永 六輔 役者その世界 [#表紙(表紙.jpg、横180×縦261)] [#ここから4字下げ]    口  上  ここには役者、芸人の世界のエピソード、ゴシップ、雑録がひろい集められている。  本を読み、人の話を聞き、又、実際に体験するというような形で、「生きるって面白いな」と感じたものばかりをメモするようになって五年。 『芸人 その世界』の続篇という意味の『役者 その世界』。  能、狂言から、モダン・ジャズまで、僕達が楽しんできた芸の世界の神話、伝説であり、それを積み重ねてみると、古今東西を問わず、人間臭さが匂ってくるものを知った。  そして、この人間臭さは、時に清純、時に淫靡に匂って、常識の世界のつまらなさを教えてくれる。  では、僕の二ツ目の乞食袋を逆様にして拾い集めたものを御覧にいれる。 [#地付き]永 六輔  [#ここで字下げ終わり] [#改ページ] 目  次  口  上  役者 その渡世  役者 その弟子  役者 その仲間  役者 その家族  役者 そのひとりごと  役者 そのY談  役者 その色事  役者 その政治意識  役者 その周辺  役者 その評判  役者 そのマスコミ  役者 その同業  役者 そのスタッフ  役者 その舞台  役者 その音楽性  役者 その世界  役者 その……僕  役者 その過去帳  お わ り に  参 考 資 料  文庫のためのあとがき [#改ページ] [#小見出し] 役者 その渡世         ☆ 「芸能界という人工の楽園に足をふみ入れて、華やかなスポット・ライトをあびたとき、栄光とひき替えに平凡な女のしあわせを、私は売り渡してしまったのです。スターであるかぎり、幸福な結婚生活など望むことはできないと思います」 [#地付き]美空ひばり         ☆ 「役者なんてのは、今日があっても明日がない、やくざな稼業だと思っています。無気力で怠惰で見栄っぱりというのが役者なんですよ。一歩あやまれば明日は乞食なんですからねェ、決して今金が入るからといって、いばれる商売じゃありませんね」 [#地付き]渥美清         ☆ 「演技している時って恥ずかしい、私、ものすごく恥の感覚がある、だから逆に開き直っちゃう」 [#地付き]緑魔子         ☆ 「僕はきっと野たれ死をすると思う」 [#地付き]三国連太郎         ☆ 「役者は無産者であるべきである」 「状況劇場の役者は、行くべき病院のない情念の病人である」 「舞台に立つ役者とは、常に�奈落�という地獄からはい上って来た者であるため、窮極的には、客をかどわかして連れ去りたいといういたずら心で一杯だ」 [#地付き]唐十郎         ☆ 「三カ月ばかり喰らいこんでいましてね、あン中で映画監督になろうと思った」 [#地付き]若松孝二         ☆ 「この世界でよく言われてきたことに、日本の俳優の多くは下層階級の役をふられるとたいていサマになるという伝説があります。  でも私はこういう悪意に満ちた言葉には反発を感じてしまうのです。貧乏人に対する優越と俳優に対する皮肉をかぎつけるからでしょうか」 [#地付き]井川比佐志         ☆ 「遊侠の徒っていうのは映画人など自分の同類だと思っている」 [#地付き]川島雄三         ☆ 「しょせん芸を行なうものは無頼の徒である。自由奔放に、女王のようにぜいたくに、自分自身のために大きく生きるべきである」 [#地付き]新藤兼人         ☆ 「映画ってのは理屈じゃないです、共感ですよ、詩ですよ、どんな人間だって、世間からクズみたいに思われているヤクザモンだって心の底には詩をもっている。その詩を、わたしは代わってうたうんです」 [#地付き]鶴田浩二         ☆ 「私は小さい時に貧民窟で育ったために、カクヤだとか乾物が好きで、ぜい沢な御馳走は性にあいませんから、栄養分が足りないと言われても、どうしても御馳走が食べられないので悲しく思っております」 [#地付き]桃中軒雲右衛門         ☆ 「女優って商売は、結局、社会機構のラチ外にないと成り立たないんじゃないかしら」 [#地付き]楠侑子         ☆  博多俄の博多玄海がいっていた。 「芸人と、やくざの女房はそう簡単に別れなかったものです。セックスの技術がそれだけ上手だったんですねエ、そうでしょう、上手な男とは別れやしませんよ」  この頃、ポンポン別れているところをみるとセックスの方の芸も低下しているわけですね。         ☆  男性が女装をした場合はさしたる形容詞がないが、逆の場合だと「男装の麗人」というのが面白い。その麗人として鳴らした水の江滝子の巡業の話。  さるやくざの親分と興行の契約をかわすことになった。日程や出演料を決めた契約書をさしだして「御署名を」  親分、悠然と右側の子分に、 「署名をしろ」  子分が親分の名前を書く。 「そのお名前の下に印を押して下さい」  親分が拇印でいいかというので「結構です」と答えたら、親分、右側の子分に、 「拇印を押せ!」  子分が進み出て拇印を押す。  当人は何もしない契約がこうして済んだ。         ☆  九州のある興行社で、そこをやめて東京で苦労しようと思った芸人がいた。  その話を聞いた興行社の社長は、東京に行くことは許したが、刀をぬいて「で、いらないのは、右手か、左手か?」  彼は今でも九州を巡業している。         ☆ 「どんな事件が目前で起っても、けっして演奏をやめてはならない」  アル・カポネが、彼の経営するクラブのミュージシャンに命令している。  つまり、ピストルの音、悲鳴などの騒音を消す役目もあったのである。         ☆  ロバート・ライアンは銀行ギャングの車の運転をしたことがあるという。その後、ロバート・ワイズに認められて性格俳優として名をなした。         ☆  フランク・シナトラとギャング・シンジケートの関係は公然たる事実だが、彼はいつもテレビの画面から、ニッコリと歌いかけてくる。  アメリカのテレビはギャングを告発する勇気と、ギャングに歌わせる寛容さを持っているのが面白い。  でも、テレビってそんなものだと思う。         ☆  やくざの世界の言葉に、 「利口じゃできず、ばかじゃできず、中途半端じゃなおできず」 「成りあがりもんじゃだめ、成り下りもんでなけりゃ通せない渡世」  このあたり、芸人も同じです。         ☆  映画のロケが、現場整理という名目で土地の親分に謝礼を払うのは、いまでも常識だが、ここを接点としてやくざが撮影所とつながり、逆に撮影所ではやくざの若い衆に立ちまわりなどを頼む。  こうしてやくざから役者になった人達も多いのだ。         ☆ 「やくざ稼業は刑務所の塀の上で踊りを踊っているようなものだ」 [#地付き]某親分         ☆  京城大学教授、張東琳氏による「演芸人の暴力、その心理分析」という論文を読んだ。  いずこも同じという論調だが紹介すると、まず〈内的要因〉と〈外的要因〉にわけられる。 〈内的要因〉 ㈰ 感情の豊富さが実生活とのアンバランスを生む。活劇スターは暴力的になり、二枚目スターはドンファンの傾向を帯びる。 ㈪ 意志の制御が出来ない。彼等のブレーキは故障している。 ㈫ 特権意識があり、すべてが金で置きかえられると思い込んでいる。 ㈬ マスコミにとりあげられる為には何でもするし、それが人気につながると信じている。 ㈭ 多くのスターは疲れていて、忍耐力が無くなっている。 ㈮ 欲求は高く、能力は低いから、常にいらだっている。 〈外的要因〉 ㈰ フロイト流にいえば、自我の形成に失敗した人達の集まりである。 ㈪ 判断力に乏しく、無知な周囲の中で育っている。 ㈫ 暴行は黙認するという社会であり、もし前科者になったとしても公務員として再起するわけではないから平然としていられる。  以上、隣の大韓民国での話である。         ☆  初代市川団十郎が殺されたことは有名だが、能の喜多流二代目も、舞台から楽屋に入ってきたところで刺し殺されている。         ☆  国定忠治の妾だったおとくという女は、忠治が処刑された後、江戸に出て四代目市川小団次と関係を持っている。         ☆  十一代目片岡仁左衛門の伝記を読むと、脇差を手に「殺してやる」と駈け出す場面が何度も出てくる。         ☆  女義太夫最高のスターだった豊竹呂昇は十四歳の時に強姦され、その相手の男は後に詐欺罪で検挙され、出所後も彼女につきまとった。         ☆  モスクワに健在の岡田嘉子は十八歳の時に乱暴されて妊娠した。  幾多の恋愛事件の後に、昭和十三年、ソ連に亡命している。         ☆  昭和十四年。  吉本の芸人を金で引きぬいた新興演芸と、この対立にともなう暴力団の抗争は、花菱アチャコの自伝『遊芸稼人』にも具体的に書かれている。  暴力団とのかかわりあいを明記するのは勇気がいるだろうが、それだけに迫力があっていい。         ☆ 「相手を舞台に引き込む根気」 「ほろりとさせる温かみ」 「神経をギクリとさせるセリフ」  以上、三ツは役者ではなく刑事が自白を引き出す時のコツだそうである。         ☆  乞食に金を借りようと頭をさげて、アッサリ断わられたのはかつての勝新太郎。  本当に乞食だと思われて十円めぐまれたのは三国連太郎。  泥棒にめぐまれた金で年を越したことがあるというのが服部伸。  乞食の前に正座して観察した大河内伝次郎や、声をかけて話しこんだ中村鴈治郎、それに役者は乞食と同じだといった九代目団十郎やチャップリン。  いろいろエピソードが残されているが、乞食の側にたって、彼の為に喜捨を求めた人にイタリアオペラのデル・モナコがいる。 「千両とっても役者は乞食」という言葉を思いだす。         ☆ 『わんぱく発言集』(協同出版)は中学生の発言を項目別に分類したものだが「芸能人」というページから。 「芸能人は民間人に楽しみをもたらす、ごきげんとりだ」(三年男) 「芸能人は、ボクが思うには、お金をもうけるのが本当の芸能人で、お金をもうけないのは芸能人でない」(三年男) 「芸能人は自由を売り金をもらう。つまり、芸能人は金で身を売る人のこと」(三年女) 「芸能人とは殺し屋の一種であって、金をもらえば、どんな役でもやる最低な動物だが、殺し屋よりも好きだ」(三年男) 「私もあの輝くような世界に憧れる。しかし、人気も出ない間に消えていった歌手は何をしているのだろう」(二年女) 「私もスターになりたいんだけど、はだなんか出したりして、みっともないから、なりたくない」(一年女) 「俳優なんか、いなくてもよい。世の中の人全部が俳優なのだ、俳優ぶると話題になる世の中では駄目だ」(三年女)         ☆ 「僕はまだ小さい頃から猥褻《わいせつ》な冗談なんかおぼえて、万引きだとか、女の子のズロースを引っ張り下ろすとかやった。いつもつかまらなかったのは僕だけだった」 [#地付き]ジョン・レノン         ☆  ジョン・レノンの中学時代の成績表には次のように書きそえてあった。「見込みなし、他の生徒の勉強の邪魔になっている」         ☆ 「僕の望みは女と金と服だけだった。それで時々、一寸した盗みをやった」 [#地付き]ポール・マッカートニー         ☆ 『明治百話』(篠田鉱造)という本に首斬り浅右衛門の談話が載っている。  幕末に多くの志士を斬り、明治になって夜嵐おきぬや高橋お伝を斬っているが、こちらは公衆の面前だから殺人ショウである。  おきぬの方は当時の名優ほとんどと関係を結び、団蔵、菊五郎、女寅《めとら》、家橘と名が並んでいる。  死刑の時に後の市川権十郎の子を妊娠していたので出産させてから斬ったという。  明治四年九月二十九日。 「公開の首斬りは、あとでその首をさらす為に坐りのいいように斬らなければなりません」などと淡々と語るのが面白い。  その年の断罪はその年に片づけるので大晦日に三十人ほど斬ったことがあるともいう。         ☆  モダン・ジャズのドラマーがその演奏が最も高揚した時に銃殺されるんだったら、それでも構わないといっていた。  敗戦直後の小平事件の犯人は、その自白の中で犯行の最中は「日本刀で後から首をきられてもいい」ような陶酔境だといっている。  プレスリーにはじまるロックの歌手達にも同じようなことがいえるのではないだろうか。         ☆  三世沢村田之助が脱疽になった時「河原乞食は診察出来ない」と断わられ、横浜のヘボンのところへ出かける。  手術に立ちあった男の話が、『幕末百話』(角川選書)に出ている。「ヘボンは洒落《しやらく》な西洋医師で、いよいよ切断日は『どうです、田之サン、痛いかネ』と言いながら、ポケットから小さな瓶を出して鼻のところへやる。今から考えると麻酔薬ですな。ですから田之助はグーと眠るてェと、脚を捲ったうえ、下から切り、皮をたるましておいて、骨をば鋸《のこぎり》でガリガリと切ってしまい、『さァ、これでいい』との事、呆れぬものはなかったです」         ☆ 「傷は二筋で左の頬から上唇にかけて十二糎、深さも相当なもので、凶器は二挺かみそり、つまり、かみそりを二枚合せて斬ったものと思われます」  昭和十一年十一月十一日。長谷川一夫の頬の傷を発表した医者の言葉。         ☆  帝キネといえば無声映画時代の代表的映画会社だが、重役の一人石井虎松はクリカラモンモンの大阪は千日前の親分。  育てたスター市川百々之助も一時は目玉の松チャンとはりあったが、チャンバラを私生活に持ち込んで人を斬って、人気を失った。         ☆  依田義賢の随筆に「私達が助監督になった頃は、うるさ型の俳優がとりあえず、わけもなくなぐりつけた」とある。  とりあえずなぐるというのが嬉しい。         ☆  僕も舞台監督時代に地方巡業でやくざの興行師と仕事をした。  十五年も前の話だが、九州でどうぞよろしくと握手をしたら相手の指が二本しかなかったことがあった。  北海道で親分さしまわしの車で移動中に座席の下でガチャガチャと音がする。運転をしていた若いのが、上衣を脱いで、これをシートの下にいれてくれという。  僕がシートを持ちあげたら、なんとライフル、ピストル、機関銃がズラリと並んでいるのである。  ビックリしていると「家においておくとやばいから」ということだった。海岸に車をとめて、空カンを的に撃たせて貰ったことがある。  巡業を終ると同時に手入れがあった。         ☆  警察に酔っ払い収容所が出来た時、その様子を朝日ソノラマが録音したことがある。ナレーターの声で「酔っ払った人の中には玄人はだしで落語を一席やる人もいました」  とあって、その中で落語をやっていたのは、ぶちこまれていた春風亭小柳枝。         ☆  淀川長治が「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」という時の心境。 「あのサヨナラという時のぼくの顔嬉しそうでしょう、あれは猿芝居のサルが、終って小屋に入ってゆく時の顔ですねん」         ☆  落語家が自家用車に乗ることについて、その是非についていわれたことがあったが、中山晋平は、名をなし、財をなしても、汽車は三等車にきめていた。         ☆ 「お客様は歩いてくるのに、自動車を楽屋口につけるわけにはいかねェ」  錦城斎典山はいつでも釈場から離れたところで、車を降りて歩いた。  今のタレントの多くは「お客様は歩いてくるから、俺は自動車で……」         ☆ 『丸山定夫・役者の一生』で、その素描が面白いので抜き書き。  彼のいい所と悪い所。  無学。利己的。不勉強。学問を尊敬し憬《あこが》れている。怠惰。本を割合に買う。但し読まぬ。スポーツに憬れる。しつっこくてねばり強い。臆病。涙もろい。衒学的。偽善者。但し心は優しいのだ。酒呑み。誰にでも惚れる。浪費。生活の無設計。一言にして言えば善い事が解る癖に実行出来ない人間。         ☆  化け猫スターとして売った往年のスター鈴木澄子は、トイレに入っている時にノックされると必ず「どうぞ」といった。  ここまではユーモア。  ある湖にロケに出かけた時、 「ここに鯛いるかしら」  スタッフの一人が「ここは淡水ですからいません」と答えた。  彼女は質問を続けた。 「それじゃ、蛸は?」         ☆  ルイ・アームストロングは沢山のハリウッド映画に主演し、共演したが、スターとの個人的交際はなかった。一番気のあったビング・クロスビーでさえ、自宅に招待してくれはしなかった。         ☆  なんのかんのと芸人諸氏からお手紙、お葉書をいただく。  次にその内の一通(印刷)を御紹介。  青葉まじりの梅の実が黄色づいて、しとしと降り始めた梅雨も漸く終りを告げんとし、陽光燦として輝く夏の訪れを身近に感ずる此頃、皆様には益々御健勝の事と御喜び申上げます。此の葉書が御手許に届く頃、私はエア・フランセ271のジェット機で独逸に向って快適の飛行を続けている筈で、アムステルダムで五日間開催の世界奇術会議に出席して、各国代表の一流奇術師の面前で、現代の科学と人智に挑戦する世界唯一の「噴水カード」を披露する予定です。  世界の奇術界を震撼する世紀の圧巻たる先人未踏の魔術は会場を歓喜と興奮のルツボと化し、面目躍如たる金字塔を樹立して凱歌を奏する事疑いなく「燕雀|安《いずく》んぞ鴻鵠の志を知らんや」と喝破せる支那の英雄、項羽も三舎を避ける自信に溢れ、無慮千余の外人を相手に(日本人は私一人)しゃれた英語で冗談を飛ばして笑わせ乍ら煙りに巻いて「トリコ」にする独得の話術は往年、商事会社役員として活躍した時代に培養され、戦わずして敵を呑み、心をつかんで陶酔の境地に誘導する鎧袖一触の殺法となり、更に技術家たる経歴が四十年を超える奇術の創作に(+)して天下無敵と言う処、約三週間の予定で独逸を始めロンドン・パリ・ローマに遊ぶ気楽な一人旅であります。  御無沙汰おわびを兼ね近況お知らせまで。  天皇皇后両陛下  各国皇帝大統領   より御嘉賞の御言葉を賜う    世界に類なき夢幻派独創魔術  米国奇術協会会員 [#地付き]井上天遊 [#地付き](原文のまま) [#改ページ] [#小見出し] 役者 その弟子         ☆ 「師匠は釣鐘なり、弟子は撞木なり」 [#地付き]五世 沢村宗十郎         ☆  三代目柳家小さんは弟子が神仏をあがめるのをみて、 「お前さんは、私をおがんでいればいいの」         ☆ 「眠れない晩は、師匠(円生)の女の数を数えているといつのまにか眠れます」 [#地付き]三遊亭円楽         ☆  花柳勝次郎。  七世坂東三津五郎の師匠にあたる人だが、この人、気にいらない弟子をやたらほめる。 「ほめてやれば、もう、来ねェもの」         ☆  伊志井寛が役者志望の若者にいう言葉。 「君は便所の柱になれるかね、なれないんだったら役者になるな」         ☆  名人といわれた錦城斎典山。小言の多い人だった。  神田伯治に対して「やめてしまえ!」と一喝したら、伯治は「やめます」といって翌日から入場料を払い、「今日からは客だ」と高座の真下から典山を睨みつけていた。さすがの典山も「本当にやめる奴があるか」と弱音をはいてしまった。         ☆  一竜斎貞鳳が師匠の貞丈を評して、 「師匠ぐらい叱りかたのうまい人はありませんね、なにかしくじるでしょう、そうすると『お前みたいに頭のいいヤツが、なんだってあんなことをしたんだい』。いいでしょう、こんないい師匠はいません」  長唄の稀音家浄観が弟子から葉書をもらって、 「あァ、あいつは字なんぞ書けるから芸がよくならねェんだ」         ☆  六平太芸談の中に太鼓の名人、津村又喜のことが出てくるが、彼も粗末な荒物屋の主人として生き、なお役所の下働きをしながら、その芸を弟子に伝えたとある。  身体を売っても、芸は売らない。  身体を売っても、心は売らない。         ☆  立川談志の弟子に「寸志」というのがいる。何かの時にこの弟子を差し出すのだそうである。         ☆ 「芸人というものは、米一粒も釘一本もよう作らん。そのくせ、酒がいいの悪いのといいながら好きな道で一生を送るのやさかい、むさぼってはいけない、金もうけがしたければ他の道をゆけばいい。自分の道を懸命に練磨することによって収入は生じてくるもんや。また芸人になったら末路哀れ……ということは覚悟の前やで……」  桂米朝が師匠の四世米団治にいわれた。         ☆ 「昔の噺家は酒飲んで、いくら吐いても恥じゃなかった。だが吐いた酒の中に米粒がひとつでもあると『あんチクショウ、メシなど喰いやがって』なんて軽蔑されたりして、だから、メシを喰うのがこわかった」 [#地付き]金原亭馬生         ☆ 「芸人は銭を貯めるな! 残せ!」 [#地付き]三代目 柳家小さん         ☆ 「噺家というものは七十になってからうまくなることもあるんだから、死ぬまでが修業ですョ」 [#地付き]桂文楽         ☆ 「お客様のみけんと、自分のみけんの間に見えない棒がわたっていると思え。自分が動揺すると、この棒が揺れるから、お客様のみけんが痛いので注意をそらす」 [#地付き]三遊亭円朝         ☆ 「話を忘れて絶句した時は必ず眼を放さずお客を睨みつけることだ、その間に後を思い出すのだ」 [#地付き]五代目 三遊亭円生         ☆  亡くなった八世竹本綱大夫の芸談に先輩の浄瑠璃の床本の汚れ方、つばきの飛び方から芸を察知するというくだりがある。  つばきの飛び方というのが嬉しい。         ☆  小沢昭一と坂東三津五郎の対談から。 「うちのおやじ(先代三津五郎)はおもしろい人で、顔を見ると小言がいえないんですね。ぼくが何を聞いても『あァいいよ、いいよ』っていうばかりで、私がうしろをむいて部屋を出ようとすると、ひょいっと『なっちゃいねえよ』(笑)おふくろが『そんならいっておやんなさいよ』なんていってるんで、ぼくがふりかえって『どこがいけないんですか』っていうと『あァいいよ、いいよ』それで部屋から外へ出ると、『あァ、困ったもんだ』(笑)決して顔を見て小言をいわないんです」         ☆  今の三津五郎が若い時に先輩に教わりにいった時のことを書いている。 「あんた、あたしに教えてくれといらっしゃった。はァ、えらいですね。こっちへいらっしゃい」と大勢いるところへ連れて行き、「こちらは大和屋の若旦那、二十歳にもなって、私のところへものを聞きにいらっしゃった。今どきの若いもんに、ものをききにくる奴なんぞいないのにえらいものじゃありませんか」とほめておいて、「しかしね、この人は子供の時から役者をやってて、今日まで知らねェでやってきた。ずうずうしいもんじゃねェか、知らねェで銭取ってるよ」         ☆  片岡仁左衛門の弟子や子供達へのしつけ。  一、名もない芸妓に手を出すな  一、関係するなら堂々と旦那になれ  一、素人娘に手を出すな  一、ひいき客と関係のある芸妓とみたら、無闇にほめたりお世辞をいったりするな。         ☆  丸山定夫の俳優論。  一、俳優である前に人間でなければならぬ。  二、俳優である前に人間でなければならぬ。  三、俳優である前に人間でなければならぬ。  補遺 但し人間であるだけでは俳優にはなれぬ。         ☆  せりふに把まるな、役に把まれ  若いうちは若さに把まれ  若いときはできるだけ考えたことをやれ  年とともに必要以外のものを捨てろ  写真になるな、名画になれ  昨日のように演ろうと思うな  今日は今日の気持でやれ  稽古中は臆病に、舞台へ出たら自信をもて  早くいう時は心もちゆっくりしゃべれ  言葉をきらずに呼吸をきれ  …………  …………  ——中村翫右衛門のメモの中から。         ☆ 「いまの若い人によういうことですが、昔よりいまの人のほうがむずかしいと思うのどす。  昔の修業は辛いには違いおへんが、むずかしいことも、いやがることも押しつけて勉強さしてくれました。今の人はそれがして貰えないから……」 [#地付き]十世 豊竹若大夫         ☆ 「やっぱり役者は師匠の湯呑みを持ち、草履をとって歩いてきた人の方がいい。おれはその苦労がわからないから駄目だった」 [#地付き]喜多村緑郎         ☆ 「舞台に出る時のコツは、人間になって出りゃいいんです」 [#地付き]喜多村緑郎         ☆  新派の楽屋でみかけたことだが、師匠がうなぎの蒲焼を食べているそばで、弟子が同じように食べているつもりになっている。  つまり弟子の方は蒲焼を食べるパントマイムを演じているのだ。  本物を食べている師匠が「どうだうまいか」などと聞くと、弟子は「はい、おいしゅうございます」から「御馳走様」までいわされるのである。         ☆  益田喜頓が、若い芸人が普段着るものがラフだから、芝居でキチンとした服装が着こなせなくなっていると指摘している。  帯の結べない俳優というのはすでに常識になっているのである。         ☆ 「総て滑稽を為すにはおのれが非常に苦しむ程なれば見物はそれだけ却りて可笑しく思うなり、おのれがまず笑ってかかるが如きは滑稽の神髄を得たるものにあらず」 [#地付き]九世 市川団十郎         ☆ 「俳優になろうとする人達が自分へ投資することをいかに忘れているか、本当に心寒い思いがします」 [#地付き]市川雷蔵         ☆ 「耳は二ツある、眼は二ツある。それなのに口は一つしかない。だから、よく聞いて、よく見て、そのあとで一つしかない口でしゃべれ」 [#地付き]六代目 尾上菊五郎         ☆ 「上手の極め到りて、闌《た》けたる心位にて時々異風を見する事のあるを、初心の人これを学ぶことあり、この闌けてなすところの達風さうなく学ぶべからず」 [#地付き]世阿弥  例えばフランク・シナトラや、野村万蔵、藤山寛美といった人達のカッコいいところだけ真似てはいけないというのである。         ☆  その芸の世界では世阿弥の『花伝書』に七歳で芸に興味を抱かせ、十二、三歳で基礎的訓練を、十七、八歳で自信を支え、二十四、五歳でいましめ、三十四、五歳が芸のさかり、四十歳すぎはもう降り坂、五十すぎたら自分の肉体にふさわしい芸を選べと書いている。         ☆  狂言の野村万蔵。  先代の宝生九郎に下手だといってはなぐられ、上手くいった時も、それが理由でなぐられた。         ☆  宝生九郎は七十歳すぎても同年輩の弟子をなぐりつけて稽古したという。七十すぎの老人同士がこの激しさである。  ある新劇の若手が、稽古場で余り出来が悪いので先輩になぐりつけられた時、涙をこぼして嬉しそうに、 「ボク一度でいいからぶたれてみたかった」といったという。  生れてからなぐられたことがないというのですから、甘やかされてたんだナァ。         ☆  落語の与太郎や、新喜劇の阿呆役はポカンと口をあけて、その愚かさを表現する。 「口をあけっぱなしにしたまま全身の気合がこもるようでなければいけない」  これは能の喜多六平太の芸談にあった言葉だが、それほどにむずかしいことでもあるわけだ。         ☆ 「身体ですよ、役者が頭でなにをあらわせますかっていうんだ」 [#地付き]東野英治郎         ☆ 「演技とは何かを一言で言えと言われたら、私は演技とは説得の芸術であると答えるだろう。俳優はまず自分自身を説得し、次いで、自分を通して観客を説得する」 [#地付き]ローレンス・オリヴィエ         ☆  川島雄三は桂小文治の前に手をつき「良い噺家を一人駄目にします。お許し下さい」といって桂小金治を映画の世界にひっぱりこんだ。そのまま小金治は高座に戻っていない。  そして、僕自身、落語の魅力にとりつかれたのは、この人の「大工調べ」であった。         ☆  落語家は結婚披露より、真打襲名披露の方が豪勢ということになっているそうだ。  昭和四十四年九月十八日、十代目柳家小三治真打襲名披露に出席した。正蔵の司会で円生、柳橋、小さんのあいさつ、文楽の音頭とりで、|三本じめ《ヽヽヽヽ》という目出たさ。  さん治が小三治になったのだが、この名前が決った時「どうせなら大三治がいい」といったという。  この時に小さん「馬鹿、国鉄の事故じゃねェや」  洒落のわからない方の為に説明すると「大三治」と「大惨事」とかけているのであります。         ☆  月ノ家円鏡が橘家円蔵に弟子入りをして数日後、円蔵がとった出前のソバが、一寸のびたのをみてとった円鏡。 「師匠、待って下さい、今とりかえてきますから」         ☆ 「先輩が芸の苦労話を聞かせるだろう、だけど芸人が芸で苦労してどこがどうだてんだ、芸人が芸で苦労するのは当り前じゃないか、今さららしく持ち出すなてんだ」 [#地付き]月ノ家円鏡         ☆  柳家さん八が入船亭扇橋を襲名した。  落語ファンの為にあいさつ状を書きうつしておく。 [#ここから枠囲い]  御挨拶 [#1字下げ]梅花ほころぶ候、皆様にはお変りもなくお過しの事と存じ上げお悦び申し上げます。さてこのたび私弟子さん八儀、お席亭各位ならびに協会幹部諸師のお認めを戴き、九代目入船亭扇橋を襲名いたしここに目出度く真打昇進という事に相成りました。当る三月下席、上野鈴本を振出しに順次に御披露仕ります。この上は皆様方のお力により立派な大看板と相成ります様よろしく御引立ての程、幾重にもお願い申し上げる次第で御座居ます。    昭和四十五年三月吉日 [#地付き]柳家 小さん [#地付き]桂   文楽 [#地付き]三遊亭 円生 [#地付き]林家  正蔵 [#地付き]さん八改め   [#地付き]九代目 入船亭扇橋 [#地付き]古今亭志ん生 [#地付き]三升家 小勝 [#地付き]桂   文治 [#地付き]橘家  円蔵 [#地付き]三遊亭小円朝 [#地付き]金原亭 馬生 [#地付き]蝶花楼 馬楽 [#地付き]金原亭馬の助 [#地付き]三遊亭 歌奴 [#地付き]林家  三平 [#ここまで枠囲い] [#改ページ] [#小見出し] 役者 その仲間         ☆  柳家三亀松は酔っ払うと他人の陰毛を剃りたがる趣味があった。  剃った毛をためて、柳家金語楼のかつらをつくる気だったそうだ。         ☆  若手落語家の三遊亭さん生は人におごって貰うのが好き。 「おごって下さいよ」  そういわれた立川談志、 「金がないんだよ」  さん生、ひるまず、 「じゃ、こうしましょう、あたしがお金を貸しますから、それでおごって下さい」         ☆  立川談志が駅のプラットホームに立っているのを毒蝮三太夫がヒョイと後から押した。  目の前を電車がすべりこんできてさすがの談志も立腹。 「何をするんだ!」 「冗談だよ!」 「冗談ですむか、死んじゃったらどうする」 「死んじゃったら……冗談のわからねェ奴だっていうよ」         ☆  毒蝮三太夫の名づけ親が立川談志。  数年前、談志が大阪のやくざになぐられて頭を割られた時。  その頭の傷口をみて三太夫がいった。 「ヘッ、貯金箱みたいだ」         ☆  ゼロ・モステルがこれもコメディアンのサム・ジャフィの家で風呂に入った。  ゼロは小沢昭一のように風呂で何冊も本を読む。  ゼロが余り長風呂なのでサムが心配して「ぬるくなって寒くないか」と声をかけた。  ゼロは風呂を出るとサムの洋服ダンスからオーバーを出して着ると、又、そのままザブンと風呂に入った。  サムはあわてずにマフラーをとどけた。         ☆  サミイ・デイビス・ジュニアの売り出し時代にジェリー・ルイスが彼の楽屋を訪ねて、そのショーが「パーフェクト」であることを伝えた。喜んだサミイにジェリーは、ショーはパーフェクトであっては面白味に欠けるということを教える。  わざと、あるいは不意の事故を乗りこえてショーアップ出来るのが、真の芸人であることを悟ったサミイだが、万博ホールでの彼の舞台は、受け入れ側の不手際だった部分を補ってあまりあった。         ☆ 「私は四半世紀も歌っているのに、レコード会社の社長なのに、大衆が何を買い、何を求めるのかわからない」  フランク・シナトラの言葉である。  彼が「こんな中身のない歌が歌えるか」と投げ返した譜面をナット・キング・コールが歌った。 『モナリザ』である。  ウィリアム・ホールデンが彼のところに売り込みに来た曲を「とりえのない曲だ」とけなした。 『慕情』である。         ☆  ヒット・メーカーとしてヘンリー・マンシーニに代ってしまった感じのバート・バカラックが作曲家として有名になる以前、長い間、マレーネ・ディトリッヒの伴奏をしていた。  その時、ディトリッヒはバカラックの作品をフランク・シナトラに売り込んでやったが、シナトラはなんの興味も示さなかったという。         ☆  レナード・バーンスタインは『ウエストサイド物語』について、その成功の原因を次のように語る。 「我々はウエストサイド物語について、ジェローム・ロビンスのいないところで話をしたことがなかった」         ☆ 「俺の経歴の中での大きな二ツの曲り角、一つはジェリー・ルイスに逢ったこと。二つ目はジェリー・ルイスと別れたこと。この二つのために俺は本当の役者になれた」 [#地付き]ディーン・マーチン         ☆ 「俺をイタ公と呼べるたった一人の男はシナトラだ。俺も彼をそう呼ぶ。他の奴がそんなことをいったらぶんなぐる」 [#地付き]ディーン・マーチン         ☆ 「ニューヨークは嫌いだ、なぜってエレベーターだけじゃないか、俺はエレベーターを信用しない。箱の中でボタンを押す時、棺桶の中に入ったような気がする。ロケットもそうだ、月へ行く男達を信じられるかね、俺は好かん」 [#地付き]ディーン・マーチン         ☆ 「ブロードウェイのショーヘの野望はまったくない。それが私がやらなかったたった一つのことだ。リハーサルも楽しいだろうし、初日もいいだろう。しかし、その後の繰り返しは死ぬほど退屈だ。ブロードウェイなんか要るものか」 [#地付き]フランク・シナトラ         ☆  チャップリンが脱帽したコメディアンの一人にメキシコのカンティンフラスがいる。  カンティンフラスは日本にも来たことがあるが、なんと彼の先生は日本人、佐野|碩《せき》である。  佐野は昭和四十一年にメキシコで客死したが、メキシコでは劇聖といわれ、自分の名前がついた劇場を持っていた。  僕が彼を訪ねた時、日本に帰りたがっていたが、僕がテレビの人間だと知った時に「あァ、気狂い病院にいるんですか」といった。         ☆  六代目菊五郎は他人の芝居を観る時には紋つき袴白足袋で出かけたという。 「人さまの芸を着流しでみちゃ申し訳ない」         ☆  相手役が悪い時に六代目がこぼす愚痴。 「とうとう、あいつに殺されちまった」         ☆  どういうわけか此の頃美声の芸人が少ないが、昔は美声であるが故にねたまれて水銀を飲まされたという話が多い。  先代の中村鴈治郎はおはぎの中に水銀を仕込まれて声をつぶしているし、同じく先代の坂東秀調も被害者。  テナーの田谷力三は危うく飲まされそうになったという。         ☆ 「こっちが包丁なら向こうへまわる役者は砥石だす。こっちが鋼なら向こうはヤスリだす。こっちの身は、痩せますやろ。けど痩せてこそ、光るのだす。こっちを削ることもでけん役者を相手にしたんでは、却ってしんどの仕損です」 [#地付き]初代 中村 鴈治郎         ☆  先代の古今亭志ん生は、これは下手だなと思う芸人とは同じ高座に出なかった。 「下手がうつっちゃう」というのが理由。  彼にいわせれば今や下手はうつるだけ、うつっちゃっているのだろう。         ☆  柳亭燕路が高座にあがっている間に、楽屋で燕路の帽子を火鉢であたためておいた。  高座からおりるなりその帽子をかぶった燕路は、「今夜は少し熱がある」とひとり言をいいながら帰っていった。         ☆  三代目の柳家小さんが馬楽に羽織をつくってやろうということになり、紋をきいた時の返事。 「あたしの紋は鳥居のところへ狐が二匹昼寝をしてまして、その狐がオナラをしてるんです」  その後まもなく病院に連れて行かれて狂い死んだ。         ☆  この馬楽が細引きで縛られて、その端を仲間に持たせて電車に乗った。  車掌は「御苦労様」と頭をさげて料金をとらなかったという。         ☆  政治講談の伊藤痴遊。  電車の中で車掌が検札に来たので、「あァ、よいよい」といったら、車掌は一礼して次に行ってしまった。  それをきいた先代の志ん生が、同じように「あァ、よいよい」といったら、車掌が、 「よかありません」         ☆  笑福亭松鶴が暮の高座で喋りながらふと上手《かみて》を見ると、舞台の袖に借金とりが蝟集している。あわてて下手《しもて》を見ると、そっちにもバーだの、飲み屋の集金係やらおかみやらが手ぐすねひいている。進退きわまった松鶴は噺半分でサゲをつけるが早いか、やにわに客席に飛び降りて一目散に脱出した。         ☆  松鶴を中心にして「悪酔いをする会」というのがある。そのメンバーの一人が電話ボックスで大便を済ませ、しゃがんだまま、電話のコードをひっぱって「水が出えへん」とぼやいたというからまさに悪酔い。         ☆  正岡容のところに柳家小半治が、自分の日記を売りに来た。  そして、帰ってから、その日の日付けのところをみたら、 「今日、日記を正岡容に売る」と書いてあった。         ☆  喜多村緑郎と六代目が舞台で顔をあわせることになった。  二人ともせりふ覚えの悪い方だが、芝居には自信がある。お互いがせりふを覚えてないとわかって|安心して《ヽヽヽヽ》舞台に出たという。         ☆  横山大観と六代目が二人で絵を描いたことがあり、並べてみると、当然ながら大観の方がうまい。それを六代目がいうと、 「心配しなさんな、俺のは絵で売れるが君のは名前で売れる」         ☆ 『御用金』の撮影途中で三船敏郎と仲代達矢が喧嘩して、その為に三船が中村錦之助と代ってしまったというゴシップがあったが、その昔の大都映画時代。  ライバル同士だった近衛十四郎と大乗寺八郎が喧嘩をした。この時、近衛は大乗寺の鼻に噛みついて喰いちぎってしまったという。  御存知、月影兵庫の青春時代である。         ☆ 「芸の力を発揮するのは檜舞台にのみ限ったもんじゃない。牛糞や、馬糞のある路傍でも力さえあれば知識人を驚かすことが出来るんだ!」  映画界に入る片岡千恵蔵を励ました十二世片岡仁左衛門の言葉。         ☆  中山千夏の結婚に関する橋幸夫の見解。 「たかが歌い手のくせに生意気だといわれるのは口惜しいけど、歌い手だからこそ豪華に着物を着ないといけないんですよ。  歌手は商品でしょう。商品は商品らしく、被写体に徹するのがプロだと思いますね、豪華というけれど、僕のは、ほんとは、もっともあたりまえ、オーソドックスな芸能人の式だと思いますよ、大人の世界、プロ世界に生きる者の目からみれば、中山さんみたいな式はおかしいですよ」         ☆  土方与志を中心にして生れた築地小劇場の舞台裏の歴史を創立者の一人吉田謙吉が書いている。『築地小劇場の時代』 「和田君という人は奇想天外なアイディアを思いつくことが好きだった。築地小劇場でホリゾントに星をきらめかせようということになった時、彼はなんと外科医が痔の手術に使う豆球を探してきて効果をあげてくれた。  こうして和田君の思いもよらぬアイディアはつぎからつぎへと築地の舞台効果を生かしつづけてくれた」  ここに登場する「和田君」の息子サンがこの本の表紙や似顔絵の作者である。 [#改ページ] [#小見出し] 役者 その家族         ☆ 「オレは妻子を見捨て、だから見捨てられ、家庭の破カイに讃歌をおくり、東京無宿になりえたのも、旦那(今村昌平)のおかげであるといつも感謝している」 [#地付き]殿山泰司         ☆ 「この前久し振りに、用もないのに家へ帰ってみたら、変な口うるさい婆さんがいるんで、そばにいる女の子に、あれは誰だェと聞いたら、アラあんたの奥様よといいやがったんで愕然としたな、そうしたらその口うるさい婆さんが、そこにいる女の子はお前さんの娘だェといいやがったんで俺は再び愕然とした。暫く震えが止まらなかった。家へ帰るのはよくない、心臓に悪い」 [#地付き]殿山泰司         ☆  奥さんとやることをすっかり忘れていて、思い出してやってみたら、うまくはいらなかったというのは桂文治。         ☆ 「芸人は汽車に乗ると稼ぎにいくような気がして嬉しいんですけど、新婚旅行は損するだけでしょう、悲しかったですね」 [#地付き]柳家小せん         ☆  自分の結婚式の最中に逃げだし、他の女のところを泊り歩いて新居に帰って来たのが六日目、というのが故柳家三亀松。         ☆ 「浮気したと思うからいけない、仕事をしたと思えば、女房にはばれない」 [#地付き]三遊亭夢楽         ☆ 「やったって、やってねェっていわなくちゃいけません、けっして白状するものじゃありません」 [#地付き]桂文楽         ☆  自分の女房が便所にしゃがむのを、のぞきみして「こうやってみるとなかなかいいもんや」と妙な感心をしたのは故松葉家奴。         ☆  春風亭梅枝。  自分の女房に庭先で行水をつかわせ、仲間にのぞかせて、お金をとった。         ☆  女房が死んだら自分の家にお宮をつくって、仲間がくるとその女房のお宮へお参りをさせ、その度にローソク代をとったのも、春風亭梅枝。         ☆  先代の実川延若。  新しい女が出来て、その別宅に行くつもりだったのが、いつものくせで自宅に帰ってきてしまい、玄関の戸をあけて、女房が迎えに出たのをみて「ア、間違えた」とまわれ右、そのまま別宅に向ったという。         ☆  これはある浪曲師。  夫婦してひとつ床の中、おかみさんが何げなく帯が欲しいといったのを聞きとがめ、いきなり、襟首つかむと外へ連れだし、水をぶっかけてどなりつけた。 「手前は俺の女房だ、その女房が床ん中でものをねだる、女郎や芸者みてぇなことするな!」         ☆  上山草人、山川浦路夫妻の近代劇協会は大正期に活動しているが、草人は劇団員の衣川孔雀と同棲。  そして、その孔雀との愛の結末を小説に書いたのはいいが、それを口述筆記したのは、浦路夫人であった。         ☆  正岡容は「代々」という口癖があった。 「あの男は代々つまらない」という、先祖代々の代々だが、彼の夫人も、代々数えて八代にわたった。         ☆  小松左京説によると、上方落語の桂米朝は独身時代にある女性とギャンブルをして負け、その借金のかたに彼自身がとられてしまい、その女性が現夫人。         ☆  左卜全は常に松葉杖をついていた。  足が悪いからではない。電車やバスに乗った時に席をゆずって貰えるからだ。その証拠に急いで乗物に乗る時は松葉杖をかついで駈け出す。  この不思議な老人の奥さんは新興宗教の教祖であり、彼は女房からいただいたというお守りを大切にしていた。         ☆  北島三郎の初舞台。  その横浜の劇場で生れて初めての舞台で歌っていると客席のアチコチから「サブちゃん!」と声がかかり、アチコチからテープが飛んでくる。  彼は自分にそんなファンがいるわけが無いと、客席をみすかすと、なんと彼の夫人が劇場内を駈けまわりながら、一人で声をかけ、テープを投げていたという。 「だから私は絶対に別れません」と断言していた。         ☆  片岡仁左衛門の奥さんは、彼が家にいると、「役者は遊ばんならん商売や、サア早ういて来なはれ」と追い出したという。         ☆ 「わたしはいつも花魁に寝かしつけられたんです」吉原の中米楼が生家だった市川小太夫。         ☆  六代目菊五郎に勘三郎がいった。 「僕は妾の子ですから肩身のせまい思いをしています」  その時に菊五郎の返事が、 「僕だってそうだ、いまの天子様(大正天皇)だって、明治天皇の御正室のお子サンじゃないんだからね」         ☆ 『歌舞伎の幻』(中村哲郎著)から。 「歌舞伎という芸術は未来というものを半ば拒否したときに真価が生ずる芸術だ」 「中村勘三郎について——、彼の祖父が役者、父が役者、兄たちが役者、息子と娘が役者、甥たちが役者、甥の子が役者、姪の子が役者で、一体全体、彼の周囲の血族での役者商売の者は、どの位の数になるのであろう。日本という国は不思議な国だ。ここにも、中世の猿楽以来の一族一座の伝統が脈々として流れているではないか」  三島由紀夫はこの本の序で「歌舞伎が道徳的に正しいわけがない」と書いている。         ☆  七代目団十郎は三人の妻と三人の妾があり、この六人の女と、それぞれの子供七男五女の団欒の様子を、三枚つづりの錦絵に描かせて売り出したという。  週刊誌の無い時代だと誰も書いてくれないものね。         ☆  長野の善光寺にほど近く石童丸の往生寺があり、ここで絵解きの説教を聞くことが出来る。  先代の沢村宗十郎は石童丸の父を演じて名を挙げたが、彼自身、東本願寺の大谷法主の妾腹に生れ、終生、親子の名乗りの出来なかった石童丸と同じ境遇に泣いていた。         ☆ 「劇場者《こやもん》はわてまでで結構や、劇場者では、何んぼ名人と言われるまでになっても、世間の者は、あれは玉造や、団平やと呼び捨てにしよる」  富崎春昇の父、玉助の愚痴である。         ☆ 「僕は役者の子であってよかったと思います。なぜなら、ゆきづまった時などに僕は役者の子なのだ、役者の血が僕にゆきづまりを打ち破らせてくれる、といった自信を僕に与えてくれるからです」 [#地付き]長門裕之         ☆ 「私は下宿屋の娘と、下宿していた男の人との間に出来た子供だったのです」 [#地付き]望月優子         ☆  三浦環が音楽学校に入りたいといった時、彼女の父は「音楽学校を出たって、たかが西洋の芸者じゃないか」とうまいことをいっている。         ☆ 「うまくやろうと思うな、品位をもて」  岸田国士は娘の今日子にそういった。         ☆  古今亭志ん生のところに叙勲の知らせがあった時「あァ、そうですか、それじゃ、一寸、とどけて下さい」  息子の馬生が「お父っツァン、ソバじゃないんだから出前はしないよ」         ☆  特に名を秘す落語家が自分の部屋でマスターベーション。いざとなって、他に何もないものだから、はいていたパンツで受けとめ、ふいてしまった。  そこへ母親が顔を出し、置いてあったパンツをヒョイととり、 「駄目だね、こんなもんで鼻をかんじゃァ」         ☆  湊家小柳丸という浪曲師がいる。  その弟が堺駿二、その息子が堺正章。  正章のすっとんきょうな演技の中に浪曲のメリハリを発見出来る。  そして、藤圭子も亦、浪曲師を父に持つ。  浪曲の根強さはここで生きている。         ☆  九歳で酒、十三歳で博奕、十五歳で童貞を破ったのが藤山寛美の育ての親、渋谷天外。         ☆ 「私、人生を三ツの時期に区切って考えてるの。はじめが林田民子の時期、いまが水前寺清子の時期、それからナントカ民子になるわけよね。ナントカ民子になったら歌はやめます」 [#地付き]水前寺清子         ☆ 「私が生れた晩も二人の男が相撃ちで死んだ」  ニューオーリンズの、ギャンブラー、殺し屋、ヒモ、売春婦が住む横町でルイ・アームストロングが生れた時のことである。  自伝『サッチモ』(鈴本道子訳)を読むと、彼は自分の母が売春婦であることがわかるように書いている。  これは私生児であることを告白するより、もっと勇気のいったことであろう。         ☆  彼は子供の時に電車に「黒人専用車」があることで差別の世界を知る。  彼が感化院でトランペットを手に、音楽にめざめていく間にも、殺人をはじめ、売春婦との交渉、ギャングの傷害事件が絶えない。  すさまじい自伝である。         ☆ 「私は一九一七年、ブルックリンのユダヤ系の産院で生れた。私の黒い父親は出産の費用を稼ぐために博奕にかかりきりだった。私の人生のパターンはこの日に決ってしまったようだ。父の不在と見世物になることが……」 [#地付き]レナ・ホーン         ☆ 「父と日本民族は何かとしっくりした一致点があるようで、日本人の完璧主義が好きでした。父の召使いだった三人の日本人はある意味では息子の私より親しい人々だったのです」 [#地付き]チャップリン・ジュニア         ☆ 「シャリー・マクレーンとはたしかに血のつながった姉弟には違いない。しかし、僕は彼女を姉と思ったことはないし、これからも思わない」 [#地付き]ウォーレン・ビューティ         ☆ 「ジェーンに逢ったらハローっていうさ、妹だもの」 [#地付き]ピーター・フォンダ         ☆  オリビア・デ・ハヴィランドは妹のジョーン・フォンテーンと一度も共演したことがない。         ☆  淀川長治の母想いは有名だったが、この人が旅先からお母さんにかけた電話。 「お母さん、死にましたか?」 「いいえ、生きてます」         ☆  十三軒も養子としてまわされ、グレた揚句に自転車泥棒もやったことがあるという辰巳柳太郎。 「人間、苦労した方がいいんじゃないの、ぼくなんか人の心のあたたかさも、景色ひとつ見るのでも人の倍わかるなァ」         ☆  朝日新聞の美空ひばりインタビューから。 ——よく読む本 ——ヘッセ、竹久夢二、サザエさん ——尊敬する人 ——川口パパ(松太郎)、古賀センセイ(政男)、田中センセイ(角栄)  いろいろあって都合二時間のインタビューのうち、一時間五十三分を母親がしゃべったとある。         ☆ 「私はいわゆる商品でしたから結婚式も出来なかったし、子供が出来ても発表出来ませんでした」  往年の大女優、栗島すみ子の言葉から。         ☆ 「わが胸にひとの知らざる泉あり    つぶてを投げて乱したる男 美空ひばり」 「石をもち投げてみつめん水の面    音高き波たつやたたずや    小林旭」  その昔、婚約発表で読みあげられた和歌である。         ☆  ひばりは母親から「目をみて話せない話はよしましょう」と教えられた。  九代目団十郎は子役に「目をみていてくれ」とだけ教えた。         ☆ 「親父にいわれました。良い役者に成ろうと思うならば金を多く取れ、金を取ればそれだけ働く気になる」 [#地付き]河合武雄         ☆  混血児だった春日とよは十六歳で芸者に出る。芸者は日本髪と決っているところを洋髪でお座敷に出た。今では日本髪の芸者の方が少ないが、洋髪芸者の第一号だったわけである。  芸者の人気は役者との色事にある。 「役者買いをするということは、芸者の有力な資格の一つだったんです」  こうして彼女が最初に買ったのは新派の中野信近という役者だった。今日の銀座のホステスはテレビタレントを買ったりする。         ☆ 「ぼくのおふくろなんて、ずいぶん買ってるよォ。うちは大阪で五ツくらい小屋を持っていたから駕籠に乗って、座付のいちばんいい役者とか、太夫ンところへ、毎日、昼間、回ったらしいんですわ、楽屋見舞に。男狂いしか、ほかにすることなかったんやろなあ、河合武雄、先代の羽左衛門、買ってるようでした」 [#地付き]五味康祐         ☆  十五代目市村羽左衛門の父親がフランス人ルイ・ジャルダンであるという説は間違いないようだが、小唄の春日とよの父親はエドワード・ホームスという英国人である。  共に江戸前の芸人二人が、明治十年前後に混血児として生れていることは面白い。  羽左衛門の場合はその出生が秘密化されてしまっているが、春日とよは、まだ築地に居留地のあった頃、そこに通ったりしたことが自伝にある。  ともかく混血児スターのはしりでありながら純日本風なのが面白い。もっとも藤原義江も最初は新国劇でチャンバラをやっていたのだが……。 [#改ページ] [#小見出し] 役者 そのひとりごと         ☆ 「俳優というものは人の書いたセリフをしゃべって生きているんだな、だから他人の思想によりかかって生きているようなところがある」 [#地付き]滝沢修         ☆ 「役者と思うたらあかんねん、人気商売や思わないかん。それなら人の気に入るようにするこっちゃ、プライドや誇りやいうお人は人権擁護委員会にでも勤めたらえェ」 [#地付き]藤山寛美         ☆ 「俳優ってのは、結局、心の遊びを自分の肉体でどう表現するかってことしかない」 [#地付き]東野英治郎         ☆ 「芸には種仕掛のあるわけがねェんで、これがつまり、見世物との大きな違いですよ」 [#地付き]尾上松助         ☆ 「昔は歩くということが修業のひとつでしたから、電車や自動車が出来てからこっち、芸らしい芸はなくなったんじゃありませんか」 [#地付き]四代目 柳家小さん         ☆ 「芸人は身体を運ぶものですから、倒れたらそれきりになるんですね」 [#地付き]杵屋栄二         ☆ 「役者ってェのはね、あるとき突然、何のいわれもなしに上手くなるんですよ、そして上手くなるってェと先が短いって、昔からよくいわれるン」 [#地付き]三世 市川左団次         ☆ 「映画俳優は、天気待ち、ライティング待ちの、その出番を待っている時の姿勢で価値がきまる」 [#地付き]月形竜之介         ☆ 「人生というものは、一寸先のことには何の保証もないものだと思う。演技だって絶対にやり直しがきかないという緊張感を持ちつづけなければならないはずだ」 [#地付き]ロッド・スタイガー         ☆ 「私、ふたこと目には自分は馬鹿だ、アタマワルイ人間、下等動物いいます。これは私の救いの言葉なんです」 [#地付き]淀川長治         ☆ 「俳優は演ずる人物の履歴までも知っておく必要があるという意見には賛成出来ない」 [#地付き]チャーリー・チャップリン         ☆ 「絶えず誰かを好きだ好きだと思わないと、何やっても張りあいがないですよ、男と女しかいないんだもんね」 [#地付き]アンジェラ浅丘         ☆ 「芸なんてものは、一生に一度やるもので、毎日高座で芸をやっていたら、こっちの身体が持ちませんよ、芸と商売はおのずから別っこのものです」 [#地付き]古今亭志ん生         ☆ 「やっと無料で歌えるようになりました」 [#地付き]東海林太郎         ☆ 「私に詩を読ませたら世界最悪の一人だろう。しかし、それを歌わせてくれれば、私は……」 [#地付き]フランク・シナトラ         ☆ 「馬鹿でなくちゃやれない稼業ですよ、男のくせに白粉をぬって紅つけて、島田や丸髷をかぶって出るんですからね、不思議なことに気持まで女になってしまう、芝居でなしに相手の男をほれさせようという気持になるんだからね、馬鹿もいいとこ、コケの一心というやつさ」 [#地付き]花柳章太郎         ☆ 「役者が芝居しているのは一種のリクリエーションである」 [#地付き]徳川夢声         ☆ 「少し突っこんだ芝居をすると臭いといやはる、けど臭いことせんのと、臭いことが出来んのとは違う、臭いことしてて、臭うみせんのが上手や、臭い事がやれながら、臭い芝居をせんのが名人や」 [#地付き]初世 実川延若         ☆ 「只今の芸人は家を建て金を持ち、まことに気楽なものであります」 [#地付き]服部伸         ☆ 「芸という物は何でも恐しい感じが起らねば芸ではない」 [#地付き]三世 竹本大隅大夫         ☆ 「芸には、何か不思議がなければ面白くありません」 [#地付き]吉住慈恭         ☆ 「名人の芸はそばで聞いてて、うるさくなくて、遠くで聞いてよくわかります」 [#地付き]杵屋六左衛門         ☆ 「芸、泥沼みたいなもんだす」 [#地付き]竹本綱大夫         ☆ 「女形不要論というのがございますね、おっしゃることはよくわかりますんですよ、むかし女役者というのもございましたし……でもそれはいつのまにか消えてしまいました。消えたというところに何かがある、そう私は思うんですよ」 [#地付き]六世 中村歌右衛門         ☆ 「わてのような陰気くさい、下手な役者でも、こうして立女形としてつとまるのは、家柄門閥がモノをいうからだす、この道だけは、それなしに出世した人は無いというてもしかりだす」 [#地付き]四世 中村福助         ☆ 「権力ある役者が己の欲のまま好き勝手なことが出来る今の歌舞伎が続くとすれば、こんないい商売はない」 [#地付き]三世 市川猿之助         ☆ 「役者という人種が何代も、なにかの理想をもとめてやってきた、それを継ぐというか、その意思を継続してさらに膨らましてゆくというのが伝統というもんじゃないかなァ」 [#地付き]二世 中村吉右衛門         ☆ 「危機だ危機だといわれているうちは安泰ですよ、危機だといわれなくなったら歌舞伎はおしまいです」 [#地付き]八世 坂東三津五郎         ☆ 「芝居なんてものは子供だましの泥臭いものなんだから、芸術なんていっちゃいけませんよ」 [#地付き]三世 尾上多賀之丞         ☆ 「演劇だなんていうて、役者が偉くなりすぎてます。もう一度、見世物に戻らなあかんと思います」 [#地付き]藤山寛美         ☆ 「わいの映画を若いモンが見て『オレはカタギをいじめてないか?』と考えるかも知れへん。それだけでもシアワセや思うてるヮ」 [#地付き]若山富三郎         ☆ 「人間には精神的な階級差があり、従って笑いの階級差をぼくは信じている。ぼくがやる古典落語は限られたエリートたちのものだ、大衆にはわかりゃしない」 [#地付き]立川談志         ☆ 「二十代までに勉強しなければソンです。四十代の勉強じゃ身につきません、私でも二十代にならった曲なら四十年振りでもすぐひけます」 [#地付き]人間国宝 富山清琴         ☆ 「へたくそがよってたかってやっているのを高いお金をだしてご覧下さるお客さんは気の毒、むかしのいい人達は安かったのに」 [#地付き]豊竹山城少掾         ☆ 「この頃はだんだん、目立たないもの、目立たないことに心をひかれます。自分の芸は、派手やかな、花やかな、という行き方にはなじめず、なるべく、ひっそりと目立たないものでありたいと思う」 [#地付き]岡本文弥         ☆ 「いやおうなしにプロになったんです。趣味で歌ってる余裕はないんだ、歌おうと思ったらそれで稼がなきゃならない」 [#地付き]高石友也         ☆ 「ふだん、僕らは歌なんて無数にあるし、次から次へ流れのように変ってゆくと思っているが、一曲、一曲大切にしていったら、めいめいの歌がきっとすばらしくなるんじゃないかな、この世にこの歌だけしかないとしたら、僕らは、その歌をもっと、もっと大事にすることだろう」 [#地付き]高石友也         ☆ 「ほれすぎた歌ってなかなか人前で歌えないね」 [#地付き]高石友也         ☆ 「約束をすっぽかさなくなったら、自分がなくなっちゃう」 [#地付き]カルメン・マキ         ☆ 「私、歌なんか歌いたくて歌ったこと一度もないわ」 [#地付き]藤圭子         ☆ 「悲しい歌って自分が泣いちゃうと駄目ね、しあわせ一杯、ゆめ一杯で歌うとピタッとくるの、フシギィ」 [#地付き]美空ひばり         ☆ 「役者ってのは体験が必要なんですよ。たとえば競馬で百万円すったとする。当然これは一千円すったのとは精神状態が違うよね、だけどこの両者の演技となると体験がなければウソになる。この演技だけは俳優座へ行ったって教えてくれないんだ。それで税務署の人にいうの、銀座で飲むのも、ギャンブルで損するのも、役者としては必要経費として認めてくれってね」 [#地付き]勝新太郎         ☆ 「スターが観衆の前で拍手されながらオスカーをもらうという演出は俳優の価値を下げるものだ」 [#地付き]アカデミー主演男優賞 ジョージ・C・スコット         ☆ 「要するに私は、誰にも私を抱いてキスしてくれといっているのではない。ただ普通の人間として公平に扱ってほしいのだ」 [#地付き]ルイ・アームストロング [#改ページ] [#小見出し] 役者 そのY談         ☆ 「舞台における実際の性行為は行なってはならない」  これは全米俳優組合が一九七〇年に出した声明である。  違反すれば組合から除名されるし、アメリカの場合、除名されたら生活出来なくなる。  ブロードウェイでヒットしているミュージカル『ヘア』でさえ全裸のオンパレードなのだから、オフ・オフ・ブロードウェイでは性行為はさして珍しくないといわれていた。  しかし、寺山修司のレポートによると大便の排泄劇が人気を集めているという。  その内、組合は「実際の排泄」も禁止するに違いない。         ☆ 「いまはただ小便だけの道具かな」 [#地付き]三遊亭円生         ☆  昭和四十五年一月三十日、人形町末広もどうやら時代の流れに消えていった。文楽や、志ん生という落語家と並んでオシッコ出来た寄席が無くなってしまった。  女性にはわからない気持だろうな。         ☆  井上正夫から正直と熱と訛をとったら何もなくなるといわれた。  彼はトイレに行く時でも「今からショウベンをして来ます」「ウンコに行って来ます」と断わってから立ち上ったという。         ☆  前田武彦はいつも水を流したまま糞をする。従ってもの心ついてから自分の糞をみたことがないという糞嫌いである。         ☆  セコ。芸人の用語で、お粗末なこと、まるで駄目なもののこと。 「あの落語家はセコだ」「セコい旦那だね」という風につかう。  そして、芸人達はウンコをするのを「セコをふかす」という。  ……ふかしてありますねェ。         ☆ 「トイレの中で噺の稽古をするのが一番いいですね。最近は洋式でしびれもきれないし、でも洋式っていう奴は一席終った時に拭くのを忘れてそのままズボンをあげちゃうんでね」 [#地付き]春風亭柳昇         ☆  熱海のある旅館でお化けが出るという噂があり、それをエノケンが退治しようということになった。  旅館側はよろこんでエノケンを招き、芸者をはべらせてお化け退治の前夜祭。  おさだまりだが芸者と別室へ。そして、深夜、エノケンはお化けの出るという便所へ入った。お化けに油断させようとエノケンは尿意のもよおすままにオシッコをした。  その途端。  エノケンは自分のオチンチンが何やらグググーッとひっぱられるのを感じた。 「出たなッ」そう叫んで、パッとおチンチンをみたら、コンドームをはめたままオシッコをしていたのだった。……ワカルカナ。         ☆  芝居の中で口から血を吐いて死ぬ時は、コンドームの中へ血のりをいれて、口の中で噛み破るのだそうだ。  このコンドームは日本製がいいそうで、アメリカ製のコンドームをつかったらどう噛んでも破れず、そのままポロンと舞台にはきだした人もいるそうである。         ☆ 「一に草人、二に宇礼雄、三、四がなくて、五に馬」  というような歌があるが、講談の初代伊藤痴遊は、その大きさを示す時に、着物の衿をグイと押しひろげる。  と、胸元にオチンチンの頭がみえた。         ☆  二十四歳の藤原義江が明日は外国に行くという前の日、九人の女と別れた。つまり、九ツのベッドの上でである。         ☆  漫才の特に名を秘す氏が、連れ込みホテルのベッドで六十九の最中、枕元で電話が鳴った。受話器をとったが、フト、いたずらっ気を起して、その受話器を目の前の黒いくさむらの中にズブズブズブ。  と、彼女のヘソのあたりからかすかに「モシ、モシ、モシ」  彼は片っぽうピョンと出ている送話口に向って「お電話が遠いんですけど」  イミガオワカリデショウカ。         ☆  芸者が芸人を買うのはよくあって、今もあることだが、その大阪でのスラングを紹介。   役者 おしろいチンコ   落語家 扇子チンコ   相撲 砂チンコ   漫才 鼓チンコ 「おしろいチンコを買う」といえば役者に祝儀を与えて寝ることになる。  わが小沢昭一はこのことに憧れている。         ☆ 「梅島昇って名優がいましたね。新派の『湯島』なんかでも、梅島のはほんとに色っぽくてよかったらしい。その梅島さんに、『あなたのその色っぽい芸はどうしてできるんだ』と聞いたら、黙ってぽんと前をまくって、『これや』とヨコネのあとを見せたそうです。やっぱりそのくらいにがんばらないといい芸もできない」 [#地付き]小沢昭一         ☆  ある浪曲師がふざけておはやしのおばさんのまたぐらに手を突っこんだ。  ところがこのおばさんが無毛症だったので、それをばらされるのではないかという心配で怒り狂った。しかし、浪曲師もさるもの、あやまり方がうまかった。 「すみません、手を突っこんだ上に、毛まで抜いちゃって……」  これでおばさん怒るどころか、楽屋中に毛があるということを証明して貰ったことになったので思わずニッコリしたという。         ☆  新派初期の人気女優に和歌浦糸子という人がいた。南海電車の社長がファンで、それまで「和歌の浦」といっていた駅名を「和歌浦」にしてしまうほど人気があった。この人の色ざんげを読むと、旦那の命令であそこの毛を剃ってしまうところが出てくる。         ☆  江戸浅草の辻講釈に志道軒という男がいた。  平賀源内が書いているのだが、この辻講釈たるや、長さ八寸もあるという木彫のオチンチンを振りまわして、男女の情事をことこまかに語ったという。  ブルーフィルムというものがない時代のブルー講釈である。         ☆  昭和四十五年十一月国立劇場、三島由紀夫の『椿説弓張月』で中村鴈治郎が演じる老婆が片肌ぬぐところがある。  ここで、つくりものだがペロンペロンのシワクチャのオッパイが出て、楽しい。これが「かぶき」だと思った。  国立劇場のオッパイに乾杯!  今度はペロンペロンでなく、プリンプリンのもみせてェ!         ☆  佐渡ヶ島は鬼太鼓《おんでこ》とか文弥人形など民俗芸能の宝庫。その中に野呂間人形というのがあって、これは人形劇ながら最後は裸になってオチンチンをふりまわし、ちゃんとオシッコまでしてしまう。  又「つぶろさし」という神楽は野球のバットほどのオチンチンをふりまわすという豪快なものであった。         ☆  再びエノケン、戦後の汽車が目茶苦茶に混んだ頃。  どうしてもトイレに行けず仕方なく、トンネルに入ると同時に、窓をあけてそこからオシッコをした。  これが熱海駅の手前のトンネルで汽車がトンネルを出てもオシッコがとまらず続く、熱海駅のホームに待っていた人達はエノケンのオシッコのしぶきを浴びてしまった。         ☆  歌舞伎の立ち廻りではトンボを切るといって空中回転をするが、その時の要領で、「自分のキンタマに噛みつけ」というのがある。         ☆  浪曲の相模太郎が客の座敷で「コラ芸人! なんでもいいからやれ!」という扱いを受けた。  太郎、客の前にすすむと「お粗末ながら」と一礼して、尻をまくると、小気味のいいのをブーッ!         ☆  平賀源内は日本のレオナルド・ダ・ビンチみたいな男で、発電機を工夫したり『放屁論』を書いたり、芝居に首を突っこんだりしているが肛門には特に関心があったらしく、ホモセクシュアル、プラス、サディズムで弟子を死にいたらしめ、その為に入牢、獄死した。         ☆  ある新劇のベテラン女優(特に名を秘す)は、息子が年頃になったのをみはからって、ある夜、全裸になると、息子の勉強している部屋に両手をヒラヒラさせながら入っていって、歌うように、「坊や、よくみるのよォ、これが、おんなよォ」         ☆  あけすけにものをいって、それが淫猥に聞こえないというのは、それだけで立派な芸である。  かつて越路吹雪が「私、穴っていう穴が全部駄目になっちゃったの、目が弱くて、鼻と喉を風邪でやられて、耳がガンガンして、痔が出てきて、今、アレなの!」         ☆ ※[#歌記号、unicode303d]あわれなるかや へそ穴くどき  国はどこよと たずねてきけば  国は内股 ふんどし郡  だんべ村にて ちんぽというと  …………  越後ごぜのレパートリィから。         ☆  アソコが巨大な女優サンがいた。仮に矢崎泰子とする。  撮影所で近所の食堂から出前を頼む時に「矢崎泰子で頼む」といえば急いで持ってきたという。  心は大至急(大子宮)。         ☆  ひろげて中までみせてくれる特出(トクダシ)のストリッパーは、黒いところをかきわけて赤いところや、ピンクのところまではなんとかみせてくれる。  ところが、もっとひっくり返して奥の白いところまでみせてくれるのが、いるそうだ。  ……白いとは気がつかなかったが、「白いとこみせて!」という野次があったら、このことなのであります。         ☆  特出諸嬢に舞台から握手を求められ、ことの他、ひろげてみせてくれた。みせるのが芸である以上、それが当り前だが、みせてもらった方はあいさつに困る。  ジーッとみなければ失礼になるし、みたからといって、あの穴に対して拍手を贈るのも妙だし、ニッコリ笑うのも具合が悪い。仕方がないので、フーッと吹いてみた。そしたら踊り子が「寒い」といった。         ☆  浅草ロック座の小松龍子は昭和二十七年からヌードで踊っている。田中小実昌にいわせると無形文化財にすべきだという。賛成!         ☆  アラビアのヘソを出して腰をくねくねさせるダンスは地元ではみられない。ナセル大統領が禁止してしまったのである。         ☆  合理主義者で高名な桂文治。トルコ風呂でいろいろサービスを要求したのにチップを払わないで帰ろうとした。  トルコ嬢がその金を求めると、「お前さん、噺家みたいなことをいうのはおよしなさい」         ☆  最近、女湯に入ってつかまった男がいたが、初代尾上菊次郎は六十過ぎまで男湯に入ったことはなかったという。         ☆ 「もし、どうしてもチャリティ・ショーに何か出品しろというのだったら、私が出ます。  そして、出来れば胴長で足が太く短い小柄の女にこの身体を売りたいと思います。一度だけでいいから、お金をいただいて抱かれてみたい、そう思っているんです」 [#地付き]小沢昭一         ☆  できた女には、|その時《ヽヽヽ》の口紅を紙にうつさせ、自筆の名を書かせ、百枚たまると一冊に綴じて「朱唇帳」と名づけた。  一年に二冊、三冊とつくったこともあるというのが先代の延若。         ☆  金語楼の弟の桃太郎の話だが、シベリア抑留中に、ソ連軍の女将校に迫られ、相手の巨大さにヘキエキして、ゲンコツをつくって、腕でお相手をしたことが出てくる。  フランス小話では「指輪が痛い」と女にいわれて男が腕時計をはずす。         ☆  舞の稽古の厳しさは月経を狂わせるほどだという。椅子に腰をかけさせ、そのままの形で椅子をぬいても、姿勢がくずれてはいけない。  上方舞の重心がいかにむずかしいかはこれでもわかる。  下半身は極度に激しい緊張を要求されるわけで、長年踊りを続けている人でも舞の稽古をすると腰がぬけて立ち上れなくなってしまうほどである。         ☆  寄席の楽屋用語で「バレ」といえば下半身の話、俗にいうY談。放送や寄席でやらなくても、お座敷に呼ばれたり、特殊な集まりでは名人芸を披露しています。  バレ話の会では先代の春団治なんて警察の御厄介になった人もありました。  念の為に青蛙房の『落語事典』(東大落語会編)の中からバレ話と指定のある古典落語を選び出して六輔流に要約してみます。  ある温泉街で二階の客に小便をさせるという商売を考え、竿竹の節を抜いて窓から用を足させる。その内、婦人の客から声がかかり「しまった、じょうごを忘れた」 [#地付き](有馬温泉)  旅の役者が泊めて貰った馬子の家で母娘はおろか、馬子のしりの穴まで犯してしまう落語がある。  馬子が女房と娘に「あいつにやられたろう」と問いつめると二人とも前を押えて「いいえ」、今度は女房に「あの男に抱かれたろう」と聞かれた馬子が後を押えて「いいえ」  医者と密通をしている女房が、亭主の前で抱いてくれという。医者は亭主に「女房の腟にでき物があり、それを治療するのはわしの一物の先に薬を塗って押し込む以外にない」と説得し、その目の前で始めてしまう。  亭主、それをジーッとみながら「医者でなかったら疑うところだ」 [#地付き](医者間男)  次も有名ですが、ふとしたことで義眼を飲みこんでしまい、あわてて医者に行き、肛門から診察する。  医者が「向うからも誰かみている」 [#地付き](入れ眼)  尼さんを強姦する落語もあります。  尼さんを犯しながら、これは念仏を数える棒だと説明して、その棒を出したり入れたりする度に念仏をとなえる。  その内に尼さんが、「もう数取りだけにして」と念仏を拒否したりします。 [#地付き](数取り)  寄席でもよくやるバレで「蛙茶番」。これは素人芝居で越中の横からオチンチンが顔を出しているので、蛙の役の男が「青大将がいるから出られません」とオチをつけます。  キツネが女に化け、女陰のところは口がばけた。  その女陰に巨大な男根が押しこまれると、キツネの口が「あァ、死ぬ死ぬ」 [#地付き](紀州飛脚)  ある土地の方言でウンコをすることを勘定をするという。その土地の者が江戸の宿で勘定をしたいというのでソロバンがくる。  そのソロバンを裏返してウンコをして、ウンコをする台が車仕掛けだとビックリする話もあります。 [#地付き](勘定板) 「金玉医者」「金玉茶屋」は二ツとも睾丸が主役の落語、娘にみせて笑わせたり、タヌキの八畳敷をからませたりしています。  近親相姦の落語もあります。  息子が母親を口説いてやっと寝る時に、金襴の裃に長袴というなりで母親を抱く。  そのキンピカのなりはと聞かれて「故郷には錦を飾れ」 [#地付き](故郷へ錦)  山本直純サンと食事をすると、あのヒゲにいろいろとひっかかったり、くっついたりして大変です。  落語の方では同じようなことですが、これは下半身。尻の毛が濃い為に、ウンコがくっついてよくふけないので、お地蔵様の頭にトリモチをぬり、そこに腰かけさせます。  そうしておいてやッと飛び降りると地蔵の頭がざんぎりになっていたというのは、「ざんぎり地蔵」という落語。  吉原帰りの若い衆が、誰が一番もてたか、並んで小便をして調べる落語「突き落し」。  小便がチビチビとしか出ないのがもてたということだと思うんですが、ねじくれて出てくるという話もあります。  女房が亭主のオチンチンに「馬」という字を墨で書き、消えて帰ってきたら承知しないと浮気封じの作戦。  亭主、それでも女郎遊び、馬の字が消えてしまったので自分で書き直したら前より大きな字になってしまい、それを女房にみとがめられます。 「大きくなったわね」 「豆(クリトリスの意)を喰わせてきた」 [#地付き](品川の豆)  昼寝をしている妾の股にネコに追われたネズミが逃げこみ、中に入ってしまう。  その寝ている妾に権助がイチモツをいれると、ネズミが苦しがってイチモツに喰いつく。権助ビックリするとネズミが出てくる。  彼は女の穴にはネズミがいるものと思いこみ、自分の結婚の初夜、花嫁の股間を調べる。毛の下からクリトリスをみつけて「あッ、耳が出てる」 [#地付き](ネズミの耳)  握り屁をしようとして肛門のそばに手をあてて用意し、一発ブー。いつまでも匂うので手をひろげたらホンモノを握っていたという実話を知ってますが、同じ話が「握り屁」。  屁で好きなのは「武助馬」。  芝居で登場するのですが、後足がいななくので、乗っていた役者が怒ると「でも前足がおナラをしました」  目尻を女《め》尻と間違えて、目薬を女房の肛門にさした途端にブーッ、そのしぶきが目に入って「ああこうやるのか」 [#地付き](目薬)  淋病の男が小便を痛がる落語は「淋病醤油」と「りん廻し」。  淋病の小便、チョビチョビリン、なんていってます。小便の音は「野崎参り」の中でも娘の小便、チンチロリン、年増の小便、バァシャバシャなどと表現しています。 [#改ページ] [#小見出し] 役者 その色事         ☆  十三歳の時、市川久蔵に犯され、十六歳で帯で縛られて、なぐさみものにされ、十七歳の時に初めて遊女と寝たというのは初代中村仲蔵の性の目覚め。         ☆ 「むかしの狂言は多く衆道の趣好有けり、若衆姿の立役は若女形より、高給銀也。其時分は町々にも衆道はやりけり」(『芸鑑』)  宝塚歌劇は逆の意味でほぼ同じことである。         ☆ 『少年愛の美学』(イナガキ・タルホ著)ではないが、元禄年間における若衆と遊女の色競べは、遊女が若衆振りをするようになって、若衆の美しさが、美男でも美女でもない美人をつくりだした。         ☆  芝居小屋に女性客が増加するのも元禄以後で、遊廓に男が出かけるように、これ以後の歌舞伎は女に育てられた部分が多い。         ☆ 『芝居風俗』によると歌舞伎だけでなく能楽師も売色をしていたことが書いてあり、『皇都午睡』という本には、こうした役者を買う場合の場代まで明示してある。         ☆ 「すべておのおの意地のきたなき事は飢ゑたる狗の如く、物のほしさうなる事は食をまもる猫に似たり、しかれば若道の事はもろこしにもさかりあり、本朝のいにしへよりこれある事なれど、今の歌舞伎の若衆どもは名さへ女形とて総体みな傾城の風ありて、人をたぶらかし、物をとるを本とす」(『江戸名所記』)  こうした女形の売色を詳細に書いた三田村鳶魚の『芝居風俗』(昭和三年)は、その売色の場面を書いた部分の活字が伏せ字どころか、白くぬけていて判読に苦しむ。         ☆  最も男性的な役者といわれる松本幸四郎。  その四代目の伝記が『手前味噌』(三代目中村仲蔵著、郡司正勝校注)に載っている。  それによると四代目の幸四郎は八、九歳の頃、色子として売られ、男色をひさいでいたのだが、二十歳近くなると客がつかなくなってくる。 「『……そなたの歳、いまだ二十にならぬに、かくまで客の落ちしは、ひつきやう、閨房待遇鈍きゆゑならん、かくしてみせよ、かうせよ』  と牛馬など追ひつかふがごとく、人に語るも恥づかしき淫褻のことを教ふるのみか…… (略)男に生れながら、世に浅ましき男色をひさぎ、多くの人に枕を重ぬるは、女子の身にても恥づべきを、ましてや男の身一ツに女の真似をすることは……」  というような迫真力のある記述でつづられていて読ませる。         ☆ 「我が俳優の若手中にややもすれば自ら色を売り、婦女子の玩弄物となりて、却て意気揚々たるものあるやに聞く。故に世間にては男娼の醜名をもうくるなれ、想ふに足下等も皆堂々たる一個の男児ならずや、左程色を漁りたくば、自ら励精して銭財を得、己れ客となりて公然狭斜の地に入るべし、何ぞ尾をふり媚を呈して人に買はるる抔《など》の事を為さん。 [#地付き]明治二十一年 九世団十郎」         ☆  明治四十三年に演芸画報社が出版した『俳優鑑』という、今のスター・アルバムをみていると趣味の項目が面白い。 「自転車」「キネオラマ」なんていうのがモダンな感じで並んでいるかと思うと、堂々と書いてあるのが「女郎買い」。  いよッ、ダンさん、結構な御趣味で!         ☆  女郎買いの延長で「女優を買う」という表現があった時代がある。  映画初期の女優には女郎、芸者出身が多かったことによる。         ☆ 「俳優は、そしてなかんずく歌舞伎役者は、性の倒錯を当然の権利として承認し、むしろこれを誇るべきなのだ。  これは一種の俳優の特権ではないか。  これを恥じ、否定するのは、彼らの偽善であり、自己欺瞞であり、認識不足である」 [#地付き]落合清彦         ☆  小沢昭一著『私は河原乞食考』はトクダシ・ストリッパーやオカマとの対談があるかと思うと、ハンス・アプフェルバッハの『性格構成論』の中から「優れた俳優には女性性格が絶対的に必要である」なんて言葉を引用してきたりする。  不思議な勉強をする人である。         ☆ 『マッシュ』という六九年のカンヌ映画祭でグランプリをとった恐い喜劇映画を見た。  この中のセリフに日本へ遊びに行った兵隊が再び朝鮮戦線に戻って来て、 「歌舞伎の役者と寝て来たよ」というのがある。  今や国際的になっているらしい。         ☆  女形、女方、これを「おやま」と呼ぶ。  江戸に小山(おやま)次郎三郎という女形人形をあやつる芸人がいて、見事な女形をおやまというようになったという。  おやまサンがおかまだったのは当然。         ☆  普通には腰巻、正しくは蹴出し。  これは女形が色気の足りなさを補う為に工夫したものだが、今では女性が誰でもやっている。         ☆ 「女形 ふんどし締める お姫様」  古川柳だが、女形は絹のふんどしを締めている。  漫才では家計がどうにもならないことを「娘のふんどし」という。  心は、喰い込む一方。         ☆  人間国宝になったりすると、あわてて上品になる芸人の中で桐竹紋十郎は、女のことでもあけすけ。  女遊びは芸のこやしですと断言して、女が八人いた時のモテモテ話でも公開してしまう。         ☆  五代目中村歌右衛門は、彼の喰べた蜜柑の皮、鼻汁を拭いた紙、入った風呂の湯にいたるまでが売れた人気スターであった。  この五代目の自伝には女郎買いの話が極く当り前のように出てくるのが嬉しい。  西洋人の女郎を買いに横浜へ行った話を引用すると、 「……立派なもので、二の腕出して礼服みたいなものを着けてます。一緒に腰かけたけれど、ちっとも言葉が分りません。『こちらへ』と女に手を引っ張られてドアをあけると、そこはこっちにもあっちにも鏡があって、身体が映って見えるからきまりが悪い、実に照れてしまいました」  あったんですね、明治時代から。         ☆  落語家が銭湯に行かなくなったからではないが、東京や大阪の大都会では、銭湯がへりつつある。  しかし、銭湯ファンもいて、淡谷のり子は自家用車で出かけるという。芸者衆の間でも肌がきれいになるには銭湯に行くべきであるといわれる。         ☆  土佐の高知に玉水新地という旧遊廓がある。この昔ながらの遊廓の中央に芝居小屋があり、僕はこうした形で悪所の残されていることに感動した。  勿論、昭和四十五年では両方とも普通の旅館に改造されているが、役者と女郎が軒を並べて妍《けん》を競ったさまを想像すると胸がドキドキする。  この悪場所としての芝居の為に国立劇場が建てられたのなら、国営の遊廓があってしかるべきだと思う。娼婦はすべからく国家公務員にすればいいのだ。         ☆  明治四十四年の吉原の大火。  中米楼は「家だけ焼けのこったってしょうがない、おつきあいだから一緒に焼いちゃって下さい」といって消防に頼んで消すのをやめてもらった。         ☆  明治時代の芸者には、すぐに転ばない「意気地」があった。朋輩芸者に対する「張り」もあった。落ち目の旦那を見捨てない「誠」があった。  ……と愚痴をこぼす老人に逢った。         ☆ 「役者と芸者の恋を全うさせてやることがお客のお客たるところでもあり、かばってやるのが姉芸者の姉芸者たるところであった」  これは老芸者の言葉。         ☆  今日、芸者というと女のことであり、男芸者といえば幇間をさしているが、江戸の昔では演じるのが役者、踊るのが芸者という区別であった。  従って女芸者という言葉も残っている。         ☆ 「予はうるわしき家屋に住まおうという考えもなければ、百万の財産を貯うるという望みもなく、ただ、公務の余暇、芸者を相手にするのが何よりだ」  伊藤博文は芸者をみれば押し倒したことで有名であり、これは女芸人も、その座敷によばれて抱かれている。         ☆ 「その昔、田舎から誘拐された若い娘が躾《しつけ》を受け、芸を仕込まれてから京都の宮中へ送られ、昼間は台所の女中として働き、夜は歌と踊りで殿方を楽しませた。こうして何百年かたつうちに教養ある、高度に洗練された『芸人』である芸者が登場するようになった」  リーダーズ・ダイジェストの芸者論である。         ☆  貞奴に始まって「ぽんた」「お鯉」「おつま」「万竜」といった明治史をいろどる芸者の話には、どれもこれも役者がからんでいる。  十五代目羽左衛門の家橘時代、彼をはりあったのがおつまとお鯉、結果はお鯉が女房におさまるがすぐ離婚。この芸者が総理大臣・桂太郎の妾になって大活躍する。  貞奴にしても伊藤博文の妾だった時期がある。  博文は本妻も小梅という下関の芸者だったし、山県有朋の妻も新橋芸妓、山本権兵衛夫人も同じくで、役者、芸者、政治家は常に三角関係の話題を提供していたのである。         ☆  十五代目羽左衛門の家橘時代は洗い髪のおつまと出来ていたが、おつまが当時の訥升と浮気をした為に、正妻にはお鯉という芸者がおさまった。  このお鯉が家橘と別れて再び芸者になった時、春場所の常陸山と荒岩の一番(明治三十七年)に自分の身体を賭けて勝った荒岩のものになり、その後、さらに桂首相の妾になっている。  役者から裸芸人、そして政治家と、芸者の周辺は常に淫靡である。         ☆  土地成金の松本という旦那。  お茶屋の泉池に牛乳を満たして、その中に生卵を割り込み、後手にくくった全裸の芸者を泳がせた。  そうして卵の黄身をこわさずに口で吸いこみ、岸の盃に吐き出すと賞金を与えたという。 [#改ページ] [#小見出し] 役者 その政治意識         ☆  新井白石の『俳優考』によると、  俳優のいる家は崩れ、俳優のいる国は亡ぶんだってさ。         ☆  宝暦八年(一七五八年)十二月二十五日。  引廻しの上、死罪獄門になったのが講釈師馬場文耕。  原因は幕政批判。  最近では政治批判をする人もいるし、自民党公認で代議士になった人もいるし……。         ☆  文化三年(一八〇六年)九月二十三日。  赤松瑞龍も講釈で政道批判。これは江戸払いと軽く済んでいる。  この人の弟子で赤松龍山。  これは殺人がばれて文政二年(一八一九年)八月十三日に処刑。         ☆  伊東花清、これも講釈師。ウッカリ、二つの席に約束をしてしまい、そのかけもちが無理とわかるや割腹して責任をとった。         ☆  戦争中にある浪曲脚本家が次の文句でコッピドク叱られた。……オワカリカナ。  ※[#歌記号、unicode303d]時は昭和の中の頃〜〜〜         ☆  昭和四年、築地小劇場が『西部戦線異状なし』を上演した時、その幕切れのセリフ「戦争は二度とあってはならない、二度と再び!」がカットを命じられた。役者は口をパクパクさせるだけだったが、客席は拍手でこれにこたえた。         ☆  日本の新劇運動の歴史も戦前は弾圧の傷だらけである。  チャップリンのように国をすてて亡命した人達もいるが、敗戦まで刑務所で過した新劇人も多い。 「出て来てからね、何よりもまず、アームチェアに腰かけたかった」 [#地付き]土方与志         ☆  八世市川団蔵の死(投身自殺・四十一年)を描いた『一期一会』(網野菊)の中に社会党顧問鈴木茂三郎の文章が引用されていて、それは団蔵の引退興行で殺される役を演じているのは異様だったということをいっているのが印象的だった。  別の機会に、彼の随筆集で「女役者は月の障りがイヤだろう」というようなことを読んだ。俗っぽい闘士である。         ☆ 『エロス+虐殺』と神近市子女史のモデル問題と同じようなことが、明治四十五年に起きている。 『花井お梅』を上演中の浅草蓮葉座の舞台に当の花井お梅がなぐりこんで上演中止を叫んだのである。         ☆  新劇グループのデモの中にいた佐々木孝丸は若い新劇人から「インターナショナル」の歌詞を教えられた。  彼がだまって聞いていたのは、昔、自分が作詞したからである。         ☆  沢村貞子著の『貝の歌』を読むと、彼女が特高警察に全裸にされて辱められるといった場面が出てくる。         ☆  原文兵衛(元警視総監)の随筆の中で、明治二十四年に寛永年間以来初めて男女共演した時のことに触れている。  明治二十四年までの警視庁の態度は、 「男女が混同して演劇する時は、その所作、実況に迫り、観客の感情を刺激する為、風紀上、悪い影響を及ぼすこと必定にして……」ということだった。  それが諸外国にては共演をしているから、今のままだと外国人に笑われるというので、黙認することにしたというのである。  明治政府は外国人に笑われないようにということを大切にした。  今の政府はアメリカ人に怒られないようにしているようだ。         ☆ 「暴力や断絶や破壊が正当とされることは決してない。学生には学校を管理する権利はない。大学を建てるのは学生ではないし、教職員の給料を払っているのも学生ではない。それに学生は、自分たちの要求実現に要する費用を負担できるわけでもない」  ジョン・ウェインが南カリフォルニア大学で学生に演説した、その結論である。  ジョン・ウェインを大学に連れてきたのは、ボブ・ホープで、彼はウェインが演説している間、学生が恐ろしくて逃げまわっていたという。         ☆ 「ベトナム戦争を終らせたければ、ソ連のコスイギンに電話をかけて、こんどソ連製の銃がわれわれに向けられたらお前の脳天に爆弾を落としてやるからなと言えばいい」 [#地付き]ジョン・ウェイン         ☆ 「ついでにいうと俺は正義に味方する、でかくて頑強な男だ」 [#地付き]ジョン・ウェイン         ☆ 「多くの人が私が政治的に右派であることを嫌う。しかし、私の映画は愛してくれる」 [#地付き]ジョン・ウェイン         ☆  ウェインの右派ぶりはますますエスカレートしている。 「黒人が教育されて責任をもてるようになるまで白人の優越は当然と思う」  そして西部劇での体験から、 「われわれがインディアンからこの偉大な国を取りあげたことを悪いとは思わない。新しい土地を必要とする人間が多勢いたのに、インディアン達は利己的にも自分達のために、その土地を守ろうとしたのだ」  ウェインにとってはベトナムも西部劇のようである。  その彼も六十四歳。         ☆  ジョン・ウェインと並んで愛国者のほまれ高いボブ・ホープは、ノートルダム大学で次のように演説している。 「ベトナムでの戦死は犬死ではない。それは美しい死だ。我々は沢山のアメリカ人の死を知っている。しかし、そのことを悔みはしない」  勿論、学生に野次り倒された。         ☆  愛国者ボブ・ホープはベトナムの戦場へ慰問に出かけ、文字通り前線でショウをやった。しかし、彼は寝る為にはいつでもバンコックのエラワンホテルまで飛んで帰った。         ☆ ボブ・ホープは歴代の大統領とよくゴルフをやる。勿論、大統領はヘリコプターで|ボブのゴルフ場《ヽヽヽヽヽヽヽ》へ飛んでくるのだ。         ☆ 「集会に出席しておかしい人はスター、おかしくない人は俳優なの」 [#地付き]キャンディス・バーゲン         ☆ 「私は過去三年間、所得税の四〇パーセントしか払っていません。アメリカの予算の六〇パーセントは軍事費ですから」 [#地付き]ジョーン・バエズ         ☆ 「多くの人が、なぜ髪をばっさり切ってネクタイをしめ、スーツを着て政治家のようにしないのかといいます。私たちは出来るだけ自然にしようとしているのです。現在どれだけの大衆が犬と売春婦をそばにおいた政治家にだまされていますか」 [#地付き]ジョン・レノン         ☆ 「私は祖国を愛している。しかし、祖国を愛せよといわれたら私は祖国から出てゆく」 [#地付き]チャーリー・チャップリン         ☆  チャップリンは今でもアメリカに帰れないが、長い間、アメリカから出られなかった人にポール・ロブスンがいる。  一九四五年、ロンドンで行なわれた彼のリサイタルはアメリカ政府が旅券を発行しない為に、遂に会場へ行くことが出来ず、彼はアメリカで電話口で歌い、会場ではその電話の歌声をスピーカーで放送するという形式をとった。彼は平和運動に、黒人差別に反対する運動にそのすべての歌を捧げた。         ☆  サッチモがモスクワの演奏旅行に出かける時、ロブスンはこういってはげました。 「勇気を出せ、アメリカの黒人のありのままを伝えるべきだ」         ☆ 「ポール・ロブスンは黒人霊歌を歌うことによって人気と富を得ることが出来る。が、彼の種族のために戦うことによって、憎まれ、迫害され、すべての門は彼の前に閉ざされる。彼が何故にこの後者を選んだかの答は、彼の魂の深い奥底に求めなければならない」 [#地付き]ソビエトの新聞から         ☆  ロブスンは、カナダでは、その国境で、ロブスンがアメリカ側で歌い、国境線をへだてて、聴衆がカナダ側で聞いたという音楽会を何度もひらいている。         ☆ 「あなたの黒人の悲しみをうたった歌などは、アメリカ黒人たちが支持するでしょうね」 「いいえ、誰が好んで自分達の苦しみを聴きたがりますか?」  そう答えたのはオデッタ。この点を忘れた妙に同情的な歌が多い。         ☆ 「ブラック・パワーは独自の文化を持つべきだ。それは白人社会が継承してきたものよりも、精神的により高い次元のものでありたい。ブラック・パワー文化は白人文化の退廃と無秩序の中に埋没さるべきではない」 [#地付き]ハリー・ベラフォンテ         ☆ 「芸人のもっている反体制思想などには、なんの意味もない。というよりも、むしろ芸人は体制の幇間、腰ぎんちゃくとしてのみ芸としての本質を保つことが出来る存在である」 [#地付き]吉本隆明         ☆ 「弾圧こそ、新形式のアソビをショミンに考案させるのである。私はショミンの知恵の深さを信じている。あのオフロも、もう弾圧されてしまえば、きっとまた、もっとオモロイモノが出て来るに違いない」 [#地付き]小沢昭一         ☆ 「アタシャよくわかんないけど、学生がゲバ棒をふり回すのも赤線がないからよ。だけど女子学生もいるっていうことは……どうなっているんだろ」 [#地付き]アンジェラ浅丘         ☆ 「あっしたちゃ、芸人だから、赤旗まつりだろうと、自衛隊の入隊式だろうと演りますよ。それが芸人の義務なんだから。やりにくかァないですよ、どっちも行儀がいいですもん」 [#地付き]林家正蔵         ☆  紫綬褒章の田谷力三の言葉。 「お国のために歌ひとすじに生きてきたことが認められ、胸がわくわく夢心地という心境です」  そうだったんですか、お国のためだったんですか。         ☆  マヘリア・ジャクソンは神の声といわれているが……。 「政治とは神と欲望との結合体である」 [#地付き]三波春夫         ☆ 「入場税などという前近代的な税金があるが、現在の歌とか演奏会のあり方のままではぜいたく品に対する入場税はあたりまえなのかもしれない」 [#地付き]高石友也         ☆  去年死んだ土橋亭里う馬は、税務署のとどけが面倒臭くなって、ひとひざのりだすと係員に「旦那、実はあっしは泥棒だよ」         ☆  先代の吉右衛門の弟子で中村吉兵衛。  税務署にいくのに年老いた病人に扮し、哀れな声を出して、税金が払えないという事情をクドクドと並べる。  演技が真に逼《せま》っているので、払わないでもいいということになり、吉兵衛はその金で一杯飲むのが何よりも楽しかったという。         ☆  昭和四十五年八月二十一日の東京新聞によると自民党が百二十人の芸人を招待し、三十七人が出席した会のことが紹介されている。  第一線で肌で庶民と接している皆様の御意見を伺うという主旨だが、なかなか勇ましい言葉が飛び出している。 「近頃の大学生をみていると私は腹がたってならない。この間も自衛隊に行って言ったんだが、暴力学生など即刻射殺しちまえばいいんだ」 [#地付き]一竜斎貞鳳 「いったい社会党や共産党は日本をどうしようというのか。日教組なんてェ赤いヤツがのさばって、日本の子どもがどうなっているか御覧なさい」 [#地付き]三門博 「全国民が自民党員のバッジをいばってつけられるように早くなってもらいたいもの」 [#地付き]三遊亭金馬 「日本がこれほどまでになったのは、いったいだれのおかげか。私は声を大にしていいます、それは天皇と安保と自民党」 [#地付き]坂東三津五郎  この他、防衛省に格上げしろとか、自民党こそ正しいとか……。  誰も庶民の為の芸人になります、その為に芸をみがきますなんていわなかったらしい。         ☆  三宅藤九郎が佐藤首相に「狂言をどう御覧になりますか」と聞いた。首相曰く「むずかしい芸能ですね」  アーア、イヤニナッチャウヨナァ。         ☆  参議院議員の望月優子が浅草で踊っていた頃、「踊り子っていうのは淫靡でなければうまくなれない」と感じたと書いている。  政治家もそうじゃないかな。         ☆ 「貴族となることは封建的であり、他の役者とへだたりができるような気がする。私はせいぜいサー・ローレンス止りだと思った」  男爵として上院の議席を与えられることになったオリビエの言葉。         ☆ 「維新の崩壊によって能楽は一度に衰退した。  然しその復興は、徳川幕府に代って新しい特権階級が能楽保護に乗りだしただけで、扶持を離れた能役者はたちまち新興権力のお抱え役者になったに過ぎない」 [#地付き]喜多実         ☆ 「相撲は犬の如く、俳優は猫に似たり、貴人剛勁を愛せずして、柔順を愛す」  明治十四年、俳優が政治家や実業家に可愛がられ始めた頃の記事。  今や、選挙が近づくとタレントの愛されること!         ☆ 「梨園」  唐の玄宗が自ら俳優の技を教えた地名ということで、歌舞伎の代名詞になっている。  法皇、女王、天皇、大統領、総理大臣といった人達をみていると、どうみたって演じているとしかみえない時がある。  日本には役者がいない。         ☆  京劇の女形は日本にもきた梅蘭芳《メイランフアン》を最高のスターとして、その後は女優の時代になってゆく。 「蘭芳、温婉にして媚骨あり、ものいう毎に両頬潮紅し、ただ化粧して舞台に出るときは人をして雌たり雄たるを弁ぜざらしむるものあり」  その人気は凄じく、選挙の時は立候補していないのに当選するほどの票が投ぜられたという。         ☆  中村翫右衛門の著『芸話・おもちゃ箱』と、河原崎長十郎が出しはじめた雑誌『舞曲扇林』は、お互いにコンビだった相手の名前が出て来ない。  翫右衛門が「富樫」の芸について語っていながら相手役の「弁慶」(長十郎)について触れないあたり、面白いといえば面白いのだが……。  それでいて両方の本に毛沢東が何回も出てくる。これが又、面白い。         ☆ 「いかなる階級社会の、いかなる階級も、常に政治的基準を第一の地位におき、芸術的基準を第二の地位におく。然し、芸術性のとぼしい芸術作品は政治的にいかに進歩したものでも無力である。従って政治的観点があやまっている芸術作品にも反対するし、また、正しい政治的観点を持つだけで芸術的な力をもたない、いわゆるスローガン式の傾向にも反対する」 [#地付き]毛沢東         ☆ 「創造的な仕事をするには、若いこと、貧乏であること、そして無名であることという条件が必要だ。今、私はいずれの条件もなくなった」 [#地付き]毛沢東         ☆  昔の歌舞伎の役者というのは現代劇を意識していたから事件というと見物に出かけているし、新しいものにもすぐ飛びついていた。  今でいうならばデモや、機動隊との対決を現場で体験し、それをすぐ舞台に反映させるわけである。だからこそ、役者は大衆に支持されたのだ。  人間国宝や、芸術院会員になりたがっていて、いい芝居が出来るわけがない。         ☆  無形文化財、又の名を人間国宝。  政府からなにがしかの年金が出る。おどろくじゃありませんか。  人間国宝はこの年金に対して使用明細書を出す義務があるノダ。  女房の家計簿を点検するような亭主にロクな奴はいないノダ。         ☆ 「活動写真術又ハ之ト類似ノ方法ニ依リ製作シタル著作物ノ著作者ハ文芸、学術又ハ美術ノ範囲ニ属スル著作物ノ著作者トシテ本法ノ保護ヲ享有ス」  この古風な法律が、テレビのビデオ・カセットの時代にまで通用しようとしているんだから、モノスゴイと思ったら大間違い、大体がこんな古風な法律の中で生きている僕達なのです。         ☆  昭和十五年まで、俳優鑑札がなければなんにでも出演出来なかった。  これは一等から八等まで階級があって、映画俳優と新劇俳優はいつでも八等であった。         ☆  昭和四十六年六月二十七日。  参議院選挙の結果、田英夫、安西愛子、望月優子が上位を独占し、地方区では木島則夫が市川房枝、木村禧八郎に代った。  一竜斎貞鳳と立川談志がスレスレ当選。野末陳平が惜しくも次点に続き、月亭可朝、木崎国嘉も落選。         ☆  例によって「タレント候補」という言葉が乱用されて、タレント候補とよばれた候補はそれぞれアイマイな反撥を示していたのが面白かったが、結果として、先輩の青島幸男、横山ノックに続くヒモのつかない無所属議員が当選しなかったのは残念だった。  念の為、深夜放送での若者の投票結果では無所属の野末陳平が田英夫についで二位だった。         ☆  五十位で真打ちは最後に出るものと見得をきった立川談志の開票中の心境。 「静かに、志ん朝の落語を聞いていたい」  泣カセルウ! [#改ページ] [#小見出し] 役者 その周辺         ☆  歌手、俳優、ヌード・モデル、その他いろいろのことをしていた三島由紀夫が死んだ。  芸に関しての彼の言葉を並べる。 「黒沢明はすばらしいテクニシャンですよ。思想はない、思想はまァ中学生くらいですね」 「高倉健というのは僕あまり好きじゃないんですよ、あまり颯爽としててね、反感持つね。嫉妬かもしれないけれど、鶴田が好きなんです。ちょっと疲れた目の下がだぶってきて、なんかじっと考えるでしょ、考えることなんか何もないですよね、だけど考える、たまんないですよ」 「理想的な美女というと山本富士子さんの顔に西洋の女の肉体をくっつけたもの」 「宇野重吉みたいな顔は何でも考えてるように見えるんだ、一種のインテリジャガイモというものでね」 「僕は歌右衛門が背広着たところなんか見たくないね」 「なんでも解るなんていうのはお化けだよ。ピカソが解って、マチスが解って、メニューヒンが解って、写楽が解って、南北が解って……」 「日本人はもとの型が好きで、歌舞伎でもなんでも、昔の人が作った型を守るのが非常に好きでしょう。オリジナルな型が好きなんだな。外国人のもやった通りにするのが日本式なんだ。だからチェーホフの芝居なんかでも、モスクワ芸術座とそっくり同じにやるんですよ」 「女形の私生活も、女の典型でなければならなかったし、私生活にまで加えられる諸々の制約は写実の必要を越えたものであった」 「踊りは人間の肉体に音楽のきびしい制約を課し、その自由意志を抹殺して、人間を本来の『存在の律動』へ引き戻すものだ」 「うちは妙な家庭で、芝居は教育に悪いから、みせない。映画なら、いいという。ぼくは書生といっしょによく映画みにいったんです。キス・シーンなんかでてきたりするでしょ、そんなこと、うちではなんとも思わない。しかし、芝居は淫靡なものだからいけないということになっていました」 「歌舞伎は一応古典芸術ということになっていますがね、あんなに古典主義を知らない古典芸術はないですよ」 「いま、こわもてしている役者が一人もいないということが、ずいぶん歌舞伎を弱くさせていると思う。六代目菊五郎なんか、ときにはずいぶん、ひどい、なげた舞台を見せたけど、お客の方がこわがって観ているから、解らないのはお客のほうが悪いんだと、お客自身で思ってしまう。いま、それだけお客に思わせる役者はいませんね」 「歌舞伎もお能も、僕の演劇的教養、いちばんの栄養のもとです。僕はいまだに近代演劇なんかには何も関心もってないという気がする。『築地』がどうだろうが、そんなこと知ったこっちゃないんですよ」 「新劇の分裂騒ぎだって、イデオロギーなんていうけどね、座頭騒動ですよ、みんな。役者というものは、ほんとうに始末におえんもんだな、下手なうちの役者が一番可愛いんだね。だけど、自分の作品にとっちゃこんな困ったことはない」 「文化的国家日本のアプローチは僕はもうあきらめちゃったんです。いくらほじくったって何も出て来ないんですよ。お能が好きで尊敬していますが、能をほじくっても出てくるのは仏教のカスだけですよ」 「失敗した悲劇役者というのが僕じゃないかしら、一生懸命泣かせようと思って出て来てもみんな大笑いする」 「テレビ会社の社員はみなファシストだ。現在のマス・コミュニケーションをやっている奴はみなファシストだ。物を書く人間はみなファシストだよ。つまり我々は皆不正確な情報にもとづいて論じているんだもの、こんなに不正確な情報にもとづいてみんなに伝達してるんじゃ、みんなファシストになってしまう」 「僕は『サド侯爵夫人』と『わが友ヒットラー』がとてもいい。この二ツ残せばいいと思って、あと、べつに書く気はしない。『鹿鳴館』、あんなものはいまとなっては大きらいです」 「僕は静止したものはきらいですから、美術品なんて、あまり好きではないですね。動くものが美しい。�動くもの�というのは自由ですし、自由は、それは未来にはなくて、源泉の中にあるものだという感じがする」 「僕は何にもわずらわされずに小説が書きたいんです。そこで考えてみたら、出世しようと思わなければ、役人が一番ヒマのある職業であることに気づいたのです。だから役人になる為に法科を選んだのです」 「剣道の試合だと自分が負けることもありますけれど、映画では相手は必ず、斬られてもひっくり返る。また、その斬られ方のうまいことね、アッといってさわるかさわらないかに倒れてしまうでしょ。愉快ですよ、ほんとにおもしろかったですね」 「映画で死ぬということは、まずない。それから写真のモデルで死ぬということも、まずないです。『楯の会』はひょっとするとそれで死ぬかもしれない」 「年をとると碌なことはない、年とともに精神が成熟するというのは嘘で、ただ衰えるだけです。芸の世界だけは別ですよ」         ☆  首切り浅右衛門の芸談。  囚人の斬り落された首が無念の表情を消してニッコリ笑うようになれば名人。三島由紀夫は……。         ☆  我家の書棚でまァまァ揃っているというのが内田百。昭和十六年の彼の本に珍しい形式のものがある。  それは彼の対談・座談から彼の言葉だけを抜いて、それを並べて一冊にしてあり、その相手は想像するしかわからない。  その本から、「役者 その世界」 「映畫は、昔は毎週の替りに行つてました。トーキーになつてからは、うるさくて見ちやゐられないんですよ、聲がするんでね。  あれはあんな事をしてゐると、今に行き詰つて高利貸より先に滅びますよ。大體、トーキーと云ふ物は觀客に無理を強ひてゐると思ふ、人間の色色な感覺を一時に使へと云ふのは無理です」 「人形が動かないと淨瑠璃に氣合が入らないから人形を遣ふのであつて、もともとあの人形は見るものぢやないと云ふのです。トーキーと同じで、眼で人形を見て耳で義太夫を聽く、さう云ふのは初歩の連中なのでせうね」 「日本語のオペラより、伊太利語だの、佛蘭西語の方がいいでせう。分かる樣な氣がすると云ふより、分からないからいいのです」 「言葉のない音樂を聽いて出る涙は一番本物の涙だと云ふ氣がする。意味と言ふもののない涙ですね。悲しいのか嬉しいのか知らないが、それが音楽の絶對境で、喜怒哀樂とは關係がない」 「アンコールの烈しいのは、だれだつたか忘れたが、エルマンだつたかも知れない。自動車に乘つて歸りかけてゐるのをファンが行つて舞臺まで連れて來てやらしたと云ふ話を聞いた事がある」 「歌謠曲、浪花節、萬歳、落語、講談、概してみんな低級な藝ばかりだ、聽いてゐる中に自分が下劣になつたやうな氣がする」 「おやおや、萬歳のラヂオがどこからか聞こえて來ますね、萬歳は滅茶滅茶に面白い。しかしだね、一人前の落語家なら一人でやれる事を二人がかりでやつてゐる」 「漱石先生の御長男の純一さんの意見なのですがね、文章をジャーナリズムに落としてしまひ、音樂をジャズに落としてしまひ、芝居を映畫に持つて行つたのは國家觀念の無い猶太人の仕事だ、(中略)ベートホー※[#「ヱ」に濁点、unicode30f9]ンやバハがジャズになり、ゲーテが新聞の通俗小説になつた。日本で云ふと歌舞伎が活動寫眞になつた。猶太主義の繁昌です」 「ラヂオですか。嫌ひだから五、六年前に止めてしまつたのだ。今どきあんな前時代の遺物を備へつけてゐる方が餘程變ですよ」 「いやだからいやだ」と芸術院会員を拒否した内田百の面目は三十年前にもキラキラしている。  昭和十年代にラジオは遺物だというのは今日、カラー・テレビを前時代の遺物というよりも、もっと反骨精神に満ちている言葉だ。         ☆  小山内薫、松居松葉、岡鬼太郎、永井荷風、吉井勇、岡本綺堂、岡田三郎助、和田英作、谷崎潤一郎、池田大伍……。  二代目左団次の伝記にブレーンとして登場してくる豪華メムバー。         ☆ 「私は泉鏡花、永井荷風、谷崎潤一郎、里見、久保田万太郎に育てられた役者でございます」  花柳章太郎は天皇陛下の前でそういった。         ☆  名人といわれる人の中に「舞台をなげる癖」を持っている人が多い。六代目菊五郎などが、その最たるものだが、淀橋太郎にいわせると「出来ない時になげるふりをするんだ」という。  この言葉はガンチクがある。         ☆  子母沢寛の随筆に、記者時代にある料理屋にいたら、今から六代目の貸し切りだからと追い出されたことが書いてある。  大勢で来るのかと思ったら一人でやって来て「静かに喰いたいから」という理由だったそうだ。         ☆  劇作家三好十郎は原稿を書く前に春画をみることにしていた。そしてムラムラしてくると、それを打ち消すように仕事を始めたという。野坂昭如のように原稿を書く前にマスターベーションをする人もいる。         ☆ 「客種が悪くなったといってはいけない、客種が新しくなったというべきだ」 [#地付き]穂積重遠         ☆  法学者穂積重遠の少年時代の思い出に、家族で芝居をみにいく日が決ると、台本を用意しておさらいをして芝居通りの本読みを重ね、しかるのちに観に出かけたとある。  それをさも当然のように書いている。         ☆ 「昔の噺家は貧しくてなんにも持っていなかったが、そのかわりに自分の芸というものを持っていて、それを後生大事にまもっていた」 [#地付き]宇野信夫         ☆ 「私は二十歳の頃に旅芝居をしたことがある。投げ銭をもらっての旅である」 [#地付き]水上勉         ☆  劇作家としての菊田一夫は恋人の為に脚本を書き、恋人の為に演出をすることで有名なので、上演される芝居をみると誰が彼の恋人だかわかったという。         ☆ 「詩をやるなら民謡を勉強しなさい、民謡は言葉の音楽だよ」 [#地付き]坪内逍遙         ☆ 「歌舞伎とは極めて低級に属する頭脳を有《も》った人類で、同時に比較的芸熱心に富んだ人類が、同程度の人類の要求に応ずるために作ったもの」 [#地付き]夏目漱石         ☆  夏目漱石の言葉から。 「小さん(三代目)は天才である。彼と時を同じうして生きてゐる我々は大変な仕合せである」         ☆ 「下宿屋の二階で朝ごはんのごはんの上に、生卵を割ってたべるようなやつに歌舞伎がわかるか」  そういったのは夏目漱石。  たまたまそうやって朝飯をたべていたのが正宗白鳥。 「だから俺には歌舞伎がわからないんだ」         ☆ 「河原乞食の汚名に甘んじていなければならなかったにしても、実際に於ては一代の人心を魅惑していた。戯作者や浮世絵師などの及ぶところではなかった。その風習の惰力は明治末期までも続いて、歌舞伎役者は他の芸術家よりも遥かに強く民衆に愛著されたのみならず、文学者や画家は団菊に親しまれることを光栄としていたのだ」 [#地付き]正宗白鳥         ☆ 「名優ほどわずかな演技しかしないものだ」 [#地付き]谷崎潤一郎         ☆ 「プレスリーはキリストの再現である」 [#地付き]深沢七郎         ☆ 「事業は生産し、芸術は消費する。この意味において、神は最大の事業家であり、悪魔は最大の芸術家である」 [#地付き]有島武郎         ☆ 「円喬はうもござんした。あの人が喋っていると、高座から円喬の姿が消《け》えましたよ。いまの噺家で自分が消える人がいますか、いないじゃありませんか」 [#地付き]小島政二郎         ☆  小島政二郎は、この頃の芸人の声が高いのはうとましいと書いている。 「声高になるにつれて不思議に名人がいなくなった。芸の世界ばかりではない、どの世界でも声の大きな奴が手っ取り早い勝利を納める近頃の趨勢がイケないのだ」  僕も、この頃、声を低くしている。なんというオッチョコチョイ。         ☆ 「玄人がほめなくても、うける芝居をするのが礼儀、玄人は金を払ってみてないのだ」 [#地付き]長谷川幸延         ☆  作家中山義秀の原稿を受けとった編集者がその場で読もうとしたら、 「恥ずかしいじゃないか、あたしは恥ずかしい思いをして書いているんだ、読んじゃいかん!」と怒ったという。         ☆ 「日本の俳優はひとりも戦犯にはならない、ルイ・ジュヴェをごらん。もしもあいつが対独協力してたら、きっと死刑だ。そういう顔をしてるよ、日本の俳優は人格を認められてないんだよ」 [#地付き]太宰治         ☆ 「芸術と漫才。私においてはどっちも芸術は芸術で、非芸術は非芸術だとしか思ったことはない。新劇なら何も彼も芸術で、漫才なら何も彼も非芸術なのではない。よろしいのが芸術で、よろしくないのが非芸術だ。況《いわ》んやこっちは見学だ、読方であり、綴方である。  あしたにショーを見て、夕ベに浪花節を聞いて、得るものを得んとすることは、よろしいことに違いない」 [#地付き]長谷川伸         ☆ 「他人の批評に答えることだけはテンでしない。その暇があれば作品のことに何かしら没頭することにしている」 [#地付き]長谷川伸         ☆  長谷川伸が劇場の客席にすわっている仁左衛門と歌右衛門という二人の女形役者をみかける。  人気を二分する二人なのだが、客は仁左衛門ばかりに注目して騒ぐ。仁左衛門は客をにらみ返す。この時に長谷川伸は歌右衛門が客の目につかれないようにすわっていることに気がつく。  そして、これでこそ名優とほめている。         ☆  長谷川伸が、ショーのテンポが早いのは一向に構わないが、その早さにともなう甘さが欲しいと書いているのは卓見である。         ☆  藤圭子について。 「歌い手には、一生に何度か、ごく一時期だけ、歌の背後から血がしたたり落ちるような迫力が感じられる時がある」 「ここにあるのは、艶歌でも援歌でもない。これは正真正銘の怨歌である。凝縮した怨念が、一挙に燃焼した一瞬の閃光であって、芸としてくり返し再生産し得るものではない」 [#地付き]五木寛之         ☆ 「芸術家といってもいい、芸能人といってもいい、歌手や俳優のような人達の中で、かつて手に汗して働いたことのあるスタァたちはどこか特別の魅力を持っているように思われる。イヴ・モンタンが労働者だったころ、なにがかれを最も力づけ、その歌の生命となるものをあたえてくれたかを回想して、それは『資本論』だったといっているのを読んだ記憶がある」 [#地付き]大江健三郎         ☆ 「『チャタレー夫人の恋人』が発禁になれば、世間の問題になるが、ストリッパーが摘発されても、あまりさわがれない。つまり前者は芸術であり、後者はしがない裸踊りというわけだろう。(中略)  ぼくはストリッパーの、いわゆる猥褻物陳列も、芸術作品といわれるものも、性的表現という意味ではまったく同等の価値をもち、そのいずれも限界を与えられてはならないと考える。(中略)  性的表現についての能力のなさが、限界をつくっている。論議はいらない。表現するのみで、そして世間は、勝手に好みによってえらべばいいのだ。一冊の精液にまみれた詩集、小説、あるいは犯される彫刻、聴衆をして性的狂乱におとしいれる音の出現、ぼくは待ちのぞむ」 [#地付き]野坂昭如         ☆  サラ・ベルナールはメニューを読みあげるだけでサロンの人達を泣かせたが、バルザックは水とパンをかじりながら豪華なメニューを読み、それだけで御馳走を喰った気になった。         ☆ 「本当の役者というものはねェ、せりふ廻しがうまいとか、所作がいいというものじゃないんだよ。舞台にその役者がたつと、ぱっと、舞台の灯がきらめきを増す。そしてお客はこの世を忘れ、われを忘れて、ある一瞬、役者の美しさに、うっとりと浄土を見る。そんな瞬間をお客様に与えることの出来ない者は役者なんて口はばったいことは言えやしないやね」 [#地付き]瀬戸内晴美『女優』より         ☆ 「唄や踊りで何が育つか、何が稔るか、誰の腹がくちくなるか、唄や踊りで銭取るのは傾いた女のすることで、土を離れた根無し草よ」 [#地付き]有吉佐和子『出雲の阿国』より         ☆  桃中軒雲右衛門は自分の芸の為に師匠の女房と愛しあい、その三味線に支えられて、自分の節をつくりだした。  真山青果の『雲右衛門』の中で、女房はこういう。 「お前さんは昔、わたしの三味線の出来の悪い日には、打ったり蹴ったりしたんだよ、あたしは素よりお前さんに女として可愛がられてきたのではない、お前さんは自分の芸の肥しに、わたしの三味線を喰ったのだ、お前さんは自分の芸の為には人も師匠も忘れてあらゆるものを犠牲にして悔まない強いこころの人だったよ」  今日、こんな形でみがかれる芸というものが、あるでありましょうか。         ☆ 「無名の人間が一朝にして有名になるということは、義経以前には、日本の社会にはなかった。いまで言うなら美空ひばりでも、石原裕次郎でも、スターの誰でもが味わうことを日本歴史のなかでは義経が最初に経験するわけです」 [#地付き]司馬遼太郎         ☆ 「俳優の場合『芸』は職業である。理論と計算がある。役者にはそれがない。生きることが『芸』である」 [#地付き]北条誠         ☆ 「茶は扇子の使いかたから始まって切腹で終る」 [#地付き]岡倉天心         ☆  三島由紀夫に演出された坂東玉三郎は『弓張月』のお姫様の役で「三島先生がご自分でセリフを言ってみて下さるんです」といっている。  筋骨たくましい三島先生がナヨナヨとお姫様のセリフを、この美しい女形にコーチしている図は楽しい。         ☆  久保田万太郎の俳句から芸人の死を悼んだものを並べる。   六世尾上松助逝く  いなずまのようやくよわく淋しさよ   河合武雄逝く  陽炎やおもかげにたつ人ひとり   友田恭助戦死  死ぬものも生きのこるものも秋の風   六世尾上菊五郎逝く  夏じおの音たかく訃のいたりけり   先代松本幸四郎逝く  人徳の冬あたたかきほとけかな   井上正夫を悼む  嘆けとて月やは二月うつくしき         ☆  新派には多くの作品を提供した泉鏡花が後藤新平に招待された時、役者芸人と同席というのでためらった。  文士は彼等より軽く扱われるからである。  この頃、作家と芸人の区別がつかなくなったのは、作家がそれだけ世に認められてきたからであろう。         ☆ 「明治になって、小学校教育が普及してから歌舞伎は面白くなくなった」 [#地付き]池田大伍         ☆  五味康祐は時代小説でもシンフォニィのレコードをかけて書くそうだが、福沢諭吉は長唄を聞きながら書くのが一番いいといっていた。  今年(一九七一年)、九十五歳の吉住慈恭はその長唄をうたいにいった一人である。         ☆ 「伝統はあくまでも形式ではなく、民族の生命力の発見として考えなければならない」 [#地付き]岡本太郎 「生長と生産のエネルギーを喪失したものでなくては伝統となりにくい。(中略)わたしはそういうりっぱらしい伝統を打ちこわして、その廃墟においてじぶんの制作をいとなみたい」 [#地付き]杉浦明平 「伝統とは感覚や感情や知性などの諸能力そのものの中に潜んでいるので、これは一度や二度の戦争で変わるものでなく、普通に考えられているよりははるかに強力なものだと思われる」 [#地付き]竹山道雄 「シキタリだの『伝統主義』だのにまどわされず、自由に、そのときどきの環境をつくっていく日本の『伝統』にこそ、わたしは忠実な人間でありたい」 [#地付き]加藤秀俊 「伝統というものは、流れであってけっして固定的なものでなく、本質的に保守的なものとはいえないが、改革とは逆の性質のものであると思う」 [#地付き]川尻泰司 「伝統の継承・発展を積極的にすすめる立場を認めた上で、いわゆる伝統の破壊・革新を積極的にすすめても、どこかで伝統とつながっていくという安心感がある。伝統とはそれほど根強いものなのだ」 [#地付き]石沢秀二 「わたしは伝統を『歴史の惰性』とみるエンゲルスの見解に、まったく賛成である」 [#地付き]山田宗睦 「伝統とは、むしろ、過去と対決し、破壊と対決し、いわゆる左右の伝統主義を否定する時にのみ、逆説として甦るとしかいえないだろう」 [#地付き]栗田勇 「伝統の意識化ということは、日本の意識化ということにつながる。(中略)私と伝統というよりはむしろ、私が伝統なのであり、その事情は私が能を見ようが、グループサウンズを聞こうが、いささかも変わりはないのだ」 [#地付き]谷川俊太郎 「伝統とは、いつでも新しいものをそこから引き出せる魔法の机である」 [#地付き]吉川英史 「鋭い『前衛』を生みだしてくるのは堅固な『伝統』なのだ」 [#地付き]渡辺浩子 (以上南博編の『伝統と現代』のアンケートより)         ☆ 「含羞はおろか、はにかみや、照れのポーズさえなく、書くことの恥じらい、ためらいなど影をひそめ、書くことのおそろしさ、文学者であるということのうしろめたさも忘れられてゆく」  この奥野健男の言葉の「書く」を「演じる」、「文学者」を「芸人」とおきかえると事情は同じことになる。         ☆ 「作家という職業の紳士たちは頭が鈍くては作家になるのは無理だけれど、しかし、あまり利口である必要も別にない。それよりは虚栄心の強いことと、嫉妬心の旺盛であることと、羞恥心の少いことと、エゴイストであることと、嘘吐きであることの方が遥かに必要である」  藤沢桓夫の随筆にあった。  作家を芸人にしても同じことであろう。 [#改ページ] [#小見出し] 役者 その評判         ☆  六代目菊五郎が「芝居を知りもしない奴が劇評を書く」といったことから端を発し、劇評家一同が彼の芝居をみないことに決めたことがある。 「役者馬鹿」という言葉があるが、こうなると「批評家馬鹿」という言葉も必要。         ☆ 「我々は劇評家に悪評を書かれない役者になることが第一だ。その役者に悪評を下せば、その劇評家が笑われるような役者になることだ」 [#地付き]六代目 尾上菊五郎         ☆ 「悪口を書いてはいけない、ペンは人を簡単に殺せる、それよりも褒めることの難しさを勉強しろ」 [#地付き]平山蘆江         ☆  この蘆江の劇評を読んだ曾我廼家五郎は、「素人はんが読むとべタほめに書いてあるように思うだろうが、わてが読むと一番痛いところを衝いている」         ☆ 『歌舞伎』(明治三十年代)という雑誌には『評の評』というページがあって、劇評の批評をやった。         ☆  八十三歳で投身自殺をした市川団蔵はその晩年のインタビューで、 「今迄、劇評で参考になったものがあるか」という質問に答えて、 「ありません」         ☆  劇評家三木竹二は自分の批評の中に、「我が羽左衛門は……」という言葉を使った。  僕も「我が藤山寛美は……」なんて書きたい。         ☆  はじめてパリで能が演じられた時の批評にこんなのがあった。 「自分が裁判官なら、死刑の代りに能を見ろと命じる」         ☆  築地小劇場時代に、初めて新劇を観た歌舞伎役者がいったそうだ。 「新劇というのは捨てゼリフばかりで出来た芝居ですね」         ☆ 「今日はどこへ遊びに行こうかな」と考えながら舞台をつとめていた日が一番ほめられたと書いているのは十五代目羽左衛門。         ☆ 「落語じゃ、柳橋、金馬(先代)、文楽、志ん生、この四人を数えると、あとの指は折れない」  ある批評家の言葉にとんがりと異名をとる林家正蔵がかみついた。 「あなたの小指はリュウマチじゃねェかい」         ☆ 「芸術は保護してもよい。しかし、芸術家を保護する必要はない。あいつらはどれもこれも怠け者で道楽者だ」 [#地付き]エミール・オージェ         ☆ 「大衆はものを書かない批評家である」 [#地付き]ヴォルテール         ☆ 「名観客になるには、おそらく名優になるくらいの時間がかかる」 [#地付き]エミール・アラン         ☆  昭和初期まで手厳しい芸評で恐れられた森暁紅。 「三亀松に再起不能の筆誅を加える」と宣言していたのに、東宝名人会の顧問になったら三亀松に対して「お疲れさま」と頭を下げていたという。         ☆  僕自身の例でいうと、宝塚劇場で、長谷川一夫の『雪之丞変化』をみた。  その時が記者招待の日で、いろいろなお食事が用意してあった。  僕は感想文を書く仕事で行ったので「どうぞ、どうぞ」とすすめられたが、お断わりした。         ☆  芸談のコレクターとしては大先輩の川尻清潭の言葉。 「役者と仲よくならなければ話をとれません。しかし、仲よくなるためには悪口の御相伴もしなけりゃならないんでね」         ☆  昔は不幸な芸術家がいた。  プッチーニは『蝶々夫人』の不評(初演)に地団太踏んで口惜しがった。  ビゼーは遂に『カルメン』を認められないまま死んだ。  音楽批評家があてにならない証拠である。  断わっておくが、昔の音楽批評家の話。         ☆  サラ・ベルナールとはりあったエレオノラ・デューゼは、泣き芝居の時は前もって幕のあく前に泣いておかないと舞台で泣きすぎてしまうほど多感な人だった。  彼女のジャーナリストに対する言葉。 「失礼ですけどね、馬鹿馬鹿しい質問を山のようにするあなた達のお相手をするのは退屈至極なことなのよ。あなた達は女優なんて大衆のものだといいたいんでしょうけど、わたしの考えは逆だわ。女優はいつも新鮮な姿で舞台にあがるべきで、女優という、観客を喜ばせるオモチャの内面までさらけ出さない方がいいのよ」         ☆  小林一三は劇評家嫌いの一人だが「歌舞伎座に劇評家を見るの記」という文章を書いている。  三宅周太郎も情実としか思えぬと劇評家を嘆き「新聞劇評家の不勉強と怠慢とは論外である」と書いている。これは大正時代の話。  昭和になって曾我廼家五郎が「劇評家を批評する」という文をものした。  邦枝完二の文章にも「新聞劇評家の権威が地に堕ちた事の、今日より甚しきはあるまい」とある。  こうして批評家は批判されることはあっても、御安泰で、その後、とりたてて斬られることはなかったが、昭和四十五年の『文學界』二月号で福田恆存が「粛正」という言葉をつかって劇評をマナイタにのせている。 「権威あり信頼し得る公正な劇評家は日本に一人もゐない」 「心のどこかに役者を河原乞食と見なす気持が潜んでゐるのであらう」         ☆  小沢昭一の『あんじえら曼陀羅』のパンフレットから。 「おそらく『語り』には、もと『騙る』という表現芸術以前の原罪的性格があって、ながい歴史を騙ってきた古代の傀儡子《くぐつし》以来の漂流民が、しっかりと大衆の泣きどころをつかんできた悪党の生活がかかってきたのであろう。  祭の日のジンタとともに、どこからかやって来て、血を騒がし、娘ッ子などを家出させ、やがて哀愁を残して風の如く去っていってしまう正体なき漂泊の芸人の群の心情は、おそらく今日の『流し』にまで、かすかに水尾を曳いているのだろうが、そこには、身をもってのめりこんでゆく、売りものと買いものがあるだけで、芸術のための表現などという高尚なものはありえないのではないか。むしろ、そこには『芸術になってやるものか』といった無言の血の伝統の抵抗があるように思われる」 [#地付き]郡司正勝         ☆ 「日本の芸の理想は未来への創造につながるより、過去の祖先、名人への復帰を意味する傾向が強い。(中略)芸術の世界でいう稽古とは、古《いにしえ》を稽《かんが》えることである」 [#地付き]郡司正勝         ☆ 「幸四郎も菊五郎も吉右衛門も、死んだ羽左も梅幸も松助も世界的名優です。彼らはことごとく世界の如何なる舞台に出しても第一流です。然し無学無識といふ点でも恐らく世界第一流でせう。(中略)芸術院会員になつても、依然として精神的河原乞食である現状を彼等は一体どう思つてゐるのでせう」 [#地付き]辰野隆         ☆ 「歌舞伎役者は芸術家になっては駄目だ、歌舞伎役者は役者になれ、観ている方が芸術を感じるのであって、役者が芸術家になったつもりでいると、とたんに駄目だ」 [#地付き]岸田劉生         ☆ 「歌舞伎とは、芝居小屋という悪場所に江戸時代の民衆のもっていた舞台芸術的な衝動を一切合切もちこんで、役者も観客も一緒になって|かぶきあった《ヽヽヽヽヽヽ》、そういう場の世界である」 [#地付き]広末保         ☆ 「身を売ったり、芸を売ったりしてスターの地位を買うとすれば、売り手と買い手とのあいだには、立派にギブ・アンド・テークの関係が成立する。しかし、スターというのは法則のためではなく例外の為につくられた人間なのだ。したがって、彼等はなんにも売らないで、売りたくても売るものがないのだから、自然、そういうことになるが、もっぱらテーク・アンド・テークの道を突進する」 [#地付き]花田清輝         ☆ 「すたらないチャンバラ。その愚劣さを嗤《わら》う御仁よ、あなたはその認識不足を恥じなければならない。暴れ廻る阪妻の剣のキッ尖に無性矢鱈に強い百々之助と眼をむく大河内の白刃のキラメキに民衆は『自らのウップン』を晴らしているのだ』 [#地付き]添田※[#「口+亞」、unicode555e]※[#「虫+單」、unicode87ec]坊         ☆ 「そもそも落語の根本のもつ魂が、いかにモダンで錯覚的で新世紀であるか!  ただ不幸にして落語ってものが江戸時代に於て発生したため、あのナンセンスの真髄を見極めないでお調子者に骨董扱いされているが、似て非なる講談の如き古典的思想にみちたものではない」 [#地付き]正岡容         ☆  吉本隆明が『芸能の論理』の中で前田武彦やコント55号を次のように分析している。 「舞台のうえの芸の約束を解体することで、舞台と楽屋裏とを同一の平面にある空間に転化し、リハーサルと本番とを同一の言語の次元に疎通させることで、いわば芸の解体そのものを芸としているところで成立っている」         ☆ 「講談や落語は、どうひいき目に見ても所期の大事業を達成し、もう行きつくところへ到達した停年芸能である。講談の方は、何年の何月とはっきり指摘することはできないが、ここ両三年、あれよあれよといっている間に倒産してしまったことは確かである。 『講談師二十何人』といって悲壮がっているが、あれだけの資産をわずか二十何人で独占し分配しながら、結局、持ちこたえられないのは力——芸がないからなのであろう。懐手をしたまンま『本牧亭に若いお客が来てくれれば』と首を長くしているのは、神風台風を待っている特攻隊司令官のようなもの。そのくせ、やたらにテレビにだけ出たがる乞食根性があるのだから、もう一度、大道に進出し太平記読みの昔からやり直した方が講談再興の近道なのかも知れない。そしてこれは遠からず落語にも襲いかかる宿命なのである」 [#地付き]永井啓夫         ☆ 「伝統というものはとかく形骸化しがちである。そうなった時、芸術は死ぬ。伝統の中に、自分という個性を見いだし、それより発展させるものでなければならない」 [#地付き]野村万蔵         ☆ 「本当の伝統という形のものは、どのような社会的変動にも、なお生残ることが出来るものでなければならん。そういう生残る力を持っているのが真の伝統ではなかろうか」 [#地付き]香西精         ☆ 「あらゆる芸術の中で始めにあって、必ず終りに残る大範疇の芸術こそ演劇である」 [#地付き]唐十郎         ☆  三代目中村仲蔵が上野の戦争を見物に行った記録があるので紹介すると、 「……黒門木戸は所々に鉄砲の跡あり。山王山樹木は鉄砲当り数本折れあり、彰義隊の死骸数十、算を乱して倒れ伏す。(中略)車坂門外に木綿のはかま、才味の割羽織、襟の白もめんに斎藤何々と記し、首を二ツ左手に提げ、右手に長き血刀を持ち、惣身数ケ所の鉄砲疵、顔へも受けしと見え面体砕けて倒れゐたり。よほど強い人でありしならん」  長々と引用したのは、秀れた俳優は同時に秀れた記録作家であるという言葉があるからである。 [#改ページ] [#小見出し] 役者 そのマスコミ         ☆ 「スポンサーは出したくもない金を出し、制作者はつくりたくもない番組をつくり、タレントはやりたくもないことをやり、視聴者は見たくもないものをみて、テレビの世界が出来あがる」 [#地付き]中山千夏         ☆ 「テレビの重要な社会的機能は社会の悪の原因をテレビが一手にひきうけるところにある、と私は堅く信じている」 『反マジメの精神』(山本明著)の書き出しである。         ☆ 「放送が終るまで目をテレビに釘づけにして御覧なさい。私は断言出来る、皆さんはそこに『一望の荒野』を見るだろう」  十年前のミノオ発言である。  僕は最近、その荒野がみえるようになった。そして荒野って好きだ。         ☆ 「テレビとはしゃべる家具である」 [#地付き]和田勉         ☆ 「テレビ演技というのは、演技の過程をみせることなのではないだろうか」 [#地付き]渥美清         ☆ 「僕はテレビカメラの向うに視聴者がみえる」 [#地付き]大橋巨泉         ☆ 「此頃のテレビをみていると、お話にならない『間』の役者がいる。『間』なんてものじゃない、無茶苦茶な調子でセリフをいっている。ハン間、ダレ間、そういった間の人がよってたかって芝居をしている、心ある人間が見ていられるわけがない」 [#地付き]吉住慈恭         ☆  テレビ『題名のない音楽会』で小沢昭一が「孝女白菊」の歌をうたった。  この歌が二百七十四番の長さで、三十分番組の初めから終りまでうたいつづけても半分までいかなかった。         ☆ 「あなたテレビというのは感覚的、表面的、ウスッペラでござんしょう。私は大学時代に美学を専攻したせいか、ものごとを考えちゃう性質でしてね、どうも放送には不慣れなんですよ」 「いつでもやめてやるんだみたいな気でいるんですから、よく物議をかもしましてねェ」 『タ刊フジ』のインタビューに答えたNHKの鈴木健二アナ。         ☆ 「テレビにはその人でなければ、どうしても出来ないような役はない」 「俳優として秀れているかどうかは問題ではない」 「テレビでスターになるにはゴールデンタイムに出ればいい、それだけである」  これはアメリカでの話。         ☆  ボブ・ホープは今、映画というよりテレビスターである。  そしてテレビスターであるのにもかかわらず毎週のレギュラーを持ったことがない。月一回のボブ・ホープ・ショーと年に数回のスペシャル番組だけである。         ☆  アメリカにもテレビに出すぎたことで、テレビを去っていったタレントが沢山いる。  日本ではテレビに出ていないと仕事も来ないし、人気も続かない。  日本の人気タレントは正月の元旦から三日間で十本以上の番組をこなす人のことである。         ☆  オペラ出身の左ト全が久し振りに歌ったテレビのインタビューで、 「役者なんか遊んでりゃいいんですよ、生命をすりへらすもんじゃないよォ」         ☆ 「不労所得とはいわないけど、自分のやってることを�仕事�というのはきらいなんです」 [#地付き]前田武彦         ☆ 「低俗ぶりを売りものにするのはおろかな事だ。われわれは幻影を商売にしているはずじゃないか」 [#地付き]ジョン・ウェイン         ☆  チャールズ・ブロンソンが日本から出かけたCMフィルムのスタッフと仕事をした。  日本人スタッフがそのカット全部を撮りきれない内にブロンソンの契約時間がきれてしまった。困ったスタッフがどうしようと相談をしていると、ブロンソンがやってきて彼の腕時計を示して「さァ、あと一時間しかないぞ」といった。  ブロンソンの時計は一時間おくらせてあったのである。         ☆  柳亭小痴楽が森永コーラスのコマーシャルをやることになって、 「森永コーラスというのはカルピスのようなもので……」  勿論、叱られた。         ☆  若宮大祐。トリスのCMの老大工サン。  この人の思い出話に年老いた母親が臨終の時、抱いてやって股の間に手をいれてやったら落ちついて死んでいったと語っている。         ☆ 「第一条、乙(タレント)は甲(プロダクション)の専属芸術家として本契約期間中、甲の指示に従い、音楽演奏会、映画、演劇、ラジオ、テレビ、レコード等、その他一切の芸能に関する出演業務をなすものとし、甲の承認を得ずしてこれをなすことはできない」  専属芸術家というのに藤圭子も、にしきのあきらもはいっている。         ☆ 「役者の身上よくなるも金よりはまず衣裳が先へ溜ればよくなるなり」 [#地付き]初代 坂東彦三郎  テレビで大活躍の歌手でも、大きなプロダクションだと月給五万円から十万円。そして衣裳代はプロダクション持ちということになっている。これがいつのまにか借金となってふえていくという秘密になっている。  芸者の置屋である。         ☆  欧米の女優は契約書の中で、体重を規定されるケースが多い。 「もっとふとれ」「もっとやせろ」「ふとってもやせてもいけない」  これが守れないと契約違反になるからボクサーなみの体調保持をする。  前オナシス夫人、マリア・カラスは回虫を飲んで、身体を細くしたという。         ☆ 「録音機が出来たことで芸が一般に進んだような気もするが、それと同時に悪い芸が残されることになったのだから気をつけなければならない」 [#地付き]篠原治         ☆  ラジオの出来た次元で先代の三津五郎がいった。 「あんな便利なものができちゃ、芸なんぞ駄目だよ」  そして、今やラジオが芸を守ろうとしている。         ☆  紅白歌合戦に選ばれるかどうかと大騒ぎしている連中がいるが、そのNHKがJOAKといわれていた頃、出演の話があると、その芸人の家では赤飯をたいて祝ったという。         ☆  昭和二十六年  第一回紅白歌合戦出場歌手  紅組(司会・加藤道子)  渡辺はま子、二葉あき子 松島詩子 暁テル子 菊地章子 菅原都々子 赤坂小梅  白組(司会・藤倉修一)  藤山一郎 東海林太郎 楠木繁夫 林伊佐緒 近江敏郎 鶴田六郎 鈴木正夫         ☆  歌のレコーディングは普通公開されないから、裸足になる歌手もいれば、シャツ一枚になる歌手もいる。  しかし、必ず正装して録音する歌手もいる。  東海林太郎である。         ☆  NHKも昔は満更ではなかったんだなあと思うエピソード。  赤坂小梅が戦時中の慰問で満州に行っていて、夫の三味線勝松が内地で臨終。この二人の別れをラジオで放送したという。  小梅は満州から死の床の夫にいった。 「静かにおやすみなさいね」         ☆  犬のうなり声、レコードを逆回転させたハイエナの笑い声、回転をおそくして録音したソプラノの高音部のドの音、バイオリンの弦をキュッとしごく音。  以上の音をまぜあわせて、ターザンの叫び声をつくったという。  近頃、こういう凝り方をしないので御参考までに。         ☆ 「私はハリウッドは死滅しつつあると断言する。ハリウッドはもはや何らかの芸術的意味をもった作品をつくる場所ではなく、ただ何マイルものセルロイド工場にすぎなくなった」 [#地付き]チャーリー・チャップリン         ☆ 「映画なんてお客のうさばらしさ。だからお客の入った映画がいい映画なのだ」 [#地付き]ジョン・ウェイン         ☆  六代目は映画出演を頼まれた時に「自分の映画をみて拙いのがわかったら、もう舞台に出る気がしなくなるから」と断わっている。  そして「いよいよ食えなくでもなったら恥をしのんで何をするかわかりませんが」とつけたしたという。         ☆  引退して、晩年の豊竹山城少掾は一日中テレビをみながら、それがどんな番組でも「うまいね、よくやっているね」と賞めていたという。         ☆ 「NHKなんて、おれの大きらいな雰囲気。オッスといいながら、あそこにはいって行けないところだものね」 [#地付き]ディック・ミネ         ☆  地方でテレビとは無縁の、それでいて五十年も芸歴のある芸人に話を聞くと、テレビに出ている芸人(タレント)を尊敬しているのに驚く。 「とても、私には出来ません、出来ませんが、尊敬します」  こういう素直な言葉をテレビのスタジオでは聞けない。地方巡業に明け暮れる芸人の群を意識し、彼等を尊敬しているテレビタレントが何人いることか。 [#改ページ] [#小見出し] 役者 その同業         ☆  北の富士、玉の海という若い横綱が生れ、相撲の人気を盛り返しつつある。 「全く人間性を失い、動物性を拾得した二脚の猛獣のようで、憎悪すべき見世物だ」  おそらく最初に相撲を評した外人であろう、ペルリの言葉である。         ☆ 「力士達は桃色の若き巨人であって、或る者は昔ながらの訓練によって巨大な腹と、成熟しきった婦人の乳房を見せている。但し、この乳房も脚も、決して肥大漢のそれではない。それは古代美学に準拠して別種の割合で分布された力を示すものなのだ」 [#地付き]ジャン・コクトオ         ☆ 「ハッケヨイ」というのは「発気用意」のこと。つまり、呼吸を吐ききった一瞬で軍配がひかれるのである。         ☆  この発気用意の一瞬をジャン・コクトオは次のように書いている。 「彼らは向いあって身をかがめ、何か絶好の一瞬を、�バランスの奇蹟�を、気合の投合を待つものらしい。  不意に電流が通じる。巨大な肉体が打合い、掴み合い、叩き合い、蹴合い、地から抜き合うと見る間に、写真師の稲妻一閃……」 [#地付き](堀口大学訳)         ☆ 「明治二十年、女相撲があられもなき一条の犢鼻褌《とくびこん》を締めこみ、島田まげの娘いでたちで四ツに組み、大なる乳房を左右にふりわけ……」         ☆  力士の褌が土俵でほどけてトクダシになった場合、そのオチンチンを見せちゃった方が敗けになる。         ☆ 「ひいきにたかるさもしい根性が抜けず、協会が主体性を持たず、ファンを犠牲にして一部の顔役におぶさっているいまのやり方を続ける限り、巡業制度がピンチに立つのはわかりきっていた」 [#地付き]天竜         ☆  明治の初め、相撲取りを相手にしては碁を楽しみ、相手が下手でも、ちゃんと敗けては勝敗の数をそろえる旦那がいた。  この旦那が、今や野球界をゆさぶっている八百屋の長さんである。         ☆  別に仲が悪いわけではないが、東京駅で向いあって「お早よう」とあいさつをかわしてから九州博多まで一語もしゃべらなかったという無口の代表。  時津風親方と春日野親方。         ☆ 「わたしは土俵上でくりひろげられる勝負は商品だと思うんです」 [#地付き]玉の海梅吉         ☆ 「相撲とりというのは約千二百人いて、このうち十両以上が六十人、出世率五パーセント、歌手は二千人いるっていうけど、名前をあげられるのは三十人、出世率は一パーセントそこそこ。そこへいくと、はなし家は総数二百人中、しろうとさんでも二十人は名前を知っている。有名になる率は一〇パーセントもありますから……」 [#地付き]柳家小せん         ☆  相撲は国技ということで保護されているのだが、考えてみると、賞金がついていて、勝ったからといって観客の面前で、そのお金を貰うのは、やっぱり門付芸人と同じだと思う。         ☆ 「韓国人ということで特別な誇りを持つこともないし、逆に卑下したこともない。お前は朝鮮人か、とよく聞かれたが、そんな時、相手に、じゃあお前は何人か、と聞き返すと黙ってしまう。差別心を持っている人間は良識がないんだし、価値がない人です」 『サンデー毎日』のインタビューに答えた東映の張本選手。         ☆ 「ハーバード出は棺桶に片足をつっこむまでハーバード、ハーバードといっている。俺は死ぬまで不良少年だったといい続けるよ」 [#地付き]ベーブ・ルース         ☆  金田正一のタレント性の中でもインタビュアーとしての話の引きだし方が群をぬいていると僕は思う。  升田幸三との対話の中で……。 「野球なんてものは、歴史が浅いからしようがないな、プロといったって投げるのは投げるもの、とるヤツはとるヤツと決っている。投げるのも、うつのも、とるのも、なんでもできなければプロとはいえん、それをプロというからには同じケースで三度負けてはいかんのだ。あんたの前だけどプロ野球のことはいってもしようがない」  完全に升田幸三につめよられるのだが、ここまでいわれるのも金田正一がプロだからである。         ☆  升田九段は戦争中の空襲下で、なんとしても生きぬこうと逃げまわっていた。生きていなければと決意したのはたった一ツの理由。  生きていて木村名人を負かすことだったという。         ☆ 「将棋は芸術だ」と断言する升田幸三が、かつて若い時に、木村名人にいったことがある。 「あんたの将棋なんか、蛆《うじ》だ」  温厚な木村名人ではあるが、さすがに、 「僕が蛆なら、君はなんですか?」  升田幸三、ニッコリ笑って、 「わしは蛆にたかる蠅だ」         ☆  昭和十二年、坂田三吉は木村義雄との対戦で長考六時間という記録を出している。         ☆ 「得意の手があるようじゃ、素人です、玄人には得意の手はありません」 [#地付き]大山名人         ☆ 「碁は雑事です」 [#地付き]呉清源         ☆ 「プロ、アマというカテゴリーはプロにとって必要のないこと。プロとはその仕事を通じて自己を生命のかぎり生きつづけ燃えつづけさせる生き方なのじゃないでしょうか」 [#地付き]三浦雄一郎         ☆ 「障害レースで馬が障害を越える時、うまい騎手は必ず息を抜きます。あの呼吸です」  人間国宝六世鶴沢寛治(三味線)の芸談。         ☆  インディ五〇〇の開会式ではレーサーに対して次のようにいう。 「諸君は事故を起さない、なぜならプロだからである」         ☆  現ミドル級世界チャンピオン、ニノ・ベンベヌチが、ジュリアーノ・ジェンマと共演している『荒野の大活劇』。まさにアクション漫才なのだが、ベンベヌチの演技にビックリした。  日本でもファイティング原田がタレントとしてデビューしたんだけどなァ。  でも元出羽錦の方は活躍しているから、まァいいでしょう。         ☆  浅草の大宮敏光は一人で一代目と二代目の名前を持っている。  昭和三十六年に一代目から二代目に襲名披露をしたのである。  この人、ボクシング狂で、舞台はリングなり、演技の呼吸はボクシングの呼吸なりと、試合に通いづめである。         ☆ 「日本じゃプロレスといえば誰でも見るけど、アメリカじゃ三流人種の競技なんですよ。黒人、イタリア人、日本人、このほかに観客はいませんもの」 [#地付き]ミッキー・安川         ☆ 「プロレスの勝ち負けは筋書き通りである。このルールを犯すとプロレス界から完全に締めだされる」  プロレスラーでもあった木村政彦の自伝『鬼の柔道』にハッキリと書いてある。彼は力道山と引分け二度、次に負け、最後に勝つという取決めをしてリングにあがったにもかかわらず力道山が本気になって空手を使ったことも書いている。昭和二十八年のこと。         ☆  力道山時代の外人プロレスラーには面白いのがいた。  オチンチンをにぎるのや、やたらに噛みつくのや……。ショーなんだからハレンチぶりは徹底した方がいい。         ☆  テレビで野球狂になった僕の友達が、日本シリーズをみるので生れて初めて野球場に出かけたが、そのまま野球が嫌いになってしまった。  観客席の貧しさにびっくりして、もうついていけないというのである。  プロレスのリング・サイドの淫靡さにしてもそうだが、大衆スポーツを支持しているのは芸能と同じく貧しさそのものであろう。 [#改ページ] [#小見出し] 役者 そのスタッフ         ☆ 「ハイ、幕あいた。  舞台野面、中央に茶店。  下手より新選組のおまはん出てきた。  茶店の娘を見て好きや、オマンコさせとなった。  娘が嫌やとカブリ振るので、可愛さあまって憎さ百倍、手込めにするところへ、上手より娘の恋人の勤皇の志士現われ、立ち廻り、バッサリ殺られる、これで三十分持たせ」  新喜劇の花和幸助が若い時に座長にこういわれた。  いわゆる台本無しの口だて芝居である。  花和幸助がやったら五分間で終ってしまったが、座長がやったら一時間どころか、いつまでたっても終らなかったという。         ☆  日活初期の撮影所長池永浩久が脚本を批評した時の名言。 「お前の脚本にはドラマはあるが、チックが無い」         ☆  同じく日活社長中谷貞頼、監督や脚本家を呼んで、 「さァ、二分間で話したまえ、二分で筋が判ったら及第、その作品をやらせる。二分以上かかったら落第」         ☆  溝口健二は映画の演出中に「駄目だ」という言葉を連発しつづけた。  彼には「それでいい」という言葉がないかわりに「駄目だ」といわない時がある。  演出家は「駄目だ」という気力がどこまで続くかという点に尽きるという。         ☆ 「どんなに若い演出家であろうが、年齢などは問題ではない。演出者であるかぎり、その演出家のいうことは絶対に聞くことにしている」 [#地付き]吉田謙吉         ☆ 「自分のつくった映画が、題名を変え、カットされて再映されていたことがある。あまりのひどさに会社に談じこんだら、先方に、横山大観の絵でも自分が持っているのなら、テッペンをちょん切ろうと何をしようと勝手じゃないかといわれた」  映画生活四十年の千葉泰樹監督が嘆く通り、映像の著作権が監督に無いというのは奇妙な習慣である。         ☆  映画監督鈴木清順が『けんかえれじい』を出版した。 「鈴木という監督はわからない映画ばかりつくっとる。あれはキチガイか、でなければ馬鹿なのである。わからない映画は、つまり良くない、ダメな映画であって、これを公開するのは日活の恥である」 [#地付き]日活社長 堀久作         ☆ 「人間の屑が俳優になるのではない。人間の宝石が俳優になるのだ」 [#地付き]小山内薫         ☆ 「生活を大事にしているヤツにいいシャシンはとれない」 [#地付き]今村昌平         ☆ 「俳優というのは自分の内面の衝動とか屈辱感といったものを、戯曲を起爆剤として舞台上に出していくしかないものであって、その火付け役をするのが演出なんだと思うのです」 [#地付き]蜷川幸雄         ☆ 「ぼくの場合、新しい劇とは何かと考えることは、役者として、ということに帰ってくるので、素材を問題にしないで、劇とはというのはやはり新劇の頭でしかないと思う。現にチンピラ風情の名古屋山三とか、ズベ公の阿国とかがつくった芝居の方が、江戸幕府より永持ちして残っている現象があるとしたら、やはり肉体というものはおそろしい」 [#地付き]唐十郎         ☆  ピアニストのパデレウスキイがロンドンで演奏会をした時に、バーナード・ショウが鍛冶屋がピアノを叩いていると悪口をいった。  パデレウスキイはこのショウの言葉をポスターやパンフレットに紹介して、その後の演奏会を成功させた。  悪口も宣伝に使えるようになれば一流である。         ☆  トリスタン・ベルナールが彼の脚本で上演中の劇場が不入りの時にいう言葉、 「今晩ここへやってこなかった観客の数は前代未聞だ」         ☆ 「私は原則として稽古に出ない。稽古に私が出ると演出家は自分の自由を犯されたように感じるし、私としても他人の権利を犯したくない。それは他人の夫婦生活をのぞくようなものだからね」 [#地付き]テネシー・ウィリアムズ         ☆ 「芸術家はいつも自分を傷つけて、自分の体を切ってそこから流れる血を他人にかけているようなものでしょう。そしていつも夢をみている」 [#地付き]テネシー・ウィリアムズ         ☆ 「私は劇一つ書くのに一年半かけるんだ、その間に実際に一つの戯曲が書けるのは五日ばかりしかない。そのほかの日というものはこの五日間に書くものを書こうとして費しているんだ」 [#地付き]テネシー・ウィリアムズ         ☆  女優オリガと結婚したチェーホフ曰く。 「結婚するなら別居を条件にしよう、愛する人と一緒にいる幸福にたえられるとは思えない」         ☆ 「演劇は諸民族の交流と彼等の秘められた感情をあきらかにし、理解する為の、もっともよき手段である」 [#地付き]スタニスラフスキー         ☆ 「あるとき娘さんを連れた老人に行きあった。この二人はひとことも話しあっているわけではないが、いかにも心豊かな、ほほえましいなにかいいことを経験したあとのようなふうにみえた。きっとあの人たちは昨晩いい芝居を観たのだろうと思った」 [#地付き]ジャン・ジロドゥ         ☆ 「我々は映画作家として完全でありたいと欲する。監督であると同時にシナリオライターであり、キャメラマンであり、編集者でもあるのだ。我々は読み書きをおぼえる前に〈映像〉を見た若い世代に向って語りかけるのだ」 [#地付き]クロード・ルルーシュ         ☆ 「私の理想はチャップリンの喜劇をオーソン・ウェルズのテクニックで撮ることだ」 [#地付き]クロード・ルルーシュ         ☆ 「私は芝居をみたい時は自分で書いて演らせるね」 [#地付き]ドイツの劇作家ルードヴィッヒ・アンツェングルーバー         ☆ 「フランスのシュール・リアリストたちが私をはぐくんだことはたしかだが、自分の作品に対するもっとも大きな影響は、グルーチョ、ハーポ、チコのマルクス三兄弟によってあたえられた」 [#地付き]エフゲネ・イヨネスコ         ☆ 「ひょっとして、我々の楽屋裏をのぞいたらどんなに興をさましてしまうだろうか。誠実で、健全で尋常な人間というものは、決してものを書いたり、演じたり、作曲したりするもんじゃないということを、実直で、無邪気な人達が、万が一にも知ったなら、まァどんなに驚くだろうか」 [#地付き]トーマス・マン         ☆ 「歌舞伎は祭礼的だ。彼等は演技し、歌い、伴奏し、奉仕する司祭だ。だがこれを宗教劇と混同してはならない。我々は歌舞伎において、宗教劇ではない宗教と、その祭礼に接するのだ。菊五郎はひとりの司祭だ」 [#地付き]ジャン・コクトオ         ☆ 「君が俳優として他のあらゆる芸術より先に身につけなければいけないのは、観察の芸術だ」 [#地付き]ベルトルト・ブレヒト         ☆ 「生活こそ、真のドラマだ。毎日の二十四時間のどの瞬間もが、シェークスピアであり、イプセン、チェーホフであり、オニール、サローヤンなのだ」  サローヤンの言葉だがチャンと自分の名前も入っている。         ☆ 「アメリカ喜劇の撮影は最も生真面目な仕事の一つである」 [#地付き]ジャン・リュック・ゴダール         ☆ 「ディズニーの作品は我々の喜劇の大敵だよ」 [#地付き]チャーリー・チャップリン         ☆ 「広場の中央に花で飾った一本の柱を立て、そこに民衆を集めれば、それで祭になるのだ。もっといい方法は見物人をショーにすることだ。彼ら自身を役者にするのだ。各自が他人の中に自分を見、自分を愛し、すべての人がそれによっていっそう結ばれるようにさせるべきなのだ」 [#地付き]ジャン・ジャック・ルソー [#改ページ] [#小見出し] 役者 その舞台         ☆ 「歌舞伎座は観光バスの停留所になってしまっている」 [#地付き]福田恆存         ☆ 「いい芝居をつくる為に台本の選定をするんじゃなくて、いろんな勢力上の均衡を維持するような台本が選ばれている」 [#地付き]福田恆存         ☆ 「大阪で角座いってね、俺たち気どってたってしょうがないんだなってことよくわかりますわ」 [#地付き]高石友也         ☆  九代目団十郎、五代目菊五郎といった人達の伝記、芸談の類を読むと、川上音二郎達の壮士劇を観にいって、この精神は見習うべきだとチャンと認めている。  明治二十年代である。  今の歌舞伎役者でアンダーグラウンド劇場をのぞいた人が何人いるだろう。  歌舞伎の批評をする人ですら……何人。         ☆  明治四十四年、日本ではじめて劇場と名前のついた「帝国劇場」が完成、女優も誕生。  その時の西園寺公望の祝辞を左に書く。  僕は七カ所も読めない字があった。  そして、あなたは? 「本日帝国座ノ開場ヲ報ゼンガタメ縉紳淑女ノ招待セラルルニ際シ余モマタ参同ヲ促サレタリト雖、宿痾猶ホ癒エズ床中ニアルガタメ式場ニ列スルノ愉快ハ享受スル能ハザルハ甚ダ遺憾トスル所ナリ、蓋シ人心ヲ和楽セシメ風俗ヲ醇化スル所以ノモノ一ナラズト雖、芸術其多キニ居リ、芸術ノ中演劇ハ其示ス所耳ニ濡ヒ目ニ染ミ深ク民心ニ浹洽スルヲ以テ其効果最モ直接ナリトス、然ルニ従来我士君子多ク演劇ヲ以テ子女ノ業トナシ之ヲ省ミザルヲ偉ナリトスルモノナキニアラズ、然レドモ義政ハ人情ニ基キテ民心ヲ調節ス演劇ノ一道直チニ経国ノ政術ト云フモ過言ニアラズ、今茲ニ宏大ナル抱負ヲ以テ起リシ帝国座ガ漸ク其幕ヲ開クニ至リシハ余ガ列席ノ諸君子淑女ト共ニ慶賀シテ已ム能ハザル所ナリ、然リト雖、帝国座ノ抱負ヲ遂ゲンニハ、劇当局ノ苦心ト世間公衆ノ同情ト識者ノ批評トニ俟タザルベカラズ、余ハ此三者相合シテ帝国座ヲシテ清新崇高ナル趣味ヲ涵養スル源泉タラシメンコトヲ切望シ遙カニ数言ヲ寄セテ今日ノ盛会ヲ祝ス」  明治四十四年三月四日 [#地付き]西園寺公望         ☆  帝国劇場の屋上にあがった七世団蔵は目の前にひろがる宮城をみて、ハッと両手をつき、「……以前には河原者といやしまれて、人まじわりもできなかったわれわれ風情が、かような高みから禁庭をおがみ奉るとは、何というもったいない、ありがたいことか」         ☆  国立劇場の最も国立劇場らしい仕事に伝統芸能の保存があり、昭和四十五年一月十七、十八日に「にわか」が上演された。  昔、にわかは大道で無料でみられたもので、これが有料(千円、八百円)になり、有料だったものが民放テレビで無料でみられたりする変な世の中だが、娯楽の値段がどう値上げされてきたかというと、大正初期との比較が映画(五百円として)九百倍、演劇(千円として)八百倍、レコード(四百円として)二百五十倍になっている。  物価指数は五百三十倍だからレコードだけが安くなっているわけである。  明治時代の歌舞伎座の桟敷は、常に当時最低の月給取りといわれた警官の月給よりも高かったという。  芝居見物がいかに高かったかわかる。         ☆  毎月舞台に出ている俳優は他の劇場を見に行くことが出来ない。  組合のあるアメリカの場合、興行とは別に例えば深夜、他の劇場のスタッフ、キャストの為に上演をするシステムがある。  常にライバルをみつけ、意識し、努力出来ることは素晴らしい。  日本の俳優達はこんな大切なことをしようともしないで噂だけを気にしている。         ☆ 「今の芝居は世の中の物真似をするにあらず芝居が本となりて世の中が芝居の真似をするようになれり」 [#地付き](世事見聞録)         ☆ 「御贔屓ありての芝居繁盛。役者出世の基と申すは、御贔屓連の恵みでござりますれば、一日片時も御贔屓なくては立ちませぬ」 [#地付き]式亭三馬         ☆ 「生かさぬように、殺さぬように」  悪代官が百姓にいった言葉だが、興行師が芸人に対しても同じことである。         ☆ 「桟敷にある方々は、口を耳わきまで開きて涎をながし、余りの面白さに声をあげて、我死ぬはたすけよ、耐へがたやとよばふもあり」『増補江戸咄』の一節。 「死ぬ!」などと叫べるような舞台がみたいものです。         ☆  パリのリドの支配人ルイ・ゲランはショーについて次のようにいっている。 「われわれの方は簡単です、何か不可能なことを捜して、それをやるのです」         ☆  モダンバレーのイサドラ・ダンカンにシンガーミシンのパリス・シンガーがパトロンになっていた時期がある。  シンガーは彼女のバレーを一人だけでみることに熱意をもやした。勿論、オーケストラも装置も公演同様にしてである。  スケールは違うが四畳半の趣味と共通する部分を感じる。         ☆  高座の芸人の中で、客席の客を数える人がいるが、市川緑波は入りの悪い客席を「ぶどうパンの、ぶどうだね」といった。         ☆  興行師同士の会話では芸人のことを「荷物」という。  ここでも人間扱いされていなかった。         ☆  浪花節の番付表というのはその位置づけの苦労がわかって面白い。  相撲と同じように横綱大関そして三役から前頭と並んでいるのと別に、次のような肩書でわきに書きこまれる。  幹部、独流、新鋭、別格、名門、大家、元老、世話人、有望、取締、巨匠、名将、芸豪、名調、名花、巨星、最高、盛華……。         ☆  国立劇場のロビーに平櫛田中の彫った六代目菊五郎の鏡獅子がある。  この老彫刻家は昭和四十六年で百歳になったが、三十年後に彫る木材を探しているというスケールの大きな人物。  死ぬことなんて考えていないらしい。         ☆  歌舞伎の番付が淋しいと、出演していなくても勝手な役の名前をつくって俳優の名を並べておく。  これを�捨て役�といって今でもしばしばみかける。         ☆  大根役者の大根の意味を初めて知った。  大根というのは、どうやって喰っても食当りがしない。つまり|当らない役者《ヽヽヽヽヽヽ》、客の来ない役者という意味なのだそうだ。  従って、下手という意味とは一寸違う。  秀れた役者でも大根役者といわれる時があるのである。         ☆  歌舞伎では舞台転換の雑音が芝居らしくていいなどとヤセガマンをいうが、六代目の巡業記録に、博多の九州劇場の大道具が音もなく、しかも早く転換するのに驚き、「役者より偉い」と賞めている。         ☆  廻り舞台は世界に先んじていたのに、ホリゾントは大正十三年、築地小劇場で初めて紹介された。  空が赤く染って夜になっていくような照明の変化に拍手が沸いたそうだ。         ☆  ワシントンにマグネチック・シアターというのがある。  舞台に磁力があって、周波数をあわせると、大道具が音もなくすべってくる。奇術をみているようで、転換の場面なのに拍手があった。         ☆  福岡県の飯塚市に嘉穂劇場を訪ねた。  昭和初期の建物だが、今日実際につかわれている芝居小屋ではもっとも江戸の様式を残している。  人力のまわり舞台、桟敷、左右の花道、どれをとっても江戸の錦絵のままである。  飯塚がかつて石炭で隆盛だった頃には、東京の花形役者が続々とやってきたのだが、今はボタ山と失業の町。  今年になって舞台をつかったのは十八日間だけだという。  これが東京なら、もっとなんとかなる手もあるのだろうが、かつての人形町末広のように消えていくのは時間の問題であろう。せめて、ここで幕をあけることが出来なくても若い役者諸氏はこの芝居小屋を一目でもみておいてほしいと思う。  誰もいなくても観客の興奮が伝わってくるような劇場なのである。         ☆  昭和四十六年、かたばみ座の、すみだ劇場が閉鎖された。これで、小芝居どころか、小芝居をやった劇場も無くなってしまった。 「歌舞伎がつまらなくなったのは小芝居がなくなったせいです」 [#地付き]尾上多賀之丞         ☆ 「私にとって小芝居や、そこでのカブキは、強きもの、大きなもの、オツにすましてよそゆきめきたるものへの反抗としてのあこがれでありました」 [#地付き]岡本文弥         ☆  江戸の昔、武士は歌舞伎をみることをしなかった。  安政四年四月の森田座で桟敷にいた肥後の侍が、芝居に興奮して舞台にとびあがり刀をぬいて役者に斬りかかった。これ以来、武士が歌舞伎をみる場合、大小を芝居小屋にあずけることになったからである。  機動隊もデモで興奮しやすいようだから武装をしない方がいいのではないだろうか。         ☆  能楽堂で拍手をするのは最近のことである。  かつては拍手をした客が、その無礼を能楽師に詫びたという話がある。  ではなぜ、拍手をしなかったかというと、殿様と家来が観ていたものなので拍手をするという平等な楽しみが無かったのだそうだ。  つまり、見物にも身分上の階級があったというのが原因だったのだが、逆に階級の無い今日でも、どうも拍手は習慣になっていない。拍手をしないだけでなく、つまらない舞台も我慢してみる。  パリではつまらない時に投げつけるトマトを売っている劇場があったが、「半畳をいれる」という言葉は、気にいらない役者に自分の敷物を投げつけるという意味で、今ならリングやグラウンドに座布団を投げつける。         ☆  慶応三年、パリ万国博覧会に出かけた日本の芸人は、足芸の浜錠定吉一座、曲ゴマの松井源水、手品の砂川一蝶斎をはじめ、百人近いからおどろく。  パリの万博ではテアトル・ジュ・フランス・アムプリアルという劇場で上演した記録が残っている。  そして芸も話題になったが、愛嬌の無さも話題になった。  この時、国際的な評価を受けたのが足芸で、世界の足芸は以後、日本を師匠とすることになる。         ☆  明治三十三年のパリ万国博覧会には川上音二郎と貞奴の一座が参加して、はじめて、ハラキリ・ショーをみせている。  この年になると新橋芸者によるダンシングチームも参加し、帰りにモスクワでも上演しているから、芸人の海外進出は昔の方が意欲的だといってもいい。         ☆ 『ランカイ屋一代』(中川童二著)という本は、博覧会の歴史を書いたものだが、アイヌとか高砂族の原始的な生活をみせるのが流行したことが書いてある。  明治四十三年にはロンドンにアイヌが行っているし、大正三年の東京にはボルネオから人喰人種が来ている。  人種差別はそのまま見世物にもなるわけである。         ☆  先代の三升家小勝が最初の独演会を開いた時、客の入りが少ないと覚悟していたところに、ドッと客がつめかけて大感激。嬉しさが胸一杯で落語が出来ない。  とうとう高座に両手をついて、 「この通り嬉しくって落語なんか出来ません。今日のところはこのまま帰って下さい」         ☆ 「築地を支持して下さい。一人のお方がお知合いをお誘い下さっても劇場の観客は百人が二百人になり、二百人が四百人になります。観客諸君に懇願いたします」  講談定席をやめた本牧亭、無くなった目黒名人会。  小山内薫に較べて実にアッサリと決めているが、惜しむほどのことはない。  犠牲者が出なければ関心を呼ばないのは世の常である。         ☆  昔、寄席に来る気のきいた客は十人分の木戸銭を払って入場したという。         ☆ 「芝居がつまらないと思うなら、あなた(観客)が面白くする他はない」という形ですすめられる演劇がある。  演劇界の造反は上演中の舞台の上で行なわれるべきだ。これは面白いと思うけどね。  名人芸 ナンセンス!         ☆  先代伊藤痴遊が高座にあがったら、両足を伸ばし、足の裏をみせて聞いている客がいた。  痴遊が「私の講釈は下手ですが、足の裏で聞いたのでは解りますまい、どうか耳でお聞き下さい」というと、客もさるもの、 「コッチに来てお前の講釈を聞いてみな、足の裏で聞きたくなるから」         ☆  講釈師が声を大きくあげると、客席で寝ている客が、 「うるさいッ!」         ☆  釈場には木枕が置いてあったくらいだから、寝ながら聞くという人がいても不思議ではない。  ただ、それを寝かさないのが芸人の勝負所であって、テレビのチャンネルを変えさせないのと同じである。  だから、突然、奇声を発して寝ている人を起すという講釈師は多い。  放牛舎桃林という人は、話が時代ものでも「この時突然、地雷がババーン」とやるくせがあった。  この他、オホホの千山というのは、突然オホホと笑うというから変な講釈師である。         ☆  講釈師神田連山が五十九歳で真打ちになる。  この人の「ラバウル戦記」を本牧亭で聞いた時に「敵機来襲!」と叫んでいきなり客席に飛び降り、両手をひろげると飛行機の形をして客の頭上でブルルンとプロペラの音を出して飛びまわった。         ☆  田辺一鶴の「アポロ11号月面着陸」という講談を聞いた。  彼も意表をつく講釈師だが、劇的な場面は後にはりめぐらした写真を指さして「この写真でございます」というだけで、それ以上の説明をしないのがたまらなくおかしかった。         ☆ 「これを一駒とし、この時を名づけて中入りという。ここに於てか、便を忍べる者は厠にゆき、烟を吸うものは火を呼び、渇けるものは茶を令し、飢うる者は菓を命ず」 [#地付き]寺門静軒『江戸繁昌記』  寄席の中入りについての文章だが、便を忍ぶなどという言葉づかいが楽しい。 [#改ページ] [#小見出し] 役者 その音楽性         ☆  ガーシュインを琴で弾こうとした宮城道雄はいう。 「修業中は馬鹿になっていなければ上達しない。馬鹿という言葉をいいかえれば、ものにこだわらない素直なことである。理屈っぽいのが一番修業のさまたげになる」         ☆ 「新内も、芝居や浮世絵に頽廃卑賤の美をぷんぷんと匂わせる長屋女郎の絵姿の、それの如くにあらまほし、それは上品下品を超越した『哀れに 美しい』世界です」 [#地付き]岡本文弥         ☆ 「アポロ11号で月の正体が分り、夢破られたと嘆く声も多いのですが、私は正体がつかめたからこそ一そう今までの『月』が歌いやすくなったと思います。芸はしょせん、嘘と遊びの積み重ねですから、月の正体を知っていながら、※[#歌記号、unicode303d]月に手を合せ……などと芸を創作するところがいよいよ嘘と遊びに徹して面白い」 [#地付き]岡本文弥  岡本文弥は新内のお師匠さんだが、昔、流しの新内は、客の注文に応じて、おひねりを貰うと、中のお金をとって、包んであった紙をそこに落してゆく。あとからきた流しに、ここはもう済んでいるという合図なのである。  今のギターの流しはそんなことしないからまァ、あとからあとからうるさくやって来る。         ☆  盲人の三味線弾き文賀と、浄瑠璃の弥太夫の二人が苦労してつくった節に、お互いの名前をつけて「文弥ぶし」。  節というのは三味線なしでは出来ないといういい例である。         ☆  三味線が日本独特の楽器とはいっても、最近では胴や棹は南方の木材、皮は中国の猫、バチは勿論、象牙。  つまり、日本製は糸だけである。         ☆  三味線の団平はその三味線の弾き方ひとつで太夫を絶句させることも、吃らせることも出来たという。         ☆  清元延寿太夫は、不養生で声がおとろえることがあっても、年だからといっておとろえることがあってはいけないといっている。         ☆  野口兼資の謡い本に血まみれのものが残っている。稽古で喉がきれて、それでも稽古をやめなかったという。  喉をふっ切るというのは誰でもしたことなのだ。         ☆  能や舞には秘曲というようなことで家元だけしか舞えないものがある。又は、滅多に舞わないものがある。  そうしたものについて桜間道雄がいう。 「たまにやるから勉強が大変なので訓練すればなんでもないことなのです、それをむずかしがるのは能楽師として恥じなければいけません」         ☆  歌舞伎の伝承はうまくいっているようでいて、歌舞伎のチョボ(義太夫)の一番若い人はなんと五十五歳である。         ☆ 「いまの落語家さんは、真打ちでも踊りをやらないひとが多くなっちゃったから、喋ることはできるんだけど、所作ができないんですよ。昔はね、少なくとも落語家になろうなんてひとは、一応の道楽はしつくしたもんです。だから、高座に坐ればピタッと格ってものが出せましたし、首をひとつひねるんだって、粋にみえたもんなんですよ。そう、いま粋な芸人ってのが、ほんのわずかになっちゃいましたね」 [#地付き]下座 橘つや         ☆  昭和二十五年に『夢とおもかげ』(中央公論社)という本が出ている。  この時点で、歌謡曲の中にこの題名になっている二ツの言葉が最も多く使われているのである。  昭和四十五年。  歌謡曲に登場する言葉をまとめて、最も多かった言葉だけでつくった歌詞がある。  あなたを恋した わたしなの  愛しあった夜 涙の二人  逢いたくて 泣けてきちゃうの  ひとりぼっちで 星に夢みる         ☆ 「最高の表現は出来る。然し、最高のものは表現出来ない」 「流行歌だけを『卑俗』なものだと笑い給うな、世の中、万事『卑俗』で扱われているではないか」 「男の唄は男の欠点から生まれる、女の唄は女の欠点から生まれる、人間の欠点ほど魅力的なものはない」 [#地付き]藤田まさと         ☆  十年ほど前、三越の社長が西条八十と逢って健全な流行歌づくりを依頼したことがある。 「この頃の流行歌はひどすぎる、芸者ワルツだの、トンコ節だの。なんとか西条先生にこういう悪い歌を無くすように……」  西条八十は芸者ワルツもトンコ節も私ですとこの話を断わった。         ☆ 「アルチュール・ランボー」「軍歌」「芸者ワルツ」と三題噺のような歌を照れないで書きまくってきたことは尊敬したい。  軍歌が多かった関係で戦犯にされはしないかと青くなった話も親近感がもてる。         ☆ 「日本舞踊は、たとえようのない低次元のモラルにおける不健康な欲情と色欲をそそります」 [#地付き]高木東六         ☆  藤原時代の話。  夜中に目を覚ました男が女に時刻を聞いた。女は琵琶を手にとっていろいろな音を出し、その時の夜の静けさにピタリとあう音を探して、おもむろに、その時を答えたという。  時をさぐりあてた琵琶の音、立派な芸談である。         ☆  明治二十年の天覧歌舞伎にはいろいろなエピソードがあるが、長唄の芳村伊十郎は「陛下の御前で平家蟹のような顔をして唄ったのは失礼であるぞ」と叱られている。  芝居を初めてみて感激した皇后が涙ぐんだら、役者一同が役人に「お泣かせ申したのは不届千万」とつるしあげられたのだからひどい。         ☆  杵屋六左衛門がいった。 「ブルーライト・ヨコハマなんぞやってます。あれなんか西洋の節をやってて、ヒョイッと日本の節にはいってくるとこがある。ちょっと利用出来るなと思って、何度まねしてみてもむずかしくてね」  こういうことが、若い歌手にいえるか。  長唄でも、常磐津でも聞いて、これを利用してみようなんてェことをやっている若い歌手がいるか。  新内の岡本文弥はグループ・サウンズの若い人の中にも「うまい」と思える人がいるというのだ。  これも頭が下がる言葉である。         ☆  二世野沢喜左衛門、人形浄瑠璃の三味線をひく人間国宝。 「芸の道に終りはありません。歌謡曲歌手からも学ぶことがございます」         ☆ 「ロックンロールが世に出た時、識者はこれを見逃した、ティーン・エイジャーのほうがいい感覚を持っていた。彼等の音楽性、ビート、そして価値観は正しかったのだ」 [#地付き]バート・バカラック         ☆ 「私は決してピアノに向かって作曲しない。両手を自由にしておきたいからだ。ピアノに向かうと、ともすれば美しい和音の誘惑に負けてしまう、ピアニストとしてすぐれていればいるほどこの誘惑に負けやすい。幸いなことに私はそれほどすぐれたピアニストではない」 [#地付き]バート・バカラック         ☆ 「我々は芸術家でも詩人でも音楽家でもないと言われた。けれど誰かがそうではないというまで我々はみんな芸術家で詩人で音楽家なのだ」 [#地付き]ジョン・レノン         ☆ 「ビートルズはほしいだけの金をもうけ、好きなだけの名声を得、そして、何ももっていないことを知りました」 [#地付き]ジョン・レノン         ☆ 「ロックの原理は音楽だけに限られない。今日のロックが切望しているもののなかには、明日のありうべきフォルムの多くが反映されている」 [#地付き]チェスター・アンダーソン         ☆ 「僕は歌が浮かんできたときに、それを書きとめるだけだ、歌を考えだそうと努力するようなことはしない」 [#地付き]ボブ・ディラン         ☆  舞台の上で客が横になり、もう一人の客が寝ている客のお腹に耳を押しつける。こうして輪になって、みんなでお腹の音を聞く。  オノ・ヨーコの作品である。         ☆  グランドピアノを叩きこわすだけの演奏会をみたことがある。  もう、前衛という名の演奏会は珍しくなくなってしまった。  ピアノ演奏会として客をいれ、いつまでも演奏しない。客が怒って、どなったり、わめいたりする。それを録音しておいて、あらためて客に聴かせるという会もあったっけ。  ピアノを弾くでなく、引くということでグランドピアノを引っぱって歩くという会もあった。アメリカではヘリコプターで吊りあげたピアノを上空から落すという演奏会もあった。         ☆ 「音楽とは君自身の経験であり、君の思想であり、君の知恵なのだ。もし、君がまことの生活を送らなければ、君の楽器は真実のひびきをもたないであろう」 [#地付き]チャーリー・パーカー         ☆ 「創るものは歯をみがいたり、皿を洗ったり、眠くなったりしていくように、創り終るさきからまた創っていく」 [#地付き]ジョン・ケージ         ☆ 「ピアニストが弾いても、猫がその上を歩いても、ピアノの鍵盤は、同じ音を出す」 [#地付き]兼常清佐         ☆ 「ピアノの表現力などと人は言うが、表現力という言葉の濫用に過ぎない。ピアノというメカニズムは演奏者の表現力と観衆との間に介在した通路に過ぎないと言った方がいい」 [#地付き]小林秀雄         ☆ 「西洋音楽を借用してもその解釈は西洋流であってはいけない、リズムは日本のものでなければならない」 [#地付き]石井漠         ☆ 「洋楽の音は水平に歩行するが、尺八の音は垂直に樹のように起る」 [#地付き]武満徹         ☆ 「尺八の名人がその演奏の上で望む至上の音は、風が古びた竹藪を吹きぬけていく時に鳴らす音である」 [#地付き]武満徹         ☆ 「日本の大衆が皮膚で感じとっている浪曲のような、そういう音感を基礎として日本のオーケストラを創作したい」 [#地付き]尾高尚雄         ☆  ハワイのフラダンスを観てリズミカルな腰の動きに感嘆したが、あとでフラダンスの見所は手の動き、指先の形にあると知って恥ずかしかった。  日本の芸能も外人はこんな風にみているのに違いない……と書いているのは芸術院院長高橋誠一郎。         ☆ 「浅草のストリップや博多のどんたくからヨーロッパの見世物までいろいろ見た結果、日本の音楽会の聴衆がいかに無味乾燥であるかがよくわかった。  日本人がもともと感情を表に出さないというのは嘘で、大衆芸能などは盛んなもの。また音楽に限っていえば、感動するドイツ人は足をガタガタ鳴らし、ソ連、フランスは手をうって調子をとる、日本人も独自な方法がほしい」 [#地付き]N響指揮者 岩城宏之         ☆ 「日本人の内部には火山があり、きゅうくつな礼儀や、謙譲といったワクが将来はずされれば、それが噴出するだろう。能とその音楽には何年もの間、魅せられており、世阿弥を題材にしたミュージカルをつくることをジェローム・ロビンスと討論した」 [#地付き]レナード・バーンスタイン         ☆  カーネギー・ホールでニューヨーク・フィルハーモニーを初めて指揮するという晴れの舞台に、ノコノコと普通の背広姿で指揮台にあがった男レナード・バーンスタイン。         ☆ 「どこかに、きわもの的な興味本位の音楽鑑賞法と純粋な技法上の討論との仲立ちをしてくれる幸福な媒体が存在していること、それは容易には発見されないにしても、かならず見つけ出すことが出来る」 [#地付き]レナード・バーンスタイン         ☆ 『ウエストサイド物語』で、プエルトリコの貧民街をとりあげたバーンスタイン自身、ユダヤ人地区の貧民街に育った。         ☆ 「指揮者は楽員たちの意気を高め、高揚させ、かれらの副腎を勢いよく働かせなければなりません」 [#地付き]レナード・バーンスタイン         ☆ 「音楽について何かをいうことのできるただ一つの道は、音楽を書くことです」 [#地付き]レナード・バーンスタイン         ☆ 「僕は人が寝るべきときにも、あらゆる種類の人を目ざめさせておくような曲を書きたい。僕の曲のスコアが売れるたびに、鎮静剤を調剤しなければならないという法律が必要なほど強烈なものにしたい」 [#地付き]ジョージ・ガーシュイン         ☆ 「歌劇という芸術種目における誤りは、表現の手段(音楽)が目的にされ、表現の目的(戯曲)が手段にされてしまったという点にある」 [#地付き]ウィルヘルム・ワーグナー  今日、長唄や浄瑠璃が僕達の生活から離れつつある点にも同じ理由がありそうだ。         ☆ 「人間の心の奥深くへ光を送ること、これが芸術家の使命である」 [#地付き]ロベルト・シューマン         ☆ 「音と音の間にあるのが音楽だ」 [#地付き]チャーリー・チャップリン         ☆ 「芸術なんて、くそくらえだ。ベートーベンはペテン師で、ちょうど僕等とそっくりなんだ。(中略)世界の人たちはだまされたがっている。でも、だますというのも相当なエネルギーの消費だからな」 [#地付き]ジョン・レノン         ☆ 「バッハではなくて海とよばれるべきだ。音の組み合わせとハーモニーの、無限につきることのない豊かさは、まさに海だ」 [#地付き]ルードヴィヒ・フォン・ベートーベン         ☆ 「二十八歳というこの若さでさとりきった哲人とならねばならなかった。  それは芸術家にとって他の何よりもむずかしいことだった」 [#地付き]ルードヴィヒ・フォン・ベートーベン         ☆  ベートーベンは自作が発表されたあと、すぐに拍手があると不快な顔をした。  自分の音楽は人間の魂を鎮めるもので、すぐ拍手があるような軽薄なものでないというのである。         ☆  ウィーンの警察に収容されていた酔っ払いが「俺はベートーベンだ!」とどなるので、 「ルンペンのくせにやかましい、ベートーベンがそんなに見すぼらしいわけはない!」といったものの、ヤッパリ御当人だった。         ☆  ベートーベンは二十八歳で自分の耳が聞こえなくなりつつあることを知る。  彼は自分の交響曲を自分で聞くことが出来なくなったのだ。こうして狂人めいた行動をあえてする気むずかしい作曲家になってゆく。         ☆  臨終のベッドにとどけられたワインの古酒を「残念、手おくれだ」といったのが最後の言葉になっている。         ☆  七〇年はベートーベンの二百年祭であった。  ゲーテは書いている。 「あれほどの精神集中力と強烈さ、あれほどの活力と高潔さをそなえた芸術家にはあったことがない」  ド・トレモンも書いている。 「これ以上暗い部屋、これ以上散らかっている部屋はまたとないような、そんな部屋を御想像いただきたい。古ぼけたグランドピアノがあり、その上にはさまざまな楽譜がうず高く積まれ、ほこりをかぶっている。ピアノの下には便器がまだ中身の入ったまま置かれている。何脚かの椅子には、昨日の夕飯の食べ残しの皿が置かれ、衣裳やその他のものが投げだされているのです」         ☆  ベートーベンは耳が聞こえなくなったが、カラヤンは座頭市のようなことをいっている。 「私は目をつむって指揮をするが、どうして目をあける必要があるんだろうか」         ☆ 「指揮者の最も緊張するのは強奏でなく弱奏の時である。カイルベルトをはじめ、多くの指揮者が演奏中に倒れたが、それはすべて弱奏の時で、一般に考えられる強奏の時は、指揮者も演奏者も精神的に高揚するものだ」 [#地付き]ヘルベルト・フォン・カラヤン         ☆  カラヤンはアンコールをしないことについて「プログラムの曲にすべての努力をそそぎつくしているから」と答えている。         ☆ 「源泉というものは時が経つにつれて、次第に互いに近寄って来る。  例えばベートーベンは必ずしもモーツァルトが学んだものを皆勉強する必要はない。同様にモーツァルトはヘンデルが——ヘンデルはパレストリーナが……。  その訳は、こうした人達は、先駆者を吸収してしまうからである。  しかし何時の世になっても皆が改めて汲みに来るだろうと思う泉が一つある。  ヨハン・セバスチャン・バッハだ」 [#地付き]ロベルト・シューマン [#改ページ] [#小見出し] 役者 その世界         ☆  この本は『話の特集』に連載を続けている「芸人・その世界」(16回〜38回)を新しく構成したものだが、オリジナル版は、ひとつひとつのエピソードを尻取り方式にして楽しんでいる。  このコーナーはそのオリジナル形式にしてみた。  尻取りになっていますかどうか、ハイ。         ☆ 「豪華な食事をしてから劇場へゆく。すばらしい演劇をみながら、いつのまにか眠ってゆく。こんなに楽しいことが、ほかにあるだろうか」 [#地付き]虫明亜呂無         ☆ 「演劇を正道に導くためには、先ず現代の劇場は焼き払われなければならぬ」  イタリアの女優エレオノラ・デューゼの言葉である。         ☆  猛優|訥子《とつし》といわれた先代の沢村訥子は、とにかく自分の役に生命をかけた。飛びおりるとか、水に飛びこむとかを自分でやるのはオチャノコサイサイ。火事場のシーンではエーテルに衣裳をひたし、それに火をつけて走りまわった。  勿論、火傷するのを耐えているのである。         ☆  映画『ワーテルロー』でナポレオンに扮したロッド・スタイガーは、ナポレオンの解剖記録から逆算して、彼の持病を演技の中に盛り込んだといっている。         ☆  井上正夫はセリフがおぼえられないというので自殺を企てて未遂。昭和七年のこと。彼がリアリズム演技に徹したのは有名だが、ある時、血を吐いて死ぬ場面で、あらかじめ食料紅を五合ほど呑んでおいて、いざという時に吐き出してみせたという。         ☆ 「歌舞伎では二百年も前から�血による美の表現�をあつかっています。死ぬことで人を楽しませるなんてことは世界中、歌舞伎以外にはないんじゃないでしょうか」 [#地付き]八世 坂東三津五郎 「頭をガンとやられると、足の先から頭までピンと伸ばし、そのままの姿勢で床に倒れたものである。そして、その間に、その役者は、ボウッとし、天使のように微笑み、眼の玉をクルリとさせ、肩をかしげ、爪先で立って踊るように円を描いてからノビた。で、ノビたとたんに、彼は蛙が泳ぐように、床の上で二度足を蹴ってから極楽往生を遂げたのである。いわばそこには詩があった」 [#地付き]ジェームス・エイジー         ☆  花柳章太郎はアイマスクをして、丸めた新聞紙でポンポンと頭を叩きながらセリフをおぼえたという。         ☆  川上音二郎と共に新派に力のあった福井茂兵衛、ある時、セリフが聞こえないといわれて「よし、聞こえるか聞こえないか、俺が客席にまわって聞いてみる」         ☆ 「俳優がモノをしゃべる時にテンポとか�間�ということを教育されるが、あれはダメですね、そんなもの瞬間に生れるんですよ、それを大切にしなきゃいけない」 [#地付き]東野英治郎         ☆ 「俳優はその国の言葉の教師になれなければいけない」という言葉がある。         ☆  新劇の世界で「俺は役者《ヽヽ》だよ」といいはじめたのは友田恭助である。         ☆  小沢昭一と旅をして、新劇の旅行では老人でなければグリーン車に乗れないことを知った。どんなにスターでも仲代達矢、樫山文枝、といった人達でも普通車、そして旅費は一泊二食で千五百円平均。         ☆  五代目歌右衛門の自伝を読んでいると、明治十年に旅興行に出て五年振りに東京へ帰ってくるという話がある。  ジェット機を使って一日の内に福岡と札幌の仕事をすることも出来る今日からみると、なんと、のんびりしていること。         ☆  五代目歌右衛門は、明治の初めに、ひいきから太政官札(紙幣)を貰ったが、印刷した短冊だと思って返してしまった。         ☆  先代沢村宗十郎は混んだ電車に乗ると、腰かけている人に小銭を渡して立って貰ったという。         ☆  故三遊亭円歌が人形町末広の高座で、「近頃のスリは芸が無い」と悪口をいったことがある。  その彼が、高座を降りて、上野の鈴本まで電車に乗り、鈴本について、時計をみたら針が止まっている。  故障かと思ったら、中の機械がスリとられていたという。         ☆  先代の小勝がしみじみといっている。 「練りが足りないと、可笑しみは出ません」         ☆  林家三平は結婚する前に相手にインテリであることを示す為に次のようにいった。 「文藝春秋以外は読みません」         ☆ 「三平はもっと出て来なくちゃいけません」 [#地付き]桂文楽         ☆ 「私は円鏡です」  何度、逢っても自己紹介をする人である。 「円鏡です、飛ぶ鳥を落しています」というのも聞いたことがある。         ☆ 「世間で持てはやされている芸は、くずれやすい」 [#地付き]七世 坂東三津五郎         ☆ 「唐十郎君の芝居や、寺山修司氏の芝居など見たいと思いながら見られず残念です。拝見すればなんらか得るところがあると思います」中村翫右衛門がいっている。  国立劇場でお金を貰っている役者達に聞かせてやりたい。         ☆ 「毎日毎日休みなしに舞台に出ている歌舞伎役者に勉強の出来るわけがありませんが、さりとて、あの人達は休んで給金を貰うのは恥ずかしいという気があるんです。給金を貰っておいて勉強に打ちこむ、修業を重ねるなんてことを考えられないというのは不思議な人達です」  ……誰から聞いたのか忘れてしまった。         ☆ 「あの役者を見ろ、ただの絵そらごとではないか。それを、いつわりの感動にわれとわが心を欺き、目には涙をため、顔色蒼然としてとりみだし、声も苦しげに、一挙手一投足その人物になりきっている」 [#地付き]ハムレット(福田恆存訳)         ☆ 「芝居の目的は昔も今も、いわば自然に鏡をかかげて、その美点も欠点もありのままにみせ、時代の様相や特徴を示すことにあるのだ」 [#地付き]ハムレット         ☆ 「人生を顕微鏡でのぞいてみる。全くぞっとするほど恐怖にみちたものだ。だから私達はロマンスが必要になってくる」 [#地付き]チャップリン         ☆ 「貧乏人の頬にぶつかったアイスクリームは彼女への同情をよびおこすが、金持の頬にあたったアイスクリームは大衆を喜ばす」 [#地付き]チャップリン         ☆ ※[#歌記号、unicode303d]右のポッケにゃ夢があるゥ  左のポッケにゃチューインガム  美空ひばりが酔うと必ずくちずさむという。その時、彼女のそばにいたいと思う。         ☆  六代目菊五郎の演説から、 「芝居なんてものはおでんみたいなもので、はんぺんもありゃ、しのだもあり、こんにゃくもありゃア、ちくわもあるという具合で、だいぶ話が堅くなりましたが……」         ☆ 「俺は芸で飯を食ってるんだ。名前で飯を食っているんじゃねェ」 [#地付き]二代目 吉住小三郎  三代目芳村伊十郎になる筈だったところ、その襲名にケチをつけられて。         ☆ 「僅かの人間で決めた賞なんて、そうたいした名誉ではない。私のほしいのは大衆の喝采だ。大衆が私の仕事を賞賛してくれたならば、それで充分だ」 [#地付き]チャップリン         ☆  気違いではないかと疑われている田辺一鶴にいわせると「十歩さきを見る者は気違いにされ、現状に留まる者は退歩し、二歩さきを見る者が成功する」(小林一三)という言葉にもあるように、十歩先を歩いているのだそうだ。         ☆  講釈師見てきたような嘘をつき  講釈師扇で嘘を叩き出し  講釈師つかえた時に三つ打ち  以上、初代宝井馬琴の作と伝えられる。         ☆  伊賀の仇討で荒木又右衛門が実際に斬ったのは三人。  これを講釈師で三十六人はおろか五十八人まで斬ってすてたのが三代目芦州。  話術がうまければ何人でも斬れるのだそうである。         ☆  チャップリンは明治二十二年生れ、八十歳、スイスで隠居生活をしている。  同じ八十歳でリサイタルを開き、豪華なLPも出したのがモーリス・シュバリエ。  軽やかなタップの音まで入っている。  そして九十歳の服部伸も、本牧亭の階段をあがり高座でピーンとはった声をひびかせている。         ☆ 「私は七十歳まで生きてシェクスピアの老醜に満ちた人物を演じながら死んで行きたいと思う」 [#地付き]ローレンス・オリヴィエ         ☆ 「六十を過ぎると人間は単純になるね。だって芝居のことしか考えなくなるもの」 [#地付き]東野英治郎         ☆ 「いくらうまい女形ったって、女の色気がグーッと出てくるのは五十歳を過ぎてからですな」 [#地付き]三遊亭円生  先代の円生は褌一本で落語をやっても、ちゃんと色っぽい女になっていたと、今の円生が語っている。         ☆  六代目菊五郎が踊りを教える時は、まず弟子に全裸になることを要求した。  ハダカで踊って形が出来れば、衣裳をつけてもっと完全になるというのが彼の持論だった。  トクダシ諸嬢は六代目方式で踊っていることになる。         ☆ 「盗んでいいのは芸だけだ」 [#地付き]六代目 尾上菊五郎         ☆ 「無から一を生みだすのは難しいが、千から万を生むのは楽なものだ」 [#地付き]六代目 尾上菊五郎         ☆  六代目菊五郎が若い役者によく注意した言葉に「ただするんじゃねェぞ、買わなきゃいけねェ」  六代目も今日のように売っちゃいけない時代が来るとは思わなかったろう。 「キンタマが売っているものなら、買ってやりてェ」  これは九代目団十郎が女役者市川粂八にいった言葉。  今日は整形科でプラスチックのキンタマも売ってくれるそうである。         ☆ 「日の本は岩戸神楽の昔より、女ならでは世のあけぬ国」  その女の裸をながめ、時にはさわったり出来るのが警察のやかましくない地方のヌード劇場。  彼女達の芸名にも楽しいのがあって、ジピシー遠藤(ジプシーのことであろう)、ミス・チャンディ(キャンディならん)、ロージ・マリー(ローズのつもり)などなど。  コーヒーをコーシと書いてあるメニューのようである。どういうわけだか、モーレツなのは関西ストリップと呼ばれている。         ☆  スペインのフラメンコという言葉の意味はならずものということだそうである。         ☆  エンタツ・アチャコがはじめて映画に出た頃、スケジュールという言葉がいえなくて、 「助十郎」とよんでいた。         ☆  映画でもおなじみのジェロニモ酋長は晩年、パレードのタレントとして人気を集め、ルーズベルトの大統領就任式にも出席している。         ☆  坂東玉三郎の人気はうなぎのぼり。玉三郎の部屋には大きなマリリン・モンローのパネルが貼ってあるという。  彼は守田勘弥の芸養子である。勘弥が水谷八重子と別れなければ良重と玉三郎はきょうだいということになる。芸養子というのは、あくまで芸の上の親子であって戸籍は動かさないということである。         ☆  玉三郎は鏡を見ているのがダーイ好きだそうだが、もし鏡を見ていない時に、きれいに見えてなかったらドウシマショウと思うのだそうである。         ☆ 「どうして俺はこんなにいい男なんだろう」  五代目菊五郎がよくつぶやいていたという。         ☆ 「芸能人よ、思いあがれ。思いあがることによって、通常、人が触れえぬ人生の深奥をさぐるべし」 [#地付き]佐倉繁         ☆ 「今のような仕事をしていても見物が来るから仕方がない。自分も骨折りがなくて真に結構だ。まだまだ日本の演劇の見物は中等以下の人だ」  九代目団十郎はこうして客に迎合していった。         ☆ 「病的なほどの鋭い感受性と、ゆたかな想像力、爆発的な行動力をもつ女性が巫女に選ばれた」 [#地付き]三隅治雄  そして女優も巫女の如くあらねばいけないと思う。         ☆ 「若い女優は感性の過多と人格の貧困によって形成される」 [#地付き]ガストン・パティ         ☆ 「好色、博奕、大酒、三重の戒、これ古人の掟なり」  要するに飲む、打つ、買うはいけませんというわけだが、世阿弥の言葉。         ☆  明治十六年二月二十日。アーネスト・フェノロサは初代梅若実に入門している。  実はその日のことを「外国人に謡曲の稽古古今未曾有」と書いている。         ☆  能では面(オモテ)をつけない場合、素顔を直面(ヒタメン)といって面をつけているのと同じ心で演じる。ポーカー・フェイスとは違う。  面をつけると、客席の入りもわからないほど視界がせまくなる。         ☆ 「能は顔そのものが面なのです。だから表情をしてはいけない。能は顔面筋肉による表情はいっさいできない、だから、まばたきもしてはいけないのです」 [#地付き]香西精         ☆  柳家金語楼は自分の表情の限界をきわめる為に、毎日鏡の前で顔面筋肉を動かして修業した時期があった。         ☆  大工から落語家になった人に三遊亭円右がいる。  大工廃業のキッカケは一斗桝を作ってくれと頼まれて、一升桝の縦横十倍の寸法で風呂桶のような桝をつくってからである。         ☆ 「芝翫の一尺、彦三郎の焼印」という言葉があった。  四代目の芝翫は、物さしを持つことはするけれども、それが何尺でも、何寸でも「あァこれは一尺だ!」と決めてしまったという。  同時代の彦三郎という人は何にでも焼印を押すのが趣味で、弟子まで狙われたという。         ☆ 「芝居がくさくみえるのはうまいからだ。うまくなくちゃ、くさくもなれねェんだ」 [#地付き]七世 坂東三津五郎         ☆ 「出来る人間は出来ない真似が出来るが、出来ない人間は、出来ない真似も出来ない」 [#地付き]七世 坂東三津五郎         ☆ 「ワキ役は主役をたてろなんていうから、芝居がつまらなくなっちゃった」 [#地付き]尾上多賀之丞         ☆ 「芸をみないで筋がみたいのなら新劇がいい。われわれの芝居は芸だけのものです」 [#地付き]尾上多賀之丞         ☆  扮した役が武士だと、裏方には声もかけないが、法界坊のような役だと、誰にでも声をかけてあいさつしたのが先代中村吉右衛門。         ☆  都家かつ江にインタビューを申し込んだ記者が、夜の舞台(高座)が済んでからにしてくれといわれた。 「夜しか時間がないんじゃないんです。出演する前にカタギさんには逢いたくないのよ」         ☆  チャップリンはコメディアンには気障《きざ》な気取りが必要だといっているが、柳家三亀松がデビューした時にいわれた言葉。 「あいつは気障の切身を気障の粉でまぶし気障の油であげたような奴だ」         ☆  背広の裏に名前が刺繍してあるのは普通のことだが、谷啓の背広はもっとハッキリ所有主であることがわかる。 「俺の」と刺繍してあるのだ。         ☆  浪曲出身で歌謡曲を歌い、自分の声は喉から出た瞬間に皆様のものですといったのは南条文若コト三波春夫。  私の声は私の声でなく、神そのものの声でありますといったのは来日したマヘリア・ジャクソン         ☆  浪花節語りの修業の中に、真冬、沖合に船を漕ぎだし、そのつめたい風の吹いてくる方向に向って口をあけ、喉の奥へ寒風をあて、喉が冷えきったところで、今度は腹の底から声を出すというのがある。         ☆ 「男はいつ芸をするようになるかわからない」といって歌や踊りまでしこんだ。しこんだのは戸田城聖、しこまれたのは池田大作。         ☆  桃川如燕が明治天皇の前で講演した時に一日だけ「従五位」になった。         ☆ 『かぶき袋』(郡司正勝著)の中に「かぶきの天皇」という項目があるので興味本位に引用。  江戸の歌舞伎の中ではしばしば天皇が三枚目になって登場し、後醍醐天皇がどてら姿で隠岐の島から脱出して泥棒したり、遊女に笑い者にされたりする。  花山天皇の名で好色振りを発揮する天皇も演じられたそうだが、実在の霊元天皇は近松の浄瑠璃を好まれた粋な方とも書かれている。 [#改ページ] [#小見出し] 役者 その……僕         ☆  女優・北条きく子が、ショーの演出家・藤田敏雄にとりついていた台湾の女の霊をとりのぞいて彼女のハンドバッグに封じこめた。  藤田敏雄と別れた途端にハンドバッグの中の霊が暴れだして、その口金が内側からはずされ、それは彼女が押えこんでもパクパクと動いていた。  僕はそれを目撃しながら、女優であり、霊能者である北条きく子を、女芸人の祖先である、漂泊の巫子の生れ変りとみていた。         ☆  僕についているのは生霊だそうである。  銀髪の和服の老人で、紺の竹の葉をあしらったのれん越しに僕をみつめているという。  そういわれて思い当った。僕が聞き書きをした曾我廼家桃蝶。  七十歳、新派、曾我廼家喜劇の名女形、大正から昭和にかけての丸山明宏といったところ。男性は千人ほど知っているが、女性は一人も知らないという男性である。  勿論、性関係のことである。彼は僕のことを熱っぽい目でみつめる。一瞬、妖気がただよう。その彼が僕の背中につきっきりだというのだ。         ☆  徳川夢声の日記(早川書房)を読んだ。  昭和二十九年四月十九日に「永六輔という青年」が登場し、以後、やたらにけなされている。  彼は六十歳、僕は二十歳。  あの頃、生意気だった。そして今は……。         ☆  僕みたいな男でも「アラ、永六輔よ」といわれる時がある。  チャンスがあって小沢昭一と一週間の旅行をした時に、彼の|気づかれなさ《ヽヽヽヽヽヽ》に、僕は恥ずかしい思いをしつづけた。  何をやっても「六輔だァ!」になってしまう間は駄目である。         ☆  能登の旅館に、僕の泊った数日後、小沢昭一が泊った。さらにその数日後、江国滋が泊った。江国報告によると女中の間で僕は悪評、小沢好評ということだった。  小沢昭一の自白によると、 「だって、私は何度でもお尻をなでてやったんだもの」         ☆  種田山頭火の日記を読むと、行乞《ぎようこつ》の旅の中で安宿にとまると、必ず旅芸人が登場するのが楽しい。勿論、大道芸人である。  山頭火はそうした芸人達とひとつ部屋に寝て、乞食同士のくったくのない生活を楽しむと書いている。  照れずに、乞食と書いている。         ☆ 「一句は、まことに責めあげ、責めぬくもの」  この芭蕉の言葉の「句」を「芸」におきかえてもいい。  それを歌におきかえた場合でも、一体なんという歌手が、ひとつの歌を責めあげ、責めぬいているのだろうか。  流行《はや》っているから歌っている、ただそれだけの歌手のなんと多いこと。         ☆  名古屋で石田天海が入院している。  三代の天皇の前で奇術を演じ、シカゴのカポネのクラブで働いたこともあるこの老芸人を見舞ったら、病床で「指先に自信がなくなったので、恢復したらコメディアンになるんだ」とはりきっていた。         ☆  鈴木信太郎画伯の絵で知った長崎の「阿蘭陀万歳」は昭和の創作だった。オランダからの流れ芸人二人が日本の漫才の真似をしてという発想が秀逸である。  漫才は中国にも同じ形のものがあるが、アチラではコンビが自由に交替して演じることが出来る。         ☆  中国では講談を「評話」、漫才を「相声」というが、両方とも、動かないで演技出来るようになることが上達ということになっている。         ☆  京劇では歌舞伎でいう三枚目を「丑」という。  その昔丑という名の部族がおかしな容姿だったところからきている。つまるところ嘲笑した場合の呼称だったのである。  喜劇人が差別されるのはいずこも同じなのだ。         ☆  博多俄では「半かずら」といって顔の上半分に面をつけて演じる。これで黒田藩の批判をしても誰だかわからないという庶民の知恵であった。  ゲバルト学生は顔の下半分をかくしているが……。         ☆ 「ごぜ」(瞽女)と呼ばれる盲目の放浪芸人がいる。  女としては処女で過し、村から村へ歌って歩く、日本版のジプシー。  中山千夏は自分が歌うことを、この「ごぜ」の精神を受けつぐといっている。  ゴリッパデス。         ☆  平泉の中尊寺にある光堂は漆の上に金をぬり、さらにその上から漆を塗ったものだという。  だから金は光ろうとする、漆は光らせまいとする。  結果として、金は金以上に光り輝く。  能もかくあらねばと喜多実が書いている。         ☆  各地で民謡を楽しみ、郷土芸能もみせて貰った。  どの土地の郷土芸能もセミプロ化していて「ふるさとの歌まつり」(NHK)と万博に出演したことを自慢にしている。  しらじらしさが先に立って、土の魅力を感じるわけにはいかない。なんでもない老人に歌って貰う方が余程、聞くものの耳に訴えてくるのだった。  博多俄も、プロの俄師よりも、旦那俄といわれる、いうなれば社長や旦那衆のものが、いかに遊びの精神に満ちているかを知らされた。  宮崎康平氏(『まぼろしの邪馬台国』の著者)がうたってくれた自作の「島原の子守唄」がいまだに耳から離れないのもそういう理由だ。         ☆  ニューギニア高地人は何かというと歌ったり、踊ったりする。  日本流にいうと「木遣り」(江戸)で「ねぶた」(青森)を踊ると思えばいい。         ☆  ニューヨークのカーネギー・ホールに近い小さな画廊で、ドアボーイのように客を迎えいれたり、送り出したりしている男が、アンソニー・パーキンスに似ていたので、たしかめたら彼だった。五年前のことである。  監督と意見のくいちがったパーキンスが、納得出来ない役を演じることに疲れきってしまい、精神科医に直行した。  そして医者に叫んだ。 「先生、僕の性格を下さい」         ☆  僕がナポリで逢ったガイドは説明する度に違うのだった。 「この古城はソフィア・ローレンの別荘でございます」  翌年、再びこのガイドに逢った。 「この古城はジーナ・ロロブリジーダの別荘でございます」 「ソフィア・ローレンじゃなかったの?」  ガイドは答えた。 「その時の気分でどっちでもいいんです」         ☆  スイスの観光バスガイドのセリフから。 「みなさま、右側にみえてまいりました森は、かの有名なウィリアム・テルが出没した森でございます。左側の森をごらん下さい、こちらはエロール・フリンの出没した森でございます」         ☆  熱海のニューフジヤホテルで久し振りに坂本スミ子ショーを聞いた。  クラブシンガーというジャンルはマスコミと無縁だが、彼女が何よりも楽しそうに歌っているのが印象的だった。それにしてもテレビの歌番組というシロモノのどこに歌があるんだろう。         ☆  定吉一座の流れを汲む足芸の長吉は八十歳近くて、まだ東京千住に健在。ソ連なら人民芸術家として優遇されるところだが、不遇をかこっている。  この足芸の老人は「私達の芸は親から子に伝えるには厳しすぎます、他人の子だからこそ芸が伝えられるんです」と語っていた。  となると親から子に伝えられる芸というのは、どこかに甘さが残っているということになるのであろう。         ☆  EXPO・70の初日。  万博ホールでサミイ・デイビス・ジュニアのショーをみた。  相変らずの天才振りだが、レッスンの積み重ねが裏づけになっていることがわかる。  日本のエンターテイナー、例えば坂本九の場合、器用であっても、驚かされはしない。  レッスンする時間がないことを悲しむのは愚かなことである。自分が忙しいというのは、自分が馬鹿な証拠であると内田百語録にもある。  早く、坂本九に驚かされたい。  サミイは万博ホールの客席での赤チャンの声を「サミイは素晴しい」と訳して聞かせ、雑音の多いスピーカーに対しては、そのスピーカーを紹介して拍手させた。  オトナなのである。         ☆  万博でパビリオンという言葉は仮小屋、掘立小屋を意味し、芝居小屋、見世物小屋もこれに準ずる。  千里丘には世界の見世物小屋が並んでいるのである。         ☆  古典芸能、民俗芸能に感動する若者は多い。  それを日本人のエネルギーに結びつけたり、伝統の継承、伝承として考えるのも結構だが、僕はそういった老成した楽しみ方が出来ない。ギラギラと油ぎっている芸と芸人が一番好きだ。         ☆  勘三郎と勘九郎の連獅子を、これはテレビでみた。  僕は勘九郎の若々しさに拍手するが、それを受けとめる勘三郎を少しもいいとは思わない。  だから染五郎、吉右衛門兄弟よりも、猿之助が好きだし、もっと単純にいうとテレビならスポーツ中継が一番好きなのである。         ☆  枯れた芸。  円熟した芸。  そのどこがいいのかわからない。具体的にいうと七転八倒しても山本安英の良さというのがわからないのである。  しかし、諦めてはいない。山本安英にビックリギョウテンする時があるかもしれないからである。  だから我慢してみる。         ☆  若いくせに妙に老けている柳家小三治のような場合。  つまり油が無いのではなくて油をぬいてある芸というわけで、若い修行僧にもある顔だ。これは今にギラギラするであろうという期待がもてるからマークする。         ☆  歌手にしても同じ基準で聞く。  ヒデとロザンナの二人がどういう関係か知らないが、歌っている時の淫靡な感じは上質のものである。  トム・ジョーンズ、ギラギラしていて、強姦なんか喜んでやりそうなところがいい。  だから、坂本九のもの足りなさときたら救いようがない。         ☆  この頃、堺正章やドリフターズの人気が高いということは彼等の芸がうまくなったことではない。  自分の芸に慣れるというプロセスがテレビ的だということだけである。テレビは芸をみるのではなく、芸へのプロセスをみせるものだといった渥美清。  これは至言である。         ☆  東京にいる時に古典芸能と呼ばれる人達の公演のゲストになることが続いた。  説教の会で祖父江省念師。  和泉流狂言の会で和泉保之。  国立劇場で豊竹咲大夫。  岩波ホールの岡本文弥。  どういうわけだか聞き手になってトンチンカンなインタビューをした。  こう書くと、僕が浄瑠璃や、新内、そして狂言に詳しいようにみえるが、実は何にも知らないという点で起用されたのである。  恐いもの知らずだから、狂言の共演を申し込んだりするという乱暴さで客席を呆れさせた。しかし、どうしたって僕には浄瑠璃や新内のものの良さはわからないのである。  例えば、新内。僕は岡本文弥の文章と字体の大ファンなのであって、新内の会では最後まで耐えられない。  どれだけ我慢して坐っているかという精神修養を兼ねているのだ。  どうして我慢するかというと、もしかすると良さがわかるかもしれないという可能性に賭けているからだ。  思えば地唄舞が好きになるまで七年近い月日がかかった。だから我慢しているのである。  それをはたからみていると、熱心なファンにみえるらしい。         ☆  僕は相手が女の芸人である場合、欲情を刺激してくれる芸を、うまい、まずいの基準に している。  そして、それを特出しのメリーさんよりも井上八千代に感じるのである。  俗な区別だが、上品だろうが下品だろうが関係ないのである。  だから岡本文弥の新内が色事の世界をうたっている時に、僕の目は三味線をひいている女性にそそがれる。  これ又、お婆さんである。お婆さんでいいのである。このお婆さんが三十前後の時はどんな色事をしていたのだろうと想像する。  そんな時に新内の言葉が、想像力を豊かにしてくれたりすると、初めて「ア、新内っていいな」と思うのだ。         ☆  浄瑠璃は依然として言葉がわからない。  ただ発声の方法の中で、息を吐き切ったり、せき止めたりする時に性行為を重ねて、これも連想ゲームを楽しむ。ふと、僕は色情狂ではないかと思う時があるが、そうではないとは決して思わない。         ☆  このところ落語が危機だといわれないのは本当に危機なのだろうか。逆に充実しているというような賞め方をする人には次のような例を。  明治初年の加賀太夫の言葉に、名優のほまれ高い九代目団十郎について「あれは名代の舞台下手で眼ばかり光らせていたんだが、後に福地桜痴なんかが出て持ちあげ、エラクしてしまった」といっている。  同じく当時の小さんの言葉に「円朝は芸がまずいしとるところはないが、作者がついて新作を出したのと、番付の場所がよかったから有名になったんです」というのもある。         ☆  芸人の芸が変るように、観客である僕も変ってゆく。  好きであったものが嫌いになり、嫌いだったものが好きになる。問題は、好きだろうが嫌いだろうが、絶対にみつめつづけるということだ。  いわせていただければ、同時代の芸と芸人は僕の財産なのだから。         ☆ 「江戸の匂いの残る明治の寄席の名人を今日の次元で評価することは不可能です。老人にとっての古き良き時代への憧れとゴチャゴチャにされては困るのです。テレビ以後、芸と共に名人の内容も変質させなければ意味がありませんし、何よりも若い僕達には同世代の名人と共に生きている喜びを得る権利がある筈です」 [#地付き]永六輔         ☆ 『エルビス・オン・ステージ』を観ていて感じたことだが、彼の笑顔は大原麗子によく似ている。  大原麗子でなくても、つまり女の子なのである。プレスリーファンの女性は、その点でレズの快感を抱くのに違いない。         ☆  曲亭馬琴の『化競丑満鐘』(ばけくらべうしみつがね)が豊竹咲大夫の会(国立小劇場)で初演された。  動物のお化けが出るのはいいのだが、狸が股間から八畳敷をひろげてお姫様をかくしたり、イタチが最後っ屁をすると、当然ながら尻から煙が吹き出すという大騒ぎ。国立劇場バンザイ。         ☆  大島渚監督『少年』を観る。終った時、拍手があった。  自動車に体当りしながら示談にして金をとるという職業は、そのまま旅芸人のイメージと重なる。旅芸人が詐欺というのではなく、自動車に体当りしては路上に転がって痛がるというのは立派な大道芸ともいえるからである。  かつて藤田嗣治がパリで売り出す為に自動車に体当りしてみせたという話も思い出して面白かった。         ☆  大道のタンカバイでは、人を集めることを「ジンを締める」という。ジンは人である。  ここに七五調の名調子が生まれる。 「白い黒いは何みてわかる、色が黒くてもらい手なけりゃ、山のカラスは後家ばかり、色は黒いが味みておくれ、味は大和のつるし柿、色が黒くて喰いつきたいが、あたしゃ入歯で食いつけない……」 「白く咲いたが百合の花、一度変れば二度変り、三度変れば四度変る、淀の川瀬の水車、誰を待つやらクルクルと、天に軌道があるごとく、人それぞれに運命てえものがあります」  短いものでは「結構毛だらけ猫灰だらけケツのまわりはクソだらけ」「見上げたもんだよ屋根屋のフンドシ」……など寅サン御愛用である。         ☆  僕はカルメン・マキのサインを持っている。 「時には母のない子のように」と書いた横に彼女の名前がある。  左卜全のサインもある。彼のはその名前の横に「世界人類の平和の為に」と書いてある。         ☆  竹本綱大夫芸談に、呼吸は口や鼻だけではなく、目と耳からも呼吸するとある。僕はマヒナスターズのバンドボーイが煙草を吸って、その煙を目から出したのをみたことがある。         ☆  チャーリィ・石黒のバンド・ボーイが、興奮して報告してきた。 「大変なドラマーがいます。これは掘り出しものです。すぐにでも使えるテクニックがあるんです。凄い新人!」  チャーリィが、みにいくと、そこでドラムを叩いていたのはジョージ・川口。         ☆  グループ・サウンズの人気が下火になったところで、ハンター・デイヴィスの『ビートルズ』を読む。  例えばジョン・レノンの年収が十五億円あるなんてことにビックリし、彼がLSDのおかげで自分をよりよく知ったなんて言葉に感動、どちらにしても日本のG・Sはママゴトみたいなこと。         ☆ 「資本主義社会における理想的な商品はことごとく安物の模造品でなければなりません」 [#地付き]花田清輝  こうして、ビートルズ、モンキーズ、日本のグループ・サウンズという系譜も出来上る。         ☆  小林秀雄の言葉から。 「美にとってほんもの、にせものの論議は無意味にすぎない」         ☆  美空ひばりが一人でタクシーに乗った。  気がついたら財布を持っていない。彼女は運転手に名前を名乗って、お金を持っていないことを告げた。運転手は、本人なら『柔』を歌ってみてくれといった。ひばりは無伴奏で一所懸命に歌った。  運転手は目的地についてから、ひばりが払おうとする料金を受けとらなかった。  ——この話、運転手から偶然に聞いた。         ☆  立教大学で、『落語と落語家 その流れ』という卒論を書いて、今は歌う意味をみつけようと苦闘しているのが高石友也。彼が生まれた三日後に生まれた坂本九は、紅白歌合戦の司会者である。  責めあげ責めぬく力がありながら天下太平な幸福な歌手の一人。         ☆ 「私はチャップリンに負けんけど、ひとつだけ私にないものがある、それはマークや」  曾我廼家五郎がそういった。  彼のいうマークは、山高帽、ステッキ、ドタ靴のことだが、チャップリンは、すでにそれも捨ててしまっている。  僕は日本のコメディアンが、ことさらにチャップリンを意識し、尊敬するのはおかしいと思っている。チャップリンを否定するコメディアンこそ待たれているのだ。         ☆  エピソード・コレクターにとって六代目菊五郎というのは、その宝庫といえる。逆にいうとエピソードをつくりやすい役者なのである。         ☆  大杉栄が六代目菊五郎、桂文楽、などいろいろな芸人のエピソードに登場してくるので、われながら驚いていたが、二十一代木村庄之助の自伝には、虐殺されて主がいなくなった大杉家に住む話が出てくる。         ☆  桂文楽の思い出話の中に、大杉栄が刑事つきそいのまま、客席に来る話がある。  マンガを差し入れてくれという闘士と、どこか通じるところがあるが、のどかさを感じる。この大杉を斬った甘粕が、又芸人好きだったのも面白い。 [#改ページ] [#小見出し] 役者 その過去帳         ☆ 「南北略儀ながら、せまうはございますれど棺の内より頭をうなだれ手足を縮め御礼申上奉りまする……」  四谷怪談の鶴屋南北の自分の葬式のあいさつ状の書き出しである。         ☆  明治八年七月八日の読売新聞によると、足芸の竹本駒吉がロンドンで客死し、その葬儀にはファンの他に二百人の軍人が参列したという記事が出ている。  信じられないが、いかに足芸に人気があったかということがわかる。         ☆  明治二十二年十二月二十五日、三代目吉住小三郎は「今日死ぬぞォ」と弟子を集めて死んだ。  三木助はこの人の死にざまを知っていたのではなかろうか。同じように宣言してこの場合は数日後に死んでいる。         ☆  三遊亭一朝の語る円朝の最期は脳病で寝てばっかりという晩年で、八十人の弟子の内、世話するもの三人。名人といわれながら淋しい死に方をしている。明治三十一年八月十一日没。         ☆  この円朝の弟子で、その芸風を伝えたのが三遊亭一朝。 「あの世にも粋な年増がいるかしら」という辞世を読んで、昭和五年八十三歳で死んだが、この人、背中一面に自来也の刺青をしていた。         ☆  三遊亭円朝の七回忌の法要の最中、お経をあげているその席で脳溢血で亡くなったのは三遊亭円橘である。         ☆  明治末期に大漁という音曲師がいたという。  この人の死に方を円生の言葉を借りると、 「……この人が死ぬ時が、おかしいんで、天丼を八ツ食べて、バナナを二十本に、サイダーを八本、西瓜を丸ごと一ツたべて、この世を去ったというんですが……」         ☆  一般には芸人が死んで号外になったのは先代中村鴈治郎(昭和十年)が最初ということになっているが、明治三十六年の五代目菊五郎、昭和七年の神田伯山も号外になっている。  最近ではその死がテレビで報道されるかどうかという点にポイントがしぼられ、さらに特別番組が組まれるかどうかということになっている。         ☆  昭和九年十月十六日、十一代片岡仁左衛門は死んだ。七十八歳。  その最後の言葉。 「私のような幸福なものはなかった」  十二代仁左衛門は喰いものの恨みで惨殺されている。         ☆  昭和二十二年に死んだ中村梅玉。  舞台姿のまま倒れて「このまま死にたい、梅玉のまま死にたい、七十四歳の笹木伊之助では死にとうない」         ☆  老役者に聞いた話では、昔は舞台で役者が役の上で死んでも、楽屋は喪に服したという。例えば、判官が切腹したりするとである。         ☆  日本でも遠くさかのぼれば公卿や貴族の血をひく芸人はいる。  三波春夫だって○○天皇の血が流れていることを誇りにしている。  現存するビザンチン皇帝の最後の子孫といわれるアントニオ・デ・クチルス殿下がナポリで死んだ。  一九六七年四月十七日、二十五万人を越すナポリ市民が彼の死をいたんだが、それは殿下としてでなく、喜劇役者トトに対してであった。         ☆  エノケンの死に際して多くの人が弔辞を書き、その業績をたたえていたが、菊谷栄について触れる人は少なかった。  昭和十二年に戦死しているが、エノケンを最も良く知っていたレビュー作家だった。昭和初期、左翼運動に参加して、変名でエノケンの脚本を書いた。『最後の伝令』の脚本も菊谷の作品であり、エノケンは昭和四十四年、この演出をしたのが最後の仕事になった。  そして、その前、不自由な身体で津軽まで菊谷の墓参りに行っていることを知っている人は少ない。         ☆ 「エノケンは菊谷栄が死んだ時から一本足で立っていたようなものだ」 [#地付き]尾崎宏次         ☆  市川雷蔵が死んだ。  故大河内伝次郎が迎えに来ていたという。中村玉緒から渥美清が聞いた話である。  雷蔵が大映に入社した時に一番可愛がったのが大河内であり、死因になった病名膵臓ガンも同じである。         ☆  成瀬巳喜男監督が死んだ。  棺に一番近い花輪に「会田昌江」という名前があったという。  原節子の本名である。         ☆  ジュディ・ガーランドが死んだ。十八歳の時から精神病院の治療を受けつづけ、それでも五回の結婚をした。 『スター誕生』のラスト・シーンの良かったこと。ミュージカル映画を見始めた頃だっただけに十回も繰返してみたっけ。         ☆  昭和四十四年九月九日、安藤鶴夫が亡くなった。糖尿性昏睡。 「昭和十九年、小島良子、芸名緑魔子誕生、昭和四十三年十二月、縊死」  緑魔子の写真集『悪の華』の年譜では彼女はすでに死んでいる。         ☆  内田吐夢死去。七十二歳。  その昔、横浜で「ハマのトム」といえばちょいと名の売れたオニイサンだった。「渋谷のサブ」で通った北島三郎のように。         ☆  西条八十死去。七十八歳。 「流行歌の物書きは、白昼素っ裸で銀座通りを歩ける気がまえが必要だね」         ☆  泉和助が猫にみとられて死んでいた。  最後に逢った時、彼がいった駄洒落。「高校生が徹夜で受験勉強をしながら喰うのが、インスタント・ラーメン。エッチな深夜放送に刺激されてマスターベーションをして出てくるのがインスタント・ザーメン」  日本の喜劇界は秀れたギャグマンを失ってしまった。         ☆  岡晴夫が死んだ。昭和四十五年五月十九日、五十三歳。 ※[#歌記号、unicode303d]晴れた空ァ そよぐ風ェ  僕達は「オカッパル」と呼んで、彼のマドロス姿に、憧れのハワイを思い浮かべたものだった。  それにしても、マドロス姿になれば売り出せるという時代があったんですからね。         ☆  明治七年生まれの喜多六平太が死んだ。九十八歳。  ロッペータはオランダ語で財布のこととか。明治初年、能楽師が貧しさのどん底にいた時に生まれたからである。         ☆  市川寿海が死んだ。その舞台のみずみずしさ、声の張り、とても八十四歳には思えない。  芸術院賞を貰って天皇陛下に逢った時に、歌舞伎をみて下さいと直接お願いしたという話が好きだ。         ☆  昭和四十五年十月十四日の朝日新聞は、二億円余の宝石を盗まれたソフィア・ローレンと旅役者中村福太郎の淋しい死を並べて記事にした。中村福太郎、その実力を認められながら門閥に泣いて旅役者に終ってしまった。  歌舞伎大部屋の悲劇がある限り、歌舞伎は安泰であるといえる。         ☆ 「芸人が後めたいのは死ぬ役をやっても本当に死なないからだ」  そういっていた三島由紀夫が死んだ。  そして後めたさのない芸人になった。         ☆  ベートーベンのデスマスクは有名だし、生前にも多くの肖像画家が彼をモデルにしているが、当人が気にいったものはひとつもなかったという。日本ではデスマスクはないが「死絵」というのがあり、人気役者が死ぬと売り出された。  八代目団十郎の場合、百二十種以上も出ている。         ☆  文楽の竹本春子大夫が舞台で浄瑠璃をうなっている間に倒れたが、隣にいた三味線の勝太郎はそのことに気がついていなかったという。         ☆  一人の芸人が死んで、その芸を失ってしまうことは僕達の損失である。 「俺は俺の芸を誰にもやらねェで、あの世へ持っていっちまうんだ、ざまァみやがれ」 「おい、俺が死んだらどうするんだ、早くおぼえなきゃァ駄目じゃないか」  老芸人にはこの二ツのタイプがある。  そこへ行くと、テレビに出ている人達の芸は死んでも平気だネ。  お米も余ってるけど、下手な芸も余っているわけだ。         ☆ 「もし、ろれつでも回らねェようになったら自殺しちゃうからそう思え」といっていた古今亭志ん生の最近の言葉。 「煙みてェに、スーッとなくなっちまおうと思っています」         ☆  八十八歳のストラビンスキーが世を去ったが、八十五歳の久松喜代子は、まだまだ舞台を踏んでいる。  さすがに八十歳台のストリッパーはいない。  七十歳台もいない。六十歳台も無理だ。  しかし、五十歳台ならいるぞォ! [#改ページ] [#小見出し] お わ り に         ☆ 「私にとってすべてが来週からなの、来週になったら、ものを書こう、何をしよう。こうして、きっと生きるのも死ぬのもすべて来週なのね」 [#地付き]キャンディス・バーゲン         ☆  キャンディス・バーゲンのように、僕も週単位に生活するようになって二十二年経ってしまった。  高校生の時に「日曜娯楽版」に葉書で投書をして以来、考えてみると葉書で書けるような短文しか書いていない。  しかも、創作ではなくて蒐集であり、早い話がコソ泥である。         ☆  エピソードを盗ませて下さった皆様に心からのお詫びを!   昭和46年初夏 [#地付き]永 六輔 [#改ページ]  参 考 資 料 日本演劇の説        伊井蓉峰          聚芳閣 現代テレビ講座       飯島正・他編     ダヴィッド社 演劇と犯罪         飯塚友一郎         武侠社 山口組三代目        飯干晃一         徳間書店 日本文化史         家永三郎         岩波書店 名誉とプライバシー     五十嵐清・田宮 裕     有斐閣 三代目吉田奈良丸脚本集   井川清編       奈良丸興行社 芸文散歩          池田弥三郎         桃源社 塵々集           〃             雪華社 日本芸能伝承論       〃           中央公論社 江戸時代の芸能       〃             至文堂 銀座十二章         〃           朝日新聞社 芸能            〃           岩崎美術社 講座・日本民俗史      池田弥三郎・他    河出書房新社 江戸と上方         池田弥三郎・林辰三郎編   至文堂 女紋            池田蘭子         河出書房 石井漠とささら踊り     池田林儀      生活記録研究所 五代目菊五郎自伝      伊坂梅雪編         先進社 をどるばか         石井 漠      産業経済新聞社 欲望の戦後史        石川弘義          講談社 バケのかわ         石川雅章         久保書店 松旭斎天勝         〃             雪華社 旦那の遠めがね       石黒敬七       日本出版協同 新劇の誕生         石沢秀二       紀伊国屋書店 乞食裏譚          石角春之助         文人社 楽屋裏譚          〃              〃 はだか読本         石田一松編        妙義出版 明治変態風俗史       石田龍蔵          宏元社 奇術五十年         石田天海        朝日新聞社 文芸倶楽部         石橋助三郎編        博文館 国立劇場          石原重雄          桜楓社 人形芝居の研究       石割松太郎         修文館 劇談抄           〃              〃 女優情史          石上欣也          日月社 人をドッと笑わせる秘術   泉 和助        日本文芸社 ドレミファ交遊録      いずみたく       朝日新聞社 裸にした映画女優      泉沢悟朗      日本映画研究社 ヨーロッパ退屈日記     伊丹十三         文藝春秋 静臥後記          伊丹万作          大雅堂 猿之助随筆         市川猿之助        日本書荘 続吉原史話         市川小太夫      邦楽と舞踊社 成城町二七一番地      市川 崑・和田夏十    白樺書房 九代目市川団十郎      市川三升         推古書院 歌舞伎紀行         市川左団次         平凡社 寿の字海老         市川寿海          展望社 中車芸話          市川中車         築地書店 七世市川団蔵        八世市川団蔵        求龍堂 随筆・浅草         一瀬直行         世界文庫 宝塚歌劇五十年史      市橋浩二編       宝塚歌劇団 生きている貞丈       一竜斎貞花         非売品 話の味覚          一竜斎貞鳳         桃源社 講談師ただいま二十四人   〃           朝日新聞社 痴遊随筆思いでのままに   伊藤痴遊          一誠社 ミュージック専科      伊藤レイ子         明光社 大根役者・初代文句いうの助 伊藤雄之助        朝日書院 流行歌           絲屋寿雄         三一書房 やくざ学入門        井出英雅         北明書房 やくざ覚え書        〃            東都書房 ぐれん隊史         〃             青樹社 髪と女優          伊奈もと        日本週報社 ひげとちょんまげ      稲垣 浩        毎日新聞社 明治史話          井上精二編     明治大正史談会 化け損ねた狸        井上正夫          右文社 なつかしい歌の物語     猪間驥一        音楽之友社 演劇談義          伊原青々園        岡倉書房 日本音楽史         伊庭 孝        音楽之友社 日本新劇小史        茨木 憲          未来社 今昔流行唄物語       今西吉雄         東光書院 サヨナラだけが人生だ    今村昌平編      ノーベル書房 落語の世界         今村信雄          青蛙房 落語全集          〃             金園社 病理集団の構造       岩井弘融         誠信書房 根岸寛一          岩崎昶編     根岸寛一伝刊行会 人物にっぽん音楽誌     岩崎呉夫          七曜社 草の葉雑記         岩崎善郎          創元社 歓楽郷ラスベガス      E・リード O・デマリス  弘文堂 大衆            E・オッファー    紀伊国屋書店 カラヤン          E・H・ホイサーマン  猿田悳・訳                           東京創元社 浪曲十八番集        浪曲研究普及会      魚住書店 明治大正の文化(「太陽」増刊)             博文館 テレビ台本作法       R・S・グリーン   ダヴィッド社 浪曲旅芸人         梅中軒鶯童         青蛙房 おとなの歌集        はかま満緒       青春出版社 お前はただの現在にすぎない 萩元晴彦・他       田畑書店 映画五十年史        筈見恒夫          鱒書房 芸道三十年         長谷川一夫       万里閣新社 丸長おぼろ漫筆       長谷川鏡次         創美社 味の芸談          長谷川幸延         鶴書房 寄席行燈          〃              〃 小説・桂春団次       〃             講談社 笑説・法善寺の人々     〃           東京文芸社 花咲く舞台         〃             同光社 泣き笑い人生        〃           東京文芸社 新・おんながた考      〃           読売新聞社 大阪歳時記         〃            〃   三亀松さのさ話       〃            日芸出版 働くをんな         長谷川時雨      実業之日本社 私眼抄           長谷川 伸       人物往来社 女形の研究         長谷川善雄      立命館出版部 喜劇人回り舞台       旗 一兵         学風書院 変態演劇雑考        畑 耕一      文芸資料研究会 戯場壁談義         〃             奎運社 新丸の内夜話        秦 豊吉        小説朝日社 芸人            〃             鱒書房 三菱物語          〃             要書房 離れ座敷          〃              〃 日劇ショウより帝劇ミュージカルスまで               秦 豊吉          非売品 宝塚と日劇         〃           いとう書房 劇場二十年         秦 豊吉        朝日新聞社 ガンマ線の臨終       八田元夫          未来社 支那劇と其名優       波多野乾一         文行社 歌舞伎成立の研究      服部幸雄         風間書房 世界民謡集         服部竜太郎     社会思想研究会 世界名演奏家事典      〃          〃     唄に生き味に生き      〃           朝日新聞社 世界民謡集         〃            〃   東京歌舞伎散歩       羽鳥昇平        読売新聞社 遊芸稼人          花菱アチャコ      アート出版 いろはにほへと       花田清輝          未来社 乱世今昔談         〃              〃 俳優修業          〃             講談社 鶯亭金升日記        花柳寿太郎・小島二朔編 演劇出版社 きもの           花柳章太郎        二見書房 役者馬鹿          〃            三月書房 紅皿かけ皿         〃             双雅房 がくや絣          〃            美和書院 わたしのたんす       〃            三月書房 雪下駄           〃             開明社 あさき幕          〃            武蔵書房 技道遍路          〃            二見書房 カメラとマイク       羽仁 進        中央公論社 明治の東京         馬場孤蝶        中央公論社 武者修業世界をゆく     早川雪洲       実業之日本社 死滅への出発        林 光          三一書房 女優記           林芙美子          日本社 新芸者論          林田雲梯          建之社 歌舞伎以前         林屋辰三郎        岩波書店 歴史・京都・芸能      〃           朝日新聞社 日本文化事物起原考     速水建夫        鷺の宮書房 三つの椅子         原 清           牧羊社 シューマン歌曲集      原 隆吉編         好楽社 現代プロレス快豪伝     原 康史         双葉新書 日本の歌をもとめて     原 太郎          未来社 伴淳放浪記         伴淳三郎        しなの出版 ビートルズ         ハンター・デイヴィス               小笠原豊樹 中田耕治・訳  草思社 戯場戯語          坂東三津五郎      中央公論社 言わでもの言        〃           文化出版局 聞きかじり・見かじり・読みかじり               坂東三津五郎       三月書房 芸のこころ         坂東三津五郎・安藤鶴夫                          日本ソノ書房 少女歌劇物語        西岡 浩         南風書房 絵本・落語長屋       西川清之          青蛙房 酔うて候          西崎 緑       ダヴィッド社 逸話三六五日        西元 篤          創元社 家元ものがたり       西山松之助     産業経済新聞社 名人            〃            角川書店 市川団十郎         〃           吉川弘文堂 芸の顔           〃            秀英出版 演劇明暗          西村晋一         沙羅書房 演劇年鑑          日本演劇協会監修 中央公論事業出版 信託者名簿         日本音楽著作権協会資料部                       日本音楽著作権協会 写真・近代芸能史      日本近代史研究会      創元社 私の履歴書         日本経済新聞社   日本経済新聞社 演劇年鑑(一九二五)    日本年鑑協会編       二松堂 全国芸能資料        日本放送協会芸能局  日本放送協会 日本放送史         日本放送協会放送史編修室                        日本放送出版協会 放送夜話          日本放送協会    〃      続放送夜話         〃         〃      ドキュメンタリー明治百年  NHK特別取材班  〃      NHK放送劇選集      日本放送協会編  日本放送出版協会 放送年鑑(一九六五)    日本放送作家協会 日本放送作家協会 放送作家          〃         〃      1963放送作家      日本放送作家協会 日本放送出版協会 台本浪曲百選集       日本浪曲研究会編   東京八こう社 歌舞伎逸話         法月歌客          信正堂 歌舞伎ソヴェートを行く   訪ソ歌舞伎団編     演劇出版社 宝生新自伝         宝生 新         能楽書林 炉ばたの話         北条秀司          雪華社 富崎春昇          〃           演劇出版社 ご両人登場         細野邦彦編       広済堂出版 俳優への道         穂積純太郎   未来プロモーション 壮士一代          穂積 驚        東京文芸社 侠花録           保良保之助        桃園書房 ヂンタ以来         堀内敬三        アオイ書房 音楽五十年史        〃             鱒書房 音楽明治百年史       〃           音楽之友社 日本の軍歌         〃          実業之日本社 音楽辞典(人名編)     堀内敬三・野村芳雄編  音楽之友社 日本唱歌集         堀内敬三・井上武士    岩波書店 小山内薫          堀川寛一         桃蹊書房 民俗芸能          本間安次・他       河出書房 サラ・ベルナールの一生   本庄桂輔         角川書店 情況と演劇         程島武夫         社会新報 ビャーと集まれ       土居まさる         海潮社 芝居名所一幕見       戸板康二          白水社 演芸画報・人物誌      〃             青蛙房 歌舞伎十八番        〃           中央公論社 女優の愛と死        〃          河出書房新社 百人の舞台俳優       〃             淡交社 演劇人の横顔        〃             白水社 六代目菊五郎        〃           演劇出版社 芝居国風土記        〃             青蛙房 歌舞伎全書         〃             創元社 日本の俳優         〃              〃 今日の歌舞伎        〃              〃 歌舞伎人物入門       〃            池田書店 対談・日本新劇史      戸板康二編         青蛙房 演劇五十年         戸板康二        時事通信社 素顔の演劇人        〃             白水社 劇場歳時記         〃           読売新聞社 歌舞伎           戸板康二・郡司正勝                        日本放送出版協会 わが人物手帳        戸板康二          白鳳社 久保田万太郎        〃            文藝春秋 夜ふけのカルタ       〃            三月書房 歌舞伎名作選        戸板康二編       東京創元社 祭りからの脱出       戸井田道三        三一書房 私の人生劇場        東京新聞社        現代書房 芸に生きる         東京新聞社文化部   実業之日本社 芸談            〃             東和社 落語事典          東大落語会編        青蛙房 三遊亭小円朝集       〃              〃 私の俳優修業        東野英治郎         未来社 東宝三十年史        東宝三十年史編纂委員会    東宝 解説・日本史史料集     東北史学会        中教出版 南座            堂本寒星         文献書院 上方演劇史         〃             春陽堂 上方芸能の研究       〃            河原書店 男色演劇史         堂本正樹        薔薇十字社 昭和史           遠山茂樹・他       岩波書店 舞台照明五十年       遠山静雄         相模書房 東和の四十年        東和映画         東和映画 戦後風俗史         戸川猪佐武         雪華社 昭和現代史         〃             光文社 サーカスの風        戸川幸夫         角川書店 明治大正史         土岐善麿編       朝日新聞社 近代女性史㈯芸能      土岐迪子     鹿島研究所出版局 花形稼業入門        徳川夢声      ダイヤモンド社 夢声戦争日記        〃           中央公論社 明治は遠くなりにけり    〃            早川書房 よき友よき時代       徳川夢声         早川書房 一等国にっぽん       〃             〃  守るも攻めるも       〃             〃  にっぽん好日        〃             〃  夢声半代記         〃           資文堂書店 夢声身の上ばなし      〃            早川書房 話術            〃             白揚社 放送話術二十七年      〃              〃 雑記雑俳二十五年      〃           オリオン社 夢声漫筆・大正篇      〃            早川書房 問答有用          〃           朝日新聞社 銭と共に老いぬ       〃             新銭社 夢声随筆          〃            河出書房 お茶漬哲学         〃            文藝春秋 閑散無雙          〃           アオイ書房 受難の芸術         徳田一穏          豊国社 三文役者のニッポン日記   殿山泰司         三一書房 行為と芸術         富岡多恵子       美術出版社 福沢文選          富田正文・宮崎友愛    岩波書店 近代世態風俗誌       豊泉益三   近代世態風俗史刊行会 呂昇            豊竹呂昇          盛文館 もう一つ別の広場      TBSパックインミュージック                            制作班編                           ブロンズ社 映画人           豊永寿人        小壺天書房 近松門左衛門        近松研究会     東京大学出版会 世界ノンフィクション全集  筑摩書房編集部      筑摩書房 台本浪曲百選集       日本浪曲研究会編   東京八こう社 秀十郎夜話         千谷道雄         文藝春秋 裏方物語          〃            早川書房 吉右衛門の回想       〃             木耳社 文楽聞書          茶谷半次郎        金田書房 文楽            〃             創元社 芸と文学          〃            全国書房 民間放送史         中部日本放送編       四季社 日本事物史         チェンバレン       東洋文庫 独身送別会         チャエフスキー   社会思想研究会 チャップリン自伝      チャールズ・チャップリン  新潮社 チャップリン        G・サドゥール      岩波書店 わが父チャップリン     チャップリン・ジュニア   恒文社 日本の百年         笠信太郎編       社会思想社 ブルースの魂        リロイ・ジョーンズ   音楽之友社 舞台・岡本綺堂追悼号    額田六福編         舞台社 サッチモ          ルイ・アームストロング               鈴木道子訳       音楽之友社 雅楽            多 忠竜         六興出版 スターと日本映画      若槻 繁         三一書房 俳優講座          若月 高編      東京俳優学校 相撲今むかし        和歌森太郎      河出書房新社 芸能と文学         和歌森太郎・他       弘文堂 日本民俗史         和歌森太郎        筑摩書房 若手歌舞伎俳優論      和角 仁         新読書社 新劇ハイライト       早稲田大学演劇研究会  新興出版社 演劇学           早稲田大学演劇学会 京おとこ          渡辺喜恵子     アルプス出版社 落語の研究         渡辺 均        駸々堂書店 ぼく自身のためのジャズ   渡辺貞夫        荒地出版社 歌舞伎に女優を       渡辺 保          牧書店 新浪花節全集        渡辺忠正編         東光堂 落語の鑑賞         渡辺 均       大阪新興出版 放送ばなし         和田信賢      青山書店出版部 香具師奥義書        和田信義        文芸市場社 謡曲物語          和田万吉          冨山房 明治文化史         開国百年記念文化事業会   洋々社 上方ヌード盛衰記      改田博三        みるめ書房 舞踏の美          海藤 守         徳間書店 ある女形の一生       加賀山直三         創元社 八人の歌舞伎役者      加賀山直三編        青蛙房 笑根系図          花月亭久里丸        非売品 すかたん名物男       〃             杉書店 寄席楽屋事典        〃            渡辺力蔵 日本史小年表        笠原一男編     東京大学出版会 体験的放送論        春日由三     日本放送出版協会 アンテナは花ざかり     春日由三編         鱒書房 軍歌と日本人        加太こうじ        徳間書店 賛歌百年          加太こうじ・他    コダマプレス 国定忠治・猿飛佐助・鞍馬天狗               加太こうじ        三一書房 落語            〃         社会思想研究会 日本のやくざ        〃            大和書房 街の芸術論         〃           社会思想社 小ばなし歳時記       〃            立風書房 流行歌の秘密        加太こうじ・佃 実夫編  文和書房 ぼくはプレスリーが大好き  片岡義男         三一書房 十一世仁左衛門       片岡千代之助編      和敬書店 評伝・三波春夫       片柳忠男        オリオン社 創意の人          〃            〃   あばらかべっそん      桂 文楽          青蛙房 米朝上方落語選       桂 米朝         立風書房 赤えんぴつ         加藤康司          虎書房 南の島に雪が降る      加東大介         文藝春秋 みの助の思い出       加東康一  加東みの助年忌発起人会 見世物からテレビへ     加藤秀俊         岩波書店 大衆芸術家の肖像      〃             講談社 都市と娯楽         〃           鹿島出版会 明治大正世相史       加藤秀俊・他      社会思想社 世界の人間像        角川書店編集部      角川書店 放送文化小史・年表     金沢覚太郎     岩崎放送出版社 素っ裸人生         金川文楽         金剛出版 俳優の周辺         金沢康隆        演劇出版社 市川団十郎         〃             青蛙房 演芸問答五百題       兼子伴雨        いろは書房 絶望の精神史        金子光晴          光文社 ヨーデル入門        樺山武弘・他        朋文堂 褪春記           鏑木清方          双雅房 日本の恋唄         上 笙一郎        三一書房 上方            上方郷土研究会       創元社 上方落語おもろい集     上方落語協会編     新風出版社 日本の流行歌        上山敬三         早川書房 都々逸・下町        亀屋忠兵衛          産報 腰巻お仙          唐 十郎        現代思潮社 日本人の履歴書       唐沢富太郎       読売新聞社 女形            河合武雄          双雅房 月曜ジャーナル       河上英一         学風書院 音楽の裏窓         河上徹太郎         鱒書房 役者            川口松太郎         新潮社 江戸風物誌         川崎房五郎         桃源社 江戸八百八町        〃              〃 拳闘秘話          川島 清          大誠堂 日本演劇百年のあゆみ    川島順平          評論社 名優芸談          川尻清潭編       中央公論社 楽屋風呂          川尻清潭        中央美術社 〃             〃            梨の花会 菊五郎百話         〃             右文社 俳優通           川尻清潭・浜村米蔵    四六書院 人形劇ノート        川尻泰司       紀伊国屋書店 芸能辞典          河竹繁俊          東京堂 日本演劇文化史話      〃             新樹社 日本演劇とともに      〃            東都書房 日本演劇通史        〃             創元社 日本演劇全史        〃            岩波書店 歌舞伎演出の研究      〃            早川書房 逍遙、抱月、須磨子の悲劇  〃           毎日新聞社 河竹黙阿弥         〃             創元社 河竹黙阿弥         〃           吉川弘文館 日本演劇図録        〃           朝日新聞社 歌舞伎百題         〃             青蛙房 牛歩七十年         河竹繁俊          新樹社 歌舞伎名優伝        〃             修道社 歌舞伎名場面名台詞     河竹登志夫        秋田書店 文芸                         河出書房 河原なでしこ        河原崎国太郎        理論社 勧進帳           河原崎長十郎       角川書店 能と狂言          横道万里雄・増田正造   大同書院 維新の逸話         横瀬夜雨        人物往来社 松竹の内幕         横溝竜彦          兼信社 エンタツ僕は探偵      横山エンタツ      八千代書院 日本の下層社会       横山源之助        岩波書店 松のや露八         吉川英治          同光社 邦楽と人生         吉川英史          創元社 芸の心まことの心      吉住小くに ポロプドウル文化研究会 芸の心           吉住慈恭        毎日新聞社 歌舞伎座          吉田暎二      歌舞伎座出版部 築地小劇場の時代      吉田謙吉        八重岳書房 芸能落書          吉田貞澄      神戸芸能同好会 かみがた漫才太平記     吉田留三郎        三和図書 文五郎芸談         吉田文五郎        桜井書店 あの人この人        吉村公三郎     協同企画出版局 週刊読売                      読売新聞社 三浦環のお蝶夫人      吉本明光        音楽之友社 私の見た人         吉屋信子        朝日新聞社 劇団覗機関         吉原東一郎      日刊スポーツ 日本童謡集         与田準一         岩波書店 溝口健二の人と芸術     依田義賢        映画芸術社 日本歌曲のすべて      四家文子          創彩社 サヨナラ・サヨナラ・サヨナラ               淀川長治       朝日ソノラマ 淀長映画館         〃           朝日新聞社 映画によるもう一つの戦後論 第三映画の友       那須書店 フォークは未来をひらく   高石友也・岡林信康・中川五郎                            社会新報 照葉始末記         高岡辰子        万里閣書房 宝塚花物語         高木史朗         秋田書店 ぼくの音楽論        高木東六     日本放送出版協会 歌舞伎屋漫談        高坂金次郎        歌舞伎屋 人気役者の戸籍調べ     高沢初風          文星社 NHK王国         高瀬広居          講談社 冬鶴春鶴          高田浩吉         平凡出版 校歌寮歌全集        高田三九三     共同音楽出版社 人情馬鹿          高田 保          創元社 ブラリひょうたん      〃              〃 オッペケペからフォークまで 高田光夫         宇野書店 流行歌三代物語       高橋掬太郎        学風書院 しねま抄          高橋 晋        笑いの泉社 黄土花           高野金太郎        自費出版 流行歌でつづる日本現代史  高橋碩一        音楽評論社 沸る            高橋とよ         東峰出版 東京故事物語        高橋義孝編        河出書房 浅草            高見 順編         英宝社 日本舞台装置史       高谷 伸       舞台すがた社 明治演劇史伝        〃             建設社 評判ラジオ講談集      宝井馬琴        国民出版会 往年のスターたち      滝川和巳         三田書房 岡鬼太郎伝         竹下英一          青蛙房 歌舞伎の黎明        武智鉄二          青泉社 武智歌舞伎         〃            文藝春秋 私の芸術 人生 女性    〃          ノーベル書房 かりの翅          〃            学藝書林 私の演劇論争        〃            筑摩書房 伝統演劇の発想       〃            芳賀書店 伝統と断絶         〃             風濤社 舞台裏の現代史       竹島 茂         三一書房 呼び屋           竹中 労          弘文堂 美空ひばり         〃              〃 タレント帝国        〃            現代書房 芸能界をあばく       〃         日新報道出版部 くたばれ!スター野郎    〃            秋田書店 スター36人斬り       竹中 労       ホリデー新書 エライ人を斬る       〃            三一書房 マスコミの世界       竹村健一       誠文堂新光社 でんでん虫         竹本綱大夫        布井書房 芸談かたつむり       〃             〃  左団次芸談         田島 淳          南光社 映画道漫談         立花高四郎       無名出版社 ジャズへの愛着       立花 実       ジャズ批評社 てんてん人生        橘屋円蔵          木耳社 プロレス黄金時代の栄光と暗黒               田鶴浜弘          恒文社 大大阪と文化        伊達俊光        金尾文淵堂 方庵随筆          立岩 茂   そうびエージェンシー からくり          立川昭二      法政大学出版局 中国講談選         立間祥介          平凡社 らくだ・源平盛衰記     立川談志      協同企画出版部 笑点            〃            有紀書房 あらイヤーンナイト     〃             〃  勝手にしやがれ       〃             桃源社 現代落語論         〃            三一書房 邦楽手帳          館野善二         真珠書院 映画演技読本        田中栄三        映画世界社 明治大正新劇史資料     〃           演劇出版社 新劇その昔         〃            文藝春秋 一粒の籾          田中義一      全音楽譜出版社 かぶりつき人生       田中小実昌        三一書房 かぶりつきバカ       〃            立風書房 日本映画発達史       田中純一郎       中央公論社 宣伝ここに妙手あり     〃             四季社 謡曲狂言歌舞伎集      田中千禾夫      河出書房新社 新劇辞典          〃             弘文堂 東京人           田中義郎         早川書房 新橋生活四〇年       田中家千穂        学風書院 講談研究          田辺南鶴 明治音楽物語        田辺尚雄          青蛙房 日本の楽器         〃             創思社 日本の音楽         〃         全音楽譜出版社 日本音楽概論        〃           音楽之友社 楽器            〃          ダヴィッド社 音楽粋史          〃      日本出版協同株式会社 俳優            田辺若男          春秋社 小説宝塚          玉井和美          悠元社 音楽で生活を楽しく     玉岡 忍         同文書院 おとぼけ一代        玉川良一        日本文芸社 日本映画盛衰記       玉木潤一郎         万里閣 講談西遊記         玉田玉秀斎       岡本増進堂 世直し           田村栄太郎         雄山閣 浅草吉原隅田川       田村栄太郎         雄山閣 やくざ考          〃              〃 やくざの生活        〃              〃 無線電話          田村成義          玄文社 今晩お願い         丹下キヨ子         光文社 なつかしの鉄道唱歌     大悟法利雄         講談社 かん※[#「う」に濁点、unicode3094]あせいしょんたいむ  團 伊玖磨       音楽之友社 ダークの世界よちよち歩き  ダークダックス     音楽之友社 現代テレビ講座                  ダヴィッド社 相撲五十年         相馬 基        時事通信社 義太夫盛衰論        副島八十六     大日本浄曲協会 浅草底流記         添田※[#「口+亞」、unicode555e]※[#「虫+單」、unicode87ec]坊        倉持書館 日本春歌考         添田知道          光文社 演歌の明治大正史      〃            岩波書店 香具師の生活        〃             雄山閣 十五年の足跡        曾我廼家五郎        双雅房 曾我廼家五郎自伝喜劇一代男 〃            大毎書房 芸に生き、愛に生き     曾我廼家桃蝶       六芸書房 日本民衆歌謡史考      園部三郎        朝日新聞社 演歌からジャズへの日本史  〃             和光社 日本の子どもの歌      園部三郎・山住正己    岩波書店 未解放部落         塚原美村          雄山閣 浄瑠璃           塚本哲三編       有朋堂書店 演劇            津島寿一        芳塘刊行会 わがページェント劇     坪内逍遙          国本社 歌舞伎画証史話       〃             東京堂 それからそれ        〃          実業之日本社 日本の大衆芸術       鶴見俊輔・加太こうじ他                      社会思想研究会出版部 日本の百年         鶴見俊輔・他       筑摩書房 限界芸術論         鶴見俊輔         勁草書房 ゴシップ10年        内外タイムス文化部    三一書房 明治再見          中尾喜道・草柳大蔵                       東京中日新聞出版局 浪花節発達史        中川明徳      日本コロムビア 踊らんかな! 人生     中川三郎        学習研究社 ランカイ屋一代       中川童二          講談社 昭和時代          中島健蔵         岩波書店 天田愚庵の世界       中柴光泰・斎藤卓児編                      天田愚庵の世界刊行会 ギャングの季節       中野五郎          四季社 愛人の記          中村翫右衛門       三一書房 芸話おもちゃ箱       〃           朝日新聞社 歌右衛門自伝        中村歌右衛門        秋豊園 鴈次郎自伝         中村鴈次郎     大阪毎日新聞社 吉右衛門日記        中村吉右衛門      演劇出版社 吉右衛門自伝        〃             啓明社 演劇独語          中村吉蔵         東苑書房 現代演劇論         〃             豊国社 随筆集・芝居        中村義一        大河内書店 役者の世界         中村芝鶴          木耳社 大文字草          〃            東京書房 中村芝鶴随筆集       〃            日本出版 かぶき随筆         〃             高風館 歌舞伎の幻         中村哲郎          前衛社 日本想芸史         中村直勝          学生社 日本芸能小史        〃             浪速社 手前味噌          中村仲蔵         北光書房 マリリン・モンロー     中田耕治       ソノブックス 日本の児童遊戯       中田幸平        社会思想社 喜劇の王様たち       中原弓彦         校倉書房 笑殺の美学         〃             大光社 多情菩薩          中山喜代三        学風書院 三遊亭円朝         永井哲夫          青蛙房 市川子団次         〃              〃 終戦っ子          永田時雄       誠文堂新光社 映画道まっしぐら      永田雅一        駿河台書房 著作権で損をするな     長野伝蔵       新興楽譜出版 ニューフェイス       中目順子         学風書院 水のように         浪花千栄子        六芸書房 天保六佳選         浪上義三郎         博陽社 人形劇入門         南江治郎          保育社 生きてるジャズ史      並河 亮          朋文堂 現代テレビ講座       並河亮編       ダヴィッド社 日本の大衆演劇       向井爽也         東峰出版 スポーツへの誘惑      虫明亜呂無        珊瑚書房 音楽とは何か        宗像喜代次・河野保雄   垂水書房 梢風名勝負物語       村松梢風        読売新聞社 川上音二郎         〃          太平洋出版社 松竹兄弟物語        〃           毎日新聞社 明治大正実話全集      〃             平凡社 演劇的自叙伝        村山知義         東邦出版 上方落語考         宇井無愁          青蛙房 日本人の笑い        〃            角川書店 俳人山頭火         上田都史          潮文社 人間尾崎放哉        〃              〃 大阪の夏祭         上田長太郎     上方郷土研究会 起源と珍聞         植原路郎       実業之日本社 五木の子守唄ノート     上村てる緒   人吉児童文化研究会 曾我廼家五郎自伝      上田芝有編        大毎書房 虚彦映画譜五十年      牛原虚彦         鏡浦書房 日本芸能叙説        臼田甚五郎      新人物往来社 映画監督五十年       内田吐夢         三一書房 ミュージカル        内村直也        音楽之友社 テレビドラマ入門      〃             宝文館 新しいドラマトゥルギー   〃             白水社 現代の演劇         内村直也・坂本朝一・監修 三笠書房 明治はいから物語      内山惣十郎       人物往来社 オペラ序曲         〃           東京新聞社 浅草オペラの生活      〃             雄山閣 紙芝居精義         内山憲尚         東洋図書 文楽盛衰記         内海繁太郎        新読書社 役者            宇野信夫         北光書房 歌舞伎役者         〃             青蛙房 むかしの空の美しく     〃              〃 新劇・愉し哀し       宇野重吉          理論社 劇界へへののもへじ     梅島 昇          宝文館 万三郎芸談         梅若万三郎         積善館 芸界歳時記         浦野富三          有厚社 映画わずらい        浦辺粂子・菅井一郎・河津清三郎                            六芸書房 世界の名優         F・ヴァンチーゲム     白水社 浅草            野一色幹夫        富士書房 浅草紳士録         〃             朋文堂 愛と死の歌         野上 彰         角川書店 兼資芸談          野口兼資        わんや書店 歌舞伎           野口達二         文藝春秋 能の今昔          野々村戒三         木耳社 ミュージカル入門      野口久光        荒地出版社 風狂の思想         野坂昭如        中央公論社 次郎長           野沢広行         戸田書店 テレビ稼業入門       野末陳平         三一書房 ショパン          野村光一          弘文堂 お雇い外国人        〃           鹿島出版会 楽聖物語          野村あらえびす      角川書店 狂言の路          野村万蔵        わんや書店 テレビ番組論        ノーマン・スワロー 岩崎放送出版社 本朝話人伝         野村無名庵       協栄出版社 侍市川雷蔵その人と芸    ノーベル書房編    ノーベル書房 無手の法悦         大石順教         大蔵出版 ちゃんばら芸術史      大井広介       実業之日本社 永遠の言葉         大内兵衛          平凡社 歌舞伎の素顔        大木 豊          冬樹社 あの舞台この舞台      〃             劇評社 タレントずーむいん     〃            寿満書店 わが芸と金と恋       大蔵 貢         東京書房 大阪弁           大阪ことばの会      杉本書店 百年の大阪         大阪読売新聞編       浪速社 味の伝承          大島建彦        岩崎美術社 新洋楽夜話         大田黒元雄        第一書房 はいから紳士譚       〃           朝日新聞社 私の三好十郎伝       大武正人         永田書房 明治のおもかげ       鶯亭金升         山王書房 鶯亭金升日記        〃           演劇出版社 親鸞聖人御一代記      大富秀賢        永田文昌堂 放送ことば         大西雅雄        東京堂出版 狂乱の一九二〇年代     大原寿人         早川書房 演劇戦線          大平野虹         銀座書房 近代日本戯曲史       大山 功   近代日本戯曲史刊行会 日々願うこと        大矢市次郎        六芸書房 群像断裁          大宅壮一         文藝春秋 炎は流れる         〃             〃  日本歌謡史         丘 灯至夫        弥生書房 歌舞伎眼鏡         岡 鬼太郎        新大衆社 西部劇入門         岡 俊雄編       荒地出版社 タレント性開発入門     岡崎柾男編   未来プロモーション 明治の東京         岡田章雄          桃源社 日本の歴史         岡田章雄・他      読売新聞社 壁画からテレビまで     岡田 晋       三笠図書販売 日本映画の歴史       〃          ダヴィッド社 明治大正女義太夫盛観物語  岡田道一      明徳印刷出版社 十人百話          緒方知三郎他      毎日新聞社 新水や空          岡本一平          先進社 明治の演劇         岡本綺堂          同光社 〃             〃           大東出版社 歌舞伎談義         〃            〃   明治劇談ランプの下にて   〃             青蛙房 岡本綺堂読物選集㈫巷談編  〃              〃 ななめがね         岡本喜八    文化服装学院出版局 原色の呪文         岡本太郎         文藝春秋 神秘日本          〃           中央公論社 日本再発見         〃             新潮社 私の現代芸術        〃              〃 今日をひらく        〃             講談社 現代タレントロジー     岡本 博・福田定良 法政大学出版局 縁でこそあれ        岡本文弥          同成社 文弥芸談          〃              〃 遊里新内考         〃              〃 芸渡世           〃            三月書房 曲芸など          〃             〃  ひそひそばなし       〃             〃  めくらあびん        〃      弘前・緑の笛豆本の会 芸人ふぜい帖        岡本文弥          同成社 特殊部落の解放       岡本 弥       近代工芸資料 映画百年史         荻 昌弘編       ビデオ出版 ジャズ三度笠        奥成 達       アグレマン社 土俵            奥村忠雄         早川書房 日本軍歌集         長田暁二       新興楽譜出版 日本のサーカス       尾崎宏次         三芽書房 演劇はどこにある      〃             〃  坪内逍遙          〃             未来社 女優の系図         〃           朝日新聞社 島村抱月          〃             未来社 戦後演劇の手帳       〃           毎日新聞社 パントマイムの芸術     〃             未来社 ドイツの人形芝居      〃            新大衆社 軟派漫筆          尾崎久弥          春陽堂 大衆文化論         尾崎秀樹         大和書房 戦後生活文化史       尾崎秀樹・山田宗睦     弘文社 大衆文学研究        尾崎秀樹編         南北社 女形今昔譚         尾崎良三         筑摩書房 演出者の手記        小山内 薫       洸林堂書店 旧劇と新劇         〃             玄文社 就眠前           〃           平和出版社 今日の雪          大佛次郎        光風社書店 私は河原乞食・考      小沢昭一         三一書房 新やくざ物語        尾津喜之助        早川書房 明治話題事典        小野秀雄編       東京堂出版 芸             尾上菊五郎         改造社 おどり           〃             時代社 梅の下風          尾上梅幸        演劇出版社 ワカナ一代(おもろい女)  小野田 勇 太陽のピエロ        オレグ・ポポフ      三一書房 日本芸能史六講       折口信夫         三教書院 世界の愛唱歌                    音楽之友社 新ミュージカル読本(ポップス)            〃   LP小辞典                      〃   折口信夫全集        折口博士記念古代研究所編                           中央公論社 新案剣舞指南        恩邦散人        井上一書堂 「いき」の構造       九鬼周造         岩波書店 現代名優身の上話      久佐太郎          博文館 任侠映画の世界       楠本憲吉編       荒地出版社 金丸座           草薙金四郎     香川県教科図書 舞踊の文化史        邦 正美         岩波書店 橘や            邦枝完二          硯友社 名人松助芸談        〃            興亜書院 市川独歩録         〃             聚芳閣 中村鴈治郎         〃             雁文庫 劇壇独歩録         邦枝完二          聚芳閣 舞台八十年         邦枝完二編        大森書房 駄々ッ子人生        国井紫香         妙義出版 小山内薫          久保 栄         文藝春秋 芝居修行          久保田万太郎     三田文学出版 むかしの仲間        〃           中央公論社 世界の賭けごと       倉茂貞助      東洋経済新報社 演出のしかた        倉橋 健          三省堂 相撲百話          栗島狭衣        朝日新聞社 映画スキャンダル五十年史  クリタ・信 小野好雄  文芸評論社 芸談百話          黒崎貞次郎         博文館 郷土芸能          郡司正勝         創元新社 かぶきの発想        〃             弘文堂 かぶき           〃            学藝書林 かぶき袋          〃             青蛙房 かぶき入門         〃           社会思想社 地芝居と民俗        〃          民俗民芸双書 笑いの科学         桑山善之助         同成社 魅力ある話し方       八木治郎       実業之日本社 遊びの論          安田 武         永田書房 江戸から東京へ       矢田挿雲         芳賀書店 文五郎一代         梁 雅子        朝日新聞社 新派の六十年        柳永二郎         河出書房 絵番付新派劇談       柳永二郎          青蛙房 宝生九郎伝         柳沢英樹        わんや書店 明治の書物明治の人     柳田 泉          桃源社 日本の祭          柳田国男          弘文堂 話のジェスチャー      柳家金語楼         冬樹社 泣き笑い五十年       〃            東都書房 あまたれ人生        〃             冬樹社 漫談的なそして余りに漫談的な人を喰ってる話               柳家金語楼        田中書房 落語の世界         柳家つばめ         講談社 「私は栄ちゃんと呼ばれたい」〃            立風書房 御存じ三亀松色ざんげ    柳屋三亀松         〃  芸者論           矢野恒太          博文館 落語散歩道         矢野誠一      協同企画出版部 落語            〃            三一書房 百八人の侍         八尋不二        朝日新聞社 歴史読本          八尋舜右編       人物往来社 わらべ唄考         藪田義雄        カワイ楽譜 神戸市社会事業史      山上 勲      神戸市史編集室 大阪の芝居         山口広一          輝光堂 大阪の芸と人        〃            布井書房 延若芸話          〃             誠光堂 梅玉芸談          山口広一          誠光堂 陸軍軍楽隊史        山口常光          非売品 世阿弥           山崎正和       河出書房新社 日本の名著・世阿弥     山崎正和編       中央公論社 古川柳名句選        山路閑古         筑摩書房 ふたりの昭和史       山下 肇・加田こうじ   文藝春秋 若き日の狂想曲       山田耕筰          講談社 はるかなり青春のしらべ   〃            長嶋書房 映画テレビ風物誌      山田宗睦         番町書房 野球五十年         大和球士        時事通信社 音楽の歴史         山根銀二         岩波書店 をどるばか         山野辺貴美子      宮坂出版社 カツドウヤ人類学      山本嘉次郎         養徳社 カツドウヤ水路       〃            筑摩書房 カツドウヤ紳士録      〃             講談社 劇評と随筆         山本勝太郎         宝文館 上方今と昔         山本為三郎        文藝春秋 演劇寸史          山本修二         中外書房 明治世相百話        山本笑月         第一書房 鶴によせる日々       山本安英          未来社 素顔            〃            沙羅書店 おりおりのこと       〃             未来社 日本語の発見        山本安英の会編        〃 明治一〇〇年        毎日新聞社         雄山閣 日本人物語         〃           毎日新聞社 ラジオ           〃            〃   十人百話          〃            〃   続・組織暴力の実態     毎日新聞社社会部     〃   上方落語の歴史       前田 勇         杉本書店 大阪弁入門         〃           朝日新聞社 上方演芸辞典        前田 勇編       東京堂出版 近世上方語考        前田 勇         杉本書店 しゃべり屋でござい     前田武彦       コダマプレス 夜のヒットスタジオ     〃          新人物往来社 あーやんなっちゃった    牧 伸二        報知新聞社 楽屋ばしご         牧野五郎三郎 カツドウ屋一代       マキノ雅弘       栄光出版社 川上音二郎         牧村史陽      史陽選集刊行会 円朝            正岡 容         三杏書院 寄席囃子          〃             竜安居 芸能入門選書        〃             新灯社 雲右衛門以後        〃          文林堂双魚房 艶色落語講談鑑賞      〃          あまとりあ社 膝栗毛のできるまで     〃             東光堂 寄席行燈          〃             柳書房 随筆寄席風俗        〃            三杏書院 荷風前後          正岡 容         古賀書店 日本浪曲史         〃             南北社 乞食のナポ         益田喜頓         六芸書房 ぼくは深夜を解放する    桝井論平        ブロンズ社 勝負            升田幸三    サンケイ新聞出版局 わらべうた         町田嘉章・浅野健二    岩波書店 市川左団次         松居桃楼         高橋登美 劇団今昔          松居松翁        中央美術社 風来の記          松尾邦之助       読売新聞社 日本の一〇〇年       松島栄一・監修      〃   忠臣蔵           松島栄一         岩波書店 うたの思想         松永伍一       新人物往来社 金はなくても        松村達雄         未央書房 大阪百年          松村英男編       毎日新聞社 日本新劇史         松本克平         筑摩書房 芸談一世一代        松本幸四郎         石文社 民謡の歴史         松本新八部         雪華社 小説日本芸譚        松本清張          新潮社 殿方草紙          丸木砂土          要書房 わっはっは笑事典      真山恵介         徳間書店 落語学入門         〃           日本文華社 日本中が私の劇場      真山美保         有紀書房 紫の履歴書         丸山明宏          大光社 丸山定夫・役者の一生    丸山定夫遺稿集刊行委員会 ルポ出版 芸能            芸能発行所        芸能学会 芸能入門選書        芸能文化選書刊行会編    新灯社 落語系図          月亭春松        橋本卯三郎 大阪坂口祐三郎       食満南北         食満貞二 作者部屋から        〃             宋栄堂 演劇に生きる        福田和彦         刀江書院 劇場への招待        福田恆存          新潮社 私の演劇教室        〃              〃 日本流行歌年表       福田俊二編         彩工社 芸術と大衆芸能       福田定良         岩波書店 民衆と演芸         〃             〃  歴史家のみた講談の主人公  藤 直幹・原田伴彦    三一書房 桂春団治          富士正晴         河出書房 変態見世物史        藤沢衛彦      工芸資料研究会 明治風俗史         〃            三笠書房 〃             〃             春陽堂 はやり唄変遷史       〃           有隣洞書屋 流行歌百年史        〃           第一出版社 花粉            藤沢恒夫         浪華書房 人生師友          〃             弘文社 タンゴの異邦人       藤沢嵐子        中央公論社 さらば長脇差        富士田元彦        東京書房 歌の中の日本語       藤田圭雄        朝日新聞社 女形の系図         藤田 洋編        新読書社 ドキュメント日本人㈮アウトロウ               藤森栄一・他       学藝書林 流行歌百年史        〃           第一出版社 「おかげまいり」と「ええじゃないか」               藤谷俊雄         岩波書店 あほやなあ         藤山寛美          光文社 なつめろの人々       藤浦 洸        読売新聞社 歌に生き恋に生き      藤原義江         文藝春秋 オペラうらおもて      〃           カワイ楽譜 わが女人抄         舟橋聖一        朝日新聞社 相撲記           〃             創元社 落語名作全集                      普通社 フランキー太陽伝      フランキー堺      報知新聞社 映画に生きた古海卓二の追憶 古海 巨   古海卓二遺作集刊行会 日本人物語         古川哲也・他      毎日新聞社 能の世界          古川 久      社会思想研究会 見世物の歴史        古河三樹          雄山閣 ロッパ自伝         古川緑波 ロッパ食談         〃             創元社 劇書ノート         〃            学風書院 あちゃらか人生       〃           アソカ書房 やむをえぬ事情により    フレッド・フレンドリー  早川書房 読本戦後十年史                    文藝春秋 芝居と映画名優花形大写真帖               講談社 新作落語四〇年傑作集    興津 要        新風出版社 落語明治一〇〇年名演集   〃            〃   落語            〃            角川書店 大正大震災大火災                    講談社 我が心の歌         古賀政男          展望社 丸山遊女と唐紅毛人     古賀十二郎       長崎文献社 今輔・おばあさん衆     古今亭今輔        東峰出版 一〇〇万人の歌集      国際音楽出版社編集部                         国際音楽出版社 なめくじ艦隊        古今亭志ん生        朋文社 びんぼう自慢        〃           毎日新聞社 〃             〃            立風書房 志ん生長屋ばなし      〃             〃  志ん生廓ばなし       〃             〃  漫才世相史         小島貞二        毎日新聞社 落語三百年         〃             〃  高座変人奇人伝       〃            立風書房 三亀松色ざんげ       〃             〃  横綱            〃            ルック社 落語名作全集        〃            立風書房 定本・艶笑落語       小島貞二・能見正比古編   〃  芸業五十年         小島二朔          青蛙房 狂言作者          〃              〃 円朝            小島政二郎         新潮社 悪妻二態          〃             光風社 場末風流          〃              〃 明治の人間         〃             鶴書房 俺伝            〃             南窓社 活動狂時代         児玉数夫         三一書房 郷土舞踊と盆踊       小寺融吉         桃蹊書房 楽我記           小谷省三・桂 米朝   市民新聞社 放送できないテレビの内幕  小中陽太郎       自由国民社 ベートーベエンの人間像   近衛秀麿        音楽之友社 宝塚漫筆          小林一三       実業之日本社 芝居ざんげ         〃         三田文学出版部 うつし絵          小林源次郎        自費出版 わが思い出の楽壇      小松耕輔        音楽之友社 懐しのメロディ       〃            文藝春秋 日本流行歌史                    社会思想社 裸の女神ジプシー・ローズ  近藤啓太郎        文藝春秋 こしかた          近藤乾三        わんや書店 日本芸能史入門       後藤 淑   社会思想研究会出版部 能の形成と世阿弥      〃             木耳社 烙印・芝居茶屋       小宮豊隆          春陽堂 娯楽業者の群        権田保之助      実業之日本社 一人ぼっちの二人      永 六輔        えくらん社 誰かとどこかで       〃             雪華社 一流の三流         〃          サンケイ出版 街・父と子         〃           毎日新聞社 旅・父と子         〃            〃   女・父と子         〃            〃   あの日のあなた       〃             桃源社 芸人 その世界       〃            文藝春秋 わらいえて         〃           朝日新聞社 芸人たちの芸能史      〃            番町書房 極道まんだら        〃            文藝春秋 落語手帳          江國 滋          普通社 落語美学          〃            東京書房 現代たれんと気質      〃            三一書房 絵本落語風土記       〃             青蛙房 スター           江藤文夫        毎日新聞社 見る            〃            三一書房 喜劇放談          榎本健一         明玄書房 喜劇こそわが命       〃           栄光出版社 落語小劇場         榎本滋民         寿満書店 日本風俗史         江馬 務         地人書館 演芸画報          演芸画報社       演芸画報社 俳優鑑           演芸画報社       演芸画報社 芝居名せりふ集       演劇出版社       演劇出版社 現代の舞台俳優       〃            〃   国劇要覧          演劇博物館         梓書房 かわら版明治史       遠藤鎮雄         角川書店 江戸東京風俗誌       遠藤元男編         至文堂 あざやかな女        円地文子          新潮社 女舞            円地文子・秋元松代     講談社 私のおいのりの本                エンデルレ書店 愛の自叙伝         エリザベス・テーラー    恒文社 亡き人のこと        寺島千代・述      演劇出版社 からたちの花        寺崎 浩        読売新聞社 白夜討論          寺山修司          講談社 バーンスタイン物語     デービッド・コーエン  蒿科雅美訳                           音楽之友社 落語芸談(上)       暉峻康隆・桂 文楽・林家正蔵                             三省堂 〃   (下)       暉峻康隆・三遊亭円生・柳家小さん                             三省堂 ポギーとベス        デュ・ボース・ヘイワード                          東京ライフ社 現代ジャスの視点      相倉久人        音楽之友社 一〇〇一夜シカゴ狂想曲   愛知謙三          春陽堂 ひとりだけの歌手      アイ・ジョージ     音楽之友社 東海の大侠次郎長      会田範治       郷土史研究所 興行師           青江 徹          知性社 大日本軍宣撫官       青江舜二郎        芙蓉書房 ざまァみやがれ       青島幸男        青春出版社 ライバル物語        青地 晨         河出書房 ヤクザの世界        青山光二       実業之日本社 雨雀自伝          秋田雨雀         新評論社 放送演芸三〇年       秋田 実      CBCレポート 漫才の笑い         〃          〃     日本の洋楽百年史      秋山 英       第一法規出版 東京っ子          秋山安三郎       朝日新聞社 随筆ひざ小僧        〃             雪華社 ニッポン女傑伝       秋吉 茂          謙光社 私の音楽談義        芥川也寸志       音楽之友社 音楽の現場         〃            〃   決められた以外のせりふ   芥川比呂志         新潮社 ことのはじまり       亜坂卓己         久保書店 女剣劇           浅香光代         学風書院 随筆辞典                      東京堂出版 明治世相編年辞典      朝倉治彦・稲村徹之    〃   見世物研究         朝倉夢声 日本の民謡         浅野健二         岩波書店 関東大震災火災惨状                実業之日本社 私の築地小劇場       浅野時一郎        秀英出版 朝日新聞・社会面で見る世相七十五年               朝日新聞社       朝日新聞社 新・人国記         〃            〃   大阪人           〃            〃   いまに生きるなにわの人びと 〃            〃   一日一文          〃            〃   続・一日一文        〃            〃   東京のうた         〃            〃   東京五百年         朝日新聞社社会部      修道社 昭和史の瞬間        朝日ジャーナル編    朝日新聞社 ここに生きる        朝日ジャーナル編集部    光風社 おやじ           〃            秋田書店 大阪史話          朝日放送編         創元社 大阪の笑い         〃            朝日放送 若草の歌          葦原邦子         刀江書院 ※[#「口+亞」、unicode555e]※[#「虫+單」、unicode87ec]坊流生記        ※[#「口+亞」、unicode555e]※[#「虫+單」、unicode87ec]坊顕彰会                      ※[#「口+亞」、unicode555e]※[#「虫+單」、unicode87ec]坊顕彰会編集委員会 林家正蔵随談        麻生芳伸編         青蛙房 関西おんな         足立巻一         文研出版 芸人風俗姿         足立直郎         学風書院 芝居五十年         渥美清太郎       時事通信社 六代目菊五郎評伝      〃             冨山房 歌舞伎舞踊の変遷      〃             アルス 春日とよ          渥美清太郎編       志のぶ会 寄席fan                   アドポイント社 演劇─なぜ?        アーノルド・ウエスカー               柴田稔彦・中野里皓史・訳 ウェストサイド物語     アーヴィング・シュルマン                          河出書房新社 奇術随筆          阿部徳蔵         人文書院 落語など          阿部洋三編       新風出版社 音楽界実力派        安部 寧        音楽之友社 流行歌の世界        〃            〃   東京の小芝居        阿部優蔵        演劇出版社 わたしの落語        甘木由芽        中央公論社 踊りごよみ         天津乙女     宝塚歌劇団出版部 蓄音機とレコード通     あらえびす        四六書院 日本のレジスタンス     荒垣秀雄       河出書房新社 中世芸能の研究       新井恒易         新読書社 京都史話          荒金喜義          創元社 連舞            有吉佐和子         集英社 地唄            〃             新潮社 出雲の阿国         〃           中央公論社 シャンソンの泉                 ARS音楽出版 野望と幻影の男ハワード・ヒューズ               A・B・ガーバー  ダイヤモンド社 酒・うた・男        淡谷のり子         春陽堂 一期一会          網野 菊          講談社 祗園育ち          安藤孝子         ルック社 落語名作全集        安藤鶴夫 吉川義雄・監修  普通社 まわり舞台         安藤鶴夫          桃源社 雪まろげ          〃              〃 巷談本牧亭         〃              〃 寄席            〃          ダヴィッド社 寄席紳士録         〃            文藝春秋 竹とんぼ          〃           朝日新聞社 百花園にて         〃            三月書房 落語鑑賞          〃             創元社 随筆舞台帖         〃            和敬書店 ある日その人        〃           婦人画報社 おやじの女         〃             青蛙房 古い名刺          〃              〃 落語国・紳士録       〃              〃 芸について         〃              〃 わが落語鑑賞        〃            筑摩書房 わたしの寄席        〃             雪華社 寄席はるあき        〃           東京美術社 舞台人           〃           読売新聞社 雨の日           〃            〃   名作聞書          〃            〃   年年歳歳          〃             求龍堂 わたしの東京        安藤鶴夫          求龍堂 笛の四季          〃            東京美術 安藤鶴夫作品集       〃           朝日新聞社 激励            安藤 昇          双葉社 How to Write Television Comedy Irving settel The writer, Inc. All Hit 1001 songs Associated pub. Cicago ハーロー          I・シュルクマン 平井イサク・訳                            早川書房 あの夢この唄        西条八十    イブニングスター社 唄の自叙伝         〃            小山書店 我愛の記          〃             白鳳社 女妖記           〃           中央公論社 民謡の旅          〃           朝日新聞社 明治奇聞          再生外骨         自費出版 面白半分          〃             文武堂 占領下の日本        斎藤栄三郎       巌南堂書店 近世世相史概観       斎藤隆三          創元社 日本遊戯史         酒井 欣        弘文堂書房 現代ベラボウ紳士録     境田昭造          一水社 趣味馬鹿半代記       酒井徳男         東京文献 安吾巷談          坂口安吾         文藝春秋 猥談            阪田俊夫          弘文社 前進座           阪本徳松          黄土社 演劇コース         佐賀百合人・石沢秀二   徳間書店 たいこもち         桜川忠七          朱雀社 桜間芸話          桜間弓川        わんや書店 風雪新劇志         佐々木孝丸         現代社 大阪労音十五年史      佐々木隆爾        大阪労音 上方落語上・下       佐竹昭広・三田純一編   筑摩書房 日本の芸能         佐藤 薫          創元社 最後の記者馬鹿       佐藤喜一郎       中央公論社 明治の英傑         佐藤紅緑・他      講談倶楽部 レンズからみる日本現代史  佐藤忠男・他      現代思潮社 テレビの思想        佐藤忠男         三一書房 斬られ方の美学       〃            筑摩書房 日本映画思想史       〃            三一書房 日本童謡集         サトウハチロー編    社会思想社 滝廉太郎          属 啓成        音楽之友社 羽左衛門伝説        里見         毎日新聞社 講談五百年         佐野 孝          鶴書房 歌ごよみ一〇〇年史     佐野文哉          光風社 かべす           左本政治         六芸書房 この世に生きた証を     小百合葉子      あすなろ書房 苦闘の跡          沢田正二郎         新作社 貝のうた          沢村貞子          講談社 安来節           山陰文化シリーズ刊行会  今井書店 明治百年にあたって             サンケイ新聞出版局 寄席育ち          三遊亭円生         青蛙房 円朝怪談集         三遊亭円朝        筑摩書房 浮世断語          三遊亭金馬         有信堂 芝居づくり         菊田一夫      オリオン出版社 流れる水のごとく      〃          〃     明治文明綺談        菊池 寛         六興商会 私の映画史         岸 松雄         池田書店 日本映画人伝        〃            早川書房 日本映画様式考       〃            河出書房 モダン流行語辞典      喜多壮一郎監修    実業之日本社 人物日本映画史       〃          ダヴィッド社 演能前後          喜多 実        光風社書店 六平太芸談         喜多六平太         春秋社 十大歌手誕生物語      北 光生         文芸出版 狂言百番          北川忠彦         淡交新社 マキノ光雄         北川鉄夫          汐文社 喜多村緑郎日記       喜多村九寿子編     演劇出版社 嬉遊笑覧          喜多村信節       成光館書店 芸道礼賛          喜多村緑郎        二見書房 戦争を知らない子供たち   北山 修        ブロンズ社 くたばれ! 芸能野郎    北山 修        自由国民社 文楽史           木谷蓬吟         全国書房 道頓堀の三百年       〃          新大阪出版社 日本のギャンブル      紀田順一郎         桃源社 明治ニッポンてんやわんや  〃            久保書店 日本映画伝         城戸四郎         文藝春秋 大谷竹次郎演劇六十年    城戸四郎編         講談社 ミュージカルスター                キネマ旬報社 風雪 木下宗一       木下宗一        人物往来社 号外近代史         〃             同光社 号外昭和史         〃              〃 世界映画事件人物事典               キネマ旬報社 興行師の世界        木村錦花          青蛙房 守田勘弥          〃            新大衆社 明治座物語         〃         歌舞伎座出版部 三角の雪          〃            三笠書房 灰皿の煙          〃            相模書房 ハッケヨイ人生       木村庄之助     帝都日々新聞社 日本スポーツ文化史     木村 毅          洋々社 文芸東西南北        〃             新潮社 大東京五百年        〃           毎日新聞社 文明開化          〃             至文堂 東京            〃             光文社 まわり燈籠         木村 毅         井上書房 続・まわり燈籠       〃             〃  東京案内記         木村 毅編         黄土社 鬼の柔道          木村政彦          講談社 京舞            京都新聞編集局      淡交新社 日本文化の百年       共同通信社        三一書房 延寿芸談          清元延寿太夫       三木書店 なつかしの浅草オペラ              キングレコード 銀座百点                      銀座百点会 随筆大阪          錦城出版編集部     錦城出版社 小唄夜話          湯浅竹山人         新作社 ジャズの歴史        油井正一          創元社 奇妙な果実 ビリー・ホリデイ自伝               油井正一 大橋巨泉・訳   晶文社 糸あやつり         結城孫三郎         青蛙房 日本風俗史                       雄山閣 ボルショイ劇場       ユリィ・ソロニムスキイ               石田種生 渡辺洪兵・訳                        出版書肆パトリア 東遊記           梅蘭芳         朝日新聞社 ポップス          目黒三策編       音楽之友社 冗談十年          三木トリロー      駿河台書房 トリロー歌集        〃            音楽工房 ひばり自伝         美空ひばり         草思社 芸術の顔          三島由紀夫        番町書房 尚武のこころ        〃           日本教文社 源泉の感情         〃          河出書房新社 新劇通           水木京太         四六書院 築地小劇場史        水品春樹         梧桐書院 竹紫記念          水谷八重子         非売品 芸・ゆめ・いのち      〃             白水社 ターキー舞台日記      水の江滝子       少女画報社 ターキー自画像       〃            〃 フォークソングの世界    三橋一夫        音楽之友社 日本のテレビジョン     溝上      日本放送出版協会 山口組ドキュメント血と抗争 溝口 敦         三一書房 上方落語全集        三田純一編       ヤマト印刷 江戸百話          三田村鳶魚         大日社 芝と上野浅草        〃             春陽堂 芝居風俗          〃             宝文館 町人と娯楽         〃             青蛙房 ラジオ・テレビのドラマと芸能             三笠書房 大阪            水上滝太郎         新潮社 すべてを我が師として    三波春夫        映画出版社 吉原夜話          宮内好太郎編        青蛙房 旅芸人始末書        宮岡謙二          修道社 死面列伝・旅芸人始末書   〃            自費出版 宮城道雄全集        宮城道雄         三笠書房 演劇手帳          三宅周太郎         甲文社 演劇巡礼          〃           中央公論社 演劇美談          〃           協力出版社 文楽の研究         〃             創元社 続・文楽の研究       〃              〃 芸能対談          〃              〃 名優と若手         〃              〃 羽左衛門評話        〃             冨山房 演劇五十年史        〃             鱒書房 観劇半世紀         〃            和敬書店 演劇往来          〃             新潮社 俳優対談記         〃            東宝書房 文楽之研究         〃             春陽堂 狂言の見どころ       三宅藤九郎       わんや書店 女ひとり          ミヤコ蝶々         鶴書房 明治は生きている      宮沢縦一        音楽之友社 名作オペラ教室       〃           中央公論社 近世名人達人大文豪     宮下丑五郎編        講談社 みんな仲間だ        宮田東峰         東京書房 猥褻風俗史         宮武外骨         稚俗文庫 奇事流行物語        〃           人物往来社 大阪今昔          宮本又次        社会思想社 大阪案内          宮本又次        社会思想社 変態商売往来        宮本 良      文芸資料研究会 浪花節一代         三好 貢          朋文社 大衆芸術論         民主主義科学者協会学術部会 解放社 解放            三和一男編         大鐙閣 放送をつくった人達     塩沢 茂      オリオン出版社 放送エンマ帳        〃          〃     映像の技法         志賀信夫         白樺書房 テレビ社会史        〃             誠志堂 裸のNHK         〃          誠文堂新光社 テレビ人間考現学      〃           毎日新聞社 日本歌謡集         時雨音羽        社会思想社 夢とおもかげ        思想の科学研究会    中央公論社 古今名家 珍談奇談逸話集  実業之日本社     実業之日本社 実業之日本(大震災惨害号) 〃           〃    明治開化奇談        篠田鉱造         須藤書店 明治百話          〃            角川書店 幕末百話          〃             〃  現代音楽の歩み       柴田南雄         角川書店 音楽はあなたのもの     柴田 仁         三一書房 映画館ものがたり      柴田芳雄         学風書院 アメリカのテレビ その実態と教訓               芝村源喜編     読売テレビ放送 浅草っ子          渋沢青花        毎日新聞社 側面史百年         渋沢秀雄        時事通信社 笑うとくなはれ       渋谷天外         文藝春秋 菊がさね          篠原 治         単式印刷 明治事物起源事典      至文堂           至文堂 琉球の民謡と舞踊      島袋盛敏        おきなわ社 一筆対面          清水 崑         東峰書房 スポーツジャーナリズム   清水哲男         三一書房 夢のたわごと        清水 雅         梅田書房 日本民謡曲集        志村建世         野ばら社 愛国歌集          〃             〃  新劇            下村正夫         岩波書店 現代の差別と偏見      信濃毎日新聞社編      新泉社 役者論語          守随憲治      東京大学出版会 中座                        松竹企画課 徳川夢声・大辻司郎漫談集  春江堂編輯部        春江堂 与太郎戦記         春風亭柳昇        立風書房 上方はなし         笑福亭松鶴        三一書房 裸の足           朱里みさを     オリオン出版社 宝塚と私          白井鉄造         中林出版 中村鴈次郎を偲ぶ      白井松次郎         創元社 花と幽玄の世界       白洲正子        宝文館出版 お能            〃            角川書店 梅若実聞書         〃            能楽書林 現代歌謡百話        白鳥省吾         東苑書房 親分子分侠客篇       白柳秀湖          東亜堂 新国劇五十年        新国劇          中林出版 落語など                      新風出版社 世界のショー                      新風社 親分子分ニッポン                  人物往来社 僕の初旅・世界一周     ジャン・コクトオ     第一書房 ラジオ・テレビの社会学   ジャン・カズヌーヴ     白水社 グループ・パワー      週刊朝日編       朝日新聞社 ドノゴオトンカ       ジュウル・ロオメエン   第一書房 喜劇の論文         ジョージ・メレディス    原始社 ハワード・ヒューズ     ジョン・キーツ      早川書房 新劇女優          東山千栄子        学風書院 紅塵三百五十年       樋口清之         弥生書房 東京の歴史         〃             〃  おんどりの歌        土方浩平          講談社 道頓堀通          日比繁治郎        四六書院 白井松次郎伝        日比繁治郎編      白井信太郎 マイクのたわごと      平井常次郎         鴨書林 舞台奇術ハイライト     平岩白風          力書房 日本の手品         〃             青蛙房 歌舞伎演出論        平田兼三郎        室戸書房 東京おぼえ帳        平山蘆江         住吉書店 ポケット小唄集       〃           文雅堂書店 芸者繁盛記         〃            岡倉書房 日本の芸談         〃            和敬書店 女優展望          〃            世界書房 浪曲入門          広沢竜造 悪場所の発想        広末 保          三省堂 絵金            広末 保・藤村欣市朗編   未来社 ジャズ           ヒューズ         飯辻書店 世界演劇史         ビニヤール         白水社 川柳見世物考        母袋未知庵        有光書房 生きて愛して演技して    望月優子          平凡社 生きて生きて生きて     〃            集団形星 俳優逸話          元宿源右衛門       小美文社 女優            森 赫子       実業之日本社 明治人物逸話辞典      森 銑三        東京堂出版 大正人物逸話辞典      〃            〃   大衆文化史         森 秀人           産報 日本の大衆芸術       〃            大和書房 遊女の思想         〃            虎見書房 素女物語          守 美雄          蒼林社 レコードと五十年      森垣二郎       河出書房新社 森繁自伝          森繁久弥        中央公論社 ブツクサ談義        〃            未央書房 こじき袋          〃           読売新聞社 エノケン          森下 節        読売新聞社 新講大日本史        森末義彰他         雄山閣 芸術祭十五年史       文部省社会教育局芸術課編 青泉スタンダード      ジャズフォリオ      青泉学院 エレキ百年         関寅太郎         電気新聞 明治劇壇五十年史      関根黙庵          玄文社 講談落語考         〃             雄山閣 劇壇五十年史        〃             玄文社 説教と話芸         関山和夫          青蛙房 安楽庵策伝         〃              〃 寄席見世物雑志       〃             泰文堂 中京芸能風土記       〃             青蛙房 一筋の道          瀬戸内晴美        文藝春秋 花野            〃             〃  女優            〃             講談社 恋川            〃           毎日新聞社 芸能名匠奇談        千田九一       河出書房新社 演劇入門          千田是也         岩波書店 ベートーヴェン       全音楽譜出版社   全音楽譜出版社 流行歌120曲集        〃          〃    紙芝居読本         船場満郎         室戸書房 新劇その舞台と歴史     菅井幸雄          求龍堂 随筆演劇風聞記       菅原 寛         世界文庫 帝劇十年史         杉浦善三          玄文社 都々逸笑辞典        杉原残華         芳賀書店 都々逸読本         〃             〃  楽屋ゆかた         杉村春子         学風書院 自分で選んだ道       〃            六芸書房 女優の一生         杉村春子・小山祐士     白水社 傾く滝           杉本苑子          講談社 現代にっぽん奇人伝     鈴江淳也         久保書店 暗転            薄田研二         東峰書院 日本劇場史の研究      須田敦夫         相模書房 松竹七十年史                   松竹株式会社 ムーランルージュ                  (新宿百選) 人間清水次郎長                    戸田書店 伝統と現代(大衆芸能)                学藝書林 [#改ページ] [#小見出し] 文庫のためのあとがき 「芸人その世界」昭和四十四年 「役者その世界」昭和四十六年 「タレントその世界」昭和四十八年  文藝春秋から三部作として出版されている。  十年前の僕は丹念に芸能界のエピソードをひろい集めていた。  そして、そのあと、こうして文庫になっているわけだが、この十年間の芸能界の変化はそれ以前の十年間と較べて、なんという変りようだろうか。  たとえば、この三冊には「ニューミュージック」の、アリスとか、さだまさしとかいう名前はない。  アリスの谷村新司は一週間にわたる武道館公演を超満員にするという奇蹟に近いことをやって、 「僕たちは、今の人気を、僕達の手で落してみたい」  などというのである。  さだまさしの十分間を越える歌といい、彼の公演をそのまま活字にした文藝春秋10月号(昭和54年)といい……とても十年前には考えられることではなかった。  アリスや、さだまさしの公演で感じることは、若い観客が、歌と同時に、語られる言葉を大切に受けとめていることである。  そこには単に歌手とはいえない「語りべ」としての魅力があり、だから音楽界の流れの中ではとらえられない。  谷村新司が三味線で育ち、さだまさしが落語家志望だったという事実をぬきにして「ニューミュージック」を論じるのは間違いだ。  彼等はニューどころではなく、オールドそのものなのだ。  この複雑な構造を若者たちは感性で受けとめている。  こうした点に、時代の変化を感じずにはいられない。  俗にいえば、彼等は歌手というより文化人なのである。  おすぎとピーコも同じことで、「三浦友和なんて死んでほしいわ!」とさけびながら、それでも、NHKにまで登場してくるのだ。  彼等も「70年代最後にパッと咲いた仇花デース! 落ち目デース」とわりきっている。  芸人・役者・タレントの三部作に「文化人その世界」を書き加えないことにはおさまらなくなっている。 「かつて永六輔をマスコミの寄生虫といった作家がいるが、私は彼をマスコミの金魚といいたい。泳がせておいてみていると面白い」  そういったのはタモリである。 「みせかけの優しさ、さだまさしと永六輔」  これもタモリ。  タモリというのも十年前にはいないタイプの芸人である。  このあと所ジョージが続く。  音楽の方では英語で詞をつくって歌うというのが当然だというゴダイゴ。  レディというよりベビィの「ピンクレディー」ブーム。  そのプロダクションに総会屋がからんだりして、芸能界はあきらかに変りつつある。  新人の登場とは別に水谷八重子や三遊亭円生の死。  新派、新国劇の危機。  そして映画界も、角川映画に代表されるプロデューサー・システムの流行。  すべて十年前に考えもしなかったことだ。  この「役者その世界」(昭和46年)の帯を書いて下さったのは戸板康二サン。  照れくさいがここにコピーすると。    昭和の役者論語    本の中から役者ある   いは芸人にまつわる挿   話やことばを拾いあげ   る収集はそのまま実証   的な演劇史であり芸能   史である。    こういう角度で文献   を見ようとしたのは永   六輔氏がはじめてで、   ここに再録された文字   が資料のあいだにさり   げなく置かれていた時   になかった光りを放っ   ているのが、いかにも   ふしぎである。    人間を愛し芸を愛す   る永氏の手によって編   まれた、これは昭和の   役者論語であろう。         戸板康二  この戸板サンの「ちょっといい話」(文藝春秋)も幅のひろいこと、底の深いこと、エピソードで積みあげた社会史・現代史で、その楽しさは類をみない。  さて、僕個人も仕事の質が変ってしまった。  十年前にやめた作詞を再びやりはじめ、同時にテレビにも戻っている。  今年五年で解散した小沢昭一の芸能座に、役者として参加し、映画にも主演した。 「役者その世界」を体験してしまったのである。これも予想していなかった。  そして役者になってみて、初めて、集めたコレクションの意味がわかってきたりした。 「うまい役者」といわれることが、いかに困難なことか、これは想像を絶する仕事であると悟ったし、役者を尊敬する度合が強くもなった。  いろいろ体験したあとで、再び古巣のテレビに戻ってきたのが、昨年の四月。 「テレビファソラシド」というNHKのバラエティ番組。  女性アナウンサーを司会者に、僕はそのアシスタントという形で、なんとか、NHKにしか出来ない番組をという気持なのだが……。  そこで感じることは、NHKが育ててきた聴視者がいるということである。  例えば、NHKの司会者に「正しい日本語」を要求してくる。  正しい日本語なんてありはしないのだが、この種の投書は絶えず、「テレビファソラシドは間違いでドレミファソラシドが正しい」と教えられる状態である。  NHKは真面目でなければいけないという意識と戦うことのむずかしさ。  NHKにしても、NHKを笑うだけの感覚を持ってほしいと思い、せめて自分を笑う勇気を育てなければと努力している。  ところが、NHKを変えようと思っている内に、気がつくとNHKに変えられてしまっていたりするのだ。  NHKを変えようと思う方が、狂っているようなものだが、僕の考えは、小さな穴があけば、いつかその穴から、という程度のことである。  決して、あの官僚体質を改革しようというようなものではない。  たかが軽薄なタレントにそんなことは出来やしない。  東京をはじめ都会ではとも角地方を旅行をしているとNHKに出演していることの強みを肌で感じることが出来る。  NHKに出演している人間はとりあえず立派なのである。  テレビに出ていると、地方での講演会の客席の様子が違ってくる。  話をきこうというよりは、テレビに出ている人をみようという人が多くなる。  ラジオだけをやってきたこの十年近くとは全く違うのだ。  みればよいという人は別に話をききにきたわけではないから落ちつきが無い。  客席のどこかが、常に動いていることになる。  早く帰る人、おそく来る人。  悲しいことに、これに影響を受けて話がまとまらなくなる。  散漫この上なしという講演会になるわけで、ラジオ時代にはなかったことである。  素人だから仕方がないと諦めてみるものの、二十年もやってきて今更素人でもあるまいと思う。  そんな時、テレビに出なければよかったということになる。  一方、昭和56年の国際障害者年を控えて「われら人間コンサート」(障害者の音楽会)を開くと、それはアッというまに入場券が売れたりする。  これは、テレビに出ていてよかったということになって、精神衛生上、誠によくない。  だから、紅白歌合戦に出場が決ったと泣きくずれる歌手に素直に「おめでとう」もいえないことになる。  テレビに出るということは一体何なのだろうかと、突きつめて考えることをするべきなのだが、これは自分の弱味をさらけだすことだから、できるだけ触れないでという気になる。  有名になって、金になって、世の中、こんなに調子のいいものはないのである。  つまるところは金の世の中とくれば、その金づるを離すわけがない。  自己嫌悪に耐えながら、カメラに向ってニッコリし、その罪の意識でボランティア活動を手伝ったりしているわけで、とても、政治家の批判など出来るものではない。  あとはそんな自分を笑う以外にないというところまで追い詰められてくる。  勿論、これは僕だけの話で、テレビに出ている人間の中には、そんなのもいるという一例として理解してほしい。  テレビで正義の味方という顔をして偉そうなことをいっているのはその人が七十歳以上なら許すが以下の場合はとてもつきあえない。  尊敬はするが仲良くしたくない。  かといって「テレビには出ない」と威張っているのも大げさだと思う。  たかがテレビ、たかがNHK。  頭の隅でそのことは忘れずに、やっぱりテレビ、やっぱりNHKなのである。  ラジオで本音、テレビで建前。  活字の仕事でその両方が並べられれば自分の世界では納得出来る。  その為に自分でいうのも妙だが、この本が文庫になったのを機会に、もう一度読み直して、そのエピソードの事実、そして真実に迫ってみるつもりだ。  その上で80年代のエピソードを集めはじめようと思う。  昭和55年1月 [#地付き]永 六輔  〈底 本〉文春文庫 昭和五十五年三月二十五日刊