野坂昭如 好色の魂 目 次  第一章 四三《しそう》の手札  第二章 密戯指南  第三章 『肌《はだ》あかり』  第四章 無手勝流《むてかつりゆう》 [#改ページ]  第一章 四三《しそう》の手札  昭和二十一年、春分の日。  昨夜来の雨は晴れ上り、二階にかさ上げした箱のような六畳一間、その海に向う窓を開《あ》けはなち、彼岸《ひがん》中日の陽光と、水ぬるむ潮の香《かお》りの中で、貝原|北辰《ほくしん》は強い近視の眼鏡光らせながら、名人東作、竿忠《さおちゆう》の釣竿十数本、壁にならべ、丁寧に手入れをする。  二十日大根《はつかだいこん》ちしゃ菜など家庭菜園の庭から、だらだらとゆるく傾斜した先に波打際《なみうちぎわ》があり、海はおだやかな気配、常の年ならば墓参がえりに散策の人影、小石投げる子供の姿もみえて当然の日和《ひより》なのに、なにせ敗戦後半年余り、ようやくみじめさ骨身にからみ、東京はいよいよ米の在庫底をついて、入荷のみこみたたぬまま唐もろこし、脱脂大豆、さては干しあんずチーズはまだしもチューインガムまで仰々しく主食何日分に換算され、神奈川県も小田原《おだわら》となれば、それほどの憂目《うきめ》にはいたらぬけれど、さりとて春の海辺《うみべ》にたわむれるゆとりはない。  水量を増した酒匂川《さかわがわ》の、上流乱伐がたたって降るたび運びこむおびただしい土砂のせいか、海はどすぐろく濁り、晴れ上った空の浅みどりにはそぐわず、その空には米軍輸送機が、忍ぶように低く東にむけて浮ぶ。  一ふり二ふり竿をためし、北辰は去年の台風に痛めつけられ、今年はうすいだろう酒匂川の魚影を思い、つれて六年前、紀元二千六百年祭で浮き足だった浅草の、ささやかな友の法要がよみがえった。風にただよう、近くの墓場の香煙のせいかも知れぬ。  その一年前、板橋の施療病院で、誰一人|看《み》とる者なく肺病で死んだ石角《いしずみ》春之助追悼の会で、北辰がすべてをとりしきり、すでに砂糖、マッチは切符制、奢侈品《しやしひん》禁止令施行され、節米食堂の献立表は「にしん入りうどん飯、しのだ入り大根めし」の世の中、なんとか故人の好物だった日本酒をかき集め、それに当日午前四時に起きてこころみたやや時期はずれの鮎《あゆ》、おもしろいように獲《と》れて五十尾あまり、馳《は》せ参じた浅草の仲間三十人と春之助をしのび、果てて後しばらくぶりの仲見世《なかみせ》を歩けば、春之助の愛していた乞食《こじき》、ひょうたん池のサッちゃんもカサヤの太郎、土手のお安|二重婆《ふたえばあ》さんもすべて失《う》せ、いやそれほど有名ではないズケ、モク拾い、一銭チョーダイの姿もまるでなくて、観音様には頬《ほお》を紅潮させ、赤い襷《たすき》かけた青年と、のぼり押したてた群れが右往左往。  春之助は乞食が好きで、日本大学中退後、坊主頭に冬はどてら、夏はおさだまり|煮〆《にし》めた如《ごと》き下帯一つ、常に黒いマント羽織って、境内に野宿したり、伝法院《でんぽういん》北側、ひょうたん池わきなどの公衆便所鼻のひん曲りそうな中に「慣れりゃかえってなつかしい」とねそべってすごし、『浅草経済学』『乞食物語』『浅草|哀譚《あいたん》』などの著作をものし、やがて生命《いのち》がけでつきあった浅草と乞食失せるのと共に、死んだのだった。  神田《かんだ》にある北辰の事務所、といってもさし当って仕事はなく、気まぐれに顔を出して闇値《やみね》の噂《うわさ》、知人の消息を交換し時間をつぶすだけなのだが、そのみちすがら見うける、栄養失調でかさかさに乾《かわ》いた皮膚に垢《あか》か体質か手の甲に紋目浮き出させたサラリーマンやら、また暮れなずむ新橋上野駅、構内の柱の根元にうずくまり垂れ流したまま身動きすらできぬ浮浪児の臭《にお》い、少しこすっからい奴《やつ》は恥外聞もなく進駐軍にギブミーと、シガレット、チューインガムをねだり、これでは国民皆乞食、春之助がみたらなんというか、いや春之助の親しみ愛した乞食は、彼|等《ら》の如きものではない、腰が曲って頭を地につけながらも、三味線《しやみせん》をはなさずそのブルブルバチンと奇妙な爪弾《つまび》きにさえ粋《いき》を失わなかった二重婆さん、雨が降れば破れ傘《がさ》一本かかえて誰かれなく売りつけたカサヤの太郎、春之助の乞食はどこかにやさしさがあった。  北辰はなお竿をためしつづけ、そのうちひょいと腕の関節に痛みが走り、腕のばしたまま窓にもたせかけたが、寒さも彼岸までとはいえ急に冷えこんだ感じで、背筋を悪寒《おかん》がかけ抜け、あわてて窓を閉《し》めると、それが合図のように階下で、後妻の多津子の甲高《かんだか》くののしる声がした。 「何いってんだい、いい加減にしとくれよ、こっちだって病人二人かかえた所帯なんだからね、ふざけんじゃないよ、甘やかしゃすぐつけ上りやがって」つづいてぶつぶつ玄関先でつぶやく男の声がし、「ちぇっ、戸も閉めねえでいきやがる、塩まいとくれ、ったってあんな奴にもったいねえや」  なお口汚《くちぎた》なくいいつのる末は軽い空咳《からぜき》となり、多津子は胸を患《わずら》っていた。戦争中、山中温泉へ次女|玲子《れいこ》と疎開させ、それは開戦当初ほどではなくとも、まだ世間一般、のほほんと景気のいい軍艦マーチに酔っていられた昭和十八年の春のことで、当時海軍の嘱託をしていた北辰だが、特にその筋からの情報を得たわけではなく、これまでの西洋についての知識と、なにより生来の動物的勘の働くまま、足手まといを山中へやり、だが多津子は水の変ったせいか、すぐに喀血《かつけつ》、あわてて連れもどし、そのまま一進一退の病状で、ただ日増しにかんを昂《たか》ぶらせ苛立《いらだ》ち、特に敗戦後、これといって日銭《ひぜに》の入らぬ北辰に、まるで仇敵《きゆうてき》の如くあたった。 「なんだいお前さん、男は畳の上に往生するもんじゃないなんて大きな口をきいといて、結局、私の建てたこの家へころがりこんで来たじゃないか、いい気なもんだね男なんてものは、さんざしたい放題のことしといて、へっ、貝原北辰がきいてあきれるよ」  いうままをきけば北辰、居候《いそうろう》の如くだが、とにもかくにも地下に石造りの地下室があって、これは戦時中、東京帝大農芸化学研究所小田原分室を名のり、戦時燃料の研究、実はウイスキーの密造を海軍に委嘱され、米の特配うけつつ、どうやらこうやらそれらしきものをでっちあげ、もちろん北辰もお裾分《すそわ》けにあずかり酒には困らなかったのだが、親方日の丸|瓦解《がかい》の後も設備はそのまま残されたから、今度は芋、とうもろこしを原料にアルコールを精製し、紅茶・カルメラなどの色香をそえれば、航空用ガソリンを水で割り、表面に虹《にじ》の浮ぶバクダン二十円、すえたようなドブロク十五円いずれも羽の生《は》える御時勢だから、これは化学調味料とならぶ物々交換の切り札となり、預金は封鎖、事務所へ通って金にはならぬ北辰だが、北辰あればこそ、米、味噌《みそ》、魚、まず不自由せぬ。  いやさらに考えれば、多津子のいう私の建てたこの家も、もともと持家などお荷物なだけ、多い時は年に十数回転居し、それにはそれなりの理由、警察のガサをのがれ、特高《とつこう》の監視まぎらわせるためだったのだが、多津子はもはや頼んでも無駄《むだ》と見極《みきわ》めつけると、一存で北辰の金庫から実は次の仕事のための資金を、無断で持ち出し強引に小田原へ建て、なには残らずとも家だけはとしがみつきこれはこれで女の動物的勘だったのだろう。 「どうしたんだい」腕をさすりさすり北辰が階下へ降りてたずねると、多津子は派手な寝巻に半天羽織ったまま、 「気違いだよ、図々《ずうずう》しいっちゃないね、お酒をいっぱい貸してくれだとさ、貸してくれがきいてあきれるよ、恵んでくれなら、まだかわい気もあるけどさ」  多津子のいう気違いは一種の発明マニアで、すでに七十に近く、何といって具体的な発明を、たとえ荒唐無稽《こうとうむけい》なものにしろ披露したことはないのだが、いつかはどんと当てて、苦労をかけた家族に楽な目をさしてやりたいといいくらし、その家族は彼をまったくの厄介もの扱い、物置に押込めて食うも飲むも母屋《おもや》からのあてがいぶち、それを特にうらむでもひがむでもない老人のうっそりした表情が、北辰にはなつかしく、時おり呼び寄せては花などひき、共に自家製のウイスキーをかたむける。  遠慮深い老人が、自分からいい出すなどよくせきのこと、しかもコップいっぱいのウイスキーぐらいと、北辰の気持をよんだのか、たちまち、 「気違いは気違い同士で気があうんだろうけれど、私は御免こうむりますからね、ほんとにあいつは不吉な野郎だよ、頭が痛くなる」  多津子は吠《ほ》えたて、奥の八畳、病人であれば仕方のないことだが、敷きっぱなしの布団《ふとん》、枕《まくら》もとのおまるのふたはずれてむさくるしい部屋にもぐりこみ、突っ立ったままの北辰をふりかえると、 「なんなのよ、断わったのが気にくわないのかい、じゃ追っかけて好きなだけ飲ましてやんなよ、私が経済とってなきゃ、こんな家あすにでも一家飢死なんだよ、わかってるのかね」  多津子は昭和四年開場した、カジノ・フォーリーのワンサガールだったのを、当時、前妻幸子の病弱なるままに、北辰が口説くというよりどちらともなく出来あって、だが多津子は、一種の北辰の宿痾《しゆくあ》ともいうべき淋病《りんびよう》、てっきり全治したとばかり信じこんでいたのが不覚のいたり、これをうつされ、となるとひらき直って北辰につきまとい、ステージから身をひいて、当時、官憲から身をのがれ、また資料の置場にと市内十カ所に確保していた借家の一つ、芝|神明町《しんめいちよう》の二階屋に妾《めかけ》同様となり、やがて幸子が死ぬと、正妻に直った。  北辰は、病気しょわせたことを苦にして、その治《なお》った後も、あるいは舞台への夢を捨てきれぬのではないかと、文士絵描き連の半ば道楽芝居「新冒険座」を、新宿帝都座で旗挙げ公演の際、女優の一人に加えたが、本人にその気は、いや才能まるでなく、やがて長男孝をみごもると共に、ただ浪費好きで、家内のとりしきり子供のしつけ一切おかまいなしの、女房の座に揺ぎなき尻《しり》おちつけた。  八畳に続く六畳、この二間が階下ではいちばん陽当《ひあた》りがよかったが、ここには多津子の妹久江が、リューマチを患って同じく寝たり起きたりの暮し、多津子の病気以後主婦の役が空《あ》いて、やれ配給の、隣組常会、防空訓練、さては買出し、闇商人との交渉一切、戦時中はそれなりに東奔西走して、忙しくとびまわっていた北辰の手に余り、女中がわりに呼びよせたのだが、すぐに発病してなんのことはないお荷物が一つ増えただけ。 「久ちゃんだって、事情のあるところを来てもらったんだもの、体の具合がわるい、はいお引きとり下さいってわけにもいかないわよ」  多津子はいい張り、久江は出戻りで、それほどのっぴきならぬ事情を、無理に来てもらったとも思えぬが、北辰、もともところがりこんで来た人間を、むげに追い出すなどできぬ人柄、にしても一家に二人の、しかも本来ならば家内暮し向きとりしきる立場の女の病人は、気が滅入《めい》った。  二階に六畳一間かさ上げしたのも、いわば身の置きどころに悩んでのこと、この他《ほか》に、中学三年の孝と、小学校一年の次女玲子、前妻との間にもうけた長女節子は、東京|田無《たなし》の女子薬専にいて寄宿舎暮し、さらに板橋には老母ことが一人で、北辰と、兄浩一からの仕送りをたよりとして、そこひの不自由な体でいる。 「だいたいからにね、母親というものは、長男が面倒をみるものなのよ、そりゃ季節ごとにお母さんの好物送ってあげるくらいいいわよ、喰《く》いしんぼうな人なんですものね、でも、引きとって面倒みるのはもう御免よ、お兄さんだって北海道でちゃんと薬局やってるんだもの、図々しいんじゃない? あんたはお人好しすぎるのよ」  昭和十年、それまで名古屋に弟浩吉と暮していた母のことを、浩吉が東京に就職したのをしおに、三田の北辰の家へ引きとり、半年たつかたたぬ間に、多津子が血相かえてつめよった。孝もいたずら盛り、その子守させておけば、かえって万事めでたくいくのではないか、映画、買物好きで外出の多い多津子の、留守番代りにとふんだのが甘く、母はたまに帰宅する北辰に何の愚痴もこぼさなかったが、よほど居辛《いづら》かったようで、板橋の借家に浩吉との同居すすめると、二つ返事で荷物をまとめ、その後、仕送りは欠かさなかったのだが、この二月からの預金封鎖、世帯主に限って五百円しか新円をひき出せぬとなっては、どうにも老母への煙草銭もやりくりつかず、いっそことを世帯主にして、いくらかの貯金を持たせてはと、一と月前、三千五百円の金を多津子に内証でこと名義の通帳にふりかえ、その時、久しぶりで会った母は、すでに盲目同様、近所の人の情けにすがって、なんとか配給の品のやりくり算段、北辰の近づくのにも気づかず、暮れなずむ道路に七輪もち出し、こまかく割った木をくべて団扇《うちわ》であおぎ、その鍋《なべ》の中には皮もむかぬじゃが芋が二つ、ごろんところがっていた。北辰は母を抱きかかえて家に入れ、駅前の闇市で、揚げまんじゅう、大福、芋パン、それに紙きれのようなトンカツ、キャベツばかりのサラダ、経木《きようぎ》に入れた黒い焼そば、手当り次第に買い求めて、裸電球低くおろした中の母子さしむかい、浩吉は、北海道の長兄のもとに疎開させた家族のもとに出かけたまま、職もなく、交通事情もわるいので、当分帰京の意志はないという。  三畳の納戸《なんど》から地下へ降りる階段があり、その納戸は雨洩《あまも》りがして、いたるところしみと、黒いかびが浮き出し、空襲の頃、これだけはたすけたいと庭に穴を掘り、内側にブリキ貼《は》った茶箱におさめて埋め、それがかえって仇《あだ》となりすっかり湿気に犯され、かつてあるいは小羊総皮製とうたい金紋数箇|刺繍《ししゆう》文字入りと豪語し、その言葉に偽りなき豪華本、すなわち『密戯指南』『世界性欲全集』『近代社会史』『完訳デカメロン』『ファニーヒル』『バルカンクリーゲ』『ジャルダン・パルヒューメ』『カーマストラ』『ラティラ・ハスヤ』『女性術』、さては地にもぐり風にかくれてふんでも蹴《け》られても発行しつづけた雑誌『グロチック』『文芸バザー』『奇談』『変態アラカルト』『奇本』の数々、見るも無惨《むざん》な姿で山積みのまま。  好天の日に虫干ししてと、その心にかかっているのだが、なにより本の好きな、いや、ここにある書物こそが、北辰の生きてきたなによりのしるし、いかに逼迫《ひつぱく》したとて、これを金にかえることは考えられず、いちいち宝物の如く丁重に保存してしかるべきなのに、どうにもおっくうさが先に立つ。  水を含んだままかたまりついた『グロチック』の、今からみればけばけばしい、しかし当時この種の雑誌の多色刷りは、『グロチック』が最初で、その色もあせて流れ、全頁《ページ》二色刷り本文オーナメント入りオフセットの千頁に余る『密戯指南』の背はねずみに喰いちぎられ、又ようやく思春期にさしかかった孝が、ひそかに持ち出しては、学校の友達に貸して、そのままもどらぬ仏国パラシュマン紙製の『デカメロン』『ファニーヒル』も、朽ち果て失せるものは、それはそれでよしといったような、いや、手にとってながめるのすら怖《こわ》いような、すでに埋葬してしまった自分のしゃれこうべをたしかめる如き、おそれを感じる。  時こそ今、敗戦によって天窓《てんまど》明けはなたれ、誰はばかることなき北辰の、思うさま翼はばたき、奔放に天駆けるべき世をむかえて、だが北辰は、訪れる出版社、金主、友人達の、出版界復帰、いやかつてあれほどまでに情熱かたむけて人間本来の欲望をあくなく追求した、その志のよみがえりねがう言葉を、すべて拒絶していた。  時おり襲う悪寒に、孝のジャンパーを重ね着し、再び二階へ上った北辰は、兄浩一に手紙をしたためる、これまでも母への送金たしかめるたび葉書でそのむね書きおくってはいたが、今は無性になつかしく、太いふちの眼鏡をはずし、壁にかけたワイシャツのすそでレンズをぬぐうと、東京帝大農芸化学研究所名入りの便箋《びんせん》に向い、兄に用件以外の手紙を送るなど、何年ぶりのことか。  休日だが、上級学校受験の補習を受ける孝が帰って来て、古い三球ラジオの故障直しにかかったらしく、雑音の甲高い音がひびく。  去年の八月十五日、天皇の読み上げる勅語をこのラジオできき、孝は戦いの終ったことを知ると「万歳!」と怒鳴って、北辰は思わずその横《よこ》っ面《つら》を張りとばした。それまで子供にも妻にも手を上げたことなく、すぐ我にかえり、「敗《ま》けてなにがうれしい」とたずねる声がふるえ、孝は「もう空襲がないから」おどろきの余りか涙を浮べて答える。北辰は、自分が海軍の嘱託をしているから、あるいは占領軍に殺されるかも知れぬと、一瞬のうちに考え、怯《おび》えて、そして孝をなぐったのだと、自らわかり、そういう気の弱い自分が情けなく、いや、やはり戦いに負けたことが口惜《くや》しくもあって、視界がかすんだ。  八月十五日は雲一つない晴れの日で、呆然《ぼうぜん》と道ばたに立ちすくんでいると、ウイスキーのおこぼれ頂戴《ちようだい》してから、すっかり北辰びいきになった漁師が目籠《めかご》に、つややかな青い魚二匹入れて、 「先生どうです、安くしときますよ、とれとれの鱸《すずき》、刺身にすりゃこたえられませんよ」  敗戦などまるでどこ吹く風の口調、家へ持ってっといてくれと頼み、ふとみるともう一匹、細身のくせに頭ばかりでかい魚がいて、大きな口から紫色の袋をはみ出させ、尻尾《しつぽ》に近いあたりにも血のにじんだ臓物をひきずっているから、北辰がたずねると、 「こりゃ駄目ですよ、オーデコってってますがね、深いところにいる魚が、潮の加減で浮き上ってきて、網にかかったんですよ、常なら捨てちゃうんだが、近頃、家の豚の餌《えさ》に困ってるんで、これでも煮てやりゃ、ちったあ足しになるだろうって、拾ってきたんでさ」  口と尻から出てるのはときくと、 「いや、深いところにいたのが急にあげられたもんで、奴《やつこ》さん、腹ん中みんな吐き出しちまってくたばるんですよ、中にゃ体のはじけるのもあるねえ」  深海の水圧に耐えて生きる魚が、その圧力から解放されれば、それまでの内から支《ささ》えていた力余って破裂してしまうと、北辰にも判り、その深海魚の豚にむしゃむしゃと食べられてしまう光景、まざまざと浮び、オーデコの、空を写しているのか、あるいはそれが深い海の底にふさわしい色なのか、瞳《ひとみ》の青さがあわれであった。かつてあれほど自分を苦しめ、家族をいためつけた国家のまさに崩《くず》れようとしている、仇敵の倒れつつある時の、あの虚脱感はなんだったのか、そしてそれは、北辰のうちに、今も後をひいていた。 ≪兄さん、小生も既に五十路《いそじ》の坂の登り口にまで近づいて来ました。ふりかえれば実に夢のような過去です。今更ながら少年の日がなつかしまれてなりません。あの悠々《ゆうゆう》たる平和の故郷の山河を思い浮べますと、詩情まことに尽きぬものがあります。その自分が既に三人の子供を有し、長女が来月上旬、薬専の卒業式を迎え、長男は目下受験準備中、次女は未だ小学一年にてやんちゃそのものです。  病妻はもう丸三年|臥床《がしよう》のまま、意の如くならぬ体にじれて、気をたかぶらせ、他に一人妻の血縁の者も病気、なんともかんとも言いようなき雰囲気《ふんいき》の中に、ただ自分だけが正気に生きている次第です。  一度《ひとたび》外出すれば、列車内の殺人的混雑、破れ放題の列車の窓ガラス、破損まかせの座席、便所の汚《よご》れの溢《あふ》れるまま、流れるままにまかして、スシ詰めの乗客、何《いず》れも栄養失調で、闇の話や喰いものの話ばかりで、むせかえるような光景、駅から吐き出されて途端に眼を射るのは、あさましき生活苦の舞台を現実に曝《さら》け出している青空市場です。  事務所に到りて味気なき仕事を終えての帰宅列車に乗れば、折柄のラッシュアワーにも拘《かかわ》らず、半分が進駐軍の専用列車、あとの半分に空腹のサラリーマンが家路を急いでの喧嘩《けんか》ごしの殺人的乗込み、それにひきかえてあとの専用車には、口紅おしろい色彩の鮮明な女どもが、ネッカチイフを髪に冠《かぶ》って兵隊さんと仲よく、楽々と席をとっての熱海《あたみ》行きです、復員した若者たちは『チェッ!』と舌打ちしてくやしがること一度ならず……こんな調子で描写をしていた日には、この便箋《びんせん》何百枚あっても書ききれません≫  後年になってからは要点だけを書きとめ、常に室内熊の如く歩きまわりながらの口述筆記にたよったが、二十年前までの北辰は三十分に四百字詰原稿用紙五枚のスピードで書きとばし、しかも字画文体にいささかの乱れなく、どちらかといえば書くことによって思考するタイプであった。  だからあらかじめ一文の構想を練り、論理的|破綻《はたん》きたさぬよう整えて筆をとることは苦手で、時には筆がすべり、自分勝手な飛躍につぐ飛躍が続いて、ある人はこれをもって、その欠点としたが、大方は八方破れの文章にこそ魅力があると拍手し、兄への手紙も書きすすめるうち、自然に筆が滑《すべ》って一気に便箋四枚分を埋め、しかし往年の北辰ならば、さらにつづけて闇市の有様から、物の値段、パン助の風態《ふうてい》言葉づかいまでこと細かに記したであろう。  かつて北辰の手紙といえば長文で名高く、幾度か遊んだ上海《シヤンハイ》からの便《たよ》りは、秘密クラブのビロード貼《は》った椅子の手ざわりから、絹のブラウス着た男色ボーイの容貌《ようぼう》、在支邦人のことこまかなゴシップを、日本の友人に書きつづり、便箋三十枚以下ということはなく、それは手紙というより小包に近い厚さであった。 ≪書ききれません≫で筆を置き、眼鏡をはずして、両の親指の腹で眼瞼《まぶた》を強く押し、そこから脳味噌にしみこむしびれをたしかめると、また悪寒に襲われ、少し熱があるようで、かたわらの船箪笥《ふなだんす》の小抽出《こひきだ》しあけて、お茶で飲む風邪薬《かぜぐすり》をとり出し、だが、茶をとりにいくのも面倒、粉薬をそのまま口に含む、かすかに甘い味がひろがり、ねばつく頬《ほお》を歯でしごいて唾液《だえき》をしぼり出す。  なつかしい微熱であった、自製のウイスキーいくら流しこんでも、ついぞ二日酔いのことはなく、いや、少々飲みすぎた翌日はかえって食のすすむ頑健《がんけん》な北辰だったが、大正十一年からほぼ十年近く、まるでマラリヤのように気まぐれに襲う微熱になやまされ、それは慢性化した淋病のせいであった。 「気休めの薬ばかり飲んでちゃ、そのうちポロッともげてしまうぞ」  山王《さんのう》の横山先生におどかされ、ではどうすればよいかたずねると、熱した白金を尿道に挿入《そうにゆう》し、病巣をすべて灼《や》きつくす、あるいは、ペニスを丁度、鰻《うなぎ》裂くように縦に割って、直接治療するか、どう考えても、前者はむごい感じ。  もともと北辰は猫舌《ねこじた》、風呂もひなた水を好み、熱いのにはてんから弱いから、では鰻の腹裂きでねがいます、しぶしぶ頼んで手術の日取りをきめ、じんじんと動悸《どうき》にあわせてうずく股間《こかん》をだましだまし、宿舎の帝国ホテルへもどったが、さて、いよいよわがペニス割腹《かつぷく》ときまると、なんの挨拶《あいさつ》もなしではすまされず、たちまち一文を草して、本牧《ほんもく》チャブ屋のお浜、玉の井は熊襲《くまそ》のお武、吉原《よしわら》栃木楼のお兼など、馴染《なじ》み重ねた、いずれも名のある娼婦《しようふ》に通知し、いわく、 ≪愚息へのこ儀、サンザン父親に苦しみを味わわせ、ために一日として涙のかわく日御座なく候《そうら》えども、今度、その不届きなる仕儀自ら償わせるべく、何月何日、山王横山病院にて割腹仰せつけ候。いかに不出来とは申せ、実の息子にかくのごときむごい術押しつける親の心情、そこもとなれば御推察いただけるものと存じ、不肖なれどもへのこの冥福《めいふく》、共に一掬《いつきく》の涙そえ、祈念たまわらばこれ以上のよろこびはこれなく、あわせて新生いたす第二子チンポコにも、倍旧の御愛顧ねがい申し上げ候≫  喪主貝原北辰としるす、受けて立った本牧お浜、わざわざ喪服借着して、当日かけつけたら、北辰は臆病風《おくびようかぜ》にさそわれ、行方不明、先生はカンカンに怒って、「大体、安物買いばかりするからいけないんだ」に、お浜「てやんでえ、安物か上物か、味見もしないでなにいってやがる、ハマに顔みせたら只《ただ》じゃけえさねえぞ」たんかを切った。  このお浜とは、かつて褥合戦《しとねがつせん》の仲、北辰の奔放な遊びと、どこまで本気かは判らぬ閨《ねや》の自慢話に、電通の小高三郎、医者で豪華本装丁を趣味とする酒田潔、博文館の職工のうちストライキにまきこまれて馘首《かくしゆ》され、北辰に拾われた高森雄一郎など、腹心側近が集まって、本牧に艶名《えんめい》をうたわれ、その秘技たるや、世界の船乗りを向うにまわして、一時間六人の早どりも朝飯前、見事、御《ぎよ》し得たら上げ膳《ぜん》据え膳、一と月|流連《いつづけ》であそばせてやると、常日頃豪語しているお浜と、果していずれが勝《まさ》るか。  もとより北辰後にはひかず、では一と月の準備期間をもうけ、もっぱら精力剤服用の上、上野|黒門町《くろもんちよう》のまむし、中江の馬肉、森田町のどじょう、にんにく山芋|牛蒡《ごぼう》と、効《き》き目ありそうなものはすべて用い、神機いたるのを待つと揚言し、お浜同じく客を断《た》って、さまざまのトレーニング、いざたたかわんと、それぞれの介添人見守るうちに、両人相ようして、組んずほぐれつ、鼻息は船の汽笛をしのぎ、家鳴り震動のさまは、震災の再来、打ち合うこと二時間の末、ついにお浜虫の息となり、北辰の名声いやが上にも高まったのだが、なんのことはない、栄養つけると吹聴《ふいちよう》したのは話をおもしろくするための嘘《うそ》っぱちで、なにしろ北辰の逸物《いちもつ》、淋病《りんびよう》の疼痛《とうつう》おさえるために麻酔をうたれていて、これはもう何百何千合交えても、なんら痛痒《つうよう》感じないのであった。  兄浩一は、東京の薬学専門学校を出ると、故郷の富山は名にし負う薬の本場、といって東京に住む自信もないまま、大正中頃では、まだ新天地、大志|抱《いだ》くべき青年の希望に満ちて開拓すべき土地とみなされていた北海道へおもむいて、薬局をひらき、浩一は北辰とまさに同じ種、同胞とは思えぬほど、性格ことなり、きわめて実直おとなしい人柄、酒こそ少々たしなむが、いっさいの道楽を近づけず、たまに上京するおり、北辰が歓待して引きまわす上野浅草から新橋赤坂、さては吉原新宿も、ただ怖気《おじけ》ふるって、精々仲見世の鳥鍋《とりなべ》、寿司清《すしせい》、さては「ここは大きくて高いだろう」というからみれば須田町《すだちよう》食堂の看板におどろく小心ぶり。  父の浩義は、子供をみると、すべて自分のある面をそのまま拡大してその性格としているとわかる、浩一は、自分の気の弱いところ、弟の浩吉はすぐおだてに乗って損をするところ、そして浩史すなわち北辰はと、しみじみ顔をながめ「好色なところかのう」、名古屋の生命保険支店長を勤め、この頃、東京の生活をしくじり、父のもとで、郵便局集配の臨時雇いをしていた北辰にいった。  気が弱くて、人のおだてに乗り、しかも好色でさえある浩義とは、それまで北辰つゆおもわず、父はただ厳《きび》しくいかめしく、その弟子《でし》に日本で三番とは下らぬ剣道範士大野直道を持つ剣士、明治十六年に創設された明治生命だが、いち早くその将来性に眼をつけて、北陸の富山に支店ができればすすんで社員となり、士族の逼迫するなかで、四人の子供すべてに高等教育受けさせる生活力、はるかにそびえ立つ父と考え、その故《ゆえ》にまた北辰強く反発もしていたのに、この述懐にはひどくおどろかされ、そして、親しみが湧《わ》いた。 ≪今冬二月九日は父の——≫兄への手紙をつづけ、父の死は大正九年スペイン風邪をこじらせてのこと、数えて二十七回忌に当るが、法要いとなむゆとりもとよりなく、おそろしく寒い日曜日で、仏前に片栗粉《かたくりこ》の葛湯《くずゆ》をそなえ、その冷めぬうちに、家族あわててすすりこんだ。思えば、この時ならまだ新円封鎖の前で、いっそ法要を行えばよかったものを。 ≪昭和十八年、富山にて親族一同集会し、お寺に父を偲《しの》んだあの盛況を、いつ再現できるかわかりませんが、一日も早くその日の来ることを、子供としてねがいたい気持です。  申しおくれましたが兄さんの母への送金、二、三日前に大竹さんへ届きました。振替ですと十四、五日を要しますので、出来得るならば電報|為替《かわせ》がよいと思います。小為替は近頃やたら中身が抜かれ、しかも局が何の責任も負いません。  兄さんと小生からの仕送りでは、あの東京のガキ道では問題になりません、飴《あめ》を五十円買ってしゃぶらせても一回こっきりです、老母の栄養を支えるには一カ月千円を要するでしょう。いずれにしてもそこひの手術を一度やってみてはいかがでしょう≫  昼に近くなってようやく海は春の色になごみ、子供一人魚網を手に、波をかきまぜているのは、若布《わかめ》を拾うのであるか、ながめるうち波打際の、水に濡《ぬ》れた砂の上を歩きたくなって、玄関へ出ると、片手に四角い唐もろこしのパンを持った孝、あわてて膝《ひざ》をつき見送ろうとするから「いい天気だ、海岸を歩かないか、ええ」、親子、男同士とはいっても、共に表を歩くはおろか、同じ膳をかこんで話したこともなく、ええとつけ加えたのは、いささか照れたからで、孝は「はい」と、まるで風呂焚《ふろた》き薪割《まきわ》りをいいつけられたように神妙に答え、ハダシのまま玄関に降り立つ。 「なんだ、ハダシか」 「ええ、下駄《げた》もったいないから」 「海岸なら、その方がいいか」  北辰もつっかけた、これだけはもとがお洒落《しやれ》で買いおきの、皮の鼻緒畳表の草履《ぞうり》をぬぎすて、一歩表へ踏み出すと、さすが小石を踏んで痛く冷たく、だが意地になって砂浜まで我慢して、 「明日、進駐軍が、学校、見学に来るんだって」  孝は、ハダシの父に安心したのか、ふだんみる時は無口で、何時《いつ》ぞや教師が家庭訪問の際、「孝くんは学校でも、いつも寂しそうで」といい、それを多津子「なにを辛気くさい顔してんのさ、お母さんが恥かいちゃうじゃないか」、と孝にあたったが、まるで人がちがったように饒舌《じようぜつ》となり、 「アメリカ人て、ハダシの人を原始人と思って軽蔑《けいべつ》するんだって? 先生が、アメリカ兵が来たら、校舎の中でも下駄はいてていいって言ってた」 「校長がいったのかい」 「漢文の先生、受持なんだよ。今、すっかり英語に凝っててね、漢文と英語は、構造が同じだから、すぐに覚えられるって威張ってるんだ」  五十|米《メートル》ほどの砂浜をよぎると海で、孝は石を探《さが》しては海に投げ、 「ぼく、野球部へ入りたいんだ、柔道部はなくなっちゃって、レスリングにかわったし」 「野球できるのか」 「ああ、一塁ね、クラス対抗の時は」 「ファーストの何番」 「八番」 「お父さんは昔ショートだった」 「お父さんもやるの」 「ほら、左の小指が曲ってるだろ、突指したんだ、これでも平安中学のレギュラーだった」 「へえ、すげえの」 「孝は、野球の選手にでもなるか」 「ぼくは、お父さんみたいになるよ」 「ウイスキー造るのか」 「文を書いてさ、新聞に名前がのるような、お母さんいってたよ、お父さんは昔、しょっ中、新聞に名前の出るえらい人だったって」 「新聞にのっても、えらくはないさ」  新聞をさわがせたといえば、数十回に及ぶ発禁と逮捕のくりかえし、あるいは昭和二年十二月号の『グロチック』発禁の後、読売新聞に四段抜き百三十行、黒枠《くろわく》の広告を出して、満天下を沸き立たせたこと。  さらにさかのぼれば、『デカメロン』の出版を記念してイタリア大使モニチゴニ伯をひっぱり出し、ボッカチオ祭を行なったこと、ムッソリーニに日本の太刀《たち》を贈呈し、まるででたらめな横文字風祝辞をのべたら、イタリア人は日本語と思い、日本人はこれをイタリア語と信じて、北辰たちまちイタリア通とされ、しばらくは新聞社から、ファシスト党勢威ふるう時でもあり、しばしば意見を求められ、しかたなく伊場孝、百瀬潜についてグラーチェのマンジャーレのと、一夜漬《いちやづ》け。 「ぼくも新聞に名前が出るような人になりたいなあ」 「新聞に出るだけが、偉い人ではない」  北辰は同じ言葉をくりかえし、砂浜に腰を下ろすと、ほとんど口をきいたことのない孝、すでに、五尺少しの北辰と同じ背丈《せたけ》。 「もうじきストライキやるかもしれないよ、ぼく等」 「ストライキ? どうして」 「戦争中、軍に協力してね、生徒をどんどん陸幼や予科練に志願させた先公《せんこう》を追い出すんだ、柔道の教師や書道の教師」 「誰がいい出した」 「早稲田《わせだ》から来た英語の先生、授業の時にね、戦犯をほっぽり出せって演説して、それに教頭も、学校へ配給された自転車のタイヤ横流ししてるらしい」  四年生が中心となり、春休みに入る前にストライキを起し、さんざ戦時中に生徒をなぐったり、けとばしたりした教師を免職させるのだという。  槍玉《やりだま》にあがった先生の他《ほか》は、むしろ賛成で、英語の他にもけしかける教師がいくらもいるときいて、北辰の心冷える。 「ストライキをやれば、たとえうまくいっても、何人かは退学になるけれど、それは承知の上なのか」 「そんなことないよ、四年生でも優等生がやってんだから、先生が承知なんだもん」 「お父さんはあまりすすめないな、そういうのは」 「どうして」  ふっと孝はだまりこみ、 「お父さんも、戦争に協力してきたから?」 「誰だって協力したさ」 「真相はこうだって番組でいってたよ、軍閥に協力し、国民をだましつづけて来た連中の悪事を、今こそあばかねばならぬって、お父さんも海軍と仲良かったんでしょ」  思いつめた表情で孝がいうから、北辰言葉につまり、しかしいわれればその通り、翻訳グループを組織して、米英独の工業技術書を出版し、その殆《ほとん》どを軍及びその関係の工場におさめていた、開戦当初、南進する日本軍と共に、石油採掘の技術者の携行したのは、北辰の手になる、日本の油田と桁《けた》ちがいな規模のスマトラ油田解説手引書であったし、潜水艦を使っての、日独技術交流に一役買ってもいた。今でも、ひょいとジープが家の前にとまりたちまち戦犯容疑者として、連行されるかもしれぬ怯《おび》えの、まったく失せたわけではなかった。 「お父さんも、昔は、ストライキをやった、そのため学校を三つ転校したよ」 「へえ」たちまち瞳《ひとみ》をかがやかす孝のかたわらで、しかし、北辰はこの男の子に、親として、どう自分を説明していいのか困り果て、考えるまでもなく、孝は、かつて北辰が親にそむき、学校に反抗し、荒れ狂っていた時と、同じ年頃に達しているのだ。  次第に、間隔をせばめて襲う悪寒《おかん》に、歯をくいしばって耐えつつ、一方では血を分けた只一人の息子に、せめて息子にすべてを話して理解されたいとねがい、一方では所詮《しよせん》かなわぬこととあきらめ、かつてそむきつづけた自分を、父浩義はどうみていたのかと、その面影を求める。  北辰は、明治三十二年一月、士族貝原浩義の次男浩史として、富山市桜木町に生れた。  浩義の父浩尚は、前田藩|勘定奉行《かんじようぶぎよう》、維新に際して、回漕《かいそう》問屋に投資し、移り変る世を巧みに立ちまわって金を残し、神通川《じんづうがわ》の川辺《かわべ》に料理旅館をひらき、浩義はその末子、幼時より神童の誉れ高く、特に剣技に長じ、富山市武徳会の小天狗《こてんぐ》とうたわれて、撃剣打ちこむ時の、裂帛《れつぱく》の気合いは、四町四方にひびきわたったといわれ、やがて、風呂屋へ手伝いに来ていた町家の娘ことと結ばれ、この結婚は母の許すところとならず、止《や》むなく高岡へ駆落ち同様に逃げ、ここで長男浩一を産む。  この時高岡市の、火災保険会社代理店に部屋借りしていて、保険の知識を得、やがて父浩尚の没後、その遺産の一部を得ると、富山市桜木町に屋敷をかまえ、屋敷内に生命保険の支店を設けさせる。  北辰のもっとも古い記憶は、あたかも歌舞伎は弁天小僧浜松屋の舞台の如く、細い格子《こうし》にかこまれた勘定場と広い板敷の部屋に、前垂れかけた社員が机にむかいしきりと算盤《そろばん》をはじいている光景、そしてまた剣士の次男にうまれながら、まず玩具《おもちや》は算盤で、廊下をガラガラとすべらせてはとがめられ、「消防を呼んで渡す」と女中におどかされ、泣きわめきながらみた庭の松の、一面に雪つもらせたながめであった。  三歳年長の浩一とは、幼な心にも不思議なほど差別されて、正月、浩一は父と別室で膳《ぜん》をかこみ、小学校二、三年にしてすでに、父の酌を受け、北辰は母、三歳下の弟、使用人と台所につづく板の間で屠蘇《とそ》をのむ。法事でも、兄は父とならんで、坊主のすぐ後にかしこまり北辰ははるか後列、弟の浩吉がどうしても母にまといつくから、北辰は親族の間に押しやられ、一族の中では浩義がもっとも羽ぶりよく、伯父伯母《おじおば》も日頃、父にはペコペコしていたから、彼等に立ちまじりその膝《ひざ》に抱かれるのは、かなり屈辱的なものだった。  御維新といっても眼と鼻の昔、羅宇屋《らおや》や団扇屋《うちわや》の老人はまだ丁髷《ちよんまげ》を結っていて、士族の家風ともなれば、これが至極当然なのだろうけれど、兄はなにかにつけ袴《はかま》をはき、北辰はお下がりの着流し、祭りの小づかいに差をつけられるのはまだしも、冬、雪がつもると玄関から、木戸までほぼ十二、三間の距離を、兄は父と木刀の素振り、北辰は木のスコップで下男と共に雪掻《ゆきか》きせねばならず、やたらと多い廊下のふき掃除も仕事のうち、つめたさについ台所の薬《や》かんに足の爪先《つまさき》押し当てていたら、人の飲食する器になにごとぞと、雪の中に立たされる。  北国の、通称雪おろしという冬の雷、雪雲にひびいて殷々《いんいん》と轟《とどろ》き、兄と共に怯《おび》えて押入れに首つっこんでいると、北辰だけが引き出されて、「唐の孝子は、雷ぎらいだった亡《な》き母を想い、ひとたびいかずちはためくや、たちまち母の墓の上に身を投げて、その霊を休んじまいらせた、お前にこの勇気があるか」怒鳴られて、吹雪《ふぶき》と共に光る稲妻《いなずま》の中を、歩かされ、心底この時は父を憎んだ。  いやさらに、父が東京からの客を迎え、料理屋にあそび、待合にでもくりこむのか酔歩まんさんと歩く姿にぶつかり、父はにこにこ愛想よく、 「これは東京からのお土産《みやげ》や、弟にもってったりなさい」  紙に包んだ珍しいビスケットで、小学校五年の食べ盛り、とても家までは持たず、十六あるうちの十コをつまみ喰《ぐ》いして何くわぬ顔していると、翌朝父は弟に、 「昨日のお土産なんぼあった、もう勘定できるやろ? うん? 一つか二つか?」  しつこくたずね、小学二年の浩吉、素直に六つとつげ、きくなり父は北辰をにらみつけて、「泥棒したな」という。  いったいなんのためにこうまでいじめられるのかと、涙浮べながら表に走り出て、口惜《くや》し涙あとからあとからあふれ、近所では餓鬼大将で通るだけに、泣顔を人にみられたくなくて、小走りに武家屋敷の白壁のつづく道を走りつづけた。  兄は県立富山中学へ入ると、なおのこと行いすまして、食事時に父と大人びた会話をかわし、すでに父の「いつまでも富山の薬でもない、これからは外国の技術をとり入れて、科学的に薬を調合せにゃ」という意を受けて薬学を専攻する志をもち、そのためには、ヨーロッパ留学の許しさえ得ていた。  結婚に際しての、母との確執など委細かまわず、父の強引に呼びよせた祖母の寵愛《ちようあい》を弟は一身にうけ、小学三年にして、祖母にすすめられた煙草、強いバットをいっぱしくゆらせ、威光をかさに着、次男坊の宿命かもしれぬが北辰一人がみそっかす。  いっそ人の注意をひくためにと、弟を川べりに立たせておいて神通川にとびこみ、泳ぎと喧嘩《けんか》はお手のもの、もぐったままひそかに川岸へもどって草むらにかくれていると、しばし後、浮んでこない兄に気づいて、浩吉は火のついたように泣き出し、やがて二町先の我家から父を先頭に、事務員五、六人おっとり刀で駆けつけ、さすがに父はまっさきにとびこんで探《さが》しはじめたのはいいが、さあこうなっては出るに出られず、四つん這《ば》いのまま現場を逃げ出し、そうっと家へもどって知らぬ顔、女中がみつけて、無事を、半ばあきらめかけて、狂乱状態の母に知らせ、この後、こっぴどく母には横っ面《つら》張られたが、父は一言もいわず、「ぼくはなんにも知らん、泳いで上って来ただけや」と弁解する北辰の下心、見抜いたようにうす笑いうかべていた。  自分ばかりが割をくい、もしかしたら継子《ままこ》なのではないかと、戸籍を調べても、れっきとした浩義次男、となったら自然に、自衛の心が生れて、兄にはかなわぬから、もっぱら、おっとり育った浩吉をたぶらかし、浩吉はなにより立川《たちかわ》文庫が好きで、これを読んでやれば、便所掃除も庭の草むしりもよろこんで肩代り、北辰は用いいつけられると、猿飛佐助《さるとびさすけ》・雷電為《らいでんため》右衛門《えもん》よろしきところまで抑揚ゆたかに読みあげて、さて後を続けて聞きたければ言うことをきけ、さらに、枇杷《びわ》、無花果《いちじく》、柿の盗み喰い、必ず弟をともに連れ、家へ叱言《こごと》が来て折檻《せつかん》うけ大きな算盤の上に正坐させられる時は、弟を見張りに立て、ごろり寝そべるし、蔵に閉じこめられれば、浩吉だけ残して北辰は窓から逃げ出し、頃合みはからって元の座へもどり、話をあわせる。  表での悪ふざけもひどくなって、長い竿《さお》の先に菎蒻《こんにやく》を糸でしばり、盲人の通るのを待って、菎蒻でその頬《ほお》をなでる、盲人は杖を四方八方にふりまわし、眼が不自由とは思えぬ素早さで逃げ出すその姿ながめてよろこんだり、あるいは行いすました浩一の、実は試験の答案の点数つけてもどされて来たのを、赤インクで六十点を八十点に改ざんしたりし、一切疑わぬ父が歯がゆくて、北辰は夜分、便所の汲《く》みとり口から、兄のしゃがむのを待って、思いきり竹の棒を突き上げ、打ちどころが悪かったか、おどろきの余りか、朝まで兄はぶっ倒れたまんま、これは、つまり寝呆《ねぼ》けたのであろうと、たいして詮索《せんさく》もされなかった。さらに富山市内の佐藤明という同姓同名の表札をすべて盗みこの数が十六。さては女学校の校札の裏に猥褻《わいせつ》な絵を書き、人知れずほくそ笑んだり。  学校は兄と同じく、富山中学へ入り、家の中でもすまし顔の浩一は、校庭で会えば尚《なお》のこと他人面を装い、それというのも、どういう風の吹きまわしか、北辰の入学の成績が三番で級長を命ぜられ、今まで級長はおろか副級長にもなれなかった浩一の、なんとないひがみのあらわれか。  父は、この成績にも、 「浩史は要領ええだけや、すぐ化けの皮がはがれる」  と冷たくあしらい、もはや父の自分に対する態度をくよくよ思いわずらいもせぬ北辰だったが、その予言は適中して、二学期の終りには二百人中四十一番、クラスでも十番前後で、しかもまだ級長だったから、クラスメートは、「十番代表」とあざわらい、だがだからといって勉学に身を入れる気持もなく、三学期はカンニングに徹して再び全級の二番。  もっぱら柔道にうちこみ、これも、父の剣道に対する反逆の心意気。「隅返《すみがえ》し」と、相撲《すもう》の「かわずがけ」に似た術が得意、当時としても小柄な部類だったが、しばしば対校試合に出場して、これには一度も敗《ま》けたことがなく、背をまるめて低くかまえ、不意に奇声を発し、おそろしく左脚がつよかったから、初対面の相手は、たいてい気をのまれ、ひるむところを足わざに屈した。 「角力《すもう》とってみるか」北辰の言葉に、孝は照れた表情みせ、「俺《おれ》、わりに強いよ」ぼくが俺にかわったのは、すっかり気をゆるしたせいか、「バンドつかむあり?」砂浜に円を描きながらたずね、「なんでもいい」に「ヘヘヘ」、鼻をこすって円の中央に立つ。  双方手を下ろして、立ち上ったとたん、どんと思いがけぬ力で孝は北辰の胸板にぶち当り、前さばきは北辰がまさって、右半身に受けとめ、左から起してこらえるところを、右からの下手投げ、さらに右脚を孝の左に搦《から》めて、かわず掛け、たまらず孝は後ろ向きに倒れる、「よーし」歯を喰いしばって孝は、再び蹲踞《そんきよ》の姿勢で待ちかまえ、北辰はほんのわずかの動きに息がはずみ、だがまんまと得意術で仕とめた快感に、さらに一番応じ、今度は孝、離れて突っ張るのを、片手たぐって引きおとし、孝の顔半面、砂にめりこんだが、北辰も激しい動悸《どうき》に不安を覚えて腰をおろし、さらに足りず仰向けに寝ころんで、まるで地底から突きあげるような心臓の悲鳴に耐える。 「まだ、敗けやしない」  切れ切れにいい、眼をつぶると瞼《まぶた》の裏に白い星がとびかう、深呼吸しようにも、横隔膜が肺をおさえる感じで、息も吸いこめない。  不安になって上体を起し、「大丈夫?」孝が心配そうにのぞきこんだのは、うって変って苦しそうな父親を案じたのであろう。 「馬鹿々々しいね、年を考えなさいよ」家へもどり、やや興奮の体《てい》で砂浜でのことをつげる孝に、多津子はお腹《なか》が減ったろうと、煎《い》った大豆を丼《どんぶり》に入れて渡してやり、「夕方、羽柴《はしば》さんと鈴木が来るってよ、私は寝てますからね、知りませんよ」  羽柴は小田原の文学青年で、医者の息子、鈴木は、共同通信の記者、北辰とは十数年来のつきあいで、東京の家を焼かれ、鴨宮《かものみや》から社へ通っている。両名ともウイスキーを目当てに、花をひきに来るので、羽柴は、それでも時おり、モグサのようなビタミン剤やらビオフェルミンを手《て》土産《みやげ》にしたから、多津子の覚えいくらかめでたい。 「お父さん食べない?」孝のさし出した丼の大豆左の掌《て》にひとにぎり、右には薬瓶《くすりびん》に入ったウイスキーを下げ、外の陽光とはうらはら、冬のように暗い茶の間を脱け出し、自室へもどると、しねしねと歯にまといつく生煎《なまい》りの大豆を噛《か》みながらのラッパ呑《の》み。  北辰が酒の味を覚えたのは、孝と同じ中学三年の時、父が来客をもてなし、その後片づけを手伝わされ、徳利に残った酒を運びながら飲んでみると、別になんということなく、それからは好奇心で、夜更《よふ》けに台所へ忍んでは盗み酒、その現場を父にみつかり、さぞ怒鳴られるかと思ったら、逆に父の部屋へ連れていかれて、 「飲みたいんやったら堂々と飲め、わしの前で飲め」  一升瓶から茶碗《ちやわん》に酌をされ、やけっぱちでほぼ一本|空《あ》けて、ひょいと気づくと台所の土間にころがされていて、頭から下腹まで汚物まみれ、夜明けの寒さの中でがたがた震えながら、起《た》ち上る力もなく、この時、父は俺を憎んでいる、いっそ、はっきりきらいやというてくれたら、俺はこんな家とび出してやるのに、涙がにじみ、喉《のど》のかわきにたまらずようやく板の間にはい上ると、すっと一筋の光がのびて、 「大丈夫かい? お父さんがほっとけっていうもんやから」母の声がして、「もうこりたやろ、あんまり飲まんといてな」  金だらいの湯で顔をふいてくれたが、なんとかしてこの家を出よう、そして父を見かえしてやるという志、この時はっきりと形をとった。  富山中学で、いわば流行の教師排斥ストの首謀者となったのも、放浪のための布石で、首尾よく諭旨退学、金沢中学へ転校。  後の『地上』の作者島田清次郎と共にここでもストを起し、平安中学へ移り、たまに帰郷しても、神通川の堤防で夜をあかし、消防の小屋にもぐりこんで朝を待ち、家には飯を食べにかえるのと、京都で入質するべき品を、土蔵から盗み出すため、父は仕送りだけはきちんとしていたが、東京遊学の兄の四分の一にも足りぬ額、しかも「父は近頃不如意につき万事節約第一を心がけ下されたく」印で押したように同じ文句がそえられていた。  京都は北白川《きたしらかわ》の疏水《そすい》のほとり、中学教師の家に下宿し、野球部に入っていたが、五年生の秋、教師が伊勢《いせ》へ修学旅行のつきそいで留守の夜、その妻は、 「運動しはって肉痛いでしょう」と頼みもせぬのに肩や腰をもみ、「うちもねむとうなった」  そのまま北辰のかたわらに横たわり、北辰どうしていいかわからぬまま手洗いに立ち、もどると寝たはずの女が、低く「電燈消した方がよろしおす」という。暗闇《くらやみ》の中で、はじめて女をしり、「女泣かせのもの持ってはる」後で鼻を鳴らしながら、そのつぶやいた言葉が、妙に北辰の心に刻まれた。  翌朝、女学校一年の娘美子を送り出す教師の妻に、昨夜の名残《なご》り毛ほどもうかがえず、あっけにとられた感じで登校し、二時間目、教科書のかげで弁当を盗み喰いしようとしたら、結び文があり「あてな円山《まるやま》公園わきの高瀬旅館で待ってるえ」  ずるずるべったりの関係つづけるうち、妻は、「あんた、うちの美子どう思う?」どうにもなにもほんの子供で、なにをいい出すのかと思えば「美子お嫁さんにする気ない? 四つちがいやし、丁度ええ思うわ。そしたら、うち等はなれんでもすむし」  さすがの北辰もあきれて、自身不潔のかたまりと化したような自己嫌悪《じこけんお》におち入り、そうそうに下宿ひき払って、しかし、一度踏みこんだ道、元へは戻れず、野球部の仲間を強引にさそっては、中書島《ちゆうしよじま》、八坂《やさか》の安淫売《やすいんばい》を抱き、この頃から、たとえ下宿代月謝にまわす金でも、あるったけすべて人におごり、相手がいかに裕福でも、自分が金を出し宰領しなければ落着かぬ性分はっきりとあらわれた。  富山にいる時は、人にたかり又くすね、小遣《こづかい》の乏しかったせいもあるけれど、およそ弟にしろ親友にしろ、おごった覚えはないのに、いや京都にいても、かつかつの暮しなのだが、冬のさなかに布団《ふとん》を質にかつぎこんでまで大盤振舞いしたのは、やはり都会へ出た田舎者《いなかもの》の背伸びか。根が小心の故《ゆえ》か。  平安中学卒業したものの、上級の学校へ入るつもりはなく、といって就職もできず、父からはとにかく富山へ帰れときついお達し。  ふたたびあの家へもどるくらいなら日雇い人足してでもと、友人の家を転々するうち、福井の新聞社に勤める小池無坊、堺利彦《さかいとしひこ》の弟子《でし》で売文社系のアナーキスト、その文章に共感して、北辰のつれづれにしたためたいわばファンレターの返事がとどき、ままよ出たとこ勝負と小池をたずね、そのまま書生といった恰好《かつこう》で新聞社の臨時雇い。  はじめてもらった給料のうち二円を母に送り、弟には労農ロシアを讃《たた》え、日本に革命待望するむねの手紙を送り、耳学問ながら革命さえ起れば、自分も救われる、そして父や兄は旧支配階級として、大衆の前に引き出され裁判にかけられ、そこへ自分が革命軍一方の旗頭《はたがしら》として登場、救いの手をさしのべるというような夢想にふけっては、無坊の腰巾着《こしぎんちやく》酒に入りびたる。  北辰自身は、天晴《あつぱ》れ一人前、錦《にしき》かざるとまではいかぬが、兄と対等の社会人のつもりで翌年の春、富山へ帰ると、丁度、薬専を卒業した浩一の祝いの宴。親族一同料亭へ集まり、北辰も席に連なったが、いかに肩いからせてみても、兄の着実に足もと固めて一歩一歩世に出る姿と較《くら》べ、いかにもこちとら軽薄で、落胆しつつ、と同時にまた、たかが卒業に一族あげての祝宴が癪《しやく》にもさわり、宴半ばに座を脱け出し、老女一人留守居の家へもどって、自暴酒《やけざけ》あおっていると、不意に父があらわれ、 「どうや、お前も東京で勉強せんか、お前はやる気を起せば、浩一より出来る、医者にならんか、慈恵医大というのがええそうやが、そのつもりがあれば、下宿も頼んでやる」  袴《はかま》を脱ぎつつ、姿勢正しい父がいやに大きく見え、はじめてといっていいやさしい言葉に、生れおちて以来の敵意たちまち溶け崩《くず》れ、 「お母さんに小遣《こづかい》送ったそうやな、よろこんでた」  ときけば、そのうちお父さんにもあげますとさすが口には出なかったが、心底そのつもりになり、たちまち革命もくそもない。  同じ富山の、やはり医者を志す男と連れだち、はじめて上京し、目黒の医院に書生を兼ねて住みこみ、銀座はとっつきかねたが、浅草六区の日本館、観音劇場、公園劇場、帝国館、役者のぼりにぎにぎしく立ち並び、呼びこみの声かまびすしく、河合澄子、木下八百子、奇術の天華嬢|妍《けん》を競って艶姿《あですがた》を極彩色の看板に誇り、ふらふらと北辰の入った帝国館。  折しも呼びものは、天華の樽抜《たるぬ》け、その秘密を発見したものには大枚百円を提供するとの前口上あって、眼をさらにして見入るうち、これは鏡のトリックであるとわかり、一座にすれば客寄せのつもりだが、北辰、真に受けて百円もらわねば梃子《てこ》でも動かぬと楽屋にねばり、あげくの果てはこれで御勘弁と待合で一座の女を抱かされる。  のっけに味をしめたから、後は慈恵医大など念頭から消滅、金竜館、常盤座《ときわざ》、東京|倶楽部《クラブ》三館共通のテケツを懐《ふとこ》ろに、そぞろ歩きも八木節《やぎぶし》やら、ききかじりの西洋歌劇のひとくさり。ハトヤのコーヒー五銭、平民食堂カメチャブ五銭、蛇《じや》の目寿司《めずし》でにぎり一つ二銭、三州屋、騎西屋《きさいや》の朝飯十銭で、玉子焼|海苔《のり》みそ汁丼飯、映画が二十銭、実演三十五銭、ギザ一枚で観《み》て食える。北辰の学資二十五円、喰《く》う寝るところ只《ただ》とあって使い出はあるけれど、日参となっては続かない。  雪崩《なだれ》うつように、母手造りの布団から兄ゆずりの書籍、なにかの足しにとひそかにしのばせてきた井上真海《いのうえしんかい》の銘刀、靴、鞄《かばん》、傘《かさ》にいたるまで質屋へ入れて、これも北辰の人徳、因業《いんごう》な親父《おやじ》も手もなくまるめこまれるので、「母が病気でどうしても郷里へ帰らねばならぬ」「女給の足抜きを手伝ってやくざに追われ、金を包まなきゃ片腕一本へし折られる」など、我ながらあっけにとられる口から出放題のつくり話でっち上げ、適当に相手を楽しませ、のっぴきならずふだんの倍まで貸さざるを得ぬように仕組む。六区で知りあった不良仲間、やがて質屋は北辰にかぎると決めこみ、目黒へ電車賃つかってまで、頼みに来た。  強い左を軸脚に、右で突如相手の鼻面《はなづら》を蹴《け》る通称「南京《ナンキン》蹴り」を得意とし、敗けそうになれば雲をかすみと早い逃げ脚にものいわせ、売られた喧嘩《けんか》は必ず買うし、やがては、徒党をくんでの飲み逃げやら、青大将を袋に忍ばせ、千束《せんぞく》通り広小路の、いわくありげな姉妹の店番する飲み屋へ入り、したたか飲んだあげくに、 「あいよお土産」  と袋をわたし、女は、 「あら、大学羊かん? ごちそうさま」  つまり焼芋とうけとって袋をのぞけば、こはいかに青いのがぞろぞろとぐろのままにうごめき、一瞬気をのまれて後、キャッと悲鳴あげて袋をほうり出し裏手へ逃げこむ、一党は大事のお蛇様かかえて表へとび出し八方に散って、あらかじめ決めた集合場所へ顔をそろえた時には、それぞれ走った後でもあり、ほどよく酔いは五体のすみずみに及んでいてめでたく放歌高吟。  時たま一人や二人運悪くとっつかまって、交番に突き出され、散々油をしぼられることもあったが、北辰はついぞない。  どうにも暇をもてあますと行き当りばったりの湯屋へ行って、日がな一日入浴者をながめ暮し、退屈しのぎにその動態調査したこともあった。 〈浴前における手拭《てぬぐい》の持ち方、頬被《ほおかぶ》りの者一人、肩へかけたる者八人、前を押えている者二十六人、鉢巻《はちまき》の者三人、脇《わき》にさげている者十人〉 〈湯船における動作、歯を磨《みが》く者四人、顔を洗う者六人、額洗う者一人、体洗う者一人、頭洗う者二人、ただつかる者十六人、浪花節《なにわぶし》、都々逸《どどいつ》唄う者九人〉 〈入墨している者のうち、自来也《じらいや》一、紅葉狩《もみじがり》一、不動一、さくら一、桃一、おかめ一〉 〈体に傷のある者、背中はれもの跡一、背中灸|《きゆう》あと六、腹盲腸一、背中切傷一、股《もも》よこね傷二、足はれもの跡一〉  市内の質屋と湯屋と、そして浅草、十二階下、吉原は掌《たなごころ》さすごとく、 「洋服さん、ちょっとヨーフクさん、御相談があるんですが、いかがです。おねがいがあるんですから、一寸《ちよつと》ここまで来て下さいよ、もしねえヨーフクさん、ねえ大将、ちぇっいっちまった」 「粋《いき》な旦那《だんな》、いよ、役者にしたいね、いよ、口あけですよ、よったらよっ、勝手にしやがれときたね、いえいえ、旦那のこっちゃありません、とんでもない、へい、いかがです、吉野さんが、よろこびますぜ」  やり手や妓夫《ぎゆう》の呼び声すっかりそらんじ、まわしとられる間の狸寝入《たぬきねい》りも堂に入ったもの。  一年たつと顔は売れたが、いよいよにっちもさっちも首がまわらず、ままよと手を出したのが、寄宿先の医院の薬局室、知識はないし、レッテルもよめず、なるたけばれそうにもない棚《たな》の奥の瓶《びん》を盗み出して、本郷《ほんごう》の生薬屋《きぐすりや》へ運び、二度三度重なると、向うから横文字書いた紙を渡して、薬品を指定するから、夜更《よふ》けローソクの灯をたよりに、読みなれぬドイツ語だかラテン語だか、やっと探り当てたのは、後で思うと、あれは淋病《りんびよう》の消炎剤。  なれると罪の意識などまるでなくなって、自宅の庭の柿をもぐような按配式《あんばいしき》、医者も看護婦も気づかなかったが、富山から同道して来年医大をうけるつもりの男、これが甘味欲しさにやはり棚の果糖の瓶に狙《ねら》いをつけ、先客北辰の姿にびっくり仰天、たちまち告げ口したから、うもすもなく目黒署へひっぱられ、ほうりこまれた雑居房。  先客が三人いて、一人は博奕《ばくち》、それに掻払《かつぱら》い、詐欺、北辰は心中|怖気《おじけ》ふるっていたが、ガチャンととびらの閉《しま》ったとたん糞度胸《くそどきよう》がついて、 「小僧、なんだ」 「ワ印の方で」  つまり猥褻《わいせつ》と嘘《うそ》をつき、たちまち同房者、ナオコマシか、ツマミグイか、ガセハチ、クワエコミかと、隠語をつかってたずねるのを、即興の猥談で楽しませ、十時頃になると猿《さる》まわしが猿共に入ってきて、これは猿を踊らせながら、あたりをつけて忍びこむ窃盗犯、えたりと北辰、猿まわしの寝こむのを待って猿をからかいはじめ、オナニーを教えこむ。  なかなかのみこまないのに、必死の身ぶり手ぶり、同房者キャッキャッと笑い、目覚めた猿まわし、 「馬鹿野郎」  と怒鳴ったが、今度は猿がいいつけきかず、部屋の隅《すみ》で逸物《いちもつ》ひねりまわし、猿まわしとめようとしたら、鉄格子《てつごうし》の表で看守が、 「ほっとけ、やらせておけ」  これも興味|津々《しんしん》といった体《てい》でのぞきこみ、そのごきげんとりむすんで、運動時間にはおかげでエンタ(タバコ)にありつける。  三日目、折よく上京していた浩一が、とりあえず保証人となり、厳重説諭の上釈放、さすがに面目なく、 「どうして、あんなことしたんや、もし金が要《い》るのなら、ぼくにいうてくれたら、いくらかはなんとかできたのに」  兄にもちかけるくらいなら、悪所《あくしよ》通いはしやしないと、そのいかにも弟おもい風言葉づかいに反発感じたが、ここは身許《みもと》保証人に対するサービスと、 「いやあ、わるい女にひっかかっちまって」  兄はいかにも、そうだろうそうだろうという風にうなずき、 「東京は怖《こわ》いところだからなあ、ぼく等田舎者の住むとこやないよ」  富山弁まる出しでいい、ひきかえ北辰は、上京後二月目には、はや完全な東京弁をこなしていた。 「なにしろわるいヒモがついててね、ぼくはちっとも知らなくて、実をいうと恥ずかしい話だけど結婚まで考えてたんだ、所帯をもって、まあ女も手に職はあるし、ここらで身を固め、地道な勤めに入れば女も幸せにしてやれると、女はわるくないんだけど、後についてるヒモがねえ」 「いやいや、そういうヒモ持ってる女やったら、どんな性悪《しようわる》か知れへん、そやけど、金みつぐくらいですんでよかったわ、怪我《けが》でもさせられたらえらいこっちゃ、みんな刃物もってるよってねえ」  兄に年長者風吹かさせて、それをいちいちもっともと恐縮したそぶりできき、もとより根も葉もない作り話、兄はまんまと乗って、 「親父にはぼくからよういうとくよ、なんや今度、名古屋の方の支店長なりはるらしいねん、もうじき引越しいうてたから、落ちついたら、いっぺん家へかえって、出直したらどうや」 「そうしますわ、兄さんにはえらい迷惑かけてしもて」 「そんなんかまへんけど、ぼくも、もうすぐ北海道いくしな、まあそうなったら当分あえんやろし」 「えらい遠いとこへ行きますねんなあ」  いつしか故郷の訛《なま》りさえよみがえり、心底情けない心細い気持も湧《わ》く。  兄のとりなしもあって、大正七年暮、名古屋の父のもとへ帰り、弟浩吉もすでに中学五年生、さらにその下の浩太中学二年。  いつまで、ぶらぶらしているわけにもいかず郵便局へ勤めたが、浩一の北海道へ渡ってからは、父も北辰を話相手にほしがり、その酒のあい間に、厳格|一本槍《いつぽんやり》とのみみえた父が、保険業務のかたわら、富山花柳界の噂話《うわさばなし》を集めた『文芸珍聞』なる月刊の新聞を発行し、好き者にくばっていたと知り、それだけではなく、もはや大人とみてか、あるいは東京で女遊びの末の身の破綻《はたん》と兄からきいて、逆に心ゆるしたのか、古い船箪笥《ふなだんす》の鍵《かぎ》きしませてとり出したのが、几帳面《きちようめん》な字で写した『末摘花《すえつむはな》』『艶情春雨衣《えんじようはるさめごろも》』『長枕褥合戦《ながまくらしとねがつせん》』。  浮世絵もあれば、巨大な張形《はりがた》、桐の箱におさめられた「りんの玉」、北辰、女あそびはもはやふつうの人の一生分くらい数をこなしたつもりだったが、春本春画のたぐいを知らず、少年のようなおどろきでながめると共に、読むといえば四書五経、体を動かせば木刀の千回素振りとばかり信じていた父の、意外な一面に眼を見張った。 「まあ大した遺産もないけれど、わしが死んだら、これだけはお前にやるわ、おこともこれを知らんし、浩一なんかびっくりして捨ててしまうかもしれん、これはお前、なかなか値打ちもんやねんで」酒焼けした顔に、うってかわって好色そのものの表情がうかび、ことこまかにそれぞれの故事来歴を説明した。  父の遺品はすでにない、度《たび》重なる引越しに散逸もしたし、北辰にはもともと収集癖がなくて、たしかにある時期好色本、古今東西にわたって手もとに集めはしたが、それを整理し出版してしまうと、とんと憑《つ》きものおちた如く原本そのものには興味をひかれないのだ。  薪《まき》を割る音にふと庭をみると、孝が古材木を細かくしていて、これはアルコール精製に欠かせぬ燃料、北辰の視線を感じたか、孝はふりあおいでニッと笑い、眼をほそめてこちらをみすえる。孝は多分、近視であろうと北辰は気づいていた。  近視と、それに何を俺は孝に残したのか、好色か、あるいはこれまで我ながらうまく危機を切り抜けてきたと思う、臨機応変の才か、それとも衝動的に行動する軽薄さか、虚言癖か、酒をのむとついあらわれる盗癖、弱気、臆病《おくびよう》、見栄《みえ》っ張《ぱ》り。  北辰には、父の、かつて自分を理不尽にさいなみ、そして、一変して親しみをみせた理由がふとわかったような気がした。  多分、父は父自身の、もっとも好もしくない性格、あの時代の秩序、モラルの中では唾棄《だき》すべき性癖を、北辰を鏡として見出《みいだ》し、だから憎んだにちがいない、そして年と共に、そういった性癖をついに捨てきれず、いやそれこそがなりふりかまわぬ自分の姿なのだと悟った時、北辰に人なつっこい笑顔を、むけたのではないか。  急に階下がにぎやかになった。毎日夕刻から、食事の仕度《したく》をしにくる、近くの戦争未亡人と、今日は朝からその家へ遊びに行き、酒匂川《さかわがわ》でつくし摘んだはずの次女玲子が、帰って来た。  ウイスキーの入ったせいか、悪寒はやや遠のき、これからは孝と、なるべく話をしてみよう。もし、文章書く才能があるのなら、その方面に、また出版活動の志をもつようなら、自分と一緒に仕事をしてもいい、まったく家をかえりみず、子供はたしかに近くにあれば気になったが、一歩はなれると脳裡《のうり》から去り、あるいはこれは男なら当然のことかも知れぬが、これまで、あまりに自分勝手な生き方を押し通して来たから、どう息子に対していいのかわからぬ。 〈そうだ、あれは賭博《とばく》の才はあるかも知れぬ〉暇つぶしにこいこいの相手をさせると、孝は妙に勘がよくて、北辰を負かし、となるとインチキしてでも勝ちたい北辰だったが、とにかくむやみに孝の才能の形をたしかめたくて、まったく子ぼんのうな父親に変りなくなっていた。  身欠き鰊《にしん》の煮つけと、素麺《そうめん》を実にしたすまし汁、これでも時節柄|贅沢《ぜいたく》なおかずは、春分の祝膳《いわいぜん》のつもりか、ふとみる多津子、また一まわりちぢんだようで、かん昂《たか》ぶらせている時は頬《ほお》がえしつかぬけど、四十二、三のはずが五十近くにやつれてあわれさ漂い、ほんの少し汁を飲んだだけで箸《はし》を置く。 「アメリカにはいい薬があるっていうから、今度、頼んでみよう」 「いいのよ、お金もないくせに」  肩で息つきつつ、投げやりにいい、三日前、夜中に階段のきしむ音がするからみると、そろりそろりとのぼって来る多津子で、どうしたのかと手を貸すと、 「ずい分、しないわねえ」  しなつくり、薄化粧までしていて、あわてて北辰、体にさわるからとなだめすかしたが、この体のどこにあの力が残っているのか執念なのか、北辰自身は玉の井、洲崎《すさき》、吉原、新宿すべて旧に復し、街頭におもしろい女がいるときいても、てんからその気がない。  悪い病いの名残《なご》りで、小便は今も二筋に分れてほとばしったが、今はただそれだけの、へのこであった。  さすがに食事時をさけて、七時過ぎに鈴木、羽柴が寄り集《つど》い、座布団中に八八《はちはち》をひく、女達は自室に退《さが》り、一人とり残された孝の、どうにか直したとみえるラジオから、アメリカ音楽が流れ、またふと北辰は、「技術者になるのもいい、これからは技術の世の中だ」と考えこむ。 「貝原さん、どうなんです、出版の方の具合は」 「ああ、山岸君と話だけはあれこれ夢みたいなことをしゃべってるんだが、紙がねえ」 「紙ならなんとかしますよ、闇ですがね、何|連《れん》だって大丈夫」  鈴木はそそのかすようにいい、うけて羽柴も、 「お手伝いしたいな、これからが先生の世の中ですものね」 「そう、『密戯指南』のごく一部を印刷したって大したものさ」 「『密戯指南』て?」 「女泣かせの極意書、まあいたれりつくせりでね、今の世にはもってこいだ」  ウイスキーなめつつ、二人が語るのを北辰は押しとめ、鈴木は勘ちがいして、「おっと、孝君もそろそろ色気づく頃だからな、余計な刺激は禁物」 「いやそういうわけじゃないけど、ぼくの考えてるのは、実は釣りの雑誌なんだ」 「釣り? 駄目《だめ》だよ、エロでいかなきゃ、エロならなんだって、とぶように売れるんだから、こういう戦国乱世の世、しかも言論の自由はアメリカさんが保証してるんだから、ぐっと刺激の強いのをね」 「ぼくは、釣りがいいと思うねえ、エロはつまらんよ」 「こりゃまた異なことを、斯界《しかい》にかくれもなきその道の大家が、なにをおっしゃる、敗戦ぼけですかな? 栄養が足りてないね、さては」  花を引きながら鈴木はまくしたて、たしかに敗戦ぼけかも知れぬ、今、なにも稿をあたらしくすることはない、カビにまみれた『グロチック』の適当な頁《ページ》を編集すれば、たちまち羽根が生えて売れるとわかっていて、そうすれば多津子にも心置きなく療養させられよう、孝の勉強部屋の建増しも朝飯前、しかしどうにも気がすすまぬ、浮足立った性の解放エロティシズム讃美《さんび》、いわくあり気で、その実《じつ》下心みえすき、なにより貧しい印象だった、わが青春の生命をかけた結実を、金のために売り渡しはしないと、今さら気負うわけではさらさらない。  肉体的なおとろえか、精神的な老化なのか、時代の流れとの違和感が、日増しに強くなり、船酔いのように、北辰の平衡感覚を狂わせているのだ。  突如ラジオが、けたたましい響きを伝え、 「真相はこうだア!」と、浅草|奥山《おくやま》は見世物の呼びこみのように下品な男の声がし、次々とあわただしい口調で、旧日本の悪事をばくろしはじめた。  孝の、喰い入るようにラジオに熱中している姿をチラッと視線のはしにとらえながら、北辰は見ぬふりで、 「うるさいから消しなさい」  さり気なくいったつもりだったが、声がふるえていて、あわててごま化すように、 「どうもつきがこない」  つけ加えたが、ボリューム下げたラジオに、多津子の金切声《かなきりごえ》がとび、 「私達も聞いてんですよ、他に楽しみはないんだから、いいでしょ、少しくらいうるさくったって、そっちだってお勉強してるわけじゃあるまいし」  孝はうかがうように北辰をながめるから、うなずいてみせると、再び、「一式陸攻を、アメリカ軍はライターと呼び、これは簡単に火がついて燃えおちたからです」まるで他所《よそ》の国のできごとのようにアナウンサーが、嬉々《きき》としてしゃべる。 「どうしたんです、親ですよ貝原さん、親がやらなきゃはじまらない」  相変らず軽口たたく鈴木の眼の前に、北辰は、平然とくばられた七枚の花札のまず四枚を抜き出しひらいてならべ、これがすべて坊主、 「ヒェッ四本」  羽柴が奇声を発したが、つづいて残る三枚、天地をそろえて左手でずらりとひらけば、黒フジ三枚。  手役《てやく》の「四三」これは「しそう」とよむのだが一生花札にうちこんでも、一度できるかできないか、まずはあまりに稀有《けう》なことと、その「死相」に通ずるところから不吉とみなされる役。 「へーえ、四三の手役か、これができると、総ざらえって、今までの賭金《かけきん》すべてそっちへ行っちゃうんでしょ」  羽柴がとりなすようにいったのは、これを冗談にせよ定石通り不吉のしるしとみれば、病人二人かかえた一家、誰が気を滅入《めい》らせるか火をみるより明らか。 「とにかく今夜はこれまで、さあ、孝君ウイスキーもって来てくれないか、お祝いの酒盛りだ」  鈴木も厄払いするようにはしゃぎ、そこへ多津子騒々しさに文句の一つ二つがなるつもり、洗ったのかさんばら髪化粧っ気まるでなく、この方が身についた不吉ぶりで、よろめき立ちあらわれ、ひょいと座布団の札をみると、もと芸人だけに八八の糸道ひらけていて、 「あら、お父さん? それ」  北辰うなずくと、 「いやだよ、コマンダラコマンダラ」  コマンダラは多津子の口癖、地震、雷やらみくじの凶ひき当てると、あわててこれをつぶやく。 「お勢さん、わるいけどさ」台所を片づける手伝いの未亡人に声をかけ、「御飯といどくれよ、それから小豆《あずき》あったねえ、お赤飯|炊《た》くんだから、いいよいいよ、あとあたしやるから」  多津子|襷《たすき》をかけると、日頃|口汚《くちぎた》なくののしり、八つ当りの北辰ではあっても、やはり心底ではたのむ大黒柱かけがえなき主人、人がちがったように甲斐々々《かいがい》しく、流しに立って米をとぎ、そのシャッシャッとひびく音を、北辰ふとなつかしむ。四三の凶を吉に直すべく、心はりつめた多津子の気魄《きはく》に押されてか、台所に緊張感がただよって、 「さあ、飲んでちょうだい、なにこりゃ運さえつよけりゃとんでもない吉兆おめでた、この人ときたら、運はとびきり上等なんだからさ」  笑った末はまた空咳《からぜき》となったが、ウイスキーにかますの干物《ひもの》そえ、自らお酌までして、 「小豆は孝のお誕生日に買っといたんだけど、一升百二十円もするんだから、いやになっちゃうねえ」  懸命に一座をとりもち、やがてまだむしが足りずにべとつく赤飯炊き上ると、 「酒のさかなにゃなんないけど、縁起ものだから食べとくれね」  一同に配って、さらに一膳飯はいけないよ、無理強《むりじ》いしたが、自分は食が細って三食常に子供ほどの量なのを無理して、二膳目はお茶をかけ、それを末娘の玲子、 「あら、お母さん、おこわのお茶漬《づ》けすると、お嫁にいくとき雨が降るってよ」 「ああ、雨でも嵐《あらし》でもかまやしないさ、今度いく時はおえんま様におこし入れだもの」いってからあわてて「さあ一陽来復、おめでとうございます」  多津子一人はしゃいだが、はしゃぐほどに鈴木、羽柴も痛々しい印象が先に立ち、 「こりゃどうも思いがけぬ御馳走《ごちそう》になっちゃって、この分じゃ毎晩でも四三についてもらいたいですな」  そらぞらしく鈴木がいいつつ、二人は引きあげ、さわるのも怖ろしいように、座布団ごと部屋のすみに押しやられていた花札を、北辰とりあげると、 「どうだ、孝こいこいやるか」 「よしなさいよ、折角厄払いしたってえのに」  片づける気力はなく、食べ散らかしをそのまま多津子は、鏡台の前にすわって髪をとかしはじめる。 ≪それにしても小生|等《ら》の前途|暗澹《あんたん》たるものがあります。戦災で十カ所も焼いて殆《ほとん》ど起き上る資力もありません、ただお米に見放されていないだけが、せめてもの今の極楽でしょう。なんだかんだと迚《とて》も大変な毎日を送っております。では又おたよりいたします≫  北辰はまたぶりかえし、さらに激しくなった悪寒《おかん》に時おり眉《まゆ》しかめながら、兄への手紙を続け、筆を擱《お》く。もはや、芝居っ気もてらいもない、これは本音であった。  袋に入れ残した釣竿《つりざお》二本、気になりつつ体はごろりと横たわり、枕に耳をつけると頭の芯《しん》に地鳴りがうまれ、はなすと風に鳴る松、昼間のおだやかな気配からは想像もつかぬたけだけしい潮騒《しおさい》がきこえ、交互にくりかえすうち、「あんた、まだ起きてる?」多津子があらわれた。  そばに寝たいというのは、まだ四三のおびえ去らぬのか、女の生命燃えつきぬしるしか、薄く化粧さえし、さすがすぐそいぶしも求めかねて、脱ぎ捨てた孝のジャンパー、新聞の切れはしとりかたづけ、ようやく体を寄せると、 「どうしたの? あついわ」 「風邪《かぜ》ひいたらしい、ぞくぞくする」 「角力《すもう》なんかとるからよ、汗かいてそのままにしてたんでしょ、薬のまなきゃ」 「のんだよ」 「改源《かいげん》なんかじゃなくて、羽柴さんがアメリカさんのダイヤなんとかって」 「大丈夫だよ」  多津子の立ちかけるのを、北辰腕をとって引き寄せ、眼をつむったまま片手抱きにし、だがそれ以上どうするでもなく、後ろ髪つかんで引きこまれるような落下感に身をまかせ、ふと怖《こわ》くなって眼をむりにあけると、すでに部屋の灯は消されていて、四方の壁わが身にのしかかるような錯覚があり、われ知らず多津子に体を寄せる。 [#改ページ]  第二章 密戯指南  自分が死ねば、やはり富山市|魁町《さきがけちよう》の浄真寺へ入るのか、祖父浩尚、父浩義と同じ墓の下へ、だが今の時勢では、自分が死んでも葬儀すらおぼつかないだろう、北辰は暗闇《くらやみ》の中に一人|目覚《めざ》めたまま、死後を考え、これは自分もまた四三《しそう》に憑《つ》かれたのか、妙に葬儀の空想が気に入って、そうだ、分骨して箱根の好色之碑にも納めてもらいたい、もはや、あの碑を知る者もすくないだろう、芦《あし》ノ湖《こ》見下ろす丘の、「好色顕彰之碑」と筆太に刻まれた、高さ六尺台座ともに九尺八寸、男根をかたどったあの碑は、どうなったろうか。台座の周囲には古今にわたる好色家の名をしるし、その最後はたしか読売新聞法廷記者にして艶本《えんぽん》の研究家沢松武士であった。  あれは昭和三年の夏、これもまたあそびでいいはじめたことが、とんとん拍子に話まとまり、北辰主宰する文芸資料研究会、その秘密会員である海軍中将が土地を提供し、碑銘は同じく会員の日本歯科専門学校校長が書き、北辰をはじめ酒田潔、小高三郎、生方《うぶかた》敏雄、小池無坊、山岸義一、斎藤勝三、伊藤竹酔、いずれも死後はここに祀《まつ》られん自負に満ちた面々、除幕式にはせ集まり、本来なら好色家ゆかりのお孫さんの、もみじの手にひかれる除幕の紐《ひも》、なにしろこの幕そのものが、吉原のおいらんからせしめて来た腰まきつぎあわせたもので、とても子供にはまかせられず、浅草パンタライ社に頼んで、その筆頭はな子を呼ぶ。  パンタライ社は、「舞台の延長」なる見出しで新聞雑誌に広告を出し、お座敷へ浅草出演中の人気女優をはべらすという、いわば女優のポンビキ、もっともその実、女郎あがりに洋装させ香水ふりかけて、さもそれらしく金竜館のだれそれと名乗り、祝儀《しゆうぎ》は時間の長短をとわず金十円、唄だけは本物の歌劇女優奈良八重子について習い、客に抱かれながら「波浮《はぶ》の港」「モンパリ」をくちずさむのが御愛嬌《ごあいきよう》。  中ではな子は特技が売物、つまり局部に蛇《へび》、といっても三尺に近い青大将、とぐろをまいても両掌《りようて》に余る長物を、唾《つば》一つつけるでなく、するするとのみこみ、二分もすれば自然と蛇は苦しがって表へ脱出する、口上がついていて「由来、蛇は穴の好きなもの、万一みなさまお知合いの女性、蛇にみこまれましたる時は、決しておどろきあわてシッポをつかんでひき出したりしてはなりませぬ、なにせ蛇の鱗《うろこ》は一つ一つが足も同じ、まずこのように」と蛙足《かえるあし》になり、西式健康法は腹式呼吸を行なって「蛇は呼吸困難となりおのずとあらわれます」この他、いわゆる花電車、五十銭の吸いとり、筆をはさんでのさかさ馬、その稀代《きたい》の開《かい》に、除幕式の紐をくわえさせ、北辰の合図と共にぐいと腰一つひねれば、見事に幕は風をはらんで落ち、男根とはいっても世をはばかって、先太の自然石、これは斎藤勝三の甲州でみつけて来たものだが、夏空にそそり立つ。  小高三郎、故人好色家に捧《ささ》げる辞を読み、山岸義一はこれが十八番のヒコーキ踊り、両手を水平に上げて、宙がえり、きりもみ背面飛行をなぞり、最後は頭から腹んばいに着陸する珍芸、終って一同、かねてのてはずズボンのボタンをはずし、六寸二分胴返し五寸八分|雁高《かりたか》五寸五分|巻藁《まきわら》といずれ劣らぬ逸物《いちもつ》とり出し、碑にむけてりゅうりゅうとしごき、もっとも早く極《きわ》まりに至ったのが生方で、「ヨッヨッヨッ」かけ声かけて銀滴を蒼穹《そうきゆう》にはなつ。  この年、貝原北辰二十九歳、帝大出の初任給四十五円、吉原時間遊び三円の御時勢に、北辰のもとへ送金される会員からの為替《かわせ》一日に千円をくだることなく、帝国ホテル四室を借り切って、事務員三十七名をようし、来客あらば陽《ひ》のあるうちからオールド・パア、キングオブキングスの飲み放題、好色出版の帝王として君臨し、そしてそのための刑法適用件数二十五、出版法適用のもの十二種、罰金合計一万百円以下、体刑合わせて五年以下。  エログロナンセンスの時代をひらく快男子、社会主義者たりし前身を知るものは、好色に走った北辰を堕落とみ、また彼の文献学者的一面を知るものは、あまりにでたらめな好奇心の、そのおもむくままにみえる出版活動に、才能の乱費を惜しみ、さらに友人知己すらも、いささか桁《けた》はずれな北辰の、日常生活の奇矯《ききよう》さに、へきえきしつつも、その名声天下にかくれもない。  北辰が、好色出版に手をそめたのは、大正十五年、『デカメロン』の新訳にはじまるが、それより六年前、名古屋で生命保険支店長を勤めていた父浩義が、すでに猛威をおさめ、その噂《うわさ》さえしずまりかけたスペイン風邪《かぜ》の、最後っ屁《ぺ》のようにして発病し、北辰は東京に在って、早稲田《わせだ》専門学校在学中、報《しら》せによって急ぎ名古屋へむかったが、その死には間に合わぬ。  浩義は、年老いても往年|小天狗《こてんぐ》といわれた剣道の、竹刀《しない》さばきをなつかしみ、枇杷《びわ》の木刀でよく素振りをしたが、その最中にふるえがきて、気丈だから縁側にすわり、妻の庭で薪《まき》割るのをみて、手伝おうとし立ち上りかけ、そのままくずれ落ち、みると三十九度の高熱で、四日目の朝みまかった。  兄浩一も北海道から駆けつけ、密葬の後、富山浄真寺で法要を営み、これまである時は父を憎み、また名古屋以後はその弱い一面にふれて、ことさらな親近感を抱《いだ》き、しかしとにもかくにも北辰の心に、大きな存在として立ちはだかっていた浩義の、その死が北辰に転機を与えたといえよう。  浄真寺本堂に座し、すっかり世慣れて腰の低い兄浩一、師範学校へ通う弟浩吉と共に数珠《じゆず》まさぐり、低く経文を誦《ず》し、急のことでうつけたようになり、疲れのせいか顔に粉ふいてみえる母ことをながめつつ、北辰は兄弟のうちで、ついに片時も父に安らぎを与え得なかった自分をくやむ、あと五年生きていてくれたら、別に目途《めど》のあるわけではないのだが、世俗的な立身出世はともかく、父に小遣《こづかい》くらいは渡すことが出来たろうに、考えるうち嗚咽《おえつ》が洩《も》れ、かくそうとつとめると、つい読経《どきよう》の声調子はずれにたかまって、中学五年の末弟が、くすくす笑い出す。  北辰の読経は、小柄な体に似合わず豊かな声量と、なによりその本職仕込みで、後年しばしば人をおどろかせた、大正七年、最初の東京遊学は、放蕩無頼《ほうとうぶらい》のまま豚箱入りとなって頓挫《とんざ》し、名古屋へ転任した父のもとへ戻り、郵便局の臨時雇い、代用教員の勤めも長続きせず、その年の秋、郊外の覚永寺、禅宗の僧堂に入る。  野狐禅《やこぜん》をめざしたのでもなく、出家の志生れたわけでもない、兄は北海道で順調に薬屋の業績のばし、弟は上級学校入試でねじりはちまき、その間にはさまれて、半ば親の脛《すね》かじり。しかも遊心|未《いま》だおさまらず、大《おお》晦日《みそか》熱田神宮へ参詣《さんけい》と称し、実は旭町遊廓《あさひちようゆうかく》に登楼したり、父のなじみの料亭へ、その顔を頼んで無銭遊興したり、これは母がへそくりでしりぬぐいしてくれたが、素行おさまらず、母が浩一にぼやいたのであろう、ある時、兄から手紙が来て、「老い先みじかい両親のために、兄弟力をあわせて孝養にいそしもう、自分は遠くにあってままならぬ故《ゆえ》、浩史に頼む」と金十円|也《なり》が同封されてあり、その当座は兄の、いかにもいい子ぶりが気にくわなかったが、十円の半分を母に渡し、残りで酒を飲み、酔うほどにさすがわれとわが身に愛想がつき、小刀で指を傷つけ、兄に、これより更生を誓う血書を送り、心さだまらぬまま、寺へ逃避したのであった。  覚永寺には修行僧が四人いて、三人は近在の寺の後継ぎ、一人は前身が巡査、住職はすでに老齢で、典座《てんぞ》すべてとりしきっていたが、北辰はまがりなりにも中学を卒業していて当時としては大インテリ、経文にしろ教義にしろたちまち先輩、といっても元巡査の他《ほか》は十四、五の子供だったが、これを凌駕《りようが》して、檀家《だんか》の月忌《がつき》に小坊主どもが、小賢《こざか》しく読経に出かけ、そして一族郎党にきかせる説教、法話のたぐいも、典座の古めかしい話より北辰の創作になるものが、人気を得、半年すると、住職から得度をすすめられ、無人の末寺をまかせようかとの話が出る。  北辰、これまで寺、しかも禅宗といえば、きわめて厳格な戒律を守り、ひたすら座禅|三昧《ざんまい》の明け暮れとばかり思っていたのに、典座は住職の老齢をいいことに、托《たく》はつのお布施《ふせ》をごま化して、小料理屋の女に通い、小坊主どもも、夜|更《よふ》けに ああ春浅き宵なりきと千葉心中の歌、またディアボロの歌を面皰声《にきびごえ》で唄う、なによりおどろいたことに、寺で法要のある時は、住職典座毒々しい化粧して、たしかに百目ろうそくに照らされれば、紫の衣のこけおどしとあいまって、いかにも名僧知識と、善男善女にはみえるだろうけれど、電気の光ではとんと浅草の因果見世物。  坊主に愛想つかし、といってもここを出てその先のあてはなく、若い衆達の演ずる芝居の台本書いてやったり、本堂に寄り集《つど》う処女会の品さだめに時をすごすうち、文通だけは欠かさず兄事していた福井新聞の小池無坊から手紙が来て、すぐ京都へ来いという。この年の夏、第一次大戦後の好景気につられて米の値が上り、一升五十八銭となったのをきっかけに、まず富山|中新川《なかにいかわ》で暴動が起るとたちまち全国にひろがり、小池は京都の部落民と共にたたかい、米騒動を通じてその差別撤回を訴えようというのだった。  手紙を受けとると北辰、たちまち時こそ来たれりと、それまで故郷に発したこの騒動、もとよりよく承知していて、しかし対岸の火事視していたのだが、突然、生きる目標与えられた如《ごと》く感じ、母にねだって十五円を懐中に、京都|中書島《ちゆうしよじま》の部落に入り、小池等に合流して、夜はやたらと多い部落の寺、周囲の住居は軒傾き子供は裸同様、食事をみるとおからにひえが主食なのに、寺のみ金箔《きんぱく》生花に飾られていて、覚永寺の経験あるだけに胸くそわるかったが、その本堂に人を集めアジ演説を行う、昼は騎馬巡査に監視されつつ街頭をねり歩き、だが気をつけてみていると、部落へ入った仲間達、腹が減っても決して部落内のうどん屋、めし屋でものを食おうとしない。  中の一人、小学校の教師に理由たずねると、「そらまあわしはええんやけど」生徒の父兄から、差別反対は結構どすけど、部落で食事することだけは止《や》めてくれと、強い要望うけている、かと思えば大阪の学生は寺に泊りこんだまま、夜は必ず部落の娘誰かれなく夜這《よば》いをし、「子供できたらよろこびよりますわ、部落外の男の子生んだら名誉やもんな」けろっという。 「えらそうなことをいったって、手前《てめえ》達が差別してんじゃねえか」小池は東京へいって留守、年輩の一人に文句いうと、「まあそう気張らんと、これで姫買いにでもおいきやして」呉服屋の手代みたいな物腰でなだめられ、五円を受けとる、むしゃくしゃするまま橋本遊廓へあそび、ほぼ半年ぶりで女を抱き、その話によると、米騒動で音頭《おんど》とっとる人がようけ毎晩来て、噂では、米屋同士先を争ってリーダーに金をおくり、どうか自分とこは堪忍《かんにん》してもろて、やるねんやったら商売|仇《がたき》の方をと頼むとか、その前年の凶作で鳥取から売られて来たというその娼妓《しようぎ》「どうころんでも得のないのは百姓じゃでねえ」  北辰は翌日中書島へもどり、前日疫痢で死んだ子供の、父親が大八車でそのちいさな棺をひき、とたん屋根に石の炉、粗末な焼き場へ運ぶ葬列に加わり、火が入ると朗々と経を誦して、そのまま部落を出、東京へむかう。心中煮えくりかえるばかりで、小池になんとしてでも会い、ふんまんをぶちまけたかったのだ。  小池は北辰を新橋の支那《しな》料理屋へさそい、ロシア革命を契機とする社会主義運動の復活及びその労働運動との結びつきについて説明し、片山|潜《せん》、堺利彦、大杉|栄《さかえ》の人物を紹介し、学校へ入って勉強しろとすすめる、北辰、眼を洗われたおもいで、小池の父にあてた手紙、つまり小池が引受人となり、必ず学校へ通わせるといういわば証文を片手に名古屋へ戻り、大正八年、早稲田に入学。  父はすでに年老いて心弱くなったのか、小池の手紙に涙こぼして喜び、 「これからは、なんというても学問がなけりゃあかん、浩吉もどうにか師範に入って、後はお前だけじゃ、下の弟までわしがみられるかどうかわからんが、お前にはきちんと学校出さしてやる」  素直に再度の東京遊学をゆるし、送金も月三十円と豊かで、だが北辰は、そのすべてを、片山潜の指導のもとに三河島貧民窟《みかわしまひんみんくつ》のセッツラーとして投げうち、月謝の滞納、布団《ふとん》衣服の質入れだけをみれば、浅草にうつつぬかしていた以前とかわらぬ。早稲田は文科をえらんだが、むしろ外語専門学校の聴講生として、ロシア語フランス語をかじり、出席日数はこちらの方が多かった。  二六新聞、東京砲兵|工廠《こうしよう》、神戸《こうべ》川崎造船、室蘭《むろらん》日本製鉄所と、櫛《くし》の歯ひく如く同盟|罷業《ひぎよう》が相つぎ、物情騒然たる中で北辰は、大戦後の好況にとり残され、いや景気がよくなればなるだけ、その影を陰惨なものとするスラムの、料理屋で捨てるおコゲを集め、上野永森のパンの切屑《きりくず》をもらい、また昌平橋《しようへいばし》の食堂で八銭の朝飯、山谷《さんや》の満腹屋五銭の弁当、浅草松葉町|武蔵屋《むさしや》四銭の丼飯《どんぶりめし》、寛永寺坂の河合食堂なら三百人までが無料をたよる乞食《こじき》とも貧民ともつかぬ群れに入りびたる。セッツラーの中には週に一度家へかえり、かえれば良家の子弟にもどって、当時はやりのハイカラー、金の握りのステッキに身をやつし銀座をねり歩くのもいたが、北辰はひたすら寝食をともにして、蚤《のみ》を体中にたからせ、昔を知る者には信じられぬほどのうちこみようであった。  もともと色白のところへ栄養不良が重なって、顔面|蒼白《そうはく》、太ぶちの眼鏡ずり上げつつ、子供を相手に童話をつくり、腰抜けた婆《ばあ》さんを医者へ運び、一日の稼《かせ》ぎすべて酒にかえる労働者にむかっては自らも禁酒して、その害を説く、小池が体を心配して時おり浅草の料理屋へさそっても、自分は食べずに土産《みやげ》に包ませ、口をひらけば労働者に貧困しかもたらさぬ資本主義の罪悪糾弾、小池も押しまくられる勢い。 「チチヤマイ」の電文も、同じ下宿の学生がたずねたずねて持って来てくれたので、もとよりすぐにも帰りたいが旅費はどうにか集めたものの、服は入質したまま、やむなく慶応の友人の学生服をかり、ボタンだけを早稲田にとりかえてかけつけたのだった。  セッツラーとしてあと何年を送ろうと、それで父を安心させることはできなかったろう。にしても、北辰は、父の急死が口惜しく、結局、自分だけが父を知っていた、その寵愛《ちようあい》を一身にうけたと自他ともにみとめる兄浩一も、いや母ですら、表向き剣術の鬼才しかも時勢をみるに敏で世渡りにたけていた父の、かくれた部分に気づいていない、ひきのばしたせいか、ぼやけた父の遺影をひたとながめ、北辰は涙がとまらなかった。  名古屋へもどり、せめて初七日までという母のたのみも、ようやく軌道に乗りかけた薬局が気になる浩一、そうそうに北海道へ引き揚げ、となると北辰はにわかに家長としてとりしきり、富山の家屋敷は母、名古屋の住まいは二人の弟のものと決め、自分はなんとでも自活して学校を卒《お》える、きっぱりいいきり、父の残した貯金はすべて弟の学資、母の生活費、ただし約束通り、鍵《かぎ》のかかった船箪笥《ふなだんす》と、その中の父のコレクションは東京へ送らせ、「父の急逝《きゆうせい》にあい悲傷いわんかたなし、されど諸家御休心を乞う、黄泉《よみ》の父の御霊《みたま》も照覧あれ」大仰な決意のほどをしるして、親族一統へくばり、事実その志に偽りなくまなじり決して上京、あっぱれ貝原家を一身に背負って立つ気おいぶりだったが、さて自活の道となると、好況の反動ようやく目立って失業者|巷《ちまた》にあふれ、セッツルメントどころか己《おの》が糊口《ここう》の道すらおぼつかぬ。  またしても小池にすがり、入社したのが毎朝新聞、所属さだまらぬいわば遊軍で、市街自動車が女車掌採用すればそのたねとり、サンガー夫人来日すれば、記者会見の末席につらなり、だが社会主義についての関心はつのるばかりで、この年の五月二日「失業防止」「最低賃金制の設立」をスローガンに、上野公園でひらかれた第一回メーデー、取材にかけつけると、このあたらしい労働者の祭典をただ傍観しているだけではすまず、集会の中にとびこんで「治安警察法反対!」地声のでかさにものいわせ、記者であることなどまるで失念してしまう。  ようやく新聞に口語体の採用されはじめた時代、羽織|袴《はかま》にひとつ間ちがえば矢立てでもとり出しかねまじき記者連の中で、北辰の文章はあたらしく、特に外報部も確立していないから、おしるしほどかじったロシア、フランス語それに英語の素養重宝がられ、というのも北辰のはったりまじりの吹聴《ふいちよう》がきいたのだが、半年後に外交記者となり、月給も三十八円にあがる。  新宿遊廓のショートタイム一円五銭、米一升五十八銭とこれは米騒動以来値下がりしなかったが、独身ならばお釣りのくる給料で、北辰、外人とつきあうならばとタキシード一着買い求め、昼も夜もこれで押し通し、いかなる高位高官に対しても悪びれず、帝国ホテルであろうと大臣官邸であろうと、図々《ずうずう》しく押し入る度胸とあいまって、北辰名物記者となり、新聞の仕事はいかにも水があった。  この頃は、外交記者でも、また宮内省担当でも、広告をとってくれば、割戻しがもらえて、弁舌さわやかな北辰、新聞広告の効果を説いては、何本もこれをとり、その収入も馬鹿にはならず、これを母への送金にあて、当初はその必要上調べていた新聞広告の歴史、岸田吟|香精綺水《せいきすい》の披露目文《ひろめぶん》やら、岩谷天狗《いわやてんぐ》、仁丹《じんたん》の驚天動地広告、古新聞を集めるうち興味がわいて、古本屋をあさり、荒なわにしばって一山いくらの明治の新聞、目につくまま買いこみはじめ、これが後年、『近代世相全史』全四巻をあらわす基礎となった。  ふと気づくと朝で、熱のせいか何度も夜中に目覚め、そのつどかたわらの多津子をたよりその痩《や》せほそった腕や胸も頼もしく思え、朝の光の中で思いかえすと、われとわが心の弱さに苦笑した北辰、だが頭の芯《しん》で鳴りつづける鼓動はやまず、体中けだるくて、ひっきりなしに涙が出る。 「新聞」孝が半ペラのそれを枕もとに置き「具合わるいの?」「ちょっとな」「お母さん、昨日ぼくと角力《すもう》とったからだって」心配そうにいい、「冗談じゃない、風邪ひいただけさ」いかにも元気を装うように、はさみを持ってこさせ、机の前にすわるのはおっくうだから、上半身起して新聞に見入る。  戦時中もつづけて来た新聞の切抜き、そして今から思えば嘘《うそ》八百の記事ばかりだが、しかし、まだあの頃の方が、たとえば捕虜にむかって「おかわいそうに」ともらし抗議された婦人の話、薪木《たきぎ》一本で五人分の飯を炊《た》く工夫、庶民の姿の、ありのままが新聞にあらわれていたと思う。 「キューキューと日米親善」二面の上段に大きな見出しがあって、これは占領軍と日本の中学生の相たずさえて焼跡整理する風景、中学生なにごとかをエクスキューズミイとあやまれば、GIは寛大にもサンキュウとこれを許す交歓の姿、GIのギャバジンのズボンに包まれたでかいケツと、対照的に痩せほそった学生の、そのみすぼらしい笑いが北辰を苛立《いらだ》たせる。 「お父さん、お弁当どうする?」玲子がききに来る、ふだんなら、「あんたは表で食べられるんだから遠慮して下さいよ、子供達の分でいっぱいなんだから」つんけんいう多津子だが、昨夜のそいぶしに心なごんでいるのだろう。  お茶をもってこさせ、改源を飲み、また横になって、うとうとするうち「冗談じゃないねえ、余計な口をきくから困っちゃう」ヒステリックな声がきこえ、声の調子とはうらはらにのろのろ階段をのぼる足音、多津子がのぞいて、「あんた、吉田先生のことなにかいったのかい?」「吉田先生?」「ああ、孝は今日学校がないから、寄らしたんだよ、私の薬も頼もうと思って、あんただって早めに診《み》てもらった方がいいだろ」すると六十過ぎた老医師、「君のお父さんは、わしにふくむところがあるらしい、そういう患者はとても診察できないから、他《ほか》へ行きたまえ」けんもほろろに断わられたのだという。「なにいったのさ、あの先生気むつかしいって、知ってるだろうに」  吉田は戦争中、翼賛会のお先棒かついで、鬼畜《きちくべいえい》とぶってまわり、敗《ま》けると今度はヒロヒトなど得々と天皇を呼びつけにし、そのかわりかたが滑稽《こつけい》で、あるいはウイスキーの酔いにまかせ、出入りの魚屋あたりにひやかしの言葉をもらしたのかも知れぬ、「別に吉田さんでなくてもいいだろう、他へ頼んでみろよ」多津子自身気まぐれで、病気以後何軒も医師をかえているからそれほどこだわらず、「あの先生、今度、市会議員に出るんだってさ、だから気にしてんだよ」しつこくはからまずまた下へ降りる。  北辰、からくりの舞台がとんと変れば、たちまち人がちがったように節を屈し、カメレオンの如くあたらしい環境に身をあわせる処世術を、特に軽蔑《けいべつ》はしない、常に権力の側に尾をふり、そのおこぼれを物心両面にいただくのも、人間ならばいたし方ないだろうけれど、しかしそこにはあるはじらいうしろめたさがあって当然と考えるのだ。それさえあればいい。  大正十年『種蒔《ま》く人』が創刊され、プロレタリア文学の運動の胎動がはじまると、北辰もこれに参加し、だがここでも、良家の子弟がルパシカに長髪、あるいは職工の菜っ葉服を着て、すべてとはいわぬがそれだけでことたれりとする連中、あるいは難解な理論ふりかざし、一座を煙にまき、ただ議論のための議論にふけり、いずれも労働者階級の支持を一身に背負った如き気がまえ、かつてセッツラーとして貧民の衣食住を底までみてきた北辰には、違和感が残り、それはたとえば、記者生活のかたわらふたたび悪所《あくしよ》通いがよみがえり、雑司《ぞうし》ヶ谷《や》の下宿で集会の後、同志を吉原へさそったら、「農村疲弊の犠牲者たる彼女達を、金で買うことに恥を覚えぬか」と面罵《めんば》され、しかしそれはそれとして、もし彼女達の客がいなくなったら、いやさらに、その主張する如く娼妓《しようぎ》を今すぐ解放し、巷にはなてばどうして彼女達は生きていけるか、いい争ったが同志はすべて理はわれにありと北辰のいい分きき入れず、昂然《こうぜん》と労働歌を合唱しはじめる。  周囲はやれ帝大新人会、または年期の入った文学青年ばかり、レーニンもエロシェンコもまるで知らず、集会では口角|泡《あわ》をとばす一座の中で、北辰、知的劣等感にさいなまれるばかり、その埋めあわせもあって、ひと区切りついたところでは、つとめて、わが薬籠《やくろう》中の花街|手練手管《てれんてくだ》を披露し、浅草パウリスタ、花屋などのウェイトレスの品定めを持ち出す、その場はその荒唐無稽《こうとうむけい》の猥談《わいだん》に、角帽やベレーもきき入ったが、それ以上はなじまず、末は冷笑におわり「ではいったい性欲をどう処理するのか」たずねると、女流歌人|柳原白蓮《やなぎわらびやくれん》の、良人伝《おつとでん》右衛門《えもん》を捨てて情人宮崎竜介に走った例をあげ、自由恋愛を讃美《さんび》する。  革命理論でかなわぬためか、あるいは自由恋愛とはいえ白蓮・竜介の駆けおちは所詮《しよせん》ブルジョワ階級の色恋沙汰《いろこいざた》、それに憧《あこが》れる同志の矛盾にいきどおってか、北辰は吉原玉の井に狎《な》れしたしみ、翌十一年まさに元旦の朝、小便に立つと、水先が噴水の如く四方に散乱し、あわてて筒を指で押えて先端しさいにみると膿《うみ》がこびりつき、まごうかたなき淋病《りんびよう》であった。  まさか三ガ日は医者にも診《み》せられず、灼熱《しやくねつ》感と疼痛《とうつう》交互に襲い、なにより体が熱っぽくて動く気力なく、腹んばいになったまま、暇つぶしに書きはじめたのが『他殺会社』、原稿用紙二百五十枚の小説。  ハリウッドへ映画を買いつけにいった興行師と、いずれも朝帰り、根岸《ねぎし》の魚専門の料理屋で知りあい、聞きこんだ材料を、記者じこみ見て来たような嘘でこねあわせたもので、資本主義社会アメリカに誕生した、殺し専門の会社を中心にその暗黒街をえがく。  いちおう世をはばかって明烏《あけがらす》朝之助とペンネームをつけ、これはつまり落語「明烏」からとったもので、アメリカギャング小説に、落語の名前は奇妙だったが、といって、したりげな、いわくありげな名前をつけるのはてれた。  出版のあてはなく、もちろん同志にはあかさず、それより淋病の治療が焦眉《しようび》の急で、牛込柳町《うしごめやなぎちよう》の医院へ通ううち、同じ牛込|赤城元町《あかぎもとまち》の印刷屋の主人と知り合って、同病|相憐《あいあわ》れんだのか、北辰のオーバーな売りこみが功を奏したのか、とりあえず五百部刷ってみようと、前金百円準備すれば後は催促なし、となると欲が出て、社へ給料前借りを頼んで三十円、読むつもりで買ったのだが、いずれも二、三頁めくっただけの左翼関係書籍売り払って十二円、残りを名古屋の母へ、なりふりかまわず無心すれば、変体仮名入りの手紙でぐちこぼしつつ二十円の送金、これは母から北海道の浩一へ頼んだものであった。  百円には足りぬが、とにかく頼みこんで、どうせのことならと英国製ラフ紙をつかい、定価一円十銭、神田坂本書店を発売所と決め、つづいて広告を思いつく。  つい四月ばかり前、かつて金沢で中学のストを共謀した島田清次郎『地上』が、ベストセラーとなってまさに空前の売れ行き、連日でかでかと新聞広告が出たから、それにあやかる、いや、広告の効果を北辰は十分に知っていた。 『他殺会社』は、俄然《がぜん》、重版追版となって、印刷屋への払いはもとより、四百六十円およそ十カ月分の給料に近い利益をもたらし、北辰が著者とは知らぬ同志の間でも、よく読まれているらしく、されば第二弾、『ロシア大革命史』を計画、この時、北にこそ導きの星があるの意をこめて、北辰のペンネームを採用し、帝大新人会の連中にまず編さんさせ、それを北辰流に舞文曲筆、つとめてむつかしい言いまわし、革命用語をさけ、赤城元町の印刷屋に依頼すれば、警視庁特別高等部の検閲がうるさい、ひとつまちがうと紙型押収されて元も子もなくなすとためらう。  全額前金で支払うのは無理だが、必ず責任はとる、「警視庁の磯部君にも」とまるで知りもしない社会主義関係検閲係の名前、社でききかじっていたのをもち出し「内々の許しは得ていることだし」そこへ、同行した同志の一人ステッキこそふりかざさぬが、「御主人、御主人も知ってだろうが、いざ革命の暁となれば、これまでブルジョワにのみ加担していた人非人《にんぴにん》どもはすべてギロチン銃殺のうきめとなる、身から出た錆《さび》とはいうものの、御家族までも塗炭の苦しみに引き込むのはどういうものかな」脅迫にかかり、北辰あわてて、これを引きとめ、「まあ、いっぱい飲みましょう」連れ出し、印刷の話は棚《たな》に上げて、お互いいっこうにはかばかしくない淋病の治療、印刷屋は女房にうつしてしまってえらい災難とぼやくのを、いちいち聞いてやり、末は病気のせいで近い小便を、二人ならんで朝顔にむかい、「しかたありませんや、貝原さんに頼まれちゃ、ここは眼をつぶってやっつけやしょう」  同志は、印刷をこの種のもの専門に引きうける九段《くだん》の印刷屋に頼むよう主張したが、ここの主人は逆に足もとみすかして、工程の手を抜き、北辰にはそのシンパ面《づら》の下の欲深さが気にくわぬ。  刷り上ると、もはや広告の金はなかったが、代理店に顔をきかせ、大新聞に全三段の広告をのせ、いわく、 「貝原北辰責任編集、突如あらわるロシア大革命のパノラマ的展望、全世界に新時代|黎明《れいめい》の炬火《きよか》を点ずるロシア革命の意義とその波乱万丈の推移、全人類待望の書、果然、万雷の人気|湧《わ》く、四六判五〇〇頁、印度《インド》更紗《さらさ》装丁、ファイバ製|函入《はこいり》、一円半」  発行所を雑司ヶ谷の下宿、たちまち申込み殺到し、さらに出版界の新星としても世人の注目を浴び、特高にも目をつけられず、版を重ねて十六版。同志はそれまでの二流新聞記者、常にタキシードを着て、口をひらけば女の噂話、いっそ場ちがいな男とふんでいたのが、一夜あければ、同じ社会主義文壇の新鋭金子東文、村山知年、井東憲、佐々木赤丸、紺統光などからも賞讃の言葉を与えられ、学問的には粗雑だったが、革命史の大衆版、啓蒙書《けいもうしよ》としては高い評価をうける。  金ができると同志の態度がかわり、北辰のそばについてさえいれば、浅草に新規開店のレストラン聚楽《じゆらく》、カフェー新世界、赤玉《あかだま》に入りびたることもできる、そしてそれまで一段も二段も下に見下していた北辰に、「貝原君の洋服の趣味は垢《あか》抜けている」の、「英雄まさに色を好む、貝原さん大いにやりましょう」のと、下手《へた》なたいこ持ちそこのけでべんちゃらいいかける。  中には、かつて北辰がやったように、下手な嘘をついて金のひき出しにかかり、しかしその嘘には気どりがあって、「『文芸春秋』に対抗して、我々も雑誌をつくりたい」「水平社運動の募金に協力ねがいたい」その実は、おっかなびっくり味わったカフェーの脂粉に狂っての軍資金、北辰はそのいずれも断わらず、これはおうようというより、生れて初めて、大した努力もせずに流れこんで来た大金を持ち扱いかねているようで、カフェーに来てまで労働歌を唄い、口説きを人生論にかこつける同志の間で、うわべにこにこと、しかし灼《や》きつくような淋病の疼痛歯をくいしばって耐えていた。 『ロシア大革命史』は総計五千九百円の利益をもたらし、これは優に邸宅一軒買える金額だったが、結局、神田の古本屋がつぎつぎ運びこむ古新聞と、広尾《ひろお》にあたらしく借りた家の敷金二十五円、それにふと思いついて新調の背広鳥打帽スタイル、土橋の写真屋で庭園を背景のポートレート、これに渋谷《しぶや》のたぬき煎餅《せんべい》をそえて母におくり、その他多くの書籍は買い入れたが、ついに母へ無心した二十円はそのまま、まとまった金を本屋からうけとるたび、名古屋への送金考えたのだが、果せなかった。  北辰は早起きで、かなりの二日酔いでも六時には起き、常に糊《のり》のきいたワイシャツ、そして今は名物となったタキシード着こんで社へむかい、昼すぎると浅草パウリスタの二番テーブルへあらわれる。  エミール・ヴェルハーレン金子|光晴《みつはる》訳の詩集をこれみよがしにした軟派《なんぱ》が、ドリゴのセレナーデをくちずさみつつ、日和《ひより》下駄《げた》の娘を待ち、ギザ一枚渡して、「おい姉さんビール持って来てくんな」いきがっている不良は、あたりの顔らしくコック部屋からじゃがいもと肉のごった煮がとどけられ、そうこうするうち小池や山岸の姿がみえて、後はおさだまりカフェー女給の品定めやら、オペラ女優木村時子、安藤文子の身持ちの噂《うわさ》。  時にはペラゴロ、カトウ・ハチローにからまれ、にぎりこぶしよりでかいアンパン一つ、丸のみにできたら五十銭くれるかというから、承知すると、カトウは顎《あご》の骨、器用にはずしてうわばみのような口をあけ、アンパン押しこむとまた骨をギクリとおさめ、悠々《ゆうゆう》と五十銭をせしめる。この連中、めったやたらと喫茶店の女連れ出しては仲間でまわしてしまうので、パウリスタのウェイトレスもおそれて近づかぬ。 「あの十二階が ああなんといふ悲劇的な清らかな姿で あけ方の浄罪界の空に その時立つてゐたことか」光晴のうたった十二階下をほっつき歩き、「旦那《だんな》あそんでいきませんか」哀《かな》しい夜鷹《よたか》の作り笑いながめ、アーク燈のつむぐこまかい霧の中を歩き、さて、広尾まで円タクとばして帰ると、今度は北辰のやもめ暮しを気楽に頼む同志の面々、『赤旗』創刊の報に興奮し、共産青年同盟加入を討議し、早稲田軍事教練反対運動の気勢をあげる。  震災は、本郷三丁目のレストランでビールを飲むところに遭《あ》い、煉瓦塀《れんがべい》のがらがらと崩《くず》れおちる中を、湯島聖堂《ゆしませいどう》へ避難し、ひとまずしずまって広尾へもどるとここは無事で、積み上げて置いた本がくずれ、天井の埃《ほこり》が降ったのかごみだらけ、夕刻出社して号外など手伝いそのまま泊りこんで翌日午後、不逞《ふてい》朝鮮人が毒物を井戸に投入の噂が流れ、広尾に近づくにつれ、一ノ橋から数百人の朝鮮人が渋谷にむかうと、街角に日本刀|竹槍《たけやり》の自警団が立ち、家へ着くと同志四人、畳をあげ床板をはいでいて、たずねると、いざという時の避難所、それだけではない、社会主義者の検挙も相次ぐときき、すっかり怯《おび》えきり、その怯えをかくし逆に官憲へ迎合のしるしか、口々に朝鮮人をののしり、今にも竹槍かついで殺戮《さつりく》に押し出さんばかり。  北辰、半信半疑ながらなだめると、「貝原さんも、正確に発音しないと間ちがえられますぞ」ひやかすようにいったから、かっとなって張り倒し、「あほんだら出て行け、くそったれ、お前ら人間の屑《くず》じゃ」富山弁で怒鳴りつけ、あっけにとられたのを蹴《け》り立てるようにして追い出した。  昭和十八年、満州へパルプの買いつけに出かけた北辰は、震災に乗じて大杉栄を殺した犯人の主宰する映画会社で、この時の同志が嬉々《きき》として親方日の丸でいばり散らしていたのをみた、そしてまた今同じ人物が、そ知らぬ顔で、かびの生えた社会主義者としての経歴をひけらかし、民主日本とやらの音頭《おんど》とりつつあった。  正午過ぎ、山岸義一が人の好い笑顔をのぞかせ、新橋で買って来たのだがと、芋の粉のむしパンを枕もとへ置く。 「何かおもしろいアイデアないかねえ、今は本さえ出しゃ売れるんだもの、北辰さんが乗り出せば、濡手《ぬれて》で粟《あわ》ですぜ、実際……」  来るといつも同じ言葉をくりかえし、神田の事務所へも現われて口説きたてたから、昨夜の思いつきばかりではない、結局はこれが残る只一つの趣味。 「では釣りの本でも出すか」 「釣り?」  この食うや食わずの世の中に、そりゃ動物|蛋白《たんぱく》補給の意味なら話もわかるけれど、にしても人間の餌《えさ》ままならぬ世に、殺人電車にゆられて太公望《たいこうぼう》きめこむ暇人がどれほどいるやら、 「エロでいきましょうよ、エロで、私んとこにだって原稿の注文がくるくらいですからねえ、北辰さんさえその気になりゃ、闇でもうけてる連中なんかで、出版に金を出す奴《やつ》はいくらもいるんだけどなあ」 「なにもそんな奴らに頼むことはないだろう」  新橋上野あたり、わがもの顔でのし歩く彼等《ら》をみるたび、北辰は腹が立った。  多津子が小田原郊外で闇屋仲間の牛の密殺をききこみ、買い出しを頼んだ時もてきびしく断わり、いやてのひらかえしたように、その横暴なふるまい許す警察にも腹が立ち、 「釣りの雑誌なら考えてみてもいい」  くりかえして、いくらかは本気でもあった、この殺伐な世の中に、すました顔で魚拓《ぎよたく》のとり方やら、竿《さお》のえらび方、擬似餌《ぎじえ》のつくり方の、まったくの絵空事、無用の雑誌を出し、毒々しいエロ本の間にならべてみたい気持はある、だがこれでは金主もつくはずもない。  よくしゃべりながら、黒く汚《きた》ならしいむしパンをほおばる山岸の顔をぼんやりみるうち、急に胸がわるくなり、 「すまないけど、水もって来てくれないか」  頼むと横になり、口中に泉のごとくふき出る唾液《だえき》をだましだましのみこみ、頭半分がしびれたようで、眼の奥に疼痛がある。 「まったく北辰さんも天邪鬼《あまのじやく》だからねえ、そこが値打ちなんだが」  山岸がコップを置き、気になったのか多津子も上って来て、 「お医者よぼうか? 何か食べないと毒だよ」  北辰わずかに首をふり、口をきくのもおっくうなふう、 「冗談じゃないよ、ここでお父さんに倒れられちゃ」空咳《からぜき》しつつ多津子は去り、 「もういっぺんボッカチオ祭りみたいなことできないかねえ、盛大だったなあ」  ブルルブルルと、唇《くちびる》鳴らして山岸は両手を水平にあげ、立ち上ると海にむかい、飛び立つようにそのまま背伸びする。  大正十四年、金子東文、佐々木赤丸、紺統光達、一年前に創刊された『文芸春秋』に対抗して文芸バザー社を設立、編集発行人はそれまでの実績買われて北辰が引き受け、毎朝新聞をしりぞき赤城元町の印刷屋の近くに引越しして、ここが発行所。  本来は、『文芸春秋』をブルジョワ文壇の牙城《がじよう》とみなし、それに刃むかうプロレタリア文学の拠点、雑誌『文芸バザー』は北辰一流の広告効果もあって創刊号一冊五十銭三千部を売りつくし、直接購読者相次いで二号目は五千部、三号目は臨時増刊号「世界|魔窟《まくつ》小説集」、いずれも売切れで基礎はできたが、北辰は創刊号に、収集した明治時代の新聞にヒントを得て、毒婦高橋お伝《でん》の実は貞婦たりしゆえんを論じたのだがこれは没、増刊号に十二階下|夜鷹《よたか》の話をかいてこれも「没落資本主義第三期の流行を追う変態的小説」とけなされる。けなされるのはいいが、赤城元町の自宅を我が家と心得、より垢《あか》にまみれている方がよりプロレタリア的と信じこむ連中、くちゃくちゃと舌を鳴らしてだらしなく店屋《てんや》ものを喰《く》い、他人の家へ押しかけて主人にあいさつ一つせず、それを労働者の気どりのなさと称し、痩《や》せても枯れても武士の末えい、礼儀正しく立居振舞けじめをつける北辰にはいちいち気にさわり、さわりつつこれは自分の古めかしい残滓《ざんし》なのかと、つとめて平気を装ったが、どうにもこらえきれぬ時は浅草へ逃げだし、みもふたもなく汚《よご》れきった娼婦《しようふ》の胸に頬《ほお》をうめて、この汚れ方にはいっそ清冽《せいれつ》なたたずまいがある、泥中に咲く蓮《はす》とにやけて見るわけではなく、娼婦やエンコの不良には一本気な純粋さがうかがえるのだ。  このとりとめのないうっぷんが、作家の一人の「芸術のための芸術を排除し、あくまで民衆のためにあらねばならぬ」酔ったあげくの長広舌をひっとらえ、北辰はこの年の暮れ助け合い週間に、すでに『バザー』へ掲載ずみの作家の原稿を神楽坂《かぐらざか》の露店にもち出し、バナナのたたき売りよろしく、 「さあお立合い、ここもとならべたるこの紙っきれ、これで字がなければ習字の練習恋人へのつけ文に使えるだろうが、どっこいこの通り字の書きなぐり、これではおとし紙にもつかえない、だがお立合い、この紙っきれそこにもここにもあるという紙とはわけがちがう、都に只今《ただいま》高名な小説家先生の、世が世なれば玉稿、粗末にあつかえば指がくされる大事の品、これを今回特別サービスをして皆様におわけしようという、赤ん坊の夜泣き坊やの寝小便さては消渇《しようかち》血の道に、きくかきかぬか、さあお立合い、紺先生の御原稿二十枚でホラ一円でどうだ、時世時節来たりなば、家の宝末代まで残して世の宝、一円でないか」  立板に水でまくしたて、これにはプロ作家もたじたじとなって、文句をつければ、 「屑屋へ売れば二束三文の品、勿体《もつたい》つけて買わせりゃまとまった金になる、民衆のための小説ならば、生《なま》原稿も売りとばして貧民の救済にあてるべきではないか」  夜店の客の中にはもの好きなのか、それとも北辰の口上につられて夜泣き封じのまじないのつもりか、二日で売りきって総計六十二円八十銭。金になると一同文句もいわず自分のとり分をふところへ入れ、だが作家の原稿をたたき売りするのは、なんたる侮辱と、既成文壇からはひんしゅくを買い、北辰の悪名おおいにとどろく。  あたらしがっているのか、それを労働者風と気どるのか、『バザー』常連のプロ作家達やたら感嘆詞を使い、生硬な議論を作中人物にしゃべらせ、そして人物はすべて絵にかいたようなプロレタリアート。北辰これでは現状維持がせいいっぱいと見きわめつけ、浅草の仲間小池無坊、佐藤紅霞、石角春之助、和田信義、それぞれ得意の猥談《わいだん》やら乞食《こじき》裏話、テキ屋|細見《さいけん》をかかせて掲載、たちまちこれまでの常連から抗議が出たが、乞食もテキ屋もプロレタリアートにはちがいなかろう、いやそっちがほんのかいなでに、労働者集めて座談会をひらき、その見聞を御大層に小説とやらにしたてるより、石角をみろ乞食と共に十年暮して、しかも一度だって乞食の味方面などしやしないとひらき直って、 「編集発行の責任者は俺《おれ》だ、気にくわなければやめてもらおう」  紺統光などがとりなしたが、作家側も、 「北辰君の日頃の流連荒亡《りゆうれんこうぼう》ぶりは噂にきいているが、これまでの経理はどうなっているか」  逆襲し、経理にもなんにも丼《どんぶり》勘定、作家が金を貸せといえば二つ返事で渡してやり、北辰の家にとぐろまいている連中の飲み代《しろ》くいしろすべて持って、その事情心得るはずなのに何をいうと血相かえれば、 「なるほど編集発行人は北辰君だが、その実体は我々である、名義はゆずるから、現在ある金はこちらに渡されたい、でないと背任横領の疑いで告訴することも考えられる」  労働者の味方が、なんでまた国家権力のシンボル、口をひらけば罵倒《ばとう》していた桜田門《さくらだもん》にすがるのか、手近の一人にとびかかり、南京蹴《ナンキンげ》りのゆとりさえなくなぐりつけ、もとより多勢に無勢袋だたきにあって、気がつくと紺一人手ぬぐいで顔をひやしながら、 「ほっときゃいいんだよあんな野郎、君一人でやんなさいよ、『文芸バザー』にゃ客がついてるんだから」  金子東文、村山知年も協力を約し、さてこれからは北辰の独壇場。  北辰は住まいを江戸川の東五軒町に移し、また悪い病いの疼《うず》き出したのをこらえつつ、二階の六畳二間ぶちぬき編集室にあて、プランをねって終日こもる。  そこへ小池が三十七、八歳|痩身《そうしん》一分のすきなき紳士をともなって来て、医学博士酒田潔と紹介する。  酒田は英・独・仏・伊語に堪能《たんのう》で、しかも本の装丁技術をもち、さらに媚薬《びやく》の研究家でもあるという、のっけに酒田は、 「『他殺会社』以来、あなたのファンです」  といい、もう忘れ去られたと考えていた旧作を話題にされ、しかもその折目正しい物腰に、北辰一も二もなく喜んで、「まあ、どこかでいっぱいやりながら」と仲見世「鳥鍋《とりなべ》」へ同行し、それまでほとんどまとまっていなかった編集プランが、まるで十年前から考えつくしていたかのように口をついて出て、 「ぼくは少々古い新聞を集めているのですが、その明治年間の犯罪記事を拾い読みしただけでも、実に残虐なものが多い、とても人間その性は善なりとは思えぬひどい殺し方をしている。ぼくは赤裸々なこの人間の姿を『文芸バザー』に紹介し、甘っちょろい人道主義の連中をおどかしてやりたい」  北辰がいえばうてばひびくで、 「それはたとえば西洋の刑罰史をひもといても同じことがいえるでしょう、人間が人間を罰することはどういう意味からも賛成できませんが、しかしまた一人の天才がこの刑罰を考案した時、そこには戦慄《せんりつ》の美さえも生れる」  たとえばあらゆる暴君は必ずなんらかの名目の下に妊婦の腹を裂いている、真白な腹の起伏、生命を秘めたその丘にメスを入れる楽しみは、必ずしも残虐というよりは人間の誰しもがふと意識にのぼせ、あわててこれをおしかくす欲望の一つではないか、刑罰の中に人間の持つ最も残酷な欲望の形がみられる。  北辰はたちまち手をうって喜び、 「是非書いて下さい、ふんだんに写真を使って」  つづいて酒田は、古来から醜いもの、かくしておかねばならぬものとされて来た中にこそ人間本来の姿がある、このタブーからの解放こそ、『文芸バザー』の使命、北辰のまずなすべきことではないか、酒も飲まず、淡々と語る。  いちいち学問的に説明されるだけに北辰、納得がいき、自分のこれまで探《さが》し求め、形をとらぬまま混とんとして胸にわだかまっていた志、今こそ眼の前に明らかにされた想い、合鴨《あいがも》に箸《はし》つけるのも忘れて、酒田の説を傾聴し、まず『文芸バザー』改革第一号の目次は以上の他に、沢松武士「変態小説」、紺統光「蠅《はえ》の随筆」、綿貫六助「男色小説」、斎藤勝三「高橋|阿伝夜叉譚《おでんやしやものがたり》」、井東憲「日本狂乱史」、山岸義一「近来|猥事考《わいじこう》」、それに酒田のすすめにより、これまで戸川秋骨、大沢貞蔵の訳はあってもあまりに固苦しくまた抄訳の『デカメロン』これを外専の学生に下訳させ、北辰が手を入れた完訳を連載と決る。  これはしかし発禁のおそれがあると小池は憂えたが、北辰、 「ブタ箱なら経験がある、とにかくやってみること」  昂然《こうぜん》といいはなち、そのかげには、プロ作家達、必要以上にこれを怖《おそ》れ、自分が誰にもいわれぬ先に削除したり、伏字《ふせじ》をのぞんだりし、これをせめてもの自主性と考えるようだったが、北辰は当ってくだけろ、あくまで官憲に手を下させることこそ、自己に忠実なやり方と信じた。  酒田は理論一点張りで、女あそびはせず、小池と二人、しめしあわせて北辰を男爵《だんしやく》にしたて、妓夫《ぎゆう》に、 「この方は根津に邸宅をかまえる華族様だ、お忍びで遊びにいらしたのだからそそうのないように」  いい含めたのはいいが、後のたたりを恐れたのかいっかな女があらわれず、北辰、酔いにまかせて、 「男爵ともあろうものが、床の番とは何ごとだ、帰るから金をかえせ」  あばれ出し、小池はあわてて、 「男爵様、恥をお知りあそばせ」 「恥など中外にさらしてよろしい、女を寄こすか金をかえすか」  そこへ巡査がかけつけ、訊問《じんもん》するのを、 「ごたごたいうな、こうやって知り合ったのも何かの縁、すぐお前を署長にしてやるから姓名を名乗れ」  巡査ももて余し、そのかたわらをここが潮時《しおどき》と悠々《ゆうゆう》楼を出て、横丁曲ったとたん脱兎《だつと》の如《ごと》く駆け出す。  二人とも首尾をとげていないから別の楼を探すと、すでにひけに近く、ようやく一人だけ見つけて、さてどちらが上るか、じゃんけんでは愛想がないと、遣手婆《やりてばばあ》を行司にして、ハアトントントン、ヤットウと藤八拳《とうはちけん》おっぱじめ、はじめおもしろがっていた婆さん、やがて業《ごう》を煮やして「ばかにおしでないよ、おとといおいで」  口絵には大戦における独軍の殺戮図《さつりくず》、グロッスの猥褻《わいせつ》な絵をかざり、全頁すべて奇怪醜悪の瘴気横溢《しようきおういつ》した臨時特集号は大きな反響を呼び、発禁にもならず、直接購読者倍増し、北辰は神田に三坪の事務所を借りると、外務省に勤めていた速記者を引き抜き、名古屋で小学校訓導の弟浩吉を呼び寄せ、小池の後輩で失業中の中野正人を入社させ、これまでの丼勘定をあらため、これに経理を担当させる。  岐阜で医院を開き、月二回上京する酒田の定宿《じようやど》、神田の岩戸屋で二号目の編集会議をひらき、この時は北辰に共鳴し、また顔のひろい小池の号令もあって、寄稿家十六名が参加し、いずれ劣らぬ世をすね者、たちまち三冊分ばかりのプランと執筆者が決り、この時、北辰は胸のポケットに竹の筒を万年筆の如くさしていて、酒田がたずねると、これは小便用の樋《とい》だという、すでに淋病こじれすぎて、朝顔にむかう時は、これを筒先にあてがわなければ小水四散してズボンを濡《ぬ》らす、北辰わざわざ立ち上って実演し、即座に電通記者小高三郎「よし、性病|罹患《りかん》者体験座談会をひらこう」提案して、これもプランのうち。  東五軒町へもどる道すがら、易者の行燈《あんどん》が眼にとまったからひょいと掌《てのひら》さし出すと、 「職業 祖業を嗣《つ》がず、その以外に於《おい》て高名を得、財産大なる資産を得るもこれを保持するあたわず。結婚 一婚にては修《おさま》らぬの相。生命 五十五、六歳にいたる。短所 中年までは過房にして肥満するに至らず、中庸《ちゆうよう》を失してしばしば蹉跌《さてつ》あらん。難類 一生に二度火災に遭《あ》うべし。性格 世評の毀誉褒貶《きよほうへん》を事とせず、自己の信ずる所に突進して止《や》まず。特長 やや文章の才あり」  北辰は、最後の項に苦笑したが、後からみるとこの占い、生命を除いてすべて適中していた。  早朝、事務所に出ると、学生の訳した『デカメロン』の原稿を片手に、片手を腰にあてがいうろうろと歩き、訳の拙劣さをののしりつつ、口述筆記をすすめ、タキシードはさすがにやめたが、常に折目正しい背広姿、速記者は幸子といったが、なにしろ訳文が、 「素早くマントを脱ぎ王妃のもとに近づき、日頃の願いを完全に思う存分|遂《と》げてしまいました。清らかな彼女のバージンは遂《つい》に泥濘《でいねい》に閃《ひらめ》く愛欲の鋭いメスにかかって斃《たお》されて了《しま》ったのです」  この程度でも、ふつうの子女には刺激が強く、しばしば顔あからめて筆をとめ、しかしそれにも気づかず、果して下訳を見ているのかあやぶまれるほど、胸を張り視線を宙にさだめて、朗々としゃべりつづける北辰の姿に、やがては幸子も引きこまれる様子。 『デカメロン』を訳しはじめてから、北辰はどうせこの道に入ったのであれば、徹底的にきわめてみると、収支のバランスなど念頭になく、色道ゆかりの古書籍、洋書を酒田の指導のもとに買いあさり、この購入と整理には弟浩吉が当り、また相変らず運びこまれる古新聞は目方にして五千貫を超《こ》え、このために四谷塩町《よつやしおちよう》の長屋二軒借りて、ここを倉庫とし、拓大の学生二人に分類させる、かたわら、自身も実践の道おこたりなく、夜更《よふ》けに事務所に残っていた男すべてをつれて玉の井、吉原に登楼し、ある時、「女を抱く時は竹筒はいらんのですか」たずねたら「廓衣《かくい》は予防のためだけではない、いわば袋《ふくろ》竹刀《しない》のようなものだ」と笑った、廓衣は、遊廓に常備のサックの名前である。  山岸義一の紹介と称して二十でたばかりの女があらわれ、『文芸バザー』には女性読者も多く、その一人かと思うと、「折入って相談がある」と人目をはばかる様子、表へ連れ出してたずねれば、北辰のファンといい、「私もあたらしい時代に生きる女でありたい、そしてそのためにはまず封建的思想の残骸《ざんがい》ともいうべき処女性尊重に挑戦すべく、行きずりの男に、貞操を与えようとしたが、やはりためらいが残る、そこで敬愛する北辰先生に捧《ささ》げるならば、思いの残るはずもない、抱いてくれ」  北辰これまでさんざん女遊びの場を踏んで来たが、素人《しろうと》は始めてで、それは後がうるさいという計算よりも、手出しのきっかけがなく、棚《たな》ぼたの話にしばし考えこんだが、女の言葉を、あれこれ忖度《そんたく》して打算するなど男らしくない、娼婦《しようふ》であろうと処女であろうと、つまるところは男と女、さすがに近くの連れこみもはばかられ、多摩川へ遠出して、川魚料理屋の二階、一種の出合い茶屋で布団《ふとん》の仕度《したく》こそないが、半畳の押入れには座布団が山と積まれている。  さて、なんと口説けばいいか、車の中でもほとんど無言のままきて、とにかく肩を抱くと喘息《ぜんそく》のように息をはずませ、体を横たえれば白目をむき出して、興奮のあまりか半死半生の体《てい》、さすがにさして美人でもなし、興ざめしつつ接吻《せつぷん》すれば殺されるような声でうめき上げ泣き出す、それ以上手出ししかねて、食べ残した刺身のつまなど指でつまんでいると、 「あたし、おきらいなのかしら」  下三白《したさんぱく》の眼でにらまれ、あわてて、 「いや、やはりあなたのような清純な乙女《おとめ》は、愛する彼氏に清い宝をプレゼントするべきです」  しどろもどろにいい、そうそうに逃げ出し、帰途、山岸をたずねて、 「なんだい、あの女は」に山岸は事情をきくと、笑い出し「あれは、有名な色気ちがいなんだよ、ぼくの弟子《でし》にしてくれって来たけど、どうも様子がおかしいから断わったんだ、美校の生徒にやられてから狂ったらしくて、芸術家専門で口説き歩いているらしい」  やれやれそれでは難をまぬかれたかと一方では胸なでおろし、また心のすみでは男にだまされて狂った女のあわれを思い、だが翌日からは毎朝十時になると、ある時は矢がすりの着物、また先端を行く洋装に日傘《ひがさ》持ち、狂女「北辰先生」とあらわれる。  いくら関係を否定しても、日頃の行いが行いだから、誰も信ぜず、四日つづくと北辰も気味がわるくなり、居留守使うにも万事お見通しのせまい事務所、そこへ救いの神は速記の幸子で、「いい加減にして下さい、北辰は私の主人ですよ、警察を呼びましょうか」  中野も浩吉も扱いかねていたのを一言のもとに追いかえし、北辰、その功を感謝して、夕刻、湯島天神下の料理屋へさそい、 「君のような有能な人にいてもらって、本当にたすかる、しかしなんだねえ、よく思いきっていってくれたねえ」  ねぎらいの言葉に幸子身も世もなく恥じらい、そして、 「本当だったらうれしいんだけど」  本当とはつまり、北辰が亭主であればの意味か、照れるにしては大仰な身のくねらせようで、日頃、てきぱきと男まさりにとりしきり、官庁で人づきあいにはなれ、印刷屋やら口達者な寄稿家連と一歩もひかぬやりとりかわし、今みるのは別人の如き女っぽさで、ふらふらとそのまま抱き寄せ、果てると幸子、 「捨てたりしたら、私も狂っちゃうから、私が狂ったらひどいわよ」  やはり同じ下三白の眼であった。  当座はこれまで通りの速記者だったが、北辰が風邪《かぜ》をひくと泊りがけで看病に来て、そのままいすわり、となればことさら披露するまでもなく身ぶりそぶりで二人の仲あらわれて、事務所を退き、幸子は手まわしよく籍も入れれば、後釜《あとがま》に先輩の三十過ぎたごく貧相な速記者を連れて来て、客あしらいもうまく気があって、以後打合せは東五軒町で行い、もっともこのため、北辰夜あそびはしにくくなった。  二号目の口絵は「男根土俵入りの図」に男根異色番付、大関・胴返し、関脇《せきわけ》・くろまら、小結・ふとまら、前頭・さきぶと、ひょうたん、本ぶと、すだれ、かぼちゃ、下ぞり、とにぎにぎしく、さらに「暗夜《あんや》の鍵《かぎ》」と題して中絶器具の説明、表紙裏は男女色の道全図、折込みに北辰コレクションの中から「貞操帯説明書」。内容もグロから一変して、酒田の「近世性教育書」解説、尾形久弥「艶本《えんぽん》目録」、高木文「華岡《はなおか》随賢手術控え」。  当時、雑誌ができると、まず内務省二冊、警視庁一冊、地方裁判所二冊、東京|逓信局《ていしんきよく》二冊、差立局《さしたてきよく》二冊、所轄署特別高等課出版係一冊計十冊を納入し、検閲を受けるが、二号目の口絵がたちまちひっかかり、頒布《はんぷ》発売禁止、市内書店の現品は押収され、残品持ちさられ、紙型は破棄、責任者たる北辰警視庁に一週間、市《いち》ヶ谷《や》未決監に一週間|叩《たた》きこまれ出版法違反で罰金五十円也。  二度目の豚箱だが、かねての覚悟だから落着いたもので、一年に自転車三千二百台をかっぱらった男の話、まず銀行などの前の一台に乗り、さらに一台小わきにかかえ、もう一台を背中にかつぎ逃げる話とか、房内の隠語、牛蒡《ごぼう》がステッキ、鰊《にしん》は第二審に通ずるところから控訴院、大根は旅役者、鶉豆《うずらまめ》が赤鳩、豚とじゃが芋の煮たのはブタジャガで楽隊などを記憶して、転《ころ》んでも只は起きぬ、次号編集後記に記すつもりで、そして『文芸バザー』は、『変態』に変るまで、常に後記は発売禁止の読者に対するお詫《わ》びと、北辰の房中日記であった。  第一回目の発売禁止を北辰は徹底的に逆にとり、まず三号目は筆禍《ひつか》記念号、表紙は、禁止にいたる役所の機構を双六《すごろく》にしたてて飾り、表紙裏には担当の検閲係、調書作成者、特高課長、看守の名前をあげて馬鹿丁寧なお礼の言葉、裏には「警視庁よりの伝言」と称し、「発禁本も研究のために所持するならば大丈夫、ただし二冊以上所有した場合は押収されるそうです。故《ゆえ》に二冊以上お持ちの方は、直ちに一冊を破棄して下さい、他人にみせる、ゆずることは不可《いか》んのです」  内容はそれでもおとなしく「明治新聞雑誌資料」として北辰の一人舞台、その冒頭に、「本号は押えられたための急場しのぎにすぎず、次号より旧に復す」と宣言した。  妻の幸子は能筆で、女子職業学校在学中、書を皇后に献上したことがあり、他に琴と和裁、刺繍《ししゆう》に長じ、婦人病を患《わずら》っていて、年中、長火鉢《ながひばち》の銅壺《どうこ》からは中将湯煎《ちゆうじようとうせん》ずる臭《にお》いがただよっていたが、その火鉢の猫板《ねこいた》も障子の桟《さん》も見事にふきこまれ、酒田など、まるで芝居の舞台をみるようだと感心、北辰もとより綺麗《きれい》好きではあったが、時に気が重く、結婚してから気づいたのだけれど、幸子の方が二歳年上。 「雑誌もいいが、ここで単行本を一つ出してみないか」北辰とは対照的に、縁《ふち》なしの眼鏡かけた酒田がたずねて来ていい、それには中断した形の『デカメロン』、完訳とうたえば必ず人気は出るし、直接購読者の反応をまずたしかめた上で、予約注文制にすれば金の準備もいらぬ。  そして、北辰の同意を得ると、さらに一膝《ひとひざ》乗り出し、 「装丁をぼくにまかせてもらいたい、いろいろ使える図案をもっているし、こういう本を安手に造ると、みもふたもない感じになる、いっそ値段を高くし、思いきって豪華本にしたい、決定版なんだから」  装丁には門外漢の北辰を相手に、ことこまかな説明をはじめ、その熱意、いや酒田の人柄にうたれて、自分の名による完訳よりも、その豪華版にかける夢を満たしてやりたい気持となって、 「金は大丈夫、広告さえタイミングよく、あっとおどろかせれば、必ず売れる」  すでに完成している下訳に眼を通し、夜を日についで口述筆記して、原稿ができると、酒田はフランス、パラシュマン製の紙、全頁イタリアルネッサンス風オーナメント入りと、凝りにこって、外高田町のユニオン印刷に通いつめ、一方北辰は『文芸バザー』第四号に予告、この号は江戸犯罪特集で、北辰「江戸|奉行《ぶぎよう》支配考」明烏《あけがらす》朝之助の名で「稲妻小僧《いなずまこぞう》伝」を書き、ただし口絵には大戦によるヨーロッパ廃兵の姿を十数葉ならべ、グロテスクの片鱗《へんりん》を残す。 『デカメロン』の出版は、明治大正文学全集一円、世界文学全集一円、岩波文庫星一つにつき二十銭という、折からの本の安売り風潮に対する反抗でもあり、これが発禁になっては意味ないと、弁護士を頼んで原稿をみせ、「そこで最後は一分寄り、二分寄りしていたのですが、遂にはぴったりと重なり」とある箇所を、「遠くて近きは男女の仲、やがて夫婦気取り」とぼかすなど、北辰はじめて官憲のごきげんを伺う。  小池とパウリスタでおちあい、北辰は常に小金をもっていたから、カトウ・ハチローなどの不良八人組、根岸興行の若い衆さらに浅草で人気随一の曽我廼家五九童《そがのやごくどう》、三年前彼が大阪から上京した時、国粋会の若者がその演《だ》し物《もの》にけちをつけ、たとえ劇場の表に首を吊《つ》っても、幕をあけさせぬと、楽屋へねじこんだのを、偶然いあわせた北辰憤激して、毎朝新聞に五九童弁護の筆をふるい、以来、北辰を徳としてじっこんのつきあい。  ビール飲みつつ、鼻つき合せてデカメロン宣伝の方策を相談し、といってもほとんど北辰一人がしゃべりまくり、ただ聞き役に人が必要なので、 「東京日日、朝日に、ドーンと一頁広告を出す、出すのはいいが、どういう内容にするか、いや本そのものはこれはもう上等|極《きわ》めつき、勝負は広告のへそだ、読者をひきつけるガチンとした強力磁石」  熱中すると手をふり歩きまわり早口で、そのくせちょいと眼につく女が通れば、「ズドン」鉄砲で撃つ真似《まね》などもする。  家へ帰っても広告のことが念頭をはなれず、そこへ幸子がひょいと、 「何時《いつ》か外務省でイタリアの大使みたけど、いい男だったわよ」とたんにそれだっと北辰絶叫し、「東京日日、朝日の一頁上段に『デカメロン』、中に丸くぼくと大使握手の写真、イタリア文化紹介につくした北辰氏に感謝の辞をささげるベラゴーチェ大使」ベラゴーチェ? とききかえされ、「なにイタリア人なんてそんな名前だろ、よしこれでいこう」  きめると翌朝、かつて外交記者だったコネをたよって大使館に参上、三国協定よりはるか以前のことなのに、北辰、 「今こそ日本とイタリアは手をつないで世界文化に貢献すべき時である、マカロニとうどん、黒い頭髪、両国は離れていてもきわめて気質的に近いものを共有している」  どこまで通訳できたかわからぬが、とにかく参事官を通じて、『デカメロン』日本版の献上式を行う段どりとり決め、ものはついでと一党ひきつれ、本牧《ほんもく》チャブ屋へくりこみ、北辰一人は、「山手百番」ここは白人売笑婦を置く宿で、 「イタリアの女はいないか」  あらわれ出たのは、金髪にそばかすだらけ三十の坂はるかに超えた白露らしい女、 「イタリア語しゃべれるか」 「知らないよ」 「しゃべれる女はいないか」 「いないね、でもイタリア語って、英語やフランス語のおしりにOやAをつけりゃいいんじゃないの、そんな風にきこえるよ」  小池に贈呈式の次第説明すると、彼にも腹案があって、浅草でボッカチオ祭りをやろうという、御神体に完訳『デカメロン』を祀《まつ》り、小池が神主《かんぬし》、氏子には五九童はじめエンコの不良、安来節《やすぎぶし》、剣劇の連中、震災後さびれたがオペラの田屋力三《たやりきぞう》一派、にぎにぎしく練り歩けば、必ず新聞がとりあげるであろう、「よし、ではそこへ大使を招き、贈呈式は浅草でやろう」ときまる。  看板屋に頼んでボッカチオの肖像、といってもどんな顔かわからず、なんでもいい男に描いておけと羽左衛門《うざえもん》が鬚《ひげ》を生《は》やしたような顔を中心に、十数流の旗のぼり「ボッカチオ祭」「生誕五百五十年祭」と、これは少しでも因縁めかせば検閲のおめこぼしあるかも知れぬ。当日日伊の小旗類百本用意し、笙ひちりきはしめっぽいから楽隊やとってにぎにぎしく、北辰はモーニングにシルクハット、白木の三宝《さんぼう》に製本見本の『デカメロン』うやうやしくかかげ、興行街を練り歩き、田屋街頭で 恋はやさしとテナーひびかせ、観音様にいたりここで一礼、神主が仏様に礼拝するのだから妙なものだが、御利益《ごりやく》あるなら相手かまわぬ。  やがてイタリア大使モニチゴニ伯、自動車であらわれると、北辰一人進み出て、見上げるばかりの大男に負けじと胸を張って握手し、『デカメロン』の贈呈、大使はにこやかに頁をめくると、見本だから中身は白紙で、キョトンとするところへ、北辰、大使とならぶと周囲の人垣にむかい、「ウナストーリアデカメローネバイヤボッカチオ」  これつまり、フランス語のUN、英語のSTORYなどつぎあわせ、その語尾を母音で終えたので、小池すらそのなめらかな口調に、すっかりごま化されて、北辰はいつのまにイタリア語を学んだのかとあっけにとられ、モニチゴニ伯、同じくよくわからぬながら、にこにこと愛想笑《あいそわら》いうかべて、大成功。  終ると恒例の吉原へくりこみ、シルクハットに神主のまま栃木楼に上って、娼妓《しようぎ》を総揚げにし、さて気づくと誰もまとまった金を持たず、止《や》むなくこしらえたばかりのモーニングを置き、神主の装束は「おろそかにすると罰が当るぞ」、神棚《かみだな》へそなえさせてこれもかた、そうそうに退散。  東京日日、朝日、時事、でかでかと記事にとりあげ、そのほとぼりさめぬところへ、北辰のプラン通りの一頁広告が大新聞にあらわれて反響をよび、特製五円、並製三円、円本ブームの中の反逆だったが二万部を売りつくし、事務所をさらに三室に広げ、借家二軒|増《ふ》やして古新聞の置き場とし、だが『文芸バザー』は、性崇拝研究と題して陽根|象《かたど》った道祖神の写真が発禁となり、オナニスムの文学的考察、明治|末摘花《すえつむはな》、朝鮮半陰陽文献と、以後目の仇《かたき》にされて押収を受け、その都度、北辰は留置されたが、あまり度《たび》重なると、裟婆《しやば》より豚箱の明け暮れが多くなり、当人は平然としていたが原稿の執筆も編集のプランも支障を来たし、とりあえず『文芸バザー』を廃刊とし、もうかくなる上は文芸のなんのと気取るより、はっきり『変態』とうたって非売品。責任者は中野正人で、四千名に近い『文芸バザー』直接購読者を会員とする変態資料研究会がその母体、会員の中には文学博士二十六名、医学博士九十二名、法学博士十二名が含まれ、知事、大臣の代理人もあった。  雑誌『変態』は巻末に、その時により「房内日記」「登楼日記」と称する欄があり、これは大雑誌の「社中日記」をもじったものであり、また別の雑誌の文芸講演会に対抗して、猥談《わいだん》放談会をもよおし、そのプログラムとして、「同人による猥談、芸妓の変態踊り、珍映画の公開、恋態二次会」とあり、これは隔月に会員の希望に応じ、その土地へ出むいて北辰自ら大奮闘を演じた。  妻幸子は、北辰の帰宅がいくらおそくても、きちんと着物を崩《くず》さずに待ち、近所の仕立てものなど、裸電球低く下げて夜なべ仕事に精出す、「貧乏たらしいことするな」とめても「いざという時の用意に」といっかな辞《や》めようとせず、万事家内|几帳面《きちようめん》にとりしきるのはいいが、北辰の仕事中も、一時間置きに反古《ほご》を片づけに来て、速記者であった頃の、敏腕な職業婦人のおもかげさらにない女房ぶり、ただ、嫉妬《しつと》だけはなかったから、それをいいことに、週に一度帰ればいい方で、あらゆる悪所に通いつめ、その体験談をしごくあけすけに、猥談会では物語る。  家庭ともいえぬそのねぐらの、責任は北辰も負わねばならぬにせよ、冷たさの反動か、あるいは発禁につぐ発禁で、がんじがらめに召《め》し捕《と》ろうとする権力への、これが抵抗源となるのか、この頃の北辰の放蕩《ほうとう》ぶりはすさまじく、博文館の職工から映画界に転じ、やがて北辰の傘下《さんか》に加わった高森雄一郎、電通記者小高三郎、いずれ劣らぬその道の猛者《もさ》も、淋病《りんびよう》のせいか深酒のたたりか、顔色まったくなく、しかも殺気をはらんだ北辰の「どうだ、いくか」とさそうその二度に一度は、用にかこつけて辞退する始末。  ある時は限りある身の力をためすのだと、吉原重州楼へ登り、生方《うぶかた》敏雄、沢松武士を枕頭《ちんとう》にはべらせ、一夜に何度可能であるかと、三人の娼妓とっかえひっかえ抱き、いちいちそのしるしを京紙にふきとって証人にみせ、五回からは眼が吊《つ》り上り、六回目になると欄間《らんま》にかかった東郷平八郎の額が、写真のネガのように墨の部分が、逆に白く見え、夜も明けはなれようとする頃に七回、果てて立ち上ると膝からくずれおち、だが窓辺《まどべ》に近づいて、さしのぼる太陽をながめ、「黄色くみえるというのはありゃ嘘《うそ》だなあ」とうそぶく。  かと思えば、八方手をつくして、まず菎蒻《こんにやく》、大根、桃から、びろうど張った江戸時代の吾妻形《あずまがた》やらドイツ製のダッチワイフ、支那わたり魚の皮をなめして作ったという自慰具、羽根布団、パイプ煙草のゴム製|巾着《きんちやく》、短小矯正用真空ポンプなどとり集め、夏のさなかに北辰はじめ有志裸となって「せんずりの会」、これも名目は男のツボをさぐるための研究会で、結論はやはりおのが五本の指にまさるものはないと一致した。  あれこれの馬鹿騒ぎも、果てると常に、北辰すっくと立ち上り、服を整えて神田の事務所へいたり、夜を徹して、今では常連寄稿家の三十人をこし、いずれも『変態』でしか活字にはならぬ原稿、つぎつぎと持ちこまれ、掲載予定をはるかに超《こ》えるのをえりわけ、さらに海外文献の、学生に訳させたものに眼を通し、いったい何時寝るのかと、怪しまれる。  この他、上野帝国図書館秘蔵の新聞筆写のために十人の筆耕生を派遣し、新聞にあらわれた明治大正社会史の構想をすすめ、北辰自身のもとへ集まった新聞は、二万貫に達し、これは弟の浩吉がやはり人をつかって整理に没頭していた。  常に追いたてられ、東奔西走していなければ気のおちつかぬ北辰だが、中野正人あまりの警視庁・検事局・内務省とひっきりなしの呼び出しに神経衰弱となり、かわりあって高森を編集責任者にすえ、いっそこう発禁をうけるなら、検閲係に納本せず、会員にのみ配布すればとの意見もあったが、北辰は「それでは秘密出版になる、発禁に対抗するための手段を考えるべきだ」と許さず、北辰にとって、特高に代表される国家権力は、堂々と相たたかうべき好敵手なのであった。  その手始めとして、『変態』の中の、あぶない箇所を空白のままにし、後で会員にだけは正誤表の形をかりて、埋めるべき文章を送る。  色道禁秘抄の紹介ならば「問曰《とうていわく》○○の時○○鳴弁の女あり、如何《いか》なる事|乎《か》。答曰是《こ》れ必ず○○したる女にて出産の時、○○天地を転じたるなり。○を立たせ背後より○○にて○○、必ず鳴弁なるも、○を立て首を低める時は鳴らず」これではなんのことかわからぬが、後の手紙によって、「交接」「陰中」「堕胎」「子宮」「尻」「中腰」「犯す」「尻」の順に埋めれば意味が通ずる。  どのみち会員の中にその筋の手が入っているからすぐばれて、後で呼び出しをくい、こっぴどくしぼられるけれど、たしかにこれで、検閲の段階はパスできる。さらに五十音をアカサタナの順に番号をふり、縦にも同じくしてアならば一一、オなら一五とごく簡単な暗号に組み、伏字の部分をこれに置きかえたが、これは読者から、「いくら易《やさ》しくても、いちいち五十音を調べ一二はイ、二三はクだから、一二二三一二二三つまりイクイクなどまどろっこしくっていかん」おしかりをうけた。  大正十五年も押しせまって、大正天皇|崩御《ほうぎよ》となり世は昭和、久しぶりで家へもどると、やはり夜なべの幸子、白いじゅばんを縫っているから、なに気なくとりあげ「これ、お前のか?」たずねると幸子わっと泣きだし、「みたらわかるでしょ、そんな小さいものを私が着られますか」いわれても見当つかず、手にもったままでいると、「あたしもういや」はげしく泣きさけび、身も世もあらぬふうにもだえる、女あそびは公認のこと、見当つかずにいると、幸子はいつぞやの下三白の眼で「赤ちゃんが産《うま》れるのよ」仇敵《きゆうてき》をみるように北辰をにらみ、急なことで返事をしかね、「それはそれは」自分でも無責任と思う言葉が口から出て、しまったと思うとその場の雰囲気《ふんいき》に耐えきれず、二階へ上り、階下のいかにも息をつめている様子ひしひしと伝わって、落ちつかず、ちり一つない机の前にすわり呆然《ぼうぜん》としていると、下ではげしく物をほうりなげる音がひびく。それまでの忍耐がせきを切ったのか、妊娠して気性がかわったのか、幸子は別人の如くヒステリックになり、「何時どうなるかわからない体なんですからね、夜は早く帰って来て下さいよ」外出の際は念を押して、少しおくれれば東五軒町から神田まで重い体をはこんで、事務所にいすわり、それまで誰かれなく、うわべはすくなくとも愛想よく応対していた来客にも、木戸つくようにして玄関で追いかえす。 「まあ長くつづくわけじゃあるまい、産れるまでの辛抱さ」小池がなぐさめたが、これまでおよそ自分をしばられたことのない北辰だが、幸子を怒鳴りなぐりつけることもできず、いちいち首になわつけるように束縛されて、身のふり方に苦しみ、酒田は「『デカメロン』の続編として『エプタメロン』の訳を、このさい仕上げては」とすすめるが、到底その気おこらぬ。  産み月は四月で、どうせ仕事にならぬなら今のうちに宿痾《しゆくあ》の淋病と痔疾《じしつ》を直しておこうと、入院をきめたら「そんなに私のそばにいるのがいやなんですか」いや味をいったが、さすが幸子もとめもならず、それでも赤坂のかかりつけは遠いからと、江戸川橋に近い病院に入り、手術をうけると退屈よりも痛さが一息ごとにひびいて一週間またたく間にすぎ、ようやくおちついたところへ中野がやって来て、資金ぐりが苦しいという、『デカメロン』で当てたものの、以後発禁の連続でしかも人件費は増《ふ》えるばかり、北辰の野放図な放蕩もある。 「『変態』のファンで、五百円くらいなら援助しようという人はいるんですけど」  神田の出版屋の親父《おやじ》だそうで、北辰うっかり、 「じゃ借りとけよ、治《なお》ったらすぐ何か出して返せるだろ」  気楽に答えたのだが、これは『変態』編集部内の者としめし合せての乗取りで、北辰それとつゆ気づかず、久しぶりに酒の気をはなれ晴れやかな目覚《めざ》めに、至極上きげん、見舞の客には、 「便所で尻をふいて、紙になにもつかぬというのは、ちと寂しいものだ」など太平楽をならべていたが、三週間たって出社してみると、待ちかねたようにそれまでの腹心の一人が、 「このままでは赤字が嵩《かさ》むばかりだし、北辰さんの編集方針にはついていけなくなった。今のように常に危ない橋をわたるよりは、安全な範囲で、会員以外の客をつかむようにしないと、遠からずつぶれてしまう」  この意見は目新しくもなく、よく出たことだから気にもとめず、 「賽《さい》の河原《かわら》と思えばいいさ、河原の鬼だっていつかはくたびれちまうだろう」  笑いとばしたが、これまでと雰囲気《ふんいき》がことなり、このままつづければやがて懲役にいかなければならぬ、前途ある身にそれは困ることだから、方針をかえるか、退社させてもらうかとつめより、 「じゃ勝手にすればいいだろ、給料は中野にいってもらえ」  気の弱い中野おずおずと、預金のまったくないことをつげ、しかも退社する一派には、金を借りた出版社がついていて、これまでの諸々方々の借金みな肩がわりをすませ、もし、退社させるなら即刻金を払うようにという、金額は総計三千二百円にのぼっていて、これはなにも今すぐ払わなくてもいいものを、乗っとりの枷《かせ》とするためで、さし当って北辰あてはなく、酒田、小池にも方策つかぬ。  要するに一派は『変態』の名義がほしい、ならばくれてやろう、ただ目先のエロだけでどれほど売れるものか、すでに『変態』の他にもこれを真似《まね》た類書がすでにいくつも出されていて、いずれもうたかたの如く、結びかつ消えていた。  北辰、いわば同人雑誌のつもりでこれまで雑誌を出し、だから経理に中野をすえたが経営の内容は『文芸バザー』初期とかわらず、しかし直接購読者八千名に近く、月六十銭の会費でも四千八百円となれば、原稿料は北辰の人徳で、いやその意気に感じて只同様だから、これは宝の山にみえもしよう。残ったのは中野と浩吉だけ、いったん事務所をたたみ、会員にはしかしこの実状を報告せず、ただ健康を害したため半年間の休養とし、二人を連れて家に閉じこもり、もっぱら新聞資料の整理、ここで幸子の貯金が役立った。  これも一種の失業にはちがいないが、幸子はかえって心落ちつけ、「くよくよしないで洋服でも新調しなさいよ」  気丈な言葉を吐き、ただ中野と浩吉は、北辰の留守の話に起ったことだけに責任を感じ、前途を心配する様子。  北辰にも先ゆき目途《めど》たたぬまま、巣鴨《すがも》の飲み屋で焼酎《しようちゆう》ひっかけていると、 「猥談放談会」の変態見世物に頼んだ高市《たかまち》の気合術師が隣にいて、とげ抜き地蔵のかえりだという。痩《や》せこけて白鬚《しろひげ》を生《は》やし、それが商売のねたの一つなのだろうが神韻飄々《しんいんひようひよう》とした雰囲気を身につけ、 「どうだい、商売の方は」 「どうもこうも不景気でねえ、なにかいい話はありゃせんかねえ」  こっちから伺いたいくらいだが、こういわれて北辰ひょいと思いつき、 「あんたの気合術、鶏だっけね」 「兎《うさぎ》でもやれるがね、まあ鶏がいちばん楽だなあ」 「どうだい、ぼくに身柄を預けないか、あんただまって坐ってりゃいいんだ、しかけはこっちで考えるから」  気合術師はヘラヘラ笑って、 「そりゃまあこれの次第では」  指で丸をつくるのを、肩ポンとたたき、明日もここへ来るよう約束して、北辰、電通の小高に連絡をとる。  小高、近頃の『変態』のいきさつは知っているがのほほんとしたもので、 「俺《おれ》のとこへ原稿たのんで来たぜ、文芸同志会から」  すなわちこれが『変態』のあたらしい発行所。 「いいさ、どんどん書いてくれ」 「今度はうんと稿料ふんだくってやるか」  ところでと一膝のり出して北辰は、 「印度《インド》から新帰朝のヨガ行者の話きいたか」  小高ニヤリと笑い、時おり北辰は突拍子もない嘘話《うそばなし》をはじめるから、これもそうかほら吹く元気があるなら大丈夫と安心し、 「なんだ、そりゃ」 「なんでも七七四十九日の断食《だんじき》の末、法力を得たのだそうだ、印度といっても仏教からみれば邪道の婆羅門《ばらもん》の方らしいがね」  ここまで真面目《まじめ》にいい、 「というような話をでっちあげて、電通から流してもらえないか」 「どうする」  実はと、白鬚の気合術師について説明し、 「これを祀《まつ》り上げて小遣稼《こづかいかせ》ぎをしようと思う、道具立ては引き受けるから、新聞の方を頼む」  小高もともと茶目っ気のある男で、成行き如何《いかん》ではやりましょうと受けあう。  北辰その夜、気合術師にあうと自宅へ引きつれ、かくかくしかじかと、しぶるのを納得させ、浅草で舞台|衣裳《いしよう》なるべく神仙風なのを借り、護国寺近くのもと剣道道場の空家を探《さが》し出し、さらに葬儀屋で七段重ね一週間でいくらと交渉する、葬儀の祭壇は通夜《つや》告別式含めて一昼夜がきまりのもの、ぶっつづけ七日間はやったことがないと首ひねるのを、その三日分、あと払いで契約。  中野に手伝わせて道場清め、祭壇をばらし幕をひき、しかるべく塩梅《あんばい》すれば、なにやらものものしく、そこへ術師を円座敷いてすわらせ、 「あんたは気合もろとも鶏を眠らせてくれればいい、後は引き受ける」  唐丸籠《とうまるかご》に鶏を十羽用意し、後はじん寄せ、面倒だが電柱に、 「神秘霊感婆羅門療法、万病死病ただちに息災、新帰朝につき向う三日間無料奉仕」  他にさくらをこれも浅草から駆り集める。  おっかなびっくり気のすすまぬ術師も、一夜明けるとすでに十数人の患者、といってもこれはさくら、表にはこけおどしの貼紙《はりがみ》があり、糞度胸《くそどきよう》つけたところへ北辰モーニング姿でうやうやしくあらわれ、 「今を去る数千年の以前、釈迦《しやか》によって邪教ときめつけられたる婆羅門の密教ネパールはヒマラヤの奥にかくれて世々代々うけついで来たる療法、現代科学は万能であるか、否、断じてノウ、巷《ちまた》には病いに苦しみ業《ごう》に責められ、痛苦の声耳をおおわんばかり、ここにおいてか」  北辰いずまい正し、 「東京帝国大学は哲学科を最優秀の成績で卒業し、仏跡たずねてインディアへ渡りし安国寺清海師、仏の御教えきわめればきわめるほどなお解《と》けやらぬ煩悩《ぼんのう》に苦しみ抜き、今は自らをくびらんとわけ入りしジャングルの奥深く、人跡未踏の地にてめぐりあいしは最前もうしました婆羅門の密教」  その修行をきわめて、超人の能力を身にそなえ、たとえばと合図うけて、術師、鶏を気合でねむらせ、さくらを適当にあしらってその効験《こうげん》あらたかなるところを見せる。  様子いかにとあらわれた小高、ろはと知って押しかけた客が百人近く、しかも交通さまたげてはお上《かみ》に怖《おそ》れ多いと、近くの護国寺境内に浩吉がつきそってほぼ同じ数の客を待たさせ、これはねたになると写真を撮《と》って、ニュースのすくない月曜日に流したから、さすが大新聞は無視したが小新聞数紙とりあげて、宣伝効果てきめん。  無料奉仕の三日過ぎても人はつめかけ、術師はただ患者にむかってキェッと気合をかけるだけ、だが北辰の前口上《まえこうじよう》と鶏さらにさくらの演技がきいて、一回五十銭特別|祈祷《きとう》二円なら事実やすいくらいに暗示にかかり、身も心も晴々とかえっていく、ただしすっかり有頂天になって、自分でも超能力備わっているのではないかと錯覚しはじめた術師、力のありったけをしぼり五日目にはまったく声がかすれ、しかしそのゼーッと息のもれるだけの音が、これまた神秘霊感婆羅門によく似合った。  四日間で二千七百円、葬儀屋に百二十円払って一日五百円のもうけ、場所を大塚駅天祖神社境内に移し、その貸家の八畳を施術室、もはや北辰の口上は不要、口伝えに続々と人が集まり、 「これをただで帰す手はない、機関紙をつくって、月にいくら会費納めれば永久御加護ということにしよう」  北辰すぐに印刷屋へ交渉し、でっち上げた婆羅門の奇跡経験談やら感謝の手紙、さらにはお救いいただいた同士の交歓風景を折りこみ、この機関紙一部五十銭で定期購読さえすれば、婆羅門様が遠隔祈祷して無病息災家内安全、一日二百人の患者が来てその半分が購読すれば月に百五十円ずつ増えると考えたのはとらぬ狸《たぬき》の皮算用で、一と月半目に、術師は気合のかけすぎか血がのぼって中気でぶっ倒れ、やむなくそれまでの稼ぎ三等分して一つを贈り、残る二つを北辰、小高、中野、浩吉で分配、とにかく一息ついて合わせて四軒の家賃も払い、幸子のへそくりをかえし、尚《なお》五百円余り残る。  葉桜の頃、女児が誕生して節子と命名、生れてみればどこが自分に似ているかなどと、世間並みにのぞきこんだり、寝息うかがったり、とりまぎれて五月の半ば、気がつくと『変態』の会員に約束した六カ月の休みはもう期限切れに近く、急に心せいて岐阜へ帰ったままの酒田に手紙を出し、中野に命じ会員に再開近しと報告させると、これだけはどこへ出ても恥ずかしくない舶来の背広にものいわせて帝国ホテル一室を借り受け、ここを事務所と定める、再開するならまずこけおどしが必要。 「文芸バザー社」を復活させ雑誌の名は『グロチック』ときめ、まず文壇知名人にアンケートを出していわく、 〈エロ・グロの変態的流行について〉 〈人生をより無意義に馬鹿々々しく消費する名案〉 〈今年中に消滅してもらいたいもの〉  酒田潔はその名もずばり「性交」態位の研究であり、佐藤紅霞「女陰|礼讃《らいさん》」、そして北辰は「廓草紙《くるわぞうし》」、古くからある娼妓《しようぎ》技術書の解説。  印刷屋に前金払うゆとりなく、しかも内容がきわめつきのエロだから、どこも尻ごみするのを、 「五割増し、刷上りと同時に払う」  と自分も植字工の手伝いまでし、その間、でまかせの猥談《わいだん》をふりまいて徹夜のねむ気ざまし、首尾よく仕上っても金はないが、主人を帝国ホテルへ案内し、つけの料理を飲みくいさせて煙にまく。  印刷所とて、 「蛸開《たこかい》、俗にたこつぼという。これはぼぼの最上なり、ぼぼのうち、にく多くいちめんにへのこ吸いつく如くにして味たとえんかたなし」というようなのを、小僧十五、六人の身近にとどめるわけにいかず、しぶしぶ製本屋へ運び、ここでも同じくなしくずしの後払い。  これを見本という体裁にして、実は中の広告、「限定出版『密戯指南』、オフセット二度刷、挿絵《さしえ》数百葉、定価五円」の申し込みが肝心の狙《ねら》いどこ。 『グロチック』を出版すればもとより発禁は覚悟の上、そして、これが度重なれば必ずつぶれるから、その直接購読者を対象に『デカメロン』級の豪華本を出し、これならば発禁になっても、単行本だから必ず会員のてもとに届き、しかもすべて予約出版にすれば資金ぐりも楽になろう。  北辰のこれまでの信用をたのんでの賭《か》けであった。 『グロチック』発送して十日|経《た》たぬうちに復活をよろこぶ手紙と為替《かわせ》が続々と到着し、それと共に特高が、見本刷りとれいれいしく印押した一冊を手にあらわれ、北辰に同行を求める、もとより承知のこと、弁護士つけてあくまで金をとらぬ見本、こういうようなものはどうであろうかという挨拶《あいさつ》がわりと抗弁したが、うけ入れられず、豚箱へ入れられたが、その同房の一人に、かつて『変態』の印刷にたずさわり、その鉛の紙型をつくったという職工がいて、親しげにあいさつし、「印刷のことならまかして下さい、これで顔はきくんですから」と激励する。  二百四十五円の罰金払って出て来ると、なにごとも宣伝とばかり、上野公園前の支那《しな》料理屋|翠松園《すいしようえん》に弁護士はじめ、小高、酒田、斎藤などの知友を招き、「罰金祝賀会」をひらき、これを小高が新聞に流す、するとまた本庁では、罰金を祝うとは何ごととばかり呼びつけて油をしぼり、だがこの効果はいちじるしく、印刷屋もそんなに有名な人ならばと、掌《てのひら》かえして優遇し、会員申しこみもはね上った。  二号は表紙を多色刷り、「侮《あなど》り難きヨタ雑誌」とサブタイトルを銘うち、もっぱらグロテスク小説特集、この編集中、特高が部屋の一隅《いちぐう》に居すわり眼を光らせていたが、かえって用心がいいと気にもとめず、この号からコラムをもうけて映画、新劇、文壇人のこっぴどいこきおろしと、ゴシップを紹介し、目次裏には「これ、これ、これを読んで馬鹿になろう、明るい馬鹿に」としるした。  この号は発禁をまぬかれ、ようやく経済的にゆとりが生れると、北辰はまた憑《つ》かれたように周囲のだれかれさそっては夜の巷《ちまた》をさまよいはじめ、六十二歳の遣手婆《やりてばばあ》を抱いて、 「女の色は灰になるまでというのは嘘《うそ》だ、婆さん、抱かれてるうちにすやすやと寝込んじまった」  情けなさそうに報告し、「ジンギス汗の会」というからなにかと思えば、赤坂の小待合に、二つ枕の布団を敷き、そこへ首に赤いリボン飾った羊を連れこんで、 「ジンギス汗は戦のさい、羊を多く同行して、一つは兵士の欲情をこれに満たさせ、また殺して肉を食べたという、果して羊は人間の女に似ておるかどうか、ためしてみようではないか」  羊は、あでやかな布団にうっそりねそべり、枕元の京紙をムシャムシャほおばって、これには一同|唖然《あぜん》とする。  三号目にいたって雑誌は軌道に乗り、「珍奇文献宝庫号」支那印度日本の性技解説書を特集し、日本は古語、支那は漢文、そして印度は大詩人カルヤーナマルラの著わしたもので、蓮華《れんげ》、鴉性《あせい》、雷鳴、花弁とひゆが多く、これでは検閲之介《けんえつのすけ》殿もわかるまいとの下心、見事に当って「女子元来自男淫、津液施指応探陰」つまり、女は男より助平で、ぬらぬらをもてよくくじると、日本語ならばたちまち押収のところをまぬかれ、以後、酒田にたのんで、危ない箇所をごくわかり易《やす》い漢語に翻訳してもらい、ごま化す知恵を得る。 『密戯指南』の他に酒田潔著『らぶ・ひるたあ』これは古今東西の強精法及び薬を網羅《もうら》したもの、和田信義『香具師《やし》奥儀書』、斎藤勝三『蔵書票の話』、他に『ファニーヒル』『バルカンクリーゲ』『ジャルダン・パルヒューメ』等の予告を、やつぎ早に登場させ、何時出版されるかわからぬこれ等の書物のために、申込みが殺到し、北辰の名には万金の重さがあった。 『変態』の一派は分裂を重ねて、『風俗資料』『芸術市場』などをそれぞれが名のり、ほとんどが北辰の企画のなぞりで、部数も少なく、詫《わ》びを入れて傘下《さんか》に帰参をねがう者もあり、北辰はこれをこばまぬ。  夏から秋にかけて、北辰は東五軒町から、芝本芝町へ引っ越した新居に閉じこもり、『密戯指南』の執筆に没入する。  これまでに収集した和漢洋古今にわたる閨房《けいぼう》技術の集大成を目指すので、その資料の数は百九十二冊の本と、三万葉にのぼる写真、浮世絵、画集。  洋書はすべて下訳をとり、その稚拙な文字、 「おお交接の瞬間における愛情を増進させる事柄をおたずねになるのであれば、おおそれは交合に先立っての愛撫《あいぶ》とたわむれであるよ」  なにがあるよだ馬鹿野郎とぼやき、漢文ならば、「則陰戸開帳津液流洩則以静待流候深挿玉茎」なんとなくわかったような心持ちでとばし読み、我国では『好色知恵の海』の「とかく子種は男女|淫水《いんすい》和合して子となる、しかれども一どきに気をやれば水となること必定《ひつじよう》なり」を読んで、ふーんとうなる。  これはと思う部分惜し気もなく、びりびりと引き裂いて積み上げ、とりあえずえらんだのが『アナガランガ』三十二通りの態位解説、『ラティスハヤ』より性交種類編と快感編、『カーマストラ』の性交態位、以上はインド。  支那よりは『洞玄子《どうげんし》』の交接姿態、文字の国だけあってその『蚕纏綿《さんてんめん》』なるは曰《いわ》く「女仰臥両手向上抱男頸以両脚交於男背上男以両手抱女頸跪女股間郎内玉茎」、『素女経《そじよきよう》』ならば第一から第九まで、それぞれ「竜飛勢」「虎歩勢」と勇壮なる名称を持ち、その深度についても、「一寸郎琴弦、二寸郎菱歯、三寸郎嬰鼠、四寸郎玄珠、五寸郎谷実、六寸郎愈鼠、七寸郎昆戸、八寸郎北極」北辰名前は北極に関係ないでもないが、とても八寸とはまいらぬ。この他に『玉房指要』日本からは『色指南』『|※[#「こざとへん+水」]※[#「こざとへん+火」]《いんよう》手事巻』『枕文庫』『花街風流解』『開相十二伝』『色道禁秘抄《きんぴしよう》』。  西洋は『匂《にお》える園』『フロッシー』『ファニーヒル』『デカメロン』『バルカン戦争』『エルタターブ』『トルーラブ』『ベラアモ』『蚤《のみ》の自叙伝』『オデット・マルティメ』『恋の百面相』『ジュスティヌとジュリエット』『哲学サテレーズ』『ガミアニ』『カザノヴァ回顧録』『処女クラブ』などの、性交場面を抜き出し、こうして考えると、東洋の方がはるかに技術的研究すすめられていて、毛唐《けとう》はその手段方法につきあまり頭をつかわぬと感じ入り、にしても、印度あるいは支那の微に入り細にわたって毛穴の一つ一つに気をくばる心づかいはなんであるか、しかも両国とも、必ずその心得を詩にして、要領よく説明する心にくさ。 「もしその時に汝《な》れ自身、女の中にあるならば、するどくもまたにおやかな、吸引作用に気づくだろ、深き溜息《ためいき》、熱き胸、これぞ勝利のしるしなり」  とオルガスムスを解説し、その後の、処理の仕方までが一編の詩、インドの青年は盆踊りの時にこういう歌でもうたうのだろうか。  もっとも日本でも漢詩になぞらえたのは多く、これは江戸時代にも検閲があったのか、あるいは医者がやたらと独逸語《ドイツご》ひけらかすようなものか。  ちゃんと韻律ふんで、 「腹上乗男搦四支、呼吸頻々或顰眉、心裏密恐衣裳穢、応是器物貸借思」  これすなわち天井の節穴かぞえる女のことであろう。 「鎖陰可愛天下珍 医治未開無婚姻 当時有若小町女 吾徒何以為廃人」  これは小町でも心配するなとの御託宣。  夜を徹して読みふけり、人間という奴はまあどうしてこうも好きなのか、ああでもないこうでもないとこねくりまわして、たかがあれしきのことにと、悟ったような気持になることもあれば、 「常婦いかに洗うとも陰閉に臭気残るあり、娼婦一人としてなきはいかん」  という項目|見出《みいだ》し、矢も楯《たて》もたまらず夜の新宿に抜け出して、女を買い、その「口臭強きは陰戸臭しというは俗説なり、腹中のうんき他所へもれる時は、かえって陰所清浄なり」とあるのを嘘か実かためしてみる。  幸子は出産後、平常にもどりまた堅苦しいだけの妻、時には北辰の部屋の書籍ぬすみ読むらしく、 「理論と実践はともなわないらしいわね」  皮肉にいうことがあり、この一年近く北辰は幸子を抱いてない。  北辰、自身では人より精力が弱いのではないかと、時には考え、なにかといえば悪所へ人をさそい、突拍子もないふるまいに出るのも、その弱身を知られたくないため、ひたすら好色のポーズをとって、実はその陰にかくれようとしているのではないか、とにかく十月に入ってまだ蚊が残り、蚊帳《かや》の中にすわって針仕事に精出す幸子を抱く気力は、まったくなかった。 『密戯指南』のどうにか目鼻つきかけた十一月に、『グロチック』七号が発禁処分となり、きいてみると、かつての『デカメロン』、酒田のために目をつぶって表現をぼかした箇所を、もはやそこだけ抜き出して、正確な訳をつけてもいいだろうと、紹介したが運のつき、北辰はまたも留置され、罰金三百二十円。  出所するや直ちに読売新聞に四段抜き百行、「昭和二年十一月十日を以て≪長兄『グロチック』十二月号≫儀永眠仕り候、夭死する子は美しいとは子を失って親の愚痴と存じ候えども、お察し下され度《たく》候。愚息も草葉の陰で口惜《くや》し涙にむせび居《お》ることと存じ候。遺骸《いがい》の儀は好都合にも、丸の内署に於《おい》て一年保管の上|荼毘《だび》に付してくれることに相成り居り候えばこればかりは光栄と存じ居り候。猶《なお》遺言により、供花放鳥の類は一切御断わり申し上げ候」  デカデカと黒枠《くろわく》で広告し、すぐ新年号をつくり上げて、その冒頭に、 「やあ、諸君、まずもって新年の御慶《ぎよけい》申し上げますると、人間なみの御世辞を一寸《ちよつと》ならべさしていただきまして、さてお待ちかね、あるいはかねでない亡者貝原北辰、未決監市ヶ谷の亡者の戸籍第九三七号から解放されまして、娑婆《しやば》へ帰宅ゆるすとのありがたき御沙汰《ごさた》、やれうれしやと泡《あわ》くってとび出したら、時あたかも屠蘇酒《とそざけ》のまっさかり、たちまちクラクラと酔っぱらって」以下、断じてくじけぬ北辰の心意気をのべ立て、大向うの喝采《かつさい》を得る。  この頃になると、帝国ホテルへ詰めっきりの特高も、昼に鰻飯《うなぎめし》やら、校了祝いの酒やら御相伴《おしようばん》にあずかって、発送に猫の手も借りたい時は、すすんで包装手伝い、郵便局へ運び、北辰を先生と呼んで、一目も二目も置いていた。  この騒ぎで『密戯指南』の脱稿がおくれ酒田潔の『らぶ・ひるたあ』が先に完成してすぐ印刷にかかり、内容は「惚れ薬」「世界性的見世物考」「張形《はりがた》考」「好色本と挿絵」項目の、いずれもまともに検閲にぶつかれば、発禁は火をみるより明らか、鳩首《きゆうしゆ》協議の末、伏字本をまずつくり、その伏字の部分を補うための、刷りものを別に用意し、会員をその信用度によって三種類に分け、普通会員には伏字のまま送る、特別会員には伏字分のいわば別冊を後で郵送、細く切って指定の場所にはれば、一見して伏字本とはみえぬ段取り、さらに素姓のはっきりわかっている会員には、秘蔵用としていっさい伏字なしのものを送付する。  このおそろしく面倒な手間のため、予定価格三円を上まわり、まったくの赤字だったが、北辰は前金とって約束した以上損するのは時の運とし、伏字本の会員には、 「本だかノートだかわからぬ書物を送る苦衷おさっし下さい、会員諸氏も泣きたいあるいは怒りたい気持だろうけれど、酒田君とて同じ気持、このつぐないといってもこちらの罪ではないが、御送りいただいた三円のうち一円を、『グロチック』例月分会費、あるいはおのぞみであれば『密戯指南』以後続々とおめもじする奇談書の、手付金にまわさせていただきます」あくまで伏字本は、完全な本にあらずと良心的に値引きした。  十二月の末に近く、帝国ホテルで、『近代世相史』の原稿整理する北辰に電話があり、二日前から休んでいた経理担当、中野の手伝いをしていた青年が危篤だという、ただちに神楽坂《かぐらざか》の家にかけつけると、母一人子一人で、すでに意識はなく、 「さっき先生がみえたのですが、注射だけしておかえりになって」  老婆はおろおろし、とにかく一刻を争うようにみえたから慶応病院に連絡、正木不如丘《まさきふじよきゆう》先生の紹介を得て、入院か、あるいは来診をたのむうち、黒いソースのようなものを吐き、息がかわってたちまちみまかる。  文芸バザー社とは三月ほどの縁だったが、粗末な床の間におかれたマンドリンがあわれで、しかもこの母は一人ぽっち、たとえたすからぬまでもどうして最後までついていてやらなかったのかと憤激して医者に文句いったが、「流行性感冒による心臓衰弱、お気の毒です」とそっけないあいさつ。  どう考えてもこの若くたくましい青年が、風邪くらいであっさり死ぬものかと、北辰、慶応病院に頼みこんで解剖に付せば、やはり「化膿性腹膜炎」で、風邪が原因であるにせよ、鼠蹊部《そけいぶ》の化膿《かのう》が死因とわかる。  とにかくお母さんにあやまれと北辰、医者をひったてて頭を下げさせ、 「できるだけのことはいたしますから」  すっかり気落ちした老婆をなぐさめ、仏前にねんごろな経をあげとりあえず百円を包む。そして月々送金してはいても、およそ親身に世話をした記憶のない母を、ふと罪深く想い出し、いそがしさにとりまぎれたとはいえ、末弟にまかせてすでに六年近く会っていなかった。  翌年六月、沢松武士が死んだ、読売の記者を長く勤め、小池とともに北辰をなにくれとなく引き立ててくれた恩人沢松の死が、直接的にはあの「好色顕彰之碑」のきっかけをつくったといっていい、北辰は熱に濁った頭で、もう一度、あの昭和三年夏を想い起し、あれがあるいは北辰の一生のクライマックスであったかも知れぬ。 『らぶ・ひるたあ』『密戯指南』いずれも二万部を売り、目前に『近代世相史』全四巻の完成がせまり、いや、しかしまだ満たされぬものはあった。  先人のつぎはぎ仕事ではない、自分の膏血《こうけつ》しぼり出して書きあげた著作物が、まだ北辰にはない。  常に編纂者《へんさんしや》、好色文献収集家、好色出版企画者、一つくらいわが手になる著作、たとえば春本を残してもいいはずだ。いや残さねばならぬ。  江戸時代まで、あれほど豊富な語らいと、たくみな表現で閨房《けいぼう》の描写を行い、纏綿《てんめん》たる情緒をかもし出す作品があるのに、明治以後はまったくみられぬ、あの伝統はどこへ消えたのか。好色一切|御法度《ごはつと》のせいか、富国強兵に熱中したためか、いや人間ならば、いくらおさえてもこの道は、その本筋を失うことなきはず、人間である限りは。  明治以後の春本の代表作を、自分が完成させよう、あの多くの春本がそうであるように、作者の名前は忘れられても、人間から人間へ必ずうけ渡される春本を書き上げよう。  北辰は開通後間もない小田急にゆられながら考えつづけ、そしてそれが昨日のことの如く二十年近く経た今も、残り火の燃えさかるように、意識にのぼり、そのねがいは胸をときめかせた。  翌日、北辰を訪れた医者は、病状を発疹チフスと診断し、熱は四十度を越えていた。 [#改ページ]  第三章 『肌《はだ》あかり』  発診チフスとさだまれば、後妻の多津子、自らの病い棚《たな》に上げて甲斐々々《かいがい》しく、北辰の衣類|布団《ふとん》かわすべて煮沸消毒、部屋中つんつんと臭《にお》いこもるほどにDDTを撒《ま》き、伝手《つて》を頼《たよ》って入院も考えたが所詮《しよせん》は大部屋、看護の人手も足らず、二階に一間かさ上げした六畳をそのまま病室とする。 「いやだねえ、いつ虱《しらみ》なんぞたからしたのさ」  多津子に愚痴こぼされるまでもなく、戦前は喫茶店、事務所にワイシャツの替えをおき、冬でさえ日に一度は着替えた北辰、今でも兵隊服全盛の中で舶来生地の背広にソフト、襟《えり》にビロードはったパイルのオーバー、満員電車の中ではきわだつ洒落者《しやれもの》。噂《うわさ》にきき、またときおり銭湯へ出むいた時、三助の掃くほうき先のごみに混って数十匹、客のおとした虱をみうけもしたが、まさかわが身に住みついていたとは。「かゆいならかゆいって、そういってくれりゃいいのに」多津子、半ば気味わるそうに、また少しは北辰の身辺ほうりっぱなしにしていたことを申しわけなくも感じ、だが発病まで、北辰自身まったく痛いにもかゆいにもその自覚はなかった。  発疹チフスが敗戦国につきものの病いときけば、いっそ納得もいき、二月ばかり前、小田原駅前で、担架に乗せられた老婆が、道横切って運ばれ、遠まきに見る人垣《ひとがき》の話では発疹チフスとかで、ふとこの光景は以前にも見たことがある、赤痢、腸チフス、コレラなどの伝染病で、白衣の人にかこまれ隔離される病人の姿を、どこかでみた覚えがあり、その記憶まさぐりつつ帰途についたのだが、わが身にふりかかるとは露おもわず、淋病《りんびよう》をのぞけば、これが物心ついて初めての、病気らしい病気であった。 「よくまあ続くねえ、よほど頑丈《がんじよう》にできてるんだなあ」 『グロチック』全盛時の腹心、中野正人がつくづく感心していい、昭和二年から四年にかけて、北辰は帝国ホテル三部屋を借りて、三十数名の社員をようし、『グロチック』の発行、『変態十二史』の刊行、『密戯指南』にはじまる豪華好色本の出版。  さらに「慶応四年から大正十五年十二月二十五日|迄《まで》の新聞、約三百五十種、目方にして六百|噸《トン》、この中より政治、外交、教育、経済、社会、暴動、反逆、大盗、女賊、毒婦、心中、捕物《とりもの》、迷信、残虐、性欲犯罪にいたる社会全般に亙《わた》る事件の特に珍中の珍なるもの集録して、原稿用紙四万五千枚」と称する『近代社会史』の編纂《へんさん》。  もとより仕事ばかりではなく「猥談《わいだん》放談会」やら文士ばかりの劇団組織して「新冒険座」と名のり公演も行えば、もちろん吉原、玉の井、本牧、駆けめぐっての流連荒亡《りゆうれんこうぼう》、いったい何時《いつ》寝るのかと不思議がられると、北辰、「おかげさまで月に一度は、官費の別荘住まいさせていただけますんでね、これがなきゃとっくの昔にお陀仏《だぶつ》でしょうな」 『グロチック』に対する弾圧は、もはやあって当り前、はじめのうちこそ、それを逆にとって発禁御礼広告を出し、「北辰釈放祝賀会」をひらいて気勢あげたが、重箱のすみほじくるように検閲官眼ひからせて、分裂をくりかえし増《ふ》えつづけるかつての北辰配下の、金が目当てに出す『風俗資料』『グロテスク叢書《そうしよ》』『変態研究』などならお見のがしのくだりも、こと『グロチック』ではまかりならぬ。  さらばと「夜荷奈礼葉、無理矢理仁尾司米羅礼、瀬目田亭羅礼、須々紛々阿多利伽摩和須、世賀利和須礼戸、気賀湯加須、世眼仁気手加羅、今日賀日摩手、葉眼手藻羅津多数和、八万八千八百八十八回、地似佐伊阿奈賀比呂毛羅礼手、宇羅目司耶《うらめしや》」一見して経文風の猥文を掲載すればこれは検閲の守《かみ》判読できずにゆるされ、「大和《やまと》民族南方渡来説」として、重ねことば「シネシネ」「フラフラ」「イヤイヤ」などの例の中の「ヌラヌラ」「ベトベト」「チビチビ」が忌諱《きい》にふれる。 「いったいヌラヌラの、どこが猥褻《わいせつ》なのであるか、子供だってシャボンをつかえばヌラヌラだというし、泥あそびをすればベトベトになる」  北辰いいつのったが、検閲の守はうすら笑いうかべて「石鹸《せつけん》で洗えばツルツルにきまっておる、ヌラヌラというのは、なにかわけあってのことであろう」じゃ泥あそびはときくと、「ドロドロだ、ベトベトなんていうのは汚《きた》ならしい」  理屈にならぬこといい立てて押えにかかり、そのつど紙型は破棄、北辰は身柄留置され、『グロチック』は隔月刊も同じ、押えられた翌月は「インチキ展観号」「変態処世術特集」など銘うってエロをさけ、とにもかくにも読者にその存在をあらわにしておき、次は性こりもなくエロのあれこれ。  これをくりかえしたから、留置場の看守はもとより、豚箱出入りいとまなき掏摸《すり》、掻《か》っぱらいとは顔馴染《かおなじ》み、米麦四分六の弁当にもなれれば、市ヶ谷拘置所七不思議を撰定《せんてい》してみたり。  これは第一に「病監の血手形」、姦通罪《かんつうざい》で入った女がその身におぼえないことを主張し、ついに舌を噛《か》み切った、その際の血に染まった手の跡が壁に残って、いくら削り直しても浮び上ってくるというもの。  第二が壁の節穴に割箸《わりばし》二本をつっこみ、これに帯をかけて首をくくった自殺者の夜泣き、第三はどの室に入っても自分の部屋の床下で、あるはずもない話し声がきこえること、第四は初犯を収容する七舎の向いの房に、夜中赤ん坊の泣き声がきこえるなど語りつがれた伝説に、北辰の粉飾も加え、以後拘置所名物となる。  冗談でいった検束休養説だったが、なれるにつれて北辰は、浮世の約束ごと、束縛から、五体の自由拘束されることで、逆に解放されるこの短時日を、むしろよろこぶ気持さえ起って、それは豚箱で知り合う人間達の、むき出しな肌合いにふれることの、楽しみかも知れなかった。  だから『グロチック』誌上でもしばしば「留置場体験者座談会」を開いて、北辰はじめ小高、中戸川、中野、小池など、いずれも社会主義、出版法違反で度《たび》重なる入獄のベテランその経験を語りあい、名物|頁《ページ》になったのだが、田舎《いなか》から出て来たばかりで、浅草をうろつくうち、ノビのシキテンにそうとは知らずさそいこまれ、質屋の門燈の前で馬鹿な面《つら》さらしていたら、仲間はとっくに逃げだして一人だけつかまった男やら、酔っぱらって家へかえり、小学校六年の子供とそい寝する妻の姿を、どう見まちがえたか密通の現場おさえたりとけとばし、二階から投げおとして怪我《けが》させた男、いずれも豚箱では神妙にかまえ、いや、小田原で恩義ある叔父《おじ》夫婦|惨殺《ざんさつ》の少年や、極悪無道といわれた木田少将令嬢殺しの杉山憲太郎にしても、話してみればそれぞれにあわれさと業《ごう》を一身に背負い、だからまた北辰は、『江戸刑罰史』『江戸|町奉行《まちぶぎよう》考』『惨酷刑罰考』『江戸非人考』『拷問考』など、庶民と刑罰のかかわりあいを調べて発表し、どう生きてもどじな人間の、あきずにくりかえす愚かな所業に愛着を覚え、その昭和三年の秋、市ヶ谷の未決で知り合った老人、取調べからかえってくるとどうかくして持ちこんだのか、大福を八つとり出し、 「いかがですか、お口汚《くちよご》しに」同房にすすめて、これまで差入れの袷《あわせ》の裾《すそ》や襟《えり》に、二本三本とエンタ(タバコ)忍ばせて運びこむ手足《てだれ》はいたが、大福八つにはおどろき、いやおどろくより先にかたじけなくいただいてさて「爺《じい》さんどうやって持って来たんだい」牢名主《ろうなぬし》格の殺人犯がたずねると、老人は功を認められて一枚余分にもらった毛布腰にまきつけつつ、 「いや、ふんどしの中に入れてきたんだよ、これがほんとのくさ餠てえやつだ」けろっといい、今更、腹中へおさめたもの出しもならず一同閉口したが、北辰、そのいかにも後ろから見る肩のあたりの、いきな感じに、「お爺さんは、昔、色街でならしたんだろう」かまかければにやりと笑って、「ならしたってほどでもねえがね」  通称カマイタチの安さん、今は吉原を流すおでん屋だが、その以前は桂庵《けいあん》おかかえのたま出し、主《おも》に山形新潟をなわばりとする人買い、さらに以前はこれでも幇間《ほうかん》に弟子《でし》入りして、 はじめて殿御と寝た夜さは、キリリキリリと痛うござると、もっぱら破礼《ばれ》な唄や踊りで御座敷とりもったこともあると喉《のど》を披露する。  北辰、『変態』のころ「人商人考」なる一文を書き、これは明治の人買いについて新聞資料をもとにしたものだったが、昭和の御代のたま出し、出されて売られた末の娼妓《しようぎ》には数知れずつきあったが、それまでのいきさつを知らぬ。 「山形の在にいきゃ、今でも女の子が生れると赤飯たいてなあ、年頃になるやならずでみな売りとばすのよ、娘だって在所に残るよかたとえ人絹でもやわらかいもの着て、のんきに暮す方がそりゃ楽しいとしってまさね」  酒焼けか、てらてらと光り、しわ一つない肌の若々しさ、舌なめずりしながらいう。  パクられたのは拾得物横領。おでんの屋台流すうち、財布を拾って現金はわずかだが宝石が紙にくるんで十二箇ばかり、どうせ子供だましの硝子玉《ガラスだま》とふんで時計屋にみせたらこれが真物《ほんもの》。 「そうと知ったら贓品《ケイズ》買いに持ちこむんだったよ、どうたたかれても千両にゃなったべ」  あやしまれて、サツに通報され、いくら拾ったといっても信じてもらえぬ。 「おかみさん、心配してるだろう」 「うんにゃ、なれてるさあ、昨日《きのう》今日《きよう》のことじゃあるまいし」  女房、といってもほんの行きずりにくっつきあった仲、長いので二年、早いのは一と月足らずで別れて、その数はもう忘れたといい、今の女は、老人が十年前に自分の手で山形から吉原へ送りこんだ娼妓の年期おえたあげく、とはいっても六十一歳の老人には不似合いな若さだという。 「どうなんだい、こっちの方は」肘《ひじ》から曲げて腕を上下させると、老人にやにや笑って「そりゃ鍛えてあるからなあ」  酒田潔は、医者の専門を生かして精力、催淫剤《さいいんざい》のうんちくが深いが、そのいずれも中国、印度《インド》の処方、日本古来の秘法といえば、惚《ほ》れ薬《ぐすり》としてのいもりの黒焼き、卵酒ていど、斯界《しかい》の権威といっていいこの老人にたずねればあるいはと、この時はあくまで『グロチック』誌上を飾るたね拾いのつもり。 「どうせぼくは後二、三日で出るんだが、なにかできることがあれば?」  申し出ると、 「豚箱の安請合《やすうけあ》いってな、大丈夫かな」  たしかにここに居る時は親近感が湧《わ》き、年来の知友の如《ごと》くなるが、一方が出所すればそれなりけり、お互いこれを奇縁に交情深めるなど稀《まれ》なことで、老人うたぐり深くいったが、とにかく出たらここへ電話をかけるよう念を押して、帝国ホテルの事務所は気がひけようと、神田二五局二五八五番、小川町の新聞資料整理する部屋の番号をおしえ、「ニコニコハイッテコイだな」老人油断ない目つきで北辰をながめる。 『グロチック』は発禁押収のためまるで赤字だったが、その折込みに『世界好色文学全集』『日本の人形』『グロッス秘画集』、斎藤勝三著『蔵書票の話』これは木版原色|手摺《てずり》五十枚、写真版二百枚、特製で二十円の定価たてつづけに、好色本、豪華本の予約出版の広告を出しこれでバランスをとる。その文章も図々《ずうずう》しいもので、たとえばビアズレー秘画集については、 「近代ルネッサンスの根源は伊太利《イタリー》であり、最近では未来派、グロテスク派新運動の発祥地も実に伊太利であります。ダンテ、ボッカチオ以後の伊太利は美術家のメッカともいうべく」うんぬんとあって、突如、「クリニングス法、フェラチオ法等各種最高せんさいの技術を駆使し、ことごとく画中にとり入れています」  と、あたかもビアズレーの絵画的テクニックの如くクリニングスなどを紹介し、 「本国にて七十部のみ残のあるのを、電報|為替《かわせ》にて予約し、本誌同人すべてこれを購入希望したのですが、四部だけをこれにまわし、六十六部すべて読者の希望にまかせます。先着順ですが、しかしこのびらはもっとも数理的公平なる手段をえらんで手もとに届くよう考え、すなわち満州、朝鮮、樺太《からふと》、台湾といった遠隔地にある特志家の宅へ先に着くよう、東京は最後にしました」  というもったいぶりかた、だがこのビアズレーにしろ、グロッスにしろ、たしかに名の通った複製ではあるにせよ、それを原版にした日本製であって、判る奴《やつ》にわかればそれも一興との茶目っ気か、ビアズレー画集の発行者は、「ベスビアス・ナポリタン」氏だし、世界好色文学全集の編集委員には、貝原、斎藤とならべて「ポール・イングリッシュ氏」「アンケチル・マンジュウ氏」「スクッフ・フックス氏」など、ふざけた名前をならべ立てた。  こけおどしはともかく、この年共産党第二次検挙があり、結社組織に極刑を科する治安維持法改正が行われ、憲兵隊に思想係、文部省にも思想とりしまりのための学生課が新設されて、一寸刻みに息苦しさいやます世のうつろい、北辰の一人|獅子奮迅《ししふんじん》といってもよい出版活動は強く支持されて、 「神よさばけ、われわれは昂然《こうぜん》と頭を上げて、その宣告をきくであろう」  もはや宣伝文にも、堂々と取締り当局へ宣戦布告の気構えをうたい、しかし新聞への広告は、そのことごとく、警察をおもんぱかる気持から、拒否された。  予約出版の金が流れこむと、弟浩吉、中野正人を経理担当とし、たづなをしめにかかったものの、北辰の当るべからざる弁舌に向きあうと、前後の見さかいなく金庫開けはなち、たとえば、斎藤勝三『蔵書票の話』出版記念会は、北辰一人がとりしきって、帝国ホテル宴会場を借り、実はこの時、山王横山病院で粗チン鰻《うなぎ》裂きの刑に服するはずだったのを、ダンス芸妓《げいぎ》花園歌子の余興まで組みこんで、おそらく宣伝をかねて飲みくい自由にさせる派手やかな記念パーティのこれがはしり、北辰はうずく股間《こかん》をかばいつつ、がに股《また》で世話を焼き、この頃、斎藤は、北辰にそむいた『変態』にも原稿を書き、小高などけしからんと息まいていたのだが、北辰はひたすら本に淫し、世渡りの下手《へた》な斎藤のために、採算度外視した豪華本を出したので、同じく去っていった高森が文芸資料研究会により『恋愛技巧百態』『ジャルダン・パルヒューメ』を出版した時も、前者にてはその装丁のあまりに杜撰《ずさん》で、内容のお粗末なことを、また後者では誤訳の多い点を指摘、猛烈に難じたが、そのかたわら、装丁ならば酒田、訳者なら自分の輩下の学生を貸すから、是非、立派な本を造るように、好色性にのみたよる羊頭狗肉《ようとうくにく》の悪書を出版しないようにと、北辰みずから高森をたずねて頼みこんでいる。  当時、北辰をまねる連中は、実費二円以下のものを十円以上で売り、たちまち家を建て車をのりまわしたが、御本尊はホテルに事務所こそかまえ資料保管の部屋七つを持つが、いまだに東五軒町の借家住まい。  一種の自転車操業で、両脚に無痛性|横痃《よこね》を二つずつ、疼痛《とうつう》性を一つずつ、おまけに睾丸《こうがん》がどういうわけか一つ増えて三つ、入院治療すれば三週間は動けぬ、うっかり雑誌を休めばいよいよつぶれたかと紙屋、印刷屋が押しかけ、店頭にも出しているだけに取次店も承知せぬ。 『グロチック』だけでは月に千七百円の損を、どうやら出版でうめ、しかし一寸先は闇《やみ》の世渡り。  昭和四年十二月号は「古今見世物|寄席《よせ》興行大博覧会号」として、おだやかな内容、北辰はここに「世界便所発達史」を掲載、この中にモドロ・シドロヴィッチ、カクカ・マルディアルという二つの人名がでてくるが、わざわざ筆者独自の文献と断わるまでもなく、前者はあきらかに「しどろもどろ」のもじり。  その一段落ついたところへ、同房たりし老人から連絡があり、駒形《こまがた》「どぜう」屋で会うと、のっけに、「手入らずの上玉がいるんですがね、いかがでしょう」  監房では、さほどに感じなかったいやしい笑い臆面《おくめん》もなく、 「昨日でましてね、ひょうたん池のまわり歩いてたら、向うからとびこんできやがった、尾張一宮《おわりいちのみや》からとび出して来たらしいんですが」どじょう鍋《なべ》のお替りせわしく頼みながらいい、「年は十八で、ちいっと」頭の横で指をくるくるとまわし「なんですが、お面はふめますよ」  風采《ふうさい》上らぬはもとより、いかにも油断ならぬ感じのこの老人に、いかに一人で上京して心弱くなっているとはいえ、女から声かけるなど信用できず、だまっていると、 「今、かかあのとこに置いてますがね」 「おかみさんは商売してらっしゃるの?」 「子供相手の駄菓子屋《だがしや》で、六厘仕入れの一銭売りでも、あっしが去年、中気でしばらく寝こんだ時にゃ、けっこうおまんまのたねにはなりましたっけ」 「その娘さん拝見かたがた、おたくへ邪魔しちゃわるいかい」  ようがすと連れだって、湯島天神下の廂合《ひさしあ》い二重三重にもかさなりあって、昼間も陽《ひ》の目おがめぬ北向きの長屋、それでも夏にはさだめし朝顔の大輪|妍《けん》をきそったであろう土を入れた木箱がならび、思わぬところに「柳湯」やら、そば屋、質屋がひっそりと息をつめ、そのはずれに文字通り九尺二間《くしやくにけん》の侘《わ》び住居、もっとも二階屋ではある。  店先三尺ばかりの台に、のしいか、鉄砲玉、石けり、おはじき、メンコ、ねじりん棒、ソースせんべい、アテモノ、べーゴマ、きせ替え人形がならび、ただしらじらとつかの間の秋の夕陽に照らし出されていて、一足入るともう真っくら。その中から若い声がして、「おかえんなさい」 「おう」と無精な返事の老人は、とんとんと二階へのぼり、北辰、奥の人影もさだかではないから、おぼつかなく一礼して後を追う。  二階はこざっぱりしたたたずまい、花茣蓙《はなござ》に長火鉢《ながひばち》、茶箪笥《ちやだんす》、博多人形《はかたにんぎよう》、達磨大師《だるまだいし》の軸、横っつわりの娘があわてて正坐し、これが一宮の家出、すぐに姿を消し、 「へーえ、あんな別嬪《べつぴん》をね、大した腕だね、山下さんは」来るまでの道で、すっかり北辰にその気があると踏み、遠まわしに値段をふっかけていた老人、 「いやあ、蛇《じや》の道は蛇《へび》ってね、なんならかかあにいって、風呂へでもやりましょうか」  とんとん拍子に話を運ぼうとするのを、まず十円札一枚老人の前において、 「娘さんの始末はまたいずれとして、どうだろうねえ、山下さんのこれまでの、おもしろい話をきかせてはくれまいか、いや決して怪しいものではない」  貝原北辰としるした名刺をさし出す。これはかねて心づもりの春本の材料に、いやこの老人をモデルにして、春本を書くことはできないかと思いついたので、「いやあ、あっしの話なんか」としぶるのを、さらに一枚の札で鞭《むち》うち、とりあえず近くの小料理屋へ席をかえて、その生い立ちをうかがう。  日本の、いや世界中どの国の春本も形は決っていて、『壇之浦合戦《だんのうらかつせん》』の如く、高貴の女性と荒武者のとりあわせ、『水揚帳』のような娼婦の生態、また『艶情春雨衣』式の、時代の典型的遊び人達のからみ、さては『指法師』のように、姿形をかえて男女|媾合《こうごう》をのぞきみるもの、北辰は日頃出入りの、浅草の楽屋色模様、またモボ、モガと呼ばれる先端的若者の密会など、組合せをさまざまに考えたが、人買いの立場からながめた男女色模様でもいいし、今ははや老残の身をさらす男の、いわば回想記、今様好色一代男の記もわるくはない。  酒には強いとみえ、茶碗《ちやわん》であおって、二言目には「お抱きなさいよ、手入らずですぜ、あっしの眼に狂いはない」といったが、次第に気をゆるし、栃木の在から出て来て、浅草の親分にひろわれたことから語りはじめ、しきりにその若気のいたりの自慢話をしたがるから、喧嘩《けんか》口論|沙汰《ざた》は北辰の専門外、聞き流しながらついなんの気なしに、 「あっしの眼に狂いはないって、そんなにくわしくわかるものかい」  からむよういうと、老人は酒臭い息吐きかけながら、 「蛸《たこ》戸鎖|巾着《きんちやく》上り饅頭《まんじゆう》ぼぼ毛薄土器《かわらけ》上味と知れって御存知ですかい」  中気の名残《なご》りか、ききとり難《にく》い言葉なので、ききかえすと、老人一本指立てて、その指を片方のにぎりこぶしにつきさしてみせる。 「これはさいじょうすいつくあじたとえんかたなし」以下きき書きを、それらしい筆法を真似《まね》て、 ≪戸鎖|開《かい》≫ぞくにかんぬきといい、にくあつくしてのびちぢみよろしくこだねはらみたるのちもていらずのごとくちんちょうちんちょう。 ≪巾着開≫たこにるいしたるかいなりぬきさしすぽすぽとしたぐあい。 ≪毛薄開≫じょろうのかいなりけもていれするゆえひたいくちにふっさりときれいにそうじよければいたってうつくしきものなり。 ≪土器開≫これはとしまなになりびらびらむらさきだちあかくいろづきたるにけのはえぬかいなり。  など、名付けて『開づくし』、この書物は、限定私家版として五十部を刷り、装丁も自ら行なって、表紙には「女陰七不思議」の図解、著者名を貝原|益軒《えきけん》七代の末裔《まつえい》北辰とうたい、これは酔余に、「ぼくの先祖は貝原益軒でね、どうして貝原というかといえば、応仁《おうにん》の乱の時に、京都御所をわが祖先が警護してね、その功により海に面する土地をもらったんだなあ、そこには貝が沢山いて、砂浜はあたかも貝の原の如く、故《ゆえ》に貝原であるし、ぼくには益軒の学者の血が流れておる」一座をでまかせで煙にまいたことがある。  もとより老人根が好きもの、暇をみつけては北辰、速記者をつれて天神下をおとずれ、そのつど謝礼として五円を置いたから、老いの身にひびく冬のおでん屋台は、埃《ほこり》にまみれさせて左《ひだり》団扇《うちわ》。たま出しのあれこれ、妓夫遣手婆《ぎゆうやりてばば》アの娼婦仕込む技術、さては江戸の昔からいい伝えられてきた、たとえば新開よそおうには、青竹の中の薄紙を挿入《そうにゆう》すれば、いかなる手足《てだれ》も生娘《きむすめ》のごとくきしむとか、また新開に対してはとろろ昆布《こんぶ》を唾《つば》でとけば傷つけぬとか、酒田潔、佐藤紅霞などその道の権威も多分知らぬ遊びの知恵、北辰は、好色の一代記もさることながら、遊里につたわる性的伝統、いい伝え、習慣、手練手管《てれんてくだ》をことこまかにもりこむつもり。 「ようがす、先生の眼でみていただきやしょう」  いかにも金科玉条の如くにいう老人の技術について、北辰、ややひやかした言葉を吐くと、老人はすわり直して、 「けっこう猫の手よりはましで、今日まで無駄飯《むだめし》くわしてやってたんだが、引導はとっくにわたしてあるんでさ、奴を相手に、あっしがやってみましょう」  家出娘、まだ手入らずを見事あしらって、ただの一夜であっしを忘れられなくしてみせようというので、これには北辰ためらったが、「どっちみち苦界《くがい》へ身を沈めるんだから、医者に雁木《がんぎ》でこじあけられるよりゃ、なんぼかましでさあ」  たま出しされたたまは、桂庵《けいあん》におちつき、翌日それぞれの抱《かか》え主に引きとられて、もし生娘であれば、婦人科用内診器具で、処女膜を破る、その道具を雁木というので、北辰にしても、今、老人に金を払い、一宮へ帰したところで娘の救われるわけもないとわかるし、なにより老人のこれまでの揚言のかずかず果して真か否か、確かめたい気持が強い。  待合を用意しようといったが、かえって気勢がそがれると、鶯谷《うぐいすだに》そばの連込み宿、まず北辰が先乗りして、押入れにかくれ、そこへ老人と娘がくりこむ寸法。  すでに師走《しわす》、滅法冷えこむ押入れで、布団にもぐりこみ待つうち、女中に案内されてやって来て、すでに仕度《したく》はととのっている。  いくら引導渡したといっても、本当に生娘なら泣きわめき、さわぎ立てるのではないかと耳をすまし、丁度布団の幅のみえるだけあけた襖《ふすま》、はじまらぬうちはみつかりそうでのぞけない。 「なに、のぞく時は、二人ならんで寝ている男の背中にまわればいい、女はすぐに夢中になっちまうから、決してわかりゃしない」  逆の場合は、男いかに熱中していてもどこかで目覚《めざ》めていて、人の気配をすぐにかぎつけるという。  老人はしきりに低声《こごえ》で女にささやきかけ、女は意外に明るい声で「うち知らんでねええ」「そうかしらねえ」相槌《あいづち》をうち、思いきってすきまに眼を近づけると、はやくも老人は娘を布団の上で横抱きにし、その八つ口から指を胸に入れる気配。  大きな音立てて口を吸い、娘のふるえるように息を吸う音がひびき、老人の指はせわしくうごいて帯をとき、地味な襦袢《じゆばん》のあらわになった娘の、腰紐《こしひも》にとりかかりつつ、乳首をふくみ、いやいやするように頭をふる。  娘は眼をとじたまま頬《ほお》を紅潮させ、いっさいの力が抜けたようで、裾《すそ》の乱れもすでに念頭にはなく、時おり、むりやり眼ひらこうとするようにまぶたをひらくが、その瞳《ひとみ》にはなにも映じていないとわかり、火鉢《ひばち》一つない部屋がやがて熱気に満ち、娘の呼吸のたびに唇から赤子のあまえる如き声音《こわね》もれ、老人なおしつようにうごめきつづけ、北辰も汗をかいていた。  どこまでが芝居かと、眉唾《まゆつば》の北辰、しかも花街のさまざまな技術をもし信用するなら、年期の入った娼婦の処女ぶりも、お茶の子さいさいだろうが、眼前にみる老人と娘は、まさにそのような疑いを露いだかせぬ男と女で、老人は実の娘でもあるかのようにいたわり深く、娘はまた親にたよる如くまかしきって、苦痛のさけびもまじりはしたが、すぐに糸を果てしなくときほぐすような、嫋々《じようじよう》たる嗚咽《おえつ》にかわり、まさに巫山《ふざん》の雲雨ただならぬ風情《ふぜい》、冬のつるべおとしに陽の光うすれ、ほのぐらい安宿の、きしみもまじる中にあって、娘はふと声をとめ、それは線香花火の、ぐらぐらとふるえつつ、めくるめく発散を待つ、異常に密度の高いしずもり、老人はその間合いはかる如く、一進一退していたが、しばし後、けだものの叫びに似た悲鳴がもれ、なすままだった娘の体に、ものの怪《け》のり移ったか、力を入れて自らの枕《まくら》をにぎりしめ、老人しかし依然としてゆるやかなうごき、気づくとすでに室内は闇に近く、ただ二つの白い体だけがからみあったままほのあかるく浮び、北辰は「肌あかりだ、むつみあう二人の生命の灯《ともしび》、肌あかり」この世とも思えぬ眼前の、美しい営みに心うばわれ、ひょっとすると覚めて後の夢のように忘れるのではないか、心配になって「肌あかり、肌あかり」とくりかえし、春本第一作の題名の心づもり。  こと果てて、裸のままの老人、北辰への思いやりか電気をつけ、娘ははずかしそうに布団をかぶったが、やはり老人の眼が気になるのか、少し顔のぞかせ、眼だけで笑った表情が、先程とは別人のあでやかさ。  老人は少しよろめきつつ、はばかりに立ち、姿の消えるのを待って、娘はのろのろはい出すと、畳の上の腰巻を身につけ、胸を手でおおったが、シーツを直そうとして、そこに染められたおびただしいしるしを眼にすると、片づけるでもあわてるでもない、ひたと眼をすえ、しかし悲しみの色はうかがえぬ。  老人は女に一円を渡し、先へかえっているようにいって、自分でシーツをまるめ、部屋のすみに片寄せ、布団をたたむと、「先生どうでした」まず声をかけてから、襖をあける。 「おう」と、返事しかねて、うなるようにいい、北辰は窮屈な姿勢もあったががっくり疲れていて、水さしの水をいっぱい飲み、「どうも眼の毒だったな」見当ちがいな感想もらしたのは、よほどまいっていたらしい。  あらためてみれば、ふたたび貧相な老人、あのしなやかにうごいた指にしみ浮き出し、その先端スプーンのように太く、娘をやさしく抱きかかえていた体は、しなびたるんで見るかげもなき老残の姿。 「ああ攻められちゃ、こりゃ逃げられないよなあ」 「明日は一日立てないでしょう、少しいためつけすぎたからね、先生みてるってもんで」 「あの娘は知らなかったんだろ」 「当り前でさ」 「おかみさんにいいやしないかね」 「かみさんが引導渡したんですよ」  あわれむようにいい、老人の女房とはその後顔合せていたが、二十八、九の若さ、襖の向うからお茶だけよこすような遠慮深い女。 「あっしゃ、これ一本でこれまでおまんまいただいて来たんでねえ」  北辰の心をみすかした如く老人は重い口調でいうと、夏の蚊帳《かや》をたたむように、シーツを一つ二つふるって折りたたみ、「これだけが財産でさ」と笑いながら、家の箪笥《たんす》には、六百二十一枚以上の手入らずのしるし染めた布がある、震災にもいの一番でもって逃げたといい、北辰、頼んでみたがみることは許されぬ。  東五軒町の家へもどると、長女の節子は寝た後、妻の幸子が早稲田《わせだ》の下訳まかせている学生と酒くみかわしていて、 「たまには、私にも顔みせて下さいよ」  二階へ上りかけた北辰にいい、学生あわてて布団からさがろうとするのを、 「わるいわね、おそくまでお相手させちゃって」とめずに、いかにも北辰とのさしむかいをのぞむ様子。 「なにか用かい」 「そんないいかたってないでしょ、夫婦なんだもの、たまにはさしむかいもよろしいでしょ」  北辰、手近の、学生の飲み残した盃《さかずき》を手にしようとすると、幸子自分の、ややおおぶりなそれをさし出し、口紅のかすかについたあたりを、北辰にわざとらしくむける。 「何日ぶりかしらね、おちつけるのは」 「節子は元気かい?」 「ええ、おかげさまで、おかげさまってのもへんだけど」  そして、すわり直すと、これが本題のように、 「ねえ、ここんとこ毎日刑事さんが家にみえるわよ」 「向うもそれが商売なんだから、うっちゃっときゃいいさ」 「あなたはよくっても、私がいやな思いしなきゃならないのよ」  北辰のもつ盃ひったくるようにして飲み干し、 「節子だって、学校へ行くようになってから、お父さんがエロエロじゃ恥ずかしいでしょうに。いってたわよ、斎藤さんや佐々木さんが、もういい加減にエロから脚《あし》を洗って、専門の道に入った方がいいって」 「人のいうことなんか気にしてちゃきりがないさ」 「小説書くなり、文献をしらべてちゃんとした雑誌に発表するなり、あなたならできるわよ」 「斎藤さんがいったのか、そんなこと」 「あなたのこと思うからこそよ、あんまり人が好すぎるのよ、あなたは。人に利用ばっかりされて、われ等が北辰なんていわれるとすぐお調子に乗ってさ」 「幸子、お前、気をやったことあるかい?」  北辰は幸子の言葉のはしはし耳にひっかかっていたが、心は『肌あかり』にとられていて、だが、この唐突《とうとつ》な質問、たかぶりかけた幸子の気勢くじくには効あって、もう一度きき直し、ようやくのみこめると幸子、 「なによ、藪《やぶ》から棒に。なにか私に落度でもあるんですか」 「いや、そういう具合になったことあるかってきいてるだけだ」 「あなたはどう思うのよ」 「男にはわからない」 「あらそうかしら、魚屋の若い衆がいってたわよ、玉の井のちょんの間で、座布団ぽーんとほうり投げた上でだって、お女郎さんていうの? お相手をそうしちゃうって、いやね、男の人って、男の人って誰でもいいの?」  幸子もとより北辰の女遊びやら、宿痾《しゆくあ》について心得ているが、酔えば愚痴となり、「女はつまらないわね、浮気もできないし、一生一人の男を守って、かまってももらえなくて、いっそ説教強盗でも待ち遠しいわ」  北辰無言で抱き寄せ、少しあらがったが幸子も身をゆだねて来て、思い描くのはあの鶯谷の「肌あかり」そのままかき抱いたが「肌あかり」の印象が鮮烈であればあるほど、幸子との交情そらぞらしく、ついあの娘と幸子みくらべる気持となり、眺《なが》める北辰の下で、幸子は獣の如くうめき、臭い息を吐き続ける。 「肌にぬめるぬめりをもちて指あそばせれば、いつしか幾重の紐《ひも》とけて」その夜、北辰、『肌あかり』の筆をとった。  発疹チフス発病三日目にやや熱が下がり、その前日は、四十度を超《こ》え頭痛耳鳴り絶え間なく、アメリカにいい注射があると息子の孝がききこんできたが、その手づる探《さが》すにもすべはない。北辰は目覚めると咽喉《のど》のかわきを訴え、壁にまだむき出しのままの、東作の釣竿《つりざお》を収めるよういいつけ、林檎《りんご》の汁を吸うと、多津子のあやぶむのもかまわず上半身起して海を見渡す。  幸子が、長男を産み、その肥立《ひだ》ちわるく腹膜炎で死んだのも、丁度この季節であった。  夫人と運転手の駆落ちで、名をとどろかせた神田浜田病院へ、幸子が入院して一週間目の夜、急変のしらせがとどいて、北辰がかけつけるとすでに意識混濁し、輸血となったが、さて北辰自身の血は血液型が合っても、多年積毒の祟《たたり》あるやも知れず、結局、当時の文芸バザー社代表遠藤幸次郎の腕から五百グラムを移したが、深夜にいたってみまかる。  二日後の四月十日、桜の今を盛りと咲き誇る中野の天徳院で葬儀を行なったのだが、この時、坊主になったばかりの紺統光が、借り着の袈裟衣《けさごろも》まとって、 「これが仏の前でよむ最初のお経だ、功徳《くどく》のほどはかり知れんぞ」  と危なっかしい声で読経《どきよう》し、小高三郎、曽我廼家五九童《そがのやごくどう》、代表して弔辞をささげたのはいいが、小高は末尾を「ああうれしいかな」と結び、五九童はまた「わしは未だ若い夫人の死を性的に悲しむ、もっと生かして楽させてやりたかった、でも仕様おません。だがわては永久《とわ》に死にとうごわせん」これもかなり型破りだったから、幸子の実家筋は不平となえたが、経の得意な北辰、この時はただ棺の横に遺児節子を抱いて、黙然とすわり、長男もまた、母に先き立つこと八日肺炎で死んでいた。 「どうするかね、これからは」  紺がくったくのない顔で、元気づけるようにたずね、返事のないまま、 「わしゃ、当分仏さんのお弟子《でし》になって修行するわ、娑婆《しやば》は面倒臭うていかん」  紺の、公私ともに多難な日常を知るだけに北辰、その思いきった転身がうらやましく、落合《おちあい》の火葬場で、散りかかる桜の花弁《はなびら》を浮べて、渋茶のみつつ、骨の上るのを待ち、 「君とはしかし約束があるぞ」丸坊主の紺の、その後ろ髪ひきたい気持でいい、約束とは、紺が空前絶後の艶情《えんじよう》小説を書き、それを北辰が、前代|未聞《みもん》の豪華本に拵《こしら》えるというもの。 「そうだっけなあ、約束を果さなかったなあ」すでになんの未練もないかの如く答えた。 「孝」と、地声だけは病気とかかわりなく大きく、すっとんで上って来た孝に、 「紙と鉛筆を持って来てくれ」  ザラ紙のノートをひろげると、急に矢も楯《たて》もたまらぬ焦《あせ》りにおそわれて、『肌あかり』の冒頭を書きしるし、未完成のままに終った原稿、推敲《すいこう》を重ねて、今もはっきり一字一句まちがいなく思い出せるその文章、ことさら死を予感したわけではないが、完成させたい。  未完成といっても九分通りはできているので、原稿用紙にして三十二枚、削りつづけて最後は、父親ほどの年齢の男に犯される生娘《きむすめ》のくだりのみ、しかし、この『肌あかり』は、厄病神の如く、その執筆中北辰を塗炭の苦しみに追いやった。  まず、昭和四年の春、『グロチック』五月号の印刷を終えて刷本《すりほん》そっくり製本屋へまわしたところで、隣家からの類焼にあい丸焼け、どうにか二週間おくれて出来上ったものの、佐藤紅霞の筆になる「コクテルとはなんぞや」もっともモダンな飲み物とされていたカクテルの処方を紹介したものだが、その名前の「キスミイクィック」が特高のお気に召さず、「これはなにか」ときかれて北辰、「早く抱いて」うっかり冗談半分に答えたのが身の因果、猥褻《わいせつ》の判定を下される。  すでに所轄署のみならず、本庁からも担当官が朝な夕なあらわれ、原稿の刷り上るのを待ちかねるようにして、そのいいまわし、表現に好色の臭《にお》いかぎあさり、さしもの『グロチック』も次第に、趣味雑誌風おもむきとなって、北辰反骨の筆もとどこおりがち。 「四月九日、親爺《おやじ》の命日、坊主と一緒に飯でも食べようと思っていると、突然、弾圧の雨が降って来た。僕を始めとして中野、大松一網打尽、口論の末、豚箱へたたきこまれる。久保弁護士の骨折りで大松は四日、ぼくと中野は二日で娑婆へ出た。書類は検事局へ移った、又々ひとつ心配が増《ふ》えて来た。  僕にとって一番にが手は借金だ、今月で三万円を突破した、なあにまだ十万円にはまだ間《ま》があるぞ。警視庁その他の予想統計によると、僕が十万円ほど出版で当ったそうだ。五円の単行本に実費七円もかけた近い例が、こないだの『性欲語大百科辞典』なのだが、どうも計算にうとい癖が直らず、誰かすばらしい会計士は居ないか?  日本一の雑誌収集家斎藤勝三氏にいわせると、従来、純粋の文献趣味雑誌で一万部の部数を突破したものは絶対にないそうだ。それが事実において四月号より一万部の印刷をした。だが雑誌はならして月二千円の損害をまねく、今どんな雑誌だって低級娯楽ものと婦人雑誌を抜きにしたら、算盤《そろばん》のとれる雑誌なんて一つもあるまい、としたら、弾圧押収に赤字をかこつけられる我等の雑誌の方が、まだ気やすめになる」  伏字だらけの『グロチック』五月紙面刷新号の編集後記にしるし、絶えまない官憲の圧迫にくたびれ果てたこともあるが、一方に北辰、『肌あかり』の完成を目指し、おのが内なる好色の気質を、すべてこれにかたむけたがための、いわば雑誌はぬけがらとなっていたのかも知れぬ。  六月、小池と開場したばかりの浅草「カジノ・フォーリー」の楽屋に遊び、その踊り子にせがまれて活動を観《み》せるとなったが、北辰金がない、「根岸君いるかね」大勝館へ入ってまず支配人室へ通り、館の経営者のさも知人の如く装い、「赤坂の自宅におりますが」不審そうな従業員の眼の前で、でたらめに電話をかけ、さも根岸と昵懇《じつこん》のふりを装い、 「じゃ、後でまた来るけど、ちょいとこの一行、観せてやってくれんか」小池他四人を特別室へ案内させ、まんまとただ観。  その踊り子の中に、多津子がいて、芸名春野|蓮花《れんげ》、フォーリーの舞台はねて後を食事にさそうと応じて、これは多津子、大勝館でのいきさつから、てっきり浅草のボスとふんでのこと。別に口説く気もなかったのだが、これまで、ほとんどが遊廓《ゆうかく》やら不見転《みずてん》芸者、踊り子とはいってもうぶなその襟足《えりあし》にひかれて、そのまま帝国ホテルへ泊って、これも、水商売以外の女の、閨中《けいちゆう》における挙措動作自らたしかめて、『肌あかり』の手がかりとしたい気持が底にあった。  多津子はそれまでに男を知らず、ただ怯《おび》えてばかりいたし、後できけば盲腸の傷跡を恥じて、いっさいの明りをゆるさず、ただ暗中模索の仕儀だったが、あの老人のしぐさを反芻《はんすう》しつつ、多津子の体をたしかめ、なすがままにまかせているから、さすがにむごく感じて、ふと指をやすめると、「どうなすったの? 私、だめ?」多津子は心細そうにたずね、ともすればなれぬことでなえがちの北辰、むりやり「肌あかり」の妄想《もうそう》ふりはらって、首尾をとげる。  翌日、事務所に多津子があらわれて、別になんの用があるわけでもない、ただ顔が見たくってと、屈託のない笑顔だったが、北辰は生娘犯したことの責任を感じて、とにかく当座の小遣《こづかい》と十円を渡し、およそ、好色に首までつかってはいても、これまで色恋沙汰のしっぽ、文芸バザー社の連中に毛ほどもみせなかったから、珍しがってあれこれひやかす中野正人に、へたないいわけでとりつくろい、だが、それからは三日にあげず、多津子姿をみせて、「そんな、金なんか渡すからだよ、はっきり引導わたさなきゃ、かえってむごいよ」小池が忠告する。  多津子も、北辰を食いものにする気ではなく、踊り子の中では最年長で同輩となじめず、しかも長野から出てきたばかり、はじめての男北辰を親がわりに力と頼む気持があり、自分の訪問が迷惑をかけていると悟るほどの知恵もない世間知らず。  来れば必ずプルニエで飯をくわせ、心中閉口しながらも、うわべはにこやかに舞台の話などきいてやり、精いっぱいもてなし、借金とりや特高には変幻自在の居留守、行方《ゆくえ》不明つかいわける北辰も、いかにも痩《や》せていてたよりなげな多津子には多忙中の時間をさき、やがてこちらから楽屋をたずね、さし入れを寿司清《すしせい》からとどけさせたり、花をおくったり。  年こそ三十になったばかり、女あそびはもとより煮ても焼いても喰《く》えぬ男、いや逆に人を喰った男と世評のさだまった北辰、まるで純情な青年にもどって、自分では半分これを演技と考えつつ、その幼い交情なつかしむ気持もあって、逢引《あいび》きを重ねていたのだが、二た月目に多津子、膀胱炎《ぼうこうえん》となり、これはすっかり全治したはずの北辰の淋病が原因。  神田の北野病院に診《み》せると、しばらく入院した方がいいといわれ、病因について知らされぬうちは、多津子、万事遺漏なく心をくばってみとる北辰に感謝していたが、病気をうつされたと知ると、たちまち身も世もなく泣きさけび、さて、これをなだめすかす方便は北辰にない。  小池に泣きついて、なんとかうまくとりしずめてもらいたいと、二人で見舞にでかけたら多津子病室をぬけ出していて、置き手紙があり、「江ノ島の海で死にます」小池は笑って、丁度夏ではあるし、水に入るのもわるくはないだろうと、「どうせ小娘の考えることだ、おどかしだよ、第一今頃、江ノ島へ行ったって、海水浴の客で、とても死ねやしないよ」気にするなといっても、北辰、いてもたってもいられず、警察に保護ねがいを出そうかとまでうろたえる。 「だめよ、私はもう赤ちゃんも産めないし、かたわものなのよ」結局、近くのそば屋で二時間ばかりすごし、多津子はかえって来たのだが、その夜、どこまで本気なのか、あるいはうろたえきった北辰の姿を見て、無意識の打算もはたらいたのだろう。 「私、本当に貝原先生を御信頼してましたのに、こんないまわしい体になって、どうすればいいの?」とかきくどく。 「責任はとる、一生、君の面倒はみるよ、そりゃ、女房も子供もいるし、結婚を今すぐいわれても無理だが、決してわるいようにはしない」  つい、その場をおさめたいがための言質《げんち》をあたえ、そのまま多津子泣き寝入りしたが、さて、体が元に戻ると、舞台はさっぱり縁を切り約束の実行を迫る。芝に借りた新聞資料保管用の借家に、とりあえず住まわせ、所帯道具一式買い与えて、いわばお妾《めかけ》。北辰がおとずれると、ビールに、それが好きときかされて一つ覚えの、タコの酢のものを用意し、いそいそとむかえる。  これが幸子の耳に入らぬわけはなく、「女あそびをやめろとはいいませんが、あなたまだ妾宅《しようたく》をかまえるほどの身分ではないでしょ」  はじめはおだやかにいったが、誰にたきつけられるのか、しだいに顔さえみれば、噛《か》みつき、北辰が、もともと身なりにはうるさい方で、季節にふさわしい背広など注文すると、 「どうせ、あちらの女の好みなんでしょう」  とどけられたそれをはさみでズタズタに裂き、酒をのんではからみ、だが、身から出た錆《さび》で、北辰おびえて部屋のすみに逃げた節子を抱きかかえては、悪罵《あくば》に耐え、しかも幸子は妊娠していた。  師走中頃、小池、生方などがかねて立案の文士劇、新宿帝都座で公演の段どり、北辰もさそわれて、「女は誰の手に」二幕五場に出演したが、この端役に多津子を春野蓮花に戻して起用し、北辰の目論見《もくろみ》では、多津子がこれをきっかけにもう一度舞台に立てば、いくらかは罪ほろぼし、三日顔をみせねば、やいのやいのと電話のかかる今の有様から脱け出せるのではないかとふんだのだが、その初日に、幸子、もはや袖《そで》でかくせぬ腹をかかえてのりこみ、 「どこにいやがるんだ、人の亭主を盗んだ上に、図々しくも役者|面《づら》しやがる女は」  楽屋番のとめるのをふりきっておどりこみ、女の勘で、他にも六名いる女優の中から多津子をみつけ出すと、むしゃぶりつき、「イテーッ」髪の毛つかまれて多津子の、けだものめいた悲鳴がきっかけ、なおたけりくるう幸子に、多津子も負けていず、「なにいってんだい、年上女房のくせしやがって、先生は私のものだよ」  年上女房ときいて、前後見さかいなくなったか、幸子はあたりにかかった舞台|衣裳《いしよう》をかたはしからひきちぎり、 「丁度いい機会だ、あたしが舞台へ出て、お客さんにおひろめしてやるよ、お腹の大きい女房がありながら、小便くさい女に手を出して、貝原北辰はえらい男だって、お客様にふれてやる」  本気で舞台|袖《そで》にかけより、生方、小池、必死でとめるが、このごたごたが客席にもきこえれば、舞台はしどろもどろ「初日の十六日午後零時半より開演ときいてつめかけたお客、小杉勇、夏川静江の映画もあるが、お目当ては名物男、生方敏雄六等俳優、貝原北辰等外役者の熱演、ところがどうしたことか迷演半ばにして、楽屋では大騒ぎがおっぱじまり」赤新聞がおもしろおかしく、事情をかき立て「エログロ党|宗家《そうけ》の北辰先生、実生活でも名に恥じぬ御活躍」とはやしたてる。  公演をさらにもり上げるため、「エログロ大行進」と銘うって浅草の乞食《こじき》をかり集め、舞台衣裳のまま銀座をねり歩く手はずも、この楽屋で幸子は裾《すそ》をはだけ五カ月の腹をつん出して肩で息つき、多津子は髪の毛乱し、顔にあざつくってふてくされ、この方がよほどエログロで、とてもお祭さわぎどころではなく、泣きさけぶ多津子を小池がなだめて芝へかえらせ、北辰は幸子と東五軒町へタクシーでもどったが、家へつくなり、幸子壁にむかっておのが体をうちつけ、「あんたの子供なんか産んでやるもんか、流れりゃいいんだよ」小柄な北辰の後ろからかかえるのを、ふりとばす勢い。 「抱いてよ。どうせまた泥棒猫んとこへ行くんだろ、そうはさせないよ。私はこういう体ですからね、いちいちあんたの後くっついて歩くわけにもいきやしないけど、そうそう泥棒猫ばっかりいいめはさせないんだからね」  ミもフタもないいい方で、北辰ににじりより、これは自分を抱けば、多津子にまではいたらないだろうという貞操帯がわり、断わればまた荒れ狂うとわかっているから、北辰、外出のつど、幸子の、妊娠で青ぐろくむくんだ顔やら体やらなでさすり、うっかりすれば、 「どうしたの、私じゃだめだっていうの、そんなに泥棒猫がいいかねえ」  いら立つのを、必死でなだめ、多津子は多津子で一日顔を出さねば、ホテルへあらわれて、幸子ほど直接的ではなくとも、北辰をさそい、これまた断わればあたりかまわず泣きわめく。 「それじゃ体がつづきませんよ」酒田潔、医者だけに心配して、かつて『らぶ・ひるたあ』催淫剤《さいいんざい》、回春薬の集大成をあらわしたその蘊蓄《うんちく》傾けて心くばりしてくれるが、北辰、さすがに心身ともに疲れ果て、しかしかえって『肌あかり』完成の志はこの時にもっとも強く、芝から東五軒町へ車をとばし、幸子のごきげんうかがうと、足音しのばせて二階へこもり、春本の言葉づかいに工夫こらし、また、多津子日ましに図々しくなって、あれこれ調度やら衣裳ねだるから、その金を北辰自身がとどけ、買物に出かけた留守の時間を、執筆にうちこむ。  年の暮れに、思いついて天神下の老人をおとずれると、駄菓子屋の店は閉《しま》っていて、隣近所にたずねても行方知れず。  となると、あの老人と娼妓《しようぎ》上りの女房、そしてさだめし苦界《くがい》に結局は身をしずめたのだろう娘が気になり、足のむくまま吉原で、おでん屋の屋台をひくときいた老人の姿を求めて、五丁町うろつき、もはや張見世《はりみせ》はなくなって、どれも写真式。妓夫《ぎゆう》の以前にかわらず「へい、初店《はつみせ》でございますよ、一つごらん下さいませんか、ちょいと旦那《だんな》、眼鏡の旦那」呼びかける中を、太いロイド眼鏡神経質にずり上げつつ、それとなくたずね、いっそ、あの老人や妓夫がうらやましい気持だった。  あの、うすぐらい部屋でうごめいていた男と女、もはや年齢を超《こ》え、好いた惚《ほ》れたともさらに関係なく、ひたすら男と女にもどって愛撫《あいぶ》しあう姿を想いおこせば、これぞ生きるたより、それが人と生れたしるしのように、絡《から》みあい呻《うめ》きあげ、それは束《つか》の間《ま》の営みであるにせよ、永劫《えいごう》つづくかの如き印象で、時を経てさらに生々しく、その緊迫感、猥雑《わいざつ》さの片鱗《へんりん》もない情交の姿、どうすれば筆にうつし、読むものに伝えうるかと、考えるほどに、これはとてつもない難事におもえて、幾度か筆を捨てかけたが、くじける気持をふるいたてるのが、皮肉にも、現在の北辰にまといつく二人の女、およそ、老人と娘とは正反対、ただもう北辰を一人占めにしたくて、いどみかかり膏血《こうけつ》しぼりとるような、これはあきらかに憎しみに支《ささ》えられた情交で、果てた後、北辰は常に鶯谷《うぐいすだに》の光景が、まるで砂漠《さばく》にとり残された旅人の、オアシス思い浮べるように、まざまざとよみがえり、ふるい立った。 「いつまで、世話をやかせるんだ、罰金だけですむと思ってたら、大まちがいだぞ」  昭和五年二月号が、また押収され、神経質にメスふるってあぶない箇所は削除したのだが、「世界|接吻《せつぷん》史」と題した論文の「接吻なんてものは講座より実践の方がより効果的であり、百の説明より一つのくちびる味わった方が人生有意義」の文章をとがめられたので、菊池寛『第二の接吻』の題が、映画化のさい検閲当局に拒否される時代、かつて北辰の出版物に拍手おくっていた知識人も、やがて岩藤雪夫「エログロは人生を無意義に生きる人に必要なこと」、徳永|直《すなお》「エログロの流行はブルジョワ文化の行きづまり」、津村京村「少しは芸術的なエログロであってほしい」など批判的な眼でながめはじめる。  その風潮に力を得たか、特高の刑事いつになく居丈高《いたけだか》にののしり、すでに罰金刑数十回を超え、これ以上重ねれば次は実刑となることあきらかで、刑務所へ入ることは恐れないが、身重の幸子、いやそれも懲役とはいっても半年か一年、多津子ともども食いつなぐ貯《たくわ》えはあるが、次々と今はこれが命の綱の好色出版、予約うけつけていて、この資金を流用したまま、もし北辰不在となれば、その話術人柄でこれまでやりくり算段つけていたのがたちどころにしわよせされて、文芸バザー社はお手上げ、必然的に予約読者をだますことになる。 「いったん予約をもらったからには、たとえ実費がオーバーしても、その値段で売ること」と、他の好色出版が、杜撰《ずさん》な編集もさることながら、さまざまな理由をいい立てて、予約定価をつり上げているのを、これまで指弾して来ただけに、今の入獄はさけねばならぬ。 「思いきって秘密出版に切り替えるか」  検閲を堂々とうけ、その眼をかいくぐって好色の功徳読者にわかち与えて来た北辰も、どうせ、これ以上一度でも発禁となれば実刑、それまでに、予約の出版物をなんとしてでも果さねばならず、かつてやはり本庁の豚箱で知りあった印刷工、北辰のファンで勤めを転々としながらも、時おり事務所へ顔みせる本田辰郎に相談すると、「印刷は私が顔をきかせましょう、先生の豪華本をつくれりゃ、印刷屋のほまれだ」仲間を語らって、用意を整える。 『グロチック』は一時休刊としもはや帝国ホテルで事務処理の必要も、はったりもいらず、帝大近くのアパート二部屋借り、弟の浩吉、中野正人など、角帽をかぶって、行方をさがす特高の眼をごま化し、北辰は、二千円のフォードを一台購入し、とにかく身柄おさえられぬよう、日中は市内を走りまわり、車中で学生の下訳に眼をとおし、酒田と装丁の案をねり、たてつづけにグロッスの画集『エクセ・ホモ』、『ナポリの秘密博物館』、『日本の人形』、『世界淫語辞典』いっさいの伏字もちろんなく、表現いいまわしに手心くわえず、千葉、埼玉、ある時は群馬まででかけて発送する。  幸子は三月が臨月で、その手はず整えると、多津子も妊娠したらしく、こちらは八月に出産の予定、さすがに大きな腹をかかえて幸子も、怒鳴りちらすゆとりないらしく、一方多津子は、北辰しっかとつなぎとめるきずなの一方の端にぎったつもり、おだやかとなって、双方ともに一時の中休みだが、さてさきゆき考えれば、体二つ三つあっても足りかねる見通し、心はずまず、連夜、玉の井、品川の魔窟《まくつ》に寝て、だが女は抱かず、ひたすら酒のみに狂う。 「兄さん、こんなことしてても、いつかはつかまるんだし、いっそ自首して出たらどうだろう」  浩吉が思いつめたようにいい、それは気が弱いだけに、綱渡りのような毎日、耐えがたくなったのだろうが、北辰とていつまで娑婆の空気吸っていられることか、産み月の幸子をつかまえて特高はしつこくその消息をききただし、北海道の兄の身辺にさえ尾行がつくものものしさ。  あたらしい予約をとるゆとりがなく、ただもうしょいこんだこれまでの約束を果すだけがとりあえず焦眉《しようび》の急で、となればたちまち資金|涸渇《こかつ》し、印刷屋、紙屋、製本屋のきなみにふみ倒し、中には北辰をうらんで自殺しかけたという噂《うわさ》さえ耳に入ったが、一切意に介せず、宇都宮《うつのみや》、静岡に出かけて、その土地の、かつて猥談放談会で知己となった有力者をたのみ、その顔で紙を借り、印刷をすすめ、いっそ自首する方が、どれほど気楽なことか。 「迷惑ばかりかけているが、もうじき片づく、予約の責任さえ果せば、ゆっくり休養してくるさ」 「兄さんは、続けりゃいいんだよ、ぼくが代りに自首して出れば、特高の顔も立つし、そう目のかたきにはしないと思う」  もちろん、特高は一連の秘密出版物をいち早く探知していて、その活字の癖や装丁から、印刷屋製本屋に手をまわし、その出版責任者は、未央生《びおうせい》と、肉布団《にくぶとん》の主人公の名を拝借し、たしかに浩吉が名乗り出れば、出版に関する事情にも通じているだけに警察も一応の納得をするはず。  思えば、富山で庭掃き拭《ふ》き掃除の身代りおしつけ、お仕置きさえも、浩吉に肩がわりさせ、それが今、浩吉の申し出を受ければ、当面の危機はまぬかれるにしろ、またまた同じくりかえし、北辰苦笑して「よせよ、俺《おれ》はともかく、お前まで臭い飯をくっちゃ、お袋が泣くよ」 「ぼくはまだ独身だし、お袋を兄貴がみてくれりゃいい、それに、ぼくは今まで兄さんのそばで働いて来て、いろいろ勉強もしたけれど、とてもこういうことは自分に向いてないと思う」  しんみりいい、入るといっても半年くらい、出所したら、自分にふさわしい生計の道をさがすが、その時の資金として千円ほどほしい、だから、ぼくが兄さんの身代りに自首するんじゃなくて、これは取引、千円でぼくを買わないか。思いがけぬことで、これまで浩吉は、北辰のいうままに、富山の頃と同じく従い、生来内気で、北辰は自分がみてやらなければ、この男はとても浮世を渡れないと内心考えていたのだが、きっぱりといいきり、決意のほど表情にもあらわれている。 「よし、それなら話はわかる、いい弁護士つけてやるから、半年いや三月で大丈夫だろ」「三月で千円じゃわるいかな」「いやあ、今の俺には二千円でも安い、いくらかでも自由になりゃ、また『グロチック』を復刊させて」  どうやらこうやら急場をしのぎ、東五軒町へもどるとしめし合せたように男子出生、だが肺炎ですぐなくなり、妊娠中の精神的動揺がこたえたのか腹膜炎を起し、あっけなく幸子は死んだ。  逃走中も『肌あかり』おりにふれて書きすすめ、ほとんど完成はしていたのだが、多津子を、そのみごもっているせいもあって、すぐに後ぞいに直し、節子は母が引きとって、一切合財この一年ばかりの狂瀾怒濤《きようらんどとう》うそのようにしずまり、借金とりには追いまわされたが、芝の借家で、久しぶりに古い新聞の整理などして日を送るうち、『肌あかり』は念頭から薄らぐ。  浩吉の刑は半年ときまり、獄中よりの手紙に、「兄さんの評判はこちらでもたいへんなもので、検事さんの中にも定期購読者が沢山いるのにはおどろきました。北辰の弟だということで、便宜もはかってもらいましたが、根掘り葉掘りたずねられ、小生いっこうにその道不案内ゆえ閉口」  弟に勇気づけられる思いで、酒田に相談し、どの道エログロの時代も長くはない、とすれば、決定版『日本春本全集』をもって、秘密出版のうちどめにするのはどうか。 「しかし、今や貝原さんの印刷をひきうけるところは、日本にはないでしょう、まあ台湾か、上海《シヤンハイ》あたりにでもいけばともかくも」  酒田の言葉に、「では、上海でやったらどうかな」「送るのがたいへんですよ、税関におさえられてしまう」  かつて『密戯指南』を出版した際、いっさいの伏字なしで郵送した、いわば最上の読者のリストは、まだ警察にも押えられていない、数は三百名あまりだが、これに連絡をとって、予約金をおくらせ、実は日本で印刷するのだけれど、上海から送るとうたえば、興味もそそるだろうし、特高にこれがもれても、とりあえず打つ手はないだろう。 「小高あたりにこのニュースを流して、好色出版の王者貝原北辰、上海に潜入して出版をつづけると、吹聴《ふいちよう》してもらった方がいいかも知れぬ」  陽動作戦で、上海へ鬼の眼の向くそのすきに、ちゃっかりとこしらえ上げるので、やはり辺鄙《へんぴ》な田舎《いなか》でないと無理だろうからと、北辰は思い立つとすぐ中国地方の小都会をまわり、中野正人に連絡とって、会員へ宣伝の手紙を出させる。 「真にこれ国宝的なる一大奇書、千古不朽の春本名作をおさめた美術的豪華版、貝原北辰、海外へ逃《のが》れて畢生《ひつせい》の労作。いかなる官憲もこの志を弾圧することはできぬ、いやこの至高なる任務の遂行を邪魔立てできぬ、これこそ貝原ならではの一大快挙」  印刷屋は山口県防府に見つけ出し、一同、うちそろって西下。貝原北辰、上海で出版活動のニュースは、たちまち反響をよび、予約定価九円五十銭の申しこみが、宣伝文送った会員以外からも、すでに引払ったとは知らぬから、東五軒町、帝国ホテル経由で殺到し、総数二千百五十六、金額にして二万一千円。  斎藤勝三のコレクションを中心に、酒田が伝手《つて》をたよって、収集家を歴訪し、借り出したり筆写した春本が五百十九種、中には明治大正昭和三代にかけての文豪の筆になる『ぬれズロ草紙』『ぬれじゅばん』も含まれ、このうち百種をえらんで復刻する。  北辰はつけひげ、ふくみ綿、足袋《たび》の中に足台を入れて変装し、しばしば東京へもどったが、芝へはよらず、相変らず魔窟にしのぶうち玉の井の片すみで、鶯谷の娘に思いがけず出会い、北辰は頭の中で幾百千|度《たび》も、くりかえし思いえがいた顔だから、ぎくっとして立ちすくむと、娘は、しゃがれた声で「あそんでらしてよサービスするわ」  娘はもちろん北辰を知らない、興味がわいて登楼、といってもせまい階段を上って、その両側に部屋が一つずつ、突き当りが便所で消毒液の臭《にお》いふんぷんたる淫売宿《いんばいやど》、よほど爺《じい》さんはどうしたとききたかったが、それもならず、あの糸を果てしなくくり出すように快美の声音《こわね》をもらしていた女体、どう変化したかと、これまた幾度となく反芻《はんすう》した爺さんの技巧をまねようとすると「ふざけんでちょうだい、はやくあそびましょ」居汚《いぎた》なく裾《すそ》をひらき、「そうあわてるな、泊るんだから」念押すと、「泊ってくれるの? うれしい」殊勝にいったがついと立って、下に降りやがてどやどやと足音乱れて近づくかと思えば、向いの部屋へ入って、なんのことはないまわしをとられ、女のふたたびもどったのは一時過ぎ、さすがにぐったりつかれていて、北辰の横に体投げ出すと、すぐにいびきかいて寝入り、その喉《のど》に生々しい刀傷の跡がある。  いかにも娼婦の泥水|芯《しん》までしみこんだ有様で、一年ばかりのうちのあまりの変りように眼をみはり、あらためて見まわすと、室内なんの調度もないながら天理教の祭壇がかざられてあり、北辰、あの駄菓子屋の二階で、爺さんに話をきく時、階下で、カチカチと拍子木をうちならしつつ、あしきを払うてたすけたまえと、その若い女房の祈る声を思い出した。  冬に入ってようやく春本全集が完成し、今度の発行印刷人は西門慶《さいもんけい》と、金瓶梅《きんぺいばい》の人物の名を借り、あてずっぽうの上海の地名を発行所にしるす。  このたびは警察も、国外が発行所ではとあきらめたか、それほどしつこく北辰を追わず、そして巷《ちまた》の本屋には、北辰の好色本とは似ても似つかぬ粗末なエログロ本が氾濫《はんらん》していて、かえって北辰は好色本出版と縁を切るふんぎりがつき、八月に生れた孝を抱いて、しばらくは平穏無事な毎日。浩吉も出所して、約束通り千円をもらうと伊豆|土肥《とい》にひっこんで、ちいさな商人宿の主人となる。  昭和六年の春、電通をやめた小高、暮しに困って、めぼしい会社の便覧をつくると称し、毎日足を棒に歩きまわって金一封せびる算段、元電通記者の肩書きではラチあかず、なにかもうけ口はないかと相談にきたから、こちらも火の車だが、その会社便覧はおもしろそうだ、適当な紹介者さえあれば、どこだって賛助金を出すのではないか、「会員の中にはえらい人がいたろ、なんとか紹介状もらえないものかなあ」  たしかに海軍中将小笠原|長生《ちようせい》などもその一人でしかし中将というのはけち臭い、いっそ大将でどうだと、二日またせて、陸軍大将某の名刺を勝手に偽造し、三文印まで押して、 「これでどうか」  小高にわたすと、いんちきとは知らぬから有頂天によろこび、賛助金出たら折半にするというのは断わり、北辰にしてみれば、ほんのいたずら半分だったが、ある会社の幹部、名刺におびえて、いくらくらい金を出せば失礼ではないのかと、大将の秘書に電話でたずね、たちまち悪事露見して、いち早く察した小高、北辰に急報した上で高とびし、北辰は小高さえつかまらなければとたかをくくっていたのだが、大将は激怒していて、憲兵隊に調査を命じ、名刺屋がまずみつかって、こうなると足元に火がつき、乳呑児《ちのみご》かかえた多津子には五百円の金を渡すのが関の山、早々に、身をかくす。特高とちがって憲兵の探索はきびしく、三月というもの入れ替り立ち替り憲兵が張りこみ、おとずれた酒田は、いよいよエログロのとりしまりに憲兵が出動したかと、おどろきまた怯《おび》えてあいさつもそこそこに逃げ出すし、いつかえるかわからぬ北辰を待って、高い家賃も払えぬから多津子は、板橋のパン屋の二階へ部屋を借りて移る。 「お前にも苦労かけたな」  ふたたび林檎《りんご》しぼった汁を持って上った多津子に、北辰しみじみといい、階下には斎藤勝三、浩吉も見舞に来ていて、「なんだい、寝てたんじゃなかったの」多津子枕もとにすわり、布団の上のノートに眼をとめると、 「なに? これ」 『肌あかり』と題名のみしるし、心は焦《あせ》っても熱にうかされたか、もう春本にうちこむ張りをうしなったのか、一字一句そらんじていながら、いざ書こうとすると、おっくうさが先に立ち、いやあるいは、好色全集編集のさいに読みつくしたおびただしい先人の作品にうちのめされ、字にあらわせば、自分の才のいたらなさを思い知らされるだけ、それが苦しくて筆をとろうとしないのか。「どうです、具合の方は、元気そうじゃないですか」  めっきり年をとり、ますます実直そうな表情の浩吉、階段から半分体のぞかせてあいさつし、「おう」とこたえたが、すわり直そうと体をうごかすと、強い痛みが関節を走り、思わずもらしたうなり声に、二人あわてて北辰を支え、「無理しちゃいけませんよ」「ひどい汗ね、寝巻替えるから浩吉さん手伝って」脱がせると、もともと白い肌に、一面、赤くバラの花片をちらした如き発疹があらわれ、そのあざやかな色のとりあわせに、息をのみ、北辰苦しげに眼をとじて荒い息づかい。 「多津子、釣竿を買う人はいないかな、もうここに置いといても、しかたがあるまい」  うわごとのようにいい、釣竿は北辰が命より大事にしていたもの、憲兵に追われて姿をかくし、うんともすんとも音沙汰のないまま四月目にひょっこりパン屋の二階さがし当ててあらわれ、「これ当座の生活のたしにしてくれ、俺は大丈夫だから、もう少しの辛抱、そのうちあきらめるだろう」いいたいことだけいって、ひょいと秘蔵の釣竿を二本肩にかつぎ、まるでその忘れ物をとりに来たあんばい、気をつけろでも、すまないでもなく闇にまぎれ出ていったが、後できけば、長野で少年向けの小説を書きながら釣り三昧《ざんまい》。  かたときも身辺からはなさぬ釣竿を、いくら物々交換の世とはいえ、それなら密造ウイスキーでことたりること、縁起でもないと思いつつ、強く打ち消しも出来かねて、「孝に貸してやったら、あれも釣りが好きですよ」かねがねねだりたそうにしながら、父親には遠慮があるのか、母にだけもらした孝の希望を伝えたが、北辰はすでに寝入っていて、返事はなく、夜に入って再び発熱。  軽い地震があって、釣竿の一本、生き物のようにその枕もとへ倒れかかった。 [#改ページ]  第四章 無手勝流《むてかつりゆう》  社務所の二階、二十畳の部屋に机ならべて、北辰をはじめ新聞記者の古手、退職した中等学校教諭など十一名、おびただしい和綴《わと》じの資料ととっくんで、これすなわち英霊の歴史|編纂《へんさん》。  明治維新前後の殉難者にはじまって、佐賀の乱、西南の役、日清《につしん》・日露から第一次大戦まで百万柱を越える御霊《みたま》の、そのとてもすべてには手もまわらず眼もとどかぬが、主《おも》だった戦死者の戦歴を調べて、遊就館《ゆうしゆうかん》血染めの遺品やら、武勲のしるしと共に保存しようという突拍子もない企てであった。  すでに好色出版はことごとく封じつくされ、手も足も出ぬまま、多津子と孝、それに節子をひきとった母への仕送りもあって、糊口《ここう》の途《みち》たたれた北辰、昨日にかわる今日の姿を特に、この頃はやりの言葉でいえば微苦笑することもなく、朝八時、三田《みた》の住まいを出て靖国神社《やすくにじんじや》社務所へ日参の明け暮れ。ずりおちる眼鏡おさえつつ、はじめの一と月二た月は、もともとが資料調べの好きな性だけに、英霊の戦友の手紙やら、それこそ歌の文句にある通り、思わずおとすひとしずくの涙しみもあらわな戦死状況報ずる文章、丹念にしらべて、顔も生い立ちもしらぬ護国の鬼のあわれな末路、めぼしいものを書き抜いてはみたが、いずれも検閲おそれてきまりきった天皇陛下万歳やら、まこと鬼神をなかしめる凄絶《せいぜつ》なる御最期やら、すぐにやる気なくして、もちこんだのが『末摘花《すえつむはな》』。  昭和三年、「好色顕彰之碑」建立《こんりゆう》して、北辰意気|軒昂《けんこう》な時代、『末摘花』全句三千四百五十一を紹介して、中の難解なるものに洒脱《しやだつ》な解釈を付し、たとえば「かつがれた夜はぶっかけを二つ喰《く》い(二人の男に強姦《ごうかん》されたのである)」「あたらしい内女房は沖の石(人こそ知らねかわくひまなし)」「わる口をいいなさるなとちぢれ髪(ちぢれ髪の女は閨中《けいちゆう》の味よしとのいいつたえ)」「毛が少し見えたで雲をふみはずし(久米《くめ》の仙人、よもや脛《すね》のみではあるまじ)」「これきりですむわ泣くなと下女はされ(輪姦である)」「よがるはずこれは九州|肥後《ひご》の国(ずいきの涙)」そのほとんど解きえたつもりではあったが、斎藤勝三はこの時、「『末摘花』全句について評釈ができたら文学博士は太鼓判」といい、たしかに意味不明の句もないではない。  どうせ、何日までに仕上げねばならぬと、期限のきまった仕事ではなし、いや、昭和六年九月十八日夜半、奉天《ほうてん》北郊の柳条溝《りゆうじようこう》、満鉄線路爆破の名目のもとに、関東軍鉄道守備隊が中国軍に銃火をひらき、たちまち戦火は吉林《きつりん》ハイラルに拡大され、たかが総勢十二名の英霊戸籍係、しゃかりきになったとて、とても靖国神社へ櫛《くし》のはひいて新入りの数には追いつきはしない。  退職教諭のいちいち克明に「この兵隊さんの最終帰国地は『境』となっておりますが、『境』といいますと鳥取県にある『境』でしょうかな、それとも、いわゆる『堺《さかい》』のことですかな、私はどうも出身地からみて『堺』と考えるのですが」いちいち実直そのものにたずねるのを北辰はうわの空、「蛤《はまぐり》は初手赤貝は夜中なり」の蛤は、果して婚礼の夜の吸物の実を意味するのであるかどうかと、頭をひねる。  この年の春に、小高をたすけるためいたずら半分で偽造した陸軍大将の名刺が、思いがけずに祟《たた》って半年近く逃げまわり、ようやく憲兵もあきらめたか、あるいは大陸の風雲急をつげてそれどころではなくなったか、板橋のパン屋の二階でほそぼそと暮していた多津子に連絡とれば、探索の手もゆるんだ様子で、三田に家を借り久しぶりの水入らず。  にしてもさっそく翌日からの食う算段に、『グロチック』の仲間たずねようとすると、多津子は血相かえて、「よしなさいよ、人非人《にんぴにん》だよ、あの人達は」きけば、中野、酒田達はともかく、これまでの数年間、あるいは志はちがっても同じ好色の道に身を投じて、臭い飯もくえば、なんとか兄弟の契りもむすんだ同志が、北辰、憲兵に追われると知るや、中にはすすんでその立ちまわり先を密告し、北辰は知らなかったが、逃走中にたのんだ一夜の宿の主が、すぐ翌日憲兵隊司令部に駆けこみ訴えをしていて、とにかく逃げおおせたのは幸運としかいいようがない。 「もう足を洗って下さいよ、板橋にいる時は、朝晩は下のパン屋さんから安くわけてもらって、お昼はさすがにきまりがわるいから、近所で一銭二銭の駄菓子買ってしのいでたんですからね、もうこりごり」そのせいか骨細の孝をじゃけんにゆすりあげつつ、多津子が愚痴をこぼし、だが足を洗うにもなんにもまったくの八方ふさがり、雨後の筍《たけのこ》よろしく増えたエロ出版も、まったく逼塞《ひつそく》しきっていた。 『ロシア大革命史』を出版して、北辰は左翼文学者の知遇を得、そして「文芸バザー社」をおこし、プロレタリア文学の拠点たらしめる目算が、ついぐれはまの好色出版、愛想《あいそ》つかして去った左翼の連中が『ナップ』『コップ』『文芸戦線』『戦旗』などとさまざまに分裂し、それと歩調あわせたわけでもないが、もともとイデオロギーには関係のない好色ものだけに、金が目当ての亡者ども、つぎつぎに枝葉を生じ、「文芸バザー社」からわかれたものだけでも、「文芸資料研究会」「南柯《なんか》書房」「文芸日本社」「書局梨甫発局」「文献堂書院」「東欧書院」「古今堂書院」。  しかもこのいずれも北辰の如く、用意周到に官憲の眼をくぐり、読者にいささかの不満もいだかせぬ心くばり毛頭なく、たいていはまず会員募集の広告に釣られて送りこまれた為替《かわせ》で、どんちゃん騒ぎの末、ほんの申しわけ程度のがせねたを与える。抗議をうけると、「実は近頃とりしまりが厳重で、これは失礼ながら顧客の身もと調査、おって本邦初訳の秘本を送付申し上げる」興味をそそって、更に金をまきあげる算段。  北辰が、好色出版から手をひきはじめた昭和四、五年には東京市内に三十九軒の同業者があり、それはあるいは手伝いの小僧が、金庫の中から会員名簿を盗み出して、印刷屋と結び、予約金だけをねこばばするものから、またそれまで顧客であったものが、事情知るにつれてこれはもうかると踏んで自らはじめた例やら、いずれも一攫《いつかく》千金を狙《ねら》う連中で、だからこそ、警察の罠《わな》にまんまとひっかかり、となると閉口|頓首《とんしゆ》して余計なことまでしゃべるから一網打尽。  ついに昭和六年夏、最後まで正統派好色出版の伝統うけついでいた花房四郎の『奇談党』もついえて、その最終号はいっそいさぎよく「好色征伐特集号」まずグラビアに、獄門台にかけられた『グロチック』『変態』『奇談』『エロ本』のモンタージュ写真、つづいて各新聞の好色本検挙の記事|貼《は》りまぜ。「在外同胞を汚《けが》す、エロ本密輸」の見出しのもとに、ハワイ、ハルビン在住の日本人相手の秘密出版の検挙記事、「待合組合事務所で大規模な猥本《わいぼん》印刷」として、元新聞記者の猥本づくりなど。さらに三頁目は「好色出版番付」東の横綱は北辰の『密戯指南』、大関『カーマストラ』、関脇《せきわけ》『世界好色文学史』、小結『寝室の美学』、前頭『アナガランガ』『性的|玩具《がんぐ》』。西の横綱が酒田潔『らぶ・ひるたあ』、大関『世界性語辞典』、関脇『春の辞典』、小結『覚悟禅』、前頭『猟奇全書』『ナポリの秘密博物館』。別格に『日本春本全集』があって、このほとんどは北辰のいきのかかったもの。  本文は、「珍書屋てんまつ記」「軟派出版史」「エロ出版|捕物帳《とりものちよう》」「珍書版元人名録」好色出版の裏表洗いざらいぶちまけて、これがすなわち全巻の葬送曲。  もとより貯《たくわ》えもなく、外交記者時代の友人をたずねて、今更職の世話たのむより、かんたかぶらせる多津子から逃げたくて話しこむうち、朝日新聞が今年から「婦人子供相談欄」をもうけた、その記事の嘱託にならないかと向うから話がでて、いかになんでも実刑こそないが罰金刑数十回の身、いやつい去年までは猥褻《わいせつ》、風俗壊乱、秩序|泯乱《びんらん》の親玉が、婦人子供の相談相手と尻《しり》ごみするのを、とにかく当ってくだけろと、どんな苦境にあっても服装は一流なみの北辰の、しかしなんとはないうすら寒さを感じとったのか、友人は強引に担当者にひきあわせ、ここで思いがけぬことに北辰の厖大《ぼうだい》な明治大正新聞資料と、その集大成『近代世相全史』編纂の実績がものをいった。  北辰の、資料整理、及び重点をつかんで編纂するその能力が買われて、靖国神社社史作成の責任者にならないかと朝日新聞の幹部が紹介し、ただ監督するだけで月に三百円の給料、婦人子供よりもさらに突拍子もない護国の鬼とのおつきあいながら、この頃、東京帝大出身の初任給が五十五円、三百円といえば重役待遇で、こうなれば成り行きまかせ、一切おまかせと頭を下げて、好色出版から一転しての宮仕え。 『末摘花』の注解にもあきて境内に出れば、騒然たる満州の情勢てきめんにあらわれて、日増しに団体客の参詣《さんけい》が増《ふ》え、あるいは白いゲートルの水兵、エプロン姿|凜々《りり》しい婦人会、在郷軍人に引率された地方からの皇居清掃団、いずれも頬《ほお》ひきつらせて社殿にぬかずき、春の例大祭ともなると北辰達の仕事も休みで、だが三田の家にこもれば多津子の、いちおうは安定した暮しになればなったで、たしかにそのまま貯えれば今頃は家作の十軒や二十軒持てたはずの、かえらぬくりごと聞かされるのがうっとうしくて、九段へ出かけ、小屋がけの見世物をながめ歩く。  エロは姿を消したが、江戸は両国の伝統うけつぐ怪しげな呼びこみ、くも娘やら蛇娘《へびむすめ》、口上のままにつられて入り、厚化粧した小人女の、まるで子供の手ほどの細い脚ふとももまであらわにして、その指に筆をはさみこれだけは興亜も東洋平和もない、昔ながらの逆さ馬を描き、ふとパンタライ社はな子の妙技を思いうかべると、「やあ、しばらく」声をかけたのが、浅草パウリスタにたむろしていたペラゴロの一人で、高橋健吉。  実は困ってるのだがと、名刺をさし出してその肩書に「婦人子供博覧会」の役員とあり、「なにかこうパッと華《はな》やかな、世間をおどかす趣向はありませんかな」よくよく婦人子供についていると苦笑しながら、今みた見世物からの連想で、「女子供がよろこぶといや、浅草奥山、それにここでやってる態《てい》の因果物、菊人形」いいかけると、高橋は手をふって、「場所は芝浦でね、広いんですよ、それに今まで日本にゃなかったような、なんなら外国からもって来てもいいんですがね」  外国といわれて、北辰にも見当つかず、とにかく思いついたら連絡しようと別れて、三田へもどり、一週間後にひょいと手もとにあった外国雑誌、多分、『グロチック』当時、埋め草の話題拾うつもりで手許《てもと》に置いたのだろうが、頁《ページ》をめくっていると何枚もの写真入りで紹介されているのがドイツ、ハンブルグ市郊外のハーゲンベック動物園。いわゆる放しがい式を採用し、これまでのように檻《おり》には入れない飼育法はともかく、付録のようにして、動物訓練の技術と、その成果をみせるためのサーカス演技に眼をとめ、ようやく生後一年半、しきりに動物に興味をしめす孝に、どこまで理解できるやら、象の曲芸、ライオンの輪抜け説明するうち、「そうだ、これを日本にもってきてはどうだろう」これまでのサーカスといえば、人さらいが子供を集めて、お酢をのませて骨をやわらかくするなど、なにやら暗い印象のつきまとったもの、動物の曲芸といっても猿《さる》まわしに毛の生《は》えた程度で、他《ほか》はただ信州山中で捕《と》れたと称する大蛇《だいじや》のとぐろまくだけの姿。  早速《さつそく》高橋に連絡とってハーゲンベックサーカス招聘《しようへい》を提案すると、手をうって喜んだものの、さて手づるがない。「貝原さん、一つ力になって下さいよ」北辰にも見当はつかぬが、すくなくとも英霊の身上調書つくるよりはこちらが水にあい、靖国神社を辞《や》めると「また病気が出た、いい加減に年を考えて下さいよ、孝もいるというのに」多津子はヒステリックに怒鳴りたて、年をいえば昭和六年の秋で北辰三十二歳。これまでの波乱を考えれば、人の何倍分かを生きてきたようだが、そして北辰自身も、はや余生と現在を観《み》るような、張りを失ってもいたが、実はこれからがようやく男盛り。  小池無坊に連絡をとり、事情説明すると、アメリカ帰りの活弁、ハリウッドではともかく雪州と二人、日本人俳優として活躍していて、最近帰国した杉井紅声、これが彼地《かのち》にくわしいといい、杉井は浅草に一軒、活動小屋ももっている。  活弁とはいっても、この年の夏に国産でもはじめてのトーキー映画「マダムと女房」が封切りされて、それまで千数百人いたのが、はやくも半ば近く失業、雷遊、夢声は敢然としてトーキーに挑戦したが、すでにその先はみえていて、杉井いかにも目はしのきく早口でその事情説明し、「いいでしょう、早速アメリカの友人に手紙書いて、条件その他きいてみます」そして、世界各地巡業するハーゲンベックの、船一隻を借り切るほどのスケールの大きさ、動物達のいきとどいた訓練、さらには力持ちや体技のわざのすばらしさにつき、口をきわめて賞讃《しようさん》する。  ただし、「婦人子供博」と抱きあわせで、新聞社の後援は博覧会のみ、この海のものとも山のものともつかぬサーカスを丸抱《まるがか》えで買いきる興行師など、せいぜいが高市《たかまち》相手のこの業界になく、北辰、必死の説得も功を奏さずに、ハーゲンベックの自主興行。折よく一行はアメリカをまわっていたから、日本へ立ち寄る話もとんとん拍子にまとまり、芝浦の敷地もきまったのだが、さて、荷揚げの交渉となって一悶着《ひともんちやく》。芝浦の岸壁には荷揚げうけおう業者が何十と組提灯《くみぢようちん》をかかげ、それはいいのだが、石炭・貨物・鉄材ならばいざ知らず、生きた動物、しかもライオン、象から、日本初おめみえのオランウータンまでまじっているとなって、「冗談いっちゃいけねえ、ライオンにナワからげてどうやって運ぶんだい、ぶち殺してなら話はわかるが」足もとをみすかしたのか、それとも心底|怖《こわ》かったのか、そっぽを向いて相手にならぬ。  北辰は竹芝橋近くの、それぞれ名のある親分、まるでシャツを着こんだように全身くりから紋々の手合いに手《て》土産《みやげ》さげては頼みこんだが、「月島から芝浦にかけちゃ手前どもの縄張りなんでして、そうそうそちら様の勝手ないい分ばかり通していただくわけにもめえりません」  木で鼻くくる挨拶《あいさつ》、そうこうするうちハーゲンベックを乗せたスエーデン籍の船が入港し、チャーター船だけに荷揚げは一刻も争うが、らちあかず、杉井はちいさな体を東奔西走しても、要するに組の親分はケダモノ扱うのだから荷揚げ料を五割増しにしろ、はまの人力車夫だって西洋人となりゃ料金がちがうといい立てる。「ハーゲンベックの親父《おやじ》というのは日露戦争ですっかり日本びいきになった人でしてね、サムライが好きなんですよ」情にもちかければ、「サムライが好きならなおのこと、えて公をサムライに運ばせて申しわけないと思いそうなもんだろ。興行師がそんな荷揚げ料のことなんどで、ごたごたするなんざ気がちいせえよ、とっとと追いかえしちまいな」  横浜に荷を揚げて、もともとが陸地をキャラバン隊組んで興行のサーカス、陸路のりこむことも考えられたが、こうなれば面子《メンツ》をつぶされたと、芝浦の親分がだまってはいない、杉井は万策つきて持っている映画館を売り、サーカス興行の際の全ギャラを提供するとまでいったが、値はおりあわぬ。 「婦人子供博」主催者にもちかけても、相手がわるいと尻ごみして、そうこうするうち、それでなくても長の船旅、動物は死にはじめる。ハーゲンベックの団長は腹を立てて引き揚げるという、すっかり杉井はしょげきり、好色出版とことなり北辰にも手の出しようなかったが、当ってくだけろ、とにかく団長と業者の一人をあわせて、男同士の話合いにしてみたらと、芝浦では新興の仲仕の組頭を説きふせ、船に乗りこんで、杉井が英語で通訳するのを北辰押しとめて、「相手はドイツ人なんだからドイツ語でやりましょう、私にまかせておいて下さい」  もちろん北辰、ドイツ語のドの字もわからず、ただ組頭にむかってのみ「日本の現在の立場をわかってほしい、ヨーロッパにドイツそして東亜に日本、この二つの国は相たずさえて、あたらしい世界をつくるのだ。みたまえ、あのはるばる海をわたってやって来た動物達、あれは口こそきけないが、日本の子供に対する親善使節ではないか、今こそ面子にとらわれず、国家的見地に立ってこの荷揚げを行わなければ、君達の顔は立っても、日本の面に泥がぬられる」  それまで同業者同士の寄合いで片意地はっていた組頭、眼前に毛唐《けとう》の姿をながめ、北辰にしてみれば無手勝流の説得はお手のもの。 「将来の東京港を背負うのは君だ、古い頭の連中は連中、君を男と見込んで頼む」沖がかりする船の列をながめ、その少し前に、「東京湾には底はあってもふたがねえ」とおどかされたばかり、しゃべり終ると急に長広舌が怖くもなったが、団長、わけわからぬながら北辰の気魄《きはく》にうたれたか握手を求め、その姿がきっかけとなって組頭は、「私が引きうけましょう」ただし、ハーゲンベックさんのいい値は困る。芝浦でいったん断わった値段を、ここで承知すりゃそれこそ、日本人は二枚舌つかうと思われる。 「そちらが日独親善のためにお出《い》でになったのなら、こっちもただにしよう。商売抜きだ。そのかわり団長さんに話してやって下さい、こっちは足もと見すかして値をつり上げたんじゃねえ、なれねえ荷なら用意にも人足にもそれだけかかるから、そう見積ったんだってね」  翌日からたちまち象やらキリンやら、腹がけされてクレーンで吊《つ》り下ろされ、みるみる三千人収容の天幕が張られて、無事、サーカスの幕があき、杉井は小柄な体、精いっぱいとびはねて司会に熱を入れ、北辰はまた、出版とはことなる熱気のこもった開場までの段どりに心ひかれてその後日参し、そのうちチンパンジーのメリー嬢が、いつものぞきにあらわれる北辰の、ロイド眼鏡に心ひかれたのか、特別親愛の情をしめし、北辰、チンパンジーに惚《ほ》れられるの噂《うわさ》が浅草にまでひろまった。  もっとも、これだけ労をつくしたのだから当然と、北辰は弟の浩吉家族もつれ、タダで入ろうとしたら、自主興行だけにハーゲンベック側はきびしく、北辰以外は入場料とられて、「ドイツ野郎は徹底してやがる」浅草興行界ののんびりぶりにくらべて眼をみはる。  杉井を通じて浅草とのつながりが復活し、玉木座にうつった「プペダンサント」文芸部に、不良上りの詩人カトウ・ハチロー、生田一夫などととぐろをまき、小池も五九童劇の脚本を書いていて、ふたたび吉原玉の井に入りびたり、カトウは相変らず、ビルの屋上の鉄網にぶら下がって、「俺はこれから自殺をする、とめるなら今のうちだぞ」とさけび、うっかり自分のビルから自殺者が出て、新聞種になどなってはかなわぬと、その経営者あわてて金を包むと、それをふところに悠々《ゆうゆう》と立ち去ったり、井上蔵相血盟団に射殺され、団|琢磨《たくま》も同じく犠牲となり、満州の野に暗雲低迷しても、浅草だけは、仁王門《におうもん》のかたわらの銀杏《いちよう》の梢《こずえ》、久米平内《くめのへいない》のおみくじを引く娘の姿、以前とかわりない。活弁、楽士三千人の反トーキーストが、話題をにぎわすくらいで、北辰は、いつとなくあたりの小屋の文芸部に顔となる。  昭和七年も半ばをすぎると、幕内の話題は、有楽町駅前におったてた巨大な劇場の、鉄筋むき出した姿。円形の、日本一の収容力誇る大劇場建てる計画はよかったが、金主いずれも途中でへばって、いたずらにみにくい姿をさらすだけ、時に酔漢がここによじのぼり、足すべらせて墜落死するだけが新聞をにぎわわせ、もし竣工《しゆんこう》させたとしても、あの大きな入れものを満員にするには、何をもってくればよいか、それだけ器量のある興行師はいるものかと、玄人《くろうと》筋は半信半疑で、しかしようやく小林一三が面倒をみて、建物だけはどうにか出来上り、数寄屋橋《すきやばし》のほとりに威容を誇ったが、さて演《だ》しものがない。  北辰、杉井にもちかけて、一年前にチャップリン来日の時の人気を考えれば、もう一度彼をよんではどうか、提案したが、すでに軍国主義のあらわに牙《きば》むき出した日本に、喜劇王の再度訪れることは考えられぬ、ならば、噂のみ高くして輸入されぬ「シティ・ライト(街の灯)」。かつて「キッド」公開のおり、空前の入場者を記録したのだから同じ系統の人情話、浮浪者のチャップリンと、盲目の花売娘の交情、この殺伐な時代に必ずや喝采《かつさい》をよぶと力説し、杉井奔走してこれを日劇にかけ、これが当ったとなると、昭和九年、北辰は日劇の文芸部にむかえられて、さて次なる演しものの選択。 「なんせこの劇場の周囲、七重八重に人波でとりまくような奴《やつ》、なんでこの劇場、丸くつくったかいうたら、そのためなんですわ、八岐《やまたの》大蛇《おろち》みたいに、人の波で日劇をしめ上げてもらいたいんや」関西弁の支配人まくしたて、「しめ上げるなら、そりゃもう女の裸がいちばんでしょうな」これは北辰、これまでの経験ではっきりわかっているが、股下《またした》何センチのズロース、肉色のじゅばんはいかんと、うるさい検閲の守《かみ》の眼があるうちはかなわぬこと。 「第一、この大きな舞台に二人三人いくら美人連れてきても、まるでひき立ちませんよ、とにかくでかすぎるんですよ」 「でかすぎるんならでかいのをつれて来りゃいいだろ」 「まさか相撲取《すもうと》りってわけにもいかないでしょう」  なんとなく同じようにごろごろ用もなくとぐろまく文芸部員と無駄口《むだぐち》をたたくうち、五、六年前、『変態』のグラビアで、フランスの踊り子の十数名脚をあげ踊り舞う姿、それはジョセフィン・べーカーのバックにいたのだが、中野達と、 「こんなでかい女相手にしちゃ、どんな具合だろう」  と、お互い日本人としても小柄なだけに顔見合せたこと思い出し、 「毛唐の女を連れて来たらどうだ」 「毛唐だって駄目ですよ、まるで霞《かす》んじまうんだから」 「一人二人じゃない、三十人四十人呼んで来るんだ、それでいっせいに脚ふりあげて踊らせる」  ほらこんな具合にと、グラビアの姿思い出しつつ、これだけはおとろえぬ南京蹴《ナンキンげ》りの脚をパッとはね上げる。 「どっかにいるだろう、アメリカかフランスに、丸ごと連れてくるんだ」  ほんの思いつきだったが、「シティ・ライト」以後、ふたたび閑古鳥のなく日劇、図体でかいだけに目立って、やがて東京宝塚劇場も開場の運びでそのコケラ落しは藤原歌劇団。さらに浅草に国際劇場の計画もすすむ。うかうかはしていられず、おっかなびっくり招いたのが、「マーカス・ショー」北辰、大々的にこのショーを広告し、二十人とはいかなかったが、一列に並んで若い毛唐の女のいっせいに脚あげる写真を尖兵《せんぺい》とし、ラインダンスと名づけて吹聴《ふいちよう》すれば、支配人のいう七重八重には及ばなかったが、周囲は人波で埋まり、これは昭和十三年、李香蘭《りこうらん》出演までの入場最高記録であった。なおこのショーの、ごく端役としてダニー・ケイが来日、この後、神戸で公演の最中、関西風水害にあって停電、彼は両手に懐中電燈を持ち、暗闇《くらやみ》の中に火の軌跡をえがいて、舞台をもたせたという。  この成功によって北辰は、日劇地下の劇場の権利をそっくりゆずられることとなり、多津子は狂喜して、というのも、もともと芸能界の水を少しはのみ、芸人でもまず出世のしるしは小屋をもつことと心得、しかも日本一の劇場と同じ構えの中にあり、最新のトーキー設備もあるとなっては、家作の二、三十軒よりも収入は固い。 「ここいらで腰を落着けて、実業家になっとくれよ、もう、これだけしたいことをしたんだから心残りはないだろうに」  多津子すがりつくようにいったが、さて考えてみると映画館の親父になるとは、北辰わがことながら滑稽《こつけい》で、返事をにごし、なお、日劇文芸部へ顔を出し、 「一人一人の女の裸ではたかが知れている、これからは量だ、マーカス・ショーのラインダンスをさらに大きくして、ステージのはしからはしまで、ずらっと背丈《せたけ》のそろった女をならべて、ボリュームで圧倒する、こうなりゃ股下何センチもくそもない、なんなら半ズボンはかせたってかまやしない」専属のダンシングチーム養成を進言し、映画館経営については、むしろ映画の製作をやってみたいという。  日本映画でもようやく海外ロケが行われはじめ、藤原義江「叫ぶ亜細亜《あじあ》」など上海《シヤンハイ》、満州を舞台にとり、これは国策映画に近かったが、北辰は、上海事変、国際連盟脱退と、次第に軍国調に走りはじめる中で、活字では挫折《ざせつ》した好色の志を、もう一度この新しいキャンバスに再現してみたい、そしてそれは到底、日本ではかなえられぬから、上海あるいは台湾にロケ隊を派遣し、もし日本で上映を許されぬならば、アメリカ、フランスのスクリーンを飾る、ハーゲンベック、マーカス・ショーと、外国の産物を紹介したその反動か、あるいは、ようやく再起のチャンスをつかんで、生来の好色がよみがえったのか、映画館の権利の引き替えに二十万円の現金を手にし、たちまち酒田、中野、弟の浩吉に檄《げき》をとばす。 「これからの芸術は映画だ、活字で千万言ついやしてえがきえぬことも、カメラで写し出せば文字通り一見にしかず。『ジャルダン・パルヒューメ』、『バルカンクリーゲ』いくらだって材料はある」久しぶりの帝国ホテルに一同寄り集《つど》い、北辰はすぐさま一日三十円の部屋を借りてここを事務所にして、浅草、日劇で知り合った俳優に下話をもちかける。  酒田潔は自分でもアラビアの貴族ムハメッド・サイシャと称し、至極日本人ばなれがしているから、冗談に俳優にならないかともちかければ、血相かえて怒り出し、彼は本郷に映画スターと愛の巣かまえていて、当分日本をはなれる気は毛頭ない様子。  この頃、かつて文芸バザー社当時の同志、高森雄一郎は東京市会議員に立候補し、得票百五票で落選、つづいて映画スター引き抜きの黒幕となり、北辰とはまったく無縁の世界にいたし、佐藤紅霞、斎藤勝三はふたたび、エログロ狂い咲き以前の学究的生活にもどり、山岸義一は渡仏、わずかに中野正人、小池無坊のみがかわらぬ友情をみせていたが、北辰意気|軒昂《けんこう》。  自身の作『肌あかり』を映画化すると、主人公を支那人《しなじん》にかえ、上海の裏街の、かつてあそんだ情景思いうかべたが、これだけでは枝葉しげらぬ。 「やはり台湾がいいんじゃないんですか、あすこには日本人もどしどし最近|増《ふ》えて、活気があるといいますし」  浩吉がいい、ようやく日本の南進政策論もやかましくなった頃で、では台湾のなにをうつす、「清朝《しんちよう》ゆかりの美姫《びき》と、蕃社《ばんしや》の青年の恋などはどうでしょう」  それよりもと、北辰思いついてあげたのが、村岡伊平治の伝記。「海外に流れてくる日本の男の九十九パーセントは前科者であった。前科者は国家のためにならん、これに大金を持たせれば真人間となり善に立返る。真人間にするためにはもう一度国法を犯させる、すなわち日本へ密航させ、娘を十人ほど誘拐《ゆうかい》させる。このうち二、三人を売りとばして開業資金とし、残りの女どもで女郎屋をやらせるのだ」  こう豪語して現在フィリッピン日本人会の会長を勤める豪傑、もちろんそのままをえがくのではない、南進する日本人の気魄を表面にうち出して一方の鼻息をうかがい、実は売られて来た女達の、娼婦《しようふ》として一人前になるまでの過程を克明にえがく。 「いわば女の学校である、近来、東北地方の農村に冷害が相つぎ、娘の身売りが社会問題となっている、しかし果して救世軍にすくわれた方が幸せなのか、松の甘皮を食べ、馬の寝藁《ねわら》までかじる生活をしながら土地にしばられ、一生牛馬同様にこきつかわれた方が、女の幸福なのか」  北辰はぐるぐる歩きながらまくしたて、事実この時、大宅壮一《おおやそういち》氏は「むしろ娘の身売りを奨励せよ」との一文を発表し、「問題は貞操を売物にするということが、現代のプチブル道徳に背反するという一点だけである、女工や女中も労働なら、娼婦もまた一個の労働であろう」と主張していた。  北辰の他《ほか》は村岡について知識はなく、本来ならフィリッピン、セレベスを舞台とするのだろうが、在留支那人の排日運動がはげしいというから台湾をロケ地とさだめ、北辰が村岡の出身地長崎へむかい、生《お》い立ち経歴の一応の調査行い、中野と浩吉は、カメラマン、ライトマンなどスタッフの調達。  一区切りついて三田へもどると、家の中はもぬけの殻で、どこか温泉へでもでかけたのかとのんびりかまえていたら、三日後、北海道の兄浩一と連れ立って多津子は帝国ホテルへあらわれ、「せっかく落着いたと思えば、またわけのわからないことをはじめて、兄さんからもよくいいきかせて下さいな」  浩一はいかにも多津子にそそのかされてやって来たようにおどおどと口ごもり、北辰、気がたかぶっているから多津子を怒鳴りつけ、ついでに兄にも当り、すぐ後悔して浩一を表へ連れ出し、といって、この実直な人柄にあるいは出版よりさらに投機性の強い映画製作、説明もならず、 「一年ばかり向うにいるでしょうけれど、もどったら一度富山にみんな集まって、親父の法事など盛大にやりましょうよ」  当りさわりのない言葉をかわして別れ、もどると多津子は、事務員の眼の前で金庫の中の金八千九百円を持ち出し、心おちつけばその苛立《いらだ》ちもわからないではなく、それで気がすむならこれも映画つくりの必要経費と、かえって気が楽になって、そのまま家へはかえらず、村岡伊平治モデルのシナリオに没入する。  その八千九百円で建てた家が小田原の、いま、老残にはほど遠い四十七歳、北辰の高熱にうなされて伏すすみか、多津子の二言目には「私の建てた家」と小鼻うごめかすのも無理はないが、しかし北辰、発病後五日目の朝から昏睡《こんすい》状態におちいり、鈴木先生からかわった田島博士は「脳症さえ起さなければ、一週間で熱はひくでしょう」といい、たしかにアメリカ軍にはこれに効《き》く特効薬があって、闇値で一本千円近くするという、家内逆さにふってもその貯えはなく、孝はただ涙ぐんで北辰の赤く熱にそまった寝顔をながめる。朝、孝が新聞を枕もとへとどけると、夢うつつながら顔の前にかざし、目覚めたのかと、近頃は体の弱ったせいか、とみにひどくなった近眼の、眼鏡をさし出したが、みひらいたその瞳《ひとみ》の焦点さだまらず、あるいは新聞のインクの臭《にお》いに、反射的に腕がのびたものか、すぐにばさりと顔におとし、孝は、それが仏の顔おおう白布の如くおもえておそるおそるとりのぞくと、北辰まぶたを閉じ、軽いいびきをかいていた。 「大丈夫さ、心臓は強いんだから」浩吉がいい、多津子は時おり空咳《からぜき》しつつ、日に幾度となく階段を登り降りして、これも夕方には熱を出し、発疹チフスときいては手伝いの未亡人もおそれをなし、家内のとりしきりは孝の役目となった。 「もう少し大きけりゃ連れてってやるんだけれど」  横浜から出発の前夜、三田の家へもどって孝の頭をいくどもなで、多津子の持ち去った金とは別に二千円を置いて、「まあ、一つよろしく頼むよ」人なつっこく笑い、昭和十一年の春、浩吉、中野正人それに酒好きで馘《くび》になったというニュースカメラマン、腕は達者というふれこみの四十男に監督はアメリカハリウッド新帰朝と称する田原文人、いずれもニッカボッカにハンチングスタイル、まずはロケハンの旅で、国内ならいざ知らずこのためだけにこの大人数が海をわたるなど、まったくの採算無視だが、北辰、いまだ十五万に近い現金を持つから悠然たるもの。  まずは基隆《キールン》につくと、ここは南に細長く入りこんだ港で、小島が五つ六つ、折しも雨でジャンクの群れがもやにかすみ、その帆にえがかれた奇怪な模様に北辰はやくもカメラをまわしたい様子。 「伊平治が女を連れてこの港に入ってくるシーン、この雨に煙る情景とおどろおどろしいジャンクの帆は、不安におののく女達の心情にぴったりじゃないか」  北辰の言葉にカメラマンはうかぬ顔で、 「雨はまずいすなあ、晴れてないと」  一升瓶《いつしようびん》かかえこんでボソッという。彼には撮影中、のみ放題という条件がつけられていた。  台北に落着いて、台湾神社から明治橋、新公園、植物園、栄町と歩きまわり、さて夜になれば、万華遊廓《まんかゆうかく》にくりこみ、貸座敷約六十軒、芸者を呼べば、大阪新町、赤坂に劣らぬ美人ぞろい。料亭では梅屋敷、酒は灘《なだ》の生《き》一本。 「熱いから防腐剤が入ってるってきいたけれど、これじゃ内地とまったくかわりないよ」  酒好きのカメラマンが保証し、南支那風の衣裳《いしよう》をまとった少女芸者に中野正人すっかりうつつをぬかす。  本島人の街に大稲※[#「土+のつくり」]《たいとうてい》なる一画があって、ここが闇の娼婦の巣、ポンビキにつれられて北辰一人おとずれ、ここで摩鏡術をみる。その次第は酒田への手紙にくわしく説明し、すなわち、  ——ぼくが運転手に三円をやると、運転手はあらわれ出た老婆となにごとかをささやきではこれから御案内いたしますから、私の四、五間《けん》後をついてお出《い》でなさい、人目につくと具合わるいのでという。問題の家はクリーニング屋で、その仕事場の奥にベッドルームがあり、六畳ほどの広さ、ベッドがその五分の二をしめている。ぼくが着席すると、いよいよモデルが姿をみせた。一人はまだ十六、七歳の少女だが、いま一人は中|年増《どしま》でいかにも人生の荒波に洗われきった按配《あんばい》。支那流にいえば皮色潔白、身子痴肥、有貴妃之風、花信年華といったところ。二人はベッドの上に安坐し、「いよいよ摩鏡術の序幕に入ります」老婆がつぶやき、すると二人の女は向きあったまま脚を組みあわせ、腕で支えて、お互いに腰を浮かせる。次第に年増が息をはずませ、やがてそのまま後ろへどうと倒れこむと、両の脚で少女の体を抱きこむように、上に乗せ、同じく腰はあやしく揺れうごく、そのうち——。  カフェー、ダンスホールと遊び歩き、ロケハンなどまったく念頭にない、時には、花街に巣くう老鰻《ロームア》というやくざにとりまかれ、逆になぐりとばして逃げたり、支那拳《しなけん》に興じて芸姐《ゲイトアン》に千円祝儀をはずみ、 十五夜の月を見よとて杯とれば思い出すよな月あかり、知らず知らずに泣けてくる、あの人思う一しずくと、北管小調を習ったり。  伊平治の生きがいよりは、伊平治のもたらした女体に溺《おぼ》れて、たちまちみいらとりのみいらよろしく、二た月|経《た》ってさしもの資金も十万を割り、どうせここまで来たのなら、台湾観光映画をつくって内地へもってかえれば、これまでの遊興費くらい浮くのではないかと、総督府に話もちかけると、去年が領台四十周年記念で、博覧会などを催し、その予算はないと断わるのを、一切金銭的な迷惑はかけないから、ただ撮影上の便宜だけをはかってくれと頼む。  それならば否《いな》やはなく、総督府さしまわしのトラック一台借りうけてまず、タイヤル、サイセット、ブヌン等の蕃社をフィルムにおさめ、つづいて婚礼、葬儀。これは鳴鉦《めいしよう》、打鑼《だら》、吹喇叭《すいらつぱ》の奏楽と共に、銀紙を焼いてものものしい光景、親族一同号泣しながら葬列につきそい、北辰は夢中になってカメラマンを指図《さしず》し、ついに遺族の一人にぶんなぐられる始末。  かと思えば、高雄《たかお》の七十八|浬《かいり》の海上、澎湖島《ほうことう》に出かけ、金《きん》が出る出ないで内地の新聞にさわがれていたタッキリ渓の金採取。この時は発破《はつぱ》をかける人夫に合図するため、カメラマンが旗をふり、とたんに旗がカメラに当って、三十米ほども落下、粉々にくだけて撮影は失敗した。  半年近くかかって、全島めぼしいあたりを写しおえ、台湾製糖、明治製菓、高雄木材から援助申し出はあったが断わって、フィルム数百巻を内地へ送り出し、最後の宴を台南にはって打ち止め。  昭和十二年、有金すべて使い果して、だが南の宝庫台湾の記録映画、世界も眼をみはる台湾産業界の発展ぶりと、神秘なべールにつつまれた風俗習慣、どうころんでも大当りまちがいなし、みずから編集に立ち合って、ようやく完成させたのが六月。  記録映画の製作は軍部もこれを歓迎し、日劇はねた後に試写会をひらき、まずは上出来と祝盃《しゆくはい》あげてそのまま柳橋へくりこみ、翌朝三田へかえれば多津子ひきつった顔で、 「あんた、またなにかやったんでしょ、憲兵がやって来ていろいろたずねたわよ」  いまさら、憲兵に文句いわれる筋合いはなく、陸軍大将某の名刺については、その後、かつての会員小笠原長生を通じて詫《わ》びも入れたことだし、見当つかぬまま、とにかく中野正人に連絡つけると、すでに検束された後。  なにがどうなっているのかわからぬまま、ふたたび逃げ出して、後できけば、要塞《ようさい》地帯の澎湖島を海上から撮影したのが忌諱《きい》にふれたので、この年から防諜《ぼうちよう》がやかましくいわれ、三浦半島一切の撮影も許されず、鎌倉、逗子《ずし》の海水浴客のカメラ持込みも禁止されていた。  粒々辛苦《りゆうりゆうしんく》の台湾撮影フィルムたちまち没収されて、北辰、埼玉へおちのび、木賃宿へ泊り、折から愛国行進曲のまっさかり、国民精神総動員のかけ声がすみずみまで行きわたる。 「どうです、ひとつ時局講演会でもひらきませんか」  近くの青年を集めて、台湾|土産《みやげ》のよもやま話語るうちに、ききつたえて青年学校の教師があらわれ、はじめは警戒したが、この男、北辰の好色出版の購読者で、 「なあに、たいしたお礼はできませんが、小遣稼《こづかいかせ》ぎにどうです」  と、ふれこみは朝日新聞社会部次長、青年学校から、昼間は中学校女学校を巡回して、 「わが○○部隊の猛追撃に大営鎮《だいえいちん》から繁峙《はんじ》へ総退却する敵軍は、この朝ただ一つの退路たる五台山めがけて敗走しはじめる、赤旗を先頭に蜿蜒長蛇《えんえんちようだ》の列、その数六万余り、わが釜井持田隊の○○機は勇気|凜々《りんりん》そのせんめつを期して直ちにスタートを切る」  まるで見てきたような嘘《うそ》を、その一週間ばかり前の新聞記事をたねにして講堂で物語り、この謝礼金が十円。  宿へもどると、好色趣味の教師の、宝物のごとくとり出す『密戯指南』やら『らぶ・ひるたあ』やらをかこんで、彼はどうやら当初の会員としては並級らしく、そのいたるところ伏字なのを、北辰いちいち口述してやる。  きき伝えて同じ趣味の医者やら、材木商集まって来て、あまり人目にたってはと心配したが、お膝元を一歩はなれれば、支那の戦火も他所《よそ》ごとの如く、十二年の暮には多津子のもとへ三十円の送金。  これが生死不明でもどってきて、十三年、北辰はさすが気になり、孝も小学校の一年、まさか多津子が小田原へ家を建てたとは知らぬから、正月早々に舞いもどり、もはや完全に転向した往年の友人をたずねると、いずれも怖気《おじけ》ふるって門前払い。  その行方わからぬまま代々木八幡《よよぎはちまん》の、かつては畠泥棒見張りの小屋借りうけ、着のみ着のまま、焼酎《しようちゆう》をあおってその日暮し。  はじめて衣裳身なりいっさいかまわず、どてらを一張羅《いつちようら》にラジオだけが浮世とのたより、下北沢《しもきたざわ》までの電車賃もなくてふらふら歩くうちに、『新青年』の古い編集者と出会い、好色出版帝王と異名をとった貝原北辰の、ほんの六、七年前にかわるいまの姿、それでも意気|旺《さか》んに新体制を論じ、新青年も時代の波に押されて、必ず一編は陸海軍将校の戦争|礼讃《らいさん》記事を掲載する時節。 「もしよかったら、うちの雑誌に、小説を書いてくれませんか、もちろん匿名で」  なにより先立つ金の欲しい北辰、「どういう趣向のもの、まさかエロは向くまい」 「もうこうなっては、いっそ、時局迎合の血沸き肉|躍《おど》る熱血小説はいかがです」  語り終えて編集者は、あの教師と同じく、『グロチック』『密戯指南』のファンであったともらし、「もうあの時代は、こないかも知れませんなあ」、石川達三氏「生きている兵隊」『中央公論』の発売禁止が知識人の話題となっていた。  吾妻《あずま》大陸のペンネームで『新青年』に「吼《ほ》ゆる黒竜江《こくりゆうこう》」を発表、これが実は北辰であるときき伝えると、その窮状すくうべく、むしろ大衆文壇から救いの手がさしのべられて、「特急亜細亜」を吉川英治の名前で、『少年|倶楽部《クラブ》』に連載、ようやく小田原に居をおちつけたとわかった多津子、孝、それに長女三人暮しに、わずかながらも仕送りのゆとりが生れる。左翼陣営はまったく逼塞《ひつそく》し、人民戦線第一次第二次検挙の後で、息のつまりそうな国家総動員法公布の御時勢であった。  昭和十五年、機械輸入商の顧問として招かれ、これは好色出版の頃、外国の出版社とのコネのあったのを利用して、機械技術書輸入のためで、すでにABCDラインがさけばれ、諸事ひしひしと身のまわりをしめつけられる窮屈さで、後の駐日大使オットーに近づき、手持ちの春画、浮世絵をプレゼントとして見返りに旋盤の最新工作機械設計図を入手したり、上海に遊んだ経験を買われて、支那へ外国出版物の購入に出かけたり。  北辰自身まったく戦争協力の意志はなく、上海へ出かければ、「大世界《ダスカ》」に遊んで、書籍購入用の費用大半を賭博《とばく》についやし、その時の相手に山本|五十六《いそろく》中将がいたが、といって肩で風切る星と碇《いかり》にそれほど反感もいだかず、暇さえあれば魔窟《まくつ》にひそんで、それは四角な箱をさかしまにふせたような小屋で、貧民窟というのでもなく、上塗りのしてない土蔵の如く、只《ただ》、一方に古板たたきつけた開き戸があるだけ。  二、三軒ごとに扉《とびら》があいて、前のぬかるみに、内の灯《ともしび》がわずかにうつり、その中には三尺くらいの高さの床と、藁布団《わらぶとん》、その上に若い少女がだらしなく足を投げ出してすわっている。  のぞきこむと、どこからあらわれたのか屈強な男が「四十銭、盲妹」といって、北辰あぶなっかしい支那語をあやつるが、いっこうにとりあわず、ただもう入るのかどうかと、凶暴な目つきでにらみつける。  金を払ってほんの三坪にもならぬその小舎《こや》に足ふみ入れると、とびらが閉められ、物音で判じたのか、なるほど眼窩《がんか》のおちくぼんだ盲の少女、ただしその皮膚のしなやかさ、また体つきのやわらかなこなし、不自然な印象はまったくなくて、緑色の支那服すべるように脱ぎ捨て、おそらくは物心ついてこの小舎以外に出たことなど数えるほどしかないのだろう、ついと手をのばせば洋燈《ランプ》にふれ、「消すか?」と小首を傾ける。  北辰もとより清朝ゆかりの盲妹、纏足《てんそく》と同じく、男の楽しみに供するためにのみ、足をくびり、眼をつぶすその娼婦のあること知らぬではなかったが、今、みるそれはいささかの暗さもかげりもなく、「あそんでらしてね」とあけすけな言葉さえなければ、深窓の少女にもみまがうばかり。  やがて女は、それがしきたりなのか膝を組み、北辰をその脚の中にとらえようとする、台湾での女二人も同じポーズをとり、これが支那のかたちなのか、『洞玄子』、『素女経』などおびただしく自らの手で出版したはずの性典、走馬燈の如くに脳裡《のうり》をかすめたが、さそわれるままに腰をおろすと、もとより盲妹は視覚をとりさることによって残る感覚を鋭敏にさせるのだが、ふとふれるぬめやかな二の腕、にぎりしめぬのに、はやくも北辰の指の跡が赤く浮き出し、その下腹のかげりは、火焔《かえん》の如くに宙天にむけそそり立つ。  女は、左手をまさぐるように北辰の顔にあて、眼鏡をいささかも不思議ではないようにとりはずしてかたわらにおき、北辰、女と寝る時も余程のことがない限り眼鏡をそのままにしていたのだが、いま、視力の半ばを失って、さらに女は自分より視《み》る力に劣るとわかると、急に世界がかわった如く、盲妹の、ぼんやりとかすむ表情にそのまま顔を近づけ、女は唇《くちびる》をさけたが、うなじ首筋を与えて、息を荒くはずませ、一刻もやすまず指が北辰の体をはいずりまわる。 『肌あかり』のあの娘に、今は自分がなった如く、不思議な微笑浮べてやさしくあやす盲妹のなすがまま、北辰は藁の布団に横たわり、やがて火のように熱い感触を下腹部に感じたが、今は火に灼《や》かれようと、あるいはこのまま生命絶たれようと、なにもかもまかせる心持となって、北辰は自分が男であるのか女であるのか、さだかにわからぬ境地のまま寝入るように果てた。  そうろうとして立ち出ると、表は燈火管制で、二、三歩行きすぎれば、すでに客のないことを知ってか箱の如き家並み二、三十ばかり、ひそとしずまりかえって、つい最前の経験は夢の如し。  三度の渡支の後、北辰は、自ら海外工業情報所を江戸川橋に設立し、これは米英の工業技術書を、翻訳し、工場、大学へ納入する業務、日米関係は最悪の状態で、北辰自ら戦争を予想したわけではなかったが、その三月後に大東亜戦争がはじまり、人並みにABCDラインにかこまれてうっとうしい世の、天窓《てんまど》あけはなたれた喜びはあったが、さてなまじ海外技術書を扱っていただけに、米英の工業力とのあまりの格差身にしみてわかり、とにもかくにも、たとえスラバヤ、ボルネオの油田地帯占領はしたとて、その採掘技術は日本の、まるで滴《しずく》を貯《た》めるごときものと、奔流のように噴出する石油の扱い方では天地の差、早速《さつそく》に古本屋やら大学図書館をかけめぐって、外国技術書のいわば海賊出版、即製はお手のものだから、重宝がられて、やがて軍部のお声がかり科学技術振興会、実は外国科学技術書海賊出版の大本のボスとおさまり、東五軒町、好色出版にゆかりも深いその眼と鼻の音羽《おとわ》に本拠をかまえる。  昭和十八年、戦局、日に日に非となり、もはや、翻訳するにも内地の手持ちは底をつき、となるとドイツへ潜水艦を派遣し、ドイツ技術を導入するアイデアを進言し、これはこの時生かされなかったが、終戦に近くなってドイツのロケット技術、原爆の資料を、潜水艦によって日本に運ぶ計画のもとともなった。  親方日の丸でこの時期、金こそなかったが物資は豊富に配給され、やがて東京帝大農芸化学研究所の分室を、小田原の自宅に設置し、これは海軍軍人の、士気鼓舞のためのウイスキー造り、表向きは、松根油と同じ代用燃料の研究を装って、ふんだんに米の割当てをうけ、この間に北辰の手により発行された技術書は、トレッドウェルの『ケミストリー』、『サイエンス・オブ・ペトロリアム』、バーグマンの『カタリシス』、『ユーオービー』一号より百号まで、総計二百六十三冊。  奇《く》しくも、デカメロンにはじまり、春本全集に終る北辰の好色本総数と二冊ちがいで、春本の方がわずかに数でまさり、ただし、科学技術振興会発行の海賊版、そのほとんどは敗戦とともに焼き捨てられたが、好色本は、戦後、貝原本と称せられて、おびただしく氾濫した仙花紙《せんかし》エロ本のたね本とされた。  北辰の昏睡《こんすい》は一週間を過ぎ、田島博士はこれまでもてば、もう熱は下がるはずと診《み》たてたが、四月三日、脳症を併発し、ふいに首だけ起して、焦点のさだまらぬ瞳《ひとみ》で枕元に集まった多津子、孝、羽柴、それについに只一人、北辰を最後までたすけた中野正人、見渡すと安心したようにまた頭をもどす。 「あんた、しっかりしてよ」多津子も体に手をかけることはためらわれ、声だけかけるが北辰、瞑目《めいもく》したままで、孝は竿忠《さおちゆう》、東作の十数本の釣竿、もちろん買手がつけば万と値の張るそれを売って、アメリカの薬買うようにいい、だが、新円の世の中にその物好きは見当らぬ。  四月四日、田島博士は北海道の兄、板橋の母ことを呼ぶようにいったが、交通事情混乱をきわめていて、兄からはおくれる旨の返電があり、浩吉が母を呼びに出発した四月五日の朝、北辰はまるで何事もなかった如くに眼を覚まし、「紙とってくれ」偶然かたわらにいた孝にいいつけ、孝は紙といわれて、枕元にしもの用にちいさく切った新聞紙、鼻紙、それに『肌あかり』の題名だけしるしたノート、いずれかと思いまどい、「どれ? なににするの?」うろうろたずねて、ふとみると、北辰はすでに息がかわって、顎《あご》ふるわせ、そのまま目覚めることなく午後二時、みまかった。  伝染病であれば、すぐにも火葬するようにといわれ、近所のリヤカーに棺乗せて孝がひっぱり、つきそうものといっては、ようやく駆けつけた先妻幸子の娘節子、次女玲子、それに多津子、浩吉、中野正人、斎藤勝三、鈴木、羽柴、白張提灯《しらはりぢようちん》も香華《こうげ》もなく、焼場へむかって、この日は雲一つない晴。 「戒名 徳立院仁誉浩史居士」、ようやくたどりついたものの精魂つき果てて横になったまま、骨となってかえる北辰を待つ母ことは、白い紙にかかれた戒名を、古びた袋の中からとり出した手帳に丹念にうつしつつ、「お父さんとこへいきなさいや、お父さんとこへいきなさいや」手帳を二度三度ふし拝んで、低く観音経をとなえていた。 この作品は昭和四十三年三月新潮社より刊行され、昭和四十九年一月新潮文庫版が刊行された。