野坂昭如 四畳半色の濡衣 目 次  四畳半《よじようはん》 色《いろ》の濡衣《ぬれぎぬ》  四畳半《よじようはん》 色交合絲《いろのくみいと》  四畳半《よじようはん》 濡色草紙《ぬれいろぞうし》  四畳半《よじようはん》 閨《ねや》の色紙《いろがみ》  四畳半《よじようはん》 色《いろの》浮世絵《うきよえ》  四畳半《よじようはん》 屏風下張《びようぶのしたばり》  |色籬 大学四畳半《いろまがきだいがくよじようはん》  四畳半《よじようはん》 色《いろ》の綾取《あやとり》  四畳半《よじようはん》 色《いろ》の行寿恵《ゆくすえ》  四畳半《よじようはん》 色《いろ》の書留《かきとめ》  猥褻記——「あとがき」にかえて—— [#改ページ]   四畳半《よじようはん》 色《いろ》の濡衣《ぬれぎぬ》   餅肌を味はひつくしながむれば     妻の居敷は臼にかも似る [#ここから4字下げ]  かの長明《ちようめい》は、日野《ひの》山方丈の庵《いおり》にこもり、安元治承の世の乱れうちながめ、流れに浮かぶうたかたと観じて、無情転変を歎《なげ》きぬ。  されど乱性は方丈の内にあり、大火大風|飢饉《ききん》に地震など、天変地異をまたずして、乱れ易きは人の心、そのもといすべて色に出づ、これ有情転変と申すべきか。  さるからに仏も色の道をかたくいましめ、聖賢も掟《おきて》を立て、戯れを許さず乱るるを制したもうといえども、そも国造りのことは、みとのまぐわいに始り、あらくきの年立ちかえる初床のめでたさに、いずこもにぎわう姫はじめ、さては五月雨《さみだれ》うちつづきむつごといとしめやかなる皐月《さつき》のかたらい、菊月にちなみて菊座の交合も色のたのしみ、また、寒夜には湯ぼぼ酒まら閨極《ねやきわま》って風邪知らず医者殺し、さればかの法師も、色好まざらんは玉の盃に底なきが如しとなんいえる。  およそ人として色を好まざるやある、深く溺《おぼ》れて身を損ね、徳を失いうたかたと消ゆるとも、結びし契《ちぎ》りの思い出あらば、鳥辺山の煙桂川の藻屑《もくず》はのぞむところ。  方丈より一尺せまき九尺四方すなわち四畳半は古《いにし》えより色のにぎわい。香りゆかしき閨《ねや》のうち、いくよの夢は宝舟、立てし帆柱いとめでたきありさま、つたなき筆に写して、雨の振袖《ふりそで》しっぽりと、濡色みするよしなしごと書きつづらんと、珍腐山人しるす。 [#ここで字下げ終わり]   一の段、「春は新鉢《あらばち》、ようよう生え染めたるを」  十三と十六ただの年でなしと、古川柳《こせんりゆう》にいえども、十四、十五とてなみの年にあらず、影うらの豆さえはじけ時あり、まして今の世は見るもの聞くものみな色づくし、以前ならば手習い読みもの琴|三絃《さんげん》、芸ごと抜け目なく教えこみ、浮世の風にも男の息にも、とんとおぼこの箱入娘、ひきかえ今では男女七歳にして、ことさら席を同じゅうし、おぼこなど鉦《かね》と太鼓で探すとも、え見つからじ。  童子はつれづれなるまま、草双紙《くさぞうし》の|ぬーど《ヽヽヽ》に当てて、そこはかとなくかきつづれば、童女また早々と初午《はつうま》の到来待ちかねて、母に腹がけの居催促、まこと末世とはかくの如きものかと、ひじりぶったるうからやから、眉《まゆ》ひそめてみても、行く水の勢いとどめもならず、十四、十五で浮き名を早くも立田川《たつたがわ》、散らす紅葉の色ますばかり。  東京は練馬とかいう辺りに、腰弁の頭分とて長谷川源内なる者あり、女房良子はきわめつきの教育|まま《ヽヽ》にして、二人が仲の理恵に幼児より家庭教師をつけ、手の内の玉と寵愛《ちようあい》するといえば賞《ほ》め過ぎ、実は自ら遊び呆《ほう》けんがため、教育の名をかりてほととぎすをきめこむ、ベンキョウオケイコと鳴きつるさまをながめて、後徳大寺の亭主の面こそ気の毒なれども、これはこれでまたしたたかな色悪なり。  理恵は一人娘にて、生れついてのませ者が、なおふた親のしどけなき姿、湯上りに|ててら《ヽヽヽ》ふたのの夕涼みならまだしも、これが|でもくらちっく《ヽヽヽヽヽヽヽ》とか、相たずさえて風呂に入り、  理恵の「これなぁに」と源内のふぐり指さしたずぬるのを、良子引き取り、「|まま《ヽヽ》の大事なお宝よ」など呆けたやりとり聞かされては、さらに早々と色増す道理。  近所の同じ腰弁何某の伜《せがれ》俊一とは筒井筒《つついづつ》幼き時から仲好きことは、美しきかなと武者小路のおとどのいいしは古えのことわり、今の子供の遊び油断がならず、二階の隅《すみ》のかくれん坊、公園のぶらんこ遊びも妙になまめき、時にはまだつくしん坊|蜆貝《しじみがい》の、らちなき同士つき合わせては、謝国権|国手《こくしゆ》の手習い、いかさま集合論より楽しきわざにちがいなし。  理恵十四歳の極月《ごくげつ》二十四日、|くりすますぱぁちい《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》とて近在の同年を集め、良子|訳《わけ》知り気にとりしきり、|しゃんぱん《ヽヽヽヽヽ》の味心得るも|れでぇ《ヽヽヽ》のたしなみと、音のみ派手やかに源内秘蔵の一本を抜き、昔ならばさしずめ雛《ひな》祭|宵《よい》に飲みたる白酒の、つい度が過ぎて取乱すが定法、今は異国の泡酒《あわざけ》に娘心のたわいもなや。  季節はずれの頬《ほお》紅葉、染めしは酔いか、忍ぶれど、出でし色気か。  他の眼はばかり、俊一の、常にもあらずすげないそぶり、|ろっく《ヽヽヽ》踊るも理恵をさけ、千万無量のながしめに、知らぬそっぽが口惜しく、さりとて我家なれば、そう無体《むたい》に責めもならず、心|苛立《いらだ》つるうち天の救けか、 「|まま《ヽヽ》はちょっとお向いのお家へ行って来ます、理恵ちゃん後をたのみますよ、皆さんどうぞごゆっくり」  かねてさそわれし麻雀《まーじやん》の席へいそいそ出かけ、十四、十五の色盛り、放し飼いにするうつけさは、親の欲目の油断なり。  座敷の客をそのままに、理恵俊一をさしまねき、勝手知ったるふたおやの、添い伏し重ねる|だぶるべっど《ヽヽヽヽヽヽ》、「あーくたびれた、ひとやすみしないこと?」  うわべあどけなくいいかけれども、色なまめきたる寝所のさまに、俊一|臆《おく》したか誘いにのらず、「私の部屋、この隣でしょ、悩ましいんだ、聞こえちゃって」「何が」「判ってるくせに」いいつつ、理恵二度三度|べっど《ヽヽヽ》の|すぷりんぐ《ヽヽヽヽヽ》をきしませる。  これはつくりごとにあらで、ふと夜半に眼覚めたる理恵の、耳をすませば妖《あや》しゅう身をもむ気配に、とく春情もほころびし、乙女心にいぶかしく、足音しのばせ息ひそめ、襖《ふすま》のあいよりのぞき見れば、|べっどらんぷ《ヽヽヽヽヽヽ》のうすあかり浮かび出でたる二つの裸形《らぎよう》。  はじめのうちこそ身も世もあらず、当惑もしたりまた汚らわしと、眉もひそめぬ。  されどなれれば、待ちかねて、朝の食膳父の前に山|芋《いも》あらば、すなわち深夜|巫山《ふざん》の雨にいたると、天気予報より確かなしるしさえみきわめ、昼寝心がけて夜眼を保ち、門前ならぬ隣室の小娘、すでにふたおやの閨《ねや》の好み、とっくり胸に心得たり。 「ずい分変なことするのね、大人って」いいつついかにも泡酒の、酔いにつかれた風情《ふぜい》の如く、二つ枕の片割れに、頭をのせて眼閉じれば、据膳食わぬはなにやらと、古きことわざ知らねども、俊一かくては意馬心猿、「こんな風なこともかい」かすれ声にていいかけつつ、おのが体を打ち重ねたり。  心はせけど折あしく、理恵のまとえる振袖の、どこが紐《ひも》やらたすきやら、無為の奥山ふみまよい、ええじれったいと帯とけば、一人で着られぬもどかしさ。互いに口吸いしめおうて、抱き合うばかりのそのうちに、理恵は早くも上気して、下行水にしとどぬれ、「|まま《ヽヽ》の|べっど《ヽヽヽ》じゃ、気分がわるい。お正月まで我慢して、その二日には|ぱぱ《ヽヽ》と|まま《ヽヽ》、年始に出かけて留守なのよ」ただ能もなくしがみつき、息を荒げる俊一の、火照《ほて》りし耳にささやきぬ。  もういくつ寝るとお正月、指折り数えて待ちわびる、理恵の姿にふたおやは、いくつになってもまだねんね、眼ほそめていとおしく、ながめたれども、理恵の数うるはあに正月のみならず、荻野《おぎの》式の下心あり。  一夜明ければ元朝の、門毎《かどごと》に立つ松竹も、理恵の眼からは頼もしく、俊一迎えるわが部屋の、四畳半にもしめかざり、犬張子こそなけれ、|てっしゅぺーぱぁばすたおる《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、万事ぬかりなくそろえたり。一富士二|鷹《たか》三なすび、めでたかりける初夢も、念願かなう正夢に、色あせてこそ書初めの、俊一さんは筆下し、はずみきったる一つ目の、大入道のなにやかや、思いえがきていねがての、夜は白々と明けにけり。  年始まわりのふたおやをせき立て追い立てこのたびは、ふだん着のまま待ち受ける、待つ身に辛き置|炬燵《ごたつ》、ここでは邪魔か、かしこではけとばさないかと、あんばいし、玄関の戸の開くたび、吹きこむ春のやわ風に、固きつぼみもほどけそめ、まだ生えそろわぬ新鉢も、そのうるおいをますばかり。  ようよう年始の客ならで、待ちに待ったる俊一の、訪《おとな》う声にとび上り、「さぁ、こっちへ」と手をとれば、まずは道行き足もとも、おぼつかないまま四畳半、もつれ倒れて床いそぎ。さすがいざとなれば、理恵も心うちふるえて、五体すくめたるを。  人の変りたる如く俊一てきぱきとことをはこんで、まず胸はだけさせ、いとちいさき乳首、そろそろと弄《もてあそ》び、指すべらせて香汗にじまする肌《はだ》を伝い、理恵のひそかにふきかけたる|げらん《ヽヽヽ》の匂《にお》い、指の動きにつれて、立ちのぼり、まこと色も香もある初花の、つぼみも雨にゆるみたる、  そのあでやかさ、到底山人の禿筆《とくひつ》にえがきつくせたものにあらず。  今は心も乱れ穂の、すすきにあらぬ若草の、もえそめにしあたり、そろりとなでれば、つい理恵は「こわい」とささやき、「いや?」俊一たずねれば、「ううん」とかぶりふるさま、いかな鬼神も心とろかせる次第なり。  俊一、いっとき心をしずめ、片手を理恵の肩に当て、片手はかしことき色の、うっすらあらわれたる珠の辺りにそえ、桃源の洞浅からず、また深からぬそこかしこ、忠弥よろしくたずぬれば、春には浅き鶯《うぐいす》の、ささ鳴きの音こそ立てねども、ひたと男の胸にそい、つく溜息《ためいき》ぞなやましき。  ふたおやのふりは見たれど、わが身にひきかえて思えば、やはり途方もなきこと、ついつぼめがちなる脚のうちに、やがて俊一分け入り、かきひろげ、ぬめりはあれど新鉢の、これもためしや、入り難く、そのやみくもにふるまうを、理恵は耐えつつ手をのばし、わが鏡台の、|こーるどくりーむ《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》こっそり手わたしたるは、なかなかの気丈心ききたるわざにこそ。  えたりと俊一塗り立てて、ひったり合わす肌と肌、「あれ」と一声新鉢の、ひびこそ入れどなかなかに、割れがたければ、いつしかに上へ上へとのり出だし、方九尺の壁際へ、理恵押しつけられて、|ゆうたーん《ヽヽヽヽヽ》。左右の肩に両の手をかけてひきしめそろそろり、あしらいたれどまたあいにくに、外《はず》れてすべる土手のそと、ならじと駒を立て直し、兵をすすむる俊一の、若さならば是非もなし、やがてたまらず生命水、岩をもくだけとたばしらせ、かっくり理恵にすがりつく。  道半ばにしてくじけたる口惜しさは、あに儒者のみかは、めでたき眉を理恵しかめ、いやいやしつつ俊一を、抱きすくめても、覆水《ふくすい》の盆にかえらぬ世の道理、ままならぬ男の生理に苛立てど、所詮《しよせん》すべなし。  この俊一なる男、年に似ぬ巧者なふるまいなせしが、今をはやりのもやし男なるか、一度の往生によみがえらず、|てっしゅぺーぱぁ《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》にて、畳ふき清めた後、「じゃぁな」と、喪家《そうか》の狗《いぬ》よろしき態《てい》で退散し、とり残されたる理恵一人。 「いじわる」とつぶやき、いっそなれたる指づかいに、あしき気色はらわんと試みたれど、なまじ生身を身近かに覚えれば、いとたよりなき術なり。  そこへぐゎらりと障子を開け、あらわれいでたる家庭教師、まだしどけなき姿のままの理恵仰天していずまい正せど、「子供だとばかり思ってたら、とんでもない」にやにやと黄色い歯むき出して笑いかけ、「なによ」「なによって、そうしらばっくれなさんな、それとも、|まま《ヽヽ》の留守に理恵ちゃんが何をしていたか、いいつけてもいいのかい」はっと胸つかれて理恵うつむく眼のはしに、まるめた|てっしゅ《ヽヽヽヽ》の色がうつりぬ。 「卑怯《ひきよう》よ、そんなこと」気丈にいえども、心はすでにくじけ果て、さらに家庭教師に見つけられしは、天のたすけ、いっそ好かぬ男なれども、俊一にみたされぬ気のわるさ、ままよ手ごめにされてでもはらしたいと、娘心の妖しきたかぶり。  見すかした如く家庭教師、理恵の肩かきいだいて、「前から好きだったんだよ」酒くさい息を吹きかけ、さすが俊一よりはるか年上なればせかずあせらずためらわず、理恵の素地はすでに十分。  家庭教師のまさぐる指に、たちまち理恵は夢心地、顔は上気の照紅葉、はだえは汗の玉あられ、情けの水なおしとどうるおい出でて、今度はすんなりと首尾をとげ、かりにも教師と名のつくに、あるまじきふるまいながらこの男床上手にて、やがて理恵口を開きてうつけた声音《こわね》もらし、玉をのべたる腕を男の背にからませ、風にただよう柳の腰もじもじと、新鉢にもあらず、片言のよがり声上げて、「痛くない?」男のたずねるのに、理恵ただかぶりをふり、かわってどこやらの|てれびじょん《ヽヽヽヽヽヽ》より、「せいふうちぇーん、またいくゥ」と、|こまあしゃる《ヽヽヽヽヽヽ》のひびきたるはおかし。 [#この行4字下げ]親の欲目いとしさの余り、娘の生えたるにも気づかぬふりして、童女あつかいするは、これ人情といえどもよろしからず。故に古人いう「そろそろと手折や梅の莟《つぼみ》より」たとえ莟にても、手折る者からみれば花なり、莟を咲かせて楽しまんとするは、男の常なり。心すべしと珍腐山人お節介《せつかい》にいう。   二の段、「夏は夜、われから濡るる色年増《いろどしま》」  世に、親に似ぬ子を、鬼っ子といえる、この理恵は鬼っ子にあらず、うわべ教育|まま《ヽヽ》のかぶりもの、その実色好みも度を過ぎてはキ印のつきかねぬ母の良子なれば、まこと血筋は争えぬものなり。  良子当年三十九歳、見るもの聞くもの色のたね、|てれびじょん《ヽヽヽヽヽヽ》のよろめき|どらま《ヽヽヽ》みては気をわるくし、週刊誌の色だねに人こそ知らねかわく暇なき下水の、こっては頭にのぼり、わきまえ知らずの|ひすてりい《ヽヽヽヽヽ》、散じては、店屋《てんや》ものの食べ散らかし。  |ぴーてーえー《ヽヽヽヽヽヽ》の役員勤むるのも、よき男ぶりの教師としばし膝《ひざ》をまじえて色気のうさはらさんがため、理恵に稽古《けいこ》ごとから予習復習の教師つけるのも、みな心は同じなり。  なれど、食いちらかしのむくいなるか、|ほるもん《ヽヽヽヽ》の狂いたるか、近頃|肉置《ししお》き日一日とたくましく、まともな男は、とうてい正視しがたき有様。  浮世の義理にからまれて、豚とも猪ともつかぬ体つき鼻息を、十日に一度は、身近かにせねばならぬ亭主の源内、気の毒といえば気の毒なれど、これはこれでわけのあること。  しさいは次ぎの段にて申しはべらん。  男とすなるみそかごとわれもこころみんとて、|ばあてんだあ《ヽヽヽヽヽヽ》、学生のへだてなく、ながし目さがし目あやしの目、怖気《おじけ》ふるって逃げられるばかり。  ままよと、つい手近かな家庭教師にちょっかい出せば、色よりも欲にかられた貧乏書生、まんまととりくるめられて、理恵の新鉢、巧者に割りしも、元はといえば良子仕込み、まことに親の因果は、子に報うなり。  良子、夏休みに理恵の水遊びに出かけ、源内また他行して留守、かねてよりのしめし合わせは、家庭教師と連込み宿に落ちあい、さて宵の口から暁までに幾番とれるかと、神を怖れざるくわだて。 「あなただっていつまでも若くないんだからさ、記録を作ってみたら」  いかにも親切めき、若き日の思い出つくろうずる、その手助けの如くにいい、実は、自ら腰の抜けるほど楽しみたき下心とは、あなおそろし。  田舎よりのぽっと出で、女なれぬうち良子に手ほどきをうけ、しかもひょんなことから理恵の新鉢まで手に入れ、いっぱし色男ぶった家庭教師、いわれるままに山の芋|鰻《うなぎ》の肝生卵|高麗《こま》わたりの人蔘《にんじん》まで、精進潔斎《しようじんけつさい》の逆をつとめて、所は千駄ヶ谷なる宿の名所、なかでもおかしげなるからくりこらして名高い一軒、さすが世間をはばかって別々に入りこむ。  夏の夕べの涼しいうちは、蚊帳《かや》の内こそおもしろく、はた夜更けての取組に、互い汗まみれの肌を、団扇《うちわ》であおぎあうも情緒の一つ。  なれど|くーらー《ヽヽヽヽ》効かせ、蚊《か》一匹あらわれぬ|ほてる《ヽヽヽ》なれば、夏と冬との別はなく、ただやみくもにとっかかり、まずは本手の位どり。  鼻息荒く雲を呼び、雨か嵐《あらし》か出水か、ぬれにぞぬれし肌合せ、雲のきれ間にさす月の、色より白き逃げ水は、はてしなく洩《も》れ、尾花さえ露をむすんで、かつ消える、その魂の緒をつなぎとめんと、良子は両手に虚空《こくう》をつかみ、いつしか声も立てまわす、枕|屏風《びようぶ》をさしこえて、力の限りいだきしめ、 「捨てないでね」とはしおらしや、あほらしや。  露とさしこむ舌先きを、ひしと吸いちょう紅閨《こうけい》の、枕の下に流るるは、白川ならで共よだれ、裾に筋交うお白水流れし跡を京紙にふき清めては、また一番。  おもむきかえて居|茶臼《ちやうす》と、いいたきところ、なかなかに、ばん広ずん胴そのさまは、さしずめ石臼冷蔵庫。  ゆらりゆらりとゆれうごき、こたびは夏の夕立ちを、うつしてぬるる肌の色、あれいきますと一声の、鳴きつる顔をながめれば、さながら弁慶立往生、にぎりしめたる乳房をば、ただひたすらにもみしだき、あやめも分かたぬ風情にて、沼となりたる床の上、底なきままに寝入りたり。  夜更けて良子、ふとめざめ、  指折り数うるまでもなく、来るとそのまま二番して、寝入ったとは不覚のこと、明け易きは夏の常、心せくままかたわらを、見れば教師は高いびき。  だが養生の験あって、たわいなき寝相の、男なにを夢見るか、いちもつ頭もたげる態ゆえ、良子ためつすがめつしたあげく、おのが掌をつとそえ、しずかにしごけばたちまち頼もしき姿とかわり、  小男の大|魔羅《まら》の伝えに嘘《うそ》はなく、貧相な教師に不相応な鉄槌《てつつい》なれば、良子、もののためしにと、男をそのまま、そっと|べっど《ヽヽヽ》に両手をつき、わが身うかせてその腹の上へ及びごし、当てがえば、ふき清めたりといえども色盛りの、まして井戸替えしたばかり、しとどうるみし開なれば、すんなりと刀のさやにおさまる如く、  あらためてしみじみと身内にこたえたり。  目の覚めぬよう気くばりしつつ、上げ下げするうち蝋燭《ろうそく》のとけたる如き、ねばり鉄槌にまといつき、|べっどらんぷ《ヽヽヽヽヽヽ》のうすあかりに、そのさまながむる楽しみ、またいわんかたなく、思うままなる魔羅盗人、男は果して何を夢見けん。  そのまま湯をつかって、良子、二重三重にはりついた如き汗をこそぎおとし、あらためて寝化粧ほどこすと今度は、 「寝てばかりいちゃだめよ、|れこーど《ヽヽヽヽ》をつくるんでしょ」  何食わぬ顔で、教師ゆり起し、 「あなたの好きなようにしていいわよ」  とは、年増にしても図々《ずうずう》しきいい草なり。  しぶしぶながら家庭教師、後取りにかかって、これはせめて、良子の顔見まいとの算段。  同じ女でありながら、老少醜美の差はかくまでちがうものかなと、あらためて理恵の肌ざわりをよみがえらせ、正月二日の一儀以後は、良子の手前はばかって手を出さず、理恵も何食わぬ顔で、しおらしくふるまい、ただし俊一とは時に乳繰り合う様子。  理恵は今咲く莟の色香《いろか》、さわらば散らん露の玉、寄らばぬれなん雨の花、良子はもとより茨木《いばらぎ》の、花さえすがれし老樹なれば、さすがに情けなやと思ううち、親の意を素直にうけて、伜たちまち意気|沮喪《そそう》、 「あらどうしたの、坊やちゃん」  時が時なら母性愛、いつくしみの声ならんが、今はひたすらおぞましきのみ、「困ったちゃんねぇ、いい子ちゃんにしなさい」|ろんぱぁるーむ《ヽヽヽヽヽヽヽ》の姉さま風に良子いいかけ、かっぱと口開いてのみこまんとする。  あれこれ苦心の手わざも、意馬心猿|失《う》せたれば、ただうとましく、またねむ気がまさり、ついうとうとした教師、夢うつつともつかず、理恵の顔をまぢかにした如く思い、 「理恵さん」  さけんで、わが声におどろき、われにかえれば、「そう、先生は理恵が好きなの、いいわよ、一緒にしたげても。でも、理恵と一緒になっても、私を捨てちゃいやよ、さぁ、私を理恵だと思いなさい」  良子、いとしそうに教師を抱きすくめ、「やっぱり処女がいいの? つまんないわよ、うふふ」  実の娘を人身御供《ひとみごくう》にしてまで、淫慾《いんよく》むさぼりたいのが、女の真意かと、男ようやく怖ろしさまさって、尻込みすれども、良子やらじと、なお力をこめる。  ゆかたゆもじもかなぐり捨てて、良子はむしゃぶりつき、半煮えのはんぺんよろしきものを、無理矢理とりこもうとするはずみに、指がすべって睾丸《こうがん》をにぎりつぶし、「ギャア」と一声、あわれやな男はその場に悶絶《もんぜつ》、  なれどあきらめぬ良子は、腕とりかえさん山姥《やまうば》よろしく、物狂いをつづけて、どこやらから|てれびじょん《ヽヽヽヽヽヽ》の|こまあしゃる《ヽヽヽヽヽヽ》が、「中くらいもいいさ、ほどほどに、ほどほどに」と、伝わりしこそ、まこと道理におもほゆれ。 [#ここから4字下げ] 珍腐山人|曰《いわく》、この後、家庭教師はなえまらとなりしなり。火遊びすまじきは、女のみかは、男にありても、色深き年増にかかり、身体|髪膚《はつぷ》の他のさわりを受くること多し、もとより不幸これに過ぐるはなし。古えは女|慎《つつし》みを第一のこととせしが、今ではさあらじ、うかつに据膳食うて、悔いをなえまらに残すなかれ。 三人子を生《な》して、未だ信ずるに足りぬが女性の本態なり、さあれ、良子の色狂い、あに一人を責むるは片手落ちなり、いでや、亭主源内の行状物語らん。 [#ここで字下げ終わり]   三の段、「秋は夕暮、帰雁《きがん》の高き谷渡り」  源内の色好みは、生来のものにして、学生時代つとに軟派の名をほしいままにし、堕《おろ》せし水子《みずこ》の数知れず、また破りし新鉢の算用とても手足の指をもっては足らず。  堅気の娘人妻芸者女給酌婦から、ついに衆道《しゆどう》までをもいそしみ、未だ足跡いたらざるは幼女と屍体のみと、広言せしは二十五歳の折りなり。両親その性をはなはだあやぶみ、良子をめとらせけるが、いっかな花柳狭斜の巷《ちまた》と縁はきれず、また手近かの素人《しろうと》にちょっかいの手もやまず。  三十過ぎてのち、親よりゆずられし土建業のとりしきりに、いくらか興そそられたらしく、また理恵の生れて玩具がわり、しばし身持ち固く過ごしてありしが、疝気《せんき》と浮気の虫はいかな神にも封じ切れず、|きゃばれぇ《ヽヽヽヽヽ》、|ばぁ《ヽヽ》のつまみ食いはまだしも、手|活《い》けの花を|まんしょん《ヽヽヽヽヽ》に囲い、というよりも、女に惚れられていわば情夫よろしき態、ろくに手当ても出さず、冬は湯豆腐、夏は一汗流してあげくのいちゃつき、男|冥利《みようり》につくる果報者なり。  この男の色出入り、とても書きつくせたものにあらず、ただ、いかにちゃらんぽらんな男なるかと、そのしるし明らかなるくだりを写しみん。  秋の夕暮、ようよう暗くなりまさる頃、源内、青山なる所の|まんしょん《ヽヽヽヽヽ》を訪れ、こは銀座|ばぁ《ヽヽ》代理|まま《ヽヽ》の棲《す》みかなり。べつだん用もなけれど、このあたりのまめやかさが、女に好かれるこつか、暇なるまま、源内あるいは|でぱーと《ヽヽヽヽ》で全国駅弁大会が開かれていたと、かに弁当を土産に、また、|あめ《ヽヽ》横で求めた香水を引出物に、処々の女をたずねて、御|機嫌《きげん》をうかがうなり。 「あら丁度よかったわ、くにから妹が出て来てね、これから六本木へ御飯でも食べにいこうかと思ってたの」  これが弟ならば、|とらぶる《ヽヽヽヽ》のたねなるが、妹ではむしろ色増す心地して、女のかたわら、よく陽灼《ひや》けした妹、年の頃|二九《にく》からぬを源内ながめ、 「じゃ、ぼくにおごらせてもらうか」  先き立って、歩き出したるは、すでに下心あるなり。  妹は、姉と源内のいきさつ知ってか知らずか、東京のあれこれ珍しがって無邪気にはしゃぎ立て、 「小父《おじ》さんがお姉さんのお勤めの間、お相手しようか」源内がいえば、「駄目、まだ生娘なんですからね、危くってしかたがないわよ」姉、源内の手の早さとっくに心得ていて、釘《くぎ》をさす。  しかし妹の、いつまでも自分を子供扱いする姉の態度に、やや不満気なおももちを、すかさず見てとり、うわべは「いや、まいったなぁ、そういわれちゃっては」  頭かきつつ源内、器用に引き下りぬ。  後は知らんふりで別れ、看板まぎわに女の店おとずれて、しとど酔ったふりで、「今夜泊めてもらうよ、いいだろ」いいかけ、「あら忘れちゃったの? 妹が来てるのよ」「いいじゃないか、べつだん隠す仲でもなかろう」「そりゃそうだけれど、部屋がせまいでしょ」「じゃ、二人で温泉マークヘ行こう、妹さん一人でねずみにもひかれまい」「そうもいかないわよ」  好いた男と妹と、はかりにかければ、男が大事のことわりなり、どうせ妹はまだねんね、旅の疲れですぐ寝つくはず。  その後しっぽりしんねこで、と女は源内を|まんしょん《ヽヽヽヽヽ》に同行し、「ちょっと窮屈だけど、我慢してね」奥の四畳半いっぱいに布団敷きつめ、女を中に川の字の雑魚寝《ざこね》、「ちいさい電気はつけときましょうね」女がいって、三人横たわり、妹は、さすがはばかるのか、姉に背を向け身をまるめて寝る。  源内の企みでは、いかに田舎の生娘なりとて、すでに春情解語の花。  ここはいちばん光秀の策略、また古語にいう「牡丹《ぼたん》花にねむる猫は花を愛するにあらず、心|胡蝶《こちよう》にあり」の秘術、女にたわむれかかって、きこえよがしに気配伝うれば、おのずと内より湧水の、あふれて溶ける浮き心、まずその有様をとっくり楽しみ、もしかなえられるなら、姉妹一つ竿《さお》にとりもち肌を楽しまんと不遜《ふそん》の考え。  女は、店にて飲みし水割りの、酔いにまかせて色よりは、恥かしながらねむ気が先きと、たちまちやすらかな寝息を立て、妹はまた身じろぎもせず、これはいねやらぬしるしなり。  頃合いよしと、窓の月松葉くずしにいどみかかれば、女たちまち眼覚めて、源内のさしこむ脚にさからい、手を押しとどめ、とはいえあまりあからさまでは、かたわらの妹に気づかれる、寝返りうつ態にて、「後にして、まだ起きてるわよ」ささやけども、源内いっかな兵を休めず、帷幕《いばく》のうちの策《はか》りごとそのままに軍馬をすすめ、秘技を弄《ろう》し、やがて女は妹を気づかいつつ、とにかくこの儀は早番にと、通りいっぺんの会釈のつもり、少し腰もたげて迎え入れしが、大波小波の寄せかえす、ひと波ごとに潮みちて、|ねぐりじぇ《ヽヽヽヽヽ》の袖《そで》は長襦袢《ながじゆばん》ほどかみごたえなく、野分さながらの鼻息もらし、気がせけばせくほど、常よりもなおちり毛立つほどの心地よさ、いったいこの人はどういうつもりでと、首をまわして源内見れば、うむいわせずに口を吸われ、引きはなさんと力こめれば、ぱちゅんと大きな音ひびく。  なにとぞ妹が寝入っておりますようにと、神仏に念じつつ、さすが女の悲しさに、横取りだけでは不満がつのり、肌なれし仲なればいわず語らず身を入れかえて、仏壇《ぶつだん》返しから唐竹《からたけ》割り、源内してやったりと、臍《へそ》につばつけるは長持ちさせる秘法、ここでうっかり気をやれば、妹の分が心もとない、四十過ぎれば、あれこれと心づかいするものなり。  わざと息はずませ、大波たてつづけに打ち寄せれば、女も今は三千世界うち忘れて、水平動やら上下動、「あれ、もう」と後は無量の想いを腕にこめ、だきすくめしがこの世の別れ、ぐったりばったり枕はずした女の表情、うかがいながら横目に見れば、いとしや妹両の耳を掌でふさぐ。  源内、女に体あずけたまま、妹の胸に手をさしのべ、着やせするたちは宗薫《そうくん》の好みなれど、まさしく妹は肉置きゆたかに、乳房掌に余り、やわやわともみしだけば、乳首の怒り立つさまはっきりとうかがえ、源内、いかにもつかれたとの態にて、女と妹の間に体をおとしこみ、天井向いたまま左の手を、妹の股倉《またぐら》にさしのべれば、これにも否やはなく、ただこまかく体をふるわせるのみ。  一儀見聞きしたと、知られるのが恥かしくての空寝ならん、今、邪魔っけの姉を済度《さいど》し終え、後はよほどのことなければ化けてよみがえるおそれなし、いざ生娘を成仏《じようぶつ》させんと、嚢中《のうちゆう》のきりきり痛いほどにおのずとあらわるいちもつ、妹のいしきに押し当て、十七、八ならこのことわりを察するべし。  ゆかたの下に着たる|すりっぷ《ヽヽヽヽ》の裾《すそ》をかきわけ、ふとももなでさすれば、きめこまやかに油ぬりたる如く、親指の背にて角屋敷こんもりしげれる植込みにふれ、さらに臍までなで上げて、今度は|ぱんてぃ《ヽヽヽヽ》の中へしのびこむ。どこもかしこもすべらこく、またかぐわしく、植込みの中なる薄皮の饅頭《まんじゆう》苦もなく指をくわえこみ、おや生娘のはずだったがと、源内一瞬気抜けしたが、当節二九からぬ年なれば、男くわえこんでいて当然、いやそれならば気も楽と、それからは大胆に妹の枕の下へ片腕さしこみ、ぐいとしゃくれば、待ちかねた如く源内の胸に顔をうめ、「電気消して」と小声でいいしは、やはり姉をはばかってのことか。  くらがりの中であらためて、いい交わせし仲の如く、しっくり抱き合い、口を吸い、妹手をのべて源内がいちもつ指であしらい、「いやあね、とりもちみたい」姉のお下がりを不潔がるのか、「風呂へ入って来るか」「私、ふいたげる」いつのまに脱ぎ捨てたか、|ぱんてぃ《ヽヽヽヽ》まるめて押しつつみ、その絹ざわりに源内あやうく登仙しかけ、またあわてて、臍につば。 「恋人いるの?」たずねれば、「うん、失恋しちゃったの、それでこっちで働こうと思って」「何べんくらいした?」「七回」「それだけ?」「うん」およそ新鉢ほど、楽しみのすくなきはなし、ただ手入らずをわがものとする気持ばかりのよろこびにて、世に味わいよき第一は、里帰りのぼぼといえり。  |はにむーん《ヽヽヽヽヽ》は夜を日についで、乳繰り合い三日の間に十二、三回が定法なり、ためにぼぼ熱を発し、立居ままならざるため、里へ帰りてぼぼ休めをするなり、なれど、味わいいまだ深く解さぬとも、男知ったる肌は、一夜のひとり寝にはや耐えがたく、うずくものにて、これを寝盗るは楽しみのきわめつきと、古来いえり。  源内、心中有頂天になりて、もぞもぞ体を布団の中にもぐりこませ、妹の両腕の下から、その両脚をとり、押しひらけば、すなわち桃花は眼下にありぬべし、ぬばたまの闇《やみ》ながら、ただよう色香のかぐわしく、ついと寄せれば、あやまたずひな先きにふれ、それより空割れにかけ挨拶すれば、妹掌に力をこめて、なお両脚をわずかに開く。  七回抱いて捨てるなど、わるい奴だと、自らを棚《たな》に上げつつ、源内考え、七回抱かれたかと思えば、なにやらふびんな心地して、母猿の傷口いやす子猿の如く、丹念に技巧をこらし、時には布団持ち上げ、妹の鼻息うかがうは、姉の耳おもんぱかるより、熱気内にこもりて、息苦しきためなり。  そのまま体をにじり上らせ、造作なくしっくりかみ合った故、ほとのほどうかがうに、開中からみあう肉片の、幾重にも層をなし、自《おの》ずと変幻自在うごめいて、快美いわんかたなし。  これは二つなき男殺しの道具と、源内舌をまいて、なお身じろぎもせず、妹はまた、声こそ立てね、眉やさしくひそめたるさま、闇になれたる眼にうつり、邪魔っ気のない床で、心ゆくまでむさぼり合いたいと、只今《ただいま》、わがものとしながら、想いのとげられぬに似たじれったさ。  ゆらりと動けば肉片は、万華鏡《まんげきよう》の妖かしが、千変万化にいちもつを包みこみ、抜かんとすれども、ままならず、九浅一深など子供だましの術、やがて総身のちり毛ひとつとこに集ったるが如き、快とやいわん、悦とやいわん、男なれども袖を口にかまねば、うつけたさけび洩らしかねず、つい妹の肩に顔押しつけて、放ち終え、だが妹の開は生殺しの蛇の如く、うごめきつづけて、常ならくすぐったいはずが、またあらたなる昂《たか》ぶりのうねりを呼び起す。 「なにごちゃごちゃやってるのよ」はっきり覚めた声がひびいて、源内あわててすべり降りるのと、姉が電気をつけたのと同時、とっさに寝|呆《ぼ》けたふりで、「どうしたんだい」とりつくろうより、かたわらの妹は帯しろ裸、秋の夜寒《よさむ》に布団半ばはねのけ、しかもぬめぬめと汗を光らせていたれば、 「あきれたもんだね、姉の男を寝盗ろうってのかい」  今にも出刃《でば》ふりかざしかねまじき形相故、「わるいわるい、俺がちょっといたずらしかけただけなんだ、妹さんに罪はない、第一、まだなんにもしてやしない」放ち終えても、まだ雄々しくそそり立ついちもつを幸いに、げんのしょうこ姉の前にさし出せば、 「へぇ、どうですかねぇ」「本当だったら、妹さんはいやがってたんだよ、すまない、ついいたずら心を起して」「あんた、あっちへ行って寝なさいよ、|そふぁ《ヽヽヽ》があるから」姉は、妹を|だいにんぐきっちん《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》へ追いやり、「本当にやってないの」「やってないよ」「じゃあ、抱いて」「だってさっき」「そんなに元気なんでしょ、さっきは気が散って、よくなかったもん」姉に抱きすくめられ、同じ血を分けた姉妹ながら、お道具は月とすっぽん、いや、蛸《たこ》と大開、いちど妹を味わえば、姉など月に一度血を吐く孔《あな》に他ならず、さりとてこばめば、後のさわり。  現金にしぼみかけたるを、妹のあれこれ思いよみがえらせては、必死の奮戦力闘、死物狂い。妹の|すいっち《ヽヽヽヽ》いれたる|だいにんぐきっちん《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》の|てれびじょん《ヽヽヽヽヽヽ》「がんばらなくっちゃ、がんばらなくっちゃ」|こまあしゃる《ヽヽヽヽヽヽ》ひびかせるのも、身から出た錆《さび》とはいえ、いと気の毒なり。  源内はこの妹を、姉に内証の花と活け、水の跡切れぬよう万遺漏なき心くばり、とてもこれでは女房にまで手がまわらず、良子の男狂いも、むべなるかな。 [#この行4字下げ]夫婦それぞれ勝手気ままな色狂い、なればいっそ別れた方が、よほどましと思うはしかし他人の思惑《おもわく》。子を生した仲となれば、そこはそれ、四六時顔つき合わせていればこそ、鼻にもつけ、しばらく遠ざかれば、なんとのうしたわしく思い、いさかいの果ての、泣寝入りが、夜更けて巫山の雨にぬれそびれ、一夜明ければ人もうらやむ夫婦仲、また、いかに年老いても、濡れた片袖に相合傘《あいあいがさ》の当推量、たたみたたいてやきもち妬《や》く妻あればこそ、男の甲斐性《かいしよう》はなお光をます、源内良子の夫婦とて、変りのあるはずはなし、いやむしろ、互いに色増す花やら茎やらをよそに持ってこそ、仲良き夫婦たり得るにあらずやと、珍腐山人しみじみと曰《い》う。   四の段、「冬は雪、霜白き上の三日月」  つとに理恵の見破りし如く、良子がしとねの求めは、朝の膳にそなえし山芋にあらわるといえども、そのかなえられるは、三つに一つなり。  山芋にそえて生卵、さらににんにくの醤油漬《しようゆづ》けが供されて、なお源内応じざれば、家内大いに乱れ、飼犬食事を与えられずして飢えに泣き、御用聞いわれなきとがめうけて、困惑、この時の良子の風貌《ふうぼう》東海林さだおえがくところの、中婆ぁに酷似す。やむなく源内、にんにくの供さるるを見れば、|ぜっと《ヽヽヽ》旗仰ぎ見る水兵の心境に、われを追いやり、その夜は早くに帰宅、心しずめて深更《しんこう》にそなうなり。  二十年余り夫婦として暮せば、もはや何のおどろきもあるわけなくて、着つつなれにし古あわせ、肌になじみし互いのやりとりを、手順のままにくりかえすことこそ、楽しみなれ。  新婚当初は、良子むしろ情薄きたちにて、源内の遊びなれたる指づかい、さては品変りたる位どり、わずらわしく思い、ひたすら早じまいに済ませんと、いわれるままに、空《から》よがりもすれば、身ぶりあやなして、とんと女郎の心ざまなりしが、ついに源内が自慢のいちもつ、ふくむことだけはこばみけり。 「こっちだってやってやってんじゃないか」源内不服をとなえしが、まさか小水の道具をおしゃぶりの用に供するなど、常人の為《な》すわざとも思えず、あまりせがまれて一度ふくみしが、のどちんこに突き当り、しばしは吐き気とどめもあえず、源内も興ざめして、以後あきらめぬ。  理恵をはらみし頃より、人の変った如く、色深うなりまさり、狸腹《たぬきばら》を押しつけては、ねやをせがみ、生みし後はさらなり。  自ら案じて腰枕を当てがい、妖しげなる写し絵手に入れて源内に見せ、これによりふるい立たしめる浅知恵もはたらかせれば、また、媚薬《びやく》なんども用い、「ねぇ、私のはいい方なの? どうすればあなたよろこんで下さる? 私なにも判らないのよ、教えてくださらなくっちゃ」  幼い理恵がかたわらで泣くのも、芋の煮えたも念頭になく、しなだれかかる。  およそ女房にねやの手練手管《てれんてくだ》教うるほど、ばからしきはなきも、良子、読物雑誌にえがかれたる|べっどしーん《ヽヽヽヽヽヽ》をそのまままことのことと思い、また女性週刊誌の悪知恵を身につけて、独学の世迷《よま》い言わめき立て、古えのものは付《づ》けに「さわがしきもの、助平女の鼻息」とあるは、まことのことなり。  かくの如き仕儀に、あなうたてとて、源内また色|漁《あさ》りに精を出しけるが、ともあれ枕かわせし数とれば、良子が抜きんでての筆頭にちがいなく、たとえ硯《すずり》に難はあろうと、する数多ければ、墨色濃さをます道理。また手順通り行えば、大地打つ槌《つち》のはずれざる如く、お定りの応えあらわれることも、気楽の一つならん。  これが浮気なれば、商売女を思うまま鼻面とらんと、きおいこみ、堅気の娘には、後で不都合なこと起きざるようにと、なにくれとなき心づかい、それはそれで色のおもしろさにちがいなけれど、また気苦労も重なりては、近頃めっきり源内髪に霜を置き、そういつまでも花から花へ移り遊べるわけもなし、時には、いずれかえりなん田園の、手入れ心がける如き、気持もなきにあらず。  良子の好みは、まずその背中なでさすり、特に腰骨の中央に急所あり、つづいて耳たぶをやわらかく噛み、乳首つまんで左右にこねまわす。  このあたりから、良子|猿臂《えんび》をのばし、源内の股間まさぐり、「あらあら、こんなに大きくなって」十年|一日《いちじつ》の如く、同じ台辞《せりふ》をつぶやく。  いざ出陣のはな先きに、「ちょっと待って」勿体《もつたい》つけるのも毎度のことにて、|さっく《ヽヽヽ》は使わず、主に錠剤なり、まずは仏壇返し二つ折れを好み、数十合にして、後取り、この時左手を乳房、右手はひな先きにあつるが定法。  すでにして良子枕をかみしめ、ついわれ知らず大腰にふり立て、はずれたれば、それをしおに本手となり、源内未だ空《くう》かつ漠《ばく》なるに、「まだよ、我慢して、もう少し」とたわ言を吐き、たわむれにきざしたふりしてせわしく腰づかいなせば、やよおくれてならじと、やみくものうねり、源内大|海原《うなばら》の捨小舟《すておぶね》に在《あ》る心地こそすれ。  二度、三度世界をひとつところに集めてやりし後に、源内は好みの唐竹割り、上へ上へとせりあがる如くに十数合のうち、ひな先きこすられて、良子いまわの際《きわ》に行きもどり、そのさまとっくりながめつつ、これにて当分家内安全、二、三度の外泊もお許しあるはずと、かの妹の他にもちょっかいかけた、|うぇいとれす《ヽヽヽヽヽヽ》やら|ほすてす《ヽヽヽヽ》の、姿態を浮かべ、閨中の、その声音を空耳に聞き、果し終える。 「お風呂へ入ったら」|べっど《ヽヽヽ》前|べっど《ヽヽヽ》後と、茶化したきほどにやさしくかわった良子の、なにくれとなく世話をやき、背中流すやら、足腰もむやら、後十年の月日を経れば、理恵も嫁《とつ》いで、翁《おきな》と媼《おうな》の二人暮し、人もうらやむ余生を過ごすのかと、源内なにやらおかしくもある。 「あら、あなたも白髪《しらが》があるわ」  良子、源内の股間ながめてつぶやき、「よかった、私も一本だけあって、どうしようかと思ってたの、抜くったって痛いでしょ」良子、それが夫婦のしるしでもあるかの如く、自らのそれをつまんで、源内にしめす。頭の霜には気づけども、しものしもまで心まわらず、あらためてながむれぼ、たしかに五、六本銀線まじりたり。 「しもじものことには気づかなかったなぁ」くだらぬ駄洒落《だじやれ》いって、良子の開、わがいちもつしみじみと見較べ、これが夫婦のきずなかと思えば、おもしろうてやがてかなしき心地こそすれ、「どういうわけかぁ、夫婦です」一部始終のぞきみしていし理恵が、やけくそに唄《うた》う|こまあしゃるそんぐ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、陰毛に霜を置きたる夫婦には、いとつきづきし。 [#この行4字下げ]方九尺の四畳半に、この世のさまのすべてこめられたり。なれど源内の老境を思う述懐いと甘し、やがて役立たずの大魔羅かかえて、当節|三界《さんがい》に家なきをかこつは男なり。女なれば洗濯婆ぁ子守婆ぁと重宝がらるるものなれど、なえまらの翁は病み犬にひとしと、珍腐山人が他人《ひと》ごとならずいう。四畳半、色に濡れるうちが花なり、濡れし衣を干し、破れをつくろい、年々歳々花相似たりといえどもさらにかわらぬは色の道。初音《はつね》ゆかしき鶯を、小娘にたとうれば、血を吐くほととぎすは年増ならん、とりどりに啼《な》く鳥を、寄せてははなち、またからめとり、最後にアホウアホウと烏《からす》のなくまで、穴より出て穴に入る、げにはげまざらめやと、さらにお節介敬白。 [#改ページ]   四畳半《よじようはん》 色交合絲《いろのくみいと》   こよひまた想ひ明石の浜風に     吹き寄せられて須磨の浦かな [#ここから4字下げ]  奥様とは、古《いにし》え武家の妻の謂い也。当節、町人にして、必ずしも身体有徳ならずとも、おしなべてかくは申しはべる。されど、団地、建売りに住いなせば、奥にも表にも、入ればのっけに玉すだれ、足もとに安敷物、頭もたげるまでもなく一家の臓物丸見えにて、奥行き浅ければ、また心根も浮わつき、なかなかもって隅になんど置けぬしろもの也。  かの夢二に、若奥様の四時それぞれを写したる組絵あり、すなわち早朝門口に立ちて、わが夫見送るしおらしき風情、午前は右手にはたき左は膝におき、小腰かがめて障子の桟の埃払う姿。午後ともなりぬれば、文机に向い水茎の跡うるわしき書状の宛先きは、もとより徒《あだ》し男《お》ならで、夫の両親に時候の挨拶。  タベには薄く化粧して、夫の帰宅を一刻千秋の思い、うなじにかかるおくれ毛もなにやらなまめきて、いとど盛りの花かずら。これが大正より昭和にかけての若奥様風俗ならば、当節はいかがあらん、これを禿筆に写すも、戯作渡世のつとめのうち、夢二にくらべてむさくるしきは、わが才足らざるにあわせて、いやはや先方の、知らぬがなにより亭主の幸せと、あぜんぼうぜんたる、その所業にこそとがはあれ。 [#ここで字下げ終わり]   朝飯前の、茶漬《なれた》交合《いろ》  あるところに、|ぶるどーざー《ヽヽヽヽヽヽ》の命《みこと》国造りなされし住宅地あり、豆腐屋にも煙草屋にも、車駆らねば用のかなわぬ辺ぴながら、とんと鶯《うぐいす》には縁がなく、びっしり軒を重ねて建てならべられたる安普請は、うかつに雀が巣かけてさえ、その重味に傾きかねぬ手抜き材抜き。なれど住めば都、金城鉄壁、わがものと思えば建売りの、万事せせこましい間取りさえ|もだーん《ヽヽヽヽ》な印象。しかしここに面妖なるは、建売り団地の間取りに、ついぞ四畳半の名を聞かず、これお上をはばかりたるか。四畳半といえばすなわち猥褻《わいせつ》、聖代の住いにふさわしからずと、脛《すね》に傷もつ土建屋の、気を利かせたつもりなるならん。  されば六畳のDKのと、上品めかせども在りようはこれちょんの間出逢いの場に、広さも造りも異ならず、なまじ貧相な床の間などめかしこめば、さらに怪しきたたずまい、中に、天を照らす大神の御前に出来あってより、七とせを経ぬる夫婦の住めるあり。  主人腰弁なれば、定年をおもんぱかってのお待ち腹、たちまち孕《はら》み、すでに五歳の一児を有し、後はひたすら楽しむだけの夫婦勤め。夜討ち朝駈けも二世を契りし仲なれば、はたのとやかくいうべき筋合いにあらねど、ちとけしからぬはこの妻の心根、なまじの刺戟にあきて、ことさら忽卒《そうそつ》の間合いはかりていどみかかり、「あなた今日おかえりは?」などまといつき、|ねくたい《ヽヽヽヽ》締めてやる態はしおらしけれど、みるからにしし合いゆたか、水気ふくみしそこかしこすりつけつつ、白魚ならぬ|まにきゅあ《ヽヽヽヽヽ》の、血染めとまごう指うごめかせ、亭主の股間に機嫌うかがう。亭主は節季を間近かにして、うかつに定時におくれとりなば、後の聞こえもわるかるべしと、さあらぬ風に背を向けて、「七時には帰る」「本当? じゃ御馳走用意しとくわ」「うむ」夫は夫で心せき、妻また指に気を移し、やくたいもなきやりとりの、うちに女のあさましさ、頬は上気し鼻息荒く、「あらあらこんなになっちゃって、|らっしゅ《ヽヽヽヽ》の車中が心配よ」自らあれこれ|あや《ヽヽ》なして、おえさせたるを棚に上げ、夫の弱腰抱きすくめ、うふんと甘える声ぞすさまじき。  お家大事と妻の手を、ふり払うのは易けれど、さればたちまち|ひすてりー《ヽヽヽヽヽ》、罪なき子供に八つ当り、さては出入りの御用聞き、郵便屋にさえ怒鳴り立て、世間せばめてそのあげく、宿替えのゆとりまるでなし、建売りの月賦いまだ七十数カ月残りたる也。  ここは一番家庭の平和、向う三軒両隣り覚えめでたくせんための、これも男のわざのうち、くるりとふり向き顔を寄せ、唇吸うも浮世の義理と、思いしは亭主のうぬぼれなり、その次第につきては、後段に詳述すべし。  今の世の妻たち、夜は|かーらー《ヽヽヽヽ》髪にまといつけて釈迦如来の如く、肌またおびんずる風に光らせ、仏に帰依《きえ》の心よほど深ければ別、まず亭主をして鼻白まするものなるが、明けての後はさらなり。白河夜船のひり出したる寝|脂《あぶら》べっとりと、海洋汚染よろしく浮き立ち、眼やに鼻くそこびりつき、朝の仕度のいそがしさにかこつけ、いっさい手を加えぬ故、まともに見ればまずは眼の毒気のさわり。  いっそ夜鷹よろしく、手ぬぐいでもかぶればまだしも、あるいは闇のたすけがあればともかく、いかに公害の世とはいえ、朝の光いと清らかに、凝脂溜垢くっきり写し出す故、亭主たまらず眼閉じれば、「いやぁね、すぐ気分出しちゃって」おぞましき声音をもらし、裾ほつれたる|ぱんてぃ《ヽヽヽヽ》を、ぬぎ捨てまるめ|きっちん《ヽヽヽヽ》の、角なる白き洗濯機、めがけて投げればあやまたず、すぽりと槽に入りこむ、げに手練の術とやいわん。着つつなれにし古女房、なまじのことでは、埓《らち》あくまじと、横なるべきを縦におき、すでに啓蟄《けいちつ》はるか過ぎ、時節はずれの位取り。穴もぐりせんと努めしが、何分長き腰弁の、明け暮れすごすその内に、腰にも脚にも力失せ、一つ突いてはたたら踏み、二つ引いてはよろめきて、助けるつもりの妻はまた、のしかからんと体を寄せ、さながら小兵貴ノ花、高見の寄りを徳俵、足一本で支える如く、家鳴り震動すさまじく、足下の|たいる《ヽヽヽ》背後の壁、打ちぞ破らんばかりなり。 「やっぱり無理よ、こうしたら」妻、|きっちん《ヽヽヽヽ》の窓を明け、枠に肘つきうらうらと、光のどけき春の日の、めぐみ楽しむ態をなし、しず心なく散ろうにも、いと太々しき花片の、あらわとなるを意にとめず、もじもじ腰にいざなえば、夫も今は覚悟決め、押しくら饅頭押されて泣くな、いや、早く哭《な》けぞかし、いき給え、壁の時計をうかがえば、すでに定時の準急に五分おくれてありぬ。  五つとせ前はこの妻も、白羽二重の滑らこさ、むすぶ下紐をしどけなく、ひもとくなんぞありもせず、闇にこめたる体臭の、しだいに熟れて香ぐわしく、時しいたればひたぶるに、ただうちふるえ袖をかむ、嗚呼しおらしきその風情、昔の姿は夢のまた夢。  このまま、妻をして果てさせるべからず。何分今は出勤時、駅へと急ぐ腰弁や小学生の姿|櫛《くし》の歯をひき、そこへ子供心に怖ろしく聞きし空襲警報の如き、あるいは|とど《ヽヽ》の断末魔よろしき雌たけび、ひびき渡りなば、世人の驚きいかばかりぞ。すでに見れども見えず、聞けども聞こえず、しだり尾の長々しきよだれひいて、玉の緒絶えんばかりといえば賞めすぎ、まずは破傷風の手おくれに、かも似たり。  もつれたままで、二頭四脚の怪物後じさりし、後に眼のなければ、たちまち|てれびじょん《ヽヽヽヽヽヽ》受像機の|こーど《ヽヽヽ》足にもつれ、どうと打ち倒れしが、いかがしたりけん妻、虚空つかんでグェッと一声、「もう一度、おねがい」仰向けざまに尻から落ち、しかもお荷物かかえてのこと故、|尾※[#「骨+低のつくり」]《びてい》したたか打って言葉も出ぬ夫を、背負うが如く立ち上らせ、さらに一度、なお一度、ようよう気の済んだるか、そのまま大の字に横たわり、夫、文字通り尻の下にうちしがれ、一足早き駿河地震は、生埋めの図。  しりえにまわるねばつきの、臍をひたすも心わるく、起き上らんと試みたれど、汐吹く鯨の陸上り、頬返しつかぬまま、こうなりゃ毒皿のいっそ一日をずる休み、うとうとしかけた寝入りばな、「さぁ、急いで急いで、忙しいんでしょ、走れば次ぎの急行に間に合うわよ」背広着せかけ靴はかせ、甲斐甲斐しき奥さまぶりと、はた目にこそは見ゆるらめ。   昼食前の、筆下《つまみ》交合《いろ》  同じき建売り一軒置いて隣りに、以前なにがしの長を勤めし人の、病い得てひきこもり、あたりの浮わつく暮しぶりの中に、ここばかりは沈気に満ちて、何分家内に長患いと、そして総領の浪人暮し数えて三とせなれば、ことわりぞかし。  この総領、諺《ことわざ》にたがわず甚六なるが、どこやら顔の造作、人気の|たれんと《ヽヽヽヽ》めいて、見るほどの女、つい思いの種を胸に宿し、年もようやく二十の頃、花なら盛り、せめて一枝かざしにねがう人妻、尻軽娘の、数は多かりき。  かの腰弁の妻、年にもあらぬ下萌の、恋の心か好き心、なまじ近くに住まうだけ、押し静むるにも胸苦しく、たまさか道で行きかえば、魚心あらば水心、あるいは惚れた身の欲目、総領も好める目遣いする態にて、いっそとりすがり、わが家へ引きずりこみ、委細はなにより口と口、肌と肌にて伝うればと、思うだに下水うるおい出で、時ならぬ|なぷきん《ヽヽヽヽ》当てしこと、再三でなし。  父が病身なれば、母の苛立ちは無理もなく、まして三度目の正直かなわず、浪々の身には、たけなわの春の、はい出づる蝸牛《かたつむり》、あげひばり、すべて癪のたねにして、いっそ地震でもあればと、ねがうもまたことわり。  やけっぱちの心には、かの妻の訳ありげなふるまいも、色女房のかぐわしさ、腰付きあたりふと思い浮かべてかきやれば、なお顔色あしく形さえ痩せて、とんとまことの恋の淵、たまにかわす挨拶の、そのはしはしさえやさしく思え、気の毒にこの浪人、幼き頃より受験一筋、癇立てたる母の他に、雌と名のつくいっさいより、隔で育てられたる也。  数日前、こちらはこちらで心迷わせ、当てもなくさまよい歩くうち、眼もあやなる|ぱんてぃ《ヽヽヽヽ》十数枚、かの妻が軒端に干し並べたるを、ふと眼にして、思わずながめこみ、そこへのっと妻が顔出しして、|かるめん《ヽヽヽヽ》ならば口にくわえし一輪のばら、投げ与えるところ、妻は|ぱんてぃ《ヽヽヽヽ》とりこみつつ、同じき刺繍の一枚はらりと落して、「あらごめんなさい」なんともかとも見えすいた手口なれど、浪人まんまとひっかかり、小鳥捕えたる如く、両掌に大事にささげ、手渡したるがことのきっかけ。「あら恥かしい、どうしましょう」妻、身をよじれば浪人もならい、「ぼ、ぼく」「お茶でも飲んでらっしゃいな、お勉強ばかりじゃ体に毒よ」ためらう足もとに|すりっぱ《ヽヽヽヽ》ならべ、「誰もいないのよ、小母さんも退屈で」と、誘いこんだる奥の間に、だらしなきも身の一徳、未だ敷きっぱなしの二つ枕、乱れたままにあり。 「お父さん、お体がわるいんですって」「はぁ、脳軟化症で」「まだお若いのにねぇ、お母さんもたいへん」「|ひす《ヽヽ》ばかり起してます」「お気の毒だわ、お手伝いしてさし上げたいけど、それもさし出がましいし」他家の不幸を話の種、「あなたも今がいちばん大事な時なのにねぇ」いいつつ、いかにも同情の態、肩抱き寄せれば浪人身をすくめ、金縛りの態となり、「お勉強疲れかしら、肩が凝ってるわ」どれ、ほぐしましょうと背後へまわり、乳房ぴったり押しつけて、肩より腕へ、ふとももへ、何をもむやらさするやら。つと立ち上り玄関の、鍵をかけんとするはなに、のっと出でたる御用聞き、突っけんどんに追いかえせども、新聞勧誘洗濯屋さては水道NHK、よこしまなれどこれも色、恋路の邪魔が櫛の歯ひいて、怖気づいたる浪人の、浮足立つのは年増の功、なだめすかしの手管があれど、幼稚園へ通う子供の帰宅、せまり来たれば詮方なし。  またの逢う瀬を針千本、小指と小指にとりかわし、この日こそはと首尾とげる、妻の昂ぶりたまらずに、まずは朝飯前のお茶漬けと、夫にいどみかかりしなり。そうとも知らず火のおさえ、家内安全ねがいつつ、応えし夫ぞ、あわれにもおかし。  いまだそこかしこ、あやしき臭い立ちこめたるを、妻、|こんふぃでんす《ヽヽヽヽヽヽヽ》や|きむこ《ヽヽヽ》やら、心利かせて身づくろい、いかなる自堕落おひきずり、色ともなれば眼端《めは》し行きとどかせるものにこそ。浪人、塾へ出かけると、いったん九時にいで立ちて、児童公園のここだけはなにやら霜枯れた中に、時やり過ごし、十一時、かの妻の住いする裏口ほとほととたたけば、自動|どあ《ヽヽ》の如くするりと開き、このたびは思いの息をそれぞれに、深くつき合い手をとりて、見かわす眼と眼もしおらしや、浪人うつむき加減となるを、「うるさいでしょ、お隣りが」妻、唇に手を当て、足音しのばせ家内に引き入れたり。  妻はいとど浮かれ心、浪人また気のみはやりて、しばしだんまりのままなりしが、向き合い坐すこと数分にして、「あなた、もてるんでしょ」ことさらうらみがましく、妻いいたれば、「そんなこと、ぼく、女の人としゃべったこともありません」「嘘ばっかり」|かーてん《ヽヽヽヽ》越しにさし入る光うけて、浪人の頬は桜色、妻の眼元はうれしさの、あふれこぼれて淫ら色。世が世なれば、鳥辺山露の果てにぞ身を契る、みそかごとも民主主義なれば、鼻唄まじり。  浪人、新発心なれど年が薬、まして手がきの技に年期入りたれば、やがて心得顔に妻のなにくれとなくあやしたてるを、仰向けのまま冷静に受けて、「どう? 感じる?」たずねられた時は、うなずきつつ胸のうちには「カンジルカンジルシアワセカンジル」と、CM|そんぐ《ヽヽヽ》思い浮かべたるなり。  それ男女の一儀は、戦いにことならず。のっけには優位にありし妻なれど、立居振舞い息づかい、おぼこ娘新鉢の床にも似て、その心根を浪人見抜き、以後はおっとりかまえて、わが家とまったく同じ間取りの、部屋のたたずまいなど半眼にうかがい、やがて、くるまれたる如き感触を得て、上体起しうちながむれば、妻打ち伏し、しきりに上下しつつあり。べつにとり立てての感興も起らず、なれど無言の行も気の毒に思え、「ウーム」とうなりたてしは、|ぽるの《ヽヽヽ》映画より仕入れし知識。 「あら、駄目よ」とたんに妻、はね起きて金鉄の如きものむんずとひっつかみ、「我慢してね、若いから無理もないけど」ぬめぬめと光る唇さし寄せ、浪人、いささかありがた迷惑、つい顔そむけたるを、なお勘違いして、「恥かしがらなくてもいいのよ」妻、ぬるりと舌さし入れ、浪人仰天、こればかりは話にきくだけでは判らぬことなり。  思わず手足ちぢめたる、その虚につけこみ、吾子のむつき替える如く、押しひろげかき分け、しみじみと色を賞でつつ姿形を楽しみ、美男に大魔羅なしのたとえ通り、しかも雨にゆるみてこそあれ半開きの莟《つぼみ》。縫い目のあたりから、さらに溝にかけ、そろりそろりと指はわすれば、おのずとにじむ湧水の、いと清らかなるも若さかな。  泥亀の今は龍に変じ、珠をのぞんでそそり立つ、妻なおじらす如くに放置して、|といれっと《ヽヽヽヽヽ》へ駈け入りたるは、わがうるおいのあり余り、たずぬる路はぬかるみか、八幡の沼の底知らず、手ごたえなきを怖れたる也。  もどってみればあなうれし、浪人自ら着衣脱ぎ捨て、痩身にはあれど胸の合い、つよき毛なみのほの見えて、肋骨浮き出たるも、いともの珍かなるながめ。男のすなる愛撫こころみんとて、いとちいさきその乳首より、腋の下に向けて唇はいずらせ、ふと妻は、中年男の好むときく水揚げの楽しみ、腑に落ち、さればなおいとしさいやまして、「怖くないのよ、じっとしてらっしゃいね」と、言葉さえ、うつけて似かよわせたり。  浪人の、しなやかなる指導きて、夏草のおいしげりたる土手の道、さては地割れのそこかしこ、はいずらすれば、おのずから指うごめくも頼もしや、「好きなようにしていいわ」忍んだつもりのささやき、つい甲高くひびきしも、もはや押えのきかぬしるし、むんずと龍頭ひっつかみ、内にかき入れゆさぶれば、何条もってたまるべき、浪人あえなく極楽浄土。  妻なお五体おののかせ、男の胸に伏せたまま、首尾よく仕止めし筆下し、夫と手取の床相撲、四十八手の色どりも、楽しみなれどこれはまた、おのが鋳型にはめこみて、好みの型に仕立てゆく、その味わいが先きの喜び、心中深く期するところありて、しつこくはまといつかず、「そのまま待っててね」てっとり早くおしぼり用意し、「あらあら、こんなに汗をかいちゃって」ふき清めしが、なに、おのが肌えなるを移したるなり。  さすがに浪人気恥かしく、立ち上らんとするのを、「|かーてん《ヽヽヽヽ》に影がうつると、変に思われるでしょ、四つんばいになって」姿勢低くさせて、「お勉強にあきたら、またいらっしゃいな、お茶くらいいつでも御馳走するわよ」妻にその必要なけれども、浪人と同じく四つんばい、裏口ヘ二匹どたどた向いしは、みそかごとにしあれ、いと浅間しき姿にこそ。   八つ刻なれば、悪戯《あそび》交合《いろ》  牛のなにやらにかも似たる浪人のふるまい、それはそれで十分におもしろかりしなれど、この妻、天性の好き者にて、思えば女子中学生の頃より、何かにつけてわが身ふくれかゆく、一夜たりとて須磨の浦、漕ぎわたらねば寝もやらず、夏はみじか夜宵の内に、濡れたる沖の石、どうやら朝まで保ちしも、長き秋の夜すがらは、二度の勤めの、なくてはかなわず。  とある友の、試験勉強にことよせ、泊りたる時、どうせ初手からよからぬ無駄口、同級生の誰それすでに通じたりやら、男のものにつきて、象なでさする当て推量、はの字忘れて色ばかりの、手習いするうち、「ねぇ、これ何だか知ってる?」友のとり出したるは、|らばふぉーむ《ヽヽヽヽヽヽ》製の一枝。かかる工物の世にあると、妻も耳にはしてあれど、眼にするのははじめてにて、珍しとみる初雪の、手にとるうちに心さわぎ、「大丈夫かしら、こんなの」うわべこわごわつぶやけば、肥え脂づき早熟ものの、友したりげにうなずきて、「真物《ほんもの》よりはずっとちいさいんだもの、いわば|じゅにあたいぷ《ヽヽヽヽヽヽヽ》よ」  夜毎弄べばすなわち情移りたるか、友、物惜しみしてとりかえし、「あなたも、一つ手に入れたらどう?」「いやよ、怖ろしい」「どうだか、爪みりゃ判るのよ」「爪?」「伸ばしてないじゃないの、右手の三本だけ」たしかに図星で、須磨の浦、舟漕ぐ身には爪が邪魔なり。 「全然ちがうわよ」いわれるまでもなく、妻にも覚えはあるなり。もどかしさについじれて、手近かの似たり具見つくろい、おっかなびっくりあやつって、しかし、関所破るまでの勇はなし。これなれば、肌に合うべしと、にわかに眼の鱗落ちたる心地して、以後、工夫をこらし、窮すれば通ずるとかや、|らばふぉーむ《ヽヽヽヽヽヽ》こそは手に入れね、化粧道具の|すぽんじ《ヽヽヽヽ》型抜きて、夜毎の弄花。若草は夕立ちの後の蓑の態、早咲きの花片とく色づきたり。  さりながち、絵にかける餅、作れる花の心地はいかんともしがたく、とくとく真の契り得んものと、弄花の後はことさらに、思い沈むも年頃なれや。高校生の頃、カキ屋にめぐり当り、こは変態にして、若き女子見ればついとあらわし、これ見よがしにしごくなり。塾よりの帰途、電柱の暗がりにうずくまりありし変態、妻の眼前に隆々とそびえ立て、はじめて間近かにする故の、|しょっく《ヽヽヽヽ》もあれど、この逸物、鬼のつのめく突起を有し、赤青数条の筋うちまじりて、とてもこの世のものとは思えじ。  逸物に較べれば、|すぽんじ《ヽヽヽヽ》の、いとたよりなく情けなく、家庭教師勤めありし、今の夫、われより誘いてようように宿願をとげ、とはいうものの、気ばかりせいて、十六歳の体にはただ大口に物食いし如く、痛みの後も幅ったくて、しごく幻滅。唐がらし食った金魚の態、口ばかりぱくぱく開け閉じしてありしが、夫は実直の性にて、互いに未熟なれども、先きの夫婦の約、両親に申し入れ、五年後に結ばれたるなり。  久しく漕がぬ須磨の浦、何やら恋しく思い出せしは、浪人の青臭い肌の香りに、妻も若き日のことどもよみがえりたるか、家内見渡し、男に似たる道具はなきかと探せば、まず鏡台の前の化粧水の瓶、清涼飲料水の小瓶が眼につき、|きっちん《ヽヽヽヽ》の青果にもあれば、水洗|といれっと《ヽヽヽヽヽ》の引き手、|どあ《ヽヽ》の|のぶ《ヽヽ》、電話の受話器さえ、ものの用には立ち得べし。思えば、破瓜《はか》の折りはさらなれど、新婚二、三カ月のうち、いっこうしっくりとせぬまま、こは夫が粗なるか、われが広大なるか、週刊誌のしかるべき記事むさぼり読み、苛立ちしものにて、なれど三月過ぎし頃、男のすることを女からしかけて、なりふりかまわずおっつけはっつけ、鼻息のやがてはたけりと変じ、夢のうち怖ろしきことに出会いし如く、うなさるるうち、ようように行くを得たり。  それからは、一つじゃ少なし、二つはわるし、三つ重ねの組さかずき、盆暮のべつなく乳くり合い、雨の降る夜はしっぽりと、雪の夜はまた寒い故、夏は裸がいっそ気楽で、七夕様は馬鹿だねぇ、総身の毛穴五体の小骨、ゆるめきしめて、かわせし枕の数とても、空にはいえず。ついに足りずに、徒《あだ》し男《お》と、みそかごとにいそしみて、はじめこそは夫に気がね、いちいち顔色うかがいもしたなれど、一児を生《な》せばまさかあるまじきこと、いっち気楽に鼻毛をのばし、疑う気配のさらになければ、残《のこ》んの色香失せぬうち、陽のあるうちの男漁り。  あれこれよみがえらせるうち、なおたかぶりのいや増して、妻はたまらず|どあ《ヽヽ》に寄りそい、|のぶ《ヽヽ》をためせどいかにも先太、水洗のとっ手はまた細身にて、もどかしいばかり、男求めて盛り場へ出るには、時すでにおそし、やがて子供の帰るならん。色に欲深しとて、そこは聖代の妻なり、たしなみのほど心得てあれば、押入れ引きあけ、天井見上げ、以前は電球なる利器おわしたれど、螢光燈にかわって詮かたなし。  いざその気になれば、長短大小すべて半端なり、まこと逸物とはよく名付けたりと、しみじみ腑に落ち、鼻息ばかり野荒しの猪、ひびかせるうち、「ただ今」あどけなき声のして、一児、幼稚園よりもどれり。 「ただ今」と二度さけびて、応えのなければ、子供心にいぶかしく、|まま《ヽヽ》とさけべど、妻にこたえるゆとりなし。それでもどうにか居ずまい正し、「|まま《ヽヽ》は少し|きいき《ヽヽヽ》がわるいの、お八つは茶箪笥の中に|くっきー《ヽヽヽヽ》があるわよ」「はい」この児、生来虚弱の体、小ぶりなる手つき足つき、ばたつかせて、妻のもとにかけよるを、意馬心猿の妻、ああ、この大きさやわらかさなれば、さぞかししっくりと、手足なでさすり、知らぬ人この姿見れば、まこと慈愛深きは母の情、疲れしわが児の五体いつくしみつつ、愛撫するかとこそ、思ほゆれ、げに怖ろし女なり。   夜食の後の、密通《ぬすみ》交合《いろ》  朝に一儀とり行いし故、待ちかねたる夫の帰宅も、栄養補給しあらざれば、空しと、心得て妻、山芋|ればー《ヽヽヽ》煮生卵、きんぴら牛蒡《ごぼう》にんにくいため、いたらざるなくとりそろえ、待つほどに正七時、足音近づきて、やれうれしと思う気持は、たちまち裏切られ、友四人を同道せしなり。夫にすれば威風堂々、少々勝手なふるまいも、許されるべしと、麻雀の心づもり、神なればとて、妻の苛立ちなど、察するべくもあらず。 「こりゃ奥さん、気が利いてるなぁ、さすがぁ」と、友人勝手に心づもりの栄養品をつまみ、夫は馬鹿面にて牌の仕度、建売りの薄壁にては、とても麻に雀のさわがしさ、さえぎるべくもなく、いっそ怒鳴り立てたき胸の内、だが良妻の名も捨てがたく、子供と添い寝の布団の襟、かみしめるうち、ふと気づけば、麻雀は四人で行うはず、一人余るのは、いわゆる二抜けならん。されば、夫もやがては手持ち無沙汰となるはずにて、その期を狙えば、半|ちゃん《ヽヽヽ》およそ四十分、しみじみ堪能できるはず。  おのが意伝えんと、|ねぐりじぇ《ヽヽヽヽヽ》の上に|がうん《ヽヽヽ》ひっかけ、まかりいでたれば、うたてやな、夫は負けがこみ、原点にもどるまで、抜けずともよしと、こは客人の心づかい。「くたびれちゃいますよ」妻の言葉も上の空、「|りーち《ヽヽヽ》」とさけんで打ちし夫の牌、たちまち満貫にぶち当りて、「うーむ、ついてない」ついてないのは私の方と、妻身勝子なふくれ面、また布団にもどりしが、到底ねむれたものにあらず。  気づけば、|きっちん《ヽヽヽヽ》のかたにて、軽やかなる鼾の聞こゆるなり、何ごとと様子うかがうに、二抜けの男、長椅子によりて仮眠するなれば、風邪をうれいておのが毛布、両手にかかえて忍び足。かけつつ男の顔の前に、わが唇さし出し、ゆり動かせば、「おう」寝呆け声にこたえるを、指に制して、なお唇さし寄せ、男あわててしりぞかんとするも、せまき|そふぁ《ヽヽヽ》にその余地はなし。  鬚濃き男にて、ざらつく頬ざわり好もしく、たしか夫の部下にて、未だ新参のはず。なまじ物音立てたれば、のっぴきならぬ疑いをまねくはず、今は妻のなすままに身をまかせる他なく、五体硬直させたるを、肘でつついて眼で知らせ、|といれっと《ヽヽヽヽヽ》へこそは導きたれ。  建売りなれば西洋式一穴にて、まずこっそりとふたをしめ、二抜けの男すわらしめて、|ねぐりじぇ《ヽヽヽヽヽ》かきひろげたれば、今は据膳断るべくもなく、男、妻の手を引き、あらためて固めの口吸い、気づかざりしが、苛立ちのうちに妻の喉からからに乾ききり、唾はまさしく天与の甘露。水洗の管しっかと片手ににぎり、乗馬の態にてのしかかれば、男、しごく巧者にて、両手後に突き、大波の寄せるが如くうねり立て、身動きままならぬだけに、小術をきかせ、「誰か来ないかしら」妻の言葉に、耳かたむけて座敷をうかがい、「どうやら裏に入ったとこかな」  裏ときいて、妻あらたなる趣向思いつき、 「あなた、裏はおきらい?」「いや、裏でも表でも」すぐと察して、この分なれば、さぞかし勤めにても、利け者ならん。体入れかえて、妻はふたに両手をつき、背後に二抜けが、立小便の態。のぞませたるが、場所はせまし、滑りしとど伝わりたれど、力こむるたび上下へはずれ、ややもすれば故郷にぞ、追風なれ。  かくてはならじと、手持ちそえ、残る片手は腰に当て、引きしめつつもおもむろに、兵馬すすめて、あしらえば、またつと外れてそのままに、桃源洞へと入りこむ。陽のあるうちより気の悪さ、今ようように思いとげ、しかも亭主を壁一つ、向うにおいてのみそかごと。  かくはじらされ、妻もはやなにがいいやらわるいやら、夢とうつつの別なくて、ふたくだけよとにぎりしめ、思わずもらすうつけ声、二抜けすかさず水洗の、紐ひいてこそまぎらわしたれ。  ようよう果てて、お互いにはじめて見合わす顔と顔、二抜けの額にうっすらと、にじみし汗もいとおしく、妻|ペーぱー《ヽヽヽヽ》でぬぐいやり、出でんとしたるその時に、思いもかけず|のっく《ヽヽヽ》のひびき、「入ってんのかぁ」まごうかたなき亭主の声は、|といれっと《ヽヽヽヽヽ》にでも入り、|つき《ヽヽ》をかえなん胸算用。「すいません、すぐ出ます」二抜けとっさに返事したれど、もし夫、妻の寝所うかがいたれば、その不在を怪しむはず。広くもなき建売りの、他に身を置くゆとりなし、思わず二人抱き合いて、南無三宝と神頼み、「こいつの|うん《ヽヽ》がついたなんていわれるのも癪だな」露知らぬ夫、そのまま雀卓にもどり、襖の閉まる音確めて後、二抜け|そふぁ《ヽヽヽ》に倒れこむ。  一人になれば、世の中にはばかることなき、方二尺、妻のんびりと身づくろい、ものはついでとしゃがみこみ、放つ尿《いばり》の音さえも、いと清々しくひびく也。この後、精気減じたるか二抜け男、ふりこみつづけて、結局、夫どんじりはまぬかれたり、なれど、これをしも内助の功とは、いかな欲目もいいがたし。   [#この行4字下げ]女三児をなすとも、心許すべからずとは、古《いにし》えの諺。まして当節、三児は稀にて、夫の不在、いや、在宅中にても何しでかすか判ったものにあらず、団地なれば、周囲の眼うるさし、また間借のうちは、そのゆとりもなし。なれどままごとめいたる門構え、建売りに住まう妻の生態、人は奥様とたてつれども、思いの他のうつけぶり也。夢二が頃の、奥さまの一日、なつかしめばすなわち老いのしるしと、そしらるるは承知の上、げにすさまじきは、今風の妻、お節介なれども、ゆめにもたかをくくるなかれ。 [#改ページ]   四畳半《よじようはん》 濡色草紙《ぬれいろぞうし》   箱入りはとつくに過ぎて棚卸し     虫さへ食はぬなふたりん開 [#ここから4字下げ]  まされる宝、生娘《きむすめ》にしかめやもと歌う中年あれば、新鉢《あらばち》こそ苦多くして功少しと小鼻うごめかせる色好み、人それぞれにいいたい放題し放題、楽しみて淫せずとは聖人のいましめなれども、これを守れば野暮の骨頂。苦しみてなお淫するが粋のきわまりなり。そもそも賢くも二柱の御神、その名も天《あま》の浮橋《うきはし》の上にて、初交なせしより、伊呂波四十八文字の頭二文字こそが、お国ぶり、五十音の初一行は、「嗚呼、いい、(もっと)上を」と桜田御門のとがめだてなきが不思議の、これ痴言《しれごと》也。  四畳半、色に濡れて、ようように人と生れたる甲斐あり。生娘あれば苦をいとわずに、味わいよきもの、与うるが仁、いかなる醜女《しこめ》がを相手どれども、あえて自ら鉄槌《てつつい》と化せしむるを義、しこうして、精水三斗放ち終え、頭うなだれたるは礼、四十八技の裏表こそは知にして、しんしんとろりといちゃつくが、男女の信なり。 [#ここで字下げ終わり]   第一章 仁の巻  むかし生娘というは、ひたすらに男を怖ろしげに思い、ようよう色づきたる後も、恥らい先きに立ちて、見知らぬ男と、なれなれしげに口をきくなど、えあらじ。よろず初心にして、あどけなきものなりしが、近来、とみに好き心きざして、男のはくなる|じーぱん《ヽヽヽヽ》、前あきの|ぼたん《ヽヽヽ》ことさら仰々しく、|みにすかーと《ヽヽヽヽヽヽ》の八文字は、さなきだに短きすそなおひらめかせ、内衣あらわとなるも、気にとめず。  これまでが猫をかぶりしか、あるいは、これも|でもくらしい《ヽヽヽヽヽヽ》の効験のうちか、十三ぱっかり毛十六といわれたるは昔、小学生のうちよりお馬の手綱のさばきを心得、中学に入らばはや仲間うちで魔羅さだめ、親の欲目にねんねでも、実は男とはやねんね、無垢《むく》の羽二重ほころびたるも稀《まれ》ならず。  花の都の桜花、形にとりし校章を、襟にかざせるはで娘、とって二八の色盛り。春はや過ぎて白妙の、|せーらー服《ヽヽヽヽヽ》も涼しげに、のべし二の腕雪の肌。いと清らかなれど、そこが今風、顔に似ぬ心ざまにて、親の目顔をしのび書き、|らぶれたあ《ヽヽヽヽヽ》のやりとりから、|ぼーいふれんど《ヽヽヽヽヽヽヽ》と夜更けの|てれほんせっくす《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》にいそしみ、されど受験地獄にからめとられたる|ぼーい《ヽヽヽ》ども、|あんびしゃす《ヽヽヽヽヽヽ》も生娘もいだきかねて、あわれ乙女はじれるばかり。  じれる想いの募《つの》っては、恋わずらいの床に伏し、べつに誰との当てもなく、ただ抱かれたい吸われたい。子供の心親知らず、はやりの風邪か生理痛、気色すぐれぬ有様も、「この年頃にはよくあることなのよ」|まま《ヽヽ》、わけ知りぶって、おざなりに医者の往診を求めたり。  親代々の医院にて、去年大学出たばかり、盲腸のありかもうろ覚え、藪《やぶ》ともいえぬ若先生、年恰好やら顔形、実は娘に何よりの妙薬、「どれどれ、ちょいと脈を拝見」いわれて娘恥かしく、消えも入りたき風情にて、身はわなわなとふるえだし、いかさま奇病の態にて、「こりゃ、いけませんなぁ、はい、口をあけて」ふせったままにて二、三日、口すすがねば悪臭を、吐くやも知れずとためらうを、「少し、胸をはだけて下さい」先生、けろっと聴診器、耳に当てつつ、つぶやきぬ。  なおもとどろく胸のうち、若い男にあちこちを、ふれられさすられこれでもう、死んで本望いまははや、いわるるままに、|すりっぷ《ヽヽヽヽ》を肩より下ろし、うわむきの、胸にはあれどこんもりと、並び丘なるその上に、|ぴんく《ヽヽヽ》の乳首そそり立つ。  若先生もこれまでに、患者の多く診《み》たれども、そのたいていは中婆ァ、娘盛りはしごく稀、|しょっく《ヽヽヽヽ》を受けてのみこみし、唾ごくりと音高く、受けて娘の熱い息。思わずにっこり笑い合い、うれし涙に病いの気、たちまちとけておもはゆく、しばし言葉もなかりしが、「どこか痛みますか」かすれ声にて若先生、たずねるままに下っ腹、浮かしかげんに眉ひそめ、「ここらあたりがしくしくと」「どれこのあたりか、それともこちら」「ええもうどこでも好きなように」幸い母は座を外し、人眼のなきを幸いに、あちこち指をはいずらせ、娘巧者にあやなして、ついすべりこむ玉の門。 「ああ」と吐く息火と燃えて、横にそむけし眼のしりえ、はやほの紅く色づけば、若先生も野荒しの、猪のごと荒い息、母のもどるをはばかって、左にしっかと聴診器、右は布団へ昼這いの、じれったけれど、これもまた金であがなう遊びなど、及びもつかぬおもしろさ。 「お薬を上げようか」「うん」したり気にいう男の言葉、うなずきながら娘わずかに唇を開き、さしこまれし舌ひかえ目に吸い、「お注射したげようか」かさにかかっていうのを、「ここじゃいや、だって」いたずらっぽくにらみかえし、濡れぬ先きにもなにも、初手からどしゃぶり、さりとて若先生に笠のそなえはなし、後日を約して退去せしが、娘めっきり元気づき、劇的効果あに|ぺにしりん《ヽヽヽヽヽ》のみかは、|ぺにす《ヽヽヽ》りんとおったてたるも、四百四病の外の患いにいとあらたかなるものなり。  年頃に、春の水おのずと満ちて、土手際満々たるを、放置するはよろしからず、時に応じ、迸《ほとばし》らせるもまた仁の道、医師のつとめの一つなるべし、故に、年頃の娘の病いには、大国手の肩書よりも、「若」の一字がなによりの妙薬と知るべし。   第二章 義の巻  あるところに、丙午の年、午の日午の刻に生れし女あり、しかも生れついての醜女《しこめ》にて、生れも悪し器量も悪し、いかなる仲人口《なこうどぐち》とても頬がえしつかぬまま、空しく三十路《みそじ》を過ぎぬ。  二十の頃は、何も嫁となるだけが女の道にあらじと、けなげに生き、負い目あればこそ気働き常より勝って、|さらりー《ヽヽヽヽ》も男に負けず、重宝がられしが、三十娘いかず後家の陰口、聞かずともおのずと耳に入りて、それだけならばまだしも、男女色のやりとり、強いて遠ざければそれだけに、いちいち毛穴にしみて、背筋うちふるえ、気も狂わんばかり。  さりとて今更、ものほしげなるふるまいすれば人にあざ笑われるはまだしも、毒牙みがく結婚詐欺師をこちらより招くやも知れず、三十させ頃の五体もてあまし、悶々の日を過ごしたり。  ある夜の雨しめやかに降りしきりて、さなきだにわびしき折ふし、女、つくづくわが身のしあわせうすきこと思いかえし、さすが死んだがましとまではわが身さいなまぬまでも、せめて水気|涸《か》れぬうち、男の熱き情にふれてみたし、相手は誰なりと、えり好みせずと、なげきつつ少しまどろみける夢に、顔かたちさだかならざる男の、断りもなく部屋へ押し入り無態なるふるまいに及ぶ。  すなわち、あらがう女の腕を羽交《はが》いに締め、乱れし裾にむくつけき足分け入り、唇押しふたがれ、乳房もみしだがれ、五臓六腑ずたすたに切り裂かれる如き思い、これは夢とはっきり女心得たれども、さめるが怖ろしくて、ことさら男のふるまいに身を合わせ、心うれしく艶夢をむさぼりぬ。  これより後は、ねられぬままに、夢のつづき追い求めて、あやしき妄像に寝相を乱し、一人よがりの声、ふと耳に恥かしく聞けども、指づかいのとどめもあえず、|てぃっしゅぺーぱー《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》いたずらに色を乱して、さびしき夜の飾りとはなりぬ。  同じくふるまいし夜の、ふと気づけば、妄像にはあらで、たしかなる男の体臭、肌のさわり、いや、息苦しきはその重みのしかかるためと判り、反魂香《はんごんこう》ならぬ於満香の、たゆとう匂いにさそわれて、実物のあらわれたるならんか。  怖ろしくはあれど、夢と同じくなすままにさせ、もとより閨《ねや》の暗ければ、顔はさだかにみるよしもなく、無言のうちにうごめきたる、男の影をこそ頼もしくながめたれ。口と口吸い合わせても三十女の、しかも新鉢とあれば、舌出すべきことさえ心得ず、ついしっかと噛みしめる、その根かたやんわりかきなでて、男なかなかの達者なり。  つきたての羽二重餅にかも似たる、柔肌そこかしこまさぐる掌《て》の動きにつれ、女、芯より熱を生じて、われながら吐く息の生臭く、かつ、一人暮しの不精から、三日風呂に入らざりし五体、いかにもけだものじみた異臭を発し、されど、心は有頂天、天上に昇る心地して、薄毛かきわけ、うす皮にふれる男の指先きの、かたじけなさやらありがたさ、これをしも、仏の手わざというならん。  くいしばる歯のいつしかに、うっすらひらき、とどめんと、すれども息のせわしくて、すぼめる脚の力なえ、後髪もたれ奈落の底へひっぱりこまれる如き心持、あられもなきわが姿なれば、なお心たかぶり、いっそもっとと胸のうち、ねがう心の通じたるか、男、あれこれあやなして、暁まで腰をすえ、ようよう立ち去りしはてもしたたかな強者なり。  女、春にはあらざれど、陽の昇りたるも心得ず、死人の如く横たわり、またの逢う瀬ねがおうにも、どこの誰やらたずねるすべなし、ただ余香大事にしまいおき、いねがての夜のよすがにと、たのむはいとあわれなり。  半月の後、新聞に一人住いの女を狙う、強姦魔逮捕されし旨の記事出でたり。その手口やら年恰好、さだかに覚えはなきも、女のつくづく思いかえせば、過ぐる夜の男にちがいなく、袖すり合うも他生の縁、ましてこすり合いしは、男女もっとも大事の箇所なり。  打ち捨ててもおかれじと、寿司の折詰求めて、男の留置されたる警察署へおもむき、男の名をつげて、遠縁に当る者とさし出せば、お巡りつくづく女の顔をながめて、「朝からあんたで、十二人目だよ、よほど縁者の多い男だなぁ」感嘆したり。  件《くだん》の男、背いと低く貧相なる顔立ち、ただ身の軽きがとりえにて、無断ながら独り身の女の、夜伽《よとぎ》の相手を勤めたるなり、この男なくば、数多恵まれざる女の、ついに色の道閉ざされしまま、年|経《ふ》りしならん。  いかに闇にまぎれたりとはいえ、醜女のみ相手どり、楽しみを分け与えたるは、義姦というべし、衆にすぐれてやさしき男というべし。   第三章 礼の巻  人の楽しみに、競馬麻雀酒|ごるふ《ヽヽヽ》あり、四季のながめに雪月花あるといえども、きわまるは色なり。それ、浅草へおもむく者は、念彼観音力《ねんぴかんのんりき》を心に誦し、いと殊勝げな面持も、過ぎては吉原|とるこ《ヽヽヽ》のとりことなり、川崎大師参詣が、堀の内|ぼでい《ヽヽヽ》洗いに身を清め、銀座新宿、品川千住、所かわれば品かわる|ほすてす《ヽヽヽヽ》に、通いつめるもつまりは色、色さえできればよしや世の中、いかに移ろうとも、いずくの人情も同じ、この道は一筋なり。  されど、色に身をやつせし光源氏、在原《ありわら》の業平《なりひら》など、そのまねびを常人のなせば、たちまち身を滅すものにして、これらの色好みは天才なり、凡才のよく及ぶところにあらず。  ここに一人の四十男あり、幼少より色を好み、好きなればまた上手の道理、椎の実の頃より浅蜊《あさり》にいたずらしかけて、きらわれる風もなく、さらに赤貝めきたる年の者にさえ、なにやかやとかわいがられ、物心つきたる時は、いっぱしの|どんふぁん《ヽヽヽヽヽ》を気取りたり。  されど、男の二八か二九らしき年、天才凡才の別なく精には強きものにて、朝は朝立ち、昼は無駄魔羅、夕べはまた膝ともみまごう得手吉《えてきち》を、いかにすれば即ちなだめ得るかと、世の中万事この一根を基に、移り動く心地こそすれ。  四十男、年頃に男女共学の制となり、羊の群に放たれたる狼を自らになぞらえ、片端から口説きたてたれど、面皰《にきび》星の如く飾り立て、いかにも浅間しき風情に加えて、うぬぼれのあからさまなれば、自ら恃《たの》むほどにはもてもせず、さればと流行の|だんすほーる《ヽヽヽヽヽヽ》、足しげく通いて、|ちーく《ヽヽヽ》の|たんご《ヽヽヽ》のと、物欲しげな腰つき、尻軽女の二人三人と枕交せば、すなわちこの世をば、望月の欠けたることなきながめと思い、さらに、江戸の粋人通人のまねびして、特飲街にものめりこみ、空よがりの声を天上の楽と聞き、女好きはどことなくお大好しの向きあるものなれど、四十男も例外にはあらじ。  かくするうちに、売防法施行され、年も三十路にさしかかれば、遊び呆《ほう》けてばかりもいられず、縁あって女をめとり、けじめのうちこそ夜討ち朝駈け、矢数も多けれど、すぐに肌のなれが鼻につき、無沙汰重ねれば、女房の気|荒《すさ》むは世のことわりなり。気荒めば、なお遠ざかるは、これ悪循環の最たるものにして、「クソ爺い」「いんぽ」と猛々しき妻のものいい馬耳東風と聞き流すゆとりは、すなわち幼少時より、色好みにてありし自らの記憶、その気になれば女の一人や二人と、ひそかに思えばこそ、気にもとめず、しかし、四十になれば、そうそうに|ちゃんす《ヽヽヽヽ》もなし。  |はんとばあ《ヽヽヽヽヽ》にて、少女めきたる女の、誘い水まつ流しめにふれ、半ばその気は起れども、先き立つは分別なり。|ばあほすてす《ヽヽヽヽヽヽ》のねだり腰、もじもじとふとももにこすりつけたるを、必死にこらえるも、後のたたりを慮《おもんぱか》ってのことなり。以前なれば、芸者狂いや妾の一人二人、持って当然の年頃なるが、何分先き立つもの乏しく、さりとて、素人ほど高くつくものもなし。  われこそは色好みの男なりと、自ら信じつつ、義理のまぐわい月に二、三度、さすがに情けなしとて、意を決し、喫茶店の|れじ《ヽヽ》つとめる女、かねてより中年好みを口にし、男にあからさまな好意みせたれば、八方に眼をくばり心働かせ、後の憂《うれ》い少きことたしかめた上、|もーてる《ヽヽヽヽ》へ誘い込みぬ。  この|もーてる《ヽヽヽヽ》、新築にして、回転|べっど《ヽヽヽ》とやら妖《あや》しげなる仕掛けを備え、|れじ《ヽヽ》の女、興味しめしたれば、うわべは見学の態、中年ともなれば口実にも、他のうかがい知れぬ苦労を要するものなり。女、もとよりその気十分にして、|べっど《ヽヽヽ》みるなり「わぁ、素敵、お伽噺《とぎばなし》みたい」と、妙な台辞《せりふ》口にし、|すぷりんぐ《ヽヽヽヽヽ》の具合ためすごとく、はねとび、そのつど色めきたる下衣、あらわとなって、さらに、「熱いから脱いじゃう」|ぶらうす《ヽヽヽヽ》取り去り、長々とのばせし腕の脇、しおらしげな薄毛のたたずまいは、それほどに男なれぬしるしならん。  中年男、風呂の仕度ととのえ、女の寝巻き用意し、あれこれ心きかせたるは、この場にいたりても、いっこうにふるい立たぬおのが心ざまにいささかうろたえ、何やかやするうち、うつぼつたる力の、湧き出るはずと、つまりは時間稼ぎ、そうとは知らぬ女、「親切なのね、小父さま」「若い人って、ガツガツしててきらい。あら、でもそんなに知ってるわけじゃないのよ」すずやかに笑い、週刊誌|ぐらびや《ヽヽヽヽ》頁の|ぬーど《ヽヽヽ》風|ぽーず《ヽヽヽ》、さり気なくつくるもいじらし。  いよいよ一儀とり行う他になすべきことなく、枕屏風《まくらびようぶ》がわりの鏡に、互いの体ながめて打ち伏し、|すいっち《ヽヽヽヽ》入れれば、ゆるやかに|べっど《ヽヽヽ》まわりつつ昇天すれど、男、きょとんとするばかり、憑きものおちたる心地にて、風いたれども、帆張るべき柱なく、舟待ち受けたれど、竿なきをいかんせん。淫らがましき思い、求めて結ばず、五指に弄《ろう》して、空しきばかり。「どうしたの、小父さま」はや夢うつつの鼻声にて、女身を寄せ、誰にならいしことか、唇はいずらせて、手助けせん心づもり、かたじけなしと思うより、なおうっとうしさがまさりて、「見学するだけっていったろ」「だって、このままじゃいや」「まぁ、今日のところは、これだけにしとこうよ。若い人は、若い人同士で楽しむのがいいのさ」男、したり気にいい、なえ魔羅さとられてはならじと、|ずぼん《ヽヽヽ》に手をのばせしとたん、回転|べっど《ヽヽヽ》はいつしかに、天井近くまで昇りてあれば、ずってんどうところげ落ち、足首くじき肩を打ち、打身の紫すり傷の紅、これはこれで色に染めたる中年の体、さて、妻には何と説明せんか、痛みこらえつつ思案したり。  |れじ《ヽヽ》の女、朋輩《ほうばい》にいえらく、「あの小父さま、とっても礼儀正しいのよ、ああいうのを紳士っていうんでしょうね」衣食足って知る礼節もあらば、色欲去って心ならずもかなう礼の道もあるなり。   第四章 知の巻  人は知によって、人たり得るなり。鶺鴒《せきれい》のふるまいに男女のことわりを知りたる故事あれど、さらに千変万化の技つけ加えしは、これ人の知なり。霊長類に|ごりら《ヽヽヽ》、|おらんうーたん《ヽヽヽヽヽヽヽ》、|もんきー《ヽヽヽヽ》ありといえども、その為す形は一にして、実に人の尊厳は四十八技裏表にこそ存す。  ここに一組の男女あり、亭主腰弁にして、妻はまたありふれた教育|まま《ヽヽ》、何の変哲もなき夫婦なれど、特筆すべきは、知的好奇心旺盛なることにして、夜の営みを、昼もなし、|ほも《ヽヽ》のなす業を亭主こころみて、妻いやがらず、妻はまた|さど《ヽヽ》のふるまいしかけて、倶《とも》に喜悦するなり。まことに世の範というべく、もしそれ週休二日制が通常となりたれば、暇つぶしの第一に、まず色があげられるべし、|でぃすかばーじゃぱん《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》など、いかにいいたてても、限りあり、この道には限りなし。  さればかの夫婦の一夜のあらまし写しみるに、冬なれば炬燵《こたつ》の色、雪は鵞毛《がもう》に似て、散乱すといいし白居易も、陰毛の散乱には何とよむならん、「坊やはどうしたい」「まだ塾からもどらないのよ」「寒いから何か暖いものを作っといてやるといいな」「ですから、鍋焼うどんを」「そりゃ何よりだな」「ついでに一本つけましょうか」にはじまって、「俺は酒であったまるからいいが、お前寒かないかい」「大丈夫、さっきお風呂へ入ったばかりですから」「おあつらい向きじゃないか」「なにがです」「湯ぼぼ酒まら炬燵でしょといってね、冬はこれが何より」たちまち手がふれ足がふれ、「もうじきかえってきますよ、坊やが」「なにちょんの間で」早番にすませて、何くわぬ顔。  初夏の頃なれば、目には青葉山ほととぎす初鰹の刺身、箸でとり上げながら、「昔は何でも、前技のことをおさしみっていったらしい」「へえ、そりゃまたどうして」「どうしてって、ほら、刺身を二枚こうやって合わせると、似てないでもないだろ」「あらいやらしい、そんな色かしら」 「もう少し黒いかな」口説《くぜつ》の果ては、箸を捨て、亭主は刺身のつまみ食い、妻、季節外れの松茸を狩る。  秋の名月に、ふと風流心起して、 「どうだい一句作ってみないか」「わからないわよ、俳句なんて」「簡単さ、古池や蛙とびこむ水の音ってやりゃいいんだから」「あら、古池って、当てこすりなの?」「当てこすり?」「何も古池なんていわなくてもいいでしょ、何さ、あなただって、古蛇のくせに」「古蛇だってこの通り、同じいうなら大蛇といってくれ」「じゃ、古池のお水のませて上げようか」  これでは月のむら雲に、顔かくすこそ道理なれ、四海《しかい》の波時にさわげど、めでたく床におさまりて、つくたび細るは臼《うす》の杵《きね》、亭主の杵は太さいやまし、餅肌のねれまたきめこまやかに、一年三百六十五日、昼夜三度の飯よりも、色を好んで知にふける、まこと幾代の道ぞめでたかりける。   第五章 信の巻  女三人の子は生すとも心許すなといい、町内で知らぬは亭主ばかりなりという、げに女の図々しさ、男に幾倍するものぞ、男、かりそめの浮気にも、妻の手前はばかりて、おろおろと悪い隠し立てが、自ずと露見の糸口を開き、ひきかえ女の尻軽は、みす紙のひとふきに何食わぬ顔、ここにわけても稀代の浮気女房あり。  亭主、男盛りにて、なりわいつきあいに心せき、つい女房かまいつけぬを、もっけの幸い、まず手はじめは化粧品|せーるすまん《ヽヽヽヽヽヽ》なり。  もとより先方にも下心はあり、欲と色との二筋道、誘う水なくとも強引に上りこむが商売のこつと、手引きを受けて訪《おとな》いしが、のっけよりいとにこやかにあしらわれ、 「まぁ、あなたなど御商売柄、いろいろおもしろいお話も御存知でしょう、何か聞かせて下さいな」  珈琲《こうひい》につづいて、麦酒《びーる》ふるまわれ、酌の手がふれるうちはともかく、酔いを口実にしどけなくはだけた胸の、 「昼間っから飲んだせいか、どきどきしちゃって。それともあなたのような|はんさむ《ヽヽヽヽ》と一緒のせいかしら」  あからさまに誘われては、手練《てだ》れといえど若輩の、つい逃げ腰となるのを、「あら、恥かかす気なの、いいわよ、亭主のいない留守に、強引に上りこんで、押売りされたって投書してやるから」逆におどかされるていたらく。  この女房もはじめから、かまえてこの仕儀となりしにあらず、いかにも人もなげにふるまえばこそ、またさらに若さの目立つ|せーるすまん《ヽヽヽヽヽヽ》、からかうつもりが是非もなや、久しく絶えし水の手に、涸《か》れた五体のわれ知らず、つい盗泉におもむきしも、生身なればこそ。  ひとたび味わいし禁断の喜悦、その場にては罪深くわが身をさいなめども、喉元過ぎれば、ただ楽しみのみ思いおこされて、そこは分別盛り。  同じ泉に水|汲《く》めば、いつかはことのあらわるべしと、巷《ちまた》に立ちいで男狩り、さては、女子大同級生の亭主に、ちょっかいを出す。  かりそめの床に汗を流し、波に漂うつがい鳥、互いにほうけた口説の果て、宿立ち出れは大人のつきあい、共にばれては困る故、安全保証のみそかごと。  いったんふみきってしまえば、後生大事に一人の亭主かかえこんでの愚痴ばかり、さては悋気《りんき》に青筋立てる、世の女房どもが馬鹿にみえ、つい気持にゆとりあるまま、もめごとの相談にのり、親身に悩みをきいてやり、よくできた奥様とたてまつられて、さればいよいよ浮気の件もばれる気づかいなく、とりわけておかしきは、亭主のふるまいなり。  亭主、いまだ年にはあらねど、つい社用にとりまぎれ、無沙汰つづきを気にやんで、あれこれ機嫌とるべく心づかいし、そのいちいち、女房にはことの他見えすくなり。自らかえりみれば、顔向け出来ぬ所業なしつつ、亭主に何のやましさを覚えず、ただ、「いいのよ、今が大事な時ですもの、頑張って頂戴」「女なんて、我慢しようと思えば、できるものなの」盗っ人たけだけしき台辞《せりふ》口にして、亭主の足腰もんでやり、夫婦愛よりは人類愛に近き気持。ある時、酒にしたたか酔いたる亭主、久しぶりにいどみかかりて、「いけません、体にさわるわよ、心臓にわるい」など女房拒み、浮気の数重ねた体なれば、ことあらわれぬかと、おびえたるなり。  とはいえ、肌なれし間柄、指の動きに下水の果てしなくうるおい出で、互いにからませたる四肢おのずと所を得て、女房われにもあらず涙浮かべたり。罪深き身を悔《く》ゆるに非ず、ここが女の食えぬところにて、亭主の泣きどころ先手打ってつきしなり。  女房の涙に、亭主くぐもりし声を、その耳もとにささやき、「わるかったな、これからはもう少し早くかえるようにする、つい、仕事にかまけちゃって、反省してるよ」答えるかわりにしゃくり上げ、ついでに腰も同じくし、心中にては、これまでくわえこみたる道具の数々、思い浮かべて、比較検討にいそしむなり。なれど、亭主をのみ男と思い定めし以前にくらぶれば、動きのいちいちにも味わい一段とおもしろく、いつしか心も上の空、ただ「あなた、あなた」とのみうつけ声に呼び立て、亭主、しみじみと感じ入りたり。  しんしんとろりと、しんねこに、乳繰り合う間柄でさえ、うかつに心許すべからず、女の信は、すべてかくの如きものなればなり。 [#この行4字下げ]盛んなるかな色の世の中、色なくて何のこの世といえども、わたるに道あり、先人の教えまた存す。これを心得ず、はた破る時は、家財かたむけ、身を滅すなり。故に、仁義礼知信、五つの徳目夢にもわすれず、四畳半たたみの目のおぼろとなりて、末はすりきれるまでの精進、相勤めればこそ人の世に生をうけたる甲斐あるべし。 [#改ページ]   四畳半《よじようはん》 閨《ねや》の色紙《いろがみ》   松ひとに逢はぬ夜長の杉がたく     うた栗出せば桐ぞなからん [#ここから4字下げ]  朧夜《おぼろよ》に憎きもの、寄り添う影法師と、古謡にもいえり。  まして九尺四方|屏風《びようぶ》ひきまわし、枕をならべ、帯紐といて結ぶえにし、寄せ合う唇が三々九度、色深き思いの形、かくはのべまた折りなして、さまざまに楽しむは、いとめでたきわざといえども、また、口惜し。  ここをいずことたずぬれば、花の都の花の街、柳葉末のさやさやと、軒にたわむれ昼日中猫の他には通るものなく、忍《しの》び音《ね》洩れるは爪弾きの、「あれ寝たという、寝ぬという」浮世の馬鹿をよそにみて、寝るが極楽、閨《ねや》が浄土、重ねる褄《つま》の胸算用。  烏カァと鳴いて、思いを残す後朝《きぬぎぬ》の情もよし、また、おてんとさまやらだんなさま、その眼くぐって|ゝ《ちよん》の間の、あわただしき色も捨てがたきものなり。春たちて人の心のどけく、浮き立つ姿さてはまた、妻恋う尾上の鹿の情、あれ寒いよと寄せる肌合い、移り香ならぬ名残りのみす紙に、禿筆もって写しみん。 [#ここで字下げ終わり]   春の巻「つつめども臭いに出でぬヌカミソの色」  都に色男|在《あ》り、目鼻だち今風に毛唐めき、苦りほどよくて、二七にはじまり二九からぬ色娘さんざたぶらかせしあげく、ようように物足らず、なんとか年増盛り、それも主ある花を一枝ほしきものと、|だんすほーる《ヽヽヽヽヽヽ》、自動車教習所に網張って、されど抱くほどは風のもてくる尻軽とことなり、人妻なるは見た目に同じき重|居敷《いしき》、ふれなば落ちん瀬戸際に、ずでんとすえて二枚腰、二枚目の腕にては埓《らち》あかぬなり。  あかぬとなれば、なおさらに高嶺の花か蜃気楼《しんきろう》、心眼くもり見定めなく、させてくれれば満足と、歩けば当る房事あり、三十させ頃四十はしごろ、五十婆ァはござひっかいてうれし泣きの、これはみるからにござどころか混凝土《こんくりいと》さえかきむしらん態の、色婆ァ。  月ごとの客足すでに途絶えて門前雀羅《もんぜんじやくら》、なれど煩悩《ぼんのう》の雌犬、朧夜にボウボウと夜鳴きして、娘盛りの手わざ、老いの身になせども、生身くわえた肌にはただもの悲しさのつのるばかりなり。亭主は聞こえたる商い人にて、夜を日についでの稼ぎ|あにまる《ヽヽヽヽ》、とはいえ盛りの花手活けとして、鉄槌《てつつい》の錆《さび》時に磨きたれば、なお自家のぬかみそには手のまわる余地なし。  血の道脳に通じたるか、あるいは春のうん気に当りたるか、昔風に申せば持病のつかえ、都大路にしゃがみかかって苦しむところを、天の配剤とやいわん、色男通りすがり、いかがなされしやと、たすけ起して救急車、呼ぶまでもなき下心、裏の小路に伴いて、「お婆さん、少し休んでいらっしゃい、ぼくの知ってる家がありますから」狭斜の軒かいくぐり、案内せしは以前の待合、今は即席出逢いの席。  のべられたる床に婆ァ横たえ、背中さすればゲップ、腹押したればブウと、まこと色気なき有様なれど、くもりし眼にはこれも天来の妙音、夢にまでみし人妻の、しるしは左のカマボコ指輪。胸より腹へとなで下し、たるみの肉のそこかしこ、なでさするうちフンスンと、つかえのおりてよがり鼻、ひくひくうごめかせ、「恐れ入ります、帯を解いていただけると、楽になるような」図々しくも甘えかかる。心得たりと色男、|ぱんてぃすとっきんぐ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》の味気なさにくらべ、手数かかればこそ楽しみおのずと深し、そこかしこいらいたて、ついと浄土へ指さしのばすれば、「あれ、あなたさま、御冗談を」股すぼめて声荒げ、しかし口と心は雲泥万里、待ちかね腰のむくむくり、しなびた乳房心なしかふくらみを増し、おのずとのびて、血色よみがえる。 「私なんぞ、あなたのお母さんといってもいいくらいの年なのに」なおあらがいつつも、五体はやなまこの如く、白毛まじりのじゃりじゃりは、汗にうるおい柔毛《にこげ》の如く、雀羅すすを払って気ざしの先き水湧出で、「さっぱり忘れていたものを、罪な人」声音、すでに上ずりたり。 「この道に年はないっていうけれど、本当だなぁ」「上手なことばかりいって」にやりと笑う婆ァの、金歯きらりと入り陽に映え、さすがに色男閉口せしも、たしかに肌ざわりやら音締めの按配《あんばい》、小娘にことならずして、しかも長年床の海、泳ぎなれたる身のこなし、眼さえつぶれば、至極極上の味わいなれば、わざと脇へ頭を落とし、うねりにまかせる浮寝鳥。時ならぬさわぎに、電線にとまりありし山鳩の、ババアぼぼう、ババアぼぼうと鳴きたるもおかしけれど、二人耳にとめるゆとりもなく、この期を逸さば、また何時の日か鉄槌にまみえん、婆ァの意気込み天をつく勢いにて、しゃくり上げすくい上げ、よだれ涙のこぼるるも、年に免じて御勘弁、総身のちり毛|逆《さか》立てて、いくよの道の行きもどり、はいつくばっては帆立て腰、弓にそったる迎え腰、腰と腰とでゴシゴシと、合せりゃトシの差も失せて、互いに大息、刻み息。  しばし後、二人しずまり、さすがの色男色婆ァがっくりふせったまま、山鳥の尾のしだり尾の長々し春の夕刻、しだいに暮れなずむさまを、うつろ眼にうつし、「まだ名前もうかがってなかったけど、また逢って頂戴ね」婆ァ、うつけた声音《こわね》もらしつつ、色男の顔のぞきこみ、逆光となりたるその表情、年相応のやつれあからさまなれば、ふと眼の鱗《うろこ》おちたる思い、色男仰天して、|といれっと《ヽヽヽヽヽ》に立つふりそのまま退散せり。  その下心いかにたくらみありといえど、結びし縁《えに》しは婆ァに功徳、色男、いささかの罪滅しというべし。   夏の巻「張形の枕言葉は片想い」  常は短き夏の夜も、待つ身に長き門限は、午後の十時と定められ、ただひたぶるに苛《いら》立ちて九尺四方とつおいつ、ながめまわしてつくといき、これは都にて名門といわれし女子高へ通う、良家の子女なり。  十三ぱっかり毛十六は鎖国の頃のたとえ、文明開化の御世ともなれば、十とせ迎えてはや排卵、春草萌えいずるもほぼ同じ年なれば、親の目からいかにねんねなりとも、なり足らざるあたり、すでに万端の用意ととのい、色欲おのずからたしかなるも、自然のことわり。  女子高生、かねてより教師の一人に懸想《けそう》してありしが、肘でつついて眼でしらすには、はた目うるさし、万感の情こめての立居ふるまいも、先方に通じがたく、それというのも、近来、教師生徒の交情、しばしば|すきゃんだる《ヽヽヽヽヽヽ》として世を騒がせ、|がーど《ヽヽヽ》固ければなり。  ちいさき胸痛めたあげくの知恵は、進学相談にかこつけての呼び状、こっそり教師の|ろっかー《ヽヽヽヽ》へしのばせ、三千世界自らがとりしきる如く思うは、この年の女の常、想い人あらわれるとばかり信じこみ、親には美容院へと嘘ついて、この逢いびきの間に、待ちうけることすでに数刻。  門限におくれたれば、両親いかばかり心配せんと、また一方にては小心なるおもむきもあり、午後九時すぎ、ついに思いあきらめ、女中の手前恥かしく外へ立ち出でたり。陽のあるうちは、とり立てて変りもなき花街なれど、夜はにぎにぎしく、いかにも場ちがいな感じなれば、つい裏道くらがりをえらんで、一刻も早く大通りへ出たしと、早足にすすむうち、方角を失い、深閑たる屋敷町へ入りこみぬ。  常夜燈の数少なく、木立ちの影風にさわいで、無気味さこの上なし。行こかもどろか思案のあげく、ふと今来た道ふりかえりたれば、そこに人影あり。  処女の六感、法務大臣に勝るとも劣らず、とっさに身ひるがえし駈けんとしたれども、すでにおそし、背後より抱きすくめられ、ざらつく男の頬、うなじにふれて、「キャッ」とさけんだつもりも、ただ息をのんだだけ。 「しずかにしなさい」なにやら覚えのある声音、こわごわみればこはいかに、痴漢はかの教師なり。 「おどろいた? でも、あの家は少し目立ちすぎるよ、ぼくの知ってるところへいこう、ね」手をとり先きに歩き出し、ほんの眼と鼻の、しもたやめかしたる一軒、生垣のはずれの枝折戸《しおりど》を通り、縁側より座敷へ、勝手知ったる様子にて上がりこみ、「さあ、ここなら遠慮はいらない」肩いだきつつ次ぎの間のふすまあければ、小座敷にさしこむ夏の月明り、屏風《びようぶ》しつらえあだめきたる布団、蚊|遣《や》り、もとよりニつ枕、くっきり暗がりに浮き出て、女子高生ぼんやり立ちつくしたるを、「さあ、のんびりもしてられない」教師、引き寄せ唇を吸う。  上気のぼせでかわきたる、唇に甘露《かんろ》のしめり受け、その楽しさいわんかたなく、眼閉じればふわふわと、宙にただよい出さんばかり。いとしい人に今こそは、すべて与える時なりと、恥かしい気持ためらう心、自らおさえるいじらしさ。  |みにすかーと《ヽヽヽヽヽヽ》のその下の、|ぱんだ《ヽヽヽ》ちらせし下穿きも、今は行方も知れず、月に心があるならば、唾のみこむ落花の一幕、玉をのべたるふとももは、恋のやつれになお白く、襦子《しゆす》にまごう肌ざわり。  半ば気失いたる如く、横たわったまま、身じろぎ一つせず、教師にまかせた女子高生、「あっ」と魂消《たまげ》る声立てて、「駄目よ、私、お風呂に入ってくる」教師の頭髪、手で押しやりつつ、身もだえせしが、動かし得たるは上体のみ、後は|ふるねるそん《ヽヽヽヽヽヽ》に固められ、せめて心をつつしまん、たしなみ深くふるまわん、乙女心に誓えども、|かるしゅうむ《ヽヽヽヽヽヽ》の注射された如く、じわじわとぬくもり五体をかけめぐって、冷やすにすべなし。  歯くいしばって、息をこらえ、こぶしにぎりしめ、耐えんとしたるも、何分巧者の教師なれば、緩急自在にいたぶりあやし、「怒ってる? こんなことして」たずねられれば、女子高生ひたむきに首をふり、「先生の好きなようにして」もはや門限の心配などかき失せ、ただ故もなく涙のみ、頬を伝いて乳房の谷を流れ、そのあたり、一面紅さしたる如し。  こがれこがれし気のたかぶり、どうにかおさめえて、今はようやく恥かしさのみいやまし、月のあかりがうらめしい、とどかぬと判って、つい手をのべ、光さえぎらんとすれば、バタンと月が傾きかけ、あれよとみれば、女子高生、元の九尺四方、布団の上に座して、かたわらに枕|行燈《あんどん》横倒しとなりたり。  ついうとうとと想い寝の、夢なりしかと心づき、思えばわが身のいじらしさ、魂抜けた人形ぶり、ぼんやりあたり見わたせば、かたえにこけしころがりて、|しーつ《ヽヽヽ》のしわは荒海の波立ちさわぐ如くなり。  思う念力、日頃の手わざと相まち、夢とはいえど、いと生々しき妄像を生みたるならん。一人取乱せしを、あさましとも思わず、しとど濡れたるこけし、頬に当て、こっそり|ばっぐ《ヽヽヽ》にしのばせ、ふらつく足もとふみしめて、女子高生、家路へ急ぎぬ、時分はずれの蝉しぐれ、「コケシーツクツク、コケシーツクツク、イーッイーッ」と鳴きしも、あわれにおかし。   秋の巻「長き夜を根掘り葉掘りは野暮な奴」  女給の誠と卵の四角、あれば晦日《みそか》に月が出る、二つ枕よりひじ枕ひとりごろ寝のかしわもちこそ、何より身の安全と判りつつも、好き心なきはまた、クマなきが如し。  初老にさしかかる頃より、にわかに遊心きざせし男あり。  壮年の頃は、一にも二にも勤め大事とはげみ、つきあいの席にはべりし美妓と、ざれ口たたかず、時に誘い水向けられて、棹《さお》をささず、おのが女房後生大事に守りつづけ、精進の甲斐あって、二男一女立派に育て上げたり。  女房は生来の不感気味にて、若きおりはまだしも、今は色気よりねむ気、鎌倉彫りやら日照権に血道上げて、亭主など下宿人同様の扱い。  いっそ気楽なりしが、つらつら思うに、なんと楽しみ少き人生なるか、波風立つを怖れ翼々と過ごせし明け暮れ、どの一日をとりてもすべて同じくして、よきあしきいずれにせよ思い出はなし。  それ老境は、若き日のことどもよみがえらせて、養いとするに非ずや、われはただ空白の頁ひもとく他なし。  にわかに苛立ちて、年なれば先達たのむも不面目、週刊誌の記事をたよりに盛り場の、妖《あや》しき店をたずね歩き、思いの他にうら若き、肌のさわりや移り香の、恵みにふれて勇みたつ。  あな口惜し、この年月空しく費やせしは何たる愚ぞ、今少し若ければ、さらに楽しみ貪《むさぼ》り得たらんにと、臍《ほぞ》をかみしは初手の内、やがてなれれば、むしろ初老の年こそが、遊び女にとっての上客、おそきに失したわけでもないと合点でき、げに秋の紅葉、春の花になにか劣るべきと、自負の心さえ生れめ。  うちにたのむところあれば、おのずとゆとり外に生じて、社長社長と奉られ、おもしろおかしく過ごすほど、とって二十二歳、花も盛りの女給、ことさら親しげにつきまとい、触れなば落ちん風情あからさまなり。  女給遊びも行きつく果ては、一つことなり。浮かれさわぎにぎわいをつくすのみが、遊びにあらずと思えども、男、自らの年かえりみれば切り出しにくく、未だ女房の鮫肌《さめはだ》じみたる以外に、肌を覚えず。「ねぇ、どこかへ連れてって下さらない? 二人っきりになりたいの」誘われて、しみじみながめれば、水商売の垢《あか》いささかもとどめず、邪心またうかがえぬ態《てい》にて、朋輩の噂《うわさ》またいとかんばし。  一脈のためらい残れども、百尺|竿頭《かんとう》一歩すすめざれば、ついに何もなかったに等し、いたずらな逡巡《しゆんじゆん》、あたら春秋を空しゅうすと、秋の一夜、花街のはずれかの出逢い部屋へ、なお人眼はばかり、時刻ずらせての道行《みちゆき》。  男、先着して、部屋をしさいに検分、週刊誌の読みすぎとやいわん、のぞき盗聴の具を怖れたるなり。店|閉《じま》いの後なれば、すでに日はあらたまり、深沈とふけたる狭斜の巷、犬の遠吠え救急車の|さいれん《ヽヽヽヽ》の他、耳に伝わる物音はなし。  馬上枕《ばじようちん》上|厠《そく》上を三思の場といえり、加えて初会の女待つ床、あれこれ考えるものにて、しかも血気盛んなれば、巫山《ふざん》の夢に帆柱おっ立て、風の向きはかるところ、初老悲しや取越苦労ばかり。何の取柄なきわれを、いざないたる下心如何、「謂[#二]酒家之女給売[#レ]媚為[#レ]業者[#一]也。女給愛[#レ]金而不[#レ]愛[#レ]客 女給有[#二]|破落戸《ごろつき》[#一]。如[#二]小町不[#一][#レ]有[#レ]穴」  抱いたが最後この世の終り、地獄の果てまでつきまとわれ、清張大人《せいちよううし》が「黒い画集」にもある如く、ついには人|殺《あや》めかねまじ。  さてはまた種宿したりと、法外な金ふんだくられるやも知れず、嗚呼《ああ》危きかな。波風立てねばこそつまらなく思えし凡々《ぼんぼん》の日々、今は何ものにもかえがたき宝物にみえ、ひたぶるに鮫肌をこそなつかしむ、夢よりさめた心地して、女給の来ぬまに帆掛舟、後白浪《あとしらなみ》と、襖《ふすま》あければ出会いがしら、「あら、どうなさったの、待ちくたびれちゃったの。ごめんなさい、急に野暮用ができちゃって」男、押しもどされ、その無邪気な表情、甘えかかる仕草眼にすれば、また気が変りかけ、たしか女給は早く父に死に別れたはず、亡父の面影をわれに見出したに非ずや、|ばっぐ《ヽヽヽ》、|どれす《ヽヽヽ》、|あくせさりー《ヽヽヽヽヽヽ》いずれも趣味よく、とても悪あしのつくとは思えぬなり。「あなた、|まんしょん《ヽヽヽヽヽ》に住んでるんだっけ」「|まんしょん《ヽヽヽヽヽ》といっても、名前だけよ」「一人?」「そう」ねがってもない据膳《すえぜん》を、遠慮するのも業腹《ごうはら》にして、されど後くされはなお怖し、河豚《ふぐ》を前に考えこむの態、「お父さんいくつの時亡くなったんだっけ」「八つの時かな、でも死んだってことが判らなくてね、はしゃいでたわ、お客が多勢来てうれしかったから」「病気は?」「横隔膜の癌《がん》ですって」「それで、東京にはいつ?」女の素姓の確め得んと、埓《らち》もなき問いかけしきりとして、「いいじゃないの昔のことなんか。ねぇ、お風呂へお入りになったら?」「いや、あなたどうぞ」  |れでぃふぁーすと《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》装い、実は|ばっぐ《ヽヽヽ》の中身を点検の魂胆、風呂場のぞきしは、女の体に入墨《いれずみ》などなきか、あらためるためなり。  ようようさし向かい、後は一儀とり行うのみとなりしが、男、女給の家族関係、収入、男をしりたる年、月のさわりの時期、ぼそぼそ声にたずねあくことを知らず、ついに女給|ひすてりー《ヽヽヽヽヽ》を起し、「なによ|いんぽ《ヽヽヽ》なら|いんぽ《ヽヽヽ》って白状したらどう、クソ爺い」席けたてて帰りしが、残された男、にわかに掌中の珠とりおとしたる心地して、湯槽にただよう女給の柔毛、二、三本もつれあいたるを布団の上にならべ、女給の尻のぬくもり残れる座布団かきいだき、五体よじり立てたり。むなしき朝空に、浮寝鳥のアホウアホウ。   冬の巻「怖きもの雪女郎の深情」  この巻、人情本の体裁にて仕り候。  十七、八のかわいい女中が、掘|炬燵《ごたつ》へさかしまに体入れこみ、|がす《ヽヽ》の火ととのえていると、二十三、四とみえる小粋《こいき》な男、この家の縁つづき、きまった仕事も持たず、世間様には|いらすとれぇたあ《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》と聞こえよくとも、稼ぎなどなくて脛かじり。朝酒に酔うたか眼のふちを赤くして、「節ちゃん、大分忙しいようだねぇ、手伝おうか」声をかけたから、お節、うしろを振りむき、「あら悠さま、びっくりするじゃありませんか」「いや、二日酔には迎え酒というから、水割りをひっかけてみたものの、どうも気分がわるい」「いけませんねぇ、何か召し上ってはいかが」「熱いお茶がほしいねぇ」「はいはい」去りかけるのを、「ここに魔法瓶があるじゃないか、急須《きゆうす》も」「でもそれは昨夜泊ったお客の残りですから」「なにかまうことはない、節ちゃんに入れてもらえりゃ、何よりうめえのさ」「そうですか」お節、急須にぬるま湯を注ぎ、しばしの間合いはかって、「粗茶でございます」さし出したが、悠の字受けとらぬ。「お前も水くさいじゃないか、茶托なんぞいらねぇ、手から手へこうくれるから、ありがてぇんだ」「それでは失礼でございます」「失礼なのがありがてぇのさ」「ねぇ、こうしておりますと、手がくたびれます、おふざけにならないで」「くたびれたのなら支えてやろうよ」  お節の二の腕むんずとひっつかみ、「お前よくこんな家に我慢してられるなぁ、その器量なら、|ふぁっしょんもでる《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》にだってなれるぜ、しかも、ここは連れ込み宿だろう、若い女の働く場所じゃねぇよ」さしうつむいたまま、あらがいもせぬから、しめたと悠の字肩だきすくめ、「どうだいわるいようにゃしねぇ、俺のいうことをきかねぇか」「でも、私なんか」「今時、お前みたいに素直な女は珍しい、おりゃ前々から、一つ仕込んでみてぇと思っていたのだ」「だって、私は無器用です」「色の道に二つあるもんかい」ト、引きよせて膝《ひざ》の上へかかえ上げれば、お節顔赤らめて、「あれ、この明るいのに、私は恥かしくってなりません」「どうせ一度は通る道、しかし、恥かしいならこうしよう」掃除のために開けておいた障子《しようじ》、ぴしゃりと閉めれば、夜来の雪が陽ざしになごんだか、ドサリと落ちかかる。  いやがるお節抱きすくめ、まず十分に口吸うて胸のところに手をやれば、「アレレ悠さま」ト、いう。「アレレ」「アレレ」といううちにあられもなき姿となり、「どうだ苦しくとも、少しは我慢しなせぇ」「はい」いじらしや、お節、顔しかめながらうなずき、今は無言で鼻息のみせわしく、おこりつきたる如く、手足わななかせている。  悠の字は楽しみつつ女の顔を、じっとながめて、「こんなせわしいところじゃ気の毒だ、今夜ゆっくりとするにしよう」つぶやいて、体ひきはなそうとしたが、お節しっかとしがみついてはなさねば、「そうかい、かわいい奴だなぁ」鼻の下のばして、二人重ねもち、あたりの盆やら茶碗やら、隅へ押しやり頃はよし、七十五日の寿命のばさんと、「ちったぁ痛ぇかも知れねぇよ、なに、いっときのこった」口吸えば、お節、意趣返しの如く力をこめ、「おいてて」悲鳴あげつつ悠の字は、お節の肩に片手当てがい、残る一つをさしのべて、そこかしこいらえば、屋根より落ちたる泡雪の、春の情けにとけそめて、ぬかるむ如く泥の如く、どこが道やらはざまやら、「かわいいよ」「うれしいよう」いいよいいよと鼻息の、さらにすさびてそこかしこ、昨日の客の綿ぼこり煙草の灰の舞い上り、生娘にしては蓮っ葉な、スッパスッパと姦《かしま》しい。  むしたての饅頭《まんじゆう》にとろろかけし如く、指を伝って掌に溜まる、お節、歯をくいしばり、眉の間にしわ寄せ、総身ぶるぶるふるわせつつ上下左右にもじり腰、一つ山越し二つ山越し三つ山越し、腰なえは、お節にあらで悠の字なり。 「おう、ちょっくら休ましてくんねぇ」「なにを情けないことおっしゃいます、私はまだようよう登り口に」「冗談じゃねぇや、俺はもう力が抜けちまって」「よございます、ならばこうして」と、天地さかしまになして、とたんに白水滝津瀬となりどうどうと流れ出で、落ち入る先きは畳の目なり、にじみわたって床にしたたる。二体より発する暖気もうもうとこもり、時ならぬ湯気屋根に立ちのぼりたり。 「勘弁してくんねぇ、お節さん、おい、殺すつもりかぇ」息絶えだえに悠の字の、命乞いなど聞く耳持たず、「怖いの? おかしいわ、男のくせに。まだ、できるわよ」にたりにたりと笑いつつ、「炬燵がどうもじゃまっけね、こっちへ足をのばしてごらんなさいよ、そっち向かないで、ほら、よいしょ」虫の息なる悠の字を、手とり足とり思いのまま。雪は鵞毛に似て、飛んで散乱すといいしは白居易なるが、一面雪もておおわれし花街の、九尺四方、鵞毛ならぬ|てぃっしゅぺーぱー《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》の、ふかれては散乱し、なおふきやまず。  このお節こそは、もと|とるこ《ヽヽヽ》風呂に勤めし手だれ、いわくあって連れ込みの女中に身をやつし、このところすっかり男の水の手が切れ、悠の字のちょっかいこそは、旱天《かんてん》の慈雨《じう》なりしなり。 [#改ページ]   四畳半《よじようはん》 色浮世絵《いろのうきよえ》   忍び逢ふ瀬を踏みはづし犬張子     座頭の妻は昨日初午 [#ここから4字下げ]  世に楽しきは、のぞきにしかず。賢人の管見《かんけん》に映じしよしなしごと、さては、かしこき先帝の、詔勅《しようちよく》丸めた先に、何のありしかは知らず、われのいうのぞきとは、すなわちぬばたまの闇をこめたる中に、玉をのべし肌のあやしくもだえ、うごめくさま、木立ちに忍びながめるやら、また、小体《こてい》なる茶亭の掃出し口に眼すえて、翠帳紅閨《すいちようこうけい》しとど濡れたるたたずまいうかがうをこそいう。すなわち、男と女のあやなす浮世姿、雲にまごうが上野の初花ならば、これは色にまどう四畳半の初床|蛸《たこ》巾着に、熊の皮、入り乱れてぞめでたき営み、眼福とやいわん、身の養いとやいわん。  ここに男ありけり、眼より先きに生れたるが前世よりの宿縁《しゆくえん》、さすが産湯《うぶゆ》つかうたらいのふちに、きらめく陽光の記憶こそなけれども、よろずにさとくて、たらちねの母玉の緒《お》切れんばかりなる声音《こわね》聞きつけ、いぶかしと思うよりまず寝たふり専一に心がけしは、すなわち香ばしき双葉のしるし。  それよりそっと眼を開き、様子うかがうに、かたげに押しやられし枕のかたへ、がっくり髷《まげ》の母いと苦しげなる面持、わずかに開きし口もとより舌端のぞきて、一筋流れるよだれのさま、常の子供ならば取乱して、呼びかけあるいは泣き出すべきところ、未だ男女のことわり心得ぬ童《わらべ》ながら、こは双親《ふたおや》のひめごとにこそと知恵働かせて、以後の成行き逐一《ちくいち》見届けぬ。  なにやら猫の水呑む如き音、さてはふんすうと、隠した骨嗅ぎ探る犬の鼻息、長々しき欠伸《あくび》まがいに、叱言《こごと》くった下女の嗚咽《おえつ》、何分五燭の灯はくらし、さすが子供の手前はばかり、ずり落ちかける布団《ふとん》ひっかついでのことなれば、物音のみ交錯して、さだかには見定めがたかりしが、匍匐《ほふく》ならぬ仰臥《ぎようが》後退、自らの布団にもぐりこんで、横のぞき、ようようなれし暗がりに、からみあったる足二本、下なる白き一本は、おったて膝やら蛙脚、さては高々とかかげ、上なる毛もくじゃらの一本は、さほど動かずありぬ。ひときわせわしき貧乏ゆすりひとしきり、ついに静まりて、童の鼻の先き白いもの横切ったかと思えば、打重なりし体二つに分れ、母は手洗いに立ちぬ。  父のすりつけし燐寸《まつち》の焔、思いがけず明るくて、わが所業あらわれしかと五体すくめたれば、「おやおや坊や、風邪ひきますよ」母に抱き上げられ、その肌わずかに汗ばんでありしとぞ。  これをのぞきのはじめとして、この道にいそしみたるには、男なりのことわりあり。すなわち双親《ふたおや》常はいさかい多く、母のつんけん声、父のむっつり面いずれも子供心にいとわしく、怯《おび》えてありしなり。比して閨中の声音耳にすさまじくとも、仲睦まじき気配うかがえ、この時ばかりは心安らぎぬ、男ののぞき癖、実にここに起因するものにして、天人|倶《とも》にこれをとがめ立てはならじ。  男もとより童の頃、おのがこの心ざまには気づかざりしも、長ずるに及びいかにとてのぞきをなすか、つらつらかえりみてようよう思い当り、以後はしごく気楽になりしといえり。仲好き双親の姿たしかむるは、乳と同じ滋養なるべし、自らの養い求めて日過ごさば、おのずと道は開かれるものにして、世にいう女人千人斬りを真似ていえば、千人のぞきを果たせしが二十代半ば、三十にいたって足のおもむくところ必ずからみ合う姿あり、四十にして眼めぐらせば、すなわちのぞきかなえられ、五十ともなれば、居ながらにして、風のもてくる色模様、左|団扇《うちわ》の境地に達せしという。  あまりに数多きが故、そのすべて聞書きしたらんには、島国の紙価高き折ふし、はばかり多し、目先き変りたるをのみ写しみん。 [#ここで字下げ終わり]  世のことわりまかり通らぬが色の道にて、思いもよらぬ組合せにはこと欠《か》かず、またこの道にうなぎ梅干しの如きさわりもきかず。されど盲人同士の睦みあうをのぞきしは、この男にしてただの一度、しかもこれは男に珍しきしくじりを演じたりしという。  今より三十年近き古えのこと、男、学生にして京都に下宿しありしなり。庇《ひさし》ならべし隣は旅籠《はたご》にて、時に喃々《なんなん》の声もれ伝わることもあれど、ほとんどうかがうを得ず、稀に夏の夜すだれ越し、うごめく姿かいま見えたれど、香炉峰《こうろほう》ならぬ東山では詮《せん》かたなし。  やはり夏の昼下り、油照りの陽差しかわすすべなくて、窓明け放ち、あるかない風迎え入れんと立つ眼と鼻に、一人の女同じく窓によって何ごとかもの思う風情。  年の頃二十七、八、かなりの美形にて、鈴を張りたる双眸《そうぼう》、まさか晴眼《せいがん》ならぬとは露知らず、体のり出さんばかりにして我をうかがうは、誘い水待つ下心かとうぬぼれも若さ故のこと。男じっと見かえしたれどいっかな反応はなく、かくするうち按摩《あんま》稼業も年を経て、肩のあたり肉もり上りたるこれは盲目の四十男、片手を壁に当てがいつつ、女に近寄ると見る間に背後より抱きすくめ、そのままどうと共倒れ。  男、あっけにとられ、なれどすでにのぞきの場数多くふみてありしかば、息を殺し眉一筋うごかさず、彫像と自らを化し、砂もぐりの鰈《かれい》よろしく目のみきょろつかせ、したたる汗もぬぐわざりし。形ばかりの床の間の、床縁《とこふち》枕にとって、いかにも肌なれた仲、まずは夫婦ならん、たちまちしっくりからみ合い、夜することを昼するも、常闇《とこやみ》の住人なれば是非もなし。  しばしもみあうも、なにやら男のなれた眼にはもの足りず、もどかしいのも道理にて、亭主は不如意なり。どっかとあぐらかき直し、かけどねじれどままならず、泥亀《でいき》毛中にひそんでいたずらに空し。 「おっちゃん、無理せんでもええよ」女房やさしくいえば、「なんの、もうちょいや」「てったおか」「たのむわ」白眼むき出し虚空にらんだ亭主の股間に、女房顔近づけて、両手に得手吉《えてきち》包みこみ、竹とんぼとばす如くこすり立て、時にふうと息吐きかけ、そのさま火吹竹にて火をおこすさまにさも似たり。  されどついにかなわずして、互いに見えぬはずの顔見合わせ、亭主ははじめ照れ笑い、女房もつられて、くすくす頬ほころばせ、やがて辛抱たまらん態に二人体よじって笑い出し、緊張からときほぐされた男、何やらしかと判らぬながら、つい立場忘れて共笑い。  とたんにきっと、盲人夫婦男に顔を向け、「兄ちゃん、さいぜんからそこにいてはったんか」いやはやその怖ろしかったことと、男あらためて身ぶるいしつつつぶやきぬ。  色の口説《くどき》は、もとよりたわいなきものなるが、中でとりわけばかばかしきは、ある|あぱあと《ヽヽヽヽ》にかこわれたる女と、旦那の痴話にて、これを耳にしてよりしばしの間、男、よろずにやる気失いたりという。  戦後間なしに建てられたる安普請《やすぶしん》、くさめ一つがはしからはしへひびく有様にて、風の吹き入るすき間にこと欠《か》かず、男にとってまたとない地の利、さらに住人に水商売多ければ人の和も夜毎しげく、両隣りはもとより、向う三軒も一つ屋根のよしみ、天井伝いにとくとのぞき、上からなすこのわざはまた格別の味わい。女の空よがり見抜くにはこれが一番なりと、男太鼓判押したるが、天井裏から見破ったところで詮《せん》かたなかるべし。  痴話の旦那は撞球《どうきゆう》場の主人にて、女はさだめし点取りなりしならん、いかにも好き者同士、週に二夜|訪《おとな》う旦那も床の海、帆掛舟の柱いや高く、むかえうつ女も泡立ちさわぎて、寄せてはかえす波枕、潮の満ち干《ひ》に鳴きかわし、「なあ|ますたあ《ヽヽヽヽ》」「なんやねん」「もっと長いことしてよなあ」「ああ、ええでえ」「このやわやわしてるのなんやの」「そらお前、袋やないか」「これも一緒に入れてえな」「あほいえ、いとうてかなわんわ」「ふーん、痛いんか」「それよりお前、このへんの毛ェそってもたらどないや」「なんで」「お前、濃いよって毛切れせえへんか、いちいち心配せんならん」「そんなんあかんよ、そったらすうすうするわ」「そうかあ、冷えるか」「風邪ひくし」「|ぽまあど《ヽヽヽヽ》つけたらどないや」「そらええかも知れんねぇ、|ちっく《ヽヽヽ》の方が、毛ェはようねるよ」昨日今日肌合わせし仲にあらず、「なにがすうすうするってんだよ、なあ」のぞきのあげく、腎虚《じんきよ》気味になりしは、この時ばかりと、男おおいにぼやいてみせぬ。  のぞきに四季のべつなし、冬はかたからんと思うは素人の考えにて、出逢い宿の当今ほど普及せざりし頃も、寒さいとわず首尾しかける二人に事|欠《か》かず、神社の拝殿、無人の教室、消防小屋はしばしばその舞台となりたるらし。  とある雪の朝、男が道を行くほどに、老いたる夫婦の、巡礼姿に身をやつし、鈴ふりつついたわりつつ、急ぎ歩く姿見うけ、少し以前に父みまかりたれば、なにやら他人とも思えず、この雪道を難儀して、いずく向かうなるらん、いたわしくながめるうち、ふとかき消えぬ。  郊外なりしが、人足も繁く、まさか行倒れしかとも思わざれど、気にかかるまま、あたりうかがえば、道より奥まって小造りな御堂あり。ふだん見過ごして、気づかず、何を祀るかと寄れば、思いがけず特有の雰囲気五感にひびき、乱れたる足跡四つ、雪にしるされたり。  とっさに身をかがめ、新雪にきしむ足もと忍ばせつつ、きざはしを避け、横へとまわれば、眼の高さに節穴ありて、窓の雪明りは篤学の士にものぞきにも、万遍なく恵みを与う。  堂内板敷きの古びたござに、巡礼向き合って坐し、抱きあうかとみれば、互いに体そらせ後に手をつき、腰ばかりにじり寄り、すなわち結縁をとげぬ。老いたる二人こそは、さだめし以前名のある四十八手の芸人なるらめと、男の推測なり。  森の鍛冶屋ならぬ御堂の二人、しばしも休むことなく、本手相の手大腰小腰、息一つ荒げずよろずいんぎんなふるまい、かと思えばうってかわり荒々しき所作に移り、せわしく互いの名よばわり、さて是までのこと、後は京紙とふめば、これがはずれて歓喜仏の形をきめ、それからは波千鳥、八重霞、初竹、窓の月、二重橋と、いずれもみやびな古式の艶技、最後は青海波《せいがいは》とめでたくおさめ、互いの汗をぬぐいあいぬ。  四十八手の技売りものに世渡りの幾歳月、その明け暮れに降りつみし業《ごう》を、短い老い先きにいささかなりと軽からしめん所存、破れた御堂、野の仏の前で、玉の緒の絶えなば絶えねと、奉納するにあらずやと、男、思わず合掌せしが、ふたたび雪道をたどる巡礼二人の、腰のあたり、名残りの湯気もうもうとまといつき、「あるいは、ただ寒かったからやっただけかも知れないなあ」すぐ俗っぽく解釈したがるのが、男の欠点なり。  春ののぞきは、やはりなまめいて、いかなる二人とても、朧夜《おぼろよ》のおぼろなるままに、いとつきづきしきものなるらし。とりわけて、蜜月の欠けたることなき思いしみじみといだく新婚は、のぞきにくければこそ、またかなえられし暁の、ほの白き肌の浮き出したるさま、たとえようもなく美しきものとぞ。  きこえたる湯治《とうじ》場も、ただ、地熱にたよるのみにては客足をひけず、あれこれ趣向こらすものにして、広き庭内に水入らずの離れ建てめぐらせたるもあれば、車乗りつけそのままおこもりの方便もあり。  いささか不穏のふるまいに近けれど、狙いは一戸建ちにして、当夜の客未だ参上|仕《つかまつ》らぬ前、ひそかに忍び入り、窓掃出し口をほんのわずか開け、|ぼんど《ヽヽヽ》で固定しおく。それのぞきは、虫の魂ばかりの穴あればかなうものにして、なお周到に女中手なずけ得れば、視線の前に布団《ふとん》敷かせるべし。  男の、今もありありとよみがえらせ得る瞼《まぶた》ののぞきこそは、海に面し山を負いたる和風旅館の一室、眼《まなこ》洗われる如き清らかな生女房と、凛々《りり》しき青亭主の初夜という。  新婚に提供する部屋、およそ定まりたれば、男あらかじめ目星つけて、山に身をひそめ機会うかがいたり。  かくするうち、眼の前の窓の戸するりと開き、二十歳前後とおぼしき生女房、心もとなき態にてあたりうかがい、ほっと溜息もらす故、これはさだめし訳ありならんか、男気をもみ、それはこの直前、のぞかれているとは露知らず、男女睡眠薬を飲み下し、報《し》らせればおのが所業あらわれ、知らぬ顔きめこめば、さだめし寝ざめわるかるべし。  結局、女の身内装って宿に電話なして、事なきを得たれど、冷汗三斗の思い、されど生女房のもの思いは処女|袂別《べいべつ》の感傷なりしなり。  ほどなく青亭主顔をならべ、いと睦まじく語らう姿は、まごうかたなき相愛の仲。  腕とられれば肩ふるわせ、肩抱かれれば、五体小刻みにわななく、心では許しつつも、思いわずらう初夜の一儀、空怖ろしさの先きに立つも処女なれば、むべなり。  新婚ののぞきも、いくらか数をこなし、かえり咲きの|かっぷる《ヽヽヽヽ》でさえ、この時ばかりは初々しい印象なるが、この生女房はまた格別、新鉢割って結ぶえにしの、青亭主うらやむより、千載一遇のことに男胸ときめかせ、幸い掃出し口の表、ほぼ同じ高さに古木の枝あれば、暮れて以後は、移るたくらみ。着くとそのままもどかしげに抱き合う|かっぷる《ヽヽヽヽ》やら、痩《やせ》我慢張ってじっと夜更けをまつ組やら、それぞれなれど、この新婚、かなりもたつくにちがいなし。  いったん町へ出て腹ごしらえなし、ただし水分はこれをひかえ、のぞきの腰掛け用|くっしょん《ヽヽヽヽヽ》求め、とってかえせば山肌すでに闇、ただ部屋の灯のみぞ、なまめけれ。  枝にすがって、掃出し口引き開け、様子うかがい見るに、今しも食事を終え、青亭主しきりにしゃべりかけるも、生女房の声伝わらす。視野の左に布団の上半分見通せ、いざ鎌倉となれば、戸口さらに開けて気づかれる憂いまずなし。  古木びくともゆるがず、山の中腹をしげく走る列車の通過音にまぎれて、少々の物音は注意ひくまじ。後は時のいたるを待つばかり、先きの楽しみ思えば、はがゆいばかりの二人なれど、苛立つ気持さらになく、上々の首尾にふと心あそばせたか、「ああ」とうめきし女の声に、びっくり仰天のぞきこめば、すでに二つ枕に頭二つならびてあり。 「暗くして下さい、おねがい」青亭主の胸にすがり、生女房嘆願せしが、この場にいたりては、すみずみまで眼にしたきが男のならい、かつまたはのぞきへのお裾《すそ》分け。  床入りの後は、青亭主の声くぐもり、ひきかえ生女房の小鳥|囀《さえず》る如きひびきのみ、闇に伝わって、言葉にならぬ悲鳴やら、突如さめた口調で詰問したり、埓《らち》あくには日暮れて道遠し。  春房遅々たる歩みながら、やがて生女房の肩あらわとなり、枕行燈に映ずるその肌は、内よりにじみ出たる香脂を帯びて、華清池に浴《ゆあ》みする美女をしのばせ、いつしか空解けの黒髪、生物の如くうねり波打ち、青亭主いささか能のないくちづけをくりかえすのみ。  すべてはまことに、陽春を迎え花のほころびる如く、こまかな動きしかとたしかめられぬながら、生女房の腕からめとられて、その指は青亭主の後頭部をまさぐり、水ぬるむ春の夜になお熱き泉のしとど湧き出てて、さだめし温気のこもりたるならん、やがて布団も半ばはね、生女房の上体むき卵の態。  青亭主、すっくと身起せば、「おねがい、暗くして」春の灯を妻が消したるは、都|ほてる《ヽヽヽ》なり、やんぬるかなこの宿にては、ついに青亭主自らの手にて、千金のながめを闇にとけこましめ、男、落胆のあまり落木しかけたりという。  しかも、以後はいっさい無言、かすかに衣ずれの音のみ伝わり、かくなる上は心眼にたよる他なし、かっぱと眼見開き、掃出し口に顔寄せたとたん、神もあわれにみそなわしたるか、部屋昼の如く輝きわたり、すなわち、通過せし列車の灯映じたるなり。  闇にすがって、勇気づけられたるか、生女房の円柱二本、ほぼ直角にひろげられ、青亭主中に居すわり、うつむいて所作にいそしみつつあり。 「ああ」と、これは断じて悲鳴にあらず、さりとて喜悦のしるしにてもなし、両者微妙に入りまじりたる声音《こわね》ひびき、もがく如くに生女房枕のりこえ、体にじらせ、かいなさしのべ青亭主押しとどめんと、しかし、素振りのみ。  列車走り去って元のもく闇《やみ》、肝心|要《かなめ》のこの時に、事故を起してよろしきあたりに停ってくれるなら、今後いっさい文句はいわぬと、国鉄に手を合わせしが、所詮|甲斐《かい》なし。  千秋の思いで待ちかねた列車、ようやくあらわれ、部屋の中は未だ貫通せざる様子、生女房の体、掃出し口に直進中にて、青亭主ただやみくものふるまい、生女房また「嗚呼、嗚呼」語尾ふるわせて、半ば失心のていたらく。  三度目、四度目と、列車の通過毎に、場面の様相わずかながら変化をみせ、ついには生女房の頭、掃出し口に押しつけられ、男の鼻息にそのおくれ毛のなびかんばがり、「判ってないんだなあ、肩に手をまわして、逃がさないように工夫すりゃいいのに」思い出すさえ、じれったいと首ふってぼやき、以後は語らざりき。  なんとなればすなわち、そのつぎなる列車の通過に際し、男の視界すべて青亭主の尻にしめられてありし故なり。  猿ならばいざしらず、万物の霊長たるもの先きがつかえたれば、逆もどりするほどの知恵は備わりたり。  さだめし「よっこらしょ」心中につぶやきつつ、生女房の体かかえ起し、今来た道を逆にたどりしならん、男の鼻息、こたびは青亭主の尻毛ふく仕儀と相成り、いかにのぞきこそ生甲斐と腹くくりたる男も、閉口したるなれ。  こののぞき、偶然|すとろぼらいと《ヽヽヽヽヽヽヽ》の如き光の効果を得て、なおおもむき深めたるらしきも、じっくり一部始終のぞく楽しみと、瞬間のそれは別物というべく、たとえば高架線を走る乗物にいて、藪《やぶ》から棒にとびこむまぐわいの絵柄、夏など|あぱあと《ヽヽヽヽ》の窓まず開け放たれてあれば、思いの他に機会は多きものにして、どう努めても、その先き確めることはかなわず、されば妄想の補いをつけ、むしろ完結せしのぞきよりは、記憶に残るものとぞ。  最後に、もっとも気色わるき後味ののぞきとて、男のいわばぼやきしくだりを記さん。  十年前のことなれば、足のおもむくにまかせて、のぞきのかなう境地にありし頃なり。  男の生業《なりわい》は堅気《かたぎ》にて、家に二男一女あり、もとより妻子、そのひそやかな楽しみを知らず。  当時、のぞきの舞台として、その他に用もなき安|あぱあと《ヽヽヽヽ》借り、各室それぞれの夜の構図、確め得ればあらたなる天地求めて、ひき移り、都内転々と渡り歩きしという。  これと見定めた|あぱあと《ヽヽヽヽ》にはずれはなく、必ず目的|遂《と》げしが、なかでも、部屋へ入り周囲見渡したとたん、壁にうってつけの孔うがたれたるを発見、眼《まなこ》当てればこはいかに、隣室の|べっど《ヽヽヽ》すっぽり視界におさまれり。  さだめし先住の者の苦心ならん、労せずして効のみを得る身の幸運をよろこび、これもかねて精進のむくいなるかと、ひたすら夜を待ちかねたり。  隣り部屋は共稼ぎらしく、夕刻連れ立ってもどると、子供の如くはしゃぎつつ食事の仕度なし、「今夜は|ればあ《ヽヽヽ》に山の芋よ、精力つけてもらわなきゃ」女房がいえば、うけて亭主は「何いってんだい、すぐ音をあげるくせに」「だって、仕方ないでしょ」臆面もなくしゃべりかわし、好き者同士と判れば、のぞく側にも張りの生れる道理。  真向うから見すえる形ゆえ、いささか気がとがめて、たしかに巫山《ふざん》の雨もよい、薄壁へだてて手にとる如く、だが、すぐには孔に眼を当てず、集中豪雨の態となってようようのぞけば、なんと三十五、六とおぼしき女房、|せいらあ《ヽヽヽヽ》服を身にまとい、亭主に組敷かれたり。せめて薄暗がりならまだしも、煌々《こうこう》たる光のもとなれば、奇怪な印象先きに立って、ただ物珍しさにひかれ、終幕までのぞきおえぬ。  この夫婦、きけば教員で、昼間会えば律義実直、男をやもめとみてか、なにくれとなく世話焼きにかかり、おのが所業うしろめたく感ぜしが、夜毎に趣向変える故、ちと眼をはなしがたし。  貸衣裳屋で調達するならんか、ある時は姫と浪人、踊り子と乞食、令嬢と強盗など、あたかも|ぶるうふぃるむ《ヽヽヽヽヽヽヽ》の役者の如く、夜毎にことなる扮装をエ夫し、長丁場いささかの気を抜くことなく、果たしつくすこと、人間ばなれの感さえあり。  一月余り、のぞきつづけてさすがにうんざりし、過ぎたるはなお及ばざるの諺《ことわざ》かみしめつつ、家主の手前、おしるしほどに運びこみたる道具類片づけ、転居の準備すすめるのを、隣りの女房めざとく見つけて、「折角、いい方に入っていただいて、よろこんでおりましたのに」と暗澹たる面持、「さびしくなりますなあ、これからは」亭主も、うなだれて何ごとかをいいよどみ、いかにもこれは大袈裟面妖というべきなり。 「馬鹿な話だよ、のぞいてたんじゃない、こっちがのぞかされてたんだな。夫婦生活の刺戟に、まんまと利用されてたんだよ」気づきしとたん、眼を洗いたくなりしとぞ、男のいえるもおかし。  近頃、男の娘、良縁を得て嫁しぬ。  その蜜月の宿を、男しきりに詮索なし、さては娘の初夜までのぞかんとする所存なるか、それだけは思いとどまらせんと、遠まわしにたずねたれば、これはいらぬお節介、実は、のぞきの餌食とされるを気づかい、蛇《じや》の道はへび、あらかじめ防止の手だて講ぜんがためなりし。  のぞきも人の親といわんか、のぞきの身勝手といわんか、いささか笑止のふるまいにこそ。 [#改ページ]   四畳半《よじようはん》 屏風下張《びようぶのしたばり》   若水を汲み揚げたりと狒々爺い     井戸にうつりし月をめでつゝ [#この行4字下げ] つるべ落しの、秋の夕陽を、黄ばんだる障子に受け、腎虚まがいのうつつ心に、はぐれ烏の仏歌聞いて、去《さん》ぬる年、旅寝せしことども思い出で、そのおりの旅日記、つづらの内よりとりだし、ひもとくほどに、過ぎにしかた、未だ鉄槌宙をのぞみて、勢猛々しき頃の、ひたぶるに恋しく、あごで蝿追う今の有様ぞ、いと口惜しき。名所古跡はわざととりはずし、好きの道草は、馬なみに食い散らしたる一夜妻、あたら月日と精虚しくついやして、うつけやあほうてんごうぶり、ひとつさんげはなえまらの、供養のために、ふたつ恥さらしは、世人の戒めに、みっつ節介は、色の案内に。その後は、やがて師走の寒風と、ふせぐよすがの枕屏風、逆しまとなるまでの身の養いに、下張りとやせん、突っかいとやせん。 [#地付き]腎亭虚水識    「有馬の湯治は湯玉のうるおい」  神戸はきこえたる湊町、日中洋とりそろえたる食通の|めっか《ヽヽヽ》、また由緒正しき色は福原と、京江戸浪花より、めでたき土地柄なれど、わけても温泉の水滑らかにへのこくすぐる有馬の湯、諸方より色々の病人集まるに、まず腰の冷えは五日目におおかたよく、手のしびれ痔尻の痛みなど、湯治場一めぐりで効くぞかし。されど楽しみは、恋と品めかせばこそ治しやらぬ草津の湯、ありていに申さば腎水減らする楽しみにて、こは有馬の養生第一のことなり。  さてこの腎水汲み上ぐるくせものを、この地にては通い女中というなり、是にも二つの別ありて、亭主持ちと年は二九より三十頃までの寸尺、今風にいわば|あるばいと《ヽヽヽヽヽ》にて、前者は自前の玉茎あらば、ならぬ勝ち、後者こそなるようにしかけて、十に一つもむざとはならぬ也。もとより、御法度きびしき御時勢、さらに折角の湯治にて腎水枯れつきたれば、世のきこえよろしからずと、宿の主人とがめ立ても尤《もつと》も。なれど抜道はあに寺島町のみかは、藤にまかれて寝とうござると、里唄にある如く、一夜、われ芦有の道を|たくしい《ヽヽヽヽ》にて、この湯にいたり、まったくの不案内、湯煙かはた名代の殺生石にまつわる瘴気《しようき》か、あやめも覚束なく歩くほどに、夜道より一人の男あらわれて、予約の有無を問う。否と答うれば、男、先きに立ち、「お一人じゃ寂しいでしょう」心得顔にものいいして、この里に遊女はなく、芸者また大年増ばかりと、つぶやき、いかにも湯上りの色を誘う態。  ぼんのうの垢を湯に清めん心づもりなりしかど、かくては遊心きざし、値いたずぬれば一万と答う。導かるるまま、谷間に面した小体なる宿にいたり、「お着きだよ、御案内」声を張り上げ、われにはひそめて、「ここの女中は、話が判ります。通い勤めの気楽な連中、十時以後は自由ですから」いい捨てるなり、すたすたと闇に消え、われなにやら化生《けしよう》に会いたる心持なれど、同じ名前でも鍋島とは無縁の地、やがて現われたる老女の後より一室に入り、達磨の掛ものに面軸半刻、家内ことりとも音のせぬは面妖、お定りの宿帳茶菓もあらわれぬ。好き心見すかされ、がせ|ねた《ヽヽ》つかまされたるかと、思い定めれば、いっそ気が楽、なまじ一夜の仇枕、明けてあたふた|くろまい《ヽヽヽヽ》の苦労も憂きことなりと、さすがいささか業腹の、臍のごみでも落さんつもり、探すまでもない湯殿の抽き戸、開けたとたんに、裸身の女二体。 「きゃっ」と一声、二体そろって胸押し隠し、練絹《ねりぎぬ》に二匹のこうもりは眼のあたり。 「失礼」「すいません、もうお客さん来はらんやろおもて」二体、そそくさと身じたく整え、「お婆ちゃんいうてくれたらええのに」「ほんま、ぼけてるねんから」その去りし後の、しまい湯にわれ身を浸して、今のが男のいう気楽な連中ならば、これは拾いもの、一体は二十二、三、一体やや年上なれど、かなりの美形、たちまち|くろまい《ヽヽヽヽ》の憂いけしとんで、さてどう持ちかけるべきか、考えるうちにも通い勤めなれば、この家を去るかも知れず、濡れ場の仕儀を、かなえんものと早仕度。男の言に嘘はなく、やりとりの末は首尾ととのって、しかも両手にちがい花、一本長い川の字を、枕屏風の陰にえがき、いずれが先きに宝船、はた捨小舟と決めがたく、へのこ一本玉門二つ所詮かなわぬ道理なれども、それ天は人の上に人をのせ、さらに屋を重ねる知恵を授け給えり。  すなわち、女体互いに抱き合わせ、その足からめて開きたるに、われは剃髪赤衣一つ眼の荒法師を、いかさま鐘と木魚の打ち分けよろしき態、すでにして湯の名残りならぬ情け水の、やくたいもなくしとどこぼして、一刻も早き往生を、こいねがうこそいとしけれ。一つ撞《つ》いてはぼぼのため、二つ入れてはそそのため、博愛平等上下の隔てなくするうちに、女同士ひしと抱き合い、こは|れすびあん《ヽヽヽヽヽ》風|こいとす《ヽヽヽヽ》ともいうべく、心すましてながめたれば、鬚の生えたる8の字の、口ひんまげたりつぼめたり、煮えたぎりわきかえり、ついおもしろさにえこひいき、下ばかり撞けば上なるは、じれったげにあふあふと、物いわぬはずが口ほどに、じれる気持の露《あら》わなり。また逆にすれば、下なるは、ただもどかしくうごめかせ、このたびはわが体の陰にして、玉門の形状つまびらかならぬも、情けなそうなるその顔付き、捨子の親を求むるに似たり。  なれど、こは初手のうちにて、数十合の後は二身一体、上なる功徳は下に伝わり、下なるうねり上に及んで、われももはやいずれのかたにくわえこまれたるか、とんと覚えず、上なる女の背中に打ち伏し、ただやみくもに兵すすめれば、いずれも同じ故郷の、ありがたさやかたじけなさ、はじめのうちこそ品定め、ひだの数やら音じめやら、推しはかりしもいつしかに、|でゅえっと《ヽヽヽヽヽ》ならでめでたき|とりお《ヽヽヽ》、果てしはいずれの在所やら、われにはとんと覚えなく、また女二人、いずれもわが方と決めこみ、腰巻きひっつかみ後架へいそぎしはおもしろし。  一竿よく二艘をあやつり、満足なれども色疲れ、あらためて湯に入る気もなきまま、うとうとするうち、ゆり起されて、女二人続き狂言の寝催促、さりながら弱り果てたる亀がしら、ふぐりを枕にたわいなく、つい生返事に時かせぐうち、苛立って女ども、先刻の形にひしと抱き合い、8の字をわが顔の横ににじり寄らせ、二の膳つきの据え膳は、このたびまことに迷惑しごく、にじり退がれど追いすがり、残りし水にあたらしきうるおいしとど加わりて、湯本よりもなおすさまじき、湯気を放ち湯玉さえごぼごぼと煮え立つ如く、まことかの清書きの|なおん《ヽヽヽ》ならば、興さめたるもの、気のたける時こそ、いとありがたくかたじけなく思われ、なえて後に見る玉門、のべ紙の残りしわつきたる、というべし。   「新艘京へ上って茶臼と化す」  京すなわち山城にして、三方を山に囲まれ、南に水田を開き、四神相応仏恩またあまねし。寒暑おのおの正気を得て、加茂の川水いさぎよきこと他国にならぶなし。故に人の肌の滑なる、婦人の容姿艶麗なる、美玉の如し。されども古来、王城の地、おのずから奢美に過ぎ淫に溺れ、懦《だ》に堕つ。幼きうちより懸想文《けそうぶみ》を梅の枝に結び、または、男たらしこむ秘伝を老女より受け、色の道にはしごく天性の巧者なれば、うかつに近づく時、身を滅ぼし家を滅ぼすなり。かの義仲をみるまでもなく、余所者《よそもの》の京に入りて、栄華の続きしためしなし、お酉様と八坂はんのちがい、もっともここに存すというべし。さればわれも、夏の祇園会、大つごもりのおけら詣り、送り火時代祭と杖ひくこと数重なれど、くるわにては心許さず、色は伏見橋本に遂げたり。  過ぐる日所用にて京へ上り、日頃馴染みの宿へ入りたれど、折悪しく行楽期、空き部屋はなく、なれどそこはふだんから女中にはずみし陰徳の験《しるし》、布団部屋にともかく荷を解き、「繁昌でけっこう」皮肉でもなくいいたれば、「新婚さんばっかしですねん、近頃の方は開けっ放しやから、当てられてばっかし」げんなりと女中つぶやく。世にのぞきの種々相数あれど、新婚の夜だけはわれも未見、いや、なにも当夜の巫山の風、裾に流れる白水のせせらぎを聞くなどのぞまぬ、一夜明けて、いったいどのような面でさしむかい、すぐきの漬物若さぎの甘露煮など、しれっと口に運ぶのか。  番頭の態にて、定紋付いたる半天など着こみ、布団の片づけを手伝わせてもらえまいか、たのみこめば女中せせら笑い、「今日びそんなうぶな新婚さんいてしません。みなそれ婚前なんとかで、十分心得てはりま」「では、丹《に》より朱《あか》き|※[#「う」に濁点]ぁあじん《ヽヽヽヽヽ》の、そのしるしなど」「旧弊なことおいやすなあ、うちらかて見せてもろたことないわ。まあ、生理の不始末で、汚しはったんはあってもな」これはまたむさいことで、いったんはときめきし心も、すぐに波静か、立てし帆柱も風のなければ、詮かたなし。  所用を済ませ、好き心わずかに覚えたれども、何分、女中のいう如く、さがりの季節かいずこにも、見るからに新婚の|かっぷる《ヽヽヽヽ》うろつきまわりて、心地よろしからず。これがいかにも美男と美女、あるいはいささかのつつしみはじらいあるなれば、われとて心中前途を祝し、お裾分けの昂ぶりも得ようものを、いやはや何の因果で結ばれたるか、前世の悪縁としか思いようのない二人連れ、しかもこれみよがしに肩を組み、河原町から木屋町へ、ねやの続きのもつれ合い。  しかず膝かかえての一人寝と、早々に立ちもどり、寝酒の相手は飯炊き婆あ、早く夫と生別れ、苦労の末に一人の息子、大学へ入れてみたけれど、革命とやらに熱を入れ、いっさい親をかえりみぬ、山鳥の尾より長々し、愚痴きかされてなぐさめの、方便なきまま盃を、させば婆あは泣き上戸。つかぬ時はかくの如きものか、昼夜をおかずと、われ悟りを開き、新婚のねやの用意に忙しき、女中頼まず自分のことは、自分ですると床敷いて、やけ酒やけ食いやけ糞はあれど、ためしも知らぬやけ寝の枕。今頃は、あちらの部屋でからむ足、こちらでせわしき鼻の息、引きとく帯のきぬずれの、ひびきさえも空耳に、とても寝られたものにあらず。唐紙こっそり細目に開けて、うかがい見れど、非常燈の他は闇に静もり、粛々として抱き合うかと思えば、また腹煮え、すっぱすっぱと口吸いの、音くらいひびかせていいはず。  後架へ立つふりにて、なお耳をそば立てたれど、死に絶えた如く、いっそ喃々のひびきに一儀取終えての、濡れ寝入りかと思えば、また心悪しく、かりにも新婚なれば、明けての陽光黄色にながむるが定法、真面目にやれと襖に向けて甲斐なきそしり。無駄茎おやして清水の、滝より心細き小水いきみ出し、また布団ひっかぶって、せめて夢によき首尾をと、妄像まさぐれど、その当てもなし。  さるほどに、ふと人の気配身近かにし、ても酔狂な枕探しかと、寝息そのままうかがえば、枕にあらで魔羅探り、むんずとひっつかまれ、耳許に熱き息吐きかけられ、頬つねるまでもなく、わが玉茎は柔き掌中に在り。われはさすがに気も動てん、身じろぎならず、その正体見定めんとせしが、漂う香りは|ぼるとにゅい《ヽヽヽヽヽヽ》、まとえるうすもの透し、熱き肌ひたと寄りそわせつつ、「あらあら元気だこと」くすくす笑うさま、なんとも見当つきかねる。 「もっと欲しい」と鼻声の、布団の中にくぐもれるは、女の顔もぐったしるし、あれよと思う間もなく、唇技神に入り、舌技絶を極め、先程の一声思えば、宮川町あたりの不見転《みずてん》を、お上が心利かせて送りこみしにあらず、なによりいかにもわれと肌慣れたそぶりにて、しかもぎごちなさの残るは、さこそ知れたり噂に聞く、新婚花嫁部屋違いの段。  臆する心残れども、寝たふりつづけて、へのこを預け、もとより素地は十分、おえきったるを、時に喉ちんこに触れさせたるか、うっと息つまらせ、かと思えば、爪先きで、茎の中ほどさすり上げ、新婚とはいい条、|もーてる《ヽヽヽヽ》連れ込みに、かなりの帯紐解きしならん。 「ねえねえ」と、ねだり声聞えたれど、われなおも心決めかね、「いじわるねえ」いいつつ女にじり上り、あれこれ工夫なしたるが、茶臼の伝は未だ授からぬと見え、妙な具合にぬじまげられて、これはたまらぬ。  据え膳どころか、これは骨を除いて身をむしり、あーんと開けた口に、箸で押しこまれた如きもの、今はこれまでと、われ下より逆さ藤、ぬめるにまかせて、女の腰引きつけたれば、新開には遠きも、売物の貝とは雲泥の上物、「いやだわ、恥かしい」しかけておきながら、女、うすものの袖に顔をかくし、すぐふらついて手を突き、拍子に乳房がわが胸にふれる。何分ぬばたまの闇、声のみが頼りで、美醜判じかねるが、わが方にとってはそこがつけ目。  たしかにこの態は初めてらしく、居坐ったままなるを、こね上げしゃくり上げ、「いつものように」女、耐えかねてささやきたれど許さず、さらに上底下底さまざまにあやなし、「変よ、変よ」とせわしき息もものかは、居茶臼の味、骨身に思い知らせてくれようず、最前よりの気の悪さ、心悶えの凝り積みも、濡手に魔羅のこの仕儀に、たちまち解けて春の水、そのうるおいの内股にしとど流るる心地よさ。  ついにたまらず打ち伏して、女いまわの虫の息、ひったり合わす肌と肌、どこのどなたの花嫁か、委細知らねどそれぞれに、天の与えしさだめあり。女の頬は水晶の玉にもまして滑らこく、口をさし寄せ吸いつけば、甘露の旨味さながらに、汗にじみたる胸もとは、羽根布団より柔かし。  そのまま二人気をそろえ、羽化登仙はめでたきも、われにかえればこの始末、とても|てぃっしゅペーぱー《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》で、ぬぐうだけでは足りず。なお玉の腕のべて、われをかき抱きありし女、「私って、色好みなのかしら」恥がし気につぶやき、案するより易く床を離れて後架におもむく。  ふたたび足音近づきて、襖の開きしそのとたん、「どなた?」怒鳴れば、女立ちすくみ、しばし呆然の態なれど、ぴしゃりと閉めて、そのまま本来の床にもどりぬ。非常燈の光に浮き出せし女の顔立ち、未だ幼き色を残し、とてもあの床ぶるまいとは結びつかず、われもまた、夢心地のまま、こたびは安らかに眼をつぶり、かの清書きの|なおん《ヽヽヽ》なれば、ういういしきもの、元旦の夕方、煙草のみならう女学生、はじめて腹の上にいだきのぼせ、女に茶臼とらせたるなど、いうなんめり。   「噂に菊人形の艶色」  花といえば桜とのみ、一途になじみたるはおろかし。桜はなにやらぼてぼてとわずらわしく、梅にこそ情も香もありと、古人の言葉なるが、梅はもと中国の花なり、うかつにあげつらいては、また東洋鬼とそしらるるおそれあり。黄菊白菊その他に名はなくもがなといわれし如く、菊こそ、色も形もいとめでたく、粋の精なるべし。まして、十六弁の相似たるより、同じ名前をいただく菊座の風合い、ちかごろ本家に電照菊の味気なさあれば、こちらにも電気|がま《ヽヽ》のおぞましきもの見えれど、当節女色のうつろいに較べれば、格段ましなり。浪花は人の心活溌にして、三筋の音締めも調子高く、空の星さえ太々し。色にも食にも欲どしき土地柄なれば、実のある遊び、まずここにはじまること多し。そもそも衆道は、その身に伽羅《きやら》の香、粉黛《ふんたい》の力借りずして、天性生れ得たる美少年の、まこと桜も梅も及ばぬかぐわしきを、賞ずるなり。また、女なれば、重ねる枕のあげく、籍を入れろの、子を孕んだのと、しごくわずらわしきも、衆道にはついぞなく、しごく気楽なり、こころみにその得を上げるならば、女には月のさわりあれど、衆道になく、すなわち空床の憂き目のことなし。玉門に四十八ひだありといえども、菊座は桔梗袋の口の如く、とば口しまりて、しかも融通無碍《ゆうずうむげ》、短小を歎くことなし。子つぼこそなけれ、底にくくり目ありて、しかもいと柔かに亀がしらをくるみ、女の如く春泥足のふみ場もなき有様とは異り、常にほっくりとして無量の快美、膜のなければ、やれきずものにしたと、恨まれる筋もなし。  千里の道も、ます一里とかや、われも、のっけより菊座の味わい、かく見定めたるにはあらず、十とせほど前、おかま茶屋世にはびこりて、酔余、足を運べど、みるからに女のまがいもの、毒毒しき化粧凝らし、太しき声音をあられもな、「愛しちゃったわん」などおらばれては、とんと正気の沙汰に思えず、糞穴に押入るなど、いっち窮屈、また逆縁なればさぞや尾籠なる移り香も残らんと、そしる心ぞ先きに立ちしなり。  なれど、一夜、浪花は天下茶屋のはずれの、茶屋ならぬ、まずは若衆宿とでも申すべきか、|あぱあと《ヽヽヽヽ》の一軒すべて美少年を住まわせたるありて、|ばぁ《ヽヽ》の|ますたぁ《ヽヽヽヽ》に案内され、ようやくに糸道開かれたり。  少年は二七より二九からぬ年頃、声変りだけはいかんとも防ぎがたしと、|ほるもん《ヽヽヽヽ》剤を服用し、いずれも|うゐん《ヽヽヽ》少年|こーらす《ヽヽヽヽ》団の如く、すずやかに保ち、立居振舞い、けじめある中にも花を飾る。かりそめにも、女のまねびはせず、いたずらにじゃれつくことなく、「まあ、ものは試し、初物食えば七十五日寿命がのびる」と、|ますたぁ《ヽヽヽヽ》にそそのかされるまま、一部屋あてがわれて添い伏しせしが、それよりのことの次第、わが衆道にいだきしひがごと、吹き消して余りあり。これまでに、女なれば新鉢新造年増から婆あまで、数こなせしが、男は初手なり、いわば童貞も同じことにて、これはやはり勝手わるく、われただ仰向けに横たわり、煙草などくゆらするうち、若衆つと手さしのべてへのこをにぎり、しかしかとしごき立てたり。なんの男になぶられてと、われ妙な意地を張り、心空に遊ばせたれど、たちまち金鉄と変じ、「あら、こわいみたい」若衆の、ほれぼれしき声音聞いて、ふとうぬぼれしは、われながら浅間し。  衆道は、やみくもに尻おったてさせ、きゃきゃと道路人夫まがいに、とりかかるとのみ思いしに、これは格別にて、上より臨ます按配いうにいわれず、先水こそなけれ、昔でいう通和散、今はさしずめ乳液ならんか、春の日のぬめらんとして、ぬめる如く、鈴口にふれ、りんりんとひびくばかり。しだいに進めば上よりも、おっかぶさってくるまれ、いかさま胴中にまで届きはせぬかと、見上げれば若衆わずかに眉しかめ、口うはうはと息づかいして、女にはなきしおらしさ。  うつつの如く心うばわれ、若衆買いなど、よほどの物好きと、そしってありしは大きにあやまりと、たちまち悟り、新床の婦よろしく先方のなすままにさせ、心ゆるますれば、すぐにも総身ちり毛立ちかねず、時を稼ぐ分別に、ありようを確めれば、まこと通じの孔とも思えずして、尾籠の香りなどゆめゆめあらぬ清らかさ、男にしあれば、女の脂身より固きが当然なれど、これも好もしく、いわば蒸溜酒、|ばぁぼん《ヽヽヽヽ》の風合いといわんか、球磨焼酎《くまじようちゆう》か、さこそこれらの土地に衆道さかんなるもことわりなれ。  なにより不思議は若衆の、まだむけやらぬ亀がしら、毛中の内に見えたる、いとかわいらしきながめにて、むくつけき思いを抱くなし。  思わずついと手をのべて、ふれてみたればこはいかに、小なりとはいえ、鉄槌と化し、「すん」とかそけき鼻息もらすもいじらしく、こちらよりしかけて、尚、衆道の味わいきわまると、しみじみ腑に落ちぬ。なれればやがて、わが身を菊人形にしたて、これを|どんでん《ヽヽヽヽ》というと、耳学問はせしが、われはのっけにそのことわり納得し、されど四十の坂越えて、|ほも《ヽヽ》の手習いおねえ言葉あやつるもぞっとせず、心して以後遠ざけたれど、衆道有頂天上の味わい、しばし忘れかねたり。 「どうもおおきに」互い存分に果てし後、若衆つぶやいて、床しき香紙をのべ、心利いたる仕舞いぶり、わが寝巻きの襟もとつくろい、布団の裾をぽんぽんと叩いて、後の心の味気なさを、同性なれば十分に知るらしく、酔い覚めの水、寝おきの煙草にも心くばり、「私は、やっぱり江戸の方が好きや、気性がよろしいもん。また、かわいがってな」一言残して、静かに立ち去りぬ。  この若衆宿、その後も繁昌を続けたるが、二年前、お上のおとがめあって、お取潰しときく、なれど尾を残して逃れるとかげの|ど《ヽ》根性が浪花の華なれば、しぶとく菊は咲きつづけるにありなん、かの若衆も今は、色香うつりたらんが、かのすぼけの玉茎ふと思えば、いみじくもおかしき心地ぞすれ。清書きの|なおん《ヽヽヽ》なれば、思いまさりするもの、若衆のぬぐい紙などとりかたづけ、灯しかかげて、客を後架へいざないたるとやいわん。   「越の国ちぢみの新鉢」  新潟は大いに繁華の地にして、名にしおう色の湊の浮枕、古町の茶屋へかわいと、色あさる烏の通いつめれば、茶屋ではまた客々と待つ色蛙、名物の|えび《ヽヽ》さえ|なんばん《ヽヽヽヽ》したとの名があり、来ると|いきなり《ヽヽヽヽ》床につく待合、ことに雪国のならいとて、婦人の膚きめこまかくして容色すぐれ、一糸まとわず床にはべるその心意気、雪国へ来ると|とんねる《ヽヽヽヽ》があったというもむべなるかな。  われこの地に遊びを重ね、きこえたる茶屋の酒にもなじみたれど、ついぞ堅気の女とは口利きたることなく、駅と古町を往復するのみにて、町のたたずまいも、さらに心得ず。一夜、深更に空腹を覚え、ようやく寝つきたるらしき妓に、しのぎの糧頼むも気の毒、足音しのばせ外へ出たれども、あたりすでに静まりて当てもなし。うろうろと歩くうちに、一軒新開の|ほてる《ヽヽヽ》在り、ここならば|すなっく《ヽヽヽヽ》ぐらいはと、扉押して入るほどに、|ぼーい《ヽヽヽ》の姿も見えず、心細きこと限りなし。詮かたなく、また道にもどれば、十七、八の娘、家路へいそぐか足早に過ぎ行き、われ何気なく食堂の在りかたずぬるに、小首かしげて、「おそいすけねえ、ここの十二階はおそくまで、やってるのらろも」われを、|ほてる《ヽヽヽ》に宿泊するとみてか、ふり仰ぎ、「まだ、灯がついてるねっかね」なるほど、最上階の窓のみ明るく、「よかったら、何か一緒に食べない」厚釜しきは中年の性、まして旅の恥はなんとやら、口から出放題にいざなえば、女も虚をつかれたるならん、「しょうしらて、そんな」と答え、土地の言葉になれぬ者なら、これを「笑止千万」と勘ちがいしかねまじきが、われはすでに耳なじみ、こは恥かしいの謂なり、床の中にて、よく聞かされるうれしき台辞《せりふ》なり。  女は、母と二人暮し、短期大学の学生と、問わず語りに身の上紹介せしは、今風の娘らしくいける口にて、水割り|ういすきー《ヽヽヽヽヽ》の酔いの力か。さてむき合って飲みはじめれば、先程の空腹、さっぱり失せて、べつだん女を口説くつもりもなけれど、このまま別れるも口惜し、酒含みつつ、次ぎの逢う瀬を膳立てせんと、あれこれ思いなやみ、つい口重となるわれにひき替え、女は、われを土地なれぬ旅人とみてか、しきりに人事風物を語りかけるなり。  翌日、帰京のつもりなりしが、いかにも新潟見物に足運んだ態を装い、あれこれ質問すれば、娘心のたわいなや、明日暇だから、港や|ちゅうりっぷ《ヽヽヽヽヽヽ》畑に案内すると、妙にいきり立ち、どうやらお国ぶりを誇りたき様子。  |ほてる《ヽヽヽ》の|ろびー《ヽヽヽ》で待合せ、|たくしー《ヽヽヽヽ》にて町をへめぐり、盛りの|ちゅうりっぷ《ヽヽヽヽヽヽ》にまで足のばしたるが、すぐに自慢のたねもつき、女なにやら思案投首。ともかく古き西洋料理店|いたりあ《ヽヽヽヽ》軒にて、食事をとり、|ぼうりんぐ《ヽヽヽヽヽ》の手ほどきを受け、どうにか夕刻まで間を持たせ、この時すでに成算あり。肩にふれ、ざれて握った掌も、われからはほどかず、この年頃は色盛り、まして父なくば、わが年頃の男に興味いだくと、|ふろいと《ヽヽヽヽ》翁もかつていえり、なまじ土地の者は、足ふみ入れる機会も少ない茶屋へ連れこみ、泊りは無理でも、そこはそれ、|ちょん《ヽヽヽ》の間にことは欠かぬ。  まこといやしき胸のうち、何食わぬ紳士面に隠して、段取り運べば、魔のつけ入るすきもなし、とんとんと上がる階段の足音さえ、いとめでたく、ここが料理屋か待合か、区別もつかぬおぼこ娘、立てまわした金屏風珍し気に、また、床の間の生花こざかしくあげつらい、好奇心と怖気ないまぜて、緊張のさま手にとる如く、「ま、いっぱい」盃すすめて、われはまないたの鯉をながめる板前の心境。  時は春なり、誘う水あらばいかんとぞ思う気持の下水、あふれかけてはみす紙の、用心きびしく、なれどもおぼろの顔つきは、すでに下紐ときほぐし、濡れぬ先きこそいとう露、はやく濡れたき娘心あらわ。まず、色ごとのなにくれを、これも座持ちの一興のふり、時にあからさまな言葉まじえて、しゃべりかくれば、女、われも手だれの如く装いて、酔いを頼んだうけこたえ。同級生の誰やらが孕んだの、五百人斬りをめざす同輩がいるのから、「でもやはり、|せっくす《ヽヽヽヽ》は好い同士でなけりゃ、ちっともよくないんらてえ」甘えかかる如くつぶやく。 「そうかも知れないね」「男の人のことは判らねえろも」「同じさ」「でも、お金で買っても、楽しんだすけ」「まあ、若いうちはね」「小父さんなんか、もう悟りの境地?」「冗談じゃない、まだまだ煩悩の犬追えども去らず」きょとんとせし女ながむるうち、いかにも罪深き所業、この場はこのまま別れんと、心を決めたとたん、「私みたいな子供は、つまらないんだね、きっと」べそかいた如くいうから、「子供じゃないよ」「私なんかとしゃべってておもしろい?」「楽しいよ」「よかった」「もっと楽しいこともあるけど」  つい口がすべり手がすべり、春とはいえど北国の、未だすえたる掘炬燵、こたびは無量の思いこめ、にぎりしめたる掌に、じっとり上気の露おいて、はや切なげに吐息つく。肩を引き寄せ、膝にすえ、花の蜜吸う虻《あぶ》よりも、時に逆らう穴もぐり、胸元はいずる指にさえあらがいの色見えずして、ただ身をこそはちぢめたり。  固き|ぶらじゃあ《ヽヽヽヽヽ》の上よりも、それと知らるる乳首のあたり、弄《いじ》り立てればいじらしや、われから腕を背にまわし、|ほっく《ヽヽヽ》はずして顔かくす。汗にじみたる柔肌の、得もいわれざるなめらかに、色も香もある新鉢と、乳首の色に知られけり。  もとより手ごめにあらざれど、酒で殺して無理無体、いと浅間しとそこまでの、所業にとどめ幼な子を、あやすがほどにとどめたり、なれど女はおののきつ、身ふるわせつつその先きを、いと切なげに待ちのぞむ、さすがわれから手をとりて、導くことはかなわねど、ふれなばひらかん|ぱんたろん《ヽヽヽヽヽ》、もじもじ腰にあらわれめ。  今はこれまでこの先きに、いかなる地獄針の山、ありとていかで退かん、ここでせざるは勇なきなりと、まずは洛浦にさぐる珠、そこらかしこをうかがえば、すでに柳の葉末さえ、雪溶け水にうるおいて、面をみればあどけなき、色を残せどさせ頃の、ふっくら満開お待ち開。まだ生娘の生無垢開、愛らしい開いとし開、ちっとばかりは痛い開。おもむくままにのしかかり、抱き寄せつつあしのべて、邪魔な屑籠乱れ箱、かたえに押しやりあらためて、口づけすればけなげにも、われから吸いつき眼をつぶる。  どんなにいいやら痛いやら、夢とうつつをさまよいて、女さながらでくの坊、なりふりかまうゆとりなし。ふくらはぎよりふとももへえがく|かーぶ《ヽヽヽ》のあで姿、さらに|ひっぷ《ヽヽヽ》のこじまりて、さすがつぼめし谷あいに、みえかくれする花片は、|ちゅうりっぷ《ヽヽヽヽヽヽ》にこそかも似たれ。  近頃の女、|たんぱっくす《ヽヽヽヽヽヽ》など用うる故にか、未通女《おぼこ》にても、安らかに成就し得て、さらに心ひらけたれば、初手より情に身を染むること稀ならず。  この新鉢も、はじめのうちこそ眉しかめ、あるいは後じさりなどせしが、三浅一深にいたれば、くしゃみこらえかねたるが如き顔付き、同じしかめる眉も、いとなごやかな態にて、すがる腕にこめし力は、決して嘘にあらず。果てて後は、さすが面映ゆくてか、両の手に顔をかくし、背を向けたれば、これぞ尻かくさずの絵柄、そのそこかしこ汗か情かぬれそぼち、かぐわしき香り、おのずとあたりに漂いぬ。  |てぃっしゅぺーぱー《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》に、新鉢のしるしあれば、女の鼻先きへさし出し、これべつにいじわるにあらず、「まあ、きれいな色だこと」女、いとしげにながめ、「ありがとう」われ、深謝す。「ちっとも後悔なんかしてないすけ」女、われを逆に気づかう如くいい、「見てもいい?」女のいらうにまかせるうち、よみがえってそそり立ったるを、「あらあら」女つぶやき、頬ずりして、なにやらすでにわがものと、思いさだめたるが如き様子、ちと怖ろし。初手よりこのさまにては、亭主となる者、よほど丈夫でなくては、え勤まらじと思うも、中年男の身勝手なるか。  生娘ほど、色好みは他になし、あれこれ思いのみ先き走りて、下水もまたしとどやるものなり、故に口説くは容易なれども、いったんくわえた男の味、骨身にしみこむものにて、その場にてはさほどならねど、後にいやます床の色合い、つきまとわれること多ければ、心すべし。われもこの女には、後まで尾をひき閉口頓首、思案投首の態しばしばなり。清書きの|なおん《ヽヽヽ》ならば、あぶなきもの、初潮の手当て、新鉢の据え膳はさらなりとなん、いうめり。 [#この行4字下げ]月日は百代の過客、行き交う年もまた旅人なりとは、翁の言葉なるが、女の上を過ぎる男も、旅人にちがいなし。宿場に女があるにあらず、女こそ宿場なり、六輔風にいわば、隣の女房を口説くことから、旅がはじまるなり。千社札を、魔羅先きにそえて、おちこちの、街道宿場貼り歩くことこそ、男の冥利、たとえ過ぎてわれの如きなえまらとなるとも、男の末は、みなここに定まるものと、古人もいえり。怖るべからず。 [#改ページ]   |色籬 大学《いろまがきだいがく》四畳半《よじようはん》   手習ひのはの字忘れて身をもみぢ     散りぬる露の乾くひまなし [#ここから4字下げ]  世に楽しみは、色にましたることあらめやも。されば、その乱るるをお上の制し給い、みだらなる戯れを、許さずといえども、おとこおみなの乳繰り合い、した行く水に乾くひまなき姿こそ、人倫の基なれ。およそ人として、色好まざるやある。  まして花なら盛りこれからの、男女|共《とも》学びの|きゃんぱす《ヽヽヽヽヽ》、波《ハ》の字忘れて伊呂《イロ》ばかりも無理からずして、聖《ひじり》の寝言は上の空、態位ばかりを空覚え、ならぶ机のながし目に、思いかけひの水あふれ、流す浮名に散る乙女、染めて色ます雁首の、少々教えに背けりとても、学び易きは色の道なり。  色こそは天のなせるわざ、故に師無し、人それぞれに大道を行くべし。 [#ここで字下げ終わり]   契《ちぎ》るべきへのこも立たず老いぬれば    おとしめられて言訳ぞ憂《う》き  ある教授、かねてよりあらばちをこそと心にねがい、めぐり来る春、新入生の|おりえんてぇしょん《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》には、まめまめしく顔を出し、また、うぶとみきわめたる女子学生につきまといて、何くれとなく世話を焼き、年に似合わぬ若造り、|やんぐ《ヽヽヽ》の読むなる|まがじん《ヽヽヽヽ》を、小脇にかかえて、それなりに人気を集めたり。  教授はすなわち養子にして、恩師のふところに入れば、象牙《ぞうげ》の塔のきざはし、容易にきわめ得るべしと、音に聞えし尻軽の、その娘のもとへ三合の、小|糠《ぬか》ふり捨て婿となり、当てごととふんどしは、向こうからはずるるが、この世の道理。どうにか講師にまでなりし折、恩師、戦中の言動とがめられて追放され、流れを汲《く》む養子また傍系に留めおかれ、すべて血を分けし父のせいなるに、家付き娘の身勝手、亭主に向かい甲斐性なしの、ぼんくらのと、ののしるうちはまだしも、子無きを幸い遊び歩き、町内で知らぬが常法の耳にさえ、仇《あだ》し男の噂とどきぬ。  初夜の初手からよがり泣き、男なれしたその肌も、一つには出世のため、また一つには若さ故のたけりに逸《はや》りて、気にもとめざりしが、ようよう定命《じようみよう》をこえて、ふとかえりみすれば、このまま手入らずの女体知らぬまま朽ち果つるも口惜し。  折しも世は反動の勢い盛りかえし、恩師の業績見直され、小判鮫よろしき養子にも、棚ぼたの教授の椅子。それまで入れこみ膝おくり、窮屈な相部屋から研究室と、こけおどしな個室へ移り、さてこそ時いたれり、卒論の指導、就職の相談、女子学生ひきこむ口実にネタ切れはなし。  うわべ温顔慈父の如く、内面小平大久保の態《てい》、いけにえの羊探せど、色に出づる雅《みや》びやかさならばともかく、ほどを心得ねばたちまち馬脚あらわして、気味わるしとのみ評判高く、教室の外にては、口さえきいてもらえぬ情けなさ。  これが|ますこみ《ヽヽヽヽ》人気の助教授、さては紅顔の講師なれば、校門の出入りいちいちに黄色い声がかかり、どうやら抱くほどは風がもて来るしたい三昧《ざんまい》、まさかお裾《すそ》分けねがうわけにもまいらず、ふと耳にとめた同僚の、女子学生品定めを思いかえして、年にもあらぬ手すさびに、うっくつ晴らす気のわるさ。  私学なれば、未だ定年に間あれど、馬齢重ねればなおねがいかなえがたき道理、いっそ凝《こ》っては思案の他、うむをいわせず引きこんで、押し倒せば今時の娘、おのずと道開かれるべしと、すきうかがえど眼に入るは、肉置きゆたか丈《たけ》高く、とうてい力ずくではかなうまじ。  さればと金にものいわせ、なびかせようにも安|さらりー《ヽヽヽヽ》、自家用車など乗りまわす、女子学生には通じざらなむ。宝の山に在《あ》りながら、|たんたろす《ヽヽヽヽヽ》の明け暮れは、びんに置く霜いやまさり、吐《は》く息とみに生臭く、もがき死にせんばかりなり。  寝ては|みに《ヽヽ》さめてはうつつふとももの、白さの奥のかげりなど、思いめぐらせその末は、誰に手折《たお》らる蕾やら、せめて処女膜眼でみたし、なろうことなら舌にふれ、竿頭一寸もぐりこめば即《たちま》ち死すとも可。  待てばかいろの火種かな、|ちゃぺる《ヽヽヽヽ》の脇に思案顔、立ちつくす女子学生ありて、何気なく教授声かけたれば、「実は先生に提出した|れぽーと《ヽヽヽヽ》、自信がないんです。私もう就職が決ってるんですけど、もし卒業できないとなると」  涙さしぐみ訴えたれば、これぞ墓地《せいざん》にゆかりの大学に噂も高き、体張っての単位修得ならんかと、教授勢いたち、 「そりゃまあ、事情によっては相談にのらないでもないが」 「おねがいします」 「ここで立話もなんだから、私の研究室へ来なさい、簡単な|てすと《ヽヽヽ》を行って、その結果がよければ、まあ|れぽーと《ヽヽヽヽ》の方は、眼をつぶってもいい」  胸のうちこそ異なれど、互いにしめたと舌を出し、机はさんでさし向かい、意馬心猿とはやりたる教授の眼には、みるからに男ずれした腰付きも、吸われつくした唇も、|ぐれいすふる《ヽヽヽヽヽヽ》やら|びゅうてぃふる《ヽヽヽヽヽヽヽ》、ふるいつきたいばかりにて、「|ふらんす《ヽヽヽヽ》語は得意かね」たずねれば、「いいえ、駄目なんです」「宝石の単位をあらわすのに|きゃらっと《ヽヽヽヽヽ》があるね」「はい」「あれはまた、隠語で女性の年を意味する。君は何|きゃらっと《ヽヽヽヽヽ》かね」「二十一|きゃらっと《ヽヽヽヽヽ》です」「そうか、道理で美しい」これ教授いねがての夜に、考えぬいた口説きなり。 「私はあなたに|ぶーけ《ヽヽヽ》を贈ろう」 「花束を下さるんですか」 「この場合は単位のことだね」 「ありがとうございます」 「その代り、あなたの|ぎゃん《ヽヽヽ》が欲しい」  女子学生きょとんとしたるを、 「|ぎゃんでゆんぬふいーゆ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、つまりお嬢さんの手袋」 「手袋でよろしいのなら、私、編んでさし上げます」 「編まなくっても、ほらここに」  女なれぬとはいえ年の功、ましておのがなわばりの内、教授すばやく女子学生の背後へまわり、羽交い締めに抱きつつ、猿《えん》ぴのばして|すかーと《ヽヽヽヽ》の裾まくり上げたれば、されじと学生身をかがめ、抵抗強ければ、熱またさかる道理。  無言のままの差し手争い、もとより女子学生、生娘時代は夢のまた夢、ここで教授に身をまかしたれば、あに|れぽーと《ヽヽヽヽ》のみならんや、卒論までも有利と、胸算用こざかしく、そのうつけ声にて「大丈夫、痛くしないから」「少しだけじっとしてて、責任はとる」ささやきかけるに調子を合わせ、「お母さんにしかられる」「お嫁にいけなくなっちゃう」せいぜい可憐に装えども、もみあううちに是非もなや、心十分に動きて、つい鼻息荒げたり。  どうにかこうにか掌ほどの、白きうすものはぎとって、ほっと一息汗ぬぐう、教授の体支えつつ、あまりのことに失神のふりよそおいし女子学生、今はおのずとむずがゆく、湯玉たぎらんばかりにて、お待《ま》ち腰やら誘《さそ》い尻。  いっかならちのあかぬ故、またあらためてながめれば、いかがしつらん教授どの、虚空をにらみ、身をかがめ、いかに鞭打てども、泥亀首をすぼめて、惰眠むさぼるばかりなり。  夢にまで見しこの仕儀に、ままならぬとは悪い夢、ねじりよじって、もみしだき、脳裡にえがく妄像も、眼下に生身のあれば、刺戟とはならず、出るものはただ吐息、たかぶるは鼓動ばかり。 「ごめんね、男というものは、あまり愛しすぎても駄目なんです。つまり精神的になっちゃうんだなぁ」髪なでつけつつ身を起し、口ごもりつついいわけの、言《こと》の葉《は》さがす間のわるさ。「|れぽーと《ヽヽヽヽ》との方は心配ない、必ず|ええ《ヽヽ》をつけておく」  仏頂面のまま、女子学生足音高く研究室を去りしは、生殺しのまま放り出されて、五体身内よりむずかゆきためなりしが、教授、しきりに無礼を詫び、あげく、不能こそは天の助け、首尾とげたれば、|すきゃんだる《ヽヽヽヽヽヽ》にまきこまれたるやも知れずと、|いそっぷ《ヽヽヽヽ》の狐よろしく、胸なで下したり。   今朝はまた君が|めっと《ヽヽヽ》にたきこめし    香のにおいぞ恋しかりけり  大学新入の女子学生、純情なるはまず闘士にあこがれを寄せるものなり。  すなわち、高校時代、男ずれてあれば、べつだん期待もいだかず、十人十色それぞれに、つき合えば楽しみおのずとあることわり、心得ていれば、それほどに男を見る眼きびしからず。  道楽息子ならば車を利用し、点取虫に|のーと《ヽヽヽ》を借り、|ままこんぷれっくす《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》の坊やでさえ、同性よりはましとこそ知れ。  なれど、男女別学、わけても戒律きびしき|みっしょんすくーる《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》出身の女子、ようやく晴れての共学に、胸ふくらませ、そそ毛なびかせ、いずれの男も白馬の騎士と、思うものなり。  ところが、現実にみる男ども、受験の疲れか、偏食のむくいか、いずれも精気うすく、言動いかにも子供っぽし。こちらから声かければ、すぐうぬぼれて、二枚目気取り、あちらからの誘い断れば、大袈裟にふられたと泣きわめく。  文学青年はひがみっぽく、演劇青年|あんぐら《ヽヽヽヽ》気取り、ひねこびた童貞ぞろいにして、いささかの|だんでいずむ《ヽヽヽヽヽヽ》もうかがわれず、校歌に涙浮かべる単純馬鹿、麻雀、|ごるふ《ヽヽヽ》しか話題のない|さらりーまん《ヽヽヽヽヽヽ》気質、中で、|いでおろぎい《ヽヽヽヽヽヽ》はともかく、闘士の颯爽《さつそう》と眼にうつるも、むべなるかな。  その|あじてーしょん《ヽヽヽヽヽヽヽ》にせよ、|げばると《ヽヽヽヽ》にせよ、のらりくらりの手合いに較べ、ひたむきなる印象にて、古来、女は、熱と意気にもえる男に心ひかるるものとぞ。  三十年前の、女子挺身隊といわんか、赤十字、愛国婦人会とみなすか、|せくと《ヽヽヽ》には女子学生の|しんぱ《ヽヽヽ》多数ありて、その多くは一年生なり。  ここに、新入女子学生あり。入学式こそ行われたれ、授業いっさいなく、それも色とりどりの|へるめっと《ヽヽヽヽヽ》かぶりし連中の、粉砕、糾弾、闘争、反対、阻止、貫徹と、入り乱れてののしり合う故なれば、かねて反感をいだきありぬ。  なかでも、三尺下ってその影踏まぬ心づかいもつべき、わが師に向かい、悪口雑言吐き散らす手合いには、心底腹立たしく、その一人|在《あ》るを見はからい、抗議申しこみぬ。  すなわち、 「どんなにあなたの方のいい分が正しいにしても、年長目上の人には、それにふさわしい言葉づかいをなさるべきよ」  いわれて闘士、きょとんとなり、見ればみるから良妻賢母予備軍故、無視して去らんとすれど、 「なぜお答えにならないの、卑怯ですわ、そんなの」 「うるせえなぁ」 「あらどうして、私のいっていること、まちがってまして?」 「あたくし」やら「まして?」など、ついぞ耳慣れぬ言葉で、調子狂った闘士、「ぶっとばされたいのかよ」追い払うつもりで怒鳴れば、あたりの一般学生聞きつけて、「なんだよ、女相手に|げば《ヽヽ》るのか、落目だなぁ」「やるんなら機動隊に突っこみなよ」たちまちとりかこみ、口々にののしり騒ぐ。  闘士、唇をきっと噛み、昂然と胸を張り、その額に刻まれた傷跡は、過ぐる日の闘いの名残りならん。薄汚れた|れいんこーと《ヽヽヽヽヽヽ》と、下は垢《あか》染みた|わいしゃつ《ヽヽヽヽヽ》一枚、骨浮き出たる胸いかにもみすぼらしけれどとりかこむ学生の背広|じゃんぱあ《ヽヽヽヽヽ》、派手やかな色どりに較べれば、むしろ|きゃんぱす《ヽヽヽヽヽ》につきづきし。広い芝生、陽光受けて輝く|すぷりんくらあ《ヽヽヽヽヽヽヽ》のしぶきあればこそ、|あいびーるっく《ヽヽヽヽヽヽヽ》も似合うものにて、日本の|ゆにぶぁしてぃ《ヽヽヽヽヽヽヽ》など、工事現場と大差なければ、|へるめっと《ヽヽヽヽヽ》のはえるも、むべなるかな。  なれど多勢に無勢、|せくと《ヽヽヽ》仲間の応援もなくて、あわや袋叩きとなりし時、かの女子学生、「おやめになって、寄ってたかって卑怯ですわ、いつもはだまってるくせに」身をもって闘士をかばいぬ。  これがきっかけそれよりは、男の額の傷跡を、何より大事に片想い、住い名前も知らぬまま、またの逢瀬《おうせ》を神頼み、神はなけれど機動隊、陣取る前に|せくと《ヽヽヽ》あり、中に恋しき男あり。  いつしか|せくと《ヽヽヽ》の物いいの、耳唇《じしん》に親しみて、いっぱし黄色い声を張り、女は|しんぱ《ヽヽヽ》となりにけり。  めぐり来て、逢う日は常に、|げばると《ヽヽヽヽ》なれば、しみじみ語ることもなく、恋の深き瀬渡るにも、|げば《ヽヽ》棒にては棹《さお》させぬ。  さるほどに男、不退去罪により二十三日間の勾留を受け、女子学生にしてみればこれぞ結びの縁《えに》し、日々差し入れに相勤め、晴れてその不起訴となりし朝、久しぶりに見る男の姿、いとまぶしくしたわしく、もとより男にも情は通じて、「どうもありがとう、おかげでたすかったよ」すでに肌なれし仲の如く、寄りそい肩抱き寄せぬ。  今宵《こよい》こそ思いとげめと、下|紐《ひも》の、すでにおのずと空|解《と》けて、歩く足さえもつれ勝ち、心せかるる床いそぎ。女子学生、自らの住む|あぱあと《ヽヽヽヽ》ヘ伴い、まず風呂に入れて、不浄の気洗い落させんと、仕度なせば、男また亭主気取り、委細かまわず裸となり、「君も一緒にどう?」さそいかけたり。  はっと身をすくめて、しかし、見まいとすれど眼に入る|一でいけえ《ヽヽヽヽヽ》、男の肉づきしごく豊かに、福々しくてそれも道理ならん、女子学生心づくしの差入れふんだんにくらい、ろくに運動せざりし故、一月前の痩身とは別人の姿。  さらに男、拘禁生活から解放されて、心はずみたるか、下賤なる流行歌くちずさみ、「丁度いい休養だったなぁ、起訴されないと判ってりゃ、留置場もわるかないや」言葉つきさえ甘ったれ、「ねぇ、背中流してくんない?」さらに図にのりつけ上る。 「早く出て、おひき取り下さい」女子学生、今は男の裸体ものともせず、ひたと眼をすえ、きっぱりいえば、「どうしたの、何か気にさわった?」気弱くうかがう表情、いとうとましく、「あなたの恋人でもありませんでしょ、なれなれしくしないで下さい」  女子学生の見幕に、男、体拭きもあえず、よろよろと|あぱあと《ヽヽヽヽ》を去り、はかり難きは女心と、首ひねりしが、女は女で、いっそ|げばると《ヽヽヽヽ》ふるって欲しかった、乱暴な言葉づかいを聞きたかったのにと、耳に男の、怒号よみがえらせ、瞼に骨浮き出せし胸板思いえがき、つと伸びる指は、鉤《かぎ》型の、米粒ほどをさぐり当て、情けないやら口惜しいやら、下露まじりの涙にて、しっぽりぬれる二つ枕、一つは君と抱きしめて、置き忘れたる|へるめっと《ヽヽヽヽヽ》、その移り香を胸にこめ、しみじみなげくうす縁《えに》し。   いろはより手をとりそめて教えしが    藍《あい》より出でて匂う色かな  |きゃんぱす《ヽヽヽヽヽ》には数多き倶楽部《くらぶ》あり。襖《ふすま》障子張り同好の士|集《つど》いたるが、時の話題となりしはすでに昔、当節、浮世の営みすべてにわたり、研究|研鑽《けんさん》を重ね、大学の真髄むしろここに存すといえども過言ならず。  中でも、流行は|ぽるの《ヽヽヽ》関係にて、映画の制作上映合評から、東西古今の文献調査、さては実践にまでいたり、北明外骨《ほくめいがいこつ》の先哲も顔色《がんしよく》なきありさま。  温故知新とみるべきか、あるいは江戸文化再認識の風潮に身を合わせたるか、元禄より化政にいたる性風俗の研究、大いに興《おこ》りて、あたらうら若き女子学生が、ありんす言葉読み習い、変体|仮名《がな》の解読に頭をいため、古川柳、破礼句《ばれく》の百や二百、暗記せざれば幅きかぬとは、おもしろくもまた空怖し。  ここに江戸性風俗をもっぱらにする一派ありて、部員の数五十名を超え、のっけは益軒やら志道軒、ひもときてありしが、やがて一人の、家重代伝わる春本笑い絵運び込みしより、七面倒な故事来歴に頭わずらわせるまでもなく、すうのはあのはすぐ腑《ふ》におちて、いずれも熱中せり。  されど、文部省国語指導のおろそかにして、いやあるいは、かかる文章、読ませまじきためのおもんぱかりか、ちょいとしゃれた、いいまわし、伝統的術語が、すんなりのみこめず、ややもすれば|たあへる《ヽヽヽヽ》・|あなとみあ《ヽヽヽヽヽ》の読み解きにも似て、いとおかしき成行きなり。 「では、つづいて白水山人著すところの、『花露』を輪読いたします、当番の方はどなたですか」|りーだあ《ヽヽヽヽ》まず口をきり、以前ならば一字ずつ写せしものを、文明の御世の味気なさ、|こぴー《ヽヽヽ》にとりし絵入り春本、各自しさいにながめ入り、「はい、私です」当番の名乗り上げしは、前髪の、乱れ一筋なきおかっぱの娘。 「花の津遊、春無三日晴とは野暮な連句にして、春雨晴間に出る佐保姫の」こけつまろびつ朗読し、さて解釈となると、そうおおっぴらに口にできることでもなけれど、そこはおぼこの一徳なり。 「入れて子の日の千代八千代、ためて呑みこむ玉椿《たまつばき》、いくよの夢を見よの春、乗心地よき宝船、からみ付きたる種おろし、苗代水をとくとくと、結びの神の二柱。これはつまり|こいとす《ヽヽヽヽ》を|しんぼりっく《ヽヽヽヽヽヽ》に表現している部分です、『入れて』はつまり插入ですしぃ、千代八千代には|おのまとぺ《ヽヽヽヽヽ》の効果も含めているのではないでしょうか」 「千代八千代がかい」 「早口でいうと、そんな感じがします」 「ちよやちよ、むしろ|ふぇらちお《ヽヽヽヽヽ》に似てるよなぁ」 「馬鹿いえ、江戸時代にそんな術語が通用してたかよ」 「椿は、明らかに唾液でしょ」 「どうしてためて飲みこむんだろう」 「そりゃあ、夢中になってりゃ、つい口の中に溜まるのさ」 「一説によると、このことによって早漏をふせぐらしい」 「苗代水ってなぁ、精液のことかねぇ」 「射精が、種おろしか、何となく露骨だな」  あれこれ判じあって、これでは到底、心たかぶらせるゆとりなし。江戸期の春本、あるいは戯文調にて書かれたる猥褻《わいせつ》文書の、幸か不幸か、人畜に無害なること、これにてもよく判るなり。  さすが|りーだあ《ヽヽヽヽ》は、一日《いちじつ》の長ありて、身も蓋もなき解釈に、色香をそえる心づかいして、「では本文に入って、特に問題の箇所もないけれど、『すべすべとして毛もうすく、あだぎれながく山高く、うるほひ気ざし』とあるくだりの、あだぎれについて、意見をいって下さい」  はいとこのたび、手を上げしは、幼な顔の残る女子学生にて、 「いわゆる毛切れのことではありませんかしら、毛切れの怖れがあるほど、むさ苦しくのびている、つまり、この女性は、手入れが余りよくないのです」 「そりゃおかしい、すぐ前に毛もうすくとあるんだから」 「うすくても、しょぼしょぼっと長い人っているんですよ」  女子学生、唇とがらせて不満顔、 「あだはむだ、ぎれは裂ですな、今風にいえば膣前庭、川柳などにも空割れなんて出て来る」 「それが長いと、いいんですか」 「そうらしいねぇ、全体的にこのくだりは賞めてるんだから。つまり上つきってことじゃないかな」 「すると山は、恥骨をいうのかしら」 「そうなるかなぁ」 「でも、あすこが高いと、痛いんじゃない?」 「これはきっと饅頭開のことですよ、ふっくらと盛り上ったさまを形容しているんだ」  つまりはかくもあらんかと、|りーだあ《ヽヽヽヽ》、黒板に形状をえがき、女子学生|のーと《ヽヽヽ》にひきうつす、知らずに親御のこのさま見れば、さだめしおどろくならん。  英語の単語覚える如く、「あだぎれ、膣前庭のこと、空割れともいう」など、克明に記し、波《ハ》の字忘れるいとまあらばこそ、伊呂《イロ》ばかりの倶楽部《くらぶ》なれども、いかにもこれでは机上の空論、春情解さねば、いかに字義を追えどももどかしく、|りーだあ《ヽヽヽヽ》と幼な顔、かねて部員にかくれ、こわごわと互いの体うち調べ、足ふみそめる色の道。  閨《ねや》のくりごともいちいち研究のためなれば、江戸時代のまねびをして、「あれさ、もう」「うーむ、三千世界がひとつところに寄るようだ」「こらえておくれ、死にんすわいな」「えーと、ここで空腰を四度つかうと」「私は受けてまわし腰ね」「つづいて子つぼのくだける如く」「死んだように身を動かさず、なすにまかせる」「口より奥まで十里の道のりある如く、しずかにすすむ」「ついじれてしゃくりあげる」  互いに|こぴー《ヽヽヽ》読みつつ、忠実に客と女郎のやりとりを復元し、まこと実証主義もここにきわまれり。  この二人、一年ほどははた目もうるわしき、先輩後輩なりしが、やがて袂《たもと》を分かち、理由は幼な顔の浮気なり。 「俺というものがありながら」男、そこは研究に名をかりるとはいえ、肌がなじめば情も移り、なじりたれど女いささかも動ぜず、「予習しただけよ」あどけなき表情で、いいしとなん。   女郎花《おみなえし》なまめき立てる前よりも    うしろめでたき菊の花ぶり  文化倶楽部あれば、体育会また勢威を誇り、近頃、しごきの噂広く喧伝されて、評判わろしといえども、世に武張ったるともがら、つくることなし。  なれどここにも色の波打ち寄せ、部員勧誘の|きゃっちふれーず《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》には、いずれも女性|憧憬《どうけい》の的とやら、女も部員多しとこそあれ。  いずれも坊主頭、奇怪なる学生服身にまといて、女子供見ればひきつけ起しかねぬ姿なれど、蓼《たで》食う虫のたとえ通り、たとえば米式蹴球、排球部員など、女ひでりはなし。  中であわれとどめるは、銃剣道、棒術にして、五輪に関係なければ、全国大会も|ますこみ《ヽヽヽヽ》に無視され、わけても銃剣道は、旧陸軍の|いめーじ《ヽヽヽヽ》と重なりて、往年の軍国老女以外、その存在すらも知らざらめ。 「前」「後」「前々、刺突」なる掛声、三十年昔、津々浦々にひびきわたり、醜敵迎え撃つべき、なによりの手段なりし。ここに、復古を校是とする大学ありて、この術を天下に広めんと、学長自ら、率先して木銃をかまえ持ち、天性のがに股なれば、いちおう形にはなれり。  日曜、祝祭日には、学生を近くの社《やしろ》境内に引見し、弥栄《いやさか》三唱のあげく、銃剣道の野試合が恒例のこと、時ならぬばん声に、さぞや神鎮まります太柱、おどろきなさるらん。  野試合の後は、雑念を払うとて、全員股間あらわとなし、隆々たる逸物、空にそびやかせしめ、大和ぶりとて、指一本ずつ順々ににぎり、「丹、仙、法」の掛声とともに、しごきたつる。 「放ち終えれば、すなわち心気爽快、これ神の御利益なり」と、濡手で柏手をうち、いかさま年頃の男には、妙法なるらめ。  されど色の道、堰《せ》けばあふれて、おのずからなる流れをなすものなり、ある時、「剌突」の掛声に、突き出だしたる木銃の、いかなる天の配剤か、男の尻に強くふれ、「うん」と一声|悶絶《もんぜつ》したり。  尻のあたり急所まします故、水かけるやらさするやら、ようやく男、気づきしが、以後はなにやらなまめいて、刺突のたびに腰をくねらせ、二度の悶絶ねがう如く、男の妖しいそぶりに、以心伝心ならう者が続出し、裂帛《れつばく》の気合いうすれて、ふんすうの淫《みだ》り声、道場に満つ。  女断ちたるにはあらねど、近くにその気配なければ、おのずと菊座の嗜好芽生えるは、自然の摂理なり、木鉄にあきたらずして、鉄槌をうちこまれたしと、ねだる者あらわれれば、また眉目《みめ》よきをわが稚児と、いとおしむ猛者にこと欠《か》かず、「前」の号令に、猛者しごき立て、「後」の声きいて、稚児尻をあらわにし、「剌突」で見事首尾をとぐ、女神男神の、みとのまぐわいと、品かわればとて、これも色。  菊を何より尊ぶ校風なれば、いとつきづきしきわざにこそ。 [#この行4字下げ] それ大学は、古《いにし》えの廓にことならず、一般男子学生は嫖客にして、女子学生は花魁《おいらん》、教授は妓夫《ぎゆう》なり遣手《やりて》なり。それぞれの置き屋、すなわち学部に籍を置き、四年の奉公勤めれば、どうにか一人前の、人まじり許さるると、自他ともに思えども、実はしからず。かつて吉原は江戸文化の粋を集め、また母胎たりしが、今の大学にその片鱗もなし。せめて色の道に励みて、チン母校、アナ母校の名を高からしめるべし。 [#改ページ]   四畳半《よじようはん》 色《いろ》の綾取《あやとり》   もつれたる口説《くぜつ》の果ては足をなは     結びの神よほどかせ給へ [#この行4字下げ] 色の道筋そのみなもとをたずねれば、ただ穴二つといいしは、大徳寺の禅師《ぜんじ》とかや。まこと|さね《ヽヽ》も|びら《ヽヽ》もなき申しざまなれど、思えば人の世、繁れる毛立ちの下穴より、羊水にまみれて産れ出で、鳥辺山《とりべやま》あだし野の、草露もろとも穴に入りておわる、穴から穴への穴狂いは、山のあなたの|あなきすと《ヽヽヽヽヽ》のみかは、穴をあなどる貴方は|あなくろ《ヽヽヽヽ》あなおかし。なれど穴づくしは、わが禿筆《とくひつ》の本意ならず、二つ穴狙う一筋二つ玉の在りよう、つまびらかに写して、まずは砂下ろし。   「犬儒穴狂い」  さてもここに二人の儒者あり、うわべいと木石《ぼくせき》の態装《ていよそお》えばこそ、底にとぐろ巻くいたずら心。うわき、あやまちも世の常ならば、笑って見過ごされるところ、儒者にてはかなわず、そしり受けるならまだしも、一家|眷族《けんぞく》石子詰めの難儀とは、思えば気の毒なり。日頃心して互いにいましめ、かりそめにも女弟子に手出しせまじと、金打《きんちよう》うっての約束も、所詮《しよせん》穴より出でし身なれば、いとはかなし。  四書五経まずは伝授の女弟子たち、一夜、師の御恩に報《むく》いたしとて、二人を酒家に招きぬ、盃重ねるにつれて、へだての垣もいつしか払われて戯《ざ》れ言《ごと》とびかい、なれど男二人に女五人、悪い首尾にいたるはずなし、師もつい心許したるが運のつき、天魔これを見逃がさずしてとりつき、女弟子の二人、水茶屋へいざなうを、断るだけの思慮すでになし。  梅が香に迷うは、あに鶯《うぐいす》のみかは、春の夜の闇にまぎれて漂う匂いに、ふと気づきし師匠、ここはいずくなりやと、見わたせば、同輩のかねて求めし寮の小部屋、酔覚めの水を探し、半身起してなにやら足にひんやりと肌がさわり、布団はいでたしかめればこはいかに女弟子の一人|裾《すそ》もあらわに寝入りてあり。  暁に間ありといえども、おぼろに浮かぶ寝姿の、枕半ばはずし、髪しどけなく乱し、酒の余熱か胸かきはだけ、うすものにいじらしき乳首のすけて見ゆる。  瞼《まぶた》に刷《は》きし青黛《せいたい》の、時にふるえたるは、女弟子もすでに目覚めたるならん、机をへだてさし向かいの折り、なにやら色におそき腰つきと、おとしめて見しは、とどかぬ葡萄《ぶどう》は酸《す》しのことわり、露を含んで今まさに開かんとする花|蕾《つぼみ》、ねむり装い、恥かしさこらえる乙女のいじらしく、儒者も人の子たちまちに、猛《た》けるへのこのなだめようなく、むしゃぶりつけば、「あれいけませぬ」こばむ言葉とうらはらに、力をこめて師のうなじ、抱きすがるこそ情なれ。  襖《ふすま》一つへだてて、朋輩《ほうばい》の寝入りたるなれ、よろず心くばりして、はや汗じみてすべらこき肌の、乳首より腋毛《わきげ》に指はわせ、下穿《したば》きのあたりたゆとうほどに、「自分で脱ぎます」居敷《いしき》浮かせて解きはなち、心乱れたればすなわち鼻息荒し、股開きなば、いかにとどめんとして、痴声夜陰にひびき、ぬめりあふれては下草しとど濡れて、おのずからなる招き猫。堕《お》ちなばもろとも今はこれまで、師、体入れかえて、前方の梅林思わずとも、はや先き水のぬめぬめと、合わさる時を待つばかり。  肩へまわしたる双手、ひきしめつつ、腰あしらえば、心せきたればこそあいにくに、外れてすべる額ぎわ、何にふれしか「あれ」と、弟子なやましき忍び声、息をととのえあらためて、馬を進むる街頭の、ぬかるみこそはめでたくも、たてがみまでをふるわせて、いななきたれば、弟子はまた、春はあけぼのようように明けそめにける初水の、井戸のつるべのきしみ立て、たばしる汗のかぐわしく、身も世もあらぬ風情《ふぜい》にて、二十を過ぎてはや五年、心気に凝《こ》りし情け水、今ようようにときほぐれ、口が開けば眼は閉じる、体のばせば腕ちぢみ、鼻が尖《とが》って眉が泣く。かくするうちに師たえがたくして、湯玉よりなお熱きを、注《そそ》ぎたれば、弟子しみじみと身にしみて、おのずからなる波打ちの、腰をとどむる術もなく、ただようままに抱きすがり、胸ひた寄せてすすり泣く。  汗にしとどの肌着脱ぎ、裸と裸でしめて二貫、二貫か和姦か強姦か、この夜の仕儀の先き行きは、神ならぬ師の知るよしもなし。  さすが心|疚《やま》しくて、儒者|後架《こうか》へ立ち、ことのついでに隣部屋のぞきたれば、こはいかに朋輩も女弟子と大合戦、すでに肌なれたる間柄と覚しく、ふるまい水の流れに似て、おおねのべたる脚の、宙に舞うとみれば、しめなわの如くからみつき、野分の如き鼻息の、あたりかまわぬ物凄さ、やよおとらじと閨《ねや》のうち、師弟の垣もあらばこそ、汗か脂かやり水か、あけぼの白き露のあと、ただ一面にちりめんの、いとあでやかな敷布団。 「いく」と一声ほととぎす、季節にはいささか早けれども、ようように嵐|凪《な》ぎて、後は吉野紙くる音かそけし。身動きもならず見入る姿、朋輩《ほうばい》気づきて、「子曰|一視同仁《いつしどうじん》即安全」指にてしめし、互いに入りかわりたり。以後の仕儀改めて述《の》ぶる要なからん、旬日過ぎて女弟子の一人、手ごめにされたりと、公儀に直訴、いずれより誘いたるかは別、儒者にもあるまじきふるまいとて、二儒|放逐《ほうちく》されたるなり。  わが娘ならぬ預かりもの、人の秘蔵の娘にいたずらごとあらせじと、心してしかるべき師の、羊飼いが狼変とは、近頃けしからぬことと、世間の良識《ヽヽ》かまびすしきも、また怖るべきは乙女子なり、中年すべからく垣結い固くして遠き慮《おもんぱか》りなかるべからず。   「潮吹き穴女」  女の名称さまざまにあり、昔、奥様とは大身の武家の妻女をいいけるが、下りて町人|有徳《うとく》なるはおしなべて、かくは申しはべる。商家はおいえ、おかみさまなり、戦時中よりこの別失われ、当節、嫁《か》したるはすべて奥様という。奥様にして、夫先き立ちたれば、後家、未亡人なり、なれど破鏡《はきよう》のあげくは、特に名称なし。以前は出戻りといいしも、近頃とんとこの言葉耳にすることなく、死語なるべし。  古来三十後家は立たずと伝う、後家ならばまだしも、仏の供養《くよう》心に念じ、いささかとりまぎれることもあらん、破鏡の場合しからず、もはや心にかかるかげもなく、いかように尻軽にふるまうといえども、そしり受けることなし。出戻りに処女期待するうつけの、世にあるはずなく、またの契《ちぎ》りにさわりなく、また、万が一このまま独り身を通しかねずと、怯《おび》える気持あらば、なおこのことはやりたてるものなり、世に、「出戻り」ほど好色なるはなし。  ここに一人の出戻りあり、草深き土地の出なれど、白き肌に七難かくして、小町の名得しこともあり。二十にして銀流しと結ばる、銀流しのなりわいつまびらかならず、遊興好色を日夜の勤めとなし、諸々に下屋敷もうけて、見栄を飾る。なれど、草深の小町、貧乏そそなりしならん、たちまちにして零落《れいらく》、協議して離別、これまでに何の不思議もなし。  おかしきは二人、別れて後、互いの夜の仕儀、瓦版に売りこみて、吹聴《ふいちよう》せしことなり。元亭主一文を寄せていわく。「妻に好色の天稟《てんびん》あり、われはまた名伯楽なり。その初夜にして、すでに妻十数度の至福境に達す、その極意はすなわち雁《かりがね》の用法に在り。つらつら雁の形状を見るに、流線型をなして、段差により茎とつらなる、入船より出船に刺戟強く与えしむるは当然のことわりなり。世人、ややもすれば没頭にのみ心せき、脱却をかろんず、大いなるあやまちというべし。かえりみるに、わが妻瞬時にして前後を忘れ、わが弱腰に足なげかけ、死ぬる死ぬると上の空、うるおいいだすこと滝の如くにして、睾丸《こうがん》ためにふやけ、へのこの根の毛立ち腐れるもしばしばなり。うるおいまず白水の如くして、しばし後|納豆《なつとう》の糸ひく態をなし、さらに粘稠《ねんちゆう》となり、突如噴出す、男のすなる射精そのままにして、かめ頭しとど気やり水浴びる心地いわんかたなし、妻この時歯をくいしめ指折れんばかりにそらし、腰を宙にさまよわせ、濃淡の腎水《じんすい》おびただしければ、|べっど《ヽヽヽ》の|まっとれす《ヽヽヽヽヽ》たちまちに朽ち果つ。わが妻なりし女こそは、わが作品なり、世上男子、すべからく功徳《くどく》にあずかるべし」  出戻りは電気写し絵に登場、草双紙にわが裸体掲載せしめて、自ら潮吹き女を自称、水芸の変り種かと思えば、これよがり水にして、その量一斗なりという、白髪三千丈もはだしにて逃げ出す吹聡なれども、悲しいかな、卒然として逝く。今ここに、その最後の同衾《どうきん》の顛末《てんまつ》物語らん。  役者、歌手のつまみ食いは、これぞ出戻りの収得ヤリ得ドクドクと、五臓六腑の渇きをみたし、何不自由なき明け暮れも、顔形変るだけでは物足りず、あの角力取りはいかがなものか、|ぷろれすらー《ヽヽヽヽヽヽ》はと、いささかゲテにまで手ならぬ股を開げて好色探求、一夜めぐりあいしは小人にて、身の丈《た》け三尺に足りず、俗に大摩羅《おおまら》と噂あれども、こは体つきと比較してのこと。されど小人に奥の手、いや両の手あり、いかな大穴も、常人の拳手首は納め得ず、小人なれば、あつらい向きなり。とりあえずの一儀終え、当てはずれたる出戻りの、いささかむくみし狐面、別れた夫の逸物せつなくしのぶその折り、ふいに節くれだったる感触当てがわれて身を起せば、小人あたかも|ふっく《ヽヽヽ》くらわす体《てい》にて、わざと深くは突かずに、小口こすり立てる。  出戻り思わずもがり尻、すりつけんとすれば、なに分腕なれば自由自在、しかも開中にて掌指を綾なす故、たちまち噴き出す先き水は、小人の顔直撃して、さけもならぬ。両脚ありったけうち開げ、さらにかきいだかんと、蛸《たこ》の如くにくねらせたれど、小人巧妙にのけぞりかがみ、むべなるかな、ひっからめられては下股固め、天地|晦冥《かいめい》、失心のおそれなしとせず。  突けば玉散る白水の、ひけばねっとり糸をひき、鬼手仏心とはこの謂《い》いか、久しくかこつ悶々の、穴を今宵ぞ埋めんとて、さす手ひく手に腰合わせ、つづく出戻り入れ戻り、結んで開いてまた結び、こつぼにくらう|すとれーと《ヽヽヽヽヽ》、いっそもうもう両の手を使っておくれと頼みこむ。  |べっど《ヽヽヽ》はたちまち泥の海、なおも吐きだす大淫流、流れは瀬となり淵を為《な》し、|ぱんや《ヽヽヽ》の枕浮き出して、両手を貝にとられたる、小人ようよう鼻先きを、水面《みなも》に突き出し息をつく。抜き差しせんとこころみるも、足ぬらついて支えがなく、それよりさらに、出戻りの自在にあやつる股|阿吽《あうん》、引かれ押されて川を漂うごみさながら。|いく《ヽヽ》の|しぬ《ヽヽ》のとけたたましきさけび、しだいにうすれて、小人の意識もすでにもうろう、身を捨ててこそ浮かむ瀬とやら、いっそ頭から穴へとびこんでと、覚悟決めたその時、鉄砲吐淫ざぶりと浴せられ、同時に貝柱切れし如く、緊縛《きんばく》ほどけ、小人|べっど《ヽヽヽ》の上を滑走床に叩きつけられて|だうん《ヽヽヽ》。|どあ《ヽヽ》の|のっく《ヽ《ヽヽ》に正気づき、よろめき立てば糊の池、|のっく《ヽヽヽ》は|ほてるまねーじゃー《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、部屋よりの漏水下にしたたるとの抗議なりき。  吐淫一斗は、約二十|きろ《ヽヽ》なり、出戻り女の体重三十八|きろ《ヽヽ》、その四分の三を水分なりとせば、ほぼ七割を放出したる勘定にて、脱水状態というもおろか、するめ同然の姿となりて、息絶えてありぬ。自らの穴に殉ぜし出戻り女、壮絶の死というべし。合掌。   「後めたき穴」  近頃都にはやるものと、指折り数えるうち、はやうつろうはかなきたぐいばかりの中に、これだけは吹き止まぬ風ありて、すなわち男色なり。その宿あからさまにお披露目《ひろめ》もならねば、世人の気づかぬのみ、年々倍増しして、今は数十のやかたあり。類|自《おの》ずと友を呼ぶといえども、やはり径《みち》ありて、裏道におそくまで店開きの薬局、しばしば手引きをかねるなり。  搦手《からめて》もまた、本手《ほんで》となんら異なる色でなし、とはいえど、なかなか肩ならべるにはいたらず、うわべ尻ぬぐって、嫁をとり子をもうけ、化けの皮つくろう人士少なからず。  ここに役者あり、すでに伜成人して、同じ舞台を親子|連獅子《れんじし》、末は国宝と目さるる上手なれど、裏に狂いし年月の在りようは、妻女も心得ず、総じてこの道の者、尻穴いささかゆるくとも、口は堅きなり。役者、七日に一度、宿へおもむきあるがままにふるまう、そのくだりうつしみん。  宿の代金は千円にして、木賃より安し。男連れにて入る者はまれ、みなここにて敵娼《あいかた》を探すなり、役者すでに老いたれば、手ぶらにて悦楽を求め得ず、すなわち万金を投じ、好みの若衆をはべらせ、さらにつなぎを欲す。  つなぎは、近頃はやりなれど、この道には四、五年前よりはじまり、もとより衣裳の謂いにあらず。役者宿につきたれば、緋《ひ》の長襦袢《ながじゆばん》、黒繻子《くろじゆす》の帯に身をやつし、伽羅《きやら》香木配して広き部屋の一隅に待つ、宿にての通称は、おつやにして、すでに約定《やくじよう》整えし若衆、時により人ことなれど常に富次郎を名乗るなり。 「おつやさん、あたしゃ冬のうちから、お前を思いこがれていたんだよ」さあこっちへと手をとれば、役者さしうつむき、「あたいもうれしいけど、人に見られたら」「いいじゃねえか、末は夫婦になる二人だ、そら、焦《じ》らせねぇでよ」いいつつ口吸えば、役者身もだえしつつなお富次郎を押しのける、「いいこだから、さ、いう通りになんな、ほらどうでぇ」富次郎、逸物ぬっと突き出し、「あれぇ、こわいよう」「怖がるところが何ともいえねぇぜ、ま無理もねぇ、ろくすっぽ生えそろってもいねぇねんねだからな、だがよ、そのうちお前の方で、催促するようになるんだぜ」かわす痴《し》れ言《ごと》のいちいち、役者の工夫にして、うまくこなせば祝儀にありつける故、若衆懸命に演じ、部屋の暗さが救いの神、役者とって七十二歳、衣裳こそ娘ぶりなれど、顔は地のまま、灯の下で見られたものにあらず、やれ怖いの恥かしいよのと、口説のあげく抱きすくめられ、白眼半ば見開き、顎《あご》はずれた如く、よだれたれ流し、あらわな脛《すね》に毛のなければ骨とまがうばかり、はだけた胸にあばら浮き出して波を打ち、声ばかりは小娘ぶり、「もうこうなったら捨てないでおくれ、富次郎もしも心変ったら、化けて出るよ、あれ、おかしな気分に」「それそれそれよ、な、心おきなくやりな」「乱暴にしないでおくれ、ちょいとむごいよ」「ちったあ辛抱しねぇ」「せつないよ」  若衆果てれば、たちまち灯が入り、身なりそのままにて、役者手っとり早く若衆しばり上げ、さすが本職言葉つきがらりと変って、「手前、あのすべたに惚れたってぇのか、ええ」木刀の先きにて、ひたひたと打つ。ますは第三景にて、女とできあった若衆を、兄貴分|折檻《せつかん》の場、このやりとりあまりにくだらねばはしょって、第三景つなぎにとべば、若衆犯す役者に、べつなる男が背後より突入、さらに何人も加わり、|むかで《ヽヽヽ》とやいわん、押しくら饅頭とやいわん、調子とらざれば、外れるおそれあり、役者しゃがれ声に「エンヤコラ、エンヤラヤ」掛声をかけ、これなん「気やり音頭」と申しはべる。  裏道すでに数十年を閲《けみ》したれば、役者の後穴、すなわち膏血《こうけつ》しぼりつくして、先年破れたり。よって|ばいぱす《ヽヽヽヽ》を設け、糞をこれにより導くも、人工の管に筋のなければ、待てしばしかなわず、脇腹に袋を設けて貯蔵す、立居振舞に何の支障なけれども、舞台にて臈《ろう》たけたる姫に扮し、二枚目に抱かれる折ふし、袋よりあふれ出で、ために濡れ場に異臭漂うことしばしばとぞ。まこと業《ごう》にてありけるが、役者が迫真の女形ぶり、その淵源《えんげん》を後穴にあらずして、またいずくにか求めん。   「宴果てて穴かがり」  小袋と娘には入れてみよとの譬《たと》えあり、古《いにし》えは数え十六、七にて|祝 言床 盃《しゆうげんとこさかずき》、新枕はちりけに灸《きゆう》すえるよりは心やすしと伝われり。今風に指折れば十四、五歳、しかも背丈け肉つき前後のふくらみ、以前とぐらべようなきませ娘、まして日頃の見聞は、悉皆《しつかい》穴遊びにまつらうことども、さぞやよかろおもしろかろうと、ひょひょ指にたしかめ小気味よきさわりの覚え、あって当然、なければ心のかわらけならん。  寺子屋通いの娘の、色の手習に仰天するは、世間知らずもはなはだしきなり、ものものしき組名いただく|ぐるーぷ《ヽヽヽヽ》ならずとも、しめし合わせての小銭稼ぎ、いとはびこれり。  ここに好学の小娘あり、男女のことわり、あらましは腑におちたれど、なお畳の水練をいかんせん。|うーめんずりぶ《ヽヽヽヽヽヽヽ》の提唱よりはるかに早く小娘手鏡にてしかと確め、兄の朝立ちめでたき姿ながめて、凸と凹との組合せ、あれこれ綾なしたるも、妄像定かには結ばず、そも処女膜とは何ぞや、古書にいわく「煮抜き卵のうす皮の如し」またいわく、「瘡《かさ》のかさぶたに似たり」またいわく、「半月状にして豆皮の如し」。さては破瓜《はか》の疼痛《とうつう》いかばかりのものなるか、翌日、ものはさみたる心地ぞすれとは、いかなる按配《あんばい》に候か。  舶来の書籍ひもとき、古文書の塵《ちり》をはらい娘玄白と化して学にいそしむ、「女の気ざしはかるには指人形にて開を探り、気ざしなければふるえ強く起るなり、気ざしあれば恥かしさつのりてふるえ少なし。へのこ手中におさむればすなわち開うるおう、うるおえばたちまちに身もだえす、さればそろそろとやりくりすべし」読書百遍にして、未だ意伝わらず、なまじ脳裡に刻みつけし故、母のなにげなく口にせし、「やりくりがたいへん」に、淫らな印象をいだき、卵のうすかわながめて、われ知らず吐息もらす。かくては|のいろーぜ《ヽヽヽヽヽ》にいたらん、すべからく実地に試すにしかずと、思い立ちしは十六歳の春なり。制服なればさほどのことなきも、私服にて盛り場そぞろ歩けば、声かける好き者にこと欠かず、とり立てての決意も悲壮の気もなく、のっけの中年男に誘われるままつき従い、連れ込み宿の門をくぐりぬ。  いざ向き合えば中年男、なにやら間のもてぬ風に、こせこせ歩きまわり、たずねれば近頃盗聴器しかけたる部屋ありと訳知り顔ながら、二つ枕の頭もとの襖《ふすま》ひきあけ、思いがけず鏡にうつりしわが姿、あっと腰抜かさんばかりの態たらく。ひきかえ小娘、出された饅頭男の分まで腹におさめ、さて服は脱ぐのか、脱がせられるのか、しばし様子うかがったが、中年男風呂に湯を入れ、冷蔵庫を調べ、よほどの貧乏性ならん。  ようように床入りとなれば、さすがに身ちぢめたる小娘の肩を抱き、おそるおそる忍び入る指の、あたかも抜き足差し足忍び足、痴漢まがいの臆病さ、くすぐったさが先き立ち、必死にこらえれどなにせ年頃、なまじの我慢が逆に出て、下腹をさまよう感触にたまらず、はじける如く笑い出し、中年男是非もなや、エヘラエヘラと御相伴《おしようばん》。  出鼻くじかれたか、ついにふるい立たず、小娘はしかし学成らざれば帰らじと、開陳求めて眼のあたり、「いざとなりゃ小父さんだって、ぐーんとね」「どれくらいになるの」「そうだねぇ、|びーる《ヽヽヽ》の小瓶かな」「ヘーぇ」「今度また会ってくれない? 栄養つけてくるからさ」「いいわよ」答えたものの、その気毛頭なし、別れぎわに中年男、五千円さし出して、またの逢う瀬の念を押す。  二人目の男は、さらに年長なりしが、こは床の手練《てだ》れにして、まずちいさき乳首に唇はわせ、かたわら若草萌えそめにし土堤のきわそろりそろりとまさぐり、小娘、つい肢すぼめしは身内より湧きいずるきざしのしるし、これまでに覚えのないたしかさで、春の陽ざしにとけそめし雪の如く、下穿きしとど濡れそぼちぬ。珠探り当てし指、入念にうごめきつづけ、すなわち|くりとりす《ヽヽヽヽヽ》ヘの愛撫と、小娘こざかしく自らにいいきかせたれど、やがて熱き感触にくるまれ吸われ、ふと気づけば男の姿かたわらになくて、ふとももいだく手の位置に、ようやく納得したれども、もはやうつつまぼろし、いつしか赤ん坊の如く、小娘指を吸い、下半身の力まったく失せて、男の肩にかつがれたわが脚、すでにわがものならず。  思わず知らずのり出だし、気づけば男のひと腰に、ああとうめき、息をのみ、なにやらこりこりとした当りの、すべらんとしてまた位置をさだめ、じわりじわりと押し入る按配、ここが一度の正念場、小娘けなげに気をとり直し、見定めんとすれど、唇吸われ、乳房つかまれ、さらに内もも、尻へとはいずる指の、動きにつれて|かっ《ヽヽ》と燃えたつ血潮いかんともしがたく、その間にも厘《りん》刻み、肉の裂かるる痛み脳天に刺さりて、|あっあっ《ヽヽヽヽ》と、たわいなき有様。  男、小娘の耳もとに口寄せて、突如ふいごの如き荒い息つきはじめ、のしかかる体の重みまたいやましたれば、てっきり発作でも起したか、中気の祖父の臨終思い浮かべ、おびえたとたん熱湯の、体内深く注がれ、呼応して内側より、暖気ゆらめきのぼり背筋の半ばまで、ぬくもりに包まれぬ。刷毛《はけ》で三はきほどの、紅《くれな》いがしるされ、男、しごく満悦の態にて、紙入れより二万円とり出し、友人を紹介すれば、一人当り一万円の手数料といやしく笑いぬ。  体をまかせ金を得る同年輩の女の噂、近頃しきりにかまびすしきも、まさか自らの業《わざ》がそれとは、露思わざれば、男と別れて後、小娘いとおかしく、何食わぬ顔でもどるわが家の、親にやましい気持もなし。やがて十七歳の誕生日なり、それまでつづけて、後は心にかかる雲晴れて、一点の疑問もあらねば、ひたすら受験準備に打ちこまんと、小娘、気のむくまま街をそぞろ歩き、いくらかは好みに合わせて男えらびし、金額は相手まかせなれど、一万円以下のことはなく、四人目にして、ふと小水洩れ出《い》ずる如き、また、腰全体に熱をおびて溶けかかる如き感触たしかめ、これが|おーがずむ《ヽヽヽヽヽ》への一里塚、求められれば口にも含み、|でぃーぷすろーと《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》のあながち荒唐無稽《こうとうむけい》ならざるを悟り、床重ねるごとにあらたなる急所、その指やら唇にて思い知らされ、一人の男大事に守りつづけるならば、とてもこのことはかなうまじ。  小娘たちの間に、すでに|ぴる《ヽヽ》同様の効果もたらす薬剤の知識あまねし、故に孕《はら》む怖れはまずなきも、特別の行事ないまま、月のさわりの順送りは母の不審まねきかねず、ありもしない|めんす《ヽヽヽ》の手当て、ふりだけして、しかし親は露うたがうことなく、誕生日の|ぷれぜんと《ヽヽヽヽヽ》、何がよけむと無邪気この上なし。  十七歳となる前日、小娘、形成外科を訪れ、穴をかがりたり、すなわち処女膜再生手術、体売って得たる金の、ほぼ三分の一が費用。残りを二つに分け、一をもって父に|かふりんくす《ヽヽヽヽヽヽ》、一にて母の|ぶろーち《ヽヽヽヽ》、いずれも小娘のこづかいいかにためても買い得ぬ高価な品なれど、わざと安物めかし、|ほてる《ヽヽヽ》での|ばーすでぃぱーてぃ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》の席上、両親に感謝のしるしとて贈り、招かれたる同級生の母たち、まことの孝女、娘の鑑《かがみ》、かの親御様にわれもあやかりたしと、口々に賞めそやしたり。 [#この行4字下げ]穴なき笛は吹けども鳴らず、穴なき小町抱けどもならず。ほれたといい、ほるという、すべて穴の縁語なり、あなおもしろや。 [#改ページ]   四畳半《よじようはん》 色《いろ》の行寿恵《ゆくすえ》   いとけなき心にあそぶままごとと     親の欲目をよそに色ごと  春吹く風の色なれば、紐ときそめる青柳の糸、秋たけなわに心もうつつ身をもみじ色、めでたき御世は色ありてこそ。肌なれし色は、ひたとよりそい魔羅なでさすり前に入れ、心浮舟波まかせ、おぼこの色はいまだ汚れぬ庭前の雪のはだえ、うずむるつぼみまさぐりて、ほころびを待つ梅が香のしのび泣き。  色はいろいろとりどりにうつろう姿、つれづれなるままうつしみるに、年は二八か二九からぬといいしは古え、当世十とせ余り四、五にてしごろ、させごろ。見よう見真似の手わざなして、しげる尾花に白玉の露を宿し、いつしか声も立てまわす襖にては仕切れず、「少女連夜奏春琴、不覚白波溢花芯、元是非淫乱多情、漸入妙齢色難忍」と、先人もいえり。  はの字忘れて色ばかりの手習いも、今は共学にてかや粒しじみのたわいなき頃より、耳は年増眼は|ぽるの《ヽヽヽ》、筒井筒振分け髪に竹馬の仲も油断はならず、いつしか寝ころぶ公園の、繁みにませ者同士、頭かくして腰つかい、しし食った顔は受験|疲《やつ》れにごま化し、口説かれるはよほどの蛸か巾着か、うかうかのぼせうかれ歩く果ては女高生売春なり。  うらなりの豆さえ時到ればはじけ、まして五体具全顔ににきびの吹き出す頃ともなれば、十のうちあら鉢は半ばに満たず、荒ごとの相手に家庭教師多し。親は留守なり、壁は厚し、|さいん《ヽヽヽ》は眼と眼、こっちへ|こさいん《ヽヽヽヽ》、われ|たんじぇんと《ヽヽヽヽヽヽ》、無態に抱きしめHEと悲鳴をWHOとうなじに熱い息、うれしいやら怖いやら、親に知れたら何としょう、金しばりやら魔羅しばり、教師たまらず口を吸い、あたりの鞄が長枕、手早くはずす|ぶらじゃー《ヽヽヽヽヽ》の|ふっく《ヽヽヽ》はずせばふっくらと乳房の先きの蕾さえ、はや春風を待ちのぞむ。心はせけど|じーぱん《ヽヽヽヽ》の堅城若武者にも抜きがたく、娘またいざとなれば怯えてなわになえば、どしんばたん横なりの|※[#「う」に濁点]ぁんぷ《ヽヽヽヽ》。下行く水すでにしとど、鉄槌また火と燃えて、本来、水と火は相合わぬものなれど、いつしか|ちゃっく《ヽヽヽヽ》も空解けて、総身のふるえを歯でおさえ、腰を浮かせて眼をつぶる。  春風に臍の下萌え咲き出で、紅梅またほころぶ、教師、虻《あぶ》と化して花片を求め、花いわざれどおのずから道を開き、八さくのしろむき出しの雪の肌、今は包みかくすものなくて、眼元ににじむ情の色合い。心にとえばいけない子、なれど体はいつまでも、いれない子ではなお悲し、これで女になるのよと、いいきかせつついじらしや、にことうち笑む口もとに、教師吸いつき舌先を、ついとさし込み吸い立てる。ひしと抱きしめしめしめと、胸のうちなる指勘定、次ぎなる月の客の足どり。  あら鉢割るを花街《かがい》にて水揚げという、すなわちめでたき井戸掘りぬいて、深きめぐみの若水汲み上げ、めぐりよき数の子や俵締めの宝に会うこそ、男の道の極意なれ。教師、井戸掘るとなれば、双肌脱ぎててらすでに風をふくんで張り裂けんばかり、手まめ舌なめぬめりをくれて、めずらかなる豆を何にたとえんか、色豆の黒きは年増、茶は新造、春のあけぼのようようにうす紅にけむりたる、この豆に当ればいかな鬼奴もよだれ食い、座禅豆に悟りすましたる坊主はすわり小便。そら豆のそら割れ沿いに舌はいずらせれば、おのずと笑みほころびて、消えも入りなんフンスウの、声もやがては虫の息、はてしなく出るはしり水、逃げ水やがて湯気を立て、教師の眼鏡くもらする。  尻の下のかいな、やがてしびれてあれば、とりはずして乳をもみ、妹背川の流れあふれては、素肌てらてらと紅をうつして、夕紅葉。いつしか息はけものじみ、嵐と変じ、夏草はたけだけしく勢いたて、まこと色は四季をひとつところに集むるというべし、天地玄黄の妙ここに凝って、こってり楽しまんと、草をかきわけ手入らずの、井戸に押し込む指二本、「あれ」と一声ほととぎす、しめるこぶしを導きて、鉄槌の柄をにぎらせる。眼には見れども何一つ判じがたなき常闇の、死出の旅路をたどるごと、五体総身の力抜け、|ぱんてぃ《ヽヽヽヽ》からむ右のくるぶし。  古語に、小袋と娘には入れてみよといえるあり、娘に不相応とみえし鉄槌、まず空割れにそいて綾なし、手ごたえはかるうち、ずいと竿頭すすめれば、ずいとせり上るいしき、ずいずいずっころばし、逃げてはまずい、肩を押さえて股びらき、|こまねち《ヽヽヽヽ》もびっくりの態にて、上より沈めれば、娘壁際に押しつけられて身動きならぬまま、いたいいたいはしたいのうち。やわやわとやわらどりに、おうおうの往生詰め、鉄槌まず先端を埋め、引き抜けばすなわち鮮血、雪の肌にほとばしって、桜田門のありよう、さらに詳述なせば、はばかり多からん。素地十分に在れば、やがて息づかい旧に復し、いかなる態にあるかと、娘ようようあやめの分別、身は二つ折れ、わが脚の膝のうしろに教師の顔、眼鏡はずした間抜け面の、下眼づかいに見てあるは、わが新鉢と見当つけ、ならば男のすなること、われもなさめ、娘、教師の背に手をまわし、上体を起したればすなわち向いどり、技にならびし双つどり、鉄槌の進むにつれて、頬いっぱいにほおばる思い、退く姿は若武者の、手負いの血染めしみじみと、女になりしとひとしずく、井戸より出ずる初清水、紅葉浮かべて流れれば、頬は上気の桜色、春雨にぬれてます艶の、まずはめでたきながめなり、教師の汗はしたたりて、床にはあらぬ青畳、五月雨ぬかるむ沼のごと、肌と肌とはぴちゃぴちゃと、雪どけ道の難渋も、二人うれしき添い伏しの、何が夢やらうつつやら。  教師ひとしきり激動して、果てたり、くるぶしにひっかかりし|ぱんてぃ《ヽヽヽヽ》手にとり、しばし初井戸に当てがい、「痛かった?」「うん」うなずきつつも眼もとで笑い、恥らいみせてながす眼づかい、太しきもものあいまにひと布はさみこみ、春草水を含んで頭をたれ、乳房までたくし上げられたる|せーたー《ヽヽヽヽ》もそのまま、娘うっとり余情にひたり、もはや隠す気は失せたり。  |ぱんてぃ《ヽヽヽヽ》とり除けば、白にくっきり紅の色、「別れての後の想いの当てがきは、脱ぎ捨てられし君が移り香」教師、国文の出身なれば、鼻にあてつつくさめを一首、「女郎花《おみなえし》露ごとたおる君なれば、人になつげそ口なしの色」娘、親の手前はばかる気持をかえす。 「何もかもぼくのものにしたい」「いいわよ」ならばと、教師むごいこと、娘を寝かせ、その頭脚ではさみこみ、藤がかりに押さえこめば、これが世にいう|ふぇらちお《ヽヽヽヽヽ》か、眼でみるのさえおぞましき鉄槌口にふくむなど、こけの沙汰と思いしに、肌許した後はいといとおしくて、ふくめばたちまちよみがえり、ふくらみつづけ、たちまち唇張り裂けんばかり、「ううっ」とうめき、これは心底窒息しかねまじく、顔のけぞらせ、娘心の達引は、舌を使って歯でくじる、教師はそのまま打伏して、娘のいしきにかう布団、ひなさきちゅうちゅうと音させて吸い、片手ぬかりなく菊座にふれ、残る一つでももさすり、ももすり三べん、|くりとりす《ヽヽヽヽヽ》、|あぬす《ヽヽヽ》攻め立て、そのままに体入れ替えてこのたびは、後取りのはかりごと、いしきより手をまわし上に引けば、娘こたえてこの態位、劇画で先刻承知なり。初井戸よりのぬめり、十分にあたりうるおせども、菊自らは露をむすばず。教師、前方に梅林ありと、となえて猛りきったる鉄槌にしめりをくれ、ずいと押せどもこのたびは、埓あかず、にしても、前庭の井戸、後門の菊、いっときに掘り手折るとは、欲ふかき教師なり。「同じ野の露にやぬるる初菊の 匂いめでたき契りなりけり」「前よりもうらこそ良しとめでたまう 君の好みをうらめしく思う」「常闇の男女の道はまらだより いずれを前かうらないがたし」「いずれぞとたずねたまえばよりそいて ほのぼのみする花の夕顔」かくするうちに、ぬらりと鉄槌もぐりこみ、つれて娘帆立て腰ぺたんと落したれば、はずみでさらにくわえこむ。  衆道に態位あり、揚げ雲雀、脚立返し、逆落し、唐こみなど、弘法大師これを定めたまいし重宝の位どり。いかに耳年増の娘も、この道は心得ず、わが身に押し込む災難の、みきわめつかぬまま、横隔膜突き上げられる心地して、されど思ったよりは痛み少く、尾籠なる色の移り香りの伝うるを恥らえども、やがてきやきやと苛立つ覚え腹中に生じ、もじもじごしにおのずとうごめき、教師はさらに体を入れかえたり。  初井戸は空なり、菊の動きにつれて、あかんべえする如く、指先きにていらえば、花弁おのずから開き、水揚げそめしさま、隠すなくあらわれ、すなわち淡紅色の庭先き、同じきひなさきはともかく、掘り抜かれたる井戸深々とすでに膜は上辺に形骸を残すのみ。教師もこのたぐいは臍の緒きって今がはじめて、内縁のしごきはぬめり少き故、すこぶる味わいよく、なにより無態きわまるわが所作を眼でたしかめ肌に味わい、乳房を押さえ眼《まなこ》閉じ、なされるままの木偶《でく》同然、娘の姿みおろすうち、さらにむごいわざを求めて、なるほどこれが|さど《ヽヽ》の境地と腑に落ちたり。  娘はあられもなき自らの有様、いかに眼閑じるとて脳裡にありありと浮び、濡れる先きこそいとう露、いっそもっといじめられてみたき心ぞきざす、あたしはひょっとすると変態なのかしら、かえりみるさえおもしろく、男と異り、娘は初の儀にもゆとりもつものなり。  ふむは四股、抜差し自在もしこしこと、あげくの|ややこ《ヽヽヽ》は憂目なれど、幸い娘は月の客到来の直前にて、なにほどのこともなく、むしかえし入れかえし、この歳に占めた色の味わい、先き行きさらにめでたかるべし。これも道理、瓜の蔓《つる》には生らぬ茄子《なすび》、留守をせし女親は年甲斐もなき|ほすと《ヽヽヽ》狂い、出会い茶屋へしけこんで、まぐわいの後のまどろみ、夢さめて身づくろいするうち、ひょいと見下す|ほすと《ヽヽヽ》の|ぽすと《ヽヽヽ》魔羅、阿呆の巨根のいい伝えに誤りなく、しかも若さの橋立てに反りを打ち、雁の渡りは庇立て、紫立ったる節々は、雲をのぞむ龍の勢い、ものはためしと逆さじょうご、わが身両の手に支え、及びかかれば、四十を過ぎてのふやけ開、難なくとりこみたくしこみ、寝た子起さぬ心づかいは、一交につきいくらのとりきめなれば、すなわち盗みぼぼの算用。日頃、ここをせんどととち狂うを、声たてず息をのみ、ゆるやかにつかまつれば、ちりけひとつところに凝って、湯玉子つぼにはじきとび、火玉背筋をはいのぼる、やわやわすりつけ身もだえの、心地よさたとえんかたなし。ついさっき身内の水気しぼり果たせしはずのところ、また蝋燭《ろうそく》のとけた如く、玉茎づたいにぬらぬらのしたたり流れ、おっかなびっくり腰ふれば、たしかな当り身内をゆるがす、いっそ抱きつき花代渡し、思う存分にとねがえども、近頃娘の教育費もふえるばかり、ここはひとつわが穴三寸におさめるだけでと、子供を思う親心、眼の覚めぬうち腹を下り、|てぃっしゅペーぱー《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》ひとつかみぬぐい清めて、何くわぬ面。まことめでたき色の道、親娘ともども楽しめば、断絶などえ非じ、娘心づかいして親の肩をもめば、親またやましさ故のやさ言葉、家内安全国家安康すべて色より出ずるなり。   色の道いそしむ月日を杉の葉の     なお身をこがしたずね行かまし。   太柱ふと立ち起し風を得て     吹かるるままに色の行く寿恵。 [#改ページ]   四畳半《よじようはん》 色《いろ》の書留《かきとめ》  ハードコアポルノという言葉がある、一時期、ポルノ解禁の国でも、勃起している男性と、女性を組合わせた写真を禁じ、たしか十年位前のスウェーデン土産に登場する紳士諸君は、すべて萎《な》え魔羅の大人、性的な刺戟よりも、滑稽感が先きに立ったものだ。やがてハードコアもOKとなって以後、これは転じ、文章や映画において、全篇これ性行為の描写に終始する場合をいうらしい、日本検察陣のいう「情交の詳細かつ克明なる描写」が大半を占める「四畳半襖の下張」は、ハードに属するのだろう。ソフトコアならば、前後にしかるべく文学的、小説的、詩的、戯作的、蛇足的部分が付け加わっているものを指す。  ハードだろうがソフトだろうが、必要に応じて書けばいい、この必要はぼくの場合、読者の御要望であるが、要するにお上のとやかく嘴《くちばし》はさむことでないのは自明の理、しかし、ソフトならば、なんとかごま化すといっては言葉がわるいけれど、くどくどしい心理描写やら、互いの心のときめきを風景になど託して、枚数をかせぎ得るけれど、全篇これ性行為となると、たいへんな筆力、才能がいる。  金阜山人は、戯文体で四畳半を書いた、これをもって逃げたとはいえないけれど、山人の生きていた時代の、なまなましい言葉で書くのが、本来の姿であろう。性行為は、重要な人間の営みであり、物書きであれば、何はばかることなく、その全体を写すべきであり、京伝、春水の筆法にあやかることはない。  アメリカの小説に、女性性器の姿を、延々十数頁にわたって、描写する部分があるという、五、六年前このことをきいて、では、われも試みんとて、筆をとったが、原稿用紙二枚、八百字で行き詰ってしまったのだ。あるいは、男性性器が、といういいかたも味気ないもので、しかし、魔羅、へのこ、玉茎、いちもつ、得手吉、男根、陰茎、またペニスにしても、なにやらぴんとこない、うっかりへのこを使えば、「へのこ空割れなりにすべらせて、そろりそろりと腰を使へば」と、江戸末期艶本風になりかねず、玉茎なら「威あって丈《たけ》からず一眼以て柳腰を御す」とかなんとか、擬漢文風になる、ちんぽこは、貫禄に欠けるし、なかなかむつかしいのだが、とにかくナニが、女性のナニに埋没していく感触を写すとなると、楽なようでいて、容易なことではない。  いろいろ比喩を用いるなら楽だし、早い話「ググッと」で済ませて、わるい訳ではない、比較的お眼にかかるのは、「入るにつれてしめつけるような感じ」「ザラッとした感触」「いく重もの襞が、それぞれ勝手にうごめくような」といったところ、しかし、これはしごく具体的にみえて、すくなくとも、ぼくにはぴんとこない、こっちにこういった幸福な体験が乏しいせいかも知れないが、あらまほしき名器についての、願望をえがいているのではないかと邪推してしまう。それに、いかにも決まり文句といった感じ、ハードコアポルノは、どう工夫したって、そう大差ない行為を書き分けるのだから、切り口上がでてくるのはいたしかたないのだが。  浮世絵師は、春画を描くことが、修業の一つだったという、それこそハードコアの結合部分を、あからさまにえがく技術、そしてなおかつ男女のからみ合う姿を、不自然でなく構成するのは、かなりむつかしい。いわゆるウタマロという、あの巨大な逸物と、ふさわしい広陰の発見は、態位を考えあぐねての、一策ではないかと思うくらい、肝心の部分をデフォルメしておけば、体の他の箇所の、寸法のくいちがいなど、気にならないだろう。  絵師とは目的がちがうけれど、物書きも、つれづれなるまま春本を書く、遊び、謀叛気、そしてなにより、人間が性行為を営むのなら、きちんと筆で写したいという、覚悟からであろう、「袖と袖」「むき玉子」などが有名だが、ソフトコアに属し、人物の取合わせ、舞台のえらびかたで、興趣を補っていて、ハードな部分は、わりに月並みなのだ。他に、「避難宿の出来ごと」「安江といふ女」「ハイドパークの一夜」などが名作と伝えられ、後の二作は、著名な作家の手になるものだそうだけれど、この中では、ノンフィクションの「避難宿」が、いちばん刺戟的であり、それは偶然、相部屋となった男と、人妻二人の組合せもさることながら、書き手がかなりの遊び人らしく、さりげない行為をうつして、しかもうわべ貞淑な人妻二人の、競争心や好き心を浮び上らせ、これはソフト仕立てではあるけれど、ポルノの傑作といっていいだろう。  現代の作家にも、春本を書きたい気持の方が少くない、ぼくはエロ作家であるから、と、自慢してみても、実をいえばレッテルのみ立派で、羊頭狗肉もいいとこ、これまでまともな男女の営みを、書いたことがないのだ、すべて、老人と少女、美少年と母親、年老いた夫婦の交情、あるいは不能者とその娘など、欠陥カップルばかり。  これは、逃げているわけで、常套句《じようとうく》をいくらつかっても、こういう組合せであれば、読者にまたことなるイメージを喚起していただけるのではないかとの胸算用、そしてまた、かつて故梶山氏に、「バカヤロー、このカマトト」といわれたのだが、窈窕《ようちよう》たる美女と、凛々しい美少年のとりあわせなど思いめぐらせていれば、なんとなく癪にさわってきて、こんな美女を抱かせてなるものかと、歯抜け婆さんにかえてしまう。 「エロ事師たち」の中に、猥本書きが登場し、彼は、自分の筆先きに興奮しては、マスをかき、書いてかくあげくの果てに、一人腹上死をしてしまうのだが、いくらかその気味合いが、ぼくにもある。  しかし、少しはレッテルに近づける努力も必要だろうと、ハードコアポルノを志し、だが、なかなか現代文では書けない、「口を吸い帳紅閨の枕の下を流るるは、白川ならでお白水」と掛け言葉やもじりで、逃げをうつのがやっと、当世の風俗を写していながら、擬戯文になってしまう、一つには桜田門の気まぐれなおとがめを、いくらかは意識せざるを得ず、これは闇夜の流れ弾みたいなもので、避けようないのだが、つい検事御夫妻の仲なども考案に入れる、仲わるければ、当然、むつまじき交情の描写に、腹を立てなさるだろうから。  また、金阜山人が稀有の粋客、宗薫師匠は夜の川の潮目川筋掌指す如き通人であるように、仕込みも必要であろう、赤線には足繁く通ったといっても、出ると敗けの力士みたいなもので、土俵の様子|敵娼《あいかた》の表情、ほとんど記憶になく、戦後はびこったコールガールは、どういう風の吹きまわしか、ポン引きの下請けみたいな役まわりが多くて、友達づきあいが先行し、「われ未だ処女を知らず」と嘆いたら、ガールの一人が、開業三年目の処女屋を紹介するといって、これは、いかなる真物の処女よりも、処女らしくふるまう、なまじ真物は、処女らしくないから、すべからくこちらを体験した方が得と、妙な説得をされ、今から十八年前で、枕金三万円也。  目星い女を、まず指折り数えれば、この処女屋、先方はいったい、ぼくが開業三年目であることを知っているのかどうか、木彫りの素朴なネックレス、腕に刺繍《ししゆう》のついた半袖ブラウス、紺のスカート、ソックス、白と茶コンビの汚れた靴、白粉《おしろい》っ気いっさいなし。  出逢いの場所は、赤坂、今のサボイホテルの場所に、進駐軍専用の宿屋があり、この頃、日本人客にも門戸を開きはじめていた。  外人向けなのに、畳敷き関西風夫婦布団、廊下との壁の下に掃出し口のような障子があって、のぞかれやしないかと心配したこと、風呂は荒々しいコンクリートの床に、汚れの目立つ木の湯船がすえられ、混湯をのぞんだが処女屋うべなわず、みれば、いじらしやブラウスを袖だたみ、スカートに寝押し、しょぼんと胸を抱いて布団の裾に正座したところは、開業三年目とはとても思えない。  こういうあたりの記憶は鮮明なのだが、プロならさだめし明礬《みようばん》などで口をすぼめ、入るにも出るにも抵抗があったろうし、音声もそれらしくふるまったはずだが、よほど逆上したのか何も残らず、ただ、「お母さんが、これを使うようにって」、枕の下から、天女印の羽衣よりうすい紙一束とり出し、ぼくが始末すると、いかなる妖かしか、鮮血|淋漓《りんり》としるされていて、「恥かしい、でも、汚ない血じゃなくってよ」と、処女屋、小声でいいつつ、われにしがみつく。  これではしかしポルノになりにくい、艶笑コントといったところだろう、その後は、斯界の先達に、「あれはいい女だ、顔立ちそのものがオルガスムス直前の表情」と、そそのかされて猪突猛進、どうにかその私室へ入りこんだら、たちまち紐があらわれて、一指だにふれぬまま、酒代をまき上げられる始末。  女子大へ講演に出かけ、大学祭委員とやらにもてなしうけても、こっちは釣針にひっかけられたミミズみたいなもので、飲みにいこうといえば、キャアキャアとついてはくるが、ミミズが一人ではしゃいでいるうちに、針がつぎつぎと獲物を釣り上げてしまう。  一度だけホテルヘ同行したことがある、三年生だったが、これまで二人のボーイフレンドと、掘削を試みてならず、「多分、まだ前人未到のはずなんです、どうか女にして下さい」頼みこまれたのだ、今時の若い者はなってないとうわべ義憤の態を装い、女子大生はまことまないたの鯉、べッドカバーもそのままにずでんと横たわり、椅子引き寄せてかたわらにすわったこちとらは、まず医者といったところ、功徳ほどこすならば、それなりの御喜捨をと、図々しく観察する気を起し、ぼくははじめて、女性性器、これだって名称はいくらもある、玉池、玉門、貝、開、花芯、秘所、陰門、ヴァギナに割れ目、関東で四文字、関西で三、九州で二文字が一般的だが、「四文字にしみじみながめ入った」とは、書きにくいのだ、いかなる規制のなせることだろう。  パンティストッキングの下に、水玉を配したライトブルーのパンティ、その裾が少しほつれていて、どうせそのつもりなら、下着にくらい気をくばれと腹立たしい、そして、スカートをたくし上げ、左手を曲げて顔に当て、右手をベッドの縁にのばし、まっすぐ寝た女の姿は、あたりに生活感がないだけに、人形、あるいは死体の如き印象だった。  ウェストに指をかけて、ずり下そうとすると、女、腰を浮かせて協力し、ぼくは、痔でいつも汚れているから、他人様についても心をくばり、なるべく裏返しにならぬよう、余計な配慮して、さてあらわれいでたる下半身は、セーターにおおわれた胸のあたり、肉づきのほどさほどとも思えないのに、すでに臍下より陰毛の上辺にかけて、仰向けに寝ていてもふくよかにふくらみ、胴のくぼみはさほどない。  腰骨の尾根わずかに突出して、全体に肉はうすい方らしい、ぼくは、膝のやや上部をつかんで持ち上げるように開き、その間にわが膝をついて、猿臂《えんぴ》のばして枕をとり、女の居敷の下に当てがう。  女いっさい逆らわず、こちらの動きを察すると、甲斐甲斐しい感じで体を合わせる、「もっと開いて」命ずると、女、足首だけが外に動き、宙に浮いた膝は静止したまま、四文字は、わが眼下にある。  さてこれからが難所なのだ、ふとももの付根双方に、ふとももの円周と平行して弧がうがたれ、そこから、ややふくらみを帯びるその裾は、弧と相反する弓状をなす、弓状の上三分の一くらいより柔毛を生じ、これはすごく短い、弓状の左右より合わさったあたりが、ひな先きだろうが、姿を未だあらわさず、頂点より指一本の間をおいて、逆三角の陰毛、しかし、うすい方で、周辺部は、みじかいし寝ている、それらしい部分は、ほんのひとつまみしかない。  女は、見られていることに刺戟を受けるのか、すすり泣くように、小刻みに二息三息吸って、すぐ吐く。しかし、事をいそぐのか、サービスなのか、伸ばしていた腕を背中にまわし、ブラジャーのフックをはずした様子、その手は、体に沿って伸ばされ、にぎってほしいらしく、掌をわずかに開閉させる。  右の人差指で、蟻の戸渡りから、逆にこすり上げ、逆碁ではなくて、親指と合わせ、ハサミの形、すでにしとどうるおい、この動きは滑らかにすすむ。  親指の関節を、うごめかせるうち、ふくらみの中央、いささかにじんだ褐色の線が、左右に割れ、たとえはよくないけれど、色はざっと湯にとおしたしゃぶしゃぶの肉、形は、やはり花弁になぞらえる他はない、二枚の花弁に形づくられたものは、紡錘型をなし、上部の鋭角をなす部分の底は、紅に近いピンク、決して平らではなくて、下部に向かいわずかに盛り上る。  鋭角の先きは、二重の襞にとり巻かれて、うすいピンクの突出がある、親指の腹で、やや押しつけつつ、まわすようにしてみるが、女の息、特に変らぬ。  鈍角となって合わさる花弁に半ばかくされて、洞がある、いったい四文字はどこをさすのだろうか、花弁、ひな先き、洞、ひっくるめていうとすれば、これは不明確ないいかたであろう。  洞の入口に、女のいうことが正しければ、すくなくとも膜の残骸が、明瞭に残っているはずだが、洞そのものが隠れていて、見定めがたい。  人差指をさし入れると、まず、固いナマコの肉の如く、さして障害もなく第二関節までもぐりこむ、女は、この時、次ぎの瞬間にも激痛に襲われるのではないかと怯える如く、腰をひきこそしないが、両手で顔をおおい、小刻みに声を発する。中指の全長没しきらぬうち、底に達し、とても二指は無理、しめるにも何も、しごく狭隘《きようあい》なのだ、そして、洞の入口周辺のこりこりした感触からすると、たしかに抜きがたき関門に思える。  ぼくは、花芯に唇を近づけた、時に奇妙なことを考えるのが中年で、さだめし女性ホルモンを吸いこむことになるだろう、これはある種の癌を押さえるときいたが、少しはその足しになるのではないか。ふとももの下から腕をのばして、女の掌をにぎりしめる、喜悦を覚えれば、おのずと掌に力が入るであろうから、以唇採花の目安。  よく臭いとか味とかが問題になるが、鈍感なのか、いっこうたしかめがない、女は、棒の如く体を硬くして、何の反応もみせず、さてはわが秘術に失神したかと、上眼づかいにうかがえば、顔を横に傾け、二メートル離れた壁の、鏡にうつるおのが姿に、じっと見入っていた。  これはどうも半ば、からかわれていたような気がする、いよいよ御依頼に応ずるべく、二人ならんで寝そべり、やはりうすいその胸をまさぐり、唇を合わせ、すると、「キッスは彼の方が上手だなあ」つまらなそうにいって、ぼくの意気を萎えさせたのだ。「ねえ、女にしてよ」「キッスの上手な野郎に頼めばいいでしょ」「駄目なのよ、いつもなんだかオシッコひっかけられてるみたいで、気持わるくって」「ふーん、そいつはキッスはうまくても、早漏なんだな」「いやあね、こだわらないでよ、男らしくない」「駄目だねえ、はばかりながら腰間の秋水、六寸五分の胴太貫」とかなんとか、互いにたわいもない会話をかわし、最後に留めの一句は、「やれやれ、どこかにお助け爺さんていないのかなあ」  一方で処女をありがたがる向きがあれば、また先方は、こういうのも処女のうちかどうか疑問だが、経験したからといってどれほど世の中が明るくみえるものでもないだろうに、女とやらになりたがる手合いがいて、ディスコには、爺さんではないが、ヴァンプのなにがし、ハリケーンのかにがしという、若い水揚げ専門家がいるらしい。  娘と弟子を交わらせ、その姿を絵筆に写しとった画家もいるけれど、やはり実地をふまないことには、つい空ごととなり、使いなれた語彙《ごい》にたよって、ごま化してしまう、そして人間の体の、各部位の形状、色合いほど、形容しにくいものはない、また、ある感覚を、鮮やかに他人に伝達することもむつかしい、これは以前、もっぱら飢えを主題にしている頃、どうすれば、戦後すぐの時代の、あのひたすら悲しく、気の滅入る飢え、今なら、腹が減ればすなわち生きているしるし、食う楽しみを期待できるわけで、同じすきっ腹でも質がちがう。どうすれば、口の中に何かあれば満腹感を伴うが、飲みこんだとたん、たとえ一升飯を平げた後であっても、飢餓感に襲われ、心細さのつのった、あの状態を文字にできるかと、苦心したのだ。  同じ類いの飢えを経験した読者にしか、伝わらないのなら、文章はまったく無力ということになる、経験者に対してなら、苦労はいらない、遅配、欠配、ララ物資、アメリカ余剰農産物、スケトウダラ、脱脂大豆と、符号をならべれば、飢えの記憶はよみがえるだろう。  飢えのような、人間の生死にかかわる感覚は、伝えにくいのだろうか、飢えた人間にとって、道徳も秩序も宗教もありはしない、まして国家とか、その定める法律など、ふっとんでしまう、だから飢えについて想像することを、各自、社会生活を営む以上、おのずと抑制するのだろうか。いや、飢えだけではない、もっと一般的な、排泄の快感についても、これを言葉でちゃんと説明しようとすれば、かなり難問題であろう、いやあサッパリしたですますか、あるいは詳細な擬音語を用いるか、マスターベーションも同じ、世界のどこかで、すでに先人が文字にしているかもしれないが、あの営みも常に一定しているわけではなし、|尾※[#「骨+低のつくり」]骨《びていこつ》のあたりが爆発して、その波動が背骨をかけ上り、脳に達することもあれば、ただもうミナミゾウアザラシが、よだれ流した如き仕儀もある、指加減と、当ての関係について、内攻的文章が書かれてもいいはずだ。  春本をきちんと書く作業は、きわめて感覚的なことがらを、言葉におきかえ、しかもそれは一人よがりではなく、読み手に通じなければならず、さらに美しくならなければならぬ、もとより平易さを必要として「男子的玉塵入于女子陰中、女子的縫舌入于男子口中」ではいかに名文でも、当世の春本とはいいにくい、考えれば、まさに身のほど知らずな高望み、だが、そこに存在するならば、ただ指をくわえてひき下るのも業腹。  二年前に、この志を立て、ぼくはもっぱら取材にあちらの閨《ねや》、こちらのベッド、さてはアオカン、船の上ところげまわったのだ。  そしてこれは、なかなかの難業で、素人娘には近づけないから、名にし負う岡場所に先達の案内を受け、五黄丸やら野老人蔘、にんにくにまむし酒など身辺に絶やさず、取材となればついいやしい眼付きとなるのを、せめて狒々親父《ひひおやじ》の衣《きぬ》すかしみる好き眼に装い、とても川上師匠の数には及ばないが、節分に縁起の豆くらいには達したと思う。  さてこの素材を、おっつけはっつけ艶冶《えんや》なる一文に仕立てなければならないのだが、持って生れたいいふらしの性《さが》、素材のままにおひろめ仕れば、まず別府より乗りこんで神戸まで船の旅、霞立つ島影に菜の花の黄を点じて、内海の波静かな春の航路、ぼくは講演旅行のもどりで、船なら他にすることなし、少しは原稿も書けるだろうと、特別一等とやら、新婚の初夜にこそふさわしいベッド、応接セット、冷蔵庫付きの船室、かたわらにあればつい手が出て、ビール飲むうち、わずかな船の揺れもつもれば、酔いをかけめぐらせ、えたりかこつけ筆をおさめ、といって何もすることはない。  船室の外が、廊下をへだててロビーの如くしつらえてあり、TVが備えられている、所在ないまま、画面をながめていると、皮ずくめの、なにやら怖ろしい女と、金髪に染めた若い女、往年の松登の体型に似た一人、赤ん坊を抱いたいちばんまともな一人、四人連れがソファにすわり、「怒られるよ、ここは一等のお客専用なんだから」、「怒られたら下へいけばいい、ああ混みあっちゃ良ちゃん、かわいそうだよ」顔に似合わず皮ずくめが、やさしい口調でいう、赤ん坊は七、八カ月か、たしかに船底に近い二等の大部屋は、膝くずす余地もないほど、客であふれていた。  ぼくは、赤ん坊とその母親らしい女に、「よかったらここ使って下さい、ぼくは、バアで酒を飲みながら神戸までいきます」神に誓って、やましい下心はない、松登が、妙に疑ぐり深い眼でみたが、他の二人は「御親切様、じゃお言葉に甘えて、おっぱいやる間だけでも使わせてもらいなよ」口々にいい、結局、四人と赤ん坊が、入りこんでしまったのだ。  ぼくは飲み足りなかったし、二、三時間、バアでつぶして、後は寝るつもりだった、ところが、十時間の船旅の半ば近くなって、部屋をいちおうノックすると、ハイと、何人もの女の声がして、四人は、冷蔵庫のビールを飲みつくし、さらに足りず、罐ビールを林立させ、赤ん坊はとみれば、上段のベッド、こっちが誘ったんだし、怒るわけにもいかず、ぼくもまた酔っていた、「ま、いっぱい、ぐっと空けて、本当にうれしいね、一度、一等ってのに乗ってみたくてさ」皮ずくめ、きれいな東京弁をしゃべった、「みなさん、別府からのおもどり?」「もどりだか行きだが判んないよ、年中、あっちこっち渡り鳥なんだから」金髪が、自分たちはヌードダンサーであるといい、ぼくの生業をたずねるから、いちおう物書きと答えた。 「へえ、じゃあたいたちのこと書けばいいのにさ、そりゃおもしろいんだから、このあけみなんかさあ」赤ん坊連れの女をしめし、「よしなさいよ、あんまり長居しちゃ御迷惑よ」「何いってんだい、さっき次郎さんとしんねこで、この部屋に泊りたいなんて、のろけやがって」皮ずくめは四十前後か、金髪とあけみが二十七、八、松登は見当がつかぬ。 「後、そうないんだから、ここにいらっしゃればいいでしょう」おもしろい話を期待したわけでもないが、ぼくがいうと、かなり酔ったらしい松登が、「よかったあ、下にくらべりゃここは極楽だものね」さけぶなり、赤いスーツの上を脱ぎ捨て、口で拍子をとりつつ踊りはじめ、それだけではなく、どうやらストリップをはじめるつもりらしい。  ぼくは好意を感謝して、おすわりねがったのだが、皮ずくめは、「ケイちゃんおとくいを一つ、先生、本当にこの娘、きれいな体してるんだから」金髪を指名する、せまい部屋で、裸になられても、眼のやり場に困る、ぼくは少し強い口調で、裸はもう卒業したといった、「へえ、えらそうなこといっちゃって」「あたいたちの体が気にくわないっていうのかい、わるかったね」松登が、酒乱気味にくってかかる。面倒くさくなって、ぼくは、彼女たちが、多分、東京育ちであろうとふんだ上で、四文字を口にし、これをみたいといった。  あけみは、怯えたように下段ベッドに腰を下ろしていたが、ぼくと向き合う三人、さすがにあっけにとられた様子で、「いや、物凄いこといわはる」古い漫才の台辞《せりふ》を口にし、「そりゃ、あたいたちもオープンはするけどさ、ああ、びっくらした、真面目な顔でいうんだから」皮ずくめ、罐ビールの残りをあおり、そこヘパンティがひらりと舞い落ちた、純白の、ちいさなうすもので、どこからとんだとも見当つかず、ぼくが見まわすと、ドアにぴったり体を寄せたあけみ、チェックのスカートを、ついとまくり上げ、何か塗りこめたような、艶やかなふとももあらわにすると、無言のままリズムとって、体の向きを左右にかえ、さらにたくし上げて、陰毛をあらわにした、掌をゆっくり下に沈めて、床にすわれとのサイン、へたりこんだぼくの頭をスカートでくるみ、しずかにグラインドをつづける。  何も見えやしなかったが、しかし、深い海の底に沈んだ玉の、妖しい光が夜海面にとどくような、ぼんやりした明るさが、花芯からはなたれていたように思う。彼女は、別名、血まめのあけみといって、男好き、セックスが激しいため、常にひなさきに血まめができているそうな。 [#改ページ]   猥褻記——「あとがき」にかえて——  みだりに口にしてはならぬ言葉、あるいはそのことについて、意識している自分を、人に悟られてはいけない存在が、この世にあると知ったのは、五歳の夏であった。庭にたらいを持ち出し、洗濯《せんたく》する母のかたわらで、ぼくほ地面に絵を描き、その絵は東京の場合、「左カーブ右カーブ真中とおってストライク」に当るもの、神戸においては、これほど調子がよくなく、「池あって、橋あって、兵隊さんが通りしな、豆を落して、これなんや」といいつつ、まず「池」で横に線を引く。橋で弧を描き、池だから当然、水面に写るわけで、下側にも同じくする、兵隊さんは、橋上の放射線で表わし、豆を水面の中央におく。「これなんや」と自分でいいつつ、ぼくはオメコと自答し、すでにはばかりある言葉と、知っていたのだろう、「コ」を聞こえぬくらいの小声でいい、母がそしらぬ態《てい》でいるから次第に声を大きくし、ついに「そういうことをいっちゃいけません」とたしなめられたのだ。  たしなめられたことでようやく安心した記憶があり、この異様な図柄と三文字の言葉の、意味するところは、まだ心得す、ただ、誰に教わったか覚えていないのだが、多分、秘密めかしたその先達《せんだつ》の、表情言葉つきに、うさん臭い感じを抱き、母の反応によって、さらにその確信を得たのだろう。  さらに一年後、小学校へ入って、ぼくは「オメコダッチョ」なるものがあると、同年の者に教えられた。「ダッチョ」というのは、子供たちの間で、軽べつをあらわす言葉であり、ぼくもよく使っていた、「アホバカマヌケ、ヒョットコナンキンカボチャ、お前の父ちゃんダッチョウで」といった具合、ところが、同年の者は、「オメコからダッチョの出とる女おるねん、そいつは、肩ふってひょこひょこ歩くねんわ」と、両手を横にふりつつ、ガニ股《また》で歩いてみせた。今から思うと、何人もの子供を産んだ女が、子宮脱を起した状態をいったのだろう。しかし、この知識のおかげで、ぼくは三文字がどの部分の名称であるか、またダッチョは、この場合正確でないにしろ、内臓のとびだした状態をあらわすと、よく心得たのだ。  ダッチョとセットにして、三文字の意味を知ったことが、その後、わが性意識にどういう影響を与えたか、もちろん判りゃしないけど、そののっけに、ぼくは、オメコは凹でなくて、なにやら凸らしいと、信じこんだむきがある。よく幼児が、両親の肉体の違いについて質問し、善良なパパやママをあわてさせるというけれど、ぼくは、どう考えてみても、そんな問いを発した覚えがない。  第一、母と風呂には入ったけれど、実に巧妙に隠していて、まず眼にしたことがなく、これはやはり生《な》さぬ仲、あるいは母が石女《うまずめ》だったせいかも知れぬ。母がひた隠しにしていると感じたのは、親戚《しんせき》の女の入浴ぶりの、おおらかさを見てからで、前を隠さず、堂々と体をふくその、艶《つやや》かな陰毛の繁みに、ぼくは仰天し、そして、ダッチョではないかと眼を凝《こ》らした。だが、ぼくをたしなめるためか、すぐ祖母が、「Tさんは、どうもあけっぴろげで困っちゃうね」とつぶやき、受けて母は、「いつも銭湯だから、余り気にしないんでしょ」といった。この時、みだりに女の、いや母や祖母も含めて、その部分をながめてはいけないのだと知り、そのおきてを犯してまで、ながめたいとは、思わなかった。  ぼくは、自分でかえりみて、早熟だったのか、おくてであったのか、まったくよく判らない。兄弟姉妹がいないから、教えてももらえず、性的知識についてコーチしてくれる先達もなかった、ぼくの育った家庭は、少しばかり気取っていたようで、隣組が出来て以後はともかく、あまり近所づきあいをせず、ぼくも近所に友人ができなかったのだ。そして幼児期の性的体験を、大人になってからかえりみる時、フロイトや、あるいはメニンジャーなどの説を当てはめると、実にあっさり割り切れてしまって、おもしろくないのだが、やはり、ぼくが養子であったことと、性的な傾向は、結びつくように思う。  なにも性的なものでなくても、物心ついてから、十七、八歳まで、ぼくには盗癖があった、もっとも古いそれは、小学校一年の時で、お年玉を貯めたドロップの罐《かん》から、五銭玉を盗み出し、紙芝居のアメを買って、あたりの子供に大盤振舞いしたものの、最後の方では、盗癖というより食うに困って窃盗を行い、結局パクられてしまうのだが、この間、べつに困ってもいないのに、よく盗んだし、狡猾《こうかつ》だった。友達の家へ遊びに行って、竹刀《しない》の鍔《つば》を盗み、すぐ赤インクを塗り、別物の如く仕立て、わざと見せびらかしたり、年下の者の玩具を盗み、貸本屋で万引をし、自分の家でさえ、果物やお菓子を、母の眼ぬすんでこっそり食べ、白桃など種の処分に困り、本箱の後にかくしておくと、たいへんなカビが生じて、往生したことがある。われながら不思議に思い、悩みもしたが、こういったことも、自分を甘やかして考えれば、やはり血のつながらぬための、欲求不満のなせるわざと、弁解できるのだ。  もっとも、愛情に飢えて、万引するなどの説は、なんとなく眉唾《まゆつば》みたいで、ぼく自身は、この盗癖を自分なりに考えてみたいと思っているけれど、性的な傾向の場合は、どうしても、養父母の存在を無視できないのだ。  四十過ぎれば、それが当然なのかもしれないが、ぼくは近頃とみに女|嫌《ぎら》いの気配が濃厚になって来て、といってホモでもないのだが、まず男としかつきあわない。酒場で、女給と同席すれば、いたたまれぬ感じとなり、支離滅裂の言動をしでかすのも、以前は、女なれないせいかと考えていたが、はばかりながら酒場に足ふみ入れて、ほぼ十五年、いかなる野暮だって、少しは女給とのやりとりが、なめらかといわぬまでも、ふつうになってしかるべきところ、ぼくは駄目なのだ。  これは、ぼくが養父に、男のというより人間の、あらまほしき姿を見出し、養母や祖母、及び親戚の女たちを、養父と比較すれば、おぞましき存在とながめていたせいだろうと思う。女性をみる時、ぼくはその美点を探そうとはせず、子供心にうえつけられた女のいやらしい面と、共通のものを、必死にまさぐり、たずね当ててようやく安心する。  こういった傾向を、なにも過去のなにやかやにかこつけなくても、ただ、ぼくが女に対し臆病なだけのことかも知れぬ、あるいは、うっかり惚《ほ》れてしまうと、とんでもない仕儀に立ちいたる怖れがあって、ことさらそのマイナス面を見つけ出そうとするのだと、考えられないでもない。とどかぬ葡萄《ぶどう》は酸《す》っぱいのではなく、あらゆる葡萄は酸っぱいと決めこみ、無視していれば、くたびれることも、また怪我《けが》もすくないのだ。しかし、もしそうなら、これまでにとてつもない失恋とか、あるいは悪女にふりまわされて、血まみれとなった経験があってしかるべきところ、ぼくには、それもないのだ。女に首ったけとなった覚えはあるが、年相応のたわいないことてあった。  盗癖と同じように、愛情に飢えたあげくのことか、ぼくはふつうより早くマスターベーションを、心得ていた。このことについては、以前「風来|眼鏡《めがね》」に告白したから、詳しい経緯《けいい》は略すけれど、小学一年の三学期に、はっきり胯間《こかん》の悦楽についての、意識をもち、どうすれば、さらにむさぼれるかと、あれこれ工夫もしたのだ。今、覚えているところでは、校庭のヒマラヤ杉を支える丸太棒にしがみつき、両脚で棒をはさみながら、もがくように動かすうち、悦楽の予感が生まれる。その昂《たか》まりを確かめたら、後はじっと動かないでいるのがよく、さらに、授業開始のベルなど鳴って、気のせく時は、昂まりの度合いが激しいし、女の先生などが、わがふるまいをながめ、なにやらどぎまぎした感じで、そのまま通り過ぎて行く時、なお恍惚《こうこつ》となった。  ぼくは、丸太棒や、青桐《あおぎり》にしがみつきながら、わざとなんでもないような表情で、見つめる女教師の顔をながめ、そのとがめだてしかねて、うろたえる姿を、はっきり覚えている。このことは、人に知られてはいけないことだと半ば意識しつつ、しかし、他の誰が、こういう楽しみを発見しているだろう、自分だけのことで、たとえ先生だって判りゃしないと、タカをくくり、怯《おび》えよりも、見つめられることによって与えられる悦楽の方に、心|惹《ひ》かれていた。  この我流マスターベーションは、しかし、なかなかむつかしいのである。ペニスの勃起《ぼつき》については、五、六歳の頃、母によって気づかされた、朝起きて、寝巻きをコンビネーションに着替える時、雄々しきわが姿に、「早くおしっこしてらっしゃい」と、せき立てるように母がいい、ぼくは意味もわからず、その割箸《わりばし》の如きものをふり立てつつ便所へ走り、少しばかり得意になっていたと思う。  そして、小便と関係なく、オチンチンが大きくなると知ったのは、やはりこの木登りにおいてである。大きくなるのはいいが、それを木に押しつけると、痛くて、羽化登仙《うかとうせん》どころではなく、またこの当時、木を抱きながら、何を妄想《もうそう》していたか覚えていない。小学校五年になると、はっきり特定の女性を追い求め、この頃はさすがに表では遂情しかね、主に床柱を相手どっていたのだが、その以前、抱きついたものの、エレクトして果しかね、ぼんやり気を静めていた記憶があるのだ。  このことは、現在のぼくに、いくらか影響をもたらしているかも知れぬ。小学生の頃、はっきりした欲情を意識するわけもなく、多分、かゆいところをかいて、満足する程度の、快楽だったと思うし、何分、友達がいなくて、常に一人だから、暇もて余しの、手すさびならぬ、棒なぶりだったろう。この友遠のないことも、早くにして自慰を覚える理由となっているので、孤独な少年としては、木登りでもするより他なかったのだ。  しかし、オチンチンが大きくなると、この喜びはかなえられぬと、ペニス本来の機能からいえば、逆のことを、ぼくは心得、そして、大きくなったそれは、ぼんやりしていることで、元にもどると、かなり幼いうちに知ったのである。  二、三年経つと、好きな女の子のことを考えつつ、床柱を抱けば、まことに快適であることを知り、しかし、考え過ぎると、エレクトして、いっさい水泡《すいほう》にを帰してしまう。小学校五年になれば、欲情の予兆の如きものを、意識し、オメコとは結びつかなかったが、オチンチンの根っこに、なにやらむずがゆい源があって、夜、寝る時などつい手がふれてしまう。妄想もはっきり脳裡《のうり》に浮かび、上級生の運動着姿やら、また何人かの女の子に押しひしがれている自分を思い浮かべると、いい気持だった。ところが、床柱に向って、そういった妄想を浮かべると、たちまちエレクトする、といって、眼を見開き、柱の横にかかっている達磨《だるま》大師の像などながめているのは、やはりふさわしくない。まるでこわれもの扱う如く、エレクトさせぬようにして、妄想を組み立て、やがては床柱にじかでは愛想がないから、座布団を当て、終業式の写真の中の、ちいさな絵姿を、眼の前にがざして、もがき立てたのだ。  近頃、聞いた話なのだが、五十歳くらいになると、夜の勤めもままならず、エレクトしないまま、ヴァギナに当てがい、なにやかやするうち、しかるべく放出が行われて、これは意気盛んな頃とはまた異なるおもむき、味わい深いものがあるのだそうだが、ぼくは、大袈裟《おおげさ》にいえば、幼児の頃、すでにその楽しみを経験したといっていいだろう。ついでに、ふつうならエレクトして喜ぶべきところを、逆に考えてしまう癖がついたのではないか。  こういった一連のことを、つなぎ合わせてみると、ジグソーパズルのように、符節が合うのだ、ぼくは、かなり早くから、母とは生さぬ仲であると知っていた、その生死にかかわらず、実の母を恋い幕う気持は、自分で意識しなくてもあったろうし、その母をより崇高なものに仕立て上げたくて、養母及び自分の周辺の女を、ことさらにおとしめてながめたのだろう。そして、木に抱きつくという行為は、こじつけかも知れないが、やはり母に甘える形だし、しかも、そのことで一種の快楽を与えられる、この場合、木や床柱はぼくにとっての母であり、母を犯すような行為、つまりエレクトさせれば、たちまち痛みという罰を受ける。しかも、この潜在意識の中で、母を求める行為は、すごく性的な快楽を与えてくれるのだから、ぼくにとって、セックスは、母性的な存在を求めることに、直接つながっている。ひどく次元の低いママ・コンプレックスであろう、その尾が未《いま》だに残っていて、現実の女性を拒否しているのかも知れないのだ。  こういった一種のマスターベーションを、早くから行っていた点では、かなり早熟だったと思われるけれど、この行為は、男としての自覚をうながすためには、まったくマイナスである。通常のマスターベーションなら、しごくことで、また精液を華々しく飛翔《ひしよう》させることで、自からの性を確かめ得るだろう、すくなくとも、まぐわいの代用品であるのに、ぼくのは、ペニスのエレクトを拒否した、むしろ幼児性の純粋培養の役にこそたて、やがて中学に進んでも、相変らずひっこみ思案で、異性を具体的に意識することはなかったのだ。  近頃になって、小、中学校時代の同級生に聞いたのだから、どこまで本当か怪しいが、ある者は、鎮守の森に女の子を引っ張り込み、木にしばりつけて、はなはだ荒っぽいお医者さんごっこを行った経験があるし、また風呂屋の息子に頼んで、女の湯槽《ゆぶね》をのぞきこんだりしている。そして、あの補導連盟の眼をかいくぐって、中学時代のクラスメートは、女学生と逢いびきし、ラブレターを交換していたというのだ。  こういった連中に較べると、ぼくはまったくうぶで、不可触名詞の存在することや、おおい隠すべき意識のあることを、心得ていながら、それ以上の探求心を持たなかった。小学校三年の時、友人がこっそり見せてくれた女学生の生理衛生教科書によって、ある程度のことわりを知り、オメコに、「する」という動詞をつけると、あの行為をしめす、そして世の大人は、夜毎《よごと》このことを行っているのだと、説明され、ぼくはどうにも信じかねることながら、うっかり否定すれば、侮辱《ぶじよく》されるような、またそのための反論の手段もないまま、あいまいにうなずいていた。三年三学期、春まだ浅い頃で、二年前、阪神地方を襲った洪水《こうずい》のため、こわれた川の修理作業が、進められている堤防のそばであった。  また、比較的、本には恵まれていたから、明治大正文学全集、大衆文学全集などを、片端から読み、男女のことわりについて、かなり精通したはずなのに、小説はすべて架空の世界をえがくものと、信じこみ、これを手近かの大人に当てはめて考えることをせず、小学六年の時、親戚の娘が、バスの運転手と駈落し、祖母が、「もどしたってキズものなんだから、仕方がないやね」といったのに、ショックを受けた、小説の中に、「キズもの」という表現があったからで、ぼくは、そのいっこうぱっとしない娘が、急に小説中の人物の如く、輝かしい存在に思えて、一種の尊敬をいだいたのである。  しかし、大人の本も、中学に入る頃から、制限され、また、映画は、養母が今でいう教育ママだったから、学校推せん以外、いっさい観せてもらえず、金をくすねはしても、せいぜい買い喰いで、ぼくには、一人で映画館へ入る勇気はなかった。性的好奇心は、きっと人一倍あったのだろうが、ずっと習慣になっている柱を相手どっての自慰が、この頃ははっきり性に結びつくものと判り、自分を罪深い者と意識したあげく、普通人以上に、無邪気にふるまうよう努めたのだろうし、また、このひそかな楽しみがあれば、まだマスターベーションのてだてを探り当てられず、苛々《いらいら》する連中に較べ、ゆとりを持てたのかもしれない。  とにかく、中学二年にもなれば、お互い知識を交換し合って、女体の構造やら、オメコの実態をあれこれ想像するものなのに、ぼくは柱につなぎとめられたままで過ごし、思いえがく妄想も幼稚なもので、年上の女学生のスカートに顔を埋めて泣きじゃくるとか、こっちを無視して通り過ぎる女性の横顔を思いえがくのであって、このあたりはかなりマゾ的な性癖が、顕著だったように思う。  こんな風に幼稚なくせに、中学三年の夏に、ぼくは生身《なまみ》の女性と、かなり大人っぽい語らいをすることになる。今、考えてみると、まったくぼくの性体験には一貫性がなくて、あるいは誰でもこんな風なのかも知れないが、しかも、後で整理すると、妙に符節が合う。それまでぼくは、養母、祖母、及び親戚の、どちらかというとおとしめてながめていた娘たち以外に、口をきいたことがない。小学生の頃、いちおう共学だったが、まるで女生徒とはしゃべれず、近所の女の子にも、悪く照れて、挨拶《あいさつ》すらできなかったのだ。  ところが、空襲によって、ぼくをとりまく環境が一変したとたんに、まるで夢のように、妄想の中の女が、身近かにあらわれ、それは二歳年上の美しい、少しばかりヤンチャな人だった。本来なら口もきけないはずだが、焼け出されの図々しさというか、あるいはそれまでの家庭の呪縛《じゆばく》を解き放たれたせいか、しごく素直に甘えることができた。なにしろ、空にはP五一がとびかい、ろくすっぽ食べるものもない時代である。もしぼくに恋愛小説を書く才能があったら、飢えと焼跡の臭い、そしてギラギラ照りつける陽光の下での、いつ死ぬか判らぬ十六歳の少女と、十四歳の少年の恋物語を、仕上げてみたいと思うのだが、どうも感情移入が激しすぎるというか、あまり自分の中で、美化してしまったから、ひたすら呆然《ぼうぜん》として、手がつかぬ。  この女性とのつき合いは、ほぼ一月半で、その間に、子供心にうえつけられた、おぞましい女のイメージは、かなり薄れ、また、具体的な知識も身につけたのだ。しかし、空襲に追われて、ぼくはさらに北国へ逃げ、そこで敗戦を迎え、大阪へ舞いもどり、どうにか落着いて、かの女性をたずねたら、それは中学四年の夏のことだったが、彼女は、その年の春、つまり女学校卒業と同時に、結婚していて、まったく消息が判らぬ。これが、平時のことなら、連続する時間の中の、一つの記憶として、埋没してしまうなり、あるいは感傷的に飾られるなりするのだろうが、昭和二十年六月八日から、七月二十五日まで、本土決戦前夜の様相を呈した、きわめて特殊な中でのつきあいだったから、これまた凍結してしまったのである。  あの年の七月には、今風にいうと焼跡解放区の風潮が、残った家並みにも浸透して、妙に明るく自由な雰囲気《ふんいき》がよみがえっていた、戦争未亡人と大学生が手をつないで歩き、空襲警報下をスカートはいた娘が、散歩していたのだ、その中での、短い経験だから、戦後の混乱の時代はもとより、やがて焼跡が失《う》せてから記憶よみがえらせても、あまりに生々しいだけに、また夢の如く思える。本来なら、ここで柱から生身の女体に移り、ぼくは正常な道を進みはじめて当然なのに、この経験によって、ますます現実の女に、嫌悪《けんお》感をいだくようになる。  敗戦時は十四歳で、かなり飢えてはいても、手頃な木を見つけては、抱きついて、十五歳の時、精通があった。風に当ってもエレクトする年頃だから、抱きつく際のタイミングのとりかたはしごく難《むず》かしい、巷《ちまた》にあふれるカストリ雑誌のセミヌード写真などを、うっかり思い浮かべると、とても駄目なのだ、しかし、二歳年上の女を考えることもしなかった、むしろ淫《みだ》らなイメージはいっさい拒否して、昂まりを待つような按配だったと思う。  手による自慰を、発見したのは十七歳の秋で、これもこじつけると、ぼくは形骸だけ残った養家を捨て、東京へ出て来て、もはや愛情に飢えてのことではなく、盗まねば食えないから、窃盗など働きはじめ、その稼《かせ》ぎで、一泊二食付きの宿屋へ泊り、つまり、名実ともに、自活しはじめて、手のわざに到達したのだ、養家時代は木淫《もくいん》、浮浪時代が手淫、そして、妙な運命で、生家に引きとられると、ぼくはもっぱら女淫にいそしみはじめたといっていい。この時代は十八歳だから、女郎買いをして何の不思議もないが、なにしろ一日も欠かさず通い、いろいろ理由はつけられるが、欲望をもて余してというより、女郎に抱かれることで、ようやく人心地をとりもどせるといった感じだった。  手淫、女淫となって、ようやくぼくは、ほしいままにエレクトさせて、思いを達し得るのだが、木淫によって培《つちか》われた、好みのイメージはほとんど変らなかった、つまり、あまり淫らな妄想を追い求めると、興ざめてしまう、特に女淫の場合、先方はサービスのつもりだろうが、いろいろヴォカリゼーションやアクションをなさる、するとたちまち興ざめてしまうのである。手淫の時、いったい他人は何を考えているのだろうと、当時すでに不思議に思うほど、ぼくのそれは、奇妙であった、たとえば美しい女性がいると、思いこむだけなのだ、よくオナペットにふさわしい女優なんてことをいうけれど、どんな美人でもその顔を思い浮かべると駄目になってしまう。もちろん声を空耳《そらみみ》に聞くこともなければ、淫らな姿形も必要なく、妄想の中に自分が加わることもない。  どういう女が美しいのか、自分でも判らない、ただ、そういった存在を、しごく抽象的に追い求めるうち果すのであって、やがて、文章や、絵画あるいはフィルムで、いろいろと性的|刺戟《しげき》を受けはしたけれど、手、女淫の際、こういったものをよみがえらせると、不能になってしまうのだ。変態というと、なにやら能動的な印象を受けるけれど、ぼくなど、非常にネガティブな変態ではなかろうか、そして、こういった状態を分析してみれば、あっさり結論がでるのだろうが、出したいとも思わぬ、今さらぼくをして、妙な風に仕立て上げている心因を探り当て、呪縛から解放してもらっても、どうってことはないのだから。  ぼくは、エロ作家といわれているけれど、まず通常のべッドシーンを書いたことがない、いや、描写できないのである。白痴の娘と父親、死に瀕《ひん》した老母と息子、みるかげもなく老いさらばえた老夫婦、処女の破瓜《はか》、インポテンツと娼婦《しようふ》といった組合せなら、なんとか禿筆《とくひつ》を弄《ろう》するけれど、健康な男と女のからみ合うことを考えただけで、ぼくはいたたまれない嫌悪感をいだいてしまう、時には、男に嫉妬《しつと》を感じる。物書きにいうと、いつも嘲笑されるのだが、本当に作中人物に対し、腹が立って来るのだ、あるいは、刑法百七十五条の、猥褻《わいせつ》文書、図画の規定、すなわち「羞恥嫌悪の情を催さしめる」なるくだりについては、ぼくがいちばん敏感かも知れぬ、もっとも、自分が書く場合だけだが。  ぼくは只今《ただいま》のところ、猥褻文書販売人の肩書を、桜田門より賜わっている身だが、自分自身かえりみてみれば、猥褻な感じ、これはあくまで警視庁の定義を、うのみにしてのことだが、それを受けた記憶は、文章や写真などでなく、むしろ人間のうろたえぶり、つまり、オメコというのを聞いて、たしなめた養母の、ことさら無表情な横顔、「Tさんうんぬん」とつぶやいた祖母の口調に、恥かしい気持をいだいたのだ。  艶やかな陰毛むき出しにして、台所を歩きまわっていたTさんの姿は、あるがままの女の形なのだし、たしなみ深く、常に隠していた母の心づかいも、それなりに自然だと思う、しかし、孫の眼をはばかり、Tさんのふるまいをけなしつけた祖母の言葉は、Tさんよりも、むしろ祖母をこそおとしめ、はっきり子供心にいやな気分となった。子供が突如として、性器の名称を口にすれば、親たるもの仰天するだろうし、また、男児の胯間に、年に不似合いなペニスの硬直ぶりを認めると、びっくりするのが当然かもしれぬ、しかし、子供は、その親の態度に、猥褻性をかぎとってしまうのだ。  大人が裸になれば、陰毛を胯間に有することは、当り前であろう、そして、陰毛をあらわにすれば、即《すなわ》ち子供にショックを与え、青少年の劣情を刺戟するというような考え方をこそ、猥褻というのである。ぼくはこれまでのべて来たように、現実のセックスについては、あるいは異性についてほとんど興味がない。ひたすら観念的な操作によって、エロティックな気分を涵養《かんよう》するのであり、もし、わが妄想を、桜田門が探知したら、たちまちぼくは猥褻人間の最たる者として、認定されよう、しかし、これは個人の意識の問題であって、いかなる権力からも、常に自由なのだ。  字に書かれたり、絵として表現されたものに、猥褻の定義を当てはめることは、土台、無理なのだ、それが文学、美学上の名品として認められているにしろ、また、市井《しせい》の無頼漢が、金欲しさにでっち上げた作品であるにしろ、まさしく千差万別の個人の、性意識とからみあって、一つの感銘を生ずる、その感銘は個人に属するものであって、これを取締ることは誰にもできやしない。たとえば、「東京母の会」とかいう、往年「愛国婦人会」のリーダーだった老女のひきいる、妙な集団がある。なにかというとしゃしゃりでて、女の裸をえがいた絵、あるいは写真を眼にすると、びっくり仰天したふりを装い、桜田門に御注進に及ぶ。  すると取締る側は、羞恥嫌悪の条項を適用し、厳重注意のほど、申し渡すらしいが、その権威にかけても、こういった輩《やから》を相手にしない方がいい。何度もいうようだけれど、「東京母の会」の存在そのものが、猥褻なのである、母と名乗れば、いがなる横車も押し通せると信じこんでいる姿ほど、羞恥嫌悪をもよおさしめるものはないのだ。  ぼく自身は、ポルノ解禁とか、あるいは厳禁とかに、まったく興味はない。お上《かみ》の意向によって、左右されるほど、器用な物書きでもないから、自分の性意識に忠実にふるまうだけのことだが、猥褻感という、まったく個人の感情について、お上がいちいちお節介をやくとなると、これはやはり只ごとではない。猥褻感は、生きているしるしみたいなものではないか、何かに触発されて、味な気分を起すから、この世は楽しいのである、そしてそれは、クラシック音楽によってひき起される場合もあれば、漫画が刺戟になることもあり、そう杓子定規に、因果関係を設定できるものではない。できもしないことを、社会秩序の名のもとに、できるが如く装って、世間に押しつけてはいけないと思う。  性というものを、そう軽々しく扱っていると、必ずしっぺがえしを食う、世間の普通人は、いわゆる猥褻文書なり図画を眼にするとたちまち餓狼《がろう》の如くに、性的犯罪へおもむくと考えているなら、大きな間違いだ、現代が直面している性の問題は、さらに深刻であって、人間が人間らしさを保つために、性はどれほどの力を持つものなのか、どこの国でも思い悩んでいる、ポルノ映画の一部をカミソリで削り落し、不自然にキラつかせて、ことなれり、と考えるなど、無邪気というよりは、あまりに人間を知らなさ過ぎるのだ。  ぼくのように、木によって淫する者もいる、この場合、青桐なり、ヒマラヤ杉の支柱は、お上のいうまごうかたなき淫具であろう、淫する時のイメージとして、ぼくはただ美しい女という、漠然たる妄想をえがくが、すると、「美しい女」はなによりの猥褻語であろう、これがもし極端な例だというなら、この際、桜田門編の、猥褻語辞典なり文例をつくってほしい。そして世に問えば、いや、問わぬ先きに、馬鹿馬鹿しくおなりのことと思う、よく知らないが、傷害罪を適用する際、刃物を上に向けて、持っていたか、下向けだったかで、刑が違うというし、交通事故の責任判定の場合も、ことこまかに段階があるらしい。そして、図画、写真の場合は、あるがままの、自然な姿の性器は駄目で、性行為も禁止されているという、こういう不当な見解にカメラマンや画家が易々として従っているのも不思議だけど、ぼくは物書きだから、文章の場合の基準を、はっきりさせたいと思うのだ。  その過程のうちに、おそらく文章そのものを猥褒と決めつけることの、意味のなさが、はっきりしてくるだろう、文字は、読者の観念と関り合って、感銘を与えるのだから、その一方だけをうんぬんしてもいたしかたがない、それとも、「時計仕掛けのオレンジ」よろしく、個人の思考能力、観念の世界まで、お上は立ち入り、お節介をやきたいのだろうか、かつての軍部の如く。 初出誌   四畳半色の濡衣     オール讀物/昭和四十七年九月号   四畳半色交合絲     オール讀物/昭和四十八年五月号   四畳半濡色草紙     オール讀物/昭和四十八年九月号   四畳半閨の色紙     オール讀物/昭和四十八年十一月号   四畳半色浮世絵     オール讀物/昭和四十九年一月号   四畳半屏風下張     オール讀物/昭和四十七年十二月号   色籬大学四畳半     オール讀物/昭和四十八年七月号   四畳半色の綾取     オール讀物/昭和五十年十月号   四畳半色の行寿恵     小説現代/昭和五十二年二月号   四畳半色の書留     オール讀物/昭和五十二年三月号     オール讀物/昭和四十七年十月号(刊行にあたり一部改題) 単行本   昭和五十二年二月文藝春秋刊 〈底 本〉文春文庫 昭和五十七年二月二十五日刊