野坂昭如 好色覚え帳   第一話 旅行けば  保坂庄助は好色な小説家ということになっている。しかし好色が庄助の人柄にかかるにしろ、あるいは作品をいうにせよ、当人にその実感はまるでなく、いや、さらにいえば小説の原稿料、印税が主な収入となって、三年近いが、いまだに小説家の気分が身になじまず、悪気《わるぎ》のない官名詐称の如き、刈りたての頭のように落着かぬ居心地なのだ。だから庄助の長女が来年幼稚園で、その家庭調査表とやらの父の職業とある欄に、「自由業」と記したら、妻の日名子怒り狂って、「自由業なんて肩書きは、新聞に投書する人しか使わないわよ、少しは考えて書いて頂戴」そういえば、たしかに投書欄に自由業、団体役員というのがよく眼につく。日頃、新聞など女性週刊誌広告の見出しだけとたかくくっていた妻の、意外な観察力に感心しつつ、ひょっとすると自分も五、六年先には、「ピースのデザインを裏表同じにしたから、煙草を抜き出す際手間がかかる」など投書だけが字を書く明け暮れになりはしないかと、たちまち高い幼稚園の入学金ながめて考えこみ、まさか幼稚園にまで全学連は入りこむまい、とするとこの経営は老後の安定のために有利かも知れぬ、考えの落着く先は、先行きの飯の|たね《ヽヽ》。庄助とって三十八歳、どうみてもこれから二十年近く月二、三百枚の小説を書き続けるなど不可能なわざで、ならば、いかにして親子三人六本の箸《はし》休めずにいるか、年の暮になれば翌年の収入胸算用して、どうにか夏まではもつとわかれば安心し、そして不思議なことに、年中、老後の暮しをわが非才と考え合せてくよくよ心配するくせに、向う三カ月ほど食べられるとなれば、貯金などてんから気にとめず、右から左へ使いきって、日名子の浪費にも文句はいわないのだ。  文壇の新人賞受けるまで庄助はコラムニストといわれ、それは「赤の他人の家の門口で、その家の主人帰宅するのを待ち受け、主人と入れちがいにズボンずり上げつつ駆けだす、さてその家では以後何が起るか」といったたわいない文章で、にしても週刊誌ブームにぶつかり結構注文が多く、さらに以前はTVの脚本家、その前がCMソング作詞、ラジオコント作者、芸能事務所社員、どんどこさかのぼれば大学中退して、ドッグボーイとなったのが金|稼《かせ》いだ皮切りで、いずれもまずは半端《はんぱ》はんちくはじっこのなりわい。ほぼ一年ごとに変えて、変えなければたちまち奈落の綱渡り、そのからくりとんと舞台が移って、ふと気がつけば小説家ということになり、さてこれからはこれまでの変り身では通じまい、先生と呼ばれてまず空|怖《おそ》ろしさが先に立ち、しばらくは小説書くかたわらTVやCMソングを手がけて、いざとなったら逃げこむ逆櫓《さかろ》手ばなさず、この未練一つとり上げても、とうてい物書きの風上に置けぬ心ざまであろう。  もっとも他人様《ひとさま》はそうはみないで、現在もかたわらTVの司会者、流行歌の作詞、シャンソンまで唄うから、「蛸《たこ》みたいなもので八本の脚それぞれに稼ぐ」「雑草の如き生活力」と評し、当人にすれば、すべて何時《いつ》食えなくなるかと怯《おび》えてのこと、もっとも、蛸や雑草に今更おどろきはせぬ、花から花へ軽やかに舞う蝶の如く、女を手玉にとるプレイボーイといわれた時期もあれば、人非人《にんぴにん》とそしられ、かと思えば一転して「根は善良な男」「思いの他《ほか》に清純な人柄」となったり、そのいちいちに庄助は、人非人といえばたしかにそうかも知れぬ、親を裏切り、笑みを浮べ思いやりに満ちた表情で、友をおとしめた覚え数限りなく、清純ならそれはそれでまた、いくらか思い当る節ないでもないから、いわれるたびに反発よりも、納得してしまう。  ただ一つ、納得しかねるのが好色の貼札《はりふだ》、これは多分、プレイボーイの残像のせいなのだろうけど、いかに内心かえりみても、自分が人より好色とは解《げ》せないことだ。たしかに特飲街にはよく出かけたが、これもその街の女以外に交渉をもつ能力がないからで、同じ年頃の男の、ダンスパーティへ出かけ良家の子女と知り合った話をきけば切歯扼腕《せつしやくわん》、級友の下宿の未亡人とねんごろと知れば、その交情思いえがきつつ於奈仁にふけり、男女共学を知らないせいか、およそ素人《しろうと》女と言葉かわすことができぬ。  たまに大学の女子学生、話しかけて来れば、「知りませんね」「へーえ」など木で鼻くくったうけこたえ、たちまち離れ去った後で、焼酎《しようちゆう》なめつつ、その女子学生との会話の続きを手前勝手に自問自答し、ついにたまらず特飲街へかけこみ、似たような娼婦探してうろつきまわる。年の頃二十歳前後だったから、まず特飲へ出かける前に、これから起るであろう場面の、あれこれ思いえがいて、前戯の如くまず自ら果し、これは喉《のど》の渇いた農夫が、葡萄酒ふるまわれた時、水で渇きをいやして後、酒を口にし、とっくりその味を楽しむのと同じ意味もあった。なけなしのふところはたいてたまの遊興、そのままなら一刺突で果ててしまうのだ。  のみならず娼婦の肌のぬくもり持ちかえり、よみがえらせては、また五指とたわむれ、前ならば期待に満ちてあらまほしき娼婦の姿形、床あしらいを思いえがき、また後は、実は蚤虱《のみしらみ》ざわつく割部屋の、先客の残した怪しげなる紋様の上で、たらいに目鼻の敵娼《あいかた》だったのを、都合よくとりまとめてこれまた美化し、それぞれを対象に果すのだから、虚実いずれがより楽しいかといえば、むしろ於奈仁がまさるとさえいえた。  たしかに朝に夕に一触即発の具合だったが、これは年の盛りといった頃なら当然、特に庄助好色のしるしではなく、好色といえばさらにあでやかみやびやかな、しかも翳《かげ》を帯びて、年ふればおのずと内よりその残影のにじみあらわれ、たとえば秋の暮れつかたの如く、みる人をして心うたしめるたたずまいの、その大本となるべきものであろう。  夏ならば、裾が虫にくわれて低く吊《つ》った蚊帳《かや》の天井に、於奈仁の飛沫《ひまつ》がくっついて、あたかもつららのようになり、冬なら破れた|かいまき《ヽヽヽヽ》に、たちまち冷えて、氷ドライアイスとも異なる、男精の異様な冷気さけつつ足をちぢめ、いずれも明けて後みれば、白い汚れとなっていて、庄助の下宿の押入れには、手すさびの後始末に使用したあらゆる形の布製品が押しこめられていたものだが、あるいはあの当時に、もし男精定量説を信ずるならば、出しつくしてしまったのだろうか。三十八歳といえばまずは男盛り、それがけろっと解脱の境地、TVなどで特飲店の復活をさけび、娼婦のやさしい心づかい声高にいってはいても、さて、実際によみがえったとしたって、足ふみ入れる気力などありはしない。  現在だって、往年のそれに近い場所はあり、庄助は特飲生き残りといった面で、ある時期金を稼いでいたから、かつて年若い連中と共にいわばその先達《せんだつ》、一画にのりこみ、はやる若者制しつつ、せいてはことを仕損ずると品定め、百四、五十人はいる娼婦見てまわるうち、それまでいくらかその気のないでもなかったのが、みるみる消滅して、若獅子《わかじし》送りこんで後は、喫茶店でうっそりそのもどるのを待ち、ろくなのはいない、何も今更こんなところでと、自ら言訳してもしきれぬこれは衰えにちがいなく、なにより、たくましい娼婦の、取締りきびしい故、声こそかけぬが物陰にひそんで、往来をながめる視線に射すくめられ、なつかしいよりむしろおびえる気持が強かった。  いわゆるトルコ風呂の特殊奉仕にしても同じことで、やれシングルのダブルの、オーボエのと、奉仕の段階こそ耳学問で知っているが、女三助の前に横たわり、無念無想恥知らずな姿をさらし、一人|角力《ずもう》にうめいたりよじったりなど、到底勇気がない。しごくおとなしい真面目な男が、思いがけずにこの道の通人で、※[#歌記号]全身くまなくなめれどいかず、吹けど踊らずしゃぶれど果てず……、などいかがわしい替え歌うたって得々と語るのをきけば、なんという猥褻《わいせつ》漢と、不愉快になり、こんな情けない好色男があるものか、好色ならば、自らの恥などいとわずに性的快楽のあくなき追求をこそ心がけるべきだろうし、もしその新知識にふれたなら、女房子供かえりみずして、探検するにちがいない。  庄助には、今やまるで性的好奇心が失せているので、かつてエロ映画、秘戯見世物もよくは観た、そしてこのてのものにあきるのはいたしかたないとしても、汲《く》めどもつきず、きわめれどいたらぬ色の道については、たとえば南方の諸国にあそべば、品かわる女のかずかずよりどりみどりの噂《うわさ》があり、同業の誰かれ、さほど好色ともみえぬのが、小説家ならばかこつける理由にこと欠かず、櫛《くし》の歯ひく如く出かけるのを、むしろ奇妙にさえ思う。なによりおっくうなので、この点でも好色とはいえないだろう、女護ヶ島めがけて追手に帆を上げるなど、考えただけでうんざりするのだから。  他人様の評言にはしごく素直な庄助だが、好色の貼札だけは納得し難く、ではその筆になる小説が好色かといえば、これまたとんでもないことで、たまさか閨房《けいぼう》場面を書きはするけれども、まずは「男やみくもにとっかかり、そして果てた」といった具合、好色ならばやはり、懦夫《だふ》をして立たしめ、またかつての庄助がしたように、若者手すさびの材料にならなければならぬ、「とっかかり果てた」では、いささか資格に欠けるのではあるまいか。しかも、これすら珍しいのであり、庄助の書くもののほとんどは、空襲で黒焦げに焼かれた死体や、垂れ流しの栄養失調浮浪児が主人公なのだ。  にもかかわらず、庄助は好色な小説家ということになっていて、彼もことさらそれを否定はしない、好色という貼札は輝かしくもあざやかなものであり、現代においては英雄の条件にさえなっているのだし、ましてや自らのあわれなさまを考えれば、たしかに巨大ではあるらしいその逸物《いちもつ》、かつて留置場に庄助が収容された時、身体検査でフリチンにされ、そのさまをみて同房者が「お前、それで食いっぱぐれはねえな」庄助の股間《こかん》を顎《あご》でしゃくり、あれはまさか睾丸《こうがん》のことではなかったろう。武装解除の巨艦かかえる身としては、好色のかいかぶられ方を、大事にしなければならず、そこで必死の好色ぶりを、さり気《げ》なく演じてみせたりもする。  たとえば年甲斐《としがい》もなく、街頭で少女をひっかけるのもその一つで、同業者二、三人と共に暮れなずむ盛り場へ出かけ酒の勢いかりて、尻軽娘に声をかければ、まず三人に一人はついて来る。その成果見せつけたところで、同業と別れ、娘とさし向いになれば、酒で殺して安宿へなどとんでもない、「早く家へかえった方がいいよ」などしたり気にさとして、庄助が「根は清純」といわれて納得するのは、自分のこういう仏心が、実は、うっかりさそって後で娘の縁者に怒鳴りこまれてはかなわぬ、といって、娘をさらにうろつかせれば、必ず手だれの狼《おおかみ》にしてやられて、口惜しいからおせっかいな口上のべるのだが、ともかく清純でないこともないように思うのだ。  エロ映画の知識も同じこと、処女作に、庄助はこのての映画製作者を主人公とし、ために斯道《しどう》の権威とされているが、ここ二年ばかり観たことはないし、筋の人間と会ったこともない、だが、近頃の傾向いかになどたずねられると、「さよう、カラーシネスコオールトーキーが出まわっておりますが、考えてみるとシネスコは横に広いだけに、ベッドシーンを描くには丁度よろしいですな、一風かわったカメラワークとしましては、天井にカメラを固定して、終始|俯瞰《ふかん》撮影というのもございました、これをみてわかったのですが、あれを上下運動というのはちとおかしい」このようにと、掌二枚重ねてずり合せつつ、「女の顔が男の頭によってあらわれたりかくれたり」口から出まかせ吹いて、思いがけぬほらがうまれ、この時は庄助、ふと俺にも物書きの才能があるのではないかと考えたりする。  年来の知人ならそう無理することもないのだが、これが文壇大先輩となると、庄助は自らの貼紙に、忠実な行動をしなければ、先様をがっかりさせ、ひいては大したことない奴だとふまれやしないか、怯える気持さえ生れて、好色であろうが猥褻だろうが、とりざたされるうちが花と、そこがもともと文学とやら小説とやら無縁ですごし、三年たっても異色の肩書きとれぬ半端物書き、今年のはじめに新人賞を受けて、それまでは名のみ雷の如く耳にしていた大家の方々と、末端ながら酒席につらなることもあり、となれば狂ったように好色の身ぶり手ぶり、ようやく席を抜け出ると、身も世もなく疲れ果て、だが老大家の、噂にたがわぬ珍奇なしろものとおながめいただいた表情がうれしく、この頃はまだよかったのだが、やがて年の半ばに近く講演旅行の依頼があって、この旅行は歴史が古く、庄助ドッグボーイの頃、貸本屋一日二円の損料で読んだ有名雑誌に、当時、時めく小説家の講演旅行報告記が毎月掲載されていて、中には庄助とさして年のかわらぬ天才もいた、ああわれも人なり彼も人なりと羨《うらや》んだものだが、やれやれ待てば海路の日和かな、とうとう自分もその一員となれたわい、ほっと胸なでおろしついでに頬をつねり、歳あらそえぬ脂のまわった手ざわりながら、たしかに痛みはあって、とび立つ思い。  講演先は九州一円で、もとより空路おもむくのだが、どっこい庄助、飛行機が苦手、十年前に、芸能事務所へ勤めていた頃、はじめて大阪まで利用し、この時はようやく飛行機に乗り得たわいと、これまた感動したのだが、その三度目、大阪上空で眼下にひろがる市街見下ろすうち、ひょいとB29の乗組員もこうやってながめたのか、下から見上げたその編隊と水中花の如く炸裂《さくれつ》した高射砲弾幕が眼に浮び、「下も怖かったけど、空に浮んで高射砲に射たれてるのも気味がわるいだろう」と思ったとたん、下腹からしびれがこみあげ掌と額に汗がにじみ、なにも今更B29クルーの恐怖思いやることもないのに、それが乗り移ったようになって、以後いっさい駄目、ばかばかしくて人にいえないから、密閉恐怖症ということにしてある。  空路なら二時間半だが、陸路乗りつげば二日近くかかり、主催者側としても、庄助一人に係りつけることもならず、「三日には必ず宮崎へ来て下さいよ」くれぐれも念を押し、第一日目は宮崎、二日目が大分で、庄助の他に大家二人が講師。  庄助、予定通りに発ったのだが、なまじゆとりを持たせて旅程組んだのが仇《あだ》、大阪で一泊しても、三日昼にはゆっくり宮崎へ入れると、寄り道して心斎橋で飲み、旅に出た気のゆるみかめったにない寝過しをして、まあ汽車はいくらもあると、新幹線のつもりでたかくくっていたら、どっこいそのあたりへ北九州から急行が日に二本しか出ぬ。時刻表どうながめかえしても、空路でなければ間に合わず、となると妙に不吉な予感がして、憧《あこが》れの講演旅行の途中事故にあうなど、いかにもありそうに思えて来る。くじける心励まして、しかも宮崎までのジェット機は満席、大阪から三時間近くかかるプロペラ機に、恐怖まぎらわせるウイスキー一本近くあけて乗りこみ、うまい具合にねむりこんで目覚めれば、すでにプロペラの音はせず、時計を見ると午後五時、空港から会場まで四十分、もとより講演の順序は最初だから、今から駆けつけてぎりぎりと、どういうわけかいっこう席を立たぬ客不審に思うゆとりもなく、ドアへ向うとスチュワーデスいんぎんに一礼、「宮崎空港は天候不順のため、当機は板付空港へ着陸いたしました、お客様よくおやすみだったので、お起しいたしませんでしたが」  まだ酔っていて事態のみこめず、とにかく一人先に降ろしてもらって空港にたずねれば、他の講師の乗ったジェット機は予定通り宮崎へ着いた、ここから現地までは汽車で八時間かかる、もとより大型機が駄目なくらいだから、小型チャーターしても無理とのこと。  我が迂闊《うかつ》さは棚に上げ、初講演におくれて、二大家に穴埋めさせる仕儀となった星の悪さをなげき、とりあえず宿に入ったが宮崎へ連絡する勇気もない、つきそいの担当者は旅慣れているのだし、きっと事情わかっているはずと、自らにいいきかせルームサービスのウイスキー運ばせて、飲むうちに失敗やらかした気の焦りか、ついぞないことでむらむらと女が欲しくなり、明日は朝早く車で会場は大分だが宿は別府、本隊は午後四時に別府へ着く予定だから先まわりしてうやうやしく迎えあやまるつもり、出来たことは仕方がないと、思いも定まり、電話でフロントへマッサージを頼んだ。  庄助の耳学問では、この地に数多くの特殊奉仕を兼ねたマッサージ師がいて、なにも言葉に出して注文する必要はない、ベッドの中に生れたままの姿となり待ち受ければ、委細承知で痒《かゆ》いところにつと手がのびる。さればと、身ぐるみ脱ぎ、ひんやりシーツに五体くるまれば、なおさらに炎燃えさかり、三千円が相場ときいたが、五千円もやればきっと御の字だろう、旅の者であるとわかれば、地元に妙な噂の流れる心配もないから、尚《なお》のこと好都合ときいた、裸のみならず、雄々しき姿で待ち受ければ、|てき《ヽヽ》も張合いあるのではないか、あれこれ考えて鞭《むち》当てるまでもなく、豚児もいきり立ち、となれば待つ身に辛きベッド輾転《てんてん》反側するうち、ようやくノックがあって、まかり出たるは身の丈六尺近い偉丈夫、老年ながら骨格たくましくて、あれっとおどろくより先に白衣の袖まくって近づく。 「ちょっと待ってくれ」庄助、手で制して「ずい分早かったな、今、丁度風呂へ入って上ったところなもんで」偉丈夫返事もせず突っ立ったまま、すぐ起き上りたいが、不如意棒いっこうに身をすくめず、枕元の煙草に火をつけ、みると脱ぎ捨てた下着は、偉丈夫のすぐ横の椅子にある。  何時からなったとも覚えぬが、庄助は痔《じ》である。それも切れ痔、とさか痔、出痔、いぼ痔、という、それらしい痔ではなく、いわば汚れ痔とでも申すのか、痛くもかゆくもない、ただひたすら下着に付着する痔で、これは決して彼が事後の処理おろそかにする無精のためではない、一度の水洗いでは流せぬほどペーパー使用しても、くっきりと印されてしまうので、だから庄助は、人前で決して下着姿にならない。トルコ風呂へ行かない理由の一つがここにあるのだが、しかし、庄助は時々不思議に思うことがある。  女性には、むしろ男よりしばしば痔がみられるというのに、よくまあ平然と下着姿になれるものだ、男はパンツ一枚の時、なんとなく心落着かぬ風に、庄助以外の健痔者もみえるけれど、女性は颯爽《さつそう》としている、あるいは、その刻印ごま化すために、あのカラーパンティというのがあるのではないか、いや、さらにわからないのは、江戸時代など、なにかといえば、裾をまくって褌《ふんどし》あらわにしていた、六尺ならまだしも、越中ならば、そして痔の男なら、ちょいと具合わるかったのではないだろうか。  早糞《はやぐそ》は武士のたしなみ、また気の早い江戸っ子など、きっと力みかえっていきんだにちがいなく、ならば必ず痔が多かったろう、痔で汚れた褌を人にさらしたくなくて、まくるべきところで裾をまくれず、臆病者とそしられた侠客男伊達《きようかくおとこだて》もいたのではないか。  かねがね痔をテーマにした小説を書きたいと庄助は考えていて、しかし、今はそれどころではなかった。脱ぎ捨てた下着、たしかめなかったが家を出てはや二日目、必ずしるしはあるはずで、その下着を、フリチンのまま歩みより、はかねばならぬ。タオルはないかと探したが見当らず、毛布まきつけようにも大き過ぎる、ままよと枕を前に当て、貧弱な胸に息吸いこんで、少しでもたくましく見えるよう装い、手早くはいて浴衣をひっかけ、いわずもがなの一言。 「いやあ、徹夜で原稿書いたものだから、肩がこっちゃって、ひとつ、強くやってくれませんか」これは、自らの体裁わるさかくしつつおもねりの台辞《せりふ》、えたりや応と、偉丈夫獲物にとびかかる如くのしかかり、焼火箸あてられヤットコでつねられる難行だったが、音を上げては男がすたる、小林多喜二拷問を思えばこれしきなんのことと、脂汗流してこらえ、波にもまれる小舟の如く、海老《えび》固めやら、脳天|椰子《やし》の実割り、|尾※[#「骨+低のつくり」]骨《びていこつ》くだきと、いいようにもまれて、最後に偉丈夫、「どっこもこっとらんたい」  八百十円払って庄助|憤懣《ふんまん》やる方なく、一人寝の男がマッサージ頼んだのに、なんたる心利かぬわざと、もう一度フロントに、今度は女、それも美しいのと、美しいに意味をもたせて注文し、ふたたび裸となって果報を待つうち、なるほど美女はきたけれど、毛布まくったとたん、きゃあと悲鳴を上げ、震え声で「金はいらんと、帰してもらいまっす、電話代の十円だけいただきまっす」隅っこに身を押しこめていう、いっそとびかかりたい気持だったが、一瞬、「新人賞作家、美貌のマッサージ師に乱暴!」本紙独占緊急特報の見出しが点滅、「いいよいいよ、これとっときなさい」用意の五千円札さし出し、それを女は五体すくめつつ、ちゃっかり受けとり、すぐさま姿を消す。  乗りかかった船だから引きもならず、洋服まとうと七階からフロントに降りて、すでに係員は寝た後、夜警の爺さん一人いるのに千円つかませ、「おもしろい女いるだろ、話のわかるのがさ」頼みこめば、いかにも爺さん訳知りにうなずいて、三度目の正直の裸となり、ノックおそしと待ち受けたあげくは、五十年輩の女。「若いけん、我慢しきらんとね、街へ行けばいくらもおってじゃろうに」むんずとちぢこまった豚児ひっつかみ、切瑳琢磨《せつさたくま》の末は、「あんたち、酒飲んどるもん、あかんち」にたりと笑って、スカートのホックはずしかけたから庄助あわてて、「いや、たしかに駄目らしい、もうねむいからいいよ」二千円を渡し、女は、妙に未練の残る眼で、庄助の|なまくら《ヽヽヽヽ》に見入った。  翌朝、七時に起きて白タクを飯塚八木山越えて行橋経由別府に走らせ、二時に着き、本隊の到着平身低頭お迎えして、二大家はもとより慣れたもの、気にもしてないようでまずは一安心、「けっこうどこかでうまいことしてたんじゃないの」の御下問に、あいまいな笑いかえして、「ここは名にしおう湯の街だからね、保坂君など水を得た魚だろう、ぼくたちも、もう少し若ければ」こう励まされては、好色の一枚看板、ふるい立たぬわけにはいかないのだ。  大分での処女講演まずはつつがなく、TVで司会をしていたから、そう物おじもせず、もっともウイスキーの助けもかりたのだが、後は期待にそむかぬ夜の奮励努力いたさなければならぬ。保坂という奴は手の早い奴だ、あっという間に別府一の名妓と歓を倶《とも》にしたとか、ナイトクラブのホステスにもてたとか、せめて娼婦のハシゴをしたくらいのことがなければ、すっぽかしの返礼になるまい。  講演終っての宴会は、気もそぞろといった態《てい》ことさらに脱け出し、盛り場ほっつき歩いてみても、初めての土地で見当つかぬ、「B」がいちばん大きいクラブと女中にきいていたけど、おそろしく高いときいて勇気なく、これは庄助、銀座のバーに毒されているので、高いときけば、たちまち二、三十万とられるように思いこむのだ。  あげくの果てはトリスバー風こしらえの店を求めて飲むばかり、その酔いをかりて、運ちゃんに女をたずねれば、二つ返事で引き受け「三人来るからえらびなすって」という、曲りくねった路地につれこまれ、闇にまぎれてわからぬが、以前おでん屋でもしていた構え、土間で待つうち、玄関があいて一人はでぶで三十五、六、つづいてこれは四十がらみ、どう見たって失対の小母さん風、最後は二十七、八のまずはまずまず、はじめの二人は引き立て役かと庄助納得して、もとより最後を指名その二階へ上り、女ちょいのま二千円祝儀五百円と手を出すのに、三千円で釣りはいらぬとかっこつける。  煎餅《せんべい》布団、裸電球、達磨《だるま》の掛軸、お盆に灰皿、壁にカレンダー、すみに屑籠《くずかご》、なにもかもなつかしい風情《ふぜい》で、洋服を袖だたみに枕もとへ置き、念のため金は布団の下、手のとどくところへしまい、やがてぬっとあらわれたのは、なんと失対小母さん、押し問答の末に「お客さん私がええいいなさったんじゃろ」「ちがうよ、冗談じゃない、もっと若い人だよ」「うちより若いのなんておらんよ、まあ、そう怒りなさらんと」平行線は果てしなく、つい声荒げていた庄助、ふと気づけばここがどういう土地柄かも知らぬ、騒ぎききつけて小母さんのお兄さんでもあらわれちゃ眼もあてられず、小母さんの「女は年ではなかとよ」「うちゃ未亡人じゃけん」いいかけるのを背中にきいて身づくろい、その視線気にしつつ布団の下の札束を胸におさめ、時間は十二時近くで、もう宿にかえっても大丈夫であろう。  これが揉《も》みかえしというのか、ベッドに横たわると、首筋、貝殻骨のあたりぴりぴり痛んで、寝るに寝られず、他の御一行は地元招待で外出中、今度は正真正銘のマッサージに揉んでもらいたく、運の悪い時は、またぐれはまにパンマでも来やしないか、気になってフロントに、「変な按摩《あんま》じゃないよ、本当のマッサージ」念を押したら、フロント「当ホテルではいかがわしい者は、一切出入りさせておりません」切り口上に返事をした。  やって来たのは六十五、六、痩《や》せて小柄な盲目の按摩師、庄助の体にふれるなり、「これは痛むでしょう、柔道の方の骨つぎ筋たがえ専門の人に揉まれましたな」言い当て、しごくやさしい指つかい。  きれいな東京弁つかうからたずねると、空襲で焼けてこの地におちのびそのまま居ついたもの、「旦那のような若い方が、別府で一人寝はないでしょう」冗談のようにいい、それじゃおもしろいとこ教えてくれよと、たずねる気力も庄助は失せていて、「いやあ、女あそびにはあきたねえ、たまにゃ一人寝もいいものさ」にはじまって、昨夜からの不運つづき、せめてこの按摩に嘘八百物語って、腹いせとしたいのか、按摩を羨ましがらせたいのか、「今まで何人くらい抱いたかなあ、十四の時にはじまって二十五年間だから、年間五十人とふんで千二百五十人か、まあ千人斬りはたしかだねえ」  按摩の聞き上手につられ、この男になら何をどう法螺《ほら》吹いたって大丈夫、ということはまた、法螺吹く甲斐もないのに、まずのっけは戦争中、空襲警報下、防空壕《ぼうくうごう》の中で思わず知らず抱き合った女学生との交情、「あの女も、今頃はいい婆さんだろうな、覚えているかねえ」「そりゃ、女は誰だって最初の男性は忘れないっていいますなあ」「考えてみると、次の瞬間、爆弾でふっとぶかも知れないというおびえの中のまぐわいなんて、いちばんいいかも知れないぜ」これはまあ、現在でも庄助の考えることで、ただし実際は逃げるのに必死、女学生どころではなかった。 「千人以上知ると、たしかによくいわれる名器ねえ、巾着、蛸《たこ》、数の子天井、愛宕山《あたごやま》もひとわたり、おかげさまで経験したけどねえ」なにがおかげさまなものか、その一つにすらぶち当ったことはなく、「中にゃ逆さ巾着というのもあったねえ、お爺さん知ってる?」「いえ、存じませんな」「これは中でしまるんだねえ、こう押し出されるような按配《あんばい》になって、これもよきだったなあ、あれは四国松山の芸者だった」娼婦芸者はいうに及ばず、人妻、看護婦、女学生、BG、モデル、女優、毛唐、踊り子といたらざるはなく、年は十四歳から五十一歳の遣り手婆さんまで、しゃべるうちにいくらかは本当に自分が経験した錯覚が起って、またたくまに上下《かみしも》八百円の療治が終り、それをもう一時間延長してまでしゃべりまくる。 「じゃあ、もうとっくに別府でもお楽しみの後で」爺さんついと腰椎《ようつい》の上に指を置き、「ここの具合で色事のあるなしすぐにわかります」しまったばれたかと血が上り、というのもここのところ精進潔斎女房とも清らかな仲で、「なるほど、大分おつかれの筋とみえます」いわれてほっとしたが、今度は、ではいよいよわが精力つき果てたのかと気落ちし、「別府は湯治だよ、ここへ来てまで頑張る気もないし」「いい娘がおりますそうですよ」そしるようにいわれて、ふと庄助|癪《しやく》にさわり、「いい娘ったってねえ、正直のところ女には食傷しちゃったねえ、あたしは」「するってえと、おかまの方でございますか」老人いささかもおどろかぬ、「いや、その気はないさ、それよりマスターベーションだねえ、なんたって」「へえ、皮つるみがどうしてまた」  庄助、これまでよりさらに熱をこめて、「いくら蛸の、巾着のったって握力にゃかなわないわけだし」これなら、いちいち女の状態推量しつつ行動しなくてもいい、自分勝手にふるまい、しかも男なんてものは、女を抱く時に、現実の肌ざわり息づかいを通して、さらに理想の姿形、ありようを求めるものだ、いかに天下の美女だって三度目にはいや気がさす、美女を抱きつつ他の女を思いえがく、姿形だけではない、女の反応ということもある、男は誰だって強姦をしてみたい、抗《あらが》う力を楽しみつつの行為求める気持があるけれど、これこそ空想の中でしか満たされぬ、金で買うにしろ、惚《ほ》れ合ってのことでも、所詮《しよせん》は狎《な》れ合いなのだから。  粘膜ふれ合せつつ、男は自分の求める性的イマジネーションの世界に遊んで、そして満足するなら、なにも女はいらない、なまじ生身でそこにあるだけ、純粋な空想に入る邪魔となるではないか、「この五本の指と掌に、性的全世界がこめられているといえるんじゃないかなあ」背中揉まれつつ、半ば本気で庄助はつぶやく、アラジンのランプと同じことで、こすり立てれば巨人ならぬいかなる美女もたちどころに現われる、幼女姦だって、近親相姦だって、意のままではないか、かいまみた美女をたちまち拉致《らち》して来て、いかなる無理無体もかなえられるのだ。 「さようでございますかなあ」庄助の長広舌きき終って、老人はじめて異をとなえ、「私は、やはり生身の女の方がようございますがねえ」「お爺さんも、ずい分あそんだんだろう、いい男だし」庄助、ふと商売気が働き、見れば中高《なかだか》の昔はさぞやと思われる顔立ち、別府の按摩の色話も、仕立て直せば好色一枚看板の足《た》しと、たずねたが、「いいえ、私はこれまで一人っきゃ女は存じませんがねえ」「一人?」「ええ、うちのかかあだけでござんすが、でも、とてもそんな皮つるみがいいなんて、考えられませんですよ」  老人はたしかに六十五、六で、だが、うちのかかあといった声音、妙に若やいできこえ、「奥さんはいくつ」「あたしよか二つ上でしてね」  あらためて顔をながめた庄助に、老人もはや揉む箇所も見当らぬのか手をとめてベッドから降り、椅子にかけると、「おやすみになるまでの時間つぶしに、あたしのこともお話いたしましょうか」眼窩《がんか》のくぼんだあたりを宙にむけ、白衣脱ぎ捨て器用にたたみながら、「戦前、たって焼ける前までは日本橋に住んでおりましたよ」家業が印刷屋で、老人はその三男、長男の店を継いだ後、印刷ブローカーの店員となって、といっても宣伝のちらし、伝票、名刺、葉書など小物を扱い、蠣殻町《かきがらちよう》あたりの主に株屋廻って注文をとる。同じ町内に踊りの師匠がいて、もと柳橋の芸者、落籍《ひか》されて手活けの花の暇つぶし、近所の女に手ほどきをする、この師匠の娘が評判の美人で年頃となるにつれ、若い者の噂の的、土地柄遊び人にはこと欠かず、あれこれしかける手練手管、柄にもなく弟子入りしてみたり、芝居へさそったり、みな空鉄砲に終って、老人は年が下だから、もとより美人と知ってはいたが、想いつのらせるまえに、娘はさっさと米相場師の妾《めかけ》となって麻布《あざぶ》に居を移した。  縁は異なものというけれど、六年目に、どうやら一人前のブローカーとして独立、電話一本ひいた店も持ち、それまでは仕事一筋、つきあいの芸者も、吉原《よしわら》も知らず、堅物《かたぶつ》で押し通し、そろそろ女房をもらう気起したのも、むしろ金のかからぬ事務員雇うつもり、それが本村町《ほんむらちよう》の社長宅へ年始の葉書の校正をとどけ、材木町へむけ歩くうち、師走《しわす》へ入ったばかり、子供たち凧《たこ》上げ独楽《こま》まわしとたわむれる中に、五つばかりの子供が、細い女竹しなわせて遊んでいる。幼い頃、竹を玩具にしてはいけないと祖父にいわれたことを思い出し、それは眼を突くからだが、注意しようと近づき、子供の後ろから顔のぞかせたとたんに、竹がはじけて、老人の左の眼に突き刺さり、先端近くに節があって、抜けば眼球ごとこぼれ出しかねぬ、もとより激痛で身動き出来ず、子供は泣き出し、大人も何ごとと駆け寄って、ただうろたえさわぐうち、気がつくと、涙でぼやけた視界の中に、踊りの師匠の娘がいて、当の子供をあやしている。 「とたんにあたしは三尺ばかりの竹をひきずったまま、歩き出しましたね、こんなところを見られちゃ恥ずかしいって気持と、もし、あの子の責任てことになっちゃいけないと考えて、あたしさえだまってりゃ、あの子供は何も気づかないだろうと思ったんですが、でもおかしな話ですよ、女の顔見たとたんに、いっぺんにこれだけの分別が生れたんですから」  竜土町《りゆうどちよう》の医者で、ようやく抜いてもらい、だが左は失明、だけではなくて、残る右眼も次第に視力がおとろえ、「なんたって字が読めなくっちゃ、あの商売はどうにもなりゃしませんよ、足ふみ入れて十年近く大きなおとくいも出来ましたが、あっさり店終《みせじま》い」日一日と、朝起きるたび光が薄れ、でもあの子供をうらむ気持はまったくなくて、それよか、盲になるにつれ、子供をあやし、泣きやまぬから、少しきつい表情にかわって、しかし背中なでさすっていたあの女の姿形くっきりとあざやかに浮び上ってくる。 「つまりは惚れたんでしょうな、もう一度、顔を見に行く気はありません。旦那は眼を患ったことおありで」庄助、黒眼鏡をかけているが、これはただの近視「いやあ、ないけど」「よござんすよ、眼の病てなあ、治療が痛くってねえ、それに年中目かくしされてんだから、ほとほと神経がまいっちまう」ただ一つの救いが女の表情だった。  いよいよ失明同然となって按摩の修業、柳橋を主に笛吹いて歩き、その七年目に、どうやら視力の方は明るい方に向けば、眼の前の五本の指見分けることの出来るあたりで固まっていたのだが、それがふいにえらくはっきりと、あの女を写し出し、びっくりして他を見たが、女以外は常闇《とこやみ》に近い、「相場師の旦那が破産して芸者に出たんですが、どういう加減かあの女の姿だけは、心眼てえんですかね、なにしろよくめえるんですよ、あたしは客の肩を揉みながら、母親ゆずりの踊りを踊る女の、さす手、ひく手、たしかに見ましたよ」女に旦那がついて、今度は呉服屋、銀座のはずれに店まかされたときいたが、とても按摩とは縁がなく、時おり近くを通ってみるだけ。 「三度目に出くわしたのは、空襲の時でした」平時の名残りすべて姿消した中で、按摩だけは残っていた、元来が身体不自由の身だから兵士にとられず、材料一切いるわけではない、笛こそ鳴らさぬが、燈火管制の闇はお手のもの、唯一つの贅沢《ぜいたく》ともいえて、将校たちの宴会、闇成金の注文が多く、食物にも不自由はしない。日本橋の、本家のもつ借家に一人住い、疎開しろとすすめられるのもふり切って、稼ぎもさることながら、東京にいれば何時か女にあえるのではないか、すでに銀座の店はすべて休業で、たずねるあてはないが、この願いにすがる内に空襲、目明きさえ逃げおくれるのに、まして盲、「勘が働いたんですかねえ、音と焼ける臭いたよりに無我夢中逃げるうち、危ないってんで壕にひきこまれて、あたしは何時の間にか九段の方にまで来てたらしいんですね、ようやっと息ついて、ひょいと見たら、多分、家並みの焼ける炎の照りかえしを受けてんでしょう、赤く染まったあの女の顔が、すぐ横にあるじゃありませんか」  ようやくおさまって後、女はもとより柳橋でたまに会った按摩の顔など覚えていない、でも親切に、しばらくこの壕にいて様子をみた方がいいといってくれ、特配の握り飯を運んでくれる、翌日、日本橋へもどり、本家は後始末終えたら前橋へ落ちのびる手はず、さすが焼跡で上下《かみしも》十六文もならず、足手まといを覚悟の同行たのんで、いよいよ出立の日、気が残って九段の心当り歩くと、女の声がして、「どうなさいました、御無事でしたか」「おかげさまで、家はもう仕方ありませんが、身内のものつつがなく」「そりゃよござんした」と、声がうるんでいて、女の旦那は中気で寝たままのところを家ごと焼かれ、「いっそ気楽な一人暮しになっちまった」しかし、前の旦那との間に男の子、自分をこの盲にしたあの子供はと、聞く前に「丹精こめた息子は戦死しちまうし」いかにもくたびれたという風に、女はしゃがみこみ、老人は「あたしは按摩でございます、生命《いのち》おたすけいただいた代りといっちゃおこがましゅうございますが、きっと、少しは楽におなりんなるかも」思わず、後ろへまわって肩を揉み、背中をさすり、その間中、女はすすり泣いていたという。 「それが今の奥さん?」「ええ、まあそういうわけでしてね」「じゃまあ、皮つるみなんざ考えられないわけか、うらやましいね」「とんだのろけをきかせちゃいましたが、まあ、あたしがおくてだったせいか、この道だけはどこまでも極めつくせませんですねえ、一人の女でこれなんだから、とても二人三人と女を変えなさる方のお気持がわかりませんなあ」「じゃあ、お爺さんは、まだお婆さんていうか、奥さんと」「ええ、毎晩欠かしたことはありませんな、一晩毎に、いや営みますたびにあたらしい味わいが生れて、実をいいますと待ち遠しいほどでございますよ」  言葉通りいそいそした風情で老人立ち上るから、庄助とどめて、「あのお爺さんは六十」いいかけると「六十七になります。かみさんは六十九で」見えぬはずの眼で、庄助不審の色うかがい知ったかの如くにやりと笑い、「嘘だとお思いなら、見にいらっしゃいますかい、この年になりゃどうってこともありません。まあ、お若いのに皮つるみがいちばんなどおっしゃる気の毒な方の、参考にでもなれば」すたすた慣れた足取りで廊下を行くから庄助あわてて後を追う。  老人の家は土間からすぐ六畳一間に台所だけ、すでに内儀は部屋いっぱいに敷かれた布団に、タオルだけまとって寝入り、年相応のちぢこまった体、老人は指で上り框《かまち》をしめし、「ここにでもいて下さい」豆電球のほのくらい中を、そこかしこ動いて気がつくと一糸まとわぬ裸、するりと老婆の横にもぐり、とたんに地から湧《わ》いた如く、老婆上半身起して、襦袢《じゆばん》を脱ぎ捨て、眼がなれてその垂れ下った乳房ひっつめた白髪、太腿《ふともも》も、ただ骨にずだ袋まつわらせた如く、だが、老人下から横抱きにすくいとり、ごろりと一回転すればタオルはずれて、すべてあからさまの態《てい》、互いにやさしく、しみしわだらけの体をなでさすり、やがて老婆のものか、幼女に似た甘い声がもれ、老人はときおり太い息をつく、老婆の秘所に一本の毛もなく、老人の逸物またなえたままで、そのうち歓喜仏の形となり、庄助と見合う老婆、歯の抜けた唇だらしなく開き、半眼に白目むき出し、ぜいぜいと荒い息を吐く、しずかにゆらぎはじめ、巨木の倒れる如く横倒しになると、老人背面に上半身をおこし、豆電球に照らされた面持は、しゃれこうべに似る。  このあたりから部屋のうん気さらにこもったようで、老人老婆まさに世界に生きるものはただ二人、年ゆえに動きはにぶいが千変万化、死んだ如くに静まると、またうごめき出し、ひとしきりたかまれば、ひたと静止し、やがて老婆馬乗りとなってしばし後に、老人|嗚呼《ああ》と一声発して、ひきつけたように硬直し、さては心臓|麻痺《まひ》でもと、庄助腰浮かしかけたら、老婆はいささかもおどろかず、またやさしく老人の体をなでさすっていて、それはあの、泣きさけんでもどったわが子の背中なでながらあやしたという、五十年近く前の、内儀の姿と重なり合い、老醜もなにもない、しわもしみも消え失せて、ぬめぬめと光をはなつ男と女のまぐわいの姿、たしかにどのようにかこつけてみても、於奈仁の遠く及ぶところではない。  表へ出れば、街並みは寝静まっていても、空はすでに明けそめ、庄助ぐったり疲れていた。 [#改ページ]   第二話 あて馬  男性週刊誌編集者原信男に、現時点における学生運動の状況レクチュアをうけるのは、これが三度目であったが、何度きいてもカクマルといわれれば、チョンスケさんを連想し、チュウカク、シャセイドウについては、やや淫《みだ》らなことを思い浮べ、保坂庄助はまことに不真面目な生徒で、しかし、それもいくらかは無理のないこと。ゲバ棒持たせれば大阪I大学の連中がいちばん強くて、これがやってくると皆逃げ出すというから、機動隊を打ち負かすのかと思えば、これは民青系だから、怖気《おぞけ》ふるうのは同じ学生のカクマルであり、また一方、以前、威勢ならびなかった中核も、東大ではカクマルにおさえられ、うっかり構内一人歩きすると、引きずりこまれて、なぐられてしまう。ではこの両派|不倶戴天《ふぐたいてん》の間柄かと思えば、共同の敵は民青だという、今や三派ならぬ十三派二十八流の派閥が分れていて、お互いに主導権にぎろうと、せり合い、ではその主義主張のどこが異なるのかたずねても、要領を得ず、原青年は必死になって説明するのだが、とんとわからぬ。  ことの起りは、東大騒動の話から、全学連にいたり、庄助が「心情的にきわめて心情的に三派を支持する」といったら、原青年うれしそうにうなずき、では、投票の場合はどの政党へ入れるかというから「共産党」と答えたら、彼、世にも情けない表情で、「三派を支持していながら、共産党へ投票するのですか、インチキですよ、それは」といい、庄助それまで、三派が根っからの反日共ということすら知らなかったのだ。  庄助はこれまで、ざっとあげても、土方、ドッグボーイ、衣類行商人、セールスマン、学校教材販売人、坊主、選挙参謀、写譜屋、芸能マネージャー、林檎《りんご》取り入れ、春鰊《はるにしん》の背負い子、旅行社案内人、ラムネ瓶《びん》洗い、バーテンダーなどを経験していて、たいていの業種なら、見当がつくのだが、わからないのが学生運動と組合運動、それにお見合い。  六全協、国際派、主流派の言葉が見当つかず、日頃おとなしい男が、実は組合委員長といわれると、二重人格をみるように思い、まして上役とカンカンガクガク怒鳴り合って、交渉まとまれば、また元の間柄にもどるなど信じられず、一種の運動痴だったのだが、この原青年は、今でこそ、サイケのハレンチのと、自らもどっぷり首までつかって、最先端のゴーゴー巧者に踊るが、大学時代は全学連の闘士、これまでも話が学生運動に及ぶと、舌端火を吐く勢いでまくしたて、どうせわからぬと聞き流していたのだが、この御時勢では、そうもならぬ。  軽蔑《けいべつ》されたのをしおに、辞を低くして教えを請い、彼はこれまで出版された全学連関係の書物四冊持参して、まず予備知識に読めというから熟読|玩味《がんみ》して、どうも理解しがたい、さらに、そのレクチュア親しく受けてもよくわからないのだ。そのくせ、三派に対する親近感はあるので、その一派からカンパ申しこまれた時、いそいそと一口乗り、このことを、同じ年齢の物書きにいったら、彼は、「ぼくは常に共闘を申し入れることにしている」すなわち共闘とは、三派の出している機関誌に、彼の本の提燈《ちようちん》もった記事を掲載することと引きかえに、保釈金を出す。なるほどいい考えだと、今度来たらいうつもりで待っているが、その後あらわれず、全学連と親しいやはり物書きの伝えたところでは、「保坂はどこまで本気なのかわからない」と、指導者の一人がいっていたそうな。 「ぼくたちの頃にも、学生運動はあったけど、ぼくは酒と女に狂っていてね、くだらないアルバイトばかりしていたから、早稲田《わせだ》で事件の起きた時も居合せなかったし」いささかやましい気持はあるので、庄助の級友の何人かは、学生運動がきっかけとなり、自殺したものも、中途退学して、本職の行商人になった男もいる。 「昔のアルバイトって、どんなことやったんですか」原青年は、庄助の感傷をよそに、けろっとたずねるから、おおよその職種をあげ、おどろいたかと鼻うごめかせたが、原青年ケロッとして、「いや、いままでいわなかったんですけどね、ぼくも、妙なアルバイトしたんですよ」彼はウイスキーに酔うと、左手を胸のあたりお化けの如くたらす癖があり、そのポーズで一膝《ひとひざ》のり出し、「ひょっとするとですね、この東京に、ぼくの子供が、何百人もいるかも知れないんです、いや、本当なんですよ」  庄助、意表をつかれて、男妾《だんしよう》、コールボーイの名称がうかんだが、原青年にそのなまめかしさはなく、「人工授精知ってますね、あれやったことがあるんです」同じ下宿の、廊下隔てて向いに、医学部の学生がいて、郷里は同じ、その縁でしたしくしていたのだが、ある時、「ちょっと頼まれてくれないか」うすら笑い浮べて医学生がいい、君なら身許《みもと》もわかってるし、血統も大丈夫、それに非のうちどころない学生なんだからと、妙なお世辞いって、肝心の用件切り出さぬ。一回三千円なんだがなあと、気を持たせ、必ず承知してくれよと念押した上で、ようやく原青年の精液を欲しいと打ち明けた。 「びっくりしましてねえ、昔、将軍家なんかじゃ、オタネチョーダイとかなんとかいったそうですね」原青年、妙な声を出し、「ぼくはすっかり本番やるのかと思いましてね、その頃、まだ童貞だったんです」医学生は、しごく具体的に説明して、その誤解はとけたが、いかに三千円といっても、小便ですら恥ずかしいのに、湯気の立つ精液を人前にさらすなど気がすすまぬ、「ぼくはね、これも革命のためだと、無理矢理思いこみましてね」三千円のカンパもさることながら、わが革命の血をうけついだ生命がこの世に誕生するならば、これほどめでたいことはないではないか、大義のために私情ふりすてるべきだと、決心して大学付属病院へ出かけ、「気がかわらないようにってんでしょうね、先に金くれましたよ、領収書も書かされましてね」ビーカーを渡され、その底に水がたまっている、これは生理的食塩水なのだそうで、「これがむつかしいんですよ、保坂さん、オナニーする時は、どういうポーズですか」どういうといって、「ふつうは仰臥《ぎようが》し、両脚をやや広げて無念無想」、「それが便所でやるんです、便所」「あれはしかし、看護婦かなんかが手伝ってくれるんじゃないの」「冗談じゃないすよ、他にも三人いましてね、オナニー要員が。いっぺんに便所へ入ったんですけど、ありゃ具合わるいですよ、他の連中も今しごいてるのかと思うと、おかしいし、それにうまくビーカーへ放出するというのがたいへんなんです、中の一人なんか、大半ひっちらかして、ほんのちょびっと、ビーカーのふちにくっつけてましたけどね」  放出が近づくと、ついビーカーを忘れる、またビーカーを意識して、熱したもののそのひんやりしたふちに当ったりすれば今度は、高まった波たちまちに退《ひ》いていく。 「でもね、ぼくは優秀だったらしいですよ」原青年は、座頭市のように下三白《したさんぱく》の眼むき出していい、ビタミン剤と卵を与えられて、病院を出た時、なんとも後味がわるかったが、一週間してまた声がかかり、「他の連中はみな一度でお払い箱だったんですね、ぼくだけ再三起用されまして、よほどよかったらしいですわ」「よかったって、別に、わかるわけでもないだろ、あれは何人かの精液を混ぜ合せて使用するらしいし」「でも、長年やってると、やはり医者はわかるんでないですか、その色とか艶《つや》とかによって」  人間いろんな自慢の仕方があるもので、以前、庄助は物書き仲間と、それぞれの逸物《いちもつ》較べをしたことがあり、それは形の良さと色艶をきそうものだったが、どうみてもひねきゅうりの如くに力もなければ、生気も感じられぬ逸物の持主、「しかし、ぼくの場合、一回の射精量が非常に多いのです」と、負け惜しみいったことがある。  とにかく原青年は、その道のベテランとなって、「あれにもコツがあるんですよ、つまりですね」彼は、少年の頃に椎間板《ついかんばん》ヘルニアを患ったことがあって、不動の姿勢をとってもやや腰が後ろにひけ、そして、この基本的体形は、ゴーゴーを踊る時、まことに恰好よい姿となるのだが、その腰やや後ろにひいた形で突っ立ち、右手を前に当て、「こうきましてですね」いかにすれば、ふり散らさず、しかも自ら十分に楽しみつつ射出するか、こと細かにコーチした。 「するとなにか、何十人かいるわけだな、君の子孫が」「いや何百人ですよ、なにも三cc全部使わなくったっていいんでしょ、一ccに一億でしたか、精子の数は」なにやら地球上の子供は、すべてわが子といった表情で、「でもですね、当時は、お腹《なか》の大きい女性をみると、へんな気がしましたよ、指折り数えて、ひょっとするとぼくのじゃないかと考えたり」夢の中で、無数の胎児が、お父ちゃんと慕い寄って来たり、朝起きて、ふと赤ん坊の泣き声がきこえると、自分の精液を受けた母親が、お礼にたずねて来たのではないかと、あわてたり、「つまり、後十五、六年すると、由緒正しい全学連の血をひいた闘士が、戦列に参加するわけだね」「まあ、そういうことになります」  原青年、にやにや笑っていったが、庄助ふと気づいて、「しかし、君のところは、まだ赤ちゃんがいないんじゃなかったっけ」たずねると、彼は大袈裟《おおげさ》に頭をかいて、「そうなんですよ、これには失敗したなあ」胸にあてたお化けのような手をひらひらと二、三度ふり「うちの奴は、どうも不妊症らしいんですよ」へーえと、庄助、いかにもよくできた話で、妻ならぬ女の、種男でありながら、ついに父とはなり得ない、いわば因果|噺《ばなし》ときいていたら事態はさらに深刻で、「女房に一度、医者に診てもらえってすすめたんですが、ぼくも一緒でなければ、不公平だっていうんです。でも、ぼくは過去に、実績がありますしね、その必要はないから、そのことをついいっちゃったんですよ」すると女房殿、たちまちきりりと眉吊り上げて、「不潔!」とさけび、結婚前に幾人かの女性と交渉のあったことはとっくに承知、しかも、これは一種のオナニーでしかないのに、「そう、それでわかったわよ、だからあなた種なしになったのね、みんなよその女の人にあげちゃったんでしょ」うらみをこめていい、「実に女というのは非科学的な考えをいたしますですねえ」あらためてうんざりと原青年はつぶやき、さらにウイスキーをがぶりと飲み干す。近頃では女房殿、自分も人工授精してもらおうかしらといっていて、「でも、ぼくはいやですね、かりに種なしであっても、あんな便所でこうやって出したのが、女房の腹に入るなんて、やっぱり」と、口ごもり「大したちがいはないだろ、便所の無念無想も、ベッドの中も」庄助が冷やかすと、「いやあ、そりゃちがいますよ」彼は、結婚三年目だから、まだいささかの夢が残っているのかも知れない。 「だけど、本当に君は子供が欲しいの」「ええ、欲しいです、特にうちの女房は同い年でしてね、もうじき三十だから、これ以上たつと、高年婦初産という奴で、母子ともによくないっていいますしね」庄助、いうまいかどうかと迷っていたが、折角、原青年が、一種の恥をさらして語ってくれたのだから、いくらかお礼の意味もあって、「よかったら、君の奥さんと、ぼくとつき合せてみない?」「えっ!」原青年、腰をさらに後ろにひいて、椅子をとび上り、「保坂さんとですか、女房を」どうやら思いちがいしているようなので、「いや、つきあうといってもね、一緒に酒飲んだり、踊ったり、いや、話をするだけでもいいんだけれど」彼はなお不信の表情で「保坂さん、うちの奴に会ったことありましたっけ」「いや、ないよ、たしか結婚式の招待いただいたけど、旅行中で」「いや、いいんですけどね、奴は、割に人見知りする方でしてねえ」  庄助うんざりして、「いや、君は種男として優秀だったらしいけど、ぼくも、同じような経験があるんだなあ、こういうのは、なんていうのか」「保坂さんもやったんですか、いくらでした、昔は」いくらどころではない、金を入れあげ、さらには大学棒にふったのも、そして今のようなやくざのなりわいに踏みこんだのも、すべては、何人かの女のせいなのである。  去年の春に、庄助は九州の筑豊《ちくほう》へ取材に出かけ、小倉で泊り、そこは、もともとふつうの屋敷だったのだが、当主亡くなって未亡人の、旅館風に模様替えし、知人だけを泊めるもので、だから調度も落着いていれば、部屋も広く、なにより、食事が朝なら、手造りの香の物に味噌汁、海苔《のり》、夜は季節の家庭料理としゃれていて、庄助まことに気に入った。そこで手伝う息子の嫁、これが、またたいへんな美人で、庄助と同行したカメラマンに編集者、いずれも人妻とは思わず、しかも万事、昔風につきっきりでサービスするから、つい冗談に、夜、小倉の街で飲みませんかと誘い、さらに打ちとけて、話をきけば大阪の女子大で英文学を学んだという。  庄助、関西にいたことがあるから、盛り場の話やら、さだめし訪れたであろう京都奈良の古い寺や名所、蘊蓄《うんちく》披露して、懸命にとり入り、首尾よく小倉の夜に誘い出して、何軒かバーをまわり、さすがに土地っ子だし、どこへいっても顔が売れていて、もとより手一本にぎったわけでもない。しかし、意外と酒に強く、色にこそ出ないが、口ぶりはしゃいで、「東京に一度あそびにいきたいな」「ええ、どうぞいらして下さい、及ばずながらお供して、飲みましょう」「でも銀座って高いんでしょ」「いや、ぼくみたいな商売だと」ここで物書きの特権をにおわせ、「いくらか安くしてくれるんですよ、どうせ高くとっても払えないから」「でも、いざうかがって知らん顔されたりしたら」「そんなことありませんよ」指切りといいたかったが、それも見えすいていて、この時すでに人妻であること、亭主は未亡人の息子で、今徳山へ出張中とわかってはいた。  話題一転して、姑《しゆうとめ》はいかにも後家のふんばりといった感じだから、「でもたいへんでしょう、英文学と旅館の若奥さんじゃ、あまりかけはなれてるし」二枚目ぶっていうと、女は低く笑って答えず、わが意のあるところさらにはっきりさせるため、「近いうちに、また来ようかな、おたくは予約しとかないと泊れませんか」「いいえ、何時もすいてますわ、母の道楽でやってるみたいだから」「じゃ、あなたに会いに是非来ます」「嘘ばっかり、いそがしいんでしょ」  といったようなことで、いったんは筑豊へ移り、三日間、飯塚田川の廃坑地帯を歩いて、本当は博多《はかた》へ出るはずだったが、小倉に未練が残り、また戻って一泊、この時は亭主がかえっていて、若女房つきっきりのサービスとはいかなかったけれど、欲目だか、えらく艶《あで》やかに、わが到来を得てことの外、花やいでいるようにみえた。 「それでうまくいったんですか」「なにが」「なにがって、一儀の方は」「冗談じゃない、かりにも人妻じゃないか、まあ、上京をいくらか心待ちにしてはいたけれど、そのまま音沙汰なくてね」冬のことで、女のはいていた、今時珍しい赤い足袋が時おり浮んだけれども、庄助も忘れて、去年の十一月、また九州へ今度は地元の招待で出かけることになり、となるとすぐにあの宿屋が気になって、博多へホテル用意したというのに、予定変更小倉に泊り、相かわらず人っ気のない旅館だったが、未亡人かくしゃくとして庄助を迎え、お目当ては若女房だが、たずねるわけにもいかない。  前回とちがって、いっこう姿みせないから、帳場へ電話かけに降りたついでにたずねると、今、病院へ出かけていて、帰るのが夕方、風邪でもひいたのかと、今度は夕食を待ちかね、料理屋での宴会を断わり宿にもどると、たしかに若女房はいたけれど、これが今にもこぼれそうな狸腹《たぬきばら》であった。 「はあ、妊娠したんですね」原青年、当り前のことをいい、「保坂さんのなんですか」疑わしい目つきをする、「とんでもない、指一本ふれてないさ、しかし、君じゃないけど数えると、丁度、ぼくがその宿に泊った頃、受胎なさったことにまちがいない」「はあ」  問題は、大学を出てすぐ結婚し、それまで五年間、いささかもその気配がなかったのに、庄助の宿泊と符牒《ふちよう》合わせて、みごもった事実、なにも、これが最初ではなくて、一昨年にも同じようなことがあった。  庄助のような駆出し物書きにも、ときおり婦人文化サークルのようなグループから講演の依頼がある、もともと庄助、女は人類に非ず、あるいは赤線復活をさけんで、世の注目を浴び、スキャンダラスな存在のはずなのに、こういう|げて《ヽヽ》もたまには目先かわっていいらしく、一昨年秋のそれは、メンバーのすべて、プールのついた別荘を持ち、夏はハワイ正月は香港にぶらりと遊ぶ有閑マダムとしても上流で、これを名づけて「梨の会」。  それまでにも、庄助よりはるか先輩にあたる小説家を、築地、両国あたりの料理屋に招待しては、一席お話をうかがっていて、その豪勢なメンバーについての噂はきいていた。だから、招かれた時、ひょっとすると中の一人くらい、庄助を気に入って、別荘の一軒提供するから、心おきなく執筆して下さいとか、あるいは、どこそこの料理屋の勘定は、すべてうちの|つけ《ヽヽ》でいいから、お友達と利用してくれなど、いわれるのではないか、このあたりが庄助、もと浮浪児のいやしいところなので、まさに物書きとも思えぬ心ざまだが、つい、あれこれ都合よく考えてしまい、さて招かれたのは、築地の「K」。なるほど、絢爛《けんらん》豪華ないずれも和服を召し、指それぞれに由緒あり気な石が光っていて、コの字形にならべられた机の、上席に着座すれば、婦人方一同、只今到着アフリカの珍獣ながめる如き面持、早くも唇半開きにし、笑いころげる準備をしているから、庄助、いくらかはカッコつけようと、演題に「わが文体論」を用意していたのだが、意気消沈して、しゃべりはじめた内容は、「女性五チ論」すなわち無|知《ヽ》、エッ|チ《ヽ》、け|ち《ヽ》、やきも|ち《ヽ》、嘘っぱ|ち《ヽ》の、五つの|チ《ヽ》が女性の本質であるというもの、女性にむかって女性一般をけなすことは楽で、きく方は自分だけはちがう、ちがうとみとめているからこそあんなひどいことを平気でいうのだと受けとり、悪口|雑言《ぞうごん》ならべればならべるほど、直接の相手のプライドを高める結果となる。  一時間半ばかり、けたけたと笑いづめに笑わせて、ぐったり疲れ、しかもなおグループ有志は、新宿の当時全盛であったアングラバーを見物したいといい、亭主、子供を気にする連中をかえして、総勢六名、ぴらしゃらした若いといっても三十代の淑女連れて、表通り歩いていれば、いくらか晴れがましいけれど、いざせまい階段を降り、ドアをいくつもくぐって、たちまち耳をつんざくエレキにドラム、深海魚の如くに漂うラリパッパの少年少女の群れにまじると、一人で来ても、なにやら中年男のうしろめたさ感じるのに、これは完全な観光団のしかも婦人連。いずれ様も好奇心のかたまりとなって、抱きあうカップルを指さし、夢遊病者のように踊る若者みてはキャアキャアと打ち興じ、今にも文句をつけられやしないかとはらはらし通し。「ぼくにいって下さればよかったんですよ、これでちょっとした顔ですからね」全学連元闘士がくやしそうに口をはさむ。  中の一人に、抜きん出た美人がいて、みようみまねのゴーゴー踊る間に、名前と住所をたずね、すぐに新刊の自著を送り、その五カ月後になって、ある雑誌から、庄助に美女を一名推薦してもらいたい、他にも何人か集めてグラビアをくむからと依頼があり、えたりと、その美女をあげた。  推薦者と共に写真をとる手はずで、宮城前広場に出かけ、撮影の後、また誘えば、今度は、六本木《ろつぽんぎ》、青山がいいのではないかと、奔放に夢想し、先方はまた着物であろう、ならばこちらも大島紬《おおしまつむぎ》でと、女房を叱咤《しつた》激励着つけさせ、出かけたら、なんと美女は、どことなく輪郭のぼやけた表情で生気なく、とにかくカメラに並んで入ったけれども、終るや否や脱兎の如くに帰ってしまい、カメラマンぼやいて、「彼女、妊娠してるんですなあ、だから半分はいやだったらしいんだけど、また、十分にグラビアに出る気もあってね、OKなのか、駄目なのかよくわからなくて手こずりましたよ」雑誌が出ると、たしかにまごうかたなき妊婦のそばで、宮城背景にして庄助、天下泰平な表情をさらしていた。「この美女も、結婚して七年間、子供に恵まれなかったんだ。彼女だけじゃない、アングラバーにつきあった婦人六人のうち、四人がその近辺で受胎しておる」庄助、憮然《ぶぜん》としていい、原青年は感心して「神通力ですねえ、はらませ屋というのかなあ」ついで、やや意地悪な表情となり、「保坂さんとつきあって、火照《ほて》った体を主人の愛撫《あいぶ》にゆだね、そしてみごもるわけですか、ザ マン オブ フォアプレーですねえ」一人うなずいてウイスキーを飲む。  前戯屋である自分を知ったのは、しかし十二年前のことであった。大学へ入ると、すぐに庄助、同学年の女子学生に惚れ、それは恋愛などいうスマートなものではなくて、恋着あるいは横恋慕が似合いのみじめなもので、というのも、庄助は男女共学をそれまで知らない。大学へ入って、はじめて、女性と机をならべたのだから、あるいは誰だってよかったのかも知れぬが、一目見たとたんに、わが生涯の伴侶《はんりよ》はこれだと、大袈裟に考え、といって、いかにすれば親しくなれるのか、皆目わからない。  他の連中は、キャンパスの、いや当時は校舎にまだ焼夷弾《しよういだん》の跡が残り、爆弾受けた建物もそのままで、芝生も音楽もなく、とてもキャンパスなんてものではなかったが、それにしても図書館前の陽だまりで、男女入りまじり、楽しげに語り合うのだが、庄助は立ちまじれず、遠くから陰険な目つきでながめ、焦《じ》れて酒を飲む、この酒が、甲州直送葡萄酒の原液なるしろもの、口当りはいいが、コップ三ばい百二十円も飲むと、意識不明となり、さめて後も三日ばかりは頭が痛い。  しらふでは、懸想した女に口をきけず、つい焼酎のんで、その下宿を訪れ、はじめの一、二回はそれでも、「ボンソワール」などにこやかに笑って門口まで出て来たが、あきらかにこちらは酔っているのだし、しかもなお面とむかえば、ろくに口もきけない。悪照《わるて》れに照れて、突っ立っているだけだから、先方もあきれて、やがては呼べどさけべど相手にしなくなる、となると、「電報!」とさけんだり、塀《へい》のりこえようとして、根太《ねだ》がくさっていたらしく、塀ごと庭に倒れこんだり、ついには色好みの平仲《へいちゆう》ではないが、その下宿の便所汲取り口にしゃがみこんで、せめて女の小水の音などきいてみたく、しかもこれは、そのことで、愛想づかししようというたくらみではなくて、その音をいとおしみたかったのだ。  八つ手の葉陰にすわりこんで、たしかに入った物音があり、やがてあたりはばからぬ放屁《ほうひ》と共に咳《せき》ばらいがきこえ、これが案に相違の男で、うんざりしながら夜を過したこともある。もちろん、庄助が、女に想いをかけていると、学年中の評判となって、今度は、女がいなくても、学校へ顔を出しにくくなり、度胸つけるため、また酒を飲んで授業に出席し、ある時は教壇直下に高いびきをかき、教授は急遽《きゆうきよ》、講義の内容を変更して、酒毒の害につき、庄助を指さしながら、綿々と説いたそうな、さらには、大学創立者銅像の前に、酔いつぶれて、あおむけに寝たまま、反吐《へど》を宙に放ち、天に唾する者のことわざ通り、すべておのが面にひっかぶって、目覚めた時、反吐が乾いて、顔の皮がつっぱり、後年、女房の美容パックをみた時、すぐにこのことを思い出した。  これをくりかえしていたから、もとより想いとげるどころではなく、学校にも出られなくなって、止むを得ずアルバイトに精出したのだが、恋情燃えさかるばかりで、ある時は大手拓次の詩を剽窃《ひようせつ》し、少しばかりつくりかえ、その郵便ポストに入れてみたり、また、伝統的な野球試合の切符を闇で二枚買い求め、これを同じくして、さて当日、庄助は外野席から双眼鏡で、女のいるであろう内野席を探し求め、せめて、こうしてまでも顔をみたかったのだ。考えてみれば、女の顔は、はじめて会った時にしっかとながめただけ、後は酔っていたし、焼酎はすぐ記憶を失くさせるから、女を見た覚えがない。  卒業後、すぐに女は結婚し、さすがに庄助もあきらめて、だが、その面影の似通う女優オードリー・ヘップバーンのブロマイドだけは大事にしまいこみ、今から、十二年前のこと、その女が、どういう事情あってか、横浜にバーを出したと、噂が伝わった。  庄助、当時芸能マネージャーをしていて、いくらか名の知れた芸人ともつきあいがあり、その一人を誘って、女のバーをたずね、これは、前が前だから、あるいは迷惑がるかも知れぬ、しかし、ともあれ水商売、少しは人気のある芸人同伴なら、眼をつぶってくれるのではないか、また、いささかは、こういう連中ともつきあいのあることを誇示したいような、まこといやらしい下心で、たしかにきかされた場所に、バーがあって、庄助また心臆し、あらかじめそば屋で酒三本を飲み、ようやくドアを開け、女は、庄助のうじうじと思いえがくうちに美化してつくり上げていたイメージそのままの姿でカウンターの中にいた。先方も覚えていて、心配したほどは迷惑がらずに、むしろなつかしそうに昔をしゃべり、同行した芸人が、棚の酒の名前たずねたら、「パルフェタムール」きれいなフランス語を発音し、どういうわけか、我がことのように肩身がひろい。  それからというもの、毎夜、第二京浜をタクシーで通いつめ、芸能マネージャーというものは、その気になれば、いくらも使い込みができる。タレント出演料を放送局から受けとり、手数料さっぴいて渡すのだが、ひきのばす理由にこと欠かず、月給一万八千円では車代にもたりぬから、たちまち手をつけて、「支払いがおくれている」「手形でもらって現金化に時間がかかる」とその場かぎりのごま化しをして、一晩に二万三万の金を、女の店に払った。  バーといっても、せいぜい六人入れば満員で、常連は学生だから、庄助は自分でこの店を支えているつもりになり、学生も、常に隅に陣取って、ハナからカンバンまでねばる庄助をパトロンとみたらしく、一目置いていてまこと居心地がいい。時に、店のマッチをとどけに、女の亭主があらわれたが、場所柄心得てか、身の置きどころなくふるまい、庄助はすっかり勝利者になったつもり、「まあ、いっぱいやりませんか」すすめると、女は、「まるで駄目なんです」といい、その口調に、酒も飲めないロクデナシといった色合いがうかがわれ、といって、まだその手一つにぎったことはないのだ。  もとよりハネて後、いくらもあるナイトクラブに誘うことくらいしたが、「そんなにお金つかわせちゃわるいもの」と、これがまた庄助には、いかにも、所帯もった時のために無駄遣いしないでねと、御愛想いわれた如くきこえて、ただもう鼻の下をのばし放題、どうせ毒皿と、さらに大胆に使い込み、着物や、その頃出はじめのガスライターをプレゼント、さていつプロポーズするか、あんな働きのない亭主ふり捨てて、わがもとへ来たれ、そして二人で貧しいながらも愛の巣いとなまんと、東京でる時は思いさだめるのだが、横浜に入ると、ただもう女の顔にみとれて、ウイスキーなめていれば、至極満足。ほぼ四月間というもの、毎日通いつめて、大《おお》晦日《みそか》は休みと知っていても、ひょっとして来てはしないかと、出かけたほどだった。  年明けてしばらくすると、女はしばしば休みはじめ、それは風邪をひいたからと、きかされていたのだが、やがてまるで顔見せなくなり、バーテンダーにたずねても要領を得ぬ、現金なもので、そうなると、それまでいちいちキャッシュで払っていたのを|つけ《ヽヽ》にし、女のいないバーに半月ばかりは今夜こそと期待こめて、裏切られ、通ったあげくにバーは閉店、さっぱり事情わからなかったが、思いきって電話帳で調べ、電話かけると、女、風邪どころか浮き浮きした口調で、「だって、赤ちゃんができたんですもの、私もうあきらめてたのよ」という。言葉もなく切って、呆然自失、すでにあまり支払いがのびるから、芸人たちは文句をいい、中には放送局に問い合せた者もいる、どうつじつま合わせていいのか、ふと夢から覚めた思い、覚めれば今度は、へたすると後ろに手のまわるおびえがうまれて、八方かけずりまわり、到底、庄助一人の手に負えることではなく、ついに父から只一つゆずられた青山の土地を、足もとみられて二束三文で売り払い、支払いにあてた。二年後、その土地は高速道路の予定地になり、庄助の売り値の十倍で、国が買いとったそうだし、なお泣き面に蜂《はち》は、店の最後の頃ツケにした分の請求書が来て、庄助、それでも未練たらしく、最後までよく思われたいと、土地売った金で、第一番に支払った。 「だけど、どうしてその女性バーなど出したんでしょうね、やはり子供のいないさびしさですかね」原青年、自らにひきくらべてか深刻にたずね、庄助の後できいたところでは、当時、女の亭主に恋人ができて、たしかに女は別れるつもり、その布石としてバーをはじめたのだそうだ、庄助の眼には貧相にみえたが、亭主はすでに外車乗りまわす羽振りのよさで、何軒もキャバレー、クラブを経営し、ついうかうかと浮かれたところへ、思いがけぬ女房の抵抗にあい、閉口|頓首《とんしゆ》して詫《わ》びを入れ、そこへ思いがけずに、子宝を恵まれて元のさやにもどったという。 「するとつまり、その女性は家へかえってから、保坂さんの話などしながら、亭主と仲良くしたってわけですね」しごく残酷なことを、原青年ぬけぬけといい、このことについては保坂、もとより思いめぐらせたこと幾度か、夜おそく女がかえる、今は心入れかえた亭主いそいそと出むかえ、「どうだった、今夜は」「また、黒眼鏡がねばってたわよ」亭主いくらか猜疑《さいぎ》のまなざしで、「よほど惚れてるらしいなあ」「そのようね」亭主じれて女を抱く、女うるさそうにふり払って、「私、疲れてるのよ」亭主切なげにあきらめる、もとより惚れている男の、その風情に、女、母性愛をそそられて、ついかきいだく、そしてパチーンと受胎、「ウワハハハハ」原青年突如笑い出して、「いろいろたいへんだったんですね」  たいへんといえば、まだあるので、同級生の女の前で、醜態演じた後、今度は、進駐軍クラブに働く混血児に惚れた、混血児といっても戦前派、大連からの引揚げ者。昭和二十七年頃で、庄助は、羽田の空軍宿舎に勤め、これは、夜おそく着くアメリカ兵のために、もうけられた簡易ホテルのクローク、徹夜の仕事だが、内容は到着した兵士に空いた部屋のキイ渡すだけ、進駐軍に勤めたことがあるというと、たいていの人は庄助が、英語に堪能《たんのう》と錯覚するけれど、ここではグッナイトとグッモーニングさえあれば用が足りたのだ。  付属のレストランがあり、夜はバーと変る、混血女は夜の部のレジスターに勤め、アメリカの慣習で、兵士の大半は庄助に十セント二十セントのチップを置き、これを貯《た》めれば昼間レストランで、ターキーのサンドイッチも食べられるし、夜、バドワイザーのビールも飲める、そのうちふと混血女に気づき、彼女はエリザベス・テイラーにそっくりと、すくなくとも庄助は感じて、そういえば、同級生の女、オードリー・ヘップバーンに似てなくもない、要するに庄助、柄にもなく面食いなので、これまた一目みるやぞっこん参って、これはドルがなければ通えないから、それまでクロークにぼんやり突っ立っていたのが、積極的にGIの靴をみがき、いちいち部屋までついていってシャワーのひねり方を説明したり、いじましいチップ稼ぎ、ビール一本が十セントだが、やはり飲むならウイスキーにしたくて、まだ朝鮮戦争の戦火おさまったばかり、酔えばなぐり合いがはじまり、ビールをひっかけ合い、GIたちは気がすさんでいて、その中に庄助、ひっそり身をちぢめ、少しは口をきくようになった混血女の視線とらえようと、必死にみつめ、羽田を通過していく客はいいが、基地で働く連中、たちまち庄助のジャップにあるまじき図々しいふるまいを気にとめ、これは英語が通じないで幸いだった。向うは喧嘩《けんか》を売っているのだが、庄助さっぱりわからぬからニタニタと笑って、相手も拍子抜けがするらしい、「SOB」とか「スティンカー」「マザーファッカー」など罵声《ばせい》を浴びせるだけで、血の雨をみるまでにはいたらぬ。  それでも頭からビールはさんざん浴びせられ、足をけとばされ、その中かいくぐって通いつめ、混血女は本が好きというから、明治、大正文学全集を古本で買い求めてプレゼントし、堀辰雄、中原|中也《ちゆうや》、萩原|朔太郎《さくたろう》と、その年にふさわしい書物|購《あがな》って、半分は日本の血が流れているのだし、その意味では基地のバーにおける庄助は稀少《きしよう》価値があるはず、同じ血と血が呼び合って、なんとかならぬかと、期待していたら、案の定、仕事は深夜から朝十時まででバーから簡易ホテルへもどる暗がりのあたり、急に腕をつかまれ、見ると混血女、「あなたのところに今日、泊れる?」彼女は、蒲田《かまた》に家があるのだが、ホテルの一室に今夜泊りたいというので、あるいはこれは口説き文句だったのかも知れぬ。庄助は、しかし惚れると指一本出せない純情ぶりを発揮し、丁寧に案内して、そのまま通常通りクロークの仕事をつづけ、翌朝、混血女がかえってから、あわててそのベッドを点検したら、壁とベッドの間に、ヒップパットがあって、置き忘れたものらしい。  ものがものだけに、届けもならず、庄助の宿舎は、羽田近くの飯場《はんば》、ただもう寝るだけの蚕棚《かいこだな》だったが、そこに持ちかえって、しばらく枕がわりに使い、以後同じチャンスはなかった。 「花袋《かたい》の『蒲団《ふとん》』ばりですね、ヒップパットってどんなもんですか」原青年がたずね、それは紐《ひも》に二つ座布団をぶら下げたようなもの、「でも、それを使うようじゃ、グラマーとはいえないんでしょうね」グラマーだったかどうか、今では、リズ・テイラーに似ていたとしか記憶がないのだが、その後、庄助が基地の勤めをやめて、三十三年頃、CMソングの作詞で食っている時に、まったく突然、混血女から電話がかかって来て、会いたいという。五年ぶり、銀座のビヤホールで待ちあわせると、彼女、日本人と結婚していて、まずはつつがないのだが、主人にかくれて株に手を出し、信用取引の、うまくいっている時はよかったが、目途が狂って大損し、担保にいれた株もとられる寸前、「別にわるいことに使うつもりじゃなかったのよ、無理して家を建てたでしょ、TVや冷蔵庫に手がまわらないから、そういうのをせめて私の手で整えようと思ってね」憂いをふくんだリズ・テイラー、映画「陽のあたる場所」のラストシーンの如く、彼女は美しく、庄助、CMソングで得た泡銭《あぶくぜに》を三十万ばかりポイと渡すと、これがやはり、アメリカの血のなせるわざか、ついと身を寄せ、あれよと思う間に、ねっとりと、たしかに日本女とはちがう感触が、唇にふれた。  それから週に一度、庄助のもとに連絡があって、どうも亭主当直の日らしいのだが、混血女も飲める方だから、赤坂、銀座とはしごして、家まで送っていくと、一度はその新築の室内を見せてくれ、これもアメリカ風なのか、ダブルベッドまで案内し、今、思えばあれも一種の誘いだったのかも知れぬ。その夜、主人は出張だといっていたのだから。  結婚する気はなかったが、こうなるともはや、熟して落ちるのを待つだけの心境、唇からやがて胸のあたりに手をのばして、女は特にあらがわず、そして、さらに五万、十万とせびられるまま貸してやり、そのうち、はたと連絡がなくなって、二月三月はそのままにいたが、半年近くまでなると、これまで貸した金五十万をこえているから、根はケチな庄助、思い切って家に電話すれば、のらりくらりと逃げ口上いって、それならこちらにも覚悟がある、亭主にいってもとりかえすから、そのつもりでいろと、いささかやくざっぽくひらき直ったら、「後で必ず連絡します、それまで待って下さい」心底うちひしがれたようにいい、三日後に手紙が来て、「御相談したいと思うから、何日何時に、家まで来てくれ」とある。  今更、御相談もあるものか、こっちのお人好しをいいことにと、いきり立って庄助のりこんだら、これが、まずは六、七カ月といったお腹《なか》で、肩で息しながらウイスキーをすすめ、自分も飲みながら、「今日は、ずっとゆっくりしてらしてよ、今、主人にいわれたら、私、離婚されちゃうもの」いいつつ、机の上をながめ、そこには亭主のものらしい写真があって、これが五十五、六とおぼしき老人、「ずい分ふけてるなあ」思わず庄助がいうと、女はふっと笑い、「混血で、しかも基地なんかにつとめてたら、とてもまともな人は相手にしてくれないわよ、私ママやパパをみてたから、どうしてでもふつうの結婚がしたかったのよ、主人は二度目、つまり後妻ってわけね」  だから、爪に火をとぼして家を建て、家財道具そろえるために無理を重ね、庄助にも甘えたので「ようやく、もう駄目だと思っていた赤ちゃんさずけていただいて、でも、いけないのは私よね」混血の、リズ・テイラーにはほど遠くなったが、日本よりはるかに毛唐にちかい女の、「赤ちゃんをさずけていただいて」と口にしたのが、庄助の心にしみわたり、女は、自らの姿恥じつつも、もし自分の体を自由にすることで、もう少し待ってもらえるのならばと、口にはいわぬが、態度でしめし、前に案内したベッドルームへ誘いかける。  庄助は、ほうほうの態で辞し、この例だって、まごうかたなく、石女《うまずめ》が庄助と酒飲んだり踊ったりしたために、見事、奇跡的にみごもったのだ。 「保坂さん、ふられてばかりいるんですね」原青年首をふっていい、それはたしかにそうかも知れぬ、しかし、こちらの想いはとどかぬながら、わが純情な男心にふれて、彼女たちの、あの暗くしめってほのあたたかく、さらに奥深いあたり、つい知らずにゆるみほどけて、その後の妊娠を容易にするのではあるまいか。  庄助はふと、中学生時代、※[#歌記号]エンヤラヤのエンヤラヤのエンヤラヤのエンヤラヤ、エンヤラヤの声ききゃ、Vひらくという、猥歌《わいか》のあいの手を思い出し、自分こそ、あるいはそのエンヤラヤではないのかと思う、エンヤラヤが通れば、女ははらむ、エンヤラヤの悲しさ誰ぞ知る。 「しかし、ぼくと保坂さんがそろえば、鬼に金棒だなあ」うっとりと原青年がいい、「保坂さんが、あて馬になって、その後で、ぼくの特製精液を注入すれば、いかなる石女だって、大丈夫なわけじゃありませんか」楽しそうに笑い、しかし、原青年、保坂と自分の女房のつきあうことについては、一言もふれなかった。 [#改ページ]   第三話 星の王子さま  保坂庄助の父親は、齢《よわい》七十にして矍鑠《かくしやく》たるもの、その父からみると、庄助のなりわいなど、いかにもあやふや、うさん臭くみえるらしく、また、それは当然でもある。高等学校の頃、ノーベル文学賞いただいた大作家と同じ寮に暮し、その絢爛《けんらん》たる才能、目《ま》のあたりにしていたのだから、庄助如きは吹けばとぶように危なっかしく思えるので、たまに会えば、「いいかげんに足を洗って、俺の会社にこないか、今なら、なんとかできるぜ」と、真剣にすすめ、そのつど庄助は、親心十分にわかりつつも、癪《しやく》にさわる。  なにしろ、その月の娯楽小説雑誌の目次に、庄助の名前がないと、たちまち電話をかけてきて、「売れなくなったんじゃないか、俺のいう通りにした方がいいよ」うれしそうにいい、庄助はまた、なにも数多く書くばかりが能じゃないと、いいかえすこともならぬしがない物書きで、たしかに注文が少し途絶えれば自分でも不安になる、「こっちの落ちぶれるのを待ってるような口ぶりじゃないか」と、胸の内につぶやきつつ、うわべは「来月号をみて下さいよ」強がってみせ、父親は以前、役人勤めながら、ラジオ全盛期の芸能番組に出演して、いくらか名前が売れていたから、どうも息子と張合う気持もあるらしく、「保坂庄助さんの親父だといって紹介された、いい迷惑だ」と本気で怒ったりする。  五、六年前までは、逆で、庄助必ず父の名とこみでいわれて、ずい分いやな気がしたものだが、そしてその時、「なんだ親父など、ザ マン オブ ヴァィスじゃないか」と、心の中でののしり、つまり父親は、役人やめる時がヴァイスガバナー、副知事だったし、現在はヴァイスプレジデントで、副社長、戦時中も、防火副群長で、帝大卒業の席次が二番、常にトップにはなれないのだ。  庄助は、顔立ち背恰好父親に近いが、さらに、このヴァイスの血も色濃くひいているように思える。最近の例でいうと、ひょんなことから、庄助の小説が、アメリカで映画化されることになり、なにやかや合わせて三千万円近くの金がころがりこむなりゆき、すっかり有頂天となって、物書き仲間にいいふらし、日本での映画化原作料はせいぜい百万だから、きかされた者、いちように不機嫌となり、これが額に汗して働いた報酬なら別だが、丁度、金持ちの小父さんの遺産ころがりこんだようなもの、「まあ、娘を誘拐《ゆうかい》されないよう気をつけろ」など、いやがらせをいわれて、いっこう痛くもかゆくもない。さらに「おたくの銀行はどちらです?」など真面目にたずね、返答をきいた上で、「私は、アメリカとスイスなんですが、やはり万一のことを考えると、チューリッヒのスイス国立銀行あたりを利用なさった方が」と、せせら笑ってみせる。  しかし、いい気持でいられたのは、まさに三日で、四日目にかの三億円ギャングがあらわれ、となると、仲間たち「原作料はいくら? 三千万、なんだギャングの十分の一か」と、寄ってたかってコケにし、庄助、口惜《くや》し涙にかきくれる、どちらかといえば、かのギャングに好意的な観方の多い中で、庄助は、本気で、ギャングを憎んでいる数少ない正義漢なのであった。  小学校の時はずっと副級長だったし、中学、高校、大学いずれも二流で、しかもすべて中退している、さまざまな職業遍歴したが、これもなべて誰かの下風に立ち、レコード大賞なるものももらったが、そえもの的な童謡賞だったし、ヒットソングの作詞もしたけれど、脚光浴びたのは作曲家で、庄助は日陰者。「軽率がつきまとっている」なる名文句があるが、庄助にはヴァイスが、父の代から骨身にからんでいるようで、現在だって、物書きとしても、同じ世代見渡せば、純文学は別としても、一人、男ぶりから書くものから、人気、本の売れ行き、稿料、世渡り、才能、もてっぷり、てんで歯の立たない奴がいて、庄助は、これが気になってしかたがない。どうみても、彼奴《あいつ》いい星のもとに生れたとしかいいようがない、たとえば彼が家を建てるために、羊の皮かぶった金融屋から金借りたとする、たちまち金融屋本性あらわして、法外な利子をとりたて、彼の稿料右から左へふんだくられたとする、するってえと、金融屋は、仲間割れから、刃傷《にんじよう》沙汰起して、彼が返そうにも、一人は牢獄《ろうごく》一人は冥途《めいど》へいっちまって、借り得となってしまうなんてことがよくあるのだ。  その他に庄助も、雑誌社の依頼で、地方へ取材旅行に出かける、するとその地方三十年ぶりの雪が降って、宿は木賃宿、汽車は鈍行で、楽しみなんかこれっぽっちもない。奴が同じく出かける、この時は、昨日開業したばかりというホテルが用意され、観光業者格安で土地を五百坪提供し、飛行機に乗れば、何万人目とかに当って、記念品をせしめるのだ。それどころではない、庄助の取材が「温泉地ストリッパー」なら、奴は「地方名士令嬢訪問」と差がつき、また、グラビア頁の撮影にしても、庄助は野球選手と組まされ、奴は当代きっての美女とならび、こんな馬鹿な話はない。  銀座のバーで、かつて艶名《えんめい》うたわれた美男作家がいたが、奴の出現と共に、かの、「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」という秋田|甚句《じんく》をもじって、殿様を美男作家、本間様を奴の名前に置きかえて、今は唄われ、それを伝えきいた美男作家、地団駄ふんで、「奴をふみつぶせ」と怒鳴ったが、すぐに覚めた声で、「いや、頭をつぶしても、奴は生きかえりそうな感じだ」とつぶやき、たしかに奴はタフな印象でもあった。  本当をいうと、庄助は近頃あきらめていた、生れついてのいい星とわるい星がある以上、これはどうあがいてもしかたがない、二十年前、あわれな浮浪児だったことを思えば、高望みするものじゃない、望みちいさければ、相対的に結果が大きくなると、これはしばらく禅寺にいたせいもあって、庄助すぐに悟りきるのだが、一月前に、いつまで銀座、四谷でもあるまい、いや、そこにはにっくき奴がいる、盛り場は奴にまかせて、こっちは裏町人生、人の行く裏に道あり花の山と、下町《したまち》三ノ輪は、投げこみ寺で名高い浄閑寺、廓《くるわ》で死んだお女郎さんの亡骸《なきがら》を、その庭の穴に投げこんだという由緒の寺の近く、「やまざと」なる焼酎屋《しようちゆうや》へ出かけ、一人の人物に出会って、また考えを変えた。 「やまざと」は戦争直後、バラックの飲み屋の風格残した店で、肉豆腐、どじょう鍋《なべ》、湯豆腐、厚揚げ、柳川鍋、肉煮こみがいずれも七十円、酎は、受皿にひたひたとうれしくこぼして四十円、まず五百円あればたらふく飲み食いできて、客筋もいい、いかにも酒好き、コップ持つ手から肩にかけ、酒毒に枯れたおもむきのただよう老人が多くて、サラリーマンも少しまじる。  中に、庄助と同年輩の常連がいて、なんの商売とも見当つかず、頭は職人刈り、ジャンパーはおって、黒足袋に下駄、さぞや何代かこの土地に続いたのだろう、「徳川《とくせん》さま御盛んな頃にゃ」なんて台辞《せりふ》とび出しても、おかしくない江戸言葉をしゃべり、三度目に顔合わせた時、「こないだのTV拝見しましたよ、おたくは画面でみるとふけますね」といい、そうなのだ、奴は実物より写真の方がはるかに好くて、このことは、ある女流作家の場合とならべ文壇二奇怪といわれるほど、実物の奴は猪首《いくび》で胸も厚く骨太なのに、写真だと、いかなる不思議のなせるまやかしか、全世界の苦悩一身に背負った如く、霧の波止場でむせびなく如くに撮れる。庄助はまあ、その逆であって、「いやどうも」と、とりあえずさしさわりない返事をし、「おたくなんざ、ずい分女性を知ってんでしょうね」男は、少し酔っているらしく、無類にお人好しな表情でたずねる。「いやあ、そうでもありませんよ」「みみず千匹、愛宕山《あたごやま》、数の子天井一本松なんて、ほんとにあるのかねえ」店の主人と庄助、半々にみながら男はいい、庄助もかねがね同じ疑問はいだいていた、これまでみみずどころか、しらたき百本ほどのものにもぶち当ったことなく、「嘘でしょうな、男の願望が生んだ架空のことですよ、あんなこと考える人は、きっと短小コンプレックスを抱いていて、だから、ありもしないこといい立て、他人を苛々《いらいら》させたいんですよ」うっぷん晴らすようにつぶやくと、「巾着はあっし知ってますがね」男、庄助の気も知らぬげに「三段締めってえのかな、ありゃいいもんだねえ」「逆さ巾着もあるねえ」店の主人も加わる、「逆締めは、虎さんしらないかい」男は虎さんというらしく、「なんだい、そりゃ」「奥がしまるのよ、雁首《かりくび》ひっつかまれたような按配《あんばい》だ」「へーえ、それどこにいるの」「向島の芸者だがね、知らないかなあ小学校の先生と一緒になっちゃった、ほら」庄助は、巾着にも逆締めにも未だ当っていないから、むかついて、大体、小学校の教師が芸者と一緒になるとはなんだ、だから近頃の子供は駄目なのだと、余計な義憤まで感じた。 「向島かあ、へえ、いたかねえ」虎さんは、ふと、以前をなつかしむ顔付き、あらためて、高座の文楽そっくりの手つきで、酎を音高くすすり、「向島になにか、お安くない思い出でも?」つられて、庄助たずねれば、「いやあ、お安くないといやあ、ハハア、ありゃ高くついたなあ」笑いながらつぶやき、「ありゃいけないねえ、音にきこえた|貧乏おそそ《ヽヽヽヽヽ》だもん」主人も事情知っているらしい。いやはや|おそそ《ヽヽヽ》には種類があるもので、貧乏金持ちの別まであるのか、庄助感心し、「なんですか、その|貧乏おそそ《ヽヽヽヽヽ》ってえのは」虎さんは、いかにも物を知らない物書きだという風にながめ、「その女と寝るとね、たちまち身上つぶしてしまうか、あるいは病気、追突、離婚、不仲、火事、紛失が、奇天烈《きてれつ》に起る、ありゃ本当だね、あたしの知ってるだけでも、五人はいるよ」「例の」と、東京で名の知れた元代議士の名を主人はいって、「やっこさんの落選したのも、そうだからね」  虎さんは話好きらしく、いくらかは庄助の素性考えて、ネタ提供のつもりもあったのだろう、アポロとやらの月往復する時代に、そんな不思議のあっていいものか、半信半疑の庄助の隣に酎片手の腰をすえて、「あたしゃこれでも、尾久の近くで、ラーメン屋やってたんですよ」すぐ主人も口をそえ、なんでもあたり一番の店がまえ、当時としては珍しいラーメン専門店で使用人も四人、一日の売上げが十五万円、「ラーメンてそう元のかかるもんじゃないし、職人の手間だけみりゃいいんだからね、腐る心配もない、あまりゃ翌日まわしにして、かえって味は良くなる、ラーメンのこつはスープなんだから」いっときラーメン談議がつづき、「近頃のサッポロラーメンなんてな、油っこきゃいいと思ってる、あんなの江戸っ子が食えるもんかね」ラーメンと江戸っ子はあまり関係なさそうだが、とにかく、その隆盛きわめた店が、向島の、定奴《さだやつこ》なる芸者と知り合ったとたんに左前となりはじめた。 「ラーメン組合の寄合いがありましてね、ありゃ暮だったかなあ、こんな時でもなきゃかかあの眼ごま化せねえってんで、くりこんで」お上のお触れきびしいながら、この道抜けられますもので、首尾よくそれぞれ恋人とひきこもり、虎さんは、定奴とは初対面、なんでも大阪から流れてきた女、宗《そう》右衛《え》門町《もんちよう》に出ていたそうだが、唄わせりゃ突拍子もない声で、「にわとりこけこっこ唐辛子はからい」と馬鹿の一つ覚え、床あしらいは、「下張り」風にいうと「さんざ男の数くわえたるらしきししおきながら、自ら楽しみに欲深き方にて嘘泣きに早番ですませるを好まず、あれこれいい立て、やれなでろの吸えのと、したたか酒くらいし虎さんには、いささか有難迷惑。どちらが客やら女やら、まだよまだよと、行司の如くにいうから、虎さん心を天井の節穴に向けてなすままにさせ、やがて閨中《けいちゆう》火の如く熱し、あたりかまわずぬめりのしたたりおちて、いつしか帯も空解けるさわぎどころか、初手から裸の定奴」その時は、ただ好きな女とのみ思っていたが、ラーメン屋切りまわして、まだ三十出たばかりなのに、みようによっては四十過ぎの上さん、つい男の手前勝手にみくらべて、思いがけずに七つ下りの雨、じくじくと定奴に通いつめ、ある時は、虎さんも昔とった杵柄《きねづか》、数百合《すうひやくごう》相うって、果てた後、定奴上下から泡をふいて、一時間も眼をひらかないこともあり、また、飲みすぎて不覚ならば、むしタオルで暖めてくれたり、根はやさしい女だった。 「きっかけは、まず職人が売上げを持ち逃げしましてね、まあ、保証人もいたことだし、談判に、チーフをやったら、これが途中で交通事故にあっちゃった」いちおう職務中の怪我だから、万端面倒はみたのだが、なにせはねたダンプが個人営業で、一文の金も払わず夜逃げしてしまい、チーフ半身不随となって、見舞金百五十万。次が、息子の病気、三番目に、あろうことか店の天井のモルタルが、二坪ほど落ちた。「火もあるし、湯気も立つから、気をつけちゃいたんですよ、たしかに傷《いた》みは早いですからね」しかし、地震もないのに、それまでびくともしなかった天井が落ちるなど、まさしく|貧乏おそそ《ヽヽヽヽヽ》のたたりにちがいない。「あっしはまだ気がつきませんでしたよ、馴染《なじ》みになってからは、せんの旦那が飛行機事故で失くなったことや、いっとう初めの男が死刑になったなんて、きいたけど、どこまで本当だかわかりゃしないし、半分は、不幸な女だってんで同情する気もある」さらに交情深めるうち、虎さんはタクシーに乗っていて追突され、ムチウチ症となり、病院へ通う途中、道わるに脚をとられて、足首の骨を折り、上さんが子宮外妊娠して、「こりゃおかしい、厄年にゃ間があるけれど、神さまにおすがり申そうってんで」年のはじめに伊勢神宮へ詣《もう》で、「二見ヶ浦で、若い二人連れが、写真機よこしてね、撮ってくれってえから、写して、よしゃいいのにわざわざフィルム捲き上げてやったとたんに、手がすべっておっことしちゃって、弁償させられちまった」開運どころの話でなく、女房は、後遺症なのかノイローゼの気味となって、職人もそわそわ腰が落着かなくなる。 「左前になると早いもんでね、あっしがラーメンつくって、なんとか持ちこたえてたのが半年、そのうち店閉めてた方がまだしもましてなことになって」丁度、パチンコ屋が買いにきたから店を売り、王子にアパートの出物をみつけ、「十部屋あって、月にまず八万は入る、隠居にゃ早すぎるけれど、時世時節を待つつもりでいたら、あんた、三月のうちに自殺が一つ、心中が一つ、ガス中毒死が一つでたン」すっかりいや気がさし、アパート叩き売って、「こうなりゃ自暴《やけ》ですよ、競馬競輪ね、もちろん定奴のところへ、元凶ともしらず通って」つい、愚痴まじりの睦言《むつごと》にうちつづく不運なげくと、定奴、急にすわり直し、「ごめんなさい、うちの責任やわ」という。てやんでえ、うぬぼれちゃいけねえ、女に入れ揚げての店仕舞いじゃねえやと、いいかけたが「うちと性交した人、みなおかしなりますねん、大阪におられんようなったのも、|貧乏おそそ《ヽヽヽヽヽ》の貞勇ちゃんいうて評判立ったからですわ」性交とむき出しな言葉にギョッとなったが、|貧乏おそそ《ヽヽヽヽヽ》は初耳、貞勇は大阪での名前で、「うち年若いから、旦那さんようつくの、でも、みな貧乏なってしまう」株で損する、使いこみする、喧嘩《けんか》して大怪我したり、女房が男つくったり、いずれも、まさかあの人がと、周囲のおどろくような、凶事に見舞われ、これが入れ揚げた末の使いこみならまだ筋が通るけれど、そうではなくて、まったく魔のさしたという奴、後で考えて当人にも合点いかぬのだ。 「今になってこんなこというては、気にさわりはるやろけど、まあ、旦那さんともこれでしまいやからすっぱり話しますわ、あんたの他《ほか》にも、そら男の人いてますねん、それで、そや、知ってはるでしょ、材木屋の新兵衛さん」知ってるどころか、親戚《しんせき》づきあいの仲で、「材木トラックからおろす時に、下敷きなって骨折りはったし、火事にも遭《お》うたでしょ」たしかにその通り、「新公と、お前寝たのかい」「はあ、二、三度やけど」他に、金歯に雷が落ちて死んだ人やら、トルコ風呂で卒中になった男、原因不明の黄疸《おうだん》が出たり、女中が子供背負ってておっことしたり、必ず定奴の男には凶事がふりかかる。「私、そやからもう尼さんにでもなってと、思うけれども、弟や妹まだちいさいしねえ、お母さん一人でかわいそうやもん」しんみりと定奴はいい、虎さん、真偽のほどたしかめに、新兵衛をたずねれば、たしかに定奴と一儀あって、「いやあ、|貧乏おそそ《ヽヽヽヽヽ》は本当だぜ、銀行員が金をネコババしたり、お巡りが窃盗《せつとう》するなんて、常識じゃ考えられないことが起るのは、きっとあのたたりなんだよ」新兵衛は、金比羅《こんぴら》さまでおはらいを受け、もとより定奴と会わず、そのおもかげ思い出すことも自ら禁じて、どうやら、まともにもどれたという。 「虎さん、何度くらい寝たのよ」「まあ、五、六十回かな」「そいつはいけねえ、生命《いのち》につつがねえのが不思議なくらいだ、すぐ、おはらい受けるんだなあ」「金比羅さまって、そんなのもやってくれるのかい?」「ありゃお前、別名船玉さまってえだろ、だから関係なくもないさ」たしかに金比羅さまは、船の守り神にはちがいない。 「それから気をつけてみてますとね、なるほど定奴とおねんねした奴は、百発百中だめになってますね、ねえ」虎さん、主人に同意を求め、主人もうなずく。「その、定奴さんは、今、どうしてます」「ええ、向島にいますよ、東京は広いからね、浪花《なにわ》とちがって。そうおいそれと噂《うわさ》にもなりゃしねえや」そして、庄助の顔をながめ、「いくら小説家ったって、やめた方がいいですよ」もちろん、庄助にその勇気はない、たちまち盗作かなにかしそうで、そうでなくても、いったい何を書いていいのかわからず、白い原稿用紙が限りない砂漠にみえるおりふし、どこかに無名の天才でもいて、代筆してくれないものかと、妄想《もうそう》し勝ちなのだから。  庄助が、くわしく定奴の消息たずねたのは、実はあのいい星の下に産れた奴を、定奴とかけあわせてみたら、どうなるだんべと、はじめ思いつきだったのだが、さてよくよく考えりゃ、これは天来の妙案かも知れぬ。  奴も人並みには女好きだろうし、大ファンの芸者が会いたいといってるなどつげれば、これは誰だって相好《そうごう》くずすはず、あらかじめ定奴に金をわたし、因果ふくめて、いかにも身銭《みぜに》切ってまで、首尾を遂げたい風にしつらえる、いくらいい星だって、これほど霊験あらたかな|貧乏おそそ《ヽヽヽヽヽ》にはかなうまじ、二年もすりゃ、奴は落ちぶれて、そうだ、奴はよく外国へ旅行するから、ひょっとしてピストルを買い求め、税関で摘発されるかもしれぬ、「人気作家ピストル密輸入」さだめし週刊誌が書きたてるだろう、あるいは魔がさして、幼児姦など行うか、盗作は、これはしないだろうな、残念ながら、小説の才能は天才的なのだから。  庄助、うっとりと考え、にやにやと妄想笑い浮べ、奴め、今頃、何も知らずに銀座でヤニ下っているのだろうが、晦日《みそか》に月の出る里にゃ、闇もあるし|貧乏おそそ《ヽヽヽヽヽ》だってあるのだ、やがて奴の落魄《らくはく》したあかつきは、まあ、二、三日居候させてやるのも悪くはない、これは一種の文壇美談となるであろう。  だが、奴はまことに神出鬼没であって、それは各雑誌社が、我れ先に罐詰《かんづめ》すなわち、奴を拉致《らち》してはホテルに閉じこめ、ほんの二、三枚の雑文だろうが、日記の一端だろうが、その原稿が掲載されれば、それがその月の大看板となる売れっ子ぶり、留置場ならぬ豪華ホテルのたらいまわしでつかまらぬせいもあるが、このあわただしい中にあってさえ、編集者の眼まんまとかいくぐって奴は脱出をはかり、庄助、たしかにここときいて出むいたホテルはしばしばも抜けのからで、同じく浮かぬ有明け面の編集者と、バーで酒|汲《く》みかわし、暁までつきあって、もう戻った頃とホテル訪れたら、いつ書き上げたか大部の原稿、フロントに預けてあって、御当人は関西へ取材に出かけた後。  だが、庄助の悲願天に達したか、奴の悪運つきたるか、定奴の話をきいて三月後に、六甲山《ろつこうさん》はオリエンタルホテル、神戸は庄助の故郷であり、その縁でもってときおり、中学校の講演会などに弁士として招かれる、この時もそうで、謝礼金はいらない、六甲山上のホテルに泊めてくれればいいと、半分は神戸に寄せる想いを売物にして、その一人部屋に泊り、季節はずれで他に客の姿もないロビー、うっそり新聞を読んでいたら、「どげんしたとね、こんなとこにいなはったとかね」六尺豊かの奴が、原稿執筆の疲れ、いささかも見せぬいい顔色で声をかけた。  奴は、九州|博多《はかた》の出身で、その訛《なま》りをいささかも気にせず、それがまたいかにも誠実な印象を人に与えるのだが、庄助、不意をつかれて気押され、「よう、いや、ちょっと気分をかえてみようと思ってね」いかにも、原稿に追われているかの如くとりつくろい、「よかよか、わしゃ二日前から宝塚ばきちょるとよ、なんば知らんが、宝塚の台本書けとたのまれて、タカラジェンヌと二日つきおうたたい」  庄助の憧《あこが》れの的は宝塚で、あのグリーンの袴《はかま》丈短くはいて、白足袋とのあいまに見えかくれする素脚のたたずまい思うたび、胸が高鳴るのだが、なんと奴はちゃっかり、かの聖なる花園にむくつけき足跡を印そうとしている、危うしタカラジェンヌ、正義の味方|貧乏おそそ《ヽヽヽヽヽ》の力一刻も早くかりねばならぬ。庄助、せいぜい気のないそぶりで、「あすこにゃ、演出関係に大姑《おおじゆうと》小姑が多いから、やりにくいらしいぜ」「うんにゃ、すべてまかすちゅうとるんじゃけんどなあ、まあ、御馳走になりっぱなしも悪いでくさ、主題歌だけ一つ書いてみたばってん、なんちゅうたか、小城なんとかという男役がえらい気に入ってくれて」小城都のことであれば、これは当代一の人気者にちがいない、「何時《いつ》、東京へかえるんだい」「今晩、神戸のクラブへ踊りにいこいわれとってなあ、そうじゃ、保坂さんいっしょにつきあってくれんとかね」冗談いっちゃいけない、奴のツマになどされてたまるものか、まなじり決して「東京の向島に、あんたのファンがいてねえ、是非とも会いたい、もちろん費用すべて向うもちでといってるんだけど、どう暇な時に」つげたのだ。  もう少し婉曲《えんきよく》に切り出すつもりが、そのゆとりなくて、ポン引きよろしき口上のべると、「芸者か、わしの小説を芸者も読みよるとかね」「そりゃそうだよ、君は満天下子女すべてのアイドルなんだから」「ふーむ、しかし、愛読者ならば、そう冷たくもでけんなあ」なにいってやがる、据膳《すえぜん》食うのにいちいち理由などつけるない、庄助の心中まったく推察する気配もなく、奴はいかにも男性的な横顔向けて神戸の街を見下ろし、「保坂さんもいっしょに行ってくれしゃるとね」「ああお供しますよ」「だば、この土曜日はどげんもんじゃろか」  たとえその日、定奴の都合わるくとも、金でなんとかなる筈、この機のがしてなるものかと、庄助もしかつめらしく手帳とり出し、土曜日に予定書き入れ、ふとみると奴のそれは赤黒青、色分けのスケジュールがびっしりつまっている。  すぐさま東京にとってかえし、虎さんに連絡をとり、定奴の置屋たずねて、「話きくだけにしときなさいよ、ちょいと色っぽいとこもある女でね、ふらふらっとなったら一巻の終りだよ」虎さん、よほど身にしみているのか、あらためて注意し、とりあえず下検分、向島の料理屋へ正義の味方をよぶと、いくらか噂もひろまっているのか、いかにも売れない芸妓といった態《てい》の、その眼で見るせいか、貧乏たらしい定奴があらわれた。  庄助、定奴の吐く息を身に受けても、そのたたりあるように怯《おび》えて、炬燵《こたつ》はさんでさし向い、初雪はとうに過ぎたが、四畳半にいながら話はずまず、といって、どう切り出していいものやら、沈みがちの定奴ながめつつ思案のあげく、ようよう土曜日のお座敷たずねると、あいている。「小説家の」と、奴の名をあげ、「知ってるだろ?」「知らん」横に首ふったから、庄助の心はずんで、「まあ、今売り出しの男なんだけど、この人がね、あけすけにいっちまえば、女にもてなくてねえ」別に筋書き用意してきたわけではないが、口から出まかせに、金も地位もあるのだが、どういうわけか女に縁がなくて、たいへん悩んでおられる。そこでといってはなんだが、ひとつおなぐさめして下さらないだろうか、お座敷で、その先生の著書などとり出し、サインねだるとか、あるいは先生の写真切り抜いて、いつも財布に入れているなど、いってもらいたい。 「その先生いい男?」定奴は、庄助の弁説|上《うわ》の空できいているようで、ぽつりといい、「そりゃまあ、好き好きだろうけど、男性的ではあるねえ」「男性的な人、うち好きやねん」「じゃ丁度いいや、ひとつ頼みますよ」すぐさま五万円とり出して、「たっぷりサービスしてあげてください、なんたって女にもてないというのは、人生の悲劇だからねえ」「うちみたいなんでええのかしら」「そりゃもう大感激ですよ、だから、くれぐれもファンだっていうふりを忘れないでね」「旦那さん、先生のマネージャーなん?」「うん、まあ、そんなようなものだけどね、とにかく、ぼくが頼んたなんていったらぶちこわしだから、くれぐれもわからないように、自発的にみせなきゃだめだよ」  いさい呑みこんだのかどうか、しごく頼りなかったが、ともあれ浪花江戸と、何年も色の道に身をひたしてりゃ、このあたりのとりしきりにそつあるわけはなかろう、土曜の夜八時から料亭「仙庭屋」での逢瀬《おうせ》約束して、もとよりそのまま泊りの仕度も、定奴にいいふくめる。  さて当日は、手前が遊ぶわけでもないのに、風呂へ入りクリーニングからもどったばかりの背広若造りに着こなし、場所がわからぬというからPホテルに奴を迎えに行く、ロビーの一隅に編集者列をなして、奴と打ち合せの順を待ち、そのかたわらになんとなく腰下ろしていたら、やがてカメラマンの一人、「ちょっとすいません、どいて下さい」押しのけられる始末。  庄助は、よく「一人おいて」という言葉思い浮べることがあり、これは全集など巻頭の写真に、当人ほか何人もが一緒に写り、その人物の名前が付記され、この時、よく「一人おいてナニナニ氏」と説明されることがあって、その「おかれた」人間は、ずいぶん悲しいであろう。パーティなどで、他の諸先輩と撮られた写真の、なにか公的に使用される時、自分も「一人おいて」になるのではないかと考え、「どいて下さい」とカメラマンにいわれた際、またふっと思い出し身ぶるいしたのだが、なに、われに|貧乏おそそ《ヽヽヽヽヽ》ありと気をとり直す。  二時間待ってタクシーを下町に走らせ、奴は「どげん芸者かいね、すごい姥桜《うばざくら》じゃなかとね」「冗談じゃないよ、ぼくなんざ羨《うらや》ましくて切歯扼腕《せつしやくわん》さ」「うまかこというて、だまくらかすのではなかと」さすが物書きだけあって、いくらか不審もいだいているらしい。  定奴一人というわけにもいかぬから、他に二人の芸者も招《よ》んであって、座敷に入るなり「きゃっ、ほんとだわ、私、どうしよう」そのツマの方が、定奴からきかされた奴の名前を知っていて、みるなり身も世もなく上ずり、「あらあ、こんなとこにも先生いらっしゃるのね、信じられないわ」すぐさまべったりと奴のかたわらにはんべる。 「いやいや、今夜は、定奴ちゃんの御指名なんだから、まあ、君たちは少し遠慮して」庄助あわてて、奴と定奴を上座にお雛《ひな》様の如くならばせ、定奴も心得て、相棒に自分よりは上玉《じようだま》をえらばなかったし、自身磨きかけてきているから、一座ではピカ一、「先生、ごめんちゃいねえ、おいそがしいところわざわざおいでいただいて、でも、うち、どないしてでもお会いしたかったんよ」定奴、まこと上手に演技して、「そらどうも光栄たい、ま、あんたも飲みなはらんかね」さしつさされつ、たちまち意気投合した按配。  他の二人も、庄助をまるでかまわずに、ぼやっと奴の表情に見入り、ときおり、たまりかねた如く「キャッ」と悲鳴を上げ、なるほどこの状態がつづけば、果ては失神にいたってもおかしくはない。  やがて奴は、「おてもやん」を、これまた体格に似合わぬ、甲高い声で見事にうたい、その家のお内儀《かみ》が色紙もってあらわれ、「保坂さんも、一緒に書きんしゃい」といわれて、色紙に書くことの、決してきらいではない庄助、奴からマジックペン受けとると、お内儀あわてて、「あ、もう一枚、色紙持って来ますから」あたかも、庄助の字に汚されるのをおそれるように、奴の「奔馬空をいく」という御真跡大事に袖にかかえ引き下る。庄助くさりながらあらためて筆を持ち、「三百六十日、日々酔如泥」と得意の文字をしるせば、お内儀は、「三百六十五日じゃないんですか、五が抜けてますよ」冷たくいった。  十一時半になって、おひらきとなり、庄助玄関に出ると、奴は爪楊枝《つまようじ》せせりつつ見送り、「今度、六本木でおごるたい、今晩はすまんじゃった」と、なにやら十年もこの家に馴染みの如き落着きぶり、庄助は「ハブ ア グッド タイム」どういうわけか、英語が口に出る。  翌日、定奴に電話すると、稽古に出かけたとかで留守、果して、貧乏の精気を奴にうつしてくれたか、|おそそ《ヽヽヽ》大明神にお燈明あげたい気持で落着かず、そうこうするうち、電話番号教えておいたから、向うからかかり、これに女房が出て、「なんですか、向島の定奴さんという方からですよ」険を含んで取次ぐ、「先生? どうも昨日は」「ああ」「すてきやわあ、あの先生、もういっぺん会わしてほしいなあ」「そうかい」「ほんまロマンチックな方やねん、やっぱし小説書かはる人てちがうねえ」「そうかね」かたわらに女房がいるから、委細たずねもならず、しかも定奴、察しつければいいものを、ぺらぺらと奴の、いかにすばらしいかを、こと細かに報告して、ようやく切ると、「ずい分長いお話のようでしたわね、いったい、表であなた何してるの? 定奴って何者よ、彼女なの、それならそうでいって下さいね、だまされてるのはいやですからね」居丈高《いたけだか》にいわれても、どう説明すりゃいいのか、男にゃ男のたたかいがあるのだ。|貧乏おそそ《ヽヽヽヽヽ》のたすけ借りなきゃならぬ破目も起るのだ。庄助だまって、とにかく成功したらしい、後は吉報待つばかりと、思わずにやりと笑ったら、「くやしい、人がこれだけいってるのに思い出し笑いなんかして、フケツ!」あっという間に、眼鏡がふっとんだ。  十日経ち半月経っても、奴の消息特にかわったことはなくて、たまには庄助のもとへもあらわれる編集者に、「どうかね、相変らずいそがしそうかい?」さりげなく奴の具合たずねるが、「いやあ、油が乗り切ってるというのかなあ、いや、乗り切ってるじゃおかしいな、まだまだ上り坂ですからねえ、あれだけ書いて愚作が一つもないというのは、まさに天才ですなあ」心底感嘆したような返答、「よくもてるらしいけど、ヘンな女にゃひっかからないものなのかねえ」と訊《たず》ねれば、「人徳なんですねえ、抱くほどは風が持てくる女かなというところではありませんか」へんな賞め言葉口にしたり、効験いっこうにあらわれないのだ。  こりゃ一度では駄目なのかも知れぬ、定奴もそのつもりなのだから、後、二度三度の逢瀬を用意してやってと、奴の泊るTホテルをたずね、奴は約束通り、庄助を六本木でおごろうと、出かける出合い頭《がしら》に、なんと定奴タクシーを乗りつけ「先生、陣中見舞よ」とさけびたてる。  舶来のウイスキーと、名ある寿司屋の折詰で、奴は「どうもごっつぁん、フロントにあずけとってくれんか、わしゃ出かけるけん」そっけなくいい、定奴は、それで十分に満足らしく、庄助に眼もくれず、うっとり奴を見送る。「あの女は気がよかとねえ、あれからホテルへよういろんなもんとどけてくれるたい」「あのままじゃ悪いぜ、俺遠慮するから、かわいがってやれよ」「なーに、昨日も来よったばってんこぶまきたい、なかなかよか体しちょる」「何度くらい寝たの」いささかしつこいと思ったが、ここが肝心だからたずねると、「そうなあ、十度ではきかんごとあるねえ」庄助ほくそ笑んで、それだけくりかえせば、もはや命運つきたも同然、そういわれれば、徹夜の果ての、無精ひげなんとなく貧乏臭いし、声にも生気失せてみえる。六本木で奴はまたハイティーンにかこまれ、サインサインとその渦に浸って、庄助一人、ぽつんとウイスキー水割りなめていたが、しかし、不愉快ではない、眼をこらすと奴の背中に、貧乏神のへばりついているように、思えるのだ。  そして三月経ったが、奴の文運女運はますます隆盛の一途をたどって、小説を書けばたちまちTV、映画化されるし、その題名は流行語となるし、参議院に出馬すれば、当選ラインはるかに下げてしまうほどの、得票確実の成行き、庄助すっかりあきらめて、また浄閑寺近くの焼酎屋に通っていたが、といって、相変らずの虎さんにむかい「なんだい、貧乏ナントカなんてえのは、嘘八百じゃないか。手前《てめえ》が落ちぶれたのは|おそそ《ヽヽヽ》のせいじゃなくて、ただ、店なおざりにしたからだろうよ」と、文句いうわけにもいかぬ。ましてや、庄助のたくらみまんまと失敗したてんまつ、人に物語ることもできず、ただむしゃくしゃと酎《ちゆう》を胃におさめ、すると虎さんの方から、定奴について口をきり、「先生ね、定奴にお会いになったんでしょ」「ああ、ちょいと興味があったからね」「どうでした」「別にかわった女じゃないねえ、ありゃどうも信用できないねえ、|貧乏おそそ《ヽヽヽヽヽ》というのは」  せいぜいふくれっ面でいったのだが、虎さん手をうって、「そうなんですよ、ころっとかわっちまったんだねえ、定の字が」かわった? かわったとはなんであるか、庄助、虎さんの顔をみつめ、「いやね、なんせ、せんもいった通り、旦那ができるとみんな没落しちまうでしょ、だから、年も若いしお面もわるかないのに、いっこうきまったのがいなかったんだがね、これがどういう風の吹きまわしだか、えらいのつかんじゃってね」  とすると、まさか奴が、旦那になったわけでもあるまい、いや、もしそうなら、これぞようやく|貧乏おそそ《ヽヽヽヽヽ》のあらわれではあるまいか、奴が定奴の旦那になる、家庭争議が起って、女性週刊誌にすっぱ抜かれ、満天下の子女のアイドルたちまち一朝にして、と考えるより先に、「秋田の山持ちが旦那になってね、これがおもしろいんだねえ、ふらっと向島にあそんで、偶然、定奴がついた、その晩にナニして、もちろんいわくいんねんなど知りゃしないさ。本当なら、すぐに山崩れかなんかあっていいところなんだが、これがなんと、山から黒鉛が出たんだとさ」  こりゃゲンがいいってんで、男はまた定奴を呼び、そして秋田へもどると、こはいかに今度は山の麓《ふもと》から、高熱の温泉が噴き出し、「それからってえものは、そのおっさん、定奴様々でね、すぐさま落籍《ひか》して、本来なら郷里へ連れていきたいところだが、定奴、寒いとこはいやだってんで、赤坂に、鉄板焼き屋を出してさ、いっぱしの女主人になっちまった」  庄助あきれて、なおくわしくたずねると、どうやら、奴と知り合った前後から、定奴に運が向いてきたものらしく、なお不思議だ不思議だとつぶやく虎さんを、他の店にともなって、「実は」と、まさか自分が奴おとしめようとした魂胆はふせ、「ぼくの友人に小説家がいてね、これが定奴と一度ならず、寝たんだよ、ぼくは|貧乏おそそ《ヽヽヽヽヽ》の由来知ってたからとめたんだが、奴は気にもしなくてね、それに事実、奴はその後、登り坂のまんまなんだねえ」  虎さんは、奴の名前をきき、もとよりよく知っていて、しばし考えこんでいたが、「そりゃ、きっとその先生が福チンなんだなあ、福チンが勝ったにちがいねえや」という、福チンとはなんぞや、庄助考えこんでいると、「福の神のオチンチンですよ、定奴の|貧乏おそそ《ヽヽヽヽヽ》と、勝負して福チンがやっつけちまったんだねえ、だから定奴にも運が向いてきたんですなあ、あれだけの先生なら福チン持ってて不思議はないやね」  庄助は、福チン対|貧乏おそそ《ヽヽヽヽヽ》世紀の決戦を思い浮べ、徹底的にうちのめされた貧乏神を考えると、なんとなく、「貧乏神がんばれ」とあわれな気もして、だがすぐに、いやいや、こんなことを考えれば、「ではお世話になります」と、貧乏神たちまち乗りうつってきて、さなきだに粗チンが、これ以上貧乏チンになっては一大事、懸命に妄想ふり払う。  ものはついでと、赤坂の、今は女主人である定奴の店たずねれば、これもまた福チンの威力であるか、いっぱいの客で、ほんの少しみない間に、すっかり貫禄つけた定奴、すぐに庄助をみとめ、「いやあ、しばらくですなあ、お元気ですか」少し酔っているらしく、かたわらにすわって、甲斐々々《かいがい》しく酌などをし、「御繁昌でなによりです」切口上で庄助がいうと、「おおきに、あの先生もよう来てくれはりますのんよ」「大丈夫かい、旦那には」「ええ、二月《ふたつき》に一度上京してくるだけやもん、こんな若いのに、少しは浮気せなかわいそうですやんか」しごくなまめいていい、「先生とはまだねたことないねえ、どうです、一晩つきおうてくれへん?」必ずしも酔った上の冗談ではなくいう。  定奴と寝れば、いつも割に合わない役まわりの、庄助の運も、あるいは好くなるかも知れぬ、しかし、考えてみりゃ、もしそうなったとしても、それは奴の福チンのお裾分けにあずかるわけで、まったく、福チンまで持っているとは、実にいい星のもとに生れた奴だ、きっと奴の生れた夜、夜空に見なれぬ福星がきらきらと輝きをはなったにちがいない、奴をこそ星の王子さまというのだろう、酔いのまわった頭で庄助は、フクチンフクチンとつぶやき、定奴はそれをききつけ、キョトンと、「先生福神漬欲しいのん?」とささやいた。 [#改ページ]   第四話 女房とは何や  保坂庄助は、最近、左翼系の新聞に「ドーヨー文士」といわれ、はじめ「童謡」のことか、以前、たしかに子供の唄をつくったし、また、自分の小説は、それほどに他愛《たわい》ないとの謂《いい》かと思えば、実は「動揺」であって、元禄とはいいながら、血なまぐさき予感ただならぬ現代に、風の中の羽根だか葦《あし》だか、心もとなく、ゆれ動いているとのからかい、それはともかく、庄助、「文士」と呼ばれたのはこれがはじめてのことで、妙な気がする。  文士なる存在は、庄助より四、五年上の世代までのもので、庄助は特に、それとは縁遠く見られ、中には「ありゃ蛸《たこ》みたいなもので、色々食う足を持っている、小説もその一つに過ぎない」など、ひどいいわれ方をする。  たしかに頼まれりゃ、TVの司会もすれば、CMソングの作詞、ファッションショーの構成、キャッチフレーズ考案まで営業種目にある、そして、これはすべて、八方に手をのばしておかないと、いつ食えなくなるかという、貧乏根性のなせるわざなのだが、しかし、ただなんでも屋だから、文士ではないと決めつけるのではないらしく、庄助同年の同業で、小説一筋に打ちこみ、食えなくなれば、それはその時のことと、天晴《あつぱ》れな覚悟の者もいるけれど、やはりあまり文士とはいわれぬ。  そも文士とはなんぞや、つらつら考えて、まず思い浮ぶのは、着流しの姿なのだが、うっかり庄助が着れば、結城紬《ゆうきつむぎ》も、ウールに見えかねず、第一、現存の文士はみな洋服を召しておる、庄助、銀座の文士バーへよく出かけて、おこたりなく観察の結果、文士とは、中途半端をきらうものではないかと、考えるにいたり、たとえばその一つに食いものがある。  庄助の世代では、口に入れるもの、ただ満腹感をもたらせばそれでよく、出されたものは、懐石料理もラーメンも同じに食べるが、文士はこれではならないので、確固たる好み、あるいは味覚の判断力を備え、築地《つきじ》名だたる料理屋で出された膳も、刺身はったとにらみすえ、「これはアフリカの鮪《まぐろ》ですね」冷やかにいって、箸をつけず、そして小海老《こえび》の塩辛が気に入れば、「うん、これを丼《どんぶり》でいっぱい下さい、少し冷め加減の御飯でいただけば、うまかろう」などつぶやき、かりそめにも、日本料理にウイスキー水割りなどはいけないのだ。  庄助は、文士の方と、ホテル宿泊中一緒になり、その食堂で天麩羅丼《てんぷらどん》を食べたことがある、どうせホテルのこんな料理はまずいにきまっていると、「いただけませんねえ、この天麩羅、衣ばかりあつくって」したり気《げ》にいったら、「いや、天麩羅はおいしいですよ、しかし、飯の炊き方がなってないなあ」文士はさもいとわしげにいって、庄助、天麩羅を残し、おこうこで御飯だけ食べていたから、しみじみ恥入った。  このように食物にきびしいか、でなければ、滅茶苦茶もよろしいようで、羊羹《ようかん》さかなにウイスキーを飲み、アイスクリームを九十八コ食べてみせると、なにやら文士らしいけれど、庄助にはやはり真似できず、左翼新聞風にいうと、プチブル根性が骨身にからんでいる。適当にルールを守るけれども、自らに対するきびしさがないし、ましてや、居酒屋でたたみ鰯《いわし》を出されて、「やはり熱燗《あつかん》にはたたみ鰯がよく似合う、これは三宅島《みやけじま》だね」なんて気のきいたことは、どこを押えてもでてこない。  衣裳《いしよう》においても同じことであり、庄助など、ひどく若返りにするかと思えば、また、英国紳士風に装い、まさに動揺しているのだが、文士は趣味が極端にいいか、逆かのどちらかで、背広の襟《えり》の幅からズボンの形、十年一日変えずに、しかもよくみれば、古きが如くみえながら、生地も仕立ても最高級のケースと、どうみたって、ダービーの予想屋風、眼チカチカ三半規管に変調来たしそうな姿の、やはり極端に分れる、字だって同じこと、おそろしく達筆にくずすか、または蟻《あり》ののたくる如きみみっちい字が、文士の特徴らしく、庄助は、かつてTVの台本を書き、これはすべて孔版《こうはん》印刷だから、字の上手下手より、はっきり書かないと、ひどい誤字脱字に仕上るその癖が脱けず、実に個性のない、判り易いだけが取得の字で、とても人前には出せないのだ。  酒だって、一日に四升飲み、しかも泰然と乱れないか、または、乱酔してからみがなり立てるのが文士、庄助の世代はスナック派などいわれ、まさかフォークソングは唄わないが、実に他人行儀な飲み方しかしない、酔ったって、決して相手傷つけぬよう、言葉に気をくばり、互いにサービスしあって、きびしさが足りぬ。喧嘩にしても、文士はよくうかがうと、思いがけず武道の有段者であることが多く、男の一分立たぬ時は、断乎膺懲《だんこようちよう》の行動に出るか、さもなければ、絶交状たたきつけて、きっぱり交わりを断つ。庄助にはとてもできないので、腕力も弱いし、心中煮えくりかえる如くであっても、まあまあと、すぐ妥協して、そのくせ|いじいじ《ヽヽヽヽ》と恨みを長く胸にいだき、これでは士なんてえものではない。背の高さだって、文士は長身か、極端に小男の如く思える、鎌倉文士といわれる方々にしろ、治《おさむ》、安吾、作之助、英光など無頼派文士にしろ、みな五尺八寸以上あるのではないか、そして、中央線沿線の文士の方は、どちらかといえば小柄に思え、庄助の世代はすべて中肉中背なのだ、痩《や》せても肥ってもいない。  庄助は、自らシロ文士と思っている、シロはシロタクのシロであって、とても文壇づきあい許していただける|しろもの《ヽヽヽヽ》ではなく、もし文士の方が大道を歩くなら、こっちは軒先三寸拝借して、横ばいにはしっこを、こそこそ歩くのがふさわしい、事実、文士には文士の顔があって、それぞれ、形になっている、これさえ、極端で、天下の美男として通用する方と、悪夢に出てきそうな異相の方と、いずれにしろ、あたりを圧する気迫にみち、庄助、黒眼鏡などかけていても、つくづく深夜わが面をながめて、うんざりし、つまり、なんとも間抜けた感じである、眉にしわ寄せ気取ってみても、コント55双方の特徴合わせた眼で、つまりちんこいたれ目なのだ。  もとより、自らシロ文士と思いさだめていても、これで物書きで糊口《ここう》をしのぐから、その、いちいち文士とはほど遠い言動が、時に、うるさ方の、気まぐれな槍玉にあがる。たとえば、ある文化欄に伝統有する新聞に、「大凸小凹」といったような名の匿名批評というのか、弥次といえばよいか、四百字ほどのコラムがあり、呼びものとなっている、庄助は他人の噂話、特に、底意地のわるい観察やら、首|吊《つ》りの足をひっぱり、ひがみそねんでいちゃもんつける文章読むことが、一種の生甲斐であって、外国へ三週間ばかり行った時、米の飯よりも、日本語のスキャンダル記事にまず飢え、日航の中で、備えつけの女性週刊誌を読み、「本誌独占緊急特報!」という見出しをみて、まさに、旱天《かんてん》の慈雨、射精に近い快感を味わった。  それくらいだから、「大凸小凹」の愛読者であって、そのコラムに、「例の保坂庄助あたりは仕方がないが」とまずあって、以下に何人かの小説家の名をあげ、その人たちが、頓狂連《とんきようれん》と称し、愚にもつかない遊びに打ちこんでいるのは、慨嘆にたえぬ、性根《しようね》を正すべしと嘆息する文章が掲載された。この場合、愚にもつかない遊びというのは、暮に催した「線後十年赤線忌」のことであって、つまり、名をあげられた小説家の中には、左翼陣営に属する方もいる、それが、かの悪しきならわし、売笑窟《ばいしようくつ》の廃止をいたんで、寄り集《つど》うとは何ごとか、貧しさ故に身を売る女をもてあそび、獣欲の充足はからんとする、その低劣な心情に、想い寄せるとはけしからんといった意味もあれば、文学はさらにきびしきものであって、目高の群れ集うが如きたわいない遊びは、庄助においてもはや度し難きも、他の連中にとり、百害あって一利なしとのおしかりなのだ。  赤線忌の前に、頓狂連のことを説明しておくと、庄助たちの世代は、無趣味に特徴があるともいえて、前後左右見渡しても、せいぜいが麻雀《マージヤン》、それも気のないもので、時間つぶしに過ぎず、車、ゴルフ、ヨット、釣り、絵、仕舞、碁、小唄、まずは駄目である。ただひたすら酒を飲み、前述の如く酔ったあげくじゃれあって、せいぜい唄をうたうくらい、ゴルフといわれると、健康にいいと考えるより、空|怖《おそ》ろしさが先に立ち、車の運転習う根気がない、碁だってすぐいやになる、なにかを習うことが、きわめてできにくい世代といえ、といって、これではつまらない。いっそ、体にもよくなければ、別段、将来、役に立つわけでもないこと、しごくくだらない遊び、意志の強さ、努力を必要とせず、上手下手もないことをやってみようと思いつき、酒席の間にこれもまとまった話だが、なにが馬鹿々々しいか、チャルメラを習うなどどうだ、ヌードモデルを銭湯に入れて、番台へすわってながめるのはいかが、隅田川に舟を浮べ、今はなき川開きをしのんで線香花火をやろう、女子大生と合ハイを、相模《さがみ》湖に持とうではないか、いかさま実用にならぬアイデアが出て、最初にやったのが、女子大生との合同ハイキングだった。  庄助の頃には、女子大生とピクニックなど、まさに奇想天外のことであったから、近頃、週刊誌で、そのさまが報ぜられると、切歯扼腕、なんたることかと、いわれなきいきどおりを覚える、軟弱ふしだら、集団見合いと、けなしつけ、もとより口惜しいのだ、口惜しさを胸中に秘めるのは、いわば怨念《おんねん》たくわえることだし、物書きとして好き状態だという説があるけど、合ハイに怨念いだいたからといって、青春小説の書けるわけもない、いっそ、発散するにしかず、無意味とはいっても、この程度の、意味はあった。  美男におわすSF小説家が、名門の女子大にコネをつけ、その名もラッキーバス会社の一台借りて、頓狂連側、いっさい合ハイのしきたりをしらぬから、万事先方におまかせ。まずバスに乗る前、番号のついたカードを渡され、座席は二人がけだから、これで公平に割り当てる、そして二人はいちおうのカップルとなり、バスの借り賃をこっちが持ったから、女子大生諸氏は、弁当を二つ用意し、一つを分けて下さるのだ、リーダーがマイク持って、歌唱指導をし、ゲゲゲの鬼太郎、花はどこへいった、キャロンの唄、夕月などを男女でコーラスし、湖のほとりにつけば、フォークダンス、そして一本のパンを男女双方からかじり、早く食べた方が勝ちというゲームやら、首にはさんだ林檎《りんご》を、手をつかわず、同じく女性の首にはさみこむ、かぐわしき息を間近にし、固いブラジャーごしにしろ、胸のふくらみがこちらにふれ、そして暮れなずむ湖の、一つ水すましの如きモーターボートながめつつ、ちいさな焚火《たきび》かこんで、※[#歌記号]ゼアザランプ、シャインズブライト、インザキャビンと斉唱した時には、かなり気分がよろしかった。  これに味をしめ、あれこれ試みた末の、赤線忌であって、庄助は、特に赤線を人以上になつかしがる気持はない、娼婦をことさらあわれとも思わず、かりに今あったって、遊ぶ気力はない、ただ、朝起きると、なんとかして今日は、新宿二丁目、玉の井へいきたいものだと、あれこれ思いめぐらし、八方不義理の算段して、通いつめたはるか以前の、わが明け暮れを、なつかしむ思いがあり、しかも、今では吉原《よしわら》も、京町《きようまち》、揚屋|町《ちよう》、江戸|町《ちよう》、日本堤、角町《すみちよう》、すべてひっくるめて、千束四丁目とかわり、別段、記念碑残すこともないだろうが、あれだけ世話になったろうに、世間様はいかにも冷たい。  昭和三十三年三月三十一日をもって、歴史を閉じたのだから、少々半端だが、十周年といってさしつかえないであろう、今は旅館街及びトルコ密集地帯となっている吉原の、なるべく往古の面影残している一軒を借り、当時を再現させる、といって、限度はあるけれど、ここに吉浦平吉氏なるまこと奇特な人物が頓狂連にいらして、彼は、今も、吉原の中に、かつて娼婦と客の肌交わしたその一室に住みつづけ、移りゆき、消え去る吉原の終焉《しゆうえん》をみとっているのだ。吉浦氏は、たとえば、事後、女のかくれ入った洗滌室《せんじようしつ》の硝子《ガラス》戸から、床の間に積まれていたカストリ雑誌、みな資料として所有なさっているから、時代考証及び、出品をねがって、まず下検分に歩き、吉原の、以前、いずれも名のある妓楼の主人も、昔のイメージで見られることを嫌い、軒並みに赤線忌の会場など、とんでもないと断わられ、ようやく、土間の広い、しかも突き当りに二階への梯子《はしご》のある、ややはずれの旅館、当主はまだ若いのだが、「いいですよ、おおいにやって下さい、このまんまじゃ浄閑寺の仏も浮ばれねえや」と伝法にいって、さて、次は娼婦の手はず、まずホステス嬢に口をかけたが、けんもほろろに断わられ、ミストルコも口とんがらせて断わる、二時間として酒・食事つき、二千円出せば、おあそびでのってくるかとふんでいたが、あてがはずれて、いかに十回忌とはいえ、生仏がいなきゃ、話にならぬ。断念しかけたのだが、意外や意外、まさかと思って、もらした赤線忌の計画に、たちまちのったのは、合ハイの女子大生であった。 「お女郎さんになるの、いいわ、やっちゃうわよ」「どんな恰好するのかしら、なるべくいい着物にしてね」浮き浮きといって、いったい、娼婦をどう考えているのか、たしかめたかったけれども、ままならぬ、なにしろ、どなたもみるからに初々しい娘盛りなのだ。  かつてラーメンの屋台を、学生時代ひいていたという男、洗滌器具をまだもっているというドクター、是非、遣手《やりて》婆さんをやらせろと、女流画家が申しこみ、庄助は、吉浦氏の保存する海軍戦闘帽にジャンパー、コールテンのズボン、巻脚絆《まきぎやはん》、地下足袋に身を固めポンビキのいでたち、女郎屋営業中、その一部屋に下宿していたという物書きの一人が妓夫《ぎゆう》をつとめ、はじめ頓狂連十人余りのメンバーだけで行うつもりが、みなおっちょこちょいで吹聴《ふいちよう》したから、頓狂連は当日、裏方に追いやられ、お客ばかりが多くなり、しかし、日が近づくにつれ、明けても暮れても赤線忌で、なるほど、小説執筆のさまたげにはなった。  趣向としては、まず張見世《はりみせ》で、女子大生を中心とし、その後、参加申しこんだそれぞれのガールフレンドも加わり、衣裳は、ストリップ劇場から借りた、いわゆるゲテ、しみだらけはげちょろけの長襦袢《ながじゆばん》をまとい、大広間に、ずらりとならぶ。別に、小部屋を五つ用意し、ここには裸電球低く吊り下げ、洋服|箪笥《だんす》、茶箪笥、鏡台、所せましとならべ、人形のケースも置き、どでんと一つ布団に二つ枕、長谷川一夫、高田浩吉のブロマイドを貼《は》り、枕もとに京紙、中にはさんでゴム製品二コ、またある部屋は布団だけで、床の間にゲーテ詩集とフィリップのコント集「ちいさな町にて」を積み、さらに三畳の小部屋は、カストリ雑誌、ラーメンの丼、脱ぎ捨てた下着と万事なげやりな雰囲気《ふんいき》、それぞれ裏方が、自らの心に刻みつけた往年のたたずまいを再現したものであって、この部屋をみてあるくと、つい声もなく、胸がしめつけられる感じだった、たしかに、こういう部屋があった、ゲーテ詩集の女は、ベレーかぶって門に立ち、ラーメンの丼に煙草の吸殻うかべた女は、かえって心やさしい床あしらいと記憶している。  各人、タマダシよろしく女をタクシーに乗せて、吉原へ運び、いずれもきょろきょろと、物珍しげにあたりをながめ、以前なら、お酉《とり》様の時しか、ここに堅気の女性は入れなかったのだ。総勢二十一名で、庄助はポンビキに扮《ふん》し、妓夫と待ち受け、「へい、では姐《ねえ》さんがた、お着替えなすって」と、中央にゲテの山積みされた広間へ通し、ここで問題が起った、衣裳が気にくわないというので、どうやら、籠《かご》つるべは八つ橋の如きいでたちを考えていたらしく、さも汚ならしそうに、衣裳をながめ、なにしろ、ストリップもドサまわり用だから、色どりきらびやかなだけに、みじめな印象。 「まあ、ひとつウイスキーでも入れて、勇気を出して」など、庄助、風態なりにいやしくへりくだり、「とんでもない」「何時におわるんですか」と、女子大生すでにして、帰心矢の如く、しかも、会費二千円いただいたお客様は、階下にわんさとつめかけている。部屋だけじゃ、詐欺のそしり受けるだろうし、進退きわまったところへ、今、売出しの女性イラストレーターがあらわれ、ゲテをみるなり「あら、サイケな感じね」庄助、着替えはじめたら、その場退くつもりが、すぐくるっとワンピースを脱ぎ、「お腰するのかしら」ピンクのきれをとり上げる。  あれよというまに、長襦袢まとい、「下着が見えちゃかっこわるいわね」あっさりさらに脱ぎ、つられて、出版社に勤める妙齢の女性、「思いきって着てみよ」とつぶやき、あれこれえらびはじめると、後はデパート特売場のさわぎだった、「お腰がないわよ」「これどうやってとめるの」「あら、いやだ、私がえらんでおいたのに」と、ひっぱりあって、女風呂の脱衣場もかくあるか、くるりくるりとスーツ、セーターがひんむかれて、芳香がただよい、「ねえ、これどうやるのかしら」下着のままの女子大生が、ストリップ用だし、また、お女郎さんはそうなのだが、紐《ひも》のないお腰を、尻にあてがったまま庄助にたずね、えたりと手をそえ二巻きして、脇にはさみこんでさし上げる、伊達巻《だてまき》のしめ方も心得ないから、とんと箱屋の態で、獅子《しし》奮迅の着つけ、すっかり女性の下着姿に食傷して、「では、壁ぎわにおすわり下さい」「これからどうするのよ」「お客さまが、お見立てをなさって、えらばれたらお床入り」かなりきわどいことをいっているのだが、みなふうんと納得し、たしかに客と女を、用意した部屋に三分間だけ閉じこめる、その間に、まさか何ごとも起るわけはない、頓狂連の裏方は、目覚しを持って、三分過ぎたら、二人を追い出し、次を交替させる手はずだった。  予定よりおくれて、ふくれ気味のいわば嫖客《ひようかく》、まず年長の方に敬意を表して、階段トントンと御案内申しあげ、玄関には、ちゃんちゃんこ着て、首にジョーゼット巻いた女流画家が、丈の高い火鉢にかじりついて因業《いんごう》に会費をとり、その横の、小部屋に炬燵かこんで、頓狂連会計係が札をかぞえる、表には盛り塩があった。  庄助も、張見世の頃は知らないのだが、なにしろ宵の口で、人通りもあるから、玄関に女を置いて、客を歩かせ、「ちょいとお兄さん」など呼ぶわけにまいらぬ、本気にした通行人が入って来るかも知れないし、やくざの兄いもおそろしい。  広間の障子わずかにあけて、「では、お気に入りをおえらび下さい、すぐ呼んでまいりますから」庄助がいうと、一人の小説家は、疑い深い目でながめ、「どこのコールガール集めたのかね」とおっしゃる、こりゃまたつれないお言葉で、といって正体あかすこともならず、第一番の御指名は、六本木《ろつぽんぎ》でアクセサリー屋営む三十二歳の人妻、妙に晴れがましい顔つきで、「あら光栄だわ、どうすりゃいいのよ、まあいいや」ぶつぶついい、客すなわち小説家の顔を知っているとみえ、さらに上気し、「困っちゃったなあ」もじもじしたが、庄助かまわず、二人をゲーテ詩集の部屋に押し入れる。  つづいて、画家がのぞきこみ、うーんとうなったまま、「こりゃなつかしいや、北支のピー屋そっくりだ、へーえ、もう一度お目にかかれるとはねえ」すっかり興奮して、えらぶより、ピー屋の説明をし、討伐に出かけた先に慰安婦の一隊が追って来て、兵士たちは戦いのあいまに一列となり、用を果すが、そのトラックでおくられ、ぞろぞろ歩く姿は、まったくこの女性たちと同じ衣裳、そして、こんな風に、兵士の襲撃を待ち受けていたという。  二番目に、イラストレーターがえらばれ、お互いいそいそと消える、それからは、下で待ちかねた連中、階段につめかけて、「俺はえらばなくていいから、いいの見つくろってくれよ」気弱にいうのは大学助教授で、そのくせ「年は若い方がいいな、ちょっとグラマーで着痩せするタイプ」など注文をつけ、中に二人、セーラー服を着せておいたのだが、これは引っぱり凧《だこ》の売れっ子、次々指名をされるのに、いっこう口がかからない女は、露骨に不快な顔をみせる。  三分経つと、目覚しのベルをならして、戸をあけ、小説家は、布団をはさんでさしむかい、フィリップの本を、ひもといていたし、画家は、これもカストリ雑誌に気をうばわれ、もとより指一本ふれぬ様子、はおろか言葉もかわしていないらしい、ほっとしたように立ち上って、「いや、なつかしいねえ」ふりかえり、そのまま広間で酒を飲む。  女子大生たちは、襦袢の裾ひきずって閉じこもると、後できいた話では、別に怖がる風もなく、中にはいたずらっぽく笑って、シーツをくしゃくしゃにし、紙をまるめて枕もとに置くなど、さらに舞台効果あげる工夫した者もいれば、また、窓をあけ、「ふーん、娼婦の人って、こういうところで暮してたのねえ」思い入れたっぷりにつぶやき、また、中に一人名の知れた医者の娘さんもいて、一風変った名前なのだが、客は「なんて名前、おつとめはどこ」とたずね、さだめしアルサロのホステスくらいにふんだのだろう、娘さん正直に名乗り、「じゃ、精神科で有名な先生と同じ苗字」「ええ、娘です」といわれて、男がどぎまぎしたり、はじめのうちはおとなしかったが、なにしろ、客の数が六十人に近く、二度三度、指名されるうちには、いくらか酒も効いてきたのだろう、人妻の中には、戸を開けられると意識して、客と一つ布団に寝てみるのや、わざと鍵《かぎ》をかけて、やきもきさせたり、客は皆おとなしく、わるふざけする者はなかったが、女子大生すらも、「私、あの先生とお話したい」など、小説家を指さして、逆に指名しはじめ、これ以上すすめば、なるほど、乱交パーティなるものも、不可能ではないかもしれぬ。  かつて庄助の小説が、映画化されたことがあり、その乱交パーティのシーンに出演したことがある、出演者は予算の関係で、すべて素人《しろうと》ばかり、女はプロダクション事務員や、その友人で、乱交である以上、肌をある程度、露《あらわ》にしなければならぬ、はじめ、衣裳のまま監督が動きを指示し、「ではカメラテスト、ほら、みなセーターをぬいで」きびしくいったら、花も恥じらう女たち、互いに見くらべつつ下着姿となり、さらに一人が、ブラジャーをとって、腕でおおうと、これに全員がならって、監督の統率力もさることながら、女にとって羞恥心《しゆうちしん》とはなんなのか、そこに出演した男はせいぜいステテコまでで、パンツにいたったのは庄助だけ、おかげで何度もテストくりかえしたあげく、風邪をひいたのだが、つくづく考えこんだことがあった。  そしてたしかに日本の役者は、男なら兵士、女は娼婦がもっとも無難、どんな大根でもこなせると、悪口のようにいわれるけれど、日本だけではなくて、誰だって兵士と娼婦には、地のまま扮することができるのではないか。いわゆる良家の子女も、|げて《ヽヽ》をまとい、それらしく居ならべば、自ずとあらわれる育ちのよさなんてものは、消しとんでしまって、ピー屋の女だし、コールガールになりきれる、男の場合の兵士もそうだろう、今はないからいいようなものの、かつて、娑婆《しやば》にある時の、社会的地位など、いったん軍服をきれば、見事にけしとんでしまったではないか。  似合わぬとすれば、年齢だけで、この娼婦と兵士は、年齢層がほぼ一致している、十五歳のこの存在はどちらにしても、痛ましい印象であるし、六十歳の娼婦兵士は辛うじてあり得るが、七十歳となっては、いかんともしがたい、というようなことを考えつつ、てんてこ舞のうちに大過なく、赤線忌をお開きにし、女性はまたつきそって家までお送り申し上げ、四谷のスナックへ頓狂連集まった時は、全員ぐったり疲れ、ただもう客と女の世話に追われて、折角のラーメンも、ウイスキーもみな飲まず、もちろん、女と部屋におこもりもしない。しかも客の中には、これで二千円は高いなど文句つける奴がいて、たしかに、くたびれもうけ、無意味なことをするにも、結構エネルギーを消耗するとわかり、せめて、この催しで得たお互いの感想を交わしあい、末は「いやあ、女というものは、見当がつかないねえ」吉浦氏がいい、吉原の粋人がこういうのだから、庄助如き若輩に、わかるわけはない、まさに、群盲象をなでる具合で、あらためて女のいちいちにおどろいたのだ。  これにいささかこりて、頓狂連の催し遠のいていたのだが、「大凸小凹」の文章を読んで、庄助は、シロ文士にはシロ文士のやり方があらい、手前の身銭で酒を飲み、趣向こらして何がわるいんだと、いくらかは、庄助が中心になって、純文学系の小説家、左翼の若手作家にさそいかけたから、責任めいたというほどの、うぬぼれはないにしろ、開き直ってさらにとてつもないことはできないかと、妄想しはじめ、おとしめられるなら底の底まで突きおとされた方が、開き直り易い、どうも新人賞もらってから、あれこれ気をつかって、それは小心故なのだが、いや気がさす。大体が、憎まれっ子ほどのヴァイタリティないにしろ、ひがみっ子で、陰険な眼を光らせているのが性にあっているのだから、なにかもっと爪はじきされることはないか、庄助がバーに入っていくと、すっと先客が席を立ち、マダムに塩まかれるくらいになりゃ、いちばんよろしい、頓狂連中核派ともいうべき、吉浦氏、元ラーメン屋台氏に相談持ちかけ、屋台氏のいうには、|ねた《ヽヽ》はすべて江戸落語にある、たとえばあくび指南、「あくびの仕方を教えるてえのもとぼけてるけど、教わる方もおかしいやね、まして、それにくっついていく野郎がいるんだから、こりゃ頓狂の真髄だね」  ではひとつ、わが世代にはでき難いことだが、何かを習うか、チャルメラ如きではなくて、切腹の作法を習う、北辰《ほくしん》一刀流とか、馬庭《まにわ》念流それぞれに切腹の仕方はちがうのではないか、宮本|武蔵《むさし》なら、二刀使って、ナイフとフォークの如くにかっさばくのかも知れず、腹十文字がよくいわれるが、他にも形があるのだろう、切腹なら、いくら練習しても疲れないし、文士に剣道の達人は数多くいるけれど、切腹のそれはないはず、「切腹三段」なんてのは、恰好いい台辞《せりふ》ではないか。 「交通巡査もおもしろいよ」吉浦氏がいい、あのジェスチュアを、学びとって、より洗練された姿を競い合うのだそうで、「どっかの会場かりて、笛吹きながら一人っつ舞台でやれば、かなり空《むな》しい気持になるよ」そりゃそうにちがいない、魚拓はあって、チン拓のないのはおかしい、おのおのチン拓をとり、展覧会を開くといいやら、各人の名前を印刷した千社札《せんじやふだ》をつくり、いたるところに貼って歩くやら、しかしこれは選挙運動と間違えられるだろうから駄目で、「かるい病気ってな、近頃、風邪の他はあまりなくなったでしょう」屋台氏がうれしそうにいい、「私たちの子供の時分は、しもやけあかぎれがひどかったもんですよ」そして、しもやけの金魚の如くふくれた足の指を、爪でじっくり押すあの異様な快感も失われたからこれをやろうという。  庄助と同年の小説家が、インキンをわずらい、そして熱い湯に入った時の、快感を、小説に克明にうつしているが、たしかに、毛虱《けじらみ》をかきむしる楽しみ、水虫をホルマリン入れたぬるま湯にひたすよろこび、おできの膿《うみ》の根を押し出す快感は消えうせた、昔はどうして、あんなにすぐ膿をもち、タムシになったのだろうか。 「建設的じゃないねえ」吉浦氏がいい、「なくなったといや、寒詣《かんまい》りだって、近頃あまり見ないよ、ドンツクドンツク太鼓たたいて歩くなんざ、勇壮活発でいいけれどねえ」たしかに、今時、寒詣りは頓狂というより、オッチョコチョイ、うれしがりであろう、呆《あき》れ果ててものもいえぬ部類に属するにちがいない。「そりゃいいんじゃないかね」庄助乗気となり、「と来れば、池上《いけがみ》本門寺のお会式かな」「別に限らないだろ、日蓮さんの方ならなんだって」庄助は、東京の古い習慣にくわしくないから、なにも、うちわ太鼓だからって、お寺にいくことはない、「いっそ、ドンツクでお伊勢まいりしたらどうかね」「だって、ありゃ神さまだよ」「神様といっても、日本の総元締なんだから、いいんじゃないかね」「そうかねえ」屋台氏、浮かぬ顔をしたが、別に異を唱える理由も見つからぬらしく、あいまいに笑って、「それなら簡単ですよ、装束は借りりゃいいんだから」吉浦氏が、かるく引き受けた。  寒詣りというからには、やはり一月の二十日前後がふさわしく、頓狂連にはかると、「そりゃ結構ですな、御利益《ごりやく》が倍になりましょう」「ぼくはリズム音痴ですので、うまくたたけますでしょうか」たちまち、十二人ばかり、はやくも手甲脚絆《てつこうきやはん》わらじばき、寒風をついて、物の怪《け》の如くに街から街へ駆けぬける姿を思いえがき、伊勢にむかう列車も調べて、東京を午後十一時に出て、朝五時、宇治山田着の便がある、「じゃ、お伊勢さんの前に、ぐるっと新宿銀座をまわってはいかがでしょう」しかし、頓狂連は勤め人が多いから、いかに土曜から日曜にかけてとはいえ、知人にあっては、困ることもあろう、「大凸小凹」でひやかされるくらいはいいが、取引先の上役にでもみつかり、狂信的な、信者にまちがわれて、災いを残してはならず、まずは大人しく伊勢まで我慢する、そして五十鈴《いすず》川のほとりに、怨敵退散《おんてきたいさん》、大願成就と、打ち鳴らせばよろしい。  寒詣りは近頃、数がすくなくなったとみえ、希望者のために、衣裳用意してあるはずの寺にも古びたそれしかなく、しかし、申しこむと、寺側も意気に感じたのか一式新調した上で貸してくれるとなり、一人頭二千五百円、なにより太鼓が大事だから、四谷のスナックに集まると、箸《はし》でテーブルをたたいて、ドンツクドンドンツクツドンツクドンドンツクツ、熱心に練習し、庄助は、自ら幹事を買ってでて、切符の手配、伊勢での宿泊地、精進おとしに、名古屋で宴会の手はずをととのえ、後は、当日を待つばかり。 「今度二十四日の土曜日から旅行へ行くよ」ふいっと、女房につげたら、「どちら」「伊勢神宮」女房は、けげんな表情で、たしかに庄助とお伊勢さんのとり合せは面妖《めんよう》だし、庄助も、小学校六年に修学旅行で行っただけ、「取材かなにかなの?」「いやあ」と、含み笑いしながら、「頓狂連なんだけどね、寒詣りに、でかけるんだ」  とたんに女房の血相がかわって、「馬鹿々々しい、およしなさいよ、罰があたるわよ、そんなことしたら」このあたりで、出直せばよかったのだが、ついはずみで、「うちわ太鼓をね、ドンツクドンドンツクツってたたきながら、白装束に身を固めてお参りするんだ、御利益倍増、お守り買ってくるよ」「よして下さい」「どうして」「どうしてって、みっともないじゃありませんか、白装束なんて、気違いみたい」  女房は、そもそも頓狂連に好意的ではなく、それは完全に自分が、仲間はずれとされるからだろう、隅田川の舟遊びで、浴衣を出せといった時、ふくれっ面をし、お花見で、弁当所望すれば、いい顔をしなかった、だから細心の注意を払ってしかるべきところ、自分が寒詣りに酔っていて、女房の気持に心くばり失念したのだ。「年末はいそがしいっていって、クリスマスもなにもしないで、三ガ日はお酒ばかり飲んで、ようやくいくらか暇ができたんでしょ、子供と少しはあそんでやったらどうなのよ、くだらないことするくらいなら」  くだらないことにはちがいなく、しかし、また日をあらためて納得させればと、その場はすぐ二階の部屋に入り、なんと女はわからずやなのか、くだらぬこと、役立たぬことにこそ、価値があるのだ、なんでも実用効果ばかり考えるところが、女の度しがたいおろかさと、一人になってから、腹立たしく思い、自分のまいたたねなのに、「こんな具合じゃ、仕事も手につかぬ」なまけ心を、転嫁して、ベッドにねそべり、漫画をながめる。  女房は、庄助の顔みるたび、しつこく、「もし行くんなら覚悟がありますからね、白装束だけはいやですよ」といい、なにも、家の近所歩きまわるわけではない、三重県ではないかと考えても、これでは切り出す余地がない、食事時も気まずくて、しかし、庄助はいい出しっぺの、しかも幹事なのだ。  あと三日とせまって、皆、浮き浮きと、伊勢の土産物について電話してきたり、いっそ大阪へ出て、飛田に精進おとしした方が、本来の伊勢参りではないかと、いい出したり、フンフンと返事しながら、さて女房をどう説得すればいいか、妙に思いこんでいる如くで、冬のことだから、腹立ちまぎれにガス自殺でもされたら、いや、ウイスキーを飲んで、酔いつぶれ、娘がとりすがり泣きわめきはしないか、くよくよと考え、一切無視すればいいようなものの、小心な庄助にはできず、ならば、あっさり頓狂連にいさい告げてあやまればいいのに、見栄っ張りでそれもならぬ。 「行ってすぐかえってくる、友だちの手前もあるんだから」など、泣きごとのべて、ついには女房に平伏するのではないか、うつうつと楽しまず、やがて二日前となり、大包みに衣裳が家へとどき、幸い女房は気づいてない、庄助あわてて二階にかくし、「何時かいってた、皮のコート買ってもいいよ」妥協策を出したが、ふだんと異なり「それとこれとは別よ、絶対にドンツクなんかしてもらいたくないのよ」「厄年も近いし」「へえ、それでもし、事故にでもあったら、私が寒詣りとめたからっていいたいの、卑怯《ひきよう》な人ね」いわれれば正《まさ》にその通りであった。頓狂連か女房か、二者択一をせまられて悩むところへ、プロダクション社長が電話寄越して「実は子供が扁桃腺腫《へんとうせんは》らしましてね、具合わるいんですよ」断わりをいう、「もちろん熱がひけば、必ずまいります」未練がましくつけ加え、四谷のスナックで、夜、自暴《やけ》っぱちに酒のんでいると、やはりメンバーの一人が、「きっと寒いでしょうな、まあ、厚着してった方がいいですよ」妙に他人《ひと》ごとの如くいって、彼たしか参加のはずだったが、さらに念押すように、「うちの社に、女房のお産ひかえたのがおりましてねえ、ひとつ安産のお守り買って来てくれませんか」と頼み、すると庄助の記憶ちがいだったのか。  翌日になると、なお悲報あいつぎ、「急な出張を命じられて」「女房の友人が、その日結婚式なんです、子供がおりますから、私どうしても留守番をしなければなりませんので」「どうも、原稿が間に合いそうもなくってねえ」「座骨神経痛が出たんですよ、これは寒さがいちばんの敵でしてねえ、なにしろ寒詣りですからなあ、きびしいですよ」「法事を忘れてました、親父の十三回忌なんです」いやはや、これまでも、頓狂連催しの近くになって欠席の通知はあったが、今回は、全員総くずれで、それにとどめさすように、吉浦氏が、「屋台氏も駄目らしいですよ、結局のところ、二人でドンツクというわけですかな」  それでもまだ庄助は、強情張って、自分から止めるといわず、「こりゃ、日をあらためた方がよかありませんか」吉浦氏の提案を待って、しぶしぶといった風に中止を認めたのだった。 「行かないことにしたよ」恩着せがましく女房にいったが、女房は当然のことの如く、うすら笑いして、「当り前でしょ、それから皮のコートは買って下さいね、いいっていったんだから」かさにかかり、うんざりしてまた庄助、二階へ逃げのぼる。  なんとなく、決行予定の夜、スナックへ顔を出すと、ほとんど全員がそろっていて、「いやあ、面目ない、寒詣りのことをいったら、女房ヒステリー起しちゃってねえ、いや、ひでえのなんの、ひっかかれちまった」プロダクション社長がにやにや笑いながらあやまり、なるほど、漫画の如く、これみよがしな爪の跡が、鼻の横に二本ある、「実は、女房、実家へかえっちまいましたよ」編集者がいい、庄助と同じ理由で、ようやく暇になったらお伊勢まいりなど、とんでもないと、とび出していったそうな。屋台氏の女房は、自分も一緒についていくといい張り、小説家は、「家もそうなんですよ、私も御利益がほしいといいましてねえ」頭をかく、こうなったら、かくし立てしても仕方ない、庄助も包みかくさず告白して、「いかないときまって、ほんとにほっとした」板ばさみの苦衷披露し、吉浦氏、現在は独身の気楽な口調で、「いや、実際に、女房はえらいもんらしいですな」一人、ケタケタと笑う。  しかし、どうして女房がこんなに怖いのであろうか、別に浮気をしたわけでもないのに、旅行から家へもどる時、悪事露見を怖れるような気持で、心が重く、こうやってスナックで男同士酒をのみ、二時三時にいたってようやく腰を上げ、家の近くまでたどりつき、あいている店でつい飲むのは、もはや白河夜船《しらかわよふね》であるはずの女房のもとに、なにやらもどりたくない気持のせいではないか。見渡したところ、いずれも女房など、てんから相手にしていないような顔つきだが、事実、文句いったらぶっとばしちまうなど、強気の男もいるけれど、本音は庄助と同じなのではないか、女房というものは、亭主が前世に殺したか、いじめたかした相手の、生れかわりではないだろうか、すっと後ろに立たれただけで、こっちがカンニングしている時の、監督官の如き、威圧感をもち、悪事をなした場合など、その威圧に押されて、たちまちみじめなボロを出してしまう。 「大凸小凹」の文章意識した、お伊勢さん寒詣りだったが、とんとあわれな結末となり、たかが女房一人|御《ぎよ》し切れなくて、ちゃんちゃらおかしい。そうだ、文士というのは、女房を怖がらない存在ではないのか、恐妻の文士などありそうにないことで、やはり庄助はシロ文士にちがいないのだ。  日曜日、庄助はせめて借りたのだからと、寒詣りの装束を、どうにか身にまといつけ、うちわ太鼓もって、おっかなびっくり、ドンツクドンドンツクツとたたき、すると、娘があそんでくれると思ったのか、同じく太鼓もち出し、ドドンとたたく、ドンツクドンドンツクツ、ドンドン、ドンツクドンドンツクツ、ドンドン、たたくうち、いくらか気が晴れて、さらに娘とたわむれようとしたら、「さあ、出かけますよ、いらっしゃい」女房が娘を呼び、「じゃ、留守番してて下さいね、皮のコートみて来ますから」颯爽《さつそう》と出かけその後姿見送りつつ庄助なお太鼓たたいて、チンミョウシロブンシ、ドンツクドンドンツクツ。 [#改ページ]   第五話 見合いずれ  保坂庄助は、現在、物書きで一家を支えている、いや支えているなどと、生易《なまやさ》しいものではない、三月の税金申告の際、源泉徴収票という、右や左のおとくい様から送られて来た、うすっぺらな紙の、記入された数字を加算すると、おどろくべし二千四百万ばかりになって、原稿の締切日を前に、こちゃこちゃとそのこうるさい数を原稿用紙にうつし、庄助はなんとなく算術に自信があるから、あれこれ税金の胸算用する作業は、一種の楽しみなのだが、今年だけは空|怖《おそ》ろしくなってきた。  いや、決して税金が怖いのではない、税金についていうと、庄助のような半端者《はんぱもの》まで、とにかく食わせていただけるかたじけなさが先に立って、世界に冠たる日本国徴税システムに、むかっ腹立てる向う意気など毛頭なく、それよりも十年一昔、昭和三十四年当時は、収入たしか年に二十四万ばかりだったから、つまり百倍に躍進したわけで、これはかなり無気味な感じである。一枚二枚と、源泉徴収票めくりつつ、次第に気が滅入《めい》り、死児の齢《よわい》数えるとはこのことか、ふとまた、庄助の書いた、多分三千枚近くの原稿よりも、この十五センチに十センチ四方、洟《はな》かむにも糞《くそ》の用にも足りにくい、しかしそのいずれにもよく合いそうな、やわらかい紙の方が、手ざわりたしかに一年生きてきた実感を与え、経理専門家特有の、9を※と書いたりする、しごく痩《や》せこけた字を、いつくしみたくもなる。  実際に、よくまあ物書きになれたものである、二千四百万も稼《かせ》げる身分になったものだ、鏡にむかって、これが小説家の顔なのかと、わが面つきたしかめたいような気がする。高校も大学も文科系だったが、決して文学をなりわいにする志などなく、そのくせ二十歳前後の頃は、小説を読んで、その作者の出世作書いた年齢が気になり、たしか「暗夜行路」の書きはじめが二十九歳、「仮面の告白」二十四歳などたしかめ、なんとなく、まだ間がある、そうあわてることはないと、自らいいきかせ、焼酎《しようちゆう》の酔いに身をまかせていた。やがてたいていの小説家が、世に問う作品を発表した年齢より、上まわる頃になって、石川淳三十七歳にして「普賢《ふげん》」、大岡昇平四十一歳のみぎり「武蔵野《むさしの》夫人」とまたあわてず、一方、レイモン・ラディゲ、アルチュール・ランボウなら、とっくの昔に書くべきことを書きつくしてしまっているけれど、まあ外国の天才についてはあまり考えないこととして、さらに三十歳過ぎると、外国どころか、日本の夭折《ようせつ》した作家より年上ということになって、すっかりあきらめたのだが、今、とにかく物書きのはしくれにつらなって、ほぼ五年目、相撲でいうなら土俵年齢は若いから、逆に気は楽なのだ。  龍之介、作之助、治、基次郎など、庄助の年にはもう死んでしまっている。本屋で、龍之介全集の前を通る時は、しみじみと、鴨川《かもがわ》の紀州犬にであったダメニシアンの心境となるけれど、また、三十二、三歳までものを書かないでいたことは、それだけ取材も豊富にしていたと、いえなくもない。  どのみち、挫折《ざせつ》も不毛も、心象風景も意識の流れも関係はない。「大凸小凹」風にいえば、「人より変った経験を、切り売りする新人」なのだから、変った経験を、十数年間身につけてきたことがなによりの財産。話はまるでちがうけれど、第四話で紹介した「大凸小凹」という、匿名欄の、いわば仮名について、SF作家の一人は、「あまりいい仮名ではない、オーナニーコナニー、オーメココメコなどどうか」といい、そうきくとこの方が、より適切かも知れぬ。  そもそも匿名批評というものは、もっと毒のある文章が本来なのではないか。闇討ちにばっさりと、えらそうな作家や、作品についていちゃもんをつけ、足をひっぱり、横向いてベロ出すような内容で、しかるべきではあるまいか。匿名批評が、名入りのそれと同じようであっては、庄助の如き弥次馬シロ文士にはおもしろくない。まさしく「オーナニーコナニー」であり、やはりオナニーよりシロクロをみせてもらいたいものだ。  とにかく、庄助はいろんなことをやってきて、たいていの下層階級に属するネタなら、取材と称する妙な行動、いわば岡っ引の如く鼻をきかせかぎまわらなくても、明窓浄机|塵《ちり》を払って沈思すれば、それですむ。ブルーフィルム業界の現況、トルコ風呂スペシャルサービスの新手、釜《かま》ヶ崎における万博とタコ酢の値段の関係、殺し屋の手口など、いわば頭の中に抽出《ひきだ》しがあって、「年老いた娼婦の、火葬されるシーン」なんてえものは、たちどころに活写できる自信がある。  人間、苦労はしておくものだと、修身の教えがよくわかるのだが、近頃、ちょいと具合のわるいことは、たしかに、下層社会についてなら、保坂庄助か横山源之助かというほどでも、これが中流になるとさっぱりわからないのである。もとより上流など想像もできぬ。ポンビキの会話は書けても、サラリーマンが何をしゃべっているのか見当つかず、釜ヶ崎ベッドハウスのたたずまいは、脳裡《のうり》に浮ぶが、団地がわからない。  これではやはり片手落ちではないかと、自己批判し、別に良心的なわけでは毛頭なく、「保坂の、釜ヶ崎も鼻についた」など、おとくい様に思われては一大事、東海林《しようじ》さだお氏のすぐれた文章にあるように、庄助も、マンネリ、没落、カボチャの歯がたと、瞬時に連想がはたらくから、少しはインテリを小説に登場させよう。せめて、教師とはいかないまでも、学生くらい、出てきてもいいのではないかと、東大生とつきあい、つきあううち、なんとなく全共闘シンパになってしまったのであったが、考えてみると、インテリも知らないが、学生運動、組合活動についての知識もない、思想問題も明盲《あきめくら》同然、六全協が何なのか、反帝、反スタもトロツキストもわからぬ、そもそもが、まともに卒業したのは小学校だけで、最後の大学仏文科まですべて中退といえばきこえはいいけれど、籍をおいただけ、無教養なのはやむを得ないし、人間すべてを経験できるわけではないが、かなり片寄った人生を送ってきている。  編集者と、次の小説について打ち合せをする時、「一つ、現代をえぐる鮮烈なエロチシズムでまいりましょう」などいわれても、決して大企業に勤めるハイミスの、不毛のセックスなんてものは、毛頭思いつかず、「では、養老院のジュリエットなどいかがですか」つまり、死期をまぢかにした老人の生の輝きといったテーマになって、現代ともエロチシズムともむすびつかないのだ。  また、話はとぶけれども、近頃の、娯楽小説雑誌が、五、六十枚の短篇小説を三本ずつセットにして、目次面でいうと、「人間にとって欲望とはなにか、さまざまなその形を探る」とか、「セックスにふりまわされるおろかしくも、滑稽な男女」などと肩書つける形式は、庄助の如き、融通のきかない物書きにとって、たいへんやりづらい。つまり、この注文をこなすためには、人生全般特に現代について心得ていなければならないのに、庄助ときたら、近頃の作品読みかえしてみると、十篇のうち四篇まで、お葬式が、お話の中心になっていて、また、六篇の主人公は老人で、しかもすべてが、戦中戦後に題材をとっている。TVや電気冷蔵庫の出てくる生活は皆無なのだ、ゴーゴー踊る若者もあらわれない。  そして、目次面のテーマは、海外取材小説やら、ハイミナールとスポーツカーに狂う若者やらのテーマがひしめきあっていて、これは考え直さないと、えらいことになる、懸命になって、庄助は若づくりを装い、第三話で紹介した、もててばかりいる奴にいわせると、「なぐりこみのような」ゴーゴーぶり真似てみたり、自動車レースを観たり、努力はしているのだけれど、何がいったい現代なのかよくわからぬ、机に向うと、すべて付焼刃はけしとんで、またぞろお葬式のシーンを嬉々として、書きはじめる。お葬式なら、香煙のたなびく有様、親戚《しんせき》の中に一人くらい必ずいる葬儀好きの男の台辞《せりふ》、未亡人の眼の充血ぶりから、道路で立話する仏の知り合いの靴の埃《ほこり》のあんばいまで、あざやかに浮び上がる、まったく因果な性分であろう。  外国にだって、これで二度出かけている、だから当然、写真うつりのいい、歌手でもある女流作家や、また、目玉の松ちゃん風皇太子御学友なりし小説家の如く、アグネス嬢、ブラウン氏の出てくる海外小説もでっち上げていいはずなのに、まるで駄目。第一、「『庄助、どうしても日本へかえるの?』と、メリーがいった」なんて、いかにも空々しい、世上評判の海外取材小説もまずは、外人の日本語をしゃべるのが面妖《めんよう》に思え、こんなことを気にしてたらとても小説など書けたものではない。  半分はあきらめているが、まだ未練があり、だから、最近「お見合い」を研究している。「お見合い」も「学生運動」と同じく、まるで心得ないことで、庄助自身はもとより、大学時代の友人にも、ついぞこの経験のあるものはいない、いわゆる適齢期の頃は、昭和三十年代の前半であって、当時、見合いの風潮のすたれていたという理由もあるけれど、どういうわけか、庄助の友人の、その父親はたいてい昔を今になすよしもなき没落者が多く、元京都市の助役で、今は秋田にひっこんでいるとか、上海《シヤンハイ》にいるころ羽振りがよかったが、引揚げて後、闇屋になったとか、退職、中気、隠居、アル中の老人ばかり、だから、とても息子のために、嫁を探すゆとりもないし、また愚息豚児の面々も、いかな仲人口《なこうどぐち》でさえ、とりつくろいようのない暮しをしていた。  昭和三十一年をかぎって、庄助の友人を考えてみると、この年二十六歳なのだが、Sは業界紙の広告取り、Nは洋裁お針子のヒモ、Tは鋸《のこぎり》のセールスマン、Hがドッグボーイ、Kが占領軍施設のボーイ、Oが看板描きの見習い、庄助は写譜屋だった。いずれも朝起きると、新聞の求人広告をながめて溜息《ためいき》をつき、といって職安をたよる気はない、職安に出かけると、本物の失業者になってしまうような怯《おび》えがあった。だから、結婚はすべて野合である。Sは喫茶ガール、Tは大学同級生、Hは汽車で隣合せが結ぶ縁《えにし》の未亡人、Kは下宿の娘、Oが芸者といった具合で見合いとは、縁もゆかりもない。  ところが、近頃、また「お見合い」が流行しているという、しかもこれは、日本の伝統的文化の、まず外国で認められて後、我が国で再認識されるルールに従って、アメリカの女子大生などが伝えきいて羨《うらや》ましがり、たしかに、惚《ほ》れたハレたでくっつき合うよりは、両親あるいは人生の先達《せんだつ》の、知恵を生かしてえらんだ配偶者の方が、まあ安全なことにはちがいなく、恋愛と結婚は分けて考えた方が、長い人生の伴侶《はんりよ》えらぶのには、有利であろう。  ある女子大生、彼女とはゴーゴークラブで知り合ったのだが、それが明日はお見合いだと、うれしそうにしゃべるのをきいて、庄助はいくらか彼女に想い寄せていたせいもあり、妙にねたましく、また、自分がお見合いを、一度も経験してないことが、えらく損しているように思え、そして考えれば、なんという戦慄《せんりつ》であろうか、お見合いという行事は。  自分と結婚する、というより肌を合わせる可能性ひめた女が、しゃなりしゃなりと帝国ホテルのロビーなんぞへ親につきそわれてあらわれる、男はどんな風にながめるのだろう、吉原で、「あれはどうも気が強そうだ」とか、「少し痩せすぎててうまくない」など、ネオンサインの光と陰の交錯するあたりにたたずむ娼婦を、ちらりちらりと見やりつつ、とっとと歩いた、そして胸にはやはり思う人の面影を秘め、それといくらかでも似ている相手求めていたあの心境か、いや、断わるにはどうすればいいのか、ずいぶん残酷なような気もするし、逆に肘鉄《ひじてつ》喰った時、たとえこっちとしても、どうってことない女だって、やはり自尊心傷つけられるだろう、断わられたとたんにカッとのぼせ上って、相手を好きになるなんてことに、庄助ならなりかねぬ。  いったい彼等は何をしゃべるのか、「三月に入って十九センチも雪がつもるというのは、東京で二度目の記録だそうです」とか、「安保はどうなりますかねえ」など、初対面で共通の話題といったらロクなものはないはず、飯など一緒に食べるらしいが、一挙手一投足相手に観察されつつじゃ、ずい分うっとうしいだろう。いかに想像してもわからないから、今まさに適齢期の、編集者にたずね、すると、中に十一回お見合いをしたというベテランがいて、「どうってこともありませんよ、近頃では枯淡の域に達して、必ずモトはとりますねえ」という。  お見合いにおいては、かりに食事をすれば、その費用は男がもつのだそうだ、彼は、気に入ろうが入るまいが、おごった以上、唇とはいわぬまでも、手くらいにぎらなきゃ損だと、必ず食事の後で散歩にさそい、お手々つないで歩く、女性の方も、おごられた以上仕方ないとあきらめるのか、これを拒否するものはいないし、うまくいけばキスも許す、そしてこれは、決してOKの意思表示ではないそうだ。  男と女が知り合ったら、キスくらいまでその日のうちに進展するのが今では当り前で、かなり情熱的に舌などからませあった相手が、ケロリと断わりをいってくるし、こちらも、その権利を保留できる、「一度だけだったけど、お見合いの席から、温泉マークへ直行したこともあります」「ベテランだったのかね、向うも」「いや、処女でしたよ」編集者はすましていい、それは二十四歳の女子大卒業した女、早くに父を失い、母がアパートを経営して、暮しには困らない、夕方にホテルのロビーで会って、その後、バーへさそうと、いかにも馴れた感じでジンフィーズを三ばい飲み、そのうち、編集者は、今お見合いしたばかりの相手というより、街頭でスケコマシをした女の如くに思えてきて、先方もやや蓮っ葉に「これで六度目なのよ、お見合いって。わるいけど、男性より、食事の方が気になっちゃうわ、近頃」などいう。 「ぼくは八回目ですよ」「よほど高のぞみなすってるのね」「いやあ、はっきりどうという希望があるわけじゃないんだけど」「私もそうよ、眼の前にいる、この人と結婚するかも知れないなんて、まるっきり実感がないわ」「つまり、ピンと来ないんでしょ、そのうち一目惚れの相手に出会いますよ」「そうかなあ、これで母でもやいのやいのいえば、その気になるんだろうけど」なにやら投げやりにいい、表へ出てキスを交わし、送るつもりでタクシーに乗り、すると座席の前に、代々木の温泉マーク広告があった。「全室離れバストイレ鏡つき、当館の誇る特殊ベッド」とあって、「特殊ベッドってなんだろう」編集者がつぶやくと、運転手は、多分ここへ客を運びこめばチップを貰えるのだろう、「地震みたいにゆれるらしいですよ、もくりもくりと、まあ、あまり体を動かさなくても、十分に楽しめるってわけで」と、説明し、「どうです、つけましょうか」だまりこくった二人に、気を利かせたつもりかさそいかけ、女は別に拒まなかった。 「で、もくりもくりを試したわけかね」「ええまあ、どうってことはありませんでしたけど、ああいうのを不感症っていうのかな」のこのこついてきたから、男馴れているとふんで、編集者は、すぐベッドへもつれこんだのだが、あれこれと前の手続きを行なってもケロッとしたまま、いざとなったら、ひどく痛がり、しかし、抵抗はしなかった。かなりの出血があり、「しまった」と後悔してもせんかたなく、いや、行為の最中、処女だとわかったから、この場合は後悔が先に立っていたのだが、乗りかかった船で待てしばしがきかず、もし結婚してくれといわれたら、まあ止むを得ない、しかし、お見合いですぐ温泉マークへ出かけたなど、少しカッコわるいと、眉しかめた女の表情ながめつつ考えていた。 「お見合いで断わるというのは、つまり連絡をしないことなんですがね」見合いから恋愛にうつるのが常道で、この女いっこうに電話もかけてこないから、気になりつつも、やがて、やりどくといった感じになり、半年後に、またばったり会った時、「どう? まだ決らないの?」女は、同病|相憐《あいあわ》れむ如くいって、喫茶店で、丁度、タクシーの運転手が、同じ会社の仲間同士、「どうだね、一本いったか」「いやあ、まだ片手さ」と、水揚げ報告しあうようなもの、お互いの見合いの成果を語り、「あの時、帰って母さんに判ったんじゃないかと心配だったわ」女は含み笑いしつつ、「判ったら恥ずかしいものね」と、他人《ひと》ごとのようにいった。ひょっとすると、こういうのほほんとした女性こそ、妻にいいのではないか、ふと編集者は未練が生れ、しかし相手はまるでこっちを結婚の対象に考えていないようだから切り出せず、なにやら、まあ頑張りましょうと励ましあう風に別れて、それっきり。  これは、あるいは小説の材料になるかもしれない、葬式や老人の世界ばかりえがいて来た庄助が、がらりと趣かえて「お見合い」にはじまるお話を書けば、おとくい様によろこんでもらえるだろう、なにやら愛の不毛めいているし、現代の若者の断面をえぐるという感じもある、しかも主人公は編集者と、女子大卒のインテリではないか、およそ、取材して小説を書いたことは、これまでないのだが、庄助さらにくわしく赤裸々なお見合いの実態さぐるべく、特に女性の体験をうかがいたいのだが、まさか新聞に広告もならず、知り合いの誰かれ思い浮べてみても心当りはない。  ところがここに「エルムの会」という、上流階級夫人連の集《つど》いがあり、別にロータリークラブの如く、いやらしい社会奉仕をうたうでもなく、文化人をかこんで話をきくなどの、見えすいたパーティも行わぬ。築地あたりの料亭で季節のうまいものを召し上り、一種の井戸端会議の花を咲かすといった、きわめて高級な趣味のグループで、庄助は何度かそのゴシップのネタ提供に招かれたことがある。  その世話役の夫人が、スキャンダルの主をかこんで真相究明の集いを持ちたいと、庄助ならばその道に詳しいとみてたずね、さて、スキャンダルといっても、我が国ではみみっちいものばかりで、とてもアラン・ドロン氏の如き、あるいはフランク・シナトラのスケールにはるか及ばず、あれこれ話し合った末に、ふともらしたお見合い取材の件を、夫人は「そんなことなら、来週の水曜日、家にいらっしゃいよ、我が家でやるわよ」とこともなげにいった。  さらにたずねると、ほとんど週に一度、お見合いの場所としてその宏壮な邸宅を提供しているのだそうで、「まさかあなたがお茶持っていくわけにいかないけどさ、隣の部屋できいてりゃ、およその雰囲気《ふんいき》はわかるでしょ」と、これすなわちお見合いの|のぞき《ヽヽヽ》をすすめてくれたから、庄助、雀躍《じやくやく》。柿の木坂住宅地にある、お屋敷の、庭に面した十二畳間が舞台で、庄助は奥の茶室にひかえ、「欄間からみてもいいわよ、二人ともこの位置にすわるから、気づかれることないもの」夫人は、至れりつくせりに心をくばり、予備知識として、その日の女性は、今年K大学英文科を出た才媛《さいえん》、父親は自動車部品メーカーの社長、男性は、大銀行頭取の次男であるという。  庄助、ウイスキー飲みつつ待つうちに、まず男性があらわれて、「おばさま、ごきげんよう」しなしなっとした声がきこえ、そのつきそいなのか、中年女が、しきりに庭の椿《つばき》を賞める、二十分おくれて女性が到着し、これは活発な感じ、「ごめんなさい、すっかりおくれちゃって、車がたいへんだったのよ」夫人と語り、母親らしい声もする。  庄助、これまでにいわゆる|のぞき《ヽヽヽ》をしたことはあるが、それと同じような昂《たかぶ》りを覚えて、用意された踏台に乗り、欄間からうかがうと、机をはさんで床の間を背に夫人と、同じ年頃の女性、向きあって若い男女、男は紺の背広でおとなしい印象だが、女性の方は小柄ながら満艦飾のいでたち、少し前にお互い初対面の挨拶をすませ、「はじめまして、山中敬子です」はきはきといい、母親のことを、「オカアハマ」と呼び、シの発音がスィにきこえる、つまり「スィらないわ」「スィんじられないなあ」など少し耳ざわりだった。  若い二人をそっちのけで、夫人、敬子の母親、男のつきそい、ベチャクチャと世相を論じて、十分ほど後、「じゃあまあ、お二人でごゆっくり」と夫人が、少々|遣手《やりて》婆さん風に下品な口調でいって、大人三人が去り、庄助ますます手に汗にぎる、会話は主に敬子嬢がリードして、K大学にも全共闘がいるとか、食物に好ききらいはないが、魚はあまりお呼びでない、お酒は一度だけウイスキー半分を一時間のうちに飲み、ぶったおれたことがあって、それに懲りていっさいひかえているというようなことをしゃべる、男は無口で、時にしゃべれば、サラリーマンだからいつ転勤になるかわからない、学生時代は卓球部にいたなど、まことはがゆい。  庄助、その部屋の床の間に菜の花をあしらった花瓶《かびん》、「洗浄其心」と会津八一《あいづやいち》の書がかかり、テーブルにはお茶と羊羹《ようかん》だけ、広い庭からうらうらと晩春の陽光がさしこんで、なるほどこれがお見合いなのかと、納得できる。  上流階級では、かつてのようにホテル劇場を利用せず、顔の広い知人があれこれ準備ととのえて自宅に双方を招き、三時間くらい、ゆっくり話しあわせるのだそうだ、「私にもボーイフレンドは二、三人いましたけど、みんなたよりない感じで」「はあ」「あなたは、ガールフレンドいらして?」「いいえ」「私、一人娘でしょ、だから母は早くお嫁にいけいけっていうけれど、父は少ししぶい顔してるのよ、男親ってそんなものらしいですわね」「はあ」「私、生れた時千八百グラムしかなかったんですって、だから育つとは誰も思わなくて、祖母なんか、郷里から出てきて、そのまましばらく様子みてたそうよ」「はあ」「もし死んじゃったらお葬式で、また出てこなきゃならないし、二重手間になるからですって、失礼しちゃうわね」「ははは」男うつろに笑い、なるほど、見合いにおいても女性上位の時代なのだろう。敬子嬢は、自分の生れた頃は、食糧難だったから、どうにか育ったけれども、栄養が足りなくて、チビのまんま、でも、骨盤は大きいと医者は保証し、自分たちより二年下になると、目立って体格がよくなっているなど語り、「あなたはやはりグラマーな女性の方がお好き?」「いいえ、あんまりボインボインは苦手です」男がはっきり意思表示したのはこれくらいで、一方的に押しまくられ、これも後できいたことなのだが、お見合いでは例外なく、男性がしゃちほこばり、ろくに口もきかないという。女性はしごく冷静に観察し、こまかな癖や服装の趣味にまで行きとどいて、これが戦前ならば、男が気に入った時、見合いの席に扇子をおいておくのがならわしだったが、現在では、女性が先に表明するのだそうで、見合いの後、男のもとへ電話がかからなければ、つまり断わられたことになる、「男の方から断わることってあんまりないわよね、まあ、私なんか美人のお嬢さんばかりえらぶからだけど」夫人は得意そうにいって、成立すると五万円の謝礼がもらえる、「うちの主人なんか口がわるいから、交配|斡旋《あつせん》料だなんていうのよ」ケタケタと笑って、庄助、夢にえがいていた見合いと、現実はかなりちがうのにおどろく。  この見合いは、男が乗り気になって、しばしば敬子嬢のもとに電話をかけてきたが、敬子嬢「やっぱり育ちが良すぎるせいかしら、男らしさがないわねえ」と、すげなく断わり、すると育ちのきわめてわるい庄助など、世が世であれば、立候補の資格がある、小柄ながらひきしまった感じのその体つきを思いうかべ、残念な気もする、夫人の説によると、見合いの席でバンカラな態度をとる男は、比較的有利で、中には音楽の話題から、突如として男が、※[#歌記号]粋《いき》な黒塀《くろべい》見越しの松にと、唄い出し、「お富さんはいいですなあ」感にたえていったら、たいへんな美人がころっとまいったという。  この後、もう一度、見合いのぞきをして、それはTVディレクターと材木問屋の娘、時代の先端をいくディレクターが、見合いなど不思議だが、忙しいのと、なまじタレントの生態を近くにみているものだから、女性不信におちいり、絶対に処女を嫁にしたい、そのためには見合いにかぎると思いこみ、「勝手なものよ、ダンスにさそって、相手を抱いた時に、怯えなかったから駄目だなんていうのよ」夫人がぼやき、その男は身長百八十センチ、色白で、どことなくインポテンツのような印象、すでに三十五歳なのだが、自分でとやかく選択する前に、「女だって、年頃になれば、男性を見る眼は自然にそなわるものね、みんな気持わるいって、いやがるのよ」彼は月給の半分近くを、見合いに費やして、それが半ば趣味のようになっているそうだ。  いずれにせよたしかに、現代の一面があらわれているのだろうけど、庄助これを小説にしたてる気は起らず、小津安二郎の映画みているような、妙に絵空ごとの感じ、あきらめていたら、庄助の知人で、ブルーフィルムの仲介を行なっている須原という、もう五十近い男が、近頃はその業界も取締りうるさくて、商売にならぬ、いっそラーメン屋にでも転業したいと、いつパクられるかわからないから、用意の保釈金弁護士費用を資金にして、目下考え中、「ありゃ日銭《ひぜに》が入りますし、コックも半|素人《しろうと》で間に合いますからね」たずねてきて、見積りを説明し、ひょいと口調をかえ、「ところが、これはやはり女房がいないとねえ、どうせ店ったって場末のせまいものでしょう、女雇うといっても、求人難だし、夫婦でやらなきゃうまみがない」男の自分が、丼《どんぶり》運ぶのではいかにも色気がなさすぎる。  須原は一度パクられていて、その間に、女房が逃げてしまい、これはかえって気楽と、中年男のやもめ暮しに蛆《うじ》もわかさず、なりわいがなりわいだから、これまで一夜かぎりの女運にはめぐまれていた、しかし、店出すとなれば、そして、自分が留守の時など、というのはブルーフィルムからまるまる足を洗うわけではなくて、その買付けに時に四国九州へ出むくこともあろう、その留守まかせるとなれば、女房がいる、「お見合いをしましたよ」しれっといったのだ。  ブルーフィルム仲介業者がお見合いとは、いったい如何《いか》なることか、まさか「エルムの会」夫人のような世話焼きの、須原のつきあいといえばポンビキ、シロクロタレント、猥本《わいほん》屋などで、いるわけもない。「お見合いって、どうやるのさ」庄助、愚問を発し、「いやあ、ちゃんと斡旋所があるんですよ、品川に」  説明によると、品川駅近くの裏街に、表向き結婚相談所と看板あげた一軒があり、申込金三千円、一回ごとに千円の手数料払えば、何度でも相手を紹介し、めでたくまとまれば礼金五千円。 「ちゃんと写真をそえて、学歴、経歴、収入、家族関係を書類にして提出するんです、立派なものですよ」須原、うれしそうにいい、「で、見つかったの?」「いやあ、三度やったけど、いずれも帯に短し襷《たすき》に長しという奴でね」いっぱしのことをいった。  結婚相談所は、一階が麻雀《マージヤン》屋で、横の細い階段を上ると、左側にドアがあり、中は三つの部屋に分れている、一つは男女|膝《ひざ》をまじえて語り合う、いわば見合い室、一つが書類など置いた事務室、一つに今年六十一歳になる女経営者がいて、庄助は須原につれられ、見学にでかけたのだが、見合い室には粗末ながら応接セットが置かれ、壁に明治時代の皇族の真筆になる五箇条の御誓文の額と、芸能プロ所属タレントのカレンダー、恵比寿《えびす》大黒の置物が、トンチンカンなりに似つかわしく飾られている。  女経営者は、縁なしの眼鏡をかけ、まずは退職した小学校訓導といったところ、須原は庄助に、自分のうす汚れたスエードジャンパーを貸し、「若い人はすくないですからね、まあ、なるべく汚れた風態《ふうてい》の方が」と、あれこれ服装を指示し、黒眼鏡もはずす、商売は旅館のボイラーマンという触れこみ。 「そうねえ、あんたに似つかわしい嫁さんというと」老婆は、庄助値ぶみする如く、じろじろながめ、「まあ、いいとこのお嬢さんてわけにゃいかないけど、そりゃみな気立てはいいからねえ」ルーズリーフとアルバムを膝にのせ、パラパラ頁をめくって、庄助のぞきこむと、「まあそうあわてないで」衝立《ついたて》のようにして、かくす。 「三十八歳というと、むつかしい年だよ、そりゃ、四十になるとますます相手はいなくなる、あわてる気持はわかるけど、中途半端でねえ」須原は、すでに入会金を払っているから、あてがわれた五枚の、いずれも四十前後、いずれもパッとしない御面相の写真を、必死にながめ入り、裏に略歴がしるされていた。「旅館の女中さんばっかりですねえ」須原がいい、「贅沢《ぜいたく》いいなさんな、女中さんというのは、所帯もつとよく働くってよ」「これは飯場の炊事婦か、ちょいとかわいいなあ」「ああ、その人はかわいそうなんだねえ、子供が交通事故で死んじゃったんだ」「じゃあめそめそしてるかな」「子供のために後家を通してきたんだけど、張りがなくなって亭主を欲しくなったんだろ」「そんなもんかねえ」須原気のないうけこたえで、「どうですね、鎌田君の方は」と、庄助にたずねる、いささか疚《やま》しいけれど、変名を使い、須原の遠縁というふれこみであった。  庄助は、いったいどういう女性が、自分のお見合いの相手としてえらばれるのか、いわば試験されているようで、落着かず、「好みはあるんだろ」たずねられても、さて、何といえばいいのか、「まあ、気のやさしい人で」「男はみな同じことをいうねえ、初婚がいいのかい」「いや、別にこだわりませんが」「ふうん、三十八なら、三つちがいとして三十五歳か、三十五歳ねえ、女盛りだ」ぶつぶついいながら、老婆は、ようやくアルバムを、庄助の前にひろげ、「これなんかどうかね、子供が一人いるけど、気持はやさしいよ」  一生懸命に気取ったのか、変に無表情で、どことなく警察の手配写真の如く、たいへんおでこの女だった、バリバリっと、写真を固定しているビニール引きはがし、裏をかえせば、遠山喜久江三十五歳、現在家政婦と稚拙な字で書かれ、「どうだね、会ってみるかい」まだ入会金を払ってないのだが、老婆は気軽にいって、「あの、もう二つ三つ見せていただけませんか」庄助がいうと、「そう欲張りなさんな、私がこれを推薦するんだから、駄目なら、また次をえらべばいいよ」押しつけがましく、結局、次の日曜日にお見合いの段取りが決る。 「わるいような気がするなあ」もとより庄助に女房子供はある、藤十郎の恋ほどではないが、考えてみると女心もてあそぶような気持で、「いや、知ったこっちゃないですよ、向うだって、えらばれないよりは、ずいぶんましだもの」写真あずけたまま、何の連絡もなければ、たしかに情けないかもしれない。  当日、いかにも気が重かったが、といって払った入会金と手数料は惜しくないけれど、あるいは胸おどらせて来るかもしれない喜久江さん、すっぽかされたとなったら、さぞや気落ちするだろう、朝っぱらから酒を飲み、これが通常の見合いなら、一張羅《いつちようら》着こむだろうに、わざと無精髭《ぶしようひげ》、うす汚れた風態に身をやつして、約束の時間に、出かける。  喜久江嬢はすでに来ていて、しかも五、六歳の子供連れ、庄助を見るなりとび上るようにして立ち、深々とお辞儀をし、「さあ、達ちゃん、今日はしなさい」子供にもあいさつさせ、そこへ、老婆あらわれて、「あんたのことはいちおう説明しといたよ、こちらはたいへん乗気でね、ねえ」と、喜久江にいい、「いいえ、私のようなふつつかものが、お気に入っていただけるかどうか」身をくねらせて、恥ずかしそうにし、子供はキョトンとあめをしゃぶる。  若い者同士だから、表を散歩でもしたらと、老婆がすすめ、子供は自分があずかるとのこと。母と離れて暮すことになれているのか、いっこうに悲しそうな顔もせず、だまりこくって喜久江をながめ、「それじゃ、まいりましょうか」喜久江いそいそと腰を上げる、不器量というのでもない、写真よりは若くみえたし、グレーのスーツにトリコットながら靴下をはき、白と茶コンビの人造革の靴、庄助の煙草に、すぐにマッチをすり、なにやらうっとり見とれているようで、具合がわるい。  毒皿的心境のまま、さんさんと明るい陽ざしの中に出て、品川駅には、若者たちが群れ集っているし、目に入るものたいていはアベック、庄助は演技ではなく、うらぶれた、服装にふさわしい心境となり、「お一人で洗濯など、どうしてらっしゃいますの?」「それは、自分でやってますけど」「お気の毒にねえ、いつでもおっしゃって下さい」心底同情した如くいい、「鎌田さん、子供はお好きですか?」「ええ」「よかった、あの子達雄っていうんです、とてもきき分けのいい子でしてねえ」話はとんとんと、もはや二人の結ばれるのは自明の理のように運び、「会長さん、御親切に、何時間でもあずかって下さるっていって、もっとも、御商売でしょうけど」「あれで、どれくらいもうかるんですかな」「あなた、おはじめて?」「ええ」「私、本当のこと申しますと、三度お世話いただきましたの、でも、わがままいえる身分じゃないとわかっておりましても、これまでもう一つ、気がすすまなくて」  そして、庄助は、癌《がん》で死んだ前の亭主によく似ている、特に、襟足《えりあし》の感じがそっくりとか、「はじめてお目にかかった時、ドキンとしちゃいましたわ」それから、信仰している宗教の話、家政婦はやめて、今、豪華な温泉マークの女中をしていること、そのホテルは各部屋に鳥を置いていて、中のローラーが猫にやられ、赤チンを塗ってやったら、客が赤いカナリヤだとびっくりした話、朝、出勤前に利用する客があり、いかに奥様でもここまでは気がまわらないだろうとか、男女複数で来る客もあるけれど、うちでは断わることにしている、温泉マーク女中の役得は、避妊具を売ることで、たいてい客は五百円千円札を出し、釣りはうけとらないというような、庄助にしてみれば、興味|津々《しんしん》の話題をきりもなくしゃべりつづけ、つい、根掘り葉掘りききたくなるが、しかし、宿屋のボイラーマンなのだから、あまり詮索《せんさく》するのもおかしい、上野の、修学旅行、団体旅行専門の旅館に勤めていることになっていた。  まさにおずおずと、庄助の指を、喜久江はにぎって、「どこか、落着いてお話のできるところへいきたいわ、鎌田さんのこともよく知らないとね」ふと、さめたような口調になり、「じゃ、そこへでも入りますか」偶然、近くに連込みの看板があったから、破れかぶれでいうと、「そうですね」喜久江は落着いてこたえ、庄助はもはや成りゆきまかせだった。 「ほていや」というその旅館は、いかにも安宿、しかも昼間だから、なお|あら《ヽヽ》がみえる、六畳一間むき出しの煎餅《せんべい》布団に二つ枕、冷蔵庫はあるが、電気が入っていない。  喜久江は窓のカーテンを閉め、うすくらがりの中で、横ずわりにすわると、「お茶召し上りますか」たずねた、おさだまりの饅頭《まんじゆう》二つに茶碗急須、ポットが枕もとにあって、「いや、今いいです」庄助、どう心をさだめていいかわからぬ、「あなた、お着替えなさったら?」ひたとみつめて喜久江が、糊《のり》で板のような浴衣をもみしだきつついい、「いやあの、自分で」庄助しどろもどろになったが、それ以上無理強いはせず、喜久江つと後ろ向きになり、上衣を脱いだ。  脱ぐときちんとたたんで、隅におき、ひょいっと子供のように、「どう? これ」胸をつき出し、肩幅はひろいが、ほとんどふくらみのない胸に、たよりなくブラジャーがひっかかっていて、「私ね、昨日デパートで買ったのよ、かわいいでしょ」よくみればブラジャーのカップの先端に花の模様があった。  肩に浴衣をはおったまま、庄助がいっこうに応じた動きしめさぬから、それ以上、まさか先に布団に入ることもできかねるのだろう、またすわりこみ、「私、お気に入らない?」しょんぼりという、何かいわねばならないが、うすくらがりの中に、庄助のためわざわざブラジャー買い求めた喜久江の、いかにも倖《しあわ》せうすいといった態ですわりこんだ姿みれば、何を口にしても、自分のいやしい行動に輪をかけるようで、やがて「寒い」とつぶやいて浴衣かきあわせ、ポットの湯を注ぎ、茶を入れながら、飲むことはしない喜久江と、ただ向きあうばかり。 「結婚してくれなくてもいいのよ」時間にすれば、五分くらいの沈黙の末、喜久江がいい、「抱いてほしいのよ、ねえ、抱いて」急に積極的になってにじりより、庄助の膝に手をかけ、身をもむようにしながら、下半身に顔をこすりつける。  たくし上ったスカートから、野暮な下ばきがあらわれ、靴下は輪ゴムでとめられていた。庄助、特に女のえり好みをする方ではないが、喜久江はたちまち息を荒げて、ブラジャーかなぐり捨て、自分の掌で、乳首のみ大きい胸を、ぎゅっとひっつかみ、下から見上げて、キスを求めるその、油っ気の脱けた表情ながめれば、気力なえて、「いやなの? 私、きらい? ねえ、おねがい」焦《じ》れて矢つぎばやに問いかけ、足をよじるようにして、時に「アーッ」とまた顔を突っぷせる。なんともあつかいかね、やがて、喜久江、自分でスカートに手をさし入れ、どうやら自慰するらしく、左手はしっかと腰にまわされているから、庄助、端然とすわったまま身動きできず、これはまた妙な具合で、しかたなく、喜久江の背中をさすってやる。  しばらくして、体を起し、「ごめんなさいね、きっと色気違いだと思ったでしょ」「いや、ぼくがわるいんです」「月に一度くらい、どうにもならなくなるのよ、男の人のにおいがかぎたくなって、自分でも色気違いになったのかとおもうわ、温泉マークなんかで働いてると、余計に刺戟《しげき》を受けちゃうのかしら」  しかし、これは喜久江だけのことではなくて、家政婦をしていた頃の同僚、いずれも未亡人あるいは病気の夫をかかえて、いわば男ひでり、お互いにひょいと話がそこに触れると、あけすけに打ちあけ、メンスの前後に逆上するのもいれば、欲望が昂進《こうしん》すると、紙を燃やしてその匂いを吸いこむ癖があったり、心悸《しんき》昂進して、立っていることもできなくなる者もざら、喜久江は、臭いで、夜中に、まざまざと男のそれを幻覚し、つれて、自分の体内に入りこむ男の体を感じ、そばで寝ている達雄を気づかうゆとりもないほど、悲鳴をあげもだえるのだそうだ。 「あの結婚相談所に来る人って、みんなそうよ」それぞれに子供や病人、死んだ亭主の母親を養っている女もいて、まともな再婚ができるとは考えていない、「でもね、結婚相談所があって、そこにお見合いの写真を置いておくと、気が安まるのよ、ひょっとしてって、考えるのね」相談所の老婆も、そのことは知っている、いわば、売春斡旋にもなりかねないのだが、「あの小母さんね、やっぱり女だから、よくわかってくれてるのよ、時には空気を抜かないと、破裂しちまうってね、月に一度くらい、適当な男を紹介してくれるのよ」「でも、男の方が惚れこんじゃったりしたら、困るでしょ」「そんなことないわね、どうせ、あすこへ来る男も、まあ、半端なのばかりだもん」いってすぐ気がつき、「あらごめんなさい」心がしずまったのか、笑いながら、「別にお金もらうわけじゃないから、パンパンじゃないわよね、手数料払ってお見合いするだけだもの、お見合いにしてはてっとり早くおねんねしちゃうけど、これくらいのことがなきゃ、親子心中しちゃった方がよほどましよ」  喜久江は煙草をくわえ、乱れた髪に手をやりながら、「男の人はいいわよ、強姦ができるものね、女は口説かれるの待ってなきゃならないし、こんな婆さん口説くもの好きはいないし」身じまいして、手提げ袋に、「これ食べないの?」たずねて饅頭をしまいこみ、「うちの達雄ね、温泉マークのお茶うけずいぶん食べてるわよ、大きくなって気がついたらどう思うかしらね」おかしそうに笑って、また連れ立ち表へ出たが、まだ陽は高く女と別れて気づいたのだが庄助、自分も白昼の情事いとなんだように疲れていた。  家へもどると、妻は日曜日に薄汚れた恰好で外出した庄助を、「少しは御近所の手前も考えて下さいよ、どこで拾ってきたのよ、そんなジャンパーなんか」ぽんぽんといい立て、なにいってやがる、お前だって俺が今死ねば、結婚相談所のお見合いを口実に、男に抱かれなきゃ破裂しちまうんじゃないか、昨夜営みを行なったから、今日は、しごく陽気に鼻唄など口ずさむ妻を、またまた女性の奇怪な一面にふれた思い、あらためてしみじみと見直し、「俺が死んだらどうする?」たずねると、「そりゃ再婚するわよ」「相手がいるかな」「馬鹿にしないでよ、これでも独身にみられることだってあるのよ」だから、もし死ぬなら早く死んでくれ、いいかげん年をとってから未亡人になったんじゃ買い手がなくなるからと、憎まれ口をきく。  結婚相談所のお見合いを題材にして、短篇小説を書けないでもない、しかし、これまた温泉マークの女中と、ブルーフィルム仲介業から足を洗ってラーメン屋を志す、中年男の、なんともいかがわしい出会いであって、インテリとはまるで関係がない。よほど貧乏性というのか、無学が身についているのか、うんざりして、だが、あの喜久江の、自分を抱いてくれる男のために、わざわざ買い求めた、花模様のブラジャーにこそ、女の哀しさがこめられていたのではないか。 「エルムの会」夫人の邸宅で、キャッキャとはしゃぎながら冷静に、相手を観察していた娘と、果してどっちが女として生きているか、夫人と、老婆をくらべたら、やはり老婆の方が人間通であるように思えてくる。そして、いずれにせよ、あれほどしてみたかったお見合いを、庄助は実行したのだ、年収二千四百万など、そうつづくわけもないから、やがて先行き女房子供にも捨てられ、それが一張羅のジャンパーをはおり、もう一度、あの結婚相談所を訪れるような、予感めいたものもあった。  その時は、せめてものことに、あたらしいパンツをはいていくか、「あなたのために、これをデパートで買ってきました」と、さだめし四十五十過ぎの相手にいい、相手はその年だとブラジャーではなくて、髪飾りにひそかな装いをこらしているかもしれない、腹ばいになった二人が、つめたいお茶で、饅頭をもぐもぐとほおばり、むつみ合う、ひょっとすると、本当のセックスなんてものは、その境地にこそあるのではないかしら、お互いにただ肌のぬくもりを求め、人間同士であることをたしかめあって。  当分、庄助には、若い男女の、現代をえぐる鮮烈なエロチシズムなど、無理らしい。 [#改ページ]   第六話 不学変才  保坂庄助が、いわゆる純文学雑誌をおもむろにひもといていると、いや庄助の如き読物書きでも、純文学に触れることはあるので、小説はいずれも難解をきわめる故に文字通り敬遠し、その座談会及び匿名批評、その純文学の化身とでもいうべき方々の高説を拝読し、といっても仕方のないもので、庄助はまるで低い次元というか、芸能週刊誌のゴシップ記事と同じような興味をいだくので、正にこういうのを猫に小判と申すのであろう。  なかんずく、庄助の好物は、諸誌の中でもその極北に位置すると目されている文芸雑誌の「チンチンカモカモ」といったような名前の欄であって、この筆者は実にうまく人の悪口をいう。近頃のTVは毒舌ブームなのに、どうして局がこのタレントに眼をつけないのか不思議なくらいである。悪口いってはいても、決して相手を、キリキリ舞の末に自殺へ追いこむようなことはなく、その点でもTV向きと思えるのだが。また、純文学新人賞の舞台となる雑誌にも「管制塔」と訳せるコラムがあり、ここはよく戯文調で人をからかう、しかし庄助つくづく考えるのだが、純文学の方に、パロディの精神もとより豊富なのだろうけれど、その技術は偏《かたよ》って存在するらしく、あまり上手な戯文にはぶつからぬ、これくらいの文体模写なら、いわゆる中間読物雑誌のカラー頁担当者の方が、はるかに上手なのではあるまいか、庄助自分では、文体模写の才能があると信じこんでいて、その小説の文体が、風がわりだといわれているけれども、これとて何のことはない、いちばんはじめに注文受けた時、原稿用紙に向ったはものの、さて小説とはどうやって書けばいいのか、どんなものだったかさっぱり見当がつかず、手近にあった織田作之助の小説集パラパラとめくって、なるほどなるほどと納得しつつ書いたら、そっくりそのまま会話と地の文が入りまじり、だらだらと切れ目のない文章になってしまったのだ。そして行変えのすくないのも、故あってのことではなく、びっしり書いておけば、せめて水増しではないという誠意みとめてもらえるのではあるまいかと、今でも半ば泣き泣き余白のすくない原稿をつくっている、これが営業方針になった以上、急ぐ時など、ああここで行を変えれば、十五字得をすると思っても、変更もならず、なにより行変えをしたら、たちまち上げ底がばれてしまうような怯《おび》えがあり、とてもできないのだ。  だからごくたまに、織田作に似ているなど過褒《かほう》の言葉賜わると、盗作者の如き心境になるのだが、一度、「管制塔」で書いてみたいと思うのは、特定の作家の文体をさりげなく真似て、いかにも当人が自分の文体をかくしつつ、しかしかくしおおせぬといった風を装い、その友人や師匠筋に当る方をこてんとけなしたらおもしろいだろう。とにかくこのように不謹慎な読み方をしているのだけれど、その雑誌に思いがけずわが名前を発見し、その文章は文芸批評大家の筆になるもの、「保坂庄助のような学歴不詳の作家」とあり、その前後の文章はさておき、「学歴不詳」という言葉はおもしろい。「住所不定」「経歴不詳」「職業不明」とはいっても、「学歴不詳」は新語ではあるまいか、まこといわれてみればその通り、小学校こそきちんと卒業したが、中学を二度中退し、少年院に在籍し、高校と大学二校中退しているのだから、たしかに学歴不詳というより他にふさわしい表現はないだろう、近頃は中退ブームでやたら多くなったけれど、小学校以外すべて中途半端というのは、庄助くらいではないか、中退の鬼といったおもむきさえある。  しかもこの中退がいんちきなもので、中学三年でまず中退した時、そこで学んだことといったら、勤労奉仕の作業だけだし、中学四年一年間だけ籍を置いた学校の頃はひたすら腹ばかり減らし、高校は遊ぶ場所と心得、三日間いた大学はもとより、七年間いた大学においても、教室にまともに出たことはないのだ、だから、よく「浅学非才」というけれど、浅にも深にも学問はまるでない。  かえって学歴のない方は、人に負けまいと独学なさって、なまじの大学出よりはるかに碩学《せきがく》でいらっしゃることが多いが、庄助は学校の数と在籍年数のみ人を凌駕《りようが》し、なんとなく学を修めたつもりになっていて、その実何も実っていない、「浅学非才」風にいうなら、無学鈍才であるか、しかし、このいい方はいかにもことさらなへりくだりを感じさせる、よく学識経験者が、「私の如き無学の者は」などいい、かなりいや味なものだ。 「雑学」というなら、以前の「話の泉」メンバー風に諸事に詳しくなくてはならぬ、「偏学」はどうか、ブルーフィルムと釜ヶ崎なら詳しいから、偏っているにはちがいないけど、これをしも学といえるか、大学教授のようないわゆる学者バカを、「偏学」というべきであろう。  あれこれ考えて「不学」に落着き、つづいて「変才」と納得する、かりにも文章を書いて食べているのだから、「無才」の「愚才」のというのは世間様をなめたいいようである、なにかの才能はあるにちがいない、「奇才」といえば平賀源内だろうし、「軽才」ほどの、スマートさもない、たしかに人より秀《すぐ》れていると思われる庄助の能力は、毛の伸び方が人の倍は早いこと、また陰毛の長さが多分日本一であること、二日酔いを知らず、寝つきがよく、よくよくかえりみれば昔のことについての記憶力が、人より多少よろしいように思える、また早飯早糞もかなりの線いっているようだし、声もいいように自分では信じておる。  いずれにしても妙な才能であるからして、「不学変才」がすなわち保坂庄助をぴったりあらわす、この伝をすすめると、あのもてる奴はさしずめ「題学顔才」ではないか、とにかく題名がうまいし、「顔文一致」という言葉が奴のためにつくられているほどなのだから。 「碩学顕才」のきらびやかな小説家もいれば、「有学無才」「性学色才」「銃学殺才」「剣学怒才」「権学政才」「留学洋才」「無学商才」「大学小才」「書学雑才」「偏学狭才」「乱学多才」「邪学怪才」「偽学盗才」「博学重才」「無学天才」「痴学稚才」「衒学《げんがく》虚才」「努学力才」うろおぼえの小説家誰かれを思い浮べつつ、当てはまる言葉を探し、夜更けにウイスキーなめつつ、こんな風な作業にいそしんでいる時が、なにより楽しいのだ。  そしてなおいっそう「不学変才」の道にいそしまなければならぬと、自らにいいきかせ、そのためにはどうするべきか、庄助も人並みに酒好きで、バーに出入りするけれども、そこに綾《あや》なす恋の手練手管《てれんてくだ》うつしたって、とうてい色才に遠く及ばず、なにやら妖《あや》しげな外国小説家の手法真似るには、盗才においてかける、パロディはできても、換骨奪胎にまではいたらぬのだ、現在三十八歳で、すくなくとも後二十年は、変才をたよりにおまんまいただかねばならず、不学の不学たるゆえんのもの、すなわち学校へ通わずに、おかしな世渡りしてきた、その体験談はもはや書きつくしてしまっている。  あれこれ思案した末に、どうにか思い当ったのは、これはもう放浪より他にないのではないか、物書きはいちおう自由業ということになっているが、現在では、給料生活者とまず差はない、原則として大都会に住まなければならず、たしかにタイムレコーダーにはしばられないが、さらに厳しい締切りがあって、興いたるまま書き上げた一篇を編集部に持参し、米塩の資を得るというものではない、暇つぶしの方法だって、カー、ゴルフ、ヨット、バー、海外旅行としごく月並みであるし、庄助もある時期は、家と銀座を往復するだけの一年を過したことがある、天才ならば、閉じこもりっきりで、あらゆる人生の断面活写することも可能だろうけれど、とうてい変才ではかなわず、たしかに旅行に出かけることは多いが、たいてい一晩泊りで、近頃の地方都市はよきにつけ悪しきにつけ画一化されつつあるから、ふと気がつくと、今いる所が高松なのかはた松本、新潟なのか、混乱してしまう、もとより地方の人情にふれるなどのぞむべくもなく、標準語しゃべる文化人と、東京風バーで酒を飲み、それだけでそそくさ帰京して、これは旅などというものではない。  中間読物雑誌に書いている他の才能もほぼ似たような事情だろうと思われるし、すると裏に道あり花の山で、いっそ「学歴不詳」に加え「住所不定」とすれば、すくなくとも題材の上で、有利になりはしないか。庄助はとにかく締切りを守らないから、居所がつかめぬとなったら、たちまち編集者|苛立《いらだ》って、干されるのは必定、だから心配かけぬように放浪をせねばならぬ、一月《ひとつき》は東京の家に過し、一月を目的さだめず一カ所に下宿すればどうであろうか、いわゆる取材は、はじめから予断を抱いて、目的にふさわしい人にだけ会い、また場所をえらぶけれども、これは能率的ではあっても、いわば完全栄養食を摂《と》るようなもので、無駄がなさ過ぎる、一月ではみじか過ぎるが、たとえば草加《そうか》、松戸、上《かみ》福岡、福生《ふつさ》といったようなめまぐるしくかわりつつある東京近郊に暮せば、銀座にいては思いもかけぬ、いやしい表現だがネタがあるのではないか。  詳しく調べた訳ではないが、只今の中間読物というと、時代物を別にして、ほとんどが大都会に舞台を設定し、それも極端にいえば銀座、新宿、青山、赤坂、六本木《ろつぽんぎ》に限られているようにみえる、これだけ交通が便利になっていても、赤羽がでてこない、船橋も三ノ輪も、いや浅草すらもない、本当をいえば、一年くらい住みつくといいのだろうが、中間読物ではそう悠長なこともしていられない、とりあえず庄助は、現在千束四丁目と名のかわった吉原に下宿することに決め、そのあたりのトルコ嬢や、あるいは山谷《さんや》の屋台で老いたる労務者と仲良くなるべく、彼《か》の地の主ともいうべき吉浦平吉氏通称へーさんに頼んだのである。食いのばしのためときいて、女房も反対はせず、さらに夢は、四国へわたってミシンのセールスマンとなり歩きまわるとか、長崎あたりで少々ふけてはいるがバーテンダーをやってみるとか、土地々々の木賃宿へ泊り、新聞の求人広告をながめるなど、ちょいといいものではないかなど際限なく広がり、もっとも現在曲りなりにも物書きとして収入を得ているのだから、こんな一日税務署長めいたことをして、どれだけ見聞をひろめられるかわからず、体力もともなわぬだろうけれど、いわゆる取材旅行よりははるかにまし、変才の身としては、なんとか|あな《ヽヽ》を探し当てる必要があった。  へーさんたちまちいくつか間借りの心当り紹介してくれたが、やはり庄助なまじ文化生活に毒されていて、いざ西陽のあたる四畳半隣近所子供のわめき立て、異様な臭気ただようたたずまいに、まず閉口し、幾部屋か見て歩いて、なかなか心が決らぬ、これはいっそショック療法で、ここしばらく釜ヶ崎に入っていないが、万博景気にわくというあの吹き溜《だま》りで体質改善してみようかと、あれこれ思い悩むうち、一通の手紙が舞いこんで、それは、東北の街に住む、庄助とほぼ同年の、これは筋金入り文学青年からのもの。  彼とは、その近くに講演会で出かけた時、知り合ったので、小説を書いてすでに二十年中央文壇相手にせずと、季刊の同人誌を主宰しつづけ、そう紹介されると、庄助おのがやましさと向き合わねばならず、はじめ心重かったのだが、先方はしごく気軽に酒場といっても、地方色豊かな店を案内してくれ、四方山《よもやま》話の末に、彼は「このあたり、冬は完全に雪で孤立しますからな、しかも濁酒《どぶろく》にくらい酔って、つい近親相姦にいたることが多いようです」といい、だから、また尊属卑属殺人もしばしばあるとつぶやいた。  あでやかな恋は駄目だが、近親相姦となると庄助の変才の守備範囲で、「どうですか、一度見に来ませんか、一村すべて近親相姦というのがありますものね」「一村すべて?」「はあ、山また山の奥の方ですが、私も一度調べたいと思っております。一緒にいきませんか」さそわれて、食指は動いたが、やはり講演旅行では、それ以上具体化することもなく、つい忘れていたのだが、以後、同人誌が送られて来て、そのお返しに庄助新刊の小説集をとどけ、義理固く読後感を寄せて下さった文面、その末尾に、「例の村いくらか手がかりが出来ました、おもしろい材料がありましたら、お知らせします」とあって、例の村とは、近親相姦部落であろう。  庄助、近親相姦について、別に偏見はない、いや、親と子供だって、男と女にちがいなく、なにもびっくりすることはないと、むしろ逆の偏見をいだいているし、その処女作にも父親と娘のこの関係を登場させたし元来、父親の愛情の中には、近親相姦願望の色合いがあるのではないかと、今年四歳になる娘を庄助持つだけに、考えていて、自分の中のそういった気持を認めているのだが、にしてもとにかく一村あげての相姦とはすさまじいにちがいない。  近親相姦は、父と娘、祖父と孫、姉と弟の間に圧倒的にみられ、母と息子、兄と妹にはすくないそうだ、冬期、雪に孤立する山あいの部落といえば、さだめし貧しいにちがいない、薪のくすぶるいろりを囲んで、向き合う家族すべてお互いに関係があるなど、鬼気迫るものがあろう、吉原留学の話がはかのいかぬまま、庄助は、少し時間をかけてその部落の近辺に身を置きたいと考え、折りかえしその旨書きおくると、彼も気の早い男で、電報がとどき、「ユキハトケタソウカンハナザカリイツニテモヨシマツ」とある。  こういうことは、やはり気合いの問題だから、庄助も電報ですぐ出発する旨電文を発し、四月半ば、桜のすっかり散った東京を後に北へ向ったのだ、書くほどは風が持て来る材料かなと、ゆたかな気持で、まず青森にいたり、朝だったが彼、すなわち高島|圭介《けいすけ》氏迎えに出てくれていて、改札口に手をふり、「どうもしばらく」と久闊《きゆうかつ》の挨拶もそこそこに高島氏タクシーをとめ、妙に決然とした表情がうかがえる。  雪はとけたとあったが、それは春の枕詞《まくらことば》のようなものらしく、山肌のいたるところ、薄汚れてはいても白く残り、風も思いがけずに冷たい、「この分では、桜祭りに花は咲くかね」高島氏、運ちゃんにたずね、それは毎年|弘前城址《ひろさきじようし》で、天皇誕生日を中心に開かれる祭りのこと、その高市《たかまち》を庄助も一度見物に来たことがある、いわゆる取材旅行は能率的にすぎてなど、偉そうなことをいっても、やはり先達《せんだつ》がいてくれると、親船に乗ったようなもので、安心しきった庄助、うとうと車中ねむるうち、ガタンと体をゆすられて、気がつくとタクシーは山道にさしかかり、雪がすぐそばにいくらもある。 「この先にあるんですか」まさか近親相姦部落ともいいかね、たずねると高島氏重々しくうなずき、「なんせ貧しいからねえ、東北でも有数の貧乏な土地で、今は父ちゃんなどみな東京へ出稼ぎにいっとるもんね」そうきけば、近頃起った水没事故の犠牲者みな青森県出身だった、興味半分で、いわば見物に出かける自分がいかにもいやしく思えてきて、これは庄助の癖でもある、ふだんはかなりおっちょこちょいだし、どちらかといえば饒舌《じようぜつ》なのだが、初めて会う人に口が重く、その前ひどく憂鬱になる、会う前からくたびれきった感じで、「寒さしのぎに酒でもどうですか」勢いつけるために申し出たが、高島氏「この近くじゃ売ってないもんねえ」にべもなく、「飯食うとこもありませんよ」だからと、用意の弁当二食分をみせ、「ここいらで吹雪にまかれたら、凍死するべえ?」運ちゃんにいう、「んだすな、この道もつい一週間前にようやくチェーン捲かずに走れるようになったすもんね」わずかなすき間から吹きこむ風は、ますます冷たく、庄助の心さらになえ、近親相姦などどうでもいい、早く都会風のバーで、ウイスキーオンザロクスを飲みたい。 「降りましょう」高島氏がいって、あたり山中には不似合いな街並み、といってもコーラの看板のみけばけばしい店屋が一軒と、他は藁《わら》ぶきの農家が道の両側に続き、タクシーは木造二階建、いかにも村役場といった建物の前にとまっていた。掲示板に自衛官募集の貼紙《はりがみ》が一枚、見上げれば雲が足早にとんで、時折のぞく青空は、色浅く弱々しい印象だった、高島氏、気軽にドアを開けて中に入り、日中というのに深閑としたたたずまい、戸籍係の男と高島氏しゃべったが、訛《なま》りでほとんど聞きとれぬ、やがて戸籍氏戸棚から、厚い帳簿を持ち出し、「これこれ、これを見て下さい」高島氏が示したのは、この戸籍簿というのか、姓名生年月日住所など記された欄のうち、二つが斜めに赤で線をひいた部分、「この姉と弟がそうですなあ」声ひそめていう。  姉は昭和十六年生れ、弟が昭和二十四年生れで、その記載事項から庄助は、どう近親相姦よみとっていいのか、とても見当がつかずただふんふんとうなずき、「これは保坂さん、二人とも噂《うわさ》になっていたたまれず、逃げ出したのですよ」たしかに転出先は、姉が東京、弟は山形となっている、「この久子という姉の居場所たしかだろうか」「さあ、どうせその先は転々としているだろうからなあ」高島氏満足気にうなずいて、「んだべな、大都会に埋没ちゅうわけだ、それでこそまた救われるというもんだが」つぶやき、十六年生れといえば、二十八歳のわけで、近親相姦の罪業背負って東京に働くときけば、およその見当もつく、もう少し根掘り葉掘りたずねたいが、どうも庄助気おくれがして、すべて高島氏まかせ、彼はまた帳簿くっては、「うーむ、これも怪しいな、女房を残して、おとうと娘が転籍しておる」眼光紙背に徹するというのか、高島氏右手おとがいに当て、カウンターにもたれかかりつつ、「うん、これはまちがいない」断言し、ききとがめて係員「なんだね」「いやいや、こちらのこと」ごま化すと、「この家のおっかあまだ一人で住んでるのかね」たずね、「あ、これだば、すぐそばだが」やりとりの末に、「どうです、近親相姦の家をながめますか?」高島氏声をひそめていう。  たしかに大声で語るべきことがらでもないだろう、庄助も宝探しの如く、だまってこっそりうなずき、表へ出ると、いかにも自信あり気に高島氏先に立って、しばらく後、行きあった農婦にたずねると、まったく逆の方向、だが彼は泰然自若として、また力強い足どりを運び、目ざす近親相姦の家は、小川のほとり、藁ぶきに壁はげ落ち、古い簔《みの》とくわが薪積み上げた上に置かれていて、しごく貧しい印象、「うーん、なるほどなあ、一冬こんな貧しい家に閉じこめられていれば、他に楽しいことのあるでなし、獣欲におもむくのも無理はないです」しきりに感嘆する。  そういわれればそんなもんかと、壁の破れ目からのぞく細い竹の芯《しん》や、ぼろとしかいいようのない洗濯物の風になびくさま、二羽いる鶏小屋をしっかと心に刻みこみ、夫と娘にそむかれた農婦は、この藁ぶきの屋根の下で何をたよりに生きているのだろうか、孤独とか、寂しいなんて甘ったれたものではあるまい、人間不信やら不条理も、愛の不毛も、断絶の時代も、これにくらべれば子供だましみたいなもの、近親相姦の妖しげな気配がゆらゆらとまといついているようで、庄助もじっと立ちつくしながめ入る。もっとも、ゆらゆらと実際にみえたのは、陽差しに藁の水分の、水蒸気となって立ちのぼるさまであったが。 「では、つぎに参りましょう」高島氏いきおいこんで、またタクシーに乗りこみ、バックしてようやく車一台辛うじて通れる段々|畠《ばたけ》の中道を、三十分のろのろ走って、たどりついたところは、一軒孤立したこれもかなり荒れ果てた農家。先に立って高島氏、土間に入りこみ、「おとういだが」大声で呼ばわる、いよいよ、近親相姦当事者にあえるのであろうか、庄助、用意の東京土産、クッキーの箱を持ち出し、中へ入ると半ば暗闇で、左手に座敷があり、右は荒壁、「おいよ」返事とともにあらわれたのは、五十年輩おそろしく額のせまい男、「ありゃあ、高島さんかねえ、こりゃこりゃしばらくだったすな」しごく陽気にいい、ひきかえ、座敷にすわる同じ年頃の女房は、だまったまま。  またよくわからぬ言葉で、高島氏と主人語りあい、庄助をしめして「この人は、東京から取材に来なさったのよ」庄助あわてて、クッキーをさし出し深々と一礼、「あれまあ、遠いところをえらいことだねえ」「東京の小説家だがね、保坂庄助って知っとろうが」高島がいい、男はあいまいに笑ったまま。実に具合のわるいもので、こういう時はどういう表情でいればよいのか、「取材って、何も珍しいこともねえけんど」山奥に住むにしては、ひどく物判りがよく、まあおかけなさってといわれたが、さて、亭主と女房どっちが相姦の当事者であるにしろ、なんともたずねにくい。  高島氏はそっぽむいて、荒壁にかかった毛皮をなでさすり、「このあたりで雪はどれくらい積りますか」庄助気の利かぬ質問をする、たいていのぶしつけな質問も、これまでしたことがあった、若い女性をつかまえ、処女失ったのは何歳の時であったかとか、また年老いた娼婦に、最高一晩に何人くらいこなせるものであるかなど、たずねた経験はあるのだが、このしごく楽天的に見える中老の男に、「ええ、娘さんがいくつの時に、その|なに《ヽヽ》なさいましたので」とは、切り出しにくい、「ちょっとぼく勉強不足で、何をうかがっていいのかわからないんですけどねえ」高島氏に助け船を求め、「いやあ、何だって大丈夫ですよ、なあ、おとう兎狩りのことでも話して聞かせろや」「んだな」おとう舌なめずりして、天井を向き、兎狩りとはなんであるか、兎というのはひどく好色な動物ときいたことがある、だから、アメリカのプレイボーイのシンボルともされていると、誰かに教えられた、「これでつかまえるんですがな」男は、庄助の思惑おかまいなしに、針金の輪になったものを見せ、「兎という奴は、前へは進むが、後に退《ひ》くことが苦手でな、しかも一列になって同じ道を通るもんね、兎道さえみつければ、後は楽なこんで、一度に二十匹くらいとったことあるもんね」なんのことはない本物の兎狩りの話であった、相変らず無愛想な女房がお茶をすすめ、男は県下第一の猟師なのだそうだ、応対になれているのも当然で、やがて新聞の切抜きを持ち出し、熊狩り、狸《たぬき》狩りで知事と共に写っている姿や、倒した熊のかたわらに直立不動でかしこまっている写真もある。  庄助は拍子抜けしてぼんやりしていたら、男は躍起となって、わが腕の確かなことを、この冬に獲《と》った狸や兎の毛皮までしこたま持ち出し、「わだすが今年も一番でやした、知事さんから表彰されましたもんね、なあ、高島さん」そして、断末魔の狸の表情や、熊の眉間《みけん》打ち抜いた時の、朽木倒れるが如き有様を、自ら熱演して下さる、高島氏は何度もきいたことらしく、いっこうに興味しめさず、仕方なく庄助、がたがた寒さにふるえつつ、毛皮をなでさすったりし、一時間近くうけたまわって表に出る。 「ありゃこのあたりの名物男なんですね、ああいう狩人も近頃はすくなくなりましたよ」高島氏満足そうにいったが、庄助は相姦のことなど切り出さなくてよかった、下手すれば鉄砲で撃たれていたかも知れぬ。  昼飯を食べ、高島氏はこのあたりもいわゆる過疎地帯であって、若者はどんどん大都会に流出し、一村ただの三戸となり、おびただしいねずみが家や田畠を荒しまわっているとか、また一転して近くの街にキャバレーが出来たのだが、ここに農家の若い嫁がホステスとして勤め、午後十一時になると、亭主が自転車で迎えに来る、夜の畦道《あぜみち》を二人乗りでチリリンチリリンと、我が家へ急ぐ姿は、これほほえましいのか、貧困のあらわれなのか判断に苦しむなど、いずれも興味ある話題なのだが、さて近親相姦からは遠ざかるばかりで、庄助少々飲んだウイスキーの力を借り、「その、前にお話いただいた一村すべて近親相姦という場所は遠いんですか」たずねると、一瞬、高島氏口をつぐみ、「いや、そこはちょっとふつうの足ごしらえでは入りこめない場所ですからなあ」なんとなくおどおどした口調となって、電話機にむかい、庄助をはばかるように低声《こごえ》でぼそぼそとしゃべる、庄助、わるい気がして便所へ入り、深い溜めから吹き上げる風に尻さらしつつ、いささか真偽のほど疑わしくもなる、いくら山中に孤立しているからといって、全村あげて近親相姦などあり得ることだろうか、さっきの村役場でも煮え切らない感じだったし、あの、亭主と娘に逃げられたという女の家、たしかに貧しいたたずまいにちがいないけれど、こればっかりはあれが近親相姦の家といわれれば、そうかと信ずるより他にない、まさか「ええこちらさまは、父上と娘さんのお仲がことのほかおよろしいとうかがいましたが」など、たずねもならないし、近所に訊《き》くわけにもいかぬ、いかな金棒《かなぼう》引きでもこのことは、口にしにくいであろう。  高島氏が、いささか大袈裟《おおげさ》につげたのは、そのサービス精神からかも知れぬ、庄助だってよく経験することだ、「いやあすごい美人のいる店を発見したよ、是非行こう」と友人をさそい、その時は特にオーバーにいったつもりもないのだが、いざ出かけてみると、実に変哲もなくて、具合わるいことがある、高島氏はまさか庄助が来るとは思わず、一種の挨拶がわりに書きしるし、それにのってこられたから、今更、断わりもならずきっとあわてたのにちがいない、高島氏の本業は木工所のはずで、その仕事の手もとめ、悪いことをしてしまったと、庄助後悔し、ここはもうすっかりわかったことにして、後は街へもどり、酒でも御馳走しようと、すっかり冷え切った尻をストーブにむける、高島氏はまだしきりに手まわしのハンドルをがりがりひっかきまわして、今度はわりに勢いづき、「そうかや、そりゃ残念だったのう、まあ、大事にするよう伝えて下さい」大声でいって、「大丈夫ですよ、見つかりました、すぐ手近なところでありましたわ」  いそいそと表へ出て、まるで猟犬が目指す獲物の臭い、ようやくかぎ当てた如くに、タクシーに乗ってからも、近道を指示し、悪路をさけ、また峠一つ越えて、たどりついたのは、人口四万という小都市、その目抜きに近い古びた旅館へ車つけさせ、「さあさあ」と客引きのように庄助を招じ入れる。  残雪いただいた山をはるかにながめる大広間に通って、庄助ふと、風呂浴びたくなり、女中に頼むと二つ返事、案内されたものの、昨夜のままらしく、表面こそひなた水程度にぬるんでいても三寸下は水、うっかりとびこんで出るに出られず、熱湯と木の札のついたカランひねって、底の水かき立てぬよう、そっと湯のひろがるあたりに体を浮かすこと三十分ばかり、ようやくあったまって部屋にもどると、酒肴《しゆこう》の膳が用意され、二人の男が神妙にすわっていて、造り酒屋の次男と、この旅館の主人で、いずれも高島氏の主宰する雑誌の同人。「こちらがいろいろ近親相姦についてくわしい話を知っとられます」高島氏が紹介する、「くわしいというわけでもありませんが、私の友人にケースワーカーがおりまして、その男にきいたことはありますな」次男が口をきり、ケースワーカーは職務柄、生活保護家庭の米びつの米の量まで心得ている、だから、家族のもめごともよく打ちあけられ、近親相姦の話も耳にするのだという、「やはり貧しい家庭に多いわけですね」庄助、いささか話が核心にふれたようだから身をのり出す、「そうですねえ、このあたりの農家は部屋数が二つとか三つとか小さい家が多いですからねえ、ついおとうが酔っぱらって、女房と娘の見さかいつかなくなるんでねえべか」照れた如く、次男は土地の訛りで主人にいい、主人だまってうなずく。部屋数二つとか三つが、相姦の理由になるなら、団地などその大温床となるはずで、「やっぱり冬他に楽しみがないからですかねえ」「んだな、なんせ冬場は炉端でTVにかじりついているより他に、間がもてねえもんなあ」次男がつぶやく、「今はバスコントロールが普及しているけど、以前は冬場他にすることもないから、女房ばかり可愛がって、雪の中ではらんだから、雪わらしちゅういい方もありますもんね」高島氏が補足説明し、「わだすの知っている例ではすな、親子三人で東京へ移った男が、東京で女房に死なれてですな、娘と出来合ったちゅう話きいだごとあるすな」  これは古い話で、昭和二十三年に、当時七歳の娘を連れて夫婦が上京し、その後どういう経緯のあったかつまびらかならぬが、十五年後に、男と顔見知りの土地の者が、偶然東京で近くに住み、お互いに名乗りあって、男の家にあそびに行くと、たいへん若い妻がいる、「はずめはうらやましがって見でいたそうだすが、そのうじ、男と女房の顔がよう似とるごとに気づいてでしな、そういえば、男には同じ年頃の娘がおっだこと思い出しで、こりゃ親子ででぎあったんだべと、わがっだちいいますもんね」主人は、とつとつと語り、その娘であるらしい女房もやがて死に、しかし、一人男の子を産んでいて、男は子供を連れ、いつとなく行方不明になってしまったという。かなり深刻な話にはちがいないが、庄助の期待、すなわち一村あげてこのことにふけるときかされて抱いた、一種ダイナミックな印象があまりに強すぎたせいか、どうもピンと来ない、わるいとは思ったが、そのケースワーカー氏に会えば、さらに迫真力ゆたかな話をうかがえるのではないかと、その旨申し出たら、三人顔見合せ、「それがひャア、彼氏二週間前に交通事故にあいましてな、入院しとりますもんね」全治三カ月、なんでもオートバイに乗っていて、ダンプに追突されたのだそうな。  まさか包帯ぐるぐる巻きの怪我人つかまえて、近親相姦たずねるわけにもまいらぬ、つい落胆した表情が面にあらわれたのであろう、次男膝をすすめて、「私、保坂さんの小説よう読ましてもらってます」お世辞をいい、「あれだけ書くには、いろんな経験なさっているのでしょうなあ」こういう質問はまことに苦手で、たしかに人よりは風がわりな「不学」故の経験はあるけれど、といってそれだけをたよりに書くのならば、創造の才かけらもないことになるし、また、否定するのもはばかられる、よく考えれば、庄助の小説なんらかの形で自分のやってきたことの、焼直しにちがいなく、うーんとうなっていたら、「相当、女泣かせもしなさったでしょう」次男ふと好色な表情となり、すぐに受けて高島氏は、「この二人は名コンビでしてね、この町では名の通ったプレイボーイですわ」二人別に否定はせず、「近頃はこの町にも、深夜喫茶ができて、よう若い女がおそくまで飲んでおります」次男さらに舌なめずりし、「山上さんは、若い女は駄目だねえ、なにしろミノマラだから」主人にいいかける、「そうともかぎらねえども、だども、処女なんか労多くして功少なしだべしゃ」庄助、ミノマラにひっかかり、「そりゃどういうもんですか」「ミノマラですか?」「ええ」「そりゃミノみたいに、マラに毛が生えとるんですなあ、まんず何万人に一人だべ」一黒二赤三紫とか、雁高《かりたか》五段巻きとか、さまざまな形容をきいたことはあるが、ミノマラとは初耳で、そのように毛深ければ、先方もさることながら、主人がまず痛いのではないか、たずねると、「うちゃどうもないけどねえ、はじめに鬣《たてがみ》なでつけるように、毛並みそろえておけばねえ」主人にこりともせずにいい、「女はたまらんですよ、瓶洗いのブラシと同じだから」次男えへらえへらと笑い出し、「なにしろ山上氏は、小学校五年の時に、童貞失った猛者《もさ》だもんね」うながすように主人をみる、すると無表情のまま主人は、「女は高等小学一年ですたか、俺まだ何もわかんねえもんな、神社に連れていがれて、裸さなれいわれてな、おどろしさが先に立ってまって、それを女がいじくりまわしてがらに」あけすけに強チンのてんまつを語る、終ると次男は、「先生は経験ありませんか、処女いうもんは男を知ると臭いがかわりますもんね」庄助、これまでいささかの体験はあっても、何が処女なのか、非処女なのか、なまじその道のプロから、いかに処女を装う術《すべ》の容易なることにつき聞かされていたから、どうでもいいような気が先に立ち、細かく気をつけず、まして臭いなどに心はくばらぬ、首かしげると、次男きおい立って、「これは真実ですな、おどろしいくらいのもんすよ、だがら、ああ男知ったなということはすぐにわがる」「俺は、メンスの女ならすぐわかるな」高島氏もつりこまれたのか、「道歩いてすれちがっただけで、あれの時はわかるもんね、生臭いからね」「すかす、なにがおもしろいどいって、生娘から仕込んだ女がしゃ、他の男と結婚しよって、その後でまた浮気にさそうのは、スリルあるもんね」主人負けじといい立て、「私は、やはり小学校の六年の時に、おカマほられましたよ」次男とんでもないことをいい出す、季節ごとにやって来る杜氏《とじ》の一人に、酒倉の屋根裏で犯されたといい、「やっぱしあれもはじめが大切なんですな、もっと丁寧にやってくれればよかったんだが、無理矢理だから、痔《じ》になっちまってすな、いまだに往生しとりますよ」尻もぞもぞさせながらいう。  たいていの猥談《わいだん》もきいたが、あまりほられたことについては、男はいいたがらないようで、庄助笑っていいのか、同情すべきなのか、それよりうんざりした気持が先に立つ、高島氏もまじえて、それから三人のいわばこの町の文化人であろうに、猥談師と化した如く、しごくあけすけな、そしていかにも陳腐な体験風聞を物語り、いったい東北の僻地《へきち》へ来て、なんでまた猥談など昼間からきかされなければならないのか、いささか向っ腹も立ってくる。 「どうですか、保坂先生、今夜は青森あたりへ出かけてですな、盛大にあそばんですか、青森にはええ女おるですよ、まだすれとらんしなあ」高島氏が提案し、「あんたそんなこというて、あざみのホステスに会いたいんでしょうが」「それもあるけど、東京の保坂先生連れてきたとなれば、俺の肩身も広いもんね、ねえ先生」すっかり酔いのまわった高島氏、しきりに庄助を先生とよび、庄助はまったく心はずまぬ、はずまないながら心の片すみでは、こんな風にいわれているうちが花なので、自分を連れてバーへ行けば、肩身がひろいといわれるなど、最高の賞め言葉なのだろう、それをいやがるのは不遜《ふそん》のかぎりといった反省もある。 「山上さん、折角おいでになった先生のために、一つ見せなさいよ、先生、こりゃ珍物ですよ、滅多にあるもんじゃない」なにかと思えば、主人のミノマラで、待ってましたとばかり主人、今では珍しいズボンの前ボタンを、天井仰ぎつつはずし、「今日は寒いがら、ちぢこまってるすな」いいつつ、ぞろりと引き出す。  それはたしかに珍物であった、いわゆる露出部分の半ばまで艶《つや》やかな毛におおわれ、その黒に引き立てられて、なおあざやかなピンクの先端、いかにも砲口の如く風雲を呼ぶ臥竜《がりよう》の如く、よくながめると、雁高先太の逸物《いちもつ》で、主人右手で根元よりぐいとしごけば、たちまちむくむくと仰角三十五度、つれて傘ひらいたように、寝ていた毛が逆立ちはじめ、まずは針ねずみの獲物にとびかからん有様となって、同じく毛深い庄助だが、しみじみおのが体のそれなど無駄毛以外の何物でもないとさとる。ことにあたっては、このように処理する、ミノマラの効用は、この毛がこのようにしてと、主人これまでの重い口とはうってかわって、訛りはあってもなめらかに説明しミノマラは愛想よく、ピクリピクリとうごめいてみせ、まさに主従一体の印象であった。  庄助はその夜、三人と共に青森にあそび、名前こそ東京風にしゃれているが、さすがさいはてだけあって、野暮ったいのをうぶとみるだけがとりえのホステスにかこまれ、「先生は軍歌が好きだそうですな」と次男がいえば、※[#歌記号]かわい魚雷と一緒に積んだ青いバナナも黄色くうれたア、がなり立て、さっきは聞くばかりであった猥談、虚実とりまぜて吹きまくり、「いやあ、めえっためえった、そこまでやらなきゃ小説は書けんでしょうなあ」高島氏の賞讃を、満足気にうけ、さらには、ホステスの尻をつねり、無理強いして胸に手を入れ、別に自暴自棄《やけ》になっているわけではなかった、主人のミノマラながめるうち、三人の好意しみじみと胸に伝わったのだ。近親相姦で庄助を満足させられなかった高島氏は、せめて好色物書きとされている庄助の、そのなにかのネタにと、プレイボーイに口をかけて、「なんでもいいから、とびきり助平な話きかせてやってくれないか、折角東京からやって来たんだもんな」頼んだにちがいない、そして主人と次男は、いっこうにおもしろそうな顔をしない庄助を、なんとか楽しませようと、お互いきそいあって、強チン奇談や、おカマ初体験の話まで動員したにちがいない、最後はミノマラ披露におよんで、これはそのまま庄助と同じではないか。  庄助が小説を書けば、読者は「不学変才」を期待している、何としてでもそれにこたえなければならず、七転八倒して、よろこんでもらえればいいが、いっこうにつまらなそうな反応しかない時、それこそ自分のオチンチンすら出しかねない、さらに母を売り、友を裏切り、人間として最低のことだって、しごく簡単にやってのける、近親相姦取材など、したりげにかまえるのは「有学天才」にゆるされるので、不学変才は自分でそれをやってのけ、得々と、その赤裸々な実体披露するのが関の山、東北くんだりまで来て、猥談をなどと考えるなど、僭越《せんえつ》のかぎりなのだ。庄助は高島氏に抱きついてキッスし、しかも深々と舌をさし入れて、「ひゃあ、めえったなあ」と閉口させ、「俺にもほらせてくれ」と、次男の尻にすがって、鼻をならし、やがて椅子の上にすっくと立って、生れてはじめてのストリップ、ミノマラ見せてもらった以上、なんとしてでもおかえししなければならぬと、一枚々々脱ぎはじめたのだが、ふと気がつくと、庄助も痔の気があって、パンツはいつも黄色く汚れている、珍物とはほど遠い粗チンながら、その披露すでに心に決めていたが、汚れたパンツを人前にさらすのはやはり恥ずかしくて、急におたおたし、さらに高島氏と主人、さすが同人誌仲間だけあって、「いやあ、ききしにまさる豪傑だすな」「まったくな、紳士ぶってる作家の中では、珍しい破滅型だすな」ひそひそささやく声がきこえ、庄助おのがことさらな破滅ぶりみすかされた如くで、汚れたパンツひっかかえ立往生、宿屋のぬるい風呂で風邪ひいたらしく、上半身裸のまま、つづけてくしゃみをし、ホステスたちのみキャアキャアとはしゃいでいた。 [#改ページ]   第七話 A・B・C  庄助の知人に舞姫が一人いて、彼女とてつもなくやさしい心の持主である、今様にいえばストリッパーなのだけれど、そしてこの語感も決してわるくないが、やはり典雅に舞姫と呼んだ方がふさわしい、そのやさしさ、典雅なふるまいについては後ほど紹介申し上げるけれど、彼女の口癖に「ふーん、このなめこ椀は、まずAというところね」とか、「昨日浮気した彼、ちょいとCの中ほどだったわよ」というのがある。  つまり価値の基準はすべてABCの三段階、さらに男性やら、装飾品、衣裳《いしよう》など、その関心の深い対象については、おのおのに上中下を加え、これでもって表現する、この場合、CBAの順に高級上等なのであって、どうしてこんな癖がついたかというと、このランクは踊り子の世界でもっぱら使われ、つまりAならば、全スト、Bはいちおう踊りをみせた上で乳房だけ最後にみせる、Cとなればこれはもうダンスだけと格づけされ、同じ楽屋に鏡台隣あわせても、決してAとB、またBとCはうちとけて話合うことはないという。  そして稼《かせ》ぎの額、また雇主に重宝がられるのは、圧倒的にAであって、ステージなりキャバレーに口のかかるのも、いちばん多い、これがCとなると、たいていは有名な劇場の専属のダンシングチームリーダー格、月給制だから、かりにファンからのさし入れは沢山あっても実質的なみいりは想像以上にすくない、Bはその中間。だから、Aは楽屋において、しごく派手に寿司をおごったり、高価なブランデーをふるまい、裏方から木戸番にまでなにかと心をくばる、ところが、Cはほとんど何もせずに、ひっそりとノーベル賞作家の御著書などひもとき、ハンドバッグの中からチョコレート、クッキーをとり出してつまむ程度、ただし化粧箱や衣裳はABと比較にならぬほど豪華である、Cは心中、なにさ裸踊りなんぞとせせら笑い、だがその実、財布の中にはきちんと折りたたんだ千円札一枚に、後は硬貨くらいで、折角Aからまわってきた盤台の寿司に、ぐうぐう腹鳴らしながら、高楊枝《たかようじ》くわえているのだ、Aはまた、てやんだよ、お高くとまりやがって、お客さんどっちがよろこんでると思ってんだい、男に眼の色かえさせて、ひいひい悲鳴あげさせたことなどねえだろと、開き直ってはいても、かりにCから声をかけられる、たとえばティッシュペーパーを拝借の、時間は何時かしらのといわれると、たちまち有頂天となり、箱ごとやっちまったりする。  踊り子にはたいてい恋人がいて、おそいステージの時など迎えにくるが、Aの男は必ず亭主であって、ひどく所帯じみた印象、Bは所属する芸能プロダクションのマネージャーで、一見やくざっぽいがまた気の弱い男たち、Cとなると千差万別、ロールスロイス乗りつけるのもいれば、みるからに暴力団の大幹部やら、また学生のこともある、このようにしてABCと分れているが、時に、Aは地方へなど出かけて、いくらか小屋に対しわがままいえる際、こっそりBをまねることがある、子供の徒手体操じみた動きのあげく、なにもかも御開帳という筋書をかえて、レコードにあわせ、ルンバなどせまい舞台をなおせましと踊り、最後にチラリと胸だけはだけるのだ。  一回二回はいいが、やがて客の本式につめかける頃になると、小屋主はブツブツいいはじめ、その気配さとったら、いわれぬ先にAはもと通りのAにもどって、婦人科内診台風ポーズをとる、Bにおいても同じく、キャバレーなどで、時に自前のクレオパトラか楊貴妃《ようきひ》かという絢爛《けんらん》豪華なコスチューム、ひらりはらりとたなびかせ、舞い踊りポーズをきめてお終《しま》い、いつもとちがって客の拍手いとまばらなのに心くじけ、これまた胸出しにかえる、「いくら体に自信があったってね、それに裸になることなど何とも思ってなくても、やっぱりAはBに劣等感があるのよ、BはいつかCのように踊りたいと思ってるのね」舞姫がしみじみいい、つけ加えておけば、彼女はBの、それも上の部類と庄助は判断している。  へーえふーんとうなずいてきいていたのだが、気がつくと、これはそのまま文壇にあてはまるのではないだろうか、Cというのは、文芸雑誌でも極北とされるものに小説が掲載され、いかなる雑文集も豪華美麗|装釘《そうてい》で刊行となり、大体、清貧に甘んじていらっしゃる、もっとも近頃は、通勤時間が長くなるばかりで、そのつれづれに女子会社員が、純文学を愛読熱読なさり、発行部数も多くなって、いやそれにまたCクラスになれば、あらゆる文学全集に採録されるから、その印税も馬鹿にならぬ、にしてもC先生は、「オーナニコナニ」氏の弾劾《だんがい》される如く、文学と商法をごちゃまぜにはなさってない。そしてなにより、衣裳をまとった芸術である。  庄助はまごうかたなきAであって、裸どころか内臓までさらけ出し、かえってお客さまにへきえきされたりするけれども、たしかに収入はC先生の平均よりは多い、ただし全集にはむつかしいから、Aクラスストリッパーが年をとると、すべて長屋のおかみさんになる如く、庄助も裸内臓の先の|ねた《ヽヽ》がつきれば、アパートの管理人であろう、これはまあ才能であるからいたしかたない、それよりも、AがB、BがCをある時ひそかに真似てみるというあたり、まさに身につまされ、涙が出そうなのだ。  庄助と同じ年輩の、やはりA作家たちは、よく、「自分は娯楽作品に徹する」とはいわない、必ずエンターテインメントといい、庄助も一度真似てみたが、舌がもつれて駄目だった、とにかく「後世に残る作品を書こうとは思わぬ、その時の読者によろこんでもらえればいい」と、なにかにつけていっている、こうはっきり見きわめつけられるといいのだが、庄助には一種の見栄《みえ》があって、どうせ小説を書くなら、やはりせめて十年くらいもってもらいたい、ひょっとして昭和文学全集の、「その他」とか「雑」という巻でいいから、一篇くらい入りたいと考えているし、時には文芸雑誌を読んでいて、「へえ、これが文学なのか」それなら俺だってと、深夜ひそかに心たかぶらせ、うろうろと四畳半を歩きまわり、肝心のAクラス小説が書けなかったりする。A級踊り子諸嬢の気持よくわかる、そしてさらにあたり見渡すと、踊り子ならばCBA、それぞれにはっきり自覚があるけれど、文壇ではそれほど確然とした目安のあるわけではないから、いろいろ胸中|忖度《そんたく》するとおもしろい。  どうみてもAであろうに、自分一人Bを気取っていたり、Cだとばかり思いこんでいたのが、意外や世間はBとみていてあわてたり、文壇の場合では、BからCにあがいているのが多いのではないか、ただし、はっきりと自他ともに認めるCやBが、いわゆる文壇バーにあらわれると、これはクラスの上の方が、必ず壁を背負うことになっている、Aは通路に背を向けて、なんとなく前かがみになり、ホステスの着席密度もうすい、パーティも同じくで、会場の入口左右にA、Cは奥まった端にひっそりと息づいていらっしゃる、Bはだいたいテーブルに着いて、むやみによく食べる。  さらによくわかるのは、Cクラスになると、さしもの匿名批評も悪口を書かない、本来ならば、この欄こそ神格化されたC諸先生に、からみつき、いや味をならべ、屁理屈《へりくつ》こねるべきではないのか。  近頃でいうなら、文芸雑誌極北の「チンチンカモカモ」といった欄で、大衆文学作家の極北といった小説家の、作品のTV化が人気をよび、そのために作品が読まれるといった時代風潮にみきりをつけ、引退を表明されたことにふれ、引退できる人はいい、自分など引退したら一家離散は必定《ひつじよう》で、いっそ物書きは制作部門と営業部門に分け、亭主は原稿をせっせと書き、女房はその製品リストを出版社に持参し、注文とりをするとよろしいと、のべられる、なるほど匿名でなければ、こんなあほらしいことは書けないだろう、かと思えば「オーナニコナニ」氏も同じことにふれ、「本当に書きたいことだけを書くのが文士当然の心がけ」だが、「当今そんなサムライは珍しくなった」と得々といっている、A級庄助としても、それくらいの心がけはもっているのであって、文士が金を稼いだ、それ金もうけ第一主義だ、魂を売ったの、堕落したの、そんな台辞《せりふ》は、まさに月並み以外のなにものでもない、ちったあエスプリというものも、欲しいものですと、庄助は思う。  話を元にもどして、庄助の知人である舞姫が、一月ばかり前に電話かけてきて、「保坂さん乱交パーティに興味ない?」という、これにないと答える男はいない、二の足ふむのは、警察沙汰になりはしないか、後でゆすられやしないかとおびえが、即答ためらわせるだけ、庄助「うーん、そりゃ、ないこともないけれどね」はなはだ煮えきらない返事だったのは、その少し前に、銀座のクラブホステス嬢にさそわれて、はるばる立川まで出かけ見事にすっぽかされたことがあった、これはたどりつくまでがたいへんで、まず銀座|はね《ヽヽ》てから、青山のクラブへホステスと一緒にくりこみ、ここのバンドの一人が参加者の資格審査をする、ドラマーであったが、おぼつかないながら庄助の素姓知っていて、これはすぐパスしたのだが、次の場所が立川のスナック、車をとばして、待つことしばし、電話がかかり、「あ、あんた保坂さんかね」「はい」「|なおん《ヽヽヽ》ちゃんは何人つれとるかね」「一人ですけど」「まあずいなあ、女足りなくて困ってるんだけどよ、心当りねえかね」ひどい北関東の訛《なま》りで、よく事情ただしたら、手ちがいで男は庄助入れて六人集まったが、女はホステス一人、「まあ、今迎えにいっからよ、車だからすぐだ」受話器置いたとたん、庄助はホステスの手をひいて、もはやタクシーなどない、近くのおにぎり屋にとびこみ、いったいなんでまた、立川くんだりまで、輪姦しにこなければならないのか、しかも自分の知っている女を、豺狼《さいろう》の中に投ずるなどとんでもない話で、ホステスはあまり責任感じないらしく、「やっぱりねえ、乱交パーティとのぞきは話ばっかりっていうけど本当ね」たらこの握飯ぱくつきながらいい、庄助は今にも、五人組がよだれを流してあらわれやしないかと気が気でない。  しかし、のぞきが話ばかりであることはたしかで、たいていは、「床の間の上に竹の天井があってさ、すき間があいてるんだ、こっちは隣部屋からのぼって、ちゃんと天井裏に座布団、灰皿までそろってる」とか、「鏡風呂でさ、これがマジックミラーときてるから、こりゃ観ものだねえ」という話を、さらによく問いただすと、「いやあ、つい最近手入れくっちゃってねえ、今度見つけたら連絡する」となり、その連絡のあったためしがない。  のぞきは、一つの仕かけで簡単に移動できないから摘発され易いのだろうが、これまで思わず溜息《ためいき》つくようなのぞき奇談もきいたことがない、みなどことなく空々しく多分嘘と考えられる。  乱交パーティも同様で、そもそも週刊誌がルポできるようなパーティならたかが知れているし、経験した男の話が、これまた絵にかいたようなリアリティの乏しいもの、結局日本では無理なのだろうかと、あきらめた先の、舞姫の連絡、彼女はそう|がせねた《ヽヽヽヽ》つかませたりしないとわかっていて、やはり疑《うたぐ》り深くなっていた。 「まあね、Cとはいかないけど、Bの下くらいは保証するわよ」Cというのは著名ファッションモデル、二流新劇女優、上流階級令嬢と、カメラマン、イラストレーター、TVタレントが参加するものと説明し、Bならば、ファッションモデル、芸能学校生徒、一流クラブホステス、今回のメンバーは、三流TVタレントに、ファッションデザイナーの卵及び舞姫の友人であるという、女性側が五人くるから、こちらも同人数集めておくようにいわれ、さて思案してみると、竹馬の友もすくないが乱交の友はさらに発見しにくい。  後で、先だってかくかくしかじかといえば、「どうしてさそってくれないんだよ、友達|甲斐《がい》のない奴だなあ」などいうけれど、電話で、「どうです、乱交パーティは」といって、これはまず断わられる、後顧のうれいを考えてのこともあるが、いざその場になればともかく、まだ陽の高いうちに、あれこれ乱交の色どり考えても、そういい方には走らない、やはり自らの逸物《いちもつ》について、意外な辱《はずか》しめうけやしないか、もし自分の相手がひどい醜女だったらどうする、いや、拒否されたら身の置きどころがない、大体、カッとなる方だから思わず暴力ふるったりして、警察につかまったら、その時にきっと俺は、今のことを考え、「あの時やめておけばよかった」とくやむだろう、これが虫のしらせという奴だ、てなぐあいで、うわべは残念がりつつ、「いや昨夜から座骨神経痛で、歩けないんだよ」やら、「待てよ、明日は九日か、うーむ、無理だなあ、ギリギリなんだ、うーむ」やたらうなってみたり。  一見落語の二つ目風SF作家、彼は関西出身で、東京では二枚目のことを二つ目というとばかり思いこんでいた、変幻自在|痩《や》せたり肥ったりめまぐるしいハードボイルド作家、水虫出たぞのCM漫画そっくりの社長、軍歌通の作家、あれこれ考えていずれも断わられる確率が大きく、そして、彼等は断わった後で、やはり乱交パーティのチャンスのがしたおのが臆病さに苛立《いらだ》ち、「保坂もいい年して、いまだにあんなことやってんのかい」など、悪口をいうにきまっている、庄助|怖気《おぞけ》をふるって、結局、小学校の頃の同級生をさそうことにした。  外科病院副院長やら、旅館主人、洋服屋主人、広告代理店課長、外国文学者などが東京にいて、電話かけると、文学者をのぞいて二つ返事、この旧友たちは、庄助と一緒に酒をのめば、東京の猟奇地帯、あるいは安くて美女のいる一流バーに紹介されるとばかり信じこみ、彼等の庄助観はそんなところであるらしい、「どないやねんプレイボーイの方はやっとんのか」などたずね、するとどうしたって、「まあぼつぼつ」とでも答えるより他《ほか》はない、そうかと思えば、庄助が、かねがねそこに書きたいとねがっている雑誌を、こともなげに「あんなしょむない雑誌、読む奴おるんか」といい、なんともつきあいづらいのだが、連中すべて小学校時代に、庄助より成績優秀だったから、頭が上らない、だからこそまた、乱交パーティにさそう意味もあった、赤線にはじめて上る時は、鬼をもひしぐ豪の者が、ガタガタふるえて、庄助を地獄で仏の如くたよりにしたし、まるで英語のしゃべれない英文学者を外人バーに案内申し上げたら、ついに一言も口をきかず、常日頃、教養のないことについてよく叱られているうっぷんを晴らしたり。  彼等よりは、やはり庄助の方が、同じはじめてでもゆとりをもってふるまえるであろう、昔、卒業式で総代つとめたから、今でも庄助を劣等生扱いし、「お前、すこしはちゃんとした小説書け、わし恥ずかしてかなわんで」とほざく副院長など、きっとこそこそすみに身を置いて、「俺別に誰でもええねん、なんやったら話するだけでもかまへんわ」と、ええかっこ精いっぱいにするだろう、「なんやお前、ダービーの予想屋みたいな服やな、小説家いうのんは、そんななりせんとあかんのか」懸命に気どったつもりの庄助に、洋服屋がいった、「あんなあ、色紙たのみたいねんけどなあ」旅館主人がいい、思わず唇がほころびかけたが、待てしばしと「誰の色紙」念のためたずね、すると「都はるみ、森進一、高倉健さんな、お前会うことあるねんやろ」ないと答えると、軽蔑《けいべつ》しきった顔で、「どこらへんやったら顔きくねん」真顔だった、腹が立つといえば、かつてハッパフミフミで売っている男とタクシーに乗りあわせ、彼をホテルに送りこみ、庄助は空港にむかったのだが、運転手今のはハッパフミフミかとたずね、「そうだよ」「やっぱりねえ、光栄だなあ、競馬の予想きけばよかったなあ、お客さんなんかうれしいでしょうねえ、ああいう人とつきあってて」うれしいだろううれしいだろうと念を押されたことがある。  とにかく、かつての同級生をギャフンといわせる絶好の機会、すぐ舞姫にこちらの準備整ったむねをつげて、次の週の土曜日、パーティ開始は午前一時からだったが、まさか素面《しらふ》ではまずいだろう、まず庄助が銀座のクラブをおごり、代理店はさすがなれていたが、副院長とても往年の総代とは思えぬはしゃぎようで、医学用語まじえつつ猥談《わいだん》をホステスとかわし、「あらほんと、心配になったわ、診てもらおうかしら」「ああ何時《いつ》でもきたらよろしいわ、ぼくおらんかて連絡してもろたら、ちゃんというとくから」副院長おうようにいい、嘘つけ、連絡があれば父キトクをさしおいても待っているはず、あいつは昔からああいう癖があった、洋服屋はこれも商売柄、ホステスの生地の品さだめから、男物の生地で婦人用スーツ仕立てる粋についてうんちく傾け、これも便宜はかってあげますと約束、旅館は、地方へ旅行する時、たとえ宿や飛行機の便がなくとも、「わしら、公社の人や、全国の旅館組合と連絡とっとるもんね、ツーカーですわ」ついに代理店まで、「君の脚、ちょっと写真にとらせてもらえない? ギャラは安いけど、今考えてるポスターの素材にぴったりなんだ」「どうせ顔はだめでしょ」「誤解ですよ、君みたいな美人が顔を出すと、そっちに気をとられて商品がかすんじゃうからね」「うまいわねえ」お互いに手帳など出して打ち合せをする。  小説家というものは、実につまらないしろもので、いったいどういう便宜をはかれるというのか、ホステスに自分の本をおくってもはじまらないだろう、「どう? 伝記つくらない? 安くしとくよ」くらいだろうか。  二軒目は代理店がおごって、ここでは同じように黒眼鏡をかけ、苗字まで似てなくもないTVタレントとまちがえられ、副院長うれしそうに笑い「やっぱし向うの方が有名やねんなあ、しっかりせなあかんやんけ」いちいち向っ腹のたつ奴であった、三軒目洋服屋が青山の秘密めかしたクラブ、ゴーゴーも踊れて、ようやく庄助息ふきかえし、この年になればみなゴーゴーは踊れまい、フロアーに出て、女二人向き合って体ゆするのに仲間入りし、しかしこれもあてがはずれて、副院長はナースと、洋服屋はアメリカハイティーン、旅館、代理店は遊び人だからホステスに教わっていて、しごくなめらかにリズムに乗る、だが庄助この頃になるとかなり酩酊《めいてい》していて、奇声を発し、一人ではしゃぎたて、つづいて六本木へ寿司くいにでかけ、これは副院長のおごりであった。  折詰十人前を庄助が求め、これは深夜、奮闘のあげくを考えての配慮、自分が案内したのなら、寿司屋にそれくらい気を利かせてもいいだろうと、庄助妙に副院長にたてつくつもりがあり、パーティは目黒権之助坂近くのホテルで行われる、タクシー押しくら饅頭《まんじゆう》でのりこみ、こういう時も、副院長絶対に前にはのらぬ、運転手の後ろにさっさと席をしめ、庄助ブレーキかかるごとに、メーターに顔ぶつけそうになりつつ、さらにいらいらと心落着かぬ。  ホテルは連込みとも、旅行者用とも判断つきかねる形式で、広い式台をみれば、連込みではないようだし、壁の色ちゃちなバーのたたずまいそれらしくもみえる、「みんなそろってるわよ」玄関のソファに舞姫が待っていて、会場は二階の二部屋、まずベッドのあるごく月並みなこれはまごう方なき連れこみ、壁に鏡の貼《は》ってあって、ベッドの他に床にも布団が敷いてある。  舞姫お互いを適当に紹介し、さすがてれくさいのだろう、女性軍もかなり酒の入っている様子、さらに冷蔵庫から氷を出し、洋服屋サービスのふりして、ちゃっかり女性の中にすわりこみ、庄助の目をつけていた一人、三流TVタレントの肩に手をかけ、「ブランデーストレートで召し上る、いきだなあ、じゃどうぞ」その気になれば、東京弁も立派にこなし、「俺、睡眠薬もってきてんけど、誰か飲むか」副院長、しごくつまらなそうにいい、たちまち舞姫の友人二人「これがハイミナールっていうの、へえ」珍しそうにながめる、「お前のまへんか、小説家こんなんよう使うねんやろ」「いやあ、俺はいっさい薬は信用しないんだ」少しはあてつけがましくいったつもりなのに、「そらええこっちゃ、こんな薬でも長いこと飲んでたら頭いかれるよってな」「あら、本当ですか」「いや、一錠二錠でどういうこともあらへん、これを飲んで、ねむなってきた時に、ねむらんよう我慢すると、一種の酩酊状態いうかな、もうろうとなるんですわ、男がのんだら長持ちする」  旅館は商売気を出して、「ねえ、ひどい建物ですねえ、これで金とろういうんだから、連込みは泥棒みたいなもんや」壁をたたき、水洗の紐《ひも》をひっぱって流れ具合をためし、ベッドのスプリングをためす、庄助はいったいこれから先どう展開するのか見当つかず、まさか打ち合せも今更できない、思うに、二手に別れてそれぞれ同衾《どうきん》し、ほどよきあたりで、チェンジするのだろうか、「ひどいよ、最中に入ってくるんだもん」イラストレーターが舞姫にいい、舞姫は「でもワンラウンド終った後だったじゃない」「それで二回戦丁度いいところだったのに」あけすけな話をはじめ、「ちょっと紙ないか」副院長が庄助にいい、「なにすんだい」「ちょっと書きたいねん」メモ用紙わたしてやると、彼は、あざやかな筆致で、女陰をえがき、「女の人いうのは、ほんま自分の道具についてあんまり知らんもんやね」しわやら毛並みまで書き加えて、「巾着いうのはやね、ここのところの、断面図でいうたら」と、横紋筋がどうしたの括約筋が8の字のと、説明し、一同身をのり出してきき入る。  庄助次第に馬鹿々々しくなって、ブランデーをがぶがぶとあおり、「どうですね、景気は」「まあ、今はどこもええのちゃうか」「俺をCMにつかいたいなんてスポンサーはないかなあ」「探したらあるやろ、やる気あるか」四人の中では、比較的業種の近い広告代理店と愚にもつかない話をかわし、そのうち副院長ついと立って、「ほなまあ、あっちで診察しましょか」さすがにいささか照れつつ、舞姫の友人の一人を別室にいざない、期待したおびえなどかげもうかがえぬ、旅館は、いち早くベッドに寝ころがっていて、イラストレーターは、そのかたわらで半身もたせかけているし、洋服屋は床に敷かれた布団の上で、TV三流タレントと意気投合した模様。 「では、向うへ行きましょうか、あっちにもお酒あるし、向うは布団三組敷いてあるのよ」舞姫がいう。庄助は、TVタレントに気を残しつつ、まあ、第二ラウンドで果せばいい、しかし、副院長いち早くこもってしまったから、早撃ちで、さっさと次にとりかかるかも知れぬ、あいつは、昔から、こっそり人のあそんでるうちに勉強して、こっちが机に向っているとさそいにあらわれ、「そんな勉強したってしゃあないやんけ、ほどほどにしといたらええねん」ほどほどなどと、大人びた口調についうっかり乗ると、豈《あに》はからんや、彼は予習復習|完璧《かんぺき》にすませていて、教室で恥をかく。  ひょっとすると、彼は、自分は早くすませて、にやにや笑いながら他人の行為を観察し、「ちょっといそぎすぎるんちゃうか」「はあ、お前そんなことしよるんか、器用なもんやなあ」など、批評するのではあるまいか、外科医という職業は、本来サディスティックな傾向の者がえらぶというが、彼は多分にその性癖が強い。  ホテルの廊下には青い敷物があって、すべて寝しずまったらしく、深閑としている、「ここよ」舞姫が部屋のドア開けようとしたが、びくとも動かず、ノックをしたが答えはない、「二百十一号室でしょ」ナンバーをたしかめ、少し高く、ノックし、「ジュリーちゃん」呼んだがむなしい、庄助は床に膝《ひざ》をつき、ドアの下部に耳をあて、すると彼はただいま交戦中であるのか、なにか物音はきこえないかと息ひそめたが、別に何の気配もない、「おい清原」代理店が副院長の名をよび、「あけてくれ、お前一人の部屋ちゃうねんで」あたりはばからぬ声で怒鳴った、「寝ちゃったのかしら」舞姫ドアのノブがちゃがちゃいわせて、いくら寝こんだにしても気がつかないはずはない。  夜更けの連込み宿の廊下に男女二組、ぼんやり突っ立っているバツのわるさ、馬鹿々々しさはなくて、なにがBの下であるか、こんなパーティAの下以下と、舞姫にさえ腹が立ってくる、「清原あけんかい」代理店も苛立って、ドンドンとドアをなぐりつけ、「うるさいな、なんやねん、ごちゃごちゃいうな」副院長のうつけた声がきこえる、「ここあけてくれな入れへんやないか」「イヤダーン、入って来ちゃ」ジュリーとやらの、まさに鼻にかかった甘い声がひびき、つづいて気のせいか荒い息がもれた如く、「なにがいややねん、お前らだけの部屋やおもてんのんか」代理店本気で腹を立て、その鼻先にドアが少しあいて、「少しは静かにせんかい、何時やおもてんねん」副院長がいい、「何時もへったくれもないわい、こっちゃ寝るとこあらへんが」「下できいてみたらどないや」「お前な、この四人の布団もそこにあるねんで、そこに寝るのは、わし等の権利やんか」「ほな、もってきたるわ」頭かきむしりつつ、入ろうとする庄助たちをとどめ、ずるずる布団ひっぱってきて、「さ、はよ持っていけ」「持っていけいうて、廊下で寝られるか」「なんし、彼女絶対に入ってもろたら困るいうてんねん、わかったれや、プライヴァシーの侵害やど」なにがわかったれや、乱交パーティにプライヴァシーがあるか、庄助も下腹こそばくなるほど腹が立ったが、副院長もはや自分たちのことしか念頭にないらしく、足で布団を廊下に押し出し、ついでに首だけ出して、庄助の視線とあうと、「ほなまあ、さいなら、おやすみ」ぴしゃりと閉めて、鍵《かぎ》のかかる音がした。  庄助、幼少のみぎりよく寝小便をして、朝起きると、母に、「さあ、この布団を持って、御町内一まわりしてらっしゃい」と、おどかされたものだが、まさしくこの時も同じことで、堆《うずたか》く積み上げられた敷布団と掛布団、お互い顔見合せて、呆然としていると、「おい、枕忘れてたわ、いるか」副院長の声がきこえ、代理店ドアをパチンとけとばすと、前の部屋のドアがあいて、「少ししずかにしてくれんですか」中年の男が、怖《おそ》ろしい形相でにらみつける、まさに日暮れて道遠し、コンと狐も鳴いたような心細さで、やむなく布団かついで元の部屋にひっかえし、ここもノックすれども返事はなく、ただし声はよくきこえて、「キャッ、内ゲバなしよ」「いやだあ、民青的なやり方しないでえ」女の金切声がきこえ、ドシンバタンとやかましい、「あれ、ヒロちゃんの声ね」つまりイラストレーターであって、彼女は全共闘の闘士でもあるという。  いったい民青的態位とはどういうものなのか、あるいは男女の交情において内ゲバとはなにを意味するのか、庄助ぼんやり考え、かたわらに代理店が、「なんでもええから、わしねむりたいねん、今朝八時から部課長会議あってん」情けない声であくびをし、すでに三時、彼の家は茅《ち》ヶ崎だから、帰るにかえれない。 「おい、ちょっとあけてくれ、ほんの端っこでええから、ちょっと寝かせてくれんか、別に邪魔せえへんて」代理店がたのみこみ、舞姫は階下へ降りて、女中をたずねたが、すでに寝てしまっていて、空室のたしかめようもない、「よっしゃ、ええで、パートナーチェンジしようかあ」あきらめきって、四人布団に腰かけているところへ、ふいにドアがあいて、ケタケタ笑いながら、イラストレーターとTVタレント廊下へとび出し、「交替、交替」舞姫二人の手を引いて室内に入れ、「お部屋どこなの?」全共闘イラストレーター無邪気にたずね、「ここから三番目」庄助なにをいう気もなく、代理店は気おちしたあまりねむ気をこらえきれず、母のない子のように布団にもたれかかって寝入る、無精鬚《ぶしようひげ》がのび、脂が浮いて、まごう方なき数え四十歳の面であった。 「お入りなさいよ、ほら」舞姫が事情説明したらしく、ようやく洋服屋と旅館のせまい部屋に布団を運びこみ、気がつくと、廊下の女二人は、副院長の部屋に入りこんでいた、「ほんま清原いうのんは、昔からちゃっかりしてたもんなあ」えらくさっぱりした表情の洋服屋、煙草くゆらせつつ、「そやけどまあ、気の毒やったな、どうぞやって下さい」布団をしめしたが、とてもそれどころではない、果し終えた二人、ベッドに頬杖ついて、高みの見物のつもりなのだ。 「もう寝ましょうよ、私とリッちゃんベッドに寝かしてもらって」舞姫は、一間のアパートに来客を泊める世話女房よろしく、あれこれ布団を配置し、庄助もいわれるままに寝て、うとうとしたところへ、ふっと体がしのびこみ、「ごめんなさい、私でよかったら抱いて」と身を寄せてくる、「大丈夫よ、私あんまり声は出さないから」耳をすませば、他の四人安らかな寝息を立て、しかし、庄助ももはやきっかけを失うと、よみがえらせるのに一苦労の歳で、「いいよ、いいよ、もうおそいから寝よう」御好意はお志だけいただいて、手をふれないでいると、「ごめんなさいね」もう一度いい、もぞもぞ体をうごかし、代理店の布団にもぐりこんで、はっきりきこえぬが、同じことをささやいているらしい、一瞬ねぼけたのか「ハア?」大きな声がひびき、お互いぼそぼそ語りあっていたが、代理店もお志だけで断わったらしく、闇になれた眼に、舞姫の、抜足さし足体のあいまをぬい、ベッドにたどりつく姿がうつった。  二人の男に受け入れられず、舞姫は傷つかなかったか、折角のやさしい気持なのに、女から持ちかけられて断わるなど、最大の侮辱でこたえたことにならないか、庄助はなんとなく、舞姫が息を殺して泣いているような気がし、誰が誰のものともわからぬ、寝息の交錯する中で、妙に眼が冴《さ》えたままねむれず、そして、折角忘れていた副院長がよみがえり、彼は今頃、三人の美女にかこまれて寝ているのか、妖《あや》しい図柄のあれこれ浮んでますます寝つけず、やがて夜は白々と明けそめた。  迎えた日曜日は、げにうららかな日本晴れ、いや、この言葉はもはや死語に近いのかも知れぬが、一点雲なく晴れわたって、なにやら庄助罪深い気持となり、目覚めた時、同室に寝た者は、すべて清原の大部屋に移り、誰もいない、二日酔いとか寝不足、あるいはふしだらな夜を過しての朝は、いつもいい天気のように思える、自分がさそったのだから、庄助、階下へ降りて勘定を払い、何気なく「昨夜はどうもおさわがせして」と詫《わ》びをいったら、女中二人すぐに返事もせず、庄助をにらみつけ、「ほどほどということがありますわねえ、私、はじめてですよ、あんなさわぎは」ようやく一人、心底|呆《あき》れたといった口調でいい、やむなく二千円チップを余分に出したが、礼もいわぬ。  清原の部屋では、みな笑いさんざめき、「お前、外泊する時、どない口実つけるねん」冗談いっちゃいけねえ、物書きが外で泊ったからと、いちいち女房に弁解してられるもんか、「別に」ことさらむっつり答え、副院長は、翌朝緊急の手術があるから、病院へ泊ると理由をつけ、代理店は麻雀《マージヤン》、洋服屋はお顧客《とくい》さまにさそわれてゴルフ、旅館は寄合がそれぞれ外泊の名目であるらしい、庄助をのぞいて、男性も女性もさっぱりしたもので、舞姫はいちいち気をつかって茶を入れ、イラストレーターは旅館に四・二八オキナワ・デーの意義についてレクチュアをほどこし、カンパを要求する、「どっか昼飯でも食いにいこうか」洋服屋が提案し、女たち異口同音に賛成して、「俺はちょっと締切りがあるから」とても同行する元気はなく、ホテルの前で別れ、今更、昨夜のことをABCいずれにあてはまるか思案する余地もないのだが、ふと考えれば、元来、パーティにそんな格づけはなくて、参加する者の気のもちようで、AにもCにもなるのではないか、どうも庄助はなにかといえば、身がまえこだわり過ぎる、ある人が評して、庄助を、「いちいちとぐろを巻く」といい、その言葉きいたとたん、庄助は自分が野糞《のぐそ》になったような気のしたものだが、もう少しかろやかに振舞えないか、いちいち清原の言動を気にして、つっかかったりひがんだり、庄助はまた「過去執着型」に属するのだそうだが、小学校の総代を、三十年近くなって、まだ意識していても、これはくだらぬことだろう。  ひょいと気軽に、昼飯食いにいけばいいのに、女の腐った如くすねてみたり、反面、あそんじゃいられない自分をみせつけようとしたり、うじうじと考え、だが庄助こういう心理状態にはよくなるから、二日酔いと同じく気分転換はかる|こつ《ヽヽ》もよく心得ている、たとえば誰かの死を考える、自分の葬儀でもいい、銀座のあのマダムは来るだろうか、全共闘に少しはカンパしたから、黒ヘルに黒ゲバ棒で五、六人参列してくれたらカッコいいだろう、やはりあの特有の口調で弔辞をのべるのだろうか、「われわれは、われわれの心からなる、哀悼の意を、表明し、あわせて、闘争の勝利を、仏前に誓う」などと、なるべくくだらないことを考えていれば、鬱は退散して、この一事をもってもAでしかないことがわかる、Cならば何年も鬱病が続き、ノイローゼになったり、不思議千万な病にかかったりなさる、庄助、そんな気配はまるでないのだ。  一週間後にまた舞姫から連絡があって、先夜の不始末詫びた上、今度こそ確実な乱交パーティに招待するといい、庄助自分でも反省していたから、いっさいの気負いは捨てて、あるがままにふるまうつもり、よろこんで応じ、今度は小説家二人を誘った、一人は大阪在住で、その時期には丁度上京すると答え、一人は純文学でいずれも同年。趣向としては、共にゴーゴーを踊りにいって、そのまま雑魚寝《ざこね》をする、これがいちばん単純だし確実であると、舞姫太鼓判を押し、そういわれると、この|て《ヽ》のパーティにあれこれアイデアもるのは、かえって興をそぐかも知れぬ、雑魚寝なら、日本の花柳界は長い伝統を有し、このことこそが遊びの極致ときいたことがあった。  相手は新劇若手の女優に、若いスナックバー経営者、青山の、サディズム元祖の名をかりたゴーゴークラブでおちあい、純文学はまるで踊れないのを、舞姫丁寧に手とり足とりして、庄助は女優と向き合い、その、なんともしなやかな動きを追ううち、みるみる汗のにじんだ胸のあたり、またぴっちりタイトなスラックスの腰まわりに、つい好色な視線がはいずって、いかにも中年になった自覚が湧《わ》く、以前は、やたら顔の美醜というよりは、自分の好みの面立ち求めたのに、近頃きわだって、体つきが気になり、しかも、われながら無遠慮な眼でみる、見られている方は、さぞや狒々爺《ひひじじい》と感じているだろう、いや、それすらないかも知れぬ、喫茶店で若い女性の交わす会話をきいていると、「二十五? わあふけてるのね」「そうよ、せめてもう三つ若ければねえ」などあって、しみじみうんざりすることがあった。  数え四十歳など、男のうちに入らないのではないか、庄助は、近頃よく鏡を見る、これが四十歳の顔なのか、面妖《めんよう》な気もするし、恥ずかしい、どうみたって貫禄に欠けている、昔風にいえば不惑がフワフワ踊っていていいものなのか、あたりの、これぞゴーゴーにふさわしい若者に笑われているようで、あわてて酒を飲み干し、酒の力借りねばもはや踊ることもできないのだ。  同じ想いらしく大阪も、純文学もむやみにグラスをあけ、「それでなんぼくらいやったらええねん」大阪がたずねる、「いらないよ、向うも楽しんでるんだから」「そらあかん、やっぱしその場でやっとかな、後がうるさい」「お前は古いんだよ、近頃の若い女性は、男に買われる意識など毛頭ないんだから」「そうかなあ」不得要領な顔つきでいい、「いやあ、ゴーゴーはよろしいですねえ、実に健康的で、ゴルフよりはるかに運動量がある、なまった体をきたえるにはもってこいです」純文学が、これまたピントはずれなゴーゴー観をのべ、すぐ舞姫をさそい、喜色満面といった面持で、ことさら道化て手をふり足をはね上げる、いかにも無理がにじみでていて、痛ましい。 「そやけどな、なんであんな別嬪《べつぴん》さんが、わし等と乱交パーティなんかやりよんねんやろ」「好きなんだろ、セックスが」「好きいうてやな、なんぼでもええ男いてるやろうに」ちらりちらりと女同士踊る女優と経営者をながめ、その思いは同じことで、庄助にも何故だかよくわからぬ、未《いま》だに、女性にも性欲があるなど、なにやら納得しがたい気持があって、しかも、美人が初対面の男と、乱交いとなむとは、よく考えれば考えるほど、天変地異、あり得べからざることに思えるのだ。  結局、この、なんだか狐に化かされているのではないかという、実感の稀薄《きはく》さが、このパーティも失敗せしめた、なんとか勇気かり立てようとして、延々と酒をのみ、女たちはちゃんと何処《どこ》までもついてくるし、話をすれば決してやばい印象でもない、ようやく自信ができて、さてホテルを探すとなり、午前二時過ぎていたからどこもあいてない、恵比寿、四谷、下落合と、心覚えにいちいちタクシーを走らせ、とまると純文学が、こけつまろびつといった態《てい》で玄関のベルを押し、肩をすくめてもどってくる、くりかえすうちに、やっぱりこういう結果になるのか、どうも、やることなすこと、失敗を目標に置いているようで、大阪もタクシーにのりこんだ時は、悲壮感の如きものを漂わせていたのに、二軒三軒と断わられるうち、逆にはしゃぎはじめて「東京はサービスわるいでんなあ、大阪やったら十三《じゆうそう》、銀橋夜通しあいてるわ、それもロケットベッド、回転ベッドいうて、ごついしかけでねえ」多分、週刊誌のうけうりであろうペラペラとまくしたて、ついにタクシー料金三千円近く乗りまわして、探し得ぬ。 「じゃ、私の部屋へ泊る? せまいけど」舞姫が提案して、いささかくたびれていたから衆議一決し、牛込柳町のアパートへおもむき、舞姫先に立ちいかにも足音しのばせて階段をのぼるから、従うものもならって、部屋はせまいといった通り四畳半、しかも半ばをしめて、ベッドがあり、三面鏡、箪笥《たんす》、ステレオとそれぞれこぶりながら揃《そろ》っていて、いわば足の踏み場もない有様。  舞姫は終始無言で、それは安アパートの薄い壁を思えば、六人の鼻息だけだって、隣はうるさいと思うかもしれず、まるで肉親のお通夜の如く五人かしこまり、舞姫その体にぶつかりつつガスにやかんをかけ、「ねえ、洋服お脱ぎなさいよ、しわになっちゃうといけない」いわれるまま男ども、上衣はとったが、まさかズボンまでとはいかず、「よく旅にいくでしょ、だから、ネグリジェが沢山あるの、これ着てらしてよ」有無いわせず、まず純文学が、ピンクのうすもの、胸にリボンのついたそれをまとってズボンを脱ぎ、大阪は水色、庄助は黄色、たしかに沢山あって、女二人は、色とりどりの中から、自分の好みをえらび、舞姫は黒、スナックが白で、女優は赤、これがちんまりベッドにすわり、こっちはすわるさえ窮屈な畳の上に身を置く。 「足をベッドの下に入れると楽よ」なにごともいわれる通りに従って、この台辞すべて低声《こごえ》だから、一座無用の口きいてはならぬとだまりこくり、あらためてながめれば、純文学は容貌|琴桜《ことざくら》風であるし、大阪は写楽の絵に似た顔かたち、それが色とりどりのネグリジェを着て、おかしいはずなのだが、誰もわらわない、お茶が入ると、「はあ、恐れ入ります」純文学、堅くなって、ずるずるっと吸いこみ、大阪がしっとその音をとがめる、「即席ラーメン召し上る?」舞姫がたずね、三人がうなずくと、「ごめんなさい、二つしきゃなかった」いいつつ鍋をかけ、灰皿、チューインガム、雑誌、マッチ、気のつくたび立ち上って戸棚や、ハンドバッグからとり出し、「これじゃ寝られないわね」すまなそうにいう、「いいわよ、もうじき朝だもの」「あのすいません、トイレットはどこでしょう」大阪がたずね、そのまま出ていこうとするから、「誰かに見られたらどうするんだよ」庄助押しとどめ、「そやな」大阪ズボンにはきかえて出かける。チューインガムさえ、押しころして噛《か》む雰囲気《ふんいき》となり、互いに相手の物音たてるまいと気づかうのがわかるから、さらに注意し、茶碗を置いた音にもびくりと身をすくめラーメンができると、純文学と大阪おっかなびっくりすする。舌をやかれてアチチと悲鳴もあげられず、これは何とか早くずらからなければ、くたびれてしまう。  乱交パーティどころではなく、なんとかきっかけつかもうと探していると、舞姫つと立ち上り、「いいのよ、もっと騒いでくれても、ねえ」一同を見渡し、女二人とも今は悄然《しようぜん》となり、すると、ステレオのスイッチを入れ、セットされていたレコードに針を置き、多分、今まではその音量できいていたのだろう、ちいさな音ではじまり、しかし、すぐ雷鳴の如くひびき渡り、「踊りましょうよ、かまやしないのよ」純文学近くにいたから、両手をとられ、ぎくしゃくと体動かし、庄助もうながされて立ち上る、足はうごかさず、ただせまい部屋にガンガンとあふれるリズムにあわせて、手をふり腰くねらせ、女二人もやがてベッドの上に立ち上り、向きあって、これは巧者に踊りはじめ、部屋中に、赤黄青黒白水色と、万華鏡《まんげきよう》の如くに色が重なり合いほどけ、舞姫は「それっ」時にかけ声かけつつ、ネグリジェしだいに肩からすべらせ、二曲目にいたって、白いブラジャーをはずし、思ったより薄い胸だったが、さまざまにポーズつくり、「よいしょ」ベッドにとびのると、女二人を追いやってこれをステージにみたてたか、のけぞり脚をひらき、やがてこまかい花模様のついたパンティに、両手をそえ、軽くヴァンプ、グラインドしながらずりおろす。庄助はあれっと気づき、彼女はBのはずで、Aの真似はしない、だが、やがて翳《かげ》りがあらわになり、片手でそれをおおいつつ、するりと片脚ずつ抜き出して、今度はパンティで下腹部おおいつつ、右手で乳房をもみしだき、はらりとパンティをベッドからおとし、すぐ左手でかくしたが、眼の前にすわった純文学の顔の前に、やや脚ひろげるようにして、ちらりとあらわにし、純文学は正座したままぴくりとも動かぬ。  片脚を高くはねあげ、大阪にサービスし、また立ち上ると、両手を後ろにまわして髪すくいあげ、のけぞったまま静止する、見事にレコードのエンディングと一致し、大阪すばやく立って電気のスイッチをひねり、「ヤッホー」かけ声をかけ、一同拍手を送る、暗闇の中にステレオのパイロットランプだけが、ほんのわずかの空間を照らし出し、ベッドの上にこそとも動く気配なく、どれほど経ってからか、舞姫の布団かぶってすすり泣く声がきこえた。  無言のまま一同、また忍び足にもどり表へ出て、遠くに牛乳配達の瓶《びん》ふれあう音が、妙に感傷的にひびく、「お送りしましょか」フェミニストの大阪がいったが、断わって女二人はタクシーに乗り、「あの踊り子さん、大丈夫か」「なにが」「あんなやかましい音たてて追い出されへんか」「一度くらいいいだろう」庄助は、大阪が「死ぬのとちゃうか」というような気がして、一瞬ギクリとしたのだが、Bでありながら、もてなすためにAを演じたことは庄助しか知らないことで、よほど、ABCを説明しようかと思ったが、やめる、ABCいずれにせよ生命がけにはちがいない、「あなたなんかねえ、たまには娯楽小説書いてやろうという気を起すことはないかい」庄助がたずねると、「まるっきりないねえ」純文学いとそっけなく答えた。 [#改ページ]   第八話 去年《こぞ》の雪  ある娯楽小説雑誌の編集後記に、保坂庄助を形容して「時勢にさとい」とあり、株屋や米相場師ならともかく、物書きにおいて、こういわれることは、あまり名誉ではない。やはり自らを恃《たの》んで、志操堅固、泰山不動といった感じでなければならぬはず、おっちょこちょいである自分を戒めたのだが、しかし考えてみると、ラジオ、CMソング、TV、週刊誌、男性雑誌、小説雑誌と、時が移れば、ブームの形もかわり、庄助は常にその渦中に身を置いてきた。というより、CMソングの作詞を四、五百して、これはあくまで作曲家が主体だから、へいこらその鼻息うかがっていることに耐えきれず、手近のTVに転身すると、これが全盛にさしかかり、ここで庄助は音楽構成番組なるものを、手がけて、これも一年やるとうんざりしてくる、通称「線カキヤ」「Mカキヤ」といわれ、原稿用紙に定規で縦の線をひき、横にM㈰「GIブルース」唄う坂本九と書く、これをM㉀くらいまでくりかえし、歌手と、歌手に唄わせる唄はプロダクションディレクターが指定するから、構成者は何もしなくていい。構成料八千円はわるくないけれども、やはり空《むな》しくなり、せめて孔版《こうはん》印刷ではない活版に移りたいと、雑文書きはじめたら、週刊誌がブームになり、短文にあきて、少しは長いルポを目指すと、そういった文章の需要の多い男性雑誌が急に増え、同じ活字ならばと、小説に手を染めれば、折よく小説雑誌の氾濫《はんらん》にぶち当る。  現在、多い月は、二十八種類もの小説雑誌が発行されていて、文運隆盛というのか、とにかく庄助如き駆出しも、月に五、六百枚書くことがある、つまり顧みると、義経|八艘《はつそう》とびのように、ひょいひょい時勢にさとく、といっても決して世の行末をつくづくと見渡した上で、転身するわけではないのだが、移りかわってきたから、なんとか現在、糊口《ここう》を過すといってもいい。「時勢にさとい」といわれたのは、当今、怪奇小説ブームらしいから、いささかそれを真似た作品を書いたり、あるいは大学問題が、現在のように世間をさわがせる以前に、「心情三派」など怪しげなことをいい立て、そして、またあっさり無関心派にもどってしまうあたりをさすのだろうが、しかしこの特技がなければ、庄助など、とっくの昔、焼跡に飢死していたはず。  今でも、といっては大袈裟《おおげさ》だが、他人の家へいって、どこいらへんに、金、貴金属をしまっているか、およその見当がつく、かつて飢えていた頃、友人の家でよくこそ泥を働いたもので、ほんの三十秒ほどのすきに、ひょいと押入れをあけ、布団の下に敷いた新聞紙の下に手をつっこむと、あやまたず新円の包みにふれた。とても全部は盗めない、一枚か二枚抜き出し、何食わぬ顔でいたり、夏の軽装であるにもかかわらず、友人の姉の晴着を、ズボンの下にかくして持ち出したり、この他、米や罐詰《かんづめ》の在りか、手近にある靴下手袋など実にすばやく盗んで、庄助はたしかに盗癖、いやそういった趣味的なもの以上に、その才能があるのかも知れぬ。  二十年前、おてんと様はむしろ情けようしゃなくついてまわったが、とんとまわらぬ米の飯追いかけた習性が、現在も残っていて、いつもどうすれば食えるかと、怯《おび》え、だから「情勢にさとい」のだろう、となればこれはなにより武器であって、さとい嗅覚《きゆうかく》をこそ大事にしなければならぬ、ハイエナは年中、屍臭《ししゆう》かぎまわっていなければ、生き抜けない。  そして、「情勢にさとい」といえば、庄助の年齢に近い物書きは、多かれ少なかれ、そういった面をもっているようで、庄助より五年ほど上の方になれば、今度は無器用なくらいに筆一本潔癖に身を託し、それこそどう時勢が移ろうとも、自若として動じないようにみえるけれど、庄助の同世代というか、文壇的同級生諸氏はその前歴も多様なら、まだじたばたしていて小説はもう読まれなくなると、劇画を勉強する者もいるし、また以前、雑誌編集長だった男は、いまでも編集者にもどりたいと二言目にはこぼし、「俺が編集者だったら、お前の才能を生かしてやるのになあ」など、庄助にいう。不思議な体質で二カ月で十六キロも痩《や》せるかと思えば、月に十キロ肥ったり、彼にはモンタージュ写真も通用しないだろう、酒が飲めないのに年中バーへ入りびたっているのも面妖である。  例のもてる奴にしろ、ただ一つ庄助が彼に好感寄せているのは、ひどく原稿のおそい庄助よりなおのんびりしていて、常に印刷所へのりこみ、書くそばから印刷しなければならないぎりぎりの綱渡り、彼はまた年中、外国へ行く行くといいながら、たいてい青山あたりに沈没しているし、決して落着いた感じではない。二年上には姓にレ点を打ち、腹立ちとした方がいいといわれるほど、以前は喧嘩《けんか》早かった方がいらっしゃるが、この方になるとかなり泰然としていて、近頃、雑誌の編集長を兼ね、庄助も手紙いただいたりするけれど、字からして文士風の闊達《かつたつ》自在な印象なのだ。  庄助の同級生を、強いて規定してみると、衣裳はセーター、ポロシャツを好み、特にレインコートの上等なのを持っている。これは意味のないことではなく、貧乏な時代、服を質に入れた後レインコートは絶対のボロかくしだから、とりわけ愛着が強いのである。字が下手で、締切りをどうしても過ぎてしまう。文壇大家になると、その一と月前に編集部へ郵送されてくるというし、五歳年長の方は、たいていその二、三日前に完成し、後心しずかに推敲《すいこう》なさるらしいが、そして来月こそと庄助本気で締切り厳守を自らに誓うのだが、まず駄目、このことは御同役にほぼ共通する。たのまれると競馬の予想、ウイスキーの広告、流行歌作詞、落語家独演会のゲスト、なんだってやっちまうのもこの年代だし、いわゆるスナックバーを好んで、実に陰々滅々とお通夜の如く飲み、あまり女性にはもてない、師匠も弟子もいないし、今、同級生といったけれど、そうお互い親しくもない。  決してお互いの作品について批評しあうことがなく、口角|泡《あわ》をとばして議論もしなければ、一人の女争うことも、金の貸し借りもきいたことがない。もてる奴が出現するまで文壇第一の美男におわした小説家の説では、お互いに貧乏な時期、売れない頃に知り合わなかったからだそうだが、この世代は貧乏がいやだから、獅子《しし》奮迅に手当りしだい稼《かせ》いで、決して筆一本に人生を託すつもりなどなく、文学青年として知り合うわけがないのだ。庄助ともてる奴は、CMソング作詞家だったし、シャンソン歌手出身、元デザイン会社社長、香具屋《てきや》、八幡製鉄組合書記、電電公社宣伝課長と、しごく雑多で、顔つきあわせたのは、どうにか小説が売れはじめて後のこと、それまではまったく赤の他人だったのだ。  文壇にもいろんな派があるけれど、庄助の年代ほど、まとまっているようにみえて、てんでんばらばらな連中はいない、だから危なくてしようがなくて、たとえば、写真うつりのいい女流推理作家の経営するバーから、かりに絵島の相手が電話をかけてくる、庄助、何はさておきかけつけるのは、もし顔出さなければ、順慶《じゆんけい》の子孫や、もてる奴もまじえ、どんな悪口いわれるかも知れないからだ、互いに悪口封じの酒だから、談論風発するわけもない。  しかしこれは寂しいことで、十歳ほど上の世代の方は、犬の仔《こ》をやったりとったり、銀座のバーのホステスの情報交換し合い、それほどに仲が良いから、雑文の|ねた《ヽヽ》に困った時は、やさしい心づかいで友人のなにやかや書けば、急場しのげるし、実にうらやましい。さらに上になると、互いの健康状態を気づかいあい、新聞紙上で優雅な仲間賞めのやりとり、いったい庄助の周囲見渡し、庄助が不治の病に倒れたからといって、同情してくれる男がいるだろうか、「食えなくなったら、半月一と月くらい居候させてくれるか」同年の男にたずねてみたら、ケンもホロロに「俺は弟子はとらない」といった、誰が弟子にしてくれといったか、居候と弟子の区別もつかぬとみえる。  元編集長に、「もし交通事故で死んだら、娘の相談相手になってくれ」と頼んだこともある、すると彼は、「大分、色気づいてきたか」と舌なめずりしていった、娘はまだ五歳なのである、実に人非人《にんぴにん》ではないか。もてる奴に、老後の宿を頼めば、「女房にいえば大丈夫でしょう」と答え、その実家たるや精神病院なのである。劇画志す男は、万博あてこんで買った土地が、思惑はずれて無駄になってるから、そこに天幕《テント》でも張れというし、写真うつりのいい女流作家は「もう少し若ければオカマになれるのにねえ」とのたまわった。  このように不人情、無責任な同級生を持っていることは、まことに庄助の不幸といわなければならないだろう、そしてこういう薄情な相手に対しても、肉親の愛に恵まれなかった庄助は、心からなる親しみを覚え、アメリカで映画化される、その原作料は、みんなの老後養生資金に提出したい気持さえある。今こそ、皆、書き盛りで先のことを考えないが、同級生の中では年長に属するだけに、二十年三十年先を考えると、我ひと共に不安で、これまではいずれも八艘とびでやってきたが、もうとび移る岸辺はない、平均月に四百枚として、年に五千枚。三十年生きるとすれば、勿《おどろく》レ 驚《なかれ》十五万枚書かなければならないのだ。字数にすれば六千万字、一坪に原稿用紙は三十二枚だから、四千六百八十七・五坪を書きつぶす計算になる。固茹卵《かたゆでたまご》にしろ、大河小説、変態性欲、失神、ムチムチモヤモヤ、アチャラカSF、社会推理の各小説が続くものだろうか、庄助など、開業二年半にして焼跡闇市の|ねた《ヽヽ》はつき果て、もう一度B29に御足労ねがいたい気持さえするのだ。  三十年後の同級生の姿を考えることは、かなり楽しいもので、やはり依然としてトッチャン小僧の如き爺としてしか思い浮ばないが、そして、皆にいやがられつつ、古《いにしえ》のスナックをしのび、講演旅行文士芝居の思い出話をし、ようやく恩讐《おんしゆう》すべて彼方《かなた》に消えて、正直な原稿料を打ちあけ、袖に涙のかかる時、お互い同世代のありがたさかたじけなさを心にかみしめるのであろう、とはいうものの、庄助などとっくに消えてしまって、固茹卵の文化勲章いただく晴姿を、養老院のTVでみているのかも知れないが、とにかく、今の文壇同級生は友達甲斐がない。  いや、考えてみると、庄助の年齢はもともと友人のできにくい世代なのかも知れない、大学の頃をかえりみても、これは庄助身からでた錆《さび》で、出席しなかったから、知人もすくないのだが、それでもシャリマンチュウの友はいた。春になれば、ひとつ釜《かま》に摘《つま》み菜入れたシャリを炊き、醤油ぶっかけて食べ、自分は食わなくても、飢えた友にゆずって、たしかな|きずな《ヽヽヽ》確かめあい、また、赤線で同床同マンの、仲間もいたし、さらに表面にギラギラ虹《にじ》の浮くチュウを飲みかわし、ぶったおれた男の、糞《くそ》から反吐《へど》まで始末し合って、だが時代がわるい、えらい不況にぶつかり、いずれも友は郷里へかえってしまい、十年会わなければ、友情もなにやら手応えがなくなってしまうし、中には、庄助の書いた小説の、作中人物は自分がモデルであろう、おかげで親兄弟に顔向けできなくなったと、文句いうのもいれば、久しぶりで会い、なつかしさの余り、以前の調子でシャリはともかく、マンチュウをさそえば、「いい歳して、まだ直らないのか」と説教されたり。シャリマンチュウ以外の、まともに大学を出た連中は、もともとあまり相手にしてくれず、その以前、高校時代の友人は、すべて官僚、学校教師、会社の管理職になっていて、たまにクラス会に顔を出しても、とても彼等の話題には加われない。  旧制高校だったから、田舎秀才が集まっていて、少年院上りの庄助はじめっから仲間はずれにされ、ここにあまりいい思い出はないのだし、さらに前の、大阪市立中学では、ひたすら腹ばかり減らしていて、友情どころではない、もっとも、ただ一人松尾|芭蕉《ばしよう》十七代の子孫という男がいて、彼とは現在も親しいのだが、あのおそろしい飢えの時代に、今考えても、少年らしい友情など成立し得たのだろうか。戦時中はいわば、軍国共産制度とでもいうべく、貧富の差はめだたなかったが、いったん戦い終ると、農民、闇商人の子弟は貴族で、それ以外は賤民《せんみん》、貴族の銀シャリを食べ、わざと残したおかずの卵焼きみせびらかすのをながめつつ、弁当持たぬ連中は水を腹につめこみ、着るものだって天地雲泥の差があった。  はじめっからの貴族賤民の別ならいいけれど、降ってわいた如く、しかも食物というしごく具体的な面で差をつけられ、この二つの階級の間に友情などありはしない、おべっかとあわれみだけで、また同じ階級同士も、貴族は見栄の張りっこしていたし、賤民はおべっかの抜駆けゆるすまじと、疑心暗鬼でいた。年中、盗難さわぎがあったし、教師の露骨なえこひいき、生徒への|たかり《ヽヽヽ》が当り前で、中学生という、本来なら生涯の友を得る場所も、修羅《しゆら》の巷《ちまた》にかわりなかったと思う。友人の家へあそびにいって、たまたま食事時にぶつかり、向うも命ぎりぎりだから、辛かったろうけれど、いっぱいのすいとん御馳走してくれなかったからと恨み、逆にいやな奴でも芋パン一つめぐんでくれたなら、つい卑屈に笑顔でごきげんうかがう、まして庄助は、同級生の家へ泊りにいっては、夜中にしばしば盗みはたらいたから、とても、お友達のさわぎではない。今でも庄助、春になって生暖かい風を身にうけると、心が落着かなくなり、それは昭和二十二年の同じ頃、中学は桜並木の坂の上にあったが、その桜とさらに彼方、ところどころ水が入って鏡のように光る水田の連なりをながめながら、どうやって次の食事をしようかと、深刻に考えこんでいた記憶がふとよみがえるからだ。  この年の春過ぎて、学校をやめ、半労半盗で食いつないだが、その決心するまでは、なんとも不安な明け暮れであった。  焼け出される前は、神戸の中学に在籍し、ここでは、今思うと同性愛に似た感情で、接していた友人が四人いた、一人は死に、三人は焼けた日以後行方不明で、それだけではない、同学年二百五十人いたのだが、ほとんどの生徒が焼け出されたのと、学制改革で合併分離をくりかえしたから、名簿さえなくて、庄助探し求めて、ようやく三人しかわからないほど。それにこの学校にいた頃は、てんでに分散して農村、疎開、工場とわかれたから、友人もできにくかったと思う。  こうやって考えてみると、古い友人というありがたいしろものを、庄助の世代はまことに持ちにくく、友情なんてくそくらえとあきらめているように思える、まして同業となれば、一人の本がベストセラーにでもなったら、うわべ「もうかったろ、おごれ」などにやにやしたって心中煮えくりかえらんばかりで、「俺には女子供向け小説は書けねえよ」とひがみ、雑誌の広告に他人の名前、もしそれ写真入りで、とりわけ大きくあれば、「ちぇっ、芸能人じゃあるまいし」と怒り、評論家が誰かを賞めたら、「あのバカ、本当に小説のわからない男だな」とうそぶき、そのくせ同じ人間が自分を賞めれば、「酒の一升もとどけなきゃわるいかな」そわそわし、他人の単行本の装釘から、その広告量、誰と名のある大家とつきあっているという風な噂《うわさ》、いちいち神経とんがらせるのが、他人はしらず庄助であるから、とても友人など、ないものねだりである。あきらめてはいるのだ。  そこへ、ひょっこり小学校同級生である病院副院長から電話があり、「成徳小学校のな、昭和十八年卒業生の同窓会あるねんて、お前いかへんか」とさそわれ、とたんに庄助、兎追いしかの山、小鮒《こぶな》釣りしかの川と、のどかにひびくオルガンの幻聴が生れた、まあ、この副院長など、長い空白はあったが友人かも知れぬ、おそろしくドライで、心臓の具合がわるいから診てくれといえば、気軽に心電図とってくれたのはいいが、電極の置きかたを間ちがえ、ためにとてつもない図が巻紙にえがかれ、それを、「こらごっついわるいで、生きてるのが不思議なくらいや」けろっといい、庄助は危うくショック死しかけた、かと思えば小指の骨を折り、治療たのめば、「ほっといたってええねんけどな」「だけど奇形になるだろ」「小指奇形になったかてどういうことあらへん、それわかってるから、やくざは小指つめよるねんわ」と、人を不義理犯したちんぴら扱いし、だが、少し会わねばなつかしい。  また洋服屋は、安く作ってくれるのはいいけれど、二言目には「見れば見るほど、典型的日本人の体つきやな」とか、「お前も一種の芸人やろ、派手にせなあかんで」と、とてつもないサーカスの団長みたいな服押しつけて、みなそれぞれに少しずつ意地悪のようだが、竹馬の友的色合いはある。  同窓会にでれば、ふと思っただけで二、三十名の名前がよみがえり、奇妙に姓名をみな覚えている、教師が出席とるために呼ぶのを、耳になじませているせいか、川上忠憲、丁李秀、笹木豊、竹本進、竹本秀男、坂口哲、国原俊明、服部都一、堀口進、小原聡、吉本金一、大塚浩、それぞれの特徴、足が速い、相撲が強い、戦争画だけがうまい、東海道線の駅名を暗記している、兄貴が餓飢大将だった、歴史の年号をよく覚えている、修学旅行で寝小便した、少々英語ができる、ハワイの二世でポパイの絵のついたシャツを着ていた、母親の死んだ奴。  焼けてすぐ神戸を離れたせいか、庄助は当時の記憶が、純粋に保たれていて、副院長など、こと細かに思い出す庄助を、気違い扱いするのだが、とにかく顔立ち、癖、歩き方、洋服まで浮んで、同窓会は六月第一日曜というから、あらゆるスケジュールを、この日中心に組み直し、友をたずねてはるばる副院長洋服屋と新幹線を西下したのだ。 「先生も大分集まるらしいわ」副院長は、総代らしく、往年の教師の消息にくわしくて、ほとんど引退か校長になっていて、「金沢先生は辞めて、隠居してはるらしい」庄助一年桐組に入学し、受持が金沢千代子先生であった、二年松浦、三年中島、四年牧、五・六年が宇草正一先生で、副院長とは六年のあいだ常に同級、洋服屋とは四年間重なっている。「先生来はるいうたら、またこわなったなあ」洋服屋がいい、往年は教師がゲバルトふるったから、それを思い出したらしい、「ほんまようなぐられましたで、先生になぐられたいうてわかったら、また母親にやられるさかいな、水呑場で指のあとついた頬を冷やしてかえったわ」「ようタンコブでけたなあ」副院長がいい、「どうもようわからんねんけどな、昔あんなごつい乱暴してて、めったと大怪我せんかったやろ、今の小学校いうたら、おとなしい運動ばっかりやのに、よう骨折ったり、脳震盪《のうしんとう》おこしよるねん」三人なんとなく、やっぱし、スパルタ教育やないとあかんという風にうなずきあう。「四大節いうけどね、四方拝いうのんは、学校へいったんかな」洋服屋がいい、「そらいったよ、それで年のはじめにて唄うたやんか」副院長こともなげにいったが、庄助もあまり記憶はさだかでない。紀元節の記憶は鮮やかで、校長の閲兵受ける時、必ず六甲颪《ろつこうおろし》に指がかじかみ、天長節は式の後、応仁《おうにん》天皇神社へ参拝した。明治節には区主催の体育大会があり、それぞれかなりはっきり覚えているのに、四方拝はわからぬ、洋服屋と副院長しきりにいい争い、庄助はぼんやり元旦の朝の静けさを、思い出す。当今よりはるかに寒気|凜烈《りんれつ》といった感じで、格調があった。隣の二人は、さらに楠公《なんこう》さんのお祭りが何日であったか、海軍記念日は休みであったか、互いにゆずらず論じあう。  夕刻、三宮へ着き、副院長が連絡とっていて、宇草先生とバーで落ちあい、庄助は一年前会っているが、洋服屋二十六年ぶり「いやあ、かわっはりませんなあ、昔のままですわ」びっくり仰天し、宇草先生当時三十歳だったというから、顔かたちそうかわるわけもない。「明日、何人くらい来るんですか」副院長たずね、「そうやねえ、百二、三十人は集まるやろ」一クラス五十人で、四学級だったから、半分以上も来るのか、庄助びっくりすると、「そんなことないやろ、八学級やから、まあ三割かな」いまだに算術でけんのかという風に先生はながめ、「八学級?」「女も来るやないか」「メンタ来よるんですか」副院長が仰天した声を出し、「そらそやで、女かて同窓や」  いわれれば当り前だが、当時は同じ校舎にいても別の学校の如く、四年以上は男女互いに口きくことも許されぬ、「なにびっくりしてんねん」先生はその後の男女共学になれているから、平気でいても、三人呆然として、「そやけど、えらい婆さんなってるやろな」副院長が気をとり直しつぶやく。藤原節子、中西法子、森秀子、吉川章子、鴻巣《こうのす》京子、清水和子、庄助またいずれ去年の雪にちがいない名前をよみがえらせ、「これまで三回ほど同窓会やったらしいねんけど、今度は幹事が力入れてな、それでぼくなんかも招待されてん、大分集まるらしいわ」先生がいい、「幹事て誰ですの」「お前とこ通知いかんかったか」「ぼく、竹本に電話で報《しら》されましてん」「覚えてるかなあ、中里幸子いう目立たん子ォやったけど、今えらい社長夫人なってもてな、これが世話したらしいで」庄助その名に記憶はなく、なんでも自動車部品メーカー社長夫人で、六甲|山麓《さんろく》に宏壮な邸宅をかまえているという。  その夜、三人ホテルへ泊り、ついお互い無口になったのは、つまりメンタショック、「あんた鴻巣京子好きやったやろ」洋服屋が、庄助にいう、「別に好きとかなんとか」しどろもどろとなり、「俺のスウちゃん、中西法子やってん」「あの子ォ、割に発育よかったんちゃうか」副院長がいう、「そや、オッパイどでんとして」洋服屋、胸の前に大袈裟なふくらみをえがき、「あほ、昔の小学生でそんなんおるかい」にしても、庄助の覚えている中西も、えらく豊満な印象で、「森秀子いうのかわいかったなあ」「あれの従妹《いとこ》で、転校してきよった森礼子いうのんおったやろ、ぼくの家の近くやったわ」「前田いう眼鏡かけたん覚えてないか」「知らん」「あれ戦災でたしか死によったで」成徳小学校の、女生徒体操用ユニフォームは、いわばスリップ風で、よくパンツがまる見えとなった、庄助ありありとそのやや汚れた色合い、思いうかべ、俺は人より助平やったのかと、自ら顧みる。「江指順三の姉さん美人やったな、写真屋のウインドウに飾ってあった」「藤原の姉さん宝塚へいってんやろ」「俺の隣組にも一人タカラジェンヌいてたわ、紫の袴《はかま》はいてな」「あれは青やったやろ」「紫やて」また二人いい合い、次第に興奮してきて眼が冴える。 「そやけど同窓会て、どんなことするねん」「さあ」三人とも見当つかず、「ビールにピーナッツなんかでて、なんか余興でもやるのちゃうか」「余興てなにやるねん」「知らんわ、そんなん」洋服屋は、遠足の目的地たずねる子供の如く、「手品やろか、それとも楽団でも来るか」「校歌覚えてるか」副院長がいい、これはまったく忘れていた。  翌日、早目にホテルを出て小学校にむかい、庄助は何度も来ているが、二人は十年ぶり。正門前は大きいグラウンドに変り、かつてここはテニスコートだった、はずれに高いポプラが三本あって、冬の風の夜などひゅうひゅううなりをたて、運がいいと、その根元のあたり硬式のテニスボールが落ちていた。校庭校舎のたたずまいはまったく以前と同じ、四、五人の人影は、やはりなつかしくて早く到着した同窓生らしいが、まるで覚えがない。職員室、ふちのすり減った階段、教室、廊下に貼り出された習字図画、雑巾をへりにかけたバケツ、黒板とそのはしにしるされた月日・曜日、机も椅子も昔のままで、「どうみても俺たちの使うた机みたいやなあ」「まさか三十年近く同じいうことないで」「絵はうまいが、習字は下手なっとんな」「ちょっと小便しょ」まことにひくい朝顔にむかう。  同窓会は午後一時にはじまり、たしかに百人以上集まっていて、コの字にならべた机、その奥の一列にすわった教師の顔はすべてわかったが、同窓生は見分けつかず、そして女性たちは、すけた黒い羽織や野暮ったいスーツ、金歯ふとっちょ眼鏡、けたたましい笑い声、男を品さだめするような視線、お互い「えらい婆さんなってるやろ」と、自らを棚にあげがっくりせんよう覚悟決めていたのだが、さらに上まわっていて、「考えてみたら丁度上役の女房いう歳やもんなあ」副院長がつぶやく。男側は貫禄迫力負けというか、時に女性が声をかけても「ぼく、野口学級におりましてんけど」いい歳したのが、汗ふきつつおろおろ答え、庄助はさり気なく鴻巣京子の姿求めたが、わからない。 「入学いたしましてから三十二年、卒業してからもはや二十六年の歳月が流れました」これが社長夫人らしい、際立って衣裳の上等な女がしゃべり、眼の前にはビールとサンドイッチがあり、特に余興の準備はないらしい。今回はじめて加わった同窓生の自己紹介が行われ、立ち上ってぼそぼそつぶやく者を、全員くい入るようにながめ、「なんや斎藤か、お前死んだんちゃうんか」時に突拍子《とつぴようし》もない声がかかって、少しは座がほぐれ、女はみな心得て、現在の姓に旧姓をつけ加えた。庄助の番に近くなり、さあなんといえばいいのか、くよくよ考えはじめ、洋服屋は「皆さんどうもおなつかしゅうございます、先生覚えてくれてはりますか、ぼくのこと」とえらく調子よく、副院長はまた「外科医をやっております清原です」ぶっきらぼうにいい、ひょいと庄助の肩たたいて「次はTVでおなじみの保坂庄助氏」余計なことをつけ加えた。かなり拍手があって、「えー、あの」つっかえつつただ名前だけ名乗って着席し、他の連中はかなりくわしく現況をいったのに、これではいかにも有名人ぶっていないかと、顔が火照《ほて》る。 「ほれ、おったで」副院長がつっつき、庄助ききもらしたが、教師の席に近くすっくと立った女性が、鴻巣だという。眼をこらすまでもなく面影が残っていた、社長夫人同様な派手な服装で、「子供も手がかからなくなりましたし、男性の方、暇な時は昔と同じように遊んで下さい」しごくてきぱき挨拶し、「タレントみたいな感じやな」副院長の言葉を、関係ないのに庄助うれしく受けとり、やっぱり鴻巣京子やでと、悦に入る。小学校の頃すでにおしゃれで、眼の大きい勝気な顔立ちだった、父親は郵船の重役ときいたことがある、小学校三年の時、本を貸してやると家へ引っぱってきて、自慢の本棚見せたのだが、後で京子の家へいったらその何倍もあり、砂糖で煮た水蜜桃《すいみつとう》を出され、母を「母さん」と呼ぶその語感が上品に思えた。忘れていた細かい記憶が次々と浮び、しかも今みる京子、まずいちばんの美女に思えるから、わが審美眼の正しさ確かめ得てなお心はずむ。 「にやにやすんな」乾杯の後、副院長がいい、いくらかTVで庄助を知っているらしい誰かれが話しかけても、まず上《うわ》の空、なんとか京子に近づきたい。まったく三十年前と同じ心境で、だが、気軽に声をかけられず、京子はまたまるで庄助を無視している。そのうち社長夫人が一座を制し、何をいうかと思えば「では皆さん、折角お忙しい中を御出席下さった保坂先生に、なにか一言おねがいしましょう」照れるより庄助、京子の前でええかっこしたくて、悪あがきせず、マイクは夫人の手もとにあるから、つかつか歩みよって、教師にまず一礼したら、かつての教頭、いまはすっかり老いこんでしなびたのが、どう庄助をみたのか、「ひとつ珍芸をたのむで、珍芸やってくれ」大声でいい、一座それを不思議とも思わないのか拍手する。  かりにも物書きのはしくれに「珍芸」とはなんだ、宇草先生もうれしそうに手をたたき、しかたなくマイクにむかったものの、チンパンジーじゃあるまいし、意気揚々と席を立った自分の浅はかさくやんでみてもはじまらぬ、所詮《しよせん》、庄助など落語家の一種といえば、落語家にわるいが、TVタレントとしか見てくれないのだろう。これくらいならいっそ「小説家」と名乗ればよかった、小学校の頃にも同じような恥かいた覚えがある、やっぱり京子の前で、と、ふと見ると、京子は以前よりさらに大きく感じられる眼で、庄助をみつめていて、視線のあったとたん、しごく好意的に笑った如く思えた。  芸といって軍歌しかない、まさか童謡はかまととだろう、英語の唄の一つくらい覚えておけばよかった、「名月赤城山」の台辞はあやふやだし、いらいら立ちつくしていると、思いがけず副院長「ぼんぼの子守唄」声をかけ、まさに溺《おぼ》れる者の藁、これなら歌詞いささか猥褻《わいせつ》でも、切々たるメロディにすくわれるはずで、庄助胸を張り、※[#歌記号]ヒートーツ、ヒルモスール、タンコーオノボンボヨー、声にはうぬぼれがあるから、精いっぱいがなり立て、副院長の手拍子に、一同ならい、京子も首までふりつつ、手を鳴らしてくれている。  これを皮切りに、次々器用なかくし芸が披露され、昔の音楽教師カンデブがピアノを弾き、小学唱歌四大節の唄を合唱、最後は校歌となったが、これはほんの十数人の他は、唄い出しの歌詞すら覚えていなかった。  庄助は、京子の好意に満ちた、といっても一方的に信じているだけだが、視線に有頂天となり、連絡とるなら電話番号簿で調べればいいと、ことさらに話のきっかけを探さず、おっとりかまえ、なんとなくかたまった卒業時の同級生十二人、打ちつれて六甲道駅近くのレストランへ入り、さらに夕刻を待ち三宮へくり出し、深夜まで飲んで、ふと気づくと朝、副院長と洋服屋の姿はなくて、すでに帰京したらしい。  すぐ京子を思い浮べ、鴻巣なんて苗字珍しいから、電話するしないは別、どこに住んでいるのかまずたしかめようとして、愕然《がくぜん》となり、現在の姓がわからないではないか。いや、神戸に住んでいるかどうかさえ不明で、社長夫人にたずねればいいのだろうが、妙に勘ぐられやしないか、きっと何かいい方法があるはず、昨日受けとった同級生の名刺をながめ、それはいずれも税関吏、日本ヘンケル社営業部長、銀行係長と、ものものしい肩書うっかりきくと笑われそうに思える。こうなると京子の表情さらにあざやかに浮び、長蛇《ちようだ》逸した悔みで下っ腹むずがゆくなり、ボーイにウイスキー運ばせ、思案するうち、電話のベルが鳴った。庄助ベルをきくと、たいていは原稿の催促だから反射的に逃げ出したくなるが、このホテルにいるとは、誰も知らぬはず、まあフロントからだろうと、心落着け受話器をとれば「ごめんなさい、まだ寝てたのとちがいます?」女の声がして、京子だった。  庄助、おろおろ声で「いえいえ、いえもう」訳わからぬ返事をし、「あのねえ、私、今日の夕方まで、少し時間があるから、えー、図々しいかな、お忙しい方なのに」ふふと笑い、「いや、ぼくは今日、暇ですけど」「そう、ついてるな、じゃ、御飯でも御一緒しません」また照れたように笑い、とりあえず待ち合せの時刻と場所を決め、受話器おいたとたん、庄助バスに湯を入れる。そしてうろうろ歩きまわり、やっぱり神戸の女性は話がわかる、あれだけスマートな女性は東京にだっていない、オーコウベコウベコウベ、子供の頃きいた神戸市市歌が口をついて出る。 「保坂さんの小説、愛読させていただいてます」会うなり切口上に京子がいい、保坂はペンネームだから、果して同窓と知ってのことなのかどうか、「ぼくがわりに神戸のこと書くからですか」「ううん、宇草先生にうかがったの、ホテルも昨日教えてもらっちゃった」「はあ」「でもなつかしいわ、よく石屋川の近くのことがでてくるでしょう、涙が出そうになって」「どうもありがとう」「どうしてあんなによく覚えてるのかしら」いちいちかたじけない言葉で、トアロード北の突き当りに近いレストランに入り、しゃぶしゃぶを食べ、「私いつもこの肉をひたすお湯もったいない思うのよ、いい|だし《ヽヽ》がとれてるやろうに」庄助も常にそのことを感じるから、なおうれしくなって、ユーハイムのケーキ、ドンクのパン、コスモポリタンのキャンデーから戦時中の蜜豆屋に話題が移り、ウイスキー飲みつづけの庄助ようやく正常にもどり、「鴻巣さんの庭に大きな防空壕《ぼうくうごう》ありましたねえ」「そうそう金魚池つぶしてつくったのね」「おたくの生垣によく玉虫とりにいきましたよ」「そんなのいた?」「ええ、あれは雄がきれいな羽根で」「教えてくれればいいのに」教えるったって、四年からは口もきけない、まして神戸女学院に入って以後、通学電車がちがって姿見受けたのは年に数えるほど、たしか京子は髪を長い三つ編みにしていた。「もう少しお話していたいけど、お時間大丈夫?」「鴻巣さんと一緒なら、原稿の二つや三つおくらせたって」「よく書いてらっしゃるわね」「限りある身の力ためさんてとこですよ」庄助ええかっこしいをいって、トアロードを山ぎわに沿い左に曲ると、あたりは連込みホテルの密集する一画、だまりこんで歩くうち、「ローマ風呂ってなにかしら」毒々しい看板をみてつぶやき、「見学してみますか」「だって昼間からやってるの?」別におどろかないから、庄助いちおうたずねるふりしてその玄関に近づき、返事はなにより音もなく開いた自動ドア、ふりむくとすぐ後に京子、通行人の眼をさける如くよりそっている。 「神戸女学院はどこへ動員されたんですか」「中島飛行機っていうのかな、私さぼってたから、母の看病を理由に」  ローマ風呂は目下修理中とかで、変哲もない部屋に通され、二人向きあってすわったが、あまり京子けろっとしているので、うっかり手出ししたら、とんでもない騒ぎになりそうな気もする、本当にただ話したいだけかも知れない、「空襲の時は、あすこにいたんですか」「あの日は京都にいってたわ、三日後にかえったら丸焼け」「何年ぶりになるのかなあ」「六年生の時に、綴方模範集っていうの見せてもらったの覚えてるわ」「そうかなあ」「庄ちゃん、よく塀《へい》にボールぶつけてあそんでたでしょ」「ええ」「唄がうまかったわねえ」京子は急に笑い出し、「なあに昨日のへんな唄」「いやあれはね、松浦地方の古い子守唄のメロディで」「知ってるわ、小説で読んだもの」庄助かつてこれを小説につかったことがある、「あの節ね、覚えたいと思ってたのよ」「ぼくたちの時は、ハニホヘトイロハだったなあ、女の方もそうだったの」「同じよ、鯉のぼりの歌から急にかわっちゃったのね」「蛍《ほたる》の光も駄目だったなあ」「バンザイバンザイバンザイっていうのでしょ、あれドイツのオペラからとったんですって」「ふーん」「庄ちゃん桐組だったわね」「そう一年の時」「私、庄ちゃんの後ろの席じゃなかったかな、背ェ高かったから」「あなたの隣に伊藤忠勝がすわってたな」「伊藤さんのお父さん戦死なさったわねえ、私お焼香にいったわ」「京子さん、三年中島学級の時、お腹《なか》が痛いって早退《はやび》けしたことがあったでしょ」「そうかしら」「青い顔して、えらく綺麗《きれい》だったなあ」「お腹が痛くないと駄目?」京子はまたまじまじと見張った眼で、庄助をながめ、「いやあ、あんまり若いし美人なんでびっくりしちゃって」嘘ではなかったが、妙な野心はまったくけしとんでいた。「へんねえ、幼な馴染《なじみ》って」これをしも幼な馴染というのか、筒井筒でも、まだあげそめし前髪にもいたらぬ間柄のはず、「娘がね、高三になるんだけど、よくボーイフレンドつれてくるのよ、うらやましくなるなあ」「わりに早く結婚したの?」「女学院でてすぐよ、本当に損しちゃったわ」すると、庄助腹を減らして、焼跡うろついていた頃か、京子つと手をのばし、庄助の指をにぎって、かるく左右にふりながら「おしえてよ、ナントカの子守唄っていうの」※[#歌記号]ヒートツヒルモスールタンコーオノボンボヨー、庄助低く唄い、京子もメロディにのればボンボとはっきりいう、※[#歌記号]フータツフネデスールセンドーオノボンボヨ、二年の時たしか京子と指にぎりあわせ、※[#歌記号]カモメーノスイヘイサン、ナランダスイヘイサン、シロイボウシシロイシャツシローイクツ、ナーミニチャプチャプウカンデル、輪になって踊ったことがある、三十一年たってカモメからボンボに唄はかわり、多分、この指をひけば京子は胸にすがりついてくるだろう、しかし、これ以上のことにいたるのは、近親相姦犯すような、強いためらいがある。※[#歌記号]ミーッツミチデスールコジキーイノボンボヨー、ふっと陽がかげり、くらくなった室内にいるのは、かつての鴻巣京子だった、体操ユニフォームの、その姿に見とれていると、軽蔑しきった表情でにらみつけて走り去り、また神戸女学院の制服のスカートひるがえし、庄助を見事に無視して足早にくぐり戸に消えた、あの京子がそこにいた。  二時間近くいて何ごともなくホテルを出て、またトアロードを降り、庄助ふと「元旦に学校で式をやったっけ」たずねると、それには答えず、「駄目ね、同級生って」いうなり、交通巡査のような手つきでタクシーをとめ、あっさり京子は乗りこんだ。同級生でなければ、今年の雪だったろうに、まったくこの間柄は、男女ともにややこしい。 [#改ページ]   第九話 一盗二|婢《ひ》  保坂庄助は、世間さま同様活字に弱くて、俳優と歌手の恋仲であることを伝える週刊誌など読むと、まるっきり信じこんで、いささかも疑うことをしないのだが、三つだけ眉に唾つける場合があり、それは外国で女性にもてたという人の手記、また麻雀《マージヤン》でこのように勝ったとことこまかにひけらかす文章、さらには戦記である。前アルゼンチン大使の指摘をまつまでもなく、大和島根にあってこそ、大和男子もまあまあみられるが、欧米人の中に立ちまじれば、かなり不恰好な姿形で、そりゃ一人や二人、紅毛美女の中にももの好きがいて、ちょっかい出すのかもしれないが、とてももてるという具合にはまいるまい、それを朝に夕べにばったばったとなぎ倒す体《てい》の、しかもその御当人は日本人としても、まあ大したことのない男であることが多いから、してきたような嘘と読む、もっともこれにはいくらかひがみも入ってはいるが。また、麻雀指導ブームで、雑誌をひもとけば、牌《パイ》の絵柄がならび、したりげな文章、実戦談が掲載され、これがかなりいい気なもので、庄助も麻雀の後、天井に牌を思いえがき、あの時に白板《パイパン》を自模《つも》ってくればなど、死児の齢《よわい》を数えることがあって、かなりこれに近く思え、そして、得々と、「思いこんだら生命《いのち》がけ、ついにラス牌の紅中《ホンチユン》をひいて国士無双|聴牌《テンパイ》」して逆転優勝なんていうのを読まされると、ある違和感を覚えるのだが、これは、庄助が下手でいつも負けているせいだろう。  ところが、戦記物になると、そう他人行儀というか、お高くとまっていられなくて、一機よく十数機を向うにまわし、横転、逆転、宙返り、たちまち敵機の背後にせまり、翼のつけねめがけてダダダダと二十ミリ機銃をうちこめば、みるみる敵機は火だるまとなってまっさかさま、というような文章を眼にすると、ずい分調子がいいと思いつつ、なにしろ味方は一機なんだから、どうにだって粉飾できる、しかも筆者自身が「私は思わず会心の笑みを浮べ」なんていうくだりで、けったくそわるくなるのだが、庄助自身かえりみると、同じようなことを犯している。  庄助は、よく空襲や焼跡のことを書くけれど、そしてそれはたいてい小説だからいいようなものの、時に、実録風なものを求められると、かなり自分で観た、あるいは経験した以外のことを書く。たとえば、落下音が鳴りひびいて、思わず溝《みぞ》に体をふせると、その鼻先の道路に、何十本となく焼夷筒《しよういとう》が突き刺さったなどいうくだりはお得意なのだが、実は五、六本だったし、焼跡で眼にした焼死体だって、ずい分人からきき、また写真にたよって書いていることが多い。  戦後二十四年もたつと、なんらかの形で記憶は歪《ゆが》んでしまうので、特に戦争にまつわる特異な体験は、その後の、生きのびた日々の垢《あか》の如きものがつけ加わり、ずい分実際とは異なって、むしろ当然なのだろう、たとえば、終戦時に十五歳だった少年航空兵の戦記というものが評判になり、そして、その年では華々しい空中戦に参加するはずがないと、実戦経験者から抗議されたけれど、まあ、庄助の年齢なら、その嘘はすぐにわかる。終戦時に十五歳なら、まず積極的に戦うことは不可能であって、少年飛行、通信、戦車兵は、高等小学校卒の資格で入れたが、十五歳といえば入校して一年半しかたっていない、陸軍幼年学校、海兵予科も中学二年修了だから同じことで、予科練は中学三年修了で、入校以後半年足らずで終戦を迎える。  なんとなく老いも若きも、第一線に駆り出されてチャンチャンバラバラやったように思われるけれど、昭和四年生れは、まず間に合わなかったのだ、にしても、この往年の少年航空兵が、多分、架空であろう戦記を書いた気持はよくわかる。庄助自身、戦後すぐ、予科練がえりを自称して、「腹が減ってなあ、ミカンの皮まで食べたものよ」などいえば、無条件に尊敬されたし、いまだに庄助は、前の、間に合わなかった戦争について、庄助自身の戦記を思いえがくことがある。夜間戦闘機「月光」を駆って、大阪湾上空に侵入するB29を、下方より反転しつつ斉射してみたり、斜め上から逆おとしに射かけたり、まるっきり経験がなくてこうなのだから、地上にあってつぶさに空中戦をながめ、先輩たちの武勇談をきかされていれば、知らず知らずに、自分が修羅場《しゆらば》をへてきたような気にもなるだろう、そして、現在の如き、上っ調子な戦記ブームをみているうち、つい書きたい気持を起しても当然だと思える。  こういうのは、何の罪に該当するのであろうか、庄助の考えでは、今更、何機撃墜を誇示しようと、べつだん花にも実にもならず、そして他の戦記ものだって、どこまでが本当か証明する方法がないのだから、空中戦の実体をおもしろおかしく読物風にまとめたなら、虚実とりまぜそれでいいではないかと考える、すくなくとも盗作ではないのだから。  実をいうと、庄助は過去に一度、盗作をしたことがあり、それはTVのミステリー番組においてで、今から十年ばかり前、TV界に空前のミステリーブームが起って、どの局も二つ三つこの種の番組を持っていた。当時、庄助は音楽番組構成者で、これはドラマの脚本家と比較すれば、ランクが一段落ちる、台本料だって半分だし、通称「センカキヤ」といわれ、それは原稿用紙に定規で線を引き、歌手の唄う曲名と、つなぎのコントを書くだけだったからだ。  なんとか脚本家になりたい、しかし、ホームドラマは常連でかためているし、日曜劇場というような大番組はくいこむ余地がない、穴はミステリーで、たいてい連続ながら、毎週読み切りの形をとり、となると限られた常連では|ねた《ヽヽ》がつきるから、新人に門戸開放し、まずプロットを出させて、おもしろければ脚本もまかせる、ここで二、三本採用になると、まずドラマへ移る手がかりができたわけで、庄助、毎週のようにプロットを提出し、いっこう入らない。こうなると意地で、しかも、他人にも「今、ミステリー劇場の台本書いてる」などしゃべっちまったから、その面でも具合がわるい。  あげくのはて、六本木の古本屋で見つけたアメリカ探偵小説雑誌三冊を、その発行日がはるか以前であることをたしかめた上で、人にみつくろって訳させ、それをさらにいくらか直して、ディレクターにみせると、たちまち三篇とも採用になったのだ。この時の、不安ともなんともつかない心境は、盗作特有のもので、いよいよわが名前が、ドラマの脚本担当者としてブラウン管に出る、友人知人にふれまわりたい気持と、それは同時に、盗作の露見につながっている、三本のうちとりあえず一本を書くことになり、こっちはなるべく原作から離れようと細工する、すると不自然になり、書き直しを命ぜられる、ディレクターのいいなりにすれば、まごうかたなき盗作となるから、人物をふやしたり、主人公の年齢をせめてかえると、やはりおかしい、とうとう原案だけ庄助ということになって、脚色を別人が担当、それはTVに登場し、アパートの部屋でながめていると、ストーリーはことこまかな点まで、原作に一致し、指摘されたら、まったくのがれようはなかった。  それから十日間くらい、新聞のTV評が怖いし、局に電話がなかったかと気になり、顔出しできないし、原案料八千円もらったって生きた心地はなかった、同じようなことを考えた男がいて、庄助の盗作より三月後に発覚し、その脚本家は以後失脚し、番組もつぶれてしまったのだが、庄助の場合は、ただ幸運だっただけだろう。  オンエアされたらそれでおしまい、後に残らぬTVですら、これだけ怖《おそ》ろしいのだから、これが活字となれば、たとえ週刊誌でもほぼ永久に残るわけで、盗作者の心情たるや、なんとも切ないものだろうけれど、それにしても、年に二度や三度、れっきとした小説から、応募の短歌、俳句、短文にまで、盗作さわぎが起り、話題となる。  庄助自身、さすが小説を書きはじめてから、盗作の心を起したことはないが、しかし、まったく何を書いていいのかわからない時、どっかにすばらしい才能がいて、代筆してくれないかとは、よく考える。この場合は、代筆者の作品が世に出てないのだから、社会的制裁は受けないだろうが、まあ、盗作と同じことで、さらに卑怯《ひきよう》なことかもしれない。また、同じ時に、敬愛する作家の小説を、ぱらぱらとながめて、別にヒントを得るというわけでもないが、ははあと納得することもある、そしてやはり、似たような描写や、あるいは人物の性格が庄助の作品にもあらわれ、これも盗作なのかもしれず、少し長い小説の場合、にっちもさっちもいかなくなると、しばしばこの手を使って、「ははあ、これでいけばいいか」など、ひそかに行なっているのだ。  盗むという行為は、たいてい割にあわないものだが、盗作ほど、そのはなはだしいものはなくて、これが、同じ盗むでも、女性となると一盗二婢三|妾《しよう》四妓五妻と、筆頭にあげられるほどに、むしろ賛美され、盗まれた夫はコキュとして、いやしめを受ける。庄助も人なみに女好きであるが、五番目の妻はあっても、妓などとても手が出ないし、妾《めかけ》を持つことも考えられぬ、婢にいたっては、男まさりで、ちょっかい出そうものなら、半殺しの目にあいかねず、そして古来、女中に手を出すというのは、かなり勇気を必要とするのではないか。  庄助の子供時分には、よく女中の子というのがいたけれども、現在では妾持つことより考えられず、実行すればかなり尊敬されるだろう。つまり、心ならずも女性を狙うなら、未婚の堅気をのぞくと、盗におもむかざるを得ず、そしてこれは銀行みたいに安全でもある、相手だって、家庭を捨てる気持はないのだから、まといつかれなくてすむし、女性というものは、男よりはるかに図々しくて、たとえ浮気しても亭主の前で、いささかもたじろがないらしいから、ばれることもない、男なんてあわれなもので、妻以外の女と寝た後は、ポケットをあらため、移り香に気をくばり、髪の毛にへんな寝ぐせつきはしなかったか、思いがけぬ部分にキスマークがないか、戦戦恐々としてびくつくから、たちまちあらわれてしまうが、その点、女性は動じない。  庄助の学生時代、同じ素人《しろうと》下宿に泊る男が、その内儀と通じていて、同じ屋根の下にいながら、亭主に毛ほどの疑いを抱かせず、炬燵《こたつ》に入り、亭主の前でひそかに脚などからませつつ、うわべは「お父さんも毛がうすくなったわねえ、昆布茶《こぶちや》飲むといいわよ」さも気づかうそぶりでいい、実にしれっとしていた。しかも、現在は、女房族暇をもてあまし、慢性的な欲求不満にもだえているらしいから、狙うなら盗にかぎる。  そのチャンスないわけではなくて、庄助のもとに深夜、電話がかかり、相手はもだえる人妻で、「私が今、どんな姿でお話してるかおわかりになる?」などいう、わかるわけもないが、そうきけば想像がつき、適当に受けこたえしていると、しだいに息が荒くなって、「いいかってきいて、ねえ、いいかっておっしゃって」と切なく訴え、そんなこといわれても、こっちは締切りかかえて呆然としているところだから、馬鹿々々しくて切ってしまう、するとすぐにベルが鳴り、一分間だけなんでもいいからしゃべれといい、こういうのをテレフォンセックスと称するのだそうだ。  つまり、先様《さきさま》はあやしげな指づかいしつつ、受話器を耳にしているので、時には男の声のひびくそれを、もっとも敏感なあたりに押しあてることもあるそうな、まあ、いい面の皮だが、以前、プレイボーイと買いかぶられていた庄助を、色の道のベテランとみてか、「もしもし保坂さんですか」「はい」「私、家庭の一主婦ですけど、よかったらおつきあいいただけませんか」なんて申しこみが月に一度くらいあり、最初はおもしろ半分にのこのこでかけてみた、約束の場所は池袋の喫茶店で、黄色いセーターが目印とのこと、すぐにわかり、先方もこちらをみとめた様子だから、向きあってすわると、開口一番「私、社会見学をしたいのです」下三白《したさんぱく》の眼でいい、齢の頃は二十五、六。ゴーゴーでも踊りたいのかと思うと、ずばり温泉マークを希望して、庄助決して据膳《すえぜん》食わぬ人柄でもないのだが、いやな予感があり、いちおう断わった。後でこのことを年長の小説家に話すると、彼女は有名な色気違いで、軒並みに電話をかけているとのこと、胸なでおろしたのだが、また、こういう経験もあって、それは芸能プロダクションの社長が、男に飢えきっている人妻を紹介するといい、ものはためし会ってみるとかなりの美人、社長はお互いを引きあわせるとすぐ席を立ち、二人残されて話のつぎほもない、バーで酒を飲み、女はあまり強くなくてすぐに酔い、くどくどと身の上話をはじめ、よくきくと、女は社長のれっきとした妻なのだ。  亭主の女遊びが激しく、いっこうにかまってくれないから、睡眠薬自殺をはかって、どうにか助かったその枕元で、「お前も男あそびすればいいじゃないか、子供も三人いることだし、別れるより、お互い今のままで、自由にあそべばいいだろう」亭主は真顔ですすめ、自らすすんで、女房の相手役を見つけては押しつける、家にもどれば、しごく当り前の夫婦、よき両親で、すでに二年近く、女房もすっかりなれてしまって、好みのタイプを亭主につげるという、なんともすさまじいから、庄助辞退したのだが、世の中かなり乱れているようで、しかしフランスの心理小説にあるような、人妻はなかなか見当らない。TVのモーニングショーにでてくるのは、みな、臼《うす》の如き腰つきだし、主婦相手の講演会などで、さりげなく観察してみても、これぞとめぼしい|たま《ヽヽ》はいない。  かつての人妻は、簡単に離婚されたから、結婚して後も、緊張感に満ち、身づくろいにも心くばったものだが、今は永久就職とやらで、たちまち肥り長ズロースなど身につけ、それでいて性欲ばかり昂進《こうしん》させているのでは取柄がない、庄助は残る盗すらも、今度はこっちでお断わりの有様を悲観していたら、妙なきっかけで、まずは理想的といっていい人妻と知りあい、それは盗作がとりもつ縁であった。  二月ばかり前に、水茎《みずくき》の跡うるわしい女名前の手紙がとどいて、文面は、庄助の小説が盗作されているというのだ、庄助の文章はかなり風変りだから、そのままではすぐに目立ち、だからその光栄というか、脅威といえばいいか、盗むくらいだから、すくなくとも盗作者は、その文章を上等なものと認めたにちがいなく、それなら光栄だし、また考えれば、気軽につかわれてしまうようでは、ちと不本意な気もする。びっくり仰天して、指摘された、それはきいたことのない同人誌の小説だったが、手に入れて調べてみると、なるほど助詞をとっぱらって、ぐたぐたと長い文章、しかも闇市を書いているから、似てないでもないけれど、はっきり別物とわかり、そのむね返事を書いた。  折返し、早合点を詫《わ》びる手紙がきて、お暇な時に、お食事でもさし上げたいとある、また、庄助の小説をよく読んでいるとも書かれていて、女性の読者はすくないから、有頂天になり、近刊の一本を捧げると、今度は、日時場所を指定して招待され、それは築地の有名な料亭であった。忙しければあきらめるが、とにかくそこで待つとあって、庄助、相手の正体不明ながら、参上すると、三十六、七歳のすこぶる美人、料亭のお内儀とも顔なじみらしくて、装いにも金がかかっている、庄助のっけから圧倒され、ろくに口もきけぬまま、その日は御馳走になり、別れぎわに、またの逢瀬を約束させられ、頬つねってみたい気持で、まさか色気違いではあるまい、新手のゆすり、それとも手のこんだ悪戯《いたずら》と、あれこれ思案して、まず心配はなさそうだった、問わずがたりに、女は結婚して子供が二人いるといっていたし、主人は出張が多いらしい、つまり、夢にまでみた盗ではないのか。  二度目は庄助が銀座のバーをおごり、赤坂のクラブでゴーゴーを踊り、はじめてだといっていたが、たちまちリズムにのって、しごくなめらかに体をくねらせ、運動神経のいいことは、そのハンドルさばきにもあらわれ、女の運転する車はベンツスポーツカーだから、深夜、ダンプカーなど、幅寄せしてくるのを、巧みにすり抜け、逆にその鼻先でいやがらせをしたりする、庄助は、ひょっとしてダンプの運ちゃんが車をわざとぶつけ、となると男である以上やり合わなければならぬから、はらはらしたが、女は気丈で、かなり口汚なくののしりもする。  そのくせ、おそろしく本を読んでいて、娯楽、文学を問わず、発行される小説雑誌すべてに眼を通し、さらに同人雑誌やら各種業界誌もとり寄せていて、よく男性には読み魔とでもいうしかない、活字の鬼がいるけれども、女性では珍しく、それだけではなくて、記憶力もいいのだ。庄助の発表した小説の、月号をはっきり覚えているから、それだけ熱心な読者なのかとよろこぶと、庄助にかぎらず、雑誌丸ごと頭に入れているので、それはいささか異常なほどだった。  三度目に、亭主が香港へ行って留守だからと、上野毛の、その家に招かれ、亭主はいくつもの特許をもつ技術者で、年が二十一歳ちがう、小学校二年と幼稚園に通う娘がいて、これは二階に寝たあと、趣味はよくないが、金のかかった家具調度の客間で酒を飲み、となると、お互い先ゆきがみえていて、逆にぎごちなくなる。 「私の書庫お見せしましょうか」女がいい、かなり広い庭の、離れのような建物がそれで、スイッチを入れたとたん、庄助はめまいに襲われ、書庫というより、十坪近くあって壁いっぱいにならんだ棚、すべて雑誌で、整然とならんだその色の具合は、かなり異様な印象、ふつう雑誌はたいてい積み重ねておき、単行本のようにはならべない、ところがここには小説雑誌の他に、婦人料理デザイン建築から、週刊誌まで、きちんと背をそろえていて、一冊のハードカバーもない。読み捨てて、後はトイレットペーパーと交換が当り前なのに、何とも面妖《めんよう》な気がし、「昼間はね、たいていここで小説、読んでるのよ」「これ全部?」「ええ、本屋が直接この部屋まで運んでくれるの」読書好きというのもへんだし、何故、単行本を読まないのか、きいてみたかったが、それもはばかられる、一種のマニアなのだろう、昭和三十一年からのバックナンバーが見事にあって、「つまり、この年に結婚したわけ?」「ううん、結婚はもっと後よ」「近頃のように、雑誌がふえるとたいへんでしょう」「そんなことないわ、楽しみが多いもん」「だって、まあ似たような筋だったり、そうかわりばえもしないしなあ」庄助、こう熱心に雑誌を読む人がいるとは思いもよらず、なにやら申しわけない気持でつぶやく、月に五、六百枚もつづけて書いていると、自分では気づかないが、まったく同じことを、したり気に二度三度くりかえしていて、たまに古い作品を読みかえし、赤面することがある、常套《じようとう》文句のようなものも、目立つのだ。  ふたたび応接間にもどり、庄助、何気なく耳に指を入れてかいていると、「とったげましょうか、私、うまいのよ」今時、珍しい竹の耳掻《みみか》きを小|抽出《ひきだ》しからとり出し、庄助のかたわらにすわり、頭をその膝《ひざ》にのせるようしめす、とんだ色男ぶりと、従いつつも、ふいに主人がかえってきやしないか気になり、しかし、女の指さばきは清国人《しんこくじん》耳掃除風にうまくて、酔いのせいもあり、うとうとしかける、「ねむっちゃ駄目よ」そのつど耳たぶをひっぱられ、「おたくの旦那、よほど耳垢がたまるらしいね」「おういやだ、亭主になんかしてやるもんですか、ほら、こんなに大きいの」とり出した耳垢を、庄助の手の甲にならべ、「それにしてはうまいねえ」「趣味なのよ」よくよくかわった女で、雑誌のコレクションと耳掻き、また、ふっと寝入りそうになった時、「前の亭主がね、やたらと耳掃除させたのよ」  年がちがうのも道理で、お互い二度目の結婚、今の亭主とは、銀座のクラブで、女がそのレジスターに勤めている時に知りあったという。 「前亭とはどうして別れたの」「死んだんだもの」あっさりいわれて、庄助、話のつぎほを失い、だが女は急に口数が多くなって、「彼は保坂さんと同業だったのよ」「物書き?」「といえるかどうかわからないけど、とにかく小説書いてたわ、保坂さんより、五つくらい年上かな」「なんていうの」「名前なんかまだ知られてないうち、死んじゃったもの」淡々といい、「でも、Oさんと、それからP誌の古い編集者なら知ってるかもしれない」  O氏もまたP誌も、庄助つきあいのないではないから、ふとたずねる気が起って、それをさとったのか「だまっててよ、かわいそうだもの」女が制し、「どうして、保坂さんにあんな手紙出したか、おしえましょうか」耳掻きの手をとめ、庄助の体を起し、ウイスキーをあたらしくする。女と、前の亭主は大学の同窓で、亭主の主宰する同人誌に、女も一時、詩を寄稿し、その縁で結ばれたという。  結ばれたといっても、正式の結婚ではなく卒業しても就職せず、家庭教師のアルバイトを続け、かつかつの暮しで、たゆまず小説を書く男の下宿に、九州の旅館の娘で、比較的豊かに送金のある女がころがりこみ、同棲《どうせい》したので、半年は家にばれなかったが、やがて噂《うわさ》が九州にとどき、父が上京してきて、ふしだらな生活つづけるなら、金を送らないと宣告し、もとよりそれは覚悟の上。  だが、家庭教師の収入では、二人の食扶持《くいぶち》まかないきれず、男はセールスマン、月掛け建築の勧誘員、土方に近い仕事までして、まだ大学へ通う女も、本屋のアルバイト店員、封筒宛名書きで、いくらか足し前をしたが、とうてい男の小説書くゆとりがなくなる。これまでは、女の登校した留守に執筆し、でき上った分を、あるいは読み上げ、また、だまってさし出して、いちいち批評を求めたのだが、昼間、男が勤めるようになると、なにせ四畳半一間に夜鼻つきあわせ、男は苛立《いらだ》つし、それをみている女もつらい、なにしろ小説が大事だからと、女は夜、近くの駅前喫茶店に、一石二鳥つまり金と、男を一人にさせるため勤めにでて、その服装さえ月賦でどうにかととのえる逼迫《ひつぱく》ぶり。  夕方から、夜十二時まで勤めて、日給四百円だったが、はねる頃になると、男が迎えにきて、つい帰り道のおでん屋や寿司屋に寄り、すると寝るのは午前二時、朝、男が勤めに出かけた留守こんこんと眠って、学校がおろそかになる、そこへ、気をつけたつもりだったのに、妊娠し、はじめてだから、うろたえてばかりいるうち、岩田帯に近くなり、とうてい産むわけにいかず、といって中絶する費用もない。 「仕方がないから、近くのアパートに、新宿で飲み屋やってる人がいてね、そこに頼んでお金借りたのよ、体がもとにもどったら、働いてかえすからって」中絶料は、タクシー代も含めて五千八百円かかった、男は処置のあと、ずっとつきそっていて、「なあに、そのうち必ずとってみせるから」と、文壇新人賞を口にし、女も、当時それがあたり前のことのように思って、強がりとは考えず、「あなたは小説だけ書いてりゃいいのよ、私が稼《かせ》ぐから」もはや大学は捨てるつもり、そして中絶してしまえば、なにやらふんぎりがついた気持で、その気になれば一日に千円や千五百円は、バー勤めで稼げるはずだった。  約束通り、新宿の飲み屋で働いて借金をかえし、衣裳《いしよう》ととのえるゆとりのできたところで、歌舞伎町のクラブへ移り、給料の他にチップを入れると、月四万円になり、少しは書きやすいようにと、六畳間にうつって、古物ながら机も買い、途絶えていた同人誌も発行した。 「新人賞なんか、なければいいと思ったわ」女がいい、つまり、夏と冬にあるその発表の前後になると、候補にさえ推されていないのだから、苛立っても仕方がないのに、悪酔いをし、ある時は盲腸にさえなった、「新人賞性盲腸よ」けらけら女は笑っていう。 「保坂さん、編集者を拝んだことある? 彼も私も、本当に平伏しちゃったわよ」それは思いがけずに、名の通ってない経済専門誌から、雑文の注文がきて、そのドアがノックされ、名刺をうけとった時、まさに地獄で仏の思い、一枚二百五十円で月に八枚だから、女の一晩の稼ぎにもあたらぬながら、男はみちがえるように張切って、はじめて原稿料をうけとった時、女の眼からも、とてもそれが同じ千円札にはみえなかった。神棚があればそなえたい思いで、その半年目に、いいことは続いて、同人雑誌評で男の小説が賞められ、かなり権威のある雑誌から注文を受ける。 「毎晩、徹夜で机にむかってるでしょ、早く帰っちゃわるいと思って、深夜喫茶で時間つぶししてね、暁方近くもどると、机につっぷしたまま寝てるのよ、同人雑誌に書くのと、注文受けるのとじゃ、ずい分ちがうらしくて、みるみる痩《や》せこけちゃったみたい」それだけではなく、筆のすすまぬ焦りが、心をつかっておそく帰る妻への疑いとなり、バーの店閉《みせじま》いの時刻になると、その表で待ち受けたりする、女がいくらか酒気おびていると、いや味をいい、客にさそわれ、よんどころなく寿司を食べにいけば、後をつけて、折角、土産に包ませたその折を、部屋にほうり投げ、「つい、こっちも売り言葉に買い言葉よ、なにしろ若かったし、キャアキャアヒステリー起しちゃってね」「それで、書けたの小説は」「一度目はキャンセルっていうの、返されたわ」  男はすっかり沈みこんで、一字も以後書かず、「私だって、ついお店の人にいっちゃったでしょ、今度、彼が小説を発表するから読んでくれなんてさ、体裁わるいから、やいのやいのいったのよ」すると、男は、妙に落着いた声で、まああわてるな、わからん奴にはわからんのだと、ふてぶてしく返事をし、編集者から、その後、手紙が来ても、開けて読もうとしない、「きっと、もう書かなくていいなんて、お断わりをいわれたんじゃないかって怖かったのね、私が読んでみると、まるでそうじゃないのよ、むしろ励ましてくれてるんだし、そういうと、本当に生きかえったようによろこんでね」しかし、一字もすすまないことは同じで、いっそこれなら、注文受けない前の方が、よほどよかった、雑文でささやかながら原稿料をもらい、自分の書きたい小説を、同人雑誌に発表し、|ひも《ヽヽ》にはちがいないが、安定していたのに、注文以後は、雑文も断わってしまい、年中不機嫌で、そのうち、女の勤めるクラブへあらわれ、その|つけ《ヽヽ》で高い酒を飲みはじめる、女が文句をいうと、「これも取材だよ、少しはいい酒も飲まなきゃ、小説など書けやしない、結構たのしそうにやってるじゃないか」人の苦労も知らずにのほほんといい、マダムは、悪い男にとりつかれてるとみて、別れるよう本気ですすめ、しかし、酔いがさめると、今度はうってかわりしおらしくなって、どうやら一人アパートの部屋にいることが、耐えられない様子だった。 「私、水商売ってそんなに好きじゃないしね、いくらか貯金もできたから、お店やめて、彼と旅行に出かけたの、どっか山の奥の宿屋で、二週間くらいいたら、とっかかりくらいできるんじゃないかと思って。一人でいけったら、邪推するから、くっついて長野へ出かけて」男の身のまわりの世話をし、机にむかうと、こっそり表に出て、近所の子供たちとあそび、秋の頃で肌寒い空気と、まだらな山肌の紅葉が、いかにも傑作を生むにふさわしく思えた。「八十枚ほどだったけど、五日間で書き上げて、久しぶりに、朗々と読んできかせたわ、いいのかわるいのか判らないけど、うれしくてね、二人で抱き合って泣いちゃった」推敲《すいこう》を重ね、予定より早く東京へもどって、まだ手を加えたそうなのを、なだめすかすように、郵便で送り、三日後、速達がきて、それは口をきわめて、作品を賞める言葉がつらねられていた、まだ金のゆとりがあったから、勤めていた店の同僚をよんで大盤振舞いし、「えらくなっても、知らん顔しないでね」「これからは先生だもんね」「奥さんつれて飲みにきてよ」気のいい女給たち、口々にいい、祝福される二人はただ顔見合せて笑うだけで、しとど酔っ払い、一作売れたからといって、生活の成り立つわけではないから、女は喫茶店へ戻り、そして、男の小説の掲載された雑誌の、発売後一月たったある日、アパートへもどると、男が編集者と向きあい、ただならぬ雰囲気《ふんいき》で、むっつり押しだまった編集者の前に、男はうつむいたまま頭を上げず、きけば、三年ばかり前、さして有名ではない雑誌に発表された作品の一部を、そのまま小説につかった疑い、というよりあきらかな盗作で、「どうも困りましたなあ、こっちもうかつだったんだけど」編集者も、ほとほと当惑気にいい、「読者から投書がありましてね、よく読んでる人がいるんですよ、魔がさしたのかなあ」あまりしおれきった男の姿に、あわれもよおしたかややとりなす口調。そのまま帰って、翌日とにかく迷惑かけた雑誌に謝罪しなければならぬ、霜の一面に降りた朝で、女はふと、男のオーバーが質屋に入ったままなのに気づき、いそいで受け出して、その肩に着せてやった、ごつごつした骨が手にあたり、お互いまったく口をきかないでいたのだが、「しっかりあやまってらっしゃい、いいわね」まるで、教師に詫びる子供送りだす如く、女はいい、男はこっくりうなずくと、妙に前のめりの感じで歩いていった。 「それから私、雑誌が気になりはじめたのよ、今までに三つ見つけたな、盗作を」「見つけてどうするの」「保坂さんに出したような手紙を書いてね、返事がなければ、編集部にも出すわ」男は、その後、身も心もなえ果てた如く、最後は腎臓《じんぞう》を患って、風船のようにふくれたまま死んだという。  酒に、いくらか酔ったのか、女は庄助に身をもたせかけ、いかにもふれなば落ちん風情となったが、庄助、背筋が寒くなり、女の、いささか筋ちがいだが、盗作発見にかける執念もさることながら、その、ところどころ紅葉のみえる山あいの宿で、男は何を考えていたのか、どんな具合の盗作だかわからないが、必ずしも、それを盗用しなければならぬ必然性はなかったのだろう、自信がないから、すでに活字に固定された他人の、いかにもゆるがぬ文字を、つい使ってしまったのではないか。  それは、献身的につくしてくれる女のためか、あるいは、編集者への見栄《みえ》か、あるいは自己満足かもしれぬ、たとえ他人の文章をかりてでも、自分の名による小説を、発表したかったのだろう、庄助もついせっぱつまって、まことに不本意なまま、作品を手渡すことがある、書き上げて後に、不快感が残るのは、つまり自分の才能にうぬぼれているからで、ある程度自分を知っていれば、まあよく書いた方ではないかと、むしろいい気持になれるのだそうだが、どうも、それとはちがって、とにかく締切りをやり過そうとして、書くことが、ままある、女の、前の亭主も、先はどうでもいい、現在だけ、女房の前で、できた書き上げたと、胸を張ってみせたかったのか。  編集者が見のがせば、雑誌の発売日まではのんびりしていられる、しかし、その店頭にならんだ瞬間から、とてつもない煉獄の日々だったろう、「ばれたらえらいことになるって、心配しなかったのかな」「全然、そんな風に見えなかったわよ、今に流行作家になったら、軽井沢に別荘買ってとか、京都の古いお寺を二人でまわろうとかいってたし、それに、すぐ第二作を書かなきゃって、きちんと机にむかってたし」女は、ますます体を庄助に寄せ、手をとって胸にあてがう、「その第二作が傑作だったら、どういうことになるのかなあ」「駄目よ、才能がなかったんだもの」果してそうなのか、盗作者だって名作を書くかもしれない。「帰ってきてから、何をしゃべった?」「帰ってって?」「雑誌社へ謝りにいって」「その晩は帰ってこなかったわ」「酔いつぶれたの」「ううん、なんだか一晩中、隅田川のそばをほっつき歩いてたんだって」  折角、盗のまたとないチャンスに恵まれながら、ひどい話をきかされるもので、庄助、男の心境を思いやり、決して川へとびこむつもりなどなかったにちがいない、ただ、いかにも自殺者の如き、いわば演技をすることで、わずかに心をなぐさめ、それをただ一つの弁解として、女のもとにもどってきたのだろう、卑怯未練といえば、またこの上ないけれども、庄助どうも他人《ひと》ごととは思えず、自分もひょっとすると、女房、いや庄助の場合は子供がいる、子供が何も知らずに、紅葉のような手をふって、「パパ、いってらっしゃい、しっかりね」と送る言葉を背に受けて、とぼとぼ霜の降りしきる道を歩くわが姿が眼に浮び、とんでもない話だ、ああ桑原々々、あわててふり払い、女のさそいに応じてその体ひき寄せ、ソファから絨緞《じゆうたん》にころげおち、重なりあったのだが、うっかり抱くと、前亭の怨念《おんねん》のりうつって、それこそ魔がさしはしないか、そして、この盗作探知女に密告されるのではあるまいか、息荒げる女体組敷いたまま、庄助怖ろしくなる、なんにしても、盗はきびしいことである。 [#改ページ]   第十話 ざこね  保坂庄助が、同業者、友人と会い共に語るといえば、それはたいていバーか、何かにかこつけたパーティである。バーでいうと銀座、四谷が多くて、回遊魚の如くに、決った店から店へ飲み歩く、あるいはパチンコの玉といった方がいいかも知れぬ、銀座の高級バー「H」にはじまれば、「S」を通過して、「E」から新宿の「S」、また「M」から飲み出したなら、「L」「S」経由「E」留りと、ほぼルートが決っている。 「H」は、地下一階と二階に分れていて、たいてい地下一階にとぐろをまき、ここなら一種のボトルクラブ制で、そんなに高くはない、つまり、瓶《びん》一本いくらで買って預け、それを飲む分には、余計なお金が要らないのだ、氷とつまみはサービスで、ホステスはつかない。よく文壇著名の士もいらして、その場の雰囲気は、著名人の気質によって左右されるようで、文壇随一の美男作家があらわれると、造りはしごくモダンなのに、たちまち艶冶《えんや》とでもいうべき遊里の気配が支配し、元海軍大尉がいらっしゃれば、一変して戦艦大和のガンルームの如くになる、こういうのを貫禄と称するのであろう、庄助がどう気取ってみても、いっこうに、そのムードが漂い、あたりに焼跡の臭いただようとはまいらぬ。  とにかく「H」で飲む時は、高級バーのイメージに押され、かなり緊張している、かりにホステスをはべらせたって、こっちが幇間《ほうかん》よろしくサービスしてしまい、というのは間がもてないのだ、泰然自若として、低くうなりながら美女の酌で酒をくむといった芸当は不可能で、はなから最後までしゃべりまくり、笑ってくれれば、ようやく心が落着く、だから友人とこういう場所で飲んでも、まとまった話などできやしない。風《ヽ》の如くあらわれ、林《ヽ》の如く酒瓶ならべて、火《ヽ》の如くしゃべり、山《ヽ》の如き疲労をかかえて表へ出るのだ、つづいての、「S」は、汚職道路ともいわれた、高速道路の下にあって、銀座には珍しく午前二時まで、店をあけている。  すでに閉ったシャッターの、ちいさなくぐりを抜けて、一直線にのびた商店街の中ほどに、「S」のネオンが輝き、たいてい人っ子一人いない、ちょいと映画のシーンの如くで、ここはマダムと、その息子が切り盛りし、庄助たちのあらわれる時間に、客はいないから、まあ、文壇誰かれの悪口をいっても大丈夫である、ようやく胸襟《きようきん》を開いて人生など語り合えるかというと、そうでもない、「H」で緊張していた反動があらわれ、猥歌《わいか》唄い出したり、また寝こんでしまったり、あるいは喧嘩《けんか》に近い議論がはじまり、みな酔っぱらってるのだから当然としても、ただ、だらしなくつぶれて、しかも、家の遠い連中は帰りを心配しはじめる。泊るなら泊るでいい、しかし、その覚悟決める何十分かが、女房持ちの、悩み抜く時間で、そわそわしはじめる、もう少しいたいが、女房のふくれっ面もみたくない、第一今からじゃタクシー代がかかってたまらないし、電話をするか、しかしまたいや味をいうだろう、酒がまずくなる、ここにいる誰一人、家のことなど気にしていないようで、自分だけが電話するのも沽券《こけん》にかかわるし、うーむと、お互いさま口にこそ出さね少々酔いの覚める思い、第一、泊るところがない、新宿の「S」にはちいさな座敷があって、よく仮眠むさぼるが、座布団だから翌日体が痛い。  たいてい三時くらいに四谷へもどり、「E」で五時までを過し、それから朝帰りということになる、これを客観的にながめれば、ほぼ十時間近く、バーの、しごくすわり心地わるい椅子に身をまかせているわけで、酔いよりも、こっちの疲労で、翌日ばてるのではあるまいか、酒なしにこんなこと強制されたら、二時間ともつまい、腰が痛くなって。  そこで庄助は、一間アパート借りることを思いつき、それは新宿「S」における雑魚寝《ざこね》の経験が、しごく新鮮に思えたためでもある、そこで潰《つぶ》れてもいい、ねむくなりゃどたりと横になってかまわないと思えば、しごく気楽だし、また、翌日昼近くにのろのろお互い起きて、みなハングオーバーのしかめ面、「いま何時頃ですかなあ」「ぼくは昨日、大分酔ったらしいねえ」まぶしそうにいい、そして、「ひとつ迎え酒といきますか」すっかりとけてしまった氷の水で、飲み残しのウイスキーを割り、なにやかや世の行く末について語りあう。  こういうのは、よく知らないが、あるいは自然主義的、あるいは少々破滅的人生に近いのか、とにかく、かなりウエットな関係であろう、だが庄助、優等小説あるいは遊蕩《ゆうとう》小説とも縁がうすく、じくじくと体臭のこもったせまい部屋で、お互いぼやきあってるのが好きなのである。「もういい加減に新人賞くれんかなあ」しみじみつぶやき、寝がえりをうったとたん土間におっこちた小説家や、離れ島に移って小説を書くと宣言し、壮行会まで開きながら、さっぱり腰を上げぬ物書きの肌合いがなつかしい。  一間借りておけば、地方からの客もホテルへ泊ることもないし、ここで飲めば安上りでもある、なんなら温泉マーク代りに使ったっていい、庄助は、小説集の印税を女房に内緒でうけとり、この小切手を「H」で現金に替え、部屋探しにとりかかって、思えば、何年ぶりだろうか、不動産屋めぐりも。学生時代は、自分の借りただけで二十六の下宿があり、友人のそこに転がりこんだのを入れると、三十五箇所に移っている、だから東京の、風呂屋と質屋、今はいずれも斜陽の商売だが、まことに詳しいのだ。自分で稼ぐようになってからも、四谷若葉町、新宿柏木町、飯倉片町《いいくらかたまち》、四谷愛住町、三河台町、竜土町《りゆうどちよう》と引っ越しし、それはいずれも四谷近くの不動産屋の手引きだった。以前の不動産屋というと、しごく柄がわるくて、夕刻など、その表に二、三人突っ立ち通行人をにらみすえていたりしたものだが、そのくせ、えらくしつこく物件を紹介したけれど、現在は逆だった。たいへんに物腰おだやかな紳士ぞろいで、しかし、不親切なのだ、めざすアパートへの案内も、「ぼくはちょっと手が離せなくて」とか、「車の調子がわるいんだ」とか、昔は案内した男が、手数料の歩合をもらって、だから先を争ったのだが、今は給料制らしい。  条件は、夜おそくまでしゃべっても近所迷惑にならぬことと、できれば風呂電話付き、北風にさらされようと、西陽がさそうと、それはかまわない、場所は四谷近辺で、庄助一人の判断でも不都合があるだろうから、TVプロダクション社長につきそってもらい、どうせ、そこで生活するわけではないから、しごく気楽に、四谷二丁目近くの、新築アパート二階の一間を決め、その日は日曜日だったから、すぐ友人知己に連絡すると、みなはせ参じて、さて、生活必需品をととのえなければならぬ。  部屋は六畳とダイニングキッチンで、流し、ガス台、瞬間湯わかし器、風呂、電話がそなわり、床の間もある。「家に屏風《びようぶ》がありますから、それを持ってきましょう」まず見まわしてこういったのは、中学教師であって、「これじゃ玄関入って、すぐ寝床がお見通しになってしまう」「掛軸がいりますなあ、それに花器のいいのを一つ」元ラーメン屋がつぶやき、その発想は、庄助とまるでちがう。庄助はまず布団、それに丼《どんぶり》をいくつか、どうせ飯をつくるといっても、跡片づけなどできないから、即席ラーメンだけ置けばいい、石鹸《せつけん》、トイレットペーパー、電球、バケツ、ごみ入れ、洗剤、やかん、急須、湯呑み、灰皿、卓袱台《ちやぶだい》、雑巾、電気冷蔵庫は必要か、座布団は何枚と、しごく実用向きなのに、彼等はちがう、「カーテンがいるねえ、すだれでもいいか」「風呂の足ふきも買わなきゃ」どうでもいいような品しきゃ思いつかぬ。  つまり、連中は東京生れの東京育ちで、下宿をしたことがない、親がかりから、そのまま結婚してしまい、一人暮しの経験がないのだ、庄助は、すわりこんで必需品を書き出し、そうなっても、「扇風機が欲しいねえ、まだ暑いから」「風鈴はどうです」「スタンドは、ピンクのシェードかなんかで、ムードを出しましょう」実にたよりにならない。 「この中で、家から持ってこられるものがあったら、しるしつけて」庄助が、メモを回覧し、どうやらまずたいていのものは整いそうであった、所帯持って、いずれも十年近くなれば、なくちゃ困るけれど、二つあっても仕方のないものが死蔵されているはずで、結局、バケツ、灰皿、タオルなど、買った方が手っとり早いものを、うちそろってショッピングに出かける。  中学教師、元ラーメン屋、社長、それに小説家三人の集団だったが、庄助ももちろん、近頃荒物屋などに入ったことがない、そしていざ品物を目にすると、誰が引き受けるのか、トイレットの掃除棒や、洗濯のロープ、蚊遣《かや》りの豚、アストリンゼン、胃腸薬、髭《ひげ》そりの鏡、いずれも安物を色めきたって買いこみ、「そうだコップを忘れていた」「水差しもいるねえ」「氷つかむ奴どこにある」店内を右往左往し、知らぬ者はマイホーム主義の権化とみたであろう。ノスタルジーで買物するのもいて、便所の手洗いの、下から掌で押すとちょろちょろ水の出るブリキ製を、「なつかしいなあ、まだ売ってるんだねえ」どこへぶらさげるつもりか買いこみ、寒暖計を求めた者も、渋《しぶ》団扇《うちわ》をかかえこんだのも、それぞれに自分の家についてのイメージがあるのだろう。  なにしろ当節、団地にしろマンションにしろ、生活様式がかわり過ぎてしまって、家といっても、庄助の世代には実感がない、そのいちばんのあらわれは、一人が蚊帳《かや》を買ったことにあるだろう、「俺は一度、蚊帳を吊《つ》って寝てみたいと思っていたんだ」うれしそうにいい、蚊もすくなくなったが、妙な蚊取り器が普及して、蚊帳はすでに死物となっている、しかし、蚊のあるなしとはかかわらず、夏の夜は、裾になるにつれ色の濃くなる蚊帳、入る時に手でぽんぽんと払い、うっかり一匹二匹侵入されたら、蚊帳ごしに電気をつけ、たいてい隅にとまっている奴を、蚊帳ごとたたきつぶす、すでに血を吸っていて、向う脛《ずね》などぼりぼり掻きつつ横たわり、どこもかしこも暑いから、畳に脚を投げ出して、天井をながめる、これが夏らしい夏であった。ではいっそ、すべて旧式にそろえようと、氷の冷蔵庫を探したら、これもちゃんと売っていたし、カーテンはやめてすだれを求め、主人の説明によると、この竹は中共製とのことだった。  いわば頓狂連《とんきようれん》おのおのの、ふだん女房子供にさえぎられて果せぬわが家の形を、一部屋に結集した態《てい》となり、十日後には、すっかり体裁ととのったのだが、また、しごく風変りな印象ともなった、玄関のドアをあけると半畳ほどの土間で、右に下駄箱があり、そこには下駄と雪駄《せつた》と番傘がおさめられている、正面の壁には、「脚下照顧」の額があり、左はダイニングキッチンにつづくのだが、仕切りに、丈の長いのれんがあり、これは家業が染物屋である大学助手の持ちこんだれっきとしたもの。  キッチンのリノタイルの上に、畳表が敷きつめられていて、栃木県の本家から運びこんだという、ルポライター寄贈の船箪笥《ふなだんす》、ならんで古い水屋、壁には水天宮様や、成田山、荒神《こうじん》様のお札がぺたぺたはられ、やがてその一隅に神棚がとりつけられるはず、いったん凝りはじめると、プラスティック製品はいっさい拒否し、桶《おけ》も金だらいも昔風なら、ガス焜炉《こんろ》にはお釜《かま》がのっかっていて、冷蔵庫だけは電気とし、それは近くに氷屋がないからで、他いっさい当節の利器はない。布団は庄助が家から持ちこみ、机は二月堂で、掛軸は鯉の滝のぼり、押入れをあけると片側に古道具屋で求めた仏壇、長火鉢に、表装し直した屏風、長押《なげし》には鉄舟の書が飾られ、電球の傘は平べったいお皿風だし、友禅のおおいのかかった鏡台には、すずり箱まである、仏壇から香のにおいが流れ、なんとなく妾宅《しようたく》にいるような、あるいはお婆さんの家へ来たような、妙な具合で、まず、第一回目の、顔合せには七人が集まり、夕方から飲み出して、暮れるにつれ、蚊帳を吊り、そのほのぐらい中でみな寝そべったり、頬杖ついたり、勝手に飲む。  各人、浴衣を持ちこんでいたから、これはたしかに「H」や「S」での酒と色合いが異なった、肩肘《かたひじ》張ることもないし、見栄つくるはずもない、家で飲んでいるのと同じわけだが、はるかにのんびりできる、肴《さかな》はコンビーフとウインナーソーセージで十分だし、どうも庄助は女好きではないらしい、男同士しゃべっているところへ、女が加わるとある苛立ちを感じるし、女性と二人っきりでいて、なすべきことをなしてしまえば、後は重苦しい気分のみが残る、子供の頃から、母と一緒にいるより父としゃべっている時が楽しかったし、だいたい女にはひどい目にあわされてばかりで、一種の女アレルギー体質かもしれぬ、てなことを考えていると、いずれも同じような思いにとらわれるのか、物書きの一人が、「ぼくはいつも女房に薄情だっていわれるんだけどね、どうも於芽孤の後で、そばにくっついていられるとうっとうしくてね、なんだかんだって追い出してしまう」常日頃あまり私事を語らない男なのだが、告白するようにいい、「当り前じゃない、誰だってそうだよ、赤線に行った時くらいだろ、もう少しそばにいて欲しいのは」元ラーメン屋がにべもなくこたえ、「ぼくはわりにサービスするねえ、背中なでてあげたり、腕にキッスしたり」「甘ったれてるよ、そんなの」ルポライターの言葉に、中学教師なじる如く、「俺なんざね、前戯ってあるだろ、あれも自分でさせるね」「自分でさせるって」「オナニーしろっていうんだよ、自分のことは自分でちゃんと用意ととのえて、その上でお出でを待つように訓練してある」「その間、お前何してるんだい」「おれは劇画かなんか読んでてね、いいわよっていわれたら、あいよってなもんさ」のろけてるのか、亭主関白なのかよくわからないが、いずれもかなりくたびれた亭主にはちがいない。  女が一人立ち混ると、いずれも建前で話をするが、男ばかりなら本音が出て、これをきっかけに、おのおの持続時間やら、近頃の女出入り、あけすけにもの語り、それはあたかも二十年ばかり以前に戻った如くであった。庄助がはじめて男ばかりと泊ったのは、戦時中、農村へ勤労奉仕にでかけた時で、寺の本堂に布団をならべ、べつに一枚に一人と割りあてられたわけではないから、入り乱れて、家を離れた解放感もあり、夜通し騒ぎつづけて、男性性器のくわしい解説をうけたのは、この時だった、雑魚寝してみると、各人の個性がよくわかって、いつも威張っているのに、一人で便所へいけなかったり、裸みられるのをしごく恥じる者や、歯ぎしりするから離れて寝ると謙虚な男、とても昼間からはうかがいしれない姿がある、庄助は一人っ子で特にそう感じたのかもしれないが、みな人なつっこく変るように思え、それは教師でさえも同じだった。  午前一時になると、当然のように七人ともそのまま横たわって寝こみ、誰も家を気にした様子はない、庄助はうっかり寝そびれて、これはいびき地獄にさいなまれるのではないかと怯《おび》えたが、それよりも昔風はやはり暑くて、一人蚊帳の外に出ると、団扇で風を入れる、高校で寮に入らず、スポーツで合宿も知らない、次の団体生活といえば、大学へ入ってから、それぞれ食えぬまま、西大久保の六畳一間に八人が生活して、これは雑魚寝というより重なって、たいてい夜中に、横に寝る男にけとばされ、眼が覚めた、いや、その前に少年院があった、これはもっと窮屈だったが、その苦しさより、飢死の恐怖にさいなまれ、あの時同室の少年はどこへいったか。  女といえば、ほとんど娼婦だから、その同衾《どうきん》の記憶などあいまいだが、男の雑魚寝はかなり克明に思い出せる、西大久保にいる時は、不吉なことばかり起って、一人の父親は破産したし、一人が自殺、一人が未遂、一人が怪我で入院、これがたった二月間のことで、蚊帳が破れ、その部分を切りとり、高さ二尺ほどになってしまった中で、「父は無一文になりました、君にも頑張ってもらわなければ」という手紙を枕もとにおいて、考えこんでいた男は、「お袋がかわいそうだな」一言つぶやいて、翌日、同居者の服の中から、いちばんよさそうなのを寄せ集め、どうにか身なり整えて帰郷し、そのままとなった、自殺した男は、ノイローゼで、明日電気ショックを受けるという前の晩、くわしくその状態を説明し、きかされるこっちが怖くなったが、結局受けずに、山へ登って死んだし、放送研究会に所属し、もっともまともな男が、何のはずみか睡眠薬をのみ、ねむくなる寸前に交番へたすけを求め、下宿に連絡があって、庄助Y病院へかけつけると、地下の行路病者収容室に寝かされていて、かにのように泡《あわ》を吹き出しつつ三日ねむりつづけて、部屋へもどった。顔が青黒い色となっていて、こまかい傷があり、「お前、新潟やったなあ」庄助にたずね、「新潟に何か働き口ないやろか」「どうして、学校やめるのか」「うん」くわしくきいたら、放研の女性に失恋したという。この男も、関西へ落ちのび、西大久保を去る少し前に、庄助と同級の男が、喧嘩で首を刺されて入院、この他に部屋を出た者もいて、最後は、すでに大学を卒業して、失業中の男と二人きり、男は母親の遺品である翡翠《ひすい》の帯留とモバードの時計を残していて、これを売ってでもなんとか頑張るといっていたが、結局は、その金も庄助がたかり飲んでしまった。  蚊が一匹あらわれて、うるさくつきまとい、表には深夜というのに、かなり人通りがある、少し歩けばスナックが何軒もあり、その客であろう、大袈裟《おおげさ》にいえば雑魚寝の思想というようなものがありはしないか、コンピューター支配やら、情報社会とやら、画一化のすすむ中で、アメリカなど、スキンシップということがいわれている、肌と肌のふれあいで、人間であることをたしかめるのだそうだが、バーやパーティ以外、雑魚寝仲間というのはどうか、これを大がかりにして、「雑魚寝ホテル」でもつくればもうかるかもしれぬ、モーレツトレーニングもいいが、課長と平社員が雑魚寝すれば、お互いよくわかりゃしないだろうか、文部大臣と全学連の雑魚寝、これは駄目だろう、考えるうちに庄助も寝こみ、床は畳表だけだが、少年院上りだから、どこでも寝られるのが、数すくない特技なのだ。  気がつくと、物書きの一人が電話をかけていた、「ああ、俺だ、昨夜、保坂氏の仕事場に泊ったんだ、うむ、すぐかえるから」庄助は仕事場といわれてびっくりし、ここはそのつもりではない、しかし、すぐにルポライターがダイヤルをまわし、「私ですけどね、昨日、保坂さんの家に泊って、なに? 保坂さんの家にかけた、馬鹿だなあ、お前、いや本当だよ、ここに保坂さんもいるんだから、ああ」ルポライター、保坂に合図するから、かわって、「保坂ですが、ええ、ちょっと仕事場でみんなとしゃべってるうちに、寝ちゃったものですから、あの、家で何といってました」庄助も気になりたずねると、「お互いに困りますねえって」ルポライターの女房しごく愛くるしい声でいい、その背後に赤ん坊の泣き声がきこえる。  庄助をのぞく全員が、起きてまずしたことは、女房への電話で、「何か変ったことなかったか、うん」やら、「いっぱい、ちゃんとねんねした?」というのは、電話に出た子供へのお愛想だろう、いずれも庄助を口実につかい、受話器置いたとたん、えへへと照れ笑いをする。  布団をあげ、たった一夜なのに、おびただしい抜毛で、その掃除や汚れた器の跡始末は各自分業、ここでも東京育ちは、しごく無器用で、ガスの火一つつけられぬ、四人が帰って、三人また酒を汲《く》み、腹が減ったから買物に出かけ、ならんだ店屋の一軒々々がスーパーマーケットのようになんでも売っていて、酒屋にミルク、卵があり、米屋が週刊誌を置いている、物書きの端くれながら、こういった面にはうといもので、いちいち物珍しくながめ、庄助はひょいと、小説「夫婦《めおと》善哉《ぜんざい》」は蝶子の実家である、一銭天ぷら屋を思い出した。  不規則な狭い道や、老婆の子守する姿が、なんとなく下町風で、このあたりは以前、古着屋の町だったというから、いくらか町人的体臭が強いのかもしれぬ、「年中借金取りが出入りしていた」という、あの天麩羅《てんぷら》屋のような、市井《しせい》の生活を写した小説も近頃はなくなってしまって、主人公といえば、課長、医者、新聞記者、大学教授といったインテリが多い、小学校の教師すらあまりでてこなくて、こういう風潮は、庄助にとってよろこばしくない、というのは、これまで一度だって大学出らしい知的人物を中心にした小説を書いたことがなく、いや書けないのである、現代にはもう一銭天ぷら屋などないのかと、考えつつ、即席ラーメン、卵、調味料を求め、連れは酢と味醂《みりん》を買った、いったい何の料理をつくるつもりなのか。  いったん寝そべって酒を飲む、その味覚えると、「H」も「S」もつまらなくなり、夕刻電話すれば誰かがいて、おいおい四、五人が集まり、雰囲気になれると、物書きの一人が「折角、こういう場所があるんだから、睡眠薬あそびくらいしたいものですなあ」「薬あるのかい」「いや、たとえばの話でね、こう女性と雑魚寝というのも、いいと思うんだけどねえ、どうですか」庄助をながめ、特にいなやはないものの、あてがない。これまで二度こころみて、常に失敗しているから、口を濁し、するとルポライターが、「デパートガールでよければ、来るかも知れない」気をもたせる、何でも、その性意識調査した時に知りあったとかで、しごく開放的、母親は品川でスナックをやってるから、家に居さえすれば大丈夫、「じゃ、ひとつかけてみましょうや」物書き、わざわざ電話をライターのかたわらに押しやり、彼女は運よくつかまって、ほんの二言三言で、あっさり来ることに決る。  こうなると男はまた一致協力するもので、いっせいに立ち上り、やはり風呂をわかしておいた方がいい、電気はスタンドだけにしよう、あらためて布団をひくのもばつがわるいから、一枚敷いといたらどうか、女がビールを飲むといえば、すぐ買いに出かけ、ついでにトイレットの芳香剤まで仕入れてくる、「ティッシュペーパーもいるんじゃないか」「それよりサックが必要だよ」各人勝手に、女が寝るものと決めこみ、庄助もあたらしいタオルを、脱衣籠に用意する、「その人はフリーセックスの方ですか」「近頃の若い女はわりきってるからねえ」「こんなに多勢で大丈夫かしら」「さあ、そりゃわからないなあ」「おい、俺だけあぶれるなんてことはないだろうなあ」物書き、うろうろと心配し、やがて電話がかかって、近くまできたが、場所がわからぬそうな、ルポライター勇んで迎えにでかけ、丁度、九時だった。 「こんばんは」あらわれたのは、しごく大柄な女性で、年の頃二十歳くらい、キュロット風スカートをはいていて、もちろんミニ、「さあさあ、ひとつ盛大に飲んで下さい」物書きは、まるで村会議員が村の有力者むかえたようにビールをすすめ、「座布団が足りないから、布団にすわってよ、脚くずして」ライターもぬかりなく、庄助、これはとても駄目だろうと予感がある。みれば、しごく健康そうだし、こんな大きな体で抵抗でもされたら、二階だけにえらい騒ぎ、「デパートの退《ひ》け時って、通用口のところに男が群れ集まるでしょ、あの中には、その日に約束したってのもいるの?」「みんなそうよ、ボーイフレンドなら、あんなとこで待ち合せないわよ、もっとも約束といっても、男の人が勝手に待ってるというのもいっぱいあるけど」「大体うまくいくもんかね」「やってみればいいじゃない」「何ていえばいいかわからなくてねえ」物書き口惜しそうにいう。  庄助にもわからない、デパートガール、喫茶店ウェイトレス、うまい話ばかりきかされて、そのつどふるい立つのだが、どうきっかけつけていいのか見当がつかぬ、「図々しいわよ、みんな」物書きは情けない声で、「あんた、一人紹介してくれんですか」物乞いするようにいい、「そうねえ、どういう好みがいいの?」「好みなんかいっとる場合じゃないからねえ」  気がつくとライターは女の肩を抱いていて、女も胸に頭をもたせかけ、となると庄助、癪《しやく》にさわってくる、かなり嫉妬《しつと》深い方であって、見知らぬアベックをみても苛々し、いったい親は何をしとるなど、考えるくらいだから、目の前でみせつけられてはかなわぬ、「いっそ押入れにでも入ったらどう、別にのぞかないからさ」いや味にいったのに、ライター「じゃあ、そうするか」女の手を引き立て、「暑いじゃない」女は早くも鼻声となっていて、恐れ多くもライターは仏壇を下ろし、押入れ上段へ女をあげ、「では、失礼」ぴしゃりと襖《ふすま》をしめた。 「えらく、あっけないもんですなあ」物書きかなり酔っていて、一人えへらえへら笑い、中学教師は、ぬかりなく襖に寄り、気配をうかがう、庄助は、さらに襖を少し開けてのぞきこみ、ライターは膝に女を抱きあげ、その首から肩にかけ、二昔前のフランス映画のラブシーンの如く唇をはわせて、女の方は、片手でライターの頭をかかえ、片手で体を支えている、「ちょっと交替」物書きが庄助を押しのけ、拍子にがたんと音がしたが、気にもとめぬ様子、教師は別の襖を開け、手をさしのべて、すぐ目の前に投げ出された女の脚をなでさすり、なんのことはない、これは広場のアベックとりかこむ痴漢と同じこと。  やがて電気を消し、まさか押入れでお祭りはじめはしないが、かなりそれに近い状態らしく、切な気な吐息がもれ、こうなりゃ知ったことではない、襖をおおっぴらに開けて、何がどうなっているのかわからぬが手さぐりで、女体を求め、物書きはついに自分も、上段にあがりこみ、もぞもぞ体うごかしていたが、そのうち、「あいててて、誰だ、俺の脚に吸いついたのは」ライター頓狂な声を出し、とたんに女が、はじける如く笑い、「ああ暑い、もうやんぺ」すとんと畳におりる。 「すごいねえあんた、ほら血がにじみ出てるじゃない」ライターがふくらはぎをしめし、物書きは、浴衣からはみ出たその脚を、てっきり女のものだと思って、ヴァンパイアよろしく吸いついたのだ。 「ぺえーっ、あんたの脚だったの、わあ汚ねえなあ」物書き眉しかめて、口をすすぎ、「おどろいたなあ、なんだかむずむずすると思ったら、急にチクッとして」よほど物書き力をこめたらしく、それは直径五センチほど紫色のあざとなっていた。女は、汗かいたからと風呂に入り、仕切りの硝子《ガラス》は半透明だから、また一同息をこらして、入浴の図に見入り、十二時近く、女は「バイバイねえ」ライターに送られてかえっていったが、歯《は》刷子《ブラシ》でみがいてなお気持わるいのか、「あいつの脛、毛が生えてないもんね、わからんかったよ」物書きがうがいしつつぼやく。仏壇を庄助押入れに安置すると、赤い硝子玉の二つつながったイヤリングが片方落ちていて、急に女が欲しくなる。  二、三日すると、この夜の出来ごと尾ひれがついて頓狂連、つまり四谷の部屋の常連にひろまり、庄助なども、デパートガール嬢の広大無辺の恵みに浴したこととなっていて、「そりゃおもしろかったでしょう、今度はいつやりますか」など、電話がかかってくる、庄助も、ああみせつけられては、なにも雑魚寝だけが能ではない、温泉マークにはさそいにくい女性だって、ここならまず安心するだろう、特に仕事場といえば、好奇心いだくかもしれぬ、かねがね思《おぼ》し召しの、ファッションモデルに口をかけ、「なにしろ男所帯だから汚なくってね、掃除してくれないかなあ」|てき《ヽヽ》の母性愛にうったえようという、卑怯な作戦である。夜、七時から仕事があるからそれまでと、モデルは甲斐々々《かいがい》しくエプロンまで用意してきたが、庄助おさんどんさせる気はなくて、一人で部屋を清め、例によって風呂を沸かし、まさか布団敷いておくわけにはいかないが、さしむかいで三時間近くいれば、なんとかなるはず、これまでキッスを二度かわしたことがある、しごくあっさりしたものだったが。  仕事場といった以上、原稿用紙くらいなければ恰好つかぬから、文房具屋で買ったのだが、部屋のたたずまい、どうみたってそれらしくない。天井から吊した岐阜|提燈《ちようちん》や、鉄舟の額はしまっても、まず三流の待合といった態で、モデルもなんとなく落着かず、「お風呂へ入らない?」すすめると、「けっこうです」切口上に断わる。「掃除ってどこをすりゃいいの」「いや、わるいから自分で片づけた」「つまんないの、私、好きなのよ、これで片づけ魔なんだから」いっこうに話もはずまず、「TVもないの?」「仕事場だからね」「じゃ、お仕事なさってよ、私、邪魔しないから」たいてい庄助のたくらむ情事はこんな風に展開し、とにかく女と向きあうと、ぎごちなくなる、いっそ襲いかかろうかと思うが、つんとすました横顔みると、心臆し、そこへ電話が鳴って、「もしもし、保坂さんですか」シナリオライターの声が人の気も知らず大きくひびき、「今お一人、ええ、お客さん、ああ女性、ふうーん、じゃ、また後で連絡します」うんとか、はあしか答えない庄助に、一人でまくし立て、「どなたかいらっしゃるの?」モデルたずねるから、「いや、来ない」「私かえろうかな」本当に立ち上り、ついその肘にふれて、「いいんだろ、七時までは」「だって」つまらないと体をもたせかけてきて、案ずるより易く、肩を抱き、またすわらせ、なにしろすだれを通して、かんかんの西陽さしこむから、ちょいと淫《みだ》らなふるまいにも出かねる。 「ウイスキー少し飲む?」「うん」これで暮れるまで間を持たせてと、庄助自信がつくと饒舌《じようぜつ》になり、「この前、外国へ行くっていってたのどうなった?」「秋にヨーロッパなんだけど」「いいだろうね、秋のパリなんてのは」しごく平凡なことを口にし、「フランスでも、ぼくの小説訳されてるから、パリに少し貯金があるんだ、よかったら使っていいよ」「ほんと」いよいよいや味な台辞《せりふ》を口にし、庄助、娼婦とつきあい過ぎたせいか、なにか物質的な貢物《みつぎもの》をしないことには、女を口説けない、二度目に風呂へさそうと、素直にうけて、まさにモデルが立とうとした時、ドアがノックされて、あけるとシナリオライターが立っている。 「いやあ、こりゃどうも」シナリオとモデルは一度顔合せたことがあり、「しばらくでしたねえ、お元気ですか」まるで調子よくどっかとすわりこみ、それだけではない、パッパッとズボンを脱ぎ、すててこ姿になると、自分の浴衣をはおって、「こりゃこりゃ、風呂もいいころ加減ですな、お嬢さん、お入りになる?」モデル首をふると、「ではちょいと失礼して」モデルの視界の中で、裸となり、庄助あまりのことに口もきけなかったが、怒るよりも、モデルの機嫌そこねることを恐れて、「今ね、いっしょに仕事してんだよ、どうも無遠慮な男だから」もごもごといい、モデルやけのようにウイスキーを飲み干す。 「いいですなあ、好きな時に風呂に入れるというのは、特に夏場はねえ」どっかとすわって、オンザロックスをつくり、そこへまたノックがあって、ルポライター「こりゃこりゃ、おそろいで」とあらわれ、さらに「いよっ、やってますね、エッヘッヘ」キスマークの物書きも顔をそろえ、いずれもさっさと浴衣に着がえる。そして、モデルがトイレットに立ったすきに、「早く押入れへ入りなさいよ、なんならヒューズを切って、停電にしつらえようか」口々にいい、庄助、そういう関係ではないと、弁解する気もおこらない。  結局、何事もなくモデルが引きあげ、すると一同不満をもらして、「楽しみにしてたのになあ」よくきくとシナリオが、各人に連絡し、保坂が|かも《ヽヽ》をひっぱりこんだと吹聴《ふいちよう》、みなおっとり刀でとんで来たのである、「冗談じゃないよ、こっちはまだキッスしただけなのに、これからって時に来て、女の前で浴衣に着がえるんだからなあ」庄助ぼやいたが、シナリオどこ吹く風で、「ありゃしかしよくないと見たな、すかすかですよ、きっと」「誰か、いませんか、緊急に手配できるのは」物書きがねだり、ルポライター「俺にはやらせるだろうけど、ちょっとねえ」「いいですよ、のぞきで我慢するからさ」「また吸いついちゃいやだよ」「大丈夫、邪魔しない」  ライターはよほどもてるらしくて、女子学生に連絡をとり、「のぞくってどこから」「押入れに二人入れるねえ」「ぼくは風呂場にいますよ、そして、見はからって匍伏《ほふく》前進」シナリオは、のぞきの醍醐味《だいごみ》は水平にみることにあるという、押入れからでは、男の背中しかみえない、「じゃ、ぼくも風呂場にします」物書きがならう。  あらかじめ布団をひき、スタンドだけの電気にして、迎えに出たライターの階段上る音を合図にそれぞれかくれる手はず、そして手はず通りに進行したのだが、まっくらな押入れの中は、むし風呂の如くに暑く、しかも二人は、「学校は何時《いつ》から?」「わかんないのよ、スト継続中だから」「泳ぎにいった?」「そうね、のべ十日ぐらいかな」なにをくだらないことしゃべってんだ、少しでも襖あけて、のぞくより風を入れたいが、まったく平静な声音だから、身うごき一つできない。今年になってまるで授業のないこと、だからアテネフランセへ通って語学を勉強していること、これなら女子大にいった方がよかったことなど、綿々と女子学生物語り、ライターはやさしく相槌《あいづち》をうつ、いい加減うんざりしているところへ、ガシャーンとただならぬ物音がして、「たいへんだ、おうい」シナリオの声がひびき、「なんだなんだ、いや、大丈夫だよ」ライター、女子学生をなだめつつ起き上った様子、庄助もたまらず、押入れあけると、「キャーッ、誰かいる」悲鳴が上り、といって弁解のしようもない、キッチンのあかりをつけると、物書きがのびていて、かたわらに水を浴びた如く汗まみれのシナリオ、「いやあ、暑いのなんのって、誰かガスをつけっぱなしにしてたんですね、すぐ消したけど、湯気にあたっちゃって、ぼくも、もう駄目かと思ったなあ」シナリオが、水に濡らしたタオルで、顔ふいてやると、物書きようやく気がついて、とたんに、ゲエーッと反吐《へど》をはいた。 「あそびなんだからさ、わかってくれなきゃ困っちゃうよ」かんかんに怒った女子学生にライター三拝九拝し、シナリオもまったく同じ言葉で、あそびなんだから、わかってほしいなと弁解し、どうやらおさまったものの、「なんだよ、もたもたして、もっと早くはじめりゃいいじゃないか」後で責めると、「ちゃんとやってたんだがなあ、あの子はちょっと不感症の気味なんだ」「あんなにぺらぺらしゃべってか」「ああ、いつもああなんだ、張合いないんだよ」庄助、つくづくがっかりする。  半月経つと、男同士の雑魚寝はどこかへふっとんでしまって、とにかく風呂と布団が備わっているし、ウイスキーさえ用意すれば、女性としけこむ絶好の場所、その名も地名に因《ちな》んで「津の上荘」と呼びならわされ、庄助のケースを各自おもんぱかって、訪れる前には必ず電話をし、先客あれば遠慮するとりきめ、庄助がたまに昼間様子みてみると、丈の長い抜毛が、万年床に近い布団の枕カバーのあたりに散乱し、よほどイヤリングというものは落ちやすいのか、それともお互い激しいのかいくつもころがっている。鏡台あければ、サックはともかく、妙な形のバイブレーター、ちいさな刷毛《はけ》、塗り薬、体位カード、山羊の瞳《め》までそろって、とんと赤船堂よろしく、事後処理のものらしい紙屑《かみくず》いたるところに散乱している。庄助は、腹を立てながら片づけ、それは男よりも、女に対してだった、少々の女らしささえあれば、サックくるんだ紙を屑籠に放置することなどしないだろうし、風呂の湯船に、人体各種毛髪のへばりつくにまかせないだろう、いや、部屋を使わしてもらってるのだから、水蜜桃《すいみつとう》の一つ二つくらい手土産にしていいはずと、冷蔵庫開けると、何かのはずみで、そのコンセントをはずしてしまったらしい。  いやはや赤白青のカビが部厚くびっしりと生え、特にチーズ、コンビーフの残りは手にふれるのさえ恐ろしい程、といって誰を恨むこともない、まなじり決して掃除をはじめ、汗みずくの二時間の末、どうにか部屋らしくととのえて、酒屋に冷たいビール運ばせ、喉《のど》うるおしていると、開けたままのドアから見知らぬ、厚化粧の女が、いぶかしげというより、庄助を警戒する風にながめ、「お隣はお留守ですよ」庄助気楽に声かけたが、「おたく、どなた様ですか」どなた様もこなた様もない、いっちゃあなんだが、この部屋の敷金出したのは俺なんだ、「どなたって、あなたは」「私は、先生とここでおち合う約束したんですけど」先生とはシナリオライターのことで、「ああびっくりした」庄助に対する警戒はといたが、あてつけがましくいい、のこのこ上ってぺたりとすわる。  どうも水商売、それも三流地の芸者上りのようで、一息入れた後、鏡にむかって化粧を直し、また庄助間がもてぬ。 「じゃ、先生の仕事場じゃなかったんですかあ」「いや、ちがうというわけでもないんだけど、ほら、表に頓狂連て表札でてるでしょ、仲間で共同の、まあ部屋というか」「そうよねえ、おかしいと思ったわ、いつもお金ないくせに、こんなとこ借りられるわけがないもの」「いや、彼も少しは、出してる」といった方がいいのか、悪いのか、ビールなどお酌するうち、先生は麻の着物に黒の羽織、坊主の如きいでたちであらわれ、「いやあ、おそくなってごめんごめん」庄助よりまず女にあやまり、これから二人打ち連れて国立劇場へ、歌舞伎を観にいくという、「保坂氏は、ずっとここにいるの?」「ああ、いるよ」癪だからそのつもりないのだが答え、「じゃ、仕方ないな、また」寄りそって階段を降りる。  女の口つけたコップに、毒々しい口紅がついていて、腹が立つけれど、また気になり、洗剤でごしごし洗う、あらためてながめれば、キッチン、トイレ埃《ほこり》だらけだから、雑巾がけをして、今頃はシナリオライター、珍しいといわれる南北《なんぼく》の通し狂言みているのかと思えば、自分が馬鹿にみえてくる。ビールで足らずウイスキー飲みつづけ、八時頃になると、若い女の二人連れがあらわれて、「今晩は、お邪魔します」「誰だい」「すいません、おそくなっちゃって」酔っているから強気の庄助に、二人はしおらしく、プロダクション社長にいわれ、部屋を掃除にきたという、「おそいよ、もうみんなやっちゃったもん」「ごめんなさい」あやまりつつ包みをひらき、中に枝豆の包みとお寿司がある、さらに別の一人は、ポータブルのプレイヤーとレコードを持参し、「それも社長の?」「いいえ、私たち用意してきたんですけど」「それ、どうするの」「あの、掃除したら、この部屋でパーティしてもいいからって」「パーティ?」「ええ」「社長と?」「いいえ、男の子四、五人と、女の子もあと二人来るんですけど」  どうやら、社長はそれを餌《えさ》に、勤労奉仕させるつもりだったらしく、なおたずねると、プロダクションに夏休み中アルバイトしている短大生、「あのね、下に人が住んでるんだから静かにしてね、それから暑くて、すぐカビが生えるし、片づけることだけはきちんとね」「はーい」小鳥の如く二人そろって返事をし、一人は枝豆を皿にあけ、一人は二月堂に寿司をならべる、庄助、その寿司一つつまんで表へ出ると、もはや我慢ならぬ、頓狂連のメンバーが加わってるならまだしも、見ず知らずの人間に貸して、かりにガス風呂で事故でも起きたらどうする、名義は保坂庄助になっているのだし、えらいスキャンダルではないか、若い男女を集め、乱交パーティでも主催しているようにみられてしまう、考えるうち本当に怖くなってきて、ひきかえし、「ガス風呂には気をつけなさいよ、必ず元栓しめて」「はーい」また小鳥のような返事がもどった。 「大体ね、無責任だよ、万一、事故があったら大変だからねえ」四日後に「津の上荘」へいけば、まさしく火事場の後の如く、庄助すぐ社長に電話をかけ、汚れものの片づけはしてなくても、冷蔵庫のビールや、ウイスキーはちゃっかり片づいていて、「ああ、そう、そりゃいけないなあ、いや、すぐにいって手伝いますよ」社長、気軽に返事し、庄助は、あの若者たち、色ごとでもしたのではないかと、シーツをあらため、妙に昂奮《こうふん》してくる、シーツもカバーも、タオル手ぬぐいいずれもどろどろに汚れ、あのなつかしい蚊帳などは、押入れの隅に追いやられ、仏壇の香炉灰皿代りで、屏風には三カ所破れが目立つ、やっぱり女人《によにん》禁制にするべきである、雑魚寝は男にかぎるのであって、女が入るとすべてぐれはまとなり、そもそもあの物書きがいけない。  シーツ、カバー、タオルを湯船につけ、これみよがしに洗濯でもしてやろうと、庄助はお姑《しゆうとめ》さん風にひねくれ、めったやたらに粉石鹸ふりかけるところへ、社長、ルポライターうちそろってあらわれ、「いやあ、怒ってるらしいから、一緒に来ましたよ、どうもすいませんねえ、そんなにあばれましたか、近頃の若いのは無茶だからねえ」すぐまめまめしく掃除をはじめ、ライターは買物に出かける。  男だけならすぐ息があって、庄助の、女人禁制に二人賛成し、「じゃ、みんな呼んでいっときましょうよ、でないと、またぶりかえしちゃう恐れもある」社長が電話にとりつき、庄助、性具やイヤリングを袋に入れて、ゴミバケツへ押しこむ、ライターは湯加減をはかり、これでいいのだ、これが雑魚寝の精神というものだ、暮れて後、物書きと、元ラーメン屋が集合して、伝達事項を確認し、また蚊帳を釣って、入りこみ、オンザロックス氷の音も涼やかにひびく。 「我等の仲間って映画があったね、ビビアンヌ・ロマンスだっけね、女が入って殺し合いになっちゃうの」「そう、いけませんよ女なんてものは、大体あんたがいけないんだよ、物欲し気なこというから」「いやあ、ぼくはついに一人も連れて来ませんでしたよ」「結局誰がいちばんお盛んだったのかね」「ぼくは六人かな、延べだけど」ライターがいって、「そうそうイヤリングありませんでしたか、金のボールのついたの、フランス製なんだって」「捨てちゃったよ」「あれ、ひどいなあ」ライターはまるで反省していない。  昼の疲れで、庄助寝こみ、なにやら無数の吸盤にすいつかれる夢をみて目覚め、すると体全体ムズムズした感触があって、ぼりぼり掻きながらみると、社長の他は帰ったらしく、その社長、スタンドを片手に持ち、布団の上に油断なく眼を光らせている。 「どうしたの、蚤《のみ》?」「いやあ、これはダニですよ、ここへ泊った誰かがおとしていったんだなあ」ダニときいてとび起き、庄助蚤|虱《しらみ》は知っているが、ダニの経験はない、そういわれるとなお痒《かゆ》くて、両手で体中かきむしり、「こりゃ、徹底的に退治しないと駄目ですねえ、いいように増えちゃったんだなあ」  とても「津の上荘」には泊れず、といって午前三時、家へかえるのも馬鹿々々しくて、庄助と社長、大久保の温泉マークに入り、よくしらべると、腹から股《もも》にかけ赤い斑点がびっしりあって、社長は腋《わき》の下脇腹をやられている、「いやあ、雑魚寝にはつきものですがねえ」社長なぐさめるようにいい、庄助は、まあこれもスキンシップの一種だろうと、情けなさを通りこして、下っ腹がくすぐったくなった。 [#改ページ]   第十一話 四季の死期  蓼科《たてしな》の大王を呼号され、今は亡くなった小説家は、日頃、押売りが来ると、果てしなくその口上能書きの聞き手となり、あげく丁重にお引き取りねがって、ために、押売り仲間で鬼門とされたという。保坂庄助の家は、その大王の比較的近くにあり、その遺徳しのぶというか、時に大王の真似をしてみる。ところが、鵜《う》の真似をする烏であって、さすが土地や別荘の押売りなら、適当にあしらい、無い袖はふれぬ道理だから、追いかえすこともできるのだが、女性化粧品の押売りの相手しているうち、敵もさるもの、禿《はげ》を防ぐ秘薬、肌若がえらせる妙薬を所持していて、まんまと口車にのせられ、むしろいそいそ買いこんでしまったりする。いちばん被害を受けたのは、鳥の押売りであって、彼はライトバンにオウム、カラス、ツグミ、フクロウなどを積みこみ、「鳥はいらんかな、鳥は手がかからんし、かわいいもんよ」と、服装も口調も朴訥《ぼくとつ》に装い、応対の時に庄助はまずないものねだりをするので、これは押売りを楽しむ、しごく初歩の段階で、たとえば別荘地売りこみの相手には、「旧軽にも伊豆にもあるんだがね、一つ、島の出物のいいのはないかしら」などいう、それも八丈島などの分譲ではなく、丸ごと買いたいといえば、そんな手持ちのあるわけがないから、島を陸地に乗りかえさせようと、敵は必死で、「こりゃもうこの土地なんか、陸の孤島みたいなものでして、人跡未踏、なまじっかの島より孤独を楽しめます」などいいはじめる、そこでこっちは「つまり、まったく別荘には向かないわけだね」その羊頭狗肉《ようとうくにく》ぶりを突くのである。 「鶴の子供なんてのは手に入らないの」庄助がたずねると、「鶴の子なんど饅頭《まんじゆう》にまかして、どうかね、この鴉《からす》、こりゃお前、ざらにいるもんじゃねえよ」男はさらりとかわし、身長二尺は優にある黒光りの鳥をみせ、鴉など、そう近くで見たことはないから、しげしげながめると、猛禽《もうきん》といった印象で、くちばしが鋭くて長い、「なにしろ、この鴉は人語をしゃべるからねえ」男が、金網張った籠をゆすると、たしかに低音で「カーコチャン」とさけぶ、「利口な鳥よ、こりゃいい買物だわねえ」男は気のなさそうにいい、庄助はすでにオウムを飼っていて、鳥のおもしろさについては、いくらか眼をひらかれている。  いい値一万円を八千円にまけさせ、籠と練り餌《え》が二千円、この鴉を書斎の一隅に置き、時に無愛想な表情やら、黒すぎて、肩のあたり紫色に光る色合いなどながめれば、ひょっとしていい小説が書けるかも知れぬ、まったく意味もなく考え、これは思わぬ出費を、自分自身に納得させるためだった。ところが、鴉は、そんな庄助のけちな思惑をはるかに超えた代物《しろもの》であって、まず第一夜は夜通しカアカアと鳴き通し、その声のものすごいことは、到底「カラスナゼナクノ」なんてものではない、庄助の隣は病院であり、もし、今夜が峠なんて病人が入院してたら、さぞかし気が滅入《めい》ったろうと思われる。第二夜に少しなれたか、落着き、だが、とてつもなく粗野な鳥でたちまち金網を食い破り、しかも、その敏捷《びんしよう》なこと、うっかり金網に手をふれると、そっぽ向いてたのが、眼にもとまらぬ速さでくちばし突き立て、餌や水の容器はふりまわしてこぼすし、おびただしい糞《くそ》をひり出す。  家族のすべてあきれはて、飼育の責任を庄助負わされたのだが、いくら修理しても網を破り、羽根を切られていて、大して飛びはしないが、突如、けたたましい羽ばたきと共に、よくいわれるように、光るものが好きで、ピースの罐《かん》のふた、小型鉛筆削り、ボールペンのキャップをかすめとり、とりかえそうものなら、一時間近く鳴きわめくのだ。しかし飼えば、そのパンを与えれば必ず水にひたして食べる癖や、オウムより器用に「お早う」やら犬の吠える声、口笛を真似し、収集した品を必死でかくそうとする姿など、かわいくなる。なったのはいいが、不吉な鳥にふさわしく、あるいは押売りからかった祟《たた》りか、以後、妙な業者があらわれて、まずは霊園の押売り、アーリントンの陸軍墓地の如く、整然とならんだ墓石のパンフレットうやうやしく展《ひろ》げながら「人間やはり、最後の土地を持ちませんと、何事にも中途半端な気のゆるみが起りがちでございます」という、二十二、三歳、ダークスーツに身を固めたセールスマンで、「ぼくは火葬がきらいでね、是非、土葬にしてもらいたいんだが、大丈夫かしら」例のないものねだりをいうと、「はい、年に一体の仏様でしたら大丈夫でございます、二体つづきますと、どうしても前の仏さまが土にもどらぬうち掘りかえすことになりまして、その御心配がおありなら、いかがでしょう、二区画ならべてお求めになりますれば」いっこうに動じない。もとより買う気はなく、保坂家は、品川、青山、谷中と墓ばかり地所持ちで、そのどこかに入れてもらえればいい、なんとなく気味わるくなり、追いかえすと、怪奇劇画の主人公風その押売りあっさり引き上げ、そして三日後に、仏壇の押売りがあらわれたのだ。  年の頃六十過ぎ、つるっ禿で赤ら顔の男で、市井の人情風俗を流麗な文章にえがき出す、大先輩の小説家の名をあげ、紹介されて来たといい、大きな鞄《かばん》から仏壇のパンフレットを出して、「やはり一家に一つは仏壇がありませんと、しめしがつきませんですな、あははは」言葉の区切りごとに大声で笑い、仏壇は宗旨によって様式も異なれば、材質寸法さまざまで、この老人あるいは坊主上りかも知れず、その音声いかにも読経できたえた如くに張りがあった。庄助、仏壇はきらいでない、仏壇を中心に家のたたずまいがきめられるような気がしないでもなく、よほど買おうかと考えたのだが、安くて三万円するし、とりあえずどこへ置くべきかもわからぬ、鴉とちがって庄助だけが線香花をたむけるのでは、かえって仏罰下るだろうし、といって庄助の娘はカトリック系の幼稚園に通っている、妙に強制すれば、家内に宗教戦争が起きかねない。  とりあえずパンフレットだけもらい、書斎にひっくりかえってながめるうち、いやに思い入れたっぷりな感じで鴉が一声ひびかせて、ふと庄助不吉な予感を受け、果して鴉、墓地、仏壇とつづいてあらわれた押売りは、偶然であろうか、なんとなくミステリーゾーンに足ふみ入れた如く、不意に息のつまりそうな怯《おび》えが生じて、寝たままではいられず、窓によって深呼吸をする、齢《よわい》三十八歳で、死ぬには早いが、過労による心筋|梗塞《こうそく》、暴飲暴食による胃癌《いがん》肝硬変、それでなくとも一日三千円以上はタクシーを利用していて、タクシー料金何円当り一人の事故死という統計があるなら、その料金すでに突破しているのではないか、寒さに向ってガス中毒もあれば、銀座のバーにいて大地震にあったなら、まず生命はないだろう、もともと庄助、臆病だから不吉な連想が雲の如くに湧《わ》き出て、ああ人間は何故《なぜ》死ぬのでしょうかと、浪子嬢風の弱音さえ吐きかねぬ。  子供の頃から、そう特に虚弱だったわけでもないし、身内に仏がよく出たわけでもない、にもかかわらず、小学生の頃に、結核それも喉頭《こうとう》結核で遠からず死ぬ予感があって、すると神経が昂《たかぶ》るのか、実際に喉仏《のどぼとけ》のあたりぴくぴく痙攣《けいれん》し、なお怯えて、くよくよ一人考えこみ教師に名をよばれても、気づかなかったりする。  戦後抗生物質のおかげで、結核の恐怖は去ったが、十年ほど前の夏、氷屋に朝アパートのドアを激しくたたかれ、びっくり仰天してとび起きたら、目まいがし、何気なく脈を手首に探ると、これがない、てっきり心臓がとまったと、氷屋ほっぽり出して、近くの医者までことさらそろりそろり足を運び、寝|呆《ぼ》け眼の医者に心臓のとまったむね告げると、「そりゃたいへんですな、で、どなたが」「ぼくです」答えたとたん、それまで慌しく身づくろいしていた医者の動作にぶくなり、「まあ、待合室で待ってなさい」十分ばかり後、医者は庄助の右の親指と人差指で、左の手首をにぎらせ、「どうです、立派に動いているでしょう」軽蔑《けいべつ》したようにいって、たしかに鼓動はあったけれど、それをきっかけに四年近く、なにかというと脈をみる癖がつき、といって脈を長くみていると、今にもとんことりと途絶えるように思えてきて、指をはなし、深々と息を吸う、一種のノイローゼと自分でわかっていたが、いかに心電心音図とっても、安心できなかったのだ。  鴉、墓場、仏壇と、三題|噺《ばなし》にもならぬ押売り三組に、こうおびやかされてはたまらぬと、庄助逆に、自分が死んだらどうなるか、たとえば葬儀はどのようにして行われるものなのか空想しはじめ、大きな出版社には、それぞれ葬儀の名人がいて、通夜の夜食から、弔問客乗りつける車の駐車スペース確保、出棺の際の交通整理頼むため、交番へ一升届けることまで気を配り、だが庄助の如き弱輩にはこういったベテランは出馬しないであろう。  さしずめ頓狂連の一同が、世話してくれると思うのだが、彼等の情のなさといったら、ある有名人の通夜にまかり出て、焼香もそこそこに、テーブルの寿司サンドイッチに関心をむけ、「こういう時でなきゃ、とろは食えねえや、なにしろ高いからねえ」元ラーメン屋がいえば、中学教師は庄助の野菜サンドイッチつまむのをみて、「なにも遠慮することはないですよ、こっちにビーフがあります、どうぞ」と喪主の如く図々しくふるまい、一人はふと耳かたむけて、「さすがにお布施はずんでるねえ、いい声の坊主が来てるよ」しのびやかにひびく読経を、流しの唄でもきくように評し、別の男は、こっそり家の中を探検してきて、「これだけ部屋数があれば、麻雀《マージヤン》大会ができますねえ」すぐにもおっぱじめたい口ぶり。そういえば、頓狂連で一度、葬式ごっこをやろうと話の出たことがあり、江戸時代の通人は生きながら棺桶《かんおけ》に入って、葬儀の真似ごとを行い、すると長生きできると考えていたらしい、相談まとまり、葬儀屋へ道具一式借りに出かけたら、「死者の霊をとむらい、その終焉《しゆうえん》を飾る祭壇を、何と考えているのか」えらく怒られた。 「あんな不謹慎な企みいだいたことも、いけなかったのではないか」気をまぎらわせようとして、だが癌の宣告受けた男のように庄助なお滅入り、煙草もやめよう酒もひかえて、明日からは節制|一途《いちず》、まず早朝に軽く町内を一周し、急激な運動は逆効果だから、ラジオ体操くらい行なってと、できもしないプランを思いめぐらせる。運動神経はふつうだろうけど、戦時中は教練に明け暮れ、戦後は腹が減ってスポーツどころではなく、ようやくそのゆとりが出来た頃は、二十歳を過ぎていて、何をやるにもスポーツ中年、たいていの競技は手がけたが選手にはいたらず、やがて不規則な生活がつづき、近頃では脚と腕ばかり細く、頬と下っ腹に肉がついて、みるからに中年|面《づら》、時にふっとボディビルでもしてみるかと、その解説書買い求めたりするのだが、読むうち、それだけで筋肉のついた感じとなり、実行にはいたらぬ。 「ぼくが死んだら、どうする」一人くよくよ考えていてもろくなことはないから、女房に冗談めかして尋ねれば、「そうねえ、困るわ」けろっと他人ごとの如くいい、考えれば亭主のこんな質問は、女房の「あなた愛してる?」と双璧《そうへき》をなすくだらぬ類いだろう。「とっても悲しい」「私も生きていない」「そんなこといっちゃいや」どういう答え聞いたからといって、べつだん心はずむものではない、生命保険にはたしか七百万入っているはずで、貯金は、そっくり税金にとられるだけだから、これではとても食っていけない、女房は二十七歳だが、まあ働くといえば、郷土料理屋の女中くらいが関の山。もの好きがいて、あるいは再婚できるかも知れないが、すると当年五歳の娘はどうなる、連れ子というわけで、生《な》さぬ仲の義父にいじめられやしないか、いや、よく妻の連れた娘を、義父が犯すことだってあるではないか、なんという極悪非道なことか、庄助、自分の小説にはしばしばそのような関係を登場させるのに、箸《はし》持つ手をとめ、はったと虚空にらんで、そのうち涙がにじみ、とたんにこれは老人性白内障ではないかとまた怯える、もともと近眼乱視だから、眼の病気の知識もかなりあり、老人性白内障の兆《きざし》は、やたら涙がでること、死ぬならまだしも盲目になったらどうする、口述筆記の練習しておくか、いや、純文学ならいざ知らず、庄助のようなひたすら取材にたより、一銭てんぷらよろしく、材料のあたらしさで売る物書き業では、盲《めし》いたとたん生きるすべはないだろう。こりゃ、やはり貯金を心がける必要がある、金を溜《た》めアパートなど用意するなど、物書きの風上《かざかみ》に置けぬ、家を持つことだって堕落のきわみと、人真似で思いこんでいたのだが、残る家族を思い、いや交通事故で自ら筆が持てなくなったら、たよるところは金しかない、一昨年去年と年収一千万以上がつづいて、せめてその半分を定期預金にしておけばよかった、しみじみ死児の齢《よわい》を数え直して後悔する、金を溜めない強がりなど、結局自堕落な浪費家のいいわけに過ぎないではないか。  明日から貯金しよう、税金を考慮し、入ってくる金の四分の一で全生活まかなうことにしよう、といって間に合うのだろうか、こんなことを考えはじめること自体、死期の近くにせまった予兆ではないのか、わが葬儀に際し、妻は涙をふきつつ、娘に「さあ、パパとお別れよ、お手々を合わせてさようならしましょうね」いい、娘は紅葉のような掌で、訳わからず合掌し、だが考えると彼女はカトリックで、「神と子と聖霊の御名によりてアーメン」など、突拍子もない声でよくさけんでいる、アーメンでは成仏できそうもない、せいぜい悲しい新派風舞台想定し、それに没頭することで茶化そうとしたのだが、これもうまくいかぬ。  仏壇のパンフレットは焼き捨てたが、鴉は殺すわけにいかず、人にさし上げる代物でもない、庄助の部屋を我が物顔にのし歩き、おかげでごきぶりは出なくなったが、また、庄助この鴉さまを大事にしていれば、寿命がのびるように思えて、必要以上に御機嫌をとり、自称「カーコちゃん」というのだから女性なのだろうが、彼女は寂しがり屋で、庄助が机にむかっているといたずらしかけて気をひき、やむなく、庄助見れば見るほど、鴉とは信じかねるほど巨大な黒い鳥と向きあい、相手が「おはよう」といえば相槌《あいづち》うち、やがて「パパ」も覚えて、呼ばれるつど「ハイ」「ハイ」と答える。 「どうかね、死神のつかわしめのように見えないか」親しい編集者の一人に、鴉のことを打ちあけ、すると彼はしごく興味をしめし、是非拝見したいと書斎へ入り、これまで庄助、自分の部屋へ家族以外の人を入れたことがない、こっちの手の内さらけ出すような気がし、よく書斎で本棚を背負いポーズつくっている小説家の写真があるけれど、庄助虫眼鏡でその本を調べ、すると意外な本をならべていたりしておもしろいのだ。だが、そんなことはいってられぬ、階下へ鴉をおろそうものなら興奮して、誰かれなしにとびかかるから、対面するにはここでなければならず、しかも、女房は籠から出ている時の鴉を怖がり、掃除してくれないから散らかし放題。 「ふーむ、これはたしかに大鴉ですねえ」編集者|顎《あご》に手を当て、おそるおそるのぞきこみ、鴉はまったく無視し、また何かを部屋のすみにかくしている。「いやあ、こりゃ不吉なもんですねえ」「そうだろ、これを見てると、いやなことばかり考えちゃって」「といいますと」「いや、自分が死んだ後のことやら、あるいは一家死滅して、こいつだけ生き残り、死体をほじくっているとか」やや大袈裟《おおげさ》にいうと、「それいけますねえ」編集者にやりと笑い、「今は怪奇ブームですしねえ、迷いこんできた鴉の引きおこす奇怪な事件、鴉に現代の不安を象徴させるんですよ、ポーでいきましょう、ポーで」鴉ならカーだろうと考えたが、もとよりこれは「大鴉」の作者エドガー・アラン・ポーのことで、編集者すぐに手帳をとり出しメモをする。  百枚前後と注文され、なんの取得もない鴉だが、いわれてみれば小説の題材にならないでもなく、「しかし、タフなように見えるけど、思いがけずデリケートなんですねえ」「そりゃそうだよ、朝はこいつの声で眼をさますんだからねえ」「そういえば、朝の鴉の声は、人死を報《し》らせるってお婆さんがいってました」「そうだろ、どうしたって気が滅入るよ」「鴉と暮す作家なんて、写真になりますねえ」肩なんかにとまらせて、鬼気せまる雰囲気《ふんいき》に仕立てるのだという、そんなに鴉を商売に利用していいものだろうか、庄助考えこんでいると、「保坂さん、死ぬのは何時《いつ》がいいと思いますか」急に編集者話題を変え、「いつって、そりゃ、なんていうかねえ、寿命がつきてポックリといくのが」「いや、季節ですよ、春夏秋冬どの季節に死にたいですか」  よく夏が好きとか、冬がいいなどいうけれど、死期について、季節をえらぶとはこれまで考えつかず、ねがわくば花のもとにて我死なんといったのは、西行であったか、春のあのぬめっと生温かい中で息引きとるのは、どうも肌に合わぬ、夏は腐り易いし、秋ならば、これは菊の花に死顔をうもれさせて、月並みな感じだし、冬は会葬者が寒かろう、大体、死ぬ本人にとってみりゃ暑いも寒いもないにちがいなく、「いい時候のとき亡くなられましたな」なんて挨拶を耳にしたこともない。 「ぼくはあの清少納言の春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮、冬はつとめてという有名なくだりねえ、あれはひょっとして、息引きとる時にふさわしい頃合いをいってんじゃないかと思うんですがねえ」  庄助、洋の東西を問わず古典に弱く、しかも書棚に日本のその大系が麗々しくあるから、少々うろたえて編集者と階下へ降り、「春のあかつきにごろごろっと痰《たん》のつまるなどあでやかじゃありませんか」編集者浮き浮きといい、前夜に医者が、まず今夜いっぱいの生命でしょうと家族に宣告し、親族もつめかけてじっと見守る、しかし思ったより生命力強いのか、やがて夜の裾白々と明ける頃になっても息はかわらず、枕席《ちんせき》にはべる者の中には船を漕《こ》ぐ者も出る、夜が明けそめて、なにやら一同、ほっとした時、にわかに容態あらたまり、医者をよぶ間もなく息引きとって、そこかしこすすり泣く声が起り、まるで申し合せたように、戸障子から春のまだ淡い陽光がしのびやかにさしこむ、「あけぼのに白布の映えし仏かな」編集者は国文の出で、川柳や連歌の心得があり、うっとりと一句よむ。  大阪の葬儀会社社長が、まさかおおっぴらに宣伝もできぬから、電車の広告にえらく不吉というか、抹香《まつこう》くさい俳句をそえたポスターを出し、それは「風もなく桜の散って胸さわぎ」とか、「よもぎ餅待たずに今日の仏かな」といったようなもの、編集者のそれも似ていて、なんとなく背筋の寒くなるような違和感を庄助覚える。 「夏は、こりゃ夜ですねえ、昼の暑気もようやくおさまった頃おい、それまでせわしない病人の息がふととまって、一瞬あたりに静寂がみち、医者がつと脈をとり、かすかに頭を下げ、お気の毒です、一座声をのみ、かすかに蚊のうなりだけがひびく、これでいいんですよ、もし昼下りだなんていったら、汗だか涙だかわかりゃしないし、腐りも早いですしねえ、枕経《まくらぎよう》秋の気配のふとにじみ、てなどうです」  庄助もかなり、臨終や葬儀が好きなのだが、編集者は上まわるようで、「秋の夕暮|入相《いりあい》の鐘と共に死ぬなんざ、粋《いき》なもんですよねえ、つとめてというのは早朝でしょ、霜の置いた道を、着脹《きぶく》れた子供が息せき切って医者へ駆けつける、通勤者の一人二人行きあうけれども、べつに気にもとめず、子供の眼にあふれる涙を誰も知らない。ようやくたどりついても医院の扉は閉められたままで、子供はかじかんだ指に息吐きかけつつ呼鈴のボタンを押す、その姿を新聞配達がふとながめ、彼も、以前、父の死を経験しているから、気配で察し、だが何もいわずに立ち去る、医者はまだ起き出してこない」滔々《とうとう》と情景描写を行い、庄助これはかなり古い街のたたずまいに思える、戦前にはあったような感じで、「湯灌《ゆかん》する母はすっくと仁王立ち」また一句つけ加えたが、庄助、いささかうんざりして返事する気になれない。 「不吉な時はこっちですよ、こっち」帰りしな、編集者は小指おっ立ててみせ、「鴉なんかとつきあってるからいけないんですよ、同じ鳥なら夜鷹《よたか》の方が向いてますよ」えらく古風ないいまわしで、だが真面目にいった、たしかに人差指と中指の間から、親指の先をのぞかせる形は、ほぼ世界共通の魔|除《よ》けらしいし、火事に際して腰巻をふるのも、厄を追いかえす呪術《じゆじゆつ》ときいたことがある。いっそ盛大に浮気でも試みれば、さっぱりするかも知れぬ、かなり信用のおける出版社の週刊誌に、バーのホステスの八割は、売春婦とほぼ同じに体を売るとあり、そうでなくとも「ソンケイがカンケイにかわることは有り得る」のだそうで、庄助これを読んだ時|切歯扼腕《せつしやくわん》、なぜならバーへ通いはじめて、ほぼ十年近くなるのに、ついぞその八割にめぐりあったことがないのだ。  しかし、これは無理もないので、近頃のホステス嬢は、月収五十万円くらいざらで、宏壮なアパートに住み、夏はグアム島、冬はヨーロッパと遊び歩く、いわば新貴族というか、あるいは見識高かりし吉原花魁《よしわらおいらん》の再現とみるべきか、とても庄助如き賤民《せんみん》、浅黄裏《あさぎうら》の口説き得る相手ではないと決めこみ、ただもうそばにすわっていただけるだけで感激興奮もし、それ手でもふれたなら失神せんばかりで、一度もはねて後の寿司屋にさそったことすらない、バーの中でこそ、まだしも口を利けるが、一歩表へ出ればたちまち酔いは覚め、一刻も早くそのアパートへ送りとどけ、ようやく人心地をとりもどすこと、眼に見えている。それが豈《あに》はからんや、八割まで金でころぶなら、これは気が楽で、庄助、赤線の癖が未《いま》だに抜けず、前金で払ってようやく対等の口がきけるのだ。  厄除けなんだから、これはもう止むを得ぬ、事故に遭うより女房だってましに思うはずと決めこみ、勇んで銀座は「P」に出かけ、週刊誌によると、三十を過ぎてまだこの商売から縁が切れず、独立もできないホステス嬢が、とりもってくれるとあり、しばらく顔を見せなかったのだが、「P」にはたしかに一人心当りがいた。マダムと女子専門学校で同級、一度、結婚したが別れて、この道の成功者たるマダムに拾われ、どうみても美人ではなし、なんとなく水にあわぬ印象、いつも隅にひっそりいて、だが、若い連中は相談相手としているらしく、早い時間にいくと、よく二人向きあってひそひそ話などしていた。  こういう女性こそ、ホステスの月のめぐりから、|ひも《ヽヽ》の有無、さては無理してマンションに入った挙句、やりくり算段に追われているやら、病気の父親に金がかかるなど、消息通にちがいない、庄助は千秋というその老嬢を呼び、ふだん指名などないから、千秋いそいそと近づいて、「どなたか呼びましょうか、保坂さんのお好み、むつかしくって」などいう、べつにむつかしいことはない、決して指名せず、マダムのあてがいぶちをありがたく横にはべらせているだけなのだが、いざ千秋と面と向って切り出せず、まあ、のっけにいうのもお互い具合わるかろうから、店の後、六本木のイタリア料理屋をさそうと、「へえ、不思議なこともあるものね」意味深にいって、話はそれで通じたのか、席を去り、となると高い「P」にいる必要もない、赤坂へ移って時間をつぶし、午前一時、約束の場所で待つうち、店にいる時も地味なのだが、さらに堅気風いでたちに着かえ、千秋があらわれた。 「何か飲む?」「そうねえ、ジンフィーズ」これだけいうと、後がつづかない、しばし沈黙あって、「いよいよ保坂さんも|ねた《ヽヽ》につまったの?」|ねた《ヽヽ》、たしかに|ねた《ヽヽ》かも知れない、自分で口説く気力失せたり、さしせまっての必要の時、千秋が仲介するのであろう、「まあ、そういったところかね」「わからないものね、あまりバーのホステスなんか興味ないのかと思ってたわ」「とんでもない、しごく興味|津々《しんしん》だよ」「そう、でもね、あんまりおもしろいのもないんだけど」「いや、それは何だっていいんだよ、そうことさら変ったのでなくても」「惜しいことしたなあ、一月前に辞めたこでねえ、風変りなのがいたのよ、あんなの私もはじめてで、誰か先生にと思ってたんだけど」どんな風に変っているかといえば、まったくの良家のお嬢さん、一流大学も出ているのだが、急に水商売に興味いだいて、六本木のレストランで隣合ったマダムにホステス見習をねがい、もとより清純そのものだから、いわばフラワーさん、客の送り迎えでとりあえず雰囲気になれさせた、ところがすぐに飽きたらしく、ふつうのホステスを志望して、これが客の人気を集め、三月ばかり勤めて、また風の如くいなくなったのだが、風のたよりではアメリカに留学したとのこと、しかも、ホステス稼業《かぎよう》の間、毎晩客と夜を倶《とも》にしたことが、後になってばれ、海千山千のマダムさえ、いささかもその気配わからなかった。「ママがね、ぼやいていたわよ、私はもう女観る目がなくなったのかって」なるほど変ってはいるけれど、いないのでは仕方がない、「他の先生に売っちゃったけど、こういうのもあるわよ」千秋はすぐ別の話題に転じて、「一流大学の学生さんでね、恋人が全共闘っていうの、あのデモで警察につかまっちゃったんですって、その保釈金をつくるために、ホステス稼業に入ってね、そのスタイルだって、まるで女子学生だし、救援対策のパンフレットも持ってるのよ、お客の中に、学生運動のシンパがいて、たいした女じゃなかったけどひいきにしたり、これも真赤な嘘だったのよ、新宿のやくざが|ひも《ヽヽ》についててね、ママに借金申しこんだから、いっぺんにばれちゃった」即刻|馘《くび》にしたそうで、千秋は、マダムのそういった面における思いきりのよさを賞讃し、だが、これもいたしかたない。  いっこうにはずまぬ表情の庄助に焦《じ》れたか、千秋は「梨沙ちゃんて知ってるでしょ、あのこ、嘘みたいな話だけど本当に新婚旅行で、旦那様と知らない男ととっちがえちゃったのよ、暗闇だったし、それまで処女だったからわからなかったんですって」もとより破談となり、それからニヒルになって、男遍歴の末妊娠し、中絶の時にまちがって子宮壁を傷つけられ、ついに卵巣摘出、「えらい美人でしょ、でも本当に運のわるい人よねえ」やら、「アンナちゃん、見たとこどうしたって外人よねえ、でもあれは整形なのよ、れっきとした日本人でね、でもあれでずい分稼いでるわ、しょんぼりしてみせてね、お客様がたずねると、ハワイにいるママが病気だっていうの、せめて電話でなぐさめたいって泣き出しそうな顔すれば、国際電話の料金くらいくれるじゃない」「これで、うちのお店にけっこういろんな人の彼女がいるのよ、うっかり手をつけちゃって、後始末に困った時、マダムがみて、よさそうなら、ホステスに引き受けるのよ、保坂さんもいざという時は頼みなさいよ、女なんてすぐ水に染まって、けっこう楽しく世渡りしていくものよ」自嘲《じちよう》的にいい、「私に文才があったら、本当に裏を書いてみたいわ、売るなんてもったいない」庄助ようやく事情のみこめて、|ねた《ヽヽ》は文字通り小説の材料の意味だったのだ、銀座風俗をえがけば及ぶ者なき小説家の中には、あまり遊んでいない方もいて、よくこと細かに知っているとこれまで不思議だったが、千秋から情報仕入れるらしい。 「いや、別に|ねた《ヽヽ》を是非ってわけじゃないんだ」「だってそうおっしゃったでしょ」「まあ、そうとでもいわなきゃ、恰好がつかないだろ、要するに千秋さんと話したかったんだな」庄助もウイスキーを飲みつづけ、酔えば不吉の思いもうすれる。 「そう」千秋低い声でいって、うれしいわとつぶやき、テーブルの下から手をのばし、庄助の掌をまさぐり、やがてぐいとにぎりしめた、あれよとおどろくより前に、千秋の表情一変していて、媚《こび》をたたえ、ジンフィーズのせいだろうが、上気してみえる、「私てっきり、材料提供かと思っちゃって、少しがっかりもしたのよ、私なんかから聞いて、小説にするなんて。バーのことわかろうと思ったら、やっぱり入り浸りにならなきゃ、一身代つぶす覚悟でなきゃ、女給稼業の裏表わかりゃしないわよ」庄助、お説教されているようでしんみり聞き入り、「ねえ、どっか河岸《かし》をかえましょうか」千秋、先に立ち勘定払うと、まだ客えらびをするタクシーに、ぽんと二千円前払いして、「千駄ヶ谷へいって頂戴」決然と命令した。  千秋は年こそ庄助より下だろうけれど、服装さえかえれば失対の小母さんと大差なく、庄助うんざりしつつ、だが、魔除けに年齢は関係あるまい、十七、八の処女だけが不吉を払うわけでなく、いわば千秋は女盛りなのだから効力も強いはずと、必死にわが身にいいきかせ、千秋なれた風に旅館の入口を通って、「でもへんねえ、どうして私なんか口説く気になったの? 若い子にあきたから?」艶然《えんぜん》と笑ったつもりなのだろうが、空|怖《おそ》ろしさが先に立つ。  千秋は、昨日までメンスだったからと、風呂に入り、これも媚のうちなのか湯につかって古い流行歌を唄い、庄助こんな風な情景に以前も出くわした気がしてあれこれ考える。青森のさびれた娼家だったか、「私、小学校の時、唱歌がうまかったのよ」といい、女が※[#歌記号]柱の傷はおととしの、五月五日の背くらべにはじまり、延々と小学唱歌をうたって、涙ぐましくなったことがあったし、また、女がすっかりいなくて、遣手《やりて》婆さんが人身御供《ひとみごくう》、その最中にいびきかいて寝こんでしまったり、赤線のあった頃は、庄助の花盛りに思えるが、よくかえりみれば、そういい記憶もないのだ。  千秋とならんで、二つ枕に横たわり、さて話題もなければ、悪魔払いとり行う気にもなれぬ、ふと、マダムは女専の国文科だったことを思い出し、千秋にたずねると同じ専攻、「枕草子の有名な、春はあけぼのというくだりねえ」「ええ、あれ好きだったわ、もう忘れちゃったけど、昔は空で覚えてた」「あれに新説があること知ってる?」「新説?」「つまり」と、編集者のうけうりを弁じ立て、「たしかに春はあけぼの頃、山裾ようよう白みかけた頃に、御臨終なんて、いいかも知れない」「学生の頃ね、新説っていうほどじゃないけど、私たちも考えたことがあるな」  それは、なんと季節ごとに、セックス営むにふさわしい時刻と解釈したもので、「春はあけぼのの頃、ねむいし、体もだるいでしょ、つい起きるのがいやになって、二人あらためて身を寄せあう、夏は、暑いから、こりゃ夜になってからよね、そしてうっすらかいた汗を夜風にさらして、おくれ毛かき上げつつ月をながめる」秋は、人肌恋しくなっているから、とても夜まで待てない、そして冬は、「つとめて」を「勤めて」と解釈し、「寒いとついおっくうになるでしょ、だから頑張ってつとめなければいけないというわけよ」しゃべり終えて千秋はケラケラと笑い、身を寄せてくる。庄助おざなりに指を、鮫肌《さめはだ》めいて思える肉置《ししおき》にはいずらせ、「つとめて」といったのが皮肉にきこえる。 「同じ文章を解釈するにしても、男は死で女は性か」なんとか話をつづけようと、庄助つぶやくと、「だってセックスの方がまだリアリティあるわよ、臨終なんてそんなあけぼのとか、夜とか関係ないもん」「そりゃそうだけどさ、でも、どうせ死ぬんなら、季節にふさわしい時刻をえらびたいし、よく考えると、夏より冬がいいなんて思うんじゃないかなあ」「そんなの勝手よ」千秋ひょいと真面目になって、「だってね、私の亭主なんか、前の日まで元気だったのよ、それこそ頑丈一点張りみたいで、タフだったし、それが朝方だったかしら、急にうーんて、ものすごい声でうなって、畳にひっくりかえって、そうねえ、五分くらいかしら、死ぬまでに」「いわゆるポックリ病だろ」「そうなのよ、心臓にも血圧にも異常はないっていわれたもの、解剖の結果」  庄助、かえって藪蛇《やぶへび》の思いで、ポックリ病の恐怖も、心の中にわだかまっているのだ、「しかし、そういうのは例外だろ、たいてい癌とか、肝臓病、糖尿病で長わずらいがふつうなんだから、ある程度えらべるさ」「でもねえ、私の前にちょっとつきあってた人なんか、本当は死んだのに生きかえったしね」それは、胃潰瘍《いかいよう》の手術の後、急に心臓が衰弱して、カンフル射《う》っても回復せず、ついにとまってしまったのを、医師は素手で心臓わしづかみにし、必死のマッサージ行なって、奇跡的によみがえらせたという、「でも、結局はえらく苦しんで死んだそうよ」いったい、心臓わしづかみにされマッサージされるなど、いかなる気分であろうか、庄助さらに気が滅入り、胸のあたりが痛くなる。 「とにかく人の死ぬなんて簡単ね、私、恋人が肺病で死ぬ時、枕もとにいたのよ、手をにぎっていてくれっていうから、つい脈をとってたら、トン、トンと少し間遠にうって、しばらくないの、死んじゃったかと思ったら、急にトトトトトと早くうって、また休んで、忘れた頃にトンとあってね、それが、次第に弱くなって、最後はコトリって感じね、私、今もはっきりあのコトリという感触覚えてるわよ」  千秋、じゃれるようにからめていた指先で庄助の手首を探り、少したって脈はかっているのに気づき、仰天してふりはなす、まるで、その指先に残っているというとんことりがうつりでもする怯えがあり、亭主がポックリ病で、関係のあった男は、ハートわしづかみ、そして恋人がとんことりといえば、つまり、千秋と寝た男は、実に高率で死んじまったことになる。庄助寒気を覚え、「いくらそんな贅沢《ぜいたく》なこといったって、死ぬ時は死神まかせよ、そうじゃない?」千秋はけろっと、いささか体を退ぞかせた庄助に寄りそい、庄助の体半分、布団からはみ出て、十月の冷気に風邪ひきかねない。 「私ねえ、三年も男断ちなのよ、いくらうわべ平気な顔しててもね、ああいう世界にいれば汚ないことも見せつけられるけど、逆だってあるでしょ、更衣室なんか、お互いに妙なとこにキッスマークつけて、キャッキャッてふざけてるんだもの、いい加減かっかしちゃうわよ、あのママだってねえ、どういうつもりかしらないけど、旦那と寝てる部屋に、わざと私を通したりするのよ」だから察してくれという風に身もだえし、庄助はそれどころではない、鴉、霊園、仏壇とつづいたまやかしの、これが最後の仕上げではないか、この女と枕かわした男は、ぽっくりかとんことりで死んでしまうのではないか、千秋の姿が、ふと、妙に落着いて、三波春夫の如くににこやかだった霊園セールスマン、やたらとさわがしく笑い立てていた仏壇屋、さらには、「カーコチャン」と、しごく低音でがなりたてる大鴉と二重写しになり、そして千秋は神聖受胎のマリア様の如く、うっとりとした表情で、三年ぶりの営みを待ちうける。 「あのねえ、ちょっと妙なことを思いついたんだけどさ」「なあに」「君のいってた、秋は夕暮ね、たしかにそこかしこ落葉のとび散るたそがれ時、ひそかに抱きあうなんていいだろうと思ってね」「そりゃそうよ」「だからさ、もう一度、日をあらためない? 実はぼく少し飲みすぎたらしくて、あんまり自信ないんだよ」「大丈夫よ、私、ちゃんとしたげるから」「そりゃそうかも知れないけど、君の好きな秋の夕暮に」「いいのよ、旧暦でいえば十月は冬のはずでしょ、だからこのまま起きてれば、後二時間でつとめてになるじゃない」「いや、そんなこといってもまだ秋だよ」「冬よ、冬はつとめてよ」千秋は怖気《おじけ》づいた庄助の心底見きわめた如く、きっとにらみすえ、断じて逃がすまじといったように片腕押えこみ、はなさぬ。 「白水が死水となる怖ろしさ」「つとめてに勤めて仏となりしかな」「死神とそいねせし夜の明け易く」庄助息苦しいまま、編集者をまねて五七五でたらめにならべ立て、気づくと千秋疲れたのか寝入っている、申しわけない、どうか恨んで下さるなよ、心に拝みつつ洋服着こみ、一万円札四つに折って千秋のハンドバッグの下にさしこみ、足音忍ばせ部屋を出る。  タクシーの姿はなく、ただ一刻も早く千秋から逃れたくて、足早に歩くうち、東の空明けそめ、ようやく一台つかまえ、わが家へもどると、ネグリジェ姿の妻が庭に髪ふり乱して立っている。「ごめんなさい、つい雨戸開けようとしたら、飛び出しちゃって」ふり仰ぐと、大きな鴉が庭の木の頂上にいてギャアと鳴きわめき、羽根を切られていても、実はかなりとべるらしい、しばらく庄助をながめ下ろしていたが、やがて覚束《おぼつか》なく道路をこえて消え失せ、「ごめんなさいね」女房のあやまるのに、庄助「いやあ、いいんだよ」いと鷹揚《おうよう》に答えた。 [#改ページ]  最終話 おわりよければ  庄助、この秋で三十九歳となり、何事につけ古めかしいものが好きだから、気持の上では数え四十と覚悟決めていて、誕生日を迎えていよいよ三十代もあと一年など、未練がましくは考えない。しかし、数え四十と自分にいいきかせている底には、満でいえば三十八と弁解する気もやはりあるので、また、早くから四十に慣れておこうという心づもりもある。十七、八の頃、二十歳がたいへんな大人にみえ、それだけで軽蔑するようなところがあったし、二十代の終りになるとまた、三十男になる自分につき、かなり確かな怯えを感じ、この時は、三十になろうとしてるのに、何をぼやぼやしておるのだという、苛立《いらだ》ちが強かった。  そして四十男を目前に控えた今の、居心地のわるさは、誰やらが不惑などと、くだらぬ強がりをいっているから、不惑どころか、ますます右往左往うろたえあわてている自分に対し、愛想づかしの気持と、いよいよどうごま化しても、肉体的には老年にさしかかったのだなという、心細さ、そしてまた、異性関係においても、もはやいくらじたばたしたって詮《せん》かたないのだと、あきらめいだかざるを得ない悲しみ、そんなものがごちゃまぜに押し寄せ、多分、年代が移るいくつかの場合の中で、いちばん思い切り悪い時ではないのか。  この中で、いちばん切実なのは、異性関係であり、若い女性に、四十代のイメージをたずねると、三分の二が「いやらしい」で、残りが「頼もしい」であるという、庄助、自分の心ざま顧みれば、どうひいきめにみても前者であって、これまで以上に、もてなくなること自明の理らしいから、なんとか、満で数えて残された一年を、有効に使いたいと、大袈裟にいえば、四六時中、頭を去ることがない。思えば、庄助の世代は、実に女運のわるい世代であって、そのいちばんのあらわれは、男女共学と、微妙にすれちがいつづけたことだろう。  同世代に岡山出身の小説家がいて、彼は、高校二年の時に、いよいよ来年の四月、近くの女学校から、女学生が移ってきて、席同じゅうして勉学すると決った時、悩んだあげく退学し、二年中退のまま大学受験検定試験に応じて、一足とびに大学へ入ってしまった。セーラー服の女学生が、教室にみちみち、わが隣にその声音をきき、かぐわしからん息づかいにふれれば、それだけで射精してしまいそうだ、またいざ実現の暁には、授業中であろうと、なんだろうとたちまち襲いかかって、スカートひんむき、と、そこまで考えると、また射精しそうになり、とにかく、男女共学の文字みただけで、猛《たけ》り狂って自らをなぐさめ、そのため一月に五キロ痩《や》せてしまったという。このままでは体ももたず、破廉恥罪犯しそうで、中退してしまったのだが、庄助はまったく逆で、旧制高校から新制大学に移行する際、市内の女学生で大学へ進む者は、やはりこれまでの女子大をえらぶ者が多いときき、それでは男女共学を期待しにくい、同じ文理学部でも、少しはなれた町にある旧師範なら、ほぼ男女同数ときいて、そっちを志望し、だがどういう思惑なのか、以前は兵舎だったその建物に、男と女まったく教室がわかれていて、夢はかなえられなかったのだ。  庄助、近頃しきりと制服の処女が気になって、二十年前の中退者の如く、その姿みるだけで妖《あや》し気なときめきを覚える、そもそもセーラー服に興味ひかれるなど、いやらしい中年にさしかかった何よりの証拠と、しごくよくわかってはいるが、実際にそうなのだからしかたがない。これはすべて、男女共学手のとどくところに在りながら、ついにかなえられなかった怨念《おんねん》の、いわば本家還りではないだろうか、二年下の連中は、新制移行の際、のりこんでくるセーラー服の群れを、校門に行列し拍手をもって迎えたのだそうだ。先方も緊張しているらしく、また彼女たちは戦時中の分列行進の訓練をうけているから、整然と足並みそろえ、スカートの裾ひるがえし、まなじり決する印象で、進軍してきたという、迎え撃つ中学生、中の一人と偶然に視線があったといって熱を出し、歓迎会が開かれて、その言葉をよみ上げた優等生は、緊張のあまり一行読んでは咳払《せきばら》いをし、自分ではそのことにまるで気がつかなかったという。  男女共学は、やはり小学校から行われなければ、駄目で、庄助の五年くらい下までは、たとえ共学といってもぎごちなく、大学においても、圧倒的に男が多くて、その実体にはふれえなかったといえるだろう、にしても、彼等は、ことさらセーラー服に、あこがれを抱きつづけなくてもすんだはずだ。庄助の年齢においては、共学は小学校三年までで、いざ中学へ入り、ひだの多いスカートが気になりはじめたとたん、もんぺにとってかわられ、女学生の制服は神秘化されたまま戦争が終って、翌年の春に、スカートよみがえったものの、もはや到底近寄りがたく、いくら憧《あこが》れたってどうなるものではないと、思い絶ち切り、娼婦に没入したのであって、考えてみると、庄助は結婚するまで、母親をのぞけば、堅気の女性と口を利いたことがないし、女学生とは、現在までいっさいの交流がないままなのだ。  圧殺してきたセーラー服願望が、いやらしき中年男目前にして、また息ふきかえし、思いきって同年代の同業に告白すると、向うも想いは変らず、ふと溜息をもらし、「ただ、話をするだけでいいなあ」やら、「こう、手をつないで歩くだけで満足だ」と彼方《かなた》をながめる目つきとなり、庄助自分は棚に上げ、その酒焼け、脂のまわった中年が、セーラー服と一緒にいる姿など、人道にそむくような感じだが、とにかく仲間はいる。  なんとかして、女学生、今なら高校生とお近づきになれないか、あれこれ思いめぐらせ、頓狂連の中に一人、庄助と同じ年の独身女性がいて、名門大学の出だから、あるいは友人に高校教師がいるかもしれぬ。もとより教師はポンビキじゃないから、いくら紹介されてもどうにもならないが、とにかく相談もちかけると、彼女は「じゃ、いっぺん運動会みにいきましょうか、そんなにあこがれてるんなら」出身大学には、短大、高校、中学もあって、その総合運動会が、次の日曜日にあるという。  女学校の運動会、考えただけで庄助、息がつまりそうになる、戦後、大阪近郊に住んでいた時、近くの女学校に、あれは中学五年の頃だったか、悪友とこっそり生徒の肉親装ってしのびこんだことがある。くわしくは覚えていないが、借り物競走、二人三脚が主の、たわいない競技で、庄助たちは見物客の背後をまわって、校舎へ入りこみ、しめしあわせたわけではなかったが、下駄を脱ぎ足音忍ばせ、深閑とした廊下を歩き、まず便所の前に言葉もなく立ちつくした。女学生は一面において神聖この上なき存在だが、また、ひそかにこの場所において、なすび、万年筆、さらに電球を使用すると伝えられ、それはあるいは汲取人《くみとりにん》がその証拠をにぎっているとか、また電球が破裂して病院へ運びこまれたとか、まことしやかな噂《うわさ》となって流れ出た。朝顔はなくて、両側に一段高くしずもりかえった灰色のとびらをながめ、手洗いの前に古ぼけた鏡のあることにも感じ入り、しかし、中へ入って下をのぞきこむ勇気はない。  二階の各教室を検分し、はずれに裁縫室があり、ここでは性教育が行われたはずなのだ、誰の情報か知らないが、進駐軍の命令でこのことが中学生にほどこされ、女学校では、たいていいちばん年長者である裁縫教師が、頬赤らめつつ説明したときかされていた。庄助も受けていて、生物の教師が行なったが、雌しべ雄しべにはじまり、次第に錯乱して、とてつもなく露骨な話題を早口で開陳し、その後、兎の解剖があったのだが、教師は麻酔を忘れてメスを入れ、いまだに庄助、性教育ときくと、キュウキュウ苦痛の悲鳴上げていた兎を思い出す。  裁縫室は畳敷きで、寺子屋の如く、ここにセーラー服のスカートはらりと開げ、すわったのか、電車などで見ていると、席につく時、必ずスカートをひろげて、あれではズロースがじかについてしまうと、常に気になるのだが、庄助は、眼を皿に畳の上を凝視して、すでに暮れなずむ頃、何一つ見分けられやしない。また、階段を降りると、いましも、上級生のダンスがはじまるところで、そこは生徒側だから見物人がいない、左右からブルーマーはいた女学生無限に運動場へわき出し、まさに眼がくらんだ。ブルーマーというものはどうしてあんなにふくらんでいたのか、その下に延びる足も、多分、動きにつれぶるぶるふるえたはずの乳房も印象に残らず、ブルーマーの野暮ったく、それだけに突き刺さるような残像だけが、今も生々しく残っている。  あのブルーマーにまた見参できるのか、庄助いたく刺戟《しげき》を受け、当日は会場近くの千駄ヶ谷駅一時に集合の手はず、早すぎても恥ずかしいし、おくれては一大事、定刻五分前に着くと、すでに総勢六名がそろっていて、各人の衣裳《いしよう》いずれも異なり、つまり、それぞれ精いっぱいの若返り心がけたのだろう。常にネクタイ背広の男が丸首セーターにジャンパー、およそ身なりかまわぬ奴が、チェックのシャツにコットンパンツ、自分も出場するかの如く運動靴をはき、案内役の女性もトンボ眼鏡に若がえり、庄助はデニムの背広、体育館の前に花やかなアーチがあって、眼に入る者すべて生徒かその父兄、なんとなく敵国へ潜入するスパイのような緊張を覚え、先達《せんだつ》の後をおそるおそる従ってゲートくぐれば、そこは出場する連中の控室で、トレーニングシャツ着こんだ体操教師二人の他、みなうら若き女性の、年齢判別するゆとりはない、きちんとセーラー服に身を固め、「高校三年のマスゲーム出場者、準備よろしいですか」マイクがひびき、トランシーバーかかえた生徒が何ごとかマイクにむけしゃべっている。 「鷹羽先生どこにいらっしゃる?」先達がたずねて、すぐわかったらしく、廊下歩くにしろ女学生の洪水を押し分けかき分け、ただもう小柄な先達の姿見失わぬよう必死で、階段を上り、たちまち広大な館内のフロアがとびこみ、先達は客席通路どんどん降りて、いわば砂っかぶりといっていいあたりに腰をおろし、一同もならんで身をすくめる。  割れんばかりの拍手がとどろき、四隅の入口から、手をつないだセーラー服、中央に行進をはじめ、拍手静まると音質のわるいレコードの伴奏がきこえ、「|トルコ《ヽヽヽ》行進曲かあ」一人が感にたえた如くいう。「怠慢ねえ、学校ってとこは、こんなことしてるから、ゲバふるわれるのよ」先達ふんぜんとしていって、それは先達が女学生たりし二十二年前の頃と、まったく踊りのパターンがかわってないというのだ。  女学生たちは四つの二重の円をつくり、リズムにあわせスキップしたり、中の円陣がかたまって両手を天にさしのべると、外側の連中は片膝《かたひざ》立ててすわり、頭をたれる、するとまた万雷の拍手で、まあ、単純といえば単純である。ゴーゴーくらい軽くいずれもこなすだろうに、これでは馬鹿々々しいかも知れぬ、にしても、夢にまでみたセーラー服のあるいは拡散し、また集合し、席は高みにあるから、動きのすべてながめわたせ、庄助うっとりしていると、「ねえ、体操教師の中に皮肉なのがいるんじゃないかね」高校中退がささやき、というのは、この演目《だしもの》は|マス《ヽヽ》ゲームというらしい、そして伴奏が|トルコ《ヽヽヽ》マーチとは、偶然にしてはできすぎている。女の園にあっていっこう意気上らぬ、多分、いつも軽蔑の対象にされている小男の教師が仕組んだのではないか。現在ではオナニーというから、みな気づかないのかもしれぬ、いわれてみれば、庄助の頃はすべてマスであった、もしマスゲームという言葉をきいたら、ただちに集団マスターベーション、とばしっこを連想したはずで、ながめるうち、女学生のその動きは、しごく活発でマスと関係ないが、結んだり開いたりする円陣が、巨大な女陰にみえてきて、この振付考案した者も、かなり陰険な復讐《ふくしゆう》の念を託したのかも知れぬ。  踊っている女学生にはわからないし、他の教師も気づかないだろう、妄想《もうそう》にふけっていると、「畜生、誰だトレーニングパンツなど考え出した奴は」別の一人がぼやき、しきりに会場見渡しているから、庄助見ならうと、たしかにマスゲーム出場者をのぞいて、すべて赤、青、黄、橙《だいだい》、緑、白六色のトレパン姿、上は丸首に半袖のシャツ、ブルーマーなど気配もうかがえぬ。つづいて「ラッシュゲーム」「二人三脚」が並行して行われ、前者はトイレットペーパーで径二|米《メートル》ほどの輪をつくり、この中に十人くらいが入り、ペーパー破らぬよう競走するもの、この出場者は高校一、二、三年だったが、一年だけがバミューダショーツ風で他はトレパン。「みんなこうなんですか」先達にたずねたが、よくわからず、たしかに若い女の、キャアキャアという嬌声《きようせい》にとりまかれ、また、席の前を通り過ぎる連中、つつましやかながら体臭まき散らし、けっこうなのだが、もう一つ女学生の運動会らしくない。  マスゲームで妙な連想浮べたせいか、ラッシュゲームは痴漢レースみたいだし、二人三脚みれば、レスビアンのかけっこに思え、次は、なんと短大有志による薙刀《なぎなた》演武で、木製の薙刀かいこんだ五十人ほど、静々と登場したかと思えば、キエーットウッと裂帛《れつぱく》の気合ひびかせて、一同胆を冷やす。  一人がブルーマーか、せめてショートパンツくらいないものか、自動販売のジュース買いに出かけ、そのまま帰ってこず、しかし深山幽谷でもあるまいし、生命に別条あるまいと表へ出かけたら、「保坂さん、保坂さん」声がして、みると怪我人のための簡易医務室に当の男、胸から呼び子を紐《ひも》で吊《つる》し、女学生相手とはいえたくましいみるから体操教師にかこまれている。「ええと、なんてましたかね」男は先達にたずね、彼はジュース買った後、少し探検するつもりで女学生の群れかき分けて、うろつくうちにひょっこり衣服着替えにあてられた部屋の前に出て、教師に見とがめられ、とっさに父兄と答えたが、さらにクラスと名前たずねられ、口ごもるうち痴漢とまちがえられたのだ。 「私たち、鷹羽先生をたずねてきたんです、私は三十回の卒業生ですけど」先達たのもしくいって、男を救出し、「いやあ、ひどい目にあっちゃって、入って来る女学生、みんないやな目つきで見やがってねえ」もしもし忘れもの、背後から呼ばれ、教師の一人ジュースの瓶《びん》をさし出し、「どうぞ、皆さんで召し上って下さい」庄助がいったが、教師たちまだ疑いといてない表情で、首を横にふり、体育館出ると、澄みきった秋の空、一同、ジュースをラッパ飲みし、昼の花火がけたたましく鳴った。 「そんなに女学生に会いたいんなら、もうじき文化祭の季節でしょ、講演にいけばいいのに」先達がいったが、バリケード・ストや、沖縄返還集会の、講演芸人として口はかかっても女学校からは、庄助もとより誰もお座敷かからぬ。「私が、話したげましょうか、Kさん映画にくわしいんでしょ、映研のサークルなんかどう?」「そうですね、女学生の映研ならなんとかごま化せるか」以前、シナリオライターだった一人が、言葉つきも丁重に答え、さて庄助は何をしゃべれるか、昭和二十七、八年生れに、焼跡闇市体験物語ってもせせら笑われるのがおちだし、いくら頭ひねっても教養あり気な言葉は出てこない。東大独文出身は「私、わりにクラシックは強いんですがね、レコード鑑賞会の講師はどうでしょう」ええかっこするし、同じく仏文卒は「ホー小父さんの素顔なんてどうだろう、でなければTV界の内幕でもいいし、なんなら北欧における男女交際のあり方について」まるで週刊誌トップ記事書くようにいう。  先達の友達は、有名女子高校の教師をまだ勤めていて、二、三心当りを探すからと別れたのだが、一週間後に、もっとも女学生向きではない庄助のもとに、先達の紹介で講演依頼があり、テーマは「遊びについて」というもの。このテーマならまあなんとかごま化せるだろうが、女学生何百人かを相手に、演壇から一人しゃべりつづける自信はなく、持ち時間一時間半のうち三十分は、庄助が自論をのべ、後は演壇を降り生徒の中にまじって自由討論の形式を提案し、こうすれば、あこがれの男女共学、いや、考えようによれば、さらにあらまほしき状態ではないか、どっちを向いてもセーラー服だらけ、かつて、女学校教師の悩みというのをきいたことがあり、それはつい美人の生徒に視線がいくし、また特定の者に、なんとなく質問を多くする、するとないがしろにされた連中、ひがみにひがんで、関心ひくため、体すりつけたり、スカートをわざとたくし上げるのだそうだ。自分も気をつけなければいけない、その日まで、庄助ベッドに入ると、一面の女学生にかこまれたわが姿思い浮べ、どうか先方の気のかわらぬよう神にも祈りたい。  庄助の吉報を知った独文出身、マネージャー格でいいから同行させろといったが、拒絶して、あれこれ思い迷った末に、衣裳は赤のストライプの入った黒のスーツ、いちばん踵《かかと》の高い靴をえらび、入念に鬚《ひげ》をそり、その女子高校は小田急沿線にあるから、まず新宿へむかう、テーマについては出たとこ勝負で深く考えず、午後三時に到着すると、ジャンパースカートというのか、ウエストをバンドでしめた二年生が校門にいて、クリスチャンの系統らしく、教会があり、その横のちいさなホールが会場。  八分の入りで約六十人、数は不足だが、壇上から見おろすといずれも良家の子女風、思ったより美女ぞろいだった。庄助は元来が口下手で、酒飲まなければうまくしゃべれないのだが、この時はその準備を失念し、だが全共闘やロータリークラブで話するよりは気が楽で、やがて完全管理社会、情報社会になれば、個性的な遊びこそが、人間らしさを保ちつづけるための唯一の手段となろうなど、誰かのうけ売りをのべ立て、おのずと視線さだまらず、えこひいきの心配はないようだった。  だいたい論理的に話すすめることは不得手で、しどろもどろとなりかけたから、「では、これからは皆様の質問に応じて、ぼくの考えを申し上げます」しゃべりを打ち切り、討論の準備整っていて、生徒のまんなかにすわらされ前にマイクがあり、他にハンドマイクで司会者が発言者の声を拾う、席についたとたん、「保坂さん、どうして黒眼鏡かけてるんですかあ」無邪気な質問がとび、虚をつかれたが、その由来については幾度となくたずねられていたから、「もともとぼくは顔がまずいからそのアラかくしで」と、せいぜいユーモラスに説明したが、最後まできかず、別の一人が、「じゃ、眼鏡とってみて下さい」つづいて唱和する如く、「とってえ、みせてえ」嬌声がとびかった。  庄助は素顔にまったく自信がなくて、女性としとね倶にしたって、激しい動きに、ともすればずり落ちかける眼鏡、左手で押えつつ行うのだし、いくら汗かいていても、人前では眼鏡とっておしぼりをつかわぬ、とればしごく間抜け面となるのだ。にやにや笑ってごま化そうとしても、「とってえとってえ」シュプレヒコールの如く、庄助すっかり混乱して、立ち上り、もうやけくそでエイッと眼鏡をはずし、なにしろひどい近視の乱視だから、たちまち視界ぼやけて、ただもやもやと前方に白いかたまりがうごめいている、とった瞬間は、その反響がどんなものか、推測するゆとりなく、だがすぐにきっとけたたましく笑われるにちがいないと身を固くし、しかし嘲笑はなくて、「あら、どうってことないじゃない」「そうよ、自意識過剰よ」「意外とちっちゃい眼ね」「ユリネに似てない?」「あら、わるいわよ」べちゃくちゃしゃべる声がきこえ、ユリネとはなにか、まあ、おおよその見当はつくのだが。  また眼鏡をかけ、のぼせ上って一種の酩酊《めいてい》状態になっていると、自分でもわかる、矢でも鉄砲でももってこいといった心境で、しかし女学生の方が、はるかに上手だった。「同性愛についてどう思うの」「べつにわるいこととは考えませんけど」「じゃ、保坂さんもするの?」「なかなか、ふんぎりがつかなくて」「でもさあ、同性愛って、男とさ女とさあるんでしょ、あれどうなってんの」「そうだなあ、まあ、ぼくについていうなら、同性愛における男性的立場はまだとり得るけど、女性の方はちょっと」キャアッと全員笑い出し、「サド、マゾはどう?」「そうねえ、サドはわからないけど、マゾの方は、ぼくが小学生の頃、よく上級生の女の子に組敷かれることを妄想したことがあるから、あれを発展させるとマゾヒズムになるのかなあ」一瞬しずかで、すぐ一人が「気持わるーい」とつぶやき、手応えあるのやらないのやら、しかも馬鹿にされている感じだけたしかにあって、庄助、真面目に答えれば、突拍子もない感想、たとえば「一夫一婦制は、やがてなくなるでしょう」重々しくいえば、「あら、本当」「パパよろこぶわあ」やら、「まあ女性もこれからはせめて二カ国語くらいマスターしといた方がいいでしょう」年長者らしい教えに、「保坂さん、いくつしゃべれるの?」庄助皆目だめだから、はっきりそうとはいわず「中学で英語、高校で独逸《ドイツ》語、大学では仏語をいちおう」ごま化し、するとそのあやふやさいち早く見抜いたのか、「フランス語でしゃべってみてえ」声がかかる。  へとへとに疲れ、それでも帰りぎわに拍手が起ったが、いったい教師は何をしとるかと思い、半分はその苦労思いやり、ぞろぞろひき上げる女学生、みな教会に立ち寄って、しごく敬虔《けいけん》な祈りを、かなり長くささげて後、帰途につくのだ、あるいは保坂庄助からかった罪の許しを乞うてるのかも知れぬ。独文出や仏文卒が、結果知りたがったが、まあまあと口濁して、いったい女学生とは何であるのか、道で会うその姿は、いつも片手に重そうな鞄ぶら下げ、とっとと脚いそがせて、ついと大門閉め切ったわきの木戸に姿を消し、自転車に乗ってれば、庄助のわき過ぎる時、ペダルをふまずつつましく、片手で髪の乱れなど押えている、友達と歩く時腕を組み、別れる時は大袈裟に手をふり、そのいずれも、庄助のはじめて話かわした女学生たちと結びつかない、一種の幻滅を感じて、呆然自失の三日を過し、すると電話が、当日出席したという一人からあって「ごめんなさい、みんなでがやがやしちゃって、お気をわるくしたでしょう」きれいな声がひびく、先方は二人連れらしく、途中、何度か相談していたが、結局、もう少し落着いて話をききたいというものだった。  とたんに生色よみがえり、浮世に不義理しても、今一度女学生と対話したい、すぐその日の四時に落ち合って、高校二年という二人は、いずれおとらぬ美女、一人がやや積極的に発言し、内容も真面目なものでベトナム和平から安保にいたり、これも聞きかじりの庄助の言葉いちいちにうなずいている。そのうち調子にのって、近頃、しきりにいわれる戦争体験継承の是非につき、これならいくらか自信があるから、戦争とはどういうものかを物語り、中に何気なく「徴兵忌避ということがあってね、召集令状が来ると、逃げたのもいるし、また、お醤油を飲んで出かけた人もいる、お醤油を一合ほどいっぺんに飲むと、高熱がでるらしい、そうすれば召集解除になるからね」いちいち用語について解説しつついい、二人はふんふんとうなずいて、門限は六時だから、また、是非逢ってくれ、たいへんおもしろかったと、お世辞いいつつ二人はかえったのだ。  そして、音沙汰ないまま一週間たち、今度は、あまりしゃべらなかった方の女学生から電話で、「あの、お醤油飲むと、熱が出るって本当ですか」のっけにたずねられたから、「ああ、自分でためしたわけじゃないけど、よくいわれてたし」「ふーん」しばし沈黙の後、「お湯でうすめてもいいんですか」いいんですかとは何事か、「さあねえ」「あの、私たち飲もうと思うんです、でも飲みにくくって」「冗談じゃないよ、どうして」「だって、いじわるな先生がいて、急にテストするっていうんだもん、この前、中間試験があったばかりなのに、あんまり癪《しやく》だから、私たちのグループ五人全員、お醤油飲んで休んじゃおうと思って」庄助とび上らんばかりにおどろき、かつて壮丁でさえ高熱を出したというのに、うら若き乙女が真似したらどうなるか、ひょっとして死んでしまって、そそのかしたのが庄助とわかったら、いかが相成るか。「あのね、ちょっと待ちなさいよ、もし、熱をどうしても出したいなら、他にもっと楽な方法があるんだから」冷汗流していうのに、向うは気楽に「あら本当、じゃ教えてよ、今ね、一升瓶買ってあるのよ、でもおちょこに半分も飲めないの、しょっ辛くってえ」当り前だ、「じゃね、どこかで会って教えるから」「どこがいい?」「そうだなあ」昼日中セーラー服五人引き連れて歩くのは気が重いから、津の上坂の部屋近くで落ちあい、そこで醤油をなんとか、思いとどまらせるつもり。 「だってさ、ねえ、すごいサジストなんだもの」Aがいい、「大体ねえ、勤続二十年で表彰されるなんて、人間ばなれしてるのよ」Bがうけ、五人そろうと気が強くなるのか、部屋につくなり、教師の悪口をとめどなくしゃべりはじめて、本当に一升瓶を持っていた。その数学の教師は女性で、いまだ独身、まことに気まぐれで、山のような宿題出すかと思えば、提出させることを忘れ、テストも、予告しておいてやらなかったり、今度のように抜き打ちで、明日、しごく広範囲なテストを行うという、これだって本当かどうかわからないが、わるい点とれば両親が心配するから、ねじり鉢巻にならざるを得ず、もう我慢しかねると、口々に訴えるのだ。  庄助はどっちが正しいかなんてどうでもいい、醤油とり上げても、いくらだってあたらしく手に入るものだから、「徴兵の時は一大事だからね、ひょっとすると死ぬかも知れない危険を犯したんだけど」テストならば、体温計を少し操作すればいい、それはと、庄助人差指と親指につばをつけ、きつく合わせてもみ立てる、こうすればその部分だけ熱を生ずるから、こっそり体温計の先端をあて、水銀の目盛りを適当に上げるとよろしい、一同うなずいて、二本の指をこすって練習し、しきりに唾をつけるのもいて、ひょいと、これはマスゲームの練習みたいじゃないかと、おかしくなる。  この方法はインチキではなく、庄助もよくやって両親をごま化したもので、あらかじめこすっておくと、五秒ほどで七度が九度近くに上昇するのだ。女学生たち、いずれも正座できず足をごろんと投げ出し、要領わかると重荷下ろした如く明るい表情となって、しかし教師の悪口は辞めず、「大体、うちの学校クリスチャンでしょ、だから、慈善事業のつもりで先生集めてるのよ」「そうよ、一メートル五十くらいしかない男の先生が三人もいるし、とんでもない顔のオールドミスも多いしねえ」「片輪とサジストとヒステリーの集りよ」全共闘も仰天といった攻撃ぶりで、「それで気持わるいのよ、へんなことにばっかり気をまわして、関西に旅行した時、琵琶《びわ》湖で船に乗るのね、そん時、ぴょんととばなきゃなんないのよ、そしたら、下着がみえるといけないからって、黒をはけっていうのよ」「サイテーよ、白の方がかわいくっていいじゃない、保坂さんどう思う?」庄助としては、どちらでも結構なのだが、女学校の教師たるものいろいろ気をつかわなければならないらしい。 「あの心電図だってそうよねえ、必要あるのかしら」胸の発達したCがいい、それは、体格検査の時に、心電図をとらされ、ふつうは女医なのだが、この時は六十年輩の老医二人あらわれて、実にうれしそうにニタニタ笑いつつ、女生徒の胸に電極をおいたという、それはそうであろう、きっとかなりの回春効果があったにちがいなく、「そりゃ、ぼくだってニタニタするだろうな」うっかりいうと、Dが「保坂さんみたいに若ければまだいいけれど」「そうよ」またお世辞で馬鹿にされ、体操教師の罰がエッチであること、女教師の一人にスカトロジアがいて、やたらお小水の話や、下痢便について物語ること、実になんとも興味深かったが、やがて一時間過ぎようとした頃、「ねえ、今日は、みんなで保坂さんの唄をききにきたのよ、歌ってくれない?」  庄助、近頃、流行歌を二曲レコーディングして、駆け出しにもいたらぬ歌手なのだが、いまだに歌うたび、メロディやリズムが異なるというあやふやなもの、これまでキャバレー、クラブで幾度かステージに立ち、まあ伴奏とマイクのエコーにたすけられたようなもの、それを真昼間、六畳に机一つへだててさし向い、セーラー服の女学生にきかせるなど、アイガー北壁直登よりも困難で、「まあ、レコードができたらさし上げるから」「いやよ、生《なま》の声がききたいのよ」「折角、そのつもりでねえ」「ええ楽しみにしてきたのに」「大丈夫よ、こうやって話しててもいい声だもん」口々にさえずり、他の何人《なんぴと》であれ多分応じないが、女学生には弱いのだ、眼鏡とった時と同じくやけになって、「じゃ、少しウイスキー飲むから、素面《しらふ》じゃとても歌えない」哀願する如くいい、「いいわよ、でも早くしてね、今日は早くかえるってママと約束したんだもん」「そんな約束するからよ、それでちっとも守らないんだもん」「彼女んとこのママ泣くものね、お前、わるい子になっちゃったのねえなんて」「平気よ」「あなたのとこどうした? 離婚するっていってたじゃない」「私、別れるなら別れるで早くしてくれっていったんだけど、けっこう仲直りしたらしいんだ、近頃よく二人で出かけるもん」ウイスキー飲んでも、いっこうに庄助酔わず、「もし別れたら、あなた方どっちにつくの?」「そりゃママね、かわいそうだもん」かわいそう? へえ、そんなもんですかね、庄助は五歳になる娘を思い出し、「ぼくはまあ、娘がいる限り別れないけどね」ええかっこしたつもりだが、「気持わるーいそんなの」「ねえ早く唄ってよ」まるで通じない。  要するに四十男なのだ、ただし数えであって、満では三十九だが、それにしても、もう女学生と語るチャンスなど多分ないだろう、恥のかき捨てだい、誰かが見てたら、腹かかえて笑うだろう、庄助正座して義太夫うなる如く宙に視線をすえ、女学生きょとんとその表情みつめているのだから、※[#歌記号]オーポーボーイ、オーポーチューネン、※[#歌記号]ダーケドチューネンじゃどうしょうもない、一同引きあげて後、庄助ひっくりかえって、持唄の替唄をがなり立てた。 「なにもね、運動会なんかにいかなくても、いくらも女子高校生とは仲良くなれるらしいですよ」独文出がやって来て、彼も、にわかに刺戟を受け、これまで人妻やファッションモデルと、女性に不自由はしなかったのだが、たまには青い果実を、ものにせぬまでも手近に置いておきたい、あちこち尋ねまわって、その情報によると、高校は二時か三時に終るし、良家の子女なら電話した上での門限が六時か七時、故にその盛り場ほっつき歩くのはせいぜい三時から五時で、しかも、制服のまま入れる店は限られているから、ただ歩くだけのことが多い、少々不良っぽいのは学校の中ですでに私服に着かえたり、またデパートのトイレットも利用し、いずれにしても、庄助たちのくり出す八時九時では、おそすぎるのだそうだ。 「それでですね、こつはにっこり笑うことにあるらしいですよ」「にっこり笑う?」「ええ、彼女たちの集まる喫茶店もきいてきましたがね、丁度、顔の向き合うようにすわって、|てき《ヽヽ》の視線を受けとめ、にっこり笑って先方が応えればしめたもの」とても信じられない、庄助、時に鏡に向い、一人ひそかに笑ってみたりするが、それこそ気持わるいだけで、「そりゃ、若い奴のことだろう、あんたちょっと笑ってみろよ」独文出にっと唇ゆがめたが、それはグレート・東郷がリングで反則犯す寸前の表情に似ていた。  なんにしても、良家の子女などかなわぬだろうが、すさみ果てたのでもなんでも、高校生ならそれで満足することにしよう、週刊誌によると、中学二年でペッティング、三年にして男を体験し、高一で中絶なんてのがいるらしい、そのクラスの少し上を狙えないものか、独文出と仏文卒、それに二年中退、庄助、昼間などほとんど歩いたこともない新宿へおもむき、独文はまだにっこりにこだわって、その喫茶店へまず入り、四時だったが、なるほど三分の二が若い女性、いかにもぎごちなく煙草くゆらせ、テーブルにルーズリーフと教科書のあるのは短大生か、スケッチブックが洋裁学校といくらか見当つくが、高校生の姿はみえない、「早く笑えよ」仏文がせっつき、「さっきから笑ってんだよ」独文、あたらしく入って来た二人にむけ、歯むき出し、まずどさまわり剣戟のみえの如くに笑って、完全に無視される。 「街頭の方がいいんじゃない? それに四人はやばいよ、二組に分れてこましましょう」仏文がいう、街頭におけるガールハントは四、五年前まで、庄助実行していて、お近づきにはなれるのだが、まったくその先にはすすめず、だが、今は話だけすればいいのだから、庄助は仏文とくんでそぞろ歩く、「コムシコムサというフランス語があるけど、コマシというのも、ちょっとフランス語みたい」仏文しごくのんびりいって、「あれどんなもんでしょう、純情そうで」指さしたのは中学一年か二年、うっかり声かけたら幼女|誘拐《ゆうかい》未遂になりそうな相手で、「少しくずれたんでなきゃ駄目だよ、すくなくとも制服は無理」「ああ、私のこんな姿みたら、妻はなんというだろう」あくまでふざけてみせるのは、仏文内心で緊張しきっているからだろう。  庄助二度声をかけ、あっさり無視され、仏文が試みると、これはあっさり成功して、「門限十二時までだけど、ちゃんと送ってくれる?」「ええもちろん、ぼくたちフェミニストですからね、送り狼《おおかみ》なんてことにはなりません」有頂天となった仏文、意気揚々とウイスキーも飲ませる喫茶店へ入り、「ひょっとすると天才ではないかなあ、コマシの」庄助にささやいた、ひがんで思うのではないが、年は相応でも、どことなく高校生らしくなく、だが仏文気づかず、冒頭に「まだお酒飲んじゃ、学校でしかられるでしょ」「あらいやだ、学生じゃないわよ」「へえ、お勤め?」「そうよ、今日休んじゃったの」「じゃ、ジンフィーズでも飲む?」「私、ジントニックの方が好き」仏文圧倒され、「お勤めってどこ? 遠いの」「ほらさあ、品川あるでしょ、あすこから煙突みえるでしょう」仏文は、二人の中の比較的美人とばかりしゃべっていたから、醜女の方が待ちかまえたように庄助にいい、「極東するめっつうのよ、ここにおいてないかな、つまみのするめもあんのよ」べつにするめに恨みはないが、なんとなく呆然として、「ねえ、するめにもさあ、二十四種類あるの知ってる?」今度は仏文にもちかけ、「とんがりするめ、ばんびろするめ、やつしろするめ、こんぴらするめ、けんさきするめ、びんぐろするめってね、それでさあ、のしいかあるでしょ、のしいかにはやっぱ、やつしろするめがいいのよねえ」「はあ、のしいかってこうぴらぴらになった奴」「そうよ、あれ機械でずっと平べっちゃくしちゃうのよ、一匹でこんなにのびるもんねえ」手を広げ、まだ足りずにハンドバッグから裂いたのや、一匹のままや、それにのしいか、いずれも包装されたのをとり出し、「上げるさ、とっときなよ、うちのはおいしいんだから」けたけたと笑い、ジントニックをぐいと飲み干す。  夕方近くなるにつれ、今宵逢う人みな美しきといった感じで、ミニスカートの息をのむようなハイティーンが、どうにも冴《さ》えない若者と腕を組んであらわれ、身も世もない風に肩を抱かれ、醜女はよほどするめに愛着を持っているらしくて、太平洋、大西洋、印度洋それぞれのするめいかの、相違を説明し、中退と独文は果してどうしたのか、獲物つかまえたら、レストランで落ちあう約束だったが、それも面倒で、いっそするめ屋さんと別れるつもり、「まだ五時間あるけど、寝ない?」単刀直入に切り出すと、「入れない? だって、ど助《すけ》ねえこの人」醜女がいって、「いや、入れない? じゃなくて寝ない?」弁解したが、どっちにしろ大した差はない。そして、いやな風でもなく、庄助が勘定に立つと、すぐ後をついてきて、しんがりが仏文、しごく中途半端な表情だった。  タクシーを大久保に走らせ、男女四人同じ宿に入って、まだカップル正式に決めたわけではないが、醜女は庄助のまわりにまといついて、女中と交渉するうち、仏文と比較的美女相伴って消え、庄助たちの通されたのはベッドの部屋だった。「よかった、私、ベッド好きなんよ」すぐ腰かけて、二度三度体をはずませ、年をたずねようかと考えたが、詮かたないことで、庄助だまって浴衣に着替える。  女は、自分が二年前まで、名古屋で娼婦をしていたといい、やくざがついていたのをようやくふりきって、今の工場に勤めたらしい、「あんな商売やっぱ、よくないもんねえ、体こわすしさ、若いうちはいいけど、私、考えちゃったのよ」一生懸命堅気になろうと努め、だからこそ、するめの名もすべてそらんじ、自分の勤め先に誇りをもっているらしい。  ベッドに入るなりしがみついてきて、庄助も、こてんぱんにやられながらも、セーラー服を身近にし、回春的効果があったのか、たちまち果てて、さて、後始末をどうするか、金やるべきか、いくらくらいが適当か、天井ながめ考えるうち、唐突に身の上話されたので、ただうんうんとのみ答え、次第に自己|嫌悪《けんお》に落ち入る。「だけどさ、さんざ男に抱かれて来たじゃない、中毒みたいなもんよねえ、やっぱ男っ気があんまし切れるとせつなくなって、月に一度、ボーイハントつうのかな、それするのよ、でもね、私、いやな男の人だったら、いやだもんね」「もう一人の方は?」「あの人、気の毒なんよ、寮で同室なんだけどね、男にだまされて、子ができたんよね、それで自殺するいうから、私、お医者紹介して、おろしてね、男なんかいくらもおるからいうて、時々、一緒にボーイハントするのよ、あの人、私とはちがうもんね、美人だし」醜女は、美女に自分の境遇うちあけ、はげましたのだそうだ、そして、たまにはボーイハントに連れてってくれといい、今はけっこう楽しんでいる、「あの人だって、せつない時あるんよ、生身だもんね」聞くうち元娼婦と、男に捨てられ自殺はかった女のボーイハントにくらべれば、庄助たちのそれは、いかにも薄汚れて思えてくる。 「やめてやめて、お金もろたら昔と同じだもん、うちも楽しんだんだから」怒るというほどでもなかったが、頑として、おそるおそるさし出した金を拒否し、一緒にかえるからと、仏文たちのあらわれるのを、お互い身仕度ととのえて待ち、「もし、よかったら住所教えてくれる?」庄助がいうと「また縁があったら会えるもん、私あんたの顔、ようTVで見てるよ」かなり詳しく、庄助の消息を知っていた。  タクシーとめて、勝手なもので、品川まで送る余力なく、車代を運転手にわたし、仏文と二人、津の上坂の部屋へむかい、庄助はただ酔いたい気持だった、部屋にはあぶれた独文と中退が、すでに酒盛りしていて、仏文はそのうらぶれた顔をみると、急に元気づき、「すごいすごい、にっこり笑えばばっちりいっぱつ」「えっ、成功したの? 本当に」独文みるも無惨にうろたえ、「ねえ保坂さん、まあコマシの最短記録じゃないのかなあ、知りあってホテルまで二十分くらい」「それで処女だった?」中退もおろおろと馬鹿なことをたずね、この二人はついに声すらかけられなかったという。  仏文おもしろおかしく、束《つか》の間の情事を説明し、あぶれた二人もようやく逆襲して、「あんたね、そんなこといってるけれど、そういうのには、性病が多いんだってよ、なんでもフーテン少女の九十五%が罹病《りびよう》してるって」「それにだね、|ひも《ヽヽ》つきもあるからね、あんた、お風呂に入らなかった」「入ったよ」「そりゃそのすきに名刺を見られてるな、二、三日すりゃ、ちょいとすごいのが、よくも俺の妹に手を出したなてんでね」女房にまるで頭の上らぬ仏文たちまちおびえて、「本当かい、どうしよう、ねえ、保坂さん」あるいはそうかも知れないが、庄助は、あの元娼婦の言葉を信ずるつもりで、またもし性病、あるいはやくざが来たって身からでた錆《さび》ではないか、そもそもみめうるわしきハイティーンには縁のないさだめなのだ、堅気とは所詮無縁の、約束事なのである。  庄助、醜女にもらったするめをひっぱり出し、「食べる?」たずねると、「いいですねえ」独文と中退が異口同音にいい、庄助、ガスレンジに一匹のままのするめをあぶる、「醤油あったかな」裂いたするめを皿に盛りつつ、独文がたずねるから、「そこ」庄助、五人の女学生、テスト忌避未遂の一升瓶をしめし、「でも保坂さんよかったじゃないですか、三十男のおわりにいいことがあったんだから」中退、醤油のいわれも、するめの因縁も知らずにむさぼり食う。  おわりよければすべてよしかわるしか、いずれにしても、もはや終りは近い、いやらしき、また、気持わるーい四十はすぐそこなのである。 昭和五十二年一月新潮文庫版が刊行された。