野坂昭如 姦 目 次  紅あかり  老いのさかり  姦《かん》  地底夢譚  母紅梅  末期《まつご》の蜜  至福三秒  童貞指南  処女かいだん  うすい気分  濡《ぬ》れ暦《ごよみ》  やさしい夫婦  粗忽《そこつ》の人  ヨイヨイ信仰  色流れ [#改ページ]  紅あかり  ふりむくまいと、心に決めていたのだが、土手の上にたどりついたとたん、少年は立ちどまり、まるでいやいやながらのように、ゆっくり首だけまわして川原をながめ、一面におい繁った草や、積み上げられたまま立ち腐れる藁《わら》、今、自分がたどって来た凸凹《でこぼこ》の道、その先のひたすら黒い流れ、やや上流に鎌首もたげたクレーンなど、あらためて確かめ、ふっと闇の中に、老婆めいた少女の笑い顔が浮ぶように思い、眼をつぶった。  瞼《まぶた》の裏に点滅する星が、気まぐれにとびかい、見つめていると、そのままねむり込んでしまいそうで、まあ、それもわるくはないと考えつつ、一方では、いつまでぐずぐずしてはいられぬ、少しも早くここを遠去からなければと、下腹にむずかゆい感触が生れ、この感触はなれっこのこと、せき立てられたり、苛立《いらだ》った時いつもなるのだが、あの後でも別に変らないものなのかと、少しがっかりする気持もある。何故、あいつは笑ったのだろうか、笑いさえしなければ、俺は、すくなくとも殺さなかったろうに、いや、ひょっとして死んではいないかも知れぬ、いったいどれくらいあの白い喉首を指でしめつけていたのだろう。まるで骨がないみたいな、やわらかい首のまわりに、指がずぶずぶ埋まって、ひょっとすると、このまま首がとれてしまうんじゃないかと、気味がわるくなり、あいつはあかんべえしたように、眼をむき唇を半分ひらいて、舌をのぞかせていた。 「俺、橋本豊ってんだ」これで終ったと、少年の満足した時、自分でも思いがけず、名前を名のり、肘《ひじ》で上体を支え、肩を大きく波打たせあえいでいた少女は、反射的にニッと笑ったのだった。あいつ、俺を馬鹿にしやがったのか、強姦されて笑う女なんてきいたこともない、しかもあいつはまごう方なく処女だった、泣きわめいて当然なのに、どうして笑ったのだろう、殺されると思っていたのか、俺が名前をつげたものだから、やれ安心とつい頬がゆるんだのか。しかし、どうしてあんなにみにくい笑いだったのだろう、どうみたって、五十、いや六十婆アの愛想笑いじゃないか、たしかに涙も流していたし、唇のはしからよだれをこぼし、みられたざまじゃないにしても、最前まで処女だった娘の笑顔ってものがあるはずだ。  笑いさえしなければ、殺さなかったのに、あいつが笑ったから、何もかもぶちこわしになっちまったじゃないか、それまではうまくいってたんだ、計画、といっても銀行ギャングじゃないから、こと細かにプランを立てはしないが、万事思いえがいていた通りだった。飯場《はんば》のプレハブの二階で、煎餅《せんべい》布団にくるまり、いったい何百回くりかえしたことだろう、いや、本当は何も分りゃしなかった、女にとびかかっていくところまでは、見当がついても、その先いくらまさぐったってはがゆいばかり、しかし、今はこの手にはっきりと実感が残っている、苛立たしいばかりだった何百回かの妄想に、逆に配給してやれる。何百という虚しかった夜を、充たしてやれる、記憶が未来に向うものとは限っていない、過去の欠落した部分を、補ってわるいことはないだろう。今こそ俺は、完璧に夜毎処女を犯して来たのだ。  少年は、右手を鼻先にあて、まるで高価な香の煙かぐように、ひそやかに息を吸う、血と、少女の体液の匂いが胸にひろがる、これだ、女の匂いがどんなものか、すぐそばにあるようでいながら、かなえられずもどかしく探り求めていた、これが女の匂いだ。少女の秘所に深々とさし入れられた少年の男根は、血にまみれていた、血にまみれつつ、いささかの痛みもないことを、少年は不思議に思い、少女はほとんど声にならぬ悲鳴上げつつ、顎《あご》を宙に向け、両手を胸の前に交差させ、少し前まで、思い出した如く意味のない身悶えしていたのに、いったん男根が没入すると、首から下、死んだように動きをとめて、ただ顎だけをしゃくり上げていた。これでいいんだと、少年しみじみ見入り、今なら誰に見られてもいい、いや観客が欲しかった、俺は処女を強姦してるんだぞ。  はじめてのことなのに、そして、何百回となく思いえがこうとして、浅い夢の記憶よりあやふやな妄想しか、抱けなかったのに、前から確固たる予想を持ち、その通りにことの運びつつある満足感があって、ただ、血の色にだけは、初めおどろいた。処女はことに際し出血すると知識はあったのだが、男根に幾条もの、血のかたまりが付着し、いかにも固い感じでそれは少女の体内に進入くりかえして、ぬぐい去られることがない。この後、浮き出した血管の如く、へばりついて離れないのではないかと考えたほど、ねばっこい印象だった。  しかし、俺は何故名前をいったのだろう、強姦した後で、わざわざ名のりを上げる馬鹿はいない、名をつげたら、もう一度あいつを抱けるのではないかなど、浅はかなことを考えたわけでもない。もともと、あいつがどこの誰と知ったこっちゃなし、たまたまいあわせただけのこと、俺だって、強姦がそうたやすくかなえられるとは思っていやしなかったんだ。あいつ何しにこんな川原へやって来たんだろ、失対の婆さん連中、よくここで立小便をするが、まさかそのつもりじゃなかったろうな。少年は、おかしくなり、しかし、笑うまでにいたらぬのを、無理にふふふと、口に出し、立小便する婆さんの秘所かいま見たことを脳裡によみがえらせる。一尺ほども、それは縦に裂けて見えた、ずい分遠くからだったが、そこだけ拡大鏡あてたようにくっきりと、肉のそげ落ち、垂れ下がった尻の間に浮び上り、断崖の如く内に向け、陥没していた。  あいつのも、年をとるとあんな風になるのだろうか、なるのかも知れない、俺が抜き出した時、あいつのはラッパのように広がっていたからな、あいつが結婚して、何千回と男に抱かれたなら、あの婆さんみたいになったって不思議はない、俺は、閉じてやったもんな、まくれ上った茶褐色の弁を、親指と人差指の間にはさみ、上から下へ何度も閉じてやった。いくら閉じても、ゆるんだゴムのように、じわっと開いて、中の紅い肉の色が見えあらたに白い液をはき出す、弁の両側に指の側面を当て、ちいさな砂山築くみたいに、寄せてみても駄目だった、子供みたいに幾度もくりかえし、あいつはまたしゃくり上げつつ、だまってされるままにしていた、根は素直で、いい嫁さんになったかも知れない。  少年は、自分が犯し、あげく殺してしまった少女を、ふと妻にしたいと願っていることに気づいてうろたえ、急に、本当は殺していないんだと信じたい気持が強まって、少女のあれこれ、自分の犯した行為と関係ないなにやかや考えることで、それがかなえられるように思う。年いくつだったのだろう、ミニスカートから延びた素脚だけは、はっきり形を覚えているが、顔つきはわからない。強《し》いて思い出そうとすると、ニッと唇ゆがめて老婆の如く笑った表情がよみがえり、少年、首をふって振り払う。飾り毛は三角だった、それは、飯場で年長者に見せられたY写真の翳《かげ》りと、まったくよく似ていて、年齢を推しはかるよすがにはならぬ。秘所に唇押し当てた時、懐中電燈で照らし出し、しげしげと見たはずなのだが、べつだん男のそれと異なっていたようにも思えない。乳房は、とにかく柔らかかった。乳首に舌をふれると、ざらついた感触、小骨のように突き刺さるものが、ほんのちいさい突起のくぼみの中にあった。乳首は、本当ならしごくなめらかなはずで、あの小骨のような当りは、若いためなのか。商売女数こなしている年長者からは、教えられなかったことだ。  あいつは十五、六なのか、あるいはもう少しとっているか、中学の頃の同級の女を思い浮べたが、まるで別物の感じ、すくなくとも俺より年下にちがいない。十八歳である少年よりいくらか年上でも、さしつかえないはずだが、少年はよりどころのないまま、十六と決め、年齢を決めると、過ぎてしまえば、たちまちとりとめなく思える一部始終急にまたなまなましくよみがえってくる。  強姦の機会うかがって、この川原に寝そべっていたわけではなかった、女を犯す、というより女を抱く形は、強姦より他に考えつかないから、夜、煎餅布団にくるまり、少年はあれこれ思いえがいていたのだが、太陽がのぼるといっさい消え失せ、女をみれば自分がひたすら卑小に思えるだけ。まったく絵空事だったのに、ひょいと気がつくと、土手の上に少女がいて、まさかこちらに近づくまい、そんな馬鹿なことの起るはずがないと、いいきかせつつ見守るうち、糸にひかれる如く、少女は土手を降り、恋人と待ち合せの場所に急ぐような足どりで少年のそばまで来たのだ。三メートルとはなれぬところで立ちどまり、まだ少年には気づかず、ガラガラと川の土砂すくい上げるクレーンをながめていた。  そうだ、髪の毛が肩まであった、はじめ俺は髪の毛をひっつかんだんだ、つい最前のことなのに、記憶が前後し、とっぷり暮れてあたりに人影はないから、少年、土手の斜面にしゃがみこむ。後ろからとびかかった時、あいつと眼が会ったように思うけど、どんな表情浮べていたのだろう、気がつくと、俺は女を押し倒していた。まだ陽もあったし、土手の上を、自転車に乗って通る人が見えた、俺は、十中十まで未遂に終るだろうと思っていた、サツにつき出されたってどうということもない、むしろ飯場の連中に対し肩身が広いような、妙な見栄を意識していた。女はうつぶせに倒れ、俺は羽がい締めのような形で、ただのっかっていた、丁度、古い藁束《わらたば》の積まれている陰になって、土手からはどうやら姿をかくせる、川の向うからでは、男女もみあってるなと見分けつくまいと、けっこう冷静に考えていた、どうしてあいつ声を立てなかったのだろう、仰天してそのゆとりもなかったのか。  あいつの尻が、俺の跨間にあたり、特にそのつもりもなかったが、うんうんうなりつつ腕突っ張って起き上ろうとするあいつの動きにつれ、ぴったり割れ目にあてがわれ、まだおれのものはいきり立っていなかった。もうこれで十分みたいな気もあった、腕を払うつもりで前へまわした手に、乳房のふくらみがさわり、「女なんてな、オッパイいじくってやりゃイチコロよ」といっていた兄貴分の言葉が、はっきりきこえたように思う、俺はめったやたらにふくらみをひっつかみ、お互い衣服つけたままなのに、あいつの中にもぐりこもうと、腰を押しつけた、あいつは息苦しいのか、ぜいぜい喉を鳴らし、どのくらい時間が経ったのか、めっきり抵抗する力が弱くなったから、へばりついているだけだった上体を起し、両手で背中を押えつけながら、俺も息を整えたんだ、俺は少しも乱れていない、たしかに女なんて弱いもんだ。  もっとふさわしい場所を探すつもりで、あたりを見まわしたが、何もない、少し濡れてるようだったけど、藁のこぼれている方へ、あいつを引きずり、仰向けにさせようとすると、両手で顔おおったまま、いやがって、そのうちスカートがまくれ上り、パンティが見えた、ガーゼみたいに薄い生地で、見たとたん俺は、あいつの秘所に、パンティの上から唇を押しつけたんだ、といってどこに何があるか分りはしない、子供の遊びみたいに、押しつけたまま息を吐きかけ、くりかえすと熱くなるはずだが、たずねるわけにもいかぬ。  俺は、そんなことをまったく考えてもいなかったのに、懸命になにもかも見ようとした、すぐ横にのびる脚を横目でながめ、スリップのたくし上がった様子を上目づかいに観察し、両手がどこに触れていたか、まったく覚えがない。  唇をはなすと、俺のよだれでパンティは点々と濡れ、黒ずんでいた、強姦の時は、脱がすより破れと聞いたことがあったし、ガーゼみたいなそれは、しごくたわいなく見えたけど、俺は、脱がす方をえらんだ、もし、素直に脱がさせるようなら、その先は楽だろうと、瀬踏みする気持もあった、そして、あくまでいやがるなら、途中で止めるつもりだった。  両掌で顔おおったまま、少女脚を六十度ほどに開いて、身じろぎもせず、スリップ、セーター共にたくし上がって、わずかに腹が見え、少年はその体を横向けにし、バタリと脚の重なったところで、パンティをずり下ろした。まず丸い尻があらわれ、パンティとり去るといかにも肉づきうすい感じで、藁を敷くとはいえ痛々しい、すでにかなり暮れて、人に発見される心配はないが、少女の体も闇にまぎれかねぬ。見習い電気工である少年、日頃持ち歩く七つ道具に懐中電燈があって、手術にのぞむ医者の如く、それをかたわらに置き、これからどう扱っていいのか、五里霧中だが、とにかくながめてみたい。「見せてくれ、いいだろ」少年がたずね、少女耳に入らぬのか、入っても返事の余裕もないか、時におこりのついたように五体わななかせるだけ。再び脚開こうとした時、わずかに抵抗があったが、それは誘い水でしかなく、少年わが身を少女の脚の間に押し入れると、膝で後じさりし、肘で上体を支え、ほとんど暗くて分別つかぬあたりに視線を向ける、中指の腹でなで下ろすと、ぬらぬらした感触が移り、逆にすれば、指が吸いこまれる如く、ようやく地面に腹ばいとなった少年、跨間に熱気を覚えた。 「この中に入るのか、ここに入れるのか」懐中電燈片手ににぎりしめ、掌でおおいつつ秘所にかざし、暗さになれていたせいか、そのあたり白色に輝いて、中央にふっくらした丸味があり、裂け目というより三条の線が浮き出していた。しばし後、少年は指で押し開き、中央は鮮やかな紅、端にいたってややうすれ、そのどこにも期待した孔はないからあわてて、乱暴になお開き、少女はじめてうめきをもらした。  声を耳にし、ちらとその表情うかがいかけたが、むしろ微妙に変るうめきの音色を探索のたよりにして、懐中電燈なお近づけ、光の輪の中心に、強い光芒があり、水鏡の反射の如くゆらゆらゆらめく、「アー、ハァ」蚕《かいこ》のくり出す糸のような、細いが潤沢のある悲鳴が断続し、まるで痰《たん》の如き粘稠《ねんちゆう》な液がにじみ出し、少年は今は迷わず、孔の下部に指さし入れた。軽い緊縛を覚えつつ、指はどこまでも沈み、指の周囲は黄色いひだに包まれていた、滑らかに抜きさし出来て、五、六度くりかえして後、狂ったように少女の上体へしがみつき、いたるところに唇押しつけ、また下って、秘所に吸いつく。  わずかな突起を、仔犬の乳首まさぐる如く舌で押し、唇ではさみ、ふと顔をはなしてながめこむ、少年の唾液も入りまじり、白い泡が幾筋も、弁から尻に伝い、強い酸性の匂いが立ちこめた。少女の顔は闇に溶け入ってうかがえず、ただ仰向けになれば、ほとんど平坦な胸のみはげしく起伏し、右手は顎に当て、左は体と平行に置き、掌に力はこもっていない。  俺は、はっきりこの眼で確かめながら入れた、弁がねじれ曲り、とても無理に思えた、逃げようとする尻を両手でかかえ、懐中電燈を口にくわえ、俺の先端がどうにかかくれた時、津波のように何かが逆流して、一気にまた下降していった、白い液体があふれ出し、あいつは息をひそめ、今起ったことを、推しはかろうとするように、俺はたしかにあいつの視線を感じた。かかえこんでいた尻をはなし、俺のふとももと交差する奴の、細いそれをなで、毛をつまんで俺は、少し時間を稼いだ、くすぐったい感触に、苛立たしさがまじり合い、先刻より尚ふくれ上って見えるのを、俺は真直ぐに打ちこみ、しかしすぐは入らず、左右にこねて、脚をなお展《ひろ》げさせ、もはや弁も突起も見えぬ、あいつの体に、短刀の如く俺は半ばまでうめこみ、あいつのふとももに鮮血の飛沫が三つあった。俺はゆっくり動作し、そのたび、あいつの牛のようなうめきがひびく、あいつは自分でセーターを首までたくし上げ、それを命綱のようににぎりしめ、にぎった拳《こぶし》がわなわなふるえていた。  退くと、自分でもおどろくほど、俺のものは長々とあらわれ、進むと、それはきっかり納まり、そのたびにあたらしい熱が加えられるようだった、退く時あらわれる弁は真紅に色どられ、血を吸い上げるポンプのように、動きにつれ、その周辺紅にそまった、また地鳴りのように、奥底から湧き起るものがあって、俺は耐えることをせず、放ち、しかし、最初の勢いには遠く及ばず、滲《にじ》み出たような具合だった。 「俺は、橋本豊てんだ」何故、名乗ったのだろう、覚えておいてもらいたいというつもりはない、処女を奪った男の名前くらい知りたいだろうという親切心では、もちろんない、ただなんというか、知合いになったみたいな気がしたんだ、この町で、俺の名を知ってる奴など飯場の連中以外にいない、奴等の他にも知合いができたと、実はうれしかったんだ。それなのにあいつの笑い顔ときたら、処女を失うと、あんなに急にふけるものなのか、いや、もとの顔を俺は知らないんだが、婆アみたいな表情で、ニタッと笑いやがって、あのままほっといたら、あいつは自分の名前を口にしたにちがいない、あいつの名前などくそくらえ、俺の名前だけ知ってりゃいいんだ。  少年は土手の上に立ち、本当に死んだのかもう一度たしかめに行きたい、いや、少女の表情とその秘所からあふれ出た血潮を、もう一度見たい、闇にまぎれて、どことさだかではないが、その横たわるはずの地点を探し、すると暗闇の中に、紅くおぼろに浮ぶものがあって、それは丁度、少年の郷里で、夏に咲くべにばなの、闇にすかしてながめた色によく似ていた。べにばなの咲く下には、老婆の死体が埋まっている、老婆の生血すすって、べにばなは、闇夜に紅あかりを放ち、そして、若い女の肌をかざるといい伝えが残っていた。  老婆のはずはない、あれは処女だった、そのしるしにと、少年は指をかざし、血の色をたしかめようとしたが、懐中電燈を忘れてきたから、ただ黒いかげが掌を汚し、この臭いはと、指を鼻にあてたが、屍臭でしかなく、紅あかりのみ、ゆらゆらと、ゆれうごいていた。 [#改ページ]  老いのさかり  切火を打ちながら、おばあさんは、妾の家へもどる亭主を見送って、こんなことするなど、私も人が好いよと、われながらうんざりし、なおせわしく火打石を二つ三つ乱暴に打ち合せる。「清めてんだか、やけっぱちなんだか分りゃしねえ、とんとカチカチ山で、後ろから火ィつけられそうだ」ずっと以前、おじいさんのぼやいていたのを思い出し、ひょいとおかしくなり、三月ぶりに見るその姿は、またいちだんと肩が落ち、足もとおぼつかなく、爪先の破れを糸でかがったコードバンの靴はくにも、酔っている如く、体がふらつく。  戦災で、生命《いのち》からがら焼け出されて逃げる時さえ、兵児《へこ》帯にぐるりと別|誂《あつら》えの下駄をぶら下げていた履物道楽だったが、この年になると見栄もなくなるらしい。「お早う、おかえり」おばあさんが声をかけ、ちゃきちゃきの江戸っ子なのだが、若い頃、大阪で亭主に呼びかける妻のこの言葉を耳にし、ひどくあでやかな印象だったから、以後、真似していたのだ。  おじいさんは、レインコートの襟《えり》に、おとがい埋めるようにしつつ、ネクタイを直していたが、面《おもて》上げるとにやりと笑い、しかし、その頬や額にしみが目立ち、三月の間にずい分|痩《や》せていた。笑いかけたおじいさんの胸中すぐおばあさんにも伝わり、するとつい「何いってんだい、色気違いが」反発する気持が起り、それ以上は見送らず、玄関横の、四畳半へ入る。  そこは、昨夜、おじいさんの泊った部屋で、年寄り臭いにおいがこもり、体臭に敏感なおばあさんたちまち顔しかめて、窓を乱暴にひきあけたが、思いがけず、庭先におじいさんがいて、戦前は羽振りもよかったから植木庭石の手入れも行届き、四季それぞれの花にこと欠かなかったのに、今は、塀に面して兵隊の如く杉や椎の木が並ぶだけ、風情もおもむきもありはしないのだが、おじいさんじっとながめ入る。  お酒を買ってやりゃよかったと、おばあさん後悔し、昨日の夕方、ひょっこりやって来て、根っからの酒好き、もの欲しそうな顔してるから「女世帯に、酒の買いおきはありませんよ、味醂なら残ってるけどね」つっけんどんにいうと、「これで、焼酎買ってきとくれよ、近頃の焼酎は、なかなかうまいんだ、酔いざめもすっきりしてるし」二百円を、長火鉢の猫板の上に置いた。俥《くるま》引きじゃあるまいし、焼酎などと、あきれはて、こんなものは暑気払い、湯上りに口にふくんで体に吹きつけるか、でなきゃ切り傷の消毒じゃないか。「私ゃいやだよ、おじいさん自分で買ってきとくれ。第一、名前も知らないし」白鷹、菊正、剣菱、富久娘に覚えはあっても、焼酎の銘柄は分らぬ。  おじいさん、いやな顔もせず立ち上ると、「ついでに何か買ってくるものあるかい」「食べたいもの見つくろってくりゃいいだろ」湯豆腐、煮豆、らっきょ、海苔が好物だったが、「あいよ」と返事して、手をさし出し、その分の金を寄こせというのだった。おじいさんは、以前、浅草の芸人で、それから作者になり、小屋の支配人を経て、一時はラジオに関係していたが、現在、肩書は保険代理業、広告企画|請負《うけおい》、不動産斡旋とにぎにぎしくとも、ほとんど無収入。戦後、九州の巡業先で知り合った女と、千葉県に住み、夫婦養子をとって、その稼ぎにおんぶしているのだから、酒の肴《さかな》もままならぬらしい。おばあさん舌打ちして、それでも印伝の紙入れから五百円札一枚抜き出して渡し、小唄の名取りでけっこう弟子がいたから、かえって呑ん兵衛一人他人にまかせていりゃ、年に二、三度|湯治《とうじ》に出かけるゆとりができた。  おじいさんは若い頃から道楽者で、それも商売柄と目をつむり、おばあさんの方にもひけ目はあって、三十過ぎた頃、子宮筋腫であたりいっさいとり払っていたから、下司《げす》な言葉でいうと、ねやの中で先につかえがないし、子宝のぞむべくもなく、さらに、女でなくなってからというもの、男|勝《まさ》りはおろか、癇癪《かんしやく》起せば、何の何代目という紋々の兄さんもはだしで逃げ出すほど。つい近頃も、小金溜めこんだ老婆の一人暮しとふんだ強盗押し入ったが、おばあさんとっさにガーップウと痰《たん》を吐きかけ、ひるむところを物差しでなぐりかかり、手取りにこそ出来なかったが、見事追いかえしたのだ。  だから、おじいさんが踊り子や、未亡人いずれもみっともない女を、いい年して追っかけまわしているのに、そうやかましくはいわなかったが、妾宅、といっても一軒構えさせるだけの甲斐性はなく、女が建売り住宅買って、おじいさんはせいぜい道具をそろえただけ、にしてもそのことを知った時、怒り狂って、千葉まで押しかけ、直談判《じかだんぱん》。  しかし、平身低頭してあやまりながら、九州の産だけあって根はしぶとく、耳なれぬ言葉で綿々と、小娘が初めて男に惚《ほ》れた如く、おじいさんへの気持をのべ立て、おばあさんは、亭主を寝とられたというより、不始末しでかした下女の弁解きいてるような気になり、また、おろおろと取乱すばかり、「まあ、煙草でもどうですか」と、頓馬《とんま》な口をはさんで、しかもさし出した指先ぶるぶるふるえている。こんな男にでも、入れあげる女がいるのかとおかしくなり、「話は分ったよ、まさかノシつけてさし上げるってわけにもいかないけれど、けじめさえつけてくれるんなら、野暮《やぼ》はいわないさ」芝居がかった台辞《せりふ》を吐き、本妻と妾のけじめについて、そうはっきり心得るわけではない。  ただ、小唄教える立場にいれば、身近にこの手のいざこざいくらも見聞きし、そのつど、うるさい亭主の面倒見てやろうってんなら、ねがってもないことじゃないかと、考えたのはやはり他人ごと。我が身にふりかかるとつい取乱し、しかし、あっさり納まりつけたのは、男勝りの気質のためだろう。  妾はけじめをどう受取ったのか、盆、暮に届けものをし、几帳面に時候の挨拶を送ってきて、おじいさんはまた図々しく「あれはなかなか出来た女だね」と、鼻の下をのばし、てやんだいと腹は煮えたが、もう面には出さぬ、「野暮はいわない」といい切った一言、女だって守らねばならぬ。当初は、一日泊り二日泊りと、やはりおばあさんの顔を立て、それくらいなら妾を持つ前だって、いったん家を出りゃつぶての如く、いちいち帰宅を心待ちにしてもいられなかったから、まあ、変りはなかったが、四、五年前より、どっちかといえば外泊が多くなって、ひょいと気がつくと、おじいさんこっそり身の廻りの品も、持ち出して運ぶ様子。  たしかにあったはずの、堆朱《ついしゆ》の盆や銀の水差し、花瓶など、ふだんは使わず押入れに入れておいても、疎開して辛《かろ》うじて残った、いわば夫婦思い出の品々、自分の衣類ならまだしも我慢できたが、あの盆を中にして、妾とくそ爺《じじ》いがお茶でも飲みやがるかと思うと、無性に腹が立ち、また、おじいさんがいなくてもそうさびしくはないのに、昔の臭《にお》いのこもった品がなくなってみると、しみじみ辛い気持となった。  いうまいと思ったが、少しいじわるな気持も働き、のっそりと戻ったおじいさんに、「私はちょいとお稽古にいってきますからね、おそくなるし、まあ、お寿司でもとって済ましといて下さい、明日は御馳走しますから」いわずもがなのお世辞までつけ加え、二時間ほどして不意にがらりと玄関の戸引きあけたら、まるで引っ越しさわぎ。丁度、季節の変り目で、衣類を探していたのだろう、一面に洋服箱や道具の入った茶箱をならべ、入用な品を風呂敷の上において、まさに包みこむところ。おじいさんさすがにばつが悪くて、ものもいわず、片づけはじめるから、「泥棒!」と一喝し、電気のお燈明ひっつかんで、腰を一撃、たちまちあいたたと悲鳴上げるのをゆるさずなお打ちすえ、これがきっかけで、おじいさん、妾の家へ腰をすえっぱなし。妾からは、その後も届け物があったが、月に一度上京のついでにおばあさんをたずね、たいていは泊らずに帰る。 「あちらさんとはうまくいってんのかい」久しぶりに長火鉢はさんでのさし向いだが、さし当って話題もなく、たずねると、焼酎四合瓶を大事にかかえこみつつ、「いや、どうもねえ、人を年寄り扱いにして、近頃やたらと病院へ連れてったり、漢方薬のませたり」「けっこうなことじゃないか、大事にしてもらって。でなんなの、どっか具合でもわるいのかい」「そんなこたあないよ、ごらんの通りぴんしゃんしてんだが、ころばぬ先の杖だってんだ」焼酎のせいか、ほんのり赤らんだおじいさんの表情、たしかにいう通りで、やっぱりふつうの女なら、そうやって体の心配をするもんなのか、私なんぞ一度だって亭主の病気気づかったことはない。おばあさん何となくわるいような気がして、「オムレツでもつくりましょうか、え?」肴は、色のわるいくさやと、無造作に切ったトマトと、福神漬けで、いずれもおじいさんが求めてきたもの。  おばあさんは江戸前で、夕方早くに済ませていたから、何もつくらなかったのだが、いわれて相好《そうごう》くずし「ついでに、そこに山の芋《いも》があるだろ、とろろにしてくんな」少し甘やかすとすぐつけ上ると、おばあさん腹を立てながら、それでも台所に立ち、考えりゃ山の芋は精にいい、妾とは二十以上年がちがうはずで、せいぜいとろろすすってかわいがってやるのかね。あるいは妾は、近頃、おじいさんが御無沙汰つづきだから、その体を気づかってるのかも知れぬ、おばあさんは妾の肌浅黒くて腰の平たい体つきを思い出し、べつにやきもちやくつもりはない。むしろ、若い女をもっちゃって、おじいさんも御苦労なことだろうと同情がわき、女盛りの時分にも、おばあさんは、そう床に欲張りな方ではなかった。やはり卵巣までとってしまったからだろうか、自らすすんでねだった覚えはなく、「どうもうちの奴は、冷たくってねえ」と、おじいさんがあけすけな話を友人と交わすのを陰できいて、心も乱れぬ。  おじいさんに、最後に抱かれてからどれくらい経つだろう、妙なことを考え、いくら思い出そうとしても、とっかかりがなく、つい手もとおろそかになって、オムレツ一つ焦《こ》げさせてしまい、その匂いにわれにかえると、もはや、色めいた気分は消えていて、山の芋にとりかかる。そして、珍しく腰をすえているが、今夜は泊るつもりなのか、実は、おそくに弟子が一人稽古に来るはずで、邪魔にはならぬが、折角来たのに、かたわらで下手な喉きかされるのも気の毒。おばあさん、妙に心やさしくなって、「あんた、今夜どうするの」たずねると、「よかったら泊めてもらうかなあ」「よかったらって、自分ちじゃないかね」弟子に電話をかけて、断りをいい「およしよ、そんなに飲んじゃ毒だよ」四合瓶半ば空けたのをたしなめると、おじいさん素直に従った。 「布団ひくから手伝っとくれよ」「あいよ」気軽にこたえたが、足もと覚束《おぼつか》ないから、「いいよいいよ、こっちで倒れられちゃ、あっちに申しわけがない」妙なこと口走って、おばあさん四畳半に床をのべ、おじいさんは寝つく前いつも新聞を読むくせがあるから、スタンドを用意しようとして、電球が切れている。電気のお燈明をもったいないが代用にと、背伸びして神棚からとると、「おい、よしとくれよ」おじいさんの声がし、みると及び腰となっていて、よほど以前のことがこたえているらしい。「ぶちゃしませんよ」苦笑いして、おばあさんさらに煙草盆、水差しを枕もとに置き、「さあ、どうぞ」追い立てるようにいうと、「どうだいおばあさん、久しぶりに」おじいさんにやりと笑っていい、一瞬何のことか分らず、きょとんとしていると、今度はしっかり足踏みしめて立ち上り、おばあさんの袖を引いた。  おふざけじゃないよと、口まで出かかったのを、ふっと焼酎のいやな臭いが近づいて、声を出すよりつい顔をそむけ、すると、おじいさん猫なで声で「ずい分になるなあ、ええと」おじいさんも忘れてしまったらしい。八つ口から指が忍びこんで、子供を産まないおばあさんの乳房は、まだこんもりと瑞々《みずみず》しく、その裾ひろがりのあたりを、やさしくはいずらう。  おばあさんは、ただびっくり仰天し、いい歳して何をするんだと、むしろじゃれかかる子供をもて余すように、声高にしかりつけるのも具合がわるい。「いいだろ、夫婦なんだからさ」おじいさんも勝手がわるいらしく、おかしな台辞を口にしつつ、四畳半へどたどたともつれこみ、器用にスイッチを消して、真の暗闇。そのままおおいかぶさって、おばあさんの胸もとをはだけ、「およしよ、なにすんのさ」拒んでみたが、あまり遠去かっていたことだから、そして、ねやのことなどてんから忘れていただけに、自分の言葉が空々しく、「あっちにわるいよ」「あっちは妾じゃねえか、気にすることはない」そういわれればその通り。なるようになれと身をまかせ、手早く帯をときにかかり、あいまいに唇を寄せて来るおじいさんの動きが、まだ他人ごとのようで、すっかり図にのったおじいさん、枕もとの御燈明のスイッチを入れると、「いやだよ、消しとくれ」おばあさん、消えいるようにいい、となるとこれは、もう応じたことにちがいない。  小唄の名取り同士、よくねやのあれこれあげつらって、腰が抜けたの、ハンケチかみしめるのとあけすけな話をきき、おばあさん自分ではそういった覚えがないのだが、うらやましい気も起らず、どっちかといえば、うっとうしさが先に立つ、特に夏など、折角風呂上りでさっぱりしているのに、とっかかられて、互いの汗にまみれるなど、真平御免だった。 「お互い、長くはないんだから、まあ仲良くしようや」「そっちがいつも勝手ばかりしてんじゃないか」「わかってるよ、俺はまったく駄目な男だけどさ、まあ、よろしく頼むよ」ぼそぼそつぶやきながら、おじいさんはみずからの股間をまさぐり、しきりにふるい立てるようだから、おばあさん手助けしてやって、こんなこともこれまでついぞなかったことだ。  妙に頼りなげなおじいさんの台辞に、おばあさんつい同情したので、おじいさんはだまりこみ、おばあさんの乳房を赤ん坊の如くいじくりつつ、息をひそめる。おばあさんはおかしな成行きになったと、まだ覚めていたが、やがておじいさんの指がふれた時、そこが滑らかになっていると自分で分って、いやらしいと自分を考える。六十にもなってなんてこったと思いつつ、もうそんなことはあるはずがないと信じていたのに、どういうわけか。まだ、女なんだろうか、と、考えたとたんわれとわが身がいとしくなり、こんなに長い間亭主から見放されていて、かわいそうに、おじいさんを恨みがましく思い、ついすねるように脚を閉じた。  それがきっかけで、おじいさんまだ柔らかいものを、門前にのぞませようとし、おばあさん他愛なく、受け入れる姿にもどり、しかし、どう試みても、おじいさんが雄々しくならないのだから、かなわぬ。「無理しなさんな、それこそ体に毒だよ」いいかけたが、折角一生懸命なのに水さしちゃわるいとだまりこむ。  柔らかいものの、股間にうごめく感触がそのうち、さらに上の方へはいのぼってきて、くすぐったくなり、おじいさんのつとふれた腋《わき》の下や、あるいは唇のはう首筋も同じく、これ以上つづけられたら、たまらず笑い出してしまうだろうと、心配になった時、くすぐったさの底に、全然別種の感覚があると気づく。それは海の底からはいのぼって来るように、次第にはっきりし、つい腰がゆれて、熱いものがほんの少し体内におさめられ、おじいさんの溜息がきこえる、その息づかいをたよっておばあさん、自分の唇を近づけ、舌を思いきり吸われたから、少しうめいたがその痛さは気にならぬ。おじいさんは相変らずのままで、それ以上入りこめず、しかし、柔らかい感触を源として、とび火するように乳房や首筋、腰のあたり、ぼんのくぼがとろけ出し、はがゆさがそのまま油を注ぐ結果となって、知らぬ間におばあさん、波間の小舟のようにゆれていた。  いったいどれほど経ったのか、かたわらにおじいさん荒い息をついて横たわる、「よっこらしょ」かけ声かけておばあさん身を起し、足はしっかりしているはずなのにたたらをふみ、闇になれた眼が、また周囲から暗くなった。台所で手ぬぐいを水にひたし、後始末すませると、「なんてこったい」眼の前の、山の芋の残りが、白々しくうつる。  朝起きて、昨夜のあらまし思いかえしても、どうも現実ばなれがしていて、しかし、あの感触だけははっきり覚えていた。あれがつまり、名取りたちの口にしたことなのか、六十になってようやく経験するなんて、こりゃお笑い草だ。二度と求める気もないし、おじいさんとだからといって恋しく思いはしない、いつまで寝てられちゃ片づかなくって困ると、わざと物音荒々しく立てて掃除にかかり、ねぼけ眼《まなこ》のおじいさんの方が、妙に照れていた。「山の芋、まだあったろ」「ありませんよ」「いや、昨日まだ半分」「捨てちゃったよ、あんなもの」また突っけんどんな調子にもどったおばあさんに、おじいさんおたおたと便所へ入り、「汚さないで下さいよ、尻ぐせがわるいんだから」おばあさん、追い打ちをかけた。  玄関で、うっかり「おはよう、おかえり」とずい分昔の口癖が出たのは、やはり昨夜の名残りなのか、それをうけておじいさんがにやりと笑った時、いかにも卑しく見えたから、腹が立ったけれど、ぼんやり庭をながめているその姿かいま見ていると、かわいそうにもなる。もうおじいさん長くはないな、うすい肩や、しわの目立つ首筋、妾が気にするのも無理はない。酔っている時は、色艶よかったが、おてんと様の下では皮膚の黄ばみが目立ち、ひょっとすると癌《がん》じゃないか。  おじいさんはお別れに来たのかも知れぬ、死ぬ間際になって、ようやく私に女らしい思いをさせてくれたのかい、よく気のつくこった、ふっとおばあさんは涙を浮べ、いつの間にかおじいさんの姿はいなくなっていたが、窓際に立ちつくし、若妻のように、見送りつづける。  そして思い決した如く、また掃除にかかり、部屋に残った体臭を消すには、杉の葉いぶすのがいちばん、庭に出て葉をつみはじめたが、すぐに手を止め、しばらくはあのままにしておこうと考える。夫婦なんだもの、そうまで邪険《じやけん》にするこたあないさ、いいきかせつつ、おばあさんは四畳半にもどり、大きく息を吸いこむ、残り火のように、昨夜の感触がつれてよみがえる。 [#改ページ]  姦《かん》  土呂島は、内陸深く入りこんだ湾と、外海の相接する、渺滄《びようそう》たる海中に崛起《くつき》し、このあたり、はるか南よりひた流れる海流の、さまざまに分岐して、汐の行方は、年老いた漁師を時にとまどわせるほどで、陸より海上半日、晴れた日は指呼《しこ》の間にながめられるが、人の通い余りない。  島の頂《いただき》に、海の神を祀《まつ》り、これは島に住む漁師の、安全豊漁を祈願するもので、堂宇は方丈のせまいものだが、神燈を絶やさず、この灯はまた、夜更けてもどる漁船の、しるべともなった。  頂は、ほぼ標高二十丈、その陸に面した険しい山裾に、人家が肩寄せ合う如くならび、外海の側はなだらかな斜面となっていて、こちらがはるかに住まいに適しているようだが、吹き寄せる海風がきびしくて、ままならぬのだ。  その斜面の中ほどに、盛り上った塚の如きものがあり、島人はこれを壙《はかあな》と呼び、その中は空洞であって、ここに死者を納める。  孤島にふさわしく、貴人|流謫譚《るたくたん》が伝えられ、島の子供さえ、早くから故老に自分たちは、古代貴族の血をひき、いや純粋にその血筋を伝える部族であると教えられ、事実、島に死人が出れば、珍しくも、神式で弔う。  堂宇の地下に、霊輿が納められていて、これにより、自宅より壙へ運ばれるのだが、そのいっさいのとりしきりは、代々堂宇守る徳岡家が行なった。葬儀は、必ず夜に営まれ、古びてはいるが、親族縁者すべて白衣まとって、銘旗汐風にはためかせ、時に「オウ」と先払いが、声をかけて、夜の闇にひそむ物の怪《け》追い払いつつ進む。  そして、棺を壙の空洞に安置すると、入口に忌竹を立て、饌《そなえもの》、玉串を捧げ、遺族は一礼して退くが、堂守のみは、いったんふさいだ壙の前に坐し、一夜を徹して、死者を守るのだ。  ここまでは、いちおう変哲もないこと、島であれば、火葬にするといっても、薪木の入手困難だし、また神道風式次第は、陸地と隔絶されていて、特異な習慣が土着したのであろう。  しかし、男の死者、また嫁いだ女の死者であれば、ひたすら壙を守るだけだが、娘の場合、深更にいたって、ふたたび入口を掘り起し、壙に入る。  土呂島において、娘は必ず未通女であり、そして、未通女は、死して後、帰幽、すなわち高天原によみがえりができぬとされていた。  だから、徳岡家の当主たる者は、娘が死ねば、その亡骸を犯す。  この、奇怪なならわしが、いつ始められたかは分らぬ。  いい伝えによれば、この島を拓いたといわれる、土呂姫は、沖合いを航海中、竜神へのいけにえとされて、海中に身を投じ、水死体となり、島に流れついた。  この亡骸を、神が、あまりの美しさに誘われて犯し、神はそのまま不能となったが、逆に姫は蘇生し、神の子をはらんで、現在にいたったというもの、土呂姫の故事を、今もならっているのだという。  徳岡家、つまり堂守は、代々、妻をめとらず、だから血筋はつながってなくて、漁師の子供の中からえらばれた者が、この家を相続し、先代の没した時、満十五歳の男に、資格があった。  死んだ娘を犯す他、堂守は常に、身を清らかに保たねばならぬ。  もし、人妻の死体に、いどみかかれば、たちまち海は荒れ、多くの島人が死ぬといわれ、また、生きている女にあやしげなふるまいしかけたなら、今度は、若者の私刑《リンチ》を受け、死体は、海流にのせられて、放逐されるのだ。  いっさいの労働賦役を免除され、島人のささげもので、不自由はないのだが、男盛りの身では、いかにも苦業の日々。生身の体を知らぬのだから、ことさら死者をうす気味わるく思わず、そして、未通女の場合、これをいかにあつかっても許されるから、その体のとけくずれ、蛆《うじ》虫にまみれるまで、狂おしくかきいだき、十日余りも壙にこもって、屍臭の長くしみつくことも、珍しくはない。  にしても、未通女の死は、堂守一生のうち、十指に満たず、老いてしまえば、いっそ気楽なものだろうが、若いうち、島の頂から見下ろして、どこぞに未通女の、重い病《やまい》に伏す家はないかと、呪いの声をあげ、死者のしるしの、真榊《まさかき》が門口にあるのを見つけると、こおどりして待ち受け、そして、年老いた女、赤銅色の死体であれば、つい遷霊の詞にも、落胆の色がにじむのだった。  当代の堂守文吉は、二十二歳ではじめての亡骸を犯し、血気さかんだから、徳岡家に伝わる、帰幽の法、これは屍《し》姦の手つづき教える秘法だが、そのままのっとって、神砂をもってまずその硬直をとき、酒坏を、死者と自ら三度くみかわし、契りを結び、掻敷《かいしき》にてわが男根にぎりしめつつ、娘の秘所にあてがったのだ。  壙に、それまで二つの陰燈が点《とも》されていたが、帰幽の営みの際は、消して真の闇、死者の下には、褥《しとね》が敷かれているから、動作に苦渋はない。さらにくわしく記されている作法通りにふるまって、しかし、そのいちいちは後で思いかえして、覚えがなかった。  役目を果し、ふたたび明りをつけると、秘所に洞がうがたれていて、それは亡骸ながら瑞々《みずみず》しく、みにくく蛙《かえる》のようにゆがんだ死者の脚と、まったく別物の印象だった。  初夜は、遺族が湯桶つかわせ、白絹の時服用意しているから、屍臭もさほどでなく、しかし、いったん壙を出たものの、やはり後髪ひかれて、次の夜、また入りこんだ時、せまい壙には、思わず吐き気もよおす異臭がこもり、すでにその臭いにさそわれたか、もぞもぞうごめく地虫が、死者にとりついていた。  めでたく帰幽させた亡骸は、他の場合と同じく、壙の側壁にうがたれた横穴へ安置し、土にもどす。  骨になると、遺族はこれを海水で洗い清めて、そのまま放置し、よく見れば、浜辺には、貝殻にまじり、珊瑚《さんご》のような人骨が、波にもまれていずれも丸くなったまま、いくらもあった。  五年後に、二人目の娘が死に、これは六歳の童女だった。  帰幽の法にのっとれば、月のめぐりを見ぬ女は、神根とよばれる木製の張形《はりかた》、これは巨大なもので、長さ九寸、径二寸五分さだめし名匠の手になったと思われる迫真の姿。これを、秘所にあてがい、「謹みて門戸を開き、道を清め、もって霊の発引をうながし、高天原に帰りませと、慎み敬い白《もう》す」三度唱えて、神根を二度ずつうちつけ、「オーッ」とさけびを上げる。  童女は、はやてと呼ばれる病でみまかったので、これは数刻のうちに息引きとるから、さながら生きているままの色合い、文吉はさすがに神事とはいえ、みだらがましいふるまいしかけることがはばかられ、というのも、まだ堂守にならぬ以前、同じ年頃の妹がいたのだ。  山に上ってから、その姿をみず、もうとっくに嫁入ったろうけれど、脳裡にある姿は幼いままで、つい目前の死者と重なり合い、しかし、帰幽の法は行わなければならぬ。  法のままに、従って、すると、神根手にとるまでは、気がすすまなかったのに、いざ、あてがうと昂《たかぶ》って、まだ陰燈をつけたままだったから、幼いながら女らしくふくよかなふともも眼にするうち、自分が神根にとってかわりたくなり、といって、思うままふるまう勇気もない。  男根にぎりしめ、ひたと幼女の秘所を見つめ、やがて白濁の体液を放出し、日頃、身内のほむら静めるため、なれた手わざにちがいなかったが、その恍惚《こうこつ》くらぶべくもなく、文吉は果てた後、たちまち神罰下って、童女もろとも、壙に埋めこまれてしまうのではないかと、怯《おび》えたほどだった。  その後、型通りの儀式は済ませたのだが、冬だから身にまとったその袷着《あわせぎ》はだけさせ、なお色がわりせぬ肌をなでさすり、かすかに残るように思う温《ぬく》もりを、かき立てる如くいつくしんで、ついには唇をはいずらせ、丁度、はじめて人形与えられた子供のように、あきることなくたわむれ、抱きかかえれば、たわいなく首をのけぞらせ、つれて長い髪が流れおち、すわらせても、手で支えなければ、すぐくずれ落ちたが、憑《つ》かれた如く、朝までもてあそんで、果てはそい伏しに、寝入ったのだった。  汚れを知らぬ童女故にか、あるいは体中の水分を流しつくすというはやての病のせいか、また、壙の中に風こそ吹きこまぬが、寒の冷気のためか、屍《しかばね》は、やがて肌のみ黒ずませても、いっかなくずれぬ。文吉は、それも、帰幽の法にない、わが冒涜《ぼうとく》の行いのせいではないかと、気がかりに思ったが、ついいつくしみたわむれの時を過せる楽しみに忘れ、夜を待ちかねて、壙に忍ぶ。  一月過ぎて、ようやく童女は、土にもどりはじめ、その亡骸を手にとることはかなわなくなったが、文吉、堂宇にこもりながら、小さな姿を思いえがくと、たちまち、すぐかたわらにある如く、しかも、壙のなかでは、もとより死者であるから、自ら動かず、口もきかなかったのが、生よみがえらせて、文吉にまといつく。 「お兄さん遊びましょ」空耳ではなく、白絹まとった童女がよびかけ、「おう」と応えれば、嬉嬉として背中にとびつき、あぐらかいた中に、すべすべした尻をおとしこみ、そして、雄々しくなった文吉の男根に、丁度、文吉が亡骸にしたと同じ所作を加え、うなりを上げつつ、文吉はたかまりにいたるのだった。  夢からさめた如く、我にかえると、あの童女の霊、天上に帰らず、自分にとりついたのではないかと、怖ろしくも思ったが、しかし、疫病は孤島のこととてないが、潮風に立ち向って苛酷なすなどりの明け暮れ、島人はおおむね短命で、月に二、三人の死者が、壙に運ばれる。その守《もり》をする時、つくづく大人の死者をみにくくながめ、一刻も早く、一人になって、いや、童女と二人、思うままたわむれたい。  大人の死者は、七穴より汚液を流し、悪しき因縁の報いか、たいていは虚空をつかんで、苦悶の色を表情に深く刻みつけ、姿ととのえるための神砂、どうまぶしてみても、なかなか、素直な形にもどらなかった。  中でも女は、思いをこの世に残すこと多いためか、歯をむき出し、眼ひっつらせて、ふた目と見られぬさまで、堂守の立場としては詮方《せんかた》ないことながら、すぐにも、壙を逃げ出したい。  あの童女が、長じてこのように変るのなら、むしろ夭折《ようせつ》こそ、神の恩寵ではないかと思え、しかし、葬列に加わっている同じ年頃の者をみても、いっさい心は動かぬ。  やがて土にもどると見きわめがあって、その滅びていく手ざわりをたしかめつついとおしんだ記憶が、文吉にとって、なにより輝かしく、生きている童女の、うわべは無邪気でも、すぐ裏に、老婆の醜怪な表情が、はりついて見えるのだ。  このようにして三年を経た後、村長《むらおさ》の娘、弥生が、風邪をこじらせて死んだ。  弥生は、村一番の美女で、その噂は文吉の耳にも届いていた。若者たちは嘆き悲しみ、そして、亡骸とはいえ、弥生を犯す文吉を羨み、なんとかその権利ゆずり受けたいと、塩、衣服など、貴重な品持参して、頼みこんだが、もとより文吉承知せず、これは堂守一生の内、あるかない好運なのだ。  さすがにその死の報せきいた時、文吉は、童女をよみがえらせず、噂にのみ高いふくよかなししおき、たわわな乳房、天女にまがうという美しい顔立ちを、あれこれ思いえがき、帰幽の法とり行うというより、はっきりした欲望を身内に覚えて、夕刻、堂宇を出た。  諸式とどこおりなく済んで、壙の前に一人坐し、月の中天にかかるのを待ち、ふたたびもどるのだが、文吉の男根すでに雄々しくそそり立ち、それは、死化粧いちだんと映《は》えて、とても死者と思えぬ弥生の、表情をたしかめたせいでもあるし、湯桶使わせた後、焚《た》きこめられた香の、馥郁《ふくいく》たる匂いに魅せられたともいえよう。  これまで覚えのないたかぶりに、定めの月を待たず、壙の入口ふさぐ土を掘りかえし、中へ身を入れて、陰燈をともす。褥の上の亡骸は、白生絹の袿袴《けいこ》をまとい、北枕に寝かされて、枕もとに守り刀と酒器がそなえられている。  文吉は、盃をとって酒を注ぎ、法の通り三度、弥生と自らの口にふくんで、下帯をとき、まずその袴に手をかけた。  帯をしめていないから、造作もなく脱がせ、あらわとなったふとももは、これもあっけない死にようだったから、いささかのやつれも見えず、未通の秘所は、鵞毛の如き柔毛《にこげ》に飾られていて、強い伽羅《きやら》の香りが立ちのぼる。  ふとももにふれれば、童女とは、はるかにことなる手ざわり、しっとりうるおいをもち、死者であるのに、いつくしみにこたえ、その度合いをます如く、神砂の用はまったくいらぬ。胸をはだけさせ、仰向けになっていても、双つのふくらみは掌に余り、ふれるうち文吉の体に、なにやらふくよかな精気の逆流するように思える。  乳房ゆりたてていると、首が枕から落ちて鈍い音を立て、帰幽の法行うには闇としなければならないのだが、弥生の見事な姿態、しっかと眼にとどめて、抱きすくめたい。そのまま、脚をひらいて、やはり硬直していて、骨のきしみ立てるのを、かまわず立て膝にかまえさせる。  弥生の、脛とふとももの間に、脚をのばしてさし入れ、眼下に見おろす秘所は、母の心配りであるのか、紅をそえられていて、ここにもうるおいが、ゆらぐ灯の光に、映えていた。 「お兄ちゃん、遊びましょ」思いがけぬ声がひびいて、みると、あの童女が、土にもどりはじめた時の、すなわち眼はとけ出し、片頬はげ落ち、腹のみ異状にふくらませ、髪も半ば脱けた姿で、壁際にちょこんとすわり、文吉、これはなにかの錯覚、童女はたしかに土にもどり、骨洗いをすませて、海へ捨てたはず。  頭をふって、しゃにむに弥生を抱こうとしたが、いつの間にか男根、なえ果てている、気落ちがして、また、壁際うかがえば、童女の姿はなく、やはり幻であったかと、弥生の片脚にしがみつく、脚は、ぎくりと外側に倒れ、文吉もころがったが、それだけの刺戟で、たちまち雄々しさよみがえり、さらに好都合の姿勢だから、今度は、自ら手をそえて、尻をにじらせ、ふれるかふれぬに、「お兄ちゃん、遊びましょ」見上げた、眼の前に、童女が、半ば骨のあらわれた手をさしのべる。  思わず、腕を横になぎ払って、なんの当りもなく、たちまち童女はかき消え、そしてまた男根、勢いを失っていた。たしかに三年の間、童女の面影しのんで、欲望をはらしていたが、それは妄念のなせること、骨となった童女の、壙にあらわれるはずはない、必死にいいきかせ、眼をつぶって、土呂姫を念じ、弥生の唇を吸う、口中深くまきこまれているそれを、探り当て、すわこそととりかかれば、はっきりと背中に冷たい感触が生れ、同じ言葉が、耳もとにささやかれる。 「消え失《う》せろ」怒鳴りちらして、弥生の亡骸にけつまずきつつ、文吉立ち上り、みると、やはり童女がいて、ぽっかり空いた眼球の穴を、ひたと文吉に向け、まるで誘うように、弥生と同じ姿を真似るのだ。  おぞましさに、五体わななき、つれて、男根なえると、薄墨の水にとける如く、童女はかき消え、いかなる妖かしのなせるわざかと、死者の姿にはなれているが、亡霊には、これまで出会ったことがない、酒器をとって、飲み干し、凶暴な気持となり、弥生のおとがいがっしとつかむと、その、半ば開いた唇に、なえたるものをふくませ、突き立てたが、無理な形と、ひややかな感触によみがえるどころか、さらに力を失う。  壙の表に立ち出て、夜目にも幾重となくかさなり打ち寄せる波をながめ、雲にかくれた月を見やって、あの壙の中に童女の霊がとりついているのだ、弥生を浜辺に引き出せば、力もとどくまい、思いついて褥ごと運び、陰燈に照らし出された姿とちがって、青白く沈んだ肌は、すさまじい美しさをたたえている。  寄りそってしっかと抱きしめ、秘所に手をふれ、冷たくはあっても、吸いこむような感触に、なえたままだが、男根のぞませて、弥生の亡骸を、まるで四つにたたみ、八つ裂きにする如くあつかったが、帰幽はかなわず、汗みずくとなった文吉の耳に、はしゃいで笑う童女の声がひびく。  姿は見えぬが、前後左右、頭めぐらせる方向に笑い声が生じ、「おのれ、俺がかわいがってやったのを、仇でかえすか」壙へとってかえすと、童女の死者のためそなえてある張形を持ち出し、その付け根の穴に紐《ひも》を通すと、腰にまわしてしばりつけ、「なんとしてでもこの弥生、おのがものにしてみせる」すっかりしぼみ切った男根に、おおいかぶせる如く張形をそなえ、どっかと弥生の脚の間に、腰をすえた。  そして、ひと腰すすめたが、なに分にも未通女、しかも張形は巨大で、ただ弥生の体をにじりずらせただけ。「ハハハハ」童女の笑い声がまたひびき渡り、文吉はもはや気にかけず、「エイ、エイ」と、掛声かけて、弥生の秘所に突き立て、そのつど重なり合った二人、波打際に向って少しずつ進む。  やがて、弥生の髪は、海にひたされ、顔が水にしずみ、しかし文吉気づかず、もどかしげに五体ゆさぶり立て、また見ようによっては、童女の笑い声に追われ逃げる如く、ふと気がつけば、亡骸にとりすがった体《てい》となって水面に漂っていた。  砂の上でかなわぬのだから、海ではなおこらえがなく、しかし、ようやく童女の笑い声は消えていて、文吉、弥生の秘所に顔をうめこみ、時に大きく息を吸いこみはしたが、それも間遠となって、潮の流れるにまかせ、やがて夜の闇にとけこむ。  翌朝、早いすなどりに出た漁師、波間に漂う、棒きれを発見し、近寄ってみると、文吉の水死体で、まだしっかりと張形を腰にくくりつけ、張形はうきのように直立して、生ける如く、波にもまれて、くねくねと雁首《かりくび》をふり立てていた。 [#改ページ]  地底夢譚  あたりは、突然の疫病に襲われて、住民の逃げ出した廃墟、いや、それならまだしも、先の生活を考えて、心くばりがうかがえるだろう。天変地異を予告され、生命《いのち》からがら脱出した後の、離れ小島とでもいえばいいか、とにかくすべてにうっすらと埃《ほこり》こそつもっていても、壁に整然とかけられたキャップランプ、机の上の帳簿類、小型ラジオ、隅の薬罐《やかん》と湯呑みを置いた盆、扇風機、ロッカーなど、そっくりそのまま残っていて、ただ事務所の硝子《ガラス》窓のみは、すべて破れていた。  まるで映画のセットを見る如く、うっかり足ふみ入れたら、とがめ立てされそうな按配、私は廊下をやや足音忍ばせて通り過ぎ、見覚えのある風呂場をのぞきこみ、ここはまた何と形容すればいいか、地下|足袋《たび》、作業衣、腹巻き、新聞、煙草、紙袋が、脱衣場いっぱいに散乱し、その先の円形の湯槽と洗い場には桶《おけ》と石鹸箱が壁の蛇口の前に置かれ、事務所よりさらに人間臭い場所だけに、白日夢の如き印象。山の中の、このちいさな鉱業所が、閉山しても、当節ニュースにはならず、だから私は事情心得ぬまま訪れ、しかし、ボタ山に近づくにつれ、様子がおかしいとは感じていた、ボタ山の稜線の、何となく柔らかな感じ、また、おい繁った草木の、ふてぶてしい具合が、二年前にはじめてここへ来た時と、少し違う。実は、ボタ山のすぐそばまで来ながら、鉱業所の建物、といっても、バラックに毛の生えた程度の、粗末な木造平家三棟だが、そこへの登り口が分らず、あたりをぐるぐる回り歩き、山が生きていれば、コンプレッサーの音、滑車のひびき、何より人の息づかいが、伝わるはずなのに、ただ風と風に吹かれる葦の葉ずればかりだから、すぐに潰《つぶ》れたなと、見当をつけてはいた。そして、ようやく無縁らしい崩れた墓石五つほど並ぶ一劃《いつかく》に道があり、この前訪れた際は案内人がいて、車で乗りこんだのだ。ある雑誌に依頼されて、もはや荒廃というより風化一途の、炭鉱地帯の写真を撮りに来たので、崩されるボタ山、ゴーストタウンめいた炭住の姿をカメラに納め、なすこともなく道ばたにたたずむ老人、生活保護の金にすがってアル中となった男の表情を追い、それぞれに私は一種の衝撃を受けた。  案内人は、数少ないがまだ生きている山もあるといって、この鉱業所を紹介し、写真の対象にはならなかったが、私にふと好奇心が生れた。戦争直後、傾斜生産とかいって、政府が重点的に力を入れた産業の、第一が石炭、時の通産大臣はしばしば山を視察、自らキャップランプをつけて、入坑し、その姿が新聞に麗々しく掲載されていた。食えないでいる頃、いざとなれば炭坑で働けばいいと、ひそかに考えたこともある。だから、実際に操業している姿を、ながめてみたかったので、ここでも私の無知のせいもあろうが、いちいちおどろかされた。たとえば石炭戦士という言葉があるくらいだから、さだめし筋骨隆々たる労働者なのかと思えば、いずれも青白い肌で、肋骨浮き出ているような感じだし、また勧められて坑内へ入ると、地下何百尺というのに、坑道の側柱は細くて、あたかも割箸《わりばし》で盤石を支える如く、すっかり怯《おび》えきり、そうだ、ほんの二時間ばかり、それもメインストリートといっていい広い坑道だけ歩いて後、再び地上へもどって、いちおう炭塵にまみれた体を、湯に浸した時の感触は忘れられぬ。  毛穴の一つ一つから温《ぬく》もり、というより生の確かめがしみ入るようで、どろどろに汚れた湯だったが、なんともやわらかく、なめらかに体を包んでくれたのだ。事務所の応接間に通され、私はまだ呆然として、窓外の荒涼たる風景、蟻の巣の如く地底を掘られたためいたるところ陥没した地形や、虫に食われたようにいびつな形のボタ山を、しかし坑内のあの暗さに較べれば、何となつかしい印象だろうと、見つめる内、「つまらないものですけど」思いがけぬ女の声がした。  私が、特に用もないのに、山を再訪したのは、この女に惹かれてといってもいい。はじめ、坑内から上って、地上の風物すべてがあたらしく思える、そのせいかと考え、すぐに女のいちいちの造作を、カメラマンとして確かめ、その美しさを納得し、さて何と形容すればいいか。どういっても、月並みになってしまうような感じで、つまり美人なのだ。女は、すぐ立ち去ったが、私の帰途を待ち受けるように、玄関にいて、「写真撮って下さらない?」といい、もとより望むところ。後で必ず送ると約束し、まあ私も、四十を過ぎているから、そういつまでも心ときめかせていたわけではない。特にカメラを向ければ商売意識が働き、荒れ果てた鉱山の、一輪の花として扱えば、陰惨な写真ばかりの中でアクセントになるだろうと、念入りにシャッターを切った。  しかし、どうしたことか女の姿を写したフィルムを紛失してしまい、約束を果せず、折にふれて女の表情よみがえらせるたびに、なまじ絵姿のないだけ、その美しさがいや増して思えてくる。遠い道のりかけて会いに出かけるほどの情熱はなかったが、山の近くの町の、祭礼を撮影する仕事が持ちこまれた時、私はすぐ女に会えると心づもりし、そして、やって来たのだ。山が閉鎖されていると分っても、そう落胆はしなかった、それより、普通の人に較べて、さまざまな光景に立ち会っている私だが、たとえばガス爆発、洪水、山火事と、かなり凄《すさ》まじい現場を見なれていても、この閉山直後らしい、山のたたずまいに息をのみ、とっさにカメラを構えたが、すぐあきらめた。写真にしてしまえば、しごく平凡なものにちがいない、人気《ひとけ》のない事務所はただそれだけのことだし、風呂場も、かつてしみじみ人心地をとりもどした記憶が私にあればこそ、乾ききって湯槽に木片の散らばった姿に、胸をつかれるのだろう。もはや、鉄材も金にはならぬらしく、機械類もそのままなら、石炭運び出すためのトロッコ、レールも錆びていたが、今にも動き出しそうで、閉山とは、常にこういうものなのか。人間だけがいないのだ、しかも、かつてここに何百人という人が働いていたという、たしかな手ざわりは残っている。私はふと、戦時中、勤労動員で、建物疎開に従事したことを思い出した、決して空家ではない、家具調度こそないが、そこに暮していた人の、息づかい肌のぬくもりがそこここに確かめられる家屋を、打ちこわすのは、子供ながら気がとがめたものだった。  風呂場の脱衣箱に新聞があり、日付を調べると三月前のもの、喉がかわき、蛇口をひねってみたが、もちろん水は出ぬ。私は、湯槽のふちに腰を下ろし、かつての湯のぬくもりをなつかしみ、ああいったしみじみと生の実感を味わう機会は、まず他に求められないだろう、鉱員たちが、かなり劣悪な条件の中で、働きつづけていたのは、この湯に浸る楽しみのためではなかったか。以前、炭坑内で馬を使っていた頃、馬でさえ坑外に出ると、いかにも楽しそうにいなないたという、一つ間違えば死の待ち受ける坑内は、暗ければ暗いほど、地上の明るさが輝かしくなる道理だし、生きている確かめを確実にする。  私は、ふともう一度、坑内に入ってみたくなり、表に出ると「自己検診の徹底」「坑内保安の確認」など、札のかかった坑口への通路をすすみ、山が生きている頃は、ここまで来ると、すさまじいコンプレッサーの音が轟《とどろ》いていたものだ、換気の空気を送りこむためで、加えて炭車巻き上げるモーターがうなり立て、話声はまったく通じなかった。今は、風の音すらなく、自分の靴音だけひびいて、昼間なのに、夜の如く思える、坑口は、白いセメントでふさがれていた、指でたたくとその厚味が伝わり、いかにも息の根《ね》絶えた感じだった。  私は、生きている頃、ボタに含まれた炭が自然発火して煙をまつわらせていたボタ山、今は枯草をまとい、雨にくずれたその急斜面を登り、上からみれば、あらためて小さな鉱業所であることが分り、二年の間に、あたりの風景はまた変っていて、沈下した土地にボタを入れるらしく、ますます炭坑地帯の特徴が失われ、石灰岩採取するため崩された山が、醜い姿をさらけ出している。アル中や、その昂じて精神に異状来たした者の表情と、この土地の姿に、共通する色合いがあるように思え、私はうんざりして、ボタ一つ力いっぱい放り投げ、降りようとしたら、何時の間に登って来たのか、そばにあの女がいた。 「今日は」女は、しごく自然に挨拶をし、「とうとう閉山しちゃいました、もうこれでこの近くにヤマはなくなったわ」こっちを覚えているらしい口調だから、私は写真送る約束を果してないこと、女に惹かれてここへやってきたことなど、疚《やま》しい気持がからみ合い、「残念でしたね」と、間の抜けた声を出し、「その、もう一度、坑内に入れないかと思って来たんですが」どちらからともなく、ボタ山下りつつ、私は急に饒舌となり、「後になって、坑内のことがいろいろ思い出されて。まあ石炭産業も斜陽になるばかりだから、地底で働く人たちの姿を、今撮っておかなければと、決して職業柄だけではなく、考えたりして」石炭を黒ダイヤと呼んだ時代のあれこれ、その恩を忘れて、さっさと捨て去る国のやり口、私もいくらか石炭に関する知識を仕入れていたから、釈迦《しやか》に説法を承知で、女にしゃべり、やはり、都会の者がこれほど、炭鉱に関心を抱いているとなれば、女も好感を寄せるだろうと、下心が働いていた。 「あれこそ真の暗闇というんだろうなあ、東京なんかの、夜といっても昼同様の中に暮してると、坑内の暗さがなつかしく思える」浮かれた調子でしゃべるのを、女はだまって聞き、私はまた、どうしてこの廃坑に女が一人居るのか、不思議に思わなかった。自分勝手に、僥倖《ぎようこう》を喜び、もし暇なら今夜、どこかで一緒に食事でもしてと、浮かれついでに考え、「この前の写真、うまく撮れてなかったんで、送りませんでした。もう一度写させてくれませんか」実は、今日来たのもその為といいかけ、決して嘘ではないが見えすいている、四十過ぎの分別が口ごもらせ、「じゃ、坑内で写して下さる?」女、思いがけぬことをいう。 「坑内? だって」「入れますのよ、ほっておくと坑道がくずれてしまうから、時々、保安の人が入るの」私は、どうして坑道を確保しなければならないのか、分らなかったが、たずねるのも、知ったかぶりした手前恥ずかしく、「人車はないけど、百メートルくらいなら大丈夫でしょ」「ええ」答えたが、とたんに怖くなり、まさか入坑できると思わぬから、ふとあの生温い空気や、暗闇をなつかしがったものの、本音は気がすすまぬ。「私も一人じゃいやだけど、一緒なら安心だわ」女は、もう決めこんだように、先立ち、となると後には退けぬ。それにしても、キャップランプも杖もなく、いや、女はセーターにスカート姿、いかにとば口だけとはいえ、大丈夫なのか。「マッチを持って入っちゃいけないんだっけ」「もう掘ってないんだから、炭塵の心配もありません」笑顔で女がいい、セメントで固めた坑口の後に、狸掘り風の、横穴があって、土臭い空気を吐き出している。 「ここのとこだけ、頭お気をつけになって」膝に手をつき、中腰でとことこ女が入りこむ。  すぐ穴は、坑道に出て、その中央に人車の軌道があり、左右は階段で、天井に豆電球がついている。下を見ているだけでつんのめりそうな急傾斜、足のすくむのを、女は私の手をとると、わが家の梯子段《はしごだん》降りるように、降りはじめ、換気はどうなっているのか、見たところ半ば腐ったような坑木だが、大丈夫なのか、取越苦労が脳裡をとびかい、しかし、女の手ふり切るわけにもいかぬ。  入口からの明りはほとんどないから、たちまち一列に延びた電球、それも十メートルおきの心細いものだが、唯一つのたよりとなり、二、三百段も降りたろうか、「こっちへ入りましょう」手を引かれて右へ折れ、天井がぐっと低くなる。はるか前方に、ちいさな光が見えるだけで、あたりは暗闇に近く、眼がなれるにつれ、左右に白く浮き上るものがあって、それは坑木にはりついた綿のようなカビだった。 「ここらへんでいいよ」私は恥も外聞もなく音を上げ、「この少し先のところで、大落盤があったのよ」女、怖ろしいことをいい、「結局、それで閉山したんだけど」「へえ、それで犠牲者が出たの?」「そう、百二十一名」女の掌に汗が感じられ、ひょっとすると、女の肉親もその事故で死んだのかも知れぬ、私は、急に、えらく興味本位で、炭鉱をあげつらった自分が、うしろめたくなり、また、落盤ときけば、今にも頭上の大地がくずれて来そうに思える。ここで生き埋めになっても、しばらくは気づかれまい、いや保安要員とやらが入坑して、落盤を発見したって、私と女が埋められているとは分らないだろう。  時折、岩がきしみ、破片の降る音がひびき、もう欲も得もなく、階段駆け上ろうとしたら、腕に重味がかかり、女が全身を私に預けて来た。「抱いて、怖いの、私」しなやかな感触に、辛うじて私はふみとどまり、しばらくは壁に背をもたせかけて、その体を支えていたが、女は腕をのばし、私の首にからめ、正確に唇が唇をとらえ、舌がぬめっと入りこみ、すると私は、急に凶暴な気持が起り、闇の中で確かめ得ぬが、女のぬけるように白い肌、やや吊り上った切れ長の眼、うすい唇などをよみがえらせ、私をここへ誘いこんだのは、抱かれたくてのことかと、納得し、女がその気なら、少なくともここで生き埋めとなる危険はないはず。急に安心し、ずるずるとくずれ落ちて、坑道の床は、砂のような肌ざわりだった。  いったん横たわると、それまでの積極さが失われ、死んだように身じろぎせぬから、私は乱暴にセーターをはぎとり、さらに眼がなれたのか、胸の二つの隆起が見分けられて、がっしりと掌に包みこむ。女、かすかに身をよじり、それが拒否するように見えたから、させじと、脚に脚をからませ、耳に唇を寄せた。「もう、誰も来てくれないと思ってた」女がつぶやき、「とっても寂しかったの」私は、耳からうなじに唇をはわせ、腋《わき》の下から乳房へ舌をうごめかせ、女の反応をうかがっていた、「うれしいわ、忘れないでいて下さって」「忘れるもんか、東京へ帰ってから、君のことばかり考えていた」「本当?」「だからこうやって来たんじゃないか」二人の声が坑道に反響しつつ奥へ吸われていく、しかし、女はいっこうに息を荒げず、冷静な口調だから、私は、なお女のしゃべりつづけるのにかまわず、下半身も裸にして、唇をそこに近づけた。  太ももに顔をはさみこまれ、急に物音が絶え、私は、舌の先に探り当てたものを、ほろほろといつくしみ、また、やわらかく歯を当て、女のそこは、最前の、誘いぶりに似ずきわめて幼く思えた。まさか処女ということはあるまいが、男なれていないことは、そのぎこちない身のこなしでも分る。私はさらに昂《たかぶ》りを覚え、もはや落盤の危険など忘れて、女をいたぶった。身を重ね、腰だけうごめかせ、今は、おぼろげながら見分けのつく、その表情に眼をすえ、「うれしい、忘れないでいて下さって。いつまでもこうしていて」「ああ」「あなたのものにして」女は、低い声でささやき続け、私はふと、もし処女だとすると、後で面倒になりはしないか、四十男らしく世渡りの分別を働かせたが、ようやく情をほぐしはじめたらしく、女、かすかに息をはやめるから、また唇をそこかしこに押しつける。「いいね?」「ええ」女はっきりとうなずき、私は、女の脚を割り、上体を起すと、片手で肩を抱き、一方で、幼く思えるそこに当てがう、強い抵抗があって、ままならず、私は、乱暴にふるまい、女の脚を引き裂く如くして、肩の手を腰に移し、まるで夜の明けるように、この時は、女の白い体、くっきりと浮き出して見えていた。 「怖い?」「怖くない」「痛い?」「大丈夫」女より、はるかに私の方が上ずっていて、愚にもつかぬことをいいながら、私は、懸命に進み入ろうとし、ようやく、その少しかなえられた時、女はうめきを上げた。両手で顔をおおい、その手に髪がまきこまれている、頬を紅潮させ、半ば開いた唇がかすかにふるえている、私は女の両脚を、わが太ももの上に確保した形だから、かなりあられもない姿で、見下ろすと二人の結ばれた部分を、確かめ得る。二つ折れにするように、私はのしかかり、そのまますべてを埋めこんだのだが、特に女は苦痛の色も見せず、私は、ほどよくくるまれた感触に酔って、しばらくそのまま動かず、「もう、君はぼくのものだ」かすれ声でいうと、女がうなずく。  私は、脚を伸ばし、女にも同じくさせ、包みこむように抱いて、つと、腰を浮かそうとしたが、かなえられぬ。決して、きつくはさみこまれた感じはないのだが、埋めこんだまま動きがとれず、処女だからかと、両手で上体を支え、さらに力をこめたが、私の下半身はびくともしないのだ。かりに、女の体内に閉じこめられたにしろ、それなら、こっちの力で、女の体も浮くはずなのに、あたかも大地に釘付けされた如く、しかし、痛みはまったくない。  私は、あわてるというより、事態をのみこめず、まさか女にたずねもならぬ、必死に体をふり立て、その部分を確かめようとしたが、上体を起せず、そして、それまで砂のように思えた坑道の床が、固い岩に変り、また、つるべ落しの夕暮れの如く、あたりに闇が忍び寄る。ようやく私も異変に気づいて、顔をおおう女の手をとり、その表情たしかめたが、すでに暗くて分らぬ。「うれしいわ、忘れないでいて下さって」女の声がひびき、それは、私のくみ敷いている体からではなく、坑道の奥からひびくように聞え、ぼんやり白くわだかまって見える女の、胸のあたりにふれると、ひどく冷たくて、しかもとりとめがなく、それはカビだった。  カビは、私の手がふれても、こわれも消えもせず、私を包みこむように、次第にふくれ上り、そして、腰は依然として動かすことが出来ない。ついにいっさいの明りが失せて、闇の中に金縛りのまま取残され、しばらくすると鑿岩機《さくがんき》の音が聞え、炭車のひびきが伝わり、中に人の声もまじる。やがて私の前を、幾人もの坑夫が通り過ぎていった、彼等は、いずれも眼球を突出させ、下半身をくだかれ、巨人の如くふくれ上り、全身黒く焼けただれ、片手片脚を失い、上体が煎餅《せんべい》の如くであったり、内臓を引きずっていたり、一見して、坑内事故の犠牲者であると分った。ぎくしゃくと歩きつつ、彼等は、人車に乗りこみ、地上へ向けてではなく、さらに深い地底に向って、走り降りていく。カビになりながら、しかし下半身には、いつまでもあの女に包みこまれた時の、陶酔感があった。 [#改ページ]  母紅梅 「まあまあ、本当にねえ、立派になって」部屋の端に、きちんと正座した老婆は、裕介を見るなり、なお背筋伸ばすようにして、こういい、ひとつうなずくと、眼を伏せ、帯の間からハンケチを取りだし、つつしみ深く目尻に当てた。そのさま、どことなく芝居染みていて、みすぼらしい老婆ながら、威厳があり、他人の部屋に、その留守のうち上りこむなど、いわば盗《ぬす》っ人《と》同様、怒鳴りつけるなり、あるいは年かっこうまず六十をとうにこしていよう相手だから、少しやさしく扱ったところで、まず詰問するのが当然のところ、しかし、裕介は、むしろ自分の方が、うしろめたい感じで、不得要領に「ええ」と答え、突っ立ったまんま、老婆の二の句を待つ。  うっかりガス風呂を空焚《からだ》きしてしまい、アパートの女管理人にいえば、またうるさいお節介を、あれこれ聞かされるにちがいない。どうせ修理費はこちら持ちなのだから、ただ仲介だけすればいいものを、そこが四十後家、特にほぼ同じ年で独身の裕介には、まさか口説くつもりもないのだろうが、何かにつけて、一膝のり出して来るのだ。  それがうっとうしくて、少しはなれた銭湯へ足を運び、どうせ男世帯で、書物の中に、目利きならこれはと食指動かす稀覯《きこう》本の何冊かはあっても、専門が考古学だから、コソ泥に分るはずはなし、他は、ちゃちなステレオにレコード、吊しの洋服、盗られる心配もないから鍵もかけず、いい気持にゆだってもどると、この仕儀なのだ。  老婆は、また顔を上げ、ひたと裕介をながめ、本当にやさしく笑うと、「お風呂へ行って来たの? 早く着替えないと、風邪をひきますよ」立ち上り、この年まで独り身を通せば、それなりにコツも身について、下着もきちんと日曜日毎に洗い、所定の抽出しに納めているのだが、老婆迷わず、そこからシャツをひっぱり出し、とりこんだままで、突っ張った袖を、掌でもみほぐす。 「あの、ちょっと待って下さい。おばあさんは」誰かが、家政婦を頼んだのか、一瞬、考えたが、裕介に無断でそんなことをする、かりに親切にしろ、いたずらにしろ心当りはない。「どちらの方ですか」「ほほほほ」老婆は、福々しく笑い、ちょこなんとすわって「裕ちゃんがびっくりするのも当り前ね、まあ、あなたもそんなとこに突っ立ってないで」「いや、ぼくはまだこれから出かけなきゃならないんです」「まあ、たいへんね、御飯は食べていくの?」  老婆まったく落着き払い、台所に視線を向ける。裕介の住いは、鉄筋コンクリート三階建、フラッツと称するアパートで、2DK。障子で仕切られた六畳間に、十二畳の板の間がありその突当りが台所、冷蔵庫をはじめグレープフルーツ用のフォーク、味噌こしまで整っているが、まあ怠惰な学生の参考書みたいなもので、そうこまめに自炊するわけではない。板の間をカーテンウォールで仕切り、粗末な三点セットを置いて、ここが応接間、六畳は、寝室兼書斎だった。  裕介、あらためてあたりを見廻し、留守の内に老婆が、勝手に調べたのではないかと思い、するとようやく腹が立って来て、「何だか知らないけど、帰って下さい。ここはぼくの部屋なんだ、べつにお手伝いさんも、婆やもいらない、第一、失礼じゃないですか、断りもなく入りこんで」「ちゃんと、お断りしましたよ」「誰に」「家主の奥さんに」「ありゃ、家主なんかじゃない。あの女もまったく」「はじめは、恐い顔してたけど、母親ですっていったら、すぐ分ってくれて」「母親? 誰の」「裕介の母ですって自己紹介したのよ」  裕介は呆然とし、これはとんでもない気違いにとびこまれた、腹立たしさより、どう事態をとりまとめればいいか、いや、いったいこんな馬鹿げたことが、あるものなのか、たとえば、行きずりに枕をかわした女が孕《はら》み、時を経て、のりこんで来る話なら、聞かぬでもない、また、生れてすぐ別れた、それこそ瞼の母と、ひょんなきっかけでめぐり会うことも、世にはままあるだろう。  しかし、裕介の母は、六年前に脳出血で死に、父はその二年後、老衰で亡くなり、いずれも、一人息子である裕介がきちんと野辺のおくりを済ませている。両親の住んでいた田舎の土地を処分して、年は四十だがいまだに大学の講師、薄給の身には少し贅沢な、このフラッツに入ったのだ。  自分が両親の実子ではないなど、疑ったこともないし、死亡届の際、はっきり戸籍謄本で、確認もしていた。 「冗談じゃありませんよ、ぼくのお袋は」とりあえず、気違い相手に無駄とは思ったが、なにしろ老婆だから、力ずくでほうり出すわけにもいかぬ、説明しかけると、「康子さんの、亡くなったのは存じております。まだそのお年じゃないのに、お気の毒でした」「母を知ってるんですか」「ええ、そりゃもう、俊夫さんから、おたよりをいただいていましたし」  両親の名をつげられて、裕介その場にしゃがみこみ、「しかしあの、戸籍でも、ぼくは養子なんかじゃなくって」「そうですね、でも、あれはどうにでもなりますのよ。今はどうか存じませんが、昔はね」がっくりした裕介をそのままに、老婆、いや自称母親は立ち上り、ガスレンジに薬罐《やかん》をかけて火をつけ、「軽くなにか、召し上ってらしたら。食べないと毒ですよ」 「とにかく、ちょっとすわって下さい。出かけるったって、そんなに大事な用でもないんだから」「はいはい」「もう少し、筋道立てて説明してくれませんか、あなたは、ぼくの母親だって、おっしゃるんですか」「そうですよ」「そうですよって、そんな証拠がありますか」「証拠ねえ、裕ちゃんの目もとなんか、母さんに似てるわよ、全体の輪郭は父さんゆずりだけど」「父さんて、あの」「ええ、あなたは知らないわね、かわいそうに。裕ちゃんが私のお腹にいる内、死んじゃったのよ、腸チビスで」「何ていう人ですか」「所山善太郎っていいました、そうそう、私はまつと申します」母が子供に向い、名を名乗るなど、妙なことにちがいなく、まつは、おかしそうな表情だったが、裕介にそのゆとりはない。  目もとが似ているといわれ、まつの顔をながめてみたが、心もとない、自分の眼の形がどんな風だったか、あやふやにしか分らず、両親と信じて疑わなかった俊夫と康子の面立ちを思い浮べようとして、これもおぼつかない感じなのだ。 「裕ちゃんがびっくりするのも無理はないわね、でも母さん、今日の日を、つまり裕ちゃんと一緒に暮すことを、ずっともう考えづめだったの」一緒に暮すときいて、裕介とび上りそうになり、しかしまつは、いちいちど胆抜かれている裕介にかまわずしゃべりつづけて、「父さんが亡くなって、三月後に裕ちゃんが産れたんですけどね、乳呑児かかえてどうにもならないのよ。それで、お世話して下さる方がいて、裕ちゃんを康子さんにもらっていただいたの」まつは眼をしばたき、心底辛そうにいった。  まつはその後再婚し、だが子供には恵まれず、他に何一つ不足のない暮し向きだったが、それだけに、裕介に思いが残る。自分の方からいっさい連絡しないと約束し、それを守っていたが、俊夫は心やさしく、裕介の成長ぶりを年に一度|報《しら》せてくれ、その手紙、読みかえしては、あれこれ想像していたという。 「じゃ、その手紙を、見せていただけませんか、親父の」「空襲でみんな焼いちゃったのよ、そりゃもう大事にして、定期の通帳やなにかと一緒にしてたのに、あの時は急で、しかも夜中でしょ」老人らしく、話が脱線しかけたから、「戦後は、連絡がなかったんですか」きめつけるようにいうと、「主人の実家へ落ちのびて、なにしろどこもかしこも焼野原ですもの、とりようがなかったのよ」  どこかしら、うさん臭い感じがするのだが、これという決め手がない、それにまた、自分の母と名乗る人に、刑事よろしく根掘り葉掘り訊ねるのも、はばかられるのだ。「どうして、急にいらしたんですか」「ようやく主人がね、あら、こんないい方しちゃわるいけど、まあ私にすれば仕方がないわよ、裕ちゃんが両親を失くして、一人暮しって分ってから、もう毎日とび立つ思いでいたの。でもね、主人をほっぽらかしにするわけにもいかないし、喘息でね、ひどい苦しみでしょ、なんたって四十年近く、一緒にいたんだから、最後はみとって上げなきゃね、化けて出られても困るし」またおかしそうに笑い、ひと息ついて、「ほんとに裕ちゃん、母さんの考えてた通りだわ、変なものね、やっぱり血がつながってると分るものよ。はじめて産婆さんにハイってわたされた時の、面ざしが残ってるわ、その眉毛のあたり」まつは、すいと手をのばし、裕介の顔に指先をふれる。 「ようやく、水入らずになれたのね、まあこんなお婆さんになっちゃったけど、何でも母さんに甘えて頂戴。そりゃ、康子さんにはかわいがっていただいたでしょうけど、また生みの母はべつですよ。遠慮することはないわ」妙になまなましくいい、裕介は気押されたまま、これはいったい誰に相談すればいいのか。  血液型を頼っても、親子ではない場合の証明は出来るが、血のつながっているかどうかは分らぬ。家庭裁判所へ持ちこんではどうか、しかし、裕介をとり上げた産婆など生きていないだろうし、親戚だって、両親と同じ世代の者は、すべて死に、その息子や娘しかいないのだ。「私の産んだ子供に、間違いありません」といい張る老婆に対し、「ぼくは知らない」と、否定する自分を想像すれば、いかにも、情け知らずに思える。あるいは絶好のネタとして、週刊誌やTVがとり上げるかも知れない。  あまりTVを観る機会はないが、一度、瞼の母と不意打ちに会わされ、仰天している歌手の表情を眼にしたことがあった。はじめは、当惑しつつも、たかをくくっていて、どこかで自称母親のボロがでるだろう、すべて片付き、以前のままの、静かな生活がもどるはずと、気楽なつもりでいたが、あれこれ考えるうち、いや考えるといっても、滑稽な立場におかれた自分を、冗談半分にながめていたのだが、しだいに抜きさしならぬ不安感が強まってくる。  そしてまた、冗談ではなく、真剣に考えようとしたって、そのとっかかりがないのだ。まつは、だまりこくった裕介を尻目に、台所の薬罐を火から下ろし、汚れているふきんを洗い、流しの下の開きをあけて、鍋を出し、いかにも家庭的な物音をひびかせていた、裕介がこれまで独身でいたのは、給料も安ければ、地味な専攻で、なんとなくきっかけつかめぬまま、四十の声をきくと、周囲も納得したか、やいのやいのとせっつかず、独り暮しの気易さになれて、ずるずるきただけのこと。  お家のっとりを企む天一坊なら、話は分る、先代の御落胤《ごらくいん》とかいって、そのしるしの書付けなど持ち、押しかけて来るのだろうが、天一母など、前代未聞のこと。老後寄るべのない婆さんが、いわば天涯孤独の裕介を見こんで、とりついたのか、それならもう少し、気の利いた男を狙えばよさそうなもの、一人食べるのがやっとの男世帯では、とても楽はできかねる、両親のことを、もし調べて知ったのなら、裕介の収入も心得ているはず。  考えるほど、苛立ってくるが、見た目は、足どりも少しあやしい老婆だから、声荒げることも出来ず、しずかになったので、様子うかがうと、まつはソファにすわり、こくりこくりと舟を漕《こ》いでいる、気がつかなかったが信玄袋が一つ、玄関のわきにあって、これが全財産らしい。その身につけたものを、じっくり観察しても、弥生時代の出土品なら、貴賤の別はつくが、老婆の衣類のよしあしはわからず、袋の中身調べるのは、はばかられた。  勝手にしろ、まさか殺されやしまいと、裕介、布団を敷いて横になり、なんとか打開策はあるはず、出会いからゆっくり思い返し、そのうち、ふと、もし本当の母親だったらどうする、やはり面倒をみる義務があるのだろうか、冗談じゃない、四十年前、養子に出して再婚しておきながら虫のいい話だ、といって自殺でもされたら困る、瞼の子供を探し当てたのはいいが、冷たくされて、世をはかなんだとなれば、俺一人悪者にならなきゃならぬ。  そのうち、うとうとして、まつが布団の裾をぽんぽんとたたく仕草に目覚めみると、いかにも老母然と、靴下の破れを、つくろっている、裕介は考え疲れていて、欲も得もなくまた睡りにのめりこみ、心の底では、朝になりゃ、きっといなくなっていると、そればかりをねがっていた。  しかし、翌朝、まつは裕介のねむりさまたげぬよう心づかいしながら、掃除炊事に立働き、「おや、お早う、よくねむれましたか」もぞもぞ上体起した裕介に声をかけ、「裕ちゃんのお好みわからないけど、すぐ慣れますからね」テーブルの上には、塩鮭、納豆、海苔《のり》がそろっていて、裕介の好物なのだ。まつは、すべてに心利いていて、しかもさし出がましくなく、ただじっと、裕介を、さもいとしそうに見つめる視線だけは、いかにもうっとうしい。  ほとんどものもいわずに食事をかっこみ、さし向いでは浮ばぬ知恵も、表へ出れば、また別と、裕介、講義のない日だが靴をはき、その出会い頭に女管理人とぶつかって、「いいお母様ね、ほんとによかったわ、男の方一人じゃ、火の用心なんかも気が気じゃなかったけど、これで私も安心」なおしゃべりたそうなのを、無視して、べつにあてはない。あたりの交番に、「へんな婆さんが、母親だといって、乗りこんで来てるんです」訴えても、埒《らち》はあかぬだろう、恩師に相談したって、これが性悪女にひっかかったというなら、年相応の分別を働かせるだろうが、今の役には立ちそうもない。べつに何の迷惑をかけるではなく、いや、これまでの一人暮しからみると、いろいろ生活に変化は起るだろうけど、今朝の調子なら、特に邪魔でもなさそうだし、まあ、手伝いの婆さんを雇ったと思えば、それでいいのかも知れぬ。  若い女をひっぱりこんだのなら、いろいろうるさいだろうが、自ら母と名乗る老婆が、男の一人暮しに入りこんでも、誰も不思議に思わず、むしろよろこばしいことのように見る、もし、あの婆さんが企んだのなら、これはうまい穴をみつけたものだ。裕介は、何としてでも、これを詐欺の一種として、見なしたかった。本当の母親だったら、これはどうしていいか、さらに見当もつかぬ。「おなつかしい」というのも空々しいし、「産みの母より育ての母、今のぼくにとって母親といえば、亡き康子だけだ」とは、いいきれそうもない。亡き母をなつかしみ、追憶の涙にくれる年でもないが、やはり命日になれば、ふとその声音や仕草を思い出すのだが、康子が養母ということになれば、かなり混乱してしまう、生《な》さぬ仲であったにしろ、なかったにしろ、両親との生活は、もうピリオドがうたれているので、影響ないようなものだが、裕介は、亡き母の乳房が、そういえば、年老いてなお豊かに張りのあったのは、やはりあれは子供を産まなかったせいかと、これまで、考えもしなかったことを、思う。 「あなたのお母さんは、本当の産みの母ですか」通りすがりの誰彼に、ふとたずねたい気がして来る、生れた時から、かたわらにいて、何やかやと母親らしくふるまうから、そう思っているだけのことではないのか、夫婦だって、長年一緒にいると顔付きが似てくるそうだ、面立ちがそっくりといったって、べつに証拠にはならないはず。  考えたあげく、何の結論も出ぬまま、これは一種の災難とあきらめ、母親であってもなくても、裕介とまつの関係は、主人と雇われ婆さんのそれでいいわけで、家事ひきうけてくれるなら、それだけ研究にうちこめる、強いて心を決め、フラッツにもどると、女管理人が待ち受けていて、「たいへんですよ、どこへ行ってらしたのよ。今、お母さんが階段から落っこって、早く病院へ行って下さい」そして、田舎から出て来たばかりで、慣れなかったのだろう、決してこちらのミスではないとくどくど説明しはじめる。  一瞬しめたこれで厄払いと思ったものの、他の住人も、見守っているから、とりあえず病院へ向い、まつは、腰骨骨折の重傷で、全治三カ月という。 「ほとんど意識不明だったんですが、あなたの名を呼びつづけで、まあ、生命に別条はありませんが、何分お年ですから、気長に養生しないと」医者がいって、冗談じゃない、この婆さんは、昨夜、突然産みの母だとかいって入りこんで来ただけのこと、そんな長患いの世話なんかと、説明したかったが、自分でも信じかねるような話を、とても医者は素直にうけとらないだろう。重傷の母を、見捨てるつもりかと、考えるのが当然で、その夜はうめき通しの、まつに付添った。  翌日、部屋へもどり、信玄袋を調べたが、着替えだけで、銀行通帳のたぐいも見当らず、まつという名が、本当なのか、確かめるすべはない。もっとも確かめたところで、どうなるわけでもなく、女管理人と医者が、母と認める以上、裕介は子供らしくふるまうことを、強制されているのだ。  ギブスに固定されたまま、身動きならぬまつを、毎日病院に見舞い、「すまないねえ、ろくに母さんらしいこともしてやれないうち、こんなことになっちゃって、でもね、お医者さまは半年辛抱っていうし、治ったら楽しく暮しましょうね」まつは、痛みがさると、元気にしゃべり、病院の食事はまずいから、パンを買ってきてくれ、ケーキが食べたいと、注文をつける。大部屋で、他の怪我人のもとに、家族からいろいろ届けられるから、まつだけ貧しいままほっておくわけにもいかぬ、治療費もかさんで、土地を売った残りが、みるみるうちに減り、しかも、それだけ深味にはまりこむ形、まつはいよいよ、図々しく甘えかかるのだ。 「こんなにやさしくしてもらって、本当に四十年間、裕ちゃんのことを思ってた甲斐がありましたよ。実はね、母さんもし裕ちゃんに知らないなんていわれたら、どうしようと思ってたの、ごめんなさいね」なんといわれても、裕介は口ごもるだけで、しごく不当な目にあわされているような気もするのだが、誰に何といって、抗議していいのか分らず、今では、救世軍のような心境、下の世話までみて、「お若いのに、本当に感心ですわ、今時珍しいこと」廊下で、同じく付添いの、婦人に賞められ、これにも頭をかくしかなかった。  そして、もうじき退院という時、医者がこっそりよんで、「腰の方は、すっかりよくなりましたが、どうも内臓にいけないところがあるようですな」遠まわしにつげ、詳しくきくと、胃|癌《がん》だという、食べたものをよく吐くので、おかしいと思っていたが、骨折の方ばかりに気をとられ、あらためて検査してみると、すでに手おくれの状態、「今さら手術しても、仕方がありません。お家へもどったら、せいぜい好きなものを食べさして上げて下さい」まず、三月の寿命という。  裕介は、もうびっくりもせず、まつを引き取って、たしかに松葉杖で歩けはしたが、とても外出、あるいは家事など無理、後三月と考えると、ふんぎりがつき、大学の講師を辞め、一日中、まつのかたわらにいて、便所にしゃがめば、後ろから体を支え、風呂に入りたいといえば、赤ん坊のように抱いて、湯浴みをさせた。「ありがとうね、これも血を分けた子供なればこそです、他人様にはおねがいできませんよ。本当に私は、しあわせものだ」癌の症状がすすみ、苦痛を訴えれば、夜通し、その背中をさすり、気分がよくて、食欲すすめば、好物を用意し、すでに貯金のすべてをはたいて、収入はないから、収集していた石器や、埴輪を骨董屋に売って、食いつなぐ。  こういうことは、実は誰もいわないけれど、いくらもあるのではないかと、裕介考えていた。「私があなたの、本当の母さんよ」といわれて、裕介のような一人暮しの、男のもとにふらりと老婆があらわれたら、これは断わりようがないのではないか、老婆の野垂れ死にしたという話をきかないのは、きっと、この手を心得ているからなのだ。身寄りのない老婆たちは、きっとしめし合せ、恰好な息子候補をえらび、機をうかがって、ふらりと名乗りでるのにちがいない、後は簡単で、かつて本当の息子にしてやったと同じ、心づかいを見せればそれでいい、たしかめようのないまま、男は産みの母という肩書にきりきり舞いして、蟻地獄に落ちたも同然、からめとられてしまう。 「長い間、ありがとう。裕ちゃんに会えたし、やさしくしてもらって、何も母さん心残りはありませんよ」息引きとる前に、まつがいい、そして満足そうに笑みを浮べたまま、いっさいの動きがとまった。裕介は、ほっと肩の荷を下ろし、これでようやく元の生活にもどれる、病人の、というより早くも屍臭の立ちこめた部屋に風を入れようとして、窓をあけたが、ひっそり静まった闇の中に、まつの後釜をねらう老婆がひそんでいて、「まあ、裕介さん、立派になって」と、今にもあらわれそうに思い、あわてて、窓を閉じ、ドアにも鍵をかけた。 [#改ページ]  末期《まつご》の蜜 「おかえんなさいまし」「お疲れなさいましたでしょ」女中たちに迎えられ、荷物は、駅まで来ていた娘の千恵子が持っていたから、身一つで、かつは長旅のやつれいささかも見せず、「すんません、お風呂入れるやろか」のっけにたずね、「すぐ用意します、まだ昨夜のままで」一人が、廊下の奥へ向うのを、「けっこうけっこう、さら湯は体にきつい」とどめ、「でも、沢山お入りになったし」「いや、ざぶっとつかるだけです。さあ、もう私のことはよろしで、みな忙しいねんやろ」女中を、追い払う。  かつの妹、とよ子が死病を患うときいて、見舞うというよりは、いざ危篤の報せが届いても、おいそれ気軽に腰上げられぬ、とって七十二歳、少し早目だが今生の別れをつげに、気候のいいうち、新潟から京都まで出かけて、今もどったのだ。四年前まで、自ら旅館「賀津」をとりしきって、万事お手軽な宿ばかり増える中で、古風過ぎるほどのけじめが売りもの、いちげんの客はとらず、常連だけで年中満員の盛況、それもかつの行きとどいた目端の賜物だったが、足腰したたかなのに、顔面神経痛が出て、左半分がひっつれ、「こんな面体では、お客様に申しわけない」きっぱり隠居して、いっさいを娘夫婦にゆずり渡した。  それまで骨惜しみせずに、こまねずみの如く立ち働いていたから、急に引きこもっては、かえって老けこむのではないかと、千恵子気づかったが、奥の四畳半を隠居所に定めると、もうわてがいちいちしゃしゃり出ては、しめしがつかん、あんたの思い通りおやりやす、日がな一日TVに見入り、丸山明宏と藤山寛美がひいきで、気の若いせいか、心配したほど弱りもせず、神経痛のひっつれも、二年で目立たなくなった。はじめ遠慮していた娘夫婦も、身代まかされれば、自分たちなりの意欲に燃えて、近頃は、紹介があれば、はじめての客も泊らせ、以前、うちは料理屋とちゃう、第一、他のお方に迷惑やと、夜十時以降、酒を出さなかった禁も解き、かつは別に文句をいわぬ。  いや、そればかりか、馴染《なじ》みの客がかつの隠居を惜しんで、顔を見せろと望めば、女中の邪魔にならぬよう、つつましくひかえて、その相手を勤め、まずは非の打ちどころのないお婆さんだった。それも当然で、今こそかくれもない「賀津」だが、もとは素人同様の身からはじめたもの。客商売にまるで縁のないかつが、このなりわいを思い立ったのは、役人だった亭主に突然死なれ、千恵子と、現在アメリカにいるその兄をひっかかえ、他に生計のめど立ちかねたからだ。  財産といえば、家屋敷だけ、医大の生徒を相手に下宿でも考えたのだが、亡夫の友人が、いっそ東京から出張して来る役人相手の、気のおけない旅館をやってみたらとすすめ、もとは京都の染物屋の娘、旅籠のとりしきりなど想像もつかなかったが、やがて中学へ入る息子の先行き考えれば、思案に明け暮れるゆとりなどない。  友人がすすめた理由の一つに、後で打ち明けたことだが、かつの、いかにも京女風、やさしい物腰と、容貌があった、三十三歳の女盛りだったし、ふつう素人が宿屋を店開きするなら、たいてい旧家で、重代の掛軸や、置物が蔵にねむり、皿小鉢の類いもそろっていて、これをまず売物にするのだが、かつの場合は、ありていにいうと、立たぬはずの後家の色気だけだった。  あるいはその友人にも下心があったのかも知れぬ、わがことのように身を入れて、客を紹介し、また、泊り客は、物慣れぬかつのもてなしに、かえって惹かれたのか、たちまち馴染みがつき、四年目に、足場のいい西堀へ移って、女中の数も三人に増えた。板前をおかず、京都風に料理は仕出しだけで、しかし、客が望めば、かつの自分で漬けた香の物や、食道楽だった亡夫に合わせ、いくらか心得た家庭料理を供して、これも評判がよかった。  といえば、万事とんとん拍子のようだが、そして旅館業といえば、亭主ははた目にまったく昼|行燈《あんどん》のように見えて、しかし、組合でのつきあいにしろ、女中を使いこなすにしろ、つくづく独り身のなさけなさを味わわされたし、常連の客だからと、つい心を許していれば、露骨にいどまれもした。すべて、子供のためと考えて、時に魔のささぬでもなかったが、身持ち固く過し、また、必要以上に、かたくなな暮しを、自ら強制したのは、妹とよ子の行状のせいでもある。  四つ下のとよ子は、娘時代から尻軽で、はらみこそしなかったが、幾人もの男と交渉を持ち、あまり色娘の噂が高くなったから、広いようで狭い京都では、良縁の求めようもなく、半ば追放される如く、樺太・台湾・朝鮮と、植民地を渡り歩く事件屋に添わされ、やれ一安心と両親の胸なで下ろす暇もなく、二年後に舞いもどり、ひがみのせいか、あるいはどの道まともではない結婚生活に、なお生来の淫蕩な血の磨きがかかったか、出もどりの身に居直った感じで、したい放題。  女学校を出て、すぐ嫁いだかつは、そう詳しいあらましを知っているわけではないが、ほとほと困り果てた両親が、時に手紙で愚痴をこぼし、それによれば、同じ染物屋の息子、世間知らずなのをたぶらかして、父は寄合いにも出向き難くなったとやら、また、妻子ある男と乳繰り合ったあげく、手切金を強要して、危うく警察沙汰になりかけたとか、「誰の血をひいたのか思います。かつさんがもう少し近くに住んでてくれたら、いろいろ相談もしたいのやけど」と、母にいわれ、そんな疫病神と関り合うなどとんでもない、冷たいようだが、京と新潟の、当時は汽車で、丸一日かかる距離を、幸いに思ったものだ。そして、誰の血をひいたかというくだりに、なにやら生々しい印象を受け、夫に、ねやをせがむ時など、うちにも少しはとよ子と同じ性《さが》あんのやろか、おかしく思ったりしたが、さて独りになると、これが怯《おび》えのたねになったのだ。  あからさまに口説かれれば、いくらもかわしようがあるし、一種の遊戯のようなもので、丁々発止のやりとりを楽しんで、それだけのことだったが、中には、かつに対する想いを、ひたすら押し殺して、うわべさり気ない話だけしかける客もいる、特に、かつが好意いだいてなくても、先方のせつない気持が伝わると、後に残り、ついいねがての夜を過し、あんなに好いてくれはるのに、わるいやないかと、考えてみたり、こう情こわくふるまってたら、罰当るのちゃうかしらと、勝手な理くつつけてみたり、なまじ商売が順調なだけに、一人寝のうそ寒さが身にしみるのだ。しかし、白々と夜が明ければ、たちまちさめて、この時、念頭に浮ぶのは、うかうかしてたらあかん、うちにもとよ子と同じ血流れてるかも知れん、自分で手綱ひきしめ、ことさら帯を息もつけぬほど、きつく締めこみもした。  戦争が激しくなった頃、一度だけとよ子は新潟へやって来て、両親の死後、その消息も絶えていたのだが、どういう間柄なのか、でっぷり肥った材木商を同行し、丁度、かつが不在の時で、女中が断わろうとしたら、「こちらのお上さんの妹ですがな、ほれ、この顔見たら分りますやろ、ほれ」と、自分の顔を突出したという。かつは、いわば肉親の恥さらしだから、子供たちにもとよ子の名を、あまり話題にせず、びっくりした千恵子は、息せき切ってかつに報告し、「母さんの妹だって、本当なの? なんだか、下品な人よ」と顔しかめていった。  うんざりしながらもどると、ちゃっかりいちばんいい部屋へ入りこみ、とよ子は着替えの途中なのか腰巻き一つで、「姉さん、お久しゅう、かわらへんねえ」乳房あらわに抱きつかんばかりの体《てい》、かつはうろたえて、「まあ、よう来とおくれやす、こんな宿で、おもてなしも出来ませんけど」男に挨拶したが、どうきかされているのか、とよ子とさして年のかわらぬ男、薄気味わるくにたりと笑うだけで、礼もかえさぬ。夏のことだったが、とよ子は襦袢一つで、廊下を歩きまわり、朝は朝で、いつまでも起きずに、あげく枕もとへ食事を運ばせ、かつの妹とあっては、女中もあからさまに不平いわぬが、ひたすらかつ肩身がせまい。  なお居つづけるようなら、はっきり追い立て食わそうと心を決めると、その胸の内よんだように、二人は出立し、結局、四日逗留したのだが、ほとんど実のある話はせず、ただ、何のために新潟くんだりまでやって来たのか、妹と男は市内を出歩くこともせず、日がな一日いちゃつき合っているようだった。あるいは、後家の姉に対し、見せつけるだけが目的かも知れなかったが、それならば逆効果で、泊り客の中に夫婦連れももちろんいたが、かつが朝挨拶する時には、みな居ずまい正していて、夜の気配など毛すじも残っていない。とよ子たちによって、かつは久しぶりに、生々しい残り香を身近くし、それは、ただうとましいだけ、後家の身として、なつかしみ、また胸を焦がすことのないでもなかった交情だが、にわかに色あせた感じで、以後も時に、男の体臭をしたわしく思うことがあったが、たちまちしどけないとよ子と、肥っているくせに陰気で、しまりのない材木商が浮び、すると、汐ひくようにさめてしまうのだ。  その後、二、三度、とよ子は手紙を寄越し、いずれも、米やら鮭やらを無心の文面、そのつど住所がちがっていて、ふとあわれに思ったが、甘やかせばつけ入られるに決っているから無視し、そして、二十八年ぶりに、とよ子の消息が伝えられた。とよ子自身ではなく、その入院した病院の、同室者が、身よりもなく、医療保護を受けて、もはや治る見込みのないままベッドに横たわるとよ子を気の毒がり、かつに連絡して来たもの。 「賀津」を、まだきりまわしていたのなら、わざわざ出かけなかったろうが、楽隠居の身ではあり、とよ子の身から出た錆《さび》とはいいながら、かわいそうでもある。短い老い先をことさらこれまで考えることもなかったが、死病ときけば、不思議になつかしい気持が起り、それはまた、自分の老いを否応なく思い知らされる感じで、われながらあわただしく、京都へ向ったのだ。  近くの湯治場へは、よく出かけたが、長の道中は、二十年八月、新潟に原爆が落ちるかも知れないといわれ、女中の実家である福井へ、着の身のまま疎開して以来のこと、ましてや京都へは、夫に死なれて以後、足ふみ入れていない。両親の染物屋は、後継ぎのないまま、屋号もろとも店をゆずって、以後、縁の切れた土地だった。老人の一人旅だから、皆心もとながったが、女中を同行しろという千恵子の言葉を無視し、病気見舞いといっても、なにより必要なのは金だろうから、こっそり三十万の定期解約してふところに忍ばせ、さて、列車に乗りこむと、思いもかけぬ感情の起伏にかつは、とまどった。  窓の外を流れる、どこまでもだだっ広い野面、稲刈り終えて、雪を待つばかりの変哲もない風景が、ことの他心にしみ、それはやはり、もう二度とこのながめに接することもないだろうと思い定める気持があったし、また、あまり外ばかり見ていると、気持がわるくなると注意されたことを思い出し、視線を正面にもどすと、背の低いかつは、座席にうめこまれたような按配、眼に入るのは、前の背もたれの、網の物入れと、その中の蜜柑や煎餅《せんべい》、娘婿が持たしたものだが、あざやかな蜜柑の色にふと幼なかった頃の、なにやかやよみがえり、子供時分は、しごくおとなしかったとよ子、どこでとち狂うてしもたんやろと、考えるうち、その年を考えれば、みじめな境遇、どないにふしだらやったとしても、もう十分にその報いは受けてるやろ、どのみち先長いことないねんやったら、新潟へ引きとったろか、あまりといえば、うちも冷たいあしらいしすぎたんとちゃうか。ことさら自らを責めて、責めるうちに視界がくもって来る。  自分勝手に、劇的な姉妹再会の場を思いえがき、あるいは、もう死に目に間に合わないのではないかと怖れつつ、さすがに十八まで過した土地だし、町並みのそこかしこ、あたらしくはなっていても、大筋は以前のままだから、病院の在りか苦もなく探り当て、受付でたずねると、「その方でしたら、もう退院しはりましたわ」一瞬、死んだ場合も退院というのかと、かつは考え、自分でも表情のこわばるのが分ったが、「一寸、待って下さい」看護婦、医者を呼び、「山下とよ子さんの、お知合いの方ですか」山下の姓に覚えはないが、かつうなずくと、「お気の毒ですが、どうも手おくれでしてね、もう少し早く来てれば、今は、かなりのお年でも手術してなんとか」死病ということは、手紙で報されていたが、それなのにどうして、退院したのか分らず、もし治療費の都合がつかないならと、後生大事に持って来た帯の中の、金包み、ひっぱり出しかけたが、「まあ、病院にいても、自宅で療養なさっても、御本人の好きにまかせるより仕方がありませんのでねえ」医者がいい、手術しなくていい、実は手術しても詮かたない状態なのだが、そうきくと、とよ子は鳥のとび立つように、病院を去っていったという。  とりあえず、かつに手紙をくれた同室の患者に礼をいおうと、その旨つげると、手紙受けとってから五日しか経っていないのに、その患者は、容態急変して亡くなっていた。狐につままれたような気持で、何度となく頭下げたあげく、改めてとよ子のアパートをたずねると、場末の、分りにくい場所にあって、これが同じ京都とも思えぬほど、あたりの言葉つきとげとげしかった。  剣つくくわされつつ、ようやくたずね当てたのは、木造二階建、見るからに古い造りで、とても支えの用にはならぬと思える細い突っかえ棒六本を、周囲にめぐらせ、窓《まど》硝子《ガラス》もいたるところ破れ、新聞紙重ね合せて、風を防ぐ。「ごめん下さい」と、幾度その乱雑にサンダルや運動靴脱ぎ捨てられた玄関でさけんでも、応えがなく、やたらTVの音のみ喧《やかま》しい。  表札を調べようにもそれらしいものは見当らず、すでに夕刻にさしかかって、ぎくしゃくと延びている廊下の奥までは、見通しがきかぬ。あれほど、車中かわいそうに思い、その気持まだ失せていないが、怖ろしさが先立って、明日、陽のあるうちに、また来ようと、きびす返したとたん、「いや、お姉ちゃんや、よう来てくれはったわ」甲高い声がひびき、かつ仰天してあたりをたしかめると、まるで幽霊のように痩せこけたとよ子が、風呂帰りなのか、洗面道具かかえて、道ばたに立っていた。 「まあ、入ってもらわな、立話もでけんし、今夜泊って行くねんやろ、そうか、やっぱし来てくれはったん。うちなあ、もう迷惑かけるのいややから、やめといて欲しいいうてんけど、お節介な人おって」饒舌《じようぜつ》にしゃべり立て、化物屋敷じみたアパートへ、かつを案内することに、何のこだわりもないようだった。ひきかえかつは、いざ中へ入るとなると、よどんだアパートの空気は、なにやら異様な臭いを漂わせているし、ぺらぺらしゃべるとよ子に気圧されて、口ごもりながら、「よかったら、どっかで御飯でも食べませんか、急に出て来て、これから仕度させるのも、気の毒やし」水臭いような、またひどくなれなれしいような物言いをする、「かまへんて、お寿司でもとるわ、まあ、京都は昔からそう魚のうまいとこちゃうけど」先立って、玄関のあぶなっかしい框《かまち》に足をかけ、弱っているのか、膝に手を置き、ひとしきりふんばって体を持ち上げた。  とよ子の部屋は、階段の下の三畳で、天井が斜めに走り、上り下りの足音容しゃなくひびき、窓もない。「えらいとこやけど、ここはここで、見栄張ることもないしな、気楽なもんや」室内には、道具らしいものはなにもなく、蜜柑箱らしいのに紙を貼って、食器一切を納め、壁の釘に、どてらや半天、ちゃんちゃんこがぶら下っている。半間の開きをあけて、茶道具を出すと、「べべ汚れるといかんわ、座布団敷きよし」いいおいて、薬罐を手に立ち、ふらっとよろめく。 「まあええて、まだ、退院したばかりやろ、大事にしてないと」「大丈夫やて、先生いうてくれたもん、うまいもん食べて、好きなことしとったらよろしいねん。薬も、仰山もろて来てるし」口では気楽にいっても、唇かみしめて、ゆっくり歩を運ぶ。かつも、何人か、手おくれの癌患者を見ていたから、とよ子の土気色の顔色で、およその先行きは分り、せめて最後くらい、人並みに過させてやろ、病院に入るのがいややったら、もう少しましな住いを探して、家政婦でもつけておけば、いざとなった時に、安心やろ。まあ、その時はもう一度、京都へ来て、野辺の送りだけはきちんとせんならん、そのためにも、このアパートはひどすぎる。 「何年ぶりやろねえ、皆さんお変りございませんか」あらためてとよ子、口上をのべ、「へえ、おおきに。あんたもなんやわ、入院したいうからびっくりしたけど、まあ、元気そうで」まさか昔と変らんともいえず、かつがいうと、「ちょっとな、お腹の具合おかしかっただけですわ。なんし検査やらなんやらいうて、おかしなもん呑ませたり吐かせたり、しんどかったわ。退院して、ほっとしてるねん」「そやけど無理せんとな、まあ、大したことも出けんけど、私かて力なるさかい、ゆっくり養生しいや」「おおきに、そないいうてくれるのんは、姉ちゃんだけや、うれしいなあ」とよ子、目をしばたかせ、「ほんま、はよ元気になって、また働かんと」「まあ、そんなこと今から考えんかてよろし。私も、四十年近う宿屋やって来て、少し前から隠居やけど、身内の一人や二人、引き受けまっせ」「ほんま、姉ちゃんえらいなあ」「えらいことなんかないけど、まあ、苦労だけはようしましたわ」「そやろねえ」考えてみると、かつはこれまで、客商売の辛さ悲しさについて、他人にこぼしたことがない、ふと、妹にだけは聞いてもらいたいような気がして、「ほんま、主人にポックリいかれた時は、どないしょうか思たもんなあ」しゃべりかけたが、とよ子話をきくというより、卑しげな目つきを見せて、「姉ちゃん美人やし、旅館なんかやってたら、いろいろええことおましたやろ」 「ええことなんかあらへんわ」「そうかあ、そうかて、ええとなんぼの時に死なはったん、旦那はん」「三十三やったかな、息子が数えの十二で」「三十三、ようやく男の味分ったとこやな。気の毒いうたら気の毒やけど、かえってのびのび遊べてよかったみたいなもんや」いひひひと、とよ子笑い出し、心なしか、肌の色艶に赤味がさして見える。「いやらしこといわんとき、うちはそんなふしだらな女ちゃうもん」かつ、少し腹を立て、きっぱりいったが、とよ子委細かまわず、「そんなこというても通らんて、わての知ってる旅館のお上でな、ええことしてるのん、ようけいてるわ。なんせ、部屋はあるし、チャンスに恵まれてるもんな。ええ商売やわ」べつに皮肉でもなく、とよ子本気でそう信じこんでいるようだから、うんざりが先立ってだまりこむと、いかにも図星を得たという風に、唇の端からよだれの流れるのもそのまま、「姉ちゃんもええことしたやろけど、おかげさんでうちもな、まあ、人並みに、いや以上やな、楽しい目ェさせてもろたわ」四つんばいのまま、開きにとりつき、ごそごそ物音をさせていたが、古びたアルバム二冊とり出して、「まあ、いうたらこれがうちの財産やな」物惜しみするように、膝にかかえこんで、浮き出たバラの花だけ、すり切れているその表紙をなでさする。 「女はそやけど、於芽孤でけるうちが花やねえ、於芽孤でけんようなったら、生きてたってしゃあないわ。姉ちゃん、近頃どないだ」とよ子がいい、かつは、耳を疑うというか、いや、どしんと鼓膜に何かがぶつかったようなショックを受け、まじまじととよ子の表情をながめた。いったい何十年ぶりに聞く言葉だろうか、いっぺんに気力の失せた感じで、いやらしいこといわんとき、と、たしなめたいのだが、うっかり今、口をきけば、つられて同じ言葉をしゃべりそうな気さえする、その言葉が、せまい三畳の、天井のかしいだ部屋の中を、形あるものの如く、とびまわっているようで、それは耳だけでなく、ぺたりと肌に貼りつき、口や鼻から体内に侵入して来るような感じだった。 「うちが最後にしたんはな、入院する半月前やったわ、もうこの年なったら、これが最後かも知れんいうて、やっぱし考えるわな。その後すぐ、十二指腸いうんか、ここがごつい痛なって、そう眼ェくらむほどやってん、それで、とうとうあれが終いやったかと思たけど、どっこいまた体ようなったもん、まだ先に楽しみあるわけや」癌ということだったが、あるいは頭もおかしくなっているのではないかと、かつ無気味に思い、ようやく気を取り直して、「あんた、まだそんなことしてんのかいな」きめつけるようにいったが、とよ子けろっとして「そんなこというて、他に何の楽しみあって生きてるねんな。姉ちゃんかて、欲しいねんやろ。まあ、御隠居さんいうから、そら、ちょっと具合わるいかも知れんな。そこへいくと、うちなんか、見栄も外聞も気にせんでええしな、これでも姉ちゃん、昔はうちもててんで」頬はこけ、髪の毛だけは年よりも豊かだが、男のように、額のあたり抜け上っていて、癌に冒されぬ前を、考えてみても、およそ女からは縁遠い容貌、子供の頃から、器量はかつがはるかにまさっていて、「とよ子も、自分の不細工なんに、やけ起したんかもしれん」と、その不行跡がはじまった時、母がいっていた。 「な、姉ちゃん、この男どないや、貫禄あるやろ、これ、新潟の米相場師や、ごつい景気ようてな、贅沢《ぜいたく》させてもろたわ」とよ子は、かつの胸中いっさい気にせぬ体で、にじりよると、アルバムを開《ひろ》げてみせる、狸のような顔つきの男に、狐の襟巻したとよ子の、寄りそう姿があり、「金だけやない、達者なもんでした、あれだけの男は、他におらんな」とよ子舌なめずりをする。「この男は、いうたら山師や、いつも太い杖ついて、大きなことばかりいうてたけど、ようかわいがってくれたわ」毛皮の帽子をかぶり、斜にかまえた小柄な男の写真を、指でしめす。「うちの体を女に仕上げたんは、この男やな、なんししつこいねん、うちが口から泡ふいて、てんかん起したみたいにならんと、気ィやりよらへん。ほんまに、うち二貫目も痩せたもんな」アルバムを、気まぐれにめくりながら、丁度、名所古跡の絵葉書を、解説する如く、「これこれ、この男、若いのに女殺しの道具もってはって、顔みたかて分るやろ、鼻がでかいのんは、あっちもでかいて、ほんまやわ」「このおじいさん、知らんか? 有名な三味線弾きやねんけどな、お上さんがやきもちきつうて、殺されかけたことあるわ」「この男な、県会議員やねん、本妻ならんかいうて口説かれたけど、そんなえらいさんの奥さんなんか辛気くさいだけやしな」ほぼ二頁ごとに男が変り、はじめ意地張って、ろくに見もしなかったかつだったが、いちいち刻明な説明が加わるから、ついしげしげと、いずれもすましかえってカメラに向う、とよ子と男の姿をながめる。 「姉ちゃん、何人ぐらい知ってる。うちな病院おる時、いよいよお年貢の納め時かなあ思て、勘定したら、大体百七十八人やな、まあこの数に間違いないわ。男知ったんが十六で、今六十八やから、五十年ちょっとで百七十八いうたら、まあええとせなな。それでも、味わかったいうたら、五十過ぎてからやね。一回ごとにちゃうねんから、いちいちびっくりするわ。五十までは、なんやすっぽんぽんの感じやったけど、後は、どないいうたらええかな、うちにばっかりしゃべらせんと、いうてえなあ」とよ子、甘えかかるようにいい、かつは、そのはしたない言葉を、たしなめかねた。  姿形のやつれとはうらはらに、とよ子はよくしゃべり、しゃべるうち生色よみがえらせてきて、まずその迫力に押され、またあけすけな内容が、ふと輝かしい色合いの如く思えてさえ来る、うっかり、自分がただ一人の男に操を立て通し、男の肌ざわりなど、夢のまた夢であると、見すかされたら、たちまちこっぴどい軽べつを受けるような、怯《おび》えが生れて、せめてしゃっきり姿勢を、正そうとするが、力が抜けていた。「於芽孤しいたいわ」とよ子、鼻を鳴らし、今にもそのままよろめき出そうな具合だから、「病み上りやいうのに、何やの」ふるえ声でとどめ、「体ちゃんと治してからや」「もう大丈夫やがな、それに少し位しんどいのなんか、男に抱かれたらしゃんとなる」執念の如くいう。  さすがにかつ呆れて、「そやけど、あんた鏡見てみ、どない見ても、病人やし。いくら物好きな人かて」「顔や形とちゃうが、うち於芽孤はな、万人に一ついう上物やねんで、於芽孤に年はとらしてない」「もうちょっと養生しとり、お姉ちゃん世話したるから、滋養あるもん食べて、な、元気になってから、好きなだけしたらよろし」かつの言葉に、いくらか納得したらしく、肩で息つきつつ、とよ子だまりこみ、しばらくして「後、何べんくらいできるやろな、実いうとな、やっぱし前から体わるかったんやろか、唾くらいではきしんでな、胡麻油つけててん。やっぱり年やねんな」胡麻油の意味がすぐに分らなかったが、とよ子自らの指を股間にあてがい、何やらまさぐるから、ようやく推察がつく。「姉ちゃんには、子ォもいてるし、宿屋もあるけど、うちのお宝はこれと、それからこの写真だけや」しんみりいう。かつは、またあわれになり、とよ子に男がいるなら、せめてその顔くらい見せてやった方がいいのではないか、「あんた、抱かれたい人いうの、どこにおるの」どんな男か、少し興味もあった。 「どこにでもおるわ、男なんか、いきり立ってる時は盲同然や」くっくと含み笑いして、「うちがな、通りすがりの人に、声かけるねん、ええ子いてますよ、いうて。それで」あらためておかしそうに息をつき、「一人二役やん、暗うしといて、股ひろげたっとったらむしゃぶりついて来よる、女の顔は、こっちがほんまもんやで、こっちゃには年とらせてないわ、誰かてよがり泣きするもんな」ぴしゃぴしゃと下腹部をたたく。淫売という言葉が、かつの頭に浮んだが、眼の前の、しゃべり過ぎてくたびれたのか、膝に上体うつぶせてすわりこむとよ子とは結びつかず、そして、はっきり羨望の気持が、身内に生れていた。  亡夫に操を立て、人に後指さされまいと、必死に意地張っていたこれまでが、ひどく馬鹿々々しく思え、このままでは死んでも死にきれんと、今、突然そう思いついたのではなく、ずっと昔から、考えていたような気がして、裸電球に照らし出されたせまい室内を、見まわし、いまわの際を考えれば、とよ子と自分と、どちらが安らかに眼をつぶれるだろうか。百何十人とかの、男の思い出を抱いて三途の川渡るのと、今ではろくに顔すら覚えていない夫への、操を冥途の手土産にするのと。勝負は明らかな気がして、かつは居ても立ってもいられぬ焦燥感にかられ、「とよ子ちゃんな、ここにお金あるから、これで好きなようにし」札束をその膝の前に置き、びっくりしているのに、「ほんま、好きなようにしなさい。あんたの話聞いてたら、うちもかくしごとできんようなったわ」幼女の如く、無邪気に見つめるとよ子の表情、にらみすえて、「誰もいわんけど、あんた癌やねんわ、もう手術も間に合わんねんて。後、どれくらい生きられるか知らんけど、せいぜい男に抱かれた方がええ。な、うちこんなこと」いいかけるのに、「嘘や、癌なんか。先生はちょっとお腹こわして」「嘘で、こんなむごいこといいますかいな、まあ、後三月くらいらしいで。しっかり気張って、好きな男に抱いてもらい、それがよろしわ」しゃべるうち、さっきから押されっぱなしだったとよ子に、逆襲する如く、意地悪なものいいとなり、くしゃくしゃに顔ゆがめたとよ子を、見すえたまま立ち上り、「さ、はよ、男あさりに行き、今生のしおさめですよ、後悔せんよう、たんとおしやす」いい捨て、かつはそのまま表へとび出したのだ。  その夜は、頼んでおいた宿に泊り、ぐったり疲れていたが、気持の昂《たかぶ》っているせいかねむれず、うとうとしかけると、「於芽孤」と、大声でさけびそうな気がして、くつろげぬ。朝、千恵子に連絡し、すぐ帰るむねをつげ、千恵子は折角だから、ゆっくり京都の秋を楽しめばいいと、いったが、追い立てられるように、昨日来た道をもどり、車中、ひたすらとよ子の口にしたあれこれを、牛のように反芻《はんすう》していた。  昨夜のままで、垢の浮いた湯槽に、常なら手桶でかん性にすくい取るのだが、かまわず体を浸し、上ると、入口の戸に鍵をかけて、かつは、身をかがめ、股間をのぞきこむ。手で触れることはあっても、しげしげながめた覚えなどなく、しかし、とよ子の「於芽孤に年はとらしてない」という言葉が、耳の底にこびりつき、これまで顔の色艶などとても七十過ぎには見えぬと、いわれていたのだが、それは所詮空しいことに思えてきたのだ。わずかに残った陰毛の下に、ひどく生々しい色合いの裂け目が確かめられ、しかし、かがめただけでは眼が行きとどかぬから、手鏡にうつしてみた。「女の顔」という実感はないが、意地を張り通して、不当にしいたげてきたような気持がする、自分の体でありながら、別物の印象で、ながめるうち、いとおしさが増し、そっと指でなでさすり、すると、すっかり忘れていたはずの、夫のふるまいが、ありありとよみがえる。  すっかり肉の落ちた太ももだし、尻にも情けないほどたたみじわのようなひだが重なり、だが、中央の赤い肉は、まだ生々として見えた。ながめるうち、空洞から艶やかに、滑らかに光るものの、あふれるように思い、「うちは、まだ胡麻油なんかいらんわ」つい知らず頬がゆるみ、何とない自信ができる、「於芽孤ちゃん」かつは、鏡の中のそれに呼びかけ、長い間辛抱させてすまんことでした、これからな、たんと楽しませたげまっせ、息を吸いこむと、腹のうごきにつれて、そこはくねり、吐くと、また変化する、そのいちいちを、まるで子供のようにおもしろがって、「御隠居さん、大丈夫ですか」あまり静まりかえったままだから、気遣う女中の声に、「へえへえ、おおきに、ええお湯加減ですよ」若やいだ声で、さけび返す。  その夜、神経痛が出るまでは、必ず薄化粧していたのだが、以後、紅《べに》白粉《おしろい》から遠ざかっていたかつ、久しぶりでめかしこみ、「うちの身内のことで、えらいわがままさせてもらいました、なんぞお手伝いしましょか」女中の一人が休暇で、手の足りぬのを幸いに、客室万遍なくまわって、挨拶し、いちげんの客のそばにぺたりとすわると、四方山《よもやま》話をしかける。「お一人旅では、おさびしでしょ」「そうだねえ、近頃はどこへ行っても、同じようなもので」「新潟も、以前は色町でならしたもんどすけど、なんや知らん窮屈になってしもて」それほど、はっきり企みあってのことではなかったが、四十年近く宿屋業営んでいれば、客の素性好みにも自然と目端が効いて、かつのえらんだ男は、誘い水にまんまと乗り、「なにかこう、おもしろい抜け道なんてないものかねえ」「どないでしょうねえ、あるようなないような、話にはききますけど」「一つお上さんなんとかならないかねえ」「私はもう隠居でございまして、とんと、うといんですけど、ま、ちょっとお待ちいただけますか」いったん下ったかつ、帳場で空いている部屋を調べると、また戻って、「なんですかねえ、近頃は、お素人の方のほうがさばけてはるらしいて」これも、泊り客の口からきいた噂なのだが、まことしやかな嘘がすらすらとび出し、「素人? 本当かな、まあ大体はプロなんだけどね」いかにも遊びなれている風を装う客は、てんから乗気となっていた。 「私どもは、ごくふつうの旅館ですさかい、女の方にもお泊りいうことで、別室に入っていただきます。そこへお客様が、まあ縁は異なものいいますか、旅は道連れいいますか、おこしになって」「どの部屋、で、金はどうすりゃいいの」はやるのを、「一万円でよろしいいうことでした、それで、これだけは守っていただかな困りますねんけど、部屋は真暗にして、絶対に明りをつけんように。なんせ、ほんまにお素人さんいうことで」素人にはまちがいおまへんと、かつ心中おかしくなり、また、いったんことを運ぶと、思いの他、とんとん拍子にすすむから、客をだますというより、鼻面ひきずりまわしているような、楽しみさえ味わえた。  皆寝しずまった夜十一時を約して、かつ引き下り、こっそり空いた部屋に布団を敷き、夜おそくなれば、四畳半の隠居所のぞく者はいない。念のため、電球をはずし、スタンドも押入れにしまいこみ、まだ間はあったがひんやり冷たい布団の中に身を横たえる、「於芽孤でけんようなったら、生きてたってしゃあないわ」とよ子の生々しい言葉が、空耳にひびく、四十年、操を立てて来たのが、別人のことに思え、かつは、ひそかに「於芽孤於芽孤」と口の中でつぶやく、はじめ鼓膜にぶち当ったかの如き、ショックを与えたこの言葉が、今はとてつもなくやわらかく、わが身をくるみ、つれて、はっきりと股間ににじみうるおう感触が生れる、それは蜜のようにねばっこく、甘い匂いをはなち、胡麻油などつかわなくてもいい自分の若さを、かつ、誇らしく思う。あたりに気をかねるらしい足音が近づき、襖《ふすま》が開いた、かつは布団を顔の上まで引きあげ、心ざまは、はじめて男を迎える娘のそれと、まったく同じだった、蜜はなおしとど溢れつづける。 [#改ページ]  至福三秒  果てて後、常の如く夫が、腕立て伏せの要領で、体引き起そうとしたとたん、妻の平手打ちがその頬にとんだ。ふだん、時に妻は甘えるように、夫の首筋や顎《あご》のあたり、掌で軽く打つことがあり、これもじゃれかかる手もとの、あるいは狂ってのことかと、かなりの痛さだったが、夫|強《し》いて気にとめず、なにしろ夫婦そろって風呂に入り、ベッドへもつれこんだあげくだから、剣突く喰わされる理由まったくないのだ。 「ええ加減にしてほしいわ、あんまりやないの」まだ妻にのしかかったままの夫に、下から冷たい声が浴びせられ、「ええ加減てなんや」夫、間抜けな声でたずねつつ、さては今の平手打ち、ふざけてのことではなかったのか、となれば当然立腹してしかるべきところだが、いかにも容しゃのない妻の口調にむしろうろたえる。「はよどいてえな、うっとうしい」かさにかかって、妻、双手《もろて》突きで夫の体を押しのけ、ベッドから降り立つとネグリジェの裾乱暴に払い、「それでも男いえんのんかしら」舌打ちしつつ、三面鏡の前にすわり、髪にクリップを捲きはじめる。 「なに怒ってんねんな」「ふん」妻は鼻でせせら笑い、さて夫あれこれ推量してみても分らず、男といえるのかとはまたなんたる言い草や、三日前の同窓会で、顔合わせた面々と較べ、特に地位も給料もひけはとってない、3DKサンルーム付きの住いも、車も、まあええ線いってるといえるやろ。夫、心当りのないまま、われながら馬鹿々々しいと思える弁明を頭に浮べ、その底には、今さらむしかえしたって仕方のない、覚えが一つないでもない。  結婚して、十二年になるが、二人の間に子供がないことで、しかしこの問題については、お互いさま手をつくし、ことさらなさわりも見つからぬまま、つまりは神の思召しにかなわぬことと、決着がついているはずなのだ。「十五、六年して、恵まれるいう例もあるし」押しだまったまま、髪引き抜くような勢いで櫛《くし》を入れる妻の姿に怯《おび》え、夫がつぶやくと、「そら赤ちゃんできんのんも当り前や、できるはずがない」  妻は断定的にいい、夫さらに混乱する。さんざ医師の前で恥ずかしい思いをし、各種検査を受け、その能力については保証されていたのだ、「なんや、はずがないて」「自分で気づいてないのん?」「なにをや」「私、ようやく分ったわ、今日」「分ったて、どないしてん」どうにも能のないやりとりだと思ったが、だまっていれば、なお妻は苛立《いらだ》つにちがいなく、低能めいてたずね、「あんたみたいなんを、牛の一突きいうねんてね」妻、思いがけぬことをいい出した。 「なんや、それ」もとより夫も、その言葉を耳にしたことはある、だが、真意はかりかね、なお与太郎を装うと、「牛は一突きで射精しはるねんて、あんたと同じやないの」あほいえ、俺が一突きかと、抗弁もならず、そして夫は、自分がいわゆる早漏であると、自覚が、ないでもない。「なにも長いからええいうわけちゃうやろ」「ええにもわるいにも、私はあんたしか男を知らんねんもん、比較できへんわ。そやけど、三秒いうのは、病的とちゃう」三秒? 大袈裟なこといいよる、まあ、三十秒はつづいてるはずやし、第一、けっこうそっちもそれで満足してるやないか、失神なんかいうのんは、絵空事で、そういつもいつも泡ふいてのけぞってたら、それこそ異常体質いう奴やで。夫、いいかえしたかったが、長の年月一緒に住めば、まず先方の攻勢には逆らわず、柳に風と受け流し、その息切れするのを待って、説得するのが上策なのだ。 「私なんか、ものすごい損してるねんわ、平均二十分いうやないの、二十分いうたら千二百秒やから、三秒で割ると四百回分や、私ら結婚してから四百回してる?」妻、妙な数字をならべ、夫はうっかり「そりゃ四百回は十分してるやろ」答えそうになったが、そんな相槌《あいづち》打っても何の足しにもならぬ。「えらい錯覚してたわ、私。よう雑誌なんかに、性交時間いうの書いてあるでしょ、てっきり前戯やなんや含めてのことかおもてたら、挿入してる間のことやないの、よういわんわ」生《なま》な術語がとび出すから、夫、閉口したが、しかし妻の口調少しくやわらかみを帯び、「あんたもずるい人やね、知ってたんでしょ、自分が牛の親類やいうこと」「牛、牛いうけどな、そらまあ、どっちかいうとみじかい方かもしれんけど、たとえば受胎させる能力とは関係ないし」「それはこの際関係ないことよ、私を愛してくれてるんやったら、もうちょっと考えてほしいわ」夫、ふたたび言葉を失い、早漏と愛情と何の関係あるねん、胸の内につぶやき、いくらかゆとりも生れたのだが、「二分以内を早漏いうねんて、三秒やったらさしずめシュンロウかしらん」「シュンロウ?」「瞬間に漏らすねんから」うまいこといいよると、笑うにしては、あまりに手ひどい侮辱だから、「お前は、ぽうっとしてるからそう思うだけやて」「ぽうっとしてる? ふん、うぬぼれんといて、私はいつも正気ですよ、あんたの牛面ちゃんと見てますわ」またとげとげしくいい、「そんなに自信あるねんやったら、計ってみましょか。きっと世界記録かも知れんわ、ヨーイドン、ハイおしまい」  妻は実家へ遊びに行き、結婚したばかりの末の妹から、そのねやのあけすけな話やまた知識をきかされて来たのだった。「毎晩一時間はたっぷりかかるねんて、どない思う?」どない思うにもなにも、そらまあよう気張りはりますなとしかいわれへん、大体、若い男がそんなに時間かけるいうのんは鈍感な証拠や、夫、結婚式の際見受けたその婿はんの、ラグビーをやっていたとかで、いかつい体格を思い浮べ、うらやむよりむしろ気の毒な気持になり、そしてすぐ、かぼそい妻の妹が、あの男に一時間も責められるのかと、からみ合う姿態想像して、ふと昂《たかぶ》りを覚える。「まあ、あのこは前から話がオーバーやから、割引きしてきいとかなあかんけど、姉ちゃんとこどないいうてきかれて、ほんま困ったわ」妹の口から、性行為所要時間には、前後戯を含めないと、説明されたらしく、「うっかり三秒なんかいうてごらんなさい、一生頭上らんようなってまうとこや」  早漏の天才、偉人というのはいなかったかと、夫は考え、たとえば戦国時代、いつ寝首をかかれるか分らぬ時など、この能力はきわめて有利だったにちがいない。一時間も女を抱いていれば、いくつ生命があったって足りんとこや、と、しかし妻をなぐさめもならぬ。「一時間とはいわへんから、せめて三分我慢してほしいわ」「ボクシングの一ラウンドか」夫は、もごもご口の中でつぶやきつつ、「ほな、ためしてみるか」髪に半ばクリップとりつかせた妻の肩を抱き、「無理せんでもええのんよ、今でのうても」たちまちうるんだ声で、うわべ遠慮しつつ、「そやけど、二へん目やったら少しは長いこと持つかも知れん」すぐかじりついて来て、一の矢放った後だから、そのままとっかかり、夫このたびは意識して、長引かせようとしたのだが、妻の動きに誘われて一も二もなく登りつめ、たしかにこれは早過ぎるかなあ、自省するより先に、「ほれごらん、九つ数えたらエンドやないの」妻は手をのばし、目覚時計の秒針ながめつつ、「イチニサンシ」九つまでつぶやき、「七秒ちょっと。さっきのと合わせて十秒やんか。合わせて妹のとこの、三百六十分の一しかないわ」  つまり、お前をあんまり愛してるから、あっという間に済んでしまう、お前のものが上等やさかい、すぐに絶頂をきわめてしまうなど、いいわけは考えられたが、夫、だまりこみ、学生時代に女を買って、早漏の性《さが》については指摘されていたのだ。「折角金払うてんのに、チャッチャッと済ませたら損やないか」友人にいわれ、そんなもんかと思ったが、特にこの性のため苦汁をなめた覚えもないまま結婚し、しかし、あらためて七秒と確認されれば、われながら情けない。「お前、まるで満足せえへんのんか」夫、たずねると、その暗い声音に、妻、今度はいたわり深く、「そんなことないけど、でも、長い方が楽しいでしょ、あなただって」半ば恩着せがましく、半ば病人をみる如くいい、「方法はあるはずよ、先生に相談してみようかしら」子宝得るため、なにやかや話持ちかけた医師に、また頼ろうとするから、「あほ、自分のことは自分でする」あわててとどめ、なるほどこれまで気にとめなかったが、子種がないといわれるより、早漏の方が外聞わるく思えた。  今さら早漏の短小のと、深刻に悩む年でもなく、夫は朝日ののぼると共にすっかり忘れ去って、さし当りの方便も特に考えなかったのだが、幾日か目に、妻は「私、お風呂入った方がええかしら」ねっとりした口調でたずね、これが夫婦間のいわばラブサインだった。夫は、自らの早漏故でもないが、いささか入念に前の戯れを行い、そのためにはやはり清浄なる方が好もしいから、いつとはなしに習慣となったもの。「ああ」とあいまいにうなずき、すると急に何の準備もせず、試験場に臨むようなうろたえが生じ、妻の湯浴みの物音耳にしつつ、こっそり逸物ひき出し、しさいにあらためて見たが、もとより形状には何の関係もない。  子供の頃に、怯えつつながめた大人の、その猛々しい印象に較べれば、いかにも可憐純情といったおもむき、淡紅色の肌合いといい、しなやかに伸びる皮の感触も、なにやら世間知らずといった風情で、夫は、あまり女遊びをする方ではなく、つまり、浮世の荒波に当てなかったせいかとも思う。もしそうやったら、感謝してもろて当然やないか、亭主の女遊びに泣かされても、なお長い方がええのんか、夫は一種のナルシシズムさえ覚えてまたしまいこみ、まあ、先夜は妻も苛立っていたのやろ、この十二年間、波風立てず過して来たのに、たかが七秒と三分の差を、そうしつこくいい立てるはずもない、ようやく安心して、湯上りの妻を抱こうとすると、「ちょっとまってね、何ごともトレーニングやさかい」妻は、砂時計を枕もとに置き、「台所用の三分計よ、これがちゃんと落ち切るまで、辛抱してね」  茹《ゆ》で卵でもあるまいしと、夫、興ざめしたが、また一方では、こういう目安のあった方が、あるいは長引かせることが可能かも知れぬ。だまって、とっかかった拍子に、くるりと砂時計を逆に置き、「ああ」妻は妻で、あたらしい刺戟を感じたのか、ふだんより力強く抱きすくめ、ぐいと腰をよじったから、夫たまらず鼻息荒げて、思わず閉じた瞼《まぶた》の裏に、このたびは七秒どころか、砂時計の白い砂の、一粒々々見分けられるほどの、わずかな量が灼きつく。 「駄目ねえ、分ったでしょ、あなたにも」妻、枕に頭を乗せたまま、なおさらさらとこぼれつづける砂時計を確かめ、「むつかしいこと考えたらええいうけど」「むつかしいこと?」「あなただけやないらしいわ、私、あんまり週刊誌のそういう頁読まへんねんけど、注意してたら、わりに多いねんね、早漏の夫いうて」悩める妻に対し、いろいろ教示がなされていて、たとえばユーウツの鬱の字をなぞってみるとか、恐れ多くも勅語を暗誦する、麻雀の点数を、なるべく複雑にして暗算するなど、効果的だという。 「そら、大して効き目ないやろな」「なんでやの」「俺、わりに暗記ものに強かったしな、歴代天皇の名前も軍人勅諭も、学年でいちばん早いこと覚えた」この能力のせいで、教練の点数がよかったことや、歴史地理も得意やったわ、夫、うっとりとその昔を思いかえし、「北海道の海産物は、ニシンサケタライカコブイワシマス」調子に乗ると、「役に立たんことばっかり得意やねんから」妻、半ば涙声でいう。  こればっかりは、延長のためのあたらしい思いつきを得たからといって、すぐ試しもならず、失敗に終っても、訂正してもう一度チャレンジもできない。しかし妻は、週刊誌からさらに、その気になると、この手の知識仕入れるにはこと欠かぬ世の中らしく、夜を待ちかねて、もはや、「お風呂入った方がええかしら」よりも、新工夫の披露が合図となった。 「チェコスロバキヤのスペルを逆から考えるいう手もあるらしいよ」「どない書くねん」「辞書ひいたらええやないの」いわれるまま頁をくったが、あまりややこしくて、国名を探し見当てられず、「要するに熱中するからいかんねんわ、上の空で我慢せな」「ということは、お前を愛しいと思わんでもええわけか」「いや、それはそう思うてほしいわよ、そやけど三秒克服のためでしょ、なんかこう厳粛なこと考えたらどないかしら」厳粛ときいて、夫はなんとなく靖国神社を連想し、べつに国粋主義者ではないが、妻との媾《まぐわ》いに、※[#歌記号]何もいわず靖国の宮の御前にぬかずけば、など思い浮べるのは、わるいような気がする。 「なんかないかなあ、厳粛な出来事、思わず心のひきしまるみたいなん」「かりにあったとしたらなあ、恐れ多いから、ちぢこまってしまうで」「そら困るわねえ、おかしいのんはどないやろか」「笑いながらやるんか」「ようあるでしょ、何べん思い出しても、ついニヤニヤしてしまうようなことが」たしかに、一つ二つあるような気はするが、あらためて考えると夫、思い出せず、「ほな、私がお尻つねったげよか」「つねる?」「痛いっと思うたら、出るもんもひっこむのんちゃうかしら」  だがこれも空しく、いやむしろ逆効果であった、妻も決して冷静でいるわけでなく、五体の力なえ果てた状態なのだから、つねるつもりが、夫の敏感なあたりを愛撫する結果となり、さらに時間は短縮されてしまったのだ。「まさか、ヤットコでひねるわけにもいかんしねえ」自分でいい出したことだから、この時だけは夫を責めず、心底辛そうにいう。あまりうるさくいわれるから、夫も、気のおけぬ連中にそれとなくたずね、するとたいていは、逆の悩みをいだくようだった。つまり、新鮮さの片鱗もない妻を抱いたって、ただもうピストン運動をくりかえすだけ。そして妻は、果てたしるしを確かめなければ気が済まないから、懸命に猥褻なイメージを追い求め、その気苦労で、くたびれてしまうというのだ。 「ほんま阿呆みたいなもんやわ、女房の奴、ええ年してからによだれ流してのたうちまわるやろ、こっちはぽけっとそれながめながら、あれこれ注文きいたらんならん。マスの方がよほどましやわ」「それで何か、こうこすり立てるやろ、そのいちいちにええ気持なんか」「ええ気持にならんから、えらい時間かかるわけやないか、何とぼけたこといいよんねん」「いやな、俺だけかと思うて」「誰かて同じやで、そら若い頃は、長時間持った、商売女泣かしたったいうて、威張ったもんやけど、自分の女房相手に獅子奮迅したって無駄いうもんや」  男の立場だけ考えるなら、夫は稀有《けう》の幸運に恵まれているらしく、しかしまだ三秒であるとはいい出しにくい。妻にいわれるまで気にもしなかったことだが、なにやら致命的な欠点のようにも思える、うっかり人に知られたら、かりに夫がむつかしい理くつをこねている時、どこからともなく「三秒、三秒」と嘲笑するひびきが伝わり、また、男同士のつき合いの上で、三秒はひどい差別を受けそうな予感があった。「俺なんか面倒臭いからな、女房に自分で前戯させるねん、そんないちいちいろてられるかい、なあ」「それでも、お前はまだしゃんとなるからええで、俺なんかこの二年くらい、女房相手やったらなえたまんまや、しゃあないから、こう当てごうたなりでな、じっとしてるねん」「別口やったら、まるでちゃうねんから、現金なもんやで」夫たちはいずれも、うんざりと現状を説明し合い、その悩みは深刻で、とても三秒の介入する余地はない。  妻が、四十前後にさしかかった女房持ちの、こういった心理生態を知れば、現在を神に感謝するだろうけれど、これは馬に念仏を説くよりも難事。そして、妻の延長策は、精神面から、さらに直接的な訓練にエスカレートし、「あなた、昔は真面目やったんでしょ」「真面目って、まあふつうちゃうか」「変なこときくけど、怒らんといてね」さすがに口ごもった末、オナニーはどないやったかと、たずねるのだ。 「クリスチャンの人でね、そういうことを厳につつしんで青春時代を送ると、早漏になってしまうねんて、つまり鍛練が足りんわけやね」オナニーは、刺戟を与えるわけだし、しかも摩擦の対象が男のごつい掌だから、皮も厚くなれば、感覚も鈍くなり、「オナニーは、正常な性生活のために必要な予備運動というてもええねんて」妻は、力説した。今さらオナニー体験を恥ずかしがることもないが、といって、面皰《にきび》華やかなりし頃、これでけっこう近所のセーラー服を思いえがきつつ、五指の術にいそしんだものさとは、告白しかね、「そういえば、わりに俺の家しつけがきびしかったしな、夜寝る時は布団の上に手ェ出しとけなんかいわれて」乃木大将の母だったかの、男児に対する躾《しつけ》を思い出し、借用していうと、「それよ、だから旧家って駄目なんやわ。きびしい育てりゃええおもてるねんから」夫の生家とことあるごとにぶつかり勝ちな妻、勝ち誇っていい、「今からでもおそうないわ、やってみたらどないかしらん」夫、さすがに呆れて妻の顔を見たが、妻は真面目に、「なんせ、私の方はやわらかいでしょ、おかいこぐるみみたいなもんで、強化の役には立たへん。掌で乾布摩擦みたいにしたら、きっとええ思うわ」四十面下げてマスかけいうのんか、夫むかっ腹を立て、しかし妻はけろっと、「射精することないねんよ、危ないとこで我慢せな、もったいないわ」夫、腹立たしいにはちがいないが、またおかしくもあり、ニヤニヤ笑い出す。「いっそパプア人みたいに、棍棒でたたいてみたろか、あれは効くらしい」「棍棒て、どんなん、摺子木《すりこぎ》やったらあるけど」妻、今にも台所に立ちかけた。  朝起きると、夫の健康なしるしを、妻見守りつつ、「イチニッイチニッ」掛声かけて、ラジオ体操よろしく、しごかせ、時にふと眉をひそめ、「まだ大丈夫、本気になったらあかんよ」しばらくぶりの男の手わざ、しかも、妻が見守っているとなると、妙なたかぶりを覚えることもあり、いっそ眼前で勢いよく放ち終えたらどうなるか、かなり小気味いい行為にも思える。「なんとなく、皮が硬うなったみたいやわ、ねえ」運動終えると、妻、手をそえてしまいこみ、「夜までお預け、いい子にしてなあかんよ」口づけなどして、しかし、朝っぱらから妖しい手技にふけり、自分ではすぐに忘れ去ったつもりでも、毎日のことになれば、昂りが蓄積されるらしく、妻がトレーニングの成果いかにと、また湯上りの体寄せて来た時、以前より更に状態は悪化して、未だ合致せぬうちに、ほとばしり出る始末。「零秒やないの、これやったら」妻は、愚痴こぼす気力も失せたか、たちまち静もりかえった夫の股間を、ぼんやり見つめてつぶやいた。 「要するに、動かすからいかんねんやろ、じっとしてたらどないや」夫も気の毒になって提案し、たしか少年時代、ひそかにひもといた赤い表紙の性科学書に「カレッツァ法」とかいって、この行為が紹介されていた、たしかあれは老人向けだったように思うが、何ごともものはためし、まるでこわれものを扱うごとく、二人ひっそり抱き合い、吸う息吐く息も遠慮しつつ、芸もないまま過し、たしかに砂時計を二度三度ひっくりかえしても、夫は雄々しいままでいる、「どないや、うまいこといったやろ」誇らしげに夫、また砂時計に手をのばしかけたら、「私もう、重たいし、息がつまって」我慢しかねた如く、妻は夫の羽交いからのがれ、見るとその表情蒼ざめていて、吐き気がするという。「これやったら、まだダンスしてる方が、すっきりする」妻、ほとほと苦しかったらしく、そのまま背中向けて寝入った。 「要するに敏感やからあかんのでしょ、なんでこれに気ィつかんかったんやろ」今度は妻、これまでその要がなかったから、ついぞ身近に備えたことのないルーデサックを買い求め、「これを十二単衣みたいに重ね着したらええねん、そしたら、刺戟がうすまって長持ちしはるわ」いそいそと、自らの指で夫のものにかぶせにかかる、マニキュアした妻の指先が、心くばりしつつ、先端から根元へゆっくりと何度も往復するうち、夫は、まずいと思いつつ、これまでにない新鮮な喜悦を覚えて、三枚目を装着したとたんに、たかまりを迎え、「どないしはったん?」妻、急に深い吐息もらした夫に、たずねたが、答えるよりも、眼前の変化を見れば腑に落ちる道理、「あほらしもない、いったいどないしたらええのん」よよと泣きふし、夫なれぬ手つきで、今着せたものを、一枚々々脱がせながら、「何枚も重ねるからあかんねん、指サックみたいな、厚い奴あったらええのんちゃうか」なぐさめにいったのを、妻はすぐうなずき、「薬局へいってきいてみるわ」  しかし、いかにプロレスラーの中指といっても、夫の逸物よりは短く細いわけで、ぴったりサイズに合うサックなど見当らず、それではと水仕事用の、大きなゴム手袋の親指分を切りとり、あてがってみたら、どうにか不恰好ながら納まる。「これやったらゴワゴワやから、大丈夫」妻、グロテスクな形をうっとりながめて、体内に導き入れたのだが、進むにはよくとも、退くたびにずれて、三度くりかえすと脱げてしまい、後は同じく三秒で果て、さて、残留物をとり出すのが大事《おおごと》。ビニールだからつるつる滑って、夫がいかに指先くねらせても、はさみこめず、しかも、妻はその動きに刺戟されて、腰うごめかすから、なお奥へ入りこむ。  ようやくピンセットでとり出したものの、これもまずは失敗。「ねえ、根元しばったら脱げへんのちゃうかな」妻はあきらめず、できれば、小学生の草履袋の如く、逸物を納めた上で、キュッと入口をしめあげたいが、ビニールだから、紐《ひも》を通す孔は加工できぬ。「もういっぺんやってみましょうよ、親指は太すぎるから、中指で」と、妻は、鋏《はさみ》で切り落し、こうなれば毒食わば皿まで、夫も従う。  中指分をかぶせた上で、ビニールの上から絹糸でしっかとしばりつけ、先端を指でつまんだが、抜ける心配はない。「大丈夫よ、あなた、早漏サックの完成やわ」妻、早速にもためしたそうな表情だったが、夫にすでに余力なく、そしてまた、夫は、糸でしばられた時、いやな予感があったのだ。  四日後に、消毒済みのしろものを、夫に装着し、脱げることを怖れて、根元きりきりとしめ上げ、「痛い」夫、悲鳴上げたが、いさいかまわず、妻迎え入れ、長持ちという点では完全に成功だった。しかし、十分もすると、ひしとばかりにしがみつく妻の体ふりほどいて、夫はベッドをとび降り、腰をかがめ、サックをとりはずそうと悶《もだ》え狂う。 「どないしたん?」「はよ、はさみもってこい、いててて」ひっぱった拍子に、ビニールだけが抜けて、絹糸は、怒張しきった逸物の根元にくいこみ、切るといっても、刃がとどかぬ。根元をゴム輪でしばると、先端へ向う血液ばかり通って、もどる方は閉ざされ、短小者にとっては一時しのぎの方便と、きいたことがあったが、たしかに、純情可憐な印象はうせ、角を生やせば鬼同然の、凶悪な形状色合い。ふくれればなお細い糸はくいこむばかり、やがては茹で卵の如く、輪切りにされるのではないかと、夫は怯えきり、また募《つの》る痛みに耐えかねて、外科医を呼び、ようやく、メスですくわれたのだ。  ショックのため、三日間床についた夫を、妻はやさしく看病し、夫の悲鳴、決して大袈裟ではなく、あのまま放置して二時間もすれば、壊死《えし》を起し、もぎとれてしまうところだった。角をためて牛を殺すとはこのこと、夫は、いかなる妻も、もう無理難題ふっかけないだろうと考えたが、妻にしてみれば夫の痛みなど、想像つかず、それよりもはじめて十分間、すなわちこれまでの二百倍も持続した、その悦びを忘れかね、「ねえ、今度は大丈夫よ、なにも妙な袋かぶせんかて、根元しばっといたら、射精せえへんわけでしょ。糸やったから痛かったんやし、ほどけんかってんわ、ガーゼで、こないして蝶結びにしといたら、大丈夫」夫の戦線復帰を今やおそしと待ちかねる。  夫は、枕もとに置かれたその、ちいさな輪をながめ、それはわがものの根元をしばるというより、自分の首をくびるナワの如く思えて来る。「あいつは、自分の楽しみのためやったら、俺が死んだってかまわんねんな」いささかヒステリックに考え、そっちがその気やったら、こっちにも覚悟あるわい、むざむざとお前なんかに殺されんで、不意に激しい憎しみがわき、妻をはたとにらみつければ、妻勘違いして、「どないです、もう、坊ちゃん、元気になりはった?」体をすり寄せ、夫はふり払うよりも、さらに残忍な気持が起って、乱暴に組み敷く。「ねえ、これちょっとつけてみて」妻のさし出す、ガーゼの輪をかなぐり捨て、ずいと兵をすすめ、すぐに息荒げるその表情しっかとながめつつ、「この色気違いめ、今に殺したる」サンルームの南側の手すりがぐらぐらになっていた、あすこへ誘い出し、手すりに寄りかかるよう仕組めば、たちまち十メートル下に落ちて、一巻の終りやろ。いや、風呂場のタイルに、石鹸をこすりつけておけば、近頃肥り気味で、動作のにぶい妻は、必ず滑ってころび、湯槽《ゆぶね》にしたたか頭打ちつけるだろう、夫は、たちまち白いタイルを染める血の色を思いえがき、とりあえず妻の死体は毛布にくるんで居間に運び、一一九番に電話をしよう、流れる血潮におおわれて、細工した石鹸も見破られるはずがない。外見からは子供がいないだけ、きわめて仲の良い夫婦と思われていたのだから、怪しまれることもないだろう。  夫はさらに凶悪な、妻殺害の手段をあれこれ考えつづけ、ふと気がつくと、とうの昔に砂時計の上部は空になっていて、妻は、「ありがとう、あなた、成功やないの。もうあなたは早漏ちゃうのんよ、うれしい」息荒げ、もだえつつ、うわ言のようにいって泣きじゃくった。  それからというもの、夫は、妻を抱くたびに、そのますます非道残虐になるばかりの、妻殺しの妄想を追い求め、すると、いくらでも長続きがし、妻は妻で、夫の早漏を完治させ、充ち足りた性生活営む自らを、きわめて聡明で、しあわせな女と、満足し、辺りでも評判の、おしどり夫婦と噂がさらに高まるばかり。 [#改ページ]  童貞指南  そも話の発端は、大学時代の同級生三人が、偶然サウナ風呂で顔を合わせ、いずれも禿《はげ》でぶ義歯の醜怪な裸体、互いにながめて、ふだん洋服をまとっていれば、浮世の義理しがらみにからまれて、いかに旧友とはいえ巧言令色、その下心は分ったものではないが、やはり一糸まとわねば、人間本来性は善なのか、あれこれあけすけな打明け話の末、おさだまりの色話。 「近頃、処女をいただくのは、どの階層に多いのだろうか」大会社の労務管理司どる東山がつぶやくと、「なにしろ中学生で二割、高校で五割、大学なら九割がすでにことわりを心得ているらしい」答えたのは、銀行の支店長、上田で、「いや、ことわりなど、小学生の時分からとっくに承知さ、近頃の少女雑誌を読んで見給え」経営コンサルタントの横川が異を唱えた。 「ああ、ことわりという表現はおかしいな、つまり経験者ってことさ」上田、訂正し「そりゃ、やっぱり同級生なのかね、相手は」東山、妙に真剣なのは、年頃の娘を二人かかえているからで、「いろいろさ、教師もいるだろうし、家庭教師、クラブの先輩、中年男、車さえ持ってりゃ簡単らしいよ」横川がうらやましそうにいい、「大体、処女なんてのにこだわるのがおかしいんだよ、ハシカみたいなものでね、まあ早いとこ洗礼を受けておけば、後は安心というものさ」横川は息子ばかりだから、気楽にうなずく。 「処女の方は、いろいろとプレイボーイ諸君が面倒を見てくれるけれど、困るのは童貞だなあ、これはたとえば二十歳を考えてみた場合、確実に増えている」上田がつぶやき、この現象については、いちいち調べたわけでなし、また処女ほど興味も持たれないから、週刊誌の記事にもあらわれぬが、納得できる。いわゆる赤線が、まずは四民平等に、恩恵をほどこしてくれた十数年前とくらべれば、いつの世にもいるひっこみ思案や、もてない男は、まことに不幸な状態に放置されているわけで、「実は、ぼくなど立場上、よく仲人をやらされるわけだな」東山がいい、これはやらされるというより、労務管理の重要な仕事のうちなのだ。「よく相談を受けるんだ、まだ女を知らないんだが、大丈夫だろうかって」「へっ、だらしのない奴だなあ」横川、ふんがいし、「それだけ東山が信頼されてるってことさ」上田、とりなす。 「中学くらいで、たとえば親戚の出戻り娘に手ほどき受けちゃった奴は、すっかりコツを覚えて、それこそプレイボーイになる、しかし、受験々々で大学まで突っ走り、真面目に卒業した場合、さあ今度はきっかけがないんだな。うっかり手を出せば、亭主としてからめとられてしまうし、商売女には必要以上の潔癖感が働く」「あの男女共学って奴は、よしあしらしいね、俺たちから見ると、羨《うらや》ましい限りだが、女性について興味を失っちまうんだな、うちの若いのをバーへ連れていくだろ、まあ隣にホステスがすわって、さぞかし御満悦だろうと思えば、さにあらず。こんなこと教室でずっと経験してきたっていうんだな」横川、半ばは口惜しそうにいう。 「先輩後輩の交流がなくなったのも、理由の一つではないかな。われわれの時には、高校大学へ入った時、あるいは徴兵検査の後で、心きいたる先輩が、万事とりしきってくれたものさ」東山、なつかしそうな口調でつぶやき、「あんたは、いくつん時だい」たずねられると、「えーと、高校二年の秋だな。友人の親戚が、神楽坂《かぐらざか》で料理屋をしててね、かなり年増の芸者だったなあ」「芸者ならいいよ、俺なんか、中学五年で洲崎へ連れていかれてさ、なにがなんだかよく分りゃしねえ」横川がぼやく。 「そうすると私などは、かなりロマンティックだなあ、純然たる素人でしたからねえ」上田、差をつけたようにいい、「へえ、処女だったの」「そういうわけじゃないが、二つ年上の人妻でね、懇切丁寧に教えてくれた」「へえ、人妻というのは図々しいからなあ」「まあお互いさしたることもなく、過ぎたわけだな」「しかし、ちゃんと覚えてるもんだねえ」「そりゃ矢張り緊張するから、むしろ女の方が忘れるものらしい、まあ、ことなる枕の数を重ねた場合だけれど」東山、雅やかな表現を使い、「どっちが重要な影響を及ぼすのかは、はじめての相手によって」「というと?」「まあ、近頃は女性も、かなり数をこなした上で、結婚するんだろ」横川は、あけすけにいい、上手な異性にリードされた場合と、そうでなかった時の差は、どちらが大きいかというのだ。 「大したことないだろ、いずれは結婚しちまうんだし、そうすりゃあんなもの」横川、投げやりにつぶやく。 「そうでもないだろ、男の方が影響は大きいね、たとえば男に短小コンプレックスというのがあるが、女性にはそれに相当するものがない」「無毛症って奴は、女だけだろ」「でもさ、短小の男って、しごくくよくよ悩み抜くっていうだろ」上田、ことさら他人ごとめかしていい、「本当はそうでもないのに、いちいち比較して、一喜一憂してみたり、性格にもそれがあらわれる。しかし、女性のあるべきところにないというのは、そのために、世をすねるとか、逆に奮発するとか聞いたことがない」「早漏もそうだし、包茎とかね、男には悩みの種がいくらもある。そこへいくと女性は、図々しいからねえ、女の遅漏ってのかな、あれも問題にするべきだよ、男のスピードに合わせないというのは、やはり鈍感なのであって」横川、思い当る節があるらしく力説し、「すべて相対的なものではないか、男に短小コンプレックスがあるなら、テキも広大コンプレックスを抱くのがいて当然だ」「しかし、先方は眼に見えないからなあ」「要するにデリカシーの問題さ、男は傷つき易いんだ。いったん、あなたは短いのね、なんていわれたら一生重荷を負って生きなければならない。女性は、かりにお世辞と分っていても、何人かの男性のうちの一人が、名器だと賞《ほ》めれば、そのつもりで楽しく生きていく」「図々しくというべきだろう」「大体ね、男の方はそんなに、あけすけにいやしないよ、女性の構造について、心やさしいからなあ。はっきり指摘するのは、女の方です。下手だとか、お疲れだとか」東山、眉をしかめる。  そういわれると、誰しも思い当るのだ、今度は彼等が先達となって、後輩を色町に案内した時、一人か二人は運がわるく、きつい敵娼《あいかた》にめぐり合い、さんざ嘲笑を受け、身も世もない体《てい》で、肩をすぼめ夜道を歩いていた。「これはしかし、国家的な問題かも知れないなあ」横川重々しくいい、つまり、どう考えても赤線がなくなり、あるいは手軽に芸者を後輩にも世話できなくなった現在、童貞はふえる一方だし、また童貞を失うケースも、不幸な要因が多い。「童貞がベテランの女性によって体験する場合、ベテランとしては貪欲《どんよく》に楽しみを貪りたいのだから、その幼稚さをあざ笑うだろう、また幸運にも処女とまじわったところで」東山、またむつかしい言葉をつかい「とにかく今のように性知識が氾濫していれば、処女も過剰な期待をいだきすぎている、まごまごしてばかりの童貞を、きっと軽べつするにちがいない」「しかし、いいもんだろうな」「なにが」「未経験の二人が、力を合わせて暗中模索するというのも」横川、うっとりという。 「そんなことはない、ここが難かしいところだよ、相手が処女で、しかもいろいろ教えられたら、男は傷つくし、がっかりもするだろう、といって棒の如く童貞まかせにされても、ありゃなかなか簡単には、成り足らざる箇所がわからないから、自らを責めてしまう」  これがまあ遊びならまだいい、しかし、結婚初夜に、こういったケースが発生したらどうか。「男性は、処女を珍重する、処女を妻としたがっているという俗説は、やはり大事なのだ」女性は、この歯どめがあるから、かなり遊んでいた場合も、初夜の床では神妙にふるまって、かりに花婿が童貞の場合でも、心中せせら笑うかも知れないが、すくなくとも、花婿自身の気持は傷つかぬ。「もし、処女でなくて当り前、のっけから快楽を徹底的に追求することが常識となってみたまえ、童貞の花婿はのっけからパンチをくらわせられて、一生頭が上らないぜ」相手が処女でも同じこと、たくましくてやさしいとばかり思いこみ、信頼していた新郎が、猪の野荒しよろしく、鼻息ばかり荒げて、あらぬ方を突っつきまわしていたのでは、幻滅してしまうだろう。 「近頃、とみに女房に鼻面引きまわされる男が増えたのは、童貞の増加にその原因がある」その影響は由々しいもので、転勤するについても女房と相談し、残業がつづくと、妻の顔色うかがってそわそわし、もちろん月給はそのまま召し上げられてしまうし、家庭にあっても、くだらぬ用事をいいつけられ、下男の如く奉仕している。「実に、若い者は勉強しなくなったねえ、われわれは世におくれまいとして、家に帰ってから、いちおう本など読んだものだが」最近は、女房に歩調を合わせ、TVの前に馬鹿面をさらす。「国家的損失というべきでしょうな」上田が結論を下した。  といって、しかるべき名案もないのだ、「童貞はなるべく早い機会に捨てるように、そしてかりに一度や二度失敗したからといって、決してくじけず努力すれば、おのずと道は拓かれる」など、銀行の支店長ならずとも、訓示はしかねる。そして、東山にしろ上田にしろ、その立場上、若い男性社員には早く幸せな結婚をしてもらいたい。なまじ童貞なんて代物《しろもの》は、女性の、やはりそれなりに持っているよさを知らぬから、積極的にプロポーズをせず、これまで大して支障なくやって来たのだから、まあ急ぐこともないと、のんびりかまえている。女性とちがって、そう年齢を気にすることもないのだから。また、結婚したとしても、童貞がのっけから女房に鼻面ひきずりまわされるのであれば、これも困る。残業をしぶるくらいならいいが、強い女房に押えつけられ、そのうっぷんから、組合活動に熱を入れるとか、あるいはヤケを起して、公金|拐帯《かいたい》されては一大事。そしてさらに、女房以外に女を知らなければ、免疫性がないわけで、女房にそなわらぬ美徳の片鱗でも、他の女に見出すと、これぞ理想の女とばかり、前後を忘れたりする。若いうちに遊んでいる男の方が、三十過ぎると身持ちは堅くなる、どれもみな同じと、つまらぬ目移りをしなくなるのだ。  なにをどう考えても、童貞は諸悪の根源風に思えて、サウナの表で三人別れた後も、時に連絡をとり合い、若者の将来、いや日本の未来のために、なんとか上手に童貞を失わせる方便はないかと思案投げ首、まさか、立場上、女遊びに誘うわけにはいかないが、仲人の依頼、あるいは上司として、結婚問題の相談を受けた時、童貞の気配がうかがえれば、その不利なことを説明し、喪失をすすめることは出来る。 「いや、今も絵に描いたような童貞が、結婚寸前なんだ、俺の見るところ、相手の女はかなり男をこなしてるなあ、危うし鞍馬天狗だが」横川が、わざわざ電話をかけてよこし、これだけはどう説明したって机上の空論、実地を踏むしかない。「俺が、眼をかけてる男でね、なかなか切れるんだが、むざむざ女房の餌食になるのかと思うと、腹立たしいんだ。いっそ芸者でも抱かしてやるかなあ」「しかし藪蛇にならないか。今、お手軽に抱ける三業地といったら、昔の青線よりひどい女らしいぜ。そんなところで、邪慳《じやけん》に扱われてみろ、なお萎縮してしまう」「どっかに心やさしい未亡人はいないかなあ」「昔は、早死する男が多かったからねえ、町内に一人や二人うれいを含んだ年増盛りを見受けたものだが」そういえば、遊廓などない農村では、たいてい名物の後家がいて、青年の筆下ろしを行なっていたらしい、昔はよくできていると、東山、オフィスの窓からコンクリートで固められた街並を見下ろすうち、ふと、一人の女を思い出した。  後家ではないが、若い男との浮気がばれて離婚し、現在は一人身。常識でいえば女の方が悪いのだが、中京の大金持であるその老いた亭主は、かなりの金額と、青山の旅館を今後の生計の目途にと贈り、亭主にも性的欠陥があって、その償いの意味らしかった。東山は、旅館でしばしば麻雀の卓を囲み、すっかり馴染《なじ》みになったのだが、もとは芸者だっただけに、四十二歳の年には見えず、「二十年もお年寄りの世話して来たんだもの、もう若い人でなきゃいや。といってもまさか町で拾って来るわけにはいかないし、どなたか紹介してくださらない?」と冗談めかしていい、東山はいくらか気があったから、若い人でなけりゃという言葉に、出鼻くじかれた気がしたのだが、その時の、いかにもあだっぽい目つきは、あながち冗談ばかりでもないようだった。その気になれば、男などいくらも出来る立場だが、東山の見たところ身持固く過しているようで、彼女ならまさにうってつけ。老人仕込みの技巧を身につけているだろうし、男の気持についても、十二分に心得ているはず、しかし、なんといって切り出したものか、よく考えると、まったく無理な相談に思え、また、いかに日本の未来のためにしろ、うまく話がまとまって、童貞があのなめらかな肌にくるまれることを考えると、嫉妬の気持も起る。  東山がそれでもわざわざ出かけたのは、いつも団体で押しかけてばかりだが、この相談を口実にすれば、一人で女に会えるからで、女は今も以前いた芸者町の催しものには顔を出し、古いお上たちとも友達づきあいをするらしい。昔は筆下ろし専門の老妓が、色町にはいたというが、現在どうなのか、現今我が国における童貞事情を説明し、憂国の弁をふるえば、決してからかっているとは思わぬはず、女自身が出馬の意を表明するか、あるいは、心|利《き》いたるベテランを紹介してくれるか、どちらにしても、東山とすれば、このこみ入った話を女に持ちかけ、二人っきりでしゃべってみたかったのだ。 「へえ、そんなことってあるかしら、私、これでも時々パンタロンなんかはいて、ゴーゴー踊りに行くこともあるのよ。みんな、若い子たち達者に遊んでるけど」「それはいわば性的エリートなんだなあ、堅い会社に勤めてると、そりゃ女性とつきあうチャンスに恵まれないんですなあ」世間話のようにして東山切り出したが、女、特別の興味はしめさず、「昔は、赤線があったから、たいていそこで経験しちゃったんだけど」「もったいない」「もったいない?」東山オウム返しにたずねたのは、口調が急にしみじみした感じに変ったからで、「私たちの仲間なんか、みんなあこがれてるのよ、童貞に」ようやく本筋に入って来て、芸者の水揚げはたいてい老人が行うし、旦那につくのもまずは働き盛りの男、つまみ食いする相手は、役者とか、たまに学生がいても、みな女には手練《てだれ》ばかり。「どんな風だか想像もつかないけど、こう怯えてるみたいな感じの男の人なんて、まるっきりなのよ」そして、芸者とお女郎と差をつけるわけではないが、まあ格が上といっていい芸者は老人ばかりで、お女郎は若い男性を相手にする、これは丁度、エリート企業の男が、いつまでも童貞なのに、はみ出ちゃってゴーゴーなんか踊ってるのが、連日女を替えて楽しんでいるのと、よく似ているのではないかという。「お上さんの仲間の中に酔狂な人がいて、一つ童貞を開眼させてやろうなんて、思わないかなあ」女、おかしそうに笑ったあげく、「私じゃ駄目かしら、お婆さん過ぎて」ひょいと自分の鼻指さしていい、「もったいないなあ、そのお話本当なの?」「本当とも、ぼくだけじゃない、心ある管理職はみんな何とかならないかと頭を悩ませてるんだよ」「ふーん、分らないものねえ、私、童貞なんて、ほらなんとかって佐渡にいる鳥と同じで、絶滅寸前なのかと思ってたわ」「いや、繁殖しすぎて困ってるんだな」「じゃ、天敵になりましょうか、でも人にいっちゃいやよ」いちおうは、はじらってみせ、しかしすぐ、「でも、どうするのよ、温泉マークみたいなとこへ行くの? てれちゃうなあ、若い男性となんか」「場所はこっちで考えるよ、チキ生、俺も童貞でいりゃよかったなあ」東山、精いっぱい自分の気持をあらわしたつもりだったが、これは通じない。 「大丈夫かい、そのお上さんは」横川に報告すると、疑い深くいい、「俺んとこの童貞を面倒みてくれるのか」「ああ、いちばん焦眉《しようび》の急はお前の部下じゃないか、じきに式なんだろ」「よし、じゃひとつそそのかしてみよう」他にうまい言葉が見つからないのだ。横川は部下を食事にさそい、さりげなくたずねるとまごうかたなき童貞で、しかも誇りとしているらしい。「ぼくは愛する彼女に、童貞こそが何よりのプレゼントだと思うんです」「しかしねえ、少しはトレーニングを積んでおかないとまごつくよ」「いいじゃないですか、若い二人が協力しあって、未知の世界にふみ入る、これぞ結婚というものです」へえそうですかねえという他はなく、「心配しなくても、彼女の方でいろいろ研究してるって、いってましたし」「しかしねえ、初夜における失敗が一生尾をひくということも、よく聞くんだが」「一度や二度の挫折《ざせつ》にはくじけないつもりです」「学生運動じゃないんだぜ、第一だね、彼女を愛しているなら、まごつかないように君も準備してだなあ」「それはもう包茎の手術もすませましたし、あれは子宮癌の原因だそうですね」「技術の問題だよ、技術。はじめからなめられてみろ、一生頭が上らなくなるぞ、月給は封を切ってはいけない、日曜日には家族サービス、年に二回は旅行に出かける、もうしたい放題にのさばるぞ」「それくらい、しかし当然じゃないかなあ」「それにだね、君が何も知らなければ、つまりテクニックが下手なら、浮気するかも知れんよ、女なんてそりゃ分らないからねえ」浮気といわれて、ようやく部下は考えこんだから、「まあ、教わってこいよ、わるいことはいわない。決して後悔はさせないさ」ここを先途とすすめ、まだ決めかねている部下の首ねっこひきずるようにして、四谷の旅館に同行する。  横川が馴染みの旅館で、お上、事情は心得ぬながら、仕度をととのえてくれ、部下と共に着いた時は、すでに女、二階で待ち受けているという、「あの、お話を伺うだけでもいいのでしょうか」まだふんぎりがつかぬらしいから、「好きなようにすりゃいいさ、まあ、かなりの美人だから」「いや、ぼくは余り顔には魅かれません、やはり気立てといいますか」横川うんざりし、いったい好奇心はないものなのか、わが身をかえりみれば、そう詳しく覚えているわけではないが、洲崎へくりこむ時、かなりいきり立って、いざ女体の神秘をこの手で解明してくれようとばかり、勇躍出陣したものだが。  前祝いのビールで、乾杯し、女中に案内されるまま部下は姿を消し、さて一人になって考えてみると、いったい何をやっているのか、落語の中の人物になったようでもあるし、ポン引きまがいにちがいなく、しかし、こういういわば御節介は、以前の先輩もよくしたもので、「まだ女も知らんのか、そういうことでは人生倶に語るに足らん」などいい、それこそ威光を笠に、色町へ後輩をひっ立てていったものだ。童貞という存在を身近にすることが、いやだったのだろうか、どうも親切気だけではなかったようだし、自分たちの行為も、会社のため本人のためと、そう思いたがってはいても、それ以外の、動機があるように思えるのだ。  首尾はいかにと、二日後に三人はまたサウナへ出かけ、昼間のすいている時だと、ここは密談に向いていて、熱気室でどう大声出そうがまず他にはもれない。「いやあ、はじめはてれていたのか、はかばかしい返事をしなかったがね、ようやく、女性観がかわりましたと、真面目な顔でいったなあ」横川が報告し「すると、目的は達したのか」「当然だろ、注意してみていると、時々ふっと溜息をついたり、窓の外をぼんやりながめていたり」「まるで、男を知ったばかりの娘みたいじゃないか」「不思議だねえ、仕事をやらせれば人一倍、いやかなりの迫力があるんだが、セックスだけは別なんだなあ」「まあ、人は見かけによらぬというから」東山は、なにより女の報告をききたい、サウナを出た後、三人打ちつれて青山の旅館へ出かけ、女を混じえて麻雀をうちつつ、委細の報告を受けることになっていた。 「いらっしゃいまし」女、何ごともなかったように迎えて、東山の他は初対面だから、その美しさに息をのみ、「あの野郎、うまいことやりやがったなあ」横川、はっきり部下に嫉妬の念を見せた。「こちらさまの会社の?」卓をかこんでから、女は横川をしめして、東山にたずね、「そう、もうじき嫁さんをもらうんだが、何一つ知らないってんで、心配してねえ」「どうもありがとうございました」女、真面目に頭を下げ、「何分ふつつかで、お役に立てましたかどうか」「あの、どんな具合でした、奴は」「なんだかわるいみたいですね、私はもう甲羅を経てますからいいけど、あちらに」「何、あちらなんてもんじゃないんですよ、奴は。さんざもったいつけやがって」「ええ、お部屋に入っても、きちんと正坐なさって、お風呂をおすすめしたんですが、恥ずかしがっちゃって」なにしろ、他人のみているところで裸になったことがないというのだ。「じゃ、私後ろ向いてますからって申しましてね、ようやくお入りになったから、お背なをお流しして」もはや麻雀どころではなく、一同ビールを飲みつつ聞き入る。 「本当に、体中まっかになってらっしゃるの、よほど恥ずかしかったのね。でも、お若いから御立派な御道具は、張切ってらしたし、私、一生懸命賞めてさし上げました」「そんなに奴のはでかいんですか、少し前まで包茎だったんですが」「私だって、お若い方のはほとんど見たことがないんですもの、興奮しちゃいましてね、とってもきれいなお色でした」中年男三人、声をのむばかり。「電気をくらくして待ってましたの、私の方が新床《にいどこ》迎えたようで、どきどきしちゃって」覚悟を決めたのか、ようやく遊心きざしたか、部下はもそもそともぐりこんで来て、なお五体こわばらせているのを、女、やさしくときほぐし、「本当にかわいらしかったわ、いちいち断わるんですもの」「断わるって」「さわってもいいかとか、なんとかって」女、やや顔を赤らめて低くいい、「もうよろしいでしょ、私、たしかに童貞を頂戴つかまつりました」芝居がかってまた一礼する。 「その、怯えてふるい立たぬとか、あるいは門口で失礼なんてことはなかったの?」上田、やきもきするようにたずね、「それは私も伊達《だて》に年はとっておりませんもの、うまく按配いたしました。でも、すぐのみこんだようでしたよ、はじめは、ただ上に乗っかって、じっとしてるでしょ、それ以上御存知ないらしいの」「ふーん、そんなもんかねえ」「でも二度目は、もう私がリードしなくても、大丈夫でしたし、後はとてもとても、私の方も冷静にはしてられませんでした」「あの野郎、そんなに」「だってお若いんですもの、すぐお元気になって」「いや、どうもお世話さまでした」東山が礼をいうと、「これで自信がつきましたって、おっしゃるのよ、礼儀の正しい方ね」「いや、そうであれば、我々としても目的を達成したわけで、まあ、彼も結婚生活においてイニシヤティブをとることができるでしょう」横川、とってつけたような台辞を吐き、すっかり泡の消えたビールをまずそうにすすりこんだ。 「あのねえ、私たち、といっても三人だけど、愛国婦人会ってのつくったのよ」一週間後に、女から東山へ電話がかかり、「愛国婦人会?」戦争中の婦人団体の名称だから、見当つかず、「だって東山さん、お国のためだっておっしゃったでしょ」「ああ、例の件」「昔、出てた頃に三人組っていわれた友達がいるの、みんな今旦那はいないし、自由なのよ。それでつい私が、四谷のことね、報告したら、眼の色かえちゃって、是非お役に立ちたいっていうの」童貞亡国を救うのだから、愛国にちがいないし、「よく昔兵隊さんを送ったでしょ、小母さんたちがタスキをかけて旗をふって」「大日本婦人会ってのもあったねえ、エプロンかけてたっけ」「丁度、あれに似てるじゃない。歓呼の声に送られて、新婚旅行に出かける男性を、お励ましするんだから」「そういやそうかなあ」「まだ、沢山いらっしゃるんでしょ、童貞諸君は。二人とも私よりずっと美人だし、心もやさしいし、まずこれ以上ない適役、うけ合います」「じゃとにかく、他の連中にも相談してみるよ」  東山、電話を切って後、どうも釈然としない。いろいろ口実はつけたものの、童貞のうろたえあわて、意気消沈するさまを、やはり確かめたかったような気がする。こうお互いさまよろこばれては、慈善事業家になったようで具合が悪いのだが、乗りかかった船で、これも部下の一人に、結婚ひかえたのがいるから、横川ほど強引にはすすめられないが、帰途バーへ誘って、それとなく水を向けると、「いやあ、それで頭を悩ましてたんです、いくら本を読んでも、もう一つぴんと来ませんしね、どこへ行けば女を買えるのか、週刊誌にはよく紹介されてるけど、実際に出かけてみると、さっぱり分らない」「じゃ、一つ紹介するかなあ、まあこれ以上ないという指南番がいるんだけど」「おねがいします、童貞指南ですね、そういう商売があるとはしりませんでした」「いや、商売じゃないんだが」東山口を濁したが、部下はいきり立って、「彼女も、どこかで教わってこいっていうんです、ぼくがまるっきり知らないんじゃ心細いって」「ふーん、それはまた」理解があるといえばいいのか、自分勝手というのか、「結婚までの浮気はかまわないんです、せいぜい技術を習得してくるようにって、その代り、結婚後はいっさい駄目って。これが女心ですかなあ」部下、大口あけて笑い、東山うんざりする。どうしてこう若者と話をすると、いちいち食いちがうのか、断絶というよりも、別の天体の生物をみているような印象さえ受けるのだ。  上田も、愛国婦人会結成の報せを受けて、かねてから、相談もちかけられていた、取引先の女社長の息子を、紹介することに決める、女手一つで育てたものだから、万事過保護になってしまい、筋骨たくましい男なのだが、どことなくしまりがない。「私の死んだ亭主など、あの年にはさんざ道楽をしてましたからねえ。息子をみてると、オカマさんになっちゃうんじゃないかと思って、気が気じゃないんですよ、いまだにママママって甘ったれたりして」女社長は上田に心をゆるして、よくこぼし、後くされがあっては困るが、少しは女遊びに興味を持ってくれないかといっていたのだ。横川は、経営コンサルタントという職業柄、いちばんつき合いも広く、また自由にさそえるから、「ああ、いくらでも童貞さんなら紹介するよ、好みのタイプをきいてくれたら、希望に副《そ》いましょう」ヤケクソの如くいって、とにかく第二回目の、童貞破りを準備し、女三人はいっさい隠し立てする必要のない仲とかで、また四谷の旅館三室にひきこもる。それぞれの童貞引具した男三人、浮かぬ顔で寄り集《つど》い、女の部屋へ送りこんだ後、「これはいよいよポン引きだなあ」「いや、千姫の召使って感じだよ」愚痴をこぼしあった。  東山の部下は、いっさい包み隠さずフィアンセに報告するらしく、「頑張ってね、よく覚えてくるのよって激励してくれました」と、ルーデサックの包みをみせ、過保護の息子は、母同伴で銀行へあらわれ、「たすかりますよ、恩に着ます。坊や、びくびくすることはないんですよ、もしうまく行かなくても、次の機会があります」大学受験の如くいい、この母親はなんとか息子を奮い立たせようと、一度自らの裸を見せたことがあるという、「少しは刺戟を受けるかと思ったんですけど、ママまた肥ったねえですって」五尺たらずで二十貫近い女社長の裸では、当然逆効果だろう。横川は、「これぞ正真正銘の童貞、まだオナニーをしらないってんだから」いかにも秀才風容貌の男を伴って来た。「話をきけばきくほど、近頃の世の中まちがっておると、つくづく分るなあ」横川がいたんし、オナニーを知らない青年は、受験一途に打ちこむために我慢し抜いたので、いざ大学へ入ってみると、もうこんなことは誰も教えてくれないし、話題にものぼらぬ、夢精だけを楽しみに生きているというのだ。  この三人についても、後で報告がなされ、たしかに女側はわずかに盛りを過ぎて、妖艶な美女ぞろい、「私の彼は、ひどく熱心だったわよ」一人がいって、これはフィアンセ公認の童貞破り、「メモをとりかねない感じよ、いちいち名前をきくんだもん、私だって恥ずかしくなっちゃった」「それで教えたの」「それが、私たちもよく知らないのよ、あらたまってきかれると、ねえ」女同士うなずき合う。「処女膜はどこらへんにあるんでしょうかなんて訊くしさ、四十八手のうち、もっとも基本的なのを、五つ六つ教えてくれっていうのよ。はいはいっていって」「何を教えたんだい」「えらそうなこといったって駄目よ、童貞さんがそんなに持つものですか」「そうよね、こちら巾着のナニガシって有名なんだから」「そんな暇ないわよ、とっかかって来たと思ったら、アラアラってなものだもん。本当に純情なのねえ、感激しちゃったわ」男は、しかし再三再四の挑戦を行なって、ようやく正常位だけをマスターし、さすがに足もとふらつかせて帰っていったという。 「うちのは達者だったわねえ、あれでも童貞かしら」首かしげたのは、過保護の敵娼で、「しつこいのよ、それにナニも立派だったし」「彼は、たいへんな母親っ子なんだけどなあ」「ふーん、そういえば、赤ん坊が甘えてるみたいな感じもあったわねえ、くすぐったいったらありゃしない」女、ふと思い出し笑いをし、「きっと、ずい分大きくなるまでママと一緒に寝てたのよ、そのつもりだったんじゃない?」愛国婦人会の主宰者がいい、「じゃ私、お母さんのかわり? 変なの」「わが方は何ていえばいいのかな」二度目である旅館のお上、中途半端な表情で、「敏感過ぎるのねえ、水道の栓みたいだったわ」つまり、オナニーを知らぬ男は、粘膜の鍛練が欠けているせいか、ちょいとふれると、すぐに放出してしまう。「棒みたいに鯱《しやちほこ》ばっててね、急にうーんなんてうめき声上げるから、どうしたのかと思うと、一巻の終りよ」まるで粗相した如く恥ずかしがるから、始末してやって、今度は、わが方に男の指を導くと、またしてもうーむとうなり立てる、「よほど満ぱいだったのね、キスすればうーむ、抱き合うとうーむ」枕元にティッシュペーパーの屑ばかり増えて、しかしいっこうに埒《らち》があかず、「いくら何だって毒でしょ、それに彼はもうすっかり満足して、おかげさまでよく分りましたっていうのよ、私の方はどうしてくれるっていいたいわ」結局、赤ん坊のおしめをかえてやったようなもの、「ねえ、東山さん、おねがい、もう少しまともな童貞はいないのかしら」  愛国婦人会は、その後もしばしば催促して来たが、果して、こういう形で女体を経験することが、いいかわるいか、決してヤキモチではなく三人、疑問に思う。赤線に自らのりこんで、気おくれするのを必死で虚勢張り、あげく見破られて馬鹿にされ、それだけならまだしも、「なによあんたのは、子供みたいじゃない」とか、「私は浮輪じゃないんだからね、そう馬鹿みたいにしがみつかないでおくれよ」と、電気の下で見れば、いずれもすさまじい醜女に剣突くくって、それで、どうにか男たり得るのではないか。この三人の女のように美しく心やさしく、しかもいたらざるなき技術の持主によって、童貞を失えば、かえってマイナスかも知れぬ。女のすべてそんなものだと考えこんでしまったら、大きな間違いで、多分、女房のアラがいちいち目につき、イニシヤティブをとるとらないよりも、まったく妻に愛情をいだけなくなってしまうだろう。 「ま、余計なお節介はこのあたりで止めておこう」誰いうとなく、それ以後は愛国婦人会に紹介せず、「しかし、あの三人ねえ、うわべは美人だし、たしかにいたれりつくせりのサービスをしたろうけど、けっこう復讐のつもりもあったかも知れないよ」上田がある時、ぽつりといった。つまり、これまで老人の玩具にされて来たのだから、童貞たちにうさを晴らしたい気持もあるだろう、また、彼等が結婚する良家の子女に、元芸者としてはいくらか腹いせがしたくて、技巧をこらしたのかも知れぬ。女房など所詮は性の素人、こっちの水は甘いよと、誘いかける下心が、なかったとはいえぬ。「こりゃ弱ったなあ、今度はこっぴどい女を抱かせて、中和させとかないと、奴等、不幸になる可能性が強い」横川がいい、しかし、腹の底では、そんな親切気はまったくなかった。  東山が、後日青山の旅館に電話してみると、女はひどくほがらかそうに、「愛国婦人会はますます隆盛をきわめてますのよ、一般の主婦だって、ほとんどは童貞を知らないわけでしょ、だから知合いの奥さまに持ちかけたら、みんな是非一度おねがいしたいっておっしゃるのよ」「だけど、どうやって探すの?」「東山さんがおっしゃってたじゃないの、いくらもいるって、たしかにそうよ。町で声をかけてついて来る男の子の半分は、童貞ね」東山は、奇怪な厚化粧の大年増が、巷《ちまた》をうろつきまわり、かわいそうな童貞ちゃんに襲いかかる空想を浮べ、子供二人が娘であることを、幸せに思った。 [#改ページ]  処女かいだん  隆一が、奈良へやって来たのは、古寺巡拝といった殊勝な気持からではさらになく、またこの地に特別な思い出があるせいでもない。厄年《やくどし》をどうにかやり過した年齢というものは、なにやら中途半端な感じで、三日間出張の予定が二日で万事片付き、その気になれば後一日関西の顧客先まわりをしてもいいのだが、それだけの忠誠心もなく、といって、早々に東京へ引き揚げ、妻子にサービスするのも馬鹿げている。いわばボーナスのような休日を、なんとか有意義にと、みみっちく考えたところで、何をどうたずねていいのか判らぬ、温泉にのんびりひたって、浮世の垢をおとすには、若過ぎるし、といって名にしおう関西ストリップなど、ながめ歩く気力もない。大阪のホテルで思案のあげく、学生時代に一度だけ遊んだことのある奈良へ、足を向けたので、何の期待もいだいてはいなかったが、駅降りたとたんに、眼に入ったのはおびただしい観光客、それも若い連中の、いずれも申し合せた如くジーパンはいた姿で、うんざりし、風薫る新緑の季節なのだから、これは当然予想して、しかるべきこと。東大寺、二月堂、春日神社と、名前に覚えはあるが、二十年以上前、せわしくへめぐっただけだから、地理も不案内で、またことごとしく再見する気もない。どうやら公園の端にとりつき、人なつっこいというよりは、図々しくまといつく、鹿に煎餅などくれてやり、強いて自ら、こういう無為な時間も必要なのだといいきかせ、せめて風流な気分になろうとつとめてみるが、一句一首も浮びはしない。  アメリカのノーキョウめいた連中を、ことさらおとしめてながめ、若い男女のグループ、ご大層にギターひっかついだのもまじるのを、親の苦労も知らずにと、腹立たしく思い、老人夫婦のいたわり合いつつ歩くのも、これみよがしな感じなら、子供連れの若夫婦の表情が、世におろかな印象で、何をいったいこんな風に苛々しているのかと、われながらおかしくなる。要するに、仕事している時だけ、平常心を保ち得て、いざ暇になれば、まったく身をもてあまし、頬返しのつかぬまま、眼に入るすべてを呪いつづけるのだ。そういう自分が判っているだけに、なお落着かず、いっそこのまま名古屋へ出て、そこの馴染みの店で酒を飲むかと、心決めかけた時、「小父さん、すいません、シャッター押してくれませんかあ」女の声が、かかった。  見れば、乞食まがいとでもいう他はない、しかしそれが流行の尖端らしい重ね着ジーパンズダ袋の、娘が三人、屈託なく笑いかけ、「押すだけでいいのです、オネガイシマース」押すだけとは何だ、これでもライカの年期が入っているのだと、なれた手つきでかまえてみたが、バカチョンカメラでは、せんかたない。「どうも」と一人がいい、「どうする?」「サテンないのかしらねえ」「京都には意外といいサテンがあったね」「うん、古い町だからなおさらあたらしがりたいんじゃない」なにを馬鹿な、古都へめぐって喫茶店しか眼に入らないのかと、隆一、盛り上ったそのヒップをながめる、まだいくらかあどけなさを残す、表情とうらはらにたくましいもので、もう男の一人二人くわえこんだのだろうと考え、男に抱きすくめられ、あられもないその姿を、思い浮べてみる。いったい何時頃からだろうか、若い女を見て、自分が抱くことよりも、他人に犯されている場面を考えるようになったのは、これも中年の、いわば悲しいあきらめの境地なのだろうか。 「それより腹減ったよ、ラーメン屋ないかしら」「昨日のパンならあるわよ」「汁っ気が食べたいんだよ」「ぜいたくいいなさんな」ズダ袋から、破れた紙包みをとり出し、分けてやる女が、どうやらリーダーらしい。「お腹減ってるなら、御馳走しようか」隆一、ひょっこり口を出し、断わられてもともと、べつに勘ぐられるような下心もないのだが、暇つぶしのつもりで誘うと、「でも」「わるいわよねえ」女たち、すぐその気になり、ここはお愛想にも、少し硬い表情で、「いいえ、けっこうです」といってほしいところ、隆一にもやがて年頃にさしかかる娘が二人いるのだ。「中年男なんて存在は、若い女性に食事をおごるため存在するようなものだからね」しかし、舌の方はなめらかに動き、「ワ、カッコいい」「足長小父さんね」そこまでで衆議一決、隆一にも当てはないが、とにかく歩き出すと、三人しおらしくつき従い、ふとはた目が気になったが、どうころんでもかき捨ての恥。  すき焼屋を見つけて、その座敷へ上りこみ、四人の頭数に六人前注文し、いったん世話をやきはじめると、顧客もてなしで、コツは心得ているから、万遺漏なくとりしきって、女たちは、実の娘の如くいっさいを隆一にまかせっきり。やはり若い女と同席すれば、心花やぐもので、まったく気の利かない三人を、腹立たしくは思わず、なにやかやしゃべりかけて、その氏素姓も聞き出す。現在、勤め先はちがうが、高校では同級生、五泊六日の予定で、関西見物の旅、奈良を最後に、明日帰京するのだという、「豪勢なものだね」「とんでもない、遠い親戚をたよって泊めてもらったり」「ホテルのシングルをとって、三人もぐりこんだりね、あのフロント気がついてたみたい」「神戸は馬鹿みたいだったわね」神戸では、帰省している友人の下宿にもぐりこみ、ロハですんだのはいいが、出て来る時、電熱器をつけっぱなしにしてきた、気づいたのは、琵琶湖めぐりの最中で、さあそれから下宿の近くの、一度だけ食べたラーメン屋の屋号をたよりに電話を調べ、消してくれるよう頼んだが、「うちは出前しかせえへん」といわれ、下宿の番号は判らぬ。「三人でひっかえして、消して来たのよ」おかげで一日丸つぶれ、只より高いものはないと思い知ったという。「気の毒に、じゃ、まともな旅館には泊ってないの」「高いもん、日本旅館は。連込みが安いけど、女三人じゃねえ」「やっぱり、男と来なきゃ駄目なのよ」トンボ眼鏡かけた女が、ガラガラ声でいう。 「ぼくが泊めたげようか」大胆な台辞を口にしたのは、ビールの酔いのせいでもあるし、いかにも三人ケロッとしていて、嘘いつわりなく、保護者のような気持になったのだ。さすがに一同だまりこんだから、「もちろん、別の部屋をとったげる。ぼくは朝早く発つから、君たちゆっくり朝飯を食べて、帰ればいい」「わるいもんねえ、でも」「いやあ、泊り賃など、交際費でおとせるから、ぼくのふところは痛まないよ」これは嘘で、ただ関西支社に頼み、今夜の宿だけは確保してあったのだ。他に空いている部屋がなければ、自分はホテルを探してもいいつもり、そしてほんの少し、もしそうなった時、雑魚寝を女たちが許しはしないかと、期待する気持もあった。  それから女三人を引き連れ、隆一はよみがえったように生き生きと、神社仏閣をめぐり歩き、学生時代の教養がつい知らずほとばしり出て、ガイドよろしく解説し、かつて女子大生が発情した鹿に突っつかれて、怪我をした話や、敗戦直後、正倉院御物の展示があったこと、さては、あやまって鹿を殺した子供が、石子《いしこ》詰めにされた故事、種々雑多な話題が口からとび出し、女たちはいちいち感心してうなずく。夜は、川魚の料理をおごり、奈良市内で、バーを二軒まわって、けっこう女もウイスキーなど飲み、隆一、保護者の立場から、時に一介の中年男へもどって、少少きわどい話にもなったが、これにも嫌悪感はしめさない。夜十時に、宿屋へ入り、はじめての客だが、支社の紹介のせいか、お上、旧知の如く出迎え、宏壮な門構えに心臆したらしく、玄関の外に立ちすくむ女三人を見ても、いっこう不審がらず、「どうぞ、お入り下さい」気さくに声をかけた。用意の部屋は離れになっていて二間続き、他にも空いてはいるが、「襖閉めたら、別室も同じですもん、そんな無駄なことしはらんかて」と、中年男に若い女三人の組合せを、どうふんだのか、お上がいい、女たちも「私たち、こっちのせまい方でけっこうですから」と、否やはないらしい。  とりあえず机はさんで四人が向き合い、手持ち無沙汰のまま、隆一ビールを頼み、「お嬢さんがた、おぶうお入りやしたら」京都訛りの女中がすすめる。「入ってらっしゃい、ぼくは後でいいから」追いやるようにしたのは、さすがに隆一疲れていたのだ。すき焼以後しゃべりづめで、三人の御機嫌をうかがい、われながら酔狂なことと、自嘲する気持もあったが、それより心の花やぎがまさり、そして宿へ着いてしまえば、まずは一巻の終り、急に年相応の分別がもどり、つれて五体から力が抜けた。三人それぞれ浴衣ひっかかえて、風呂場へ去った後、これがせめて十年前なら、この場でどうこうは無理でも、東京へもどってからの逢瀬をねがうところだが、厄年過ぎては、あきらめが先に立つ。いずれも二十歳とかで、花なら盛り、はじめに勘ぐったよりもみな初心《うぶ》で、男女のいささか立ち入った話題をもち出すと、講義でも聞くように耳を傾けていた。「ひょっとすると処女かも知れぬ」隆一は、あろうとなかろうと関係ないだけに、強いてそうきめこみ、襖一つへだてて処女三人と寝るなど、そうあることではない、御馳走代くらい安いものだと、ほくそ笑む。ふだん、そういった存在に、確固たる憧れをいだいているわけではないが、三人が風呂へ出かけたせいもあって、処女らしい体つきなるものを、思いえがき、しかし、女房以外には覚えがなく、その女房の裸も、今では十六貫八百、すっかり脂がまわって、往時をしのぶどころではない。きっと乳暈は桜の花片の如く淡い色で、飾り毛も萌え出した若草のように柔らかいにちがいない、今頃あの三人は、乳房を押えてひっそり湯槽に体をしずめ、しみじみと古き都の夜のしずけさを味わっているのだろう。ひどく混乱したイメージを思いえがき、旅の疲れできっとすぐ寝入るはずの三人の、寝姿をのぞき見してみたい、襖の上の欄間からがいいか、それともこっそり忍びこんでみるか。女房が不眠症で、よく睡眠薬を服用している、あれを何錠かもってくればよかった、そして、ビールに混ぜて飲ませれば、布団くらいまくっても、眼を覚ますまい。しだいに不逞な妄想をたくましくし、寝乱れたその姿を、追い求めるうち、かいだこともない処女の女陰の匂いを、たしかめ得たような気がする。とたんにふと我にかえって、「商社の部長、強制猥褻罪で逮捕さる」と新聞の見出しが浮び、居ずまい正して、今度は女房のヒステリックにわめき立てる声を、空耳によみがえらせる。げんなりしたところへ、「お先に、いただきました」思いがけずしとやかに挨拶して、リーダー格の女が一人部屋へもどり、浴衣まとうと別人の如くなまめかしい。息のつまるような感じで、隆一さらにビールを一本開け、「若い方はいいですね、今が人生の花でしょう」老人めいたものいいをすると、「そうでしょうか、私、早く三十になりたくって」膝でにじり寄り、女はビールの酌をした。  他の二人もやって来て、入れかわりに隆一風呂場へ向い、脱衣場の戸を開けると、むっとするような体臭がこもっていて、鏡台の前に、宿屋の備品とは思えぬ、赤い櫛があった。きっと誰かが忘れたにちがいない、いとおしむ如く手にとって、湯槽に身を沈めると、心なしか湯の表面に脂が浮いている如く思え、温泉水滑らかにして凝脂を洗うと、長恨歌の一節を思い出した。陰毛は浮いてないか、眼を皿にして調べ、それは見当らぬまま、湯槽の縁に腰をかけ、赤い櫛でわが股間をくしけずる、櫛の動きにつれ男根たちまち屹立し、いっそ当てがきにこの煩悩を静めようか、でなければ何をしでかすか分らぬように思い、こういった昂りは絶えて久しいことだった。やはり旅には出るものだ、これからせいぜい暇をつくって、歩きまわろうと、虫の好い決心をし、いささか無精髭の生えているのを、入念に剃り、鏡に向って突き出た腹をいささかなりとひっこめてみる、しかし、どうやつしてみても、厄年過ぎ、湯上りの艶《つや》やかな女の肌には、似つかわしくないのだ。  手前の六畳に三人の布団が敷かれていたが、女たちはまだ寝る様子もないから、「あなたがたも飲む?」ビールを示すと、三人妙にかしこまった感じで、リーダー格が口ごもりつつ、「あの、私たちおねがいがあるんですけど」切り出した。隆一はとたんに、これは甘く見られたのか、多分、旅費が足りなくなったから金を貸せとでもいうのだろう、鼻白んだのだが、「私たちはア、あの」またうつむいて、「あんたいいなさいよ」トンボ眼鏡にバトンタッチ、「はっきり申しまして、私たちの旅行は喪失を目的としたものでした」「ソーシツ?」「つまりイ、二十歳にもなって、まだ人跡未踏のままでいるのは、いやらしいから、これを機会に捨てちゃおうって、相談したんです」隆一、どうにか意味をのみこめたが、突拍子もないことで、相槌《あいづち》もうちかねていると、「駄目なのよねえ、ついえらんじゃったりして」急に口調がかわり、他の二人も堰《せき》を切った如くしゃべりはじめた。京都ではハンサムなヒッピーと知り合ったから、トンボ眼鏡が誘ったのだが、これはホモで果し得ず、大阪ではしつこく口説かれたけれど、ヤクザっぽくて怖ろしさが先に立つ。「これでむつかしいんです、やはり主体性をもってえらびたいし、後くされがあっちゃ困るでしょ、あんまり餓鬼みたいなのいやだし」「三人一緒っていうのが、無理だったのかもね」「つまりあなた方は、ヴァージニティっていうか、それを捨てたくて、旅行してるわけ?」「はあ」リーダー格、またしおらしい返事をして、「それでおねがいなんですけど、あの、小父さんは、ごめんなさい、お名前を存じ上げないもんですから。あの、われわれの空腹を充たしてくれたし、その後も、やさしい心づかいをみせて下さいましたでしょ。われわれは小父さんの、その救済精神におすがりしようと、衆議一決したんです」キュウサイの意味が見当つかず、「ぼくが、若い男を紹介するわけですか」「ちがいまあす」いちばんあどけない顔立ちの女が、にこにこ笑いながら、「小父さんにおねがいしたいのでえす」  隆一、呆然として言葉が出ず、からかわれているのかと、まず考え、つづいてこれは何かの罠《わな》ではないかと疑い、むつかしい表情で腕を組む。「こんなことおたずねするのは変ですけど、中年の方って、私たちみたいなのが好きなんじゃないんですか、週刊誌に書いてあったけれども」リーダー格が真面目にたずね、「あの、小父さんは本当に遊びのつもりでいいんです、明日の朝になったら、赤の他人としてお別れしますから」トンボ眼鏡が口ぞえする。 「明日の朝って、じゃここで君たちを抱くの?」「ええ、東京へもどっちゃうと、親がうるさくって、とても外泊はできませんし」隆一も、かなりよく週刊誌を読む、だから旅は道連れ世は情け式の、お話を知らないではない。汽車の中で美貌の人妻と知り合うとか、湯治場の女中とよろしくやる、さては新婚旅行に来ている新妻を口説いたなんて、途方もない体験談さえ、紹介されている、しかし、集団処女据膳譚など、前代未聞であった。 「しかし、どうして処女じゃ困るの?」「なんだかいやらしいじゃない」「いかにも、もてないみたいで」「私達は、いちおう弁解しときますけど、小学校から高校までずっと女子校にいたんです、ですから、チャンスはあったんですけど、ちょっと勇気がなくて人跡未踏のまま来ちゃいました」「会社へ入ってからも、ボーイフレンドは出来たけど、ピンと来ないのよね、すぐ友達みたいになっちゃって、キッスくらいはするけど、向うも怖《こわ》がってるみたい、結婚をせまられるんじゃないかと疑っちゃって」「本当ね、といって、こっちから寝ようっていうわけにもいかないし」あどけない一人が、あけすけないいかたをする。  隆一にもようやく事情はのみこめたけれど、あまりのショックに風呂場で感じた昂りは、あとかたもなく失せ、しかし、なんとか体面とりつくろうべく、「そりゃまあ、われわれの方が、処女の扱い方は心得てるだろうけれど。あまりガッつかないしね」三人、そろってうなずき、「実は一度、危なかったことがあるんです。でも、白目かなんかむいちゃってグロテスクなんだもん、突きとばしちゃったわ」リーダー格が告白する。「そりゃ気の毒に、若いうちはそんなものですよ」「小父さんは、何人くらい経験あるんですかあ」「まあ、適当にね。といっても、芸者の水揚げくらいしか、チャンスはないけど」「芸者さんていくつくらいで?」「早ければ十四、五だろ」「生意気ね」「あら、うちにもいたじゃない、中三の時にナニしたって」「あれ本当かしら、あんなにいいふらすもの?」「おかしかったわね、やたら体がだるいなんていっちゃってさ」三人文字通り姦《かしま》しくしゃべり合う。 「平均して、いくつくらいの時、処女を失うものなの?」「さあ、とにかく二十《はたち》よりは下よね」「そう、われわれはおくれているのでエす」「で、妊娠の心配なんかしないもの?」「そりゃします、いちばん心配よね」「もっと早くいってくれりゃ用意できたけど、ぼく持ってないよ」少しゆとりが生れ、からかうようにいうと、「ほら」リーダー格があどけないのを肘でつっつき、ズダ袋をとりにやらせる。「これ、持って歩いてたんです」ルーデサックを十コばかりとり出し、「ママの鏡台の中にあるの、かっぱらって来ました」「ばれないかね」「沢山々々あるのでエす」  隆一はこの間もビールを飲みつづけ、気持の上では据膳いただくつもりになっていても、まだ理性が邪魔立てしているのだ、三人こなすのは少し難儀に思えるけれど、まずは男冥利につきることで、いかに空想力豊かな雑誌記者だって、こういう道具立ては思いつかないだろう。後の災いについて、考えてみたが、三人そろっての美人局《つつもたせ》などきいたこともなく、隆一からみて奇想天外な、女たちの発想がかえって安全を保証しているように思える。きっと、この女たちは真面目なのだろう、機械的に処女を喪失させることで、安心立命し、やがて良き妻になるにちがいない。隆一は、昔の初夜権を思い出し、あれは一種の深い知恵にもとづくことではないかと、自分に都合よく考え、「三人一緒ったって、順番をどうするの」まだ半分は冗談のつもりでいうと、「ジャンケンで決めました」リーダー格がトンボ眼鏡を指さし、「二番目、三番目、ちょっと癪だけど」あどけない女、そして自分をしめす。隆一の好みは、丁度、逆だったが、しかし、後に楽しみを残せば、きっと駄馬もふるい立つにちがいない、むしろ好都合に思い、だがきっかけをどうつかめばいいのか。 「あの、私、痛いのにあまり強くないんです。痛いっていったら、少し止めてほしいんですけど」トンボ眼鏡が、緊張していう、「マナイタの鯉よ、じたばたしなさんな」リーダー格がたしなめつつ、「どうぞ、おねがいします」隆一をうながし「よろしくおねがいしまアす」トンボ眼鏡が頭を下げた。「君たち、どうするの」「ここにいちゃまずいわね、お隣で待ってます」「頑張ってねえ」二人、六畳の間に引き下り、さて水入らずのさし向いとなって、「先へ寝なさいよ」隆一、われながら卑しいと分るかすれ声でいった。「電気消す?」「あなたのお好きなように」小父さんが、あなたに変り、隆一はいっそ加虐的な気持となって、煌々とつけたまま、布団にもぐりこむ。女は、胸に両手を当てがい、眼を見開いたまま、棒の如く横たわり、ここはやはり相手の気持をやわらげるのが年の功、「女性はいくつ位から、男を意識しはじめるの?」「そりゃ幼稚園の頃からでしょ」「猥本読んだことある?」「中学二年の時」「興奮した?」「私たちの話の方が凄いみたい」なにやらかみ合わず、そして、うつ伏せに寝ているせいか、隆一、胸が苦しくなって来る。はっきり動悸が分り、一人はともかく三人目には死んでしまうのではないか、酒も入っていることだしと、ふと考えると息がつまるような感じが起り、あわてて深呼吸をし、仰向けになる。「コイッ」「きびしいっ」襖の向うで大きな声がひびき、「あの二人、今コイコイに凝ってるのよ、暇さえあればやってんだから」破瓜の順番を待ちながらコイコイをやるというのが、現代娘気質なのか、隆一は十五歳になる娘を思い出し、「御両親は?」「いたって丈夫です」「心配しない?」「うまくやってるもん、パパお肩をもみましょうかなんていっちゃって」このままでは埒があかぬと、隆一、女の胸に手をのばすと、「いや」きっぱり断わられる、「どうして」拒否されてようやくたけりたった気持が生れ、かすれ声でたずねると、「だってちいちゃいから恥ずかしい」さればと掌脇腹にはいずらせれば、「ウヒャヒャ、駄目なのよ、わあ」凄い勢いで、体を折り曲げ、隆一、その尻でしたたか腰を打たれる。  いっこう笑いやまぬのを、後ろから羽交い締めに押え、下穿きに手をかけると、「タンマ、タンマ」女、がむしゃらにふりほどき、「ごめんなさい、笑い出すと私、とまらないの」なおくっくっと体を折り、ただならぬこちらの気配に聞き耳たてたらしい隣室の女二人「真面目にやってよ」「後がつかえてるのよ」声をかけた。「すいませんでした」体操教師に、失策を詫びる如くいい、「自分で脱ぎます」わざわざ断わって、白い下穿きをとり去り、隆一、体を重ねたのだが、男根さらに奮い立たない。しばらくじっとしているうち、「重たい」女がうめき、仕方なく腕立て伏せの形となって、必死に淫らな妄想、思いえがこうとするのだが、そしてこれは、女房を抱く時の、手つづきで慣れているのに、ままならぬのだ。それもあるいは当然で、処女三人を順番に犯すという、徳川将軍もハダシで逃げだす男冥利、これ以上刺戟的な舞台はあまりない、眼の下に、観念しきった女の表情があり、隆一の動きにつれて、時に、唇を半分開き、吐息をつき、それなりに刺戟を受けているらしい。女が眼を閉じているのを幸い、隆一は、いったん体をはなし、懸命にしごき立てたのだが、うなだれたまま、さればと、女の掌をわがものにあてがって、にぎらせれば、女、何ごとならんかと薄目をあけ、「キャッ、気持わるい」勢いよく手を引っこめた。女の指をくるむようにして、隆一、にぎりしめていたから、はずみで男根もぎとられそうになり、「アイテ」とうめきを上げる。「さわるのはいやです」女、にらみつけていうから、腹が立って来て、「分ったよ、寝てなさい」中学生よろしく、手すさびをくりかえし、どうにか形ととのえかけたところに、今度は耐えかねたような爆笑が、隣室で起り、襖がどたどたとゆれる。  何ごとかと襖開けると、布団が山積みになっていて、どうやらこの上に登り、欄間から様子をうかがい見ていたらしい。「邪魔しないでくれ」「はい、すいません」音高く襖をしめたが、また提燈《ちようちん》よろしくしぼんでしまい、かくなる上は破れかぶれ、布団をはいで、女の下腹部に顔をうめようとすると、「エッチィ」女がさけび、なにをいっておるのか、処女を失いたいと自ら申し出ておきながら、エッチも変態もあるものか、しっかと力こめて閉じた両脚の、膝に右手を割りこませ、テコの応用でぐいと開こうとしたら、「タスケテ、ねえ、助けてえ」宿屋中ひびけとばかりに悲鳴をとどろかせ、つれて、「どうしたの、大丈夫?」二人がかけこんで来る。 「あんまりひどいことしないで下さい」リーダー格が抗議するから、「冗談じゃない、これじゃ何もできやしない」「だってえ、この人、へんなところなめるんですもの」ミもフタもないいい方を、トンボ眼鏡がし、「すいませんけど、性交だけおねがいしたいんです」「小父さん、駄目なんじゃないのかしら」あどけない顔が、隆一の股間をみつめていう。 「もしそうなら、あきらめます。私たちインポテンツの玩具にはされたくありませんから」「インポじゃないよ、ただ少しお酒をのみ過ぎたから」たしかに非は自分にあるのだから、つい気弱くいうと、「じゃ、早くさまして下さい」そんな簡単なものではないと、また腹が立ったが、処女三人に男のことわりを説明しても、通じるわけはない。思うにまかせないのだが、気持だけはたかぶっていて、たとえ心臓麻痺を起そうとも、この三人刺し貫かずんば止まじと、今は恥も外聞もなく、隆一、部屋の隅へしゃがみこみ、無念無想神を念じつつしごき立て、「何してるの?」「ひきつけ起してるみたい」後ろで、女三人のひそひそ話す声がきこえ、「うるさい」そのつど怒鳴りつけたが、ついに暁方までかかって、死児はよみがえらなかった。  女三人、いつしか六畳間で、枕をならべ、旅の疲れか昏々と寝入り、隆一も、白々と障子が明るんでくれば、物の怪がおちたように、いっさいアホらしくなって、いったん布団に横たわったものの、やはり不甲斐なき仕儀にはちがいない。物音忍ばせ、洋服を着ると、いずれもしどけない寝相の、女たちをしばしながめ、トンボ眼鏡の忘れていった下穿き、その枕もとへ落すと、勘定すませて、立ち去った。あさまだき、まだ人の姿はなく、公園へ向けて歩くと、鹿だけがうろつきまわっていて、一面にもやがかかる。そして歩くにつれ、だんだん足が早くなり、なにやらとてつもない危難をようやくのがれたような気持が生じ、一刻も早く、女房子供の許《もと》にはせ帰りたい。 [#改ページ]  うすい気分 「あの、主人がおめにかからせていただきたいって」ほんの少し当惑の色を浮べ、しかし、いたずらを楽しんでいるような口調で、美那子がいい、洋介は一瞬、その表情を美しいと感じたが、すぐに腰が浮きかかる。これはいったいどういう事態なのか、人妻との情事のあげく、トラブルにまきこまれることは、べつだん珍しくもない。そして、まきこまれたくないから、これまで美那子との逢瀬にも、細心の注意を払ってきた。今居るドライブインも、夜はともかく、昼間はほとんど客がいないし、ホテルへ入る時も、別だった。人妻の密会について、男側のくばるべき心づかいをすべて果したはずで、また美那子も、亭主が何やら気配を察しているらしいなど、いっさい口にしなかったのだ。はじめから仕組んだ美人局《つつもたせ》とも、考えにくい。美那子は、名を名乗っただけで、素姓いっさい明らかにしなかったが、その服装アクセサリー、それに言葉のはしはしからうかがえる暮しぶりはかなり裕福なもので、洋介は、自分と大してちがわぬ、いや年下であるかも知れない亭主の生活能力を、ふとうらやましく思ったことさえあるのだ。あるいはこれは、美那子の、あまり趣味のよくない冗談なのか、自分のみそかごとの相手に、さりげなく亭主を引き合せる、そんな場面を小説だか映画でみた記憶があった。それならそれで、ちゃんと打合せをしてくれなければ、危険すぎる、こう藪《やぶ》から棒では、洋介、いかにとりつくろうといったって、そう平静にはしていられぬ。いや、これが劇場あたりでなら、まだいいけれど、都心から離れたドライブインに、洋介を待たしといて、亭主を同行するなど、不自然であろう。「おめにかからせて」とは、どういう意味なのか、亭主が浮気の兆しに気づき、美那子を詰問し、ついにその全貌がばれてしまい、「よし、俺が話をつけてやる」と、乗りこんできたにしては、美那子しごくおっとりとしているのだ。  あれこれ思いをめぐらせ、よほど呆然とした表情を、洋介浮べていたのだろう、「車の中にいるんです、ここまで送ってくれたものですから」「いやあの、おめにかかった方がよろしいのなら」「そうですか、じゃ、呼んできます」すぐに、美那子ドアの方へ歩き去り、そのうむいわせぬ態度は、かりに洋介が拒否したところで、主人と対決せざるを得なかったように思える。十日前に会った時、こんな風な成行きの気配すらなかった、いつも洋介より二、三分おくれて、約束の場所にあらわれ、洋介に近づくのを照れているように、わざとよそ見などして、その様子が、しごく初心《うぶ》に思え、洋介つい頬がゆるんだものだ。コーヒーを注文して、それには手をつけず、空咳《からせき》してみたり、溜息をついたり、これも、恥じらいのあらわれと洋介はながめ、ベッドへ入ってからも、美那子は決して、自ら積極的にふるまうことはなかった。亭主は、きっと性に淡泊な方で、閨《ねや》のあれこれを教えこんでいないのだろうと考え、しかし、洋介自身も、妻に対しては同じことであると気づき、苦笑したこともあった。  洋介は、とり立てて女好きではない、すでに四十の声をきき、電気メーカー宣伝部次長の明け暮れは、気ばかり疲れて、身近に女っ気のないわけではないのだが、一歩踏み込む迫力が足りぬ。美那子と知り合ったのも、妙な偶然からで、とても、美貌の人妻に恋慕の情をたぎらせ、手練手管の末、通じたわけではなかった。中部地方の販売店会議に出席した後、一日暇が出来たから、山あいの辺ぴな温泉へ足を向け、そこで集中豪雨にでくわしたのだ。温泉地そのものには、大して降らなかったが、川沿いに走るバス道路の、路肩がゆるんだとかで、運行中止となり、足の便はこれ以外にない。電話で会社と家に連絡し、思いがけぬ骨休めとばかり、いっこう止まぬ雨足を、むしろ頼もしくながめているうち、さらに上流の湯治場が危険になったとかで、そこの客が避難して来た。階下のごったがえしに気づいていたが、他人ごとと見るうち、番頭がやって来て、相部屋を頼み、もし一人の方がいいなら、他へ移ってもらいたいという。なんでも子供連れの二家族だときいて閉口し、カビ臭い三畳の、昔ならさしずめ行燈《あんどん》部屋とでもいうのだろう、粗末な座敷へ移り、ビールを頼んだが、使用人みなあわてふためいていて、返事ばかり、いっこう用が足りず、台所へ自分で取りに出かけたのだ。ここでもさんざ待たされ、ようやく三本確保し、三畳へもどると、美那子と老婆が、まるで人さらいにでも連れてこられたように、心細く身を寄せあっていた。 「申しわけありません、無断で入りこみまして」美那子が頭を下げ、「私は廊下ででもよろしいんですけど、こちらのお婆さんが、御気分おわるいらしくて」老婆の背中をさすりつつ事情を説明し、二人は湯治場に泊り合せただけの仲、「番頭さんに頼んだんですが、とり合っていただけなくて」廊下をうろうろするうち、空いているこの部屋に、とりあえず入りこんだのだという。たしかに、どの部屋も満員で、「一人一畳ってことにして下さい、こういう時ですから」番頭が声をからして整理し、避難客はともかく、洋介のように元からいた連中の中には、抗議する者がいた。一人一畳なら、後二人押しつけられて文句もいえぬ、病人は厄介だが、まず突然のことにびっくりしただけのようだし、なにより美那子が美しかった。「どうぞ、御遠慮なく、お互いさまですから」洋介、やさしくいって、押入れ開けると座布団があったから、並べて老婆を横にならせた。  壁際に一人寝られてしまうと、二人いたしかたなく廊下背負ってお雛様の如くすわり、手持ち無沙汰のままビールを飲もうとしたら、「あ、私、お酌いたします」美那子、両手で瓶を持ち、手がふるえていて、コップにカチカチと当る。「なんだか、上気しちゃって」はにかむようにいい、「大変でしたでしょう、この雨の中を」「私たちはバスで送ってもらったんですけど、後の方は歩いていらしたようです」「東京ですか?」「ええ」連れのないことは判っているし、何故一人でこんな山あいの湯にと、たずねるのもはばかられる。年の頃三十二、三歳、結婚指輪とサファイアのリングが左手人差指にあって、時計もしごく高価なものだった。水商売でなし、といってすっ堅気にも見えぬ、服飾デザイナーかヘヤドレッサーかと、洋介、しゃれた女性の職業を考え、それにしてはノーブルな感じがある、女性の専門家には、どことなくいやしい印象のただようもので、また、相部屋たのむ時、こうまでへり下らないだろう。山あいへ来るのだから、わざと用意したのかも知れないが、スラックスは流行のパンタロン風ではなく、そのくせブラウスが、梵字を染め抜いたヒッピーまがい。「あ、私ちょっと下へ行って」そそくさと立ち上り、それはいかにも、二人っきりではないにしろ、見知らぬ男と同じ部屋にいることに、戸惑っている風で、しかしうっとうしく思うわけでもなく、なにやらはしゃいでいるようにも見える。年にしては少し子供っぽいと感じていると、美那子ボストンバッグを持ってもどり、「お酒のつまみになるようなものはないけれども」つぶやきつつ、クッキー、チョコレート、品川巻きなど幾種類もとり出して、「私、こういうのをちょこちょこ食べるのが好きなんです」いかにもあどけなくいう。「これは貴重になるかも知れませんよ、ここの旅館だって、そう食料の備えはないだろうし、もし、道がくずれでもしたら、当分籠城しなきゃならない」「そんなに何日も?」びっくりしたように美那子はいい、「陸の孤島みたいな場所ですからね、ここは」「たいへんね、子供連れの方は」「あなたは大丈夫ですか」「は? 私?」「ええ、御主人が心配しませんか」「まだしばらく居るつもりでしたから」「いい御身分ですね」「そうかしら」ふと虚ろにいい、すぐ「そうですね、温泉でのんびり遊んでるんですから」「ぼくは一日だけのつもりで、来たんだけど」「じゃお困りでしょう」「いや」こういうことでもなければ、のんびり出来ないというのも、これみよがしに思えて、窓をあけると、少し明るくなっていて、洋介、少し口惜しい気持がする。どうなるものでもないだろうが、美那子と二、三日、一緒にいたい気持があった。  美那子は、そうすることで、ようやく身の置きどころを得られるかの如く、しきりにビールを注ぎ足しし、男を酔わせては危険とは考えないらしい。老婆は寝入って、かすかにいびきをかき、それが雰囲気を重苦しくする、いちおう水入らずの形となったわけで、酔いのせいか、洋介、はやりたてる気持もないのに、ふと美那子を抱きすくめてしまいそうな怖れを感じ、それが自分に与えられた役割の如く思う。互いにだまりこくったまま、時が過ぎ、洋介は少しいたぶるつもりで、あえて口をきかなかった、美那子が気づまりに耐えかねて、何をしゃべり出すか、こっちはビールを飲んでいるだけ、有利だった。「なにかお話して下さい」あっさり降参し、「昔々あるところにお爺さんとお婆さんがいました」洋介、図に乗りかけたところへ、「後になると混みますから、先にお風呂へ入って下さい」小女が報せ、夫婦と見たのか「家族風呂の方へ、御一緒にどうぞ」ぶっきらぼうにいう。 「入りましょうか」嵩《かさ》にかかって洋介が命令するようにいうと、「はあ、でも」美那子老婆をながめるから、「寝かせときゃいいんです」邪魔者あつかいし、賭けるような気持で先に立つと、「後でまいります、お風呂はどちらでしょう」声をひそめてたずねた。岩風呂めかしたちいさな湯槽に身を沈め、洋介は、まさか美那子が来るとは思わず、だが、すくなくとも今夜は同じ部屋で過すのだろうが、なにやら妖しい風向き、子供っぽいだけに、案外大胆なのかも知れず、一人で温泉へ来るなど、まともな夫婦生活営むようにも思えぬ。集中豪雨のとりもつ縁など、いかにも絵空ごとの感じだが、ことによればと、妄想たくましくする前に、眼の前の硝子戸が開いて、着やせするたちなのか、ひどく大柄に見える美那子が入って来たのだ。  洋介あわてふためいて、先ほどのゆとりは吹きとび、いざ裸になってしまえば、女の方が図々しく、下腹部こそタオルでかくしていても胸はあらわのまま、そして、自信があるのだろう、上向きに盛り上った乳房にたるみはうかがえず、乳暈の色もうすい。「失礼します」ためらうことなく、体を湯に沈めたが、たちまちあふれる湯の音を、はばかるように、すぐ中腰となって、しばらく待った。顔の横に尻があるから、洋介身じろぎならず、「お爺さんとお婆さんがどうしましたの?」美那子、おかしそうに訊ねるのに、「思ったより度胸がいいんですね」「自分でもびっくりしてます」「このままではすみませんよ」「はい」いかにも覚悟はよいかと、いい渡しているようで、洋介、能のない口説きかただと反省したが、他に言葉も考えつかぬ。「蓮《はす》っ葉な女だとお思いでしょ」「いや、そんなことはないけど」「ないけど?」「あなたみたいな美人と、一緒にお風呂に入れるなんて」「どうもありがとう」美那子、こっくり頭を下げ、それをきっかけに肩抱き寄せると、「明るいから、恥ずかしい」身を固くして拒む。「でも、お婆さんがいるよ」「困りましたね」三畳一間にどう工夫しても、老婆に気取られることなく抱き合うのは無理だろう。そう思うと、急に矢も楯もたまらぬ欲望が起って、強引に美那子の唇を求め、「痛いわ、背中が」岩風呂だから、ままならず、といって洗い場もきわめてせまい。「私、よく睡れないので、薬を持ってるんですけど」洋介に横抱きにされたまま、美那子がいい、「少しだけお婆さんに飲ませちゃったらどうかしら」真面目にいった。  もし老婆が気づいたとしても、それをふれまわるはずもなし、こっちの身許を知らないのだから、さしつかえはない。洋介、そのまま上って、また台所でビールを三本もらい、部屋へもどると、粗末な食事が用意されていて、老婆すでに箸をつけていた。「どうですか、お加減は」「ええ、おかげさまで」その眼でみると、妙に陰険な婆さんに思え、気が滅入ったがいたしかたない。美那子と洋介、だまりこくったまま食事をすませ、廊下に積まれた布団二組引き入れて、「ぼくは、飲んでますからお先に」白ばっくれていうと、「いいえ、私の方が押しかけて来たんですから、お休み下さい」美那子遠慮してみせ、「お婆さん、念のためにこれを飲んでおいたら? 気分がすっきりしますよ」紙包みの粉薬を一服渡した。老婆、疑わずに水で服用し、「私はもう枯れきっちゃってますから、衝立《ついたて》がわりに真中に休ませていただきましょ、それなら奥さんも安心して寝られますよ」お節介なことをいって、二枚の布団の継《つ》ぎ目に体を横たえる。「着がえしたいんですけど、その間だけ、暗くしていただけます?」美那子、ビールを飲む洋介に気がねしていい、電気を消しても、廊下の明りで、美那子の姿は見分けられた。ボストンバッグの中の、ネグリジェを出し、すわったまま寝仕度をととのえると、「明日、晴れるとよろしいけど」つぶやき、「道の方はどうなったのかしら」「さあ、きいてみましょうか、番頭に」「お婆さん、寝ちゃいました」ぶつぶついっていたのは、その反応を確かめていたらしい。老婆の体をまたいで、美那子は洋介のかたわらにすわり、またお酌しようとするのをとどめて、唇合わせると、今度は積極的に応えて、洋介のなすままに身をゆだねる。すでに下着はなく、なめらかな肌を確かめて、洋介は、美那子の体を横たえ、ネグリジェの前をはだけさせた。「あのお薬とてもよく効くのよ、少し多すぎたかしら」美那子、さめた声でいい、洋介のはいずる手をこばまず、また唇の愛撫にもかすかに息を荒げるのだが、どことなくしっくりとはかみ合わぬ感じで、洋介は、それをやはり場所のせいだろうと思う。寝つけないらしい子供の、どたばた座敷を走るらしい足音がひびき、気の立った番頭の、女中をののしる声も伝わる。なによりいくら寝入っていると判っていても、見ず知らずの老婆が、すぐそばで身をまるめているのだから、うっかりそっちに視線を向けると、洋介すらなえかねぬ。「東京で、また逢える?」「えっ?」思いもかけぬことをいわれたように、美那子はびっくりして、「どうかなあ」他人ごとのようにいった。洋介は焦《じ》れて、下腹部に顔を近づけ、ほのかな明りに浮ぶその花弁を、さらにむき出しにさせ、これにも抵抗はなかった。唇押しつけると、「あら、そんなこと」うろたえた声が聞え、洋介、その反応を確かめたくて、手をにぎると、にぎり返しては来る。秘術をつくすといった感じで、洋介精いっぱいにふるまい、ようやく体を重ねて、美那子の表情うかがうと、かすかに眉をしかめ、小指を唇に当てる。名前をささやこうにも、まだ知らなかったし、この期《ご》に及んでたずねるのも、妙だから、「とってもかわいい」耳のそばでつぶやくと、「はあ?」またおどろいたような声がかえって来た。「いやね、とてもあなたはかわいい」洋介、少し興ざめした気持でいうと、「お名前何ておっしゃるの?」「洋介」「洋介さん、私は美那子、美しいに、支那の那です」「いい名前だ」「ありがとう」ひどく礼儀正しい感じで、閨房の痴語には縁遠いのだ。「もう、してもいい?」訊かずもがなのことを洋介たずねたのは、あるいは美那子には、特有の好みがあるのかも知れず、自分勝手にすませてはわるいように思ったのと、妊娠の心配からだった。「ええ」「危なくないの?」「多分、大丈夫だと思います」では御免といった体で、洋介はげしく動き、律動を美那子に伝えると、「あら、あら」とあまりふさわしくない声音をもらした。「やっぱり気が散って、うまくないなあ」負け惜しみのように洋介がいうと、「ごめんなさい」美那子にもその意識はあるらしい。美貌の人妻を見事仕とめたという感激はあまりなく、後はひたすら寝入りたかったが、いくらか疚《やま》しいから、後の戯れをしかけると、洋介の胸に頬をうずめ、冷たい感触があって、どうやら涙らしい。洋介は、しごく罪深いことをしたように思い、といって何となぐさめていいか判らぬ。「私の方から、連絡してよろしいかしら、御迷惑はおかけしません」「逢えるんですか、もう一度」「ええ、これだけじゃ心残りで」急にしおらしくいう。しばらくそのまま抱き合っていたが、いつしか寝込んで、気がつくと、すでに朝、女二人すでに身じまいを整え、老婆はまだ薬が残っているのか、しきりに欠伸《あくび》をし、美那子は何ごともなかったように、化粧道具をバッグにしまいこんでいる。道路はくずれずに済み、その日の午前十時に、バスが出たのだが、美那子はまだ残るといって、洋介の会社の電話番号をメモすると、「いろいろお世話になりました」小娘の如く、きちんと膝を折って一礼した。午前十時前後なら、必ず席にいるといったから、以後二週間ばかりは、その時刻になればそわそわと落着かなかったし、相部屋の男にあっさり体を与えたその心中あれこれ推察して、だが、よく判らない。半月過ぎても連絡はなかったから、あれはきっと心のやさしい女性だったのだ、いかに事故のためとはいえ、他人の部屋へ押しかけた以上、身をまかせるのは仕方がないと思ったのではないか、あるいは、洋介を好色漢と見て、手ごめにされるくらいなら、すすんで抱かれた方が、納得いくと考えたのか、いずれにしろ、窮地におち入った女の、弱味につけこんだような感じはいなめず、自己嫌悪にかられていると、救いの神の如く、美那子から電話があったのだ。それもひかえ目なもので、もしさしつかえがないのなら、月末にお会いできないかと、口ごもりつついい、「あんまりおそくなると、具合がわるいんです、勝手なことばかりいって申し訳ありません」借金でも申し込むように恐縮していた。  もとより洋介にいなやはなく、慎重に考えて、落ちあう場所を決め、再会してみると、先方も入念に身だしなみを整えたせいか、温泉場でみたよりはるかに、美しく、洋介どぎまぎして、気おくれが先に立ち、ウイスキーたてつづけにあおると、「あんまり召し上らないで」掌でグラスにふたをした。飲みすぎると役立たずになることを、知っているのだろう、テキはすでにしてその気十分と、洋介、話にだけ聞いていた各種設備のあるホテルへ、三十メートルほど間をあけて訪れ、「まあ、鏡があるわ」とか、スイッチを押すとベッドが震動する仕掛けに、いちいち美那子はおどろく。今度こそ、誰はばかることなく抱き合えるはずだったが、初めの出会いが風変りだったせいか、美那子の顔を眼下に見ると、なにやらすぐそばにあの老婆がいるような気がして、つい声をひそめ、美那子もまた同じ心境なのか、小指を唇に当て、洋介の動きにつれ息を荒くはするが、時に深く溜息をつく様子からみると、むしろ押しひしがれて息苦しいらしい。洋介は、また苛立ち、徹底的にさいなむ気が起って、あからさまな二人の姿を鏡に写し、「見てごらん、ほら」命ずると、美那子素直に従って、「恥ずかしい」しごくもっともな台辞をつぶやき、そしてきわまりのしるしについて、「五つだったわね」といった。  それから、ほぼ一月おきに、連絡があり、洋介の方も、もどかしい感じをなんとかぬぐい去りたくて、手をかえ場所をかえて攻め立て、どうにか近頃、老婆の顔も浮ばなくなったし、洋介の動きになれたのか、ぎこちなさがとれ、女体とて機械ではないのだから、肌になじむまで、時間のかかるのは当然、これから存分に佳境を味わえるように思うところへ、亭主が出て来たのだ。  二分ばかりして、美那子がまずあらわれ、入口の売店でチョコレートを買うらしい、つづいて洋介より少し年輩の男が入って来て、その体格が自分より貧弱なので、洋介ほっとする。「よくも人の女房を寝盗りやがった」と、凄まれることをやはり怖れていたのだが、近づくにつれその心配はさらにうすれる、ひどく人なつっこく亭主は笑みを浮べていて、洋介に見つめられていることに気づくと、面を伏せた。「主人です」美那子が、笑いながらいい、「はじめまして、妻がいろいろお世話になりまして、ありがとうございます」亭主、一礼した。皮肉なら皮肉でいいが、少し妙な挨拶ではないかと、洋介、腹立たしくなり、どういたしましてこちらこそ楽しませていただいてと、よほどいいたかったが、まだ事態がどうころぶか判らない。いったい美那子は、洋介を何と亭主に紹介しているのか、「洋介さんには申し訳ありませんでしたけど、二人のことはみんな主人知ってたんです」「いや、どうぞお腹立ちなさらないで下さい」美那子の言葉をさえぎるように亭主が口をはさみ、「事情をお話しなければ、お判りいただけませんでしょうけど、実は私、子供のできない体でして、つまりうすいっていいますか、精子の数が足りないんです」はじめそのことが判らず、あるいは美那子に欠陥があるのではないかと、ずい分調べもした。「しかし、罪はすべて私にあるとなって、妻がショックを受けまして」それまでは、ごくふつうに営むことができたのだが、出産と結びつかないセックスにおいて、快楽のみむさぼることを、どうやら罪深いことに思いはじめたらしい。「だんだん夫婦仲もおかしくなりますし、もう離婚寸前までまいりました。子供がほしいのなら、人工受精という手もありますが、誰のタネやら判らない子供はいやだと申しましてね」美那子は不感症同然になってしまい、しかし亭主は美那子に未練があった。「すべては私がわるいのですから、いっそ美那子が浮気をして、つまりこれの好みの男性に抱かれて、妊娠したのなら、あるいは不感症も治るかも知れないし、その子供を、私は自分の子供として育てることに異存はありません」「はじめ私も、そんなのいやだったんです。でも、私も主人と、こういう理由で別れるのは釈然としませんし、赤ちゃんさえ恵まれたら、今の生活に何の不足もないんです。あまり主人がすすめるものですから」いわばタネ馬ハンティングに、あちこち旅行し、しかしその気でながめると、なかなか相手を決めかねる。「で、私が光栄ある役目を与えられたわけですか」洋介、げんなりした気分でつぶやき、「いえ、そんな風におっしゃらないで下さい。主人の前ではいいにくいけど、あの旅館でお目にかかった時、はっとしましたの、この方におねがいしようと、すぐ決心できて」「私も、妻に話をききまして、本当にいい方とめぐり会えたと、よろこびました。なんていいますか、人がちがったように明るくなりましたし」「あまりお時間をさいていただくのも申し訳ありませんから、あの、排卵日の時にだけ、お電話しましたのよ」「それでうまくいったんですか」「ええおかげさまで、二月前からメンスがなくて、お医者様に診《み》せたら確実だって、いわれました」「本当にありがとうございます、お気づきのこととは思いますが、情の方も以前に近くなってまいりまして、これでやはり何でしょう、出産によって、さらに一段と女性は完成されるわけですから」ちょっと待ってくれ、そんなに簡単に、自分のタネを産まれちゃ困ると、文句をつけたかったが、にこにこ笑っている二人をみると、何をいっても無駄な気持だし、まあこの夫婦なら、産れて来る子供も幸せだろうと、妙な気持が起きた。「じゃ、これで私はお役御免というわけですな」洋介、きっぱりいったつもりだが、気がなえていて、愚痴っぽい口調にしかならぬ、「いえいえ、どうか私にはおかまいなく、これまで通りおつき合いいただいて」「もう少しで、私、気分をとりもどせそうなの、おねがいします」美那子が、子供っぽく頭を下げ、拍子に洋介の前の、すっかりうすくなった水割りウイスキーの氷がカラリと鳴った。洋介、がぶりとそれを飲み干し、ほんのかすかに苦いだけで、なんの味わいもない液体が、しごく今の自分にふさわしく思う。 [#改ページ]  濡《ぬ》れ暦《ごよみ》 「一つ、風紀を重んじ品行を慎み、常に泥中の蓮華たらんことに心がけること。一つ、無駄費いを省き貯金を励み、日々楽しみを重ね行末身の幸福を図ること。衛生十訓、一つ、花柳病の予防はサック使用と予防薬塗布が肝要なり、必ず客にも勧めるべし。一つ、交接前後の洗滌は、健康のもといと知るべし」梅毒の頭に上ったお初が、いつものおはこをぶつぶつ呟《つぶや》きながら、窓の外をゆっくり通り過ぎていった。「お絹さんも、ああいうこと唱えさせられたのかい?」所長は、お初の姿を眼で追いつつたずね、なにしろ頭もおかしいが、足腰なお衰えていて、ほんの小さな小石にけつまずき、怪我ですめばまだしも、二月前、糞溜めに落ちて死にかけたのだ、もっとも当人は、けろっと溜めの上に顔だけだし、おはこを念仏の如くくりかえして、何とも感じていないようだったが。「うちは、橋本の、ちんこい廓《くるわ》やよって、あんなめんどいもんいわされしまへん」「それに昔のことだろうなあ、ああいうのは」お初の年はさだかに判らないのだが、病のやつれさっぴいても、六十半ばより上で、毒のまわらぬうちは、「仲之町の大籬《おおまがき》にいたこともあるんだからね、小便女郎とは一緒にしてもらいたくないよ」と、なにかにつけて啖呵《たんか》をきり、たしかに身仕舞いも小ぎれいなら、あれこれ目端《めはし》行き届かせ、以前は客の人気を集めたろうと、思わせた。しかし、この売春婦更生施設、といえばきこえはいいが、赤線廃止後十数年たった現在、世にいれられぬ女の吹溜りの中で、なまじの誇り、気働きはいわばいざこざの元、口ではかなわぬそれこそ小便女郎上りが、若さにものをいわせ、突き倒したり、蹴とばしたり、いっそ狂って子供にかえった今が、お初にとっては幸せだった。 「きっと朝晩唱えさせられたんだな、お初さんは。風紀を重んじ品行を慎みか」所長立ち上って、庭を見渡し、その半ばは柿・桃・枇杷・夏蜜柑・栗に茶の木でしめられ、残りは畠となっている、予算が少ないから自給自足、さらに市場へ出荷することも考えたのだが、淫売くずれのつくった桃や柿など食べられるかと、剣つく食わされ、収入には結びつかぬ。畠の一隅にビニールハウス、そして掘立小屋同然の製陶室があった、たとえ淫売くずれの手になったものでも、土をこねて火を通せば文句はあるまいと、所長があたらしく設置したもので、並みよりはるかに知能の低い女たちが、やきものに興味をしめし、まるでついに恵まれなかった子供を育てはぐくむ如く、眼《まなこ》かがやかせて、粘土をこねていた、彼女たちは、所長の言葉に従順で、まったく反抗することがなかったが、未完成の作品に手をふれかけた時だけ、「センセ、いろたらあかんわあ」泣きべそかいたような表情で、抗議した。  昭和三十三年三月をもって、わが国から女郎淫売娼婦のたぐいは姿を消したことになっている、そして身のふりかたに困る彼女たちのため、お上は売春婦更生施設なるものを、お座なりに設け、体売らずとも手に職をつければと、ミシン編物和裁を収容者に教えた、その効果のほどはともかく、少しでも気の利いた女なら、お上のお節介ふり切り、自分なりの生きかたをえらぶのが当然、結局、管理された売春のしくみの中でしか、生活しようのない女たちが、施設に残り、そして彼女たちのほとんどは、手に職つけるだけの、知能も忍耐もなかった。今の世の中、その気になれば子守飯炊き庭掃除と、年老いた女の働き口はいくらもある、しかし、それすら満足に出来かねる連中だけが、大阪市郊外の、「やすらぎの園」に収容されていて、更生という言葉を、社会復帰という意味に考えるなら、ここは更生施設とはいいにくい。ともあれ平穏な余生を送らせるだけで、精いっぱいなのだ、収容者のうち、一割が身体障害者、五割が精神薄弱、二割が精神病質、残りが脳梅と精神病者だった、そしてその中で、唯一つの例外的存在が、お絹で、今年四十八歳、顔立ちは平凡だが、きめこまかな肌をしていて、たとえ十数年たっていても、その目でみると前歴が、首すじのしわ、黒ずんだ眼のふち、なによりその体の上を通り過ぎていった幾千幾万もの男の翳が、肌に滲んで、あらわれるものなのだが、お絹にはそれがない。  気働きも人並み以上で、所長はどうして、この施設からとび出そうとしないのか、不思議に思うことがあった、三十四歳で、収容されたわけだが、さらに年上の、しかも醜い女が、「まあね、長の年月使って来たんだから、ここは一番骨休めさ。七日もほっとくと、処女膜が生えてくるんじゃないかねえ」へらず口をたたき、只飯だけくらって、たちまちとんずら、もっと若い女なら、三日ともたなかったのだ。しかしお絹は、しごく真面目に和裁を習い、生来器用なたちとみえ、刺繍をこなし、近頃縫い手は引張り凧だから、それこそ社会復帰して、十分に世渡りできるはずなのに、「うち、ここがいちばん好きですねん、何でもしまっさかい、置いとって下さい」所長に頼みこみ、これは好都合なことでもあった。精薄者病人が多いから、人手はいくらあっても足りることがなく、うっかり外部の掃除婦を頼んだりすると、彼女たちは淫売上りをことさらさげすみ、「へえ、その顔でお女郎やってたん、おおかた|かったい《ヽヽヽヽ》専門やってんやろ」やら、「少しは苦しんで当り前やんか、仰山男衆くわえこみよった報いや」と、理由もなく当るのだ。  六十八名の収容者の世話を、所長の他教師・看護婦・炊事洗濯婦の、計四名でみているのだが、お絹はそのいずれの立場についても、補助の役を勤め、やはり同じ経歴の人間でなければ、ほどきようもないもつれごとが、多いのだ。こともあろうに、そのお絹があたりの村人に毛嫌いされ、施設から追い出すか、さもなければ一歩も外へ出さぬよう、きびしく監視しろと、所長に要望書がつきつけられ、理由は、村の若者を誘惑したのだという、いや、金をとっているのだから、れっきとした売春行為、「雀百までいうけど、えらいもんでんな、あの年でまだ男の袖《そで》引きよんねんから」女たちにたきつけられて、やって来たらしい村会議員、好色そうな表情でいい、所長は信じられず、事情くわしくたずねると、「無茶苦茶ですわ、川のねきに崖おまっしゃろ、あこに壕ありますねん、戦争中に掘ってんけど、岩盤やから今もくずれんと残ってますねん、いっとき種芋なんか入れとってんけど、今はがらん洞で、そこで店開きしたんですわ」「店開きというと」「そらあんた、昔とった杵柄《きねづか》や、若いもんをうまいこと誘いこんで商売してんなあ。イッパツ百円いうさかい、まあ安いにはちがいない、そやけど、ここの作業にくらべたら、割よろしいねんやろ、よう知らんけど、施設の賃金は一時間十円いう話やし、いうたら趣味と実益をかねてんなあ。まあ、女のあの年は、色深うなるもんや」村会議員、思い当る節でもあるのか、顔をしかめ、「なんし、善処してもらわんことには、困りまっせ。この村は昔から夜這いもなかった、風紀の固い土地やねん、そんな淫売なんかにうろうろされたら、御先祖にしかられてまうがな」女たちが、村人ともめるのは、珍しくもない、しかしそのすべて心身いずれかに弱味を持つから、積極的に加害者となるケースはすくなく、やれ畠に糞をした、家の中をしげしげとのぞきこんで気味がわるい、子供に汚ない手で菓子を与えたという類い、売春行為を行うだけの甲斐性があれば、とっくにとび出しているのだ。 「お絹さんのことで、妙なことをいう人がいるんだけどねえ」すぐには切り出しにくくて、雑談の末、所長がたずねると、お絹、すでに予想していたらしく、「へえ、どうもすんません」素直に頭を下げ、「すいませんて、本当なの?」「へえ」「つまりその、お金をもらって、寝たとかなんとか」「お金もらうつもりはなかったんでっけど、そやけど、もろたんも同じですな」あっさり認めたから、所長言葉につまり、「困ったねえ、なにしろここは予算が足りないから、いろいろ村に世話になってるし、怒らせると」ビニールハウスで栽培している花を、村の組合通じて、売ってもらう下話が決りかけていた、そしてこの時も「夜の花が昼の花造りはったか、あんまし毒々しい色のんはあきまへんで」と、皮肉をいわれたのだ。一時間十円の賃金も本当で、所長は、体を売るより他に能のない女たちに、地道な仕事の楽しみを覚えさせるため、花の苗や粘土を与えているので、ふつう一般の労働とは意味がちがった。そして乏しい予算を補うために、市場へ出そうとすれば、「只同様で働かしてんねんさかい、安うしてもらわんと」まるで所長が私腹を肥《こ》やしているかの如くいい、まったく同じ花を三分の一の値に買いたたくのだった。しかし、それでも食事だけが生甲斐の精薄者たちを、よろこばせることはできる。 「わかってます、長いことお世話になりましたけど、うちいなしてもらいますわ」「いや、そんなことをいってるんじゃないよ。何か事情があるんだろうけど、いってごらん」「べつにありませんわ」お絹、無表情に答え、所長はふと突っ放されたように思う、この女ですら、いちど染まった淫《みだ》らな色を、ぬぐいされないのか、この幾年月おさまっていた血が、今さわぎ出したのだろうか、「べつに君の方から誘ったわけじゃないんだろ」「いえ、うちからです」「いったいいくつの男を」「そうやねえ、十七、八かなあ」「十七、八っていや君、まだ子供じゃないか」所長語気を荒げ、「なんてことをしてくれたんだ、君だけは信用していたのに。体の満足な者は、とっくの昔逃げてしまって、残ったのは片輪ばかりだ、いってみれば、赤線のなくなった世の中で、生きていけない連中だけ、ここにいる。しかし君はちがう、君は自分で考えて、あたらしい人生をえらんだ、私はそう思っていた、世間では、いっぺん体を売って金をもらう味を覚えれば、絶対抜けないといっている、あるいは、夜毎何人もの男に抱かれた女は、とても男なしじゃ我慢できないとみている。だが君は、そういった馬鹿な考えかたを、身をもって打破った。ぼくはお絹さんをみてみろと、大声でさけびたかったんだ」所長は、すっかり興奮して机のまわりを歩きつつ、演説する如くしゃべり、「すんません、御期待をうらぎりまして」お絹、まったく正反対に切口上な詫びごとをいう。  お絹は、北|河内《かわち》の貧農の家に生れ、もの心ついた時、すでにあたりの地主の子守奉公で、家計をたすけていた。年貢納めると、辛うじて子沢山の一家の食いぶちが残るだけの、野良稼ぎだから、父はかたわら蓮池を借りて、その上りと、母の夜なべ仕事、といってもこれも他人の筵《むしろ》編機をたよるわずかなものだが、他に上の兄は大工の見習い次兄が精米所の手伝いと、一家手分けして、かつかつに過す有様。ろくに学校へも行けないから、またまともな職にありつけず、頼みの綱は男二人の下につづけて三人生れた娘、お絹はその頭だった。  村の盆踊りを見物に行き、それも他の娘たち洗いざらしの浴衣にしろ、赤いメリンスの帯しめて華やいでいるのに、お絹は母手づくりのかたびら姿、肩身せまく遠くからのぞき、その踊りのふりを、家でこっそり真似ていると、「お絹は芸ごと好きらしいやんか、ええ芸妓《げいこ》なりよるわ」父が、金の卵みる如く母にいったのを覚えている。しかし、よほどみめよく生れついたのならともかく、北河内の貧農の娘が、筋の通った置屋の養女になれるわけもなく、小学校五年でやめると、質屋へ下女として入り、口減らしの上給料が入れば、二人分浮いた勘定。しかし、貧しい家には錘《おもり》でもついているかの如く、少し浮けば、父が神経痛で床につき、これは冬のさなか、泥虫の如く蓮池をはいずりまわって、その根を掘ったむくい、そして次の妹が、同じく近くの足袋工場へ勤めはじめると、今度は長兄が胸をわずらい、やけを起して、大阪南のチンピラに加わった。  それまでやさしい兄だったのに、人が変った如く、母に金をせびれば、翌朝の釜のふたがあかぬと判っていて、「指つめんならん」とか「よんべ血ィ吐いた」など、母をおどし、またお絹のもとへもあらわれて、娘心にようやくつくった人絹の晴着を、質草にさらっていく。「おどれ、あの餓鬼《がき》殺したる」と、父はいきり立ったが、何分足が不自由でしかも、兄は大工道具のノミをふところにかくしもち、「親らしいことするから、親いうねん、自分はなんや、子ォにたよることばっかし考えやがって」まごまごすれば刺しかねぬ権幕。  数え十六歳の夏、倉の整理をするからと、質屋の息子に呼ばれ、お絹の持ち場は台所だから不審に思いつつ、カビと樟脳《しようのう》のいりまじった匂いの中へ、足ふみ入れると、抱きすくめられて、「こづかいやるで、ええやろ、誰かってしよるこっちゃ」蓄膿をわずらって、鼻にかかった言葉が、耳もとにささやかれ、お絹は、こづかいもらえれば、兄ちゃんの病気治せると、それのみ考えて、窮屈な形のまま、息子のふるまいにあらがわなかった。「わしの胸な穴あいてるねん、金の粉吸うたらふさがるいうけど、ようせんわなあ」兄が、さびしそうにいっていたのだ。耐えがたい痛みを、兄の苦しげに咳きこむ姿思えば、うめきも洩らさず忍んで、「ほな、これ渡しとくで、またかわいがったるさかいな」お絹の着物の裾で、股間ぬぐいつつ息子がいい、一円札一枚をふところにさしこむ。  それから幾度となく、人目忍んで息子に抱かれ、そのつど三十銭五十銭と、体を売る実感などいっこうにないまま、ただ息苦しさを辛抱するお駄賃と考えて、金を受けとり、べつに勘定してみることもせず、行李《こうり》の底にしまいこんでいた。暮になって、帳面をしめると帳尻があわず、現金は帳場の抽出しに入れられていて、時に鍵をかけ忘れることもある、使用人一同疑われて、お絹の稼ぎためた小銭があらわれ、素知らぬ体の息子をみれば、委細説明もしかねたし、いくらかやましい気がしないでもなかった。  申し開きできぬまま、「縄つき出しとうないさかい、警察にはいわんといたよ」と、恩に着せられ、着のみのまま追い出され、家へもどれば、父は怒るどころか相好くずして、「こうなっては、もうまともな勤めもかなわんわなあ。いっそ廓の年期奉公どないや、きれいなべべ着て、好き放題に遊べんねんで。わるいことちゃうがな、親孝行や」苦界へ沈める口実ができたと、喜ぶ風なのだ。あやうく売られかかったところへ、長兄が乗りこみ、「わしもな、南ではちょっとした顔の男や、その妹に女郎稼ぎなんかさせられるかい」啖呵きったのは、自分の手で売りとばしたい下心だったが、お絹はそこまで判らず、ただ兄のやさしいいたわりとみて、質屋の息子の一件をつげた、決して盗んだのではない、兄ちゃんの病気治ってほしいと思うて、けったいなことしはるのん我慢しててん、涙ながらにつげると、もとより兄にとって濡手で粟の稼ぎどこ。 「よっしゃ、まあまかしとってくれ、必ず仇《かたき》とったるさかいな、妹を傷ものにされて、その上、盗っ人よばわりしよるとは、人間の皮かぶったけだものやんか」悪い相棒ともども乗りこんだが、質屋ならば用心棒にことかかず、逆にぶちのめされて、塩を浴び、三日後、兄は自ら喀血しつつ、息子の外出をねらって、ノミで刺し殺した。返り血浴びた姿で兄は、「どうせ長いことない生命やから、わしお前のことはいわんとく。お前もだまっとれ、そやないと、もう生娘ちゃういうて、ばれたら|ぐつ《ヽヽ》わるいやんか、なあ」妹を犯し、しかも冤罪《えんざい》着せたといえば、情状酌量の余地もあろうが、これはせめてもの兄の思いやり、横車押そうとして、逆にやりこめられたその意趣がえしと、いい張り、お絹が世間の噂になることを防いだが、これも空しかった。  お絹は息子のタネをはらんでいて、年が明けるとすぐ、母が見破り「兄ちゃんから、話聞かされてたわ、よくよく運わるいこっちゃけど、産むわけにもいかんわなあ」母は涙をこぼしつつ、「お前だけ冷たいめえさせへん、お母ちゃんも一緒や」蓮池のほとりへともない、お絹の手をしっかとにぎったから、これはいよいよ死ぬのかと覚悟を決め、「後から兄ちゃんも来るし」気丈にいうと、母、あっけにとられて、「あほなこといわんとき、泥につかって|やや《ヽヽ》を堕すだけや」冬の月に、せつなさそうな母の笑い顔が浮び、二人臍まで裾まくりして、蓮池に下腹部をひたしたのだ。冷たさはすぐ痛みにかわり、やがてなにも感じなくなり、それまで腹の中の子供のことなど、思いもしなかったのに、「冷たいやろな、かんにんやで」涙が頬を伝った。  兄が世を騒がせた殺人犯とあっては、さなきだに狭い田舎で、勤め口もなく、といって女郎に身を売るには年が足りぬ、支那との戦争がはじまって以後、娼妓登録申請がうるさくなっていた。止むなく今里新地の仕込みっ妓に入り、実は軍需景気にわく連中たちの、夜伽が役目、糸道はまったくくらいし、行儀作法もわきまえないが、若い体だけをたよりに、枕の数を重ね、妹二人は工場へ勤めて、この頃が、親にとってもっとも安穏な日々だったろう。  戦争がどうなろうとも、新地の景気いささかもゆるがなかったが、空襲たけなわとなっては頬返しがつかず、年期の証文棒にしてもらって北河内へもどり、やはり四年間花柳の巷《ちまた》に身を置けば|あく《ヽヽ》も抜けていて、それをまた眼の仇にされ、他人ばかりか妹二人まで、「姉ちゃんの洗濯物、べつのたらいにしてほしいわ」などいって、汚ないもののように見る。  ようやく戦争が終り、空前の食糧難時代だから、農村はうけにいり、父が野良稼ぎつづけていれば、おこぼれに預かれたのだが、神経痛以来怠けぐせがついて、娘にたよりきり、長兄はすでに獄死し、次兄は応召のまま音信不通、田畑を地主にかえしていたから、景気は素通りし、田舎にいながらお絹の衣裳の売り食いで糊口《ここう》をしのぎ、二十一年の夏、久しぶりの盆踊りに、ついお絹が三味線弾いてみせると、たわいない流行歌にやんやの喝采、以後、百円札の尺祝いやら、札貼りまぜの屏風披露目やら、成金風吹かす百姓の宴会にまねかれて、座持ちつとめれば、花代ならぬ米にありつけ、聞きつたえて遠方からもお座敷がかかり、父は、「どや、お絹は芸で身ィ立てるいうた通りやろ」と眼を細めていた。二十四年に入ると、料飲店禁止令の御時世ながら、闇の料理屋が復活して、自宅でのどんちゃん騒ぎはすたれ、お絹、京阪沿線の飲み屋に勤めて、誘われれば、座布団かた敷いて、ちょんの間も稼ぐ。  ようやく次兄が大陸からもどり、すると両親妹二人も、まだ職さえ決らないのに、大黒柱ともてはやし、「商売してるもんが身内におったら、うち等の縁談にさわる」と、お絹を邪魔もの扱いにする。べつだん家に未練はなく、しげしげ通って来る四歳上の男と、枚方《ひらかた》に同棲し、ふれこみは新聞記者ということだったが、まったくのぐうたら、また仲居として夜を稼ぎ、もっと有利な勤め口があるからと、男にいわれはめこまれたのが、橋本の廓だった。  前借金もって男は逃げてしまい、しかしよくよく身の不運と歎く気持もない、金と引きかえに体与えることは、あの質屋の樟脳とカビ入りまじった中で抱かれて以来、肌身になれた営みで、いっそ廓勤めの方が割り切っているだけ水にあい、お職も張らぬが、仮病《けびよう》つかってのずる休みもせず、「いったい何がおもしろうて生きてんのやろ」男もつくらず、賭《かけ》ごともせず、さりとて金に執着があるわけでもない、金の足りぬ客には身銭を切って遊ばせるお絹に、朋輩たちはあきれかえり、「要するに好きやねんて、あれが」と、噂が定まったが、お絹、男に抱かれて喜びを味わったことは一度もなかったのだ。  三十一年に売春防止法が制定され、施行まで二年の猶余があって、たいていの女はアルサロ銘酒屋にもぐりこんだが、お絹灯の消えるまで橋本にいて、「やすらぎの園」に移ったのだ。お絹にとってここでの生活は、その名の通りようやく安住の地にたどりつけた思い、梅毒の赤い斑点も、精神薄弱者たちの、時に垂れ流す糞小便も気にならず、その世話を見たし、和裁の運針教わる時は、身のふるえるほどうれしかった。「なんとかいってくれよ、金が欲しかったのか、それとも、男に抱かれたかったのか」だまりこくったお絹にじれて所長、怒鳴り立てたが、「どうもすんませんでした」お絹、同じことをくりかえすだけ、「ここを出て、どこへ行くっていうんだね、その顔に紅《べに》白粉《おしろい》ぬたくって、また男の袖をひくのか、駄目だね、ここいらへんの飢えた連中に相手にされたからって、町じゃ通用しないよ、年を考えてごらん、年を」  三月ほど前、外出癖のある精神薄弱者の一人が行方不明となり、一同手分けして探したのだが、お絹も村の中をあちこち歩きまわり、以前、裏山の神社にひそんでいたことがあるから、念のためたずねてみようと、山道登りかけると、異様な物音が聞える、笹藪《ささやぶ》の中で、なにやら争う気配だから、恐る恐るのぞきこむと、一人の若者が山羊を押し倒そうとしているので、何のことやら見当もつかず、しかし、放れた山羊をつかまえるにしては、その首にかけられた紐を、若者しっかとにぎっているのだ。なにより、汗水ずくとなり、ひたむきな若者の後姿が、只事ならぬ印象で、つい立ちつくしながめ入るうち、ようやく山羊を横倒しにした若者、片手でズボンの前をひらき、膝まずいてしきりに、押しつけようとし、そのつど山羊は、けたたましい鳴き声を上げる。 「静かにせんかい、しめてまうど」起き上ろうとする山羊の背にすがりつき、なおそこかしこ突き立てようとするから、思わずお絹は「あんた、何してはるの」声をかけると、若者仰天してふり向き、おのが醜態見られたと知って、泣き出しそうな表情のまま、お絹をにらみすえた。「そんな怖い顔せんでもよろしいやん、そんな山羊になんて、あかんよ」なだめるようにいったが、若者つかつか近づいて、ものもいわずお絹を押し倒し、「淫売のくせになんや」さけびつつ、首しめにかかり、「そうや、うちは淫売やで、淫売やけど山羊よりましやで」「なんやて」「うちと遊びいな、山羊なんかおもろないよ、うちがええ具合にしたるよって」若者の、はずみきったものにふれて、やさしく愛撫し、「いやあ、若いよって元気ええねえ、さ」スカートをたくし上げ、腰浮かせて下穿《したば》きをとり去り、「あんた、はじめてなんか?」たずねると、若者息はずませつつうなずく。 「いや、光栄やわ、筆下ろしさせてもらうなんか。ほな、うちもせいぜい気入れるさかいな、えらい立派なお道具やねえ、ほれぼれしまっせ」「そんなにええか、わしのん」「ほらもう女泣かせやがな、仰山罪つくりはんねんやろな、この先」すがりついてくるのを、やんわり受けとめて、あやしつづけた。「なんぼ払うたらええねん」あっけなく果てて若者、おずおずというから、「そやね、あるだけでよろし」金受けとってやれば、気が楽になるだろうと、さし出した百円玉押しいただいて、「おおきに」いいつつ手早く身仕度ととのえ、「はよ奥さんもらいはったらよろしやんか」「百姓のとこなんか、なかなか来よれへんわ」「そんなことあらへんでしょ、ええ男前やのに」若者照れたように笑い、「またしてくれるか」すがりつく如くいうから、無下に断りもならず、「人目については困るけど」「あんな、ええとこあるねん、川のへりの崖に洞穴あんねん、あしこやったら判らへん」若いだけに、すぐにも裏を返したい様子だった。  せがまれるまま、その夜、以前は防空壕だったという洞穴の、若者が用意したむしろのしとねで抱かれ、「なあ、わしの友達にもさせたってくれへんか」というから、「そらあかんよ、そんなことしたら」「ええやんか、あんた淫売やろ、誰にかてさせるんちゃうんか」煙草くゆらせつつ、若者はきめつけた。困ったことになったと、後悔するよりも、自分があやしてやらなければ、また山羊を相手どるのではないか、それはあまりに気の毒で、先行きのことはいざ知らず、自分の体で満足できるならと、「ええよ、うち毎晩九時にここで待ってるわ」「百円でええねんな」「よろしいで」「頼みあんねんけどなあ」「なんやの」「ちょっと見してくれへんか」若者、御開帳をせがむから、それもかなえてやる。次の夜から、聞き伝えた村中の若者、おずおずと洞穴へやって来ては、お絹にむしゃぶりつき、果てると百円一枚投げ捨てて去り、質屋の息子にもらった金と同じく、何枚溜まったか、数えてみることはせず、やがて秋の運動会、といっても庭の片隅で、精神薄弱者たちが球の投げ入れや、綱引きをするだけのことだが、その賞品にでも当てるつもりだった。 「どうだい、みんなと一緒に粘土でもこねて、もう一度はじめからやり直してみたら。お絹さんも、最後に村の若者を相手どって、一花咲かしたんだから、思い残すこともなかろう、ええ?」所長はまたやさしい口調にもどって、さとすようにいったが、お絹無表情のまま、「これ以上おっては、センセに迷惑かけますし、うち、やっぱしいなしてもらいます」なんの当てがあるわけでもなかった。しかし、若者たちの、ひたむきにむしゃぶりつくその息づかいや、体臭にふれて、お絹は、やっぱしうちは淫売なんやと、しみじみ思い当り、この十数年のやすらぎが、急に手ざわりうすく思えたのだ、だまされ利用され、そして男の体液に濡れつづけた年月の方が、はるかに確かな印象でよみがえり、果して、商売できるかどうか、自信はないが、もう一度ためしてみたい、その果ては脳梅になり、お初の如く、衛生十訓をつぶやきつつ、廃人として生恥さらしても悔いはない、いや、早くお初の境地に入りこみたい。 「ほな、失礼します」お絹は一礼して所長室を出ると、「見てえな、ようできてるやろ、今な焼き上ったばっかしで、まだ熱いねんで」精薄者が、素焼きの壺をささげ、お絹に見せようとするのを、無慈悲に退け、うちは淫売や、淫売が男に抱かれんでどないする、くりかえしくりかえしつぶやく。 [#改ページ]  やさしい夫婦  文字通り、軒端を重ねて、びっしりと並んだ建売住宅の、住人の中で、タモツとマリの夫婦は、しごく目立つ存在だった。二年前まで水田だったところへ土を入れ、ろくに地固めもせぬまま、新建材をおっつけはっつけ、やたら屋根やら壁やら、色とりどりにけばけばしいだけ、なおさら安手な感じの家でも、一戸建ちだから六百万円前後の値段で、とても若いサラリーマンには手が出ぬ。だから住人のほとんどは四十前後、子供二、三人かかえてアパート暮しの悪戦苦闘のあげく、ようやくここにたどりつき、まずはついの棲み家と思いさだめた者が多いのに、タモツ夫婦はどうみても新婚ホヤホヤの印象、「きっと、親が金持やねんわ、それでなかったら、あの年でなかなか家を買うなんてなあ」二人の若さに苛立って、あたりの女房たちは噂し、そうとでも思わなければ、わが亭主の甲斐性のなさを認めることになる、「それに共稼ぎしてはるねんやろ、子供もないことやし、気楽なもんでんな」「アパートやったらええけど、一戸建ちの家に住んで、昼間無人いうのんは困りまっせ、用心わるいもん」「そやねえ、回覧板まわすいうたって、留守多かったらどないもならん」「まあ、あんましつきあいはせんといた方がよろしで、若い人の考えてることは判らんしな」タモツたちが引越しして来た当座、御近所からあまり歓迎されず、新入りがあれば、たちまちその暮しぶりうかがって、町中におもしろおかしく広めてまわる金棒引きも、近づかなかったのだ。  しかし、半月経たぬうちに、評判は逆転し、タモツとマリは、あたりの人気者とまでいわぬが、しごく好もしい若夫婦として、その姿を見れば、誰もがにこやかに挨拶を送り、タモツはまた大きな声で、丁度ラジオ体操の指導者の如く、「お早うございます」とさけび、マリはつつしみ深く小首かしげて、丁寧に頭を下げる。二人は、常に連れ立っていて、ある時は肩を組み、また追っかけっこするように、はしゃぎながら道を走り、こういった姿も、ふつうなら中年女たちの反感をまねくところだが、その小鳥のように愛くるしい印象が勝って、女房たち、ふと自分の若かりし頃をよみがえらせ、どうせ、その過去に亭主と、おおっぴらにじゃれあった記憶などないのだが、「ほんま、タモツさんら見てたら、こっちも気ィが若返るわ」「ええねえ、若い夫婦いうのんは、うちの人にもひとつはっぱかけたろかしらん」卑猥に笑い合って、二人の後ろ姿をながめる。  当初、朝に連れ立って、よく外出したから、勝手に共稼ぎとふんだのだが、ふつうの勤め人とはことなり、タモツとマリは、週に二日あるいは三日、勤めに出るようで、他の日は家に居た。「何の商売してはるねんやろ」「出ていかはる時も、帰りも一緒やねえ、いつもタクシーでもどりはるわ」「水商売でもないみたいやし」「ファッションモデルさんちゃうか」あれこれ想像し、二人ともモデルとふんで、おかしくはない容貌だった、特にタモツは背が高く、ちょっとした身のこなし、たとえばポリバケツを運ぶ時でさえ、一種のポーズがあって、動きがしなやかなのだ。自分たちと同じ家並みに、ファッションモデルの夫婦がいるということは、女房たちを満足させ、中の何人かは、たまに買いこむ婦人雑誌を調べ、二人の晴れ姿を探したが、「そらあんた、写真撮る時は、化粧するし、判らんのんちゃうか?」折角の、夢がこわれるのを怖れる如く、他の者は、ことこまかな穿鑿《せんさく》をさえぎった。  二月経つと、タモツは近所の子供の人気者になり、マリの評判もさらに高くなった。つまりタモツは家にいる時、子供たちを集めて、いろんなお伽噺を聞かせ、また遊戯を教えたのだ。子供たちは学校からもどると、タモツをたずね、なにしろ一戸建ちとはいっても庭はなく、道路といっても幅二メートル足らずで、「うるさいから、表へ行ってなさい」と、母親に追い出されれば、身の置きどころがない。周囲は水田で、うっかり畦道《あぜみち》に足ふみ込むと、農協からたちまち抗議が来たし、少しはなれた鎮守の森は、変質者がうろつくといわれていたのだ。  三輪車のすれちがいさえむつかしい道の片隅で、ままごとしている女の子二人を、タモツが家へまねき、もてなしたことが、母親同様子供仲間にも広まると、さすがに遠慮して声こそかけないが、翌日何人ものチビが、タモツの家の前をうろつき、マリが見つけて、「いや、遊びに来てくれはったん、うれしいわ」と誘い入れ、「タモツ、お友達が来はったよ」はしゃいでいった。子供たちにしてみると、大人がこんな風に遊んでくれるなど、信じられないことで、また、こまごました家財道具の、乱雑にちらかった自分の家に較べると、間取りは同じでも、はるかにゆとりがあったから、子供たちは、少しなれると家中をはしゃぎまわり、花瓶を倒し、テーブルの上に仁王立ちとなり、しかしタモツはにこにこながめているだけ。年長の子供に気圧されて隅っこに引きこもる幼児がいれば、肩車して歩きまわるし、とびかかって来る男の子には相撲の相手にもなってやった。「まあまあ、えらいすんません。どこへ行ってしもたんかと思うたら、みんなでお邪魔して」とっくに承知していながら、はじめて気がついた如く母親たちが、子供を引き取りにあらわれると、マリはお茶を入れてもてなし、花が好きで、家中に飾り立てているその何本かを、惜しみなく分けてやった。玄関のわきの、これでも広告では庭付きとうたってあったのだが、一平方メートルばかりの地面に、季節の草花を栽培し、三月経つとけっこう華やかな色どりにあふれ、「文化的やねえ、あの家は、うっとこも植えてみよか」クーラーにしろ車にしろ、一軒があたらしく購入すると、さまざまに波紋を及ぼすのだが、花ならば角《つの》突き合わす種にもならぬ。晴れた日には、タモツはランニングシャツ一枚となり、子供たちを鎮守の森へ引きつれて、いろんな遊戯も教えた、石けりや陣取り、釘さしラムネなど、しごく古めかしく、また道具もあまり要らぬものばかりだったし、空罐《あきかん》や糸巻きで、器用に玩具を作り、与えたのだ。これには、亭主たちが感心し、「えらい若いのに、昔のことよう知ってるねんな」なつかしそうに手にとり、あらためて、「何の商売してはるねんな」たずねるのだった。  タモツとマリは、そのスタイルこそ派手やかだったが、家の中にこれみよがしな、電化製品をあまり置かず、また、その食事がいかにも貧しくて、こっそりのぞき見した女房の一人は、「なんせね、鮭罐をテーブルの上に一つ出しただけですねんよ、さし向いでそれつまみもって御飯食べてはるんですわ」大事件の如く報告し、「そらあんた、モデルいうても、そんなに売れっ子ではなし、台所は苦しいんちゃいますか」「みんな洋服代にかかってしまうんやろね」気の毒なことやと、衆議一決し、それからは食べ残したコロッケや魚のフライを、各自が届け、これで子供が迷惑かける分帳消しやと、以後は、うるさくまといつけば、「タモツさんとこいって遊んでおいで」保育所の如くみなす。  少し注意深く観察すれば、この二人が、しごく口数のすくないことに気がついたはずだ、「おはようございます」と、大声で挨拶こそするが、何か話しかけても、にこやかにうなずくだけ、積極的に話題をもち出すことはなく、意見求められても、といっても、「この近くに文化アパート建つらしいんですわ、アパートの人たちは、自分の住いいう気ィないさかい、よう汚しはるんでねえ」と、一戸建ちに住む自分たちの優位性を、確かめ合うたぐいのものだが、これにすら相槌《あいづち》をうたぬ。  タモツとマリは、孤児収容施設の出身で、二人とも、頭が鈍いというほどではなかったが、通常の人たちに立ちまじると、ろくにうけこたえができず、ぽんぽんまくしたてる言葉を耳にすると、それだけで怯えを感じ、いつもにこにこ笑っているのは、それをカムフラージュするためなのだ。タモツがもの心ついた時は、母の妹と称する女の家にいて、小学校へも通わされぬまま、稼業の廃品回収を手伝わされた。女の引く荷車の後を押し、古新聞やボロきれを集めてまわるのだが、タモツの役目は、むしろ盗みにあった、勝手口から声をかけて、応えがなければ、素早く入りこんで、どこの家でも、台所に小銭の入った財布を置いているから、半分くらいくすねてくる、他に石鹸やサラダ油、中元歳暮の品など、失くなっても怪しまれぬ品物をかっぱらうのだ。夕刻、スラム街の一劃にあるバラックへもどると、女は焼酎に酔い痴れ、「さあこっちへおいで、まだおっぱい欲しい年頃やろ、遠慮せんかてええがな」タモツを抱きすくめ、その脚を胯間にあてがわせるのだ。タモツは幼な心にも、どう脚を動かせば、女が眼を細めよだれ流して喜ぶか心得、これは生きるために必要なことだった、苛立った女は、食事を与えぬばかりか、太い腕でタモツを突きとばし、何度も気を失ったことがあるのだ。十歳の時、女は酔ったあげく、足ふみはずして、スラム近くの川へ落ち、溺れ死に、タモツは民生委員の手で、孤児収容所へ入れられ、女との生活から較べると、別世界の楽しい明け暮れだったが、苦労した割に発育がよく、背丈はすでに中学上級生なみ、そしてなにより目鼻だちのくっきりした容貌が、女子職員の間で評判を呼び、まかない取り仕切る三十八歳の後家が、タモツの食い気につけこんだのだ。 「タモちゃん、にぎり飯やるから、小母さんの肩もんでくれへんか」風呂場の湯加減をみるタモツにいい、命令されたことは、特にそれが中年の女であれば、反射的に素直に応じる癖がすでに骨身にしみこんでいた、タモツはいかついその肩や腰をもみ、やがてまかない婦は「くたびれたやろ、今度はうちがマッサージしたるわ、うちうまいねんで」タモツを横たわらせると、腕のつけね、内もものあたりをしつこくまさぐって、「夜、遊びにきいな、タモちゃんの好きなもん作って待ってるで。何がええ、汁粉か、それとも肉うどんがええか」消燈は八時で、以後宿舎から外出厳禁だったが、見知らぬ家の台所へ盗みに入ることを思えば、宿直教師の眼をかすめるくらいわけはなく、タモツはまかない婦のもとへ忍び、まだ男女のことわりしかと心得ているわけではないが、屑屋の女をあしらった記憶よみがえらせ、「小母ちゃんな、タモちゃん見てると、自分の子ォみたいに思えるねんで」と、同じような台辞つぶやきつつ抱きすくめるまかない婦の、荒い息をはかって脚をその胯間に割り込ませた。「ほんまかわいい顔してるなあ、きっとようけ女を泣かせんねやろ、にくたらしい」まかない婦は、タモツの体をなでさすり、唇を首筋に押しつけ、そのくすぐったい感触にも、べったりした肌ざわりにも、眉一つ動かさず、これを我慢することで、汁粉にありつけると思えば、苦にもならなかったのだ。  二度三度、逢瀬を重ねるうちに、まかない婦はタモツを大人として扱いはじめ、裸にして布団にひき込み、さすがまだ椎茸《しいたけ》ほどのものを掌にくるんで、いとおしみ、自らの開に手をみちびき、一人うめき声を上げた。はじめて触れたそのぬめっとした感触に、タモツ顔をしかめたが、まかない婦の誘い込むままに指づかいし、おうおうとさけびつつのたうちまわる肉のかたまりを、冷静にながめ、間合いはかって焦《じ》らせてみたり、また、いたずらめかして突起をつまみ上げ、たちまち|こつ《ヽヽ》をのみこんだのだ。  まかない婦とは一年半続き、タモツと同じ年頃で、すでにいかにも男っぽく、また女子職員の胸や腰に熱っぽい視線向ける者がいて、これには周囲も注意したが、タモツはただ背ばかり高く、生気も薄い印象だから、まかない婦との間疑う者はなく、だが、集団食中毒が起って、まかない婦は免職処分を受け、かわりに栄養士の免状を持った若い女が赴任して来た。タモツはいくらかの下心を抱いて、調理場のあたりをうろついたが、学校出たばかりの栄養士は歯牙《しが》にもかけぬ。タモツにとって三番目の女は、元大阪の放送局児童劇団で教えていたという三十三歳の教師、簡単な劇や紙芝居を指導していたのだが、タモツはほとんど他人と口をきくことをしなくても、朗読は上手かった。適当に抑揚をつけてたくみに性格を演じ分け、だからこの教師のお気に入りだったのだ。  秋の学芸会に、タモツが紙芝居のナレーターを受け持つこととなり、教室に教師と二人閉じこもって、練習するうち、教師はタモツの背後から抱きすくめるようにし、台辞は画の後ろに記されているのだから、この形もべつに不自然ではない。「その時、不意に一羽の百舌《もず》が襲いかかり、鋭い爪をカナリヤの羽根に食いこませると、そのまま空高く舞上りました」一緒に読みながら、教師の息が生臭くかわっていることに、タモツは気づき、体を後ろににじらせて、乳房が背中にはっきり当るよう位置を変え、すると、教師は前のめりに、体をさらに押しつけて来た。「タモツさん、ほんま上手やわ、俳優なったらええのに」上気した表情で教師はいい、「あんたやったらなれるよ、ちょっと稽古してみよか」タモツの手をとると、窓際からはなれて、「タモツさんが王子さま、先生はお姫さまいうことにしようか。タモツさんは、悪い奴につかまったお姫さまを助けに来はるねん」教師は、無言で手をさしのべるから、とまどってタモツおずおず近寄ると、ものもいわずに抱き締めるから、タモツもむしゃぶりついて、その腰を引き寄せた。「誰にもいうたらあかんよ、ゲンマンするか」教師は、庭と廊下に人のいないことを確かめると、タモツのズボンを脱がせ、赤ん坊の如く口にふくむ、その右手が自らのスカートの中にさし入れられているのを見て、タモツはある安堵を感じ、つまり一方的に愛撫を受けているだけでは、不安なのだ。 「わるい先生やね、かんにんしてな」離しがたないように教師は何度も抱きしめて、「これで、お菓子でも買うたらええわ、な、誰にもいうたらあかんよ」口留めのつもりか百円札を一枚ポケットに押しこむと、髪の乱れ直しつつ、廊下を去って行った。精通はなかったが、はっきりと昂まりを意識したのはこの時がはじめてで、しかしそれよりも百円得たことがうれしい。月に三百円小遣を渡され、所内の売店でガム、独楽《こま》、蝋石、ぬり絵、粘土などが買えた、金の使い方を身につけるこれも教育の一環だったが、タモツはひたすら貯めこんでいた。この教師によって、タモツは初めて女体を知るのだが、これまでと形が変ったくらいにしか思わず、それよりも、教師のあられもない狂態たしかめて、なんぼくれはるやろかと胸算用が先に立つ、女の意を迎え、それに合わせたふるまいをしなければ、ひどい目にあうといった怯えはうすれ、この頃から、奉仕すれば金になると考えはじめた。  小学校の課程は所内で済ませたが、中学へ進む能力のある者だけ、近くの学校へ通い、タモツもはじめ、その中に加わっていたのだが、「およそ反応が鈍いし、注意力も散漫で、皆についていけない」と、二学期のはじめにグループからはずされ、それも無理はないので、タモツは女教師に声かけられることばかり待ち受け、教室ではまったく上の空だったのだ。  一方、マリは六人兄弟の末娘として生れ、小学校へ入るまでは、貧しいながら、まともな暮しぶりの中で育った。しかし、六歳の時に父が脳軟化症で床につき、兄たちは一人を除いてすでに働いていたのだが、病人のいる陰気な家を嫌って、次々とアパートへ移り、一年後には中学一年の姉とマリ、それに両親の四人となり、働き手もはじめのうちは金を入れていたが、すぐ間遠になり、母は昼間洋品屋のパートに出て、夜はまた造花の内職を姉と共に精出して、病人の世話は、もっぱらマリが引き受けていた。府の建設事務所の係長だった父には、わずかながら恩給もつけば、退職金も受けとったのに、呆けたせいか、「体治ったら事業はじめるねん、そのための資金やで、一文なりと手ェつけられへん」突拍子もないことをいって、家計をたすけぬ。どのみち長くはない生命と、母もふんで、いわば貯金も同様、やかましくもいわなかったのだが、いっこう父は弱りもせず、まわらぬ舌で文句ばかりいい立て、それだけならよかったが、呆けたあげく、娘の見さかいもつかなくなったのか、小学校三年のマリを寝床へ引きこみ、「わしのいうこときいたら、ぜにやるで、どや」と、まるで幼い体つきをなでさすり、なにをするといっても、便所へ立つのもままならぬ体だから、ただ指でいたずらだけ、そのつど、これだけは律義に十円玉一枚を与えた。ほとんど小遣らしいものをもらった覚えのないマリは、父のいいなりになって、リボンや飾りのついたピンを買い、やがては自分から、父に添い伏しし、乳首やももにはいずる唇の感触に耐えたのだ。  半年後、姉がこのことに気づき、母は泣きさけんで父を責めたが、すっかり呆けてしまった父は、へらへらと笑いつづけるだけ、一週間後に、父は死んだ。不祝儀とはいっても、いわば厄介者がいなくなったのだし、恩給の二分の一は、母に支払われ、退職金もまるまる手にして、一陽来復のはずが、なお家内は陰気に沈み込んだまま、マリは、パートを辞めた母が、一日家にいるからはしゃいでいたが、ある夜、姉と母のいさかう声に目覚め、どうやら姉も兄たちの後を追って、アパートへ移りたいらしい。「親不孝者ばかりそろいよって、母ちゃんを見捨てる気ィか」泣き声の母に、「そんな大袈裟なこといわんかてええやん、うちはなんしいちばん貧乏くじひいてんわ、文句いうねんやったら、父ちゃん倒れたとたんに逃げていった兄ちゃんにいうのが筋やろ」「母ちゃんかて、もう歳やで、マリと二人やったら心細いやんか」「なんし、うち気味わるいねん、この家おるのんが」「なんでやの、あんたが生れて育ったとこやし」「そうかいうて、うち見てしもたしな」「なにをや」母の口調が低くかすれ、「まあ、なにかてええやろ。なんや父ちゃん化けて来そうな気ィしてな、まあ、うちは関係ないけど」姉、突放すようにいう。 「あんた何いうてんのか、母ちゃん判らんで」また涙声になった母に、「判らんかったらそれでええわ、おねがいやから、アパートの敷金と権利金出してえな、ほしたらもうやいやいいわへんて。お母ちゃん、うちにちょろっとしゃべられたら、えらいことなるねんよ」姉、勝ち誇った如くいい、後は、母のすすり泣きだけ闇にひびいたのだ。  姉の去った後、母は腑抜けたように家に閉じこもり、分不相応な仏壇を買い求め、べつに経を誦《よ》むでもなく、その前にぺたりとすわりこみ、父の位牌《いはい》をながめ、そして父がのり移ったように、ケチとなった。恩給といっても二万円ほどだし、退職金食いつぶすより他に生きる手だてはないのだから、それも当然だろうが、古いながら四間の借家で、下宿人でもおけば、たすけとなるのに、その気働きは失せていた。  廃人同様の母をかばって、掃除、洗濯、炊事まで引き受け、甲斐々々しくマリは働いたが、また父によって味をしめた小遣稼ぎを店開きし、それは子供っぽくみるなら、お医者ごっこの患者をかって出て、十円せしめるのだ。  金を払ったとなると、男の子たちも図々しくかまえ、悪どい仕草しかけたが、マリはだまって耐え、この噂は上級生にも伝わって、「俺にも見せえや」運動具置場へ連れこまれ、時には裸の下半身を押しつけられることもあった。女生徒からはさげすまれ、まったくの仲間はずれになって、学校をしばしば休んだが、子供にかえった如き母は、マリがそばにいると安心するらしく、「お前だけは母ちゃん捨てんな、ええ子やもんな」つぶやいて、小学校五年以後は、退学も同様、教師が心配したが、母の姿を見ると、口をつぐんでもどる他はないのだ。  小遣稼ぎの当てがなくなると、マリもまた盗みを働き、見つけられても、しぶとく押しだまったままで、涙を見せず、つかまえた方が気味わるがり、またせいぜい十円二十円くらいのもので、いずれもマリの盗品には、花の模様がついていた、十三歳の時、縁日の夜店で、水中花を盗もうとして、若い男につかまり、「おい、警察へ突き出されるのいややったら、おとなしいせえよ」そのまま、境内の暗闇に連れ込まれ、犯されたのだが、水中花はにぎりしめたままで、家へもどると、コップの水に花を咲かせ、その色どりそっくりの鮮血が、下着を染めていることには、気にもとめぬ。  その年の秋、母は風邪をこじらせて、あっけなく死に、野辺の送りに、下の姉だけあらわれたが、むしろ憎々しげに、「母ちゃんは、父ちゃん殺しやってんで、うち見てん。枕はずして、父ちゃんの頭を畳にごつんごつん当てたんや、父ちゃんすぐ白目出して、動かんようなったわ」マリにつげ、このことは、母と姉のいい争った夜、およその察しがついていたから、おどろきもせぬ。保護者もないままマリは、孤児収容所に入れられ、ここでもタモツと似たような経過を辿《たど》ったのだ。  庭の花壇の手入れに来た老人に、花をねだり、「あかんて、所長さんに怒られるがな」断わるのを、「おっちゃん、見たいことないか、いろてもええねんで」スカートをまくり上げ、マリは父とよく似た年頃の男だから、これがいちばんの交換条件と考えたのだ。「やめとき、人が見たらえらいこっちゃ」老人はどぎまぎしつつ、マリを精薄児とふんだらしく、「ちょっとこっちい来いや」植込みの陰にマリを誘うと、父と同じ仕草をし、菊を一輪与えたのだ。教師に抱かれて小遣をせしめ、行きずりの男にも、同じくもちかけて、得た金はすべて、花のために使った、帽子、洋食皿、日傘、電気スタンド、でたらめに花の模様さえあれば買いこみ、自分の部屋には置けないから、物置きの隅にかくして、日に一度はながめ入る。  しかし、タモツの所業は、男だけにあらわれなかったが、マリの売春行為はすぐ噂となり、教師の眼がきびしくなると、マリは収容所をとび出し、だが大阪の南をうろついているうち追手につかまった。孤児収容所の女の子が売春をしていたなど、公になれば大事だから、教職員あげて探索に努めたのだ。マリは、不潔になりやすいからと、髪をみじかく切られ、男の作業服を与えられて、事実上の軟禁状態、教師はその一挙手一投足に注意を払ったが、いったん心を決めてしまえば、収容所の生活が、それほどいやというのでもないのだ。物置きにも近づけなかったが、そこに自分だけの花があると思えば満足で、以後は真面目に規則を守り、ふたたび髪が背中にまで伸びても、もうとび出そうとはしなかった。  二人がはじめて会ったのは、十七歳になって、職員の手伝いをするタモツが、紙芝居の興行で、マリの居る収容所へやって来た時だった。マリも最年長者として、会場の設営を手伝い、ほとんど口はきかなかったのだが、お互いに一目で、その背負っているさだめを確かめ合い、恋というよりも、もっと切実な、これからの人生の相棒であると、認めたのだ。もとよりはっきり意識してのことではなく、紙芝居が盛況のうちに終って、後片付けをしながら、じっとみつめ合い、タモツが会場の外に出ると、マリも後を追い、無言のまま、逃げるように収容所を後にし、教師たちも、すっかり気をゆるしていたから、二人の失踪に翌朝まで気づかなかった。  タモツはいくらか金を持っていて、とりあえず大阪を通り過ぎて、京都へ向い、木賃宿に泊ったのだが、それまで、「タモツ」「マリ」と名乗っただけで口をきかず、さて一つ布団に二つ枕の用意ができても、その両側にすわりこんだまま、「ここらうろうろしてるとヤバイんちゃうの?」「俺もう十八やからな、どこへ行ってもかまへんねん」「うち十七やけど」「俺の女房いうことにしたら、連れもどされることないで」タモツがいい、マリは大声で笑った。これまで悲しくて泣いたこともなかったが、また愛想笑いの他に、口を開けて笑った記憶もなく、笑っている自分にマリはびっくりしていた。  タモツの金は翌日底をつき、するとマリは生々と、「うちにまかしといて」タモツにいい、「俺かて稼げるで」もはや、誰はばかることなく、自分たちの天分をほしいままに、金もうけできるのだ。お互いに、相手が何をするのか、心得ていた、「ああいう女な、男に飢えてるねんわ」タモツ、獲物を見定めて、マリにつげ、マリはまた、「ほな、うちはあのオッチャンにしようか」指さして、物欲しげにそぞろ歩く中年男をしめし、「夕方までには、宿屋にもどってるで」タモツがいえば、「うち、そんなにかからへんよ」二人、左右に別れ、タモツはしなやかな動きで、小肥りの三十女に近づき、マリはあどけない表情浮べて、中年男の前にまわりこんだ。  マリは二時間ほどで宿にもどり、花束の他にパンや果物をしこたま買いこみ、タモツは夕刻帰って、これはマリの洋服を小脇にかかえこむ。 「どないやったん、あの女の人」「なんや知らん、主人は船乗りやとかいうてた、えらい汗かきの女で、ベタベタなったわ」「お風呂わいてるいうて、女中さんさっきいわはったよ」「まあ、ホテルで入って来たけどな」「ふーん、ホテル行ったん」「マリは失敗したんか」「ううん、同伴喫茶連れていかれてん。うちみたいな若い娘と、ホテルへよう入らんいうて。それで、今度目は、もっと落着いて、嵐山でもいこいわはんねん、名刺くれはったよ」「同伴喫茶で、うまいこといくんか」「きつい恰好させられたわ、こないして膝の上のせられて、腰がおかしなってしもた」「えらい難儀やったなあ」タモツ、眉をしかめ「ちょっと寝てみ、マッサージしたるわ」いわれるまま、マリ腹ばいとなって、うっとり眼をつぶる。この日一日で、タモツは五千円、マリ八千円の収入、「お金貯めて、アパート借りたいな」「そやね、スイートホームいうねんやろ」やがて、二人寄り添って寝たが、互いに指一本触れず、見つめあっていれば、満足だった、下腹と下腹を突き合せ、ややこしいことするのは、金のためで、タモツとマリの間に、そんないやしいことは必要ないのだ。  木賃宿に四日泊って、互いに稼ぐと、一間のアパート借りるだけは残り、そこを根城にして、毎日では疲れるから、週に三日、盛り場にそろって出勤し、帰りは喫茶店で待ち合せ、やがて腕をくみ、小犬がじゃれあうように、ふざけながら夜道をもどったが、肌はまじえぬ。タモツは、中年の、全身に脂《あぶら》のまわった女体に、抱かれ、さまざまにあやしつつマリの面影を追い求め、マリも、同じように、どこもかしこもたるみきって、タモツとは似ても似つかぬ初老の男の、しつこい愛撫を受けながら、タモツに抱かれているつもりだった。現実の相手がみにくければみにくいほど、思い浮べるタモツ、マリの姿は美しく、そして、互いに親のもとへ駆けもどる子供の如く、待ち合せの場所へ急ぎ、そこで生身のお互いを認めると、さらに背筋のしびれるような喜びが、湧いて来るのだ。  べつに生活を切りつめることもなく、流行の服をお互いにえらびあい、楽しんだし、マリは好きな花を部屋に飾って、三年過ぎると、一千万円近くの金が残った。二人は、すぐ建売住宅を見てまわり、自分たちだけの家が欲しかったのだ、生れてこのかた、その実感を抱いたことがなく、アパートの部屋でも、十分その満足感は味わえたのだが、やはり土から直接建っている住いが、のぞましかった。そして、今住む場所に移り、はじめてベッドを介さぬ他人とのつきあいに、いささか怯えたのだが、子供たちは何の屈託もなく仲間に入れてくれたし、にこにこ笑ってさえいれば、隣人たちは、勝手にしゃべり、また納得して、そのこつをのみこむくらい、二人にとって朝飯前だった、なにしろベッドの上では、相手に合わせて、タモツは学生タレント、スポーツ選手、プレイボーイと演じ分け、マリも女事務員、女子学生、ファッションモデル、新劇研究生、家出娘に、変化する、もっとも、これも相手の一人合点にただうなずいていれば、いいようなものだったが。  もはや、収容所の誰が見ても、かつてのタモツ、マリとは思わないだろう、すらりと高いタモツの尻は、あくまで引きしまり、腕の肉たくましく盛り上って、そのまったく悩みの翳などうかがえぬ表情は、逆にどんな職業に印象づけることもできた。マリも人形のように愛くるしい表情で、声は童女の如くよくひびき、すでに何百人か通り過ぎていった男の、残像など片鱗すらとどめぬ。タモツとマリは、三日に一度出勤し、時にはお互いの相手を、えらんでやった、マリが、ロードショウ劇場に入って、暇もて余しているらしい中年女にしゃべりかけ、言葉たくみにタモツを紹介し、またタモツはホテルのロビーで、好色そうな紳士を誘って、マリの待つ宿屋に送りこむ。そして、互いの首尾を当てっこし、また妙な客をえらんでしまわなかったかと、気づかい、客がどんな風であっても、嫉妬することはなかった。客の体は借物、マリはタモツに抱かれ、タモツはマリを抱いていると、お互いの気持は、はっきり通じあっていた。  花に飾られた中の、小鳥のようなこの夫婦が、ねたまれるとすれば、その仲が好すぎるためで、よく隣人にたずねられたのだ、「まあ若いさかい当り前かも知れんけど、ほんまに仲がよろしいねんねえ、どこ行くのんもお二人で。どないしたらそないにでけるのか、教えてほしいですわ」マリとタモツ、ただ顔見合せて笑い合い、「あんまり仲好すぎるよって、赤ちゃんでけはらへんねんやろねえ」「こればっかりは、神様のさずかりものですから」「そんなのんびりしてたこというてたらあきませんよ、いろいろためしてみはったんか、あれはたしか野菜をよう食べると、男の子が生れるんですわ、肉やったら女。婦人体温計いうのんあるでしょ、あれでグラフつけてると、排卵日がよう判るし、はよつくった方がよろしおまっせ。やっぱし夫婦には子供がおらんと」お節介な女房がまくしたてても、ふと気づくと、タモツとマリ、ひたと互いの瞳を見つめあっていて、「こらどうも、お邪魔さんでした」少々向っ腹を立てて、引き下る、タモツとマリは、まさしく一点非のうちどころのない夫婦だった。 [#改ページ]  粗忽《そこつ》の人 「いやあねえ、またお爺ちゃんでしょ、妙なこといいふらしたの」孫の由加里が、頬をふくらませ、しかし、そういやな風でもなく吉平にいった。「なによ」嫁、聞きとがめてたずねるのに、「私がね、婚約したんだって。お向いの奥さんにおめでとうっていわれてさ、キョトンとしちゃった」「婚約? へえ、まあ、本当なら母さんもうれしいんですけどね」「冗談じゃない、私まだ十九よ、これからじゃないの、遊べるのは」  女二人、たわいもなくしゃべり合うのを、まるでどこ吹く風と、吉平は庭うちながめ、「まだ、蕪《かぶ》の芽はでんかなあ、小鳥にタネ食べられちまったかも知れん」ぶつぶつつぶやく、「昨日|撒《ま》いたんでしょ、まだ、二、三日はかかります。本当にしようがないわねえ」「本当に、蕪の種なの? 仁丹かなんか撒いたんじゃない?」「何をいうとる、これでもわしに百姓させりゃうまいもんじゃ、戦時中は、この庭に南瓜、サツマ芋、トマト、胡瓜、ナス、ホーレン草、フダン草、二十日大根、ジャガ芋、そりゃもう見事に作って、御近所にお裾分けしたもんだ。そりゃよろこばれて」「判ったわよ、でも感心ね、何度聞いても、植えたものの名前だけは、間違わないわ」「当り前だ、そんなにモーロクはしとらん」吉平、ふんぜんといった。 「ねえ、どうして私が婚約したなんて、思ったの?」「昨日、いうとったろうが、母さんと婚約の話を」「私と?」嫁、さっぱり合点のいかぬ風に首をひねり、「しませんよ、第一、もし由加里にお婿さんが決ったんなら、だまってるわけないじゃありませんか。それこそお赤飯炊いて、お爺ちゃんにまっさきに報告しますよ」嫁、にこにこ笑いながら、半ばあきれ顔でいうのに、「いや、判らんぞ、確かにわしゃこの耳で聞いたんだ、またわしが余計な口出しをすると思って、こっそり話をすすめとるんだろう」「困っちゃうわねえ、そんなことしませんよ、お爺ちゃんの空耳」「確かに二人でしゃべっておった、婚約大丈夫とか、よかったとか」「由加里、覚えがある? 他の人のそういう話でもしゃべったかしら」「全然、第一、昨日私は学校から帰って、母さんとほとんどしゃべんなかったんじゃない? 試験勉強で部屋へ入っちゃったし」 「そんなにいうなら、場所もちゃんといってやるぞ。母さんは台所にいて、由加里が風呂で手を洗っとった、わしゃ庭におったが、ちゃんと聞えたんだ」吉平、むきになって、位置を指でしめし、もどかしげに説明する、「ああ、夕方ね、何かしゃべったっけ」「おでんを持ってったでしょ、あなた。お腹が減ったとかいって」「うん、でも婚約の」といいかけて、由加里ケタケタ笑い出し、「判ったわ、いやだあもう」嫁には、その見当がつかぬらしく、だが、すでに相好すっかりくずして、「何よ、どうしたのよ」たずねる。 「コ、コンニャクと婚約を聞き違えたのよ、コンニャク煮えてる? て母さんにきいたでしょ」とたんに嫁も腹をかかえ、「そうそう、それで私が、大丈夫っていったんだわ」女二人、肩を叩き合い、「けっさくねえ、本当にお爺ちゃん、愛嬌があるわよ」「判ったでしょ、婚約じゃないの、コンニャクよ」「コンニャクか、うむ」吉平、つまらなそうにいって、「コンニャクは男の砂おろしといってな、ありゃ疝気《せんき》を防ぐのにいい。疝気は男の苦しむところ、浮気は女のつつしむところ」「なによ、それ」「男には疝気の虫ってのがいて、これが臍を曲げると、たいそう苦しまなければならん」「ふーん、回虫みたいなもん?」「回虫じゃない、そばを食うといけないなあ」「変なの」「七味唐辛子がよく効く、だからそばにはつきものだろ。七味に出会うと疝気の虫は閉口して、睾丸の中に逃げこむ、ところが女には睾丸がないから」表情も変えずにしゃべる吉平の口を、嫁がふたをして、「ストップ、ストップ、困りますよ、若い娘の前で」「あら平気よ、それくらい」由加里、興味津々の態で、なお聞きたそうにしたが、嫁は、吉平を押しやり、「さあ、体操して下さい、足が弱るとお嫁さんがもらえませんよ」いわれるまま、吉平、真面目くさった顔で、腰に手を当て、「タンカタンカタンタンターンタン」調子っぱずれの声張り上げ、ほんのガニ股ほどに足を広げ、その恰好《かつこう》がおかしいと、女二人また笑いころげた。 「ねえ、本当にお嫁さんもらう気なのかしら」由加里がつぶやき、「刺戟されちゃったんでしょ、敬老会館のお仲間で、一緒になった人がいるから」「うまくいくのかしら、七十過ぎてても」「馬鹿だねえこの子は、茶飲み友達っていうのよ」親娘、なにやら好色そうな表情浮かべるのを、吉平、ぬかりなく見届けて、また話題に割り込む、「やっぱり茶飲み友達だけじゃつまらんよ、そこは男と女なんだから、いくら年をとっちゃいても」「だけどお爺ちゃん、敷居にけつまずいてころぶじゃないの、あやしいもんだな」「少々体は弱っていても、そこは心意気というもんだ」「心意気だって、カッコいい」由加里、甲高い声を出し、その突き出た胸や、むっちりと肉の張った腰つきを、吉平、じろじろながめる。 「およしなさいよ、お爺ちゃんからかうのは、本当にその気になって、どっかのお婆さん連れてこられたら一大事だわ」「本気じゃないの? ああやって毎日、体操してるんだし」「冗談じゃないわよ」嫁の口調がふっと冷めたく変ったから、「山本リンダさんは、今日出るのかな」「さあねえ」「リンダさんはかわいいなあ、こうして、後向きになったところが何ともいえん」吉平は、片手をぐるぐるまわしつつ、よろめき歩き、嫁たまらず吹き出す。「本当に気だけは若いのね」「体だって、しゃんとしたもんだ」言い捨てて、吉平、自分の部屋に入った。 「段々ひどくなるわね」「よたよたしちゃって、もう長くはないんじゃない?」「聞えますよ」「大丈夫よ、この前ためしてみたの、縁側にすわってたからね、お煎餅パリパリ食べながら一歩ずつ近づいたんだけど、そうねえ、すぐ後でなけりゃ、気がつかないのよ」「へえ、そうかねえ」「あれだけ食いしん坊なんだから、お煎餅の音が聞えたら、じっとしてないわよ、すぐ手を出すところでしょ。だからもうほとんど聾《つんぼ》に近いんじゃない?」「でもねえ、これでころっと死ぬんなら、お爺ちゃんは幸せな人ですよ。さんざわがままを通して、やりたい放題に生きて来たんだからねえ」嫁、しみじみといい、「ふつうはお姑さんにいじめられるもんでしょ、家はちがうんだから、お婆ちゃんはとってもよくできた人で、ちっともいやな思いしたことがなかったのに、お爺ちゃんが口喧しくてねえ、お父さんと結婚したのか、お爺ちゃんの小間使いに雇われたのか判らないくらい」「そうねえ、私なんかもよく部屋へ入りこんで、怒鳴られたもん」「ふつうなら孫を猫っかわいがりして当然なのに、うるさいうるさいって近付けないんだからねえ、本当に、子供たちの遊び相手でもしてくれりゃ、少しはかわい気があるけど」「でもいいじゃない、もう少しの辛棒なんだから」「長過ぎますよ、由加里も気をつけた方がいいよ、長男のとこへなど嫁にいくと、とんでもないことになるから」  べつに聞耳立てるまでもなく、襖一枚隔てた親娘の会話は、吉平、十分に聴きとれる。嫁の言葉にも、腹立たしくは思わず、自分の死が、心待ちにされていると判って、悲しむ気持もない。若い連中のことを、いちいち気にしてたってはじまらぬ、それよりも、いったいこの先き何年続くのやら、見当もつかぬ自分の余生を、少しでも快適に過すべく、その工夫が肝心だった。  二年前までは、吉平もよく苛立っていた、もともと気性の強い方で、またそれだけが資本、トラック一台からはじめて、どうにか運送会社を経営し、戦時中、また戦後の物資不足の時代には、ずい分危い橋もわたり、夜の眼も寝ずに働いたものだ。息子も一人前になったし、世の中落着いて、雲助同然の稼ぎもままならぬとなり、吉平は社長から、名ばかりの会長に退き、後は楽隠居の心づもりが、どっこいそう胸算用通りには運ばず、息子に器量がないのか、世の中が悪いのか、会社が左前となって、ふたたびカムバック。  運送屋だけでは駄目だと、手を出した建築業が、かえって仇となり、銀行からの借金がかさむばかり、のうちはまだよかったが、やがて二進《につち》も三進《さつち》もいかず、同業に吸収合併。しかも会社の借金を少しでも減らしておいた方が、以後有利だからと、青山四谷にあった土地を売って、郊外へ居を移し、あたらしい会社には、吉平のような古手の居場所がなくて、息子が常務におさまり、まあ、倒産するよりはと、あきらめていたのだが、企業の論理はきびしくて、三年たつと、息子は平取に追いやられ、月々暮しに困らぬ程度の給料は与えられたが、まったくの閑職、もとより先きの見込みもない。  少しは奮起してもよさそうなものを、何の屈託もなく、息子、敷地だけは広いから、アパートを建て、それだって、同じやるなら、借金してでもマンションにすればいいものを、みみっちい木造二階造り、老後は庭いじりでもして過ごすはずが、眼と鼻におしめやらネグリジェ風にひるがえって、うっとうしいことこの上ない。  こんなことになるなら、都心の土地を売る必要はなかったのだ。合せて三百六十坪あったから、今売れば二億近いだろう、その利子でのうのうと暮せたはず、わが息子ながら、目先きが利かず、小心なふるまいを見ていると怒鳴りつけたくなるし、また、その気の弱さにつけこんで、尻に敷きっぱなしの嫁も気に入らなかった。  なにかといえば、亭主をののしり、一切合財わがもの顔に切りまわして、いかに落ちぶれたといっても、現在、まずは不自由なく暮らせるのも、吉平のおかげなのだ、にもかかわらず小遣いくれるにも、恩着せがましいものいいをし、あまりにだらしがなくて、部屋が取散らかっているから、つい片付けてやると、「お爺ちゃんがいじると、必ず何かなくなるんだから」など、逆ねじを食わせる。母親にいいふくめられているらしく、孫も、吉平を馬鹿にしていて、「お爺ちゃんが、会社つぶしたんでしょ」など、小面憎いことをいう。  まさか、お前の父親がだらしないからだともいえず、といってそのままにしておくのも業腹だから、嫁に吸収合併のいきさつを説明すると、「今更、女々しいことをいったって仕方ないでしょ。要するに、頭の切替えがおそかったのよ」利いた風な口をきく。ついむきになり、「わしがとりしきってるうちは、びくともしなかったんだ、大体、あいつが組合などを甘やかすからいけない。運転手なんてものは、ケツ蹴とばしてこき使えばいいんだ」「それじゃ今の御時勢通用しませんよ。それに何でしょ、結局はお爺ちゃんのはじめた建築会社が、不渡りつかまされて命取りになったわけじゃない」寝物語に、息子から聞かされたのだろう、小賢《こざか》しくいいかえし、それ以上、女を相手に当時の切羽つまった事情もしゃべりかねる。  家の中に居ても、腹ばかり立って血圧に悪いと、朝早くに出かけて、デパートの催しものを観て歩き、けっこう同じような境遇の常連がいて顔馴染みになり、TVの公開番組や、図書館など、只の暇つぶしを、いずれもよく研究していた。元官吏だったという老人は、都内TV局の事情に詳しくて、公会堂やホールをハシゴし、まるでローティーンの少女の如く、若い歌手の消息に通じ、番組担当のディレクターをさんづけで呼ぶ。吉平も何度か誘われて、同行したのだが、元官吏はスポンサーの提供する安い記念品をあさましくねだって、吉平自身みじめな気持となり、また、図書館通にも案内されたが、九時から六時まで、新聞週刊月刊誌を読みつづける相棒にはつきあえぬ。  結局は一人となって、やはり七十近くなると、そうは気の合う友達も出来かねるのだ、吉平が自分で見つけ出したアナは葬式だった。足だけは丈夫だから、当てもなくほっつき歩いて、葬式を見かけると、何食わぬ顔で会葬者の一人にまぎれこむ。これも最初は、どうということもなく、丁度行き合わせた出棺の儀を、立ちどまってながめ、つい一礼すると、「どうもありがとうございました、お忙しい中を」世話役らしい男に挨拶され、「どうぞこちらでお休み下さい」と招かれて、茶菓の接待から、折詰の弁当、祭壇を飾っていた生花まで持たされたのだ。なんだか奇妙な心持ちだったが、考えてみると、吉平の年齢がいちばん有利に働くのは、この舞台かも知れぬ、誰も香典泥棒とは思わないし、故人の古いつき合いと信じて疑わぬ。  しかも、生前はまったく他人の仏であっても、年相応に心をこめて冥福を祈るのだから、少しばかりの施餓鬼を受けても、罰の当ることはあるまい、事実、祭壇の前にぬかずき、遺族にくやみをいうと、なんとなく善根をほどこしたようで、気も晴れるのだ。服装もふさわしく整え、一年ばかり吉平は葬式を探し求め、そして、家から二駅離れた町の、敬老会館を知ったのだ。  はじめは、不祝儀の花輪にひかれて入りこんだのだが、会葬者のすべてが吉平とさして変らぬ老人ばかり、八畳間の中央に置かれた棺を囲んで黙然とすわりこみ、その異様な雰囲気に、吉平入りこめず、玄関のぞきこんだだけでもどろうとすると、「まあ、どうぞ線香の一本も上げてやって下さいまし」中高の上品な顔をした老人が、吉平を誘った。 「まったく気の毒な仏です、血を分けた子供が何人もいながら、こんな所で葬いを出さなきゃなんないんだから」「まあ、いいじゃありませんか、故人もそれをのぞんでたんだし」「でもねえ、せめてお棺のかたわらにいたげりゃいいのに、他人よりひどいですよ」  話を聞くうち、この変哲もない一軒家が、町立の敬老会館、六十歳以上の老人の、寄合い場所と判り、仏はどうやらここで入浴中、脳溢血で倒れたものらしい。息子たちは見舞いに来たものの、誰も引き取ろうとせず、「すぐに動かしちゃいけないんだから、しばらくこちらへ置いていただいて」と、布団といっても、見すぼらしいものを一組運び込んだまま、ほったらかし。老人たちが、しかたなく泊りこんで看病したのだが、昏睡から覚めないままみまかった。仏となった以上、野辺の送りくらい引き受けてよさそうなものを、家が狭いとか、団地の五階で棺を運び込めぬとかいいたて、結局、敬老会館で通夜、子供たちは、おざなりに焼香しただけだったという。  しばらくするうち、その親不孝な連中が、どやどやとあらわれ、「死体ってな、ライトバンで運べないんだってさ、余計なものいりだよ」荷物を担ぐように、葬儀車に乗せ、仏の守りをした一同には、何の挨拶もないまま、走り去って行った。さすがに吉平も呆れて、「罰当りな奴等だ、ああいうのは何とかできないのかねえ」独り言のようにつぶやくと、「仕方ねえさ、あの爺さんも、相当に因業だったからねえ」赤ら顔の一人がいい、「まったく他人ごとじゃありませんよ、あたしも気をつけなきゃ」相槌を打つ。 「気をつけるったって、親の死に水をとるのは、こりゃもう順ぐりで子供の勤めじゃありませんか、少しくらい因業だからって、あんな犬や猫の死体でも扱うように」吉平、ふんぜんといったが、「まあ、あんまりムキにならないこってすよ、年寄りはなんたって、若い者にかわいがられなきゃねえ」中高の老人、教えさとすような口調だった。 「そんなあなた、気の弱いことじゃいけませんよ、誰のおかげで一人前になったんです、私なんざ、会社家屋敷もろとも息子につがせてやったんだ。べつに御機嫌とるこたあない」「そりゃ理くつからいえばそうでも、なかなか通らないもので。早い話が、今の仏様も、同じようなことをいってましたねえ」  仏は、以前、警察官だったという、それも特高のばりばりで、戦後はかなりのメーカーの工場長を勤め、定年退職までに、家を一軒持ち、子供もすでに一人立ち、妻に先立たれたことを除けば、何不自由ない老後を送れるはずだった。ところが、心身ともにまだ若いつもりの仏は、進学ブームに眼をつけ、自分の住いを塾にする目論見《もくろみ》、抵当に入れて金を借り、そのベテランと称する男と組んだのだが、結局は食いものにされただけ、あっさり家をとられてしまい、長男のアパートへころげこんだ。 「いわば欲をかいた自分がわるいんですからね、おとなしくしてりゃいいのに、何分、戦前の警部さんですからね、いつまでもお山の大将の気分で、とうとう嫁さんは子供を連れて実家へ帰っちまった。すると、あんな女に未練を残すことはないって、自分で去り状を送りつけたんですな」息子がこっそり詫びを入れ、元のサヤに納ったが、仏はふんぜんとしてとび出し、不動産屋の案内人、バアのツケ取立て代行などでかつかつ暮したものの、長続きはしない。次男、三男の家を転々とし、どこででもトラブルを起す。 「昔気質をそのまま持ち続けりゃ、どうしたって文句もいいたくなるでしょう、どっかであきらめちゃわなきゃねえ」「それにあの人は頑丈だったからね、これが先きの見えてるヨボヨボなら、少しの辛棒と嫁さんも我慢するだろうけど、あの人は死ぬ直前まで、米俵ぐらい持ち上げかねなかったよ」「丈夫で、因業で、こまかいとこに気がつくなんてえのは、嫌われても仕方がありませんよ」  老人たち、淡々と語り合っていたが、吉平はなにやら自分のことをいわれているようで、胆が冷える。昼間は、天気さえよければ外出して、そう嫁や孫とも顔を合わせないのだが、つい廊下にゴミが落ちていると気になり、拾い上げてしまう、そして、いかにも憎々しげに見ている嫁と視線が合ったり、また、うっかり孫娘が入っていると気づかず、風呂の戸を開けて、悲鳴を上げられ、その後しばらく、孫娘は色魔でも見るように、吉平をながめていた。  時には、そういった仕打ちに反撥し、わざといやがらせをしてみることもある、孫娘の奇妙な月経帯が干してあったから、「ありゃ何だい、ヘヤネットかね」とたずね、世にも汚らわしいといったその表情を、かえって小気味よくながめたり、煙草を吸う嫁の、捨てたシケモクを、もったいなそうに拾ってみたり。  自分では半ば遊びのつもりなのだが、さぞかし嫁や孫娘は、心中で自分を憎んでいるだろう、いや、吉平の気がついてないこと、まったく邪気のない一挙手一投足が、連中のカンにふれているかも知れないのだ、そういえば嫁が、「お爺ちゃんは本当に芯から丈夫なのね」と感歎したことがあった、あれはうんざりしていったのではないか、近所の人に、「歯も丈夫ですし、脚も達者、全然ボケてなんかいませんわ」と、しゃべっているのを耳にし、内心いい気持だったが、これも同じぼやきと考えた方がいいだろう。いやな老人の三条件が、そっくり当てはまるようで、しかしどうすればいいのか、ゴミが眼についても拾うまい、片付けものもしないでいようと決心し、嫁や孫娘の顔色うかがって、小心翼々と生きることだ、もし今のまま自分が歳をとり、万一、中気にでもなって寝ついたら、どうなるか、それこそ物置きへ放り込まれかねぬ。  吉平、怖気《おぞけ》をふるって、懸命にしおらしい老人を装ったのだが、やはり身につかないこと、「いやあね、どうしてお爺ちゃん、そんな眼つきで私のこと見るの?」懸命につくった愛想笑いを、手きびしく孫にはねつけられるし、嫁の掃除の邪魔にならぬよう、注意して避けると、「箒先き箒先きへ行かれたんじゃ困りますよ」と怒鳴られる。地声が大きいから、これもひかえるべく、小声でしゃべれば、「口の中でもちゃもちゃやってないで、はっきりいってよ、苛々してくるわ」孫が顔をしかめ、やることなすこと逆目にでる。  しかも、これまでいちおう祖父としての威厳を保っている間は、嫁にも遠慮がうかがえたのに、いったん好々爺に転じた後は、威丈高となって、これでは努力するほど、自分の立場が悪くなるばかり。  葬式にまぎれ込んでも、以前なら、ゆとりをもっていられたのに、いったい自分の時はこんな風に豪華にやってもらえるのだろうか、涙をこぼす人間が一人でもいるかと、しめっぽい考えが浮んで、まったく楽しめない。やむなく、敬老会館へ出かけて、同病相憐む相棒、せめて話相手を探しても、みな、えらくのんびり過しているように思え、みじめさのみいや増す。若いうち碁将棋花札トランプなど、いっさい手にしなかったから、その仲間にも加われず、暇つぶしは、風呂へ入ることぐらい。 「お丈夫そうで、けっこうですな」いちばんはじめに声かけてくれた中高の男が、吉平の裸姿をながめていい、「いや、因果なことですよ、この年になって風邪一つひかないってのも」気弱く答えると、「とんでもない、人間生きてるうちは、健康がいちばんです」中高の男、足の屈伸運動やら腕立て伏せを行って、若い者に負けぬ敏しょうな動きだった。 「しかし、誰かがいってたじゃありませんか、丈夫なのもよしあしだって。ほら、ここでお葬式をした仏さんなんか、なまじしっかりしてたのが仇になって」「ありゃいけませんなあ、あの方は間違ってたんです。老人はしおらしく、かわいらしくなきゃ」「いや、実は私も、いろいろ考えましてね、あの時から」吉平は、嫁や孫に対して心づかいのいきさつをのべ、それがすべて逆効果となっているらしい旨、愚痴をこぼすと、「そういうのは駄目ですね、心づかいなんて、若い者のするこってす。年寄りにいちばんふさわしいサービスは、老いぼれてみせること、これにつきますなあ」 「おいぼれてみせるっていいますと」「いや、私どもも、話合ってみると、みな同じ境遇であると判りましてね。なんとか、うまい方法はないかって、研究したんですよ」幸せの形は、それぞれ似ているけれども、不幸はいずれも個性的であると、西洋の誰とかがいったらしいが、年寄りの不幸は例外で、幸せと同じく、似たりよったり、それなら知恵を出し合い、対策を練ろうじゃないかということになって、「まあ、あまり大きな声じゃいえませんがね、仮老がいちばんだって結論に達しました」「仮老?」「仮病みたいなもんですよ、大体、老人の健康状態なんて、医者にもよく判っちゃいないんです、リューマチ、神経痛がそうでしょ、痛いんだとこっちがいえば、信用する他はない。ボケるんだって、本当にボケちゃったんだか、嘘だか、脳波にはあらわれませんしね」  中高の男は、仮老の有利さをこんこんと説き、その第一は、いかに鬼か夜叉の如き女だって、はっきり弱いと判っているものを、そう痛めつけぬ。「そりゃ馬鹿にしますがね、けっこういたわってももらえるもんです。私なんざ、家へもどると、ろくに歩けないようなふりをしましてね、よく嫁にすがりついてやるんです、なかなかいいもんですよ」中高の男、思いがけず好色そうな表情を浮かべ、「ボケたふりして、嫁の寝床へ夜這いしたのもいますがね、嫁は、やさしくしてくれたそうです」ケケケと、甲高く笑う。第二は、家族の者に、ああ爺さんも長くはないなという、安心感を与える、「そりゃもう、はっきり嫁の表情が明るくなりますね、もうじき死ぬと思えば、誰だってあまりひどいことをすると、後で寝覚めがわるいと考えるもんです、つまりわがままが通りますねえ、季節の果物くらい食べ放題ってわけ」  第三に、いざ本当に倒れた時の、予行練習をお互いにしているようなもの、「今まで、丈夫でいたのが、急にバタンといったら、家の中の秩序も乱れましょうし、看病なれてないから、まあシモの世話だって面倒臭がります。少しずつ慣らしておくと、女はけっこういやがりませんよ、私なんぞわざと寝糞をしてやるんです、月に一度はね、臭いにならさせるといいますか」吉平呆れて、しかしそううまくことが運ぶとも思えない、寝糞などしようものなら、たちまち病院へ放り込むのではないか。 「もちろん、これだけじゃ駄目です。併行して、御機嫌取りも必要です、あなたはいろいろ気をおつかいになって、失敗したらしいけど、若い手合いを楽しませるには、やはりボケです、たいこもちというか、与太郎ぶりというか」「たいこもちといいますと」「そう深刻に考えることはありません、老人のボケにはそう種類は多くなくて、健忘症、食欲の昂進、異常に性慾が強くなることもありますが、この場合は早く死ぬから、仮老には向きませんね。早合点、ひがみ、愚痴、同じことのくりかえしなど、適当にまぜて、皆様を笑わせることです。老醜にはちがいありませんが、若い連中は、老人のこういった姿をながめることで、自らの優位性を確め得るから、決して顔をしかめませんな」そういわれてみると、吉平がズボンのチャックをかけ忘れていたり、人の名前を度忘れして困っている時、嫁は「やっぱり年ねえ」と、たしかにうれしそうだった。 「ま、しかし、いっぺんにやっちゃばれますから、徐々にね」「でも、私に出来ますかなあ、仮老といっても、その楽しませる方が、なかなかむつかしいようで」「コーチしたげますよ、私なんぞ、もう三年やってます、なれちまえば楽なもんです」中高の男は、いろんな具体例をあげて、吉平に教えた、玄関の框《かまち》を上がる時は膝に手をつき、ドッコイショといった感じからはじまって、しゃべる時は、くどくどとまわりくどくいう、包装紙などきちんとたたみ、自分の部屋へ大事にしまいこむ、衰えに気づいてあわてた如く、なるべく珍奇な体操を行い、かえって足腰いためたように装う、昔話をしかけて閉口させ、一方では昨日のことも覚えていないようにふるまう。  吉平、半信半疑ながら、男のいうままに仮老を演じてみると、はじめは「いやあね、急に爺むさくなって」と、顔しかめていた孫娘が、階段の登り降りを心配そうに見守り、嫁はまた下痢のつづく吉平を案じて、卵入りのお粥を入念につくってくれた、この下痢は、老人性食欲昂進を装い、食べ過ぎたためなのだが、ビスケットやバナナをどう欲しがったところで、今の家計にひびくこともないから、これもとがめ立てされなかった。家に居る時、よたよたふるまっていると、むやみに体を動かしたくなり、吉平は二日に一度、敬老会館へ出向いて、中高の男と同じく、激しい体操をし、当然のことながら、体調はすこぶるいい。慣れて来ると、なにも自分で仮老のあれこれ工夫しなくても、嫁や孫が、おいぼれに何を要求しているかよく判る、先方は、ボケたと信じこんでいるから、その本性を包み隠さず、万事、お見通しなのだ、コンニャクを婚約と聞きまちがえたふりも、来年、短大を卒業する孫娘、めっきり色気づいて来て、こういった話題なら、近所にいいふらされても、ころころ喜ぶはずと、見きわめた上のこと、そして、うっかりしくじりそうになると、奇妙な体操や、年にあるまじき色気話をして、とりつくろう術も心得ていた。 「おう、コノエが頑張ってなさるなあ」夕食の途中で、吉平、TVを観ながら突拍子もない声を上げ、「何? コノエって」孫がたずねるから、「ほら、汪兆銘と握手しとるじゃろう、こっちの端は張恵国かな」TVの画面には、日中国交正常化、両国首脳の握手のシーンがうつし出されているから、孫も嫁もキョトンとし、「何いってんだよ、お爺ちゃん、コノエじゃなくてカクエー」息子が説明しかけ、こらえきれずに笑い出す、「こりゃ大東亜会議じゃろう、大東亜相は青木一男といいよったかな、蒙古の徳王、タイのピブン、ビルマのバーモ、印度のチャンドラ・ボース、フィリッピンのラウレル、みんな日本の隣組じゃ」「まったくなあ、ふだんあれほど粗忽なのに、三十年くらい前のことはよく覚えてんだから」「なにいってんの? お爺ちゃん」「昔、近衛って総理大臣がいたんだよ、そういやチョビ鬚は同じだなあ」息子、なんとなく感慨深げにいう、「こりゃ何かな、支那人ばかりおるなあ、なにをやっとるんかな」首をかしげた吉平に、家族打ちそろって大笑いし、吉平はまた「支那人は、なかなか外交がうまいからなあ、コノエも粗忽なことせんでくれるとよいが」もぞもぞ、口の中でつぶやき、さらに笑いを誘った。もっとも、この吉平の台辞は、敬老会館で老人たち、口角泡をとばして日中のこれからにつき、討議した時の、結論なのだが。 [#改ページ]  ヨイヨイ信仰 「あんたら、円了寺さんおまいりして来なったんか」何時まで待っても来そうにないバスにじれて、久子と春子は、駅まで半道余り、天気もええことやし歩きましょと、ひょっこらひょっこら足を運んでもうじき駅とおぼしきあたり、ちいさな石仏の陰から、石仏そっくりの顔をした爺《じじ》ィがあらわれ、声をかけた。 「へえ、おかげさんで、ありがたい祈祷してもらいました」久子、この爺ィも同信の者とみて、気楽に答えると、「気の毒になあ、そんなんやめときなはれ」爺ィ、顔しかめて思いがけぬことをいう。「気の毒てなんですのん、円了寺さんはあんた」気の強い春子、しゃしゃり出て、口とんがらせると、「判ってる判ってる、円了寺さんに腰巻きそなえて、お経上げてもろたら、長患《ながわずら》いせんと往生出来るいうねんやろ。あほらしもない」あほらしもないといわれて、今度は久子が怒り出した。  もともと、この円了寺へ春子を伴った先達が久子、お参りをはじめてから六年になる。円了寺の開祖は、浄土宗のえらい坊さんで、母親が死の床についた際、あたらしい肌着にきかえさせて、その苦しい息に合わせ、お念仏を唱《とな》えつづけた、すると、母親はねむるが如く、安楽に大往生をとげたのだそうで、この功徳《くどく》にあやかろうと、近在の老人が押し寄せ、誰いうともなくポックリ死ねるから、ポックリ信仰、つまり長患いではたに迷惑をかけることなく、あの世へ行けますようにと、願をかけ、祈祷してもらうのだ。  はじめこの話を聞いた時、久子もいやな気がした、連れあいには早く死に別れたが、息子三人娘二人をつつがなく育て、家業の質屋を継いだ次男夫婦と同居して、何一つ不自由はなく、婆抜きを当然と思いこんでいる当節の嫁にしては、心やさしく久子を隠居として立ててくれるし、孫も二人産れていた。死にぎわのあれこれ考えるまでもない、四十年近くを暮し、戦災にもあわなかったこの家で、お迎えを待てばいい、嫁どころか、血を分けた息子にさえ邪魔者扱いされて、日がな一日児童公園のベンチにすわったっきりの爺さん、TVの公開番組を見歩いて暇《ひま》つぶしの婆さんの話を耳にしてはいたが、まず他人ごとだった。  なにやらおかしくなったのは、娘の亭主が交通事故で死に、この男生きているうちもぐうたらの甲斐《かい》性なし、一つ勤めに半年と腰が落着かず、そのうえ女にだらしがない。子供が一人いるが、まだ娘も若いことだし、これを機会に新規|蒔《ま》きなおしと、久子は心中考えて、むしろ喜んでいたのだ。ところが娘は、再婚などまっぴら、何か商売したいといって高校教師の長男の嫁をそそのかした、自分一人ではいい難いから、共同戦線を組んで、次男に財産を分けるよう要求し、現在、家業を営む敷地は、一年後に道路拡張のため、半分を国が買い上げる、その金を兄弟姉妹に分配するか、あるいは残った土地にビルでも建てるなら、部屋の権利をよこせというのだ。  長男が外へ出たのは、質屋を嫌ったからで、今さらとやかくいえた義理ではないと、久子は思った、娘二人には嫁ぐ際、それ相応のことはしているのだ。そして、道路にさえひっかからなければ、連中もこんな虫の好いことはいい出さなかったろう。しかし、補償金が千万単位で入ると判って、他の子供たちも色めき立ち、正月ですら顔を合わせぬのが、月に何度となく次男を訪れ、それぞれの権利を主張しはじめる。  次男も、このなりわいの先細りであることには気づいていて、マンションに乗りかえる心づもりがあり、すると連中は当然のこととして家賃収入の一部を求め、後家になりたての娘は、そこで彫金のアクセサリー屋をやるという。「そんなこというたって、えらい借金して建てるねんで、家賃入って来るのんは十年くらい先や」人のいい次男は、数字をしめして説明したが、欲にくらんだ手合いには通じない、「質屋さんを続けるんやったら、こんなこといわんけど、もともとこの土地は兄弟全部のものやないの、それを売ってあんただけ一人|占《じ》めにするいうのんは、おかしいんちゃうか」「うちの田舎では、長男が財産の半分以上、もらうことになってますわ」男はさすがに、露骨ないいかたをしなかったが、女たち、膝詰め談判で、つい次男の嫁も「そやけど、うっとこでお母さんの世話見てますのんよ、長男々々いわはんねんやったら、それ相応のことしてからとちゃいますか」ふだんおとなしい嫁も、なりふりかまわずいいかえし、「べつに親を誰が面倒みるいうて、法律にあるわけやなし。そやけど、そないいうんでしたら、私等で順番に世話しますわ、なあ」「お安い御用です、兄弟五人やから、六日ずつお母さん引き受けたらよろしいんでっしゃろ」談合の場にいたわけではないが、次男の嫁からこの話聞かされて、久子は仰天した、この年になって、そんな渡り鳥みたいなことせんならんとは、何ちゅうこっちゃ、「冗談いわんといて、私はここに居らしてもらいます」「そうかて、お姉さんら、うちがお母さんお世話するのは、一人で補償金をせしめるための、口実やおもてはります」何という心得ちがいなことをと、腹は立ったが、女房の尻に敷かれている長男、あらわな下心かくしもせず、「まあひとつ、団地暮しもおもむき変って、よろしいですよ」猫撫で声でいい、久子はまるで、補償金の分け前せしめるための人質扱いなのだ。  なにやかやで、ついぞ病気をしたことのない久子、風邪をこじらせて以後調子が悪く、寝込むことが多くなると、次男の嫁の態度も変って、「家ではお母さんも、のんびり暮してはったけど、これからはそうもいきませんよ、早い話団地いうても2DKでしょ、体が悪いいうて、寝てられもせんし」いや味をいい、兄弟の横車に対し、はっきりたしなめなかった久子を、恨んでいるようだったし、また、久子を手許《てもと》に置いていたのは、坪四十万と値のつく土地を、自分たちで一人占めにするための大義名分、それがくずれかけて、煮《に》えくりかえる思いと、察しがつく。こうなってみると息子たちはみな、女房に弱く、そのいいなりになっていて、はがゆいが、すべては久子と関係なく運ばれ、結局、マンションはやめて、補償金を、兄弟で分配、久子をたらいまわしにするかわりに、その生活費を、子供たちが仕送りし、久子はこれを次男に渡すと、しごくドライな決着。  半分になった敷地に、四階建のビルを建て、家業をそのままつづけたのだが、久子にあてがわれたのは、四階の、西陽ばかりやけにさす一室、いちおう和風にしつらえてあっても、鉄筋の檻のようなものだった。体がおもわしくないから、近くの医院に通ううち、べつだんどこといって悪くもないのに、三日にあげず通って、保険の注射をうってもらう老人たちと顔馴染みになり、いずれもここを一種の溜り場にしているのだ、早くから来てるくせに、先をゆずり、また注射の後もしゃべりこんで、二、三時間暇つぶしが目的、ここで久子は、円了寺の功徳について説明を受け、「そらそうでんな、いく時はポックリいくのんがよろしいわ。癌なんかえらい苦しむらしいし」はじめは、病気の苦しさをまぬかれるための、信心かと思っていた。 「いや、癌の方がよろしいで、なんというても勝負が早いし、どうもこうもならんようなったら病院に入れますやろ、いっちゃん困るのんは、中風ですがな」日雇い労務者風いでたちの老婆がいう、老婆は自分名義のアパートを持っていて、困ってはいないのだが、健康のため公園の清掃作業をやっているので、毎日昼休みに、ビタミン注射をうちにあらわれる。「中風になって、五年も六年も下《しも》の世話してもらうこと考えたら、なんぼ苦しいても癌の方がよろしい、そら専属の看護婦でもつけてもらえるねんやったらよろしいで、そうはいかんもん、うちなんか」老婆、溜息をつき、「そうですなあ」相槌打った久子、わが身を考えて、背筋の凍る思いがした。亭主の母親が脳軟化症で寝つき、その最後の一年間、自分が下の世話をしていたから、てっきり順送りで、嫁にと、いや、それほど具体的に考えたこともなかったのだ。しかし、いわれてみれば、これは空怖ろしい、財産分与以後、嫁はめっきりよそよそしくなり、食事の際、きこえよがしに物価の値上げを口にし、済めば四階へ追い立て、孫と遊ぶにも、気をつかわなければならぬのだ。「お婆ちゃん死んだら、ここぼくの勉強部屋になるねん」無邪気といえば無邪気に、孫がいっていた、もし長患いで寝ついたら、どうなることか、補償金の一部は、久子にも分けられたが、ビルの建築資金として、次男に貸したまま、久子名義の定期が三百万あるだけで、これすら嫁は、よく「お母さんがいちばん金持なんだから」と、快く思っていない様子。とても看護婦どころではない、西陽のさす四階の部屋で、たれ流しのまま寝ている自分を考えると、ぞっとして、なに一つ悪いことをして来なかったのに、そんなむごい仕打ちうけるわけはない、必死に否定しても、所詮|空《むな》しいのだ。そして、これまでを考えてみると、自分はひどく割をくっているようで、つまり星が悪いのだ、生ける屍《しかばね》のまま、二年三年を過すことも、十分に考えられる。  久子は、円了寺の場所を訊くと、早速、様子うかがいに出かけ、毎月十七日が、開祖の月忌で、ポックリ往生の祈祷が行われる、市内から二時間の道のり、山のふもとにある円了寺は、しごく俗っぽい感じで、それは寺のたたずまいのせいより、参詣者のかもし出すものだった。その日だけ走るバスに乗ると、客のすべて老人で、しかも男は数えるほど、かしましくしゃべり合って、いずれも弁当持参、「へえ、うちの知ってる人なんか、倒れて半日したら息引きとらはったんです、あらたかなもんでっせ」「車にはねられるのんも、ポックリのうちやろか」「さあなあ」「寝込むよりはよろしいで、ちょと痛いやろけど」「痛いなんか感じてないわ、ダンプやったもん」「まあ、できることなら、朝、眼ェ覚めたら死んでたいう具合にならんもんですかな」話題はおのが死に態《ざま》についてで、しごく明るい表情だった。  ポックリ往生をねがう者は、年に一度、自分の身につけた腰巻き、ふんどしを持参し、祈祷してもらう、そして死の床、といっても、主に中風の場合だが、倒れると、その下着を身にまとう、されば二、三日で安らかに息を引き取り、自分も辛い思いしなくてすむし、家族にも迷惑をかけないというのだ。風雨にさらされて木目を浮き出した柱や、古びた壁の本堂と、まったく対照的なプレハブの、建物が三棟あって、そこにも老人がぎっしりいる、「十八番、高橋さん」若い坊主が、プレハブの入口で呼ぶと、「へえへえ、おおきに」老婆が立ち上って、祈祷の済んだ腰巻きを受けとり、むき出しのそれは水色で、妙になまめかしい。  手前の建物に、下着の受付があり、まとまると坊主が風呂敷に包んで本堂へ運ぶ、参詣者は、おざなりに手を合わせるだけ、すぐ待合所へ入り、それぞれ持参の弁当菓子果物をひろげ、見知らぬ同士ではあっても、同信のよしみ、すぐ打ち解けてしゃべり合い、中には唄を披露する者もいた。久子自分を棚に上げ、老人ばかりうようよいる光景をうっとうしく思ったが、本堂の仏前に堆《うずたか》く積まれた腰巻きふんどしを見ると、ものがものだけに、老人たちの悲願がよく判る、姑は、極楽をねがって、四国八十八カ所をまわり、判をいっぱいおした死装束を用意していたが、今は死後よりも、死ぬまでの地獄を、まずまぬかれなければならないのだ。「お腰だけにすがっても、それはあかん。善根をほどこし、お念仏を唱える、たとえどのように憂き世の中であっても、仏の功徳を信じ、素直な気持で生きんかったら、ポツクリの御利益はありまへんで」腰巻きを受けとりに来た連中に、年寄りの坊主が説教をしていた。身なりを見ると、貧富さまざまだが、待合室とはうって変ったその神妙な表情に差はなく、みなひたむきに手を合わせる。  帰途、もう何年もここへ来ているらしい老婆に、何故、腰巻きでなければいけないのか訊ねると、「そらあんた、下の世話をしてもらわんで済むためですがな、なにが辛いいうてな、これだけは」老婆は、久子の思いえがいたより、さらに深刻なその実態を説明した、ある老人は、垂れ流しの小便の世話を省くため、チンチンの先にビニールの袋をくくりつけられた、しかし、いくらゴム輪でとめても、袋に小便が溜まると、その重味ではずれてしまう、「そのたんびにお爺さんは、息子の嫁に、お尻なぐられるんですわ、あんまし辛いよってに、どないした思います、お爺さん、オシッコが溜まると、うごかん体で袋をひき寄せて、こぼれんように飲んだらしい」小便の毒のおかげで、ようやく死ねたとか、おしめをはずして、布団を汚すと、こらしめのため、新聞紙にくるんで糞を、放置しておくから、病室中糞だらけになった例、硬い糞の方がとりやすいといって、年中、下痢どめを飲まされてみたり、それでもこれは、まだ世話をする人がいるからいい方で、三日も四日もおしめを当てがわれたまま、肥えつぼにはまりこんだような病人も珍しくはない、「二月や三月ならええけど、うちの知ってる人なんか十年ですよ、まだ死によらへんもんねえ」久子、まったく他人ごとではなく、聞いた。  翌月、早速腰巻きを持参し、祈祷料は千円だった、しかし、これをただ箪笥《たんす》にしまっておくだけでは役に立たぬ、倒れた時、身にまとう必要があるから、こっそり次男を呼んで、頼みこむと「そんなこと心配せんかてええがな」「そういうたかて、面倒みてもらういうたら悦子さんやろ、気苦労するくらいやったら、ポックリいった方がええもんな」「お母さんそない思うねんやったらよろしいで、ちゃんとしたげまっさ」引き受けたが、久子の言葉をそのまま嫁につげたらしく、「少しはうちの気持も判ってほしいわ、なんや、うちの世話になるのうっとうしいから、はよ死ねる信心してはるんでっか」血相変えて抗議にあらわれた。 「そういうつもりちゃうがな、中風で長いこと寝ついてみなはれ、そらえらい迷惑かけんならんやろ」「それくらいの面倒みますやないの、こんなこと兄さんや姉さんにきかれたら何いわれるか判らへん。ほんまに、人の立場も考えんと」えらい立腹の体《てい》だった、なにをいうてる、死んだら勉強部屋にしたるなど、孫にまで自分の死を待ちのぞませておきながらと、癪《しやく》にさわったが、「おおきに、ありがたいと思います。そやけどまあ、これは私なりの心づもりやさかい。わがままさせて下さい」下手《したで》に出て、嫁よりも、あっさりしゃべった次男に腹が立つ、いわば母と子供の密約のつもりだったのだ。  ふだん意識しているわけではないが、体の具合のおかしい時、腰巻きを考えると、気が楽になったし、三年目には春子を誘ったのだ。春子は、久子よりずっと気の毒な境遇で、男ばかり五人の子供がありながら、久子があやうくされかかったように、一週間半月と泊り歩き、孫の守をして、自分では猫の手よりは役に立っているのだろうと、うぬぼれていたのだが、ある時、熱を出して寝こむと、嫁がすっかりあわてて、次なる家へ運びこんだから、ショックを受けた、「そのまま死に水までとらされたらかなわんと思うたんやろ、八度五分も熱あるいうのに、ハイヤー呼んでな、それが癪にさわるやんか、鰹節二本渡して、これ姉さんとこへの手土産にしなさいいいよんねん、猫を押しつけるみたいなもんや」ふだん気の強い春子だったが、げんなりしていい、養老院へ入った方がましと、市役所にたずねたが、何年先に空くか判らないといわれ、「事情はあるんでしょうが、なんというても、子供さんに世話みてもらうのがいちばんですよ、少しくらいは辛いことも我慢して」と、説教までされた。 「すぐ治ったからええけど、長患いでもしたら、どないなるやろ、何のために育てたんか判らへん」久子に愚痴をこぼしたから、せめての気休めに、ポックリ往生の祈祷をすすめたのだ。「ほんまに阿呆みたいやわ、亭主は長男でしたやろ、結婚した時は、亭主のお婆さんがおりましてんで、その世話もみなしたのに、なんでこんな目ェあうねんやろ」思いは同じだった。本来なら年に一度だが、御利益がより大きいように、どちらからともなく誘い合せて、三月毎に円了寺へ出かけ、プレハブの建物の中で、同信の連中にまじり、弁当ひろげしゃべり合うひと時が、なによりのいこい、ポックリ往生をねがうくらいだから、のんびり余生を楽しむ者は一人もいなくて、愚痴の競いあいだが、いっそあっけらかんとしていて、悲惨な体験を他人ごとの如く笑いとばす、大勢の人にしゃべると、実際わがことながらおかしくなって来るのだ。 「あんたらがポックリ死んだからいうて、よろこぶのは、まわりの人間だけでっせ、人のええこっちゃ」石仏に似た爺ィ、うす笑いを浮べていう、「よろしいやないの、うちら息子や嫁に迷惑かけとうないもん」春子がいいかえすと、「ほんまかいな、心底からそない思うてはるのんか?」「あんた誰やの、けったいなこというて、円了寺さんにケチつける気ィか」「いやな、ケチはつけんけど、わしはお断りですわ、大体、ポックリ往生なんか、仏の道にそむいてるのとちゃうやろか」「なんでやねん」「仏様は、誰かてその寿命だけ生きるように、考えてはると思うなあ、中風になったからいうて、すぐ死のうと考えるのは、おかしいで、ヨイヨイが何わるいねん」  何わるいといわれれば、かえす言葉はなかった、本来ならば、順送りで嫁に世話をしてもらって当然なのだ、「わしは、どないなっても、しぶとうに生きまっせ。あくせく長いこと働いたあげく、ポックリ往生をおねがいするなんか、阿呆らしいこっちゃ」「そら、そうにはちがいおまへんけど、あんたとこはよほど子供さんがようでけてはんねんやろ」久子がいうと、「なんのなんの、鬼みたいな嫁でっせ、ほんま今日びの亭主はあかんたればっかしで、わしなんか気違い病院入れられそうなったくらいや」寝酒が楽しみで、欠かさずにいたら、嫁は、アル中だから入院しろといい、連れて行かれた先は、精神病院だったそうな、「それでどないしましたん」「検査の途中で逃げ出して、家かえったら、わしの部屋が模様替えされてんねん、つまり居るとこあらへん、税金のためやいうて、少しずつ家を息子の名義に書き替えたったんが、いかんかってんなあ。息子はこれでアパートでも借りいいうて、金くれよったけど、この歳で自炊もできへんがな」顔を見ると、強欲そうな感じだが、お人好しらしい。「そら気の毒にねえ、あんたみたいな人こそ、円了寺さんにたのまはったらよろし、そうでないと、ようありまっしゃないか、一人で死んで、何日も発見されんかったいうて」春子も、同情していう。 「なんのなんの、まあ、わしも一時は世をはかなんで、死んでこましたろかと思うたけど、ヨイヨイさんを紹介されてな、もう気ィ楽なってん」「ヨイヨイさんて何ですの」「本当の名ァは浄雲寺いうねんけど、ポックリと逆でな、ヨイヨイ往生をさせてくれはりますねん」脳軟化症、老人性痴呆症、脳溢血の後遺症といった、久子のもっとも怖れている状態が、浄雲寺の御利益だという。 「そんな阿呆な、自分が苦しむだけですやないの?」「そやろかねえ」「当り前でっしゃないか、体もきかんと、垂れ流しでおってごらんなさい、この世の地獄でっせ」「誰がいいはってん、そんなこと」「誰て、みないうてますがな」円了寺同信の人たちは、たいてい姑や舅《しゆうと》の、下の世話をした経験がある、それだけに、よく判るのだ、何十年も前のことだから、そう邪険に扱いはしなかったが、布団まくり上げたとたん、鼻をつく便臭に、いっそ殺してやりたいと思ったし、いつまでこんなことせんならんのかと、情けなかった。自分たちですらそうなのだから、今の嫁がどう考えるか推察できる、「気ィまわし過ぎとんのとちゃうやろか、ヨイヨイはヨイヨイで楽しいもんらしいでっせ」爺ィ、おかしなことをいって、「信ずるかどうかはべつとして、浄雲寺さんものぞいてみはらんか、この近くにあるねん」二人の返事を待たず、爺ィすたすた歩き出したから、つい後を追い、十分ほどで、「葷酒《くんしゆ》禁入山門」とあるから禅宗なのか、円了寺とは正反対の、端正な寺にぶつかった。 「そのヨイヨイいうのんも、腰巻きでっか?」春子がたずねると、「何も要りまへん、暇な時に来て、和尚さんと一緒に遊んだらよろしいねん」「遊ぶて、何しますのん」「唄《うと》うたり踊ったり、くよくよせんと生きてこそ、ヨイヨイ往生もいっそう楽しいものになるんですわ」本堂の左に坐禅堂、右に庫裡《くり》があって、たしかに人の笑いさざめく声が聞える、「どないです、ちょっと聞いていきまへんか、丁度、和尚さんの話、はじまったとこらしい」春子と久子顔を見合せ、老婆の中には、金光さんにお狸さんポックリ往生お不動さん生長の家と、手広く信仰している者がいたが、ポックリとヨイヨイでは正反対、ちと空怖ろしい感じだが、まあのぞくだけならと、下駄箱の横にちょこんとすわり、様子うかがうと、男女ほぼ同数の老人百人ほど、座敷にすわりこんでいて、坊主頭ながら洋服姿の男が、身ぶりゆたかにしゃべる。 「ヨイヨイというのんは、良い良いのこっちゃ、それから用意々々という意味もあるねんな、酔い酔いとも考えられる、みなさんはヨイヨイになるいうたら、えらい怖がるけど、それからまあ、こないなカッコで」と、男は、右手を幽霊の如く胸に当て、首ふるわせつつ、びっこをひいて歩き、「えらいぶさいくやと思てはる。他人はどうみようと、このヨイヨイは人間が成仏する前の、いちばん大事な時やねん。仏になるための用意や、それだけに苦しいことはない、良い酔い、まあ、うまい酒にのんびりと酔うてる状態やねんなあ」黒板にいちいち字を書きつつ、能弁に説明する。この和尚のいうには、人間から仏に成るためには、やはり準備がいる、一足とびには無理で、この場合はつい迷って塗炭《とたん》の苦しみを味わう、「トタンに死ぬから塗炭というわけでんな、まあ考えてごらん、お化けになって出るような人が、どんな死にかたしたか、毒殺された、斬り殺された、車にはねられたいうのんばっかしやろ、ヨイヨイのお化けておりますか、半人半仏の境地がヨイヨイと思うてまちがいない、こういうのんを見たら」と、またヨイヨイの真似をして、「拝むのんが当然です、そして、自分もなれるよう祈らなあかん」 「ほんまやろかねえ、和尚さんのいうてはったこと」久子、説教が終り一同が奥へ案内されて行くのを見送りつつ、つぶやくと、「さあなあ、いわれてみるとお爺ちゃんもお婆ちゃんも、死ぬ前には赤ん坊みたいになって、いつもニコニコしてたけど」石仏爺ィの姿はなく、その日はそのまま帰ったのだが、近頃では嫁も、久子のポックリ信仰をみとめて、「本当に御利益があるとよろしいねえ、ここで寝つかれたらどないもならへんもん、今度うちPTAの役員なって、忙しいし」あからさまに、ポックリ死ぬことを望んでいた、これまでは気にならなかったが、ヨイヨイの説教を聞いた後では、そう虫のええことばっかり考えるもんやないよと、少し意地悪したい気持もある、たしかにヨイヨイだろうとなんだろうと、少しでも長生きしたいのが、当り前なのだ、姑は生ける屍同様となっても、初物を食べるつど、「これで七十五日寿命がのびた」といっていたし、朝、妙に浮かれているからたずねると、「なんやよんべいやな気ィしてな、このまま死ぬんちゃうやろかと心細かってんけど、ちゃんと生きて眼ェさめたわ」うれしそうだった、嫁がとても面倒みてくれそうもないから、しかたなくポックリ往生をねがっているのに、そっちから、「御利益あるとよろしい」など、いってもらいたくない。春子も同じく思ったらしい、嫁は「なにも倒れてからいわんと、ふだんそのお腰してたらどないやのん」早くポックリ死んでしまえといわんばかりなのだ。「それに、うちなんや気持わるなってきてん、もともとちょっと貧血でな、ようフラッとするねんけど、そのたんびにこのままポックリいくんか思うてな、いくらうちがまだやいうてても、あの嫁、にこにこ笑うてお腰をとりかえるやろと考えると、怖ろしい気もするわ」これはいやな想像だった、風邪でもひいて寝つき、夜中にふと目覚めると、嫁が鬼のような形相《ぎようそう》で、腰巻きを手にして立っている、それくらいならしめ殺された方がましだろう、しめ殺せば嫁だって監獄へ入れられるのだから。そう考えて久子は、自分の嫁に対する憎しみの深さにびっくりした、御時世がちがう世の中変ったんだからと、あきらめているつもりだったが、それは自分をごま化していただけのことなのだ。  どちらからともなく誘い合って、二人は浄雲寺へ出かけ、ここはべつに日を決めて信者を集めるわけではなく、三十人ほどが、庫裡の板の間の上で、踊りの練習をしている。「ごめん下さい」春子が声をかけると、中の一人が「まあまあ、こっちへ上って仲間に入りなさい、和尚さんもうじきいらっしゃるから」東京弁でいい、「じゃいってみましょうか」手拍子を打ち、「仏拝むなあら、ちょいとヨイヨイ往生、ヨイヨイ。蓮のうてなあの、蓮のうてなの上めざし、それ、ヤットナソレヨイヨイヨイ、ヤットナソレヨイヨイヨイ」東京音頭の節で唄いつつ、ヨイヨイでヨイヨイの真似をする。その妙なふりに、久子こらえきれずに笑い出すと、「どうぞどうぞ、御一緒に」うながされ、ただ見ているばかりでもわるい、というより、いかにも楽しそうだから、踊りの輪に加わった。 「同じ死ぬなあら、ちょいとヨイヨイ往生、嫁や子供ォに、嫁や子供に糞の世話」「中風ノーバァイ、ちょいとヨイヨイ往生、お殿様でも、お殿様でも及びゃせぬ」一人ずつ、唄い、みんながヨイヨイヨイと唱和する。「しびんオマルに万年床に、ヨイヨイ、起きて働く奴は馬鹿、ヨイヨイ、ヨイ往生」これはデカンショ節だった、「シシババ三升食わせてもろた、ヨイヨイ、恩を返すぞうんと食えヨイヨイ、ヨイ往生」いずれもキャッキャと笑っていて、円了寺の愚痴話もあっけらかんとしていたが、こっちは心底楽しそうなのだ。  終ると、みな向き合って、「ヨイヨイ往生ヨイヨイヨイ」手をしめる、「どないです、みな朗らかなもんでっしゃろ」いつの間にか石仏爺ィがいて、久子にいい、「まあ、これで和尚さんの話じっくり聞いてみ、ポックリ往生とどっちが正しいか、よう判る」「お布施はどないしますのん」春子たずねたが、「心配せんでよろし、ここの和尚さん、ごつい信者持ってるねん、そっちからどんと入るさかいな。まあ、気の向いた時来て、それで、円了寺の方の信者をな、救うたげたらよろし、ほんまいうと、わしも前はふんどし納めた方やねん」にやりと笑った。茶菓をふるまわれるうち、和尚があらわれ、新入りは久子たちの他十五名、「今日は、人間の業《ごう》についてしゃべろうか、仏になるためには、なによりこの業を捨てなあかん、なあお婆さん、あんたまだようけ業があるやろ」久子を指さしていったから、うろたえ、「業てなんですのん」「恨みとか、怨念、それに憎しみなんかやなあ」この業は、ヨイヨイによって、すべて解消することができるという。「さっきも誰か唄うてたけど、親は子を育てる時、シシババ三升食うだけの苦労をする、その苦労は報われてるか? 報われてえへんわ、民主主義とかなんじゃとかいうて、みな自分一人で育ったみたいな顔してけつかる、こら腹立つの無理ない、お婆さん、そやろ」ずばり胸のうちをいい当てられ、久子こっくりうなずくと、「それが業や、というて、恨みを残したまま死ねば、成仏もできんし、子供にたたりをもたらす。いくら憎いというても、わるい目ェにあわせる気ィはないやろ」また久子に問いかける、「どうすれば、子供をたすけることができるか、簡単なこっちゃ、ヨイヨイなって、シシババ三升食わしたったらよろし、円了寺はんの方では、下の世話をされることが、この世でもっとも辛いみたいにいうやろ、そんなことないで、子供の頃思い出してみ、寝たなりで小便するのんは、気持ええこっちゃ」和尚うっとり眼をほそめてみせた。 「皆さんは、余りに心が優し過ぎる、自分の業をおし隠して、ただもう息子や嫁に迷惑かけんようにと、そればっかり考えてる。これはかえって、わるいたたりを残すねん、堂々と下の世話さしたったらよろし」「そやけど、辛いのちゃいますか、体がきかんと寝たなりいうのんは」春子がたずねると、「ヨイヨイというのは、仏になる用意や、辛いことなんかないで、そら、迷いがあったら怒ったりじれたりするやろ、しかし、ヨイヨイを楽しむ気持になれば、こんな楽なことない、赤ん坊にかえったつもりになるねん」「それでも、家の嫁は気ィきついしなあ」一人の老婆、心細げにいうのを、「あんたは世話になると思てるからいかんねん、嫁すくうと思わな。糞の始末させることで、自らの業を消滅し、ひいては嫁もたたりからまぬかれる。糞がとりもつ仏縁やで」 「そやけど、一日寝たなりでっしゃろ、えらい退屈しますやろなあ」「それも心配ない、まあちょっと練習せんとあかんけどな」「練習でっか」「わしらの修行は、坐禅をくむことやが、ヨイヨイの場合は、寝禅やな」つまり、睡ってはいけない、体を横たえたまま、無念無想の境地に入る練習をする、「心を無にしてしまえば、たとえば身は方丈の中にあっても、融通無礙《ゆうずうむげ》全宇宙は思いのままや」禅問答めいたことをいい、「まあ、こっちへ来て見学してみ」奥へ案内する。庭に面した広い座敷に、びっしり布団がしかれて、百人近くの男女が横たわり、「なれたら、想念をどんな風にもあやつれる、いちばん楽しかった時代にもどることも、あるいはこれまでをかえりみて、こないしたかったなあと思うねんやったら、その通りにでける。退屈してる暇なんかあらへんよ」これまでの人生を虚とし、ヨイヨイを実とするべく、ほんの少し気持を変えればいいのだ。 「なんや判ったような判らんような」帰り道、春子がつぶやいたが、愚痴話をして相憐れむより、ヨーイヨーイヨイ往生と踊っている方が、気の晴れることは確かだった。そして、和尚がさらに説いた言葉も、いちいち腑に落ちる、「皆さんはいちばんひどい目に会うてはる、女でいうと、戦中戦後の苦しい時代をくぐり抜け、子供を育ててようやく楽でけるかと思うと、そうはいかん、邪魔者扱いされて、孫も抱かしてもらえん、男はもっとひどいなあ、何十年もあくせくお国のため、家のために働いて、あげく晩酌もできへん。この上ポックリ死んでしもたら、どないなる、あんたらが気の毒なだけちゃう、楽ばっかりしてる息子や嫁のためにならんで。大威張りでヨイヨイなったらよろし、気を楽にするこっちゃ」久子は、これまで地獄図のように考えていたことが、実はそれは嫁や息子の側で、自分は和尚のいう通りに、ぼんやり寝てりゃいいのだと判る、下の世話してもらうことを恥ずかしいと思わなければいい、いくらぶつくさいわれたって、聞き流すことだ、いつまでたっても自分の勉強部屋が持てずに、孫がいや味をいったら、「はいはい、もうじき死ぬよってな」と、おとなしく出てもいいし、「はよ死ねいうんかこの餓鬼、化けてでたるぞ」とおどかすのもおもしろいだろう、まったくポックリ死ぬなど、盗人に追銭やないか。  二人は十日に一度、浄雲寺へ出かけ、寝禅の修行を行なった、じっと上を向いたきりだから、体が痛んだが、やがてなれ、心を空にした上で、思うまま妄想をえがくこともかなえられた。久子は、ついぞ考えもしなかったのに、夫に抱かれて、はっきりした喜びを身内に覚えたし、息子がまだ幼くてかわいい盛りの頃にも、もどることが出来た、ある時、自分でははっきり便所へ入って用を足したつもりなのに、気がつくと布団に洩らしていて、あわてたが、和尚は、「よろしいよろしい、大分ヨイヨイが判って来はったな、糞が出来ると、もう一人前やで」にこにこ笑っていった。  寝禅に上達すると、実際の生活の方が、なにやら手ざわりうすい感じで、家にいてもぼんやりしていることが多く、「どうやらお婆ちゃんも、呆けて来たらしいわ、お腰の出番や」息子にいっている言葉を聞いても、気にはならぬ、円了寺の祈祷をこめた腰巻きは、とつくの昔に処分してしまったが、嫁は、久子がてっきりポックリ信仰に帰依していると、思いこんでいる。久子と春子で、ポックリの信者をもう三十人近く、ヨイヨイに宗旨替えさせ、はじめ疑っている者も、和尚の説明をきくと、あっさり納得し、「クソのなあたれ流しは、クソのたれ流しは、なんじゃらほい、いつでもくさいヨイヨイヨイ、ヨイヨイヨイの、ヨイ往生」大声張り上げて唄った。  久子は早く、本当のヨイヨイにならないかと待ちのぞむ、そして、箪笥の中にある何の変哲もない腰巻きを、嫁がいそいそと当てがう姿をながめてみたい、それは幾度想像しても、思わずケタケタ笑い出してしまうほど、おもしろい光景のはずだった、仏頂面でおしめをとりかえる嫁に、「すいませんねえ、汚なくって」と涙声でいってやるのも、どんなにいい気持だろう、久子は、万事に心優しくなり、何のいや味も現実生活ではいわず、嫁や次男は、「だんだん、仏様みたいになっていくねえ」無邪気によろこんでいた。 [#改ページ]  色流れ  山を背負い、海にこぼれ落ちそうな漁村と、町を結ぶ道は、轍《わだち》に侵され硬く波うっていたが、草におおわれ、ちょっと見には原野と区別つかぬ横合いへの道、かえって平坦で足ごしらえさえ確かなら、はるかに歩き易い。月明りだけをたよりに、町からほぼ十五キロの距離|駈《か》け通して来た幸吉、何の目印もなかったが、見誤るはずもない村への、その横道へ入りこむと、足底に伝わるやわらかい感触を、一歩々々いとおしむ如《ごと》く進む。  辺りの樹に、蔓草《つるくさ》がからみついて、妖怪じみた姿をそそり立て、入るにつれ、草の丈が高くなった、ぬり籠めたような闇の中に、幸吉は村の臭《にお》いをかぎ分けていた。今の季節、家々の庭の葡萄棚に、たわわなその実が成っているはずだった、そして、いかに蔦《つた》が生いしげり柳が生えていても、何十年来耕しつづけた土がそこにある。急に道が開け、左手に会所の建物が見える、最後まで村に残った八家族が、ついに離村を申し合せた建物だった、道ばたのせせらぎが、歩くにつれ月の光をうつして白く光る、幸吉自身の、さすがに荒い息の他、物音は何もなかった。  土の臭いがそこかしこに澱《よど》んでいた、動きにつれ、それはまぜかえり、形あるものの切り口の如く、幸吉の肌をなでる、「とうとうかえって来た」うっかり言葉にしてつぶやけば、今の自分が夢の中にとけ入ってしまうような気がして、胸のうちにとどめる、はじめっからどこへも行きはしなかったんだ、俺《おれ》はずっと村にいたんだ。  右に小高い丘がある、庄屋の庭だ、昔、稔りの頃に庄屋は家族を伴って、この丘に登り、小手をかざしわが田地の穫れだかを胸算用したという、今はかなりの樹齢の杉や松におおわれている。もとより庄屋の家柄も、農地解放以後、当主は酒浸り、あげく胃癌《いがん》で死んだのだが、村そのものの立ち腐れを眼にしなくてすんだのはむしろ幸せといっていい、まして息子たちはすべて大学を卒《お》え町住い、娘もまたしかるべく片付き、村での血筋こそ絶えたが、他所に枝葉繁らせて、さすが旧家だけのことはあった。  当主の葬儀は、崩れかけた壁破れた襖障子《ふすましようじ》、黒白の幕でおおい隠し、長男がとりしきって盛大に行われ、子供たちにすれば村にも家屋敷にも何の未練あるはずなく、田畑はとっくに原野にもどっている。弔いを契機に村ときっぱり縁を切るつもりで、血縁地縁のへだてなく村人を招き、酒|汲《く》みかわして、「もう地虫みてえに、土にしがみついて暮す時代は終った。いつまでもふんぎりつけねえでいたら、ますます動きもとれねえし、貧乏くじひくことになる」長男が一席ぶった。幸吉も末席につらなり、根が好きなだけに手酌で盃いそがしく口に運びつつ、眼は元庄屋の末娘を探していた。そろって出来のいい子供たちの中で、末娘だけは中学で学業を終え、母が早くみまかっていたから、その代りを勤め、酒乱気味の父の世話はもとより、たまさか帰る兄や姉たちに下女の如く仕え、性格はこの上なく善良だが、気働きにやや欠けるところがあった。兄や姉の帰村も、この土地の水や風をなつかしんでのことではなく、長の年月売り食いでつないだといっても、まだ土蔵に残る書画骨董刀剣類をこっそり持ち出す目的、「兄さがまた何運び出すんだろ」村人噂をしたが、極道息子が夜遊びのため米俵担ぎ出すのとことなり、こちらは東京の大学生、それ以上おとしめてながめることもない。  幸吉は、かつて末娘に想いを寄せていた、いかに気働き弱くとも、相手は庄屋の血筋、こちらは水呑みの伜で、いかに時代が変ろうと所詮釣り合わぬ間柄、ただ遠くからその姿をながめ、ごくたまに、四キロ離れた川へ流木拾いに出かけたりした時、思いがけず行き逢《あ》って、二言三言しゃべる。末娘は花が好きで、四季折々の色どりを荒れ果てた屋敷のそこかしこに飾っていたが、川へやって来るのも、岸辺に咲く山|百合《ゆり》やケシの花を手折るためだった。  末娘がいつ村から姿を消したのか、幸吉、よく覚えていない、いや、しばらく見えないからどうしたのかと、あからさまにたずねることもできないまま、気をつけていると、ひょっこり丘の上にのぼって、ぼんやり村のたたずまいをながめている、そしてまたいなくなり、今度は父といい争うその声を、通りすがりに耳にしたり、およそ人に逆らう、まして父親に反抗するなど考えられないのだが、妙に切羽《せつぱ》つまった口調、意味はさだかでなかったが、幸吉、聞いてはいけないことのように思い、足早に立ち去ったのだ。 「いっそ町もんになってしまえばええのに」「とはいうても、はじめての男は忘られんというがね」「困ったことじゃなあ、あの旦那にも」「戦争中はしゃきっとしておられたのによ」農婦たちが、舞い戻った末娘の姿、遠くにながめてひそひそ話していた、この頃、幸吉はすでに嫁がいた、隣村の出戻りだったが、さびれるばかりの村の、しかも小百姓の家へ来ようという風変りな女など、他にいなかったのだ。  嫁は、町に近い土地に嫁《とつ》ぎ、その夫は勤め人だったから、これでのんびり昼は洗濯買物ができるとの胸算用あっさりはずれて、田畑が一町二反あり、年老いた夫の両親は、いっさい嫁に野良仕事押しつけたのだ。「まんまとだまされたよ、二反歩しかないときいてたから結婚したのに」村に生れながら、手を土で汚すことが、てんから嫌いだった、幸吉の許《もと》へ来たのも、耕地の狭いのが第一、そしてまた村全体が土を離れる傾向にあって、遠からず町へ移るだろうとふんだのだ。  村から人が去りはじめたのは、二十年も前からのことだ、山あいでろくに陽も当らず、斜面切り拓いた水田は一枚が何坪と文字通り猫の額にも足りず、炭を焼き、また売薬の行商を副業として、かつかつ暮しを立てる、戦後すぐはともかく、たちまち炭も売薬もすたれて、子供たちは義務教育済ませれば、弦から放たれた如く町へとび出し、盆暮の帰郷もしだいに間遠になって、ひょいと気づけば村に残るほとんどが老人ばかり。  幸吉は稲作りが好きだった、傾斜地が多いから、流行の機械とり入れることはかなわず、またそれだけの経済的ゆとりもないまま、馬一頭を相棒に昔ながらの手づくり、平地なら一反から八俵、十俵というのにここでは五俵が限度、しかし離村していく連中の水田を譲り受けて、かつかつ二人口はまかなえる、嫁はこんな暮しではとても子供など産めないといい、半ばは当っていた、小学校分校に生徒がいなくなって閉鎖、医者へいくにも、十五キロの道を、自転車こがなければならないのだ。  トラックが村にあらわれれば、それは町への引っ越しだった、郊外に簡易住宅が建てられ、県は村人の移住を奨《すす》め、就職の世話もするといっていた、お上《かみ》として当然の義務を、この山あいの村に果しつづけるのが、御荷物になったのだろう。庄屋の当主が死んで以後、べつに長男の演説のせいでもないのだが、雪崩《なだれ》うって離村する家族が増えた、町の近くに高速道路が予定され、また、靴下工場、学生服の縫製工場が造られて、老人女などの足弱もけっこう日銭を稼げる、しかもその額は村に残って地虫の如く働く数倍になるのだ。  二年前、村に八戸だけが残った。幸吉もその一戸の戸主で、離れる気はまったくない、そのため朝から嫁と喧嘩のしづめ、といっても朝は暗いうちから、馬の他に飼いはじめた鶏の餌の草刈りに出かけ、夜もどれば、さすがに疲れて焼酎二はいあおるのが関の山、死んだように寝入るのだが、嫁、負けじとこれは二級酒の四合瓶片手に「能なし、ろくでなし、どこまで私は運が悪いんだろうね、みんな町へ出たっていうのに、いやだいやだ、こんなことなら、お前のとこへなど来るんじゃなかった、飲み屋勤めでもして、おもしろおかしく生きりゃよかった」幸吉、ほとんど答えないから、喧嘩というより、嫁の一方的な口汚ないののしり、嫁も三十半ばに近く、もともと不細工な女だから、いまさら一人でとび出しもならず、実家には吝嗇《りんしよく》な兄がいて、到底ころがりこめぬ、酔って、罵詈雑言《ばりぞうごん》浴びせるだけが楽しみの如く、野良へ出た幸吉の後を追い畔道にしゃがみこんでまで、ののしりつづけ、これには耐えた幸吉だが、ようやく五百羽に増えた鶏が、伝染病のため一夜にして全滅すると、さすがに力を落した。濃厚飼料にたよらぬ鶏の卵は、殻が厚く黄味も固くて、ようやく顧客がつきはじめ、三千羽にまでなれば、暮しは楽になるはずだった。  そして、寄合いの上、合同離村が決められたのだ。  幸吉は、庄屋の庭へ入りこんだ、母屋《おもや》は屋根だけ残して、すべて吹き抜け、床板もほとんどはがれている、おのずと足が丘に向った、その上に立ったところで、以前のように村が見渡せるわけではない、まして月明りはあっても夜なのだ。子供の頃は、まだ樹木も幼くて眺望がきいた、庄屋の庭だから、そう安直に登れはしないが、暮れなずむ頃こっそり忍んで、両側から山がせまり、その山肌に刻《きざ》まれた新田と、谷間ながら奥へ向って広がる平地の水田、そのながめの、陽の移るにつれてかげり、思いがけずはるか彼方で夕陽の反射がきらめくさまを、あかずに見入ったものだ。 「幸吉さんじゃないの」思いがけず声をかけられ、ふり向くと庄屋の末娘がいた、夜目にもくっきりと色白の顔が見分けられ、以前と同じく手に花を持っていた。「どうも、しばらくです」どぎまぎして、無器用な挨拶するから、末娘にこやかに笑って、「やっぱり帰ってらしたのね」「ええ」「どうでした、町の暮しは」「いや、どうにもこうにも」月の光がなお鮮やかに輝きを増し、末娘の姿を照らし出す、こんなに若かったのかと、幸吉ふと不審に思ったが、それ以上考えることもない、いやその力は失せていた、幸吉は、嫁を殺して、ひたすらもう一度村を見たいと、駈けつづけて来たのだ。  町の生活は惨めだった、草を刈らせれば二人前働き、代掻《しろか》きならば鏡の如く田の床を整える自信があった、嫁にいわせるとグズだったが、何を手がけても仕事が念入りで、稗《ひえ》一本田に生えさせることはなかったのだ。ところが、町の仕事はまったく勝手が違った、なにより人と口をきかなければならないのが、苦痛だった。それにしてもみなよくしゃべった、野球の話題、競馬の予想、有利な仕事についての噂話、女の品定め、この話題に加わらなければ仲間はずれにされる、仲間はずれはむしろ好都合なのだが、しつこくからかいの種にされてしまうのだ。さらに扱うのが、すべて機械で、それには数多くの名称がつけられていた、「そこのハンマーとってくれ」といわれ、幸吉は玄能ならよく判るが、ハンマーは初耳だった、「この野郎何をとぼけてやがんだよ」はるか年下の男に怒鳴られ、顔に似合わずトッポイとまず評が定まり、ついで無知であることが判ると、連中は奇妙な獣見る如く、何かにつけてさらに恥かかせようと仕組む。当惑した幸吉の、他に表情つくりようもなくて薄笑いしているのが、さらに一同を苛立たせるようだった。  道路の路肩に石積み上げる作業は、稲作りの苛酷ではあってもしっとり肌になじむそれとちがって、硬く荒々しく、力仕事では人にひけとらぬ幸吉だったが、よく石で指をつぶした。掘削された土の色は赤く、臭いがまるでちがっていた。新設される道路の両側は、いずれも一年前までは美田だったのだろう、今は葦《あし》が丈高く生えていた、こういう平地の、しかも水利に恵まれた田で、稲を作ってみたい、たわわに稔《みの》り頭《こうべ》を垂れた稲穂の連なりが眼に浮ぶ、するとつい手がおろそかになり、また罵声が浴びせられる。日当は他に較《くら》べて安かったが、それでも村での収入をはるかに上まわり、嫁もはじめは上機嫌だった。 「いった通りでしょ、これが文化生活というものよ」月賦で買いそろえた文明の利器を所狭しと部屋にならべたて、昼は物珍しげに町を歩きまわって暇《ひま》つぶし。同じく離村した者の女房に誘われ、パートに出たが、なまじ稼ぐ味を覚えたのが仇《あだ》となって、小料理屋の仲居まがい、幸吉に倍する金をとり、「どうせ酔って寝るしか能がないんだから、不服はないでしょ」夜中の一時、二時に帰宅。しかし、町へ出てから幸吉は焼酎を飲んでも、自分が酔っているかどうか、あやふやな感じで、ふと気がつくと、「金北郡前畑村大字新井字新木吉野幸吉」と、かつての住所と自分の姓名をぶつぶつつぶやいている。「おい、仕事のとろいのは生れつきだとしてもな、女房くらいきちんと手綱をしめておけよ」仕事仲間の一人が、もうからかうだけの価値も認めないというように、顔をしかめて幸吉にいった。相変らず薄笑い浮べたままだから、「どん百姓め、こっちの調子が狂っちまわあ」それ以上説明はしなかったが、幸吉にもおよその事情はのみこめる。  嫉妬する気持はなかった、ただ酔えぬまま、嫁の勤める店で飲み直そうと、思いついたのだ。町へ来てからほとんど夫婦の語らいはなかった、村にいる時はまったく考えなかったのだが、今の仕事場で自分の無能さをつくづく思い知らされ、これでは嫁にないがしろにされてもしかたがない、何とか目安のつくまでと、ただ働きつづけてきた自分がまちがっていたのではないか。  あやまるつもりで出かけたその店で、幸吉は手ひどい仕打ちを受けた。あるいは当然だともいえる、とにかく小料理屋風の構え、厚化粧の女そろえた場所に、作業服のまま現われたのだから。「疫病神《やくびようがみ》、どこまで私を困らせればいいのよ、能なしのくせにやきもちだけは一人前なのかね、お前のおかげでお客をしくじったらどうする、お前の稼ぎだけじゃおっつかないんだよ」酒臭い息|吐《は》きつつ、嫁が怒鳴り、おろおろと店を出た幸吉の肩に白いものが降りかかって、指にたしかめると塩だった。  その夜から、嫁は公然と外泊し、朝、男の匂いまといつかせてもどった、幸吉は、仕事に出かける前、自分の食事と、嫁の分を用意した、「ざまはないね、いい男が沢庵なんか刻んで、なんだいこんなどん百姓の飯、誰が食ってやるもんか」嫁が、ようやく炊き上げた釜を足蹴にし、飯がぼこっと山型をなして畳にこぼれた、べつにふみにじる気はなかったのだろう、二日酔いでよろけた足が、飯の中に突っこまれた、何をすると、米作りの意地でこれをとがめ立てしたわけではない、ただとめようと腕をさしのべ、その先に沢庵刻んでいた包丁があったのだ。鎌をとがせれば村一番だった幸吉の、手入れ行きとどいた刃先が、嫁の腹に突き刺さった。  あわてて引き抜こうとしたが、そのまま嫁手前に倒れ、炊き立ての飯の山たちまち真紅に染まった。「チク生、チク生」幸吉は、すでに息の絶えた嫁の体に、幾度も包丁を突き立てた。  嫁が憎いわけではなかった、自分の運命を呪《のろ》うという意識もない、いわば嫁の白い体を耕す如く、何も考えず、おのずと包丁がふり上げられてしまうのだ。「村へもどろう、あの土間にすわって、もう一度、藁《わら》を打とう」二度と帰る当てのない家だったが、幸吉は塵《ちり》一つとどめず掃き清め、風呂の簀《す》の子《こ》を立てかけ、竈《かまど》の下の灰をならし、嫁が捨てようとした野良着いっさい洗濯して、長持に納めていた。  そのまま明日からでも、元の生活にもどれるはずなのだ、気がつくと夕暮れだった、血に汚れた衣服いっさい脱ぎ去り、幸吉は村から持って出た合羽《かつぱ》だけを身にまとい、簡易住宅を去った、隣近所すべて以前の村の衆だったが、今はまったく赤の他人に思える、先方も幸吉を無視していた。 「お嬢さんはどこへいっておいででした」「私? 私はずっとここに居たわよ、この村が好きだもの、離れるわけないじゃありませんか」幸吉、ほのぼのと胸の底が熱くなった、自分だけではなかった、二人っきりでこの村の灯を守りつづけていく、ずっと以前から約束ごととして決められていたような気さえする。 「召し上る?」末娘が、葡萄の房をさし出した、現金収入の途を得ようと、村で一時流行したのだが、粒が不揃いのため買い叩かれて、肥料代にもならなかったのだ。半ば野生化して、しかし葡萄は秋になると、実をつけた。「お家へ入りましょうか」末娘の身にまとうものはうすく、月の光にその乳首がすけてみえた、「いらっしゃいよ」幸吉、かかえこまれ宙を歩く感じで丘を降りる、吹き抜けの母屋の奥に、思いがけず昔ながらのたたずまいが残されていた。 「遠慮することはないのよ、ここには私と幸吉さんだけしきゃいないんだもの」末娘、まとっていたうすものするりと脱ぎ捨て、何の灯もないのだが、白い肌はぬめぬめと妖しい輝きをまとう、「誰がもどってきてくれるかと考えていたの、幸吉さんでよかったわ、幸吉さんはいつも私にやさしかったものね」いわれれば、兄や姉にいじめられて、べそかいた末娘を、人眼はばかりつつなぐさめたことがあった。小さな葡萄の粒のように、赤い乳首が幸吉の顔に近づいてくる、口にふくむと、末娘わずかにあえぎ、赤ん坊抱く如く、幸吉を膝に横たえた、掌になめらかなそのふとももが触れる、「いいのよ幸吉さん、好きなようにして」吸いこまれるように、指がぬめりを求めてはいずりこんだ、柔毛《にこげ》が掌にふれ、そして指がかすかな突起探り当てる。 「いつまでもこうやってましょうね、来る晩も来る晩も幸吉さんと一緒」末娘のささやきが、耳をくすぐる、それははるか天の高みで奏でられる音楽のようにも思える、舌が耳朶をはい、歯がやわらかく押し当てられる、幸吉の口の中で、乳首がひときわ硬さを増した。  幸吉の跨間《こかん》に熱い感触が生れた、「お嬢さん、もったいない」幸吉、半身を起し、末娘の頭に手を当てる、かたわらにふくよかな尻《しり》があった、仰向けにして唇を近づけると、土の臭いがした、かつて舌で土の味をたしかめたように、幸吉はむさぼる、やわらかくそしてしとどうるおっていた、ふとももが幸吉の頭をはさみこむ、末娘の舌の動きがいそがしくなった、幸吉の口に、とめどなく溢れるものが流れ入る。水の中でたわむれているかの如く、互いの重みほとんど感じることなく、また、自由に体が入れかわった、「頂戴、沢山頂戴」末娘は、幼な児のような表情で、ねだった、さらに熱いものにくるまれ、押しすすめば、そこは幾重にもひだをなしていて、その一つ一つがうねりしめつける、ひけば、ひだは凸起《とつき》に変じ、引きとめるかの如く支えて、天を衝くならば、かたいしこりが四方を固め、地にはえば羽毛が迎え、一進一退のうちにも幸吉は奥へ奥へと誘いこまれ、ふみとどまろうと乳房にしがみつき、なお足らず、唇を合わせる。 「もっと、もっとよ。私もこの村も、幸吉さんのものなのよ」幸吉はただよだれの流れるにまかせ、幾度となく背筋はい上っては、後頭部に炸裂《さくれつ》する白い光に、眼をくらませつつ、やみくもにかじりつき、もはや体動かすだけの余力もないのか、末娘の下からもくりもくりと躍動するまま、身をまかせてみじろぎもしない。 「幸吉さんの村を見てみましょうか」末娘がいった、幸吉精気まったく失せた態ながらゆらりと立ち上り、もはや誰をはばかることもない、互いに一糸まとわぬ姿で立ち出で、さきほどは聞えなかった水のせせらぎ、木の葉のさやぎ、虫の音が互いに呼びかわす如く、そして無人の家々が鮮やかに見分けられる、整然と片付けて立ち退いた家もあれば、火事場のように乱雑なままの屋敷も見受ける、いずれも庭に秋草がしげり、子供のビニールの玩具が毒々しい色をそえる。  はずれの万屋《よろずや》を過ぎると、田が広がっていた、「もうあの山の上まで水を運ばなくてもいいんだな」月が山陰に入ろうとしていた、「そうよ、何町歩あるのかしらね、平地だけで」風が渡って、草の葉先を波のようになびかせる、「抱いて」末娘が手をさしのべた。  一枚々々の田で、二人は睦み合った、土の臭いを胸いっぱいに吸いこめば、幸吉あたらしい精気の身内に充ちる思い、以前、豊作を祈って、田植えの前に、田の中で夫婦が抱き合ったという故老のいい伝えを思い出す。  土のそばにさえいれば、俺《おれ》はトロ臭くもドジでもない、機械使いの野郎たちを一度ここへ連れて来て、俺の何分の一仕事ができるか、試してやりたいもんだ、幸吉は、ふつふつと自信が湧いた、庄屋のお嬢さんと二人で、これからうんと働いて、子供を育てて、俺がこの村の庄屋になるんだ、夜明けまでさまよい歩き、元の母屋へたどりついた時は、さすがに疲れ果て、その土間にころげこむ如く二人横になると、幸吉、奈落の底に引きこまれる如き眠気に襲われ、そして、二度と眼をさまさなかった。  同じ村の者が警官の先導をして、四日後にあらわれ、まず幸吉の住まいを探したのだが、立ち寄った形跡がない、「野郎は、べつの土地にずらかったんだ、こんな廃村へ来たって、水もなければ食物もない」荒れ果てた村の風景ながめて警官の一人がいった。「しかし幸吉が、よそへ行くことは考えられないがなあ」元の村人がつぶやく。 「いくらふしだらだったにしろ、女房をあんなにむごたらしく殺したんだ、常識は通用しねえさ」無駄足ふまされたと、苛立った警官がいう、「なんだいこりゃ」さすがになつかしいのだろう、鍵をこじあけあちこちの家検分して歩いていた村人の一人が大声を上げた。 「どうした」一同が庄屋の屋敷へ足ふみ入れると、土間に、人間の形をした土のかたまりと、白骨がからみあうように横たわっている、「ここは誰の家だったんだ」「庄屋さまですが、もうとっくの昔に無人になっちまって」「男と女みてえな恰好だなあ」「なんにしても、こりゃ幸吉とは関係あるめえよ」「だが、この骨は只ごとじゃねえべ」 「ひょっとすると」村人が重い口を開いた、末娘は十六歳の時、酒に酔った父に犯され、気が触れたのだ、もともと少し脳が弱く、そのため兄や姉からうとんじられていたのだが、このことが世間に洩れては、まさしく家の恥、末娘を座敷牢へ閉じこめ、酔えば見さかいのなくなる父の、弄《なぶ》りものにさせておいた。  やがて末娘は病を得てみまかったが、兄や姉、葬儀も出さず、庭の一隅に埋め、村人もこのことを知っていたが、元庄屋の異常な事件はすなわちわが恥でもある、村の中でこそ噂でもちきりとなったが、当主が死んでしまえばそれも立ち消え、なにより村を棄てることに心せわしくて、みな忘れ去っていた。 「けしからん兄姉だなあそれは」「といっても今更何の証拠があるわけでもないし」「しかし、埋めておいたのなら、どうしてこんなところにころがってるんだ」「まあ怨念という奴じゃないか」村人と警官、冗談まじりにしゃべり合ううち、なにやら背筋の凍る思い、廃村の中の旧家の土間に横たわる白骨、舞台装置ができすぎているのだ。 「骨の方は、後で調べるとして、とにかく幸吉を捕えなけりゃなあ、ヤケを起して何しでかすか判らない」ありあわせのビニールの風呂敷に骨をまとめ、人間の形をした土くれについては、何も疑わぬまま、一同靴で踏みくずし、からからに乾いた土は、吹きはじめた山あいの秋の風に運ばれ、田の方へ流れていった。幸吉は、たしかに村へもどったのだ。