知識経営のすすめ ナレッジマネジメントとその時代 野中郁次郎 紺野 登 -------------------------------------------------------------------------------- 筑摩eブックス 〈お断り〉 本作品を電子化するにあたり一部の漢字および記号類が簡略化されて表現されている場合があります。 〈ご注意〉 本作品の利用、閲覧は購入者個人、あるいは家庭内その他これに準ずる範囲内に限って認められています。 また本作品の全部または一部を無断で複製(コピー)、転載、配信、送信(ホームページなどへの掲載を含む)を行うこと、ならびに改竄、改変を加えることは著作権法その他の関連法、および国際条約で禁止されています。 これらに違反すると犯罪行為として処罰の対象になります。 目次 第1章 情報から知識へ 第2章 二一世紀の経営革命 第3章 第五の経営資源 第4章 「場」をデザインする 第5章 成長戦略エンジン 第6章 創造パラダイムの経営 参考文献 あとがき 知識経営のすすめ ——ナレッジマネジメントとその時代 野中郁次郎 紺野 登 第1章 情報から知識へ 情報とは異なる知識の世界  次世代の産業・経営のキーワードとして「知識」が関心を集めています。  九〇年代後半から米欧でなかばブームになっている「ナレッジマネジメント」(Knowledge Management)も、こうした関心が顕在化したものといえます。ナレッジマネジメントとは、簡単に言えば、個々人の知識や企業の知識資産(Knowledge Asset)を組織的に集結・共有することで効率を高めたり価値を生み出すこと。そして、そのための仕組みづくりや技術の活用を行なうことです。  ただし、後ほど触れるように、ナレッジマネジメントは知識と経営・ビジネスのかかわりの平面にある、ひとつの方法でしかありません。  急に「知識が経営にとって重要だ」とか「ナレッジマネジメントを実践せよ」などと言われてもピンと来ないかもしれません。その点、米欧と現在の日本では多少温度差があるようです(それでも最近ナレッジマネジメントを社内展開しようとする企業が増えていますが)。かといって近視眼的に、ナレッジマネジメントを短期に効果のあがる実践手法だ、というふうに手放しでとらえてしまうのも問題です。  なぜ知識、なのでしょう。ナレッジマネジメントと謳ってはいても、知識を「技術」とか「情報」とかに置き替えても違いがわからない、という例は少なくありません。本質的な違いは何でしょうか。  「企業にとって情報は価値があるよ」と言われて反論する人はあまりいないでしょう。しかし、知識に焦点をあてるということは、こうしたこれまでの、いわば情報を善とする「情報の時代」とは大きく世界が異なります。たとえばみなさんは仕事で接する情報が氾濫しすぎていたり、多すぎる情報でかえって物事が見えにくくなり困っているということはないでしょうか。本当に欲しい情報をどう選ぶか、あるいは情報をどのように見たらいいのか、といった問題を感じていないでしょうか。  情報化(その本質はデータ化)が進みすぎると、情報社会を超える枠組みが必要になってくるのではないでしょうか。インターネットの爆発的普及は利便性の一方で情報ストレスをもたらしています。これはあるべき方向なのか。あらたな段階へのステップなのか。  情報の意味合いも時代とともに変わっています。もともと企業の情報システムは、工場でモノを生産し、流通させるデータ交換をするために生まれました。  たとえば、一九世紀末米国の精肉業者は集中的量産設備(精肉工場)からの物流に鉄道を積極的に利用しましたが、これに電信を結合することで飛躍的に発展しました。電信による消費地からの的確な情報が牛肉在庫の劣化を防ぐため需要調整手段に用いられたのです。こうした情報技術活用(時空間の制約を超えたモノ・カネの流れの調整)は現在まで基本は変わっていません。  情報システムは、ホワイトカラー部門が主として数値情報(データ)を活用できるように発展してきました。情報システムの投資対効果はホワイトカラーの生産性(コスト効率)が上がるかどうかで判断されてきました。なぜなら、かつては工場(ハード、製品)が経済的価値を生んでいたからで、それを支援する情報システムは業務の根幹にありながら、「間接部門」が活用するもの、というイメージが支配的になっていたからです。  しかし、現在、時代の大きな変化のもとで、価値を生み出すのは必ずしも工場やハードでなくなり、製品を媒介にした問題解決(ソリューション)、サービス、情報提供などに移行しています。これは業種・業界を問いません。人々や組織が創り出す知識、あるいは知的な資産が価値の源泉となっているのです。  「知識(ナレッジ)ワーカー」ということばが広まっていますが、この背後には、もはや「間接部門」としてのホワイトカラーではなく、価値を生み出す「直接部門」としての人や組織という意味があるとおもいます。情報時代のホワイトカラーは階層化・分業の世界に配置され、一人一人の顔は見えませんでした。全員が均一に同じように働く。他方、知識時代の知識ワーカーは一人一人が個性的に働く。その彼らがネットワークで知を結集する…。これは革命的な変化ではないでしょうか。  つまり、情報社会と知識社会は、極論すれば「逆さま」の世界かもしれません。企業にとって知識が意味を持つのは、単に情報を知識と言い換えたり、(狭義の)ナレッジマネジメントのスローガンの下で時間短縮やホワイトカラーの業務効率化を図ったりするから、だけではありません。  重要なのは、これからの企業や経営のあり方が大きく変わること、企業が知識を糧に成長するようになるという観点です。その大きな座標の中に、知識経営あるいはその狭義の手法であるナレッジマネジメントを置いて見てみよう、というのが本書の展望です。 米国が知識経営に真剣な理由  米国企業がナレッジマネジメントや知識プログラムに取り組むのはなぜか。それは、単なる手法以上のものととらえているからです。熾烈な競争環境がつきつける課題を知識の問題としてとらえ、さらに、知識経済のなかで生存と繁栄を図ろうという狙いがあるからにほかなりません。  ナレッジマネジメントが最初に注目されたのは、マイナス面の解決のためでした。現在日本企業もすすめていますが、米国企業が短期的コスト削減のためにおこなったリストラやリエンジニアリングの副作用で、人材とともに知が流出、低下してしまった。その知識を回復しようという思惑でした。個人の知識を何とか組織的な仕組みやシステムで維持しようとしたのです。  次に、グローバル市場で大幅なサイクルタイム短縮を迫られた企業が、要所に必要な知識を獲得・活用したい、というニーズが浮上してきました。個人や集団の知識共有や移転(ノウハウ再利用)によって業務工程の重複を避け、生産性の拡大、効率化、迅速化を図ろうというわけです。  さらに、知識経済の時代において、知識資産を価値の源泉(知識財)としてとらえ、そこから収益を得ようという試みも行なわれました。  これらの知識への取り組みはいずれも道理にかなったもので、日本企業にもあてはまるものですが、どうも日本企業は米国企業ほどにはこうした知識に対する切実感や切迫感がないようです。  なぜでしょうか。米国での知識への関心は高く、国家的なもののようにもおもえます。どうやら、知識はいろいろ価値があるぞ、というのが米国経営者の実感ではないでしょうか。現在のところは情報システム主導のナレッジマネジメントがブーム化していますが、知識は長期にわたる経営のテーマになるという認識を持っているようです。  そこで、ナレッジマネジメントが台頭してきた背景を今一度、より広い知識経営の観点から「歴史的」に見てみようとおもいます。そこには、米国企業、いや、二一世紀に繁栄しようという意思を持つ企業を知識に向かわせる、必然的な二つの大きな力が働いていることが見てとれます。 (1)ナレッジマネジメントの源流その1…企業の内部資源への注目  米国経済は世紀末の数年、活況に沸いていました。一方で日本経済はどん底を経験し、かつての日本的経営ブームも地に落ちた感があります。しかし、その米国も一九九〇年代はじめには未曾有の危機を味わっていたことは記憶にあるとおもいます。  九一年の米国GDP(国内総生産)は実質でマイナス成長となり、その後多くの企業が大量の人員削減に向いました。「米国の時代の終焉」が叫ばれたこの時期に、実はその後に重要になるいくつかのコンセプトが表に現れています。たとえば「学習組織」という概念、あるいは「コア・コンピタンス(企業の核心能力)」、もう少し後では「リエンジニアリング」といった経営手法がこの時期に生まれ、あるいは関心を集め、提言されました。  実際、この時期の米国は、日本企業の攻勢を受け、実際に学び、あらたな企業の強みとは何かをつかもうとしていました。いわゆる日本的経営ブームが起きたのは、こういったギャップがあったからだといえます。  これらの概念に共通するのは、組織内部の無形の資源や能力への注目です。企業が従来の戦略中心の経営に限界を感じ、外向きの戦略立案に力を注ぐ前に、立ち止まり、自身の内側に目を向けたのです。この時期、日本企業の強みというのはどうも組織の内部にあるのではないか、という議論が盛んになりました。なぜなら日本企業はお世辞にも戦略を上手く立ててやっているように見えないのに、それなりに成果をあげている…。  たとえば「コア・コンピタンス」ということばは現在一般的によく使われていますが、提唱者のG・ハメルとC・K・プラハラドはキヤノンやNECといった、当時の日本の優良企業研究からこの概念を抽出したといってもいいでしょう。  こうした「企業の内部資源への注目」が、九〇年代初頭の経営上の重大な出来事だったといえます。そこへ目を向けたことが、結局、知識を重視する下地を作ったのです。そもそもコンピタンスとは、有形のハードなものではありません。ソフトなもので、突き詰めていくと、企業内に埋もれている知識ではないか、という仮説が生まれます。こうして、知識がコンピタンスの源泉となり、さらにそれを使うことのできる「知」が、次世代の産業、競争、経営にとって不可欠と位置づけられるようになったのだといえます。  一方、すでに述べたように、この時期に、リストラやリエンジニアリングの弊害が生まれました。つまり、知識を持った人材の流出や、部門の分離によって、従来企業を支えていた知識の生態系が崩れ、「知識問題」を引き起こしました。こうしたことも、内部資源である知識に対して目を向けさせる要因になったといえます。  この時期の、エポック・メーキングな概念のひとつが「アジリティ」(agility 俊敏性)または「アジル競争」です。アジルということばは、単に速いだけでなく、知的に俊敏であることを意味します。よく引き合いに出されるのですが、電子メールにすぐ返事を書くことだとか、お客の要求に条件反射的にバタバタ走り回ることではありません。  アジリティの考えは、従来の米国製造業が限界を認識し、それを超えようとしていた時期に生まれてきました。つまり、製造業はもはやハードのみの生産者でなく、ソフト、サービスを融合した価値を提供する、あらたな存在を目指すべきである、と。そうでない限りグローバルな競争環境において生存不能だ、という認識です。こうした認識にもとづいて、ハード中心だったコンピュータ業界がソリューションなどのソフト、サービス志向へと変身し、消費者向け製品でもマス・カスタム化(顧客の注文による生産。ワン・トゥ・ワン・マーケティングもこの一種)が重要な考え方となりました。  アジルな競争者たるには、企業は持てる知識を、刻々と変化する機会の具現化に活用しなければなりません。そのためには情報技術の活用を図らないといけない。さらに協力企業との仮想組織関係が求められます。たとえば、既存の企業の価値連鎖をアンバンドル(解体)して、外注化し、まったく異なる形態を形成することも辞さない…。こうして、企業がこのような「新知識」を得て、一九九五年には米国の株価は上昇しはじめます。 (2)ナレッジマネジメントの源流その2…知識・デジタル経済への注目  一九九〇年代初頭に悪戦苦闘して、何とか這い上がった米国企業はすっかり「アジル・モード」に変身していました。ところが日本企業はそのことに気づかず、米国の景気が回復した、程度に思っていました。少なくとも、このような米国の変身やその意味に気づいていれば、その後現在のようなどん底に落ちることはなかったかもしれません。  ちょうど、野球がサッカーやバスケットボール、いや、テレビゲームに取って変わられるように、グローバルな市場競争のルール、モードは切り替わっていたのですが、日本は相変わらず「メイド・イン・ジャパン」のハード製品を輸出するという産業モデルから脱することがなかった。今でもその状況は変わっていません。  とにかく、社会の成り立ちもふくめて、米国は古いモードからあたらしいモードへ急速に地滑り的に大移動している。具体的にはグローバリゼーションや規制緩和によってベンチャーブームや産業構造改革が起きています。もちろん米国も壮大な実験をしているのであって、リスクもあり、不透明でもあります。しかし、このダイナミズムは大変大きい。したがって、こうした文脈を考えずに、ただ日本企業はシリコンバレーに学べ、とかグローバル・スタンダードを身につけよ、と叫ぶのはきわめて近視眼的だといえます。  アジリティを身につけた米国企業は、ハード依存でなく、サービスと融合した製品を提供し、競争相手の手さえ借りて顧客機会を迅速に具現化するという態勢を整えていました。象徴的な例がヒューレット・パッカードやIBMです。  IBMは従来のハード中心の収益構造をサービス中心に急速に移しました。もちろんIBM自身も未曾有の危機に直面して瀕死でした。コンサルティング会社のマッキンゼーからやってきたルー・ガースナー会長は、事業の分断とともにサービス化を図りました。IBMはもはや九〇年代初頭の絶滅寸前の恐龍でなく、まったく別の人格を持った企業となったといえます。  同じようにサービス化を志向した製造業には、モトローラやGE(ゼネラル・エレクトリック)などがあります。こうしたサービス化への移行こそが、実は知識へのフォーカスなのです。顧客向けコンサルティング・サービス、特定専門分野のソリューション、顧客ごとのシステムのカスタマイズにはそれぞれの専門的知識や専門的知識ワーカーが不可欠なのはいうまでもありません。  この頃までに、組織内部ではパソコンを利用した業務様式が浸透していました。個々人はパソコンを使いこなせるようになっていた。これが下地になって、ネットワークによって知識ワーカーが価値ある情報や知識を共有する、という組織観も生まれていました。なかでもインターネットやイントラネットのような柔軟なネットワーク環境は、組織の壁を超えてネットワークが広がるという意味で大きなエポックだったといえます。  さて、ふたたび米国の株価が上昇をはじめた九〇年代中頃、企業を知識に目覚めさせる概念として、知的資産あるいは知的資本が注目を集めました。というのは、従来の尺度からすればほとんど資産を持たない企業が、時価総額(市場価値)ベースで巨大企業を上回る現象が生まれてきたからです。  ソフトウェア産業、情報サービス産業、コンサルティング業はいうまでもありません。製薬、バイオ産業では知識が製品の中核をなしています。こうした企業は、現有資産をはるかに凌ぐ時価を示します。マイクロソフトなどはその代表でした。それはマーケットが知識の価値を評価しているからにほかなりません。そして、企業の知識資産のほとんどが未活用だということが指摘されました。  これらは、企業がアジル・モードに移り変わったことによる当然の結果でした。アジルな競争とは本質的に、知識を刻々変化する市場機会と俊敏に結びつけて価値を生み出すことだからです。この時期、こうして企業の知識資産と知識経済の結合が、成長力の源泉として認識されるようになりました。知識経済、デジタル経済、何と呼んでもいいでしょうが、従来とは異なる市場経済のメカニズムが認識されるようになったのだといえます。  こうした流れに乗ったのがクリントン-ゴア政権の経済政策でした。その直接的駆動輪はインターネットでした。インターネット(新国家情報基盤)、シリコンバレー(新産業地域)、企業価値経営(高株価、そして強いドル)は三点セットとなって米国産業のあたらしい顔となったといえます。象徴的な例が、ヤフーなどのインターネット企業でしょう。彼らは、従来の売上ベースの企業規模では到底及ぶことのできない企業価値、市場での資金を得ることができました。さらに、こうした資本を背景に、小が大を食う、という現象も生まれました。つまり、知識が梃子になった成長という認識が実感されたのです。 ニューエコノミーの主成分が知識である  以上であげたような二つの大きな力の流れ、すなわち、㈰内部資源である知識を最大限に活用し、㈪知識経済のメカニズムで成長するということが、九〇年代をつうじてナレッジマネジメントへの関心を表出化させたといえます。  こうして見ると、なぜ米国企業がナレッジマネジメントに強い関心を持つかがわかります。それはそれが、生き残りのカギであり、成長の源泉だからなのです。したがって、知識経営に対する関心は本質的で、単なるブームでなく、二一世紀に向けた大きな時代の潮流だといえます。  ただし、知識経済とかニューエコノミーといっても必ずしもバラ色の景気拡大のことを意味しているわけではありません。悪いときもあるでしょう。問題は従来とは異なる経済に敏感でいられるかどうかです。  補足ですが、九〇年代なかば、米国での知識への関心が顕在化したきっかけのひとつは『フォーチュン』誌です。同誌記者のT・スチュアートが、ニューエコノミーの主成分が知的資本に表現される知識と情報だと主張したのは一九九四年の一〇月三日号でした。  知識経営の原点は一九九〇年の『知識創造の経営』(野中—文献1)にはじまり、その基本がハーバード・ビジネス・レビュー(九〇年一一月)で世界に発信されました。さらに、『知力経営』(紺野・野中、一九九五年、フィナンシャル・タイムス他主催グローバル・ビジネス・ブック賞および一九九六年度ベストマネジメントブック賞)が九五年一月に出版され実践的展開が提言されました。この一部が『知識創造の経営』に加わり、“The Knowledge Creating Company”(Nonaka, I. & Takeuchi, H. 邦訳『知識創造企業』)として米欧で九五年に出版されました。同書は米国出版協会賞を受賞しました。こうした動きを背景に、ナレッジマネジメントが九〇年代中盤から急速に関心を集めたといえます。 ナレッジマネジメントの限界  少なくとも米国企業にとっては、知識を経営に結びつけることは切実な問題となっています。そして現場ではナレッジマネジメントを展開しないと、競争に負けてしまう、という意識が強まっています。ただし、ここでいうナレッジマネジメントは限定的な、既存の知識資産活用のプロセスを指すことが多いのはすでに触れたとおりです。  たしかにベストプラクティス(最優良の実践成功例)のノウハウが学習されれば、時間短縮やコスト削減が目に見える効果として生まれるはずです。この種のナレッジマネジメントを展開した企業では、業務重複の排除によって生産性を上げたり、ノウハウ共有化によって時間短縮を図り、成果をあげています。  ただし、これは両刃の剣です。この初期の効果を継続させるためにはいくつかの問題点が指摘されます。  ひとつは、ベストプラクティスの移転・共有によって成果をあげることに慣れきってしまうと、当然「自分で考え、挑戦する(つまり失敗する)」という風土はなくなってきます。  変化の激しい経営環境においては外部から学ばざるを得ないでしょう。しかし、ベストプラクティスのベンチマーキングとは基本的に「模倣」です。したがって、自らがそれを超えるプラクティスを生み出すような組織的風土を維持していかないと模倣組織になってしまう。模倣の対象は常に、先を走っている誰かです。だから他社を超える速度は生み出されません。  さらにこの問題は、そのベストプラクティスの枠組みや境界線を超えるようなアイデアや発想が生まれ難くなるということです。ある成果が一〇〇点を基準にしていたら、一、〇〇〇点や一〇、〇〇〇点を目指すことなく、一二〇点や一三〇点を狙うでしょう。こうした認知限界を超えるのは、ベストプラクティスを超える、創造的態度です。これをつないでいかないと、「知識経営」にはならない。  同じく、既存の知識資産だけを対象にしている限りは、あるいは、情報データベースを知識としてとらえている限りは、継続的な知識活用の効果は生まれてこないでしょう。ナレッジマネジメント・ソフトを活用するだけがナレッジマネジメントではないのは当然です。そして知識を共有して、それから、どうするのか。もちろん知識共有のプロセスは重要ですが、先に広がる、より大きな、ダイナミックなプロセスが本来の知識経営のエッセンスだといえます。  知識経営の目的は、業務の効率化や製品・サービスの質的改善、顧客満足度の向上などにとどまりません。こうした経営品質プログラムのようなものだけなら、従来の経営手法とさして変わらないといえ、それこそブームで終わるでしょう。  むしろ、知識に焦点を当てることで、これまでとは異なった経営のあり方が生まれてくる。つまり、企業が今後の知識経済、知識社会の中で繁栄し続けることができるということです。これらを具現化するためのプロセス、資産、組織デザイン、情報技術活用の総合が必要です。 知識経営は競争力と成長力を生み出す  本来の知識を活かす経営とは、これらにとどまらず、さらにその先に、企業が知識で何をするかにかかっているといえます。いくつかのパターンを見てみましょう。 (1)知識を用いて競争力を高める  ひとつは、組織の知識資産を活用して現業の価値を高めようとする戦略です。知識を活用した問題解決、顧客との知識共有による成長基盤の維持などです。知識を活用、さらに創造して競争力、イノベーションを生み出せるか。これは最もベーシックな企業、経営の関心であるはずです。これを意図的に行なうかどうかが問われます。  たとえばドイツの中堅企業の例を挙げてみましょう。高品質照明システムの製造業であるエルコ社は、ルーブル美術館のガラスのピラミッド、香港上海銀行の照明プロジェクトなどで建築専門家の間では世界的に知られています。彼らは、照明製品を開発・製造するだけでなく、建築家、演劇人との共同作業で専門的問題解決を行なう。それが彼らの価値の源泉となっています。問題解決の基礎には独自の知識研究・集積があります。それは「光を建築的要素としていかにデザインするか」に関する知識です。  エルコ社によれば「光はそれ自体視覚的に認識されることなく(物体の)視覚的認識を創り出す」ものです。同社は、トップ自らが光と産業文化について語り、ホームページで照明辞典を提供するなどして、知識を市場や顧客と共有し、成長基盤の維持と知識の創造に結び付けています。 (2)知識を核に事業を再構成する  エルコ社の場合は、現業は従来のままで、知識、サービス(問題解決)との融合によって、製品の「提供形態」を変化させている例だといえます。一方、進んで、製品の内部に企業の持つ知識を埋め込んだり、知識を前面に打ち出して事業自体のあり方を変えるという例もあります。  世界でもっとも進歩しているとされる「マルチフォーカス(多焦点式)」補聴器のメーカー、オティコン社(デンマーク)はその代表的なものです。同社は伝統的な技術志向の企業でしたが、大手との競争に巻き込まれその地位は低下をたどっていました。オティコンはこうした中、トップ交代を契機に「知識ベース企業」(自称)への変身を図りました。  まず彼らの行なったのは知識共有でした。しかしそれを組織変革という方法で行ないました。オティコンはヒエラルキーで描かれた組織図を捨て去り、物理的障壁となっていた個室オフィスを廃止し、すべての業務がプロジェクトによって行われるようにしました。社員は自分の机を持たず、可動式キャビネットだけで、業務の進展に応じて移動する。  オフィスは高度にコンピュータ化され、ペーパーレス化も徹底しています。ただ、以前社員はコンピュータに向かっていましたが、今はインフォーマルなミーティング・スペースがディスカッションや情報交換の「場」となっています。同社の組織は「機械のようにではなく、脳のように」機能すると表現されます。  こうしたあたらしいアプローチが採用されてまもなく、重大なイノベーションが生じました。後の主軸となる「マルチフォーカス」補聴器が構想されました。社員は相互に対話することで、新市場を切り開く製品に必要な知識が、長年にわたり企業内に埋もれていたことを悟ったのです。  一方、自社の知識が何であるかを問うことで、オティコンは補聴器という製品の意味をまったく変えてしまいました。同社は「心理聴覚学」と呼ばれる独自の知識の領域を重視し、補聴器を聴覚の否定的問題の解決に用いるのではなく、「創造的人生のための手段」として位置づけています。  人間は「聞きたい」という意思があるからこそ聞くことができる、つまり心理が聴覚に作用を及ぼす、ということをベースに技術開発を行なっているのです。したがって補聴器は内耳に向けられたスピーカーではなく、より良い聴覚能力を得る補完的なシステムとなります。  これにしたがって、最近導入されたオティコン社の補聴器は、「世界最小のコンピュータ」を謳い、ユーザーの聴力に合わせてカスタマイズされます。さらにユーザー向けコンフィグレーションのソフトは他社と共有しています。つまりオティコンは補聴器をコンピュータに変え、補聴器ビジネスを個人向け聴覚サービスに変革したといえます。  コアとなる知識に焦点をあてることで、事業の仕組みや意味合いを根本から変えてしまう戦略は、スティールケース社(米国最大のオフィス家具製造業)でも試みられています。  同社はハード中心のオフィス「家具」事業から脱して、創造的なオフィス空間の創出を軸に企業変革を図ろうとしています。その核となるのはオフィス、オフィスワーク、人間の仕事に関する知識(Workplace Knowledge)です。彼らの提供するのはこの知識をつうじた創造的な環境です。  オティコン社やスティールケース社のような例では、彼らの製品に彼らの知識が「埋め込まれている」、あるいは知識によって製品がサービス化されているのだといえます。こうしたアプローチは今後、多くの製造業にとっては不可避のものともいえます。筆者はこういったあらたなタイプの製造業を「知識製造業」(第6章)と呼んでいます。 (3)知識が商品そのものとなる  サービス業でも同様の戦略や仕組みは活用できます。さらに、金融や経営サービスなど、ハードがない無形製品の場合は、その商品自体を知識として提供する知識経営の展開もあります。ソフトウェア、コンサルティング、教育サービス、エンターテインメントなどもそうしたジャンルの市場です。  スウェーデンに本拠を置く金融・保険サービス業、スカンディア社は、知的資本(Intellectual Capital)を標榜し、資本の効率的活用と、無形の知的資本の市場化を狙って啓蒙活動を行なっています。彼らは、顧客との関係、人的資源、業務プロセスなどの枠組みで知識資産をとらえ、それぞれにかかわる情報を企業年報別冊で開示したり、業務効果の測定を行なっています。  彼らは、被保険企業にとって、知識資産の豊かさは、リスクの低さに通ずるといった考えを提示しています(たとえば豊かな知識資産を持つ航空会社は事故率が低い、結果的に保険料も低い)。また、保険契約のノウハウ(知識)をソフトウェアとしてまとめて商品化し、顧客自らが保険内容のデザインをできるようにしています。  社内では、グローバル化に伴うオフィス開設プロセスを既存のノウハウ移転で大幅短縮するなど、いわゆるナレッジマネジメントを行なって成果をあげてもいます。しかし、彼らの知識企業としての基本的視点は、保険サービスの本質が知識であるという認識、そして「隠れた」知的資本は「物質的知識資本をはるかに上回る」経済的可能性を持っている、ということだとおもわれます。 知識症候群  以上のような「知識企業」は、きわめて能動的に知識をとらえているわけですが、背後には、そのように取り組むべき切迫した理由もありました。知識を有効に活用できなければ、競争で敗けたり、眼前の機会を逸してしまうという、きわめて具体的な契機や動機があったからだ、といえます。少なくともそう感じた企業が取り組み始めたわけです。  「わが社ではナレッジマネジメント戦略を採用すべきだ」とか、「ナレッジマネジメントは収益に結びつく」といった目論見で始まったわけでなく、現場の、あるいはトップの、経営における知識にまつわる問題や成長機会についての「気づき」から始まっているのです。ナレッジマネジメントは体系的に商品化された「便利な経営手法」ではありません。 たとえば、 ●リストラによって部門売却や人員整理を続ける過程で、知識を持った人間が辞めてしまったり、組織的に維持していた知識ベースが活用できなくなるという状態に陥る(米国の場合、リストラやリエンジニアリングの失敗やその副作用を止めようとしてナレッジマネジメントに関心を向けた企業が多かった)、 というのはそうした気づきのひとつです。また、 ●優秀な研究開発者がいるにもかかわらず、彼らの知識を十分に引き出せない。結果的に製品の市場化が上手く進まず、競争相手に遅れをとっている。 ●グローバルな意思決定、概念創造、ノウハウ活用が競争上不可避のものとなった。 ●ますます速まる商品開発サイクルの中で、ビジネスプロセスの改善や再設計だけでは業務スピードの短縮を図れなくなった。 ●顧客の抱えている問題を解けない、あるいは顧客の知識についていけなくなった。 ●インターネットなどのあらたな事業インフラの台頭に対して、これまでの仕事のやり方が合わなくなってきた。 等々の問題があり、さらにはその背後では知識経済、知識社会への大きな変動が環境を激変させている…。そういった状況の中でナレッジマネジメントに取り組む企業が徐々に増え、そしていまや多くが目を向け始めたのだといえます。  こうした表に出た兆候はその企業が抱える「知識問題」といえます。これがトップレベルで認識され、全社的な取り組みになる場合もあれば、現場で問題を発見したチームが自助努力的に対策を取りはじめる、といったケースもあるとおもいます。  たとえば、ダウ・ケミカル社はその知的資本プログラムで知られていますが、彼らの場合にも面白いエピソードがありました。それは同社に三〇年間勤めた研究者が退職する際に「自分のやった研究、申請した特許はどれひとつ市場化されることなく、自分は去っていく」と寂しく漏らしたことから始まったというのです。  一方では、こうした兆候が明白でないこともあるでしょう。業績の低迷や収益性の低下にはすぐさま現れず、イノベーションの不発、アイデアの枯渇、組織全体の知的老化現象、といった見えにくい症状となっている場合です。あるいは顧客対応速度(知的俊敏性)の低下、過去の成功例(知識資産)を引き継げないことによる成長の鈍化、提案を主とする業種における競争力の低下(知識の活用・創造不全)、これらはいずれも、いわば「コーポレート・アルツハイマー症」の諸症状だといえます。 症候群のタイプ  こうした知識症候群の問題はおおむねいくつかのタイプに分類できるでしょう。表2にあげてある説明はあくまで例示ですが、自己採点してみて下さい。  米欧企業が率先して知識に取り組んでいると述べてきましたが、以上のような知識問題、兆候・症状は、当然、日本企業にもあります。  米国ではリストラやリエンジニアリングの副作用として知識問題が顕著になりましたが、今後は日本でも同じような問題が広がるでしょう。日本企業が持つ組織的特性ゆえの知識問題もあります。中にはすでに、企業が従来から取り組んできたものもあるでしょう。しかし、それらは従来の日本的経営がもっていたのと同じものではなく、あるいは同じ取り組み方ではなく、知識時代の経営という観点からみれば異なった質の問題として、またきわめて重要なものとして見えてくるはずです。  現場での知識問題の改善、組織内の知識共有や再活用といったレベルから出発する。そしてあらたな知識を生み出せる仕組みにまで発展させ、企業の活動の核に知識を据えて現状打破を図る。そうした動機が、企業をますますナレッジマネジメントあるいは知識経営に向かわせるものと考えられます。 知識は減らない資源である  ここで、もうひとつ重要なテーマ、知識の経済的特性について触れておきたいとおもいます。  知識問題あるいは知識症候群に対処することは知識経営のいわば受動的側面ですが、能動的側面としてはいかに知識を糧にあらたな成長を産み出していくか、があります。ところが知識は従来の経営資源とはまったく性質が異なります。これらをどのように実践していくかで知識の企業価値・事業価値へのインパクトの大きさが左右されるとおもいます。代表的特性を見てみましょう。 (1)減らない=収穫逓増資源(Increasing Returns)  まず、知識は財として使っても減らないという特性を持っています。あるいは売ってもなくならずに手元に残っている。ノウハウや特許なども逆に、使わないと減る(陳腐化)し、使うと増える。これはあたり前といえばあたり前です。  こういった知識(資産)の特性は、最近は「収穫逓増原理」(有限資産による生産では収穫逓減するが、知識資産の場合は逆に増加する)という概念で表現されることもあります。ただし、そのエッセンスはもちろん以前から知られていました。知識の経済的資源特性を最初に指摘したのは社会学者のダニエル・ベルでした。  収穫逓増するということは、事業や市場が飛躍的(幾何級数的)に成長するということです。この線に乗ってしまうと他社の追随を許さなくなる。このような原理を活用して驚くべき成長を遂げた企業としてはインテル、ネットスケープやナイキがあります。  これは従来のハード製品の世界とはまったく異なります。実際、ハードで生きてきた企業にとってはまさに異次元に飛びこんだような錯覚に陥るでしょう。ある種、「不思議の国のアリス」の世界の謎かけのように聞こえるかもしれません。  しかし、知識を限定して供給するのでなく、むしろ率先して広げるという考え方は、今後ソフトやサービスと一体化していく製品にとって重要な特性とおもわれます。一例は先に挙げたオティコンで、彼らは補聴器の調整用ソフトを競争相手と共有することで市場の大きさを広げています。熾烈をきわめる携帯電話市場での技術標準競争も、こういった増殖的特性をいかに活かせるかがカギとなります。 (2)移動できる=非有限的資源(Mobility)  次に、資源の移動の問題です。企業の有形資産、たとえば工場やオフィスなどは移動が難しく(あるいは不可能)、そのことによって企業の活動範囲は地理的に限定される、というのが二〇世紀の産業の基本ルールでした。しかし、知識は人的ネットワークによる共有、あるいは人と共にその境界を越えることのできる移動性の資源だといえます。グローバル・ネットワークを活用した知識集積や問題解決が注目されるのは知識のこの経済的特性ゆえだとおもわれます。  ただし、この特性を実際に引き出すには、言語の壁や、知識の形式化(あるいはパッケージ化やネットワーク化)について、特定のスキルが求められるものとおもいます。日本企業はこの両方(言語、形式化)において優秀とはおもわれません。これはグローバルな機会損失につながるとともに、国内市場に対しても競争外圧がさらに高まるということを意味しています。 (3)使うは創る=生産と使用の非分離(Continuous Evolution)  3番目にあげるのは、生産と使用(あるいは消費)が分けられない、という知識の特性です。活用(application、utilization)と生産(production、creation)が同時に行なわれる。  知識を創造した人と使う人が役割分担で完全には分けられない。ということは、相互作用で知識が生まれるということです。もちろん、残念ながらただ知識を共有すれば自動的に創造が起きる、というわけではありません。組織的に増殖・継続的発展が起きるためにはそういう発展の場を仕組む必要があります。  生産と消費の分離は、二〇世紀企業、とりわけ量産ハード製造業の出発点でした。お父さんが会社に行ってモノの生産者になって毎日働き、お母さんがモノの消費者となって(お父さんのいない?)日々の生活を運営する、というのがホワイトカラーのモデルでした。  ところが知識はこの境界が不明確です。むしろ使っていると生まれてくる、つまり顧客も知識生産している。コンピュータがいい例です。コンピュータはいわばペットで、買ってきてから自分流に育てないと何にも使えない。目的がなければ何にも使えない。これは単に消費・使用とはいえない「消費者行動」でしょう。  アルビン・トフラーはこうした時代の生活者をプロシューマー(Pro-sumer、生産=消費者)と呼んだ、ということは覚えていらっしゃることとおもいます。生産と使用が非分離だということは、顧客の知識の重要性がきわめて高く、顧客との共同作業で発想しなければならないということです。しかも、知識は消費し尽くされない。プロシューミングでもありません。顧客は消費者でなく知の生産者という観点です。 (4)意味の経済=分節による価値創出(Categorization)  知識はあたらしい組み合わせ、または分類によって意味が変わります。変わるだけでなく、分節の仕方によっては意味が深まり、そこで価値が生まれます。  たとえば、現代の顧客は企業の想像以上に製品やサービスに意味(意味的価値)を追求しています。消費者は自分が求める製品やサービスを独自のマップで探索します。環境問題への対応、有害物質の程度、コミュニティとの関係性、財務的意味、「次世代」への影響、グローバルな共通性とローカルな文化性、教養・興味の対象との合致など。その意味によって市場価値が生まれますし、企業はそれらに対応しなければなりません。  ビジネス市場でも、どのようにサービスの要素を組み合わせるか(あるいは分解するか)によって意味あるものかどうかが変わってきます。コンピュータ市場ではほとんどがこうした市場変化だといえます。また、知的所有権や著作権に関しても、デジタル化権など、権利の次元を創出していくことで価値や市場が生まれます。  したがって、潜在的構造を理解し、あらたな意味を創出していくことが知識経済にもとづく経営や事業にはきわめて大事になります。これは、ハードな科学的技術中心ではない、知識にもとづくイノベーションや、社会的・文化的な概念創造が価値の源泉となるということを意味しています。  そこでは言語学的な知識、分類法、デザインなどが知的方法論として重要となるとおもわれます。企業にとっては、どのような知識ビジョンを打ち出し、製品やサービスにどのような意味を与えられるかで日々の業績や事業価値が左右される、という示唆となるといえるでしょう。 市場の評価が戦略を決める  知識経済の特性を活用している多くの企業では、知識資産がその有形資産を大きく上回るものと理解されています。知識資産の大きさは売上規模とは関係ありません。  厳密には知識資産を測定する一般的ツールはありません。ただし上場企業であれば、時価総額の大きさを知識資産の市場からの評価としてとらえ、有形資産との比で代替的指標のひとつにできるでしょう。企業規模にかかわらずこうした観点から知識資産を評価することには意味があるとおもわれます。  こうして測定できる範囲でいえば、コカコーラとマイクロソフトの例は、知識で価値を生み出している典型的企業です。当然、マイクロソフトはハードな工場でモノを生産しているのでなく、知識ワーカーが「ソフトウェア工場」でプログラムを生産することで生きている企業です。コカコーラも実は知識を売っていて、マイクロソフトと似た、知識戦略を遂行する「知識企業」という側面を持っています。後で挙げるようにGEもそうした企業といえます。  これら各社の共通点は何か。それぞれすでに大企業ですが、企業規模よりもむしろその時価総額の高さで群を抜いています。比較のために多少古いデータで言いますが、コカコーラは「フォーチュン五〇〇社」での順位が四八位(一九九五年)ですが、時価総額では二位(一九九七年)、時価総額をバランスシート上の資産で割った時価比は六・七倍(一九九五年)という高さでした。  これは、同社の有する有形資産以上に、つまりその約七倍の何かが市場で評価されていると見ることができます。「何か」の大部分とは貸借対照表には現れない無形の資産、知識に集約できるものといえます。マイクロソフトは売上順位では二五〇位(一九九五年)でしたが、時価総額では四位(一九九七年)、時価比は八・四倍(一九九五年)でした。一九九八年では同社は時価総額では一位、資産あたり時価総額は一八倍となっています。この年、GEは時価総額ではマイクロソフトに次いでいます。こうした企業をみてみますと、ナレッジマネジメントということばは使っていませんが、知識資産を有効に戦略や成長のメカニズムの中に織り込んでいるといえます(表3)。 (1)マイクロソフト  マイクロソフトの成長の源泉は、顧客企業の知識ワーカーがパソコンを使うことによっています。とりわけ、「思考のスピード」で同社の提唱するDNS(デジタル神経系)上で個人や企業が知的機動性を発揮することが理想状態でしょう。その知識経営を構成しているのは次のような要素です。 ●登録された顧客データベースを介して得られる顧客知識 ●組織の開発(プログラミング)ノウハウへの集中 ●知識としての製品(ソフトウェア)の提供 ●事業価値にもとづく経営(ストックオプションなど) (2)コカコーラ  コカコーラは、彼らがきわめて厳重に管理する製法(つまりノウハウ)で作られる原液を核に、原液をボトリングし販売するマーケティングノウハウを世界中のボトラーに提供することで価値を高めてきました。グローバルに広がったコカコーラの自動販売機にコインが入る度に収益が上がる、というのがその基本的なモデルです。その知識経営を構成しているのは次のような要素です。 ●ブランドをつうじた顧客との結びつき(ブランドも知識資産のひとつである) ●製品及びマーケティング知識への集中 ●徹底的な価値志向のマネジメント ●価値志向のリーダーシップ  コカコーラは資産として世界最大のブランドであるという調査結果が出ています。コカコーラはいわゆるただの清涼飲料メーカーではなく、実際には原液の製法、マーケティングノウハウ、ブランドという三つの知識資産をもとに、ボトラーのシステムを地理的に拡大していくことで成長するというメカニズムを作り上げているわけです。 (3)GE  これらに加えて、資産あたり時価総額比率はさほどでないものの、GEのような伝統的企業もこうした知識戦略を展開しているといえます。(一九九八年は時価総額はマイクロソフトに次いで二位)  同社はCKO(知識経営責任者)を設置していることでも知られていますが、積極的にリストラ、M&Aをすすめ、金融などサービスに重点を移す一方、タービンなどの中核的技術を除いて従来の家電事業などを売却してしまい、知識コンテンツ(製品価値や機能に占める知識)の高い医療サービスや宇宙航空産業にシフトしてきました。  これらの事業では知識資産を拡充していきながら顧客との継続的進化を図るという経営を行なっています。GEは、自分は「製造もするサービス業」(A Service Company that also manufactures)なのだと言っているわけです。  ここでいうサービスというのは、従来の概念とは異なり、顧客の問題を理解し、知識をもって解決し、さらにそこからあらたな知識と視点を持って顧客をどんどんと豊かにする、という行為をいっています。つまり、サービスには充実発展する知識資産の保有が大前提になります。  GEの場合、知識活用の方法論として徹底的なベンチマーキングを活用しています。それはジャック・ウェルチ会長の「最高のアイデアがどこにあるのか見つけ出して実行せよ」ということばにも表れています。同社はこうした視点に立って組織学習プログラムを展開している、ということはよくご存知のこととおもいます。  ただし、すでにナレッジマネジメントの限界として述べましたが、ベンチマーキングだけでは次の創造が生まれてこない、というリスクも持っているわけです。ウェルチによるGE型経営は、輝かしい成功事例としてたしかに効果的な知識活用を行なってはいますが、背後には私たちは何のためにやっているのか、といった存在論が見えないという批判もあります。 知識ベースの市場は劇的で不安定  知識経営や知識競争の市場空間はどのように広がり、どのような機会と脅威をもたらすでしょうか。知識の経済的特性にもとづく企業の成長は、ハードな資産とは異なり、市場空間の広がりは立体的で、成長パターンはまさに指数曲線のようなものでありえます。ただし、知識ベースの競争では、常に「競争空間の変質」という脅威にさらされることにもなります。  よく言われることですが、収穫逓増の成長は、いわゆる「一人勝ち」の結果を生み出す、とされます。ネットスケープ、インテルなどの企業は、ロケットの上昇にも似た急成長を遂げてきました。  ただし、実際には、彼らがそこまで成長してきた競争空間が変質してしまえば、一気に成長の基盤を失うことにもなります。まさにロケットのように、少しの外的影響で大きく軌道をはずれることもありえます。ネットスケープはマイクロソフトとのブラウザ競争では一人勝ちの座を維持できなくなり、ネットワーク・サーバー市場に重点を移していくことで活路を見出しましたが、一方ではブラウザのアップデートでは遅れ気味で、土台を失う可能性もあります。  インテルはペンティアム㈼の出荷後に誤作動が発見され、企業の屋台骨を揺るがされるような事態を経験しました。もしこれが自動車であれば、リコールという手段をとるなりして、これほどの問題にはならなかったのではないかと想像します。  焦点は、いかに俊敏に変化を察知して方向を変えるかです。マイクロソフトは従来OS製品の弱みだったネットワーク能力を、インターネットの流れに追いつき追い越すことでカバーしていきました。インテルのアンディ・グローブ会長の名文句「偏執狂でなければ生き残れない」というのはこうした動物本能的な感受性を意味しています。落とし穴を避け成長することは、知識の経済的特性をどれだけ理解するかにかかっているといえます。 第2章 二一世紀の経営革命 そもそも知識とは何か?  さて、あらためて「知識経営」とは何か。それは知識にもとづく経営、つまり戦略・組織・事業など、経営のあらゆる側面を知識という目でとらえ実践する考え方です。  背景にあるのは「知識社会」、「知識経済」、「知識ワーカー」といったことばで描かれるような産業社会、経済、生活の大変化です。その意味で、知識経営は企業だけでなく、そこで働く人々にとっても、自己革新につながるコンセプトだといえます。それゆえ日本の社会・経済や企業が直面している問題を解決していく手がかりになるものとおもいます。  そもそも知識というのはとらえにくく、とっつきにくそうです。しかし、これからのビジネスではますます知識や知力が経営資源として重要性を増してきています。  社員のノウハウや専門知識、情報洪水に押し流されない高度な組織的知力、迅速な意思決定力、顧客問題解決力、イノベーション力、概念創造力や考え方の特異性(ユニークネス)、知的財産から利益を得る事業センス、企業間関係創造の巧みさ、などがこれからの競争ではますます問われるようになるでしょう。  知識経営は、従来の有形(形のある、単位で数えられる)資源や資産中心でなく、無形の知識こそが価値の源泉だとする、あたらしい経営のパラダイムだといえます。  遡れば一九六〇年代から、知識をめぐってさまざまな概念やことばが生まれてきました。これらが世紀末にかけてかなり現実味を帯びてきました。ピーター・ドラッカー、ダニエル・ベル、アルビン・トフラーなど、著名な経営思想の提唱者たちは、繰り返し知識の時代がやって来るぞ、と予測してきました。ドラッカーは著書『ポスト資本主義社会』(一九九三年)で知識だけが意味ある資源だと論じました。トフラーは著書『パワーシフト』(一九九〇年)で、時代の変化につれ、パワーの源泉が「軍事力」から「経済力」へ、そして「知(力)」へと、変わると予言しました。  知識産業論を最初に展開したのは、おそらく、米国の経済学者、フランツ・マッハルプだとおもわれます。マッハルプは、自動車産業や石油産業に代わる産業として、教育・研究開発・出版印刷・通信・情報機器・情報サービス・放送などの産業を示しました。これらの産業は、一九五五年には米国国民総生産の四分の一にしかすぎませんでしたが、一〇年後の一九六五年には三分の一に達していました。  さらに、マッハルプは、こうした産業を動かす基本的欲求の対象として、エンターテインメント、ライブラリ・データベース、コミュニケーションを掲げました。いずれも物質的でなく、知的・情緒的欲求です。これらは、ほとんど現在のインターネットの世界を言っているようです。きわめて先見的だったというしかありません。  少し下った、元米国国務庁長官で経済学者のロバート・ライシュは、知識社会を未来予測のレベルから現実の世界に結びつけた一人です。著書『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』では、知識を収益の源泉にする製品がますます増加していくことを指摘しました。ライシュは高付加価値事業にとって重要な三つの知識の領域をあげています。一つは問題解決の技能、次に顧客についての知識、そしてこれらを結びつける「知識のブローカー」の知識です。そして、これらの知識こそが産業や企業の富の源泉となることを、ライシュは現実の企業事例で示しました。  なかには、いわゆる知識産業だけでなく、製造業も含まれていましたが、彼らはもはや従来の製造業とはかけ離れた活動を行なっていました。これは工場、機械、設備がもっとも重要な資産だった二〇世紀の大量生産競争時代からの離脱であるととらえられ、産業界に啓示を与えました。 経営者の関心事の上位二つは?  こういった歴史的背景がありましたが、一方では、つい数年前までは、企業の現場で「知識」をいう人たちはあまりいなかった。ところが、九〇年代後半から、急速に、口を閉ざしていた(わけではないでしょうが)経営トップ層や役員、管理職者たちが知識の重要性を語り始めたのです。  現在経済面では活況に沸いている米国ですが、ある調査によれば経営者の関心事の上位二項目が「グローバリゼーション」と「知識」でした。こうした認識を先取りして、経営専門誌の『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌は、一九九八年の七五周年記念号では九〇年代以降の経営のキーワードとして同じくこの二つを掲げました。それは、後にも触れるように、「グローバリゼーション」と「知識」がまさに企業や産業の「成長エンジン」だからであり、おおいに理由のあるところです。  日本でも、グローバルに情報や情報ネットワークを活用して、組織内外の知識を機動的に活用できる能力が必須になりました。日本企業はかつて「日本的経営」と呼ばれた終身雇用制などの仕組みによって間接的に組織内の個人の知識を維持・活用できるシステムを醸成してきました。しかし、それだけでは対応できないような、環境変化がいま企業を取り巻いています。 ナレッジマネジメント現象  現在の米国のナレッジマネジメントはいわゆる「ベストプラクティス」知識の共有が主流となっているといえるでしょう。社員の経験から得た成功ノウハウ、有効な専門的知識などを集約し、活用できるようにすることでスピードを速めたりコストを削減する。あるいは、組織内の知的資産を有効活用して、企業総体の利益に結びつける…。「着地点」としては情報を集めて組織的に共有・活用する、情報システムという形態が多い。  こうした取り組みへの関心は、一種のブームとさえなっています。企業も、コンサルタントも、アカデミックな研究者も、こぞって「知識、知識」と言っています。早期にナレッジマネジメントに取り組んできた企業の一部には、あえてマネジメントということばを外し、一過性のものとして見られないようにしようという声すらあります。表層的にこの流れに乗ろうとすると、従来の流行経営コンセプトの二の舞になってしまうからです。  とはいえ、こうした動きは基本的には、過去数十年にわたって指摘されてきた大潮流が顕在化してきたものです。そこには、「知識時代の経営」のエッセンスが含まれています。急速に登場してきたかにみえる「ナレッジマネジメント現象」とは、二一世紀にかけて大きな流れとなる、「知識経営」の初期的な事象(兆候)なのだといえます。  したがって、ナレッジマネジメントというとすぐ情報システムに話が落ちてしまうのですが、実際に知識を活用している企業は必ずしも情報に頼っていません。モトローラやGEのように組織学習プログラムを徹底したり、あるいは組織デザインを媒介にした仕組みでイノベーション・プログラムを展開する、といったような知の活用をしているわけです。  こうした、広い視点で知識と経営のかかわりを支援促進するための産学間の動きも盛んになっています。例をあげれば、APQC(米国生産性品質センター)は、優良企業にとって品質(Q)の次なるテーマは知識(K)だと主張しています。彼らは日本経営品質賞のひとつの参考になったともいわれるボルドリッジ賞を企画した団体として知られています。  企業や大学も知識経営の研究機関を相次ぎ設立しています。米国IBMは一九九八年秋に、ナレッジマネジメント・インスティテュート(Institute for Knowledge Management)を設立しました。現在会員企業を組織化して、知識と経営のかかわりについて啓蒙や研究活動をおこなっています。  日本でも、知識を産業や企業の活動の中で活用していくことを狙いとして、一九九七年、北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)に、日本発の知識科学科があらたに設立されました。同校では、経営と知識にかかわる研究の先駆的存在を志向しています。  米国の大学も知識をテーマにした活動を積極化しています。カリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネス・スクールは、一九九七年から毎年、「〈知識と企業〉フォーラム」を開催しています。ここを拠点に各大学の研究者、経営コンサルタント、APQCなどの研究機関、ゼロックスPARC(パロアルト研究所)、IBMナレッジマネジメント・インスティテュートなどの知識経営の先達、先駆企業からの選別メンバーが組織化され、彼らの行なうオープン・フォーラムが象徴的イベントとなっています。  一九九七年には小林陽太郎富士ゼロックス会長、APQCプレジデントのカーラ・オデール、九八年にはみなさんよくご存知のピーター・ドラッカー、アルフレッド・チャンドラー(ハーバード大学)、そして日本企業からは内藤晴夫エーザイ社長らが参加しています。  マネジメントを発明したと言われるドラッカーと、戦略論の祖ともいうべきチャンドラーがこのフォーラムに登場した意義は、二一世紀に向かうなかで、知識経営が二〇世紀の経営の正当な継承者たりえるかが問われている、という点です。もちろんその答えはまだわかりませんが。 知識経営とナレッジマネジメントは同じか?  お気づきになったとおもいますが、本書では、ナレッジマネジメントという概念を、狭義と広義に使い分けています。前者は「ナレッジマネジメント」と表記し、後者(「広義のナレッジマネジメント」)は多少ゆるやかに、ほぼ日本語の「知識経営」と同義にとらえようとおもいます。  なぜこんなことにこだわるかというと、先ほど触れたように、米国でのナレッジマネジメントは企業内のベストプラクティスの共有、意味情報の活用という側面が強いからです。  知識のとらえかたについても、どちらかというと「形式知」寄り、という傾向を持っています。つまり、私たちの「頭の中にある」知識よりも、まずは文書化されたノウハウや提案、専門知識など、結局のところ情報を基盤にして、コンピュータネットワークで活用していこうという傾向があります。  また、これらを活用するための仕組みも、ドキュメントマネジメント(電子的文書管理)や定性情報のデータベース、検索システムなど、これまでにあった情報システムの応用の域を出ないものが少なくありません。むしろ「知識管理」と訳出したほうがふさわしいものです。ただし、先行企業はより広いとらえ方(広義)をしています。  彼らも、現在のいわば狭義のナレッジマネジメントは本来のものの一部でしかないと考えているようです。むしろ、Management on Knowledge(知識にもとづく経営)とか、Knowledge-based Company(知識ベース企業)、Knowledge Strategy(知識戦略)というのに近いものだとおもいます。  そこで、ここでは暫定的に次のようにナレッジマネジメントを定義しておきます。 --------------------------------------------------------------------------------  知識の創造、浸透(共有・移転)、活用のプロセスから生み出される価値を最大限に発揮させるための、プロセスのデザイン、資産の整備、環境の整備、それらを導くビジョンとリーダーシップ --------------------------------------------------------------------------------  この定義にはかなりいろいろな要素が詰まっています。  まず、「知識から価値が生み出される」ということ。これは基本中の基本です。  しかし、一見あたり前に聞こえますが、読者や読者の企業のトップは、知識から価値が生み出される、という実感を持っているでしょうか?  ナレッジマネジメントを早期に採用した企業には、そうした強い思いがあるといっていいでしょう。トップが「ウチは知識で価値を生んでいる」と大真面目に語ったとき、社員はどれくらい共感するでしょうか。ビル・ゲイツが語れば真実味があるかもしれませんが、この種の実感がなければ、(狭義の)ナレッジマネジメントにしろ、(広義の)知識経営にしろ、結局は経営手法のレベルを超えず、十分に機能することはないでしょう。  次に、価値が生み出される際には、知識が「創造され、共有・移転され、そして活用される」ということ。これも簡単に聞き流してしまいそうですが、企業によって、どこに焦点や問題があるのかはまちまちでしょう。また、どれも容易にできることではありません。つまり、それらからなるプロセスをつうじて知識から価値が生まれるということです。これは個人の知識が組織の知識に発展していく過程でもあります。  そして、このプロセスをもとに、価値が最大化されるための「プロセスのデザイン、資産の整備、環境の整備」といった一連の経営活動が求められるのです。資産とは「知識資産」であり、環境とは情報システム環境やオフィス環境のことです。こういった活動を進めていくための組織構造も重要になります。  さらにナレッジマネジメントあるいは知識経営を実際的に導いていく「ビジョンとリーダーシップ」。その背後には明確な意図と意志がなければなりません。これらから(広義の、というより本来の)ナレッジマネジメントは定義できるとおもわれます。  こういった観点からいえば、狭義のナレッジマネジメントとは、 --------------------------------------------------------------------------------  知識の共有・移転、活用のプロセスから生み出される価値を最大限に発揮させるための環境の整備とリーダーシップ -------------------------------------------------------------------------------- といえるでしょう。 主役は知識ワーカー  ここで知識経営と情報システムとのかかわりについて考えてみたいとおもいます。知識ワーカーの業務には素材として情報は重要であり、切り離せません。ただし、情報を知識と混同して知識と呼んでしまうと混乱を招いてしまいます。  たとえば、ナレッジマネジメントを支援する情報技術要素について考えた場合、単に定性情報データベースの検索ができるだけではナレッジマネジメント・システムとは呼べません。繰り返しになりますが、米国で現在ブーム化しているナレッジマネジメントには、定性情報データベース・マネジメントの域を出ていないものが少なくありません。  しかし、ややもすると、情報システムに入ったデータベースを検索したり、その内容を転送したりすることをナレッジマネジメントだというように、「逆立ち」した理解に陥ってしまいます。  もちろんこうしたレベルに甘んじない企業もありますし、単純なデータベースの利用が有効に作用するという場合もあるでしょう。しかし、何より重要なのは、定性情報データベース・マネジメントにしろ、何にしろ、それを「知識」や知識ワークのために活用することだといえます。逆にこの視点がないと導入したシステムは使われず、投資が無駄になる。むしろ現実にはこうしたケースのほうが多いのではないのでしょうか。  ナレッジマネジメントはコスト削減に有効だ、マネーだ、といった「目先」の効果にとらわれてシステムを導入しても、使われないというのは少なくない事例です。システムの活用以前に、知識ワーカーをどのように引き込むか、意義の理解促進と、きっかけになる仕組みが不可欠です。  本質的には、ナレッジマネジメントとは、知識ワーカーが主役の組織的行為で、人間不在のものではありません。一方どんなものであっても、情報システムの内部にあるのは本来、情報です。ただ、それらを知識ワークのために活用しているゆえに、ナレッジマネジメント・システムと呼んでいるだけなのです。したがって、そこでは人間とのかかわり方が重要になります。それは個人の知識の総和以上の組織知を生み出すことでもあります。  例をあげれば、社内の専門的知識ワーカーのネットワーキングや、知識ワーカーの頭の中にある知識を表現するための仕組みが必要です。さらに、これらは組織デザインや組織文化の変革を伴うものでなければなりません。当然、人的資源マネジメントにもかかわります。「知識」に焦点をあてて、人事・教育、組織制度を考えることが肝要です。  短期的にはアウトプットも大事ですが、知識ワーカーと組織的な知識の活用・創造が価値を生むかどうかがもっとも重要です。そうでなければ冒頭で紹介したように、米国の経営者がグローバリゼーションと並ぶものとして知識を重要テーマにあげることはありません。知識にもとづく経営は価値を創出し、成長をたしかなものにするためのものなのです。 先進的実践企業の事例  では、九〇年代後半にかけてナレッジマネジメントに取り組んできたのは、どのような企業でしょうか。単純に業種別に見ると、表4のような企業があげられます。ご存知の企業も多いでしょう。  彼らはどのように実践しているのでしょうか。これら多くの事例に共通する要素があり、それらのうち一つ、あるいは複数が組み合わされたのが、現段階でのナレッジマネジメントであると理解できるでしょう。こうしたナレッジマネジメントのタイプについては後述することにします。 --------------------------------------------------------------------------------  (業種例1)コンサルティング  たとえばアーンスト&ヤング、ブーズ・アレン&ハミルトンなど、多国籍の大規模コンサルティング・ファームの多くは、知識共有の仕組みを、全社的取り組みによって確立しようとしています。  ここでいう知識は成功事例や研究成果、先端的専門知識などですが、基本的にはドキュメント(情報)が基本と考えられます。彼らの大きな狙いのひとつは現場、つまり知識ワーカーからなるチームを支援することでのアジリティ創出と、ノウハウ、サービスの高度化です。  たとえばクライアント企業から「投資案件で意思決定をしなければならない。戦略的なアドバイスがほしい」と依頼を受けます。まず仕事のステップを提出し、検討してもらい、コンサルティングを行なう準備に数週間を頂きたい、と答えます。少なくとも従来のコンサルティング業であれば、それでも構わなかった。しかし今はそんな悠長なことをしていると、この会社もクライアントも、ともに顧客機会を逸してしまうでしょう。クライアントは数週間先のことでなく、明日か明後日の意思決定を言っているのです。  そこでこういった問い合わせを受けたコンサルティング会社の担当である知識ワーカーは直ちにインターネットやドキュメントマネジメント・システムをフル動員して、最新の成功事例や専門的知見にもとづいてクライアントにプランを提出しなければならないでしょう。そうしないとコンサルティング会社は競争に負けてしまいます。  また情報技術を駆使しつつも、組織内の個人の有する知識を探索し、ネットワークする仕組みも重要です。さらにそれ以前に、顧客であるクライアント企業との間に知識共有の仕組みを確立し、先行して顧客の問題を推測する能力が求められるでしょう。  こうしたコンサルティング業では、CKO(チーフ・ナレッジ・オフィサー、知識経営責任者)の設置、イントラネットによる情報共有、現場でシステム支援を行なうリーダーの組織化や育成などをつうじて、ナレッジマネジメントを実践しようとしています。分析作業の重複を回避したり、専門的知識へのアクセスを自由に行なえるようにすることで、市場反応速度の短縮、サービス品質の底上げ、コスト削減などを狙っているわけです。  当然、彼らのシステムはそれ自体が顧客への売り物ともなります。コンサルティング業にとっては知識について研究し、洞察を得ること、彼らの経験に基づいてナレッジマネジメントをサービスとして提供することは大きな課題となっています。  (業種例2)エンジニアリング  エンジニアリング・サービス業では、種々の工学的、あるいはデザイン上の課題を解決することが中核的な価値の源泉です。あるエンジニアリング会社では、何か問題が起こったときには、その都度特別の専門チームを作り、そのチームが解決案をトップあるいはクライアントに提出するということをしていました。しかしこういった方法をとっていると、即断しなければならない問題が起こったときに間に合わない。重複して同じような手順を踏むことも多々ありました。  さらに、対象としている範囲が広すぎ、優秀な人材を個別に頼っても知恵が出て来ないという問題もありました。そこで、世界中に分散している内外のエキスパート・ネットワークを設け、常時迅速に知識の探索・移転に活用できる、というアプローチをとります。代表的なのがバックマン・ラボラトリーズやベクテルなどの企業です。バックマンではグローバルに分散している社員が個人の専門知識や最新のアイデアを有効に共有できるネットワーク・システムを構築してアジリティを高めています。  そこでは電子メールなどの情報技術も使われましたが、当然、電子メールがあるだけではこうした知識共有や活用はできません。一般には、まだ電子メールだけが浸透して、知識の活用につながらず、電話の代用にとどまっていることが多いのではないでしょうか。むしろ、企業としての意識的な知識への力の傾注、活用ルール、文化の変革がナレッジマネジメントそのものとなるといってもいいでしょう。  (業種例3)製薬  競争が激化する製薬業界では、新薬開発の際に、ますます早く市場に出さねばならなくなっています。製薬業界の競争はまるで蝉の一生のようにおもえます。他の産業、たとえばコンピュータ産業などに比べると、圧倒的に研究開発(地面下)に費やす時間が長い。三〇年もかかる技術があります。ところが、いざ市場化となると各社熾烈に争う。新薬の認可を得るには相当なプロセスを踏まねばならず、時間もかかります。  こうした時間の多くは、重複的で、膨大な知識の結合プロセスに費やされます。関係するスタッフ、関係者の数も、遙かに広がってくるでしょう。そこで、この時間コストを削減するために、過去の事例にもとづく認可プロセス短縮のノウハウ活用、および専門知識集約のプログラムを作って対応していくことが有効となります。代表的なのはホフマン・ラ・ロッシュなどの例ですが、彼らは新薬認可プロセス短縮のために専門知識集約のプログラムを確立して、大きな成果を上げました。  (業種例4)化学  ダウ・ケミカルは数万例に及ぶ特許など、知的財産からの収益抽出を狙って知的資産の測定、ポートフォリオ管理を実践してきました。  製薬会社同様に、化学会社では研究開発に長期の年月を費やします。そのため、膨大な技術的知識の蓄積が起きるわけですが、その割には、市場化されるタイミングを逸するものなど、活用されないままの資源も多い。その会社が持っている製品や技術に関する知識を知的資産として、他社が利用できるようにすることは、技術ライセンスによる収益面からも、研究開発や人材戦略の面からも望ましいといえます。  一方、モンサントは化学会社からバイオ産業に変身するにあたって、従来組織に埋れていた自社の製品知識をカタログ的に集約し、マップ化して迅速に活用できるような仕組みを設けました。というのも、バイオの研究開発の本質は基本的に遺伝子コードの操作であり、そのスピードはコンピュータサイエンス並みだという背景があったからです。  (業種例5)エネルギー  エネルギー、とくにガス・石油産業でも、早期にナレッジマネジメントへの関心を抱いていました。BP(英国石油)はグローバルに現場知と専門知を集約しリアルタイムに問題解決を図るチーム・システムを採用しました。  これは現場の体験や知識というものを非常に重視した知識活用といえます。たとえば北海の採掘現場で石油を掘削中に事故が起こったとします。慌てて事故対策マニュアル書を見ながら対応しているようでは石油がまたたく間に海に流出し、そればかりか直ちに環境団体のクレームを受けかねません。そこで事故が発生するや否や、世界各地にいる石油掘削に関する事故の遭遇者をネットワークで呼び出し、「事故現場」の状況をモニターしながら、対策協議するシステムを作りました。  (業種例6)製造業  製造業では、価値を産み出す過程の各所にナレッジマネジメントを採り入れ、効果が生み出されています。たとえば、生産では、A工場のベストプラクティスをB工場に移転して生産性やスピードを高める、といったパターンの事例があげられています。  フォードは、各工場のベストプラクティスの移転・移植を目的にした部署を設け、仲介的機能を果たしてノウハウの登録と再活用を行なうイントラネットを構築しています。テキサス・インストゥルメンツも半導体工場でベストプラクティス共有を図ったことで生産性を高め、新工場設立に匹敵しうる効果をあげているといいます。クライスラーはEBOK(エンジニアリング知識の手引き)と呼ばれるノウハウ辞書をイントラネットでいつでも活用できるようにしています。 -------------------------------------------------------------------------------- 参加意識を生み出す組織文化  こうした例にみる仕掛けは一見容易に聞こえますが、背後には各社数年にわたる、多くの試行錯誤があり、やっと最近になって成功例として紹介されてきたのだ、ということを付け加えておきたいとおもいます。単純に、成功事例を他部門に文書などで持っていっても理解されません。そこには状況や場面の違いなども含めた知識の共有が必要ですが、それには実践や参加など行動を伴わなければなりません。つまりは、現場の協力、人々の参加意識がカギとなります。  ゼロックスでは、顧客企業を訪問してメンテナンスを行なう、カスタマー・エンジニア(CE)が「ユーレカ」と呼ばれるイントラネット・システムを活用しています。これは、顧客現場で体得したコツや勘を登録し、異なる場面で別のエンジニア達が再活用できる仕組みですが、大幅なコスト削減に結びついているといいます。しかし、こうした仕組みもユーザーであるエンジニアが積極的に参加してくれなければ機能しません。  ある企業では社内の専門知を集め、製品開発チームに供給することで開発速度を高めました。彼らはこれ以上製品開発のスピードアップを図れないというところまできていました。従来の製品開発チームは、専門家を集め、外界の影響をできるだけ受けない状態で迅速に仕事をするのが一般的でした。ところが製品開発のために集められた専門家たちの知識はなかなか「今を超える」ことはありません。あたらしい方法とは今までとはまったく逆の発想です。彼らが問題にぶつかったとき、直ちに世界中から知的リソースを求めやすいように、オープンにしました。  人々の参加意識を高めるということは、すなわち組織文化にかかわる問題です。個々人の持っている知識を同僚と分かち合おうという姿勢がなければなりません。これにはしばしばトップダウンの強力なイニシアティブが求められます。 知識はいまや優良企業の尺度である  ナレッジマネジメントに対する企業の試みは急速に増えています。そこで、どれが賞賛に値するのかをランクづけることまで行なわれはじめました。  ここで重要なのは、すでにこうした賞でも、コンピュータのシステムを中心にして目先の効率だけを追求するナレッジマネジメントではなく、経営全体での知識のあり方を考えようという視点が置かれていることです。  たとえば、MAKE(もっとも賞賛に値する知識企業評価Most Admired Knowledge Enterprises)という賞があります。MAKEはKnowledge Management Journal誌主催のマネジメント賞で、一九九八年度はルーセント・テクノロジー、ゼロックスが受賞しました。  ちなみにこの評価基準(八項目)は次のようなものです。  1. 知識プログラムの全体的な質の高さ  2. 知識経営に対するトップマネジメントの支援  3. 事業のすべての面でのイノベーションへの貢献  4. 知的資産の最大化による成功  5. 知識共有活動をつうじた効果  6. 継続的学習文化の確立による成功  7. 顧客価値とロイヤルティ促進のための知識イニシアティブでの効果  8. 株主の価値創出に対する知識イニシアティブの貢献度  この賞が示すように、ナレッジマネジメントは、単に金銭(マネー)に結びつくものでなく、また、単なる経営概念の流行のレベルではなく、知識経営(広義のナレッジマネジメント)という意味で、今後の企業経営のあり方と強く結びつくものとしてとらえられています。知識経営、経営における知識イニシアティブの実践は、今後の優良企業の資質に値すると理解されているわけです。  デルファイ社の調査(一九九八年)によれば、ナレッジマネジメントを「最新流行の経営コンセプト」あるいは「情報技術を売るための新用語」といった「流行」(狭義のナレッジマネジメントですね)と認識している経営者は全体の約二割でした。これに対し、「組織内外で価値を高めるあらたな方法」そして「競争優位維持のための戦略的規範」としているのはそれぞれ約四割で、多くが知識と経営の関係をパラダイム・シフトの視点でとらえているのがわかります。この後者はむしろ「知識経営」といえるものだとおもいます。 ナレッジマネジメントは既存の知識資産活用である  現在米国では、毎月のようにナレッジマネジメント会議やワークショップが開催され、企業の事例が紹介されています。また、多くがインターネットのニュースやジャーナルなどでも紹介されています。こうした情報が翻訳されて、日本国内でも頻繁に紹介されるようになりました。  しかし、以上にあげたような例は、実は基本としてはひとつのことを行なっているのだといえます。後で述べますが、どれも既存の「知識資産」を基盤として、その活用を図ることであるといえます。つまり、初期段階においては、ナレッジマネジメントとは「知識資産のマネジメント」または「知識資産共有戦略」だといえるわけです。  知識資産マネジメントの一形態、たとえば「工場の現場でのベストプラクティスを他工場で活用する」といった例は、TQC(総合的品質管理)的に聞こえるかもしれません。事実米国でもAPQCのような品質経営を志向してきた機関がナレッジマネジメントにかかわっているわけですから。  しかし、TQCや現場での改善と、知識資産共有では、いくつかの点で基本的相違があるということを指摘しておきたいとおもいます。それは、現場でのサークルに限定されない「衆知」「公知」性。閉鎖的でないということです。  現場の知をその現場の改善だけに活用するのでなく、むしろ、客観化して知識として把握したうえで他に移転・共有する。また、その先には常に顧客を見ている。イントラネットなどの情報システムも盛んに活用する。  さらに、次にあげるように、ベストプラクティス型はナレッジマネジメントのすべてを示しているわけでもありません。したがって、TQCの延長線でナレッジマネジメントを見ていくと視野を狭めてしまう恐れがあるかもしれません。 四つのタイプ  ナレッジマネジメントの多くは、知識資産の共有から出発するものです。基本的には個人のレベルの知を組織的に集結・連結して活用し、その単純な総和以上のものを発揮しようというのが狙いです。これらはいくつかのタイプに分類できるでしょう。分類の軸は二つあります。  ひとつは「改善志向」か「増価志向」という㈰目的による分け方、もうひとつは「資産集約志向」か「資産連携志向」という㈪手段による分け方です。これらの組み合わせによって四つのタイプがあげられます(図3参照)。これらそれぞれは、企業の知識問題や戦略的要求に応じて展開されるべきものです。  「改善」とは、知識資産を共有、活用して業務運営効率などを高めることを意味します。「増価」は知識資産からの収益創出、あらたな価値の増分が目的です。  一方、「資産集約」とは、分散している知識資産を組織的に集約することに努力を払うことです。この場合、知識資産は形式知が中心となるといえます。他方「資産連携」とは知識資産を共有するため組織内外でのさまざまな知識ワーカーや顧客との関係性やネットワーキングに努力を払うことを意味します。この場合知識資産はいわゆる「暗黙知」まで含めた話になります。  要は、知識資産をどこからどのように持ってきて活用するか、です。対象とするのは過去の資産か、リアルタイムの現在の資産か、あるいは未来の知識か。  空間的に分散している知識資産をどのように集約したり、移転したり、連携・連結したりするか。これら時空間の広がりの中で、知識(資産)を活用することが課題となります。 (1)「ベストプラクティス共有」型ナレッジマネジメント(組織的知識資産集約と活用)  組織内、企業内の成功事例のノウハウ、日々の業務分析からの学習をつうじて知識の共有・移転を行ない、効果をあげる。それらの中には、「大きな成功」の移転(たとえばA工場の成功事例をB工場に)もあれば、「日常的コツ」(「今日こうしたらうまくいったぞ」といった)もあります。  こうしたベストプラクティスを社内的に集約し、その共有によって業務効率の向上、コスト削減や質的高度化を図るのがこのタイプです。  共有の方法はさまざまありえます。具体的共有の対象となるベストプラクティスを特定して、その分析から学ぶという場合。また、情報システムをふんだんに活用して成功事例のコンテンツ(内容)や有用な知識にかかわるドキュメントをいつでも利用できるようにすることもあるでしょう。いずれにせよコンテンツの要点を評価・編集する作業は求められます。このタイプの場合、IT活用による形式知集約は基本的な狙いとなるでしょう。  ところでデータベース自体は知識ではなく情報です。コンテンツ活用の際には単なる意味検索ではなく、ドキュメント化された意味情報データベースを知識業務の現場(知識ワーカーの直面している課題や問題)に応じて抽出・利用するための仕組みが求められます。 (2)「専門知ネット」型ナレッジマネジメント(リアルタイムに組織知をネットワーク)  たとえば、組織内外の専門的知識や意思決定権を持つ人々をグローバルにネットワークで結び、特定の課題解決や意思決定を行なうのがこのタイプです。つまりノウフー(Know-Who)が基礎になります。  この場合、(1)のベストプラクティス型のような知識集約の仕組みがあるのは望ましいですが必要条件ではありません。基本的に知識は人々のところにある(分散している)。必要なときにリアルタイムに知を結集することによって個人レベルの知の総和を超えることができる、というのがこのタイプでの核になる考えです。  電子メールやグループウェアのネットワークを介して知識共有の場を作るのが一般的ですが、個々人の持つ知識を相互に貢献しやすくするためにも、マルチメディア技術の活用は大きな可能性を持っています。トップマネジメントがグループで行動し、意思決定できるようなオフィス空間を設けるのも有効でしょう。  今あげた二つのタイプは、情報システムをふんだんに活用したり、組織横断的あるいはグローバルな知識共有をするという点を除けば、少し前に触れたように、伝統的(?)な日本企業の現場改善プログラムに近い面を持っています。「そんなことわが社でもやったことがある」と感じる読者もいることでしょう。しかし、これらは現場改善ではなく、組織的な知識共有(活用)という観点から展開されるものですから、本質的には異なるものだと考えるべきだといえます。 (3)「知的資本」型ナレッジマネジメント(知識資産からの収益創出)  このタイプのナレッジマネジメントは、経済的価値に変換できる知識資産が対象です。特許やライセンス、著作権のあるプログラムは、組織の知識資産の氷山の一角です。ブランドもこうした資産のひとつです。形式化されているか、法的に保護されているかにかかわらず、知識資産を整備し、社内外で活用し、収益に結びつけることが課題です。  従来も研究開発マネジメントや特許戦略は行なわれてきました。ただし、「知的所有権」(IP)といっても、それ自体は知識ではありません。権利の集合体で、本質的に重要なのはその権利によって指示される社内の知識です。したがってここでいう知的資本型のナレッジマネジメントは、「必ずしも形式化されているものだけに限らず、広く知識資産の経済的価値を見ていこう」、また、それが「社内だけでなく、企業間提携関係、または市場でどのように評価されるのか、といったところまで視野に含もう」というものです。  たとえば特許戦略だけに焦点をあててしまうと、特許保護だけに終始してしまうことがあるかもしれません。これらを企業の無形の財産として、企業活動全体の枠組みに置きなおし、そこでいかなる価値を生み出せるか考えるのが課題となります。 (4)「顧客知共有」型ナレッジマネジメント(顧客知による成長)  顧客との知識の共有、あるいは継続的な顧客に対する知識の提供を主とするナレッジマネジメントがこのタイプです。  製品やサービスを媒介にして顧客と共通の経験をする(そして知識を得る)、あるいは、製品・サービスの利用法などのノウハウを顧客と共有することは、現代的競争に不可欠のものです。とりわけ、最近のワン・トゥ・ワン・マーケティングへの関心や、CRM(顧客関係性マネジメント)への取り組みにおいては、従来のマス・マーケティングとは異なる考え方が求められますが、そこではこうした「顧客知」の問題は大きな意味を持ちます。  デュポン社は、エイズの新薬を作る際に患者グループを仮想的に組織構造の中に組み込みました。通常、組織図というのは社員で構成されるわけですが、その一部に「顧客」を入れる発想です。その下に関連部署をつければ、顧客が部門を動かしていることになります。社内の知識に加えて、外部の知識も組織に入れる方法のひとつといえます。  製品やサービスが長年、市場で売られ、使われてきたということは、顧客がその製品・サービスについて豊かな知識を持ってくれているということです。これは大変大きな資産と考えられるでしょう。既存顧客あるいは新規に獲得した顧客との知識共有は、顧客との強い結びつきを生み出します。たとえば企業顧客であれば、提供する知識が顧客の業務プロセスに不可欠のものとなり、顧客維持、事業の安定化につながります。  こうした知識共有は顧客ニーズを発掘したり、新たな提案を行なう上でカギとなる「成長の基盤」です。こういう視点から顧客知のナレッジマネジメントが展開されるでしょう。  この際考慮すべきことは、顧客との情報交流、コミュニケーション経路の整備です。たとえば、製品を購入した際に必ず顧客データを獲得し、製品の使用プロセスをつうじて顧客の現場での知識を収集できるような仕組みがきわめて重要です。  インターネットを介して使用開始時に顧客データを獲得するというのは、多くのパソコン・ハード、ソフト企業が行なっていることです。しかし、面白いことに、消費者により近いはずのいわゆる白物家電ではこうした例があまりないようです(これには理由があるので後述します)。顧客データを獲得するのはメーカーではなくて、流通(家電量販店)やクレジット・カード会社、あるいは物流(宅配便サービス)など、モノを取り巻くサービス企業となっています。 安易なミックスは矛盾を生む  これら四つのタイプはそれぞれ独立したものとしても、組み合わせでも展開されますが、問題はいずれもここでまとめたように簡単ではないということです。  とくにベストプラクティス型はナレッジマネジメントの典型で、基本的には持てる知識資産を形式知として集約する施策です。すでに何らかのドキュメントデータベースを持つ組織にとっては魅力的で、取り組みやすそうですが、一方、「実際にシステムを構築してみたが活用がなかなか進まない」といった問題を一番多く聞くタイプでもあります。  ここでは当然ですが、知識のキャリアである人々が知識資産を集約してくれるように組織文化や制度的側面を配慮しなければならないといえます。ここもまた単なる情報共有とは異なる点だといえます。  また、個人知ネット型はベストプラクティス型と似ているようにも見えますが、実際は異なる組織文化やルールが必要です。たとえば、IBMはICMという名称でコンサルタント組織をユーザーとするベストプラクティス型の形式知集約型ナレッジマネジメントを展開しています。一方、サン・マイクロシステムズでは過去の知識資産を蓄積しようなどという文化はありません(これはベストプラクティス型の否定ですね)。けれども現在の知を寄せ集めて今の問題を解決するというナレッジマネジメント志向はきわめて強い。  つまり、ナレッジマネジメントにおいては知識に対する「文化」が大きく左右するといえ、同時に展開できるかどうかは安易な組み合わせでは済まない、という一例だとおもいます。表5では四つのタイプそれぞれの要点を挙げておこうとおもいます。 何が成功の基準か?  では、ナレッジマネジメントの効果とは何でしょうか。もちろん、知的業務の効率性向上、顧客関係性の強化、といった効果は当然のものとして想定できます。  APQCは彼らの調査報告書の中で㈰Operational Excellence(業務効果)、㈪Customer Intimacy(顧客関係性)、㈫Product Leadership(製品力)という三領域でナレッジマネジメントの効用があると説明しています。ただし、これらは、ナレッジマネジメント特有というわけでなく、一般的な、ホワイトカラーの知的生産性といったレベルを超えるものでないのも事実です。  また、こうした効果があるからといって、ナレッジマネジメントへの投資に対して十分な見返りがあるとは限りません。継続的・組織的な努力がなければ、初期的な知識共有の効果(たとえば成功事例の共有による)は徐々に薄れていくことでしょう(あらたな知識の創造がなければならない)。こうした従来からの延長線上で効果を期待しても、決してROI(プロジェクト投資に対するコスト削減などの見返りの割合)で見ても高くはないんだ、という主張をするCKO経験者もおります。  むしろ、知識経営やナレッジマネジメント・プロジェクトが意味を持つのは、個別製品や事業ベースでの効果にとどまらない、企業収益全体へのインパクト(いわゆるボトムライン・インパクト)だと考えられます。個別事業ごとにははっきり見えないけれども、企業全体の収益に貢献するということです。あるいは組織的イノベーション頻度の高まりや顧客との知識共有にもとづく事業の成長基盤の形成、さらには、市場価値の向上、知識経済の中での企業の成長、などです。  これらを加味すると、ナレッジマネジメントの効果を知るための尺度は、次のような広がりを持つものになると考えられます(説明は例示です)。これらは、狭義のナレッジマネジメントにとどまらない、知識経営の実践に沿って高まる効果の段階としても位置づけられます。この内、いわゆる経済的効果を測定しえるのは(1)生産性・コスト削減効果と(2)アセット(資産)効果となります。他の三つは代替的指標を借りる必要があります(たとえば顧客価値やイノベーション)。 (1)生産性・コスト削減効果 ●過去のノウハウ、共通ノウハウを再利用した生産性向上(時間コスト削減) ●成功ノウハウを他部門に移転(移植)することで重複回避、技能向上(底上げ) ●業務プロセスに沿って適時知識を提供して生産性向上(反応速度) (2)アセット効果 ●知識資産(知的財産)から収益を創出するためのポートフォリオ ●企業価値を高めるための知識資産活用(企業・製品のブランドも知識資産) ●企業間連携・提携時の知識資産評価の最大化 (3)顧客価値効果 ●顧客との知識共有による成長基盤の形成 ●顧客の有する知識の活用 ●事業・組織を知識で再構築して顧客価値を高める (4)イノベーション効果 ●部門横断・外部ネットワークを介して共同で問題解決・知識創造 ●イノベーション、新製品開発プロセスにおける知識創造促進 (5)事業革新効果 ●知識と製品の組み合わせ、融合による新規事業領域の開拓 ●製品自体を知識として売るような事業システム プログラムを支える条件  では、以上のような考え方に基づいて、何をすればいいのでしょう?  企業によって対応はさまざまですが、まずわが社の知識問題を特定して、そこに焦点を当てて、ナレッジマネジメントを社内プログラム(またはプロジェクト)として立ち上げる。そのプログラムを開始するための仕組みや条件を整備する、というのが一般的ステップだとおもいます。  ナレッジマネジメントをプログラムとして展開するには条件があります。組織的制度、組織的サポート、そして知識業務環境、情報技術の活用などです。私たちはこれらを可能化条件(イネーブリング・コンディションあるいは簡単に言えばイネーブラー)と呼んでいます。 (1)イニシアティブ(率先・牽引役の存在)  まず、どのようなプログラムであっても、対象となる、あるいは問題となっている知識やその領域が把握されていなければなりません。それはすでに述べたとおりです。  たとえば「サイクルタイム削減のために組織的に知識共有を図らねばならない」、「リストラで重要な知識が流出してしまった」、「M&Aの成果が十分得られていない」といった状況を、トップや部門長が認識することです。  そのうえで、知識資産活用や整備の組織的制度の構築、それらに向けたイニシアティブが必要となります。現場からのボトムアップでも可能ですが、基本的にトップがこうした感受性、視座を持つことが大事です。ナレッジマネジメントの実践のためにチームや会議体を設ける、あるいはCKO機能を設置するというのもひとつの取り組みだといえます。  まず自分の会社がどのパターンに当てはまるのかを見極めることが必要で、ここを間違えてしまうと失敗します。最近多いのが、トップから言われて、何も知らない人がいきなりCKOに任命され、慌てて始めてしまうケース。こういうところでは必ず失敗します。「どんな知識を何のために、どういう場を大事にしながら活用するか」というのは考えておかなければなりません。  下記のようなプロセスを追うことがイニシアティブの役割だとおもいます。 ㈰知識実態を把握し、知識上の問題を特定する、明らかにする。 ㈪自分の会社にとって必要なナレッジマネジメントの定義と範囲を決める。 ㈫特にどういったタイプなのかということで、徹底的な事例研究をしてよく学ぶ。 ㈬ITも含めた環境の整備とともに組織的仕組みをデザインする。(ここでCKOや現場の推進役が必要になるかもしれない) ㈭知識問題を抱えている現場を対象にプロトタイプを作りスタートする。 ㈮継続的なサポートをする。  ナレッジマネジメントの仕組みやシステムは最初から全社的に均質なものを導入するという特性を持ったものではありません。いずれ全社に広がるのでしょうが、知識にかかわりの深い事業を抱えていたり、知的競争で遅れをとっているところから導入することがポイントでしょう。導入する意味を抱えていないところに全部同じ仕組みを押しつけても、その人達にはメリットがわかりません。 (2)組織的支援(知識コミュニティへの「住民参加」)  したがって一方では、現場の支援を得なければなりません。つまり、組織的サポートです。「知識を共有しようといっても、現場が協力的でない」というのは、ほとんど、どの業種・部門のナレッジ・プログラムにおいても最初に現れる反応のひとつだといえます。  知識ワーカーの参加意識の醸成がカギだということはすでに述べました。自分の机、パソコンに蓄積された資料は、個々人の知識を形成する「部品」だといえますが、これらを組織的に共有しようという呼びかけに対しては必ず心理的抵抗が生まれます。これらは、通常、社員が組織内でその知識・能力を認められるための「財産」だからです。少なくともそのように思われています。たしかに個々人の知識は知的な財産です。  しかし、知識の経済的特性に従えば、これらは知識資産を個々人の壺に入れて腐らせているようなものです。もしもこうした過去の遺産によって社内で評価されるような企業であれば、その企業はいずれ激化する競争環境の中で敗者となる道を選んでいるといえます。  また、こうした知識は、純粋に個人のものというより、組織・集団の仕事をつうじて得られたもので、「公共財」としての性格も持っているのではないでしょうか。そのため、知識共有は結局は組織文化の問題に結びつきます。  IBMナレッジマネジメント・インスティテュートのラリー・プルーサックは、IBMでのナレッジマネジメント・システムの導入も、こうした抵抗によって当初一時的に暗礁に乗り上げたと報告しています。その後に組織的サポートを得るための制度(たとえば貢献すれば得点といったインセンティブ)を整備し、後の成功に結びつけたといいます。 (3)知識業務環境(情報技術利用)  さらにこれらのナレッジ・プログラムが円滑に行なわれるための環境、すなわち知識資産がダイナミックに活用されるための業務環境が必要となるでしょう。  そのためにはオフィス環境なども大事なのですが、とりわけ情報技術の利用が必須です。ただし、情報投資を行なったからといって成功するとは限らず、その逆のケースも多いことは認識しておくべきでしょう。 情報技術をどう使うか?  最近、ナレッジマネジメント・システムということばで、組織内の知識をマネジメントするための情報技術(ソフトウェア、といったほうがいいか)やシステムが打ち出されています。これらはあくまで手段ではあるものの、どのようにとらえればいいでしょうか。 (1)ナレッジマネジメント・システムは情報システム  厳密に言うと、これらはナレッジマネジメント・システムではありません。  本質的には情報システムです。そうでなければ、コンピュータネットワーク内を知識が流通し、ネットワークが知識を有する、ということになってしまいます。知識はあくまでも人間の側にあります。これらのシステムが扱うのは知識ワーカーが仕事をするため、あるいは組織がナレッジマネジメントを行なうための情報です。  経営における知識を考えたとき、情報技術の活用は不可欠の要素ですが、使われる技術はかなり幅広く、流動的です。たとえば、しばらく前には、「イントラネットがナレッジマネジメント」だという主張もありました。その他、ドキュメントマネジメントや検索システムなどがナレッジマネジメントの技術に含まれてきました。現在、ナレッジマネジメント・ソフトウェアとして市場に紹介されているものはさまざまありますが、多くは従来のソフトやサービスをナレッジマネジメントという名称に変えて、リポジショニングあるいは目的再設定(リパーパシング)しているものです。  代表的なのは従来のリレーショナル・データベース、ドキュメントマネジメント・システム、グループウェア、データベース・サーチ(言語検索)系のものです。しかし、知識経営にとっては、知識業務や場を支援するという意味で、直接・間接にかかわるソフトウェアは今後もさらに幅広いものとなるでしょう。また、電子的な情報共有だけでなく、知識ワーカーが働く現場では紙媒体との共存も考えねばなりません。さらに、リパーパシング・ソフトでない、「純正」なナレッジマネジメント・ソフトウェアも増加するでしょう。  しかし、それはユーザーが自身の知識経営のプロセスに沿って、自発的に選択・定義していくべきものだといえます。 (2)単一のアプリケーションは存在しない  他のIT関連の手法とは異なり、狭義のナレッジマネジメント(形式知の共有・活用)でさえ一つのソリューション体系や、特定のソフトウェア、アプリケーションでは対応できないほど、変化しているわけです。流動的・発展的なのは、それを活用するエンドユーザー、つまり知識ワーカーが先導していくシステムだからだといえます。ナレッジマネジメントは、おそらくはじめて、企業内ユーザーが情報技術主導でなく、人間の仕事中心で情報システム環境を考えられるようになった契機だといえます。  いわゆるナレッジマネジメント・ソフトウェアの採用、それを推進する情報技術産業の勢いにおいては、米国企業が一歩進んでいるようです。しかし、だからといって米国企業にならえ、とは言いきれない側面もあります。実際にナレッジマネジメント・ソフトウェアを提供しているベンダーの話でも、ナレッジマネジメント実践企業にもまだ暗中模索の部分があります。  ナレッジマネジメント・ソフトウェアの領域はまだ定まっていません。それゆえ、企業の情報システム責任者からみて、依然確固とした商品やソリューションが見えてこないというのも事実です。  知識経営やナレッジマネジメントは、情報技術サービスとしては昨今のERP(エンタープライズ・リソース・プランニング)やSCM(サプライ・チェーン・マネジメント)などのエンタープライズ・システムとは異なる平面にあるといえます。それは、ERPやSCMのように、必ずしも特定のソフトウェア商品と結びつかないものです。 (3)知識と情報をつなぐ仕掛けがカギ  では、結局、ナレッジマネジメント・システムとか言っているけど、これまでの情報システムやソフトウェアを言い換えているだけで意味がないのでは、という問いについて。  もちろん、検索エンジンがナレッジマネジメント・システムだという主張はおかしい。この場合なら使い方、運用が大事になります。情報と知識をつなぐ、その隙間を埋めて、情報システムを上手にナレッジマネジメントや知識経営に活用することはできます。  たとえばNTT法人営業本部ではイントラネットの仕組みと柔軟性の高いオフィス空間を組み合わせてこうした活用をしています。イントラネットでは業務進捗状況と個人のスキルや成果がリンクされています。こうして個々人の知識を結びつけ、さらにそれらを共有・活用・創造に展開するうえで、オフィスを考えています。たとえば同本部では企画作業、集中作業、コミュニケーションといった領域に分けて活用しています。また、コンピュータで扱われる情報に、文脈や状況といった情報を豊かにする付加的情報を組み合わせることで、知識に近づけることは可能だといえます。参考としてこうした機能を有するシステムの構造を図示しておきます(図5)。  こうした仕組みをシステム自体に機能として盛り込んであるソフトウェアもあります。たとえば、システムに記憶された有効情報を手がかりとして、元々の知識を持っていた人に容易にアクセスできる機能。または、イントラネット上の仮想的コミュニティをつうじて情報を獲得・交換する機能。これらがそういった手段となるものとおもわれます。つまり、文脈の共有できる関係性を作り、そのうえで情報交換することで、結果的に知識が移転されたり共有される、ということです。  もちろんオフィス環境も重要な要素となります。知識を共有する空間、意思決定のために知識を結集する空間、地理的に分散した人々と本社を結びつけるための空間…。ナレッジマネジメント、あるいは知識経営の実践においては空間(場)が大きな意味を持ちます。  また、当然ですが、情報技術の活用においては組織変革も伴わなければなりません。古い組織に新しい技術を導入しても、それは複雑さを増すだけでしょう。 知識経営責任者(CKO)を置くべきか?  では、知識問題にもっとも関心の高いのは? 当然それぞれの企業のトップ(であるべき)でしょう。また、知識問題によってもっとも障害を感じているのは現場で顧客営業を推進したり、開発マネジメントを行なっているリーダー層でしょう。一方、実際に知識を持ち、活用し、成果をあげるのは市場で動く最前線のスタッフなどです。また、ナレッジマネジメント・システムを構築するとなれば、どうしても情報システム部門も絡むでしょう。これらの人々がばらばらにではなく、ある調和やダイナミクスで動くことがなければ、いつまでも知識問題は解決されることなく、別の異なる症状を引き起こしたり、業績にさらなる影響を与えてしまうことでしょう。  知識経営の組織についての問題は後でも取り上げますが、結論からいえば、こうした各者の調和した動きというのは、従来の階層型組織ではうまくいきません。トップは現場の知識についてよく知りません。リーダーも同様です。企業横断的に知識を共有・活用しようという段になると、彼らの経験は狭く、知らないことがたくさんでてきます。  情報システム部門も、知識などという扱いづらいものに積極的でないかもしれません。もっともよく知っていて、力を発揮できるのは現場スタッフですが、彼らは問題の全体像にうまくかかわることはできません。結果的に、階層は逆立ちになり、混沌としてしまいます。これではトップがいくら叫んでも、動きようがありません。  こうした状況を踏まえ、これら関係者をサポートする、あるいは変革するためのあらたな経営、組織、そしてリーダーシップが求められるようになってきました。そこでナレッジマネジメントを実践する多くの企業が、知識問題の解決や知識資産の有効な共有・活用を目的に、CKOの機能を設置しています。  CKOとは「全社的知識創造のプロセスについて経営レベルの責任を持つ」役員あるいは機能のことです。また、CKOのもとに知識のマネジメント部門を置く、という企業も存在します。ある専門家によると、米国の場合では「フォーチュン五〇〇社」の大企業中、五社に一社ほどの割合でこのCKOあるいは相当の機能を設置しているとさえいわれます。  CKOの役割としては、㈰知識問題の早期発見、㈪対処的ナレッジマネジメント・プログラムの提言・指導・実践、㈫戦略的に意義ある知識資産の継続的開発、㈬知識経営に適した情報環境などへの支援、㈭経営戦略に相応の知識戦略と組織文化の醸成(具体的には何らかのイニシアティブ・プログラム)などがあげられています。  早期からCKOの機能を実際に設置したのは経営コンサルティング会社でした。それは、当然のことながら、彼らにとっての成功のカギとなる要素こそ知識であったからです。その後ホフマン・ラ・ロッシュ、モンサント、GEライティング、ゼロックスPARC、GE、コカコーラなどで広がりました。金融サービスでは、スカンディアやCIBC(カナダ帝国商業銀行)、世界銀行がこうした機能を置いています。日本企業でもCKOの設置が広がっています。  しかし、果たしてCKOという機能を設置することにはどのような意味があるかについては各自が再考すべきところだとおもいます。  たしかにCKOを設置することは、ナレッジマネジメント・プロジェクトを実践することより容易です。CKOを任命すれば、企業の知識経営に関する初期的関心を社内外に知らしめることができ、また経営陣自らも確認するという象徴的側面も持っています。CKOという役職名でなく、企業のトップがそうした機能を担うというケースもあります。とはいえCKOが実際に機能するのかどうか、継続的に設置すべき機能なのかどうかは、議論の分かれるところです。  CKOの機能効用を活かしていくためには、ミドル・マネジメントの役割も忘れられてはなりません。ただし、多くの企業で、彼らの一部はもはやミドルとは呼ばれず、あらたな役割を果たすようになっています。異なった名称で呼ばれていますが、知識のリーダー、知識のファシリテーター(促進者)のような意味を持つものです。彼らは、知識資産のマネジメントにとどまることなく、知識を創造していくためにきわめて重要な、不可欠の役割を担っているとおもわれます。  ㈰CKO、あるいはトップ自身、㈪CKO機能を支援するファシリテーター、㈫企業内の各所で協力のサークルを形成する現場リーダー、㈬そして現場のスタッフ(知識ワーカー)、㈭さらにその強力な支援者としてCIO(情報統括役員)や、組織内部での環境を開発・維持する人々。こうした組織内の態勢が知識経営には必要だといえます。  彼らが参加し、組織文化変革を伴ったダイナミックな運動として知識経営、ナレッジマネジメントが推進されるのが望ましいのではないでしょうか。こうした観点から見て組織的取り組みを行なっている企業には、先にあげたようなコンサルティング会社やゼロックスなどの製造業があります。 組織的リーダーシップの重要性  ゼロックスは九〇年代の初期から日本側のパートナーである富士ゼロックスが主になって知識に関する調査研究や啓蒙活動を行なっていました。本社では、知識を企業の成長の源泉としてとらえ、戦略的観点からナレッジマネジメントに関するファシリテーターが任命されていました。  一九九八年、新社長のリック・トーマン氏への交代を契機に実質的なCKO役を担い、これらの動きが組織的に連動することになり、現在はナレッジ・シェアリング(知識共有)が彼らのテーマとなっています。一方、富士ゼロックスでは「知の創造と活用」という一項を企業のミッションの中核として明文化しました。  ゼロックスではPARCなどの研究所が、一連の知識経営への運動の契機となる重要な役割を果たしました。  PARCの開発したイントラネットのナレッジ・シェアリング・システムである「ユーレカ」は、顧客企業のオンサイトでメンテナンスを行なうカスタマー・エンジニアのためのシステムです。彼らが日常のサービスをつうじて体得・発見したノウハウ、コツを登録して、再活用するという仕組みです。登録されているのは、テキスト情報ですが、それを利用するユーザーは全員が同様の仕事をしている人々であり、製品やその製品が設置されている現場の経験情報を共有しています。一三、〇〇〇人以上のユーザーが、グローバルにこのシステムを活用してサービスのアジリティを高め、知識活用を行なっています。  実はこのシステムはもともとCEたちがアフター・ファイブや休憩時間に水飲み場で一服しながら、「今日はこうやったらうまくいった」という自慢話をしているのをPARCの研究者たちが観察し、それらの振舞いを電子的に再現したものです。  ゼロックスの別の研究所、ウィルソン・センターでは機械工学、化学、物理学の研究者たちが組織の壁を超えて容易に情報にアクセスし、知識を共有するためのシステムが自然発生的に生まれていました。これは「ドキュ・シェア」と呼ばれ、やはりイントラネット・ベースで、知識共有を図りたいと思う人々が自由にサイバー空間上にコミュニティを創り、そこで研究業務に必要なコンテンツを共有できるようにしたものです。  トップ自身がCKOとなり、それを支援するファシリテーター、ナレッジ・リーダー、現場の知識ワーカーが調和して動く、そのひとつの例だといえます。 知識経営への発展段階  すでに何度か繰り返してきたように、定性情報データベースなどのソフトやシステムを活用するだけではナレッジマネジメントとはいえません。ナレッジマネジメントあるいは知識経営は、いかなる技術を利用しようとも、企業が知識というものを梃子に、知識ワーカーやその組織が価値を生み出し成長するための、いわば企業革新です。  ただし、全社的な知識経営の展開を図ろうとする以前に、場合によっては、局所的な組織的な(知識資産やプロセスにかかわる)問題の解決が急務であることもあります。そこでは、既存の知識資産をいかに活用するかを考え、解決のためにソフトやシステムを導入することが有効となります。その後、狭義のナレッジマネジメントから、より広い概念である「知識経営」に発展していくことが、企業の知識戦略のシナリオとなるでしょう。  その「知識経営」への展開を三つの段階で考えてみたいとおもいます。 (1)第1段階:知識共有と活用=ナレッジ問題を解決する  この段階では、局所的な対症療法を図ったり、特定部門部署での目的を絞ったナレッジマネジメント・プログラムの展開が主眼となります。ここで企業は既存の知識資産を発見・整備し、共有・活用できるようにすることを目標とします。その展開に際しては、先述した四つのタイプの内の二つが該当します。それらの切り口は、 ●ベストプラクティス共有 ●専門知ネットワーキング です。この段階では、企業内の知識資産を十分に活用する効果を追求することがテーマです。たとえば業務プロセスに沿って知識を提供したり、部門横断・外部ネットワークを介して共同で問題解決を行なうことです。こうして重複を減らしたり、成功から学ぶことで組織的な知的俊敏性を発揮する、といったことが狙いとなります。一般的に、初期には先述のイニシアティブをとっていくことが求められるでしょう。その際には、知識と経営の重要性に関する気づき・関心の醸成、参加の環境づくり、ナレッジマネジメントに向けた組織的役割の設置(プロジェクトチームなど)を合わせて行なう必要があるでしょう。 (2)第2段階:知識ベースで事業展開=知識創造と知識資産のダイナミックな連携  この段階でカギとなるのは事業モデルとの連携です。そこでは知識創造と知識資産に関する方向性の指示(知識ビジョンの明示)、知識資産開発プログラムや顧客との知識共有の仕組みの連動が行なわれなければなりません。  すなわち知識経済のモデル(メカニズム)を梃子にした成長を目指すことがテーマとなります。知識資産を市場化したり、成長の基盤として顧客との知識共有や顧客の持つ知識の活用を行ない、それらのうえで「知識創造」を行なうことが狙いとなります。  この第一、第二段階は必ずしもこうした前後関係に置かれているわけでなく、企業によっては第二段階から出発するというようなこともあるでしょう。 (3)第3段階:知識経営企業=組織デザインとリーダーシップ、企業革新  この段階では、企業の組織や事業、さらには経営自体まで知識を切り口に変革をすることまでが射程に入ります。その際の要は自社のコアとなる知識あるいは知識ビジョンです。  そこでは、知識経営のための組織デザイン、知的方法論を備えた「知識(経営)企業」への企業革新が課題となるでしょう。たとえば第5章であげるような「ハイパーテキスト型組織」はその組織デザインの一例です。  目指すところは、イノベーションあるいは新製品開発の知識創造プロセスが中軸となった経営、組織です。また、知識と製品を組み合わせ(融合させ)たり、知識としての製品を売ることもこの段階でのテーマとなります。  こうした段階は「絵に描いた餅」ではありません。企業が知識に取り組む本質的意味合い、真の意義は企業革新を図ることです。こういった企業の変化は、おそらく二一世紀においては「普通の」企業の資質を獲得することだといえます。問題は、自ら先んじて変革するかどうか、ということです。もちろんそれまで待っていられるなら別ですが。 第3章 第五の経営資源 知識創造企業  みなさんは、ナレッジマネジメントや知識経営ということばやコンセプトに、どの程度親近感を持っているでしょうか。この章では、少し原点に返って、知識とは何かというところから知識経営を考えてみようとおもいます。  「ナレッジ」とか「知識」というと、何か堅苦しいイメージが連想されますが、知識経営の考え方はより具体的・実践的なものです。  知識経営、ナレッジマネジメントとは知識を媒介に業務推進力、意思決定力、顧客問題解決力、コンセプト創出力、イノベーション力、競争力などを高めることです。もちろん従来の企業でも、当然知識は活用・創造されていたわけです。しかし、二一世紀への産業構造・社会変化を受け、これからはさらに、企業経営の中核的な重要性を担ってきたといえます。つまり、知識ワーカーによるシンボル操作(知識・情報の分析・創出・構成・活用)が企業の価値の源泉としてみなされるようになったのです。  われわれは知識社会の入り口に立っています。かつてピーター・ドラッカーは、知識がいかに企業に競争優位性をもたらすかを、「知識ワーカー」という言葉を使って説明しました。この社会では、基本となる経済的な資源は、従来の物質的な財ではありません。それは知識となります。そこでは、知識ワーカーとその組織が知識(資産)を動かし、生み出すために、中心的役割を果たすことになります。このようにとらえたときには、知識経営は企業が避けて通ることのできない、時代の変化、企業の進化の道筋であるといえます。 知識とは「信念」である  知識の問題は古代ギリシャ、哲学が生まれた時代から哲学者のものでした。私たちはビジネスの世界で知識を考えているので、これまであまり「一体全体、知識とは何か」という問題には触れてきませんでした。しかし、ナレッジマネジメントと呼ばれる事例には、知識と呼ばれていても実は定性情報でしかない、というのが少なくないのも事実です。そこでこの問題について若干考察してみたいとおもいます。  まず、知識は情報ではありません。私たちはここで両者の概念に一応の線引きをしておきたいとおもいます。知識経営でいう知識には、概念(体系)、ノウハウ、技術、方法論、視点・ビジョン、コツや勘、個々人のスキルなどがあげられます。これらのエッセンスは何でしょうか。  一般的にいって、知識は、私たちにとっての行動の指針、問題への処し方、判断や意思決定の基準、さらには生きるために必要な実践的方法といったものとして存在しています。これらの知識には、実体はありませんが、実体や現象に対するものとして実存的な意味を持ちます。  知識には少なくとも二つの成分があります。日本語の知識も、「知」と「識」という二語からできています。そのひとつは、「何々すればこうできる」といった方法論的なもの、いわば「知」にあたるものです。もうひとつは、材料だとか特定の事物について博識であること、「識」にあたるものです。たとえば鋳鉄、稲作、ワインの醸造、自動車の運転、飛行機の操縦、天候の予測、等々のような知識にもこうした二面があります。  こうした知識は私たちの内部にあって、外部の環境から得られる情報などをもとに、行動を引き起こします。与えられた外部環境がふさわしいものでなければそれを変化させようとします。これは個人であっても、共同体でも、老若男女を問わず、同じです。  つまり、知識とは、個人や組織(集団)が認識・行動するための、道理にかなった秩序(体系・手順)であるといえます。この秩序によって私たちは外界を理解したり、行動を進めていくわけです。「行動のための能力」(Capacity to Act)という知識の定義(K. Sveiby)もあります。  ただし、こうした知識はいつでも正しいとは限りません。ある地域で得た天候予測の方法は、別の場所では正しくないかもしれません。そこで、知識には主観・客観、「真偽」の問題が常に絡みます。私たちは日々の行動や、環境変化に際して自分自身の知識を照らし合わせ、実践をつうじてその知識が「真」であるように高めていくのですが、それには終わりがありません。  このような知識のあり方をとらえれば、知識とは「正当化された真なる信念(Justified True Belief)」。つまり、その知識を持つ人にとっては、これまでのところ正しい、「真」だと、そのように信じていること、なのだといえます。  これは哲学的な問題のようでいて、実は知識経営の日常的問題です。こういう方向性、問いかけがなければ、知識ワーカー個々人の創造した知識が正当かどうか判断できません。こうした議論が行われる観点として、企業の知識ビジョンが提示されていなければなりません。この有無はきわめて大事だと筆者は考えています。 情報との違い  知識と情報は違う、としたけれども、両者の間の境界線は実用面では曖昧です。ナレッジマネジメントを謳う企業や研究者でも、知識を単に重要な情報だとか、ドキュメントだといって済ませてしまうケースが少なくないようです。しかし曖昧とはいえ、何らかの説明が欲しいとおもいます。  もっとも一般的な区分は、データ、情報、インテリジェンス、知識、知恵、といった階梯(ピラミッド)です。データは記号、数値。情報はデータから構成された意味や意義。知識はそうした情報を認識し行動に至らしめる秩序。知恵は知識を現実に適応させて得られた成功事例集…。といった違いを示そうとするものです。  しかし、こうした区分でも、問題はその境目です。たとえば、数値情報はデータと違うのか、マニュアルは情報なのか、知識なのか。知識は情報のようにインターネットで流通できるのか?  たとえば、ドラッカーの場合、知識は基本的に人間依存、人間の頭・体の中にあると考えているようです。だからインターネットのホームページでは知識を流通させることなどできない。知識はあくまで人間の内部にしかなく、知識を糧に労働する知識ワーカーがインターネット経由で活用するのは、情報以外のものではない、ということになります。こうした議論を議論として展開することには意味はありませんが、知識には「人間の中にある」面と、情報のように「流通できる」面の二つがあります。それが情報との境目の曖昧さになっているといえます。 暗黙知と形式知  一般的に、知識は、「個人的で主観的」と「社会的で客観的」という二つの側面に分類できます。哲学者のM・ポラニーは、「暗黙の語りにくい知識」(暗黙知)の側面を、「明示された形式的な知識」(形式知)に対するものとして指摘しました。  前者は主観的、後者は客観的な面です。同様に、経済学者のハイエクは、主観的で時間や場所に特定される知識と、一般的で科学的法則にもとづく知識という二つの形態を示しました。これらは、アナログな知識とデジタルな知識といってもいいでしょう。あるいは体でわかる知識と、頭(大脳)でわかる知識という違いともいえます。この二つは表6のような特性を持っているといえます。  私たちはこの二つの形態によって知識を有しているからこそ、能動的に生きることができます。基本となるのは暗黙知ですが、暗黙知には最大の「問題」があります。それはその知識を持っている本人自身がなかなか体系的に理解できない、場合によってはそうした知識を持っていることを「知らない」という事態です(というより、実はそういった意味でも言語化できないので暗黙知と呼んでいるのですが)。  寡黙な職人、をイメージしてみて下さい。腕は信用できるが、言っていることはなんだか怪しい。これは暗黙知が主観的な世界だからです。理解したり把握するには、客観化作用を伴います。語る、ということです。ところが私たちは十分語ることはできないし、語ってしまうと過去の知識となって、必ずしも現場の生を支えるものではなくなってしまう。私たちは「語れる以上のことを知っている」(ポラニー)のです。ですから、この両者を、常に、共に知識としてとらえなければなりません。  自転車に乗るという行為を考えてみましょう。形式知は操縦マニュアルやプログラムに表現できるのであり、暗黙知は体験や訓練によって得られるコツやバランス感覚です。当然ですが、暗黙知がなければ、うまく乗り回すことはできません。これは練習の過程で獲得されたり、先輩のやるのを眺めて、五感で体得していくわけです。しかし一方では、マニュアルの助けによって、実践し、結果的に自転車をより早く覚えることができるわけです。  暗黙知と形式知が共に重要なのは企業も同じです。身体的で本能的なレベルで知識(暗黙知)を持っていなければ、迅速にかつ高度なパフォーマンスを発揮することはできません。ただし、こうした知識を得たり、伝えるには時間がかかります。そこでは、マニュアルなど(形式知)が意味を持ってくるわけです。  暗黙知には、日常的に組織の現場で行なわれている業務手続きの方法、あるいは工場や研究所での熟練工や研究者の技能、市場や営業地域、顧客の動きに関する感覚、さらには、製品の品質に関する知覚能力、製品開発に関する経験的方法論などが含まれます。  暗黙知が企業や組織にとって不可欠の強みであるという場合は少なくありません。形式知化を進めていってもどうしても最後に残ってしまう(逆にいえば真似されない)部分が存在します。こうした暗黙知は、組織文化として共有・継承されている場合も、有能な過去・現在のリーダーの残したことばや行動に制度化されているような場合もあるでしょう。  暗黙知は、部分的には形式知化されているでしょうし、またそうすることが可能です。たとえば、熟練技能者の業務手順などはマニュアル、ガイドライン、プログラムなどに展開されるでしょう。また、市場や営業地域、顧客動向を把握するための論理的手順や方法もそうです。ナレッジマネジメントで活用されるベストプラクティスの分析など、言語化されたノウハウ、ドキュメントがこうした形式知だといえます。製品仕様やデザインも形式知です。  ただし、これらはいずれも部分的でありますし、またマニュアルやドキュメント単体で存在していても駄目で、対応する暗黙知やその代替となる情報と組み合わせてはじめて意味を持ちます。たとえば、フォードでは、ベストプラクティスの適用業務、適用手順、期待効果、導入にあたっての留意点、問題点、さらにこうした知識(暗黙知までふくめて)を持つ現場のエキスパートのプロフィールが内容として記録されています。 地図を描く行為に似ている  もう一度、知識と情報の違いを考えてみましょう。知識はいまあげたような二つの形態を持っています。そのひとつである、客観的でデジタルな形態の知識は、ほぼ情報のように流通できると考えられます。形式知は、カタチとしては、ドキュメントやマニュアル、ビジュアルな図表などで示されます。これらはいわゆる「意味的な情報」です。  ですから、こうした部分だけ見れば、「情報と何が違うの?」と思われるのは当然です。しかし、それらは個人や集団が持っている形式知のごく一部を表現したものでしかありません。重要なのは、それらがどのような場面や目的に沿って作られたドキュメントやマニュアルか、という点です。これらを状況として加味しなければ、知識としては意味がありません。  地図を描いて誰かに行き先を説明する、という場面を思い起こしてみて下さい。  あなたが、馴染んでいるある場所について、簡単な地図を描いて示そうとしているとします。これは、みなさんがその場所について知っていること(暗黙知や形式知)を情報にしている、という場面だといえます。あなたは、すでに頭の中に明白に地形を記憶していて、すぐさま地図に表すことができるかもしれません。また、馴染んでいる割にはイメージが曖昧な場合には、描きながらだんだん地図らしくなってくるかもしれません。  つまり、「地理的イメージ」=暗黙知、「想起された地形」=形式知、「描かれた地図」=情報という関係にあります。では、どこまで詳しく描けば相手はわかってくれるでしょうか。駅と郵便局の場所だけでもいいかもしれません。あるいはもう少し詳細に描きこまないとわからないかもしれません。  しかし、道路、地名、店の名前など、知っていることすべてを地図上に表現してしまったら、果たしてその地図は読むことができるでしょうか。そこで、あなたと相手との関係、その場の状況、必要性、などによってあなたが描く地図は大きく異なってきます。  同じように、ドキュメントやマニュアルは、形式知の一部でしかありません。それら表現された媒体(地図)をファックスで送ったり、電子メールで配布することはできますが、そのときには、もともとそれらが描かれた時点での状況や、人間関係などの「文脈」が抜け落ちてしまっています。ちなみにこのあたりが情報化、情報氾濫の弊害、といったところでしょうか。  いずれにせよ、これが情報と知識の境界を分けるもの、といえます。形式知は、単に情報をとりまとめたもの、情報の集まりではありません。情報の受け手が自分の知識として獲得するには、「文脈」のギャップを埋めてやる必要があります。こうした補完によって、形式知は組織内外で共有・活用が可能になるといえます。いずれにせよ、企画書や提案書のデータベース利用がナレッジマネジメントとはいえないのは事実でしょう。 知識創造のプロセス  ナレッジマネジメントあるいは知識経営を志向する企業にとって、目指すべき価値の創造や成長のダイナミクスを引き起こすのは知識の共有や移転といったプロセスではありません。中心となるのは、それらを織り込んだ、「知識創造」のプロセスです。  組織的知識創造(Organizational Knowledge Creation)とは、組織が個人・集団・組織全体の各レベルで、企業の環境から知りうる以上の知識を、あらたに創造(生産)することです。  知識創造のプロセスは、暗黙知と形式知からなる相互作用で説明されます。つまり、それは主観的で言語化・形態化困難な暗黙知と、言語または形態に結晶された客観的な形式知の相互変換であり、その循環的プロセスをつうじた、知識の質・量の発展です。  暗黙知と形式知の関係は氷山とその一角としても例えられます。よく、暗黙知はわかりにくいから駄目で、すべてを形式知にしなければならない、という乱暴な意見も聞かれます。しかしそうした認識はまったくの誤りで、知識の本質を見落としているといえるでしょう。企業内や企業間で知識を共有・活用するには形式知が有効ですが、その背後に暗黙知がなければ知識自体の価値が損なわれてしまうことになります。  しかし、ここでのポイントは「暗黙知か、形式知か(どちらが有用か)」という単純な議論ではありません。むしろ、企業の知識の多くが暗黙知なのであり、それをどのように活性化し、形式知化し、活用するかのプロセスこそが重要だといえるのです。  暗黙知と形式知は性質的には異なっていますが、これらは実は知識の異なる、補完し合う「極」でもあります。知識にはこの二極があるために、ダイナミックな増殖(知識創造)が可能となります。暗黙知が形式知化され、それが他者の行動を促進し、その暗黙知が豊かになる。さらに、それがフィードバックされて、あらたな発見や概念につながるのです。  暗黙知と形式知の組み合わせによって、私たちは四つの知識変換パターンを想定することができます。図7では、個人、グループにおけるコミュニケーションや相互作用によって、知識の二つの側面が変換されるプロセスを表しています。 ●共同化とは…暗黙知から(をもとに)あらたに暗黙知を得るプロセス ●表出化とは…暗黙知から(をもとに)あらたに形式知を得るプロセス ●結合化とは…形式知から(をもとに)あらたに形式知を得るプロセス ●内面化とは…形式知から(をもとに)あらたに暗黙知を得るプロセス ちなみに共同化・表出化・結合化・内面化は、それぞれ英語ではSocialization、Externalization、Combination、Internalizationと訳されます。そこで知識変換プロセスのことを、それぞれの頭文字をとってSECI(セキと発音しましょう)プロセスとも呼んでいます。 (1)共同化(Socialization)  共同化は、個人対個人が基本ユニットで、フェース・トゥ・フェースでの暗黙知のやりとりがエッセンスとなります。共同化はいくつかの因子から構成されます。  そのひとつは、社外での顧客やサプライヤーなどとの接触、場、経験の共有です。これによってトップや社員があらたな知識を体感してくる。店頭や訪問による顧客との対面はこうした活動のひとつです。外部の専門家との協業などもその一部です。  次に、社内での歩き回り。よくいわれるMBWA(Management By Walking Around)、つまり歩き回り経営です。トップが現場を歩く、あるいは現場同士が交流することで暗黙知が共有される。これらをつうじて、「暗黙知の蓄積」、「暗黙知の伝授や移転」が行なわれることになります。  この共同化のプロセスの本質は、知識創造においてきわめて重要な、「原体験」の獲得です。ここでは、個人の主観的世界が大きな役割と地位を占めます。たとえば心理的に閉じられた個であったり、個をそのように制約してしまう大組織などでは、この共同化は十分に行なわれません。 (2)表出化(Externalization)  このプロセスは、二つの因子からなります。ひとつは、自分自身の内にこめられた暗黙知の表出です。それにはイメージや情感、思いなどが含まれますが、これらを言語や図像に表すことです。たとえば歩き回った体験をもとに地図を描くことも表出化です。もうひとつの表出化の因子は、他者のイメージや思いを感じとって言語や図像化すること。つまり、暗黙知から形式知への変換、翻訳です。  したがって、このプロセスでは、個人と集団の相互作用関係が重要な媒介となります。つまり、思いを持つ個人がグループ内で刺激を受けたり、グループでの討議をつうじて他者の思いや概念を共有する。さらに、それらがことばとなって産出されるようなダイナミズムが重要になります。そこではガイド、あるいはそうした産出を刺激活性化するような空間が大きな意味を持ちます。 (3)結合化(Combination)  これは、形式知の結合を意味します。すでにある形式知からあらたな形式知を生み出すことです。そこでは、まず他部門や外部からの形式知の獲得、総合が行なわれます。次に形式知の伝達と普及を図ること。そこでは形式知の移転や共有には情報技術が盛んに用いられるでしょう。  ただし、単にドキュメントや意味情報の共有だけでなく、周辺の文脈を共有することが重要です。したがって、前提としてのコミュニケーションや言語のインフラ、ネットワークが不可欠です。  これらに基づき形式知の編集を行ない、あらたな組み合わせを生み出すのがこのプロセスの本質です。ここでは、グループ間、部門間が基本単位となります。 (4)内面化(Internalization)  内面というのは自己の内面です。内面化は、形式知を暗黙知にするプロセスです。つまり、組織的に形式化された知識を自分自身のものとして採り入れることです。  それにはまず、行動、実践をつうじて身体化すること、それからシミュレーションや実験を行なって、オリジナルの知識を再現獲得することが求められます。  企業大学(コーポレート・ユニバーシティ)、OJTやノウハウ研修、マネジメント・ゲームのような学習プログラム、戦略会議などでのシナリオ共有や双方向のプレゼンテーションをつうじた実感の体得などがこのプロセスには含まれます。  ここには、組織の中の一個人や集団が創造した知識、つまりコンセプトや戦略が組織的に正当化され、その後ふたたび集団や一個人のレベルまで至る、一連のプロセスが集約されています。 知識プロセスの展開  こうしたプロセスは一回きり回転するのでなく、知識ワーカーやその組織の業務において、日常的にスパイラル(螺旋)状に繰り返されることが肝要です。すなわち継続的知識創造が行なわれる原動力と慣性の維持が重要になります。その要件としては、豊かな暗黙知をプロセスの中に組み込むことと、プロセスにかかわる人々が自己成長するという二つの要素があげられます。  このSECIモデルですが、さらにどのように展開しているかというと、これが一一の因子に分かれます(一一七ページ、図7を参照のこと)。これらの因子は、筆者の調査から抽出したものですが、それぞれ、社内の歩き回りであれば3M(スリーエム)やヒューレット・パッカードの歩き回り経営、といったように、より具体的な経営上の行動につながっているというイメージを持っていただければとおもいます。これらをもとに六〇個から七〇個の項目からなる質問票で組織の知識プロセスの実態を探ろうというように使っていきます。  筆者の調査によれば、好業績企業の知識プロセスのひとつの特徴は、表出化の業務を充実しておこなっている、という点です。SECIプロセスの分析に加えて、その背後にある知識資産の生態、実態の分析を合わせて、ナレッジ・オーディット(Knowledge Audit知識監査)と呼んでいます。 暗黙知の重要性  SECIプロセスの四モードのうち、もっとも容易かつ迅速に展開するのは形式知同士の組み合わせ、すなわち「結合化」のプロセスです。結合化では、情報技術、つまりコンピュータとそのネットワークの助けを借りて、時間や地理的ギャップを超えて、スピーディに形式知同士を結合することが可能だからです。  こうした特性から、いわゆる狭義のナレッジマネジメントも、この結合化からスタートしているといえます。つまり、各部門に内在する形式知を情報システムを利用して外在化し、組織横断的に共有、活用するという、結合化が現在のナレッジマネジメントを象徴しています。  しかし、いうまでもなく、これはSECIプロセスの一部、一側面でしかありません。組織内や組織間では、形式知にもとづく知識創造は有効です。すでにあるノウハウやコンセプトを組み合わせて戦略に見合ったものとする。これは現代のスピード競争の時代にもっとも重要なことです。  しかし、SECIの考え方からみれば、こういった形式知だけの知識創造は、どう転んでもそれぞれの組織内での知識を豊かにすることがありません。知識をどのように生み出すかという問題もふくめて考えなければ、知識経営の真のメリットを享受することはできないでしょう。  とくに他社のベンチマーキングをつうじて導入した知識は基本的に形式知ですから、ベストプラクティス型ナレッジマネジメントは下手をすれば模倣だけに終始し、自社の知識創造力を失っていくということもあるでしょう。  トータルな企業の知識創造においては、形式知との相互作用を担う暗黙知の役割が重要です。得られた形式知を内面化し、さらに社内外での共同化、表出化を経て知識創造のスパイラルを回転させることが肝要です。  先述のように暗黙知については曲解されている面もあります。暗黙知は「曖昧な知」なので、すべて形式知ベースで経営を行なうべし。曰く、「日本企業は暗黙知に浸っているのが弊害」だから、暗黙知は排除すべし、と。ところが、暗黙知は形式知を含めた知識の源泉ですから、これらは、矛盾しているばかりか、知識創造プロセスを限定してしまうことにもなります。  ポラニーは「生化学者、医師、画商、繊維業者は彼らの専門的知識を部分的には教科書から得るが、これらのテキストは五感を通じた訓練を伴わなければ何の役にも立たない」と言っています。  形式知中心のナレッジマネジメントを展開している欧米でも、先進企業は暗黙知の重要性、同時に知識創造の重要性を意識しはじめています。結論からいえば、知識創造まで入れ、暗黙知まで入れて、今後の知識経営を採用しようという志向性だといえます。  一九九七年のデルファイ社の調査では「ナレッジマネジメントの狙い」としてまずあげられたのは「現存の企業の知識の整備」(六三%)でした。これはすなわち知識資産のマネジメントと解釈できます。しかし次にあげられたのは「暗黙知を共有するあらたな方法論」(三九%)で、形式知共有の方法論へのニーズ(二九%)を上回っています。これらはナレッジマネジメントの実践をつうじた知識経営のあり方からみて必然です。  筆者の参加しているカリフォルニア大学バークレー校での知識フォーラム(一九九七年以降例年開催)でも、参加者の共通理解として、暗黙知の重要性が指摘されています(当フォーラムについては「ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス」一九九八年一月号特集に詳しい)。主観的、経験的な暗黙知は私たちの知識そのものの根っ子にあたるものだといえます。IBMナレッジマネジメント・インスティテュートのプルーサックは面白いことを言っています。「(知識は)現場的で(local)、粘々していて(sticky)、状況によって変わってしまう(contextual)」のだというのです。  知識は暗黙知を根にして組織に生態している、というと南方熊楠の粘菌の話みたいですが、もちろん、そうやって観察しているだけではいけないわけで、暗黙知が形式知と補完し合い、ダイナミックに発展するような状況を生み出さないといけない。暗黙知の広がりも、形式知の展開もある、というのが知識経営の核になると考えられます。 暗黙知がカギになるビジネス  専門的で経験的な暗黙知がきわめて重要で、競争力の鍵となっている産業もあります。石油及びガス産業では、採掘エンジニアの地理的知識が油田の探索や採掘作業にきわめて有用です。そこでは地域の知識や直観(暗黙知)が重要であることが指摘されています。フィールド・エンジニアが顧客にコンサルティングを行なうときも、マニュアルや過去の知識ベースは大いに役立ちますが、それ以上に、彼らがその場で問題を体感し、発見・推量する知識が重要になります。  「ヒューマンヘルスケア」を謳う中堅製薬業のエーザイは、顧客である医師と患者の持つ知識や要求を把握しようと、集中的な訓練期間を設け、医療現場での共体験と対話を組み込みました。さらにこの現場で得た暗黙知をもとに、製品開発、サービス高度化を進めています。エーザイのこうした努力の差異はいろいろなところに現れています。たとえば同社の製品仕様書には視覚的な要素がふんだんに取り込まれています。それは患者に薬品に関する知識を伝達しやすいようにするためです。こうした構想と実践にあたっては、トップ自らが関与しています。同社では知識経営のための組織、知創部を設けてこうした活動を推進しています。  消費者向け製品では、ビール、嗜好食品などで暗黙知が大きなウェイトを占めています。それはブラウマイスター(ドイツのビール職人に関する国家資格)や料理人などの経験から伝承されたものです。近代のビール工業はブラウマイスターの暗黙知を形式知化して自動化生産を確立しました。依然として新製品・あらたな味覚はこうした暗黙知の蓄積から生み出されます。アサヒビールのスーパードライはこうした暗黙知からのイノベーションの一例でしょう。古典的な業種だけでなく、ソフトウェアのプログラミングなどでも暗黙知が重要だという点では共通です。  実は、企業の強み、他社には模倣のできないコンピタンスの多くの部分は、暗黙知からなっているといえます。ソニーのコンパクト化技術などはそうした例の代表です。これらは暗黙的要素が強く、単純にマニュアル化できるようなものではありませんが、その分、外部からは簡単に真似ができない。また、人に依存する部分が大きいが、個々人の知識だけからなるのでなく、集団や組織によって、それらの総和を超えるものとして集合的に保有されている。これらは、コンピタンスの暗黙知的な側面であるといえます。もちろん、すべてが暗黙知なのではなく、こうした基盤の上に迅速に形式知化、形式知を組み合わせるSECIプロセスを駆動させる必要があります。 自己を超えて発展するプロセス  知識創造スパイラルの躍動性にとって、もうひとつ重要なのが、自己(個人)、集団(チーム、グループ)、さらに組織が「自己発展」「自己超越」するという視点です。  こうした主観的問題は従来の経営理論の中では重視されていませんでした。しかし、知識、知識ワーカーが主役となるときに、個や個を単位とする集団・組織がその「存在」を発展させるということはきわめて大きな意味を持ちます。一般的なナレッジマネジメントでも人について議論はするけれど、人材活用の域を出ていなかったといえます。  よくいわれるように、知識ワークや知識ワーカーの生産性は、マニュアル労働とは比べられないほどの格差を示します。それは単に技能が高まるといったものではありません。知識作業においては「物の見方」や「視点」、「意識」といったきわめて主観的側面が結果を大きく左右するという事実にもとづくものです。視点・発想の転換がともなわなければ、単純作業、いつまでも同じプロセスの繰り返しです。ホワイトカラーの仕事と知識ワーカーの仕事はそういう意味で大きく異なります。  それらの主観的、認知的要素は、個人や集団の自己発展と深く結びついています。これが組織的に展開されるときに、SECIプロセスは大きな力を生み出すのだといえます。  共同化というのは、個人と個人の経験が共有されるプロセスです。同僚、部下、顧客、パートナーとのフェース・トゥ・フェースの時間・空間の共有、共感・共鳴・共棲です。ここでは、個人の暗黙知がぐっと膨らみます。ということは、このプロセスは、自己を越えていくプロセスだということになります。ある人の“知”ともう一人の“知”が共有されたときに、「私」は相手の中に「入り込む」のだといえます。相手もまた「私」の中に入り込む。このようにして共体験が生まれ、私は大きくなり、それまでの私を超えていくのです。  表出化においては、個のレベルの知識(暗黙知)が言語化されます。つまり、個が集まり、そこで共有現象が起きます。言語化されれば、その共有度は一挙に高まります。客観性を獲得するのと同時に、グループの中で“知”が「昇華」します。それは個とグループ相互の拡張です。  結合化のプロセスにいくと、既存の形式知やそれらを補完する情報とが組み合わされます。ここでは、それぞれのローカルな形式知を持つグループが、お互いにそれらを共有し合うことになります。組織的な共有と同時に組織的な知識移転が起きます。これはグローバルな、情報システムを介したサイバー・スペース(電脳空間)上の知識編集・構築といえます。これらをつうじて、またさらなる客観化、正当化を経て、これまでのグループの知識レベルを越えることになります。  最後に、内面化のプロセスでは、知識がもう一度、自分のものになります。つまり、組織的に客観化・正当化された知識が、ふたたび、実践に向けて個に向かいます。結合化はデジタル的な世界でしたが、ここではアナログ的な世界に展開されることになります。組織的知識創造に関与した個人にすれば、その「原体験」からはじまった思いが体系的な知識として企業で共有され、それが自分に戻ってきたという感覚を持ちます。これは、個、集団、組織それぞれがあらたに創造された知識を得て、拡張している状態だといえます。  このようにして、SECIでは、個人に発し、個人に帰るというプロセスが螺旋的に繰り返されます。  つまり、当初の自分の想いが、共体験(共同化)をつうじてことばになり(表出化)、コンセプトになる。それが集団に共有される(結合化)。さらにそれが正当化され、スペック、マニュアルに展開され、組織の“知”になる。それを実現するために全人員が、それにかかわった人が実践をつうじて、この“知”を自分のものにする(内面化)。その際、個人の存在は一周りも二周りも大きくなっている…。  ここでは個と組織は、従来の経営の概念におけるような対立項ではなくなります。知識創造プロセスを媒介にして、個は「我は我を越えて」いきます。これ(自己を超越することにつながる経営)がSECIプロセスの原動力となります。  SECIは単純な機械的プロセスではありません。知識創造という点で一番重要なことは、SECIの背後にある大きな目的意識、存在論だといえます。何のために存在するのか、いかにあるべきか、他社とは何が違うんだ、どんな理想状態をめざすのか。こういうところまでつながる存在論がないと知識の根本が崩れていってしまいます。  それは究極的には自己を越えた世界の“知”の追求です。その意味で知識というのは「真・善・美」を追求するものであります。 知識資産の経営  現在のナレッジマネジメントは、「知識資産の経営」の初期的な試みだということを前に述べました。ここでいう知識資産とは、企業が資産として活用可能な、暗黙知・形式知からなるさまざまな形態の知識として位置づけられます。  また今、知識創造の概要を述べました。これら二つ、知識資産のマネジメント(戦略的応用)、知識創造プロセスの推進が、ナレッジマネジメントをふくむ知識経営の動態的モデルの二大要素といえます。SECIの背後にあり、活用、再生、蓄積されるのが知識資産です(文献6)。  知識資産にはきわめて多くのものが考えられます。それらの多くは、従来の会計システムの枠組みでは明確に反映されてこなかったものです。しかし、産業や経営のパラダイムが変化している現在、従来の財務指標ではとらえきれなくなったといえます。  たとえば、商品自体が知識であるソフト産業、技術特許・ライセンスが雌雄を決する通信機器メーカー間の競争と協調、データベースを糧にビジネスを行なうグローバル物流サービス業、ソリューション(専門的問題解決)・ビジネスを強化するハードウェア企業、ブランド戦略を展開するグローバル企業、グローバルなM&Aに伴う企業間の製造システムの共通化…。いずれの場合も、無形の知識資産が競争や成長に決定的役割を果たします。こうした例がますます増えていますが、従来の特許戦略や知的所有権戦略の枠組みではとらえきれなくなっています。  最近ではアップル社のiMacをめぐる訴訟問題がその一例でしょう。iMacはカラフルな半透明のプラスティックで覆われたディスプレイ一体型パソコンで、設置のしやすさやデザインで話題になり、アップル社の回復にも貢献しました。日本や韓国の同機の類似商品メーカーが告訴されましたが、興味深いのは日本のある企業です。この会社はおそらく従来の意匠権の枠組みで「切り抜けられる」という判断(と確信?)で類似商品を導入したわけですが、結果はアップル社の勝訴でした。  アップル社の論点は、外形デザインでなく、iMacのイメージを類似商品が侵害しているというものでした。これは何を意味しているのでしょう。それは、iMacが市場において築いた知識資産を侵害している、ということです。したがって同社は意匠法では争わずにランハム法(不正競争の観点を持つ米国商標法)を使用しました。デザインというよりも、デザインをつうじて形成したブランド、製品に関する顧客の知識、パートナーとの関係。これらは知識資産とみなされるものです。それが市場での価値評価につながるのですから。  ファッション産業のようにデザイナーの創造性が価値の大半を占めるというケースもあります。マーケット(株主や投資家、顧客)もこうした側面を評価して、それが市場価値に結びつくという状況になってきました。最近ではミュージシャンが自分の潜在的知識資産(将来期待されるロイヤリティ)をもとに市場から資金調達するといった例も現れています。英国ではロッド・ステュワート、デビッド・ボウイなどです。みなさんがご存知のアーティストが「上場」する時代がやってきました。  こうした知識資産が、次世代産業においては、二〇世紀には産業の基本だったハードな資産に代わるものとして認識されつつあります。少なくともマーケットは敏感にそれを感じ取り、企業の持つ不動産や設備機械よりは知識資産を評価しているのだといえます。  企業の知識資産を企業価値経営のかかわりの中でとらえていく視点も不可欠となります。 知識資産には、さまざまなものがあると考えられます。 ●社員個々人の持つ知識・能力(ベテラン営業マンのノウハウなど) ●組織として保有している知識(個の総和以上のもの…製品開発・設計・製造の技術的知識やノウハウなど) ●組織の個人・集団のインタラクションで生まれる知識(問題解決力など) ●技術などの体系化された知識 ●特許・ライセンス・著作権 ●マニュアル、プログラム ●熟練技能、組織文化に埋め込まれた(暗黙的)知識 ●産業立地、パートナー企業と共有された知識 ●伝統的知識・社会的知識・文化的知識 ●顧客と共有された知識、顧客の知識 ●ブランド(商標)、デザイン(意匠)とそれらにより形成された市場での認識  もちろん、私たちの意図は、これらをつぶさに把握することではありません。知識と事業の関連性、知識と収益の関連を見つけ、有効な知識資産を特定し、開発のための投資や、活用のための仕組みづくりを設けることが狙いです。  どういった知識資産が重要かは、産業や事業の特性によって異なります。たとえば、重要な知識資産として顧客知を見る企業もあれば、顧客と対面する最前線の組織の現場知を重視する企業もあるでしょう。 知識は未活用・未整備の資産  残念なことに、多くの企業では、組織内に必要な知識が断片化して存在しています。それらの知識は適切な時と場に配置されていなかったり、組織の「壁」によって共有が阻まれています。ひとつの理由は、これまでの市場や製品の分類と管理志向によって形成された組織があまりにも複雑になっており、断片化が避けられなかったということがあります。これは個人の知識の場合にも、ドキュメント化された知識についても同様です。  このため、知識のマネジメントは困難で、多くの努力が要る、と認識されてきたともいえます。結果的には膨大な知識が意識的・組織的に活用されないままにとどまってきたわけです。  一方では、挑戦的な企業はすでに知識を戦略的に重要な「資産」または「資本」として認識し、積極的に活用しはじめています。その初期的試みが今、ナレッジマネジメントとして顕在化してきたのだといえます。  それらの知識は、社員個人に属していたり、顧客の内に、構造化されていない状態で存在しているかもしれません。また、社員個人でなく、集団や人の「つながり」がそうした知識を持っているかもしれません。トラスト(信頼)、ケア(配慮・思いやり)といったものもそうしたつながりの中に存在している知識資産だといえます。組織文化のネットワークとして中に埋め込まれたものもあるでしょう。あるものは、補完的に情報システム内に存在する、といった場合もあるでしょう。  さらに、こうした企業は、知識の質や価値を測る尺度を開発しようとしています。こうした試みによって、知識を知識資産として整理・保存・記憶し、維持しながら活用しようというのです。 知識資産の財務会計上の議論  〈資産〉というのは、そもそも、「事業活動に供されるものであり、利益の創出にとって不可欠な、企業独自の財産」(『会計法規集最新増補』中央経済社)です。  この考え方からすれば、企業の知識も明白に資産なのですが、知識資産は一般企業会計原則(GAAP)や商法上の枠組みでは認識されていません。いったん資産として見るなら、それは売却が可能であったり、課税の対象になるわけですが、こうした資産は無形で不可視です。  しかし、知識資産への注目の背景には、現代の先進国企業の経済的価値は物的資産だけでは決定されない、という認識があります。むしろ重要なのは、企業の総体的知力、ノウハウや経験知、技術、データベースなどの情報、顧客との関係、従業員の知識、プロジェクト・マネジメントなどのノウハウといった、無形で潜在的な知識資産や知的資本です。  知識経済においては既存の会計システムが不適切になるとも指摘されはじめています。それは、既存の財務報告が、製品開発をつうじて生み出された価値やその製品を市場化するための企業能力についてほとんど語っていない、というものです。決算書の貸借対照表では、従業員の知識や能力のレベル、技術やマーケティング、流通に対する投資は資産として見ていません。購入された知的財産はコストとして見なされます。内部で生み出された知的財産はそのうち、一部しか認められていません。他の無形の資産については事実上、まったく認められていません。  いうまでもなく、こうした問題は、これまでずっと会計専門家によっても認識されてきました。いろいろな試みもありました。けれども、知的能力をふくめて考えようとした初期の人的資源会計は失敗に終わったことが指摘されています。また、無形資産を測定して導入することは会計に不正確さをもたらすとみなされてきました。  とはいえ、現代の経営を眺めると、こうした無形で不可視の知識資産を低く見積もってしまったりすれば対投資収益などの財務比率に歪みをもたらします。逆に、こうした無形の資産に対するマーケットの過度の反応を見ぬくことができなくなり、経済の現実性に対する誤った見方をもたらすことはいうまでもありません。  企業が本当に価値ある知識資産を持っていて評価される場合もあれば、残念ながら評価されない場合もあるでしょう。他方では、単なる情報操作による利鞘稼ぎなのに、マーケットでの評価が高いために「実(知識資産)がある」と幻想を抱かれてしまうこともあるでしょう。きちんと観察していく必要があります。知識資産の豊かさと業績とを結びつけるシステム、論理が重要です。それが事業や製品の品質に寄与するか、相乗効果を生み出すような努力が行なわれているか、あるいは単に金銭的操作だけなのか。  現在までのところ、知識資産の考え方は企業内で活用されるレベルにとどまっています。したがって比較的自由な枠組みが提示されています。今後は、知識資産を現行制度で資産として論じるには、それぞれの企業のレベルにとどまらない議論が必要だとおもわれます。少なくとも企業内では、知識を資産として把握する際の基準は、以下のようなものと考えられます。 (1)収益性に貢献するか  〈内部的には〉知識資産を活用して価値を創造することができる、知識活用と創造の生産性を高めることができる。  〈外部的には〉知識資産にもとづく製品・サービスから収益を上げることができる、知識資産自体から収益を上げることができる。 (2)財としての価値を持つか  〈内部的には〉再投資により発展維持が可能、貸借対照表に載せる価値が認められる。  〈外部的には〉企業力を示す指標(市場における資産価値の認識)となる、資産として売却可能である。  以下では、知識資産を把握するための分類のフレームワークを掲げたいとおもいます。知識は不可視ですから、どのような枠組みや構造の網をかけるかを考えないと把握できません。  まず「知識資産はどこにあるのか」を見るための構造的分類の枠組み。知識資産はその獲得蓄積の過程として、いくつかのパターンに分かれます。次に「どんなタイプの知識資産なのか」。これは知識資産の形態、とくに暗黙知や形式知といった視点から見た場合の機能的分類です。それから、その企業の「知識ビジョン」やコンピタンスなどに基づいた意味的分類の枠組み、つまり、どのような意味を持った集まりで知識資産が把握できるかといったものです。 知識資産はどこにあるのか?(構造的分類)  これらの分類は、企業組織の中に潜む知識資産を把握し、議論し、活用するために重要な役割・機能を果たします。これは知識経営にとってきわめて重要なことですが、知識は分類・再分類によってその価値づけが変わります。  あるいは分類の善し悪しで知識資産の活用のしやすさまで変わってくるでしょう。また、以下にあげる分類のパターンは、それぞれに異なる意義や意味合いを持っています。企業がどのように知識資産を活用していくかという「戦略」によって、どの分類を重視するかも異なるでしょう。 (1)企業が市場活動をつうじて獲得蓄積した資産(市場知) ●顧客や流通の持つ知識(顧客あるいは流通がわが社・製品について持つ理解・経験) ●顧客・流通と共有する知識 ●顧客情報データベースにもとづく顧客の動態についての知識 ●市場において知的財産として形成されたブランドあるいは企業価値評価 (2)個の知識ワーカーあるいは組織として獲得蓄積した資産(組織知・人間知) ●組織内の従業員の持つ技術・製品についての知識 ●組織内の場(工場など)にかかわる集団が共有する知識(生産ノウハウなど) ●企画・製品開発などの知識 ●ドキュメントなど組織的に共有される情報にもとづく知識ベース (3)製品(モノ)にまつわる知識資産(製品知) ●製品に埋め込まれた知識 ●知的所有権 ●技術的知識 ●製品の提供に関する補完的知識  こうした知識資産の分類は、知識資産による戦略を考察するうえで重要です。  たとえば、市場知識資産は、顧客との関係の中で共有・維持される知識資産で、これは企業(事業)の成長や製品寿命の長期化、すなわち成長性に貢献するものと考えられます。  組織的知識資産は組織内の個人・集団の知識生産性、創造性、革新性に結びつきます。  製品知は、知識コンテンツの高い製品の提供をつうじて、製品やサービスの価値や収益性を高める際に重要な切り口となります。  企業にとってはいずれも重要ですが、企業の戦略あるいは目的(成長性、生産性、収益性)にしたがって、もっとも貢献度の高い知識資産は何かを考える必要はあるでしょう。 知識資産はどんなタイプか?(機能的分類)  知識資産には、暗黙知のウェイトの高いものも、形式知のウェイトの高いものもあります。こうした観点から、知識資産を分類したのが以下の四つのタイプです(図9参照)。これらは知識創造(SECI)プロセスとも深くかかわる分類です。 (1)経験的知識資産(経験・文化・歴史)…経験として蓄積・共有された独自の知識資産(暗黙知の占める割合大)  企業・事業の過去の経緯、市場での活動をつうじて経験的に生み出され、蓄積された知識資産を意味します。  その代表的なものは熟練的知識、言いかえれば組織のメンバー個々人が業務経験を経て蓄積した知識です。これには、顧客が企業の製品やサービスを使用して体験・学習した知識の蓄積も含まれます。また、流通メンバーや協力企業にも、こうした経験や時間の関数としての知識資産は蓄積されることになります。  その源泉はSECIの共同化(暗黙知から暗黙知を得るプロセス)です。これらの資産は多くが暗黙的で、個人の共感や体験など、人々や集団の情動に深く結びついたものです。そのため、組織文化であったり、生活文化の中に埋め込まれた知識資産だともいえます。たとえば資生堂は、福原義春会長トップ自らがさまざまな文化的発信を、著作活動などをつうじて行なっています。こうした資産は把握したり記述したりするのは困難だけれど、他の企業からは模倣されにくい、企業独自の深層的なコンピタンスを形成している資産です。 (2)概念的知識資産(コンセプト、ブランド、デザイン)…知覚・概念・シンボルなどの知識資産  ブランドなどの知識資産は、消費者や顧客の知覚に依存して成立する、概念的資産です。  つまり、人々がイメージしていてくれるから、社会的制度の中で位置づけられているからこそ、その価値が感じられるわけです。また、企業内で生み出されるコンセプトやデザインも、組織メンバーの知覚において成立している概念的な資産です。ブランドはその知覚に支えられた品質やシンボルによって収益を生み出します。代表例は先述のコカコーラやアップルです。  これらの多くは、形式知化(表出化)によって暗黙知まで含めた知識資産の価値を表現しているものです。また、たとえば、組織のメンバーの持つ製品やサービスの品質に関する知覚能力(審美眼、感度、センスのよさ)は、重要な組織的能力であり、しばしば組織風土や文化の中にまで埋め込まれています。 (3)定型的知識資産(ドキュメント、マニュアル、フォーマット)…構造化された知識資産(形式知の占める割合大)  前二つのカテゴリーが、どちらかというと暗黙知のウェイトが高いのに対して、定型的・構造的なカテゴリーの知識資産、つまり、明文化された技術や製品仕様、マニュアル、ドキュメントなどは、形式知が主体の知識資産です。また、登録された顧客の情報内容など、特定のフォーマットに還元された知識は構造化された知識資産と呼べます。また、ライセンスや特許など法的に保護される知識資産はこのカテゴリーに入るでしょう。  以上に共通した要素は、これらが文書やデータなどのカタチをとって定型化・構造化されているという点、そしてそのことによって「移動可能」な知識資産となっているという点です。  狭義のナレッジマネジメントもこの定型的知識資産を元にしたものだといえます。ただし、あくまでも知識は情報とは異なります。そこには、ドキュメントを活用したり、共有するための補完的情報や仕組み(ネットワークなど)が必要になります。 (4)常設的知識資産(実践法、プログラム、ガイド、教育システム)…組織的制度、仕組み、手順で維持された知識資産  第四のカテゴリーは、SECIプロセスの内面化を支援し、そこで活用される知識です。  実践法、学習プログラムや教育カリキュラム、あるいは実験やシミュレーション・システムなどがそれにあたります。GEの研修制度などは、つとに有名です。  これらは、制度や仕組み、システムが支えているタイプの知識資産です。これらの内容は、内面化すべきコンテンツと、そのための手順からなります。たとえば、顧客とのネットワーク(消費者モニター、オンラインネットワークなど)とそれらから得られる知識のストックは、購買プロセスと結びついている、市場における知識資産です。組織内では、教育プログラムや研修制度そのもの、あるいはその内容が常設的知識資産であると考えられます。  これらに共通するのは、現場・実践のための知識資産であるという点です。こうした知識資産は、組織制度や外部構造に維持されて、内面化の次のプロセスである共同化を促進するものともなります。顧客との対話の接点、同僚やパートナーとのフェース・トゥ・フェースの機会を創出支援するのがこうした知識資産の役割のひとつともなります。 知識ビジョンは何か?(意味的分類)  こうしたプロセス的な視点、あるいは知識の二つの側面(暗黙知・形式知)でみた知識資産は、組織内の潜在的な知識の「生態系」を浮き彫りにするのに不可欠です。以上は知識資産が「どこにあり」、「どのような属性、形態か」といった分類でした。一方、企業がどのような知識資産を有しているかを、その意味的分類で見ていく場合もあります。これに定型的な分類はなく、ケースバイケースです。  ただし、それは企業の知識に対するビジョンや、いわゆるコンピタンス、知識ワーカーの業務についてのメンタル・マップなどを前提とします。  たとえば、ある企業では知識資産を図書館の本の分類項目のように自然科学のカテゴリーで分類するかもしれません。あるいは、他者より強みのある領域にはそれだけ詳しく、深く分類が行なわれるかもしれません。また、技術や市場、顧客に関する知識でなく、業務手法などに詳しいという場合もあるでしょう。こうした意味的分類は、知識資産を実際に活用する際に重要になります。  知識マップは、視覚化された系統樹、ネットワーク図などによって表現することが可能です。筆者の『知力経営』(一九九五年)では、次のような意味的分類をあげました。 ●「図書館的」分類 ●ヒエラルキー型分類 ●要因分解型分類 ●生命系統樹型分類 ●ネットワーク型分類 ●時系列的分類 ●マトリクス型分類 ●二項対立 ●文化コード型分類 ●パターン分類  こうしたマップは知識資産を把握し、適切な投資や活用の方法を考えたり、あるいは教育・人材開発、業務遂行のナビゲーション役を果たします。これには、研究開発や外部知識資産調達のための政策方針、従業員の知識・能力分布、意味情報データベース活用の際の図書分類にあたるようなものまで、いくつかのレベルや表現がありえます。  知識資産のマネジメントにおいては、こうした分類や構造が固定化してしまわないことも大事です。意味内容、特性、文脈の再認識、再分類が常に重要だといえます。 知識マップの作成  以上のような枠組みを使って、企業の知識経営の要求に沿って知識資産を明らかにしたのが知識マップ(Knowledge Map)だといえます。知識マップは、企業がその知識資産を把握し活用する際のガイド、あるいはナビゲーターの役割を担います。  知識マップの形態はさまざまです。基本は知識ワーカーが知識資産にアクセスする際に、何を手がかりに探っていくのかを構造的に表すことだといえます。たとえば顧客別の知識を知りたい、専門知識を深掘りしたい、特定の知識について知っている人にアクセスしたい、現在の業務プロセスに必要な特定の知識を活用したい、といった要求、あるいはその背景にある問題意識をもとにして構成されるのが望ましいといえます。例をあげれば、 ●業務遂行領域(ワーキング・ナレッジ)と専門知識サポートの領域(参照ナレッジ)を分ける ●ビジネスプロセス、顧客、業務知識、など、業務実態に応じた分類とする ●専門領域の知識を図書館の分類表のように整備する ●顧客の視点からサービス領域をアイランド状に布置する これらの知識マップを何のために使うのかも重要です。知識開発戦略(R&Dなどのポートフォリオに近似)、人材研修(コンピタンシーマップに近似)、知的業務サポート、プロジェクトチーム・サポート、ドキュメントマネジメント・システムのデザインなど、どのレベルで利用するかを明らかにする必要があります。知識資産マップの作成には、いくつかのステップが想定されます。 (1)組織内や顧客との関係でどのような知識が活用され、「流通」しているかを観察する  市場や顧客との関わり、組織内部、製品やその周辺の知識がどのようなもので、どのように使われているか。組織内には形式知化されている知識もあれば、特定の個人・グループ・部門が知識の棲息の場である場合もあります。いわゆるデータベース的なものもふくめて組織や部門が活用している知識を洗い出し、その創造・共有・維持についての問題を抽出します。 (2)企業や事業にとって重要とおもわれる知識を大ぐくりに定義する  組織能力のレベル、ビジネスプロセスのレベル、顧客に対する日常的な業務のレベル、あるいは競争の局面で重要とおもわれる知識資産をリストアップする。ここでは、形式知だけでなく、暗黙知的な側面も考慮に入れる必要があります。また、知識ビジョンとの合致はどうでしょうか。 (3)知識資産の分類を作成  目的とする知識資産活用の視点にたって分類をおこなう。これはツリー図であったり、ネットワーク図であったりさまざまですが、知識資産がビジネスにとってどのような意味や価値を持つのかを理解するモデルを描くことです。これは活用の仕方が何かによっても制約されるでしょう。 (4)知識資産の把握の方法、測定が必要な場合は測定の方法を仮説する  前ステップで挙げられた分類項目について、測定が必要か、可能かを考える。具体的・客観的な尺度が使える場合もあるし、定性的にならざるを得ない場合もあるでしょう。また、数人のグループで評価できる方法も、組織調査を要するものもあるでしょう。 (5)仮説に沿って初歩的な活用を行なう  知識資産マップは基本的にローリングで作成していくべき性格のものです。まず実践的に活用したり測定を試みる。初期ユーザーを対象にプロジェクトチームを活用するのが得策でしょう。 (6)どのようにすれば知識資産をつうじた効果を高められるか検討する  組織制度の問題、組織文化、情報環境の再考など、さまざまなものがありえます。 (7)フィードバック  実際の業務における観察、特定の成果尺度によって知識資産マップやその活用のモデルを再評価する。以後これを繰り返す。 知識資産の測定  知識資産は無形・不可視のものです。そこでは、何らかの尺度で把握しようというニーズが生まれます。  知識資産を代替的指標で表現して、時系列的変化を見る、というのもそのひとつです。従業員構成上の専門的知識層、彼らの学歴・業績などに表現される知識領域や資格、などの年次変化はそうした尺度のひとつでしょう。知識ワーカーの活用するドキュメントデータベースの規模、教育研修の延履修人数なども、単純ですが、代替指標のひとつです。  知識マップに応じて、どこにどのような知識がどのような割合で分布し、変化しているかを従業員の知識やデータベースなどで見ていけば、知識資産の概要がつかめることでしょう。知識マップを構成する小分類の知識ごとに、一体どれくらいの投資を行ない、そこからどれくらいの利益や成果を得たか、まで把握できれば、知識資産の活用・開発にはたいへん有効となります。  知識資産のもたらす効果や利益をより具体的な経営数値で表すことができれば、企業価値やEVA(経済的付加価値)と知識資産を結びつけることが可能になります。  さらに、現在の知識資産も重要ですが、未来のあり方も重要です。つまり、知識資産を静的にとらえるだけでなく、動的に、今後の発展もふくめてとらえていくことです。現知識資産を貸借対照表に準じて数値化できても、それだけでは過去の知識の総決算でしかありません。そこで、知識資産の測定はプロセスで行なっていく必要があります。  知識資産の測定にはいくつかのアプローチがあります。要約すると、次の三つが代表的なものとおもわれます。 (1)特定の知識資産を対象とする(焦点型)  競争上あるいは利益貢献上焦点となる知識資産を対象にして測定、および活用、開発の仕組みを設ける。たとえばダウケミカル社のテクノロジー・ファクターなど。 (2)知識資産を構成要素にブレークダウンして測定する(要素積上型)  知識資産の構造やフレームワークなどを設定したうえで、それぞれの部分を代表する代替的指標を測定する。無形資産の担保価値を明示する場合、投資リスク判断を行なう場合など。たとえばスカンディア社やカナダ帝国商業銀行など。 (3)企業の総知識資産を企業価値として測定(総合型)  貸借対照表に表れない企業の知識資産の市場価値として時価総額で代用したり、qレシオ(=株式時価総額÷純資産)などの方程式を使用する。こうした総括的な知識資産の経済的作用を把握し、経営政策や利益創出のために活用する。  「焦点型」の例であるダウ・ケミカル社は、膨大な未使用の知的資源に気づき、その活用と利益転換を目指しました。同社の場合、研究領域、あるいは特定の技術要素を知識資産あるいは資本ととらえました。背景にあったのは知識資産の投資効率の最大化、あるいはライセンス収入の増大といった課題でした。彼らはこのために独自の方法を編み出しました。  化学やプラスティックの要素技術について、キーマンに面接を行ない、それぞれの技術の収益貢献度合いで価値を把握するのが出発点となります。これは「テクノロジー・バリュー」と呼ばれます。ダウ・ケミカル社の知的資産及び資本マネジメント担当ディレクターのゴードン・ペトラッシュは、六つのステップからなる把握・評価を提案しています。  「要素積上型」のアプローチ例としてあげる北欧の金融・保険サービス会社、スカンディア社はバランスシートに対する挑戦的試みを行なっている企業の一つです。同社はすでに一九九四年の企業年報の補足版に自社の知的資本の報告を記載しています。そこでは、従来の会計手法では測れなかった「隠れた資産」が物質的な資産よりもより大きく、未来への投資対象だということが標榜されました。同社は五つの領域で代替的指標を掲げ、企業戦略との関係において知的資本を浮き彫りにしようとしました。(スカンディア社「企業年報別冊」より) ●財務フォーカス—資産、従業員あたり資産、資産あたり収入など ●顧客フォーカス—市場シェア、口座数、顧客喪失率、顧客満足度、顧客への訪問日数など ●ヒューマン(人的)フォーカス—リーダーシップ、権限委譲などの指標 ●プロセスフォーカス—総資産あたり管理部門費用、収入あたり管理部門費用、従業員あたりパソコン台数など ●改革・開発フォーカス—従業員あたりコンピタンス開発費用、顧客満足度など  「総合型」は、知識資産が時価ベース企業価値に反映される、という視点から、総合的な企業の知識資産をとらえようとするものです。そのひとつは、知識資産・知的資本の企業総価値を把握し、そのうえで投資に対する利回りを示そうとする試みです。  『フォーブズ』誌の記者、トーマス・ステュワートも、著書『知的資本』でスカンディアのケースを紹介していますが、同じく「トービンのQ値」、いわゆるqレシオを用いて知的資本の投資あたり効率を評価する例をあげています。qレシオは、経済学者J・トービンが考案した概念から生まれたものです。  もしも企業の株価がその正味資産価値だけで評価されたときにqレシオは1になります。1より低い場合は、企業はその有形資産以上のものを生んでいないといえます。1より高い場合は、市場は企業の有形資産以上の何らかの資産を評価している、つまり無形の知識資産を評価しているといえる、という主張です。「qレシオが1より小さいなら知識資産が貧困」、あるいは「qレシオが1より高いなら知識資産が豊か」ということです。企業の物理的な資産を除いた時価がどれくらいであるかを知るためには有効な指標のひとつであるといえます。 ナレッジマネジメントの投資対効果  以上とは多少異なる位置付けですが、知識資産測定に関連するものとして重要になるのは、ナレッジマネジメント・プロジェクトやそのための情報システムの投資対効果です。それが情報技術にかかわるものであれば、システムの評価は、従来のITシステム導入のROIに近いものとなるかもしれません。しかし、企業が一連のナレッジマネジメント活動に投資したものがどの程度の見返りを生むのか、についての評価となると多少複雑です。  少なくとも、産業としてナレッジマネジメントや何らかの知識プログラムが有効なセクターがあることも指摘されています。テルテック社の調査では、化学、航空、電子などがトップ・スリーでしたが、一般的に化学、製薬、ハイテク、専門的技術製品などではROIが高いと理解されています。また、プログラムが導入される部門部署でも、たとえば研究開発、製品企画部門など、知的集約度の高いセクションで効果が見えやすいともされています。これは、知識資産のもつ重要性からみれば当然のことといえます。  この数年、ナレッジマネジメントがブーム化する中で、個々の企業内では明確にナレッジマネジメント・プロジェクトに対する投資がどれほどの成果を生み出すかについては詳細には議論されませんでした。「〇〇社がナレッジマネジメントを導入して××億ドル経費を削減した」とか「サイクルタイム短縮によって△△億ドル相当のメリットが生じた」といったメッセージは聞かれましたが、おおかたそれらは全体の活動の一部であったり、対外的数値であったりしました。  そのひとつの理由は、ナレッジマネジメント活動の多くが企業戦略や組織文化の変革と結びついていたということです。そのため、トップや役員クラスからの、予算面をふくむサポートが厚く、どこからどこまでが内部変革のためのプロモーションで、どこからが正味のナレッジマネジメント・プロジェクトなのかが不明瞭な部分がありました。しかし、ナレッジマネジメントが定着するにつれ、これらの構造を明らかにして、投資対効果を見ていこうという動きが強まってきました。  ナレッジマネジメントの先行企業が学んだことのひとつは、ナレッジマネジメントに対する投資の規模が効果(経済的)とは必ずしも相関しない、ということです。  つまり、ナレッジマネジメントをブーム的に手法として導入するのでなく、自社の状況に照らし合わせて入念に、「知識経営」の視点で行なっていくことがなければ成功につながらない、ということです。あたり前のことです(do things right)。  そこでは次のような視点で投資対効果を見ていく必要があります。 ㈰何に投資しているかを明確にする(単にデータベースを作るのではない) ㈪全社的な展開構想も大事だが、現実的問題への対処を忘れてはならない(どのような知識問題に対応するナレッジマネジメントか) ㈫測定尺度についてよく議論する(マネー、なのか、知識ワーカーの生産性、成長、意思決定の価値、知識資産の増大なのか、など) ㈬暗黙知の側面も考慮に入れる(つまり、全社的共通指標を強引に当てはめないこと。前述のごとく、IBMのプルーサック曰く、知識は「現場的で、粘々していて、状況次第」) ㈭モデルでとらえる(一番相関の高い他の指標は何か、たとえばナレッジマネジメントへの投資は従業員満足度、サイクルタイム、エラー率といったどれに関連が強いか) ㈮自社の業種とのかかわりを認識する(知識産業、知識コンテンツの高い製品・サービスの方が相乗効果は生まれやすい) ㈯未来への投資であることを認識する(長期的ROIや知識資産への投資を長期的にとらえる姿勢) 知識経営のダイナミクス  知識創造プロセスと知識資産活用の創造的循環は図10(表7)のような六つの流れで見ることができます。知識資産活用プロセスと知識創造プロセスを「場」を介してダイナミックに連動させることが、知識経営の基本的枠組みとなります。  知識経営とはこうしたモデルに沿って、知識創造と知識資産のダイナミクスを引き出す、知力に基く経営です。これらのうち㈫が最近ナレッジマネジメントとして顕在化している領域(蓄積された知識資産の共有・移転・活用)だといえます。繰り返しますが、ナレッジマネジメントは知識経営への初期的取り組みです。  ただし、現在のナレッジマネジメントが必ずしも唯一の入り口ではないのも事実です。知識創造プロセスのイニシアティブをとりながら社内での知識啓蒙を行なうなど、組織全体のダイナミクスを喚起することが、結果的に知識共有につながり、相乗効果を生み出すというケースもあります。  こうした知識経営のダイナミクスは、単なる形式知の共有や情報検索の仕組みといったものからは生まれません。暗黙知も含めた組織的な意識付け、組織のデザイン、すなわち「場づくり」によるところが大きいとおもわれます。 知識経営への取り組みの契機  知識経営は、企業が知識を糧に、次世代の産業空間の中でどのように繁栄するかという挑戦ですが、積極的に取り組みはじめる具体的契機には、さまざま考えられます。  共通しているのは、企業の現在・将来の収益源泉としての知識や知識資産のメリットに気づいているということです。裏返していえば、既存のハードな事業資産だけでは、今後の成長や収益拡大に限界があるという認識です。 (1)事業変質の閾《いき》値《ち》  IBM、ヒューレット・パッカード、ユニシスのような情報産業の場合、売上げの半分以上がハードでなく、サービスからもたらされるようになったという変化が背景にあります。  現在こうしたソリューション・サービスに移行した情報サービス業では売上の六割近くがソフトウェア、サービス、コンサルティング、アウトソーシングなどから構成され、ハードウェアの売上を規模でも成長率でも上回るようになりました。  こうした事業構成比率などの閾値を超えると、急速にナレッジマネジメントに関心が高まります。これらの企業では、当然サービス(すなわち問題解決、カスタム化、ソリューション、コンサルティングなど)を支えるための知識ベースが不可欠となります。  これは業種を問いません。流通業や従来の枠組みでのサービス業においても収益の源泉としてのサービス活動の比率が高まっています。最近産業のサービス化が盛んに叫ばれていますが、そもそも「サービス化」というのは、知識資産の活用が大前提となります。誰も知識に裏付けられていない顧客サービスなど受けたくないでしょう。  自社の製品が知識コンテンツ比率の高い、知識ベース製品となっている場合もこれにあたります。たとえばGEの医療サービス事業。あるいはソニーの動物ロボット「AIBO」や「ファービー」(言語学習するペット玩具)のように、顧客との相互交流をつうじて学習する、という製品の事業などです。これらの企業では、知識の観点から自社の事業領域の変革を考える段階を迎えているといえます。  事業や製品内容の変化が、閾値に達していない(あるいはそうした変化を認識していない)企業や産業では、ナレッジマネジメントはリアリティを持たないといえます。 (2)効率化(知識ワークの生産性)への要求  製薬業界やバイオ、化学業界のように、研究開発を中心とするイノベーション(知識創造業務)費用や時間が膨大にならざるを得ない業種では、効率的知識創造・活用の仕組み確立は急務です。また、コンサルティング会社はイントラネットでノウハウ共有を図り、知識活用の効率を高め、生産性や提案力、スピードを向上しようとしています。こうした動きも知識のマネジメントによるコスト削減や効率化の一環です。  こうした要求が高まるのは、グローバルな企業間競争の激化、競争サイクルの短縮化、従業員の流動性の高まり、などの外的圧力です。知識資産を活用することで、重複を減らす、効果的ノウハウを持った拠点を増やす、提携などをやりやすくする、といった効果を期待するものです。 (3)知識資産の利回りの向上  研究開発戦略を見なおしたときに、投資に見合った十分な市場での成果が他社並に生み出せていない。技術企業として認められているのに、市場でのリーダーシップが築けていない。こうした気づきは別の契機となります。  たとえば技術特許資産を多く持ちながら新製品が生まれていないといった例です。そこで、未活用の眠れる知識資産、あるいは、組織内に断片的に存在する知識資産の活用を目的にして知識のマネジメントを試みている企業もあります。  先述のオティコン社では、組織の壁を取り払って、資産の結合と効率的活用に向けた企業革新を行ないました。これとは逆に、自社の「コア・コンピタンス」を明確にして、要は関係の薄い知識資産を売却、外在化するというのは、異なる視点ですが、知識資産の利回り向上策のひとつです。これは現在の多くの日本企業にあてはまる状況ではないかとおもいます。 (4)知識資産からの収益期待  ソフトウェアや著作物、ノウハウ、ライセンスなど、コンテンツが商品となっている場合、知識資産と収益を直接結びつける仕組みや、より優れたビジネスモデルを求めることは当然のことです。ダウ・ケミカルのように、より積極的に研究開発によって生み出された技術のライセンス収入を高めることが目的になることもあります。  また、メディア業界においてはメガ連携がきわめて盛んです。既存の形態だけではコンテンツ収益に限界があり、一方、インターネットを活用したグローバルな流通は大きな可能性を持っています。九〇年代初頭のディズニーによるABCテレビ買収(一九〇億ドル)、独ベルテルスマンによる出版社のランダムハウス買収、最近ではバイアコム(ブロックバスター・ビデオ、出版社のサイモン&シュスターをすでに買収した)によるCBSテレビとの合併(三六〇億ドル)。  自社の知識資産を糧に資金調達を行いたいと考えることも重要な契機となります。他方では、金融業やベンチャー・キャピタルは従来の有形資産の担保化に代わるものとして知識資産を社会的に認識させ、事業活動の範囲を広げようとしています。 (5)知識社会へのビジョン(トップのビジョナリー)  これは一見漠然としている理由です。単なる流行追随ともとらえられがちです。しかし、これは長期的視座に立って知識のマネジメントに取り組もうという場合に不可欠の視点だといえます。  これは概ね、企業トップのビジョナリーとして顕現しています。たとえばビル・ゲイツが「思考スピードの経営」といったりするのも、IBMのe-businessキャンペーンもこうしたビジョナリーのひとつです。二一世紀が知識社会であり、その市場のビジョンを見通せる企業やそのトップの存在は知識経営に向かううえで重要な要素だといえるでしょう。 第4章 「場」をデザインする 「場」とは?  繰り返しますが、知識を創造するプロセス(SECIですね)と知識資産の開発・活用・維持。これら二つは知識経営やナレッジマネジメントを構成する基本的成分です。  ここで、もうひとつ重要なものがあります。それはすでに何度か意識的に使ってきた概念である「場」(Ba, place)です。本章ではその意味合いについて触れたいとおもいます。  まず、定義してみるなら、「場」とは、 --------------------------------------------------------------------------------  共有された文脈—あるいは知識創造や活用、知識資産記憶の基盤(プラットフォーム)になるような物理的・仮想的・心的な場所を母体とする関係性 -------------------------------------------------------------------------------- といえます。これでは何だかわかりませんが、言いたいのは「文脈」と「関係性」です。みんなが集まって知を創る、その場です。ここでいう文脈は英語でいうとコンテクストですが、その場にいないとわからないような脈絡、状況、場面の次第、筋道などを意味しています。それにその場にかかわる人々の関係性。これらが、組織やコミュニティの個々人が集う場所、情報を交換するような場所(仮想空間までふくめて考えてください)において形成される。それが実は、知識の共有や創造にとってなくてはならないものだ、ということです。「何だそんなことか」と思われるかもしれません。  こうした「場」は、日常の企業活動のさまざまな局面で現象として観察できるものです。たとえば組織内部の物理的・仮想的・心的「場」、ミーティングルームやプレゼンテーションルーム、電子会議室など、内外の人々が相互に融合していく「場」、顧客あるいはサプライヤーとの経験共有などの外部の「場」が含まれます。さらには、仮想的な「場」であれば、「場」どうしのネットワークという視点も重要です。  実はこれらはあたり前の情景なのですが、知識経営の実践には特別の意味を持ちます。  場が重要な訳は、知識の特性を反映したものといえます。物質的な資源とは異なり、知識は無形だからです。  つまり、適時適所において、活用されなければ知識は価値につながらないのです。知識は状況・場面・空間との結びつきが大きい。知識という資源を活用するには、ある空間の、ある時点にそれが使えるようにしないといけない。この「場」という、時間・空間・人間の関係性において、知識が共有され、創造され、蓄積され、活用されます。知識資産の活用プロセスと知識創造のプロセスをダイナミックに結び付け、連動させるための媒介となるプラットフォームが「場」なのです。 -------------------------------------------------------------------------------- 知識経営=f場(知識資産、知識創造)…(知識経営は場の関数) --------------------------------------------------------------------------------  もともとここでいう「場」は現象学などの分野で研究されていました。物理学などでも場(field)は概念として使われますが、物理学の場合には実体の空間を意味し、そこで何らかの現象が生じるという考え方です。たとえば、磁場などです。それが生物の生活圏という意味に広がったり、心理学での生活空間などの意味にまで広がっていったものです。  ここでいっている場もこうした物理的、生態的空間を含みます。ただし、それは構成要素であり、重要なのは物理的空間よりは社会的な関係性、人々やグループ内で共有される知識の文脈です。したがって日本語の「職場」(workplace)として使われる「場」に近いものといえます。  「場」の概念は、知識経営を考えるうえで、いろいろなレベルでかかわります。以下では次のようなことに簡単に触れてみたいとおもいます。 ●「場」は、組織の中に多様に存在していて、個々人の知識を共有したり共同で知識を創るための(文脈の)結節点になる(これにはいくつかのパターンがあって、知識経営のモデルを描くことができる)。 ●「場」は物理的オフィス空間からサイバー・スペースまでを貫く概念であり、複雑な現代的職場環境のデザインの重要な切り口になる。 ●「場」は知識経営における情報技術活用のコンセプト、指針となる。 ●「場」の考え方は組織内部にとどまらない。それはグローバルに活動する企業が場所や立地をどのようにとらえるか、という意味で見逃せないものである。 ●知識企業の組織は古典的企業のそれとは異なる。組織デザインの基礎(基本単位)となるのが「場」である。 ●以上のような「場」についてよく理解し、デザインし、駆動させることのできる能力がこれからの企業のリーダーシップには重要な資質となる。 知識との深いかかわり  物理学の場がどちらかというと客観的な観察の対象となるのに対して、ここでの場は主観的な側面が大きいともいえます。場に関する哲学的・現象学的考察はハイデガーやフッサールなどにも見られます。また、近代日本の代表的哲学者である西田幾多郎の「場所の論理」は、私たちの実在の根底を直覚的な自己のいることに置くものとして、場の概念に深さを与えるものとおもいます。場は「経験の生まれたところ」として理解されるといえます。さらに場の概念は、清水博(金沢工業大学教授)を中心として、より科学的に理論化されつつあります。  場は知識の成り立ちと深くかかわります。知識には、暗黙知・形式知の両面があります。暗黙知は身体的・感覚的な環境との交わりから生まれ、やはり身体的共経験を介して伝達されます。したがって、暗黙知は本質的に「場」とは切り離せないものです。形式知はその暗黙知から言語化されます。知識がこうして生まれる形式知と暗黙知の双方によって成立するなら、知識の活用や創造にとって「場」は根本的要素となるはずです。  実際のところ形式知も、その知識を持つ個人、その背景にある状況や文脈と一体になっています。したがって、形式知の移転・共有にはこうした関係性や文脈を意識しておかねばなりません。それが「場」の重要性につながることになります。  知識の根っ子は主観的で経験的な暗黙知で、それを形式化、構造化した形式知までふくめて、知識はきわめて人間依存のもので、それは情報とは異なります。では、知識は外部に伝達されたり、記録できないかというとそうではなく、さきほどから出ている、知識の文脈、状況を補うことではじめてそれが可能になります。  この文脈だとか状況だとかを与える際に、私たちはそれを通常「場」をつうじて行なっています。一般的にいうと、場あるいは場所というのは極めて重要であり、私たちの生活に対してコンテキスト(脈絡)と意味を与えるものです。このように、情報と知識をつなぐのが場です。この場をうまく展開することで、単なる情報共有と知識共有や活用との差異が出てくるのではないかとおもいます。  これまでも、「チームの作り方」「会議マネジメント」「人間関係スキル」「ワークプレース・デザイン」など、さまざまな切り口で、こうした場にかかわりのある方法や技法は論じられてきました。しかし、知識経営においては、場の問題は個別の機能やテクニックにとどまらず、経営の根幹にあるものだと位置づけられます。従来の方法や技法はあくまで、極論すれば、二〇世紀の古典的階級組織内での集団作業の調整が基本でした。  知識経営における場は、組織そのものの成り立ちを左右する基本単位です。たとえば、休憩室での肩の張らない仲間同士の雑談や、顔色を見ながらの顧客との対面からはじまって、プロジェクト・ミーティング、グループウェアや電子メールを介した集合作業、社内や顧客に対するプレゼンテーションに至るまで、こうしたすべてが知識経営においては価値生産の現場となります。その重要性を見過ごすことはできません。 場と知識創造  ある企業の取締役は自分が煙草を吸わないのに喫煙室に入って社員の雑談に加わりたがります。  別の企業の会議室はほとんどが社内用に配置されていて、奥の院のような場所にあります。ところが実際のプロジェクトの会議では社員の数より社外の人間の方が多く、皆が不便を感じています。こういう例は多そうですね。  あるプロジェクト・チームは、電子メールやグループウェアだけでなく、自宅から自由に資料を共有できるシステムを必要としていますが、企業のシステムはファイアウォールでブロックされています。  こうした問題を放置しておくのでなく、意識的に変革していくことで、知識ワークの成果は著しく向上します。これは企業内の場にとどまりません。もっとも重要な場のひとつは顧客と経験を共有する場です。  すなわち場は、SECIプロセスを実際に駆動させる媒介、触媒となります。企業がどのような会議室を用意するか、休憩室のデザインをどのように考えるか、プロジェクト・ミーティングの運営についてどの程度心を砕くか、が、SECIプロセスにエネルギーを与える大きな要素になります。同時に、場は、このプロセスで活用されたり、蓄積される知識資産の行き交うところでもあるのです。  場はSECIプロセスを駆動させる、知識ワーカーの自己発展にも重要な役割を担います。  今世紀初頭のロシアの心理学者ヴィゴツキーという人は、個が精神的に発達するということは、そもそも文化的な発達なんだということを言っています。発達は、精神間の相互作用の過程から、精神内への作用へと移行することによって生ずるものだという。つまり、他者との外的な関係から出発して、自分自身の内面の精神的相互作用へ向かう、という過程です。また、その過程では、当初よりも高次な精神の働き(自己超越的発展)が生まれるという。  こうした動きを内蔵した場が知識にもとづく経営の根幹にあると、本当に革新性に満ちた企業が生まれるのではないかとおもいます。  ここでおもいおこされるのはホンダです。ホンダでは製品開発チームが歯に衣着せぬ議論、いわゆる「ワイガヤ」を意図的にやることで知られていますが、その議論の場で、議題の本質を問うようなことをします。たとえば、これ(新製品開発)自体にどんな意味があるのか? といったような。SECIプロセスは個の内面の動きでなく、個・集団・組織の社会的なダイナミクスを説明していますが、個の部分を取り上げればこうした過程が進行していくわけです。  そこで、場は文化的条件、相互作用のための環境という役割を担うものとおもわれます。場は、個を触発するものであるのと同時に、個が組織に触発を与える、動的な双方向の意味的システム(semantic system)であるといえます。  その意味的システムの基本単位は言語です。知識創造、イノベーションを志向する企業は、場において用いられる言語の質に意識を払う必要があります。また、モノや記号を介した非言語的言語も含まれます。したがって、創造的オフィス空間、伝統的・文化的な意味を持つ環境との接触、デザインの効果的利用も配慮すべきもののひとつと考えられます。 場のタイプ  知識経営における場にはさまざまなパターンがありえます。場の様態は、少なくともSECIに沿って四パターンに分類されます。  共同化を促進する「場」もあれば、表出化を支援する「場」もあり、結合化を支援する「場」もあります。フェース・トゥ・フェースの共感・共鳴の場だけでなく、そうした文脈を客体化して知識創造を可能にするような仮想的空間も重要です。また、機能的に形式知が共有、編集されることが求められる場合もあります。  筆者は、共同化に対応した「場」を、創発場(Originating Ba)と呼んでいます。顧客との接触の場、あるいは社内でのトップの歩き回り、休憩室や喫煙室での雑談、あるいは、アフター・ファイブのパーティなどが、そうした機能を果たす場合もあるでしょう。それは経験、思いなどの暗黙知を共有する場です。  ここでは「個」と「個」の対面、共感、経験共有が基礎になります。創発場は主観が支配する場です。ハイデガーや現象学が指摘するような、時間・空間の同時性がカギになります。さらに、そこでは、対面する個と個の主客の一体化、相互の棲み込みが起こるといえます。  共生場では暗黙知の移転が起こりますが、完全に非言語の世界というわけではなく、「物語」「エピソード」「手柄話」といった情報交換が暗黙知の共有・移転を促します。仲間との砕けた話は、知識共有の媒介となります。そういう意味では、こうした物語を誘発させるような「劇場性」が求められるものとおもいます。  また、特定の場所を記憶の手がかりとして、時間を隔てて、個人間の暗黙知が共有されるのもこのパターンに含まれます。たとえば、芭蕉が句を読んだ景勝を訪れて共感を得る、といったものから、作家の部屋、達人の部屋に入ってその人の暗黙知を得る、古い工場に入って職人の技能の深さを知る、といったようなことを私たちは経験します。どれくらいこういった認識ができるのかは個々人の感性に依存するでしょう。  しかし、場所が暗黙知を共有させる媒介としてデザインされていること、あるいはそうした状況の再現力を持つ、というのは、場の空間にとっては重要です。これは、「アフォーダンス」(affordance)の概念にもかかわります。  アフォーダンスは、知覚心理学のJ・ギブソンが提唱したもので、環境の中には人間の行動を誘発するような情報(データ)が含まれている(または含むことができる)という視点です。たとえば、ゆったりとした大地の窪みは、私たちを横にならせるように「誘い」ます。これはその場所がそういう「身体文化的」な情報を有しているからだという考え方です。  この創発場に意識的に力を傾注している企業には、先述した製薬会社のエーザイ(患者の現場で暗黙知を共有)、前川製作所などがあげられます。産業用冷凍機器メーカーである前川製作所は、同社前川正雄会長の独自の概念での経営で場を採り込んでいるユニークな企業です。彼らは顧客の現場への棲み込みによって知識創造支援をする、という発想でコンサルティング事業を展開しています。  創発場は顧客ニーズの吸収、顧客関係維持の媒介としても重要です。高級大型バイク市場のリーダーの地位を回復し、維持し続けているハーレー・ダヴィッドソン社は、ユーザー・クラブ(ハーレー・オーナーズ・クラブ)を介して、顧客との共生の場を設けています。  表出化の「場」は対話場(Dialoguing Ba)、たとえば積極的なプロジェクト・チームの「場」です。概念創造の場です。各自が暗黙知を対話をつうじて言語化・概念化していくための場です。また、対話場には、きちんとしたミッションがなければなりません。  ここでいう対話は、お喋り、あるいは逆に、理詰めのディベートではなく、建設的対話、ディスカッションです。したがって、この場においては人も選ぶし、資源も投入してエンパワー(権限委譲)もする必要があります。代表選手が共同で知識を抽出し、後にはそれを組織に広めるのです。複数の「個」からなる「集」(グループ)がこの場の基礎になります。ここでは、メタファーや、概念抽出の方法論などが有効になります。  対話場は、情報システムを介して創出することも可能です。ただし、対話の場自体がサイバー・スペース上にあるのでなく、チームやグループの考えをまとめるのに情報技術を活用するというのが有効な方法といえます。たとえば、グループによるコンセプト創造、意思決定のために、大型スクリーンに映し出されるアイデア・マップを活用するような方法です。  結合化の「場」はシステム場(Systemizing Ba)です。典型的にはサイバー・スペース、ヴァーチャル・スペース(仮想空間)上の場、たとえばイントラネットやグループウェアですが、そこで形式知を相互に移転、共有、編集、構築する機能が重要なエッセンスとなります。  したがって、工場・工房的、プラットフォーム的、結節点的な機能が大事になります。たとえば、グループウェアをつうじて、基本的にはチームや部門の枠の中で知識の結合が行なわれます。さらにグループ間の総合化プロセス(形式知)をつうじて、知識移転も同時に行なわれます。  典型的なのは、電子メールによる情報共有、添付ファイルとして移転、共有されるドキュメント、電子メールによる個別の質疑応答をつうじて行なわれる作業です。この際、ドキュメント自体は情報ですが、それがそのドキュメントを作成した個人とのやりとりをつうじて、あるいはそのやりとりの文脈を共有することで、システム場を介して知識があらたに結合され、共有されることになります。  イントラネットを活用したベストプラクティスの共有は、このシステム場だといえます。フォードなどイントラネットを介して製造ノウハウを共有する例も含まれますが、代表的なのは先述した米国ゼロックスの「ユーレカ」(セールスエンジニアのコミュニティでベストプラクティス・ノウハウを共有・活用・フィードバックする)です。  内面化の「場」は、実践場(Exercising Ba)、形式知を暗黙知として採りこんでいくための場です。たとえば学習の場、あるいは最近重視されてきた企業大学(コーポレート・ユニバーシティ)のような研修のための場といった制度的なものが含まれます。また、ビデオ会議室やプレゼンテーションルームといった物理的な場もあれば、ネットワーク教室のように物理的・仮想的の混合した場もあるでしょう。  また、アドホックな場、たとえばOJTや顧客への商品説明、といった場面もあるでしょう。これらの基本になるのは、単なる形式知の伝達では駄目だということです。形式知に束ねる形で、何らかの経験的要素や人間的要素を提供しなければ、暗黙知としての移転、発展はできません。実践に向けた直観の獲得、あるいはほぼ実践に近いシミュレーション、模擬訓練、実践イメージの獲得の場でなければならないということです。  実践場を重視する企業には、サービス業など、共通のサービス・スキルを実践しなければならないというニーズを持つ企業があげられます。また、モトローラのように、全社的な学習実践のプロセスを組織文化のレベルまで徹底させているのも、こうした実践場志向の企業の一例です。 場はプラットフォーム  工場が価値生産の主たる空間だった二〇世紀とは異なり、知識の活用・創造が価値を生み出す二一世紀の企業にとって「場」はとりわけ重要なプラットフォームです。したがって、企業はこうした「場」のパターンをたくさん知っていて、それらを複合的に創出・活用できないと、知識創造の支援ができないといえます。  積極的にこうした場の考えを導入している企業のひとつがフィンランドの携帯電話メーカー、ノキアです。同社の新社屋(通称ノキア・ハウス)は、巨大なガラス張りの空間で、その内部では関連する部門間の動きや集団のバイブレーションが視覚的に伝わるような効果が重視されています。一階は、船底のイメージを借りた、一、〇〇〇人収容のカフェテリアがあり、ここが各部門、チーム、個々人が共生、創発するための場となっています。  ノキア・ハウスでは、食事をしながら対話する、あるいはカジュアルな討議をする。この場を核にして、その雰囲気が内部に伝わるようになっている。オフィス部分でも、遠くのほうに何かが起きているかが見て取れる。それが自分と関連している部門なら、自分も準備する番だ。こうした場であらたなアイデアが生まれ、暗黙の共同運動が起きる。それが同社の急成長の秘密となっていると、同社の経営陣は認めています。もちろん、ノキアは最先端の情報技術を導入していますが、それ以上に、こうした場の創出が重要だということを語っているのです。  こうした場のパターンを、企業の持つ知識問題解決のために提供、具現化するサービスを志向している企業もあります。  たとえば、米国最大の家具メーカー、スティールケース社。彼らはハード主体の「家具」業から脱して、自社の役割を創造的ワークプレース(職場)の創出として、ソリューション・サービスを軸にしたマーケティングを展開しています。その核となるのが「ワークプレース・ナレッジ」(仕事場空間の知識)、つまりオフィス、オフィスワーク、人間の仕事に関する知識、いわば「場」の知識です。  同社は、CD‐ROMで配布されるソフトウェアを武器にして、オフィス空間とそこで働く知識ワーカーの業務分析を行ない、企業戦略上最適のワークプレース・デザイン戦略を提言し、知的生産性、オフィスコスト効率を高めるソリューションを切り口にハードの販売につなげるアプローチを採っています。このソフトウェアを活用したコンサルティング・セールスは同時に彼らに膨大な顧客データをもたらし、それがワークプレース・ナレッジの正当化、効果の拡大につながっています。  私たちはここで、知識経営のダイナミズムを、ちょうど三つの層で考えることができるでしょう。㈰SECIプロセス、㈪知識資産、そして㈫場、の三層です。ここで、場は、知識創造のプロセスと知識資産を結合させ、動的にするという役割を担っているといえます(文献8)。 場と記憶  いつどこで、どのような場を仕組むか、またはどのような場でどのような知識創造・知識活用を行なうかは、知識経営においてはかなり重要なことなのではないかとおもわれます。  言ってみれば、場を単位として組み合わせることで適切な知識創造のダイナミクスを生み出すこと、つまり場を媒介にして知識のダイナミクスをデザインすることが可能だということです。それは、個々の場のパターンが、特定の知識資産とかかわるものであるということを意味します。つまり、場を介して次のような関係を想定できるということです。 -------------------------------------------------------------------------------- 知識創造←→場←→知識資産 --------------------------------------------------------------------------------  建築家のクリストファー・アレグザンダーは著書『パタン・ランゲージ』(鹿島出版会、一九八四年)において、二五〇以上の場所のパターンを抽出しました。たとえば「窓のある場所」「くるま座」「舞台のような階段」「小さな人だまり」といったキーワードでそれらは表現されています。これらは、生活あるいは文化的な行動を導き出したり支援する場です。いわば、それぞれのパターンが言語(単語)となり、それらが組み合わされて一連の生活行動や都市の運動が生み出されます。  どのように場を意識的に扱うかは、私たちの記憶にかかわる問題でもあります。古代の「記憶術」は、場所(たとえば劇場)の形状・構造になぞらえて記憶したということが知られています。ウォーバーグ研究所のフランセス・イエイツは『記憶術』(水声社、一九九三年)で、忘れ去られてしまった記憶術の記憶を再現しています。  これは特定の場所の構造、たとえば柱や窓などの位置を特定の知識やイメージと結びつけて記憶するという方法で、ただランダムに結びつけるのでなく、建物の構造状のヒエラルキーや人体(宇宙体系)などと知識の体系を関連させるというものです。さらに、理想的な記憶の空間として劇場などを構想する、さらには記憶にとどまらずにイメージ生成装置までめざすという「場のシステム」としての発展をみせました。ちなみに記憶術は一六世紀以降、形骸化、衰退していきます。  場所的な記憶パターンが人間の脳内にあり、それが記憶や生活行動に利用されているという見方は、こうした場と知識の関連を証拠立てるものであります。港千尋は『記憶』(講談社選書メチエ、一九九六年)で、英国の研究者オキーフが発見した「場所ニューロン」を紹介しています。  「場所ニューロン」は、ラットの海馬体の内部にある場所に特異的に反応するニューロンで、ある場所におこなったときにだけ「発火」するものとされます。このニューロンが位置する海馬体は大脳辺縁系にある記憶中枢であり、情動反応との深いつながりが知られています。港はこうした事実(情動反応と場所記憶の解剖学的関連性)から、いわゆる「エピソード」記憶と呼ばれる場所記憶、そして場所と記憶の関連性を指摘しています。  つまり、生理的な面からみても、場を知識と結びつけて活用していくことには意味があります。場をつうじて組織が暗黙知を伝達・醸成したり、共有することが可能になるといえます。 場と情報技術  場は、知識創造、知識資産活用の現場ですから、ここにどのようにITを応用するかの指針を与えてくれるものとなります。場にどのようなITを入れるか、については、人間系の「場のアルゴリズム」が重要なのだといえます。  従来の情報技術と比べ、ナレッジマネジメントにおいては大きな変化、つまり情報活用という面で大きな変化があります。それは意味的情報、財としての情報、さらには、個の知識の組織的活用が情報技術戦略のカギを握るようになったということです。  誤解を恐れずにいえば、今世紀初頭から九〇年代のリエンジニアリング、さらにサプライチェーンマネジメントに至るまで、企業の情報技術活用にはあまり大きな変化はありませんでした。それは定量的・数値的データを活用して物財を適時適所にもたらし、それによって生まれた価値を経済交換するというものだったといえます。  しかし、ドラッカーが指摘するように二一世紀に知識ワーカーが企業の価値の主たる源泉となったときに、情報技術に求められるのは意味・概念の創造・活用力です。少なくとも、価値がどこから生み出されるかという視点からいえば、情報システムは定量的情報中心から、意味的情報やドキュメント重視になると考えられます。  しかし、これだけでは十分でなく、こうした意味情報中心の情報システムに、知識ワーカーが知的業務(知識創造、知識資産活用)をしやすくする仕組みが必要です。それが「場」の視点だといえます。場は、文脈・脈絡、参加者の関係性からなっています。「場」があるから意味情報が形式知として共有されます。したがって、この意味情報に「場」的情報(これをコンテキストといったり、メタ情報、メタ・データ、文脈情報と言ったりもしますが、簡単に言えば5W1H情報、TPO情報)をつけて流通させれば、近似的に形式知を活用できます。  たとえば、形式知が含んでいる㈰状況や文脈に関する情報・データ、㈪誰が誰に向けて書いたか、といった人的関係、㈫知識自体の意義(「結局、何についての知識なの?」)や概要、㈬形式知の構造(目次など)、㈭元来の知識を持つ個人や集団に速やかにアクセスできる「住所録」、㈮他の資料との関連などです。  ナレッジマネジメント・ソフトウェアを謳う多くのソフトウェアにはさまざまな機能がありますが、果たして意味情報と知識を結び付け、知識創造・活用のプロセスを支援できるかが、選定のポイントとなるでしょう。さらに、それを支える組織文化、組織内の個人・集団の日常的なコミュニケーション(やその舞台となる場)が必要になります。  知識マップもここで重要になります。一般的ドキュメントマネジメント・システムでは、データをディレクトリで管理しています。ユーザーはファイル構造にしたがってデータを参照、検索しています。しかし単なる検索機能の提供だけでは駄目で、知識ワークに資するための総合的な検索・活用・展開のプロセスをサポートする、あるいは円滑化するような関連づけの仕掛けがなければならないといえます。そこで、その代わりにデータベース内にあるデータを定性的・意味的に、つまり「知識」カテゴリーの単位で活用することで、知識ワークを強化することができます。  「場」の概念は、情報化の形態の変化ともかかわっています。そのひとつの傾向は知識ワークの「場」の分散化、モバイル化でしょう。企業規模が大きくなり、グローバルに展開していくと、フェース・トゥ・フェースの機会はますます減っていきます。情報化の進展が進むほど、人と人が集まること、それが物理的・身体的か仮想的かは問わず、集まって対話・交流することがますます重要になっていることも忘れてはいけないとおもいます。グローバルな知識経営にとっては場がきわめて重要な媒介になるといえます。 グローバル経営と「場」 (1)「場」を単位とする競争へのシフト  企業内プロジェクト・チームからベンチャー企業、SOHO(スモールオフィス・ホームオフィス)に至るまで、小規模組織が注目されています。大企業間においても仮想的結合・戦略的提携や協力が盛んになっていますし、企業内部では分社化や仮想的な分社制度などをつうじて組織のニッチ化が進んでいます。  こうした例をあげるまでもなく、いまや産業や企業のダイナミズムを生み出しているのは組織内外の小集団や最前線の部隊のパワーです。組織が大きいこと、あるいは大規模組織構造を構築・維持してきた努力があまり報われなくなってきている。むしろその弊害すら出てきた。つまり、企業の〈規模〉という尺度をつかって産業や経営、競争を組み立て、運営することが時代に合わなくなっているといえます。 (2)グローバルな「場」のネットワークで市場をとらえる  まったく規模という概念が無意味化したかというとそうではありません。単一の組織でなく、別の「経済有機体」としては、一方で大きさが追求されています。いわゆる「メガ」結合です。逆説的ですが、そこでは個々の企業規模よりも、どれだけの規模と視野の大きさでグローバル・ネットワーク空間を活用できるか、あるいは機動的に活動できるかが企業力の尺度として重要になったといえます。それはいうまでもなく、知識経営の不可欠な資質です。  一九九九年初め、統一通貨ユーロ導入が全世界の関心を呼び起しましたが、これは通貨問題にとどまるものではありません。国民国家という枠組みを超えた存在の可能性を経済面で探る壮大な試みでもあります。ユーロが近代国家勃興の地、欧州で生まれたことには大きな歴史的意味があります。  しかし、同様のことはすでに企業競争の世界で起きているわけです。最近、「一兆ドル企業」ということばを耳にしました。ごく数社の巨大企業体が、それぞれの産業でグローバル市場を牛耳るようになるという指摘です。ただし「一兆ドル企業」とは、単一独立した企業体ではありません。企業群が情報ネットワークによって戦略的提携のウェブを形成することで、まるでひとつの巨大・強大な企業として振舞うのです。  コンピュータ、自動車、航空、テレコム、メディア、エネルギーなどの産業でのメガ・アライアンスではもう現実となっています。彼らは各々の資産を結合し、全体の総和以上の力を発揮しています。 (3)場所からの解放  古典的な経済地理学などの分野では、経済活動の立地問題は工場が基本であり中心でした。たとえばマックス・ウェーバーの弟、アルフレッド・ウェーバーの工業立地論は、「工業が一定地域に集まることによって費用節約が起き、そのことが牽引力となってより多くの工場を吸引し、規模拡大を促す」といった論理展開でした。工場や設備などの有形資産は移動不可能です。したがって市場は工場立地によって限定されていたのでした。  しかし現在は、「生産技術の標準化」によって世界のどこででも有形資産が調達できるようになりました。既存の経済地理は大きな意味を持たなくなり、企業にとっては知識資産こそが価値の源泉となるという認識が広がっています。  知識の競争においては、グローバルに知を結集して「知識資産」を形成し、それを再びいち早く各地の市場で具体化、展開するというパターンが基本となりました。ハードな有形資産と異なり、知識資産は地域や立地といった空間的制約を受けません。 (4)場所がカギとなる知識創造  場所に限定されなくなった有形資産と移動可能な無形資産である知識を結びつける。こうした場の戦略があらたな競争のモードになったといえます。  そこでは大学や研究拠点などのセンター・オブ・エクセレンス(戦略的知的拠点)もふくめて、どのように既存の知を結集し、あらたな知を産み出すかが課題となります。どこにどのように知識創造の拠点を配置し、グローバルに知識を共有・活用するかのコンフィギュレーション(組み合わせ方)が勝敗を決するといえます。  アイデア、技術、製品の源泉は世界各地に広がりつつあります。これにしたがって企業や投資家の関心も変化しています。シリコンバレー以外にもイスラエル、英国(ケンブリッジ中心のイングランド東部)などの地域が関心を集めています。  元来、専門家がコンピュータネットワークだけで仕事をし、知識の創造や活用を行えるなら、こういった集積は不要でしょう。それでもこうした地域がグローバルに多発しているのは、知識の持つ特性ゆえでしょう。知識はコンピュータをつうじて伝達・共有できる形式的側面と、それを支える人間的で暗黙的な側面からなり、両側面の相互作用によってあらたな知識が生まれ、効果的活用が行われます。要は人間同士の触れ合いや暗黙知の豊かさ、それらを包摂する場の存在が創造性にとっては大事だということです。  大企業がグローバルな知識戦略を模索する一方、新興ベンチャー企業は単独で存在していては競争力を生み出しえないため、知識を軸とする地域的集積を必要とします。英国の場合、ケンブリッジ大学周辺はこうした両者にとっての場となりました。イスラエルは、テルアビブ周辺がその役割を果たしています。また、バイオや製薬業でも米国東海岸地域などにこうした集積があります。  これらの地域は、工場立地とは異なり、物理的集積拠点であるというだけでなく、知識を生み出す特有の条件を備えていなければなりません。周辺立地をふくむ「知識環境」あるいは知のコミュニティを形成していることがきわめて重要なのです。  シリコンバレーの場合もさまざまな規模の企業、研究所、大学、ベンチャー経営者のインフォーマルなネットワークの集積です。同地域の企業を分析することも大事ですが、むしろ彼らの置かれている場の観点から観察していくことが肝要とおもわれます。そこではフェース・トゥ・フェースのコミュニケーションをつうじて暗黙知が共有される場が存在します。  ベンチャー投資家あるいは、投資メカニズムを構築しようとしている企業は、目先の経済的便益だけに邁進するのでなく、彼らを支える環境、「場」に対する長期的で意識的な投資をすべきでしょう。近郊に製造業の基盤が成立していたことがシリコンバレーの強みとなったことはよく知られていることです。日本でも、立地の狭さゆえの他産業や市場へのアクセスの良さ、といった利点は強みとなるでしょう。こうした観点から新しい動きも見られます。たとえば岐阜県では、梶原拓知事が率先して「情場」(情報価値を生産する場)というコンセプトで「国際情場学会」を創設し、地域活力(知力)を生み出そうとしています。 第5章 成長戦略エンジン 知識経営の組織とリーダーシップ  いうまでもなく、知識経営からは組織の問題を切り離しては考えられません。ナレッジマネジメントに限らず、知識経営には、組織文化や人々の意識の変革が不可欠の要因だからです。狭義の知識経営、ナレッジマネジメントはどちらかといえば情報システムのほうに傾斜しがちですが、組織のデザインや組織文化の変革をどうするかが、その前提にある問題です。組織デザインは知識経営の直接の媒介です。  「知識を共有しよう」と口で言うのは簡単ですが、実際には知識ワーカーである社員の参加意識がなければなりません。さらに、知識共有への貢献に対してメリットや意義が感じられなければなりません。インセンティブを与えるべきだという主張もあります。しかし、もっとも重要なのは、人々の知的貢献が自発的に起こり、かつそれが生かされるような組織になっていることだとおもわれます。こうした変革を伴う組織運営やデザインが、知識経営の実践を補完する、といえます。  知識経営は知識ワーカーの時代の経営です。そこでは、企業に優位をもたらすための競争と成長の原動力は、官僚的な組織やヒエラルキーの頂点に立つ戦略部門ではなくなっています。原動力は、特定のグループ、特定個人の社内外の関係、プロジェクト・チームや最前線の顧客チーム、トップ経営者間のやや私的なサークルなどにあります。これらは機能的に分類された組織の単位ではありません。つまり、リアルタイムに知的連携、知識の創造や活用を行なうグループや個人が、きわめて重要な役割を担うようになったのです。  もはやここでいう「組織」とは「知識を創造していくところ」であって、「管理」のための組織ではありません。したがって、リーダーシップの概念や質も大きく変わります。たとえば、花王の常盤文克会長は経営者の役割を「質の高い知が跳べる知の企業文化を作り出すこと」というビジョンで示し、業務改革運動を成功させています。 知識ワーカーの場としての組織  これまで長い間私たちを支配してきた組織論、たとえば、ハーバート・サイモンの組織論では、人間が情報処理システムの一部として機能していると見ました。  それは、組織は個人の情報処理能力を克服する手段であり、そのために階層をつくり、分業をつくり、専門化するという理論でした。つまり、人間の超えることのできない「認知限界」を克服するために組織はあると考えられ、構造化されてきたのでした。  ところが、情報処理の見方では知識が生み出すイノベーション(知識創造)の側面はうまく説明できません。知識経営の考えは、知識創造プロセスをつうじ、あたらしい組織論に結びつきます。  それは機械的・機能的に働く従業員でなく、独立した知識ワーカーを原単位とします。そこでは、組織とは「自己を超越するプロセス」(Self-Transcending Process)だといえます。  組織は知識ワーカーをコントロールするためにあるわけではありません。皆が大きくなりたい、偉くなりたい、成長したい。こうした共感に基づいて、組織が自己超越の場となるのです。こうした視点から、私たちはナレッジ・プロデューサー(Knowledge Producer)と呼ぶべきあらたな場のリーダー像を描く必要があるでしょう。  これは個人だけでなく、集団(チーム、部門)、組織全体まで含めた自己超越を意味します。こうした視点はにわかには受け入れがたいものだとおもわれます。しかし、自己超越する個人(知識ワーカー)、チーム、そして企業を志向することが知識経営と同義といっていいものとおもわれます。  したがって、ここでいう組織デザインは、組織を形成し運営するためのコンセプトやポリシーを言っています。それは単に組織の「箱」を作ったり組替えたりという、いわゆる「組織いじり」のことではありません。  そうしたブロック構造やツリー構造で考えられる組織デザイン自体が、そもそも階級制・官僚制の組織からの発想だといえます。かといって、組織の構造はまったく自由ではありえません。そこで創発組織、自己創出組織、自己組織化、フラット組織、などが提唱されてきました。  しかし、いずれも概念としては理解できますが、組織運営上はこれらだけでは事実上機能し得ないことは明らかです。知識経営にふさわしいのはどのような組織でしょうか。 二律背反の共存する組織  ナレッジマネジメントを導入しようとする企業は、組織としては、知識創造と活用による価値生産の経済性を追及しなければなりませんし、他方では内部構造を変革したり、調整を行なったりする必要があります。また、内部だけでなく、外部もふくめて協力の輪を形成することがカギになります。大括りでいえば、すでに述べてきたように、企業が知識を糧に価値を生み出すやり方には二つの面があります。 ㈰あらたな知識を創出し、その「増分」を価値とする(知識創造・革新戦略)。 ㈪すでにある知識を効果的に応用、活用して価値を生み出す(知識資産・増価戦略)。  前者では、知識創造の基盤となる知識共有の仕組みや環境を作るなどして、個人や集団、部門が適時適所で知識創造を行なえるようにすることが課題となります。  後者では、組織的な知識の統合が課題であり、そのことでより大きな価値を生み出すことが狙いとなります。いずれの場合も、階級制・官僚制の組織では展開不可能の要素といえます。  こうした組織の運営や設計にとって重要な切り口となるのが「場」です。  他方では、組織は、もはや一企業の枠の中だけでは考えることができなくなってきています。かつては企業=組織、などという式を前提に組織デザインを考えました。  しかし、現在ではそれは不可能だし、非現実的とさえいえます。組織と組織間の境界は薄れ、かつグローバルに展開しうるようになっています。大企業は分社化やカンパニー制によって大組織の意味合いを自己変革しようとしています。  たとえばスウェーデンとスイス企業の合併から生まれたエンジニアリング企業、ABB(アセア・ブラウン・ボヴェリ)は世界一〇〇か国の約一、〇〇〇社、約二〇万人の従業員、約五、〇〇〇の利益ユニット(ひとつのユニット平均は約四〇人)からなりますが、本社機能は一三〇人、役員も八人で運営されています。同社の組織の考え方は「大企業なのに小組織」「中央集権的でありながら分権的な体制」という矛盾の両立であるといえます。  重要なのは、あらゆるレベルで「個」とチームを基本単位とし、かつそれらが単にフラットなのでなく、ある戦略的機動性を有していること(中央集権であるが、重たくない)だとおもわれます。またその前提として、個とチームをつなぐネットワーク、共有された目標、知識・能力の開発、サプライヤーとの協力が強調されています。  要は、組織が知識をどのように扱うか、つまりどのように創造したり活用したりするかに沿って、きわめて柔軟に組織を運用することがカギとなります。そこでは、組織デザイン=組織ツリー図を描くこと、という呪縛から離れなければなりません。  一方では、知識ワーカーが自由に、個人あるいは集団、しかも遠く離れたチームや場所で働くことができるような、自在に組織的知識を活用できるような自由度も必要です。他方では、これとは逆に、きわめて効率的に、秩序立って、組織全体が迅速に動くことさえ必要となります。そこでは機能的で動的な機構も求められます。  すなわち、従来の組織形成の前提にはなかったような二律背反的な要素を共存させながら、縦横無尽、有機的に機会即応的に動きつつ、強みを蓄積、活用していくことが知識経営の組織には必須なのです。これまでの、市場を前提にしてそこにモノを流すための機能的構造の組織では適応できない、という時代に入ったのだといえます。 あらたな組織のメタファー  こうした観点から今後有効と思われるのが、筆者の提唱する「ハイパーテキスト型組織」(Hypertext Organization)です。「ハイパーテキスト」とは、小さな情報がいくつか集まって知識の基本成分となり、それらが意味や機能、プロセスなどによって相互に自由自在に結びつく情報・知識の宇宙です。  ハイパーテキストは現在のインターネットの原型となったものとみなされます。多次元的なコンテンツのネットワークからなる情報空間の考え方といっていいでしょう。  そこには、確固たるヒエラルキー、つまり組織の頂点や中核単位はありません。けれども完全にバラバラ、空虚(芯なし)なのではなく、相互に関連しあっていて、特定の意味やビジョンによってある種階層組織のような秩序をもって機能的に動く。ハイパーテキスト型組織はそうした組織のコンセプトです。その一例がABBです。  ハイパーテキスト型組織の特徴は次の三点です。 ㈰境界が柔軟(発展的) ㈪水平・垂直の組織軸が共存(多元的) ㈫知識の創造・活用・蓄積が機能として内在(動態的)  ハイパーテキスト型組織においても、組織がシステムとして機能するための「暫定的」境界は想定されますが、古典的な組織的境界を想定していません。境界は、確固たるものではなく、境界の外部との相互作用と相互浸透によって、有機的に発展する可能性を持っています。その意味でハイパーテキスト型組織の境界は曖昧で、グローバルだといえます。  ABBの場合は、市場への密着、サプライヤーとの協力によって、古典的大企業の壁が存在しないように配慮しています。ドイツのフラウンホーファー研究所は、「フラクタル組織」というキーワードで、企業が生み出す知識とそのネットワークによって、組織が有機的に発展するコンセプトを掲げ、自らその考えにしたがって研究所を生み出しています。現在同社は約五〇の研究所群の有機的ネットワークとして展開しています。 ハイパーテキスト型組織の要点  ハイパーテキスト型組織は知識ベース組織です。知識は生み出されたら固定せずに、ダイナミックに動いていきます。たとえば人と人のつながり、アイデアの共有などです。こうした知識の無境界性を意識することが、ハイパーテキスト型組織の運営上重要な要件のひとつとなります。  知識経営の組織、あるいは知識社会の組織には、二〇世紀の古典的階級組織にとっては矛盾と思われる特性を両立させていくことが課題となります。自由と統合のバランス、そのプロセスがダイナミックに展開されるような組織構造上の仕組みが求められます。そこでは官僚制の効率的利点と、ネットワークの創造的利点の双方が両立しなければなりません。  そのひとつの解決は、既存の階層型組織(効率的運営を目的とする)とプロジェクト型組織(知識創造を目的とする)の二つの性格を合わせ持った、両者を自在に行き交うことのできる、迅速・自在な、知的機動力ある組織の存在です。たとえば、プロジェクトチームのネットワークを中心に置いて集中的にあらたな創造を行ない、その一方では階層型組織において具現化を促進する。  こうしたダイナミックな展開を促進させ、交互に二つのモードを使い分けることで、トータルな知識経営のプロセスを加速させるのです。  例としては、シャープや東芝などをあげることができます。シャープは既存事業部を横断して重要度の高い案件を検討企画する緊急プロジェクトチーム制度をかねてから設立し、彼らに特権を与えて機動力を高めようとしました。この制度はチームのメンバーが役員と同じ金バッジを与えられることから「緊(金)プロ」とも呼ばれてきました。  緊プロは早期事業化が必要な重点商品・技術を一〜二年の短期間で開発するためのプロジェクト・チームを対象に、全社関連部門から優先的にメンバーを選出し、編成する仕組みです。これらのチームによって生み出された製品コンセプトは各事業部で実践されることが大前提になります。プロジェクト・リーダーはテーマに適任の人材をあらゆる部門から引き抜くことができ、またメンバーは専属となり、継続期間中は役員と同じ金バッジが与えられます。  東芝は、西室泰三社長が「俊敏企業」をキーコンセプトとして打ち出し、巨大な総合電機メーカーの有機的集中と選択を実現しつつあります。例として同社では実験的にADIと呼ばれる組織を設立し、各事業部の範囲では企画・決定できないような案件をプロデュースする機能を持たせました。ADIもまた一種のプロジェクト型組織であり、各事業部からあらかじめ予算を供出させ、実践を確固なものとしていく工夫を行なっています。先端素材メーカーのジャパンゴアテックス(井上忠社長)は、POGAL(Project-oriented Organization incorporating Groups And Leaders)というコンセプトでプロジェクト型組織を前面にして組織統合を行なっている、もうひとつの例です。  さらに、ハイパーテキスト型組織は立体的な三次元構造の組織として表現できます。それらは、次にあげる、知識の創造・活用・蓄積(記憶)という三つの機能に対応するものです。これらの機能は組織デザインに構造的に反映される場合もあれば、あらたな機能として付加されるという場合もあるでしょう。  また、この組織は組織の外部に対しては組織と組織、組織から社会に向かうネットワークを展開する、生態的な組織空間の概念でもあります。これらをひとつの組織図として描くのはむずかしいし、あまり意味があることでもないかもしれません。一般的に組織は平面図であらわされる「二次元」構造です。ところが、こうやって図(図13)を描いてしまうと、結局それは垂直(階層)か水平か、の選択になってしまいます。これらの両方の性格がハイパーテキスト型組織には共存することになります。  また、通常プロジェクト・チームは組織図上には反映されません。こうした組織の原単位となるのが「場」です。場を単位とした、重層的で有機的な組織空間の運用、組織をプロセスとしてとらえること、が知識経営において求められるといえます。 ㈰[知識資産の蓄積・共有機能—例…知識ベース・センター、ナレッジ・オフィス]  この機能の意味するのは、先に述べた二つの性格の組織を結びつけるということです。たとえば顧客との接点から有効な知識を吸収し、編集し、社内の知識創造プロセスに融合させるような仕組み。知識資産を発掘、整備し、活用できるようにすること。さらには、プロジェクト・チームの成果を利用できるように整備する業務などが該当します。  重要なのは、こうした蓄積・共有を実現させる組織的イニシアティブ(ナレッジ・オフィス、あえて言えばCKO機能)です。また人事システム、人材育成プログラムなど個々人の知識開発も含まれるでしょう。これらは現在の組織にも部分的に備わっていますが、知識経営においてはこれをより具体的形態や仕組みとして機能させる必要があります。  そのための情報環境がこの機能の具現化である場合もあります。知識の共有・蓄積の検索を可能とするドキュメントデータベース開発、あるいはイントラネットなどをつうじて組織的知識共有を可能にするサイバー空間などがこれにあたります。いわば知識に結びつく情報を整備したり、イエローブック化することでネットワークを図りやすくするのもこの組織的機能のひとつです。  したがって、顧客知の共有やネットワークのための知識センター設立、CKO機能や現場のリーダーまで含めた内部のサポート組織、サイバー空間上の場づくり(運営)が課題となるでしょう。また、どのような視座で知識を集約するかは、トップやCKOのビジョン次第です。 ㈪[知識創造機能—例…プロジェクト・チーム・システム、開発支援センター]  この機能は、いわば企業が実際に知を生み出す「エンジン」にあたります。組織が知識を創造したり、あるいは外部から得た情報を操作・調整・編集する機能です。中でも重要なのは、チーム(グループあるいはプロジェクト)をベースとして、知のダイナミズムが発揮されるプロデュース型組織運営です。  複数のプロジェクト・チームが常時進行し、研究開発、新製品開発、戦略立案、コンセプト創造、業務設計などの活動を牽引する、オーケストラの指揮者のような役割が、ハイパーテキスト型組織のこの機能には求められます。たとえばプロジェクト・チーム群の発案・設計・発足承認・成果フィードバックがシステムとして制度化されていることを意味します。  こうしたプロジェクト群のマネジメントで知られているのはシャープやヒューレット・パッカードのような企業です。 ㈫[ビジネスシステム機能—例…事業組織、ビジネスセンター、人材センターなど]  この機能は、従来のヒエラルキー構造を維持した事業運営のための組織を意味します。この組織層は企業のビジネスシステムによって規定されるものです。純粋にフラットな組織、プロジェクトだけで構成される組織というのは理念的レベルを超えるものでないことが指摘されています。組織的ヒエラルキーは行動実践のための態勢・隊形という意味では重要です。  ただし、ここではあくまでも機能的運営を狙いとするため、他の二機能(知識資産の蓄積・共有機能、知識創造機能)と並列あるいは「入れ子」になっている必要があるでしょう。この機能を担う組織は、知識創造機能によって生み出された、つまりプロジェクト・チームの成果などに対して、柔軟性を高める必要があります。  また、ヒエラルキー組織の潜在的欠点を極力抑えるために、かつコンセプトにもとづく実践、業務を機動的に実行できるよう階層数を減らすなど、簡素化が要求されるでしょう。この機能には、他の二機能を円滑に運用する人材活用システムなども含まれることになります。 場のダイナミクスを生み出す  ハイパーテキスト型組織とは、いってみれば「場」を構成単位とする組織です。ただし、「場」は必ずしも固定的物理的空間だけでなく、個人・集団の関係から生み出される「集まり」などの空間、あるいは仮想的な場所も意味します。顧客との接点、提携企業との接点も場です。  ただし、それの前提に組織構造や経営文化の変革、そしてあらたなリーダーシップ・スタイルが求められることはいうまでもありません。  私たちはすでに知識経営を「知識の創造・浸透(共有・移転)・活用のプロセスから生み出される価値を、最大限に発揮させるための、プロセスのデザイン・資産の整備・環境の整備、それらを導くビジョンとリーダーシップ」と定義しました。  それは言いかえれば「場のリーダーシップ」といってよいでしょう。知識創造・共有に参画する人々との間にビジョンを共有し、知識の創造と活用にふさわしい場を常に生み出し、育て、さらには場を活性化することです。ハイパーテキスト型組織は、このような場のダイナミクスをひとつの仕組みとして構築するものだといえるでしょう。  情報の世界での経営はその機構として現場からトップに至り「マネジャー」を必要としましたが、知識の世界での経営は「リーダー」を必要としているといえます。マネジャーとリーダーはそもそもが違います。マネジャーとは管理・分析・効率・構造をその成分としますが、リーダーあるいは後であげるプロデューサー的リーダーは触媒・創造・価値・ビジョンなどがその成分です。  ですから本来「ナレッジマネジャー」というと知識経営とは矛盾してしまいます。いうまでもなく、前提としてきわめて重要なことは、知識経営においては、常に組織文化や経営スタイルの変革(知力革新)を伴う、ということです。  容易に変革などできるものではありません。しかし、知識経営は、従来の「マネジメント」とは異なる特質を持っているといえます。知識は古典的なマネジメント(統制や管理)ということばと結びつきません。そもそも、知識は統制したり管理したりできるものかを問う必要があります。  二〇世紀の企業に代表されるような物財中心の企業の業務であれば、「何をいつまでにどこに動かせ」という指示(インストラクション)は有効でしょう。そのために情報技術をうまく使うことも容易に考えられます。しかし、組織的に知識を創造・活用させたい場合、物財のように量や時間での厳密な設定は不可能です。従来の階層的組織のツールである業務手続書やその他諸々のインストラクションや目標管理はあまり役立たないといえます。  そこで、前述したような「場」を効果的に設ける必要が出てきます。「場」においては、参加者が特定の問題や目標に関して文脈を共有し、そこで知識の創造・活用が進むことになります。つまり、顧客とのフェース・トゥ・フェースの対話、社内での歩き回りや対話、情報システムを介した迅速な情報共有に支えられた知識の構造化、知識の表現、それらの知識をさらに現場に理解させる機会が同時並行的に展開する、といったイメージです。 ナレッジ・プロデューサーが引き出す場の力  今述べたこと、つまり、機能的指示がうまく効かない、というのは知識経営志向の企業には重要な留意点です。トップが単にビジョンを打ち出したり、あるいはその対極に具体的詳細な機能的指示を出したりするだけでは組織が機能しない、ということです。知識経営のリーダーシップ・スタイルとは介入的・統制的なトップダウンでも、コンセンサス重視の「マネジメント」でもありません。  知識経営のリーダーシップがうまく機能するには、知識創造・活用のプロセスの場に対して働きかけることです。しかし、それはいわゆるCKOの役割とは異なります。こうしたプロセスと資産についてもっとも理解し、先導的な立場にあるのは従来ミドルマネジャーやチームリーダーと呼ばれていた現場のリーダーシップです。私たちは彼らをナレッジ・プロデューサーと呼んでいます。  ナレッジ・プロデューサーとは、トップと知識ビジョンを共有し、知識プロセスを現場で促進していける、リアルタイムな場のリーダーだといえます。  一方、トップは組織全体を場の生態系として展開できる、グローバルな視座の場のリーダーだといえます。つまり、ナレッジ・プロデューサーはトップと場(文脈)を共有しつつ「自律分散型リーダーシップ」を実践するキーマンだといえます。それは一種のアクション・ソート・システム、つまりリアルタイムの行動意図・思考の組織的機能を、ナレッジ・プロデューサーが担うということです。  トップと場を共有するためには仕組みが要ります。たとえば、セブンイレブンジャパンでは、毎週行なわれるFCC(フィールドカウンセラー)会議がそうした仕組みとして機能しています。この会議では、各カウンセラーが現場(各店舗)で得た市場感覚とその問題をその場でリアルに出し、仮説を立てて行動するというシステムを採用しています。「仮説を立てる」というのは同社の鈴木敏文会長の説く価値創出への第一歩です。この会議の形は、劇場的臨場感を生み出す演出によって、その場の迫力を感じ取り、次の対応あるいは知の活動につなげる場だといえます。つまり、市場と組織が多層的な場の演出によって、一定のバイブレーションを起こすことなのです。こうしたことに感度の低い企業はどんどん市場や顧客からずれていきます。  ナレッジ・プロデューサーは、知識という無形・不可視の資産を見抜き、その動きを理解しなければなりませんが、それはサッカーなどのスポーツにおける、キープレイヤーやチームリーダーの役割に似ています。サッカーでは、グランドで敵の動きを見、走りながら、ある瞬間にフィールド上に攻撃の契機となる「隙間」を発見し、その空間を効果的に活用してゲームを進めることが基本となります。キープレイヤーともなれば、単にこうした物理的空間を発見するだけでなく、仕掛けていって、能動的に創出する。  つまり、彼らはあたらしい攻守の「場」を見出し、それを形作り、その内部においてゲームを創造しているといえます。こうした場は、戦略的概念です。プレイヤーである個と、チーム全体の秩序を動かす媒介でもあります。  トップにあたる監督の役割は、「外部者」としての全体的見地からゲームの動きを見つめ、こうした場を創出するべく仕掛け、活用すべく、キープレイヤーと視点(ゲーム・ビジョン)を分かち合うことにあります。キープレイヤーであるナレッジ・プロデューサーは、現場に深く関わる、いわば「内部者」です。しかし、同時に監督・トップと大局観を共有しつつ実践するという、内・外の両義的性格を持っているといえます。  こうした場は不定形で、変化に富んでいますが、これらの変容をつうじて知識は創造されるわけです。サッカーにおいても、企業組織においても、ゲームの展開あるいは知識創造プロセスは、誰の目からみても明らかなものではないでしょう。それはしばしば、有能な監督やプレイヤー、ナレッジ・プロデューサーにしか理解できません。チームが展開の方向性を直覚的に把握して有機的・積極的にプレイできるためには、メンバー間での場の共有が要《かなめ》となります。 ナレッジ・プロデューサーの資質  ナレッジ・プロデューサーにとってとくに重要なことは、コンセプトの創造される、いわば「真実の瞬間」をとらえてチームや当事者の知を集約することです。そこで重要なのはジャミング、つまりその場やリズムへの「引き込み」だとおもわれます。そこではたとえば場の運動とか、リズムとかいった感覚さえ重要になるでしょう。それを即興的に行なうことで躍動的な知識の創造と活用が行なわれるといえます。  いわゆる即興のパターンを知っていることも重要です。即興とは、場の本質である共有された文脈(コンテキスト)を読み取り、リアルタイムに働きかけていくことです。たとえばジャズなどのインプロビゼーション(即興 improvisation)は、㈰既存の作品に基づいて変化を加える部分的即興、㈪与えられた主題に基づいて自由に変化を加える発展的即興、㈫既存の成果や主題は用いずに(否定して)あたらしい作品を作りだす全体的即興などに分類されます。こういったパターンや方向性を文脈として保有するのが「場」だといえます。形式的な譜面にない雰囲気や集団の持つ潜在的能力など、場に特定の知識が即興の基盤となるといえます。  ナレッジ・プロデューサーは、個人やチームに潜んでいる知的ケイパビリティ(能力)を引き出し、場を生み出し、知識を共有、創造させるための経験的知識や能力を有していなければなりません。大前提になるのは経験へのコミットメントです。場における経験は、知識を産み出すための出発点となります。  ナレッジ・プロデューサーは場の即興のプロフェッショナルともいえますが、それを形成するための資質はいくつかあげられるでしょう。  まず利他的であること。チームや集団で構築した知識を占有しようとしたり、他者の成果をわがものとしようとすることはその対極にあります。  次に「明るい」こと、否定的な考え方や感情を廃し、創造的・発展的な思考力、想像力、行動力を持つことです。すぐ「できない」を口にすることはその対極にあります。  第三には、知識に対する感覚です。暗黙知には比較的容易に形式化できる部分もできない部分もありますが、多くはやればできるがなかなか積極的に言語化・形態化されないグレーゾーンが多い。こうした暗黙的側面の強い知識や知識資産の内容をつかみ取る動物的能力が肝要でしょう。それは「場」に関する直覚的理解であるといえます。  場のリーダーシップとは、きわめてダイナミックでありながらデリケートでもあります。そこでのナレッジ・プロデューサーの役割はきわめて大きいといえますが、トップのビジョンやリーダーシップ、場を生成するための諸制度の整備は不可欠です。ただし、ここで論じてきた視点から見れば、知識を共有させたり、創造させるための指示やインセンティブ付与(飴と鞭)は得策でありません。基本的には、組織内の個人・集団の自発的、自己超越的参画によって相互作用的に場が形成されるのが望ましいといえます。  このモデルを駆動させるには、情報と知識の間にある文脈・脈絡を把握し、知識ワーカーに提言・提案し、場を設け、生まれた知をケアしていくような、「創造パラダイム」の文化が必要となるでしょう。分析型でなく、評価・価値志向型。つまりは「場」が、顧客との接点、提携企業との接点、組織内に創発していることが、二一世紀企業の決定的組織的能力となるでしょう。 グローバル・ナレッジ・リーダーの資質  では、場のリーダー、ナレッジ・プロデューサーに対して「監督」役を果たすトップマネジメントが二一世紀の創造パラダイム企業を導いていくには、どのような資質が必要と考えられるでしょうか。明らかに、古典的な猿のボス型、貴族型エリート、出たがりや、などでは場の組織運営は困難でしょう。むしろ、個が基本となる現場のリーダーと有機的に連携し、機動的に組織を運営していく能力・資質の必要性が生まれてきています。これは今後の日本企業の方向性とも大きくかかわります。  それはいうまでもなく、知識ワーカーを理解し、彼らの生み出す内部価値を最大化することです。さらに、知識経済のメカニズムを利用して企業内の知識経営活動と結びつけ外部価値を最大化することです。これらから、次のグローバル・ナレッジ・リーダーの資質をあげてみましょう。 (1)確立された個(Individuality)  知識経営では個が主体的に動けなければなりません。とりわけリーダー資質を持った個は、従業員数万人の企業に数人いるだけではおそらく不充分でしょう。個(individual)の語義は、「分割ができない」ということです。だから個性。そこでは哲学が背景にないと芯を失います。その哲学も独り善がりであってはなりません。グローバルな競争環境の中でぶつかり、協力し合う中で、こうした個の存在は不可欠です。こうした個の存在は組織変革の際にも組織の基本条件となるでしょう。 (2)マーケット・ビジョナリー(Visionary)  市場や世の中の先を見通せるか。三年、五年先が見えるか。物事を考える際に何年先を考えているのか。現在の技術の行く末を考えてイノベーションの実現を図れるか。サンマイクロシステムズのビル・ジョイ(ネットワーク・コンピューティングの提唱者)、あるいはビル・ゲイツのようなハイテク産業の経営者やリーダーにとっては必須の能力でしょう。自分自身がビジョナリーでなくても、他者のビジョナリーな考えを理解し、採り入れることができなければなりません。  ビジョナリー型リーダーとは? たとえば、フィリップ・ナイト(ナイキ)、ドナルド・フィッシャー(ギャップ)、アニタ・ロディック(ボディショップ)、アルベルト・アレッシ(アレッシ)、スティーブン・ジョブス(アップルコンピュータ)、マイケル・デル(デルコンピュータ)、リチャード・ブランソン(バージン航空)、ハーブ・ケラー(サウスウェスト航空)。日本では本田宗一郎(ホンダ)や井深大(ソニー)などです。 (3)意思決定力あるいは「意志力」(Will)  グローバルな競争の只中で複雑な要件を勘案し、迅速に意思決定できるか。M&Aなどの案件を俊敏に決定し実現できるか。また、自分一人でなく、グループで、最適な意思決定を行なえる協調力と提案力を備えているか。こうした意思決定は、単なる交渉上手や理詰めの力(論理的思考)だけではありません。その核にはビジョナリーに裏付けられた「意志力」がなければなりません。インテルは過去何度か事業の屋台骨を揺るがすような危機を乗り越えてきました。同社のアンディ・グローブはこうした勇気ある意思決定力を示した一人でしょう。 (4)価値創出力あるいは価値経済感覚(Value)  グローバルな財務センス。市場価値と自社経営成果の関連性を把握していること。ブランドなどの無形資産、知識資産について理解し、経済的価値に変換できること。アイデアや価値といった傷つきやすい対象をケアし、育て上げることができるだろうか。コカコーラの故ゴイズエスタ会長、また専業の経営者ではありませんが投資家のウォレン・バフェット氏はこういった経済感覚を持った人々です。  こうした価値創出力は今後の日本的経営には不可欠の要素です。トヨタの奥田碩会長は、同社を価値創出型の企業に変換させました。従来、自動車という枠でしか活用されていなかった資金を情報通信や環境といった分野に向け、プリウスなどの開発に結びつけました。ソニーの出井伸之社長は、いわゆるネットワーク経済での市場価値を意識した経営革新を説いています。 (5)場をデザインし駆動させるリーダーシップ(Ba)  ABBのパーシー・バルネヴィック会長などが指摘しているような、あらたなリーダーシップもまた、場のリーダーシップにつながるコンセプトです。  バルネヴィック会長は、あるインタビューで、ABBの強さの秘訣は個々人が創造的に仕事をしていくことができることだと語っています。そうした場づくりに同社が力を注いでいることはすでに触れました。常盤氏は、単にデータベース(この場合は定性情報データベースまでふくめてと考えます)を構築するだけでは「知恵」の創造が起きず、まず個々の熱意やそれを支える企業文化、その知恵を活用した経営スタイルが重要だと語っています。そのためには社員が自分たちで真剣に議論する必要がある、と。こうした観点を持ち、実行していけるトップは、まさに場の極意を知ったリーダーなのではないでしょうか。 第6章 創造パラダイムの経営 二一世紀の製造業は知識産業  これまで繰り返して出てきたキーワード、知識社会、知識産業、知識市場…。こうしたことばからは、ソフトウェア業やサービス業が製造業に取って代わるような印象を与えるかもしれません。事実、米国では二〇〇五年までに半数近くの就業者が知識サービス分野に属すると予測されています。  二〇世紀は製造業の時代でした。その中にあって、「知識産業」といえば、かつては、米国の経済学者マッハルプの指摘したような、教育・研究開発・出版印刷・通信・情報機器・情報サービス・放送などの産業をいいました。  彼の時代にはまだパソコンがありませんでしたから、大分ニュアンスは違うでしょうが、現在ではハイテク、テレコム、とりわけインターネットを軸とする情報サービス、研究開発型産業(製薬・化学・バイオを含む)、航空、医療、コンサルティング業などの知識集約型サービスをイメージするものとおもいます。  それは必ずしも製造業の衰退を意味するとはいえません。たしかに衰退していく部分もあるでしょう。前世紀末にも産業構造の変化によって多くの企業倒産があった。一九世紀末の企業の八割が二〇世紀に生き残れなかったといいます。しかし、重要なことは、産業の構造や意味合いの変化だとおもいます。  私たちが経験しようとしている変化は、産業が製品や市場でなく、知識によって再編成されていく中で、製造業とサービス業といった古典的な境目が消滅していく、というものです。この変化に気づかない企業は、製造業、サービス業を問わず、変動の亀裂に呑み込まれてしまうでしょう。  たとえば、すでに運輸業などはむしろ情報サービス業としてイメージしている人々が多いでしょう。流通業は電子商業の台頭によって店舗の意味合いを迫られるようになるでしょう。そこで鍵となる資産が知識だといえます。それは新規の産業ではさらに顕著です。たとえば、アマゾン・ドット・コムなど多くのインターネットサービスは、背後に顧客に提供する知識が必須となります。  製造業はどうでしょうか。製造業は実は全体的、多様な産業的知識の温床であり、どの先進諸国にとっても重要でありつづけるはずです。ソフトウェア型の産業だけでは、知的能力による階層化、所得分配の不平等などといった弊害が生まれるでしょう。「何かを支援代行する」といった意味での古典的サービス業だけでは十分な付加価値が生み出せないことも指摘されています。  その一方で、すでにその兆候が顕在化してきているように、ソフト化、サービス化した製造業は知識社会においても重要な存在となるでしょう。そこでは「知識製造業」(Knowledge Manufacturers)と呼ぶべき企業・業態のコンセプトがカギになると考えられます。それはサービス、ソフト、知識と製品(ハード、システム)を融合させた価値を創造・提供する企業です。  例をあげましょう。大事なのはサービスを付け加えるのでなく、カスタム化やBTO(個別注文生産方式)などのサービスをつうじて、知識、ソフト、ノウハウを融合した製品を提供することです。ソフトを組み込んだハードを提供することで、顧客自身が「自分だけ」の製品をカスタマイズできるようにすることもそのひとつでしょう。  たとえば、デルコンピュータは注文生産方式の通信販売で大きく成長しています。これは既存の店舗(古典的ハード・チャネル)を切り捨て、顧客サービスと生産システム、金融サービス、配送サービスを無店舗に絞って融合したものです。  前述したオティコン社の最新補聴器は、「世界最小のコンピュータ」を謳っています。この製品は、ユーザーの聴力に合わせ、調整用ソフトウェアプログラムを用い、クリニック・サービスの専門家によってカスタマイズされます。オティコンは製品を単体としてでなくシステムとして売っているのであり、聴覚障害に関する専門的知識、機械と使用者の適合、そして使用のための適切な助言までの全プロセスをつうじて、顧客価値を提供しているわけです。また、調整用のソフトウェアも技術標準化戦略を採っており、標準としてNOHAという方式を競合各社とともに浸透させようとしています。 知識製造業とは?  知識製造業とは、知識資産を最大限に活用して、あらたな知識を生み出し、さらなる知識資産を増殖していく製造業だといえます。その製品には、ハードなモノの「価値」ではなく、提供する知識の価値が問われます。ハードなモノはその媒介にしかすぎない、というといいすぎですが、ハードに意味がないのでなく、ハードを使って何かをなす、その知識やノウハウ全体が大事で、ハードはその世界への入場券だ、といってもいいでしょう。  そこでハードの品質や機能が劣ってよいということではありません。知識製造業の製品の特徴はどれだけ製品が知識化されているかで決まる。つまり知識コンテンツ(Knowledge Content)比率の高さが問われるのです。  製品の知識化の割合は、知識資産のひとつの尺度でもあります。つまり、自社製品の「何割が」、それぞれ、「知識コンテンツによってどれほどの利益を」生んでいるかということです。たとえば、安価でジェネリック(一般的)なコモディティ(日用品)のハード製品企業の知識資産は低いでしょうし、ソフトウェアや情報、あるいはサービスの割合の多い製品なら知識資産は高い。  すでに自動車や家電では、電子部品や組み込みソフトウェアなどをつうじた知識コンテンツ比が高まっているのをご存知だとおもいます。アパレルやスポーツグッズでは、デザインやその背後にある知識(たとえばスポーツ医学の知識)が物財の価値の比率を上回っています。情報サービス業では、納入するハードやソフトウェアの五—六倍相当のコンサルティングまたはソリューション・サービスの収益が期待できる、とも言われています。知識コンテンツの高い製品ほど収益性が高いといえます。  こうした視点はグローバル競争の中で、あるいは製造業の多い日本企業にとってどのような将来的意味を持っているのでしょうか? すでにそれはトップのビジョンに表われています。富士通の秋草直之社長は同社の理念を「ソリューション・ビジネス」というコンセプトで絞り、メッセージとして提言しています。日立製作所は「技術と知の総合力を発揮する知識企業を目指します」というキャッチフレーズで庄山悦彦社長のビジョンを伝えています。  九〇年代の米国経営モデルの代表であるアジル・コンペティションを論じたゴールドマンたちは、現代的競争においては商品とサービスを生み出す企業や人材の区分は消え去り、この区分は〈融合製品〉の市場に取って代わられていると述べています。〈融合製品〉とは、ハード、ソフト、サービスの垣根が消滅した製品という意味です。  最近の米国企業の製品にはすでにこうした感覚が現れているといえます。ハードウェア企業は、情報産業やサービス産業の企業と密接に協力してこうした製品を生み出しています。大量生産製品のように生産者が一方的にハードを提供するのではなく、顧客のために、そして顧客の持つ知識も合わせて、知識を組み合わせ、問題を解決したり価値を創造する過程で製品が提供される、という考えです。  いわば、〈融合製品〉に知識を加えたものが知識製造業の製品ですが、本質的価値は知識にあるといえます。製品とソフト、サービスが総合(「総合メーカー」の〔総〕〔合〕でなく、焦点を定めたシンセシスといったほうが近い)されることで提供される。そのための知識を生み出し、編集し、製品をプラットフォームにして、製品使用プロセスに知識を埋め込んでいく。  このイメージに近い、あるいは可能性としてあるのは、医療・介護・セキュリティサービス機器、カーナビの発展形であるITS(インテリジェント交通システム)などのシステムです。たとえば、セコムはサービス業としてイメージされていますが、現実にはセキュリティ端末を介して顧客に安全の知を提供する知識製造業といえます。同社の飯田亮最高顧問は事業ドメインを「社会システム産業」と位置づけ(社名そのものがSEcurity COMmunicationというビジョン)、既存のハード・ソフト情報産業の境界を横断しています。自動車産業もITSの発展とともに、こうした傾向を強めていくでしょう。  また製品でいえば、モバイルやPDA(パーソナル・データ・アシスタント)、料理知識ベースを内蔵した調理機器、コンピュータを内蔵したキャラクターを持った新ジャンルの製品(たとえばソニーのAIBO)などでしょう。それらに共通した特性として、 ㈰外部の情報や知識資産へのアクセスができること ㈪顧客の特定の問題を解決したり、特定の効用を生み出せること ㈫ネットワーク、センサーなど外的世界とのコミュニケーション機能を有していること ㈬顧客との相互作用による製品進化、顧客知の活用ができる仕組みがあること ㈭モノ(ハード)でなく、ソフトやサービスで収益を得る構造を内包していること ㈮何らかの標準的なソフトウェアやシステムが利用されていること ㈯流通形態・提供形態に自由度があること ㉀機械的機能だけでなく、思考や感情にも働きかけること ㈷単品でなく他社、パートナー製品とも結合できるオープンなシステム製品であること ㉂ソリューション、コンサルティング、さらにはリサイクルなど顧客と共有した知識プロセスで提供されること といった点があげられます。  当然のことながら、知識製造業においても知識経営は展開されねばなりません。こういった企業の成長は、次のような処方箋によって生み出されるのではないかとおもいます。 〈知識資産・知識創造〉×〈高知識コンテンツ比率の高収益製品・サービス〉×〈知識経済の特性によるマーケティング〉= 増殖的成長 日本企業の将来と知識製造業  競争戦略論で知られるマイケル・ポーターは、国家レベルでの競争に関して興味深い予測を掲げています。研究開発投資などにもとづいて計算された国家の競争力としての革新性指標は一九九五年時点で一位…米国、二位…スイス、三位…日本だったのが、一九九九年以降二〇〇五年にかけて日本がトップになるというのです。真偽はともかく、日本では製造業が母体、遺伝子となってサービス分野での展開を含むあらたな挑戦をしていかねばならない。その意味で知識製造業への転換は急務でしょうし、またそれは従来の製造業とは大きく異なるものになるでしょう。  八〇年代から九〇年代にかけて、日本製品の優秀性が評価された一方、過剰な機能による製品の差異化や、先行製品の二番煎じの安価な製品を作るといった傾向は批判されてきました。しかし、ここで必要なのは、あたらしいモノづくりの視点です。  それはもはや「モノづくり」ということばではとらえきれないでしょう。それは顧客の願望、求められる解決策のための知識(資産)を、製品をつうじてデザイン、提供することです。その製品は、必然的に情報・知識・サービスとともに提供されるものとなるでしょう。  金融サービスを含めて、現在日本の製造業が展開するサービス化、情報化は米国のシステムの模倣が中心になっています。しかし、そうした投資が果たしてどのような意味や目的で行なわれているのか不明な場合が少なくありません。それらに一貫性を持たせる軸をあたえるのが知識の視点ではないかと思います。  知識製造業は知識を創出し、形にして私たちの生活や仕事を形成し、豊かにしていく媒介となっていくでしょう。かつての製造業は、人口の拡大、製品供給の地理的拡大、大衆市場の台頭を前提に発展しましたが、二一世紀はドラッカーがいうように、先進国での少子化、支出配分の変化などがあらたな前提となるでしょう。 知識経済の牽引役としてのデザイン  知識製造業になるには、企業が従来と同じままでいいわけはありません。では、どのような知識や能力が必要になるでしょう? もちろんナレッジマネジメントをはじめとして知識資産の活用と創造の仕組みとリーダーシップが求められるでしょうが、ほかには?  一般的にいって、企業の競争力の源泉がイノベーションから顧客価値の創出に至る知識の創造である、という理解は進んでいますが、まだ従来のやり方以外のあたらしい方法が検討されていないともいえます。  こうしたあらたな企業においては、基本的な価値の操作・表現・提供の方法論としてのデザインの役割がますます大きくなります。といっても従来のインダストリアル(工業)・デザインでなく、「知識デザイン」(Knowledge Design)が重要になるといえます。  ここでいうデザインは、カタチを伴う製品としてのデザインを意味するのでなく、創造的な「知的方法論」のひとつです。エンジニアリングに代表される、論理的・効率的思考とは異なる、方法論のパラダイムとしても位置づけられます。  デザインは、創造的・直観的・身体的・発展的・柔軟・統合的な方法論で、㈰概念化能力(多様で含蓄ある価値体系をもっともシンプルな構造で実現する)、㈪媒介・触媒能力(調整能力、結合能力)、㈫視覚化・形態化能力(コミュニケーション能力)などからなるものです。  また、デザインは企業だけでなく、政治、社会・文化との問題ともかかわってきます。知識経済社会においては「産業創造性」(Industrial Creativity)が不可欠の要素となるでしょう。  にもかかわらず、政府・国家として取り組む例はありませんでした。しかし、強い製造業を持たない英国が知識経済白書を発行し、政府がナレッジマネジメントを導入するなど、国家経済政策の柱のひとつにこうした考えを採り入れようという傾向が見えてきました。同白書では知識は「生産のための最も強力なエンジン」だと主張しています。最近では、ブレア首相が英国は二〇〇二年までに電子商業(e-commerce)にとり最良の立地となるという目標を掲げました。  英国の場合、こうした産業創造性を発揮させるために、具体的には政府関係者に対するデザイン・マネジメントや思考法・発想法プログラムの展開を検討しています。  いうまでもなく、こうした知識製造業やそこでの知識デザインの背景にあるのは、知識社会・経済に移行する中での、経営そのもののパラダイムの変化です。日本企業がいわゆる日本的経営のしがらみから抜け出て、かつあらたな時代に繁栄するには、日本という地理的条件に限定されずに、また、次世代の変化を先取りしていかねばなりません。 「戦略の時代」から「知識・価値の時代」へ  その行方は創造パラダイムの経営、創造の経営への変革です。世界は戦後の高度成長期および八〇年代までの「戦略の時代」から、過渡期の九〇年代を経て、かなりはっきりと「知識・価値の時代」に変わろうとしています。  歴史を振り返れば、戦後訪れた大量消費時代のなかで、六〇年代にいわゆる現代的消費者が登場しました。彼らあらたな消費者はテクノロジーの進歩を謳歌することになります。トランジスター、電話、さまざまな家電製品…。アメリカン・ドリームの絶頂期です。しかし、七〇年代になると、大量消費は公害をはじめとする社会問題を生み、企業は「成長の限界」(国連ローマ・クラブ・レポート)を感じるようになります。七〇年代を取り巻くことばは、コンシューマリズム、脱工業化、飽和市場、情報社会化などでした。企業の社会的責任も問題となりはじめていました。  そこで企業は戦後市場の安定化とともに、本格的な「戦略的意志決定」や「戦略計画」の時代を迎えます。コンティンジェンシー理論などが登場し、複雑化した環境下での経営もあらたな課題となりました。ガルブレイスが情報処理モデル(一九七三年)を提唱するなど、情報と企業のかかわりが強く意識されました。  七〇年代に生まれた戦略計画論は、多国籍企業をはじめ大企業の経営においてその資源配分と機能を実現するための組織とセットになって必須の理論として定着していきました。戦略計画は、中小企業やベンチャー企業においては、時間的余裕の欠如や、それ自体が軽視されているという状況の中で、大企業の持ち前のものとなりました。  しかし、すでに八〇年代初期にピータース、ウォーターマンが『エクセレント・カンパニー』が指摘したように、分析麻痺症候群などの弊害や限界が指摘されていました。またリエンジニアリング自体が自ら明らかにしていたように(職能横断的プロセスの必要性)、分岐された機能分類組織は限界を迎えており、「戦略を遂行するために機能的組織がある」という考え方、あるいは戦略から遂行へという「理論→実践」のロジック、いわゆるPDCA(計画・決定・検証・実行)サイクルは再考すべき余地のあるものとなっています。  無論企業が戦略を練ったり、資源配分を行なうという意味で戦略計画は手法として意義があるものの、その活用・運用の文脈・脈絡は四半世紀前とは異なっています。いわば異なるパラダイムの場の中に置きなおしていかねばならないとおもわれます。  ちなみに『戦略計画の興亡』を著したH・ミンツバーグは、戦略について論じた興味深い近著(『ストラテジー・サファリ』)で、いわゆる戦略の「計画派」(プランニング・スクール)は八〇年代以降衰退し、代わって組織変革や組織学習が戦略思考として台頭していると指摘しています。  個人やチーム、あるいはサークルがハイライトされるようになれば、その活動には自ずと従来の〈戦略計画←→機能組織〉という組み合わせに代わる、あらたな図式が必要となり、古典的図式は崩れていくことになるでしょう。  重要なのは、環境や機会の変化に対して有機的に知識資産を配置し、あるべき戦略的行動を誘発するような経営モデルだと考えられます。それが、〈機会—資源〉または〈知識創造←→有機的組織〉というあたらしい組み合わせからなる経営、すなわち知識経営です。いわば、エコノミー(資源を配分し費消する戦略計画)に代わって、エコロジー(資源循環するダイナミックプロセス)の視点になるのと同様の変化だといえます。  そこではこれまでも触れてきましたが、従来とは異なる、場合によってはまったく逆のリーダーシップ・スタイルや、これまでの目からすれば実体感の薄いような経営スキル、あるいはきわめて複雑で迅速な思考・行動を求められることになります。こうした変化は、分析パラダイムから決別した創造パラダイムへの転換だといえます。 あたらしい戦略部門の視点  以上のような変化にしたがって、企業の戦略部門の質的変化が不可欠になるでしょう。すでに、大企業では戦略計画プロセスが生み出す「書類の山」や、フォーマルな戦略決定を待って実行していては競争変化のスピードについていけない、といった現実の問題が大きくなっています。とはいえ、まったく無策無戦略で臨むわけにはいかないでしょう。  企業がダイナミックに競争し、成長するためには、戦略計画以上の何かが求められています。組織は業務や情報のプロセッサーでなく、知識を内包した創造の場にならねばなりません。極論すれば、あたらしい戦略部門の役割のひとつは、詳細な戦略を立てることでなく、現場で素早く戦略を立てて実行するスタッフ(ナレッジ・プロデューサーあるいはナレッジ・リーダー)が活動しやすいように知識サポートすることです。  組織のグループや個人、あるいは外部とのチームに参画する人々の内的な経験である知識創造プロセスを促進するには、戦略を立て、ミッションを発するだけでは不十分です。知識ワーカーはインストラクションやコントロールでは動きません。動いたとしてもその力を大きく発揮させることはできません。知識ワーカーとのビジョンの共有、仕事の方法や成果に対する継続的提案、そして生み出された知識に対するケアなどが求められます。  グランド・デザイン・レベルでは知識が生まれる場、すなわち組織や組織文化や風土、創造の場のデザインや変革が知識創造企業にとっての課題となります。その過程ではいわゆるCKO的な機能・役割との連動も考えられるべきでしょう。  これらはすべて場の活性化が行なわれるための環境と資源の整備であり、知識経営の定義にあったプロセスのデザイン、資産の整備、環境の整備を意味します。  また、彼らの行動は、より大きな、社会や市場のビジョナリー、あるいは文化的な視点に基づいていなければなりません。ただし、そのビジョナリーは、企業単独でなく、社会やコミュニティ、利益のパートナーとともに生み出されるものであるとおもわれます。 西洋の知と日本・東洋の知の融合  暗黙知・形式知とその循環、その背後にはより深い意味があります。それは西洋の知と日本・東洋の知—知の方法論、あるいは知の性質の違いを認識し、これらを融合する、という可能性です。これは東洋回帰なのでなく、グローバルな経営が必然的に持つ、「グローバルネス」と地域文化や思考体系、言うなれば知識体系との調和という問題です。  東洋といっても実は広い。中国が今大きな存在として台頭しているわけですから、そうした必然は「当然」ですが、たとえば日本人で中近東までふくめて東洋の知というのはあまりイメージしていないのではないかとおもいます。しかし、周知のように、ギリシャの知識もいったんアラブで温存され、華咲いてのちに、ヨーロッパ・ルネッサンスに大きな刺激を与えました。現在でもその意味合いは重要でしょう。また、ロシアも部分的には文化圏的要素として一部はアジア的世界に入っているわけです。  あえてステロタイプ的にいえば、西洋の知は、典型的にはデカルトです。東洋の知の一部である日本の知は、ある意味では西田哲学のいう、まさに「純粋経験」に結ばれるものです。私たちはポラニーの暗黙知・形式知ということばを使いましたが、暗黙知には西田哲学の「純粋経験」に近いものがあります。それは「分析以前の知」といえるでしょう。  私たち日本人は、やはり「純粋経験」に傾斜していくようです。プロ野球の例でいえば、長嶋監督型であり、なかなか野村監督型にはなりきれない部分があります。したがって私たちの知の創造の本質、さらに理論的に、場とか知識資産——要するに、SECI(知識創造プロセス)の複合的なマネジメントを考えてみると、無意識的に日本の企業はそうした視点でこれまでやってきた、という一面があるわけです。  しかし、決してそれで満足していいわけではない。西田的な視点の高さや知的洗練というのを一部では持っていてもグローバルにそれを馴染ませていくことができない。また、私たちはどうしても、外部からやってきたものには価値を置くが、自分たちに元来あったものについては軽視するといった傾向があります。したがって、いったん米国や欧州で実践を行なって逆輸入したものを好む。この場合でも、問題は、自分たちの都合のいいように解釈しなおして、つまりはわかりやすくして採り入れようとする。  たとえば、ナレッジマネジメントはTQCの延長線や発展だといえばわかりやすい。しかし、これでは事の本質は見失われ、感動のない、結果的に当座の意識刺激にはなっても現状変革につながらないものになってしまうわけです。リエンジニアリング・ブームのときと同じで、あまり新鮮さや衝撃がなく、是が非でもナレッジマネジメントや知識経営を採り入れようという実感は湧かないでしょう。 創造的企業への道——求められる知の規範  知の創造プロセスには、同時に矛盾する面があります。場を活性化させる場合、その場はたしかにカオスとか自己組織的な側面を抱えています。  では、理論レベルでいう自己組織化、つまり、放っておけば、カオスから秩序(知識)が有機生命体組織のように生まれてくる、というアイデアでいけるかというと、必ずしもそうではありません。そこにはある種の訓戒、紀律(Discipline)、マナーなど意志に裏づけられた知の規範が必要になってきます。どうしても、ある種の秩序生成の「意思」というものが必要になるわけです。  知の規範とは、いわば知識創造企業におけるしつけ、共有知です。これは日々磨いていく、そういったイメージです。一方にはきわめて自由な創造的マインドがある。規範にはさまざまあるでしょうが、締めつける、統一するといったものでなく、創造に向けた真摯さ、自己超越的自己観察といった、きわめてポジティブな意味で言っているわけです。それにカオス。そういった状態は、知の本質的なものかもしれません。たとえば、花王の常盤文克会長のいう「自然の知」でしょうか。  それらをどううまく調和させるか、そこではカオスの中での矛盾する要素に対して「either or」(どちらか一方)の選別発想でなく、「both and」(どっちも)の共生発想が必要でしょう。実際に企業を見ると、面白い組織ほど、徹底的に効率を追及しながら、創造性も中途半端でなく追及しています。つまり、一方の極を強めると他方も自ずから同調する、といえるわけです。  たとえば、ヒューレット・パッカードでも「個の自立性」を謳いながら、きわめてシビアな成果の測定をします。3Mなどもそうでしょう。創造的企業を標榜して新製品開発費が何パーセントとか言いながら、一方では徹底的な業績評価をしています。必ずコントローラがプロジェクト・チームに参加している。実はコントローラの存在とか「効率」の議論をきわめていくと、対極にある創造性とは、ものすごく厳しいものだな、ということが同時にわかるのだとおもわれます。  創造性をきわめていくと、やはり、個の創造性を業績成果につなげるためには、非常に機動的かつ効率的な仕組みに落とし込まざるを得なくなります。またそうやって焦点を当てられた創造的活動が革新を起こす。そこでは以前とは異なる効率メカニズムが現れる。  効率だけ追い求めていくとどこかで壁にぶつかるが、創造性を持ってするとまったくレベルの違う効率性が生まれてくる、というのはイノベーションの基本的定理といっていいでしょう。  陰と陽、その一方をきわめていくと、必ず次の展開のときには、その反対のなかに芽が出てくる。そういう意味で、もういちど知の組織的創造を自らで見直してみる、自らのありようを徹底的に反省してみる必要があります。そこがわかれば、まさに知の創造のありようが、二一世紀に向かって、見えてくるのではないでしょうか。  すでにグローバルな競争はあらたなモード、すなわち量産製造業型から知識産業型モードへと移行しました。この時代の要は、技術に限らず、核となる製品・サービスのイノベーション(知識創造)、グローバルな仮想組織をつうじたパートナー企業との知識共有、顧客との知識の共有、顧客への継続的知識提供などです。  企業が「売るもの」は、社員・パートナーである知識ワーカーに体現された組織の知識や能力、製品に埋め込まれた知識、顧客の問題を解決するための体系的知識だといえます。顧客は、提供された知識とサービスの価値に対して評価し、支払うことになります。  一方、企業が質の高い知を創造するには、高い次元から眺めること、知とは何かを問う哲学が求められるでしょう。それは「志の高さ」にもつながるもので、当然トップの課題でもあります。マーケットはそこまで見て企業を評価するようになるでしょう。  こうした、経営のあらゆる場面で知識をめぐるシステムを構築し、事業・製品の提供を行なっていくのが、二一世紀の企業像であることは疑いありません。ただし、それは古典的な意味での企業の形態だけでなく、非営利組織、コミュニティ、個人やそのグループを含め、それらが多様に結びついた、有機的な組織像を構成するでしょう。そこで生きることは、二〇世紀の企業や経営の限界、枠組みや形態を超えた、知識産業・知識集約型社会の創造の一翼を担うことなのです。 【参考文献】 1. 野中郁次郎『知識創造の経営』日本経済新聞社 一九九〇年 2. Nonaka, I."The Knowledge Creating Company"ハーバード・ビジネス・レビュー(日本語版・紺野登訳)一九九一年 3. 紺野登・野中郁次郎『知力経営』日本経済新聞社 一九九五年 4. 野中郁次郎・竹内弘高『知識創造企業』(梅本勝博訳)一九九五年 5. Nonaka, I. & N. Konno "The Concept of "Ba" : Building a Foundation for Knowledge Creation" California Management Review 1998, 40 (3) 6. 紺野登『知識資産の経営』日本経済新聞社 一九九八年 7. 清水博『新版 生命と場所』NTT出版 一九九九年 8. Nonaka, I., R. Toyama and N. Konno "SECI, Ba and Leadership" : A Unified Model of Dynamic Knowledge Creation”in Teece, D. J. and I. Nonaka(eds), New Perspective on Knowledge-based Firm and Organization, Oxford University Press 2000 【その他関連資料・情報についてはコラム ホームページ・アドレス http://www.column-inc.com】 あとがき  「ナレッジマネジメント」は流行語とさえいえるが、知で企業を革新することは流行とはいえない。これは二一世紀に向けた世界的潮流となっているが、そのなかで日本企業の有する知識資産の厚み、組織的な知識創造の能力は大きな可能性を秘めている。そもそも日本的経営の本質とは、経営の方法論でなく、過去の歴史的経緯で社会組織に蓄積された知のことだったのではあるまいか。  しかし、従来のシステムレベルでの日本的経営が一時の役割を終えた今、現在の日本企業はそうした知の蓄積を活用する術をすっかり忘れてしまったかのようである。これではその知も眠ったままとどまってしまう。さらに少子化・高齢化の中で風化していく。しかもわれわれが知で革新していくためにはあまり多くの時間が残されていない。  知のリニューアルこそが企業革新につながるのだが、放っていては創発は起きない。そこには強い衝撃力が必要だ。つまり知を軸とするトップの強力なリーダーシップとビジョンが不可欠の触媒となる。当然だがそれらのビジョンは社会的な知識資本としてのパースペクティブを持たねばならない。トップや企業をサポートする強力な社会的経済的システムも必要だ。そして組織的な新しい知の方法論! 本書の背後にはこうした思いがある。  小書だが本書にはこれまでの蓄積が凝縮されている。よい理論は実践的である。理論なき手法は永続しない。本書の成立は、多くの人の知に負っている。とりわけ、最近の理論ならびに実証研究の展開については、北陸先端大学院助手遠山亮子(文献8参照)、横浜市立大学助教授佐々木圭吾に負っている。とくに場に関する理論は、日本的な経営の知に迫る新しい切り口である。マクロレベルの知識経済、ニューエコノミーへの動きは、当然ミクロレベルでの企業の知識創造と知識資産活用とに結びついている。それはネットワークというよりは、場の経済、場の経営である。知識経営にとって、場は有意義な視点を提供してくれそうである。というのも、形式知を組み合わせただけのナレッジマネジメントには限界があり、それを知識経営に結びつけてくれるのは場の働きだからである。  どこまで企業の実践で明示的に行われるかはわからない。しかし、二一世紀の高質の知識経営は実は暗黙知(アナログ知)と形式知(デジタル知)をダイナミックに統合する日本企業から発信される、と期待している。  さいごにわがままな筆者に根気よくつきあって頂いた筑摩書房の湯原法史、山野浩一両氏に心より感謝致します。 野中郁次郎 紺野 登 野中郁次郎(のなか・いくじろう) 一九三五年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。富士電機製造勤務ののち、カリフォルニア大学経営大学院(バークレー校)にてPh.D.取得。南山大学経営学部教授、防衛大学校教授、一橋大学イ.ノ.ベーション研究センター教授を経て、現在、一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授、北陸先端大学院知識科学研究科教授、カリフォルニア大学バークレー校ゼロックス知識学特別名誉教授を併任。著書に『知識創造の経営』(日本経済新聞社)、『知識創造企業』(共著、東洋経済新報社)など。 紺野 登(こんの・のぼる) 一九五四年東京生まれ。早稲田大学理工学部卒業。博報堂勤務ののち、現在、コラム代表。知識産業のコンサルティングを行う。北陸先端大学院客員助教授、千葉大学大学院自然科学研究科講師を歴任。著書に『知識資産の経営』(日本経済新聞社)、『知力経営』(共著、日本経済新聞社)など。 本作品は一九九九年一二月、ちくま新書として刊行された。 知識経営のすすめ ナレッジマネジメントとその時代 -------------------------------------------------------------------------------- 2002年1月25日 初版発行 著者 野中郁次郎(のなか・いくじろう) 紺野 登(こんの・のぼる) 発行者 菊池明郎 発行所 株式会社 筑摩書房 〒111-8755 東京都台東区蔵前2-5-3 (C) NONAKA Ikujiro, KONNO Noboru 2002