたら、親戚の奴すぐ章子にいいよって、えらい恥かいたわ、章子は聖母女学院いきよった、電車の中でみた時、ダチに、「あれ、わしのスウチャンや」いうたったら、きこえたんか章子俺の方、チロッとみよってから、ダチが「ほんまやな、今の眼つき、あれ色っぽかったわ」いうてから、そやな、梅新あたりで章子にあわへんやろか、軟派のセイガクにからまれたりしよった時、俺がセイガクたたきのめしたったら、章子どない思うやろ。 「おい、マンガ、お前とこの親分人情ないで、逃げうってからに、おらんいいよる。まあ、そないいうてもな、どうせ、何時かはここへ顔みせんならんねんけど」  胸ぐらといってもランニング一つ、その肩の部分を乱暴にひっぱって立たせると、 「チビ、いけ」  若い衆の中の、いちばん背の低い男に合図をする。  一家背負って立つ兄の前で、いつもおどおどと身の置き場もない母だったが、この時ばかりは救いの神にみえ、 「かんにんして下さい、ベンツ直します、かんにんやぁ、お母ちゃん呼んでくれたらベンツ直す金くらいなんぼでも都合つけます」  顔あげるとマンガは、妙に覚めた声でいい、 「一千万ももってくるか」 「もってきます、お母ちゃんいうたら大丈夫です」 「お母ちゃん何してるねん」 「床屋です」 「そらええわ、今度、頼みにいこか」 「はあ、来て下さい、ただでさせてもらいます」  白い上っぱり着て、高い下駄はいて、マンガがまだ子供の頃は椅子が回転式で、お母ちゃん客の背にあわせて、下駄をはきかえた、高下駄のカタカタせわしのう鳴る音が、俺の子守唄みたいなもんや、土間にころんで泣いてたら、お母ちゃんいつも下駄カタカタいわせてとんできてくれたわ。 「あんた男やないの、泣いたらあかん、お父ちゃんに笑われまっせ」  お父ちゃんか、お父ちゃんはどないしてんやろ、写真でみるとえらい痩《や》せとって、ちょっと男前やねんけどな、兄ちゃんにきくと、いつもえらい顔して怒りよった。  俺が家でる時、お母ちゃん洗濯してたな、タライ道に持ち出して、兄ちゃんのズボン洗うとった。 「はよおかえりや、今日はかえってくんねんやろな、小芋の煮たんつくるよって、あんた好きやろ」  子供にいうみたいなこというて、そら小芋はうまい、俺好きやけど、いったい俺いくつになったと思うとんねやろ。  考えてみると、心配ばっかりかけたな、サラ金かて、兄ちゃんには内証やけど、お母ちゃんヘソクリでなんぼか返してくれたから、あれですんでんな。 「ここ出たら、俺も散髪屋なったろか、今は人手が足りんから、兄ちゃんとお母ちゃんで、切り盛りせんならん、俺が入ったらお母ちゃん、もう店でんでもええやろ、なんせ年やもんなあ、かわいそうやで、俺、店やるわ、やるからお母ちゃん、迎えに来てくれんか、このままやったら、俺死んでまうで」  ひょいと死ぬと考えたとたん、マンガは急にこわくなって、はじかれたように、といっても、はためにはノロノロと立ち上り、あまり反応のなさに、あきれかけていた周りの連中、 「何んや、まだ生きとったんか」 「どいてくれ、俺かえるねん、かえってお母ちゃんと」 「甘ったれんな、アホ」  肩をつかれてよろめき、蹴とばされて四つんばいになり、 「よっしゃ、レツ公、お前、ボコ掘れ」  チビは、どこで習うたんか、握りこぶしをつくって、二段にかまえ、必死の表情でマンガをにらみつけ、いきなりなぐりかかり、 「よし、ええかっこうやで」  若い衆の声援に元気づけられたのか、ギクシャクした動きで、ポーズつくっては、体を曲げて拳《こぶし》をふせぐマンガの脇腹、下腹部と攻撃し、 「よし、交替」  こうなると人間サンドバッグ、自らマンガは床に倒れたが、その尻を、いつの間にもってきたのか棍棒《こんぼう》を一人がふりおろし、反射的に尻を壁に寄せると、胃のあたりをけとばされ、眼と鼻の床上に、脚が十本以上はげしくうごき、そのつどペン先とは比較にならない激痛がおそいかかる。 「はよ、親分きて下さい、こいつら俺をなぶりものにしよる、兄貴たすけてくれ」  ここから出られるねんやったら何でもする、お母ちゃん早う来てくれ。  さきほどのチビに、牛殺しが声をかけ、卑猥《ひわい》な笑い声が起る。  チビは思い決したようにズボンをぬぎ、部屋のすみへしゃがみ、なにごとかしきりと操作する。 「まだ元気ええで、こいつ」 「それーいっ」  また景気つけて、一人がふりおろした棍棒、コキンと高い音を立て、 「あ、骨にぶつかったか、手ェしびれたで」  いまいましそうにいって、片手をふる。 「きよったわ、山城のオッサン」  あわてて身なり整えたのか、紋付き袴《はかま》に威儀を正した五十五、六の男と、つきそう黒のダブル二人。 「えらいこのたびは、手間かけさせまして」  のっけから低姿勢なのを、牛殺し鼻であしらうように、 「そこにいてるけど、どないする? 連れていなはるか」  紋付きの男、ひょいとのぞきこみ、マンガの顔は血だらけ、ふくらはぎふとももアザが重なりあい、衣服はボロ同様、さすが顔色こそうごかさぬが、首をふって、 「いや、ようこの頃、うちの家名をかたる奴がおりまして、往生しとるんですわ、こういう男、うちでは知りまへん」 「そらまあ、家名かたられるとはお盛んでよろしいな」 「とんでもない、サツにはにらまれるし、えらい迷惑ですわ」 「ほなら、この若い衆、こっちで自由にさせてもろてよろしな」 「へい」 「それから、かりにもあんたとこの家名名乗った者に、うちの会長のベンツが傷つけられましてんけど、この始末はどないしてくれまっか」 「そらもう、うちらの監督不行届きでっさかい」 「話わかってもろたらそらよろしいねん。どないしてん、チビ」  後は、紋付きを無視するように、しゃがみこんだチビに怒鳴る。 「へえ、すんまへん」  ケケケケと、チビの手もとのぞきこんだ若い衆が笑い、 「なんやお前、年中センズリかいてるくせにどないしてんな」  マンガはほとんど意識なく、ただもうろうとした中で、「床屋の学校いって、お母ちゃんの手伝いしよ、床屋やったら気ィ弱うてもダンないしな、兄ちゃんよういうとったわ、技術さえあったら、どんな世の中でも渡っていけるてな、うまいこというわ、床屋かて上手になったら、あんな守口の田舎とちごうて、ビルの中に店出せるもんな、それで章子の奴、俺が白い上衣きて、ビルの中で、ハサミうごかしたらどない思うやろ、そやけど、俺と同じ年やもんな、女ははよ結婚するから、俺の嫁さんなるのは無理やろ、あいつ誰の嫁さんなりよんねんやろ」 「ええか、引導渡したれ」  牛殺し凜《りん》といい、すでに紋付きの姿はない。チビは、自らのようやくそそり立ったものを、さきほどの、拳かためてマンガにうちかかった時とは別人の如く、やや怯《おび》えて、丁重に運び、 「それ、手伝ったらんかい」  若い衆達、棒きれで、マンガの下着をはぎとると、尻はお多福風邪の如くふくれ上り、紫赤黒いりまじってすさまじい内出血、 「度胸だめしや、このボコ掘れたらお前も一人前やで」  牛殺しにけしかけられて、しかしチビもこのマンガの肌の色に、たちまちなえかけ、それを、若い衆、棒きれでつっつく。 「コロシヤなりたいいうてきた男がなんやこれくらいのことでブルかんで」  チビは屈辱に燃えた表情で、せわしく指をうごかし、ふたたび形を備えはじめたものをしっかりとにぎり、 「もっとこれこっちへ寄せんと、チビできへんやないか」  壁ぎわからマンガの体を足でけとばし、ごろりとあおむけになったのをみると、全身、打身内出血で黒ずんだ体の中で、これだけはやや白っぽく、マンガのペニスが隆々と中天にむいてそそり立つ。 「ああ、まだ元気あるねんなぁこいつ」 「どないなっとんねん」  いささか無気味そうに、チビのそれとはくらべものにならず雄々しいその姿、五体すさまじい有様だけに、異様な印象。 「あ、こらいてもたか」  牛殺ししずかにいい、 「打撲傷で死ぬ前は、こないなるねん」  もとよりチビはふたたびなえ、一同じっと見守るうち、マンガは一筋のあたらしい血を口から吐くと、それが生命《いのち》のもえつきるなによりのバロメーターのように隆々たるペニス一息一息に身をすくめ、 「しゃあないわ、どっかほかしてこい」  牛殺しがいい、チビにむかって、 「お前、明後日《あさつて》の日、自首せい、それまでに段どりつけとったるわ、箔《はく》つけてかえってこいよ」  肩をポンとたたく。  チビさもうれしそうにうなずいてニッコリ笑い、そして、マンガを見ると、マンガもそれまでの責苦はすべて消えたのか、三白眼の眼をむいて、笑っているようにみえた。 [#地付き](「週刊サンケイ」昭和四十二年九月二十五日号)   [#改ページ]  心中弁天島  雨が降っている。こまかい格子《こうし》の柄の、傘の赤いにぎりしっかとにぎりしめ、少女はそのにぎりこぶしを肩のあたりまでかかげて、少年を雨からかばう。少年は背中丸めて、ようやく傘に身を入れ、少女の体が半分以上、雨に濡れているのに気がつかぬ。少女もそんな雨の冷たさより、傘を持っているから彼の体にさわっていられない、彼が肩を抱いてくれたらすてきなのにと、そればかり考えている。  松がきまぐれに、風にざわめき、だが、湖はひどく静かで、湖の、というよりその海につづく広い流れの向う岸、赤いネオンが浮ぶ。二人のいるところからは、向うの松のかげにさえぎられて、ネオンの字は読めない。 「舟あるわ」少年がいい、駆け出して、岸に引きあげられた、釣舟ともいえぬ、底の扁平《へんぺい》な、長細い箱のような小舟を、何気なくけとばす。そして空を見上げ、「くらいなあ」少女も傘かたむけてならい、雨は顔のすぐそばまでくると、はっきり水の粒がみえるようで、でも、もちろんたしかに眼にうつるわけではなく、ひたいや頬にあたるその感触で、なにかみえたように思うのかも知れず、もっとよくみようと眼を見開き、とたんに、雨が眼にとびこむ。 「どないする」たしかな返事を求めるわけではなく、少年がなげやりにいう。「雨が眼の中入ったわ」眼をこすって少女がいい、「なんや、泣いてんのかおもた」「泣くことなんかあれへん」泣いてないことを見せるように、眼をこすっていた右手に傘をもちかえ、左手で少年の腕にとりすがる。ようやくねがいがかなう、「うち、彼のもんなんや」そう思うと、あたりとんで歩きたいほどうれしくて、さらに左手に力をこめ、体を寄せかけ、「うち、あんたのもんやね」口に出していいたいが、いってしまっては、もったいないような気もする。ずっと昔に、こうなるのが決っていた、いまこないして湖のほとりで彼と雨にうたれながら立っているこの姿は、うちが前に考えていた通りや。あらためて確かめるようにあたり見まわし、まわりはただ松の、潮風うけて変くつにねじれた姿と、その先に、二人がさっきまでいた宿屋、キャラメルの広告しょった古いベンチ、「舟乗ってみよか」「こわいことない?」「こわいことあるかい」少女は怖がってなんかいない、少年のきっぱりいい切る言葉をききたかっただけで、そやけど、ついさっきも同じ言葉を、うちいうたわ。あの時はほんとに少しこわかった。彼の声も今みたいにはっきり言いきらんと、少しかすれてた、「こわいことないて」「こわいことあらへん」同じことくりかえして、なんや可愛かった。 「ふん」と、きばるとも吐息ともつかず、少年は小舟のともに手をかけ、押すと楽にすべって、小舟の半ば、水に浮び、「はよう」無愛想にいい、少女はスカートたくし上げ、無器用に乗りこむ。そのままさらに押して、ぐらっとゆれたのは進水のしるし、「いやや」少女両手で、舟ばたをつかんだが、勢いつけて少年がとびのると、少しかたむいても、その舟ばたしっかとつかんだどちらかの手に水がふれる。 「ぬくいわ、水」少年は、たがいちがいに掌で水をかく、少女もあわてて見ならい、「ちゃうわ、それやったら進めへん」こうやと、後ろから前へ水をかいてみせる。少女は、彼の手のうごきをしっかとみつめ、同じ速さで、やはり互いちがいに手をうごかせ、つれて小舟がゆらりゆらり横にゆれる。 「向う岸いってみよか」「うん」少女は、自分がなるべくかわいくみえるように、あごをついとしゃくった、こうやるのも、ずっと前からきまってたように思う。流れの中に竹が何本も突刺してある。「なに、これ」竹が一本一本闇に溶けこみ、だから小舟はけっこう速くすすんでるわけで、少し心配になり、たずねると、「知らん」少年そっけなく答え、なんの気なしにきいたのだが、彼にも知らんことがあるのかと、不思議に思い、あらためて顔をながめる。水の、あるかないかの光反射しているせいか、少年の顔が、顔だけほんのり浮んでいる。はじめて会った時も、そうだった、「なにしとんねん、映画でもみいへんか」公衆電話のとこで、電話帳めくり、番号探しても同じような名前ごちゃごちゃならんでて、さっぱりわからへん、いやんなったとこへ声かけられて、その時の彼、やっぱり顔だけやった。どんな恰好か、そら服や靴は後でみたから知ってるけど、すぐ眼の前に顔あって、えらい濃いさむらい眉毛の人やなと思うた。「電話帳探しとんのか、俺みたろか」少年は、気易く少女の手から電話帳とり上げ、「なんちゅうねん」「角田さんいうねんけど」「角田だけやったらわからへん、名前は」「ヨシコさん」「どんな字イや」「知らん」「なんや、ヨシコさんて友達ちゃうんか」少女はうつむいて、「丸玉会館にいてはるねんけど」「丸玉て、キャバレーのかいな、ほな、ヨシコいう人、ホステスなんか」うなずくと、「夜たずねたらわかるやろ、俺、案内したるわ。それまでつきあわんか、ええやろ」  行こと、少年は少女の腕をとり、「どこ勤めとんね、紡績会社か」じろっと少女の体、値ぶみするようにながめ、「まあええわ、サテンでもいくか」いわれるままに、駅のそばの、喫茶店というよりは丼飯《どんぶりめし》からラーメンまで、よろずとりそろえた食堂、席につくと、「あんた何してはるの」はじめて少女は口らしい口をきいた。やはり警戒する気持も少しはあり、「何て、仕事か」「そうや」「仕事いうて、兄貴の手伝いしてんねん」それ以上問いつめてはいけないような気がして、折よく運ばれたコーヒーに、手を出そうとしたら、「なんぼ入れる」少年は、砂糖壺のスプーンに手をかけて少女をみる。「三つ」とたんに映画かTVで、こんなんあったと思う。「ヨシコさんいう人たずねて、どないするねん」「遊びこいいうてくれはったから」「よう知ってるんか、そうでもないわな、名前の字イわからんくらいやから」この人頭ええなと、少女は少年を見直す。  少年は、膝《ひざ》こきざみに動かしながら、魚のように泳ぐウエイトレスの姿、しつこく追い、少女は、彼の知合いなのかと心配になり、「もうええねん、角田さんは」一生懸命言葉を探して口にし、少年がこっちを向いたところで、「あんた年いくつ」「そんなこときいてどないするねん」少し癪《しやく》にさわり、「ええやないの教えてくれたかて」「なんぼに見える」「二十いってえへんやろ」「まあな」レザーのやたらに光るジャンパーから煙草とり出し、「吸うか?」「のまへんよ、うち」少年が火をつけ、煙の輪をつくりすぐおちょぼ口で、輪を吹きとばす。少女はなんとなく父親を思い出した。  少女の父親は六年前に死んだ。少女がもの心ついた時は、北河内の農家の娘で、本家と分家がひとつ敷地に住み、少女はその分家の次女。父親は兎口《みつくち》で、日常の用は足りたが、知らない人の前に出るのをいやがり、野良仕事にはむしろそれは長所みたいなものだから、本家の田畑、それに蓮池《はすいけ》などはすぐそばにあるのに、分家はずい分歩かねばならず、少女は幼い頃、姉に連れられて夕刻、いっこう働く手をとめぬ両親むかえに、畦道《あぜみち》を歩き、かえりはくたびれて、いつも一つしかない父の背中、姉ととりあった。母は小女で、しかも両手にいつも荷物を持ち、子供心にも、その姿痛々しく見えた。兄は八つ年がちがって、同じ年頃の子供が本家に、三人いたのだがろくに遊ばず、本家の奥さんは、少女の眼から見てもきれいな人だった。腰の曲ったお婆さんもいて、時々、コッペパンや庭になった柿をくれたが、兄にみつかると、こっぴどくしかられ、本家の人と仲良くしてはいけないのだと、少女はわかる。ある夕暮、本家の、分家とはけたちがいに豪壮な玄関で、父がなにごとかまくし立てて、その後、すぐ家にはもどらず、すっかり昏《くら》くなった庭で煙草をふかし、物置でそっとのぞいていた少女をみつけると、煙を輪にして吹きかけ、その輪の不思議さより、けむたいのがいやで、あわてて手をふり輪をくずすと、「ほれみてみい、おもしろいで」物置のくらい電気の下で、父はいくつも輪をつくってみせ、みつめるとたしかにそれは、生物のようにもくもくとふくれながら、いそがしそうに宙を横切り、急にくずれて、幾重にも流れ、床でまたちいさな輪をつくる。  その頃までが、父親らしい思い出、その後は、夜といえば常にあおざめた顔、眼がすわり、酒臭い息まきちらしては、母をなぐりとばし、なにか別物にかわったようで、少女にはただ怖ろしいだけの記憶しかない。 「映画なにが好きやねん」「別にあらへん」親の血をひく兄弟よりもと、思いがけずに低い、よくひびく声で少年は唄い出し、「この前、ナイト・ショウ見にいってん、よかったでえ」その映画の筋を、しゃべりはじめ、もどかしそうに、「なんせごっついええねん」強調したが、少女は、急に生き生きした少年の表情に気をとられて、言葉など耳に入らない、なにか気の利いたことをいおうと思ったが、ここ何年も、本当に好きにもきらいにも観てなかった。映画俳優の名前を思い出そうとして、誰一人出てこないのだ。 「ちょっと待っとってくれるか」少年は一大事つげるように、少女の顔に視線ひたとあて、そのこっくりうなずくのをみると、目の前でポケットから小銭つかみ出し、十円玉一つつまみ、「すぐや」肩ふってレジスターの赤電話へむかった。脚長いし、腰がぴっとしまってる、少女は少年の後ろ姿ながめてそう思ったが、実感ではなく、寮の年長の女が、そんな風な表現で、自分の恋人のことを紹介したのが、頭にあっただけだ。少年のズボンは黒で、極端に裾が幅広く、靴の先は思いきってとんがっていた。少女はうっとりと、いかにもなれた感じで、受話器耳にあてがう少年をながめ、少年はひょいとその視線とらえると、首をこっくりするようにふった。少女もはじめて笑顔で、こたえた。 「あんなあ、兄貴おらへんか。どこ行きよったんか知らん? 別に急用やないねんけどな、またかけるよって、連絡先きいとって欲しいねん、たのんまっさ」受話器を置き、心当りもう少し探そうかと、少年は考えたが、まあまだ早い、あのスケ逃げる様子もないし。少女のもとへもどりかけて、つっと痛みが背筋をはしり、少年は腰を思わず前かがみにし足をとめた。 「お母ちゃん、もうやめときいな、そんなやったら商売ならへんがな」少年の母は、昨夜、自分がおでん売る屋台で、酒に酔いつぶれ、なにもそれは昨夜にかぎったことではなかった。十時から十一時半までが書き入れ、けっこう客はあるのだが、サービスとはいい条|根《ね》が好物だからさしつさされつ、客足がなくなれば今度は手酌で、お巡りが注意すれば、「かまわんからブタ箱ぶちこんでくれ、わしゃどうなってもかまわへん、こわいもんなんかあらへんよ」つっかかって、だから十二時過ぎには少年が迎えに行くのだが、昨日は度が過ぎていて、「もう店仕舞した方がええんちゃうか」のぞくと、「いや、今夜は夜通し店出しとく、こんなけちな商売じゃ、うちゃかえられへん、心配ないから、先かえってね」それでなくても危なっかしい椅子ぐらりぐらりと傾けさせ、飲む客もないままさらの焼酎《しようちゆう》、封切ってだくだくとコップに注ぎこむ。「もうええがな、ぼく屋台ひいていくから、それともこのまま一緒にかえるか」とても一人では歩けぬとみて、少年うしろから抱え上げようとすると、酔ってはいてもえらい力でふりほどき、「かまわんとき、子供のくせに。母ちゃんはまだ商売あるねん、なあ、この大根にじゃが芋、卵がんもどき蛸《たこ》にころ、よう汁がしんどるよってうまいねんで」ほれ、おっちゃんおっちゃん、おでんどないです、遠い人影に呼びかけ、「くそったれめ、おでんもようくわんのかいな」ほなお前食べと、串《くし》にさした蛸の脚、よろけながら少年にさし出し、何気なく手で払うと、串は道ばたにおちて、「なんや、うちのつくったおでん気に入らんてか、おでんどこへ捨てた、うちの大事なおでん」四つんばいになって、末は涙声になり地べたを探すから、少年、すぐ脚もとのそれを拾い上げ、「ここにあるわ」さし出すと、母は袖でおまじないの如く泥はらって、鍋《なべ》につっこむ。  どてらともなんともつかぬ、綿入れを二枚重ね着し、袖口からのぞく男物の色シャツ、四十の半ばにしてさんばらの髪白髪がまじり、足もとは少年の靴下片方かかとがむき出し、わが母ながら、よくまあこの屋台に顔つっこむ客もいるものと、とたんに恥ずかしくなって、「さあ、かえろ」また抱きかかえたとたんに、ヒヤアと母は悲鳴あげて重ねもちで横倒しになり、すばやく立ち上った少年手をひいて立たせようとするが、いっかな動かぬ。 「要一さえおってくれたら、要一さえかえって来てくれたら」うってかわって、愚痴っぽくつぶやき、このまま寝こまれては頬がえしつかぬ。両脇に腕を入れ抱き上げる、そこへ酔っぱらった男三人が、なんやどないしてん、近寄って、女の、しかも五十がらみの婆さんとみると、たすける気もしないらしく、「しっかりせんかい、おばはん」のうちはよかったが、母の腕肩にまわしてかつぎ上げようとし、その時裾が割れたのか、「いよう、婆さんストリップか、もっとやれや、見とったるで」とたんに、まだ正気が、いや正気ではあるまい、男の声に勢いづいたか、「さあ、どうや」片手で前をまくり上げ、どうせももひきはいていて、どういうわけでもないのだが、少年たまらず、「おのれ、なにぬかしやがんねん」母をほうり出して、手近の一人に体当りくらわせ、見事にすっとばしたが、自分も力あまって手をついたところを、「あほんだら」ゆとりのある声と共に、したたか腰をけとばされ、よほど喧嘩《けんか》なれているとみえ、手はつかわずただところかまわず蹴《け》りつけ、あやうく息がとまるかと思うほどで、頭かかえているのが関の山。  ようやく顔あげると、母は大の字に寝て、すうすういびきかいている。急に涙が出て、しゃくり上げつつ、それでもほうっておくわけにもいかぬ、ひきずるようにして、六畳一間それに台所だけの十二軒長屋、戸を開けるとすぐ二人の弟と妹、折り重なってねる枕もとへ横たえ、少年はぜいぜい息切らせながら、水を飲み、また表へ出た。  あらためてみると、肩や腹あざだらけだったが、腰蹴られたのがひびいたらしく、どうかした拍子に、鋭い痛みが背筋を走った。 「どこへかけてたん」「仕事の話や」「ええのん? 私、待ってるよ」まるで、母親に使い走りでもたのまれた男の子にいうような口調で、「かまへんねん、映画いこ」伝票さっと拾い、「私、はらうわ」少女はちいさなバッグあわててまさぐり、少年素直にまかせて、先にドアーを出た。  急に街なみ明るくなったように感じ、少女は眼をしばたたかせ、その姿みるとすぐ歩きはじめた少年の後を追う。「映画てなに観るのん」「東映や、ええやろ」月給日のすぐ後で、二千五百円ばかりまだあるはず、映画のお金も、私が払うと、はなやいで少女は心に決める。 「いやあ、どないしたん、しばらくやねえ」三月ほど前に、少女の勤める紡績会社といっても、下うけで五十人ばかりの女子工員、上は通いで五十過ぎた女から、いちばん年少が少女、たいていは二十前後、ほとんど寮にいて、六畳一間に三人の暮し。これでも食費やなにやかで四千八百円とられ、二千円が結婚準備という名の強制貯金、三千円を家へ仕送り、実は母の借りた高利貸しへの返済、一万三千円の給料もらって、残るのは三千二百円。五年六年勤める先輩でも事情はほぼかわらず、大半が月賦の支払いに追われて、ふだん駄菓子買うにも事欠くありさま。  そこへひょっこり、三月ばかり以前に辞《や》めていった角田が、見ちがえるほど美しく装ってあらわれ、「これつまらんもんやけど食べて頂戴《ちようだい》、他の部屋の方も呼んだら」と、立居振舞、破れてボール紙押しつけた窓を開け外ながめるポーズも、横すわりに膝《ひざ》くずす姿も、ファッション・モデルみたいで、はじめは気楽にどないしたんと声もかけられたが、ケーキいただいた負い目もあってか、気押されて一同しだいにだまりこむ。 「相変らず不景気な顔してるやないの、それも無理ないけどな、ここの社長がめつすぎるわ」巧みにフィルター煙草もてあそびつつ、「それ高いねんやろね」ハンドバッグ手にとってながめる一人には、「高いいうこともないけど、東京で買《こ》うたさかい」「いやあ、東京いったん?」「三べんほどな、車ものすごいわ、はじめ怖いくらいやなあ、まあすぐなれたけど」「新幹線でいきはったん?」「そらそうや」  これが月賦といっても店かまえた品物ではなく、昔ながらに風呂敷ひっちょって、クリーム、香水、下着、ブローチ、靴、ハンドバッグ、あるいは車に衣類一式つみこんで会社の廊下に陳列する行商人、その買物ならば、けちつけたりまたお互い相談もするけれど、東京で買ったとなっては後光さすようで、「その服、ええ色けやねえ、春らしいて」「ほんまやわ、よう似合うてやる」口々に賞めそやし、「私いまここにつとめてんねんよ」さし出した名刺には、小峯興業株式会社とあり、見当もつかずに一同おそるおそるまわしながめ、「いうたらキャバレーなんやけど、そら昔とちがうわ。お客さんも大事にしてくれはるし、親切にマネージャー教えてくれてね」以後は、いちいち口うつしに教わって来たとみえ、東京のショウも入ってるし、バンドも一流やし、衣裳貸与で一日の保証千二百円、他にチップやらドリンクもある。とうとうと弁じたが、わかったのはマネージャーに保証千二百円だけ、「マネージャーいう人、ええ男か」一人がたずねて、「まあ二枚目やなあ、そやけどマネージャーねらうなんて眼のつけどころええよ」角田自分でうけて笑ったが一同には通じない。まあ一度あそびがてら来てみいな、おごるやんと、その時はそのまま引き上げた。  角田は、以前ふつうの女子工員、土曜の午後から街へ出かけ、バーで男にブランデーおごらしてやったの、御飯御馳走になったのと、それ位は三、四年の甲羅経れば誰でもやることで、工場からの給料どうやりくっても、その才覚なければ、自前では珈琲《コーヒー》いっぱい飲むゆとりもないのだ。自衛隊やら学生サラリーマン、さそわれるのを待って、うろつきまわるのはいわば暮しの知恵。その音頭とっていたのは、角田より年長の女で、寮にあっては排卵期の測定指おり数えて教えたり、男性についての知識披露したり、顔あからめる少女をみると、ことさら卑わいな形容つかったものだが、角田の羽振りのよさみせつけられると、まず、たちまち気もそぞろになって、すぐにもキャバレーで働きたい様子。  それを見すかしたように、一週間おいて角田が、今度は恋人という男とあらわれ、いかにもしょう洒《しや》なそのいでたちに皆感嘆したものだが、これが小峯興業の課長でつまりはスカウト、仕度金まで出すといい、少女にも、「年は若くても、本当のことさえいわなきゃ大丈夫働けますよ、そりゃもう楽しいお仕事です」上半身の肉づきこそ貧弱だが、すでにみずみずしい太腿《ふともも》のあたり、みすかすようにいった。この時、年長の女はじめ三人がやめ、つづいて二人が後を追い、さすがに経営者気づいて、部外者の寮に無断で入りこむことを禁じ、特に角田を目の仇《かたき》にしたが、女子工員の気持は動揺するばかり。ついに馴染《なじみ》の市会議員にまで頼んで、「キャバレーなんていうところは、結局、体を売らなければ客をつかめない。そういうところで働いて、そりゃ一時は楽しいかもしれないけれども、やはり皆さんは堅実に、やがていい人をみつけ結婚生活に入ることが、いちばんの幸せ」と、訓示したが、すぐ思い立つことはできかねても、内々、ホステス転業した仲間に連絡して、事情をきき寄り寄り相談することはやまぬ。  少女の父が酒乱になって二年目、どう話がまとまったのか、一家はそれまでの住い立退いて、町方に移り、風呂こそないが六畳四畳三畳の古い長屋で、雨が降ると台所にまで水が上ったが、本家との確執ないだけに、酒飲むと蒼ざめてだまりこむ父も乱暴にはいたらず、それまで本家のトラック動かしていた腕生かして、ダンプカー一台買い、土建会社に雇われ、兄は高校へ通ったのだが、半年目にダンプが中年の女をはねた。補償といっても逆さにふってごみも出ず、土建会社も逃げて、保険の外交員だったという被害者の息子、親一人子一人にしては、悲しむより、これから母の稼《かせ》ぎ得たであろう金額を、痩《や》せた体にふりかざし、父も母も家へ来られるたび畳に額すりつけてあやまるだけ、見かねて兄は学校を辞め、製材所へ働きに出たが何百万の補償金、月々その給料から五千円をとりあえず支払う。父は男が帰ると酒飲み出し、今度は居丈高《いたけだか》となって「あんな婆《ばばあ》の一人や二人どないしたいうんや」荒れ狂って、小学校五年の姉にまであたり、それでも時には、砂利運びや、トラックの上乗りで働きに出て、しかし稼ぎはすべて酒とかわる。  町方といってもごく場末で、隣りは娘を芸者に出してはすぐ足抜きさせる同じ飲んだくれだし、その先は看護婦上りで、五十面に白粉《おしろい》塗たくり、年下の賭麻雀《かけマージヤン》師と暮すし、さらに向うは、せめて卵で滋養つけるつもりか、いちように飼っている鶏を、すきあらば盗もうという変くつな男やもめ、腰の抜けた婆さんとその娘で盲のマッサージ師一家や、すぐノミふりまわす酒乱の大工、あたりどこをみてもまともなのはないから、少女も特にわが境遇貧しいとも思わず、小学校へ通い友達が給食費とどけるのを、自分だけはその必要ないといわれ、不思議だったが、生活扶助受けていることには気がつかぬ。  冬は餅屋でつき立てをのしたりまるめたり、また足袋にこはぜとりつける作業、夏は長い陽を稼ぎに、殺風景な六畳、何のかざりもない部屋に色あざやかなクリスマスの飾りもの、糸を通し糊《のり》でこまごまと貼《は》りつけ、労働基準法を、表で働く時はその身内親戚といつわって、学校も休みがち、それでも一年ずつクラスは上って四年の暮に、父は砂利ホッパーに生埋めとなった。運び出された時はすでに息絶えていて、苦しみの果てか、まんまるく眼をむき、その上にげじげじ眉毛一直線にのびていて、少女は以後、学校の廊下に貼り出されている、一、二年の稚拙な人物画が、こわくてみられぬ、父親の死顔に似ているからであった。父が死ぬと、その祟《たた》りにしてはまったくの見当ちがいだが、父に散々蹴とばされなぐられた姉、それがもとだが、脊椎《せきつい》カリエスをわずらい床にふし、母が高利貸しに、金をかりたのも、医療保護では手のまわりかねる薬買い求めたためで、三日前に、「苦しいことはわかっているが、なんとか五千円送ってもらえないだろうか」少女から母への書留は、金貸しが押え、今では三千円ではその利子にもたりぬという、母は、病院の洗濯婦福祉事務所には内密でつとめていた。 「あれな、あれいつも悪い役しよんねん、ちょっととぼけてるやろ」少年はポップコーンかかえこんでいちいち説明し、それをひとにぎりずつ分けてもらいながら、少女はこんな贅沢《ぜいたく》は、生れてはじめてのような気がする。映画の筋追うことより、たしかに見覚えのある高倉健や鶴田浩二が、すぐそこに大写しになるのを眼にしているだけで、うっとりするほど楽しく、映画館の暗がりも、やたらとひびきわたる音楽も、うっかりすると少年さえ忘れさせるほど、居心地がよくて、スクリーンも観たいが、うっとり眼を閉じて何時までも今がつづきますよう、眼を開けたら、夢とかき消えてしまわへんやろか、怖いような気さえする。  少年が、おずおずと手をのばし、少女の膝まさぐり、「なんやのん」なにか自分がわるいことした如く少女は体をおこし、心配そうにたずねた。少年は怒ったように、あらためてその所在たしかめた上で、手をにぎる。少女はしばらく後、残る一方の手もそえて、少年の掌をつつみこんだ。  この女紡績の女工や、キャバレー勤めたいいうねんやったら、兄貴に紹介したったらええわ、沼津か、関西の方へ売ったらええ金になる。年、俺と同じくらいやろか、ちょっと頭とろいのちゃうか、あほみたいにいうことききよる。「紡績の女工なんか男欲しいてたまらんねんで、お前もたまにはひっかけて、俺とこつれて来てみい、ほな、まあ半人前くらいにはあつこうたるで。女の一人二人こませんでなんやねん」  兄貴というのは名古屋の、極道の流れくむ男で、血のつながる要一もその子分、今は傷害で刑務所に入っている。兄貴はもっぱら女たらしこんでは、キャバレー、ストリップ、トルコ風呂にそれぞれヒモつけて送りこみ、一度その、兄貴の言葉で「ネジ捲《ま》く」現場を少年はみたことがあった。ダンスホールでひっかけた、見たところおとなしそうな十八、九の女で、温泉マーク連れこむなり、まず兄貴がむしゃぶりつき、抵抗するのを、顔がこわれんかと思うほどなぐりつける、それも一つや二つではなく、いい加減半死にの体となったところで、兄貴につづいて二人三人と犯し、しかもそのあられもない姿を写真にとる。「こないしてネジ捲いたったら、後はどないでもいいなりや」最後に少年におはちがまわり、さあいけ、けしかけられたが、下半身裸となったものの、さて情けない姿のままで、「ちょうかしてみい」兄貴むんずとひっつかみ、手荒くしごいたが、ますます意気|銷沈《しようちん》し、「根性なしやな」兄貴はその掌を、少年の顔にしつようになすりつけた。  そやけど、この女連れてったったら、少しは見直すやろ、この女もバシコーンなぐられて、裸にされて、考えはじめると、スクリーンに映ずるやくざ勢ぞろいのシーンが邪魔になり、眼を閉じて、今もありありと残っているネジ捲きの図柄、となりにすわる少女をあてはめてみようとする。「どんな顔しとったか」ふとあやふやになり、のぞきこむと少女は寝入っていた。少年の手を両掌でしっかと包みこみ、わずかに顔を少年にもたせかけるようにして、なんや子供みたいな奴やな拍子抜けして、自分も昨夜一睡もしていないことに気づく。その前に兄貴にもう一ぺん連絡入れておかんならん、考えつつ少年もあらためて腰前にずらせ、椅子の背に首もたせかけた、オールナイト・ショウの暁方《あけがた》はいつもこれだった。  少年の父は船員、ちいさい貨物船の機関士で、母は要一をつれ、後妻に入って少年を産んだ。少年が五歳の時、父は事故で片脚を失い、保険で当座食うには困らなかったのだが、父の航海で不在の間、母は近くの小料理屋の板前とできあって、父が年中家にいるとなっても、母はその関係を絶たず、ついにすべて露見して、父は母を、不自由な体ぴょんぴょんとびはねるようにしながらなぐりつけたが、そのすきに要一、板前のもとになぐりこみ、その商売ものの庖丁《ほうちよう》で、腹をさし、命とりとめたが、要一は少年院へおくられ、父は出奔した。少年は、その明け方、それまで夜通し、さすがはばかって母のあやまり、すがりつき、かきくどく声が襖《ふすま》の向うにきこえ、そして玄関で義足つける音、「あんた、いかんといて、またかえって来てくれるな」母の泣きさけぶのを無視して、カチャリカチャリ義足の道路踏む硬い音が、遠去かり、少年は布団の中で、そのひびきをいつまでも追い、それは、果てしもなく永くきこえていたように思える。  母は、しかし、二、三日すると平静にもどり、「これからはお前と一緒に暮すんや、ええがな気楽で、な」小学校一年の少年に、大人にいう如く語りかけ、二年になって間もない頃、少年が家へかえってみると、牛乳屋の、まだ若い、わが子要一ほどの青年にくみしかれ、その体にまといつき、二本はね上げられた脚の、白い足袋が、くらがりの中にほっと浮んでいた。生来、淫乱なのか、相手かまわず色目つかって、とどのつまり屋台のおでんひさぐ五十近くの男と一緒になり、少年院を出た要一はすっかりぐれて、家にも寄りつかなかったが、しかし、たまに帰ると母に小遣を与え、少年にやさしい言葉をかけた。「あんた、あんまり麻雀《マージヤン》しいないや、あら、体こわすよってな、胸わるするよってな」母は意外に、要一の暮しぶりに通じているようで、この時ばかりは母親らしくおろおろといい、「わかってるがな、母ちゃんもええ加減にせんとこわれてまうで」「なにいいよるの、親にむかって」とたんに母の言葉つきねっとりとこび売る如くかわり、少年はただ、要一の、すかっとした黒い背広にあこがれていた。  三番目の男との間にもたてつづけに子供が生れ、となると怖れなしたか、屋台と付属の道具一切置いて五十男逃げ去り、さすがに母も途方に暮れ、暮れるよりなにより下は生後六カ月で、貰い乳できるからまだよかったが、少年も三歳になる妹も、空《すき》っ腹《ぱら》かかえてぶっ倒れたまま、母は、雨の降る晩に子供三人を連れ、東海道線の線路わきに、じっと立ちつくしていたことがあった。小学校六年になっていたからさすがに事情がわかり、しかし、びしょぬれになりながら、赤ん坊には雨あたらぬよう破れ傘わざわざすぼめて、頭からかぶり、三十分も立っていたのか、あるいはもっと長かったのか、またふらふらと歩き出し、要一はこの時、何度目かの刑務所入りをしていた。  六畳一間の長屋に、母は他人の眼などかまわず、男をひき入れては金を得、その間、少年と妹は、弟を背負って、あたりをほっつき歩き、よその勝手口が開いていれば入りこんで、キャベツ、人参《にんじん》、米、醤油なんでもかっぱらったし、干し物、履きもの、猫のようにしなやかな動きで盗み、そうでもしなければ、食うにも着るにも、母をばかりたよるわけにもいかぬ。母を抱きに来る男はさまざまで、労働者風のもあれば、会社員、若い工員、客をかえした後は酒をのみ、妹は六歳から家をとりしきる、六畳一間に調度は蜜柑箱《みかんばこ》にうす紫の紙を貼った仏壇、年中敷きっぱなしの布団、台所にはバケツと煮るにも炊くにも鍋一つ、屋台はとうの昔に売り払って、残ったのはおでんの串ばかり。八百屋で野菜の屑《くず》を分けてもらい、ガスはとめられたままで、木っ端拾い集め、七輪に火をおこし、掃除洗濯までたいていのことはやってのける。ひびあかぎれに血がにじむと、酔っ払った母、「さあ、母ちゃんの股倉《またぐら》に手エ突っこんだらええねん、ぬくいで、あったかいで」冗談ともつかずにいい、妹はさすがに従わず、自分の脚の間にはさみこみ、しびれた指さきを常にもどす。  映画が終り、ざわめきにまず少女が気づき、隣りに寝入った少年を、びっくりしたようにながめていたが、そっと少年の手の下になった自分の掌抜き出すと、売店へ行ってチューインガムを買い、それから、やさしくゆり起した。やさしいつもりだったが少年は、はっと姿勢立ち直し、眼前に突き出された極彩色の包みを、眼こすりながらながめ、乱暴にはがすと、二つ一度に口へ入れる。少女はつつましく一つ噛《か》んで、「よう寝てはったね」「お前かて寝てたわ」「そうらしいね」「そうらしいやて、大きな口あけて」「ほんま? 口あけてた? うち」眉ひそめてたずね、「うそや、あいてえへん。えらいかわい顔してたわ」少年が、浮き浮きという。自分の言葉にこうも単純に笑ったり、おどろいたりするなど、はじめての経験だった。妹は、たとえ母親が死んでも、別に当り前の顔で、きっと台所の仕度しよるにちがいない。いや、俺はどないやろか、母親死んだら泣くか、泣くなんてことはまあないやろ。要一の兄貴は泣くかも知れん。あれ、案外、気イ弱いとこあるみたいや。  刑務所から出て、要一が母をたずねた時、母はそれまでその気配すらみせなかったのに、急に泣き出し、お前だけがたよりやねんとすがりついて、要一も、「すまんかった、わしもこれから堅気になって、もうこんなとこおらんでもええようにする」いかにもすさみ切ったたたずまい。これやったら刑務所の方がなんぼか増しで、俺はまだしも妹弟は痩せおとろえて骨と皮、この時も妹の奴、別にどういうこともなしに、分別臭い顔で兄貴の顔みとったなあ。  鈑金《ばんきん》工場に兄貴勤めて、俺も中学卒業してから一緒に働いたけど、昼間はとにかく夜になると、兄貴はダチ公にさそわれて、結局ずるずるべったりになってしもた。まあ、なにか商売したらええいわれて、母親、三代目の亭主やっとった屋台ひく気イになり、どうかこうか前より増しにはなったけんど。 「お前お母さんいてはるのか」何かもの足りないのは、少年が自分のこと少しもたずねてくれないからだと、質問されたとたんにわかり、「そらいてるよ、おらんかったら生れへんもん」少女|蓮《はす》っ葉《ぱ》にこたえると、「元気なんかてきいてんねん」元気というてええのか、洗濯婦で包帯や寝巻や、大きなたらいに入れて洗うてた、それでのうてもちんこい体が、ますますしなびたみたいで、中学の帰り、病人さんに給食するその残りやいうて、うちようお鍋に、御飯や、大根煮たんや、豆腐、煮魚なんか、ごちゃまぜにしてお母ちゃんにもろた。「姉ちゃん病気で寝てるやろ、あんた学校あんねんから、魚ここで食べていき、家持ってかえったらとられてしまうで」えこひいきするみたいにいうてくれて、うち手づかみで、お魚食べたことある。その時々でえこひいきせな、お母ちゃんも平等には面倒みきれんわけや。 「元気にしてるわ」今度は大人っぽくこたえ、「そらええなあ」「あんたとこ、どないかしたん」「まあ、病気みたいなもんやな、アル中やねん」いってからすぐ、「まあそんなひどいことないねんけど、酒よう飲みよるねん」「あばれたりしやるの」酒といえば父の記憶しかない少女おそるおそるたずね、「あばれたりせんけど、ちょと陽気になってまうねん」「ええやないの、それやったら」「お前とこ酒のまへんの」「お酒どころやないわ、病気の姉ちゃんいてるし、その看病やらなんやらで」看病は少女の役割、発病してすぐは寝たきりで、用足しも自分ではかなわず、その臭《にお》いにもなれはしたが、ある時、姉の下着真赤に染まっていて、ひどく驚いたことがあった。「なにもこんな寝たきりやのに、メンスなんかのうてもええのに、むごいことや」母は、便所の片すみに新聞にくるんでおいた下着を、手早く洗って、すすいでもすすいでも赤い色が残って、少女は怯《おび》えた。「ええお母ちゃんやねんな」「そらそうや、背エちんこいけど、よう働きやるわ」「お前とちゃうか」「そんなんよういうわ、うちかて、よう働くよ」「うちの母親もよう働きよるわ」「うちの母親て、他人みたい」「なんちゅうねんな」「お母ちゃん、お母さんいうたらよろし」要一はそう呼んでいたけれど、少年は素直にその言葉が出ず、昨夜、切羽つまって呼びかけはしたけれど、自分でもおどろいたくらい。「母親やから母親や」少女はさからわず、「お母ちゃん苦労ばっかりして来やってん、そやからうち楽させたげたいねん」「それでキャバレーいこ思たんか」「一日の保証千二百円くれるいうし」「それ保証いうたかて指名が三つつかなあかんわ。でなかったらごっつい酒飲ませるかな」「指名てなんやの」少年にもよくわからぬ。ネジ捲いた後はめこんだ女の一人に、ヒモが、「指名の客ふやさなあかんやんけ、減るもんやないし、どんどん体で客釣るんや」はっぱかけているのを、きいたことがあった。 「キャバレーなんかいくのやめとけ」少年は喉《のど》もとまで出かかり、どのみち兄貴に渡したら、未成年は地元ではやばいから、遠くへまわしてまうねんやろけど、それにしても、この女がキャバレーで働くことを考えると、ええ気はせん。あらためて手をにぎり、「どや、出よか」女連れて歩いてるとこ、ダチ公にみせびらかしたろかと考え、そやけどこの女、美人なんかそうでないのか、鼻の形もええし、眼エも大きいのに、なんや貧相な感じしよる。これがフーテンでもええから、ミニスカートのばちーんとした奴やったら、すぐ踊りにいくねんけど。去年のクリスマスの時、東京の女子大生やいうてすごいのんおったなあ、兄貴すぐ眼エつけたけど、まるで問題ならへん。あんなん俺ひっかけて、町歩いたら、皆どない思いよるやろ、兄貴の顔みたいわ。 「お腹《なか》減らへん?」少女がくったくなくいい、「俺、酒の方がええな」「うち、お金あるよ」千円札二枚みせて、「あんた持っといてくれる?」少年は、不承不承といった風でポケットへねじこみ、「お前もちょっと飲めへんか、ジンフィーズやったらいけるんちゃうか」兄貴は、なじみのバーで、ジンフィーズと注文し、実はウオトカの入った強い奴、よう女に飲ましよる。別に真似するわけやないけど、兄貴ええかっこしよるからな、オンザロックスやて、それでカウンターの上に指二本横にしてみせる、ダブルいうこっちゃ、いっぱい三百円か、ジンフィーズ二百円、つまみとっても、まあいけんことはない。 「飲みにいこ」腕とられ少女はひったてられ、少し痛かったが、そのまま腕組んだからうれしくて、お酒飲みに行くなら、お化粧してくるんやったと思う。寮の先輩達は、満艦飾でハントにでかけ、十二時過ぎふらふらになってかえってくる。着がえる時みてたら、わざわざみせびらかして、「いやらしなあ、こんなとこまでキッスマークつけて」足のつけ根に近いあたりをぴたぴたとたたいたり、「うち訴えたるわ、こんなことされてだまってられへん」夜中に急にさわぎが起り、廊下にお化粧まだらなら、服も泥だらけの女がじれるように足ふみ鳴らしわめき立て、それを二、三人がなだめていたり。この女も二日たつとけろっとしていたが。  繁華街を少しはずれたカウンターだけの店へ入り、「どないしてん」バーテンなれなれしく少年と少女みくらべるのを、「こちらジンフィーズつくったってんか、俺ウイスキーダブルや」  グラスが置かれると、少年、乾杯するようにグラスをかかげ、少女がならい、バーテン舌打ちして、レコードのボリュームをあげるその騒音にかくれて、「どこで拾てきてん」ききとれず顔さし出す少年に、「ええ体してるやんけ」少女を顎《あご》でしゃくり、「われと関係ないわい」少年はバーテンをにらみつける。もとぐれた一味だったのが、更生してバーテンとなり、とはいってもいろいろ便宜はかってくれるのだが、「ええ体」とぶしつけにいわれ、気にさわったのだ。  少女はジンフィーズを少しなめ、いっこうにまずくないので、「これはやっぱりお父ちゃんの血イひいてるのやろか」と考える。製材所へ勤めた兄も、父の死後さらに、櫛《くし》の歯ひく如く襲いかかる不運に、ほとほと打ちひしがれたのか、酒を飲みはじめて、飲めば父そっくりに蒼ざめ、民生委員の手前、所帯は別にしていたが、夕方から、誰はばかることなく手酌で酒あおっていられては、生活扶助も受けにくく、母が注意すると、「ええやんか、別に、親父の気持ようわかるわ」長男に生れんかったばっかりに、差アつけられてと、ひどく大人びた口調で愚痴こぼし、やがて勤めも怠りはじめて、「ほんまろくな血イひいてないな」母が涙まじりに怒鳴り立てたが、兄は母のなけなしの給料生活費さえ、押入れにしいた新聞紙の下、台所の米びつの中、かくしどころぴたりと押え、洗いざらい持ち出して賭《かけ》ごとにうちこむ。  民生委員がみかねて説教すると、涙流さんばかりに悔悛《かいしゆん》の情しめすのだが、いっこうに働く気を起さず、かと思うと百科辞典のセールスマンに応募して、二、三日はしゃかりきに朝早くからとびまわり、またすぐあきて家にひきこもり、その差次第にはげしくなって、学校からもどった少女つかまえ、「俺はもう長いことないわ、わかってんねん、俺死んだら母ちゃんたのむで」しつこくかきくどくかと思えば、「まあ兄ちゃんにまかしとき、今度ええ勤め口あってん、そらもうこれで運ひらけてきよったわ、何欲しい、月給もろたら買うたるで。えらい長いこと苦労させたなあ」浮き浮きと鼻唄さえとび出し、その勤め口なるものくわしくきけば、ただ新聞広告で求人の欄を見ただけ。さすがに母も気味わるくなって、病院に相談したら、一度連れてこいといわれ、そのまま精神科へ入院となる。「別に気ちがいいうわけやないけど、まあ、大事ないうちに、ちゃんと直しとかんとな」先生は、母親と少女交互にながめながら、やさしくいった。  高利貸しの男は、月あけるたびバイクで乗りつけ、証書あたらしく書き替えるが、利子と借り増しつもって三十万ほどになり、「なあ、娘さん、中学出たら紡績へ勤めさせへんか、仕度金出るとこもあるねん、わし紹介するさかいどや」そうすれば仕度金で元金のうち半分かやせるし、ええ寮も厚生施設も整うてる。給料まるまる残るから、送ってもろてやな、いうてはなんやけどこのままでは始末がつかんで。ひとつ娘さんの就職まかしてほしいわ。集団就職から見放された零細企業の人集めで、厚生といっても、雨ざらしのピンポン台が一つあるだけの今の工場へ送りこまれたのだった。  どっと勢いつけて三人連れがカウンターにあらわれ、一人は三十五、六、色の白い男で、みるなり少年は、「あ、兄貴さがしててん」へりくだっていい、「えらい景気ええらしいねんな」ちょっと話ありますわ。顔貸してくださいと、うわずった調子で少年表へさそい出し、ひっかけたくだりはいっぱし色男ぶって脚色し、「金もまき上げたりましてん」千円札二枚みせる。「年なんぼや」「ぼく位ちゃいますか、紡績ですわ。ええ体してまっせ」バーテンの言葉を臆面もなく借り、「ちょう待っとれ」兄貴はバーにひっかえし、すべては少年にまかせっきり、レコードにあわせてカウンターを指ではじいてる少女、じろじろながめ、連れに何事かささやき、もどると、「よっしゃ、わし等、ちょっと用あるよってな、寿荘知ってるやろ、あしこ連れていけ、すぐ後でいくよって」少年の肩ぽんとたたき、思いついて五千円札一枚を渡す。「踊りにでもいって、気分出さしとったれや」兄貴の言葉にうれしくなって、「ほな、いこか」貫禄ある風にいい、少女の肩を抱いて表へ連れ出し、「お前、ダンスできるんか」「知らんねん」「教えたろか」「そやけど、こんな恰好やもん」襟《えり》のところに、おしるしほど赤い縫いとりがあるだけの白いブラウス紺のカーディガン、安っぽいスカートに、白茶コンビの平底の靴、「かまうことないて、あんなもんすぐやもん」歩いて十分のところをタクシーとめて、ゴーゴー専門のホールへむかう。  細い急な階段を三階まで上ると、夕刻といっても五時前なのに、ホール内は深夜のようにくらく、ミラーボールが点滅し、ほとんど若い男ばかり。楽団もまだいなくて、各自ジュークボックスにコイン入れてのセルフサービス。「何好きや」ときいても、どうせ答えはないにきまってる、少年二百円を小銭に替えて、Aの六、Eの十一、Dの三となじみある曲片はしからボタン押して、「さあ、踊ろ」「うち、ようせんねん」手をひかれても、頑強にこばむのを、そこへ立たせたまま、少年は長身ややかがめ、両手を曲げて胸の高さにかかげ、リズムに合わせ、首ふりつつ、体ごとしゃくり上げる。視線はひたと少女の瞳《ひとみ》をとらえ、少女も、単調なリズムのくりかえしだから脚片方ずつそれに合わせて踏みはじめ、とみると、少年オーバーに手を、まるで骨がないかのように、しなやかに宙にはね上げ、少女つられかけたところで一曲終る。「どないや、簡単やろ」「うちわからへん」まだひっこみ思案だったが、二曲三曲目になると、必死に少年の身のこなし追って、手をたたけばならい、足はね上げれば負けじと真似し、やがて通常のダンスミュージックで体寄せあい、「お前、リズム感あるわ、うまいやん」耳もとでささやかれると、こんなやさしい言葉、うまれてはじめてきいたように思い、少女は知らず知らず少年にしがみつく恰好となり、いつまでもはなれたくない。  終るとついとはなれ、少年は大またでホールを横切り、どうしたのか心配すると、コーラ二本手にしてもどり、お金足りるのかしら、心配になったが、その自信に満ちた表情ながめていれば、すぐ安心できる、おいおいに人がふえて、ミニスカートひるがえし、頭の先から指先まで、リズムに乗って眼のまわるほどはげしい踊りやら、かと思えば女同士向き合い、ただ足を踏みかえているだけ、ゆらゆらと踊る姿も洒落《しやれ》ていたし、みとれるうちすぐ少年にひっぱられて、ホールの中央、ひょいとみると、固く抱き合ったままキッスする組がいくらもいて、足すくんだが、気がつくと少女も抱きすくめられ、腰にまわった少年の手が、おそろしい力で少女の体をひきつける。「俺、好きか」かすれ声で少年がいい、「うん、あんたは」「きまってるやんか」返事のかわりに、少女のあごに指先がかかり、押し上げられて、みるとすぐ前に少年の顔がせまり、あわてて少女は、胸に頬をうめる。「なんでや、いやか」もどかしそうにいいつつ、乱暴にターンし、少女は上気しきっていて返事するどころではない。  頬に両手あて、うつむいた少女を抱きかかえるようにして、少年は戸口へすすみ、「どないしたん、もうかえんのん」ミニスカートの一人が声をかける。「ああ」「後でまた来る?」少女を無視してミニスカートなれなれしく少年の肩に手を置き、「わからんな」少年ふり切ったが、少女は不意におびえ、表へ出たら、もう帰れいわれるのちゃうかしらん、さっきキッスもせえへんかったし、少年の視線とらえようとするけれども、彼はむっつり押しだまって、ただ歩き、「ちょっと、ここ寄っていけへんか」声かけられてほっとしたら、寿荘の青いネオンが、むしろ不吉にひかり、庭もなにもないむき出しの連れこみ宿。「どや、腹減ってるねんやろ」少女のおびえをみてとり、少年もはじめてのことで、空腹にかこつけ、いかにも食事とるだけのようにいって、先に立ち、さんざ案内乞うても誰もあらわれぬ。女のネジ捲きの場所は、ダチ公のアパートふくめて三カ所あり、寿荘はいちばんよく使われていて、少年の現場みたのも、ここであった。  ようやく老婆あらわれ、ものもいわずスリッパそろえて「休憩か?」うなずくと、「四百円」「夕御飯食べたいねんけんどな」「そんなんあらへん、どっかで寿司でも食べて来たらええやん、ここでとると高うつくよ」使用人にもあるまじきこといって、すたすた奥にひっこむ。「うち、お腹ええよ」少女は低くいい、「いや俺かてすいてるねん、寿司いうのも芸ないしなあ」そして、風呂屋の下足箱みたいなむき出しの下駄箱、玄関の突き当りにある止った古い時計。右手の帳場はカーテンかかってて、この陰気な旅館の一室で、この女が裸にむかれ、兄貴にとっかかられるのかと考えると、さきほどダンスホールで抱きしめた、思いがけずやわらかな、掌に小鳥をやんわりにぎりしめたような、そのときめき息づかいの一つ一つはっきり感じとれたし、兄貴に渡すねんやったら、もう一度抱いてみたい。 「いこか」少女をうながし、緊張の余りべそかいたような少女の肩抱いて、つい裏道細い路地をえらんで、寿荘から遠去かったのは、車でのりつける兄貴に会うことを怖れたからだった。 「弁天島いこか」あしこやったら、たしか料理あるはずや、なんか知らんけど、要一にその話きいたことある。兄貴にもろた五千円と、少女の金が千二百円、これだけあったら足るやろ、思いつくと矢も楯《たて》もたまらずタクシーをとめ、見つかるわけもないのに、兄貴に発見されそうで、映画館で眠る時の如く、腰ずらせて体をひくくかまえる。少女にも同じくするよう、手をひくと、そのまま、斜めにおおいかぶさって来た。  料理屋といっても見当つかず、結局、松林の中の温泉マーク、ちいさいながら鉄筋で、通された部屋は二間つづき、一間は四畳半、ここに卓袱台《ちやぶだい》があって、「お料理いいますと、おつくりに蒲焼《かばや》き、お吸物なんかでよろしゅうございますか」女中がたずねたが、壁も畳もほころび一つなく、屏風《びようぶ》、生花がいちいち豪勢にみえて気押され、「それでよろしいわ」いなくなると、すぐ冷蔵庫をしらべ、ドアを開け、「あ、ここ便所と風呂あるわ」そしてどっしり重々しい襖《ふすま》あけると、部厚い布団に二つ枕、胸つかれて少女をみると同じくきょろきょろすわりこんだまま見廻していて気づかぬ様子。 「風呂入らへんか」反射的に少女は首をふり、しかし、もう一度いわれたら従うつもりだったが、少年は靴下ぬいで、湯槽《ゆぶね》のコックひねり、少女は赤黒だんだらの靴下をいそいで片づける。母がやっていたように、きちんとそろえ、二つに折って一方の靴下へ合わせて入れる。少年のぬぎすてたジャンパーもハンガーにかけ、そこへ料理運ばれてきて、二人ともかしこまって坐ったが、やがてもうもうと湯気が押し寄せ、「お湯の方ばっかりやったらあきませんが、水も入れんと、熱うて火傷《やけど》しまっせ」女中が笑いながら調節してくれた。  刺身にしろ蒲焼きにしろ、そしてそえられた海苔《のり》にしろ、二人はこれまで食べたことがない。刺身にはわさびをつけず、海苔はそのままほおばり、蒲焼きには醤油をぶっかけ、「お代りどうです」少女がお盆をさし出すと、少年は空になった茶碗をもてあまし、どぎまぎして、「この上のせるねん」少女は、この人子供みたいやと思う。「よかったら、うちの食べてええよ」少女が自分のお菜をしめし、寮の食事は丼飯に三食とも一汁一菜で、しかも朝昼お香こで夜にようやく生揚げ竹輪肉と野菜の煮こみの三種類がくりかえされ、寮の住人は福神漬、朝鮮漬、時雨蛤《しぐれはまぐり》もちこんで、補いとする。少年はほとんど家で食べず、兄貴の使い走りしてもらう小遣と、本の万引きかっぱらいで三食ともラーメンかうどん。「もっとおあがりいな」「もうええわ」「もったいないやん」少年が箸《はし》置くと、少女思わず食べちらかした皿が気になり、だが恥ずかしいから、手はつけずに、片づけはじめる。「ほな、風呂入ってくるわ」少年は立ち上って、少女は、「浴衣《ゆかた》そこにあるわ」ジャンパーをかける時、洋服|箪笥《だんす》の下に、同じ柄を赤と青で染めわけた寝巻みつけていた。その下にタオルもあり、「背中流したげよか」自分でも思わぬ言葉がとび出る。本家と一緒に暮してる頃、風呂が別棟にあって、夜おそくなってから婆ちゃんがあいたでと知らせに来て、ねむくてたまらぬ少女を、父は抱きかかえて入れ、よくその体を石鹸でこすらされた。 「お前も入れへんか」「恥ずかしい」すねるようにいい、「ほな、先入るわ」少年も照れたように風呂場へむかい、少女はそのざあざあと豊かに流れる湯の音をきいてほほえみ、しずまればどないしたんやろと気にしつつ、大きな盆に皿、丼鉢、茶碗をのせ、これ洗うといた方がええんちゃうかしらと気づき、部屋のドアーの横に洗面所があったから、食べ残しは、あの病院で鍋にもらった時のように、ひとまとめにして、空いた器を丁寧にすすぐ。  全部終えると、盆の置き場所がないから、洗面の台の上にのせて、四畳半にもどり、そっと気にかかっていた襖をあけてみる。布団に二つ枕の印象より、その豪しゃな雰囲気《ふんいき》にうたれ、正面の壁は三尺の高さに金ぴかの、ものものしい開き戸がついていて、隅には朱の衣桁《いこう》、頭の側は三角に切り込んだ床の間で、天井に照明がある、違い棚に藤娘の人形が置かれ、少女は布団の上はもったいないようで、部屋いっぱいにひろがるそのわずかなすき間にすわりこみ、何度もたしかめるように見渡していると、つんつるてんの浴衣着た少年が入って来た。 「入ってこいや」少女うなずき、三日前にメンスが終ったばかりだった。それから風呂へも入らず下着もかえていない。体をきれいにしておかないとと、その先は考えずに、乱暴に入ったらしく垢《あか》やら抜毛の浮く湯槽に身をひたし、こんなあったかいお風呂に入ったことあるかしら、しみじみと思う。体の芯《しん》からとろけそうな、けだるい感じで、しかも湯が生き物のように、体をやんわりしめつけてくる。湯から出ると、すぐに湯をはじきかえして、皮のむけるようにぬれた部分が後退していく腕や脚をながめながら、うちの体、きれいなんやろか、ふと心配になった。少女は素肌のまま浴衣をはおり、奥の間に少年、片脚をむき出し、布団半ばはいで横たわり、煙草を吸う。 「電気消そか」風呂上り鏡に向う習慣も少女にはなく、濡れた髪だけをしきりにかき上げ、いわれるままに入口のスイッチ切ったが、床の間の明かりで、少年の顔はよくみえる。「こっちこいや」ぶっきらぼうにいい、少女布団に入りかけて、「さっきの人だれ」つんとたずねる。「さっきいうて兄貴か」「ちゃうねん、ダンスホールで声かけたやん」甘えじゃれるようにいい、「ああ、あれあしこよう来よるフーテンやんか」「あんた好きなん?」「あほらしい」「向うあんた好きみたいやったよ」「知らんがな、そんなん」少年あせるでなく、むしろけだるいように頭の下で両掌くみ合せ、天井むいたまま。 「なんかいうてえな」「そんなとこおったら風邪ひくで、風呂入った後やろ」少年うつぶせに向きをかえ、それが合図のように少女も体をそわせる。「これなんや」壁の下の金ぴかの戸開くと、少年はおおと声あげ、「ああびっくりした誰かおるのんか思うた。鏡やんか」少女も半身起してみると、そこにお雛《ひな》様のように、赤と青の浴衣まとい、じっとみつめている少年と少女がうつっている、少女は少年にかじりつき、少年は悲しそうな、泣いてるような声で、好きや好きやとくりかえし、少女の胸にむしゃぶりつき、その乳首を赤ん坊のように吸う。少女はあおむけに倒れ、少年の頭をわしづかみにし、眼見開いたまま、首を左右にふる。  少女は自分で、浴衣の紐《ひも》をとき、全裸となる。少年は身を起し、両手でなでさすりながら、「きれいやわ、きれいやわ」とつぶやく、少女は少年の顔を見上げ、逆光でしかとみきわめられぬが、「この人の眉毛お父ちゃんによう似てる、ええ男やなあ」うっとりし、少年の掌のうごくにつれ、膝がきゅっと曲ったり、吐きつくしたはずの息がさらに唇から洩れ、ずっと以前、やはりこんな風な愛撫を、うけたような気がする、いや、この少年とこの部屋で、今のような形をとることは、決っていた、わかっていたように思う。ふっと少年の脳裡《のうり》を、はね上った二本の脚の白い足袋がよぎる、ネジ捲きの光景が浮ぶ、ふり払う如く、少年は少女にむしゃぶりつき、その気魄《きはく》に、「こわい」もらすと、「こわいことない」「こわいことあらへん」少年はくりかえし、ぎごちない操作に汗にじませ、少女はむしろ平静にその姿ながめながら、脚をひらき、体をわずかにずらせて、息づかいのみ激しい少年を、なんとかたすけたくて、やがて汗が少女の顔にしたたりおち、そのしょっぱい味ふれると、自分から少年の首抱きしめ、思いきって大胆なポーズをとる。  気がつくと、少年は全身の力を抜いて、少女の上におおいかぶさっていた。重なり合った二人の姿を、まず少女がながめ、やがてのろのろ体おこした少年もみて、鏡の中で二人みつめあい、するとたちまちまた少年の力みなぎって、今度はその力強さに少女悲鳴をもらす。少年いさいかまわず、思うままふるまい、そして果てた。 「なんや、水入って来たんか」少年は掌で漕《こ》ぎながら船底をしさいにながめる。少女も水のたまっているのは、知っていたが、それがどうなるとも考えず、少年の顔ばかりながめ、「向う岸までいけるかな」赤いネオンははるか右手に移動していて、小舟の流されていることがわかる。「ちょっといそごか」少年は力こめて掌をぐっと後ろにかく、その拍子にぐらっと傾き、わずかながら水が舟ばたからこぼれて、「いやあ」少女悲鳴をあげる。雨はまだ降りやまぬ。少女は、しかしいっこう怖くもないようで、うちがこれまで生きてきたんは、この人に会うためや、うちはこの人のもんなんや、もはや洗濯婦の、ちいさなお母ちゃんもカリエスの姉も、精神病の兄もすべてうすれて、少年を知ってはじめて、自分の知己ができた、肉親を得たというように、ただもう少年のことしか頭にない。少年は、このままやとどこへ流されるんやろか、海へ出たら、えらい遠くまでいってしまうのちゃうか、しかしその心配は無用で、漏水と、わずかにかたむいただけでも容しゃなく水が入りこみ、三分の一近くたまると、ずぶっと水に小舟はもぐりこみ、しかし木だから沈みはせぬ、まったくの水舟となって、少年と少女をつかまらせたまま、どんどん流れていき、少女はしっかり少年の腕につかまったまま、なにかあそんでいるようで、少しも恐くはない、さっき脱ぎすてたままで下着つけていないのが、むしろ快い。少年は靴を脱ぎ捨て、必死に足ばたつかせて、お父ちゃんやったらどないしよるやろこんな時と考え、沈まぬよう、少しでも向う岸に近づくよう努力をする。  すでに赤いネオンは闇にとけこみ、少女があおむくと、今度ははっきり雨の粒がみえた。水舟につかまったまま、少年と少女は、どうどうと鳴る遠州灘《えんしゆうなだ》にむかって、流されていく、お互いにみつめあい、ようやく、ようやく二人——。 [#地付き](「別冊小説新潮」昭和四十三年陽春号)   [#改ページ]  くらい片隅     一  ぼくは、六甲山《ろつこうさん》のふもとの、戦前からあるちいさなホテルのバアにいた。  当時は神戸に住む外国人たちのクラブであったらしく、六甲山へ往《い》き還《か》えりに、蔦《つた》におおわれ、窓のちいさい、この建物と、見事な芝生を、ぼくたちは、いかにも外国のスパイの巣くつの如くながめたものだ。  戦争のはじまる少し前に閉鎖され、昭和十九年に、ぼくが、神戸商大の学生をたずね、それは剣道の防具をゆずってもらうためだったのだが、久しぶりに通りかかったら、建物は空屋《あきや》のまま放置されていて、打ち捨てられた標識に、ガーデンとうすれかかった横文字が読みとれた。  戦争が終ると、この建物は、占領軍、女兵士の宿舎となった。いや、たしかなことは知らない。昭和二十三年、久しぶりに神戸をおとずれたら、見慣れた商大のクリーム色の建物のすぐ下に、山をくずして整地し、赤青オレンジ色とりどりの、いかにも安手な家が立ちならび、それは占領軍の家族宿舎とかで、クラブもまた接収され、いかつい女兵士が出入りし、その芝生の上に、白いズロースが何十と干され、風にはためいていると、友人にきかされたのだ。 「土曜日にな、六甲登山口のへん歩いてたらな、進駐軍の女、声かけて来よんねんて。チョコレートやココアくれるらしいわ。そのかわり一晩中ねかされへんねんて」  十六歳の友人は、声をひそめてつけ加えた。  そういった噂《うわさ》は、東京でも耳にしたことがある。銀座のPX横のくらがり、神田駿河台《かんだするがだい》近辺、男に飢えたアメリカ女兵士の乱行が、ささやかれ、それは、思うままに日本の女をだまし、また嬉々としてナイロンストッキングや、煙草のカートンボックスとひきかえに体を与える女達への、ふんまんが産んだ空想だったと思う。誰一人、その恩恵というか、責め苦というか、経験した者には会わなかったのだから。そして不思議なことに、今、責め苦といったが、占領軍の女兵士との情事の噂は、常に、男がくたくたに半死半生の態《てい》となり、半月近く床についたなり起き上れないというオチがつけられていた。  アメリカの女に買われるという甘美な空想は、あまり甘美なために、せめてこういうみじめな結末をつけておかなければ、やり切れなかったのだろう。ピーナッツや宝くじを売る苦学生の中から生れた、伝説なのだから。  昭和三十一年に、六甲山へ登るつもりで、ようやく整備されたドライブウエイを、車で通りかかると、この建物は、「Rホテル」と、また看板がかわっていて、バーベキューをすすめる文字が、日本語でしるされている。  運転手にたずねてみたが、くわしくは知らず、夕暮れで、山道を登るに従いひらける眺望、戦前のままの港の姿をながめるうち、あの少年の頃、重たげに蔦をかぶり、バラのアーチなどかいまみせて、紅ら顔の外国人が出入りしていたクラブ、そのあたりには蜻蛉《とんぼ》が群がりとんでいて、一匹とるたびに「一機撃墜」とさけび、「あの家で、スパイが信号送りよんねんで」と、軍国熱血小説の主人公を気どり、油断なく建物をうかがった記憶がよみがえり、もうじき山頂というあたりで、車を「Rホテル」にむけ、ぼくは妙に気がたかぶっていた。  よくみると蔦は半ば枯れ、古びた灰色の壁がむき出しとなっていて、玄関を入ると、いかにもとってつけたようなホテルの造作、つまりフロントや、ソファ、灰皿、傘立て、絵葉書飾ったケースなど、雑然とした印象で、五十半ばとみえる婦人が、一人いる。  泊るつもりはなく、といって名物バーベキューを食べる気も起らず、「お泊りでございますか」思いがけず、きれいな標準語できかれて、返答に窮し、「ウィスキーを飲みたいんだけれど」「では、バアへ御案内いたします」  すりきれた紅いじゅうたんの廊下を、婦人に従い、左右は、ホテルに不似合いな頑丈なドアーがならんでいて、人の気配はまったくない。右手のドアーを開くと、一段低くなっていて、ほんの三坪ばかりの広さの、一方にカウンターがあり、子供用といっていいくらいこぢんまりした三点セットが置かれている。 「少々、お待ち下さいまし」  婦人が去って、ぼくはいささか狐につままれた思い、とにかくいっぱいウィスキーを飲んで、すぐ引き上げようと、車をかえしてしまったことをくやみつつ、だが、壁にならぶウィスキーの瓶《びん》は、せまいスペースからはみ出さんばかり、二重三重にならんでいて、すこぶる高級な種類のものがそろっている、いや、気をつけてみると、サービストレイも灰皿も、飾り棚やらスコッチの化粧樽《けしようだる》も、水差しナプキン立て、すべて本場の銘柄の紋章入りで、これはよほど多量に酒を仕入れなければ、寄贈されないはずのものだ。 「いらっしゃいまし」  白髪の老人が入って来た。蝶《ちよう》ネクタイにタキシードが、いかにも身についた感じで、コップにまず水を入れて、こちらにくれるのかと思ったら自分が飲み干し、ぼくの真正面に立つと、カウンターに両掌《りようて》を置いて、「なにをさし上げますか」  あまり堂々としているから、つい、気押されてしまい、口の中でごにょごにょと、ウィスキーの名をいうと「かしこまりました」語尾までいささかのごまかしのないいいかたをする。  ファッショングラスに、六分目ほどウィスキーをみたし、水をそえ、ぼくの前に置くと、もういっぱい老人は水を飲み干した。  結局、この夜、ぼくはバアでしたたか酔い、ホテルに泊り、そして、神戸に行けば、泊らぬまでも、必ずこのバアで酒を飲むならわしとなったのだが、それは、建物に対するなつかしさやら、ここからの眺めのよさ、客は常連ばかりで、数がすくなく、雰囲気《ふんいき》としてはホテルというより西洋御下宿のような、アトホームな感じの、その魅力もあったが、なによりバーテンダーの人柄にひかれたといえる。白髪のせいで、年より上にみていたが、後できけば五十半ば、戦前、東京の本郷《ほんごう》で洋酒輸入商の番頭をつとめ、敗戦後は占領軍クラブのマネージャーとして十年近く過ごし、Rホテルの開業と共に招かれたという。  このバアで飲む時、相客はまずなくて、ぼくはたいてい、バーテンダーとダイスをしながら過ごす。彼は、戦前の神戸をよく知っていた。といっても、こっちの子供の頃だから、そういちいち話の合うわけもなく、ただ、おそろしく該博《がいはく》な洋酒の知識、バアにある紋章入り調度は、すべてバーテンダーの所有になるもので、これだけを疎開していたというそのいわれ因縁話をきき、はじめはポーカーをいどんだら、まるで強すぎて話にならぬ、よくきくと、神戸在住の外人がよく挑戦して、二十万三十万と金を賭《か》けることも珍しくないそうで、比較的、偶然性の加わるダイスにかえたのだ。  この夜もすでにぼくは酔っていて、しばしばダイスをカウンターから落とし、そのつど罰点《ばつてん》千点をマイナスされ、それでなくても腕は劣るのだから、かれこれ一万円近くをとられて、他のすべてにやさしいバーテンダーだったが、こと賭けになると容しゃがない。ぼくはあと六つのダイスをふって、そのすべてに1か6がでるか、あるいは1から6までのストレートを、つづけて二度出さなければ、またしても負ける土壇場《どたんば》に追いこまれ、もっともらしくカップをゆすって、だが、酔った頭で、なにを念ずるでもない、カップをふろうとしたら、常に姿勢のいいバーテンダーの姿が、ふとドアーにむき、ほとんど上体を動かさず、漂うようにカウンターのはしに歩く。  みると、黒人の青年がドアーを半ば開けてのぞきこんでいる。バーテンダーがかるくうなずくと、安心したように体を入れ、その後から、日本の若者がこれもおずおずとあらわれ、二人はやや乱暴に椅子にすわった。  ぼくは別に気にもとめず、ただダイスを中断されたので、手持ぶさただから、ウィスキーを飲み、ついでに「チーズを下さい」バーテンダーに頼んだ。どうせ、この二人のためになにかつくるのだろうから、そのついでにという気持だった。  バーテンダーは、黒人と日本人のどちらへともなく、「なににいたしますか」たずね、ぼくは、ぶしつけにならぬ程度に、こっそり盗み見ていると、黒人はきわめて落着きがなく、ぼくのウィスキーに視線をはしらせ、棚にならんだ高価な酒瓶をながめ、ようやく「チーズサンドイッチ」といった。  黒人にしては小柄で、ソフト帽をかぶり、レインコートの襟《えり》を立て、いかにもお洒落《しやれ》な印象、年は見当がつかぬ。日本人はそのかげにかくれてわからないが、入ってきた時の感じでは学生のようだった。 「マイネームイズタカダ」  妙なアクセントの英語がきこえた。タカダは苗字《みようじ》なのだろうが、よく外人が日本人の名前を発音する時のように、タキャアダといい、しかも、英語らしいのはそれだけで、本来の英語の部分は、中学一年生のように無器用なのだ。 「タキャアダ?」 「イエス・サア。ユーネーム?」  多分、ユアネームのつもりだろう、それよりイエス・サアがなんとも卑屈にきこえる。  バーテンダーは、まず、ぼくにチーズをクラッカーにのせて出した。 「チーズサンドイッチ?」  黒人がぶしつけに指さしてたずねる。バーテンダーは首を横にふり、若者に、 「あなたさまは、なにになさいますか」  若者は、だまりこくり、「メニューあるかな」神戸の訛《なま》りでいい、うけとると、黒人ものぞきこんで、だがお互いだまったままだ。  多分、知り合ったばかりにちがいない。 「ワットカインドオブバーボン」  黒人が、メニューの下の方を指さしてきく。  バーテンダーは無言で、棚の奥からフォアローゼス、カナディアンクラブなどの瓶を出し、黒人はバラのついた瓶を指さして、「オンザロックス」と注文する。  若者は、まだ決めかねて、それはえらんでいるというより、何をとればいいのかわからないらしく、その緊張感が、あきらかにこちらへ伝わってくる。  ぼくには、その気持が、手にとるようにわかる。まだ羽田に米軍の基地があった頃だ。  夜おそく軍用機で到着する軍関係の旅行者に、とりあえずのベッドを提供する宿舎があって、ぼくはそこのクロークに勤めていた。草色の大きな袋を背負った大男が、ガム噛《か》みつつふきげんにあらわれては、ぼくから鍵《かぎ》を受けとり、たいてい無言で部屋に入る。 「グッナイトサア」ぼくは、その背後にあいさつを送り、やがて自暴《やけ》のようにひびく、シャワーの音にきき入った。  それでも、よく連中はジャンパーやら、煙草を忘れていって、これは、朝になると部屋の掃除に来るいずれも中年の寡婦《かふ》たちと山分けにしたし、ごくまれに十セント、二十セントのチップを、出がけに置くものもいた。朝九時に交替で、ぼくは本来なら電車を乗りついで大学へ行くはずなのだが、たいていは、ゲートを出て二百|米《メートル》ばかりのところにある飯場へもどり、横になる。  夜十二時から九時までの勤務で、飯場とはいえ、とにかく宿舎がつき、三食ともに米軍キャンプから出る残飯のシチューにパンが支給され、給料は八千五百円だった。肉のかけらやとけかかったトマトの入っているシチューは、塩と唐辛子《とうがらし》で味をととのえると、けっこううまいし、いかにも栄養ゆたかな感じで、このことを、同じくアルバイトで学業つづける友人にいうと、必ずよだれ流さんばかりにしてうらやましがった。彼等はたいてい、春なら摘み菜まぜた飯に醤油をかけ、また冬は、油揚げ一枚をダシにたのんだうどんで飢しのいでいたのだから。  いつか、ぼくは残飯ではない、これのもとの姿を食べてみようと、考えていた。宿舎のすぐ横に食堂があって、白いテーブルクロスと花と、ウエイターの制服が、別世界のようにきらびやかだったし、夜、ふきげんに入ってきた連中も、そこでは相好《そうごう》くずして笑い語りあっていた。  そしてぼくは、もらいためたチップが八ドル五十セントになった時、食堂の裏口で、日本人のコックに頼んでみたのだ。 「これで、アメリカ人の食べてる料理、もらわれへんやろか」  コックとは、時どき、ボクシングのグローブをつけて、じゃれあったりし、顔見知りだったのだが、 「それだけありゃ、ビールだってたらふく飲めらあ」  ぼくは、調理場の片隅ででも食べさせてもらえばよかったのだが、コックはかまわないからと、食堂に案内し、まわり全部アメリカ人で、奇妙に明るい雰囲気の朝だった。めちゃくちゃに大きな電燈がついているような印象で、ウエイターは日本人だったが、その顔色のわるさが目立ち、それはぼく自身、さらにひどかったろう、徹夜明けなのだから。  ウエイターが英語でなにかぼくに訊《たず》ね、あがっていたのかその意味がわからず、すると手品のように大きなメニューとり出し、意地悪くかたわらに立ち、ぼくを見下して、いや、そんな風に思えたのだ。もちろん英語ばかりで、ゆっくりながめれば、単語拾っても、食べたい料理、ビーフステーキ、タンシチュー、海老《えび》フライの見分けはついたろうに、いや、ウエイターは日本人なんだから、日本語でいえばいいのに、ぼくは、肉とある欄の適当な箇所を指さし、とたんに「イエス・サア」と返事があった。ナイフとフォークがならび、白いナプキンが置かれ、そして運ばれたのは、今考えればターターステーキであった。焼かない前のハンバーグの如き、生々しい肉のかたまりが一つ、各種調味料やら香辛料がならんでいて、どうそれを扱ってよいかわからぬ。ぼくは、がたがたふるえながら、生の肉を後生大事にフォークですくって食べた、当然のことながら、残飯シチューの方がはるかにうまかった。     二  若者は、あきらめてメニューを閉じ、ふりしぼるような辛い声で、 「セ・セームセーム」  と、黒人を指さした。バーテンダーはうなずいてバーボンをグラスに注ぎ、伝票になにか書きこむと、カウンターの表に出て、もう一つの、食堂へ通じるドアーへ向った。  ズルズルッと、ウィスキーをすする音がし、ぼくはダイスの点数表をながめながら、いかにも重苦しい雰囲気だから、早く勝負を片づけて、表へ出たいと思った。時刻は午後九時で、まだ三宮《さんのみや》近辺であそべる。 「マイ・アドレス」若者がいって、紙片を黒人にわたした、黒人はそのローマ字を一字一字声あげて読み、どうやらアパートに若者は住むらしい。全部読み終ると、若者は「ユーシー、ユーシー」とうれしそうにいい、黒人はだまりこくったまま。「ステューデント?」黒人がたずねる。「ユーシー、ユーシー」うなずきながら若者がこたえる。アイシーという相槌《あいづち》は知っているが、ユーシーはきいたことがない、とはいっても、ぼくも、以前ならとにかく、今はほとんどしゃべれないのだが。  敗戦後二年目に、ぼくは京都の円山《まるやま》公園で、はじめてアメリカ人にはなしかけられた。ピースとコロナのあたらしく発売になった頃で、朝早くから並んで、ようやく一箱求めて、まだおおっぴらには許されないから、公園で吸っていたら、アメリカ兵が一人、なにかしゃべりかける。ぼくは、中学五年生になったばかり、その三月ほど前、旧制高校の入試を受けたりして、たしかに読む能力はあったと思うのだが、まるで兵士の言葉がわからぬ。  ようやく、兵士がラッキーストライクのあたらしい箱をみせて、ピースを指さし「チェンジ」という言葉が、どうにかききとれ、あ、交換するのかと、ピースの一本だけ吸ったのを渡したら、すぐ口にくわえて火を点《つ》け、一服くゆらせると、大袈裟《おおげさ》に顔をしかめ、投げ捨てた。たしかにチェンジときいたし、あるいは兵士もそのつもりでいて、だが余り不味《まず》いので気がかわったのか、残った箱はかえしてくれ、そのまま立ち去る。ピースには、カリフォルニアの煙草の葉と、キューバの砂糖が入っているときかされていた。いかにも輝やかしいイメージで、地味な包装が、これは広く公募したものだったが、似つかわしくなく、しかし、ぼくはそれ以後、しばらくこの煙草を吸えなかった。ピースの箱をみると、なにごとかつぶやいて、肩をすくめた兵士の表情を思い出すのだ。  たいていの日本人は、アメリカ兵に煙草の借りがあるはずだ、だが、ぼくは一本、貸してある。 「ステューデント?」また、黒人が質問した、「イエス、サア」今度はわかったらしく、若者がこたえる。バーテンダーが、チーズサンドイッチを、二皿持ってもどり、カウンターに置いた。 「バーボン」黒人は、あらたにいっぱい注文し、サンドイッチの一片《ひとき》れをつかむと、ためつすがめつ眺め、臭いをかいだ。黒人も、あまりこういったバアにはなれていないようだった、しきりに貧乏ゆすりをし、眼の前にあるのに「アシュトレイ」と若者にたずね、若者はわからずきょとんとしている。バーテンダーは、あくまで表情くずさず、灰皿に掌《てのひら》をそえて黒人にしめした。 「YMCA?」若者が逆にたずね、黒人はいきおいこんで、早口にしゃべった。ぼくにもわからず、若者は、ユーシー、ユーシーとおぼつかない返事をしていたが、そのひとくぎりつくのを待ちかねたように、いや、どうにかやっと英語らしいフレーズを頭の中で組み立て得たのか、「ウォットイズユーシンク、アージャパン」といった。  多分、日本、あるいは日本人をどう思うかという意味なのだろう。黒人は、グラスの氷をカチャカチャとせわしくゆすり、若者に向けて乾ぱいするように、グラスをかかげ、「はっはっはあ」突拍子もない声で笑い、若者も、あわててうれしそうなうす笑いをする。若者と黒人のグラスが同時に空になって、バーテンダーは、ウィスキーを注ぐ。 「あの、すいませんけど、どうも御馳走さまですいうて、どういうたらええんですか」  若者が、バーテンダーに尋ねた。バーテンダーは、黒人をちらっとながめ、まず伝票に今のウィスキーを書き入れてから、メモ用紙をちぎり、「THANK・YOU」と達筆にしるし、 「これでよろしいんじゃありませんか」  若者にみせた。紙に書くとは、思いやりのある処置だけれど、サンキューとはまた当り前すぎて、若者がどんな顔をしてることやら、ぼくはダイスを忘れ、この妙な二人連れに好奇心をもやした。  ぼくは、アメリカ人といっしょにいる日本人に、嫌悪《けんお》感をいだく。かつて通訳という人種がいた、いや、もちろん今もちゃんといるだろうけれど、ぼくのいう通訳は、顔色がわるく、よれよれのダブルの服なんぞ着ていて、ビフテキを食べる時、パンのかけらでソースの一滴までふきとって食べ、それがエチケットと信じこんでいる輩《やから》である。やたらとよく笑い、落語家といっしょで、あんなに笑いっぱなしでは、家族の者にさぞ仏頂面《ぶつちようづら》するのだろう。バアでアメリカ人と酒を飲んでいる奴、レストランで、アメリカ婦人をかこみ、いい歳した男どもの、レディファーストコンクール。新幹線の外人旅行客のガイドはまた、したり気に口ごもって、掌をひらひらと舞わせ、へっ、とつとつとしゃべるのがインテリ風なのか、そうかと思えば、握手してさらにぺこぺこするのもみっともないが、それを十分心得た上で、そっくりかえり、残った一方で相手の肩などやんわりたたいているのも利口じゃない。  ぼくが不愉快なのは、そういう日本人の動作身ぶりが、みんなぼく自身の投影の如くに思えるからだ、卑怯《ひきよう》な人間が、卑怯なわざをことさら指弾し、臆病な男は、人の臆病さを鋭く見抜くように、ぼくはアメリカ人にお追従《ついしよう》笑いする日本人の心根をすぐに感じとり、われとわがみにくい姿、無理矢理みせつけられる思いで、心なえるのだ。  かつて焼跡の中を歩いていて、残ったビルのほとんどアメリカ軍に接収され、その五階あたりから、白い大きなマリが落ちて来たことがある。窓から首を出したアメリカ兵十人ほど、口々にさけび、マリを指さし、ぼくは投げかえせというのかと思い、柵《さく》をのりこえて、そこだけ整地されたジープ置き場に入り、白いマリにふれると、いたずら玩具《おもちや》の一種なのか、まるでシャボン玉の如くふっとかき消えて、とたんに陽気な笑い声がおちかかり、ぼくは、TVの、アメリカコメディで、わざとらしく入れた笑い声きくたび、この時のことを想い出す。一瞬、呆然として、自分の指先きをながめ、笑い声にようやくからかわれたと気づき、今度乗りこえる柵の、気の重かったこと、ぼくはしかし怒りはしなかった、多分、うすら笑いを浮かべていたと思う。 「この方、おうまれどちらかきいてもらえませんか」  若者が、バーテンダーにねだる。黒人は、バーボンで元気が出たか、靴でカタカタと拍子をとり、しきりにダイスを気にして、ぼくに話しかけたい様子だった。 「あまり、御存知じゃないんですか」  バーテンダーは、さり気なく黒人をしめし、「はあ、そこでバス待ってたら、YMCAどこやいうてたずねられましてん」  果してその通りかどうか、若者の語学力ではあやしいものだが、 「あんまり、くわしく詮索《せんさく》しない方がおよろしいと思いますよ。まず、アメリカの方にはちがいないでしょうが」  ぼくは椅子をずらせて若者をみた、大学生であろう、油っ気のない乱れた頭に、レインコートをひっかけ、青白いその顔立ちは整っている。ウィスキーを飲みなれぬのか、ファッショングラスにおちょぼ口を近づけ、茶をすするようにして飲み、眼のふちが紅い。  昭和二十三年、京都でぼくは、観光客相手の街頭写真屋をやったことがある。盛り場はすでになわ張りがあって、下手にまごつくと袋叩きにあうから、主に公園や寺の近くで占領軍とその恋人を客とし、結構、商売になった。恋人つまりアメパンは、ぼくが学生であると知ると、いやに親切にしてくれ、ぼくがはじめて酒を飲んだのも、彼女達の好意によるもので、薬瓶のようなビール瓶を一本くれ、「アメリカのビールや、飲んでみ」栓抜きがないから、ぼくは歯で抜こうとし、なかなからちがあかずにいると、みていたアメリカ兵が、うばいとっていと楽にはずし、親指の腹で瓶のふたに口をしたままこちらに向け、うけとろうとしたら、二、三度ゆすって指をはなし、ぼくはまともに泡《あわ》をかぶってしまった。アメリカ兵はおかしくもなさそうに、自分の瓶を唇にあてたまま、空を向いて一気に飲み干し、ぼくはまだ泡をふきこぼす瓶をささげたまま、途方に暮れていた。アメパンがなにかいったが耳に入らぬ、ビールの刺すような臭いと、アメリカ兵の鼻の先端に、喧嘩《けんか》のためか、十文字に傷跡があるのを、よく覚えている。  黒人がなにかいった。若者も、ウィスキーの酔いに、もうどうでもよくなったのか、 「わかりませんねえ」外国人の発音を真似ていい、首をふって、「ノット、アンダースタンダード」とつけ加えた。つづいて「オウ、ノウノウ」突拍子もなくいい、黒人がバーテンダーに話しかける、バーテンダーは低く「アイシンクソウ」と答える。 「すいませんが、どうも御馳走さんでしたいうて、いうてくれませんか」  若者が、またバーテンダーにたのむ、さすがにサンキュウだけでは具合がわるいと思ったらしい、 「こちらがお払いになることは、御了承なんですか」  バーテンダーは、氷水をとりかえながら、相変らず低くいう。  ぼくは一瞬、どきっとした。なんとなく入って来た時から、黒人の方がおごるのだと決めこんでいたのだ。かつて黒人は、ずいぶん気前がよかった、新宿で飲んでいて、ついいっぱいおごったら、それから朝まで、古い型ながら自家用車に乗せられ、ぼくも知らないような奇妙な店に案内され、おごられたことがあった。あれはキューバの男で、日本語も上手だった、そうかと思うと、沼袋の占領軍刑務所で働いている時、コーヒーやスープをなにかといえば飲ませてくれた黒人のコック、ボクシングの手ほどきをして、そのうえ飯をくわせてくれた黒人のMP、ぼくたちは、なんとなく、おごらせて当り前というような気持をもっていた。あきらかに、白人に対する気持の逆で、同じ頃、というのはつまり、金などまったくゆとりがないくせに、神宮《じんぐう》のプールであったアメリカ白人には、サイダーをおごったことがあるし、少し後になるが、銀座のジャズ喫茶で、ジンフィーズを飲ませてもやった。 「こちらがお払いになってからで、よろしいんじゃありませんか、でないと」  たしかに黒人が割勘《わりかん》、あるいは若者におごらせるつもりでいたら、これはおかしなことになる。  眼にみえて、あたりの空気が重苦しくなった。黒人は相かわらず靴をコツコツと鳴らし、ひきかえ若者は、ぎごちなくだまりこんで、「お代り」ぼくは、このままでは、とんでもないことが起りそうな気がして、口をはさんだ。 「あ、まだ終ってませんでしたね」  バーテンダーは、氷を割りながらぼくにダイスをうながし、ふると、ストレートどころか、六つのダイスのうち、1と5の目のまったくない最悪のケースで、さらに千点の罰が加わり、このゲームだけで二千三百円の敗け。  若者がカウンターに身をのり出し、 「すまんけど、この人にきいてくれませんか、この人おごるいうていいはってんけどなあ」  頭をごしごしとかきつつ、おそるおそる黒人に、 「ユー、ねえ、ユーミイおごるいうて、OK?」 「アア?」  悪気はないのだろうが、黒人、すっと若者の体に寄り、となると救い求めるようにバーテンダーをみる。 「ユーペイトゲザー?」  バーテンダーは、手まわしよく、黒人の分と若者の伝票と、二枚に分けていて、これまでのバーテンダーの処置をみていると、外人と日本人の連れで、勘定のもつれることがよくあるらしい。  二枚の伝票をみせられた黒人は、いくらかとたずね、チーズサンドイッチ二人前で八百円、ウィスキーが二千八百円、税金サービス料こみで、四千三百五十六円の勘定。 「サムトータル?」 「イエス」  黒人は、しばしながめていたが、ついと、それを若者の前に置いて、また早口でなにごとかをしゃべりはじめた。  若者は、オウオウといいつつ、肩をすくめ、おずおずと伝票をながめ、バーテンダーにすがる如き視線をおくる。黒人はひどく甲高い声で、 「ヒイダズントペイ? ヒイカントペイ? ノウ」  バーテンダーにいう。 「こちらさまは、あなたが払う約束だって、おっしゃってますが」 「そんなアホな、この人がぼくをさそってんで」 「しかし、あなたに招待されたといってますよ」 「いわんよ、そんなこと」  いわなかったのはたしかだろう、若者が、そんなしゃれた台辞《せりふ》を、英語でしゃべれるわけがない。黒人は押しだまったまま、最後のサンドイッチを口にした。     三  東京の、巣鴨《すがも》にアメリカ兵専用バアがあった。昭和二十六、七年の頃で、専用といっても、日本人オフリミットというわけではなく、昼間はふつうの喫茶店なのだが、夜になると、客のすべてGIとなって、日本人の姿はなくなる。  このバアのマダムは上海《シヤンハイ》帰りで、亭主が英国人との混血、二人とも英語がしゃべれるし、亭主は立川基地に勤めていて、その関係から、アメリカ兵が集まるようになったものらしい。朝鮮事変の最中で、兵士達は酔うと荒れ狂い、お互いにビールを頭からかけ合ったり、ささいなことでなぐり合いを演じ、その喧嘩《けんか》は、日本人とちがってストレートやフックのとびかう、西部劇さながらの見事な立ちまわりだった。  ぼくがこの店を知ったのは、立川へアルバイトを探しに行き、当時、立川基地では、朝鮮で戦死したGIの、死体クリーニング作業が行われていると噂《うわさ》されていたのだ。地雷をふんで五体散乱した遺体やら、砲撃で何十人ものボディが手は手脚は脚とまじり合い、見分けがつかなくなっている。それを一人分ずつシュラーフザックにおさめて立川へ送り、もちろん、五体満足な死体も送還され、満足なのは内臓をとり出し血を抜き、防腐剤をつめて本国へもどす。バラバラは、とにかく手や足や首をボディにつけて縫いあわせ、同じく防腐処置の上、家族のもとへとどける。  アメリカ人は、死体をみないと納得しないそうで、日本なら遺骨か、あるいは白木の位牌《いはい》ですむだろうに、もはや色もかわり形もくずれていても、遺族はその唇に別れのキッスをしなければ、葬らった気がしないのだと、知ったかぶりの友人がいっていた。  そしてこのアルバイト、はじめは病院の死体処理関係者があたっていたのだが、とても手が足りずに、医学生を募集し、それでもこなしきれず、ひそかに希望者を探しているとかで、日給三千六百円。ぼくの一月の生活費が八千円の頃だから、今でいえばまず一万円だろう。  ぼくはきくなり立川へ出かけ、おおっぴらにはたずねられないから、飲み屋飯屋に入っては、基地関係の労働者にあたり、誰一人、否定はしなかったが、これも日本の男をチョコレートとココアで買う女将校の話と同じく、それに従事した者はいない。たしかに、おびただしいシュラーフザックが、街の、占領軍払下げ品専門店につみ上げられていて、「あれに入れてくるのよ、マグロって呼ぶそうだがね」説明してくれた男もいた。  しつこくたずねまわるうち、巣鴨のバアの亭主にあい、きれいな日本語で、「そうねえ、うちにくる兵隊にきいてあげましょうか」親切にいって、ぼくを店へ連れていった。  巣鴨の店は「シャングリラ」といい、マダムは五十がらみ、夜がふけるにつれ、せまいところにびっしりと制服のGIがつめかけて、その恋人たちも姿をみせる。  アメリカ兵にかこまれることには、いくらかなれていたが、やはり落着かず、第一、ゆっくり自分にむけてしゃべってくれる時は、なんとか理解できても、GI同士の会話はまずわからぬ。  ビールをちびちび飲みながら待つうち、亭主は肥った兵士と、しごく若いのを、ぼくのテーブルに連れて来て、「この人達は、いくらかくわしいようですよ」といい、ビールを六本、卓上に置いた。いくらくわしいといっても、面とむかって、あなた方の戦友の死体クリーニングの仕事をやりたいのだが、などいえたものではないし、そのGIのすすめるままビールを飲んで、とりとめもない会話、産れはどこだの、子供はいるか、勤務はどうだとたずね、一緒にフォスターの唄などうたい出しては、さらに本題をはなれて、さて勘定となったら、 「あなたおごるんでしょ、いろいろ教えてもらったんだからそれくらいしなさいよ」  亭主がいう。  一本二百五十円の六本、それまでに一本飲んでいたから二千円近くで、とてもその持ち合せはない。「すまないけれど、貸しといてもらえませんか」たのんだが、亭主は首をふって、GIになにかいい、どうやらぼくの目的を説明したらしい。にこにこ笑っていたのが、突如、表情をかえ、「ガッデム」「スティンク」「ジーザスクライスト」など、おだやかならぬ単語がとび出し、まだほんの子供にみえる一人は、指の骨をならして立ち上った。 「そのレインコートと洋服脱いでいきなさい。預っておきます。早くしないと、ひどいことになりますよ」  亭主にいわれるまでもない、薄汚れたレインコート、サージの背広のズボンまで脱がされ、事情知らぬ他のGIはきょとんとしてながめている。  パンツと、カッターシャツだけになり、どういうわけか、靴下だけは靴下留めで吊《つ》っていたから、いかにも妙な姿で、GI達、キャアキャアと笑い立て、その恋人たちも、猥褻《わいせつ》な単語を口にした。  背中にビールをぶっかけられ、マダムもとりなしはせず、まだ人通りのある巣鴨から、近くの友人の下宿まで、ぼくは走りつづけ、友人の顔をみるなり、急にくやしくなって、台所の包丁をとり、「あいつら殺したる」と、これはとめられることを計算した上で、荒れ狂った。 「割勘になさったらどうですか」  バーテンダーが若者にいう。若者は、酔いもさめたらしく、ちらっとぼくをながめ、ふところに手を入れて、定期入れをとり出し、「あの、ぼく、こういうもんなんですけど」  バーテンダーはとりあわず、黒人にも同じことをいい、黒人は、若者よりはるかにいい身なりをし、まして異国にいて、二千円余り所持しないはずはないのだが、あくまで、若者にさそわれたのだ、だから彼が払うべきであると主張している。そして、ポケットから小銭を出し、カウンターの上にザラザラと置いて、「バーボン」を注文し、これについては現金で払うと意志表示する。 「どうして知り合いになったんですか」  バーテンダーがたずね、 「さっきいうたみたいにね、バス停で待ってたら、この人がなにかたずねはるんですわ。ぼく、英語ようわからんから、うんうんいうて一緒に歩いて、このホテルのそばに来ましてん。それで、なんやまたいいはるので、きっと泊りたいのやろおもてね、入ってきましてん」  若者は、バーテンダーと、そして、積極的にぼくにしゃべりかける。同じ日本人なんだからわかってくれるだろうという風に。 「ヘイ、バーボン」銅貨をカチカチとたたきつけながら、黒人がいらだたしそうにいう。バーテンダーは無視して、 「とにかく、あなたがたで話をつけて下さい。私は、なんとも口出しいたしかねます。割勘になさればいちばんいいと思いますが」  若者と、そして黒人に流暢《りゆうちよう》な英語で同じくいい、なにごともなかったように、ぼくの前へ来て、 「もう一勝負いかがですか」  ぼくも、日本人にすがったことがあった。横浜の、ラーメンからすきやき寿司《すし》までならべ、しかもショウを観せる奇妙な店で、そこはまた唖《おし》の娼婦がたむろしていて、外国の船員や、日本人のもの好きの集まる場所だったが、三人連れの、外人にからまれ、それはぼくがわるかったのかも知れぬ。同じテーブルにすわった外人からウィスキーをおごられ、その時はいくらか金もあったから、つい「おごられる理由はない」と、ええカッコして断り、無視したのだが、その気持の底には、ここは数からいえば、圧倒的に日本人が多い、まさか、あの巣鴨の店のようなことにはなるまいと、計算があったのだ。 「どうして、飲めないの、このお酒」  思いがけず流暢な日本語で、一人がいい、 「いや、ぼくは自分で飲んでいるから、おかまいなく」  外人の日本語に気押されてたじたじとなり、「恥かかせる気なのか、あんた」  向うはカサにかかっていいつのる。まるでヤクザにからまれたようなもので、 「じゃ、いただきます」たちまちふるえ上って、グラスをとろうとしたら、別の一人がぼくの腕を押さえ、「ノウ」と首をふる。  あっという間に、ぼくはなにがどうなったのか、羽交《はが》い締《じ》めにされ、したたかパンチを腹と顔にうけて、テーブルはひっくりかえるし、倒れたぼくの眼の前に、外人の大きな靴があり、これで蹴《け》とばされては死んでしまう、ぼくは頭をかかえて、ごろごろところがり逃げ、ふっと顔を上げたら、まわりはすべて日本人の顔で、ぼくはてっきりたすけてくれると思った。次の瞬間、わっと、その三人組にとびかかり、袋だたきにするだろうと考えたのだが、日本人は、酒の入ったコップやら寿司をつまんだまま、思いがけぬ余興たのしむ如く、へらへら笑っていて、ようやくたすけ起してくれたのは、中国人のマネージャーだった。  外人三人はすでに姿を消し、勘定はそのままで、つまりぼくは飲み逃げの小道具にされたのだった。日本人達は、鼻血を出し、眼鏡をこわされたぼくの姿を、しばらくながめていたが、ようやく胸の吐き気がおさまり、外人の分も払わされて、その店を出る時は、誰も、もう気にとめていなかった。 「ぼく、D大のマスコミ科におりますねん」  若者がいった。このあたりでもっとも評判のわるい大学であった。 「今、もち合せないんですけど、必ず、明日都合してきますよって」  ダイスをふるバーテンダーに呼びかける、「困りますね、ここから電話なさって、どなたかにおとどけいただくわけにはいきませんか」 「もう、おそいしなあ」  若者は、カウンターの上の電話に、手をかけたものの、そのまま頭をかかえる。  黒人は銅貨を鳴らす、バーテンダーは、お前の分だというように伝票を一枚前におく、黒人は、あらためてながめて、若者に低くしゃべりかける、若者は泣き出しそうな顔で、しかし、「ノウ、ノウ」といいつつ、ぼくの顔をみる。 「レート上げようか」  ゲームの半ばだったが、お互いに点数がそれほどひらいてないから、ぼくが提案した。 「よろしいですね」 「キャッシュで、ここへ置く」  一万円札を無造作にカウンターに出し、バーテンダーもポケットから、鼻紙でも出す如く数枚を出して、その一枚をならべた。  さすような若者の視線を、ぼくは感じた。一万円の四分の一あれば、彼は解放されるはずなのだ。ぼくは、さらにレートを上げたい誘惑にかられた。 「ジャストペイマイセルフ」というようなことを、黒人がつぶやき、ふところから正確に、二千百七十八円を出し、カウンターに置き、軽いこなしで椅子から降りた。バーテンダーは、眼もうごかさず、「サンキュウ、ベリマッチ」とこたえた。  黒人は若者の肩に手を置き、早口でなにかをしゃべり、抗議するように、指を立て、顔の前でふりつづけ、「ハァン? フウン?」返事をうながす。若者は泣き出しそうな顔で、「ユーシー、ユーシー、イエスサア」と、意味もなく、それは返事というより、悲鳴であった。  ぼくはわざと、ダイスをカウンターから落とし、レートが一万円なら、罰の千点は千円だから、「エイ、チクショウ」わざと大声でいって、千円をバーテンダーに渡した。  若者の胸のうち、手にとるようにわかった。この若者はすなわち、ぼく自身なのだ。ぼくの亡霊、いや、いまだにぼくのうちに巣喰っている、アメリカコンプレックスそのものなのだ。  丁度、子供が、ふさがりかけた傷口を、指でむしりとって、あらたな血を吹き出させるように、若者すなわちぼく自身を、いためつけたかった。金もないのに、英語もできないのに、外人なんかとつきあうなよ、そんなにアメリカ人と話するのがうれしいのか、アメリカ人におごられたいのか、少しは怒ったらどうだ、ここはお前の国だぞ、そう脅《おび》えていることはない、なんなら、日本へ来たら日本語をつかえくらいのこといったらどうなんだ。なぐったらどうだ、おごらせるつもりなら、それらしく頭はたらかせて、早くずらかればいいものを、もうやめろよ、そのイエスサアは、よくみりゃお前と同年輩じゃないか。へらへら笑うな、お前が、黒人におごってやるなどいったんじゃないことはよくわかる、そんな気のきいたこといえやしないものな、黒人もお前も、お互いおごられるつもりでいたのさ、乞食《こじき》根性さ、それならあいこだ、ペコペコしなさんな、黒人をかえして、バーテンさんにあやまりな、そう話のわからぬ人ではないよ、なにを、国辱みたいな顔してるんだ。 「あ、やられましたね、どうもレートをあげると、敗けるようです」バーテンダーが一万円をよこし、ぼくはその上に、もう一枚のせた。バーテンダーはうなずいて、二万円をカウンターに置いた。  黒人はしつこくしゃべっていた。バーテンダーの近くにまで来て、なにごとかうったえた。ぼくたちは無視した。  ようやく黒人は、タップをふむような足どりで去り、そしてくらいカウンターの片隅で若者は頭をふせ、どうやら泣いているようだった。 「ウィスキー」ぼくはあたらしく注文し、「飲まない? おごるよ」と、バーテンダーにいった。 [#地付き](「小説セブン」昭和四十三年七月号)   [#改ページ]  展望塔  潮の香に混じって、獣の体臭が漂った。海辺につくられたマリーンランドだし、斜めにかかった太陽の逆光をうけて、ほぼ黒一色にしかみえないこの楕円型《だえんけい》のプールにも海水が入っているはずで、潮の香りに不思議はないが、いや、獣の臭いも、プールの端にある生簀《いけす》から、今、五頭のイルカが放たれ、水面下をしゃにむに走り泳いでいるためであろう、絶え間なく起伏するさざなみの形が、イルカの動きにつれ、時に気まぐれに盛り上り、すると束《つか》の間《ま》、波はきらりと黒から本来の青を点じ、また、プールの壁に突然水しぶきが上って、ただならぬ気配が昂《たか》まったが、それとはべつに修一は、潮の香りと、汗さえかいているように思える、強い獣の臭いの、混じり合った具合に、ふと猥雑《わいざつ》な印象をうけ、落着かぬ気持となった。  プールの水面から、イルカが一頭とび上り、全身の五分の四をあらわにし、尾鰭《おびれ》を激しく振ってバランス取りつつ五|米《メートル》ほど背走し、そのまますさまじいしぶきと共に、また水に消える。待ちかまえた如く次の一頭が同じくあらわれ、これは三分の一しか体が出ず、すぐ上手なダイバーの着水のように、静かにもぐり、一芸当終えたイルカは、客席と向き合うプールの端に頭をもたせかけ、赤い縞のシャツを着た男に餌《えさ》をねだり、すぐまた仲間の群れにもどって、芸をくりかえす。男は仁王立ちのまま、気取ったポーズでイルカに対し、その背後に助手なのか、肥った中年男が、ホースで水を撒《ま》き、また、次なる芸の準備を整え、「ヘーイ」修一の後で甲高い少年の声がひびく。  客は修一たちと、他に子供三人を連れた黒人家族に、五、六組の白人夫婦だけで、彼等は摺鉢《すりばち》の如く急な傾斜の階段となったはるか上方に陣取り、黒人の夫が若くみえるのに、その妻はひどくふけていて、この一組だけが拍手を送っていた。修一をここに案内したのは、日向《ひなた》と名乗る日本人で、昨夜、リトル東京の食堂で隣合わせ、ニューヨーク、シカゴ、ロスアンゼルスと、特に目的のあるわけでもなく訪れ、そのいずれでも日本食しか口にしなかった修一だが、といって、その手のレストランに集まる日本人とは、ある億劫《おつくう》さが先き立って話し合うことをせず、しかし、明日、いよいよ帰国するという安堵《あんど》感、いやさらに、リトル東京のライスカレーは、じゃが芋|人参《にんじん》など盛り沢山に入った大袈裟《おおげさ》にいえば戦前の味わいであるのがおかしく、「いやあ、なつかしいなあ」と、前歯二本欠けて人の好さそうな日向に、つぶやいてみせたのだ。  日向は、修一を旅行者と踏み、しかも、ようやくロスアンゼルスにたどりついて米の飯にありついた感慨と思ったらしく、「なんでもありますよ、味噌汁、沢庵《たくあん》、らっきょう」しわの多い表情でわざとらしい笑顔をみせ、修一はかなりの金をあましていたから、日向のなりわいが何にせよ、また、外国で案内を乞うて、すぐ二つ返事で乗ってくるのは素姓のよくない日本人と、これまで臆病に決めこんでいたのだが、「もしさしつかえなければ、夜、御一緒願えませんか、まるで言葉が不自由なもので」切り出せば、日向は妙にあらたまって名を名乗り、「ハリウッドの役者にパントマイムを教えています、おかげでどうやらスタジオももてまして」アメリカ煙草の封を切り、「口あけですから一本どうぞ」とすすめた。その夜、豪奢《ごうしや》な日本人レストランを二軒まわり、サンセット通りのバアで、日向は娼婦を紹介しようとしたが、修一にその気なくて、すると「いや、うれしいですな、こういうては何ですが、たいていの方は、ガイド頼むと、必ずこちらの御用で」小指を立ててみせ、急に打ちとけて、それは日向の言葉に、少し関西|訛《なま》りがうかがえ、たずねると姫路の産で、修一も祖父が赤穂《あこう》出身と明らかにしたせいもある。  火の輪をくぐり、三匹そろっての飛びこみと芸当がすすみ、イルカの激しい動きに水面は小刻みながら三角の波が交錯し、潮と獣の混じり合った臭いはさらに激しく、修一は、この旅行中女との交渉はまったくなかったせいかと思う。日向の妻の、しごく突き出た乳房を思い出し、日向は年寄りじみた表情だが、実は修一より一つ上の三十八歳、半年前に結婚したという。その日本人妻は二十六歳で、カリフォルニヤ大学に在学中とのことだった。今朝、ホテルへ日向が迎えにきて、アメリカ滞在中昼夜かまわず飲みつづけて、さすがに疲れが出たのか、昨夜何軒目かのバアで修一は寝こんでしまい、日向の車でホテルへ送られたのは覚えているが、その間に、今日ロスアンゼルス郊外をドライブする約束交したことを、すっかり忘れていた。「ナッツベリファーマーへいきましょうか、それともマリーンランドがいいかな」派手なポロシャツにサングラスをかけた日向、はしゃいでいい、その地名くらい案内書で知っていたが、修一どちらでもよく、ナッツベリーはゴーストタウンをそのまま残してあるとかで、いかにも察しがつくから、マリーンランドをえらび、「じゃ、丁度ついでだから、家へ寄ってらして下さい、まだ引越したばかりで片付いていませんが」いやおうなく、連れていかれたのだ。ロスアンゼルスの中心から車で三十分ばかり、いかにも安手な家並みのひろい道をはさんでならび、てんでばらばらに駐《と》められた車にも、歩道にも人影はなく、日向の家は、母屋の裏に三軒ならんだメキシコ風壁の厚いつくりの、借家の左端だった。  庭に水の涸《か》れた池と、おびただしいサボテンの鉢植えがあり、それが大家の趣味と説明されたが、手入れのあとはなく、むしろあたりを廃屋めかす小道具になっていて、五坪ほどの広間にソファ額縁食器棚|花瓶《かびん》新聞の包みが、雑然と置かれ、日向の妻は友人と珈琲《コーヒー》を飲んでいた。壁紙は、あたらしくするつもりなのだろう、乱暴に破られ、TV受像機としごく洒落《しやれ》た形の電話機の棚が上に危っかしく乗っていて、今まさに宿替え荷物到着したばかりのたたずまいだが、実は移ってもう半月経っているのだ。台所トイレットをはさんで同じひろさの寝室があり、このダブルベッドはまたしごくきちんとカバーにおおわれ、たいした装飾もないが、たしかな人間の営みを感じさせ、「これで百三十ドルなんです、ここじゃ安い方ですよ」日向の説明に、妻も寄りそって油虫の多いことや、スタジオが軌道に乗ったら中心部へ移るつもりと、やや饒舌《じようぜつ》にしゃべり、修一はアメリカ人にいささかもひけを取らない巨大な乳房が目ざわりで、終始上の空の返事をしていた。顔立ちは、むしろ醜い部類だろうが、若々しく、前歯二本欠けたままの日向とはいかにも不似合い、整頓されたベッドが、猥褻《わいせつ》にみえてくる。酔った日向が、自慢気にそのパントマイムを誇り、有名なフランスの同じ芸人Mと、TVで競演するはずだったが、日向のテクニックに怖れをなして逃げたとか、案内されたそのスタジオも窓一つない倉庫でしかなかったから、いずれ食べるにぎりぎりの生活にちがいなく、妻は加大で学びつつその図書館に勤め、渡米後七年になるそうで、だが異国にあって同国人同士肌を寄せ合い、ひっそり生きるといった印象はまるでなく、修一は、パントマイムをやるならさぞしなやかであろう日向の小柄な裸体と、乳房のみ巨大な妻のからみ合う姿を、ベッドに想像し、これはやはり女っ気を離れているためなのか。  急に日向が、芸人の芸人仲間へ送るような、気のない拍手を三つ四つして、イルカの芸当は終っていた。プールの向うの空はオレンジ色に輝き、観覧席の段を上るにつれ、プールの水は黒から、透明に近い青に変り、黒人の夫は、肥った妻の手を引いてゆっくり登り、子供たちはその前後を上に下にとびはねる。登りきった平地の左に、水槽《すいそう》が八つ埋めこまれていて、それぞれ種類のちがう鯨、鱶《ふか》が飼われ、その先きは柵《さく》で仕切られ、なだらかな斜面が太平洋に落ちこむ。右は三階建てほどのビル全体が、魚の水槽となっていて、外側のらせん階段を登りつつ、深度によって異なる魚の棲息《せいそく》状態をみる仕掛け、その横をすぎるとゲートで、一度出てまた中へ入りたい者はゲートの老人に、手の甲にスタンプを押してもらう。通常の光線ではみえないが、特殊ランプの下におくと、イルカのはね上っている図が浮かぶ。ゲートの外に土産物屋、スナックがあるが、店を閉めている。広大な駐車場に一台の車もなく、かなり強い陽ざしだが、十月末は、シーズンオフなのだろう、世界一と称する施設にしては、思いがけず貧弱で、喉《のど》うるおすにもこと欠き、だが、丘陵の連なりと、まるで湖のように静まり鋭く陽光を反射させている太平洋のながめは、日本にないものだから、ことさららしく見渡し、「どうです。あれに乗ってみましょうよ」と日向がいって、ゲート内のはずれにある塔を指さし、「なんですかあれは」「前に、子供を連れて乗ったことがありますけど、こう回転しながらね、てっぺんまで上っていくんです」よくみると、塔の根元に丸い、バウムクーヘンのようなものがあり、そのドアーに向けて木の回廊がある。「やってるのかしら」「こう人が少なくちゃ、どうかな」いい出しておきながら、心許《こころもと》なく日向は首をかしげ、すたすたまたゲートへ入りこむ、ゆっくり後を追いつつ、修一は、それまでこのなんともあっけらかんとした空気の中で、なにやらみるものきくもの実感がなかったのだが、急に自分を取りもどし、それは高所恐怖症のためだった。  真性のかどうか、といって医者に相談したわけでなし、それがどういうものか知らないが、とにかく修一は高い場所から下をみると気持が悪くなり、夜、寝床にいて、ひょいと自分は今|崖《がけ》っぷちに立っているのだと、その空想しただけで、たちまち落下するおのが姿、急激に迫る大地がありありと浮かんで、はね起きる。いっそジェット機なら、かえって高みにある実感が少なく、まだいいのだが、それでも離陸着陸の時は、いっさい外をみない。  塔の高さは五十米ほど、しかも頼りなげな柱一本に支えられて、修一はすぐ上に至った時の恐怖を想像できて、さらに先きへすすみそうに思えるから、あわててその妄想《もうそう》を振り捨て、どうせやってやしない、二人だけ乗せたんじゃ損する、いや、人件費の高いこの国で、シーズンオフに係員を遊ばせておくはずがない、自らいいきかせ、かなり離れた地点で待っていると、思った通り、「二人じゃスタートしないっていうんですよ」日向肩をすくめ、「そりゃまあそうでしょう」修一、マリーンランド経営者を、思いやるように答える。 「お子さんといらしたんですか」上らなくて済んだせいか、修一はじめて立入った質問をし、これまで日向については、そもそもアメリカに住む日本人についての知識があまりに乏しく、何をたずねても、傷つけるような気がして、向うのしゃべるにまかせていたのだ。「ええ、二人いるんですよ、前の女房との間に、二年前別れましたが」そう答えて、「残念だなあ、よくみえるんですよ、あすこから」塔を振り仰ぎ、いかにも発声を習いましたという態《てい》の太いバリトンで、「みえたみえたよ松原越しに、丸に十の字のオハラハア」まで唄い、「イタリア人のね、美人でした」修一返事に困って、うなずきつつ、丘陵に眼をやると、裾は禿《は》げているが、中腹から上に低い松が生えていて、そこだけは日本に似てなくもない。 「うまくいかないものですよ、国際結婚は、特に、イタリア貴族の血を引いていて、ママがうるさいんですな、はじめっから反対していたんですが、面倒くさいから別れちゃって、おかげでシカゴに家をもってたんですがパアです」日向は、シカゴにいた時の生活を語りはじめ、渡米した直後は、穀物取引所の丁稚《でつち》を勤めたこと、次にトラック会社の営業に入り、請負制で、ある水揚げを超えたら、株を寄こすといったのに、名目だけの副社長にして経営参加をさせない、すると日向の腕をみこんで、べつのトラック会社がスカウトしにきたことなど、とうとうと弁じ立て、いずれも修一にはさっぱり実感のない話で、ただうなずきつつ、日向が自動販売機から買ってきたグレープジュースを飲む。昨夜から、彼が身銭を切ったただ一つのおごりだったが、この分も出さなければ悪いか、しかし、景気のよかった頃の話をしているのに、それも悪いだろうと、つまらぬ気をまわし、イタリア人の妻よりも、その貴族だったという母はどんなしろものであったかと、考える。  修一は唐突に母の性器を思い浮かべ、それは予感のように、あの潮と獣の入り混じった臭いをかいだ時から、女ではなくて母の匂いと納得する気持があり、母のそれは、きわめて特有の匂いをもっていた。いや、修一は母以上に強い体臭の持主を知らず、そして、対照的に妻の性器は匂いがなかった。黒ずんだ水の底で、激しく動きまわるイルカの連想かとも考え、二度目に、母の性器をながめたのは、T遊園地から箱根|強羅《ごうら》へ泊った時であった。母は、修一と、十一年のちがう弟靖治を連れて遊園地に遊び、修一は十九歳でいまさらウォーターシュートでもないから、終始不機嫌だった。さらに母が、小唄の弟子である精米所の跡取りと、遊園地で待ち合わせていて、それも修一を無口にさせていた、三人が、長い列をつくって順番を待つウォーターシュートの後尾に立った時、「ばかばかしくって」捨《すて》台詞《ぜりふ》吐き、その滑り落ちる船の、池を渡って到着する桟橋に向かい、桟橋近くの水面は、びっしり黒い鯉《こい》が、餌求めてひしめき合い、生ぐさい臭いが立ちこめていた。ウォーターシュートの船頭は、烈しい音と水しぶき立てて船の水面にぶつかる、その反動で宙空高く浮き、かろやかにまた船首にもどって、後は長い竿《さお》で船を押しすすめる、客を降した船は、ロープでのろのろと台の上へ、屍体《したい》の如く運びあげられて、修一は苛々《いらいら》しながら母たちの落下を待ち、果てしない落下と上昇のくりかえしをながめ、ドスッと水にぶつかる時だけ、船をあやつる男も生々とし、後は、鯉と同じように醜い印象だった。  母と弟、それに跡取りも北国に住み、母は年に四、五度、小唄の会に出るため上京して、東京の大学へ通う修一にとっては、この母との逢う瀬が、なにより楽しみだったのだ。母も時には汽車の切符を送って寄こし、上越国境の近くまで迎えにこさせ、母の滞在中はつきっきりでいた。それが、夏休みも残り少ないからと靖治を同行し、しかも、精米所は父親が取りしきっていて暇もてあますらしく、年中、母の許に入りびたり、器用なたちで、犬小屋もつくれば、電蓄を組立て、鶏を料理し、重宝がられている跡取りと、どういう約束なのか落ち合って、煮えたぎるような怒りに満ち、いつもなら、銀座で食事をし田屋《たや》あたりでセーターを買ってもらえるはずなのだ。小唄の会は三日後にあるのだが、そして跡取りは会をききに上京したらしいが、母は地方にいても家元の師範代格で、その息子となれば、楽屋に顔出すと、華やかな色どりにかこまれ、さし入れのお裾分けが山と積まれて、修一の晴姿でもあるのに、「鼓の幸よしさんにもしばらく会わないなあ、相変らずですか」「ええ、いつもちゃかちゃかやってるわよ」「若いですねえ、もういくつ」「私より下よ」母と、跡取りはなれなれしくしゃべり、また靖治は当然のこととして、自分の意のままにふるまい、修一の立場は、しごく中途半端だった。「ふくれっ面《つら》しなさんな、後で箱根へ連れてくからさ」三人から、わざと離れて歩く修一に、母がささやき、「政子さんが、どうもいけないんだって、やっぱり暑さがこたえたのね、一度、お見舞いにいっとかなきゃ」とつぶやいた。政子は、母がYに芸者として出ていた頃の、踊りの師匠で、今は娘に代をゆずり宮の下の別荘に静養しているのだが、修一それでようやく気分を直し、常の如く資生堂のカニコロッケを食べたのだが、まだ跡取りに敵意はいだいていて、そのしごく当然のようにおごられているのが腹立たしい。  夕刻、靖治を連れて三人箱根へ向かい、師匠は骨と皮に痩《や》せていたが、元気に昔噺《むかしばなし》にふけり、「ほう、そりゃけっこうなこった、なんたって両親のそばがいちばんさね」病室につづく洋間の、ソファに腰かけていた修一の耳にまで、小唄できたえた喉なのか、はっきり師匠の言葉がきこえ、修一はまた自分が話題にされていると感じ、誰もみている者はいないのに、ひそかな気取りを演じる、幾度となくくりかえしたことで、修一は父が、芸者であった母に産ませた子供で、籍は三年前まで母の祖父母の許に入っていた。母が妊娠と分った時、祖母は子供を産んでおかしくない年だったから、自分も月日に合わせて晒《さらし》やつめものを腹にまき、その数多い姉妹までまんまとごま化し、自分の産んだ子供に装ったという。その後、父の最初の妻が、二人の子供を残して死に、母は後妻に入って、二度流産し、その時は祖父母の子供となっている修一を、引取りたいと申し出た。ところが祖父が頑強に反対し、それはまだ芸者をつづけさせ、左《ひだり》団扇《うちわ》きめこむ目論見《もくろみ》が、父と結婚してはずれたための、駈引きもあったろう、修一を手許に置いておけば、とにかく母の腹痛めた子供にちがいなく、見捨てられることもない。あきらめていたところへ、八年目に、靖治が生まれ、それと前後して、戦前は浅草の映画館支配人など勤め、戦後は放送局の嘱託といっても、芸人にいささか売れた顔をかわれて小遣|稼《かせ》ぎ、生活費のほとんど修一の父に頼っていた祖父が、酒に酔って電車に轢《ひ》かれ、祖母と二人、千束《せんぞく》の裏店《うらだな》に二階借りをし、母は上京のたびあらわれたが、修一てっきり姉と信じこみ、だが年が十八ちがうし、ふだんのつき合いはないから、他人行儀なもので、戦中戦後にかけ、石油会社に勤める父の役得か、さまざまな物資の送られてくるのを、むしろ不思議にさえ思ったのだ。  後できけば、祖父の死後修一を引取り手許で育てようといい出したのは父で、むしろ母は、祖父が、修一のいくらか学校の成績のいいことを誇らしげに、「村山の家も、あれの代になれば世に出る」などいっていたことをもち出し反対したらしい。姓はそのままで、学校|卒《お》えるまで、本来の父母の膝下ですごすと決まったのは、修一がたわいもない喫煙事件で、高校を一週間停学になったことからで、祖母は、いっそ厄介物《やつかいもの》うっちゃるように、父の申し出あっさりうけ入れて、修一、十六歳の暮れ、北国の両親の許へもどり、もとより出生についてのあれこれは知らされていなかった。  半年ほどして、母が、いっさいを修一に告げ、すっかりあたらしい家の水になじんでいた修一、特におどろきもしなかったし、祖母が苦心の晒やらなにやらの工夫も、時がたてば水がもれて、親戚の間では公然の秘密となっていたらしい。やがて、母が養子の形で、村山から、父の籍へ修一を入れるよういい出し、これにも祖母異存はなかった。「お母さんから、お婆ちゃんになるわけだけど、こんなこというのへんだけど、今まで通り、お母さんと思って孝行しなけりゃ駄目よ」母が、その本決まりとなった時、切口上でいったが、修一は、母の許で暮しはじめたとたんに、祖母が気にならなくなり、休暇のつどかえりはしたが、せまい裏店がうっとうしくて、口実つくっては早目に北国へ舞いもどり、祖母の老いさらばえた姿みるだけで、うんざりした。十六年近く、まあ、不自由なく育てられて、たまには、ふと今は一人でいる祖母を思い気の毒になるのだが、面と向かうと気が重くて、つい突っけんどんな口をきき、それには、あたらしい家の生活が、はるかに豊かであるせいもあったし、また、降ってわいた若い母になにより魅《ひ》かれていたのだ。  籍が変ってから、よく修一は「よかったねえ、それがいちばんだよ」と、羽ぶりのいい母を頼って、祖母の姉や妹が遊びにくるつど、相槌《あいづち》打つ言葉をきき、そして修一はあたかもたいへんな苦難を経て、ようやく両親の許にたどりついた少年の表情を、ことさらつくり、他人のこの感想は耳に甘くひびいた。 「よかったら泊っておいでよ、どうせ部屋はあまってんだからさ」かえろうとする母を師匠引きとめたが、母は翌日の早いことをいい立てて辞し、タクシーに乗ると、強羅の旅館の名を告げ、「いくつになっても気の強いおっしょさんだねえ、あれじゃまだ大丈夫よ、ああ肩が凝っちゃった」ほっと溜息《ためいき》をつき、靖治は車の中ですぐに寝こんだ。あらかじめ予約してあったとみえ、旅館に食事の仕度ができていて、「修ちゃんも少し飲む?」母は酒を頼み、久しぶりのさし向かいで修一は胸が苦しいような、ときめきを覚え、山はすっかり秋で、半ば開けた窓から霧が流れこみ、「寒いかねえ、あれじゃ」夏がけ一枚で寝る靖治に母が気をくばり、それすら修一はねたましく思う。  その夜更けに、修一は母の性器をのぞきみた。宿の女中がおもんぱかって吊《つ》った蚊帳《かや》の中に、靖治をはさんで横たわり、昼間の屈辱を取りかえすつもりか、修一はありもしない恋人のことを母に物語り、「へえ、彼女、修一さんて呼ぶの、いいわねえ」など、半ばうつつの声で返事されると、嘘がばれているようで、さらに必死で、恋人のあれこれ報告したのだが、すぐに母は軽いいびきを立て、修一は寝そびれて、蚊帳の外の徳利をもちこみ、窓を閉めればやはり熱気がこもって、一人団扇をつかいつつ、べつだん思うこともないまま、跡取りのことを考え、ひょっとして母は浮気しているのではないか、仔細に今日一日の二人のやりとりを想い起し、「やあ、修ちゃんもお供ですか」T園の入口で待ちうけていた跡取りのいった言葉、ウォーターシュートに乗りたいと靖治がせがみ、母は怖いとしぶったが、いかにもゆとりのある表情で、「いやあ、大したことないですよ、ほんのちょっとだもの」そそのかして、修一が乗らなかったのは、てっきり母も断ると考えたからだった。  さまざまに向きを変える靖治の寝相をいいことに、その体をさけて、修一は母のそばにより、母は旅館の寝巻きをきらって白い襦袢《じゆばん》に腰巻きだけ、子供時分、女の身だしなみとして、寝る時は足首を縛られたものだといっていたが、やや大の字にひらいて、しかしそのままでは翳《かげ》りすらもうかがえない。「お母さんなんだから、いいわよ、ねえ、みたいんなら、ごらんなさい」その二年前、夏の盛りに母のいった言葉が、よみがえった。  修一が北国の家へもどった時、先妻の子供である姉は二十二歳、兄は十九歳、靖治は五歳で、あたかも、修一と入れちがいという風に、翌年の春姉は嫁ぎ、兄は岐阜の専門学校へ入学して、この二人との確執はまったくなく、この時、まだ母を母としてはみていなかったのだが、「ここの家にいる以上、私がお母さんですからね、いうこときかなきゃ駄目よ」のっけにいわれた言葉に抵抗はなく、「煙草くらい吸ったっていいじゃないの、ねえ、私だって昔は、ふかすくらいしたものよ」と、父の来客用のそれを口にくわえ、やや蓮《はす》っ葉《ぱ》にくゆらせて、激しくむせ、「しばらくぶりだから、練習しなくちゃ」咳《せ》きこみつつ、「背中さすって」苦しげにいい、母の体にふれたこれが最初であった。母は自分がはじめることで、修一の喫煙を学校ではともかく、家の中に認めさせ、祖母の、いささかなげやりなしつけからみると、母のそれはいちいち新鮮で、たとえば、好奇心から修一が試験勉強の間に盗み酒すると、「冷やで飲んじゃ体に悪いわよ、卵酒にしたげましょうか、寒いものね」父に内緒でつくってくれたし、きた当座、貧しい修一の衣服をみて、デパートへ伴い、「好きなもの、何でも買っていいわよ、修ちゃんの買物ぐらいじゃ、びくともしないもの」そういわれると、修一何をえらんでいいか分らず、母は笑いながら、ようやく豊富になりかけたセーター、ポロシャツなど、手当り次第、修一の体に当てて、「大きいのねえ、兄さんよりずっと骨太ね」腕をつかんで、しばらく離さず、祖母との買物からは想像もできない甘美な色合いに満ちていた。  靖治の存在を意識したのは、姉の結婚式からで、修一は齢に不相応なサージの背広をつくってもらい、この時、父は学生服でいいと反対したのだが、母は強引に押しきり、父への憎しみを感じたのもこのあたりからだ。その朝、修一はみようみまねでネクタイを結ぼうとし、タイがカラーの上にかかったのを気づかず、当時はやりのウィンザーノットをあれこれ工夫していたら、「みてごらんよ、修一のネクタイ」父は肩を押して、やはり鏡に向かう母にみせ、母はすぐ、しめかけていた腰紐《こしひも》の手を離して、「あらあら、引っかかってるじゃないの」体押しつけるようにしつつ、修一のネクタイを結び、すぐ眼の前に、胸はだけた母の体があった。「昔はよくお父さんのをしめたんだけど」という母の言葉に嫉妬をはっきり感じ、さらに、自分の失態を母にみせびらかした父にふつふつと、怒る気持があった。  そして、披露宴に先き立つ式に、靖治を出席させるかどうかでもめ、まだちいさいから途中であきてしまうだろう、もし泣き出されでもしたらと、その間、控え室で待たせることに決まり、靖治は着飾った大人たちに加わりたくて泣きさけんだのだが、この時、修一は快感を覚え、靖治の生れた時からいる女中の、なんとか取りなそうとするのを、お節介とみて、さらに残酷に、子供がみれば興味|津々《しんしん》であろう式場のとば口まで同行させ、そこから追いかえすことなど思いえがいた。兄と姉がいなくなると、靖治にその気はなくても、また、修一は外様《とざま》なのだから、いわば書生も同様に、その御機嫌うかがってしかるべきなのに、十一ちがう子供を相手取って、はっきり母の寵《ちよう》を競い合い、アメ玉一つの分配にも気をとがらせ、あまり必要でもない本だが、ねだって買ってもらえば、わざとみせびらかす。  父は、当時、北国のその地方に埋蔵される天然ガスの、調査開発に東奔西走し、家にいる時間は少なかったが、修一は煙たくて、一つには、高小しか出ていない母には、知的優位性を誇示できるのに、大学出の父に通用せず、母は修一が勉強するとなると、殿様扱いし、いたれりつくせりの心をくばるが、その時ひょっこりあらわれて、これみよがしな修一の英作文、三人称単数現在形の、動詞の末尾にSのないことを指摘したり、また幾何の問題に頭かかえていれば、技術畑だからあっさり補助線を与えて、そのつど修一ははなはだしく傷ついた。そして、父は母の小唄の弟子でもあり、修一もこころみに習って、「お父さんより、ずっといい声ね」などいわれると心がなごみ、さらに具体的に、父と母が靖治を中にして、一つ部屋にこもる姿をみれば、修一はまだ女は知らないし、そのからみ合う図を思いえがいて苦しまぬまでも、横たわった母の上に打ち伏した自らの姿追い求めつつ、自らを涜《けが》し、また、父は出張からもどると、よく母と一緒に風呂へ入り、それは若い頃からの習慣のようだったが、湯浴《ゆあ》みする物音のあいまに、ごくふつうの調子で語り合う二人の言葉が気になり、隣り合う便所に身をひそめてきき取ろうとする。これは、祖父と祖母の仲きわめて悪く、特に祖母は、五十代のはじめに卵巣を摘出し、いわば男勝りとなって、いさかいすれば逆に祖父をなぐりかねず、年中波風のおさまることがなくて、夫婦が睦《むつ》み合う姿など、想像もできなかったせいもあった。  だが、圧倒的に強い父と張合うより、靖治と競い合う方が気楽だから、父が家にいる時は、自室に閉じこもり、靖治とならば一つ強味があって、それは母と性的な話題を交すこと、姉は嫁いで後もよく顔を出し、それはなにやかや食物をねだりにくるのだが、「いやだね、ことさら眠い眠いなんていってさ、はじめは旦那様にかわいがられてることを、みせつけたいんだろうけど」と母がいい、そうきけば修一も姉の腰のあたりについ視線が向き、かと思えば、「兄さんが朝変な恰好しててね、私が入っていくとびっくり仰天してたけど、修ちゃんはあんなことしないんでしょうね」兄の自涜《じとく》をいうらしく、すぐ察しはついたが、修一無邪気を装って、「変なって?」たずねると「まあ、いいのよ」笑いつつごま化し、また母の気散じに小唄習わされる時は、その「初雪に降りこめられて向島《むこうじま》、二人の中の置炬燵《おきごたつ》」などあるのを、「いいじゃないの、修ちゃんに分る? こっちの雪ときたら、初雪なんて生易しいものじゃないし、お父さんとじゃはじまらない」向島の料亭の名を二つ三つあげ、「一度、修ちゃん大きくなったら、いってみましょうよ、そりゃ立派なんだから、もっとも焼けちゃったからね」ふと、昔を思う眼となって、それからは一人で爪弾《つまび》きつつ唄い、祖母の、いかにも我の強いそれとちがって、艶冶《えんや》な風情が漂う。  母には、心臓神経症の持病があり、これは心臓の機能には何にも欠陥がないのだが、ふいに狭心症様の発作を起すので、手足は冷たく冷え、せわしい息を吐いて、ところかまわず寝そべり胸をはだけ、だがビタカンファの注射一本打てばすぐ治る。だから帯のお太鼓の中に小型の注射用具をいつも所持していて、夜も、靖治と二人きりでは寝られず、父が不在の時は、それまでの兄や姉に代って女中が同じ部屋にはべったのだが、朝早い女中が起き出すと、ついつられて目を覚まし、寝不足になるからと、修一がいいつかって、母と同じ部屋に寝るといって、特に昂《たか》ぶったわけではなく、二度三度何事も起らず、夏のはじめに、母の発作があった。  はじめてのことだから、修一はなれた女中を起そうとして、母がそれをとどめ、「冷たい手ぬぐいもってきて、それから、紐をほどいて」いわれるまま、手ざわりのいい腰紐をゆるめて、胸をあらわにし、上向きに寝れば、ただ平べったく、ふくらみもうかがえぬそこに、黒ずんだ乳首があって、せわしげに起伏し、いちいち指図うけつつ、はじめてアンプルをカットし、注射器に吸いこんだまではいいが、修一自分でも注射はきらいだし、まして他人の肌に針突き立てるなど、怯《おび》えが先き立って、いまにも息絶えそうな母をみても踏ん切りがつかない。「思いきって、さしこめばいいのよ、ぐずぐずされるとかえって痛いんだから」せっつかれたあげく、左手で三味線弾くせいか固い二の腕引っつかみ、いっそ力をこめ針押しこむと、すんなり入って、「ゆっくり、いそぐと痛いのよ、その注射」針の入ったとたん、もう息づかいの安らかになりはじめた母がいい、修一やれやれと液を送りこむ。終って綿を当てると、少し血がにじみ、「ありがとう、もう大丈夫よ、修ちゃんいなかったら、死んじゃったかもしれない」すぐ生気取りもどした母は、綿握りしめた修一の手を、やさしくなでて、まだ、胸ははだけたままだった。  母もその後、寝つかれないのか、自分のこの持病を説明し、それは、先妻の子供を育てる心労からきていて、「二人とも一人前になってくれたら、治るらしいんだけど」修一はふと、自分も苦労の種ではないかと気になり、だが母は、昼間とは打って変ったしみじみした口調で、以前、芸者だったことを物語り、少女時代、祖父の景気はよかったのだが、震災の時、祖父の関係していた映画館のフィルムが火をよんだとされて、近隣の恨みを買い、たちまち下駄屋の二階に下宿、「下駄をつくる木の上で、沢庵を刻んで、それだけがお菜の日がずい分あったわ」暗闇の中に、母の煙草が赤い光を点じ、何本目かの時、アルコールふくませた綿にマッチの火が移って、鬼火の如く燃え上った。母は腹ばいになったまま、「それから、芸者、といっても仕こみっ子だけど、それに売られてね、ずい分苦労したのよ」修一のまったく知らない世界だから、相槌の打ちようもなく、ただふうんふうんと返事をし、焔は消えても、線香花火の松葉のような火箭《ひや》が、アルコールの綿の表面を走り、むし暑い夜だった。  以後母は、父の留守、かたわらに寝る修一に、つづいてかつてのことども物語り、それが、実は自分は姉ではなくて産みの母なのだと、知らせるための伏線として、意識していたかどうか。「話が遠くてみえやしない」からと、自分の布団に修一を呼び、Yではすぐ三美人の一人といわれたこと、芸者にもいろいろあるが、自分は小唄が売物で、いやなお客には鼻も引っかけないわがままを許されていたことから、父との馴れ染め、はじめお座敷で会って、次は、まるっきり芸ごとに関心のない堅物のくせに、小唄を教わりたいと、気弱な口実をもうけて、当時はしごく純情だった。何度も会ううちに、やがて母に目をつけた客が、金にまかせ、詭計《きけい》を弄《ろう》して口説きにかかる時、あわてて父に頼み、お座敷をかけてもらって、難をさけるいわば危急の恩人。「そのうちね、まあ、できちゃったのね」「できた」という言葉が、男女の交情を意味すると、はじめて修一は知り、「一緒になれるとは思ってなかったけど、前の奥さんもいたし」祖母は、どこぞの金づるに母をはめこむつもりだったし、前借金も一万七千円ほど、五千円あれば、郊外にしゃれた土地つきの家を建てられる時代だった。  母は暑がりでよく胸をはだけ、団扇で風を入れたが、その手のふと止まると、まだまだききたい修一だったが、母はすぐ寝息を立て、さすがに、そこに横たわることは、女中の眼もあってはばかられたが、少しの間と腹ばいになり、気がつくとすでに夜明け、母に後から抱かれていて、「ごめんなさいね、修ちゃん引取る時、お母さんいやだっていったのよ、だってもうくたびれちゃってたから、でも、よかったわ、本当に修ちゃんと一緒に暮らせてよかった」修一は、眠ったふりをして、なすままにまかせ、しかし、母の手が、体の向きを変えさせようとわずかに力が入ると、すぐ応じて、修一は胸にかかえこまれる形となり、すぐ前に、母の乳首があった。「かわいそうに、お母さんのおっぱい吸ったことがないのね、いいわよ」いわれるまま口にふくみ、ころころ固い感触を舌でまさぐって、意識ははっきり覚めていた。舌よりも下腹部にあたる母の体が気になり、かつての母の体の上に伏せれば、それだけで果てると思いえがいたことを考え、今それがかなえられるのではないかと期待さえした。 「いいわよ、ごらんなさい、お母さんなんですもの」母が一糸まとわず、その体を、雨戸からさしこむ夜明けの光の中にさらし、薄く眼をつむって、修一に告げたのは、七月のはじめの朝だった。兄は帰省していたが、もはや、父の留守、母の夜をまもるのは修一の権利のようなもので、靖治には手の届かぬ夜の、母との対話は次第に性的色合いが濃厚となり、かなり立ち入った男女の機微を母は説明し、修一は常に母の乳房もてあそびつつ、きき入り、果ては抱きかかえられて寝るのだが、その夜、また母に発作があって、注射で静まった後、「お母さんね、やっぱりかくしてるのがいけないんじゃないかと思うの、びっくりしないでよ、修ちゃんのお母さんは、本当は私なのよ、村山のお母さんはおばあさんに当るの」一息にいって、涙をこぼした。修一はわれながら不思議なほど冷静で、ただどううけこたえていいか分らず、注射の時こぼしたらしいビタカンファの異臭をかぎ、「お父さんにいって、ちゃんとしましょう、お母さんがもっと早くいわなきゃいけなかったのよ」母は、祖母の苦心を説明し、「病院でそのつもりになってたら、本当に陣痛があったんですって」笑ったが、祖母は以後、月経不順がつづいて、結局、卵巣摘出にいたり、「やっぱり罰《ばち》が当ったのかしら、嘘ついたから」少女のようにあどけなく、いたずらっぽくつけ加えた。母がどういう感情でいたにしろ、修一は抱かれると、母の実感はなくて、いや、ずっと以前からその察しをつけていたような気もするのだが、現実には女としか意識できず、お互いうとうとしながら、ふと目覚めて母は何ごとか修一にささやき、修一はこれまで以上に母を抱きしめていいように、ただしあくまで子供の甘えの域をこえず、体をそのつど寄せ、暁方《あけがた》、母はつと修一を押しのけると、上半身起き上らせ、手早くいっさいを脱ぎ捨て、また静かに横たわり、みていいといったのだ。修一は、しげしげと女の裸体をそれまでながめたことはなく、だから三十五歳のその肉づきが、豊かなのか、おとろえているのか判断はつかぬ、つい視線は下腹部の翳りに移り、さそいこむ如く、母は下肢《かし》をわずかにひらいた。  祖母の猛々《たけだけ》しい姿と異なり、母の飾り毛は薄く、せまかった。砂時計の砂の落ちこむようにそのせばまった先きに、黒褐色《こつかつしよく》のわずかな突起がはっきりとうかがえ、母はさらに「みてもいいのよ」くりかえしつつ、脚をひらき、右脚が修一の体にさえぎられると、膝から曲げて、修一は、正面に性器をみる位置に移った。  二方に雨戸があり、そのすき間から下敷きのような光線が三条さしこんでいた。修一ははいつくばり、母のふともものつきるあたりの、褐色の肌をたち割って、横にいくつもの筋目の入った黒い花片《はなびら》が、ほぼ対称的にわき出し、花片は幾分|反《そ》っていて、上方は突起に閉じられ、下方は褐色の肌にめりこんでいる、それはこれまでにながめた何物とも似てなく、また、修一の思いえがいた女の性器とも、かけ離れていた、視界の中にあった母の腹が急にへこみ、尻の肉が一瞬ふるえると、花片はいったん収縮し、すぐ、さらに大きくひらいて、その下の鮮かな淡紅色の粘膜をかいまみせ、また元にもどり、そして、潮と獣の入り混じった匂いが、流れ出る。修一のみているうち、花片は幾度も収縮と、弛緩《しかん》をくりかえし、はじめただ黒いだけだった花片は、しだいに潤いをおびて、突起のあたりには白い泡《あわ》状のものがしみ出ていた。それはすぐ素直に花片を縦に流れ、ますます匂いは強くなって、形あるもののように胸腔《きようこう》をみたし、修一は花片に吸いこまれんばかり、顔を近づけて、そこに唇をつけたい衝動にかられ、花片ははっきりと粘液を吐きつづけ、やがて収縮より弛緩が大きくなって、淡紅色の粘膜が常にあらわとなり、そこにも汗のように、これはなめらかに流れる液がわき出ている。その下に深い穴があった。半ばかくれているが、この異様な造作の中で、いちばん単純な、明確な形をもつ穴で、どれほどの間、みていたか。ふいに、紙をつかんだ母の手がいっさいをおおいかくし、修一の体にぶつかりつつ、よろめき出て便所へ入り、シーツに楕円《だえん》のしみが残されていた。  母が煙草に火をつけ、立ちのぼる煙は光の縞の中をたゆたい、すぐ吐き出した煙に追い払われ、そのくりかえしを修一はぼんやりながめて、「お母さんなんだから、もう、何も遠慮することないのよ、何でもいって頂戴ね」あわてて「お祖母《ばあ》ちゃんのことは心配ないわよ、お父さんがきちんと面倒みて下さるんだから、よく勉強して、大学へ入るのよ、そうすりゃお祖母ちゃんも安心するし」母は、ごくふつうの口調でいい、ああ、暑くなりそうね。夏のお稽古はいやんなっちゃうと、背をのばした。  添い寝は、機会あるごとにつづけられたが、奇妙な母子の儀式は一度だけで、修一も自涜の時、あのぬめぬめと光り息づいていた性器を思うことはなく、ただいっそうわがままとなり、母はまた、母子であることをおおっぴらにして以後、修一を気ままに束縛し、その受験勉強中に、酔ってあらわれ酒のつき合いを強制し、断ると単語カードばらまき、参考書を引き裂いた。かと思えば、心臓神経症の苦しさをくどくど説明し、上の空で返事する修一に、「ためしにビタカンファ射ってごらんなさい、痛いのよ、その痛さだって、なんでもないんだから」母の苦しみを味わえと、無理に修一の腕に注射し、たしかに痛かったが、まだ自分だけがこの痛みを知っているという悦びもないではない。修一が土地の大学をさけて、東京へ出たのは、その寵を一身に集め得た安心感と、それにやはりつきまとう母がわずらわしかったのだ、母と子であることを楯《たて》に取って、ことさら性的なふれ合いを求めたがる母の下心に、うすうす感づいてもいた。  修一が東京の大学へ入ると、同じに小学校へ上った靖治の面倒を女中にまかせ、それは芸者をひいて以後、暇つぶしでしかなかった小唄に、もう一度打ちこむつもりがあり、師匠に才能をみとめられると、しばしば稽古に上京、修一にとっても母がくれば小遣に不自由しないし、温習会発表会と腰巾着《こしぎんちやく》決めこめば、楽屋の派手やかな嬌声《きようせい》にもふれ得る、母はまた大学の期末試験中さえ容赦なく、供を命じ、会の後、以前いっていた通り向島の料理屋へ弟子たちとくりこみ、しとど酔ってかえりのタクシーの間、修一の手を握り、「修ちゃん、修ちゃん」とくりかえし呼びかけ、照れ臭くはあったが、自分に首ったけの母をたしかめて誇らしい。この頃の母は女として十分に美しかった。  その自信をはじめてゆるがしたのが、精米所の跡取りで、修一は自分でも思いがけず、母の性器をみたい、それでしか母とのつながりをたしかめられないような不安を覚え、母よりも靖治の寝息うかがいつつ、薄い腰巻きを左右にひらき、だが紐にさえぎられて、そこはくらがりとしてしかうかがえず、といって紐をとく勇気はない、修一はわずかにひらいた脚の間に顔をのぞかせ、せいいっぱい舌をのばして、その時は、はっきり思うまま吸いつきたい欲望があった。不自然な姿勢だから、力が入って、汗が首筋を流れ、懸命に以前みたその形をよみがえらせようとして、取りとめなく、だが、匂いはあって、アップアップする金魚のように、胸いっぱいに吸いこみ、つれてくらがりに黒い花弁が浮かぶ、母の匂いであった。潮と獣の入り混じった、重い匂いだった。  気がつくと、日向が、やはり展望塔の方からこちらへ歩いてくる黒人家族に話しかけていた。身ぶり大袈裟《おおげさ》に日向は何ごとか語り、すぐ修一の方に向いて手招きする、OKですよ、OK、はしゃいでいい、きこえぬとみたか近づいて、「あの連中も断られたらしいんですがね、一緒に乗れば大丈夫、六人以上まとまったら動かすっていうんだから、ね」いまさらいやとはいえなかった、あるいは相手が白人ならまだしも、黒人では、ここで断れば人種差別されたと思うかも知れぬ。「じゃ」万一、また断られることを期待したが、セーラー服を着た五十年輩の白人、愛想よく迎えて、日向と黒人の夫にはさまれ、階段を登る。展望車は、ドーナッツ型で内側の壁に沿い、粗末な長椅子があり、外壁は二|米《メートル》以上ある高さいっぱいに硝子《ガラス》張りで、「ホウーオッ」セーラー服かけ声かけると、右に廻転しつつ上昇をはじめる。 「立ってながめてもいいですよ」日向がいい、修一は眼を空に向けて、地上が視界に入らぬよう努める、「このあたりはスペイン人が拓《ひら》いたんですね、だからサンフランシスコ、サンディエゴ、サンタモニカと、地名にサンがついてます」日向が説明し、黒人の子供はがたがた窓に沿い走りまわって、その足音一つ一つに身がすくむ。水平線の近くが黄金に輝き、すぐ彼方《むこう》のなだらかな山なみがみえ、近くの丘陵に点在する赤屋根白壁の家があらわれ、みまいとしても下界の景色がとびこんでくる。いつも向うからみている太平洋を、逆にながめているのだ。もう二度とみることもあるまい。ひょいと気を取直し、視線を水平にすると、また一望すべての海で、太陽はまさに水平線の上二十度ほどにかかり、さざなみが凍てついたように動かず、車のまわるにつれ空の色は黒ずみはじめて、丘陵の上は暮色に近い。「海は広いな、大きいな、月が沈むし陽がのぼる」日向が、無遠慮な声で歌い、以前イタリア人の妻と子供を連れてきた時も、歌ったのだという。修一は掌にじっとり汗をかいていることに気づき、いったいなんのためにこんな展望塔の上にいるのか、不思議に思えてくる。「イタリア貴族なんてっても、アメリカじゃイタ公ですからねえ、日本人の方が上ですよ」未練がましく日向がいい、「すごいのはユダヤ人ですねえ、われわれ辻マイナス|※《しんにゆう》といってますけど、奴等はすごい、金融機関から、ビッグビジネスの大どこを握ってますしねえ」黒人の夫がしゃがれ声で妻に説明し、いちばん上の子供は十二、三か、一人陰鬱な表情で、しきりに修一の方をうかがう。頂上に登り切ると、展望車は廻転をとめ、モーターのひびきも静まる。修一の前におだやかな海があった。いつも同じように停止するのかたずねてみたいと思った。つまり、修一のすわった場所は、頂上にきた時必ず海に面してとまるのか、それが当然のようにも思えるし、また、急に人種問題をしゃべりはじめた日向に、今そんなことをたずねるのは悪い気もする。たずねれば、彼は勇んでセーラー服の男に質問するだろうが、日向の話題は取りとめなく飛躍して、ひょっとすると軽いノイローゼなのではないか。  一月前に、修一は女性週刊誌記者の来訪をうけ、その記者とは顔見知りだったから、上るようすすめると、喫茶店に修一をさそって、TV界の話題とか、編集長が近く飲みたいといっているなど、珈琲《コーヒー》すすりつつ間をもたせ、「で用件はなに?」修一が切り出すと、「気分こわされちゃ困るんですけどね、実はちょっと情報が入って、他《ほか》に先きをこされるとまずいんで、いちおう当るようにいわれて」なお口ごもり、それは修一夫婦離婚の噂《うわさ》をたしかめにきたものだった。いったん核心にふれると、記者は鋭い質問をつぎつぎ発して、「最近、かなり決定的なことがあったということは、握ってるんですがね」「というと」「まあ、打ち明けていえば、奥さんが実家へもどって、かえらないという」「実家といってもそばだから、よくかえるけど、だからっていちいち」「いや、他にね、なんというか、お姑《しゆうと》さんといろいろあるんじゃないですか」いっそ怒ってしまえばいいと思いつつ、一つにはそれに近い事件といえば事件があったし、しかも、ごく身内だけしか知らないそれをどうして嗅《か》ぎつけたのか不思議で、つい弱腰になり、「いろいろったって、年中、母が同居してるわけじゃないし、そりゃ喧嘩《けんか》することもあるだろうけど、こっちがはらはらするより先きに、けろっと仲直りして、けっこう買物ねだったりしてるよ」あくまで記者のいい分、まっこうから否定せず、だがそのいちいちあげる事件は、しごくありふれたものと印象づけるように努め、修一のなりわい流行歌の作詞家で、比較的TVにもよく登場するから、その離婚となれば、けっこうニュースバリューがあるらしかった。何をいっても、記者は自分のいい分以外はふんふんとうなずくだけで張合いがなく、これがあるいは取材のテクニック、こっちを焦《じ》らせて新事実きき出す魂胆かも知れず、修一は慎重に言葉をえらび、ついに記者は最後まで納得せず、たしかな筋からの情報なんですがとくりかえし、その場は切り上げて、表へ出ると幸運にも、乳母車に息子を乗せて妻が通りかかり、しごく愛想よく記者にも一礼し、「べつにしくんだわけじゃないよ、まあ、子供がいる以上、何があっても別れないさ」修一少しかさにかかっていうと、記者はまぶしそうな表情で、「いや、分りました、根も葉もないことでしたな」照れ笑いして、そそくさとタクシーに乗りこんだ。  だが、取材は修一の友人関係にものびていて、翌日、作詞の先輩にあたる年上の男が、歯切れの悪い電話を寄こし、寿司屋《すしや》で会うと、午前中にべつの記者があらわれたそうで、「なんでも、ずい分身近の人から出たことらしいよ、心当りはないかい?」たずねられて、いっこうその節は浮かばぬ。少し実状を物語り、知恵を借りるつもりで、半月ほど前に起った妻と母のいさかいを説明し、発端は、借家ながら目黒に、親子三人にはひろすぎる住いをもち、まだ小唄をつづける母がこの十畳間をその稽古場に貸してくれといい、はじめは妻もよろこんで世話をしたのだ。ところが入れかわりあらわれる弟子はほとんど芸者で、果物菓子類の跡片付けはしても、掃除は妻の役目だし、時に夕飯用意して、母は野田岩の鰻《うなぎ》、八竹の茶巾《ちやきん》ずしを、一同にふるまう、齢相応に早起きで、修一の生活にあわせ朝のおそい妻に、いや味と取れる言葉をつぶやき、母上京のつど、その手前は取りつくろっても、修一はかげで責められて、これを近因とすれば、先輩にいわなかったが、遠くさかのぼるいさかいの素地もあった。  修一は、二つの呵責《かしやく》を母に対し背負っていた。一つは、その性器をみたことであり、もう一つは、精米所跡取りについて、父に告げ口した事実、箱根以後、母は急激に、修一に対しよそよそしくなったわけではないが、修一は心を乱し、北国の町へもどると、母の弟子である芸者に乱暴働き、酒に溺《おぼ》れ、恋焦がれた女が生母である矛盾と、父はべつにして、靖治を蹴落《けお》とし、勝利者となったつもりが、自分より母の関心を引くライバルの出現に苛立《いらだ》ったので、母を真似て心臓神経症の仮病をつかい、さすがに心配した母の、いかにもなれた手つきで射つ、ビタカンファの痛みにすがり、だが、跡取りは、母の口利きで、放送局邦楽課に就職し、こうなると勝負ははっきりした。母と跡取りの間に、交渉はなかったろう。母は、放送される時間の少ない小唄の、少しでも便宜はかってもらうための、いわば取引きで、弟子と共に男を接待し、また男も立場上か、あるいは修一のひがみか、ことさら尊大にふるまっているようにみえ、母の上京中、何度か酔ってその泊る宿屋を訪れ、たいてい朝が早いからと追いかえされると、自暴《やけ》になり荒れ狂う。母親に、恋人があっても、母と子の関係に変りないのが常の形だが、修一は、母親がどのような面にせよ、修一より深くつき合う男がいれば、子供としても捨てられたと感じ、そしてどう狂ってみても、母を所有することは、できやしないのだ。  酒に溺れ、娼婦に入れあげて学業おろそかとなり、本来ならば半年後に卒業という時期に、その不可能なことがばれ、父は北国へ修一を呼び寄せむしろ気弱な笑い浮かべつつ、強く叱らず修一のやや複雑な生い立ちにふれながら、「まあ、お母さんも心配しているし、頑張ってくれよ」と励まし、修一は胸がせまって、母が父に所有されるなら許せる、いや、父もまた母に裏切られているのではないかと、かつてひそかに父とさえせり合うつもりで、憎しみを抱いていたのに、急にすがりつきたくなり、涙まじりに、あの放送局の男は母の何であるかと、父の迂闊《うかつ》さなじるようにいった。「××君かい?」何をいい出したかという風に無表情に答え、しかし、すぐ何やかや修一に質問するそのつぼ心得たさまは、父も内心ある危惧《きぐ》を抱いていたのだろう。修一にしてみれば、不始末ごま化す方便でもあり、父に情報を渡してその歓心を買う下心もないではなかった。父が母にどういう態度を取るかまで考えず、もちろん、父の力により、母と男を切り離し、以前の状態にもどれるとも思っていなかった。父は二日後上京して、鍛冶橋《かじばし》近くのホールで行われた小唄温習会の楽屋に出かけ、母が丁度、友人の弟子の世話をやくところへ、ものもいわずその襟首《えりくび》引っつかみ、引きずり出し、そのまま母の宿屋へもどって、修一の話をもとに、あれこれききただしたのだ。  母は、衆人環視の中であれほど恥かかされた以上、別れるといい、家へはもどったが修一を一顧だにせず、それは声すらかけられぬきびしさでいたたまれず修一、東京へ出て母との縁はそこでいったん切れ、むしろ父が、しばしば修一の下宿にあらわれ、「まあなんだよ、いろいろたずねてみたんだが、局のディレクターとのつき合いもたいへんらしくてね」自分も、それまで少し変だとは思っていたが、母は決して二人では××君に会ってないし、まあ、思いすごしだろう、気弱くいい修一は、父があわれになった。そして修一はまた、憑《つ》きもの落ちたように母を頼る気が、失せていた。夫婦別れはしなかったが、母は以後奔放にふるまい、ほとんど家を顧りみず、靖治の世話も女中家庭教師にまかせて、父の面倒をみることもせず兄も結婚して名古屋に住み、まさしく冷え切った家庭だった。  修一は、大学を辞め職転々としつつ、どうにか作詞家として、世渡りができるようになり、その第一作の稿料を、母に送り、母から返事はなかったが、書留届いた時い合わせた姉が、修一の荒れよう知っていただけに、賞讃の手紙を寄こし、すると修一は、母にふたたび取入るにはそれしかないと信じこんだ如く、夏は東京より暑い北国だから、はしりのルームクーラーを贈り、ポータブルTV、着物と、思いつくまま貢物《みつぎもの》として、和解の成り立ったのは祖母の葬儀、さらにいえば納骨の際だった。気丈に一人暮していた祖母は、銭湯でころんだのが原因で肺炎を起し、あっけなくみまかって、久しぶりで母と顔を合わせ、靖治は高校生となっていた。浅草の寺内にある墓地へ納骨となり、そこで母は秋の蚊に指を刺され、「あら、こんなに腫《は》れ上って、毒が突き通っちゃったんだわ」喪服から二の腕あらわにして指を修一にみせ、「早く毒を吸っちゃってよ、撥《ばち》がもてなくなる」不和の四年間まるでなかったようにこだわりなく、修一はいわれるまま吸って、北国にいる頃もよく同じようにしたことがある。吸ってその唾《つば》を吐かずに飲みこむと、「大丈夫?」眉ひそめながら、「きれいなもんよね、お母さんの血なんだから」うれしそうにいった。母の指はさすが年で、太く、不祝儀《ぶしゆうぎ》だから化粧も薄くて、年寄りじみてみえた。  修一が、結婚する旨伝えた時、母はべつに賛成も反対もせず、父はすでに退職し二、三会社の顧問つとめて暇なせいか、三十すぎて独身の修一をあれこれ心配していたが、母は徹頭徹尾無関心を装い、結婚式にこそ参列したが、その後、修一夫婦が北国の母の許《もと》へ遊びにいっても、妻とはおざなりのうけこたえしかせず、もともと堅気の娘である妻と母の、気の合うことを修一期待もしていなかったが、修一にも手抜かりがあり、それは独身の時と同じくそうゆとりのあるわけでもないのに、母に、そのあたらし好きな電気製品を贈り、また温習会の費用をもって、妻が不満に思わぬと考えたことだった。妻が文句いった時、修一はおどろいて、かつて母に迷惑かけたこと、もちろん父に告げ口したなどは伏せて、説明しても、それは母ならば当然のことと取合わず、さらに妻の母は、修一と母が戸籍上|生《な》さぬ仲であることを取上げ、「世間にはよくあることだけど」と、母と修一の間の不義をにおわせたらしい。  修一は口を酸っぱくして、祖母の策略から説明し、それを妻はいちおう納得したのだが、母が修一に対しかさにかかった態度をとり、また修一も易々としてそれを許しているのをみると、あるいは血はつながっていても、不倫に近い関係のあったことを感じ取っていたのかも知れぬ。「色気違いじゃないの、あんたのお母さん」「やっぱり芸者上りだけのことはあるわね」母の厚化粧、派手好きをののしり、だがうわべは、まず従順な嫁ぶりをみせていた。  しかし、いつ爆発するかも知れず、その怖れていた事態は、妻が息子のおしめを、雨つづきだからと母が稽古場にあてる十畳の間に紐《ひも》張って干しめぐらせ、それを、「早く取りこんで頂戴《ちようだい》、こんなむさ苦しいものは引っこめて」タクシーでにぎにぎしくもどった母がいったことに端を発し、「むさ苦しいって、これは隆ちゃんのですよ、乾かなくって困るから、仕方なく」妻がいいかえし、「いいわよ、ちょいと私たち取りこんで、済んだらまた干しとけば」年かさの弟子が取りなそうとしたのを、汚らわしい芸者などにさわらせないと、妻は逆上し、おしめ引き裂かんばかりに片付けて、その端が母の眼をかすめた。元来、大袈裟な母だから、眼球に傷がついたと、突っ伏したまま動かず、修一はとにかく母を医者に運び、どうなることかと思ったが、それはそのままおさまって、夜にはお互い非を詫《わ》び合ったのだ。ところが、その話合いの途中で、「まあ、おたくも早く女中さん置くことだね、一人じゃ手がまわりかねるよ」と母のいったのに、妻は自分の能力のなさを指摘されたと感じたか、「人の家に余計な口出ししないで下さい」「人の家って、ここは私の息子の家じゃないか」「お母さんの家じゃありません」さらにすさまじくぶりかえし、若いだけに妻は昂奮《こうふん》しきってののしるのを、母は逆に冷ややかに、だが鋭い皮肉を投げかけ、最後には妻のつかみかからんばかりになるのを、「おや、亭主の母親をなぐるってのかい、手が曲っちまうよ」いい捨てて去り、修一は息子を抱き、おろおろするだけだった。  翌日から妻はふさぎこみ、それは昨夜のいさかい悔んでいるのかと思えばそうではなくて、母に怯《おび》えているのだ。隆一を殺しにくるかも知れない、裏口に変な男が立っていると、落着かず、この状態がつづいて、修一は妻の実家におよその事情を説明し、すると妻は、年老いた両親に心配かけたくないと、またさめざめと泣き伏して、だが、母親が迎えにくると子供を連れ、従った。  こうなっても修一は、母に強く出られず、もめごといちおうの落着をみると、場所を変えた小唄の稽古など見物にいき、寿司などさし入れして、「修ちゃんもえらい女に引っかかったね」母がいうのに、むしろへつらう如く笑ってみせ、「子供さえいなければ」というと、「親はなくても子は育つよ、向うのおっかさんにまかせりゃいいよ、お前さんだってそうじゃないか」こともなげにいい、「この煙草もういらない、あげるよ」口紅のべっとりついたアメリカ煙草を渡し、それを口にくわえれば、母は満足すると分っていて、修一はさすがにそのまま、まだ長いそれを灰皿にもみ消した。 「ぼくにも、身近な情報といっていたなあ、誰だろう」先輩にも、結局、家庭内のいざこざでいい知恵のあるわけはなく、ただ極力雑誌に出ることを押さえるようにいわれて別れたのだ。  展望車は、また廻転しつつ、下降に移り、日向はしゃべりつづけていた、身ぶりは大きいのだが、抑揚の少ない口調で、母が東京にいるうちは家にもどらないと、低く同じことをくりかえしていた妻のそれに似ていた、妻はある時、激しく母をののしったかと思うと、ふと思いつめたように、「でも、お母さんが病気になったら、私がいちばん親切に看病したげるわよ」と涙浮かべていい、修一は取りとめない話ぶりに、妻を軽いノイローゼとみた。日向もそうではないのか、降りるに従い、いくらかゆとりができて、日向のゴム細工のようによく動く表情ながめつつ修一は考え、「————」修一には分らない言葉で黒人の子供に日向は話かけ、「この連中で週給百二、三十ドルってとこですかな、黒人にしちゃ上等ですよ」いったとたん、展望車は地上に無事降りた。  きた時とは別の道路を通って、それは日向が修一に太平洋の落日をみせる心づかいだったが、海岸へ落ちこむ丘陵の中腹をぬってロスアンゼルスへ向かい、屋根に木《こ》っ端《ぱ》ふいたようなこぢんまりした建物がならんでいて、これはロスアンゼルス中流階級の別荘だという、スペイン風というのか、四階建て煉瓦《れんが》づくりの、コの字型に広場をかこんだ一画がショッピングセンター、その横に消防署があり、あのあたり住宅地の中には商店はもちろん公共施設も許さぬと、日向が説明する。そこから道は下り坂となって、海を見下す崖《がけ》っぷちを走り、陽はまさに水平線に沈むところだったが、晴れているせいかいかにも安手で、しきりに車とめましょうかという日向に、「それよりウィスキーが飲みたいですねえ」「よろしい、この先きに、以前漁村でしてね、今、観光地になっているところがあります」太陽の沈んだ海に、サーフィンボードが一台浮かんでいた、そばに人間の頭がみえかくれし、こんなにだだっ広く何もない海を見たのははじめてだった。やがて前方にそれらしい集落があらわれ、山型に連なったイルミネーションが光る。それはずい分下方にみえて、日向の崖すれすれに車走らせているのが少し怖い。対向車もやがてライトをつけはじめた。まったく突然、炎そっくりの毒々しい夕焼けが眼に入った。それは六十度の上空にあって、茜《あかね》など生易しい色からほど遠く、黒雲を火焙《ひあぶ》りにしているように、刻々と形を変えつつ、少しずつ薄れ、わずかのうちに消えたが、すると雲は凶々《まがまが》しい色どりではなく、ありふれたもので、わずかに残る空の蒼《あお》さに白く浮かび、狐に化かされたような気がする。  十米ほどの高さの岸壁から、海に向かって五十米ばかりの桟橋が突き出し、とば口は階段となっていて、桟橋そのものは海面より三米ほど、片側に魚屋がならび、無愛想にぶった切った切身をウインドウに飾っている。突端で二人が釣りをし、海はすっかり昏《く》れていた。左側にうらぶれたスナックが二軒と、桟橋途中からのびて、円弧をえがき、直接陸に通ずるレストランがある。「フィッシャーマン」としごく当り前な名前で、客が自分で、魚屋から好みの魚を求め、ここで調理してもらうこともできると日向がいい、修一はただ酒だけが欲しかった。  高潮をさけるためだろう、急な階段を上ると、ほとんど暗闇に近い部屋で、海に面した側は大きな窓となっている、波はただうねりとして押し寄せ、このレストランを支える柱に勢い弱められるのか、岸壁にしぶきをあげることはなく、ぐぐっとはいのぼりすぐに引いて、そのくりかえしを眺めていると、つい視線を釘付《くぎづ》けにされそうになり、他に客の姿はない。「明日、おかえりになるんですか、うらやましいなあ」そういってすぐ、日向は修一の気を重くさせぬ心づかいか、「まあ、私はこっちの水が合ってますけどね」歯の抜けた口をゆがめて笑い、「もし帰国なさったら連絡して下さい」「ありがとうございます」修一のわれながら空々しい言葉を、日向真面目にうけ、「九年になりますか、こちらへきて」日向の父は、戦時中の県視学で、その立場もあるのか無理矢理予科練へ入れさせられ、日向自身は機械体操が得意で、中等学校の大会に優勝したこともあるという、「戦争に敗けて、いろいろ悩みました、父はさっさと転身して教科書の販売をはじめましてね、私は一時大分左に傾いて、移動劇団にも籍を置いたことがあるし、土方で食ったこともあります」三十三年、いっそ山間|僻地《へきち》の小学校の教師になり、子供を相手に一生暮そうと父に相談すると、これからはアメリカだ、自分の友人がシカゴにいるから、そこへいけといわれ、半年英語を習って船で渡米した。「どっちがよかったか分りませんねえ、まあ、こちらで、さっき申しましたように、トラック屋やってる時は、そりゃおもしろいこともあったんですが」「父上はお元気でいらっしゃる」「いやあ亡くなりました、運悪く私のどん底の頃でね、カアちゃんに家屋敷取られる、ロスアンゼルスへきたものの、思うようにいかなくてね」一度ふらふらと、今通ってきた道から海へ降り、自分で気づかぬうち、膝《ひざ》まで水に入って、じっと考えこんでいたという。道路に乗り捨てた車を、警察が不審に思い、すぐ発見されたそうだが、「べつに自殺するつもりはなかったんですけどね、友人にもすすめられて精神病院に入りましたよ、精神病院といっても保養所みたいなもんで、こっちの人は気楽に出たり入ったりしてますわ」修一も、あまりの酒びたりにわれながら厭気《いやけ》がさし、禁酒するため精神科にしばらくいたことがある。このことをいえば、少しは日向の気持をなぐさめられるかと、いいかけて言葉をのみ、それは「精神病院までまわりまわって、父の死を報せる手紙がきましてねえ、私は泣きましたよ、一人っきりの肉親ですからねえ、母は戦後すぐ死んじゃって」日向がつぶやいたからで、修一は、もし母が死んだら、泣くだろうかと考える。母の棺に横たわる姿思い浮かべ、しかし、すぐあの夏の夜の薄い襦袢姿《じゆばんすがた》が取って代り、ずい分長い間涙を流したことはない、母にきらわれた時、よく酔って大人気もなく泣きつつ歩いたものだが。  調べてみると、といっても取材記者と酒を飲み、離婚の記事のつぶれたことをぼやきながら、記者はまた「確実な情報だったんだけどなあ」くりかえすから、しつこくききただし、ふと思いつくことがあって、「それ、弟だろ」かまかけると、記者はあっさり認めた。  靖治は大学卒業すると、すぐ芸能プロダクションに勤め、修一と張合うつもりがあるのか、顔合わせれば有名スターの誰それに口説かれたの、アルバイトで何十万|儲《もう》けたのと、背伸びしていたが、商売柄、ジャーナリストとつき合いがあり、そう思い当れば、ごく内々のいさかいを、他にもらすわけがなく、その場ではショックもうけなかったが、時間が経つにつれ、修一は靖治に及ばずながら力を貸してやったし、プロに入社できたのも自分の口添えがたすけになっているはず。しかも弟は十月の末に結婚する予定で、フィアンセと打ち連れ修一夫婦の出席を頼みにきている。スキャンダルを売りこまれたというより、男として許せない気負いに駈られそのアパート訪れると留守、もしやと母の常宿へまわると、二人話しこんでいて、どういうつもりなのかと面詰すると、母は、「靖ちゃんに責任はないよ、私が売りこんだんだもん。ただね、私はそういう人知らないから、この人に代って頼んでもらったけれどさ」なにをそう怒鳴り立てるのかという風にけろっといい、「およしなねえ、あんな女、いくらもいいのお母さん探したげるからさ、まあ、ビールでも飲むかい」舞台用の衣裳《いしよう》たたむのに余念なく、靖治は膝をかかえ、「というわけでした、おどろいた?」屈託なく笑い、修一はだまりこむ。靖治の表情にちらっと、あざ笑う色がみえたと思い、かつてしかけた意地悪のしかえしをされたように一瞬怯えたのだ。「お前さん、一人出てくれりゃいいよ、結婚式には」母がいい、「兄貴さ、何か詞つくってくれない、作曲して大学のコーラス部の連中が歌ってくれるんだって」靖治なお追打ちをかけた。  結婚式に修一だけ出席したと知れば、妻は半狂乱になるだろう、晴れがましい席に出ることはきらいではなく、また、いくらか母と仲直りする気もあるところへ、自分が仲間はずれにされたと知れば、取乱すにちがいなく、いやそれは平静な時で、今はまだ母の顔みただけで、どう前後のわきまえなくすか分らない。朝と夜修一の許へ電話がかかり、少し留守をすれば、母と会ったにちがいないと泣きさけび、実家へ顔出しして飯を食わなければ、母と食べてきたのだろうと、邪推し、両親の取りなしもおっつかないのだ。といって、東京にいながら、弟の式に欠席することもできかねた。事情うすうす耳にしても、「まあ穏便に取りはからえよ」とのみくりかえし、ひょっと心配そうに「別れるなら、君一人でやってくれよ、私の出る幕じゃないから」念を押していた父は、「まあ、君だけでも出てくれや」めっきり衰えのみえる声でいい、なにより、母の呪縛《じゆばく》に反抗しかねる。「いいわね、約束よ」湯あがりの体に襦袢だけはおり、肉はついたが、乳首に変りなく、ふとまた下腹部に視線が動き、「ああ」あいまいに答え、そして考えた末の、アメリカ旅行だった。よんどころない事情で海外旅行といえば、欠席の口実にはなる、まさか、弟の結婚式に出席するのがいやで、用もないアメリカへいくとは考えないだろう、誰も、母さえも。 「たまに、ああやって高い所に上って、下界をみるのもいいもんですねえ。私が海に入りかけたあたりも、塔の上からみえましてね、あああすこで死にかけたのかと思ううち、くるっとまわって、入ってた精神病院が眼にうつる、おかしくなっちゃいましたよ。気がつきませんでしたか、山の上のきれいな建物でしてねえ。なんだか気持がさっぱりしましたわ、いや、あなたに会えたおかげですよ、いろいろお話できて楽しかったし、こっちの日本人にはろくなのがいなくてね。本当の話、一昨夜ね、夢みがよかったんですよ、さっき、みえたみえたよ松原ごしにって唄ったでしょ、あれですよ、長くつづいた松原に、お陽さまが登ってきましてね」しゃべりつづける日向をよそに、修一はウィスキーを飲み、海をながめ、海はくらいばかりで、ただ、寄せるうねりは、一瞬、頂きにレストランのわずかな灯をきらりと反射させ、ながめるうち、あの潮の香りと、汗に濡れた獣の臭い、入り混じって立ちのぼるように思え、さらにくらい海面の下を、激しく動きまわるなにかがあるような気がして引きこまれるようにみつづけるうち、「ほら、ごらんなさいよ」日向にいわれ視線をもどすと、頬に紅を丸くえがき、ざんばらの髪にリボンつけたいかがわしい童女、白い衣裳の裾ひきずる肥ったこれは妖精《ようせい》、さらにピエロ、花売娘などが、丸いカウンターにならび、いずれも白塗りの顔を闇に浮かばせている。「サン×××のお祭で、みな扮装《ふんそう》してるんですよ」ヤッホーと、日向ははしゃいで、扮装のウェイトレスに話かけ、卑猥《ひわい》なことをいったらしく、一同ブーッと口とんがらせる。匂いは、ますます激しく立ちのぼり、修一を包みこみ、修一は暗闇の中にひっそり立っている展望塔を思い浮かべ、一人上へ昇ってみたいような気がする、周囲まっくらならば、怖くもないようで。 [#地付き](「文芸」昭和四十四年十月号)   [#改ページ]  呪《のろ》われ児  近所のスーパー安売りの、人ごみに立ち混り、押され突きとばされながら、まついはしごく満足で、髪をあかく染め、ミニスカートに金色のサンダルつっかけた若い女が、傍若無人にせっかく人のえらびわけて前に積んだ品に手を出し、たちまち金切声でいさかいが起り、かと思えばさぞかし嫁泣かせのいかつい老婆、白髪ひっつめて男物の下着丹念に検分するのは、息子に嫁の指一本ふれさせぬ気のくばりか。昼間からアイシャドウも色濃く、チューインガムかみつつ、これみよがしに高い棚にならべた舶来の酒注文する三十女も、また何に苛立《いらだ》っているのか、四歳ばかりの女の子の手、抜けんばかりにひったてひったて、売り場早足で歩きまわる女、乳母車の中に寝入るとてつもない肥満児も、肉売場でもの思いにふけっている痩《や》せた婆さんも、いかにも肝臓患っていそうな青ぶくれの老人も、すべて好もしくながめられ、いや各売場の天井に、縁を赤く色どって、本日の特価やらサービス品と銘打たれた値段表、鮮魚売場でさけび立てる若い衆の声、五の日は特売で、二階の道路に面した窓から、チンドン屋がクラリネットをひびかせ、まついはスーパーが大好きだった。  スーパーの中にいると、思いもかけなかった自分の、現在の幸せが、手ざわり確かに実感できて、まわりにいる誰かれに、思わず知らず笑いかけたくなるし、極端にいえば他人には思えない、赤ん坊が泣いていればあやしてやり、老婆が小銭ばらまけば拾ってやり、母の買物の間、所在なく立ちん坊の子供みると、福引き補助券十枚やって、昔ながらのガラガラチーンと球の出る器械の把手《とつて》に手をそえてやり、まつい自身の買物は、たいていちり紙、コーンフレークの罐詰《かんづめ》、即席ラーメン、経木《きようぎ》にもられた章魚《たこ》や挽《ひ》き肉と、ささやかなものだったが、朝起きると、まずスーパーへ買物に出かけることを思い、すると心がはずんだ。  楽しいといえば、夕方、京阪電車|枚方《ひらかた》駅の近くを通りかかった時、枚方は以前、ここに陸軍の火薬庫があって、軍人の町だったが、今は大阪のベッドタウン、近くに広大な団地アパート群があるから、一電車ごとに、奔流の如く勤め人が吐き出され、駅前からバスに乗るにしろ、とっとと急ぎ足で歩き去るにしろ、それぞれ家路にむかう、その姿をながめていると、うっとりして時の経つのを忘れる。定期券売場にならぶ学生や若い女の姿、帽子あみだにかぶって水撒《みずま》きポンプ押す駅員、大きな袋かかえた女事務員や、人を待つ男女の何気ない列、しゃがれた中学生の声、駅のアナウンス、通過列車のひびき、改札の柵《さく》を閉じる甲高い音、屋台から流れる湯の臭い。なにもかも丸がかえで、心をひかれ、母と手をつなぎ歩く子供の着ぶくれた姿も、もみあげの長い男に肩抱かれた少女も、それぞれに好もしい。うちかて、帰る家があるねんもん、ちゃんと亭主がいてるねんもん、まついは、そのことを確かめたくて、スーパーマーケットと、夕方の駅に行く、そして、しみじみ満足するのだが、さて、スーパーからの帰りうすいグリーンの袋両手にしっかりと抱きかかえ、ほぼ家までは二キロの道のり、半分までは舗装されているが、はずれると昔ながらの田舎道で、とっとと急ぐうち、必ず不安がつのり、それはよくあるような、アイロンつけっぱなしにしていたのではないか、ガス風呂|空《から》だきしてはいないかと、いくらかなりと理由のある心配ではなくて、家そのものがなくなっているような、今歩いているこの道、右側に風呂屋の如くごてごてした玄関の、新築の家があり、その先きは畠に鉄板敷いて車が二台あり、どぶ川の橋を渡って、文化アパート二軒、入口のピンク色の電話に、しょっ中しどけない姿の女がとりついていて、いずれも、もうここへ来てから一年近くなることだし、見なれたながめなのだが、だからといって、文化アパートの裏の、農家の離れを借りているわが住まい、わが目でたしかめるまでは、安心できなかった。「あほやな、亭主の蒸発いうのきいたことあるけど、家が消えるわけないやないか」寝物語にまついの不安をうちあけられ、夫の金一がいい、「かりにやな、大家出ていけいうたって、契約は二年やもんな、それまで動くことない、無理にいうねんやったら、立退き料とったるわ」見当ちがいな強がりをいい、金一はまついより十二歳年下の三十二で、ビルの窓ふき、危険手当てがついて、月六万五千円の収入、酒を飲むが、他に道楽はなくて、まついと一緒になった時、五十万近くの貯金があり、背は五尺にかつかつのチビで、その上斜視だったが、まずは過ぎた亭主。金一について、まついは、まだ実感がなかった。夜、金一が少々酒に酔い、ぶつぶつと流行歌唄いながらもどってくると、そのつど宝くじに当ったように思える、うちに旦那さんがおって、毎日、うちのとこに帰ってくる、そんなことがあってええのんか、なんか欺《だま》されてるのとちゃうか。金一の職業柄、生命の危険はあるのだが、そういう具体的な心配にまで気がまわらず、朝、金一の出かける時に、もうこのまま帰ってこないのではないかというような、怖れもない、昨夜一晩自分のそばにいて、すくなくともその間は、亭主と女房やったんや、この上のことをのぞんでは、罰《ばち》が当る、ほんまにおーきに、まついは誰に礼をいい感謝していいのかわからぬが、しみじみそう思って、金一を送り出した。  百姓家の、もとは鋤鍬蓑《すきくわみの》脱穀機をおさめていた物置きで、長男次男ともにサラリーマンとなり、七反歩ほどの田畑のうち、二反を老人夫婦がたがやし、残りは人に委託して、ゆくゆくは、宅地に売る目算。古い農具処分して不用となった物置きを、ともかく人間の住めるように手を入れて、敷金二カ月家賃四千五百円、荒壁の上に馬糞紙《ばふんし》を貼《は》りつけ、上はむき出しの棟が交錯していたが、八畳に三坪の板敷き、土間もついて、生半可の文化アパートより使い易く、難をいえば便所を母家に借りなければならないことだが、まつい金一ともに苦にはせぬ。  金一は、長い飯場暮しの明け暮れのうち、あれこれわが住む城について、思いめぐらせていたらしく、部屋を決めると、まついともなって、デパートへ買物に出かけ、ポケットからメモをとり出し、「まあ、当座はこれだけそろえたらまあまあやろう思うねん」のぞきこむと、いちばん上に電気釜とあり、つづいてこまかい字で何十と品目がならんでいた。「そんなんもったいないやんか、うち、自分で炊きますがな」みてはいけないものを眼にしたようにおどおどし、まついにできることといえば、でっかい鍋《なべ》で、一時に何十人分もの飯かしぐこと、それに厚い生地の作業衣の破れのつくろいに、薪割《まきわ》りと、白菜の漬物くらい。「へっついなんか、今時売ってえへんが」金一は七階の、台所用品そろえたコーナーで、メモながめつつ、いつの間に測《はか》ったのかガス台のゴム管の長さをきちんと指定して、果ては洗濯ばさみまで買いこみ、「どないや、鍋はこれくらいの大きさでええんか」まついにたずねたが、アルマイトのキラキラ輝くそれを、まつい手にとることもできず、「そやな、きれいなあ」見当はずれの返事をし、「ナイフとフォーク、それに箸《はし》か」金一、赤黒とりどりの箸をながめ、飯場での食事は、常にニュームのフォークだったから、これまた貴重品に触れる如く、「あんた女やから赤いのんええか」「そやねえ、うち、そんなええのんでのうても」結局、貝殻のように光る模様の箸二ぜん求め、たちまちかかえきれぬ包みとなったのを、「お送りいたしましょうか」店員がいっても、無言で首をふり、「こら電車は無理や、タクシーで運ぼ」無理にもなにも、まつい枚方まで歩いてかえっても、不服はない。デパートで買物し、タクシーで家へかえるという身分が空怖ろしく、冷汗がでた、タクシーの中で二人いっさい口をきかず、部屋へ入って、金一が内ポケットから五徳ナイフ出して包みの紐《ひも》を乱暴に切り、「これなんやったかいな、ああ、茶碗と土瓶《どびん》や」畳にならべ、まついは、うっかり触れるとこわしそうで、「ええ絵柄やなあ、品よろしいわ」せいいっぱいの感想をのべる。飛田《とびた》で勤めていた時、月に二度、反物売る行商人が来て、同じ楼の、着道楽を自称する女が、反物の柄につき、よくこの言葉をつかい、まついはさっぱり判断できないから、いつか自分も、同じようにいってみたいと、覚えていたのだ。  ずいぶん買いこんだように思えたが、洋服箪笥《ようふくだんす》も水屋《みずや》、机もなく、ボール箱に二人分の食器をおさめ、他の品々それぞれの場所に置くと、やはりがらんと殺風景な部屋で、「明日休んで、道具そろえよ、これやったら落着けへん」ぼんのくぼに両掌くんで、金一ひっくりかえり、まついすぐ枕をあててやる。道具といって何を買うのか、落着かないのは、自分に落度があるのではないか、金一と二人でいると、自分が責められているような気がして、いっそ酒に酔って乱暴してくれればいい、なにか用をいいつけてくれれば、それも、とてつもなく無茶なことを。「こっちこいや」金一がいい、まついはますますいたたまれず、なんでうちこんな年とってしもてん、ほんま二十くらいやったら、二十の時には乳かてぷっくりしてた、餅肌やいうて、お客さんに賞められたことかてある、あすこかて、ようしまってたんや、四十五のうちは、どないしたらよろこんでもらえるねん、「はよこいて」じれる金一をながめて、まついはただ涙を流し、「どないしてん」気づいてたずねるのに、「すまんなあおもて」「あほ、そのために貯金しててんで、まだ仰山残ってるわ、あんたも欲しいもんあったらいうてや」ほしいもんなんかない、なにもいらん、まついは錯乱して、手放しで泣き続けた。  地元で家具調度を整え、ダンピングのTVを買い、中古の冷蔵庫を求め、カーテンを頼み、古道具屋で日本人形ケース入りを値切って、金一はほぼ夢をかなえたらしく、満足の態《てい》だったが、まついは人並みの暮しに近づけば近づくほど、不安になり、ぴかぴか光るやかんガスにかけて、アルマイトの肌茶色に染まるといらいらし、鍋がふきこぼれガスレンジを汚すと、息がつまり、茶碗で茶を飲むにも、落さないか、こわしはしないかと気が張った。それに、鍋一つで味噌汁をつくり、小魚を煮つけ、菜っ葉ゆがいて、塩なら掌ですくって目分量、醤油も瓶ごとかたむけて味つけするなら、五年近くの経験がある。しかし、それぞれの用途に応じて、鍋を使い分け、料理を皿に盛り分けるなどしたことがない、TVの料理番組に眼を皿にして勉強し、だが、外国語で説明されているように難解だし、フライパンに油をおとし、ジーッとふっとうしはじめただけで、怖ろしい、目玉焼き一つつくれないのだ。スーパーマーケットもそうで、若い人妻の群れ集うさま見ると心がくじけ、とても足ふみこめず、町はずれの乾物屋で干物《ひもの》漬物買うのがせいいっぱい、大家の嫁にさそわれて、ようやく見学するように、ただ見て歩き、その後、二度三度そばまでいきながら、ついためらって、はじめて買物したのは、移ってきて三月後、金一も、飯場の食事になれていたから、毎度、鰺《あじ》の干物に豆腐、弁当はきまって鱈子《たらこ》か竹輪《ちくわ》の煮つけでも不平をいわず、近頃、どうにかオムレツと、おでんができるようになって、まつい自身は、一人で食べる時、鮪《まぐろ》のフレークか、鮭《さけ》の罐詰で飯をかっこみ、これがいちばん気楽だった。  まついは、大正の末、姫路に生れ、三人男が続いた後二人女のいちばん末だった、ものごころついた時、すでに父は亡く、母は産婆をなりわいとして、かつかつの暮し、総領は大阪で床屋に奉公し、次男は胸を病んでぶらぶら暮し、三男が新聞配達しながら高等小学校に通い、姉とは五つちがっていた。母が四十五の時の、いわば恥かきっ子に近く、末っ子らしい甘えなどいっさい許されず、それはまついが小学校へ入った頃、母はそこひを患って、まさか手さぐりでは臍《へそ》の緒も満足には切れぬから、生活の支えは、バスの車掌となった姉と加古川の工場に勤める三男の給料、とりたてて薬代のかかるわけではないが、たまに卵や魚が食膳にのぼれば、やはり病人の口が先きで、その食べちらかした煮魚の骨を、母は湯にひたし、「なによりの身の養いやで」まついにも半分与え、表に出ていくらか買い食いもできる兄や姉は、「汚ならしい、バイキンうつるわ」眉ひそめたが、まついにとって、子供時代の食べものの記憶は、骨湯が最上の馳走だった。  年とってから光失った母は、猫の手にも足りず、だが気は強いままで、しきりに苛立ち、小学校三年当時から、まついへっついのそばに朝早くしゃがんで、一家五人一日の飯を炊き、学校からもどると、豆腐屋でおから、八百屋で春なら摘み菜、冬は切り落した大根の葉っぱを只《ただ》でもらい、石油のガンガラに捨てるつもりで集められている魚の頭拾って、芸もなく煮る、姉が休みに、只で乗れるバスを利用して、田舎へ連れていってくれ、姉はすぐ気まぐれな妹想いをくやんだか、むっつり不機嫌だったが、終点で降り、半分ずつ飲んだラムネのうまさが、後年まで印象に残っていた。  小学校五年の秋に、次兄|大喀血《だいかつけつ》をして、母はただうろたえしきりに綿をちぎってはまついにわたし、「さ、これで兄ちゃんの鼻の孔ふたしい、死ぬきわにはな、毒吐きよるねんから」おろおろ声でいうと、「まだ、生きてるがな、殺生《せつしよう》なことすなや」次兄、意外にしっかりした声でいって、台所に立ち、「まつい、塩ないか」塩は流しの下のカメに入っていたから、出そうとすると、まついの体においかぶさるように、次兄が倒れて、すでに息絶えていた。兄ちゃん、せめて塩水で口すすぎたかったんやろと、歯を磨く時のように、指に塩をのせ、布団にもどした兄の、唇にふくませようとしたら、ごぼっと血のかたまりがあふれ、鼻からも血が一筋流れて、これがつまり毒を吐いたのか、平静にながめて、恐怖感はなかったし、仏壇にむかい、経文|誦《ず》しつつすすり泣く母を不思議に思うほど、悲しみも感じない。  うちは、どっか抜けているのやろか、大人になって、ひょいと考えたほど、辛いことやいやなことに、いちいちこだわらず、楽天的といえば言葉はいいが、夜毎男に体の切り売りしていた時も、「まっちゃん、ちょっととろいのんちゃうか」あけすけに年上の女がいい、金払いのいい上客を新入りにとられて、いっこうに怒ることもなく、刃傷沙汰《にんじようざた》が起って、男衆まであわてふためく中に、まつい一人落着いていた。生れついてのものなのか、それとも育った環境のせいであるのか、他人にとっては天地ひっくりかえったような大事件らしいのにまついは特に心うごかされることがなく、そんないちいちびっくりすることないやんか、どないなったかて、しゃあないと、すぐあきらめてしまう。それはたとえば、小学校六年の春に、姉が男と出奔し、兄たちは、ふだんさほど、姉の将来に心くばっていたとも思えないのに、「くそったれ、探し出して男ぶっ殺したる」の、「大体が男好きにできてんねんわ、どこぞで淫売でもしよったらいちばん似合いや」めそめそ泣きつづける母をかこんで、しきりに話し合うのを、まついはむしろ不思議に思い、こんな家おったかてらちあかん、それより好いた男と一緒やったら、どんな苦労したかて、よほどましやんか。えらく大人びて考え、この姉もろくな星の下には生れなかったようで、身ごもったとたんに捨てられ、大きな腹かかえて家へもどり、眼は不自由でも昔とった杵《きね》づか、母の手で身二つになると、子供は母に預け明石《あかし》の芸者に身売りした。床屋職人として一人前になるより、遊びの味覚えて、素姓あやしげな知合いの多い長兄がそそのかしたもので、「勝手なまねしくさらして、傷もんがこの先きどない世渡りするいうねん」因果ふくめる兄の言葉に、姉は悲しみもせず、子供は生れて三月に入ったばかり、身売りの金を家へ入れるはずが、なにやかやいいたて、四分の一も兄は渡さず、となると、まったく荷厄介な赤ん坊を、それも産婆の知恵なのか、母はあっさり処分して、「人にいうたらあかんし、どの道生きてられへんねんから、はように楽させたってん」和紙を水にひたして、ちいさな顔にはりつける現場を、まつい見てしまったのだが、かわいそうに思うより、母の言葉に実感があった。  形ばかり高等小学校へあがり、だが、餅菓子屋、湯葉屋《ゆばや》、足袋工場、子守りと、親子二人食い稼《かせ》ぐことに追われ、三兄も酒、女の味覚えると、ほとんど家に寄りつかず、「なんちゅう親不孝者や、苦労して育てたかて何もなれへん」母はしきりに愚痴をこぼしたが、考えてみれば、いちばん貧乏くじひかされたようなまついは、誰を恨む気もない。姉は、花柳界が水に合ったようで、時に顔をみせ、「戦争なってからものすごい景気やねん、忙がしいてなあ」客に買ってもらったという時計をみせびらかし、母に小遣渡すようだったが、母はまたこっそりしまいこんで、米代の足しにも出そうとはしなかった、暮れに賃餅屋の手伝いをし、金のかわりにのし餅もらって、ただもう醤油をつけ焼いて七草まで飢えをしのぎ、足袋をつくりながら、自分は素足で、下駄一つ買うのもままならぬ。  同じ年頃の娘が、ひかえめながら紅《べに》白粉《おしろい》つけ、祭りや盆踊り、着飾った姿をみてうらやましいとは一切思わず、ほんま少し抜けてたみたいやと、まついは考える、自分は人とちゃう身分やと思いさだめていて、だから金一と思いがけず世帯をもち、しかもそろそろ女の終り、いや、鏡みるまでもなく、どう粧《よそお》ってもかくしようのない肌の荒れ、肉もたるんで、四十五歳の年よりふけてみえる今、人なみの身分になったことが信じがたい、金一とさしむかいで食事する時は、夢みているようだし、夕方の駅にたたずみ、家路につく人の波ながめつつ、うちにもかえる家があるんやと思うと、涙の出るほどうれしくなるのだ。敗戦の前の年、まついは軍需工場に働いていて、戦争がはげしくなるにつれ、世間は物資の不足に悲鳴あげたが、まついと母は逆で、乏しい配給もの買う程度には給料もらえたし、そして、配給の塩鮭や乾燥卵は、戦前、味わえなかった御馳走だった。姉は、やはり工場へ勤める男と、結婚して子供を一人産み、しごくまともにみえたが、亭主を戦地にとられ、なまじ派手な生活を知っていたから、愚痴こぼしにあらわれ、「子供預かってくれたら、また働くねんけどな、なんせ軍人さんの宴会ようけあるさかい、鑑札もたんかて、なんぼなと稼げるねんわ」謎《なぞ》かけるようにいい、だが、母はすっかりおとろえていて、その面倒はみられぬ。子供なんか産まんかったらよかった、どうせうちの人生きてかえるとは思えんし、ぶつくさいって、心底邪魔っけに三歳の男の子をひったて、姉のねがいかなったのか、秋に子供は腸炎で死んだ、形ばかりの葬儀に、もんぺ姿なら、祝儀《しゆうぎ》不祝儀いずれにも通用するから、まついも線香あげて、まるで寝入っているような子供の死顔をながめ、さすがに姉、眼を泣きはらしていたが、まついは、母の言葉を思い出し、はよ楽なってんから、ええやんかと、胸のうちにつぶやいていた。暮れに、ひょっこり姉があらわれ、「今な、ものすごい忙がしいねんけど、ちょっと手伝うてくれへんか、節電日だけでええねんけど」座敷に酒と料理運ぶだけで、一日当り三十円になるといい、まついが一月働いてもらう給料の三分の一、金がほしいわけではなかったが、客の食べ残した料理を土産に持ってかえれるとの言葉に、もうろくして食い意地ばかりはった母が、「そらな明石は魚うまいしな、お母ちゃんな、もういっぺん栗のきんとん食べてみたいねん」「そらなんぼでもあるよ、みなお酒のむから、甘いもんなんか手エつけはらへん」「そうか、残しはるのん」舌なめずりせんばかりに膝をのり出し、母と姉のやりとりきくうち、べつに親孝行というわけでもなく、気がうごいて、姉に従い、火曜日ごとの節電日に、汽車で明石の料理屋へ通う。昼間からやけくそのように騒ぎ立てる将校の宴会に、階段幾度となく登り降りして、膳を運び、たいていのことはなれているつもりだったが、深夜、家へもどると足がつって、欲も得もなく寝こみ、その枕もとで、土産の折詰を「こら蒲鉾《かまぼこ》やんか、うまいなあ」歯の抜けた口ぴちゃぴちゃ音させて、母が食べた。  正月四日間の休みは、姉の家に泊りこんで、お運びをつとめ、その四日に、「家へ帰っても寒いばっかしや、お上さん、ええいうてるから、今夜ここに寝かせてもらお」台所で後片づけするまついを、こっそり呼んで姉がささやき、女中部屋にでも寝るのかと思っていると、別棟の立派な座敷に、豪華な仕度が整っていて、「この部屋な、お風呂もついてんねんで、一緒に入ろか」姉の言葉に、まついもある予感はあった。工場で、工員たちの助平な話を耳にしていたし、男と女の寝る部屋について、漠然と想像していた、そのとおりの印象で、「お姉ちゃんも泊るのん?」「そらそうや、あんた一人ほっとくかいな」という答えに、無理矢理自分を納得させ、「ええ体してるな、まっちゃん」姉は、まついの裸じろじろながめて、「男好きするいうんかな、ぽちゃぽちゃして」腕や肩に手をふれ、ねたましげな表情だった。あれこれ妄想《もうそう》するより、疲れが先き立ち、すぐ寝入って、物音に目覚めると、すぐそばに敷かれた姉の布団に、頭が二つ重なっていて、はげしくゆれ動き、この時も息がつまるといったようなおどろきはなかった。断続する姉の息づかいをききつつ、身をすくめ目をつぶり、はじめて身近にする男女の営みだが、すぐまたねむりに入り、今度は、男のざらざらした肌を、いつのまに寝巻き押しひらかれたのか、乳房のあたりに感じて、頭ははっきり覚めているのに、抵抗する気がなく、やがて裾を分けて、男の固い指さきが肌まさぐりはじめても、じっと寝たふりを通した。  男は乱暴にまついを扱い、布団の上にあぐらをかくと、まついを抱きかかえ、こうなれば狸寝入《たぬきねい》りもならず、ふと眼に入った姉は、腹ばいになって煙草をふかし、しごく興味なさそうなそぶり、男は五十近い丸坊主の、いかにも軍人らしくひなた臭いにおいまつわらせ、壁にかけられた軍服の具合では、高級将校らしく、最後まで一言も口をきかず、やがてほうり捨てるように、まついの体布団に横たえると、裸のまま風呂へむかい、「なんやまっちゃん、もう男知ってたんか」と姉とがめるようにいう。はかられたという怒りも、汚された悲しみもなく、下腹部に残る痛みに耐えながら、まついは子供ができるのではないかと、それが気がかりで、女工の中には父なし児産んだのもいるし、堕胎しようとして出血がとまらず、大事となった話をきいたことがある、「赤ちゃん大丈夫やろか」ひょっこり姉にたずねると、「心配ないやろ、もう子種ないのちゃう、お爺さんやから」なにかにつけて子供扱いしていた姉が、一目おいたような口調でいい、まついは、自分がこれまで男をしらなかったことを、気づかれたくなく、将校がまた姉の布団にもぐりこんだのち、わずかにそまったシーツの色を、手ぬぐいしぼってふき清め、さすがに、暁方《あけがた》まで、寝つけず、これでお金がもらえるのなら、楽な商売だと思う気持があった。  この後、お運びはやめて、同じく節電日だけだが、将校に体を売り、姉はかつてなかった気のくばりで、まついの世話をし、自分の衣裳を着せ、白粉はたくにも手を貸し、 「お金は私が預ってるさかいな、うっかり家へもって帰って、お母ちゃんにばれたらぐあいわるいやろ」したりげにいい、「そやけどな、工場なんかで働いててみ、いつ爆弾でやられるかわからんし、戦地へいく軍人さんよろこんでくれはるねんから、いうたらお国のためや、飛行機つくるだけが能やないわ」姉つけくわえたが、まついはどうでもよく、自分のおかれた環境、あるいはさだめにさからう気がまったく抜けているのだ。息|荒《あらら》げ、男が自分の体の上で身悶《みもだ》えするのを、薄目あけて見守りつつ、恥かしいことしている実感などまるでないし、また、昼間工場で女だてらに旋盤ととりくむときは、ひそかに体売っていることを、けろっと忘れていて、やがて二十年の春、空襲がはげしくなるまで、この生活が続いた。  姉の家が焼かれ、姫路も焼夷弾《しよういだん》の洗礼受けたが、まついの住いは残って、姉と同居、配給もとどこおり勝ちとなり、闇にたよる他なかったが、預けたはずの金をおくびにも出さず、姉は芸者時代の着物を米にかえると、自分一人釜をわけて炊き、終戦直前に、母は栄養失調で死んだ。「どうせ、うちの主人もどこぞで戦死してるわ、うじうじしてたら、餓死してまうで」戦争が終って一週間目に、姉は、明石の料理屋主人をたずね、どう話まとめたのか、「なんし、今は食物がいちばんやで、このままいったら何百万いうて腹減らして死ぬいうやんか、田舎で稼ぐのがいちばんや」一人で万事のみこみ、行列して切符二枚買いこむと、朝早く大阪までまず出て、夕方まで待ち、北陸線にのりこみ、翌日の昼過ぎ、新津《にいつ》に着いた。立ちづめで降りたとたんまついは脚がつってホームにしゃがみこんだが、姉はすぐあたりに眼をくばり、地下足袋はいて恰幅《かつぷく》のいい男と、二言三言しゃべり、待合室へ入りこんで、まついは、新津がどのあたりなのかも見当つかぬまま、色のちがってみえる空をぼんやりながめ、焼けてないから、顔つきまでのんびりしてみえるホームの人混み、陰気な駅構内の建物を、珍しいもののように感じて、「ほな、この方におまかせしてあるさかい、味善《あんじよ》うたのみますわ、何も心配いらんねんから、白い御飯もたんと食べられるし」姉が、男ひきあわせて、子供さとすようにいう言葉も、なにやら上の空。  自分の家と、これ以後縁が切れ、いや、あの姫路の家でも、うちの家いえたのやろか、そこで暮している時は、さほど苦にもしなかったが、貧しいのはしかたないとして、肉親の情にはてんから縁がなかった。みんなに利用されるだけで、姉は新津の娼家《しようか》に、千二百円で売り渡したのだし、二人の兄は、母が死んだって、連絡しようにも居所さえわからぬ。お母ちゃん産婆長いことして、何百何十人とり上げたなんかいうてたけど、自分の産んだ子供には恵まれんかった、新津にいて客をとるうち、丸二年経つと、条例で娼家は廃業させられ、近くの温泉で働かぬかとさそわれたが、まつい冬に降る雪が、内海育ちだけになじめず、貯え一文もないまま大阪に出て、焼跡と糞尿《ふんによう》の臭いしみついた駅構内に降りて、さて行く当てもなく立ちつくすうちすぐ男に声をかけられ、結局生きるためには、これしかない。支那《しな》からの引き揚げだという男は、五十円の金を払っただけで、三日三晩まついを抱き通し、はじめは外地でいかに羽振りがよかったかという自慢話から、まついの身の上ききただし、正直にいうと涙さえ流して、「気の毒にね、しかし新規まき直しだよ、ぼくも身寄り誰もいないし、これも何かの縁じゃないかな、君さえその気なら」と調子よかったが、三日目の夕刻、一泊七十円の宿をふらっと出たままもどらず、「べつに金で払うてもらわんでもよろしねんで」途方に暮れたまついに、宿の主人がいい、二枚持っていた着物を、宿代がわりにとり上げられた。地理不案内ながら、町角に男を待つ女の姿があって、これにならい、後で思えば天六の近く、パンパンの身を恥じるわけでもないが、ようやく盛り場はイルミネーションなど飾って、その灯のとどくあたりでは客をひきにくいから、焼跡の中にたたずむうち、ふいに三人の女にかこまれて、「誰にことわって商売してんねんな」「お前ちゃうんか、枕探しするいうのんは、えらい迷惑やで」口汚なくののしりつつ、木の枠《わく》に帯芯《おびしん》でつくったバッグをあらため、小銭だけと知ると、今度は突きとばされ、蹴《け》り上げられて、「二度と顔出してみい、焼火箸《やけひばし》つっこんだるで」これだけがたよりの服を破られ、体の節々痛んだが、涙も出ず、強情負けずぎらいというよりなにより、あきらめが先きに立つ。暗い道をえらんで、あてもなく歩き、橋に行き当って、川の流れ見入るうち、「姉ちゃん、買うで、MJB半|封度《ポンド》五百円、ハーシーココア三百円、ドルももらうで」ひさしのある帽子あみだにかぶった男が、早口でいい、「なんや、商売してるのんとちゃうんか」しげしげと見直して、ただならぬ具合に気づいたか、「喧嘩《けんか》したんか、あかんで、ほんま近頃の女気イ荒うてかなわんわ」煙草すすめつつ、「ヤサないんか」ヤサがわからず、まだだまりこくっていると、「俺とこくるか、わるいようにはせんで」気弱そうにいった。  男は通称常やんと自己紹介し、GI相手の娼婦から、その枕金がわりにもらった煙草チョコレートなどを買い、闇市に流すブローカーで、森小路《もりしようじ》にアパートを借りている、「あんた食べさすくらいどういうことない」男が下心もなく近づくはずはない、いや、体が欲しいというのは下心のうちに入らず、さらに利用されるのではないかと、まついも知恵はついていたが、アパートに従い、すると思いがけず六歳になる小児麻痺《しようにまひ》の女の子がいて、「女房、逃げてまいよってん、なんし、ぼく出歩くこと多いやろ、面倒みられへん、というて、かもうてたら親子ひぼしなってまう」母親がわりとはいわんけど、飯と|しも《ヽヽ》の面倒だけみたってくれんか。藪《やぶ》から棒のことで返答できず、女の児はほとんど歩行不能に近く、常やん外出の際はおしめを当てて、せめてものしのぎにするという、「この商売やっぱしやばいからな、万一パクられでもしてみ、どないもなれへん」つくづく歎息して、「できるかどうかわからんけど、うちも行くとこないし」まついの言葉をきいて、常やんとび上り、「ほんまか、すまんなあ」すぐいそいそと立ち上り、昨夜の残りものらしいすき焼きの鍋《なべ》を、電熱器にかけ、「よかったなあ、姉ちゃんおってくれるて」女の児に箸で食べさせた。  女の児は、言葉もさだかではなく、赤ん坊と同じで手間はかからなかったが、常やん、一つ部屋に寝ながら、娘をはばかるのか、手を出さず、まついは、二年ぶりに男に抱かれぬ夜が続いて、すると思いがけず、無性に男の肌が恋しく、商売している時、まついは他の女の話をきき、自分が欲望にはうすい方と決めこんでいたのに、昼間から苛立《いらだ》ち、ふと男の体臭をかぎ当てたりすると、誰かれかまわず抱きつきたくなる。女の児にかかりっきりのわけでもないから、千林《せんばやし》の商店街をほっつき歩き、金が欲しさに男さそう時は、ためらいを感じないが、ただ抱かれたくて、声かけるのは勇気がいって、映画館で学生の隣りにすわり、人工甘味の汁粉と寒天を出す喫茶店で時間つぶしても、いっこうきっかけをつかめぬ。常やんの朝、三百円置いていく金があれば、三食楽に食べられ、いっそこれがなければと考えるが、いい出せるものではなく、二週間いて、まついはアパートを逃げ出した。金で体を売らずに、いられなくなったのだ。  不義理したことにはちがいないから、大阪に居にくくて、神戸へ向かい、ダンサー募集の貼紙《はりがみ》をたよって、三宮《さんのみや》近くのバアへ勤め、新津にいる時、楼主《ろうしゆ》が新興宗教の信者で、その宗教はダンスにより、人と人和合することをすすめ、半ば強制的にならわされたのだ。せまいフロアーで、ステップもリズムもあったものではなく、下半身すりあわせて、意気投合すれば、布引《ぬのびき》あたり焼け残った旅館へ同伴する、あいまいバア。まついの望みはすぐかなえられ、マスターは、まついがダンスに巧みであると見ると、同じく経営する進駐軍専門のクラブへうつるようにすすめ、その気があるならアパートの部屋も無料で世話するという。  夜は客と旅館に泊り、定ったねぐらを必要ないまま、もたないでいたから、アパートの魅力にひかれて、ウエストキャンプそばのクラブは、表こそバラックまがいだが、中はミラーボールがまわり、バンド演奏も二交替でたえまなく、この頃としては豪華な雰囲気《ふんいき》。はじめて近くにみるアメリカ人に、英語などワンツースリーしか心得ないが、臆することもなく、油っこい体臭にもすぐ慣れて、アパートはクラブに勤めるダンサー専用、各室にトイレットとシャワーがあり、ベッドも備えつけ、一定のドリンクを超えると、ダンサーを連れ出すことが出来て、つまり、アパートであわただしく情を交わす。言葉が通じないから、はじめ勝手がわからず、怒り出すGIもいたが、同僚はみな親切で、手順を教えてくれ、半年すると、けっこう日常の用を英語で足すことができた。昼は、クラブの残飯の唐揚《からあ》げ、これは拳《こぶし》ほどの大きさだったが、それに丼飯《どんぶりめし》で、夕方、やはり同じ経営者の中華料理屋から、定食が運ばれ、ダンサーの中には、こまめに自炊するものもいたが、まついは茶をわかすこともせず、また、それぞれつくりつけの道具以外に、調度を整え、壁に絵を飾ったりするのに、まついの部屋は、空家同様の殺風景さだった。  朝鮮で戦争がはじまると、GIたちの気が立って、それだけ金使いが荒くなり、いつ死ぬかも知れぬと思えば、かりそめにしろ支えが欲しいのか、結婚申しこむものもいて、一人、二十一歳になったばかりのGI、除隊したらアメリカへ連れていくと、連夜通いつめ、まついはふと、日本人相手ではとてもかなわぬ夢だが、アメリカ人ならと、いくらか心が動き、しかし、GIの、安心させるつもりでみせた家族の写真、父は消防署長で、母が学校の先生という、そのいかにもなごやかな姿眼にしたとたん、すぐあきらめ、手のとどかないというより、まついの手をのばしてはいけない世界の住人と、わかるのだ。ダンサー仲間とつきあわず、衣裳に凝るでなし、情夫つくることもしない、さぞかし金がたまるだろうと、噂《うわさ》されていたが、まついほとんど身につかず、それは淀《よど》、阪神の競馬場に年に、五、六度だがでかけ、有金残らずはたいてしまうからで、はじめ、GIに連れられて出かけ、ビギナーズラックにも恵まれなくて、すってんてんにとられたが、むしろ、自分の賭《か》けた馬が、先頭集団からはるかはなれて、とことこ走っていると安心でき、もちろん予想紙もパドックの毛艶《けづや》もみない。気まぐれに買って、その番号の馬だけを双眼鏡でおい、たまにまぐれで配当がつくと、心がざわついて、そのまままた馬券に替え、競馬場をはなれ、電車にのる時千円以上残っている、という奇蹟は一度もなかった。男に抱かれるために、金を受けとりはするが、その金をどう使っていいかわからず、ゴールへとびこんだとたん、鼻紙にもならぬ紙きれにかわってしまう、その空しさにひかれたといっていい、金で何かを買い、それが喜びにつながるとわかったのは、金一と世帯もって以後のことだった。  講和条約の前後から、GIの姿が減り、クラブは日本人向きに方針をかえて、ダンサーも、えてしてGIとつきあっていた女は、日本客をあなどるから、全員解雇され、大半は佐世保《させぼ》、三沢、横須賀に流れたが、まついは福原|遊廓《ゆうかく》に入って、つい枕交わしつつ、英語のつぶやきを洩らし、すると、客はまごう方《かた》なき日本人であるのに、GIの女を横取りした気になるのか、にわかに荒々しくふるまい、通称ハニーと呼ばれて、けっこう人気があった、二年ここに勤め、内海汽船の船員や、製鉄会社の工員が、結婚話もちかけたが、すでにまつい二十九歳で、同じ年齢でも、たいていは「うちもはよう主人みつけて、身イ固めんと、こんなとこ長うおるとこちゃうもんな」お茶ひいた夜、ふと真顔でいい、その大半は、以前|同棲《どうせい》していたり、情夫を持った経験があった。まついには、特定の男と、同じ屋根の下に住むなど、思ったことさえなく、ただし福原遊廓は、町のまん中にあって、朝客を送り出し、戸口に出ると、職場にむかう人の列が、すぐ横の道を通り過ぎたし、三時に風呂へ入り、化粧して客の到来待ちうける頃、逆の方向に人波がむかう、およそ家族|団欒《だんらん》の記憶はなかったが、家へかえりよんねんなと考えただけで、時にすきま風が胸を吹き抜ける。  二十九年の終りに、飛田へ移り、それは福原が遊廓から浮世風呂に模様替えはじめ、「なんやのけたくそわるい、お客を風呂に入れて背な流すんやて、三助やあるまいし」同僚がふんがいして、店替えするというのに従っただけ、飛田で売春防止法をむかえたが、ある時常やんが客としてあらわれ、向うは気がつかなかったが、まついすぐとわかって、もう十年近く前のことになるから、自ら名乗り、すると常やんも思い出し、「あのおじょうさん、もう大きならはったやろね」たずねると、まついの去ったすぐ後、アパートが火事になり、娘は焼け死んだという、「かわいそうなことしたわ、それで、ぼくもう何もかもいやなってな、ブローカやめて、行商やったりセールスしたり」ポケットから名刺をとり出し、「今まあ、なんとかかっこついてんけど」常やん、鶴橋で朝鮮料理屋を営み、「梅田の方にな、進出しようと思てるねん、近くへ来たら寄ってんか」常やんに抱かれながら、まついは燃えさかる焔の中の、娘の姿思い浮かべ、「早う楽なった方がええねん、生きとったってろくなことならへん」母の言葉が空耳に伝わる。  三十四歳の春に、飛田は閉鎖、若い娼婦はアルサロに身を寄せ、神戸が取締りゆるいといわれれば、三宮|神崎《かんざき》に住み替え、まついは楼主に紹介され、京阪千林駅近くの、あいまい飲み屋に移った、泊ることはできないが、ビールとつまみで九百円のセット二つ注文すれば、三十分だけ遊べるというシステム。女は客一人について八百円の手取り、やくざがとりしきっていて、その一劃《いつかく》四十人ほどの女がいたが、すべてひもを持ち、まついだけが自由だった。一年たたぬうち手入れを受け、まついはじめて警察で事情聴取され、「おばはんええ加減にしとけや、ええ年してからに、亭主おらんのんか」刑事は、生活苦からの売春とみて、あれこれたずね、「亭主なんかいてしません」「逃げられたんか」「持ったことないもん」「子供は」「おりません」うちは、男に抱かれておまんま食わしてもらうよりしゃあないねん、他《ほか》になあもでけへん、いちいちびっくりしたようにうなずく刑事と向き合ううち、急に心がくじけて、客でも抱え主でもない男と、こんなに長く話しこんだのは初めての経験、子供のようにしゃくりあげつつ、「どないせえいいまんの、おめこより他でけへんのに」「まあ、待っとれや」閉口して、刑事廊下に出ると、入れちがいに親子丼がとどき、すでに夕刻で、ストーブくべるのか、石炭の臭いがながれ、なつかしい気持になる。たしかにこの臭いをかいだことがある、それも、何の心配もせんでええ、ぬくいぬくい場所で。記憶まさぐろうとして、とりとめなく、ただ、今のみじめさだけが身にしみ、こんな経験もついぞなかった。 「あんな、まあ、そう金になるいう仕事とちゃうけどな、飯ぐらい炊けるねんやろ、おばはん」まついだまってうなずき、「守口《もりぐち》の方に道路工事の飯場あるねんけどな、そこの旦那、防犯協会のえらいさんや、飯場いうてもおとなしい土方ばっかしで、その飯炊きいうんかな、世話したったらへんか」「できるやろか」「できるできる、おばはんの前歴なんか誰も知れへんし、そこでええ男みつけられるかもわからん、まだ、色気たっぷりやないか」刑事が同道して、えらいさんに引きあわされ、飯場はバラックで、まついはそれよりなお貧弱な炊事場洗い場いっしょになった一棟の、板敷きに住みこむ。すぐ布団が運ばれ、でかい目覚し時計が唯一つの道具、「朝五時に起きて飯炊くねん、現在人員二十六名やさかい、五升ほど先きにかしいで、すぐ弁当分にかからなあかん」監督が、米、味噌、野菜のありかを教え、翌朝、起きるには起きたが、水加減がわからず、炊き上ってまだ芯《しん》が残り、水を加えると、粥《かゆ》の如くなり、しかし、土方は文句もいわず、みな入れ墨のある男たちだが、気はやさしかった。はじめて男のために心くばりする気持が起り、それをどうあらわしていいかわからず、味噌汁つくるにも、魚煮るにも、土方の方がはるかに味つけ上手で、常に一人か二人、怪我病気で休んでいる者が手伝い、「どうもすんません、うちほんまあかんたれやさかい」感謝の気持でつい手をにぎりしめ、「なんや、飯は炊けんでも、男は料理しよるんか」にやっと笑って、まついの布団に倒れこむ、すぐ噂《うわさ》となり、「おばはんいっちょやらしてえな」飯くばる時に体のあちこちさわられて、「いやらしわ、助平」嬌声《きようせい》をあげ、小娘のようにはしゃいだ。激しい労働のせいか、土方たち、もどると酒を飲みすぐ寝入って、夜ばいする者はなかったが、常に空咳《からぜき》をして休み勝ちの若い土方が、いわばまついの男になって、まついは他とくらべれば弱々しくみえるその男に、次兄の面影を重ねて、「気いつけなあかんよ、血イ吐くようなったら、おしまいや」熱っぽい額に唇をあて、男は乳房まさぐって、「そばにおってくれたらええねん、やわい体やなあ」いちいち確める如く指をはわせ、「どないしてもええんよ、あんたの好きにして」いつになくまつい昂《たか》ぶって、「おばはん、裸みしてくれへんか」いわれるまま、師走の風の節穴から吹きこむ中で着物を脱ぎ、「きれいやわ、どうもおおきに」男涙を浮かべていった、この飯場は、刑余者ばかりを集めていて、男も勤め終えたばかり、その前は少年院で、「なんや、お母ちゃんみたいな気イするわ」「うちなんか、そんなもったいないで、あんたのお母ちゃんもっとええ人にきまったる」「淫売やってん、カマのドヤでな、俺七つの時死んでもたけど」  まついの男が、月のうち半分以上寝こむようになると、えらいさんは「慈善事業やってるゆとりないねん、病人は病院へいてもらおか」追い出し、「おばはんなあ、人のもんやおもて、あんまし気前よすぎるで、味噌なんか色つけるだけでええねん、味つけは塩でせんとな、経済とれへん」まついにも当った。この飯場に半年いて、道路が完成すると、そっくり山奥へ移動したから別れて、飯場飯炊きの口はいくらもあり、いくつか転々として、飛田がアルバイトサロンとして復活したと、話にきいても未練はなく、男たちの食事や簡単なつくろいもの洗濯など、身のまわりの世話をやいていると、一日がたちまち過ぎ、しかし、仕入れはすべて帳付けが受けもち、あれこれ見つくろって材料買いこむことはなく、また、古材木おっつけただけ、窓一つ開かず、入口に雨戸立てかけ、なわで倒れぬようにとめる飯場は、家ではなかった。昭和四十一年の暮、団地建設の飯場で働くうち金一を知り、電気工夫左官タイル工水道工事屋と、雑多な流れ者の集まった中で、金一はこの頃、台所にビニールタイル敷きつける作業員で、柄もちいさいが、夜になるとみな賭博《とばく》に興じ、給料もらえば、盛り場に押し出す中で、いつも一人群れから離れ、ポケットウィスキーの瓶《びん》をかかえこんでいた、まつい何気なく夜の食事の残りを「こんなん肴《さかな》になるか」さし出すと、顔を赤く染めてどぎまぎし、「どうもおおきに」少年のように素直で、特に心にかけたわけではないが、煙草の切れたらしい時、長いのをよりわけてとっておいた吸殻をやり、「洗濯もあったらいうてね、少し洗うのも、ようけもかわりないねん」たずねると、「いや、よろしわ、ぼくなれてますねん」ひどくあわてて汚れた靴下、下着をかくし、やがて、どうも自分の姿を、しつこく追うようなその視線を感じて、わざと眼をあわせると、おもしろいように照れ、少しかわってる人やなと、なにしろ十二歳年下なのだから、自分を女としてみているなど想像もつかぬ。 「あんなあ、おばはん」ビニールタイルの仕事が終ると、わずかの荷物片づけながら、「ぼく、あんまし、人と一緒に働くのいややねん、チビやし眼もわるいよってな」車の運転の他に、一人仕事というのはすくなくて、ビルの窓ふきも二人が原則。まついにも心当りなく、監督にたずねると、台に乗って窓をふく時は二人だが、段になっていたり、傾斜している壁の窓は、命綱をたよりに一人でやる、「まあ、張り出しあるから、危い仕事でもないけどな」金一のりきになり、ビルの窓掃除も大手清掃会社がまず請負って、下請けに出す、その飯場にもぐりこみ、仕事が終ると、まついのもとに遊びに来る。「散歩せえへんか」「散歩?」びっしり立ちならんだ団地は、造園植樹中で、飯場に残る者もすくなく、まつい暇だったが、散歩するなど、これまで思ったこともなく、「ちょっと歩いたら、丘なっとってな、ながめええよ」ズボンに汚れたエプロン姿のまついを、まぶしそうな眼つきでながめ、まつい部屋へとってかえすと、ちいさな行李《こうり》から、まだしも色どり派手やかなスカート、セーターに着替え、「もうすぐここも引っこしや、お別れにみとこか」浮き浮きいって、団地のまあたらしい建物の間を歩き、「ぼくら、いつまでたってもこんなアパート入れへんなあ」金一は、悲しそうにいい、「そんなことないわ、いまにええ奥さんもろて」「あんなあ」「この団地陽当りようて、ええなあ」暮れなずむ空まついが見上げると、「ぼくと結婚してくれへんか」金一ひきつったような表情でいい、「あほいいないな」「ほんま、ぼくおばはん好きやねん、わかってるやろが」「好きやいうたって、うちもう四十三やで」「年なんか問題ないわ」「こんなお婆《ば》アやのに」「ぼくな、やさしいことしてもろたことないねん、おばはんだけや、おばはんのそばおったら、なんや安心でけるねん、ぼくな、ちょっとやけど、貯金もあるし」「あんた、本気なん」「本気や」金一は、今度臆さずまついの顔をみて、斜視のせいか、ひどく思いつめてみえ、この人ほんまやわ、うちと結婚する気イやねんわ、「すぐいうても、無埋やろうけど、ぼく、部屋も探しとくし、いろんなもん、家の中要るもんは、あんたと一緒に買うたほうがええな」  二週間後に、金一は部屋が決まったと報告にきて、「そうか、どないしょうな」「おばはんもみてくれや」「うち、わからへんし」「もうここ引揚げやろ、ええしおやんか」具体的にすすみはじめると、金一の方が積極的にしゃべり、まついはおどおどするばかりで、元物置小屋ときかされても、きちんと閉まって鍵《かぎ》のかかるドア、黒いへりのついた畳をみると、「うち、どないしよう、こんなええとこ住まわれへん」足ふみ入れるのも怖ろしいように、立ちすくんでいた。同棲して半年たち、どうにか家にはなれたが、金一が、自分を妻として、本当に考えている、家へもどるとホテルの窓ふきながら眼に入ったあれこれ、市内に降る雨は黒い色をしていてなかなか落ちないこと、自動車は横からみるより上からながめた方が、恰好いいなど、話してきかせ、TVの画面ながめれば、まったく知識のないまついに、歌手俳優の名を教え、まついはただ夢のようにうっとりしてしまう。母からも、兄弟、もとより何千人と枕かわした男の誰一人、こういうしゃべりはきかせてくれなかった、十二歳年のちがう先き行き考えるゆとりはなく、今日ただいまが嘘みたいに幸せだった、そのおかえしに、金一のために、なにをすればいいのか、夜抱かれながら、金一のことばかり気になり、いや、うっかり自分がよくなっては、申しわけないように思って、常に覚めたままほんのささいな指の動きにも、心をくばり、果ててぐったり横たわった金一を、おろおろとなでさする、いっそ病気でもしてくれたら、自分の生命《いのち》にかえても看病するのに、もし、血イ要るねんやったら、全部でも上げるのに、枕カバーにおちた金一の、一本の抜毛さえいとしく、膝にのせて、捨てかねる。  この頃、まついは生理がとまり、いよいよ更年期なんかと、気にもとめず、そのうち吐き気がして、食欲がまったくなくなり、金一には相談できかねて、大家の若女房にいうと、「そら奥さん、妊娠しはったんちゃいますのん」「妊娠でっか?」「そんなおかし顔せんでも、御夫婦やったら当り前やないの」「そやけどうちもう四十三でっせ」「珍しいことありませんわ」自分で四十三といったとたん、母を思い出し、数えでいうと、同じ年や、母が自分をはらんだのも。若女房につきそわれ、産婦人科を訪れて、内診台をみたとたん、神戸でダンサーしている時、性病がうるさく、週に一度検査うけたことを思い出し、たじろいだが、「はい、どうぞそちらでおしたくしてもろて」看護婦のやさしい声にすくわれ、「おめでたですな、四カ月に入ったところ」ただし、高年初産だから、いろいろ注意しなければならない、まついには理解しにくい言葉を医者がならべたてた。  金一さん、子供好きなんやろか、うちは、やっぱし産みたい、こんな年になってできるなんか、吉凶思いわずらう気はなく、ただ金一の気持が心配で、医者の「おめでた」といった言葉が耳にこびりつき、これまでまつい自分にいわれた覚えがない。おめでとういわれるのが、こんな気持いいこととはついぞ知らず、「よかったねえ、奥さん」はるかに若い大家の嫁にいわれても、しごく素直にうけとれる。  金一の前に出ると、ただでさえ口がきけなくなるのに、この大事うち明けるなど、到底不可能で、万一子供をきらいといわれたら、それならおろせばいい、だが、子供はらんだ自分まできらわれたら。妊娠までは、金一がはなれていっても、それは、仕方がないことと、まずあきらめていたのだが、今はちがって、かけがいない男、もし金一にきらわれるなら、いっそ死んでしまおうと、はっきり自分の気持がわかり、TVで子供が登場すれば、ながめるその表情から、吉左右《きつそう》判断しようとし、思いきって、若女房の三歳になる子供を抱き、金一にみせてもみる、「チョッチョッ」犬でも呼ぶように、金一お愛想をしたから、「子供好きなん?」「好きいうこともないけど、なんしようわからん」「うち、欲しいわあ」「欲しいて、貰い子するんか」きょとんと金一がいい、まつい子供抱いたまま泣き出して、「どないしてん」「貰い子なんかせんでも」うちややできてるねん、消え入るようにいい、すると金一は、「ほな、籍入れんならんな、正式に」あまり、おどろきもせずぼさっといった。  新津への転出届けを出したまま放置してあったが、姫路へ戸籍問い合わせると、すぐわかって、枚方市へ二人の本籍をうつし、「これでどっからも文句いわれることない夫婦や」金一も満足そうにいい、「そやなあ」まつい、法律で身分を保証されるなど信じられず、インクがにじみ、紫色に染まった抄本をいくどもながめ、わからない字が沢山あったが、夫杉上金一、妻まついさえわかればいい、「乳でるんか」「そら出る思うけど」金一、にじりよってまついの胸もとはだけ、乳首を吸った。  四十二年六月に、男の子が生れ、兎唇《みつくち》だった、「二、三カ月経ったところで、手術しましょう、ほとんど傷跡も残りませんよ」医者はこともなげにいい、金一の心配していた乳は豊かに出たが、これでは乳首吸わせることができず、さじで与えて、風邪ひき易いというから病院に預け、まつい一人部屋へもどったが、一度病院に顔みせただけの金一、昼日中からしとど酔っていて、「すんません」とてつもない失策しでかした如く、あやまるまついに、「かまへん、かまへん、兎唇がどないしてん、なにもおどろくことない」常なら赤い顔色が、蒼《あお》く冴《さ》えていて、「わしの方がわるいねん、遺伝やわ、わしの父親兎唇やってん」思いがけぬことをいい出し、これまで自分の境遇について、語らなかった金一だが、「わしのお父ちゃん、葬儀自動車あるやろ、あの運転手やってん、あれやったら、人に顔合わさんでええし、帽子とって、お辞儀するだけや。なんし知らん人は、父親のしゃべりきいたかて、何いうとるかわからへんねん、フガフガいうてな」それが、戦争はげしくなり、葬儀自動車も数少なくなって、失業。徴用されるのがいやで、ラジオの修理屋になった。「店出す金ないからな、注文とって歩くねん、お母ちゃんが口上いうわけや、ラジオのこわれたん直さして下さい、雑音きこえるラジオ、カンカンにきこえるようしまっせいうてな」町中では商売にならないから、地方をまわり、神社の境内のすみっこにゴザ敷いて、父親は集まったラジオこねくりまわし、「そやけど、そう腕あったわけちゃうねんな、人と会わん商売考えたあげくの、苦しまぎれやろ、よう知らんけど、ラジオ直すのんは、抵抗器一つはずしたったら、当座はよう聞えるらしいねん、そのかわり機械いかれてまうけどな」だから、同じ村には足ふみ入れられなくて、ずい分遠くの方まで出かけ、小学校へも入らぬ金一、その間一人で留守番をしていた。「そのうち、おかん男つくって逃げてまいよってん、戦争敗けてからやなあ、おかん闇市に出て芋パンなんか売っててんけど、そらフガフガの亭主と子供抱えて、こらあかんおもてんやろな」残された二人、路頭に迷い、父親は焼跡整理、道路工事の日雇いに出て、夜、労務者加配米を弁当につめ持ちかえり、金一の小学校三年の時、メチールにあたって死んだ。「それからまあ、いろいろあったわ、わしは、兎唇やいうてきいたとたん、父親のたたりとおもてな、そやけどわし、なにもわるいことしてえへんしな、たたるんやったらおかんのとこやろが」酔いから覚めて、静かな口調になり、まついにすがりつく、「かわいそうやってんねえ」まつい、金一の頭をなで、思いついて、乳首を与える、「よう出るんよ、お母ちゃんのお乳やおもて飲み」金一、赤ん坊の如く、音させて吸いつき、まつい痛さに顔しかめつつ、なお、膝にかかえこんだ。  一週間近く、金一は勤めをやすみ、「昔とは全然ちごて、なんでもないいうし、先生にきいたら、遺伝ともちゃういうてはったよ」まついの言葉に、ようやく気を取り直し、大家の若女房には、未熟児といつわって、毎日まついは病院へ通う、新生児収容した部屋の廊下で、いかにも楽しそうに、若い男とその母親が語りあい、硝子《ガラス》ごしに、びっしりならんだ赤ん坊の、あるいは泣き、ねむりこけた姿がみられ、二カ月の辛棒や、そしたら、ふつうの赤ちゃんと同じになる、乳も吸うし、大家の奥さんにかて、大威張りで自慢できる、目方は一貫近くあって、大きな赤ん坊であった。病院の隣りに公園があり、そこにも若い母親が、群がっていた、まついは、やたらと赤ん坊が目について、これだけようけいてるのに、なんでうちの子オだけ災難負わんならんのか、ひょいと、世界中の子供、みな兎唇になればいいと思う、スーパーへ出かけても、また夕刻の駅にも、赤ん坊がいて、赤ん坊見たとたん以前のあの充足感はまったく失われ、手術の日が近づくにつれ、金一はしとど酔ってもどるようになり、「かまへんで直らんでも、ちゃんと立派に育てたる」陽気にいうかと思えば、「わしがひんがら目で、子供は兎唇か、よほどなんかに呪《のろ》われとるらしいな、おはらいしてもろてこうか」沈みきって考えこみ、翌日は二日酔いで、起そうとするまついに剣突《けんつ》くくわせ、「あほ、こんなふらふらで高いとこ登ってみい、おちてまうで、俺殺す気イか」また布団かぶって寝てしまう。  手術がすみ、縫い跡は赤く目立ったが、すぐ消えるといわれ、誕生後二月半目に、名前を公一とつけた赤ん坊がやってきて、「みてみ、あんたにそっくりやんか」まついはしゃいでいったが、「そっくりやったら、斜視やないか」金一は疑い深く観察し、斜視ではなかった。手もとにあれば、まついは兎唇など気にならず、朝から晩までかまいっきりで、時間の経つのを忘れ、日一日と赤い筋はうすれたから、なお有頂天で、ひきかえ金一は押しだまっていることが多くなった、「父親かてな、傷はそうみえんかってんで、話するようになるまでわかるかい」そっけなくいい、夜中に泣き出すと、「なにしとんねん、母親やろ、ちゃんと世話したりんかい、わしの仕事に寝不足はあかんねん」わざとらしく耳をふたぐ、まつい表に出てあやし、何をいわれてもあまり気にならず、立派に育て上げる自信があった。  公一が、はいずって歩くようになり、片言ながらつぶやいて、それは決して不明瞭なものではなく、医者も太鼓判押していたから、ますますまついは充ち足りて、一時、焦《じ》れていた金一も、なれたらしく、公一のしぐさじっとながめては、一人笑い出したりしていたが、雨の日に、三階から脚を滑べらせ、地上にたたきつけられて両脚を複雑骨折し、全治半年の重傷を負い、組合にも保険にもたよれず、公一の手術費用支払った後だから、無一文に近い。入院治療費は、体面重んずるビルの管理者が引きうけたが、さしあたっての生活費に困り、せっかく買い集めた家具調度、二束三文に売り払い、しのげたのは十日余りで、まつい、かえらぬことながら、競馬で金散財していたのがくやまれ、残る方便は一つしかない、公一を背負い、天満《てんま》の病院へ金一をたずね、「なんか罐詰《かんづめ》ないか、ここの飯まずうて食えへんねん」雑誌、煙草、ケーキと、子供のようにねだって、貯えのないことなど、てんから気づいていないようだった。「そないいっぺんにいわれても忘れてしまうわ」にこにこ笑いつつまついは金一を安心させ、京阪電車千林で降りて、かつての一劃たずねたが、まったくおもむきかわって、洒落《しやれ》た喫茶店、バアが立ちならび、ショウウィンドウにうつるわが姿は、みる影もない四十三歳、しかも乳児ひっちょって、いかに金一のためや、公一にベビーフード買《こ》うたらなあかんといいきかせても、急ぎ足で駅から吐き出され、道を流れていく男に声かけられず、十時までうろついて、腹が減ったからラーメン屋に入ると、六十年輩ジャンパーはおった男がTVに見入り、他に客はいないから、「旦那はん、遊びはらへん」せいいっぱい媚《こび》をつくり、「なんや、子持ちのパン助か」あたりはばからぬ声でいい、「なんぼや」「思し召しでええんですけど、主人怪我しまして」「ええええ、しめっぽい話きいてもしゃあない」運ばれてきたラーメンものもいわず、一気に食べると、「表で待ってるわ、一ケでええやろ」いい捨てて出た。  十メートル離れた電柱のかげで、男は煙草くゆらせ、まついを見ると、指で右へ入る路地をしめし、まつい従って、暗い道を歩くうち、荒れ果てた塀《へい》があって、そこは寺だった。なんや、あの人坊さんやろか、一瞬考えたほど、勝手知った足どりで、だが、行きずりに拾った女を、わが寺へひきこむ坊主もいるまい。怖る怖る石塔のならぶ暗闇をすすむと、「ここでええやろ」男はすぐスカートをたくし上げ、「ちょっと待って、この子寝かせるから」アオカンはGIといくらも経験あったが、いかにもせわしないからおどろき、「そのままでええねん、後向いて」まついを腰高のまま、石塔の花立てにつかまらせ、すぐ息をはずませて、年のせいかいっかな果てず、公一泣き出したが、それになおそそられたかの如く、まついを責めさいなみ、ようやく男がはなれた時、まついよろめいて、膝を石塔にぶつけた。「ほな、千円な」始末するものがなく、公一のおしめでぬぐうまついに、男は札一枚渡すと、さっさと消え、呼吸ととのえて、まつい外に出ようとしたが、闇はなお深くなっていて、さんざ墓の間を歩きまわり、枚方への最終電車に辛《かろ》うじて間に合った。  翌日、約束の品を金一にとどけ、すると金一は眼をかがやかして、「あんな、生活保護いうのあんねん、わし働かれへんしな、公一もおるから、こらすぐ金もらえるらしいわ、大家の奥さんたんねてみ、二万五千くらいにはなるいうて」同じような境遇の患者から仕入れた知識らしく、メモをとり出し、「わしが三十二で五千八百円、お前四十三やから四千六百八十円、坊主が零歳で二千三十円、住宅費が四千円、わしがもう働けんとしたらその分二千四百十円、ええとなんぼなるかな」舌なめずりして計算する。働かずに金もらうのは情けないが、背に腹はかえられず、市の福祉事務所へいくと、ケースワーカーを紹介され、二日後に、家で事情聴取と決まって、若い係員は「まあ、気イ大きいにもってやって下さい、わるい日ばかりやないねんから」最後につけ加えた。  TVは病院へ運び、冷蔵庫は売り払ったから、家の中がらんどうで、公一の天井から吊した玩具《おもちや》の色どりが、かえってあわれをさそい、「窓ふきやってはったんですか、気の毒にねえ、あれ、ようやれる思いますわ、ぼくらもうすぐ目エくらんで」ケースワーカー世間話をしばらくして、「なんせ急いで手続きしましょ、ああ、かわいい赤ちゃんやねえ」愛想ふりまき、難なくすみ、すぐ月がかわって、その一日に二万二千六百五十円が支給された。  どうにか息をつき、金一も四週間入院の後家へもどり、怪我以後、いや、公一が生れてからか、金一どことなく人がかわり、それは公一に嫉妬《しつと》するのか、まついが公一あやしていると、必ず用をいいつけ、公一に食べさせるベビーフードを自分も食べたがる、「子供と亭主と、どっちが大事やねん、わしさっきから腹減らしてるのわからんのかい」手近のものを投げつけ、その用意ととのえただけですまず、金一、自分が赤ん坊になった如く、スプーンで口に運ばせる。「赤ん坊なんか、ほっといたって育つねん、わしなんか、母親にやさしいしてもろた覚えなんかあらへん、そやろが、第一やな、赤ん坊赤ん坊いうて、世話してんのみとったら、ますます婆さんになってまうで、それでのうてもあれ産んでから、えらいふけたいうのに」  これまで年のことはいっさいいわなかった金一、みもふたもなくののしって、「そらわかってますわ、うちの方が十二年上やいうて」「わかってんねんやったら、なんできれいにせえへんねん、前は口紅なんかもつけとったやないか、今はなんや、いつも、ねぼけたみたいな面して、だいたいやな、あんな子オ産まんかったらよかってん、みてみい、ろくなこと起れへんやないか、わしの怪我かて、あれが持って来たんちゃうか、わしの脚なあ、治ったかてびっこなってまうねんで、びっこやったら高いとこもう上れんわなあ、どないして食うねん、あんた、もういっぺんパンパンやりはるか」  まつい仰天して金一をながめ、もともと商売してた時に、親しいつきあいもなし、飯場に入りこんで、それは守口の時は、前歴知っている者もいたろうが、転々として、金一と知り合ったのは、足を洗って七年目、なんで知ってるのやろ、「べつにかまへん、パンパンとわかってて、俺|惚《ほ》れてんもん、そやけどな、なんし、子供でけてから、お前かわったわ、前はそうやなかった」「どないしたらええのん」「知らんわい、お前、勝手に産みさらしてんやないか、そんなに赤ん坊かわいいんやったら、二人で暮らしたらどないや、ここに居ってええで、わしの方が出ていくわ、歩けるようなったらな」金一ふてくされ、「そんなこといわんといてえな」まついどう申し開きをし、あやまっていいのかわからぬ。  金一がここを出ていったら、また、家がなくなる、せっかく、料理かてちょっとできるようなったのに、食べてもらわれへん、寝入った公一をながめ、「ほんまにこの子、厄病神かもわからへん」かすかにまだ残る、鼻の下の赤いしるしが、凶々《まがまが》しく思えて来て、産まんかったらよかった、この子さえおらんかったら。またパンパンにもどらんならんのか、この子背負って、もうすぐ四十五なるいうのに、墓場みたいなとこで、毎晩、男の袖ひいて、いやや、かんにんや、ここで金一さんと暮してたい、たのみます、ここにおらして下さい、まついは公一を抱き上げると、板敷きに寝かせ、姉の父なし子を処分した母の手つきよみがえらせる。半紙何枚も重ね、それを水に濡らして、ぺたりと顔に貼りつけて、ほしたらまるで泣き声立てんと、すぐぐったりなってしもた、半紙ないやろか、見わたしてあるはずもなく、おしめをずぶりと洗い桶《おけ》につけ、ひたひた滴《しずく》の垂れるのを、公一の顔の上に置き、うごめく手応えはあったがすぐたわいなく力が失せ、どれほど押さえていたか、おそるおそるどけると、少しふやけたように肌の色が白っぽくなっていて、鼻血を出し、息はとまっていた。  裏手に、柄の半分折れた鍬《くわ》があったから、土間の土を掘り起し、「なにしとんねん」すぐ物音に目覚めた金一たずねたが、まついむしろ浮き浮きと、「厄病神、始末してますねん」表面は固かったが、楽に穴が掘れ、死体を底に置いて、土をかぶせ、まついは何も考えず、ただ、これでええねん、万事前と同じことや、とんとんと鍬を平たく使って土を固め、さらに足踏みして丹念にならす。 「やってもたんか」「あんたにきらわれたら困るもん」「わし、知らんで」「かまへん、うちの産んだ子オやもん」賞めてもらえるものと、まつい金一のそばに膝をすすめ、「あのケースワーカーいう若い男な」「へえ」「あれ、しょっちゅう保護世帯まわってるねやろ」「そういうてた」「公一おらんとわかったらどない思う」「親戚あずけたことにしたらええわ」「そんなことで通るか、人工栄養費と、扶助費の二千円もへつられてまう、まあ、それはええとせえや、ケースワーカーしつこうきくかも知れんで、そんな親戚どこにおる、もし金持やったら、生活費も援助してもろたらどないやいうて」どこにも預けたしるしないとなったら、こら誰でも考えることは一つや、捨てたか、殺したか、どっちにしてもただでは済まん、「土間なんか埋めるあほおるか、土の色かわってるから、すぐばれるやんか」まつい、混乱して、「どないしよ、うち牢屋入《ろうやはい》んのいやや」「しゃあない、同じくらいの赤ん坊一人盗んでくんねんな、ちょっとの間ア、それでごま化せるやろ」  まついは、翌日、スーパーへ出かけ、勘定場の横に置かれた乳母車の中から、ねむりこけている生後八カ月の赤ん坊を盗み出し、三月後に、赤ん坊は女の子だったから、いずればれることと、公一と同じく処分し、場所をかえ、神戸のデパートで、生後一年の赤ん坊をさらい、大家の若女房も、ケースワーカーもまるで気がつかなかったが、足の治った金一酒に酔い、あげくまついの犯行をしゃべって、すべて露見した。まついは連行される際、気のふれたように、なにごとかぶつぶつとつぶやき、よくきくと、「お母ちゃん、なんでうちを、早う楽にしてくれへんかったん、濡れた紙、うちに、うちにかぶせてくれたらよかったのに」鬼畜夫婦、けだものにも劣る女と、憎しみにもえる弥次馬の視線の中を、まついは、「はよ楽になりたい、楽になりたい」くりかえしつぶやき、護送されていった。 [#地付き](「小説セブン」昭和四十五年一月号)   [#改ページ]  万婦如夜叉《ばんぷによやしや》 「私がヨッちゃんと浮気したら、あなたどうする?」妻の理恵が、冗談めかしていい、冗談といっても、ヨッちゃんすなわち義法《よしのり》は夫義尊の実子、理恵にとっては生《な》さぬ仲ながら、長男にちがいないのだ。  これまで無理難題を、ずい分と持ちかけられて、たいていのことにはなれっこになっている義尊も、さすがに返答がつまって、「ウン」と、とりあえずの生返事。「馬鹿なことをいうんじゃない」語気鋭くたしなめるのが、世間の常識だろうが、理恵にそれは通用しない。 「ウン? どうなのよ、離婚する? それとも寛大に許してくれる?」くれるというのも妙ないい方、いかにもありそうな事態の如くだが、義法はようやく十歳、理恵二十四歳で、少々法外な買物ねだる如き口調でいわれても、義尊混乱するばかり。いったい何が原因で、こんな突拍子もないいいがかりをつけるのか、あれこれ思いめぐらせたが、さしあたっての心あたりはなく、すると、メンスの前に気性荒ぶる恒例のことか。しかし確証はなく、子供の欲しい理恵は、義尊がそのめぐりについて、きちんと心得ているのが当然と決めこんでいるのだが、他のことでは、割に計数に明るいつもりの義尊、たとえばポンドをキロに換算するやら、来月の何日が何曜日と、すぐわかるのに、二十八日型で四日間つづくというメンスだけは、何がどうなっているのか、結婚後三年近くなって、まだ覚束《おぼつか》ないのだ。 「よくあることよ、義理の母子ができちゃうなんて、ヨッちゃんと私十四ちがいだもん、私が三十五の女盛りで、彼は二十一歳。ねえ、男の人って、十七、八から二十五くらいまでが、いちばん強いんだって?」義尊の思惑などいっさい無視して、理恵なおいいつのり、義尊は男女間のこと「デキル」といういい方や、また男について強いの弱いのと、品定めする女が虫酸《むしず》の走るほどきらいだった。  特に育ちのいいわけではない、ただそういった言葉づかいになれず、また四十二歳にもなれば、そうそう雄々しいはずがないから、そのての話題を遠ざけるのだろうが、義法と妻が、恋愛関係におちいる奇怪な仮定より、まだしもこの方が、受けこたえし易い。 「そうかも知れないね、大体、水泳のピークと性的能力のそれは一致するっていうからね」そして、元来、人間も海にいたのだから、泳ぎの能力のもっとも高揚する時期に、生命力も充実するのだろうと出まかせをいい、なんとか話題そらせるべく努める。 「へーえ、エージグループっていうの? アメリカのスイミングクラブなんか、十四、五で世界記録出してるじゃないの。すると、あの男の子たち、今がいちばん強いのね」理恵眼を輝やかせ、そういえばいい体してるもんねえ、しなやかだしと、スイミングパンツの盛り上りをうっとり思いえがく様子。「俺、仕事があるから」義尊、勝手に妄想《もうそう》えがくならえがけと、ひとまず御用済みのつもりで、立ち上ったが、「そんなにいやなの? 私のことが」理恵、額に、立てじわを寄せ、まるでコメディアンの表情の如く、眉を二、三度ぴくぴくとはね上げさせた。  すでにウィスキーの水割り、ダブルより濃くして四はいは空けたはず、このままふり切って二階の書斎へ入ってしまえばいいのだが、ふと気弱く引き止められるのは、義法を思えばこそだった。今、何に苛立《いらだ》っているのか見当つかぬが、かつて理恵はあてつけがましく、義法道連れにガス自殺をはかったことがあった。  はかったというのはあたらぬ、わざわざ義法を起し、「ママと一緒に死にましょうね、あんな冷たいパパなんかと、これ以上一緒に暮せないもの、天国にいけばヨッちゃんの本当のママにも会えるわよ」寝呆《ねぼ》け眼《まなこ》の義法に、どこまでその言葉が通じたかわからぬが、とにかく藪《やぶ》から棒涙まじりにかきくどかれて身も世もなく泣き出し、何事かと義尊降りてくれば、ガス栓シュウシュウと音を立てていたのだ。この時、何がもつれてその仕儀となったか覚えていない、夫婦のいざこざは、数え切れぬほどあって、そのほとんどは考えれば考えるほど見当つかぬ理由、つまり原因不明の妻の苛立ちにあった。  年が十八ちがう、しかも先妻の子供かかえる男のもとに嫁いだのだから、たしかに通常の結婚生活と肌合い異なる面もあろう、しかし、その亭主側の事情は百も承知のはず、義尊は、それなりにずい分努めているつもりなのだが、事態は悪化するばかりだった。  理恵は、バアの女給上りで、といってもその店のマダムの縁戚にあたり、バーテンダーと共にカウンターの中で、客と応対するだけ。そのバアは銀座でも一流の店とされ、熱帯魚の如く派手やかな女が数多《あまた》客席に侍《はべ》る中では、いっこう目立たぬ存在だった。義尊も、商売柄編集者とたまに連れ立つくらいで、特に顧客ではなく、理恵もふくめて、店の女に関心は抱かなかった、いや、抱けなかったといった方がいい。先妻の法子《のりこ》きわめつきのやきもち焼きで、いくらつき合いといっても聞かばこそ、今時、漫画でだって古めかしいテだろうに、バアのマッチ一つが何日も尾を引き、わざとTV受像機の上にこれを置いて、義尊何もやましくないから、ついポケットへ入れようとすれば、「そうですか、そんなに御執心なの、女に貰ったマッチが肌身離せないのね」血相変えてつめ寄るのだ。だから気紛れな女給の、ごくたまの客ではあっても、義尊を小説家と知って、妖《あや》しげな気配見せることのないでもなかったが、すぐ法子の引きつった表情が浮かび、潮引く如く心なえてしまう。  ほんのささいな話題でも、こと女にふれたものは、几帳面《きちようめん》に覚えていて、TV女優ですらも、うっかりブラウン管にながめ入っていると、「へえ、こういう顔がお好みでしたの、知らなかったわ。昔はもう少し趣味がよかったんじゃない? こんな混血のどこがいいのかしら」そして、スイッチを他へひねるならまだいいが、以後、番組欄を克明に調べ、その女優の出ているチャンネルに合わせると、「さあヨッちゃんとママは向うにいってましょうね、パパはおたのしみなんだから」それまで観ていた漫画番組から引き離されて、泣きさけぶ義法横抱きにし、うんざりした義尊が様子うかがうと、法子一人でさめざめと泣き、義法、父を仇敵《きゆうてき》を見る如くながめる。  法子は、理恵と異なり、町医者の三女で女子大を卒業していた。義尊の小説がまったく売れず、女性週刊誌の特集記事を請け負っていた頃、同じように、週刊誌の編物専門の記事を書き、お互い締切間ぎわになると、雑誌社近くの喫茶店でよく顔を合わせ、おそろしく字の下手な、というより読みにくい義尊の、懸賞応募小説の清書してくれたのが、深い仲となるきっかけ。女にしては濶達《かつたつ》な字を書き、文学青年くずれの多い同業中で、珍しく売れるあてもない小説書きつづける義尊に、いくらか敬意を払っていたらしい。  医学の領域でわからないことをたずねると、父の跡を継ぐ兄に紹介し、本好きだったという父の蔵書を惜し気もなく貸し与え、兄が将棋好きだから、時にその相手をするうち、なんとなく周囲は二人を婚約かわした如くながめ、下宿住まいの義尊のもとへ、ある正月、お節料理《せちりようり》を法子が持参して、むしろ先方にさそわれるような形で、その体を抱いた。まさか、家族にはいうまいと、たかくくって、正月二日挨拶にまかり出たら、はや家族扱いをされ、気の強そうな母が、「末長く愛してやって下さい、あれもいつまでたってもねんねでしてね、私にいわないで、女中に報告するんだから」白髪の老婆から、愛してなどの言葉きくのも面妖《めんよう》な印象だったが、その後で法子うれしそうに「ケチャップみたいだったわよ、でもとっても綺麗だったわ」恥ずかし気もなくいい、何のことかと思えば、破瓜《はか》の出血が下着についた形容で、洗濯するところを女中に発見され、委細告白したという。  なんとなくあなたまかせの感じではあったが、義尊二十九歳法子二十六歳、小説の目途は立たぬが、二人合わせて収入二十万近くになるから、結婚に踏み切り、法子はあたらしぶったつもりか、人前結婚を提唱し、互いの友人集めた前で、誓いの言葉を唱和、持てなしはケーキに紅茶、引出物はオープナーで、万事倹約の挙式。新婚旅行にも行かず、結婚届けは、母と共謀し、義尊に身内がいないからと、偽の保証人を立て、義法が生れてはじめてわかったのだが、法子二歳サバをよんでいたのだ。  共稼《ともかせ》ぎのつもりだったが、子供産むためにと、仕事を断り、義尊にも「いつまでトップ屋さんでもないわよ、あなた才能あるんだから大事にしなくちゃ」せっつかれ、才能はともかく、長くつづける商売ではないと自らよく心得ていることだが、妻にいわれると業腹でなおやらずもがなの半端仕事を引き受ける。義尊の小説原稿にいちいち眼を通し、それははじめ清書するためだったが、「やっぱり作家には作家らしい字があるのよ。私が書いたんじゃ迫力なくなるわ」と、悪筆の高名な小説家を並べたて、これも実は面倒になっただけのこと。  徹夜で相変らず懸賞小説を書き、朝寝こんでいれば枕元で法子、いちいちウームやら、わざとらしいんじゃないと、独言《ひとりごと》つぶやきつつ原稿用紙めくるから、下腹むずむずするほど腹が立ち、どうせ書き直すつもりだったから、ものもいわず奪いとり引きちぎって屑籠《くずかご》に捨てたのが、第一回目のいさかいだった。  義尊布団かぶってまた寝こみ、ごそごそ音がするからのぞくと、法子は破れた原稿用紙を、セロテープで張り合わせ、勝手にしろとしばらくそのままにしていたが、いっこうに止《や》めないから憐《あわ》れになって、「いいんだ、それは下書きで捨てる奴だから」とりなすようにいうと、法子、原稿用紙わしづかみにしてハッタとにらみ、「余計な手間かけさせて、いい気味だと思ってたのね」セロテープ、ピーツと引きのばし、ほうり投げようとしたが手にからみついて離れぬ、「そっちが余計なこというからだろ、書いたばかりの原稿眼の前で読まれるのは、誰だっていい気持じゃない」 「ふん、まだ一人前でもないくせに」なにをっと、義尊逆上するのを、法子冷たくながめて、「この前書いてた『空中エレベーター』って小説、あれ盗作じゃないの?」まったく覚えはないが、一瞬ぎくりとなり、すると法子立ち上って父の蔵書だった古い雑誌の一冊持ち出し、 「この小説におちがそっくりじゃないの」ほうり投げた。  読むと、なるほどよく似ていて、「こんな小説読んだことはない」弁解したが、たちまち意気|銷沈《しようちん》、「あなたが盗作したなんて思わないけど、知らない人はどう見るかわかんないでしょ」さも古今東西の小説に通じている如くのたまう。「一人で考えるより二人の方がいいアイデアも出るわよ、相談に乗るわ、夫婦ですものね」臭い息を吐いてにじり寄り、法子は昂《たか》ぶると口臭がひどくなった。  義尊にとって、まったく口惜しいことだったが、法子の意見少々とり入れた作品が懸賞小説に当選し、その報せを編集者がもたらすと、法子は辞退するのを無理矢理あり合わせのウィスキー一本持たせ、「校了の後ででも、皆さんで召し上って下さいな」雑誌社に出入りするうち見聞きしたらしいならわしを、さもわけ知りぶっていう。  授賞式、といってもささやかなものだが、その席に妻が招待されぬと、泣きわめき、仕方なく式の後、ホテルで食事を共にする約束をしたのだが、しかし、審査員や雑誌社幹部との宴席が用意されていて、これをすっぽかしもならぬ。ロビーで待つ法子に電話で断りいえば、「そう、じゃ仕方ないわね、おつき合いが大事ですもの」案に相違でやさしく受けたから、先輩作家に引きまわされるまま銀座のバアを飲み歩き、午前三時に帰宅。  翌朝、昨夜のあれこれ話してやればよろこぶだろうと、これまで名のみしか知らなかったバアの様子、そこでのやりとり面白おかしく報告するうち、法子の表情|蒼《あお》ざめて、「ばかばかしい、私をほったらかして、よくまあ鼻の下のばせるわね。有頂天になるのもいい加減になさい、えらい先生たちはじっと見てるんですからね。きっとあれよ、この新人のぼせ上ってるなって、今頃笑ってるわ」「そこら辺は心得てるさ」「どうですかね、とにかく一作くらい活字になったからって、作家気どりはやめて欲しいわ。赤ちゃんかかえて三文文士の貧乏世帯など、まっぴらですからね、銀座などへ行く身分じゃないでしょ」三十過ぎてアパート住まいはみっともないの、姉の嫁ぎ先の羽振りのよさやら、電気掃除機の調子悪いことまで数え上げ、あげくはわかり切った銀行通帳の残額、目の前に突きつけた。  しかし二作目の評判もよくて、トップ屋に専念していた頃にくらべると収入は減ったが、水の手切れず小説の注文があり、アパートの住人、小説を書いてなりわいとする種族など、身近にしたことがないから、あれこれ法子にたずねるのを、「そりゃたいへんでございますわ、はたで見ていても息苦しくなるくらい、熱中している時は、畳に針落したほどの音でもさまたげになりますのよ」得々と説明する。  いわば出世作に、いささか力を貸したという自負からか、いちいち批評して、それがまとはずれでも、素人《しろうと》風なら気にならないのを、文芸時評など読むらしく、「あなたはあなたらしい風俗小説を狙うべきよ、その方が柄に合ってると思うなあ」やら、「そろそろ女を書いたらどうなの? 近頃の新人はみんな女の描写が下手だっていうから、つけ目じゃない、私が女性心理の奥の奥まで教えて上げる」など、いちいち義尊の引っかかる言葉づかい。それより俺が机に向かってる時くらい、TVの音をちいさくしろと怒鳴りたい気持で、隣人に吹聴《ふいちよう》するのとはうらはら、義尊が執筆中も、遠慮なく掃除し、重い洋服箱を戸棚に運び入れろと命令下すのだ。かつて喫茶店で小説を書いていたから、騒音にはなれていたが、民間アパート2DKに法子といるのはまた別で、しかし編集者が、ホテルを用意し、そこで書くようすすめても許されぬ。 「そういうことが癖になって、外泊がなれっこになっちゃうのよ、それだけじゃないわ、食物も不規則だし、どうしたって健康管理が行き届かないでしょ。今時、青白い文士などはやらないわよ、それとも家にいるのがいやなの? 私の顔見てちゃ小説が書けないの?」すでに身重の体をあえがせつつ、むくんだ表情で詰問するから、止むなく「いや、資料があるので、ちょっとホテルでは」と、義尊断らざるを得なかった。  子供が生れれば、その世話に追われて、少しは自由になるかと頼みの綱だったが、まったく逆で、これからは将来を考えなければと、稿料さえ高ければ、義尊に無断でどんなPR紙の依頼にも応じ、先輩作家から忠告されたが、まさか実状は説明できない。「ちいさな雑文でも、気がちるから当分断ろうと思う」提案すれば、「いいわよ、私が代筆してあげる。昔とった杵柄《きねづか》だもん、うまいことあなたに似せて書くから、ギャラは折半よ」義尊ギャラという言葉もきらいだったが、法子習慣となっていて、あたらしい雑誌社から依頼があれば、必ず「それでギャラの方はいかがなっておりましょう」押しつけがましくたずねるのだ。  義法が生れて二年目に、借家ながら一戸建ちの二階家へ移り、家事の雑音届かぬ書斎を確保したが、原稿料の一切押えられて、少しの金も自由にならず、そのうち義尊も稼業《かぎよう》になれて、雑文や対談の謝礼、直接手渡して貰うよう頼んで、息ついたのも束《つか》の間《ま》、法子は綿密に毎月の雑誌を読んでいて、掲載の分が未着だと催促し、すぐにばれてしまう。  取材の旅行が唯一つ息抜きだったが、これとて宿泊先を明らかにし、朝と夜、義尊の方からの連絡を強制、「女子供だけで留守番してるんですもの、万一ってことがあるでしょ、そりゃこわいわよ、夜なんか」知ったことではないと無視すれば、すぐ雑誌社に安否を問い合わせるのだ。こうなるまでに、何度か反抗をこころみて、文壇づき合いといっても、ほとんど先輩ばかりだが、そうおごられてばかりもならぬ事情いい聞かせ、しかし、法子は孤高の作家の名をあげて、群れ集うことのおろかさを冷笑し、午前様となる必然を説いても、なまじ業界の片鱗《へんりん》心得ているだけに、「どうせ飲んだくれるか、ばくちでしょ、そんな暇があったら本を読みなさいよ、雑誌ばかりながめてても駄目よ」また碩学《せきがく》の例を出して、不心得をさとす。一度こっぴどくなぐったことがあったが、法子は新進作家の暴力沙汰を雑誌に売りこむと意気ごみ、「えらそうなこといったって、処女作は私が書いたようなもんじゃないの」すっかりそのつもりになっているらしく、これもいざとなればスキャンダルの種にする所存と見えた。俺を駄目にすれば、そっちだって困るじゃないかと、自明の理を、まるっきりわきまえぬ法子の形相《ぎようそう》にかえって怯《おび》えて、以後手出しはせず、義法が生れて以後、これも一種のさだめとあきらめる気があった。  義尊は、早く父に死別し、母は義尊を父方の祖父母に託し再婚、祖父母のもとに出もどりの叔母がいて、その手で育てられたのだが、気丈というよりヒステリーで、ことごとに怒鳴り立て、法子を見る時、ふと叔母の面影がよみがえって心臆するのかも知れず、肉親の愛情にうすかった我が身かえりみると、法子と離婚し、義法を片親にする決意もつかないのだ。そして、原稿書きあぐね、ぼんやり寝ころがっている時、脳裡《のうり》に去来することは、ひょいと法子が蒸発でもしてくれないか、女盛りの年齢にさしかかり、二言目には「あなたもうろくしちゃったの?」いや味にいうのだから、他に男をつくって出奔したって不思議ではない。古来、小説家がコキュとなる例は珍しくもなく、その体験を切々とつづればあっぱれ洛陽《らくよう》の紙価高からしめてと、勝手な妄想織りなしても、眼前に見る法子歳よりも老けていて、これを相手どる男などいそうもない。誰かがホストクラブへ案内すれば、あるいは義尊の妻と知り、小金持っていると踏んで、誘惑しやしないか、私立探偵を雇い現場を押さえてとまで考え、しかしこれはいささか卑劣過ぎる。  法子が口をきく相手といえば編集者しかなく、中には遊び上手もいるようだったが、法子口説くほどの物好きはない。もっとも法子に唯一つ美点があるとすれば、若い編集者をよく持てなすことで、しかし女ならがらりとちがい、同じ原稿の注文受ける電話でも、先方が男か女かはっきり区別がついた。「はい、さよでございますが、どちらさまで。はい、御約束なすったんでしょうか。御約束でないと主人はまだやすんでおりますから、はあ」、目と鼻に義尊がいても、手荒く電話を切り、その当座気が荒れて、「誰から」などたずねようものなら、「おや、気になるの? 気になるくらいならわかってんでしょう。時間しめし合わせてかけてくるんじゃないの、妙に甘ったるい声出して、なによあれ」ぶつくさ口汚なくののしる。原稿とりに来た場合も同じく、女性にはお茶いっぱい出さず、俄雨《にわかあめ》が降ってきても傘一本貸さず、そして帰って後は、不潔の、男狂いのと、容貌服装をこき下し、一度トイレット使った女編集者の、水をよく流さず、生理用品ただよっているのを、発見すると「あなた来てごらんなさいよ、まあ見て頂戴《ちようだい》な、こんな始末までしなきゃならないの?」二階の義尊をよびつけ、とくと検分させた上、「あなた流しなさいよ、大事な編集者のお忘れもんなんですから」止むなく紐《ひも》を引くと、法子共犯者見るように、義尊をにらみ、「こういう不始末も、ふだんあなたが甘い顔してなめられているからよ」とばっちりを食った。  とても蒸発など考えられぬとなれば、事故死を期待するほかなく、妻がいうように義尊の旅行中強盗が押入り、さだめし半狂乱になるだろう妻、殺されてしまうのはどうか、しかし生き残った義法が、無惨な母の死にざま目にするのは困る。考えられるのは交通事故で、近頃、少しの外出にもタクシーを利用しているから、居眠り運転の車にも乗り合わせないものか、自分が家のそばまでもどってくると、近所の人が待ち受けていて「すぐ病院へ行って下さい、奥さまが」と、すでにその死を知っている沈痛な表情でつげ、あるいは妻の外出した後、電話があって、お巡りが無表情な声で死体の確認を求める。くりかえす内白昼夢か、幻聴の如くにその情景や物音、手ざわり確かにあらわれ、義法と二人、妻の墓に詣《もう》でてその帰り有名な寿司屋《すしや》に立ち寄り、「これはコハダっていうんだ、こっちの白っぽいのがトロ」と、教えてやっているシーンがつづく。義法と遊ぶにもいちいち法子の顔色うかがわねばならず、暇な時おそくまで相手してやっていると、興奮して寝つかないと怒るし、小説に心をとられ、だまって食事すれば、「少しはしゃべってやって頂戴よ、父親との会話が少なすぎるわ」たしなめられ、母の気まぐれには義法もおどおどし、それをまた「なによ、継《まま》っ子みたいにいじけてて、へんなとこばかりパパに似るのね」みもふたもなく法子叱りつけるのだ。  性的には、まったく妻を必要としないのだから、その死後は手伝いの婆さんを雇って不足はないはず、原稿が一段落して後、義法とキャッチボールに興じ、宿題を教えてやろうか、取材旅行の時は、学校を休ませ同行してもいい、動物植物図鑑と地図を持って、珍しい生物や、土地の歴史をくわしく説明してやる、宿では義法の寝つくまで枕もとでビールを飲み、寝息確かめて後、心利いたる女中に頼んで、一人さびれた温泉町の飲み屋を徘徊《はいかい》する。  少し古めかしいが、いかにも小説家にふさわしい明け暮れに思え、うっとり考えていると、次々連想が後を引き、一種の浮遊状態、酒に酔った如く原稿の締切も、編集者の来訪もいっさい消しとび、「どうしたのよ、駄目でしょ書かなきゃ。さっきからまだかまだかって催促の電話よ」きんきん声の妻も、気にならず、遠い他人を見ているように現実感うすく思えた。さめている時は、いかにも月並みな発想で、われながら照れくさくなったが、細かい部分を気の済むまで修正し、現実とは別の世界を生きることが、なによりのたのしみ。もし法子が死んだらと、呪文《じゆもん》の如く頭に浮かべると、たちまち極彩色の理想郷があらわれ、それは、あまりに甘美な境地だから、ひょっとして俺は、本当に法子を殺すかも知れぬと、おそろしくさえなる。殺すことも幾度か考えたのだが、生来臆病でそそっかしいから完全犯罪など可能なわけがなく、それより宙空に新進作家、妻を謀殺という大きな活字が生々しくとびかい、あわててこの妄想は打ち払った。  理想郷へ逃避することに、イマジネーションを浪費したせいか、作品にスランプが目立ち、自分でも気づいていたけれど、机の前に坐り、誰にも邪魔されぬ一人になると、あきず幾度もくりかえし、なれ切った手順をついたどって、夢遊病者の如く、これに抗《あらが》うすべもない。これでもいい、いずれが実で、いずれが虚か、気持次第ではないか、このまま物書きを脱落したって、俺にとっては虚の世界のことでしかない、気ちがいとレッテル貼《は》られたって知ったこっちゃない、どんな夢、いや現実だって俺は好みのままに編めるんだから。新規の注文を書けないからと断り、引き受けたものをすっぽかし、法子おどしで効かぬとなると、義法をだしになだめすかしたが、義尊受けつけぬ。このまま進めば、あるいは義尊、幸せな廃人になり得たのだろうが、突如、夢が現実となって、というのは、法子車にはねられて瀕死《ひんし》の傷を負い、あろうことか同行していたのは、ホストクラブのホストだった。  病院に収容されて、意識不明のまま法子息を引きとり、当惑この上ない表情でつきそうホストに、「家内はよく遊びにいってたんでしょうか」たずねると、花束かかえて何時のまにか病室の表に来ていたクラブのマネージャー、「とんでもございません、当クラブは健全なる社交ダンスをたのしんでいただく場所でして、これは偶然表でお眼にかかっただけの」見当ちがいな弁明につとめ、その様子では、かなり足繁く通っていたようだった。  我にかえった義尊、死んだとなると、夫にかまって貰えず、ホストを相手に女盛りの不満解消していた法子が憐《あわ》れになり、いったいどんな遊びぶりだったのか、たずねたい気持があったが、ホストはひたすら怯えるばかり。  義尊にいっさい夜遊び禁じておきながら、自分はふしだらなと、怒る気持まったくなくて、むしろ法子も人間らしい、女っぽいところがあったんだなと、それはもちろん、以後白昼夢通りの生活が可能となった心のはずみだろうが、見直す方が強い。供養納骨とどこおりなく済ませ、義法はその間、法子の実家に預けられていたが、もとより男手で立派に育てるつもり。女手失って、しかし塵《ちり》一つとどめず掃除は行き届いていても、ガランとした家にさし向かい「どっか旅行に連れてってやろうか」「明日、御飯食べに行こうか」義尊、あの夢をなぞってしゃべりかけるが、息子は虚《うつ》ろなままだった。  法子は、生命保険に入っていて、事故だから倍額一千万円が支払われ、その上、妻を交通地獄の犠牲に供し、残された息子と暮す小説家は、女性誌に恰好の話題で、手記依頼や、亡妻を忍ぶ態《てい》の注文殺到し、そこは本職、あれほど心中忌みきらっていた法子だったが、この世に二人とない伴侶《はんりよ》の如く曲筆し、小説売れなかった頃の苦闘譚《くとうたん》や、内助の功のあれこれ、われながら空おそろしくまつり上げて、これが満天下子女の人気をよび、実名小説に仕組めばベストセラーとなり、TVドラマ化され、義法までが人気者。  しかし、義法は、父のいわば処世のための追悼と異なり、心底母を恋い慕うようで、学校からもどっても、義尊のそばには寄らず、一人で母の遺した鏡台、箪笥《たんす》の前に坐りこみ、その移り香を求める様子。義尊にしてみても、法子さえいなければ、たちまち天窓あけはなたれた如く、一陽来復と夢見ていたのに、そして、法子についてお涙頂戴を筆にのせれば、必ず売れて流行作家の端くれにつらなるという、予想外の結果もたらされたけれど、いっこうに張り合いはない。手伝いの婆さんを入れ、義法をまかせて外出すれば、TVにもよく出演するから道行く人指さして、義尊の名をささやき合い、自由になる金は銀行にうなっているにしろ、もともと賭《か》けごとも酒もそう好きではないから、時間を持てあまし、義法は相変らず陰気にふさぎこんでいて、キャッチボールどころではない。  自分と同じ憂き目に合わせぬよう心配りしているのに、まるで息子に通ぜず、いくら人柄の良い老婆といっても、預けっぱなしにして旅行にもおいそれと出かけられず、法子在世の頃より錘《おも》しがついたようで、同じ部屋に寝かせ、朝学校へ行く時にぐずる声聞けば苛立ち、老婆相手にわがままいいつのれば、ぶんなぐりたくもなる。パパが子供の時など、いじわるな叔母さんに年中|折檻《せつかん》されて、ろくに御飯食べなかったことだってあるんだぞと、心中|歯噛《はが》みし、しかし、交通安全キャンペインがはじまると、義法は母の遺影と共に駆り出され、この時は自分でもたのしんでいる様子だった。  義尊自身、死後一年近くたってまだ亡き妻の面影に空涙《そらなみだ》浮かべるなど、同業の間でも冷笑されはじめたし、あの業《ごう》つく張りのヒステリー女を、婦徳の権化《ごんげ》の如くに装う作業に、ほとほといや気がさす。なにも義法のために一生独身を通すことはない、法子は例外的な女で、あれは悪いくじを引いたのだろう。世の中には、浮気してもどった亭主を、にっこり笑って風呂へ入れ、その背中をやさしく流す女房もいれば、賭けごとで負けた金を払うと聞いて、子供名義の預金までそっくりさし出す妻もいる。夫の仕事のため資料整理にはげみ、夫が起きている内は邪魔にならぬようつきそって、茶を入れ夜食つくる女がいくらもいる。  そして、理恵に出会ったのだ。マダムに聞けば、幼い頃両親を失い、親戚に預けられて苦労をしたが、その中で踊りは坂東《ばんどう》流の名取り、生花茶の湯の免状を持ち、これまで水商売にいながら浮いた話一つなく、「なにしろ地味でしょ、もっと遊ばなきゃつまんないっていってるのよ、先生どっかへ連れてってやってよ」そして、「おっとそんなことしちゃイメージくずれるわね、今でもお位牌《いはい》抱いて寝てるんですって?」マダムがつけ加えた。  理恵はそのやりとり他人事《ひとごと》の如く聞いていたが、「おやさしいのね、先生って」マダム去って後ぽつりといい、「どう、お互い引っこみ思案同士御飯でも食べない?」義尊すらっと気障《きざ》な台辞《せりふ》が口をつき、およそ法子とは正反対な人柄に見えたし、踊りを習うだけあって、その小造りながら引きしまった体つきに、思いがけぬ昂ぶりが生れたのだ。その夜は食べただけで別れ、翌日昼間の逢う瀬を約束し、義尊は生れてはじめてデートするように心ときめかせ、食事買物のコース入念に練り上げたのが、理恵は好みを聞かれて、「映画観たいわ、一人じゃこわくって、へんな人がいるでしょ」喜劇映画に入り、笑いころげて、しばしば義尊の膝に手をつくから、思いきって和服の八つ口から掌さし入れると、理恵はっと身を固めて、そのまま抜きさしならず、指先きにしっとり濡《し》めった腋毛《わきげ》のかすかな感触があった。 「ごめんなさい、私、腋臭《わきが》なんです、いやでしょ」やり過ぎたかと、同じく硬直した義尊の手を腋から離し、ハンカチで丁寧にふき清めると、今度はおおっぴらに首をあずけてもたれかかる。義尊おそるおそる肩に手をまわし、以後は理恵もほとんど笑わず、ただハンカチをしっかとにぎりしめていた。気づかれぬよう、腋毛にふれた指を嗅《か》いでみると、法子の口臭とは雲泥の差、艶《つや》やかに光るその有様が浮かび、つれて理恵の裸像がスクリーンにダブり、動悸《どうき》激しく、息苦しい感じとなって、抱くとまでいわぬ、唇を吸えたら、腋毛に鼻をこすりつけ、理恵の体臭胸いっぱいに満たしたら、それで至上の快楽に思えるのだ。  顔知られている義尊と一緒に歩いては、さしさわりあるのではと、遠慮する理恵を、小脇にかかえこむようにし、「奥さまともこうして歩いたの?」いたずらっぽくたずねるから、冗談じゃない、あんな女と誰が、その荒れ果てた夫婦仲克明に説明したかったが、直ぐではいかにも見えすいている。どちらからともなく立ち止まってタクシーを待ち、「理恵さんとキスしたい」他にいいようがなく、ぶっきら棒につぶやくと、理恵うつむくだけ。そのまま陽も高い内に、温泉マークへ乗りつけ、大事な宝物扱う如く、義尊は心底キスだけでいいつもりだった。  しかし理恵は二つ枕派手やかな色どりに怯える風もなく、すぐ帯を解き、鏡台の前へ坐りこんで、義尊少々拍子抜け、いくらかは抵抗するのを押さえこみ、そして唇と腋毛だけ味わい、最後のたのしみは先きへ残すと、一人合点の胸算用だった。考えてみれば、年は二十一といっても、処女を期待する方がおかしいのだが、理恵は五体くまなく成熟していて、この点でも法子とは異なっていた。法子は、ひたすら奉仕を要求し、それもしごく単調な作業のくりかえしだったが、理恵は思った通り引きしまった肉《しし》おき惜しげもなくさらし、軟体動物の如くからみつき、腋臭というより毛穴一つ一つから香気立ちのぼる如く、義尊の遊びなれていないと見てとるや、やさしくリードして、義尊は自分が犯されているような、手練《てだ》れの男に性技しこまれている小娘の如き倒錯した境地となり、「いい気持でしょ?」「うむ」「じゃいいっていって」「いい」「こうしたら」「いい、とっても」到底四十に手の届く男のもらす声音ではなかったが、いったん声に出してしまうと、後は恥ずかしさはなく、乳首愛撫され、尻をもまれ、耳を吸われてそのつどうめきをもらした。義尊がじれて主導権とろうとしても、巧みに体はずして、さらに指をあやつり、たまらず義尊自らの掌に昂まり求めようとした時、熱い薄帛《うすぎぬ》におおわれて、背筋から後頭部へしびれが駆け登った。  布団の中では終始先手をとられっぱなしだったが、もとより無上の快楽、それがいったん街路へ出ると、またひっそり寄りそって歩く理恵にもどり、互いに言葉もなく歩くうち、店に出勤の時刻となり、理恵につげたが、「いいのよ、お休みしちゃう」「しかし断らないとマダムに悪いだろう」「勝手勤めだし、ママだって先生とおデートって知ってるもの」義尊うれしかったが、さて自分の半分近い年の女をどこへ案内していいかわからず、うろうろほっつきまわる内、「先生のお家にうかがっちゃいけない? 図々し過ぎるかな、奥さま化けて出るかもね」「いや、何もないけど、きっと子供もよろこぶだろ」君みたいな美人があらわれたらとは、さすがいえぬ。  理恵は心利かせて、大きな袋に定規ビー玉サイコロ加留多《かるた》コマボールピストルと、雑多な玩具《おもちや》をつめさせ、「子供に一点豪華主義は駄目ね、沢山いろんなものが入ってるのがいいのよ」児童心理にも通じていると、義尊感じ入り、それも幼い頃苦労したせいだろうと思いやる。他にハムシャーベットバウムクーヘンを買いこみ、「毎日お婆さんのお料理じゃ閉口してるわよ」口調もはずんでいた。  義法と老婆の食事終った後だったが、理恵|襷《たすき》がけで台所に立ち、老婆も気押されて指示に従う。年寄りの行き届かぬあれこれに心をくばり、水屋茶箪笥《みずやちやだんす》調べて不足の品を書き出し、義法はサンタクロースの袋そのままの如き土産に熱中。老婆引き下って後、三人|卓袱台《ちやぶだい》をかこみ、気がつくと仏壇の位牌の前にもバウムクーヘンの一片がそなえられ、「このお菓子はねえ、木に年輪てあるでしょ、あれに似せてあるのよ」義法をすでにヨッちゃんとよび、よばれる方にもこだわりはうかがえぬ。  その後、毎日逢い引きして、肌を合わせ、二日に一度理恵は家にまで足をのばし、年のちがいと義法の存在にこだわっていい出せなかったのだが、バアのマダムが仲に立ち「お互いに好きなんでしょ、一緒になんなさいよ。それとも先生はまだ先妻さんで稼《かせ》ぐつもり?」「マダムさえ許してくれるんなら」とへり下っていえば、「許すも許さないもないでしょ、理恵ちゃんの妙なところにキスマークつけるのは誰なのよ」義尊、中学生の如く照れ、そのまま同棲《どうせい》できるのかと思うと、これまでが不幸だったんだから、結婚式は豪勢にしてあげてと、これが条件。純愛で売って来たのが、すべてパアになるなと、一瞬ためらう気持もあったが、またトップ屋にもどったってと胆《きも》が坐り、善は急げで、あわただしく式次第の打合わせ、義法は理恵にすっかりなついていた。  一流ホテルに、三拝九拝して知名人を集め、とどこおりなく披露宴終えて、山間《やまあ》いの温泉へハニムーン。式の前、同じことなら義法を連れてってやろう、さんざお互いの肌には狎《な》れて、今さららしく初夜でもあるまいと、気楽に申し出たのだが、理恵色をなして怒り、「先妻の忘れ遺身《がたみ》と一緒に行けっていうの」一蹴《いつしゆう》、それも道理で、強くはいわず、駅へ送りに来た義法がふと憐れだったが、やはり晴れがましさに紛れる。しかしハニムーンは思いもかけぬ喧嘩《けんか》のしづめ、義法同行の件が尾を引いているのか、理恵はいちいち義尊に楯突《たてつ》いたのだ。  朝、番頭が布団上げにあらわれても、ネグリジェのまま鏡台の前に坐りこみ、半纏《はんてん》くらい引っかけろと注意すると、「温泉へ来た時くらいのんびりさせてよ」険のある語調でいい、ふいっといなくなって探すと、学生の一団にまじってピンポンに熱中。家族風呂があるのに、混浴の大浴場へ入りたいとせがみ、老婆と男ばかりの中に恥ずかし気もなく足踏み入れ、並んで湯につかれば、手をのばし義尊の一物しごき立てる。「にごってるからわかりゃしないわよ」さんざもてあそび、雄々しくさせといて、「お先きに」ざぶっと湯玉はねかせて上り、若い男たちいかにも淫《みだ》らな眼つきで見送るから、すぐ後を追って、わが体でさえぎりたいが出るに出られぬ。年中、義法にお菓子の土産持参していたのは、自分が食べたいかららしく、宿に寝そべっていても、イカクン、品川巻き、ノシイカを居汚なく食べちらかし、膳を運ぶ女中の手前はばかって義尊かたづける姿を、頬杖《ほおづえ》ついてながめる。 「少しはきちんとしてくれよ、ここの宿の人だって俺のこと知ってるかもしれないし」頼みこむと、「ねえ、この人の顔どっかで見たことある? えらい先生なんだけど」女中に質問し、その中途半端な笑い浮かべるのを、「駄目ねえ、知られてないじゃないの。もっと頑張らなきゃ」おもしろそうに笑うのだ。「ぼくのいってるのは、ここにかぎったことじゃないよ、これからつき合いだって広くなるんだし」「大丈夫よ、私だって社長さんに沢山お友達いるもん」「社長族とはちがうからねえ」「へえ、私がそんなに頭の悪い女だっていうの? それならいいわよ、いっさい私人前に出ないから、恥かかせちゃ申し訳ないし。どうせ法子さんのようなわけにはまいりませんけどね、女子大も出てないんだし」「法子はそんないい女房じゃなかったんだよ、そりゃやきもち焼きで」「いいじゃない、あなたを愛してたんでしょ」「とにかく、マダムの店で飲むんだって大事だったんだ」「そうよ、あんな店淫売宿みたいなもんよ、私だっていやね、あのママとは親しくしないで頂戴」何をいってもいすかのはしの食いちがい、しかし乗りかかった船、何事もはじめが肝心、法子の轍《てつ》を踏むまいと、編集者とのつき合い方、女房が原稿料に口出しせぬこと、自分に断ってから注文を受けること、電話では決して突っけんどんに応対しないこと、噛んでふくめるようにいい聞かせ、その悪い例として法子の言動を紹介する。「へーえ、法子さんてそんな人だったの、すごいわねえ」やら、「まさか私そんなことしないわよ、安心してらっしゃい、うまくやるから」どうやら軌道に乗って安心する間もあらばこそ、「でもそんなにひどい奥さんを、何故あんなに賞めたの?」「そりゃ死んじまったからさ、仏さんの悪口はいえないよ」「でも、亡き妻を讃えるとかなんとかいってもうけたんでしょ」「そんなことはないよ」「ねえ、いくら位もうかったの?」「税金とられるから正味で一千万くらいかな」「すっごいじゃない。ねえ、私がさ、法子さんの仮面をあばくなんて本出したら売れるかしら」「仮面をあばく?」「うん、あれは御主人の捏造《ねつぞう》だったってさ」義尊呆然として口をつぐんだ。  理恵は家へ入るなり、仏壇の中の位牌からアルバムに貼った法子の写真、衣類いっさいをひとまとめにして物置きへおさめ、「ヨッちゃんのためよ、私がお母さんでしょ、早く前のママを忘れなきゃ、かえってかわいそうだもの」有無いわさずてきぱきと事を運び、それだけでたりず、老婆に手伝わせ、道具類の配置転換をし、それまで五年近くなれたたたずまい一変して、義尊落着けぬ。家に居る時、理恵はいっさいなりふりかまわず、破れたセーター、ジーパンを着用し、来客があればあわてて化粧するが、完成した頃に客はもどるから、張り合いがないと八つあたりし、食事の用意も気紛れで、何日も佃煮《つくだに》ふりかけ朝鮮漬けで過ごすかと思うと、突如スーパーマーケット丸ごと買いしめたような材料運びこみ、一日費やして何十人ものパーティまかなえるほどのスープ、バーベキュー、サラダ、シチュウをこしらえ、義法待ちきれずにパンで腹ごしらえ、肝心の食膳に手が出なければ、また子供のようにふくれっ面見せた。「やっぱり、本当のママでなきゃ駄目なのよ、私の味は気に食わないのよ」「そんなことはないよ、一生懸命食べてるから」「なにも一生懸命食べてくれなくてもいいわよ」大声で泣き出す。別だん義法をかばう気持ばかりでもないのだが、風呂場で泣き声がするから、駄々こねているならたしなめるつもり、のぞきこむと「ほらやって来た、私が継子《ままこ》いじめしてると心配なんでしょ、ねえヨッちゃんおねがい、ママが叱られるのよ、泣かないで」切口上でいう。「そんなつもりじゃない」といおうにも、理恵の方が早口で言語|明晰《めいせき》だから、ついだまりこくり、うっかり義法を膝に抱くこともできぬ。機嫌がよければ、「ヨッちゃんばかりずるい」と割りこみ、悪ければ「二人で何こそこそ相談してるのよ、法子さんの思い出でも語り合ってるの?」容貌くらべても、もっとゆとりをもっていいはずなのに、いちいちこだわり、いくらかは、法子を持ち出すと義尊に一言もないと、見抜いてのことでもあった。  不意の来客には間に合わなかったが、前もって予告があると、やはり水商売に足突っこんでいただけあって、上手に持てなし人気のあるのはいいが、編集者や同業の誰かれと、バアを飲み歩き、ダンスに興じ、「あの人顔に似合わず大胆よ、チークしかけてくるし、首筋に息をふうなんて、ちょっと見えすいてるけどね」屈託なく報告し、こっちはひいひい原稿書いているのに、遊び歩いてと、もし詰問すれば百千の毒矢射かけられるにちがいない。理恵は、まったく物書きのなりわいについて知識がなく、だから法子の時代とは打って変り、金こそ自由になったが、義尊の使いなれたペンを自分のメモ用にし、原稿用紙に洋服のデッサンをえがきちらす。「あなたもこういうきれいな小説書いたら? そうすりゃ私だってPTAのお母様方に肩身が広いのに」とさし出すのを見れば、「星の王子さま」だった。  婦人記者が、夫婦の愛情についてインタビューに来れば、「未婚の方にこんなことしゃべっていいかしら」いいつつ何時間も語って、おそるおそる掲載誌見ると、満艦飾の理恵の写真にそえられて、「セックスの醍醐味《だいごみ》は極めれば極めるほど、奥深いものでございますわ」とあって、義尊頭をかかえ、確かに閨《ねや》のテクニックだけは、結婚前よりさらに上達して、義尊を羽化登仙《うかとうせん》させたが、まったく気紛れに昂ぶり、原稿待つ使いが玄関にいてかまわず、義法のまだ眼覚めている気配でも足からませる。物音に義法が上体を起し、義尊があわてて体を離すと、「何をびくびくしてるのよ、法子さんがこわいの」冷たくいい、「さあさ、ママが抱っこしたげるからねんねなさい」義法を火照《ほて》った胸に抱きすくめ、義尊一指でもふれようものなら、「痛い!」大声上げて、「ヨッちゃん助けて、パパがいじめるのよ」鼻声出した。  理恵のわがまま、身勝手さには、義尊あきらめをつけ、まあこれだけ歳がちがえば、そう肌合いしっくりいく方が珍しい、パーティの会場へ夫婦でくりこむ時、若い妻持つ義尊に羨望《せんぼう》のまなざしが集まることで、まあよしとしなければと、その睡眠薬代りにウィスキー引っかけるのを見て見ぬふり、女中使いが荒く次々代るのも、注意せず、子供が欲しいといえば、それも当然と、産んで後の、理恵の変化には期待せぬまま、種馬よろしく協力し、ただ義法だけがまともに育ってくれればいい。今から思うと、気ちがい一歩手前の妄想《もうそう》だったにしろ、法子の死をねがいつづけ、ひょんなことから実現したやましさが、やはり心によどんで、ある時は理恵の、「法子さんと私とどっちがテクニック上? ねえ、法子さんも私みたいにしてくれた? もっとサービスよかった?」酔ったあげくしつこくからむのを、これも身の因果とただ聞き流し、また、踊りの師匠の還暦祝いに、何十万もの着物贈っても、保険金貰ったんだからとがめず、さらに、狂言にしろ義法かかえてガス栓開いて以後は、酔ったあげく、芝居のつもりが本当になるかも知れぬと、腫《は》れものにさわる按配《あんばい》、外出もひかえて、心くばりした。  法子の時は、憎らしくて、ひたすらこの世から姿を消せばいいと、考えたものなのに、理恵に対し、そう思わないのは、どういうわけか、法子はがんじがらめに縛りつけ、だからこそ束縛を解きたくなったので、理恵はあまりにでれでれしているから、あれよあれよと蟻地獄《ありじごく》、一緒に引っぱりこまれてしまう、その差であるのか。  なんにしても女房運の悪いことで、法子と一緒の頃は、ほとんど鐚《びた》一文自由にならず、理恵に変ってからは、自由になるもならぬも、三年近くの間に法子にまつらう稼ぎほとんど費い果たし、引きかえ価値のある物何一つ残ったわけではない。はじめ義法に雑多な玩具《おもちや》買い与えたが、思えばあれも知恵あってのことではなく、安物をごちゃごちゃ沢山集めるのが好きなだけなのだ。宝石も何百とあるが、これと値のつく代物《しろもの》は一つもないし、着物も末代に残す上物など皆無。  しかし、自分は運が悪いで済むが、義法にまで累を及ぼすわけにはいかぬ。いったん感情が激すると、見分けがつかなくなり、手あたり次第に物を投げ、膳を引っくりかえす理恵だから、義尊心中の危惧《きぐ》もさることながら、幼い義法をはずみで殺しはしないか、小学校二、三年のやわな体なら、小柄な理恵にだって首をしめ、水に溺《おぼ》れさせることができようし、また、あやまって熱湯浴せてしまうこともあろう。裸になって、見るからに頼りないその体つき見るたび、不憫《ふびん》となり、いざという時のため空手でも習わせようかとすら考えたのだ。  体さえ丈夫で、成人すれば二人の母が少々おかしくっても、やがて父を見ることで世の中の在り方に気づくだろう、女房に押さえこまれ、ぐうの音も出ぬ働き蜂《ばち》の如き憐れな父に、男としてのやさしい眼が注がれるだろう。とにかく俺は、誰はばかることない世渡りをしてるんだ、著作だって十冊近くある。義法がこれを読めば、きっとわかってくれると、義尊祈るような気持でいた。そして、義法十歳の誕生をむかえ、学校でサッカーをやるとかで、子供とも思えぬたくましい脚、背丈も理恵と大差ない、もはや、理恵がどうヒステリー起しても、義法は自分の身を守ることができるはずと、義尊このところ肩の荷下したつもり、さらに一刻も早い成長をねがっていたのだ。 「義法と浮気をする? 理恵が?」そんな馬鹿なと二階へ上り、心しずめて思いかえし、しかし、あの義法抱きすくめる時の息づかいは、息子にまだその実感などないだろうが、まさしく女そのもので、それは母でない以上当然のことだろう。義法が十五歳になり、つまり一人前の男子として振舞えるようになった時、理恵はまだ二十九歳、同じ屋根の下にいるのだから考えれば結ばれない方が不思議。  義法が成長すれば、少なくとも理恵に殺されることはないと考えていたのに、成長すれば、今度は、理恵の玩具にされる。もし、理恵が法子に、まだ理由のない嫉妬《しつと》のほむら燃やしつづけているなら、こんなまたとない憂さ晴らしはないだろう。  四十を過ぎた義尊ですら、つい衰えを忘れてのめりこむ魅力を理恵はそなえ、これからが女盛りなのだ。義法が一度味を覚えれば、病みつきとなるだろうこと間ちがいない。  義尊は呆然として机の前に坐りこみ、ふり払おうとしても、二人のからみ合ってうねうねとうごめく姿態、脳裡《のうり》に妖《あや》しく浮かび、年若いうちから、理恵のような手練《てだ》れに仕込まれた男は、どんな風になるものか、法子の相手だったらしいホストは、額せまく眉毛の濃い、いかにも女体に奉仕するため生れて来たような印象だったが、義法もあんな風に仕込まれてしまうのだろうか。そして、法子のような醜い中年女を歓喜させ、金をしぼりとるのか。理恵直伝のテクニックで、女たちを悶絶《もんぜつ》させ、膝下《しつか》にひれ伏せさせ、貢物《みつぎもの》でおもしろおかしく世渡りするのか。  義尊は、息子が見るからにそれらしいホストとなり、とっかえひっかえ女を代えて、王者の如く振舞う姿を妄想し、女の中には法子の顔も、理恵の恍惚《こうこつ》とした表情もまじっていた。丁度、符節が合ってるじゃないか、父親がさんざんな眼にあわされた仕かえしを、義法お前がやれ、俺がみじめになればなるほど、お前の存在は輝やかしくなる。階下から便所に起き出したらしい義法を、理恵のからかうらしい声がひびく。義尊は理恵と義法の抱き合うかたわらで、何くれとなく手伝い、いたらぬ息子の分を引き受けて、あるいは理恵の脇腹に舌はいずらせ、乳房もみしだいて奉仕する自らの姿を思い浮かべ、この妄想は以前のそれよりさらに甘美な色合いおびる予感があった。 [#地付き](「オール読物」昭和四十六年三月号)