野坂昭如 受胎旅行 目 次  受胎旅行  マッチ売りの少女  スケコマシ同盟  現代好色かたぎ  猥談《わいだん》指南  パパが、また呼ぶ  子供は神の子  浣腸《かんちよう》とマリア  たらちねの巣  娼婦《しようふ》焼身  受胎旅行 「ほな、これに出してこい」医者はこともなげにいって、夫にうす汚《よご》れたビーカーを渡し、便所は左行ってすぐや。 「今すぐか」「別に気どらんでもよろし、チャッチャッと出してきたらええねん」「こんなん、看護婦さんてっとうてくれはるちゃうんか」「あほいえ」医者にやりと笑い、「そやな、どないしてもいうねんやったら」部屋のすみで、こちらに背を向けレントゲン写真の整理している四十年輩の、白衣こそまとっていても、むしろ失対の小母さんに近い看護婦を眼でしめし、「頼んでみたろか」  夫は閉口して、ビーカーとり上げるといわれた通り廊下を左へ曲り、終戦直後は占領軍相手の連れこみ宿だったのを、そのまま産婦人科の病院に衣替え、いかにも陰気なたたずまいで、もはやぼろかくすつもりもないらしく、ところどころに飾られた大時代な裸体画が一段とさむざむしい印象。  夫は、医者と小学校で同級生、酒のあいまにふともらした悩みごとに、えらく心配してくれて、ほな俺《おれ》が検査したろかと、てきぱき来院の日時まで打合せ、その時は酔いも手伝い、持つべきは友達とうれしかったのだが、さてこの、コンクリートのたたきに簀《す》の子《こ》を置き、みるからにじっとりしめったスリッパ二足、鍵《かぎ》も満足ではないような便所のたたずまい、誰うらむわけにもいかん身の因果とはいえ、この中でチャッチャッと出さんならんとはしんどいことやった。  とにかく扉《とびら》をあけると、幾度塗り重ねたことか、凸凹《でこぼこ》の壁のペンキに、せめて下手《へた》でもなんでも猥褻《わいせつ》な落書きくらいありゃ、溺《おぼ》れる者の藁《わら》となろうに、二筋、水墨の筆よろしく大便こすりつけた跡だけで、さて立ってやるのか、すわってこするか、結婚して七年目、時には昔をしのび手すさび行うこともないではなし、あてがきの業《わざ》忘れはせぬが、便所の中はこれがはじめて、こんなことやったら、前もって春本読むなり、ストリップ観《み》るなり、いわば前技を用意しておいたのにと、とりあえずしゃがんで、出たくもない小便をはなつ。「パパかてみてもらって来て頂戴《ちようだい》、私の方は別にわるいことないいうて、せんせいうてくれはったんよ」子供もないのに、二年前から妻は夫をパパと呼び、当初は閉口したがこれも子宝に憧《あこが》れる女の気持かと、あわれにも思い、そして夫は実は学生時代、飲み屋の女をはらましたことがあり、わしの方の子種はちゃんとしとると自信もっているのだが、まさかこの事実を妻にいうわけにもいかん。  女の検査はえらいややこしい、卵管とかなんとかに、油を通して排卵がスムーズにいくかどうかを調べ、内診台の恥ずかしさもさることながら、これはえらい痛いそうな。「男はただ精子の具合をみることだけでええねんて、みてきて頂戴」一軒では物足りず、産婦人科のはしごをして、そのいずれでも欠陥はないと保証された妻は、あらゆる非は夫にあるかの如《ごと》くに責めたてる。「検査するのはええけど、それでもしぼくの方に子種がないとなったらどないする、人工授精でもして子供産むのんか」「それはいややけど、なんせあかんねんやったらあかんと、はっきり知りたいのよ」「結婚後十年以上|経《た》ってできることもあるねんし、まあ気楽にやね、神様のおぼしめしを待っとったらええのんちゃうか」「あたしもう二十八よ、三十過ぎての子供、つまり高年初産は、母体にも子供にもわるい影響を及ぼすのんよ」  医者まわりをはじめてから、妻はやたらとむつかしい漢語をつかい、いちいち耳にざらつく。いや、そればかりではない、「あんた面倒臭いねんやったら、私が検査頼んでもろてもええ」どないするねんときくと、ルーデサックを使用し、それを妻の体内に収めたまま医者のもとへ持参すると、ごついことまでいい出す。「お前、そんな恥ずかしいないんか」口まで出かけて、しかしうっかりこんなこといえば、「そんなこというてられへんでしょ、あんたがちっとも協力してくれへんからやないの、なにいうてんの、勝手なことばっかり」ヒステリー起して頬《ほお》がえしつかなくなるだろうこと、同じ屋根の下に七年暮せば、眼にみえとる。  とどのつまりが、クレゾールと下痢便の臭《にお》いたちこめる中でのあてがき、それでも親の苦衷察したか、伜《せがれ》雄々しく起立し、やけっぱちの無念無想にひたりかけようとしたら、簀の子踏み鳴らして隣に誰か入り、あけすけな屁《へ》を放つから、しばしたんま。夫があてがきを知ったのは小学校の四年、角力《すもう》場の柱によじのぼった時、異様な快感を覚え、それからは校庭の青桐《あおぎり》、家の床柱、階段の手すり、ところきらわずかじりつき、こんなええことを知っとるのは俺だけで、これは世界的な発見とちゃうやろかなど考えたもの、正規の、というのもおかしいが指づかいを心得たのが中学二年、学校の宿直室に泊った時、天然自然にきわまりにまでいたり、あ、これがよう上級生のいうとるマスかと納得でき、夜を日についで熱中したものだが、まあ、あの頃はようつづいたもんや。 「おい、まだかいな、えらい長いねんな」ふいに医者が扉の表で声をかけ、夫はすっかりあわてて、「もうちょいですわ」こもった声でいう。「出しにくいねんやったらてつどうたろか」突拍子もないことをいい出し返事もできかねていると、「肛門《こうもん》に指つっこんで、摂護腺《せつごせん》のとこマッサージしたったらすぐやねんけどな」「ええよ、自分のことは自分でする」「ほな、はよせい」いったい親切なのかいじわるなのか、大体あいつは子供の時から、傘《かさ》の柄で人の脚《あし》ひっかけてころばしたり、人けしかけて喧嘩《けんか》させて見物するようなとこがあったと、夫は腹立たしくなって、なおのことかなわず、もうやめやと立ち上り、バンドをしめたところへ、「どないや、こんなん参考になれへんか」医者がまたやってきて、扉の下から袋をさしこみ、「教材用に大学で撮《と》った写真のコピーや」みると、女性の部分のきわめて鮮明な写真、説明があって、「二十一歳処女トリコモナス」二枚目が「二十二歳経産婦子宮脱腸」つづいて「四十一歳帝王切開」とあるからあわてて元へ戻り、二十一歳トリコモナスの写真をたよりに、現金なものでたちまち放ち、首尾よくビーカーにうけとめた。 「えらいごつい出しよったな」医者はにやにや笑ってビーカーをうけとり、硝子棒《ガラスぼう》で精液を硝子板になすりつけ、「ちょっと待っとれ、すぐわかるよって。なんか栄養剤でも飲みますか」試供薬を机の抽出《ひきだ》しから一山とり出し、「これなんか精力つくらしいで」なんや知らん玩具《おもちや》にされとるみたいで夫はだまりこくったまま。「どないや、みてみるか」顕微鏡のぞいていっぱし学者風の医者にいわれても、「まあええわ、それよりどないやねん」「ふつうやな」「ふつうか」別に人より精子の密度が濃いとは思わんが、こうあっさりふつうといわれると、ばかにされた感じ。「つまり妊娠させる能力はあるわけか」「まあ、これやったらあるやろ」「ほな、かみさんがわるいねんな」「そうともいえんけどな、こればっかしは神さんの領分やからなあ」「なんか証明書みたいなん書いてくれへんか」「証明書?」「いくらぼくに能力があるというても、かみさん信用せえへんかもしれんからな、みせたるねん」「鑑定書やな」なんやしらん骨董品《こつとうひん》みたいになってきた。 「わしもこんなんはじめてやから様式はわからんけど、女房にみせるだけやったらこれでええやろ」医者は便箋《びんせん》に達筆で、「精液採取検査の結果、妊娠能力十分にあるものと認む」と書き、「まあ、そやけど子供なんかつくらん方がええで、俺とこなんか三人やろ、うるそうてどないもなれへん」  妻もはじめは子供を欲しがらんかった。夫は中どこの出版社に勤め、妻はTV局のニュース番組ディレクター。結婚しても共稼《ともかせ》ぎを続けたし、手足まといの子供などてんから願わず、第一、彼女は子供をきらっていた。 「あたし末っ子でしょう、そのせいかちいさい子供をあやすことができへん。よう赤ん坊みたらあわわなんかいうて、ごきげんとる人がおるけど、あたし照れてしもて、ようせんし、第一、気持わるうてね。母親で、一度自分の口に御飯入れて、グチャグチャにしてから子供に食べさすのなんかみてたら、胸わるなるわ」  夫は末っ子ではなかったが、やはり子供が苦手、また定期券の裏に愛児の写真など大事そうにおさめて、酔うとどういう魂胆なのか、酒場の女給にみせびらかしたりする同僚を、あまりよくは思わん方やから、妻ほど積極的に拒否はしなくても、子供を産まぬためのわずらわしい方便に、文句もいわずそれこそ協力してきた。  それが、妻の二十六歳になったとたん、「そろそろ赤ちゃんつくった方がええのんとちゃう」まるで冗談のようにまずいい出し、これが気まぐれではなくて、日毎《ひごと》に固い決意とかわり、もともと、女子大を出るとすぐに、基礎体温を測定しはじめたほど、この時はあくまで避妊のためだったが、一事が万事、科学的なことの好きな妻は、妊娠に全力をあげはじめたのである。 「あれはやっぱりやり方で、うまいこといったりいかへんかったりするのやろか」 「あほいえ、そんなむつかしいことやったら、人間こんなにふえへんわ」  この病院はアルバイトの小遣《こづか》い稼《かせ》ぎ、もう帰ってもええねんという医者と夫連れ立って南のバアへおもむき、水割りすすりながら話題は一つことからはなれぬ。 「そやけどしんどい話やで、排卵期いうんか、その時期のがしたらあかんいうて、夜討ち朝駆けやからな」 「そんなもん気にせん方がええねんけどな、戦争中によう十人以上子供産んだおばはん表彰されよったやろ。あんなん、別に排卵期で一発必中をねろたわけやないしな」  妻の、いわば妊娠作戦は、まずこれまでのバス・コントロールの方便をいっさい捨てることからはじまり、習慣はおそろしいもので、夫のたかまりを知ると、ひょいと押しとどめ、つぎの瞬間、「あ、かまへんねん」ふたたび眼を閉じ、事果てると、「なんやしらんうまいこといったみたい」うっとりつぶやく妻に、なんとなく種つけ馬みたいな心境の夫だったが、その日頃自慢の精確な月のめぐりは、きちんきちんと訪れて、いっこうに成果あらわれぬ。  さればとかねて用意の基礎体温表がたより。朝、夫を起す妻のあいさつは、「今日からそうよ、早《はよ》うに帰ってきてね、あたしも交替してもらうから」  大体が時間の不規則な夫のなりわい、まさか女房を抱かんなりませんのでと、義理を欠くわけにもいかず、ようやくの思いで酒場や座談会を脱出し、家へもどると、妻は受胎告知のマリヤ様の如く、清らかな表情で床につき、子孫繁栄のためとのたまったという乃木《のぎ》大将のように、愛撫《あいぶ》をほどこし、疲労こんぱいして寝込んで次に目覚《めざ》めると、朝の献立は、山芋にレバーのソテー、牛蒡《ごぼう》やら生卵で、これすなわち時を移さず、その夜の営みの活力源。 「そらまあしかし、しんどいこっちゃなあ」 「しんどいだけやないで、排卵期以外の時は無駄弾《むだだま》いうわけやろ。こっちがそのつもりになっても、もったいないからとっとけいうて、いらわしよれへん」 「なにもそうけちらんかて、あれは使うたらいうて薄まるもんでもないねんけどな」 「ぼくはけちらへんよ、しゃないから飛田《とびた》行ったこともあるわ」 「いうたらわるいけど、そら奥さん考えすぎやで」  医者にいわれるまでもない、結婚前は、いかにもマスコミの先端で生々と働く近代女性にみえ、いや結婚してからも、そらたしかにいくらか正体あらわして、ヒステリー起したり、わけのわからんやきもちやいたり、にしても一日家の中に閉じこもって、もっぱら亭主攻撃の世の女房に較《くら》べれば、ものわかりのええ方と考えていたのだが、妊娠にこってからは、別人の如くに変りよった。 「そやけどいっぱい説があるで」 「なにがや」 「どないしたら妊娠できるかいう説や。ある程度習慣的に営んだ方が、ペーハーいうんか、その膣《ちつ》の中の酸やかアルカリやかな濃度が妊娠に都合ようなるいうのもあればやな、あんまし頻度《ひんど》が多いと、逆に精子がアレルギー起して、死んでまういうのもあるんやて」  医者はけたたましく笑うて、「精子がアレルギー起すてどないなんねんな、精子の蕁麻疹《じんましん》なんてきいたことないで」  夫もきいたことはあれへんけど、妻は仕事の関係上、性医学者と顔あわせる機会があり、まさかあけすけに自分のこととしてはきかぬまでも、あれこれ遠まわしに知識をひき出し、中途|半端《はんぱ》に納得して、いちいちこころみようとする。 「へんなこときいてもええ?」というからあるいは、たまさかの浮気のしっぽでもつかまれたかと身がまえると、「あたしは、あのオルガスムスいうのん、わかってるのかしら」「さあ、そら自分で感じるもんやろ」「パパ今までようけ女の人とあそんだんでしょ、それとくらべてどう思う?」どう思うときかれたかて、そやな、ちょっといたらんとこがあるんちゃうやろか、あるいはいや立派なもんやと常々感心してます、どっちかていわれへん。「なんや、やっぱしオルガスムスにならんと妊娠しにくいらしいわ、あたしの同級生の話やけど、ああ妊娠したないうて、実感があったいうもん」ほなその人は、パチンコの球《たま》がうまいこと穴に入ったみたいに、チンジャラジャラと、子宮が家鳴り震動しはったんかと、茶化したい気持だが、妻はおっそろしく真面目《まじめ》な表情で、「少し、時間が早いのんとちゃうかしら、あたしら」あたしらといい、これつまり夫を早漏《そうろう》と非難しとるわけやないか。 「早いてどれくらいや」 「それまで気にもせえへんかってんけどな、かみさん商売柄ストップウォッチもってるやろ、それでカチいうて測ったらな、三分五十秒ほどやってん」 「まあ、ほどほどやろそれやったら。そやけどそんなん関係ないで、強姦《ごうかん》でかて妊娠するし、ヘビーペッティングでな、処女膜ちゃんとしとんのに、はらむことあんねんから」 「かみさん、すぐグラフつくりよってな、今日は早い、今日は長かったいうてな」 「陸上競技やな」  オルガスムスかてそうで、そんなもんいちいち気にしてたら、それこそ気ィ散ってかえってあかんのに、妻はあるべきその形を想定し、ある時は焦《じ》れ、また夫からみればどうという変りもないのに、一人合点してそのつもりになったり、「なんせお前、雑誌にえらいこと書いてあるやろ、失神するとか、弓なりにそりかえるとか、そんないちいち考えてやな、深刻になられたらえらい迷惑やがな」 「かりに不妊症としても、これは病気とはちょっとちゃうよってな、すぐ直さなあかんいうものでないし、あんたとこなんか原発性不妊いう奴《やつ》やけど、まあ奥さんの体も異常ないねんやったら、そのうちうまいこといくのんちゃうか」  医者もただならぬ事態に同情したかあきれたか、なぐさめるようにいい、「絶対性不妊いうのはそうざらにあることちゃうわ」「そやけど、ぼく等《ら》の子供の頃考えたら、ようけ子供のない家あったで」  子供心にも母親とは別の種類の女にみえたもんや。眉毛《まゆげ》なんか墨で描いて、派手な着物きはって、日曜日になると、おっさんとよう漫才ききにいったり映画観に出歩きよる。冷え性は子供ができんというけど、たしかに冬なんか、子供のないおばはんは、おっさんのパッチはいて、それがもんぺの下からちょろっとはみ出しとって、うまず女《め》の後ろ姿は、いっそあわれな感じやった。 「子供がないから、防火訓練の時なんかな、先頭に立ってバケツの水バシーッと標的にたたきつけたりして隣組の中心人物でな」 「そやな、戦前の方が不妊症は多かったんかも知れん、正月なんか、あんまりよう知らんのにキャラメルくれたりしてな」  あんなおばはんに、もし妻が先ゆきなるとしたらば、夫としても、憐《あわ》れであった。別に今のところ冷え性でもないようだし、男みたいに気性の荒いわけではないが、これほど子供をほしがって、しかもついにかなわぬとなれば、がっくり気おちして、ノイローゼにでもなりはしないか。 「ぼくとこ香里《こうり》の団地やろ、団地いうとこは、これまた軒並みに子供がおってな」 「わしとこもそうや、うちの子供|餓鬼《がき》大将でな、よう石で近所の奴どついたり、ごんたしよんねん。近頃の親いうのは、補償|乞食《こじき》いうんかな、でぼちんにこぶできたくらいで、すぐ治療費出せいいよってなあ、わしら子供の時、あんなこといわへんかったで」  医者が自分の子供についてしゃべりはじめると、夫は、それまで男同士のきずなしっかとたしかめ、あけすけにしゃべっていたのが、ふっと突きはなされたようで、自分に子供があれば入っていけるその話題に、到底なじめぬ。そして妻の、ふだんつきあいはすくないが、日曜日になど、朝っぱらから団地と団地の間の、猫の額にもたりぬ枯野原で、向う三軒両隣のマダムとおしゃべりし、女であればなおのこと痛いほどに感じるであろううまず女の悲しみ思いやれば、かわいそうにもなる。 「なんせ共稼ぎですよってね、当分は産めません」「またいつ戦争がはじまるかわからん世の中でしょ、こわいし、かわいそうやもん」「身軽な体でおったら、外国へ行くいうてもすぐとび出せるし」学生時代の友人や、あるいは兄姉があそびにきた時、虚勢を張っていう言葉も、彼等がいなくなれば夫をパパと呼ぶ胸のうちわかっているだけに、夫はいじらしくて耳をおおいたくなった。  医者と別れて、香里のアパートへもどり、深閑とした中に靴音ひびかせて階段を登ると、踊り場ごとに三輪車や砂あそびの道具があって、みなれているはずなのに妙に心にかかる。妻はまだもどってなくて、灯《あか》りをつければ、綺麗好《きれいず》きな女だから、茶箪笥《ちやだんす》から水屋|卓袱台埃《ちやぶだいほこり》一つとどめず、ステンレスの流しには洗《あら》い桶《おけ》が伏せてあり、その左側に九時にセットした目覚し、ふっとこの景色はどこかで眺《なが》めたことがある、いや自分の部屋なんだからそれは当り前にしても、これと同じような得体の知れない荒涼とした印象と考えるうち、思い当って、それは、夫が週刊誌担当していた頃、警察でみせられたホステス殺しの、現場写真。  死体を中心にしたものや、犯人が指紋を残したと思われる茶箪笥の写真。その水商売には珍しく、きちんと整頓《せいとん》された室内が、かえってあわれで、そう、たしかに台所に目覚しが置いてあった、となると、鉄筋コンクリートの密室、物音一つきこえぬわが部屋が無気味にみえ、「こら、こっちもノイローゼになりそうや」子供があれば、妻も家にいる、そうすりゃ、暗い室内手さぐりでスイッチを押し、酔い覚めの牛乳を冷蔵庫からとり出し、ラッパ飲みすることもない。月半ば深まる秋の夜寒のせいばかりでなく、心が冷えて、ポケットからとりだした鑑定書、神棚《かみだな》があれば奉納して、拝みたい気持だった。 「ふーん、で、どないして調べたん?」妻は、人事異動のごたごたとかで十二時過ぎにかえり、夫は、まるで級長のお免状もらってきた小学生のように、はしゃいで鑑定書をみせるのに、いっこう気乗りせぬ口調でたずねる。まさか二十一歳処女トリコモナスの写し絵におすがりしてのあてがきともいえず、「男は、まあ便利にできとるよって」「やっぱり感じるの」「そりゃ少しはな」「損やわ、あたしなんかごつう痛いのに」案に相違で風向きわるいのは、夫にも欠陥がないとすれば、しかけが複雑なだけに、やはり自分のいたらぬためと、妻は自らを責めとるのかも知れず、「まあ、そんなに悲観することないいうてたで」夫がやさしくいってもなにか考えこむ風。「あたし、お勤めやめよかしら」ぼそっという。「そらまあ、やめるのはええけど」「いくらかやりくり苦しくはなるやろけど、赤ちゃんのためにはかえられへん」「赤ちゃんて」「今日婦人ニュースのゲストに、婦人科の先生きはってね、職業婦人と不妊についてしゃべりはってん、直接、あたしとは関係ないみたいやねんけど、やっぱり勤めてるのは、ええことないらしい」  その先生は、冷暖房装置の、女性に与える影響、立ちずくめの職場では、上手《じようず》に休む工夫をせんと、流産し易《やす》い体になるいうようなことを主に説き、妻の職場は、時間的にいくらか不規則でも、そう激しい労働、きびしい環境ではないから、現在の勤めと、身ごもらぬことに、そう因果関係あるともみえぬが、先生は最後に、「精神的なストレスも、不妊と無関係ではない、たとえばひどいショックをうけるとメンスがなくなる例もある」とつけ加え、これが妻の心にひびいた。 「精神的ストレスいうたら、これはもうストレスの中で生きてるみたいよ。上の方に気ィ遣《つか》い、スポンサーに気ィ遣い、ゲストに素人《しろうと》多いからいつもはらはらしどおしやし」夫にも妻にも不妊の、生理的原因がないとすれば、残るところは、犯人探《はんにんさが》しの消去法やないけど、妻のストレス、「折角、卵子が着床しよう思うても、上の方から紀元節問題にはふれるないわれて、長い間の準備が水の泡《あわ》なったりしたら、がっくりして、ついでに卵子もすべりおちてしまうんやわ」  なんや話が飛躍しとるみたいやけど、妻がそう望むなら夫に異存はない。結婚当初こそ給料が安くて、共稼ぎも止《や》むを得なかったが今ではなんとかなる。「ぼくは賛成やな、家へかえって来て誰もおれへんかったら、やっぱし味気ないわ」「そやけどお酒と麻雀《マージヤン》少しひかえて頂戴ね、まあ、ルポ番組の構成くらいして稼ぐけど」ちゃっかり釘《くぎ》をさして、その夜は、排卵前期|故《ゆえ》に別室にわかれ、これもしかるべき時に、より燃え上らんための、妻の考えだった。  年末に勤めを辞《や》めて、3DKのアパートを妻がまもり、となると夫は、かつてのように矢も楯《たて》もたまらず子供を欲しがる気持あとかたもなく失せ、夜|更《ふ》けてもどるおのが巣に、明るく電気がついていればそれで満足だったが、妻は小学校へ上って以来はじめて、どこへ行くあてもなく閉じこもりきりの明け暮れ、昼間は近所の子供をあそびに来させて、幼稚園の先生の如く、やがてまだあてもなき母となる日の予行演習に気をまぎらわせ、だが、夕刻、子供がかえってから夫を待つ間の、空白にじれて、おそろしくヒステリーを起した。  夫がかえると、いちおう笑顔で迎えるが、たとえば玄関のすみに、子供の忘れた絵本などあると、なにに癇癪《かんしやく》起すのか、乱暴ないきおいで屑籠《くずかご》に捨てる。剣幕におどろき夫がたずねても返事をせず、「大体ここらへんの子ォはしつけわるいわ、教育ママかなにか知らんけど、食べたら食べっぱなし、柄ばっかり大きいても、トイレの始末もできへん子ォばっかしやわ」  そんなに怒るのやったら、子供を呼ばんかったらええといえば、「そんなこというて、この部屋に一日ぼさっとTVなんかみてられへんやないの」喰《く》ってかかり、これはどうやら、昼間は、忙しい母親にかまってもらえぬ子供達が、気前よくお菓子もくれれば、話相手にもなってくれる妻のもとへ集まり、それはそれで妻の気をよくさせるのだが、食事時になれば、あるいは仲間同士喧嘩して、泣かされると、一目散に母鳥の懐《ふとこ》ろへ逃げかえり、そのつど、妻は裏切られた無念さに沈むらしい。  夫も小学校へ入る前、近所にお琴のおばさんというのがいて、あそびに行くと、パラリンシャンと琴をひいてくれ、林檎《りんご》や、当時としては珍しいピーチの罐詰《かんづめ》を食べさしてくれた。そしてある時、地震があって、あわてて家へ逃げようとし、おばさんが、「逃げんでもよろし、ここにおった方が大丈夫なんよ、こわいことない」ととめるのをふりきってとび出したが、あのおばさんもうまず女やった。あのおばさんと同じことを、妻もやっとるんやと腑《ふ》におちるが、暇をもてあまし、子供にほん弄《ろう》され、そのすべてのうっぷんが、夫にむけられるのではかなわない。 「そんなに子供がうるさいとか、汚《きた》ないとかいうてたら、自分に出きたときどないするねんな」たしなめるようにいえば、待ってましたと妻は、「あたしの子供は、きちんとしつけます、あたしお婆《ばあ》さん子やったから、いろいろ古いこと知ってるの、みな教えるわ。お手玉や、折紙、あやとり、あたしうまいのんよ、朝起きたらちゃんとパパにあいさつもさせて、今ごろの子供は、おはようございますもいわへんねんてねえ」  ストレスなるものから解放され、もはやストンと卵子のすべりおちるはずもないのに、そのきざしはまるでないまま、妻はやがて子供にめぐまれること、ゆるぎない事実と確信して、「男の子やったら、どういう名にする? インドネシアの名前て、暁の嵐《あらし》とか星の精とか、えらいロマンチックやねんね」「それやったら日本にもある」「どんなん」「夜の嵐、夜嵐《よあらし》お絹とか天人お玉、ロマンチックやんか」夫は、まともにうけこたえしかねてはぐらかすと、妻は、少しも考えてくれないといって涙うかべ、実際に命名の解説書さえ求めて、「パパの名前は、字画からいうて最高なんよ、きっと出世するわ」と寝物語。  このうちはまだよかったが、春めいたある夜、夫がもどると、玄関で妻と、一階下の住人夫婦がいいあいしていて、一階下の女房のいい分は、妻が自分の子供の尻《しり》を、あざができるほどつねったのだという。「どういうことですかこれは。現在母親である私でも、子供の体に傷つけるような、そういうお仕置はしてませんのですよ、それを赤の他人が」女房早口でまくしたて、それをいやいやひっぱり出されたらしい亭主が困り果てたように、「まあええやないか、子供のいうことやねんし、こちの奥さんかて悪意があってやらはったんとちゃう」「当り前ですよ、まだ三つか四つの子ォに悪意をもってつねるようやったら、鬼か悪魔や」いわれて妻も負けてはいず、「なんということをおっしゃるのですか。あたしはおたくの坊ちゃんが、あんまりわがままで弱い者いじめなさるよって、注意しただけですのよ。そんなあざになったなんてオーバーな」妻は興奮すると、学生時代すごした東京の言葉づかいになり、「オーバーとはなんでんねん、つれてきてみせましょうか、こんな」と、女房指で輪をつくってその大きさをしめす。  どうにか押しとめ、夫同士|詫《わ》び合ってその場をおさめ、部屋へ入ると、妻はただ泣くばかり。どうにもうんざりして、「まあ、余計なお節介はせんほうがええで」「パパまでわかってくれはらへんの、もうあたし知らん」手近にあったデパートの包み紙を壁にぶつけ、妙に間のびした音がひびいたからあけてみると、赤ん坊あやすオルゴールのガラガラ、おしゃぶり、ちいさな、手袋ほどの肌着《はだぎ》やらおむつカバー、いずれも新生児用とあり、まだその気配みえぬのにこの買物はと、夫ややおびえて妻をながめる。 「そらな、ほっといたらあかんわ、ノイローゼやわ」やがて千羽鶴《せんばづる》をかざり、お手玉をつくり、明日にも子宝に恵まれるかの如く、困り果て医者に相談するとすぐにこういって、「どや、どっか旅行でもしてきたらどないやねん」  奥さんのきいてきたように、たしかにストレスが不妊をまねくこともあるやろ。そしてこれはなにも女だけの問題とちゃう、あんたかて、出版社なんかに勤め、時間に追われたりこまかい気ィつこうとったら、本来の男の力を失うてまう。別にインポテンツいうわけやないねんから、どういうことないやろけど、しばらくなれきったアパートはなれて、まあ一週間ぐらい遠くへ旅行してみるんや。もちろん排卵期をねろうて、日頃の雑事のとどかん別世界で、それこそあれ一筋、奮励努力してみはったらどないだ。 「休暇とれるねんやろ」「そらまあ、ぼくもここ十年以上、三日つづけて休んでえへんからな、新婚旅行にかていっとらんもん、許してくれるやろけど」「ほな行きなはれ、新婚旅行のつもりで、きっとうまいこといくんちゃうか。妊娠さえしたら、奥さんのノイローゼいっぺん直るねんからね」  新婚旅行もてれくさいが、だがなんにしても、妻の状態を考えれば、今のうちに手をつくすべきで、夫も旅はきらいではない。新幹線やジェット機、そしてタクシー乗りまわす仕事上の旅行ではなく、目的さだめず鈍行に乗って、気に入った山の形あれば降りたち、さわやかな川の流れにぶつかれば宿を求め、と考えはじめるとこれは天来の妙案に思え、すぐさま妻に相談すると、「ようようパパも、本気で赤ちゃんほしくなったのね」うるんだ瞳《ひとみ》でいい、「新婚旅行とちゃうよ、これは受胎旅行よ、ね、そうでしょ」  受胎旅行にはちととまどったが、妻がそう思うのならそれでもええ、同床異夢ならぬ同行異心でも、結果として赤ん坊がさずかれば上々、かりに駄目でも、この檻《おり》のようなアパートの部屋を出て、草いきれや樹の下露《したつゆ》にふれれば、妻も以前の妻となるだろう。そしてこれからも年に一度くらい、受胎旅行とこころみるのもわるくはない。丁度メンスのはじまったばかり二週間後に排卵の予定というから、その二日前に大阪をたつ予定、目的地は隠岐《おき》の島《しま》で大阪から米子《よなご》まで空路三十分、境港から船で四時間、隠岐なら、観光客にわずらわされず、四月下旬の気候もいい。  ほとんど狂わんからと、しばらくは中断していた婦人体温計を毎朝口に含み、グラフをつくり、献立にも雄々しさいやますための心づくしがならべられ、旅行のプランだけで妻は平常心とりもどしたようにみえた。  汽笛が鳴って船が島後の西郷港に近づき、境港を発《た》つとすぐ、さすが春とはいえくろずんだ日本海の海の色に怯《おび》えてこもりきりだった妻も甲板に出て、すぐ近くの島影に、「いや、大陸みたい」と、はじめての島に近づく者の必ず口にする、月並みをいった。  旅館のほとんどは商人宿、国民宿舎もあるにはあるが、十時消燈とかで、受胎旅行にはちと具合わるく、行きあたりばったり一軒の宿をたずねて頼めば、一泊二食ついて八百五十円、そこへいたるまでのタクシー運ちゃんの親切さといい、いかにも都を遠くはなれた実感がこみあげ、妻は、「きっとええ子が生れるわ、そんな気ィする」はや気もそぞろだが、排卵のしるしの、グラフの線の下降はまだ。  旅行の目的は夫婦の人知れぬ語らいにあるのだから、夜を待つ他《ほか》にするべきこともなく、その夜早々に寝て、朝まだき、「パパ、予定通りよ、ほら」妻がゆり起して、華氏九十七・七度から、五度を上下していた曲線の、・四度におちこんだグラフをしめし、「これで明日は、七・八度まで上るねん、そしたら確実に排卵やわ」下腹部をおさえて、うっとりし、ちょっと待ってねと部屋の隅《すみ》のケースをあけて、眼もあやなネグリジェをとり出す。「これ、どう? 受胎旅行のために、買《こ》うたんよ、きれいでしょ」きれいでしょといわれても、壁にはしみ浮き出し、畳は陽《ひ》に焼け、床の間に修学旅行の記念か、気味わるい土偶人形、廊下のミシンには、「祝出征」ののぼりを改造したカバーかけられ、欄間の額が東郷平八郎、とてもネグリジェの似合う部屋ではなく、なによりもう明けていて、今日は隠岐神社を見物の予定、宿の婆さんがいつあらわれるかも知れへんから、「まあ、夜のおたのしみにしとこう」軽くキスしてことさら乱暴にはねおきる。  隠岐神社をしきりに夫がいうものだから、妻は子授《こさず》けの神様かとたずねたが、夫にもとりたてて知識はない。ただ小学校で後鳥羽上皇《ごとばじようこう》の歌、「われこそは新島《にひしま》もりよおきの海のあらきなみ風こころして吹け」が心に残っていて、他に見物するところもなさそうだから出かけたので、西郷から漁船のようなちいさい渡しに乗り、菱浦につき道をはさんで貧しい家並みを少し抜けるとすぐに畠《はたけ》、こやしの臭《にお》いなつかしみつつ歩きかけると、「タクシー頼もうやないの」妻がいう。神社までは七キロばかり、うららかな陽差しを浴びてと考えたが、妻はもう妊娠してしもたみたいに、体をいたわるつもり、「昔から女房に長旅させろいう言葉あってな、歩くのはええねんで」「どないええのん」「ねれるいうてな」しばらく意味が通ぜず。わかると、「いやらしいわ、パパいうたら。もっと真面目に考えてくれな」強引にタクシーをよび、ほんの十分ほどで右に石の標識、「丁度、桜が満開ですやろね」という運ちゃんの言葉通り、広い神域一面に古びた桜の色、水にただよう如くゆれ、そして吹くともみえぬ風に散りしき、桜といえば、造幣局にしろ大阪城にしろ、ただもう埃にまみれさわがしいものと思っていたのに、この桜はきびしさを帯び、端正なよそおい、物音ひとつきこえぬ山の麓《ふもと》で、たしかに心に男性的な響きを伝えてくる。夫は茫然《ぼうぜん》として、礼拝も忘れて桜の根元の草の中にすわりこみ、なに気なくポケットに忍ばせておいたウイスキーを、御手洗《みたらし》の水頂戴しながら飲む。ひきかえ妻はまったく無関心。「えらいさびしいお宮さんやないの、なんの神さん?」「後鳥羽上皇」「ああ、ここへ流されてきはった人」「こわいみたいな桜やなあ」「こわい? きれいやないの」「ねがわくば花のもとにてわれ死なんいう歌あるやろ」「西行《さいぎよう》法師?」「あれ、いやらしい歌おもとったけど、この桜の下やったら、そら死ねるなあ」妻はこたえず、「もうかえりましょ、あたしおなか減った」「ぼくもうちょっとここで桜みてるわ、お前車降りたとこにうどん屋あったやろ、あすこで待っとって」「もうええやん、桜なんか珍しいことないでしょ」「さきいっとってくれ」思わずきつい言葉を夫は吐いて、考えてみると、なにが受胎旅行や、体温計って、山芋ばっかり食べさせ、色気ちがいみたいなネグリジェひらひらさせよってからに、俺は種馬とちゃうで、急に腹が立ち、ごろりと寝ころび、顔にも胸にも降りかかる花片《はなぎれ》を、口をあけて子供が雪を食べるようにうけ、ウイスキーのラッパ飲み。ふと気づくと寝入っていたらしく、陽ざしはかわらぬが、妻のきびしい顔がそばにあって、「パパ、肝心の目的忘れたらいやよ、もうかえりましょ」うむいわせぬ眼の光だった。  木賃宿の婆さんは、隠岐神社と、牛馬放牧の牧畠《まきはた》、さらに国賀海岸を見物したらええとおしえてくれていたが、妻はそれどころではない鞆《とも》の浦《うら》の清盛《きよもり》と逆の心境。一刻も早く太陽を西の海へ沈めたいほどはやっていて、三時にはふたたび西郷へもどり、婆さんせき立て風呂を立てさせ、「あたし、さき入りますわ、パパも後で来はったら」艶然と笑って降り、強い香水をつけたらしく、思わず窓をあけて風を入れると、つれて漁港の臭いが部屋に満ち、夫はむしろ清々《すがすが》しく胸いっぱいに、鱗《うろこ》がはりつくほど、吸いこんだ。  ようやく昏《く》れると、妻は化粧をはじめた。ケースいっぱいに、ほとんど夜の支度《したく》ばかりつめこんだらしく、おびただしい化粧水、クリーム、メーキャップの小道具、それに下着泥棒のコレクションほどの、けばけばしい色どり。「パパ、お好みはどれ?」これも受胎のために買いこんだのか、蝉《せみ》の羽根の如《ごと》く、また子供の頃愛用したクロネコふんどしの如く、いかがわしい印象のパンティ、顔の前にかかげ、くらい電気の光だから、妻は急にふけてみえ、受胎、じゅたい、ジュタイと夫は化物に呪《のろ》いかけられてるみたいな気持となり、うんざりと心が重い。「大体、受胎いうもんは、いくらお膳立《ぜんだ》て調えたって、それでうまいことどんぴしゃりいくわけがない、色気ちがいみたいな真似《まね》やめてくれ」さけび出したい衝動にかられ、「パパ、愛して、力いっぱい抱いて、いい赤ちゃんができるように」妻にすりよってこられると、やむなく肩に手をまわしたものの、まるでなんの感興もわかずに、ふと、隠岐神社の桜、そして散りしく桜のどうどうと音なきひびきが耳によみがえる。「どないしたん?」さすがに気づいて妻がたずねるから、「やっぱり旅の疲れかな、それとも飲みすぎたんかも知れん」「大事な時やのに、一生に一度のチャンスかも知れへんのに」「そんなことないよ、お前みたいに受胎受胎と気にせんかて、できる時はできる」「今まで出きへんから、受胎旅行にきたんでしょ」妻も覚《さ》めて冷たい声になり、「ぼくは種馬ちゃうで」の一言で談判決裂、背中あわせの泣寝入りとなったが、夫はもうどうなとなれ、眼を閉じてひたすら桜の花を追い求める。  漁港の朝のにぎわいに目覚め、さすが気がとがめて抱こうとすると、妻の唇《くちびる》にははやくも婦人体温計がさしこまれ、舌でもてあそぶらしく、その白い棒がピクピクとうごいて、なんやしらん、フト体温計が妻を犯しとるようにみえる。「いい加減にやめとけ」手をのばして、ぐいと引き抜く、はずみで歯に当りぽっきり折れて、あっと妻は上半身起し、残った半分を吐き出し、少し口を切ったらしく血と水銀がシーツにこぼれ、「ひどいことなさるのね。いいわよ、あんたは子供なんかほんとは欲しくないんでしょ。なんのために旅行にきたのよ、赤ちゃんのために勤めも辞《や》めて、あたしがどれほど苦労してるか、あんたになんかわからないのよ」こういう議論で妻をいいくるめる自信はまったくない。とにかくこっちがわるいのだし、婆さんの聞き耳たてる姿も眼にみえる。「お前こそわからんことばっかりいうとるやないか」「なにがですか」妻の眼になんの感情もみえず、圧《お》し殺した口調なだけに気味わるくなって、うるさいと言い捨て、丹前のまま表へとび出し、金もないまま歩きまわるうち、いくらかおちついていったいどこでこんなにこんぐらかったのか、とにかくあっちは受胎でも、こっちは今まで通り、気にせんと抱けばそれで万事解決のはず。はるばる隠岐まで来て夫婦|喧嘩《げんか》することもない、宿へかえると、妻はまだ床の中、委細《いさい》かまわず、抱きしめ、いくらかこだわりを残すその体も、七年のそいぶしのなれで、すぐ溶けはじめたのだが、どっこい夫はままならぬ。 「いいわよ、もう」「まあ、ちょっと待ってくれ」「いいのよ、あなたは心底《しんそこ》子供をきらいなのよ、駄目なのよ、わかったわあたし」あせればあせるほどかえってちぢこまり、「はなしてよ、不潔な」いい捨て、妻はピンクのネグリジェのまま起き上り、しばらく窓によって海を見ていたが、身をひるがえして廊下に出る。便所へでもいったのだろうと、なおわがものを叱咤《しつた》激励するうちに、急に表がさわがしくなり、「おちた」ときこえたから、あわててのぞくと、潮の加減か、もやう船のへさきから投じたのか、岸壁より二十|米《メートル》ばかりもはなれたどすぐろい海の中に、まごうかたない妻のピンクのネグリジェがただよっていて、しきりに立ちさわぐ群衆の、棒を持ち出したり、ブイを投げこむ物音しだいにうすれ、夫は、妻の姿が、あの隠岐神社の桜の花片の一片のようにみえ、ぼんやり、立ちすくんでいた。  マッチ売りの少女  お安が歩くにつれて、道ばたにたたずむたくましい男の群れが、裂かれるように二つに分かれ、中には大仰にピョンピョンとびはねて、その姿を避ける者もいた。  それも道理で、師走《しわす》というのに、タオルの寝巻きに半天一枚、といえばきこえもいいが、いずれも泥と脂《あぶら》にまみれて、あやめもわかぬ按配《あんばい》、かわりあって袖《そで》からたよりなく胸に当てた細い手首、破《やぶ》れ草履《ぞうり》つっかけたその素足に、くっきりと垢《あか》のだんだら縞《じま》がえがかれ、なにより頭の右半分は虎刈《とらが》りにみじかく刈られ、左はまた白毛まじりの髪がのび放題で、これにくらべれば、西成《にしなり》のドヤに集まるアンコの姿も、天晴《あつぱ》れいっちょまえの紳士にみえる。  ドヤ街を抜けて、三角公園の、まばらに生《は》える木立ちの根方に、お安はしょんぼりと立ち、その姿、まるで何年も住みついたお化けのように、形がきまった。  ふところからマッチ箱をとり出し、その一本を抜いて箱にそえ左手に持ち、右手の指に唾《つば》をつけると、股間《こかん》に当てて、二度三度押しなで、後は、夜の暗さと、寒さしのぎにひっかけた焼酎《しようちゆう》に、眼をごま化されて、お安に近づく客を待つばかり。 「よろしいがな、まあ、腰軽うにしていきなはれ、五十円やで」「まあちょっと放してくれや、わしその気ないねんて」「その気あってものうても、ま、ものはためしやんか」  闇《やみ》がうごいて、二人の男がもつれあったままお安に近づき、一人は足どりも定まらぬ酔っぱらい、青桐《あおぎり》にもたれるようにしてそこに立たされると、連れこんだ男は、チョボの如《ごと》くその作業ズボンの前ボタンを器用にはずし、「やめとけて、わしあかんねん」と、体をゆらゆらさせつつ、しまらぬ声で酔っぱらいのいうのを委細《いさい》かまわず、しゃがみこみ両掌《りようて》つかって、しごきあげる。「おっさん、景気ええやんか、どないや、尺八はりこまんか、極楽やで、二百出してみ」「あかんて、パチンコですってもたんじゃ」「あほやなあ」という声音《こわね》は、妙に女っぽくしみじみとしていたが、二分ばかりそうこうして、ようやく酔っぱらいが、うーむとうなりはじめると、「こらあかん、おっさんたしかに飲みすぎとる、またにし、無理したらいてまうで」さっさと立ち上り、肩をポンとたたいた。「なんや、殺生《せつしよう》やないかい」夜目にもデレッとむき出しのまま、五十近いその酔っぱらい文句をいったが、「あほ、そんな長いことやってられるかい」とんと突きとばされ、ころびそうになりながらも、それ以上は文句いわず、木枯しにはやちぢこまったものをたくしこみながら、ふと思い直したか物はついでと、小便をたれる。 「おっちゃん、みていけへんか」お安は、ぶるぶるっと身ぶるいして、なおブツクサいうその男に声をかけ、「五円にしとくわ」とつけ加えた。「なんじゃお前」「みていきいな、縁起もんですよ、今日まだ口あけやねん、サービスしとくやん」  ジャンパーをたくし上げ、腹巻きから十円玉を出すと、カキヤに中途|半端《はんぱ》な好き心かきたてられた酔っぱらい、よろよろと近づき、お安は後ろの木に体をもたせかけ、腰を突き出し、両脚《りようあし》をふんばり、寝巻きの裾《すそ》を左右に割る。「もっと近《ちこ》うこな、風あるよって火ィ消えるよ」男は、痩《や》せこけてはいても、まごうかたない女の脚に、お安の風体のすさまじさを見忘れ、いわれるまましゃがみこむと、お安はその肩のあたりを寝巻きの裾でおおい、と、下半身がポウと明るく浮き出て、マッチ一本燃えつきるまでの御開帳。  マッチ一本の燃える温かみが、下っ腹からこみ上げてきて、お安はうっとりと眼を閉じ、風にあおられて左半分の髪の毛のひたいにかかるのを押え、やがて消えかかる焔《ほのお》に身をのしかけるように、腰をずらしたが、すでに男は立ち上っていて、「五円釣りかやせ」「釣りいうてもってないねん」「アホ、お前五円いうたやないか、なんやクサレ」なんとかで金とろなんて、図々《ずうずう》しわいと、カキヤにおちょくられた腹いせか、居丈高《いたけだか》にいい、「そうかてお釣りないねんもん、もういっぺんみてええよ、それであの、うち抱いてくれてもええのんよ」  抱いてくれといわれて、ひょいとみれば半分坊主のざんばら髪、頬《ほお》はげっそりおちて、鼻の両脇隈《りようわきくま》どったように垢が浮き、「なんじゃこれ、ジキパンよりひどいやんけ」酔いも覚《さ》め果てた男、ツバキ一つお安にひっかけ、肩をすぼめて立ち去る。とたんに木枯し一つひゅうと吹き抜け、おこりのついたようにガタガタとふるえ出したお安、マッチを一つすって裾のあいまにさしこみ、ふたたび股《また》にしみ入るぬくもりを飯かっこむようにむさぼり、姿かたちどうみても五十過ぎにみえるが、実はとって二十四歳。  お安がはじめて男を知ったのは、中学二年の七月。父に早く死なれ、母親は当時六歳のお安を連れて、森の宮のたたき大工の後妻となり、あたらしい父は、ひどい酒乱で、大工といっても犬小屋、風呂場の棚《たな》をトンカチトンとつくるだけの手間稼《てまかせ》ぎ、そのすべてを飲んでしまい、暮し向きは母の手内職で、おっつかっつに支《ささ》える。  中学二年の夏に、お安が陽除《ひよ》けにかけた安っぽいビニールのすだれをくぐって土間に入ると、むき出しの六畳一間いっぱいにキャラメルの包装紙散らした中で、母親が、男に組敷かれていた。  浅黒く灼《や》けた顔の色とはうらはらに真白な太ももが、ズボンをはいたままの男にからみつき、身うごきならず立ちつくしていると、それまで顔をそむけていた母親が、どうさとったのかとび起きて、アッパッパの裾をつくろい、膝《ひざ》をキチンとそろえてお安にむき直り、かたわらの茶碗《ちやわん》を投げつけ、 「このアホ、そこで何しとんの、あっちいかんかい」凜《りん》としていいきり、まるで何事もなかったように、逆にお安の不行届きを責める口調で、かえって男が、「まあ、上んなはれ、おじょうちゃんもええこやろ、だまってんねんで」と、猫なで声を出した。  そして翌日、内職の品をとどけに出かけた母の留守に、お安が父にいいつかったソックイ煉《ね》っていると、「ごめん」と昨日と同じやさしい声で男が入りこみ、だしぬけに後ろから抱きすくめた。 「お母ちゃんも知ってんねんで、こわいことあれへん」男はぶつぶつとつぶやき、さすがにその声音ふるえていて、しばしそのままでいたが、やがて立ち上ると玄関をガタピシと閉め、とたんに西陽《にしび》のうん気がむっと立ちこめる中で、お安は別にあばれも、泣きもしなかった。  男の鬚《ひげ》が頬をこすり上げ、煙草のやにの臭《にお》いが鼻をうち、なにより眉《まゆ》をしかめ、息をあららげたその気魄《きはく》に、全身の力が抜け、やがて下腹部に、灼けるような熱さを感じ、その時、お安は、自分でも思いがけぬ言葉を口にした。 「あんた、ほんまのお父ちゃんなんちゃう?」 「なんやて?」 「お父ちゃんみたいな気ィするわ」 「アホかいな。お父ちゃんて、年考えてもわかるやんか、わいまだ四十なってえへんねんで」 「そうかて、お父ちゃんみたいやわ」  突拍子もないことをいい出されて、男はたじろいだが、とにかく乗りかかった船、すぐ前の動きに戻って、また息をあららげるのを、お安は下からながめながら、「お父ちゃん、お父ちゃん」と小声でいい、やがて男がいっそう力こめて抱きしめると、その体の下にかくれるように、お安は身をちぢめ、このままねむってしまいたいような、心安さがあった。「また来てくれはる?」「そらまあ、あんたのお母ちゃんええいうたらな。それでな、昨日のことも、今日のことも、誰にもいうたらあかんで、わかってるな」男はみづくろいすると、内職のアメを一つ口に入れ、「小遣《こづか》いやるからな」と、百円を出した。  男が帰り、玄関から吹きこむ風は、すでに夕方の涼しさで、お安はなにごともなかったようにソックイを煉り、これをうまく仕上げないとまたなぐられる、継父の風向きが気になる。 「あんた、やっぱり父親の血ィひいてんねんな、争われんもんや」とっぷり暮れてからもどった母親は、お安のつくった狐《きつね》うどんをまずそうに口へ運びながら、あざけっていった。 「また来てくれいうたんやて、よういわんわ、ほんまに」  お安はそれがどういう意味かわからず、にたにた笑っていると、今度はおびえるように母親は、「生れついての助平《すけべい》にでけとんねんな、ええやろう、勝手にし」  男は週に一度、母の留守をねらってお安を抱き、これがすべて密通の口封《くちふう》じとも思えなかったが、抱かれるつどお安は、写真ですらみたことのない、いや名前さえ知らない父親と、そいぶしし、その大きな胸に守られているようで、「どや、ええか、あんたのお母ちゃん、好きでなあ、ごつい声出しよねんで」と、こうるさく男のいうのも耳には入らず、ただ赤ん坊のように、うっとりねむくなるのだった。  年が明けて、府会議員の家へ年始に出かけた亭主を、どうせ振舞酒に夜おそくなるとふんで、母親は男ひき入れ、そののがれぬ現場を押えられた。 「出ていきくされ、淫売《いんばい》」酒臭い息を吐き散らし、大工は母親をめった打ちにし、「あたしがわるい、かんにんや、あんたに捨てられたらどこもいくとこあれへん」と、母親はなぐられても、蹴《け》とばされてもまつろいついて、挙句《あげく》の果ては、「あたしのかわりに、安子抱きなはれ、いっちょまえの女なってますぜ、安子は私の子ォや、かまへん、な、安子抱いて気晴ししてぇな」青白くひきつった顔の継父は、「よっしゃ、ほな、お前みとれよ、ええねんな、あばれたらてったうねんど」正月の晴着といっても、粗末なセーターに厚手のズボンをはいて、それまでの成りゆきを便所の戸の前でうかがっていたお安に近づくと、「お前のおかんがやれいうとんねん、うらむねんやったら、おかんうらめよ」さだめし暴《あば》れるとみてか、恐ろしい力で肩をつかみ、たたみへ投げるように横たえ、「ちゃんとみとれよ」と母親にいうなり、お安にのしかかる。  お安は、それまでの継父の剣幕におそれをなしていたが、やがてあの、母親の情夫とはまたことなった男の体臭、それはそれでやはり遠い父親につながる想いで、「お父ちゃん、お父ちゃん」と呼びかけ、継父はうってかわって優しく、「こわないで、じっとしてんねんで、かわいがったるさかいな」と口の中でつぶやき、これはお安にとって、いつも怒鳴ってばかりいる継父の口から、はじめてかけられた甘い言葉だったから、それだけで満足で、「お父ちゃん、お父ちゃん」とさらによりそい、息をはずませ、冬というのに額に汗の玉をむすばせた継父に、どないしたらよろこんでもらえるやろかと、じれったい気持さえあった。  正月に蹴とばされた跡がたたって、母親は寝たり起きたりの体となり、お安は学校を卒業すると、そのまま乾電池工場へ勤め、その稼ぎでようやく糊口《ここう》をしのぐうち、継父は喧嘩《けんか》で刺されて死んだ。  三日に一度は、継父に抱かれていたお安だったが、いざ死なれてみると、なにもかも嘘《うそ》みたいで、大工というのにロクに削ってもいない棺桶《かんおけ》に収まり、傷口を大仰にほうたいで巻いた継父の死体をみても、涙一つ湧《わ》かず、さすが母親は、きかぬ体をのたうちまわらせ、娘にうばわれた男の死を悲しむ。 「あんただけがたよりなんよ、面倒みて頂戴《ちようだい》ね」  急に心弱くなった母親が、朝に夕にお安をかき口説き、だがお安はあの父親の臭いが恋しかった。その年の秋、喘息《ぜんそく》の発作を起した母親に薬といつわって、睡眠薬を与え、翌朝、お天気のぐあいでもみるように、その額に手をあてると、すでに冷たくなっていて、医者もまるで疑わず、すでに手足は針金細工ほどにも衰弱していた。  同じ工場に勤める同僚が、東京へ出ようとさそいをかけ、この女は妊娠三カ月で、東京のキャバレーにつとめれば一月十万にはなる、その金で子をおろすと語り、「安子ちゃんも、じめじめしとらんと、いこうな。金持のおっちゃんようけおって、なんぼでも贅沢《ぜいたく》出来るやん、安子ちゃんええ体してるもん」値踏みするようにながめ、お安はその言葉のおっちゃんに心ひかれた。工場にも男はいたが、すべて二十そこそこで、時に抱きすくめられ、わるさされることはあっても、母親の情夫や継父のような、あのなつかしい臭いはなく、お安は、東京にいけば、父親にあえるかも知れぬと考えた。名前も顔もわからぬが、すくなくともお父ちゃんに抱かれるように、また抱いてもらえるんや、そう思うと矢も楯《たて》もたまらず、そして邪魔な母親を始末したのであった。  身のまわりの品をまとめ、連れの女には両親がいたから、その目かいくぐって夜汽車に乗りこみ、朝八時に東京駅へ着き、西も東もわからぬまま丸ノ内へ出ると、折からのラッシュで勤め人が滝のようにどうどうと流れ、その流れにもまれるうち、心細くなって、「うち、帰るわ、お腹《なか》いたなって来た」と連れがいい、「安子ちゃんどないする?」きかれてもお安は帰りの汽車賃もなく、「ほなうち迎えに来るから、明日ここで待ってたらええわ」すっかり怯《おび》えきった連れは、少しでも長くいると誰かにとってくわれてしまう風に、大阪行の汽車に乗りこんだが、お安は別段こわくもなく、ただ秋風の冷たさに半オーバー持ってきたらよかったと思い、駅の構内のベンチにすわるうち、「お茶でも飲みませんか」と、四十年輩の男が声をかけ、「おじょうさん家出して来たんでしょ、すぐわかりますよ」という猫なで声が、ふと母の情夫に似ていた。  男のスケコマシのきまり文句も、実はお安には必要なかったので、タクシーに乗せられ、「こりゃすこし頭がとろい」とみた男の、はやくも肩に手をまわし、耳のあたりに唇《くちびる》を寄せるのに、お安はやさしい父親を感じて、抱かれるのが待ちどおしくさえある。  連れこまれたのは山谷《さんや》のドヤ、三畳一間にズボンやらオーバーがやたらと積まれてあり、「まあすわんなさい、お茶でも入れようか、まあ後でコーヒーでも飲みに出ればいいか」自問自答すると、それがきっかけで男はお安をひき倒し、古着のオーバーの臭いと、なつかしい父親の感触がお安を包み、「なんだい、もう男知ってたのか、それなら話は別だ」と、不意にお安の下半身は高々とかかげられ、二つ折にされて息苦しくなりながら、しかし眉をしかめ、唇をひきしめた男の、必死の形相をながめ上げ、お安はほっと心やすらぐ。 「働くったって、そのナリじゃ客商売は無理だなあ」終始だまったまんまのお安を前に、男はくずれた古着の山を丁寧につみ直し、「ちょっとここで待っててもらうか、どっかきいてみるからな」と表へ出たが、すぐもどってきて、「ホラ」パン菓子の包みを、ほうり投げた。  夜おそくなって男がかえり、「このお兄さんがすべて面倒みてくれるから、心配しなくてもいいよ」と、背の高い若い男をひきあわせ、若い男はのっけに年いくつときき、「十六歳です」「十八ってことにしとこう、いいだろ、十六じゃやばいんだ」そして立ったまま、「じゃ行くか」うむいわせぬ調子でせき立てる。  さすがにお安も怖《こわ》くなって、だが逃げるなど思いもよらず、暗がりを歩きつづけ、「第六錦生館」と看板の出た宿に連れこまれ、部屋へ入るなり、「裸になってもらおか」と、男がいう。 「面倒かけんじゃないよ、こっちはお前を買ったんだからな、煮て喰《く》おうと焼いて喰おうと、勝手なんだ。さっさとしねえかよ」  酔っぱらった継父の怒鳴り声など、足許《あしもと》にもよれぬきびしい調子で、お安はうろうろと裸になり、もう寒さもなにもあったものではなく、赤っ茶けた畳にへたりこむのを見届けると、「おい」と男がさけび、それが合図で四人の同じような連中が入りこんで、たちまち手とり足とり、押えこみ、中の一人がのしかかってきた。お安は、「お父ちゃんお父ちゃん」とさけび、それを耳にして男達は、なおのことはやりたったが、お安にしてみれば、若い男では充《み》たされぬ父親の面影を、せめて口に出して呼ぶことで、とらえられないかと、男が自分に加えている行為、果てしなく続けられるそれはどうでもよく、時折、唇の臭いや、あらい肌《はだ》ざわりに、ふととっかかれそうで、しかし、どうにも没入することができず、ようやく最後の者が体をはなした後はただとろけるように、ねむいだけだった。 「お前、もう俺達から逃げられねぇんだぞ、わかったな」  だがお安には輪姦《りんかん》された意味など、まるで理解の外にあること、連中のしごきはみのらなかったが、といってお安、逃げ出すつもりはない。  翌日から吉原《よしわら》江戸一のトルコ風呂へ働きに出されて、早番は朝十時から五時、遅番が五時から十二時、もちろんマッサージなどてんから関係のないスペシャル専門。入った日に、その技術をマネージャーから授けられた。  客の誰もいない妙にしらじらとしたトルコの一室に、マネージャーはスピッツを一匹連れてあらわれ、ごろりと犬を横にさせると、指でそのペニスを激しく摩擦し、犬のつれて腰をうごかす姿とっくりとみせた上で、「人間だって、同じこったな、あんたやってみな」犬もなれているとみえ、お安の指がふれるとたちまち眼をほそめ、マネージャーの動作をまねるうち、「よし、じゃ実地にやってもらうか」と、すでにパンツと、ナワのようによれよれの晒《さら》しの腹巻きだけになっていて、マッサージ台にごろりと横たわる。ベッドから垂《た》れ下ったその脚《あし》に、スピッツがしがみつき腰をすりつけるのを、邪慳《じやけん》に蹴とばすと、お安の手をつかみ、「今みたいにやってもらおか、別に汚《きた》なかないさ」いわれるままに、はじめはマネージャーに指をおさえられて上下するうち、うっとりと彼は眼をふたぎ、息をはずませ、するとお安は、病人を介抱するような、やさしい気持につき上げられて、左手を、教わらぬのにマネージャーの臍《へそ》や、ふとももにはいずらせ、自分でも気づかぬうち腹に横顔をのせて、これはこれで父親に甘えているような心となる。 「その調子でいいんだ。なかなかいい玉だな、誰に教わったんだよ、ええ?」賞《ほ》められて別にうれしくなく、お安は、それよりいつまでも、こうして遊んでいたかったのだ。  求められるとお安は、誰かれなしに、客からみれば献身的なサービスを、只《ただ》でしたからたちまち有名になり、第六錦生館の男には、「どうしてもっと稼《かせ》がねぇんだよ、減るもんじゃねぇだろ」と、なぐられはしたが、お安にとってスペシャルは、金をとるほどのサービスではなく楽しい遊びだから、客が渡せばこばみこそしないが、男が知らぬ顔でいれば、それ以上、自分からはいい出さぬ。  客のそこかしこやさしく撫《な》でさすり、いわれるままに唇をつかい、やがて、客が眼をとじ、眉をしかめ、救いを求める如く、指でお安の体をまさぐりはじめると、ひたすらうれしくて、これは男に抱きすくめられ、「お父ちゃん」を求めるのとは別のよろこびであった。終った後、いつも、「もうええのん? もっとしましょか」とたずねて、その後、つきがおちたようにむっつりとだまりこむ客が、何かまだ物足りないのではないかと、心配だった。  マネージャーが、客の評判とはうらはらに稼ぎのすくないことを、錦生館のヒモにしゃべり、実状を知ると、男達はいきり立ったが、「なにしろ、ここがいかれてんだから、しかたないさ、それより客とらした方がいいんじゃねぇか。お安の奴、好きなことは人一倍なんだから」といわれて、以後は浅草のアパートに移り、昼間は話をきいた組の連中が入れかわり立ちかわり現われ、そして夜になると、同じ男たちがポン引きとなって、客を連れこんだ。  サツの眼をはばかって、アパートを二年のうちに転々と十幾度かわったが、お安はその間、近くの風呂へ行く他《ほか》、一歩も部屋を出ず、生きた人形のように閉じこめられたままで、朝昼晩と、三食カッパ巻きばかりを食べ、さすがにタマの体を心配してヒモの一人が、「たまにゃ油っ気のあるもの食べろよ」とすすめたが、一切、体がうけつけず、そのわりには体もやせないし、この商売につきものの垢《あか》もすくない。  お安にとって夜毎《よごと》にあらわれる客の、その大半は中年だったから、常に父親に抱かれているようで、客がないと、さびしくて寝られぬ。娼婦《しようふ》の自覚はまったくないのだ。  三年目の春に、サツの手入れがあって、錦生館にたむろする一味残らずあげられ、となると客はあらわれず、ひもじさよりも、父親代りの男が恋しくて、田原町《たわらまち》近くをさまよい、酔っぱらいに声かけられたのを幸いついて行くと、これが大阪の男で、「どないや、姉ちゃん、写真とらしてくれんか」という。  お安はそんなことどうでもよく、一週間ぶりの男の体臭を胸いっぱいに吸いこみ、男が電燈の光の下で、あれこれと、骨董《こつとう》の品さだめするようにいじくりまわすのも、子供じみた遊びのようで心はずみ、「ええ肉づきしとるやんか、明日から、大阪いこ、そのままのなりでええねんて、金ばーんとはずむよって」男は一人でうなずいていた。  久しぶりの大阪だがなつかしくもなく、男の後についていくと、旧京阪|香里園《こうりえん》の文化住宅で、二間のうち奥の部屋に写真器材がいっぱいおかれて、ここで、若い男との痴態を、写真にとられた。まだ二十二、三歳で骨細な若者はしきりに照れ、いっこう雄々しくならないのを、お安はトルコの技術でたすけてやり、だがようやく姿がきまると、若者の体臭はお安の好みにほど遠く、ただぼんやりといわれるままにポーズするだけでカメラマンを苛立《いらだ》たせ、「下手《へた》くそやよって姉ちゃんハッスルせんのや、わいが交替したる」入れ替ってカメラマンがのしかかり、お安はほっとしたが、しかし彼も冷《さ》めていて、いちいち若者にカメラの位置を指図《さしず》したり、ポーズを決めたりで、荒々しい息づかいを耳にできず、はじめてお安は、男に組みしかれながらじれた。「おっさんどっから拾うて来てんな」「浅草や、ブツおろしにいった帰りしなや、ぼやっと立っとってな」「どないすんねん、この女」「今里新地《いまざとしんち》あたり、はめたろかおもてんねんけどな」「わいにくれへんか」「なんぼ出す、汽車賃かかってんねで」若者は、結局二万円でお安をゆずり受け、大宮町三畳間のアパートへともない、「どないや、わいと世帯《しよたい》持たへんか、わいも身寄りないねん」としんみりいい、昼間のお安のやさしさにうたれたようにみえた。  若者はミシンのセールスマンで、夜になるのを待ちかねお安にかじりつき、そのひたむきな姿に、お安は子供をあやしているような感じで、なすままにさせたが、時折はやはり父親が恋しく、そして同じアパートに住む学生に、色眼つかわれると、若者に対するのと同じように、かわいそうになって、なんの呵責《かしやく》もなく身をまかせるのだった。  アパート内のお安の噂《うわさ》が耳に入ると、若者は怒り狂って、お安を押入れに閉じこめ、表から釘《くぎ》をうって後、外出し、夜おそく帰ると、たれ流しで臭いのしみついたお安の体を、なめまわすように愛撫《あいぶ》し、しかし、お安は若者と、父親の体臭を、決してとりちがえることなく、いつも冷たい眼を見開いたままだった。  半年後に、お安はアパートを出たが、この頃すでに栄養失調に近く、月経もなく、極端にやせこけた体で、力ない足どりを梅田《うめだ》にむけ、着るものは若者が買い与えた年相応の派手な彩《いろど》りだが、かえって表情をフケこませるのに役立っていた。  お安は梅田裏の雑踏をさまよい歩き、中年男の姿とみると、わかるはずもない父親がそこにあらわれたような気がして、後をついて歩き、はじめて、一人二人に、「遊んでいかへん」と声をかけてもみたが、誰も相手にせず、ぼんやり突っ立ってると、五十がらみの女三人、「ちょっと顔貸してんか、誰に断わって客とりよんねん」と、梅田OS横のくらがりにひきこまれ、パシッと横面《よこつら》を張られよろめくところを突きとばされ、気がつくと溝《みぞ》に半身おちこんでいて、「まあ、後はまかしとき」と、黒いダボシャツの男にたすけ起される。「なんや顔色わるいんやんけ、飯でもくうか」寿司屋から、梅田阪神裏のくらがりへ男はお安の腕をしっかりつかまえて歩き、物置きのような建物のくぐりを入ると、すぐ前が階段で、二階は三畳ほどの小部屋がならび、「今日からここ泊り、逃げよう思うたてあかんで、わかってるやろな」押入れから布団《ふとん》をひきずり出して、「上がりは折半《せつぱん》や、それで、部屋代食事代ひかしてもらうで、十日|毎《ごと》にしめいうことにしてな、便所はこのすみや」  夕方から夜中までに、すくなくとも三人の客がおくりこまれ、どの客も必ず文句をいった。顔のきれいな女がさそいをかけ、お安に引きつぐからで、しかし、金はもう払った後だからいやおうなくお安を抱き、腹いせのつもりか乱暴に扱い、あるいはまたお安のやせた体つきに、し虐の楽しみそそられるのかも知れず、しかしお安は、いかに怖い顔であっても、その時いたれば眉をしかめ、鼻息をあらくする客の姿に、うっとりとみとれ、土地柄、そのすべて中年以上であるのも、ねむりをやすらかなものにする。約束の、十日ごとのしめは、はじめの一月ばかり、二百円三百円と男が渡したが、やがて客からチップをとれといわれて、だがいい出せず、着たきりのまま、下着を洗う時は、押入れの奥にあった蚊帳《かや》を身にまきつけ、食事は三食ともドンブリに魚の煮つけで、これは近くの問屋の小僧連の残飯だった。  一年|経《た》つと、お安の声がかすれ、脛《すね》に瘢痕《はんこん》が点々とあらわれた。気づいた客は、さすがに抱かずにかえり、男も、最初にお安をいためつけた女の一人にひきわたし、「あんた、少しは体大事にせなあかんよ、お郷里《くに》あんねんやったら、かえったらどう?」青ぐろく脹《は》れて、どうみても四十近くみえるお安をみて、さすがに女が同情した。 「うちもう働けんのやろか」「その体ではなあ、無理なんちゃうかあ」「どこでもよろしいねん、おねがいしますわ」  ひもじさや、寒さは我慢できたが、いや、二日くらい食べなくても平気な体になっていたが、男に抱かれ、その煙草の臭いや、ひげの感触にふれ、とたんに心がしずまり、やさしい父と二人海の底で魚のようにたわむれる幻想、きらびやかにお安をかざり、お安はただ、「お父ちゃん、お父ちゃん」と呼びかけ、うっすら眼をあくと、のしかかって汗を噴《ふ》く男の顔が、みたことのない父親の面影と二重写しになり、そして深い安堵《あんど》の中で、ひきこまれるように寝入ってしまう、このことをとり上げられるのがなにより怖《おそ》ろしく、金でも色でもない、これはお安の、生きているしるしだった。 「ほなまあきいてみよか。南で極道《ごくどう》しとるアンちゃん知ってんねんけど、その体ではなあ」心もとなく女がいい、それでも電話をかけてくれて、お初天神の横で待つうち、スッと黒い乗用車がとまり、「はよ乗らんかい、話はきいてんねんやろ」と、ソフトかぶった男が助手台から首を出していう。まさか車とは思わないからうろうろしていると、後ろのドアがあけられ、吸いこまれるように乗りこんで、着いた先が西成の釜《かま》ヶ崎《さき》。  男二人、阿倍野《あべの》商店街をわがもの顔に歩き、ちいさな旅館に入って、「その面やったらいくらアンコでも客とれんで、化粧せな、な、ここの部屋貸したるよって商売し。こわいことない、カマは暮し易《やす》いとこやで」  いずれは誰か死んだ娼婦《しようふ》の化粧箱であろう、与えられ、化粧といえば香里園で写真とられた時だけ、それでもお父ちゃんに会うためやと、まっ白にぬたくって、釜ヶ崎に入ると、たちまち三角公園のくらがりに連れこまれて、立木をしとねに金二百円也。ジキパンにみられたのだが、それにしてはましな部類とみえ、以後、公園のお安と呼ばれて、三月四月はならして一夜千円の収入となり、いっそここまで身をおとすと、化粧もなりふりもかまったものではなく、はじめうるさくつきまとっていた南の極道も、ジキパンとなっては話にならず、自由に泳がせたから、ようやくお安は気楽な日々を送って、それでも金のないアンコにせがまれると、尺八もしてやったし、カキもしたし、そして便所やベンチ、藁《わら》の上で眼っかちびっこ肺病やみも委細かまわず、組敷かれるたびに、「お父ちゃん」とちいさくさけんで、身をすくめ、男の胸にすがりつき、甘えかかる。  一年経つと、お安の病気がすっかりばれて、もう金を出して買うアンコはなく、時折り、酔っぱらいにからまれて、着物を裂かれ、髪をはさみで切られ、ドヤに泊る金ないまま、半コートをセーター、やがては汚れ半天と替え、秋のうちはまだ新今里駅の便所でしのげたが、師走《しわす》となっては凍え死ぬのを待つばかりで、せめて二日に一度はドヤに泊りたいと考えた末が、マッチ一本五円の御開帳で、これもドヤ住いのうちに覚えた知恵だった。  十二時近くなって、釜ヶ崎の屋台も店をしめ、夏場とことなり、ドヤの窓から身をのり出して怒鳴るアンコの声もなく、新聞紙をせめて重ね着してベンチに横たわる浮浪者は、下手《へた》すれば今日限りの生命《いのち》、ただ木枯しの鳴る三角公園の立木の根方に、お安はつかれ果ててしゃがみこんだが、左手には一本だけマッチを出した、その箱を持ち、もう冷たさも感じないようだった。 「お父ちゃん、もういっぺんだけ、お父ちゃんに抱かれたいわァ。お父ちゃんの匂《にお》い胸いっぱいに吸うて、それで知らんうちにねてしまうねん、お父ちゃんの体はいつも熱うて、汗かいとってやったな、お父ちゃん、もういっぺん来てほしいわ」  お安は、ふと迎え火のようにマッチをすり、それはたちまち風に吹き消され、今度は裾をひろげて、身をかがめ同じくし、そのかすかなぬくもりを下腹部に感じると、思いついて、残る三本のマッチを一度につけて、大事そうに股《また》の間にさし入れ、焔《ほのお》になめられて灼《や》かれた肌の痛みを、むしろうっとりとたのしみ、「お父ちゃん、来てくれたんか、うちぬくなったよ」という間もなく、寝巻きにうつった火が、風にあおられてぼっと燃え上り、お安の体はそのまま一本のマッチの軸のように炎に包まれ、声もなく横倒しとなり、しばらくはプスプスとくすぶって、風吹くたびにこまかい火の粉をまきちらしていたが、それも消えて闇《やみ》。  スケコマシ同盟 「ジャンケンでいこやないか」握りこぶしを胸にあてがって佐藤がいった。「ジャンケンわしあかんねん、ジャンケンとアミダ、わし勝ったことないわ」吉田は、額にしわを寄せケンもホロロに手をふる。「麻雀《マージヤン》できめるいうても三人やったらしゃアないし、パチンコできめたらどないやろ」せわしく煙草ふかしながら小笠原《おがさわら》が提案した。 「パチンコでどないしますのん」「百円ほど球買《たまこ》うてやな、はよ打ちつくした人が敗《ま》けや」「パチンコちゅうのぼくあんましやったことないねんけどなあ」「ごたごたいうてる暇ありませんで、丁度、今が人の出盛る時や、はよ決めんことには」「ええやろ、パチンコでいこ」心斎橋《しんさいばし》を北に向けて歩きながら三人、あらためて見まわすと、平日やいうのに縁日の混雑みたいにごったがえして、肥《ふと》ったのやちんこいのや、鳩胸《はとむね》やノッポや、二人で手ェつなぐの、なにおかしいんか肩ぶつけおうて笑うの、ショウウインドウぽけっとながめるの、喫茶店の前で相談しよるの。 「ほんまこらようけいてはる」「なんちゅうたかて素人《しろうと》やから、ちょとおそなったら、家へ帰りはる、魚の潮時と同じでっせ」「はよパチンコ屋いって順番決めましょ」  いずれも年は三十六の分別盛りが、胸をはずませ、眼ェキョトキョトさせながら、パチンコ屋のドアを押し入り、とたんに店内でがなり立てる軍艦マーチに横《よこ》っ面《つら》張られ、眉《まゆ》しかめながら、これもさいさきええ景気づけにきこえた。 「あんなあ、早打ちでいきまひょ」なれた風に小笠原が台のバネの調子をためし、吉田、佐藤こくんこくんうなずいて、空《あ》いた台にややはなれてとりつく。  この三人、一念発起してスケコマシを思い立ち、せいぜい若造りしてまかり出たものの、中年男の図々《ずうずう》しさには及ばず、といって若さ故《ゆえ》のなれなれしさはカケラもなく、誰がいっちゃん先に女に声をかけるか、パチンコで順番決めようというのである。  ことの起りは一週間ほど前、四年ぶりのクラス会で顔を合せ、中学時代の悪友も、めっきりお互いに貫禄、いや贅肉《ぜいにく》を増し、二次会三次会と流れるうち、「もうかりまっか」の話題から「近頃こっちはどないや」と小指おったてる類《たぐい》に移り、そしてお互い打ちあけた話が、いずこも同じインポまがい。 「わたしとこのバアちゃんは妊娠症とでもいいますのやろか。年中休む暇なくはらみましてな、タネがええか、ハタケ肥えとんか、荻野式《おぎのしき》も婦人体温計も、まるで関係ない。特異体質で、東郷元帥ですわ」  水割りすすりながらまずボヤいたのは、親ゆずりの計理事務所所長佐藤。「東郷さんとこもそうでしたん」「ほれ百発百中の砲なんとかいいはったでしょ」自分一人でうけてケケケと笑い、「結婚生活十年であんた、子供が五人、中絶六回しよりまして、妊娠オリンピックあったら、こらもう金メダルですわ。あんましよう当るから、なんやバアちゃん抱いてても、腹の中でタマゴがウェルカムいうて旗ふって待っとるみたいでな、そない考えたら、とんとわたしあかんようなってねえ」 「商売柄、収支決算合いすぎるちゅうわけやな」ガソリンスタンド経営の小笠原冷やかすようにいったが、これとて事情は深刻な話で、「過敏性いうたらええんかなあ、まあこの今でもスーパーの入口なんかにおいとるけど、銭入れたらピョコタンピョコタン動き出す木馬なあ、あれと同じやねん。ぼくなんか振りおとされまいとして、しがみついてるのが精いっぱいでねえ。あげくの果てが、えらい声出しよんねんで。そやなあ、昔、紙芝居あったやろが、あのオッサン、人|斬《き》った際に、エイタアウーツーいいよったやんけ。あんなんや」「へえ、エイタアいうんか、あんたとこ」「ちゃうがな、ウーツーだけやけどな、ほらびっくりしてまうで」とっかかりはともかく、いざ佳境に入りかけて、ピョコタンのウーツーがはじまると、こらもうシューとなってもてからに、どもならんとこぼし、「そらあんた、商売柄ガソリン入れすぎて、エンジンハッスルするからや」 「恥をはなすようやがねェ」広告代理店課長の吉田、ことさら声をひくめて、「ほんまカッコわるい話やけど、わい、今だにマスかいてんねんで」「ほらまたどないしてん、奥さん体わるいんか」「冗談やないわ、うちのカアちゃんときたらお前、二十貫くらいあんねん、よう肥えててな。これがあかんねん。そらなんぼでも続くけんどな、こっちは張形人間みたいなもんですわ、それでまあええ加減のところでそのフリしてな、しゃあないから風呂場で、自家発電や」「こらまたようでけとるやんか、あんた代理店やから、代理ですましよるわけや」「笑いごとやないで、現在女房、子供もおってやな、夜更《よふ》けに風呂場でゴシゴシやらんならんわいの身になってみい、冬なんかちべとうてかなわんで」「ほんま逆やねんなあ、女房が前戯で、マスが本番か」「わいなあ、時々こわなるわ、わいはひょっとすると変態なんとちゃうかアおもてなあ」吉田のしみじみした言葉に、相槌《あいづち》こそうたなかったが、思い当る節あるらしく、しばし三人だまりこくって酒飲んで、やがて佐藤が、「相手変えたらどないや」「そら、飛田《とびた》も南のアルサロもためしたけどな、どうも自家発電のくせついてもたらしい。これやったら、どんな相手とでも、自分勝手にでけるしな、なまじ生身《なまみ》の女がそこにおるよりおもろいがな」「どんな相手て誰や、山本富士子か、キム・ノバクか」「そんなんあかん、会社のお茶汲《ちやく》み、エレベーターガール」ややためらったのち、「それからセーラー服の女学生な」「そやなあ、そらわたしも考えることあるわ」佐藤もしみじみいう。「まだ妊娠もようせんような、青い果実いうやっちゃな、ええやろな」うけて小笠原が、「そやそや、女の悦《よろこ》びに目覚《めざ》めんとこがええねん、こう涙かなんかうかべて、じっと耐えとるような感じ、こたえられんで」「なんや、経験あるみたいなこというやんけ」「週刊誌で読んでんがな、春の目覚めには、余りに稚《おさ》なすぎる肉体であったとかいうてなあ」  ぼやきあった末が、今の若い娘いうのんは週刊誌によると、えらい割り切っとるそうや、好奇心から乱交パーティにも参加するし、見知らぬ男とすぐに寝てまいよるらしい。そもそも我々は、男女共学も知らず、戦争中はいうまでもない軍国主義で、今みたいに男と女アベックで歩いたら、いっぺんに補導協会に怒られる、終戦なったら、今度は腹減ってそれどこやあらへん。嫁さんもらうのも、恋愛ともなんともつかん中途|半端《はんぱ》で、馬車馬みたいに働くうち子供がでけて、フト気がついたらインポ寸前や。なんちゅうアホみたいなことかいな。わいらより年上は、芸者あそびも女郎買いもでけた、女房にかて威張っとる、わいらより年下は、おおっぴらに桃色遊戯しくさって、昼間からいちゃいちゃしよる、わいらどっちでものうて、いっちゃん損しとる、こらなんとかせな、男と生れた甲斐《かい》がないわいと、酒に力を借りていいたい放題、その果てに、お互いの手をにぎり固く誓った、「スケコマシ同盟」。若い者にはない金と、経験にモノいわせて、ハイテーンやらBG、片端からコマシてまわろうと、気焔《きえん》を上げて、今日がその初日。 「どないやあんたとこ、球まだあるのんか」「減りも増《ふ》えもせんわ」「ずるしとんちゃうか、打つふりだけして」「アホ、ほれ、ちゃんと入ったやないか」チンジャラジャラとパチンコの音は威勢がいいけど、三人いずれも、いざ通行の女に声をかけるとなると、心が臆《おく》して、どうか誰か先にやってくれ、お茶飲みませんかいうて、断わられでもしたら、こらカッコつかんでと、必死に球をうつから、なかなかなくならん。 「ええ加減にしてやな、球数えてケリつけようやないか」「ほな殺生《せつしよう》やで、お前、丁度|仰山《ぎようさん》たまったとこやろ」「あほ、四、五十いうとこや、第一、時間おそなるやんか」吉田が提案して、しぶしぶ数えれば、クジは小笠原にあたる。「わあ、えらいこっちゃ」「さいこ」「球どないする、ハイライトとってくるか」「煙草より、チョコレートええんちゃうか、女の子好きやで」佐藤はもう、ハイテーンと知りおうたつもりやねん。  表へ出れば午後七時半で、人出はいささかも衰えず、赤オレンジ白ブルー縞《しま》に斑《まだ》らに、若い女の姿なんぼでもおる。「はよ、やれや」「はよやれて、どれにするねん」「そらあんた、声かけんねんから、好みにまかせるがな」「わいの好みか、わいの好みいうたらなかなかむつかしいねんで、ちょっとおらんやろなあ」「そらええ加減のとこで妥協せなあかんよ」「あしこに三人おるでしょ、あないしてブラブラと、ウインドウショッピングしてる女は、ひっかかり易《やす》いそうやで」「あれか、あれ背ェ低すぎるで、もうちょいマシなんおるやろ、ほれ向うから来た二人はどうだ、サッソーとしてはるよ」「あかんよ、あれタカラヅカかファッションモデルやろ、あんな美人が、なんでお茶のみましょいうてついてくるかい」「そやけどね、わたしなにかで読んでんけど、ブスよりシャンの方が楽らしいわ、誘われつけとんねんなあ」「佐藤お前よう知っとるやんか、お前、先にやってえな」「みてみい、あの若い奴《やつ》、女に声かけよったで」「ほんまや、図々しいもんやな、行手に立って道ふさいでまいよった」「女うれしそうに笑《わろ》とるやんか」「あ、歩き出したで、OKなんやろか」「OKなんやで、喫茶店探《さが》しとるんちゃうか」「あんな男、どこええねんやろな」「ニタニタ笑うとるで」「ほれ、小笠原はよせんかいや、この調子やったら、全部とられてまうで」  いくらせっつかれても、小笠原に声をかける勇気はない。心斎橋から道頓堀《どうとんぼり》、千日前《せんにちまえ》まで脚《あし》をのばして、眼にした女の数はかるく万を越えるやろけど、「いや、あれは気ィつよそうやで」「あんなに急ぎ足なんは、用がある証拠や」「あらちょっと化粧が濃すぎる、商売女ちゃうか」と、グタグタいうばっかしで、さっぱりラチあかん。あげくの果てに、「ぼくお腹《なか》減ったわ、鰻《うなぎ》でも食べへんか」と、大劇近くの食堂へ入り、「こらそやけどええ運動になるねえ、よう歩いたわ」ホッとして、もはやお役目果したつもりの小笠原に、「なにいうとんねん、ゴルフやっとんのとちゃうでえ」吉田がぼやいたが、かれこれ二時間近く歩きまわり、ぐったり疲れて再び街頭に出ると、まるで洪水のひいたように、うってかわって人出は消え、かわりあって、これはどこかへしけこむアベックの、もつれ歩く姿のみくろぐろといくつか浮び、それにつけても小笠原のとろいこと、「うまいこといったら今頃、同伴喫茶やのに」「同伴喫茶てなんや」「知らんのか、こう個室なっててな、そこへ連れこんだら、ホテルと同じや」「フーン便利なとこあるねんねえ」「便利いうたって相手おれへんかったら、どないもならん」いきり立つ吉田に、佐藤がボソッと、「同伴喫茶で、一人でマスかくいうのも、ええかも知れん」と皮肉をいう。 「今日は失敗やった。今度めはなあ、勝った方が敗けた奴に、あれいてこいいうて命令することにしよう」 「命令?」 「パチンコでもジャンケンでもええわ、小笠原敗けたとするやろ、そしたらわいか佐藤が女えらんで、あれに声かけいいうねん。それで、モタモタして逃がしたら罰金や」 「そんな殺生な、うまいこといくかどうかわからんのに」 「声かけたらそれでええねん、お前なんかなんにもいえへんかったやないか」 「鵜飼《うか》いの鵜みたいなもんやで、楽やないわ」 「うまいこといかんかったら、次に敗けた奴がいく、今度めは小笠原命令したらええんや」 「罰金なんぼにします」 「千円でどや」よろしいやろと、なにごとも失敗は成功のもと、次のチャンスに知恵を生かして、その夜はそれぞれインポまがいのまま。  一週間たって、今日こそ大願成就と、早目にパチンコ屋でスケコマシキッカケの順序を決め、吉田がトップバッターときまる。 「ほな、いきましょうか、ちゃんと真面目《まじめ》にやらな罰金でっせ」小笠原ひとりではしゃぎ、「命令には絶対服従やさかいねえ」と悦《えつ》に入る。  吉田は屠所《としよ》にひかれる羊の如《ごと》く、「ちょい待てよ、酒でも飲もやないか」「あかんあかん、潮時逃がしてまうやん」「ちょいといっぱいだけやて、酒でも飲まんことには」「なにいうてんねん、代理店のヤリ手がそんな面《つら》の皮うすいんかいな」「スポンサーくどくのとわけちがうからな」「わたしも飲んどきますわ、次はわたしやさかいね」佐藤の言葉に、明日ならぬすぐにも自分が鵜にならんならんと気づいた小笠原、それもそうやなと、たちまち同意する。  入ったところはマンモスバアで、ここでも男女入り乱れてカウンターにすわり、「あんたの飲んではるの、それなんちゅう酒ですか」「いやあ、これバイオレットフィーズですわ」「きれいな色でんなあ」と、わかりきった八百長《やおちよう》の問答をきっかけに、たちまちカップルができ上り、「ほんま、今時の若い奴は気易いなあ」「わたしらの時は、もう軍事教練で、ようなぐられたもんやのに」「それから勤労奉仕ねえ、芋つくったり胡瓜《きゆうり》植えたり」「学校の裏庭に、ごつい芋畠《いもばたけ》つくったなあ」「毎日こやし汲《く》んでなあ」「あの芋どないしてんやろ」「どないしたて、なんや」「終戦の頃、わたしら工場へ行ってたでしょ、そやからあの芋食べへんかったでえ」「そやな、食べた記憶ないねえ」「先公くうてしまいよったんかな」「そうかも知れん、ひどい奴やなあ、働くだけ働かしよってからに」「さんざなぐってなあ」二十一年前の想い出話に、うっとりと三人ふけって、気がつくと水割りも四はい目、「もうよろしやろ」「まあまてや、おいダブルくれんか」吉田はまだ心弱く追加を注文し、ぐいっとあおって、「よっしゃ、いくでえ」と、まるでなぐりこみに出かけるような按配《あんばい》。 「あの、向うから来る、三人連れ、いきまひょ」小笠原、意気揚々と指示し、今はこれまでと覚悟きめた吉田、インデアンの待ち伏せよろしく、その通り過ぎるのを、体でさえぎり、ピョコンと一礼して、「ねえちゃん、お茶のめへんか」と、えらく野卑《やひ》に声をかけ、もちろん三人連れは、まったく無視して、一人が怯《おび》えたようにチラッと吉田をながめただけ、「あんなあ、ええやろ、テマとらせへんて、頼むわあ」なおも追いすがるのを佐藤あわててとどめ、「あかんて、そんなことしたら、迷惑防止条令にひっかかりますがな」「かめへんがな」「やめとけて」「よっしゃ、ほなやめたる、やめたるけど、今度めはわいが命令する番やで、ええなあ」「あんた飲みすぎはったんちゃいますか」「あほ、心配ないわい。えーと佐藤の番やな、ほないくで、ちゃんと声かけな罰金でっせェ」キョトキョトみまわしていた吉田、「あれいてこい」と指差す彼方《かなた》には、小間物屋の店先、三十前後の若奥様が、三つくらいの子供を連れて立っている。 「あれて、あれオバハンやで」「オバハンかて女や」「女て、あんたハイテーン好きなんちゃうんか」「なんや命令守らんのんか、ほな千円出してもらいまひょか、なあ小笠原」「もっとマシなんにせえや」「ええか、これはトレーニングやねん、佐藤は気ィ弱い、そやからしごいたらなあかん。ああいうオバハンにお茶飲みませんかいうて声をかける、それが出けたら、もうハイテーンなんか朝飯前です、さあ、佐藤元気にいてこい」  やむなく佐藤、ウインドウの|帯〆《おびじ》め袋物をながめる若奥様にちかづき、子供がいかにもつまらなそうやから、これ幸いとその頭をなでて、「坊や、おいくつですか」おどろいた若奥様、口許《くちもと》にはさすが笑《え》みをうかべてはいたが、あわてて子供の手をひっぱり、「さ、かえりましょ」と、さっさといなはる。 「なんや、わい誘拐《ゆうかい》犯人とまちがえられたみたいやで」佐藤のスケコマシトレーニング中も、吉田は酔いにまかせて、当るを幸い、「今晩は」「コンバンオヒマ?」と奇声をあげ、さすがに正気の二人はうんざりして、「こらあかん、あいつ頭きてるわ」と、ごてるのを無理矢理タクシーに乗せ、とたんに昏々《こんこん》と寝入った吉田を家へ送りとどけた、これもスケコマシ同盟の友情。 「えらいすまん、すまんかった」翌日、平身低頭の吉田から電話がかかって、罪のつぐないに、なんとしてでも今度は自分が見事スケをコマシてみせる、部下の若い連中に、いろいろコツをなろうてん、やっぱりこういうことでもコーチつかんとあかんらしいわ、基本が大事やねんなあ、まあまかしといて、とえらく調子がいい、もとより二人に異存はなく、その日の夕刻はパチンコによる順序決めをぬきにして、ただちに吉田先頭に立ち、心斎橋の雑踏にわけ入る。 「ハイヒールはあかんらしい、それでな、今やったらなるべく白の質素なブラウスで、化粧もあんまししとらんのがええ。つまりすれとれへん女やな。大体、高校出て一年くらいの給料いうたら、一万二、三千やろ。このうち半分家入れて、それで身のまわりのもん買《こ》うてみい、小遣《こづか》いなんか残れへん。ロクに蜜豆《みつまめ》も食べられんわけや。そやから、こっちがいかにも紳士風で、安心でけると思うたら、お茶いっぱい、チャーハン一皿でも、まあ御馳走《ごちそう》になろうと、こういう心理やねんなあ」  昨日とうってかわって吉田はベテランの如き口をきき、しばらく後、その条件にかなったかどうか、「ほな、いてくるわ」と、やや不安気ではあったが、確かな足どりでスタスタと三人連れに近寄り、なにやら声をかけ、三人連れはたいした反応もみせなかったが、屈せずに追いすがり、と、なんと女が立ち止った。「やりよったで」「そうらしいな」胸おどらせる二人見守っていると、吉田は三人を引き連れて逆の方向へすすむ。「どないしよ」「しゃない、ついていこか」こういう時のうち合せはできてなかったから、オタオタと十|米《メートル》はなれて吉田の後を追い、その吉田の背中は雄鶏《おんどり》のようにほこらしげで、「あいつ一人占めするつもりちゃうか」「知らんふりされたらどないしよ」「あいつ昔から、こすからいとこあったもんな」ひがみが悪口へかわりかけたところで、吉田クルっと後ろをふりかえり、手招きして、「あ、紹介しますわ、ぼくの友達の、佐藤くんと小笠原くん、こちらのお嬢さん、Sデパートつとめてはんね、一緒に飯でも食おやないか」調子よく話をまとめて、手近のレストランのドアを体で押しあけ、「まあ、お入り下さい」と、丁寧に女を先にすすめる。 「映画なんか、どんなの観《み》るんですか」  女達はそろってハンバーグ、男側はビール傾けながら、心の底ではほんまに同伴喫茶ついてくるんかしらと値踏みし、だがうわべはごく教養ありげなエエカッコシイや。 「あんまり観ることありませんわ。お店終ったらおそいし、休みの日は洗濯《せんたく》なんかで暇ないし」  言葉の訛《なま》りに気づいてたずねると、三人とも九州出身、それっとばかり九州のあれこれ考えたが、佐藤が辛うじて新婚旅行で別府《べつぷ》へ行ったことあるだけ。まさかその話もでけへんわな。 「�風と共に去りぬ�なんか、観たいのちゃいますか」「はあ」「ぼく等《ら》も、学生時代はよういきましたわ、映画行くんか学校行くんかわからへん」女かすかに笑い、力を得て、「それで便所で煙草吸うてねえ」今度は笑わぬ。「�ペペルモコ�知ってますか」「知りません」「ジャン・ギャバンよかったなあ」「そやねえ、あのラストシーンすばらしかったわ」「ギャビーいうて、汽笛がボウと鳴ってな」「わたしそれより、�格子《こうし》なき牢獄《ろうごく》�、�美しき争い�の方好きやったわ」「そや、あのなんちゅうたかいな、女優、かわいらしいの」「コリンヌ・ルシェールやろ」「そうそう、今でいうたらオードリー・ヘップバーンかな」「ヘップバーンしってはるでしょ」女たちうなずく。「ヘップバーンよりギスギスしてえへんで、よかったわ」「あの時、アニイ・デュコオいうもでとったやん」「あー一人おったなあ」「あれ今、コメディ・フランセーズの名女優なっとんねんて」「朝日ホールでみたんやったかな」「そや、焼跡の中歩いて、よう観たわ、フランス名画週間いうのあってな」「�我等の仲間�、�旅路の果て�な」「あの頃の映画よかったなあ」「�舞踏会の手帖《てちよう》�、ルイ・ジュベェがすばらしかった」なんのことはない、勝手にエエカッコするうち、話がそれて、女三人ハンバーグ食べ終ってからは、まったくの手持無沙汰《てもちぶさた》、ついにアクビまで出ては、「あの、門限ありますから、失礼させてもらいます」「もうおかえりですか、もうちょっと、どっか御馳走したいのに」「また今度」「今度いうて、どこへ連絡したらよろしい?」「あの、お名刺いただいたらこちらからさし上げますわ」そうですか、ほなこれをと、それぞれいかめしい肩書きのそれを手渡し、「ではほんまに電話下さいね」と、左右に別れ、おのおの二、三日は電話のベル鳴るたびに、「さては」と腰を浮かせたが、それっきり梨《なし》のつぶて。 「あのなあ、あの名刺ヤバイんちゃうか、後でおどかされたりせえへんやろか」三度目の出撃に、三人顔合せるや否や、佐藤がいった。今のところ向うからお釣りが来そうな按配《あんばい》やけれど、首尾もよく成功した暁には、これはたしかに心配のタネ。 「変名使お」「忘れへんか」「中学の時の先生の名前あるやろ、あれ借りたらええわ」「ほなわい久保や、漢文の教師な」「わたしは生物の牧《まき》はんにしょ」「ぼくは歴史の田中でいこか、いやあれゲンようない。数学の松岡でいこ」  どや、今日は小笠原やってみいひんか、楽なもんやでと、吉田先輩ぶっていったが、「まあ、まかせるわ、あんた才能あるて」と、今回も吉田が先達《せんだつ》。後ろで見守る二人を意識してか、いかにもプレイボーイ風に、失敗すると肩をすくめ、あるいは女の品定めする如く前へまわってしっかと顔をたしかめ、ものの十分ばかりで網にかけたのが、吹田《すいた》の洋裁学校へ通うという三人連れ。  先夜の、見当はずれなサービスを反省して、「なんせ、もっと女心をそそるような話せなあかん」「そうかて猥談《わいだん》もでけんやろ」「ダンスホールええんちゃうか」「わたし踊れんもん、そら困るわ」「バアでジンフィーズといこやないか」夜更《よふ》けの街を討論して歩き、今夜の手筈《てはず》はととのっていたから、変名なのった後は一直線に南の、歌声バアへおもむく。「ほな、そのスカートも自分でつくらはったん」「そらそうですわ」「やっぱし、出来合いとちごうて個性的ですな」たがいちがいにカウンターに坐り、まわりの女とくらべても、まあマシの方やから尚更《なおさら》心はずんで、 「この夏はどこか行きはったん?」「ビワ湖でキャンプしましてん」「アベックで?」「うわいやらし、女同士ですウ」すウと尻上《しりあが》りな語尾に眼尻を下げ、「うちもう飲めません」「大丈夫ですよ、顔ちっとも赤《あこ》うない」「そうですか、ほな飲もうかしら」「酔うたら介抱したげます」「いやーん、そんなんかなわんわ」嬌声《きようせい》に、こらもう同伴喫茶、いや銀橋かていけるかもわからん。酔いつぶれた女を抱きかかえ、ベッドにどんとおろして、さてどないしたろかと、妄想《もうそう》が駆けめぐりよる。 「あのねえ、中之島《なかのしま》へ行きませんか」吉田が一同を見まわすようにいう。「こんな夜に?」「夜やからおもろい、アベック仰山おってねえ、それ見物にいきまひょ、こっちもアベックやったら、向うも安心しよる」「わるいやん、そんなん」「かまへん、まあこれも勉強の一つでしょ。あんたらかて、やがては彼氏と行く時の」「キャーッ」と笑ったのをキッカケに一同椅子を降りて、六人は一度に乗れんから、吉田の組を別にして二台のタクシー北へむかう。 「あんなあ、もうこれ以後、別行動やで、明日、電話するさかいな、ええな、グッドラック」中之島で吉田いい捨てるなり、女の腕をとって暗闇《くらやみ》に分け入り、残った二組もおそるおそる、夜目に白く二つずつくっつきあったアベックを、すりぬけすりぬけ、歩みすすむ。 「あのねえ、男の人って、好きな女の人に、逢《あ》わんでも、平気なもんかしら」からませた腕を肩へまわそかと思案するところへ、藪《やぶ》から棒に問われて吉田はおどろいた。「そらまあ、人によるでしょうけど」「うち好きな人いますねん、高校の時知りおうて、ずっとつきおうててんけど、この頃、勉強いそがしいいうて逢《お》うてくれへん。デートいうても、心の中で愛しつづけてるから安心せいいいはんねんけど、ほんまやろか」「そら嘘《うそ》やな、わるいけど」「そうですか」「好きやったら、毎日でも顔みたいもんやで」「まあ月に一度はうちのアパートへ来はるんやけど」なんや、もう男知っとるんかと、いささか興ざめで、だが口だけは、「女の人はようそないして男の玩具《おもちや》にされてまうんや、気ィつけた方よろしいで」「やっぱりそうですか」「赤ん坊でもできたらどないするの」と、女しくしく泣き出し、「どないしはったん」「うちできたかも知れへん」「ほんまかいな」「ええわ、うち産んだるわ」「やめとき、そんな意地張ったって不幸なるばっかしやて」女ますます泣きじゃくって、あたりのアベックも闇をすかして、こちらをうかがう気配。  佐藤はまたベンチにすわったが、なにをしゃべっていいか見当つかず、自分でヤバイといい出したくせに名刺を出して、「わたし、こういうことやってますねん」「計理事務所いうたら税金のことなんかしはんのん」「いや、それが本業やありませんけど、まあ、会社の帳簿の面倒みたるわけですな」「うちとこ米屋ですねんけど、お父ちゃん、なんやいつもねじり鉢巻《はちま》きで、やってはるわ」「おたくどこですか」「豊中《とよなか》ですねん」「ふーん、ほな、いっぺん来てもろたら、よう説明したげてもよろしいわ」「お父ちゃん、いうときますわ」「そやな、午前中電話くれたらよろしいな、午後はよう表へ出てるさかい」これもまるでラチあかん。  小笠原はヒマラヤ杉の根元に腰をおろし、女にはハンケチを貸してやって、ここまではソツなく、しかもすぐかたわらに、スカートを太ももの上までまくりあげたカップルがいて、チュウチュウとくちづけやら、せわしい息づかい手にとる如く、女もあきらかに意識して、眼をそむけようとするから、どうしても小笠原の胸に顔を近づける。小笠原これさいわいと肩を抱き、頭の芯《しん》までドキドキさせながら、女の顎《あご》に指を当て、あおむかせて唇《くちびる》よせると、舌まではゆるさぬが、なされるまま。「どっか、おちつけるとこいきませんか」これには返事がなく、やたけにはやって小笠原、腕をとって立たせようとすると、意外に強い力でふり払われ、となれば、ますます火に油注がれた感じ、「ええやろ」というのもかすれ声で、上から肩におおいかぶさると「イヤラシワア、ドエッチ」えらく、はっきりした声が凜《りん》とひびきわたり、「うちもう帰ります、他の人どないしたんかしらん」あたりを見まわして、「リャンピーン、リャンソー」とさけんだ、これがあだ名とみえる。  どちらがリャンピーンかリャンソーか、とにかく、別行動の二人影の如くあらわれ、「どないしたん?」「いやらしことしはるよって、うちかえるわ」「そうか、ほな一緒にいの」三人たちまち肩をならべ、今泣いたカラスもまじえ胸を張り女突撃隊みたいにさっそうと立ち去った。 「なんや、あんまりひどいことしたりなや、かわいそうやで」吉田、羨《うらや》ましさ半分にいい、「どないしてん、ペッティングぐらいまですすみよったんか」小笠原やむなくうなずき、「そっちはどないしてん」「まあまあやな」「ちゃんとさわったか」「そらそやで」「佐藤どないやった」「わたしかて、ええ線までいっててん、そこへリャンピーンいいよるやろ、びっくりしてもたわ」「ほんまやで、小笠原がもっとうまいことしよったら、こっちは、ちゃんとカタついとってんがな」  三人、肩をおとして歩き、そのうち何を思いついたか吉田、むんずと小笠原の右手をつかみ、その指先を鼻にちかづける。「なんやねん」「ペッティングしてんやったら、臭《にお》い残っとるやろ、ちょっとかがしてみい」クンクンと息を吸い、「ほんまや、こらほんまにやっとるわ、臭い残っとる」「お前の指もかせ」小笠原、吉田の指をかぎ、佐藤のも鼻にあてがって、「ほんまや、あんたらの指も、臭いするでえ」  三人今度は、それぞれ自分の指を鼻に押しつけ、「ほんまや、ちゃんと残っとるわ」「よう洗わんと、バアちゃんにばれるかな」「アホ、もったいないやんけ、大事にしもうとけ」三人、つくはずもない女の臭いを、次第にはっきりと指先にたしかめ、たしかめるに従って、なんやしらんインポが直ったような気がして、ケタケタと笑いおうた。  現代好色かたぎ  はじめての女は養母の節子で、和夫が高校二年の冬だった。養父は実の祖父、和夫の母はその一人娘にあたり、母を嫁《とつ》がせる際に祖父は、孫の一人を養子とし高梨家《たかなしけ》をつがせるべく約束させ、和夫は次男のことだし、まだ後つづくつもりが娘さえも産れず、祖父は長男にくらべ幼くしてすでに鼻筋通り、言葉も早い和夫に眼をつけ、やいのやいのと催促、父母はまたあれこれ口実もうけて引きのばし、和夫が九歳の時ついに折れて籍を移したが身柄は渡さず、ようやく老い先みじかいことでもあり、亡《な》くなったらまた引き取ればよろしいと、高梨家の人間になったのが小学五年の春。  節子は後《のち》ぞいで、夫と三十二ちがい、和夫はそれまで遊びに行った時、おばちゃんと呼んでいたのが、祖父に、「これからはお母さんといいなさい。ぼくはおじいちゃんでいいけれど」とのっけにいわれ、すぐ翌日からそのいいつけを守って、節子を喜ばせた。  祖父が風邪《かぜ》をこじらせて肺炎になり、大事をとって入院し、節子は泊りこみで看病していたが、四日目の朝帰宅して、まだ寝ていた和夫の部屋の襖《ふすま》をあけ、「おう寒い寒い、ちょっとあっためて」と、和夫の背中にもぐりこみ、後ろから抱きしめた。  襖の音で眼をさましてはいたが、とっさのことに身うごきならず、睡《ねむ》ったふりをしていると、和夫ちゃんかわいそうに養子にされて、まだお母さんのパイパイ恋しいんでしょと、うむいわせず無理に乳房《ちぶさ》にふれさせ、ふれれば自然指がうごき狸寝入《たぬきねい》りもならず、「こっち向きなさい、さ、抱っこしたげましょ」寝がえりうつと、和夫の体は半ば節子におおいかぶさり、眼の下に四十を一つ過ぎたとはいえ若づくりな唇《くちびる》があって、近づけると、「ダメダメ」と節子はいやいやし、だがすぐに自分から押しつけてきて、「お母さんはかわいそうなのよ」という。「お母さんのお母さんね、おじいちゃんのお妾《めかけ》さんだったの、それでおじいちゃんの奥さんがなくなるとね、自分はもう年とってるものだから、私を押しつけたのよ。私と結婚させといても、まだおじいちゃんとは寝てんのよ。結婚して三日目くらいの夜にね、母があそびに来て泊ったんだけど、気がつくとおじいちゃんがいないのよ。そっと下へ降りてみたら、今、最中じゃないの。お母さんもうびっくりしちゃって、まだ十八だったしね、布団《ふとん》の中でガタガタふるえてたらおじいちゃん平気な顔でもどって来たの。お母さんね、みちゃったのを、気づかれたくなくてね、自分から欲しいようなふりしておじいちゃんに抱かれたわ」話の間に、節子の手がのびてきた。うもすもなくことは果てて、とたんに怖《おそ》ろしくなり、節子が辺《あた》りのものひとまとめにかかえて部屋を去った後、節子に顔をあわせる時どう表情つくればいいかと悩み、祖父を裏切ったという罪悪感はまるでない。  祖父は退院して、和夫が大学を出るまではと再び不動産会社の重役を勤め、朝十時に家を出て帰りは八時九時の、その留守に節子は日に幾度となく和夫を抱き、和夫はまたはっきり意識はしないが、小遣《こづかい》を祖父にかくれてせびりとる代償のように考え、若さなのかもともと好色の生れつきか、学業にもさわらず、一流私立大学へすんなり入った。ある時は大学裏のホテルで待ちあわせ、祖父が旅行すれば早くからしめきって御用聞きの声におびえ、ある時は一週間禁欲して山の芋|蜂蜜《はちみつ》レバーにんにくなどを節子が毎日用意し、あげくに何度できるかと、ためしてもみる。  節子にせびる金は、とにかく親なのだからそれほど買われている感じもすくなかったが、二人目の女である学校近くの喫茶店の娘を抱き、その代償のように娘の母から五千円をうけとった時、和夫は漠然《ばくぜん》と自分の将来を、予想できたように思った。旦那《だんな》もちの母親は、旦那が出もどりの自分の娘に眼をつけていると気づき、娘もまた満更でもなさそうな様子みせるから、あわててあてがったのだが、手伝いに店に出ていると、月丘|夢路《ゆめじ》に似てるとかいわれ、張りに来る学生も多い中で、それほど常連でもない和夫に眼をつけ、「娘が東踊《あずまおど》りみたいっていってんですけど、一緒についてってやってくれませんか」と、旦那にもらったらしい切符と五千円札を渡し、「私からっていわないでね、あれはどうも高梨さんに岡惚《おかぼ》れしてるらしいんですよ」謎《なぞ》までかけたのは、和夫の美貌《びぼう》もさることながら、やはり伊達《だて》には年をとらぬ未亡人の眼力《がんりき》であったろう。踊りがはねてから、銀座のよし田へ入り、何を食べるときいたら五目そばといわれたのにはげんなりしたが、その後パチンコをやってみたい、新宿でお酒をのもうとなり、大久保のホテルには娘からすすんで入り、自分から積極的に働きかけて来た。「女たらしねえ、いままでに何人くらい?」ようやく冷静になった娘はこうたずね、和夫の指をいとしそうに両掌《りようて》ではさむと、「わるい指」頬《ほお》ずりする。何人といわれても、節子一人だし、年上とはいっても普通の育ちの女で、特に技巧を教わったわけではないのだが、和夫はこの言葉に、自信をもった。ホテル代は娘が払って、殆《ほとん》ど手つかずに五千円が残ってみると、これは一種の技術料のように思えてきて、わるい商売じゃないと、いくらかは偽悪ぶる気取りの他《ほか》に、実感でもあった。  三人目は露文の女子学生で、和夫が学校付属の庭園で歌をうたっていると、「いい声ね、グリークラブに入ればいいのに」声をかけ、てきぱきと自己紹介し、新宿でダベらないかと誘う。高田馬場《たかだのばば》まで来ると、「私の下宿東伏見なんだけど、女の部屋みたくない?」と勝手に和夫の切符を買い、自分は定期でさっさと改札口を入る。  下宿は駅から十分ほど歩いた旅行案内所の二階、六畳一間の殺風景なたたずまいで、だがいそいそと酒を買ってきて、すすめながら自分のつくった詩を朗読する。妙な節をつけ、「恋の奥津城《おくつき》の海に光る町よ」なんていわれるから背筋がさむくなり、なに気なくテーブルの上のノートを持つ手をにぎると、酔うはずもないのにつっぷし、声をかけられた時からこうなるものと決っていたような気がして後ろへまわり胸をだくと、女は、「私、オッパイちいさいでしょ、恥ずかしいわ」と、身をもたせかけ、横たえようとしたら、急に立上り、部屋のすみで毛糸の下着を脱ぎ、布団を敷き、体を押しつけるようにしてそばへペタリと坐る。 「はしたない女だと思う?」「いいや」「ダンベエした後ね、私インスピレーションが湧《わ》くのよ」ダンベエというのがわからず、ロシア語かと思い、生返事しているとまさぐりに来て、荒い息つきつつ、「私、どう?」とたずねる。節子もかつて、同じような質問をしたことがあり、彼女がしばしばあえぎつつ口にする言葉をいったら、満足そうにうなずいたが、実はなにがどうなのかわからなかった。「すばらしいよ」「私って——」下品な言葉で女の部分の位置をいい、「あなたみたいな人はじめてよ、本当」と恥ずかしげに布団をかぶった。  夜になると、女は、「アパートの管理人がうるさいのよ」と急にあわただしくいい、つい最前ののけぞりは影もとどめなくて、和夫が立上ると、思いついたようになめし皮の黒い鞄《かばん》を押入れから出し、「父のカナダ土産《みやげ》よ、男物だからあげるわ」といい、「じゃね」と送っても来なかった。  ここにいたるとまさに買われた感じで、同級生が惚れた女にプレゼントしたとか、コールガールをどうしたとか、いずれにせよ女を抱いて金を払う話ばかりしているのに、自分は払うどころか貢《みつ》がれて、別にうぬぼれるまでにはいたらないが、ふつうの男とはどこかちがうと考え、しかしそれを、節子という年上の、かりそめにも母と呼ぶ女によって、男になったことや、自分の意志を強く持たず、常に相手にあわせようとする性格、さてはつづけて二人、母と娘の生臭い関係をみせられて、女に夢をいだかなくなったなどにかこつけることはせず、ただ人に背の高低があるように、自分はこういう生れつきなのだと納得していた。  その生れつきで、生活を支《ささ》えなければならなくなったのは、大学三年の時、祖父が亡くなり、亡くなると和夫との仲おおっぴらになりそうな節子が、掌《てのひら》かえしたように冷たくなって、それは彼女が亡夫の財産をもとに赤坂で鉄板焼きだかお好み焼きの店を出す目論見《もくろみ》があり、そのために邪魔だったせいだが、といって実の両親の家へ戻るのも、実母は就職の時に、高級官吏である父の名前を利用できるからとすすめたが、皮肉なことに和夫が養子に出た後、男が生れて当年八歳、これにふた親の関心が集まり、なんといっても十年余り別の家にいたのだから気がすすまず、生活費だけもらうことにして、どっちつかずの形のままアパートに入り、さて節子からの小遣がなくなると、ぜい沢になれていただけに、実父からの送金は使い出がない。  そして友人に紹介された美容師、年は上だったが、その熱っぽい視線に気づくと、すぐ翌日店へ電話をかけ、デートを申しこんだが、「五時半になると女の子達かえるから、お店へ来てよ」といい、キッカリに美容院に足ふみ入れると、雇われ美容師達は後片づけでまだ全員残っていて、この時間指定したのは、和夫の姿をみせびらかしたいためとわかった。結局そのまま女のアパートへ直行し、「お風呂へ入んなさい」とすすめられ、出ると男物の浴衣《ゆかた》に丹前がそろっていて、「禿《はげ》の小父さんのだけど、クリーニングからもどったばかりだから気持わるくないわよ」と、パトロンのあることをかくしもせず、すぐさま床に入ると、耳さわってと臆面《おくめん》もなくいう。 「私耳が弱いの、満員電車なんかに乗ってて、男の人の息がフウッとかかっただけでしびれちゃう。具合わるいから、こうやって髪の毛で耳かくしてんのよ」ひとしきりあって後にいったが、弱いのはそこだけではなくて、膝《ひざ》の皿の上を爪《つめ》でかけの、くるぶしをさわれのと、まるでフルコースの食事のようにきわまりを求める手順が決っているらしく、もどかしそうに全身で苛立《いらだ》ち、「ちがう、もっとやさしくよ」と、もたつく和夫を叱咤《しつた》し、ようやく達し得ると深い溜息《ためいき》ついて、「お水」と命じた。  いわれるままに動くことが楽しくなくはなく、更に、これだけサービスすれば、いくら金をくれるだろうかと胸算用する気持があって、奴隷《どれい》のようにつくして、女はまた急にじょう舌となって、「私が処女を失ったの十四の時よ、かわいそうでしょ。早すぎたから何もわかりゃしない。今だって、ヘンなとこしつこくされると突きとばしてやりたくなるわ。といっても旦那がいなきゃやっていけないし。美容院てたいへんなのよ、年頃の女ばかりでしょ、表面は先生なんて呼んでたって陰でなにいってるかわかりゃしない。みんな旦那つかまえたくてヤキモキしてるのよ、だから私がうらやましいんでしょ。あんた入って来た時の女の子の顔見た? 明日はまた大さわぎよ」しかしその旦那さんにいいつけられたらと心配すると、「ボーイフレンドくらい持たしてくれなきゃ、ねえ、話わかるからいいのよ」  ここでも泊れとはすすめられず、私の都合のいい時に電話するわ、すぐ来るのよと、高飛車《たかびしや》にいい一万円札を、それでも紙に包んで、「栄養つけなさい」  しばらくして、やはり友人が家庭教師をしている医者の家へ、「晩飯|御馳走《ごちそう》になりにいこう」とさそわれ、ノコノコついていくと、医者は留守で、家族と食卓をかこみ、その奥さんが美術展に行こうという。五十近い年齢だからまさかと思ったものの、神田駅で待合せて上野の美術館を観て、「下谷《したや》においしいお魚食べさせるところがあるから御馳走しましょう」と、着いたところは待合で、女中に、「とりあえずお酒ね、後は用があったら呼びますから」と人払いし、急にねっとりした目つきとなり、「生きてたら丁度あなたと同じ年頃の息子《むすこ》がいたのよ、三つの時に腸炎で死んじゃったんだけど。医者の息子が腸炎で死ぬなんて不幸よねえ」和夫の手をにぎり、「お母さんのような気持なのよ、わかる?」いわれるまでもなく和夫は、だまってそのしわの刻まれた指をなでさすり、「ぼくも、母親を早く亡《な》くしまして、小母さんのような方をみるとなつかしくて」口からすらすらと嘘《うそ》が出て、お互い狐《きつね》と狸《たぬき》の化かしあいみたいな口説の末は、手まわしよく支度《したく》のできた隣部屋へもつれあい、「私ね、不感症なのよ、パパにさんざん苦労させられてね、女じゃなくなったのよ、どうしたらいいの、パパはね、氷みたいな女だっていうんだけど、そうじゃない、そうじゃない」小娘の如《ごと》くみもだえするのを、和夫はあやすようにやさしく抱いて、「お母さん、お母さん」耳もとにささやきつづけ、小母さんはやがてヒステリックに泣き出し、不感症がきいてあきれる取乱し方だった。鏡にむかって身じまいすると、「おそくなっちゃったわね、またうるさいのがお腹《なか》減らしてるから、帰りましょうか」と、魚料理|雲散霧消《うんさんむしよう》し、むきだしのまま五千円札が渡される。  美容院の先生も、医者の奥様もこちらから呼出しかけられず、となると相手かまわず小遣稼《こづかいかせ》ぎしなければ不安で、映画館、踊りのおさらい、デパートなど朝からうろつきまわり、和夫の顔立ちにみとれてうっとりする若い女はいても、金になる筈《はず》のないその服装もちものみれば興味わかず、もっぱら中年の奥様風に当りをつけ、五日に一人は小遣せしめたが、こうなると学校どころではなくなって、洋服靴に気をつかい、週に一度は床屋で手入れし、そして女によりどのようにも自分を演技させ、その欲望の形をはっきりつかんで満足を与える、いわば技術に磨《みが》きをかけた。  大学の、学生証には四年としるされているが取得した単位は三分の一もなくて、到底卒業おぼつかなく、いっそ気楽な今の小遣かせぎを、更にすすめて世渡りするかと決心し、そこへ渡りに舟の、女がひっかかった。  都内有名ホテルのロビーも、和夫の猟場であり、そこで網を張るうち、三十五、六の女が隣にすわり、「お待ちあわせですか?」とたずねると、おかしそうに笑って、「ええ、今、女学校時代の同窓会がありましたの」「よかったら、バーでお酒でものみませんか」ふたたび女は声上げて笑い、「こんなお婆《ばあ》さんおさそいになっても、おもしろくないでしょうに」と、しかし瞳《ひとみ》は和夫をじっとみつめ、少々勝手がちがうが図々《ずうずう》しく、「いや、ぼくの昔の初恋の人にそっくりなんです。キザないい方だけど」「そう、六時までならおつきあいしてよろしくってよ」女は、笑いを浮べたままいって、「まいりましょうか」先に立ち、ホテルのドアをでると、ベンツがするすると近づいて運転手がうやうやしく迎える。「お乗り下さいましな」気圧《けお》されて和夫はおろおろし、少し怖《こわ》くもなったが、女はおちついて、「Sレジデンスの方にいって頂戴《ちようだい》」高級なアパートの名をつげ、「お酒召し上りになる? おばさんがいれば何かつくってくれるんだけど御主人が中気で倒れちゃってお休みなのよ」とても今知りあった男に対する態度ではない。 「まあ、ゆっくりなさってよ、お仕事はなにをなさってるの? それよりお名前うかがわなきゃ」私はと、小型の名刺をさし出し、みると、クラブ・ブイの肩書きに結城《ゆうき》佐保子。ブイの名前は和夫も知っていて、銀座の一流バア、そのマダムとあっては落着いているのも当然で、とたんに和夫ブイで働かせてもらえないかと、計算が働き、神妙にかまえる。「同級生といってもみんな奥さんでしょ、肩がこっちゃって、私みたいな商売一人しかいないんだもん」肩もみましょうと近づくと、別にこばまず、やがて思い出し笑いして、「私を口説こうと思ったの?」「いえ、そんな大それたことは」「いいわよ、口説いても、私も満更捨てたもんじゃないのね、うれしくなっちゃった」肩へあてた和夫の手をにぎり、「ねえ、どうしてくれるの?」  佐保子はベッドで淡々としていて、和夫は躍起となったが、いささかも乱れず、「プレイボーイさん、もういいわよ」と体をはなして、「ねえ、もし遊んでるんなら、スカウトにならない?」という。スカウトは男前で暇で、そして女にまめでなければ駄目、あなたなら三拍子そろってるんじゃない?  ボーイからたたき上げて、マネージャーとなり、銀座の主《おも》だったホステスの消息なら、盲腸手術した病院まで心得てるベテランがスカウトになり、あれこれ相談相手になりながらタマをまわすやり方もあれば、流し釣り、五時頃から電通あたりを中心に数寄屋橋《すきやばし》土橋菊地病院界わいを歩いて、くりこんでくるホステスのこれと思うのに声をかけ、「やあ、今どこにいるの」とたずねれば、向うは顔におぼえがなくても客と思って、名刺をよこす。すぐ飲みにいき、その後が腕次第、佐保子はこれをすすめ、「あなたなら、電話をホステスに教えれば、きっと昼間向うからかけてくるわよ、そうしたら話相手になってやるのね、それが仕事」Sレジデンスの部屋は、危ない筋の酒のかくし場所で、誰も来ないから、正午にここへ出勤し、五時から流し釣り、女にコネつけたらここの電話を教えなさいとてきぱき説明し、和夫のみこめぬながらひきうける。  佐保子の指示の通り翌日からSレジデンスへ出勤し、夕刻を待ってせいぜいめかしこみ銀座へ出て、ホステスに声をかけると、名刺どころかメモに克明な地図まで書いてくれ、店をたずねれば、大感激の体《てい》で和夫を迎え、金はカウンターで飲むようにと二万円渡されたのだが、水割り二はい飲まぬうちに、「本当にお電話してもいいの?」と声がなまめく。初日は二人と約束し、さて首尾はいかにと待つうち、一人から一時半に電話がかかって、よかったらアパートへ遊びに来ないかという。とにかく話相手となるのが仕事だから赤坂のこれもマンションと銘うつ高級な構えの部屋をたずねると、女はまだネグリジェのままで化粧おとした顔はみちがえるほどフケていて、お腹減ってるでしょと、中華の出前をたのみ、女はクラゲの前菜を二皿食べて、「あたし三食ともこれでいいくらい好き」。手持無沙汰《てもちぶさた》のまま、これは仕事のうちかどうか、とにかく肩に手をまわすと、すぐ崩《くず》れてベッドに移り、「ねえ、お医者様になってくれる?」という。意をはかりかねていると、女は洋服|箪笥《だんす》の上の桐《きり》の箱から、本物の聴診器、反射鏡、舌を押えるサジなどとり出し、自分は裸になってベッドに横たわる。まあなにしろ真似《まね》をすればいいのだろうと、聴診器を耳にはさみ、象牙《ぞうげ》の部分を胸にあてると、とたんに破《わ》れ鐘のような鼓動が伝わり、女は自分で肌《はだ》の上をいろいろ動かし、そのつどひきつったように肩や臍《へそ》のあたりまでなでさすると、女は息を吸う。 「女学校時代に風邪《かぜ》ひいてお医者にかかったのよ、そしたら医者の奴《やつ》、関係ないのにお腹《なか》おしてパンティの中まで手入れて、さっとなでたの。いや、と思ったけどジーンとしびれちゃって、それからなのよ。でもばかみたいでしょ、こんなこと。あなたならわかってくれると思って」自分ではスカウト助手のつもり、買われる気はなかったのだが、だまっててねと、誰のためのものか、英国製の生地|上衣分《うわぎぶん》を箱入りのまま渡され、これを手はじめに、釣り上げた女の三人に一人は和夫を、アパート、ホテルへよんで、好き勝手にふるまい、かえりがけには必ず金か、あるいは品物をわたした。  ある女は、和夫を迎えるなり、すでにベッドの上に下着だけの姿となっていて、「突きおとして、思いきり乱暴に」といい、なんのことだかわからぬが、体に手をかけると自分からころげおち、厚いじゅうたんがうけとめて怪我《けが》の気づかいはないが、すぐとまたベッドによじのぼり、「突きおとして」和夫にも見当がつき少し力をこめて体を押す、またよじのぼり、今度は本気で突きおとそうとすれば、ベッドの枠《わく》に手をかけて抵抗し、その指をもぎとっておとす、はい上る、おとす、はい上る、女はもう精根つき果てた体《てい》で、じゅうたんの上を、おうおうと泣きじゃくり、こんどは髪の毛をひっぱってくれ、マゾとわかったから手をねじ上げ、首をやんわりとしめ、しかしいためつけるにもつぼがあるようで、うっかり耳をつよく噛《か》んだら、たちまち覚《さ》めた声にもどり、「よしてよ」といった。後、女は昏々《こんこん》と寝入り、和夫もぐったり疲れてかたわらに体を横たえ、フト気づくと乱暴にゆすり起され、女はもう出の身支度ととのえていて、「もう出かけなきゃ」くわえ煙草でいい、金をくれた。  中には、ごく当り前の行為を要求するものもいたが、殆《ほとん》どは異常と思える愛撫《あいぶ》を、それぞれに自分ではっきり方法手段をこころえていて和夫にせがみ、はじめ物珍しさもあって、つい熱中したが、すぐに慣れて、一をきけば十をさとる知恵も身につき、佐保子からは捨てぶち三万円を支給され、スカウトとしては、これでどの程度有能なのか、時おり女の事情について、セックスは抜きに話すると、「へーえ、あの娘《こ》、六本木へ移ったの、で、お部屋はいかがでした? やっぱり豪華なもん?」とたずね、それで結構、女の暮しぶりを察し、参考になるらしかったが、生活の糧《かて》からいっても、女の相手つとめる方が大事で、最初の一月は実働十一日で六人、二月目は二十日で十五人、三月目になるとことさら流し釣りにでかけなくても、女から再三のさそいがかかり、二十五人。  いずれも五千円から一万円の小遣を渡したから、月の稼ぎは十七、八万になって、ホテルに泊っても勘定は女もち、殆ど経費はかからずまるまる残り、それを和夫は銀行に入れ、といって守銭奴《しゆせんど》というわけでもなく、また、考えてみれば女に買われ玩具《おもちや》にされていることが、たまにふっと胸をつくことはあっても、深く悩むことはない、ただ、「銀座のホステスは、俺《おれ》を必要としている、銀座のバーがつづく限り、くいっぱぐれはない」という自信だけはついた。 「そういうのを銀座のヒモちゅうのよ」おかしそうに笑って佐保子は、Sレジデンスから他《ほか》にアパートを探《さが》したいといい出した和夫に、理由をききさぐりを入れ、和夫のいわばアルバイトの話を少しきくと、いった。「あなたの他にも三人くらいいるかなあ、ホステスちゃんのヒモは」 「他はしらないけど、ヒモじゃないと思うけどなあ」「ヒモなのよ、そりゃ」と、佐保子は右の指を頬《ほお》にあて、斜めに切りさげるようにし、「こっちのヒモは沢山いるわよ、すごんじゃう方は」しかしそれならなにも銀座にかぎったことではない、日本中、水商売の女の陰には常にヒモがいる。「女に買われるといえば言葉はわるいけど、ペットなのよ、守り神といってもいいんじゃないかしら」  銀座のホステスには金がある、ちょいと気のきいた女なら月三十万は固い、男にも不自由はしない、客とあそぶつもりになれば趣味と実益をかねられるし、恋人をつくることだって楽、パトロンもいる、「でもね、五年もいてごらんなさい、さまざまなことがあった末に、いちおう結婚は考えられなくなってくるし、あこがれはもってても現実性がうすくなる。不安なのよね、こういう不安は、パトロンの禿《はげ》ちゃんにも、お客にもいえないでしょ」  そこへもってきて、店にでている時は客に気をつかい、禿がいりゃいちおうしくじらないようにし、表を歩く時は、やっぱり恰好《かつこう》つけなきゃならない、ホステスの大半は胃病もちだし、精神安定剤を常用している、「誰かの前で裸になりたいのよ、なにもかもかなぐり捨てて女になりたいのよ」「だけどみんなへんなことをさせるけどなあ」「私のことおっしゃってんの? 恥ずかしいわ」とテレてみせ、「それはこういうことじゃない? 正常位というのは、やっぱり結婚してる人達のものよ、ホステスにはホステスの体位っていうのかしら、どこかで空気抜いとかないと、爆発しちゃうし、それにはふつうの刺戟《しげき》じゃものたりない、ベッドの借りはベッドの上でかえさなきゃね」  とにかくこれからもホステスの、心身両面の相談相手をつとめ、こっちのききたい情報を流してくれたら、お金払うからと、つかずはなれずを約束して、和夫はホステスのほどではないが二間バスつきのアパートへ移り、流し釣りでコネをつけ、経験つむうち、どのタイプが爆発寸前か察しがついて、それは年なら二十七、八から三十五まで、国産車ながら自家用くらい持つ暮しぶりで、やせ形が多く、もちろん店では売れっこ。  一年|経《た》つと大阪にまで名を知られて、直接、電話がかかり、飛行機代別に五万円と値がつき、これはミナミでサパークラブ経営の女で、「あんたの噂《うわさ》ひびいてるよ、もてはるねんてなあ」厚化粧をニッとほほえませた。収入も二十万円を超《こ》え、洋服から身のまわりの品すべて女からのプレゼントで、ねがってもない気楽な稼業《かぎよう》、要求されるばかりで、女のやさしさなど毛ほども与えられぬ行為にはなれっこになって、これもビジネスとわり切り、名医のように部屋へ足ふみ入れた時の、むかえる女の目つきで、相手の心上をみるようにわかり、そうこうするうち、和夫は、手続きはともかく最後は通常にだきあうその行為だけで、女が満足すればそれまで、自分の欲望は、自分にも形がつかめなくなったようで、「もういいの?」とたずねる女はいても、男にも果させるつもりはもともと先方にないのだから、「もったいなくて? 体つづかないわよねえ」というくらいで特に不審がらぬ。だが、和夫はもったいないのでも、体がつづかぬわけでもない、女との仕事を終えてアパートへもどると、毎晩、風呂へ入る。ときおり、「自分は女好きなのだろうか、それとも、実はすごく女がきらいで、憎いんじゃないだろうか」という考えが、一瞬ひらめくこともあったが、すぐ消えて後ひかず、風呂からでると、女にもらった洋服地を体にあて、銀行通帳の数字をながめ、三百万たまったら結婚しよう、結婚の相手は、「オナニーしてる感じのような、不感症の女がいいな」と考えるのだった。  猥談《わいだん》指南  狭い敷地に無理して建てたビルだから、おっそろしく急な階段を、二段ずつ駆け上り、途中誰かに行きあえば、「おはようございます」と、語尾をことさらはっきり発音して、これも演技のうち。  五階までとても一息には登れず、途中で息をととのえ受付にたどりつくと、ここでも、「おはよう、今朝はまた一段とお美しい」女の肩にちょいとふれ、眼はすばやく社内をながめわたし、誰もいないから会議中と知れる。 「九時になったら、課長に連絡して下さい」受付に頼んで、かたわらの粗末なソファに腰を下ろしスポーツ新聞ひろげ、だが動悸《どうき》はまだ激しく、「こんなことやってたら、階段で心臓マヒ起すかもしれん」ふと不安になったが、今更エレベーターを利用するわけにもいかぬ。スピーチ・コンサルタントとして、この放送広告代理店にお目見得《めみえ》したそののっけに、「セックスのおとろえは、まず脚《あし》と腰にくる、文明の利器にたよりすぎてこれを使わないから、現代人はすぐに老いこむので、私などまあエンパイヤステートビルのてっぺんにまで、一気に駆け上れます」大ボラ吹いていたのだ。  スピーチ・コンサルタント山下哲夫、とって四十六歳、五尺二寸の小柄ながら、肩幅ひろく、額は禿《は》げ上り肌《はだ》も艶《つや》やかで、いかにも精力たくましくみえ、そしてこれが身すぎ世すぎのたよりである。 「昨晩はトルコ風呂のハシゴをしましてね、さすがに三軒目になるってえと、女の奴《やつ》、もう掌《てのひら》がすりむけるなんていっちゃって」  課長に呼ばれて、オフィスの奥の会議室へ通り、朝のうちあわせを終えた営業マン十二、三人、それぞれい汚《ぎた》なく椅子にもたれかかるのと向きあい、挨拶《あいさつ》ぬきですぐに本題へ入る。 「右手が疲れたから、左にかえる、それでもラチがあかぬから、とうとうジャパニーズフルート、向うも商売だから客に満足させなきゃプライドにかかわるんでしょうな、こっちは何も要求せん、もちろん金はふつうのスペシャル代だけで、おもしろくあそばせてもらいましたわ」  ちょいと言葉をきって一座を見渡すと、一同、親鳥の餌《えさ》を待つヒナのように、山下の顔を口をあけてながめ、まずここまでがいわば話のマクラ。 「もっともトルコといいましてもさまざまでしてね、吉原《よしわら》のKトルコ、ここに純ちゃんというのがいる、年は二十七、八でちょっとふけてますが、これが好きなんですな。男狂いという奴で、そりゃ金も欲しいんでしょうが、一日も男なしではいられぬという異常体質、商売気をはなれて、すみからすみまでズイーッとサービスしてくれます」ズイーッとを芝居っ気たっぷりにやると、予期した通り笑いが起り、若禿《わかはげ》の好きそうなのが、「すみからすみまでって、どんな風に」と質問する。 「文字通り言葉通りですな、すべておいしそうに味わう」「おいしそうにねえ」「はあ、知らないでいったら、こりゃおどろきますねえ。はじめくすぐったいけど、少し我慢しているうちに羽化登仙《うかとうせん》。なにしろ純ちゃんの部屋の鏡台の抽出《ひきだ》しには、化学調味料があって、これをパラパラとふりかけちゃんと味つけをする。塩気の方は、トルコでむされて汗をかいてるから、十分|利《き》いてるのでしょうけど」  山下は犬のように舌を出して、ポーズを真似《まね》してみせ、営業マンたち半信半疑ながら笑いこけ、だが二、三人はノートを出して、「えーと、吉原Kトルコのジュンちゃん、ジュンはどういう字」「それはもう純情二重奏の純、もしいらっしゃるのでしたら、前もって電話で予約しといた方が確実です。もう大分有名になってきて、指名が多いから」 「これ、M証券の課長に教えたら、よろこぶのとちがうか」「あ、あのオッサン、トルコマニヤだからなあ、化学調味料ふりかけるときいたら、すっとんでいくだろう」  お互いしゃべりあうのに山下は小首をかしげてつぶやくように、「いや、本当のマニヤでしたら彼女はむかないかもしれません。マニヤとなると、ただもう無念無想、天井を向いてねたまま、ただひたすら掌の感触を楽しむものですからねえ」いかにも権威者らしく装うと、「いや、あの課長マニヤったって、そんなきびしいのとはちがう、なんでもいいんだよ、女子大出の奥さんにおさえられてる反動でね、相手かまわずなんだから」「それなら、ドンピタでしょうな、純ちゃんは。そうですか、女子大出の奥さんねえ、しかし女子大出といいましても、当節のは」  話題が変ったから一座ふたたび静まって聞耳たてるのに、山下は女子大の便所の落書から、その便所のひっきりなしに糞《ふん》づまりとなる理由、生徒の性的乱脈ぶりについて、仕方噺《しかたばなし》を一席ぶち、ほぼ五十分ばかりしゃべりまくって、彼のビジネスを終える。  営業マンがガヤガヤと立ち去ると入れちがいに女の子が袋をもってきて、冷えたお茶をのむ山下に、「サインおねがいします」中には金一万円也、但《ただ》しスピーチ・コンサルタント料とあって、週に一度月四回しゃべるこれが礼金。  山下は同じようなお顧客《とくい》、いずれも肩書ばかりいかめしい営業マン十二、三人かかえた広告代理店、かつての民放ブームで、とにかく電波をあつかえばもうかると、貸ビル業、手形ブローカーがこれに手を出し、だがブームがおちつくと大資本にくわれ、今は細々とスポット広告やら店頭の装飾をうけおう小あきないばかりだが、五軒持っていて、経堂のアパートの一人住いにはこと欠かぬ。  元はといえば浅草の古いのれんを誇る小間物屋三人兄弟の長男で、だまって帳場にすわってさえいれば、時たま業界誌の座談会へ出たり、あるいは同業との慰安旅行の幹事つとめるだけが仕事、後は番頭にまかせて左《ひだり》団扇《うちわ》の身分なのだが、これがどういう血筋をひいたものか、生れついての器用貧乏。  まず商人の息子《むすこ》らしく、下町の商業学校へ通うかたわら、ラジオの組立て、時計の修理、そしてカメラに凝り、たまたま専門の雑誌に投稿したら見事に特選。たちまち血道を上げて、学校などほっぽり出し、ベレー帽をかぶり、ライカ、ローライなど孫に甘い祖母の小遣《こづか》いで買い込み、風景からやがてヌードをとりまくる。  親はあきれて、だが女の裸をとりたがるのは、つまり女の欲しいしるしだろうと、そこは明烏《あけがらす》よろしく、近所の若い衆にたのんで吉原に通わせ、向島《むこうじま》の茶屋酒ものませ、まるで見当ちがいなしつけをほどこし、もちろん山下もきらいではないが、それより自分の写したヌード写真が、カメラ年鑑をかざり、ヤレ、「ライトのつかい方になみなみならぬシャープなセンスが感じられる」の、「ヌード写真の鬼才」のともてはやされれば、四畳半より、冷たいスタジオの女体にひかれるのも道理であった。  学校中退のままセミプロとなり、カメラマンといえば、温泉地の記念写真屋をまず思い浮べる両親をなげかせ、次男は高等学校の理科をえらんで医者になるというから、三男に家業を継がせ、山下は、財産をわけてもらって上野にスタジオをかまえる。  やがて戦争になり、空襲で焼かれ、いやそれより三男が戦死したから、いやいやながら浅草の店をつぎ、親のきめた嫁をもらったが、これが気の強い女で、一切合財《いつさいがつさい》とりしきり、年老いた両親には頼もしくみえたらしいが、山下は閉口|頓首《とんしゆ》で、子供が産れて半年目、赤ん坊のぬれたおしめで横《よこ》っ面《つら》ひっぱたかれたのをキッカケに、カメラ一台かかえて家出。  さすがに浅草ではできかねたが、銀座、新橋《しんばし》をなわばりに街頭写真屋となり、頼まれればラジオや時計の修理もこなし、青山の古ぼけたアパートの一室を借りて世をすごすうち、売り出しのコメディアンから、ちょいと現像には出せない類《たぐい》の写真をあずかり、これを引きのばしてやると、えらくよろこばれて、以後同じような注文が殺到し、やがてカメラブーム、いやアマチュアによるヌード撮影ブームが起ると、昔とった杵柄《きねづか》、芸能人のすき者にコーチし、以後これが本業。  コーチのかたわら、古ぼけたカメラでヌードを写し、変名で三流雑誌にもちこむと、渡りに船で買ってくれ、これも商売になったが、昭和三十年の暮、見知らぬ男から電話があって、新宿の喫茶店へ来いという。  ノコノコ考えもなくでかけると、待ちうけていたのはみるからにやくざ。「わしのスケの裸を、よくまあこんな雑誌にのせてくれたな。いったいこの始末はどうしてくれる」  テーブルに雑誌をたたきつけ、みるとたしかに覚えのあるヌード写真。ずい分以前のものだが、撮影後にそのモデルはやくざの情婦となり、寝物語に自分の経験をしゃべったのであろう。  五千円渡してケリをつけたつもりでいたら、三日たたぬうちにあらわれて同じ台辞《せりふ》、四、五回これをくりかえされてはいたたまれずにアパートを夜逃げし、さすがに浅草の店が恋しくなったが、鬼女房を思うと脚がすくみ、カメラを質に入れた金で焼酎《しようちゆう》あおっていると、以前にエロ写真を現像してやったことのある放送作家が声をかけた。 「それなら、ぼくの仕事部屋にしばらく泊ってなさい」親切な言葉に、ああ渡る世間に鬼はないと、麹町《こうじまち》のそのアパートの一室に着のみきのままで移り、放送作家の仕事ぶりをみていると、彼はディスク・ジョッキーの台本専門で、もっぱらコントに頭をなやまし、ついはたから、以前ききかじったことのある小話を口にすると、「うん、そりゃおもしろい、君才能あるねえ」とおだてられ、以後、一日に二十三十とつくって、放送作家はただこれを原稿用紙に書き写すだけ。  彼のギャラは、三十分番組で八千円というから、月にすると三十万以上のネタを山下が提供している勘定になったが、向うは只《ただ》で住まわせている代償のつもりか、ビタ一文払わぬ。  仕事部屋で知りあった放送代理店制作部の男にこぼすと、それじゃ独立しなさい、私が局に売りこんだげるといわれ、手数料を半分とられたが、この頃は民放ラジオの全盛時代で、たちまち売れっ子となり、中古ながら車を買い、四谷《よつや》にアパートをかまえた。商業学校中退だから、ろくに字も知らず、誤字アテ字そして古めかしい旧仮名を笑われつつ、しかし、上品ぶったディスク・ジョッキーの中では、まことに猥褻《わいせつ》な語り口が深夜放送向けにうけて、そうこうするうちTV時代に入り、そうなればなったでカメラをいじっていた経験を生かして、初期のうちはカメラマンにあれこれおしえたり、ディレクターにアイデアを出したり、昭和三十五年まではなんとかもったが、さて民放全体が安定期に入ると、山下のくいこむ余地はない。  細々と、広告代理店の嘱託をつとめ、売れもしない番組企画書や、暇にまかせて視聴調査のグラフをつくり、月に五千円の捨扶持《すてぶち》、車からカメラまでなだれをうつような売りぐいで糊口《ここう》をしのぐうち、「なあ山下さん、なにかおもしろい話はないかねえ、スポンサーのとこへ顔を出しても、話題に困っちゃってねえ」と一人がこぼすから、なんとなく、「女の人の裸をとります時にねえ、前からだとあまり恥ずかしがらない。ところが背中向けさせると、相当なれたモデルでもモジモジしましてね、こう」と立ち上り、尻《しり》のあたりに掌をあて、「みえると思うんでしょうかねえ、しきりにかくしますなあ」何の気なしにいったのだが男は眼をかがやかせて、「フーン、そういうもんかねえ、それで山下氏としては何人くらい女の裸をみたことがあるの?」  ふだん、余計者扱いされ、それがわかっていても溺《おぼ》れる身には藁《わら》の五千円が欲しくて、呼ばれもせぬのに顔を出す山下だったから、真剣にたずねられるとうれしくて、つい吹くつもりもないホラがまじり、「そうですねえ、十六の時からこの道二十数年、数えきれませんですねえ。若いので十三、年をとったので二十四、五。六を過ぎると、モデルには向きません。すでに婆《ばば》アですな」  二十六で婆アときいて、男はねたましそうな表情となったが、他に、裸になった時、処女と非処女の区別はつくものか、体つきというものは、女によってえらくちがうものなのかなどと、しつこくきき、いい加減にあしらって気にもとめなかったのだが、次に行くと、課長に呼ばれて、「山下氏は、いろいろ大人の経験が豊富らしいが、ひとつ、うちの若い者にコーチしてやってくれんかな、いや、話すだけでよろしい」謝礼をこれまでの倍払うといい、なんのことかわからずにいると、「女の話な、助平《すけべい》な話の種をおしえてやってほしいんだ」つまり、ちいさな代理店の営業マンとしては、大会社のおこぼれ、人件費ばかりかかってコストのあわない、ケチな仕事を拾うより他《ほか》はない。そしてこのためには、マーケットリサーチの、プレゼンテーションのというアメリカわたりの、舌|噛《か》むような代物《しろもの》とはまったく無縁の、結局は、スポンサーに顔を売ることが先決。車に社旗をひるがえし、ナントカ部長以下にぎにぎしく宣伝部の部屋へくりこむ大代理店の連中をくやしくながめながら、こちらは受付の外の、ベンチにすわっていて、広告部の下《した》っ端《ぱ》でも顔をみせれば、バッタのようにとびつき、「あ、こんにちは、いつもお世話になっております。お忙しいようですな。いかがです、ちょっとお茶でも」とさそって、うまく喫茶店へ連れこめれば上々。平身低頭して地方局のスポット広告を扱わしてくれとおねがいするのだが、いかになんでもミもフタもなく商売の話では、向うものってこぬ。といって、テキが病みつきのゴルフに、こっちのチンピラ話をあわせられず、麻雀《マージヤン》といってもレートがちがう、結局、ロクに話もはずまぬまま、「まあ、考えときましょ」と、腰を上げられ、お茶代損するのが関の山。 「人間誰だって、こっちの」課長は、右腕を肘《ひじ》で曲げて上下させ、「きらいな奴はいない。先だって山下氏が、ヌードモデルのことを話したらしいけど、これをスポンサーにうけ売りしたらえらくよろこばれてねえ、つまりああいうのを、うちの営業マンにしゃべってもらいたいわけです」  カメラにしろ、ラジオの台本にしろ、とかく出まかせが金になるらしい、助平なしゃべりで銭をいただけるならと、二つ返事でひきうけ、その週から始めて、朝っぱらから猥談大会。猥談といっても、江戸小話などは話術がいるから、もうあけすけな話題で、はじめはネタに困りはしないかと不安だったが、その心配はまったくない。  相当に皮肉で、どんなことにも一言口をはさまねば気のすまぬ男も、いわばこの道における先達《せんだつ》の言葉には、あまり疑いをはさまず、いちいちうなずき、途方もないホラ話に率先して、同意したり、いかにも知ったかぶりの裏付けさえしてみせ、色の道にかけては、赤ん坊のように、他人の言葉を信じるのであった。  三月もすると、山下哲夫は、そのしゃべっていることは、すべて体験談であるという、精力絶倫の印象を一同に与え、小肥《こぶと》りの体をエレベーター利用せず、海軍式に階段かけ上るのも、客をいっそう信じこませるための手段だし、たまにレストランに招待されれば、生の肉や、山盛りのキャベツを注文し、自分のイメージをなお強固にきずき上げる努力を怠らぬ。半年たつと、ききつたえて他の代理店からも声がかかり、元手は三流の週刊誌でこれは同じアパートの隣室に住むバーテンが、屑屋《くずや》に払うのを安く引きとって、パラパラとはすっかいに読み、トルコとか座布団《ざぶとん》売春、マッチストリップ、浮世風呂などの要点を手帳にメモし、後はまったくの出まかせ。  処女の見分け方とか、和服を着た女性の愛撫《あいぶ》のしかたなどしゃべるうちはよかったが、やがて、おもろい遊び場の話を要求され、これはうっかり嘘《うそ》をいうとすぐばれるだろうから、ホラもほどほどにしていたが、しばらくするうち、社員達はあそび場の話をきいても、これも実地にためしてみることは殆《ほとん》どなく、話をきいただけで、自分はすでに体験したような錯覚をいだくものとわかり、となれば西のトルコに舌技絶妙の女、東のヌードスタジオにマゾヒズムの権化《ごんげ》と、舌先三寸思いのまま、声をひそめれば一同身をのり出し、カラカラと笑えばまたうちそろって、馬鹿面《ばかづら》をくずし、いかにもこの時だけは営業マンの鼻面ひきずりまわしている快感があった。 「要するに人間の寿命七十年として、セックスの現役は五十年でしょう。この間をいかにおもしろおかしくたのしむかということです。明日ありと思う心のナントカで、善はいそげ女もいそげ、明日抱く女は今日いたさねばならない。新婚旅行中事故でなくなったお二人がいらしたけど、すでに行なった後だったか、それともまだであったか。もしまだだったなら、これは死んでも死にきれないでしょう。皆さんもためらってはだめですよ」にこやかに笑いながら山下はいう、そして、うすら笑いしながらきく連中の、三十になるやならずで、もう女房以外の女を攻める気力も体力も失い、お互い顔みあわせてわざとらしく腕を曲げ力こぶつくり、「ではいっちょ、張りきって口説いてみるか」虚勢を張っていかにも空《むな》しい姿をながめながら、だがこの言葉、半分以上は自分にいいきかせているのだ。  結婚するまでは人並みにあそび、鬼女房と別れた後も、モデルをひっぱりこんだり、喫茶店の女をだましたり、けっこう喰《た》べあらして、常人よりは強いつもりでいたのが、この猥談指南はじめてからは、なんとなくツキモノがおちたようで、年のせいとも考えたがそれにしては急激すぎた。  行きあう女のあらわな尻の形をみても、ラッシュで押しつけられるそのやわらかな感触にも、いっこうふるい立たず、ただ、猥談指南の前日に、どうしゃべってやろうかと、あられもない乱暴|狼藉《ろうぜき》のシーンやら、かけらも味わったことのないバカモテのストーリー考える時だけ、フト下腹がうずいたが、それとてとりとめもなく消えた。お話ではなくレバーやビタミン剤を心がけてみたが、まるで効《き》き目《め》はあらわれぬ。  トルコ風呂はしごの一席も、なにをかくそう実は、自分の不能じみてきたのを怖《おそ》れて、新宿の一軒に入り、チップをはずんでダブルを頼んだのだが、女の肌をまさぐって、ピクとも動ぜずに、女は、「どうしたの、お酒のんできたんじゃないの」と、指でピンとはじいたっきり、「なるようにならなきゃ、どうしようもないわよ」とそっけない。山下は必死で、連中にしゃべりまくる猥談のきれっぱしを思い浮べたが、ついにそのままで、「ちゃんとなってダメなら、私の責任だけど、はじめっからこれじゃねえ、お医者へいった方がいいんじゃない?」と、ダブルの料金を只どられ。どうにも苛々《いらいら》したあげくの果てが、三軒はしごの、掌すりきれというすさまじい架空物語となったのであった。  三流週刊誌の記事につられてコールガールを買ってみれば、二十貫近くの巨体を、皮のコートに包み、あからさまな東北弁で、「わたす未亡人なのよ、まだこの商売はずめて間なしなの」と、これだけが売物らしく、間なし間なしと押つけがましくいうわりに、ガッチリ車代までとられ、この時も獅子奮迅《ししふんじん》の末に不能。「昨夜ひょいと思いついて、コールガールをよんでみました。四谷の喫茶店で会ったんですが、これが十五歳の少女でしてね。なんでも家出してるんだそうで、十三歳の時に、家庭教師に犯されて、それから一晩も男なしには過したことがないといいます。えらく体臭のつよい女でしたが、まあなんですね、世の中にはつぎつぎとすごいのがあらわれてくるもので、私なんぞこりゃいくつになっても、ああこれで満足だと眼をつぶることはできませんですなあ、うれしいような、くやしいような」二十貫の巨体変じて、十五歳の少女となり、そしていかにこの少女を雄々しく愛撫したかと、客の前でものがたり、その時はたしかに、下腹部が硬直し、いやそれだけではなくて、いても立ってもいられぬほどの欲望に身をつらぬかれるのであった。「思い出しただけでもこの通り」あらわに帆柱風を得た如《ごと》き股間《こかん》を指さして笑わせ、「ほんとに山下氏は女好きなんだな」とやっかむようにいわれると、一瞬、自分でもそのような錯覚におそわれる。 「私の話でも、これでお役に立つんでしょうかねえ。なんだかいい年して助平なことばかりしゃべっていて」  営業マンのではらった後で課長にいうと、彼は大仰な身ぶりで、「そりゃもう絶大な効果ですよ。せんだっても、あるスポンサーの担当者と飲んだんだが、とにかくうちの若い者のくるのが待ちどおしいってね。あんたのうけうりをそのまましゃべるだけでも、先方にしてみりゃ、そういういわば陰の部分については知識が乏しい。話にはきいていても、実際にそれをためしてみたという例には、なかなか会わんからねえ。まあ、こっちとしては、スポンサーとなんの話でもいい、しゃべりこんでる時間が長けりゃ長いほど、おこぼれも頂戴《ちようだい》できるわけだから。まあ、安い金で貴重な体験談を売ってもらって、申しわけないとは思うけれども、よろしく頼みますわ」 「で、そのスポンサーさんは、人のあそんだ話をきいてどうするんでしょう」 「どうするって、そりゃ」と、課長は右腕を肘から曲げて二、三度ゆさぶり、「ムラムラとなるわけさ。こういう商売してると、そりゃいろいろと気をつかってね、つい女房にも御無沙汰《ごぶさた》になり易《やす》い。そこへ刺戟《しげき》を与えるわけだな」  そして、ここだけの話だがと声ひそめ、課長自身も、山下のしゃべりの恩恵をうけているという。 「大分前でしたなあ、あんたが女子高校生二人と知合って、一緒にあそんだという話をしたことがある。ぼくはそれまでは山下氏の話を、こういってはなんだが、まあ絵空事としてきいてました。しかしこれにはガックリきてね。あんたはあの時に、女子高校生はガーゼのようなパンティをはいておったといったが、これがショックになって、こう、その女子高校生のガーゼをチラチラ思い浮べると矢も楯《たて》もたまらず、興奮してくる。ヘンな話だけど、女房を抱く時もね、もう結婚後十六年で、どうということもないのだが、これを考えると元気よくなってね」課長はポンと、やや照れて山下の肩をたたき、「女房もあんたに御礼をいわなきゃ」と笑った。  女子高校生の話というのは、もちろん嘘《うそ》で、地下鉄の通風孔の上にさしかかった一人がスカートをあおられ、その時になにやら白い色をみたように思っただけで、後は、まったくの嘘八百。 「あの娘達はその後どうしました」課長はさらに刺戟を欲しそうだから、思いきって、「なんなら紹介しましょうか、遊び好きではあるけど、ちゃんとした家の娘でね、絶対にヤバイことはありませんよ」口からでまかせに誘うと、あわてて手をふり、「いや、話をきかせてもらうだけでよろしい。家にも、もうじき高校へ入る娘もおるのに、とてもそんな元気はありませんよ、そっちはおたくにまかせるから、話だけきかせて下さい」  課長の注文はえらく虫がいいように思えたが、実際に山下がしゃべりと同じことを行なっているならば、うらやましがられるのはやはり山下にちがいなく、それならそれで、少しは実行しなければ慈善事業みたいなもの、精力吸いとられるばかり。一人では不能となる確率が多いから、若いのをさそってみようと、「錦糸町《きんしちよう》にすごいおさわりバアがあるけど、一緒に行ってみないか」と、若禿《わかはげ》で、好きそうなのに声をかけ、この店のことは噂《うわさ》にきくだけ、まだ行ったことはなく、それというのも四十六歳の年齢がためらわせたのだが、相棒がいれば気づよい。そして、この男の前で、いかにも先達らしくふるまえば、きっとしゃべっている時のようにゆとりが出て、シャンとなるのではあるまいか。  自腹を切って錦糸町の、その筋のお達しがきびしいのかやけに明るい店へ入り、みると汽車の座席のように一方に向いて並んだボックスの背がヤケに高くて、女と二人すわれば一種の密室。若禿とは別のシートに、支那服《しなふく》のふとももまで切れ上ったホステスとならび、千円のチップを出すと、たちまち腕がのびてまさぐりにかかる。横をみると、いかにも田舎《いなか》の青年らしいのが、ホステスに肩もたせかけ、極《きわ》まり寸前の表情だし、斜め前にすわった若禿の女は、腰を通路につき出し、はや男の膝《ひざ》に顔をうつぶせている。ながめるうちにしらじらと冷《さ》めてきて、「どうなさったの、キョロキョロしなくてもみえやしないわよ」押しひらこうとする女の手から逃げるように腰をずらし、何をする気も起らぬし、まただからこそかよわいままの代物《しろもの》を電光のもとにさらすには忍びない。  果てたらしく若禿がふりかえったから、合図して山下は立ち上り、表へ出ると彼は興奮しきって、「いやあ、ものすごいもんですなあ。おかげ様で、世の中の裏というか、よくわかりました」一人でしゃべり立て、「山下さんはどうでした」 「そりゃまあ、今度の会議のおたのしみ」「ぼくでさえあれだから、山下さんは終着駅まで行っちゃったのとちがいますか」 「まあ、適当にね」「そうか、それで山下さんの女はいなかったんですね、彼女トイレットへ行ったのか」  女が呆《あき》れて別のシートへ移ったのも、若禿は万事よろしく解釈して、ときおりなつかしむように移り香をかぐ。  若禿の前宣伝がきいたのか、次の週に顔をみせると、待ちかねたように、その詳細な報告をせまられ、「おさわりバアのコツは、まずすわる時にシートをよく点検することです。でないと、前任者の思わぬおとしものがあって、ペッタリとズボンを汚しますからな。それから、おしぼりは二本でるけれど、一本は前、そして一本はことの後でつかう。彼なんか」若禿を指さし、「顔をふいていたけれど、これは危ない、風眼《ふうがん》になりますよ」とうとうと出まかせをしゃべり、ここにおけるポーズまで論じて、一同を感心させる。「しかし山下さんはたいしたものだよ、その年で、実によく頑張《がんば》るなあ」「お金を払ってるんですから、その分は元をとりませんと」「よく体力がつづくもんだ」「時々、特異体質かなと思うこともあります」「みろよ、おでこなんかテカテカ光ってるじゃんか」「男性ホルモン過剰なんですねえ、二十歳くらいの時から禿げはじめました」「もうふつうの人の何倍も、たのしんだでしょうなあ」「そうですねえ、いろいろ俗説があって、四斗樽《しとだる》いっぱいでおしまいとか、三千三百三十三回で打ちどめとか、しかし嘘ですな、これは」がやがやとかしましく、賞讃《しようさん》の言葉がとびかい、「よし、お前がそれだけモテるなら、俺《おれ》もいってみる」と、若い連中はいさみ立つ。  しゃべり終えると、実際に今、おさわりバアですませてきたように山下は疲れきり、だが背骨しゃんとのばして表へ出ると課長が大声で呼びとめ、「うちの重役がねえ、例の女学生との話ね、ききたいっていってんだよ、二人ならべてウンヌンというサワリのとこだけでいいから、ちょっとやってくれないか。親爺《おやじ》も若い女房持ってるもんだから、せっつかれて弱ってるらしいんだ」  今は演技どころではなくエレベーターで重役室へ登り、一席うかがううちに、重役の頬《ほお》に心なしか紅《あか》みがさし、彼は彼なりの修羅場《しゆらば》思いえがいているらしい。「一人はすでに男を知っておりましたが、もう一人は手入らずで、はじめ顔をそむけておりましても、やはり好奇心でしょうか、横眼でこっちの姿をながめはじめ、やがて」と弁じ立て、弁じていれば、今こうやってしゃべっていることはすべて自分が経験したことのように思え、実際に自分の姿と若い二人の女のもつれあう姿さえ頭の中に浮んできて、実際にやらなくても、これだけありありと実感があるのなら、これはやったことと同じではないか、課長だって重役だって、俺のでまかせを信じこみ、それを大事に持ってかえってしなびた女房を抱く、そこへいくと、俺は自由自在になんだって思いえがき、それをしゃべっていれば実感がこうやってでてくる。連中にくらべればずっと充実してるわけだと、フトなんとなく納得がいって、いよいよしゃべりがクライマックスに達し、重役がうんうんとうなずき、息をやや荒くしたと感じた時、脳天をつらぬかれたような快感をおぼえ、めくるめく中で、山下はわれしらずに、放ち終えた。  パパが、また呼ぶ  死んでしまうと、いまさらあきれるばかり痩《や》せおとろえたパパで、とんと骸骨《がいこつ》の標本に渋紙|貼《は》りつけた按配《あんばい》、つい最前まで、断末魔というのか、あれが臨終なのか、力の限り咳々《ぜいぜい》とあえぎ、顎《あご》うちふるわせていたのが、嘘《うそ》みたい。  とろんとむき出した眼は、「お気の毒です」といいつつ医者が、それも治療の一つのように閉じさせたが、唇《くちびる》はしまりなく開いたまま、よだれ一筋なめくじの跡のようにへばりついているのを、玲子《れいこ》はぺったりとんび脚《あし》にすわりこみ、しばしながめていたが、ふと思いついて、六畳二間の安ぶしん、まともにうける西陽《にしび》をたよりに、方角たしかめ、布団《ふとん》ごとずるずるひっぱって北枕《きたまくら》にさせ、と、丁度しびんがパパの頭とならんじゃったから、中身の入ったそれをトイレットへはこび、ぼこぼこばかばかと捨てる。パパが倒れて二年越し、耳なれた音だった。  直る当てない病人と、とって二十九オールドミスの二人暮し、親族知己にもうっとうしくみえたか、疎遠になるばかりで、あらためて死を報《しら》せるまでもなく、昨日今日と休みをとっておいた会社には、葬儀一切の始末終えてから報告すればいい。ちいさな広告代理店にタイピストとして勤めて十二年、ヌシの生字引きのといわれる身には、しかめ面《つら》した課長代理や、女子社員の大仰な喪服姿の焼香をありがたがる気持も起らぬ。  ノックの音にドアを開《あ》けると男二人、医者に紹介されたと金壺眼《かなつぼまなこ》キョトキョトさせ、すなわち葬儀屋で、冷飯草履《ひやめしぞうり》脱ぎちらかしてずかずか上りこみ、ひとめ部屋のたたずまいみるなりこりゃ商売にならぬとふんだか、「祭壇はどうしましょう」と気のない口調、通夜《つや》の客はないし、告別の式といっても世捨て人同様だったパパ、せんに校正係として勤めていた雑誌社へしらせれば、そりゃまあ以前の同僚もやってくるだろうし、もっとさかのぼってパパが文学青年だった頃の友人、中には天晴《あつぱ》れ世に出た人もいて、電話かけりゃお香典も増《ふ》えるだろうけど、野辺《のべ》の送りは玲子一人ですませるつもり、結局、寝棺|樅《もみ》製一号二千五百円、祭壇はただ燭台《しよくだい》、香炉、華瓶《けびよう》の三具足をならべるだけとし、出棺の時刻をうち合せると、「二時間ばかりで、まいりますから、それまでに御遺体をお浄《きよ》め下さい」いい捨てて男二人かえり、再びパパと玲子のさしむかい。  さっき医者も湯灌《ゆかん》のことを注意して、なんなら手伝おうかといったが、アルコールできよめるなら、これはなれたもの、真冬でもパパはせがんで、わずかにアルコールをおとしたぬるま湯で、自分の体をぬぐわせ、特に背中と、太ももにはうタオルの感触を、アウアウと、もつれた舌によろこんだ。  金だらいに水を張り、じかにコンロへかけ、人肌《ひとはだ》ほどになるのを待って、局方アルコールの瓶の、まだ三分の二残ったのを、すべて注ぎこみ、その強い香《かお》りが、今のパパの臭《にお》い。  玲子の覚えているパパの臭いは、葉巻であった。戦争中もソフトをかぶり、もちろん坊主頭にはならず、鼻下に髭《ひげ》をたくわえ、身の丈《たけ》六尺余り、がっちりした骨格で、近所の小母さんは貴公子みたいと噂《うわさ》していた。それにひきかえ母親は反歯《そつぱ》で鼻も低く、まるっきり不釣合いな女、なんでも神楽坂《かぐらざか》で女給|稼業《かぎよう》のうちパパと知り合い、ずるずるべったりにパパのアパートへ居ついていわば押しかけ女房、と教えたのはパパの従妹《いとこ》にあたる女で、どうやら従妹もパパに気があったのらしい。 「アブク頂戴《ちようだい》」玲子はいつもあぐらかいたパパの膝《ひざ》にすっぽりと入りこみ、まるで水中花のようにビールの白い泡《あわ》立ちのぼり、きわどくコップのふちに盛り上るのを指をひたし、唇にふくむと、おっそろしく苦くて、そしていつも葉巻の臭いがしていた。「ああ頭が痛い」と、これが口癖の母親がついと手をのばして、なれた手つきで一息に飲み干し、なぜパパが叱《しか》らないのか、玲子は悲しかった、パパと二人だけのアブクなのに。かえされたコップには、パパの派手造りとはまたちがって、下品な母親の厚化粧の、口紅がついていて、パパが気づかずにそこへ口を当てようとすると、玲子はあわててコップの向きを変え、ことさら背中をパパの胸に押しつけ、合図する。 「どうかしてるよ、パパパパって、いくら女の子は父親になつくったって、度が過ぎてやしない?」ひょいと夜中に目覚《めざ》めると、襖《ふすま》のむこうの話し声がきこえ、母親の妙にとんがった口調に、かえって胸がすいて、布団にもぐりこみ、ついさっきまで横にいて、寝かしつけてくれたパパの、葉巻の残り香をいっぱいに吸いこみ、そうするとすぐにとろとろねむくなるのだった。  熱くわかし過ぎ、水でうめてから、ああ少しくらい熱くても冷たくても、もうかまわないんだと気がついたが、とにかく金だらいいっぱいの湯をパパの枕もとに運び、いつものようにその体を横にむけて、まず背中をふこうとすると、ブチになってすでに死斑《しはん》が浮き出ている、気にもとめず、タオルを湯にひたし、キュッとしぼって、肩からむきだしの三角の骨のあたりをまずふき、つれて皮がむけた。  パパは、背中の皮を、よく玲子にむかせた。逗子《ずし》の海岸へ泳ぎにいって、折悪《あ》しく夕立になり、それまでの輝き一切が失《う》せて海の色はとたんにくろずみ、砂の色まで不吉な感じに変って、たちまち人っ子一人いなくなった波打際《なみうちぎわ》、パパは、「さあ、のびのび泳げるぞ」と、玲子を背中にのせ、ノシで沖へ向った。どすぐろい水の表に無数の雨脚がひかり、そのすぐ下に怪物があんぐり口を開けて待っていそうで、玲子は夢中でパパにしがみつき、手ぬぐいで鉢巻《はちまき》したパパの頭が一息|毎《ごと》に水にもぐるのを見守るうち、パパの脚が海をつかんで勢いよく蹴《け》るその動きにつれて、下腹部に異様ないらだたしさと灼熱感《しやくねつかん》が生れ、波のまにまに浮かせていた足首が、いつかパパの横っ腹にしっかりとくいこんでいた。  やがて陽光よみがえり、終戦直後のことでそれほどではない泳ぎの客が、チャプチャプ海にもどるのと入れちがいに、パパは陸へ上り、「玲子、背中の皮をむいてくれ」といい、みれば広い肩のあたり一面ささくれたようになっていて、色の白いパパの皮膚は、弱いらしく、ささくれの端をついとひくとするするむけて、その下から桃色のあたらしい肌が、じくじくと漿液《しようえき》にまみれてあらわれ、ときおり爪《つめ》が肉をつかむと、パパは、「イテッ」と身をよじった。  家へもどってからも、縁先でしばらくはパパの背中の皮はぎがつづけられ、母親は、「なんてこったい、お猿《さる》の蚤《のみ》とりじゃないか」七カ月の腹を波うたせてせせら笑い、玲子はその姿の方がよほどケダモノじみていると、まともにみる気もせず、丁度うまく世界地図の大陸のようにむけたパパの肌に、ふっと唇を寄せ、パパの肌はしょっぱかった。  糖尿病になると背中がかゆくなるというから、ずい分昔からその気があったのか、それともパパの性感帯は背中に存在したのかと、後になって玲子が考えたほど、パパは、背中をいじらせたがった。  ずい分大きくなるまで、中学生になってもまだパパと一緒に風呂へ入り、玲子は必ずその背中を流した、だから背中のことならなんでも知っているつもりだったが、さすがブチに色どられた死体となっては別物で、二日に一度ふいていたから垢《あか》はでないが、少し無理して力を入れると、皮がむけ、その下はもう桃色でなく、また漿液のかわりに、うっすら血がにじむ。  玲子の、幾度となくおぶさった背中であった。牛込《うしごめ》に住んでいて、山王日枝《さんのうひえ》神社のお祭りに出かけ、ずっとおんぶのままでいた時、また、あのいらだたしさと灼熱感をおぼえ、この時は、パパの両手で思い切り横っぱらへ押しつけられた脚のつけねが、兵児帯《へこおび》の結び目に当っていて、パパの歩くにつれてどうしようもなく自然に体がずりおち、ひょいとしゃくうようにパパが玲子の体を持ち上げると、そのつど背筋にこころよい寒気が走る。  玲子はその後しきりにおんぶをせがんだ。九つ下の弟が生れ、母親が年中ひっちょっているのに嫉妬《しつと》してのことだろうと、パパは笑って、快く背中を与えてくれたが、母親はある時、「いやなこだねえ、おんぶされながら白目むいちゃってさ」といい、玲子はこの時、殺してやりたいほどに、母親をにくいと思った。  背中をふきおえてタオルをしぼると、いくらかは湯がにごって、点々と、垢にいたらぬ表皮が雲のように浮いている、二つに分ければよかったと考え、家事一切のとりしきりはここ十年間パパの女房役、気は人一倍|利《き》くはずなのだが、やはり取乱しているのかと玲子は気づき、とたんに少し怖《こわ》くなった。  パパは、玲子が殺した。看病に疲れたわけでも、パパがいると結婚できないからでもなく、玲子は、パパを自分の手で殺さなければと、この半年ばかり思いつめ、ようやくそのチャンスを昨日つかんだのである。  母親は、玲子が十五歳の時、家出をし、直接の原因は、玲子の弟、玲子がパパっ児《こ》だけに、まるで対抗するように甘やかして育てた息子《むすこ》が、埋め残された防火用池におちて溺死《できし》した不幸だが、それより、パパは四十一歳にもなって、戦時中のひっそくぶりは、御時世とあきらめても、かつては新青年などに関係してあっぱれ早熟のモダンボーイが、ようやく陽の目をみていいはずの出版ブームに、あれこれ引っ越しの手伝いめいた口はかかっても、ついにまともな職につけず、母親のせいぜい若造り、ベレー帽などかぶって保険の勧誘がむしろ家計の支《ささ》え、先行きうだつ上る見込みなしとみての出奔といっていい。  母親がいなくなってしばらく後、ふと気づくと、アルバムの中の、母親の写真がすべて除かれ、また切りとられていて、どうしてとたずねるとパパは、「パパのお嫁さんは玲子だから」「でも、お嫁さんにはなれないわね」「なれるさ」「どうすればいいの?」すでに中学三年で、お嫁さんがなにも白いベールをひいて教会で指輪をはめてもらうだけのものとは思わず、知らず知らずに口に出た会話のきわどい意味に、胸をどきどきさせたのだが、パパは「ちゃんと御飯もつくってくれるし、洗濯《せんたく》も上手《じようず》だし、立派なお嫁さんさ」ごまかして、玲子は心の中で、パパずるいとさけんでいた。  玲子と二人っきりになると、パパは牛込の、地方の旧家だった祖父に建ててもらった家を売り払い、六本木《ろつぽんぎ》の当時としてはしゃれたアパートへ移り、欲も得もないようにちいさな雑誌社の陽のあたらぬ職につき、だが、おしゃれで、疎開させておいた背広は古いながらいたにつき、戦前の映画雑誌などひろげては玲子を相手にビールを酌《く》む。  パパの出版社は銀座にあって、学校からの帰途よく待ちあわせては、食事をし、まるで恋人同士、いや、手こそつながないが打ちつれてアパートへ帰るのだから、とくと新婚夫婦のような具合、玲子が高校を出て後、セクレタリースクールへ通って、タイプを習い、広告代理店へ勤めるようになっても、この習慣はかわらず、玲子にとってパパは誰よりすてきな、玲子だけの男性だった。  西陽がかげると、玲子は二、三本はずれたビニールのブラインドを降ろし、電気をつけて今度は脚をふく。ふんどしが汚れていたからあたらしいのに替え、大たい骨のあたり、いくらかは肉の残っているのを、しこしこと清め、蛇《へび》の鱗《うろこ》のような紋様《もんよう》の白く一面におおう脛《すね》、とってつけた如《ごと》く大きくみえる足の裏の、その爪がすっかりくろずんでいる。 「パパのおチンチンを、玲子おもしろがってさわったの、おぼえてるかい?」風呂で背中に湯をかけ、その湯が肌の艶《つや》にはじかれてたちまち消えていくのを、ぼんやりみつめていた玲子に、ふいにパパがいった。「いやだ、ほんと?」「二つくらいの時かな、玲子はパパとお風呂に入りたがって、入るといつもひっぱるものだから、痛くってしかたがなかった」  立ち上って湯船に身を沈めるパパのそれがいやおうなく眼に入り、パパは知らん顔でいる、「ひっぱったら怒る?」玲子は、わざと大胆にタイルの、湯船のふちに手をかけのぞきこみたずねると、「怒らないよ」というからつと手をのばし、光線の加減で、すぐとどくようにみえたそれは、はるか深く、思わず身をのり出し、パパの頬《ほお》に玲子の頬もふれあわんばかり、ようやくにぎって、その時、パパの息が耳をかすめ、思わず首をすくめた。「ヘンなの」「ヘンかね」「ヘンよ、邪魔にならない?」しげしげとながめていると、それは奇妙にかわいらしく、人形を愛撫《あいぶ》するように両手ではさみこむと、パパはくすぐったいといって立ち上り、「さあ、風邪《かぜ》ひくよ、交替、交替、ちゃんと百までかぞえて」子供の時からのしきたりをいい、後ろからみるパパのお尻《しり》は、きゅっと盛り上っていて恰好《かつこう》よかった。  尻の肉はまったくおち、肛門《こうもん》の周囲は黒く色が変っている、そしてかわいいとながめたものは、鉛筆ほどの細さで、まるで子供の描いた豚のシッポみたい。掌《てのひら》の指をひろげさせると、黒い垢がポロポロとおち、パパの自慢のしなやかな指は、丁度|傘《かさ》の骨、いや鳥の脚に似ている。  高校二年の時、ハンドボールの選手となり、試合から帰ると、疲れきって寝床に入った玲子を、パパはマッサージしてくれた、背筋にそってその両側に指を当て、体重をかけ、尻のくぼみを親指で押し、「まるで男みたいな筋肉だな」といいながら、腋《わき》の下から掌をまわして乳房と肩の間をもむ、そしてひょいと、「ここは性感帯なんだけど、まあパパならいいだろ」つぶやいて、その言葉をきいたとたんに、それまではただマッサージの快さに酔っていたのが、実はまごうかたなく、セックスに通じているとわかり、脚をばたばたさせて、だが拒否したのではない。体内にもみこまれるようなしびれが、パパの指から伝わり、そのつど玲子は片脚を、うつぶせのままぴょんと膝から曲げ、いつもマッサージをうけると、我知らず体が枕の方へのり出していく。 「骨盤が大きいから、きっと安産だよ」「いやよ赤ちゃんなんて」「そんなこといっても、いつかは生むさ、結婚すれば」「結婚なんかしない、男の人なんか大きらい」「パパも男だよ」「パパは別だけど」マッサージが終って、玲子はわれながら、生臭いにおいの立ちのぼるのを意識しつつ、あおむけのままパパを見て、いつでもパパのものになるつもりだった。パパが抱いてくれたら、それだけできっと気を失うほどすてきなんだろうと、はっきり予感があり、さそうように脚をわずかにひろげて、さすがあらわにこそしなかったが、浴衣《ゆかた》の裾《すそ》をはだけさせ、だがパパは煙草をくゆらせているだけ。  五体|浄《きよ》めおえて、浴衣の前をあわせ、金だらいの汚《よご》れた水をトイレットに捨てると、玲子はなにやらあっけなさすぎるような気がする。  パパが倒れたのは去年の二月、酔っぱらって公衆便所へ入り、そのまま脳出血で意識失い、通行人に発見されて、救急車で病院に運ばれ、玲子のもとに報《しら》せのとどいたのは午前三時。あわてふためいてかけつけると、パパは飯田橋《いいだばし》の警察病院の大部屋に寝ていて、夜更《よふ》けの昏《くら》い電燈にもかかわらず、妙に赤い顔色だった。  一応の危険が遠去かり、再発作を起したら駄目といわれて、おそるおそるアパートへ運びこみ、パパが玲子の嫁入り資金と、牛込の家を売った金の残り定期預金にしていたのをなしくずしに、薬代看護婦代マッサージ代にはこと欠かなかったが、肝心のパパは廃人同様で、アウアウとだらしなく声をもらし、眼をキョトつかせるのが精いっぱい。午後からパートタイマーの小母さんに来てもらい、勤めはつづけて、経済的にはタイピスト十年近くの玲子の給料と預金の足し前で、当分のめやすはついたが、まだ五十四歳男盛りのパパの、うってかわったみじめな姿に、玲子はぶちのめされた。  パパゆずりで、派手な顔立ちだし、スポーツで鍛えた体は、後から追っかけてくる純粋戦後っ子の、のびやかな肢体《したい》におとらず、だから会社勤めのとたんに、独身サラリーマンの注目を集め、遊び浮気ではなく、真剣にプロポーズする青年が、後を絶たなかった。  だが喫茶店でさしむかい、よくしゃべればしゃべるなりに、だまってりゃまたそれなりに、若い男のたよりなさが眼につき、いちいちパパと比較される、早い話が同じ映画の話題でも、ヴァレンチノの、「血と砂」や、早川|雪洲《せつしゆう》の、「ハリケーン・ハッチ」を、まるで自分も観《み》たと錯覚するほど、パパにきかされ、レオニード・モギイなら「明日ではおそすぎる」ではなく、「格子《こうし》なき牢獄《ろうごく》」「美しき争い」に親しみを覚える方で、いちいち喰《く》いちがう。レストランでも同じこと、洒落男《しやれおとこ》ぶったのが、コックドールの、シシリアの、さては六本木、霞町《かすみちよう》あたりの風変りな店に案内しても、パパに連れていかれた神楽坂の田原屋《たわらや》のコロッケ、吉田のそば、中江のけとばし、森田の合鴨《あいがも》、野田岩のうなぎ、昔からの店と、そのいわく因縁をおしえてくれたパパには太刀打《たちう》ちできぬ。  パパはあそび好きだったとみえて、ダンスも見事にタンゴをこなしたし、ゴルフ練習場では昔とった杵柄《きねづか》、たちまち鋭いスイングをとりもどし、腰がそのつど小気味よくピッとまわった。  それでも時には映画を観て、かえりにあてもなく散策する程度のボーイフレンドはできたのだが、となればいずれも唇を求め、その時の、いやしくゆがんだ表情に迫られると、矢も楯《たて》もたまらず突きとばして逃げ出し、これが二度三度重なれば、自然に相手ははなれ、後に男ぎらい、同性愛、かくし男がいるなど噂が残り、とどのつまりは売れ残りオールドミスと名が定《きま》り、これもいっこう気にはならぬ、さすがに一緒に風呂へは入らぬが、パパの背中を流し、はばかるところなく隅々《すみずみ》まで洗って、三日に一度は逆にパパのマッサージをうけ、この時はそれもなれっこ、額に汗を浮かせながら、はっきり形をともなう灼熱感を玲子は追い求め、後にはパパのビールのコップ盗み飲みながら四方山話《よもやまばなし》、色白いパパの頬《ほお》の血の色がさすのを眺《なが》めていれば楽しかったのだ。  パパのしもの世話もいやではなかった。運動不足のせいか布団《ふとん》をはいだとたん吐き気をもよおすその臭《にお》いにもすぐなれたし、三日そらなければむさくるしく鬚《ひげ》のまつらう、いかにも病人じみたパパの顔も、特に不愉快ではない、だが、表を歩いていて、パパと同じように背の高い中年の男性をみると、「あ、パパがいる」と、胸がときめき、頭ではすぐに否定しても、いつまでもその後ろ姿に従って歩き、横顔などみて、はっきりちがうとわかるまで、自然に足がついていってしまう。また今ひょっこり帰ったら、パパはすっかり直っていて、また前のようにあの広い背中を流せるんじゃないか、きっとそうだと、アパートが近づくにつれて、かなうはずのない希望がふくれあがり、速足にドアへかけこむと、パートタイマーの小母さんの帰った後、ただもう玲子を待ちかねて、アウアウとさけびつづけるパパでしかなく、あまりの悲しさに、そのまま、表へ引きかえしたこともあった。  パパが倒れて三月目、玲子ははじめて自分から男に電話をかけ、しかも相手はこれまで仕事の上で二言三言口をきいたことがあるだけの、同じ業界のサラリーマン、パパと同じように背が高く、年齢は四十五、六。お酒飲みたいというと、おどろきながらも色好みらしく、すぐにおちあう店を指定し、顔合せるなり、「誰かにふられたんですか、いいですよ、なぐさめて上げましょう」落着いたものいいで、玲子はなつかしく、「少し、社会勉強をしようと思って」「結構なことです、で、どの方面を御希望ですか、なんといってもぼくも年だから、あまり若い人の行くところは」「もちろん私だってお婆ちゃんですもの」玲子二十八歳、ややトウのたっていることは事実だが、自分で年齢を深刻に考えたことなどなく、ましてお婆ちゃんというやや浮《うわ》ついたいい方など始めて、この時は相手の、さだめしオーバーに否定するその言葉を求めていたのだ。案の定男はとんでもないといい、これをキッカケに言葉がほぐれて、二、三軒飲み歩き、その後、いかにもなれた手つきでおとがいを押え、唇《くちびる》寄せてくるのも拒否せず、胸に顔をうめ、Yシャツにしみこんだ煙草の匂《にお》いをかぎ当てると、玲子から、男の体をはさみこむように、さらに体をすり寄せる。  ホテルへ連れこまれ、先に風呂へ入るよういわれて、湯船につかると、男も図々《ずうずう》しい態度であらわれ、「カマトトだったんだね、堅いとかなんとか猫かぶって」男の体はパパで見つけているし、いやパパの姿をしばらくみていないだけにしたわしく、じろじろながめる玲子の視線を受けて男がいい、「背中流してあげる」と、なれたそぶりでタオルに石鹸《せつけん》をつけ後ろへまわって洗いはじめると、今度は気おされたように、「君いつもこういうことしてるの?」「パパにね」からかわれたと思ったのか男はふいに向きを変え、玲子を抱きすくめ、濡《ぬ》れた体のままベッドへ運ぶと、しゃにむに体を押しつけてくる、覚悟してはいたものの余りの乱暴|狼藉《ろうぜき》、思わず悲鳴上げると、さらに勢いこんでのしかかり、ほとんど体の自由奪われたまま、男の唇をいたるところにうけ、しかし、あの灼熱感《しやくねつかん》は毛ほどもあらわれず、逆にパパの姿が、男のかわりに入りこんでくる、パパと一緒に外出した時、玲子と同じ年頃の女の子までが、チラッとパパの素敵な男ぶりに視線をうごかし、年上の女の人になると露骨にパパをみつめ、その時の誇らしい気持、一転しておぶわれた時のパパの広い背中の感触、現在、玲子に全身の重みをかけている男の、そのあえぎも汗のしたたりもさらに関係なく、あるのはパパの想い出だけ。「はじめて、ってことはないんだろ」体をはなした男は、赤くそまった色に、怯《おび》えた声でたずね、「さあ、どうだか」すぐ立ち上って風呂へ入り、ツキがおちたようにすべて馬鹿馬鹿しくなり、早くかえらないとパパがお腹《なか》減らしてる、それだけが心にあった。  背広着こんだ男は一万円札とり出して、「なにか買いなさいよ」独《ひと》り相撲《ずもう》に終ったひけめからか、どことなく頼《たよ》りなげで、「見損《みそこな》わないでよ」ポンとはねつけ、先に表へ出た。  会社から真直《まつす》ぐアパートへ帰ると七時で、パートタイマーの小母さんは六時までいてくれるから、少しの寄り道は、パパの病状も固まったことだし、できて、退社後、玲子はバアへよく行き、バアといっても安サラリーマンの集まるいわば大衆酒場、ぽつんと女一人がとまり木にいれば、必ず男が誘ったが、若いのはさけて、中年の盃《さかずき》はうけ、お互い手探りで話題をさがし合い、たいていはそのまま別れるのだが、五十年輩の、どちらかといえば貧しい身なりの男の、ふともらしたクララ・ボウの一語に玲子はひかれ、二人目の男をしる。  クララ・ボウはパパのあこがれの人で、イットの意味と共によくきかされた名前、「よく御存知ですね」年からいえば逆の感想をもらすと、男は自慢気に、戦前の映画の話題をひけらかし、似顔絵がうまくてロバート・ドーナッツ、フランチョット・トーン、アドルフ・マンジュウ、シーザー・ロメロを器用に書いてみせ、だが、ホテルでは空《むな》しかった。  はじめの男よりさらに年輩だけに落着いていて、玲子が背中を押してくれといえば、その通りにし、おんぶして歩いてくれと、いら立つままの無理な注文も引き受け、しかし男の指はパパとちがう、男の背中もパパではない、最後に、待ちかねた男の手で玩具《おもちや》のように扱われながら、玲子は一人|覚《さ》めていて、パパの背中にすがって泳いだ時の、あの感触、パパに背中を押されて枕《まくら》を抱きしめた、あのめくるめく境地を、ぼんやり想い出し噛《か》みしめるだけだった。  アウアウと意味もないたわごとを、用を足したい、水が飲みたいときき分けられ、おしめの替えもタオルで体をぬぐうのもすっかり慣れる頃、玲子は会社でこそうわべ堅物で通していたが、週に二人は行きずりの男とホテルへおもむき、はじめは体つき、話し方、態度物腰の端々にパパとの相似を見出《みいだ》した時、体を与えていたが、いくらパパの面影を追ったところですべてむなしく、あの灼熱感には浸り得ず、いやかえって、似ているせいか、かつてのパパがいつも脳裡《のうり》に腰をすえ、だからだめなのかも知れぬと考え、やがてダンスホール、街頭さそわれるままに、誰とでも寝るようになっていた。  寝たが、玲子の心は充《み》たされない、あわやの瞬間にパパのまぼろしがあらわれて、玲子はいら立ち、男は自分のいたらぬせいかと、なお力ふりしぼっても、比例してパパの背中やら、指やら、さては人形のようにかわいらしいものが、すぐそこにあるようにさしせまってきて、たちまち冷えていく、それだけではなく、現在のパパの、あのアウアウといううめきさえ耳にひびき、思わずいやっと耳をふたいでも、それはいや増すばかり。  玲子がパパを殺したいと思ったのは、この頃からで、赤ん坊のように寝たっきりのパパはこれっぽっちもにくくないのだが、あの時にあらわれるパパが憎い、そしてあのパパを消すには、考えてみれば、まるでパパは玲子の恋人玲子はパパのお嫁さんだった過去を消す必要があり、そのためには、そうパパを殺すことだ、パパと、パパの過去を殺すことだ、もうパパのものではない、玲子は一人の女なんだと、パパにも、そして今までの玲子にもはっきりしらせてやること——。  玲子は休みを二日とり、そしてパパを殺した。再発すればたすからないのだから、自然にみえる方法で、もう一度、脳に出血を起させればいい、玲子はパパの枕カバーをとりかえるふりをして、パパのうなじを高く支《ささ》え、ふっと手をはずした、パパはアウアウとうなり、白眼のすっかり濁った瞳《ひとみ》を枕もとの玲子にむけたが、玲子はまたうなじを持ち上げ、今度は顎《あご》が胸につくまでにしてストンとはずす、頭が畳に当ってにぶい音を立てる、委細《いさい》かまわずこれをくりかえし、「しょうがないわね、ちゃんとしてなきゃ、ほら、またおっこちた」ブツブツとつぶやき、やがてパパはだまりこくり、いかにもぐったりと顔の筋肉がゆるみ、喉《のど》の奥をごろごろ鳴らして、ねむりこける。丸一昼夜たった今日の三時に、ねむったままのパパの容態急変し、医者をよぶといちおうカンフルをうち、「御親族の方にすぐ報《しら》せて下さい、今度様子がかわったら、しらせるように」見守るうち、不意に唇をパカッと開き、大きくせわしく息をはじめて、ほんの十分も続いたと思うと、まったく急に静かになって、それまで。医者をよぶ暇もない。  すっかり陽《ひ》がおちてから、葬儀屋が棺桶《かんおけ》を運びこみ、六尺余りのパパには少し寸たらずで膝《ひざ》を曲げたまま押しこむように納め、通夜《つや》の客一人いないから、葬儀屋も気味わるそうに退散した後、祭壇や棺桶置くため片づけたガラクタが鏡台の前に積まれていて、使えないから、手鏡を祭壇に立てかけ、まるでお経よむような恰好《かつこう》でお化粧をする。  パパを殺して、パパと玲子の過去を消して、女になるための、今夜が初夜、眉《まゆ》をひき唇を厚く塗り、そこにはかつてあれほどきらっていた母親に、生き写しの表情があらわれたが、玲子は気がつかぬ、「パパのお通夜、どっかのホテルでしたげるわ、どこかの知らない男の人とね、もう出てこないでよ、パパのお通夜なんだから。やきもちやかないで、アウアウいってるパパだけじゃ、玲子だってかわいそうよ、すてきなパパだったわ、パパが丈夫だったら、こんなことしやしなかったのよ、ねえパパ、わかってね」それでも両手をついて棺桶に一礼すると、すっと玲子は立ち上り、スカートをポンポン払って、表へ出る、二、三歩すすみ出ると、すっかり暮れた夜空にふいにアウアウと声がひびき、玲子は、「パパが、また呼ぶ——」とすくんだが、それは、あるいはパパの死臭いちはやく嗅《か》ぎつけたのかも知れぬ、一羽の烏《からす》の鳴き声。  子供は神の子  玄関の格子戸《こうしど》を開けると、強い香の匂《にお》いが鼻をうち、冽《きよし》はその匂いをあらためて胸いっぱいに吸いこみ、そして、「ただいま」と声をかけた。おかえんなさいと祖母の声がして、だがいつもなら迎えに出るはずのその姿あらわれず、「ママは?」冽がどなると、「ママはお買い物ですよ、ほんとによく出てばかりのママだね」ようやく祖母がやってきて、いきなり、「まあ、なんてことを、買ったばかりでしょ、その運動靴は」冽の足もとをけわしい眼で見すえ、実は学校の昼休み、黒板の隅《すみ》の小箱にたまっている赤黄青のチョークで、冽は白い靴を塗りつぶし、自分ではきれいに飾ったつもりなのだが、祖母はいかにもカン性に運動靴両手にもつと、底をパンパンとうちあわせ、とたんに飛び散ったチョークの粉吸いこんだのか激しく咳《せ》きこむ。  冽はまっすぐ六畳の仏壇へむかい、四六時中絶えたことのない香炉の香を、さらにひとつまみパラパラとふりかけ、殊勝げに両手をあわせ、ついでに鐘をチンと鳴らし、ふりあおげば、白木の位牌《いはい》に、「久芳恵心童女」小学二年の冽、字は知らないが、よみ方はそらで覚えている。クホウケイシンドウジョ、つい一月半前に死んだ冽の妹、久恵の位牌である。  一月半前の午後三時、冽が児童公園からもどると、玄関の前に隣近所の小母さんが四、五人もいて、冽をみると眼ひき袖《そで》ひき意味あり気にしめしあい、中の一人が思い立ったように冽の家の玄関へ駆け入って、そのただならぬ気配に冽はおびえ、なに気ないふりでたたずみ様子をうかがっていると、袖で口もとをおおった祖母が姿をみせ、手まねきし、近寄ると、ものもいわずふところに抱いて、冽は祖母の全身にまといついているタンの臭《にお》い、ママにきくとそれはお婆《ばあ》さんはみんなそうなのだといったが、冽にはタンツボのふたをあけた時と同じ臭いに思え、それに包みこまれて顔をしかめると、「かわいそうにね、久恵ちゃんが死んじゃったのよ、冽ちゃんあんなにかわいがってたのにね、ごめんなさいね」  家へ入ると香の匂いが鼻を刺し、久恵は顔に白い布をかけられてひっそりと、布団《ふとん》にいる。枕《まくら》もとにママが、別人のように汚《よご》れた顔でペッタリすわり、冽をみるとふたたびこみあげたのか、畳に身を投げかけ、「ええ、臨終は午後一時四十分、風邪《かぜ》ひいているところへ腸炎を併発したもんですから、お医者さんへ運びこんだ時は、すでに事切れた後でして」パパの、これだけは常にかわらぬ声がきこえた。  ママも祖母も、幾度となく白い布をとって久恵の顔をたしかめ、祖母は台所の庖丁《ほうちよう》を持ってきて、その鼻にあてがったりしたが、久恵の表情は動かぬままやがて鈍い灰色に変り、「冽ちゃんも、水をあげなさい、ほんとに冽ちゃんかわいがってて、この木のカタカタだってね、冽ちゃんがデパートでえらんだのよね、久恵ちゃんこれがお気に入りで」ママは久恵の髪をちいさな櫛《くし》でとかし、その動きにつれて、まぶたが釣り上って、黒眼が冽をみすえるようにあらわれる。  その日の昼過ぎ、冽が学校からもどると、祖母は信心する生長の家の、お祈り中で、ママは不在、三畳の久恵の部屋、といってもまだ十カ月の乳児、たしかに風邪をひいていて鼻がつまりちいさな口をあけて寝入っている、この部屋はもと冽のもので、もの心ついてからずっとなれ親しんでいたのだが、陽当《ひあた》りがいいからと久恵にうばわれ、冽は二階の父の書斎に同居。  かつて冽の本棚《ほんだな》の置かれていたところに、赤青黄白と四段に塗りわけられたベビー箪笥《だんす》、長島と王の写真のあった壁には、天使の絵、そしてまだ歩けもしないのに、冽のより大きな玩具箱《おもちやばこ》があり、窓のカーテンもあたらしくピンクと白の二重。  冽はベビーベッドの、久恵の飲みのこした哺乳《ほにゆう》ビンをみつけ、乳首をくわえてなつかしい味をむさぼり、さらに欲しくなって台所の粉ミルクのカンに狙《ねら》いつけたところを、お祈り終えた祖母にみつかり、「ほんとにいじ汚《きた》ないね、あたしゃそんな風にお前を育てた覚えはありませんよ」そのくせ、祖母だって、ひそかに粉ミルクをなめていて、年でぼけたか唇《くちびる》のまわりに粉をいっぱいつけた顔で、甘露の法雨を読経《どきよう》していたりするのだ。  冽は、だらしのないママが、時々、久恵のベッドの周囲にビスケットやあめを置き忘れ、この夏も、そのためベッドの脚《あし》から蟻《あり》が無数にはいのぼって大さわぎになったのだが、それをあてにふたたび久恵の部屋へ入ると、ベッドの枠と布団のすきまを調べ、とたんに久恵けたたましく泣きさけび、鼻のつまっているせいか、息がせわしく、いかにも冽が久恵をいじめたようにきこえる、あわてて、天井からさがったガラガラをまわしてやったが、久恵はまったく無視し、気管に唾《つばき》でも入ったのかむせはじめ、とっさにこんなところを祖母にみつかったら、また怒鳴られると、泣き声を押えるつもりでうすい布団を久恵の顔にかぶせ、すると思いがけない力ではねのけようとしたから、つい冽も強く押しつけて、だが顔だけは台所茶の間にむけ、祖母の気配をうかがい、祖母はふたたびお祈りをつづけている様子。祖母のお祈りは、客間のちがい棚にむかって坐り、両掌《りようて》をあわせるうち自然と手や体が踊るように動き出し、そうなったら、地震でもない限り正気にもどらない。  ふと気づくと久恵はしずかになっていて、布団を元にもどすと、両方の鼻の穴から膿《うみ》のような鼻汁を出し、両手を肩のところへあてぼんやりと、まだカラカラとゆるやかにまわりつづけるガラガラをみている。久恵は虚弱でよく風邪をひき、鼻をつまらせると祖母が口で吸い出していたが、その膿のような鼻汁みたとたん、冽は気持がわるくなり、あそびに行こうとして、ひょいと、裏の四年生のボールを昨日なくし、弁償しろといわれていたのを思い出す。  貯金箱は母の部屋の箪笥の小ひき出しにあり、もちろん勝手に出してはいけないのだが、今なら大丈夫、箱根細工の、その裏をつっついたり押したりするうち穴がひらけ、首尾よく、百円札二枚抜き出して、ふりむくと祖母がいる、「なにしてたんだい」「学校の先生が貯金いくらたまったか調べるようにって」「へえ、本当かい、くすねたんじゃないかい」「うそだよ、身体検査してもいいよ」うたがわしそうな目つきで祖母は冽をながめ、冽はまたポケットの中でにぎりしめた掌《てのひら》に、二枚の百円札をもっているから、いざとなったら駆け出すつもりで身がまえていると、「久恵ちゃん、ねてた?」まるで風向きがかわり、「うん」「久恵が風邪ひいているのに、ママはどこへ行ったろうねえ、一時にはかえってくるっていってたが、どうなることやら」ママの悪口をいいはじめれば、これはもう大丈夫、「ぼくちょっと公園へ行ってくる」「車に気をおつけね」そのままとび出したのだ。だから、家の前に人だかりがし、祖母がまず出て来た時、貯金がばれたのかと、そっちが気になった。 「子供が病気の時に、家をあけるなんて」久恵の亡骸《なきがら》を置いた隣の部屋で、低い祖母の声がし、「そんなこといったって、今日は前から約束してあって、だからおばあちゃんにたのんでいったんじゃありませんか」「じゃ何かい、私がわるいとでも、私が久恵を殺したとでもおいいかい」「そういうわけじゃありませんけど」祖母は涙まじりに何事かをいい、母も泣き声で、「あんまりですわ、そんな」「よしなさい、寿命だったんだよ」パパの声が割って入り、「それより冽がかわいそうだ。かわいがっていた妹に死なれて、へんなショックをうけるといけない」女達のすすり泣きがつづき、ふと気づくとパパがそばにいて、「久恵、天国にいけよ、天国へいくんだよ」久恵の髪をなでさすり、「冽ちゃん、久恵はね、神さまに召されて天国へいったんだよ、泣かないね」泣かないねといわれて、急に、それまでなんでもなかったのが悲しくなり、視界がくもったとたんに、冽は自分でもわけわからずせき上げてパパの膝《ひざ》に泣きふし、どれほどそうしていたか、パパは冽の背中をポンポンとたたき、膝をずらすと「これはどうも恐れ入りました。いや、まったく突然のことでねえ」涙ぬぐってながめると、玄関の三畳に親戚《しんせき》の伯父《おじ》伯母《おば》がへいつくばって、もぞもぞいっていた。  それからのできごとは、冽にとって興奮の連続といってよかった。例年、正月の三日には、家のいちばん広い冽の家へ親戚一同が集まり、レコードをかけて踊ったり、トランプ、カルタ、座布団の上に碁石をほうる遊びやら、鬼ごっこやら、楽しいことは楽しいが冽のほしいと思う玩具や本を、親戚の子供がパパやママからもらうし、せっかく大事に残しておいたキントン蒲鉾《かまぼこ》を食べられてしまう。だが今はちがった、親戚の子供達は何ももらわず、おとなしくすわっているだけで、やがてやって来た葬儀屋の小父《おじ》さんの、手伝い許されたのも冽だけなら、伯父や伯母もなにかというと冽の頭をなで、「かわいそうに、さびしくなるわね」と、めったやたらかわいがってくれる。  葬儀屋はおもしろかった。木の箱の中にきちんと詰めたいろんな飾りを、プラモデルの大きいのみたいに手ぎわよく組み立て、太いロウソクが箱にいっぱい入っていて、二本くすねたが文句いわれず、飾ったみかんと、半なまのお棄子の残ったもの、すべて気前よく冽にくれる、祖母もそれを知っていて、いつになくだまっていた。  すっかり暗くなってから、坊主がやって来て、灯《あか》りのついた祭壇はまるでヒナ祭りと五月人形あわせたより派手やかだし、絶え間ない香の匂いも気に入った。伯父や伯母達は数珠《じゆず》をとり出し、冽も白くちいさいその輪を見ようみまねで親指にかけ、他の子供達は誰一人これを持っていない。  久恵の、夏にとった写真が、黒いリボンかけられて祭壇にあり、久恵はニッコリ笑いかけているようで、あの膿のような鼻汁を出し、納棺の際すでに紫色にかわっていた皮膚からは想像もつかぬ、別人の印象、「あれは嘘《うそ》の久恵ちゃんだ、写真の久恵ちゃんが本当の久恵ちゃんなんだ」冽はそう思うと、布団を押しつけた時、もがき苦しんではねのけようとした、その感触も、咳《せ》きこんでいた呼吸も、まるで夢のように思えて、ただひたすらパパの横にすわり、頭を垂《た》れ、時おりしびれ切らせたのかざわつく子供達を、その母親が、「冽ちゃんをごらんなさい、あんなにちいさくてもお行儀よくして」注意する言葉が耳に入り、なおのこと冽をうれしがらせる。  坊主がかえると、祭壇の隣の部屋に、パパ専用の大きな紫檀《したん》の机がもち出され、そこに白い紙でおおった寿司の飯台がいくつも並んで、ここでも冽は特別扱い、他の子供達は茶の間へ移ったのに、冽だけはパパの膝《ひざ》の中に置かれ、「子供の勝負は早いですからねえ」「久恵ちゃんはこういっちゃなんだが、生れつき弱々しかったものねえ、奥さんのご苦労もたいへんでしたろう」「いえ、私がいたりませんために」ママ、さきほど、祖母といい争ったことなどおくびにも出さず、「それで、お医者にみせた時はもう手おくれで」「はあ、二、三日前からおかしくて、その時はまあ風邪《かぜ》だろうということで」「たよりない医者だなあ」「いやあ、子供は勝負が早いんだよ」酔ったらしく同じ言葉をくりかえす洋服屋の伯父、「冽ちゃんねむくない?」ママがいうからあわてて首をふると、「まあ今日はいいじゃないですか、かわいがっていた久恵ちゃんのお通夜だもの」「そうだ、明日学校休ませていただくように、連絡しとかないと」  冽はもう少しのことでバンチョウとさけぶところだった、学校を休める、しかもパパは、「明日の朝、冽自分でいってお断わりして来なさい」という。授業のはじまっている教室にノコノコ入っていって、「先生、妹の久恵が死にましたので、お休みさせてください」きっと先生も、日頃に似合わず冽の頭をなで、「それはお気の毒でしたね、いいですよ」冽はクラス中の視線を浴びながら教室を出る。かつて冽は、クラスの女の子がお腹《なか》をこわし、青い顔で早退《はやび》けを先生にいい、そして力なく荷物をまとめてかえっていく姿を、なんともすばらしいとながめ、一度やってみたくてしかたがなかったのだ。  病気どころではない、妹の死、妹の死、かわいそうな妹、餓鬼大将も当分は冽を特別な眼でみるにちがいない。冽の好きな女の子は、遠くから友だちとささやきつつ、冽にあこがれのまなざしを送るに相違ない。  ビールと寿司が終ると、子供達は帰り、大人はまた祭壇の前にならぶと、それぞれ紫やら黒の経本をとり出し、アパート経営するママの弟の音頭《おんど》とりで唄《うた》をはじめた。これがまた冽にはよくわからぬながらも、地獄の一丁目で赤鬼や青鬼が、子供をいじめるというような文句、ヒトツツンデハハハノタメ、フタツツンデハチチノタメ、ママも祖母もおいおい泣きじゃくりながらくちずさみ、このくりかえしは冽もすぐ覚えたから、クラスでいちばん唄のうまい冽は、勢いこんで大きな声をひびかせ、前にすわった洋服屋の伯母さんびっくりしてふりかえり、後で、「冽ちゃんは頭がいいねえ、すぐになんでも覚えるんだから」賞《ほ》めてくれる。  十一時過ぎるとさすがにねむくなり、いつもなら絶対にダメなのに、黒い着物のままママが布団にそい寝してくれ、「ハハノタメってなに?」たずねるとママは、また泣き出して冽を抱きしめ、ママの体は強い香の匂いがした。  翌朝、冽が目覚《めざ》めると庭にテントが張られ、縁側に黒白の幕、まるで運動会のようでただことなるのは、よほどのことがないと着せてもらえない黒の背広、これは去年のクリスマスにパパママとホテルへ行った時つくったので、ホテルでおそくまで遊び、家へもどると、祖母は夜中だというのに部屋中電気掃除機をかけて、冽の寝ついた後、「この暮れのいそがしいっていうのに、おそくまでほっつき遊んで」祖母のひきつった声がきこえた。  背広で学校へ行きたかったのだが、それは駄目で、常のセーターに半ズボン、だが教室では思った通りの反応があり、冽はピョンピョンとびはねながら家へもどると、塀《へい》の表には造花の列がならび、隣近所の大人も神妙な顔で冽にあいさつを送る。すぐ背広に着がえ、同じ色のネクタイ靴下、冽はうっとりと鏡の前でおのが姿に見とれ、また坊主がやって来て、パパ冽ママ祖母の順に祭壇の横にならび、さらに親戚の人がつづき子供は一人もいない。冽の晴れがましさはつのるばかりで、やがて焼香となり、ママが、「三度お香をつまんでくべるのよ、最後にお辞儀するの、久恵ちゃんさよなら、天国へいくのよって」「仏様で天国はおかしいじゃないか、極楽でなきゃ」祖母がいったが、ママは無視し、やがてパパが焼香、席にもどると冽は入れ替って立ち、見事にいわれた通り行い、大きな声で、「久恵ちゃんさよなら、天国へ行くんだよ」さけんで、冽は学芸会の時も、稽古《けいこ》の時はダメなのに本番ではまったくトチらず、この焼香もそれと同じだった。  冽の言葉に一座ざわめき、「ああ子供は神の子ですなあ、無邪気なだけに痛々しい、かわいそうに」誰かのつぶやきが冽の耳に入る。  葬儀がすむと、棺のふたが開けられて、花にうまった久恵の表情はどす黒くふくれ上ってみえ、それをママや祖母がなめまわさんばかりに顔近づけ、きたならしくて冽は、その後、石でふたに釘《くぎ》をうつ時、腹いせのように力いっぱいたたき、それがまた葬儀屋に、「上手《じようず》上手」と賞められる。  金ぴかの葬儀車の後を、パパの車は親族に貸して、冽はハイヤーの大型外車に乗り、そして一度みてみたいと考えていた隠亡《おんぼう》に会った。漫画本によると着物を着てやせこけていて、死体の金歯などトンカチでくだき盗むはずなのだが、これは当てはずれ、ゴミ屋さんのような制服を着たふつうの人、にしても隠亡が、鉄のとびらをガラガラドシーンと開け、熊手《くまで》みたいなので灰をならし、そのところどころにロウセキのようなかたまりがあって、これが人間、いや久恵の骨と気づいた時は、背筋にしびれが走り、どくろはないのかと探《さが》したが、みなこなごなにくだけていてそれを壺《つぼ》に箸《はし》ではさんで入れ、白い布で包み、「軽いから冽ちゃん持ちなさい、かわいがってくれたお兄ちゃんに抱かれたら久恵もうれしいだろ」親戚の男の中でいちばん背が高く、立派にみえるパパとならんで、冽は白い包みを両手にささげ、入れちがいにやって来た別の喪服の一団も、冽の凜々《りり》しい姿にみとれるようす。  家へもどるとすでに祭壇も幕も花輪もなくて、常とかわらぬたたずまいに冽はまた夢をみているような気持で、運動会の終りの空に吸われる風船玉を追っかけるようなさびしさを感じたが、しかし夢ではない証拠に久恵の姿はなく、かわりあって香の匂いが立ちこめ、いやその夜も親戚一同むれつどって、※[#歌記号]フダラクヤァキシウツナミノオと、奇妙な唄を合唱し、その一つ一つに第何番|紀伊国三井寺《きいのくにみいでら》と説明が入るのもおもしろかったし、初七日二七日と、パパのごきげん伺えばいろいろとおこぼれ頂戴《ちようだい》できる洋服屋、大工、アパート経営、電気屋などの親戚かかさず集まって、そのつど冽は一座の人気を一身に背負い、御詠歌白骨の御文章|般若心経《はんにやしんぎよう》うろおぼえに唱和すれば、パパまでが、「いい子だいい子だ」と頭をなでるのだ。 「今日、伯父さんたち来るんでしょ」ようやく咳《せき》のやんだ祖母の、背中さすりながら冽がたずねると、「今夜はお坊さんもいらっしゃるよ、四十九日だからね、今日まで久恵ちゃんの魂はこの家の中にいたんだけど、もう明日から成仏して極楽へいく」冽にはよくわからなかったが、お坊さんが来るなら、またあのお葬式の時のようににぎやかで、晴れがましいのかと、夜を心待ちにする気持がつのる。「おまいりに来てくれるんだか、食《く》い稼《かせ》ぎに来るんだか、あっちの親戚にゃロクなのがいないからねえ」あっちというのは、ママの実家の親戚、「まあ、今日一日でおしまいだから、七日ごとに大盤振舞いしてちゃ、たまったもんじゃない」 「おしまいって、もうやらないの?」「いつまでもメソメソしてるとね、久恵ちゃんの魂も浮ばれないんですよ。そりゃ冽ちゃんみたいにね、本当におがむ気持がありゃともかく、お祈りはそこそこでいっぱい飲むのがお目当ての連中に、仏様も神様もありゃしないのよ」  冽は、また自分の部屋になった三畳へ入り、葬儀がすむとパパは久恵のベッド玩具すべて片づけ、というのもママや冽が、これをみるたび思い出してはかわいそうという思いやり、そしてママは、「久恵ちゃんの死んだ部屋じゃ気持がわるいんじゃない?」心配したが、冽はまるで感じないようで、それをパパはまた、「子供には死ぬこととか、その怖《おそ》れなんてわからないんだよ、なまじへんなこといわない方がいい」と、死後三日目には以前とまったく同じ本棚《ほんだな》、長島王のブロマイド。  ママはまた以前のように、PTAだ三味線のおさらいだと、外出が多くなり、パパも忙しくて冽をかまわず、冽はパパとお風呂へ入るのが好きで、風呂へ入るとパパにいろんなことしゃべれるのだが、ついぞその機会はなく、いや近所の人だって、これまでの冽が道を歩けば、ひそひそと顔を寄せ、いかにもかわいそうにとながめる視線がうすれるばかり、冽のお祭りはたしかに過ぎつつあるとわかり、しかも、ただ一つの楽しみ七日ごとの、お経の集まりも今夜でおしまいとなれば、明日からはまた以前とまったく同じ、祖母の悪口、二日にあげぬママと祖母の喧嘩《けんか》のくりかえし、いや、前より悪いことには久恵が、今はいない。  大人たちは、冽が年中久恵をかまい、すすんでおんぶもすれば、二人っきりの留守番もいやがらなかったから、そしてママとデパートへ出かけ、ひ弱なため汚《きた》ない空気は吸わせられぬと家に置かれた久恵に、かならず冽はお土産《みやげ》をねだり、誰一人、冽をうたがわなかったが、実は冽、おんぶして児童公園にあそぶ時は、公衆便所の後ろに久恵をおろして、まるでゴキブリの手をもぎ脚《あし》をちぎるごとく、その臍《へそ》のまだかたまらぬのをつっつき引っぱり、耳に藁《わら》をつっこんだり、思いきって息を吹きこんだり、生きた人形扱いであった。  冽は背丈《せた》け人並みにあったが、きわめて気が弱く、それは祖母に育てられたせいかも知れぬが、自分より体もちいさく、年も下の子供に泣かされ、そのくせ陰にまわると、その大事にしている玩具《おもちや》を盗み、しかも、それに赤インクを塗って別物に仕立て、その前でみせびらかしたりする。  そこへふって湧《わ》いたような久恵の誕生で、当初はただおどろいていたのだが、やがて部屋をとられ、ママは母乳をいやがって、人工栄養だったから、そうあからさまにママをとられた印象はなかったが、にしてもパパも祖母も、まず久恵で、「このこは、こりゃ将来美人になるぞ」など、パパが酔ったあげくに久恵を抱きあげたりすると、冽は、自分は美人ではないのかと鏡に見入り、ひそかにママの紅などもつけ、また、久恵の鼻を指で押しつけて、少しでも低くなるようこころみた。デパートで久恵への土産をねだるのは、ウエファースやカルケット、またカンヅメのベビーフードを、冽が好きだからで、その大半は冽が盗みぐいしていたのだ。背負っていて泣けばその頭をこづき、こづくと久恵は奇妙に泣きやみ、ある時はあまり激しかったためか、白眼をむき、びっくりしてほうり投げると、そのショックで、正気にもどり、だがしばらくはぐにゃぐにゃの体だった。  留守を、久恵といる時、久恵がおしめを汚せば、その黄色いものを指で口に押しこみ、冽にとっては、久恵だけが、まったく自分の意のままに従う奴隷《どれい》だった。その久恵はもはやなく、いや久恵の死によってもたらされた葬儀の、あの心おどるはなやぎは今まったく消えさろうとしている。  冽は、その夜の最後のにぎわいにも沈みこんでいて、「どうした? すぐあたらしい妹ができるさ、そうしたらまたかわいがってあげなさい」酒に酔った伯父《おじ》の一人がいい、冽はすくわれたように、「何時《いつ》? 四十九日が過ぎたらすぐ?」「いやあ、四十九日じゃちょっと無理だなあ」あとは子供心にもいやらしくきこえる笑いがあたりにひびき、冽は、聞いてはいけないことだったと、すぐわかったが、ママさえその笑いの中にいて、妙にはなやかな香《かお》りにつつまれている、冽はただ一人とりのこされたようで、心底かなしい涙があふれ、それを眼ざとくみつけた祖母、「冽はほんとにやさしい心の子供だよ、神の子だよ」  翌日、学校からもどると、すでに香の匂《にお》いも消えていた、仏壇の菊の花も数がすくなく、またしてもママはいない。祖母は冽をみると、すこしあわてて、「なんだい冽ちゃん、大きなチンチン出して」といい、それは茶色のバンドの端がセーターからはみ出ているのを見まちがえたので、そうとわかると祖母はきげんよく笑い、「今からそんなに大きくちゃ大変だよねえ」冽はわけわからず気恥ずかしく、どんと祖母にぶつかると、「よし、冽ちゃんと角力《すもう》とろうか、パパは昔、学校でいちばん強くてよく優勝カップもらってきたものさ」「フーン、でもやせてるけどなあ」「なーにやせてる方が強いのさ、ママみたいに肥《ふと》っちゃったらおしまい、女なんてものはしゃっきりと姿がよくなくちゃ」またしても悪口になり、その間、冽は祖母に組みついたままぐんぐんと押していき、「弱い弱い、そんなこっちゃ、とてもだめだよ」いわれたとたん、今年の夏、海岸でパパとやはり角力をとり、パパは左手を脇《わき》の下に入れ、右手で冽の足をすくって、「これが渡し込み」と、教えてくれたが、ちいさい冽は祖母の腰のあたりに頭をつけ、すぐそばに祖母の脚があるから、一押し拍子をつけて、右手で膝《ひざ》のあたり抱くようにすると、あっという間に祖母はあおむけに倒れ、ゴツンとにぶい音がして、しきいに頭をぶつけた様子。冽は意外に簡単に勝ったからうれしく、なおものしかかって、着物の襟《えり》をつかみ喉《のど》を押すと、もともと心臓|喘息《ぜんそく》の気のある祖母は、倒れたまま激しく咳《せ》きこみ、両手で半ば白髪の頭を抱《かか》えこむようにしながら、体を海老《えび》のように曲げる。  祖母はよく発作を起し、だがママは、「オーバーなのよお婆ちゃんは、すぐ心臓がとまったとか、息がつまったとか」あまりとりあわず、たしかに、まるで斬《き》られた悪役《あくやく》のように祖母は胸をかきむしって倒れたりするが、すぐにケロッとなって、冽は、今のも、てっきりそれかとながめていると、祖母の顔の色は土気色にかわっていて、あの白い衣の下にあった久恵の肌《はだ》にそっくり。 「冽ちゃん、戸棚《とだな》の、戸棚の」口を半ば開け、今度は胸をしっかと抱いて、祖母はふるえ声でいう、戸棚の中のものは、冽も知っていた。  春、墓まいりに祖母と出かけた時、冽は祖母のごきげんとるつもりで、「ママのおばあちゃんの家へいったら、おばあちゃんの悪口いってたよ」というと、祖母は舌なめずりをして、「なんていってたい?」「よく覚えてないけど、いじわるだって」「いじわる、ふん、なにいってんだね、あの家はパパがお金おくってるから生きてけんじゃないか」「パパがお金あげてるの?」「そうだよ、三味線の師匠とかなんとかいって、それだけで食えるわけがないや、田舎《いなか》芸者《げいしや》あがりのくせしやがって」つきることなくママ方の悪口がとび出し、あげくの果てに報酬のつもりか、「アイスクリームでも買うかい?」小銭を出すついでに、網に包まれた小指の先ほどのカプセルがころげおち、冽がたずねると、「冽ちゃんのおっかさんだけどね、ママのおかげでおばあちゃん心臓わるくしちゃってさ、これをいつも持ってなきゃ、心配で」心臓発作をやわらげるニトログリセリンなのだろう、祖母は大事そうにしまい、それと同じものが何十個も戸棚の薬箱にあった。  祖母は畳をかきむしり、激しく咳きこみ、頭をのけぞらせるようにして息を吸うのか、口をパクパクさせ、そしてさだまらぬ視線を時おり冽にむけては、戸棚を指さす。よだれは流れ放題、鼻汁もたれ、冽は久恵の、いかにも精いっぱいあらがう布団《ふとん》の下の力を思い出し、ふらふらと近づくと、腹ばいになった祖母の背中に乗り、まるで、メリー・ゴーラウンドのようにぴょんぴょんととびはねる。そんな冽に気づいているのか、祖母は低くうめき爪《つめ》は畳かきむしって血がにじみ、冽はおぶさるように肩に手をかけ、またぐいぐいとゆさぶり、ぐんと上半身に体重をかけると、もはや祖母は頭をもたげる力もないらしく、激しくあごをわななかせ、そしてしずまり、気づくと、はげしい大便の臭《にお》いがただよっていて、冽はあわててとびおり、あらためてみると祖母はひとかたまりにちぢこまって横たわり、畳の目を数えているようなその眼はびくとも動かず、まさにカラカラとまわるガラガラの下の、久恵のそれと同じ色。  冽はまた公園にとび出し、珍しく砂場で、角力とる同年輩にまじって、今、祖母をしとめた渡し込みをこころみたが、倒すより先に腰がくだけ、砂まみれの顔をペッペッとつばき吐きながら、ニヤニヤと笑い、常ならばすぐにベソをかくところだった。  夕刻、帰宅したママが祖母を発見し、すぐ医者をよんだが、すでに手足冷たく、「お気の毒です、心臓発作を起されたんですな」それまでにかかりつけていたから、すぐ死亡診断書を作ってくれて、冽がかえった時には、久恵と同じく白い布をかぶって寝かされ、見知らぬ大人が多数つめかけていて、これは生長の家の信者達、冽をみるとたちまち一人が抱きかかえ、「かわいそうに、あんなにかわいがってもらってたおばあちゃんが、こんなことになって」冽の期待は裏切られなかった。  祖母は変な字を書いた白い着物をきせられ、胸にくんだ枯れ枝のような指の爪には、血の垢《あか》が残り、「あたしが見つけたからよかったわよ、そりゃもうひどい死に方、あれじゃ信心なんてなんのためにしてたかわからないわねえ、冽ちゃんが見たりしたら、あのこ傷つきやすいから、どうかなっちゃったわよ。そりゃもう眼はカッとひらいて、変な話だけど、おしもは垂《た》れ流し、たいへんよ」  ママは、実家のおばあちゃんとしゃべり、あんなに仲がわるかったのに、近所の人がくやみをいえば、「ええ、ほんとによくできたおばあさんで、私なんか本当に教えられることばかり、最後が一人だったのがお気の毒で、ええ、あんまり突然のことで朝だっておいしそうに御飯いただいてたんですよ」それをうけてまた酔っぱらった洋服屋が、「なに、あの気の強い叔母《おば》さんなんだもの、今頃、えんま様を逆に怒鳴りつけてらあね、まごまごおしでないよってんで」妙に浮き浮きした雰囲気《ふんいき》がただよい、パパも、「まあ、寿命には少し不足だったかもしれないけれど、したいことして、いいたいこといってね、あれでなまじ中気で寝つくよりゃ、一気にいっちゃう方がお袋らしいですよ」  そして冽は一人、祖母の枕《まくら》もとにすわって、五時間ばかり前、あんなにもがき苦しみ、よだれ鼻汁まみれになっていた祖母が、うすく死に化粧までして別人のようにちんまりといる、いや、口を開けばママの悪口をいい、きげんがわるけりゃ、冽にだって意地悪をしかけた祖母が、今こうやってみると、童話の中のやさしいおばあさんのような顔つきでいるのが不思議で、死ぬと人間はみんなかわるらしい。久恵は生きてる時、たしかにかわいい顔だったのに死ぬとねずみのような色になったし、祖母は生前、鬼のような表情の時もあったのに、こうやっていいおばあさんになってしまう。それが不思議でながめていると、「みてごらんなさい、かわいそうに冽ちゃん、姉さん、よほどやさしくしてあげないと、こうたてつづけに肉親に死なれちゃ、将来よくないわよ」ママの妹が眉《まゆ》をひそめていい、「そうね、当分、お稽古《けいこ》もやめて、そばにいてやらなきゃ」ママもうなずく。  やがて、冽の待ちに待ったお通夜《つや》がはじまり、祭壇も坊主も、久恵の時と同じで、ただヒトツツンデハハハノタメはなく、ネンピカンノンリキのくりかえしと、祖母が朝晩声はり上げて唄《うた》っていたカンロノホウウが、生長の家信者によって唱和され、冽はただうつむいてすわっていれば、数えきれぬほどの温かい手やごつい手で頭をなでられ、そして、パパの膝の中で、お寿司をつまんだ。  花輪も幕もない葬儀が終ると、ママは久恵の時とはちがって初七日だけで、供養を切り上げ、それというのも、やがて師走《しわす》、どちらさまもかき入れの時に申しわけないからというわけ。冽の期待ここでは裏切られたが、ママは家にいるし、やがてクリスマスやら正月やら、仏は出なくとも、葬式なみににぎやかではなやいで、しかし、きれい好きな祖母の死後、家の中は妙に雑然ととり散らかり、もともと外出好き派手好きのママ、冽と二人っきりで家に閉じこもっていると、すぐにヒステリー起して、「うるさいわね、もうじき三年生でしょ、いつまで赤ん坊なのよ」いい捨てると、自室に閉じこもって三味線をひき、パパがかえれば、「あたしだって冽のそばになるたけいるようにしてるんですからねえ、パパも協力して早くかえってくれなきゃ、男の子には男親が必要なのよ」口汚《くちぎた》なくののしり、だが、宵のうち二階のママの部屋で、「早くねなさいよ、ママ、先に寝ちゃうわよ」と、そい伏ししても、夜中に必ずママは襖《ふすま》一つへだてたパパの寝室にうつっていて、その物音を、冽は一人目覚めて耳にし、やがてはばかりに立ったママが、熱い体を冽の横におき、たちまち欲も得もなく寝入り、パパのいびきと、ママの鼻いきを、はてしなく冽はきいている。  二月に入ってパパが大阪へ出張し、ママは三月におさらいがあるとかで、実家へ稽古にいき、冽は一人留守番していたが、ひょいと思いついて、仏壇の中の久恵と祖母の写真を机の上におき、しみじみながめていると、結局、自分の友達はこの二人のように思えてくる。※[#歌記号]ヒトツツンデハハハノタメフタツツンデハチチノタメやら、※[#歌記号]フダラクヤァキシウツナミノオと、写真の前で唄い、あの葬式の日の晴れがましい、わが姿を思いかえし、なつかしみ、ナムカラタンノトラヤアヤアナムオリヤアボリヨキイチイ夢中になってうろ覚えの経をつづけるうち、「なにしてるのよ、気味がわるい」藪《やぶ》から棒にママの声がして、ママは写真ひったくるなり仏壇へおさめ、観音びらきの戸をぴしゃりと閉めると、「へんなことしてないで寝なさい、すぐいくから」  二階へ追い立てられた冽、しばらく寝つけぬまま、「ママお水」とさけんだが返事がない。階段を降りてみると、酒好きの実家のおばあさんの相手をしてきたらしく、酒の臭いがして、ママは帯もとかぬままごろりと寝ころんでいる。冽は台所で水を飲もうとしたがどのコップも汚れたままで、流しに身を乗り出し、蛇口《じやぐち》に直接口をつけて飲み、拍子に寝巻きの前を水びたしにして、冷たいより、しかられる怖《こわ》さが先に立ち、あぶないからと、冽一人の時はこたつだけで、火をつけないガスストーブ、ママがいるからと自動点火の栓《せん》をひねり、胸をつき出してかわかし、生がわきのところで立ち上ると、栓をひねらずにガス管をひょいと足でふみ、たちまちストーブの赤い色がさめ、しばし後足をはなすと、シュウシュウ、ガスがもれる。冽はそのままストーブと赤くそまったママの顔をみていたが、「おやすみなさい」ごく当り前の口調でいって急に強くなったガスの臭いに顔しかめながら、とんとんと二階へのぼり、布団にもぐると頭までかぶって、「先生、ママが死んじゃったので学校お休みにしてください」そっとつぶやいてみる。「かわいそうねえ、ママがいなくなっちゃってどうするのかしら、まだ二年生だっていうのに」「泣いちゃいけないよ、パパがいるからね」いろんな声が夢うつつできこえ、いろんな手が頭をなでるように感じ、ママのお葬式はどうかな、花輪はあるかしら、おばあちゃんのどくろは黄色くて汚なかったけど、ママのはどうかしら、考えるうちねむりにひきこまれ、でもまたママの四十九日がすぎたら一人ぼっちになっちゃう。いやまだパパがいる、パパがいる。パパがいる——。  浣腸《かんちよう》とマリア 「お母ちゃんみたいに耳のタボのうすい女は、行く末かならずええことないようなるんや。きっとバチあたりよるわ」  鋳型《いがた》からうちだされたセルロイドの浣腸器《かんちようき》のへたのぎざぎざを、肥後守《ひごのかみ》できいきいと削りおとして三つ一銭の手内職、水洟《みずばな》すすりすすり、祖母のおかねは嫁の悪口をいいづめだった。  ええことない、バチがあたるといえば、行く末どころか今日《こんにち》ただいまがのっぴきならないくいつめかたで、早い話がおかねと嫁の竹代、それに孫の年巨《としひろ》、親子三代三人が住むこの小屋は、一年前まで警防団の詰所。六畳に三畳といえばきこえはいいが、板じきにつぎはぎのうすべりをひいただけで、周囲の壁は二カ所で大きく破れて骨がみえ、うらの蓮池《はすいけ》をわたる風はすうすうと吹き入り、夏の盛りにこれはなによりありがたかったが、やがてむかえる冬が思いやられる。  竹代は靴下工場へ働きにでて月に三百八十五円、他に封鎖預金から五百円をおぎなってこれが全収入。昭和二十一年夏の府下|北《きた》河内《かわち》郡|守口《もりぐち》町の主食配給は、なまじ農村地帯とあって放出のチーズ、アンズ、さてはチューインガムまでれいれいしく何日分と割当てられ、日本一よくどしいこの辺《あた》りの百姓の売る闇米《やみごめ》が一升百三十五円、数え十五の年巨はもとより、腰が抜けて寝たきりのおかねも、あさましいばかりに腹が減っていた。 「すんませんな年ちゃん、しいとっとくんなはれや。わるいな、出世前の男の子にこんなことさして、すまんおもてます」  へたを削る音がやむと、いれかわってアカの古い洗面器におかねの小便のほとばしる音がきこえ、三食きまっておまじりほどの重湯《おもゆ》にスイトンだから、すべて水にもどるのかもしれぬが、おかねはやたらとしいをして、そのたびに洗面器をわなわなふるえる細い腕に支《ささ》え、いいわけしいしい年巨に始末をたのんだ。  白髪をふりみだし、帯しろ裸の上半身に木目のような垢《あか》がうかび、みるかげもないおかねの姿で、これが天六《てんろく》を焼け出される前までは、家内のおさえはもとより、町会長まで一目おいた気丈者だったとは信じられず、まるでのぞきからくりの舞台トンとかわったようなうつろいよう。  一年前の同じ夏、都おちした福井は春江の機屋《はたや》で敗戦のラジオをきき、まわりの者がこれは和睦《わぼく》や、いや戒厳令のこっちゃとさわぐ中で、「アホやな、いくさは敗《ま》けときまりましたがな」とたしかな耳をそば立て、部屋へかえるなりまだ白髪もみえぬ髪をばっさり切りおとし、「天子様に申しわけない」と一礼、さすがは浪花《なにわ》の女子《おなご》やと妙な賞《ほ》められ方をしたあたりが、おかねの最後の花だったろう。もっとも人が去るとすぐに声をひそめ、「そやさかいダイヤなんか供出するのいややいうたんや、お前がヤイヤイいうさかいごつい損したわ」と、語気するどく竹代にあたったのだが。  竹代はおかねの一人《ひとり》息子《むすこ》弥太郎《やたろう》の嫁で、弥太郎は長く照国丸の機関士でいたのを徴用《ちようよう》にとられて軍用船に乗り、昭和十八年、トラック島からの郵便を最後に消息がとだえた。おかねはその日の風向きで、「名誉の戦死も同じことや」と眼しばたたかせると思えば、「あの子が死ぬきづかいないわ、きっと帰ってきまっさ」とまた胸をはり、その後はきまって竹代のだらしなさを、配給米のゴミえりわける指づかいにまで文句をつけ、小学校おえるまで添寝した年巨のしつけ、指一本も竹代にはふれさせず、この頃まではたしかに、竹代はちいさな耳たぼにふさわしい、影のうすい嫁であった。  敗けと決っては、焼け出されへの人情もうすらぎ大阪へもどったが、天六の土地は借地ですでに見知らぬバラックがひしめき、こけつまろびつ遠い血縁をたより歩いて、今の蓮池のほとりの小屋へころげこんだのが昭和二十年の十月半ば。いきなりおかねは蓮池のれんこんに眼をつけ、池にふみこんだが、台風の後で泥がゆるみ、脚《あし》をとられて身うごきならず、ようやく年巨が竿でほじくり出してみると、どこをねじったか、以後、腰が抜けた。  はりマッサージあんまとたのんだ末に、どうにか杖《つえ》にすがって立ちはできても、しゃがんで用の足せぬ中風同然、朝夕に年巨や竹代の手をかりて下の始末たのむうち、ぷっつり切った髪はみるみる霜をおいてのびるにまかせ、姿形は凄味《すごみ》をおびたが、逆に意地もはりも失《う》せて愚痴こぼすだけの老婆となる。  逆に、今までどこにかくしていたのか、猫をかぶっていたのか、それとも弥太郎の帰るのぞみをまったく失った後家のふんばりか、竹代は人がちがったようなくそ力をみせはじめた。 「死んだか生きたかわからん人の洋服おいとったってしゃあないんちゃいますか。あの人が万一かえってきはったら、その時はその時で新調しはりますやろ」と、疎開させておいた弥太郎の背広を惜しげもなく米や芋と交換し、「死んだか生きたかわからんとは、それが女房の言葉か、万一かえってくるとはなんちゅういいぐさや」と、おかねの声ふるわせていきり立つのをしりめに、「そないに気ィしやはるんでしたら、服と物々交換した米も食べとうないんでっしゃろな、我が子の身ィ食べる気ィしはるんでっしゃろ」とせせら笑い、ばりばり義歯をならそうにも歯茎の肉がおちてままならぬおかねの面前で、これみよがしに銀しゃりをぱくつく。  もとは細い体でいたのが、食糧難にさからって竹代は腰やら胸のあたりめっきりたくましくかわり、はるばる加古川《かこがわ》くんだりへ野菜の買出し、稲刈のてつだい、御殿山へ薪木集《たきぎあつ》め、甲斐甲斐《かいがい》しく体をつかって、水を得た魚のように働き、そして竹代を支えるものが、ひたすらおかねへのにくしみであると、これは年巨にもよめる。  竹代は、これが死欲とでもいうのか、おかねの異常なまでに腹をすかせると知って、徹底的にそれをせめたてた。 「あんたは育ち盛りのことやし、せいぜい食べてもらわなあかん。体の弱い男にしたてたらお父ちゃんに怒られてまうがな」なあお婆ちゃんと、竹代は半ばおかねに言いかけ、粥《かゆ》の鍋《なべ》の底に沈んだ飯粒のあたりをぐいっとお玉でしゃくってそれは年巨へ、お婆ちゃんやわてらはもう昔にようけ食べたんやから、今はしんぼせなと、今度は粥の上ずみをすいとかすめて、たらたらとおかねの茶碗《ちやわん》にこぼす。 「おばあちゃんは寝たきりやねんから、この方が消化によろしわ」おかねは涙うかべんばかりになさけながって、一息にずるずる吸いこめば、竹代は追いうちをかけて、「少しは噛《か》まんと毒でっせ」「噛もおもたってオマンマなんかあれしまへん」とおかね悲鳴をあげる。「えらい人ぎきわるいこといいなはりますけど、なにもわざとしてることやないんでっせ、ここのとこわかってくれならどもなれへん。このおカイさんは、わての工場で、働いてる人間にだけくれはった特配ですねんよ」働いている人間だけにと、わざとくりかえし、かりに重湯なりと白湯《さゆ》なりとこないしてわけたったるだけええやないかとまではいわぬが、ひらき直ってどなりたて、だがおかねはもう何も耳に入らぬ按配《あんばい》で、とにかく一粒の飯を口に含みたいしゃぶりたいと、年巨のよくうごく口元をひたとみつめる。  大豆はわざと煎《い》らずに与えた。がたがたの義歯ではしねしねしてしかも丸い豆など噛めたものではなく、ぽろぽろとおかねの唇《くちびる》からこぼれるさまを楽しむためだった。やがておかねも考えて、新聞を細く切り裂き義歯と歯茎の間にはさみこみ、なんとか噛みやすく工夫すれば、竹代はきこえよがしに、「食意地はって紙までくいよる、あら巳《み》どしやのうて羊どしやったんか」といいはなち、勤めにでる時は、釜《かま》のふたに髪の毛はりつけて、つまみ食いのすぐばれるよう細工をし、わざと眼につき易《やす》いところへ、ずいきの干したのをおいて、空腹に後先なくなったおかねがこれを口にして、喉《のど》やら舌やらえがらっぽさに顔ひんまげるさまをよろこび、竹代の生甲斐まさしくここにあった。 「弥太郎がかえってきよったら、年ちゃんも楽でけます。丸万の魚すきでも、灘万《なだまん》の料理でも、なんでも食わしたるでえ」  やがておかねの話題は、死んだ息子のことにかぎられて、これが唯一の逃げ場所であった。年巨を自分の側《そば》にひきとめておきたくても、竹代のふりかざす食いものに対抗する力のあるはずはなく、せめて父親の想い出をかき立てることで、自分への同情をひく魂胆とも、みえた。 「お前のお父ちゃんはようでけたお人やったわ。おじいちゃんがはよう死んで、上の学校へいかれへんようなった時も、学校出た人に負けんようなったるいうて、キリッとしはってなあ」、船会社へ入ったこと、南洋で釣った大きな魚をよう土産《みやげ》にもってかえったこと、相撲《すもう》がつようて、関の五本松をええ声で唄《うと》うて、背が高《たこ》うて女《おなご》にもてたこと——。 「だまされよったんや、なんぼでもええとこから嫁もらえたのに、竹代にだまされよって、わしはあんな耳たぼのうすい女はあかんちゅうたのに、あの女うまいこというて乳くりあいよってからに」  末はみだらがましいことをぶつぶつとつぶやき、もはやきき手が孫であることなど眼中にない。  年巨にとって弥太郎の印象は、まことにおぼつかないものだった。船乗りだから家に居ることは年に二月ほど、それも何回かに分れていて、ようやくなじみをとりもどした頃にはいつも、神戸のメリケン波止場《はとば》、テープの渦の中に、父は姿を消した。 「何時《いつ》やったかなあ、六甲山《ろつこうさん》へおれ登ったことあったなあ、お父ちゃんと」 「そやがな、お父ちゃんよろこんどったでえ、年巨は脚がつよいいうてなあ。おばあちゃんのつくった弁当おぼえてるか? こんなごついにぎり飯海苔《のり》まいてなあ、揚げさんの煮たのと卵焼きを好きやったわ、お父ちゃんは」 「照国丸て大きな船やったわあ、おれおぼえてるわ」  岸壁をはなれてから動くともみえぬのにふと気づくとはるか沖合いに、側面をみせどっしり浮んでいた照国丸の姿がやがて年巨の胸にうかび、汽笛がひびき、次第にお父ちゃんそのもののような感じでせまった。アルバムを焼かれ、その背広も今はなく、常に不意にあらわれ、そして同じく去った弥太郎だけに、かえって年巨の心の中では、自由にその父の形をつくりあげることができた。 「なんやもうお父ちゃんお父ちゃんて、ええ年してからに死んだ人のこというたってはじまらんやろ。そんな暇あんねやったら裏のれんこんでも抜いてきてんか」  竹代は弥太郎の話にはいっさいふれたがらず、また、年巨がおかねの話相手をつとめれば、それだけおかねの気がまぎれることになり心が煮えたが、年巨に金を稼《かせ》がせるつもりはなかった。自分一人が一家を支え、年巨をだしにしておかねをいじめる楽しみを捨てにくかったのだ。年巨が働けば、その稼ぎの何分かをおかねは、自分の権利のようにいいたてるだろう、年巨も小遣《こづかい》くらいひそかにやるかもしれぬ。どうせ松下乾電池工場の見習いで、月に二百や二百五十のかせぎなら、おかねの世話をさせた方が世間体もええこっちゃと計算が働いていた。  やがて二十一年も暮れに近く、おかねはひたすら食意地をたよりに、竹代はおかねの餓鬼ぶりを楽しみに、そして年巨はおかねの愚痴のはしはしから、父弥太郎のイメージを拾いあつめ自分なりに織りあげることに、生きていた。 「お父ちゃん五尺八寸も背ェあったんか」 「八寸できかんやろ、よう鴨居《かもい》にでぼちんぶつけよったもん」  鴨居といわれても天井のない住居ではくらべようがなかったが、名前に似あわずはや背の伸びがとまって五尺そこそこの年巨にはひたすらたのもしく思え、体重はどれくらいあってん、そやなあ目方は二十貫ほどやろか。剣道もしっとったんか? おぼえとるやろ、よう庭で木刀の素ぶりしてはったやんか。有段者か。そらそうや、つよかってんなあ。そらもうえらいもんやがなあ。  へた削りを手伝いながら、年巨は父親の足の文数、浪花節《なにわぶし》の好み、顔の洗い方、怒った時の口調、さらにその子供の頃のいたずら、学校の成績、怪我《けが》、病気のことまでおかねからききだし、丹念《たんねん》にはめ絵を完成させていった。そのためには竹代の眼をぬすんで、つまみぐいもたすけ、「おばあちゃんはお腹《なか》わるいよってあげたらあかんよ」とわざと念押されて貰《もら》った占領軍のチョコもわけてやった。  年巨のたのしみは、守口駅まで足をのばし、大阪新聞の屋根裏3ちゃんを立ち読みするくらいのものだったが、そのうち駅から降り立つ人の群れの中に、父に似た五尺八寸筋骨たくましく颯爽《さつそう》とした貴公子風の姿を探《さが》し求めることにかわり、時にはそれらしき風体の男の後について淀川《よどがわ》の向うまで歩き、その家の表札をたしかめてみたりして、同年輩の近所の者とは口もきかず、周囲の百姓は、あれ頭いかれとんのとちゃうかなど噂《うわさ》が立った。 「この前、年巨が会社へきた時、社長はんがあんたの顔みて、えらい暗い顔してるいいはったで。なんかいやなことあんねやったらいうてみ。そらまあ、お婆ちゃんはあんな具合やし、おもろないのはわかるけど、そやからお母ちゃんも気ィつこうて、あんたがお腹へらさんようつとめてるつもりや。家におって辛気《しんき》くさいんやったら、工場でお母ちゃんと一緒にはたらいてみるか」  竹代も心にかかるらしく時折は言葉をかけたが、年巨の気持からははるかに遠く、なんにしてもおかねに弥太郎の話をきくさいの、表と裏の如《ごと》く吹きこまれる悪口がひびいている。 「お父ちゃん、ほんまに死んだんやろか」 「当り前やがな。お父ちゃんさえおったらこんな苦労はせんでもええねんよ。そやけど死にはった人のことばっか考えてても生きていかれへんやろ、しっかりしてやほんまに」  お父ちゃん、ほんまは生きとって、お母ちゃんとくらすのいややから、今は他《ほか》におって、そのうちぼくをむかえにくるのとちゃうやろか、おかねの自信あり気にいった言葉など思いかえしながら、竹代が闇市《やみいち》で買ってきた一箇十円のにぎり飯をかじり、頭の中にある父親は、どこからみても理想の姿にちかいのだが、ただひとつ竹代のような女を妻にしたのが玉にきずで、しかもそのきずが自分の母親であると考えると、年巨の頭もやがかかったようになり、うっそりと白い眼をむく。  明けて正月の三日、竹代が外出した留守におかねはつまみぐいの餅《もち》を喉《のど》につまらせて死んだ。いや、眼を白黒させて苦しむおかねを年巨がみつけ、やみくもに背中をたたくと、ろくに歯の痕《あと》もない切り餅がよだれとともにとび出し、たすかったかとみえたが、衰弱しきった体にはこれほどの衝撃もこたえたらしく、ぜいぜい息を切らせ、やがて寝入るようにこときれた。そのいまわのきわにおかねは、年巨にとって耳よりな話をきかせた。 「ええか、ようききや、あんたのお母はんは、ありゃ継母《ままはは》やで。あんな耳たぼのうすい女といっしょにおったら、年巨も出世でけんわ。ようおぼえときや。竹代はありゃ継母やねんでえ」  とっさのことで、なんで、どないして継母や、お父ちゃんはどないなるんやときく暇もなく、おかねは、後、口をつぐんだままだった。  年巨が白張《しらは》り提灯《ぢようちん》をかつぎ、リヤカーに棺桶《かんおけ》をつんでひき、炭一俵十四円五十銭の特配と、大豆殻が二束、薪《まき》四束で野辺《のべ》のおくりはすんだ。露天の焼き場で、轟々《ごうごう》となる火をみまもりながら、年巨はそうか継母やったんかと、あらためて思いかえせば、なるほど戦災にあわぬ前の影のうすかったお母ちゃん、北河内へうつってからのすさまじいお母ちゃんと、その時々の自分への態度がいちいち納得がいって、つい気楽に含み笑いすると、みとがめた竹代は、「かわいがってもろたおばあちゃん死にはったのになんですか」と叱《しか》り、自分はしかつめらしく数珠《じゆず》をもんだ。さすが長患《ながわずら》いの病人の姿が消えると、二年ごしのくもの巣の、はっきり壁のすみに形をとどめる掘立小屋も、急にあかるくなった。  それが当然のことのように年巨はおかねの後をつぎ、へたけずり、三箇一銭が二箇で一銭と値が上って、一日すわりづめ、うっかり鼻をすすれば脳天にセルの臭《にお》いのしみるほど精を出して、月に二百円の稼《かせ》ぎになる。きいきいと削りながら年巨は父の好きだったという関の五本松をおかねゆずりの節でうたい、あきると相撲《すもう》のつよかった父を真似《まね》て独《ひと》り相撲、浣腸《かんちよう》の山積みの中に倒れこみ、二日分の稼ぎをふいにしたこともあった。竹代はしきりに表で働くことをすすめたが、単調なへたけずりだからこそ、父と二人きりの会話ができると、年巨は心得て応じなかった。  家に手がかからなくなると、竹代はよく外泊した。ある時は少年工が盲腸で入院したからその付添、また、残業でおそくなり夜道が危ないから寮へ泊ったと、いちいちもっともな理由だったが、一月の晦日《みそか》の夜、すべてがばれた。男が酒に酔ってたずねてきたのだ。  硝子戸《ガラスど》をたたく音に年巨が眼を覚《さ》ますと、かたわらに竹代の姿があり、客など訪れる気づかいないのを、しぶしぶおかねの一帳羅《いつちようら》だったあわせの寝巻きかきあわせ起き上ると、暗闇《くらやみ》の中で煙草の火が息づいていて、どうせ鍵《かぎ》などかからぬ硝子戸だから、おそるおそる、「どなたさんでっか」とたずねれば、意外に太い声で、「竹代さんいてはるか」。その声に多分目覚めてはいたらしい竹代がとびおき、「どないしてんな、こんなおそうに」  と、声音《こわね》でもはや誰と知っていた。 「年巨さん」と、竹代はあらたまった調子で呼び、実はこの方はお母ちゃんのえらい世話になっとるお方でなあ、電車がストライキするかも知れんので泊めてほしいいうてはるねん。ゼネストやったらやめになったはずやがなと年巨は心の中でつぶやいたが、竹代は寝巻きのままで恥じる風もなく、まして男は酒に頬《ほお》を染めてゆらりゆらりと立っているさえ大儀そうで、二人の間は年巨にも推察がつく、年巨も十六歳になっていた。  年巨はいわれぬ先に浣腸の箱を片づけ、自分はことさら壁のきわに身を寄せて、二人に背を向けて寝た。ほんまになんでストライキなんかしはるのやろねえと、まだそらぞらしく竹代は誰にともなくいい、しかしその声は、別人と思えるほどぬれている。  年巨は背後の二人を特に気にもかけず枕《まくら》につくなりいつものように、昨夜寝入る前にかわした父との甘い会話を続けた。 「ほんで船しずんでからお父ちゃんどないしてんな」 「生き残ったんは俺《おれ》だけや、ボートには水も米もあるやろ、こらもうのんびりやるこっちゃおもて、毎日釣りしたり唄《うと》うたりしてなあ、気ままに漂流しとったんや」 「さびしいことあれへんかったか」 「なんの、俺は照国丸の一等機関士や、少々のことでへこたれるかい」  父との会話はある夜、剣道の試合であり、また、六甲山に登り、香櫨園《こうろえん》に泳ぎ——。  竹代のもとへ、その後しばしば男は顔をみせ、千林《せんばやし》の土建屋の主人だと、あらためて紹介された。男のたすけで、掘立小屋は、なんとか飯場ほどに体裁をととのえ、畳も古いなりに数がそろった。男との関係がおおっぴらになるにつれ、年巨はすすんで洗濯《せんたく》やら飯炊《めした》きの用をひきうけ、やがて竹代もなれて月経に汚れた下着まで始末を頼み、年巨はまるでいやな顔もみせずに引きうけ、その心の底は継母や継母やといっそ快かった。  三月に入って浣腸屋がつぶれ、土建屋はしきりに職を世話するといったが、ふりきって年巨は京阪線土居駅前でみかけたちっぽけな新聞社の求人広告をたよった。名前だけは京阪日日新聞と大きくでたが、五十がらみの社長と、二十五、六の青年が一人。市に昇格した守口の、選挙目当てにおったてた広告稼ぎの新聞だった。 「仕事は楽やで、わいのいうところへ行って名刺出すねん、ほな広告のスペースによって料金を出してくれるねん」その金はあんたとわいの折半《せつぱん》にしよやないかといわれ、もしそれが本当ならなぜ自分で出向かないのか、年巨にも説明きいただけでインチキはすぐのみこめたが、とにかく損をするいうたって下駄のちびるだけやと、社長のいわれるままに歩き、歩いてみると、丁度、八百屋《やおや》、魚屋などが配給登録制になる時期とぶつかっていて、けっこう丸一やら魚金やらの広告がとれる。  青年はもっぱら大新聞の記事を切り抜いては紙に貼《は》り、紙面をつくり、社長はなにがおもしろいのか一日中三畳たらずの部屋にがんばって、年巨の集金をうけとると、約束通り折半にして、収入は一日百五十円から二百円にもなった。  はじめて自由な金をもつと年巨は、闇市を丹念に歩いて一皿二十五円のライスカレー、焼き大福、汁粉、クリームパンを食べ、八十円で慶応のボタンのついた学生服を買い、時には千日前まで足をのばして高田浩吉の実演を観《み》て、急に生活に張りが出たが、それにつけてもこうやって金を稼がしてくれる社長に悪う思われたらいかんと、帰りには鰻飯《うなぎめし》はりこんで折詰を土産《みやげ》にしたりする知恵は、これはおかねゆずり。  一週間つとめて、一日平均百円稼ぎだから、ついズボンのポケットから十円札がこぼれおちたり、ハーシーのチョコレートの包紙が出たり、竹代の眼にも年巨のふところはわかり、なまじ口をとざしているだけ不安で、あれこれ問いつめたいのは山々だが、自分も男をくわえこんでいる弱味があって、「まあ体をこわさんようにな」とつぶやくだけ。 「お母ちゃん、男のおっさんなあ」と妙ないい方をして、「来る時はいうてほしいわ、ぼくよそへ泊るよって」と年巨が申しでた。「ほんなお前気ィつかわんかて」かまへんといいかけて、さすがに気がひけ押しだまるのを、年巨は下着をボストンにつめそのままとび出し、心づもりは夜、無人になる新聞社の部屋、家出の決心だった。  留守番がわりに泊らしてくれというと社長はよろこんで、そらありがたいわ、まださむいよってここですきやきでもたいて食おやないか、お前肉|買《こ》うてきてんか、わしは家から布団《ふとん》もってきたると、ばかに乗気の様子。  その夜は焼酎《しようちゆう》に酔った社長と、一つ布団に寝て、年巨がいつものように闇の中の父にしゃべりかけると、酔いつぶれた筈《はず》の社長の手が年巨の体にのび、しなやかに指がうごいた。年巨はおどろくよりなによりおそろしく、じっと寝入ったふりをして、まだ目覚《めざ》めていると思われるのが恥ずかしく下手《へた》な空いびきさえかいてみせたが委細《いさい》かまわず社長は年巨の背中におおいかぶさり、身も世もない感じでむしゃぶりつき、ときおり苦しそうに息を吐いた。しばらくして社長は上半身を起し、布団がずれて冷たい空気が年巨の背中をなでた。  年巨は、むしろむかえ入れるように動き、その底に社長のきげんをそこねたくない気持があった、さらに、柔道も強かったという父親に、今くみしかれているような錯覚がふとあった。圧倒的につよい父の力に押えつけられ、その下で半ば悲鳴をあげつつ甘えているのだと思った。就眠儀式となっていた父との会話が、今、現実の形となりこれまで加えられたことのない重量が、一定のリズムをもって年巨の体にようしゃなくのしかかり、それと共に竹代のものでもおかねのものでもない体臭が激しくただよい、いつか年巨は汗を流し、うめき声をもらしていた。骨がきしむほどの力がひとしきり加わって、嘘《うそ》のように身がかるくなると年巨はまたねむりこけたふりにもどり、やがて、なにやら濡《ぬ》れた雑巾《ぞうきん》めくものでぬぐわれ、冷たさにハッと息をつめうっすらと眼をひらくと、あたりは真の闇で、姿はないが布団の裾《すそ》あたり、社長のしきりと畳をふく音がきこえた。年巨はどこからが夢ともわからず、たちまちねむりこけた。  目覚めると、社長はもう算盤《そろばん》をはじいていて、「今日は天満《てんま》の方へ行ってもらうで、広告もそやけど、保険の口もあんね」と、まるでなにもなかったようにいい、年巨もすいっと昨夜を忘れた。そして、「ネンキョて、これ何と読むねん」。名前をきかれて、年巨はとしひろと答えたが、社長は、これからネンキョいうで、愛嬌《あいきよう》あってええがなと押しつけられ、たしかに小学校の頃、年巨は教師にもこう呼ばれていて、ふとなつかしい想いがわく。  やがて広告とりから、宝くじの一等当選者が守口から出たとなると、そのインタビューなどもやらされて、年巨はいっぱしの記者になったつもり、初めて名刺さえもち、急に運がひらけた感じで、「やっぱりお母ちゃんみたいに耳たぼのうすい女と一緒におったらあかんねんなあ」とおかねの言葉が腑《ふ》におち、もうちょっと早《はよ》うこうなってたら、婆ちゃんに大福ぐらい食わせたったのにと、涙が出た。  八百屋魚屋の登録がすむと、急に広告が減った。無断で床屋質屋コーヒ屋の宣伝をのせ、ネンキョとってこいというから出かけると塩をまかれるようなあしらいをうけ、だが、三日に一度は社に泊りこんで年巨を抱く社長は別にくじけもせず、かえって頼もしくさえみえた。 「あのなあネンキョ、守口駅の横に古本屋あるやろ、あこのおやっさんおもろい人でなあ。いっぺんネンキョと話したいいうてんねん。どや、御馳走《ごちそう》になりにいかんか」  寝物語に社長がいった。年巨は自分のことについてこれまでしゃべったこともなし、なにをどうそのおやっさんに紹介したのか、古本屋の親父がなんでおれを御馳走せんならんのか見当はつかなかったが、とにかくでかけると、相手は丸い縁の眼鏡をかけた貧相な男で、「はあ、あんたがネンキョさんか」  御馳走といっても駅前のコーヒ屋でケーキを食べただけ、その後は大宮町の淀川のそばの、家財道具などまるでないアパートへ連れこまれ、男がまだ暮れぬうち布団をひきはじめ、ようやく年巨にものみこめた。 「ネンキョは年なんぼや、きれいな体してるやないか」と、男はねちねち視線をからませ、不意に唇《くちびる》を押しつけて来て、なによりも舌の入ってきたことに年巨はおどろいた。そして、「いつか森の宮で女の人がキスされそうなって、男のベロ噛《か》みきったって新聞に出てたけど、これやったら噛めるな」などうつろに思い、たいした厭悪感《えんおかん》もなく、なによりもうこうなった時に、感情をひょいっと遠くへあずけてしまう操作が、年巨にはできた。ネンキョと呼ばれる時の自分と、年巨《としひろ》は別物に思えた。  ——ネンキョは、父と船に乗っていた。波の間に間にゆらぎながら釣をするうち、不意に父がネンキョを押したおし、それはグラマンが低空飛行で機銃掃射したからだった。敵機がとび去った後も、父は体をぴったりとネンキョの上に伏せ、再び襲うかもしれぬ銃弾からまもってくれている、父の重みにネンキョの膝《ひざ》は船板にくいこみ、だがネンキョは耐える、船はなおゆれつづけゆれつづけ——  四度目の敵機の襲来を考えたところで、男が体をはなした。眼鏡をはずして焦点のぼけたその表情と、いつの間にか布団からのり出していて、赤くすりむけた細い膝を、年巨はぼんやりながめていた。 「腹減ったやろ、ちょっと待ってや、パンと替えてくるさかい」。男はちいさなメリケン粉の袋を押入れからとり出し、ついでに活版ずりの本をみせて、「どや、これでも読まんか」といった。  その粗末なエロ本をながめるうち、ふと母を思い、去年の夏、夜中に目覚めると竹代の白い太ももがくらがりのすぐかたわらにあり、年巨はさそわれるようにその浴衣《ゆかた》でかくされた奥に手をのばし、のばしてから、こんなこと気づかれたらえらいこっちゃと、ぬきさしならずしばらくそのままなにもふれぬ竹代の脚《あし》の間に指を硬直させていた。次の夜みると、竹代はズロースをきちんとはいていて、年巨はやっぱり知っとんたんかと身のすくむ想い、今もあの土建屋に抱かれとんのかと考えると、気がたかぶり、古本屋に弄《もてあそ》ばれたものを、さらに続けて、はじめてきわまりを知る。  社長は週に一度、まるで何気なく御馳走食べにいかんかと年巨にいい、その先はいつもちがっていて、詩人だという喫茶店の主人、心斎橋《しんさいばし》の肉屋、外語大の教師、経師屋、踊りの師匠、金はもらわなかったが、ジャンパーや皮の半長靴、MJBの半ポンド罐《かん》をそれぞれ気前よくくれ、闇市に売れば、広告とりは不景気でも、パン銀シャリたまにコーヒ飲む金には困らぬ。新聞の切り貼りをする青年も、年をきけば実はまだ二十歳とかで、これは一年前、大阪駅でぼんやりしてるところを社長にさそわれ、年巨と同じ役を負わされていて、普段はかわらぬ口調だが、興奮すると、「なにいうてはりますの、いやらしいわあ」女言葉になった。  五月に入ると、神社の境内や建物疎開の跡の小さな広場に、櫓《やぐら》がくまれ、豆電球がにぎやかに飾られて、いたるところ河内《かわち》音頭《おんど》の太鼓がひびいた。滝井神社の踊りの輪の、酒をのんで景気のいいのはすべて朝鮮人で、まわらぬ舌の、「スツキモンドというさむらいはア」とわめき立てるのをながめるうち、年巨はその中に竹代の姿をみた。多分、夏冬それぞれの一帳羅《いつちようら》は米にもかえずしまっていたのだろう、紺の着物に、若竹色の帯をしめ、とても四十にはみえぬあでやかさでほんのり闇に浮き、ましてやまなじり吊《つ》りあげておかねのしいの器をたたきつけたおもかげはまるでなく、酔っているらしく男達のぶしつけに肩をだいたり、顔をよせるのをいやがりもせず、年巨にはきこえぬが、なにか冗談口たたいては、自分も笑いこけていた。 「なんや、あんな継母《ままはは》」とつぶやいてみても、さすがにそれ以上はみるに耐えず、そうや、あの調子やったらかえりおそなるやろ、今のうちに下着の替えもってきたろと、年巨は無理に、竹代の姿をふり払い、家へ向って小走りにかけた。 「年巨さん、どこへいってはったの」  鍵《かぎ》のかかった硝子戸《ガラスど》をはずそうとして、声をかけられ、みると近くの床屋の女房だった。 「ちょと仕事にいってましてん」と答える年巨を、うさんくさそうに眺《なが》めながら、女房は早口でまくしたてた。「えらいことでしたで、あんた。いうてはなんやけど、お母さんとこで男はんが二人|喧嘩《けんか》しはじめて、終ったおもたら今度めは、残った男とお母さんがやいやいいいおうてから、夜さり大さわぎやがな。どないなつもりなんやろ」  きけば、竹代は靴下会社の若い工員、大工、朝鮮人の闇屋と次々関係をもち、挙句の果ての喧嘩|沙汰《ざた》といい、「ここいらへんで知らん人ないくらいやがな。あんたからいういうても、まだちんこいし、ほんま困ったもんやで」大して困った風もなく、いいたいだけいうと、女房は立ち去り、年巨はどうもおおきにと、いらぬ礼をいって、ほな、あの土建屋のおっさんとは切れてんなとだけ、ぼんやり考え、他には頭がまわらず、もはや下着の替えどころではなかった。  翌朝、どないかしたんか、体わるいんちゃうかと社長にいわれ、社長になら相談というより、今の自分の気持わかってもらえるやろと、はじめて事情を話す気になり、「あの、ぼくのお母はんのことですけど」といいかけると、社長は、「ああ、前に二、三度来はってな、なんや、いろいろ心配しとってやから、あんじょういうといたわ、元気でようやってくれてますてな」と、これまた予想外なことをいい、ますます年巨はこんがらがって、 「あの、御馳走の口ありまへんか」自分からいい出すのは初めてだった。なんでもいいから男に抱かれて、年巨は父としゃべりたかった。ひたすら父のそばにいる実感がほしかった。 「なんやネンキョ、もうその気ィになったんかい」わいやったらあかんかと、社長はいやしげに笑い、それでも男を紹介して、この日を境に、年巨は完全にネンキョとかわった。もう広告とりはいっさいやめて、夜は社長にだかれ、昼は自分からすすんで守口駅の古本屋、心斎橋の肉屋などの男を求め、こづかいもらえればよし、一文にもならなくともただあの、ゆらめく波の上で、あるいは汗くさい柔道場で父と語り、また幼児にもどって父に抱かれ風呂に入り、手をひかれて六甲山へのぼる幻想に没入できればそれでよかった。貧血で顔色はくろずみ、偏頭痛《へんずつう》になやみながら、年巨は、「ごめん、ネンキョですけど」と、男をおとずれつづけ、七月の終りに近く、年巨は新しく紹介された天下茶屋の洋服屋の男につれられ、香櫨園《こうろえん》の浜で泳ぐ、といってもまるで金槌《かなづち》だから、茶屋でもっぱら一皿二十円の関東煮《かんとだき》をたべてすごし、そのまま三の宮へ出て、丹波牛《たんばうし》のテキでも食うかと、トーア通りを山の手へ向う途中に、ふと竹代がいた。  街燈の光のとどかぬ暗闇にたたずみ、通りすがった年巨をみかけると、ひと目でそれと知れる白い厚化粧をふりたてて、呼びとめたのだ。  思わず年巨も二歩三歩ちかよりかけると、連れの洋服屋がとめた。「なんやネンキョ、やめとけよ、あらパンパンやないか」そしてばかにしきって竹代にいった。「よう人みて袖《そで》ひけよ、わいらは女いらんねんど、えらいすまんこっちゃったなあ」 「なんやてえ」、竹代が荒れた声をひびかせた。もういっぺんいうてみい。おうなんべんでもいうたるわい、お前らみたいなくされまんこはいらんのじゃ。みるみる竹代の表情がかわり、年巨の手をとったかとみると、洋服屋の前にわりこんで、「なんし帰ってもらおか、この子に指一本さわってもらいとうないねん、さ、年巨いきまひょ、いくんや」  あっけにとられる洋服屋に、年巨は説明するゆとりもなく、ただもう手をひかれるまま、人を突きのけ押しのけ、われにかえると、阪急電車の中にいた。  省線、京阪と乗り継ぎ、その間竹代は口をきかず、守口駅につくとすでに十時を過ぎていて、竹代は駅前のてんぷら屋で、紙のようにうすいとんかつを五枚百五十円で買い、腹減ったやろ、歩きもって食うたらええわと、はじめて口をきいた。夜道の池に食用蛙《しよくようがえる》がしきりと鳴き、雨雲がはげしくとび、年巨はいわれるままにとんかつをほおばり、その油のにじんだ指を、「これでふいたらええわ」と竹代に渡された紙は、今は年巨も見覚えのある、あのかすかに香《かお》りのただよう京紙だった。 「どないしとってんな」竹代は眼をそらせたままいった。家の中は年巨が出たころと同じで、まだ、浣腸《かんちよう》の箱が積みあげられ、おかねのしいの臭《にお》いがしみつき、年巨はかたくなに竹代の長い着物の裾をみつめていた。 「あの男のいうとったことはほんまか」「世の中にはけったいな奴《やつ》おるよって、だまされたらあかんで」「なんとかいうたらどや」押しだまる年巨に、竹代は涙声でいらだち、とたんに年巨もいいかえした。 「あんたなにしとんねな。ぼく知ってるわ、知ってるで全部」 「あんたて、なんでお母ちゃんていわんのん」 「お母ちゃんやないもん」 「そうか、そうやろな」急に竹代はがっくりと肩をおとし、お母ちゃんの資格あれへんわなあとつぶやいた。 「資格かなんかしらんけど、あんた継母《ままはは》やないか、ぼくきいたんや」 「ままはは? 誰がいうてんな」 「お婆ちゃん死ぬ時いうたわ、いわれんでもうすうす気ィはついてたけどもな」  年巨は自分でも押えがたく言葉がとび出し、その一言一言に竹代は顔色をかえた。 「まあええわ、ままははでもなんでもよろし、そやけどな、男のおもちゃになるのんはやめとき。な? これだけはいうこときき、体こわすだけやないで、全部いかれてまうで」 「ほっといてほしいわ、ぼくの勝手やもん」 「勝手やあれへん、勝手やないねんて、やめとき」竹代は身をふるわせ、年巨の膝《ひざ》にとりついた。「ほんまのこというたらな、あんたのお父ちゃんも、そのおかしい方やってん」「お父ちゃん?」「そやがな、そいでな、お母ちゃんなんぼ苦しんだかわかれへんねん、まあそれはどうでもええけど、あんたまでそんなことさせとうないねん。わかるやろが」 「ウソや、お父ちゃんは男らしい人で、照国丸の機関士や、そんな男とちゃうが」  まだ声がわりのせぬ年巨の声がきんきんと部屋の壁につきささり、年巨は逃げるように後じさりした。 「おばあちゃんがなにいうたか知らん、そやけどな、お母ちゃんのいうとんのはほんまやで、そいでおばあちゃんはな、わてを追い出そう思うて、お父ちゃんの男あそびを、そそのかしよったんよ、あんたにはわからんやろけど、そらつらいこといっぱいあってん。これはほんまやで、ほんまやで、まだわからんのん、なあ、年巨」  竹代は逃げる年巨を追って、にじり寄り、両手をつかんで自分の胸におしあてたが、やがて着ていた着物の胸をはだけるなり、まだゆたかな乳房《ちぶさ》を惜しみなくみせ、「お母ちゃんのや、さわってみ、遠慮いらへんわ。これが女なんや、なあ、わかるか、お母ちゃんはあんたになにもしてやれんかったけど、一つだけ役に立ったるわ、な、お母ちゃん抱き、かめへんやろ、お母ちゃんやもん、な、女を教えたるよ、これがほんまの女なんよ」  竹代は年巨を抱きしめ、はじめ怯《おび》えた年巨もやがてはしがみつき、お母ちゃんお母ちゃんと泣声をあげ、たわいもなく竹代のうごきに、ただもう漂うばかりで、「これが女よ、わかるかこれが女やで、ほんまもんの女なんやで」と竹代の声もかすれる。  灰皿の、ヒロポン注射の綿のアルコールに煙草の火がうつり、ゆらゆらと室内を照らし出した。 「これからどないすんねん。少しやったらお金あるけど、東京へでもいって働くかあ」  竹代の声はもう平静にもどっていて、「このまま一緒に住むわけにもいかんやろし」と低くつづけた。  年巨はこたえず、赤くそまった母のちいさな耳たぼに見入り、そっと自分の同じようにしょんぼりとすぼまった耳をいじりながら、もはや父との会話は色あせ、やがてまたお母ちゃんの、年には似合わぬふくよかな胸に頬《ほお》をよせ眼をつむると、そのまま赤ん坊のようにたわいなく深いねむりにのめりこんでいく。  たらちねの巣  窓をあけはなつと、てざわりたしかな五月の朝、そのあざやかな陽光浴びて、息子《むすこ》三歳の信は、布団《ふとん》はねのけたままねむりつづけていて、そして信のまごうかたなき男のしるし、直立しているのを、真理はみた。  真理は花を摘むごとく素直につと指をのばし、いかにもあたらしいその果実を掌《たなごころ》にくるみ、掌にくるめば小指にも足りぬもの、しかし、脈動をひびかせ地熱のようなほてりを伝え、あらためてながめると長さ三センチほど、内なる力ひめて雄々しく、だがのびきった皮膚は下腹よりさらに淡色で、となればかくされている部分に興味ひかれ、先端の、生れたばかりの蝉《せみ》の羽のごときあたりわけようと指まさぐったとたん、待ちかまえていたように放たれた小水、まっこうから真理の顔にくだけ、同時に、目覚《めざ》めた信の、いちはやく粗《そ》そうさとって怯《おび》える泣声がひびきわたった。  ひとたびせきを切った小水とめどなく、そして真理は顔おおうでもさけるでもなく、両腕畳についたままぬれるにまかせ、やがて眼をあけると、はやくもさきほどの威勢はうせていて、シーツにひろがるしみの上に、ひたすら可憐《かれん》な姿。  ふだんならこの粗そう、きつく叱《しか》るところだが、このたびは共犯者、真理はやさしく信のパンツをとりシーツひっぺがして、股間《こかん》と自分の顔をふき、ふとしょっぱい味がおかしくて笑い声もらすと、信もようやく安心して口もとほころばせる。「わるい子」すくい上げて膝《ひざ》にのせ力いっぱい抱きしめながら、夫の母の、「母親というものはねえ、子供のクソ三升食べて、育てますのや、それだけ苦労してるのやよって、浩史のことは、私がいちばんよう知っておりま」という言葉が、よみがえった。五年前、はじめて夫の不能をつげた時、六十二歳といっても、神戸大阪十指にあまる美容院を経営する心のはり、凜《りん》とした中高の顔にあらわれ、思い余ってうちあけた真理に、とりつく島のないきびしさで母はこういった。  真理は、浩史の遠縁にあたり、幼くして両親を失い親戚《しんせき》たらいまわしの末、中学|卒《お》えると、義母の手で美容師に仕立てあげられ、この頃はやさしい先生、尊敬すべき先輩と感謝もし、あこがれてさえいた。二十四歳の若さで、大阪天下茶屋の店をまかされ、年に二度、デパートのホールでヘヤ・スタイルのショー行う時は、講師格でいっぱしの解説も行い何不足ない明け暮れがさらに二十六の春、一人息子浩史の嫁にと、たってのプロポーズ、どこからみても非のうちどころない玉のこし夢みるような気持の中に、一点はっきり形をとらぬが不安な影が残り、しかしこれは、オーバーにいえば、孤児の美容師が、いわば家元をつぐシンデレラ物語、ふと頬《ほお》をつねってみたくなるのも当り前と、やがて挙式や披露宴の段取り、すべて鳥のとび立つあわただしさに、とりまぎれてしまったのだが、今から思えば、あの不安は女の直感といえた。  浩史は真理より十三年上で、つまり三十九歳にして初婚、肥満体で色白く頬がやけに赤い童顔で、もし真理に親しいわけ知りがいたならば、浩史のこれまでの独身に不審いだき、それとなく注意したろうが、その伝え手なく、はたはもう嫉妬羨望《しつとせんぼう》のまなざしばかり、そして母となるべき人に、「なんせ浩史は器量好みですよってにな、あれも好かんこれもいややいうて、ようよう真理さん気に入りましてん、ま、一つよろしゅうたのみますわ」といわれては、ひたすら恐縮するばかり。  新婚旅行は神戸から船で別府《べつぷ》、手に花束、頭にシャッポ、いささか花むこのふけているほかは見事なハネムーンのいで立ちだったが、その五日間、浩史はホテルによってツイン、ダブルとかわるベッド。まだ男を知らぬ真理の体のそばによこたわりながら、指一本ふれようとせぬ。  新婚旅行では、それまでの疲れ気苦労もあるのだろうと、第一処女の身でどうのこうの指図《さしず》もしかねて、清らかなまま御影《みかげ》の、浩史の両親の家にもどり、やがては須磨《すま》か舞子《まいこ》に家を建てたる、まあややこのできるまではここにおったらよろしと母にいわれ、マリア様じゃないのだから、子供の生れるわけはなく、したがって夫婦水入らずの暮しもいつのことやら。  父の幸吉は以前経理事務所に勤めていたのだが、妻の商売繁盛とともに退いて、名目は美容学園の理事長、浩史も同じく理事、神戸山の手にある学園へ、気のむいた時だけ出むき、父はもっぱら釣りが生きがいのようで、六十過ぎた老人ならばそれもよかろうが、男盛りの浩史が、なにもかも母にすがって生きる姿、なんともはがゆく、寝物語とはいっても事実上の背中あわせのまま、「お母さんにお金借りてガソリン・スタンドやってみたらどないかしら」「あたしも、あそんどってもしようないから、もう一度お店持って、浩史さんと二人で大きいしたらええのとちゃう?」若妻らしい夢のべても、フウフウとたよりない生返事ばかりなのだ。  たまりかねて浩史を背中から抱きしめ、実は恥ずかしくてすぐにはいえず、布団の中に頭つっこみ、「かわいがって」「愛してほしいの」「抱いて」と、精いっぱいの台詞《せりふ》を練習し、ようやくかすれ声でささやくと、ねがえりうって真理の肩に手を置いたが、眼をつぶったままぴくともうごかぬ。  その手をみちびいて、胸にふれさせ、それ以上ははばかられて、だが乳首にはじめてふれる男、その指さきから体中にしみわたるおののきに耐えきれず全身でにじりよったけれども、浩史は困り果てたように、乳房《ちぶさ》にあてた手で押しもどし、「また、今度にしようや」この時ばかりは、真理も情けなくて涙をこぼした。 「あたし、きらいなんやったらきらいいうてください」「きらいなことないよ」「そんなら抱いてほしいわ、こんなん形ばかりの夫婦とちゃいますか」「ぼく、今忙しいねん、忙しいよってあかんねん、一段落したらうまいこといく思う」  ベッドの上にすわりこんだ真理の視線さけるようにしながらいい、だが、どうひいき目に考えても浩史が忙しいわけはない。朝十時頃出かけて午後日の高いうちにもどり、ポケットから出てくるのは喫茶店のマッチばかり、だが浩史がそういうなら待ってみようと、せめてその腕一本を胸に抱いて眼をつぶる。  母の知英は働き者であった、六十近くなってから車の免許をとるほど、商売柄やや白髪のまじるあたりは紫に染め、神戸大阪の店をまわり、さらに新設ホテルへの進出を計画し、家にはほとんどいない。夜ふけて帰ると、浩史をよびよせてブランデーグラス器用に扱い、ときおり、「どないやの、赤ちゃんはまだですか、真理さんなんかすぐにもできそうなおヒップやのに、そういう幅広いお尻《しり》はお待ちばらと昔いうたものよ」妙に下品な印象でいい、お待ちばらとは、いかにも以前の使用人を意識した、見下げた言葉づかいに思えたが、真理は怒る気にもならぬ、待つにも待たぬにも、タネがこなけりゃ返事のしようがない。  半年|経《た》って、まだ拒否しつづけるから、真理は知英にうちあけた。 「変な話ですけど、浩史さん体の具合おわるいのとちゃいますかしら」「どうして、これまで病気いうたって、アデノイド切ったくらいで、どこといってわるいところはないはずやけど」あのうとさすがに口ごもり、「赤ちゃんのことですけど、私らできるはずありません」「そんなあほな、まだ結婚して間なしやねんし、今から心配することないですよ、あたしがせっつくよって気にしはるのやったら、あやまります」真理は無性に情けなくなり、思わずせきあげながら、「浩史さん、私を愛してくれはりません、私ら、なんや他人みたいなんです」「他人というと」知英はにこやかな表情をくずさず、だが、みすえるような眼を向け、「ご夫婦のことがないという意味ですか」「はい」「いつごろから」「いつごろからて、ハネムーンの時から全然です、浩史さん、私きろうてはるんです」  知英はひょいっと口調をかえ、「おかしな子やねえ、こんな若いべっぴんさんそばにおいて、もったいない」まるで、ケーキを食べたがらぬ子供にいうような、真理にとって生きるか死ぬかの瀬戸際《せとぎわ》であることなど、まるで念頭にない様子。「先生にみてもろたらどうでしょう、どっか体がわるい」かもしれぬとつづけるつもりを、知英はぴしゃりと押え、クソ三升の台詞が出た。  クソ三升の表現の、妙に生々しく、しかも知英と浩史のつながりの深さを、かいま見せられた感じで、その場は口をつぐみ、「私から、浩史にたずねてみましょ、あんまり心配せんかてよろし」  その夜、浩史は知英によばれ、そのまま真理のもとへはあらわれず、いっそ二人の話し合うところへのりこんで、どうやら事態のみこみかねてるらしい知英の前で、直接、浩史と対決しようかとも考えたが、勇気ないまま気づくと朝、廊下に出ると、浩史は覚えのないパジャマ着たまま、大きな姿見の前で丹念に髪とかしつけていて、あるいはさし出がましい自分のいいつけ口、怒っているのではないかと気にかかっていたのだが、まるでその気配なく、「おはよう」のん気にいった。 「西方家の男が、女房に逃げられるというようなことは、これはありまへんのや」  三日ばかり後に、思い余った真理、浩史は母との話し合いの後、どういうことか、それまでとにかく同じベッドへ寝ていたのが、もうばれたからにはかまへんというように、母の寝所のある二階の部屋に泊り、知英はまた真理の苦衷どこ吹く風と忙しくとびまわっているから、思い切って、「これでは夫婦ではありません、私、別れさせてもらいます」知英に宣言すると、これまたいっこうに動ずる色なく、きっぱりいった。 「真理さんは、浩史の妻となった人や、これはもうかえられませんよ」「かえられませんて、私かて男の人に愛してもらいたいし、子供かて生みたい思います。なにも好きこのんで別れるとちゃいます、別れなしようがないねんもん」「ややこ欲《ほ》しいねんやったら、そらまた考えたらよろし」まるで犬に子を生ませるようにいい、「浩史を病院へ連れていくとか、薬のませるというのは、あてが許しませんよ。浩史はあれで立派な男や、あてが育てたんやから、ようわかってますがな」知英はおかしそうに笑うが、真理はただ混乱するばかり、「子供生むて、人工授精のことですか、私そんなんいやです」「真理さん、そんなぜいたくいえた義理でっか、あんたはとにかく、西方美容チェーンの跡つぎの嫁ですよ。別に恩はきせません、そやけど考えてみなはれ、ここから出ていって、どないして暮せますか。あんたは、美容師やったらええ、と考えてるかもしれんけど、そう世の中甘いことありませんよ」  たしかに美容師のなかで、客のハンドバッグから金を抜く、あるいは経営者に手ひどい裏切りくわせたりした時、一種の手配書が行き渡って、どこでも雇わぬ、真理にしてみても、現在の二月に一度は知英のつきあいで、着物を新調し、自家用車乗りまわす暮しぶり、以前にくらべれば夢のごとく、ただなまじ妻の座を与えられているから、これまた当然のいら立ちもあるのだが、こうきっぱりいわれると、怯《おび》えてしまう。 「私にまかしときなはれ、西方家の人間になりきることが、あんたの幸《しあわ》せなんやて、そらあんたも若い、真理さんの気持もようわかりますよ」  ふたたびあんたから真理さんと呼び方がかわり、その夜、ねつき悪いままに習慣となった寝酒のブランデーいささか度をすごし、知英のいう、「まかしときなはれ」とはなんのことか。あるいは浮気すすめとるのとちゃうやろうか、芦屋《あしや》あたりの有閑マダムが、グループで若いツバメをどうとかするいう話きいたことあるけど、そういうとこに連れていって、たくましい青年を紹介してくれるのやろか。考えれば年相応に水の満ちるごとく、体の芯《しん》から熱気ふき上げ、うとうととするうち、これまで覚えのない重味を体にうけ、思わずはねのけようとしても、どっこい圧倒的な力で押えこまれる。暗闇《くらやみ》ではありとっさのことに動てんして、だが、やがてその重味がはっきりある行動をしめしはじめると、そうか浩史さんが来てくれはったのか、せき切ったように、「浩史さん浩史さん」と布団ごと逆にかじりつき、やがて肌《はだ》がふれあってみると、いかになれぬとはいえ、浩史とは似ても似つかぬ肌ざわり、そして浩史のぎごちなさとうってかわって巧者な身のこなしに、半ばは拒否し、半ばは知英の、「まかしときなはれ」にすがり、一段落した後、耳もとではじめてささやく男の声はまごう方なき幸吉、「真理さんもかわいそうに、よう辛抱したなあ」  お父さんと、声にはならず突きとばそうとしたが、身うごきとれぬ姿で、「ええねん、ええねん、浩史もお母ちゃんも承知の上のことや、年とっとってもな、浩史とはちゃう、浩史はあらインポやよってな、どないもならへんねん」老人臭い息を吐きかけられ、こらいったい夢みとるのかと、暗闇の中にせいいっぱい眼を開き、こうしていれば、ふいに覚めるのではないか、なにか光がみえないか、その光を探《さが》しあてれば、すぐに元へ戻れる、声も出ぬまま、だがふたたび幸吉の体はうごめき、つれてなにより夢でないしるしの疼痛《とうつう》が、背筋をつらぬき、自分でも思いがけぬさけびがほとばしり出る。  ようやく幸吉の体をはなし、電気つけるのが怖《おそ》ろしくて、暗闇の中にしゃがみこんでいると、「そらまあ、びっくりするのも無理はないよ、そやけど、はじめからきまっとってんからなあ」幸吉は、枕元《まくらもと》の煙草に火をつけ、一瞬あかるくその姿が浮び、それは煙くゆらすごとに、点滅し、はじめからきまっとるという意外な言葉を、なおのこと異様なひびきに飾り立てる。 「浩史はインポや、これまでなんべん医者にみてもろたか知れんわ、お母ちゃんにしてみたら、せっかくここまでのし上げた美容チェーンやねんから、いうたらわるいけど、真理さんより、もっとええしのお嬢さんをもらいたかってん、代議士とか、財閥のな、またそういう話もないこともなかった。そやけどもや、結婚したは、嫁さんも抱けんでは、相手が、えらいさんやったら、えらいことになってしまう、西方の跡取りはインポなんかいわれてみい、こら具合わるい、というて、いつまでも独身でおくわけにもいかん、一時はちょっとアメリカへでも行かして、留学のため婚期がおくれたことにするかいう話もあってんけど、なんせ浩史にはその度胸はないしな」  ぼそぼそと語る幸吉の言葉の、内容とうらはらに平静な調子、いや、さっきのあのけだものじみた息づかいやうめき、さらにうかがえぬ話しぶりに、ようやく真理もおちつき、「どや、電気つけてもええか」幸吉がいい、だまっていると、幸吉立ち上って壁のスイッチを入れる。眩《まぶ》しさになれてまず気づいたのは、ベッドのシーツの赤い色で、幸吉さり気なくかけ布団でこれをかくし、「まあ、こっちへいらっしゃい、別にこわいことないよ」いわれるままにふらふらとならんでソファにすわる。 「お父ちゃん、真理さんどう思いますか」浩史の嫁にどうといわれても、どだいかなわぬ体のはず、だまっていると知英は、「四十になる前に、なんとしてでも嫁とらな世間体わるい」「わるいいうたかて、浩史は病人やで」「それに、西方家の跡とりもいりますしな」ますます腑《ふ》におちない幸吉に、知英はなんの表情も浮べず、「あんたどないです、浩史のかわりつとめはったら」「浩史のかわりて、どないすんねん、わしがむこさんなるのか」「あほらしい」せせら笑って、「浩史の体はあかん、そやけど、あんたはまだその年でも役に立ちますやろ、まあ役に立つのはそれだけですからな」  経理事務所へ勤めている頃は、堅い男だったが、知英の美容院が当って手伝うようになると、もともとどんぶり勘定めいた収支決算、小づかい銭はじき出すのはお茶の子さいで、しかも知英は、東奔西走幸吉をかまわなかったから、宗《そう》右衛《え》門町《もんちよう》の芸者に入れ揚げ、有馬《ありま》にホステスを連れ出し、しかも中年過ぎての浮気沙汰《うわきざた》、いたるところでボロを出したのに、知英は黙認。側近美容師の忠義面して、理事長先生の所業つげ口するのも、常とかわらず笑ってきき流した。 「役に立ついうて、つまり真理さんをわしが抱くんか」「若いこォは扱いなれてるんでっしゃろ、せいぜい楽しんで、それでまあややこでけたら、もうけもんいうことですな」知英は品定めするように幸吉をながめ、「曲りなりにも西方家の血ィはうけつがれるわけやから。養子なんいうのはややこしいし、あんたさえだまっとったら、戸籍の上でも立派に浩史の子ォですわ」  幸吉は本気とも思わず、ごついこと考えつくもんやと呆《あき》れたが、知英は委細《いさい》かまわず着々と段取りすすめて、真理は浩史の嫁ときまり、そうなれば根は好き者、もしひょっとして浩史のインポが直ってしもて、うまいこと子ォできたとすると、わしはなんのことないまむしの臭《にお》いかがされただけかと、新婚夫婦の部屋の表に忍んで中の様子をうかがい、探しもののふりして寝室のごみかごを調べ、そして同じく知英が何を気にするのか、抜き足さし足で夜ふけにあらわれ、あわてて身をかくすと、知英もまたドアに耳おしつけ中の物音をさぐる、「どないなっとんねん、あの二人は」幸吉がたずねると、「そうあわてんでもよろし、その時がきたら段取りつけたげますさかい」「いや、そういうわけでもないけど、やっぱり、浩史あかんのか」「さあ、どうですかねえ」とぼけてはぐらかし、「まあ、精力つけてせいぜい用意しときはったらよろし」「ほな、私ははじめからいけにえみたいなものですか」  幸吉が事の次第物語るにつれ、真理はあまり踏みつけにしたやり方に、涙流すゆとりもなく、「浩史さんは、どう思うてるんです、浩史さんもそのいきさつ知ってはるのですか」  夫婦のかたらいはなく、だからじれはしたが、ときおり見せる気の弱そうな表情、あるいは小鳥が好きで、庭に米をまいて、「ぼくがみとるとちっとも来んけど、ちゃんとなくなるねんから、やっぱり食べとんねんやろな」とつぶやくやさしい面に、心のつながりも芽生《めば》えていたような気がするのだが、幸吉はにべもなく、「あらあかん、あら母ちゃんの人形やからな、母ちゃんのいうことはなんかていうままや」 「そや」と、幸吉は立ち上り、「ええもんみしたろか、ついて来てみい、音立てたらあかんよ」暗い廊下へ出て、真理も今はいわれるままに従うほかなく、足音しのばせて二階へ上ると、 「この突き当り母ちゃんの部屋やろ、バルコニーの方からまわろ、カーテンしめとったらあかんけど」  表は星あかり、はるか見おろす神戸の家並み、港の船の燈火きらめき、みなれているはずなのに、ふとまたしても夢の続きのごとく真理には思えてくる。幸吉は背をかがめ、バルコニーの鉢植《はちう》えの糸杉のかげから、真理を手招きし、知英の部屋にはナイトランプがつけられてるから、眼がなれればおおよその見当つき、思わずひたとみつめるうち、写真の現像のようにやがて浮び上り、形ととのった光景は、ダブルベッドの毛布半ばはいだまま、四十歳の巨躯《きよく》にして白豚のごとくふくれた男すなわち浩史と、いまは化粧おとし、さらにランプの投ずる影にくまどられておぞましき老婆知英の、お互い寄りそいひしと寝入る姿。知英が寝がえりうつと、浩史はおきざりにされた子犬のようにあわててその体を全身でさがし、浩史が枕はずすと、知英は無意識のまま、あてがってやり、さながらみどり児《ご》と若い母のごとく、真理は見守るうち、バルコニーのコンクリートからはいのぼる冷たさのゆえではなく、体がふるえ、そしていつしか幸吉の腕をしっかとにぎっていた。  部屋へもどり、ふたたび幸吉に犯され、真理はただ先ほどの光景を、いく度となく反すうするうち、コトリと音立ててわからぬながら万事ふん切りのついた気持になった。 「それでお母さんは、今夜、私のとこへ行けいうてお父さんにいいはったの」「昨日の晩な、明日あたりどないやいうてな、もうメンスもすんだ頃やしいうて」真理はふいにおかしくなり、「えらい気のとどくこと」自分から幸吉の体にしがみつき、さらにくっくっと笑いつづけ、幸吉もつられて笑い出す。「お父さんは浩史さんに、奥さんとられてしまいはったんやね」やや言葉つきぞんざいにたずねると、 「とられたいうたら、そらもう浩史が生れた時からやな」  当時、元町《もとまち》でパーマ屋をやっていたのだが、浩史を生むとこれを人に貸して、自分は引退、そのままおちつくかと思ったのだが、浩史が幼稚園へ通うようになれば、貸した店を担保に金借りて、神戸駅近くにあたらしく店をもち、自分で万事とりしきり、いったん働きはじめると、その時は他のいっさい念頭になく、幸吉にまかせっきりで、夜おそく泣き寝入りした浩史のもとへ戻り、とたんに甘い母親に早変り、そい寝する。 「そらもうえらい甘やかしようでな、こっちの給料の何倍もとるねんから、浩史のほしがるもんいうたら、カメラ、空気銃、自転車、けんび鏡な、なにかて買《こ》うたりよんねん。しかも夜は一緒に寝るやろ、そやな中学卒業するまで、抱いて寝とったな、とられたこっちはあわれなもんや」  中学卒業の頃、浩史は胸をわずらい、しかも電髪禁止の世となって、栄養つけるもままならず、さればと知英は上筒井《かみつつい》に家を借り、今度は南京街《ナンキンまち》のコックと組んで、軍相手の闇料理屋をはじめる。 「この時に医者が、おもろいこといいよってんな、肺病は体力が問題やいうてな、いつでもチンチンがしゃんとなるような体力さえつけとったら、あんばいええいうて」「ああ、その時からもう浩史さんあかんかったん」「明日また来てもええやろ」幸吉は話題をかえ、気がつくと、カーテンからこぼれる夜の色は青みを増し、「ほな、わしかえるわ」急に老人めいた声でつぶやきつつ去り、真理は起き出して、シーツの鮮血をとりあえず洗面所でおとす、みせつけてやりたい気持が、いくらかはあった。  知英は何くわぬ顔、真理もそしらぬ風でいたが、浩史にはかえって情が移った。ことさらよりそって出かけるその背に背広をかけてやり、なんとなくはなやいだ心で、それは知英にみせつけて、やきもちやかせよう心づもりか、あるいは病人をいたわる気持か、さては、みもふたもなく男を知ったそのはなやぎであるのか、真理にもわからぬ。 「いってらっしゃい、早《はよ》うおかえり」声かける真理を無視して浩史は、「お母ちゃん、車でおくってくれるか」「お母ちゃんよそまわるから、タクシーでいきなはれ、気ィつけてな」そこへ幸吉も姿をみせ、「組合の寄合いあんねん、お母ちゃんどっちいくんや、石屋川《いしやがわ》の方通らんか」「全然、方向ちがいですわ、浩史といっしょに行ったらよろし」この姿だけみていれば、ごく当り前の出勤風景、真理も加わって、「あ、ネクタイ曲ってますわ」曲ってもいないそれを直してやる。 「なんせ、こっちはお粥《かゆ》さんやったら上等いうのに、浩史は鳥のガラでとったスープなんか飲んで、栄養ようつけてん」夜、訪れた幸吉は、真理のそこかしこしつこく愛撫《あいぶ》しつつたのしそうに語った。「軍人相手の商売やから荒っぽいわ、この頃からお母ちゃん酒のみはじめてな」家へ着くなりどたりと倒れ、だが浩史の部屋へは、はってでもたどりつき、「さあ、これ食べなはれ、おいしいよ、栄養つきまっせ」ねむたがる浩史にむりやりすすめ、みとどけるとようやく帯だけといて、かたわらによこたわる。  体が弱いから兵隊にはとられなかったが、といって病状も一進一退、そのバロメーターがチンチンのしゃんとなること、朝起きると、知英は浩史をまさぐってそのしるしたしかめ、たしかめ得ぬ時はやきもき気をもんで、「あんたかて考えてほしいわ、どないしたらええのか」「ええのかいうたかてやな、ありゃその気にならんとあかんもんや、いくら栄養つけたかてな」「どないしたらその気になるねんな」二十歳をこえた子供をもつ女のいい分とも思えぬが、知英は仕事と浩史にかかりきりで、欲望はうすく常に淡泊だったから、「そら、なでるとか、きれいな女の裸をみるとかしたら、なんとでもなる」そして、おいおい空襲のはげしくなる頃、薄化粧していても国賊とよばれる中で、知英は買いだめの化粧品、これは前身パーマ屋だけに豊富にあって、けばけばしく装い、こら軍人にええのんでもできよったんかと気をもんだが、これすべて浩史のため、さすが酒に酔うこともゆるされず、早目にかえるようになると、燈火管制のくらがりの中で、あらためて化粧を直し、そしてそいぶしする。ある時、深夜まで話し声がきこえるからのぞいてみると、知英一糸まとわぬ裸となり、「どう、ようみなさい、これが女の裸やねんよ、まだきれいでしょ、お母ちゃんかて」裸体画のポーズ真似《まね》てみせ、ほのぐらい光にも、とって四十五歳の衰えかくしかね、「あら気ィ狂うたんちゃうか」幸吉はあぜんとする思い、しかしこれもしゃんとさせるための、窮余の一策。知英の眼は、かくれてみえぬが、浩史の股間《こかん》にしっかとそそがれていた。  戦争が終ると、知英は得手《えて》に帆をあげたごとく、進駐軍にとり入って軍政部の夫人を顧客とするパーマ屋にもどり、たちまち旧に倍する忙しさ、それに比例して美容院のチェーンを拡張し、その分、病いなおるとぶくぶく肥《ふと》りはじめた浩史にかまえぬ罪ほろぼしか、ちょうど、少年時代の玩具《おもちや》のように学校へ入りたいといえば裏口から頼み、絵をならいたい、会社勤めしたい、まるで気まぐれに思いつく浩史ののぞみすべてかなえ、いずれも三日坊主、なにやかやいい立ててすぐに辞《や》めるのを、もはや三十になってのそいぶしの、寝物語にきいては、よしよしと背中なでてやり、さすが男の幸吉からみれば、もういい加減で勤めるなりなんなり、一生の道をと、自分を棚《たな》にあげ心配したが、名目はお父ちゃんでも、まったくの居候《いそうろう》、そして幸吉は幸吉で浮気を楽しんでいた。 「浩史また病気ちゃうやろか」知英が深刻にいい、やや口ごもりながら、「また、しゃんとせんようになった」「そんなんいちいち気にすることないて」「そやけど、いくらいろうてもピクリともしよらへん」「浩史がいうのんか」「いや、うちがちゃんとわかってる」病気以後、浩史のものを朝になでさすって、たしかにしゃんとなるのをたしかめる習慣ができていて、それがこのところまったく駄目というのであった。お前みたいな婆《ばば》アにいろてもろたら誰かて、とはいえず、「だいたい、浩史は女しっとるのやろか」「そらまだですよ」「若い女とやったらでけるよ、心配せいでもよろし」「そやけど、変なのにひっかかったらかわいそうやし」わし世話しようかと、これもいえず、「なんせ、あんなによう肥えとる肺病やみはおらんて」たしかに肺病やみではなかったが、不能のきざしこの頃からあきらかとなった。 「お母ちゃん、浩史つれて芸者買いにいってんな、それも神戸大阪やったら顔さすからいうて、東京へでかけてな、赤坂か新橋あたりのええ姐《ねえ》ちゃんに頼んで、それで隣の部屋できいとってんて」真理は笑い出し、「そんなんかなわんでしょう、浩史さんも」「そのせいかなんか、ようでけんかった」 「クソ三升やのうて精液三升吸いとってしまいはったんや、お母さん」真理は、心底、浩史があわれで、「そやけど、浩史さん、なにが楽しいのかしら、べつに趣味もないみたいやし、仕事いうてもどうでもええみたいなことでしょ」「わしにはわからんなあ、第一こんな」後は乳首に唇《くちびる》よせて言葉にならず、もごもごと唾液《だえき》をしたたらす。  薬、医者八方手をつくし、草津《くさつ》の湯でもなおらぬ病いもう一つあったのかと、あきらめ、最後にすすめられて精神分析をうけ、母親の圧倒的な影響を、遠慮会釈なく指摘されると、知英はひらき直ったように、もはや浩史の不能にかかずらうことをやめ、今度は、その体面つくろう作業にとりかかり、とどのつまりが真理の玉のこし、実は息子《むすこ》のインポカムフラージュ。  三角関係というのか、それとも四角か、さらに錯そうしているような感じもする西方家であったが、それなりの秩序保たれ、事実露見を怖れて女中をおかず、通いの女に手伝わせ、真理はけっこう西方美容王国の若奥様いたにつき、まる一年たって、知英のもうけものといっていた、幸吉の種が宿った。さすが衰えて真理を求めることも稀《まれ》となっていたが、最後の力ふりしぼったのか、知英はそのつわりを知ると、指折り数えて幸吉の種であるかどうかたしかめ、まちがいないとわかると、赤飯をたき、浩史に、「さあ、あんたもお父ちゃんになるねんよ、えらいこっちゃ」といった。本来ならせり出す腹にひかえるはずの外出だが、知英は同業の集まり、パーティに真理をひき出し、「ようやくあたしもおばあちゃんになれます」ほこらし気にふるまい、お芝居ではなく、真理の体に心をくばる。そして浩史までが、お互い形だけの夫婦《めおと》ぶりにはなれきっていたが、さらにはじめて子供をもつ若い夫のごとく、真理が胎動をうったえると、おそるおそる腹に手をあててみたり、苦痛のふりすればおろおろうろたえて、心から誕生を待ちわび、一人あわれなのは幸吉、種うえ終った昆虫《こんちゆう》のように、七カ月目に心臓病であっさり死んだ。  知英が予見していたように骨盤たしかな真理は安産で、信と、おそらく生れてはじめて自分の意志をつらぬき、浩史が命名し、もちろん真理に異存はなく、子供が背後にあれば、若夫人の位置も一段と重みが加わり、年よりはるかに若造りの知英だが、幸吉の棺のふたしめる時、思わず泣きくずれるような気の衰え、老いのしるしをあらわにしはじめただけに、かわりあって王国のしめしつける役割をふられて、外出しがち、好都合なことに、その留守を、浩史は想像もつかなかった子ぼんのうぶりみせて守り、子供をあやしている時だけ、四十半ばとなってさらに肥満した体つき、表情、ひきしまってみえる。  ただ一つ、女盛りのせつなさはどうにもみたされることなく、時に、からかうように浩史の手にぎってもみるが、あいかわらず怯《おび》えるばかりで、夜は知英とのそいぶしを続けていた。  だから、真理がちいさくはあっても、男性のしるしの直立した姿みるのは、三年ぶり三歳の幼い果実が、いかにも頼もしく、勢いよく放たれた小水は、すなわち男のほとばしりに思え、「わるいおチンチン、ちんこいおチンチン」唄《うた》うようにいいながら、もう一度、あっぱれな男ぶりながめたく、なでたりさすったりのうちはよかったが、らちあかぬから、ついひっぱると、信は火のついたように、「とれてまう」とさけんで身をもがき、「じっとしてんかいな、ほら」片手で押え片手でなおももみほぐし、泣きつづける信の表情は、同じ種なら当然のこととはいえ、かつて母親の裸体を目前につきつけられ、怯えきった浩史にそっくり。  たらちねの血筋、たしかに知英から真理へうけつがれた。  娼婦《しようふ》焼身  これが早春の、朝の乳色のモヤであるなら、明るむにつれてしりぞいただろう。だが、そこかしことめどなく立ちのぼり、漂い流れる白い煙は、陽《ひ》ざしの強まるにしたがい、いっそうあざやかに映《は》え、やがては高ぐもりのめでたき陸軍記念日の空に吸われ、そしてその下は、一面の焼跡であった。  眼路《めじ》のかぎり広がる赤褐色《せつかつしよく》の野は、一筋かがやくいきものの如《ごと》き大川を越えて、果ては海にいたり、一方は高架線の向う公園にまで続き、その海は、十日前の大雪をおさめたまま冬の色にしずまって、一|艘《そう》の舟の姿もなく、公園の、樫椎《かししい》ヒマラヤ杉の緑も街路に面したあたり、いちように赤く枯れている。  おびただしい大小の煙突と、白壁を焔《ほのお》に焼かれた土蔵と、沖がかりの船のような学校校舎、窓の周辺すべてくろずませた四つ角《かど》のビルがまず眼につき、つづいて半ば埋れたまま風にあおられて直立した無数の焼けトタン、さらに眼をこらせば、鉄製の椅子金庫冷蔵庫ストーブ自転車ミシン風呂釜《ふろがま》灰皿|火鉢《ひばち》スリ鉢ナイフフォーク日本刀仏像水晶の印時計扇風機、蛇《へび》の如くかま首もたげているのは水道の鉛管、みえかくれする白い色はむき出しのきんかくし、風にくずれるのは、形そのまま灰と化した洋書辞書のたぐい、人の姿はない。  人は、焼野と焼野の瓦礫《がれき》にせばまれ電線のうねる道をひたすら歩き、その風態をみてあれば、男は国民服にゲートルのそこかしこ焼焦げつくり、靴片方失いたるもの、水の入ったバケツ一つぶらさげたもの、しきりに眼をこするもの、鼻の先端|天麩羅《てんぷら》のころもの如くなりたるもの、顔中ススだらけ半裸体のもの、おいおいと大の男の泣く姿あれば、血のにじむ三角巾《さんかくきん》で顔の半面おさえたままもあり、だが男はたとえ老人少年にてもまだまし、足手まといの子供を連れた女の中には、頭からびしょぬれのままちゃんちゃんこで背負った赤ん坊ゆすりあげ、「お医者はいらっしゃいませんか、この子|麻疹《ハシカ》ですの」とさけびたずね、両手をホールドアップ風にかかげ、「痛いよう痛いよう」と泣きわめき、その手みればむき出しのまま赤くふくれていて、血のしたたらぬは火傷《やけど》の故《ゆえ》か、もんぺのふともも赤く染まった脚《あし》をひきずり歩く女、死児を抱く女、やかんぶら下げ、「どっかに水はないでしょうか」たずねる女、煙に盲《めし》いて子に手をひかれる女、いずれもまったく生気みえず、よろぼい歩く後を、「都民の皆様、敢闘御苦労さまでありました。皆様の必勝の信念により、被害は最小限度にくいとめられました。皆様御苦労様でありました」広報車がわめき散らす。  死体は、不思議とかたまって倒れていた。あきらかに親子とみえて、ボクシングのクラウチングスタイルに身をかがめ、その両手の中に猿《さる》の如き小さな黒焦げの体をかかえたのや、紙の角力《すもう》人形《にんぎよう》のように両手両脚屈曲させて三人ずらりとならんでいるのや、防空壕《ぼうくうごう》の出口に片手かけたまま、一方を炎にあぶられて炭となりながら、別の半身はふだんのままで、その脚もとに家族らしい女子供のまといつく姿、黒焦げの交番に、寿司詰めとなった黒焼きの人間、モンペだけ焼かれ、陰毛むき出した母親と手をつなぎ、顔を半分失った少年、ねんねこの中の首のない赤ん坊と傷も火傷もみえずうつぶせのまま死んだ中年男。  たいていが二人連れ、三人連れで死んでいたが、時にはまったくすべて焼けおちた後で、そこへそっと置かれたように、真黒に焦げふくれ上って男女の区別もつかぬ、いわば人間丸太棒が、横たわり、その日の午後になると、顔に手ぬぐいを巻きつけ、軍手をはめた警防団の面々、焼けトタン引きぬいてはまず死体をおおい、手のそろったところで、今度は死体を乗せて、小学校、寺、強制疎開後の空地《あきち》に運び、場所がないまま二重三重に積み上げて、初めは身体《からだ》の向きをそろえていたが、とても百や二百ではきかぬ数だから、やがては投げやりになって、頭といっても特大の炭団《たどん》同様の間から、枯枝のような生焼けの手脚がニュッと突き出る。  一夜明ければ八万三千人の死人、町屋落合桐《まちやおちあいきり》ヶ谷代々幡《やよよはた》堀之内の火葬場どうやりくっても間に合わず、例年よりは寒い弥生《やよい》とはいえ、どこからともなくハエ蛆《うじ》がわき、やむなく手近の公園で仮土葬、トラックに積みこみ上野公園、錦糸《きんし》公園、猿江《さるえ》公園へ運んだが、吉原遊廓《よしわらゆうかく》は、吉原病院の前庭わずかばかりの空地に積まれた死体、いわずと知れた娼婦《しようふ》のなれの果て、生きていれば楼主《ろうしゆ》も遣手《やりて》も、すねりゃなだめる、病めば水薬の一つも枕許《まくらもと》へ置く、すべて資本のかかった、お宝生みだす金の鶏、それがこう人間丸太になっちまっちゃ、なにせ家族ですら見分けのつかぬ姿、「なんだい、お咲さん生きてたのかい」「ええ、言問橋《ことといばし》からようやく向島《むこうじま》の土手へ逃げて」「まあ、よかったよ、とするとこの仏様は誰なんだろう」おいらんのことなら尻《しり》のケバまで心得てそうな手練《てだ》れの妓夫《ぎゆう》にも見当つかず、「歯の特徴でみるといいそうだよ、反歯《そつぱ》金冠|乱杭歯《らんぐいば》」どうです見覚えありませんかと、震災の経験生かした町内の鳶《とび》がいっても、棒でこじあけた丸太の口ん中は、これはまた思い切って赤く、「いやだよ、わかんないよ、そんなこといったって」どうせ生きてようが死んじまおうが、こうきれいさっぱり焼けちまっては証文巻いての店じまい、ナムアミダナムアミダと、仏よりは、いやなもの見た心の怯《おび》えに念仏唱え、それより罹災者《りさいしや》特配の毛布乾パンが気にかかる。  文字通り一山いくらでお山までトラックで運び、吉原の娼婦だけで四百人近い犠牲者、往復するうち夜に入り、まだ燃えつきぬ買《か》い溜《だ》めのコークスや木炭、あかあかと焔をあげ、かと思えば早とちりに土蔵の目張りはがしてボンと火が入り、暗闇《くらやみ》の中のその鬼火をたよりに午後八時半、最後のトラックが上野へむかい、病院をはなれたところでバウンドして、これが仕事じまいと荷台の枠《わく》をはずし、荒なわで支《ささ》えただけの、死体のてんこ盛り、たまらず一つころげおちて、硬直のせいかたてに頭脚と三つとんぼ切って、まるで今朝からあったように、焼跡の端に横たわり、もちろん誰も気がつかず、翌日これを見つけた警防団も、今更つい眼と鼻の、上野までかついで歩けば半日仕事、「いっそこの土地に埋めた方が仏のためだよ」「そうさね、どうせ吉原が昔にかえることなど、何十年先のこったか」いずれも国防色の洋服に凜々《りり》しくバンドをしめちゃいるが、名のある楼主二人、半ばやけっぱちの感慨こめて、くずれかけた防空壕へ足蹴《あしげ》もならず、前後持ちそえておとしこむ、「なにかへんな臭《にお》いしやしなかったかい」「そりゃお前、そろそろいたんでくるのさ」「いや、酸《す》っぱいような、らっきょみたいな」「らっきょ? らっきょかあ、あれもあてにゃなんなかったなあ」  昭和十九年の暮頃から、つまりそろそろ空襲が激しくなって、十二月二十七日二百五十機をはじめ連日B二十九の来襲を受け、特に明けて一月二十七日銀座を中心に爆弾攻撃受けてからは、「件」、くだんと読むのだが、頭牛人身の怪物これを信仰すれば命が助かるとか、溺《おぼ》れる者の藁《わら》がさまざまな形で流布され、このらっきょというのは、これを食べていれば命が助かる、ただし二人以上にこの効験《ききめ》を伝えなければならぬという、考えようによってはらっきょ栽培者の考えついた幸運のらっきょ信仰。それでも現実に、爆風にたたきつけられ、生埋めとなり、火だるまとなって百|米《メートル》駆け出したという犠牲者の噂《うわさ》に尾ひれがつき、語りつがれると笑いごとではすまされず、吉原は只《ただ》でさえ憑《つ》きもの迷信には弱い土地柄、闇で二十円の花らっきょの瓶詰《びんづめ》買いこんで、三度の食事にポリポリと頬《ほお》をすぼめて噛《か》みくだくお母さんや遣手婆あに事欠かず、だが、この時に防空壕へおとしこまれた丸太棒の仏のらっきょの臭いは、昨日今日にはじまったものではなかった。 「なんじゃ、えらい臭いやんけ」焼けた夜にも吉原は、徴用工疎開やもめ軍人学徒動員で死地へおもむく一団さらに僧侶《そうりよ》やら闇屋やら、さすが手なれた妓夫《ぎゆう》、といっても血気盛んなのはすでにとられて、人力車夫おでん屋にくら替えしていたポンコツ駆り集め、もはや妓夫台も写真もあったものではなく、燈火管制の薄暗い仲之町から江戸京揚屋|角《すみ》の五丁町、呼びこむより先に客が押しかけて、「へい、政江さん、お客さまでございますよ」市松天井からぶら下った電気の笠《かさ》の、黒い覆《おお》いをちょいと傾けて、通路をしめす、客は脱ぐにてまどる配給の軍靴《ぐんか》まがい、紐《ひも》をゆるめて手に下げて、遣手に導かれ、引きつけ抜きで、ずいと女の部屋へ通る。  政江のその夜の最初の客は、時間遊び五円|御祝儀《ごしゆうぎ》五十銭、これもサイパン陥落までは、この町で小店の清梅楼三円だったのを、「戦時手当てさね、まさか脱脂大豆じゃまわしもとれないからね」闇米にあわせて、勝手に値上げ。いちげんの客だから床入りの前に金をうけとり、御内所へとどけて引き替えに以前ならばまず廓《くるわ》の衣、小夜衣《さよごろも》アルマパラダイス敷島トランプとサックの色もとりどりに、あわせてくもの糸で織ったような京紙渡されたものだが万事節約|欲《ほ》しがりません勝つまでは、楼主の吉太郎手をまわしてどうにか補いつけたハート美人、それも使用済みを水張った金だらいへ浮かし、後で遣手が一つ十銭の手間賃で、まず違《ちが》い棚《だな》の戸袋へ陰干し、ついで天花粉《てんかふん》まぶし、すりこ木の柄に巻きつけ、胃腸薬アイフの罐《かん》におさめて、女も廻しなら、サックもまわし、紙はすべて客の持参が常法。  政江の部屋は四畳半、ねずみ色の壁にとってつけたような床の間、ねむたそうな達磨《だるま》の軸、鏡台に茶箪笥《ちやだんす》、四方桐の和箪笥、唐火鉢《とうひばち》は店のもので、あるかない炭に手をかざすにも、政江の燃料費月二円五十銭のうち。  床に入るなり二十二、三の男は、政江の口臭をいい立て、いわれつけてるから、「ごめんなさい、私らっきょがすきなのよ」「ふーん、これやるわ」ポケットからきらきら光る硝子《ガラス》のカケラとり出し、「これなに?」「こないして」男はそれを灰皿にこすりつけ、ついとまず自分の鼻にあて、満足気に政江の顔によせる。フッと甘い香《かお》りが浮び、「なによ」「撃墜したB二十九の風防硝子じゃ、こするとええ匂《にお》いするねん」また男はキイキイとこすりつけ、「ええ匂いやろ、プレゼントや」に「ありがとう」政江、その合成樹脂の一片をにぎりしめる、と男、体を寄せて来て、政江は常の如く、ひょいと手をのばし掃き出し口を開け、三月九日の冷たい風もさることながら、どっと耳に入る嫖客《ひようかく》の靴音やら、遣手の呼び声、もちろん燈火管制でつい三間向うの店の構えも闇に沈み、ただざわめく物音をたよりに、覚《さ》めている分別。  いつしか帯もそらどけるどころではなく、やがて布団《ふとん》のうち火の如く熱くなるさわぎもない、男は下半身だけをあらわにし、政江はまたもんぺこそはいていないが、人絹の長じゅばん人絹の錦紗《きんしや》スフの腰着きにしろ白木屋三階の衣料売場で切符十五点のしろもの、破かれでもしては大事で、ぐるっと思い切ってまくり上げ、蛙脚《かえるあし》に男をあやつる、たちまち果てて、男は体をはなし、「便所はどっちじゃ」「あなた、おしっこ?」「うん」「それじゃ、わるいけどこれにしてくださらない」前をおさえたままついと防空カーテンをひらき、硝子戸あけて、眼かくしの板塀《いたべい》も、防火活動の邪魔になるからと取払った後の、わずかな出っ張りにおいたカンカラをとり、「どないするんじゃ」「畠《はたけ》の肥料に欲しいのよ」真赤に錆《さ》びたカンカラは味の素の大カンで、政江の客の一人に秋田の造り酒屋がいて、これに塩辛をつめ土産《みやげ》に持ってきてくれたもの。  さぞかし要領得ぬ表情なのだろうが五|燭《しよく》の電球に黒いおおいをかけた室内、ただジョロジョロと音がひびき、いかにも寒そうな感じで、政江は布団の裾《すそ》にまるめて脱ぎ捨てた男のももひき、うわべはみすぼらしい職工服だが、さだめし徴用《ちようよう》に出る時、母親が裸電球低くおろして、夜なべで編んだのであろう純毛の毛糸で、それをなんとない心づかいきちんと折りたたみ、「これ、どこへおきよるんじゃ」「どうもありがと」カンカラからツンと糠《ぬか》の臭いが鼻を刺す、徴用工は栄養の補給に木曜日ごとビタカルゼなる粉末を支給されていて、今日は金曜日、めでたく五体かけめぐった末、今|排泄《はいせつ》されたらしい、ビタカルゼはなんのことはない糠なのだと、客の一人がいっていた。  吉原にも食糧難は容しゃなく押し寄せて、もともと役所にごまをすり、軍部をあやつることにかけてはそれぞれ、芸をもった楼主達も、なにせ絶対量が二合三勺から二合一勺、それすら十九年夏以後、月三十日のうち十七日が米で残りは脱脂大豆|馬鈴薯甘藷《ばれいしよかんしよ》メリケン粉、のうちはまだよかったがその暮、「戦うお台所の正月は朗らか」と新聞にはうたっても、鱒《ます》一人当り二十匁|餅《もち》三百グラム大根八十匁納豆二十グラムこれも配給所へ予定の日に出かけて、いくども無駄足ふむ始末。生命《いのち》の綱の道路を掘りかえして菜園には出来かねたが、疎開後の空地を利用しての、まさかこの土地で家庭菜園も奇妙で、戦時菜園とものものしく、一軒あたり四坪ながら二十日大根ちしゃ菜広島菜焼石に水ながら、食膳《しよくぜん》の色どりを増す算段。そして政江はここにらっきょを植えた。ほとんど手もかからず、荒地にもってこいのせいもあるが、政江にとってらっきょは、なにより故郷のきれっぱし。 「生命《いのち》たすかるのも結構だけど、お客様にいやがられちゃしょうがないやね」年中らっきょをはなさぬ政江に、迷信のあることを知りつつお母さんは文句をいったが、しかしこれは昨日今日にはじまったくせではない。  昭和十五年四月、十八歳になるのを待ちかねて、高等小学校卒業してから靴下工場へ勤める政江に、継母《ままはは》の竹代が因果を含めた。北関東の、県庁所在地に近い、もとは機屋《はたや》の町、戦争が激しくなるにつれてさびれ、つれてここでちいさな居酒屋いとなむ竹代も商売上ったり。「無理に孝行|強《し》うるじゃないが、ここまで育てる幾年月、風にも当てず餓《う》えさせず、一人あるきの出来るよう、春には春の、秋には秋の、時節に合《お》うた髪かざり、金の成る木のあるじゃなし、無理を承知の工面して、苦労したのは誰のため、お前を早《はよ》う女に仕上げ、その美しい女ぶり、見せてももらいまた楽しませてももらう、多少のおたから稼《かせ》ぎ出してもらいたいと、こう思うこの母が無理か、若い頃から一日も、安楽気楽に過したことなく、知っての通りの火の車、このまま死んでは立つ瀬がない、そりゃまあ始めのうちは、いやなこともあろうよ、きらいでもあろうけれど、馴《な》れてしまえばこれも女の道——」  五十四、五になっていたろうか継母の竹代が、白髪を染めた頭をふりふり、いかにも芝居でいえば多賀之丞《たかのじよう》といった態《てい》、西陽《にしび》さす店先で徳利かたむけつつかきくどいて、政江はこのことを思い出すたび、田舎廻《いなかまわ》りの芝居の舞台と重なり、といってこういう場面をしかとみた記憶はない。  政江の物心ついた時は、その町よりさらに山へ入った水車小屋に爺《じい》さんと二人暮し。隣人といっても犬を飼っている百姓の家が、谷を隔ててあるだけで、その犬をみたさに時折りおとずれると、いかにも気の強そうな大女の女房が、半ばはあわれみまたさげすみながら、「お前のおっ母さんもしょんないよねえ、流れ大工と逃げちまってさ」ときいたのが、たった一つ自分の身の上話、爺さんは一切黙して、小川から樋《とい》でひく水車の、秋には樋につまる落葉をすくい、春には山へ菜をとりに入り、そして水車小屋の前の砂地には、いつもらっきょが植えられていた。  たまに、休暇の兵士が山へ登ってきて、物珍しげに水車小屋をのぞいたが、この時爺さんは血相変えて追い払い、政江が人恋しさに、兵士にじゃれ、乾パンやようかんなどもらえば、とりあげて木立ちの中に投げ捨てる、しばらくして政江が甘いもの欲しくて笹《ささ》をわけて探《さが》すと、すでに黒や赤の蟻《あり》がびっしりとようかんにとりつき、そのまま爺さんの執念をあらわしているようで、政江は子供心に怯《おび》えた。爺さんが兵士を嫌《きら》うのも道理で、女房が、他に能もない粉挽《こなひ》きに愛想つかし、一人娘を置き去りにして逃げた後、ようよう男手一つ、娘を育て上げれば、これがまた連隊の兵士と出来合って政江をはらみ、あげくの果ては身二つになるのを待ちかねたように、生後半年の政江を置き去りに、水車の修理頼んだ流れ大工と出奔、寄る年波に精も根もつき果てたが、とにかく貰《もら》い乳《ぢち》やら、手のものの臼《うす》で米の粉を挽き、育て上げたのであった。  らっきょは、夏になると、葉が枯れてやがてちいさな紫色の花をつける、花は水車小屋の中の、ただ一つの家具、仏壇の中の鐘のような形で、政江がらっきょの花を、小川にひたして指でもむと、かすかな色が掌《てのひら》をそめ、女の子ではあっても、ただそれだけが色どり。そして、朝夕の貧しい食膳に、必ずらっきょがそえられた。  小学校へ上る前に爺さんは死に、だからそれまでに、きっと村祭の、のぞきカラクリか、あるいは紙芝居でみたのであろうか。鬼のように怖ろしい継母が、色白やせがたの初々《ういうい》しい娘に、わけわからぬながら因果含めるその情景に覚えがある、竹代にかきくどかれながら、政江は今の自分と同じような話を、どこかできいたことがある。いや、現在の自分も、実はお芝居の中の主人公と、妙に実感のともなわぬまま、「お前はかわいい私の子、たとえお腹《なか》は痛めずとも、お前のいやがることなどすすめたくない、それをこうして頼むのは、心底工面につかれはて、年寄一人この所帯、どうしてこの後背負うていかれるものか」ちびりちびり飲みながら、真綿で首の口説き文句、ひょいと養女であることも利《き》かせ、政江がこっくりうなずくと、「そうかそうか、すまんけど頼むて」不意に現実にもどって、「じゃ、もう一本いただきましょか」歯糞《はくそ》だらけの歯をせせりつつ、空徳利《からどくり》を政江にさし出した。  爺さんの死の前後の記憶はほとんどなく、ただ戸板にのせられて運ばれて行くのを、悲しみもなくぼんやりながめていただけ、気がつくと竹代の家にいて、竹代をお母さんと呼ぶ、いわば姉が三人、いずれも次々に姿を消し、つまり、竹代は女衒《ぜげん》とくんで、貧しい家の娘に目星つけ、仲介の労もとれば、手のかからぬ孤児を引きとり、年が満ちるとたちまち売りとばす人買い。 「政江さん、お客様でございます」へいどうぞくろうございますから御気をつけなすって、職工と入れちがいに、やはり同じ年頃の勤め人、すでに布団の乱れはちりもとどめず、政江鏡台にむかっておくれ毛かき上げ、「いらっしゃい」ふりむきざまわずかに頭下げる、「食べるかい?」客は布団の枕もとにすわりこむと、防空頭巾《ぼうくうずきん》鉄カブトを脇《わき》に置き、帯芯製《おびしんせい》の防空袋の紐《ひも》をとくと、中から、今時珍しい駄菓子を入れる白い袋から、いり大豆をとり出し、ひとつかみ政江に差し出す。 「寮で煎《い》ったんだけど、燃料が足りなくて生のもまじってる、まあ、食べでがあっていいかも知れないけど」なるほど三粒に一粒、青臭いのがまじっていて、歯にしんなりと当る、「あそびましょうか」男はこたえるかわりに花代を置き立ち上って上衣《うわぎ》を脱ぐ、政江が金を持って廊下へ出ると、朋輩の久子、「いやな爺い、自分だけするめ食ってんのよ、臭いったらありゃしない」真暗な中を、すたすたと便所へむかい、その廊下の部屋ごとに、白い陶器の防火弾、縁《ふち》を赤く塗り半分水の入ったバケツ、突き当りにはムシロと火はたき、すべて客が入っているはずなのに、物音一つない。 「君いくつ」「どうしてこういうところへ来たの?」「どこの生れ?」嘘《うそ》と知りつつたずね、そしてしたり気《げ》にその嘘をきく男も、この頃はすくなくなって、話は空襲やら配給、そしてその年にあるものなら召集への怯《おび》え、「疎開はしないの?」「かえるところないもの」「アメリカさんは女性崇拝だっていうから、ここは大丈夫かな」「私達でも女かしら」「女さ、女だから」「くすぐったい、そういうことは、奥さんにしたげなさい」「いないよ、いつ死ぬかわからないのに」とりとめのない口説に、ひょいと思いもかけず体が燃えることもあり、男達のすべて青白く痩《や》せおとろえ、にもかかわらず二合一勺代用食入りで、どうしてこうもと不思議なほど、力強くふるまう。「どうせしおさめと思ってんだろ、しつこくていやだよ」久子も愚痴をこぼしたが、政江はたいていの客に、らっきょを与え、「これを食べてると爆弾除《ばくだんよ》けなんですって、それから、一人でも沢山の人に教えてあげると、ますます効果があるそうよ」客と二人、一合六銭の公定闇《こうていやみ》で八十銭の酢につけたらっきょポリポリと齧《かじ》り合う時、心底満ち足りた気持になる、竹代のもとに引き取られてから、水車小屋に行ったことはないが、あのらっきょがそのまま残っていたら、今頃は、紫色の鐘の形をした花盛り。  竹代に因果含められた翌日、まだ陽《ひ》もあるのに戸をたてた店へもどると、竹代とむきあって背は低いが肩幅広く、片眼の男がいて、「政江さん、昨日の話ね、こちらの御人が万事面倒みてくれますから」引きあわされ、「まあ平さん、飲みましょ、前祝い前祝い」東京で客商売とだけきいて、まだ男女の道理もおぼつかない政江、じろじろ体をながめまわすその平さんには虫ずが走ったが、といって、竹代と別れ東京へ出ることに、淡い希望のようなものもたしかにあった。明日朝早いから、さあ二階で支度《したく》しなさいと、追い上げられて、これまで旅行一つしたことがなく、やたらとてぬぐいやら目覚《めざま》し時計人形まで風呂敷に包み、「そんなのはみんな向うで買えますよ、当座の品物だけで大丈夫」何時《いつ》の間にか平さん後にいて気やすく肩をたたき、酒臭い息を吐きかける、「あの、どういうところで働くのですか」「行ったらわかる、あんたと同じ年頃の女の人が沢山いてね、毎日、おもしろおかしく暮してますわ、心配しなさんな」その夜、竹代と平さんは一つ床に寝て、便所へ立った政江そのからみあった姿におどろいたが、うとうと寝つかれぬままにふと気づくと朝で、ソフトをかぶり黒いゲートルをまいて仕事師風の平さん、「じゃ、まあまいりましょか」別れをつげる友も特になく、心残りは水車小屋のその後、ふいに気になったが、時間せかされ汽車にのせられ、午後一時上野へ着く、「腹具合はどうですか、ざるそばでも食べといた方が」駅の食堂で食べたざるのうまかったことを、政江は今もはっきり覚えている。その後、この稼業《かぎよう》に首までつかって、客の注文する台の物、相伴《しようばん》に与《あず》かったが、この時のざるにまさる美味は、ついぞなかった。  タクシーに乗せられ、江戸一の口入れ屋の前で降り、平さんだけ中に入り政江は銘仙《めいせん》の着物が如何《いか》にも地味にみえて肩身がせまく、というのも午後二時近く、廓《くるわ》の女の風呂へ行き来する姿が、けばけばしく街路をかざっていたから。道路の中央の低くなった道を、駒下駄《こまげた》で歩き難《にく》く二丁ばかり、「ここのお店だよ、さ、お上り」左手のドアを入ると思いがけずに広い玄関で、上《あが》り框《がまち》の前に硝子《ガラス》の長さ一間幅三尺ばかりの箱、中に唇《くちびる》と頬《ほお》を赤く塗った写真が五枚、右の端にも出口があって、そこに床几《しようぎ》が二つ、「あいよ、こちらへお上んなすって」二十七、八の男が腰をかがめていい、のれんのかかった左手のがらんとした部屋、平さんは奥へ入って一人ぼっち、心細く膝《ひざ》にのせた風呂敷包み、いわれた通り下着の替えにもんぺ三角巾《さんかくきん》富山の売薬米二升、いじくっていると、「もうちょい待って下さいね、今、おかみさんお風呂へ入ってなさるから」白髪をひっつめにし、襟《えり》にジョーゼットの布まきつけた小柄な婆さん茶碗《ちやわん》を二つ運んで来て、一つは自分が飲む。とりとめのない話の内に、ちょいちょいと、「彼氏はいなさらんかったの」「月経は何日ですの」もじもじさせる質問をまぜ、ゴールデンバットちょいと吸っては消して耳にはさみ、すぐまたくゆらせ、三十分ばかりすると、「あいよ、こっちへどうぞ」太い女の声がして、婆さんあわてふためき、政江をせかせ、廊下の同じく左側、台所を見通す茶の間へともない、そこに神棚《かみだな》をしょって清梅楼のお母さんがいた。 「まずこれを読んでもらおうかね」卓袱台越《ちやぶだいご》しに、ハトロン紙の封筒から一枚の紙を渡され、みると、竹代と政江連名の借金証書で金額は八百円、向う四年間で返済することになっていて、「たしかにお渡ししたんだね」「へい」いつの間にか平さんがひかえ、「この通りお受けとりをいただいてまいりました」お母さんは便箋《びんせん》に書かれた竹代の領収書をわきにそえ、「真面目《まじめ》に働いてくれれば、四年どころか三年二年で済みます、この二通の書きつけ私が預かって、この金庫に入れておきますからね」恩着せがましくいって、「遠いところ御苦労だったね、お湯へいっといでよ、お松さん」先程《さきほど》の婆さんにあごをしゃくり、お松さんふたたび平服し、お母さんのなみなみならぬ権勢《けんせい》ぶり、政江にもわかり、すっかりちり毛立って、そうそうにお松の後を追う。  三月五日に空襲があって、後三日間は警戒警報が発令されただけ、これまでの例だと五日間静かに過ぎれば、必ず大編隊があらわれる、「ここで空襲になったら、どこへ逃げりゃいいんだい」ひとしきり後に、客がたずね、「ここの地下にも防空壕はあるけど、馬道《うまみち》から日本堤《にほんづつみ》の警察の方へ行けば立派なのができてるわ、そこの町会の横にも土管式っていうの? 半分土に埋めた待避壕があるし」吉原はもともと火事の多い土地柄、空襲の気配すらない頃も、盛塩とならんで天水桶《てんすいおけ》に山形に積んだ手桶が街の色どり、昭和十六年いち早くガソリンポンプ六台据えつけ、十七年四月十七日の初空襲以後は、ほとんど町筋のどこかしら訓練のない日はないほど。空襲警報発令中の赤旗の上に、訓練のしるしの白い布をそえ、楼主の殆《ほとん》どが警防団員、お母さんも凜々《りり》しいもんぺに白のエプロン、紺のうわっぱり、狭い道路に張り渡したナワの、中央に底を抜いたバケツ吊《つ》るし、さらに鈴をつけて、これすなわちバケツを発火点とみなし、これにむけて水をかける、首尾よく当りましたら鈴がチリンチリンと鳴るしかけ、政江達もおもしろがって打興じ、手押しポンプえっちらおっちら押すうち、ピピッと音をたて細い筒先から、断続的に水が噴出し、何を連想してか、けっけと笑いころげるのも商売柄のこと、「まじめにやって下さい、まじめに」ちょび髭生《ひげは》やした防火群長、実は組合の理事が、ことさら他人行儀な口調でしかる、だが、娼婦《しようふ》は所詮《しよせん》渡り者で、お母さん楼主にとってこそカマドの下の灰まで他人に指一本ふれさせたくない財産だろうけれど、四年の年期をさらに二年のばし、六畳の間にところせましと箪笥《たんす》鏡台ならべ立て、それはたしかに客の花代四分六に分けて、さらに内湯に入れば入ったでとられ、サック代小間物代お内所各々への割前税金を払って、残った金から月々いくらの前借金の返済、その上に、せめて部屋など飾り立てる女心、これぞ血と汗の結晶、焼かれるくらいならいっそ心中するほどの愛着あってしかるべきなのだが、どっこい女の部屋飾りは、所詮結婚はかなわぬ、人並の家庭も手がとどかぬ、せめてその真似《まね》ごとの中に身を置いて自らをなぐさめる方便なので、いわばかりそめの財産、焼けりゃ焼けたで、いっそさっぱりすると、割切っているのが嘘のないところ。だから十九年の秋、お上《かみ》が品物の疎開を呼びかけた時も、お母さんは、女の数が減って余った布団やら、幾棹《いくさお》もの箪笥の中身、馬力に酒を飲ませちゃ千葉埼玉に運びこみ、しかし娼婦はてんからとりあわなかった、体一つあれば、他にまとい飾るものはうたかたの結びかつ消えるようなもの、その日暮しの習性ともいえよう。 「きれいさっぱり焼けちゃったら、君達はどうなるの?」楼主は高円寺《こうえんじ》と野方《のがた》に借家を持っていて、とりあえずそこに落着く手筈《てはず》ではあるけれど、さて商売となると誰にも見当はつかぬ、「お客さん、泊ってらっしゃらない?」政江は答えず、さらに脚《あし》をからめてねだったのは、かねがねお母さんのうち合せ、今は三人しきゃいない女だが、他に男手はなく、逃げるなら泊りのお客さんの後くっついてけば、まだ安心だよとなり、これまでの空襲の見聞からしても、到底、女手だけで焼夷弾《しよういだん》を消しとめる自信はすでになく、「震災の時にゃ、みんな吉原の弁天様の池で、溺《おぼ》れ死んじまったものだ、まあ、向島へ逃げるのがいちばんかねえ」蓮《はす》の煮つけを食べている時、グラッと揺れたというお母さん、以後蓮をいっさい食膳《しよくぜん》に近づけない。ひきとめるまでもなく、十時五十分に警戒警報が発令され、とたんに帳場のラジオがボリュームをあげ、ベルがひびき、「東部軍管区情報、敵数目標が相模灘《さがみなだ》南方洋上を北進中」とつげる、「空襲警報になったらお勘定はいらないのよ」ふくみ笑いして政江がいったが、それまでのぞめく足取りが、たちまち猛々《たけだけ》しい響に代り、組合理事の、ヒステリックなさけび声がきこえた、「雨戸を開けて、硝子戸をはずして、不要の灯は消して下さい」「不要の灯か、折角の顔がみられなくなっちゃう」政江はつと立上り、五|燭《しよく》の灯を消すと、まっくらがりの中でカーテンを開け、思いがけずに明るい夜で、爆風の被害をすくなくするため硝子戸をはずし押入れに立てかけ、吹きこむ激しい風に「ううっ寒い」雨戸をあけるのは、焼夷弾落下地点がはっきりわかるよう、そして、これが他の地区からの類焼ならば、雨戸に水かけて火の粉防ぐため、再びたてるとり決めだった。月はなかったが晴れた夜空に星が張りつめ、時折吹く風と風に鳴る電線の他《ほか》は静まりかえっている、「お内所にいらっしゃる? お茶くらいあるけれど」「いいよ、ここで君と見てよう」客はふたたび袋の大豆を手渡し、「なんだい、こんなところにも水を用意して」小便のカンカラに手をのばそうとしたから、ダメちがうのよとさえぎるとたんに下へおち、素頓狂《すつとんきよう》な音を立てたが、別に、誰もとがめはしない。  三年前、政江はやはり真暗な部屋で、三日間を過したことがあり、それは二階の北の端の布団部屋で、お松さんに、「じゃまあ、このお部屋でとくと思案なさいよ」ピシャリと唐紙《からかみ》を閉じられ、あれは夏の頃、屋根に照りつける陽ざしがもろに部屋にこもり、たった襖《ふすま》一枚へだてていわば地獄、お母さんとさんざやりあった末の興奮しだいにさめてみると、天井のしみにしろ、三尺の押入れの、だらしなくそりかえった唐紙にしろ、いまにも蜘蛛《くも》油虫音立ててはいずり出そうな按配《あんばい》、「そりゃねえ、好きな人と結婚したいっていうのは、結構なこってすよ、その前に、すますべきものをすましてからにしてもらおうじゃないか、かくれてこそこそ乳くりあうってんなら、こっちも大目にみてもあげますよ、それをあんた、証文そのままに棒にしろったって、そりゃいいよ、警察へ駆けこんで保護してもらえば、こっちは弱い稼業さね、今日只今《こんにちただいま》からだって自由な身にはなれるだろうさ、やりたきゃおやりよ、それで、そんな得手勝手で世間様が通るもんならねえ」鼻から二本煙こそ出さぬが、お母さんは煙管《きせる》たたきつけながらいい、政江にしてみれば丸二年余り、稼ぎに稼いだつもりで、だからこそ残りの分は男に出させ、ようやく掴《つか》んだ人並みのしあわせにもどるチャンスを、たとえ七重に膝を折ってもと、頼んだ挙句のこの見幕、金庫のとびら開けると、ポイとほうり出した帳面、右に収入左に支出、ことこまかに書きつらねてあって、とどのつまりは八百円の借金減るどころか二倍以上に増《ふ》えている、「どうしてお母さんこんな勘定に」「おや御不審かえ、おっしゃいな、どこがどうおかしいのか、ことこまかに説明させていただきましょ、はばかりながら三十年の余この商売やっててね、おいらんにいいがかりつけられるようなことは、これっぽっちも覚えがないね」もちろんこれは、やれ銘仙じゃ色気がない、着《き》たきり雀《すずめ》じゃもったいないと月末に反物かつぐ呉服屋の来るたび、なにすべてはお前さんの稼ぎで返せばよろしい、お母さんといや身内も同然、水臭いことおいいでないよ、ほらどうですこの友禅《ゆうぜん》こういうのを着せて、歩かせてみたいねえと、さらに枷《かせ》負わせる手練手管《てれんてくだ》、いやたとえこれに乗らずとも、お祭の寄附から近頃は公債の割当てまでが立替え払い、お国のためだかお内所のためだか、蟻地獄《ありじごく》におちたのも同様、「よしなよ、あんな片輪者をさ、そりゃきちんと始末した時にゃ、私だっていい男衆探《おとこしさが》そうじゃないか、ねえ、お松さん」へえ、さようでございますとも、なにも片びっこをと、調子に乗っていわれて、始めて政江口惜し涙が出て、「なによ片びっことは、名誉の傷痍《しようい》軍人さんよ」「そうかい、わるかったね、で、その軍人さん、借金払って下さるのかい、名誉だけじゃ、世間様はともかくナカではねえ」  瓢箪《ひようたん》から駒といった具合で、政江の客の洋服職人が、中支《ちゆうし》にいる友達へ慰問袋を送る、ついてはいちばんよろこばれるのが女性の写真だからと、ねだられて、なるべく素人《しろうと》っぽい一枚を渡すと、やがてその友達は手榴弾《しゆりゆうだん》で足に傷を負い、箱根の療養所へ送還され、ついては是非、慰問袋の女性にあいたいという、しぶる政江を拝み倒し、これもお国のためだからと洋服職人、友達のもとへ連れ、同じベッドをならべる戦傷者ヤイノヤイノとはやし立て、同じく洋服職人の白衣の勇士、すっかりその気になって、二度三度|逢《あ》ううち結婚してくれとの申し込み、さすがに政江あわてて、仲介の男に打ちあけ、「こんなに汚れた体と知ったらお気の毒だし、私だって嘘《うそ》でいい、私のことを想ってくれる人がいてくれるとうれしい、うまいこといって断わって」涙ながらに訴えたのだが、そしてどうしても思い切らぬ男に、すべての事情うちあけても、「いや、かまわない、過去は過去だ。俺は高田馬場《たかだのばば》に店を借りて、もう人台も運びこんである、義足だってミシンはふめるさ、傷者同士といっちゃわるいが、是非来てくれ」たっての乞《こ》いにほだされて、だが借金のことまでいい出せぬ、一心こめてお母さんに頼めば、私だって働いて月々いくらと残りを返していけば、あるいはと思えば甘い考えで、お母さんにもちかけた話。さんざからかわれ、「じゃ、私、死にます」「おや、おどかすのかい、ふざけるのもいい加減におしよ」ひらき直ったお母さんを、お松さんまあまあと押しとどめ、「さあさ、こっちへいらっしゃい、そりゃまあ若いうちはいろいろとね」ブツクサいいつつ布団部屋へ押しこめられ、もうこうなっては涙も出ず、いやにカビ臭い四畳半、陽がおちると共にただもう気が滅入《めい》って、電気つけようにも球《たま》がなく、「ねえ政江さん、長いものには巻かれなきゃ、いくら逆立《さかだ》ちしても楯《たて》ついても、ここのしきたりにゃ歯は立ちませんぜ」妓夫《ぎゆう》がにぎり飯運んで、親切ごかしにいい、「どうです、あたしの顔立てちゃくれませんですかい、まあわるいようにゃいたしません」よほど、おねがいしますと崩《くず》れおれたい瀬戸際《せとぎわ》をじっとこらえて、「ちぇっ、強情なお人だ」妓夫が引揚げると、あらためて政江裾《すそ》をかき合せ、膝《ひざ》を胸に抱きしめて、畳の目の、もうあや目もわからぬ暗がりに、うずくまっていた。畳の目の一つ一つ日がのびるんだと、たった二畳しかない水車小屋の寝部屋で爺さんのいったことを思い出し、いくらのびても、所詮自分にまではとどかぬ、闇《やみ》の女と、心底かなしく、それも道理でようやく二十歳、夜中に朋輩がらっきょをそえた弥助を運んでくれ、「懐中電燈ないのよ、ローソクで我慢してね」ゆらゆら揺れる炎が、窓一つない壁に己が影を写し、「えーお客様でございます」妓夫の声が別世界のもののようにひびく。 「ねえ、らっきょ食べない?」茶箪笥《ちやだんす》から、広口瓶《ひろくちびん》いっぱいに漬《つ》けたそれも今は三分の一に減り、「どうせ焼けるんなら、置いといても仕方がないわね」「よく酢っぱくないねえ」「好きなんだもの」闇になれると、かえってさっきより明るいくらいで、二つ小皿にとって、後は指でポリポリとつまむ。「手のすいてる人、手伝っとくれ」いっとき喧《やか》ましかった防空情報しばらく静まり、お母さんの怒鳴る声がする。「君、行かなくてもいいの」「うん、お客さまがいらっしゃるもの」裏庭の穴に大きな支那火鉢《しなひばち》を埋め、それに梅干梅酒つくだ煮米を入れて土をかける、証文類一切は組合の大金庫におさめる、その人手を欲しがっているので、政江はてんから手伝う気などない。男の手がもんぺの横の裂け目からしのびこむ、「数目標か、今日はやられるかも知れないなあ」「死んだ人、みたことある?」「空襲で?」「ええ」「一月の終りだったかな、有楽町に爆弾がおちた時、オートバイごと壁にぶつかって死んでるのや、脳味噌《のうみそ》のはみ出して、まだ動いているのをね」「痛いのかしら、爆弾て」「さあ、当ってみなきゃわからないねえ」男の指は、他人の死を話題にしながらしつようにうごめき、「抱いて、もし、今日の空爆で死んだら、これが最後ね」「抱きあったまま死のうか」「嘘ばっかり」もんぺの紐《ひも》を心せいてほどき、男がゲートル解きにかかるのは、さすがいつ空襲警報鳴りひびくかしれず、前のボタンをはずして、そこに顔をうめる、男はあおむけに寝て、政江の肩口をひきよせようとするが、首をふって、尚《なお》、いとしそうに直立したものを愛撫《あいぶ》し、これは、あの、ついにそのまま音信の途絶えた傷痍《しようい》軍人と、松葉杖《まつばづえ》の代りに肩をかして箱根のケーブルカーに乗り、蝉《せみ》時雨《しぐれ》の林の中でのこと以来だった。はじめて男をいとしく感じ、自分から求めたのも、あれが最初であった。  清梅楼に来た日、お松さんと福乃湯で背中の流しっこ、ようやく重い口もほぐれて、そのまま茶の間の奥の六畳で、たのむ人はこのお松さんと、問わず語りに身の上話の末、ひょいと話題が変って、「政江さんも、男と女のことわりは、御存知でしょうね」ごく当り前にいい、返事しかねていると箪笥から、一|帖《じよう》の絵巻物とり出し、眼にしたとたん、「え、久江さんえ、お客さま」「おことさんのお部屋弥助お注文」とかまびすしい物音とたんに消え、ただもううつむく耳許《みみもと》に、「恐《こわ》いことはありませんよ。明日、一緒に病院へまいりましょ、ほれ、綺麗《きれい》な若侍ですこと」一枚一枚めくりつつ、早く帰りたければ、骨惜しみせず体やすめせず、何事もお内所大事に、お働きなさるこってすよ、私もこれでもう少し若ければと、政江の乳にふれ腰にふれ、ふれられたところは、まるで灸点《きゆうてん》おろした如《ごと》くかっと熱くなって、つい息がはずみ、「男と女のすることに変りはありません、江戸の頃も私|等《ら》の若い頃も、そして今もねえ、せいぜい可愛《かわい》がってもらうことですよ、かわいがられてお金をいただき、親孝行ができる」お松さんの指は、ふとももに忍び入り身をすくめる政江を、あやすように抱きとりながら、ゆっくりとなでさする。翌日、病院へ連れて行かれ、診察というから、せいぜい聴診器を当て、脚気《かつけ》のあるなし調べるのかと思えば、うもすもなく内診台に導かれて、「はいズロースとって、上にあがる」看護婦がおそろしい力で両脚《りようあし》を、突き出た支《ささ》えに乗せ、拍子に背台が後ろへ倒れ、ようやく身を起したが前にカーテンがおろされて、医師の顔はみえぬ、ついで冷たい金属のふとももにふれたと感じた瞬間、裂かれるような痛みが下腹にしみ入り、思わずうめくと、「我慢して頂戴《ちようだい》、じきにすみますからね」お松さんが両腕をかかえ、だが痛みはますます強まるばかり、恥も外聞も忘れて、「お爺《じい》ちゃん」さけんで涙ににじむ天井に、蜘蛛《くも》の巣がゆれていて、あまりのことで現実感が失われ、気づくと同じ姿のまま、お松さんがしきりにガーゼを股間《こかん》に当てては、にじむ血汐《ちしお》をふきとっている、我にかえって脚をおろし、体起しざま内診台からとび下りたが、よろよろとよろめき、なにやら体の中にまだ入っているようで、お松さんにすがりつき、及び腰で、「痛い痛い」訴えると、「よしよし、少しの辛抱、みな通って来た道です、こうやってお医者さまに手術してもらえるだけでも幸せなのよ」以前は、妓夫の古手が通称ガンギ、婦人科内診用の器具を扱って、処女膜破り膣《ちつ》をひろめたもの。  その日は一日布団で寝ることを許され、もっともお松さんつきっきりで、「政江さんもこれでこの街の人間になりなさった、後は、男衆《おとこし》にかわいがってもらうだけです、わかってますね」まだ灼熱感《しやくねつかん》の去らぬ、そして他人のように思える下腹部をかかえて、政江は何時《いつ》知らずすべて納得し、心の底にほのかな好奇心、男衆にかわいがってもらうことに、一種の期待さえ生れ、ほんの四日前、ガチャンガチャンと音のみ喧《やか》ましい工場で、軍足を編んでいたことが夢のよう。遊廓《ゆうかく》には水揚げのことがなく、ただ初店とのみ妓夫にお披露目され、最初の客は四十年輩、あれこれしつこく前歴をききただすのを、しかし思えばこれほど他人の関心ひいた覚えなく、心うれしくてけっこう言葉をかわし、やがて疼痛《とうつう》にさいなまれたが、ガンギほどではなく、誰にもおそわらぬに、腰さえ使って、これは我が身をひしと抱きしめ、息づかい荒《あら》らげる客への、せめてもの政江の心づかいであった。やがて心の移し方、京紙の扱い方、酒に酔った客のあしらい、かならず裏をかえさせる後ろ髪のひき方、イルリガートルによる洗滌《せんじよう》から、まわしの際は金だらいに温《ぬる》ま湯《ゆ》張って腰湯を使う、客の気息に応じて、喜悦のふりをする、睾丸《こうがん》を愛撫しての早うち、月経のタンポの使用法、まわしのさばき方、どうにも疲れた際の体のつかい方、台の物とれば料金の二割五分がお内所へ入ることやら、上り花下湯|紋日《もんぴ》引けの言葉や、猿《さる》をえてするめを当りめの忌み言葉。いたらざるはない教育受けて、さて二時間で始めは二円、四分六でも一円二十銭となり、四時間三円十二時以降が四円、まわしをとれば十二、三円の稼《かせ》ぎつまり七円が手に残り、食う寝るところお内所まかせとなれば、大引けの拍子木の後、一時間ずつ拍子木にふとまどろむ夢を起され、ようやく朝の八時に欲も得もなく寝ついて、十二時に朝食、味噌汁《みそしる》につくだに沢庵《たくあん》盛り切り飯も、このつもりで客をとれば、たかが八百円の借金、たちまちに返せると心強く、もともと有為転変の身の上には、まずあきらめが先に立ち、もとより錦紗《きんしや》の友禅《ゆうぜん》のと、赤い派手な着物に心ひかれたのも年からいって無理もない。  だが朋輩が、やれ腰が抜けたの、茶臼《ちやうす》には弱いのと、いかに心こわく保ってみても、つい手練《てだ》れには泣かされるその経験まったく政江になく、たちまち身についた先の出方でどうにでも話合せる舌先三寸、ふんふんとうなずいてはいても、女の悦《よろこ》び、傷病兵をしるまではついぞ心得なかった。 「サックは?」「私はいいの」畳に横たわった政江、客のなすままにまかせ、そこへ、「東部軍管区情報、敵数目標は相模灘《さがみなだ》上空にて旋回集結中、東京、横浜、名古屋地方に来襲のおそれあり、厳重に警戒を要す。くりかえします」ふたたびラジオが高鳴り、「カントーチクチクノミガサス、アトカラシラミノダイヘンタイ」重なり合ったまま、さすがに怯《おび》えてうごきをとめた政江に、男は唄《うた》うようにいい、「疎開の小学生が唄ってるそうだ」「あなた、学校の先生」「うん」ふたたびもつれあい果てた後、「明日は陸軍記念日だからなあ、こりゃやられるぞ」身づくろいもそのままに見上げる夜空は、妙に青みがかっていて、覚《さ》めればさすがに夜寒が身にしみ、「一度だけ、あたし空襲をみたことある」空襲といっても、つまりその被害現場のことで、去年の暮、高円寺の、お母さんの借家へ着物を運ぶようことづかって、出たもののすぐに警報となり、上野で待避、遠くを電車が走るのかときいていると、それが落下音、ズシンズシンと響いて特に怖《こわ》くもなく、電車に乗ろうとすれば中野どまり、ごったがえす駅を降りて、後一丁場と歩くうち、キナ臭いにおいが漂い、辺《あた》りの人みるからに殺気立ち、ひょいとみると、一頭の馬が街頭に、まるで置物の如くに突っ立ち、その腹一面にこまかい硝子《ガラス》が突きささり、その一つ一つから血が吹き出て、地面に糸をひき、すでに大きな血溜《ちだま》りが出来ている、あっとおどろいて脚がすくみ、そのまましゃにむに清梅へもどって、「おかあさん、たいへんよ、馬が青い顔して突っ立ってたわ」「なんだって馬が青い顔?」「そう、まっさおになって」お母さんはまじまじと政江をながめ、「馬鹿だねこの子は、馬が青い顔するかい、恥ずかしいからって赤い顔になりますかね」いわれてみればもっともだが、政江の眼には、いかにも蒼《あお》ざめてみえたのである、「あの馬死んだかしら」「馬よりも、それをひいてた人間はどうしたかな、きっと爆風で吹っとんじゃったんじゃないか」こわいとしがみつき、大丈夫さ、らっきょ食べてるんだから、逆になぐさめられると、小皿に残っているらっきょ、みんな食べちまわなければ、すぐにも爆弾にあたりそうで、常日頃、信心にも欲深く手当り次第の神仏をならべて御加護をねがうお母さんを笑えない、「こまんだら、こまんだら」爺さんが地震の時つぶやいていた呪文《じゆもん》を唱え、「先生怖くない?」「そりゃ怖いさ、しかし、ぼくの友人はみんな特攻隊にいってるからなあ。ぼくは体が弱くて駄目だけど」「死ぬのはいや」「大丈夫、ぼくがついてる」  午前零時八分、不意に表が明るくなったから、身を乗り出してながめると、西の方に光源があるらしく、けたたましくラジオがひびいて、「東部軍管区情報、京浜地区空襲警報」あと敵編隊は、西南方より帝都上空に侵入しつつありという言葉にかぶさって、ドシンドシンと高射砲のひびき、たちまち夜空に数十条のサーチライトがゆらめき、政江はようやく気をとり直してもんぺをはく、「とにかく表へ出た方がいい。ぼくについて来なさい」階段降りると、帳場に人影なく、お母さんも久江も防空壕《ぼうくうごう》にかくれたらしい、街角には警防団がホースのばした消火ポンプをかこんで、夜空を見上げ、やがて一機、まるで送り火のようにサーチライトにリレーされながら、北進し、はっきりみえる灰色の胴体から、思わずとりおとしたといった造作なさで、黒い粒々がこぼれる、花火の喚声のようなどよめきがおこり、先生は、「大丈夫、こっちへむかって四十五度の角度でおとしたら危ないけれど、あれなら、川向うだろ」しかし、大気を切り裂く落下音はすさまじく、たちまち街路に一人の姿もみえぬ、政江と先生は軒先に身をひそめ、震動も伝わらぬのに、防火用水の水はポチャンポチャンと揺れうごく。次から次へと一機ずつ、ごく低空で真上を通過し、やがて南の空が赤く染め出され、「あっちも焼かれてる」さけびにふりむくと、北も、そして東も空は真赤で、その赤の中をキラキラ光りながら数百の金粉がおちるともみえず、ゆるやかに降り、しかもここだけは、おどろおどろしく人のののしり騒ぐ音を、風に乗せて時たま伝えながら、深閑としずまりかえっている、「壕はどこだっけ」こっちと、もはや消火の意欲はないのか、置き去りにされたポンプの横を通り、江戸一の交番の横の壕にたどりつくと、すでに満員で、みな押しだまったまま、無表情に員数外の二人をながめ、「日本堤の方へ行きましょう」先生の手をにぎりしめ走りかけると、何時の間にしのびよったのか、B二十九特有の爆音はきこえぬのに、ただ轟々《ごうごう》と落下音、矢も楯もたまらず防火用水のわきに眼と耳おさえて伏せ、しずまったところで身を起すと、あたりの景色はそのままながら、ただならぬ気配、ガラガラとポンプを引く音、犬の鳴き声、「焼夷弾《しよういだん》落下」と女の悲鳴、一軒がすっと薄い黒煙吐き出すと、合図うけた如く、バチバチと火のはぜる音、そこへ再び落下音がひびき、政江|怖《おそ》ろしさに伏せたまま見まわすと、さきほどの星あかりはまったくなくなっていて、まっくらがり、「先生!」とさけんだが答えはなく、歩きかけて蹴《け》つまずいたからひょいとみると、先生はうつぶせに倒れたまま、向いの家の軒先から火が走り、その明りをたよりに抱きおこすと、すでに先生の意識はない、ひっぱり起すにも、引きずるにも頬《ほお》がえしのつかぬ重さでそのうち熱さにいたたまれず、用水の水を両手で全身に浴び、あるいは怪我《けが》だけかも知れぬ先生を、置き去りにするやましさなど考えるゆとりはない、片側の焼ける炎をたよりに、日本堤へむかうと、逆にこちらへ駆け寄る一団があり、とにかく一人よりは心強いからまぎれこんで、京町を仲之町へ走り、その間に二度、焼夷弾が降って、どこをどう傷つくのか、たいてい一人二人起き上らぬものがいて、だが知ったことではない、仲之町にたどりつき、みると道いっぱいに、まず二米間隔、細い棒が突っ立っていて、これは不発らしく、走っているうちはまだしも、立ちどまると熱気にうたれて、「言問橋だ」「三囲《みめぐり》神社」「吉原病院」「松屋」と口々にさけぶだけ、やがて布団背負った女の背に火がつき、消すにも水はなく、背をかがめて突っ走った男の影も、半ばにして火柱の如くなりどうと倒れる、背後から炎はせまり、しかも風さえなおいっそう吹きつのり、互いに見かわす顔、すすでくろく汚れ眼は赤く血走り、ようやく一人が防火用池に気づいて、裏路をたどりたどりつくと、すでに黒山の人、楼主と覚しき三人、さすが男で胸まで水につかって、周囲の群れに、バケツで汲んでは水を浴びせ、その冷たい水、実はとっくにぬるま湯ほどにも熱されているのだが、ほっと政江も生気をとりもどし、見まわすと、視界のすべて、勢いよく燃え盛っていて、そうこうするうちにもこぶし大の火のかたまりが、防空頭巾にとりつき、「荷物は捨てろ、ほうり出せ、どこかに火がついたら、すぐにいうんだぞ」必死のせいか、周囲の物音にかかわらず楼主の声がききわけられ、女達、ハイとそれでも力いっぱい返事をする。  気づくとここは、戦時菜園のすぐとなりの用水で、これならば最初からここへ来ればよかったと、水を浴びるごとに人心地《ひとごこち》がつき、ひとしきり音を立てては、棟《むね》が焼けおちると、そこからの熱気は汐《しお》のようにひいて、始めに焼かれたあたりは、すでにほだ火ほどにも弱まり、もともと日照りには弱いらっきょ、この熱を浴びては、みんな枯れちまったろう、いや、土の中の実は、案外無事かも知れないと、今は財産といえばらっきょだけ、しきりに火の粉は舞いしきるが、特に炎もあがらぬ菜園をながめ、「よし、みんな水をかぶって、焼けおちた道から、日本堤署へ逃げるんだ」楼主がいいはなち、道に焼けぼっくいやら、瓦《かわら》やらおちてはいても、すでに日本堤の方向は下火となっている、女の一人一人バケツで水浴びさせられ、一散に駆け出す、政江は順番に間があるからと、菜園にむけて歩き出し、もし焼け残った根っ子があればと、手にふれると火傷《やけど》しそうに熱い土に四つんばいとなり、地表の葉っぱはすべてチリチリとなったうねの間を歩くうち、風が変って、百|米《メートル》ばかり先の焼けおちたあたりからまるで火の川のように、火の粉が吹き寄せ、逃げる間もなく政江を包み、火だるまとなった政江二歩三歩足を運んだが、どうと倒れて、しばらく後その上を押し包むように、焼けおちたはずみの熱灰が、ふりそそいでいつまでもくすぶりつづけた。  吉原で残った建物は、吉原病院それに揚屋町の一号館二号館、江戸町二丁目の八号館、十日から十二、三日まで炊《た》き出《だ》しやら、罹災《りさい》証明書の交付など、ここを根城に行なったが、さしもの各お内所も、帰れといって、あてもない娼妓《しようぎ》をかかえ、それぞれかねて手筈《てはず》の借家やら、縁故先へおちのびたものの、先行き見当つかず、そこへ十八日、日本堤署長より、再びこの地での営業は不可能と宣告されて、とにかく娼婦の証文を巻き、おったてるように郷里へかえしたが、どうにも落ちのび先のない女二十人、今はお荷物となったのを、思案投首のところへ、四月十九日、「治安維持の必要上から、早急に営業を再開されたい」と指令され、なにしろお上のおいいつけごもっとも、軍にかけあって、応急の資材手に入れ、一号二号八号館の焼ビルに床を張り、疎開させてあった布団を入れて、さらに強制疎開でこわした家屋の畳や障子、柱に雨戸、おっつけはっつけ割部屋をでっち上げ、営業再開と誰一人宣伝もしないのに、焼跡の闇の中を、脂粉《しふん》の香《かお》りにひかれてか、たちまち延々長蛇《えんえんちようだ》の客が集まり、時間といってもこと果てればそれまでで五円、二時間十三円、泊り二十円、この頃、闇米一升が丁度二十円であった。  京町の門柱の焼けのこりと、ようやく生きのびた見返り柳の他《ほか》に、ほとんどすべての吉原が焼失した後で、ようやく暑さにむかう焼跡の一隅、たちまち生《お》い繁《しげ》り、赤褐色《せつかつしよく》の焼野をうめつくした野草の中に、一本、由緒《ゆいしよ》正しいらっきょの茎がのびていた。政江の誰一人知らず葬られた防空壕の上、紫色の、鐘の形をしたらっきょの花が、水車小屋の前の砂地に生《は》え、そして政江の指を染めたそのままの色で、ただ茫漠《ぼうばく》たる焼跡の夏草にまじり、天にむかって、さやさやと風に揺られていた。 この作品は昭和四十七年六月新潮文庫版が刊行された。