AV女優(下) 〈底 本〉文春文庫 平成十一年六月十日刊  (C) Mitsuo Nagasawa 2002  〈お断り〉  本作品を「文春ウェブ文庫」に収録するにあたり、一部の漢字が簡略体で表記されている場合があります。  また、差別的表現と受け取られかねない表現が使用されている場合もありますが、作品の書かれた当時の事情を考慮し、できる限り原文の通りにしてあります。差別的意図がないことをご理解下さいますようお願い申し上げます。 〈ご注意〉  本作品の全部または一部を著作権者ならびに(株)文藝春秋に無断で複製(コピー)、転載、改ざん、公衆送信(ホームページなどに掲載することを含む)することを禁じます。万一このような行為をすると著作権法違反で処罰されます。 AV女優(下)│永沢光雄│目次 倉沢まりや   自分が幸せかどうかなんて多分、死ぬまでわからないと思う 美里真理   たとえば窓からフッと入ってくる風とかに幸せを感じたい 水野さやか   アイドル歌手になるのはわたしの一生のテーマですから 日吉亜衣   下町の人間は、どんな人でもみんな生きてるって顔をしてたもん 南条レイ   カナダで“家なき子”してきた勤労大好き少女 桂木綾乃   しょせんセックスでは心は充たされないんでしょうか 森川まりこ   三度父親が替わった少女は晴れた日には海を見ていた 宏岡みらい   自分で納得のいく、これがAVだっていう作品を作りたいですね 氷高小夜   そういう女を跪かせて奴隷のように扱うのが好きなんですよ 白石奈津子   エリートコースから跳び出したお嬢様の波瀾の人生 栗田もも   演歌を歌いあげる金髪少女 中井淳子   ポテトチップスを一袋食べてみて、心の底から「自由だ!」って思いました 山口京子   自分っていう人間がいたことを、どこかの誰かにいつまでも覚えておいて欲しい 観月沙織里   小六で母親に蒸発され、弟と妹の面倒を見てきた女の子 白石ひとみ   十八年ぶりの生まれ故郷、品川区戸越銀座にて 片山唯   わたしの周りの人間たちって、本当にどいつもこいつも…… 刹奈紫之   わたしがヤッてあげたあの女の子ら、今頃どうしてるかなあ 松本富海   刺青を入れて、自分も富海彦と同じつらさを共有しようと思った 柚木真奈   これからは、わたしが人を愛したい 川上みく   言葉なんてわたしには要らないって決めたの 今村淳   本物のシティボーイだった   永沢光雄〔文庫版のためのあとがき〕 初出一覧 ACKNOWLEDGMENTS      章名をクリックするとその文章が表示されます。 [#改ページ] AV女優(下) [#改ページ] 倉沢まりや AV Actress Mariya Kurasawa 自分が幸せかどうかなんて多分、死ぬまでわからないと思う

 インタビューの最中、倉沢まりやの携帯電話がツルルッと鳴った。 「ハイ。お、お母さん。ウン……ウン……ハイ……あのね、いま仕事中なんだ……ウン……わかってる……ハイ……仕事中だから……インタビューのお仕事……ウン、じゃ今夜必ず電話をするから……ウン、じゃあね」  倉沢まりやは電話を切るとその大きな目を閉じ、フーッと溜息をついた。 ——お母さんからの電話? 「ウン」 ——なんだって? 「一週間前にね、わたしがアダルトビデオに出てるってことが、家族にバレたの。そのことで話があるみたい……」 ■今やめちゃうと、わたしが悪いことをしていましたって  認めることになるじゃん  少年は高校一年生である。普通の高校生と同じように少年は学校の帰りに友人とコンビニエンスストアに寄り、女性のヌードの載っている雑誌を立ち見するのが日課だった。今年の夏ぐらいからだろうか。少年は、どうも最近雑誌のグラビアに姉に似ている女性がヌードで登場しているなと思い始めた。でも、まさか、まさかお姉ちゃんがそんなことをするわけがないよ……きっと……。  少年の姉は、少年が中学生の頃に家を出て行った。どうやら通っていた女子高を中退したらしい。そのころ、夜になると姉と両親の言い合う声が居間から聞こえていた。そして気がつくと姉は家からいなくなっていた。少年が母親に「お姉ちゃんはどこに行ったの?」と尋ねても母親は「大丈夫よ」と暗い顔をして答えるばかりで何も教えてくれない。大学病院に勤務している医者の父親は、姉が家を出て行ってから、仕事から帰ってくると自分の部屋に閉じ籠り、少年や少年と五歳離れた妹とは口をきいてもくれなくなった。なにかすごく悩んでいるらしい。多分、姉のことだろうと少年は思った。  少年の姉は三カ月に一ぺんぐらい、プラッと家に帰って来て、食事をしてまたどこかへ戻って行く。帰ってくる度に姉の化粧が濃くなっていくのが気になったが、少年は姉に何も言えなかった。物心ついた時から姉は親についで怖い存在だったから。 「わたしって長女なんだけど、ワガママだから一人っ子みたいだってよく言われるの。そりゃそうよ。五歳の時に弟ができるまでわたしは一人っ子で、周りじゅうから蝶よ花よってチヤホヤされて育ったんだもん。三つ子の魂百までってよく言ったもんよね。お嬢様なの、わたし。弟? 性格がオットリしていてすっごくいい子。弟じゃなかったら結婚したいぐらいよ」  ある日、少年は友人に誘われて友人の家でアダルトビデオを観ることになる。少年も男だ。その類いが嫌いなわけはない。ドキドキしながらビデオが再生されるのを待った。そして、映し出されたのはまごうかたなき我がお姉ちゃん。雑誌で見た時はまだ疑心暗鬼だったが、ビデオでその声、表情、しぐさを目にすればもう間違いはない。  少年は悩んだ。どうしよう。母親に言おうか? だが母親はショックを受けて寝込んでしまうかもしれない。それはかわいそうだ。だがそれ以上にかわいそうなのはお姉ちゃんだ。アダルトビデオに出るなんて、絶対に悪い人間にだまされているに違いない。どうにかしなくてはいけない。  迷った挙句、少年は天の岩戸のようなドアを開けて父親に告白した。そして、「お姉ちゃんがかわいそうだよ。親父だったらなんとかしてやれよ」と泣いた。今まで親の前では涙を見せたことはなかったが、この時は涙で瞼が腫れて目が開かなくなるほど泣いた。  医者である父親は、黙って長男の訴えを聞いていた。 ——それが一週間前のことなの? 「うん。たまたま実家に電話したら、お母さんに言われたの」 ——それで、AVはやめるの? 「ううん。やめない。だって悪いことをしてるっていう気持ちがないもん。そりゃ、やめてしまえば一番平和的な解決になるよ。でも今やめちゃうと、わたしが悪いことをしていましたって認めることになるじゃん。だからやめない。お母さんも話せばわかってくれると思うし、弟もあと二、三年たって大人になれば理解してくれると思う。お父さん? ウーン、どうかなあ……」 ■もう、お前のことは生徒として見れないよ  男は女子高の体育教師だった。二十六歳。大学時代は野球部の選手だったこともあり、放課後はソフトボール部の顧問として部員を熱血指導していた。会社社長の娘とか医者の娘とか、俗にお嬢様といわれている生徒が集まることで有名な学校だが、グラウンドに出ればお嬢様もへったくれもない。ビシビシとしごく。今年も新入部員が十数人入ってきた。その中に一人、身長は低いがバッティングセンスのなかなかいいものを持っている子がいる。鍛えれば二年生時には四番を打てるだろう。楽しみだ。だがその子、どうも他の子とは様子が違う。子供なのに妙に色っぽい。練習中に視線を感じてふと振り向くとその子と目が合う。いや、それは気のせいに違いない。この学校に教師として就職した時、教頭に言われたではないか。生徒とプライベートな問題だけは起こしてくれるなと。よし、練習練習。 「本当は校則の自由な共学の高校に行きたかったんだけど、成績が悪かったから親のコネでその女子高に入学したの。入学試験なんて0点ばっかりだったんじゃないかなあ。クラブ? ソフトボール部に入った。本当は高校に入ったら帰宅部になって、バイトと男に精を出そうと思ってたのね。わたし、子供の頃からませてて男が好きだったのね。オナニーは小四の時からしてるし、初めてのオナニーでイッちゃったもん。でもまだバージンだったの。だから高校に進んだらクラブなんかに入らず、セックスっていうやつをしちゃおうと思ってたの。だけど、ソフトボール部の先生に一目惚れしちゃったんだ。超かっこいいんだもん」  どうやらあの胸の大きい妙に色っぽい新入生は、自分のことを一人の男として好意を持っているらしい。若き高校教師はそう思った。どう調べたのか、自分がアパートに帰ると、ドアの前に彼女が毎日のように立っているからだ。何度「こんなことは二度とするな。話があるなら学校で聞いてやるから」と言っても彼女はきかない。今日も酒を飲んで帰ると彼女が待っていた。思わず平手で彼女の顔を叩き、「帰れ!」と怒鳴ってしまった。彼女は泣きながら帰って行った。決して悪い子ではない。それはわかるのだが……自分も教師だ。超えてはいけない一線があることを知っている。 「殴られてさ、『帰れっ』って怒られたら普通は諦めるよね。でもわたしは諦めなかった。わたし、欲しいモノは手に入れなきゃイヤなの。どんな手段を使ってもね。  いろんな小細工したよ。部室で突然倒れたりするのよ。貧血のふりをしてさ。すると先生が抱き上げて保健室に運んでくれるでしょ。それと、先生が当直の日の夜に学校に電話をして、『ノートを忘れちゃったんですけど今から取りに行ってもいいでしょうか』って言って先生に会いに学校に行ったり。  でも最初の頃はさんざん拒否された。とうとう、『お前は退部だ。もうグラウンドに出て来なくていい』とまで言われちゃって。それでヤケになったわけじゃないけど、高二になって、親友の女の子の彼氏と初体験しちゃったの。抱かれながら、親友に悪いなあとだけ思ってた。そのあと、ナンパしてきた大学生とつき合ったけどすぐに別れた。やっぱり先生のことが忘れられないのよ。先生って他の部員がいる前ではわたしのことをガンガン怒るんだけど、二人っきりになるとなんかふっとわかるものがあったのよ。せつない顔をしたりして、好意を持ってるんだなってのがわかるのよ。だから頑張れたんだと思う」  長い夏休みが終わり二学期が始まった。体育教師はいつものように近所の飲み屋で酒を飲んでいた。夕刻から降り始めた雨がやむまでここで待つつもりだったが、雨は大降りになるばかりで十一時を過ぎてもやむ気配を見せない。仕方なく体育教師は飲み屋で傘を借り家路についた。台風が近づいているのか、ビニール傘など役に立たないほどの風と雨である。「こりゃひでえや」と一人言をつぶやきながら自分の住むアパートに近づくと、人影が雨の向こうにボンヤリと見える。まさかと思い目をこらすと、それはやはり、あの一年生の時はバントが上手なので二番を打たせ、今はさんざん叱りながらも四番を任せている子だった。全身ずぶ濡れになりながら、彼女は手に四角形の包みを持って胸で抱えるようにしている。断っても断ってもいつも自分で作って持ってくる弁当に違いない。喉が急にヒリヒリと乾くのを感じた。 「おい」  声をかけると、教え子がなんともいえない潤んだ目でこちらを振り向いた。 「もう、疲れちゃったよ……」  その言葉を聞くや、体育教師は傘を放り出し、そして次の瞬間、教え子を抱きしめていた。 「もう、お前のことは生徒として見れないよ」  自分の発した言葉が、他人の声のように体育教師の耳に響いた。 「先生、愛してる」  自分の胸に顔をうずめた女子高生が言った。 「キャーッ、いま思い出しても嬉しくなっちゃう。頑張ってよかった……。あのね、七時ぐらいから先生を待ってたの。そしたら、十一時ぐらいにやっと先生が帰ってきたの。でもすごく恐い顔をしてわたしを見てるの。ああ、またいつもみたいに怒られるんだろうな。殴られて『帰れ』って言われるんだろうなってボーッとした頭で思ったの。その時、ふと『疲れちゃったよ』っていう言葉が出たのね。その時、先生がギュッとわたしを抱きしめてくれたの」 「お前が卒業するまで、俺はお前と肉体関係をもたない。そのかわり、卒業したら、結婚しよう」  体育教師は女子生徒にそう言った。おおっぴらにデートはできないので、二人のデートは専ら教師のアパートでビデオを観ることだった。教師はアメリカ映画の『トップガン』が好きだった。二人で肩寄せ合って何度も『トップガン』を観るうちに、教師は自分をトム・クルーズに、そして女子高生は自分をメグ・ライアンに重ね合わせるようになっていた。二人で自分たちの前に立ちはだかる何か大きいものと戦っている気分だった。教師も女子高生も幸せだった。一度、女子高生がいきなり教師の唇にキスをしたことがある。 「やめろ! 駄目だ! そういうことはお前が卒業してからだ!」  面白がってもっとキスをしようとする女子高生を、教師は突き倒して拒否した。だがその顔はもはやあのグラウンドで見せるそれではなかった。  だが、いつも部屋の中で会ってばかりでは息がつまる。冬のある日曜日、二人は食事をしようと外で会った。女子高生は嬉しくなり、恥ずかしがる教師と腕を組んで歩いた。  それを他の生徒の親に目撃されたのである。その親はすかさず学校に報告。  教師は懲戒免職となる。 「二年生の終業式の時、先生がやめることになったという告知があったの。人気のある先生だったから、みんな『エーッ、なんで』って驚いてた。その後、廊下でわたしは先生が職員室から出て来るのを待ってたの。先生が出て来て、わたしを見たの。わたし、先生が何かを言ってくれるのを待ってた。考えてみると、それまでって、わたしの方から一方的にしゃべってばかりで、先生の方からわたしに何かを言ってくれることってなかったの」  しばらく女子生徒の目をじっと見つめ、そして教師は重い口を開いた。 「お前は頑張って卒業しなさい」 「そんなこと言わないでよ」  女子生徒は泣いた。こんなことになったけど俺はお前を愛している。俺について来て欲しい。そう言って欲しかった。 「そんなこと……言わないでよ」 「家に帰りなさい」 「先生……」 「早く行きなさい。さよなら」  女子高生は三年に進級できたが、惚れていた先生のいない学校に通う気はさらさらなかった。そのかわりに、毎晩のようにディスコへ通った。世の中すべてに「ほっといてよ」と怒鳴りたい気分だった。そんな彼女に学校は自主退学することを求めてきた。教師のせいで生徒がそうなった手前、さすがに学校側から一方的に退学にはできなかったのだ。女子高生は学校をやめ、家を出て歳をごまかして女子大生クラブで働き始めた。  家を出る時、母親は「一人で生きて行くって立派なことだと思うから反対しないけど、あなたの部屋はそのままにしておくから、いつでも帰ってきていいんだからね」と言った。父親は自室に閉じ籠り出て来なかった。 ■わたしって、女の幸せを掴んじゃったのねって思った  男はヤクザである。四十二歳。関西系の暴力団の幹部である。最近ちょくちょく顔を出すクラブに気になる女の子がいる。本人は二十歳だと言っているが、せいぜい十八歳ぐらいだろう。どんなに化粧をしていても、二、三言葉を交わせばその幼さはわかるものだ。その女の子は、自分が店に行くと指名もしていないのにまっさきに飛んで来て隣に坐る。それまでついていた客のことなどお構いなしだ。そしてニコニコして水割りを作りながら、「お客さんってかっこいいよねえ。本当にかっこいい。多分世界で一番かっこいい四十二歳だよ」と言ってくれる。正直言って悪い気はしない。つい、「お前は可愛いなあ」と口走ってしまう。我ながら自分の娘のような女に何を言ってるんだと思うが、その子には年齢差を忘れさせる妙な色気があるのだ。  男はその店に通ううちに、段々と自分の気持ちがその女の子にのめり込んでいくのを知った。つき合っている男はいるのかと訊くと、若いプータローと一緒に暮らしているらしい。思わず「けっ、そんな奴とは別れちまえ。俺が部屋を借りてやるよ」と言ってしまう。あれっ、俺は一体何を言ってるんだろう、と男は思った。今でも二人の愛人を囲っているのに……。ま、しょうがねえか。この子は可愛いし、なんたって男が一度口にした言葉を引っ込めるわけにはいかねえ。女の子はもう目をキラキラさせて、「本当? ワーッ、嬉しい。じゃあもう今の男とは別れるわ!」とはしゃいでいる。ほんの少し、その若い男が気の毒になった。が、まあ女ってえもんはこういうもんだ。  男が携帯電話で下のモンに訊くと、あまりいい物件がないらしい。仕方ない。それなりのマンションが見つかるまで、とりあえずヒルトンホテルのダブルにでも住まわせよう。 「もうラッキーみたいな感じ。次の日にはさっさと荷物をまとめてヒルトンホテルに移ったの。お小遣いは一日に十万円。食事は毎日ルームサービス。買い物に行く時はフロントにキーをポーンと渡して、『タクシー呼んでちょうだい。部屋のおかたづけお願いね』って感じ。気分はプリティウーマンよ。頭の中でいつもあの映画のテーマソングが鳴ってたもん。わたしって、女の幸せというものを掴んじゃったのねって思った。  セックス? 三日に二回ぐらいの割合だったかな。セックスはノーマル。チンチンもあんまり大きくなかったし。真珠は入ってたけど、あれは気持ちいいもんじゃないね。単にヤクザの自己満足だよ。  ホテルでは三カ月ぐらい暮らしたかな」  やっといいマンションが見つかった。家賃は三十万円。男はホテル住まいをさせていた女の子をさっそく引っ越させた。「今日からここがお前の部屋だ」と言ったら、女の子の喜ぶこと。その笑顔をみるとさすがに男も嬉しくなった。 「でも、二カ月で疲れちゃった。稼業で大阪や九州に連れて行かれるし、組のオヤジさんのネエさんがカラオケの店を出すと、そこの手伝いをさせられるし……。それで別れたいって言ったの。その人は『好きにしろ』って言ってタクシーに乗って他の愛人のところに行った。なんにももめなかったよ。そんなことでゴチャゴチャ言うようなチンピラだったら、最初からつき合わないよ」  男はタクシーの中で思った。この半年であの小娘につかった金はいくらぐらいだろう。男は頭の中でちょっとイヤだったが電卓を叩いてみた。約一千万か……、フッ。まあ、小娘とはいえ女。女なんてそんなもんだ。しかし、あんなにアッサリと俺に「別れたい」と言った女は初めてだったな。 「でも、あのヤクザの人との経験がなかったら今でも『人生はお金、お金』って言ってると思うんだけど、お金がいっぱいあっても幸せになれないって気づいたから、よかったかな、みたいな……」 ■だからよくヤリテババアっていわれた  男はエアコン会社の営業マンである。二十五歳、月収十八万円。恋をしている。相手は数カ月前に同僚と一緒にたまたま飲みに行ったカラオケパブで働いている女の子。目と胸が大きく、妙に色っぽい。営業マンの給料ではかなり苦しかったが、店に通いつめ、ついに店外デートにこぎつけた。その日のうちに彼女のマンションへ行く。立派なマンションで驚く。訊くと、前に交際していたヤクザの方に借りてもらった部屋とのこと。家賃は三十万円で、今も十万円はそのヤクザの方が払ってくれているらしい。営業マンはそれを聞きかなりびびったが、ええいままよ。僕は彼女を愛してるんだ。愛はヤクザにも勝つ……と思う。営業マンは彼女を抱いた。  その日から営業マンは彼女のマンションで生活をすることになる。最初のうちこそ、ヤクザの方がいつ訪れるかと気が気ではなかったが、何事もないのでいつしか気持ちが落ち着いてきた。やはり彼女の言うとおり、ヤクザでも偉い方は小さなことにはこだわらないのだろう。  それにしても、と営業マンは思う。なぜ彼女はあんなにお金持ちなのだろう。二人で焼き肉を食べに行っても彼女はいつも骨つき特上カルビを頼むし、この前の僕の誕生日の時なんか赤坂プリンスホテルのスウィートルームをとって、ルームサービスでドンペリを注文してくれた。もちろん勘定はすべて彼女の払い。ホテルをチェックアウトする時にそっと伝票を覗いたら、二十三万円だった。スウィートルームもドンペリも生まれて初めての体験だったから嬉しかったが、しかしこんな金銭感覚の女性と上手くつき合っていけるだろうか。少々不安だが、けど僕は彼女と結婚したい。もうどうしようもなく僕は彼女を愛している。  男は女を自分の両親に紹介した。女も両親も幸せそうだった。男は、嬉しかった。 「その頃の収入源? 主にね、水商売の女の子のスカウトをしてた。一人紹介すると五万円もらえるの。いい女の子を(店に)入れるとその子の指名料が何パーセントかバックマージンで入ってくるのね。だからわたしが何もしなくても一人あたり月で十五万円は入ってたかな。あと接待でつかう子を入れると十万円。接待っていうのは、つまり売春。女の子には五万円あげてたから良心的でしょ。いいんだよ。みんながいい思いをするんだから。わたしも女の子もお店も金が入る。お客さんは気持ちいい。ね、誰もイヤな思いをしてないでしょ。わたし? わたしは売春はしないよ。だからよくヤリテババアっていわれた。  彼? 普通のサラリーマンとつき合うのが初めてだったからすごい新鮮だったの。それに誠実で優しかったから、この人と本当に結婚しようと思ってた。『早くウェディングドレスを着せてよ』ってわたしの方から迫ってたんだよ。ヤクザのマンションを出て、二人で部屋も借りたし、家賃は十二万円。それは今でもわたしの親が払ってくれてる。『お前が大学に行くために貯めてたお金があるから、家賃ぐらい払ってあげる』って。  でも、ビデオに出ちゃったんだ。それまでも街を歩いててよくAVにスカウトされてたんだけど、そんなのに出るなんて証拠が残るもんだから、そんなの出るのは頭の悪い子だと思ってたの。水商売や売春は後に残らないからそっちの方がかしこいなと……。でも知ってるコンパニオンの派遣会社の人から、「写真だけ撮らせてくれ。女の子を連れて行かなきゃいけないんだけどいい子がいないんだ」って泣きつかれて、写真だけ撮ったの。そうしたら、もう、AVの仕事が決まっちゃってたのね。でも、そこで断らなかったってことは、実はわたしイヤじゃなかったんだよねぇ。スチール写真を見た時、わたしだってバレるってすぐわかったよ。普段からメイク濃いしさ。  ビデオを一本、二本って撮っていくうちに、グラビアの仕事も増えてきたでしょ。ああ、こりゃもう彼氏にバレるなと。バレたら別れることになるなと。そう思ったらヤケになって、またディスコ通いを始めたの。ダメになるならわたしの方からダメにしてやれ!」  今日もやっと仕事が終わった。その日も一日中外を歩き回った営業マンは、重い足取りでアパートの階段を登った。だがこれも愛する女と結婚するためだ。少しでもノルマ以上の仕事を果たし、少しでも給料を上げなくちゃいけない。その彼女は今日は久し振りに実家に帰ると言っていた。じゃあ今日はカップラーメンでも食べて寝るか。明日も早いことだし。  背広のポケットから鍵を取り出してドアを開けようとして、営業マンはオヤッと思った。部屋に明かりがついている。変だな。あっ、彼女は実家に帰らなかったんだ。じゃあ今日はフンパツして二人で焼き肉でも食べに行こうかな。僕が払うから普通のカルビだけど。  ドアを開け営業マンは愕然とした。  ベッドの上には愛する彼女が全裸で、そしてその横には見知らぬ男がやはり全裸で寝ていたのだ。その男が物憂げに「おい、誰か入って来たぞ」と言った。「えっ」と言って女が身を起こす。乳房がプルンと揺れる。女はドアの方を見た。営業マンと目が合った。女の唇の端が微かにゆがんだ。笑ってるような泣いてるような、よくわからない表情だった。女は素早くベッドから降りるとガウンを身にまとい、営業マンを部屋の外に連れ出した。そして言った。 「わかったでしょ。わたしはこういう女なのよ!」  気がつくと営業マンは駅に向かう道を一人で歩いていた。今から自分がどこに行こうとしているのかわからなかった。ただ、今の自分には受けとめきれないほどの悲しみが訪れたことだけはわかっていた。  再び倉沢まりやの携帯電話が鳴った。 「ハイ……あ、いま帰って来たの? 今、仕事中なの……ウン……ウン……わかった、できるだけ早く帰るから……お腹すいてる? 冷蔵庫の中にいろいろ入ってるから適当に食べてて。ウン、じゃあね」  倉沢まりやは、いかにも「ウン、しょうがないんだから」という風に困ったような笑いを浮かべて電話を切った。 ——彼氏? 「ウン。営業マンの人の次の彼氏。年下なの。営業マンの人と別れてからは、もう男なんかいらないと思ったのね。ずっと男がいたから、もういいやって。どうせAVなんか理解してくれる男はいないんだから、こうなったら仕事をして遊びまくって、男をどんどん食ってやろうと思ってたのよ。でも、仕事を理解してくれる彼ができたの。  アッ、その前にもう一人大変なのがいたんだっけ……」 ■初めは可愛かったんだけど、やっぱり束縛しようとしてくるのよ  男はホストクラブのホストである。二十三歳。店ではナンバーワンの地位を誇っている。ホストは真剣に女に恋をしてはいけない。そんなことは重々承知のはずの男が、恋をしてしまった。相手は店に客として来た若い女の子である。その目と胸の大きい女の子はのっけから「わたしはアダルトビデオに出てるのよ」と言った。そのあっけらかんとした性格となんともいえない色気に、男の胸はドクンと高鳴った。アレ、これはなんだ? もしかしたら、これが恋ってやつか? 「好きだ」と男は女に言った。だがしょせんホストの言うことである。女は「なに言ってんのよ」と相手にしない。それでも女は男のことが気に入ったらしく、ちょくちょく店にやって来た。その度に男は女を口説いた。「俺はお前のことが本当に好きだ。だから一緒に暮らそう。仕事が終わったらすぐに帰る。女の客への営業の電話も絶対にお前の目の前でしかしないし、給料も全部お前にやる。お前の仕事も理解するから、どうか俺と一緒に住んでくれ。結婚してくれ」 「ラッキーって感じ。やっぱり男がいないと淋しいし、そいつスッゲーいい男でディスコでも有名で……わたしそういう男の子が好きだから……ウン、超メンクイ。でもいざ一緒に暮らし始めると、わたしの仕事を理解してるって言っててもやっぱり束縛してくるのよ。極端な話、わたしが仕事に行く前と、仕事から帰って来た後は、必ずわたしを抱こうとするの。こっちは仕事でクタクタなんだから、セックスなんてもうまっぴらご免なのよ。それで『疲れてるから』って断ると、『他の男とからんで疲れたのか!』って怒るの。それでわたし、プツンって切れちゃった。もうこの人とは別れたいなって」  ある朝、ホストが仕事を終えてアパートに帰ると、ちょうど女が仕事に行くために部屋から出て来た。「よお、頑張ってこいよ」と声をかけようとして、次の瞬間、ホストは愕然とした。彼女の後ろから同じ店の後輩のホストが出て来たのだ。あいつが昨日店を休んだのはそういうことだったのか。ホストは激怒した。だが女と後輩はそのホストの姿にいち早く気づき、逃げるように走ってタクシーに乗ってしまった。  数日後、ホストは覚醒剤を打って車を運転し、ガードレールに衝突し警察に検挙された。 ——じゃあ、さっきの電話の彼氏っていうのは、その後輩のホストなの? 「そう、今はホストクラブをやめて専門学校に通ってるけど」 ——その彼とは長続きしそう? 「ウーン……初めの頃は可愛かったんだけど、最近はそうでもなくなってきた。やっぱり束縛しようとしてくるのよ。それなりの器もない男が『俺についてこい。俺の言うことを聞け』って言ったって、ちゃんちゃらおかしいよね」  この文章が活字になる頃は、また一人、涙を流している男がいるに違いない。 ——今までつき合った男たちの中で、誰を一番愛してた? 「やっぱり先生かな。今でも先生が好きだって言ってくれれば、仕事も男も放り出して一緒になる。でも、もうあの頃の自分じゃないからなあ……今のわたしじゃダメよ……先生には似合わないわ……」 ——これからの展望はどんなことを考えてる? 「テンボー……あのさ、わたしって幸せだと思います? 今の自分が幸せかどうかわからないの。さんざん自分の好きにやってきたのはわかるんだけど、でも幸せかどうかわからないの。多分、死ぬまで自分が幸せかどうかなんてわからないと思う……」 AV Actress Mariya Kurasawa★1994.12 [#改ページ] 美里真理 AV Actress Mari Misato たとえば窓からフッと入ってくる風とかに幸せを感じたい

 大洋図書の六階にあるスタジオの窓を開けると、深まった秋の肌寒い風が入り込んできた。都内の町並みの上には灰色の雲が広がっている。今にも冷たいものが落ちてきそうだ。  昔から曇り空が好きだ。特に今日のような土曜日の昼下がりなど、何をするでもなく部屋の中から窓の外の空を覆う雲を眺めていると、体の中がシーンと静かになり気持ちが落ち着く。  だから、美里真理が約束の時間を一時間半を過ぎて姿を現さなくても私の心は実に穏やかだ。穏やかどころか、美里真理を待つという特権を与えられたことを幸せに感じていた。美人を待つというのはいいものだ。もしこのまま夜にならず、いつまでも昼の曇り空を眺めていられるなら、永遠に美里真理を待ち続けてもいいとさえ思った。頭の中でブライアン・イーノの水彩画のような音楽が聞こえてくる。  だがやがてそんな至福の時間は、皮肉にも待ち人の出現によって破られる。 「遅れちゃってすみません。昨日撮影のスタッフの人たちとちょっと飲み過ぎちゃって二日酔い気味なんです」  そう言って美里真理は私の前のソファに腰を降ろした。そして私が飲んでいる黒ビールの缶を目にし、一瞬眉間にシワを寄せて気持ちの悪そうな顔をした。私は恐縮し、編集者が用意してくれていた缶入りアイスティをすすめた。「ありがとうございます」と、多分彼女自身も他人の声に思えたに違いない、低くかすれた声で美里真理は言い、けだるく缶をプシュッと開け、そしてそれを淡い赤色の口紅を塗った唇に近づけると、軽く一口飲みフッと小さく息を吐いた。今度はフランソワーズ・アルディの歌声が聞こえたような気がした。アンニュイな美人に曇り空はよく似合う。 ——夕べはずいぶんと飲んだんですか? 「部屋に帰ったのが、朝の四時ぐらいだったかな。最初は焼き鳥屋さんへ行って、あとはカラオケパブ。お酒は強くないけど好きなんですよ」 ——カラオケは好きなの? 「まあ、ちょっぴり。よく歌う歌ですか? 松田聖子とかかな……演歌もたまに……」 ——マイクを握ったら離さない方? 「離します。すぐ離す。執着しないんです」 ——お酒を飲むとどうなるの? 「どうなるって……明るくなりますね。なんかヘラヘラ笑ってる」  美里真理は短くしゃべり終えると、ゾクッとするような低く艶っぽく心地よい声で「フフフッ」と笑う。その笑い声を聞き、私は思わず「でも本当におきれいですね」と口走った。すると美里真理は「とんでもないです。今日は五センチぐらい顔を塗りたくっているから、そう見えるんですよ」と言い、また低くハハハッと照れたように笑った。やっと元気が出てきたようだ。 「AVから引退? ああ、最近よくそんなことを書かれますよねえ……引退っていうのかなあ……まだね、今まで撮りだめしていたビデオは出ますよ。けど、これから新しく撮るのは少し控えようかな、と。もう二十本ぐらい出てるしねえ。今度、新宿にカラオケスナックを開店するんですよ。『モナリザ』っていうお店なんですけど。とりあえずそのお店に全力投球して、あとはVシネマとかで頑張ろうかと思ってるんです。幅広くいろんなことをしていきたいですね」 ■いい人のちょこっとイヤなところが見えると、許せなくなっちゃう  静岡市で美里真理は生まれた。両親は健在。下に弟が一人いる。小さい時から髪の毛はショートカットで男の子のように育てられたため、女の子と遊ぶより男の子と野球やドッジボールをする方が好きだった。勉強はあまり得意ではなく、宿題も友人のノートを借りて写すのが常だった。血液型はO型。本人によると、O型の人間は何かで気分がムシャクシャしていても、一晩眠ったらそのことを忘れてしまう性格の持ち主なのだそうだ。 「小学校の時なんだけど、ケンカをしても次の日にその相手と顔を合わすと、こっちの方から『オハヨー』って言っちゃうの。言ってから、あ、やばい、ケンカをしてたのになんで挨拶をしちゃったんだろうって後悔するの。ちくしょう、くやしいって」 ——今もそうなの? 「そうですね。寝ちゃうと前の日にあったイヤなことなんかすぐに忘れちゃう……でも、女って性格がねばっこいじゃないですか。わたしも大人になって、そういう部分がでてきましたね。一晩寝てもちょっと忘れられないぞっていう……女の部分」 ——それって、恋愛に関して? 「ええ、そう、男。ふられたり、裏切られたり……  だまされやすいのかな。こう見えても男の人に尽くしちゃうんですね。けっこう一途なの。料理を作るのが好きなんで、そうは見えないってよく言われるんだけど、ハハッ、作ってあげたりね。お金も貸してくれと言われれば、あれば貸しちゃう。それでだまされちゃうんですよねぇ……。  あとね、その人の部屋に行ったら他の女の人がいたり……そういうのが多い。  結局、遊び人風の男を好きになっちゃうんですよね。なんでだろう、ハハハッ。友だちなんかに、『あんな金や女にだらしない男はやめろ』って忠告されるんだけど……そういうのに魅力を感じるんだろうねえ。まだ若いから、ハハハ。だから新しい彼氏ができると、お母さんにも『また同じタイプの男だねえ。気をつけなさいよ』なんて言われちゃう。  |いい人《ヽヽヽ》には魅力を感じないかって? そうですねえ——とっても|いい人《ヽヽヽ》のちょこっとイヤなところが見えると、それが気になって気になって許せなくなっちゃう。逆に九九パーセント悪い人でも一パーセント優しいところがあったりすると、その一パーセントがとっても大きく感じちゃう。とんでもなく悪い奴だけど、でもいいところもあるんだよなって。わたしはそっち。  一〇〇パーセント|いい人《ヽヽヽ》? いない、そんなの! いたとしてもそんなのは最初だけ。だんだんボロが出てくるって。だったら初めに悪い部分をバーンって見せられた方がいいですよ。まあ、そういう本当に|いい人《ヽヽヽ》にまだ巡り合ってないだけかもしれませんけど……。  自分の悪いところはあきっぽいところですね。集中力がないというか、こらえ性がないんですね。だから写真集でも一日で撮って欲しいの、まとめてパッと。一日五時間で三日かけるよりも、一日十五時間で撮ってもらいたい。男に対しても? うん、惚れやすくてあきっぽい。矛盾してますけどね、一途って言ったのと。燃える時はガーッと燃えるんだけど、何かのキッカケでシュンッて消えちゃう。消えちゃうと、えっ、あんた誰? あんたなんか知らないわよって感じになっちゃう。一度嫌いになったら、もう生理的に受けつけなくなっちゃうもん。昨日まで『好きだよ』って言ってたのに、指一本触れて欲しくなくなる。女って薄情だよね。そういう点では男の方がぜったいに優しいと思いますよ」 ——ああ、それは言えるかもしれないなあ。男って絶対に過去の女を引きずってるし、どんな別れ方をしても相手のことをやっぱりまだ愛してる部分があるもん。だから男の背中には、表現は悪いけど水子のように過去の女性たちへの断ち切れない想いがズッシリと乗っかっている。 「うん。女もそういうところはあるけど、ちゃんと断ち切ってますからね。ふと思い出しても、それなりにいい人だったかな、と思うぐらいで……。でも男の人のその引きずりを言葉に出されるとゲンメツですね。セックスが終わった後で『前の奴よりお前の方がいいよ』なんて言う男がいるでしょ。大っ嫌い! そんなの。前の女とわたしをくらべるんじゃないわよ。失礼しちゃう」 ——俺、女の人と一緒に眠ってて、寝呆けてつい昔つき合ってた女の名前を呼んだことがありましたよ。 「……サイテー」 ——一瞬、部屋中の空気が凍りついたかと思った。 「それで、どうなりました?」 ——ケンもホロロにふられました。 「でしょうねえ……」 「嫌いなもの? まず水。水が恐いんです。子供の頃は洗面器の水で顔を洗うのも恐かった。それを克服しようとして高校の時はハンバーガー屋でバイトしたお金でスイミングスクールに通ったんですけど、とうとう二五メートル泳げなかったなあ。  あとは犬が恐い。子供の頃、近所の柴犬に膝をガブッて噛まれたんですよ。つないであると思って近づいたらつながれてなくて……。かなり血が出て、一人で病院に行きました。お母さんには転んだとかって嘘を言って。近所だったんで、わたしのことで(犬を飼ってる家と)ギクシャクして欲しくなかったんです。子供心に町内の平和を第一に考えてた(笑)。  食べ物ではシイタケが嫌い。口に入れた時に鼻にツンとくるあの匂いが駄目。色も形もイヤ。シイタケのことを考えただけで吐き気がしちゃう。ああっ、こうやって名前を口に出すだけで気分が悪くなっちゃう。他はなんでも食べれるんだけど。マツタケは好きですけど、あれは高いから食べれない(笑)」  静岡の女子高を卒業した美里真理は、東京のエアロビクスのインストラクターなどを育成するスポーツ学校に入学する。本当は俳優の千葉真一が主宰するジャパン・アクション・クラブに入りたかったのだが、そのビデオを観てあっさりと諦めた。 「だってすごい高い崖の上から飛び落ちるんですよ。こりゃわたしには無理だとすぐ諦めました。執着しないんです」  学校の入学金と引っ越し代は親に出してもらったが、生活費は新宿のレストランでウェイトレスをして稼いだ。手取りで約二十万円。高円寺の六畳一間のアパートの家賃は七万円だった。  美里真理はそのレストランで、やはり同じ学生バイトの一歳上の男性に恋をする。彼は夜はホストクラブでホストもやっており、外見も生活も派手だった。その不良っぽいところに魅かれたわけだ。そして彼のアパートでセックスの初体験。彼との関係は二年間続いた。 ——彼はどこの学校に通ってたの? 「知らない」 ——どこの出身の人? 「知らない」 ——二年間もつき合ってて、そういうことも訊かないの? 「ウン。本当に好きだったから、別に余計なことは知らなくてもよかったの。むこうもそんなことは何もしゃべらなかったし」  だがある秋の日、美里真理が彼氏のアパートに行くと彼と知らない女がいた。思わず美里真理は言葉にならない大きな声で叫んだ。彼氏はうろたえ、女はふてくされたように煙草に火をつける。その光景を見て、美里真理の中で何かがプツンと切れた。 「もう……いいや……」  美里真理は部屋を出ると電車に乗った。車窓から見える見慣れているはずの風景が未知の町並みのように思えた。そして自分のアパートに帰り、布団をかぶって寝た。 ■男の人にはあくまでもつっぱってて欲しい 「その後、いろいろな人とつき合って、そりゃ寝たりもしたけど、なんか長続きしないんです。最初は燃えあがるんだけど、すぐに冷めちゃう。すっかり忘れてるつもりでも、やっぱり最初の人のことを引きずっているのかなあ……」 ——男の方が君に熱心になると冷めちゃうんじゃないの? 「そうかもしれない」 ——俺はお前を愛してるんだ。お前がいないと俺は生きていけない、とかって言われたら? 「ワーッ。やだ! そんな男、ひっぱたきたくなる。グーで(笑)」 ——パーじゃないんだ。 「うん。グーで殴ってやる(笑)。女々しい男はイヤですね。ほら、よくいるじゃない。悲劇の主人公みたいに『昔、こういうことがあって僕はとてもつらかった』とかってグチュグチュ言う人。なんでそんなことを女に言うのか理解できない。だからどうしたって言うの? 私には関係ないでしょって感じ」 ——でもさ、男は好きな女には自分の歴史を語りたいわけだよ。そして、今まで俺はこんなにつらかったけど今は君と出会えて幸せだよ、と言いたいんだよ。 「ああ、なるほどね……そういう想いを受けとめてあげられる広い心を、これから持てばいいですね、と。ハハハ」 ——今まで男に、「愛してる」って言ったことはある? 「フフッ、そりゃありますよ。なんか遊びで、『愛してるヨーン』ってそんな感じで……」 ——じゃあ真剣に「愛してます」って言ったことは?……ないでしょ? 「ウン……ない」 ——「愛してる」って言葉が恐いんじゃない? 「恐い?」 ——永遠に「愛してる」って言える人を探し続けていたいというか、逆にいえば「愛してる」って言っちゃったらおしまいだな、と。 「アッ、それはある。こっちからそんなことを口にしたらくやしいって言うか、負けだなって感じ。フフッ、恋愛って別に勝ち負けじゃないのにね」 ——惚れてしまったら負けよ、か。 「あっ、かっこいいね、それ(笑)」 ——どうしてビデオに出るようになったの? 「新宿を歩いててスカウトされて」 ——悩んだ? 「ちょっとね。でもお金が欲しかったし、せっかく女の子に生まれたんだから、一度ぐらいそういう体験をしてもいいかな、と。若い時にしかできないしね」 ——それまではずっとウェイトレス? 「その他にもいろいろバイトしましたよ」 ——風俗店とか? 「それはない。それは」 ——どうでした? AV業界に入って。 「最初……驚いたとかじゃなくて……バカバカしいと思った。なんでわたしがこんなことをしなくちゃいけないんだろうって。でもお仕事だから頑張りましたけど……」 ——お金は貯まった? 「ある程度はね。無駄づかいせずにちゃんと貯めてますよ」 ——今は恋はしてないの? 「したいんですけどね。もう寒くなるし……」 ——今もワルっぽい男が好きなの? 「そうですね。男っぽいっていうか、野性的な雰囲気を持ってる人が好き」 ——そういう人が甘えてきたらどうする? 俺はもう駄目だとかって。 「やだ! あくまでもつっぱってて欲しい。見ればわかるじゃない、つらいんだなってことぐらい。そんな時は何も言われなくてもそばにいてあげますよ。それをわざわざ言葉で言われるとね、げんなりしちゃう」 ——今まで一番悲しかったことは? 「えー……悲しかったこと…………あまり思い出せないなあ」 ——一番嬉しかったことは? 「最初の人から指輪をもらったこと。その時はわたしが勝手に婚約指輪だと思い込んじゃったんだけど……」 ——これからの夢は? 「別にないです。わたしって子供の頃から夢を持たない人なの。それよりも、あたりまえのことに一瞬一瞬、幸せを感じたい。たとえば窓を開けた時にフッと入ってくる風とかにね。そうやって毎日を生きていきたいものです。フフフッ」  夜、この原稿を書いていると美里真理から電話が入った。 「こんにちはーッ」  インタビューをした時とはうってかわって、大きく元気な声である。今日は二日酔いではないらしい。なにせインタビューの時はあまりに小声で、テープ起こしが上手くいくか心配になったぐらいだ。 「今日からわたしの店がオープンしたんですよ。来て下さいよ。一緒に歌いましょう」  今、君の原稿を書いているところだ、と言うと、 「それじゃあ仕方ないですねえ。でもいつか来て下さいねえ」  と美里真理は言って電話が切れた。わずか三十秒ほどの会話だったが、風に幸せを感じる美里真理に励まされたような気がして嬉しかった。 AV Actress Mari Misato★1995.1 [#改ページ] 水野さやか AV Actress Sayaka Mizuno アイドル歌手になるのはわたしの一生のテーマですから

 中学の教師になって十年。もうベテラン教師といってもいい男は生活指導も担当しているので、今日は久々に抜き打ちの持ち物検査をやった。ぶーぶー不貞腐れる生徒たちのカバンや机の中から出てくるわ、出てくるわ。タバコ、ウォークマン、口紅……等々。男はいつしか慣れてしまった溜息を空しくつきそれらを没収し、職員室に持ち帰った。それらの中に一冊のアダルトビデオ情報誌があった。男は自分の机の前に坐るとその雑誌をペラペラとめくる。今流行りの女性のヘアヌードが満載で、その過激さに男は慌ててページを閉じた。 「やれやれ。今の若い奴らは恵まれているというか、なんというか……まったく……」 ■大きくなったら絶対に東京に行ってアイドル歌手になるんだ!  男はそうつぶやきながら、自分の若い頃を思い出していた。男は教育大時代、学校の近くにあるレンタルレコード屋によく通っていた。そしてレコードを借りる度に、レジの所にあるガラスケースに並べられているにっかつロマンポルノのビデオのパッケージを見ては胸をドキドキさせていた。その店ではレコードだけではなくそういったビデオも貸し出していた。見たい。だが「この美保純のビデオもお願いします」と言い出す勇気がない。  そのうち、男はその店でバイトをするようになった。といっても従業員として働くのではない。その店は三十代の夫婦が何人かのバイトを雇って経営していたのだが、夫婦には小学生の一人娘がおり、娘はいつも店内で一人で遊んでいた。何か訳があって今まで隣町の祖母の家にあずけられていて、最近両親に引き取られたらしい。三日とあげずに店に通っているうちに聞くとはなしにそんな事情を知った。そうとわかると、店内をキャッキャと笑って走り回っている女の子が、どこか淋し気に思えた。  ある日、娘の母親がレコードを返しに来た男に言った。 「ねえ、いいバイトがあるんだけどやってみない? そんな難しいことじゃないの。一日一万円でうちの娘と遊んで欲しいの。娘はこっちの学校に転校して来たばかりで、友達がいないのよ。勉強なんか教えなくていいの。そんなことより、まず人と遊ぶことを教えたいのよ。いつも一人で遊んでるから親としても不憫になっちゃってねえ」  ちょうど夏休みだったこともあり、男はその割のいいバイトを引き受けた。そして翌日から、朝から晩までその孤独な少女の相手をした。店の邪魔にならないようにできるだけ外で遊んでくれ、と言われていたので繁華街の近くを流れる川の河原に連れて行ったのだが、目を離すとすぐに店に戻ってしまう。そしてあの気になるガラスケースを覗き「ザ・オナニー!」などとそのタイトルを意味もわからず(だと思うが)叫ぶ。それはぜひ一度見てみたいと自分が思っていたビデオだったので男は妙に気恥ずかしくなり、「ホラ、だめだよ。そんなこと言っちゃ」と怒り、なぜ怒られたのか分からずに怪訝そうな顔をしている少女を外に連れ出した。  仕事は思っていたより大変だった。少女は一人っ子特有のワガママな性格だった。たとえば鬼ごっこ。河原で少女は百メートルぐらい離れた所から「いいよ!」と叫んで走り始める。だがしょせんは小学生の足。ほどなく追いつく。すると少女は怒り泣く。かといって追いつかないようにいつまでも二人で走っていると、本気を出していないと言って怒り泣く。気疲れで男は夕方になる頃にはいつもヘトヘトになった。  そんな少女が好きだったのが歌である。いつも中森明菜の歌を唄っていた。なかなか上手で顔も可愛いかったので、「将来はアイドル歌手になれるね」と言うと「本当にそう思う? 嬉しい!」と顔をクシャクシャにさせて飛び上がって喜んだ。 「あたし、大きくなったら絶対に東京に行ってアイドル歌手になるんだ!」  それ以来、少女が何かワガママを言っても「そんなこと言うとアイドルになれないよ」と言うと笑ってしまうぐらい素直になった。  昼休みの職員室の中で、男は生徒から没収したビデオ雑誌の表紙を眺めながら、「あの少女は今頃何をしているのかな」と思った。どうやらアイドル歌手にはなれなかったようだ。それにしても俺はもうエッチなビデオは観れないんだな。狭い町だから、そんなビデオを教師である自分がレンタルショップで借りたりしたらたちまち町の噂になってしまう。生徒はそういうビデオをさんざん観ているというのに、教師なんてつまらないものだ。せめてあの少女がタイトルを叫んだ『ザ・オナニー』だけでも勇気を出して貸してもらえばよかった。ああ、『ザ・オナニー』。  男はポイと雑誌を机の横に置いてある没収品用のダンボール箱の中に放り込んだ。その雑誌の表紙で、ニッコリと笑っている水野さやかというAV女優があの時の鬼ごっこをした少女だとも知らずに。  ちなみにその雑誌のインタビュー記事の中で少女は、「毎日のようにシャワーを使ってオナニーをしてるんですよ」と語っていたが、男がその言葉を読むことはなかった。 ■本当はアルタのスタジオに立っているはずだったのに……  秋のある昼に近い朝。水野さやかは新宿駅に降り立つ。駅を出ると目の前にアルタというビルがある。あと少しするとこのビルの中でテレビ番組の『笑っていいとも』が始まるのだな、と水野さやかは思う。高校の頃、専門学校を見学するという名目で日帰りで東京に来ては、このアルタで買い物をして友達に自慢したものだ。斜め後ろを振り向くと都庁ビルが天高く聳えている。東京に出て来たらあのビルの前で、テレビドラマの『東京ラブストーリー』のような恋をしたかったのにな、と水野さやかは思う。  水野さやかは人ごみの中に歩を進め、歌舞伎町に入る。「歌舞伎町一番街」と大書されたアーチ型の看板の下を通る。このアーチにも田舎にいた頃憧れていた。テレビで『新宿警察二十四時』などというドキュメント番組が放映されると、必ず映されるのがこのアーチだ。高校を卒業して、念願の歌手ではなくバスガイドとして東京に出て来た頃、同僚と新宿に遊びに来て、同僚にこのアーチの下で写真を撮ってくれと頼んだ。同僚は「田舎者と思われるからイヤだ」と撮影を拒否した。同僚の意見は正しかったと思う。今、わたしがこのアーチを背景に写真を撮っている人を目撃したら、心の底から「イナカモンめ」とバカにしちゃうだろう。よかった。そんな恥ずかしい写真を残さなくて……。  水野さやかは一軒の建物の前で足を止める。そして息をフーッと吐く。少し気が重いが今日も一日頑張ろう。その建物の名称は「デラックス歌舞伎町」。ストリップ劇場である。入口に自分の大きな写真が飾られている。ここで水野さやかは十日間、トリ、つまりショーの一番最後を飾る。主役である。舞台は初めての経験だ。歌はともかく踊りは自信がないし、ビデオの撮影現場とは違って不特定多数の男達の前で裸体を晒すことに抵抗があったが、所属事務所の意向で舞台に立つことになった。  楽屋口で二人の若い男性が水野さやかを待っていた。彼らは初日から毎日、ここで彼女を待っている。いわゆる追っかけというやつである。彼らは金はないらしく劇場の中には入って来ない。 「今日も頑張って下さい」 「ありがとうね」  水野さやかは一度彼らに、なんの仕事をしているのかと尋ねたことがある。彼らは「何もしていない」と頭をかいた。学生なのだろうか。自分がこんなことを思うのもなんだが、将来はどうする気なのだろう。  水野さやかは楽屋に入り「おはようございます」とできるだけ大きな声で挨拶する。我ながら舌ったらずで、どこか人に甘えた声だと思う。踊り子のお姉さんたちが「おはよう」とそっけなく答えてくれる。正直言って淋しい。同じAV女優の葉月エリナが近よってきて、水野さやかに「今日も頑張ろうね」と言った。水野さやかは少し元気が出たような気がした。  舞台はどんどん進行し、葉月エリナのステージが終わり、水野さやかの出番になった。松田聖子の曲が流れ、水野さやかが白いレースのキャミソール風のドレスを着て登場。このまま松田聖子の曲が三曲続く。自分としてはWINKの曲も入れたかったのだが、振り付けの女の先生が、「さやかちゃんの踊りの技術ではWINKの曲はテンポが速くてついていけないから、三曲とも聖子ちゃんのスローな曲にしようね」と言ったからだ。  水野さやかのステージは実にソフトである。三十分ほどの時間をかけて徐々に衣装を脱ぎ、そして最後の最後に一瞬だけ全裸になる。だから客の男たちは水野さやかが踊り始めると居眠りを始める。 「しょせんこのオジサンたちはわたしを見に来たんじゃないんだ。ただ、女性のアソコを見にきただけなんだ……」  水野さやかは舞台で踊りながら、楽屋にいる時よりも淋しくなった。物心ついた時から東京の劇場のステージに立ちたいと思っていた。しかし、それはあくまでも歌手としてである。憧れの明菜ちゃんや聖子ちゃんのようにスポットライトを浴びてマイクを手にして歌いたかったのである。それが今は確かに東京の劇場でスポットライトを浴びているが、あの聖子ちゃんの曲をバックに裸になっている……。本当は、ここから歩いて五分以内の所にある、アルタのスタジオや、新宿コマ劇場の舞台に立っているはずだったのに。どこで、何が間違ってしまったんだろう……。  ラストになり一度水野さやかは舞台そでに引っ込む。そして小泉今日子の「なんてったってアイドル」の曲に乗り再び白いドレスを着て登場。時々チラッチラッとスカートをまくって自分なりの精一杯のサービスをする。曲が終わり「次はポラロイドショーです。通常とは異なり着衣のままの撮影となります」とアナウンスが流れる。ポラロイドショーとは踊り終わった女の子が最後に、希望する客に五百円から千円でポラロイド写真を撮らせるショーである。普通は全裸の股間も撮らせるのだが、水野さやかの場合は着衣でのショーである。前の席に坐っていた中年の男が水野さやかに言った。 「お姉ちゃんはサービスが悪いから誰も手を上げないよ」  その言葉どおり、水野さやかの写真を撮りたいという客は一人もいなかった。  仕方ないか、と水野さやかはコソッとつぶやき楽屋に戻った。ああ、早く楽日にならないかな……。 ■なんて都会っぽい人だろう  水野さやかはある地方都市のこぢんまりとした町に生まれた。父親は車のセールスマンだった。彼女が幼稚園に入った時、母親がスナックに働きに出たため、祖母の家にあずけられた。水野さやかは亡くなった祖父の仏壇の上に乗って遊ぶことが好きだった。一日の大半を仏壇の上で過ごすことも珍しくなかった。  小学三年生の時、両親がレンタルレコード屋を開いたので四年ぶりに家に引き取られる。大好きだった祖母と別れるのが悲しくて泣いた。  店ではいつも音楽が鳴っている。その頃から水野さやかは将来は歌手になりたいと思っていたので、学校が終わるとまっすぐに帰って来ては店内で一人で音楽に合わせて歌を唄っていた。娘に友達が全然できないことを心配した母親は、常連客だった教育大生に娘の遊び相手になってくれることを頼んだりした。  中学に入学した水野さやかは合唱部に入った。三年間のうち、一度もソロパートを担当させてはもらえなかったが楽しかった。性格も次第に積極的になり、恋もした。相手は一年上の先輩で、学校内で番長格の男だった。その不良っぽさに魅かれたわけだ。一年間、後を追いかけ回し、彼の卒業式の日に初めて話しかけ握手をしてもらった。嬉しかった。一年後には自分も彼の入った工業高校に進学しようと思った。心の底では、東京のタレントが集まることで有名な堀越学園に入りたかったのだが、そんなことを親が許してくれるわけはない。  だが、一年後にその工業高校のデザイン科に合格したというのに、彼は学校を辞めていた。愕然とした。彼に、今度こそ本当に愛を告白しようという一心で受験勉強をしてきたというのに、あんまりだ。春の陽射しに包まれた校庭で水野さやかは涙が出そうになった。その時、三年生の男子が声をかけてきた。 「君、弓道部に入りませんか?」  振り向くと、歌手の大江千里のような男がニコニコと笑って立っていた。なんて都会っぽい人だろうと思った。一瞬で水野さやかは恋に落ちた。もう、あれほど想い続けていた不良の先輩の存在は体の中から消えた。  かくして翌日から、弓はおろかスポーツそのものに全く興味のない女の子が弓道部員となることにあいなる。  半年後に大江千里と初めてデートをした。二人で『メジャーリーグ』というアメリカ映画を観に行ったのである。水野さやかは映画館の暗闇の中でカチコチに緊張し、ただお腹がグルグルと鳴りはすまいかということだけを心配し、映画のストーリーは全く頭に入らなかった。二度目のデートの時は彼の家に行った。彼の部屋で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のビデオを観た。彼は映画が好きで、卒業したら東京の専門学校に入り、将来は映画のプロデューサーになりたいと言った。 「わたしは歌手になるから、いつかわたしの主演映画を作って!」  水野さやかがそう言った時、心配していたお腹がグルグルと鳴った。水野さやかは顔が真っ赤になり「今のはわたしのオ、ナ、カ……ごめんなさい」と蚊の泣くような声で言った。  その晩、水野さやかはオナカのカが、ラに聞こえはしなかったろうかと心配になり、不安で朝まで眠れなかった。  大江千里とキスしたのは秋も深まった十月のことである。学校のボイラー室の横で彼が言った。 「キス、していい?」  コクンとうなずく水野さやかの唇に、彼が軽く唇を重ねた。  すごく嬉しい! 水野さやかは家に帰ると何度も鏡を覗いては、唇が変形していないかどうか確かめた。そしてその度に彼の感触を思い出し、また一晩眠れなかった。  翌日、学校で親しい女の子の友人に前日のことを報告すると、友人はフンと鼻で笑い、「まだ甘いわね。舌を入れてこなきゃちゃんとしたキスとはいえないのよ」と言った。なんだかとてもがっかりした。  ある日その友人に誘われ、バスケットボール部の練習を見に行った。選手の中に野性的でかっこいい人がいた。そして、惚れた。たちまち大江千里がダサく思えて来た。会うとわけのわかんない映画の話ばっかりして、そのくせキスの時は舌も入れて来ないつまんない男……。  友人のはからいもあり、水野さやかはそのバスケ部とつき合うようになる。やはり二度目のデートの時に彼の家へ行くと、また『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のビデオを観させられた。どうもその頃、その町の男子高校生の間では女を口説く時は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』という風潮があったようだ。  バスケ部は大江千里とは違い女慣れしていた。そしてその日、水野さやかは初めて男性に服を脱がされペッティングというものを体験した。もちろん舌を入れるキスも。  翌日、今度はかなり自信たっぷりに前日の出来事を友人に報告した。ところが友人はまたフンと鼻で笑い、「まだ甘いわね。アソコに指を入れてもらわなきゃ、本当のペッティングとはいえないのよ」と言った。  な、なんだそれ!? ようし、じゃあこうなったらセックスってぇやつをしてやろうじゃないの。それなら文句はないでしょ。もう彼のことが好きなのか、友達に負けたくないだけなのか自分でもわからなくなった。  そしてその年のクリスマスイヴ。水野さやかはバスケ部に抱かれた。とてつもなく痛かったが嬉しかった。ところがことが終わると、突然彼の態度が冷たくなった。 「帰れよ」 「えっ、なんで? 今日は友達の所に泊まるって親に言ってきたから帰らなくても大丈夫なのよ」 「これから用事があるんだよ。いいからとっとと帰れよ」  なぜ彼がそんな態度をとったのか、いまだに水野さやかはわからない。その晩、家に帰った水野さやかはベッドの上で泣いた。今頃東京では恋人たちが皆、カフェバーや有名なレストランや予約をしないと泊まれないホテルで、楽しい時間を過ごしているに違いない。なのに、なぜわたしだけがこんな田舎町で初体験の後で一人きりで夜を過ごさなくちゃいけないの?  翌日、もう友達にセックスをしたことを報告する気にはなれなかった。どうせ、「甘いわね。お尻に入れなきゃ本当のセックスとはいえないのよ」とかわけのわからないことを言われるに違いない。やはりセックスは、人と競争するものじゃない。  翌日、水野さやかに本当に恋人といえる彼氏ができた。弓道部の同僚である。一時期、自棄になり好きでもない同級生の男の子に、教室内でフェラチオをしたりして自己嫌悪に陥ったりしていた水野さやかが、やっと心の平穏を取り戻した。二人で車中一泊というバスツアーで東京ディズニーランドにも遊びに行った。毎日が楽しく、幸せだった。 ■東京出身の男としか恋はしない  だがある日、テレビで『東京ラブストーリー』というドラマを観て、その幸せな気分が吹き飛んだ。テレビの中では都庁ビルの前で鈴木保奈美が「カンチ!」などと相手役の名を呼んで男と抱き合っている。なんて都会的でかっこいいんだろう。それにひきかえわたしたちの恋ときたら……。  一度、彼に「『東京ラブストーリー』ごっこをしよう」と頼んだ。水野さやかが「カンチ」と呼び、彼が「リカ」と言い二人で駆け寄って抱き合うのだ。だがいかんせん、バックは田ん圃。駄目だ、駄目だ。やはり東京に行かなくては。それに東京では自分より年下の女の子がぞくぞくとアイドルとしてデビューしている。田ん圃の前で男と抱き合っている場合じゃない。わたしは東京に出てアイドル歌手になるのだ!  卒業前、水野さやかは父親に、東京のアナウンス専門学校に入りたいと言った。いきなり歌手になるのは無理だろうから、まずテレビ局のアナウンサーになりバラエティ番組に出て人気を得、フリーになってレコードを出すという堅実な計画を描いたのである。だが経営不振でレンタルレコード屋を閉め、勤めに出ていた父親は、「バカ。どこにそんな金があるんだ!」と一人娘を一喝した。仕方なく水野さやかは東京のバス会社にバスガイドとして就職することにした。それならいい、と父親も東京に出ることを承知してくれた。とにかく東京へ行くことが先決なのだ。それにバスガイドならしゃべる仕事だから、アナウンサーへの近道になるかもしれない。  東京では寮暮らしだったが、水野さやかは初めての東京生活に見事に舞い上がった。休日になると情報雑誌を読み、いわゆるナウいスポットに遊びに出かけた。そのうちディスコのジュリアナ東京にはまった。寮の門限を破っては夜な夜なお立ち台の上で踊りまくった。その年のお盆に帰省した時などは、友人たちに自慢しようとボディコン姿で手にはジュリアナ名物の扇子を手にしていたほどである。列車から降りたとたん、その女の子の存在が浮いたことは言うまでもない。  たくさんの男たちとも寝た。ディスコが終わる時にはもう寮には帰れず、ナンパしてくる男たちについて行くしか無事に(?)朝を迎える術はないのである。だが、相手が地方出身者だと知ると、どんなにかっこよくとも、どんなにセックスが上手でもたちまち気持ちが冷めた。わたしは東京出身の男としか恋はしないのだ。そしていつか都庁ビルの前で抱き合うのだ。  そんな、東京の空気に酔っていたある日、水野さやかはボディコン姿で街を歩いているところをAVにスカウトされた。窮屈な寮生活と退屈なバスガイドの仕事に辟易していた水野さやかは、その話を二つ返事でOKした。そうだ。わたしは遊びまくるために東京に出て来たんじゃなかったんだ。アイドル歌手になるために出て来たんだ。AV女優なら、人気が出れば飯島愛ちゃんのようにテレビに出れるかもしれない。よし、わたしの芸能界進出第一歩だわ。 ■必ず歌手になれると信じてます ——十日間のストリップ、お疲れさまでした。 「ありがとうございます。一日四ステージですからね、大変でしたよ」 ——でも葉月エリナさんのステージとかと比べると、水野さんのステージはかなりソフトでしたよね。 「ええ。振り付けの先生が、さやかちゃんはロリータっぽいイメージで売ってるんだからあんまりハードなのはやめようねって言ってくれたもんで……」 ——楽屋では他のお姉さんたちとうまくやれました? 「特にいじめられたりとかはなかったですね。わたしと葉月さんは楽屋も個室を使わせてもらってたんで、あまりお姉さんたちと顔を合わせることはなかったんです」 ——舞台は今度いつやるんですか? 「いえ。もう舞台はしません」 ——えっ? もうしないって? 「あれが最初で最後なんです。やっぱり舞台は性に合わないっていうか……お客さんたちって、わたしの顔なんか見ずに下半身ばっかり見てるんだもん……」 ——せっかく踊りを覚え始めたのにもったいないですね。 「ええ、そうなんですけど……」 ——ビデオのこれからの仕事はどういう予定なんですか? 「今度『水野さやかとしてみませんか?』っていうビデオを撮るんです」 ——ああ、あの素人さんを募集してその人たちと女優さんがからむシリーズですね。 「ハイ。どんな人がくるのか楽しみです」 ——最近テレビの深夜番組にもよく出てますよね。 「おかげさまで。ほとんど脱ぎの仕事なんですね。初めてテレビ東京の『ギルガメッシュナイト』のスタジオに足を入れた時、『やった! これで芸能人になった!』って思っちゃいましたもん」 ——まだアイドル歌手の夢は持ってるんですか? 「もちろん。アイドル歌手になるのはわたしの一生のテーマですから(笑)。このままテレビの仕事が増えていけば、近いうちに必ず歌手になれると信じてます」 ——今、恋人はいないんですか? 「い、いません……」 ——本当ですか? 「ホントです、ホント。絶対にいません。仕事が恋人です、フッフッ」 ——じゃあ、今は一人暮らしなんですか? 「ハイ。コンビニで買ったお弁当を一人で食べて、お風呂に入ってシャワーオナニーをして(笑)、一人淋しく寝てます」 ——ペットもいないんですか? 「猫を飼いたいんですけどねえ。田舎から送ってくれないかな(笑)」 ——田舎から米は送ってくるけど、猫は無理じゃないのかなあ(笑)。  仕事で伊豆から東京に帰った男は、深夜十二時過ぎに自宅のドアを開けた。やれやれ。五十歳を過ぎると観光バスの運転手も体にこたえる。  女房と子供たちはもう寝ているらしい。冷蔵庫からビールを取り出し、居間のソファーに坐りテレビのスイッチを押す。  プハーッ! 仕事の後の一杯は美味い。このビールを味わいたくて仕事を続けているようなものだ。  テレビでは『吉本天然素材』というお笑い番組が始まった。男はビールを飲みながら、クスクスと一人で笑い画面を見る。明日は非番だと思うと、さして面白くないコントでもなにやら笑える。  そのうち司会者が「次は挑発コーナー!」と叫んだ。 「このコーナーでは若手芸人をAV女優さんがいろいろと挑発します」  ホーと思い、男は画面に見入った。男はそういう類いも嫌いではない。 「今日のAV女優さんは、水野さやかさんです」  スーツでOL姿の水野さやかとかいうAV女優がニコニコと笑い登場した。  その顔を見て男は、アレッ? と思った。  たちまち水野さやかと名乗る女性は服を脱ぎパンティ一枚になった。この小柄な割に大きい胸。そしてこの舌ったらずな声。間違いない、あ、あの時のバスガイドだ!  男の胸に過去の自分のしでかした事実が、悪夢のようによみがえった。  あれは確か那須塩原高原に行った時だった。その時に宿泊した旅館で、運転手とバスガイドにあてがわれた部屋は一室。二人の寝床はフスマ一枚で仕切られているだけ。あの時俺はかなり酒を飲み酔っていた。そこに風呂から上がってきたバスガイドのあの娘が浴衣姿で部屋に帰って来たのだ。 「お先に横にならせていただきます」  そう言って女の子は次の間に続くフスマを開けようとした。その時、俺の中で何かがプツンとはじけたのだ。気がつくと俺は女の子を押し倒し、全裸にしていた。「やめて下さい」と泣いて懇願する女の子の全身を舐めまくった。十八歳の肌は美味しかった。  翌朝眼が覚め、俺は昨夜、大変なことをしてしまったと気がついた。会社の規則で運転手がバスガイドに手を出したことがバレたら即クビである。勤続三十年、今まで一度もそんな過ちを犯したことはなかったのに、あの女の子の浴衣姿を目にした瞬間、俺は理性を失ってしまった。なんてことをしてしまったんだ。家のローンもあるのに……。  俺は女の子に五万円は入っていただろう財布を差し出し、「昨日は申し訳なかった。これを全部やるから会社には言わないでくれ」と謝った。女の子は俺と目を合わそうとせず、「そんなものいりません。会社には言いませんから安心して下さい」とかなり怒ったような声で言った。  その日は東京に戻る日だったが、俺は運転をしていてまさに心ここにあらずといった気分だった。よく事故を起こさなかったものだ。  ほどなくしてその女の子は会社を辞め、俺はいたく胸を撫でおろしたものだったのに……。水野さやかというAV女優になってテレビにも出ているなんて。テレビや雑誌で俺のことを口走られたらどうしよう……まだ、家のローンがあるのに……。ああ、もう眠れない……どうしよう……。  インタビューもようやく終わりに近づいた頃、水野さやかのマネージャーが腕時計を見て、「じゃあそろそろ」と私の顔を見て言った。私は水野さやかに「これからまだ仕事なの?」と尋ねた。水野さやかは嬉しそうに「ウン、ニッテレ」と答えた。 ——ニッテレ? 「日本テレビ。また深夜番組の打ち合わせなんですよ」 ——よかったね。 「ウン。番組、絶対見て下さいね」  小さな顔をした水野さやかの大きな笑い顔を見ながら、彼女の中の、彼女が幼い時から時間をかけて作り上げた東京という街が、いつまでもいつまでも崩れなければいいなと思った。 AV Actress Sayaka Mizuno★1995.1 [#改ページ] 日吉亜衣 AV Actress Ai Hiyoshi 下町の人間は、どんな人でもみんな生きてるって顔をしてたもん

 目の前に、困ったような緊張したような顔をした日吉亜衣がいた。 「最近、ちょっと取材恐怖症なんです」 ——どうして? 「わたしってインタビューを受けると、根が正直モンだからなんでもついしゃべっちゃうんですよォ。それでこのまえ、ある雑誌にお兄ちゃんたちの年齢と職業まで書かれちゃって、お母さんにすごく怒られたの。家族のことまでペラペラしゃべるんじゃないって」 ——お母さんは日吉さんがAVの仕事をしているって知ってるんだ? 「うん。お母さんだけ。お兄ちゃんやお父さんにバレたら殺されちゃうかもしれない。お母さんが嘆くの。『わたしは一所懸命に普通の家庭を作ってきたのに、なんであんたがそんな仕事をするようになったのかねぇ』って。かわいそうなお母さん(笑)」 ——でも、まだ会って五分も経ってないのにもう僕は日吉さんの家族の構成から、それぞれの年齢、職業を知っちゃったよ。僕は何も訊いてないのに。 「ワーッ、駄目だァ(笑)。これだからわたしっていう奴はもう……。ね、お願い。日吉亜衣は天涯孤独の身の上だって書いておいて。そして、橋の下で拾われて華やかにAV女優としてデビューしたって(笑)。ねえ、お願いだよォ」 ■子供の頃は盆踊りともんじゃ焼きが大好き 「わたしは東京の下町の団地で生まれました。末っ子だからって甘やかされはしなかったよ。ちょっとワルサをすると、いつもお母さんに靴ベラでパーンと叩かれてたもん。だから今も靴ベラを見るとギクッとなるの。  親が共稼ぎで忙しかったから、小三の頃からわたしが夕御飯を作ってました。別につらくはなかったよ。学校の家庭科で習ったのを試してみたくて自分からやってたんだから。でも飽きると台所にも近づかなくなった。どうもわたしって飽きっぽいんだな。男? うん、男に対してもそうかもしれない。でも(男を)嫌いになっても自分からはふれないの。だから相手がイヤがるような態度を取って、向こうから『別れよう』って言わせる。そして友達に『ふられちゃったァ』とか言って、なぜか泣くの。ハハッ、なんかバカみたいね。マンガが大好きだったから、ちょっとしたチャンスがあればすぐに少女マンガのヒロインになろうとしてたのね。逆に『湘南爆走族』とか『ビー・バップ・ハイスクール』なんかを読むと、勇気凜々になって『売られたケンカは買うぜ』みたいに鼻息が荒くなる。影響受けやすいんだ。  勉強は大っ嫌い。全然わかんないんだもん。この世のモノとは思えない(笑)。机の前に坐ると眠くなっちゃうしさ、なんでみんなは授業についていけるんだろうって、不思議だったなあ。  小学校の先生には、今会ったらなんらかの復讐をしたいな。ちくしょう、毎日みんなの前で赤っ恥かかせやがって。あのね、その先生、宿題をしなかったり忘れ物をすると、一メートルくらいの物差しでお尻を思いっきり叩くの。小学生なんて無知だから、先生のやりたい放題だよね。でも体罰はいけないと思う。ああいう、人を殴る人間って、殴られたことはあるのかなァ。  近所では、小さい子らの面倒を見るいいお姉さんでしたよ。子供の頃から子供好きでね(笑)、将来は保母さんになりたいと思ってた。学校から帰るとお母さんたちから『今日もうちの子をよろしくね』って言われて、いつも三、四歳ぐらいの子たちと遊んでた。対等に遊んでたなあ。やっぱり精神年齢が低かったんですかねぇ(笑)。だから勉強がチンプンカンプンだったんだな、きっと」 ——子供の頃は何が好きだったの? 「盆踊りともんじゃ焼き。盆踊り用の浴衣は二年ごとに作ってもらってた。夜遅くまで踊りまくってたなあ」 ——さすが東京の下町育ちだねえ。 「もんじゃ焼きは、ベビースターラーメンを入れるといいんだ。お祭りとかで売ってるソースせんべいの上にのせて食べるのもおいしいな。百円もんじゃってのがあってね、小学生の時。土曜日は半ドンだから……」 ——ハハハ。あなたぐらい若い人でも、半ドンって言うの? 「えっ、言いますよ。言わないかなあ……。それで、半ドンで給食がないし、家に帰っても親はいないから、朝にもらった五百円のお小遣いを持ってその百円もんじゃの店に行くの。五百円だとかなり豪華な食事ができるんですよ。もんじゃが百円、ベビースターが三十円、ジュースが百円。それにたこ焼きが十個で八十円。ね、ちょっとしたフルコースでしょ」 ——そりゃ、なかなかですねえ。 「それで余ったお金で、駄菓子屋でスモモや桜餅や十円のコーラ飴を買うの。そんなものが大好きでね、道で十円玉を拾うと、もうわたしの足は駄菓子屋に向かって走ってる(笑)。もんじゃやお菓子を食べてる時が一番幸せだったなあ。  あのさ、もんじゃの他に、一緒にお好み焼きも注文する人っているでしょ。わたしはそんなことしない。もんじゃ一筋。浮気はしないの。もんじゃに関してだけは、一本気な女なの(笑)」 ■埼玉の住宅地の人たちは無表情なの 「中二の時に、親が突然、埼玉に家を買ったもんで引っ越すことになったんですよ。悲しかった。生まれ育ったその街が大好きだったから。近所のオバチャンたちにも可愛がられてたし……。道を歩いてると、向こうから死にかけのバアサンやジイサンがヨロヨロと歩いてくるでしょ。わたし、目がいいから、『バアチャン!』って手を振って走って行くと、『遠い所からよくわかったねえ』って喜んでくれるの。よし、今度はもっと遠い所から見つけて手を振ってやろう、なんて思ったりして。そんな、いい町だったんですよ。よく、人からはガラの悪い町だって言われるんだけど、わたしにはそんな印象がない。友達もみんないい子だったし。でも今から思うと、あれは不良になる前のいい子だったんですよ。引っ越してから何年かしてその町に遊びに行ったら、いい子たちが少年鑑別所に入ってたり、学校をやめてヤクザみたいになってたもん(笑)。だから今はあの町に遊びに行っても、恐いものは何もない。昔の仲良かった同級生たちが、肩で風切ってブイブイいわせてるから(笑)。やっぱり、ガラの悪い町だったんですね。  引っ越した所は埼玉の、新興住宅地っていうの? そんな所。すっごい田舎に来たような気がした。商店街はないし、駅まで歩いて三十分もかかるし。こんな所に住めるか、って思った。自転車に乗ってる中学生は、みんなジャージ姿でヘルメットかぶってるし(笑)。『こわいよ、お母さん。宇宙人が自転車に乗ってるよォ』って感じ(笑)。  それに、近所づきあいが全くないの。見た目はきれいな町なんだけど、血がかよってないっていうか、夏でも寒い感じ。お祭りとかの行事も何もないから、季節を感じない。生まれて初めての一軒屋はそりゃ嬉しかったけど、でも、やっぱり東京の団地に帰りたかったなァ。下町の人間は、どんな人でも表情があったもん。貧乏人でも(ほとんど貧乏人なんだけどね)バカでも不良でもサラリーマンでもジイチャンでもバアチャンでも子供たちだって、みんななんか生きてるって顔をしてたもん。それが、埼玉の住宅地の人たちは無表情なの。お金は持ってるんだろうけど、イキイキしてないの。学校にはもちろん不良もいるんだけど、その不良も無表情なの。無表情の不良ってさ、恐いよね(笑)」 ——中学を卒業してどうしたの? 「高校に行きましたよ。入試科目が、算数と国語だけの学校」 ——算数? 「うん。数学なんてレベルじゃないの。わたしが、人をバカにしてるのかなと思ったぐらいのテストだったから、小学生もラクに入れる高校ですよ」 ——クラブはどっかに入ったの? 「ううん。だってクラブ活動のない学校だったんだもん。体育祭も文化祭もないの。学校全体が無気力。だから、何もすることがないんでシンナーに走る子が多かったなァ。そして、シンナーにハマった子は一年のうちに学校をやめていった。でも学校をやめても他に行くところがないから、目をトロンとさせてフラフラしながら結局学校に遊びに来るのよ。『来るんじゃねえよ』って思うんだけど、なんかかわいそうだったね」 ——あなたはシンナーは? 「ちょっとだけ。好きだった同級生の男の子にふられちゃって、やけになってやってみたけど、ただ眠くなっただけだった」 ——セックスの初体験はその彼と? 「ううん。その人とは一緒に映画を観に行っただけ。『ヘヘッ、これがデートってやつか』って得意になっていたら、他に好きな女の子ができたってふられちゃった。初体験は高二の時。中学の時の同級生の男の子に、『ジャンケンで勝ったらやらせろ』って言われて、わたしが負けたら単車でホテルに連れて行かれてやられちゃったの。あんまり好きな奴じゃなかったけど、どうもわたしは男に対して、まあいいかって思っちゃうの。あっ、この初体験がジャンケンがきっかけだって話は、今までどの取材でもしゃべってないよ。特ダネだね」 ——そりゃありがたいですねえ。 「別に隠してたわけじゃなくて、最近、自分でもやっと思い出しただけなんだけど(笑)」 ■一年後はどこかのスーパーでレジ打ちをしてるんじゃないかな 「高校を卒業して、学校の紹介で東京の宝石屋さんに就職したんです。本当は働かずに家事手伝いとかして親のスネをかじっていたかったんだけど、そうもいかなくてねえ。でもまあ、十九歳ぐらいで土木作業員かトラックの運転手と結婚して子供を産むっていう人生設計をたててたから、それまでのつなぎなら仕事はなんでもいいやと。えっ、なんで土木作業員かトラックの運転手と結婚なのかって? 周りにそういう人たちしかいなかったんだもん(笑)。でも、AVに出ちゃったわたしなんか、もうもらってくれる人はいないよねえ。そう? そんなことはない? そうかなあ……。  宝石屋の給料は手取りで十三万だったかな。仕事をさぼりながら教習所へ通って免許を取って車を買ったの。そして、宝石屋はやめちゃった。社長がイヤな奴だったんで、車も買ったし、もうやめちゃおうって。でも今から考えると、この車がAV業界に入るキッカケを作ってくれたんですよ。  宝石屋をやめてからはプータローで、たまにガソリンスタンドや喫茶店でバイトをしてたのね。実家にいれば食費もかかんないし、お金をつかうのは車のガソリン代ぐらいだったから。それでなんとかやっていけたの。  でも、雨の日に、その頃つき合ってた彼の家に行こうと車を走らせてたら、タイヤがスリップして事故っちゃったんだ。わたしは大丈夫だったんだけど、車はボコボコ。とりあえずその修理代は母親に頼んで銀行から借りてもらったんだけど、さて、それを返さなくちゃいけない。それで知り合いに相談したら、AVの事務所を紹介されたの。でもその時は名前なんかも出ない裏ビデオだと思ってたのね。お金を返せるならどんな仕事でもよかったし、裏ビデオに二、三回出れば借金は無くなるだろうな、と。それが、こんなに華々しくデビューさせてもらっちゃって、ありがたいというか、ビックリしちゃった。おかげで借金は全部返せましたよ」 ——今、恋人はいるんですか? 「いないんですよ。かっこいい、いかにもモテそうな男ばっかり好きになるから、すぐにふられちゃう」 ——ビデオの仕事はこれからも続けるんですか? 「ねえ、どうしましょう。そりゃ仕事があればずっと続けたいけど、そうもいかないだろうし。かといって、もうトラックの運転手さんとの結婚も無理なような気がするし……」 ——なにをおっしゃる。日吉亜衣といえば、今バリバリの売れっ子じゃないですか。 「いえいえ、この世界はそんなに甘くないですよ。きっとね、一年後はどこかのスーパーでレジ打ちをしてるんじゃないかな。『毎度ありがとうございます』とか言ってさ。普通の生活に戻ってますよ」  インタビューが終わると、日吉亜衣はマネージャーとともにそそくさと都内のビデオショップで開かれるサイン会に出かけた。それが終わると、夜はテレビ局で行われるAV女優の座談会に出席するのだそうだ。本人の言葉とは裏腹に、まだまだ日吉亜衣の多忙な日は続きそうだ。私も、いつまでもビデオの中で日吉亜衣の姿を見続けたい。だが、心のどこかで数年後、東京の下町のスーパーマーケットでレジを打ち、そして昔の同級生たちともんじゃ焼きに舌鼓を打っている日吉亜衣の姿を見かけたいと思っている。その彼女の背中に、いかにも下町っ子らしい元気な赤ちゃんがおぶさっていたら、ちょっと嬉しくなるな。 AV Actress Ai Hiyoshi★1995.2 [#改ページ] 南条レイ AV Actress Rei Nanjoh カナダで“家なき子”してきた勤労大好き少女

 南条レイの出演ビデオ、『Jカップ・ア・ゴー! ゴー!』はデビュー作にしてはかなりハードな内容になっている。SMプレイあり、3Pあり、アナルセックスありと盛りだくさんである。アナルにバイブを入れられクリトリスを愛撫される南条レイが一〇〇センチの胸を揺らしながら、「アアン、お尻とクリトリスだけでイッちゃうよォ」と喘ぐ。最後は男優にオシッコをかけられ、それを自分で体中に塗りたくり「アア、嬉しい」とつぶやく。  師走の深夜、アパートで『Jカップ・ア・ゴー! ゴー!』を見終わった私は、ウーンと唸ってしまった。ハッキリ言って私、欲情してしまいました。この三十五歳の男の火照った体をどうしてくれよう。持って行き場のない欲情を抱えつつ南条レイのプロフィールに目を落として、再び私はウーンと唸った。特技の欄に、「英語・フランス語・スペイン語」と書かれてあったからだ。本当だとしたら、こりゃすごい。もしかすると帰国子女という御方かもしれない。とにもかくにもインテリ女性なのだろう。どこまでが本当でどこから嘘かわからないが、インテリ女性とアナルセックス、語学コンプレックスの強い私はそう思っただけで、サディスティックな興奮を覚えた。今夜はちょっと眠れそうにない。  数日後、実際に会った南条レイは黒いレースのついたブラウスと短めのスカートを身につけ、その大きな胸を両手で隠すようにして恥ずかしそうに笑う、ビデオでの印象よりもっと大人っぽい女性だった。 ——英語、フランス語、スペイン語がしゃべれるって本当なんですか? 「フフッ、そんなの嘘ですよ。フランス語とスペイン語はちょっと単語を並べられるだけ。まともにしゃべれるのは英語ぐらいです」  うーん、私も一度でいいから言ってみたい。まともにしゃべれるのは英語ぐらいです、か。 ——やはり帰国子女とか? 「いえ、高校を出て一年間ほどカナダに行ってたんです。英語はその時に覚えたんです。行くまでは英語なんか一言もしゃべれませんでした」 ——留学ですか? 「いえ、働きに行ってたんです」 ——はあ、働きにねえ……。ところで南条さんのビデオを観させてもらったんですが、ハードなデビュー作品でしたね。 「フフッ、そうでしたね。でもわたし、カナダでしかああいうビデオを観たことがなかったんで、あのくらいは当たり前だと思ってたんです。向こうのビデオってすごいハードですから」 ——じゃ、アナルセックスも本当にやってるんですか? 「そうですよ。男優さんがちゃんと浣腸してくれて、優しくアナルを揉みほぐしてくれたんで案外ラクに入りました。初めてアナルをした時は出血して痛い思いをしましたけど」 ——エッ、アナルは経験済みだったの? 「ええ、高校の時につき合ってた人と。その人、ちょっと変態っぽい人で、オシッコのかけ合いなんかもしましたね」 ——じょ、女子高生がアナルセックスとオシッコのかけ合いですか? 「ええ、そのくらいは今は普通ですよ」 ——ふ、普通ですか? 「と思いますよ。今年はアナルセックスをずいぶんやりました。いろいろあって、デビューしてから一時期ビデオをやめて、SMクラブでM女として働いたんです。その時は一日一、二回はアナルセックスをしてましたね。本番はしちゃいけないけど、アナルならいいんですね、SMクラブって」  女子高生のアナルセックスとオシッコのかけ合い。カナダに|働き《ヽヽ》に行った。英語がペラペラ。AV出演。SMクラブ……いろんな言葉が私の頭の中で渦を巻き、そしておっとりとしゃべる南条レイの話に、出来の悪い私の頭はついて行けなくなった。 ——ちょ、ちょっと待って下さい。あの、とりあえず子供の頃のことから話を訊いていいですか? ■人の上に立つって一番苦手  南条レイは関東のある町に生まれた。上に兄と姉がいる三人兄妹の末っ子である。父親は自営業を営み、今は東京で一人暮らしをしている南条レイだが、月末は父親の集金を手伝いに実家に帰っている。最近では集金先で知り合いのオバチャンたちの、「まだ結婚しないのか?」とか「東京で何をしているんだ?」などの質問攻めにあい少々辟易している。 「兄と姉は二十歳前に結婚して子供を作ったんで、わたしだけはそんな安定した生き方をするのはイヤだと思ったんです。安定なんて、三十や四十過ぎでもできるでしょ。特に女は結婚しちゃえばいいんだから。だから若いうちは、自分でもどうなっちゃうのかわからないようなハラハラした生き方をしたいんです」  小学生の時は背が高くおっとりした性格だったためか、同級生から「お母さん」と呼ばれ、いつも学級委員に選ばれ、高学年になると児童会の役員も務めた。 「それがイヤでね。学級委員になったら優等生を演じなくちゃいけないでしょ。わたしだってみんなと同じようにバカをやって遊びたいのに。それにみんな、学級委員の言うことなんかきかないし。先生とみんなとの板ばさみになって、そのプレッシャーに押しつぶされそうになってましたね。だから中学に入ったら、絶対にそんな役は引き受けないぞって決心したんです。人の上に立つって一番苦手」  南条レイの性格を物語るエピソードがある。  足の速い彼女は運動会の徒競走ではいつもトップを走った。だがゴール前に来ると突如彼女は立ち止まり、後から来る同級生が全員ゴールするのを見届けてから最後にゴールするのだった。何度教師に怒られても彼女はゴール前で足を止めた。だから同級生がクラス対抗のリレー選手に彼女を選出しても、教師が「レイちゃんはゴール前で止まっちゃうからリレーは駄目!」と却下した。 「私が一等になるとみんながかわいそうだと思ったの」  その時のことは南条レイはそう説明する。私は話を聞きながら、そんなものかな、と思い笑った。だが、後で彼女の言葉を録音したテープを聞きながら、南条レイは本当は人一倍負けん気の強い人間なのじゃないかと思った。だから人に負けることには耐えられない。だが、常に一着にならなくてはいけないという、自分で自分にかけてしまうプレッシャーにはもっと耐えられない。それなら、最初から競争を放棄しよう。少女は無意識のうちにそう感じたのじゃなかろうか。それが一番、自分を傷つけずに済む手段だったのだ。そう考えるとそれから約十年後に南条レイが日本を脱出した理由がわかるような気がする。本人は、「ただ日本を脱出したかった」と言うが、日本という国が作り出してしまった競争社会を脱出したかったのだろう。学校を卒業すれば、否応なく人は社会のスタートラインに立たされる。それは女性にとっては、誰が最初に結婚するかというレースかもしれない。そしてどんなレースにしろ、そこには一着二着という判定があり、勝った負けたという概念が生じる。南条レイはそんな勝敗にこだわってしまう自分をどうにかしたくて、競争を放棄して外国に渡ったのではないか。言葉も通じない外国で、競争とは無関係に、ただ「生きる」ということをしてみたかったのだろう。  話が前後して申し訳ない。南条レイは中学時代は演劇部に入部した。学級委員などの役職で目立つのは嫌いだったが、人を楽しませることで目立つのは好きだったのである。だがそこでも主役を演じることは苦痛だった。背が高いので何かと主役を任されそうになるのだが、固辞した。白雪姫なら悪いお母さんとか、脇役を演じるのが楽しかった。最初からトップの座を争うことを拒否したのである。  中学を卒業した南条レイは、家の近所の歩いて通える県立高校に入学した。遠い学校だと三年間続かないと思ったからだ。自分を見る目が冷静というか、妙に考え方がませた子供だった。高校に入った南条レイはすぐにマクドナルドでバイトを始める。 「ママは学校のクラブに入れって言ったけど、クラブ活動よりも社会に出て働くということに魅力を感じたのね。お店では大人として扱われるから、言葉づかいや礼儀なんかの面でもいい社会勉強になったし。毎日学校が終わると、四時から八時まで働きました。日曜日は朝の七時から午後三時までかな。楽しかったですよ。バイトに来てる他の学校の男の子ともしゃべれるし」  一年もたたないうちに、南条レイはマクドナルドでスターと呼ばれる、子供のパーティなどを任せられる地位に昇格した。高校生のバイトとしてはトップである。時給も五百十円から七百二十円にアップした。不思議だが、この時はゴール前で立ち止まり仲間が来るのを待たなかった。 「競争っていう意識がなかったし、ただ楽しく仕事をしているうちにそうなっちゃったって感じでしたからね。でもスターになったら、仕事がちょっとつまらなくなったんです。わたし末っ子だからか、上の人に甘えていろいろと教えてもらうのが好きなんですよ。でもスターとなると教わるものが無くなるんです。逆にこっちが下の人に教えなくちゃいけない。トップに立つって、つまんないですよ」 ■テレクラで知り合った医大生にアナルセックスを教えられたんです  南条レイのセックスの初体験は十七歳の時。相手は友人に紹介された、二歳下の自動車整備工場の工員だった。 「友達がどんどん処女を捨てるから焦ってたんです。向こうも童貞だったということを悩んでたんですね。だからお互い焦っている同士、好きとか嫌いとかよりも、とにかくセックスをしちゃおうということで合意に至って……」  知り合って二週間目の十二月三十一日の夜、二人は手に手を取ってラブホテルの門をくぐった。  親には友人と初詣でに行くと言って。  二人でシャワーを浴びベッドに入る。互いに相手の胸の鼓動が聞こえてくるような気がした。  だが、なかなか合体できない。男の子は愛撫などという知識もなく、やみくもにヴァギナにペニスを突き立ててくる。その度に南条レイの股間に激痛が走り、「痛い! ちょっと待って」と休憩。そのうち除夜の鐘が鳴り始め、二人はベッドの上でくんづほぐれつしながら百八つの鐘の音を聞き終わる。だがまだペニスは挿入されない。煩悩を払うはずの除夜の鐘を聞きつつ、二人の体は煩悩で充満してしまった。 「もう恥ずかしいとか、そんな場合じゃない。二人とも入れるのに必死。やっと入ったのは明け方近かったかな。入った時はお互い体の動きが止まっちゃって、『ああよかったね、やっと入ったね』って言い合いました。もっとロマンチックな初体験を想像してたのに、セックスがあんなに大変なものだとは……」  だが、そんなに苦労をして初体験を済まし、やっと彼に対して本当の情が湧いてきたというのに、一週間後に南条レイは彼と別れた。セックスの喜びに目覚めた彼が、どういう手段を使ったのか翌日から南条レイの友人の女の子たち数人と寝たのである。さぞかっこよく、もてる男だったのだろう。羨ましい話である。私も十九歳の時に一応セックスの喜びに目覚めたのだが、ただ目覚めただけでそれからは楽しいことなど一つもなく今に至る。どうせなら下手に目覚めない方がよかった。  その彼の行状を知った南条レイはショックを受けてやけくそになり、テレクラに電話をし、二十四歳の医大生と知り合った。 「その人に、アナルセックスを教えられたんです。浣腸しなかったから切れちゃって、とっても痛かった。オシッコもかけ合ったりね。医者になる人って変な人が多いって聞くけど、本当ですね。でもその人にアナルセックスをされた時、体は痛かったけどすごく気持ちが興奮しちゃって、自分はマゾなんだなって知ったんです。でも半年後に別れちゃった。わたしは本気でつき合ってるつもりだったけど、彼はしょせん遊びだったんですよ」  冬のある日、電話で妙に素っ気ない彼を訝かり南条レイが彼のアパートに行くと、見知らぬ女性が合鍵をつかって彼の部屋へ入って行く姿が見えた。わたしだって合鍵は渡されていないのに! 二時間ほどアパートの前に立っていると、彼が帰ってきた。 「ねえ、さっき変な女の人が部屋に入って行ったよ」  医大生はウンザリした顔で答えた。 「ああ、そいつが俺の彼女なんだ。お前とは遊びだったんだよ。さっさと帰れよ」  どうやって家に帰ったのか、南条レイは覚えていない。家に戻り自分の家に入ると、編みかけのマフラーが目に入った。クリスマスに医大生にプレゼントしようと思って編んでいたものだ。涙が出て来た。彼は多分、あの合鍵を持っていた女の人とは、アナルセックスもオシッコのかけ合いもしてないだろうと思った。わたしは体を弄ばれただけなんだ。南条レイはパンティの中に手を入れ、指で自分の肛門をそっと撫でた。 「それからは本当にやけになりました。わたしの住む町の駅前にナンパ通りっていうのがあるのね。週末にそこを歩いてると、男の人が車の中から声をかけてくるの。だから週末になるとそこに行って……誘われるままにセックスをしまくりましたね。気持ちよくなんか全然ない。わたしって不感症なのかなって思った。ただ、名前も知らない男の人に抱かれてると、彼のことが忘れられそうな気がしたの」  狂ったようにいろいろな男とセックスをしているうちに、南条レイは高校を卒業する。そして、女性用の下着メーカー会社と契約をして、下着の訪問販売を個人で始める。 ■ただただ日本を出たかったんです 「ママは大学に行けって言ったけど、何の目的もなく大学に行っても仕方ないし。とにかくわたしは外国に行きたかった。なんでだろう。自分でもよくわかりません。ただただ日本を出たかったんです。仕事はそれまでのつなぎのつもりだったんですが、一年もしないうちに売り上げがトップになっちゃって、会社のご褒美で、オーストラリア旅行に連れて行ってもらいました。わたしって、ランクがあってそれを登っていくのが好きなの。でもトップになるのだけはイヤなんだ。それで仕事をやめてカナダに行く決心がついたんです」 ——どうしてカナダにしたの? 「わたし、働かないとお金がなかったから。労働ビザが一番取りやすいのがカナダだったんです」 ——それまで下着の販売で稼いだお金は? 「ちょっといろいろ事情があって、お金は全部家に入れてたんです。それでカナダに行く時は、なんとかかき集めた三十万円だけを持って行ったんです。でも成田で飛行機に乗った瞬間、ホームシックにかかっちゃった。『家に帰りたいよう』って(笑)」  南条レイを乗せた飛行機はカナダのバンクーバーに着いた。そこから南条レイはフェリーに乗りビクトリア島という、「九州から鹿児島を抜いたぐらいの広さ」の島に渡る。 「世界で、人生をリタイアした時に住みたい土地の十本の指に入る島なんです。暖かいんです。カナダだけど雪も降らない。最初からそこに行こうと思ってました。大陸は治安が悪いって聞いてたから、島なら悪い人も渡って来ないだろうと思って(笑)」  とりあえず安ホテルに落ち着いた南条レイは、翌日から新聞の広告を頼りに部屋探しのために電話をかけ続ける。しゃべれる言葉は三単語だけ。 「I want house.」  それ以上は何もしゃべれない。電話の向こうの相手は早口の英語でなんやかやと尋ねてくるが、何も答えられない。ただひたすら、「I want house.」。当然、電話は一方的に切られる。そんな日が幾日も続いた。南条レイは考えた。 「want」がまずいんじゃないだろうか。「欲しい、欲しい」ではちょっと品がないかもしれない。必要である、とはなんと言ったっけ。そうだ、「need」だ。ハウスも変だな。何も一軒屋に住みたいわけじゃない。また電話をする。 「I need room.」  そう言うと、 「I'm very glad you come.」  という返事が返ってきた。「おいで」である。 「学生下宿だったの。でも、日本人だからって足もと見られちゃって、あとから知ったけど本当は月三万ぐらいでいいのに、五、六万取られちゃった。裕福な日本人ばかりじゃないのにねェ」  次は職探し。新聞の求人広告を見てかたっぱしからレストランなどに電話をする。わたしだって日本のマクドナルドでスターになったし、下着販売でもトップになった女だ。いくらカナダとはいっても、皿洗いぐらいできるだろう。 「でも、どの店でも履歴書を持って来いって言うんですよ。それじゃなきゃ働かせないって。向こうではレジメっていうんですが、最初はその意味もわからず、やっとわかったところでそんなものは持ってないし、作り方もわからないしねえ……」  そうやって困窮しているうちに日本から持って来た所持金が無くなり、南条レイは下宿を追い出される。 「スコットランド人の大家だったんですけど、ドライですねえ。家賃が払えなくなったら即座に『出て行ってくれ』ですから。日本には人情っていうもんがあるじゃないですか。向こうは人情もへったくれもない。ホテルや下宿や食堂で優しくされるのも、こっちが金を払ってるからですよ。優しさってお金で買うもんだなって、しみじみとわかりました」  下宿を追い出され、異国の地でバッグ一つを持って路上に一人たたずむ日本人の少女。もう日本に帰るお金もない。これからどうしよう……。せめて帰りの飛行機のチケットだけでも買っておけばよかったな……。ママ、淋しいよう。 ■ みんな、今日は御馳走だよ!  虚ろな目をして歩く南条レイの足はキリスト教の教会の前で止まった。そうだ、教会ならわたしを助けてくれるかもしれない。そう思った南条レイは教会に入り、中にいた牧師に言った。 「I don't have money. I don't have room. Help me.」  牧師はニッコリと笑い、南条レイを教会の地下室に連れて行った。 「そこにはホームレスの人が二十人ぐらいいたの。黒人、白人、黄色人種、いろんな国の人たち。日本人はさすがにいなかったけど、なんかホッとしちゃった。恐くなんかなかったよ。家に帰ったような気がした。向こうはボランティアが盛んでね、月水金は教会で食事を出してくれるんです。もちろんザコ寝。それがイヤな人はストリートで寝てたけど、わたしは教会で寝てました。みんなすっごい汚いし、臭いよ。わたしなんか一番きれいな方だったんじゃないかな」  南条レイは教会の仲間たちに誘われ、ダフディルズ・ピッキングと呼ばれる、ラッパ水仙の花つみの仕事を始める。カナダに来て初めての労働だ。毎朝、長靴をはきカッパを着てオンボロバスに乗せられ、地平線の見えるラッパ水仙の畑に行った。時給は日本円で約七百円。 「八時間労働でね、つぼみ状態の水仙を十本ずつ束ねるの。その間、ずっと腰をかがめていないといけないから、けっこう重労働ですよ。立ち上がるとすぐに『fire』って言われるんです。fire? クビっていうことですよ。だからインド人のオバチャンたちなんかずっとしゃがんでるんです、仕事をしないで(笑)。国民性の違いなんですかね。時給はインド人のオバチャンと変わらないんだけど、わたしはついつい一所懸命に働いちゃうんです(笑)。だからわたしが畑のぬかるみにはまって困ってる時に、すぐ助けに来てくれるのはインド人。わたしを助けている間は働かなくていいから(笑)。  ある日に行った農場が、給料が時給じゃなくて歩合制だったんです。頑張れば頑張るほどお金が入るわけです。それを聞いてわたしなんかは、『よし、やるぞ!』って張り切っちゃうんですよ。でもインド人たちは帰っちゃうんです。働かなくちゃいけないなら金なんかいらないから帰るって。なんか頑張ろうと思っている自分がバカくさくなっちゃった」  そのうち、教会で行われる毎週金曜日の聖書学習会で知り合った日本人の紹介で、南条レイは待望のレストランのウェイトレスの職を得る。カナダでは日本のようにアパートを借りるのに敷金・礼金が要らないので、南条レイはすぐに教会を出て部屋を借りた。いつの間にか英語がしゃべれるようになっていた。 「とにかくちゃんとした仕事が欲しかったから、嬉しかったですね。ダフディルズ・ピッキングは、花のある三月から四月までで終わっちゃう仕事だから。レストランの時給は五百円ぐらいだったけど、毎日チップが二千円ぐらい入って来ました。そしてさ、レストランじゃいつも残り物が出るでしょ。それをもらって、教会の仲間たちの所に持っていくの。『みんな、今日は御馳走だよ!』とか言ってさ」  私は、この南条レイの、「みんな、今日は御馳走だよ!」という話が好きだ。この話を愛していると言ってもいい。まるで、クリスマス時に公開されるよく出来た洋画のワンシーンのようではないか。小学校の頃は徒競走でゴール前で止まり、中学校の演劇部でヒロインを固辞し続けた日本人の女の子が、ついにカナダの地で、勝敗という概念のない世界でヒロインになったのだ。 「みんな、今日は御馳走だよ!」  こんな素敵な台詞を文字で記すことのできる自分を、私は幸せに思う。  ところで、昨今、大学に入れなかったり社会に出たくない若者が、よく留学という名目で海外に行くと聞く。まことに結構なことである。若いうちに外国を経験するということはいいことだ。一度も外国で暮らしたことのない私は羨望と後悔を込めてそう思う。ただ、その人たちと、その親たちに、次の南条レイの言葉を聞いてもらいたい。 「向こうの日本人の学生って、日本人としかつき合わないから英語がしゃべれないんです。もうバカばっかり。でも親は子供がちゃんと学校で勉強していると信じてるから、月に五十万円とか仕送りしてるんですよ。もうとっくに子供は学校を辞めてるのにね。わたしが働いているレストランにもそういう人たちがよく来てたけど、しゃべってることっていったら、日本語で車とスキーの話ばっかり。東京の六本木のディスコでしゃべってることと全く同じ。あんなバカな子供たちに仕送りをしている親御さんがかわいそう」 ■カナダでは生きることに精一杯で、セックスどころじゃなかった 「ビザが切れたんで一年で日本に帰って来ました。自分はカナダで今後どうなるんだと思って、ハラハラドキドキしてたから帰りたくなかったけど、仕方ないですよね。  向こうでは一度もセックスはしてないです。生きることに精一杯で、それどころじゃなかった。今思うと、もったいなかったなと思うんですけど(笑)。  でもね、カナダでは、自分の仕事があるということは本当に素晴らしいことなんだなと思いましたね。だから日本に帰って来たら、皿洗いでも郵便配達でも、ホステスでもソープランド嬢でも、仕事したいと思ったらなんでも仕事があるから素晴らしいなあと思いましたね。向こうではとにかく仕事が欲しかったから。  でも日本に帰ったらなんかボーッとしちゃいまして(笑)、ほら、家はあるし寝て起きたら食事は出てくるでしょ。カナダの反動で落ち着いちゃったんです。けどいつまでもゴロゴロとしてられないと思い始めた時、池袋でテレクラのバイトのビラをもらったんです。テレクラのサクラのバイトですね。いかにも普通の女の子のようなふりをして電話をする仕事です。あっ、こんなこと言っちゃうと、テレクラに来る人が幻滅しちゃうんじゃないかな(笑)。皆さん、すみません。  それでそこに電話をしたら、電話番号を間違って押しちゃって、AV女優の事務所にかかっちゃったんです。『テレクラのバイトをしたい』と言うと、『ウチはそういうことはしてないけど、AVに出てみないか。テレクラより儲かるよ』って言われて、AVデビューです。嘘みたいだけど、本当の話なんですよ。撮影の前日は、アナルセックスがあるって聞いてたんで、シャワーを浴びながら自分で指を二本、お尻に入れてほぐしておきました。  でもその事務所の社長がお金のことなんかでトラブルがあっていなくなったんですよ。わたしはAVで生きて行こうと思って東京で一人暮らしを始めたんで困りました。財布には三千円しか入ってませんでしたから。  それでSMクラブで働き始めたんです。料金は二時間で四万円。私の取り分は二万八千円だったかな。お客さんは背広を着たサラリーマン風の人が多かった。でも、毎日ムチで打たれて浣腸されてアナルセックスをされると、何が普通のセックスなのかよくわからなくなりますね。気持ちよかったけど(笑)。  そして、SMクラブで働き始めて三カ月目ぐらいかな、デビュー作を撮ってくれた監督さんから『もう一度AVをやらないか』って連絡が入ったんです。嬉しかった。AVにはまだ未練がありましたから。  彼氏ですか? この前までいたんですが、ちょっとお金にだらしない人だったんで別れました。好きだったんですけどね。  これから? そうですねえ……お友達をたくさん作りたいな」  南条レイの声はアルトである。その、やや低い声で、まるでささやくように、「指を二本、お尻に入れたんです」とおっしゃる。いやはや、欲情する。そのインタビューテープを私は持っている。当たり前だが。そして、彼女のビデオも手もとにある。ああ、どうすればいいんだ。この原稿を書いてるのは十二月の半ばであるが、早く除夜の鐘が鳴って、私の煩悩を消してくれ。 AV Actress Rei Nanjoh★1995.2 [#改ページ] 桂木綾乃 AV Actress Ayano Katsuragi しょせんセックスでは心は充たされないんでしょうか

 桂木綾乃が坐っている。私とテーブルをはさんで桂木綾乃がソファに坐っている。黒いミニスカートに黒い網タイツ姿で。 「わたしね、外出する時はいつも下着をつけないんです。駅の階段とか登る時は(スカートの中が)見えちゃうんじゃないかなってドキドキして楽しいんです。そんな一人遊びが好きなんですね」 ——エッ、じゃ、今日も……? 「ええ、ノーパンですよ、フフッ」  そう言って桂木綾乃は足を組みかえた。  ドキッと私の胸が高鳴った。  私は男女を問わずインタビューをする相手にいちいち、「今、パンツをはいてますか?」と訊く習慣がないものでハッキリとはわからないが、下着をつけていない人間にインタビューをするのは多分初めてだと思う。  妙な気分だ。急に腰の坐り具合が落ち着かなくなった。 「ワッ、ビールがある。いただいていいですか?」 ——どうぞ、どうぞ。お酒はお好きなんですか? 「ええ、大好き!」  そんな会話を交わしながらも私の目は、桂木綾乃の網タイツに包まれたムッチリとした太ももをチラッチラッと見てしまう。  このスカートの奥には、どんな光景が隠されているんだろう?  そう思うとビールを飲んでいるのに口じゅうが異常に乾くような気がした。  今日もノーパンですよ、と彼女が頬を赤らめて言った時、すかさず、ちょっと見せて、とお願いしたら、多分スカートをまくってくれたろうなあ……。インタビューの間じゅう、私はそんなことを考え、ずっと後悔していた。窓から冬の明るい陽が差し込み、桂木綾乃の網タイツが鈍く光る。  桂木綾乃が東京の名門であるT短大在学中にビデオデビューして以来、もう二年近くが過ぎた。彼女が主にレイプ物やSM物といったハードな作品を得意にしているということもあろうが、女優生命のサイクルがどんどん短くなっているAV業界にあって、二年も現役で活躍しているということは、桂木綾乃の実力と人気の証である。 「よくね、スタッフの人たちから、『お前ほど趣味と実益を兼ねている奴はいない』って言われるんです。わたし、仕事が本当に楽しい。撮影の日の朝は、『今日はどんな恥ずかしいことをされるんだろう』ってワクワクしちゃう。本当にMなんですね、わたし。ビデオカメラの前で、縛られてバイブで責められたりすると、お仕事がこんなに気持ちが良くていいのかしらって思っちゃう」 ■日常と非日常のバランスをとりたいんです  私は去年の秋、桂木綾乃とすれ違ったことがある。場所は都内某所のSMショーを見せてくれる会員制のクラブである。知人の紹介で私はそのショーを見させてもらうことになった。二十人ほどの背広姿の中年男性たちが水割りなどをチビリチビリとやりながら、若い娘の浣腸ショーを眺めている。ジーパン姿の私は場違いな自分をはっきりと認識し、水割りをロックにかえてそれをガブガブ飲みながら、女性が床に置かれた水槽の中に排泄するのを見ていた。  ショーが休憩に入った時、薄いベージュのスーツを着た、いかにもOL然とした女性が入って来てソファに坐った。司会者がマイクを持ち、その女性を紹介する。 「今、いらっしゃった方はAV女優の桂木綾乃さんです。当クラブのショーに出演をお願いしている最中なのですが、とりあえず今日はショーを見学してもらいに来ていただきました」  客が拍手をし、桂木綾乃は目を伏せて恥ずかしそうに会釈をした。  あれが桂木綾乃か、と思い、私はウィスキーを|呷《あお》った。 「まあ、あの時来ていらっしゃったんですか。あの二週間後かな、ショーに出ましたよ。浣腸はされませんでしたが、縛られて、アナルもバイブで責められて……気持ちよかったです。お客さんも四十人ぐらい来ていただいて、見てる方が多ければ多いほど恥ずかしくなって、いいですね」 ——あの時のスーツ姿って、いかにも大手企業のOLって感じで、それがよけいいやらしく感じました。 「そうでしょ。|あけてみたら《ヽヽヽヽヽヽ》変態の体っていうのがいいですよね。真面目そうなスーツを着ているのに、脱いだら陰毛が無いとか、大陰唇にピアスをしてるとかね。そんな、外見と中身のギャップが大きければ大きいほど、想像力が刺激されて楽しい。SMって、しょせんは想像力の産物ですから」 ——バルザックが、男に想像力が無ければ貴婦人も売春婦も同じだって言ってます。 「ええ。でも、男のオナニーと女のオナニーを比べたら、女の方が男よりずっといやらしいことを考えてオナニーをしていると思いますよ。もう、エログロ入りまじったすごいことを想像していると思う。わたしですか? わたしは中学生の頃からオナニーを覚えたんですが、コンクリートが打ちっぱなしの部屋に監禁され縛られ、悪漢に体中を触られ舐めまくられて犯される自分を想像してオナってました。あの頃からMの気はあったんですね」  桂木綾乃は短大を卒業すると、東京・両国にある江戸東京博物館に受付嬢として勤めた。そこをやめると今度はなんと、某官庁の広報課に半年勤め、今は代官山のアメリカン・ポップアートを扱う画廊で受け付けの仕事をしている。 「ビデオの仕事だけでも充分に食べていけるんですけど、イヤなんですよ、普通の生活の感覚が麻痺しちゃうのが。日常と非日常のバランスをとりたいんです。それにね、SMのビデオに出ているっていうわたしの裏の顔を、このオフィスの人は誰も知らないだろうなと思いながらワープロを打つのが楽しいんです。ゾクゾクしちゃう。そういう二重生活自体が、もうわたしだけの一人プレイなんです。だから、博物館とか官庁とか固いところにワザと入るの。ギャップが大きいでしょ」 ——でも、バイト扱いとはいえ、官庁にはそうそう簡単に入れないでしょ? 「ちょっとね、親がらみのコネがあったんです。でもああいうところって変な人が多いですよぉ……」  入庁早々、桂木綾乃は課の花見に参加した。見事に咲いた桜が綺麗だった。桂木綾乃は思わず「桜って綺麗だけど、なんか人の気を狂わせるみたいですね」と隣に坐っていた課長に言った。その言葉が気に入ったのか、課長は江戸川乱歩や澁澤龍の本を彼女に無理矢理借すようになる。そして酒の誘い。ホテルのバーで飲みながら課長は言った。 「部屋をリザーブしてあるけど、朝まで一緒にそこで過ごさないかい?」 「そんなことをしたら、後悔なさいますよ」 「かわすのが上手だね。なんなら朝までこの指輪を外してもいいんだよ」 「いえいえ。奥様に申し訳ないですわ」  そうやって何度かセックスの誘いを断っているうち、桂木綾乃のマンションに毎晩のように無言電話がかかってくるようになった。そして桂木綾乃は官庁をやめた。 「やってもよかったんだけど、その人って見るからにMなのよ。M男クンって、ネチネチしてしつこいから後々面倒なのね。本当は、官庁の建物の中にセックスをするにはうってつけの場所があったの。書庫なんだけどほとんど人が来ないのね。あそこに仕事中に課長を呼び出して、プレイをしたかったなあ……。  でも、今勤めている画廊の中ではやりましたよ。日曜日の昼下がりに知り合いの変態男を呼び出して。客は来ないし、ガラス張りの店なんだけど裏通りにあるから表も人がほとんど歩かないの。それで画廊の中で壁に手をついてバックで……。気持ちよかったァ。でも女っていざとなると周りのことなんか見えなくなるんだけど、男ってどんなに変態でも、いつ人が来るかって心配してソワソワしちゃうのね。あれがおかしかった」 ■マゾ開眼の瞬間  桂木綾乃は現在二十二歳。横浜に生まれる。父親は建築士。母親は綾乃が三歳の時に死去。父親の仕事が多忙だったため、綾乃は祖母のもとにあずけられる。 「SMに走る子って、家庭環境に問題があるというか、ファザコンの子が多いんですよ。わたしもファザコンだもん。父親に犯されたいとまでは考えないけど、縛られたいとは思います」  綾乃が小学校に入る時に父親は再婚し、綾乃は家に引き取られる。だが一年間で離婚。今の義母が家に来たのは綾乃が小学校三年生の時だった。そして、十歳下の妹が生まれる。 「新しいお母さんに対して、別にこだわりっていうのはなかったと思う。だって実の母親のことなんか覚えてないんですから。物心ついたらもう死んでましたから。ただ、高校を卒業して東京に出て来る時に義母と大ゲンカをしてしまいまして……それ以来実家には帰ってません。血がつながっていないとかは関係なく、義母はいい人なんですけど、どうも人間としてお互いに相性が合わないみたい。けど、折れなくちゃいけないのはこっちだってわかってます。わかってるけど、もう少し時間が欲しい。あと、二、三年たったら家に帰ろうと思っています。  父親とは仲良しですよ。今も三日に一ぺんは電話がかかってくるし、ちょくちょく東京のわたしの部屋にも来ますもん。この前、父親がとっても言いにくそうに、『お前の部屋にSM雑誌があったけど、あれはどうしたんだ』って訊いてきた時はさすがに焦って(笑)。友達に借りたとか言ってごまかしたんですけど、父はすっかり娘がそういう気のある男とつき合ってるだけと思ったらしく、わたしが机にぶつけて腕にアザを作ってたら真顔で『恋人にぶたれたのか?』って訊いてくるんだもん(笑)。笑っちゃった。でもまあ、仕事で同じようなことはしてるんだけど……」  高校二年生の時、桂木綾乃は同級生の男の子とつき合うようになる。そしてベッドイン。 「ところが全然入らないの。指をちょっと入れられただけで痛くて飛び上がりそうになるし、本当に入らない。だから彼はインサートすることをあきらめて、卒業するまでずっとわたしのアソコを舐めてばかりいましたね。おかげで、処女なのにクンニでイクことは覚えました」  東京に出て新しい彼氏とつき合うようになるが、やはり挿入は無理だった。悩んだ挙句綾乃は病院へ行く。診断は「処女膜強靭症」。 「それで、メスで処女膜を切ってもらったんです。だからわたしの初体験の相手って人間じゃないの、メスなの(笑)。すぐに縫い直してもらったから、次に彼氏とやった時はちゃんと出血しましたけど」  短大時代、本当に好きになった彼氏がいた。しかし、大学生だった彼はドイツに留学し綾乃の目の前から消えてしまった。淋しくて、綾乃は次から次と出会う男に身をまかせた。不倫も経験した。その不倫の淋しさをまぎらわすために、また男から男へと転々とした。そして、慶応大学のヨット部の男と出会う。綾乃の部屋でその男とセックスをしている最中、綾乃はトイレに行きたくなった。男は「俺の前でしてみろ」と言った。綾乃は風呂場でしゃがみ、彼のモノをフェラチオしながらオシッコをした。その時、今まで知らなかったゾクゾクッとする強烈な快感を綾乃は全身に感じた。 「わたしって、マゾなのかもしれない」  桂木綾乃、マゾ開眼の瞬間である。  その年の夏、桂木綾乃は都内の路上でAVにスカウトされた。 ■SMビデオに出るようになって、  生まれて初めて自分の居場所を見つけたような気がしました  桂木綾乃が坐っている。下着をつけていない下半身を、黒いミニスカートと網タイツでわずかに隠し、桂木綾乃が坐っている。 「この前、レズを経験したんですよ。高校時代の同級生でフェリスに通っている女の子がいるんですけど、一緒にお酒を飲んでウチに泊まったんですね。二人で一つのベッドに寝てるうちに互いに変な気持ちになっちゃって、気がついたらわたし、部屋にあったピンクローターで彼女を可愛がってたんです。『さあ、どこが気持ちいいの? 言ってごらん』とか、『言わないともうしてあげないわよ。もっと気持ちよくして欲しいんでしょ』とか言って(笑)。わたしって男の人に言葉で|嬲《なぶ》られるのが好きだから、レズのタチ役になると、自分が言って欲しいことを言っちゃうんですね」  桂木綾乃が坐っている。 「SM系のビデオに出始めたら、ファンレターがたくさん来るようになったんです。それを読んでて、生まれて初めて自分の居場所を見つけたような気がしました。それまでは子供の頃から、心のどっかで自分は存在しない方がいいんじゃないかって感じてましたから……だから嬉しかった。自分の存在を認めてくれる人たちがいるんだなって……」  桂木綾乃が坐っている。 「自殺願望? ありますね。人に殺されたいっていう願望もあります。だから、プライベートでは御主人様を作らないようにしているんです。もし御主人様を作ったら、絶対にこの方になら殺されてもかまわない、いや、殺されたいと思っちゃうに決まってますから。SMの究極は死ですからね。恐いです、そんな自分が……」 ——桂木さん。 「はい」 ——桂木さんにとって、SMセックスは大切なものですか? 「はい。わたし自身を一番解放できる場所ですから。でも……」 ——でも、なんですか? 「体はたっぷりと充たされてるんですが、心がね、心がまだ充たされてないような気がするんです……。しょせんセックスでは、心は充たされないんでしょうかね……」 AV Actress Ayano Katsuragi★1995.3 [#改ページ] 森川まりこ AV Actress Mariko Morikawa 三度父親が替わった少女は晴れた日には海を見ていた

 森川まりこへのインタビューは朝の十時から始まった。『ビデオ・ザ・ワールド』の編集長からその時間を電話で告げられた時、私は少なからず驚いた。 「えっ、十時って、朝の十時?」 「そう、朝の十時」 「な、なんでまたそんな早い時間に……?」 ■朝の十時のインタビュー  編集長の説明によると、森川まりこは東京の蒲田で「まり美療」という性感マッサージ店を経営しており、その開店時間が午後一時なのだそうだ。ビデオはその合間をぬっての仕事。だから取材は午前中に限るというわけだ。 「大丈夫? ちゃんと来れる?」 「はい、ちゃんと十時に行きます」と答えたはいいものの、どうにも自分のことが信じられない私はその前日は不安でたまらず、夕方からいつも以上のペースで酒を飲み夜の十二時には床についた。数年前までは朝まで飲み屋で過ごしそのまま取材に出かけるという荒技をよくつかっていたものだが、その度に死ぬ思いをしていたので最近は取材前はちゃんと睡眠を取るようにしている。やはり人間は学習というものをするもんである。ただこれを二十代の頃に学んでいたら、勤めていた会社を辞めなくともすんだのに……。バカは時が過ぎ去ってからやっと反省をする。  翌朝、私はシャワーを浴び颯爽とアパートを出てインタビュー場所である白夜書房に向かった。駅の中は通勤通学の人間でごった返している。こんな状況に身を置くのは実に久し振りのことだ。私の体は新鮮な喜びにうち震えた。  自分もこれから、世の中の皆さんと同じく仕事に出かけるのでありますぞ!  慣れぬラッシュの電車の中で揉みくちゃにされながらも、私の背筋は日頃悩まされている腰痛も忘れてピンと伸びていた。顔は労働意欲に充たされさぞ輝いていたことだろう。つくづく感じた。人間は朝起きて仕事をし、夜は静かに眠るものである。  私はこんな喜びを教えてくれた森川まりこに心から感謝をした。よし、今日から自分もまっとうに生きよう。吐く息の白さも、夜中の飲み屋街で見るのとは違ってどこか清々しい。  十時前に白夜書房に着くと、徹夜明けらしく目を真っ赤にした数人の社員をのぞき、人はほとんどいなかった。サラリーマンより早く出社したと思うと気分がよかった。 「編集の仕事をして十何年になるけど、こんな早くからインタビューをするって初めてだなあ。まいった、まいった」  そう言いながら編集長が数分遅れてやって来た。だが言葉とは裏腹に彼の表情は嬉しそうだ。やはり彼も朝から仕事をするという人間の根源的な喜びを感じているのだろう。  時計の針がほんの少し十時を回った時、編集長の机の上の電話が鳴った。森川まりこの携帯電話からの連絡で、今、車で会社の入口に着いたらしい。私たちは慌てて階段を降りて会社の外に出た。  そこには冬の陽差しを浴びて、コートを着てニッコリと笑い、白い息を吐いている若い女性がいた。身長は一五〇センチと小柄ながら、一二四センチといわれるバストの大きさは噂にたがわずコートの上からも充分に見てとれた。彼女は私たちに向かい深々と頭を下げ、「森川です。今日は朝早くから御無理を言って申し訳ありませんでした」と言った。  声質というものがある。吉行淳之介も言っているが、その職業が体に染みつけば染みつくほど、その人間の出す声はその職業以外の何物でもなくなる。飲み屋などで、ふと「あ、これは同業者だな」と感じる声が聞こえてくる時があるが、やはりそういう場合、その声の主は雑誌関係の人間である。放送関係の人間も雑誌関係者と似たようなしゃべり方をするが、声質が違う。雑誌関係の人間は傍若無人にしゃべりながらもどこか世の中を上目使いで見ているところがある。放送の人間にはそのオドオドしたところがない。  私は森川まりこの声を聞いた時、この声は雑誌編集者の声だと思った。私の知っている三人の有能な女性編集者と同じ声質なのである。世の中を上目使いに見、とことん裏方に徹して仕事をする声である。私はその種の声が好きだ。恐ろしくてとても彼女らとは恋愛関係にはなれそうもないが、仕事のパートナーとしてはずっとつき合っていけそうな声である。AV女優である森川まりこが、性感マッサージの店を経営しているということが、彼女の声を聞いた時初めて理解できたような気がした。ビデオでの主役などより、彼女はビジネスというものをしたいのだ。 ■意地でも店をつぶせないんですよ ——「まり美療」を開いてどのくらいになるんですか? 「三年ぐらいですかね」 ——それまでは何をしてたんですか? 「別の性感マッサージのお店で働いていたんです。でもそこで風俗紹介の雑誌にちょこっと出たら、わたしを指名する巨乳好きのお客さんがたくさん来ちゃって、それで他の女の子たちとの折り合いが悪くなったんです。妬みっていうんですか……女の子って複数集まるとすぐに誰かを悪者にする癖があるんですよ。そのターゲットにされちゃったんですね。それでこの店はなんか居心地が悪いなあと悩んでいたら、その店から独立して自分でお店を持っている先輩から、『あなたも自分で店を開けばいいのに』と言われたんで、じゃそうしようかなと思って『まり美療』を作ったんですね、ハイ」 ——でもお店を一軒作るとなったら、資金が大変でしょう? 「そうでもないんですよ。事務所としてマンションの一室を借りて、電話を置けばいいだけですから。あとはわたしが働けばいいんですから。でもまあわたし一人というわけにもいかないから、もう一人女の子を雇い、電話番というかマネージャーの男の人を入れて三人で始めたんです」 ——今、女の子は何人いるの? 「少ないんでね、あんまり言いたくないなあ……」 ——あなたを入れて三人ぐらい? 「そうですね。まあ、そのぐらい」 ——それだけ人間をつかっていれば立派な経営者ですよ。町のラーメン屋にひけを取らない。ちゃんと毎日収支決算みたいなのはつけてるの? 「普通の会社みたいにきちんと細かくはつけてませんが、まあ大体のところは毎晩つけてます。家計簿みたいなものですね。でも、自分でお店を経営すれば人に使われるより楽ができると思ってたんですが、実際にやってみると全く逆ですね。少々熱があっても働いちゃう。人に使われていた方が楽です。サボるということができるから。経営者になったらサボったらそれこそ死活問題ですからね。他の人へのお給料も払わなくちゃいけないし、わたしだけの体じゃないということをひしひしと感じますね」 ——今、お歳はおいくつでしたっけ? 「今年で二十三歳になります」 ——二十三かあ、偉いねえ。僕が二十三歳の頃はまだ親から仕送りをもらっている学生でしたよ。偉いなあ。 「そんなあ……たまたまですよ。たまたまなりゆきでこういうことになっただけです」 ——店の女の子にはなんて呼ばれているの? やはり「社長!」とか? 「いえいえ、普通ですよ。『まりちゃん』とかそんな感じ」 ——でも、やはり大事なことでは女の子を叱ったりもするんでしょう? 「いえ、お客さんからなんらかの苦情があった時には、マネージャーの男の人から女に子に言ってもらってます。わたしがそれを言っちゃうと、女性同士だからどうしてもトゲみたいなものがお互いに出てきちゃうんですよ」 ——最近の景気はどうですか? 「どこも同じだと思うけど……よくないですねえ。でも、わたし、意地でも店をつぶせないんですよ。店がつぶれたら、今さら恥ずかしくて同業のお店に働きに行けませんから。陰で何を言われるかわからない。今のところ、わたしは性感の仕事しかできませんから、店をつぶすことはできませんね」 ——店を出す時、地元のヤクザの人たちとかは恐くありませんでした? 「えっ……ハハッ……そういうことをこんな場所でしゃべっていいんですかね。まあ、今度こういうお店を出しますからよろしくお願いしますって挨拶さえしておけば大丈夫なんじゃないですか? そうしておけば何かトラブルがあった時は助けていただけるし……」 ——しっかりしてるねえ。 「そんなことはないですよ。郷に入れば郷に従えですよ」 ——小さい時から自立精神が旺盛だったんですか? 「そうですね。けっこう自分でできることは自分でやろうとしてたかな。一見ね、人からは何もやらなそうに見えるらしいんですよ」 ——そうですね。森川さんは実にオットリとしているように思われるかもしれない。 「そうでしょ。胸が大きいからかなあ(笑)。でも胸は大きいかもしれないけど、腰はけっこう軽いんですよ。料理でも掃除でもなんでもチャッチャとしちゃうんですよ」  私は実物の森川まりこと会った時、つい、「あなたは人からオットリとしているように思われるかもしれないね」と言ったが、彼女と会う前に彼女の『超乳伝説』というビデオを観た時の私の印象はまるで逆だった。  こういう女の人を怒らせたら、さぞ恐いだろうなあ。  そのことを私が言うと、森川まりこは柔和に微笑んでこう答えた。 「根は勝ち気ですね。グジュグジュとは言いませんけど、腹が立った時は相手にスパッと言います。『あんたのここがイヤなんだよ』って」 ——女性という、同性に対して何か苛立ってませんか? 「エー……そういえば、同じ歳の女性の友達が少ないですね。女の子ってみんなで集まって人の悪口をコソコソグジュグジュって言うんですよ。あれがとってもイヤ。中学時代もそれが苦手だったなあ。誰か一人がいなくなると、たちまちみんなで『でもさ、あの子ってさ』って、その子の悪口を言うんですよ。それがイヤであまりグループとかには入らなかった。何かみんなでしなくちゃいけないっていう時は、例えば文化祭とかね、そういう時はちゃんと参加するけど、何でもない時に用もなく群れ集うのは嫌いでしたね。トイレに一緒に行くとかさ。ハハハッ、もしかするとわたし、今から考えると、学生の頃って周りから浮いた存在だったのかもしれないですね。ハハハッ……きっとそうだ。わたしって浮いてたんだなあ……」 ■両親は離婚するわ、出生の秘密は聞かされるわ  森川まりこは首都圏の海に近い町に生まれた。彼女が物心ついた頃には当り前のように父親と母親が家にいた。彼女は長女だった。 「長女に見えないってよく言われるんです。大抵、一人っ子か末っ子に見られるんです」  ほどなくして妹が生まれた。 「妹からは友達みたいに思われてて、『お姉ちゃん』とかって呼ばれたことがない。いつも名前で呼ばれます。でも彼女に困ったことが起きた時は親よりもわたしに頼ってきますね。恋愛の相談? そういうこともあるけど、話を聞いてるといろいろショックなことが多くてねえ……どんなことかって?……あのさあ、妹が男の人とエッチをしてるなんて考えたくないじゃないですか。自分のことは棚に上げて(笑)」  森川まりこが小学校五年生の時、父と母が離婚した。 「そのしばらく前から、パパとママはよく夜中にケンカしてたんです。わたしたちが寝静まったと思ってケンカを始めるんでしょうけど、子供ってそういう雰囲気には敏感なんですよね。寝たふりをしながら、早く仲直りしてくれないかなあって布団の中で祈ってました。妹は何も知らずにグーグー眠ってましたけど」  父母が離婚する時、もっとショックなことを長女は母親から教えられた。 「それまで父親だと思っていた人が、実は本当のパパじゃなかったんです。わたしの本当のパパとはわたしが物心つく前に別れたんだって。だから妹とは父親が違うんですよ。両親は離婚するわ、出生の秘密(笑)は聞かされるわで、何がなんだかわからなくなって、しまいにはどうでもよくなっちゃった。その頃からですね。何があっても驚かないっていうか、常に物事を醒めた目で見るようになったのは……。グーグー眠ってた妹は、離婚なんてまさに寝耳に水で(笑)、狂ったように泣いてましたけど。実の父ですか? どこでどうしているのか全然わかりません」  二番目の夫と別れ二人の娘を引き取った母親は、それまでは専業主婦だったが一念発起して小料理屋を開いた。それとともに、家事、特に夕食は長女が担当することになる。 「学校からまっすぐに家に帰って夕食の準備です。材料はママが用意してくれてたんで、買い物はしなくてよかったんですけど。妹? 全然手伝いません。『今日はハンバーグがいい』とか『グラタンが食べたい』なんて勝手に注文して、あとはテレビを観ながら、『まだぁ? お腹がすいたよぉ』って感じですね(笑)。手伝ってもらってもかえって二度手間になっちゃうから、テレビ観ててもらった方がこっちも気が楽なんです。だからわたしが家を出てからは、何もできない妹は大変だったみたい。最近やっと炊飯器で御飯が炊けるようになったんだって。電話でそういばってた。偉くなったねえって褒めてあげたけど、ママに訊くとまだ時々水加減とかで失敗してるみたい(笑)」  そして新しい父親が家にやって来た。どうやら離婚の原因は母親の恋愛にあったらしい。今度の父親は前の父親よりも若い男だった。 ■学校って変じゃないですか、  なんで時間と場所を強制されなくちゃいけないんですか? ——新しいパパを迎えるにあたって、抵抗感はなかったの? 「そんなにありませんでしたね。ママの選んだ人だからと思って、すぐにパパって呼べましたよ。あれって、早いうちにパパって呼んだ方が気持ちが楽になるんですよ。そのタイミングを外すといつまでも呼べなくなっちゃう。妹がそうでした。まあ、妹は実の父親とずっと暮らして来て、わたしは本当の父親の顔も知らないっていう違いはあるんでしょうけど」 ——でも、小学校五年生といえば、幼稚な男の子と違って、女の子にとってはかなり多感な時期でしょ。そんな時に母親の恋愛という現実を見せつけられると、こう言っちゃなんだけど妙に生々しくてかなりイヤなんじゃないのかなあ? 「それはなかったですね。その頃って、わたしも初恋をしてたんですよ。だから、自分が恋をしているのに、ママにだけ恋愛をやめろとは言えないですよ。そんなことを言ったら、同じ女としてかわいそうじゃないですか。別に母親としての役割をサボっているわけじゃないし……」 ——長女って、けなげなぐらいに大人なんだねえ。学校でも優等生だったの? 「全然。勉強しなかったし、中学の頃から学校にあんまり行かなくなったし(笑)。朝起きて空が晴れてると、なんでこんな天気のいい日に学校に行かなきゃいけないんだって、アホくさく思えちゃうんです。それで家を出ると海に行っちゃう。だから雨の日は学校に行ってましたね(笑)。どこも行く所がないから仕方なく。しまいには担任の先生に家まで迎えに来られるようになっちゃった。『起きなさい。朝よ。先生と一緒に学校に行きましょう』って(笑)。  あのですねえ、なんか、学校って変じゃないですか。だって教科書っていうものがあるんでしょ。それさえあれば、自分で勉強したい時にやればいいのに、なんで時間と場所を強制されなくちゃいけないんですか? おかしいですよ。  わたし、集団行動が苦手なんですよ。なんでねえ、みんな同じ制服を着てゾロゾロと一緒に動かなくちゃいけないんですか? なぜ、みんな、それに疑問を持たないのかなあ……。セーラー服なんてそうそう洗濯ができないから汚いし、機能性は悪いし、寒いし……。あれが私服だったらもっと学校に行ってたと思うなあ……」 ——じゃあ、家では教科書を相手にちゃんと勉強してたの? 「しなかった(笑)。昼間は海を眺めていて、家に帰ると炊事、洗濯、掃除の毎日。明日にでもすぐにお嫁に行ける自信がありますよ」  私は森川まりこの話を聞きながら、西原理恵子の『はれた日は学校をやすんで』というマンガを思い出していた。そこで主人公の中学生の女の子はこんなことをつぶやいている。 《あたらしい制服がやって来た。「似あうから着てみてごらんよ」おかあさんはゆうけれどだってみんなと同じだもの。これじゃおかあさんだってわたしのこと みつけられないと思うわ。大すきなわたしのジョンが よその犬とおんなじだったら わたしはとてもかなしいと思う。おかあさんはそう思わないのかしら。みんなはそう思わないのかしら。おかあさん わたしこれ 着れないよ》 ■パパがいっぱいできて楽しいじゃない  地元の高校に進学した森川まりこは以前にも増して学校に行かなくなった。毎朝浜辺に出かけ、昼になると自分で作った弁当を食べ、海が夕焼けに染まる頃になると家に帰った。たまには他の不良のように町の繁華街をぶらつきたいとも思ったが、補導されるのが恐くてやめた。大好きなママと、自分を頼りにしてくれる妹だけには心配をかけたくなかったからだ。だから毎日波を眺めていた。海を見ていると自然に心が落ち着いた。いつまでも見飽きることはなかった。 「担任の先生が嫌いだったんですよ。国語の教師だったんだけど、生理的に嫌いだった。やることなすこと清潔感がないの。その先生が触れるもの、全部汚いと思っちゃう。まだ二十代の先生だったけど、顔を見るのもイヤだったな。  一度先生に、『なぜ学校に来ないんだ?』って訊かれたんですよ。わたし正直に『先生が嫌いだから』って答えた。先生、ギョッとした顔をして黙りこくっちゃいました(笑)。  でも三年間、その先生が担任だったんですよ。毎年クラス替えがあるのに、なぜかわたしはその先生のクラスなの。先生も意地になっちゃって、わたしを自分のクラスに入れてたのかなあ。迷惑な話ですよね」  友人からノートを借り、試験だけはちゃんと受けて単位だけは取得していた森川まりこだったが、二年生の時から英語の授業のある日だけは学校に行くようになった。 「英語の先生に恋をしちゃったんです。四十一歳で妻子持ちだったけど、声が田村正和に似ていてとっても素敵なの。家庭科の授業でクッキーを作った時なんかはその先生にいつも食べてもらってたし、バレンタインデーの時はちゃんと手作りのチョコをプレゼントしてました。それに先生も授業の時は必ずわたしを指すの。だから英語だけはちゃんと予習、復習をしてましたよ。なんか、好きな人にかまってもらって嬉しいっていう感じ?『なんでわかんないんだ、こいつぅ』『ごめんなさぁい』って感じ。学校の授業が楽しいと思ったのは初めてでしたね」  森川まりこが高校三年生の時、母親が三番目の夫と離婚をした。 「わたしとしては、ああまたかって感じでしたけど、ようやく新しいパパになつき始めていた妹は再びショックを受けていましたね。『もしかしたら、また新しいパパが来るかもしれないよ。パパがいっぱいできて楽しいじゃない』って冗談まじりに慰めてたんですけど、まさかそれが本当になるとはねえ(笑)」  森川まりこが卒業する直前の一月、英語の教師の他の学校への異動が決まった。そして、それがキッカケのように彼女は先生の車でドライブをし、東京の美術館へ行った。デートである。 ——どうしてデートをすることになったの? 「うーん、よく覚えてない。クリスマスにプレゼントをしたお礼だったかなあ……」 ——それで、セックスの初体験はその先生となんでしょ? 「……うん」 ——最初のデートで? 「ううん……何度かドライブをして……」 ——初体験の前にキスとかはされたの? 「うん」 ——あなたはやっぱりキスをされる時、「先生」って呼んじゃうの? 「うん、ついね……向こうはそう呼ぶなって言うんだけど、アァ、どうしよう、思い出したら恥ずかしくなってきちゃった。顔が熱いや」 ——初体験はどこで? 「海の近くのホテル」 ——やっぱり抱かれた時は「先生」って言ったの?「先生、愛してる」とかって。 「ああ、もうやめて下さい。恥ずかしい」 ——先生はちゃんとコンドームをしてた? 「……してたと思います」 ——先生のオチンチンが自分の中に入ってるってどんな感じ? 「気持ち悪いですね。なんか変な感じ。どうしてもわたしは女だから、股間ってツルンとしたイメージがあるじゃないですか。それが変なものがくっついてるから、恐いなって」 ——でも先生にフェラチオを教えてもらったんでしょ? 「そ、そうですね。仕事がら、教えるのは得意ですから(笑)」 ——先生とはずいぶんセックスはしたの? 「五回です。五回。フェラチオしたのは四回目の時かな。『しゃぶってごらん』って言われて(笑)」 ——ハハハ、なんか聞いてるこっちも恥ずかしくなるなあ。 「でも、今から思うとすごいことしてたんですね。先生とエッチしちゃうなんて。今なら(テレビドラマの)『高校教師』とかがあって先生との恋愛が認められてる雰囲気があるけど、あの頃は高校の先生なんてそんなにトレンディじゃなかったしね」 ——でも初恋が実ってよかったですね。 「そうですね。……ハイ」 ——先生とはその後どうなったの? 「わたしが学校を卒業して、看護学校に入学して寮に入ったんで、連絡が取れずに自然消滅しちゃいました。昼は病院で仕事をして夜は学校という毎日でしたから、忙しくてもう先生どころじゃなくなったんです」 ■性感マッサージの仕事をしていると男ってみんな変態に思えちゃって  高校をなんとか無事に卒業した森川まりこは看護学校に入った。それと時を同じくして、家に新しいパパがやって来た。 「妹に冗談で言ってたことが本当になっちゃったんです。本当にうちのママったら恋多き女なんだから(笑)。今度のパパは前のパパよりもっと若いの。パパはどんどん若くなる(笑)。なんかもう、お兄ちゃんみたいですね。実家に帰ると、よく二人で日本酒を飲んでしゃべりますよ。すると新しいパパは泣きながら、『仕事をやめて家に帰ってこい』って言うんです。わたしが出演しているビデオの広告をママが雑誌で偶然見ちゃって、わたしが何をしているのかバレちゃったんですよ」  小さい頃から、風邪をひくと連れて行かれる病院のクレゾールの匂いが好きだった森川まりこは、大人になったら看護婦になろうと思っていた。しかし、看護学校に入学した彼女を待っていたものは、彼女が一番苦手だった集団生活と女同士のいじめだった。とても耐えられずに森川まりこは学校を半年で辞めた。  だが四度目の結婚をした母親はそんな娘を「根性なし」と怒り家に戻ることを許さなかった。仕方なく娘は東京でホステスをしている中学時代の友人のマンションに転がり込む。そしてそこから普通の会社にOLとして通い始めるが、給料は十二、三万円。なかなか一人暮らしをするための金は貯まらない。悩んでいると友人が「これをやってみたら」と言い夕刊紙の人材募集の広告を見せた。そこには「性感マッサージ」という文字があり、「高給優遇」と記されている。電話をしてみると、本番はなさそうだし、看護婦の仕事と大して違いはなさそうだ。  よし、ここで働こう!  森川まりこは決心した。 ——なぜAVに出演するようになったの? 「わたしの胸が人よりも大きいということを雑誌か何かで読んだあるAVの監督さんが、お店にスカウトに来たんです。わたし、先生とエッチをしてから五人の人とエッチをしたんですけど、全然感じないんですよ。それでAVに出れば感じる体になれるかなと思って、OKしたんです」 ——それで、AVに出てみてどうでした? 不感症は治りました? 「ええ、まあ、そうですね(笑)。やはり男優さんはお上手ですね。ただ、性感マッサージの仕事をしている限り、男性とは恋はできないような気がする。だって、毎日会う男の人たちがみんな同じように裸で四つん這いになって、わたしにお尻に指を入れられて『アーッ』とか言ってるわけでしょ。中にはちゃんとしたサラリーマンが背広を脱ぐと女性の下着をつけていたりする(笑)。そういうのを見てると男ってみんな変態に思えちゃって、どうも駄目ですね」 ——そういうことを言うと、お客さんが来なくなるんじゃないの? 「大丈夫ですよ。ああいう人たちは、何を言われてもやって来ます」  午後一時過ぎ、森川まりこはお店に帰って行った。ふだんの日は一日で四人(一人、八十分)を相手にするのだが、今日は遅れたので三人にすると言う。  いつもはインタビューが終わる頃には夜になっており、そのまま編集長やカメラマンと飲み屋に行き打ち上げをするのだが、なにせまだ昼である。白夜書房の社内にもようやく社員たちが集まり始め、編集長もカメラマンもそれぞれの仕事に戻って行った。  淋しい。  一人会社を出た私は中華料理屋に入りビールを注文した。そして店の窓外の弱々しい冬の陽差しを眺めながら、今朝はあれほど社会人としての喜びに満ち溢れていたのに、もう脱落してしまったなあと思った。  編集長もカメラマンも仕事をしている。森川まりこは今頃、今日初めての四つん這いになったお客さんのお尻に指を入れているのだろう。  みんな、偉いなあ。  森川まりこが十代の頃に眺めていた海も、休むことなく波を打ちよせているに違いない。 AV Actress Mariko Morikawa★1995.4 [#改ページ] 宏岡みらい AV Actress Mirai Hirooka 自分で納得のいく、これがAVだっていう作品を作りたいですね

「わたしね、この業界ではかなり嫌われてると思う。だって自分で言うのもなんだけど、わたしってすっごくワガママなんだもん。地元でチヤホヤされててそのまま東京に来ちゃったから、口のきき方を知らなかったのね。デビュー前にカメラマンの野村誠一さんと会った時、『あんた、誰なの? カメラマンのノムラ? 知らなーい。シノヤマキシンなら知ってるけど』って言っちゃって、当時のマネージャーにすっごく怒られたの。『バカヤロー、野村さんはとっても有名な人なんだぞ!』って。そんなことばっかり。  現場でもちょっと気にくわないことがあるとすぐにケンカしちゃうしな。わたしとしては納得いく仕事をしたいためのケンカのつもりなんだけどさ。わたしは、|ちゃんとした《ヽヽヽヽヽヽ》人にはちゃんとした対応をしますよ。でもそうじゃない人にはそれなりの対応しかできない。それだけのことなんだけど、人からは単なるワガママだって言われる。まあそうなんだけどさ(笑)。  わたしって、何かが欠けているんだと思う。一度怒っちゃうと、我慢しなくちゃとわかっていてももうどうしようもない。怒った自分を止められないの。後で後悔するんだけど。  最近ね、みんなちゃんとしてて偉いなあって感心するの。だってAVの女の子ってみんな性格がいいんだもん。この業界で性格が悪いの、わたしだけかもしれない。  だから今まで何人ものマネージャーにサジを投げられちゃった。宏岡みらいは扱えないって。身内がそうなんだから、外の人からわたしの評判なんて推して知るべしよね。  でも今のマネージャー(男性・二十九歳)はすごいんだよ。こんなわたしを見事にコントロールしてくれるんだもん。わたしがいかに怒ってるかってことを彼に訴えているうちに、『あれ、なんでわたし、こんなに怒ってるんだろう』って思っちゃうの。なんでも吸収されちゃう感じ。わたし、そういう男の人が好きなんだ。格上っていうか、スケールが大きい人。わたしなんかとうてい太刀打ちできない人。だから実は今のマネージャーを狙ってるんだ。でもたまに冗談で『(セックス)しようよ』って言うんだけど『お前とは絶対に寝ない!』って怒るの。わたしが今までのマネージャーを全員食ったってウワサが流れてるからかなあ。本当に食ったのは一人だけなのにさ(笑)」 ■おばあちゃん思いみたいな話をすると、なんかいい子みたい  インタビューの途中、話が宏岡みらいの家族構成のことになり、彼女が「わたしは、おじいちゃんとおばあちゃんにとっても可愛がってもらったんです」と言った時、彼女の頬がピクッと痙攣し目が少し潤んだように見えた。 ——ど、どうかしたの? 「あの……今朝……おじいちゃんから電話があって……おばあちゃんが危篤だから早く帰って来てくれって……」 ——…………。 「一年前からガンで寝込んでたんで、どんなに忙しくても月に一度は田舎に帰ってたんですよ……だから……覚悟はしてたんですけど、いざそういう電話があると……なんか頭がパニック状態になっちゃって、どうすりゃいいんだって感じで、今朝は一人で暴れまくって部屋の中をメチャクチャにしちゃった、ヘヘ」 ——そ、そりゃ、こんなインタビューを受けてる場合じゃないよ。ここはいいから早く帰った方がいいよ。 「いえ、いいんです。わたしが帰ったからってどうなるわけでもないし……明日は朝イチで帰りますから……大丈夫です」 ——缶ビールがあるけど、飲みますか? 「えっ、飲んでいいんですか? 嬉しい。本当はおじいちゃんから電話があった時、こりゃもう頭を落ち着かせるためにビールを飲むしかないって思ったんですけど、取材があるからよしたんです。あっ、『春咲き生ビール』だって……いい名前……(プシュッ)……フーッ……あっ、でもこんな話をしたらわたしのイメージが崩れちゃうなあ……」 ——どういうこと? 「だってわたしが今まで取材なんかで作ったわたしのキャラクターって、男を食いまくってるみたいなハチャメチャな奴じゃないですか。まあそれは本当なんですけど(笑)。それが実はおばあちゃん思いみたいな話をすると、なんかいい子みたい。ハチャメチャな淫乱女じゃなくなっちゃう」 ——男を食いまくってるあなたも、おばあちゃんを心配して涙するあなたも、どっちも本当の宏岡みらいなんだからいいじゃないですか。 「……そうですね……わたしって多重人格だからなぁ……」 ■セックスのことならなんでもわたしに聞いてちょうだい  東北の某都市に宏岡みらいは生まれた。父親は会社員で、お嬢さん育ちで世間知らずの母親は専業主婦。家には祖父と祖母が同居し、四歳下の弟がいる。なにせ祖父母にとってみらいは初孫だったので、みらいはまさに蝶よ花よと育てられた。母親が「なぜあんたはそんなにワガママなの!」と怒ると、小学生の娘は「だってわたしは|おじいちゃんおばあちゃん子《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》だしィ、B型だしィ、ワガママになるのは当り前だもん」と幼くして自分を客観的に分析し、唇をとがらせた。  中学生になったみらいはテニスウェアに憧れて軟式庭球部に入る。が、練習はほとんどせず、部室に籠ったまま自分や友人が購入してきたエロ本を読みふけった。小学生の頃からセックスに対する興味は人一倍あり、中一の頃は処女ながら、「セックスのことならなんでもわたしに聞いてちょうだい」というセックス博士だった。博士は部室での情報収集を終えると、部室の壁にあけられている穴に目をあてる。隣の部室はサッカー部だった。男の子たちが着替えをする姿に博士は目を凝らした。  あっ、あの人は体が小さいわりにチンチンが大きいなァ。あいつは見かけだおしだ。  多分その穴はサッカー部員が女子庭球部員の艶姿を拝むためにあけたものなのだろうが、まさか自分たちが覗かれているとは性欲過多のサッカー少年たちも夢にも思わなかったろう。 「勉強はなんとかソコソコできましたよ。わたしって頭が本当に悪いんだけど、方程式とか年号とかを暗記することはできたんですよ。暗記ってバカでもできるじゃないですか。でもやっぱり頭が悪いから、数学とか応用問題になるとまるで手も足も出なかったですね」  中学を卒業したみらいは看護学校に入学した。看護婦を養成する学校だが、普通の高校の勉強もするのでかなりハードである。 「わたしは別に看護婦になりたいという気はなかったんだけど、大好きなおじいちゃんが『お前の白衣姿が見たい』って言ったから……。どうもおじいちゃんは看護婦さんに特別な思い入れがあったみたい」  しかしみらいはその学校を一年たらずでやめてしまう。 「犬の解剖があったんですよ。保健所から犬をもらってきて先生が解剖してわたしたちに『これが心臓だよ』とか言って触らせるの。それがイヤでイヤで……。そりゃ、ゆくゆくはやらなくちゃいけないことだとは思うよ。でもわたしたちはまだ教科書で必死に臓器の名前を覚えているような段階でしょ。そんな、犬の解剖なんかに立ち合うレベルじゃないわけですよ。なのに、なんであんなことをさせるんだろう……。もうこれは生理的にわたしに向いてないと思って、学校をやめました」  両親と祖父母は驚いた。そして怒った。あれほど可愛がってくれた祖父が「俺の顔に泥を塗りやがって」と怒った。祖父はその町の名士だった。田舎は世間体などいろいろ大変なのである。母親も「高校にも通えない子は人間のカスだ。家から出て行きなさい。家にいても御飯を食べさせてあげません」と言った。 ■コンビニで突然、ワーワーって泣き出しちゃったことがあったなあ  そしてみらいは本当に一カ月間食事をとらなかった。人間のカス、とまで親に言われた自分にものを食べる資格はないと思ったみらいは自室に閉じ籠った。一カ月で五〇キロあった体重が四〇キロになった。  このままでは死んでしまうと思ったみらいは家を出た。その頃つき合っていた同じ歳の男と新幹線に乗り東京へ出たのである。かけおち、である。  若き二人は川崎のボロアパートに居を定めた。みらいは喫茶店のバイトをしながら、歯科助手の学校に通った。家出はしても、愛するおじいちゃんの願っていた白衣を着たかった。男はトラックの運転手の仕事についた。だがすぐに上司とケンカをしてやめた。その後、男は就職してはやめるという繰り返しである。しまいには「これであと一週間は二人で食いつなげる」と思っていたみらいの一万円札を持ち出し、パチンコですってしまうようになった。 「でもわたしは一回も怒らなかった。彼に対して負い目があったから。わたしが家出に誘わなかったら彼は地元で親の金でノホホンと遊んでられたんだもん。だからわたしが悪いと思って怒らなかった。でもコンビニで安くて量のある缶詰を選んでた時、突然涙が出て来て店の中でワーワーって声をあげて泣いちゃったことがあったなあ。わたしったら家からこんな遠く離れた所で何をしてるんだろうって思ったら、急に悲しくなっちゃったの。  二人で暮らして二年目ぐらいの時かなあ。わたし、彼に『別れよう』って言ったの。そしたら彼、『お前と別れるぐらいなら、お前を殺して俺も死ぬ!』って包丁を持ち出したの。わたし、裸足でアパートを出て走って逃げた」  心身共にボロボロになった二人は、互いに生まれ育った土地に帰ることにした。そして、無言のまま故郷の駅に降り立った二人は、その場所でやっと別れそれぞれの実家に戻った。  その後、宏岡みらいは川崎時代に一度も浮気をしなかった借りを返すように男を食いまくり、遊べなかった借りを返すようにディスコで遊びまくった。一応地元では歯科助手として働いていたが、一日でも休みがあると新幹線で東京に行きジュリアナ東京でオッパイ丸出しのUバック姿で踊りまくった。マハラジャの東北代表にも選ばれた。とにかく、今までの何かに復讐するかのように、みらいは男とセックスをしまくり踊りまくった。そして東京でAVにスカウトされたのである。 ——スカウトされた時はすぐにOKしたの? 「ハイ」 ——抵抗はなかった? 「AVに出たらプロの男優さんとエッチできるわけでしょ。とにかく気持ちいいエッチがしたかったから、即OK」 ——それで実際にAV女優になってみてどうですか? プロの男優さんは。 「もう最高。特にベテランの人は上手。わたし、フェラチオは好きだけどキスは嫌いだったのね。どんなに好きな人とでもキスだけはなんか気持ち悪くてイヤだったんだけど、日比野達朗さんにキスされた時は、それだけであんまり気持ちが良くて思わず『ア、アー』って声が出ちゃったもん」  インタビューが終わる頃、他に用事があるらしく姿を消していた、宏岡みらいが狙っているというハンサムなマネージャーが戻って来た。そして宏岡みらいがビールを飲んでいるのを見て「仕事中に酒は飲むな!」と小声だが迫力のある声で叱った。ワガママで性格が悪いと自分で言う宏岡みらいが、小犬のように目を伏せて「ごめんなさい」と言った。さすがである。でも、さすがだけど、仕事中なのに二本目のワインをあけようとしている私って……ごめんなさい。 「将来ですか……そうですねえ、一本でいいから自分で納得のいく、これがAVだっていう作品を作りたいですね。ものすごくエッチなやつを」 AV Actress Mirai Hirooka★1995.5 [#改ページ] 氷高小夜 AV Actress Saya Hidaka そういう女を跪かせて奴隷のように扱うのが好きなんですよ

 氷高小夜。小夜と書いて|さや《ヽヽ》と読む。|さよ《ヽヽ》ではない。  私の住む新宿二丁目にある行きつけの焼き鳥屋のオヤジと、AVの話をしていた。オヤジは離婚をして今は独り者である。 「最近のAV女優で俺が一番気に入ってるのは氷高小夜だな。俺ってロリコンだからさ、ああいう可愛い顔をしながらいやらしい女がもうたまらねえよ。この前も氷高小夜の『レイプ狂い』っていうビデオを借りて、抜いたのなんの」  そう言いながら抜きまくった手で焼き鳥を焼くオヤジに、その氷高小夜と明日会うと言った。 「エーッ、本当かよ。いいなあ。インタビューが終わったらウチに連れて来いよ。大サービスしちゃうからさ」  オヤジの観た『レイプ狂い』とは、女の子と待ち合わせをしている男をナンパすることに情熱を傾ける女性が主人公だが、ストーリーとは別にドキュメント風なシーンもあり、氷高小夜が共演している男優を「あんたみたいな企画モノビデオにばっかり出ているやつが、わたしみたいなメジャーな女優と共演するなんて十年早いんだよ!」などと、ねちねちと言葉でいじめる。最後は腹を立てた男優に氷高小夜は強姦されくやし涙を流すのだが、そのいじめるシーンが実に迫真的である。観ていると彼女が地でやっているような気がしてくる。 「あの生意気な性格が地だったら、永沢、インタビューは大変だぞ。あんたなんかわたしを取材するなんて十年早いって言われるぞ。ああ、俺も小夜ちゃんにいじめられたい」 「オヤジ、焼き鳥こげてるよ」  オヤジにいわれるまでもなく私もそのことは心配だった。おまけに氷高小夜が今までインタビューされた記事を読むと、十九歳なのに男性経験は五百人を超えているらしい。あまつさえ、バイセクシャルでレズも可ということである。なんとも大変な人なのである。 ■取材の時は嘘を言って自分で楽しんでるの  茶色のハンチング帽子。ギンガムチェックのシャツにベスト。そしてジーンズのショートパンツ。これが私の前に現れた氷高小夜のいでたちである。顔はニコニコ笑ってる。機嫌はいいらしい。よかった。 ——最新作の『レイプ狂い』を楽しく観させてもらいました。 「あっ、あれを観てくれたんですか。あれで、わたしが男優さんをいびるシーンがあるでしょ。本当にイヤな女みたいに。あれがわたしの地だと誤解されちゃって最近困ってるんですよ」 ——僕ももしかするとああいう女性かもしれないと思って心配してたんです。それじゃ、あれは演技なんですか。 「当り前ですよ(笑)。台本通りにしゃべってただけ」 ——よかった。 「ハハハ、安心して下さい」 ——五百人の男性と寝たらしいですね。 「そうらしいですね(笑)。わたしって嘘つきだから、取材を受ける度に人数が増えちゃうんだ。毎回同じことをしゃべってるとイライラしてきちゃうから、嘘を言って自分で楽しんでるの。だから自分のインタビュー記事を読んで大笑いしてる。わたしってすごいなあって」 ——生まれは横浜だよね。 「営業上はね。でも本当は福岡」 ——へえ、福岡。僕は明日仕事でその隣の大分に行くんですよ。 「大分にもいたことあるよ。パパの転勤で小さい頃からいろんな所を転々としてたんだ」  インタビュー前に、外で撮影をすることになった。カメラマンの注文でレンズに背中を向ける氷高小夜のお尻が、ショートパンツからムッチリとはみ出して私はドキッとした。カメラマンも同じことを感じたらしく、「お尻がとってもエッチだねえ。それ、ワザとはみ出させてるの」と訊いた。 「ううん。ケツが垂れてるから勝手に出ちゃうのよ(笑)」  撮影を終え白夜書房の会議室に戻ると、マヨネーズと納豆が氷高小夜を待っていた。彼女の要望に応えて、白夜の取締役でもある編集長が買って来たものだ。 「ワッ、本当に買って来てくれたんだ」  喜んだ氷高小夜はすかさず納豆のパッケージを破ると、そこにマヨネーズを注入し箸でグチャグチャとかき回し始めた。 「最近、納豆に凝ってるんですよ。一度好きになるとずっとそればっかり食べ続けちゃうんだ。でもフッと飽きると、もう見向きもしない。男も? うん、男に対してもそうかもしれない。よし、これでできた。(ズルズル)わー、おいしい!」  私は黒ビールを飲んでいる。氷高小夜はマヨネーズ入り納豆をかきこんでいる。狭い会議室に異様な匂いが充満し始めた。 ——IQ二百で十一歳で大学に入ったアメリカの男の子が、日本の納豆が好きなんだって。納豆を食べると頭が良くなるらしいよ。 「ホント? じゃあおととい三パック食べたから、わたしすごく頭がよくなったかもしれない。(ズルズルズルズル)」  でも皆さん、あなたは納豆にマヨネーズを入れますか? ■福岡の言葉が恐くて恐くてね ——物心ついた時はどこにいたの? 「三歳の時だったけど、山口にいました。山の麓のすごい田舎。それまでも大分とか埼玉とか神奈川とかいろいろ引っ越してたみたい」 ——お父さんは何の仕事をしてたの? 「なんかの営業マンだったと思う。全国に支社のある、けっこう大きい会社だったんじゃないかな。それで営業成績が悪いからいろんな所に飛ばされたとわたしは推理するね(笑)。パパは福岡生まれの日本人だけど、ママは中国人なんだって。ママのことはよくわからない。こっちで生まれたんだか中国で生まれたんだか。訊いたこともないし。  ママとパパはなんでか知らないけど横浜で知り合ったんだって。だからあながち横浜生まれっていうのも嘘じゃないんだよね(笑)。でもわたしのウチって、よく考えるとわからないことばっかりだなあ……。わたしって本当にパパとママの子供なのかしら(笑)。  幼稚園を出ると東京の下落合に引っ越したんです」 ——山口の田舎からいきなり東京に来てカルチャーショックはなかった? 「そんなになかった。どこにも遊びに連れて行ってもらえなくていつも落合にいたから。いつも家の中で一人で遊んでた」 ——どういうお嬢さんだったの? 「かっこうはね、パパが女の子は髪が長くなくちゃ駄目だっていつも言ってたんで、ロン毛でしたよ。腰までのワンレン。性格? フフッ、けっこう控えめな……でも小学校では案外人気者でしたよ」 ——どういうところが人気者だったの? 「可愛いところ(笑)。顔はその頃から全然変わってないの。体が変化しただけ。だから今その頃の友達に会うと、むこうはわたしのことをすぐ思い出すんです。わたしは誰が誰やら全然わかんない。でも人気者だったのはその時だけ。一年後に福岡に引っ越したら、もういじめられた、いじめられた」 ——どうして? 「言葉が違うから。親に、どこに移っても標準語を使えって言われてたんです。方言は汚い言葉だと。だからわたしが『そうよね』とかって言うと、『なーんばつやつけよって(何を気取っているんだ)』っていじめられた。もう福岡の言葉が恐くて恐くてね。毎晩のように東京の友達に電話をして『恐いよォ』って泣いてましたね」 ——でもしばらく同じ所に住んでいれば、自然にそこの言葉を使えるようになるでしょ。 「ううん。汚い言葉だと思ってたから、意地でも使わなかった。今から考えると、イヤ味な子供だよね。あとね、目とか髪が茶色っぽかったんで、よく『アメリカ人、アメリカ人』ってからかわれてたなァ。福岡には結局八年間いたけど、とうとう馴染めなかった。親には早くよそに引っ越そうって言ってたんだけど、パパが会社を辞めちゃったんで転勤がなくなったんですよ」 ——パパは会社を辞めてどうしたの? 「いつも家にいなかったから、なんか仕事をしてたんじゃないかなァ。一度学校でお父さんについて作文を書きなさいって宿題が出た時、パパに訊いたんだ。『パパはどんなお仕事をしているの』って。そしたら『そんなもん、適当に書いとけ』って(笑)。書きましたよ。『パパはいつも家にいません。もしかしたらスパイかもしれません』って。その頃から受けをねらう性格だったんだ」 ——中学の時は何かクラブに入ってた? 「バレーボール部。でもそこには籍を置いていただけで始終出入りしていたのはお料理クラブ。お料理クラブといっても、料理を作るんじゃなくて、みんなでケーキやクッキー持ち寄ってそれを食べながら世間話をするの。そういう楽しいクラブがあったんですよ」 ——煙草は? 「中二の時からかな。別に不良じゃないですよ。みんな吸ってたもん」 ——周りに暴走族関係の人はいなかったの? 「いたけど、ああいう人たちのファッションがかっこ悪いから嫌いだった。バイクにも魅力感じなかったし。バイクに魅かれてたら暴走族に入ってたかもしれないね。でもさ、暴走族の人たちって難しい漢字をよく知ってるよね。すぐにバラとかキリンとか漢字で書けそう(笑)。偉いよね」 ■中学後半の二年間で他人の十年分は生きたな ——シンナーは? 「ううん。そんなのやらない。せいぜいコカインぐらい(笑)」 ——コカイン! なんでまたコカイン? 「わたし、よくクラブとかに踊りに行ってたの。そこで医大生に氷砂糖みたいなのをもらったの。これを火で焙って煙を吸うと気持ちいいんだよって。今思うと覚醒剤だよね。思わなくても覚醒剤だけどさ(笑)。マリファナもやった。コカインは鼻で吸うんだよ」 ——福岡の中学生って、みんなけっこうそういうことやってるの? 「いやあ、わたしがたまたまですよ。やってるにしても覚醒剤止まりじゃないですか(笑)。友達のお父さんとお母さんがヤクザみたいな人で、そこの家に遊びに行くと二人で一所懸命に白い粉をビニール袋につめてた。友達が『ちょっと内職してるんだ』だって(笑)」 ——コカインって吸うとどうなるの? 「気持ちいい。なんて言えばいいのかな……気持ちが大きくなるの。なんでも来やがれって感じ。でも一度、学校の更衣室でコカインを吸ってたら、チクられたことがあったな。それで先生に『シンナーをやってるんじゃないだろうな』って言われたけど、こっちは気持ちが大きくなってるから、ハキハキと『やってません』って答えて。シンナーじゃないもん。コカインだもん(笑)」 ——コカイン中毒にはならなかったの? 「それはなかった。毎日やってたわけじゃないもん。買ってたわけじゃないからね。クラブの知り合いが無料でくれるからやってただけだから。  でもね、一度だけどうしてもコカインをやりたくなった時があったの、三日間ぐらい。でも、ここでやったら中毒になって、お金が欲しくなってソープランドに行くことになるんだなと思って我慢した。ソープだけはイヤなんだ。セックスは好きだけど、お金でやらされるのは絶対イヤ! かっこ悪いじゃん。  その三日間はなんか挙動不審でしたね。意味もなく家の中を茶碗を持って歩き回ったり、飲みもしないのに麦茶を注いで、気がつくと麦茶の入ったグラスが十個ぐらい並んでるの」 ——でもよかったね、茶碗とか麦茶で。それがナイフとかピストルだったら……。 「恐いーっ! 気がつくと十人ぐらいの死体が並んでたりして」 ——セックスはいつから? 「初体験は中二の夏。その時はドラッグじゃなくてみんなで酒を飲んでたの。これは今まで五百回ぐらいしてる話なんだけど、そしたら友だちのお兄ちゃんにラブホテルを見学に行こうって誘われたのよ。フラフラっとついて行って、わたし酔っぱらってたからホテルで眠っちゃって、股間があんまり痛くて『イタタタタ』って目を覚ましたら、全裸にされててお兄ちゃんのチンチンの先っぽがわたしのマンコに入ってるの。このヤローって思ったけど、まあいいかと思ってやらせた。コンドームもちゃんとしてたしね。それからはもう堰を切ったようにやりまくりましたね」 ——覚醒剤やコカインをやってセックスをしたことは? 「二、三回ある」 ——あれって、ムチャクチャ気持ちいいんだって? 「わたしはそんなに……友だちでそれにハマってた子はいたけど。あっ、一回だけすっごい気持ちいいことがあった。その時は医大生に覚醒剤のカケラをマンコに入れられちゃったの。全身がマンコになっちゃったような感じで、感覚がすっごい変だった。  ここで言っておきますけど、医大生にいい人はいません! みんな変です。セックスの度に変な医療器具を持って来たり、人のことは言えないけど、みんな変態です。医大生とつき合ってる人、気をつけた方がいいよお」 ——中学時代は何人ぐらいの男とセックスしたの? 「初体験から一年半で、百人とはしたんじゃないかなァ。3Pとかもあって、一カ月で二十人とやった時もあったし」 ——バイトとかはしなかったの? 「してましたよ。神社の巫女さんのバイト。楽でしたねえ。お祓いの時に神主さんの横で、白とオレンジ色の紙がヒラヒラついている棒を持って坐ってればいいんだもん。お祓いのない時はビール飲んで昼間っから酔っぱらってるし。とんでもない神社だよね。それで一日に一万円ぐらいになったかな」 ——ドラッグ、セックス、料理クラブ、巫女さんと、ずいぶん密度の濃い中学時代だったねえ。 「本当。わたしの人生って中学後半の二年間に凝縮されているような気がする。あの二年間で|他人《ひと》の十年分は生きたな。だから今は脱け殻のようになって、なんにもない。本当になんにもない。  男との修羅場も経験しましたよ。つき合ってた二十二、三歳の男が嫌いになって、チビッコが生意気に『もう別れよう。あなたにはウンザリしたわ』って言ったら、男が突然泣き始めて包丁を持ち出して『お前を殺して俺も死ぬ』って言うの。冗談じゃない。走って逃げましたよ。別の男には車で轢かれそうになった。学校の校門を出たら見覚えのある車がわたしに向かって猛スピードで走って来るの。慌てて近所の家に逃げ込みました。『悪い人に追われてるんです』って。その家のオバチャン、『まあ、それは大変ねえ』って言ってお茶とセンベイを出してくれました(笑)」 ——でも、そんな中学生のチビッコが、いい年をした大人をそこまで夢中にさせるってすごいね。 「よくわかんないけど、わたしが若いから、あの男達にとってみるととっても純粋で貴重な存在に思えたんじゃないかなあ……。その頃は好きで精神分析の本を読んでたから、そういう人達は幼児期になんか不幸なことがあったんだろうって思ってたけど……。自虐的でマゾっぽい男が多かったな。だから殴られたことはないよ。殴ったことはたくさんあるけど。殴るといい大人が涙ぐむのよ。ハッハッ」 ——じゃあ、そんな年上と対等以上につき合ってると、同級生の男の子なんか子供っぽく見えるでしょ。 「そうですね。あんたらはマスでもかいてなさいって感じ」 ■村上春樹ってセックスをきれいに書こうとするでしょ ——その頃、将来は何になりたいと思ってたの? 「弁護士か政治家。論理的にものをしゃべることが好きだったんですよ。裁判で、みんなに有罪と思われてる人を自分の口だけで無罪にするって、スリリングでとってもかっこいいじゃないですか。学校でも先生に怒られると、『弁護士を呼んで下さい』とか、『名誉毀損で訴える』とかわけのわかんないことを口走ってました。  だから東大に行くって親に言ったんです。『何をバカなことを言ってるんだ』って怒られました。女の子は短大に行っていいダンナを見つければいいんだって。四年制大学なんか行く必要はないし、行かせる金もない、って。親に夢を剥奪されてしまったんです。あの時パパとママが応援してくれてたら、今頃は東大は無理でも早稲田の政経ぐらいには通ってたかもしれない(笑)。  それで、大学に行くのが駄目なら、高校に行くのもやめようと思ったの。実は小学生の頃から、中学にも高校にも行きたくなかったの。でも大学には行きたかった。だから、さっきのアメリカの納豆好きの少年が羨ましい。好奇心旺盛な若い時に、専門的なことを勉強した方が身につくと思うんです(ズルズルズル)」 ——高校に進学をしないって言ったら、ママは? 「最初変な顔をして、あとしばらくは怒ってました。高校ぐらいは行けと。でもしょうがないと思ったんじゃないですか。行かないって言ってるのに無理矢理(高校に)入れてもねえ……。それで中学を卒業して東京に出て来たんです。ついに念願の福岡脱出ですよ」 ——よく御両親が東京に出て来るのを許したねえ。 「ママは、毎晩わたしが家を抜け出して、何をしているのか薄々感づいていたんじゃないですか。だからそんな子を家に置いて心配するより、外に出した方が面倒臭くないと思ったんじゃないかな。パパはわたしのことなんかあんまり関心ないみたいだし」 ——東京で何をしようと思ったの? 「OLにでもなろうかな、と。それでとりあえず、家賃は自分が払うという約束で親に品川にワンルームマンションを借りてもらったんです。家賃は八万円。ちょっと高いけど、人間として最低限の生活の水準は保ちたいと思ったんです。そして友達の紹介でグラフィックデザイン会社に就職したの。バブル全盛の頃で(就職の)間口が広かったんですよ。給料は手取りで十六万円だったかな。仕事? あのね、ただ自由に絵を描いてればいいって言われたの。若い子の感性が知りたいからって。ああ、遊んでていいんだなと思って、毎日イタズラ描きをしたり本を読んだり、気が向くと上司にコンピューターを教えてもらってました。今から考えると、ラッキーな仕事ですよねえ。今はもうそんな仕事はないと思う。辞めずにずっとあの会社にいればよかった」 ——手取りが十六万円で家賃が八万だったら、生活はけっこう苦しかったんじゃない? 「そうでもないですよ。食事は自分で作ってたし、友達を呼んで原価百円の料理を五百円で食べさせてたし(笑)。そんな定食屋みたいなことをしてたんですよ。お昼は会社のオヤジたちにおごってもらったし。毎晩のように六本木のクラブに遊びに行ってたけど、なんか知らないけどいつも無料だったしね。女の子は何かと得ですよ」 ——じゃあ、東京に出て来ても男とはセックスやりまくり? 「やってましたねえ。五百人はオーバーだとしても、今まで三百人以上とはやってるんじゃないかな」 ——そんなに多くの男と寝てると、ふと淋しくならない? 「淋しい……? ウーン……逆に一人の男とだけつき合ってる方が虚しい感じがする」 ——そのなんとも奇妙な会社は、どのくらいで辞めたの? 「勤めて半年ぐらいかな。毎日コンピューターと向き合ってたら偏頭痛がするようになって……。毎日遊び過ぎて睡眠不足だったってこともあるんだけどね。若かったから、仕事よりも遊びが大切だったのよ。辞めてから一週間はただひたすら眠ってました。やっぱり単なる睡眠不足だったのかなあ(笑)」 ——その間、何を考えてたの? 「頭痛いなあって」 ——これからの自分の人生とか考えなかったの? 「うん。ただ、頭痛いなあって(笑)。頭が痛いのが治ってからは、しばらく部屋に閉じ籠って本を読んでました。小学校の時からお年玉を貯めてたお金が百五十万円ぐらいあったんで、なんとか余裕はあったんです。村上龍とか山田詠美とかいろいろ読んだな」 ——村上春樹は? 「大っ嫌い! あの人の性表現ってなんか薄汚い気がするの。だって妙にセックスをきれいに書こうとするでしょ。それって、あの人自身がセックスのことを汚いと思ってるからきれいに書こうとしてると思うのね。それがわかるから嫌い。セックスって汚いもんじゃないよね」 ■今度は何をしようかな、途方にくれちゃいますよね ——それで次は氷高小夜は何をしようと思ったの? そうそう寝転がって本ばかりを読んでもいられないでしょ。いくらお年玉貯金があっても。 「物書きになろうと思ったの。それで物書きになるにはどうしたらいいかと考えて、やはり夜の街のいろんな人間を観察した方がいいと思って赤坂のスナックに勤めた。夜遊びができなくなって半年で辞めたけど。どうも半年以上続かないんだ。その後は新宿のキャバクラ。でも年齢がバレてすぐにクビになっちゃった。十八歳になったらまた来なさいって。これじゃ家賃が払えないと思って、マンション引き払って落合の小学校時代の友達の家に転がり込んだの。その子の実家だから、家事手伝いをしながらのんびりしてましたよ。ある日、あんまりヒマだからレズ専門のダイヤルQ2に電話をしたのね。そこですごいセクシーな女の人と知り合ったんです。年は二十八歳で自分で中学生の学習塾を経営してる人」 ——独身なの? 「結婚してる。でもダンナは男が好きなんだって。ホモとレズの擬装結婚よね。最初のデートで車で山の中のホテルに連れ込まれちゃった」 ——レズはそれが初めて? 「ううん。最初は小四の時に高二の親戚のお姉さんに乳首を舐めさせられた。そのお姉さん、アーンとかって声を出してた。笑っちゃうよね。二度目は中三の時。同じクラスの女の子に『ずっと好きだった』って言われたから、彼女の部屋でマンコを舐めてやった。女の子だからイヤだって思ったことはないね。落合の友達とも舐め合いっこをしたし。でもレズって終わりがないから疲れるんだよね。ずっとマンコを舐めてあげてると、相手は喜ぶけどこっちの顎はガクガクになっちゃう」 ——その二十八歳の人とはどうなったの? 「けっこう長く続きましたよ。会う度に最低五万円はくれるしさ。初めの頃はその女がリードしてたんだけど、次第にわたしがセックスの主導権を握るようになったの。縛ったり、足でマンコいじくって、『こんなに濡らしやがっていやらしいメスブタだな』とかって言ったり。  その女のおかげもあって、友達の家を出てまた一人暮らしを始めたんですよ。そして女はいつもその部屋に来てわたしのために家事をしてたんです。でもある日、女が『今日は何を食べたい?』って何度も訊いてくるのに、わたしがファミコンに夢中になって無視してたら、怒ってドアをバーンと閉めて出て行っちゃった。追いかけませんでしたよ。ファミコンがしたかったんだもん。でも今考えると、惜しいことをしたなあ。髪が長くて眉がキリッとして口紅が真っ赤で腋毛を生やしてて、わたしのタイプの女だったのに。そういう女を跪かせて奴隷のように扱うのが好きなんですよ。  女がいなくなったんで、仕方ないから今度は堅いマジメな出版社にバイトとして勤めたんです。やはり文字に関わった仕事をしたかったんです。校正とかしましたよ。その頃ですね。川崎でAVにスカウトされたのは。出版社もやっぱり半年しか続かなかったな」 ——御両親は今の仕事を知ってるの? 「知ってますよ。ちゃんと言ったから。ママは風俗じゃなければいいって言ってくれました。でも、二十一歳になる頃にはもうわたしはこの業界にはいられないでしょうね」 ——そんなことないよ。そりゃビデオだけってのはキツイかもしれないけど、|舞 台《ストリツプ》とかに出れば長続きするよ。 「今度出るんですよ、舞台に。五月に浅草ロック座に。でも、それでも持って一、二年でしょ。その時、わたしは二十二歳。まだ全然若いじゃないですか。これからの人生がたくさん余ってるんですよ。もう、どうしようかな。今度は何をしようかな。途方にくれちゃいますよね。政治家って、弁護士と違って学歴とか資格はいらないんですよね。政治家になろうかな」  インタビューを終え、私は氷高小夜に「焼き鳥は好きか」と尋ねた。ありがたいことに「大好きである」という答えが返って来た。  一時間後、私たちは新宿二丁目の焼き鳥屋にいた。オヤジは驚喜し焼き鳥を焼きまくり、めったに出さない、私も口にしたことのない鴨ステーキを氷高小夜に供した。  完全に酔っぱらった目で鴨ステーキを美味しそうに頬ばる氷高小夜を見つめながら、私は実は自分は私立探偵になりたかったのだということを思い出した。この同性愛者が蠢く町で探偵事務所を開き、そこにかつての松田優作のテレビドラマ『探偵物語』のように氷高小夜が謎の美少女として出入りしてくれれば、それだけで私の人生は完結するのになあ。  そんなことを思いながら、いつしか私は眠ってしまった。ふと目覚めると、もう氷高小夜はいなかった。オヤジがカウンターでいびきをかきながら幸せそうに寝入っている。  |小《ヽ》さいながら致死量の毒を持つ|夜《ヽ》は、シニカルな笑いを唇の端に浮かべながら、二丁目の闇の中へスキップしながら遊びに出かけたらしい。 AV Actress Saya Hidaka★1995.5 [#改ページ] 白石奈津子 AV Actress Natsuko Shiraishi エリートコースから跳び出したお嬢様の波瀾の人生

 一本のアダルトビデオが手に入った。タイトルは『おれが藤原だ!』。あのプロレスラー・藤原喜明が監督をしているというふれこみのビデオである。プロデューサーはというと、やはりなんというか、あの芳賀栄太郎。これはぜひ拝見せねばならない。 ■藤原喜明さんの愛人三十三号にしてもらいました  ビデオの中でウィスキーをラッパ呑みしながら演出をする藤原組長に、「一緒に寝ましょうよ」と全裸で迫る女性が登場する。組長はひたすら照れて逃げまくる。私は、「えい、このうるさい小娘め!」と組長が関節技でもかけてしまうのではと期待して見つめていたのだが、そんなことはなく、「かんべんしてくれよ」と下半身にまとわりつく女性に哀願する。失礼ながら、組長ってかわいい、と思ってしまった。なんともホノボノとした面白いビデオである。  その、藤原組長をタジタジさせた女性と会った。四月の小雨の降る肌寒い日だった。  女性の名は白石奈津子。コンタクトをしているせいか、大きな目がやけに潤んでいるように見える。こういう目は男を「俺のことが好きなんじゃないか」と誤解させてしまう危険な目だと思う。  白石奈津子はインタビュー場所の白夜書房に一人でやって来た。マネージャーはついて来なかった。なぜかというと、彼女自身がマネージャーであるからだ。つまり所属事務所のマネージャー兼女優なのである。だから白石奈津子はマネージャーとして本名の記された名刺を持っている。名刺を持っている女優も珍しい。固定給がないと不安なので、女優になる条件として、マネージャーにもさせてもらったのだそうだ。 「『おれが藤原だ!』を観ました? どんなでした? 面白かったですか? わたし恐くてまだ観てないんです。  藤原さんですか。すごく優しい人。もちろん迫力があって一見恐そうですけど、目がクリクリしててとってもかわいいの。なんか、大きな熊のぬいぐるみって感じ。撮影が終わった後も私が口説き続けて、とうとうセックスはしてもらえなかったけど、愛人三十三号にしてもらいました(笑)。(藤原さんは)愛人が三十二人いるんですって。でも愛人のわりにはあれ以来お会いしていない。忙しいのかしら(笑)」  白石奈津子は去年の八月に、留学先のアメリカのカリフォルニアから日本に帰って来た。 ——カリフォルニアって、あの青い空の広がっているというウワサのカリフォルニア? 「そうそう(笑)。カリフォルニアの青い空。だからこのお天気がうっとうしい。四月の半ばでもこんな雨が降って寒くてねえ。むこうだったら今頃半ソデ半ズボンで外を走り回ってるはずなのに」 ——むこうはもう海で泳げるの? 「そうですね。わたしは一年中プールに入ってました。泳げないから、ただつかってるだけでしたけど」 ——プールって? 「アパートについてるんです。だから夜中でもよくプールにつかってましたよ」 ——ウーン、さすがにアメリカですなあ。 「家賃はゼンゼン安いんですよ」 ——日本とアメリカではやはり物価は違いますか? 「全く違う! カリフォルニアはアメリカの中では物価もタックスも高い方なんです。それでも日本に比べたら、何もかも安いなあ。だから日本に帰って来た時は、お野菜が買えませんでした。あまりに(値段が)高すぎてビックリしちゃって。さっきここに来る途中、チラッと八百屋さんを覗いたんですけど、大安売りって書いてあって、小さなグレープフルーツが五個で三百五十円で売ってたんです。わたし、むこうではその倍ぐらいの大きさのグレープフルーツを六個で一ドル五十セントで買ってたんですよ」 ——今日はドルが八十三円だったから、百円ちょっとか……。 「そうでしょ。そうやってついドルに換算しちゃうから、買い物がしづらくって……。ものによっては五倍ぐらい違いますからね」  白石奈津子はおっとりとしゃべりながらも、本当に困ってしまうという風に、フーッと溜め息をついた。 ■私と妹は失敗作なんです  白石奈津子は物心がついた頃にはすでにかなり難しいクラシックの楽曲をピアノで弾いていた。母親がピアノの教師で、自分が果たせなかったピアニストになる夢を長女に託し、二歳の時からピアノの前に坐らされていたのである。 「赤ちゃんが自然に言葉を覚えるのと同じようにピアノを覚えちゃったんです。だから、アメリカではピアノの先生のバイトもしてたんですけど、自分がどうやって(ピアノを)覚えたか覚えてないから、子供に教える時にとても困っちゃった」  生まれたのは東京の世田谷。田園調布と自由ヶ丘の間に位置する住宅地である。会社員の父親の二人の姉、つまり白石奈津子の伯母は二人ともピアノの教師。やはりピアノ教師である母親の家は代々医者の家系だ。つまり血筋からも、生まれた場所からいっても、白石奈津子はいわれるところのお嬢様なのである。父親と母親はピアノ会社の|お偉いサン《ヽヽヽヽヽ》の紹介で見合いをして結婚した。いわば、白石奈津子は生まれる前からピアニストたるべく運命づけられていたのである。  母親は長女にピアノの才能があると見ると、家を改造し防音設備のあるレッスン室を作った。この娘を絶対に世界的なピアニストにするのだ! 「それなのに、二十年後にはその娘が藤原さんとアダルトビデオに出てしまうことになるとは。ハハハッ、泣くに泣けない、笑うに笑えない」 ——妹さんがいるんですよね。 「ええ、四つ下の妹が。彼女もピアノをやらされてましたけど、途中でオーボエに転向しちゃって、今は普通の専門学校生です。たまに遊びでトランペットやトロンボーンなんかをいじってるみたいですけど」 ——つまり、娘二人ともものにならなかったんですね(笑)。 「それを言われると母が気の毒で」 ——立派な血筋なのにねえ。 「わたしと妹は失敗作なんです(笑)。二人でその血筋にくさびを打ち込んだというか……」  少女・白石奈津子は来る日も来る日もピアノの練習にあけくれた。 「最低でも一日に三時間はレッスンしなくちゃいけないんです。友達と遊んでもいいけど、その三時間は一日のうちのどっかで埋め合わせをしなさいって、母に言われてました。さぼると家から出されちゃうんです。何度も家の外で泣きましたよ。つらかった。でも親が先生だから逃げられないんです。ピアノ自体は好きだったんですよ。でも、強制されるのがつらかったですね」  それでも少女は自分が将来ピアニストになるということは信じて疑わなかった。自分の人生はそういうものだと思っていたのである。 ■どんなに努力してもキーシンのレベルには達しないってすぐにわかりました  少女が小学生になると、母親は娘をスイミングスクール、習字教室、学習塾、英会話教室に通わせた。もちろん一日三時間のピアノレッスンのノルマは変わらない。 「本当に多忙な小学生でしたね。でもその習いごとのなかでモノになったのって一つもないの(笑)。水泳はとうとうできずに、せっかくカリフォルニアに行っても恐くて海に入れなかったし。英語はむこうで覚えたわけだしね。  あの頃、友達と遊んだ記憶って数回しかないですね。公園でゴムナワ飛びをしたとか、友達の家に遊びに行ったとか。本当に少ないから逆に鮮明に覚えてるんですよ。でもみんなと同じように遊べないってことは、そんなにつらくはありませんでした。わたしにはピアノがあるのよ。ピアノにかけては誰にも負けないんだから、わたしがレッスンしている間、あなたたちは遊んでなさいって感じ。あと十年もすればわたしは天才ピアニストとして脚光を浴びるのよ、と。プライドがとっても高い子供でしたね」  ところが、中学校に入学したばかりの白石奈津子に彼女の人生を変える事件が起こった。 「(旧)ソ連からキーシンっていうピアニストが来日したんです。彼はわたしと同じ年齢なんですね。わたし、母と一緒にその彼のコンサートをテレビで見たんです。驚きました。音の一つ一つがわたしのピアノのレベルと全く違うんですもん。こりゃかなわないと思いました。もとから持ってるもの、それこそ才能っていうのかな、それが全然違う。わたしなんかどんなに努力しても、キーシンのレベルには達しないってすぐにわかりました。彼のピアノを聴いているうちにだんだん虚しくなってきてね、母に言ったんです。『こりゃ、わたしは駄目ね』って。母もテレビを見ながら思わずうなずいてましたね(笑)。キーシンがわたしより年上だったらそこまで思わなかったと思うんですけど、なにせ同い歳ですからねえ……ショックでしたよ。プライドの高い子供としては……」  白石奈津子の話を聞きながら、私は彼女は本当に才能のあるピアノの弾き手だったのだなと思った。そうでなければ、異国の天才ピアニストの音を聴き、「わたしはかなわない」とは決して思うまい。芸術やスポーツの世界は、つくづくすごい。ある日突然、全く知らない外国の人間がライバルになる。それは才能のある者同士だけが知る、残酷な世界だ。他人はごまかせても、自分はごまかせない。 「それで、ピアノはやめないという条件で、声楽に転向したんです。もともとオペラが好きで、よく母にオペラ歌手になりたいと言ってたんですけど、母はわたしをピアニストにさせたい一心だったからずっと反対してたんですよ。でもキーシンを聴いたら、さすがの母も娘の才能を認識せざるを得なかったらしく(笑)、声楽を習うことを許してくれたんです。母としては本音はそんな高いレベルじゃなくてもピアノだけを続けて欲しかったらしいんだけど、ピアニストになれなかったら母のようにピアノの先生になるしかないでしょ。それがわたしはイヤだった。腐ってもピアノの先生だけにはなりたくなかったの」 ——でもアメリカではピアノの先生をしてたんでしょ? 「ねえ(笑)。生活のためには仕方なかったの。わたしの人生って挫折ばっかり(笑)」  中学三年間、声楽をレッスンした白石奈津子は武蔵野音大附属高校と国立音大附属高校の声楽科を受験し、どちらも「簡単にパス」した。そして、オペラ歌手を夢見る少女は国立に進学する。 「その頃、今思うと恥ずかしいんだけど、友人に『わたしはオペラ歌手になれなかったら自殺する』って言ってたんです。今、あの思いはどこに行っちゃったんでしょうねえ。あの頃の友人に合わせる顔がない(笑)。自分の思う通りに生きてれば、今頃はイタリアのオペラ歌手と共演してるはずなのに、なぜかプロレスラーの藤原さんと共演してしまった(笑)。でも、それもまた楽しいですけど……どうもわたしの人生って波瀾万丈なんですよ」 ——その頃の白石さんのアイドルって誰だったんですか? 「やっぱり、マリア・カラス(笑)。音楽はオペラしか聴いてなかったから、歌謡曲とか全然知らなかったんですよ。レッスンがあるからテレビドラマとかも見れなかったし」  マリア・カラスは、オペラ界を代表するソプラノ歌手である。その美声はもちろんだが、彼女の派手で不幸な男性遍歴も有名だった。 「下敷きにマリア・カラスの写真をはさんでました」 ——変な女子高生。 「マリア・カラスの男運の悪さだけ似てしまった(笑)」 ■彼の思い出や音楽のしがらみのある日本から逃げたかったんです  高校時代、学業とレッスンの合い間に白石奈津子は二週間に一回はオペラを観に行った。オペラの入場料は高い。ちょっとしたものでも一万円は軽く超える。月一万円の小遣いと森永ラブで働いたバイト代はすべてオペラ観賞につぎこまれた。そして高校二年のある日、東京文化会館にいつものように一人でオペラを観に行った白石奈津子は恋に落ちる。 「隣に坐ってた男の人が、まるでお人形さんのようにきれいな人だったの。思わず見とれちゃってさ、オペラなんか全然観なかった。ずっと横目で彼の顔を見てたから、どんな内容で誰が歌ってたかなんて覚えてない。たしかヴェルディの『イル・トロヴァトーレ』だったと思うんだけど」  休憩時間に白石奈津子は意を決してその美少年に声を掛けた。心臓が爆発しそうだった。その少年は彼女より一歳上の高校生で、オーストリア人と日本人のハーフだった。そして、母親が声楽家であることで、彼も声楽を学んでいた。若い二人はたちまち意気投合する。 「それからはいつも二人でオペラを観に行くようになったんです。そして、将来はオペラの同じ舞台に立とうねって語り合いました。初体験はもちろん彼とです。つき合い始めて半年後だったかな。彼の家で。ええ、ちょうど御両親がいらっしゃらなかったもので。わたし、この人と絶対に結婚するんだ、そういう運命なんだ、って思いました」  そしてなんと、少年は高校を卒業すると国立音大声楽科に入学した。少女が一年後に進学することになっているところである。 「嬉しかったですねえ。一年たったら毎日顔を合わせることができるんですもん。早く一年がたたないかなあって、思ってました。時間がたつのがまだるっこしくて……」  そう楽しそうにしゃべる白石奈津子の顔が急に変わった。そして、早口でこう言った。 「でも、わたしの卒業試験の二日前に、彼、交通事故で亡くなっちゃったんです。わたし、試験で歌う気がなくなっちゃって……淋しくて……」  私は一瞬、白石奈津子が何を言ったのかわからなかった。 ——エッ? 「彼、亡くなったんです」 ——死んじゃったの? 「そう、死んじゃったの、ハハハハハ」  私もつい彼女につられて、ハハハと笑ってしまった。決しておかしいわけではないが、笑うリアクションしかできない場合がある。白石奈津子も「死んじゃったんですよ」と繰り返し、ハハハと笑う。私もハハハ。その異様な雰囲気に、彼女に向けてシャッターを押していたカメラマンが「なんでそんな話で笑うんだよ」と怒ったように言った。それでも私たちはしばらく笑い続けた。 「何気なく彼の家に電話をしたら、彼のお母さんが出て、息子がバイクに乗っててトラックにぶつかり病院に運ばれたらしいって言うんです。わたし、すぐその病院に駆けつけました。わたしが着いた時はまだ生きてたんですが、すぐに死んじゃった……。その瞬間って……見なけりゃよかったなあ。彼の御両親の姿も正視できませんでしたね。あまりにかわいそうで……。おじいちゃん、おばあちゃんが死んだのと違いますもん。十九歳の男の子が死んだんですもん……」  なんとか卒業試験で歌いきった白石奈津子は晴れて念願の国立音大声楽科の入学が決まった。だが、そのキャンパスには将来を誓い合った恋人の姿は、ない。 「あれでわたしの人生が狂っちゃったんですよ、ハハハ」  突然、大学には行きたくないと言い始めた少女に、少女の両親と高校の担任教師は慌てた。少女が|死んだ少年《ヽヽヽヽヽ》とつき合っていたことは、少年の両親しか知らないことだったから、少女の心の傷は誰も理解できなかったのだ。 「入学式の前日に、学校の先生に『あなたが合格したということは、別の一人の人が落ちたということなんですよ。その人のためにもあなたは大学に行かなくちゃいけない』って説得されて、無理矢理に行かされたんです」  しかし、二カ月後に白石奈津子は大学の事務室に退学届を出す。|あの人《ヽヽヽ》のいるはずのキャンパスを歩いていると、もうそれだけでつらかったからだ。一つの交通事故は、もしかすると二人の優秀な日本のオペラ歌手を失わせたのかもしれない。 「父が激怒しましてね。娘が国立音大に入ったことを、会社や近所で自慢してたらしいんですよ。それで、『お前なんか勘当だ! 出て行け!』と。出ましたよ、家を。そして高校時代にわたしの歌の伴奏をしてくれていたピアノ科の女の子のアパートに居候させてもらって、クレープ屋でバイトを始めたんです。『本当に家を出て行った!』って怒った父にすぐ連れ戻されましたけど。わたしがやることなすこと、父はもうビックリですよ。小さい時からずっと従順でしたから、そんな過激な娘だとは思ってなかったんでしょうね」  家には戻った白石奈津子だが、クレープ屋のバイトは続けた。一日で千枚ものクレープを焼くこともあったがつらくはなかった。黙々とクレープを焼いているといつの間にか無心になれる。あの人のこともその間は忘れられる。それがよかった。そしてクレープを焼きながら、白石奈津子は日本から脱出したいと思った。 「とにかく、彼の思い出や音楽のしがらみのある日本から逃げたかったんです。ではどこに行こうか……。声楽をしていた時に憧れていたイタリアに行こうと思ったんですね。音楽をはずして、異国の地で、いろんなものを見たくなったんです。そして、自分という人間を考えてみたくなったんです。考えてみると、小さい頃から、『大きくなったら何になるの?』って訊かれて、自分だけの意志で答えたことはなかったんです。もう決められたものとして、音楽家って答えてた。世の中のことは何も知らないしねぇ。それでイタリアに行きたいって言ったら、また父が、『こんな時代にイタリアに行ってどうするんだ。これからは何をするにしても英語だ。だからアメリカかイギリスならサポートしてやるが、イタリアに行くなら一切面倒は見ないし、今度こそ本当に親子の縁を切る』って言うんで、じゃあ、アメリカにしようかな、と」 ——イタリアもずいぶんお父さんには軽く見られたもんですねぇ。 「本当ですね。イタリアにはなんの罪もないのに(笑)」 ■根が暗かったら、とっくに自殺してたと思うんですよ  そして一年後の三月、クレープ屋でバイトをしつつ英会話を勉強した白石奈津子はカリフォルニアに飛んだ。 「それこそカリフォルニアの青い空をイメージしていたんですが、わたしが降り立ったロスの空港はドシャブリの雨だったの。あれはショックだったなあ。まるでこれからの自分のアメリカでの生活を予告しているみたいで」  カリフォルニアで白石奈津子は、大学に入るための準備段階として英会話学校に入学した。そこでダーバントという名前のトルコ人の男性と知り合い、家賃を半分ずつ出すという条件で同棲を始める。  そこまで話が進んだ時、突然『ビデオ・ザ・ワールド』の中沢編集長が現れ、今までのちょっとシンミリとした話を無視して白石奈津子に話しかけた。  中沢「やっぱりむこうじゃ日本の女の子はモテるでしょ?」  白石「そうですね、けっこうモテます」  中沢「やっぱりなあ、東洋の神秘だもんなあ。でも日本の男はモテないんだよね」  白石「そうですね。むこうには三年半いたけどモテた日本人の男性は一人しか知らない。日本人離れした、とってもかっこいい人でした」  かっこいい人という白石奈津子の言葉を無視して編集長は深い溜め息をつく。  中沢「やっぱり、チンポコのでかさかなあ。日本人はチンポコ小さいからなあ。外人ってチンポコでかいんでしょ」  おいおい、何を言ってるんだこのオッサンは、と思ったら、白石奈津子がコクッとうなずいた。  白石「すごい人はすごいですね。でも、あんまり大き過ぎる人はイヤだな。ダーバントとも、最初は彼のが大き過ぎるんでわたしのアソコに入らなかったんです。二度目は大丈夫でしたけど」  編集長は「やっぱりトルコだからなあ」と訳のわからないことをつぶやき、一人でウンウンと納得している。  ところで、白石奈津子はトルコ人・ダーバントと一年ほどで別れた。理由はダーバントが同じ学校のスウェーデン人の女性と浮気をしたからである。 「生まれて初めて経験した、はっきりとした意志を持った裏切りでした。まさかこの世の中にわたしを裏切る人がいるとは(笑)。子供だったんですね。一時は自殺も考えましたよ。高校の時に彼が死んだ時よりつらかった。だって彼は死んじゃったけど、死ぬまでわたしを愛してくれましたもの。なのにダーバントったら(笑)。それでスウェーデン・アレルギーになったんです。スウェーデンという文字や国旗を目にすると、それだけで体中にジンマシンが出るんです(笑)」  ダーバントと別れた後、白石奈津子の言によれば「シッチャカメッチャカにいろんな国の人と寝た」。アメリカ人、台湾人、中国人、ドイツ人、スペイン人、……いろいろである。 「外人と肌を合わせることに抵抗はないですよ。日本人ともつき合ったし」 ——外人はどんなセックスをするの? やっぱりスペイン人は情熱的ですか? 「人それぞれですね。だから、国別にどうだとかは一概には言えません。大きさもやり方も人それぞれですよ。でも、人種差別をするわけじゃないですけど、黒人だけは駄目だな。学校の中と路上で二回、レイプされそうになったんですよ。それがどっちも黒人だったの」  英会話学校を出た白石奈津子は、日本でいう短大に入学する。そして、サンディエゴという町の日本食レストランでバイトをし、そこで一人の白人と知り合う。彼は海軍兵で白石奈津子より一歳上。ここ六年ほど日本の基地で働いており、サンディエゴには里帰りで帰って来ていたのである。名前はミック。 「ミックの写真を見ますか」  そう言って白石奈津子はバッグからミックの写真を取り出した。サングラスをかけて車を運転するミックは、なるほど、ハンサムだ。 「来年の七月にミックは除隊で、それと同時に結婚をしようって約束してるんです。それでわたしとしてはずっとアメリカにいたかったんですが、ミックが日本にいるから大学を卒業した時点で日本に帰って来たんです。でもミックったら仕事が忙しいのかなんか知らないけど、全然連絡してくれないんですよ。考えたくないけど……浮気をしてるのかなあ……」  編集長が実に思いやりもない声で、「そりゃそうだよ。こんなにかっこよかったらさ、浮気してるに決まってるよ!」と言った。 「やっぱりそうですかねえ。でもミックと結婚できなくても、わたし、またアメリカに|帰ろう《ヽヽヽ》と思ってるんです。妙にアメリカが肌に合っちゃったもんだから。そして向こうでビジネススクールに入って、会計士かなんかの資格を取ろうと思ってるんです」  去年の八月に帰国した白石奈津子は、英会話学校に営業として勤めた。生徒を一人入学させれば歩合制で金がもらえるというシステムである。まるでサギのようでイヤだなあ、と思っている時にAVのスカウトマンから新宿の路上で声をかけられた。 「人生って、すごく不公平だなって思うけど、人のしてないことをわたしはいろいろ経験してるから、ある意味でそれも楽しいかなって思うんです」 ——そう思わざるをえないよね。 「根が暗かったら、とっくに自殺してたと思うんですよ。楽天家でよかったなあ」 ——結婚して子供ができたら、ピアノを習わせる? 「うん。習わせると思います(笑)。そして、わたしや母がなれなかったピアニストにさせる。こりゃ、血筋の意地ですかねえ」 AV Actress Natsuko Shiraishi★1995.6 [#改ページ] 栗田もも AV Actress Momo Kurita 演歌を歌いあげる金髪少女

 前夜の大雨がまだやみきらず、小雨がパラパラと降っている。空は当然どんよりとした灰色。その下に栗田ももが傘をささずに所在なげにポツンと立っている。空には雲、回りにはビルディング。この灰色の風景の中では栗田ももの赤い洋服は充分に目立つが、まず私の目をひいたのは彼女のショートカットの金色の髪の毛だ。 ■大人になったら外人になろうと思ってた  国籍不明の女の子が、国籍不明になりつつある東京という街で雨と話をしている、そんな感じ。 ——アレッ。髪を染めたの? 「ヘヘッ、そう思うでしょ。実はこれ、カツラなんだ。髪の毛がグシャグシャだったから、どうしようと思ってこれをかぶって来たの。ホラ」  栗田ももが頭にやった手を動かすと、金色の頭部が少しずれ、その下からちらっと黒い髪が現れた。 「変? 似合わない?」 ——いや、そんなことないよ。とっても可愛い。 「本当? 嬉しいな。わたしね、外人に憧れてるの。子供の頃は大人になったら絶対に、ブルーの目でブロンドの髪の、ナイスなボディの外人になろうと思ってたの。ハーフでもいい。ハーフの子ってすごく可愛いじゃん」 ——今、十九歳でしょ? 「ウン」 ——どう? あと二、三年後には外人になれそう? 「ウーン、ちょっと無理みたいだなあ。必死に心で念じてるんだけど、なかなか外人になれそうな兆しが現れないや。わたしの目を見てくれます」 ——ウン…… 「真っ黒でしょ」 ——そうだね。 「アー、やっぱり駄目だな。外人になれないな、こりゃ。だからね、見かけだけでもと思ってこんなカツラをかぶって来たの」  私の友人にブルースの好きな奴がいて、彼は学生の頃、「卒業したら黒人になってニューヨークの街角でブルースハープを吹くんだ」と言っていた。私たち友人一同は彼が黒人になれるように祈ったものだが、残念ながら卒業しても彼の肌の色は変わらず、ニューヨークにも行くことなく広告代理店に就職し、日本人の女性と結婚し日本人の子供を作った。  その友人のことを栗田ももに話すと、ももは「やっぱり日本人は外人になれないのかなあ」と、ずらした金髪のカツラを元に戻しながらひとりで眉間に皺を寄せた。  カメラマン氏が「陽の落ちる前に外で撮影をしたい」と言ったので、私たちは白夜書房改めコアマガジン社の近所にある小さな公園に向かった。歩いていると雨がやや強くなってきたので私は栗田ももの頭上で傘を開いた。 「アッ、ア、ありがとうございます」とももは早口に言ってペコリと頭をさげた。 ——先週まで大阪にいたんだって? 「そう。十三のストリップ劇場で十日間踊ってたんだ」 ——舞台は何回目? 「初めてですよ。大阪がストリップの初体験」 ——大阪はどうだった? 「よくわかんない。だって舞台に上がってる時以外はほとんど楽屋にいたもん。外出っていったら劇場の前のタコ焼き屋に行くぐらい。毎日タコ焼きばっかり食べてた。さすがに大阪のタコ焼きは美味しかったな。でもやっぱり早く東京に帰りたかったですよ。十日間があんなに長く感じたことはなかったなあ……」 ■ちょいとお待ちよ、くるまやさん  公園に着くと、そこは水ハケが悪いらしくブランコの下に大きく深い水溜まりができていた。 「よし、あのブランコの上で撮ろう」  そう言うとカメラマン氏は靴を脱ぎ裸足になった。 「栗田さん。俺の背中におぶさって」  栗田ももは一瞬驚いた表情をしたが、「すみません」と言いハイヒールをはいたまま素直にカメラマン氏の背上の人になった。カメラマン氏はジャブジャブと水音をたてながら栗田ももを背負って、「まさか今日は自分の上に乗る人間はいないだろう」と思っていたに違いないブランコに近づいていった。その栗田ももの後ろ姿は、ちょっと大きめな西洋人形のようだった。  彼女の出演したビデオの中で、「何になりたかったの?」と訊かれて「演歌歌手」と答えたももが、美空ひばりの「車屋さん」という曲をひとくさり口にするシーンがある。  ちょいとお待ちよ、くるまやさん  若い娘のその選曲にも驚いたが、ちゃんとこぶしの回るその歌いっぷりにも驚いた。この女の子、なんかちょっと変だなと思った。  カメラマンがフィルムを替える間、栗田ももは曇天を見上げながらブランコの上で何やら歌を口ずさんでいる。やはり相当、歌うことが好きなようだ。その歌声がこちらの耳に心地良い。  私が子供の頃の昭和三十年代、こういう歌好きの女の子が一人は近所の公園のブランコの上にいたような気がする。アンコつばきは、とか歌っていた、あの歌好きの女の子たちは、今頃どこでどうしているのだろうか。一人ぐらいは売れない演歌歌手になれたろうか。 ——歌が好きなんだね。 「そうですね。歌うことは好き。一人で部屋にいても気がつくとなんか歌ってる」 『ビデオ・ザ・ワールド』の中沢編集長はあるビデオ会社のパーティで栗田ももの歌を生で聞いたことがある。曲目はやはり「車屋さん」。その堂々とした玄人はだしの歌唱がいたく記憶に残っているそうだ。  中沢「いやあ……あんまり堂々と歌うんで可愛気がないんだよ。上手なのはわかったけど、もっとさ、こう、膝ぐらいガクガクさせて緊張して音の二つや三つ外して歌って欲しかったな」  栗田「リハーサルの時はちゃんと緊張してたんですよ。膝も震えてたし。でも、どうせ五百人ぐらいの人しか来ないんだと思ったら、妙に落ち着いちゃってね、本番では気持ち良く歌わせてもらいました。あとでスタッフの人に『何で緊張して歌わないんだ』って怒られちゃった(笑)」  水たまりの真ん中にあるブランコの上の金髪の女の子というのはやはりかなり目立つらしく、公園のそばの道を歩く人々は足を止めて撮影風景を眺めていた。  雨の降りがまた強くなってきた。 「今朝さ、オウムの麻原が逮捕されたでしょ。さっきね、マネージャーと駅の前で待ち合わせをしてたら、テレビの人が寄って来て、『麻原逮捕についてコメントをくれませんか』って言うの。断っちゃったわよ。こんな髪の毛でテレビに映ったのをお母さんが見ちゃったらビックリして失神しちゃうもん。それでやれやれと思ったけどマネージャーがなかなか来ないのね。そしたら、知らないオヤジが『一緒にお茶でも飲みませんか』って声をかけてくんの。まったく東京ったら……」  ブランコでの撮影を終え、栗田ももは再びカメラマン氏に背負われて岸に戻って来た。「軽いなあ。子供をおぶってるみたいだ」  カメラマン氏が言った。  栗田ももがキャキャッと笑った。 ■演技をしていって、  本当の自分がなんなのかわからなくなっちゃえばいいのにな  本当にちっちゃかった頃の栗田もも。 「自分では人見知りをする無口な子だったという記憶があるんだけど、小学校の頃の通信簿を見ると『落ち着きがなく、授業中もうるさくて困る』って書いてあるんですよ。自分の思ってた自分と、周りの見ていた自分はどうも違うみたい。自分ではとってもいい子だと思ってたのになあ」  父親は自営業。四歳違いの妹がいる。 ——エッ、長女なの? 「ウン。長女よ」  なぜか笑ってしまった。 「ウチはカカア天下ですね。お母さんが強い」  バブル全盛の頃、栗田ももの家は裕福だった。父親は飛ぶ鳥落とす勢いで笑い続け、週に三日はフランス料理、焼き肉と外食。骨つきカルビなど当り前のように食べていた。子供の小遣いも月に十万円はあった。父親も栗田ももも、金がなくなるなどということなど想像もしなかった。だが、バブルがはじけた。 「あれからは外食は一切なし。オヤジさんは仕事がないから、毎日テレビの前で暗い顔をしてるしさあ……子供心にこりゃヤバイなと思いましたよ。でも、お母さんはバブルに浮かれずちゃんと貯金をしてたんですねえ。今はその貯金で家族が食べてるようなもんですよ。お母さんは偉い!」  小学生の頃、勉強もスポーツもそこそこできた。 「わたしね、何をやってもそうなんですけど、一番になれないの。そこそこはできるんだけど、これだけは人に負けないという飛び抜けたものがないの。なんか淋しいな。あ、音楽だけは(通信簿の評価が)五でしたね。合唱部に入ってたんです。でも歌でもわたしより上手な子はいたしね……」  中学では軟式テニス部に入った。 「でも、テニスでもやっぱり学校で一番にはなれなかったよね」  バスケット部の男の子に恋をした。 ——先輩? 「ううん。同級生。他のみんながキャーキャー言ってるような、かっこいい年上の人には憧れなかった。どうせ頑張っても無理なものには手を出さない主義なの。身近なものですましちゃう。その男の子にはアタックをかけまくりましたよォ。ラブレター攻撃。けっこうキザな文章を書くのが得意なんですよ。でも彼にはとっくに彼女がいてさ、フラれちゃった。ラブレターでも一番じゃなかったんだ。自信あったんだけどなァ」  女子高校時代はバトン部に入部。 「ユニフォームが可愛かったから入ったの。あのユニフォームを着たら、別な自分になれそうな気がしたの。わたしってなんでもカタチから入るんです。中学の時にテニス部に入ったのもあの恰好がしたかったから。変身願望が強いのかな。だからこうやってカツラをかぶったりしちゃう。その点ではこの業界は楽しいよね。ウェディングドレスとかいろんな服を着れるでしょ。しかもプロのメイクさんが化粧してくれて、プロのカメラマンが上手に撮ってくれる。そしてわたしはその役の人間になりきる。撮影の度に全く違う人間になれる。それがね、楽しい。  演劇とかには全然興味がなかったけど、ビデオで演技をしてみて、こりゃ面白いなと思いましたよ。今日はつっぱった不良っぽい女の子、明日はお嬢様って具合にね。そうやってて演技をしていって、本当の自分が一体なんなのかわからなくなっちゃえばいいのにな」  だがバトン部は一年でやめた。上下関係があまりに栗田ももにとっては厳しかったからだ。 「中学ぐらいまではまだ幼いから、先輩といわれたら理屈抜きで頭を下げてたけど、高校生になると一応人を見る目っていうのができてくるでしょ。するとさ、たかが年上だからってチンケな人間に頭を下げる気になれないわけよ。尊敬できる人だったらいくらでも頭を下げるけどさ。それで、一年生十人ぐらいで反乱を起こしてみんなでやめたの」  クラブをやめると、突然、放課後という膨大な時間ができる。私にも経験がある。高校三年生でテニス部を引退したら、目の前にとてつもなくうっちゃりきれない時間が待ちかまえており、おののいた。それなら受験勉強か就職活動でもすればいいのにそれもせず、なにやら将来への不安な気持ちを抱いたまま卒業までをボーと過ごしてしまった。今も時々、あの時の気分のまま生きているような気がする。 ■平凡な方が歴史に名を残すより絶対に幸せだよ  だが、栗田ももはその放課後に前向きな姿勢で挑んだ。遊び始めたのである。 「その放課後をどう料理してやろうかと思ったの。それで友達とショッピングに行ったり、デートをしたり、コンパに出たりしたの。世の中には楽しいことがこんなにあったんだってビックリしちゃった(笑)。  でも、飲み会には最初は抵抗感があったな。高校生のくせに酒を飲むなんて信じられなかった。ウチのおばあちゃんが学校の先生をしてたんで、けっこう厳しく育てられたんですよ。酒、煙草は二十歳になっても女性がするもんじゃないって。だから、わたしの周りの友達ってなんて不良なんだろうって思いましたよ。でもあんまりしつこく誘われるもんだから(飲み会に)恐る恐る行ったら、これが面白いのなんの(笑)」  その高校生同士のコンパで栗田ももは一歳上の男の子と知り合う。彼の方から声をかけてきた。タイプではなかったが、友人たちが「かっこいいじゃん」と言うのでつき合い始めた。 「そうしたらだんだん好きになってきてさ、三カ月後に初体験」 ——やっぱり周りの友達がどんどん処女を失っていくんで、わたしも早く経験しなくちゃって思ったの? 「それはない。だっておばあちゃんが、女の子は結婚するまで処女でいなさいって言ってたもん」 ——じゃ、どうして彼とやっちゃったの? 「この人と結婚しようと思ったから。そのくらい、大好きになっちゃったの」  彼は美容院の一人息子だった。それで、店を継ぐために高校を卒業すると美容学校に入学した。一年後、栗田ももも彼の後を追って同じ美容学校に入った。両親は娘が普通の短大に進むことを希望していたが、その反対を押し切った。  わたしは彼と結婚して、二人で美容院をやっていくのよ! 「幼稚園の頃は外人のスチュワーデスになりたかったの。そして、小学生の頃はなんでもいいから歴史に名を残すような外人になりたかったの。でもね、高校生になって彼と出会ったら、彼の外人の奥さんになろうと思ったの。思ったら自分がとってもちっぽけに感じて嬉しくなった。だって、美容院の奥さんなんてあまりにも平凡でしょ。それって、とっても幸せだなって思った。こりゃいいなって。この、結婚しようと思った人のためならなんでもできると思ってる自分が、実に素敵だなって思っちゃったのね」 ——それって面白いね。女性だからかな。男だったら十代の頃に自分はちっぽけだと感じたら落ち込んじゃうのに、逆に幸せだと思ったんだね。 「だってさ、平凡な方が歴史に名を残すより絶対に幸せだよ。サリンを撒いた人なんか、そりゃ歴史に名を残すかもしれないけど、幸せじゃないよね。そんな悪いことをしなくても、有名になるって、案外幸せじゃないような気がする」  しかし、その平凡な外人の奥さんという幸せな夢は彼との別れで消えた。 「わたしが美容学校に入って一カ月目かな。一人暮らしだった彼が『淋しい』って言うんで、ハムスターを買ってプレゼントしたの。このハムスターをわたしだと思ってね、って言って……。でもね、わたしが彼の部屋にいる時、ハムスターがカゴの中から逃げ出しちゃったんですよ。そうしたら彼が怒って、『お仕置きだ!』って言ってハムスターを掴まえるなり壁に投げつけたんです」  ハムスターは壁に当たるとグチュッと一瞬平たくなり、そしてズルズルと床に落ちた。もちろん、即死である。 「あの光景は、わたし、一生忘れられない。それで別れたんです」  彼と別れた栗田ももの前には目的のない膨大な時間が現れた。それは高校時代にバトン部をやめた時にプレゼントされた楽しい放課後とは違い、虚無ともいえるものだった。「だってさ、彼と結婚しようと思って美容学校に入ったのに、別れちゃったらなんの意味もないじゃない。もともと美容師なんか興味ないんだからさ。結婚するための手段だったんだから」  これから、わたし、どうしよう……。  虚ろに悩んでいるそんな時に、新宿でAVにスカウトされた。 ■ポップスは歌詞を転がしているだけのような気がして、歌った感じがしないの  栗田ももはオロナミンCが好きだ。しゃべりながら一本、二本、三本とオロナミンCをその飲み口全部を口の中に入れる、まるでフェラチオをしているような奇妙な飲み方で空けていく。  元気になりそうな気がするんだ! 「今年の二月にね、久し振りにやっと彼氏ができたの。二十五歳。でもさ、その男、とっても優しかったんだけどシャブの売人だったの。おまけに自分でもシャブ中でさ、もうまいっちゃった。わたしとつき合ったのも、わたしがAV女優だと知ってその金目当てだったみたい。冗談じゃねえよ。一カ月で別れちゃった。やっとわたしにも春が来たと思ったのに、また冬になっちゃった……。季節はもうそろそろ夏なのにねえ……」 ——これから、自分ではどうしたいと思ってるの? 「結婚したい。お嫁さんになりたい。明日にでも結婚したい!」 ——恐いものは何? 「大きいもの。海とか山とか、どうやったって人間は勝てないんだって存在。それが恐い。だからって言うか、意味は違うけど、体の大きい人やいばってる男の人も恐いな……」 ——今までの男性経験は何人? 「ハムスターを殺した人と、ヤク中と、エート、その間にちょこちょこっとあって……えーと、五人かな。なんか少ないよね。AV女優として淋しいよね。ストリップにも出たのに……」 「この前、本名で運勢を占ってもらったんです。画数がね、強過ぎるんだって。男だったら天下を取れるんだけど、女だと結婚した相手の運気を吸いとって駄目にしちゃう運勢なんだって。それってさ、サゲマンってことよね。あーあ、わたしって結婚しても幸せになれないのかなあ……イヤんなっちゃうなあ」  インタビューを終え、中沢編集長と私は栗田もものその歌声をぜひ聴きたいと思い、彼女とカラオケボックスへ行った。  まず栗田ももが選んだのは「暴れ太鼓」。  どうせ死ぬ時ゃ裸じゃないか  歌います。まさに体を張って裸で生きている栗田ももがこぶしをきかせ金髪のカツラをかぶり、無法松の一生を歌いあげます。  次は森口博子の「スピード」。  ねえ、最高のKISSがDONDON近づく  テンポの速いポップスを歌っている時は、栗田ももの顔は楽しそうだ。 「でも、こういう曲ってなんか歌った感じがしないの。舌先でコロコロと歌詞を転がしているだけのような気がして」  歌い終えてそう言いながら栗田ももはウーロンハイを飲んだ。すると、なんのはずみかカツラがズルッとずれて落ちそうになった。 「アッ……」  すかさず中沢編集長が言った。 「もういいじゃん。取っちゃいなよ、カツラ」  そうですね、と言い栗田ももは金髪のカツラをバッグの中にしまった。一本に編んだきれいな黒髪が全体像を見せた。グシャグシャだなんてとんでもない。とたんに栗田ももの表情までもが、今までのキャピキャピしたものから、しっとりとした大人の女の顔になった。初めて、栗田ももを色っぽいと感じた。  そして、栗田ももが次に選んだ曲は「津軽海峡冬景色」でした。日本の心を堪能いたしました。 AV Actress Momo Kurita★1995.7 [#改ページ] 中井淳子 AV Actress Junko Nakai ポテトチップスを一袋食べてみて、心の底から「自由だ!」って思いました

「中学、高校とソフトボール部に入ってたんです。兄も弟も野球をやってたんでわたしも本当は野球をやりたかったんですけど、女子には野球部はなかったんで、ソフトに入ったんです。  野球は好きでしたね。今でもプロ野球は真剣に観ますよ。  小さい頃はよく球場に連れて行ってもらいました。川崎球場とか横浜スタジアム。ドームの前の後楽園球場にも行った記憶がある。  誰に連れて行ってもらったか? えーと、親にだと思うんですけど……本当に小さかったから、あまりよく覚えてない」 ■人生に絶対ということはあり得ないんですね 「ジャイアンツのファンです。中畑選手が好きでジャイアンツファンになったんです。中畑選手って明るくて元気でいいプレーヤーでしたよねえ。今もジャイアンツを応援してます。今年は調子が悪いけど最後には何かやってくれるんじゃないかな。期待しています。  ただ、松井が好きじゃないんですよ。松井がバッターボックスに立つと、ジャイアンツへの愛が少し冷めちゃうような気がする。なんかどうも彼からは気持ちよくない生意気さが伝わってきて、駄目なんです。  甲子園大会も欠かさず観てるんですよ。それでPL学園のファンなの。校歌も一所懸命覚えた。だからずっと桑田君が好きなの。  桑田選手は本当に野球が上手いと思う。野球センスは日本で一番なんじゃないかな。高校野球をちゃんと観てた人は桑田君のすごさをわかってると思いますよ。バッティングもいいし、決してピッチングだけじゃない。内野を守らせても上手だと思いますよ。  ただ彼はめぐり合わせというか、いろんな意味でタイミングが悪いんですね。野球は上手なのに、生き方が不器用なのかなァ。  清原? 西武に行っちゃってかわいそうでしたけど、そのうちジャイアンツに入って来るんじゃないですか。それとも意地を張ってずっと西武にいるのかなァ。意地を張って阪神入団? ハハハハハ、それは絶対にないですよ!(笑)  野球の魅力? ウーン、なんだろう。わたしが子供の頃は今みたいにサッカーがブームじゃなかったし、野球アニメとかを見て憧れたんですかねえ。  中学校のソフトボール部では、わたしはピッチャーとセカンドをやってました。ピッチャーがもう一人いたんで、その子と交互に投げてたんです。守っている時よりは、投げてる方が気持ちいい。ソフトってダイヤモンドが小さいから、一つのエラーで得点が入っちゃうんですよ。だからセカンドの守備についてる時はエラーしちゃうんじゃないかってビクビクしてましたね。  練習は厳しかったです。『球を怖がってるからエラーをするんだ! グローブを外せ!』と言われて素手でノックを受けましたよ。手が内出血で二倍くらいに腫れてグローブがはめられなくなりました。恐い監督だったなァ。でもあの頃はみんな監督のことを嫌ってたけど、今はたまに(チームメイトの)みんなと会うと『けっこういい奴だったよな』なんて言ってます。  わたしの学校はけっこうソフトが強かったんですけど、それでも県で準優勝どまりだったんです。それで、わたしが一年の時は三位になったのね。そして二年の時に準優勝したんです。実は決勝の相手が、一度練習試合で10対0でわたしたちが大勝した学校だったんです。強いチームだってことはわかってたけど、やはりそのことがあったんでどこかで気を抜いちゃったんでしょうね。逆に10対0で負けたんです。くやしくってくやしくって、みんなボロボロ泣いてた。普通そんな時ぐらいは監督は『よく頑張った』って慰めてくれるものなのに違ったんです。『負けたのはお前らが悪いんだ。泣くな!』って。  やはり、百パーセントこっちが強いということはないんですね。オリンピックなんかでも、優勝確実っていわれてる人が予選落ちをするでしょ。恐いですよね。人生に絶対ということはあり得ないんですね。本当に、何が起こるかわからない。  次の日からはみんなで『来年は絶対に勝つ』って誓い合って猛練習の毎日でした。監督に言われなくても選手が自主的にやってました。負けたことが本当にくやしかったんですよ。遊ぶ暇なんかなかった。日曜日も練習だし、夏休みも七月中に宿題を全部終わらせて、八月は毎日練習。  その頃、つき合ってた人はいましたよ。学校で一番もてるかっこいい男の子だったんで、芸能人のようにみんなに内緒でつき合ってました(笑)。つき合うって言っても、学校から一緒に帰ったり交換日記をするぐらいでしたけど。デートなんかはしたことなかった。ハハハ、今の中学生は交換日記なんかダサくてしないでしょうね。すぐにエッチをしたりしちゃうのかなァ。  あ、それでね、次の年はやっと優勝できたんです。わたしが決勝戦で投げてたんで、ウイニングボールを持ってます。  優勝した瞬間? なぜか涙は出なかった。『やったあ!』って、みんな笑ってた。前の年に思いっきりくやし涙を流したから、もう流す涙が残ってなかったのかなァ。ただ、これで明日からやっとゆっくり夏休みが過ごせるなァってボンヤリ思ってましたね。  でもあの頃は、一日に一回は男に生まれればよかったって思うぐらい、男になりたかった。わたしが男だったら一所懸命頑張って、野球の強い高校に入って甲子園を目指してたんじゃないかな。もちろんピッチャー。そして今頃はジャイアンツに入ってたりして(笑)。それはないか」 ■グレたからって両親が帰ってくるわけじゃないしねえ……  少女が学校で授業を受けていると、警官が突然教室に入って来た。そして警官は教師に何事かをささやくと少女を教室から連れだし、パトカーに乗せた。少女は何が何やらわからず、ただ脅えていた。  パトカーは病院に着き、少女は集中治療室に入らされた。そこで少女を待っていたのは、交通事故に遭いすでに冷たくなった両親だった。  少女は小学校二年生だった。 ——関西にいたことがあるでしょ? 「えっ、フフッ、どうしてですか」 ——イントネーションがちょっと京都弁っぽいから。 「ああ、そうか。暮らしたことありますよ、関西でも。今でも友達とずっとしゃべってると、ポロって関西の言葉が出ちゃうんです。小二の時に両親が亡くなってしまったので、それで各地を転々としてたんです」 ——子供の時に……大変でしたね。 「うん……でもねえ、うちの両親は長生きできなかったけど、それが運命だったんだろうなあ、と思いました。運命だったんだから、仕方ないやと……」 「いろんな人に、よくグレなかったねって言われるんです。けど、グレたからって両親が帰ってくるわけじゃないしねえ……。親の分まで一所懸命に生きなくちゃいけないから……三十代で(親は)死んじゃったわけだし……わたしがグレたら親に申し訳ない。  親の倍は生きてやろうかな、なんて考えてるんです、フフッ。  弟は親の顔なんか知らないですよ。わたしと兄は養護施設にあずけられたんですが、弟はまだ小さかったんで叔父夫婦に引き取られたんです。だから小学校を卒業する時に本当のことを知らされるまでは、弟は叔父夫婦を本当の親だと思ってたんじゃないかな。……決してグレようなんて思いませんでしたね。グレてる子を見ると本当に頭にきましたもん。グレてて何が楽しいんだろう、バカみたい。  それにグレたら、養護施設そのものがバカにされるじゃないですか。小学校の頃は親なしっ子って、いじめられました。中学に入ると、『こいつは養護施設に入ってるんだから知恵遅れなんだぜ』ってバカにされた。子供がそんなことを言うってことは、その親もわたしたちのことをそう見てるってことですよね。  だからそういう人の言葉や視線には、絶対に負けちゃいけないと思って生きてきました。  最近、そういうイジメとかで自殺する中学生が増えてるけど、弱い人間ですよ、死ぬなんて。  ……わたしだって学校に行きたくないってダダをこねたことは何度もあったけど、施設の養母さんや先生方が厳しくて、学校には引きずってでも行かされてましたから……耐えるしかないんですよね。  たとえ友達が一人もいなくても、耐えるしかないんですよね。親だって好きこのんで死んでいったわけじゃないし。だからグレようとは思わなかった。  ソフトボールは施設で覚えたんです。スポーツはなんでもやらされるんですよ。  毎年一回、県内の養護施設の子供たちが五百人くらい集まってスポーツ大会を開くんですが、ほとんどの種目のメダルを持ってます。マラソンは五百人中十三位のメダルがあるし、卓球は銅メダル一個と金メダル三個を持ってます。  スポーツをしている時が何もかも忘れられて楽しくて、一番幸せでした。  この世にスポーツがあってよかった」 ■大人の言葉でいえば、愛し過ぎちゃって別れたってことかしら(笑) 「グレることはなかったけど、施設ではしょっちゅう殴られてました。言葉づかいが悪いとかって。  男子とケンカをして、先生に理由を訊かれて『だってこいつらが……』って言うと『こいつらじゃないでしょ。ちゃんと名前を言いなさい』ってバシーンとこっちが殴られるんです。  食事の時にヒジなんかテーブルにつこうものなら、箸が飛んできますよ。箸を投げるのも礼儀作法としてはどうかと思いますが(笑)。そして床の上に正座させられて御飯を食べるんです。  先生たちも、子供たちが『施設育ちだからしつけがなってない』と言われないように必死だったんですね。  テレビは一台ありました。夕方六時半から七時までは幼児さんが見れる時間。アニメをやってますからね。七時から八時までが小学校低学年の時間だったかな。八時半から九時までが中学生の時間。でもその時間帯って、ドラマも途中からなんですよね(笑)。  歌が好きだったし、学校の友達との話題についていくために、どうしても九時からやっている『ザ・ベストテン』という音楽番組を観たかったんです。それで先生にお願いして、ドラマを諦めて九時までに勉強を終わらせ、特別に『ベストテン』だけは見させてもらいました。  兄と弟?……全く会わなかった。連絡もとれなかったし……。  中学の時につき会ってた彼とは、中三の時に別れました。なぜ別れたかって。ウーン、あの幼い年代での別れをこんな風に言っていいのかって感じだけど、お互いに結婚していいぐらいに本当に好きになりすぎちゃって、それでダメになっちゃったんです。お互いに相手のことしか見えなくなって、息苦しくなって、少し離れる期間を置こうね、ということになったんです。大人の言葉でいえば、愛し過ぎちゃって別れたってことかしら(笑)。そしてそのままになっちゃった。  今の年齢だったら、エッチとかしてもっとスムーズに愛が深まるのに、あの頃はどうやって愛を確かめるかわからなかったのね。お互いに純粋すぎたんだなあ。もう一度、ああいう恋愛をしてみたい。でも、ハハハッ、もう無理でしょうねえ。  わたしね、中学の時、水商売で働いてたんです。夏休みとかは施設を出て親戚の家で暮らせるんです。それでわたし、学校の近くでスナックを経営してた叔母さんの家に帰ってたんです。わたし、その叔母さんのことは大嫌いだったけど、他の親戚って鹿児島とか遠かったんで。  すると叔母さんが『あなたも大きくなったんだから、店を手伝ってもらうわよ』って。なんかシンデレラみたい(笑)。  それでお客さんにお酒を注いだり、歌を歌ったりしてたんです。カラオケで一番最初に歌ったのは高橋真梨子さんの『桃色吐息』でした。中学生がそんな大人っぽい歌を歌うとお客さんが喜んでくれるんです。  その頃からかな。将来は歌手になりたいと思い始めたのは。  エッチの初体験は中学の卒業式の直後です。先生の許可をもらって、みんなで飲み会をやったんです。その時、野球部のショートだった男の子に誘われて途中で抜け出して、彼の家に行ってやっちゃったの。それで一発やって(笑)、パーティに戻った。酔っぱらってたから全然覚えてない。ただ、みんなが言うほど痛くはなかったと思う」 ■ポテトチップスを一袋食べてみて、心のそこから「自由だ!」って思いました 「高校? 行きました。本当はわたし、高校には進みたくなかったんです。ずっと親なしっ子ってバカにされ続けてきたから。えっ? ええ、ソフトボールで優勝してもそれは変わりませんでしたね。あの子は親なしっ子で知恵遅れだけどソフトボールだけは上手なんだって、かえってバカにされる材料が増えた感じ。だから中学を卒業したら就職してお金を貯めて部屋を借りて、誰にもバカにされない一人前の人間に早くなりたかったんです。でも施設の先生に、『高校に進める学力があるんだから高校に行きなさい』って説得されたんです。  高校は中学とは違う県にある、全寮制の女子校でした。  施設を出てわたしが一番最初にしたことはなんだったと思います? ポテトチップスを一袋買って一人で全部食べたんです(笑)。  施設でも三時のオヤツの時間があるんだけど、栄養士さんがいてカロリー計算をしてるから、一人当り、アメ玉一個にチョコひとかけらにポテトチップス三枚って具合なんです。だから一度ポテトチップスを一袋食べてみたかったの。ポテトチップスを袋から出して食べている時、心の底から『自由だ!』って思いました。やっと自由になったぞって。寮の門限は七時だったけど(笑)、それでも自由になれたと思いましたね。テレビも好きなだけ見れるし。  クラブはソフトボール部に入ったんですが、その県には女子のソフトボール部のある高校が数えるほどしかなくて、大会もないんで、楽しむためのクラブ活動でしたね。  高校時代は自分でいうのもなんですが、後輩にはもてましたよ(笑)。廊下ですれ違っただけで「キャーッ」なんて宝塚状態(笑)。夜食もチャーハンとかスパゲッティとかデザートとか食べきれないぐらい作って持って来てくれるんです。  レズ? ああ、そういう人たちもいましたね。ベッドで女同士でエッチしてるのを見ちゃったこともある。  わたしはレズには興味なかった。わたしがあの頃はまってたのは光GENJI。夏休みは追っかけしてましたもん。名古屋とか大阪にも行った。  そのためのお金は学校に隠れてバイトをしてました。校舎と寮が同じ敷地内にあるんですけど、そこの高い塀の上のバラ線を乗り越えて。それまでの先輩たちが作った、バラ線を抜け出る穴があるんですよ(笑)。そして結婚式場の皿洗いのバイトをしてたんです。皿がものすごい数だから、一日一万円ぐらいになりました。  それでお金を貯めて、追っかけをしてたんです。追っかけをしながら知り合った、それぞれの地方の友達の家に泊まらせてもらったりして。  追っかけを始めて、やっと友達ができたんです。  それまで、友達を作るのが恐かったの。  小、中の頃はどんなに仲のいい子でも、クラスの番長みたいな人が『あいつは親なしっ子だから口をきいちゃいけない』って言うと、途端にわたしから離れて行っちゃったんですね。ソフトボールのチームメイトですら、そうでした。  だから、人と仲良くなるのが恐かったんです。またどうせ裏切られるんだろうと思って。  でもある時に思い切って、追っかけで知り合った女の子に言ったんです。 『わたし、両親が交通事故で死んで養護施設で育ったの。それで小さい頃からみんなに親なしっ子ってバカにされてきたんだけど、それでも友達になってくれる?』って。  その女の子、『そんなことでバカにする方がおかしいじゃん』って言ってくれた。  それでね、その子がわたしの友達になってくれて、そのうちにどんどん友達が増えてきたんです。  だからね、今もつき合ってる友達ってあの頃光GENJIの追っかけで知り合った子や、高校時代の後輩ですね」 ■すれちがってお互いにふり向いたら、兄と妹だった 「高校三年の時に、卓球の全国大会に出たんですよ、わたし。ソフトボール部だったけど、卓球部の先生に、『人数が足りないから出てくれ』って頼まれたんです。『一回戦で負けても知りませんよ』って言って出たんですが、市と県を勝ち抜いちゃって、東京の代々木体育館で開かれた全国大会に出場することになったんです。これ、ちょっと自慢(笑)。  大会ではベスト16どまりでした。ちゃんと練習してたらベスト8には行けたと今も思ってる。  それでね、その東京で奇跡が起こったんです。わたしが試合の合い間に体育館の回りをぶらついていたら、お兄ちゃんと五、六年ぶりに会ったんですよ。すれちがってお互いにふり向いたら、兄と妹だった。ドラマチックでしょ。奇跡って本当にあるんだなぁってつくづく思いました。  やっぱり兄弟ですね。すぐわかりました。どんなに髪型が変わってても、太っててもやせてても、肉親ってすぐわかるもんですね。『なんでこんな所を歩いてるんだよ』『アラッ、東京に住んでたの?』って感じ。  それから休みの日とかにお兄ちゃんのアパートに遊びに行くようになったりして……。  あの奇跡がなかったら、お兄ちゃんとはずっと連絡が取れてなかったでしょうね。  高校時代は歌手になりたくて、いろんなオーディションを受けてたんですよ。そして南野陽子さんの所属している事務所のオーディションに合格したんです。それで高校を卒業したらその事務所のお世話になろうと思ったんですが、施設の先生に猛反対されちゃって……。わたしみたいなモノになるかどうかわからない人間は、オーディションに受かっても事務所に入るにはまとまったお金が必要なんです。わたしの父の遺産を管理しているのは施設の先生だから、その人にお金は出さないって言われたらどうしようもないですよね。 『そんなオーディションに合格する人間なんて何人もいるんだから、大きな夢は捨てなさい。地道に働いていい人を見つけて結婚しなさい』  先生はそう言ってくれたけど、わたしはそんな人生はイヤだと思った。それで高校を卒業すると東京に出てクラブ歌手になったんです。歌手とはいっても、お客さんの相手をする合間に歌わせてもらう程度のものでしたが。  アパートはお兄ちゃんが、勤めている会社の社長さんから借金をして借りてくれました。  東京に出て来てからは、何人の男の人とつき合ったかなぁ。何度か短い同棲もしたし、けっこうズッコンバッコンかもしれない(笑)。 (男の人を)好きになる時は真剣なんだけど、二、三カ月しかもたないんですよ。いつも向こうから『別れよう』って言われる。性格的にわたし問題があるのかなァ。  AVにスカウトされたのは去年の十二月だったかな。男とは長続きしないし、歌手になるめどは立たないし、何事もチャレンジだ、もしかするとAVが歌手になるキッカケになるかもしれないと思って、悩みましたけどOKしたんです。  一カ月前に五年ぶりに弟に会ったんです。施設に関係してる人に連絡をしてもらって。弟はちゃんと人に迷惑をかけずに働いているようだったんで、安心しました。  その時、弟が言ったんです。 『二カ月前に兄ちゃんが結婚したんだよ。僕は披露宴に行って来たけど、どうして姉ちゃんは来なかったの?』  実はわたし呼ばれてなかったんです。お兄ちゃんが結婚することも知らなかった。  お兄ちゃん、わたしのことを怒ってるんです。わたし、あれだけお兄ちゃんが苦労して借りてくれたアパートを、いろいろとゴタゴタがあって、勝手に出ちゃったんですよ。さぞ怒ってると思います。  でも、わたしが晴れて歌手になれたら、お兄ちゃんも許してくれると思うんだ」 ——今までの人生で、一番つらかったことって何? 「…………そりゃ、親が死んだこと…………」  本文とは全く関係ないが、この原稿を書いているのは六月十九日。カレンダーを眺めていて気がついた。今日は桜桃忌。太宰治の命日である。太宰じゃなかったっけ、「親はなくとも子は育つ」と言ったのは。 AV Actress Junko Nakai★1995.8 [#改ページ] 山口京子 AV Actress Kyoko Yamaguchi 自分っていう人間がいたことを、どこかの誰かにいつまでも覚えておいて欲しい

 七月七日(平成七年)。七夕である。  この日、山口京子は電車の定期券を買った。  彼女の定期券には7の数字が三つならんでいる。 ——フリーなのに定期券を買うの? 「仕事の時も遊びに出る時も(現在住んでいる所からは)どうせ渋谷に出るから、渋谷までの定期券を買うの。その方が長い目で見れば得のような気がするんだ。毎年ね、数が並ぶ日に買うの。だから去年は六月六日に買ったし、おととしは五月五日に買った。それをお守りにしてパチンコに行くんです。なんか出そうな感じがするじゃないですか。出たためしはないんだけど(笑)」  この日、東京は朝から雨が降っていたが、夕方近くになると雨はやみ、空には晴れ間が覗き始めた。どうやら今夜、織姫と彦星は雨に邪魔されずに会うことができそうだ。よかった、よかった。  そう言うと、定期券を持つAV女優・山口京子は不思議そうな顔をして言った。 「えっ、だって、あの二人が会うのは空の上ででしょ。だったら地球の天気は関係ないんじゃないの」  言われてみればその通りである。小さな地球の小さな島国のたった一部に降る雨など関係なく、|あの二人《ヽヽヽヽ》は今夜、一年に一回の逢瀬を楽しむのだ。  うんうん、と納得していると、山口京子が誰に言うともなしにボソッとつぶやいた。 「わたし、頭の悪い人って大っ嫌いなんだ」  ドキッ。そりゃ私のことをおっしゃっているのだろうか。恐る恐る私は尋ねる。 ——頭が悪い人って、山口さんにとってはどういう人のことを言うの? 「学校の成績はどうだっていいの。勉強なんかできなくたってかまわない」  ホッ。私のことではないらしい。 「生き方が頭の悪い人っているじゃない。しっかりと生活してないっていうの? 何を考えて生きてるのかわかんない人っているじゃん。そういう人って、男でも女でも大っ嫌い!」  やはり私のことを言ってるのかもしれない。 ■この前ね、六本木のディスコで湯上がりルックで踊ってたらすごい受けた  若い男と若い女は、二人ともいわゆるフリーアルバイターである。二人は知り合い、二人で恋に落ち、そしてほどなくして男は女のアパートに転がり込んだ。お互いに、一度はしてみたかった同棲生活が始まった。仕事が休みの日に二人でスーパーマーケットに夕食の買い物に行くと、ちょっと前まで高校生だった二人は、自分たちがとっても大人になったような気がした。 「俺たち、一緒に暮らしてるんだぜ」  男はやはりスーパーで買い物をしているオバサンたちにそう言って自慢したくなるのを、なんとか自制した。  そんな日は女も甲斐甲斐しく料理をした。自分が一人前の主婦になったように思え、胸がワクワクした。狭い台所に立つ女を手伝おうともせず、寝転がって当然のようにテレビを眺めている男の姿も、風景として決して悪くはなかった。  そんなママゴトのような、若い男女の生活がしばらく続いた。  雨があがったので、外で撮影をすることにした。カメラマンが路上に立った山口京子に向けてシャッターを押す。道行く人々が、「この女の子は誰だろう」といった具合にチラチラと彼女に目をやりつつ通り過ぎる。その度に山口京子は「恥ずかしいよォ、早く終わらせてよォ」と顔を真っ赤にして小声で訴える。 「そんな恰好をしてるからみんなが見るんだよ」  カメラマンが、ちょっと形容しがたい派手なミニスカート姿の山口京子に言う。 「違うよ。こんなの地味な方ですよ。カメラを向けられてるからみんなが見るんですよ。ああ、恥ずかしいよォ」  二人のどっちもどっちというやり取りを聞きながら、私は山口京子の三本目の主演作である『ラバーズ・ナイト』のワンシーンを思い出していた。 ——山口さん。 「ハイ……?」 ——山口さんは『ラバーズ・ナイト』の中で、セーラームーンの扮装をして猿のヌイグルミをかぶった男優さんと街中を歩いてたでしょ。 「えーっ、あれ、見ちゃったんですかァ! あれは超恥ずかしかったなァ。カラミより恥ずかしかった」 ——そうでしょ。だって、ビデオを見ているこっちまで恥ずかしくなっちゃったもん。あれに比べたら、こんな撮影はどうってことないじゃない。 「アッハッハッ、そりゃそうね。あれを経験したら、恥ずかしいことなんかないかな。うん、さあ、バンバン撮影しましょ」 「セーラームーンのシーンはね、新宿のルミネ(駅ビル)の前で撮ったんですよ。お仕事だからって、自分に言い聞かせてやったんですけど、新宿で働いてる友達はいなかったろうなって、そればっかり考えてた。知り合いにあんな姿を見られたら、もう死んじゃう。あれが渋谷だったら、いくら仕事でも勘弁してもらってたろうな」 ——渋谷には知り合いが多いの? 「うん。渋谷でOLしてたから。建設の部品を扱う小さな会社の営業のアシスタントだったんです。性に合わなくてやめちゃったけど」 ——どうしてやめちゃったの? 「事務の仕事が主だったんですけど、机の前にずっと坐ってることが耐えられないんです。もう苦痛。外に飛び出したくなっちゃう。自分の部屋にいる時は何時間でもボーッとしてられるんだけどね。  それとね、わたし、お酌ができないんです。社員旅行の宴会なんかだと、必ず女子が男の人にお酌をさせられるんですね。あれができなかった。なんでわたしがあんたにお酌をしなくちゃいけないのよって感じ。だからわたし、絶対に水商売には向いてないと思う。  会社の中でも、お茶くみや掃除は女子の仕事なの。それはもう決まってることなの。わたしは一人で『これって男尊女卑だわ』ってブツブツ文句を言ってた。  会社をやめた直接のキッカケはね、ある朝目が覚めてカーテンを開けると、お天気がとってもよかったの。それで『こんな日に仕事に行くのはもったいないなァ』って思って、フリーターの友達に電話をして二人でディズニーランドに遊びに行っちゃったんです。翌日は行きづらくて休んで、次の日に会社に行ったら怒られたんで、『じゃ、やめまーす』って言ってやめちゃったの。天気がいいから会社を休んで遊びに行きたいと思う人はたくさんいると思うけど、実行する人は少ないでしょ。でもわたしは本当にやっちゃったの。わたしってそういう人なの」  山口京子は少し自慢気にそう言うと、小鼻をふくらませた。  別の仕事があるからと、山口京子を一人置いて帰るマネージャー氏が言った。 「できれば七時過ぎにはインタビューを終わらせて欲しいんですけど……」 「あっ、この後に仕事がつまっているんですか?」 「いえ、あの、本人が友達と八時に六本木で待ち合わせているんです。ディスコに行くんだそうです。ディスコの好きな子でしてねえ。申し訳ありませんが、よろしくお願いします。本人が、自分からは言いづらいと言うので、私が(言ってくれと)頼まれたんです」  コアマガジンの社屋の玄関でマネージャー氏を見送り会議室に戻ると、山口京子が一人でフンフンと鼻唄を歌いながらクッキーを食べていた。 ——今晩、ディスコに行くんだって? 「ヘヘヘッ、そうなの」 ——男と? 「ううん、女の友達と。わたしって意外とマジメなんだよ。まだ男性の経験数は八人なんだから。少ないでしょ。AV女優っていうと、すぐに何百人も経験してるって思われがちだけど、そんなバケモノみたいな女って本当はごく一部だって。みんな、普通のマジメな子だよ」 ——ディスコが好きなの。 「うん。ジュリアナが全盛の頃は毎晩のように水着でジュリ扇持ってお立ち台に上がってたもんよ。毎日がお祭りみたいだった。あの頃に比べると今はディスコの冬の時代。なんかみんな落ち着いちゃってさ、バカなことやんなくなったんだ。でもこの前ね、六本木のディスコで髪をアップにしてバスタオル一枚を巻いて湯上がりルックで踊ってたら、『色っぽいぞ』ってすごい受けた。嬉しかった」 ■猫は人間とフィフティ・フィフティでしょ、それがいいんだな  同棲生活が始まってからいくつかの月が過ぎた。男が女に言った。 「俺の親父、田舎で会社を経営してるんだ。だから会社を継ぐために近いうちに田舎に帰らなくちゃいけないんだ。俺と一緒に田舎で暮らしてくれないか」  プロポーズである。だが東京で生まれて一人っ子の女は男を喜ばす返事ができなかった。 「ゴメン。わたし、東京以外で暮らせる自信がないんだ」  男はフーンとつまらなそうに言うと、レンタルビデオ屋から借りて来ていたアダルトビデオを見始めた。洋モノの巨乳ビデオである。 「いいなあ、でっけぇオッパイって」  男は女にあてつけるようにそう言った。  数日後、男は女に言った。 「あのよォ、俺、お前のためにずっと東京にいてやってもいいぜ」 「本当……?」 「ああ。でも条件が一つある」 「条件って……何?」 「お前よォ。シリコン入れて胸をババーンって大きくしろよ。そうしてくれれば、俺、東京にいてもいいぜ」  女は男が何をのたまっているのかよく理解できないまま、男の目を見た。その目は冗談を言っている目ではなかった。 「なぁ、入れろよ、シリコン。俺のことを好きだったらそのぐらいしてくれてもいいだろ」  この男にとって、自分はなんなのだろうという思いが、初めて女の巨乳ではない胸によぎった。 ——御両親のことはなんて呼んでるの? 「お父さん、お母さん。小学生の頃まではパパ、ママって呼んでたけど、中学校に入ったら親のことをそう呼ぶ友達がいなかったんで、恥ずかしくなって自分で『お父さん、お母さん』って呼ぶようにしたの。でも、最初にお父さんって呼んだ時は恥ずかしかった。『お、お、お、お、お父さん』って感じ(笑)。お父さんもビックリしちゃって、『な、な、なんだ、どうした?』って(笑)」 ——お父さんってどういう人なの? 「普通のサラリーマン。今はけっこう出世してるみたい。でも、厳しい人だったなあ。子供の頃から『女の子はオカッパか|みつあみ《ヽヽヽヽ》に限る』って言って、絶対に髪を伸ばさせてくれなかった。家を出て一人暮らしを始めてからですよ、肩まで髪を伸ばしたのは。高校の時も門限が十一時だったんですよ!」 ——十一時だったら全然厳しくないじゃない。 「そんなことない! わたしの周りの友達、門限がある子なんていなかったもん。うらやましかった。ディスコに行ってもわたしだけ十時には帰らなくちゃいけないの」 ——門限を破るとどうなるの? 「口をきいてくれない(笑)。そして何回か門限破りが続くとお父さんが爆発する(笑)。『いいかげんにしろ!』ってバチーンって殴られる」 ——お母さんはどんな人? 「お父さんとは正反対の性格。無口で、一日中編み物をしてる。わたしとお父さんがケンカを始めると泣きそうな顔をしてオロオロしてる。少女のまんま大人になったような人ですね」 ——御両親は、今の山口さんの仕事を知ってるの? 「知るわけないじゃないですか(笑)。知ったら二人ともショックのあまり寝込んじゃうんじゃないかな。二カ月にいっぺんぐらい実家に帰るんですけど、その時は一切化粧せずスッピンです。雑誌とかの写真からバレないように。  ちゃんと両親の誕生日や、父の日と母の日にはプレゼントを送ってますよ」 ——どうせ同じ東京なんだから家に帰って来いって言われない? 「しょっちゅう言われるけど、でももう無理。自由な生活を満喫しちゃったから。今帰ったら、また門限十一時だろうし。撮影をしていて『門限があるから帰りまあす』なんて言ったら、今度は監督さんからぶん殴られちゃうよ」 ——じゃあ、御両親は山口さんがどんな仕事をしていると思ってるの? 「さあ(笑)」 ——なんの仕事をしてるのかって訊かれない? 「うん。何も訊かれない。なんか、そうやって確かめるのが恐いみたい」  外で撮影中、異常とも思えるぐらい、どこからともなく猫が何匹も現れては山口京子に寄って来た。 ——山口さん、マタタビ持ってるんじゃないの?  と思わず尋ねてしまったくらいだ。  猫が寄って来る度に山口京子は、「ワーッ、可愛い!」と叫び猫の相手をし、撮影は中断される。 「猫って大好き。犬と猫? わたしはダンゼン猫派。犬ってさ、なんか人間を頼る目つきをするじゃん。御主人様に捨てられたら私は死んでしまいます、みたいな。あの目って重いのよね。その点、猫は人間とフィフティ・フィフティでしょ。気が向いたらあんたと遊んであげるけど、そうじゃない時はアタシにはかまわないで、って感じ。それがいいんだな。猫ってわたしに似てるような気がする」  ある夜、女が喫茶店でのバイトを終えてアパートに帰ると、男はいつものようにテレビゲームをしていた。そして女の方に顔を向けずに「お帰り」と言った。  同棲を始めた頃のどこか華やいだような空気は、もう部屋の中にはなかった。あるのは互いに足を引っ張り合って作りあげた、退屈という、息づまりイライラするような空気だけだった。  着替えをしながら女が言った。 「あのねぇ……」 「なに?」  テレビゲームを続けながら男が答える。 「今日ね、渋谷を歩いてたらスカウトされたの」 「何に?」 「アダルトビデオ。あんたの好きなアダルトビデオにスカウトされたの」 「…………」 「出てみようと思うんだ」 「……フーン……」 「反対しないの?」 「……お前の人生なんだから、自分のやりたいようにやれよ。俺は束縛しないよ」 「フーン……」  女は男のその言葉を以前にどこかで聞いたことがあると思った。そうだ。高校時代にアイドルタレントになりたくて父親に内緒でオーディションを受けまくっていた時、母親が自分に発した言葉と同じなのだ。 「あなたの人生だから、あなたの好きにおやりなさい」  だが、男の言葉と母親のそれは、文字面は同じでもどこか意味が違う、と女は感じた。 ■今日行くディスコに、片想いをしている黒服の人がいるんだ  撮影を終えた山口京子と一緒に歩いていた。  すれ違う男たちが、老若関係なく山口京子を露骨に下半身を|剥《む》き出しにしたような目で見るのを感じる。同性のその哀しい|性《さが》に辟易しながらも、この恰好じゃ仕方ねえよな、と思いつつ私は山口京子に|訊《き》いた。 ——自分は男にモテるって思う? 「ウン。モテなくはないと思うよ。たまに街を歩いてて、何人の男が私に振り向くかって数えて楽しむの」 ——ボーイフレンドは多いの? 「そうね。あっ、一人ね、わたしのことをすごい好きな男の子がいるの。まだエッチさせてあげてないんだ。その子、ヘビースモーカーなのね。だから、煙草をやめられたらエッチさせてあげてもいいよって言ったら、『絶対にやめる』って力が入ってた。その子ね、わたしがディスコで遊んでてどんなに遅くなっても、『迎えに来て』って電話をすると車で来てくれるの。なんか女王様になったようで気持ちいいよ」 ——その子、禁煙は続けているの? 「うん。でもまだ一カ月ぐらい。あと半年ぐらい続けられたら、エッチさせてやってもいいかなって思ってる」  フーン、と私は、溜息とともに答えた。 ——どういう子供だったの? 「暗い子だった。小学生の頃はお母さんも働いてたからカギっ子だったの。それで友達もいなかったから、家に帰ると一人オセロとかやるの」 ——何それ(笑)? 「座布団を二つ用意してオセロをするの(笑)。そして一手ごとに座布団の間を行き来するの(笑)。むなしいよォ。一人ババ抜きとか、一人神経衰弱もやったな。一人で神経衰弱をしたことあります?」 ——神経衰弱になったことはあるけど(笑)、トランプの神経衰弱はしたことない。 「あれは、むなしいの極致だね。一人っきりで、『あれ、まいったなあ、このカードはなんだっけ』なんて言うの(笑)」 ——そんな子が、なんでこんなに明るくなったの? 「いつぐらいだろう……高校に入った時に恋をしたの。それまでわたし、とっても太ってたんです。六〇キロ以上あったかな。これじゃ、好きな人に振り向いてもらえないと思って、一念発起してダイエットをしたんです。そうしたら、結局好きな人には相手にされなかったんだけど、急にモテ始めたの。高一、高二の二年で三十人ぐらいの男の人から『好きです』って告白された。あの頃からかな、自信ができて性格が明るくなったのは」  女がAV女優になったら、まるでそれを待っていたかのように男は仕事をやめた。そして日がな一日、女名義の部屋に閉じ籠りテレビゲームに興じるようになった。  女は生活費はもちろん、小遣いも男に渡すようになった。男は当り前のような顔をして小遣いを受けとるとパチンコに出かけ、金をすると再び部屋に戻りテレビゲームを始める。そんな生活が二カ月、三カ月、四カ月と続いた。 「あんた。いいかげんに働いたらどうなの。わたし、あんたを食べさせるためにAVに出てるんじゃないのよ!」  男は答えの代わりに女の腹を蹴った。女の体は吹っ飛び壁にぶつかり頭をしたたかに打つ。すると倒れた女の首を男は絞めた。グイグイと絞めた。  殺される。  女は思って、手足をバタバタさせて必死に抵抗した。  ふっと男の血走った目が我に返ったようになり、男は女の首を絞めていた手の力をゆるめると急に泣き出し、「ごめんよ、ごめんよ。ずっと俺たちは一緒にいような……」と言って女の体を抱きしめた。抱きしめられながら女は、「もう限界だ。こんな男とは別れよう」と思った。  何が悪かったんだろう。  誰が悪かったんだろう。  時計の針が夜の七時を回った。私がそう言うと、それまで速射砲のようにしゃべっていた山口京子は「あ、いけない」と言ってバッグを持ち立ち上がった。 「今日行くディスコに、今わたしが片想いをしている黒服の人がいるんだ」  山口京子は恋する処女の目をしてそう言う。 ——今日は彼氏の待ってるアパートには帰らないの? 「どうしようかな……もう顔を見るのもイヤだから、友達の部屋に泊まると思う」 ——その黒服の人にホテルに誘われたらどうする? 「ハハハッ、それはないよ。だってその人、とってもかっこよくて、とってもモテるんだもん。わたしのことなんか眼中にないよ。それにさ、わたしってどんなにモテても、本当に好きな男の人の前では口もきけなくなっちゃうんだ」  じゃあね、と言って、山口京子は六本木に旅立った。多分、昼間の猫に代わって今夜は男たちが彼女にまとわりつくのだろう。 ——なぜ、AV女優になったの? 「自分っていう人間がいたことを、どこかの誰かにいつまでも覚えておいて欲しかったから」 AV Actress Kyoko Yamaguchi★1995.9 [#改ページ] 観月沙織里 AV Actress Saori Mizuki 小六で母親に蒸発され、弟と妹の面倒を見てきた女の子

——生まれてから今日までの十九年間で、一番悲しかったことはどういうことでした? 「悲しかったこと……わたしってイヤなことはすぐに忘れちゃうから、思いつかないなァ……一つしか覚えてない」 ——その一つってなんですか? 「あのね、お母さんが家から出て行っちゃったこと」 ■助手席に坐る母親の横顔  冬の夜。小学校六年生の観月沙織里は布団の中でなかなか寝つかれずにいた。隣では二歳下の弟と六歳下の妹が子供らしい安心しきった寝息をたてて熟睡している。  観月沙織里は眠ろうと何度も寝返りをうつ。だが頭の中はどんどん|冴《さ》えていくばかりだ。  彼女が床につく時、父と母はなにやら言い争いをしていた。このところ父と母は毎晩のようにケンカをしている。父が母を殴るのも珍しいことではなかった。  そして、昨夜チラッと見かけた母親の部屋に置かれてあった見慣れないボストンバッグ。それが何を意味するのか子供にはわからなかったが、しかし、それを見た瞬間、観月沙織里の胸はザワザワと波立った。女の子ならではの予感だろう。  近いうちに何かよくないことが起きそうな気がする。  そんな予感と窓の外の冬の風の音と弟たちの寝息に邪魔をされて悶々としていた観月沙織里が、ようやくウトウトと眠りに入りかけたのは朝の四時近くだった。  だがその眠気も父親が階段を上がってくる足音で吹き飛んだ。  ドタドタと階段を上がって来た父はザッと子供部屋のフスマを開け、「沙織里!」と長女の名を叫ぶように呼んだ。 「どうしたの、お父さん!」  驚いた観月沙織里は真っ暗な部屋で起き上がり父親に尋ねた。やっぱり何かが起きてしまったのだ。 「お母さんが……お母さんが出て行っちゃったよォッ」  暗くて父親の顔はほとんど見えなかったが、ウッウッと父親が|嗚咽《おえつ》しているのはわかった。お父さんが、泣いてる……。 「待ってて。わたし、お母さんを追いかける!」  観月沙織里は明かりをつけずに階段を駆け降り、サンダルをひっかけるとパジャマ姿のまま玄関を出た。とてつもない冷気が小学校六年生の少女の体を乱暴に包む。  観月沙織里の家の前にはかなり長い急な一本の坂道がある。それを登りきると大通りに出るのだ。  観月沙織里は坂道を走った。出て行ったという母親の背中を追って、走った。だが目の前にあるのは冬の暗闇だけだった。観月沙織里は坂の中腹で足を止めた。  もう、お母さんは行っちゃったんだ。  口から吐き出される荒い息が白い粒子となり冬の空に吸い込まれていく。寒い……。  その時、後ろから一台の車がスーッと静かにゆっくりと登ってきた。  慌てて少女は道の端に身を寄せた。その少女の目の前を車が通り過ぎた。その時、観月沙織里は車の助手席に坐る自分の母親の横顔をハッキリと見た。  母親は娘を一瞬たりとも見ようとはしなかった。昔、母親に読んでもらった童話の中に出てくる氷の女王のようだと思った。運転をしていたのは知らないオジサンだった。  寒さが一層増したような気がした。  家に戻ると父親はグッスリと寝入っている弟たちの横で、喉の奥から妙な音を出して泣いていた。  その家族の姿を暗い部屋で見ながら、お母さんはわたしたちを捨てたんだな、と観月沙織里は気づいた。  コアマガジン社の会議室で観月沙織里と会った時、ビデオを観て明るい女の子と短絡的に想像していた私は、少なからず驚いた。  とーっても、不機嫌そうなのである。  不貞腐れたような顔はおろか、体全体から「くそ暑いってぇのに、なんでわたしがインタビューなんか受けなくちゃいけないのさ」っていうオーラがプンプン出ていたのである。尋常ではなく出ていたのである。いくら私が鈍感でも、ここまで不快感を|露《あらわ》にされたらそりゃ気づく。  こりゃどうしましょ、とオタオタしてしまった私は挨拶をした後なにを話しかけたらよかんべと悩み、なんと黙り込んでしまった。  部屋中に居心地の悪い空気が充満する。  観月沙織里は唇を少しとがらせてマニキュアを塗った爪をつまらなそうに眺めている。  このインタビューの前にどこかの雑誌のグラビア撮影があったとは聞いていたが、そこで不愉快なことでもあったのだろうか。  そこに「コンチワーッ」と脳天気な声をあげてカメラマンが部屋に入ってきた。  その姿を目にするなり観月沙織里が言った。 「エーッ、写真撮るの? 聞いてないなあ」  ドキッ……。 「インタビューなんだから、写真を撮るのは当り前でしょ」  やはり不機嫌そうだったマネージャー氏が、「いいかげんにしろ」といったニュアンスで言った。 「フーン……」  つまらなそうに観月沙織里が答え、また爪を眺める。  ことの成り行きをビックリして見ていたカメラマンが「どうしたの? 今日は不機嫌なの?」と単刀直入に訊いた。不機嫌なのかと訊かれ、不機嫌であると答える人間はあまりいない。 「別に。そんなことないです。さ、やりましょ」  観月沙織里はそう言って無言のインタビュアーを促した。 ——で、では、あの、お生まれはどちらで? ■お母さんったらいい年こいて不倫相手と交換日記をしてたんですよ 「生まれたのは、東京には近いけど田舎。子供の頃は近所に牛もいたし豚もいたもん。さすがに放牧じゃなかったけどね。虫もたくさんいたんじゃないかな。でも外で走り回って遊ぶような子じゃなかったね。家の中でいつも一人でお人形さん遊びばかりしていた。  小学生の頃は暗かったなあ。一人の番長みたいな女の子にずっといじめられてたの。その子とは一年から五年まで一緒のクラスだったから、その間はいじめられっ子だった。友達ができてもその子がわたしとしゃべるなって言うと、たちまち友達が離れていくの。  もう学校に行くのがイヤでねぇ、ある朝、どうしても学校に行きたくないってダダをこねたら、お母さんに殴られて鼻血が出ちゃった。その時初めてお母さんに、いじめられてるって告白したんです。そしたらお母さんが担任の先生に電話をしたらしく、学校に行ったら校門の所に同じクラスの子が全員並んでて、『今までごめんなさい。もういじめません』ってわたしに謝ったの。でも次の日からもずっといじめられたけどね。  お父さんとお母さんが離婚をするまでは、お父さんのことが大っ嫌いだった。お父さんとどっかに遊びに行ったとか、お父さんがどういう人だったのか全然記憶がなくて……。  お父さんは元暴走族で、十六歳の時に大工になったんだって。わたしが子供の頃は仕事がとても忙しくて、おうちに帰ってくると酒ばっかり飲んでてさ……。  お母さんは看護婦さんだったんだけど、お父さんと結婚して十九歳の時にわたしを産んだの。今のわたしと同じ年。  夫婦仲が悪くなってきて、お父さんがお母さんに暴力をふるい始めたのね。わたしはお母さんのことを慕っていたから、ますますお父さんのことが嫌いになって……。  二人の仲が悪くなる理由はあったんだけどね。お母さんがいいかげんなことをしちゃったから……。  うん。お母さんの浮気。  きっかけはお母さんが外に働きに出たこと。それまでも内職とかしてたんだけど、どうしても外で働きたいって言い出して。  お父さんは『子供がいるのに外で働くなんてダメだ!』ってすごく反対したんですけど、お母さんは押し切って、なんとかっていう電子会社の工場で働き始めたの。  そこで二十五歳ぐらいの若い男とお母さんができちゃったのね。それがお父さんにバレちゃってさ……。  わたしもお母さんの浮気のことは知ってた。  お母さんったらいい年こいて不倫相手と交換日記をしてたんですよ。それを、何を書いてるかわかんないと思って、わたしの前で書いてるんだもん。チラッと盗み見すると、『愛してるわ』とかなんとか書いてあって、こりゃ怪しい文章だなって思ったわけ。子供心にもこれはお父さんに宛てた文章ではないぞと思ったわけ。それに誰か友達みたいな人に電話していろいろと相談してるんだもん。離婚がどうとか、慰謝料がどうとか。  ショックだったけど、その頃はお父さんのことが嫌いだったから、あんな乱暴なお父さんとは(お母さんは)別れた方がいいと思ってた。  それで浮気がバレて、お母さんが相手の男の人を家に連れて来たの。応接間で三人で何やら話し合ってたんだけど、こっそり覗くとお父さんがすごく怒ってて恐かった。怒鳴ったりはしないんだけど、顔が|般若《はんにや》みたいになって、人間ってこんなに怒れるものかって驚いちゃった。机の上には男の人が差し出したお金の束がのっかってて、今から考えるとあれは慰謝料ね。男の人は『すみません、すみません』って猫背になっちゃって、お母さんは黙ってうつむいてた。  結局はお父さんはそのお金を受け取って、お母さんと男の人とはそれきりになったの。  でもすぐにお母さんは今度は妻子ある人とできちゃって、冬の寒い朝にその人と出て行っちゃったの。わたし、二度目の浮気のことも知ってたんだ。その頃お父さんって遠くの現場に働きに行ってて、週末だけ家に帰ってくる生活だったのね。するとお母さんは平日は毎日夜の十時にどこかに出かけて朝の六時に帰ってくるようになったの。だから夕飯なんかカップラーメンだよ。あとはその辺のスーパーで売ってるソーセージかなんか。それをお母さんがテーブルの上に置いて、『ハイ、食べなさい』。子供三人がテレビ見ながらズルズルってカップラーメンをすすってる横で、お母さんは化粧を始めるの。  それで笑っちゃうんだけど、お母さんって、夜の十時に出かける時に、ビニール袋に化粧品とかいろんな物を入れて持って行くんだけど、じっとそれを見てると唯一わたしにはわからない物を入れてたの。今思うと、コンドームなのね。それも何枚も。  冬の朝、車の中のお母さんの横顔を見て以来、お母さんとは会ってません。  相手の人の奥さんと子供がどうなったのかも知らない。  二つの家庭から出て行った二人も、あれからどうなったのか知らない。幸せなのか、不幸なのか、生きてるのか、死んでるのか……」 ■お母さんが出て行ってから、なぜかお父さんと急に仲良くなりましたね 「お父さんは今でもお母さんのことをすごくうらんでるよ。そりゃそうだよね。亭主だけじゃなく、三人の子供を捨てたんだもんね。  あのね、わたしが中学三年の時にお父さんが話してくれたんだ。 『お母さんが出て行ってから三年の間に、俺は三回、お前たちと心中しようと思ったことがあるんだ』  って。 『へえ、そうなんだ』って何気なく答えたけど、告白されてから考えると、それまでドライブなんか連れてってくれたことなんかなかったのに、お母さんが出てってからはよくお父さんはわたしたちをドライブに連れてってくれたのね(笑)。恐いよねえ。  お母さんが出て行った次の日は学校でもワンワン泣いちゃったけど、泣いたのはその日一日だったな。  弟と妹を見たら、これはわたしが泣いてる場合じゃないとさすがに思った。  特に妹はまだ保育園に通ってて、朝はバスが迎えに来てくれるけど、帰りは迎えに行かなくちゃいけないのね。だから学校が終わると弟と二人で自転車に乗って妹を迎えに行くの。いつも妹が一番最後まで残ってて一人でポツンとわたしたちを待ってた。そして三人で帰る途中で夕食の材料を買うの。料理の仕方はお父さんから教わったんだ。  弟の授業参観にも行った。お父さんはとにかく休日返上で働いてたから、わたししか行く人はいないわけよ。誰も行かなかったら弟がかわいそうじゃん。  できるだけ大人っぽい服を着て行くんだけど、(弟とは)同じ小学校でしょ。それもついこの間わたしが卒業したばかりだから、先生はみんな知ってる人ばかりなわけですよ。『おう、元気か。大変だな』って言ってくれる先生に『弟がいつもお世話になってます』なんて答えてね(笑)、それですました顔で教室の後ろに立って授業を見てたけど、周りから見たらおかしかったろうなァ。  だから、わたしたち三人の仲はすごくいいですよ。結束が固い。三人で力ずくで育ってきたようなもんだからね。  お母さんが出て行ってから、なぜかお父さんと急に仲良くなってなんでもしゃべるようになりましたね。  中一の時に学校で初潮になっちゃって、家に帰って仕方がないからお父さんに相談したら、『まかしとけっ!』ってお父さんがスーパーに走って行って、ダンボール一箱のナプキンを買って来てくれた。  その夜は珍しく家族でファミリーレストランで食事をしたの。弟と妹はわけもわからずキャッキャッて喜んでた。御馳走の理由を知っているのはわたしとお父さんだけ。わたしはハンバーグ定食を食べたけど、あれがわたしのお赤飯……。 『彼氏ができたら家に連れて来い』っていつも言うから、(恋人を)連れて行くと、お父さんは会うなり、『お前は何をしてるんだ。給料はいくらだ。俺の娘を幸せにできる自信があるのか』っていきなりケンカ腰なの。お父さんに会わせた瞬間に終わってしまった恋もある、ハハハッ。  煙草や酒で怒られたことはない。 『煙草を吸うなら俺の目の前でやれ。隠れて吸ったら火事が心配だ』  だって。  一度ね、家で女友達とシンナーを吸って遊んでたの。そしたらお父さんが二階から降りて来て、『なんか臭いな。シンナーだろ』って。仕事で扱ってるし、自分も昔吸ってたから(笑)、すぐにわかるのね。あ、こりゃ怒られるなって覚悟したら、 『シンナーなんて俺の仕事場に売るほどあるから、言ってくれたらいつでもやるぞ』  そう言われちゃうとね、やれないっすよ。だからシンナーは一回だけで終わっちゃった。  中学の後半はほとんど学校に行かなかった。家にいたよ。掃除したり洗濯したりファミコンしたり、あとはボーッとしてた。お父さんはそれを知ってたけど何も言わなかった。ただ一回だけ、『給食費を払ってるんだから、もったいないから給食だけは食べに行けよ』って言われたから、しばらくは本当にお昼時間に給食を食べるためだけに学校に行って、食べ終わると家に帰って来ましたね」 ■どう調べたのかお父さんがやって来て、男は殴られちゃった 「セックスの初体験は中二の時。  わたしね、『鉄マンの女』って言われてたんだ。それまでもつき合う人と何度も試したんだけど、全然入らなかったの。 『お前って鉄マンだな』  ってあきれたように言われて、とってもショックだった。  そして中二の夏休みに友達の家でビールを飲んでたらベロンベロンになっちゃって、気がついたら一緒に遊びに来てた男にやられちゃってたの。酔っぱらってその時のことは全然覚えてないんだけど、シーツに出血してたから『ああ、やれたんだな』って嬉しかった。これで誰とでもやれるぞ、って(笑)。  高校に進む気はなかった。お父さんは自分が中卒だから『高校ぐらい行け』って言ってたけど、わたし、学生という身分がなんか甘えてるようでイヤだったの。早く自立したかった。そのためにはお金が必要でしょ。お金を稼ごうと思って、中学を卒業した後、バイト情報誌を読んで渋谷のソバ屋に勤めたの(笑)。それまでも土・日は必ず原宿のホコ天とかに遊びに行ってたし、とにかく東京で働きたかったの。ソバ屋への通勤時間は一時間半ぐらい(笑)。  でもね、店の中で歩き回るための健康サンダルをはかせられたの。あのイボイボのついたやつ。あれが痛くてね。一日でやめちゃった(笑)。  その後は地元の靴屋とかパチンコ屋、美容院とかファミリーレストランを転々としてね。ファミレスは昔から憧れてたんだ。注文を聞く時にピッピッて押す機械があるでしょ。あれがカッコよく見えてねえ……。今もファミレスに行くと、『いいなあ、またやりたいなぁ』って思いますよ。  そのファミレスの従業員とできちゃったんだけど、そいつがすごい暴力男でちょっとでも自分が気にくわないとすぐにわたしを殴るの。『もう耐えられない。別れよう』って言ったら、みっともないぐらいワンワン泣いてたけどね、仕事場で。困っちゃった。  一度、家出をして川崎で新聞配達をしている男の人のアパートに転がり込んでたことがあるんだけど、どう調べたのかお父さんが訪ねて来たんです。男は殴られちゃった。それで、わたしも殴られると思って身構えたらお父さんが突然土下座しちゃって、『頼む、うちに帰ってくれ』って言うの。拍子抜けして一緒に帰りましたよ。  その後もバイトをしながら適当に遊んでたら、一年前に新宿でAVにスカウトされたってわけ。  わたしがAVの仕事をしているってことは弟しか知らない。弟は今、中学を出て大工の見習いをしてるんだけど、正月に実家で会った時、『姉ちゃんはね、東京12チャンネルのギルガメッシュナイトに出てるんだよ』って言ったら笑って信用しないの。でもその後テレビを見たらしくて電話がかかってきた。 『お姉ちゃん、本当だったんだね。俺、ビックリしちゃった』  って。テレビで姉のオッパイを見るとは思ってなかったろうね。なんかかわいそう」 ■この前ね、来年の成人式のためにお父さんが着物を作ってくれたんだ  実に不機嫌だった観月沙織里だが、恐る恐るこっちがインタビューをするうちにその機嫌も直り、いつしかニコニコと笑って話してくれるようになった。お母さんが家を出て行った時の話など、事実の内容とは裏腹にあまりにあっけらかんとしゃべるので、そのギャップに私は思わず涙しそうになってしまった。  インタビューの最中、カメラマンがカメラを向けるとしっかりと目線を合わせてくれる。カメラマンもホッとしたようにシャッターを押す。  なにはともあれ、よかった、よかった。 「お父さんは二年ぐらい前に再婚をしたんです。当時、お父さんは四十歳で相手の人は二十七歳。今は二人の間に一歳の男の子がいるの。  あのね、お父さんの背中にけっこう大きなシミがあるのね。わたしにも弟にも妹にもそんなシミはないんだけど、今度生まれたチビには、お父さんと同じ所にシミがあるの。不思議だよね。  わたしがさ、この業界に入った時、お父さんに『宝石屋に就職が決まったから、家を出て一人暮らしをしたい』って言ったら、あっけないぐらい簡単に『いいよ』って言ったのね。川崎に家出した時はあんなに必死になって連れ戻しに来たくせにさ。再婚しちゃったからかな。絶対に反対されると思ってたからホッとしたけど、なんか淋しかったな」 ——今まで一番嬉しかったことはなんですか? 「嬉しかったことはいっぱいあるけど、つい最近では『淫獣学園』っていうVシネマの仕事をなんとかやり通せたことかな。十日間の撮影で、本当に眠るヒマもないスケジュールで正直言って自信はなかったんだけど、ヘヘッ、やれました。終わって監督さんから花束をもらった時は感動しちゃった。今までに味わったことのない、仕事をやりとげた快感というものを教えてもらいました。それだけ苦しかったってことなんだけどさ。  本当は、もうビデオの仕事はやめようと思ってたんだけど、あの快感を知ったからには、ちょっともうやめられないなあ」  インタビューが終わり、観月沙織里はホリゾントをバックに最後の撮影をしている。カメラマンの押すシャッター音の度に、観月沙織里はポーズを変え、表情を変える。「エーッ、写真撮るの?」と四時間前に言っていたとは思えないぐらい、照明を浴びた観月沙織里は水を得た魚のようだった。 ——観月さん。実のお母さんには会ってみたいと思いませんか?  カシャッ、カシャッ。 「全然思わない。だって、わたしたちを捨てたんだもん。お父さんなんか、偶然お母さんと会ったら一発殴ってやれって言ってるよ」  カシャッ、カシャッ。 「この前ね、来年の成人式のためにお父さんが着物を作ってくれたんだ。お父さん、かなり頑張ってくれたらしくて、すっごいきれいな着物なの。もう、成人式が楽しみでさ」  カシャッ、カシャッ。  とうとう最後まで、なぜ観月沙織里が不機嫌だったのか、聞くことはできなかった。 AV Actress Saori Mizuki★1995.10 [#改ページ] 白石ひとみ AV Actress Hitomi Shiraishi 十八年ぶりの生まれ故郷、品川区戸越銀座にて

 戸越銀座。東京は品川区にあるこの小さな商店街で、白石ひとみは二十三年前に生まれた。そして五歳までここで過ごした。 「ウワーッ、変わっちゃったなァ……昔と全然違う……」 ■わたし、全然人見知りのしない子供だったみたい  十八年ぶりに立った生まれ故郷の町を眺めて白石ひとみは感慨ぶかげだ。  私から見ると、ここだけがポッカリと時間に取り残されたような下町風の商店街なのだが、やはり時の流れはこの町をも巻き込んでいたようだ。 「でも、こんなに小さな商店街だったかな。もっと大きいと思ってた。子供だったからそう感じてたのかなァ。おばあちゃんがここで小料理屋さんをやってたんですよ」  白石ひとみの父親はここで生まれた。母親は沖縄出身である。母親の姉がこの町で喫茶店を開いており、沖縄から出て来て店を手伝っている時に未来の夫と知り合ったのである。 「お父さんは遊び人で、若い頃はこの辺でかなりブイブイいわせてたみたい。お父さんにはよくビリヤード屋に連れて行かれた記憶がある。もちろんわたしは見てるだけだったけど、面白かったですね。お父さんの仕事? さぁ、何をしてたんだろう……」  仕事熱心ではない父親だったが子作りには熱心だったようで、白石ひとみを筆頭にポンポンと女の子を三人作った。  余談だが、私の周りを見渡しても遊び人の男にはなぜか女の子供が多い。しかも、なぜあの男にこんな子が、と驚くような、きれいな気立てのいい娘さんが多い。現代の七不思議のひとつである。 「わたし、全然人見知りのしない子供だったみたい。女の人を見るとすぐに『お母さん、お母さん』って言ってついて行っちゃってたんだって。だから、その辺のオバサンに訊けばわたしが誰について行ったかすぐにわかったんだって」  八百屋の店先で白石ひとみの撮影をしていると、店からジイサンが出て来てニコニコと見ている。白石ひとみが、「おじいちゃんも一緒に撮ろうよ」と言うと、「おっ、そうかい」と嬉しそう。お嫁さんらしき人が、「おじいちゃんったら、恥ずかしいからやめな」と言ったが、ジイサンはそれを無視して白石ひとみとカメラにおさまった。このジイサン、実は横に立つ美人が子供の頃にこの辺を走り回っていたとは夢にも思うまい。  白石ひとみは五歳の時にこの町を離れて川崎に移った。その地で、やっと父親の自覚が芽生えてきた男は会社を興した。 「普通に勤めればいいのに会社を作っちゃうんだもん。根っからのギャンブラーなのよね。でもその性格を一番引き継いでいるのはわたしかな」  その頃川崎にはまだ林があり、白石ひとみは近所の仲間とそこで基地作りごっこなどをして遊んでいた。ある日墓地で遊んでいる時、ふとしたはずみで墓石を倒してしまった。かなり古いものだったらしく墓石はまっぷたつに折れた。翌朝、母親が「昨日は生まれて初めて金縛りにあって恐かった。黒っぽい男の人がお母さんの首を絞めるの」と言った。 「この前、仕事でグアムに行ったんです。そして夜にホテルの部屋の鏡を見たら、シルクハットをかぶった黒い男の人がワーッと鏡の中から飛び出してきたの。キャーッ、って叫んだらスーッと消えましたけど。そのことを日本に帰ってからお母さんに話したら、お母さんがビクッとして『わたしの首を絞めてた人もシルクハットをかぶってた』ですって」 ■「ソフトボールをやっててよかった!」って心から思った  中学時代、白石ひとみはソフトボール部に入っていた。入部した頃のチームは弱かったが、顧問の教師が替わり猛練習を課し、白石ひとみが三年生の時には県大会でベスト8に入った。多くの人は知らないだろうが、神奈川県のソフトボールのレベルは高い。全国でトップだろう。だからそこでのベスト8は立派なものである。 「ベスト8を決めた試合でわたしはファーストを守ってたんですけど、内野ゴロを取ったショートの送球が高くそれたんです。その時、自分でも信じられないくらい体が軽くなってポーンとジャンプしてキャッチしたんです。『アウト!』のコールを聞いた時、『ああ、ソフトボールをやっててよかった!』って心から思った。もう一回やれといわれても絶対できないプレイ。一瞬、神様がわたしにのりうつった感じだった。観てた人にも、他の選手にもわからない、わたしだけのカ・イ・カ・ン」  私は最近スポーツ選手にインタビューをする機会が多いのだが、ここまで素敵な言葉はなかなか得られない。プロの選手でも、白石ひとみほどのカ・イ・カ・ンを体験できた人間は少ないのではないだろうか。幸せな人である。うらやましい。私? もちろんございません。  私立の女子校に白石ひとみは進んだ。だがさんざん勧誘されたが、ソフトボール部には入らなかった。 「普通の女の子になりたかったんです。それまではショートカットで肌もまっ黒で、カリメロって呼ばれてたんですよ、わたし(笑)。それで髪を伸ばし始めたら、不思議なことに肌も白くなってきたんです。その頃中学時代の友達に会うと『整形したんだろ』ってよく言われた。  一年の時は男の子ともずいぶんつき合いましたね。初体験もその頃。マニュアル通り彼のお部屋で」  二年生の時、白石ひとみは友人からあるロックグループのコンサートに誘われた。 「その打ち上げの席で、メンバーの一人の人としゃべったんです。わたし、ひと目惚れをしてしまいました」  その男とはその後四年間つき合った。 「けど、つき合ってると思ってたのはわたしだけだったかもしれない。だって、二人でデートをしたことがないんだもん。わたしから電話はするけど、彼からはかかってこない。誕生日のプレゼントももらったことがない。遊びに行くとしたら彼の部屋だけ。そこでファミコンをしたり、セックスをしたり……。  四年間で十数回しか会ったことがないんですよ。つき合ってたっていえないですよね。今から思うと、たんに相手にとってやりたい時にセックスをさせてくれる都合のいい女だった。  でもその時はその人が本当に好きだったの。  それと、相手が芸能人だっていうことに優越感を抱いていたのかもしれない。友達が恋人とデートをした話を聞いても、『いいわね。わたしの彼ってミュージシャンで忙しいから、なかなか会えないのよ』なんて逆に威張ったりして。全く、お馬鹿な子でした。  今、わたしがその場にいたら教えてあげますよ、わたしに。 『あなたってただ遊ばれてるだけなのよ』って」  高校を卒業した白石ひとみは都内の大手コンピューター会社に就職する。 「本当はデパートガールや、はとバスのガイドさんになりたかったんですけど、お父さんに無理やりそこに入れさせられたんです」  若い頃遊び人だった父親によくありがちな態度である。  その会社の向かいにはレコード会社があり、多くの芸能人が出入りしていた。それを見ながら、「あそこにはこことは全く違う楽しい世界があるのね」と白石ひとみは溜息をついた。社内のOLが他人の悪口ばかりを言うのも彼女には耐えがたかった。 「その頃、AVにスカウトされたんです。それまでも何度か路上でスカウトされててその度に断ってたんですが、その時は心にスキ間があったのかな……」 ■AVが決して恥ずかしい仕事じゃないということは証明できたと思う  雑誌には写真を載せないという約束で、白石ひとみはAVに出演した。だがそんな約束は守られるはずもなく、パッケージ写真が見開きで写真週刊誌に掲載された。そして運の悪いことに普段はそういう雑誌を読まない父親が、床屋でその週刊誌を手に取った。  三時間後、自宅に戻った父親は娘の部屋のドアを「開けろ! なぜ逃げる! 開けろ!」と叫びドンドンと叩いていた。 「わたしは『ごめんなさい』って泣きながら部屋でおびえてた。まるで映画の『シャイニング』状態でしたね」  ドアはぶち破られた。そして父親は「勘当だ! 出て行け! お前の顔なんか見たくもないっ!」と言った。  一度言い出すと、実に意志の持続力の強い男である。 「そのへんもわたしは似てるみたい」  翌日、長女はトランク一つで家を出た。母親はただオロオロするばかりで、娘と夫の仲裁をすることは無理だった。 「お金なんかもらえませんよ。ノーギャラで家を出ましたよ(笑)」  娘はアパートを借りて生まれて初めての一人暮らしを始めた。そして念願だったデパートに勤める。一カ月後に家に帰り、父親に、「わたしは真面目になりました。今はデパートで働いています」と謝ると、やっと元遊び人の怒りはとけた。 「でも、AVのことが忘れられなかったの。現場がとっても楽しかったから。スタッフの人たちも世間の人が思っているのと反対に、すごく一所懸命に働いてたし。  それに、一本だけ出て親バレでやめたと思われるのがくやしかった。それだと、なんか若い子が過ちを犯しちゃったみたいでしょ。そしてそれっきり(AVに)出ないと、わたしもそれを認めることになるじゃない。お父さんに対しても『間違ってました』って言ってるようなものでしょ。それがとってもイヤだった。そう思ってたら、『よし、復帰してAVの世界でトップを取ってやろう。そして世間にも父親にも、わたしが間違ったことはしてなかったことを、AVの世界は素晴らしいやりがいのある世界だということを証明してやろう』って変な負けん気が出てきたの」  今度は父親は「勝手にしろ」と言ったきりだった。  そして白石ひとみは三十四本のAVに出演した。その間、彼女が確かにトップを手にしたことに異を唱える人間はいないだろう。  二年前から白石ひとみは大阪に住居を移している。東京の所属事務所が解散し、大阪の事務所に移籍したからだ。そして関西テレビのバラエティ番組などで活躍している。 「突然いなくなったんで、東京ではいろいろ言われてたみたい。男ができたとか、クスリをやってるとか、どっかに監禁されてるとか(笑)。大丈夫。ちゃんと向こうでお仕事をしてましたよ。大阪の水がなんか合っちゃったんですよ。大阪、大好き」  夕方になり、白石ひとみが昔遊んだという神社に行った。 「やっぱり境内も記憶の中のよりもずっと小さいですね。ヘェ、わたしってこんな狭い所を走り回ってたんだ。よくここに紙芝居屋さんが来てたんですよ」  晩夏の木漏れ日が白石ひとみの顔に様々な色を映し出す。 「でも、そろそろ東京に帰ってこようと思ってるんです。Vシネマや、こっちのテレビ局での仕事も増えてきたし。AVには多分もう出ないんじゃないかな。三十四本も撮ったしAVが決して恥ずかしい仕事じゃないということは、少なくとも自分の中では証明できたと思うし。これからは演技がもっと要求されるような仕事をしていきたいですね」  中学時代にファーストベースの上でジャンプした時を思い出して跳んでみて、と頼むと、白石ひとみは「もうあんなに跳べないよ」と笑ってピョンと木漏れ日の中で跳ねた。 AV Actress Hitomi Shiraishi★1995.11 [#改ページ] 片山唯 AV Actress Yui Katayama わたしの周りの人間たちって、本当にどいつもこいつも……

  《小さな小さな町のはずれに、あれはてた庭がありました。庭の中に古びた家が一けんあって、そこに長くつ下のピッピが住んでいました。ピッピは九つで、たったひとりでくらしていたのです。    パパもママもいませんでした。けれども、おもしろい遊びのさいちゅうに、もうおやすみなさいといったり、ドロップがほしいときに、ひまし油をむりに飲ませようとしたりする人がいないので、かえってのびのびしてたのしそうでした。    ずっと前には、ピッピにも、たまらなく大すきなパパがいたし、もちろんママもいましたが、ママのことは、あまりにもむかしのことなので、すこしもおぼえていませんでした。ママは、ピッピがまだあかちゃんで、ゆりかごの中で、人がそばにもよれないような大声でぎゃあぎゃあないていたころに、なくなりました。    それでピッピは、ママは、天にいて、小さなあなから、下にいるピッピをのぞいて見ているものと思っていました。そして、ときどき天のママのほうに手をふっていいました。   「ママ、心配しないでね、だいじょうぶだから」    パパのことは忘れてはいません。パパは船長さんで、海に出ていました》    (リンドグレーン『長くつ下のピッピ』尾崎義・訳)  広尾の高級マンションにある事務所で、眠そうな|瞼《まぶた》をした片山唯と会った。 「昨日も遅くまで仕事だったんですよ」  片山唯は両目を指でこする。  深緑のつなぎのズボン。無造作に頭にくっついている二つの大きな髪どめ。そして、最近ではあまりお目にかからないソバカスがうっすらと浮かんでいる両頬。  そんな片山唯を見た瞬間、アッ、誰かに似ていると思った。  片山唯はソファにもたれてアクビをし、済まなそうに「ごめんなさい」と言っている。  誰だっけ。誰に似ているんだろう。  そうだ。長くつ下のピッピだ。私が子供の頃に愛読し、自分の中で作りあげた長くつ下のピッピの姿にそっくりなのだ。 ■おばあちゃんが来たとたん、家の中がグジャグジャになった  本人がいうところの、「なんにもない退屈な県」の、そのはずれの小さな町に片山唯は住んでいた。  父親は大手自転車会社に勤めていた。酒も煙草もギャンブルもやらず毎日夕方六時には家に帰って来る、|傍目《はため》には真面目な男だった。  だがこの父親、外面はいいが家の中ではやたらと暴力をふるう癖があった。 「ちょっとでも気にくわないことがあると、すぐにおかあさんを殴るの。シラフでよ。酒乱で殴るのなら、仕方がないっておかあさんも許せたかもしれないけど、シラフで殴るの。わたしもよく殴られた。グーでね、中指を突き出して殴るの。あれってとっても痛いんだ」  唯を殴るのは父親だけではなかった。 「一歳や二歳の頃のことでも、子供って痛めつけられたことって覚えているもんですよね。些細なことなんだけど、一緒に住んでいたおばあちゃんに押入れに閉じ込められて二日間放置されたこととか、木の物差しの角で頭を殴られて血がダラダラ流れてきたことは今でもハッキリ記憶にあるもん。なんでそんなことされたのかは覚えてないけどさ」  唯が三歳の時、一家は父親の転勤で祖母と住む家を離れ、遠い遠い小さな町に引っ越しをした。 「その頃、まだ覚えてることがあるの。夢か現実かわからないけど、夕方にわたしがおかあさんにダッコされて、どっかの居酒屋みたいな所に連れて行かれるのね。そこには変な知らないオジサンが来て、大きな窓と丸いテーブルのある部屋に行って、わたしはソファで寝かせられるの。そして、朝になるとおかあさんがまだ寝てるオジサンに書き置きをして、わたしをダッコして家に帰るの。あれって一体なんだったんだろうってずっと気になってて、中学生の時におかあさんに訊いたら、『浮気してたのよ』だって。そして、『なんでそんなことを覚えてるの。嫌な子ねえ』って言われちゃった」  父親は子供の唯から観察してもマザコンだった。母親が毎晩必死になり時間をかけて夕食を作っても、「俺のおかあさんの味と違う」と言っては母親を殴る。母親はその度にうなだれながら台所で泣く。 「よくおかあさんから、『おとうさんとおばあちゃんはいつもいやらしいことをしてたのよ』って聞かされてましたね。その時は意味がわからなかったけど、近親相姦ということだったんですね。同じことを何百回聞いたかなあ」  母と息子の甘美な背徳とは違い、父親と母親とのセックスは陰惨だった。夫はハサミで妻の服や下着を切り裂き、泣き叫び抵抗する妻を文字通り、犯す。その母親の|抗《あらが》う声を耳にしながら、隣室で唯はその頃流行っていた河合奈保子の「ケンカをやめて」という歌を繰り返し口ずさんでいた。  父親の勤務している会社では、毎年秋に社員の家族のための運動会を催していた。だが父親は一度もそれに参加することはなく、いつも父親に内緒で唯だけがそこに行っていた。そして徒競走で優勝しては賞品である自転車をもらってくる。 「それをおとうさんに見つかると、『なんで運動会なんかに行ったんだァ。なんでこんなものをもらってくるんだァ』って言われて、自転車を地面に叩きつけて壊されるの。でもまた次の年も自転車を狙って運動会に行くんだ(笑)」  唯が小学校五年生の時、母親は男の子を産んだ。その翌年もまた男の子が産まれた。そしてその赤ん坊たちの面倒を見るという名目で、かつて唯が住んでいた小さな町から父親の母親、おばあちゃんがやってきた。 「それからですよ、家の中がグジャグジャになったのは。それまでも夫婦喧嘩はすごかったけど、まだわたしの中では安全パイだったのね。それがおばあちゃんが来たとたん……」  祖母の作る料理を久々に食べる父親は「おいしい、おいしい。やっぱりおかあさんの味は一番だ」と喜ぶ。当然母親はカチンとくる。いつしか食卓には祖母と母親が作った同じメニューの二つの料理が乗るようになった。 「そして二人で、『どっちがおいしい?』って訊くの。わたし困っちゃって二つの皿を持って近所の家を回って『どっちがおいしいと思いますか?』って訊いたことがありますよ(笑)。でもおとうさんって馬鹿だから、『どっちもおいしい』っていえばいいのに、『おばあちゃんだ、おばあちゃんだ』っていうのね。わたし、おかあさんのことが好きだったから『おかあさんの方がおいしい』って言うんだけど、おかあさんにとっては子供に認められても全然嬉しくないわけ。お父さんに褒められないと意味がないの。それでおかあさん、頭がおかしくなっちゃって、本当はお酒なんて一滴も飲めないのに、台所で一升瓶を一時間ぐらいで空けるようになっちゃった。すぐにゲーゲー吐くんだけどね」  そして祖母の主導のもと、家庭内血液型差別が始まる。父親の家系は全員A型。母親の家系は全員O型。 「わたしと一番下の弟がO型なんです。わたしの家の血液型差別はどこの国の人種差別よりも激しかったと思うな。O型の人間は毎日のように殴られるわ、蹴られるわ、食事は抜きだわ。一歳の弟なんておとうさんに階段から突き落とされましたからね。幸い無事だったけど、本音をいえばあの時弟が死んでればよかったと思いますね。そうすればお父さんは殺人罪でつかまってたでしょ」 ■中学生で育児ノイローゼになっちゃいましたよ  父親の母親に対するレイプ行為はまだ続いていた。 「犯されているおかあさんを助けようと、隣の部屋で弟をばんばん叩いてました。『泣け! もっと泣け!』って。自分の子供が火がついたように泣きわめけば、母親はどんなにひどいことをされてもこっちの部屋にやってくるじゃないですか。静かにしてたら、おかあさんはただやられてるだけ。今なら『やめろよ』って言えるけど、その頃はそのくらいしかできなかった。弟にはかわいそうなことしたけどね。あっ、一番下の弟は殴りませんでしたよ。殴るのはA型の弟だけ(笑)。A型には恨み骨髄だからさ。  今度出る五本目のビデオって、わたしがレイプされるシーンがあるのね。わたし、本気で泣きわめいてますよ。なんか、両親のことを思い出してつらくなっちゃったの」  中学生になった長女に母親が|虚《うつ》ろな目をして言った。  あのおとうさんって、あんたの本当のおとうさんじゃないのよ。 「おかあさんって未婚の母だったんだって。そしてわたしがお腹の中にいた時におとうさんと結婚したんだって。おとうさんもそれを知ってて、認知をするということで結婚したんだって。  別にショックじゃなかった。おとうさんのこと大嫌いだったし、父親なんか誰でもよかった。おかあさんが本当の母親じゃなかったら大ショックだったろうけど」  それからしばらくして母親が家から消えた。 「おかあさんはそれまでも何度かわたしを連れて自分の実家に家出してたんだけど、その時はとうとう一人きりでいなくなったの。実家にも帰ってなかった」  自分の息子とよその女がセックスをして作った子供の面倒など、本当ははなから見る気はなかった祖母は小さな町に帰って行った。よその女を追い出すのが目的だったかのように。  必然的に小さな弟たちの世話をするのは長女の役割となった。 「夜泣きがすごくてね、悪かったけど何度も弟たちを殴りましたよ。わたしの両隣に二人を寝かせてたんだけど、一人が泣くともう一人もつられて泣き始めるのね。二人で泣かれるとすごいですよ。すると隣の部屋からおとうさんが『うるせえ』とかって怒鳴るし。台所でミルクを作りながらこっちが泣きたくなっちゃった。自分で産んだ子供なら納得するんだろうけど……。中学生で、育児ノイローゼになっちゃいましたよ。学校にもほとんど行けなかった」  娘が学校にも行かずに赤ん坊の世話をしているのはさすがにまずいと思った父親は、二人の男の子を養護施設に入れた。 「おかあさんが消えて、弟たちが消えて……わたしとおとうさんだけになっちゃったんです」  唯の体はいつの間にか自分でも気づかないうちに女のそれになっていた。そして、妻に去られた男は夜になるとソーッと娘の部屋に忍び込むようになった。どうせ自分とは血がつながっていない若い女だと思ったのだろうか。 「わたし、近所のオバサンや交番のオマワリサンと仲良しだったんです。子供心ながらいざとなったらその人たちに身を守ってもらおうと思ってたんですかね。オバサンたちもわたしのことを気の毒がってくれましたねえ。だって毎朝『おはようございます』って挨拶するわたしの顔に、いつもおとうさんに殴られた新しいアザができてるんだもん。学校の先生とか遠い人たちは一流会社に勤めてるいい父親だと思ってたかもしれないけど、近所の人たちはおとうさんの正体を知ってた。だから夜中でもわたしがおとうさんに襲われて大声を出すと、誰かが駆けつけてくれてピンポーンってインターフォンを押してくれたんです。それでもおとうさんが布団に潜り込んでこようとしたら、わたしの部屋は二階だったんですけど、窓を開けて隣の家の屋根に逃げるんです。すると物音を聞きつけて隣の家の人が|梯子《はしご》をかけてくれて中に入れてくれるの。そして『あんたもたいへんだけど、まあ、お茶づけでも食べな』って」  育児ノイローゼと、夜に襲ってくる父親に苦しみながらも唯は中学生活を送る。弟たちが施設に送られると、学校が休みの日は弟たちに会いに行った。  たまに母親の消息が母方の親戚筋からの電話で入った。 「おかあさんがね、どこそこの飲み屋で働いてたけどそこの寮で火事を起こして姿を消したとかって、そんな情報ばっかり。『お前のかあちゃんどうにかしてくれよ』って言われるんだけど、『知らない』って答えてた。おかあさん、全国のいろんな所で小さな騒ぎを起こしてたみたい。もう完全に頭がおかしくなってたんですね。それは全部おとうさんが悪いんだ……」 ■葬式に行ったら、おかあさんが死んだのを認めることになるでしょ  唯は中学を卒業すると私立の女子校に進学する。 「わたしは就職して一人暮らしをしたかったんだけど、おとうさんに無理矢理入れられちゃったの。社内でのメンツみたいなものがあったんでしょうね」  だが、学校生活は思いのほか楽しかった。根っからの明るい性格ゆえか学級委員長にもクラスメートから推薦されてなり、文化祭実行委員にも選ばれた。 「中学の時は育児でほとんど学校に行ってなかったから、初めて味わう学校生活でした。勉強は全然しなかったけど」  しかし、父親の暴力や性的虐待は止むことを知らない。それで唯は何度も家出をする。その間、学校にも行かない。 「それで文化祭を前に退学になっちゃった。どうして学校に行かなかったかって? 学校に行けばおとうさんが待ちぶせしてるもん。そこまでする奴なんだ。学校の先生? わたしの相談になんかのってくれっこないよ。わたしのこと、根っからの不良だと思ってるから、相手にしてくれないよ」   《「ね、あんた、いや、先生、ほんとにおもしろかったわ。先生たちがどんなことをしているか見られて。でもね、あたし、もう学校なんかどうでもいいわ。クリスマスのお休みなんかもどうでもいいの。りんごだのへびだのは、もうたくさん。頭がぼうっとなるの。でも、先生、あたしが学校へこないからって、心配しないわね」    すると先生は、   「ほんとにかなしいことです。ピッピがおぎょうぎよくしてくれないし、ピッピみたいな女の子は、どんなに学校へいきたいと思っても、学校へ入れてもらえないし、とても心配です」    といいました。   「あたし、おぎょうぎがわるかったの」    とピッピはたいそうおどろいていいました。   「でも、あたし、そんなこと気がつかなかったわ」    と、かなしそうな顔をしていいました。かなしいときのピッピは、だれよりも、かなしそうに見えるのでした。ピッピは、しばらくだまっていましたが、こんどは声をふるわせて、こういいました。   「ね、先生、おかあさんが天使で、おとうさんが黒人の王さまで、じぶんでもいままで海の旅ばかりしてきたあたしのような人間は、りんごやいぬが出てくる学校で、どうしたらいいのか、よくわからないのよ」》 [#地付き](『長くつ下のピッピ』)  学校を退学になったピッピ、いや唯は、やっと家を出て母親の知人だった飲み屋のママさんの家に住まわせてもらいながら、ハム工場で働き始めた。 「どんな仕事でも、そこでみんなに可愛がってもらえるまで頑張る主義だから、一所懸命に働きました。月に三十万円近くもらってたんじゃないかな」  しかし、そこにも夜な夜な父親がやって来た。そして、木造のその家を揺らすようにノックをし、「今まで俺はお前を育ててきたんだ。そのために使った金を返せ!」と言った。  ここに自分がいる限り、優しいママさんに迷惑がかかると思った唯は、その小さな町を出て、ちょっと大きな町に移りそこのレストランでウェイトレスとして働く。 「ある日ね、弟たちに会いに施設に行くと、二人ともそこからいなくなってたの。驚いて|おとうさんの家《ヽヽヽヽヽヽヽ》に、おとうさんに会いにじゃなくて弟たちに会いに行ったら、なんと『売り家』の札が貼ってあったんですよ。それ以来、弟たちやおとうさんの行方はわかりません」  唯は、ちょっと大きな町で働きながら、そこで知り合った男の学生と同棲する。淋しくて、とにかく人肌のぬくもりが欲しかった。その男とは三年近く暮らした。男は学校を卒業し就職する。そして、彼からのプロポーズ。 「相手のお母さんともお会いして、いつ頃に式を挙げようという話にまでなってたんです。わたしの夢は『温かい家庭を作る』っていうことだったから、どんどん夢の実現が近づいてくると思ってワクワクしてたんですけど、期日が近づいてきたらその人と結婚するのがなんかイヤになってきたの。だってその人ったらとっても嫉妬深くてわたしを束縛するんだもん。その頃、わたしはレストランのフロアマネージャーになってて、ちょくちょく下の子たちとのミーティングで帰りが遅くなるのね。そんな日は『今日は遅くなるよ』って彼に言って出てくるんだけど、彼はもうわたしを探して町中をさまよってるの。これはきついなと思って、別の男と暮らし始めた(笑)。三年も一緒にいて、互いに煮つまったのね」  その頃、親戚から一本の電話が入った。家庭を失っていた唯は、どこに住居を移そうとも母方の親戚にだけは住所と電話番号を知らせていた。そのつながりさえもなくなったら、自分は本当に根なし草になってしまう。 「おかあさんがね、死んだんだって。おじちゃん——おかあさんのお兄さんね——そのおじちゃんの家の近くの道で倒れてて、見つかった時はもう息がなかったんだって」 「フーン」と応えて唯は電話を切った。自分の顔から表情が消えていくのがわかった。声も出ず、ただ静かに涙が流れた。 「三日間、そんな状態で仕事にも行かずにボーッとしてた。ただずーっと不思議なほどに涙が出てた。葬式? 行かなかった。葬式に行ったら、おかあさんが死んじゃったのを認めることになるでしょ。わたし、おかあさんが死んだことは認めたくなかったの」  新しい男とは一年ほど暮らしたが、別れた。 「ブローカーをやっていて月に三十万円以上収入があって車はボルボに乗っていてとってもかっこいい」男だったが、過去につき合っていた女とまだ逢瀬を楽しんでいることが発覚し、唯の方から「別れましょう」と言った。本心は別れたくなかったが、相手の愛を試すために言ってみたのだ。だがあにはからんや、男は「自分を振る女がいるとは信じられない」と言うかのようにプライドを傷つけられた顔をし、「いいよ、別れよう」と答えた。  唯はショックを受けた。自分から言い出したことだが、「イヤだ。お前を愛してる」と言って欲しかった。  唯は仕事をやめ、それまでの貯金を切り崩しながらワンルームマンションで酒を飲んでは泣き酒を飲んでは泣きという日々を過ごした。そして拒食症となり体重が一〇キロも減った。何もする気が起きなかった。このままわたしもおかあさんのように死ぬのかと思った。 ■わたしの周りの人間たちって、本当にどいつもこいつも…… 「去年の秋だったかな。何をするでもなく渋谷をボーッと歩いてたんです。そうしたらAVにスカウトされたんですよ。今から思うと、あんな頬のこけたガリガリの目の虚ろな女の子をよくスカウトしたと思いますよ。スカウトされたわたしの方は、『もうどうなってもいいや。なんでもやってやれ』といったナゲヤリな気持ちでOKしました。  デビューも決まったある日、唯の部屋を誰かがノックした。ドアを開けると、どうやって調べたのかそこには実に久しぶりに会う|おとうさん《ヽヽヽヽヽ》が立っていた。|おとうさん《ヽヽヽヽヽ》は何も言わずに驚く唯の顔を、やはり中指を突き出したグーで二発殴った。 「わたしが『このクソジジイ』って言ったら、『なんだお前』って言うの。『なんだお前って、わたしだよ。不法侵入で訴えてやる』って言ったら何も言わずに帰って行った。よくわかんないでしょ。わたしにもわかんない」  今年になり、突然唯の前に|本当の父親《ヽヽヽヽヽ》が現れた。父親はヤクザの親分で、ベンツに乗り黒いスーツを着た子分を三人連れて娘の前に初めて姿を見せた。  なぜ今になって実の父親が名乗りをあげたのか。 「奥さんと|そのヤクザ《ヽヽヽヽヽ》との間にわたしと同じぐらいの子供がいたんだって。それってわたしのおかあさんと他の女と二股かけてたってことよね。まあそれはいいんだけど、その子供が病気かなんかで死んじゃったもんで、急に自分と血のつながりのある子供が欲しくなったみたい。それで急にわたしに会いにきたの。自分の家で暮らさないかって」  唯はその本当の父親に、「おかあさんの葬式には出たの?」と尋ねた。「いや、出なかった」という答えが返ってきた。「じゃ、あんたの娘になるのはイヤだ。たとえあんたが本当の父親でも、おとうさんとは呼びたくない」と娘は言った。 「わかった。ヤクザは引き際がかんじんだからな」と実の父親は言い、ベンツで帰って行った。 「その後に親戚のおじいちゃんから聞いたんだけどさ、そのヤクザ、おとうさんの会社に乗り込んで『今までよくも俺の娘をひどいめにあわせたな』と言って、お金を脅し取ったんだって。その腹いせにおとうさんはわたしのことを殴りにきたのかな。それにしてもその金をわたしに『苦労かけたな』ってくれるんなら筋が通ってるけど、ヤクザは全部自分で使ったんだよ。しょせんヤクザだよねえ。わたしの周りの人間たちって、本当にどいつもこいつも……」  本当に、どいつもこいつも……。 「最近ね、おかあさんがわたしの部屋に来るの。お風呂に入ってると、バスタブとトイレを仕切るカーテンがシャーッて開くの。『あっ、おかあさんがきた』って思う。やっぱり死んでも死に切れなかったんだろうね」  インタビュー中、片山唯が「おとうさん」と呼んでいた人物を、彼女は子供の頃から「じじい」とか「アホ」とか「バカ」などと呼んでいたそうだ。だがあくまでも片山唯は、どんな状況を説明する時も「おとうさん」で通した。  母親のことは「おかちゃん」と呼んでいたそうである。  実の父親のことはやはり「あのヤクザ」である。 ——今、一番何をしたいですか? 「弟に会いたい。特に一番下の弟に(笑)。A型の弟は可愛がられてるのわかってるからさ」 ——今までで一番嬉しかったことってなんですか? 「今まではないんだけど、これからはある。愛してる人に『結婚しよう』って言われる瞬間です」   《庭の木がザワザワ音をたてているので、ピッピのいっていることはよく聞きとれませんでしたが、とにかく、これだけは聞こえました。   「あたし、大きくなったら海賊になるの。あんたたちは?」》 [#地付き](『長くつ下のピッピ』) AV Actress Yui Katayama★1995.11 [#改ページ] 刹奈紫之 AV Actress Shino Setsuna わたしがヤッてあげたあの女の子ら、今頃どうしてるかなあ

 ビデオ『インモラル女高生』の中で、セーラー服姿の刹奈紫之はロープで縛られ、舌にロウソクのロウを垂らされ、浣腸をされ排便をし、バイブでアナルを犯される。 「前にさ、ある雑誌に取材もされてないのにわたしのインタビュー記事が載ってたの。そこでわたしが『お仕事だから仕方なくやってるけど、本当はSMは嫌いです』なんてしゃべってるのね。腹たったなあ。こっちは好きだからやってるのにさ、脚本だってわたしが書いてるんですよ。雑誌っていいかげんなものなんですねえ」  刹奈紫之がビデオの中で本番のカラミをする相手は、一人の男性だけである。その男性は現在三十二歳。刹奈紫之より十二歳年上。本業は某女性歌手のバックバンドなどで活躍しているサックスプレイヤーだ。 「アレがね、ハハッ、アレって言っちゃった。アレが、今のわたしの彼氏なの。いくらビデオだからって、本当に好きな人とじゃなきゃ、セックスしたくないもん。  アレとは一緒に暮らしてる。この前ね、4WDで八人乗りの車を買ってあげたんだ。もちろんローンだけどさ。だからわたしの運転手でもあるわけ。便利ですよ」  刹奈紫之はビデオに出演するかたわら、渋谷のSMクラブで女王様として働いている。 「働いてるって感覚はないですね。ほとんど趣味。わたし、週に一回SMプレイをして、男の泣きそうな情けない顔を見ないと頭がおかしくなっちゃうんです。妙にイライラしてヒステリックになっちゃう。ビデオではM役もやるけど、性格はまるっきりSですね」 ■それでわたしも見よう見まねでホモマンガを描くようになったの  神奈川県の川崎市で刹奈紫之は生まれた。三人姉妹の真ん中である。 「子供の頃から家庭の中では浮いてましたね。浮いてたっていうか、全くの異分子。普通の家族の会話ってあるでしょ。『今日は学校でどんなことがあったの?』みたいな。ああいう会話に全然ついていけなかった。そういうアットホームな会話を聞きながら、わたしはまるで違う次元のことを考えてた」  何を考えていたかというと、男性の同性愛の世界のことである。  小学校に入った刹奈紫之は、少女マンガ雑誌で『パタリロ』というマンガを読んだ。ホモのシーンが頻繁に登場するギャグマンガである。異分子はその世界にいきなりのめり込んだ。 「美少年同士のセックスって、なんて美しいんだろうって思ったんです。それでわたしも見よう見まねでホモマンガを描くようになったの。学校に行っても、あの男の子とあの男の子が恋人同士になればいいのに、なんてそんなことばっかり考えてた。  ホモ雑誌もずいぶん買いましたよ。『薔薇族』とか『サブ』とか『アドン』とか。上野のエッチなオモチャ関係の店で。わたし、背が低くて小六の時でも、三、四年生にしか見られなかったから、父親のおつかいで来たと思われてたんじゃないかな(笑)」  ホモ雑誌を資料にして、家でも教室でも美少年マンガを描きまくる小学生は、地元のマンガサークルに入った。そのサークルは女子高生たちが作っているものだったが、ホモに関しては十分な知識を貯えていた小学生は、ホモだ、レズだ、SMだと、エロマンガを描いているお姉様たちとすぐに気が合った。 「コミケ(コミックマーケット)ってあるでしょ。マンガの同人誌を作ってる人達が集まって、自分達の雑誌を売る集まり。そのサークルもコミケに出す雑誌を作ってたんです」  一人のお姉様の部屋に五、六人の女子高生と一人の小学生が集い、その作業は続けられた。そして全員がそれぞれのマンガを描き終わり原稿を印刷所に回すと、さあ、打ち上げである。 「ビールとか飲んで盛り上がると、一人が『わたしのマンコって黒いかなあ』って、パンツを脱いでみんなに見せたの。そしたら、他の人も『わたしは?』って脱ぎ始めたのね。そしてわたしにも、『あんたもパンツ脱いで見せてごらん』って。『ハーイ』って脱ぎましたよ。みんな、わたしのマンコをいじくりながら『やっぱり小学生だから毛も色も薄いのねぇ』って言ってた。  オナニーもその人たちに教わったんです。 『ちゃんとオナニーをしておかないと、マンコが退化するわよ』って言われて、『こうやってクリトリスを中指でこすると気持ちがいいの。あなたもやってごらんなさい』。  その後は全員でオナニー大会。女同士でバイブレーターを入れ合いながらからんでる人たちもいた。わたしはオナニーは全然気持ちよくなかったけど、『これが大人の世界なのだ!』と思って嬉しかった」  中学生になった刹奈紫之は、そのコミケで知り合ったマンガの先生に、自分の作品を同封して手紙を送った。 「とってもエッチなマンガを描く女の先生で、ずっとファンだったんです。返事が来て、『あなたのマンガってとてもエグイわ。あなたって中学生のくせに、もう鬼畜ね』って書いてあった。その頃のコミケ仲間の間では、鬼畜っていうのが最高の褒め言葉なんです。だからとっても嬉しかった。それでいつもは口なんかきかない母親につい『わたしって鬼畜って褒められたのよ』って言ったら、『あなたはキチクじゃなくてキチガイなの!』って言われちゃった(笑)」  刹奈紫之のインタビューの席にいたのは、三十六歳の私と、中学生の息子を持つ四十代の『ビデオ・ザ・ワールド』中沢編集長と、三十四歳のカメラマンの松沢の三人である。  まず、私など足もとにも及ばないくらいの数のAV女優と出会ってきたであろう、海千山千の編集長が、刹奈紫之の小六、集団オナニーの話あたりで気を失いそうになった。インタビューは渋谷のカラオケボックスの一室で行われたのだが、別に用事があるわけはないのにコメカミを指で押さえヨロヨロと外に出て行き、三十分ほど帰ってこなかった。 ■ウンコもみんなの前でブリブリってしてた 「それで電話でその先生に、仕事場に遊びに行ってもいいですかって言ったら、ぜひいらっしゃいって言われたんです」  当時二十四歳のその先生の住むマンションは埼玉にあった。十四歳の女の子が喜びいさんでその部屋を訪れると、かなり太った先生はボンデージファッションに身を包み、女王様といった恰好で迎えてくれた。女の子は一瞬、「ボンレスハムみたいだ」と思った。 「先生に玄関で、『これに着替えなさい』ってスクール水着を手渡されたんです。わけもわからないまま『ハイ』って言ってトイレでそれに着替えて、二十畳ほどのかなり広い仕事部屋に入ったんです」  そこには仕事を終えたばかりの先生と、五、六人の二十歳前後のアシスタントの女性達がいた。 「みんな、ラムちゃん(マンガ『うる星やつら』の女性主人公)とか〇〇とか××なんか(筆者注——〇〇と××はどうやらアニメの登場人物らしい。筆者がかろうじて知っているのはラムちゃんだけだった)の恰好をしてるの。いわゆるコスプレ(コスチューム・プレイ)ってやつね」  そして、そのコスプレ女たちは双頭バイブを使って互いに悶え合ったり、浣腸をされて「苦しい、出ちゃう」と床の上をのたうち回ったり、ロープで縛られ股間にバイブレーターを挿入されたりしていた。その光景を椅子に坐って腕を組み楽しそうに眺めていた(まるでアサハラなんとかである)先生は、スクール水着の(中学生がスクール水着を着てなんの不思議もなけれども、やはり世の中にはTPOっていうもんが、あるよね。やっぱりこの状況でのスクール水着は、変だよね)女の子を手招きした。 「『あなたはここに坐りなさい』って言われ、先生の開いた足の間にチョコンと坐ってお姉様が我慢できずにビニールシートの上にウンコをもらす姿なんかを見てたのね。先生が、『どう?』って訊くから『不思議な空間ですね』って答えると、『フフッ』って笑った先生がわたしの水着を腰まで下ろして、わたしの胸を後ろから揉むのね。『オッパイって気持ちいいわあ』とか言って。そしてわたしを|跪《ひざまず》かせて、顔を自分の胸にギュッと押しつけたの。先生のバストって一〇〇センチぐらいあるから息ができないで苦しかったけど、嬉しかった。初めてのスキンシップっていうか、初めて人に甘えることの気持ちよさを感じた。今まで実の母親にも甘えたことがなかったからね」  このあたりで不覚にも私が気を失いかけ、インタビューをカメラマンの松沢にバトンタッチした。松沢が息もたえだえに、「他人がウンコをするのを見てイヤにならなかった?」と訊くと、「ううん。集団オナニーよりも大人っぽく感じた。だって内臓の中身まで人に見せるってすごいじゃん。かっこいいなと思った」なんて身長一五〇センチ弱の女の子が答えている。私は気つけのために焼酎をあおる。 「それから一カ月ぐらいして先生から『おいで』って電話があって、その日初めて先生の部屋に泊まったんです。一緒にお風呂に入って、ベッドで先生にペタペタ、ピチャピチャって体中をいじくり回され|舐《な》められた。アイブって言葉があるでしょ。愛して撫でるって書く。『ああ、愛撫ってこのことなんだな』って思いました。体中のすべてを『ここはこうだから好きよ』って言ってくれるの。『乳首がピンクできれいよ』とか『オマンコがまだ世間に染まってなくて素敵』(笑)、とかって。わたしも先生にしてあげなくっちゃと思って、『先生の体を舐めさせて下さい』って言ったら、『あら、してくれるの……』って喜んでくれた。  初めてオマンコを舐めました。なんか液体がドクドク出てきて、なんかグミみたいな果物とバターをまぜたような味がしたな。舐めながら、『プリンをまぶしたらおいしそうですね』と言ったら、やってくれた。オマンコをプリンまみれにしてくれて『さあ、きれいに舐め取って』。  先生がイク時は足にキュンって力が入って舐めてるこっちの首が絞められるようになるんです。すると、『ア、おイキになられたんだわ』って嬉しくなる。  終わってから、『先生ってママみたい』って言ったら『アラッ、じゃ、近親相姦ね』だって。そのジョークが、わたしがさすがに感じていた『こんなことしてていいのかな』っていう罪悪感を消してくれたんです。上手く言えないけど、『この人にずっとついて行こう』って思いました。他のアシスタントの人もみんなそう言っていた。カリスマ性のある人なんです。  処女も先生に捧げたんです。双頭バイブで先生と一つになったの。『痛いっ』って、思わず言ったら、『でもこれがだんだんと気持ちよくなるのよ。それが女の幸せよ』って(笑)。中学二年の時でしたね」  アシスタントとして先生のマンションに通ううち、刹奈紫之は他のアシスタントの女性たちとも関係を持った。というか、その部屋の中はほとんどレズビアンの乱交の世界だったのだ。 「先生とラムちゃんがやってると、『わたしもまぜて』って感じで3Pや4Pになるの。よく先輩たちから、『あんたって舌づかいが上手なんだって。わたしのも舐めてよ』って頼まれたりもした。  アナルもそこで仕込まれたの。『アナルはウンチが出るくらいだからチンポも入るのよ』って教えられて、みんなに指やバイブを入れてもらって広げてもらったの。  ウンコも『さあ、してごらん』って言われてみんなの前でブリブリってしてた。それを見ながら、みんなオナニーをしたりペニスバンドでセックスしたりしてた。  でもみんな男との経験はあるんだよ。親が心配するから男とつき合ってるのが大半だけどさ。女の家にばかり行ってると、親から変に思われて同人誌がやりにくくなるじゃん。だからわたしも、隠れ蓑にするために『男をゲットしろ』って言われてた。  お金? アシスタント代として一日二万円はもらってましたね。プレイ代も含まれていたのかな(笑)」  松沢、気絶。私、焼酎の力を借りなんとか復活。中沢編集長、一度戻って来たが、「ウンコをした」のくだりで再び退場。 ■親はバカだよね。女子校に入れば男とくっつかないと思って安心してやんの  こんな子が女子校に進学したら、一体どうなるのでありましょう。 「わたしだって高校なんかに行く気はなかったんです。ろくに学校にも行かないから教師にも見放されてたし……。でも親が『高校には行け』って言うんで、先生に相談したんです。そしたら先生が、『親を安心させるためにも高校に行きなさい。学校がイヤでどうしても我慢できなくなったら途中で出ちゃえばいいんだから。浣腸と同じよ(笑)。我慢すればするほど、出した時は気持ちいいでしょ』って言うの。なるほど(笑)と思って神奈川県で一番バカな女子校に入ったの」  その学校、まさか自分が浣腸プレイに|喩《たと》えられてるとは思いもしなかっただろう。 「親はバカだよね。女子校に入れば変な男とくっつかないと思って安心してやんの(笑)。娘が高校に入ったその日から女の子を食いまくっているとも知らないでさ……」  もう私に(笑)は出ない。気弱な笑みを浮かべた私の顔にくっついている口から出るのは、(溜息)である。  高校に入学した刹奈紫之は、「あなた、可愛いわね」と声をかけられ、誰もいない何かの教室に連れ込まれた。羊の皮をかぶった実は狼である新入生は内心「ヘッヘッヘッ」と思いながら、「先輩ってとってもきれいですね」と言いつつ素直に部屋に入った。  一時間後、制服を着たままの新入生の前で、全裸にされた先輩が床に転がり何が自分の身に起こったのか理解できないまま荒い息を吐いていた。 「その先輩の全身を舐めて、アナルまできれいに舐めて、指まで入れてやって、イカせちゃったの。『何者なの……あなたって』って先輩が驚いてた」  一年生の時の二月で学校をやめるまでのわずか十カ月の間に、刹奈紫之は自分のペニスバンドで二十人ほどの学友の処女膜を破った。 「女の子ってセックスを知ると下着が変わるんですね。それまでは、ズロースみたいなパンツをはいてた子が、わたしにやられちゃうと急にTバックなんかはいてくるの。みんなサカリがついてたなあ。  好きな女の子のタイプ? わたしに全面的に従順で、自分の意志のない子が好き。男のタイプもそうだね。わたしにちょっとでも逆らうような人間は嫌い。  でも、わたしがヤッてあげたあの女の子ら、今頃どうしてるかなあ」  昼過ぎに学校に行き、放課後は一年生の女王様の愛撫とペニスバンドをおねだりする学友たちと甘美な時を過ごしながら、しかし刹奈紫之は学校生活に退屈していた。その頃、|マンガの先生《ヽヽヽヽヽヽ》の影響で好きになったロックバンドがあり、学校をやめてそのバンドの追っかけに専念しようと思った。金は先生の仕事を手伝い、先生をイカせればもらえるから大丈夫だ。 「学校をやめる」  年があけた二月、刹奈紫之は二十五、六歳の担任の女性教師に言った。教師はあせった。紫之の前に彼女のクラスから三人もの生徒が学校をやめているのである。これ以上やめられたら自分の教師としての評価が下がる。 「お願い。あと二カ月我慢して。あなたが二年生になってわたしが担任じゃなくなったらやめてもいいから。今あなたにやめられたら、わたしが校長先生に怒られちゃう」  その言葉を聞き生徒は笑った。 「フンッ。そんなもん、あなたがあと二回ぐらい校長と寝れば大丈夫でしょ」  生徒の言うことは本当だった。生徒はある夜に先輩の女の子とデートをしている時、たまたまその担任教師が校長とラブホテルから出てくるところを目撃していたのだ。そしてそれを知っていることを今まで教師にちらつかせていた。だから教師は生徒が遅刻をしようが休もうが何も言えなかった。放課後の学校で生徒が部室や視聴覚室でセーラー服のスカートをたくしあげ、ペニスバンドを装着して不純同性交友にふけっていることを知りながら、見て見ぬふりをするしかなかった。 「あと二回ぐらい校長と寝れば大丈夫でしょ」  そう言い放つ生徒に教師は返す言葉はもちろんない。  同席していた生徒の母親が尋ねた。 「どういうこと、それ?」 「この女ね、校長と不倫してんだよ」 「まあ、まともな学校だと思っていたのに……」  沈黙する二人の大人に「じゃ、これでわたしが学校をやめるのは決定ね」と言って生徒は相談室を出た。ドアを閉める時、生徒が吐き捨てるように言った。 「あんたらにわたしの将来を決める権利はどこにもないんだよ!」  翌日から生徒は、今日は名古屋、明日は大阪とバンドの追っかけを本格的に始めた。そして、土・日は必ず先生のマンションへ行き、マンガのアシスタントを務め、セックスのパートナーを務めることになった。 ■わたしって頭でセックスしてるんですかね 「それまで、男の経験は全くないの?」  松沢が刹奈紫之に尋ねた。 「ううん、学校をやめるちょっと前、行きつけのスナックのカウンターの上で客が誰もいなくなった明け方に、ベロンベロンに酔っぱらってそこの三十歳ぐらいのマスターにやられちゃった。男のチンポってあったかいんだなあと思ったら気持ち悪くなっちゃっていきなりゲロ吐いちゃった。それまではバイブのひんやりした感触しか知らなかったからさ」 「行きつけのスナック?」  やっと戻ってきた編集長が鬼の首を取ったかのように興奮して詰問した。 「うん。ボトルもキープしてたよ」 「だ、だめだよ! 高校生がボトルなんかキープしちゃ!」  怒鳴って編集長がむせかえった。その背中をさすりながら松沢が言った。 「よかったね。やっとオジサンが怒れることが見つかって……」  十七歳の時、刹奈紫之は|先生《ヽヽ》に言われたように、男をゲットした。相手はレストランに勤める二十四歳の男だった。この不幸な男、どうも何かを勘違いしていたらしく、女はペニスを突っ込んでやればヒーヒー喜ぶものだと信じており、刹奈紫之の性器が全く濡れていないのに愛撫なしでレイプのように犯し、そしてフェラチオを強要した。小柄な刹奈紫之は、一七〇センチ以上の男の力に抗うことはできなかった。高校時代はペニスバンドをつけた女王様として君臨し、今や|先生《ヽヽ》の仕事場でそのサディスティックな性癖からいつの間にか|先生《ヽヽ》に次ぐナンバー・ツーの地位にのしあがりラムちゃんをはじめとする先輩たちをロープで縛り、リモコンバイブでいたぶって楽しんでいる刹奈紫之にとって、それは屈辱以外のなにものでもなかった。そのことを|先生《ヽヽ》に涙ながらに告白すると|先生《ヽヽ》は言った。 「セックスをしよう、と言って、わたしの部屋にその男を連れておいで」  のこのこと男は刹奈紫之とともに地獄のマンションにやってきた。  三十分後、男は全裸にされ、後ろ手に手錠をかけられ床に転がされていた。男の前では何人ものアシスタントたちがオナニーをしたり、女同士で互いに性器を舐め合ったりしている。当然、男は勃起する。すると|先生《ヽヽ》が、「なにをチンコおっ立ててるんだよ!」と男を蹴り、「女のくせに男に何をするんだ」とわめく男に「うるさいねえ」とサルグツワをかける。 「ヘヘッ、男のくせによだれを垂らしてやんの」  そう言いながら女たちは男のペニスの根元をタコ糸でギュッと縛る。  刹奈紫之はその姿を普段は先生が坐っている椅子に坐りじっと見ている。  女たちは男の足をロープで縛って開脚状態にし、刹奈紫之を除いた全員で男を足蹴にし、「チンポをちょんぎってやろうか」とハサミをちらつかせる。交互に一本ムチで力一杯男を打つ。一本ムチは痛い。ハサミは怖い。男、完全に涙目。「許して下さい」とシクシク泣く。  すると、男がさっきまで自分の女だと思っていた人間が椅子から立ち上がり、「お前を女にしてやる!」と叫びバイブを男の肛門にぶち込んだ。ギャーッ!! 「どうだ。濡れていないのに突っ込まれる痛さがわかったか!」  泣く男の口に先生が腰に装着したペニスバンドを突っ込む。 「ホラ、フェラチオってこんなに苦しいんだよ!」  五時間後、全裸のまま男は車で遠く離れた畑まで運ばれ、そこで捨てられた。  我々、声なし。ようやくしぼり出すように松沢が「その話って、作ってない?」と訊くと、刹奈紫之は、えっ、なんでそんなことを訊くの? といった顔をし、「いいえ」と言った。  その後、刹奈紫之は追っかけていたバンドのスタッフだった現在の彼氏と知り合い、今に至る。  彼氏は先日、ビデオで刹奈紫之のゲロやオシッコやらウンコやらを口にし、原因不明(?)の病気になり入院したそうだ。  二人は来年の春に結婚する予定である。そして、披露宴をビデオに撮るつもりだ。 「パーティではね、二人が今まで出たビデオを上映して、最後は互いに浣腸しあって互いに出したウンコを食べようと思ってるの。ハハハッ、みんなびっくりするだろうな。そこにはわたしの両親も呼ぶつもりなんです」  松沢が言った。 「そんなパーティに御両親を呼んだら、もしかしたら御両親は自殺しちゃうかもしれないよ……」  刹奈紫之が笑った。 「それでもいいの。わたし、親なんかいなくなればいいと思ってるから」  刹奈紫之と別れ、私たちはにぎやかな渋谷の街に放り出された。いつもならインタビューを終えた後は三人で酒を飲む。だがこの日は編集長、松沢、私、どの口からも「飲みに行こうか」という言葉は発せられず、「じゃ、お疲れでした」と言い三人ともなにかから逃げるようにバラバラに帰途についた。  刹奈紫之。現在、まだ二十歳。  別れ際に彼女が言っていた。 「わたしね、今までセックスをしていて、相手が男でも女でも、体というかマンコが気持ちよくなったことがないんです。ただ、相手をムチでぶってて相手が痛がってる顔を見ると、マンコがすごく濡れちゃう。やっぱりわたしって頭でセックスしてるんですかね」 AV Actress Shino Setsuna★1995.12 [#改ページ] 松本富海 AV Actress Toumi Matsumoto 刺青を入れて、自分も富海彦と同じつらさを共有しようと思った

 冬。十二月二十四日。クリスマスイヴ。青森県は津軽。  雪は土に魅入れられたように、天から降ってくる。  しかし、その土の上には昨夜の先代たちが溶けることなく厚く残っている。  そして、少女が一人、家の前で雪かきをしている。零下に近い張りつめた空気の中、Tシャツ姿で汗だくになりながら、スコップで雪をかく。  自衛隊に勤めている父親は単身赴任で仙台におり、三歳上のトラック運転手をしている兄は結婚してもう家にはいない。二階建ての家の中にいるのは、脳腫瘍で半身不随の母親と少女だけである。だから、雪かきという重労働をするのは少女しかいない。屋根から落ちた雪は氷状態になっていて非常に重く、スコップではかきづらい。だが、かかずにいると雪は簡単に家の一階の部分まで埋めてしまう。  夕刻、買い物帰りの近所の主婦が、白い息を吐きながら雪かきをしている少女に声をかける。 「まあ、一人で感心だじゃ。とっちゃ(父親)いねいんで、大変だな」  少女は額の汗を拭って笑って答える。 「なも(どうってことないよ)」  そして、主婦の後ろ姿を見送りながら少女は思う。  父親が家にいないのは別に淋しくないが、フミヒコがそばにいないのが淋しいな。フミヒコがいなくなったことだけは、「なも」とは言えないな。 「フーッ」  少女は、いい加減にしろと怒鳴りたくなるぐらいに降りしきる雪の中で溜息をついた。  クリスマスイヴだっていうのに、なぜ自分は一人ぼっちで雪かきをしているんだろう。  この少女が翌年に東京に出て、AV女優・松本|富海《とうみ》となった。  松本富海の富海は、殺された恋人である|富海彦《ふみひこ》の名前から取ったものである。  松本富海は、四時間のインタビューの間、ウィスキーで酔っぱらっている失礼な私の質問に、いちいち「そうですね」と前ふりをつけてていねいに答えてくれた。そして終始、自分のことを一人称で「自分」と呼んだ。 「自分って、本当に馬鹿なんですよ……もう自分が……いやんなる……」  いつ、この「自分」が、「わたし」や「あたし」に溶けてくれるのだろうと気にしていたが、とうとう最後まで「自分」は変わらなかった。  松本富海のデビュー作『お祭りマンボー』では、その彼女の太ももにあるボタンの刺青のためだろう、彼女はチャキチャキの江戸っ子という設定になっている。  松本富海の男性マネージャーが、彼女がトイレに立った時、ボソボソと嘆いた。 「あの刺青があるんで、仕事が限定されちゃうんですよ。せっかくあんなに可愛いのに、アイドル路線じゃ売れないんですよ。なにせ、本当の刺青ですからねぇ……消すことができないですからねえ……」 ■社会科の先生には「どうせお前は自衛隊員の子供だからな」  ってずいぶんいじめられたなあ  松本富海の父親は東京に生まれ防衛大学に入り、そこを卒業すると自衛隊に入った。在学中にできた親友が福岡出身で、福岡に研修合宿に行った際、その友人に妹がいることを知り「紹介しろ」と言った。当時、高校一年生だったその友人の妹が現在の松本富海の母親である。 「自分の父親って、ロリコンなんです。自分が中学生の頃も、家に遊びに来た女の子を見て、『あの子、可愛いな。名前なんていうんだ。紹介しろよ』っていつも言ってましたから(笑)」  福岡の女子高生は学校を卒業すると、自衛隊員となり大阪の駐屯地で働く、文通で遠距離恋愛を続けていた男と結婚した。そこで長男を出産。その後、自衛隊のエリート組である男は、九州、関東、東北と転属し、松本富海はたまたま母親の実家のある福岡で生まれた。  そして、松本富海が物心ついたのは山形。福岡、千葉、東京と転々として息をしていたのに、ふと気がつくと自分は幼稚園児で、周りは「んだべ、んだべ」というズーズー弁を使う人間たちばかりだった。そして小学校二年の時に青森の津軽に移る。 「だから自分もすっかり津軽弁。東京に出て来た時、みんなに『何を言ってるのかわからない』って言われました。今はなんとか標準語がしゃべれるようになりましたけど」  小学生の頃からエレクトーンを習い、小学校では合奏部と陸上部に所属。 「短距離は駄目、長距離が得意。苦しんで苦しんで走り通した後のあの到達感がなんともいえないんですよ」  中学に入ると松本富海は突然不良となる。タバコやシンナーを吸ってみたり、ケンカもした。クラスメイトにそういう人間が多かったこともあろうが、本人にも素質はあったのだろう。 「でも、人の物を盗んだりはしませんでしたよ。小さい頃から両親に、悪いことはしてもいいけど(笑)、他人に迷惑をかけることはしちゃいけないって言われていたから。だからケンカもヤンキー同士でするだけで、一般の生徒には手は出さない。  けど、社会科の先生にはずいぶんいじめられたなあ。社会科の先生って社会党の人が多いんですよね。それで自分が何かすると『フン、どうせお前は自衛隊員の子供だからな』って言うんです。自分が怒られるのは仕方ないけど、親のことを言われるのは腹が立ちました。あと、周りの農家にも社会党の人が多いんですよ。それで父親に『近所の人にお父さんの職業を訊かれても自衛隊って言うなよ。普通のサラリーマンだって言え』って言われてました。どうして社会党の人たちって自衛隊が嫌いなんですか。うちの親戚ってほとんどが自衛隊なんで、困っちゃうんです(笑)」  学校では不良と見られていた松本富海だが、心の中では将来は老人ホームで働きたいと思っていた。 「自分ってどうしてか、おじいちゃんがすごく好きで(笑)、おじいちゃん達の世話をして生きていきたいと思ってたんです。でも実際に老人ホームで働いていた母親の友達がストレスで頭がおかしくなったんですよ。それで母親に『老人ホームはあんたが思ってるようにほのぼのとした所じゃないのよ。あの人達は言うことはきかないし、自分のウンチは食べちゃうし大変だから、そんな所で働くのはやめなさい』って言われたんです。だから、やめた(笑)」  話が中学二年生の頃に及ぶと、松本富海は突然涙ぐみ、絶句した。 「母親が浮気をしていることがわかったんです。後から知ったんですけど、父親も青森市で浮気をしていたらしく家に帰って来ないし、兄貴は高校を中退して大宮のトラック会社で働いてたから、家では自分だけ一人ぼっちで……あっ、駄目だ……この話……泣いちゃう」 ——どうしてお母さんの浮気を知ったの? 「前から母親が夜中になるとどっかに行っちゃうんでおかしいなと思ってたんですけど、その浮気相手から電話がかかってきたんです」 ——あなたに? 「……ええ……そして、|お母さん《ヽヽヽヽ》の体のこととか……|お母さん《ヽヽヽヽ》とのセックスのこととか……こと細かに話すんですよ……酔っぱらって……」 ——あなたにそんなことをしゃベるの? 「……うん、そして……自分ともセックスをしてみたいなんてことを言ってきて……」 ——……ひどいね……。 「……そんなこと、誰にも言えなかったから……一人でずっと……でも耐えられなくなって……自分の気持ちが弱いからなんだけど……家にいたくなくて夜に町をブラブラするようになって……」 ——お父さんの浮気はどうして知ったの? 「後から兄貴に聞いた……でも昔からずっと家に帰って来ない人だったから……」 ——お父さんが浮気をしているから、お母さんも浮気をしたのかな……。 「違うんです。もともと父親は家庭が好きじゃないんです。子供のことも面倒臭がるし、母親が夜に外出しても、浮気をしているとは思ってないだろうけど、何も言わないし……とにかく……家庭が大嫌いみたいなんですよ。父親は自分にものすごく自信があるんです。自分は絶対に間違ってないっていう……だから家でどんな問題が起こっても、全部母親のせいにするんです。それに耐えきれずに、母親は浮気をしちゃったんじゃないかな……だから、自分は母親のことを憎んでません。かわいそうだとは思うけど……」 ——浮気相手から電話があったことはお母さんに話したの? 「……わざとカマをかけてやんわりと言ったけど……何も言ってくれなくて……夜中に出かけないでよって頼んでも……何も言わずに出て行っちゃうし……。するとまたその男から電話がかかってきて、自分が学校に行ってる時に家に来たことがあるらしく、自分の部屋の配置とか言うんですね。どこに机があって……どこにタンスがあって……その中には……もう、気持ち悪くて……ついにね、母親がいない時、家に酔っぱらってそいつが来たんです……自分を犯しに……大暴れして追い返しましたけど……今思い返しても、くやしい……」 ——……その男は仕事は何をしている人なんですか? 「なんか、職を転々としている人みたい。だから母親がパートで働いて貢いでたんですよ。それで、自分、とうとう言っちゃった。『あいつはお母さんのことを|騙《だま》してるだけだよ。手を切った方がいいよ』って。あれで別れたと思ったんだけどなあ……」  そして、母親が倒れた。脳の真ん中に腫瘍ができていた。手術をすると命に別状はないが、いくつかの神経を切らなくてはならない。母親は歩くことはなんとかできるが、左手が全く使えなくなった。 ■「俺みたいな前科者に抱かれたら、お前が汚れる」って言うの  母親が倒れる少し前、中学二年生の松本富海は青森市内の繁華街を、たえられない淋しさを胸に抱いて一人でぶらついていた。すると、チャンチャンコを着た男が声をかけてきた。 「なにしちゃあず?(何をしているんだい)」 「えさいでくねえはんず、ブラブラしてらんだいな(家にいたくないので、ブラブラと歩いているの)」  男は、それなら酒でも飲もうと言った。松本富海は濃い化粧をしていたので中学生とは見えなかったのだろう。夏だというのにチャンチャンコを着てふざけた男だと思ったが、人恋しかった彼女は男について行った。  男の名前は富海彦。年は二十歳。  富海は男に、自分がなぜ家にいたくないのかを説明した。男は言った。 「親がいるだけでも幸せだよ」  そして男は自分のことを話し始めた。  男は青森の大きな右翼団体を率いる男と愛人との間にできた子供だった。幼い頃から、親戚だという家を転々とタライ回しにされて育つ。実の親と住んだことは一度もない。中学を卒業すると自衛隊の入隊試験を受けたが、実の父親が右翼であることがネックとなり落ち、土木作業員になった。 「ディズニーランドも俺が作ったんだ」  男は笑いながらそう自慢した。その男の左手の親指の先がなかった。浦安のディズニーランドの工事現場に出稼ぎに赴いた時、上から機材が落ちてきてつぶれたのだそうだ。 「俺ッ、この前、拘置所から出て来たばっかりなんだ」  男は言った。 「えっ、どうして」  女子中学生が訊いた。 「友達の彼女がヤクザにさんざんマワされたんで、アッタマきてそのヤクザたちをボコボコにしてやったんだ。そしたら、つかまっちゃった」  優しい人なんだな、と女子中学生は思った。 「あれが、初恋ですね。やっと、優しくて安心させてくれる人と出会ったように思いました。  それから少しして母親が倒れ、自分は家を出て学校の先輩が勤めていたパブで働くようになったんです。その先輩がアパートを借りてくれました。家賃は一万七千円。風呂なしで共同トイレで共同冷蔵庫でしたけど(笑)、家にいるよりはずっと幸せでした。母親の見舞いにはちゃんと行ってましたけど。学校にも行ってましたよ。毎晩二時まで働いていたから、学校ではずっと眠ってたけど。  父親? 自分が家を出ようが、どこで働こうが何も言いません。何度も言うようですが、父親は家庭が大っ嫌いなんです。子供なんかいなければいいと思ってるんじゃないかな」  その時、実は富海彦は悩んでいた。右翼の大物の血をついでいるというサラブレッド性と、何人ものヤクザを病院送りにさせた実力を買われ、ある暴力団事務所が保釈金を払って彼を拘置所から出してくれたのである。それはつまり、出所したらウチの事務所に入れということだ。スカウトされたわけである。  保釈金は契約金。  何度かデートを重ねていたある日、富海彦は女子中学生に言った。 「俺が……ヤクザになったら嫌だよな……」 「ヤクザになって、富海彦っていう優しい人間が変わったら嫌だけど、変わらなければ、なんの仕事をしてもいいんじゃないの」  女子中学生は答えた。そして、一人のルーキーのヤクザが誕生した。 「でもね、富海彦って全然自分を抱いてくれないの。何度自分が『抱いて』って頼んでも、『俺みたいな前科者の男に抱かれたら、お前が汚れる』って言うの」 ——その気持ちって、早く処女を捨てたいっていうこと? それとも、本当にその富海彦君を愛しているから、抱かれたいっていうこと? 「最初、町をブラブラしている時は、処女っていうのがうざったくて誰が相手でもいいから早く捨てたいという気持ちがあったんですけど、富海彦と出会ってからは、この人に抱かれたいと思うようになりました。だって、好きな人の体って、触れてみたいじゃないですか……。それでね、中三になる春にやっと抱かれたんです」 ——どんな気持ちでした? 「嬉しかった。とっても痛かったけど、とっても嬉しかった。富海彦が自分の中に入ってるんだもん!」 ■わたしも一緒に指をつめるから、二人で事務所に行こうよ  富海彦は事務所に泊まり込みで勤め始め、若頭の車の運転手をしながら、シノギはもっぱらダルマをスナックなどに売ることだった。富海は何度かダルマを配達している富海彦と会い、アパートまで送ってもらったことがある。 「この世界って、普通の人を騙さなくちゃ食っていけねえんだよな。俺ってなんかそういうことできねえから、ダルマを売るしかねえんだ」  富海彦はそう言った。ヤクザの世界も喧嘩が強いだけでは通用しなくなったようだ。富海はその彼の言葉を少し淋しい気持ちで聞いた。富海彦の肩には、もう菊の刺青が入っていた。富海彦は言葉を続けた。 「組長が白いものを黒だと言ったら、こっちも黒だと言わなくちゃいけねえんだよ。でも、俺にはそういうことは言えない。組をやめたい」 「やめるなら、ちゃんと指をつめなくちゃ駄目だよ。わたしも一緒に指をつめるから、二人で事務所に行こうよ」  富海彦は無言だった。 ——本当に指をつめるつもりだったの? 「はい。あの人のためなら、自分はなんでもできると思ってましたから。メチャクチャ愛してたんです」  富海彦は恋人に何も言わず青森からいなくなった。恋人に指をつめさせたくなく、組から逃げたのである。  富海は調理科のある高校に進学した。そこを卒業すれば調理師の免許が取れるので、店を出せば恋人のシノギを助けることができると思ったからだ。  津軽に遅い桜が咲き始めた頃、富海の働くパブに富海彦から電話があった。 「中学卒業、おめでとう」 「今、どこにいるの?」 「東京。テレビ局で大道具の仕事をしているんだ。お前が高校卒業したら、結婚しような。じゃ、また電話する」  ガチャッと電話が切れた。  それから二カ月ほどの時間がたった。女子高生がアパートに戻ると富海彦がいた。部屋のドアは内鍵は掛けられるが、外からは鍵は掛けられないのだ。富海彦は髭がぼうぼうに生え、その体臭で六畳の部屋全体が匂った。 「ど、どうしたの」 「ヘヘッ。どうしてもお前の顔が見たくてよ、東京から歩いて帰って来た」 「歩いて? なんで歩いて帰って来たの? 電車代がなかったの?」 「あったけどさ、どのくらい俺がお前のことを愛しているか、確かめたかったんだ。岩手から秋田に入る山の県境が、一番きつかったな」  女子高生の目に涙が溢れ、そして小さな滝のように頬の上を流れた。 「ば、馬鹿ね……なんで歩いてなんか帰って来たのよ……ほ、本当に……馬鹿なんだから……」  女子高生は、鼻の曲がるような体臭の中に身を投げ出した。  富海彦は四日ほど女子高生のアパートにいて、東京へ今度は電車で戻って行った。あまり長居をして、逃げた組の人間に見つかると大変なことになるからだ。  そして女子高生は自分の太ももに、ボタンと蝶の刺青を入れた。 「青森に有名な彫り師の人がいるんですよ。その人に頼んで入れてもらった。普通は彫り代は八万円なんだけど、四万円にしてもらった。学割ですかね(笑)」 ——なんで刺青を入れたの? 「富海彦がね、帰って来た時に言ってたの。刺青をしているとどこに行っても白い目で見られるって。それがつらいって。じゃ、自分も入れようと思ったんです。刺青を入れて、自分も彼と同じつらさを共有しようと……自分も……人前で……白い目で見られる恥ずかしい体になれば……富海彦がそばにいなくとも少しは気が紛れるかなと思って……。  最初は彫り師の人に、『高校生には彫れない』って断られたんですけど、訳を話すと、『入れたことで後悔する生き方はしないでね』って言って、彫ってくれたんです」 ■富海彦がもし生きていたら、  この名前を見つけて連絡してくれるかもしれないと思って……  松本富海は高校で先輩の女子達を相手に喧嘩をした。自分の友人が、生意気だという理由でその先輩達のリンチにあい、髪の毛を抜かれたからだ。そういう学校だった。  友人のカタキをうった富海は教師に現場を見つかり、彼女だけが退学処分となった。そういう学校だった。  そして松本富海は東京に出る。東京に行けば愛しい人がいる。  だがすぐには恋人に電話をしなかった。まずは仕事を見つけなくてはいけない。そういう女なのである。就職情報誌で探すと、保証人もいない十七歳では寮住まいで働かせてくれる会社は一つしかなかった。建設現場でパイプに断熱材を巻く仕事を請負っている会社である。寮は日暮里にあった。 「東京に出て来て、自分は本当に小さな存在なんだなって思いました。田舎にいた頃はある程度ブイブイいわせてたから、みんな自分のことを知っていたけど、東京じゃ誰も自分のことを知らない。自分が死んでも誰も自分だって気づいてくれないと思ったら、自分ってちっちゃいんだなって……。それとね、同じ職場で同じ年の女の子がいたの。その子ってみなし子で、小学校もろくに行ってないの。でも、とっても元気に明るく働いてるの。その子を見てたら、またまた、自分って小さいんだなって思った」  なんとか就職した松本富海は、やっと恋人の勤めているという会社へ連絡した。ところが恋人はもうその会社をやめていた。富海は恋人のいない東京で、毎日汗だくになって働いた。 「でも、半年で青森に帰っちゃったんですよ。情けないですね。  そしたら、こんなこと言ったら本当にドラマみたいで信じてもらえないかもしれないけど、富海彦が死んでたんですよ。  知り合いの話によると、青森に戻って組に頭を下げてまたヤクザになって、使いっぱしりのペーペーになって、抗争があった時に鉄砲玉になって殺されたらしいんです。  自分が東京に出た時に、すぐに連絡をしていれば……そんなことにならなかったと……思うんです。馬鹿です。本当に自分って馬鹿です……」  青森に戻った松本富海は、水産加工工場で働き始めた。そして、友人の紹介で一人の男と知り合い、その男と同棲する。二人は一緒に愛知県の陶器会社に出稼ぎをする仲にまでなったが、男は富海の刺青を「汚い」と言って責め続けた。富海も悩み、刺青を消そうとタバコの火を押しつけたこともあった。 「今から思うと、自分はその人のことを愛していたわけではないんですね。なんか、なげやりな気持ちになってその人とつき合ってたんです。その人にはすごく悪いことをしたと思います。だってその人は、自分の中にいつも富海彦という別の男がいることを感じていたと思うから……」  富海はその男と別れ、母親だけのいる実家に戻った。  そして、クリスマスイヴの一人きりの雪かき。  だが、富海の今までの行状、そして刺青のことを知る近所の目は冷たかった。たった一人で雪かきをしても、その白い目が変わることはなかった。富海が思っていた通り、彼女は富海彦と同じ気持ちを味わうことになったのである。  雪かきを終えて家に入ると、電話が鳴った。もうとっくに別れていたと思っていた、母親の浮気相手からだった。半身不随になっても、母親はまだあのくだらない男と別れていなかったのだ。自分の娘を犯そうとまでした男と別れていなかったのだ。 「でも……もうこの年(二十一歳)になったら、母親も自分と同じ女だから気持ちがわからないでもないから……もう……いいやと思っちゃった」  そして、松本富海は再び青森を去り、東京へやって来た。 ——東京では何をしてたの? 「赤羽のキャバクラで働いていました。そこでAVにスカウトされたんです。芸名はもちろん自分でつけました。富海彦がもし生きていたら、この名前を見つけて連絡してくれるかもしれないと思って……」 ——今まで一番嬉しかったことはなに? 「キャバクラで働いていた時、大親友の女性ができたことです。彼女はAVに出ていることを批判しないから嬉しい。逆に、『キャバクラだってAVだって、自分が自分の意志で確かにやってきたことなんだから、後悔しちゃいけないよ。後悔しちゃ負けだよ』って励ましてくれるんです」 ——今まで一番悲しかったことは? 「同棲していた人に、刺青を汚いって言われたことかな。まるで富海彦が汚いって言われたみたいで、つらかった」  もし私が松本富海のいた学校の教師だったら、私は彼女をギュッと抱き締めるだろう。彼女が体の中に溜め込んだ涙を流しつくすまで、ひたすら抱き締めるだろう。それが教師というものではあるまいか。「どうせお前の父親は自衛隊員だからな」と言ったり、喧嘩をしたからといって退学にさせるだけが教師ではないだろう。  だが、私は教師ではないので、最後まで自分のことを「自分」と呼んだ女の子のことをギュッと抱き締めることはできず、「体にだけは気をつけてね」と言って彼女を見送った。 AV Actress Toumi Matsumoto★1996.1 [#改ページ] 柚木真奈 AV Actress Mana Yuzuki これからは、わたしが人を愛したい

 デビュー作『聖処女』の中で、柚木真奈はリスのヌイグルミを着て「こんにちはリス、よろしくお願いしますリス!」などと目をクリクリさせて叫んでいる。  可愛い!  私のインタビューの仕方はまさに行き当たりばったりなのだが、それでも相手に最初に会った時にまずなんと言おうかぐらいは考える。 『聖処女』を観ていて私は、これだ、と思った。 「こんにちはリス!」  私がそう言えば、柚木真奈はきっとビデオの中の彼女のように「キャハッ」と笑ってくれるだろう。そして空気はたちまち和み、インタビューは滞りなく進むという寸法である。よしよし、これでぬかりはない。さ、明日のインタビューに備えて今夜はもう眠ろう。おやすみリス!  翌日、コアマガジンの会議室で待っていると、約束の午後一時を少し回ったところで、柚木真奈がマネージャー氏と現れた。  私は立ち上がり「こんにちはリス」と言おうと思ったが、柚木真奈の顔を見て言葉を飲み込んだ。  クリクリとしているはずの目が、見事にお坐りになっているのである。酒癖の悪い方の午前二時といった目だ。  ファーッ、と|欠伸《あくび》のような溜息のようなものをつき柚木真奈は椅子に坐った。 「起きたばかりなんですか?」 「ウン。まだ目が覚めてない……わたし、昼間ってすごく機嫌が悪いの……撮影の時もブスッとして誰ともしゃべらない。『本番行きます』って監督さんに言われて、やっと人間が変わるの……」  柚木真奈は私の顔を一切見ずに、テーブルの上に置いてあった『ビデオ・ザ・ワールド』をゆっくりとめくりながら、かすれた声で答えた。  私、泣きたくなりました。昨日たてた緻密な作戦がのっけから崩れてしまったのだ。  オドオドと「飲み物は何がいい?」と尋ねる編集長に、柚木真奈は「冷たい牛乳」とそっけなく答える。編集長、即行で近所のコンビニエンスストアに走る。 「わたしさ、人の好き嫌いが激しいから、男優さんでも一旦嫌いだと思ったらもう駄目。口をきくのもイヤになる」 「じゃ、じゃ、インタビュアーも嫌いだと思ったらもうしゃべらないんですか……」 「インタビュアーは大丈夫。だってその人とからむわけじゃないもん」 「そ、そうだよね、ああ、よかった」  柚木真奈は編集長が買って来た紙パック入りの牛乳をストローでジュジュッとすすりながら、まだ視線は雑誌の頁の上だ。  編集長が焦って言う。 「デビューの頃に比べると、イメージが変わったねえ」 「どんな風に?」 「大人っぽくなったよ。そうやって化粧をバッチリきめてると、素人っぽさが消えて、もうこの業界に一年ぐらいいるベテラン女優さんみたい」  もう。褒めてるのかなんなのかよくわからない言葉が彼の口をついて出る。「ふーん」と柚木真奈がつまらなそうに答える。 「あのさ」  突然、柚木真奈が雑誌から顔を上げて、初めて私の顔を見て言った。 ——な、なに? 「わたしね、身長が一五六センチしかないの。それでもっと背が伸びるように毎日牛乳を飲んでるんだけど、十九歳からでも伸びるかなあ」 ——だ、大丈夫だよ。まだ十代なんだから、これからどんどん伸びるよ。僕の友達で二十歳過ぎてから急に背が伸びた奴いるもん。  私、嘘をついた。「本当?」と疑わしそうな目で私を|一瞥《いちべつ》すると、柚木真奈は再び雑誌をめくり始めた。  柚木真奈がはっきりと目を覚ますまで三十分近い時間がかかった。目を覚ました柚木真奈の目はビデオどおりにクリクリとしていた。声のかすれも消え、沖縄なまりの残るやや舌ったらずな声で柚木真奈はようやく私の目を見てしゃべり始めてくれた。 ■お兄ちゃんに「AVやめろ」って言われるのが一番つらいね 「わたしね、沖縄と新潟のハーフなの!」  柚木真奈の父親は沖縄出身。母親は新潟出身である。 「ママはパパより年上なのね。ママが水商売で働いてて、その店にパパがよく来てたんだって」 ——そこはどこなの? 「場所はよくわからないの。それでね、その時ママには婚約者がいたの。でもパパが頑張って押して押して押しまくって、ママと結婚したの。でもそんなに頑張ったのに、結婚生活は三年ともたなかったね(笑)。男と女の恋愛なんて、そんなもんだよね」  柚木真奈の話から推察するに、彼女の父親は東京に働きに出ている時にそこで妻となる女性と知り合ったらしい。結婚式は沖縄で挙げたが生活の場は東京。柚木真奈と三歳違いの兄は世田谷で生まれた。 「でも、わたしが生まれた時は沖縄で暮らしてたの。そして、わたしを産んですぐにママはパパと別れて東京に行っちゃったの」 ——お母さんは沖縄に合わなかったのかな? 雪も降らないし(笑)。 「うん、それもあると思うけど、要するにパパに飽きちゃったんじゃないかな。母親である前に女だったんだよ、ママは……」 ——お父さんはどんな仕事をしてたの? 「知らない。なんか東京と沖縄を行き来してた。東京で働いてたんじゃないかな。沖縄ってすごくサラリーが安いから、沖縄で働いても二人の子供とおばあちゃんを養えないもん。だからわたし、パパとママと一緒に住んだことないのね。わたしはおばあちゃんに育てられたの」  柚木真奈の母親は、現在東京の練馬でスナックを経営している。独身である。 「ママとはたまに会う。一緒に買い物をしたりするの。パパは再婚した女の人と蒲田の方に今いるんだって。会いたいとは思わないねぇ。今さら会って、『パパ』なんて言える? 言えないよ、絶対。もう駄目よ。これが小学校五、六年生なら『パパ』って言えるかもしれないけど、もう十九でしょ。今さら無理。抵抗あるよ」 ——再婚しちゃったお父さんのことが嫌いなの? 「……そんなことないけど……ずっと会ってないしね」 ——新しいお父さんの奥さんが嫌いなの? 「……そんなことない。わたしと、同じ大人の女性としてつき合おうとしてくれるから、好きだよ」 「パパもおばあちゃんもお兄ちゃんも、今のわたしの仕事を知ってるよ。わたしが言ったの(笑)。でも、よくないんだ、これが。おばあちゃんは電話をしてくる度に『いいかげんにそんな仕事はやめなさい。そんな人間に育てた覚えはありません』って怒るし……。お兄ちゃんに言われるのが一番つらいね。お兄ちゃんって沖縄の航空自衛隊の人なのね。周りの人がわたしが妹だって知ってるの。それで、わたしが雑誌とかに出るとなんやかんや言われるんだって。この前、お兄ちゃんから電話があって、『俺の一生のお願いがある』って言われたの。『うん、なに?』って訊いたら、『頼むからAVをやめてくれ』だって。わたし、『じゃ、お兄ちゃんがわたしの生活の面倒を見てくれるの』って言っちゃった。今のわたしの住んでるアパートの家賃が十八万円なの。それってお兄ちゃんの給料と同額なのね(笑)。それを払ってくれるならAVをやめるって言ったら、お兄ちゃん黙っちゃった。そしてしばらく黙った後に、『AVなんて恥ずかしいと思わないのか?』って訊くから、『恥ずかしいと思ってたら、最初からしないよ!』って答えると、『AVをやめるまでは二度と沖縄の家の敷居をまたぐな!』って言われて電話を切られちゃった……。お兄ちゃん、きついっすよ(笑)。  お兄ちゃんとは仲が良かったですよ。両親は家にいなくて兄妹二人っきりだからね。小学校の頃はいつもお兄ちゃんにくっついてたもん。ケンカしてお兄ちゃんに泣かされても、『待ってよォ』って言って追っかけてた。  でも、おばあちゃんも大変だったろうねぇ。自分の子供を育てて、やれやれと思ったら、今度は孫を育てなくちゃいけなくなったんだもん。  生活費は東京にいるパパからの仕送り。東京でパパが何をしてるかなんて知らなかった。興味なかったもん。お金さえ送ってくれれば、それでよかったの」 ■水槽で飼うと死んじゃうジンベイザメ、私と同じだなって思った ——友達の家には両親が揃ってるでしょ。自分の家は変だと思わなかった? 「全然。いないもんはしゃあない。いないんならいないでいいし、いても邪魔にならないぐらいならいてもいいかな、と。けっこう小さい時から醒めてるんだ。よく近所の人からも、『ナミちゃん(本名)は醒めてるねぇ』って言われてた」 ——おばあちゃんのことは好き? 「うん。中学を出て沖縄を離れる時、おばあちゃんと別れるのが一番つらかったもん。今もおばあちゃん離れしてないの。『もしもし、ばあちゃん』って、沖縄にかける携帯電話代が月に十万円くらいかかるんだ。『わたし、風邪ひいて具合悪いんだ』とかって言うと、おばあちゃんが『ばあちゃんがそばにいればゴハン作ってあげられるのにねぇ』って泣くんだよ。涙もろいんだ、おばあちゃん」 ——おばあちゃん、あなたのことが可愛くて仕方がないんだねぇ。 「……ウン……まあ、そうかな……だから、少しでも多くお金を送りたいの」 ——おばあちゃんに仕送りをしてるの? 「うん」 ——えらいねぇ。 「当り前です! だっておばあちゃん、七十だよ、もう。働けないし、お兄ちゃんの給料だけでは食べていけないもん」  柚木真奈は沖縄の豊見城村で生まれた。山の中である。小・中学校ともに家から徒歩で四十分はかかり、周囲ではレイプ事件が多発していたこともあり、スクールバスが運行されていた。  本当の名字は与那嶺。  本名を書いてもいいというAV女優も珍しい。 「いい名前だから本名でデビューすればよかったのにってよく言われるけど、サインが難しくなっちゃうからねぇ(笑)。小学校の低学年の頃は、自分の与那嶺っていう名前が書けなかったもん」  柚木真奈が小学校五年生の時に、彼女が記憶する限りでは初めて父親と母親が沖縄の実家に揃った。 「運動会があって、どうしても両親に見に来て欲しくて、おばあちゃんに頼んで東京にいる二人に連絡してもらったんです。そしたら、本当に来てくれた。羽田空港で待ち合わせをして一緒に来てくれたの」 ——それをキッカケにして、二人によりを戻して欲しいって気持ちはあった? 「あ、それはない。運動会の一日だけでよかったの。だってそれまで、わたしだけだったんだもん。運動会におばあちゃんしか来ない家って。  運動会は日曜日で、パパとママは土曜日に来たの。着いたその日にみんなで国際通りに行って、パパに運動会用の三百円分のお菓子と(笑)、洋服を七着も買ってもらった。ママにはイヤリングとヌイグルミと、あと、もうそろそろだと思ったのかな、生理用のナプキンを買ってもらった。本当に生理が来たのは中三の時だったんだけどね(笑)。  親と離れて暮らしていると、たまに会うといろんな物を買ってくれるからいいよね」 ——それじゃ、運動会では頑張ったでしょ。 「ハハハッ、頑張ったけど徒競走はビリッケツ(笑)。わたし、白血球と血小板が少ないの。ケガをすると血がなかなか止まらないの。いつも病院に行ってお薬をもらってるの。だから小さい時から、あまりスポーツはしなかったんだ。でもパパとママがちゃんと見ていてくれて、『よく頑張ったね』って言ってくれて。……嬉しかったよ……嬉しかったなあ……。  その日の晩は、ママとおばあちゃんとわたしとで夕飯を一緒に作ったんだよ。三人でスーパーに買い物に行って、ビーフシチューを作ったんだよ。  月曜日は学校が休みだったから、みんなで海洋博の水族館に行ったの。そこでジンベイザメを見たの。ジンベイザメって知ってる? サメの中で一番大きいんだよ。でも、水槽の中で飼うとすぐに死んじゃうんだ。死ぬ度に沖縄の新聞では一面で、『ジンベイザメがまた死んだ』って大騒ぎだった。わたしが見たのは四代目のジンベイザメ。その時に買ってもらったジンベイザメのヌイグルミ、まだ持ってるよ。多分、ジンベイザメって束縛されるのが大嫌いなんだと思う。水槽で飼われるぐらいなら死んじゃえって……。わたしと同じだなって思った」 ■ヤンキーも、やることをちゃんとやってないと世間に通用しないよ  ジンベイザメに共感した女の子は、中学に入ると髪を真っ赤に染めた。当然、校則違反である。教師は怒る。 「なぜそんな髪をしてるんだ!」 「したいからにきまってるじゃん!」 「学校では禁止だぞ!」 「それをわかってやってんだよ!」  女の子の迫力に教師は思わずおし黙った。 「『わたしはわたしだ!』って言いたかったのね。縛られるのがイヤだったの。校則がなかったら、髪をマッカッカにはしてなかったと思う。  あの頃はなんか、毎日ムカついてた。先生と廊下ですれ違うだけでムカついてた。大人すべてに対してムカついてた。  中学生になって、大人ってみんな自分勝手だってことがわかったの。先生をはじめ、大人って自分のことしか考えてない。自分勝手なのは、ウチの両親だけじゃなかったんだよ(笑)。  だから、大人にはなりたくないなって思ってたけど、徐々にそういう大人になってきてるんだよね、わたしも」  髪をマッカッカにした柚木真奈は、お決まりというかなんというか、レディースと呼ばれる女性の暴走族に入り、夜な夜なバイクで沖縄の地を走り回った。 「でもわたしは運転できないから、人のバイクのケツに坐ってたんだけど(笑)」  それと同時に、柚木真奈は学校でサッカー部のマネージャーも務める。毎日のように選手のユニフォームを家に持ち帰っては、祖母に手伝ってもらい洗濯した。 「マネージャーって普通さ、自転車に乗って選手のランニングに併走するでしょ。でも、わたしは自転車に乗れないから、メガホン持って一緒に走るの(笑)。最後は自分だけおいていかれちゃって、自分に『ファイト、ファイト』って言って走ってたなあ」  そして、なんと、目立ちたがり屋の柚木真奈は中二の時に生徒会選挙に立候補して副会長となる。 「わたしに投票しろよって、若干脅したこともあったけど(笑)」  勉強もちゃんとした。成績は常に学年で三十番内に入っていた。 「東京のヤンキーって、沖縄に比べるとだらしないよね。東京のヤンキーは学校に行かないでしょ。沖縄のヤンキーはちゃんと学校に行ってたもん。やることをちゃんとやってから走らないと、世間に通用しないよ」  その頃、久し振りに父親が家に帰って来た。見知らぬ女性を連れていた。 「いきなり、『この人が新しいママだよ』って言うの。とっくの昔に東京で再婚してたらしいんだ。AB型の男って、本当に自分勝手なのよ。わたし、その女の人と何もしゃべらなかった」  それでヤケになったわけではなかろうが、その直後、柚木真奈はサッカー部のキャプテンを相手に体育館の用具室でセックスを初めて経験する。 「その人、アキレス腱を痛めちゃっていつも補欠だったけど、いつも一所懸命に練習をして人望があったから、キャプテンに選ばれたの。わたし、なんでも一所懸命にやる人が好きなのね。でも、まだ生理がこないのにセックスしちゃっていいのかなって、ちょっと思った(笑)」  中三になると、柚木真奈は所属するレディースグループのアタマ(リーダー)になっていた。グループ六代目のヘッドである。 「わたしって仕切るのが好きだから、自然にそうなっちゃった」  そして事件が起きる。  グループの一人の女の子が、三角関係のもつれから対立するグループに暴行を受け、一カ月の重傷を負ったのだ。 「今の十代の人間ってものの限度がわからないから、鉄パイプとかで平気で人を殴るのね。下手したら死んじゃうよ。  いやあ、あの時ほど頭がキレたことなかったな。わたし、一人で相手の集会場所に乗り込んで、向こうのアタマをボコボコにしてやった。こっちもボコボコにされたけど(笑)。パトカーが来なかったら、どっちかが死んでいたかもしれない。わたしは足の親指にヒビが入って熱が出て、三日間学校に行けなかった。おばあちゃんには怒られて、泣かれたなあ。『女の子が顔にアザを作るもんじゃない』って。おばあちゃんは相手の家に謝りに行って、向こうは両親が謝りに来た。  わたしって、キレるとどうなるかわからない。人間が変わるの。二重人格なのかな。よく仲間から、ヤヌスの鏡って言われてた。  今はそんなことないよ。ムカつくことはあるけど、せいぜいマネージャーに八つ当りするぐらい(笑)」 ——でも、ケガをするのが恐くてスポーツをしなかったんでしょ。よくケンカしたねぇ。 「勇気、かな(笑)」 ——沖縄って、とっても御先祖様を大切にする地だよね。 「うん。学校に行く前に神棚に手を合わさないと、おばあちゃんにすっごく怒られた。  わたしにはね、戦争で死んだおじいちゃんがついてるんだよ。左肩にのっかってるの。だから今も見てるよ、おじいちゃん」 ——なんで左肩ってわかるの? 「やたらと左肩がこるの」 ——おじいちゃん。寝てんじゃないの(笑)。 「そうかも。おじいちゃん、起きなさい。孫がインタビュー受けてるんですよ」 ■あのクラスの卒業生の中では、わたしが一番の出世頭かな(笑)  中学を卒業すると、柚木真奈は沖縄を出る。 「はなっから高校へ行く気はなかったからね。とにかく沖縄を出て、東京へ行きたかったの」  東京に出た柚木真奈は母親のアパートに身を寄せる。母親は羽田空港まで娘を迎えに来た。 「ママに会いたかったの……ママと一緒に暮らしてみたかったの……。おばあちゃんは猛反対。『ここまでわたしがお前を育てたのに、なんで今さらお前たちを捨てたあの女にお前をあげなくちゃいけないんだ』って。でもお兄ちゃんは『気をつけて行ってこい』って、五千円をくれた(笑)。笑うけどね、沖縄の五千円って大金なんだよ!」 ——沖縄が嫌いだったの? 「嫌いじゃないけど、あそこにいたら出世してお金を稼ぐことができないと思ったの。この前、中学校の時の先生から手紙が来て、『君の載っている雑誌を見たぞ。頑張ってるな。今度、君の写真を送れ』だって(笑)。だから撮影の時のポラ写真を四枚送ったの。やっぱりあのクラスの卒業生の中では、わたしが一番の出世頭かな(笑)」  母親の2LDKのアパートに居候して、柚木真奈はアイスクリーム屋で働く。 「時給が七百円だったの! こんなにもらっていいのかなって、ビックリした。沖縄だとせいぜい五百円だもん」  調理師学校にも入学し、ちゃんと一年で卒業した。 「調理師学校に入りたいなんて、言わなかったんだよ、わたしは。でも郵便受けに入ってたその学校のパンフレットを毎日ずーっと見てたら、ママが手続きしてくれたの」  あれほど一緒に暮らしたかった母親の部屋を、東京に出てきて一年三カ月で柚木真奈は出る。初めての一人暮らしが始まった。 「親といると甘えちゃうの。洗濯もしなくなっちゃう。これじゃいけないと思ったの。それに、親と暮らすのは一年三カ月で充分よ。一生分、ママと暮らしたような気がする」  そして、柚木真奈はアイスクリーム屋をやめ、新宿の歌舞伎町のパブに勤める。だが、その時、彼女の体重は八三キロあった。 「東京には一人も友達はいないし、人としゃべると沖縄なまりを笑われるんで、部屋に閉じ籠ってマンガを読みながら一日中ポテトチップスを食べてたら、そうなっちゃったの」  しかし、パブで知り合った一人の男に柚木真奈は恋をする。柚木真奈十七歳、やはり水商売の男は二十歳。二人は同棲を始める。ごく短い柚木真奈の一人暮らしであった。 「恋ってすごいね。その人と暮らし始めて、その人のためにきれいになろうと思ったら、三カ月で五一キロになっちゃった。一番のダイエット法は、恋だよ」  だが、その燃えるような恋の命も二年近くでつきた。 「どっちかが浮気をしたってわけじゃないの。上手く言えないけど、互いにつき合った嘘がつもりつもって、互いが嫉妬に狂って疑り合うようになったの。それで二人とも疲れ果てて、話し合って別れたの。『もう、別れた方がいいよね』って……」  その時、柚木真奈はパブをやめ、ショークラブで働いていた。 ——歌や踊りは得意なの? 「得意なの! 実際は下手でも、自分で上手だと信じれば、上手なの(笑)。人にできて自分にできないことはないと思う。そう悟った時から、お店でも指名が増えて月に百万円は稼げるようになったの。わたしってけっこうオジサン受けがいいんだ。でも、彼と別れてからその店をやめて、イメージクラブの店に移ったの。性感マッサージね」 ——どうしてイメクラに? 「別れた彼が一番イヤがる仕事をしようと思ったから……」 ——それって、どういう心理なんだろう。 「彼への想いをふんぎるためと、あとは、あてつけ、かな……」  そのイメクラ店で柚木真奈はAVにスカウトされた。 ——今までで、一番嬉しかったことはなに? 「やっぱり、家族みんなでジンベイザメを見た時だね。ママとパパと一緒にいられる時って、もうないだろうな。だから、あのジンベイザメの思い出はわたしの一生の宝物だよ!」 ——今まで、一番悲しかったことは? 「沖縄から連れて来た『ララ』っていうポメラニアンが死んだこと。十何年も一緒だったから、悲しくて一週間、メシが食えなかったよ。恋じゃなくて、それでやせたのかな(笑)」 「正直言って、今までパパのことを恨んでた。でも考えてみると、わたしって、おばあちゃんにもお兄ちゃんにもパパにもママにも、愛されて生きてきたんだよね。だから、こうやって生きていられるんだよね。これからは、わたしが人を愛したい。恨んだり反発したりするのは簡単だよ。愛するって、むずかしいよ。  わたしの夢? あのね、ダンナさんがちゃんと家にいて、子供が二人ぐらいいれば、それでいい。みんな元気で、食卓にいつもみんなが揃えば、それでいいよ。そんな食卓を、子供の頃から、ずっと夢みてた……」 ——もう沖縄には帰らないの? 「うん。ずっと東京にいたい」 ——柚木さんが思う沖縄のいいところって、どんなところですか。 「みんなね、優しい。恩をアダで返す人って沖縄にはいないと思うよ」 ——最近、米軍基地の米兵による女の子への暴行事件がありましたが……。 「基地の人たちもかわいそうだよね。たった三人がやったことのために、自分たちも同じような人間に思われちゃってさ……。でも、米軍基地はみんなが必要だと思ったから作ったと思うのね……でもね、もう、いらないんじゃないかなあ……」 AV Actress Mana Yuzuki★1996.2 [#改ページ] 川上みく AV Actress Miku Kawakami 言葉なんてわたしには要らないって決めたの

 川上みくは見るからにしょんぼりとしていた。 ——何かイヤなことがあったの? 「イヤなことっていうか……さっきここに来る電車の中でベレー帽を落としちゃったの。暑いから手に持っていたら、いつの間にか落としちゃったらしい……。白いやつで、とってもお気に入りだったのになあ。だからちょっと気分はブルー……」  川上みくは毛糸の白いカーディガンと、やはり白いミニスカート姿である。このファッションに合わせて白いベレー帽を持って来たのだろう。さぞ無念に違いない。 「わたし、すぐに物を無くしちゃうんですよ。電車に乗る時に、自動販売機でおつりだけ取って切符を忘れちゃうことなんかしょっちゅう。いろんな物を無くしてばっかり。だからいっつも落ち込んでいるんだ」 ■早く燃えろ……早く燃えろ……  福岡の山沿いの小さな町。その町に一つだけある幼稚園の木造の園舎には、晩秋の冷たい風が山から叩きつけられていた。  暖房のきいた園舎内では子供たちが先生のオルガンに合わせて踊ったり、紙芝居を眺めたりしていたが、一人の女の子が園舎の裏の寒風に吹かれて立っていた。  この女の子だけには、授業と休憩という時間の区別がなかった。この子は皆でお遊戯をしている最中でも、ふらっと教室を出て砂場などで一人遊びをするのが常であった。何度も先生たちは女の子に注意をしたが、怒られても女の子は聞いているのかいないのか、無表情のままじっと先生の顔を瞬きもせずに見つめるばかりである。言い訳をするでもなく、謝るでもなく、女の子はただただ怒ったりなだめたりする大人の顔をいつまでも見つめる。  女の子が口を開かないのは、注意を受けている時だけではなかった。もしそうだったら、先生たちはこの子を、“負けず嫌いな子”“過ちを認めたがらない子”と理解できたろうし、まだ扱いはやさしかったろう。だが先生たちは、入園して以来この子が言葉を発する姿を一度たりとも目撃したことがなかった。  途方に暮れた先生たちは、女の子を見放すことにした。この子は自閉症だから仕方がないのだ。他の子に迷惑をかけない限り放っておこう。  女の子は今、園舎の中からかすかに聞こえてくるオルガンの音を耳にしながら、一体の古ぼけた外国人らしい女の子の人形を胸に抱いていた。その人形は女の子が幼稚園に来る途中、道端で拾ったものだった。泥まみれの人形を手にし、女の子は「こんなに汚れて、かわいそうに」と心の中で言った。もしかするとはっきりと口に出して言ったのかもしれない。そして「洗ってあげよう」と言った。  女の子は幼稚園の洗面所から、自分がいつも顔を洗うのに使っているダンボのイラスト入りの洗面器に水を入れて運び、園舎裏の地面の上に置いた。そして人形をその中に浸すとチャポチャポと小さな手で洗い始めたが、ふと言った。 「水が冷たすぎるわ。これじゃこの子は風邪をひいてしまう。暖めてあげなくちゃ」  女の子は、|仲間《ヽヽ》がお遊戯をしている教室に戻ると自分のバッグからお絵描き帳を取り出し出て行った。先生はそれに気づきながら、何も言わなかった。  次に女の子は職員室に入った。授業中だったので、そこには誰もいなかった。女の子はキョロキョロとあたりを見渡し、「あった!」と言って一人の先生の机の上から背伸びをしてある物を取った。女の子の手に握られたのは、使い捨てライターである。  女の子は再び彼女を待つ人形のところに戻った。女の子はお絵描き帳をビリビリと細かく引きちぎると、それを洗面機の周りに敷きつめた。そして慣れない手つき、見よう見真似で紙片にライターで火をつけた。ボッと、たちまち紙片は燃え上がる。 「よかった! これでお人形さんはお風呂に入れるわ!」  女の子は|莞爾《かんじ》と笑った。  だが、山から吹き続ける寒風は止むことを知らない。風は、一つ、二つ、三つと真っ赤に燃える紙片を転がし始めた。その向こうには木造の園舎がある。  地面を転がったり、フワッと宙に浮く赤い紙片を目にし、女の子は「きれい……」と言った。やがてその紙片たちは園舎にたどり着き、そこに火をうつす。プスプスと静かな音をたてて、園舎は黒い煙を出し燃え始めた。 「どうなるんだろう……」  驚き半分、好奇心半分で女の子は燃えゆく園舎を見つめながら立ち尽くした。だが、園舎はまだ煙を出すだけで、なかなか女の子の期待するような大きく、明るくてきれいな炎を生み出してくれない。 「早く燃えろ……早く燃えろ……」  その時、煙に気づいた若い女性の先生が、何事かを狂ったように叫び、女の子の方にスリッパをはいて走って来た。 「|あの人《ヽヽヽ》……あんなにあわてて……どうしたんだろう……あっ、そうか……また怒られるんだ」  女の子はそう言った。 ■言葉は使えたけど、しゃべるのがイヤだったんです  川上みくが母親によって産み落とされたのは沖縄の病院だった。川上みくの母親は島根の出身で、和菓子職人の夫と鳥取で和菓子屋を開いていたが、出産のために夫の故郷に身を寄せていたのだ。 「不思議ですよね。普通、出産の時は女性は自分の実家に帰るじゃないですか。夫の実家のある土地で出産するなんて、あんまり聞いたことないですよね。どうしてだろう」  その地で産み落とされただけだから、川上みくには沖縄での記憶はまるでない。物心ついた時、川上みくは福岡にいた。そこで自分を育ててくれていた大人の男女は、両親ではなかった。父方の親戚の叔父と叔母だった。 「どういう理由で生まれたばかりのわたしが、親戚の家にあずけられたのかはわかりません。でも、叔父さんたちの話を聞いていて、なんとなくわたしの本当の両親はこの人たちじゃないということはわかりました」  あずかった子供が、二歳、三歳と成長するうちに、二人の大人はこの子供が近所の他の子供たちと違うことに気づき始めた。  この子供、声を発さない……。  しゃべらないどころか、泣くことも笑うこともしない。必死になって話しかけても、無表情のままじっとこちらの顔を見つめるだけだ。なんの反応もない。大人たちは少女に見つめられると、鳥肌が立つのを覚えた。 「言葉は使えたんですよ。ちゃんと自分なりに思ったり考えたりしてましたから。『この人は嫌いだな』とかって。それって、言葉を知らないとできないことでしょ。でも、しゃべるのがイヤだったんです。しゃべると、相手から言葉が返ってくるじゃないですか。するとそれに対応しなくちゃいけない。それがかったるかったの。だって、しゃべるよりも相手の顔をじっと見つめたら、その人がわたしのことを好きか、嫌いか、何を思っているのかがすぐにわかるんだもん。でもその人がしゃべる内容は、わたしが感づいたことと大抵正反対なのね。わたしのことをやっかいだと思っているくせに『大好きよ』なんてさ……。だから、言葉なんてわたしには要らないって決めたの。  今はしゃべるようになったけど、でもその気持ちは変わらない。だって言葉ひとつで相手を傷つけたり、下手したら殺すこともできちゃうでしょ。そんな言葉は、やっぱり要らないと思う」  しゃべらない女の子は、幼稚園時代、園児による園舎放火という前代未聞の事件を起こし退園処分を受けた。幼稚園側は「他の町の幼稚園を紹介する」と言ったが、叔父叔母夫婦は「どこに行っても同じことの繰り返しになるだけだから……」とその提案を断る。 「放火事件以前にもいろいろと問題を起こしてたんですよ。クラスの子供たちのクレヨンを全部折ったり……。悪気はなかったんです。折ってクレヨンの数をふやしてやろうと思ったの。折れば数がふえるでしょ。自分のクレヨンもちゃんと折りましたよ。喜ばれると思ったのにすごく怒られちゃった。けど、先生に怒られても泣きはしなかった。なんで怒ってるんだろうって不思議に思って先生の顔を見ていましたね。今もそう。説教とかされると一応反省はしてみるんだけど、なんか心に響かないというか、他人事みたいな感じ」  ほどなくして川上みくは広島県江田島の親戚の家にあずけられた。福岡の家をやっかいばらいにされたわけである。 「わたしのウチって、親戚がすごく多いの。戦争で死んだ父方のおじいちゃんが、生前にいろんな女の人との間に子供をたくさん作って、その女の人たちがまた別の男の人と子供を作ったりしたから、全国に親戚がいるのね。それでわたしは、その親戚の家を転々としてたんです。だから、あいそをつかされても困ることはなかった。福岡でしょ。そして広島、鳥取、島根。あっ、大阪にも行ったな。わたしの場合、一つの家にまとまって何年っていう感じでは住んでなかった。半年とか一年単位で、ぐるぐるとタライ回しにされてた。本当のお父さんとお母さん? その間、一度も会ったことはなかったよ。会いたいとも思いませんでしたし……」 ■あの時生まれて初めて、ちゃんと口に出して「こんにちは」って  言ったのかもしれないなあ  江田島での川上みくの遊び場は、主に近所の山や川だった。といっても周りの子供たちと一緒ではない。しゃべらない子供はいつも一人だった。だが特に淋しいとは思わなかった。  季節は夏が好きだった。川でサワガニをつかまえると、熱い川原の石の上に置き、苦しむ姿を楽しんだ。また、池で小さなカエルをたくさんつかまえては、熱したアスファルト道路の上に投げ放ち、ジューッという音をたてて死んでいくさまを面白がった。 「一度ね、庭の池のニシキゴイをタモですくって地面に置いたの。ピチピチってはねるコイの赤い模様を見て『きれいだなあ』って思ってたら叔母さんに見つかって、いやあ、怒られた、怒られた。『いくらすると思ってるの!』って(笑)。こんな話をするとイメージが壊れちゃうかなあ。やばいなあ……(笑)」  川上みくに小学校、中学校の記憶はほとんどない。 「記憶も何も、学校に行ってなかったんだからあるわけがないよ(笑)。小学校もどこの土地で入学したのか覚えてないもん。毎日? うーん、何をしてたんだろう……。ただ一日一日がとっても長かったのを覚えている。朝起きると、また一日が始まるのかってウンザリしてたなあ……」  学年でいうと小学二年生の頃、川上みくは親戚の家にあったビデオの映画『メリー・ポピンズ』を何気なく観た。女性の家庭教師が傘を持って空を飛ぶ物語である。 「わたしも飛ぼうと思って、自分の傘を持って、あれはどこだったろう……学校かなあ、どこかの建物に入って二階の踊り場から傘を開いて飛んだんです。あっという間に落っこっちゃった。ちょうど下が植え込みで地面が柔らかくて骨折はしなかったけど、体中痛くて、傘はグシャグシャ。でも体の痛みより、飛べなかったという精神的ショックの方が大きかったな」  その頃から、川上みくは部屋に一人でいると、急に頭の中が霞み、一定の時間、意識がなくなることが起きるようになる。気がつくと体じゅうがアザだらけだ。自分で自分の体をつねっていたのである。一度などは、太ももにハサミが突き刺さっていた。心配した親戚の人間が少女を病院に連れて行くと「自閉症と精神分裂症」と診断された。その日から少女の長い病院通いが始まる。  小学四年生の頃は、鳥取の親戚の家から、カウンセリングを受けに病院に毎日通った。鳥取には両親がいるはずなのだが、なぜか会うことはなかった。  病院には、山と畑の間の道を歩いて行く。川上みくはその道中にある木や大きな石に名前をつけて、その一つ一つに手を触れ「こんにちは」と声をかけて歩く。だから病院にたどり着くまでやたらと時間がかかった。 「一番のお気に入りはヨーダって名前の大きなグネグネとした、横ひろがりのブサイクな木。映画の『スター・ウォーズ』に出てくるヨーダにそっくりなの。でも今から思うと、あの時わたしは生まれて初めて、ちゃんと口に出して『こんにちは』って言ってたのかもしれないなあ。そんな気がする」  担当の医者はいかにも人の良さそうなおじいちゃん先生だった。少女は彼の前で徐々に心を開くようになり、やがてポツポツとだが、声を出してしゃべるようになった。 「でもしゃべるのはその先生にだけ。他の人にもしゃべれるようになったのは、中学生の頃から」  おじいちゃん先生は少女に日記をつけるように言った。日記をつけていると、自分がどういう精神状態の時に、意識を失い分裂病の発作が起きるのかが自分自身でわかるからだ。わかればなんとか気持ちをコントロールして発作を回避することができる。今も川上みくは日記をつけ続けている。 ——その頃、自分が他の人間と比べて変わってるんじゃないかと思わなかった? 「他の人が変わってると思ってた。かわいそうだなと思ってた」 ■あれだけ死体を見ると、自殺はしちゃいかんな、と思う  中学生のある時期(学校には相変わらずほとんど行っていないのだが)、川上みくは島根にいた。そこで川上みくは姉の存在を知らされた。タライ回しにされてきた自分と違い、二歳上の姉は島根の母親の実家でずっと育てられていたのだ。 「お姉ちゃんとは……しゃべりましたよ……」  中学二年生の時、鳥取は米子市に住む両親が突然「次女を引き取る」と言い出した。さぞ親戚じゅう、心の底からホッとしたであろう。 ——嬉しかった? 「ううん。また一緒に暮らす人が変わるんだな、と。親戚とか親という意識はわたしの中にないんですね。ただ、また人が変わるんだ、また一から人に気をつかうのはシンドイな、と思ったぐらいです」  初めて川上みくが両親と会った時、母親は「大きくなったねえ」と言った。父親は黙って娘の視線から目をそらした。 ——今までのことを御両親は謝らなかった? 「全然!」  持病の|喘息《ぜんそく》のせいもあるだろうが、母親は家事の一切ができない人だった。毎日何もせず、飼っている二十匹の猫と戯れている。無口な職人気質の父親はそんな妻に文句一つ言わず、黙々と菓子を作る。自然、次女が家事のすべてを担当するようになった。今までタライ回しにされてきた家々で、少女はしゃべることはしなかったが、家事はちゃんと手伝ってきていた。 「本当に何もできない人なんで、自分の母親を見て、この人は親にどんな育てられ方をしたんだろう、って思っちゃった(笑)。母親のこと? 自分で自分のことを『ママはね』って言うんで、ママって呼んでました。父親はママがパパって呼ぶんで、わたしもそう呼んでた」  学校の代わりに病院に通っていた川上みくは、学校側の恩情でなんとか中学を卒業し、高校に進学した。 「どんな馬鹿でも入れる学校に、親のコネで入ったの」  もう医者以外の人間ともしゃべれるようになっていた川上みくは、ロック・ミュージックが好きだったので、米子に一つだけあるライブハウスに通い始める。その人ごみの中でバンドの演奏を聞いていると、山と川を友達にしていた女の子は今まで知らなかった安堵感を覚えた。やっと自分の居場所を見つけた……。 「ライブハウスに通ううち、病院に行く回数が減ってきた(笑)」  友達もたくさんできた。もちろん、人間の友達である。川上みくは彼らに誘われてボンドを吸ったりもした。 「でも友達の歯が溶け始めたのを見て、イヤんなっちゃってやめちゃった。あと、ボンドのせいかどうかわかんないけど、別の友達が首を吊って死んじゃったの。その子、片親でアパート暮らししてたんだけど、様子がおかしいんで部屋に行ってみたら……第一発見者になっちゃった。人間の首ってすごく伸びるんですよね。舌もビローンって口から出てて……二度と首吊りは見たくない。わたし、年(二十一歳)の割には死体をいっぱい見てるんです。友達の彼氏がバイクに乗ってトラックとぶつかった時も現場にいたし。その男の子、とってもきれいな顔をしてたのに、顔半分はもう……。あと半分はきれいなままなんですよ。駆け寄って手を握ったら、手がどんどん冷たくなっていくのがわかるんです。ショックでした。車で海に落ちて死んだ友達もいたし……友達の父親の水死体も見ました。浜に打ち上げられたんだけど、目、鼻、口、いろんな穴からアナゴとかシャコが出てくるの。あれ以来、アナゴとシャコが食べられなくなっちゃった。あれだけ死体を見ると、自殺はしちゃいかんな、と思う……わたしが死ぬ時は自殺じゃなくフッと心臓が停まって死ぬってわかってるけど……最近ね、寝てるとよく心臓が停まるんですよ。息をしなくなるの。だからその予感がすると友達に泊まりに来てもらうの。そして『息をしなくなったら救急車を呼んでね』ってお願いする。今まで何度救急車で病院に運ばれたか……」 ■彼が他の女とセックスする姿を、じっと見てるの  十七歳の時、川上みくに恋人ができた。相手は二十四歳の、米子出身で東京を拠点としているロック・ミュージシャンだった。彼が米子のライブハウスで演奏をし、その打ち上げの席で知り合ったのだ。彼に抱かれた三日後、初潮が来た。 「ホッとしました。それまで、本当はわたしって男なんじゃないかと心配してたから」  川上みくは彼のことを愛した。そして母親に「さよなら」と一言告げ、飼っていたポメラニアンの“くるみちゃん”を連れ、恋人を追って家を出た。猫を抱いた母親は「気をつけてね」と答えた。  東京まで行くつもりだったが、川上みくは大阪で新幹線を降りた。旅費がそこで尽きたからである。大阪で川上みくはラーメン屋に住み込みで働いた。 「大阪の人って心が温かいですよねえ。普通、犬を連れた家出少女を住み込みで雇ってくれませんよ。大阪のあのラーメン屋のオバチャンには一生感謝し続けますよ」  大阪でなんとか金をため、川上みくは“くるみちゃん”とともに東京に出て来た。そして代田橋でミュージシャンとの同棲生活が始まった。だが決して売れっ子ではない恋人に二人で生活をする金はない。川上みくはクラブでホステスとして働く。やがてクラブより給料がいいという話を聞き、キャバクラに仕事場を移した。  同棲生活は幸せなものではなかった。仕事を理由に彼はアパートにまるで帰って来ないし、たまに帰ってくると女連れである。川上みくが疲れて部屋に帰ると、彼が他の女性とセックスをしている姿を目撃することもしばしばだった。 「われながらイヤな女だと思うんだけど、わたしは『ここは自分の部屋なんだ』という気持ちがあるから、意地になってそのセックスをじっと見てるの。そしてその女の人が帰るまで黙ってずっと坐ってるの。つらかったな……その状況よりも、自分のそういう自意識が……普通、部屋を出ちゃうよね……」  ある日、勤め先のキャバクラで川上みくは一人の客と出会う。その二十五、六歳のスーツ姿の男は関西弁をあやつり、部下のような何人ものやはり黒のスーツ姿の男を引きつれ、店に入って来た。そして、川上みくを見るなり、「この女は俺の女や!」と言った。あまりの強引さに驚きはしたが、川上みくの女の心はグラッと揺らいだ。  数時間後、川上みくは男と一緒にホテルの一室にいた。男がワイシャツを脱ぐと背中一面に刺青が現れた。男は、「わかったやろ、俺、ヤクザなんや」と言った。男は大阪の事務所に所属するヤクザだった。東京には何か所用で出て来たのであろう。だが川上みくは男がヤクザだろうがどうでもよかった。ただ、その刺青が、特に赤い色がきれいだと感じ、見惚れた。かつて江田島でピチピチと地面ではねていたニシキゴイを思い出した。男はセックスが終わると、うつぶせになって寝息をたて始めた。女は男の背中の刺青を手の指でいつまでもなぞっていた。  女はヤクザにのめりこんだ。恋でもない。愛でもない。何かもっと自分でもわからない不思議な感情に体を衝き動かされ、ミュージシャンの目を盗み東京と大阪を行き来するようになった。ある日、「大阪に来いや。面倒みたるで」とヤクザが言った。  女は同棲相手に、あなたより好きな人ができた、と告げた。ミュージシャンは「出て行け」と言った。 「向こうは浮気ばっかりしてたのに、わたしが他に男を作っちゃって悪かったなとなぜか思ったから、わたしの貯金通帳と印鑑を彼にあげて、アパートを出たんです」  その足で川上みくは大阪のヤクザの所へ行こうと思った。そして大阪の彼の事務所へ東京駅から電話をすると、頼りにするはずだった男は傷害罪で三年の実刑を受け刑務所に入ったばかりだということを知った。  こりゃ、行き場所がない。 ■もしお金が貯まったら、小料理屋を開きたいな  川上みくは実家に戻り、“くるみちゃん”を母親にあずけ、再び東京に戻った。自分もあずかってもらう気持ちは毛頭なかった。 「今まで住んだ中で、両親の家が一番居心地が悪かったんですよ」  川上みくは今度は親戚の家ではなく、東京の友達の家を転々とし始めた。泊めてくれる家がない時は、公園で寝た。 「夏だったからそういう生活ができたと思う。公園で寝ていて雨が降ってきた時は泣きたくなったけど、やっぱり夏はいいですね。あっ、でももうカエルとかは殺さなかったよ(笑)。第一、カエルなんて東京にいないもん」  そんな浮浪生活をしている時、川上みくは路上でAV女優の事務所のマネージャーに声を掛けられた。 「声を掛けられた瞬間、『住む所がないんですゥ』って、その人に泣きついちゃいました(笑)」  事務所の人間はそんな女の子に驚きつつもマンションを彼女のために借りてくれ、AV女優・川上みくが誕生した。 「ビデオ? 物として今のわたしが残るから、嬉しいですね」  ボンドもやめ、今もたまに病院に通いながらも、いつも服用していた睡眠薬を「自閉症も分裂症も治ってきた」という医者の判断で胃薬に変えられた川上みくは、日本酒を愛飲している。部屋で一人で飲むのは淋しくて嫌いなので、新宿の歌舞伎町の居酒屋に一人出かけ、ウォークマンで好きなロック・ミュージックを聴き、ヤクザ関係の本などを読みながら、日本酒を冷やで飲む。そうしていると、ともすると暴れ出して自分の手首をナイフで切ろうとしてしまう心を、「どうどう」となだめることができる。「自殺はいかん」と思っているのに、一度、気がついたら電話の受話器を握ったまま、手首から血を流していたことがあった。 「でも最近太っちゃったんで、事務所の社長から禁酒令を出されたんです。だから精神安定剤として“くるみちゃん”を早く呼び戻さないと……自分が心配……」  私は分裂病ではないが鬱病を飼っているし、ほぼアル中である。何かに依存しなくては生きてゆけない人間である。だから、“くるみちゃん”を求める川上みくの気持ちはよくわかる。痛ましいほど、よくわかる。 ——小さな頃、大きくなったら何になりたいと思ってました? 「何も思いませんでした。毎日毎日を過ごすので精一杯だった。今、ようやく希望みたいなものが見えてきたんです。このビデオの仕事をして、もしお金が貯まったら、カウンターだけの小料理屋を開きたい。そこに各地の日本酒をズラリと揃えて、お客さんたちのいろんな悩みごとを聞いてあげたい。わたし、最近わかってきたけど、母性本能が強いみたいなんです。自分でしゃべるのはやっぱり苦手だけど、人の話は聞ける。  心臓が停まらないうちに、店を開きたいな……」  川上みくの白いベレー帽は、今、どこにあるのだろうか。 AV Actress Miku Kawakami★1996.3 [#改ページ] 今村淳 Editor Atsushi Imamura 本物のシティボーイだった 永沢光雄[文庫版のためのあとがき]

 気温においては夏はまだ立ち去り難い様子を見せてはいるものの、窓外の陽は日増しに黄金の色を濃くしていた。そんな去年の九月二十九日、私はいつものように寝床の中にいた。仕事は月に三本あるかどうか……なのに毎日を酒で無為にうっちゃり、気がつくと数少ない原稿の締め切り日がとうに過ぎ、やっと机に向かうかと思うとベッドへ逃避する。つくづく自分は駄目な人間だと感心しつつ、脂汗を|腋《わき》の下から流し力ずくで眠る。だが人間、そうそう十何時間も眠り続けられるものではない。隣室から、妻が眺めている。『誰それが結婚した。誰それが離婚した』と言うテレビの朝のワイドショーのレポーターの声が耳に入ってきた。昨日は夜の八時に睡眠薬を飲んでベッドという防空壕に避難したから、十二時間以上は寝ている。だが私は瞼をぎゅっと閉じ開かない。開いてしまったら、机と原稿用紙という現実が待っている。現実はどうも性に合わない。  その時、電話が鳴った。  どんなに勤勉な編集者でも、こんなに早い時間に原稿を催促する怒りの電話をかけてくる人間はいない。編集者自身がまだ布団の中にいるからだ。  二度目の呼び出し音を聞き、未だに不思議なのだがその音が伝えようとする内容が私には、わかってしまった。事前になんらかの情報を得ていたわけではない。だが、悲しいが、誰が電話をしてきたのか知らないが、その人の言うことがわかった。 「ハイ、ナガサワデス」と妻が受話器を取り言う。私は横になったまま、体を強ばらせる。 「エッ、エッ? ホントウニ……ハイ、ハイ……ツタエマス、ハイ……ハイ」  電話が切れた。私の予感は確信へと変わった。妻が|襖《ふすま》を開けて仕事部屋兼寝室へ入ってきた。 「オキテル? イマ、ブンシュンノヒトカラデンワガアッテ……」  私は寝返りを打ち妻に背を向けた。 「イマムラサンガネ……」  実の母親が死んだ時も、その胸中を推し量ることは当然無理であったが少なくとも一時間後には笑顔を作っていた妻の声が震えていた。  私は目を開け布団をはぎ防空壕から出た。そして、机と原稿用紙という現実の前を素通りし、台所へ向かうとグラスに氷と焼酎を入れ、テレビのある部屋のソファに坐った。テレビでは、都内の美味しいラーメン屋を紹介している。私はそれを見ながら焼酎を|啜《すす》った。啜りながら、以前に今村淳から貰った葉書を思い出した。 『前略  先日は久しぶりにお会いでき、とても嬉しく思いました。しかし……あえて一言……かなりまだ明るいうちからのアルコールは控えられた方が、と思います。永沢家憲法でもつくって、夕方五時以降に限るか、月に6回は休肝日をつくるとか……余計な一言ですが、まだまだ書くべきことが永沢さんにはあるのですから、そのためにも体力、健康が第一です! [#地付き]草々』  三杯目の焼酎のオンザロックを作り、私は今村が勤務していた文藝春秋へ電話をした。  今村淳の死は、どうにもこうにも、どうしようもなく、本当のようだった。  私より七歳上だから、四十五歳……。  こんな現実をつきつけられるくらいなら、机と原稿用紙という現実とがっぷり四つに取り組んでいればよかった。机と原稿用紙そのものは現実だが、その場所ではノンフィクションと銘打ちながらもどんな嘘でもつける。なんなら、死んだ人間を無理矢理に生き返らせてあげてもいい。けど……どうやら、今村淳は、死んじゃった……ままらしく……。  黙って焼酎を飲み続ける私に、妻は何も言わなかった。その妻の態度が、余計に悲しみをふくらませた。 「あなたのAV女優インタビューを本にまとめたい」  フリーの編集者である向井徹が言った時、私は驚いた。そんなこと、考えたこともなかった。私は呆れてしばし向井の顔を見、そして、そんなことはよした方がいい、と言った。私も一応、元編集者である。そのくらいの勘は働く。今、いかに単行本が売れない時代であるか。その時代にあって、AV女優インタビュー集などという地味な本が売れるわけがない。悪いことは言わないからもっと違う企画を考えた方がいい。私は向井を|諄 々《じゆんじゆん》とさとした。だが向井は頑として納得しない。もう、ビレッジセンター出版局社長の中村満から、発行人になってやるという了承も得ていると言う。ええい、じゃあ勝手にしろ! でもどんなに損をしても知らねえからな!  だから、私は単行本『AV女優』の制作には一切関わっていない。著者校もしていない。或る日、向井からどさっとゲラが送られてきたが、最初の一枚に目を通しただけでとてつもない自己嫌悪に陥り、すぐに送り返した。勝手に直して下さい、と記して。  そんなわけなので、向井から見本版を手渡された時は不思議な感じがした。へえ、本っていつの間にかできちゃうんだな。本としては、表紙を含め姿形はなかなか上品な出来だとは思ったが、自分の本とは感じなかった。あくまでも向井徹の本だと思い、私は彼に「良かったな。きっと売れるよ」とお世辞を言った。その晩、酒の勢いを借りて『AV女優』を初めて読んだ。幾箇所か、おっ、いいなあ、と思う文章があったが、そんな部分に限って自分が書いた覚えがない。多分、向井が直すか加筆してくれたのだろうと独りごち、感謝した。  本が発売されてから一週間も経っていない午後、私のアパートの部屋の郵便受けに一枚の葉書が投げ込まれた。郵便番号の上に『速達』と赤いスタンプが押してある。速達なんか貰ったことがないので、何事だと|訝《いぶか》り差し出し人を見ると、『文藝春秋 出版局今村淳』とある。知らない人だ。知らない人が何を速達で私に……『AV女優』に登場していただいた女の子の親だろうか……だから怒って速達か……私は正直脅えて葉書を裏返した。黒い万年筆で記された草書っぽく大人っぽいながらもどこか可愛らしい文字が並んでいた。今から思うとあの字体こそが、今村淳の人間性をあらわしていたような気がする。 『前略  突然このようなお葉書を書かせていただきます失礼、お許しください。御著「AV女優」、さっそく購入し、拝読させていただきました。たいへん興味深く一人一人がいとおしく、愛らしく、時々痛々しく……とても魅力的に描かれていることに感じ入りました。いますぐ何かお仕事をという訳ではないのですが、一度お目にかかれたらと思っております。近々ご連絡させていただきます。 [#地付き]草々』  嬉しかった。実は向井の本であるのだが、自分のことのように嬉しかった。その日、私は何度も何度もその葉書を読み返し、妻にも読ませ、また自分で読んだ。  三日後、私は自分の住む新宿二丁目の居酒屋で今村淳と会った。今村は体格が良く、その体を洒落たスーツで包んでいた。「いやあ、どうもどうも」と眼鏡の奥で細める目と、やや薄くなりかけている頭髪は、人情話を語らせたら若手で随一の噺家というイメージを私に与えた。 「『AV女優』、良かったです」  今村はそう言ってくれた。いや、あの文章にいい所があったとしたら、そこは向井君という編集者が加筆訂正した部分だと思うんですけど。 「いやあ、それも永沢さんの人徳ですよ」  素直に喜ぶことにした。これからも人に頼りっぱなしで生きて行こうと思った。  居酒屋で二人は焼酎の四合瓶を二本空けた。次に移ったバーではジャック・ダニエルを一本空にした。その間、私は今村の口から今村自身のことをいろいろと知った。東京の代々木で生まれたこと。子供の頃から雑誌の編集者になりたかったこと。学習院大学時代はフェンシング部でしごきにしごかれたこと。文春に入社して配属された、スポーツ雑誌『ナンバー』や『週刊文春』での仕事がいかに面白かったか、そこでの上司との喧嘩がいかにやりがいがあったか……等々……ふと、この人、何をしに来たのだろうと思ったが、話が、というか今村淳という初めて会った人が楽しく、そんな疑問はアルコールの霧の彼方へ消えた。私は人の話を聞くのが好きだ。だが時々、相手が自分に酔い、内容が幸せなことであれ不幸なことであれ自慢話になると、少しだけ|辟易《へきえき》することがある。だが今村の話は終始楽しかった。それは上質のエッセイを読んでいるような感じ。まだ本題に入らないでと祈るくらいに落語の名人が語るマクラに酔っている感じ。快感を覚える自伝だった。なぜ、本人が語る本人がこれほど楽しいのか? 私は酔った頭で考え、わかった。今村が常に自分が生きていることに、自分が存在していることに恥ずかしさを抱いているからだ。だから今村には嫌味がない。シティボーイ、という言葉が私の頭に浮かんだ。  東京生まれの東京育ちの人たちの中には、たまに鼻持ちならない人がいる。言葉の端々に自分は都会人であるという自意識が見え隠れする。他の土地から来た人間に対して排他的である。そんな東京人、田舎モンだと思う。逆に、私のように東北から東京に出て来た人間で、そういう|東京人《ヽヽヽ》に|媚《こ》びへつらう人間がいる。やはり田舎モンだと思う。  その点、今村淳はどんなに酔っぱらっても品があり、私が生まれて初めて出会った本物のシティボーイだった。  その夜、私は妻を呼び出し、今村を三軒目の店へ誘った。私のゲイの友人が経営している店だった。今村はオカマたちに|唆 《そそのか》されてカラオケマイクを握った。曲名は忘れたが、酒のせいではなく顔を赤く染めて|俯《うつむ》き加減にうたう歌は、なかなか上手だったことは覚えている。友人がそれを聴きながら私に耳打ちした。 「あの方、上品な人ねえ」  歌い終えた今村は私の隣に坐り、ぼそっと言った。 「言い忘れてましたけど、僕、今、文庫部なんですよ。早く雑誌の仕事に戻りたいです。リアルタイムでね、作家と仕事をしたいんです。その時は是非一緒に仕事をしましょう」  その日、一度だけ見せた今村の淋し気な横顔だった。  明け方、今村と別れた私と妻はアパートへ帰った。私は勿論、妻もかなり酔っていた。服を面倒臭そうに脱ぎながら東京の下町生まれの妻が、「今村さんってかっこいいなあ」と言い、私を眺めて溜息をついた。  三日後、今村から葉書が届いた。それは普通の郵便葉書ではなく、デパートの文具売り場などでポストカードと称されて売られているものだった。絵葉書のようなものだが、その葉書の裏には絵ではなく文字だけが印刷されている。中央に大きな赤い文字で『ガンバルぞ!』とあり、その周囲を地紋のように小さな幾つもの『ガンバルぞ!』という文字が埋めている。そしてその小さな赤い文字の所々に青い色の違う文字が見える。 『人生は一回きり』、『まだまだこれからだ』、『やり抜いてみせる』、『NEVER GIVE UP!』、『今を大切にするぞ』、『挑戦あるのみ』、『何のために生まれてきたのか』、『一生懸命やるだけだ』、『中途半端はキライだ』、『ヤッてみなけりゃわからない』  なぜ今村はその葉書を選び購入し私に送ってきたのだろうか。多分、一度会っただけで、アル中でだらしなく志のない私の人間性を見抜いたからだろう。……しかし、今、この文章を書くためにその葉書を見ていたら、胸が詰まった。今村さん、あなたにこそ、この葉書を、今村さん、どこにいるのかわからないけど、今村さん、あなたにこそ、送りたい。 『前略  楽しいお酒を有難うございました。多弁な編集者なものですから、ついしゃべり過ぎて、申し訳ありません。話が思わぬ方にふくらみましたが、また近々御著のお話でも肴に是非一杯! 奥方にもよろしくお伝えください。 [#地付き]草々』  それから一カ月か二カ月に一度の割合で今村から酒の誘いの電話があり、私は今まで足を踏み入れたことのない銀座や新橋の、飲み代が一体どれくらいになるのか見当もつかない店に連れて行って貰った。バーテンダーや店の女性に、「この人、AV女優の永沢さん」と私を紹介し、相手の戸惑う表情を見るのが今村は好きだった。  これは全くの私の思い上がりなのだが、年上の人間に対して大変失礼な言い方なのだが、今村は会うごとに次第に私に心を許してくれるようになった気がする。私は最初の出会いからすっかり心を許していたが、そして、杯を重ねるにつれ、今村は若輩者に淋し気な顔を見せることが多くなった。一度、その日四軒目の店で、「僕はですね、若い頃から本当の友達っていうのがいないんですよ。……本当の友達ってなんですかね。永沢さんもそうでしょ。友達、いないでしょ。わかるもん。僕と同じ臭いがするもん」と今村が言った。  私が「今村さんと飲みに行く」と言うと、妻は喜んだ。なぜなら別れる時に必ず今村が、「これ、奥さんへのお土産」と言って銀座かどこかの洋菓子店のケーキが入った箱を手渡してくれるからだ。そのケーキは酒飲みの私が口にしても美味なもので、妻は、「本当に上品な人って、本当に上品なものを知ってるのよね」と下品にケーキを頬張った。  一昨年の初春、私はビレッジセンター出版局の中村満を介し、或る出版社の編集者氏と会った。彼は、『AV女優』を文庫化したいと言った。それについては中村社長の了承は得ている。あとはあなたに承諾して貰えれば……。文庫本! 単行本以上に想像だにしなかったことである。誠に有難いお話ですが……と返事をしながら、私の頭に今村淳の顔が浮かんだ。確か今村は現在、文庫部に所属しているはずだ。しかし、今村の口から『AV女優』を文庫にするという話は一度も出ていない。会えば「小説を書きなさい」とだけ繰り返し言ってくれるだけだった。性風俗産業に従事している人たちの話をまとめた、『風俗の人たち』という私の本が出版された時に貰った葉書の文面も次のようなものである。 『前略  御著「風俗の人たち」、とても面白く最後まで拝読させていただきました。一度、三十〜五十枚で短編をお書きになるべきです。表面上の風俗は時代とともに変わっても、そこでドタバタする人間は変りなし。“性は悲しい、そして人間は楽しく悲しい”。人生のどうにもならないこと、を書いてください。 [#地付き]草々』  文庫化の話は経済的にも嬉しい。だがなんと言っても、あの本が出た時に最初に声を掛けてくれ、酒をおごってくれた編集者は今村淳だ。その恩は忘れていない。今村が、あんな本は文庫化するに価しない、と思っているかもしれないが、ここはまず今村の考えを確認せねば……と思いつつ、私の、誰にも良い顔をしたいという悪い面が出、飲むほどに編集者氏に、「(文庫化を)お願いします」といったニュアンスの言葉を発してしまった。  翌日、私は今村に電話をした。あの、こんなことを僕から言うのもなんなんですが、他の出版社から『AV女優』の文庫化の話が来てるんですが……。今村は電話の向こうで驚き慌てた。 「あれっ、僕、最初に会った時、文庫化のお願いをしませんでしたっけ」  はい。 「あちゃあ、まいったなあ。僕、すっかりウチで文庫にする了承を貰ってたと思い込んでました。著者の方にこんな電話をさせてしまうなんて、いや、お恥ずかしい。その話、断って下さい。ウチで出しますから」  傲慢ながら、困ったことになったと思った。私は真の著者である向井に相談し、とりあえず私に会いに来てくれた編集者のS氏に肩入れをしている中村満と、今村淳を引き合わせることにした。そして私は洞ケ峠を決め込むという算段。  曙橋の私の友人が板場に立つ寿司屋での巨頭会談は、二人が互いに自分の大学時代の話をし始めた時、急速に和解へとなった。今村は学習院大学時代にフェンシング部。中村は東京農大時代にボクシング部で活躍していた。そして、中村は今村が自分より三歳上と知ると、「じゃあ、先輩じゃないすか!」と立ち上がった。学校も競技も違うのに、大学の体育会に所属していた人間たちにとって、『一年生は奴隷、四年生は神様』という呪縛からは一生逃れられないようだ。 「まいったなあ」  中村は短髪の頭を右手で|掻《か》いた。そして、「わかりました。永沢の本は今村先輩にお任せします。よろしくお願いします。Sには自分の方からよく言ってきかせますから、心配しないで下さい」と言い、今村に両手を差し出した。今村は面映ゆそうに立ち上がり、「申し訳ございません」と中村の手を握った。  だが、私、思うに、中村の「先輩云々」は中村の照れから出た言葉である。中村は初対面で、今村に惚れてしまったのだ。それが恥ずかしく、体育会に自分の納得の持って行き場所を求めたのだ。その後、中村と飲む度に中村は、「今村さんってなんかいいんだよな。また一緒に飲みてえなあ」と言っていた。その願いはとうとうかなわなかったが。  今村と会うのは決して夜ばかりではなかった。完全に何かを勘違いした映画監督の原一男氏が映画学校で自分の持つ講座に講師として私を呼んでしまった時。『風俗の人たち』が出版され、版元の営業の方の命で池袋の書店で講演まがいのことをした時。恥ずかしくて知らせていなかったにもかかわらず、今村はその場所にさり気なく現れ、席の一番後ろに坐っていた。今村のその顔を見ると、父親に見守られている感じがし、緊張がほぐれたものである。  いつものように酒場で、今村と私はとりとめのない会話をしていた。今村が、自分が一番尊敬しているジャーナリストは竹中労であると言う。私は同調する。今村が、小説を書くならこれを読め、と吉村昭の『戦艦武蔵ノート』を鞄から引っ張り出す。読ませていただきます、と私はその文庫本をおしいただく。今村が、自分の飼っている猫がいかに可愛いかと自慢する。さして興味はないが、それはさぞ可愛いでしょうね、と私は頷く。急に今村は悲し気な顔をし、カミさんと喧嘩をしてしまったと嘆く。慰めるべく、自分のところの夫婦喧嘩がいかに凄いかを私は語る。  その日、今村は穏やかな表情はいつもながら、酒の方はあまり進まなかった。 「どうも最近、背中が痛くてね、酒が美味しくないんですよ」  あの頃すでに、得体の知れぬ病気は今村の体を|蝕《むしば》み始めていたのだろうか。  ふと私は、北島行徳という友人が主宰している『ドッグレッグス』という身体障害者プロレス団体のことを話した。北島自身は『毎日中学生新聞』の記者を長いこと務めていた健常者だ。だが、いわゆるボランティア活動に関わり身体障害者たちと交流を持つうち、気がつくと、障害者同士、健常者対障害者、という試合をマッチメイクするプロレス団体を作ってしまっていた愉快な男である。今村は北島とその団体に異常な興味を示した。私は『ドッグレッグス』の興行に今村を連れて行くこと、北島に紹介することを約束した。  数週間後、下北沢の多目的ホールで行われている『ドッグレッグス』の試合の客席に、感動している今村淳がいた。試合後、うっすらと目に涙を浮かべた今村は私に、「絶対に北島さんに書き下ろしで『ドッグレッグス』の本を書いて貰いますよ!」と言った。文庫本というリニューアルの仕事に飽き飽きしていた根っからの編集者が、久々に獲物を見つけたという目だった。  その後、今村が北島にどのように交渉をしたのかは知らない。ただ、北島は、長編書き下ろしという聞いただけで|眩暈《めまい》を覚える道に踏み入った。  今村からの電話は今までに増して頻繁になった。話題はいつも『ドッグレッグス』がいかに素晴らしいかということ。北島に訊いたら、あれから今村は『ドッグレッグス』の会場に足繁く通い、身障者レスラーたちから「メガネのオジサン」となつかれているそうだ。  だが電話の回数と反比例して、今村と飲む機会はめっきりと減った。受話器を置く前に今村は必ず、「飲みたいんですけど、どうも背中の痛みがひどくて……」と謝るように言った。その頃、今村は医者からの勧めで、出社前に実家近くのスポーツジムのプールで泳いでいた。  ここまで書き、私は初めて愕然とした。医者からの勧め……もしかするとあの頃すでに、今村は自分の病気を知っていたのではないか……。だがあの頃の私は自分が慢性の腰痛に悩んでいることもあり、似たようなものだろうと思い格別気にもしていなかった。  久し振りに今村と会ったのは、北島の第一稿の原稿が上がった時だった。「読んで下さい」と顔を綻ばせ私にゲラを渡すと、今村は生ビールを一杯飲み二丁目の居酒屋を出て行った。その晩、私は一気に北島の原稿を読んだ。いい文章だった。だが、同時に私の体の中に妙な感情が生じるのを覚えた。なんだろう、この感情? 自問自答し、私は苦笑した。その感情は北島に対する嫉妬だったからだ。今村淳という年上の友人であり、父親でもある男を取られてしまった嫉妬……。  その年の十二月三十日の夕方、今村から電話があった。会社からだった。「いろいろと仕事が溜まっちゃって」と今村が言った。「カミさんとまた喧嘩しちゃった」と今村が笑った。「最近、体に力が入らないんです。喫茶店のドアを押そうとしても、ドアに負けちゃうんだなあ」と今村が呟いた。  年が明け、北島行徳と今村淳の本である『無敵のハンディキャップ』の出版記念パーティが、神楽坂の出版関係のイベントを行う建物で行われた。私は妻と共に出席した。今村淳は顎髭を生やし張り切って司会を務めていた。顔色がいいので安心した。居酒屋での二次会がお開きになり、皆は三次会へ繰り出そうとしている。大人数の中で飲むのはどうも疲れるので、私は妻とそっとその場を離れ、大通りに出、タクシーをつかまえようとしていた。すると後ろから、「永沢さん」と声がする。振り向くと今村がいた。今村が言った。 「三人で、ちょっと飲みましょうよ」 「えっ、でも、三次会に出なくていいんですか?」 「……静かに、永沢さんと奥方と飲みたいんです。久し振りだから……」  嬉しかった……。  三十分後、私たちは新宿五丁目のバーのカウンターに坐っていた。 「『無敵のハンディキャップ』の御出版、おめでとうございます」  私がそう言い、ウィスキーの水割りの入ったグラスを今村の目の前にかかげた。 「ありがとう」  今村は答え、右手でグラスを持ち上げようとした。その時、グラスがするっと今村の掌をすり抜け落下しかけ、今村は慌てて左手でグラスの底を支えた。  私たちは乾杯をした。 「書きなさい。とことん、小説を書きなさい。書かなきゃ駄目ですよ、永沢さん」  今村は、私に、言ってくれた。 「今年あたり、小説誌に移れそうなんです。そうなったら、絶対に一緒に仕事をしましょうね」  今村は、両手でグラスを掴みながら、言った。  昨年の三月六日消印の今村淳からの葉書。 『前略  ご心配をおかけしているようで、どうも申し訳ありません。昨年末からの不調をこの際、徹底的にチェックしてもらおうと思ったら、即入院、といっても検査入院ですが、ということになりました。久しぶりにのんびりと思っておりましたら、けっこう検査に追われています。マァ、仕事をしない奴も……多いので、私の分までしばらく働いてもらおうと思っております。大兄こそ、お身体を大切に。 [#地付き]草々 [#地付き]虎の門病院にて』  妻と話し合い、私は今村の見舞いに行くことをやめた。シティボーイの持つダンディズム。それは、見舞われるということを一番嫌うに違いないと思ったからだ。  九月七日。『無敵のハンディキャップ』が講談社ノンフィクション賞を受賞した。北島には悪いが、私は今村淳のために、心の底から喜んだ。これでシティボーイの編集者は元気を取り戻すことだろう。  十月一日。シティボーイの通夜の日は朝から雨が降っていた。  十月二日。シティボーイの告別式の日は、頭上に青い空が広がっていた。出棺。シティボーイの奥さんが、泣きながら、シティボーイのにっこりと微笑んだモノクロの遺影を胸に抱き、霊柩車の助手席に乗り込む。その時、出張先から中村満が息せき切って姿を現した。駅から葬儀場までの道に迷い、かなり走り回ったらしく、顔から汗が噴き出している。そして、奥さんに抱かれたシティボーイを目にした瞬間、汗ではない液体が中村の顔を濡らした。  私は、一度ぐらい、シティボーイから貰った葉書に返事を書けばよかったなあ、と思った。   シティボーイからいただいた葉書は、本人に無断で引用いたしました。ごめんなさい。それから、Sさん、ごめんなさい。でもきっとこの本は売れませんから、御社で文庫にしなくてよかったと安堵されることと思います。 Editor Atsushi Imamura★1999.4 [#地付き]ながさわみつお ライター 初出一覧 冬木あづさ(photo上野いさむ)   『ビデオメイトDX』1991年7月号 吉沢あかね   『AVいだてん情報』1992年6月号 希志真理子(photoヒロ忘八)   『AVいだてん情報』1992年7月号 藤岡未玖(photoヒロ忘八)   『AVいだてん情報』1992年8月号 森川いずみ(photoヒロ忘八)   『AVいだてん情報』1992年11月号 幸あすか(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1993年1月号 有賀ちさと(photo甲田圭介)   『ビデオ・ザ・ワールド』1993年2月号 白木麻実(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1993年3月号 川村弥代生(photo平沼正弘)   『ビデオ・ザ・ワールド』1993年6月号 沢口梨々子(photoヒロ忘八)   『AVいだてん情報』1993年7月号 姫ノ木杏奈(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1993年8月号 小沢なつみ(photo平沼正弘)   『ビデオ・ザ・ワールド』1993年9月号 有森麗(photo平沼正弘)   『ビデオ・ザ・ワールド』1993年10月号 卑弥呼(photoヒロ忘八)   『AVいだてん情報』1994年1月号 桜井瑞穂(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1994年1月号 片桐かほる(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1994年2月号 藤田リナ(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1994年3月号   +『AVいだてん情報』1994年11月号 沙羅樹(photoヒロ忘八)   『AVいだてん情報』1994年6月号 永嶋あや(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1994年9月号 安藤有里(photo徳田満)   『AVいだてん情報』1994年10月号 風吹あんな(photo平沼正弘)   『ビデオ・ザ・ワールド』1994年10月号 細川しのぶ(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1994年11月号 倉沢まりや(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1994年12月号 美里真理(photoヒロ忘八)   『AVいだてん情報』1995年1月号 水野さやか(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1995年1月号 日吉亜衣(photo松沢雅彦)   『AVいだてん情報』1995年2月号 南条レイ(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1995年2月号 桂木綾乃   『AVいだてん情報』1995年3月号 森川まりこ(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1995年4月号 宏岡みらい(photo松沢雅彦)   『AVいだてん情報』1995年5月号 氷高小夜(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1995年5月号 白石奈津子(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1995年6月号 栗田もも(photo平沼正弘)   『ビデオ・ザ・ワールド』1995年7月号 中井淳子(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1995年8月号 山口京子(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1995年9月号 観月沙織里(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1995年10月号 白石ひとみ(photo梶井ひとみ)   『AVいだてん情報』1995年11月号 片山唯(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1995年11月号 刹奈紫之(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1995年12月号 松本富海(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1996年1月号 柚木真奈(photo西田俊一郎)   『ビデオ・ザ・ワールド』1996年2月号 川上みく(photo松沢雅彦)   『ビデオ・ザ・ワールド』1996年3月号 [#改ページ] We wish to thank the following people. 中沢慎一(『ビデオ・ザ・ワールド』) 松沢雅彦(『ビデオメイトDX』) 大沢徳一郎(『AVいだてん情報』) ヒロ忘八(大洋図書) 徳田満 上野いさむ 甲田圭介 平沼正弘 梶井ひとみ 西田俊一郎 アトミックワークス イメクラ「セカンド・ハウス」(「希志真理子さん在籍) スターシップ モルフェス ビズ・プランニング 浅草ロック座 ロイヤルクラブ「バチカン」 オフィスタシロ オフィスZOO オフィスビンゴ 歌舞伎町「スペースD」 イメクラ「ロコロコ」 スナッピー ムーンライト メディアボックス 道斉義和(メディアボックス) 「まり美療」 フェイク・トゥ ワイルド・プロ クラブ「セイシェル」 バックステージ オフィス・ビスケット セリエ ビビアン・プロモーション …………そして、本書に登場するAV女優のみなさん! 単行本 ビレッジセンター出版局 1996年4月刊行 [#改ページ]          文春ウェブ文庫版     AV女優(下)     二〇〇二年六月二十日 第一版     著 者 永沢光雄     発行人 上野 徹     発行所 株式会社文藝春秋     東京都千代田区紀尾井町三─二三     郵便番号 一〇二─八〇〇八     電話 03─3265─1211     http://www.bunshunplaza.com     (C) Mitsuo Nagasawa 2002     bb020605