塩田丸男 天からやって来た猫 目 次  第二章 夜明けの饗宴  第三章 外猫たちの掟  第四章 尻尾のないやつ  第五章 架けられた橋  第六章 幻のネコカン  第七章 暗く深い穴を  第八章 猫は賢くないか  第九章 眼に見えぬ死骸  第十章 帰ってきたパイ  第十一章 猫捕りの罠  第十二章 死と生の衣裳  第十三章 生きものの死処  第一章 箱の底の小さな眼《め》  黒い仔猫《こねこ》が三匹、覚束《おぼつか》なげな、そのくせ結構すばしこい動きで、室内を駈《か》けまわっていた。黒猫とはいっても、鼻の頭と四肢《しし》の先端が白く、足袋を穿《は》いているように見える。三匹のうち尻尾《しつぽ》がちゃんとあるのは一匹で、あとの二匹はよじまがりながら途中で切れている奇妙な尻尾だった。尻尾の長いのが一番元気で、テレビの上に攀《よ》じのぼり、室内アンテナの根元に噛《か》みついたりする。そのあとから、尻尾のない二匹が遅れまいと懸命に追いかけてくる。三匹ともテニス・ボールほどの大きさで、せわしなく動きまわるものだから、縹緻《きりよう》のほどは見定め難く、どれを貰《もら》うことにするか、浦野が決めかねていると、 「もう二匹、いるんだよ」  部屋の隅《すみ》に、壁に押しつけられるように置かれているダンボールの箱を、三原が顎《あご》でしゃくった。覗《のぞ》きこんでみると、顔馴染《かおなじ》みの母猫のレオがけだるげに蹲《うずくま》っているそばに、先の三匹よりは一回り小さい赤茶色の仔猫が、小皿《こざら》の餌《えさ》を鼻でしきりに突ついていた。  そして、もう一匹、赤茶よりさらに小さいのがレオの腹のあたりにしがみついている。浦野は、はじめ、それをごみか何かかと思ったほどで、体に不釣合な大きい眼がこちらを向いていなければ、猫だと気づかなかったにちがいない。  煤《すす》けた灰色の、それも蒲公英《たんぽぽ》の絮《わた》のようにぼやぼやとした毛が全身を蔽《おお》っている。大きな袂糞《たもとくそ》のかたまりのようであった。  浦野が腰をかがめて顔を近づけると、そいつは、ゼンマイがほとんど弛《ゆる》んだ玩具《おもちや》のようにのろい動きで、母猫に縋《すが》りついたが、まんまるい二つの眼は浦野をじっと見返したまままばたきもしなかった。 (変なやつ)  舌打ちするように呟《つぶや》いたが、その時、浦野の心の中に動くものがあった。  それが、浦野|佑一《ゆういち》とパイとの初めての対面であった。  仔猫を分けて欲しいと、浦野が三原に頼んだのは前年の暮のことである。三原の家には牝《めす》のシャム猫が一匹いて、しょっちゅう子供を生んでいた。犬も、室内犬のチワワが数匹いて、けたたましい喚声を挙げながら、座敷や廊下を駈けまわっていた。  三原家に出入りする連中にいわせると、レオというシャム猫は、シールポイントでかなりの縹緻よしだとのことだったが、猫に関してまったく無知な浦野には、顔の先だけが濃い焦茶色《こげちやいろ》で、眼も鼻も口もまるで見分けのつかないこの猫のどこが美貌《びぼう》なのか、全く見当もつかなかった。  シャム猫は十九世紀の半ば頃《ころ》まではシャム王室門外不出の猫で、一般民衆はその影すら見ることはなく、一八八四年、シャム王からイギリスの総領事にひとつがいのシャム猫がはじめて贈られることになった時、それは王国滅亡の前兆だと国中が騒いだというような話も、浦野はずっと後になって知ったのであり、レオに対しても、毛色の変った外国種の猫、といった程度の認識しかなかった。  もともと浦野は犬や猫などの小動物に関心のない人間であった。犬猫を可愛《かわい》がっている人が不思議でならなかった。特に馬鹿《ばか》らしいという気はしなかったが、無益な行為という考えは捨て切れなかった。得体の知れないものに対する怖《おそ》れに似た感情もちょっぴりあった。  浦野の父親は、四軒長屋の一軒に店を構えた小商人《こあきんど》で、仕事のこと以外は念頭にないような男だった。一坪の庭もない家だったから犬猫を飼うことも草花を植えることもなかった。父親が縁日で気まぐれに金魚を買ってきたことがあるが、ろくに餌もやらないからすぐに死んだ。死んでも数日間は誰《だれ》も気づかなかった。そんな家庭に育った浦野に、生きものへの関心がはぐくまれるわけもなかった。  人気の高い洋画家で、随筆集も何冊か出版し、マスコミにも名の売れている三原|貞雄《さだお》の家には、常時、雑多な人間が出入りしていた。気むずかしいところがあるくせに客|嫌《ぎら》いではない三原の人柄《ひとがら》が仕事に関係のない大勢の知友を作ることになったのだろう。新劇女優や若手の建築家や医者やカメラマンといった連中がまるで自分の家のように遠慮なく、議論をしたり、徹夜|麻雀《マージヤン》をしたりしていた。  食道楽の三原は、客たちに御馳走《ごちそう》するために、瀬戸内の魚を郷里の身寄りに頼んで、わざわざ航空便で取り寄せ、それを料理するために板前を一人住みこませていた。その御馳走も、浦野には三原の家へ遊びに行く楽しみの一つだった。  ところが、うっかりしていると、折角の鯛《たい》の刺身などを犬にさらわれてしまうのである。くやしいし、腹も立つが、犬を叱《しか》って追い払えない。三原の手前もあるが、それよりも浦野は犬が怕《こわ》いのである。いまいましさと情なさでふくれっ面《つら》をしている浦野を、三原はかえっておかしがって、あはははと笑っているだけで犬を引離そうとはしてくれない。そんな時、浦野は家に帰ってから「三原さんのところもいいが、犬ころがうるさくてね」と妻の波津子《はつこ》に愚痴るのだった。  浦野の犬猫嫌いは、三原夫妻ばかりでなく、三原の家に出入りする他の者たちにも知れわたっていた。三原の家で麻雀卓を囲んでいて、浦野がたまに馬鹿づきをした時など「こんどあがると、ボンをけしかけるからね」とおどかされたりする。ボンというのは何匹かいるチワワのうち一番気の荒いやつである。ボンには実際に咬《か》まれたことが二、三度あり、そのおどかしには浦野は本気で閉口したが、それでも「犬畜生の加勢がなくちゃ勝てないのかね」と悪態をつき返し相手を鼻白ませた。  そんな浦野が突然猫を飼ってみたいと言い出したのだから不審がられて当然だったのだが、浦野が仔猫を分けて欲しいと頼んだ時、彼の予想に反して、三原は不思議そうな表情のかけらさえ浮かべなかった。「うん」とあまりにも当然のような声で答えられて、浦野は拍子抜けすると同時に安堵《あんど》した。突然の変心をからかわれたり、その理由を聞かれたりしたらどうしようと内心びくびくしていたからである。  三原たちには、なんとなく言いそびれていたのだが、浦野は、実は、前の年の秋のはじめごろから、家の庭にちょろちょろと姿を見せる野良《のら》の仔猫に、竹輪やソーセージやチーズなどの切れっぱしを投げ与えるようになっていたのである。仔猫といってももう七、八カ月ぐらいにはなっている牝の黒猫で、なかなかそばへは寄ってこない。それでも食べものが欲しい一心で、ちょっと離れたところから家の中の人影をじっと見つめている。その様子があまりにも可愛いので、浦野はふっと餌をほうってみる気になったのだった。  仔猫は、はじめは、投げられた餌をくわえると、すぐにあわてて人目につかないところへ逃げ出していき、食べ終ってからまた戻《もど》ってきてもう一度食べものをねだる、というふうだったが、そのうちに逃げ出すことをしなくなり、だんだん馴《な》れてきて、しまいには、浦野の掌《てのひら》からじかに食べるようになった。そうなると、こんどは浦野のほうがかえっておっかなびっくりであった。犬にしても猫や小鳥にしても、人間以外の生きものはすべて理性というものはないのだから、得体が知れず、何を仕出かすか分ったものではない、という考えから脱《ぬ》けきれないでいた浦野は、彼の掌に口をつけてチーズの切れっぱしを食べている仔猫が、いつ気が変って、ガブリと指に咬みついてくるかもしれない、などと思って、へっぴり腰で仔猫にむかうのであった。  それでも餌を食べる仔猫の姿はなんともいえず可愛いものであったから、浦野は、こわさが三分、面白《おもしろ》さが七分、といった感じで、その仔猫を時たま気まぐれにかまってみるのだった。そんな浦野の様子を見て、もともと大の猫好きだった波津子が「ねえ、猫を飼いましょうよ」と新しい衣裳《いしよう》をねだるような調子で言い出したのである。浦野は「うん、三原さんのところから分けてもらおう」と二つ返事で承知したのだが、これは波津子にとっては予想外のことだったらしい。浦野の徹底した動物嫌いを知っている彼女は、一生、猫は飼えないものと諦《あきら》めていたのである。  浦野が、なぜ、突然、仔猫にかまってみようという気になったのか、また、波津子の提案に逡巡《しゆんじゆん》することなく応じたのか。彼自身にもそうした気持の変化の理由は分らなかったし、また、それをつきつめて考えてみようという気もなかった。 「ちょうどいい。レオはあと一週間ぐらいで子供を生むところなんだ」と三原は言ったが、レオの出産は予定よりちょっと遅れて、その年の大《おお》晦日《みそか》の夜、あと数時間で年が変ろうという時であった。そして、そろそろ取りに来てもいいよ、と三原から連絡があったのは、年が改まって一月の末のことだ。 「ただし、父親のほうはシャムじゃないよ。ちゃんとしたシャムの牡《おす》と交配させようと思って連れて行ったのだがね。どうしても気に入らないらしくて不発だった。家に連れて帰ったらすぐに、近くの野良の黒猫に惚《ほ》れて、どうやらそいつの仔らしいんだが、それでもいいかね」  シールポイントのシャム猫と真っ黒な日本猫との間にどんな猫が生れたものやらまるで見当もつかなかったが、もともと、なんのなにがしというような猫を飼おうという気は浦野にはない。  次の日、浦野は勤め先の新聞社から真っすぐ三原の家へ駈けつけた。そして、袂糞のかたまりのような猫と出会ったのである。  そいつは、いかにも出来損いのみそっかすであった。同じ母親の胎《はら》から同じ日に生れた兄弟たちは、もう自分の背丈の何倍もの高さにまで攀じ上っているというのに、ダンボールの箱からすら脱出できない情ないやつなのである。猫のくせに、鼠《ねずみ》そっくりな毛の色をしているのもドジな話ではないか。間違って生れてきたとしか言いようがない哀れな奴《やつ》なのである。依然として、浦野を見つづけている二つの眼を見返しながら、浦野は自虐《じぎやく》心理をくすぐられるものを感じた。 「これを下さい」  浦野がいうと、三原は「やっぱりそうかい」と手をのばして、その袂糞みたいな仔猫をひょいとつまみあげた。 「だけど、大丈夫かな」  テーブルの上におかれた仔猫は、いっそう小さくちぢこまり、疎《まば》らな体毛を慄《ふる》わせた。三原は仔猫と妻の左千代とを見くらべながらちょっと考えこむふうであった。  仔猫たちは生れてやっと一カ月|経《た》ったばかりである。浦野が後になって猫の飼育についての解説書を読んだら、仔猫を母乳から完全に離していい時期は生後八週間が標準であり、それ以前に母乳以外のものを与えるには細心の注意が必要だと記されてあった。  三原の懸念はもっともなのである。  だが、左千代は、 「大丈夫よ、浦野さんなら」  びっくりするほど大きな声で答えた。それもほとんど反射的にである。三原は一瞬、おや、といった表情を浮かべたが、「うん、そうだな」とすぐにおだやかな声でうなずいた。  左千代がなぜあんなふうに答えたのか、浦野にはいまだに分らない。長年、犬や猫を飼ってきた彼女は、それらの小さな生きものたちがほんのちょっとした人間の不注意で命を失ってしまうものであることを熟知していたはずである。また、浦野がかなり気まぐれな人間で、物事に対してこまかい心くばりをするのが不得手であることも、だ。  あの大きな声は、浦野への励ましの一喝《いつかつ》だったのかもしれない。それと同時に、みそっかすの哀れな仔猫を他人へ託すことへの、彼女自身への勇気づけの言葉でもあったのだろうか。  用意してきた布製のボストン・バッグに、生れ損いの灰色の猫を入れて、浦野が三原の家を出たのは、午前二時すぎという時間であった。  朝、家を出かける時、浦野は波津子から、 「きょうは猫を頂戴《ちようだい》したらまっすぐに帰ってきて下さいね。みんなで歓迎パーティーをするんですから」  と念を押されていたのだが、三原から、 「おいおい、貰うものを貰ったらハイさよならはないだろう。半チャン四回ぐらいでいいからつきあえよ。メンバーはすぐ集めるから」  といつものように麻雀に誘われて、妻との約束をたちまち反故《ほご》にしてしまったのである。  タクシーに乗って二、三分経つと、それまで静かにしていたバッグの中の生きものが、かすかな音を立てはじめた。音はしだいに強くなり、仔猫はかなり激しく動きはじめた気配である。浦野が真っ先に考えたのは窒息ということだった。密閉されたバッグの中で、仔猫は呼吸が苦しくなったのではないか、と思った。バッグの大きさは仔猫の十倍以上もあるのだからまさかそんなことはないだろうとも思ったが、万一ということもある。  浦野はあわててバッグのジッパーをほんのちょっとゆるめ、空気穴をつくった。もっと大きく開けて仔猫の様子を見たいと思わぬでもなかったが、仔猫が外へ飛び出したら、と心配でそれはできなかった。バッグの中がまた静かになった。こんどは、ひょっとして死んだのではないか、と不安に襲われた。空気穴から覗いてみたが真っ暗で何もみえない。  大丈夫なのだろうか? 浦野はじっとはしていられぬ気分になり、尿意を催した。額から汗も滲《にじ》み出てきた。 「運転手さん、猫は好きかね」  もしかして運転手が長年猫を飼っている男だったら、袋に閉じこめられた仔猫はどんな状態になるものか、教えてくれるかもしれないと期待して、浦野は声をかけてみた。 「猫はいやだね」 「…………」 「不意に飛び出してくるからね。避けようがない。道路にただの紙袋がころがっているのかと思ったら、その中に猫が入っていたこともあるし、何度か、轢《ひ》いたことがある。あッと思ってもたいがいそのまま行っちゃいますけどね、いい気持のものじゃないですよ」  声をかけなければよかった、と浦野が黙りこくってしまうと、こんどは運転手のほうから話しかけてきた。 「お客さん、猫をその鞄《かばん》の中に入れてるんだったら飛び出さないように気をつけて下さいよ。この前は、蛇《へび》を籠《かご》に入れて乗ってきた人がいてね。その蛇が逃げ出して肝を潰《つぶ》したもんだ。頼みますよ」 「蛇じゃァびっくりするだろうな」 「なに、猫や犬だって同じだよ。不意に飛びかかられたら大事故のもとになる。ちかごろは非常識なお客さんが多いからね」  叱りつけるような不機嫌《ふきげん》な声だった。  浦野はシートの上のバッグを膝《ひざ》に乗せ、それをかかえこむように身を跼《かが》め、息をひそめるほかなかった。  やっぱり、麻雀をせずにすぐ帰るべきだった、と浦野はあらためて悔やんだ。こんな時間に波津子も娘の能里子《のりこ》も起きているはずはない。今ごろ家へ帰って、この仔猫をどう取り扱えばいいのか。放《ほ》ったらかして自分だけ寝てしまうわけにもいかないし、といって、猫のことを何も知らない人間が朝まで猫を抱いてうろうろしていてもはじまらない。浦野は思案にあぐねた。  深夜の環状道路はさすがに車の影が少ない。立体交差のための陸橋が隊列を組んだ駱駝《らくだ》の瘤《こぶ》のように、いくつものうねりをつくっている。それをかなりなスピードで駈《か》け上り、走り下るタクシーの振動が浦野をいっそう不安な気持におとし入れた。  しかし、家に着いてみると、思いがけないことに、波津子も能里子も、寝ないで浦野の帰りを待っていた。二人ともいったんはベッドに入ったのだが、猫のことが気になってどうしても寝つけなかったのだという。一月も末の明け方の冷えこみはきびしい。動物に対して思いやりのない浦野が寒い部屋に猫を放《ほう》り出して、自分だけさっさと寝てしまったりしたら、などと案じてとても眠るどころではなかった、と波津子はきつい声で言った。  能里子は浦野がかかえていたバッグをひったくるようにして、階段を駈け上り、自分の部屋に飛びこんだ。部屋はシャツ一枚でも平気でいられるほど暖められている。仔《こ》猫のための寝場所や餌箱がちゃんと用意されていた。  能里子が三歳になった時、浦野たちは公団住宅の抽籖《ちゆうせん》に当り、それからこの家に越してくるまで十四年間をコンクリートの箱の中で過した。動物を飼うことを禁じられた公団住宅の中で、能里子は縫いぐるみの猫をとっかえひっかえ可愛がっていた。その縫いぐるみを入れるのに使っていた焦茶色《こげちやいろ》の籐製《とうせい》の籠が、いま、久しぶりに浦野の眼《め》の前にある。高校生になってからは能里子はさすがに猫の縫いぐるみとは遊ばなくなったから、その籠を浦野が見なくなってからもう随分になる。とっくに捨てられたことだろうと思っていたのに、能里子は引越しの時にもそれを大切に持ってきたのだった。  その籠がこんどは縫いぐるみではない本物の猫の棲《す》み処《か》となるのであろう。小さく切った毛布が四つに折り畳まれて籠の底に敷かれてあった。  能里子はボストン・バッグから仔猫をつかみ出すと籠の中に入れた。バッグの中にこもっていた匂《にお》いがこぼれるように室内に漂った。それは微《かす》かなものではあったが、紛れもなく獣の匂いであった。こんな袂糞《たもとくそ》のかたまりほどのちび猫でも食肉目の獣類にはちがいないのだな、と浦野は妙に感心した。  薔薇《ばら》の模様を染めた小皿《こざら》が二つ、クッキーの空き缶《かん》の中に置いてあり、一つにはミルクが、もう一つにはキャット・フードが入れてあった。能里子は仔猫の鼻先へミルクの皿を持っていったが、仔猫はまだ舌を使って皿の液体を舐《な》める術《すべ》を知らないらしく、じっとミルクを眺《なが》めているだけだった。 「お腹《なか》、すいてないのかしら」 「そんなことないわよ。こわがっているのよ。ほら、耳がふるえてるじゃない」 「脱脂綿にミルクをしませて、やってみたら……」 「だめ、だめ。そんな乱暴にしちゃァ。ちょっと貸してごらんなさいよ」  波津子と能里子は、仔猫の世話役としての主導権を取ろうとして、躯《からだ》をぶっつけあった。波津子のこんな上ずった声を浦野が聞いたのは何年ぶりのことだろうか。能里子が高校の試験に合格した時も、波津子は「だって、落ちるわけないと思ってたもの」と普通の声で知らせてきた。 「あッ、飲んでるわ。くちゅくちゅやってる」  能里子の指先につままれた小さな脱脂綿の一片に仔猫は口を押しつけ、懸命に吸いはじめた。 「よかった」  と言った途端、栓《せん》が抜けたように、波津子の眼から涙がぼろぼろこぼれた。そんな自分に照れたのか、「馬鹿《ばか》ねえ、私」と彼女は眼をこすったが、涙はいつまでも止まらなかった。  浦野は波津子と結婚してしばらくの間、彼女の実家に転がり込んでいた。そこには何匹かの猫がいた。波津子は子供の時からずうっと猫と一緒に暮してきた娘だったのである。  しかし、波津子がどんなふうに猫を可愛《かわい》がっていたか、浦野にはまったく記憶がない。第一、彼女の実家には正確に何匹の猫がいたのか、それらがなんという名前だったのか、浦野はなんにも覚えていないのである。忘れたのではなく、はじめから気に止めようとしなかったのだった。  そのころのことを振りかえってみると、まことに自分勝手でとりとめのない暮し方をしていたものだと思う。埃《ほこり》っぽい忙しさに追われ、そのことがまたちょっと得意で、物事を落着いて考えてみるということがまるでなかった。  気に止めなかったのは猫についてだけではない。もっと大切ないろいろのものを俺《おれ》は気に止めることなく、長い年月を通過してしまったのではないか、と浦野は、泣き笑いしている波津子をじっと見つめた。  公団住宅に引越すことになった時、波津子は猫たちにどんなふうにして別れを告げたのか。それがどんなにつらいものだったか、というようなことを考えてみたことも、一度もなかった。  規則としては、公団住宅では犬や猫は飼えないことになっているのだが、実際にはこっそり飼っている家も何軒かあり、管理人もそれを大目に見ていることが、団地に移ってからしばらく経つと分った。  日曜日の午後、浦野が波津子と連れ立って団地の中を散歩していると、芝生を横切って行く猫の姿を見かけることがあった。そんな時、波津子はきまってちょっと立ち止り、猫の行方を目で追ったものだが、浦野は、 「おい、なにをぼんやりしているんだ。行こう」  と波津子の心の中など何も気づこうとせずにせきたてるだけだったのだ。  波津子は猫に関して、浦野に話すことは滅多になかった。  能里子も、猫のいる家に生れ、猫といっしょに育てられた赤ン坊であった。父親の姿はほとんど見ることはなかったが、猫は朝から晩まで、幼い能里子のそばにいたのである。その頃《ころ》は波津子も勤めに出ていて、昼間は家にいなかったので、能里子にとって、いちばん親しいのはおばあちゃんで、二番目が猫たちであった。幼い能里子に猫と人間とを区別して考える気持などまったくなかったに違いない。  波津子にとって公団住宅に移ることは決して喜ばしいことではなかった。実家から離れれば、赤ン坊の世話をしてくれる手がなくなり、勤めをやめないわけにはいかないからだ。能里子がせめて小学校に上るまでは、実家にいたい、と波津子は考えていた。そうすれば、ずっと勤めをつづけることができる、と彼女は目論《もくろ》んでいたようである。それは浦野にも薄々分っていたので、彼は波津子には相談せず、ひとりで公団住宅へ入居の申込みの手続きをしたのだった。新聞で抽籖に当ったことを知った時、浦野は、 「一回の申込みですぐ当るとは思わなかったから」  と言い訳がましい口調で、そのことを波津子に告げた。  だが、ひょっとしたら能里子のほうが波津子よりももっと引越しをいやがるのではないか、とそこまで考えてみる気持は浦野にはなかった。おじいちゃんがおり、おばあちゃんがおり、能里子が「お姉ちゃん」「お兄ちゃん」と呼んでいた波津子の弟妹たちがおり、数匹の猫がおり、大勢のお客がしょっちゅう出入りし、という大変にぎやかな環境で生れてからずっと育ってきた能里子なのである。見知らぬ土地へ引越していくのを淋《さび》しがって当然だと、考えてもみないほうがおかしい、と浦野が思いなおしたのはずっと後になってからのことだ。  ほんものの猫たちと別れた能里子は、猫の縫いぐるみを買ってもらい、寝る時も蒲団《ふとん》の中へ持ちこんだ。クレオンを持たせると、おばあちゃんの家にいた猫たちの絵を何枚も何枚も描いた。それでいながら、猫を飼いたいと浦野にねだったことは一度もなかった。  能里子は父親に対してよそよそしいところがある子だった。膝に乗ってきたりすることはほとんどなかった。浦野がたまに抱き上げて頬《ほお》ずりすると、躯をこわばらせる。今にも泣き出しそうな顔で身動き一つしない。幼稚園に行くようになると、もっとはっきりして「パパはくさいからいや」と大声で言って逃げていってしまう。皿に盛りあわせた惣菜《そうざい》に浦野が一箸《ひとはし》でもつけるときたながってもう食べようとしなかった。  能里子が生れてから、五、六年間は、浦野は仕事も忙しかったが、遊び盛りでもあって、家を明けることが少なくなかった。普段も、帰宅は深夜になったし、朝は早く飛び出してしまうので、目をさましている能里子と顔を合わせることは滅多になかった。  能里子が父親になつかないのは、単にそのせいに過ぎず、働き盛りの若い父親は誰《だれ》だってそうなのだろうと浦野は軽く考えていたのだが、果してそれだけだっただろうか。浦野のほうにこそ能里子に対して心を開かないところがあった。彼にとって、子供は犬や猫などの小動物と同じように訳の分らないものであった。共通の知識や感情を持たず、勝手に泣いたり喚《わめ》いたりして大人を困らせる厄介《やつかい》な存在としか彼は子供を考えなかった。子供にむかって幼児語を使って話しかけている大人を見ると、不思議に思えてならなかった。  能里子は、父親の中に、自分や母親やおばあちゃんたちとは違う心を持った他人を感じていたのではなかったか、と今になって浦野は思うのである。  その煤《すす》けた灰色の牡《おす》の仔猫をパイと名づけたのは浦野である。仔猫を貰《もら》いに三原の家に行った日、浦野は新しい麻雀牌《マージヤンパイ》のセットを持参した。前々から約束していたものである。たまたま麻雀牌と仔猫とが引換えのような形になった。そんなことから帰りのタクシーの中で、猫の名前をパイにしようと思いついたのだった。 「パイ」  と浦野が仔猫に呼びかけるのを聞いて、波津子は、 「あら、この子、パイちゃんというの? 三原さんのお宅でそう呼んでらしたの?」  と聞き返した。 「いや、俺がつけたんだ。麻雀牌のパイだ」 「麻雀だなんて、やァね」  波津子は苦笑いしたが、 「すてきな名前よ」  と能里子は浦野が一瞬おやと思ったほど強い調子の声で言い、波津子も「変ってて面白《おもしろ》いかもね」と思い直したように賛成し、あっさりと命名の儀式は終った。  そのことを浦野はなんでもない当りまえのことだと思っていたが、しばらく後になって、猫好きの同僚の一人から、そうではないことを知らされた。  猫の名前を聞かれた浦野が「パイというんだ」と答えると、北島というその同僚は、 「それだけか」  とまた問い返してきた。 「一匹しかいないんだよ」 「うん。それは先刻《さつき》聞いたさ。だけど、猫が一匹だからといって名前が一つとは限らない。うちなんか、一匹の猫に四つ名前がついている」 「どうして?」 「おれはヨサクとつけたんだが……」 「北島だから与作か」 「うん、単純だけどね。猫の名前は単純なのがいいんだ。パイというのはいいよ」 「だけどヨサクというのは女子供むきじゃないな」 「そうなんだ。女房《にようぼう》のやつがまず反対して、私はフィガロにする、といってきかないんだよ。あなたは勝手にヨサクと呼んでればいいわ、なんて言いやがってね」 「頑張《がんば》るんだねえ、おたくの奥方」 「ところが、ある日、気がついてみると、上の息子の奴《やつ》が猫のことをドンベエと呼んでるんだ。そんなに勝手にいろんな名前をつけるな、と怒ったら、なんと息子はおれがヨサクと呼んでることも女房がフィガロと呼んでることもまるで知らなかったんだ。なにしろ、うちは完全に親子の断絶だからな」  北島の長男は目下二浪中で、予備校と自分の部屋が彼の全宇宙になっている。食事も睡眠もまったく自分勝手の時間に摂《と》る。勉強をしている時でもヘッド・ホーンをかけているから家族が呼んでも聞えない。第一に、当人が家族と連帯しようという意識をまるで持っていない。父親とはほとんど口もきかない。たまに朝、顔を合わせても「お早う」ひとつ言わないのだという。 「でっかい図体でのそのそ家の中を歩きまわって、一体、おれのことを何と思ってやがるんだ、コノヤロウ、と思うことがあるよ」という北島の言葉は懸け値のない嘆息だろう、と浦野にも察しられた。  長女がまた反抗期の真最中で、親やきょうだいと少しでも意見を同じゅうするのは、憲法違反になるとでも思っているような態度なのだという。彼女は、猫の名前についても、当然のごとく異を立て「私はアランと呼ぶわ」と宣言した。  こうして北島家では、北島が帰ってきて、長女に「ヨサクはいないのかい」とたずねると「アランならお母さんと二階にいるわよ」といい、北島の女房が「フィガロ、おいで! パパがお帰りよ。お出迎えに行きましょう」と猫を呼びながら階段を降りてくる、という面妖《めんよう》な会話が交されることになったのである。 「聞いてみると、うちばかりじゃないらしい。近頃はどこの家庭でも、おやじの意見はたいがい無視されるからね。どいつもこいつも自己主張ばかりしやがって譲るということを知らない。民主主義の悪《あ》しき影響が猫にまで迷惑を及ぼしているのさ」  と北島は嘆息し、「あんたのところのように猫の名前が亭主の一声できまるなんていうのは今ではもう美談というべきものだな。親孝行の娘さんを持ってしあわせだよ」と羨《うらや》ましそうに言った。  浦野は苦笑しないわけにいかなかった。  赤ン坊の時から父親になつかなかった能里子は、中学生になっても、浦野とは気があわず、浦野を批判する言葉を面とむかってぶつけてくることもあった。  能里子が中学三年の時、たまたま彼女がいる前で、浦野が波津子と口喧嘩《くちげんか》したことがあった。波津子も気が強い女で、滅多に後には引かないほうだが、この時は、娘の手前をはばかったのか、浦野がかなり酔っているのを知って馬鹿らしくなったのか、珍しく譲って自分から黙ってしまった。  すると、それまでわざと知らん顔で本を読みふけっているふうだった能里子が、本を叩《たた》きつけるようにして、 「お母さん、どうして黙っちゃうのよ。悪いのはお父さんじゃないの。自分でも理屈が通らないことを承知しているくせに、お父さんたら意地になって無茶を言い張っているのよ。お母さんが譲ることなんかないわッ」  憤然と叫んだ。 「いいのよ。いいのよ。私だってあやまるつもりなんかないのだから。ただ、酔っ払い相手に議論をしたって無駄《むだ》だと思うから黙っただけよ」  と波津子がいうと、 「そんなことをいってるから、お父さんはつけ上るのよ。お父さんが悪いんだから、ちゃんとそれを認めさせなきゃ駄目ッ」  能里子はヒステリックに言い募った。 「つけ上る、とは何だ。それが親にむかって言う言葉か。子供は黙ってろ。黙れ、黙れ」  と浦野も血相を変えた。  能里子は顎《あご》を突き出すようにして、浦野を睨《にら》むと、ぱっと背を向けて自分の部屋に駆け去った。  それきり、能里子は一カ月以上、浦野と口をきこうとしなかった。浦野がそのことについて波津子に苦情をいうと、 「黙れ、といったのはお父さんなのだから、私はその命令に従っているだけよ、と能里子は言ってますよ。口をきいてもらおうと思ったらあなたのほうからあやまるしかないでしょうね」  と冷淡な答しか波津子もしなかった。  高校生になってからは、面とむかってさからうことは次第に少なくなったが、よそよそしい態度は変らなかった。  たまに浦野が早い時間に帰宅して、波津子と能里子が居間でテレビを観《み》ながらお喋《しやべ》りしているところへ顔を出すことがある。そんな時、能里子は浦野の顔を見るなり、さっと立ち上り「さ、勉強、勉強」と自分の部屋へ姿を消してしまうのであった。  血のつながった親子でも相性が悪いということはあるものなのね、と波津子は首をひねった。親孝行の娘だなどといわれることは浦野にとって苦笑ものだが、能里子にとっても不本意なことだろう。  考えてみれば、そんな能里子がパイという浦野の命名をすんなりと受け入れたことのほうが不思議だった。  なにも猫の名前まで麻雀に因《ちな》んだものをつけなくても、と波津子は苦笑したが、能里子は笑いもせず「すてきな名前よ」と叫ぶように言った。あれは何故《なぜ》だったのだろう。  たしかに、あの時の能里子の態度は違っていた。長い間、浦野が接したことのない、優しさと素直さが、あの時の能里子の顔にはあふれていた。  ひょっとしたら、あの時、能里子は、浦野が、パイではなくて、他《ほか》のどんな名前を告げても「すてきよ」と答えるつもりだったのかもしれない。今になって、浦野はそんな気がするのである。  あの時、能里子は父親を許すつもりになったのではないか。その印しが、浦野がつけた猫の名前をそのまま受け入れることではなかったか。  第二章 夜明けの饗宴《きようえん》  冬の朝は遅い。五時という時刻では、空も樹《き》もまだ黒いままである。カーテンにまつわりついている闇《やみ》も溶ける気配はない。それでも浦野の躯《からだ》は自然に眠りから覚めてくる。もう起きる時間が来ていることを彼の脳髄は正確に感じとるのである。そうすると、首のあたりに冷気を感じ、次の瞬間、彼の眼《め》はためらいもなく開く。両腕を伸ばし、ヘッドボードの横木を掴《つか》んで、全身をずり上げるようにしながらベッドから降りる。浦野が早起きなのは年齢のせいではない。若い頃《ころ》からずっとそうだった。前夜、泥酔《でいすい》したとか、きつい仕事で余程疲れている時とかでなければ、夏冬を問わず、五時には必ず眼を覚ます。そういう体質なのであろう。  波津子《はつこ》や能里子《のりこ》が起き出してくるのは八時前後である。それまでの約三時間が浦野にとっては、一日のうちのもっとも貴重な時間になっている。誰《だれ》にわずらわされることもなく、ひとり自由に振舞える時間なのである。だからといって、実際に、これというほどのことをするわけではない。インスタント・コーヒーを淹《い》れて、ゆっくりと飲み、新聞や雑誌に漫然と目を通したり、手紙を書いたりしているうちに、なんとなく三時間は経《た》ってしまうのである。  夜明けの早い夏には、二キロ余り離れたところにあるオリンピック公園まで散歩してみることもある。時には新刊書を何冊か一気に読みあげてしまうこともある。しかし、そのような何か意味のありそうなことをした時よりも、ただ茫然《ぼうぜん》と過してしまった時のほうが、浦野はかえって心が満たされるものを感じた。人間が自由であることのすばらしさは、ひょっとしたら、どんなことでも出来ることではなくて、どんなこともしなくていいということなのではないか、などとそんな時に彼は思ってみたりもするのである。  このすばらしいひとりぼっちの朝の時間が、パイの出現で、すっかり様子が変ってしまった。  何をしようと、また、何をせずにいようと自由だ、というわけにはもういかない。目を覚ました浦野は、なにはさておきパイの許《もと》に駈《か》けつけなければならないのである。  浦野と波津子は二階の北側の六畳間に、能里子は南側の洋間に寝ている。パイだけがひとりで階下の居間で寝かせられているのだが、これは別段、人間様は上、畜生は下、という差別をしているわけではない。  浦野は躯が火照《ほて》るたちで、この年まで炬燵《こたつ》を使ったことがない。能里子も同様で、つまり、二階の人間どもの寝室には火の気はまったくないのである。  真冬の夜明けの冷えこみはきびしい。火の気のない部屋では零度近くに気温は下る。パイを寝室に入れておくことは、体毛も疎《まば》らな仔猫《こねこ》をきびしい寒気と闘わせることになる。 「そんな可哀《かわい》そうなことはできないわ」 「それじゃァ蒲団《ふとん》の中に入れて、抱いて寝てやるか」 「駄目《だめ》ですよ。もう少し大きくなってからだったらいいけど、私たち、寝相が悪いんですもの、寝ている間に圧《お》し潰《つぶ》しちゃったら大変」 「それもそうだ。おまえのおならでガス中毒死の可能性もあるし……」  などと話しあった結果、階下の居間がパイの寝室ときまったのだ。ここなら触っても火傷《やけど》する心配のない温風式ストーブがある。こいつを一晩中つけっ放しにしておけばいい。 「ええと、あれはどこにあったっけ」  浦野は納戸《なんど》の隅《すみ》をひっくり返して、古い電気スタンドを引っぱり出した。麻雀《マージヤン》大会の賞品に貰《もら》ったもので、アクリル樹脂製だが、行燈《あんどん》風につくってあり、二段切替えで、小さいランプが点《とも》るようになっている。「場末の連れこみ宿みたい」と波津子はけなしつけて、一度も使わずに納戸に放りこんであったものだ。 「そんなもの、どうなさるの」 「パイが夜中に目を覚ました時に、さびしがるといけないから、小さいほうの灯《ひ》をつけておいてやったらどうだろう」 「馬鹿《ばか》らしい。猫は夜目がきくんですよ。さびしがったりするものですか」  波津子は吹き出したが、浦野は提案をひっこめなかった。  パイの目方は四百グラムをちょっと欠いている。浦野の体重は七十二キロだからざっと百八十分の一である。パイが八畳の居間でひとりぼっちで寝るのは、たとえてみれば、浦野が日本武道館の大ホールで、たった一人で夜を明かすようなものではないか。いくら夜目がきくからといって、また猫だからといって、孤独に打ちひしがれないときめつける根拠はない。 「な、そうだろう」 「そういえばそうねえ」  波津子は埃《ほこり》まみれの行燈スタンドを雑巾《ぞうきん》で拭《ふ》いた。 「あんまり枕許《まくらもと》だとまぶしすぎるかも知れないわね」 「枕許だって! パイには枕までさせてやる気かい」 「揚足をとらないで。頭のすぐ近く、という意味ですよ」  とスタンドはストーブと反対側の部屋の隅に置かれることになった。  それぐらいだから浦野には、パイがひとりぼっちの夜を無事で過せたかどうか、案じられてならない。パイが啼《な》いている夢を見ることも何度かあった。朝起きれば、取るものも取りあえず、パイの様子を見に行かずにはいられないのである。  浦野の姿を見ると、パイは、背を丸めてむっくり起き上り、籠《かご》から出て、ちょろちょろと浦野の足許にやってくることもあるが、まるで知らん顔をしていることもある。どういう理由でそんな違いが生じるのか、浦野にはさっぱり分らない。 「おい、どうだ。よく眠れたかい」  と声をかけても、たいがいは返事をしないが、ほんの時たま、かすれた小さい啼き声を返してくることもある。これも何のはずみか分らない。  ベッド用の籠の前に、クッキーの空缶《あきかん》が二つ並べて置いてある。一つは砂が入れてあって、トイレである。もう一つのほうには小皿《こざら》が三枚。「めし」と水とミルクの容器である。「めし」は近くのスーパー・マーケットで買ってくる缶詰のキャット・フードだ。ミミー印の赤缶というやつで一個七十五円である。浦野たちはこれを「ネコカン」と略称していた。  ミルクと水は必ず少し飲み残してあったが、「めし」の小皿はたいていきれいになくなっていた。時々、食べ残していることもあるが、それを鼻先へ持っていっても、もう食べようとしない。匂《にお》いが抜けてしまっているのだろう。いずれにしてもパイの朝食のために新しい缶詰を開けてやらなくてはならない。水やミルクも新しいのと取り替えてやらなくてはならない。雨戸も開けて、新鮮な空気を入れてやらなくてはならない。砂の中を探って排便がしてあれば、それをつまみとってトイレに捨ててやらねばならない。  何をせずにいようと自由だ、というわけにはいかないのである。  ちょっと愚図々々していると、パイは仔猫の分際で一人前に催促する。浦野は缶切りを使ったことなどもう何年もない。ずぼらな上にぶきっちょだから、パイに催促されて気持がせくと、缶詰を取り落したり、缶切りで自分の指を突き刺したりする。血が出れば消毒をしてバンドエイドを貼《は》らなくてはならない。波津子も能里子も寝静まっていて、家の中はまだしーんと夜の気配だというのに、浦野ひとりが天手古舞をしている。  すばらしい自由な朝は、打って変って、忙しい朝になってしまった。  しかし、その忙しさが浦野にはなんともいえず楽しい。楽しいばかりではなく、忘れていた大事なことを思い出させられたり、気づかずにいたいろいろなことを教えられたりして、この上なく心が満たされる思いがするのである。 「待たせたねえ、さあ、御飯だよ」  悪戦苦闘して開けたネコカンの中身をスプーンに一杯分ほど小皿によそって、パイの目の前に置く。湿った室内の空気にまじって、微《かす》かな匂いが立つ。子供の頃、食卓に時々上った大和煮に似た匂いだ。  パイは給仕人には目もくれず、まだ十分に伸びていない白い髭《ひげ》ごと、小さい鼻先を皿に突っこんでくる。うがァ、うがァ、うがッ、と短く、断続する喚声をあげながら。  この喚声をはじめて聞いた時、浦野は、私立大学の予科の学生だった戦争末期、江東区のドラム缶工場に勤労動員でひっぱられていた頃のことを思い出した。  一日に二合何|勺《しやく》かの乏しい配給米すら強慾《ごうよく》な下宿の婆《ばあ》さんにピンハネされて、全部は彼の口に入らなかった。朝早く、長い行列に加われば、外食券なしで食える雑炊もあったが、郷里からの仕送りも滞りがちな浦野には、その雑炊を求める金がなかった。  ドラム缶工場に通うようになってからはいっそうひどいことになった。下宿は一日二食の賄《まかない》つきという約束になっていたから浦野はしょっちゅう昼食を抜いていたが、朝早くからの重労働で、昼抜きは辛《つら》かった。夕方になるとほんとうに目が舞いそうになった。  そんなある日、級友の一人が作業中に浦野を呼出し、倉庫の裏に引っ張って行った。そいつは黙ったまま両手を左右のポケットに突っこむと、素人《しろうと》手品のような覚束《おぼつか》なげな手つきで、さっと引き抜いてみせた。その両手には大きな握り飯が一つずつ掴まれていたが、しばらくの間、浦野にはそれが握り飯だとは信じられなかった。 「どうしたんだ」 「いらんことは聞かんかてええ」  友人が大阪弁《おおさかべん》でそう言うのを聞いて、はじめて、米の飯が目の前にあるという実感が来た。途端に、浦野は「うおーっ」と吼《ほ》えたのである。  食物を目の前にして喚声をあげる、歯を鳴らし、舌鼓《したつづみ》を打って、むしゃぶりつく。それが物を食う本当のかたちではないか。われわれの遠い先祖たちももちろん喚声をあげながら獣の肉を引き裂いたにちがいない。その喚声を失ったところから人間の、いや、俺《おれ》の衰弱ははじまったのではないか。  大きな握り飯を見て「うおーっ」と吼えた頃の俺はかなりしたたかだったな、と浦野は思う。あと数カ月で徴兵検査だったし、文科系学生の徴兵|猶予《ゆうよ》の恩典は前の年に廃止されていたから検査がすめばすぐに戦地に連れて行かれるのは既定の事実みたいなものだった。さっさと志願して海軍予備学生になった奴《やつ》もいたし、どうせ死ぬのだからと自棄《やけ》になっていた奴もいた。おおかたの学生は国の大義に殉ずるなどと頭に血を上らせていたが、そうでない連中にしても、死が不可避の運命だという諦《あきら》めだけは持っていたようだ。  そんな中で、浦野は、冗談じゃない、俺は死ぬのは御免だよ、と尻《しり》をまくったような気持になっていた。脱走したって生きのびてみせると、諦める気なんぞ少しもなかった。浦野がひっぱっていかれたのは内蒙古《うちもうこ》の山奥で、実際には脱走しようにも、その術《すべ》のなかったところだったけれども……。  浦野より一世代前の学生ならダンスや玉突きもしただろうし、平和で享楽《きようらく》的な世の中の空気も少しは吸っただろうが、浦野のそれまでの暮しは惨《みじ》めなものだった。家ももともと貧しかったし、世の中は急速に悪くなっていった。楽しい思いなんてほとんどしたことがない。これから先だってよくなるかどうか分りはしない。それでも死ぬよりは生きているほうがましだろう、と浦野はひとりで力んでいた。情ない空き腹で、だ。  そして、その通り、生きてちゃんと還《かえ》ってきた。  今の俺に、あのしたたかさはあるか。これからまだ二十年か、あるいはそれ以上も生きなければならないのに、もうどうでもいいような気分になっている。それでは困るのじゃないか。もう一度、うおーっと吼えて食物に啖《くら》いつく、あの気概をとりもどさなくてはならない——などと、パイの食いっぷりに見惚《みと》れながらちょっと昂《たかぶ》った気分になったりする。  そんなことをしているうちに、暗い冬の暁天もぼつぼつと白んでくるのである。  生れぞこないの駄猫だと浦野がひとり決めしていたパイは、成長するにつれて思いもかけぬ見事な猫になっていった。疎《まば》らだった体毛は密生して艶《つや》を帯び、四肢《しし》はしなやかに伸びた。まじりっけなしの濃いグレーの毛なみは、浦野はもちろん、猫好きな波津子や能里子もこれまでに見たことがない見事さだといった。  眼は少し出目で、昼間は黄緑のはしばみ色をしているが、夜、大きく見開くと瞳《ひとみ》はびい玉のブルーになる。和猫のように眼尻が吊《つ》り上っていず、ほんの少し垂れている。その眼がさまざまな気持を浦野たちに訴えかけた。猫の鼓動は人間よりかなり速く、大きい。ソファの上でのんびりと午睡している時ですら、パイの胴は回流波のように上下動する。そのたびに光の反射角度が変って、パイの躯は散乱光の発源体となるのである。それは精緻《せいち》な一個の美術品のようであった。  猫についてまったく知識のなかった浦野は、鼠《ねずみ》色の猫なんてものはよっぽどの出来損いで、他には類のないものだろうと思いこんでいたのだが、猫の写真集をいろいろ眺《なが》めてみると、鼠のような色をした猫も結構いるのである。それもみんな貴種であって、高価なものらしい。  バーミーズというのがいる。シャム猫とビルマ土着の短毛種の猫をかけあわせてつくったものだそうだが、こいつが銀灰色をしていて体つきなどもパイそっくりである。ブリティッシュ・ブルーというのは少し褐色《かつしよく》がかった灰色だが、毛なみの具合が鼠によく似ている。ロシア・ブルーというのは、本の解説では「明るい薄紫色がかったブルーの毛でおおわれていて、毛先が銀色なので、毛が輝いて見える」と記されているが、写真で見たところでは濃いグレーで、毛の光沢はパイを凌《しの》ぐほどだ。中でも、コラットという種類はパイそのものといってもいいくらい酷似していた。原産地はタイで、コラットとは「タイの銀」の意味だという。 「パイはコラットなのかねえ」 「そんなはずがないじゃありませんか。野良《のら》の黒猫が父親だとはっきりしているのですから」 「だけどおっ母さんはシャム猫だからね。遠い先祖がコラットと仲良くして、その血をひいているのかもしれない」 「そうだといいけど……」 「冗談じゃない。何がいいものか」  浦野は写真集を閉じ、抛《なげう》つようにテーブルの上に戻《もど》した。欺《だま》された、といってしまっては大袈裟《おおげさ》すぎるが、それに似たような気分になったのである。レオが生んだ五匹の仔猫のうち、浦野がパイを選んだのは、パイがいちばん情なくて哀れっぽいやつだったからだ。おたがい気の置けない同類だと思ったからであった。  浦野が世の中でおよそ苦手としているのは、いわゆる毛並みのいい連中である。曾祖父《そうそふ》は何々藩の御典医で、とか、十何代つづいた旧家で、などという謂《い》われを聞かされると、彼は後しざりしたくなる。そういう人とはなるべくつきあいたくない。折目正しく、気品に満ちあふれた物言いなどされると、尻がむず痒《がゆ》くなり、逃げ出したくなるのである。  骨董《こつとう》、老舗《しにせ》のたぐいも同様で、創業三百年などという店で買物をするとなんとなく落着かない。骨董の値打なぞまったく分らない。貧乏育ちのねじけとひがみのせいなのだろう。  パイを貰《もら》ってきたての頃《ころ》は「こいつの前世はきっと溝鼠《どぶねずみ》だったんだぜ」と、猫としては得体の知れない姿形をからかって嬉《うれ》しがっていたのだった。浦野も祖父の名前までは知っているが、曾祖父になるともう名前も知らないし、何をしていた人かも聞かされたことがない。浦野だって、溝鼠の生れかわりみたいなものだ。  パイが万一、先祖返りをしたコラットだということになると、これはちょっとつきあいにくいことになる。 「おまえはコラットなんかじゃないよなァ。絶対そんなのじゃないよな。おまえは溝鼠の生れ替り。な、そうだろう」  浦野はパイを抱き上げ、その鼻先を突つきながら言った。  パイはまん丸い眼《め》を見ひらいて浦野をみつめ、キュン、と一声、啼いた。 「それは何だい。イエス、という意味かい、それともノーなのかい」  浦野はもう一度、パイの鼻を突ついた。パイはまた、キュン、と啼いた。  容姿は見違えるように見事になったが、パイのおつむのほうはいっこうに成長を遂げないようであった。猫に関して無知な浦野にも、パイは標準よりかなり馬鹿《ばか》な猫ではないかと思われた。 「頭は悪いし、それに愚図ですよ」  波津子もその点は同じ意見だった。  貰ってきてから一カ月ほどして、浦野はパイを庭に出してみた。いきなり放して遁走《とんそう》されても困るので、長い紐《ひも》を首にゆわえ、片方の端をベランダの支柱にくくりつけた。パイはしばらく、大はしゃぎで庭をはねまわっていたが、急に気配が静かになった。浦野がふりかえってみると、蔓薔薇《つるばら》を絡《から》ませてあるパイプ製のアーチの脚に、パイは紐を縺《もつ》れさせて身動きできなくなっている。  おかしいのは、まるっきりもがこうとしないことだった。縺れた紐をほどくのは無理にしても、せめてじたばたぐらいはしたらどうだ、一声ぐらい啼いたらどうだ、と浦野は苦笑した。紐が絡んで短くなり、動けなくなったらそのまま黙ってじっとしているというのは、どういう料簡《りようけん》なのか。それでおまえは敏捷《びんしよう》果敢な猫属の一員といえるか、と呆《あき》れたのである。  三年前に会社と銀行から金を借りて建てた家は、三十坪足らずのちっぽけなプレハブだが、日当りのいいのだけが取り柄《え》だ。特に南に面した居間は冬になると日が深く射しこむので、日中は暖房の必要がないくらい暖かい。そのせいだろう、蠅《はえ》が二、三匹、いつまでも残っている。パイが珍しく、耳を後方に折り曲げ、躯《からだ》を低く伏せて、攻撃姿勢をとっているので、狙《ねら》っている方角を見ると、大粒の黒豆ほどもある冬の蠅が重くなり過ぎて飛ぶのも億劫《おつくう》だという様子で、ガラス戸の敷居のあたりをふらふらしている。パイには手軽過ぎる獲物だろうと、浦野が眺めていると、パイはなかなか飛びかかっていかない。時々、腰を揺すって、今にも突進しそうな様子を見せるが、それだけである。  そのうちに気が逸《そ》れたか、躯を起すと、編物をしている波津子のほうへもそもそと歩いていってしまう。 「なんだ、お前は、蠅一匹とれないのか」  浦野は、出来の悪い息子を持った父親のような心境になるのである。  パイの間抜けぶりは、他の猫たちと較《くら》べることで、ますますはっきりしてきた。  パイの次に浦野の家の内猫になったのは牝《めす》猫のマミである。パイがやって来てから五カ月ほど経《た》って、波津子は「私の猫が欲しい」と言い出した。「パイはあなただけの猫になっちゃったんだもの」と彼女は不満を訴えた。たしかに、浦野がパイを可愛《かわい》がる以上に、パイのほうが浦野にべったりなついてしまっていた。浦野が家にいる時は、パイは浦野のそばを離れず、波津子や能里子がいくら呼んでも振りむきもしないのであった。 「私のほうがあなたよりパイと一緒にいる時間はずっと長いのだし、世話だってしているのにどうしてなのかしら」  と波津子は首をかしげるのだが、それは、夜明けのひととき、浦野とパイがどんなに濃密なふたりきりの時間を過しているかを知らないからである。 「三原先生のところのレオちゃん、また赤ちゃんを生む頃じゃないかしら。もう一匹いただけないかしら」  と波津子にせがまれて、浦野は三原の家に出かけた。そして、 「うん、ちょうどいい。こんどは交配がうまくいってね。純粋のシャムが五匹生れた。好きなのを持っていっていいよ」  とまるでお誂《あつら》えのように分けてもらえたのがマミである。すると今度は、能里子が「私だって自分の猫が欲しいわ」と言って、純白の牡《おす》の仔猫を拾ってきた。彼女はそれをウサギと名づけた。捨て猫だからもちろん正確な生れ月は分らないが、獣医に診てもらったら、歯の生え具合から判断して、マミよりは二、三カ月早く生れたのではないか、ということであった。  シャムと日本猫の混血。純粋シャム。純粋日本猫。毛色も濃灰色にベージュに真っ白と、取りあわせもよく三匹の飼猫が揃《そろ》ったわけだが、その頃になると、庭にやってくる野良猫の数も急に増えた。パイが来るまでは、ほんの時たま、気まぐれに餌《えさ》を与える程度だったのだが、パイ、マミ、ウサギと三匹分の猫の食事をつくるようになってからは、ついでに野良猫の分もちゃんとつくってやろうということになった。浦野の家に行けば飯にありつけるぞ。そんな情報は野良猫同士の間では素早く伝達されるのだろう。つぎつぎに新顔の野良猫が顔を出し、時には十匹も雁首《がんくび》を揃えることがあった。それらの野良猫たちや、また、マミやウサギと比較してみると、パイののろまさや臆病《おくびよう》さはまことによく分るのである。  マミやウサギに鏡を見せると、強い反応を示した。マミは鏡に映る自分の姿にいきなり飛びかかったし、ウサギは鏡の裏側に素早く回りこみ、敵はそこに隠れているのではないか、と探した。だが、パイは鏡を一瞥《いちべつ》するだけで、何だろうという顔もしなかった。驚きも、好奇心もパイの表情にはあらわれなかった。 「パイは自分のことを人間だと思っているのじゃないかしら」  波津子が首をかしげた。  窓の外の野良猫に対する反応もそうだ。マミやウサギは、野良猫どもの来訪に憤慨して、うなったり、威嚇《いかく》するように背を高くしたり、時に応じてさまざまな対応を見せた。パイだけがそれをしない。野良猫たちは自分とは縁もゆかりもない別種の生きものだとでも思っているかのように、パイは野良猫たちを無視した。  人間のことを自分たちと同じ猫の仲間だと思いこむ飼猫は多いらしいが、パイの場合は反対で、自分が人間の仲間だと信じている素振りが、たしかにあった。  台所と居間とを仕切っている引戸は、猫たちが自由に行き来できるように、ほんの少し隙間《すきま》をあけておくことにしていたが、浦野も波津子も、時々うっかりしてぴったり閉めてしまったり、隙間が狭すぎたりすることがある。  そんな時、マミは戸の前に四肢《しし》を踏んばるように傲然《ごうぜん》と構えて位置し、 「クワオッ、クワオッ」  と叫ぶ。それは、人間に対して「早く戸を開けてよ」と命令する叫びで、びっくりするほど大きい声なのである。浦野も波津子も、もちろん慌《あわ》てて立ち上り、戸を開けに行く。 「ごめん、ごめん、うっかりしてたんだよ」  と謝りもする。戸を開けてやらないと、いっそう啼き募って容赦しない。  ウサギは悧巧《りこう》な猫だからもっとはっきり意思伝達をする。戸の隙間に首を少し入れてみて、髭《ひげ》がつっかえるようだと、さっさとUターンしてくる。猫の髭は鼻の両脇《りようわき》からだけではなく、顴骨《けんこつ》や眼の上あたりからも伸びていて、これらの髭の先端を結ぶと円形を描く。この輪の大きさが、その猫が通り抜けられる限度を示しているのである。  戻ってきたウサギは、浦野なり波津子なりの足を前肢《まえあし》でちょんと突ついて注意を喚起してから、「ニイ」と啼き、顔を戸の方に向けてみせる。「あんな狭い隙間では駄目《だめ》じゃありませんか。ちゃんと通れるように開けて下さいよ」というわけだ。  編物をしている波津子が「もうちょっとで一区切りだから」と手を休めないでいると、じっと待っている。そして、波津子が立ち上ると、そのあとについていそいそとした足どりで戸の方に向うのである。  波津子が台所にいて、ウサギが居間から台所に行きたいのに戸がぴったり閉まっていることがある。そんな時、ウサギはなんとノックをするのである。誰《だれ》も仕込みはしないのに、だ。そのノックもいい加減にするのではない。後肢で立ち上り、前肢を伸ばして、戸の引手の金具のところを叩《たた》く。人間が戸を開ける時、その場所に手をかけることをちゃんと見て知っているのである。  それにくらべるとパイは情ない。啼きもしなければ戸を引っ掻《か》きもせず、隙間の前にちょこんと坐《すわ》って、じっと人間の方を見ているだけだ。テレビに夢中になっていた波津子がたまたまふっと戸の方に首を動かすと、そこにもう三十分以上も前から待っていたような気配でパイがうずくまっている、というあんばいなのである。  もっと歯痒《はがゆ》いのは、隙間の幅の判別ができないことだ。十分通れるぐらいの隙間なのに、やや狭めだと、首を突っこんでみることもせず、「こりゃ駄目だ」とはじめから諦《あきら》めて待機の姿勢に入ってしまう。 「パイちゃん、それだけの隙間があれば通れるよ。大丈夫だよ。さ、早くこちらへお出《い》で」  と声をかけても、頼りなげな目つきでこちらを見返すだけだ。身幅の三倍以上の大きな隙間をあけてやらないと通ろうとしない。  どんなに贔屓目《ひいきめ》にみても賢い猫だとは言い難《がた》い。だが、賢くないことがパイにどんな不利益をもたらしたかと問われれば、浦野は答えるのに逡巡《しゆんじゆん》しないわけにはいかない。  ちゃんと「自分の猫」を手に入れたにもかかわらず、波津子や能里子の気持は結局パイから離れることができなかった。 「やっぱりパイちゃんが一番可愛い。パイはお父さんだけの猫にしないで。三人の猫よ。ね、お願い」  能里子はパイを抱きしめた。波津子は、 「ウサギやマミは少々放っておいても平気だけれど、パイはしばらく姿が見えないと気になって仕方がない」  と言った。  たしかに、パイには人の心を深く銜《くわ》えて離さないところがあった。それはパイが自然に従って生きている猫だからだ、と浦野には思えた。野良猫の狡智《こうち》も飼猫の阿諛《あゆ》もパイにはなかった。いたずらに賢くないところがパイのすぐれた稟質《ひんしつ》なのである。人間はなまじい賢くあるために自然に生きることができない。自然に死ぬこともできない。知恵が人間を自然から遠ざけているのであり、その意味からすれば、なまなかの知恵は美徳なんかでは決してない。知恵は人間から大切なものを多く奪ってしまったとも考えられる。その奪われたものが何であるかを、パイは俺《おれ》たちに教えてくれるのではないか、だから俺たちはパイが気になって仕方がないのではないか、浦野はしだいにそう確信するようになった。  第三章 外猫《そとねこ》たちの掟《おきて》  波津子《はつこ》の呼ぶ声に、浦野が玄関に出てみると、顔見知りの少年がちっぽけな白黒のぶち猫を胸に抱き、真剣な表情で、三和土《たたき》に立っていた。彼は浦野の顔を見ると、いきなり、 「お願いします」  と頭を下げた。 「その猫をうちで飼ってほしいというのよ」  波津子が傍《そば》から口を添えた。  少年は四、五軒先の佐々木という家の息子で、近くの中学校に通っている。浦野の家の庭で猫たちが転げまわっているのを学校帰りの少年がフェンスの外から一時間近くも飽きずに眺《なが》めているのを見かけて、波津子が声をかけた。そんなことから少年は時々、浦野のいない昼間、居間に上りこんでパイたちと遊ぶようになった。カメラが趣味らしく、猫の写真を何枚も撮り、大きく引伸して持ってきてくれたりした。母親が気管支が弱く、猫の毛が飛ぶのをいやがるので、どんなにせがんでも猫を飼わしてもらえないのだとのことだった。  仔《こ》猫は、少年の家の塀《へい》の外で二晩|啼《な》きつづけていた捨て猫なのだという。 「こんなに弱っちゃって。このまま放っておいたら死んでしまいます。どうか助けてやって下さい。お願いします」  うちでそうしつけられているのだろう。少年の言葉遣いは、中学生にしてはちょっと滑稽《こつけい》にも思えるほど折目正しかった。 「どれ、こっちへ寄越《よこ》しなさい」  浦野は両手を差しのべた。  少年が帰っていったあと、つくづく眺めてみると、いかにも不縹緻《ぶきりよう》な仔猫だった。 「仔猫でこんなでは大人になってからが思いやられるわ。牡かしら。牝だったら可哀《かわい》そうね」 「それに、愛嬌《あいきよう》もないじゃないか」  ひどく衰弱していることは事実なのに、哀れっぽい印象がない。強情で、人づきあいが悪そうな感じで、ひねくれた戦災孤児、といった風体である。 「とにかく、風呂《ふろ》へ入れてやるんだな。これじゃ医者へも連れて行けやしない」  泥《どろ》が顔から首へかけてこびりついていた。 「きれいにすれば少しは可愛くなるかしら」 「あんまり変りばえもしなさそうだな、こいつは」 「パイちゃんたちと仲よくしてくれるといいけど……」  波津子はそれが一番気になるらしかった。パイは新しい仲間の到来も気づかず、居間のソファで、仰向《あおむ》けに引っくり返って眠りこけていた。ウサギとマミは外に遊びに出かけていて、いなかった。  だが、その仔猫はパイたちの仲間にはならなかった。ほんのちょっとした隙をみて、波津子の手をすりぬけ、庭へ飛び出していったそいつは、浦野たちがいくら呼んでも、二度と家の中へは入って来ようとしなかった。そのくせ、庭から外へは出ていこうとせず、テラスに置いてあるフラワー・スタンドのまわりをあやうげな足どりで歩きまわったり、植木鉢の蔭《かげ》にうずくまったりしていた。 「しょうがないわねえ。外猫にしましょうか」 「だけど、あの弱った体で保《も》つかな」 「もう暖かくなったし、大丈夫じゃないかしら」  波津子は泥だらけの仔猫と、蝶《ちよう》の翅《はね》のように風に揺れているパンジーの花びらとを見くらべながら言った。  この界隈《かいわい》はむやみに野良《のら》猫の多いところだが、野良猫にも二種類あった。  一つは、本野良というか、溝鼠《どぶねずみ》や野鳥を襲い、塵芥《じんかい》集積所のポリ・バケツに首をつっこんで厨芥《ちゆうかい》の入ったビニール袋を食いちぎり、時には無人の台所に忍びこんでテーブルの上のソーセージを掠《かす》めとったりなどして、完全に自活している昔ながらの野良猫である。もう一つは、人間に愛想を使って餌場を確保している連中だ。本野良は今や少数派であり、大概の野良猫は後者に属している。彼らは、縁側から家の中をのぞきこんで可愛らしく啼いてみせさえすれば、余りものの肉片や魚の食べ残しなどを投げてくれる家をテリトリーの中に何軒か持っており、それらの家を巡回していれば、ポリ・バケツなどを漁《あさ》らずとも食べるものには事欠かないのである。  病気になれば医者に連れていってもらうことさえ稀《まれ》にはできたし、ある猫たちは首輪や鈴をつけてもらったり、名前を与えられたりもしていた。家の中に入れてもらえないだけで、ほとんど飼猫にも等しい優雅な生活を彼らは享受《きようじゆ》していた。野良猫という言葉が持つ獰猛《どうもう》な語感はこれらの猫どもにはいかにもふさわしくない、と界隈の人々は感じたのであろう。本野良と区別して「外猫」といつからか呼びならわすようになった。外猫から昇格して、「内猫」すなわち飼猫になったのもいた。  浦野家でも、内猫はパイとマミとウサギの三匹だが、それに数倍する数の外猫がいつのまにか居ついてしまっている。  外猫にもまたいくつかの流儀がある。寝場所から三度の食事まで、生活のすべてを一軒の家に依存している専属組もいるし、寝るのは甲家、食べるのは乙家と区別している食寝分離組もいる。また、丙家に一週間居つづけたかと思うと、丁家に三日、戊《ぼ》家に五日、そしてふたたび丙家にという周遊派もいる。  少年が連れてきた醜い仔猫も、専属の外猫になる気があれば、ミルクや魚や肉も十分に与えてやることができるし、彼が衰えた体力を回復するのも遠くはないだろう、と波津子は予測したのである。  その日の夕方、学校から帰ってきた能里子《のりこ》は庭の鈴蘭水仙《すずらんすいせん》の葉群《はむら》の蔭にうずくまっている見馴《みな》れぬ仔猫をみつけて、 「この子、どうしたのよ」  と素《す》ッ頓狂《とんきよう》な声をあげた。あまりにも見事な汚れっぷりと不縹緻ぶりに呆《あき》れたのだ。波津子が事情を説明したが、「この子はねえ」とか「この子ったらなつかない子でねえ」などと言っているうちに、「コノコ」というのがそのひねくれ猫の名前にきまってしまった。  外猫でも名前を貰《もら》えないのがいる。まだ馴染《なじ》みが浅いとか、よく顔は見るが今ひとつ気が置けて名前をつけてやる気になれないとか、理由はいろいろだが、とにかく名前が与えられないということは、正社員ではなくて、嘱託とかアルバイトの身分の外猫だということだ。外猫で名前を貰うにはそれなりのキャリアや才覚が必要なのである。  コノコがいきなり名前を与えられたのは、少年の口添えのおかげであろう。彼は外猫としては幸運な門出をしたといわなくてはなるまい。  浦野家における外猫第一号は「ヨウカン」である。これはかなり年とった黒猫の牝《めす》で、非常に排他的なやつであった。庭の西端に置いてあるプレハブの物置の屋根に乗って、いつもあたりを睥睨《へいげい》していた。まじりっけがないのはいいのだが、老齢のせいか、毛づくろいが悪いせいか、黒い毛並みが全体に薄汚れて、浪人者の黒紋付のような羊羹色《ようかんいろ》をしていたところから「ヨウカン」と名づけられたものだった。  この「ヨウカン」が白と薄灰色のぶちのもさっとした牡《おす》猫をどこからか連れてきて、日当りのいいテラスで並んでのんびり昼寝をしたり、いちゃついたりした。この牡猫もかなりの年寄りで、二匹は似合いの夫婦と見えた。「ヨウカン」の亭主《ていしゆ》だからと、この外猫第二号は「ヨウテイ」と名づけられた。この二匹は大猫で、顔つきも獰猛だったので、猫に馴れない浦野にはおそろしくて手が出せなかった。浦野が勤めに出て留守の日中に、波津子や能里子がひそかに名前をつけて、かまっていたのであった。二匹の名前を浦野が知ったのも、後になってからのことである。  ヨウテイと相前後してやって来るようになったのが、ソーセージやチーズの好きな、牝の黒猫の仔猫である。特にチーズが大好物で、浦野がはじめて自分の掌《てのひら》から猫に食べさせたのもチーズの切れっぱしであった。そんなことからこの仔猫には「チーズ」という名前がつけられた。  パイが来てから間もなく、白黒のぶち猫が三匹連れ立ってやって来、居ついてしまった。三匹ともぶちの入り具合や背|恰好《かつこう》は似ているのだが、容貌《ようぼう》だけがひどく違った。栗原小巻《くりはらこまき》と菅井《すがい》きんと上田吉二郎が並んだあんばいである。小巻に似たのが「ミス・ブチ」、菅井きんに似たのが「ブス・ブチ」、もう一匹が「ボス・ブチ」と最初は名づけられたが、三匹を交互に呼んでいると舌を噛《か》みそうになったので、「ミス」「ブス」「ボス」と略すことになった。  その他、三毛猫の「ミーコ」、鼻の先端に黒い斑点《はんてん》がちょんと付いた「チョンベ」、赤猫の「アカベ」、黒猫で胸のあたりだけが四角く白く、ちょうどエプロンを掛けたように見える「エプロン」、等々、入れかわり立ちかわりする外猫たちは両掌《りようて》の指では数え切れないほどになった。 「こんな調子だと今に庭じゅう猫だらけになってしまうぞ」  浦野は悲鳴をあげたが、波津子は、 「見ていると、これで結構、猫の世界にも秩序と仁義があって、外来者はそう簡単には仲間に入れてもらえないらしいのよ。でたらめに増えることはないと思うわ」  と平然としていた。  猫のテリトリーは意外に狭く、またそれは厳格に守られていて、容易に他者を許容しないものなのである。たまに縄張《なわば》りの違う猫がやってくることがあっても、それは通り過ぎていくだけで、餌《えさ》の入っているボウルに首を突っこんだりはしない。そんなことをしようものならたちまち戦争になる。  すでに出来上っている縄張りの中に、新しく入りこむためには、先住者たちによるきびしい審査を受けなければならない。それは人間から名前を授けられることなどよりもっと本質的に大切なことなのである。  浦野家の外猫たちを見ても、あとから仲間入りする連中は、先輩になにかしら手土産を持ってくるとか、服従を誓うとか、そんなふうなことをしているようであった。  それなのに、ひねくれ仔猫のコノコはそれをしようとしなかった。  彼は浦野たちに対して拒否的であったと同様、先輩の外猫たちに非恭順的であった。ちびで、非力で、しかも新参のくせに、彼は先輩たちに敬意を払おうとしない。当然の結果として、全員からいじめられることになる。コノコは追いかけられて逃げまわりながらも、時々振りかえっては、おとな猫に対して「ふうーッ」と威嚇《いかく》の鼻息を吹く。その顔がまた小憎らしいのだ。 「あれじゃ仕様がないわね」  と波津子は眉《まゆ》をひそめた。 「佐々木クンが学校帰りに、きょろきょろ庭を覗《のぞ》いていくのよ」 「コノコの様子を見たいのだろう」 「そうなのよ。だけど、ほんとうのことはちょっと話しにくいし、困っちゃったわ」  コノコはおとな猫が入ってこられない、フラワー・ボックスと壁の間とか、物置の裏側とかの狭い隙間《すきま》にもぐりこんで、昼間は身をひそめている。夜になって、おとな猫が夜遊びに出かけた留守にこそこそと這《は》い出てきて、餌ボウルの食い残しを懸命に舐《な》める。佐々木少年がいくら覗きこんでも姿をみつけることができないはずである。 「姿が見えないのは、家の中で大事に飼われてるからだと思っているかもしれないわね」 「コノコに万一のことがあったら、おれたちはあの少年の信頼を裏切ることになる。寝覚めの悪い思いをするなあ」  浦野もせつない気持だった。  波津子がつけている「猫日記」を見ると、はじめ四百グラム足らずだったパイは、一月三十一日、四百七十グラム。二月三日、五百二十グラム。二月五日、五百七十グラム。二月七日、六百十グラム。二月八日、六百五十グラム、と毎日、確実に目方が増えている。成長期というのはまさにそういうものなのだ。それなのに、コノコは大きくなるどころか、浦野の眼《め》には気のせいか、だんだんしぼんでいくように見えた。真夜中の、ほんの一舐め、二舐め程度の盗み食いでは、生きていくのがやっとで、成長するどころではないのだろう。  早朝、浦野がパイに食事を用意したあと、雨戸を開けると、その音に驚いて、それまでどこかに隠れていたコノコが脚を縺《もつ》れさせながら逃げていく。 「馬鹿《ばか》なやつだよ、お前は」  コノコが姿を消した寒椿《かんつばき》の繁《しげ》みのあたりに視線をやったまま浦野は佇《た》ちつくす。稟質《ひんしつ》に恵まれていないくせに、やたらに自我ばかり強くて、ひねくれていて、自分から求めて困苦を身のまわりに掻《か》き集めているのはコノコだけではない、俺《おれ》だって似たようなことをやってきたではないか、と浦野はふと苦笑を洩《も》らしそうになるのだ。  新聞社に勤め出してまだ三、四年目のころのことだ。会社の近くの喫茶店で浦野は同僚たちと上役の悪口を言いあっていた。むやみに威張るので「天皇」という仇名《あだな》がついていた羽根田という部長を槍玉《やりだま》に上げていたのである。羽根田天皇を略して「ハネ天」と呼ぶ社員が多かったが、浦野たちはもっと嘲弄《ちようろう》的に「ハゲ天」と呼んでいた。実際に羽根田は禿《は》げてもいたし、社の近くに「はげ天」という天ぷら屋があった。  調子に乗ってわいわい言っていた仲間が急に顔色を変えて口を噤《つぐ》んだ。奥のボックス席に当の羽根田がいたのである。用談が済んだらしく、立ち上った羽根田は連れと一緒に出口のほうに歩いてくる。  浦野もみんなと同じように口を閉じるか、話題を転ずべきだったのだろうが、それができなかった。仲間への虚勢である。それと、どうせそれまでの高声が羽根田の耳に聞えていないはずはないし、そうだとすれば、今さら他《ほか》の話題に切り換えたところで、かえって空々しいと思われるだけだろう、といった計算もあった。  浦野たちが坐《すわ》っている席のそばを羽根田が通り抜けていく時、それに気づかぬふりをして浦野は、 「ハゲ天のやつときたらさ……」  とことさら大声をあげた。  ハゲ天もまた浦野の声をまったく無視して店を出て行った。  やはりその頃《ころ》のことだが、浦野は仕事の上でちょっとしたミスをして主任から叱責《しつせき》を受けた。ミスが自分の不注意によるものであることは浦野も認めたが、叱《しか》りつけた相手が主任であることが気に入らなかった。その仕事は主任の指示で行ったものであり、ミスは主任のミス・リードによる部分もないではなかった。責任を問われるなら、浦野が七分、主任が三分、といったところだろうと浦野には思われた。  それなのに主任は、自分はまるで関係のないような叱り方をした。主任は要領のいい立回りをする男で、もともと浦野は好感を持っていなかった。浦野を叱ることでミスの原因が全部浦野にあるように印象づけようとする主任の態度に彼は腹を立て、 「おれがあんたに謝る筋合はない」  とつっぱねた。 「ミスをして社に迷惑をかけて、それで謝りもしないというのかい」 「謝らないとはいってない。あんたに謝る気はない、といっているんだ」 「じゃア、誰《だれ》に謝るのだね」  追いつめられた浦野の口から「会社に迷惑をかけたのだから社長に謝りに行く」と破れかぶれの言葉が飛び出した。  浦野が勤める新聞社の社長は天下周知の大ワンマンで、重役でさえ社長から呼びつけられない限り、自分のほうから会いに行くことは滅多になかった。実際にまた、社長はその頃国務大臣のポストにもついており、多忙を極めていた。新聞社の実務は女婿《じよせい》である副社長がほとんどつかさどっていた。ヒラ記者が社長に会いに行っても秘書室で追っ払われるのがおちである。何を血迷ったのかと主任は浦野に冷笑を浴びせた。  しかし、その夜、浦野は逗子《ずし》にある社長の私邸に押しかけ、四時間もねばって、社長に面会を許され、謝罪の口上を自分の口から社長に直接申し述べることに成功したのである。社長は「今後は気をつけるんだな」と一言いっただけで引っ込んでしまった。  無分別でひとりよがりな若者に腹を立てている様子が浦野にも分った。社長の家の門を出た時、彼はもうすっかりしょげていた。 (明日は主任に『ちゃんと社長に会って謝って来ましたよ』と啖呵《たんか》を切って鼻を明かしてやるんだ)とつい先刻《さつき》まで意気込んでいた気持は跡形もなく消えていた。  こうした愚かしいしくじりを浦野は、若気の至りという弁解がもうきかない年齢になってまで繰り返した。  万国博が開かれる前の年、銀座のビルの電光掲示板に「万国博まであと○○○日」という日数が標示されて話題になったことがある。 「部長連中が定年まであと何日あるか、一覧表があって、毎日数字が差し替えられれば面白《おもしろ》いだろうな」  と誰かが言い出した。酒席での座興なのだが、そういうことにすぐ乗ってしまう癖が浦野にはある。三日ほどかけて浦野は主だった部長たちの生年月日を調べ、一覧表を作った。 「うん、これは貴重な資料だ。俺たちだけで楽しんでいては勿体《もつたい》ない」浦野より一年上の男が一覧表の上を平手でばんばん叩《たた》きながら言った。やはり盃《さかずき》を間に置いた席でのことだ。 「若い連中にも見せてやろう。励みになる」 「励みに?」 「そうさ。俺だって高畑の野郎があと二年と十カ月で定年とは知らなかった。そうと分れば、もうしばらくの辛抱なのだから喧嘩《けんか》するのはこらえておこうという気に今なったよ。若い連中だって同じことだろう」  翌日、浦野は御苦労にも大きい紙に一覧表を清書し、編集局がある三階の廊下の壁に貼《は》り出した。案の定、大変な人だかりで、中には写し取っているやつもいた。  夕方、取材から戻《もど》ってくると、貼紙は取り去られており、浦野は総務部長に呼びつけられた。形式的には、社内での掲示は総務部の事前許可が要ることになっている、その規則に違反したことになるが、そんなことよりも、定年まであと何日と書かれた人の身になってみろ、と総務部長はおだやかな口調で言った。虚をつかれた感じで、浦野はたじろいだ。  それなのに彼は、その時、どうしても頭を下げることができなかった。子供のようにふくれっ面《つら》をしながら依怙地《いこじ》に黙り通した。ひとりになってから、そんな自分がつくづく厭《いや》になって、自棄酒《やけざけ》を飲んだだけであった。  暫《しばら》く後になって、彼は、総務部長が「浦野という男はもう少ししゃんとしているかと思っていたが案外駄目な奴《やつ》だな」と言っている、というのを耳にして、あらためて悔やんだ。総務部長が浦野になんとなく好意を持ってくれているらしいことは薄々感じてはいたのである。その好意をこちらから押し返すような仕打ちをしたわけで、我ながら馬鹿な真似をしたと思うしかなかった。  元来が浦野は嘱託から本採用になった変則入社の社員であって、正規の入社試験を通ってきた連中のように日の当るポストにいたわけではない。それが意地や虚勢でますます自分の位置を傍へ傍へとずらしていく。愚かとしか言いようがないが、それを今さら悔いてみてもどうしようもない年齢になってしまっている。 「どうしたんですか。そんなところでぼんやり突っ立ってらして」  いつ二階から降りて来たのか、波津子が寝巻姿でうしろに立っていた。まだ起き出す時間ではない。小用でも足しに来たのだろう。 「大丈夫だろうか」 「え?」 「コノコのことだよ。あいつはどうも駄目なような気がする」 「どうして?」 「あいつ、俺に似ているからなあ」 「妙なことを言わないで頂戴《ちようだい》。大丈夫よ。ああいう駄猫は案外しぶといものなのですよ」  波津子は、自分こそ浦野が気を悪くするかもしれないことを言って、しかもそれに気がつかずにいる。 「そんなに心配だったら、ぐだぐだ考えているよりつかまえてミルクのひとつも飲ませてやったらどうなんですか」  波津子は朝っぱらからひがみ亭主《ていしゆ》の繰り言の相手なんかしていられない、という顔で、また二階へ上って行った。  第四章 尻尾《しつぽ》のないやつ  その日、浦野はキャビネ版に引き伸ばしたパイのカラー写真を持って、会社に出かけた。帰りに、三原の家に寄るつもりであった。  パイを貰《もら》ってきてからもう七カ月になる。袂糞《たもとくそ》のかたまりみたいな、仔猫《こねこ》ともいえないようなちっぽけな生きものを抱いて、心細い思いで真夜中の環状道路にタクシーを走らせたのは、道沿いの裸木が風の中で身をすくめている季節だった。今はもう夏の終りで、毎日、熱い夕焼けがビルの街をすっぽりと蔽《おお》いつつんでいる。  今さらのように、浦野は月日の経《た》つことの早いのに驚く。しかし、人間よりも猫にとって、時の経過はいっそう迅《はや》い。仔猫の一カ月は人間のほぼ一年半に当るそうだから、パイはもう中学生ぐらいになっている勘定だろうか。少年の無垢《むく》な凜々《りり》しさをパイは躯《からだ》じゅうにあふれさせていて、贔屓《ひいき》目で見るせいか、浦野には、手もとにある何冊かの猫の写真集に掲載されているどんな珍種、奇種の猫に較《くら》べても見劣りはしないと思える。波津子《はつこ》も同じ意見であった。  埃《ほこり》っぽい薄灰色で、地肌《じはだ》が透けて見えるほど疎《まば》らだったパイの毛並みがいきいきとした艶《つや》を帯び、天鵞絨《ビロード》のように濃密になってきたのは、貰ってきてから二カ月あまり経ってからである。その頃からパイは驚くほどの勢いで変貌《へんぼう》をはじめた。髭《ひげ》が鋭くなり、四肢《しし》、とくに後肢の大腿部《だいたいぶ》あたりがしなやかになり、胴が充実し、と次々に躯の資質が整えられていく。その確かな成長ぶりは見事というほかなかった。 「三原先生に早く御覧に入れたいわ。ほんとうは実物のパイちゃんを見ていただきたいのだけれど……。写真だけでもお送りしなくては……」  アルバムにパイの新しい写真を貼るたびに波津子は言った。浦野は、 「だけど、写真だけぽんと郵便でお送りするのは失礼だよ。俺が写真を持参してちゃんと挨拶《あいさつ》をしてくる」  と言いながら、一寸延ばしに日を延ばし、もう長い間、三原の家には行っていなかった。考えてみるとマミを貰いに行った時以来の御無沙汰《ごぶさた》だ。それはしかし、必ずしも彼のずぼらのせいばかりではなかった。  パイが見違えるような成長を遂げたことは、浦野にとってもちろん大変|嬉《うれ》しいことには違いないのだが、同時にまた、予測しなかった結果に直面した途惑いの気持もある。彼がパイを選んだのは、生れそこないのみそっかすで、いかにもはかなげな様子に惹《ひ》かれたからであった。こういう猫なら自分に似合いそうだと思って指さしたのに、それがまるであてはずれではないか。もっとも、あてはずれだと思っているのは浦野だけであって、猫のことに詳しい三原は、パイがこんなふうに見事な猫に育つことをはじめから承知していたのかも知れない。浦野がパイを指さした時、三原が「やっぱり、そうかい」と言ったのは、哀れっぽいものにすぐ心を惹かれる浦野の気持の、それは嘘《うそ》ではないにしても、それとは別の強がりがないではないことを見通していたからではないだろうか。  波津子のように、天真|爛漫《らんまん》に「うちのパイちゃん、こんなに立派になりました。見て下さい。見て、見て!」と叫ぶことは浦野には到底できない。 「何ですか、妙な具合に、こんな立派になっちまいましてね」  と頭を掻いてみせるほかないが、それもまた気取りが過ぎることのように思われ、そんなこんなの思案を重ねているうちに、ずるずると日にちが経ってしまった。その挙句が、しびれを切らした波津子に「きょうは絶対に三原先生のところへうかがって下さい」とパイの写真をポケットにねじこまれることになったのである。  三原の家は国電中央線のN駅から十分ばかり歩いた住宅街の一画にある。道は妙に曲りくねっていて幅も狭い。戦後の分譲住宅地と違って、このあたりの昔からの住宅街は道筋が分りにくいのが特徴だ。方向感覚の極端に欠けている浦野は、駅から一度も迷わずに三原の家に行けるようになるまで随分かかった。三原に言わせると「人間でもけだものでも、棲《す》み家《か》というのはできるだけ他者には気づかれない所につくるものだ。誰にでもすぐ見つけられるような家は、棲み家の本質にそむくもの」なのだそうだが、そんな講釈をいうわりには、三原の家は大きなガラス張りのアトリエの屋根がそびえていて、家並みの中ではひときわ目立つ。しかし、これは職業|柄《がら》致し方ないことだろう。  三原は、今、一仕事終ったところだ、といって、左千代に酌《しやく》をさせて酒を飲んでいた。珍しく客は一人もいなかった。 「ご夫婦水入らずの酒盛りとはお羨《うらや》ましい。新記録じゃありませんか」 「なに、君が来たからもう水入らずじゃなくなったわけだ。なにが新記録なものか」  仕事の調子もよかったのだろう。三原は上機嫌《じようきげん》だった。左千代も少し飲んだせいか、目もとをちょっと赤く染めている。  ポケットからパイの写真を取り出そうとして、浦野はなんと挨拶したらいいか、と途惑った。この七カ月間のさまざまなことが一時に思い出されたからである。パイがやって来てからの浦野たちの生活は、それまでとは本質的な意味で全く違うものになった、といっても誇張ではないように彼には思える。単にペットの仔猫一匹がやって来たのではない。革命がやって来たのである。なにもかもが変った。新しい発見もあったし、蘇《よみがえ》った貴重なものもあった。パイがもたらしてくれたものがどんなに大きいかをどう言えば三原にちゃんと伝えることができるだろうか。 「あのウ……」  浦野は口籠《くちごも》った。 「なんだい」 「頂戴した猫、こんなになりました」  写真を差出しながら、結局、浦野はそれだけしか言えなかった。三原は、 「うん、随分、大きくなったな」  と一言いっただけで、写真をすぐに左千代に手渡した。浦野が、おや、と思うほどの素っ気なさだった。それにひきかえ、左千代は写真をいつまでも手に持って離そうとしない。 「元気そうねえ」 「元気過ぎて困るくらいです。近頃はマミとよく遊ぶようになったので、少しおとなしくなりましたけれど、その前は閉口しました。特に猛獣タイムになると手がつけられません」 「なアに? その猛獣タイムというのは」 「毎晩十時前になると、突然暴れ出したのですが、それがもう無茶苦茶でしてね」  パイは、躯だけはぐいぐい見事に育ったが、動作のほうは躯に似合わず、至って緩慢であった。その上ものぐさで、二階へもあまり上っていこうとしない。昼間はたいてい、居間のソファで躯を丸めている。仔猫というのはもっと活溌《かつぱつ》に動きまわるものなんだけど、と波津子も首をかしげるほどだった。「おまえに似て運動神経ゼロなんだよ、こいつ」と本気で浦野は言って、波津子から「いくらパイちゃんでも、私のお腹《なか》から生れてきたわけじゃありませんからね」と笑われた。  そんなパイが夜になると、突然、豹変《ひようへん》して暴れ猫になるのである。誰彼構わず、飛びかかり、咬《か》みついてくる。歯はまだ稚《おさな》いけれども、それでもまともに咬まれるとかなりこたえる。靴下《くつした》は裂けるし、歯痕《はあと》から血が滲《にじ》みでることもある。被害を避けるために、波津子はパンタロンを穿《は》いた。能里子《のりこ》はナイロンのストッキングの上にテニス用の厚地の靴下をはいた。そうしておいて、脚を突き出し、わざと咬ませるのである。手も、セーターの袖《そで》をひっぱって指の先まですっぽりかぶせてから、パイの鼻先に突き出してみせ、挑発《ちようはつ》するのである。  昼間は、蠅《はえ》に対してさえ攻撃の身構えをしてみせるばかりで十センチも前進することができないパイが、波津子や能里子のこうした挑発に対しては、見違えるほど果敢に突進してくる。居間の隅《すみ》に、脚立替りにもしている小さなサイド・テーブルが置いてあるのだが、その下をパイはどうやら自分の陣地にきめているらしく、いったん人間に咬みつくと、素早く身を翻《ひるがえ》して、サイド・テーブルの下に駆け戻る。そこで再び腰を低く落して身構え、人間がちょっと眼《め》を逸《そ》らしたな、と見ると、絨毯《じゆうたん》を蹴《け》って、襲撃してくる。  昼間とはまるで違うパイのそのいきいきとした若武者ぶりを見るのが楽しくて仕方ないものだから、波津子と能里子は争ってパイの標的になりたがった。  土佐犬の闘犬を育てるのに「咬ませ」ということをする。闘犬にもっとも必要なものは、おれは強いのだという自信で、これをつけさせるための訓練が「咬ませ」である。図体は大きいが、年をとってもう戦闘能力のなくなった老犬をひっぱってきて、若い犬にしたたかに咬ませる。若犬は自分より一回りも二回りも大きい犬をやっつけてやったということで自信を持ち、しだいに一人前の闘犬に成長していくのである。この気の毒な役まわりの老犬のことを「咬ませ犬」という。波津子たちはこの「咬ませ犬」の役を演じているのである。違うのは、ほんものの「咬ませ犬」は哀れな老残の犠牲者に過ぎないが、波津子たちには、パイに咬まれるそのこと自体に一種の愉悦があることであった。  セーターの袖をかぶせた上からでも、何度も咬ませていると、毛糸の編み目の隙《すき》から歯が食いこみ、皮膚が裂けて血が滲みでてくる。それでも構わずに、波津子は、手をかかげ、足を振って、パイを挑発し、攻撃を繰り返させた。 「パイちゃん! もっとお跳び! もっと高く!」  と波津子はしまいには立ち上って、腕を振るのである。 「薬が効き過ぎたんですね。四カ月前後の頃《ころ》が一番ひどかった。ちょっと手に負えなくなって、女房《にようぼう》も閉口していました。パイが暴れ猫になる時間が来ると、紅茶|茶碗《ぢやわん》を片づけたり、読みかけの雑誌や新聞をしまったりして二階へ避難するんです。ひとりぼっちにされたパイは、相手がいないと張りあいがないせいか、暴れ加減が普段より幾分おとなしくなる。すると、女房は、あれではパイがつまらなそうだからちょっと咬ませてあげようよ、と娘を誘って、二階から降りてくるのです。そんなどたばた騒ぎが夜の十時から一時間ほどつづきます。それを猛獣パイちゃんのお時間、とか、猛獣タイムとか、うちでは言ってたんですよ」  浦野は左千代が彼の話を途中から聞いていず、他《ほか》の思いにとらわれているらしい様子に気がついた。彼女はパイの写真をいつまでも離そうとしないで、じっと睨《にら》みつづけていた。写真を持った指先が微《かす》かに顫《ふる》えている。 「よかったわね」  左千代は呟《つぶや》くように言った。それはひとり言ではなく、写真のパイにむかって話しかけているのであった。それから彼女は顔を上げて浦野のほうを向き、 「あの時の子たち、あとの子はみんな死んじゃったのよ」  と言った。大きな眼に涙が今にもこぼれそうになっていた。  パイのきょうだいである四匹の仔猫のうち二匹はよそへ貰われていった。浦野がパイを貰いに来た時、一番元気に駈《か》けまわっていた尻尾の長い黒猫は三原の女弟子の一人が一目で気に入って連れて行ったが、五月のはじめに、近くの養魚池に落ちて死んだ。赤茶色の仔猫は左千代の従弟《いとこ》にあたる高校教師が持っていったが、半月も経たないで、死んだと知らせてきた。教師の妻がそれほど猫好きではなく、予防注射に連れていくのを億劫《おつくう》がって愚図々々しているうちにディステンパーに罹《かか》ってころりと死んでしまったのだという。結局、三原の家に残ったのは、尻尾がよじれて、途中でちょん切れた黒猫が二匹であったが、そのうちの一匹は一カ月ほど前に、車にはねられて死に、それからしばらくして、もう一匹が姿を消してそれきりになっているのである。 「こんなことって、今まで一度もなかったわ」と左千代は首を左右に振りながら言った。 「あなたからもずっと音沙汰がなかったでしょう。だから、ひょっとしたらあなたのところも死なせちゃって、それでなんとなく足が遠のいているのではないかしら、と実は心配していたのよ」  涙がひとすじこぼれた。 「よかったわ。こんな元気な子が残っていて……。浦野さん、ありがとう」  左千代はまだパイの写真をつかんだままだった。浦野はどういう返事をしていいか分らず、黙っていたが、心の中では、パイをくれた時「大丈夫よ、浦野さんなら」と大きな声で言ってくれたのは、奥さん、あなただったじゃありませんか、と叫んでいた。 「そういうこともある。強い奴がいつも生き残るとは限らんさ」  三原が左千代にむかって言った。 「そうかしら」めずらしく左千代は三原の言葉にさからった。「生き残った猫がほんとうは強い猫だということじゃないかなァ。パイちゃんは弱いのに生き残ったのではなくて、強いから生き残ったのよ。パイちゃんは強くて立派な猫なのよ。私はそう思うわ」  浦野は、左千代の言葉を自分に対する励ましなのではないかと思い、そんなふうに励まされたことに強いうしろめたさを感じた。  パイの兄弟たちがみんな消えてしまい、パイだけが生き残ったことを知らされた時、浦野は咄嗟《とつさ》に「やっぱり……」と喉《のど》もとまで声が出かかり、そのことに自分で驚いていた。なぜ、そんな言葉を口走りかけたのだろう。パイだけが生き残ることを俺《おれ》ははじめからひそかに期待していたのだろうか。そうだとしたら随分みっともない話ではないか。左千代から励まされる資格は俺にはない、と浦野は顔を赤らめた。俺の潜在意識は、パイを俺自身に、元気いっぱいはねまわっていたパイの兄弟たちを「あいつら」になぞらえていたのか……。  三原に浦野を引きあわせたのは美術記者だった小早川である。小早川は浦野と大学では同級生、新聞社では三年先輩になる。本流ではないけれども一応出世コースを順調に歩き、去年の春まで学芸部長を勤めたあと、今は論説委員になっている。  小早川ばかりではない。今、浦野が眺《なが》めているのは、前へ前へと大股《おおまた》で歩いて行く連中の背ばかりである。浦野が入社して最初に配属された教育部で机を並べていた沢口は、小早川の後任で学芸部長をやっている。年齢は浦野より四歳も下だ。沢口とは個人的なつきあいは余りなかったが、教育部時代に、特に親しくしていた仲間に稲垣《いながき》と大隈《おおくま》がいる。稲垣はいま事業本部長で二百人もの部下を持つ身だし、大隈は外国部長である。  みんな、明るい大通りを歩いている。五十歳を過ぎて、課長待遇の身分でしかない浦野とは大違いだ。二十年前は、毎晩のように酒を酌《く》みかわした仲だが、今では社内でたまにすれ違っても「やァ」と言うだけだ。浦野も小早川たちのことをもう仲間扱いにする気はないし、彼らはなおさら浦野を仲間とは思っていないだろう。浦野がごくたまに小早川たちのことを話題にする時、ひとまとめにして「あいつらは——」と言う。  その「あいつら」の挫折《ざせつ》を願う気持を自分でも気がつかぬほど深い谷底に執念深く埋めていたのだろうか。 「やるかね?」  三原が振りむいて、手でちょっと仕科《しぐさ》をした。麻雀《マージヤン》をやるか、という意味である。電話をかければすぐ駈けつけてくるのが何人もいるのである。 「きょうはやめときましょう。こっちのほうがいいです」  浦野は盃《さかずき》を上げ、笑ってみせた。テーブルの上には見事な黒鯛《くろだい》の刺身が大皿《おおざら》に盛られている。  三原は、ぼそぼそとした語り口なのだが、意外に話はうまい。食い物の話をしても女の話をしても、すぐにお説教が入るから閉口すると言う者もあったが、浦野にはむしろそういうところが面白《おもしろ》いと思えた。足まめで海外にもよく出かける三原の旅の話はことに絶品だった。そんな話を聞かせてもらいながらきょうは酒を飲みたい、と浦野は思った。  その夜は、他に客もなく、珍しく電話さえあまりかかって来ず、浦野はすっかり腰を据《す》えて飲むことになってしまった。左千代もまじえた三人で一升|壜《びん》が二本空いた。三原の話はどういうきっかけからだったか、若い頃七年余り暮していたパリ時代の思い出話になった。三原の生家は四国の大きな造り酒屋で、広大な山林も所有する土地の名家であり、資産家であった。三原はその三男坊で、子供の時から躯《からだ》も大きく、またきかん気のやんちゃ坊主《ぼうず》でもあって、ガキ大将として闊達《かつたつ》に育った。絵の勉強のために渡仏したのは太平洋戦争のはじまる前の年である。そのころ、ヨーロッパではすでに大きな戦争がはじまっていて、フランスにいた日本人は半ば強制的に帰国させられたりしたのだが、そんな時にもパリへ出かけていく裏の手段があったのだろうか。  潤沢な仕送りを受けて、大戦争をよそに暢気《のんき》なパリ暮しだったという。経済的に不自由のない気儘《きまま》な異国での独身生活は、時が経《た》てば経つほど楽しく回想される青春の一齣《ひとこま》であるに違いない。 「あなた、その話はさっきなさったばかりじゃないの」  と左千代にひやかされながらも、三原は上機嫌でいつまでも喋《しやべ》りつづけた。 「今晩はタクシー代を稼《かせ》げなかったから電車で帰ります」  と冗談を言って、浦野は十一時ちょっと過ぎに三原の家を辞した。昼間はまだ真夏とさして変らない暑さだが、夜になると、さすがに風が涼しい。酔いで火照《ほて》った頬《ほお》にはことさら快く感じられる。  浦野は口笛でも吹きたい気分で、駅までの曲りくねった道をのんびりと歩いたが、その夜の三原の楽しそうな回想談をふっと思い出した途端、 (あの人も尻尾《しつぽ》のあるほうなんだ)  と、浮揚していた気分がたちまち意気地なくしぼんでしまった。  三原|貞雄《さだお》がパリで暮したのは十九歳から二十六歳までである。浦野自身のその年齢の頃の暮しと思いくらべてみると、その違いは天と地だ。  浦野|佑一《ゆういち》が二十歳の時兵隊として引っぱって行かれた先は、内蒙古《うちもうこ》の山奥である。そこは蛇紋《じやもん》石属の石綿を産出するところであり、それを掘出して町へ運ぶのが浦野たちの役割だった。実際に作業をするのは浦野たちがニーコウ(※公か?)と蔑称《べつしよう》していた苦力《クーリー》たちだが、彼らが逃亡したり、輸送中に八路軍に襲撃されるのを防ぐ警備が兵隊たちに課せられた任務であった。  石綿を詰めたドンゴロスの袋を背にのせた駱駝《らくだ》を何十頭と連ね、それを率いて嶮《けわ》しい岩山を登り降りする日々を浦野が送っていた同じ年齢に、三原はパリで女たちと踊ったり酒を飲んだりしていたのかと思えば、口笛を吹きたい気分など掻《か》き消えてしまうのも無理はない。  人間を〈尻尾のあるやつ〉と〈ないやつ〉の二つに分けて判断したり評価したりする奇妙な癖を浦野が持つようになったのは、ある詩人が猫について書いた童話風なタッチのエッセイの中で、 「尻尾のない猫なんて猫じゃない」  と言っているのを読んだ時以来のことである。鋭くも新しくもないけれども、やわらかい綿のような言葉をつづるその詩人を浦野は前々から好きだった。だが、この言葉をみつけた時だけは「なにを言ってやがる」と思った。 「そんなことあるかよ、なあ、パイ」  彼はパイを抱き上げて膝《ひざ》に乗せ、上体をかがめて頬擦りをした。故《ゆえ》なき侮蔑を与えられたパイを心から慰めてやろうと思ったのである。  パイの尻尾は、サイズの合わないスパナーで、無理矢理根元からねじ切ったような情ない形をしている。  パイは尻尾のない猫なのだ。  だからといって、パイが猫じゃないだなんて、そんな暴言が許せるか。  見事な成長を遂げたパイなのだが、尻尾だけは伸びなかった。もちろん、躯の成長に比例して少しは大きくなっている。だが、なまじ大きくなったためにそれは、滑稽《こつけい》さが目立った。猫は尻尾でさまざまな感情を表現する。人間に呼びかけられて、尻尾で返事をすることもある。パイも例外ではないのだが、豊かで微妙な猫の感情を示すためにはパイの尻尾はあまりにも短か過ぎた。また、動きもいびつ過ぎた。見ている人間のほうがもどかしく、いらいらした。 「いっそ、まるっきりなければよかったのに」  と波津子は言ったが、人間のように尻尾の痕跡《こんせき》も止《とど》めぬ尻《しり》を猫が持っていたとしたら、それはまたそれで滑稽なのではないだろうか。  パイのつぎに浦野家に貰《もら》われてきたシャム猫のマミも、三番目の飼猫になったウサギも、ともに、すばらしい尻尾を持っている。  マミの尻尾は雲形定規をあてて描いたように綺麗《きれい》なカーブをなしている。その先端は米粒に細字を書けそうなくらい繊細で鋭い。極端に嫌人症《けんじんしよう》のマミは、その尻尾を激しく振って、未知の人を拒《しりぞ》けようとした。ウサギの尻尾は、これはもう見事としか言いようのないものである。純白のウサギが隣家の大谷石の塀《へい》の上を、月の夜、ゆったりと歩いて行く時、尻尾は高々とかかげられて月を指し、息を呑《の》むほどの美しさであった。ウサギの尻尾はマミのようにしなやかではない。それは先端のほうまでふっくらと丸みを帯び、吹き流しのように長い。彼らはその尻尾をさまざまに振って、浦野たちに語りかけた。  マミやウサギの尻尾の美しさやその表現の豊かさを知ると、猫における尻尾の存在の重要さを浦野も認識せずにはいられなかった。「椿姫《つばきひめ》」の名女優サラ・ベルナールが豹《ひよう》の尻尾を自分に移植してくれと外科医に頼みに行ったというエピソードがある。言葉はもちろん、目、耳、鼻、手足、全身を使ってもまだ表現し切れない感情をなんとか観客に訴えるためには尻尾を持つしかない、と彼女は本気で考えたのだという。猫属の尻尾はそれぐらい卓越した感情表現の武器なのである。猫の、もっとも猫的な部分は尻尾であるかもしれない。「尻尾のない猫は猫じゃない」といった詩人の気持も分らないではない、と浦野は思いなおすようになった。  しかし、そのことは、彼のパイへの愛着を薄めるものでは全くなかった。それどころか、彼は前にも増して、パイに対する同類意識を深めた。パイの尻尾がちょん切れ、よじれているように、俺の尻尾もちょん切れている。俺も尻尾のない猫なのだ、という思いが浦野をいっそう強くパイにのめりこませてしまうのである。  能里子が高校を受験した時、学校に提出する書類の中に両親の最終出身学校を記入する欄があった。浦野は郷里の中学校の名を書いた。能里子は、 「お父さん、大学は出ていなかったの?」  びっくりしたように言った。浦野は、娘が驚いたことのほうが思いがけなかった。そんなことは娘に隠し立てするほどのことでもないし、とっくに知らせてあると思っていたのに、能里子が知らなかったということは、浦野にも、また波津子にも、学歴への引け目が潜在的に残っていたのか、と自分ながら馬鹿《ばか》らしい気がした。 「中退だからね。卒業証書は貰っていない。最終出身校といえば、中学校ということになる」 「なんだ、そうだったの。だけど、それでどうして新聞社に入れたの? 新聞社の試験ってものすごく難かしいのでしょう。第一、大学を出ていなければ受験資格がないんじゃないの?」 「試験を受けて入ったわけじゃない」 「だって……」 「もぐりさ。もぐりこんだのだよ」 「もぐりこむって?」  波津子が「あなたッ」と制止するように浦野に呼びかけた。なにもそんなことまで中学生の娘に一々説明する必要はないでしょう、と彼女の顔は言っていた。浦野が途惑っていると、能里子のほうが気配を察したのか、それ以上問いかけるのを打ち切って、話をそらせてしまった。  浦野が新聞社で働きはじめたのは、昭和二十六年の秋である。前年の六月に朝鮮戦争が勃発《ぼつぱつ》し、世間は特需景気であわただしい賑《にぎ》わいを呈していた。衣類をはじめとして日常生活用品の統制がつぎつぎに解除されて、人々が終戦直後の窮迫した生活からやっと這《は》い出ようとしていた頃《ころ》である。戦争中からずっとつづけられていた新聞用紙の統制が解除になったのはこの年の五月で、各新聞社はそれに伴って、それまで一時停止していた日曜の夕刊も復活させ、朝刊の建てページも、週に五回が四ページ、二回が二ページだったのが常時四ページに増やされた。  どの新聞社も人手不足で、一年に春秋二回、入社試験を実施して人員補充につとめる社もあった。それでもまだ人手は足らず、多数のアルバイト社員が雇い入れられた。浦野もそういうアルバイトの一人として働きはじめたのである。月給は同年配の正規入社の社員の半分くらいであった。健康保険もないし、労働組合への加入も認められず、身分保障は全くない職場であった。  酒癖の悪い先輩記者から「お前は消しゴムなんだから」と罵倒《ばとう》された時の口惜《くや》しさを浦野はいまだに忘れることができない。アルバイト社員にも三段階あって、一番いいのは本社レベルで採用された者だ。これは人事部の名簿にも記載される。給料も本社から出る。次は編集局レベルでの採用者で、これは建前としては人事部は関知しないことになっているが、給料は正規のルートから支給される。三番目は社会部、経済部、学芸部といった各部が独自に採用するアルバイトで、これは社内的にも全くのヤミ採用だから一番情ない。各部で使用する鉛筆、消しゴム、カーボン・ペーパーなど事務雑費の請求を水増しして、それで給料を支払うのである。  浦野は編集局採用のアルバイトだったから消しゴムのおかげで給料を支払われている身ではない。しかし、浦野が腹を立てたのは、一ランク下のアルバイトと間違えられたからではもちろんなかった。正規入社の社員たちには、もともと、アルバイトにも三ランクがあるなどということの認識すらないのである。十把一《じつぱひと》からげにして、アルバイトの連中は「消しゴム」でしかなく、自分たちとは人種が違うのだという意識が露骨であった。  そうした正社員たちの差別意識は、まだ許すことができた。我慢できなかったのは、正社員たちがアルバイトの者たちを密入国者や大学の裏口入学者と同様の、不正な手段で甘い汁《しる》を吸っている卑怯《ひきよう》、狡猾《こうかつ》の人間であるかのように見ていることであった。  アルバイトは、正社員の半分しか給料を貰えない哀れな弱者ではなくて、インチキな世渡りをしている悪者なのだという認識が正社員たちにはあるに違いない。だからこそ、平気で面とむかって侮辱の言葉を吐くことができるのであろう。  そのことが何としても我慢できず、浦野は拳《こぶし》を握りしめた。しかし、その拳はついにテーブルの下に隠されたままだった。  アルバイトとして三年間働いた後、常勤嘱託として改めて採用され、さらに二年後、浦野は正規の社員として辞令を貰った。  これでもう差別はされないで済む、と浦野は軽率にも思ったのだが、それが誤りであることはすぐに分った。人事台帳にも、試験入社組とそうでない社員との区別は厳然と記録されているのであり、それによって事|毎《ごと》に差別がつけられた。正規の入社試験に合格した社員は尻尾のある猫で、そうでない社員は尻尾のない猫なのである。かの詩人流にいえばそれは社員の形はしていてもほんものの社員ではないのであった。  猫は孤独で、尊大で、気儘勝手で、人間に媚《こ》びへつらうことがない、そして、その点がかえって猫好きの人間を嬉《うれ》しがらせるのだ、とよく言われるが、浦野が観察した限りでは、この定説は必ずしも当っていない。猫もまた人に媚びるのである。怜悧《れいり》な猫ほどそうだ。  ウサギはほとんど信じ難《がた》いほど賢い猫だが、それだけに、人間の機嫌《きげん》をとるのも上手である。波津子は猫たちを昼間は自由に家の外に出して遊ばせている。夜は家の中に入れて寝るので一応、門限がきめてある。冬場は十時で、夏は十一時だ。この門限がしばしば守られない。十一時半を過ぎても帰ってこない時には、家の付近を猫たちの名前を呼んで歩く。家数にして十軒ほどの一ブロックを一回りか二回りすれば大体帰ってくる。たまに十二時過ぎてやっと帰ってくることがある。そんな時、パイやマミは平気な顔をしているが、ウサギだけは違う。波津子の顔を見るなり、仰向《あおむ》けにごろりと転がってみせ、ニャァと普段とは違う「人撫《ひとな》で声」を出して啼《な》くのである。「駄目《だめ》じゃないのッ、呼んだらすぐに帰ってこなくちゃ」と怒鳴りつけようと思っていた波津子もこの仕科《しぐさ》で出鼻を挫《くじ》かれてしまう。彼女はこれを「ウサギのゴロリン」と呼び、「ウサギは狡《ずる》いんだから。こっちが怒ってやろうと思うとすぐゴロリンをしてみせるんだもの」といつも言っていた。  このゴロリンに二種類あることを発見したのは能里子である。門限に遅れた時のように、心から自分が悪いと思っている時と、人間にとっては不都合かもしれないが猫としてはそうせざるを得ない、謝る筋合いはない、しかし、飼主様が怒っているのだからここは取りあえずご機嫌をとっておくより仕方がない、といったような時とでは、ゴロリンの仕方が違う、と能里子は言った。 「本気で謝っている時は、尻尾もちゃんと躯《からだ》といっしょに動いているんだけれど、自分が悪いと思ってない時は、躯はゴロリンをしてみせていても、尻尾だけは、フン、と横を向いた感じで動かないのよ。よく見て御覧なさい。そうだから」  たしかに、その通りだった。  猫も嘘《うそ》はつくが、尻尾だけは真実をのみ告げるのである。 「尻尾は猫の嘘発見器だわね」 「それでは人間にはやっぱり尻尾なんかないほうがいい。もしあったらそこら中|喧嘩《けんか》だらけで収拾がつかなくなる」  猫は人間に撫でられるのが好きだが、それでも尻尾だけは触れられるのをいやがる。真実の根に触れられるのは猫でも苦手なのだろうか、と浦野はおかしかった。  尻尾の役割はしかし、そうした感情や意思の表現だけではない。  猫の特殊な才能の一つに、仰向けにして落しても背中から落ちることがなく、空中で素早く回転してちゃんと足で着地するということがある。またかなり高いところから落しても衝撃で足を挫いたりしない。やわらかく、あざやかに降り立つ身軽さもまた猫の身上である。こうした機能に尻尾が重要な役割を果している。  高所から落下する猫を高速度撮影した連続写真を浦野は見たことがあるが、仰向けの姿勢を瞬時に俯向《うつむ》けにした猫は四肢《しし》を可能な限り四方に拡《ひろ》げ、尻尾もぴーんと伸ばす。その尻尾は毛がみんな逆立って、平常時の三倍ほどにもふくらんでいる。空気抵抗を最大限に大きくするためである。こうして落下の加速度にブレーキをかけ、安全に着地するのである。躯を回転させる時にも、尻尾を勢よく振りまわすことではずみをつけるのかもしれない。  パイを一メートルぐらいの高さから仰向けにして落してみると、背中こそ打たないけれど、着地は決してスマートではない。やわらかい絨毯《じゆうたん》の上なのに、どたっと不様な音を立てて着地する。尻尾がないせいだろう。尻尾を欠いていることは、猫にとって、機能的にも明らかに欠陥なのである。  猫好きの客は、ソファに寝そべっているパイを見ると、お世辞ではなく、 「まあ、素敵な猫ちゃんだこと!」  といって抱き上げる。そうさせずにはおかない魅力が彼にはたしかにあった。だが、抱き上げた瞬間、その客の眼《め》に「あら」「おや」といった失望の色が浮かぶのも、これもほとんど例外がなかった。中にははっきり、 「立派な猫なのに、尻尾がこんななのは惜しいなあ」  と口に出す者もいた。辱《はずか》しめを受けるパイが哀れで、そんな時、浦野は客を睨《にら》みつけた。  どんなに立派な猫でも、たった一本の尻尾がなければ、優しくこまやかな心を持つ詩人にまで「尻尾のない猫なんて猫じゃない」と罵倒されなければならない。それは、どんなに一所懸命に働いても、入社試験という尻尾を持つ機会のなかった社員が一人前の扱いを受けられないのと同じではないか。  パイはその短く滑稽《こつけい》な尻尾を時に応じて動かす。もちろん、動かし方もさまざまである。さまざまではあるけれども、その意味を理解するにはその動きはあまりにも僅少《きんしよう》である。短い上によじれているものだから、縦に振っているのか斜めに振っているのかも明らかではない。まして、プイ、とそっぽを向いて、といった微妙な表現は到底不可能である。  それでもパイは尻尾を動かす。短い、あるかなきかの情ない尻尾を懸命に振る。パイは一体、自分に尻尾がないことを知っているのだろうか。それとも気づかずに、風の中に立てた旗竿《はたざお》のように、颯爽《さつそう》と聳立《しようりつ》しているものと思いこんでいるのだろうか。そうだとしたら滑稽だし、尻尾がちょん切れていることを知っていてなお振っているのだとしたら哀れであろう。どちらにしても、尻尾のない猫《ねこ》はせつない猫なのだ。そんなふうに思う時、浦野はもちろん自分の姿をパイに重ねているのである。  猫の中に自分の人生をねじこむようなことはするべきではないと思いながらも、浦野は、どうしてもそういう思い入れをやってしまうのである。  パイの四匹のきょうだいの中で、三原の家に残った二匹はともに尻尾がよじれて短い猫だった。彼らが一匹は非業《ひごう》の死を遂げ、一匹はいなくなってしまったのは、尻尾のない猫が三原の家には似つかわしくないからではないだろうか。パイの母親のレオはもちろん見事な尻尾を持っている。そのほか、三原の家にこれまでいたのはみんな尻尾のある猫ばかりであった。  三原や左千代には、堂々と美しい猫こそふさわしい。パイのような尻尾のない猫は自分が貰ってよかったのだ。パイがもし、三原の家にそのまま残っていれば、美しい尻尾を持った母猫や三原たちにわが身をくらべて居たたまれない思いをしたに違いない。パイがひとり生きのびることができたのは、尻尾のない猫にふさわしい俺《おれ》という飼主にたまたまめぐり逢《あ》ったせいだ、と浦野は確信した。こうした思いこみが、三原や左千代に対して不遜《ふそん》であると承知してはいるのだが、浦野はどうしてもそう思わずにはいられなかった。  第五章 架けられた橋  ガラス戸ごしに庭を眺《なが》めていた波津子《はつこ》が「ぎゃっ」という叫び声をあげた。 「どうしたのよッ、コノコちゃん」  テラスにゼラニウムを植えたフラワー・ボックスが三つ並べて置いてある。その蔭《かげ》に、よりかかるようにコノコが蹲《うずくま》っていた。額が顔の大きさと同じくらいに腫《は》れ上り、抹香鯨《まつこうくじら》の頭部のようになっている。  佐々木少年がコノコを連れてきてからもう三カ月近く経《た》っている。弱虫のくせに拗《す》ね者のコノコは、断固として先輩の外猫たちに頭を下げず、そのため寄ってたかっていじめられながらも、波津子が言った通り、しぶとく生きつづけていた。波津子もなんとかしてコノコを育てようと苦心をしていた。  チーズやミーコやヨウテイなどの外猫たちがどこかへ遊びに行ってしまってコノコを脅《おど》かす者がいなくなった時を見計らって、波津子はボウルにミルクを入れて出してやる。人間がそばにいては寄りつかないから、波津子はガラス戸を閉めて、室内からそっと様子を窺《うかが》う。忍び足でやってきたコノコはボウルに首を突っ込んでミルクを飲むが、一息には決して飲まない。一口飲んでは顔を上げて四方を見まわし、また一口飲んでは顔を上げて絶えず警戒している。その様子があまりにもいじらしいので、波津子が、 「大丈夫だからそんなにきょろきょろしないで安心してお飲み。ほかの子たちが来たら追っ払ってあげるから」  と思わずガラス戸越しに声をかけると、驚いて一目散に逃げ出し、それきり戻《もど》ってこない。ミルクは結局、コノコの口には二口か三口はいっただけで、ほかの外猫たちに飲まれてしまうことになる。 「コノコちゃんのおかげで、ネコカンがずいぶん要るわ」 「コノコはそんなに大食いなのかい」 「違うわ。コノコちゃんに食べさせるためにはほかの子たちにお腹《なか》いっぱい食べさせて、余るようにしなくちゃならないでしょう。その余ったのをコノコちゃんは夜中にこっそり食べるのだから」 「相変らずそうなのかい」 「今、外猫は八匹いますからね。この子たち全部にお腹いっぱい食べさせようと思ったら大変なの。猫は過食しないというけれど嘘ね。少々多めにやってもたいてい食べちゃうわ。どうしても食べ切れずに残すほどやるにはネコカンをいくつも開けなくちゃならないのよ」  食べ物のほうはそんなふうにして何とか与えることはできたが、先輩の外猫たちからの迫害を防いでやるのは人間の手には負えない仕事だった。外猫の中の古株であるチーズやミーコたちに浦野は、 「なァ、コノコちゃんも仲間に入れてやってくれよ。可哀《かわい》そうじゃないか。あれじゃァ死んでしまうよ」  と何度も頼んだが、効き目はなかった。チーズたちにしてみれば、 (あいつがいけないんだよ。あいつさえ友好的な態度に出れば、私たちはいくらでもつきあってやるさ)  というつもりだったろう。特に、ミーコはコノコの依怙地《いこじ》さを憎んでいるようだった。  コノコは体のあちらこちらに、咬《か》まれたり引っ掻《か》かれたりした痕《あと》をつけていた。  つい数日前も、誰《だれ》かにおでこに咬みつかれ、歯痕から血が滴《したた》り落ちるひどい傷になっていたが、それがどうやら化膿《かのう》したらしい。ふくれ上って突き出した額の下の奥にひっこんでしまった眼の一つは、膿《うみ》でふさがれている。もう一つも半分ぐらいしか開いていない。ふだんは、テラスのあたりに出てきても、ほかの猫たちのように、室内の人影にむかって物をねだる媚びた視線を送ったりは決してしないのに、今は半開きの片目で、じっと浦野と波津子のほうを見ている。 「いやッ」  波津子は顔をそむけた。まるで、浦野たちを怨《うら》んでいるような眼つきなのである。  その時、いつやって来たのか、ミーコが短い四肢《しし》をせかせかと動かして近づいてきたかと思うと、爪《つめ》を剥《む》き出した左|前肢《まえあし》で、コノコの腫れ上った額に素早い一撃を加えた。いつもだったらあわてて逃げ出すコノコだが、一、二歩、後じさっただけで動こうとしない。動く気力がもうないのであろう。 「ミーコ、いけませんッ」  波津子が戸を開けて、大声で叱《しか》った。ミーコは驚いて隣の庭のほうへ逃げていったが、コノコは大きな額を垂れ、躯《からだ》を丸めて、動かない。  もう死ぬのだな、と浦野は思い、眼をつぶった。醜く生れ、容赦なく捨てられ、誰にも親しもうとせず、誰からも愛されず、数カ月の命で死んでゆくお前は、哀れ、というよりは駄目《だめ》なやつなんだ。いったい、何のためにそんなに拗ねて、意地を張るんだ。もっとみんなにお世辞を使ってぺこぺこしていたならうまいものも食えただろうし、もっと長生きもできたはずだ。馬鹿《ばか》な猫なんだよ、お前は。躯も心も、何もかも出来損いのお前みたいな猫がくたばってしまうのは当然のことなんだ。浦野は、自分で取り抑えようのない苛立《いらだ》ちを覚えながら呟《つぶや》きを繰り返した。  翌日、コノコの額の腫れはさらに大きくなった。その次の日、もう一段と膨れ上った。完全にお化け猫であった。  しかし、彼は死ななかったのである。  あまりの異形に驚いたのか、ミーコもチーズもコノコに近寄らなくなった。少し離れたところから、ふうーっ、と鼻息を吹きかけるだけである。いじめられなくなったコノコは、巨大な頭部をもてあますようにのろのろと動きまわっていたが、一週間ほどすると、膨れ上っていた部分が削《そ》ぎとられたように剥落《はくらく》し、赤むけの地肌《じはだ》が露出した。醜怪ということではそのほうが前よりもかえってひどかったが、コノコ自身にとってみれば文字通り眼の上のたん瘤《こぶ》が取れたわけで、以前よりは少し軽快に動きまわるようになった。  赤むけのおでこにすこしずつ肉がつき、毛が生えてきた。そして、半月ほどで、ほとんど元の姿に還《かえ》った。 「えらいわねえ、コノコちゃん」  波津子は小さい生きものの中にひそんでいる生命力の大きさに感動して、深い吐息のような声でコノコに呼びかけた。  だが、元気になったコノコは、相変らず小憎らしいやつで、差しのべた波津子の手を避け、くるりと尻《しり》を向けて走り去った。ほかの猫たちと融け合おうとしないのも以前通りである。「しぶとい子だわねえ」と波津子は苦笑した。「しぶといのも能力の一つだとすれば、コノコは駄目猫じゃなくて、強い猫だということになる。こいつ、案外、長生きするかもしれないぜ」浦野は、本気で、コノコの長命を願った。  浦野たちの安堵《あんど》は、しかし、束《つか》の間《ま》で、コノコは再び様子がおかしくなった。こんどは外傷はないのだが、目に見えて衰弱し、小さくしぼんでいく。前のような復原力をもう期待できないことは、素人《しろうと》目にも分る。手遅れかも知れないが医者に連れて行くしかない。それにはもちろん捕えて籠《かご》に入れなければならないが、これが思ったほどたやすいことではなかった。  波津子や能里子《のりこ》がまだ眠っている例の早朝のひととき、浦野はパイに食事を与えたあと、コノコをつかまえるために庭に出た。テラスの西側は低い目隠しの煉瓦塀《れんがべい》になっている。玄関のアプローチから庭の中を見通せないためだ。その塀にくっつけてプレハブの物置がおいてある。コノコは物置の背板と煉瓦塀との間の、ほんの四、五センチばかりの隙間《すきま》に、油ふきのぼろっ切れが突っこまれているような恰好《かつこう》で隠れていた。手を差し入れようとしたが、物置の手前に立っている二階のベランダの支柱が邪魔になって、うまく届かない。ブリキ製の物置の天板を拳固《げんこ》で叩《たた》いておどかしてみたが、這《は》い出てくる気配はない。庭箒《にわぼうき》の柄《え》でつついてみたがぴくりとも動かない。 (死んじゃったのかな?)  浦野は急に心配になり、物置を手前にぐいと引っぱってみた。途端に、ぼろっ切れはバネではじかれたように飛び出し、まだそんな元気が残っていたのかと思うほどの勢で、浦野の足もとを掠《かす》めて逃げ去った。こんどは反対側の梔子《くちなし》の木の根元のほうだ。そのあたりには薔薇《ばら》の枝が伸びて、ちょうど鉄条網の役目を果している。人間はうかうかと入れない。コノコはそれをちゃんと知っているらしい。案の定、浦野は薔薇の枝をくぐろうとして、首筋に棘《とげ》を刺した。手の甲も引っ掻いた。そのはずみでサンダルが脱げ、素足で土を踏んだ。なんとかコノコをつかまえた時にはシャツまで破いてしまっていた。  しばらく経って、起き出してきた波津子と能里子が、泥《どろ》の粒々がくっついている浦野の顔を見て「どうしたの」と聞いた。 「コノコを医者に連れていってやろうと思ってね」 「また何かあったの?」 「もう多分駄目だろうとは思うんだけどね。だからといって、このまま野垂れ死にさせたのではあまりに可哀そうだからさ」  浦野はソファの陰に置いた籠を指でさした。 「あら、あの中にコノコちゃんがいるの?」 「うん。あとで医者へ連れて行ってやってくれ」  波津子は驚いた表情で浦野を見た。 「死ぬにきまっている野良《のら》猫を病院へ連れて行くために、あなたはこんな朝早くから庭じゅうを駈《か》けまわっていたの?」 「うん」  波津子はしばらく浦野の顔を見つづけていたが、 「あなた、変ったわねえ」  と吐息をつくように言った。 「能里子が犬に咬まれた時のこと、憶《おぼ》えてる?」 「…………」 「あの頃《ころ》のあなたはこんなじゃなかったものね」 「こんなって?」  波津子はそれには返事をせず、能里子のほうを振りかえって、 「年のせいかしら。それともパイちゃんのおかげかしら」  と目くばせをかわした。  公団住宅に引越して四年目の夏、能里子は近くの家の飼犬に咬まれ、十幾針も縫うほどの大怪我《おおけが》をした。  その日、浦野はたまたま出張で東京に居らず、翌日の朝、帰ってきて繃帯《ほうたい》をぐるぐる巻きにされた能里子を見て仰天した。  犬は、団地の近くの建売住宅で飼っている三歳の牡《おす》の柴犬《しばいぬ》で、その家の息子の大学生が団地内を犬を連れて散歩しているところへ学校帰りの能里子が通りあわせ、思わぬ災難に遭ったのである。大学生は犬を手許《てもと》に引き寄せようと引き綱をひっぱったのだが、首輪がゆるく、引いたはずみに犬の首がするりと抜けたのだ。  夜になって、大学生が父親といっしょに詫《わ》びに来たが、いくら頭を下げられても、浦野は怒りを鎮《しず》めようという気にすらならなかった。  こういう事故が起ることを惧《おそ》れたからこそ団地では犬や猫の飼育を禁じているのではないか。それなのに、団地の外に住む人間が、団地内の道路を犬の散歩に利用したのではなんにもならない。しかも引っぱればすぐに抜けるような首輪をつけて平気でいるなど言語道断だと、浦野が言い募るのに相手は二人ともただ平伏するばかりだったが、浦野がついに怒りを爆発させたのは、二人がどうやら犬の命乞いにやってきたらしいことに気がついたからである。人間を咬んだ犬は保健所に連れていかれて処分されることになっている。それを被害者からの口添えでなんとか助けてやって欲しい。その代り、治療代、慰藉料《いしやりよう》は十分に支払うから、という意向を加害者が遠まわしな表現で伝えようとしていることを察した浦野は、 「殺せ! その犬を殺せ。人を怪我させた犬をそのままにしておいて、なにが申訳ないだ、なにがどんなお詫びでもするだ。ほんとうに申訳ないと思ったら、犬をちゃんと始末してから挨拶《あいさつ》に来い。とにかく、犬を殺すんだ!」  と絶叫した。  相手もさすがに自分たちの希望が虫がよすぎたことを知ったらしく、犬については観念した様子であった。  ところが、その時、能里子が、 「いやッ。犬、殺しちゃいや。犬、殺さないで」  と泣き出したのである。彼女は浦野の顔を怯《おび》えた眼つきで見た。浦野は足許をすくわれた感じで、たじろぎながら、 「ノンちゃん。お前を咬んだ恐ろしい、いけない犬なんだよ。そのままにしておくとこれからもまたほかの女の子を咬むかもしれないのだよ。そういう悪い犬はいなくしなきゃいけないんだ。な、分るだろう。ほうっておけば、もっともっと悪い犬になってしまう。ほうっておくことのほうが犬にも可哀そうなんだよ」  と能里子をなだめようとしたが、彼女は「いやッ、いやッ」と首を横に振るばかりであった。浦野は困惑した。波津子のほうを見ると、彼女もどういう態度をとるべきか決めかねているふうだった。加害者らが能里子の言葉に縋《すが》って虫のいい注文をまたむし返すようだったらただじゃ置かない、蹴飛《けと》ばしてやる、と思ったが、さすがに大学生も父親も二人とも顔を伏せたまま無言だった。実際には五、六分だっただろうが、その何倍にも長く感じられた沈黙のあとで、浦野は彼等《かれら》に「今夜は一応引取ってくれ」と言った。能里子の前でこのまま話合いを続けるのはさしさわりがあると判断したからだが、浦野がその父子《おやこ》の顔を見たのはそれが最初で最後になってしまった。翌日もその次の日も彼らは何とも言って来ず、三日目の夜、浦野に催促されて波津子が様子を見に行くと、思いもかけぬことに、一家は引越してしまっていた。  その次の日、波津子が能里子を連れて病院に行くと、加害者の父親から頼まれた、といって紙包みを渡された。開けてみると、治療費には十分過ぎる額の金と手紙が入っていた。手紙には、詫びの言葉がくどくどとならべられたあとに、どうか行先を探さないでほしい、と書かれてあった。  しまいのほうは、おろおろと字も乱れ、書き手のうろたえている様子が目に見えるような手紙だった。 「犬を連れて行ったのでしょう。どうしても死なせたくなかったのね」  波津子は手紙をもう一度はじめから読みなおしながら言った。 「この人たちも気の毒といえば気の毒よ」 「引越しなんかしたって調べればすぐ分るじゃないか」 「警察が本気で調べる気になればね。でも、そこまではやらないでしょう。被害者の私たちが何も言わなければ……」 「じゃあ、このまま逃げ得にさせておこうというのか」 「逃げ得だなんて……。この人たちもきっと苦しんでいるわ。悪い人たちじゃなかったみたい」  それはそうだが、と浦野は半分納得し、半分はどうしても承知できない気分だった。  大学生や父親に対して、浦野も実を言うとそんなに悪い印象は持たなかった。大学生の謝り方も率直だったし、父親はちょっと気の弱そうなごく普通の中年男だった。彼らが逃げ出したあとでぺろりと舌を出しているとは考えられない。いつ行方をつきとめられるか、あるいは勤め先にまで押しかけられて文句をつけられ職を棒に振るようなことになったらどうしようか、などとくよくよ心を痛めているに違いないと浦野には思われた。急な引越しのための物入りも少くなかっただろうし、精神的にも金銭的にも、彼らは大きい痛手を受けているのである。彼らもまたある意味では被害者だといえなくもない。  逃げ出したことだって十分な計算があってのことでなかっただろう。目先、犬を殺されたくない、その一心から前後の見境もなく家を畳み、一時間後にはもう後悔の念でいっぱいになっているといった無様な状態なのかもしれない。たしかに波津子の言うように、彼らは逃げ得なんかしてやしない。  しかし、そんな大きい犠牲を払わせているのがたかが犬一匹だという点が、浦野には何としても合点が行かなかった。しかも、もとはといえば、犬が馬鹿なことを仕出かしたためではないか。その張本人の犬のために、何人もの人間が犠牲になり、苦しまなければならないなんて、それは、人間への侮辱というものではないか。浦野は、 「そんなに犬なんてものが可愛《かわい》いものなのかねえ」  と波津子に言った。波津子はそれには返事をしなかった。  能里子のことも、浦野の理解力の埒外《らちがい》だった。彼は父親として、娘を傷つけた犯人に対して怒っているのである。その怒りは正当であり、犯人が罪の償いをするのもまた当然である。人を咬《か》む犬は野犬同然といっていいだろう。野犬一匹を死なせることがそれほど非道なことなのか。「犬を殺せ!」と叫んだ浦野を見た時の能里子の眼《め》には敵意に似た色すら感じられた。彼女は娘のために憤《いきどお》っている父親をまるで強圧者のように眺《なが》め、自分を傷つけた当の相手に同情の心を向けた。そんな辻褄《つじつま》の合わない話があるものか、と浦野は思った。その不条理を浦野は、能里子は子供だから物の道理が分らないのだ、と考えることで始末をつけてしまったのである。浦野と能里子の間がしっくりいかないのも、相性のせいなんかではなくて、「犬を殺せ!」と闇雲《やみくも》にいきり立った愚かな叫び声のせいではなかったかと、疑ってみることさえも、長い間しなかったのだから、随分ぞんざいな考え方で年月を過してきたものだ、と改めて嘆かずにはいられない。 「何年になるかねえ、あれから」  浦野は目の前に並んで立っている妻と娘を見た。能里子は父親に素ッ気ない分、母親には甘えン坊で、昔から母親の躯《からだ》にべたべたまつわりついていた。今も波津子の背にべったり貼《は》りついたように立ち、両腕を母親の肩にまわしている。ほとんど首一つ母親より高い。 「私が七つの時だからもう十三年になるわ」 「能里子はもう二十歳になったのか」 「ウン、もうおばあさんよ」  後輩の女子高生を見ると、実感として、年をとった、と思う、と能里子は大真面目《おおまじめ》な顔で言った。年寄りぶりたい年頃なのだろう。 「能里子、あの時の傷はまだ残っているのかい」  それはかねて浦野が気にはなりながら、能里子にはもちろん、波津子にも聞けないでいたことである。 「ええ、残ってるわよ。ああいう傷というのは風船の模様みたいなものなのね。風船がふくらむと模様も大きくなってくるのよ」  やっぱり聞かなければよかった、と浦野は思った。聞くのだったら波津子にこっそり聞くべきで、娘自身の口からこんな答を言わせるなんて、俺《おれ》はまだまだぞんざいな人間なのだな、と悔やんだ。 「ごめんよ、能里子」  浦野は頭を下げた。 「どうしたのよ、お父さん。急に深刻な顔をしちゃって。傷のこと、ほんとうに私、気になんかしていないのよ。大きくなったといったって大したことないわ。お嫁に行けないほどじゃないんだから安心して」  能里子は笑い声を立てた。 「私もお父さんは変ったと思うわ。とても優しくなったわ。いまのお父さん、私、好きよ」  まったく予期しなかった言葉を突然聞いて、浦野はうろたえながらもやはり嬉《うれ》しかった。波津子たちの言うほどに自分が変ったかどうかは心もとなかったが、自分と能里子との間を距《へだ》てていた白々とした河床にやっと橋が架けられたことだけは確かだ、と浦野はその時思ったのである。  第六章 幻のネコカン  玄関のブザーが鳴って、台所にいた波津子《はつこ》がばたばたと駈《か》け出す。板敷の廊下にぶつかるスリッパの音というのはひどく騒々しく、不快なものだ。駈け出すほどの長い廊下でもないではないか、といつも浦野は腹を立てるのだが、口に出したことは一度もない。だから波津子は玄関に人が来るたびに威勢よく駈け出すことをやめない。  客は二人連れの女らしい。日曜日には、「物見の塔」という基督《キリスト》教の一会派の信者がよく布教にやってくる。浦野も何回か応対する羽目になったことがあるが、みんな同じことを喋《しやべ》る。そしていくら断わっても性懲《しようこ》りもなくやってくる。何人もが入れ替り立ち替り来るし、一人が何回もやってくる。「もうすっかり顔馴染《かおなじ》みになった人もいるわ」と波津子は言っている。例外なく女なのだそうだ。  二階の座敷でパイを腹の上に乗せて遊ばせていた浦野は、その「物見の塔」がまた来たか、と思ったが、波津子の応対ぶりを聞くとどうやらそうではないらしい。 「まあよろしいじゃありませんか。ちょっとお上ンなさいよ」  と何度か繰り返して波津子が勧め、客たちも履物を脱いだ様子である。座敷の襖《ふすま》は開けっ放しになっているので、玄関でのやりとりは階段を伝わって筒抜けであるが、客たちが居間兼客間の八畳に入ってしまうと、もう話し声は聞えない。  十分ほど経《た》って、またブザーが鳴り、波津子の駈け出す音がする。こんどは一人だけの女客だが、これも波津子は招じ入れている。  しばらくすると、また一人、客が来て、波津子がなにやら弁解めいた口調で挨拶《あいさつ》しながらこれも居間へ招じている。  珍しいことだ。浦野も波津子も必ずしも非社交的なほうではないのだが、彼らの家には来客はめったにない。ことに今の家に越して来てからはそうである。公団住宅にいた頃《ころ》は、向う三軒両隣、似たり寄ったりの月給取り同士でもあり、子供の往来が機縁になったりもして、何軒か親しく付きあっている家もあった。食事や酒を一緒にする家族ぐるみのつきあいもあった。そういうことが、今の住まいではまったくない。大谷石やコンクリートの高い塀《へい》で囲まれた家が並んでおり、「ちょっと奥さん、いらっしゃるゥ?」と気軽に声をかけるわけにはいかないのである。越してきてから三年にもなるのに、浦野は近所の住人の顔をほとんど知らない。それを気楽だとも思うし、少し寂しいことだと思う時もある。  亭主《ていしゆ》が在宅している日曜日に、波津子が近所の主婦らしい四人もの客を招くというのは、引越して来てからはじめてのことであった。  波津子がまたスリッパの音を立てて、階段を駈け上って来、 「あ、やっぱり、パイちゃんはここだったのね。ちょっと貸して頂戴《ちようだい》」  と浦野の腹の上からパイを抱き上げた。 「何だい? お客さんたちは」  と浦野がたずねても、 「猫奥《ねこおく》さんたちよ。パイちゃんを見たいんですって」  と言っただけで、ばたばたと降りて行く。猫奥さんというのは、界隈《かいわい》の猫好きの奥さんたちのことである。パイを飼うようになって以来、波津子は猫奥さんたちのお仲間入りをしたらしい。  猫は本来、単独生活者だが、人間が寝静まった真夜中にひそかに神社の境内や原っぱなどで大集会をする。排他的な猫の不思議な生態で、何のために集まるのか、集まって何を話しあうのか、動物学者たちにもよく分らないのだそうだ。猫の寄合いは夜だが、猫奥さんたちは昼間、集まるのかな、と浦野がパイの重みが消えて頼りなくなった腹をさすりながら階下の様子を気にしていると、突然、地響きを立てて車がやって来、浦野の家の門前で停《とま》った。  起き上って窓から覗《のぞ》いてみると、大きな幌《ほろ》を荷台にかけたトラックである。タオルで鉢巻をした男が運転台から上半身を乗り出して、 「ここだ、ここだッ」  と叫んでいる。  引越し以外に、こんな大型トラックがこの狭い道路に入ってくることは滅多にない。トラックから降りて来た男が呼鈴を鳴らすのと、波津子が居間から玄関へ駈けて出たのと同時だった。 「やっぱりそうだわ」  波津子が振り返って声をかけると、四人の女客が居間からつぎつぎに出てきた。どうやらトラックがお目当てで、猫奥さんたちは集まったらしい。 「あなたもちょっと手伝って下さい」  と波津子が叫ぶ。客の女たちが「あら、御主人様にそんなことさせちゃ悪いわよ」となまじ言うものだから、浦野としてはかえって知らん顔をしていられない。  出てみると、トラックの運転手と助手が荷台からダンボール箱を下して、家の中へ運び入れている。彼らの役目は品物を数の間違いなく届けるところまでであって、配列、整頓《せいとん》はあずかり知らぬことだ。玄関の三和土《たたき》はたちまち無秩序に山積みされたダンボール箱で塞《ふさ》がれてしまった。 「わァ、こんなにあるのオ!」 「これじゃア大変だわ」  仰天して、どうしたらいいか途惑っている女性たちを波津子は、 「こちら、国府津《こうづ》さんの奥様。煙草《たばこ》屋のあたりによくいる大きなお猫ちゃん、ほら、白黒のブチで頭のてっぺんに細長い模様が入っている、あの子を飼ってらっしゃる方」  こんな言い方で紹介した。その猫なら浦野は顔馴染みである。人なつっこいやつで、声をかけると仰向《あおむ》けにひっくり返ってニャァと啼《な》いてみせる。 「ああ、あのチョンマゲのお母さんですか」 「あら、いやだ。チョンマゲだなんてひどいわ。あの子、牝《めす》なんですのよ。ルミ子という名前なの。眼もとが小柳ルミ子にそっくりでしょう」  国府津信子は大きな口を開けて笑いながら浦野を睨《にら》んだ。  近所で見かけるよその飼猫にも、浦野たちは勝手に名前をつけている。話題にする時にそのほうが便利だからだが、飼主が出てきて本当の名前を呼ぶのを聞く機会がたまたまあったりすると、びっくりすることが多い。  顔にはいった三毛模様がまるで滅茶苦茶なところから「メチャ子」と呼んでいた猫の本名は「ヒメ」だった。いかにものろまな感じがする雉猫《きじねこ》に「ノロ」と名をつけていたら実は「ヒデヨシ」という名であった。眼つきがいやらしいからと、「チカン」などというひどい名前をつけた猫もあった。浦野がつけるのは飼主が聞けば憤慨するようなのがほとんどである。 「これは失礼しました」 「よろしいんですのよ。でも、そう言われればあの子、ほんとうにチョンマゲ結ってるみたいだわ」 「小柳ルミ子の女|剣戟《けんげき》ですな」 「いやだァ」  国府津信子は若い娘のように躯をひねって拗《す》ねてみせた。  あとの三人も、みんな浦野がよく知っている猫の飼主たちであった。  ダンボールの箱には手をつないだ赤猫と青猫の絵がプリントされている。 「なんだい、これは?」  浦野が聞くと、波津子は、 「幻のネコカンなのよ」  と自慢そうに答えた。  十年位前までは、アメリカには缶詰《かんづめ》のキャット・フードがあるそうな、へええ、という程度の状況でしかなかったネコカンが、今では、澎湃《ほうはい》たるペット・ブームのおかげで、場末のスーパー・マーケットにまで、コンビーフやパイナップルや大和煮など人間様用の缶詰と並んで陳列されるようになっている。  もっとも、物を知らない若い奥さんの中には、子供にせがまれて、そんなネコカンを買って行き、あとで、 「あの缶詰あんまりおいしくなかったわよ。健康食品なの?」  と苦情を言って来たりするのもある。一体どんなふうに料理をして食べたのか、と思うが、若い主婦の誤解を笑うのは酷というものであろう。  米国のネコカン大手メーカーであるカルカン・フーズ社の製品には〈上質の牛肉にレバーをミックス〉〈細かくきざんだ牛肉がたっぷり〉〈肉のぶつ切りと新鮮な野菜をじっくり煮込んだシチュー〉〈消化のよいやわらかい鶏肉とレバーのミックス〉などのキャッチ・フレーズがついている。英国スピーラーズ・フーズ社の「パウス」という製品は、 〈栄養豊かな牛レバーとおいしい牛肉片を豊富な肉汁《にくじる》で作り上げました。病後、産後、衰弱時に最適です〉  という宣伝文句で売出されている。これでは、知らない人はまさかお猫様用だと想像すらしないだろう。もちろん、国産ネコカンも沢山出回っている。全国で飼われている猫の種類よりはネコカンの種類のほうがひょっとしたら多いのではないか。  冷や飯に残りものの味噌《みそ》汁をかけたのが常食で、たまに人の目を掠《かす》めてかっぱらってくる焼魚が最大の御馳走《ごちそう》であった漱石《そうせき》時代の猫とはくらべものにならない豪華な食生活を、現代の猫たちは享受《きようじゆ》しているわけだが、それでも、愛猫家《あいびようか》たちは、 「うちのゴロちゃん、ちかごろはカルカンを見向きもしなくなったのよ」 「うちもそう。鮪《まぐろ》の刺身が大好きで困っちゃう」 「うちは鰻《うなぎ》の蒲焼《かばやき》に目がないの」 「やっぱり日本の猫なのねえ」 「だけど、いくら何でも猫のために毎日、刺身や鰻を買うわけにいかないし……」 「絶対飽きないネコカンはないかしら」  と食道楽の人間が何処《どこ》の蕎麦《そば》、彼処《かしこ》の羊羹《ようかん》と名物を求めて走りまわるように、ネコカンの逸品を探し求めてやまない。  いま、眼前に堆《うずたか》く積まれているダンボールの箱の中身が、〈幻のネコカン〉と呼ばれる逸品なのだ、と波津子は言うのである。  幻の魚というのは映画にもなった。幻の大湖や幻の名馬というのもある。幻の名酒と呼ばれて評判の高い地酒があることも知っている。しかし、幻のネコカンまでがあるとは、と浦野はうなった。  幻のネコカンの噂《うわさ》を波津子が耳にしたのは一ト月以上も前のことだった。一部の愛猫家には早くからその名を知られており、愛猫家団体は会員に限って、限定|頒布《はんぷ》をしているが何分生産量が極端に少いため、一般市場には出荷されないのだという。波津子はあちらこちら尋ねまわってその製造元をつきとめ買付けの約束に成功した。ただし、工場が焼津《やいづ》にあって、そこからトラックで輸送するので一回に三十ケース以上|纏《まと》めてでないと取引に応じられないという。一ケースは四十八個だから千四百四十個である。浦野家の内猫と外猫たちだけではとても食い切れる量ではない。そこで波津子は近所の猫奥さんたちに呼びかけて、共同購入することにしたのである。 「幻にしては、こいつ、随分重いなあ」  一度に二箱運ぼうとしたが持上らず、浦野は尻餅《しりもち》をつきそうになった。女の力では一箱でも楽ではない。 「私が一緒に行きましょう」  と浦野は申し出た。国府津信子が五扉《フアイヴ・ドア》小型車を持ってきており、それにネコカンを積んで四人の女性たちの家に分配してまわる手筈《てはず》になっていたが、車を家の前までつけたとしても、車から家の中まで運び入れるのが大変だ。二人の女性は「うちに主人も居りますから大丈夫です」と辞退したが、あとの二人は生憎《あいにく》、男手がないという。国府津信子は、 「うちはおばあちゃんだけなんです。そうして頂けると助かるわァ」  と屈託のない笑顔を向けた。四十近い年齢のはずなのに、お河童《かつぱ》頭で真っ赤なセーターを着ているから随分若く見える。瞳《ひとみ》に挑《いど》むような光があって、男に冒険心を起させるタイプのようであった。  猫奥さんたちの家を次々に回り、国府津信子の家で最後のネコカンを運び終えたら、上って一服していくように勧められ、テーブルの上には当然のようにビールが置かれた。 「まだちょっと早過ぎるようですが……」  浦野もあまり遠慮はしないたちである。形ばかりの科白《せりふ》を言って、コップを差出した。喉《のど》もほんとうに渇いていた。 「お酒、とってもお強いんですってね。奥様からうかがっていますわ」  信子は自分のコップにもビールを注《つ》ぎ、ほとんど一口で飲んだ。 「あなたこそいけそうじゃありませんか」 「嫌《きら》いじゃありませんけど、そんなに沢山はいただけませんわ。でも日本酒が好きなんです。変ってるでしょ」 「そうですね。女の人で日本酒が好きな人はほんとうに珍しい。だけどどうして女の人はみんな日本酒をいやがるのだろうなあ。刺身だって、天ぷらだって、鍋《なべ》料理だって、日本酒でなければおいしく食べられない物がいっぱいあるのに」 「日本酒が出る場所の雰囲気《ふんいき》が封建的だからでしょうね」 「刺身や天ぷらが封建的だというのですか」 「男の方ばかりの時でも、バーで洋酒を飲む場合は、めいめい好きなものを注文して、勝手に飲めばいいけれど、日本酒が出るお座敷だと、下の人が上の人に対して、まあお一つ、などといってお酌《しやく》をすることになるでしょう。お酒の席にまで会社の身分関係が持ちこまれるわけね。そういう席に女性がまじっていれば、サービスする側にまわるのはいつも女性なんですもの。それでは面白《おもしろ》くないでしょう」  女が理屈ばった物の言い方をするのには浦野は馴《な》れていた。新聞社で働く女たちはたいていそうだからだ。信子が以前に雑誌記者をしていたことは波津子から聞いて知っていたから、彼女の飲みっぷりにも話し方にも、浦野はそれほど驚かなかった。 「じゃァ、日本酒党の僕《ぼく》は封建的な男だということですか」 「でしょうね。奥様からうかがってるわ。おうちじゃ何もなさらないんですってね」 「しないのじゃないんです。できないんですよ。ぶきっちょだから。たまに掃除を手伝おうなどと気まぐれを起すと、バケツをひっくり返して、床を水だらけにするし、灰皿《はいざら》は割るし、女房《にようぼう》にかえって手間をかけることになる」 「そうねえ。なんにもしない亭主《ていしゆ》のほうが女にとっては結局気楽なのかもしれないわ」  建築会社に勤めている信子の夫の国府津|明之《あきゆき》は、アメリカで大学生生活を送ったせいで、形式的には女性に優しい。妻のことを「あなた」と呼ぶし、信子とおそろいのカーディガンを着て二人でスーパー・マーケットへ買物に出かけたりする。ちょっと漫画風なレディファーストぶりを人前では示すが、几帳面《きちようめん》すぎる性格で、家庭では妻や子供たちに迷惑がられる面もあるのだという。洗面化粧台に置くクリームやローションなどの壜《びん》も、配列に定位置があって、その通りに置かれていないと気に入らない。信子を叱《しか》るわけではなく、自分でいちいち置き換えるのだが、そんな姿を見ているのも気ぶっせなものだと信子はこぼすのである。  猫を飼うことについてもはじめは国府津は賛成しなかった。信子の強い希望で、家の中には上げないという条件づきで飼うことが認められた。もっとも、信子は、国府津がいない昼間は平気で猫を家の中に入れている。夕方になると外へ出し、テーブルの上の足跡などを雑巾《ぞうきん》で拭《ふ》きとって何食わぬ顔をしている。「なんだか間男をひきいれているみたいな気分よ」と彼女は波津子に言ったそうである。なにもしないずぼら亭主のほうがいっそ気楽だというのは、信子の本音であろう。 「パイちゃんはしあわせだわ」  二本目のビールの栓《せん》を抜きながら、信子は言った。 「お宅では家族の方全員が猫を可愛《かわい》がっていらっしゃるでしょう。そういうお家って案外少いものなのですよ」 「そうですかねえ」 「うちの子なんかも、主人の顔を見ると嫌われていることを知っているものだから、さっさと逃げていきますわ。昼間は、私が呼ぶとすぐに駈《か》けよってくるのに、主人がそばにいる時はどんなに呼んでも駄目《だめ》なのよ」  信子は、界隈《かいわい》の猫を飼っている家の内情をいろいろ浦野に話した。ある家では、猫を飼うと食べ残しを猫にやろうとして家族の魚の食べ方が雑になり、子供の躾《しつけ》の上からも好ましくないと、昔|気質《かたぎ》の姑《しゆうとめ》が言い張って猫を飼わせなかった。その姑が死んだら、葬式が終った次の日にはもう猫が家族の一員になっていた。ある家では飼猫が近所の金魚をとらえて殺し、それが品評会に出すために丹精して育てていた金魚だったというので弁償金をとられた。もともと猫にそれほど興味のなかった夫は怒って、妻の貯金から弁償金を支払わせた。ある家では、いたずら好きの子供が猫の脚に輪ゴムをはめ、家族が気づかないでいたら、血のめぐりが悪くなって猫は片脚を切断しなければならないことになってしまった。  四、五人の家族がいれば、そのうちの誰《だれ》か一人は猫嫌いか、嫌いとまではいかなくても積極的に好きではないということが多いもので、また、そういう家庭に飼われている猫は人間の機嫌《きげん》を窺《うかが》うようなところがあって、性格がのびのびとしなくなる。猫にとっても不幸だが、飼うほうにとっても面白くないことであり、パイのように、家族全員から熱狂的に可愛がられている猫は本当に幸福だと信子は言うのであった。 「うちは、私とおばあちゃんが猫好きで、主人が嫌いなのですけれど、その反対のケースもありますわね。うちの親戚《しんせき》筋の者なんですけれど、夫が猫好きなのに、妻のほうがあまり好きじゃなくて、それでとうとう夫婦が別居することになりましてね」 「それは無茶な話ですね。いくら猫が可愛いといっても、そのために人間が犠牲になるなんて、滑稽《こつけい》だ」 「それは違うわ。直接的には猫が原因で別れたように見えるけれども、ほんとうはそうではなくて、もともと一緒には暮していけるはずのない人間が間違って結婚してしまったのだということを、猫のおかげで教えられた、ということではないかしら。猫を恨むどころか、猫に感謝しなければいけないのよ」 「若い御夫婦なのですか」 「いいえ、それがもう浪人中の息子と高三の娘がいる中年の夫婦なんですの。あ、そうそう、主人のほうは、たしか浦野さんと同じ新聞社に勤めているはずですわ」 「何という人です? もっともわが社も何千人といますからね。局が違うとほとんど知らないことが多いけれど……」 「編集局のほうだとは言ってたけど、なんだか閑職みたいらしいからご存じないかもしれませんわね。北島新一郎というんですのよ」  世間は狭いものというがほんとうだな、と浦野はびっくりして、しばらく口がきけなかった。  北島は、浦野が会社で猫について話をかわすことのできる唯一《ゆいいつ》の人間だった。その意味から、目下のところ、浦野がもっとも心を開いている相手だともいえる。その北島の妻の綾子《あやこ》が国府津信子の従妹《いとこ》に当るのだという。 「結婚式にも招《よ》ばれなかったし、写真も見たことないんですけど、北島さんてどんな人ですか」 「いいやつですよ。頑固者《がんこもの》だけれど優しいところがあって。僕は好きですね」 「そうでしょう。それなのに綾子さんたらご亭主のことをまるで馬鹿《ばか》にしているみたい。カスをつかんだ、と口癖みたいに言ってるのだそうよ。母親がそんな調子だから子供たちもみんな父親のいうことなど聞きもしなくて……。もう大分前から家の中はばらばらだったようですわ」  別居の直接の原因は、北島の愛猫《あいびよう》ヨサクの怪我《けが》だった。車にはねられて下半身を骨折したヨサクを綾子が医者に連れて行ったら、医者は、こんなひどい怪我では元通りには癒《なお》らない。うまく骨がくっついても、後肢《あとあし》をひきずってよたよたと歩くようになる。それでも手術代は十万円くらいはかかるから勿体《もつたい》ない、そんなことに大金を使うくらいだったら、シャムかペルシャのいい猫《ねこ》を買ったほうが得ではないか、いい猫を紹介して上げますよ、と勧めたそうで、綾子は、新しく買う買わないは改めて相談するとして、十万円もの治療費はとても出せないから猫は安楽死させてくれ、とあっさり頼んだ。  会社から帰って、そのことを知らされた北島は激怒し、綾子を殴った。綾子は妻より猫のほうが大事なような男とは一緒に暮せないと言って家を飛び出したのだという。 「医者もひどいやつだな」 「ちかごろは、そういう獣医も中にはいるらしいですわ。ブリーダー(養殖者)と結託して、儲《もう》けることしか考えていないのね」 「人間相手の医者でも、仁術よりは算術なのだから、犬、猫相手だとそれぐらいは当りまえなのかな」 「お医者さんもお医者さんだけれど、それよりやっぱり綾子さんがいけないわ。自分の飼猫をそんなふうにできるものかしら。考えられないことだわ」  国府津信子は綾子に対して、特に反感を持っているようだった。彼女の口調には、個人的な旧怨《きゆうえん》をはらそうとしているようなところがあった。  浦野は北島のことを考えていた。  もう二年前のことになるが、北島が浦野のところへ文句をつけにやって来た時のことを浦野はよく覚えている。 「なんだい、これは。どうして訂正だけでお詫《わ》びを出さないんだ」  北島ははじめから喧嘩腰《けんかごし》だった。  I造船の新社長が内定したという経済欄の記事に添える顔写真が同姓同名の別人の写真と取り違えられるという出来事が三日前にあった。ミスの形式的な最終責任は経済部の担当デスクにあるが、実際は資料部写真課の手落ちである。  記事に必要な写真を各部署の担当者から毎日何十種類も請求してくる。それはアフリカの小さな独立国の大統領の写真であったり、十年前の航空機墜落事故の現場写真であったり、しかめっ面《つら》の、と特に注文をつけられた総理大臣の顔写真であったり、さまざまであって、それらの注文に的確に、かつ素早く応じられるように、日頃《ひごろ》からありとあらゆる種類の写真を蒐集《しゆうしゆう》し、分類整理して、管理するのが資料部写真課の任務であり、浦野はその責任者の立場にあった。  経済部からの注文を聞いたのがたまたま入社二年目の若い部員だったことが不幸だった。知名人同士で同姓同名が何人かいる場合は資料ケースの該当箇所にその旨《むね》の注意書がしてあるのだが、若い社員はそれを見のがし、別人の写真を渡してしまったのである。  I造船の広報課からの抗議の電話をうけとるまで経済部の誰も気がつかなかったのも迂闊《うかつ》な話だった。無論、訂正記事を出さなければならないのだが、新聞社が記事や写真の誤りについて訂正記事を出す場合に、単に「訂正」だけするのと、「訂正し、かつお詫び申し上げます」と関係者に迷惑をかけたことを詫びるのと二タ通りある。後者のほうが誤報の度合が大きく、担当者の失点も大きいのはいうまでもない。だからミスを犯した者も「訂正」はしても「お詫び」はなかなかしたがらない。自分の勤務評定に響くからである。  顔写真を取り違えるミスなどは訂正だけではすまないのが普通である。当然「お詫び」を入れなければならないのだが、経済部ではI造船に内々で話をつけて、「訂正」だけで勘弁してもらうことになった。  新聞に顔写真が出た別人のほうは「たとえ間違いでもI造船の社長にしてもらって光栄ですよ」と鷹揚《おうよう》に笑ってくれた。  結局、新聞に掲載されたのは、単に「訂正します」というだけの断わりであった。  それが糊塗《こと》的でけしからん、と北島は怒っているのである。彼ははじめに経済部に行って文句を言い、それから浦野のところへやってきたのであった。  北島の言い分は正論である。浦野もその通りだと思う。それはそうなのだが、しかし、なぜ当事者でない北島がそのことをわざわざ言い立てなければならないのか。 「その件について、センターに読者から文句の電話でも来たのですかね」  浦野はたずねてみた。センターというのは、その年の春に新設されたばかりの読者サービス・センターのことで、北島はセンターの主幹である。 「いや、それはまだ来ていない」 「だったら、あんたがそんなにいきり立つことはないじゃないか。当事者はみんな納得していることなのだから」 「誤報の訂正やお詫びは、誤報された当事者たちだけのために出すものだと思っているのかね。そんな頭でいるから、いつまで経《た》っても誤報がなくならないんだ。間違った記事を読まされた数百万の読者に対して、あれは出してるものなんだぜ。それから、センターに抗議の電話が来ないということは、数百万の読者がみんな許してくれたということではないんだ。電話はかけなくても、読者は腹の中で、この新聞もいい加減なものだ、顔写真をとり違えるような大きなミスをしておきながら訂正だけでお詫びもしないなんて、とあざ笑っているかもしれない、憤慨しているかもしれない。いや、そうにきまっている。おれにはその読者の声なき声が聞えてくるんだ。それを代弁して、こうして言いに来ているんだよ。読者サービス・センターの責任者のおれが、読者の声を代弁してはいけないのかね」  北島は眼《め》に強い力を籠《こ》めて浦野を見た。しかし、彼が浦野個人に文句を言っているのではないことは浦野には容易に察しがついた。北島の大声は、浦野の席とは反対側の窓際《まどぎわ》にある資料部長の席にも十分届くほどのものだった。さらに、そのずっと向うに坐《すわ》っている編集総務や主筆の耳にも聞えているはずであった。北島は編集局のすべて、いや、社内全部に聞かせるために喚《わめ》いているのであった。  北島は浦野より年齢は二つ下だが、試験入社組なので社歴では何年か先輩になる。彼の同期生のおおかたはとっくに部長になっており、彼ははっきり出世が遅れていた。北島以外にも部長になれない者は同期生の中に何人かいたが、それは病気で長期間休職したり、仕事の上で大きな事故を起したり、手のつけられぬ酒乱だったり、といったなんらかの疵《きず》を持つ者ばかりであった。  読者サービス・センターが新設された時、北島はやっと「部長待遇」になり、センターの責任者として何人かの部下を持つ身になった。  読者サービス・センターは、その新設を読者に知らせる「社告」によれば、新聞社のもっとも新しい顔の一つであった。新聞の使命をより確実に果すために求められるものは読者との緊密な連繋《れんけい》である。新聞が真に大衆のものとなるためには、日々の報道についての刻々の読者からのフィード・バックこそなくてはならないものである。この根元的な要請に応えるために読者サービス・センターは新設された、と社告には謳《うた》われていたし、北島が編集局長から聞かされたのも、これと同様の言葉だった。  随分長い間の忍耐の末にやっと「部長待遇」の肩書を手に入れた北島が、与えられた新しいポストに、大きな期待をかけたのは当然のことといえよう。彼はその新しいポストでの仕事がこれまでの遅れを一気に取り戻《もど》させてくれるものにちがいないと信じた。だが、北島の夢がしぼんでしまうのにいくらの時間もかからなかった。正確にいえば、そんな夢を持つこと自体、北島のひとりよがりであり、認識不足だったのである。  読者サービス・センターに配属された人員は北島をふくめてわずかに六人であり、しかも正規の社員は北島以外にはたった一人であった。あとの三人は定年後、嘱託として一、二年の余命を保つことになったOBの記者であり、もう一人はアルバイトの女の子である。部屋も、新聞審査委員会が占領していた五階の廊下の突き当りの部屋の、それまでは古新聞の山が積まれてあったところが、片づけられて、あてがわれた。  新聞審査委員会というと名前はいかめしいが、実際は、役立たずの古手記者の寄せ集めで、社内の吹き溜《だま》りの一つであった。その吹き溜りの居候《いそうろう》にセンターはなったのである。  新聞社には、記事についての問合せや、誤りの指摘や苦情やその他の電話が一日に何百本とかかってくる。従来はそれらは交換台から当該部署に直接つないで応対していた。しかし、これでは記者たちの通常業務に差障りがある。そこで、社外からの電話を一括して処理し、編集各部局の仕事を渋滞させないようにしようというのがセンター設置の本当の意図だったのだ、と北島は気づいた。 「平たくいっちまえばさ、社外からのうるさい電話に忙しい記者連中は一々かまっちゃいられないから、暇な奴《やつ》を集めて応対させろ、ということなんだよ」  嘱託としてセンターの仕事をすることになったOB記者の一人が皮肉な口調で言うのに、北島はむっとしながら反論することはできなかった。  この新しいポストが社内的に重視されていないなによりの証拠は、北島のサラリーが基準外賃金などがなくなることで実質的に減額されたことであった。  喚きつづける北島の顔に、抑えきれぬ悲哀の色が浮かぶのを浦野は見た。  北島の主張は実社会を知らぬ少年の正義のようなもので、それをかたくなに主張すればするほど、北島は嘲笑《ちようしよう》され、異端視され、苦しい立場に自分を追いつめるだけだ。それを北島自身も十分に承知していながら、それでも喚かずにはいられないのであろう。  なだめるような、あるいは制止するようなことを言えば、北島はかえっていきり立つだけである。浦野はただ俯向《うつむ》いて、北島の視線を逸《そ》らし、彼が一刻も早く叫び疲れて口を閉ざすのを待つよりほかなかった。  これが、浦野が北島と個人的に関《かか》わりあった最初である。変な奴だな、という程度の印象を浦野は持っただけであった。  猫を飼うこと、また、そのことについて語ることは、男にとって面映《おもは》ゆいことなのだろうか、と浦野は時々考えることがある。  実際に、彼は、職場や、職場の仲間たちといっしょに行く喫茶店やビヤホールなどで、猫について男たちが語っているのをほとんど聞いたことがないのである。犬の話をする男たちはいた。それどころか、社内には愛犬同好会まであって、その消息が社内報に掲載されたりしている。男たちは、ビールを飲みながら、大きな声で飼犬の自慢をするのである。  犬を飼う人間がいれば、猫を飼う者だって何千人という数の社員の中には当然いるはずで、彼らの声が聞えてこないのはおかしいではないか。猫を飼っている者たちは、意識的に口を噤《つぐ》んでいるのであろうか。そうだとすれば、彼らに猫への愛を語らしめないものはいったい何なのだろうか。猫を飼うことの何が男たちを面映ゆくさせるのだろうか。浦野自身の気持を自分で探ってみると、猫についておしゃべりをする仲間が外の世界にいないことが物足りなくもあり、不当なことのような気がする一方、うかうかと口外してたまるかという気持もあり、較《くら》べてみれば、後者のほうがずっと強いもののように思えるのである。隠れ切支丹《キリシタン》の秘《ひそ》かな矜恃《きようじ》はこんなようなものではなかっただろうか、などとも浦野は考えたことがあった。  ある日、社内食堂で、浦野は北島とたまたまテーブルの向い合わせに坐った。ちょっと会釈をしただけで、浦野は箸《はし》をとって食べはじめた。肉厚だがゴムのように乾いてしまっているモンゴ烏賊《いか》の切身や筋の多い鮪《まぐろ》の切身などが乱雑にのっているちらし丼《どんぶり》があらかた浦野の腹中におさまった頃、セルフ・サービスのアルミ盆を両手で支えた男がやって来て、浦野の隣に坐った。顔には見覚えがあるが名前は知らない男だった。  男は椅子《いす》に腰を下すが早いか、味噌汁《みそしる》の椀《わん》を取り上げて一口|啜《すす》ったが、 「あちちち」  と声をあげて、放《ほう》り出すように椀を盆の上にもどした。汁がこぼれて、盆の上をよごした。騒がしい野郎だな、と浦野が舌打ちしていると、男は照れたような表情で、 「……猫舌だから」  とひとり言を呟《つぶや》いた。  その時「ふン」と北島が鼻先で嗤《わら》うのを浦野は聞いたのである。味噌汁をこぼした当人はおそらく気づかなかっただろう。短く、微《かす》かな、一瞬の笑いだった。それを浦野が聞きのがさなかったのは、浦野自身、腹の中で、ふンと笑ったのとまったく同時だったからである。猫は猫舌なんかじゃないぞ。猫舌なんていうのはどこかの法螺吹《ほらふ》きがでっち上げたでまかせなんだ。猫のことをなんにも知らないくせに、通俗的なことを言いやがって、という意味の「ふン」なのである。  室鰺《むろあじ》の焼きたてにむしゃぶりつくパイをはじめて見た時、浦野も仰天したものだ。魚焼き器から取り出したばかりの室鰺を皿《さら》に入れて食卓に置いたら、パイが匂《にお》いにつられて顔を寄せてきた。 「これがほしいのかい。いいからいくらでもお食べ。食べられるものならね」  浦野はからかうつもりで、焼きたての魚の身をむしって、パイの鼻先に置いた。彼もその時は「猫舌」の俗説を信じていたからだ。だが、パイは平気で、その熱々のむしり身に食いついてきたのだ。 「ハフッ、ハフッ、ハフ」  と人間がするのと同じように、息を吹きかけながら、またたく間にそれを食べてしまった。焼魚ばかりではない。その後、いろいろと試してみると、パイは熱いスープも平気で飲むし、まだ煙の出ているステーキを切ってやっても「ハフッ、ハフッ」と言いながら口に咥《くわ》えた。  人間でも、昔の殿様のように熱いものを一切供せられないで過すといわゆる「猫舌」になってしまう。猫が「猫舌」であるのは、猫には冷めきった残りものの味噌汁をやっておけばいいと思っている無精な飼主が多かったための結果にすぎない。人間は、自分たちの横着の責任を猫の機能的欠陥にすりかえてしまったのだ。猫にしてみれば、いわれなき譏《そし》りで、さぞ心外であっただろう、と浦野も波津子も自分たちの非をパイのおかげで大いに反省することができたのである。  猫をたとえ何十匹飼っていても、「猫舌」の俗説を信じているようなやつは、猫を真に愛していない輩《やから》である、と浦野は今や信じていた。だから隣席の男が「……猫舌だから」と呟いた時、馬鹿、と内心思ったのであった。  浦野はほとんど反射的に、北島の手に視線をやった。そして、自分の手の甲にあるのと同じ引っ掻《か》き傷が幾条か走っているのを見つけた。それは紛れもなく猫の爪痕《つめあと》であった。 (この男も、猫に焼きたての魚を食べさせているに違いない)  浦野は北島の顔をあらためて見ようとしたが、北島はその浦野の視線を振り払うように立ち上り、素早く背をむけて食堂を出て行った。そのうしろ姿は、しかし、はっきり浦野を意識しているものであった。  それから間もなく、浦野は北島と猫の話をするようになる。はじめに話しかけてきたのは北島のほうであった。  北島も猫を飼い出してからそんなに長い年月が経っているのではなかった。彼が猫を飼いはじめたのは、浦野の家にパイが来た七カ月位前のことだった。 「子供のころ、一度だけ捨て猫を拾ってきたことがあるんだ」  と北島は言った。  北島新一郎は東北の小さな町の生れで、家は雑貨屋をしていたが、店番は母親が引受け、父親は町役場に勤めていた。祖母は早く亡《な》くなり、長い間やもめ暮しの祖父がいた。祖父は一反ばかりの畑を耕したり、時には母親にかわって店番をしたりしていた。北島が猫を拾ってきたのは、母親が外出して、祖父がひとりで店番をしている日のことだった。拾ったのは生れて半年そこそこの仔《こ》猫だが、右|後肢《あとあし》をちょっとひきずるようにしていた。草の青い汁がこびりついていたりしてあまり綺麗《きれい》な猫ではなかった。祖父は汚ながって捨ててくるように言ったが、北島は強情を張って猫を離さなかった。その日の夜、父親と祖父が激しい諍《いさか》いをした。はじめは口喧嘩《くちげんか》だったが、すぐに殴りあいになり、祖父は土間に転げ落ちた。  北島は拾い猫を抱きしめ、おののきながら部屋の隅《すみ》で脅《おび》えていたが、祖父の怒声に身をすくめた途端、仔猫は北島の腕をすり抜けて土間のほうに走り出した。それは祖父が土間にあった鉈《なた》を父親目がけて投げつけたのと同時で、鉈は運の悪いことに仔猫の顔面にまともに当った。ぎゃん、と一声叫んだだけで、仔猫は即死であった。北島はすぐに駈《か》け寄ったが、頭を割られて血を流している仔猫の姿がおそろしく、立ちすくんだ。思いがけぬ出来事に気勢を殺《そ》がれたのか、祖父と父親の喧嘩はそれでおしまいになった。  その日、なぜだか、母親は帰って来なかった。母親が戻って来たのはそれから一カ月ほど経ってからのことだった。  そんなことがあって以来、北島はずっと猫とは無縁の人生を過してきた。意識して猫を避けるところがあった。 「猫は不吉だ、という気持がなんとなく植えつけられてしまったのだろうな。だが、よく考えてみると、これはおかしいんだ。不吉どころか、あの仔猫は俺《おれ》たち家族を悲劇から護《まも》ってくれた幸運の猫だったのじゃないか。もし、あの時、猫が死ぬという出来事がなかったとしたら、祖父と父親の喧嘩はもっとエスカレートしていただろうし、どちらかが大怪我《おおけが》をするか、最悪の場合は命を落すような事態になっていたかもしれない。ほんとうに凄《すご》い喧嘩だったからな。そうなれば生き残ったほうは刑務所行きだし、俺は母親一人の手で育てられることになる。俺の人生は今とはまるで違ったものになっていただろうな。あの日、俺が猫を拾ったことが俺の親父《おやじ》やじいさんや、俺自身を救ったわけだ。あの猫は俺たちにとって救いの神だったのだ。不吉だなんて言っては申訳ない話さ」  北島が入り組んだ家庭の事情がありそうな昔話をいきなりはじめたことに、浦野は意外な感じを受けた。身上話をすぐに語りたがるやつに強い性格の男はいない。社内では北島のことをうるさ型のように言う者もあるが、本当は気の弱いさびしがり屋なのだろう、と浦野は思った。  第七章 暗く深い穴を  病院に連れて行かれたコノコは、入院させられることもなく、その日のうちに戻《もど》ってきた。勤めから帰ってきた浦野に、波津子《はつこ》は、 「単純な風邪なんですって。他《ほか》にどこといって悪いところはないから心配は要らないそうよ」  と報告した。注射を二本打ってもらい、あたたかくして寝かせるように、好きなものをたくさん食べさせて体力をつけるように、それから、風邪をうつすといけないから他の猫《ねこ》とはなるべく接触させないように、などの注意を聞かされて、波津子は帰ってきたのである。  コノコの衰弱ぶりから見て、単純な風邪にすぎないとは、浦野にはどうにも思えなかったが、獣医の診察を否定する理由もなかった。加納というその獣医は、近所の猫奥さんたちの間では、なかなか評判のいい医者だった。もっとも、評判のいい第一の理由が「治療費が安い」ことであるというのは、人間相手の医者とは違うところだ。あまり商売っ気はないらしく、医院の建物も羽目板に塗った緑色のペンキが剥《は》がれたままでいつまでも放ってあった。年上の女房《にようぼう》と二人きりで、助手も看護婦も使っていない。ちょっと変り者なのである。 「ほんとうに入院させなくて大丈夫なのかね」 「加納さんところは、コノコよりもっとひどい病気の猫や犬がいっぱいいるんだもの。入院させたらそういうのの病気がうつってかえって悪くなるかもしれないわ」  波津子は顔をしかめた。治療費は安いし、熱心に治療はしてくれるのだが、よっぽど無精な人だと見えて、きたならしさはお話にならないぐらいなのだ、という。医師自身の飼猫がおり、これが老猫で尻《しり》の始末が悪く、玄関の三和土《たたき》に排便したり、食べものを吐いたりする。これがどうかすると半日ぐらい放ってあって、そんな不潔さに辟易《へきえき》して、波津子は、パイは田所という別の獣医のところへ連れていっている。ここは今の院長の先代が創設した大きな動物病院で、設備も新しく、人も多い。そのかわり、治療費は高いし、電車に乗って行かなければならない不便さもあった。 「どうしてコノコは田所さんへ連れていかなかったんだい。差別じゃないか」 「あそこは野良《のら》猫は駄目《だめ》なのよ。飼猫だってペルシャだのチンチラだのシャムだのと、素姓の知れたのは歓迎されるけれど、駄猫だと露骨に軽蔑《けいべつ》的な顔をするのよ。コノコなんか連れていったら大騒ぎになるわ」 「いやな医者だな。パイもこんどからそんなところへ連れていくのはよせよ」 「でも、腕はいいみたい。それに加納さんところはあまりにも汚なすぎるし……。加納さんと田所さんと足して二で割ったようなお医者さんがあるといいんですけどねえ」  猫の面倒を見るのもあれこれと気苦労が多いのだ、と波津子は笑った。  コノコは合成樹脂製の箱に入れられ、二階のベランダに置かれた。箱の中には古い毛糸のセーターを敷いてあたたかくした。それでも明け方は冷えこむだろうから、夜は湯たんぽを入れてやるつもりだと、波津子は言った。 「それぐらいすればまあ大丈夫だろう。注射を打ってもらって少しは元気になったのかい」 「昼間はベランダをちょろちょろ動きまわってたけど……。ミルクも飲むし、ネコカンも少しは食べたし、二、三日前よりはたしかによくなったみたい」 「ものを食べられるのだったら安心だよ」 「でも、気になるのは人なつっこくなったことね。あれだけ意地っ張りでほかの猫も人間も寄せつけなかったコノコが、病院から帰ってきてからは私にすり寄ってくるのよ。縋《すが》りつくような眼で、私を見るのよ。これからは強情は張りませんからどうか助けて下さい、といってるみたいなの。人間も、ほんとうに死期が迫るとそんな眼でお医者さんや看護婦さんを見るんですってね。コノコちゃん自身にはやっぱり自分はもう駄目らしいという予感があるのじゃないかしら」  浦野は二階に上り、ベランダに出て、コノコの様子を見た。重ねたセーターの窪《くぼ》みにうまく躯《からだ》をはめこんで、コノコはちんまりと寝ていた。一瞬、ひょっとして死んでいるのではないかと思って、胴に手を触れてみると、ひどく熱く、まだかなりの高熱があるようだった。顔の表情はおだやかだ。少しずつ恢復《かいふく》していくのかもしれないとも思えたし、やっぱり駄目かもしれないとも思えた。 「どうなんだろう」  先のことが分らないというのは、こんなにももどかしいことなのか、と浦野は苛立《いらだ》ちをもてあます感じであった。  二、三片重なりあった乳色の雲のすぐ真上に、大きな月が懸かっている。昔の人は、こんな時に月に祈ったのだろう、と彼は思った。  翌朝、浦野はいつもより二十分ほど早く目を覚ました。夢を見るということはなかったけれども、コノコのことが頭のどこかにひっかかっていて、それが眠りをちぢめたのだろう。  床から出ると、彼はすぐにベランダに出た。昨夜、波津子が床に入る直前に湯たんぽをつくってコノコの寝箱に入れてやった。その湯たんぽを抱きかかえるように、弧状になってコノコは躯を横たえていた。眠りこけている姿ともそれは見える形だったが、浦野は直感的に(死んでる!)と思った。  そして、それは当っていた。  躯には気のせいかと思えるほどの温《ぬく》みが残っていたが、指で押してみる硬さは、死後硬直のそれにまぎれもなかった。  浦野は波津子や能里子《のりこ》を大声で起し、コノコの死を知らせた。  波津子はコノコを抱き上げると、 「ノンちゃん、これ、見てよ」  と能里子の目の前に腕を差し延べた。  コノコの躯は、彼がしがみついていた湯たんぽのカーブの通りに彎曲《わんきよく》したまま固くなっていた。能里子は「わッ」とはじけるように叫ぶと同時に膝《ひざ》を折って蹲《うずくま》り、両|掌《て》で顔を蔽《おお》った。 「庭に埋めてやろうよ」 「夾竹桃《きようちくとう》の下がいいわね」  空はやっと東のほうが乳白色に変りはじめたばかりで、庭の木々に絡《から》まっている空気はまだ夜の冷たさだった。浦野は錆《さ》びたスコップで穴を掘った。それまでなぜか出なかった涙が、壜《びん》の栓《せん》をはずしたように、不意にぼとぼとと滾《こぼ》れ、掘り返したばかりのやわらかい土に浸《し》みていった。 「なるだけ深い穴にしてやって」  と能里子がいう。小さな錆びたスコップではなかなかはかどらなかった。湿った土に金属片が突き刺さる掠《かす》れた音が浦野に三十数年前の記憶を蘇《よみがえ》らせた。  われわれの祖先たちが長い間営みつづけてきたものであるにもかかわらず、今日の都会に棲《す》む者たちがすっかり喪《うしな》い、忘れてしまった習俗は、われわれが思っている以上に数多い。死骸《しがい》を埋めるための穴を掘る仕事もその一つであろう。土葬はつい近い時代までわが国の一般的な葬法であり、人々は死者のために暗く大きい穴を大地にうがった。それは必ずしも埋葬人に委《ゆだ》ねておけばそれでいいという作業ではなかった。講中や若衆や身寄りの者たちが死者への思いを寄せて一心に鍬《くわ》を振ったのである。穴掘りの大役を果した者たちに振舞われる穴掘り酒は、もっとも品質のすぐれた酒でなくてはならなかった。今はもう稀有《けう》のこととなっているその穴掘りを浦野が経験したのも戦争のせいである。  浦野が兵卒として中国大陸に渡ったのは昭和十九年の秋だが、二十年になると、戦況がどんどん悪くなり、浦野たちの部隊が駐屯《ちゆうとん》していた内蒙古《うちもうこ》の山奥あたりまで、敵の勢力の巻き返しが活発になってきた。水汲《みずく》みに行った兵隊が帰って来なかったり、饅頭《まんじゆう》売りの少年かと思って安心して近づいたらいきなり胸を刺されたり、といった事件がいくつかつづき、昼間でもうかうかと外歩きはできないようになった。燃料にする木を伐《き》りに行くのにも、武装して隊伍《たいご》を整えて行かなければならないのである。  兵隊が安心して丸腰でいられるのは、高い城壁に囲まれた県城の中だけで、城壁の外はゲリラたちの執拗《しつよう》な眼《め》が絶えず光っていた。ある朝、小隊を率いて討伐に出かけようとした少尉が城門を出て三十メートルほどのところで、地雷を踏んで爆死するという事件があった。探査してみると、城壁の周辺には二十個あまりの地雷がいつの間にか埋められていた。兵隊たちは大目玉を食った。毎晩|歩哨《ほしよう》に立っておって、何を見ていたのか、というわけである。東西南北、四つの城門に衛兵が立つほかに、城壁の上を二十四時間動哨していた。それなのにゲリラが地雷を埋めに来たのをまるで気がつかなかったのだから迂闊《うかつ》きわまることであった。  夜間の動哨は特に警戒を厳重にするようにいわれ、その気になって注意して見張れば、月明りのない夜など、地雷をかかえたゲリラが地を這《は》って、城壁に迫ってくるのが、夜闇《よやみ》を透かしてたしかに見える。それは撃たねばならない敵であった。撃たなければこちらが地雷を踏まされて命を落すのである。夜が明けて、城壁の周囲を一まわりすると、夜のうちに狙撃《そげき》されたゲリラの死体がいくつも転がっていた。それをひきずってきて、一箇所に集め、大きな穴を掘って埋めるのである。  この穴掘りの作業ぐらい兵隊たちの気分を滅入《めい》らせるものはなかった。とてつもなく大きな穴を掘らなければならないのである。はじめて穴掘りをやらされた時、六年兵の兵長が棒でぐるりと描いた輪の大きさを見て、浦野たち初年兵は仰天した。たかが五つや六つの死体を埋めるのにこんな大きな穴が要るものかと思ったのだが、実際に埋めてみるとそれは決して大き過ぎはしなかった。兵隊というものは一般にお喋《しやべ》りなものであって(多分、それは私語を禁じられる時間があまりにも多過ぎるせいだろう)暇さえあれば無駄口を叩《たた》いて飽きることがない。演習中でも、戦闘中ですらそうだ。穴掘り作業は、特別な仕事だということだろうか、作業中の私語も大目に見られた。ところが、兵隊たちは、この時に限って寡黙《かもく》になってしまうのである。みんな俯向《うつむ》いて円匙《えんぴ》を使うだけで、冗談を言う者もいないし、懸け声をかける者もない。誰《だれ》もが駱駝《らくだ》のような表情になってしまう。気が滅入る時、人間は思索的になるのであろうか。あれはほんとうに暗くて大きい穴だったなあ、と浦野は今でもつくづく思う。  それにくらべれば、今、浦野が夾竹桃の根もとに掘っている穴は桁違《けたちが》いに小さい。それは穴とも呼べぬほどのものである。しかし、それでも、穴を掘るという行為が人間を寡黙にさせる点は変らないようで、浦野は、小さすぎてはかのゆかぬスコップに苛立ちながら黙りこくって、いつまでも穴を掘りつづけた。  死なせた時のつらさを思うと動物を飼う気になれない、と言う人がいる。実際に、小動物の死は、時として人間の死よりも人の心を痛ましめるものである。とりわけ猫の場合はそうであって、こんなに切ない思いをしなければならないのかと思うと、もう猫なんて飼いたくない、と、一度猫を死なせた人は必ずそう言い、言いながらまた必ず新しい猫をどこからか貰《もら》ってくるものだ、ということを浦野はもちろんそれまでに何度も聞かされていたし、そういうものであろう、と十分察しもついた。しかし、実際にはじめて猫の死に遭遇してみると、その哀《かな》しみは察していたものとはかなり様子の違うものであった。  浦野の人生に猫が立ち入るようになってからまだ一年数カ月しか経《た》っていないが、外猫第一号のヨウカンをはじめもう何匹もの猫たちが姿を見せなくなっている。死んでしまったにちがいないとは思うけれども、実際にその死体を見たわけではない。路傍の死になら遭遇したことはあるが、コノコの死は、浦野がはじめて自分で看取《みと》った猫の死である。彼は穴を掘っている間、涙をこぼしつづけた。止めようとも思わなかった。強《し》いて止めなければ、人間はどれくらい泣きつづけられるものなのだろうか、などということを頭の隅《すみ》でちらと考えながら涙を流しつづけていた。そして、いつまで経っても涙が止まらないのに驚き、腹立たしさすら覚えた。  七年前に父親を失った時、臨終の場でも葬儀の時にも浦野はほんの少し涙をこぼしただけであった。その涙も、その場の雰囲気《ふんいき》に誘われたという程度のもので、彼の心の中には、父親の死に対する痛切な悲傷というものは湧《わ》きあふれてはこなかった。彼と父親とはお互いにわりあい冷淡な父子《おやこ》であった。彼が中学を卒業してからはずっと別に暮してきたし、少年の頃《ころ》も父親と話をかわした記憶がほとんどない。浦野は父親がやっていたうだつのあがらない商売の、その乏しい売上げ金の中から時々、小銭を盗んでは遊びまわる悪い少年だったので、父親の目を恐れ、いつも父親の目の届かないところに逃げていたのである。  父親の死に痛哭《つうこく》しなかった自分が、いま、縁の薄い一匹の仔《こ》猫の死にみっともないほど涙を垂らしている、そのことに、浦野は途惑いを覚え、不快を感じる。しかし、その不快も軽微であって、自己|嫌悪《けんお》というほどにも至らない。何かが間違っているにちがいないとは思うのだが、どこが間違っているか、さっぱり分らないのである。  一メートル近くも深く掘った穴にコノコの亡骸《なきがら》を入れて土をかけた。能里子が竜胆《りんどう》の花をちぎってその上に置いた。  波津子は思い出したように獣医の悪口を言った。一日も保《も》たないで死んでしまうような病状を単なる風邪だとは、いくらなんでもいい加減過ぎると、もう幾度も繰り返した愚痴だった。能里子は、注射なんか打たれてかえってびっくりして死んでしまったのかもしれない、医者へ連れて行かなければ、どうせ死ぬにしてももう二、三日は生きのびていたかもしれない、私たちがお節介をしてコノコの命をちぢめたのではないか、と嘆いた。  浦野は、涙が止まるとともに自分の気持が潮が引くように冷静になってくるのを感じていた。 「医者が悪いのでも、俺《おれ》たちがお節介なのでもない。こういうコノコの運だったんだよ。運だよ」  浦野がそう言うと、波津子は「またァ」と言って顔をしかめた。浦野自身は気がつかなかったことだが、ちかごろ彼は何かというと「運だ」と言うのだそうである。 「世の中はすべて運だと言ってしまえばまあそうには違いないけれど、なんだか言い訳がましくて聞き苦しいわ。やめたほうがいいわよ」  波津子はつけつけと言った。  その日、浦野が出社すると、いつも正規の出勤時間よりは三十分早く来ている部長の小泉がぶっきらぼうな声で、 「出たよ。人事部へ行ってくれ」  と言った。四日前に小泉を通じて内示を受けていた課長昇格の辞令のことである。浦野が資料部写真課の課長待遇になったのは二年前のことで、今度、その「待遇」がとれて正式に課長に昇進したのである。  課長と言っても、新聞社の場合は一般の会社の場合と職階の呼称が少し違う。大ざっぱに言えば、一般の会社の課長に相当するのが新聞社では社会部長、経済部長、資料部長などの「部長」である。一般の会社での部長に当るのは「局長」である。部長の下には次長がおり、課長の身分は次長より低い。一般の会社でいえば係長程度の職位であろう。浦野のいう「尻尾《しつぽ》のある」社員が順調に昇進して行けば、早い者では三十代の終りに、遅い者でも四十半ばまでには次長になる。浦野は今、五十二歳でやっと課長の椅子《いす》に辿《たど》りついたのである。  部長の小泉は浦野と同じ歳《とし》である。彼が部長になったのは四年前で、同期生の中では出世の早いほうではない。小泉は浦野に課長昇格の内示を伝える時にも、おめでとうとか、よかったねなどといった形式的な祝辞は述べなかった。余分なことは一切言わず、きわめて事務的に人事部の意向を伝えただけであった。そのことに浦野は彼に対する小泉のいたわりを感じたが、いたわられたと思うことで彼はまた憂鬱《ゆううつ》になった。  人事部長のところへ行くと、部長はすぐに立ち上り、浦野を人事担当重役の室へ連れていった。課長待遇になった時の辞令は人事部長から貰ったが、課長の辞令は役員から手渡されるのである。重役は辞令の文句を小学生のように朗読してから浦野に差出した。浦野は人事部長の顔をちらと見た。人事部長は目顔で、浦野に、何か言え、と促している。何と言えばいいのか。重役も浦野が当然、なんらかの挨拶《あいさつ》をするものと思って待ち構えている。この上は粉骨砕身職責を全うし、か。それとも、新人歌手のように、ガ、ガ、頑張《がんば》ります、と吃《ども》ってみせるのか。浦野は、不意に、重役が地方部長だった頃、社員旅行の宴会の余興に裸芸を得意にしていたことを思い出した。襖《ふすま》を一枚取りはずして横にして置き、それを風呂桶《ふろおけ》に見立てるのである。襖の蔭《かげ》には若い社員が隠れていて、煙草《たばこ》を四、五本いっぺんにふかす。それが湯煙のように見える。重役ははじめは襖の外に首だけしか出していない。頭に手拭《てぬぐ》いをのせている。その手拭いを手に持ち直して肩のあたりを拭《ふ》く。立ち上って腹のあたりを拭く。いかにも素っ裸で風呂に入っているように見えるが、褌《ふんどし》ぐらいはしているだろうと思っていると、これが正真正銘の裸で、湯船をまたいで外へ出てくるのである。やっこらさと湯船を跨《また》ぐ時に、巧みに局所を隠すのが年期が入っているところなのであった。普段はカミナリ部長として威圧的な態度の人物だったのに、そんな隠し芸で奇妙に部下から親しまれている面もあった。いつも湯煙づくりの役をやらされていた若い社員も今は支局長になっている。ひょっとしたら彼も支局員をひき連れた社員旅行で、重役直伝の裸芸を披露《ひろう》してみせているかもしれない。いや、きっとやっているに違いない。人心|収攬《しゆうらん》のためには裸踊りでも逆立ちでもやってみせるのが組織の中で出世する人間なのだろう。  そんなことを考えながら、結局、浦野は何も言えず、頭を一つ下げただけで辞令を受取った。人事部長が呆《あき》れたような顔で浦野を眺《なが》めていた。  自席に戻《もど》ってしばらくすると、庶務課の女の子がやって来た。新しい肩書を入れた名刺を刷らなければならないが、何枚要るか、と注文を聞きに来たのである。浦野は、 「いいんだ。まだ、前のが残っているから」  と手を振った。女の子は「あのゥ」と言って突っ立ったままでいる。 「俺は、名刺はこういうのを使っているからね。別に新しくする必要はないんだ」  浦野は女の子を納得させるために、机の引出しから名刺を一枚取り出して見せた。氏名のほかは社名と所属部課名と電話番号だけで肩書はない。 「ほんとにいいんですか」 「うん、いいんだよ」 「最近、名刺屋はずいぶん日にちがかかるようになりましたから早く注文して下さらないと……」  庶務課の女の子はちっとも合点のいかない顔で帰って行った。  肩書つきの名刺そのものを浦野は拒否しているわけではなかった。年齢にふさわしい肩書なら彼も喜んで名刺に刷りこむはずである。二年前に課長待遇になった時も、彼は新しい名刺を作らず、ヒラ時代の名刺をそのまま引きつづき使用した。「待遇」だなどと言訳がましい肩書を五十|面《つら》下げて、いそいそと名刺に刷りこめるか、という気持からであった。その「待遇」がとれて、一応はすっきりとした「課長」にはなったわけだが、だからといって今更新しい名刺を作れるか、俺は定年の日まで、肩書なしの名刺で押し通すんだ、新聞記者に肩書なんかは要らないんだ、浦野は自分に言って聞かせるように心の中で呟《つぶや》いたが、そんなかっこよさそうな科白《せりふ》は口実に過ぎず、実際は、不遇な中古社員のひねくれ根性のあらわれでしかないことが自分でも分っていた。  パイのように自然に従って素直に生きなければならない、といつも自分にも、波津子や能里子たちにも言って聞かせているのは、あれは口先だけだったのか。浦野は自己嫌悪におちいらずにはいられなかった。  午後になって、北島から電話がかかってきた。 「辞令見たよ。おめでとう」  北島はいきなりそう言い、今晩いっぱいやろう、と誘った。浦野は、きょう「おめでとう」という直截《ちよくせつ》的な祝いの言葉を耳にしたのはこれがはじめてだったことに気がついた。人事部長も言わなかったし、辞令を渡してくれた重役が口にしたのは「ご苦労さん」という言葉だった。  浦野の日頃からの拗《す》ねぶりを熟知している同じ部の同僚や後輩たちは、うっかり「おめでとう」などといってどんな皮肉を言い返されるか、と警戒したのだろう、まともな挨拶を避けていた。普通なら祝賀の飲み会が発議されるところだが、それも誰も言い出さなかった。はじめて言われた「おめでとう」の言葉に、 「よせよ、そんなんじゃない」  と浦野は狼狽《ろうばい》したが、北島は、例の店に行ってるからな、とひとり決めして、返事も聞かずに電話を切った。 「例の店」というのは、ほんの数カ月前、「俺の隠れ家だよ」と言って、北島に紹介された店で、北島と浦野以外には、新聞社の人間は誰も来ない。 「仕事のことや社のことなど一切忘れて、のんびり飲みたい時があるだろう。そんな時のためにこういう店が一軒は必要なのさ。それに、このママに俺はちょい岡惚《おかぼ》れなんだ」  四十過ぎの、気立てはよさそうだが、縹緻《きりよう》のほうはどう割引しても、男に惚れられるというタイプではなさそうな女将《おかみ》を顎《あご》でしゃくって、北島は言った。 「小よし」というその店は、七人ばかり腰かけられる鍵型《かぎがた》のカウンターと、奥に四畳半の座敷が一つあるだけのちっぽけな小料理屋で、女将のよし枝のほかには、地黒の顔に真っ赤な口紅を塗った、これもあまり男にもてそうもない二十六、七の女が一人いるだけだった。  北島が浦野をその店へ連れて行ったのは「ここなら気兼ねなくわが愛する者たちについて語りあえるからな」という理由からである。  野球好きの男たちは、テレビで観《み》た昨夜のゲームについて一時間でも二時間でも喋《しやべ》りつづけるし、麻雀《マージヤン》を愛するサラリーマンは新幹線が東京から大阪《おおさか》に着くまで、ポンだのチイだのと語りつづけて飽きることがない。そして、そのことを誰も咎《とが》めない。野球や麻雀やゴルフや釣《つ》りに夢中になるのと、猫に熱中するのとなんら変りはないはずなのに、浦野や北島のような年配の男が二人顔を合わせて、おたがいの猫への愛について綿々と語りあうと、これは周囲の顰蹙《ひんしゆく》を買うことになる。世間は彼らを怪しき者共と見る。いわれなき差別ではないか、と憤慨してみても事実がそうなのだからどうしようもない。北島や浦野にしても、職場の仲間たちにわざわざ怪しまれる振舞いをしてみせたがるほどの偏屈ではないから、ついつい猫の話は差し控えることになる。  そもそも猫に魅入られた人間には、その悦楽をやすやすと他人に知られてたまるものか、という気分があり、まして、それを何かのはずみに口外して、何も分っちゃいない連中から理不尽なあなどりを受けたりするのは我慢ならない、という慮《おもんぱか》りもあって、ゴルフ狂の男どものように、誰彼なしにその楽しみを喋りまくることはしないものなのである。しかしまた、その分腹がふくれる度合も大きいわけで、北島も浦野を猫友(酒友や雀友という言葉があるのだから猫友もあっていいだろう)として認知し、はじめて「小よし」へ連れてきた時には、浦野が呆れるくらい熱心に猫を語ったものである。 「あんたのとこのは、鮨《すし》を食うかね」  北島は浦野の耳もとに顔を近づけると、なにか重大なことを告げるような調子で言った。 「そりゃ食べるさ。白身だって、鮪《まぐろ》の中とろのところだって、種をはがしてやればぺろりと食べちゃう」 「それじゃ駄目《だめ》だ。種だけ食べさせるのだったら刺身と同じじゃないか。どこの猫だって食べる。種と飯が一緒になってはじめて鮨といえるんだ」 「それじゃあんたのとこは握りの鮨をぱくりと一口で食っちゃうのかい」 「一口というわけにはいかないがね。飯の上に種を小さく千切ってのせてやると喜んで食べる」 「それは珍しいな」 「酢の匂《にお》いが気に入っているらしいんだ。こないだも娘が、ア、面白《おもしろ》いわ、ちょっと来てよ、というから台所へ行ってみると、普通の飯を小さく握ってそれに酢を振りかけ、猫の鼻先におく。猫は好物の鮨かと思ってかぶりついてくるのだが、種がのってないと分って途中で放《ほう》り出す。ところが娘がまた同じことを繰り返すと、またかぶりついてくる。何度でもそうなんだ。俺は娘を怒鳴りつけてやった。猫をだます奴《やつ》があるかって」 「…………」 「そうじゃないか。猫は人間に隷属《れいぞく》しないが、そのかわり人間を欺《あざむ》いたり、陥《おとしい》れたりもしない。そんな猫をだますなんてけしからん話だよ」 「猫芝居といって、猫は人間をかつぐのがうまいそうじゃないか」 「いや、そんなことは絶対にない」  北島は力んだ声で断言した。そして、また言った。 「ヨサクは、箸《はし》で食事をするんだ」 「まさか」 「ほんとだ。もちろん自分で箸を使うわけじゃない。俺が箸で食べものをつまんで口に持っていってやるんだ」 「一々そんなことをしていたんじゃ大変じゃないか」 「いや、普段の食事は自分ひとりでする。特別の御馳走《ごちそう》の時に限って、箸で食べさせてやらないと不満そうな顔をするんだ」 「猫が注文をつけるのかい」 「そうだ。ビフテキを食べさせる時なんか指でつまんでやると怒るんだ。御馳走は御馳走らしくちゃんと箸で食べさせてくれ、というんだ」  酒の燗《かん》をつけていた女将のよし枝がびっくりしたような顔で口をさしはさんだ。 「猫は悧巧《りこう》だというけれど、いくらなんでも箸まで欲しがるかしらねえ」 「人間が箸を使いはじめたのはいつ頃《ごろ》からか知ってるのかい」北島は女将のほうを振りむいて、怒鳴るように言った。「須佐之男命《すさのおのみこと》が八岐《やまた》の大蛇《おろち》を退治に行った時、肥《ひ》ノ河《かわ》で箸が流れてくるのを見て上流に人が住んでいるんだな、と推理したという話が古事記にちゃんと出ている。二千年も前から日本人には箸文化があったんだ。猫の知能が人間より二千年も遅れていると思うかい。現代の猫に箸文化があってもちっともおかしくない」  浦野も言った。 「うちの庭へやってくる外猫にも、魚なんかを箸でつまんでやると、そのままぱくりと食いつくやつもいるし、前肢《まえあし》で地面にはたき落してからでないと食えないやつもいる。ビフテキだったら箸よりフォークに突き刺してやったほうがいいかもしれないぜ」 「いや、ヨサクは鮨が好物なくらいだから和食派なんだ。フォークよりは箸がいい。あんたンとこは米の飯は食うかね」 「うちは主食はネコカンだからね。飯はほとんど食べない。おかずのほうは室鰺《むろあじ》の焼いたの、帆立貝の干したの、柳葉魚《ししやも》、鰈《かれい》、鮭《さけ》の燻製《くんせい》など何でも食べるけど……。どういうわけだか、鱈《たら》だけはいやがるね」 「猫は鱈は食べないものさ。新潟《にいがた》のほうでは鱈のことを猫またぎと言っている。しかし、米の飯を食わんのはいかんな。キャット・フードは腸内|醗酵《はつこう》しやすいので消化不良の原因になる。特に輸入ものの缶詰《かんづめ》はよしたほうがいいよ。日本人は、いや、日本の猫は米の飯に限る」 「飯をどうやって食べさせるんだい。飯だけじゃいくらなんでも食べないだろう」 「まあいろいろあるがね。小さいおむすびをつくって花がつおをまぶしてやるとむしゃむしゃ食うね。錦松梅《きんしようばい》をふりかけてやるのもいい。あたたかい飯に生卵を割ってやるのも喜ぶね。いりこをたっぷり使った五目飯なんかも大好きだよ」 「五目飯だと人参《にんじん》だのこんにゃくだのも入っているだろ。そういうのも食べるかい」 「食べるとも。ちかごろは胡瓜《きゆうり》やふかし藷《いも》などの大好きな菜食主義の猫も多いからね。ヨサクは菜食主義者《ヴエジタリアン》じゃないけれど、こんにゃくなんか大好物だね」  北島はおでんのこんにゃくを頬張《ほおば》ると、三口か四口|噛《か》んだだけで嚥《の》み下し、「それからだな」と話をつづけかけたが、 「北島さん、いい加減にして下さいよ。さっきから聞いてると、うちではまるで猫の好物ばかりをお客さんに出してるみたいじゃありませんか。他《ほか》のお客さんだってだんだん食べる気をなくすでしょう。営業妨害をしないで頂戴《ちようだい》」  とよし枝から苦情が出た。  彼女は本気で怒っているようだったが、しかし、北島は別段、閉口した風もなく、その次に来た時も、 「跳び鼠《ねずみ》って知ってるかい。尻尾《しつぽ》の先まで測って四十センチぐらいで、カンガルーみたいにぴょんぴょん跳ぶのさ。猫は七千年前くらいから地球上に棲息《せいそく》していたんだけれど、そういう大昔のエジプトあたりの猫が何を食っていたかというと、もっぱらこの跳び鼠なんだな。大体、猫属は偏食家だから、跳び鼠ときめたら跳び鼠しか食べない。それが現代の家猫は黒鯛《くろだい》の刺身にビフテキから、なんとうどんまで食うんだから。俺《おれ》も実はヨサクがうどんを食うのを最近発見したばかりだが、さすがにわがヨサクだと嬉《うれ》しかったね。動物学者によると、野生猫にくらべて家猫は腸がうんと長く、それは雑食のせいだというんだが、雑食は文明化のあらわれでね。つまり文明は腸の長さに比例するともいえるわけで、俺がこの『小よし』を贔屓《ひいき》にするのも、ここで出す食い物はどれも腸の長くなりそうなものばかりだからなんだが……」  と性懲《しようこ》りもなく、女将のいやがりそうなことを言って、とめどがなかった。女将も根負けしたのか、北島に感化されたのか、だんだん文句を言わなくなったばかりか、北島と浦野の猫談義に「そんなに猫って面白《おもしろ》いの? 女と猫とどちらが面白い?」と口をはさんでくる程度にはなった。北島にしても、皮肉屋の多い職場の同僚相手に、飼猫がうどんを食うのを自慢してみせるわけにもいかないから、勢い、浦野を誘って「小よし」へ足繁く通うことになったのだ。  浦野が「小よし」に着いた時には、北島はもうカウンターの前に腰をすえて、待ち兼ねていた様子だった。普段なら先にひとりで飲んでいるのだが、今日は盃《さかずき》はまだ乾いたままである。彼は浦野の盃に酒をつぎ、自分の盃には女将からついでもらって、 「おめでとう」  と盃を高くかかげた。よし枝も「おめでとうございます」と声をあわせた。浦野は顔が赤くなるのが自分でも分った。他にお客がまだ誰《だれ》もいなかったのがせめてものことだった。 「きょう、おめでとう、と俺に言ったのはあんただけだよ」  浦野が言うと、北島は「そうかい」と頷《うなず》いただけだったが、よし枝は、 「あら、どうして?」  と納得のいかない顔を向けた。 「だって、浦野さん、課長にご出世なさったのでしょう。部下の人たちが何も言わないなんて、そんなことってあるかしら」 「新聞社の課長はそんなに偉くないんだよ。ご出世なんてものじゃない」 「会社のことはよく分らないけど、とにかく昇進は昇進なんでしょう。誰もおめでとうをいわないなんて薄情ねえ、馬鹿《ばか》にしてるわ」 「いや、そうじゃない。いたわってくれたんだ、と思うよ」  浦野はちょっと黙って言葉を探し、ゆっくりした口調で言った。 「女が子どもを産むのだってそうじゃないか。二十代、三十代での出産はおめでたいことだけど、四十を過ぎてから産むのは、昔は恥掻《はじか》きっ子と言ってね、当人もばつが悪い思いをしたし、周りの者もそっとしておいてやろうといったムードだった。若い時ならめでたいことでも、年をとってからだとそんなにめでたくない、ということはあるものさ」  部長の小泉をはじめ誰もが改まって「おめでとう」という言葉を口にしなかったことに浦野は正直なところ不快を感じてはいなかった。逆の立場であったら、自分もやはり「おめでとう」は言わないですましただろう、と彼は思っていたのである。しかし、今、北島から真面目《まじめ》くさって祝杯をあげられてみると、北島のやり方のほうがやはり爽《さわや》かで、人間の心を平らにするものではないか、と思えてきた。人は本質的にいたわりを欲しないものだろう。そうである以上、軽々しく人をいたわることもつつしまねばならないことではないか。  北島が浦野をいたわろうとしないのは、彼自身、いたわられることを拒否する人間だからだろう。あるいは、いたわられることで深く傷ついた経験があったのかもしれない。小泉や人事部長や重役らは、人からいたわられるような立場に自分を置くことが一度もなくこれまでの人生を歩いてきた人間で、それだからこそやすやすと人をいたわり、そのことを美徳だと信じこんでいるのではないか。 「ママ」  浦野はよし枝に改まった声で呼びかけた。 「ママ、ありがとう」 「えッ、何よ。突然?」 「さっきおめでとうと言ってくれたじゃないか。それから、きょうはキタさんと割勘じゃないぜ。俺のおごり。ママもじゃんじゃん飲んでくれよ」  第八章 猫《ねこ》は賢くないか  解剖学上、猫の脳の構造は基本的には人間と同じであり、それほど単純なものではないとはされているけれども、せいぜいが類人猿《るいじんえん》と鼠の中間ぐらいであって、それほど高いものではないというのが定説のようである。アメリカのある動物心理学者が動物の知能の順位を発表したことがあるが、それによると、一番はチンパンジーで二番目がオラン・ウータン、三番目が象、以下、ゴリラ、ビーバー、馬、膃肭臍《おつとせい》、熊《くま》とつづいて、猫は十番目になっている。辛《かろ》うじてベスト・テンには入っているものの膃肭臍やビーバーよりも下位だというのは情ない。猫は三年飼っても三日で恩を忘れるというのは実は猫のモラルの問題ではなくて、単に記憶力の悪さの証明だという者もいるし、猫が犬と違って芸を覚えないのは学習能力が低いからだと信じている者も多い。  猫はほんとうに賢くないか。人間は猫のことを愚かだと笑えるほど賢いか。浦野は疑問を持たずにはいられない。  ある初夏の夕、食卓に小魚の唐揚げが出た。その魚が鰺《あじ》だと聞かされて浦野はびっくりした。それは全長が三センチあるかなきかのほんとうに小さい魚であった。 「豆鰺というのよ」  と波津子《はつこ》が言った。 「これ以上大きくはならない種類のものなのかい。人間でいえばピグミーだな」 「違うわ。普通の種類の鰺よ。育てばちゃんと大きくなるわ。稚魚なのよ」  浦野はその幼い小魚の一匹を箸でつまんでみた。まさしく鰺のミニチュアで、大きくなれば脂《あぶら》も乗ってさぞおいしい魚になることだろうと思われた。真鰺だろうか、室鰺だろうか。こんなに小さくては見分けがつかないが、いずれにしても成魚になれば、この稚魚の二十倍、三十倍の大きさになるにちがいない。  稚魚のほうが味が格段にすぐれているというのであれば、まだ納得する余地もあるだろうが、味覚の点からいっても、料理法の自由さからいっても問題にならない。なぜ、こんな稚魚のうちに獲《と》ってしまうのだろうか。 「ひどいことをするものだな」 「でも、お値段はそんなに高くはないのよ」 「値段の問題じゃない。いまは魚獲が少くて深海魚まで魚屋の店頭に並んでいるという時代じゃないか。こういう稚魚はちゃんと大きく育ててから獲ったほうが質量ともに人間のためになる。そんなことがどうして分らないのだろう」  人間なんて愚かなものだ、と浦野は思わざるを得ないのである。  パトリシア・モイーズというアイルランドの女流作家が、彼女の実家で飼われていたニーニというぶちの牝《めす》猫のことを書いていたのを浦野はよく覚えている。  ニーニは暖かい夏の間は狩りの獲物《えもの》である鼠をつかまえ次第すぐに殺して胃袋におさめる。ところが秋が来、冬が近づいてくると、彼女は獲った鼠を殺さなくなる。殺さないどころか、ニーニは庭でつかまえた鼠を口にくわえて家の中に入り、地下の食糧室に運んでいく。そして、そこで「さあ、ここならお前の欲しい食べ物はいくらでもあるからおあがり」と鼠を解放してやるのである。  ニーニは慈悲のためにそんな行動をするわけではない。冬季はどうしても獲物が少くなる。長く暗い冬の間に、食糧に不自由しないためには、今のうちにどんどん増産しておかなくてはならない。今、つかまえたこの鼠をぱくりと食ってしまえばそれまでである。しかし、この鼠に十分|餌《えさ》を与え、子供を産ませれば、鼠算というがごとく、たちまちのうちにその数は増える。冬中、飢えないですむほどの数の鼠が床下や天井《てんじよう》裏に棲息するようになるはずである。  こういう計算からニーニは鼠を食糧室へ案内するのだ、とモイーズは記している。  このエピソードを思いあわせて、浦野は、鰺の可哀《かわい》そうなくらいちっちゃい稚魚を無計画に食べてしまう人間が、どうして猫のことを愚かだと批評したりできるのだろうか、と思うのである。  動物学者が各種の実験の結果にもとづいて猫の知能を云々《うんぬん》する諸説に対しても、ひとりよがりかもしれないが、浦野は必ずしも賛成する気にはなれない。  彼等《かれら》が用いているものさしは所詮《しよせん》、人間のものさしに過ぎないのではないか、と思う。宇宙には、人間の賢さとは異る種類の鳥獣虫魚の賢さもあるはずで、それを人間のものさしで測ってみても意味がないのではないか。無意味であるばかりでなく、傲慢《ごうまん》でさえそれはあるだろう。人間が鳥や獣をつかまえて、賢いの、賢くないのと論評すること自体、神様の眼《め》から見ればおかしなことなのではないか。  さらに言うなら、賢さということ自体への疑問もある。賢いことが正しいことと必ずしも結びつかないものであることを、われわれはすでに十分承知している。そうであるならば、賢さがしあわせに直結するとも言えないわけで、賢くないことを以《もつ》て、駄目《だめ》だ、不幸だとはきめつけてしまえないではないか、と思うのである。  そういうことを浦野はパイのおかげで、またマミやウサギたちによって教えられたのである。  パイがまだ四カ月か五カ月の仔猫だった頃のことである。ある夜、浦野が風呂《ふろ》を使っている時、パイが浴室に入ってきた。浴室の戸をうっかり閉め忘れていたのである。パイは濡《ぬ》れたタイルの上におそるおそるといったあんばいに肢《あし》を下し、浦野の顔を見上げた。パイの眼には、何とも合点のいかぬ不思議なものを見た、という色が浮かんでいた。それはそうだろう。パイの位置から見えるのは浦野の顔だけであり、それはちょうど、生首が台の上に乗っているような具合であるはずだから。しかも、その生首はいつも通りの暢気《のんき》な笑顔である。だが、いつも見馴《みな》れている手や足や大きな腹は見当らない。首だけだ。どうしたのだろう? パイはしだいに怪しいものを見る目つきになり、腰を低く落して、飛びかかりの身構えをした。  しかし、例によって、臆病《おくびよう》なパイは尻《しり》を左右に揺すって恰好《かつこう》をつけてみせるばかりで、なかなか跳躍にうつらない。浦野は、 「パイ! どうしたんだ。おいでッ」  と声をかけた。あやしき生首め、声まで出したぞ、とパイは思ったのだろう。えいッ、とばかりに跳び上った。次の瞬間、彼の躯《からだ》は湯槽《ゆぶね》の縁までいっぱいになっている四十度の湯の中に丸ごと飛びこんでいた。浦野はパイが湯槽の縁に飛び乗るものとばかり考えていたのでびっくりしたが、もっと驚いたのはパイのほうで、彼は必死になって浦野の体にしがみつき、おかげで、浦野は首、肩、胸と所|嫌《きら》わず、爪跡《つめあと》をつけられてしまった。  波津子はこの事件の経緯を聞いて、 「ほんとにおバカちゃんだわね。パイは」  と言ったが、浦野はパイのために弁護した。  湯槽に水が汲《く》みいれてある時には、猫が落ちては大変だというので必ず蓋《ふた》をしておくことにしている。蓋をはずして湯槽を乾かしている時には水は入っていない。水が満たされている湯槽というものをパイは一度も見たことがないのである。  人間の沐浴《もくよく》の習慣についてもパイには認識がない。とすれば、浦野に「おいでッ」と呼ばれたパイが浦野の首のあるあたり、つまり湯槽の真ン中目がけて飛びこんできたのも当然のことではないか。パイは目測を誤って、湯槽の縁に飛び乗りそこね、湯の中へ落ちたわけではない。彼は決して間違ったのではないのである。彼は失敗したのではない。目的通り正確に湯槽の真ン中に飛びこんだら、たまたまそこには思いもかけぬ湯というものがあった、というだけのことなのだ。  湯の中にいきなり飛びこんだパイを笑うのは、はじめて自動車を見た人間が運転法を知らないからといって笑うのと同じではないか。  これと同じ式の笑い方を、人間は動物に対して数限りなくしている。そして、動物は馬鹿なものだときめつけてしまっているのである。  猫が人語を解するものであることは、猫とともに生活した多くの人々が体験的に承知していることである。猫を愛したこともなく、猫とただの一日も一緒にいたことすらない人間が、さしたる根拠もなく、「猫が人間の言葉を聞き分けるって。馬鹿々々しい」と一笑に付するのである。  パイは波津子が外出する時によくくっついて行く。家から三十メートル行くと車の往来の激しい表通りに出る。そこから先に行かせるのは危険なので、波津子は、表通りに出る一軒手前の家の生垣《いけがき》を指さして、 「ここで待っていなさい」  とパイに命ずる。パイは「ウググ」と彼独特の啼《な》き声で返事をし、生垣にぴょんと飛び乗る。決してそれ以上は波津子の後を追って行くことはない。市場で買物をすませた波津子が戻《もど》ってきて、 「パイちゃん! ママですよ」  と呼ぶと、パイは先刻《さつき》の生垣のところからすぐに姿をあらわし、波津子のあとを追いかけて、家まで戻っていく。 「きょうはマーケットのお買物じゃなくて、映画を観《み》に行くのだから待っていても駄目よ。お家に帰るか、その辺で遊んでいらっしゃい」  と波津子がいうと、いつものように生垣には飛び乗らず、一目散にどこかへ駈《か》けていってしまう。  マミがまだ幼くて波津子たちの言葉がよく分らない時(人間だって赤ン坊の時には大人の言葉は分らない。猫もはじめから人語を解するわけではないのだ)、食事時になって、波津子が呼んでも、パイだけが帰ってきて、マミが帰って来ないことがしばしばあった。そんな時、波津子は、 「パイちゃん、マミを探しに行きましょう」  とパイを促して外に出る。マミはどうせ近所のどこかの家の庭で遊びに夢中になっているに違いないのだが、波津子が一々、隣近所の家のブザーを押して尋ねまわるわけにはいかない。パイに探索係りを勤めさせるのである。  パイは一軒々々、垣根の隙間《すきま》から飛びこみ、様子を探っては出てくる。 「この家にはマミはいませんでしたよ、ママ」  といった表情で波津子を見上げる。 「じゃァ次へ行きましょう」  と波津子は歩き出す。こうして何軒か巡っているうちに、必ず、パイはマミを探し出してくるのである。  時には、波津子が忙しくて、 「パイちゃん、ママはいまちょっと手が放せないから、パイちゃん一人でマミを探してきて頂戴《ちようだい》」  と言うこともある。パイは「ウググ」とうなずいて飛び出し、ものの十分と経《た》たないうちにマミを連れて戻ってくる。  逆に、パイのほうから浦野たちに用を言いつけることもある。  室内に飛びこんできた蠅《はえ》をみつけたパイは当然これを狙《ねら》うが、パイの手につかまるようなのろまな蠅はいない。蠅はパイを嘲弄《ちようろう》するように、パイの鼻先を飛び交い、パイがジャンプすると、鴨居《かもい》のあたりまで逃げていく。さらに天井にへばりついて、パイを馬鹿《ばか》にしたように見下す。そんな時、パイは波津子のほうを見て、 「ママ、手助けしてよ。僕《ぼく》、どうしてもあの蠅の奴《やつ》をやっつけたいんだ」  という表情をする。波津子はパイを両手で支えて、天井に近づけてやろうとするが、背が低い上に非力な波津子は、そんなに長時間パイを支えつづけることができない。 「もう駄目。腕がしびれちゃった」  とパイは空《むな》しく放《ほう》り出されることになる。  日曜日で浦野が家にいる時には、波津子に代って浦野がパイの支え役を勤める。  三キロ以上になった猫を頭上高々と差上げて、八畳の部屋をあちらこちらと駆けまわるのは思ったよりくたびれる仕事だった。  五月、六月の陽気だと、二十分もつづけていると流汗|淋漓《りんり》となる。汗が眼に入って痛い。しかし、浦野の両手は塞《ふさ》がっている。 「おーい、波津子、汗を拭《ふ》いてくれ」  浦野が怒鳴ると、波津子はタオルを持ってきてつきっきりで夫の顔を拭《ぬぐ》う。  蠅にしてみれば、猫ばかりか人間までも自在に翻弄《ほんろう》するのだから、こんな愉快なゲームはないだろう。ひょいひょいと身をかわして、パイおよび浦野や波津子を右往左往させる。  能里子《のりこ》が、 「とても他人には見せられない光景ね。いくらなんでもそれは過保護だわ。およしなさいよ。みっともない」  と呆《あき》れ返ったが、浦野にしてみれば、妙な意地が出て、パイが蠅を見事に仕止めるまでは腕が折れても頑張《がんば》るぞ、という気になった。  お蔭《かげ》で浦野はパイの絶大な信用を博すことになり、以後、パイは蠅をとりたいと思った時、浦野にむかって「ウググ」と啼くようになった。女はやっぱり頼りにならない。物を頼むのはご主人に限る、と思ったのであろう。  余り賢くはないパイでも、この程度には人間とコミュニケイトするのである。猫としてかなり知能が高いと思われるウサギになると、気味が悪いくらい人間の言葉も心も分る。  ある日、波津子が家の前の道に水を撒《ま》いていると、ウサギが飛び出してきて「ニイ、ニイ」と啼く。 「どうしたの? ウーちゃん」  と波津子が聞き返すと、ウサギは開けっ放しになっている玄関のドアのほうを振り向く。 「ドアを閉めろ、というの? もうすぐ水を撒き終るからそうしたら閉めるわ」 「ニイ、ニイ」 「違うの? じゃァ何なのよ」 「ニイ、ニイ」  仕方がないからウサギにくっついていくと、家の中で電話のベルが鳴っているのだった。波津子があわてて電話機のところに駈けつけた時には、瞬前、ベルが鳴り終って間に合わなかった。見ると、ウサギは、波津子の顔を見上げて、 「ニイ、ニイ、ニイーイ」  ほら御覧なさい、さっさと来れば間に合ったものを、と言っているのであった。  電話のベルが鳴ればすぐに反応して人間を呼びに行く、というような単純なことではないのである。ベルが鳴っても、室内に誰《だれ》かがいて、ちゃんと電話のことを承知しているな、と思うと、ウサギは、自分が出る幕ではない、と知らん顔をしている。家に波津子だけしかおらず、その波津子がトイレや風呂《ふろ》に入っている時に電話が鳴ったような場合、二、三回、ベルを聞いたあとで、ウサギはトイレや浴室のドアをノックしに来るのである。  ある日、浦野も波津子も能里子も居間にいて、電話が鳴った時、三人で示しあわせて、わざと知らん顔をしてみたことがあった。ウサギは、三人のうちの誰かが当然電話に出るものだろうと思って何も言わない。ところがベルが二回、三回と鳴っても、人間どもは立ち上らないではないか。ベルが四回目になった時、ウサギはたまりかねたという風に、浦野たちのそばにやって来、 「ニイ、ニイ」  と電話に出ることを促した。  この時ばかりは、浦野も驚嘆したものである。  ウサギが傍《そば》にいる時に、浦野が波津子や能里子と話していると、それが他《ほか》の話題なら何の反応もみせないが、ウサギについて語りはじめると、明らかに聞き耳を立てる。聞いていない振りで眼を半分閉じたりするが(この辺は浅はかな猫芝居である)、実はちゃんと聞いているのである。その証拠に、話がウサギの悪口になると、半眼だった目を三角にくわっと見開いて人間どものほうを睨《にら》みつけるのだ。  もっとも、猫が人間から悪口を言われて怒るというのは、愛猫家《あいびようか》たちの間では常識であって、その実例は数知れない。国府津《こうづ》信子が以前飼っていたピッピという牝猫《めすねこ》は、 「そんなにおイタをするのだったら出て行きなさい。もうこのお家の子にはしてあげないから」  と信子に叱《しか》られたら、さっさと出て行って、それきり帰ってこなかったという。その話を聞かされてからは、浦野も波津子も、ことにウサギの前では彼の悪口を言わないように気をつけている。  猫は非常によく怒る動物である。このことは猫に無関心な人々はもちろんのこと、動物学者や愛猫家たちも意外に気がついていないのではないかと思われる。  パイは烏賊《いか》が大の好物で、台所で烏賊の匂《にお》いがすると、どこにいてもすっ飛んでくる。烏賊を得るためには何でもする、といったところがあった。運動神経の鈍いパイに跳躍力をつけるために、烏賊を与える時には、烏賊の小さい切り身を指でつまんで、高い所でひらひらさせる。パイは烏賊が欲しい一心で、普段には見せたこともない素晴らしいジャンプをするのである。  ある時、能里子がパイをからかった。何も持っていない指を、さも烏賊をつまんでいるかのようにひらひらと振ってみせたのである。パイは烏賊が貰《もら》えるのだな、と思っていつものように跳躍した。パイの顔がちょうど手のところに届いた時、能里子は、ぱっと手を開いてみせ、 「なアンにもないよ、残念でした」  と笑った。  パイの怒ったこと! 彼は憤怒《ふんぬ》の形相でいきなり、能里子の脛《すね》に咬《か》みつき、身を翻《ひるがえ》してどこかへ行ってしまった。それきり何日も能里子には口をきこうとしなかった。能里子が無理矢理パイをつかまえて御機嫌《ごきげん》を取り結ぼうとしても、そっぽを向いたきりでミャアともミョウとも啼かないのである。パイと能里子の仲が恢復《かいふく》するのには一週間もかかっただろうか。能里子もそれに懲《こ》りて、その後は猫たちをからかうことはしなくなった。  うっかりして猫の尻尾《しつぽ》を踏んづけたり、猫の頭上に鍋《なべ》を落っことしたりすることがある。そんな時、猫はもちろん「ギャッ」と悲鳴をあげるけれども怒りはしない。  浦野はウサギの尻尾の先を一センチほど不注意からちょん切りかけたことがある。ウサギがいるのに気づかず、回転|椅子《いす》を後にずらしたら、椅子の脚の車輪が尻尾の先を轢《ひ》いてしまったのだ。ウサギは大叫喚したが、それでも怒りはしなかった。  逃げていったウサギを追いかけ、浦野が、 「ごめんよ、ごめん。ほんとうにうっかりしてたんだ」  と謝ると、ウサギはもう普段のおだやかな表情にもどっていた。  ところが、冗談で尻尾をつかんで振ったりすると、これはもう物凄《ものすご》く怒る。ちょん切れているパイの尻尾はちょうどドアの把手《とつて》ぐらいの感じで、人間の悪戯《いたずら》心をそそるものがある。波津子がその誘惑につい負けて、 「こら、このヘボ尻尾」  とパイの尻尾をぎゅっとつかんだことがあった。この時も、パイは憤然として波津子に咬みついた。  もっとも激しく憤慨するのは足で蹴《け》られることだ。蹴るといっても本気で力まかせに蹴るわけではない。冗談でやるのだから蹴るというより足で胴体を突つくというほうが正確なくらいのものだが、パイもウサギもマミも、こうした行為には断乎《だんこ》として反撥《はんぱつ》する。眼《め》を釣《つ》り上げ、絶対許せないという意思表示をする。  不注意による被害には寛大なのに、故意のからかいには殺気にも似た強烈な怒りの感情を示して対抗するのが猫なのである。辱《はずかし》められれば死す、といった気概が猫にはある。国府津信子の不用意な言葉に傷ついて、彼女の家を出ていったピッピは、どこか別の、もっと金持で優しい飼主をみつけて、安楽で怠惰な暮しを送っているだろうか。そんなことはあるまい、と浦野には思える。世間はそんなに甘くない。猫を心から愛する人々の住む家には、すでに愛されている猫たちがいて先住権を主張するだろうし、猫の影が見当らない大きな邸《やしき》には、猫|嫌《ぎら》いの人間が頑張っている。そんなに易々《やすやす》ともぐりこめる安楽なベッドはないのである。  といって、野良《のら》猫にまじってきびしい生存競争を生きぬくには、ピッピはあまりに長く飼猫の暮しに馴《な》れ過ぎている。競争者を脅したり、欺《あざむ》いたりするテクニックをピッピはもう忘れてしまっているだろう。国府津信子の家を出て行ったピッピを待っているのはおそらく辛《つら》い浮世なのであり、そのことをピッピもよく知っているはずである。それでも彼女は出て行った。どんな辛い目にあうことが分っていようとも、「このお家の子にはしてあげない」などと侮辱的な言葉をいったん聞いてしまった以上は、出て行かなければならないのである。それでおめおめと出て行かないようでは猫じゃない、とピッピは思ったにちがいない。  国府津信子はあちらこちらの電信柱や塀《へい》にピッピを探す貼札《はりふだ》をした。体の特徴や絵を書き入れたのはもちろんだが、隅《すみ》のほうに「ピッピちゃん、ママが悪かった、許して」と書き添えた。それでもピッピはとうとう帰ってこなかった。  猫がよく怒るのは、彼らが自然に従って生きている証拠だろう。この世の中には怒らなければならないことが数限りなくある。それなのに多くの人間たちがにこやかな顔を向けあって暮しているのは自然に背いたことだと言わなければなるまい。それは彼らが打算や妥協で怒りをおさえこんでしまうからである。自然な心を歪《ゆが》めているのである。  ここで怒れば相手の機嫌を損じて取引がうまくいかなくなる、ここで怒りをぐっとこらえて愛想をふりまいておけば、あとでご褒美《ほうび》にありつけるだろう、といった胸算用をして怒らないでおくことが賢いことなのか。猫のように腹が立った時には素直に怒るのが愚かなことなのか。損をする、しない、ということだけをものさしにして測るならば、猫は馬鹿だといわれても仕方がないが、そんなものさしはろくなものではないのである。  第九章 眼に見えぬ死骸《しがい》  改札口を出た途端、浦野は肩をすくめた。低い空でひゅっと風が鳴っている。夕方聞いた天気予報は、今夜はこの冬で一番の冷えこみになりそうだといっていた。浦野は肩をすくめたまま踏切を渡り、わが家の方角にむかって歩き出した。もう十二時近いので降車客は七、八人しかなく、その大部分は反対側に向って去って行ったので、浦野と同じ方向に歩いているのは二人だけである。  信号のある四つ角を曲ったところで、浦野は不意に「パイちゃーん」という声を聞いた。空耳かと思ったが、前方を透かして見ると、小さい人影がこちらへ向ってやってくる。歩度を早めて近づいてみると、波津子《はつこ》だった。 「おい、どうしたんだ、今頃《いまごろ》」 「あら。あなた」  波津子は浦野にまったく気づかなかったらしく、怯《おび》えたように、一瞬、あとしざりしたが、浦野だと分ると、 「パイちゃんが出たきりなの。まだ帰ってこないのよ」  とふるえ声で言った。  オーバーはひっかけているが、マフラーはしていない。襟《えり》もとが寒そうであった。 「もう三十分もこうして呼んでまわっているんだけど……」 「湯上りなんだろう。そんな恰好《かつこう》をしていては風邪をひくぞ」  浦野は腕時計を見ながら、 「夜遅くなってから出したんだろ。もう寒いから夜は早目に家の中に入れておけとあれほど言ってるのに」 「違うのよ。お昼の一時過ぎに出て行ってそれきりなの」 「ほんとかい」  波津子は首をがくんと折るように頷《うなず》いた。 「食事だって朝一度食べたきりなのよ。お腹《なか》もすいてるでしょうに」  波津子は声をひきつらせた。  浦野の家では、猫《ねこ》たちを昼間は自由に行動させて放っておくが、夜は必ず家の中に入れて寝かせることにしている。昔風の建物と違って猫穴を設けにくい構造でもあるし、また無理に猫穴を作ると、内猫といっしょに外猫たちまでがぞろぞろと侵入してきて閉口するからであった。  昼間は薄眼を開けたまま二時間でも三時間でもソファの上で寝そべっている呆《あき》れるくらい懶惰《らんだ》な猫たちが、夜になると嘘《うそ》のようにいきいきと外へ飛んで出て行く。ドアを開けてやる時、波津子は「早く帰ってくるのですよ」と必ず声をかける。そして、居間の雨戸は三十センチ幅ほど閉め残しておく。そうすると、猫たちは九時過ぎから十時ぐらいまでには帰ってきて、その雨戸の隙間《すきま》に顔を見せるのである。三匹が一緒に帰ってくることもあるし、パイだけが三十分ほど遅れて帰ってくることもある。時には十時過ぎても帰ってこないことがある。新しい遊び場所か、愉快な遊び仲間をみつけたのかもしれない。そんな時は、波津子は家の周囲を猫たちの名を呼びながら歩く。三周りもすればたいていみんな戻ってくる。夜遊びに出た三匹の猫を残らず家の中に回収して、はじめて波津子は、 (ああ、きょうも一日が無事に終った)  と安堵《あんど》するのである。  マミとウサギは聞き分けのいい猫で、ひとりで帰ってくることが多かった。たまに遅くなっても波津子が呼べばすぐに帰ってきた。パイだけがこれまでに二回、帰ってこないことがあった。二度とも八月の暑い夜のことで、波津子は一時過ぎまで近所を探しまわったが影も形もなく、諦《あきら》めて、戸締りをしてしまった。翌朝、玄関のドアを開けると、ポーチの隅にパイは蹲《うずくま》っており、「ごめんなさい」というように「ウググ」と啼《な》いた。一時間ぐらい前からそこにいるらしい気配だった。 「こら、朝帰りなんかしやがって。駄目だぞ」  と浦野が抱き上げて頬ずりすると、また「ウググ」と啼いた。  だが、これはほんとに気まぐれの出来事だったようで、秋に入り、夜の冷気が肌《はだ》に感じられるようになってからは、帰宅時間も早くなり、波津子に心配をかけることはずっとなかった。波津子や浦野の記憶からもパイの朝帰り事件は消えかかっていた。  この冷えこみようでは、おそらく気温は零度近いだろう。寒さがなにより苦手な猫がこんな時間にのんきに散歩を楽しんでいるはずがない。浦野にも、これは異変だとしか考えられなかった。 「俺《おれ》も一緒に探す。もう一度、まわってみよう」  彼は家にむかって駆け出した。  靴《くつ》を下駄《げた》に穿《は》き替えるためである。浦野の下駄は猫たちの集合ラッパなのだ。  足がむれるたちの浦野は夏冬問わず素足で、自宅ではもっぱら下駄を愛用している。踵《かかと》に重心を置き、そっくり返るようにして歩くので、彼に穿かれた下駄はカランコロンとまことに標準的な高い音を立てる。その音が猫の聴神経にぴったり合うらしいことを発見したのは数カ月前のことだ。  ある日の夜、波津子がいくら呼んでも姿を見せなかった猫たちが、浦野が下駄を鳴らして一周りすると、すぐに飛んで出て来たことがあった。以来、意識的に何度か試してみたが、間違いなく猫たちは彼の下駄の音に反応した。ただし、せかせかと前のめりに歩いたり、その下駄を波津子が穿いたりしたのでは効果はかなり薄れるようであった。浦野の独特の歩き方が猫の周波数と特にマッチするようなのである。  下駄に穿きかえてとって返した浦野は、いつものようにふんぞり返って、一歩々々、ゆっくり歩いた。森閑とした夜の住宅街に、下駄の音は高く鳴った。  だが、せっかくの試みもこの夜は空《むな》しかった。何匹かの猫が音に吸い寄せられるように駈《か》け寄ってきたが、どれも顔馴染《かおなじ》みの外猫たちばかりで、びい玉のようなブルーの大きな眼はついにあらわれなかった。 「パイちゃーん」と呼ぶ波津子の声にも気魄《きはく》が薄れてきた。浦野も大きなくしゃみをつづけてした。 「駄目みたいだな」 「もうこの辺りにはいないのかしら。遠くへ行っちゃって……」 「とにかく今夜のところは諦めよう。一晩中こうして歩きまわっているわけにもいかんだろう」 「だって……」 「明日、また何かいい方法を考えることにしようじゃないか」  浦野は波津子の躯《からだ》を両腕に抱きかかえながら、押し込むようにして、家の中に入れた。明るい灯《ひ》の下で見ると、波津子の顔はすっかり血の気をなくして青白くなっていた。  波津子の気を引き立たせるようなことを何か言わなければ、と浦野は思った。しかし、彼自身の心が不安でいっぱいで、何を言っても空々しく聞えてしまうに違いないと思うと、どんな言葉も捜し出せなかった。  しかし、くよくよ考えこんで眠りを失ってしまったら、第一、明日の勤めにも差しさわる。彼はウイスキーをグラスに注《つ》いで一息にあおり、波津子の手を牽《ひ》いた。酒の酔いと性行為の疲労で一気に眠りに飛びこもうとたくらんだのだ。不意に手首を掴《つか》まれた波津子は一瞬、驚いたようだったが、すぐに浦野の意図を察すると、躯を硬《こわ》ばらせ「いやッ」と手を振りほどいた。  翌朝、浦野は目が覚めるなり、玄関、居間、書斎、勝手口など、家中の戸を全部開けてまわったが、外猫のミーコが駈け寄ってきただけで、パイの姿は何処《どこ》にも見出《みいだ》すことはできなかった。  猫たちは一体、何処へ姿を隠してしまうのだろうか。そんな疑問をかねて浦野は抱いていた。  いま、浦野が住んでいるあたりは、猫の天国である。ほんの五、六分、家の近くを散歩しても猫の姿を見かけないことがない。それもとげとげしい眼つきをしたのや、引緊《ひきしま》った躯のなどはほとんど見当らず、贅肉《ぜいにく》のついた鷹揚《おうよう》そうな猫がのそりのそりと徘徊《はいかい》しているのである。集積所の厨芥《ちゆうかい》を漁《あさ》っているところを見かけることは滅多にない。見るからに、食べ物には不自由していないといった顔つきの連中ばかりだ。  古い住宅地なので老人が多く、小さな子供たちがあまり見当らない。たまに見かける子供も行儀がよくておとなしい子供ばかりで、浦野が育った町にいたような、蛇《へび》を振りまわして女の子たちをおどしたりする悪戯《いたずら》小僧はいない。犬はみんな鎖に繋《つな》がれているし、猫たちの安全をおびやかすものはいないのである。飼猫の一に対して野良猫が五か六かの割合いのようだが、両者の区別がちょっと眺《なが》めた程度でははっきりしない。食物に不自由しない上に、飼猫のように束縛を受けないから、野良猫たちのほうが爽快闊達《そうかいかつたつ》な生き方をしている。そのせいか毛の艶《つや》なんかも飼猫よりなまめかしい奴《やつ》がいる。  俳句では「猫の恋」を春の季題にしているが、この界隈《かいわい》の猫たちを見ていると、それはまったく当らないことが分る。彼らは四季を問わず、閑さえあれば恋の唄《うた》をうたっている。牝《めす》猫は年がら年じゅうお腹をふくらませているし、しばらく姿が見えないな、と思っていると、それは子供を育てている期間で、やがて、チビたちを五、六匹ぞろぞろと引き連れて食物をねだりにやってくる。牡《おす》猫たちもしょっちゅう発情して、見境なく牝猫を追いかけまわしている。食物と安全を保証された生きものはどんなにたやすく性的肥大化を遂げるかということをこの界隈の猫たちは実証してみせてくれる。  一年に三回も出産する猫がいる。一度に八匹もの仔《こ》を産むのもいる。平均すれば一匹の牝猫から毎年、七匹か八匹の仔猫が生れてくる勘定にもなるだろうか。仮りに七匹だとしても、三十匹の牝猫がいれば、一年に二百十匹の仔猫が誕生するわけであり、そのうちの半分は牝猫で、これがまた生後一年もすれば仔を産みはじめるのだから、これらの猫たちがすべて健在であるなら、この界隈は道路といわず、庭といわず、猫だらけになってしまっているはずである。  そうならないのは、猫たちがいつのまにか、また何処へやらか、人間の眼の届かぬ所に姿を隠してしまうからなのだろうが、彼らの逃亡の仕組みがどうなっているのか、浦野には不思議でならない。  この一年あまりの間に、浦野が馴染んだ外猫たちもつぎつぎに姿を消してしまっている。外猫第一号のヨウカンは膂力《りよりよく》の強い大猫で、虫の好かぬ連中は全部追っ払い、お気に入りの乾分《こぶん》ばかりを集めて浦野の家の庭で牢名主《ろうなぬし》のように振舞っていた。これ以上住み心地のいい場所がおいそれと見つかるとも思えないのだが、三カ月ばかり居ついただけで、ある日|忽然《こつぜん》と居なくなった。ブス、ボス、ミスの三匹のぶち猫はいつも打ちそろって遊びにやって来、おそらく兄弟だったのだろうが、ブス、ボスはなぜか来なくなり、ミスだけが今では古顔の常連になっている。  どしゃぶりの雨の夜に現われたのでアメちゃんと名づけた白猫は、泥《どろ》だらけの躯を風呂《ふろ》に入れて洗ってまでやったのに、雨が上るとどこかへ行ってしまった。その他、エプロン、ドロクロ、デビ、キジコ、タテチョン、コタテ、アカベ、チョンベ、等々、それぞれの方法で近づいて来、なついていたあれらの猫たちは、いったい何処へ行ってしまったのだろうかと思う。死んだのだろうか。それともどこか遠い所で生きているのだろうか。 「猫は死体を決して人に見せない、というわ」  中には生きているのもあるだろうが、おおかたは死んでいるのではないか、と波津子はいう。 「象だって仲間だけにしか分らない死場所があるっていうじゃありませんか。動物はみんなそうなんじゃないかしら」 「ここはアフリカの密林《ジヤングル》じゃない。道路に風船玉が一つ落ちていても一町先から見える住宅地だぜ。それに、おおかた死んでいるとすれば、死体の数だって百や二百じゃきかないだろう。人目に触れずに済むはずがない」 「チーズの死産の子をみつけたことがあったじゃありませんか」  去年の梅雨の頃《ころ》だった。庭の山椒《さんしよう》いばらの根元の暗がりに、焼け焦《こ》げの縄切《なわき》れのようなものが落ちているのを浦野はみつけた。つまみ上げようとして身を跼《かが》めた彼は、それが生きものの死骸《しがい》らしいと気づいて手を引っこめた。|蠑※[#「虫」+「原」]《いもり》の子かと一瞬思ったが、短毛に蔽《おお》われているので、そうではないと分った。子鼠《こねずみ》の三分の一もないほどの大きさである。やっぱり布切れか木切れか、とさらに顔を近づけてみると、仁丹粒ほどの目玉が二つ、まちがいなく付いていた。  波津子を呼んでみると、 「チーズの子かもしれないわ。チーズが死産したのよ」  きっとそうよ、と彼女は眉《まゆ》をしかめた。チーズは鼻の頭と四肢《しし》の先端が白い黒猫で、もう中|婆《ばあ》さんぐらいの年齢だが、界隈の野良《のら》猫の中では可愛《かわい》さは抜群で、また猫仲間でも大変もてているようだった。若い牡猫をとっかえひっかえ可愛がり、しょっちゅうお腹《なか》を大きくしていた。  言われてみると、たしかにそうらしく、仁丹眼のすぐ下の鼻先にあたるあたりがちょっぴり白かった。少し離れたところに、同じような死骸がもう一つあった。二つとも水気がなく干からびている様子から察すると生れてから二、三日は経過しているのだろう。死産だったのか。それともしばらくはこの世の空気を吸うことができたのか。いずれにせよ、はかない亡骸《なきがら》だった。浦野は小さな焚火《たきび》をつくり、二つの死体を灰にしてやった。  隣家の門のそばに五カ月ほどの仔猫が斃《たお》れているのをみつけたこともあった。血は流れていず、躯には打撲の痕《あと》もなかった。痩《や》せ衰えてもいなかった。魂だけを抜き取られてしまった、というような不思議な死体だった。  金網のフェンスの途中にぶら下ったまま死んでいるのを見たこともある。人間にすれば七十歳以上になるだろうと思われる老猫で、ひどい衰えようであった。体毛が三分の一ぐらい脱《ぬ》け落ち、残った毛もそそけ立っていた。躯が痩せ細っているので頭部が異常に大きく見えた。金網の一部が破れて穴が開いており、そこに首を突っ込んだまま息絶えているのだった。死に場所を求め、最後の力をふりしぼって金網の外へ脱出しようとしたのが、途中で力が尽きたのであろう。首から胸にかけて乾いた血がひとすじこびりついていた。  車にはねられた猫の死骸は二つ見た。  数えてみると、十指に足りない。姿を隠してしまった猫の数にくらべれば問題にならない少なさである。あとの猫たちは何処に行ったのだろう。何百、何千の猫の死骸は、やはり波津子のいうように、この界隈の、人間の眼の届かぬ秘密の場所に、潜み隠れているのだろうか。  パイも、そうした秘密の場所を目ざして出て行ったのだろうか。  二階の六畳間の床がどすんと音を立てたかと思うと、階段を駈け降りてくるスリッパの騒々しい音がした。能里子《のりこ》も目を覚ますなりパイの様子を見に来たのである。 「パイ、帰ってきた?」  浦野は黙って首を振った。  能里子は二階に向って「お母さん」と大声で呼んだ。 「起さないほうがいい。まだ寝ているんだろう。昨夜はきっと眠れなかったんだよ」  浦野は能里子を押し止《とど》めた。昨夜、床に入ってから彼はいつものようにすぐには寝つけなかった。普段から寝つきの悪い波津子は尚更《なおさら》だったにちがいない。朝方になって、疲れ果ててやっと今まどろみかけたところなのだろう。 「能里子、お茶だけ淹《い》れておくれ。食事はいらない」  浦野はほんとうに食欲もなかった。  社に着くと、浦野はすぐに主任の黒崎を呼びつけた。 「顔写真のリスト、どうなってる」 「いや、まだ手をつけてないんですが……」 「そうか。それじゃ俺も手伝うから今日からやり出そう。とにかくやりはじめないことには一日延ばしになって、いつまで経《た》っても埒《らち》は明かないからね」  新聞社だからといって、あらゆる部署が息せき切っていつも仕事をしているわけではない。村役場のようにおっとりと構えていて、それで用が足りる部署もある。浦野の所属する資料部は区役所程度ののんびりさであろうか。課長の浦野が顔を見せるなり、お茶も飲まずに仕事をいいつけるなどということは、彼が就任以来はじめてのことであった。  黒崎は目を丸くしている。それだけならいいのだが、ぷっと頬《ほ》っぺたがふくらんでいる。不満の意思表示である。 (怠けて一日延ばしにしていたわけじゃありませんよ)  とその顔は言っている。 (しまった)と浦野は思った。責めるつもりで言ったのでは毛頭ないのだが、黒崎がそう受けとるのは無理もない。  と言って、この朝の突然の思いつきの理由を説明するわけにはいかないのである。  胸がつかえて、朝飯も食わずに家を出た浦野だが、通勤電車の中でもパイのことで頭がいっぱいで心理的パニックといってもいい有様だった。会社を休んで、きょう一日、パイ探しに専念できたらなあ、とまで思いつめたのだから馬鹿な話である。  五十男の思慮がさすがに愚かなパニックを食い止めた。浦野も大正生れの働き虫である。はやり言葉でいうワーカホリックであって、仕事さえしていれば、恋の悩みも借金の苦労も忘れられるのである。  パイの心配から気を紛らせるためには、一心不乱になれる仕事をかかえこむに限る、それにはかねてからの宿題だった「顔写真」のリスト作りがうってつけのものだ、と思いついたのであった。 「顔写真」というのは記事に添えて掲載される人物写真のことである。「ツラ写真」と乱暴な言い方をされることもある。  アパートが全焼して何人かの焼死者が出る。死んだ人の顔写真が記事と一緒に新聞には掲載されており、読者は大した不審も抱かず、感心もせずにそれを眺めるだけだが、この顔写真一枚を手に入れるために記者は非常な苦労をしているのである。  死んだ人の部屋は丸焼けなのである。持物は一切焼失している。アルバムももちろんのことである。写真の出てきようがないではないか。死者の顔写真を入手する手がかりとしては、死者の友人、親戚《しんせき》があるが、東京のアパートで独り暮しをしていた若者の親戚、友人を火事場騒ぎの中で、しかも限られた時間の中でどうやって捜し出すか。  一枚の顔写真のために新聞記者が払っている努力は想像を絶するものがある。それだけ、顔写真の重要さが社内で認識されているということでもあるのだが……。  顔写真には二種類ある。一つは、事故や事件に関連した無名の人物の写真で、ほとんどは一回新聞に出ればそれきり、というものだ。もう一つは有名人の写真で、これは何回も紙面に登場するから分類保存の必要がある。有名人といってもその範囲はきわめて広い。王貞治《おうさだはる》がプロ野球ではじめてのホームランを打ったその時の投手も有名人であり、ハイジャックの犯人や五つ子も有名人である。それらの顔写真はいつでもすみやかに取出せるようになっていなければならない。 「基礎リストは何人ぐらい出しますか」  黒崎が年鑑と人名録を数冊抱えて戻《もど》ってきた。 「とりあえず三千人、いや、五千人は要るかな」 「そうですね。五千人は最低必要でしょう。ほんとうは一万人出したいところですが……」  新聞に掲載する有名人の顔写真は、最新のものであることが望ましいのはいうまでもないが、実際にはかなり古いものが使用されることが少なくない。今ではすっかり禿頭《はげあたま》になっている老教授の、十年も前の、まだ髪が黒々としている時分の写真が堂々と紙面に出たりする。当人は苦笑するだけで済ましてくれても、テレビが普及した時代だから読者のほうが承知しない。 「一カ月ほど前に教授の顔をテレビで見たが、見事な光頭だった。きのうの新聞に出た写真はふさふさと毛が生えていたが、教授は植毛術を施されたのか、それともカツラを愛用しておられるのか」  と皮肉な投書が舞いこむ。  急に髭《ひげ》を蓄えたり、頭を剃《そ》ったりする文化人や芸能人もいるし、老眼鏡をかけて顔の形が一変する人もいる。このような変化に的確に対応していかなくては、顔写真の鮮度は落ちるばかりで新聞の信用にもかかわることである。  写真課が保存している顔写真の数は十万を超えているし、これらのすべてを常に最新のものにしておくことは、実際問題として不可能ではあるけれども、鮮度を保つために出来るだけの努力はしないわけにいかない。  五千人の重要人物のリストをつくり、それをA、B、Cの三段階に分け、Aは一年以内に、Bは三年以内に、Cは五年以内にそれぞれ撮影した顔写真が保存されてあるかどうかをチェックし、それにもとづいて顔写真補充の作業を進めよう、と浦野は課長になった早々から黒崎に指示していた。  その仕事を思いついたのである。  単調すぎもせず、かと言ってあまり思考力も要しない、というのが他に気を逸《そ》らさずに没頭できる仕事の条件だ。リスト作りはそれにもっとも適《かな》った仕事の一つだといえる。  思惑通り、浦野はうまい具合に、すぐに仕事にのめりこむことができた。黒崎も、浦野が黒崎の怠慢を責めているのではないことが分ったと見えすぐ機嫌《きげん》をなおして、浦野と競争みたいにして仕事を勢よく片づけた。  昼までに、二人がかりで千人近いリストをチェックした。 「この調子だと、今日中に半分ぐらいは片づくかもしれんな」 「そうですね。だけど、どうしたのですか、今日は。なんだか狐憑《きつねつ》きみたいな勢ですよ。何かいいことでもあったのですか」  黒崎が本気で怪しむような顔を向けたが、浦野は聞えない振りをした。大風が吹くと桶屋《おけや》が儲《もう》かるという話はあるが、猫が家出をすると新聞の顔写真がよくなるというのは知らんだろう、というようなことをまさか冗談にしても言うわけにはいかないのである。  仕事に夢中になっている間はよかったが、昼休みになって、社員食堂で、ひとりで飯を食っていると、やっぱりパイのことを気にせずにはいられない。  休憩時間なのだから、と自分に言い訳をして、浦野は食堂の入口の赤電話で家へ電話をかけた。 「まだ帰って来ないわ」  波津子はまったく力の抜けた声で答えた。 「おまじないの歌も書いて玄関に貼《は》ったんだけど……」 「何だい、それは?」 「立ち別れ因幡《いなば》の山の峰に生ふる松とし聞かば今帰り来む、という歌があるでしょう。あれを書いて、猫の出入口に貼っておくといいって、国府津《こうづ》さんの奥さんが教えてくれたのよ。だけど、私、字が下手だから効きめがないかもしれない」 「馬鹿《ばか》。そんなくだらないことは止《よ》せ。第一、国府津さんとこのピッピは帰って来なかったじゃないか」  浦野は叩《たた》きつけるように電話を切った。  自分も波津子も蒙昧《もうまい》の中へひきずりこまれるような気がして、そのことに急に腹が立ったのである。  発情期の牡猫の家出なんて、よくあることではないか。二、三日もすれば帰ってくるにきまっている。彼は自分にそう言い聞かせようとしたが、その言葉に耳を塞《ふさ》ごうとするものがあった。  快闊《かいかつ》に、そうでなければ無造作に、気休めになる言葉を誰《だれ》かからかけて貰《もら》いたかった。誰かと言っても、そういう相手は、社内には北島しかいない。北島なら、会ってちょっとお喋《しやべ》りをするだけでも少しは気が晴れるにちがいないと思う。  しかし、今、浦野としては北島に会うわけにはいかないのである。  エッ、エエッ、という苦しそうな北島の声が、浦野の耳の奥に今でも聞えてくるような気がする。躯《からだ》を跼《かが》め、蒼白《そうはく》になって、地面に白濁したものを吐瀉《としや》しつづける北島の姿が眼《め》に泛《うか》ぶのである。  今、強い励ましが必要なのは北島のほうこそなのである。浦野の何倍もの痛手を北島は蒙《こうむ》っているはずだ。その北島から慰めて貰おうというのはあまりにも虫のいい、身勝手なことだ、と自分に言い聞かせる程度の冷静さはまだあった。  課長に昇進した浦野のために、北島が小よしで祝盃《しゆくはい》を挙げてくれたのは去年の十月末のことで、それからもう三カ月以上になるが、その間、浦野は北島と一度も小よしへ行っていない。彼は北島と個人的に話をする機会を意識的に避けているのである。  北島が祝盃をあげてくれた晩も、浦野は出来ることなら猫の話題を避けたかった。無思慮な妻のためにヨサクを死なせてしまい、それがもとで夫婦が別居することにまでなっている北島を猫の話題につきあわせるのは酷なことだ、と思ったからだ。だが、そんな事情を何も知らぬよし枝はお愛想のつもりで、 「ヨサクちゃん、お元気?」  と北島に話を仕向けた。余計なことを言い出して、と気をもんだ浦野の耳に飛びこんできた北島の言葉は、しかし、思いもかけないものだった。 「おう、元気だとも」  北島は大きな声でいい、近頃、ヨサクの態度がデカくなった。どうしてかと思ったら、どうやらあちこちの牝《めす》猫たちにちやほやされるのが原因らしい。猫も人間と同じで、女にもてると人生全般にわたって自信が湧《わ》いてくるものらしい、などという話を普段よりも威勢よく喋った。 「ママ、猫のマウントしているところを見たことあるかい」 「なんなの、そのマウントって?」 「新聞にパンダの結婚という写真が出てただろう。ランランの上にカンカンが乗っかってるやつさ。あれがマウントだよ」 「あら、いやだ。ないわよ、そんなの。犬のなら見たことあるけど」 「うん、犬は道の真ン中でも臆面《おくめん》もなくやるし、それにずいぶん長くつながってるからな。猫は特別に早いからね」 「どれくらいなの?」 「そうだな、せいぜい一秒か二秒だ」 「あら、可哀《かわい》そう」 「と思うのは早計でね。一回の所要時間は短いけれど、そのかわり、一日に十回でも二十回でもできるんだそうだ」 「牡《おす》猫でも?」 「そうさ。俺《おれ》たちとは大分違う」 「どっちがいいかしらねえ。週に二回か三回しかできない人間と、毎日二十回もできる猫と」 「猫のペニスを見たことがないだろう。これがまた人間様とは違ってね。薔薇《ばら》の棘《とげ》みたいなのが全体に何十個とくっついてるんだよ」 「あら、いやだ。ほんとオ!」  よし枝は小娘のようにキャッキャッと笑い、笑い過ぎて眼に涙まであふれさせた。  北島がこの種類の冗談を口にするのを浦野ははじめて見た。北島も白い歯を出して笑っていたが、彼が強い意思をもって陽気に振舞おうとしていることは浦野にははっきり分った。 「ヨサクは変なやつでね」北島は目を細めて言った。「テレビが好きなんだ。特に歌番組が気に入ってるようだ。岩崎宏美《いわさきひろみ》のファンでね」 「嘘《うそ》ばっかし。岩崎宏美がお気に入りなのは北島さんでしょう」 「いや、ほんとうだよ。歌番組がはじまると、それまで部屋の隅《すみ》で寝ていたのが目をさまして、のこのことテレビの真ン前へやって来て陣取るんだ。岩崎宏美が出てくると、テレビの後の方にまわって引っ掻《か》くんだ。鏡を見せてもそうだけど、猫というのは平面的な画像を見せると必ず後へまわってみるんだね。平面は虚像だという認識があるんだろうな」 「虚像だの、認識だのって北島さんとこの猫はずいぶんインテリ猫なのね。そういうのが化けて出るのよ。もう幾つぐらいなの」 「そうだな。ええと、四歳と二カ月か。人間でいえば三十二、三歳ってとこかな」  北島はゆっくり指を折ってみせた。 「働きざかり、遊びざかり、というところだわね」 「うん。喧嘩《けんか》は強いし、女にはもてるし、ヨサクにとっては言うことなしの毎日だろうな。二十年前の俺みたいなものだ」 「あら、北島さんはそんなにもてたの」 「もてたさ。ヨサクに負けぬくらいな」  北島は顔を真っ赤にしていた。酒のせいばかりではなかっただろう。猫として最も生命力の充実していた時期に、無慈悲な人間の手によっていとも簡単に命を絶たれてしまったヨサクの無念を北島は噛《か》みしめているのである。北島の中ではヨサクは死んではいなかった。死んではならなかった。彼は生きているヨサクを語りつづけなければならぬ、と自分に言い聞かせているに違いなかった。  国府津信子の話だと、北島の妻は娘だけを連れて実家に帰り、北島は怠惰で自分勝手な浪人中の息子と二人で暮しているという。それは家庭というものではないだろう、と浦野にも察しはついた。父親を小馬鹿にしている息子と、息子にすっかり諦《あきら》めをつけてしまっている父親と、どんな風に向い合って食事をしているのだろうか。何を話しあっているのだろうか。それでもせめてヨサクがいれば北島はそこに慰藉《いしや》を求めることだってできるだろうが、そう思うにつけても、ヨサクの死は彼にとって信じたくない出来事なのである。  ヨサクが死んだことを浦野にさえも打明けようとしない北島の気持は、浦野には痛いほど分るのである。綿々とヨサクの健在を語りつづける北島の顔を浦野はとうとう見ていられなくなった。  その夜、小よしを出てから北島は道端で吐いた。酒に酔うと昂揚《こうよう》するたちの北島だが、嘔吐《おうと》したところを見たことは一度もなかった。浦野も若い時は飲み過ぎて吐くこともあったが、ここ数年はまったくそんな経験はない。五十歳の声を聞けば、たいていの飲んべえも吐くまで飲むなどということはなくなるものなのである。  エッ、エエッと背を丸めて嘔吐している北島の姿はひどく惨《みじ》めに見えたものだった。  それから三カ月間、北島のほうからも浦野に誘いかけてくることはなかった。ヨサクの死を打明ければ夫婦別居のことにも触れないわけにはいかないだろうし、それは他人から同情されたり、いたわられたりすることが何より嫌《きら》いな北島にとっては我慢できないことに違いない。  今は、北島のほうも浦野と顔を合わせたくない心境なのだろう。  浦野は階段を降りて、一階下にある喫茶室に行った。昼休みで混んでいたが、うまい具合に一つだけ空席があった。  相席の三人は用紙関係の仕事をしている者らしく、製紙会社の担当者の批判をしきりにしていたが、浦野には別世界の話のようで、なんのことか全く分らなかった。彼は熱すぎるコーヒーをゆっくりさましながら飲んだ。  第十章 帰ってきたパイ  隣のテーブルでは二人の若い男が向いあってコーヒーを啜《すす》っていたが、髪を短く刈った色の白いほうの男が、 「首つりはまだ見たことはないけど、飛降りはこれでもう四度目なんだ。むごいというか、すさまじいというか、あれを一度でも見たら、自殺するにしても、飛降りだけはしたくないと誰《だれ》でも思うだろうな」  と大きな声を出した。町の喫茶店なら声をひそめて話さなければならないような話題が、新聞社の中ではマーケットの立ち話のような無警戒な調子で語られる。ことさら聞き耳を立てるまでもなく、話の内容は浦野の耳に飛びこんできた。  東京都の西北郊、埼玉県境に近いところに都内では最大の規模を持ったマンモス団地がある。そこがここ数年、自殺の名所になって飛降り自殺者が相ついでいる。屋上に鉄柵《てつさく》を設けたり、屋上に通ずる階段を通行止にしたり、いろいろ対策を講じているのだが、自殺者は増えるばかりで、ことしも元日早々に自殺者があったと新聞に出ていたのを浦野は思い出した。話している男は、取材で現場に出向いた社会部の記者ではなく、その団地の居住者のようであった。 「頭が粉々になって、などと記事で書く奴《やつ》がいるけれど、あれは嘘《うそ》だね。見たところはぐにゃっとやわらかいものが思いきり叩《たた》きつけられたみたいな感じでね。脳漿《のうしよう》というのかね、どろっとしたのが章魚《たこ》の臓物みたいにはみ出ているんだ。あたりは血だらけだけれど、骨のかけらなんて飛び散ってやしない」 「落下の途中で失神してしまうから地面にぶつかった時の衝撃は、当人は感じないといいますけどね」  色の黒い丸顔のほうが言った。 「ガスや薬物は死ぬまで時間がかかるし、その間の心理的重圧感はすごいそうですよ。飛降りは足をぽんと踏み切ってしまえば、一瞬だから」 「だけど、俺はいやだね。あんなみじめな死にざまを女房《にようぼう》や子供に見せられない」 「そんなことを言っているのは鈴木さんが今はちゃんとした平衡感覚を持っているからですよ。自殺するところまで追いつめられた人はそんなことは考えないでしょう」 「どうかな。やっぱり遺族のことは最後まで心配するものだろう」 「だって、自分は死んでしまうんだから……」 「なんだい、新婚のくせにずいぶん薄情なことを言うね。奥さんが聞いたら怒るぜ」 「僕は自殺なんかしませんよ」 「死ぬ死ぬという奴が死んだためしはないというから、その反対に、君みたいに自殺しないと言ってるのがひょこっと死んだりしてね」  鈴木と呼ばれたほうの男はそう言って、またコーヒー・カップを取り上げた。話題とコーヒーの味覚とは無関係、といった感じで、うまそうに啜っている。 「きょう、俺は発見したんだけど、人間の死というのは本質的には必ずしも悲しいものではないのじゃないかな」 「どういうことですか」 「今朝、俺が飛降り自殺の現場へ行った時にはもう十人ほどの野次馬が来ていた。社に電話を入れてからもう一度|戻《もど》ってみたら、鑑識が来ないからまだ死体はそのままで、警官が縄《なわ》を張っていたけど、人だかりは五十人ぐらいになっていた」 「名所扱いされるほど頻繁《ひんぱん》に飛降りがあるというのに、それでもやっぱり珍しいのですかね」 「当りまえだよ。夜桜や展望台とは違う。俺だって、四度目の目撃だけど、しばらく見ていると、喉《のど》が乾いてくる。ふうっと気が遠くなりそうな感じもする。やっぱり死人というのは恐ろしいものだよ。ただ、俺が意外だったのは、五十人からの人間がしーんとなって見ていて、その中で泣く奴が一人もいなかったことさ。まあ、俺だって涙なんかまるで出なかったけど、みんなそうなんだ」 「そうですかねえ」 「うん、そうなんだな。泣かないどころか、『いやァね』とか『どうせまたどこか他処《よそ》の人なんでしょう』とか、迷惑がるような声が聞えたぐらいでね」  はじめの頃《ころ》は、そのマンモス団地の居住者が、自分が住んでいる棟《むね》の屋上から飛び降りるというケースが多かったのだが、新聞でしばしば報道されて自殺の名所化した近頃では、まるで見当違いの遠方からわざわざやって来て死場所にするのが多いのだという。自殺の新名所だなどというレッテルも大迷惑だし、それに加えて、金網を張りめぐらしたりする費用は団地の住人が結局は負担することになるのだから経済的損失もある。平和で日常的な幸福を享受《きようじゆ》している団地の住人たちが死の侵入者に対して面白《おもしろ》くない感情を持つのは当然であった。 「不人情なものですね」  年下らしい丸顔の男の言い方にはお座なりなものが感じられた。鈴木という男はそれに反撥《はんぱつ》を感じたのであろう。 「君なら飛降り自殺をした赤の他人の死体に涙を流すかね」  ちょっと強い口調で言った。 「さあ。それはその場の雰囲気《ふんいき》にもよりますから」 「多分、泣かないと思うな。俺も四回、飛降り死体を見て一度も涙が出るような感情にならなかった。なぜだろうと考えてみたのだが……」  その時、レジの女の子が「外国部の鈴木さん、いらっしゃいませんか。お電話です」と大声で呼んだ。男は「おう」と言って立ち上ると、レジの電話をつかんで二タ言、三言話していたが、連れの男に声をかけ、あわてて喫茶室を出て行った。  浦野は煙草《たばこ》に火をつけると、鈴木という男が言い残した言葉は何だったろうか、と考えてみた。  彼にも似たような経験があった。十年ほど前のことで、自動車の墜落事故現場にたまたま遭遇したのである。ハイウェイのガードレールを突き破って、スポーツカー・タイプの小型自動車が五、六メートルほど下の一般道路に転落し、助手席に乗っていた男が車の外に放《ほう》り出されて即死した。ハンドルを握っていた男も即死らしくまったく動かなかった。二人ともまだ二十歳前後の若い男で、車から洩《も》れた油のようなものが死体の衣服を濡《ぬ》らしていたが、血がほとんど流れていなかったのが記憶に残っている。  みるみる人だかりが出来て、警官がやって来るまでには二十人を越す野次馬たちが集まった。女もその中にはいたが、怯《おび》えたような表情はみせても涙を流す者は一人もいなかった。同情や憐《あわ》れみの表情すら誰の顔からも発見できなかった。それは、二個の死体のある風景、でしかなかった。  もちろん、あの時の二人の死者は野次馬たちにとって縁もゆかりもない他人である。しかし、赤の他人だったから人々は涙を見せなかったのだ、といえるだろうか。  今、もしここで俺が心臓発作か何かで倒れ、そのまま息を引きとったとしたらどうだろうか。  浦野は喫茶室を見まわしてみた。今いる三十人ばかりの客たちは、浦野のことを承知しているはずである。見ず知らずの他人ではない。レジの女の子にしても一度だけだが、外でばったり会って食事を奢《おご》ったこともある。しかし、彼女が浦野の頓死《とんし》に涙を流すことがあるとは到底考えられない。他《ほか》の客たちだってそうだろう。  反対に、いま、浦野の隣に坐《すわ》っている男が頓死したとしても、彼のために浦野は泣きはしないだろう。この喫茶室にいる者たちは、古くさい言い方をすれば同じ釜《かま》の飯を食っている仲間なのである。これは現代の社会では、必ずしも稀薄《きはく》な人間関係だとはいえないものであろう。それでも彼らはお互いの死におそらく涙は流さないのである。  死それ自体は単なる自然現象の一つに過ぎない。われわれが人の死に臨んで涙を流すのは、死者への思いがあるからで、その思いがなければ一本の樹《き》が倒れるのを見るのと大きい違いはないのではないか。思いをこめるよすがのない見ず知らずの他人の死には、人間はそんなに泣いたりしないものであり、それは決して不人情でも冷酷なことでもない。責めてはならないことなんだ——鈴木という外国部の男はそう言いたかったのではなかったか。  浦野は、カンボジア関係の記事で、鈴木特派員という名前が半年ほど前まではしょっちゅう出ていたのを思い出した。革命者による同胞の大量虐殺が伝えられるカンボジアで、彼は数え切れないほどの死体を見てきたのだろう。多分、その異国人の死体に対しては涙を流すこともしばしばあったに違いない。それなのに、自分が住む団地での飛降り死体には平気な目を向けていられる、その齟齬《そご》をきちんと説明したかったのではないか。  どんなふうに、彼はその説明をするつもりだったのだろうか。鈴木という男が途中で席を立ってしまったことを、浦野は改めて残念に思った。  早版の夕刊の束が喫茶室に届けられ、それをレジの女の子が各テーブルに配って歩いた。社会面をひろげてみると、先刻《さつき》出て行った男たちが話していた団地の飛降り自殺が二段見出しで出ている。各面をぱらぱらとめくってみると、第二面の左下|隅《すみ》のコラムの「ペット・ブームと難民」というタイトルが目にとまった。その欄は編集委員たちが回り持ちで執筆しているもので、〈J〉という署名の筆者は浦野にはもちろん分っている。学芸部に長くいた男で、アルバイトにアメリカの推理小説の翻訳をしていた。時々はテレビにも出たりする。いわゆるタレント記者の一人だった。  ベトナムをはじめカンボジア、ラオスなど東南アジアの難民に対する救援行動が日本は先進文明国の中でもっとも立ち遅れている。わが国が難民たちに地理的にもっとも近くいながら、また経済大国といわれるほどの経済的余力がありながら積極的な救援行動をしようとしないことは国際的な批判を浴びるだろう。一方、日本国内では今やペット・ブームで、猫《ねこ》一匹に数十万の大金を投じて平気な人が大勢いる。猫が怪我《けが》や病気をすると人間そこのけの手当てをし、動物病院はどこも超満員だ。難民を見捨て、犬猫に過剰の保護を与えるアンバランスは狂った日本の象徴の一つであろう。  コラムの趣旨はざっとこのようなものであった。いつも身だしなみのいい、夕方になると机の引出しから電気カミソリを出して、濃い髭《ひげ》をあたっている筆者の顔を浦野は思い泛《うか》べた。タテマエ好きの新聞読者に、こういうロジックは受けるに違いない。猫や犬を愛する者はますます肩身を狭くさせられるだろう。まるで背徳者あつかいではないか。  しかし、これは道徳の問題であるよりも、想像力の問題ではないだろうか、と浦野は口の中で呟《つぶや》いた。ベトナムの難民どころか、同じ東京に住む日本人で、団地の屋上から飛降りた男に対してすらわれわれは十分な想像力を働かせることができない。飛降りた男がきのうの朝、子供たちとどんな話をし、その夜妻にどんなふうに泣かれたか、そんなことを咄嗟《とつさ》にテレビ・ドラマを見るように思い描くことができるのだったら、主婦たちも「いやァね」というような言葉を口にしなかっただろう。主婦たちの眼《め》が眺《なが》めているのは一個の死体である。それが生きていた時は、どんな会社に通ってどんな仕事を毎日つづけていたのか、いくらの月給をとり、どんなに美しい、あるいは美しくない妻を持っていたか、それらのことを素早く、的確に想像する力は彼女たちにはないのである。宗教家でも芸術家でもない普通の人間はほんの少しの想像力しか持っていないものだし、それは責められなければならないことでもない。  人間が飢えているのに、家畜を飽食させるのはけしからん、という論理も必ずしも正しいもののようには浦野には思えない。それは人間の思い上りなのではないか。神様の眼から見れば、人間も蜥蝪《とかげ》もライオンも鰻《うなぎ》も同じく生きものであって、人間以外の生きものはすべて人間を肥らせるためにのみ存在しているわけではあるまい。人間の尊厳などという言葉は人間が勝手に言い出したことであって、人間の生命が尊厳なら蜻蛉《とんぼ》やおけらの生命だって尊厳だろう。どんな兇悪《きようあく》無残な殺人者でも、人間だというだけで他のいかなる動物よりも尊いと言い張るのは、人間にだけ都合のいい理屈ではないか。  大分以前のことだが、浦野は、馬のために人間を殺す老人の話を読んだことがある。悪人たちに半殺しの目にあわされ、気を失ったところを海に放り込まれた老人は、意識を取り戻すと、浜辺に打上げられており、そばには黒い馬が立っていた。馬が老人を助けたのだが、老人はそのことを知らない。老人と馬との生活がはじまる。  歳月が経《た》ち、戦いがはじまる。ある日、大きな体の侍があらわれ、老人から馬をとりあげようとする。侍は戦さに敗れて逃げる途中で、自分の乗馬を失ったため、代りの馬を必要としたのである。侍はおそらく逃げのびることはできないだろう、ということは侍と一緒に馬も死んでしまう可能性が強いということである。老人は侍の油断を見すまして、背後から斧《おの》で侍を撃つ。老人は気づかなかったのだが、その侍は、かつて、老人を海へ放りこんだ悪人たちの首領なのだった。  人間の命よりも馬を大事にしたこの老人を誰も責めないだろう。  見知らぬ男の飛降り死体を見て「いやァね」と呟いた団地の主婦もひょっとしたらベランダに小鳥を飼っていて、その小鳥が死んだ時には大声をあげて泣いたかもしれない。だからといって彼女を人間の命の尊さを知らない愚かな女だと言えるだろうか。 〈彼女も間違っていないし、俺《おれ》も間違ってはいない〉  浦野はそう思い、それは決して自分を言いくるめたのではない、と確信した。  パイは帰ってきた。それは、失踪《しつそう》してからちょうど一週間目の夜のことであった。  その夜、浦野は家族水入らずで祝盃《しゆくはい》のワインを抜いていた。この春、大学を卒業する能里子《のりこ》は、就職がきまっている会社に、明日から自由研修の名目で通いはじめる。学校のほうは入学試験などで教室も塞《ふさ》がり、四年生はもう登校する必要はないのであった。 「ほんとうの研修は四月からで、自由研修というのはアルバイトみたいに雑用で使われるだけなんだって。だから日当もちゃんと出るのよ」 「それじゃア今月からもうお小遣いは要らないわね」 「そんなの狡《ずる》い。まだ正式には身分は学生よ。お小遣いは貰《もら》う権利あるわ」 「あげますよ。そんなに大きな声を出さなくても。あんたはお金のことになるとすぐむきになるんだから、いやアね」  波津子《はつこ》は笑い、身分は学生でも、事実上明日から社会人になるわけだから、前途を祝して、今夜はみんなでお祝いしましょう、と提案したのだった。浦野にとってもさすがに感慨のある祝宴である。  朝から雪もよいだった空は、夕方からちらちらと白いものを落しはじめ、家族が食卓を囲んだ頃には風も出て、道一つ距《へだ》てた向いの家が見えかねるほどの激しい降りになった。  波津子も能里子も、酒は弱くはないほうで、一時間もすると、ワインの壜《びん》は一本空いてしまった。 「ストーブ、ちょっと強過ぎるんじゃありませんか」  額に汗を掻《か》き出した浦野を見て、波津子が言った。浦野は貧乏性で、普段は、ちょっとでも暖房が強過ぎると、勿体《もつたい》ない、といってすぐにスイッチをひねるのである。 「火も御馳走《ごちそう》のうちさ。今夜ぐらいは暖房をけちらないでおこうよ。だけど、こういう時は、炎の色が見える旧式のガス・ストーブのほうがいいな。薪《たきぎ》をくべる煖炉《だんろ》だったら申し分ない」  浦野はもう一本、ワインの壜を棚から下すために立ち上った。 「あ」  と能里子が声を上げた。 「なんだい」 「ううん。ちょっとパイのことを思い出したのよ。いつもだったらお父さんの膝《ひざ》にはパイが頑張《がんば》ってて、そんなにひょいと立上れないじゃない。おい、煙草《たばこ》、おい、楊子《ようじ》、おい、眼鏡と私たちに言いつけてばかりいるでしょう。きょうは先刻《さつき》から見てると、ひょいひょいと腰軽に動いてるでしょ。私のお祝いの日だからサービスしてくれているのかな、と思ってたんだけど、そればかりじゃないのね。パイが膝の上にいないから身軽なのね」  能里子は自分の膝に抱いているウサギの背中を撫《な》でながら言った。人に抱かれることがあまり好きではないマミは、波津子の足もとのカーペットの上に躯《からだ》を丸めて薄眠りしている。 「今晩はパイのことを言うのはよしなさい。折角のお祝いの夜に、お母さんが泣き出すとぶちこわしだから」  浦野が能里子に注意すると、 「いいのよ。もう、私、泣かないことにきめたのだから」  波津子は顔を上げて笑ってみせた。きょうの昼過ぎで、パイが出て行って丁度一週間になる。丸七日間を過ぎたら諦《あきら》める、と彼女は自分に言い聞かせていたのだという。 「万一、そのあとで帰って来たら、それはもうけもの、授かりもの。神様がもう一度、新しくパイちゃんを下さった、と思おう、帰ってこなくてもともと、そういうふうに私はもう決心したのよ」 「いや。そんなの駄目《だめ》。私は絶対、諦めないわ。たった一週間で諦めちゃうなんて、お母さん、それでパイを愛していたといえる? そんな程度だったのね。お母さんの気持というのは。だからパイは出て行ったのよ。お母さんて、やっぱり上等猫のほうが好きなのね。尻尾《しつぽ》のないパイのような駄猫よりシャム猫のマミのほうがいいんでしょう」 「違うわ。ノンちゃん。そんな言い方しないで。私だってパイちゃんのこと、諦めたくなんかないわよ。でも、仕様がないじゃないの。パイちゃんが悪いのよ。一週間も帰ってこないなんて。一週間もよ」 「一週間ぐらい何なのよ。じゃア、私が一週間家出したらもう私のお葬式出す気?」  能里子はわっと声をあげて泣き出した。波津子も涙をぼとぼとこぼしている。 「そら見ろ、言わんこっちゃない。だから今晩はパイのことを言うのはよせと言ったのに」  浦野は舌打ちし、庭に面したガラス戸のほうを見た。  パイのことは諦めた、と言ったくせに、波津子は、パイが帰って来ないいつもの夜と同じように雨戸を三十センチ幅ほどちゃんと閉め残していた。牡丹雪《ぼたんゆき》から粉雪に変った雪がその雨戸の裂け目からガラス戸目がけて、音を立てて打ちつけている。その雪の中に、浦野は、二個のブルーのびい玉を見たのである。 「パイ!」  彼は唸《うな》るように声を発したが、一瞬、躯は硬直して動かなかった。真っ先に立ち上ったのは波津子だった。彼女はガラス戸の前に、倒れこむように膝を折ると、 「パイちゃん、あんた……」  と叫びながら、両手でガラス戸を幼児が駄々をこねる時のように叩《たた》いた。 「馬鹿《ばか》、早く家の中へ入れてやれよ」  浦野が怒鳴り、波津子は慌《あわ》てて戸を開け、パイを抱き上げた。能里子は湯殿へ駈《か》けて行き、バスタオルを持って戻《もど》ってくると、 「お母さん、早くこっちへ貸して!」  とパイを奪いとり、タオルで包んだ。  頭から背いちめんの雪のかかりようから見て、パイは大分長い時間、雨戸の裂け目に蹲《うずくま》りつづけていたにちがいなかった。浦野たちが賑《にぎ》やかに祝杯をあげていた間、パイは誰《だれ》かが早く自分のほうを振りむいてくれないものか、とひたすら願っていたのだろう。 「パイったら、あんた、ほんとうにお馬鹿ちゃんよ。こんな時ぐらい、啼《な》いたらどうなの」  波津子は笑いながら言ったが、その顔は涙でぐしょぐしょになっていた。 「駄目よ、そんなに暴れちゃ。きれいきれいにしてあげるのだから、じっとしていなさい」  能里子がパイに文句を言っている。 「いいじゃないか。放してやりなさい。もう少し落着いてからゆっくり風呂《ふろ》にでも入れてやればいい。それより飯のほうが先だ。腹がへってるに違いない」 「そうだわね」  浦野に言われて、能里子はパイを離し、食卓の上の烏賊《いか》の刺身を一切、パイの口もとに持っていった。烏賊はパイの最大の好物なのである。波津子が烏賊を料理していると、テーブルの上から肩に飛び乗ってくる。そしてまるで鳥のように波津子の肩にとまったまま、もっと、もっと、と際限もなくせがむのである。浦野が烏賊の大きい切身を口の中へ入れてもぐもぐ噛《か》んでいると、その口の中へパイは舌を挿《さ》しこんでくる。そんな大好物なのに、パイは能里子の腕から放たれると、烏賊には目もくれず、家中のあちらこちらをせかせかと嗅《か》ぎまわった。台所から廊下へ飛び出すと、洗面所、浴室、玄関、と鼻をこすりつけ躯をぶつけるようにして這《は》いまわり、駆けめぐった。それは、(ああ、これが僕《ぼく》ンちだ。なつかしい古巣だ)と歓喜しているようにも見えたし、また、(大丈夫かな? ここの家には僕に危害を加えるような物騒なものはないかな)と強い警戒心で全身を緊張させているようにも見えた。 「パイちゃん、早くママのところにいらっしゃいッ」  と波津子が呼んでも振りむきもしない。パイが浦野の膝に飛び乗ってきたのは、家の中を隈《くま》なく嗅ぎまわったあとである。  左眼の上に深い歯痕《はあと》があり、血糊《ちのり》が凝固してこびりついていた。背中と右肩に百円玉より一まわり大きいくらいの、毛を|※[#「手へん」+「劣」]《むし》りとられた痕があった。躯の肉は削《そ》ぎ落したように減っており、そのため眼が異常に突出して見えた。空腹の極に違いないと思われるのに、それでもパイは、能里子がふたたび差出した烏賊に、すぐには食いつかない。おずおずと近づけた鼻をしばらく動かしていたかと思うと、あわてて顔をそむける。能里子が無理に口に押しつけると、首を左右に振って避ける。そんなことを何度か繰り返したのち、やっと食べはじめたのである。こんなに猜疑心《さいぎしん》の深いパイを見たのははじめてであった。  この一週間に、パイは躯ばかりでなく、心にもひどい手傷を受けたのだろう。どこを放浪し、どんな相手とどんなふうに闘ってきたのか。毎日、出くわすことがみんな生れてはじめての体験だったに違いない。それに、どんなふうに立ちむかい、あるいはどんなふうに逃げ隠れしたのか。 「ねえ、パイちゃん、どこまで遠くへ行ったの? ママに教えて頂戴《ちようだい》」 「ウググ」 「面白《おもしろ》いことだってあったんだろ。ちょっとだけでいいから教えろよ、おい、パイ」 「ウググ、ウググ」 「もう懲《こ》り懲《ご》りかい。それともまた出かけてみたいかい」 「ウグ、ウググ」  猫が人間の言葉を喋《しやべ》れないのを、この時ばかりは浦野も口惜《くや》しいと思った。しかし、言葉はかわさなくても分るところは分るのである。心身ともに傷だらけにはなっているが、その傷にパイがいささかも怯《ひる》んでいないことが浦野には一見して分った。毛の艶《つや》もなくなり、四肢《しし》にも張りがなく、いかにもくたびれ果てたという躯の様子なのに、妙に昂然《こうぜん》とした顔つきをしているのである。 「なんだかパイちゃん、変ったみたい」 「実は私もさっきからそう思っていたのよ」  波津子たちは途惑っているが、浦野にはパイの今の心境はよく分る気がする。パイは戦ってきたのである。手傷は男の勲章なのである。勲章をぶらさげた男が、今までのように女子供に甘えてはいられないではないか。大祖先のリビア猫以来、脈々と流れつづけている単独生活者の血をパイは自分で確かめてきたのであろう。普通、家出した猫が帰ってきた時は、びっくりさせられるほど陽気に喋りまくるか、不機嫌《ふきげん》な寡黙《かもく》か、の両極端の態度を示す、といわれている。単なる好奇心から冒険旅行に出かけた猫は、その生れてはじめての珍しい体験を人間に告げたくて、啼き声やボディ・ランゲージや、さまざまの方法で喋りまくるのである。好奇心からではなく、飼主やその家族の仕打ちに腹を立てて家出した猫は、容易に帰ってはこないものだが、帰って来た場合も、仏頂面《ぶつちようづら》をしているものなのだそうだ。  パイはそのどちらでもなかった。お喋りではなかったけれども、腹を立てて家を出て行ったのではなかったことは、十分に察しられた。パイを探しつづけたこの一週間、浦野たちは、パイが家を出て行った動機についてもあれこれと考えあった。 「マミとウサギを私たちがあまり構いすぎたので焼餅《やきもち》を焼いたのかしら」  ともっとも強く主張したのは波津子だった。それ以外には、パイが機嫌をそこねる理由はない、と彼女は断言した。そうでなかったとしたら、冒険旅行に出かけたのよ、と波津子は言った。その通りだよ、ママ、と今、パイは言っている。あんなチビたちに焼餅を焼いたりなんかするものか、僕は冒険旅行をやってきたんだ、とパイはたしかに言っている。それならどうしてもっとお喋りをしないのか。 「まだ、し足りないのよ。ほんとうはもっと冒険旅行をつづけていたかったんだよね。パイ」  能里子が浦野の膝からパイを抱き上げた。 「だったら、どうして帰ってきたのかしら」  と首をかしげる波津子に、能里子は、 「私におめでとうを言いに帰ってきてくれたのよ。みんなでこんなお祝いをしている時に、パイだけがいなかったら私たちが寂しがるだろうと思って、帰ってきてくれたのよ」  そう言い、涙をいっぱい目に溜《た》めて、パイに頬擦《ほおず》りした。  第十一章 猫捕《ねこと》りの罠《わな》  パイが一週間の家出の間に消耗した体力を取り戻すのには、幾日も要しなかった。肩や首の咬《か》み痕や毛を|※[#「手へん」+「劣」]《むし》りとられて桃色の地肌《じはだ》が露出している部分などはそのまま残っていたが、窪《くぼ》んだ眼《め》は翌日には元通りになったし、減った体重も四日目には元へ戻った。ちょっとびっこをひいていたような後肢《うしろあし》の動きも正常になった。  しかし、パイのすみやかな恢復《かいふく》は、浦野たちにとって、喜んでばかりはいられないことであった。 「パイちゃんたらちっとも懲りていないみたい」  と波津子《はつこ》はいまいましそうに言うのである。彼女にしてみれば、パイに「ママ。家出はもう懲り懲りだよ。やっぱり、このお家が一番だよ。ぼく、二度と家出はしないから……」と言ってほしいのである。浦野たちの庇護《ひご》を離れた外の世界で、恐ろしい目にも遭い、寂しい思いもし、改めて人間の保護の有難さを痛感してくれるのでなければ不都合なのだ。  その一週間が、パイにとって懲り懲りするようなものではなく、素晴らしい冒険旅行だったとするなら、パイはその経験をもう一度繰返そうとするにきまっている。いや、三度でも、四度でもだ。 「あんな心配をさせられるのは、二度と御免だわ」  と波津子は言う。浦野も全く同感であるが、だからといって、どうすることもできない。今更、パイを犬のように鎖で繋《つな》ぎとめてしまうわけにはいかないし、家の外へは一切出さないことにするというのも無理な話である。 「パイちゃん。もう家出はしないでね」 「ウググ」 「こんど家出したら帰って来てもお家へ入れてあげませんからね」 「ウググ」 「ほんとうよ。脅かしで言ってるのじゃないのよ」 「ウグググ、ウググ」 「あ、分ったのね。いい子、いい子、だからママはパイちゃんが好きなのよ」  パイの頭を撫《な》でながらしきりに言い聞かせている波津子に浦野は、 「そんなこちらに都合のいい返事を勝手にでっちあげたって駄目《だめ》だよ。パイはちっとも頷《うなず》いてなんかいやしないじゃないか」  と笑った。 「じゃア何と言ってるの?」 「いやだ、と言ってる。家出は面白いからこれからも何度でもする、と言っている」 「嘘《うそ》よ。意地悪。そんなこと言うものですか。ねえ、パイちゃん。お悧巧《りこう》パイちゃんがそんなママを悲しませるようなことを言うはずがないわよねえ」  波津子はパイを抱き上げて頬擦りした。 「パイはちゃんとやって来たのだろうな」  浦野は手を伸ばしてパイの鼻の頭を軽く突ついた。 「やって来たって?」  波津子は浦野の言う意味が咄嗟《とつさ》には分らなかったらしい。 「牡《おす》猫が家を飛び出して外をほっつき回るのは、古新聞を集めて回るためでもなければ、新発売のレコードのキャンペーンに歩くわけでもないだろう。牝《めす》猫の尻《しり》を追っかけ、夢中になってうろつき回るのじゃないか。パイはその大望をちゃんと果してきたのか。それとも振られっ放しで空《むな》しく引揚げて来たのか。どっちだろう」 「さあ。それこそパイちゃんに聞いてみなくちゃ分らないわ。でも、パイちゃんほどのハンサムが振られっ放しだなんて考えられないもの。オカッパとは違うわよ」  オカッパというのは、五軒ほど先の西垣《にしがき》という家の飼猫で、白黒のぶちだが、頭のてっぺんにかかっている黒い模様がちょうどお河童頭《かつぱあたま》のように見えるところから、浦野は勝手にオカッパと名づけていた。  パイよりは少し上の年頃《としごろ》なのだが、こいつが三カ月ほど前からひどく色気づいて、牝猫さえ見れば追っかけまわす。ところが生憎《あいにく》とこの界隈《かいわい》には、若い娘がいない。浦野の家の外猫であるチーズにしてもミーコにしても、なかなか美貌《びぼう》でお色気もたっぷりなのだが、人間ならもう四十に手が届こうという年増《としま》である。ことしやっと成人式に招待されました、といったところのオカッパ坊やの相手などはしていられない、とばかりに、にべもなく肘鉄《ひじてつ》を食わせる。  オカッパはあっちへ行っては振られ、こっちへ来ては振られして、まるでもてない。欲求不満のかたまりみたいになって、一晩中啼きわめいている哀れな猫なのである。  パイがオカッパのような無様な目にあわされるはずがない。さぞかし若い、縹緻《きりよう》よしの牝猫たちにちやほやされてきたことであろう。パイの名誉のためにも、いや、私たちの自尊心のためにも、それだけは絶対信じたい。そして、それだからこそ心配でたまらないのだ、と波津子は言った。そんな彼女を浦野は、 「とびきりいい思いをしてきたのだから、その味が忘れられなくて、また、きっと飛び出していくぞ。そしたら、こんどは深情《ふかなさけ》の女にとっつかまって、ねえ、お家なんかへ帰らなくたって、ここで私と一緒に暮しましょうよ、なんか言われたりしてさ」  とからかったが、それは虚勢なのである。二度と家出騒ぎが起らないでほしいと、浦野のほうが波津子の倍もおろおろしているのである。  浦野たちの心配をよそに、パイは、たしかに大人っぽくなった面構《つらがま》えで、家の内外を徘徊《はいかい》するようになった。以前は、四肢《しし》を第一関節から折り曲げ、招き猫のような手つきをしたまま、仰向《あおむ》けにひっくり返って寝たりしたものだが、そういうあられもない恰好《かつこう》をあまりしなくなった。躯《からだ》を斜に構えて、ライオンのように傲然《ごうぜん》と寝そべっていることが多い。自分の姿勢や物腰を明らかに意識しているようであった。  挙措が全体にゆったりとしているのである。ことにマミやウサギに対する態度の変化がもっとも顕著であった。ソファに寝そべっているパイの傍《そば》にマミが寄っていくと、前肢《まえあし》を開いて懐《ふところ》の中へ手繰りこむように抱きかかえる。そして、耳朶《みみたぶ》の内側を数回|舐《な》めてやる。マミがおとなしくなると、じっと抱いたまま眼をつぶる。それは年齢が離れている兄貴が末の妹を庇護してやっている風情《ふぜい》で、牡と牝が絡《から》みあっているという雰囲気《ふんいき》ではなかった。  そのかわり、チーズやミーコと出会うと、パイは彼女たちの尻に鼻をこすりつけて、熱心に臭《にお》いをかぐようになった。そんなことは家出前には一度もしたことがなかったのである。  猫同士がおたがいの臭いを嗅《か》ぎあうのは、敵か味方かを調べあう行為でもあるが、牡と牝でそれを行う場合は、恋愛予備行為であることが多い。臭いの変化によって、牝の発情を知るのである。特に牝の尿は発情期を迎えると特別の臭いを発するので、牡はしきりに牝の肛門《こうもん》のあたりを嗅ぎまわる。パイの仕科《しぐさ》もどうやらその種類のもののようであった。  牝猫のほうは、自分の肛門に顔を寄せてくる牡猫に対して、尻尾《しつぽ》を高くかかげ、なおいっそう刺戟《しげき》的な臭いが嗅げるように、また、彼女の性器がよく見えるように、プレゼンテーションを行う。  だが、年増のチーズのほうは若い衆好みではないと見え、パイもオカッパ同様、あっさりと振られてしまった。チーズは長くて撓《しな》やかな尻尾を鞭《むち》のように振ってパイの鼻先を払った。パイがなおも鼻を近づけようとすると、チーズはくるりと向きなおって、右前肢でパイの顔を一掻《ひとか》きした。パイはびっくりして飛びしざった。 「なんだい。パイもオカッパと変らないじゃないか。これじゃアちゃんと一人前の男になって来たかどうか分らないぞ」  浦野は苦笑した。しかし、波津子は、 「いいのよ。パイちゃんには、若くてぴちぴちした恋人がふさわしいんですよ。チーズのようなおばあちゃんなんかと、なまじ仲よくならないほうがいいの」  自分の言葉の矛盾に気づかず、パイを庇《かば》い立てるのである。  パイが家に戻《もど》ってから一カ月ほどがまたたく間に過ぎた。パイは浦野たちの余りな取越苦労ぶりに同情したのか、二度目の冒険旅行に出かけようとする気配はみせなかった。鷹揚《おうよう》な立居振舞で、彼なりに飼猫の境遇の安逸さを愉《たの》しんでいるように見えた。  能里子《のりこ》は自由研修も終り、毎日、家でぶらぶらしていた。しばらくして月が変れば、いよいよ彼女も一人前の社会人として会社勤めをする身になる。  その日、浦野は平日休みの日に当り、朝からのんびりと躯を休めていた。浦野の会社でも二年前から隔週休日二日制が実施され、一週置きに、日曜日以外の日(ただし、月曜日と土曜日は除く)にもう一日休みをとっていいことになっていた。  休みの日にも、浦野は会社の仕事を家に持って帰ってすることが多い。彼が受持っているような資料調査関係の仕事は、一通りのルーティン作業で済ましておこうと思えばそれでも一向|差支《さしつか》えないが、拡《ひろ》げようとすればそれこそ際限もなく拡げられるものでもあった。仕事以外にこれという楽しみを持たない浦野は、好んで仕事を押しひろげ、忙しがっているようなところがある。  きょうのように、一日中、ぶらぶらしているのはほんとうに珍しいことであった。  夕方近く、ソファに寝そべって雑誌を読んでいた浦野は、猫の、狂躁《きようそう》的な長啼《ながな》きの声を耳にした。二匹の猫が掛けあいのように交互に喉《のど》をふるわせているのである。  掛けあいのはじめは、喉の奥から絞り出すような低く短いうなり声である。一方の声に対して、他方は、相手の声を抑えつけるように、少し高く、長いうなりを返す。それに対して、さらに一段と調子を高めたうなり声が発せられる。こうして、掛けあいは次第に高まってゆき、あるところで、不意に転調される。それは月の夜の犬の遠吠《とおぼ》えに似て、どこか甘い調子がある。声帯をいっぱいにひろげて、ハイ・トーンで、長々とひきずるように啼くのである。唆《そそ》るような響きもあって、去年の春、はじめてこの長啼き合戦を聞いた時、浦野は、てっきり、猫の求愛のセレナーデだろうと思ったくらいである。  それは誤解であって、実際は威嚇《いかく》しあう戦いの声だったのである。見馴《みな》れぬ大きな赤猫が庭にやって来、ヨウテイがそいつに嚇《おど》しをかけたのだった。赤猫も負けずに唸《うな》り返し、二十分もつづいただろうか、二匹は取っ組みあって、庭に転がった。赤猫が逃げ出し、ヨウテイが追いかけて、再び溝《どぶ》の中で二匹は揉《も》みあった。長啼き合戦をやっている牡同士の傍に牝が煽情《せんじよう》的な姿態で坐《すわ》っていることもある。そんな時、唸り声は一段と高調子になるのである。 「誰《だれ》だい、喧嘩《けんか》しているのは?」  浦野はサンダルをつっかけて、声のする方角に行ってみた。一方の声がパイの声のように思えたからだ。  やっぱり、パイであった。そして、相手はオカッパであった。二匹の猫は、道一つ距《へだ》てた向いの家の裏木戸のそばで、対峙《たいじ》していた。  どの牝猫を張りあっているのだろうか、と周囲を見まわしてみたが、他《ほか》には猫の姿はなかった。男同士の真昼の決闘のようであった。  浦野は大声で波津子を呼んだ。  これまでにパイが他の猫と争っているところを彼は一度も見たことがないのである。パイに喧嘩を仕掛けてくる猫は何匹かいたが、パイはいつでも相手にしなかった。臆病《おくびよう》なせいばかりでは必ずしもなかった。パイの態度には、つまらんことはよせよ、といったふうなところがあった。  波津子は、 「あらッ」  と叫んでパイのすぐ背後に立ち、オカッパを睨《にら》みつけた。オカッパは自分の相手への思いがけぬ加勢にたじろいで、二、三歩後じさりしたが、そこで踏み止《とど》まって、また唸りをつづけた。  間近で聞いても、二匹の猫の掛けあいは、威嚇合戦にはどうしても思えない。唸り声というよりは、咽《むせ》び声といったほうが当っているような、嫋々《じようじよう》とした長啼きなのである。それに、二匹はおたがいに睨みあいすらしないのである。 「なんだい。二匹ともへっぴり腰じゃないか。掛け声ばかりで支那人《しなじん》の喧嘩だな」  浦野は笑った。二匹は互いに顔をそむけ、そっぽを向きながら唸っている。おれは別段あんたに対して唸っているわけじゃないからね、と言い訳しているみたいであった。 「こらッ、パイ! あさってのほうなんか向くな。オカッパをちゃんと睨みつけるんだ」  浦野がけしかけると、波津子は、 「違いますよ。パイちゃんもオカッパも、気おくれしてそっぽ向いてるわけじゃないわ。これが牡猫同士の喧嘩のスタイルなんですよ。他の猫たちもたいていこういうふうに横向いて唸りっこしてますよ」  と言った。その通りであって、パイもオカッパも決して闘志において欠けるところがないことが、暫《しばら》くして浦野にも分った。二匹とも、そっぽは向いているものの、眼には力がみなぎり、全身に緊張感が溢《あふ》れていた。そして、互いにじりじりと間隔をつめていっているのである。 「やる気はあるようだな。だけど、もう一つ、というところだなあ」 「パイちゃんはまだ喧嘩馴れしていないからですよ」 「じゃアオカッパのほうはどうなんだい。こいつはしょっちゅうあちこちで喧嘩してるじゃないか」 「パイにあんまり気合が入っているので、面くらっているのよ。お見それしました、という感じじゃないかしら」  波津子はどこまでもパイを身びいきする。だが、そう言われれば、浦野にもそんなふうに見えてくる。同じようにそっぽを向いていてもパイの顔のほうに勢がある。じりじりと間合いを詰める躯の寄せ方もパイのほうが心もちきびしい。  両者の距離は次第にちぢまって、ほとんど首と首とが接触せんばかりになった。 「もうぶつかるじゃないか。これでも取っ組みあわないのかね」  と浦野が言ったのと、ほとんど同時に、パイが前肢を挙げてオカッパに襲いかかった。オカッパはパイの一撃をわずかに躱《かわ》して、木戸の内側へ逃げた。すかさず、パイが追う。 「行けえッ、パイッ」  浦野が叫んだ時には、オカッパは、木戸の右手にある物置小屋のブリキの屋根に飛び乗っていた。パイもつづいて飛び乗る。オカッパはさらに跳躍して、赤瓦の小屋根に乗った。その時、後肢を辷《すべ》らしたのが不覚で、パイがオカッパを捉《とら》えた。  背後からパイに抑えられたオカッパは躯の向きをくるりと変えると、パイと四つに取り組んだ。  屋根の緩い勾配《こうばい》を二匹の猫は丸くなって転がり、樋《とい》のところで危く踏み止まった。 「ぎゃッ」  と叫んだのは、今度はパイで、パイはオカッパに背を向けて一目散に逃げ出した。オカッパはそれを追おうとはせず、躯をぶるるッと震わせると、屋根を登って行き、棟《むね》を越えて、浦野たちの視界から姿を消した。 「なんだ。結局はパイの負けじゃないか」  口では一旦はそうは言ったが、浦野は決して落胆していなかった。  躯の大きさもオカッパのほうが一回りは大きい。体力も違うし、喧嘩の熟練度では比較にもならない。勝負はパイが負けて当然なのである。それはパイ自身にもおそらく予測はついていたにちがいない。それにもかかわらず、先制したのはパイであった。そこに浦野はずしんと重い感激を覚えた。 「パイのやつ、なかなかやるじゃないか」  冬の蠅《はえ》をつかまえさせるために、パイを頭上に持ちあげて、居間中を走りまわったのはもう一年前のことになるなあ、と思い出した途端に、浦野は他愛なく眼頭《めがしら》が熱くなった。 「素敵だったわ! パイがぱっと飛びかかっていった時の恰好なんて黒豹《くろひよう》みたいだったもの」  波津子も大満足の表情をしていた。 「こないだの冒険旅行で、パイはしっかり鍛えられてきたのね」 「痛い目にも、相当あったんだろう」  |※[#「手へん」+「劣」]《むし》りとられた毛も元通りに生え揃《そろ》ったのに左眼の上の歯痕《はあと》だけはまだ残っているのを浦野は思い出した。深い傷は容易に癒《なお》らないものだし、それだからこそ、深い傷を受ける意味もあるのだろう。また、傷を蒙《こうむ》らないための知恵を生きものたちは学ぼうとするのである。 「パイちゃんはまたきっと家出をするわ。外へ出て行きたがるのは無理ないと思うわ」  パイは一目散に逃げ出して行ったきり戻ってこない。パイが消えた道の曲り角のほうに目をやりながら波津子は不意に言った。  声の調子から、波津子がパイのことだけを言っているのではないことを浦野はすぐに察した。  浦野と波津子は職場結婚である。部署は違ったが、同じ新聞社で波津子は働いており、女の記者のたいがいがそうであるように、結婚しても、子供が生まれても、仕事をやめるつもりは全くなかった。公団住宅の抽籤《ちゆうせん》に当らなかったら、というより、浦野が公団住宅の申込みなどをしなかったら、彼女は母親に能里子の面倒も見てもらってずっと勤めを続けていたはずである。2DKのコンクリート住宅と引換えに、波津子は「外の世界」を失ったのである。 「いつまでも女房《にようぼう》の実家に転がりこんだままではいられないだろう。黙って申込んだのは悪かったけれど、いずれはここを引越さなくちゃならないんだから」  と浦野は言い、理屈はまったくその通りだったから、波津子も、仕事を失うことについての苦情はその当座は口にしなかった。しかし、会社をやめてから半年近く、彼女の躯《からだ》は浦野に反応しなかった。拒みはしなかったけれども、子供を一人生んだ、結婚して四年|経《た》つ健康な女の正常な反応を波津子は示そうとしなかった。  それでやっと、浦野は波津子の痛手の深さに気づいたのである。気づきはしたものの、だからといって、もう一度、波津子に仕事をやり直させようという気は起らない。女房を家に置いておく気楽さを一度味わってしまうと、それをわざわざ変えるのも億劫《おつくう》で、ついずるずるとそれから二十年が経ってしまったのである。 「さっき文房具屋の娘に言われたんだけれど、猫捕りがこの辺をうろうろしているんだって?」  浦野はさりげなく話題を変えた。  駅前通りの文房具屋も猫好き一家で、金眼銀目の白猫と、大きな虎《とら》猫とがいる。おかみさんのほうが白猫を、出戻りの娘が虎猫を可愛《かわい》がっている。母親はどちらかというと無口のほうなのに、娘はお喋《しやべ》りで、浦野が顔を見せると必ず傍へ寄って来る。  文房具屋の三軒先の化粧品屋に二歳半の牝《めす》の白猫がいて、それが一昨日からいなくなっている。牝で避妊手術もしてあるし、これまでに家を明けたことは一晩もない。どうも猫捕りにやられたらしい。一週間ほど前からお馴染《なじ》みの野良《のら》猫が五、六匹、顔を見せなくなっている。ごそっと持って行かれたのじゃないかしら、と娘は浦野に声をひそめて言ったのである。 「猫捕りは夜明けに来るんだそうだ」 「あら、どうして?」 「どうしてだかは分らないけどね。とにかく明け方に車でやって来て、さーっと集めて引きあげちゃうらしい」 「さーっと集めると言ったって、野良猫なんてすばしこいからそう簡単には捕まらないでしょう」 「やっぱりマタタビを使うらしい。コーラの空缶《あきかん》か空壜《あきびん》にマタタビを入れ、そいつをダンボールの箱の中に放《ほう》りこむ。その箱を猫の通り道になっているあたりに、転がしておくんだって。猫は空箱や紙袋をみつけるとすぐ潜りこむ習性があるからね。まして、箱の中からマタタビの匂《にお》いがしてくれば間違いなく入ってゆくさ。猫が入りこんだところをすかさず蓋《ふた》をしめて閉じこめ、箱ごと車の荷台に放り上げるんだ。ガムテープでも貼《は》れば、もう逃げ出せやしない。一時間もあれば、五匹や六匹はすぐに捕まえられるそうだ」 「野良猫だけを捕まえるわけじゃないんですね」 「そりゃそうさ。猫捕りにしてみれば、飼猫のほうが皮が堅かったり傷がついていたりしなくてむしろいいぐらいじゃないか」 「そうねえ。三味線にするには白猫の皮が一番いいというし、牡《おす》よりは牝猫のほうがやわらかくていいといいますものね。野良猫よりは飼猫のほうがいいのでしょうね」 「飼猫でも、大人の猫よりは生後六カ月ぐらいのところが一番いいそうだ。だけど、今言ったような捕り方だからね。実際にはあれこれ選んで捕っていくわけじゃない。箱にもぐりこんだ猫は全部、無差別に持っていっちゃうんだ」 「じゃア、名札なんかつけてても駄目《だめ》なわけですわね」 「そりゃそうさ。とにかく、箱に入ったらおしまいなんだよ」 「ひどいわ」  文房具屋は猫好きの全国的組織である猫を愛する協会というのに加入しており、この辺の地区の支部長をやっていた。波津子も何度か入会を勧められたことがあるのだが、彼女も浦野もそういう組織に加わるのは何事によらず嫌《きら》いなたちなので、曖昧《あいまい》な返事しかしていなかった。その猫を愛する協会の機関紙にも、最近の猫捕りの跳梁《ちようりよう》についての情報が載っている、と文房具屋の娘は教えてくれた。  近頃《ちかごろ》、都内を荒しまわっている猫捕りは、名古屋方面から上京している一団らしい、という。愛知県の車ナンバーのトラックで、車体の色がグリーン、番号が××××番のが怪しいなどという投書も掲載されているのだという。そういう情報も入手できるのだから、会員になったほうがおとくですよ、と文房具屋は浦野にも熱心に入会を勧めたのだった。 「支部長というのもなかなか大変らしいね」  浦野は煙草《たばこ》に火をつけながら言った。 「先週の定休日は夫婦と娘さんと三人で、テレビ局へ抗議デモに行ったんだそうだ。協会本部から指令が来ると、支部長としては断われないものらしい。その日は本当はゴルフへ行く予定だったんだそうだが……」 「何の抗議デモ?」 「俺《おれ》も初耳だったのでびっくりしたんだけどさ。東陽テレビで、木曜スペシャルという番組があるだろう。ドキュメンタリーのさ」 「ええ、残酷シーンで評判になっているのでしょう。こないだは生きた猿《さる》の頭を割って脳味噌《のうみそ》を食べるシーンをやってたわ」 「その番組で、こんど『猫を食べちゃう鼠《ねずみ》クン』というのを放送する予定らしいんだ。『動物の世界も逆転の発想』というテーマでね。それがけしからん、というので抗議デモに行ったのだそうだ」 「ほんとうにそんなことってあるんですか」 「うん。それなんだよ。ほんとうにそういう鼠がいるのだったら、事実の報道だから文句をつけるわけにもいかないけれど、そうじゃなくて、『やらせ』だからひどい、と協会の連中は怒っているのだって」 「やらせ」というのは、演出効果を高めるために、事実ではない状況を作為的にこしらえることで、軽微なものは、ほとんどのドキュメンタリー・フィルムに常套《じようとう》的に用いられている。人々もあえてそれを咎《とが》め立てしようとはしないが、極端な事実|歪曲《わいきよく》をもたらす「やらせ」が決して少なくない。 「猫を食べる鼠」の場合もそうであった。これはテレビ局の社員からの内部告発で事前に猫を愛する協会のほうに分ったものなのだが、特殊な環境条件の下にそういう鼠が自然に発生したという事実や情報があったのではなく、プロデューサーの思いつきによって、そのような鼠を人為的に作り上げたのだという。  数十匹の鼠を捕え、これを餌《えさ》を与えずに監禁して飢餓状態に陥《おとしい》れる。そして、猫の生肉片を与える。しばらくの間は猫の生肉しか食べさせないでおき、その味に馴《な》れさせる。それからまた餌を与えないようにして、鼠たちを極端な空腹状態におき、ひ弱な仔《こ》猫を一匹、檻《おり》に投げ入れる。飢えた鼠の集団は、生きた猫を斃《たお》して食べることを覚える。このような訓練を繰り返して、鼠を狂暴化させた上で、こんどは大型の成猫を鼠の集団と対決させる。  猫と鼠の凄絶《せいぜつ》な死闘の結果、猫はついに斃され、鼠たちによって隈《くま》なく食い荒される。実は、その猫は爪《つめ》や牙《きば》を抜かれて戦闘能力を奪われているのであり、勝敗ははじめから明らかなのだが、そんなことは勿論《もちろん》視聴者には分りはしない。ショッキングな効果抜群のドキュメンタリー・フィルムがこうして出来上る。 「フィルムはほとんど出来上っており、あとは編集してオン・エアさせるばかりになっていたんだって。よろよろになった猫に鼠が歯をむいて飛びかかっていくクライマックス・シーンはかなりな迫力だそうだ」 「やめて!」  波津子は耳を両手で塞《ふさ》ぎ、悲鳴をあげた。  その時、玄関のブザーが鳴った。  波津子はこれさいわいとばかりに、浦野の前から逃げ去るように、廊下を走った。  ブザーを鳴らしたのはデパートの配送人だった。  厚手の文庫本ほどの小さな包みを持って、居間に戻《もど》って来た波津子は、 「パイちゃんの首輪でしょう、きっと」  と言いながら手早く包装を解いた。半月ほど前に、首輪を特別注文したことは浦野も聞かされていた。  浦野の家の内猫たちは、パイも、マミも、ウサギも、みんな首輪をはめている。名札をつけるためである。名札は真鍮《しんちゆう》製の小判型で、名前のほかに電話番号が彫りつけてある。たいていの者がこの名札を珍しがる。猫の首には鈴が相場で、浦野もこれまでに名札をつけた猫なんて見たことはない。  北島もパイの写真を見て、真っ先に目に止めたのが名札だった。 「おや、猫に小判かね」  と嬉《うれ》しそうに笑った。 「猫も犬みたいに鑑札制度になったのですか」  と本気で尋ねる者もいた。鑑札ではなくて名札なんだ、と言ってよく見せると、  浦野 パイ  と姓までちゃんとついているのに感心する。 「猫にも苗字《みようじ》があるんですか。昔の百姓や町人より偉いんだな」  などと大袈裟《おおげさ》なことを言ったりする。  浦野も実をいうと、はじめは、猫が飼主の苗字を名乗るものだという確たる認識はなかった。それを知ったのは獣医のカルテを見てからのことである。カルテには、  種類  猫  名前  浦野 パイ  とちゃんと記されてあったのである。  これぐらいのことは飼猫歴の長い人ならたいてい承知しており、従って、猫のネーミングも苗字との照応を考慮するのである。げんに、文房具屋の虎猫は「ゴロー」という名前であるが、文房具屋の苗字は野口というのである。  愛猫家の中には、首輪をつけることに反対の人がかなりいる。猫は実にさまざまなところを潜《くぐ》り抜ける。信じられないほど狭い穴にも彼らはあえて首を突っこんでいく。薔薇《ばら》の小枝が絡《から》みあって鉄条網のようになっているところでも、金網のフェンスのほんのちょっとした裂け目にも、猫たちは躯《からだ》を辷《すべ》りこませようとする。実際に、それは見事な身のこなしではあるのだが、そんな猫にとって命取りになるのが首輪なのだという。金網の引き千切れた鉄線の先端が鉤《かぎ》状に曲っていてそれが首輪にひっかかったりする。そのためフェンスの途中に宙吊《ちゆうづ》りになり、縊死《いし》を遂げるようなことが必ずしも珍しくないのだそうである。  文房具屋も首輪反対論者で、波津子は何度も忠告を受けた。猫を愛する協会の機関紙にも首輪のために飼猫を死なせた例がいくつも報告されており、それらも読ませられた。  それでも、波津子がパイたちに首輪をはめ、名札をぶら下げるのをやめないのは、スズコの哀れな死をその目で見ているからであった。  スズコは、コノコが死んで間もなく、庭に迷い込んで来た赤猫である。首輪をつけ鈴をぶら下げていたので浦野たちはスズコと名づけたが、かなりの老猫で、しかも相当長期間迷いつづけているとみえて、憔悴《しようすい》しきっていた。  見知らぬ土地に連れて行かれた猫が、元の棲《す》み家《か》が恋しくて、数百キロの道程をひとりで探し求めて旅をした、という話がよくあるが、スズコもそうした長い旅路の途中、健康を害し、帰巣本能の超能力もそこなわれて、行くべきあてを見失った猫なのではないだろうか、などと、浦野は波津子に言ったものである。  口から絶えず膿《うみ》を流しつづけ、余りの悪臭に他《ほか》の外猫たちも傍《そば》へ近寄らないほどであった。波津子が獣医に連れて行った時には、もう手の施しようがない状態で、その翌々日に血を吐いて死んだ。 「馬鹿《ばか》ねえ。鈴なんかつけてたって何もならないじゃないの。名札がついていて、電話番号でも分れば、飼主さんのところへ連絡して上げるのに」  波津子はスズコの死骸《しがい》にむかって掻《か》き口説いた。 「パイちゃんが万一、迷子になって、どこか見知らぬところで、スズコみたいな哀れな死に方をするかもしれないと考えただけでも、胸がきゅうっとなっちゃうんですもの……」  彼女はそう言い、誰《だれ》が何といっても名札をつけることに決めたのである。  文房具屋のおかみさんもしかし、なかなか執拗《しつよう》だった。彼女は、 「だったら奥さん、名札じゃなくて、幅の広い大きい輪ゴムを首輪がわりにさせたらどうですか。マジック・インキで輪ゴムに名前と電話番号を書いておくのですよ。そうすれば金網にひっかかった時でも、ゴムが伸びてすぽっと脱けますからね。首吊りにはならないわ」  と言って、輪ゴムを売りつけた。しかし、首輪のかわりに輪ゴムを首にはめて遊びに出かけたパイは、半日もしないうちに輪ゴムをどこかへ失《な》くして帰って来た。 「やっぱり、ちゃんとした首輪でなくちゃ駄目だわ」  波津子はもう誰が何と言おうと決心は変えないという顔をした。  しかし、ペット・ショップにも犬用の首輪は幾種類かあるが、猫用の首輪はほとんど見当らなかった。たまに見つけても、いかにも不出来な品で、それでも仕方ないから買ってつけさせていたのだが、どうしても気に入らず、誂《あつら》えて作らせることにしたのである。  首輪は白い革で出来ていて、ガラスの星が七つ鏤《ちりば》めてある。留め金は艶消《つやけ》しの銀色だ。濃いグレーのパイの首にこいつを嵌《は》めたらさぞや見事だろうと、浦野も一目見て、気に入った。生憎《あいにく》パイはどこかへ遊びに飛び出して行っており、今すぐ嵌めてみられないのが残念だが、嵌めた姿の素晴らしさは十分に想像できた。 「この首輪だったら、名札も今の真鍮のじゃなくて、銀色のにしたいな」  浦野がそう言うと「そう思ったからちゃんと名札のほうも頼んでおいたわ」と波津子は箱の中から薄く光るものをつまみ上げた。もちろん銀ではなく、アルミなのだが、正方形で厚味のあるその名札は光を撥《は》ね返して宝石のかけらのように輝いた。 「これはいい」  さいころを半分に割ったような形のそれを掌《てのひら》に乗せて転がしながら、浦野は長い時間見とれた。 「これなら十年でも二十年でも持つだろう。俺の最後の猫の頸《くび》を飾るにふさわしい」 「あら、最後の猫ってどういう意味? 私は、これはパイちゃん一代限りの名札にしてやりたいと思っているのよ。他の猫に引き継がせるなんていやよ」 「もちろんだよ。俺だってそう思ってる。最後の猫というのはパイのことさ。パイは俺にとって、最初で最後の猫であってほしい、と俺は願ってるんだ」 「そうねえ。猫の平均寿命は十二、三年というけれど、中には二十年以上生きる猫もいるというから。でも、これからパイが二十年生きてもあなたはまだ七十三だもの。まだお元気よ」 「そんなに俺は長生きしたくはないよ。人間なんて、せいぜい生きて七十ぐらいがいいところじゃないのか。今の日本人は長生きし過ぎる。老人ばかり増えて、新しく生れてくる生命をむやみに抑えつけようとしている今の状態は、先に生れた連中の、既得権擁護のエゴイズムだよ。平均寿命の伸びるのはめでたいことだとは必ずしも俺は思わない」 「でも、あなたは七十やそこらではとても仏様にはなれそうもないわね」 「じゃア、パイが死んだら、俺も首を縊《くく》るさ」 「いやですよ。変なこと言わないで」  波津子は本気で怒った顔をした。  首を縊るはもちろん冗談だが、パイと相前後して寿命を終え、ふたりで棺桶《かんおけ》に入れたら、という空想は、これまでに何度も、大真面目《おおまじめ》で、浦野はしているのである。  第十二章 死と生の衣裳《いしよう》  新しい首輪と名札を一刻も早くパイにつけて、きらきらと輝くその姿を見たいと、浦野も波津子《はつこ》もそわそわしているのに、パイは何処《どこ》へ行ったのやら、昼に鶏の笹身《ささみ》を皿《さら》いっぱい平らげて飛び出したきりである。 「ほんとうにしようがない子だわ。ちかごろのパイったら、うちには御飯を食べに帰ってくるだけで、食べ終ったらすぐ出て行っちゃうのよ。昼間はいったい何分間ぐらい家にいるかしら」  波津子は小学生の男の子を持った若い母親のような口ぶりだった。 「とんでもないところまで遠征するらしいわ。こないだも松の湯の横の、材木がいっぱい積んである蔭《かげ》からぴょこぴょこと出てきたのよ。それでも、そういう思いがけないところで、私をみつけると、ママ! ママ! と言って一散に駈《か》け寄ってくるのが可愛《かわい》いわ」  浦野はふっと笑った。 「なに? 何なのよ」  と波津子が膝《ひざ》をつついたが答えなかった。波津子は猫たちに話しかける時、自分のことを「ママ」と言う。浦野のことは「パパ」だ。その呼び方に誇張された甘さがある。嬉々《きき》とした感情が籠《こ》められている。  もう三年前になるが、三原の個展に招待されて波津子を連れて行ったことがある。会場を出てから波津子が最初に言ったのは、 「三原先生も奥様のことをママと呼んでらっしゃるのね」  ということで、絵の感想は後回しだった。  そう言われてみると、三原ばかりではなく、浦野の前後の年配の夫婦には、パパ、ママと呼びあっている者が多い。結婚したのが昭和二十年代で、アメリカの風俗、習慣がどっと流れこんできた時代だったせいもあるのだろう。たしかに、今の若い夫婦がごく自然にパパ、ママと呼ぶのとは違って、浦野の年頃《としごろ》の男女にとっては、「パパ」「ママ」という言葉には特別に強いイメージがある。それだからこそ浦野はその呼び方を嫌《きら》って、能里子《のりこ》にも禁じたのだが、そのことで、波津子には堰《せ》きとめられたものがあったのだ、と今頃になって浦野は気がついたのである。  電話のベルが鳴り、波津子が立ち上った。  二言、三言、親しげな口調で受け答えしているので、波津子への電話かと思っていたら、 「あなたに、よ」  と躯を斜めに開いて受話器を差し出した。 「国府津《こうづ》さんの奥さんから。何の御用なのかしら」  波津子は怪訝《けげん》な顔をむけた。 「うむ」  曖昧《あいまい》な返事をして、浦野は上体を椅子《いす》から起した。彼にも、国府津信子が波津子を通してではなく、彼に直接、どんな用があるというのか見当もつかない。まして、波津子が不審に思うのは無理もない。  ネコカンの運搬を手伝った時、信子の家に上りこんで、ビールを飲みながらいろんなお喋《しやべ》りをしたことを、浦野はそれが別段、波津子に秘密にしておかねばならないようなことではなかったにもかかわらず、なんとなく言いそびれてしまっていた。従って、北島が信子の従妹《いとこ》の夫であるという偶然の機縁についても波津子に話す機会を逸していた。  信子の電話は、北島の急死を知らせるものであった。新聞社のほうに電話したらお休みだと聞いたので、という信子の言葉に、浦野は反射的に「自殺?」と聞き返し、なぜそんな風に思ったのか、自分でも驚いた。 「いいえ。交通事故ですわ。トラックにはねられて……」 「いつですか」 「きのうの夜だそうです。永代橋の先のほうで……」  北島が隅田川《すみだがわ》の向うのほうに縁があるという話は一度も聞いたことがない。いわゆる土地鑑《とちかん》のない場所だ。そんなところへどうして行ったのだろう。 「もしもし、聞えますか」 「ええ。聞いています」 「きょうお通夜なんですけれど、私は行かないつもり。でも、一応お知らせだけはしておこうと思って。浦野さんはいらっしゃる?」  信子の声はいやに馴《な》れ馴れしく、浦野にもお通夜なんか行かなくてもいいわよ、と言っているみたいに聞えた。 「告別式には、私、行きます。明日の三時からだそうです」 「はあ」  浦野は茫然《ぼうぜん》として受話器を置いた。瞬間、ずっと以前にも全く同じように信子からこんな電話を受けたことがあったような気がした。もちろん、錯覚である。 「どなたか、亡《な》くなったの?」  波津子がおおよその気配は察したらしく尋ねるのへ浦野は「キタさんが死んだ」と呟《つぶや》くように言い、通夜には行かない、と付け加えた。  突然の死は、人に悲しみよりも混乱を与える。その混乱に対処するために、人はかえって冷静に振舞おうとすることが少なくない。今の浦野がそうだった。告別式なら口をきかなくても済むが、通夜では一通りの挨拶《あいさつ》をしなくてはならない。北島の女房《にようぼう》なんかと今は口など利《き》きたくない気持だし、通夜と告別式と、二度もあんな女の顔を見たくない。通夜に行かない理由を浦野は波津子にこんな風に説明した。 「北島さんの奥さんをどうしてそんなに憎んでいるの」  波津子は首をかしげた。浦野は会社のことや職場の人間のことなど、外での出来事を家でわりに話すほうである。波津子が同じ新聞社に勤めていたことがあるので話が通じやすいせいもあった。だが、北島が猫が原因で妻と別居していることはまだ話していなかったことに気づいた。それは国府津信子から聞いた話なのであり、信子の家でビールを飲みながら彼女と話しこんだことを隠している以上、そのことを家で話題にするわけにはいかなかったのである。  怪我《けが》をした猫の治療費が高過ぎるといってすぐに殺させた綾子《あやこ》の話を改めてすると、それには、波津子も呆《あき》れ、憤慨して、 「奥さんのほうが交通事故に遭ったのなら、その猫の祟《たた》りということになるのだけれど……」  と北島の不運に同情した。 「どんな奥さんかしら」 「俺《おれ》も会ったことはないけど、どうせぎすぎすした般若《はんにや》みたいな女だろう」  意地の悪い憎まれ役を専門にやっているテレビ女優の名を浦野は言った。口に出してみると、尚更《なおさら》、その女優にぴったりのように思えた。 「キタさんは女房に殺されたようなものだよ」  何気なく浦野はそう言ったが、後になって、それは満更当っていなくもない言葉であることが分った。北島が永代橋に出かけたのは猫を貰《もら》いに行くためだった。ヨサクを死なせてから北島は猫を新しく飼うことを拒否しつづけていた。猫を死なせる辛《つら》さを二度と味わいたくない気持からでもあったが、それよりも彼は綾子が戻《もど》ってきてくれることを強く望んでいたそうで、そのためには猫を諦《あきら》めるしかなかったのだ。  妻と別居し、愛すべき猫も身辺におらず、同居している息子とはほとんど口もきかず、北島がどんなに荒寥《こうりよう》とした日々を家で過していたか、浦野には容易に推察できた。そんな北島が突然、猫を貰うことに心を変えたのはどんな事情があったのだろうか。多分綾子との間に、決定的なことが生じたのであろう。北島は猫を抱いたまま、全身打撲で死んでいたのだという。  波津子が勤めていた頃、勿論《もちろん》、北島もいたわけだが、北島の顔の記憶はない、と波津子はいう。しかし、浦野からいろんな話を聞かされているので非常に近しい意識はあった。 「運の悪い人も多いものね」波津子は感情を籠めて言った。「あなたなんかむしろ運のいいほうじゃないかしら」 「うん」 「俊彦《としひこ》だってあんなことになったし、大滝さんや千倉さんのような気の毒な人もいるし……」  俊彦は波津子のすぐ下の弟で年は二つ違う。彼女はこの弟と一番気が合っていたようだ。小学校の頃、波津子は女の子なのに「サムライ」という仇名《あだな》をつけられていた。眉《まゆ》が太く釣《つ》り上っているのが、活動写真の侍のようだったのと、気が強く、男の子に負けないくらい腕白だったところからつけられたものだった。  俊彦のほうは波津子とは対照的に、優しい気立てで、色も白く、女の子のような顔をしていた。そのかわり腕っ節は弱く、よくいじめられた。そんな時、いつも俊彦をかばい、助けるのが波津子の役割で、俊彦はしょっちゅう気の強い姉のあとをくっついて歩いた。中学生になってから彼は、波津子に対してむやみにさからうようになったが、それも親愛の裏返しであっただろう。  薬科大学を出て大手の製薬会社に就職した俊彦は、生真面目《きまじめ》過ぎる性格から会社の商業主義をむきになって批判するなどのことがあり、一年余りで職を失うことになった。その後、幾度か蹉跌《さてつ》を繰り返した彼の人生にやっと平坦《へいたん》な道が見えてきたのは四十歳を過ぎてからのことだ。三十代の半ばから東洋医学に傾倒するようになった俊彦は経絡治療《けいらくちりよう》の実技者として生計を立てるかたわら、現存する最古の中国医書である「素問《そもん》」の研究に取り組んだ。「素問」は荻生徂徠《おぎゆうそらい》をはじめ何人かの研究者による論考がなされているが、偽書ではないか、という疑いもあることなどから、謎《なぞ》の古典と呼ばれているものである。  俊彦の素問研究は従来の諸論とは違った見方を示したもので、はじめの頃は高い評価を受けることがなかったが、東洋医学界の長老の一人である永峯敬以《ながみねけいい》の強い推輓《すいばん》によって、にわかに光を当てられることになった。学会誌に矢つぎ早に発表される彼の論考は注目を浴び、一方、自宅での鍼灸《しんきゆう》治療も見違えるように繁盛した。施療室を建増すと、ちょうどそれが完成した祝いをやっている最中に、前々から下話のあった大学の講座を持つ件が本決りになったという電話が来る、といったあんばいで、彼の後半生は何もかもがうまく運ばれていくように見えた。  そうした矢先、俊彦は突然、倒れた。働き過ぎたんですよ、と医者がはじめに言ったのは気休めで、彼は入院してからわずか半年で不帰の人になった。病気は癌《がん》だった。まだ四十四歳二カ月の若さだった。  大滝と千倉は浦野の中学時代の友人で、共同で貿易の仕事をやっていた。台湾の高雄《たかお》に養鰻《ようまん》池を作り、鰻《うなぎ》の稚魚を日本へ輸入する仕事がわりに当ったらしく、旅費も何もかも持ってやるから一度台湾へ遊びに来いと浦野は彼らから誘われていた。この二人が飛行機事故に遭ったというニュースを知ったのは、偶然のことだが、俊彦の初七日の夜だった。高雄から台北へ向う飛行機が着陸寸前に墜落したのである。  俊彦が死んでからまだ二年半にしかならないが、その二年半の間だけでも、まだ他《ほか》に幾つもの不幸な知らせを浦野は聞いている。  浦野は二年ほど出版局に配属されたことがあるが、その頃親しくしていた松根という男が癌で死んだ。やはりその頃、仕事上で接触のあった下請けのグラビヤ印刷会社の男が国電に飛込み自殺をした。訃報《ふほう》ではないが、社に出入りの古い速記者が両眼失明して施設に収容された。  彼らは癌や事故で死んだのではなく、「運の悪さ」で死んだのだ、と浦野は思わずにはいられない。彼は波津子に答えて、 「俺も近頃は、自分は案外運のいいほうじゃないかと思っている」  と言った。  若い頃は、どんな戦争をさせられても絶対生きて帰ってやる、と突っ張った思いを持ったこともあるが、実際に戦場に放《ほう》り出されてみると、そんな気負いがどんなに無力なものであるかを思い知らされただけであった。今日まで自分が無事に生きているのは、単に運のよさのせいだとしか思えないのである。  波津子は、うん、うん、と頷《うなず》きながら浦野の感慨を聞いていたが、ふっと思い出したように、 「それはそうと、あなたの『言いそびれ』も久しぶりね」  と皮肉な笑いを頬《ほお》に浮かべた。国府津信子とのことを言ったのである。 「あれは言いそびれたんじゃないよ。単に言い忘れただけだ」 「そうかしら。私にはそうは思えないけど」 「ほんとだよ。ほんとに言い忘れだってば」 「ほら。そうやってむきになるところが怪しいのよ」  浦野と波津子の間では「言いそびれ」という言葉は、浦野の不料簡《ふりようけん》を意味するものとして使われているのである。  波津子の三十歳の誕生日に、浦野は能里子《のりこ》を実家に預け、波津子と二人だけで銀座のレストランで食事をした。竣工《しゆんこう》したばかりのビルの最上階にあるイタリア料理店は波津子が希望した店だった。黒い服を着たウェイターが慇懃《いんぎん》に案内してくれるテーブルの上には、キャンドルが点《とも》され、バンド演奏は地中海風のメロディーを掻《か》き鳴らしていた。女性好みのムードを売り物にしているらしく、女客の姿が目立った。男は例外なく女連れだった。  革表紙の大きなメニューを拡《ひろ》げて眺《なが》めつづけている波津子に浦野は、 「オーソ・ブッコがうまいよ」  と勧めた。仔《こ》牛の脛肉《すねにく》を赤葡萄酒《あかぶどうしゆ》で煮込んだものである。波津子は頷いて、ウェイターに注文を通してから、 「このお店、いらしたことがあるのですか」  と浦野を睨《にら》んだ。野蛮な新聞記者どもが飯を食べに来るような店ではない。浦野がここへ来たことがあるとすれば、女連れ以外には考えられないし、それも仕事に関連して、ということはまずあり得ない。  波津子の推察通りであって、十日ほど前に浦野はその店で女と食事をしたのである。女は東京へ出てきてまだ一年にならない絵描きの卵であった。飯を食ったあと一軒酒場へ寄って別れた。女は「会社へお電話していいですか」と言って、浦野の目の前で手帳に電話番号を書き写したが、それきり音沙汰《おとさた》はなかった。浦野のほうから連絡をとってみるほどの気もなかった。ただそれだけのことである。ことさら女房に隠し立てするほどのことではないのだが、と言ってわざわざ報告することもない。つまり、それが言いそびれる、ということなのだろう。 「疚《やま》しいことがなければ言いそびれることはないでしょう」 「言い忘れたんだよ。なんとなく、さ。誰《だれ》にだって、そういうことがあるじゃないか」  と浦野は弁解したが、それから間もなく、その絵描きの卵の女とはずみでホテルへ行く破目になった。一夜きりのことだったが、それが露顕した。結果的に、イタリア料理店の件は、言いそびれたことになった。  その後も、同じような、ばつの悪い結果になったことが何度かあり、波津子は、浦野の様子に女房の直感で胡散《うさん》くさいものを感じとると「あなた、また何か言いそびれていることがあるんじゃない?」と釘《くぎ》をさすようになった。  四十も半ばを過ぎてからは浦野の生活にそうしたことはなくなったが、今でも波津子は、「私に見つからずに済んだ『言いそびれ』も何度かあるでしょうね」と浦野をからかうことがある。  国府津信子とビールを飲んでほんの三十分あまりお喋《しやべ》りをしたことをなぜ波津子に言いそびれたのか、浦野自身も不思議に思う。女と知りあえばすぐに何かを期待する年齢は疾《と》っくに過ぎているのだし、それを超えて、特別に牽引《けんいん》されるものを国府津信子に感じたという自覚もない。しかし、彼女とのことは率直に振りかえってみて波津子が素早く指摘した通り、「言いそびれ」たのに違いないと浦野には思われるのである。  北島の家は東京都下西郊のニュータウンの中にある。五年前に、住宅公団が分譲した土地を買って建てたプレハブ住宅である。二時少し前に社を出た浦野が北島の家に着いた時にはもう三時をまわっていたがお坊さんの到着が遅れているとかで、まだ焼香ははじまっていなかった。参会者たちは道路の両側に黒い鳥の列のように並んでいる。待たされているわりには苛立《いらだ》った表情はあまり見られない。花曇りの、申し分ないうららかさのせいであろうか。  浦野は国府津信子の顔をすぐに見つけた。信子のほうは浦野が傍《そば》へ寄って声を掛けるまで気がつかなかった。あとで、彼女は「ひどい近眼なんです。コンタクト・レンズは性《しよう》が合わなくてとても痛むし、眼鏡は似合わないし……」と弁解した。 「昨夜は、わざわざお知らせを頂いて、有難うございました」  浦野は頭を下げて挨拶《あいさつ》をした。信子は無言のまま会釈を返しながら躯《からだ》を少しずらして、列の間に隙間《すきま》をつくり、浦野を自分の隣に割込ませた。彼女は裾《すそ》の長い黒い服を着ていた。躯の線をそのまま見せるような柔かい生地のその服は、喪服の多くがそうであるように顕示的であった。  ネコカンを受取りに、五扉《フアイヴ・ドア》の車を運転してやって来た時には彼女は洗いざらしのジーンズを穿《は》いていたし、家の近くでばったり遇う時は、たいていお化粧気もない普段着姿だったから、きょうの信子は浦野には別人のように見えた。彼は信子の斜め後に位置して、彼女の躯を何度も偸《ぬす》み視《み》た。  予定の時刻より三十分も遅れて僧侶《そうりよ》たちが到着し、葬儀がはじめられた。葬儀屋が失った時間を取り戻すために、 「一回焼香でお願いしまアす」  と焼香の列をせき立てた。そうでなくても痺《しび》れを切らしていた参会者たちは足どりを速め、行列は蛇《へび》のように揺れた。 「右側のあの人が……」  北島の妻の綾子か、と浦野は信子に小声で尋ねた。信子は黙って頷いた。それは坐《すわ》っている位置からも分り切ったことなのに、それでも尋ねずにいられなかったのは、綾子があまりにも美しい女だったからである。それは普通の美しさではなかった。平凡な勤め人の妻にはまったく似つかわしくない種類の美貌《びぼう》なのである。浦野は、驚くというよりも呆《あき》れたいような気持になった。単に顔立ちが整っているというばかりでなく、モデルとか女優とかなどの特別の職業から生ずる洗練があった。しかし、彼女にそういう種類の経歴はないのである。何処《どこ》から綾子はこのような洗練を得たのだろうか。  この異様な美しさだけでも、綾子は北島の妻としてふさわしくない女だと言えた。北島と綾子が結婚したのがそもそも不条理なことだったのだ、と浦野は思った。 「小よし」の女将《おかみ》のよし枝を北島は「このママにおれはちょい岡惚《おかぼ》れなんだ」と言って浦野に紹介したが、あれは満更冗談でもなかったのかもしれない。綾子は媾合《こうごう》の最中ですら自分の美貌を意識せずにはいられないような女にちがいない。そんな女を妻にした男の気の重さが、浦野には分るような気がするのである。  国府津信子が綾子に敵意を抱くこれが一つの理由でもあろう、と浦野は信子を振返り、二人の女を見くらべた。綾子は喪服に包まれて、いかにも慎ましげであった。涙もこぼさず、嗚咽《おえつ》することも一度もないのだが、それがかえって深い悲しみを耐えているように人々の眼には映るだろうと浦野には思われた。傷を負った猫を事もなげに殺させる無慈悲さを彼女はどのようにして身につけたのだろうか。不敵な美しさであり、慎ましやかさであった。女はほんとうに姿形では分らない。国府津信子にしてもそうだろう。世間に曝《さら》している彼女の姿は、凡庸だが何の屈託もない中流家庭の主婦である。彼女の心をわずらわしているのは、彼女が愛してやまない猫を夫が少しも可愛《かわい》がろうとしないことと、近頃《ちかごろ》、少し体重が増えてきたことぐらいのものだと、当人すらも思っているかもしれないが、彼女自身、気もつかない深いところで、どんな不逞《ふてい》な思いを育《はぐく》んでいるか分りはしないのである。  焼香が終って、そのまま帰って行く人も多かったが、浦野は出棺《しゆつかん》を見送るために待っている人々の群れの中に加わった。信子も一緒だった。 「あなたは火葬場までいらっしゃらないんですか」 「ええ。私はここで失礼させていただいて、帰ります。浦野さんはこれからもう一度会社へお戻《もど》りになるの?」 「いえ。戻りません。まっすぐ家へ帰ります。ご一緒に参りましょう」  空の光が仄青《ほのあお》く薄れてきた。時計を見るともう四時半だった。火葬場に向う霊柩車《れいきゆうしや》が出るまでもう少し時間がかかるだろう。それから社へ戻ってみても仕方ないのだった。  霊柩車を見送って、やっと人の群れは崩れた。長い緊張と沈黙から解放されて、急に人々の話は声高になった。笑い声も聞えた。新しく舗装されたばかりの道路に淡い影を曳《ひ》きずりながら、人々はのろのろと駅へ向って歩いて行った。その中にまじって、浦野と国府津信子は夫婦のように寄り添って歩いた。 「ことしになってからこれでもう葬式が四回です。いや、五回だ」  浦野は指を折って数えながら言った。 「私は二回」 「猫もよく死ぬが、人間もほんとうによく死ぬものですね」 「それでいいのじゃないかしら。他の動物がみんな死んでいくのに、人間だけが生き残って、地球上が人間ばかりになってしまったら恐ろしいことですもの」 「どうして人間ばかりだと恐ろしいのですか」 「猫への愛、馬や犬や鹿《しか》や兎《うさぎ》や、この世界にいっぱいいる動物たちへの愛がなくなって、人間同士の憎しみや怨《うら》みや葛藤《かつとう》がはびこることになるじゃありませんか」 「…………」 「浦野さんはそうお思いになりませんか」  信子から逆に訊《き》き返されて、浦野は返答に窮した。このような性質の会話を日常的にすることに彼はあまり慣れていない。しかし、信子の言おうとしていることは分るような気がした。  人間同士の、男と女の交わりを、人々は簡単に「愛」と呼ぶが、ほんとうにそう呼べるだけのものがどれくらいあるか、甚《はなは》だ疑わしい。早い話が、浦野が波津子に言いそびれた何人かの女たちとの関係にしても、愛などと呼んではそれこそ当人同士が気恥ずかしくなってしまうような類のものだったろう。  親子やきょうだいや友人同士の間における愛についても同じことがいえよう。人間というやつはこれで結構複雑な仕組みになっているので、知識や習慣やその他の夾雑物《きようざつぶつ》が多い。それを愛と取り違えて勝手に思いこんでしまうような場合が少なくないのであって、両者の関係を丹念に漉《こ》してみれば、愛なんて一かけらも残っていないことに気づいてがっかりするのである。  腹の底では損得勘定しかないような女が、愛しているの、いないの、と途方もないことを言うのを浦野も何度か聞いて、馬鹿《ばか》らしいと思ったことがある。平凡な嫉妬《しつと》感情を愛と錯覚する女に至っては一山幾らで売るほどいるだろう。男だって同じことだ。  その点、虫や小鳥など単純な生きものを相手にした愛は分り易《やす》い。余計な混り物がない分、正味のところがはっきり見えるのである。単純ではあるけれども、純粋であることだけは保証できる。  三原の友人の画家で蠅《はえ》を飼っている男がいる。その話を浦野が聞かされたのは、まだパイを貰《もら》う前のことで、浦野には単なる滑稽話《こつけいばなし》としてしか受入れることができなかった。 「どんな籠《かご》に入れるんですか」 「いや、籠なんかに入れたりしませんよ。放し飼いです。番《つが》いで、二匹いるんですが、たいてい天井《てんじよう》に止まっている。呼ぶと、すうっと舞い下りてくるんです」  大きさは同じくらいだが、片方が縹緻《きりよう》が悪いから見分けがつくのだ、とその画家はいい、名前もちゃんとつけてあるのだ、と自慢した。雄がタローで雌がハナコ。蠅自身も名前を聞き分けているようだ。食事の時には、画家が小皿《こざら》に取り分けた御馳走《ごちそう》の上には止まるが、画家や家族の皿には決して止まらないのだという。 「ほんとうに賢い蠅なんだよ」  という画家の話を浦野は法螺話《ほらばなし》と思い、その限りではおかしみも感じられたのだけれども、その後、単純にアハハと笑ってしまってはいけない話なのだと気がついた。  蠅のほうには飼われているなどという意識は決してないだろう。それなのに、画家は、心から蠅を飼っていると信じこんでいる。これくらい一方的な愛はないのであり、もちろん損得勘定など微塵《みじん》もあるわけがない。 「天井の同じ位置に止まっているからといって、その蠅が去年の蠅と同じ蠅だという証拠なんてないじゃないか、なんて言う奴《やつ》がいるけれど、僕《ぼく》には絶対分るんだ。顔だって、翅《はね》の震わせ具合だってちゃんと特徴があるんだから」  と一所懸命に語った画家の言葉を、後になって何度も思い出し、思い出し、しているうちに、だんだん画家の心が理解できてき、海坊主《うみぼうず》のような傲岸《ごうがん》な風態のその画家に、浦野はすっかり親しみを感じてしまった。  人間を愛することはもちろん素晴らしいことだ。男女の本当の愛も美しいものだ。しかしそれは大変高級なことでもあって、浦野のようなぶきっちょで粗放な男には、いきなり会得しようとするのは無理なのである。  動物への愛は、愛の入門|篇《へん》とでもいおうか。ピアノでいえば練習曲である。それによって、ピアノの鍵盤《けんばん》や音色に馴染《なじ》み、しだいにすぐれた曲を手がけるようになっていくのである。  もし、この地球に動物たちがいなくなったら、多くの人々が愛を学ぶ手がかりを失ってしまうにちがいない。信子の言っている意味とは少し違うかもしれないが、浦野もまた、動物たちが死んで、人間だけが生き残るのは決して好ましいことではない、と思わずにはいられないのであった。  パイがやって来てから、非常に多くのことを浦野はパイによって教えられた気がする。  気障《きざ》な言い方になるが、パイを通してすべての猫を、猫を通してすべての動物たちを、さらに樹々《きぎ》や花たちを愛するようになった、と思う。それはこれまでの浦野にもっとも欠落していた心なのであった。  以前は、迷い犬を見ても、ただ、犬の姿が網膜に映ったという、それだけのことでしかなかったが、近頃は足をとめずにはいられない。一時的に鎖がはずれて飛び出しただけ、といった様子の迷い犬ならそんなに心配はしないが、毛も汚れ、躯《からだ》も痩《や》せて、もう何日も迷いつづけているらしい迷い犬を見ると、あと何日間、いや、何時間そうして生きていられるか、と胸がしめつけられる思いがする。猫と違って、この大都会では、鎖に繋《つな》がれていない犬は、間違いなく捕獲され、薬殺される運命にあるからだ。  目前に、そういう運命の存在を知りながら、それに対してどうする手立ても持たない自分のことを情ないとも滑稽だとも思う。すると、どうしても足がとまってしまう。人間は野良《のら》犬を撲殺《ぼくさつ》していいという権利をいったい誰《だれ》から貰ったのだろう、などと考えこんでしまったりする。  世の中には無力な者が実に沢山いるが、力を持った連中は無力な者に対していかに傲慢なものかということなどを身にしみて感ずるのである。  浦野は、長い間、自分は不遇で無力な存在だと思いこみ、それで随分ひがみもしてきたのだが、浦野の無力さなどなにほどのものでないことが生きものの世界を眺《なが》めればつくづく分る。弱い獣やか細い草などが地球の上にはいっぱい生きていて、ほとんど目もくれられない。浦野にしても、自分の不運を嘆くことばかりに熱心で、自分以上の不運、無力の者のことを慮《おもんぱか》ろうとは、長い年月の間、しなかった。彼もまた傲慢だったのである。  そうしたことを浦野に気づかせてくれたのがパイなのだ、と彼は思うのである。  夕方、郊外の住宅地から都心へ向う電車は高校生の姿が目立つ程度で、空いていた。浦野と信子はちょうど坐れて、長い間立ちつづけていた足の疲れを休めることができた。電車が新宿に近づいた時、浦野は思いついて、 「僕は失礼して新宿で降ります。精進落しをしてから帰ります」  と言った。国府津信子は「あら」と笑い、暫《しばら》く考えてから、 「私もご一緒しようかしら」  と首を傾けながら言った。  新宿駅はもう夕方のラッシュだった。その波のうねりに逆らって階段を降り、改札口を出るまでには幾度となく人とぶつかった。地上に出ると、すっかりはまだ昏《く》れきっていない街に、気の早いネオンやイルミネーションが煌《きらめ》いていた。女性と連れ立って、この街の舗道を歩くのは何年振りのことだろうか、若い、というより、今の浦野の目には稚《おさな》いとさえ映る年頃の男女がこの街の土着の人間のような貌《かお》をして歩いている。一見して、能里子《のりこ》よりも若いと分る娘たちも多い。浦野が波津子と一緒に酒を飲み歩いていた時分にはまだこの世に生れてもいなかった者たちなのだと思えば、感慨を禁じ得ない。ふと異国の街に迷いこんだような気さえする。  酒を飲ませる店の数も何百、いや、千を超すことだろうが、その中で浦野が知っているのはほんの数軒であった。しかし、若い頃のように、馴染みでない店にいきなり飛び込んで飲むのは気ぶっせなのである。国府津信子が浦野の途惑いを察したように、居酒屋のような店でも一向に構わないと言ってくれたので浦野はほっとした。と同時に、信子の内側を覗《のぞ》きこんでみたい好奇心を覚えた。普通の主婦はもっと鈍感なものである。  東北地方の郷土料理を名物にしている居酒屋の暖簾《のれん》をくぐった。入れ込みの座敷の隅《すみ》のテーブルがうまい具合に空いていて、浦野たちは、他の客を一番意識しなくていい場所に坐ることができた。 「綾子《あやこ》さんて綺麗《きれい》な方だったでしょう」  と信子が言った。浦野は曖昧《あいまい》な頷《うなず》き方をしてみせただけで黙っていた。 「おかしかったわ」 「…………」 「会社の方たち、といっても男の人たちだけだけど、みなさん、綾子さんの顔を見ては、ええッ、というような顔をなさるんだもの」  信子は声を立てて笑った。 「こんな美人の奥さんを残して死んだのでは北島さん成仏できないんじゃありませんか、化けて出てくるのじゃないか、なんて話してらした方もいたわ」  北島が妻と別居して、離婚直前の状態にあったことは、社の人間はおそらく誰も知らないはずであった。 「お前、立候補したらどうだ、なんて不謹慎なことをおっしゃっていた方もいらしたわ」  それは浦野も聞いた。新聞審査委員会の古手だった。言われたほうの男は去年|女房《にようぼう》を病気で死なせたばかりだった。 「男の人って、綾子さんみたいなタイプがみんな好きなのかしら」 「みんな、ということはないでしょう」 「そうかしら」 「美人ならどんなのだっていい、というほど見境なくはない。男にだって自分の好みというものはありますよ」 「浦野さんは?」  否《ノウ》という答を予期、というより強制するような言い方だった。浦野は、 「僕は、彼女が猫を殺させた話を知っていますからね」  と言った。 「でも、そういうことは結婚して二十年近くも経《た》たないと分らないのだから困るわね。北島さんは、綾子さんにプロポーズした時、自殺騒ぎまで起したんですって。もっとも綾子さんの話だから大袈裟《おおげさ》に言ってるのかもしれないけれど……」  二十代の綾子はどんな美貌《びぼう》だっただろう、と浦野は想像してみる。気性はどうだったのだろうか。人からちやほやされることだけが自分の人生だと思いこまされるように育ったに違いない。そんな娘に惚《ほ》れてしまったら、男はつらいことになる。自殺騒ぎは本当なのだろう、と思った。  国府津信子はほんとうに酒が嫌《きら》いではないようだった。浦野と変らないくらいの早いピッチで盃《さかずき》を空け、目もとを赤くした。身のこなしが急にやわらかくなっている。 「そんなふうにして結婚しても、男の人ってやっぱり浮気《うわき》するのかしら」 「さあ」 「新聞記者ってバーの女のひとなんかにはもてるんでしょう。手も早いという話だし……」 「そんな……」  テレビ・ドラマみたいなことはない、と浦野は苦笑した。北島は、浮気なんかしたことはないのではないか、と浦野には思える。それは男同士でちょっと深く付きあえば見当がつくことで、多分、はずれてはいないだろう。 「北島は浮気なんかしなかった、と思いますよ」 「男の人って、そういうことになると必ずかばいあうのね。結局は自己防衛のためなんでしょうけれど……」 「そんなことはありません。北島はしていないだろうと言っただけで、男がみんなそうだとは言ってませんよ」  北島が社内では偏屈者扱いされるくらい生真面目《きまじめ》な性格であり、潔癖感の強い男であることを浦野は話した。結婚した時も多分童貞だっただろうし、おそらく妻以外には女は知らないのではないか、とも言った。 「じゃア浦野さんは?」 「うちの女房は北島夫人のような大美人じゃありませんからね」 「あんなこと言って……。浦野さんだって浮気なんかなさるようには見えないわ」 「どういう意味ですか。僕が女にもてるわけがない、ということですか」  浦野は笑いながら腕を伸ばして、信子の盃に酒をついだ。葬いの緊張がすっかりほぐれた感じだった。 「僕は北島のような正義派じゃありませんからね。女房を欺《だま》しもしたし、随分苦労もかけましたけど、死ぬ時だけは女房孝行をしてやりたいと、これだけは本気で思っているんですよ」 「…………」 「自分の意思でどうこう出来るということではないから、神様にお願いするより仕方ないんだけれど、出来ることなら、死ぬ時は、一カ月ぐらい床について、女房に十分看病して貰ってから死にたいと思っているんですよ」 「それが奥さん孝行なんですか」 「そうですよ。交通事故とか心臓|麻痺《まひ》とかでぽっくり死ぬのは、本人はいいかもしれないが遺された者が途惑ってしまう。よくない死に方です」 「…………」 「苦しまずに楽に死にたいというのは人間のエゴイズムです。死ぬ前の一カ月や二カ月は病床でうんうん苦しんで、女房に世話を焼かせるべきです。そうすれば、女房も、あれだけ看病して上げたのだから、と得心するんですよ」 「でも、そういう男の人の思いやりが分る女ばかりじゃないでしょう。綾子さんなんか、北島さんがいい死に方をしてくれたと内心は思っているのじゃないかしら」 「焼け肥《ぶと》り」という言葉があるが、綾子の場合はローンで建てた家は保険に入っているので、残債が帳消しになるし、その他《ほか》にも事故の賠償金や生命保険の金が入って、綾子はちょっとした俄《にわ》か大尽になる。それも愛している夫が死んだのなら銭金《ぜにかね》に替えられない心の痛みが残るが、それもない。その上、看病の苦労もないなんて、あんまり話がうますぎる。綾子はこのような御利益を受けるに値するどんな功徳《くどく》をこれまでに施してきたというのか、と信子は浦野が鼻白むくらい率直過ぎる言い方をした。  死んだ当人すら想像もしなかったような大きな金が、死に方によっては転がり込んでくる。それは現代社会の奇妙な仕組みでもあるのだが、その金を、夫を愛そうとしなかった妻と父親を軽蔑《けいべつ》してはばからなかった息子や娘たちが山分けして北叟笑《ほくそえ》むのかと思うと、いかにも不条理に思える。若い時の浦野だったら世の中が間違っているのだと思ったにちがいない。しかし、今の浦野は、これを神様の手落ちだというふうには考えないようになっている。  居酒屋を出てから、もう一軒だけ寄ろうと浦野は信子を誘った。 「ちょっと飲み過ぎたみたい」  信子は頬《ほお》を両掌《りようて》で抑え、躯をちぢめるようにして立ちどまった。それは誘いに応ずることを躊躇《ちゆうちよ》している姿勢であった。浦野は彼女の肘《ひじ》を掴《つか》み、強く誘った。居酒屋で席を立つ時、信子がよろめきかけたのを浦野は支えた。その時の生温かく柔かい感触に、彼は思いがけなく烈しい感情を味わった。大袈裟にいうと、それは「生」の実感であった。彼は数時間前の葬儀の眺めを思い較《くら》べずにはいられなかった。読経《どきよう》や香煙や人々の敬虔《けいけん》な所作など、死を演出する数多くのものがあったにもかかわらず、そこには「死」の実感がなかった。それなのに、中年の女の生身の躯への、ほんの一瞬の接触には「生」の実感がある。その違いは何なのだろうか。今の浦野の眼《め》には、信子が纏《まと》っている黒い衣裳《いしよう》は死者へのものではなくて、彼女の「生」を際立《きわだ》たせるための装いとしか見えなかった。もう暫くの時間、彼女と一緒に過したいと思う気持を押えきれなかった。  ガス燈を擬した軒燈が少しかしいでぶら下っている地下の小さな酒場に入った。最近は足が遠くなっているが、二十年近くも通っている古い馴染みの店だ。 「変ったお店なのね」  信子が珍しそうに店内を見まわした。人の目を惹《ひ》くような装飾など一つもない平凡な造作の店なのである。二十年前にはこんな店は何処《どこ》にもあった。しかし、それらの店のおおかたは時勢に応じた改造を度々繰返し、昔の俤《おもかげ》はすっかりなくなっている。この店だけが変らない。才槌頭《さいづちあたま》のバーテンも、二十年前と同じ顔をして、同じ手つきでカウンターを拭《ふ》いている。その変らないところが新しい客には変っているように見える。そういうところが世の中の面白《おもしろ》いところだと、浦野はふっと笑った。信子は自分の何かを浦野が笑ったのかと思ったらしく、咎《とが》めるような目で浦野を見た。 「兵隊で、蒙古《もうこ》に行っていた時だけど、軍用の輸送トラックで山の中を運ばれたことがありましてね」  浦野は信子を見返して話しかけた。 「旅団司令部のある張家口という町から山奥の駐屯地《ちゆうとんち》まで輸送されたんですがね。トラックがなんとか通れる程度の道はついていたんだけれど、勿論《もちろん》、舗装なんかしていないでこぼこ道でガードレールはないし、路肩は崩れているし、それを二十数台もつながったトラックがものすごいスピードで突っ走るんです」 「男の人って、酔っ払うと必ず軍歌を歌うか、戦争の話をなさるのね」  信子がつけつけと言った。 「いや、戦争の話をするつもりはありませんよ。先刻《さつき》の、北島の死が綾子さんにとっては『焼け肥り』だという話の続きです」 「…………」 「いつ事故が起るかと胆を冷やしながら乗っていたんだけれど、やっぱり起きましてね。僕《ぼく》が乗っていた一台前のトラックが路肩を踏みはずして、谷底へまっさかさまです」 「助かった人はいないんですか」 「助かるも助からないも、落ちたトラックがよく見えない、そんな深い谷底ですからね」 「助けには行かないの?」 「結局、行きませんでした。こっちは新兵だから何も分らない。上の人が集まって何やら相談していたけれど、そのまま出発ということになった」 「死ななかった人だっていたかもしれないのに……」 「いや、万に一つもそんなことはないでしょう。名誉の戦死です」 「戦死?」 「後日聞いたのだけれど、転落したトラックに乗っていた兵隊を名簿で調べて、戦死公報を郷里へ送ったのだそうです。何某二等兵は○○方面の作戦において、かくかくしかじかの戦闘状況の中で敵弾を受け、壮烈なる戦死を遂げたり、といった『名誉の戦死』の状況を伝える雛型《ひながた》が幾通りかあって、それを適当に書き分けて国元へ知らせるのです」 「全然|嘘《うそ》の話を、ですか」 「そうです。家族はもちろん信じて疑わない。トラックが谷底へ落ちて死んだなどとは夢にも思わない。御国のために立派に戦って死んだんだ、と信じますね。こういう嘘は許されるでしょう」 「そうかなあ。ひどい話だと思うわ。戦争なんてやっぱりインチキなのねえ」 「いや、そういう議論をするつもりでこの話をしたんじゃないんだ。僕が言いたかったのは、僕が一台前のトラックに乗っていれば、僕はその時、『名誉の戦死』を遂げていたわけで、今、こうして酒を飲んでいる僕はいない。では、僕の生と死を分けたものは一体何だったのか、ということです」  それは、当人の努力でも怠慢でもないし、他の人間の悪意や詭計《きけい》の結果でもない。また因果というようなものでもないだろう。単に偶然にしか過ぎまい。偶然というものが、生と死のような限りなく重いものさえ分ける力を持ったものだとすれば、富と貧とを、美と醜とを、吉と凶とを、その他のもろもろのことを易々《やすやす》と分けることができるのは当然のことだろう。そしてまた、偶然によって分けられたものに、公平を求めるのも無理な話なのである。偶然というやつは、まったく無作為に無秩序にあらゆるものを分けてしまう。偶然の結果が公平でないからといって、人間はどこへ苦情を持ちこむわけにもいかない。  世の中が不公平であるのは、世の中の出来事の非常に多くのものが偶然によって分けられているからである。世の中が完全に公平であるためには、あらゆることが必然で動かなくてはならない。偶然が少しでも入りこんできたら、世の中の公平は崩れるのである。では、偶然の全くない公平な世の中というものは素晴らしいだろうか。  偶然のない世の中が面白くないものだということは誰《だれ》にも分る。しかし、面白くないだけではない。あらゆることが必然で、百パーセント公平な世の中は大変不幸な世界でもある。  完全に公平な世の中になっても、人に遅れをとる人間はいる。醜い人、貧しい人、愚かな人もいるにきまっているが、そういう人は何といって自分をなだめるのだろうか。今のような矛盾に満ち、不公平だらけの世の中であれば、不幸な人や病める人はもちろん、凶悪な犯罪者ですら自分たちをそのようにしたのは世の中の不公平のせいだと言い、それによって自己救済ができる。公平な世の中になったら、それこそ劣敗者には自己救済の方途がない。大多数の凡庸な人間にとっては、世の中は不公平だと信ずることのほうが生きていきやすいのである。  一つの局面の不公平さだけを見れば、いかにも不当なことのように思えるが、世の中を大きく見れば、不公平ということはそんなに悪いものではないのではないか。 「僕だって、不公平のおかげで随分損したこともある。そのかわり得したこともある。差引してプラスかマイナスかは死んでみなくちゃ分らないけれど、トータルがマイナスだって、それはそれで仕方がないじゃないか、と思っているのですよ」  浦野は話の途中から信子が上体を背もたれに深く倒し、眼を閉じたのに気づいたけれども、構わずに喋《しやべ》りつづけた。  喋りながらウイスキーのグラスを何杯もお代りしたせいか、気分がたかぶり、脈搏《みやくはく》が少し早くなっているのが自分でも分った。  喋り終って、しばらく黙って、グラスをゆっくり傾けていると、眠っているとばかり思った信子が、眼をつぶったまま、 「理屈はそうかもしれないけれど、やっぱり私はいやだな、そんなの」  と言った。 「北島さんが可哀《かわい》そうよ。綾子さんが死んだほうがよかったのよ」  信子の声は、低く、浦野には、なにかの呪文《じゆもん》のように聞えた。  第十三章 生きものの死処  帰宅した時にパイの姿が見えないのは珍しいことではないが、その日は、晩飯が済んでもパイがあらわれない。浦野は、 「パイはずうっと外なのかい」  と波津子《はつこ》にたずねた。 「入院したのよ」 「病院に行ったのはディステンパーの注射をするだけじゃなかったのか」 「そうだったんだけど、ちょっと熱があって、お医者さんが、これでは一両日預かったほうがいい、というんですもの」 「あそこはすぐに入院させたがるんだな」  浦野は眉《まゆ》をひそめた。人間の病院には合部屋があるが、田所動物病院は全部「個室」である。他の患者の病気が感染する惧《おそ》れがあるほかに患者の犬同士、あるいは猫《ねこ》同士が喧嘩《けんか》して傷つけあう心配もあるからだ。高価な猫や犬が多いので、弁償問題でもこじれ易いのだという。一匹ずつケイジに入れて完全に隔離しますから御安心下さい、とパンフレットにもゴジック活字で印刷されていた。よその猫や犬は自分の飼猫または飼犬に対して病気をうつしたり、喧嘩を仕掛けてきて怪我《けが》をさせたりする存在でしかない、というエゴイスティックで排他的な飼主の気持と、それに迎合する病院の商人根性が露骨に出ているようで、浦野はパンフレットの太い活字を不愉快な気持で読んだものであった。 「個室」といっても、運搬用バスケットの三個分ぐらいの大きさしかないケイジであって、人間が座敷牢《ざしきろう》に入れられるよりはるかに窮屈だ。浦野の家は三十坪ばかりある。その中を自由自在に歩きまわれるのは、身の丈せいぜい五十センチあまりの猫にとってはのびのびしたことであろうと思われるのに、それでもパイは窮屈がり、外へ出たがって仕様がない。鎖に繋《つな》がれる習慣のない猫がケイジの中に二十四時間、閉じこめられっ放しでいるのはどんなにつらいことか。改めて考えるまでもない。入院はできるだけ避けたかった。  一両日、のはずが、パイは三日|経《た》っても病院から帰されなかった。  四日目、浦野が帰宅すると、顔を見るなり波津子が言った。 「パイちゃん、なんだか難かしい病気に罹《かか》っているんですって。血液をそっくり入れ替えればいいのだけれども、そのための設備が日本にはないから薬でなんとかするより仕方がない、とお医者さんは言うのよ。全力を尽してみますから御安心下さい、ですって」  浦野は不意に横ッ面《つら》を張られた時のように、咄嗟《とつさ》には声が出なかった。 「シンキンなんとか、とむつかしそうな病名を言ってたわ。心筋かしら、それとも真菌かな?」 「大袈裟《おおげさ》なのじゃないか、その田所さんという獣医は?」 「それがこんどは田所さんじゃないの。田所さんは獣医学会が福岡《ふくおか》であるとかで、そっちへ行っていて、替りの若い獣医さんが診察してくれたんだけど……」  自信過剰のあまり軽率になる人間がいる。その若い獣医はそういうタイプのように見えたと波津子は言った。パイを一目見るなり、彼は「あ、コラットですね」と疑念もさしはさまなかった。この病院に駄《だ》猫は来るはずがない、と頭から信じこんでいるようだった。彼はまた不用意にパイにむかって手を差し出した。その手にパイが咬《か》みついた。振りほどいた医師の手の甲には歯の痕《あと》がしっかりとついており、血が滲《にじ》んでいた。医師は顔を紅潮させて言った。 「よく咬むのですか、この猫は」 「ええ、そりゃ咬みますわ。引っ掻《か》きもします。猫ですもの」 「そりゃいけない。犬歯は抜きましょう。爪《つめ》もはずしましょう」  今すぐにでも歯や爪をとってしまいそうな医師の勢に、波津子はびっくりし、「やめて下さい。冗談じゃありませんわ。そんな可哀《かわい》そうなこと」と拒否した。医師は波津子の態度こそ信じられないという顔をした。 「てきぱきと、軽はずみなことをしそうな感じの人なのよ」 「そんな奴《やつ》にどうしてパイを預けちゃったんだ」 「だって仕様がないでしょう。獣医さんの見かけが気に入らないからといって猫を取り戻《もど》すわけにはいかないでしょう」 「だけど、ほんとうに大丈夫かな。そんな若い代診で」 「あなたにそんなにしつこく言われるとなんだか心配になって来たわ。明日、様子を聞きに行って、状況によっては返してもらってきます」  しかし、翌日、浦野が帰宅すると、相変らずパイの姿は見えず、波津子は浮かぬ顔をしていた。獣医は、今はパイは安静状態にしておかなければならない、動かすと危険だ、といってどうしても返してくれなかったのだという。  浦野の頭には、五日前の元気だったパイの記憶しかない。そのパイが絶対安静だの、危険だのと大層なことをいわれているのが狐《きつね》につままれたような気分であった。 「一体、どうなっているんだ。パイは何と言ってるんだい」 「それが会わせてもくれないのよ」 「そんな馬鹿《ばか》なことがあるか」 「なんだか、隠してることがあるみたい」  ふっと不吉な翳《かげ》が浦野の心を過《よ》ぎった。 「明日はどうしてもパイを返してもらって来なさい。それからどんな処置をしたのか、カルテをコピーしてもらってくるといい」  波津子も心配そうな眼《め》つきになって頷《うなず》いた。  だが、その次の日もパイは戻ってこなかったのである。  その日、代診の若い獣医の姿はなく、学会から戻ってきた田所医師が波津子を応接した。波津子が、パイは病気になったから連れて来たのではなく、単にディステンパーの定期的な予防注射をうってもらいに来ただけだということ、それなのに体温を測ってみるとたまたま少し熱があったとかで、即座に入院治療の必要を宣告されたことなどの経過を説明し、極めて治療困難な病気だと急に言われたがどうも納得し難いからどんな処置をこれまでにしてくれたのか、詳細を教えてほしいと申し入れると、田所は口調は慇懃《いんぎん》だが、医師に特有のおっかぶせるような口のきき方で答えた。 「ディステンパーの予防注射の予定日は、こちらへいらっしゃる一週間前でしたね」 「ええ、ちょっとごたごたしていたもので遅れましたが……」 「その一週間のあいだに、運悪く、パイちゃんはディステンパーに感染したようです」 「…………」 「きのうこちらへ帰って、ちゃんと診断しましたが、パイちゃんの病気は単なるディステンパーです。間違いありません」 「では、シンキンなんとかというのは?」 「それは、申訳ありませんが診断ミスのようです。そんな難しい病気ではありません。全然ご心配はいりません。あと二、三日もすれば元気なパイちゃんをお目にかけられると思います」  波津子はちょっと安心しかけたのだが、その時、田所が急に愛想笑いを浮かべ、 「そういうわけですから、きのうまでの治療費、入院料はいただかないことにしましょう」  というのを聞いて、また深い不安にとらわれた。よほどの誤診だったに違いない。そうでなければ、こちらが何も言い出さないうちに治療費を無料にするなどというわけがない。誤診にもとづく正しくない治療がパイに悪い影響を与えているのではないか。  波津子は改まった口調で「これだけはどうしてもお願いしておきます」と獣医に言った。「万一のことになりそうでしたら、夜中でも何時でも構いませんから、お電話を一本下さい。必ずすぐに飛んで参りますから。死ぬのは運命ですから仕方ありません。諦《あきら》めます。でも、死ぬときは、うちで死なせてやりたいと思います。病院じゃなくて、うちで、私たち家族で見守ってやりながら最期《さいご》を迎えさせてやりたいんです。ですから、もう手の尽しようがないとなったら少し早目にお返し下さい」  田所は波津子の気魄《きはく》に気押されたのか、いったんは上体を引くようにしたが、すぐに掌《て》を顔の前で大きく左右に振って、 「死ぬだなんて、奥さん、そんな大変な病気じゃありませんよ。単なるディステンパーです。ほんとうにそんな大袈裟にお考えにならないで下さい」  と笑顔を作った。波津子はそれには取り合わず、硬い表情のまま、もう一度同じ言葉を繰り返した。  死ぬときは、うちで死なせてやりたい。獣医にむかってそう言った時の波津子の眼に力を籠《こ》めた顔が浦野には目前に泛《うか》ぶようであった。  波津子が思いをたぎらせているのは、パイのことだけではないのである。二年前に癌《がん》で死んだ弟の俊彦《としひこ》の最期のことが波津子の心には刺し傷のように深く刻みこまれているのである。  俊彦が息を引取る一週間前のことであった。  病室に付添っている俊彦の妻の五百子《いおこ》から波津子に電話があった。俊彦がどうしても家へ帰るといってきかない。自分一人では止め切れないからみんなで来て、なだめてほしい、と泣きながらの電話だった。  波津子は両親を連れて、すぐに病院に駈《か》けつけた。二年前に軽い脳卒中をやって左脚の不自由な母親のいねを夕方のラッシュの電車に乗せるわけにはいかない。しかし彼女は車|嫌《ぎら》いで、自動車に乗ると十分と我慢できず、吐くことさえある。波津子は父親の伊助《いすけ》だけを連れていくつもりだったが、いねは自分も行くと言ってきかなかった。 「怺《こら》えるよ。吐いたりなんか決してしないから」 「あれは生理的なものなのだから怺えられるものじゃないでしょう。それに急いで貰《もら》わなくちゃならないから、タクシーも普段の時よりは揺れるわよ」 「きっと怺えるよ。だって俊彦のためだもの」  いねは小さく窪《くぼ》んだ眼をしばたたいた。  病院は医科大学付属の大きな病院で古い建物にいくつもの新しい棟《むね》が継ぎ足されていた。俊彦の病室は、ことし完成したばかりの新しい棟の六階にあった。車椅子《くるまいす》の患者が一人で自由に上り下り出来るように、階段のかわりに広く緩やかなスロープが上下の階をつないでいる。それには頑丈《がんじよう》な手摺《てす》りもついている。新しく行き届いた設備が至るところに見られ、その建物の中だけは眩《まば》ゆいような明るさがあった。  波津子たちが病室に着いた時、俊彦はベッドから車椅子に移っていた。両親の姿を見て、彼の母親譲りの窪んだ眼が小さく光った。それは多分、喜びの表現だったのだろう。五百子は、家に帰りたいという夫をなだめかねて、波津子たちに迎えに来て貰うように電話をした、と俊彦を欺《あざむ》いていたらしかった。  俊彦の病気は上顎癌《じようがくがん》で、今は繃帯《ほうたい》で覆《おお》われているため見えないが、すでに右頬は腐蝕《ふしよく》してなくなっていた。彼の右横顔は、断面標本のように上下の歯列がそのまま剥《む》き出しになっているのである。舌も喉頭《こうとう》も冒されていた。もちろん食事はできないし、言葉も喋《しやべ》れなかった。  病室に入った途端、波津子は思わず鼻を手で覆った。ほとんど耐え難い悪臭が病室内に満ちていた。もう手の尽しようのない時期になっていることは素人《しろうと》目にも分った。医学徒である俊彦にはもちろん分らないはずがなかった。  俊彦は波津子たちの様子から自分を家に連れて帰るためにやって来たのではないらしいことに気がついた。彼の不幸は病状がそんなに進行しているにもかかわらず、意識や知覚がそれほど衰えていないことだ。五日前までは、彼は病床で、素問論考の原稿を書きつづけていたのである。資料を五百子に読ませ、要点を自分でメモした。躯《からだ》は衰弱し切っていたが繃帯の中からのぞく窪んだ小さい眼にだけは強い光があった。  俊彦は五百子に手真似《てまね》で命じて、紙と鉛筆を持ってこさせ、膝《ひざ》の上で字を書きはじめた。書きながら両親の顔を見上げ、 (分るね。俺《おれ》の望みが分るね)  と念を押すように、頭を振った。  家ヘ 帰リタイ  と一行に書き、それから大きく息をして、  家デ  と書いた。そして行を改めて、  自分ノ家デ 死ニタイ  と書いた。大きな字だったので、それだけで紙はいっぱいになった。俊彦はその紙をめくりとるといねの手に渡し、次の紙に、  早ク  家ニ  連レテイツテクレ  と書いた。はっきりした字で、もちろん誰《だれ》にも間違いなく読みとれたが、八十歳になる伊助は、ふうっと気が遠くなったような、焦点の定まらぬ目つきで、茫然《ぼうぜん》と立っているだけだった。  波津子も何と言っていいのか、迷った。いねも俊彦から渡された手を握りしめたままだ。  俊彦は苛立《いらだ》ってまた鉛筆をつかみ、早く返事をしてくれ、と紙に書いた。  いねがやっと口を開いた。 「俊ちゃん。我慢しておくれよ。家に帰ったって私たちはあんたに何もしてあげられない。なんにもできないのよ。何も手当てをしてあげられなければ、あんた、すぐ死んでしまうのよ。ここで、病院で、ちゃんと治療してもらって、病気をなおさなくちゃね。辛《つら》いだろうけれど、ここにいておくれ。お願いだから。ね、病院にいなくちゃ駄目《だめ》なのよ」  それは病院に来る途中のタクシーの中で、波津子が両親と話しあって出した結論であった。もちろん五百子も同じ意見であることは分っていたし、それ以外には考えられなかったのである。  俊彦は膝の上に置いた紙を手で叩《たた》き、怒りの気持をあらわした。紙が破れた。俊彦は車椅子を少し辷《すべ》らせて、いねにいっそう近づこうとした。それは膝行《しつこう》して哀訴する者の姿に似ていた。  しかし、俊彦がどんなに切望しようと、このことばかりは叶《かな》えてやるわけにはいかないと誰もが考えていた。いねに代って波津子が、またいねが、その次には五百子が、と代る代る俊彦をなだめるための言葉を費した。伊助だけは終始口を閉ざしたままだった。  女たちがどんなにやさしい口調で、どんなに心を籠めて言ったとしても、俊彦を家へは連れて帰れないという結論には変りはないのだから、俊彦の怒りが鎮まるはずがない。彼は身をよじって憤怒《ふんぬ》を表した。車椅子ごと横転して女たちをあわてさせたかったのかもしれない。しかし、それだけの力はもう彼にはなかった。俊彦が必死にもがいても、車椅子は少し動いただけだった。  いねが不意によろめき、波津子の腰にしがみついて躯《からだ》を支えた。顔から血の気が引いていた。タクシーの中で嘔吐《おうと》しそうになるのを懸命に怺えていたのがこたえたのだろう。波津子がいねに椅子を与えてすわらせ、五百子がコップに水を持ってきた。 「廊下のほうがいいわ」  いったん腰かけたいねを波津子はもう一度立たせた。室内の悪臭もいねのむかつきをいっそう増させるものだった。暖房もちょっとききすぎのようだった。  俊彦もどうにか落着いたらしく、息子の憲一に、筆談でなにかを伝えていた。  一階のロビーには大きなソファがある。いねはそこでしばらく休ませたほうがいい。ここは臭いがひどすぎるし、ロビーにはコーラの販売機もあるから、一本飲めば胸のむかつきもおさまるだろう、と俊彦は息子に伝えたらしい。 「パパも一緒にロビーまで降りてみたい、といってるんだけど……」  と憲一は言った。  憲一が車椅子を押し、波津子と五百子が両親に付添って、エレベーターで一階へ降りた。  病院は大きな坂の中腹に建っており、一階のロビーからは坂を上り降りする車の様子が、正面玄関のガラスを通して、ワイド・スクリーンの映画のように見える。病室では患者自身はもちろん、見舞客も、看護人も、みんなのろのろと緩慢に動く。弛緩《しかん》した物の移動にすっかり馴《な》らされてしまった眼には、激しく素早く疾駆する自動車の姿や音は、生そのもののように映る。俊彦は車椅子を玄関の大きいガラス扉に対峙《たいじ》するように位置させて、外の眺《なが》めを凝視していた。  いねはソファに躯を横たえていた。眼を閉じてはいたが、先刻《さつき》ほどの胸苦しさはもうなくなったようだった。波津子もソファの端に浅く腰をかけてぼんやりしていた。  突然、悲鳴に似た叫び声が起った。  反射的に立ち上った波津子は、玄関のガラス扉にむかって突進する車椅子を見た。  転倒した五百子が、躯を起しながら、 「誰か、その人を止めて下さい」  と叫んでいる。  俊彦は、車椅子の背を支えていた妻の手を払いのけて病院からの脱走を企てたのだった。慌《あわ》てたはずみに五百子は足を辷らせて転んだのだが、もちろん、俊彦の漕《こ》ぐ車椅子はすぐに取押えられ、立上って駈け寄った五百子の手に、今度はしっかりと掴《つか》まれた。  俊彦はそれから一週間後に死んだ。それは一種の自殺とも言えるものであった。  俊彦が病院からの脱走を企てた夜、波津子たちは遅くまで俊彦の病室で彼の怒りを鎮め、気持を変えさせようと、ありとあらゆる説得を試みた。どんなに言葉を尽してもおそらく無駄だろうと、波津子も、いねも、五百子も、心の中では分っていながら、しかし、そうせずにはいられなかったのである。  俊彦は、二度と、鉛筆を持とうとはしなかった。  彼はその翌日から点滴を拒否した。注射、投薬、一切の治療行為を拒否した。そして、一週間後に息を引き取ったのである。彼の望まなかった病院のベッドの上で。  波津子が浦野に、 「あの時、やっぱり家へ連れて帰ってやるのがほんとうじゃなかったかしら」  と言ったのは俊彦の初七日の夜のことである。俊彦の死後、彼女はこのことを一人でずっと考えつづけてきたのだという。それを口にしなかったのは、いねや五百子を傷つけてはならないと慮《おもんぱか》ったからだった。 「なぜ、あの時、私たちは車椅子をおさえつけてしまったのだろう。むごいことをしたと思うわ」  波津子は自責の思いに耐えかねるように、声を掠《かす》れさせた。  この思いは、その後、時が経《た》つにつれて、波津子の中に堆積《たいせき》していくようであった。彼女が亡弟のことを思い出す時に、真っ先に眼に浮かぶのは、  家ヘ 帰リタイ  家デ  自分ノ家デ 死ニタイ  という鉛筆の文字である。そして、玄関で車椅子を取り押さえられた時の、俊彦の無念な表情である。一周忌の日、波津子は仏壇の前で、 「俊ちゃん、私たちが間違ってたわ。ご免ね。堪忍《かんにん》して」  と声をあげて泣いた。  浦野に対しても、波津子は、 「あなたがそうしたいというのだったら、あなたはこの家で死なせてあげる。お医者さんがなんといったって、私ひとりででも、あなたを担《かつ》いで、家へ連れて帰ってあげます」  と言った。  浦野はごく素直な気持で肯《うなず》くことができた。ちっぽけな家だが、この家が彼にとって終《つい》の栖《すみか》となることはまず間違いのないことだろう。浦野が人なみの寿命に恵まれるとしたらあと二十年はこの家で寝起きすることになる。夫婦の匂《にお》いや息づかいが壁にも畳にも、箪笥《たんす》の裏や物置の隅《すみ》にも染《し》みこんだ家になるだろう。家の中の空気だって、外の空気とは色も香りも違うものになっているはずだ。そんな空気に包まれ、身内の者たちだけに囲まれて最後の息を引取るのが、人間らしい自然な死に方であろう。  考えてみれば、われわれの祖父も曾祖父《そうそふ》もそうした死に方をしていたのであり、それが当りまえのことだったはずだ。  今では、自分の家の畳の上で臨終を迎える人は、ことに都会では珍しいだろう。おおかたの人は、最後の病を得た時には病院に担ぎこまれ、見知らぬ多くの人々がその上で死んだにちがいない冷たいベッドで、終焉《しゆうえん》の時を迎えなければならない。  生れる時も病院なら死ぬ時も病院。これは自然なこととは言えまい。それだけ現代のわれわれの生活が自然から遠ざかっているのであり、われわれは自然人の心や行いを忘れてしまっているのである。  自分ノ家デ 死ニタイ  と願った俊彦の心こそ自然なものであり、それを拒《しりぞ》けた波津子やいねたちは文明に歪《ゆが》められてしまった人間なのである。  人間にくらべれば、猫ははるかに自然に生きているものなのであり、彼らの生死は自然とともにあるべきだろう。猫を動物病院のケイジの中で死なせることは、人間を病院で死なせるよりもっと不自然で、許せないことだといえよう。治癒《ちゆ》の見込みがなくなったパイを家に連れて帰ってくれば、浦野や波津子はパイの苦しむ姿を毎日見なければならない。また、猫のことだから死ぬ最後の瞬間は人間の目の届かぬどこかへ逃れようと、姿を隠してしまうかもしれない。万一、そんなことになったら最期《さいご》をみとってやれないばかりでなく、遺骨を保存してやることもできない。病院で死なせれば、遺骸《いがい》だけは手に入れることができる。 「でも、いいの」と波津子は言った。「遺骨が欲しいというのは人間の、私たちのエゴイズムでしょう。パイちゃんが、瀕死《ひんし》の状態で、力を振り絞って、私たちの眼の届かないところへ行って死のうとするのなら、そうさせてやりたい。それを私たちが邪魔してはいけないのよ。パイがどんな死に方、死に場所を選ぶかは、パイに自由に選ばせなくちゃ。病院のケイジの中で死なせることだけは、絶対してはならないのよ」  浦野は波津子の言い分を全く正しいと思う。彼女はパイの上に亡弟の姿を重ねているのにちがいなかった。  田所獣医とのやりとりの一部始終を波津子から聞いているうちに、浦野はだんだん気がかりになってきた。 「どんなタイプの人だい。獣医は」 「田所さんのこと? それとも代診の若い人のこと?」 「田所さんのほうだよ。約束は必ず守ってくれそうな人かい」 「さあ、そんなこと、ちょっと見当がつかないわ。でも、ビジネスライクなタイプだからそういうことはきちんとしてるのじゃないかしら」  波津子の答も頼りなかった。  浦野は会ったことのない田所獣医の顔を想像した。それはテレビ・ドラマによく出てくる新劇俳優にそっくりだった。その役者は今では人のいい老《ふ》け役が多いが、つい三、四年前まではニヒルで非情なインテリやくざといった役どころを得意としていた。浦野はその俳優の名前をいい、似ているかどうかを波津子にたずねた。波津子は、 「全然似てないわよ。そんないい男じゃないわ」  とにべもない口調で答えた。  似ていない、と言われたのに、なぜか、その瞬間、浦野は不吉な声を聞いた。(パイは死ぬ。パイは助からない)その声は叫んでいた。  浦野は狼狽《ろうばい》した。しかし、一方、その声を打消そうとする別の声もあった。浦野はいわゆるカンのにぶい男で、何事によらず、予感とか、動物的直感とかが閃《ひらめ》くということが滅多になく、たまにそれらしいことがあっても、それが当ったことはただの一度もない。カンが当らないということにかけては彼は自信があるのである。だから、今、パイが死ぬのではないか、と心に閃くものがあったのは、実際には、パイが死なないことを保証したことにほかならないのではないのか。そんなふうに、もう一つの声はしきりに、彼に耳打ちしてくるのである。  翌日は日曜日で、動物病院は休みである。  浦野は朝からやきもきした。 「病院は日曜日は全部休みなのかな」 「全部って?」 「外来患者は受付けないにしてもさ。入院している患者は日曜日だからといってほったらかしにされることはないのだろう」 「それはそうでしょう。どこの病院だって当直のお医者さんも看護婦さんもいるわ。食事の仕度だってしなくちゃならないし」 「馬鹿《ばか》。そんな一般的なことを聞いてるんじゃない。田所さんとこはどうだろう、といってるんだよ。ああいう町の小さな動物病院は、日曜日になると、ほんとうに全部休んで、一家でドライブなんかへ行っちゃう、ということがないのかね」 「さあ、たまにはそんなこともあるかもしれないわね」 「それじゃア、留守の間に、患者の容態が急変したらどうするんだ。第一、食事はどうするんだ。毎日、飲ませなければならない薬はどうするんだ」 「私にそんなこと言われても分らないわ」 「もし、きょう、田所さんとこが全部休んで、留守にしていて、その間に、パイに万一のことがあったらどうするんだ」 「パイは単なるディステンパーなのよ。万一のことがあるとかないとか、そんな病気じゃありませんよ」 「それは田所さんの言ったことだろう。それがどうも怪しいとお前だって疑っていたじゃないか」  普段より遅い朝の食卓で、浦野は喚《わめ》き散らした。 「そんなにガンガン怒鳴らないでよ。日曜日の朝御飯ぐらいゆっくり食べたらどうなの」  能里子《のりこ》は呆《あき》れたような顔で浦野を見た。  娘にたしなめられては、浦野も黙るより仕方なかったが、ちょうど一週間、彼はパイの顔を見ていないのである。パイが浦野たちの家にやって来てから一年四カ月になるが、一週間も離れたのはたった一度、家出した時だけである。気にかけずにいられるわけがない。発したい言葉を無理に抑えつけて味噌汁《みそしる》を啜《すす》っていると、胃袋が熱い液体の流入を拒否するように、その入口をすぼめ、硬直するのを浦野は感じた。  波津子も急に浮かぬ顔になり、黙りこくって箸《はし》を口へ運んでいる。憂鬱《ゆううつ》な朝の食卓になった。  朝食がすんだあと、能里子は友達と約束があると言って出かけた。  浦野は、波津子と二人で、ここでいくら言ってみても詮《せん》ないことだと、パイのことはもう口にすまいと心にきめ、ソファに寝ころがって本を読みはじめたが、どうしても考えがパイのほうに行ってしまって、ページが進まない。 「ちょっと行ってみようか」  浦野は本を閉じて、波津子に声をかけた。 「散歩だよ。散歩がてらさ、ちょっと田所動物病院を見物して来ようよ。俺《おれ》、まだ一度も見てないからね。どんな病院だか、ちょっと見てみたいんだよ。もちろん、休みだから扉は閉まってるだろうけどさ。それでも、建物の周りをまわってみれば、家の中に人がいるか、みんな出かけちゃって無人か、ぐらいは気配で分るじゃないか」 「分ったからどうだというのですか」 「うん。そりゃどうってこともないけどさ。家の中に田所さんがいるんだと分れば、安心できるじゃないか。いや、そんなことはどうでもいいんだ。散歩だよ。ほんの散歩がてらさ、な、行ってみようよ」  波津子は浦野のほうを振りむきもせず、まるで聞えないふりをしていたが、 「いや。私はいやよ」  と癇高《かんだか》い声を出した。  ほとんど同時に、電話が鳴った。  波津子は撥《はじ》かれたように立上り、受話器を取った。  電話はほんの二、三分のものだったが、それは非常に長く感じられた。それなのにその間浦野が聞いた波津子の言葉は「そんな…… そんな馬鹿な……」と繰り返した数語だけであった。  受話器を置いて、振りむいた波津子の顔は気味悪いほど白っぽく乾いていた。パイのことになるとむやみに涙もろくて、いつもはすぐに泣き出す波津子だけに、涙を一滴もうかべていないその眼《め》は、かえって彼女の受けたショックの強さを表わしていた。 「パイちゃん、死にました」  電話が置いてある戸棚に倚《よ》りかかって立ったまま、彼女は言った。  病状が急変したらもちろんお知らせするつもりだった。しかし、そんな兆候は全くなかった。むしろ、回復へ向っているとしか思えない状況だった。昨夜、最後に診たのは午後六時過ぎだったが、その時も元気で、変った様子はなかった。だから安心していたのだが、今朝、見に行ったら、もう死んでしまっていた。硬直の具合からみて、夜中か、それよりちょっと後ぐらいに急にトラブルが起きたようだ。死に際《ぎわ》にそんなに苦しんだ様子はない。死因は解剖してみなければ正確には分らないが、どうするか、と獣医は言っている、と波津子はまるで独り言を呟《つぶや》くように、電話の内容を浦野に伝えた。 「解剖は断ろうよ。いまさら死因なんてどうでもいいじゃないか」  パイの遺体を引取りに、これからすぐ二人で病院へ行こう、と浦野は言った。  彼は自分が思いがけないほど冷静なのを感じていた。先刻《さつき》までの取り乱した気持が水沫《すいまつ》のように消えている。約束を守ってくれなかった獣医への怒りもあまり感じないのである。そのことを不愉快とも思わなかった。大きな石が取り除かれて視界が急に開かれたような感じさえあった。  波津子は戸棚の下の棚からアルバムを取り出し、パイの写真を披《ひら》いた。それは能里子が撮《うつ》したもので、二階のベランダの手摺《てす》りに腹這《はらば》いになり、目をまん丸く開いてこちらを見ている写真だった。百枚を超えるパイの写真の中で、浦野も波津子も能里子も、その写真が一番好きだった。 「パイちゃん。あんた、死んじゃったのね」  波津子は写真を掌で抑えた。その手の甲に、はじめて涙がぽとりと落ちた。  その日は、高曇りというのであろう。太陽は薄い雲に遮《さえぎ》られて見えなかったが、その割には地上は明るかった。気温は五月の末にしてもすこし高く、かなり蒸し暑い感じであった。  浦野は波津子といっしょに、バスケットを提げて田所動物病院に行った。浦野にとってははじめての途《みち》である。病院からの帰り、駅までの道を彼らは表通りを避けて、裏通りを歩いた。特売デーの赤い幟《のぼり》が大袈裟《おおげさ》にひるがえっている人通りの多い道を歩くのはいかにも鬱陶しく思われたからである。  病院の玄関を出た時、浦野は、波津子が右手で提げているバスケットに手を差し伸べた。 「いいわよ。私が持つから」  波津子はバスケットが少しも重くないことを示すように、軽く揺すってみせた。 「いや、二人で一緒に持っていこう」  浦野は波津子の手の上に半ばおおいかぶせるようにして把手《とつて》を掴《つか》んだ。波津子の眼に、一瞬、怪訝《けげん》な色が走ったが、すぐに彼女は浦野の気持を理解したのだろう。頷《うなず》きながら、微笑を夫に向けた。  解剖はしないのだから、当然、パイの遺体は即座に引渡して貰《もら》えるものと浦野は考えていた。コノコもそうしたように、パイもわが家の庭の土の中に埋めてやろう、深い大きな穴を掘ってやろう、と浦野は波津子に言った。 「コノコの時には竜胆《りんどう》の花を供えてやったっけ。今だと、そうだな。梔子《くちなし》がいい。パイには梔子を供えてやろう」 「パイちゃんの上にはお花を置くだけじゃなく、何か木を植えましょうよ」  そんなことを話しあいながら浦野たちは病院へ行ったのだった。  だが、遺体は引渡してもらえなかった。パイは死んでも、ディステンパーのヴィールスはまだ生きてパイの躯《からだ》にくっついている。籠《かご》に入れればそれにもくっつく。籠を消毒するといっても素人《しろうと》では完全にはいかない。パイの死体を土中に埋めるまでにヴィールスは勝手に散らばって、他の猫に感染する惧《おそ》れがある。気持は分るが、医師としては遺体をどうしても引渡すわけにはいかない、と獣医は言った。 「ここでお別れをしてあげて下さい」  獣医に案内されて、病院の奥の、暗い小さな室《へや》へ行き、白い布で包まれているパイの遺体に浦野たちは掌を合わせた。  せめて首輪だけでも形見に、と頼んだが、それにも獣医は渋い顔をした。結局、名札だけなら消毒も簡単だから、今、処理して渡してあげる、といわれ、それに従うしかなかった。  蒸気で消毒され、綺麗《きれい》に拭《ふ》かれた名札は、光を反射して鋭く輝いた。手にとってみると、彫り溝《みぞ》にたまっていた汚れもとれ、出来上って来たばかりの時と変らぬ美しさだった。波津子はハンカチをとり出して名札を包み、バスケットの中にそっと入れた。波津子の手の甲に薄い引っ掻《か》き傷が残っているのを浦野はみつけ、あれはマミかウサギがつけたものなのだろうな、パイのではないだろうな、と思った。  名札だけを入れたバスケットは、二人で持つと、それははかないほどの軽さであった。その手応《てごた》えのなさは、しかし、今の自分たちの気持にぴったり合っているように浦野には思えた。彼は、バスケットの中にはこの上もなく大切なものが入っているかのように、把手を掴んでいる指に感情を籠《こ》め、ゆっくりと歩いた。  病院に着いてからの波津子は、それまでに怺《こら》え溜《た》めていた涙を一気に噴きこぼれさせ、みっともないくらい泣いた。病院にいた時間は一時間もなかったのだが、その間、泣きつづけて、そのため眼のまわりはすっかり腫《は》れ上っていた。それを人に見られまいとして、彼女は俯向《うつむ》いて歩いた。浦野は顔を上げて、遠くの低い空を見ていた。 「パイは素晴らしい猫だったな」  浦野は自分に言い聞かせるように言った。 「あいつは生れ損いの駄猫なんかじゃなかった。尻尾《しつぽ》はまあお粗末だったけれど、そんな欠点を吹っ飛ばすくらい、立派な猫だったよ」 「馬鹿ねえ。今頃《いまごろ》になってそんなことを言ったって遅いわ」  波津子がなじるような口調で答えた。 「パイちゃんみたいな素晴らしい猫と、二度と私たちは出会うことはないわ」 「うん」 「それなのにあなたったら、パイちゃんのことを、生れ損いだの、駄猫だのとばかり言って……。そのことだけは、私、気に入らなかった」 「いや、あれは裏返しの愛情表現だったのさ」 「嘘《うそ》。違うわ。あなたはパイちゃんを自分になぞらえて思い入れをしていたのよ。あなたという人は、生れ育ちがいいものに対しては、それだけでもうヒステリックに反感を持つ人なんだから。パイのことを愛すれば愛するほど、パイを生れ損いの駄猫ときめつけてしまわないと、自分の感情の辻褄《つじつま》が合わなかったのね」 「俺《おれ》のひがみだというのかい」 「そうよ。あなたは何事も自然のままが美しいと口ではいうくせに、パイちゃんに対してだけは、自然な素直さがなかったわ。パイよ、お前は素敵な猫だ、さすがに三原先生のところで生れただけのことはある、母親も純粋のシャム猫だしな、と素直に褒《ほ》めてやることがどうして出来なかったの」 「…………」 「パイは生れぞこないだ、俺と同じ、この世のはぐれ者だ、みたいなことばかり言ってて。パイはお腹《なか》の中できっと苦笑いしていたでしょうね。それに……」  言いさして、波津子は顔をそむけた。浦野が今になって、パイを賞讃《しようさん》するのが虚《むな》しいと同様、波津子が浦野の態度を今になってなじるのも虚しいことだと思ったからであろう。  パイのさまざまな振舞いや仕科《しぐさ》を浦野はつぎつぎに思い出した。  日曜日の朝、遅い朝食をすませると、浦野は居間のソファに仰向《あおむ》けに寝そべって、新聞を読むのが習慣だった。パイが大きくなってからはそれが出来なくなった。浦野がソファに寝そべると、それを待ち兼ねたようにパイが胸に乗ってくるからである。脂肪の厚い浦野の胸は、パイにとって寝心地のいい蒲団《ふとん》なのだろうか。パイは全身を弛《ゆる》めて浦野の胸に坐《すわ》りこんでしまう。そして、時々、思い出したように首を伸ばして、浦野の頬《ほお》や頤《あご》を舐《な》めるのである。浦野が擽《くすぐ》ったがるといっそう熱心に舐める。  どういうわけか、波津子や能里子がソファに浦野と同じような姿勢で寝そべってみせても、パイは飛び乗っていかなかったし、彼女たちの顔を舐めたりは決してしなかった。パイに顔を舐めてもらうのは浦野だけの特権だった。魚を食ったばかりのパイの舌で舐めまわされると、浦野の顔じゅう魚臭くなり、皮膚は荒れて熱い湯で洗うと沁《し》みて痛かった。それでも彼はパイを胸の上に誘うために、新聞を拡《ひろ》げるのをやめ、パイが胸の上にいる間は一時間でも二時間でも煙草《たばこ》を吸うのも我慢し、パイの寝心地を悪くさせないように、同じ姿勢を保ちつづけた。 「私や能里子のためには、これっぽっちも我慢や辛抱をして下さらないくせに」  と波津子は嫌味《いやみ》を言った。  舐めるだけではなく、パイは浦野にマッサージもしてくれたのである。それはなぜか、彼が三年ごしに使っている古い毛糸のセーターを着ている時に限るのだが、パイは前肢《まえあし》を長く突き出してセーターを掴み、交互にゆっくりとピストン運動を繰返すのである。  それは動物学者の解説によると、母親の乳房を探る行為であって、早くから母猫と引き離された飼猫にはよく見られる擬態なのだそうだが、そんな注釈を知らずに見れば、マッサージをしているとしか思えない動作であった。ただし、このマッサージは、される側よりはしている側のほうがいい気分になるもののようで、前肢のピストン運動を繰返しているうちに、パイの眼は細くなり、うっとりと恍惚境《こうこつきよう》におちいったような表情になる。そんなパイの表情や仕科を眺《なが》めていると、浦野もまた、同じような恍惚境に誘いこまれる気分になった。 「いやアね、お父さん。うっとりしちゃって」  能里子は顔をそむけて笑った。 「お母さん。気をつけないと、パイにお父さんをとられちゃうわよ」 「とっくに取られてますよ」  波津子は苦笑した。  寝相の悪い浦野に押しつぶされる心配がないくらいパイが大きくなってからは、浦野はパイを抱いて一緒の蒲団で寝ていた。暑い季節の間、パイは蚤《のみ》をいっぱい躯にくっつけてきた。真っ白のウサギや明るいベージュの毛並みのマミは、蚤取り用の櫛《くし》で毛を梳《す》いてやると、簡単に蚤を発見することができたが、パイは濃い毛色のせいもあって蚤の駆除がむつかしかった。そんなパイを抱いて寝る浦野は、朝になると体中蚤の食い痕《あと》だらけになった。  爪《つめ》でひっかかれた線状の痕、歯で咬《か》まれた痕、そして蚤の食い痕、浦野の全身は至る所、パイの痕跡《こんせき》だらけであった。  それを記念スタンプと称し、浦野は、 「おい、昨夜は七つもスタンプを捺《お》されちゃったぞ」  と蚤に食われて赤く腫れ上った腕や腿《もも》をまくって波津子に見せつけるのであった。  パイを郵便局へ連れて行ったことがある。体重を計るためだ。それまでは台所にある小さな台秤《だいばかり》で計っていたが、そいつは一キログラムまでしか目盛りがない。パイは浦野の家にやって来てから三十四日目に一キロを超えた。もう台秤では計れない。といって人間用の体重計では目盛りが粗すぎる。  浦野はパイを抱いて近くの郵便局へ行った。 「すみませんが、ちょっとこいつの目方を計ってくれませんか」  小包みの窓口にいた高校は出ているのだろうがまだ十五、六歳にしか見えない幼い顔の女事務員がうしろを振り返って、禿頭《はげあたま》の郵便局長に、 「あのウ、猫も郵便で送れるんですかア」  と大声でたずねた。 「いや、送るわけじゃないんです。目方さえ計ってもらえればいいんですよ。うちに秤がないものでね」  浦野がいうと、女事務員は呆《あき》れたような顔をしたが、それでもパイを受取って秤の上に乗せてくれた。見馴《みな》れぬ所へ連れていかれ、奇妙な金属の板の上に乗せられて、それでもパイは悠然《ゆうぜん》としていた。啼《な》きもせず、騒ぎもせず、浦野の顔をじっとみつめていた。 「変な猫でしょう」  浦野は女事務員に声をかけた。彼女は黙って首を横に振り、笑った。変なのは、猫よりあんたのほうよ、と言っているようであった。  パイには猫好きの人間とそうでないのとが直感的に分るらしかった。そして、猫|嫌《ぎら》いの人間だとみると、わざと傍《そば》へ寄っていく意地の悪いところがあった。 「きゃッ。いや。私、猫、弱いのよ」  などと女客が叫んだりすると、なおさら近づいて膝《ひざ》の上に乗ったりする。そして、軽く手に咬みついてみせる。女客は失神しそうになり、這々《ほうほう》のていで帰っていく。  猫好きらしいと見てとると、傍へは近づかない。必ず抱き上げられて頬擦りされるからである。見も知らぬ人間から恣意《しい》的な愛情表現をされるのは、パイの自尊心が許さないのである。そういう天邪鬼《あまのじやく》も浦野にはパイのすぐれた稟質《ひんしつ》に思えたのであった。  ひとつひとつ思い出すたびに、浦野は大きいものを失った気持が強くなってくるのである。  それは他人に告げれば、他愛《たわい》のない話でしかないだろう。だが、そういう他愛のない振舞いのひとつひとつが人の心を動かすところにパイの天賦《てんぷ》があるのである。  ウサギやマミにはそうした不思議がない。当りまえに可愛《かわい》く、当りまえに悧巧《りこう》でしかない。パイだけが違う、と思うのは浦野だけの独り合点かもしれない、と聞きただしてみれば、波津子も能里子も、その通りだといささかも反対しない。死なれてみれば、パイが特別な猫だったことがなおさら強く、確かに感じられるのである。 「俊彦《としひこ》君の葬式の時、義母《かあ》さんたらすっかり逆上して、哲二君を怒らしちゃったね」  浦野は不意に思いついて言った。  哲二は下の弟で、銀行に勤めている。学校の成績も良く、銀行でも一応エリート・コースを歩いていた。俊彦は企業の経営姿勢を批判するような一徹なところがあったが、哲二は職場の年寄りたちに可愛がられる如才なさを身につけていて、その意味では親に心配をかけない息子だった。しかし、どういうわけか母親のいねは兄弟がまだ小学生の頃《ころ》から兄の俊彦のほうを贔屓《ひいき》していたという。  俊彦の葬式の時、いねは、 「かけがえのない、いい息子のほうが死んでしまうなんて……」  と泣きながら愚痴をこぼし、哲二はそれを聞いてすっかりつむじを曲げたものだった。 「俺だって、かけがえがあるというものではないだろう」  哲二は通夜《つや》の席で母親に食ってかかり、波津子がなだめたのだった。そんなことを何故《なぜ》、急に言い出したのかと波津子が首をかしげていると、 「おまえも、今、あの時の義母さんと同じようなことを考えているのじゃないか」  と浦野は言った。パイの代りにマミかウサギが死んでくれたらよかったのに、と波津子が考えているのではないか、と浦野は思ったのである。 「ううん、そういう気持はないわ」 「それならいいけど……。そんなふうにだけは思わないほうがいいな。それじゃアマミやウサギが可哀《かわい》そうすぎる」  パイはたしかに、マミやウサギよりすぐれた稟質を持った猫ではあるだろうが、だからといって、パイがマミやウサギより後まで生きのびなければならないということはない。俊彦が死に、哲二が生きのびていることを不当だと詰《なじ》る権利が誰《だれ》にもないのと、それは同じことだ。賢く、美しく、正しい者が早く死に、愚かな者や狡猾《こうかつ》な者が長く生きることを不公平というのなら、そもそも、同じように生をこの世に享《う》けながら、賢く、豊かに生れついたり、貧しく愚かに生れついたりする違いのあることこそ不公平といわなければならないだろう。 「俺はいま、そんなに悲しくないんだ」  浦野はぽつりと言った。それは無理に自分の気持を抑えようとしたのではない。本当に彼は静かで平らな気持になっているのだった。僕《ぼく》のためになら、泣いてくれるより感謝して下さいよ、パパ。パイがそう言っているような気がする。また、そのパイの言葉は全く正しいのだ、と浦野には思えた。パイのおかげで、彼は喪《うしな》っていた大きなものを取り戻《もど》せたし、そのほかにも多くのことを学んだ。  パイは天からやって来た猫なのだ、と彼は思った。そのパイが天へ還《かえ》っていく。彼は今、穏かな気持でいなければならないのである。  家並みが尽きて、線路|傍《わき》の道に出た。白いペンキの剥《は》げた柵《さく》が傾きながら長々と連なっている。柵の下をかいくぐるようにして雑草の叢《くさむら》が延びており、その埃《ほこり》っぽい緑色の中に、点々と、薄紅色の小さな花がまじっていた。線路は道から一段低いところを走っている。  駅は、と首を回してみると、思いのほか遠く離れて、左手の方角に三角屋根の駅舎が見えた。裏通りは商店街の通りと平行に走っていると思ったが、そうではなくて、大きく右に振れていたのだ。商店街を通って行けば、突き抜けたところがすぐ駅前の広場だったのである。ここから駅までは線路伝いにまだかなりの距離を歩かねばならない。 「損しちゃったわね」  波津子が普段の声で、笑いながら言った。  ふだんの浦野だったら、こんな時にはすぐに、裏通りを行く人間はこういうふうにいつも損をさせられるのだ、と自分の身になぞらえてひがんだ気持になるのだが、今はまるでそういう気が起らない。 「うん」  浦野はバスケットの把手《とつて》をちょっと握り変えながら、躯《からだ》の向きを変え、波津子にむかって笑い返した。  不意に、ぽーッ、ぽッ、と雉鳩《きじばと》の鳴声が落ちてきた。線路の上に幾条もの太い電線が風に揺れており、五、六羽の雉鳩が電線に止まっている。その背景にふかぶかと天がひろがっていた。 昭和六十二年一月新潮文庫版が刊行された