原田宗典 東京困惑日記 目 次  歯がイタイ  床屋をめぐる困惑  男はそれを我慢できない  ミョーな奴は銭湯にいる  肉マン地獄の夕べ  ビロウな話  性に目覚めちゃう頃  理由なく反抗  楽しきビンボー生活  ヒースロー困惑記  エッチで悪いか  喫茶店秘話  ファッションが何だってんだ  香港サウナ悶絶記  本人談  本文快説 本文中、?マークのついた言葉は、巻末の快説を参照されたし。  歯がイタイ  ぼくは痛いのはイヤである。すごく嫌いである。  そんなにイヤならいろいろと用心すればよさそうなものだが、子供の頃から無謀な行為を好むうえに注意力散漫であったために、いつも痛い目にあってばかりいた。母親から、「これだけはしてはいけないよ」  と言われるともう矢も盾もたまらず、 「それだけはしなくては」  と妙に力んでしまうような、ひねくれた子供であったのだ。おかげで「これだけは食べてはいけないよ」と言われたワサビ入りの鮨《すし》を食って悶絶《もんぜつ》し、「この犬だけは構ってはいけないよ」と言われた|犬《?》の耳にギンナンを詰めてやろうとして咬《か》まれ、「このギアだけは触ってはいけないよ」と言われたサイドブレーキをいじくって車を暴走させ、とにかく自ら破滅を招いてばかりいた。よく言えば好奇心|旺盛《おうせい》、悪く言えば単なるバカである。  まあこういった性癖は、小説などを書くうえでは役にたつ場合も多いので、今さら改めようという気もないのだが、ひとつだけ後悔していることがあるといえばある。これだけは母親の言いつけを守っておけばよかった、と今さらながらに悔やんでいること。それはこういう言いつけである。 「甘いものは控えて、カルシウムを多くとりなさい。食事の後はきちんとハミガキよ。わかったわね、おーほっほっほほほ」  おーほっほという部分は母親の豪快な気質を表現しようとしたぼくの創作だが、ようするに早い話が歯を大事にしろ、というシンプルな苦言である。ところがぼくときたら母親の言いつけには徹底的に背く、というオキテを自分の中で確立しており、この苦言に関しても例外ではなかった。おかげで幼い頃からしょっちゅう歯痛に苦しめられるハメに陥ったのである。だからぼくの歯が虫歯になりやすい原因というのは、ホーロー質が弱いとか何とかいう物理的な問題ではなく、性格の悪さに問題があったのだといえよう。まるで風が吹けばオケ屋が儲《もう》かる式の論理だが、性格が悪いと歯も悪くなるのである。本当である。あるってばあるのである。  さて古《いにしえ》の何とかという偉い人(名前が思い出せん)が残した言葉に、 「歯痛の経験がない人は、人生の苦しみの半分も知らない」  という名言がある。おそらくこの人も相当性格悪かったのだろうと想像されるが、とにかくこの名言にのっとって言うならば、ぼくは人の三倍も苦しい人生を歩んできた計算になるはずである。なにしろ幼年期から二十代の後半にいたるまで、つねに何本かの虫歯があった。完治している、という状態がなかったのである。  冒頭に述べたとおり、ぼくは痛いのはイヤである。イヤであるからして、歯痛が始まればそれを何とかしたいと当然思う。その痛みから逃れたいと切実に思う。ところが、歯痛というのは腹痛や頭痛と字は似たようなものだが、その実ぜーんぜん違うものなのである。どこが違うか。そう、ドンドン!(机を叩《たた》いた音)治療方法に違いがあるのである。あのイマワシイ歯医者の存在である。  そもそも治療というのは、患者の痛みなどを和らげるために施されるものであるはずだ。したがって腹痛にしろ頭痛にしろ、その苦痛をできるだけ軽減する方向でなだめたりすかしたり投薬したりする。当然の措置である。ところが歯痛の場合は、その苦痛を取り除くために、さらに大きな苦痛を与える。これはまるでニトログリセリンの爆風で山火事を消すようなものである。あまりにも乱暴じゃないかキミ責任者出てこい、とぼくは言いたい。歯医者が怖《こわ》いのであまり大きな声では言わないが、とにかく言いたい。  特にぼくがまだ子供だった頃の歯医者。あれはもう本当にひどかった。思い出すだけで気が遠くなりそうである。今でこそ麻酔なんてものが発達して、抜歯の際などには必ずと言っていいほど多用されているが、当時はそんな便利なものはなかった。いや、あったのかもしれないが、少なくともぼくが生まれて初めて母親に連れて行かれた歯医者にはなかった。  今でもよく覚えているのだが、その歯医者はサザエさんの父親つまり磯野波平によく似ていた。もっとリアルに言うと、禿《はげ》カツラをつけた加藤茶みたいであったというべきか。ようするにまず、その風体がインチキ臭かったのである。そのくせ彼は大男で、腕なども異様に太く逞《たくま》しく、ひどく毛深かった。筋骨隆々というヤツである。  ちょっと想像してもらいたい。アーノルド・シュワルツェネッガーの体に、磯野波平の顔がくっついた男。こういう奴が妙にニコニコしながら、電動ドリル片手に近づいてくるのである。子供でなくとも泣きたくなるのは人情というものであろう。  当然ぼくは泣いた。待合室にいる時から身の危険を敏感に察知し、ぐずぐずベソをかき始めていたのだが、そのアーノルド波平の姿を見るなりビョエエエと大泣きした。付き添っていた母親は一瞬オロオロしたが、すぐに気を取り直し、 「大丈夫大丈夫」  とぼくを抱き上げ、診察用の椅子《いす》へ運んだ。するとアーノルド波平もそれに呼応して、 「大丈夫大丈夫」  とつぶやくのである。いったい何が大丈夫だというのだろうか。そりゃおめえらは大丈夫だろうがよ、とぼくは子供心に思った。アーノルド波平の異様に毛深く逞しい腕、頭上に輝くライト、銀色のトレイの上に揃《そろ》えられた怪しげな器具、わけの分からない液体、足元でこんぐらがっているコード。これらのどこが大丈夫だというのだ。  ぼくはもう満身の力を唇にこめて口を固く閉ざした。不思議なもので口を真一文字に結ぶと、自然と目は爛々《らんらん》と見開かれるものである。何というかこう、腹話術の人形みたいな顔になってしまうのである。その表情からぼくの必死の決意を悟ったのか、アーノルド波平は少なからず緊張した顔つきで、 「大丈夫大丈夫」  とまたもや同じ台詞《せりふ》を繰り返した。母親もつられて、 「大丈夫大丈夫」  と言うのだが、その瞳《ひとみ》の奥に「でも本当は大丈夫じゃないのよ。ヘヘッ」という光が宿っているのである。そこへまたアーノルド波平が、 「大丈夫大丈夫」  とダメを押した。本当に大丈夫な時は、こんなに何度も大丈夫大丈夫と言わないものである。大丈夫じゃないから、大丈夫だと言うのである。このへんの実に文学的な心理のアヤを読み取る能力の鋭さが、今日ぼくを作家たらしめていると言っても過言ではない(過言だっつーの)。  ともあれ、二人の大丈夫じゃない気配を察知したぼくは、もう一度大泣きしてやろうと息を整えた。するとそこへアーノルド波平がこんなことを言った。 「弱虫だなあ君は」  ぼくはウッとたじろいだ。�弱虫�という言葉は、当時のぼくにとって最大の侮蔑《ぶべつ》用語であったのだ。 「大丈夫だと言ってるだろう。そんなにイヤなら家へ帰ってめそめそ泣いてなさい」  前述のとおり、子供の頃のぼくは相当なヒネクレ者であった。したがって「大丈夫」と言われれば「大丈夫じゃない」と思うし、「家へ帰って泣きなさい」と言われれば「家に帰らないし泣かない」と決意するような、ヘンな性癖があった。そこでぼくは唐突に開き直り、隣にいる母親のほうを向いて、 「ほんとに|ト《?》ミーガン買ってくれる?」  と念を押した。トミーガンというのは、その頃ぼくが欲しかった玩具の名前だ。それを買ってやるからとなだめすかして、母親はぼくを歯医者へ連れてきた経緯《いきさつ》があった。 「買う買う」  母親は二つ返事で答えた。それを確かめてからぼくは椅子に座り直し、口許《くちもと》の力を抜いた。と、その瞬間である。アーノルド波平は体に似合わぬ素早さでぼくの口を押し開き、歯と歯ぐきの間に脱脂綿をしこたま詰め始めた。まさにちぎっては詰めちぎっては詰め、という具合である。たちまちぼくの顔は、バカボンのパパみたいな輪郭になった(今ならば、湧《わ》いてくる唾液《だえき》を吸い取るバキュームの管を口内にズビズビ挿入されるところだが、当時はこの脱脂綿が唾液を吸い取る働きを果たしていたのである)。これだけ脱脂綿を詰め込まれると、口を閉じるのも容易ではなくなった。あまりにも予想外の事態だったので、ぼくはあんぐり口を開けたままアーノルド波平の顔を見やった。 「ちょっと痛いけど、男なら我慢だよ」 「トミーガンよトミーガン」  脇《わき》あいから母親が口を挟《はさ》む。大量脱脂綿攻撃に驚きはしたものの、まだ痛くはなかったので僕は「オゴオゴ」と返事をし、夢のトミーガンを脳裏に描いた。するとアーノルド波平は満足そうに微笑《ほほえ》み、何でもないことのように、 「痛い歯、抜いちゃうからね」  と言った。あまりにもいきなりである。ぼくはもうその言葉だけで気絶しそうになり、「オガオガ」と母親を呼んだ。 「抜くんですか?」  さすがに母親も心配だったらしく、すかさずそう訊《き》いてくれた。しかしアーノルド波平は少しもひるまず、既に小型の|ヤ《?》ットコを握りしめながら、 「永久歯じゃないですからね」 「ああそうですか」 「もうグラグラしてますよ」 「あ、グラグラですか」 「すぐですよ」 「じゃ、お願いします」  二人のそんな会話を、ぼくはおびえながら聞いた。いちばん不安だったのは、�エーキュウシじゃない�という言葉だ。ぼくはこれを�A級歯じゃない�という意味にとった。つまりA級の歯ではないから抜いちまえ、という乱暴な意見としてとらえたのだ。  ぼくの歯はB級だったんだ……。  そう思うと、恐怖のなかにも一抹の哀愁が感じられた。すると遠からずぼくの歯は次々に抜かれ、小学生で総入れ歯などというきわめてカッチョ悪いことになるのだろうか。何という不条理だろう。とほほほ。  というようなバカな想像をたくましくしている一方、アーノルド波平は電光石火のスピードでぼくの口をこじ開けた。左手で下顎《したあご》、右手に持ったヤットコの把手《とつて》で上顎を押さえつけたのだ。ちょうど突っかえ棒を噛《か》まされたワニのような具合である。 「オゴゴゴ……」  叫ぼうとすると、耳の奥のほうで歯がミシミシいう音が響いた。ヤットコの先が、虫歯を挟み込んで右へ左へと揺すり始めたのだ。脳の血管がブチブチ切れてしまいそうな激痛が弾けた。これは痛い。痛い痛い痛いーッ!  たちまち口の中が鉄っぽい味で満ちる。血が流れ出したのである。耳の奥ではめりめりめりめりィと、地獄の亡者がビーフジャーキーを噛み砕くような音がしている。アーノルド・シュワルツェネッガーみたいな太い腕がぼくの頬《ほお》から口にかけて押しつけられている。が、顔を見るとやはり磯野波平なのである。滑稽《こつけい》である。しかし笑っている場合ではないのである。  やがて歯のきしむ音が頂点に達し、突然あたりが静かになった。抜けたのである。まるで下顎ごと削《そ》ぎ落とされたような感覚だった。口の中全体がくまなく痛み、もうどの歯が痛いのか分からなかった。 「ほおらもう大丈夫」  アーノルド波平はぼくの口を押さえつけていた手を離しながら言った。ぼくは茫然《ぼうぜん》自失の状態で、あんぐりと口を開けたまま、母親のほうを見やった。 「よかったよかった」  母親が作り笑いで応《こた》える。 「よかったよかった」  アーノルド波平も言う。人をこんな目にあわせておいて、いったい何がよかったというのだろうか。ひとつもよかあないぞ、とぼくは心の底で思った……。  思い出すだに、ツライ経験である。とにかくこの残虐非道のアーノルド波平との出会いを皮切りに、ぼくと歯医者との終わりなき戦いが始まったのである(ま、戦うといってもぼくのほうは防戦一方なんだけど)。ある時は|阿佐ヶ谷《あさがや》で、ある時は吉祥寺《きちじようじ》で、またある時は西早稲田《にしわせだ》で、ぼくは歯医者へ通うたびにひどい目にあってきた。その体験だけで、本が一冊書けてしまうほどである。  ようするにぼくは昔から医者運が非常に悪いのである。歯医者だけに限らず、内科にしても外科にしても皮膚科にしても、ことごとくヤブ医者にかかってしまう。これは宿命とも呼べるのではないだろうか。しょっぱなの�アーノルド波平�をはじめ、吉祥寺では信じられないほど高齢でミイラのような顔をした歯医者�ヨイヨイ小林�に親シラズを無理やり抜かれたし。阿佐ヶ谷ではやたら女子大生のバイトを使い、お色気作戦で腕の悪さをカバーしようとする歯医者�六本木|薔薇夫《ばらお》�に、歯ぐきをメッタ切りにされたし。西早稲田では、笑気ガスを自由自在にあやつる怪人�ワハハ斉藤�に、気絶するほど麻酔をかけられた。  これらの奇人変人とも呼ぶべき歯医者たちは、皆一様に傍若無人なふるまいでぼくの口の中を凌辱《りようじよく》したのである。断じて被害妄想などではない。彼らがヤブ医者であることは、彼ら自身の証言からも明らかである。というのも、ヨイヨイ小林の治療した歯を六本木薔薇夫は「あーこりゃあずいぶん時代遅れの治療をしてあるなあ」と言い、六本木薔薇夫の治療した歯をワハハ斉藤は「こりゃヤブにかかりましたね!」などと言ったのである。  そして今。ぼくはまた歯が痛い。左下の奥から三番めと、右下の奥から二番めの歯がズキズキ痛い。  今度はどういう歯医者にヤラれるのかと思うと、憂鬱《ゆううつ》である。いっそ全部抜いちまって総入れ歯にしたろかい、と思い詰めるほどである。とほほほ。  床屋をめぐる困惑  髪が長くなってくるにつれ、ぼくは憂鬱《ゆううつ》になる。別に髪の長さがうっとうしくて、そういう気分になるわけではない。理由は他にある。  髪が伸びてくれば、そのまま放っておくわけにもいかない。床屋もしくは散髪屋あるいは美容院なる場所へ行って、髪を切らなければならない。これが苦手なのである。イヤなのである。  なぜ床屋が嫌いなのか。  これは一言では説明できない。様々な細かい�やや苦手�が積み重なって、�かなり苦手�になり、その�かなり苦手�がさらに積み重なって�スゲエ苦手�になる、という図式なのである。  例えば、鏡。床屋へ行くと必ず鏡と真正面に向かい合い、自分の顔と対峙《たいじ》するハメになる。あの鏡が、まず苦手なのである。床屋というのは髪を切られている間、何もすることがない。雑誌でも持って座らない限りは、どうしても正面の鏡を眺めることになる。当然そこには自分の顔が映っている。てめえのツラなんだから堂々と見りゃいいじゃねえか、というご意見もあろうが、なかなかそういうわけにはいかない。鏡の中の自分と目が合って、妙に照れてしまったりする。馬鹿みたいである。そこで生真面目《きまじめ》な表情をつくろうとするのだが、何だか上手《うま》くいかない。 「うーむ。俺の真面目な顔って、こんなヘンな顔だったのか」  と再認識をして、ひどく情けない気分に陥る。もう二度と人前で真面目な顔をするのはやめよう、ぜひやめよう、と心に誓ったりする。馬鹿みたいである。  自分の顔と見つめ合うのがイヤで、今度は視線を少し外す。するとしばしば、鏡の中で床屋のおやじと目が合ってしまう。これがまた何とも言えず気まずい。こういう場合、床屋のおやじはたいてい、 「ぬへへへ」  といった意味不明の笑顔を返してくる。いわゆる愛想笑い、というヤツである。そこでぼくのほうも、 「なははは」  といった意味不明の笑顔を返す。何だかワケ分からんけど一応笑っておこう、という何とも純日本風の�これつまらないものですけど�的な発想である。しかしながらいったんこの純日本方式を採用すると、鏡の中で目が合うたびに笑わなければならない。かくしてぼくと床屋のおやじは、鏡の中で「ぬへへ」「なはは」と意味不明の笑いの応酬を繰り返すハメに陥る。まるで『全日本お笑い応酬合戦』の準決勝みたいな様相を呈する。はっきり言ってこれは苦痛以外の何ものでもない。馬鹿みたいである。  鏡ひとつ考えるにつけ、床屋はこんなにも大きな苦痛に満ちている。むろんそれだけではない。  例えば、髭剃《ひげそ》り。  |志《?》賀直哉の短編小説の例をひくまでもなく、床屋での髭剃りというものは、命にかかわる。ギラリ輝くあのレザーを見るたびに、ぼくは少なからず戦慄《せんりつ》する。刃渡り十五センチの研ぎ澄まされたレザー。その銀色の刃は「んもう切れて切れてしょうがないもんね」とでも言いたげな光を放っている。床屋のおやじはそれを右手に持って、なめし革でさらにシャコシャコ研いだりする。まるでホラー映画のクライマックスみたいである。ぼくは著しく戦慄する。  続いて床屋のおやじはそのレザーを手に、ぼくの頭の上に覆いかぶさる。この瞬間が怖《こわ》い。いったい何の因果で、こんなヤツに命を預けなければならないのかと思ってしまう。床屋のおやじが不意に発狂しないという保証は、どこにもないのだ。ぼくの髭をジョリジョリ剃っているうちに、 「あーあ、どうして俺《おれ》はこんな野郎の髭剃ってんだろう。きたねえツラしやがって。ああ嫌だ嫌だ。一度でいいからシパッと切ってみたいなあ、こういう奴の喉《のど》。血なんかピューピュー出ちゃったりしてよ。あっと言う間に死んじゃうの。スカッとするだろうなあ。へっへっへ。やってみようかなあ……」  という考えを抱かないと、誰が断言できるのか。そうなった場合、いったい誰が責任とってくれるのか。日本政府か? 東京都か? それとも全国理容組合か? 「西早稲田のカンダ理容店のカンちゃんがちょっと手元くるったみたいで、ごめんなさいね。これお見舞い金です。二十万円。まあここはひとつ穏便にね。ふふッ」  とか言われても、こっちはおさまりつかんぞ。ええ、どうするんだ。喉からピューピュー出た血はどうするんだよッ。  と、思わず興奮して想像があらぬ方向へワープしてしまったが、とにかくぼくはそういう恐怖心もあって、床屋嫌いなのである。  ならばいっそ自分で切ったらどうだ、というご意見もあろう。当然、試してみた。床屋へ行く金も惜しかった貧乏学生時代に、何度かチャレンジしてみたことがある。とはいえ本格的にクシと鋏《はさみ》を持ったわけではない。今ではとんと見掛けなくなってしまったが、|ヘ《?》アーカッターという怪しげな器具を利用したのである。これは日本髪に挿すような形をしたクシの歯の間に、剃刀《かみそり》の刃が仕込まれているだけの単純な仕掛けで、髪の毛を�切る�というよりも�削ぐ�といったほうが適切な、乱暴このうえない商品であった。  しかしながらまだ弱冠二十歳で、渡る世間に鬼はないとタカをくくるジャンボリーな野郎だったぼくは、近所の雑貨屋でこの商品を発見するやいなや「これだッ」と叫んで狂喜してしまった。値段もたったの三百五十円。十年前の話だから消費税もない。三百五十円で一生床屋へ行かずに済むとは、何という超画期的な商品なのだッ、と感心したのである。  早速買い求め、いそいそと部屋へ帰ると、ぼくはわくわくしながら袋を開け、中の説明書を読んだ。一番上にはどでかい文字でキャッチフレーズが、 「ママも立派なとこやさん。ご家庭で簡単に整髪できる、なんとか社のかんとかヘアーカッター」  とか何とか書いてあり、その下に陸奥《むつ》A子がクシャミをしたようなイラストで、ママと息子が描かれていた。そのイラストのフキダシを読むと、 「ママ上手にやってね」 「まっかせなさい。ほらサッサカサー。はい出来上がり」 「ワア、とこやさんより上手だね」  というような会話が交わされていた。絵がもう少し上手だったら、それなりの説得力もあろうが、まるで妖怪《ようかい》親子みたいな絵なのである。普通ならこのイラストを見た時点で、なんか怪しいなー、と疑いを抱くところだが、何しろ当時のぼくはジャンボリーな野郎である。疑うどころか、 「なるほどなるほど、ママにもできるわけだな。サッサカサーであるわけだな」  などと感心し、ママにできて俺にできないはずはなかろう、と逆に自信を深めたのであった。我ながらおポンチである。  さて、説明書を読んですっかり自信を深めたぼくは、�ぼくも立派なとこやさん�を創業すべく、まず鏡を持ってきた。といっても大層な鏡ではなく、よく夜店なんかでやってる�どれでも百円セール�で買ったマガイモノだったから、顔全体がやっと映る程度の小さなものだ。これを本棚の三段めに立てかけ、続いて新聞紙を畳の上へ広げた。何とも言えず、ワイルドな床屋ではある。  次に何が必要かというと、そう、あの白い布である。首から下を覆って、髪の毛が体に付着しないようにするための清潔な布が必要である。ぼくはそれらしきものが辺りにないか、部屋の中を見回した。  手拭《てぬぐ》い……これは小さすぎる。第一貧乏くさい(もう十分貧乏くさいんだけどね。本人それに気づいてないの)ではないか。バスタオル……これも小さい。腹くらいまでしか隠れないではないか。シーツ……そうだシーツだ! シーツがあるではないか。  ぼくは立ち上がって押し入れのほうへ行きかけたが、ハタと思いとどまった。髪を切った後のことを考えたのである。シーツに髪の毛がいっぱい付着してしまっては、夜眠る時に困るではないか。いくらサイズがちょうどいいからといって、後先のことも考えずに使ってしまっては、結局馬鹿をみるのは自分だ。  ——いかんいかん。ふっ、青いな俺も。  と、田村正和的に自嘲《じちよう》し、シーツの使用はあきらめることにした。では、それに代わる大きな布というと……カーテン。そうだカーテンがあるではないかッ! カーテンならば少々髪の毛が付着したところで、痛くもカユくもない。なんちゅう賢い青年なのだ俺は、と自分の頭をいいこいいこしながらぼくは窓に飛びつき、カーテンを外しにかかった。  ところでそのカーテンというのは、今にして思うとずいぶんヘンな柄であった。ちょうど引越の時に使う布団袋の色で、一面にミジンコの拡大図みたいなわけの分からん模様が散っている、といったデザインである。一時ペイズリー柄なんてモノが流行《はや》ったが、あれを田舎《いなか》くさくした感じ(うーむ、上手く説明ができん)であろうか。とにかくヘンな柄であったことだけは確かである。  そのミジンコ柄のカーテンを取り外すと、ぼくは鏡の前へ戻り、広げた新聞紙の上へよっこらしょと腰を下ろした。いそいそとカーテンを首に巻き、鏡の中を覗《のぞ》く。  はっきり言ってものすごく異様な光景である。ちょっと想像してもらいたい。汚い六畳間の片隅に新聞紙が敷いてあり、ミジンコ柄のカーテンを首に巻いた二十歳のジャンボリー男が、神妙な顔で座り込んでちっこい鏡を覗いているのである。なんか前衛芝居みたいではないか。  それでもぼくは真剣そのもので、ボサボサの髪をまず水で濡らし、いよいよ問題のヘアーカッターを手にした。 「さあーて、どこから切るべきであろうか」  と、ぼくは迷った。説明書を読み返してみたが、どこの部分から切るべきかは書いてない。とにかく�サッサカサー�なのである。どこの部分から切るかなんて、そういう素人《しろうと》っぽい問題には一切触れずに、ひたすら�サッサカサー�なのである。�ワア、とこやさんより上手だね�なのである。 「果たしてそんなに切れるのだろうか?」  という疑いが、この時点でぼくの心に生じた。ヘアーカッターと銘打っているものの、よくよく見ればカッターナイフにクシを取りつけただけのような代物《しろもの》である。 「うーむ。どれ……」  と、ぼくは軽い気持で耳の上の部分の髪を引っ張り、ヘアーカッターで軽く撫《な》でてみた。するとどうだろう、 「ザクッ!」  という音がして、思ったよりもずっと大量の髪の毛がばらばらと新聞紙の上へ落ちた。ハッとして鏡を覗くと、耳の上の髪が見事に切れている。いや、見事すぎる。必要以上に切り落とされている。ぼくは唖然《あぜん》として、鏡とヘアーカッターと切り落とされた髪の毛とを交互に眺めた。 「これは大変なことをしてしまった!」  左の耳の上、つまり左側頭部の髪の毛だけが、猛烈に短くなってしまったのである。そういえば中学生の頃、父親の電気|剃刀《かみそり》を悪戯《いたずら》していて、片方の眉毛《まゆげ》を剃《そ》り落としてしまったことがあるのだが、その時以来のショックである。 「どうしよう……」  ぼくは泣きそうになったが、泣いたところで髪の毛が生えてくるわけではない。何度もうらめしげに鏡を覗き、発狂するほど迷った末に、反対側の耳の上の髪を切ることにした。ようするにバランスをとればいい、と単純に結論を下したのである。  ところが、この安易な発想がさらに大きな悲劇を招いたのである。確かに右耳の上の髪の毛は、左側とバランスがとれる程度にざっくり切れた。が、髪の毛というものは、耳の上だけに存在するものではないのである。耳の後ろにも頭のてっぺんにも目の上にも、ボーボー生えているものなのである。 「うーむ。これは……」  両耳の上の髪だけが異様に短くなった結果として、ぼくの髪型はまるで奇をてらった盆栽のようになってしまった。あわてて今度は前髪を切って丈を揃《そろ》えようとしたのだが、何しろ焦《あせ》っているものだから手元がおぼつかない。前髪もヘアーカッターの餌食《えじき》となって、必要以上に切りすぎてしまった。 「ひええッ!」  ぼくはほとんどパニック状態に陥って、あっちを切っては叫び、こっちを切っては叫んだ。もう、完全に取り返しがつかない。五分も経《た》たないうちに、ぼくは脱水機にかけられたウニみたいな不条理キワマリない髪型になった。悲惨である。悲劇である。  ぼくは新聞紙の上に大量の髪を散乱させ、ミジンコ柄のカーテンを首に巻いたまま、茫然《ぼうぜん》としてその場に佇《たたず》んだ。そして殺人的な切れ味を発揮したヘアーカッターを、ぽとりと落とした。確かに説明書どおり、サッサカサーである。サッサカサーすぎる結末である。  その夜、ぼくはショックで口もきけなくなって、まんじりともせずに朝を迎えた。そして十時になるのを待って、|ア《?》ポロキャップを被《かぶ》り、近所の床屋へと直行した。床屋のおやじは、ぼくの髪型を見るなり、 「何があったんです?」  と真顔で訊《き》いてきた。それほど不条理な髪型だったのである。 「いえあのー、ちょっと眠っている間にですね、酔っぱらった友達がふざけて、あのー、ざくざく切られちゃって」  と、ぼくは一晩かけて考え出した言い訳を口にした。床屋のおやじは眉をひそめ、 「こいつはひでえ」  と呟《つぶや》いた。そして、 「アイパーで整えるしかないですね」  と付け加えた。ぼくはアイパーがどんなものか分からなかったけれど、とにかく整えられるものなら、どんな方法を用いてもいいから整えてくれと嘆願した。すると床屋のおやじは自信満々の様子で、 「うけあいましょう」  と答えた。ぼくはホッと胸を撫《な》で下ろし、同時に不眠の影響もあって、うとうとし始めてしまった……。  数十分後、ふと目覚めて鏡を見ると、そこには歌舞伎町《かぶきちよう》で客引きをしていそうな、しけたチンピラが映っていた。何とそれがぼくだったのである。アイパーというのは、早い話がパンチパーマのことだったのである。ぼくは茫然自失の状態で神を呪《のろ》った。同時に、鏡の中で床屋のおやじと目が合う。彼はニカッと笑って、威勢よくこう言った。 「ハンサム一丁上がりィ」  ぼくが床屋を嫌っている理由は、これでよく分かってもらえたと思う。だからといって自分で散髪するわけにもいかない、という事情もご理解いただけたことと思う。  にもかかわらず、髪の毛は毎日どんどん伸びてくる。ぼくの憂鬱《ゆううつ》は、だからおさまることがないのである。  男はそれを我慢できない  東京というのはそれ自体かなりイカガワシイ都市であるが、その東京の中にあって最もイカガワシイ場所といえば、文句なく新宿|歌舞伎町《かぶきちよう》が筆頭に挙げられるだろう。確かに原宿《はらじゆく》の竹下《たけした》通りや六本木《ろつぽんぎ》のアマンド前なんかも相当イカガワシイけれど、これらはどちらかと言えばバカバカしい色合いが濃い。若い人が多いせいであろう。特に竹下通りなんかはたまに通りかかると、 「なんとかだぴー。ふんとかだぴー」  などと、やたらぴーぴーと語尾にくっつけて喋《しやべ》る小娘達が群れていて、すっかりオジさん化しているぼくは下腹部に困惑を覚え、思わず座り込んで下痢したくなっちゃうのである。ところがこういうぴーぴー小娘達も、歌舞伎町のどまんなか、例えばさくら通りあたりへ連れて来てぽんと置くと、さすがに神妙な顔になって、 「なんかあたしお家へ帰りたくなっちゃったの。ぴ〜」  と泣き事を漏らすに違いない。歌舞伎町にはそういう有無を言わさない、澱《よど》んだパワーがあるのである。  だいたい歌舞伎町という町名からしてイカガワシイ。何故《なぜ》�歌舞伎�なのか映画館やコマ劇場はあるけれど、いったいどこで歌舞伎をやってるのだ。それとも酔っぱらって歌ったり舞ったりするラリパッパ野郎がたくさんいるから、そういう名前がついたのか。まったくもって謎《なぞ》である。  特に今から六、七年前。新風営法施行前の歌舞伎町は、イカガワシイことこの上なかった。右を見てもイカガワシイ、左を見てもイカガワシイ、前を見ても後ろを見てもイカガワシイ、あーイカガワシイったらありゃしない、といった状況を呈していたのである。  その当時ぼくは二十代の前半で、スキあらばイカガワシイことをしたくってしょうがない青年であったから、当然のことながら歌舞伎町へは足しげく通った。とはいえ『|昭《?》和枯れススキ』的ビンボーに喘《あえ》いでいる身の上であったので、本格的に遊んだ、というワケではない。ただ単に歌舞伎町|界隈《かいわい》をブラブラしていただけである。  歌舞伎町のありがたいところは、当時のぼくのように財布の中にスキマ風が吹いているような者をも受け入れてくれる、という点である。お金がなくて、ただウロウロしているだけでも、結構楽しい。楽しいだけじゃなくて、それなりにイカガワシイ気分に浸れる。例えば町全体にはびこって「おらおらどうだどうだどうだスケベスケベスケベ」と言わんばかりのイキオイで輝いているネオンサインや看板の類《たぐい》。あれを眺めて回るだけでも、相当イカガワシイ気分になれる。 『お兄さんこちら。見えすぎちゃって困るの。ノーパン喫茶クレオパトラ』だの、 『見せます抜きます触れます。ファッションマッサージUSA』だの、 『エッチの殿堂、スケベの王国。覗《のぞ》き部屋ナニオ』だのと、んもう人間の頭脳の中で最もイカガワシイ思考力を総動員してあみだしたキャッチフレーズと店名が、あっちでビカビカ、こっちでビカビカ輝いているのである。当時のぼくのように血気盛んな青年たちは、このイカガワシイ看板やネオンを眺めるだけで、 「ううむ、見えすぎちゃって困るわけか。そうかそうか。見えすぎちゃうわけか。それは困る」 「おお。見て触って抜けるわけか。なるほどなるほど。いったい何を抜くのか、恥ずかしくてとても口にはできんが、とにかく抜けるわけか。まいったな」 「うーん、エッチの殿堂であるわけか。スケベの王国がここにあるわけだな。そうかー。知らなかったなあ」  などと一々|大袈裟《おおげさ》な反応を示し、それだけでもうすっかりイカガワシイ気分を味わってヘトヘトに疲れてしまうのであった。  看板類を眺めて回るだけでもこれだけイカガワシイ気分になれるのだから、金があって実際そのテの店へ行くという段になると、もうタイヘンである。歌舞伎町へ一歩足を踏み入れると同時に、全身これ好奇心のカタマリというか決死の覚悟というか、とにかくもう一メートル歩くごとに前頭葉の血管が一本ずつ切れちゃうッ、というくらい興奮してしまうのであった。  しかしながら歌舞伎町はこのように他愛もなく興奮しまくっている純朴な青年に対して、優しい愛の手を差し伸べるようなアマイ町ではないのである。もっとハードボイルドで、非情なのである。情け容赦ないのである。今はどうなのか知らないけど、当時の歌舞伎町は正に無法地帯というかオキテ破りというか、とにかくインド人もびっくりのやらずぶったくりが横行していたのであった。その手口たるや本当に酷《ひど》いもので、杏仁《あんにん》豆腐みたいにソフトきわまりないぼくのハートをツルハシでざくざく耕すような具合であったのだ。どれくらい容赦がないか、以下にその一例を紹介しよう。確かぼくが二十三歳だった頃の話である。  その晩、ぼくは友人二人と連れ立って、歌舞伎町のどまんなかにいた。色々と支障をきたすこともあろうから、とりあえずここでは仮名を使わせていただく。一人は真面目《まじめ》一徹、思い込んだら試練の道をゆくが男のど根性野郎、武蔵野飛雄馬という男。もう一人は自称日本一の無責任野郎、「まあいいか」が口癖のスチャラカ小西という男である。  ぼくらはかなり古い友人なのであるが、昔からどうも遊び下手なところがあって、三人で集まっても一体何をしたらいいのかよく分からないまま無為な時間を過ごしてしまう、ということがしばしばであった。普通の成人男子であれば、酒の一杯もひっかけて馬鹿騒ぎをするのが通り相場であろうが、残念ながらスチャラカ小西はまったくの下戸《げこ》である。酒がダメなら女遊びがあるさ、という話へもっていこうとすると、真面目一徹な武蔵野飛雄馬が首を縦に振らない。よおし、じゃあ博打《ばくち》だ博打、と盛り上がろうにも、三人とも金がなくてぴーぴーしている。  こんな具合だからぼくら三人は、集まってはみたものの、互いの顔色を窺《うかが》いながら、 「おい、今日どうする?」 「どうするって、どうする?」 「どうしよう」 「どうしようもないな」 「うーむ、どうしようもない」 「まあいいか」  などとボソボソ話し合い、自分たちが何もすることがないと確認し合うことで時間を潰したりしていた。まったくもって根本的に暗い。若いくせに覇気《はき》がないったらありゃしない三人なのであった。  しかしその晩は違った。どういうワケかぼくらは三人とも興奮状態にあった。大きな理由のひとつは、スチャラカ小西が大金を持っていたということが挙げられよう。大金、といってもたかが五万円ほどである。しかしながら当時のぼくらにとっての五万円は、現在の五百万円にも匹敵する金額であったのだ。いったい何時代の話だ、というご意見もあろうが、本当である。  とにかくスチャラカ小西の五万円のおかげで、ぼくらは三人ともひどく開放的な気分に浸っていた。別にそれを全部|遣《つか》ってよろしいというワケではないのだが、懐《ふところ》にあるだけでビンボー人は幸せな気分を味わえるのである。なかでも一番幸せだったのは持ち主であるスチャラカ小西で、何かこう、地に足がついていないような状態であった。  ぼくらはまず歌舞伎町で待ち合わせると、手近の大衆酒場へ入って酒を呑《の》んだ。この時ばかりは下戸のスチャラカ小西も快く付き合ってくれたのである。しかしながら後になってよくよく考えてみると、この時に呑んだ酒こそが、悲劇の引き金を引いたのかもしれない。酔ってさえいなければ、スチャラカ小西はあれほど金離れがよくならなかっただろうし、武蔵野飛雄馬にしても色気を出したりすることはなかっただろう。しかしまあその時は、 「これでいいのだグワッハッハッハ」  という怒濤《どとう》のイキオイで呑んでしまったのである。まったくビンボー人が持ちつけない金を持つと、ロクなことがない。  酒を呑んだ後、ぼくら三人は歌舞伎町の外れにあるバッティングセンターへと赴いた。よせばいいのに、酒が入ったところへもってきてバットをぶんぶん振り回したせいで酔いが回り、ぼくらはすっかり気が大きくなってしまった。さてここからが悲劇の幕開けである。 「うーむ、唐突だが、今夜は何かこう、エッチなことをしたい気分だぞ」  と言い出したのは、他ならぬぼくであった。ホンの軽い気持で、そう言ったのである。どうせ二人はノッてこないだろう、と高をくくっていたのだが、 「おお、俺もそういう気分だぞ」 「うむ、気分だぞ気分だぞ」  いつもは真面目一徹の武蔵野飛雄馬も、妙に軽いノリで答えた。これはまったく予想外の出来事であった。ようするに彼も酒に操られていたのである。意見の一致をみたぼくらは、口々に、 「エッチだエッチだエッチだぞう」  とわめきながら歌舞伎町を闊歩《かつぽ》し始めた。しかしながら三人ともそういう方面はからっきしの純情青年であったため、ただわめくばかりで具体的にどこへ行こうという当てもない。 「エッチだエッチだエッチだぞう」  とギャーギャーわめきながら、区役所通りから靖国《やすくに》通り、さくら通りからコマ劇場前へと、歌舞伎町|界隈《かいわい》をさんざん歩き回った末にすっかり疲れてしまい、 「これではあまりエッチではないぞう」  という結論に達した。当たり前である。エッチだぞう、とわめきながら歩くことのどこがエッチなのだッ。これではただの変態ではないか。そのことにハタと気付いたぼくらは、円陣を組んで真剣この上ない相談を始めた。議題はこうである。 『よりよいエッチはどこでするべきか』  難問であった。なにしろ辺りは見渡すかぎりのエッチの坩堝《るつぼ》である。どこがいいとか悪いとか、そういう判断を下す能力はぼくらにはまったくない。ああでもないこうでもないと話し合っているうちに、すっかり夜は更けて真夜中を過ぎてしまった。困ったなあ、やっぱりエッチだめかなあ、とあきらめかけたところへ、武蔵野飛雄馬が天啓にうたれたかのごとく、こんなことを言った。 「そういや昨日|11《?》PMでエッチな店のことやってたな。モンローって店」  ぼくとスチャラカ小西は色めきたち、それは一体どういう店か、と詰め寄った。 「えーとあのう、台の上にキレイなねーちゃんが並んで立っていてだな、客はこっち側のテーブルに座ってる。テーブルの上にボタンがついていて、これを押すと台の下から風が吹き上げる。ねーちゃんのスカートがぴらぴらーッとめくれてパンツが見えちゃう仕掛けなのだ」 「うーむ、それはいいッ」 「それはエッチだ」  ぼくとスチャラカ小西は口々に答えた。話は決まった。後はそのモンローという店を探し出せばよいのである。  ぼくらは再び「エッチだエッチだエッチだぞう」「モンローモンローモンローだぞう」「パンツだパンツだパンツだぞう」とわめきながら、歌舞伎町界隈を練り歩いた。しかしながらエッチの坩堝の中から、たった一軒のエッチを見つけ出すのは並大抵のことではない。そのうちにぼくらはまた疲労|困憊《こんぱい》してしまい、あーダメだこりゃあとあきらめかけた。  そこへ謎《なぞ》の男が歩み寄ってきたのである。いわゆる客引き、という奴である。そいつはコマ劇場の脇《わき》でぼくらと擦れ違うなり、 「兄さん兄さん」  と話しかけてきた。 「何してんの? いい店あるよ」  ぼくらは馬鹿正直に立ち止まり、謎の男と対峙《たいじ》した。茶色いスラックスに黒のニットシャツを着て�俺って客引きなの�と全身で主張しているような男である。普段なら無視して通り過ぎるところだが、何しろぼくらは酔っている上に、頭の中がエッチだぞうエッチだぞうという状態にあった。ついその男が全身から発しているイカガワシ光線に反応してしまったのである。 「いえあのう、ぼくたちはですねー、とあるお店を探しているのです」  よせばいいのに真面目な武蔵野飛雄馬がそう答えてしまった。謎の男はにやりと微笑《ほほえ》みを漏らし、 「それ何て店?」  と訊《き》き返してくる。すかさず武蔵野飛雄馬が答えた。 「モンロー、というお店です」 「あー、それウチ。ウチだよ。うれしいなあ、はいこっちこっち。このエレベーターで五階まで行ってね。あとはもう極楽浄土。エッチがあなたを待ってます。はいどうぞ」  ぼくらはアレヨアレヨという間にエレベーターの中へ押し込まれた。これは妙だ、何かが変だと思ったが、三人とも互いに遠慮し合っていて言い出せない。 「まあいいか」  とスチャラカ小西が口癖の台詞《せりふ》をつぶやくと同時に、エレベーターは早くも五階へ到着してしまった。扉がスルスルと開く。 「はいスケベ三名!」  真正面にある受付の中から、声がかかった。あまりにも図星だったので、ぼくらは返す言葉がない。確かにぼくらはスケベ三名以外の何者でもなかった。 「お一人様三千円になります」  受付の中からドスのきいた声が響いた。もう後には退けない状態である。もしシラフの状態であったなら、何とか切り抜けて下りのエレベーターに乗ったであろう。しかしぼくらは三人とも酔っていて、気が大きくなっていたのである。よっしゃよっしゃと受付の前へ立ち、軍資金を持っているスチャラカ小西に「払え払え」とけしかけた。 「あのー、ここ何ですか?」  三人分の九千円を払いながらスチャラカ小西がそう尋ねると、受付の中から、 「ノゾキだよノゾキ」  という答えが返ってきた。うーむ覗きか。それはそれでエッチだエッチだエッチだぞう、とぼくら三人は考えた。瓢箪《ひようたん》からコマ、と言えないこともないではないか。ことによるとスカートぴらぴらーッ、パンツ見えちゃう状況以上のものがあるかもしれない。あーもう辛抱たまらんぞ。  ぼくらは淡い期待に心を震わせながら、互いの顔色を窺い合った。三人とも同じようにニヤニヤしているものの、一抹の不安は隠し切れない。店内のインビな雰囲気に圧倒されているのである。  そこはビルの五階で、エレベーターを降りると、すぐ正面が受付になっている。受付の中には八丈島のモアイ像に似た、いかつい顔の中年男が不機嫌そうな表情で座っており、コワイったらありゃしないのであった。その受付から右手の方へと細い通路が延びているが、奥へ行くにしたがってかなり照明が落とされ、薄暗くなっているために、いったい何がぼくらを待ち構えているのか予想だにできないのである。  ぼくらは遊園地のオバケ屋敷の入口のところでイヤンイヤン、あんた先に行きなさいよ、イヤイヤあなたよあなたが先よ、とか何とか言って譲り合う女子高生三人組のような心境であった。なにしろ三人とも、こういう所へ入るのは初めてである。二の足を踏むのも当然のことといえよう。しかしながらその一方で、堪《こら》えようもない好奇心が胸の中で膨れ上がり、思わず鼻の下が二センチ五ミリくらい伸びちゃうのも無理ないことであった。  ぼくら三人は互いに二センチ五ミリずつ鼻の下を伸ばしたスケベ顔を見つめ合い、おい早く奥へ進めよ、と目配せし合った。しかし誰一人として歩を進めようとはしない。まさに膠着《こうちやく》状態である。このままでは一人三千円ずつ払ったのに、モアイ男の顔を見ただけで帰るハメに陥ってしまうではないか。それは悲しいッ、あまりにもミジメだッ。  そう思い至ったぼくは勇気をふりしぼって受付のモアイ男に、 「あのー、どうすりゃいいんですか」  と尋ねた。まったくバカ丸出しの質問である。モアイ男はうつむいて漫画雑誌を読んでいたのだが、ふと顔を上げ、ぼくら三人がまだ受付|脇《わき》に突っ立っているのに気付くと、ぎょっとした表情を呈し、 「どう、って。何がだ?」  と訊《き》き返してきた。 「あのー、だからですね、ぼくらはこれからどうすればいいのでしょうか」 「どうすればって、ここはノゾキだよ」 「ええあの、それはそうなんですけど、一体どこへ行ってノゾけばいいのか、ですね。それがあのー、しどろもどろ」  ぼくはもう泣きそうな気分で訊いた。なにしろモアイ男の声ときたら、薄いガラスくらいなら割れそうなほどの衝撃波を伴っていて、スゲエ迫力であったのだ。今にも立ち上がって殴りかかってくるのではないかと、ぼくら三人はビクビクしてしまった。 「奥だよ奥。奥へ行って、左っかわにドアが並んでるからよ、開いてる部屋へ入ればいいんだよ」  モアイ男はいかにも面倒臭そうに言い放ち、再びうつむいて漫画本を読み始めた。まさに味もそっけもない対応。ぼくは助けを求めるような視線を、仲間の二人へと向けた。 「というわけで、こっちなのだそうだ」 「うむ。そうだな」 「そういうことだ」  ぼくらは顔を見合わせて囁《ささや》き、互いを鼓舞するかのように何度もうなずいた。何かこう、財宝の隠し扉を押し開くインディ・ジョーンズの気分である。いざいざ、と励ましあってぼくらは一列になり、一歩一歩慎重に通路を進み始めた。この一歩は確かに小さな一歩には違いないが、エッチにとっては偉大なる一歩である、と月面着陸を果たしたアームストロング船長さながらの興奮であった。  通路の左手にはモアイ男の説明通り、ずらりと扉が並んでいた。安っぽい壁で仕切られた個室である。学校の便所みたいな様子、と説明すれば適当だろうか。あたりには何とも言えぬエッチな匂《にお》いが漂っている。それぞれの扉は、ぴったりと閉じているものと、わざとらしく半開きになったものと、二種類あった。閉じているのは『使用中』、半開きなのは『未使用中』というわけである。  ぼくらは各々半開きになった扉の前に立ち、互いに相手を牽制《けんせい》しあった。エッチなことを期待して店へ入ったくせに、何となく恥ずかしいのである。だからいざ個室の中へと別れる寸前になって、 「ちぇ、嫌だけどしょうがねえなあ」  というポーズをつくったのである。まったく馬鹿みたいだが、思春期の青年というのは非常にしばしば、このテのポーズをつくりたがるものなのである。ぼくらは各々、ちぇ嫌だけどしょうがねえなあポーズをつくることで、責任を互いに押しつけ合いながら、扉の中へと消えた。  中へ入ると、マッハのスピードで内鍵《うちかぎ》を掛ける。これでこの部屋は個室になったわけである。ふっふっふ。『個室』。なんというエッチな響きであろうか。どんなモノでも『個室』と語頭に付けるだけで、たちまちエッチな色合いを帯びてしまう。個室喫茶、エッチである。個室浴場、エッチである。個室ビデオ、エッチである。個室マッサージ、エッチである。この流儀でいくと、個室ズボンとか個室リカちゃんとか個室ぬか漬《づ》けとか個室土井たか子とかいう単語まで、エッチに思えてしまうから不思議である。  ぼくはその部屋が『個室』であるということだけでもうすっかり興奮し、ふがふがと荒い息をしながら、あらためて個室の中を見回した。  室内は、畳一枚くらいの狭さである。椅子《いす》が一脚とゴミバコ、それからティッシュペーパーが置いてあるだけで、他には何もない。実にシンプルである。シンプルではあるが、真正面の壁に目をやると、縦八十センチ横三十センチほどのガラス窓がちゃあんと開いている。これこそ例の、噂《うわさ》の、あこがれの、エッチ人間|御用達《ごようたし》の、マジックミラーというやつに違いない。つまり�こちらからは見えて向こうからは見えないミラー�というヤツである。何ちゅうマジックなミラーであろうか。まさにマジック、マジッカー、マジッケストである(この英語は間違っているので、よい子のみなさんは真似《まね》しないようにね。お兄さんからのお願い)。とにかくぼくはそれくらい興奮しまくって、耳から血が出そうになった。マジックミラーがあるということはその向こう側に、覗《のぞ》くべき対象があるわけである。極楽浄土のエッチが繰り広げられているわけである。  うわあ、どうしようどうしよう。まいったなこりゃあ。などとぼくは一人で照れながらも、大ハシャギで覗き窓にへばりつき、エッチ丸出しの馬鹿面でわくわくしながら中を覗いた。  と、これは一体どういうことであろう。  そこに見えたのは、ぼくが予想していた風景とはまったく違うものであった。六畳くらいの広さ、蛍光灯が寒々しく点灯していて、あからさまに室内の様子を照らし出している。中央には会社の研修室などに置いてありそうな細長い机が据えてあり、灰皿だの雑誌だのが散乱している。全体的な印象は、従業員の控え室、といったオモムキであった。どう見てもエッチとは程遠《ほどとお》い。  ぼくは首をかしげ、狐《きつね》につままれた気分でもう一度マジックミラーの中へ目を凝《こ》らした。すると、さらに驚くべきことを発見したのである。部屋の隅に古ぼけたソファが据えてあり、そこにオバサンが一人腰を下ろしていたのである。しかもオバサンは、カップラーメンを食べているのである。 「いったいこれは何なのだッ?」  ぼくは口に出して自問した。普通ノゾキ部屋といえば、マジックミラーの中にぴちぴちむふむふうへへへのギャルがいて、ナヤマシげな秋波を送ってきたりするものではないのか。そして一枚ずつ衣服を脱いだりしちゃうものではないのか。ぼくが観《み》た深夜テレビでは、確かにそういう様子が映し出されていたはずだが。それなのにそれなのに、どうしてオバサンがカップラーメンを食べているのだッ。ぼくら三人は、オバサンがカップラーメンを食べるところをノゾくために、一人三千円もの金を払ったのか?  ぼくはあんぐりと口を開け、ただボーゼンとマジックミラーの前にたたずんだ。部屋の隅でカップラーメンを食べ終えたオバサンは、よっこいしょという感じで腰を上げ、小指の爪《つめ》で歯の隙間《すきま》をほじくりながら、ぼくらが覗いているマジックミラーの方を見やった。  オバサンもオバサン、超オバサンである。一応髪型だけは若ぶってソバージュか何かにしているが、手入れが悪いために三原山爆発というか|魔《?》女ゴーゴンというか林家ペーというか、とにかくもう頭だけが異様にでかく見えるのである。しかも前歯のうち、三本は金歯。誇張しているわけではなく、本当にそういうオバサンだったのである。  オバサンは面倒臭そうな足取りで、しばらく室内を行ったり来たりしている。ぼくをゾッとさせたのは、そのファッションである。よせばいいのにミニのネグリジェを着て、黒いパンツとブラジャーをつけているのである。しかし体の線はどうしようもなく崩れ、一足ごとにたぷたぷと音を立てそうなのだ。一見して、頼むから何か服を着てくれいッと嘆願したくなる醜さであった。  オバサンは檻《おり》の中の熊《くま》さながらの足取りで室内をのっしのっしと歩き回り、ふと足を止めると、ぼくのいる個室の方を見た。ぼくは森の中で偶然|妖怪《ようかい》の巣を発見してしまった子供のように、息を殺し、神に祈った。唯一《ゆいいつ》の救いは、向こうからこちらが見えないという一点である。これがもし透明なガラスだったら、ぼくは卒倒していたかもしれない。  ところが次の瞬間、予期せぬ出来事が展開した。オバサンがそのままぼくのいる個室の方へ歩み寄って来、手を伸ばしたかと思うと、マジックミラーの嵌《は》まった壁をがばあッと引き開けたのである。 「どひゃあッ!」  と、ぼくは心底驚いて叫び声をあげてしまった。よもやその壁が扉になっていて、向こう側から開けられるなんて、予想もしていなかったのである。オバサンは有無を言わさぬ怒濤《どとう》のがぶり寄りで、ぼくの個室の中へどかどか入って来た。ぼくは腰を抜かしそうになり、おたおたと後ずさった。 「いくら持ってんの」  いきなり何の前置きもなく、オバサンは言った。ぼくのオフクロそっくりの声であった。 「なななななんです?」  ぼくはショックから立ち直れずに、震え気味の声で訊き返した。 「お金よお金。いくら持ってんのよ」 「おかおかおかお金って、だってあのう、うううう受付で払いましたよ」 「馬鹿ね。あれは入場料! ここへ入るだけで三千円なのッ。入って何かしたいんなら、別にお金がいるのよ。当然じゃない」 「ななな何かって、何するんです」 「馬鹿じゃないのあんた。私と何かイイことしたいんなら、お金がいるって言ってんのよ。いくら持ってんの」 「もももも持ってません」  このオバサンと何かイイことするくらいなら、マレー熊や|八《?》丈島のきょんと何かヨクナイことする方がよっぽどマシだ。ぼくは本気でそう思った。が、オバサンは蛇のような執念深さで食い下がってくる。 「持ってないって、五千円くらいあるでしょうが。ないの? じゃあ二千円は?」 「なななないんです」 「じゃあ千円は? 千円札一枚も持ってないのかよッ」 「とととと友達にオゴって貰《もら》ったんです。ぼぼぼぼくは無一文でして……」 「けッ、ロクデナシ。おととい来なッ」  オバサンはそう言い棄てると、猛烈なイキオイでぼくの個室を後にした。まさに台風一過。アリゾナの大ハリケーンが通り過ぎた後のような、荒寥《こうりよう》とした気分である。結局今のはいったい何だったのだ、とぼくは混乱した頭の片隅で考えた。何故《なぜ》お金を払ってまでこんな目にあわねばならないのか、どうしても理解できなかった。と、二つ置いた隣の個室あたりでバタバタと物音が響き、同時に、 「どひゃあ!」  という武蔵野飛雄馬の短い叫び声が聞こえた。ぼくは反射的に耳を澄ませた。どうやらあのオバサンはぼくからお金を取ることを諦《あきら》め、新たなるターゲットを探し求めて、マジック扉を次から次へとがばがば開けているらしいのである。ぼくは驚愕《きようがく》する武蔵野飛雄馬の表情を思い浮かべ、哀れで哀れで居たたまれなくなった。  そこでうつむきがちにその個室を後にし、ついさっき胸を躍らせながら入って来た通路をトボトボと戻った。受付のモアイ男の脇を通り抜け、エレベーターに乗って一階まで下りた。目をつぶると、振り払っても振り払っても、あのオバサンの金歯とカップラーメンを食う姿が浮かんでくる。  五分後、武蔵野飛雄馬がやはりがっくりとうなだれてエレベーターで下りて来た。ぼくらは一瞬だけ見つめあい、すぐに目を逸《そ》らした。互いに、何と言ったらいいのか言葉を失った状態であった。  さらに五分後、今度はスチャラカ小西がエレベーターから下りて来た。彼はぼくら二人を見つけると、ウメボシを食う森進一みたいな表情を垣間《かいま》見せた。その気持は、痛いほどよく分かった。何しろ三人分の九千円を出したのは、他ならぬ彼なのである。ぼくら三人は無言のまま、うなだれて歌舞伎町を後にした。そして約三ヵ月、精神的ダメージから立ち直ることができなかった。  このホラーな出来事に遭遇してから、既に七年近く経過している。しかしぼくらの傷は完全に癒《い》えているわけではなく、未だに真夜中、カップラーメンを食うオバサンの悪夢にうなされることもしばしばなのである。歌舞伎町というのは、本当におそろしい場所である。  ミョーな奴は銭湯にいる  ぼくは現在西早稲田に住んでいるのだが、学生街という場所柄もあってか、この近辺には非常に銭湯が多い。ちょっと辺りを散歩すると、すぐに三軒や四軒の銭湯の前を通過することになる。通りがかると、 「お、銭湯か……」  といちいちぼくは反応してしまう。銭湯というものには、人の気を惹《ひ》く得体の知れない引力があるらしい。まずあの暖簾《のれん》。 『ゆ』  と一文字書いてあるだけなのだが、このシンプルさがかえって気を惹くのである。 「うんうん。ゆ、だなあ」  と何となく立ち止まって眺めてみたくなってしまう。眺めていると『ゆ』という文字に合わせて、腰の辺りをクネクネさせたくなるのである。 「これがもし�ゆ�ではなく、�ま�だったり�ぺ�だったりしたら、困るな」  などとあらぬことを考えたりする。例えば銭湯の暖簾に�う�と書いてあって、入ってみると湯船にぎっしり鵜《う》が浮いていたりしたら相当気味悪いな、などと思い描いた末に、 「�ゆ�でよかった」  としみじみ噛《か》み締めたりする。第一、かな一文字がこうも似合う商売というのは、他になかろう。歯医者の入口に�は�なんて書いてあっても絵にならんし、床屋や美容院の入口に�け�と書いてあったら妙に不潔な感じがする。ましてや外科の扉に�ち�なんて書いてあったら、誰も患者が寄りつかないであろう。そういう意味でも、銭湯の�ゆ�はエライ。ううむとウナらせるものがある。  さて、続いて暖簾の奥を覗《のぞ》き込む。と、例の銭湯風下駄箱とでも呼ぶべきものが目につく。これもなかなかのクセモノである。特に少年時代、壁面をびっしりと占めるこの番号札付き下駄箱に、ひどく興奮した覚えがある。番号が付いているところがミソなのである。少年たちは銭湯へ行くと、まず下駄箱の何番が空いているかをスルドイ視線で確認し、運良く1番や3番が空いていると、 「はあはあ」  と息が上がってしまうほど興奮して、自分の靴をそこへ入れた。1番3番は、言うまでもなく王、長嶋の背番号である。銭湯の下足札の3番を手に入れたからといって、別に巨人に入団できるわけではないのだが、少年というのはこういうツマランところに命懸けちゃう生き物なのである。中には「どうしても3番じゃなきゃイヤッ」と異様なほどのコダワリを示し、3番の下駄箱が空くまで入口の所でじーっと待っている奴もいた。こういう奴は後にイワユル『オタク』と呼ばれる青年に成長しているのではなかろうか、とぼくは推測している。  ともあれこういった少年時代のコダワリというのは、結構後々まで尾を引くもので、大学に入学し一人暮らしを始める頃になっても、銭湯へ行くたびにやはり1番3番へ目が行ってしまう。二十歳を過ぎたいい若者が下足札を握りしめて、 「今日は長嶋か。幸先いいぜ」 「34番……金田か。ふっ、渋い選択だ」  などと考えている図はどうにも奇っ怪であるが、まあ男というものは幾つになってもこういう馬鹿な面を払拭《ふつしよく》し切れずにいるものなのである。  ぼくが最も繁く銭湯へ通ったのは、やはり大学時代。今から十年ほど前のことになる。当時の入浴料は、確か百二十円くらいから始まって、しょっちゅう値上げがあり、卒業時には二百円の大台に乗る寸前までいった記憶がある。  一番最初に安アパートを借りたのは、西武新宿線沿線の西武柳沢《せいぶやぎさわ》という場所で、ここにいた時に通っていた銭湯はなかなか思い出深い。夜十時頃に入浴すると、必ず顔を合わせるミョーなじじいがいたのである。  そのじじいのどこがミョーだったのかというと、まず顔と体。顔だけ見るとカンペキなじじいで、まあ七十は下るまいと思わせる皺《しわ》具合である。頭はつるんっと禿《は》げ上がり、白髪《しらが》が耳の後ろへ申し訳程度残るばかり。歯は総入れ歯マチガイなし。前から見てもじじい。後ろから見てもじじい。横から見てもじじい。ようするにじじいの顔なのである。  ところがその体は、妙に筋肉質で若々しいのである。逞《たくま》しいと言っては褒《ほ》めすぎだが、なかなかマッチョなのである。少なくとも七十のジジイの体には見えない。どう見ても四十代、湯気の中で見れば三十代の体に見えないこともなかった。  この顔と体のアンバランスぶりで、じじいは銭湯の有名人であった。たいていの客はこのじじいを見ると、ギョッとした。最近、バイオテクノロジーの遺伝子組み換えにより、メロンとカボチャの合成果物『メロチャ』というモノができたと新聞発表があったが、じじいの容姿にはそれと同様の滑稽《こつけい》で不気味な印象があった。その命名法に沿うならば、こいつはじじいと若者の合成人間『じじワカ』ということになるだろうか。まことに異形である。例えば脱衣場の鏡に向かっている時などに、背後からぬっと出てこられたりすると、 「むッ、出たな|シ《?》ョッカー! とーッ!」  と叫びたくなってしまうようなオドロキがある。しかしながらじじいのほうでは、そういう目で見られることが嬉《うれ》しいらしく、いつも上機嫌で湯船に腰掛けたり、脱衣場をうろついたりして、なかなか帰ろうとしないのである。当初はただビックリするばかりで、口をあんぐり開けて遠巻きに眺めていたのだが、そのうちに何だか鬱陶《うつとう》しくなってきた。そりゃそうである。妙に逞しいじじいが裸でうろうろしている様子なんて、やっぱキモチ悪いではないか。だからぼくはそのじじいと会っても、見て見ぬふりをするようになった。ところが、じじいには耳目を集める必殺の奥の手があったのである。  じじいは周囲の目が自分に向けられていないことを察知すると、不意にその場へひれ伏し、もの凄《すご》いイキオイで腕立て伏せをし始める特技があった。これがもう凄いの何のって、並みの腕立て伏せではないのである。マンガならばじじいの体の周囲に「バッバッバッバッバッ!」とか擬音のフキダシが入りそうなイキオイ。ハイ・スピード、ハイ・クオリティな腕立て伏せなのである。当時二十歳のぼくでも、あんな凄い腕立て伏せはできなかったと思う。それを推定年齢七十のじじいが、いきなり何の予告もなく、湯船付近のタイルの上とか脱衣場のアンマ機の辺りとかでやり始めるのである。しかも、当然じじいはフリチンである。この事実が腕立て伏せに一種独特の力強さを与えていたことは言うまでもない。じじいの逞しい腕がしなり、 「バッバッバッバッバッ!」  と体が激しく上下すると、それに合わせて下半身のフリチンも、 「ぺたぼたぺたぼたぺたぼた!」  と、まるで発狂した振り子のように、腹や内股《うちもも》を叩《たた》きまくるのである。まさに戦慄《せんりつ》のパフォーマンス。じじいが腕立て伏せを始めると、入浴中の客たちは一人残らず言葉を失い、体や髪を洗う手を止めて注目した。男湯全体が、水をうったようにシーンとなる。そこへひときわ異質な、 「ぺたぼたぺたぼたぺたぼた!」  という発狂フリチンの音が響きわたるのである。何ちゅうかこう、末期的というか世も末というかお前ええかげんにせえよ的というか、とにかく言葉がない。  じじいはそうやって周囲を瞠目《どうもく》させることが自慢であるらしく、銭湯に来ると必ず一回はこの戦慄のパフォーマンスを演じてみせた。ひとしきり腕立て伏せをし終わると、実に満足そうな笑顔を浮かべ、悠々と腕を揉《も》んだりするのである。まったく思い出すだに、ハタ迷惑なじじいであった。  さて西武柳沢に二年ほど住んだ後、ぼくは吉祥寺《きちじようじ》、高田馬場《たかだのばば》、神楽坂《かぐらざか》、東長崎《ひがしながさき》、下北沢《しもきたざわ》と、短期間に多くの引越を経験した。もちろんそのたびごとに通う銭湯も代わったわけであるが、不思議なことにどの土地の銭湯へ行っても、この腕立てじじいみたいな変人が、最低一人は存在するのである。これはぼくが変人と出会いやすい宿命を背負っているためか、はたまた単なる偶然か、よく分からない。けれどとにかくどこへ行っても、銭湯には必ず変人がいたのである。  紙面の都合上、全部紹介できないのが残念だが、ここではもう一人、神楽坂の銭湯で出会ったウルトラ変な奴を紹介しよう。  神楽坂に住んだのは大学四年生のごく一時期である。銭湯は、ぼくのアパートから歩いて五分ほどの所にあった。引越をしたその夜に、汗を流そうと思って初めてこの銭湯を訪れたところ、かなりのカルチャー・ショックを受けた。  何しろもの凄くキレイな銭湯だったのである。今までに体験したどの銭湯よりもピッカピカで、チリひとつない。脱衣場の床なんかワックスでつるつるしていて、顔が映るんじゃないかと思えるほどであった。もちろん装備も充実している。カランの全てにシャワーがついているのはもちろん(当時の銭湯は壁際のカランだけにシャワーがついているのが普通だったのよね)のこと、上がり湯のための立ち浴びシャワーまで二機あった。湯船も広く、しかも四つ(これは画期的なのである)に分かれている。普通の熱さの湯船、熱めの湯船、ジェット水流で細かい泡が噴き出ている湯船、そしてキワメツキが、 「エレキ風呂《ぶろ》」  と表示された湯船である。この表示を見たとたん、ぼくはエレキギターを抱えて湯船に浸かる加山雄三を思い浮かべたが、むろんそういう意味ではない。弱電流が湯の中を通っていて、皮膚を刺激し、血行を良くする働きがある。何だかオソロシげではあるが、入ってみると何ちゅうかこう、コカコーラの中に身を沈めているような感触なのである。気持がいいと言えばキモチイイ、気持が悪いと言えばキモチ悪い。ヘンな感じである。  しかもここの銭湯にはもうひとつ特徴があった。サウナである。銭湯のくせに、脱衣場の隅にサウナが付随していたのである。ただしこのサウナだけは、別料金三百円也を払わなければ入っちゃいけないのであった。したがって貧乏学生のぼくなどには、ちょっと敷居が高くて、なかなか入る気になれなかった。何ともクヤシイ。かんともウラヤマシイ。  このサウナのせいで、銭湯内には微妙な階級分けの雰囲気が漂っていた。つまり別料金を払ってサウナに入るリッチ階級と、払えずに横目で眺めるだけのビンボ階級である。料金といっても高々三百円、同じ銭湯通いのサミシイ身の上じゃねえか、と言ってしまえばそれまでだが、階級というのはビンボであればあるほど細分化するものなのである。  だから三百円を払うリッチ階級の奴は、汗をだらだら流しながらサウナから出てくると、脱衣場にいるビンボ階級の連中へちらりと視線を投げ、 「ふっ、ビンボ人がよ……」  とでも言いたげな、蔑《さげす》むような笑いを浮かべるのであった。目糞鼻糞を笑うとは、まさにこのことである。  さて、たった三百円の差が生み出すリッチ階級の中に、特別変わった男が一人いた。年齢は三十代半ば。小太りで、少々ヤクザっぽいヘアースタイル。杉良太郎が階段から落ちたような顔をしているが、本人はえらく男前だと信じている様子なのである。  そいつはいつも午後八時半前後に、大型洗面器にエステティック・グッズを山もりにして現れた。普通、男が一人で銭湯へ行く場合、タオルに石鹸《せつけん》シャンプー、リンスくらいが妥当なセンである。ところがそいつは髭剃《ひげそ》りや大型ドライヤー、シェービングクリーム、アフターシェーブローション、乳液、オーデコロン、ヘアーリキッド、洗顔用石鹸、爪切《つめき》り、ヤスリ、綿棒、毛抜き、バンドエイドの類《たぐい》に至るまで、ありとあらゆるエステティック・グッズを持って銭湯へ来るのである。そこまでお洒落《しやれ》を気にかけ、お肌の手入れに熱心な男が、何が悲しゅうて風呂なしの部屋に住んどるのだあッ、とぼくは言いたかった。そいつはまず番台で入浴料と、サウナ料金三百円也を払うと、 「俺《おれ》、三百円払ったんだもんね。どうだどうだどうだ。まいったか。ん!」  と言わんばかりの表情で周囲を見渡すのだった。そしてオモムロに脱衣ボックスへ歩み寄り、山もりのエステティック・グッズを鏡の前の台の上へ並べ始めるのである。それから、一枚ずつ衣服を脱ぐのであるが、この様子が何とも変態チックであった。  一枚脱いでは鏡に自分の姿を映して、しばらくじーっと眺め、また一枚脱ぐ、という行為を繰り返すのである。そして最後の一枚、黒いブリーフだけになると二、三歩後ろへ下がり、全身をくまなく見つめながら、 「ぽろりんちょ」  とブリーフをめくる。しかしすぐには脱がない。半分ぽろりんちょ略して半ポロの状態で、しばらく眺める。後ろを向いて、ケツも眺める。それからようやく全部ぽろりんちょ状態にして、ブリーフを膝《ひざ》の辺まで引き下げ、またじーっと眺める。ケツも眺める。今度はブリーフを踝《くるぶし》まで下ろして、また眺める。というような変態パフォーマンスを延々、二十分もやるのである。  ようやく全裸になったそいつは、まずサウナに入る。十分近く入って、ゼーゼーと息を切らしながら出てくると、すぐに鏡の前へ来る。汗まみれの自分の裸を映して、またじーっと眺める。ケツを眺める。またサウナへ入る。出てくると、また鏡の前へ行く。じーっと眺める。ケツも眺める。時々靴下だけ履《は》いてみたりする。  こんなことを飽きもせずに繰り返してから、ようやく洗面器を持って湯船の方へ行くのである。あんまり時間がかかるもんで、一部始終を目撃したことは一度もなかったが、とにかく変人である。あの西武柳沢の腕立て伏せじじいに勝るとも劣らないインパクトである。この男の場合も、局囲の辟易《へきえき》を本人は一向に気にしていない様子であった。カンペキに自分の世界へ入れるというのは、変人に共通する才能であるらしい。  ま、いずれにしてもしばらく銭湯通いをすれば、必ずやミョーな奴を目撃することができるはずである。最近はすっかり御無沙汰《ごぶさた》してしまっているが、タマには刺激を求めて銭湯へ行くのもいいかな、と思う今日この頃である。  肉マン地獄の夕べ  今をさること十年ほど前の話。大学二年生の十一月下旬のことだ。  秋の大学祭に、ぼくはクラスの友人たちと組んで、校内に模擬店を出そうという計画を練った。おしるこ屋でもやって、がっぽがっぽと儲《もう》けようではないか、という何ともフトドキな考えのもとに有志を募ったのである。何故《なぜ》おしるこ屋なのかというと、友人の一人がこんなことを言ったからである。 「まずおしるこの素、つまり餡《あん》を買うだろ。そこへお湯を注いでおしるこを作る。で、これを売るわけだ。売れ行きがよくて鍋《なべ》の中味が減ってきたら、お湯を足す。味がうすくてもおしるこはおしるこだ。減ってきたら、お湯を足す。減ってきたらお湯を足す。と、こういう具合にすれば、いつまでたってもおしるこは減らないのだ。ゆえに、おしるこ屋は原価がほとんどかからない。ヤキソバ屋とかクレープ屋だとこうはいかないのだ。うわっはっはっはっは!」 「なるほどッ」  とぼくらは膝《ひざ》をバシバシ打って感心した。確かにその悪徳商法を採用すれば「儲かってしょうがありまへんがなあんさん」的状況を呈することは必至であった。まったくフトドキ極まりない、志のひくーい学生もいいとこである。ぼくらは、 「いよおおし! おしるこをどんどんうすめて、単なる�おしる�になろうとも、売って売って売りまくるぞお!」  と妙にこういうとこだけ団結して、この悪い計画を実行に移した。  ところが。  やはり神様というのはいらっしゃるのですね。ちゃあんとバチをお与えになった。模擬店の場所取りの抽選の末にぼくらが得たのは、最低最悪、これ以上悪い場所はないッという中庭の隅っこのゴミ捨て場の隣であった。人通りなんかほとんどなく、誰も寄りつかないような場所である。  ぼくらは大学祭前夜こそそれなりに盛り上がってこの場所に模擬店をしつらえ、大丈夫大丈夫なんとかなるさと互いにヤケクソで励ましあったが、初日をあけてほとんど客が来ないことを知ると、暗澹《あんたん》たる気持になった。本当にまったくぜーんぜん客が来ないのである。ぼくらはこの模擬店を�大草原の小さなおしるこ屋�と呼び、 「大草原を横切るのは、ただ乾いた風ばかりでございました。ひょおおおー」  などと冗談を言い合ったが、ちっとも可笑《おか》しくなかった。客がないので、おしるこはお湯でうすめるどころか、どんどん煮詰まってしまい、科学用語でいうところの�ゲル化�の様相を呈した。捨てるのも勿体《もつたい》ないので、仕方なくぼくらは一人五杯も六杯もゲル化おしるこを食べ、その余りの不味《まず》さに発狂しそうになった。  結局三日間の大学祭を終えてみると、ぼくらのおしるこ屋は儲かるどころか、十万円近くの負債を抱えて見事に倒産した。のちにぼくらはこの一件を�|ゲ《?》ル化おしるこの悲劇�と呼んで長く語りついだのだが、まあそんなことはともかく、模擬店責任者のぼくと友人のEは借金を抱え込んでしまったワケである。十万円といえば、当時の貧乏学生にとっては大金である。ちなみにその頃ぼくが住んでいた汚いアパートの家賃は二万一千円だった。十万円は天文学的数字といっても過言ではなかったのである。  さて今回の話は、実はここから始まる。  負債を抱えたぼくとEは、これを返済すべく、短期間でワリの良いアルバイトを探すことになった。Eの話によれば、西武新宿線の下落合《しもおちあい》駅の近くに学徒援護会というのがあって、そこへ行けば短期のアルバイトをわんさか紹介してくれるという。よし、ではそこへ行こうではないかと相談がまとまり、ぼくらはむふむふと鼻息も荒く、下落合へと向かったのである。  学徒援護会というのは、古い公団住宅みたいな建物の一階にあった。入ると、中は大学の就職課じみた雰囲気で、三方の壁をばかでかい黒板が占めている。そこに、紹介してくれるアルバイトの内容や条件が「おらおらおら働け働けおらおらおらッ!」という怒濤《どとう》のイキオイで書かれているのである。館内にはウス汚い格好をした学生たちが、 「俺って貧乏なの」 「もう十日も風呂《ふろ》入ってないの」 「御飯に即席ラーメンかけて食ってんの」  とでも言いたげな面持ちでわんさかタムロしている。入ったとたん、ぼくはその頃読んでいたソルジェニーツィンの小説を思い出してしまった。 「うーむ。これは何ちゅうか東京中の貧乏学生のフェスティバルみたいな所だな」  ぼくとEはそんなことを囁《ささや》き交わしながら、黒板の前に立った。白墨でがっしがっしと書かれたアルバイト内容を、上から下へと物色し始める。ざっと見たところ、時給が良いのはやはり肉体労働関係。仕事がキツければキツいほどギャラも良いというのは、まあ今も当時も変わらない。しかしできることならそういうのは避けたいと思うのも、これ人情である。 『土木配管工事見習い。七時から二十時。日給六千円。交通費五百円迄支給。弁当付』  なんてのは、いくら弁当が豪華でも敬遠したい。しかしそこの黒板に紹介されているのは、ほとんどがこのテのアルバイトばかりであった。ぼくとEはひどく困惑し、どうしようかと顔を見合わせた。が、そうやって顔を見つめ合ったところで、鼻の穴から百円玉がちゃりちゃり湧《わ》き出てくるはずもない。仕方なくぼくらは、黒板の中で一番ラクそうでギャラも良いアルバイトをひとつ選んだ。 『製パン工場の簡単な作業手伝い。十九時から七時。日給七千円。交通費支給』  というのがその内容であった。十九時から七時、つまり夜から朝にかけての十二時間労働というのは結構キツそうではあったが、製パン工場の�簡単な�作業という点に、ぼくらは惹《ひ》かれた。ま、パンを扱うなら、土をほじくり返したり鉄筋を運んだりするよりは余程《よほど》マシだろう、しかもわざわざ�簡単�と明記してあるじゃないか、と思ったのである。ところが実際には、この�簡単�という言葉こそ、罠《わな》だったのである……。  翌日の夕方。ぼくとEは連れ立って製パン工場へと赴いた。東京郊外にある、かなり大規模な工場である。  到着するとぼくらは一階の事務所へ通され、そこで書類に必要事項を書き込んだ後、すぐに働き始めるように命じられた。いよいよアルバイトの始まりである。  毎回そうなのだか、このバイト初日というのは必要以上に緊張してしまうものである。ぼくもEも頬《ほお》をコワバらせて、いったいどんなことをやらされるんだろうドキドキワクワク、と胸を高鳴らせていた。 「まずこれを着て、後についてきなさい」  主任と呼ばれる中年の人が、そう言いながら手渡したのは、白いカッポウ着と白いアンパン帽と業務用のでかいマスクであった。ぼくとEは命じられるままにそれらのアイテムを装着し、互いに見つめ合った。二十歳《はたち》を超えたイイ若者が、小学校の給食係みたいな格好をしているのは、何とも滑稽《こつけい》なものである。ぼくらは苦笑を押し殺し、 「うーむ。これは何だかいきなり思いがけない展開だぞ」  と呟《つぶや》きながら、主任の後へ続いた。  工場の中はとにかくだだっ広くて、主任を見失うと迷子になってしまいそうであった。迷路のような通路を抜けていくと、その先は様々なブロックに分かれており、扉ごとに、『製パン』とか『和菓子』とか『洋菓子』とか『スナック』などと書かれている。歩きながら素通しのガラス越しに中を眺めると、巨大な機械やベルトコンベアが稼動しており、ぼくらと同じカッポウ着姿の従業員が忙しそうに立ち働いていた。 「さあここだ」  やがて主任は扉のひとつを押し開き、ぼくらを招いた。中へ入ると、途中|垣間《かいま》見た他の部門と同様、ここでも巨大な機械とベルトコンベアが稼動している。いったいここは何の部門なのだ、という疑問を抱きながらキョロキョロしていると、主任が、 「ここは肉マン餡《あん》マンの製造工程です」  と高らかに宣言した。�製造工程�というやけにハードな言葉が、�肉マン餡マン�というやけにソフトな言葉と釣り合わず、何だか妙であった。 「では、Eくんは餡マン部門。君は肉マン部門で働いて下さい」  と主任は続けて宣言した。ぼくらは大岡越前のサバキを受けた罪人のように、 「へへえーッ」  とかしこまり、ありがたき幸せでごぜえやす的なお辞儀をした後に別れた。Eは正面右手の飴マン部門へと主任に連れられて行き、ぼくは左手の肉マン部門へと一人で赴いた。ベルトコンベアの端に斉藤さんという人がいるから、そこへ行きなさいと言われたのである。ぼくは辺りを見回しながらてくてくと歩いていったのだが、そのうち、どこからか強烈な臭気が漂ってくることに気づき、 「ううッ、これは堪《たま》らんぞ」  と足を止めた。昔から匂《にお》いには敏感なタチなのである。その臭気は、ブタ臭いというかニラ臭いというかウンチョ臭いというか、とにかくもう強烈な臭いであった。十日間|履《は》き続けた靴下でダシを取った味噌汁《みそしる》の臭い、とでも説明すれば適当だろうか。いったいどこからこんな臭いが発せられているのかと、顔を上げる。と、すぐに臭いの発生源は明らかになった。べルトコンベアの脇《わき》に|子《?》供用プールほどもある巨大な桶《おけ》が据えてあり、その内部では肉マンの�肉�にあたるモノがうねうねとコネられていたのである。強烈な臭気は間違いなくこの桶から漂っていた。コネられた肉は、桶に繋《つな》がったジョウゴのような装置へと落ちてゆき、その先で餅皮《もちかわ》に包まれてイワユル肉マンの形となり、どぴゅッ、どぴゅッという勢いでベルトコンベアの上へ吐き出されてくる。目測では、およそ一秒間に二個の割合であった。吐き出された肉マンは、ベルトコンベアに乗って、工場の果てまで運ばれていく。そのコンベアの端に立って、忙しそうに働いているのが斉藤さんという中年の男性であった。 「どうも。アルバイトの原田です」  近づきながらそう挨拶《あいさつ》すると、斉藤さんは作業を続けながら嬉《うれ》しそうに微笑《ほほえ》み、 「あー、そりゃ助かるなー」  と言った。 「えーと、何をすればいいんでしょう。簡単な作業、と聞いてきたんですが」 「ああ、そりゃもう簡単な作業だよ。本当に簡単。猿でもできる」  ぼくはえへへへと愛想笑いをしたが、猿並みの作業に没頭する自分の姿を想像すると、何だか哀しくもあった。一方斉藤さんは嬉々《きき》として、作業の説明を始めた。 「ほら、コンベアに乗って肉マンが向こうから二列で流れてくるだろ。それをコンベアの端に立って、こう両手で掴《つか》む。で、こっちの網の上へ載せるわけだ」 「はあ、なるほど。で、それから?」 「それから? それだけだよ」  ぼくは唖然《あぜん》としてしまった。余りにも簡単すぎるではないか。コンベアに乗って流れてくる二列縦隊の肉マンを、両手で掴んで、左側に積んである網の上へ載せる。ただそれだけである。 「うーむ。これは簡単ですね」 「だろ? じゃあ俺は網の上へパラフィン紙を敷く係に回るから、網ノセ係のほうをよろしく頼むよ」 「なるほど。分かりました」  というような遣《や》り取りの後、ぼくはさっそく網ノセ作業に没頭しはじめた。初めは緊張してぎくしゃくと肉マンを掴み、慎重に網の上へ載せていく。パッと掴んで、サッと載せる。パッと掴んで、サッと載せる。パッと掴んで、サッと載せる。パッと掴んで、サッと載せる。パッと掴んで、サッと載せる。あーいつまで経《た》ってもきりがない。なにしろ他になーんの変化もないのである。とにかくもうただひたすらにパッと掴んで、サッと載せる。それだけである。当初の三十分ほどは、緊張のために飽きることなく「パッと掴んでサッ」を続けていたが、ほどなくぼくは厭《いや》んなっちゃったのである。その昔ナチスの拷問で、�穴を掘ってまた埋める�だけの単純作業を延々と繰り返させる、というのがあったそうだが、�網ノセ�はまさにそれに匹敵する苦痛であった。しかも、厭んなっちゃったからといって、一刻も手を止めることは許されない。そんなことをすれば、|イ《?》ンベーダーの敵のキャラクターのように、後から後からずんだだずんだだと押し寄せてくる肉マンが、ぼたぼた床へ落ちてしまうのである。だから頭では「もうイヤッ! イヤイヤイヤ!」と思っても、手は止められない。パッと掴んで、サッと載せる。この行為を繰り返し繰り返し三時間ほども続けていると、人間は確かに猿化して、「ウッキッキー」などと叫び出したくなる。まさに肉マン地獄である。  夜の七時に開始して、真夜中十二時の休憩タイムまで、ぼくは一秒も休まずに五時間ぶっとおしで、パッと掴んでサッと載せる、パッと掴んでサッと載せる、パッと掴んでサッと載せる……を続けていた。  ようやく一時間の休憩を言い渡され、ぼくはへろへろの状態で食堂へと足を運んだ。頭の中は肉マン肉マン肉マン肉マンと、全面的に肉マン状態になっており、急須《きゆうす》を見てもコップを見ても肉マンに見えた。椅子《いす》に腰を下ろし、茫然《ぼうぜん》自失の態《てい》で視線を宙に漂わせていると、そこへEがやって来た。やはり彼もぼくと同様、ひどく青ざめた表情をしている。ぼくらは向かい合わせに腰掛け、しばらく沈黙して溜《た》め息をついた。そのうち、ぼくのほうから状況を説明し始め、 「とにかくもうパッと掴んでサッと載せる、なのだよ。それだけなのだよ」  と嘆いた。するとEは「それならまだいいよ」と前置きしてから、自分が餡マン部門でどんな仕事をさせられたのか、涙声で説明し始めた。 「あのなー、蒸し上がった餡マンが網の上に並んで、コンベアで流れてくるんだ。そしたら俺、竹ヒゴの先に食紅をつけてさ、ぷつぷつぷつッて、餡マンの上に赤い点を打つんだよ。五時間ぶっとおしで、ぷつぷつぷつッて赤い点をただ打つだけ。俺、それやってたんだよ。ぷつぷつぷつッて」  Eは既に少し神経が冒《おか》されているらしく、最後はゲラゲラ笑いながら説明した。  その後、ぼくらがこのアルバイトを三日と続けられなかったのは、言うまでもないことである。  ビロウな話  まことに申しわけない。  恐縮である。  と、いきなり謝るのは何故《なぜ》かと言うと、今回はテーマがテーマだけに、どっかから苦情が出るのではないかと恐れているからである。今回のテーマは何を隠そう、ビロウな話である。ビロウ、つまり大小便の話がメインなのである。だから、今からゴハン食べる人や、そういうテの話は聞くのもイヤッという人は、このエッセイは飛ばし読みしちゃって下さい。ごめんね。体が大きいぶん気は小さいことで有名な原田は、こういう時、すぐ謝っちゃうのである。ごめんねごめんね。  と。さー、これくらい謝っておけば大っぴらにやっても大丈夫だろう。読むほうが悪いのだ。うりゃあ! クソだクソだ。おらおらおら! ションベンションベン。このやろう、どいつもこいつもクソやションベンするくせに、スカしてんじゃねえぞ。どんなに美人でどんなにスタイルがよくても、ヤルこたあヤルんだ。シャネルスーツ着て、ティファニーのブレスレットしてプワゾンの匂《にお》いをさせていても、腹の中には大小便が詰まっておってだな、トイレへ行ってぶりぶりジャバジャバ出さなきゃならんのだ。それが人間というものだ。べらぼうめ。どうだまいったか、うわはははははッ! (唐突な興奮のため、原田ここで机の上のコーヒーこぼしてしまいましたトホホ)  いやー失敬失敬。念願のビロウな話を書けるということで、ついつい興奮してしまいました。許してもらいたい。  さて冷静に、客観的に始めることにしようではないか。大小便、つまりウンチョスとシッコスの話である。  おそらく多くの人々がそう感じていると思うのだが、同じ排泄《はいせつ》物の類《たぐい》であるのに、ウンチョスとシッコスではその恥ずかしさ加減が大いに違う。恥ずかしさ加減というか、切実さ加減というか、とにかく�格�が違うのである。相撲《すもう》にたとえた場合、汗や唾《つば》などの老廃物を幕下とするなら、シッコスはせいぜい小結ていど。ゲロが関脇《せきわけ》として、ウンチョスは大横綱《よこづな》に相当するだろう。この�格�の違いは大きい。  例えばかなり深い仲の恋人同士がいるとして、女のほうがふと座を外そうとした際に、男のほうが「どこ行くの?」と尋ねたとする。この場合、女が、 「ちょっとおしっこ」  と答えることは、まあありえないことではない。場合によっては、そんなふうに答えることが、二人の仲の深さを醸すことさえある。しかし、 「ちょっとうんこ」  と答えることは、まずありえない。たとえ本当にウンチョスをしに行く場合でも、女は決してそれをあからさまに相手に伝えることはない。これは何故なのか? やはり恥ずかしさの�格�が違うからである。その臭い、形状、手触り。どれを取ってもウンチョスのインパクトにはかなわない。  人はウンチョスのインパクトの前には「へへえーッ」と、もうひれ伏すしかない。何をもってウンチョスに対抗したらよいのか、想像もつかない。ただもう畏《おそ》れおののくばかりである。  人間ばかりではない。例えば犬なども、シッコスとウンチョスの差異に気づいている動物であると言えよう。犬を飼っている人ならば、言わずとも分かるはず。散歩に連れて行った際に、犬はシッコスをする場合は、 「おりゃおりゃおりゃあ!」  とでも言いたげに、半ば得意そうな表情で片脚を上げ、あるいは尻《しり》を少し落として遠慮なくジャバジャバやる。ところがウンチョスをする場合は、まず場所の選択にかなり迷うらしく、 「このヘンでいいかなあ。何か悪いなあ」  といった様子で、あっちで腰を下ろしこっちで腰を下ろした末に、ようやく位置を決めて力む。もりもりもりッとウンチョスを放出する刹那《せつな》に、犬の顔を見ると、実に何ともこうバツの悪そうな表情を呈している。 「やだなあ。見てんの?」  とでも言いたげな、切なそうな顔をして目を伏せたりするのである。犬には犬なりの羞恥《しゆうち》心があるのだろう。 「俺《おれ》ってどうせケダモノだけど、できれば見て見ぬふりをして欲しいの。わん」  という意識がきっと働いてるのである。もし仮にぼくが鎖に繋《つな》がれて、表でウンチョスしなければならないとしたら、やはり同じような切ない瞳《め》で主人を見上げるだろう。 「あーやだやだ。恥ずかしいーッ。でもやらないわけにはいかんから、やるもんね。あっち向いててね。もりもりもりッと」  という感じである。  まあとにかくそういうワケで、犬ですらウンチョスに関しては羞恥心を持っているのだから、いわんや人間をや、である。昔話に花が咲いた折にも、 「俺ってさー、小学校二年までオネショしてたんだよなあ。おふくろに叱《しか》られたよ」  ということなら話せるけど、 「俺よお、小学校三年まで寝グソしてたんだよなあ。おふくろ泣いてたよ」  という告白はできない。ことによると人間失格の烙印《らくいん》を押される決定的要因になりかねない。ウンチョスは、そういう危険性も孕《はら》んでいるのである。したがってみんな、ウンチョスの話をするのを避ける。できればその問題には触れないでおこう、みんな毎日ヤッてるんだけど、という暗黙の了解が取り交わされている。ま、それはそれで明るい文明社会のためには必要なことなのかもしれない。挨拶《あいさつ》代わりに、 「よおッ、ぶりぶりかい?」 「いやあ、最近固くって困ってるよ」 「何だお前、とぐろ巻いてないのか」 「だめ、色も悪くて」  てな会話が交わされるようでは、何だかやりきれないような気もする。  しかしながらごく内輪の酒席などで、誰からともなくこのテのビロウな話が持ち上がると、我も我もという感じで喋《しやべ》り始め、かなりの勢いで場が盛り上がるのも事実である。どうやらみんな普段はウンチョスについて「話してはいかあん!」という自制心が働いているのだが、その実心の中では「ああ話したい。この話さえすれば最高にウケルのに」と思っているらしい。したがっていったんタガが外れると、もう限りなくキタナイ思い出話へと突入するのである。  聞いてみると、誰しもウンチョスに関してひとつやふたつツライ思い出、切実な体験があるらしい。ただあまりにもミジメだったりするため、なかなか他人には話せないのである。もちろんぼくにもそのテの体験はある。人並み外れて山ほどある。ウンチョスといえば、イコール切実な思い出、ミジメな体験ばかりが浮んでくるほどである(まあ考えてみれば、ウンチョスに関して楽しい思い出があるほうがヘンだけど)。とにかくもう、すごい体験がある。ふっふっふ、聞きたいでしょう? その気持、分かる分かる。どういうわけか、他人のウンチョス話って興味あるんだよねー。しかしなあ、一番すごいヤツはちょっとすごすぎて話せないし。二番目にすごいヤツも、かなり恥ずかしいからなあ。そうなると三番手四番手のヤツを出していくしかないか……うーむ。  と、思わず投手のローテーションを組み立てる藤田監督みたいに悩んでしまうぼくなのであった。ここはやはり先発を軽く水野でいって、中継ぎに宮本、抑えに思い切って桑田を投入してみるか。などと、つい弱気に悩んでしまうのは、やはり何だかんだ言っても自分のウンチョス話を、こういう活字になって残る形で披露《ひろう》するのが相当恥ずかしいからなのである。あんまり面白おかしく書きすぎると、人格|破綻《はたん》者の烙印を押されてしまうのではないかと、恐れているのである。 「ああ、原田さん。あのウンチョスの?」  などと人から言われるようになっては、人生お先まっくらではないか。  しかしこうやって書き始めてしまった以上は、何も話さずにお茶を濁すわけにもいかない。基本的に小説家なんてものは、恥を切り売りして生きていく厭《いや》あな商売なのだから、ここはひとつ厚顔|無恥《むち》な勇気を出さねば。ううむ、しかしそれにしても一番すごいヤツはやはり話せん。  しかたがない。まずは軽くジャブから繰り出してみるか。助走をつけてから、自分の話をすることにしよう。  というわけで、まずはジャブである。これは正確にはぼく自身のウンチョス話ではなく、それほどインパクトのある内容でもないが、えも言われぬ人生のペーソスを感じさせる話である。  あれは今を去ること五年ほど前。ぼくはとあるリゾート地のとあるホテルに泊まった。朝、帰り支度をしてフロントへ赴き、チェックアウトを済ませた直後のことである。  便意というヤツは、こういう「ホッと一息だもんね」という瞬間、あるいは「さーいってみようかあ」という刹那《せつな》を狙《ねら》いすまして襲いかかってくるものなのである。自分の体のことながら、こればっかりはコントロールすることができない。まったく唐突に、下腹がゴロゴロいい始めて、肛門《こうもん》近辺が狂おしいような感じになり、 「ああウンチョスがしたい」  と思ったが最後、もう頭の中はウンチョスウンチョスウンチョスウンチョスと、全面的にウンチョス状態になってしまう。他の人はどうなのか知らないけど、少なくともぼくはそうなのである。この狂おしい排泄《はいせつ》欲を押し殺すことなど、不可能である。他にどんな大切な用事があっても、ウンチョス最優先。火事だろうが地震だろうが雷だろうが、いったんしたくなったウンチョスを引っ込ませることなどできないのである。  当然のことながら、そのホテルのフロントでチェックアウトを済ませた直後に下腹部を襲った排泄欲にも、ぼくは素直に従った。べつにこれといって急ぐ用事もなかったので、「いよおおしッ、今日も一発でっかいヤツをぶっぱなすか。うわははははッ!」  という思いを胸に、一路トイレへと向かったのである。朝、健康な便意を催し、しかもその欲求に即座に応えることができる状態というのは、至福と呼んでも過言ではない。ヘルシーな朝は一発のウンチョスから始まると言えるのである。  さて男性トイレへと赴いたぼくは、ややドキドキしながら(このドキドキは、ようするに大のトイレが塞《ふさ》がってやしまいか、という不安からくるものである)中へと入っていった。幸い、二つある大のトイレは共に空いている。田舎《いなか》のリゾートホテルであるためか、どれも和式のトイレであるが、文句はない。そういう細かいことは、この際関係ないのである。  とにかく大のトイレで重要なのは三点。清潔であること、紙がキレてないこと、そして空いていること。この三点さえ満たしていれば、洋式だろうが和式だろうが|ロ《?》シア式だろうがオギノ式だろうが、構うこっちゃないのである。  ぼくは二つあるうちの奥のほうを選んで中へ入った。入ったらまず、何よりも先に内鍵《うちかぎ》を掛ける。これはたいへん重要なポイントである。夢々忘れてはならない。このポイントを軽んじたりすると、思いがけず不幸なメにあったりする。人間誰しも、ウンチョスをしている最中に、扉をがばあッと開けられたくはない。これはもう取り返しのつかない恥辱である。考えるだに背中がサムイ。この悲劇は内鍵を掛け忘れることから生じる、ごく初歩的なミスである。ぼくのように幼い頃からウンチョス道の奥義を究《きわ》める者は、決してこういうところで躓《つまず》いたりはしないのである。  続いて紙の有無を確認する。これもまた忘れてはならない重要なポイント。怠ると、五分後には地獄の困惑が待っている。ロールペーパーの芯《しん》で尻《しり》を拭《ふ》くような屈辱は、味わいたくないものである。  紙の確認が済むと、いよいよ一段ロケット切り離し。ズボンおよびパンツをずり下げるわけである。ま、さすがにこれを忘れてウンチョスする馬鹿はいないであろう。いくら無鉄砲な奴でも、そんなことだけはしないはずだと信じたい。  さて、ここまでくればもうウンチョスは半ば成就したも同然。ロケット打ち上げにたとえるなら、既に大気圏を脱出した状況と言える。あとは軌道に乗って航行を続け、無事着陸を待つばかりである。  ところがその時、ぼくがしゃがむ大トイレの周囲にちょっとした椿事《ちんじ》が持ち上がった。まあ椿事というほどのことでもないが、誰かが隣のトイレへ駆け込んできたのである。ほどなくベルトがかちゃかちゃいう音や、ジッパーを下ろす音が響いてくる。ぼくは少々困惑した。 「うーむ。これは気まずい」  ようするに音が丸聞こえなので、思い切りウンチョスを発射できないのである。何となく|肛《?》門がオチョボ口みたいになっちゃって、遠慮してしまうのである。せっかく「どかんと一発!」と思っていたところへ、こういう遠慮が働いてしまっては、いささか気持が悪い。やあねえ、んもうイケズやわ。という気分である。  ところが、後から入ってきた謎《なぞ》の人物は、ぼくが隣のトイレにいることを知っていながら、イキナリ何の遠慮もなく、 「んむむむッ!」  などと、キバる声を響かせるのである。ぼくは「何ちゅう大胆不敵な奴ッ」と、軽い憤りを覚えたが、まさか壁越しに抗議するわけにもいかない。それによくよく耳を澄ますと、そのキバり声にはかなり切実なものも感じられる。たぶん便秘か、痔《じ》か、いずれにしてもウンチョス関連機能に障害のある身の上であるらしい。ここはひとつ鷹揚《おうよう》に構えて許してやるか。  と、思った矢先である。もう一人の人物がトイレに入ってきた。そいつはシッコスをするわけでもなく、ウンチョスをするわけでもなく、ただもうトイレの中をウロウロ歩いている様子なのである。ぼくは厭《いや》あな予感に苛《さいな》まれて、思わず肛門の括約筋に力が入った。こういう時のぼくの予感は、必ず的中するのである。  何の目的もなくトイレをうろうろする奴というのは、トイレ視察を趣味とする一般人か変態か、どちらかに決まっている。しかしトイレ視察を趣味とする一般人とは、すなわち変態ではないか! うわああ、だとしたら堪《たま》らん。ウンチョスをしている最中に襲いかかられたりしたら、ぼくとしてはちょっと対応のしようがないではないか。ズボンもパンツも下ろしていることだし、これじゃあ回し蹴《げ》りもできん。華麗なフットワークを披露《ひろう》することもできん。むむむ、困った。人生最大のピーンチ!  などと、ぼくが青くなったり赤くなったりしている一方で、謎の闖入《ちんにゆう》者はなおもトイレの中をうろうろ歩き回っている様子なのである。ぼくの隣に入っている人物も、この闖入者の足音が気になるのか、さきほどから息をひそめている様子だ。 「これはいざという時に備えて、ズボンを履《は》いておいた方がいいかもしれん」  と考えた矢先、謎の闖入者はぼくの隣の扉の前で、ぴたりと足を止めた。ぼくは固唾《かたず》を呑んで事の成り行きに耳を澄ませた。ややあってその人物は、扉の中に向かって、 「パパあ?」  と呼び掛けた。なあんだ、子供の声である。どうやら幼稚園か、小学校一年生くらいの男の子であるらしい。隣でしゃがんでいる男は何も答えずに、息をひそめている。 「パパー? パパー?」  男の子は執拗《しつよう》に呼び掛ける。 「何だヒロシ?」  ようやく隣の男は、キバり声で答えた。二人は親子であるらしい。父親の声を聞くなり、男の子はさも大発見をしたかのように、 「あ、パパいたあ!」  と、はしゃいだ声を上げた。子供というのはこういう時、ホントに困りものである。羞恥心のレベルが大人とは違うから、突拍子もない所で騒ぎ出したりする。大人としては困惑するばかりである。 「あっち行ってなさい」  父親は隣の個室でしゃがんでいるぼくに気を遣《つか》ってか、押し殺した声でたしなめた。シッシッシ、あっち行けっつーの、と犬を追い払うような按配《あんばい》である。しかし男の子の方では、父親のそんな困惑などどこ吹く風。元気いっぱい、トイレ中に響きわたる大声で、 「パパ何してんのー?」 「いいからママのとこ行ってなさい」 「えー、どうしてー?」 「いいからあっち行きなさい」  二人は扉越しに言い争いを始めた。ぼくはこっちにも飛ばっちりが来るのではないかと気が気ではなく、便器に跨ったままひたすら息を殺した。まるで森の中で鬼の宴会に遭遇してしまったこぶ取りじいさんの気分である。男の子は父親が入っている扉をドンドン叩《たた》いたり、大胆にも隙間《すきま》から中を覗《のぞ》こうとしたりして、大騒ぎである。 「ねーパパー、何してんのー?」 「ママのところ行ってなさいってば。パパ怒るよッ!」 「パパどうして怒るのー? だって向こうでママ呼んでるよー」 「…………」 「パパ何してんのー? ねーねー」 「パパうんこだよッ! あっち行ってなさいって。頼むからッ」 「パパうんこー? うんこ出たあ?」 「だからまだ出ないのッ! ママのところ行きなさい」 「ママがねー、パパのこと呼んできなさいって言ったんだよー」 「じゃあパパうんこだって言ってきなさい」 「うん、分かったー。パパうんこ出た? まだあ?」 「うるさいなッ!」  男はたいへんな剣幕で怒鳴った。隣でしゃがんでいるぼくも、思わず飛び上がるほどの大声である。さすがの男の子もびっくりしたらしく、しばらく黙り込んでいる。泣き出すのかなー、と思いきや。男の子はまるで悪魔のような好奇心を働かせて、今度はぼくの入っている個室の扉をドンドン叩き始めたのである。 「ねーパパあ、こっちはー? こっちは誰かいるのー?」 「ヒロシやめなさいっ!」 「誰かいるのー? 入ってますかー?」  ぼくは青くなって上を見たり下を見たり右を見たり左を見たりした。まったく逃げ場はない。当たり前である。第一逃げる必要もないのだが、トイレにしゃがんでいる時に、扉をドンドン叩かれると、何だか逃げたくなってしまうのは、人情というもの。執拗《しつよう》にノックし続ける男の子に対して、何と答えたらよいものか、ぼくは困り果てた。 「ねー、いるのー? いないのー?」 「ヒロシ! パパ怒るよ!」 「だってここドア閉まってるよー」 「誰か入ってるんだよッ。やめなさいッ」 「えー、入ってるのー? コンコン。何してるんですかあ?」 「何でもいいからママのとこ行きなさい!」  この間、ぼくは二リットル近く冷や汗をかいて、Tシャツの背中がびっしょりになった。小悪魔、という言葉はこういう子供のことを言うのである。 「ねー何してるんですかあ!」 「……おじさんもうんこだよお」  いよいよ追い詰められて、ぼくは仕方なく小声で答えた。何かこう、三日三晩刑事に追及されて犯行を白状した凶悪犯みたいな気分である。 「あ! おじさん? おじさんうんこー?」 「そうだよ……とほほ」 「いっぱい出たあ?」 「もうやめなさいヒロシ! どうもすみません」  と隣の個室の父親は、壁越しにぼくにあやまってきた。 「いいえ、いいんですよ」  ぼくも壁越しに力なく答えた。どうにも気抜けする会話である。何しろ生まれてこのかた、トイレで尻《しり》丸出しにしたまま誰かと会話を交わしたのは初めてである。 「すみません本当に。ヒロシ、あとでママにうんと叱《しか》ってもらうからな」 「やだッ!」 「おまえなんか置いて、パパとママだけお家に帰っちゃうからな」 「ベーだ! パパのうんこたれ!」  男の子は一声高くそう叫び、わーいわーいうんこたれーと歌うように口ずさみながら、トイレから駆け出していった。まさに台風一過。嵐《あらし》の後の静けさが、トイレ内に訪れた。何とも気まずい雰囲気である。ぼくとしては隣の父親に、 「いやー、元気なお子さんですねー。がっはっはっはっ!」  などと豪快に話しかけることができればよいのだろうが、しかしそれはそれでまた勇気のいる行為である。結局ぼくは何も言えないまま、いったん出かかっていたウンチョスもひっこんでしまい、そそくさとパンツおよびズボンを引き上げた。一方、隣の父親ももう何も言わずに、ひたすらウンチョスに集中し始めた様子である。ぼくは何ともばつの悪い思いを抱きながら、トイレを後にした。  この一件以来、ぼくはトイレで小学生の姿を見掛けると、ウンチョスがひっこんでしまうようになったのである。  さて、このリゾートホテルでの惨事にずいぶんと枚数をさいてしまった。ビロウな話というのは、このようにいったん話し出すと止まらないのである。しかしながら、まだ少し紙面が残っているので、手短なエピソードをもうひとつ話そう。  小学校の四年の時。新大久保《しんおおくぼ》の歯医者での出来事である。本当は、この話だけはしたくなかった。うーむ、でも勇気を出して話しちゃうから、誰にも言わんでくれい。  その日、ぼくは学校の帰りに歯医者へ行かなければならなかった。もうずいぶん以前から、虫歯で悩んでいたのである。しかしながら子供にとって、歯医者は天敵。行きたくないと思っているうちに、虫歯が悪化してしまったのである。これはもうどうしようもないと観念して、ぼくは母親に頼んで歯医者の予約を取ってもらい、学校の帰りに寄ることを約束したのであった。  その歯医者は学校と家とのちょうど中間あたりに位置し、まだできたてのホヤホヤで、何となく近代的な印象のある医院であった。おそるおそる中へ入ると、どこもかしこもピカピカで、しかも受付のお姉さんがキレイで感じもよく、ぼくはややホッとして待合室の椅子《いす》に腰かけた。  何しろ一人で歯医者へ行くなんて、この時が初めてである。ぼくはカチンコチンに緊張していた。するとまずいことに、お腹がごろごろ言い出したのである。ぼくは幼少の頃、緊張するとウンチョスがしたくなる性癖があって、どうにも悩みのタネであったのだ。今思うと、まあ一種の逃避である。この時も例外ではなく、待合室に腰掛けたとたん、トイレへ逃避したくなってしまったのである。しかしながら歯医者でトイレを借りるなんて、そんな恥ずかしいことができようか。となると、問題の解決方法は二つにひとつ。いったん家へ帰ってウンチョスをしてくるか、あるいは我慢してしまうか。どちらかである。  ぼくは下腹に徐々に募ってくる便意に、脂汗《あぶらあせ》を流しながら、 「どうしよう。どうしよう」  と悩んだ。しかし悩んでいるうちに、時間は刻々と過ぎていく。便意は、最初のうちは「ベン……ベン……ベン……」と間を置いて、さざ波のように訪れては遠のいていたのだが、時間が経《た》つにつれて「ベン、ベン、ベン、ベンベンベンベンッ!」と小刻みに、津軽三味線の響きのように激しく下腹を刺激するようになった。 「うわー、これはもう我慢できないーッ」  と思って、やっぱり家へ帰ろうと立ち上がりかけた刹那《せつな》、受付のお姉さんが、 「はあい、ぼくの番ですよ。どうぞー」  と優しい笑顔を向けてきた。ぼくは真っ青になって、断ろうか断るまいか迷い、しかしながら結局お姉さんに本当のことを言えずに、ふらふらと診療室へ入ってしまった。男というのは、たとえ小学校四年生でも、女の笑顔には逆らえないのである。悲劇の陰には女あり、なのである。 「はい、こっちに座ってね」  お姉さんはあくまでも優しい笑顔で、ぼくを診療用の椅子へといざなうのであった。ぼくはまともに歩くとウンチョス君が「こんにちは!」してしまいそうだったので、何となくなよなよと内股《うちまた》でお姉さんの横を通り過ぎ、診療用の椅子へと座った。と同時に、便意がほんの少し遠のいた。ホッと一息である。便意というヤツは、こうやってある一定の間隔を置いて、近づいたり遠のいたりする。このタイミングに逆らって、妙なところで力を入れたりすると、たいへん悲惨なことになるのである。 「さー、どの歯が痛いのかなあ?」  ほどなく歯医者が現れ、ぼくの顔の上に被《おお》いかぶさってきた。マスクをして顔の半分を隠し、額のところに銀色の円盤みたいなものを装着している。まるで宇宙人である。そのいでたちに、ぼくは著しく緊張した。恐怖に近い感情を覚えた。 「さあ口を大きく開けて」  歯医者は何となく釣り上がった目で、ぼくを威嚇した。ぼくの緊張はますます高まった。同時に、一瞬遠ざかっていた便意が、再び下腹部に甦《よみがえ》ってきた。 「はい、開けないと治療できないよー」  歯医者は銀色のキリみたいな器具を、ぼくの口へ近づけてくる。仕方なくぼくは口を少しずつ開けた。一方、下腹部の方では激しい便意が募ってきた。  まさに絶体絶命! 上も下もピンチである。  歯医者はぼくが口を少し開けると、その隙間に銀色のキリ状器具を突っ込み、半ば強引にこじ開けた。その拍子に、肛門《こうもん》の方も力が抜けて開いてしまいそうになる。それを必死で堪《こら》えると、歯医者は無情にも、 「あー、この歯が痛いんだねー?」  と言いながら、ぼくの虫歯の中心部、最も痛い部分、そこだけは触ってくれるなッという部位を、銀色のキリの先でチョチョイと突っついた。 「うがッ!」  ぼくは一声叫んで、あまりの痛みに気絶しそうになった。同時に、下腹にこめていた力が、一気に抜けて、すぼめていた肛門がバカッと開いてしまったのである。 「あッ!」  と、ぼくは今度は肛門部の一大事に関して叫び声を上げた。が、時既に遅し。ウンチョス君は「こんにちは!」どころか、「こんにちはこんにちはこんにちは!」というくらい登場してしまっていた。 「おや? どうしたのかな?」  ただならぬ気配に、歯医者は眉《まゆ》をひそめた。辺りにとんでもない臭いが漂い始めた。同時にぼくは、何と言ったらいいのか分からなくて、 「うえーん!」  と泣き出してしまったのである。  この一件以来、ぼくは歯医者へ行く場合、まず一時間くらいトイレへ入ってから家を出ることにしている。諸君もせいぜい気をつけたまえ。  性に目覚めちゃう頃  毎号この連載を読んでいる方はご存じのことと思うが、ぼくは前回、清水の舞台からフンドシいっちょうでちょえええいッと飛び下りるつもりで、『ビロウな話』を披露《ひろう》した。ぼくとしては、 「大丈夫かなあ、これ。ちょっとヤバイかもしれないぞ。うーん困った。困ったけど、これはもともと困惑日記なのだからして、これでいいのだ。うりゃッ」  と、煩悶《はんもん》を無理やり押し殺しての披露だったのだが、蓋《ふた》を開けてみると意外や意外、というか予想通りというか、とにかくまあ妙にウケがよかったのである。行く先々で出版社の編集者や同業者の方々に、 「あれはホントに面白かった。実は私もですねえ……」  などと褒《ほ》められたうえに�ビロウ体験�の告白までされ、何ちゅうかこう、信者の懺悔《ざんげ》を聞きながら笑いを堪《こら》える牧師さんの気分を味わってしまった。やっぱりみんな表立っては話そうとしないけど実はそのテの話が好きなのねと、改めて確信を深めた次第である。  この確信に力を得て、今回はもうひとつの下ネタに挑戦しようかと思う。�本当は話したいけど恥ずかしいから話せんもんね�的な話の白眉《はくび》、性に関する話題である。うわー、ただ�性�と書いただけでもう頭がどうかなりそうなほど恥ずかしいぞ。何しろぼくはもともとシャイでキュートな好青年であるからして、こういう話は本当は苦手なのだ。できればそんな話はしたくない。「もっとおおらかに青春を語ろうじゃないか諸君、ムラムラしたらスポーツで発散だッ」などと腰へ手をやってごまかしたい。けれど前回のビロウな話と同様、性に関する話題もやはり�困惑�とは切っても切り離せないものなので、話さないわけにはいくまい。  さてぼくが性に目覚め始めたのは、中学時代の半ばである。これを遅いというべきか早いというべきか、ぼくには分からない。でもまあ当時の友人たちの多くは、ぼくと同様だったと記憶しているから、標準的と考えていいだろう。  一口に�性に目覚める�といっても、いったいどういうふうに目覚めたのか、説明するのは大変むずかしい。ある日突然、カミナリに直撃されたように、 「おれは性に目覚めたッ!」  と目覚めるわけではないから、「いつどこでどうして?」などと訊《たず》ねられても、返答に窮するばかりである。目覚めたのか目覚めてないのかよく分からんけど、何となーく異性のことが気になりだして、胸の奥にむらむらむらあーッとしたものが漂い始める時期。この曖昧《あいまい》な状態を指して�性の目覚め�と呼ぶしかない。ぼくの場合、その時期が中学半ばだったわけである。  では性に目覚めた中学生は、いったいどういう行動に出るのか?  これもまあケースバイケースで、いきなり女子生徒に腰を押しつけて「させろさせろ」と言い出す奴もいるだろうし、妙に身だしなみに気を配るようになる奴もいるだろうし、逆ベクトルの力が働いてガリ勉し始める奴もいるだろう。ぼくの場合はどちらかといえば逆ベクトル派で、ガリ勉はしなかったけれども必要以上にスポーツに打ち込むようになった。いわゆる�|森《?》田健作おれは男だぞでも袴《はかま》の下はもっこり�タイプである。弁解するつもりはないが、当時はこのタイプが主流であった。  しかしながらスポーツや勉強に打ち込んでモヤモヤを発散させるといっても、限度がある。いったん目覚めかけてしまった性の欲求をもう一度眠らせるためには、尋常ではない運動量や勉強量が必要である。そんなツライ枷《かせ》を自分に課してまで欲望を抑えようとするバカは、どこにもいない。といって、周囲にもあからさまに分かるようにパッチリと目覚めてしまうのは恥ずかしいので、まあ狸《たぬき》寝入りのような状態で誰もがヒソカに目覚める。  例えば、家族が寝静まった夜中に布団の中へ隠れて読むエロ本。女性はどうだが知らないけれど、たいていの男性はこのあたりからインビな性の世界へと足を踏み入れる。現在なら、独りヒソカに観《み》るエロビデオがそれに相当するのかもしれないが、ぼくが中学生だった頃には、残念ながらビデオの機械なんて大学の医学部くらいにしか置いてなかった。誰もが本から入っていったのである。  この『エロ本』というやつ。当時は今と違って「エッチな本といえば小さめな判型なのッ」という定説があった。単行本と文庫本の中間くらいの大きさ、と説明すればご理解いただけるだろうか。その代表格は忘れもしない、『平凡パンチOh!』という本である。これは平凡パンチの中からエッチなエキスだけ抽出して一冊に編んだような本で、大学生対象の内容だったように記憶している。だから中学生はかなり背伸びをして、これを買わなければならなかった。その他にも『スキャンティ』だの『ガーリー』だの『SMセレクト』だのと、誌名を聞いただけでエッチだなあもう、というような小判型エロ本がたくさん存在した。  ただし、存在したからといって、それが簡単に手に入ったわけではない。特に中学生がこれを買うとなると、んもう自己崩壊的なヤケクソの勇気が必要だった。本屋へ行って、これらのエロ本が並んでいる棚の前をウロウロし、 「あー、どうしよ。あー、どうしよ」  と頭を抱え、腋《わき》の下をぽりぽり掻《か》いたり、拳《こぶし》を握りしめたり、地団太を踏んだりして悩みまくる。今考えると、あれはものすごい苦悩だった。何くわぬ顔でスッと買ってサッと帰れば誰も見咎《みとが》めないものを、自意識が邪魔をして、なかなか買えない。本屋にいる人すべてが、自分を観察しているように思えてしまうのである。この苦悩に堪え切れずに、結局少年マガジンを買って帰った経験は、男ならば誰にでもあるものと思う。中には「買うのが恥ずかしいから万引きした」という奴もいたほどである。  そんななかにあって、同じクラスのTくんはかなりマセた中学生であった。両親が共働きで不在がちだったせいなのか、何しろエロ方面の好奇心を全開にして、やりたい放題。とはいえ、今の中学生のように本当に女の子とコトに及んだりするほどではなく、あくまでも田舎《いなか》の中学生としてマセていただけ。ようするに耳年増《みみどしま》というやつである。  ある日、このTくんが授業中に背後からぼくの背中をシャープペンの先でつついて、何やら折り畳んだ紙片を渡してきたことがあった。何だ何だと開いて読むと、 『ひみつ情報を知りたいか?』  と書いてある。ぼくはたちまち鼻息を荒くしてノートの端っこを破り、 『知りたい知りたい』  と書いてTくんに手渡した。するとまたTくんからメモが返ってきた。 『ひみつだからここには書けない。あとでおしえる』  と書いてある。馬鹿丸出しのやりとりである。そんならわざわざメモ渡すんじゃねえッ、と言いたいところだが、それをぐっと堪えてぼくはまたノートを破き、 『あとでおしえておしえて』  と書いて手渡した。中学生はどうもこういったノドカなやりとりが好きで困る。なかなか話が先へ進まないじゃないか。  さて休み時間。Tくんは教室の隅へぼくを誘い、ひそひそ話をし始めた。 「実は俺《おれ》、これを手に入れたのだ」  とTくんは粗悪な印刷の広告らしき紙片をぼくに手渡した。エロ本などの後ろの方のページによくある�|エ《?》ロ広告�というやつである。そこには、だいたいこんな感じの甘い文句が書かれていた。 『うっふんムチムチあっはんプリプリ。見たい知りたい感じたい。あなたが望むホンモノの写真。私の穴の奥の奥まで丸見えです。ああこんなポーズ、恥ずかしくてどうかなっちゃいそう。秘密厳守。分からないように郵便局留めで送ってあげるわね。十枚一組で三千円。大阪市○○○○鈴木みちこ』  読んだとたん、ぼくは鼻血がジェット噴射でホトバシリそうになった。この広告の文句は、中学生には刺激強すぎちゃったのである。ぼくは反射的に鼻をつまみながらTくんに、「おまえ、こここれを手に入れたのか? どこにある? 今持ってるのか?」  と震え声で訊ねた。するとTくんは唇の端をつり上げてニヤリと笑い、 「まあ焦《あせ》るな。今はまだないのだ。郵便局に届いているから、今日放課後取りに行くつもりなのさッ」  と余裕シャクシャクで答えた。 「すすすすると郵便局に、これが届いているのか? うっふんムチムチのあっはんプリプリの穴の奥の奥までの写真が? 恥ずかしくてどうかなっちゃいそうなヤツが?」 「うむ。代金引換で受け取るのだ」 「なるほど。うーむ、すごいッ。おまえってホントすごい奴だな」 「ま、大したことないよ。ところでおまえ、この写真を見たいかい?」 「むむむむむろんだッ! 見たいッ」 「そうか。嫌なら無理には誘わんが」 「嫌じゃない嫌じゃない。頼むッ! 一生のお願い。見せてちょ見せてちょ」  と、ぼくはもう土下座しかねない卑屈さで頼み込んだ。するとTくんはぼくの反応にすっかり満足したらしく、よしよしそれでいいのだとうなずき、 「では、放課後一緒に郵便局へ行こう」  と高らかに宣言した。  この話が決まってから放課後になるまで、ぼくがどんな気持で授業を受けていたかは大体想像がつくだろう。んもう頭の中が充血しちゃって、耳の底では甘い女の声が、 「穴の奥の奥の奥の奥の奥の奥の……」  と果てしなくエコーがかかって響きまくった。恥ずかしくてどうかなっちゃいそうなポーズというのは、いったいどんなポーズなのだろう。こんなポーズだろうかあんなポーズだろうか、それともこういうポーズだろうか、しかもそれがうっふんムチムチのあっはんプリプリということになると、あれがああなってこれがこうなるから、うわああーこれは堪らん! などと、エッチな想像は膨らむばかりであった。  そしていよいよ放課後。ぼくはTくんと連れ立って郵便局へと赴いた。胸はドキドキ、頭はカッカ、下半身は充血しっぱなしで歩きにくいったらありゃしなかった。表面上は平静を装っていたTくんも実は内心ドキドキしていたのだろう、かなりこわばった表情で郵便局へ入り、全然見当違いの窓口へ引換証を渡したりして局員の失笑をかっていた。  そうやって緊張と興奮の末に受け取った問題の茶封筒は、思ったよりも小さなものであった。郵便局を出ると、ぼくらは「やったやった」と肩を叩《たた》きあいながら、Tくんの家まで子犬のように走った。  いよいよ、ついに、とうとう神秘のベールが解き明かされる時がきたのである。うっふんムチムチのあっはんプリプリのどうかなっちゃいそうな穴の奥の奥が、目の前にぱんぱかぱーんと展開される時がきたのである。  Tくんの自室に籠《こも》り、内鍵《うちかぎ》をしっかり掛けたぼくらは、息を殺して茶封筒の口をめりめりッと破いた。心臓が鼓動を忘れ、辺りの一切の物音が遠のいた。Tくんの震える指先が、写真を取り出す……。 「あッ!」  ぼくらは同時に叫んでいた。予想外のものが、そこには写っていたのである。 「これは……何だ?」  最初の一枚は、|耳《?》の穴のどアップであった。次の写真も、そのまた次の写真も耳の穴なのである。確かに穴の奥の奥までハッキリ見える。しかしこれは……いったいどこがうっふんムチムチのあっはんプリプリだというのか。どのへんが恥ずかしくてどうかなっちゃいそうであるのか。教えてくれい、誰か教えてくれいッ!  ぼくらは写真を持つ手をわなわなと震わせながら、胸の中で絶叫した。こんなことが!こんなことがあっていいのか! 純真|無垢《むく》な汚れない中学生を、至福の極みから絶望のどん底へ突き落とすこんな仕打ちが、この世に存在していいのか! 大人なんて、大人なんて大嫌いだー。海のばかやろー!  ぼくはまあ尻馬《しりうま》にのっかった形での参加であったから、まだ精神的ショックだけで済んだのだが、気の毒なのは耳の穴の写真十枚に三千円を払ったTくんである。当時の三千円といえば、中学生のお小遣《こづか》い三カ月分に相当するほどの大金。彼の財政的ショックがいかに大きかったか、想像がつくであろう。 「ふッ、こいつはやられたぜ」  とTくんは無理に余裕のポーズをつくって、薄ら笑いを浮かべてみせたのだが、その瞳《め》が潤んでいたのをぼくは見逃さなかった。だから彼をいたわるつもりで、その日は何も言わずにひっそりと引き上げた。  ところがその翌日である。  教室で顔を合わせたTくんは、もうすっかり�耳の穴ショック�から立ち直った様子で、例のニヤニヤ笑いを浮かべながらぼくのそばへ近づいてきた。そして昨日と同じようなエロ広告の紙片をぼくに手渡し、 「あの後考えたのだが、今度はこれを注文してみようかと思うのだ」  などと耳打ちするのである。何ちゅう懲《こ》りない奴。ぼくはやや呆《あき》れながら、そのエロ広告の文章を読んだ。今度のはカラーページで、何だか妙な人形の写真も載っている。 『画期的な手触り肌触り! モンローちゃんは特殊グリース(当社開発)の働きで、生身の女性とそっくりおんなじ。だから手荒に扱っちゃイヤッ。やさしくそっと抱いてちょうだい。ああもう貴方に夢中! 麗しのモンローちゃんは、六千五百円(分割可)で貴方の奴隷です』  一読して、ぼくは事情を呑《の》み込んだ。ようするに|ダ《?》ッチワイフという代物である。 「へっへっへっ。今度はそこにちゃあんと写真も載ってるし、騙《だま》されることはないだろう。なあ、どう思う?」 「うーん。そうだなあ……」  ぼくはTくんの暗い情熱に対してやや辟易《へきえき》し、曖昧《あいまい》に微笑《ほほえ》んだ。しかしTくんはぼくの反応を気に止める様子もなく、 「今度という今度は間違いない」  などと、自信たっぷりに宣言するのであった。ぼくはその自信が一体何に由来するものなのか理解できず、 「うーん。どうかなあ……」  と言葉を濁した。何しろつい昨日、大人たちの忌まわしい罠《わな》にハメられ、至福の極みから不幸のどん底へ突き落とされハニワ顔になったばかりなのである。疑い深くなるのも当然のことだ。また騙されちゃかなわんもんなあ、と逃げ腰に構えながら、もう一度その宣伝文句を読んでみる。 『画期的な手触り肌触り! モンローちゃんは特殊グリース(当社開発)の働きで、生身の女性とそっくりおんなじ。だから手荒に扱っちゃイヤッ。やさしくそっと抱いてちょうだい。ああもう貴方に夢中! 麗しのモンローちゃんは、六千五百円(分割可)で貴方の奴隷です』  読めば読むほどこの文章は怪しく、いかがわしい。特に�特殊グリース(当社開発)� のあたりや、�ああもう貴方に夢中�のあたりが怪しい。いったいそれはどんなグリースなのだッ、ビニール製の人形がどうやって貴方に夢中になるのだッ、という疑惑がむくむくと湧《わ》いてくるではないか。しかも六千五百円といえば、ぼくら中学生の半年分のお小遣《こづか》いに相当する。これではあまりにも犠牲が大きすぎやしまいか。 「これさー、いいんだけど、ちょっと高すぎやしないかあ」  そこでぼくは、まずプライス方面から否定的な意見を吐いた。するとTくんは、それそれ、それなんだよと急にトーンダウンし、 「一番の問題はそこなんだよなあ」  と溜《た》め息をついた。さすがのTくんにとっても、六千五百円は痛いらしい。眉根《まゆね》に皺《しわ》を寄せ、人生最大の苦悩に堪えるかのような大袈裟《おおげさ》な表情で、こう続ける。 「俺さー、正月のお年玉|貯《た》めた金があと六千円あるんだけど、残りの五百円が何とも今すぐには作れんのだ」 「ふむふむ。しかし六千円あればたいしたもんだよ」  ぼくは慰めるつもりで、そう言った。するとTくんは表情をがらりと変えて、 「そこで、だ!」  とぼくの肩を力強く叩《たた》いた。 「おまえを男と見込んで頼みがある。五百円俺に貸せ」  ぼくは一瞬|唖然《あぜん》としてしまった。まったく懲《こ》りない男である。人に借金してまでモンローちゃんを手に入れたいと願うとは、大胆不敵というかずうずうしいというか根暗な情熱というか、何しろ並みの中学生の感覚ではない。ぼくはたちまち萎縮《いしゆく》して後ずさり、 「えー、そりゃまあ何ちゅうかさ……」  と口籠《くちごも》った。するとTくんは土下座せんばかりのイキオイで、 「頼むッ。このとおりだ。人生ここ一番、俺はもうモンローちゃんに賭《か》けとるのだ」  などと口走りながら、縋《すが》りついてくる。たかがダッチワイフに人生賭けちゃうバカもないもんだが、とにかくTくんはそれほど必死だったのである。 「うーん、しかし大丈夫かなあ」 「大丈夫! 絶対大丈夫だ。何しろ今度は写真じゃなくて、モノだからな。モンローちゃんだよモンローちゃん。六千五百円で貴方の奴隷だぞ、奴隷」 「だからそれが怪しいと思うんだがなあ」 「頼むよ。入手したアカツキには、来月五百円を七百円にして返すから」  ぼくはTくんの暗い情熱にたじたじとなり、改めて広告の片隅に載っているモンローちゃんの写真に目を走らせた。それは何ちゅうかこう、青江三奈が「シャバダドゥビドゥバシャバドゥバアアー」と絶唱した拍子に顎《あご》が外れたような顔の、どうにも救いようのない冗談みたいな人形であった。しかし性欲に目のくらんだTくんには、それが絶世の美女に見えるらしいのである。 「じゃあ、まあ貸すよ。貸すけどさー、本当に返してよ」  ぼくは渋々承知し、学生|鞄《かばん》の中から財布を取り出した。虎《とら》の子の|五《?》百円札(そうそう、あの頃の大隈重信は使い甲斐《がい》があったなあ)をヒラリラリーンとTくんに手渡すと、彼はもう今にもイッてしまいそうな、恍惚《こうこつ》とした表情でそれを受け取った。 「いやースマン。この恩は一生忘れないよ」  とTくんは何度も頭を下げ、さっそく自分の席へ戻って|ボ《?》ンナイフでノートのページを切り取り、モンローちゃん申込書の作成に力を注ぎ始めるのであった。  さてそれから十日後である。  いつものように一時間めの授業が始まる前に、廊下のあたりにタムロしていると、登校してきたTくんが擦れ違いざま、何やら丸めた紙片を手渡してきた。何だろうと思って開いてみると、中には鉛筆の文字で、 『セクシーモンローちゃん、ついに来る。本日放課後、郵便局前にて待つ。なおこの紙は自動的に消滅しないので、破いてゴミバコに捨てること』  と走り書きされていた。Tくんお得意の�スパイ大作戦�風ひみつメモである。耳元で囁《ささや》けば用が足りる内容のことを、わざわざメモにして手渡すやり方は、当時の中学生の間で大流行していたのである。  指令どおりぼくはそのメモをビリビリ破いてゴミ箱に捨て、教室の隅にいるTくんと視線を合わせた。TくんはミニスカートのOLの背後から階段をのぼる中年係長みたいな、押し殺した笑みを浮かべて、軽くうなずいた。たぶんぼく自身も、同様の笑みを浮かべていたものと思う。確かに最初はモンローちゃん購入に関して反対を唱えたが、いざ届いたとなると、見てみたいと願うのはコレ人情というもの、ダッチワイフとはいったい如何《いか》なるものであるのか、期待はイヤが上にも高まるばかりである。 「うーむ、楽しみだッ」  ぼくは朝一番からすっかり興奮してしまい、一日じゅう授業どころではなくなった。もちろん疑い半分であるから、広告の宣伝文句を鵜呑《うの》みにするわけではないが、やはりダッチワイフといえばそれなりにエッチなものであるのだろう。生身の女性とそっくりおんなじ、とまではいかなくても、結構近いセンに到達しているのではないか? ぷよぷよと柔らかくて、弾力性があって、そこに当社開発の特殊グリースを塗って、ああもう貴方に夢中なのッ、という段取りであるわけだな。うむうむ、そうかそうか。いやーまいったなこりゃあ。辛抱たまらんわい。うッしッし……。  などと、エッチな想像は膨らむばかりで、思わず大橋巨泉笑いを漏らしてしまうぼくなのであった。  さて待ちに待った放課後。  ぼくとTくんは互いに目くばせをし、別ルートにて郵便局へと走った。�モンローちゃん作戦�はあくまでも秘密|裡《り》にコトを運ばねばならなかったからである。別に連れ立って帰ったところで、誰も気にかけちゃいなかったのだが、中学生というのはこういう秘密めいた行動をしたがる年頃《としごろ》なのである。  数分後、指定された郵便局前へ辿《たど》り着くと、Tくんは既にぼくを待っていて、ぜいぜいと荒い息を吐いていた。相当なスピードで疾走してきたらしい。彼の情熱の深さが知れるというものである。 「よ、よしッ。じゃあ、おれ取ってくるから、おまえここで待機していろ」  Tくんはハアハア言いながら、途切れ途切れにそう耳打ちした。 「ラジャー」  とぼくはカッチョよく答え、郵便ポストの陰に隠れながら、 「怪しい奴が来たら知らせるからな」 「うむ。頼むぞ」  とはいえ、怪しい奴なんて来るわきゃない。そこら一帯で一番怪しいのは、他ならぬぼくら二人である。  郵便ポストの陰で待つこと五分。小包を抱えたTくんが、辺りを用心深く窺《うかが》いながら小走りに出てきた。おおッ。本当に届いていたのだなと、感激ひとしおである。Tくんはぼくの方へちらりと視線を投げ、 「大成功。いくぜ」  と目くばせするなり走り出した。五メートルほどおくれて、ぼくも後を追う。背後から眺めるとTくんは、受け取ったばかりの小包を、爪《つめ》が食い込むほどしっかりと抱えていた。ああ、あの中に麗しのモンローちゃんが入っているのか。そう思うと、えも言われぬ興奮とともに、殺人を犯した末に死体を捨てに行く途中であるかのような後ろめたさを感じてしまうぼくなのであった。  あっという間にTくん宅まで走り抜くと、ぼくらは無言のまま家の中へ飛び込み、Tくんの部屋へと駆け込んだ。 「やったやった」  ぼくらは小包を間に置いて、|オ《?》クラホマミキサーをちゃららっちゃちゃらりららっちゃっちゃーと踊りまくり、成功を祝った。こういう場面で思わずフォークダンスを踊ってしまうあたりが、田舎の中学生丸出しである。 「いよおおし、ではいよいよ開けるぞ」  やがてTくんは高らかに宣言し、小包に手をかけた。いよいよ、ついに、とうとうモンローちゃんとのご対面である。ぼくは固唾《かたず》を呑んでTくんの手もとを見つめた。薄茶色の包装紙がベリベリと剥《は》がされると、その下からボール紙製のパッケージが現れた。 「おおッ、こ、これは!」  と思わずTくんが声を上げたのは、蓋《ふた》に印刷された本物のマリリン・モンローの写真に衝撃を受けたからであった。それはポスターなどでよく見掛ける写真で、「うっふーん」と言って唇をすぼめた瞬間の表情をとらえたものである。おそらく勝手にコピーして印刷したのであろう。ちょうどモンローの金髪のあたりに黒々とスミ文字で、『モンローちゃん』と印刷されているのが、何ちゅうかド迫力である。Tくんはその蓋の写真を穴の開くほど見つめた後、んもう辛抱たまらんといった様子で腰をくねくねさせながら、 「おおプリティ……」  と嘆息した。ぼくは彼の横顔を見て何だかキモチ悪くなっちゃいそうだったが、一応付き合いなので「うーむプリティプリティ」と呼応した。Tくんは満足げにうなずき、蓋に手をかけて、ぱんぱかぱーんと開けた。  中に入っていたのは肌色のビニール製品であった。おそらくこれがモンローちゃんなのであろうが、折りたたまれて箱に収まっている様子は、家庭用子供プールを想わせる。ぼくは何だか拍子抜けがして、Tくんの反応を横目で窺った。これのどこが生身の女性とそっくりおんなじなのだ、という思いが胸の内に渦巻いていた。  が、Tくんは落胆するどころか、嬉々《きき》とした表情でその肌色ビニール製品を取り出し、あちこちいじくり回して吸い口を発見するなり、大きく息を吸い込んでモンローちゃんを膨らませ始めた。 「なるほど! 空気を入れるのかッ」  と、ぼくは脇《わき》あいから声を掛けた。そうかそうか、それは知らなかった。空気を入れるとこれがどんどん膨らんで、生身の女の大きさになり、生身の女の柔らかさになって、生身の女のナマメカシサでうっふーんと媚《こ》びるわけなのだなッ。  ぼくは興奮のために頭から煙を出しそうになりながら、事の成り行きを見つめた。空気を吹きこまれたモンローちゃんは、徐々に膨らみ始めた。人間の形になり始めた。よしよしいいぞいいぞ。その調子だその調子だ。  ところが空気を目一杯パンパンに入れた時点で、ぼくもTくんもまたもやハニワ顔になってしまった。確かにモンローちゃんは人間の形になった。下手くそな絵だが顔も描かれており、一応胸の膨らみも二つあり、お尻もあり、それらしき窪《くぼ》みもある。  しかしッ!  大きさが猫くらいしかなかったのである。およそ身長四十五センチ。これが生身の女性とそっくりおんなじというのなら、この世はガリバー旅行記ではないか。  Tくんは言葉を失い、そのミニミニモンローちゃんを床の上に置いて、がっくりと肩を落とした。彼にとって、人生最大の挫折《ざせつ》といっても過言ではないだろう。ぼくは気の毒になって、何とか彼を慰めようと辺りを見回した。するとモンローちゃんの箱の隅に、駅弁に付いている醤油《しようゆ》の容器のようなものが入っているのを発見した。 「あ、特殊グリースだよ、Tくん!」  励ますつもりでそう言って、その小さな容器を手に取り、蓋を開けてみると、中の液体はゴマ油そっくりの匂《にお》いがした。愕然《がくぜん》として容器の表面をみると、小さなラベルが貼《は》ってあり『使用方法』と書いてある。 『モンローちゃんを膨らませたら、この特殊グリース(当社開発)を、モンローちゃんの股間《こかん》に塗って使用して下さい』  読むなりぼくは声を上げて笑ってしまった。使用、という言葉がやけに可笑《おか》しかったのである。瞬間、ぼくの脳裏には下半身丸出しにしたTくんが、そのミニミニモンローちゃんを股間にあてがい、バコバコ腰を動かして悦に入っている様子が、髣髴《ほうふつ》とした。Tくんはぼくの笑い声に呼応して、えへへへへと苦しそうに笑い、「まいったなあ」と一言|呟《つぶや》いた。その目尻《めじり》に痛恨の涙が光っていたように思えたのは、果たしてぼくの錯覚だったろうか。  理由なく反抗  そういえばぼくは高校生のある一時期、不良になろうと努力したことがある。  努力して不良になるなんて妙な話だが、実際アレコレと着る物や持ち物に工夫を凝《こ》らしたり、すんごく意識的なポーズを取ったり、人の嫌がることをわざとしたりしないと、不良にはなれないのだから、一応そういう意味での努力が必要なのである。この際断言しちゃうけど、不良になるのは簡単そうでいて、実はけっこう難しい。どのへんがどういう具合に難しいのか、具体的にぼくの経験談を披露《ひろう》しよう。  あれは忘れもしない高校二年生の春。ぼくは唐突に、 「不良になっちゃうもんね」  と決意した。実際にはそれほど唐突な決意ではなく、それなりに様々な感情変化のプロセスを踏んでいたのかもしれないが、今思うと何だか天啓を受けたかのように不良化への道をひた走り始めた印象がある。  きっかけのひとつは、ジェームス・ディーンの『理由なき反抗』を観《み》たせいだと思う。あの映画には、不良のカッチョよさが随所にほとばしっていた。赤のスイングトップ、金髪のリーゼントヘアー、唇の端にくわえた煙草、車を駆ってのチキンレース、そしてしまいにはピストルまでバキュンバキュン撃っちゃう大胆さ。これらのインパクトは、田舎《いなか》の高校生であるぼくをうむむと唸《うな》らせるに十分であった。 「とにかく理由もなく反抗しなきゃいかんのだあ!」  と、もともと思い込みの激しいタイプであったぼくは、頭の中がジェームス・ディーンでいっぱいになり、それまで熱心に続けていたバスケット部のクラブ活動にあっさりと見切りをつけた。そして、同じクラスのH君というカッチョいい不良に弟子《でし》入りを志願したのである。といっても別に、 「入門させて下さい」  と頼んだわけではなく、ただ単にお近づきになったというだけの話だ。何となーく彼の近くに行って、そのファッションや言動を観察し、真似《まね》しようと努力したのである。  まず第一にぼくが真似たのは、制服の襟であった。  ぼくの通っていた高校の制服は、ごく一般的な黒の学生服であったのだが、H君のファッションをよおく観察すると、詰め襟の内側に付属している白いプラスチック製のカラーを外していたのである。 「なるほど。理由なく反抗しているッ」  とぼくは感心し、さっそく自分もカラーを外して登校するようになった。ただ単にそれだけのことなのだが、ぼくとしてはすっごく不良しちゃってる気分を味わい、 「おらおらッ、襟元だよ。首ンところが理由なく反抗してんだよッ」  と、首を突き出して校内中を歩き回った。何だか同じクラスの誰も彼もが、カラーを外したぼくを見て、 「お、原田不良じゃん」  と思っているような気がして、ドキドキしてしまったものである。うーむ今にして思うと馬鹿みたいである。  そして第二の不良化。これは学生|鞄《かばん》であった。  この件に関しては他誌のエッセイで書いてしまったので手短に触れることにするが、ようするにH君の学生鞄がぺったんこになっているのを真似たのである。  中学時代から使い続けていたごくありきたりな学生鞄をぺったんこにするために、ぼくは一生懸命寝押しをしたり、椅子《いす》の下に敷いたり、ペンチで無理やり挟《はさ》んだり、とにかく考え得る様々な努力をしてみた。ところがどんなことをしても、H君の鞄のようにぺったんこにはならない。 「むむむ、これは何か特殊な方法があるのだろうか」  と悩んだぼくは、下校途中のH君をつかまえて、直接尋ねてみることにしたのである。H君は、初めは不審そうに眉《まゆ》をひそめていたが、そのうちぼくがあまり熱心に尋ねるので、とうとうその秘密を明かしてくれた。 「これはよー、風呂《ふろ》で煮るんだよ。ガスをつけっぱなしにして、二時間くらい。それからまだ熱い内に、針金でギュウッと締めつけて固定すんの。あとは乾くのを待つ。一丁上がりってわけだ」 「なあるほど!」  感心したぼくは、さっそく家へ帰るとH君の説明どおり、学生鞄を風呂でぐつぐつ煮始めた。そのうちに強烈な異臭が浴室に漂ったが、構うこっちゃない。二時間ほど煮た後に湯から出し、アッチッチの状態のうちに四隅を針金で固定した。ふにゃふにゃになった鞄は、なるほど信じられないほどぺったんこになり、ぼくは狂喜乱舞した。  ところがその夜、何も知らずに風呂へ入った父親が、上がってくるなり、 「おい、何だか風呂がウシ臭いぞ」  と言いながら自分の体をクンクン嗅《か》ぎ回るので、ぼくは青くなってしまった。確かに湯上がりの父親は、全身からウシ臭い異臭をはなっており、そばへ寄れないほどだったのである。  結局その異臭のモトがぼくの牛革製の学生鞄であることは発覚しないで済んだのだが、我が家の風呂はしばらくウシ臭いままであり、入浴した父親も母親も妹も、たて続けにウシ臭くなった。確かに子供の不良化は、家族全体に迷惑を及ぼすのが常であるが、まさかこういう形で家族に迷惑が及ぶとは、ぼくとしても甚《はなは》だ意外であった。  さて鞄の一件でしつこくH君に質問したことがきっかけとなって、ぼくらは徐々に親交を深めていった。登校は別々だが、下校時には必ずツルむようになり、そのためにぼくの不良化は加速したのである。  学生服の詰め襟のカラーを外し、学生鞄をぺったんこにした次は、いよいよ靴の不良化である。 「原田、おめえそのバッシュやめろよ」  と、ある日H君はぼくの足元を見て忠告した。その時ぼくは黒のバスケットシューズを履《は》いていたのだが、これがどうもぺったんこの鞄とマッチしないとH君は言いたいらしかった。 「えー、じゃあ何履けばいいのさ。コインローファー?」  ぼくはH君の足元へ目をやりながら訊《き》いた。彼はリーガルの黒いコインローファーを履いていたのである。 「んー、ローファーもいいけど、いいの買うと結構高いぜ。金あんのかよ?」 「うん、あんまりない」 「だろー。それにこれから暑くなるしよー。白のエスパドリュとか、いいんじゃねえか」 「エスパドリン? 何だそれ?」 「エスパドリュだよ。何つーか、ほら、厚いコットン地のさ。知らねえか?」 「知らない」 「しょーがねえなあ。じゃあ明日、俺《おれ》履いてくるよ」  というような経緯《いきさつ》があって、翌日H君はエスパドリンならぬエスパドリュを履いてきてくれた。それはようするに良く言えばイタリア風スニーカー、悪く言えばおじさん風コットンサンダルとも呼ぶべきもので、初めて目にするぼくには、いいんだか悪いんだかさっぱり分かりかねる靴であった。 「どう? 結構イイだろ」  自慢げにそう言うH君に対して、ぼくはただ「うーむ」と唸《うな》るばかりであった。 「夏の不良はやっぱエスパドリュだよ。特におめえみたいな初心者は、このくらいにしとくのが無難だな」 「そうお? じゃあ上級者になると、どんなの履くわけ?」 「それはおめえ、便所ゲタとか、女モノのサンダルとか履くんだよ」 「女モノのサンダル!? 不良って、そういうの履くの?」 「そうだよ。カラコロいわせてよ」 「そんなの歩きにくくないの?」 「そりゃあものすごく歩きにくいよ」 「じゃあ何でそんな厄介なモノ履くのさ?」 「そりゃあおめえ……ようするに何つーか、不良だからだよ」  今にして思うと漫才みたいだが、つまりこれが�不良の論理�というものなのである。何故《なぜ》だか本人も分からないけど、理由なく反抗しちゃうのが不良なのである。  ぼくは学生服にぺったんこの鞄《かばん》を持ち女モノのサンダルを履いている自分の姿を想像し、いくらなんでもそこまで理由なく反抗できないィと困惑した挙句、H君の勧めどおりに白のエスパドリュを買うことにした。  さて詰め襟のカラーを外し、鞄をぺったんこにし、足元をエスパドリュで決めた次は、いよいよズボンの不良化である。これはかなり勇気がいる。というのも、ズボンが不良化すると、それまでは見逃してくれていた先生たちも、 「むッ。原田要注意」  とチェックを入れるようになるからである。ようするに�不良度�が高いというか何というか、とにかくズボンの不良化はたいへん人目に立つのである。  しかしながらここでおじけづいては、理由なく反抗することにはならない。先生が何だってんだバーロー、矢でも鉄砲でも持ってこいってーの、というくらいの気概がなければ、不良道の奥義は究《きわ》められないのである。  さて、では具体的にズボンの不良化というのは、どういうものであるのか? これはその時代や地方によって様々なカタチがあるらしいが、とりあえずぼくの通っていた高校では、�|ボ《?》ンタン�と呼ばれる異形のズボンが不良|御用達《ごようたし》であった。もちろんH君も、このボンタンなるズボンを穿《は》いていた。  どういうふうに異形なのかというと、まずタックが沢山入っている。そのために太腿《ふともも》の部分が、うおおりゃあッと太い。片方に両脚が入っちゃうほど太い。そのくせ裾《すそ》の部分は、足が通らないほど細い。ようするに正面から見ると、逆三角形の態《てい》をなしているのである。まさにこれぞ理由なく反抗するズボン。普通の神経ではちょっと穿けない、異形のズボンである。  ぼくは正直言って、このボンタンなるズボンに関しては、 「なーんかカッチョ悪いなあ」  という印象が拭《ぬぐ》えずにいたのだが、成り行き上穿かないわけにはいかなくなってしまった。何しろ当時の不良の必須《ひつす》アイテムのひとつが、ボンタンであったのである。  そこである日、ぼくはH君の案内で、とある学生服の店へボンタン購入に出掛けることとなった。この店は市内でも有数の、知る人ぞ知る、まごうかたなき、正真正銘のツッパリ学生服専門店であった。  ぼくはH君の後について、店の中へおそるおそる入って行った。一見、どこにでもある洋品店なのだが、中へ入ってみるとどことなく緊張感が漂っている。まず何つっても品揃《しなぞろ》えが違う。入口|脇《わき》のショーケースの中に飾ってある学生服なんか、丈が一メーター半もありそうな長ランで、しかも裏側に昇り龍の刺繍《ししゆう》が施された代物《しろもの》なのである。これぞまさに全身で理由なく反抗する学生服。 「おらおらおらあ、どっからでもかかってこんかい!」  という強烈な意志が袖《そで》や襟やポケットからほとばしっている。こんなものを着たら、四六時中、緊急スクランブル態勢で構えていなければならないだろう。 「ねーねー、あの学ランすごいね」  ぼくはズボンのコーナーへ向かうH君の肩を叩《たた》き、ショーケースの中を指差した。 「あれはおめえ、究極だよ。俺ら普通科の生徒があんなもの着たら、即退学だ」 「だろうねー」 「何だおめえ、長ラン欲しいの?」 「めめめ滅相もない」  ぼくは顔が団扇《うちわ》の代わりになるほどブルブルッと首を振り、H君とともにズボンのコーナーにしゃがみこんだ。  そこにはありとあらゆる種類のボンタンが吊《つる》してあった。細いのや太いのやうんと太いのや超太いのやひたすら太いのや、とにかくもう異形のズボンばかりである。H君はぼくのウエストサイズを尋ねた後に、その中から一着を選び出し、 「これ、そこで試着してみなよ」  と言って手渡してくれた。ぼくはそれを受け取って試着室へ向かった。店内にはちょっとコワモテの主人が暇そうに鼻をほじっているだけで、客の姿はない。当然試着室も空いていて、ぼくはそのひとつへ逃げ込むように入り、扉を閉めた。海の家の更衣室みたいな簡易な試着室である。安っぽいベニヤを貼《は》った内側の壁には、びっしりと落書きがしてあり、公衆便所風の趣も漂っている。 「不知火《しらぬひ》参上!」 「O工業高校三年二組の山田殺す!」 「俺の○○○が×××したから、△△△△△しろこのやろう(うーむとても本当のことは書けん)」  などと、とても正視に堪えない内容の落書きばかりである。これらの超過激落書きを横目で読みながら、ぼくはいそいそと一着めのボンタンを試着した。両足を通し、ウエストのホックを止め、チャックを上げて、正面の鏡に映る我が姿を眺める。 「おおッ! ここここれは!」  それは想像を絶するほどハイウエストのすんごいボンタンであった。しかもタックの数はひいふうみいよお……八。何とエイトタックである。こんなものを穿いて正面から風を受けたら、太腿の部分がパタパタパタアッと風を孕《はら》んで、凧《たこ》のように大空へ舞い上がってしまうのではないかと疑うばかりの超ボンタンである。 「うーむこれはすごい。すごすぎる」  ぼくは怒りまくる父親や泣きわめく母親、口うるさく小言を言う先生たちの姿を想像して、くらあい気持になった。 「いくら理由なき反抗といっても、このズボンの太腿の幅は理由がなさすぎるぞ。ううーむ」  ぼくは鏡の前で、正面を向いたり後ろを向いたり横を向いたりして、困惑しまくった。どこからどう眺めても、そのボンタンは、 「うーむこれはすごい。すごすぎる」  なのである。とにかく太腿の太さが尋常ではない。足が二本どころか三本でも四本でも入りそうなのである。試しにポケットへ両手を突っ込んで、よく不良たちがやるように、がばあッと両脇《りようわき》へ伸ばしてみると、まるで地球上の生物ではないような姿になる。あえてたとえるなら、水族館の水槽の中を泳ぎ回るエイのような恰好《かつこう》である。  ぼくは頭をぼりぼり掻《か》き、溜《た》め息を漏らし、困ったなあと呟《つぶや》いた後に、とりあえずH君に相談しようと考えて、試着室の扉をおずおず開いた。H君はちょっと離れた場所で、長ランを物色していた。ぼくは、 「ねえねえ、Hくーん」  と彼の名を呼びながら歩き出したのだが、下半身の具合がどうにもキモチ悪くて、全身に鳥肌がたちそうになった。歩くと、一歩ごとに太腿の生地がわっさわっさと揺れて、くすぐったいったらありゃしないのである。まるで下半身にエイを二尾まとわりつかせて歩いているような気分なのである。 「おお、似合うじゃねえか」  ところが予想に反して、H君はぼくの姿を見るなりそう言った。 「えー、そうかなあ」  ぼくは半信半疑で訊き返し、エイ的太腿をびらあッと広げて見せた。 「これ、ちょっとすごすぎないかなあ」 「いやいや、おまえ背が高いから、ぶっとくても十分いけるよ。うん、すごいすごい」 「あのー、ぼくあんまりすごくないほうがいいんだけど」 「バカだな、こういうのは思い切りが肝心なんだぜ。ハンパなボンタンなんか穿《は》いてると、かえってナメられるからよ」 「でもこれ、H君のより太いし、もうちょっと手加減したヤツのほうが……」  ぼくは必死で反論し、何とかこのエイトタックの超ボンタンだけは回避しようと試みた。何ちゅうかこう「人間やめますか。超ボンタンやめますか」みたいな、追い込まれた気分であったのだ。 「なんだ臆病《おくびよう》な奴だな」  しばらく押し問答があった後、とうとうH君はあきらめて、再度ズボンの棚のところへ行った。 「じゃあ何、ファイブタックくらい?」 「いやー、もうちょっと手加減が必要じゃないかなあ」 「ちぇ。じゃあこれ、スリータック」 「あ、それくらいがいいな」 「でもおまえ、スリータックじゃジュンとかビギとかのズボンと変わらんぜ。ボンタンというよりも、ファッションパンツだぜ」 「あ、いいのいいの。どうせぼく初心者だから。穿《は》いてみるね」  渋るH君を尻目《しりめ》に、ぼくはそそくさとズボンを受け取って試着室へ入った。エイ的太腿のエイトタックズボンを脱ぎ、三段階逆スライド方式でレベルダウンしたスリータックズボンを穿いてみる。 「んー、これはいいじゃないの!」  鏡を見て、ぼくはホッとした。さすがにエイトタックとは大違い。これならば�この秋あなたが変わる。ちょっとお洒落《しやれ》な学生ズボン�ということで通用しそうではないか。うんうん、これはいいぞ。  ぼくはすっかり上機嫌になって試着室の扉を開け、H君に文句をつけられる前に買ってしまおうと考えて、店員を呼んだ。  ややあって店のおじさんが針山を持って現れ、ズボンの裾丈《すそたけ》を調節して針を刺した。出き上がりは三日後だという。H君も遅ればせながらそこへ現れ、何だか納得のいかない表情でぼくのスリータックズボンを眺め、 「なーんかこう気合入ってないなあ」  と文句を言った。H君の信条はとにもかくにも�気合�を入れることなのである。ズボンだろうが靴だろうが鞄だろうが髪型だろうが鉛筆だろうが、何しろ気合が入ってるか入ってないかで判断を下すのである。その�気合�の基準がどこにあるのか、ぼくみたいな初心者にはさーっぱり分からなかったが、彼はもう五分に一回くらいはこの言葉を口にしていた(余談だが、彼の言によると、例えば鉛筆はコーリン鉛筆のキモチ悪い三角顔のマークはバシッと気合が入っていて、三菱ユニやトンボ鉛筆なんかは全然気合入ってないのだそうである。あるいはガソリンスタンドの場合、エッソとか共同石油なんてのは気合入ってなくて、筆文字でうおりゃあッと書いてある�出光�は気合入っているのだそうである)。  しかしながらぼくにしてみれば、そういうH君のワケ分からん気合に振り回されるのも程度問題で、特にズボンに関しては、 「気合入ってないズボンのほうがカッチョいいもんね」  と、あっさり日和見《ひよりみ》主義へ走ってしまったわけである。  さてH君の主張する�気合�は入らなかったものの、それなりに不良気分の味わえるスリータックズボンが三日後に出来上がり、ぼくは嬉々《きき》としてこれを穿いて登校した。んもう向かう所敵なしッ、の気持である。ハタから見ると、普通の学生ズボンと変わらない様子であったのだが、何しろボンタンである。それを穿いているという意識が、ぼくの�不良的気分�をいやが上にも盛り上げてくれたのである。  詰め襟のカラーを外し、鞄をぺしゃんこにし、靴をエスパドリュにし、ズボンをボンタンにしたぼくは、 「さあ次はどんなことで理由なく反抗してやろうか」  と鼻息も荒かった。ファッションの方面がこのように充実してくる一方、やはり態度関係も不良っぽく充実させたいッ、という欲求が湧《わ》いてくる。  そこでぼくは師匠筋のH君の日常生活態度を、つぶさに観察することにした。どうすれば不良っぽい態度がとれるのか? H君を見ていると、なるほど目付きや言葉|遣《づか》いなどがどことなく不良っぽい。しかしどうも決定打に欠ける気もする。何かもっと「これぞ不良の態度!」といった、決定版みたいな態度はないのか? 全身これ理由なき反抗、といった態度はないのか?  あったのである。  人呼んで�ウンコ座り�。そう、駅前などにタムロする不良たちが必ずやっている、あの必殺のウンチングスタイルである。これぞ不良的態度の決定版、誰が何つっても俺は不良だもんねと全身で表現できるポーズ。それが�ウンコ座り�である。  昼休みなどにプール裏の体育用具倉庫の脇にタムロする際、H君がこのポーズをキメて煙草を吸うのを目撃したぼくは、 「これだ!」  と思った。これぞ議論の余地のない反抗的態度だと悟ったのである。そこでさっそくH君の隣にしゃがんで、同じように煙草をふかしてみた。ぐっと深く膝《ひざ》を折って、煙草をプカアー。簡単である。こんな簡単なことに何故《なぜ》今まで気付かなかったのか。必殺のウンコ座り。あー、これでもう俺も取り返しのつかないほどの不良になっちゃったもんね。矢でも鉄砲でも持ってこいってーの。ケッ! と、一人悦に入っていたところ、不意に隣でウンコ座りしていたH君が舌打ちを漏らし、 「何だおまえ、気合入ってねーなあ」  と不服そうに言ったのである。ぼくは自分のウンコ座りのどのあたりが気合入っていないのか、にわかには判断つきかねて、 「えー、そうかなあ。どこが?」  と訊《き》き返した。 「女がションベンしてんじゃねーんだからよお。もっとこう、ビッと股《また》開いてよ、足の裏べたあーッと地面にくっつけて、肩の力はだらあーッと抜くんだよ」 「こここ、こうかな?」  ぼくはH君に指示されるまま、ビッと股を開いて足の裏は地面にくっつけ、肩の力を思い切り抜いてみた。すると何ちゅうかこう、自分が救いようのない人間になり果ててしまったような気分がした。ほとんど猿の気分、と言っても過言ではない。 「そうそう。それで股の間の地面に、唾《つば》をグチャアー、ペッペッと吐くんだよ」 「こうかい? グチャアー、ペッペッ」  実際にやってみると、自分はもう猿以下、と宣言しているような気分であった。理由なき反抗というよりも、頭脳なき反抗といった風情《ふぜい》である。しかしH君はぼくの困惑をよそに、うんうんよしよしとうなずいた後、 「その上で、もっとこうビッと気合が入れば言うことないな」  てなことを言うのである。こんな猿以下のウンコ座りポーズで、いったいどうやって気合を入れたらいいのか。ぼくは混乱して体のあっちこっちに力を入れた挙句、何か妙な気分になって尻《しり》をもぞもぞさせた。ウンコ座りポーズで気合なんか入れたものだから、本当にウンコしたくなっちゃったのである。 「目だよ、目に気合入れるんだよ」  H君は隣からそうアドバイスしてくれたのだが、目に気合入れようとすると、どうしても尻に気合入っちゃうのである。 「うーむ、うまくいかない」  ぼくはアキラメ顔にそう呟《つぶや》き、全身の力を抜いた。H君はそれ以上強要しようとしなかったので助かったが、結果としてぼくは気合の入らない、ぬたあーッとしたウンコ座りポーズしか決められなくなり、反抗してるんだか疲労してるんだかワケ分からん奴になり果ててしまった。  この�ウンコ座り失敗�の一件は、当然のことながらぼくの理由なき反抗作戦に幾分暗い影を落とした。若気の至りでこんなことを始めたものの、何だか最初に理想として描いていたものとは遠く掛け離れているのではないか、と疑いを抱き始めたのである。確かに、当初ぼくが理想としていたジェームス・ディーンは赤のスイングトップにジーンズ、リーゼントでバシッとキメてスポーツカーを乗り回していたのに、ぼくときたらヘンな形のズボンを穿いてぺったんこの鞄《かばん》を持ち、便器に跨《またが》るようなカッコで唾を吐いているのである。本当にこれが不良なのかあ!?  そんなふうに疑問を抱き始めた折も折、とある昼休みに、H君が暗い影を一掃するような、九回裏起死回生の一発とも呼ぶべき提案をした。 「原田もさー、やっぱ髪型が今イチなんだよな。リーゼントにしてみたら?」  その言葉を聞くなり、ぼくは膝《ひざ》をばしばし叩《たた》いて「なるほど! その手があったか!」と感心した。今まで気付かなかったほうがおかしいくらいのことである。何故《なぜ》、ジェームス・ディーンの髪型から入らなかったのか。そうだそうだ。髪型さえキメれば、不良というのはもっとカッチョいいものなのだ!  にわかに興奮したぼくは、さっそく髪型をキメるべくH君に「どうしたらいいのか」と性急に尋ねた。むろんH君は前々からリーゼントをバシッとキメていて、年季が入っている。彼は自分の前髪をいじりながら、 「そうだなあ。まあ床屋へ行ってやってもらうのがいちばんだけど、その前に、どんな感じなのかチックで撫《な》でつけてみたら?」 「チック? 何だそりゃ」 「早い話が整髪料だ。今俺持ってっから、貸してやろうか?」 「貸して貸して!」  ぼくはH君の指し出すチックを奪い取るようにし、どうやって使うのか訊いた。 「リップクリームみたいにクルクルッと回して、髪に撫でつければいいだけだ」 「筒単じゃないか。じゃ、俺やってくるよ」  言うなりぼくは洗面所に向かって走り始めた。誰かに見られると恥ずかしいので、人気のないプール脇の洗面所を目指し、そこの鏡の前に立った。当時の平均的高校生がみんなそうだったように、ぼくも中途半端な長髪をしていた。この髪型をカッチョいいリーゼントにすべく、ぼくはねりねりとチックを塗りたくり始めた。  前髪、横髪、後ろ髪とまんべんなく塗ってから掌で整えてみる。チックというのは糊《のり》みたいな整髪料で、やたらと手にべたべたくっつく。それを無理やり髪にすり込んで、まず前髪を全部後ろへ撫でつけてみる。 「ものすごくヘンだ」  というのが最初の感想であった。そこで今度は横の髪をぺったりと押さえつけて後ろへ流し、中央へまとまるような感じにしてみた。正面から見るとまあまあだが、横から見るとウルトラセブンみたいである。 「これもいかんなあ」  そう思って今度は、オールバックにした前髪を少しずつ盛り上げ、額の前へヒサシを作るような形にしてみた。しかし長髪なので前髪の量が唖然《あぜん》とするほど多く、前へ突き出そうとして盛り上げると、和服を着た常磐津《ときわず》のお師匠さんの髪型みたいになってしまうのである。 「これではフジヤーマ・ゲイシャ・ワンダホーの世界ではないか!」  冷静さを失ったぼくは頭を掻《か》きむしり、前髪をあっちへやったり、横髪をこっちへやったり、後ろ髪をそっちへやったりした挙句、岡本太郎作の髪型みたいなシュールなヘアースタイルになってしまい、その場によよよと泣き崩れた。そしてしばらく茫然《ぼうぜん》として座り込んだ後、誰にも会わないよう、ひそかに学校を早退した。  こんな経緯《いきさつ》があって、ぼくの理由なき反抗は終わりを告げた。思えばあの時、髪型がカッチョよくキマッていれば、今頃は歌舞伎町|界隈《かいわい》をブイブイ言わす男の中の男になっていたかもしれない。残念であるような気もする。  楽しきビンボー生活  このあいだ某雑誌のインタビューに答えている最中に、 「学生時代は、どんなことをして遊びましたか?」  という質問をされて、むむむと返答に詰まった。ずいぶん昔のことだからといって、記憶がぼやけてしまったわけではない。どちらかといえば必要以上によく覚えている。では何故《なぜ》、返答に詰まったのかというと、ようするに遊んだ記憶自体があまりなかったのである。 「えーと、そうですねえ。|ジ《?》ャズ喫茶行って文庫本読んでました」  しょうがないのでそんなふうに答えると、インタビュアーは眉《まゆ》をひそめ、 「それって、遊びなんですか?」  と訊《き》き返してきた。そこでぼくは正直に答えることにした。 「いやー、ようするに金がなかったんで、ぜーんぜん遊びませんでした」  この答えにはまったく誇張はなく、真実そのものである。早い話が、ぼくは大変な貧乏学生だったのである。まあその理由についてはぼくの小説などを読んで類推してもらうとして、今回の東京困惑日記では、学生時代のぼくが、どんなふうに貧乏暮らしをエンジョイしていたかを語ろうと思う。豊かになった日本経済の恩恵をモロに受けている現在の学生諸君なんかが読むと、 「えー、だっさーい」 「それは嘘《うそ》だろう」 「そこまでして生きていたいか」  などの声が上がるやもしれぬが、『過去の苦労は今の飯種』という言葉もある(ねえか)ことだし、厚顔|無恥《むち》な原田はそのへん平ちゃらで書いてしまうのである。  さて、ではまず衣食住の�住�から話すことにしよう。  大学に入学して一番最初にぼくが住んだのは、西武新宿線の西武柳沢《せいぶやぎさわ》駅から徒歩十分、六畳一間のおんぼろアパートであった。もちろん風呂《ふろ》なし。トイレ共同、玄関も共同、流しは付いていたが、本当に猫の額というか鼠《ねずみ》の額くらいしかなくて、とても本格的な料理を作れるような環境ではなかった。  共同の玄関を入ると、まず何とも言えないアンモニア臭が鼻をつく。これは玄関|脇《わき》にある共同トイレの臭いである。水洗だったらまだ救いもあったのだが、これが地獄の汲《く》み取り式。しかもトイレ自体の密閉度が悪いものだから、アパートじゅうトイレの臭いが漂ってしまうという史上最悪、極悪非道、クサイわクサイわ私ダメだわ的な状況を呈していたのである。  トイレの形式は当然和式で、扉を開けると便器の上にどどーんとプラスチックカバーが被《かぶ》せてある。例のイースター島の石像の顔みたいな形をしたカバーである。このカバーの存在を知っている人は、現在二十八歳以上であると思って間違いない。それ以下の年齢なのに知っている人は、かなり田舎《いなか》の出身であると思って間違いない。  トイレに入ったら、まずこのイースター島の石像カバーの鼻の部分を持って、がばあッと取り去る。トイレの穴と「ごたーいめーん」である。何ちゅうかこう、大変気が滅入る瞬間である。汲み取り式であるため、穴の奥を覗《のぞ》くと、当然そのものズバリが、 「そのものズバリなんですう」  という感じで、視界に飛び込んできてしまう。 「うー、やだやだ、見とうない見とうない」  と思って目を逸《そ》らすが、男の場合、小用を足す際には必ず落下点を凝視しなければならないというハンデを負っている。見るのがイヤだからといって、目をつぶって用など足したら、そこらじゅう大変な騒ぎになってしまうではないか。そこで、イヤでも便器の穴の中を見なければならないわけである。はっきり言って、これは大変|憂鬱《ゆううつ》な行為である。そこに見えるのが、自分のそのものズバリだけならばまだしも、共同トイレなので、二階の山田さんのそのものズバリもお隣の工藤さんのそのものズバリもあっちの部屋の横山さんのそのものズバリも、ぜーんぶゴチャマゼになってそのものズバリなのである。これはもう�ズバリ地獄�と呼んでも過言ではない。このズバリ地獄があからさまなカタチで見えてしまうのだから、憂鬱になるのも当然である。  それでも小用だけなら時間も短いわけだし、まだ我慢できる。過酷なのはやはり大用の場合、それなりの時間を必要とするから、相当な艱難《かんなん》辛苦を強いられるわけである。  大用の場合、まず一番最初に困惑してしまうのは、例のイースター島の石像カバーの置き場所である。狭いトイレだから、この結構大きめなカバーをどこへ置いたらいいのか、とても困る。キンカクシの向こう側、つまり自分の真正面に置いたりすると、大用の最中ずうっとイースター島の石像顔とニラメッコをしなければならない。これはとても居心地が悪い。といって、片手にカバーを持ったまま用を足すのも大馬鹿野郎みたいである。迷った挙句に、背後に置くことにする。  ところが背後に置いたら置いたで、またもや問題が発生してしまうのである。用を足し終えて、 「さあーて、と」  などとズボンのベルトをかちゃかちゃ言わせながら一歩下がる。と、そこにカバーが立てかけてあるものだから、これを、 「バキバキイッ!」  なあんて踏み抜いちゃったりすることがある。悲劇である。この失策をやらかす人は結構いるらしくて、最初の頃はそれなりに美男子だったイースター島の石像顔が、そのうちボコボコになってジャイアント馬場顔に変形してしまうのが常なのであった。  さてこの和式汲み取りトイレにはもう一つ、ぼくを限りなく憂鬱にさせるアイテムが存在した。ハエ取り紙である。今の学生諸君はそんなもの見たことも聞いたこともないかもしれないので、あえて説明を加えよう。これは幅七センチ、長さ五十センチほどの紙で、表面に特殊粘着剤が塗ってあり、あまーい匂《にお》いを放ちながらハエをぺったんことくっつける働きがある。天井からブラ下げられたこの紙に一旦《いつたん》くっついたハエは、よほど強運でない限りそのままの状態で余生を送る。だからブラ下げてから二週間も経《た》つと、この紙の表面は一面ハエだらけになる。  ハエだけがこの紙にくっつくのなら、大して問題はない。ところが時々、人間の頭がくっついたりしちゃうから困るのである。なかでもぼくみたいに身長が百八十もある人間は、非常にしばしばこのハエ取り紙に頭がくっつき、ハエ取り紙がハエ取り髪になってしまうのである。これも悲劇である。 「さーて、そのものズバリでもするかな」  と、何の気なしにトイレに入り、便器を跨《また》ごうとして一段高い所へふっと乗った拍子に、頭の上で「ガサッ」とか音がした時の、あの恐怖感。 「ひゃーッ!」  と叫び声を上げるが、もう遅い。ハエ取り紙はちょっとやそっとじゃ取れないのである。慌ててグッと頭を下げると、これが逆に災いして、天井に留めてあるピンが外れ、ハエ取り紙全部が頭の上へ落ちてくる。 「どしゃー!」  こうなるともう取り返しがつかない。取ろうとした手がさらにハエ取り紙を髪の毛に押しつけてしまい、もがけばもがくほど頭上は混乱をきたす。ちぎっては投げちぎっては投げ、しかしあっちが取れればこっちがくっつく、ああどうしたらいいの神様仏様、助けてけれーズビズバーパパパヤー、といった状況を呈してまさにパニックである。ほとんど発狂寸前の頭の片隅で、 「そうだ鏡を見ながら対処すべきだッ!」  と考え、尻《しり》から煙を出す勢いでトイレから部屋へ戻る。と、こういう時に限って、二階に住むOLのお姉さんと玄関でバッタリ出くわしたりする。お姉さんはぼくの頭を見るなり、夜道でフランケンシュタインに出会った京唄子みたいな表情を呈して後ずさる。会釈する余裕もなくぼくは部屋へ駆け込み、手鏡を取り出して自分の頭を映してみる。  んもう大変な騒ぎ。  魔女ゴーゴンは頭に蛇が生えているらしいが、魔人ハラダは頭からハエを生やしているのだあッ、うわあっはっはっは! と、そんなことを言っている場合じゃないのだ。慌てて引き出しからハサミを取り出し、混乱する手でザッキザッキ髪の毛を切ってしまう。ほどなくハエ取り紙がボトリと床に落ちる。ホッとしたのも束《つか》の間《ま》、あらためて鏡を見ると、ぼくの頭はシュールレアリスト風の髪型になってしまっている。しかもあちこちにハエの死骸《しがい》をまとわりつかせたまま……。  このアパートに住んだ二年の間、こういうことが三回ほどあった。まったくよく辛抱したものだと我ながら思う。  いやー、トイレのことを書くだけで、こーんなに枚数を費やしてしまった。すまんすまん。思い出しながら書いてたら、ついつい筆に力が籠《こも》っちゃったのである。  さて今度はぼくの住んでいた部屋について説明しよう。  広さは前述の通り六畳。ここに西友で買った安物のカーペットをビンボ臭く敷いて(でも当時はカッチョいいと思っていた)、西向きの窓際に机、北向きの窓際にベッドが置いてある。ベッドの足元から、壁一面はスチール製の本棚。ほとんどが文庫本である。机の脇には吉祥寺のディスカウントショップで買った小型冷蔵庫(これを持っていることがぼくは自慢であり、誇りですらあった)がある。テレビはない。ステレオは高校時代から使っているものがあった。しかし肝心のレコードは五枚くらいしかない。この五枚のレコードを繰り返し繰り返し、表面に白く粉が吹くまで聴いたのである。  ぼくの部屋の家具調度といったら、これくらいのものであった。どれもこれも今思い出すと懐かしい品ばかりである。なかでも最も思い出深いのは、やはり机だろう。これはぼくが小学校六年の頃から使用し続けていたもので、あまりにも愛着が深い。  と言っても高級な机であったわけではなく、その逆で、実にチンケな代物《しろもの》であった。小学校六年生当時に、 「これがカッチョいいのだ!」  と思って選んだ机であるから、どう見ても大学生には不釣合いなのである。それは(三十歳前後の人なら覚えていると思うが)子供たちの間でアダ花的に流行《はや》った、あちこち仕掛けのある|コ《?》イズミ学習机だったのである。知らない人にこれを説明するのはちょっと難しいが、ようするに子供だましなのだ。ぼくの持っていた白いスチール机は、比較的シンプルなものだったが、それでも時計だの可変式ライトだの時間割りを嵌《は》め込む溝だの貯金箱だのが付いていた。なかでも恥ずかしいのはこの貯金箱で、表面にわざわざ『こども銀行』とシールが貼《は》ってある。しかも中が複雑な仕組みになっていて、入れる硬貨によって一円・五円・十円・五十円・百円と、別々の場所へ区分けしてくれるのである。小学校の頃の友人たちは、この机を見ると、 「うわあ、カッチョいいなあ!」  と目を丸くしたものだが、さすがに大学生になってからの友人たちは、この机を見るなり、「何じゃあこりゃあ! 馬鹿みてえ!」  と口々にあざけり笑った。ぼくはそのことでひどく傷ついたのだが、金がないために買い換えることもできず、大学四年間ずうっとこども銀行を正面に睨《にら》みながら、コツコツと小説など書いていたわけである。思い出すと何だか泣けてくるなあ。  この部屋自体の家賃は確か二万円、管理費が千円で、計二万一千円ずつ毎月納めていた。というふうに書くと「安いなあ」と思われるかもしれないが、当時は何しろ大学の授業料が半期九万円だった時代である。月々二万一千円の出費は、ぼくにとって実に痛かった。 最初の一年は実家からの仕送りがあったからラクだったが、大学二年の半ばから、家の事情で仕送りゼロになってしまったのだ。だからぼくの木当のビンボー生活は、大学二年から始まったわけである。  実家からの援助はまったく期待できず、生活費も家賃も学費も、ぜーんぶ自分で賄《まかな》わなければならない。これはよくよく考えてみると、ハエ取り紙が頭にくっついちゃうよりもずうっと深刻な問題である。 「どうするどうする!?」  と、弱冠十九歳だったぼくは、しきりに自分に問いかけた。道は二つしかない。一つは大学を中退して就職し、とりあえず収入を確保すること。もう一つはアルバイトをしながら大学へ通うこと。当然後者の方が時間的にも肉体的にも負担は大きいが、 「ま、何とかなるだろう」  と、ぼくは気楽に考えることにした。こういうことはウダウダ悩んでいても始まらない。やってダメなら大学中退しちゃうもんね。俺《おれ》それでいいもんね。人生山あり谷ありだもんね。  と、そんなふうに明るく考えることができたのは、一つには若かったことが最大の理由として挙げられる。しかもぼくは、想像を絶するほどの夢見がちな自信家であった。十六歳の時に学習雑誌の�学生小説賞�でちっこい賞を射止めてからというもの、 「俺って才能あるんだもんね。必ず小説家になるんだもんね。そういうふうに決まってるんだもんね」  と信じて疑わなかったのである。どんな苦悩やどんな窮乏やどんな困難があっても、どうせ全部小説にしてやるんだもんね、とぼくは考えていたのである。  信じる者は救われるというか馬鹿の一念岩をも通すというか、とにかくそんな青春時代を経て、ぼくは今本当に小説家になっている。思い返してみると、奇蹟《きせき》としか言いようがない。もし今、自分が物書きになっていなかったら、大学時代のぼくは単なる不幸な青年でしかなかったわけだ。こうやって文章にすることによって、ぼくはあの時代にオトシマエをつけているのである。  閑話休題。  今度は衣食住の�食�について話してみよう。  お金のなかった学生時代、いったいぜんたいぼくは何を食べていたのか? 朝昼晩と三つに分けて説明しよう。  まず朝。  これはカンタンである。朝はコーヒー。これだけ。あと他につけ加えるなら、ネリ歯磨きだろうか。しかしまあネリ歯磨きは、別にモリモリ食うわけではないので、食物として取り上げるのもどうかと思う。となると、やはりコーヒーのみ、である。  このコーヒーというのはもちろん自分の部屋で、自分でいれて飲む。近所の喫茶店でモーニングセットを注文し、朝刊など読みながら朝のひとときを満喫……という具合にいけば理想的だが、お金も時間ももったいなくて、そんな悠長なことはしていられなかったのである。  自分でいれるコーヒーの種類は、当然インスタント。愛飲していたのはネスカフェの一番でかい瓶詰めのヤツである。これは今にして思うとほとんど冗談みたいなでかさのネスカフェで、一度などはその重みで吊《つ》り棚が落下してしまったほど重量感のあるシロモノであった。このバカでかいネスカフェが狭い流しの脇《わき》の方に置いてあると、ものすごく存在感があり、 「おいどんはネスカフェでごわす」  と無言の内にも九州弁で主張されているような感じであった。買う時は「これが一番お徳用なんだもんね」という理由で選択するわけだが、あまりにもでかいために、飲み切る前に中のコーヒーの粉末が湿気をおびてガチガチに固まってしまうという欠点があった。インスタントコーヒーというのは、一旦《いつたん》このように瓶の中で固まってしまうと、ティースプーンの先などでは到底歯が立たない。普通の感覚なら、すぐにあきらめて捨ててしまうところだが、学生時代のぼくはそんなもったいないことは決してしなかった。工具箱から木工用のキリを持ち出して、これで瓶の内側を、 「くぬっ、くぬくぬくぬッ!」  と突きまくり、しかる後に剥離《はくり》したコーヒーのかけらをばカップへコロリと入れてお湯を注ぎ、 「うーん。これはこれで、なかなかコクがあるじゃないの」  と無理やり自分を納得させて、うぐうぐと飲んでいたのである。しかもそれだけではない。瓶の奥底にこびりついて、木工用のキリの先でも歯が立たないほど固まってしまったコーヒーに関しても、何とか活用する方法はないかと考えあぐねた挙句、お湯を瓶の中へどばどば注いで、 「俺って頭いいなあ!」  と、瓶から直接飲んだりしていた。こうなるともうコーヒーが美味《うま》いか不味《まず》いか、なんてことは二の次で、とにかく最後まで飲み切ったという事実のみに執念を燃やしていたのである。まことに生命力|旺盛《おうせい》というかイヤシイというかただのバカというか、いずれにしても大したものである。  さて朝、起床してからコーヒーを飲むまでの手順を説明しよう。  まず朝起きると、流しへ行って顔を洗い歯を磨き、緑色のホーローのカップに水を汲《く》んで、 「あんがらららー、おんごろろろー」  と口をゆすぐ。しかる後に|ピ《?》ーピーケトルでお湯を沸かし、その間に身支度を整える。ここで再び先程口をゆすぐ時に使った緑色のホーローカップが登場する。このカップにネスカフェをどばどばと投入し、お湯を注ぎ、砂糖を多めに入れ、クリープを入れる。その際に、 「クリープを入れないコーヒーなんて」  と一言|呟《つぶや》くのがポイントである。当時のぼくとしては、クリープを入れることによってそれなりの贅沢《ぜいたく》感を味わっていたつもりだったのである。  こうして緑色のホーローのカップの中に、見事コーヒーができあがる(ちなみにこのカップは、歯磨きの際の口ゆすぎおよびコーヒーおよび紅茶およびスープなど、ありとあらゆる状況に応じて登場した。まことにスタンスが広いというか、応用度抜群のカップであった)。このカップを持って、前述のコイズミ学習机の前へ行き、キーキーとうるさい音を立てる事務用回転|椅子《いす》に腰を下ろす。カーテンを開け放った窓からは朝の光がキンキラリン表の木々には雀《すずめ》がチュンチュクチュン、ああ何て素敵な朝なんだろうぼくちん幸せ。と一人悦に入りつつ、熱いネスカフェを、 「ダバダー、ダバダバダー♪」  と味わうのが、ぼくの一日の始まりなのであった。  さて続いて昼食である。  前述の通り、朝はコーヒーだけで済ませているものだから、当然昼はブーフーウーに出てくる狼《おおかみ》のように、猛烈に腹が減った状態である。この狼的食欲を満たすもの。それは大学の学食であった。何故《なぜ》学食なのかというと、早い話が安いからである。  当時ぼくが通っていた早稲田の文学部の学食では、カレーライスが百三十円。きつねうどん九十円。名物早稲田ランチAが二百三十円であった。これは学校の外にある定食屋のトンカツ定食が四百五十円であったことと比較しても、破格値といっていい。  もちろん安いからには、味の方は少々落ちる。落ちるけれども、当時のぼくはそんなこと何とも思っちゃいなかったのである。 「めしは、食えればそれでよろしい」  というのが基本的なぼくのポリシーで、味なんか二の次三の次。ちゃんと食えて、量が多ければそれで幸せだったのである。  学食の数あるメニューの中でも、もっともぼくが御世話になったのは、百三十円のカレーライスであった。月末でキビシイ時なんかは、昼夜と二食ずつこのカレーライスを一週間食ったこともある。三日もしない内にウンザリしてきちゃうのは当然だが、そこはそれ、知恵を働かせて変化をつけるのである。 「昼はカレーライスだったが、夜はソースをどばどばかけて、ソースカレーなのだあ!」  と、調味料で変化をつけて、自分をごまかしたりした。けれどあれは、けっこうミジメなものがあったなあ。ただでさえ不味《まず》いカレーが、ソースをかけることによって、さらに不味くなっちゃうんだもの。  しかもこのカレーライスは、時々輪ゴムが入っていたり、天麩羅《てんぷら》そばに入っているはずのアゲ玉が入っていたりして、大いにぼくを驚かせた。  それから二百三十円の|早《?》稲田ランチA。これもよく食べたものである。前述の通り、このランチには�名物早稲田ランチ�というキャッチフレーズがついていたが、とびきり不味いことで名物となっているとしか考えられない味であった。内容は日替わりなのだが、とにかくいつ食べても冷えている。アツアツの状態で出てくることがないのである。しかし学生たちは文句ひとつ言うわけでもなく、もくもくとこれを食べていた。おそらく誰もがぼくと同様、味覚よりも食欲を優先していたのであろう。  さて次に夜の食事である。  夜はまあ大抵大学近辺の安い定食屋か中華料理屋で済ませていたが、生活が逼迫《ひつぱく》してくると、自炊《じすい》ということにならざるを得なかった。  自慢じゃないけど、ぼくは料理がからっきしダメな男である。レパートリーといえば、目玉焼きか卵焼き、ウインナー炒《いた》めくらいのものである。従って自炊による晩飯ということになると、内容は貧弱の極みであった。  とりあえず飯を炊《た》くことは人並みにできたから、まず、大量に飯を炊く。一人で食べるのに四合とか五合炊く。これは、�面倒臭いから翌日の分も炊いちゃうんだもんね作戦�とぼく自身が命名していた苦肉の策で、 「ゴハンだけは沢山あるんだぞ。豪華なんだぞ!」  と自分自身を暗示にかける意味もある頭脳的作戦なのであった。しかし翌日になって、炊飯器の中に大量に残った冷メシをボソボソ食べていると、何ちゅうかこう暗澹《あんたん》たる気持になることもしばしばだったので、ほどなくこの作戦はあまり頭脳的ではないと思い知るにいたった。  しかしまあ、どんな場合でも飯だけはきちんと炊いた。米は晩飯の基本である。これがなければ、何も始まらない。炊飯器でゴハンが炊き上がると、何となくホクホク顔になって、ロケットにたとえるなら、 「大気圏脱出成功!」  という気分になったものである。続いて、 「二段ロケット切り離しッ!」  という作業に入るわけだが、ぼくの場合、冷蔵庫からツケモノを出す、という行為がこれに相当する。二段ロケット切り離しはたいへんカンタンである。引き続き、「三段ロケット切り離しッ!」  という作業に入る。これが難問であった。何しろ三段ロケットに相当する材料が、「丸大のひとくちウインナー」くらいしか見当たらないのである。しかし、ないものねだりをしても仕方がない。おもむろに冷蔵庫からひとくちウインナーを取り出し、一応切り目など入れてフライパンで炒める。 「おお、よい匂《にお》いだよい匂いだ」  と、ここで形だけでもハシャぐのがポイントである。ただもくもくとウインナーを炒めるだけでは、まるでロシア文学のように重苦しい夕餉《ゆうげ》が展開されるばかりではないか。材料が少なければ少ないほど、それを空元気で補う必要があるのである。現在極貧に喘《あえ》いでいる人は、ここんとこ大切なポイントだからメモしておくように。  さて、ほどなくひとくちウインナーが炒め上がる。これを皿に盛って、三段ロケット切り離し成功である。続いてゴハンをば飯碗《めしわん》に盛って、 「着陸態勢準備完了!」  という段取りになり、右手に箸《はし》を持っていよいよ着陸である。  この場合、何しろオカズがひとくちウインナーとツケモノしかないわけであるから、壮大なる想像力をもってこれを補う。 「今俺は砂漠を二週間さまよった末に、アラブの美女によって救出されたのだ。これはそのアラブの美女が作ってくれたウインナー炒めなのだ。違うけどそうなのだ」  と瞳《め》を閉じて考えた挙句に、目の前のウインナー炒めをパッと食べる。実に美味《うま》い。続けて今度は、 「今俺は八甲田山を二週間さまよった末に、東北美人によって救出されたのだ。これはその東北美人が炊いてくれた飯なのだ。違うけどそうなのだ」  と瞳を閉じて考えた挙句に、目の前のゴハンをパパッとかき込む。実に美味い。続けて次は、 「今俺は太平洋を二週間漂流した末に、オーストラリアの美女によって救出されたのだ。これはそのオーストラリアの美女が用意してくれたツケモノなのだ。オーストラリアにツケモノがあるかどうか知らんけど、とにかくそうなのだ」  と瞳を閉じて考えた挙句に、目の前のツケモノをパリパリ食べる。実に美味い。  この想像力補強作戦を展開する上で重要なのは、必ず美女を登場させるという点である。これをおろそかにして、八十の婆さんや毛むくじゃらの大男などを登場させてしまうと、ミジメな食事がますますミジメになってしまうから、注意しなければならない。  さて、このようにしてささやかだがたいへん充実した晩ゴハンが終わる。普通の人ならばここで一日の食生活も終わりを告げるのだが、ぼくの場合はもうひとつある。夜食である。  学生にとっては、この夜食というのが結構重要なのである。場合によっては、晩飯よりもこちらの方を充実させる向きもあるほどである。  現在の学生ならば、夜中に腹が減ったら近所のコンビニエンスストアへ行って、何か買ってくれば事は足りるのだろうが、ぼくが学生だった頃はそうはいかなかった。コンビニエンスストアが、なかったのである。いや、正確にはセブンイレブンができ始めた頃だったのだが、まだ店舗数も少なかった上、当初はその名の通り、朝七時から夜十一時までしか営業していなかったのである。  だから夜中の二時なんて時間に、急激に空腹を感じたりすると、これはもう地獄であった。マーケットは当然開いていない。ぼくが住んでいた西武柳沢なんて場所は、辺鄙《へんぴ》な所だから、深夜営業の飲食店なんてものも皆無である。冷蔵庫に何か残りモノでもあれば一時しのぎにはなるが、何もなければ、空腹を堪えて眠るしかない。  ある時、夜中の三時頃に、 「あー、甘いものが猛烈に食いたい!」  という抑えがたい欲求が湧《わ》いてきて、往生したことがある。甘味に対する欲求というのは、若い時は唐突に湧いてくるものなのである。しかもこれがかなり強い欲求なので、押し殺すのに苦労する。 「うー、うー、何か甘いものはないのかッ」  ぼくは何だかいても立ってもいられないほどの衝動にかられて、部屋の中を探しまくった。が、甘いものなどどこにもない。こういう時のためにチョコレートの一枚も常備しておくべきなのだが、なかなか普段からそういうところにまで気が回らないのである。  結局アレコレと探し回った挙句、ぼくは甘いものを二点ほど見つけ出した。ひとつは角砂糖。もうひとつは|ク《?》リープである。 「うーむ、どっちにしようかなあ」  と考えた末に、ぼくはクリープを選択した。角砂糖をガジガジ齧《かじ》るよりは、少しマシなような気がしたのである。  さっそくティースプーンを持ってきて、クリープの瓶の中へ差し入れ、うりうりとすくい上げてみる。粉末なので鼻息で散らさないように注意して、 「ぱくっ!」  と口に入れ、レロレロと嘗《な》めてみたところ、これが意外なほど美味いのである。 「おおっ、美味いじゃないか。これは驚いたぞ。うむうむ。美味い美味い」  と、すっかり味をしめたぼくは、クリープを一瓶モリモリと平らげてしまった。食い終わった後というか嘗め終わった後、ひどい胸やけがしたが、予想以上に美味かったのは事実である。嘘《うそ》だと思うなら、試しに嘗めてみるがよろしい。本当に結構イケるぞ。  いやー、しかしこうやってあらためて学生時代の食生活を書いてみると、実に悲惨な暮らしをしていたのだなあぼくは。でもまあ思い返してみると、ああやって不自由な状況の中でもがいていたこと自体が、今のぼくの糧《かて》になっていることも確かなのだ。若い時の苦労は買ってでもやれ、という言葉はあながち馬鹿にできないと思うな実際。  ヒースロー困惑記  ところで去る十一月の下旬、ぼくは某雑誌の企画で東欧ハンガリーの旅六泊八日三食昼寝付き、という何ともありがたい大名旅行をしてきた。ハンガリーなんてこんなことでもなきゃ、死ぬまで訪れないであろう国であったから、ぼくとしては大変楽しかった。ガイドブックもなあーんも読まずに、いきなり行ってしまったことが良い方へ働いて、滞在中は驚きの連続。  と、こういうふうに書き出すと、まるでハンガリーの話をするかのように思われるかもしれないが、あにはからんや。ハンガリー自体の話は、連れてってくれた雑誌のために書かなきゃならないので、残念ながらここでは披露《ひろう》できないのよね。うーん、本当に残念。あの話もしたいし、この話もしたいんだけど、義理堅い原田としては沈黙せざるを得ないのよね。 「じゃあ何の話なんだバカッ」  と、今あなたは思ったでしょう? まあまあ、おさえておさえて。今回の東京困惑日記はですね、そのハンガリーからの帰路、ブダペストから帰りの飛行機に乗ったところからジャジャーンと始まるわけです。題して『ヒースロー困惑記』。始まり始まり。  さて一週間のハンガリー滞在を終えたぼくは、スタッフとともにブリティッシュ・エアラインに乗り込んだ。ブダペストと英国ヒースロー空港をつないでいる国際線だが、利用者が少ないためか、小さめのボーイングであった。 「いやー面白かったねえ」  と、ぼくらは横一線に並んだ席について、離陸するまでの数十分間、ハンガリーに関する雑談に夢中になっていた。動物好きの編集者M嬢、海外取材経験豊富な頼りがいのあるお姉さまライターNさん、ランニングシャツと半ズボンが未だに似合いそうな永遠の少年カメラマンYさん、それにぼくの四人組である。  四人はそうやってしばらく雑談していたのだが、そのうち、申し合わせたかのようにンガンガと寝入ってしまった。で、ふと目を開けたらもう離陸していて、英国人のスチュワーデスが飲物を配っていた次第である。 「シャンペイン、レッドワイン、ホワイトワイン、ビーヤ……」  などと言いながらワゴンを押してくるスチュワーデスを見て、ぼくは著しく緊張し、血液中に大量のアドレナリンを分泌した。ま、もう有名な話だからみんな知ってるかもしれないが、ぼくは外人恐怖症なのである。そんなら外国なんか行くなバカ、と言われてしまいそうだが、一人で外国の街《まち》をぶらぶらしてその国の人と話す、というのなら肚《はら》が座って結構平気なのである。苦手なのは例えば日本の街角で、不意に外人に道を訊《き》かれたりすること。これはヒジョーに困惑する。ようするに下手な英語なんぞを必死こいて操っている場面を、日本人に目撃されるのが恥ずかしいのである。  従ってこの場合も、ぼくが下手な英語でスチュワーデスに、 「えーとアイウォント、えとえと、ビーヤ。プリーズなんですう」  なあんて話しているところを、隣に座っているM嬢に目撃されてしまうー、という羞恥《しゆうち》心を抱いてアドレナリンを分泌させてしまったわけである。しかも、ただでさえこうやって緊張してしまうのに、ワゴンを押しながら近づいてくるスチュワーデスの様子をひそかに観察したところ、ムチなんか持たせたらすごく似合いそうな、コワモテの女性だったのである。 「やーねー、どいつもこいつも客だと思ってふんぞり返っちゃって。あたしを誰だと思ってんのよ。キー!」  とでも言いたげな、不機嫌な表情のスチュワーデスだったのである。ぼくはたちまちヒエエと萎縮《いしゆく》し、目が合わないように窓の方を向いた。しかしそうやって目を逸《そ》らしたところで逃げられるはずもなく、ほどなくスチュワーデスはぼくの座席の横へ来て、 「ウジューライクなんとかかんとか」  とかなんとか訊いてきた。ぼくは彼女の存在にたった今気付いたかのような表情を装って、「オー」などと眉《まゆ》を八の字にして見せちゃったりした末に、 「コーク、プリーズ」  と脅えながら言った。今までに何度か海外旅行をした経験からすると、あらゆる飲物の中で�コーク�が一番カンタンに発音できてトラブルも少ない、と判断したのである。案の定スチュワーデスはすぐにコークを用意して手渡してくれたのだが、飲んでみるとこれが非常に生ぬるい。しかし飲み残したりしたら、コワモテのスチュワーデスに怒られそうな気がして、必死で全部飲んでしまった。  |悲《?》劇はここから始まる。  生ぬるいコーク一気飲みが災いしたのか、急にお腹がキリキリ痛くなってきちゃったのである。 「うーむ。これは困った」  ぼくはアブラ汗をたらーりと流しながら、周囲を見回した。幸いトイレは空いている様子である。しかしブリティッシュ・エアラインのトイレでブリブリするなんて、洒落《しやれ》にはなるけど何だかイヤである。友人に聞いた話では、ブリブリしている最中に飛行機が乱気流に巻きこまれたりしたら、問題の品が宙に浮いてお尻《しり》にくっついちゃうらしいではないか。そんなことになったらいやだわいやだわ。と、ぼくの思いは千々に乱れた。  しかし精神力で堪えられる種類の腹痛ではなかったので、ぼくは意を決してトイレへと向かった。何食わぬ顔で最前部のトイレまで行き、扉を開けて後ろ手に閉める。鍵《かぎ》をかけると、同時にトイレ内の電灯がつく。 「頼むから乱気流にだけは巻きこまれんでくれい!」  と神に祈りながら素早く用を済ませ、ホッとして立ち上がった。後はさっさと流すばかりである。いやー何事もなくてよかったよかった、と壁についているコックをひねり、青い水がジャーッと出て……。 「うげげげッ!」  次の瞬間、ぼくは青くなった。問題の品が流れないのである。それほど大量生産したわけではないのに、青い水を弾き返してビクともしないのである。もう一度コックをひねってみるが、やはり流れない。もう一度ひねってみるが、やはりビクともしない。もう一度もう一度と、五、六回流してみたがダメである。 「どどどどうしよう……」  ぼくはその場に茫然《ぼうぜん》と立ち尽くし、言葉を失った。同時に脳裏にはさっきのコワモテのスチュワーデスの顔が浮かび、叱責《しつせき》され「国外永久追放デース!」とか言われている自分の姿が浮かび、泣いている父母の姿やひそひそ陰口を叩《たた》く友人知人の姿までが走馬灯のように浮かんでは消えた。はっきり言ってこれは今回の旅行で最大級のピンチである。外人恐怖症のぼくが、外人相手にこの危機的状況をどのように弁解すればいいというのか。うへー神様仏様助けてくだせえー。  ぼくはもうパニックに陥って半バカ状態になり、壁のコックを立て続けに二十回もひねりまくった。その結果、暗雲の隙間《すきま》から光明が射し込み始めた。問題の品が、ようやくジリジリと移動し始めたのである。 「おッ。がんばれ! がんばれ青い水!」  心の中でエールを送りながら、さらに五回ほどコックをひねったところ、問題の品はとうとうスルリと動いて、穴の中へ消えてくれた。ぼくは心底ホッとして、その場にへなへなと崩れ落ちそうになった。たかがトイレで用を足すだけでこれほど疲労し切ったのは、生まれて初めてのことである。それにしてもぼくは一人で四十人分くらいの水を流したわけだが、あの後入った人は大丈夫だったろうか。今頃《いまごろ》になって心配である。  この一件ですっかり疲労したぼくは、何だか無気力な状態で英国ヒースロー空港へと降り立った。時刻は午後四時。ヒースローから成田《なりた》まで直行便のJALは、七時フライトの予定だから、三時間ほど待ち時間がある。  ぼくら四人は機内持込みの手荷物を抱えて、到着ゲートから乗換ゲートへとエッチラオッチラ歩いた。成田なんかに比べると、この空港はやけに広くて、出発ゲートまでバスに乗ったりするのである。こんなところで他の三人とハグレて迷子になったりしたら……と考えるだけで冷や汗が流れてしまう。  ようやく出発ゲートに到着すると、ロビーの手前で非常に厳重なボディチェックがなされる。ロンドンは過激派が多いのか、何だかいたるところで手荷物検査およびボディチェックを実施しているのである。  まずX線透視装置のコンベアに荷物を載せる。コートを着ている場合は、これも脱いで載せる。旅客の方は、その脇《わき》の金属探知機を潜る。ここで、 「キンコーン、キンコーン」  なあんてチャイムが鳴ってしまうと、周囲の係員が一斉に「キッ!」という顔になる。んもうみんなマジもマジ、大マジである。ぼくはこの金属探知機というヤツも大の苦手としているものだから、ここでもまた必要以上に緊張してしまった。別にやましいことはないのだから堂々としていればいいのだが、どうも係員が外人だと、 「いざという時、何て言って弁解したらいいのだあ」  という考えばかりが先に立って、妙にソワソワしてしまうのである。するとその様子が外人係員にとっては、 「ムッ! 怪しい東洋人……」  というふうに映るらしく、いつもぼくのボディチェックは他の人の場合よりも厳しい内容になるのである。  今回のヒースロー空港でのボディチェックも例外ではなく、ぼくはもう体の隅々まで係員にいじくり回され、思わず悶絶《もんぜつ》しそうになった。成田でやられるボディチェックみたいに、ササッと体の表面だけ撫《な》でるようなものではなく、ポケットなどに少しでも異物感があるとその部分を、 「うりうりうり!」  と揉《も》むようにして調べるのである。そして納得がいかないと、ポケットの中へ手を入れてきて中のものを取り出し、 「ワットイズディス!?」  などと尋ねてくるのである。この厳密を極めるボディチェックは、元来くすぐったがり屋のぼくとしては地獄の責め苦にも等しい。くすぐったくてしょうがないのだが、 「うわはははは!」  などと笑ってしまったら、ますます怪しい東洋人とみなされそうではないか。必死で笑いを堪《こら》えなければならないので、もうヘトヘトに疲れちゃうのである。  この地獄のボディチェックから解放されると、ようやく出発ロビーでくつろぐことが許される。ここは実に広々していて、免税店も実に立派である。奥の方には有名なロンドンの百貨店『ハロッズ』も入っていて、セーターだのコートだの陶器だの宝飾品だのを売っている。  出発までまだ二時間半もあるので、ぼくら四人は交代でショッピングへ出掛けることにした。一人は荷物番、あとの三人は自由行動という手筈《てはず》である。最初に僕は自由行動を許されたが、今更これといって買うものもないのでハロッズの中をうろうろした挙句、 「タマには親孝行でもすっか」  と、父母にセーターなぞ買って、すぐに元の場所へ戻って来た。カメラマンのYさんと交代で、今度はぼくが荷物番である。  そうやってロビーの椅子《いす》に腰掛けて、あらためて辺りを見回すと、出発ロビーにはかなり沢山の日本人が見受けられた。ハンガリーにはほとんど日本人観光客はいなかったから、何だか懐かしいような気分である。  その時、賑《にぎ》やかな話し声が響いて、ぼくの目の前を通過していくオバサンの一団があった。日本人のツアー観光客である。いずれも四十から五十歳くらいの、 「生まれた時からオバサンです」  といった感じの筋金入りのおばさんたちで、実にかしましい。海外旅行なんだもんね、ということでテンションが上がっているらしく、競い合うようにして、 「だわよね」 「そうなのよそうなのよ」 「もうまいっちゃってホント」 「だわよね」  などと大声で喋《しやべ》りまくり、辺りの空気をオバサンオバサンオバサンオバサンと、オバサン一色に染め上げながら、正面にある回転ドアに向かって行く。  と、次の瞬間。オバサンたちは話に熱中するあまりか、それともシステムを知らなかったのか、そのままの勢いで回転ドアにワッと入ってしまった。あの狭いスペースに一遍に四人も入って、扉を回そうとしたのである。 「なによなによ」 「あらあら」 「どうしたのどうしたの」 「やだやだ」 「ちょっとちょっと」 「あららららら」  などとオバサンたちは口々に文句を言いながら、はらほろひれはれと回転ドアの出口に将棋倒しになり、 「たしけてー!」  と、あからさまに助けを求めたりした。ドアのそばに立っていた英国人の係員がすぐに助け起こしたのだが、この後のオバサンたちの立ち直り方がまたすごかった。 「いやあだ、イギリスで転んじゃったあ」 「あははあはは」 「土産《みやげ》バナシ土産バナシ」 「やだバカねやだバカね」 「あははあはは」  という感じで、ちーっとも気に病む様子がないのである。まさに日本のオバサンパワー海外にて炸裂《さくれつ》といった場面であった。こういうオバサンを見ると、ぼくみたいな気の弱い外人恐怖症の男は、何だか自分がイヤになってしまう。 「うーむ、ちっとはオバサンを見習わないとなあ」  と、妙な感心の仕方をしてしまうヒースロー空港の午後六時なのであった。  エッチで悪いか  こう言っちゃ何だけど、男というのは基本的に大変エッチな生物である。んもう暇さえあれば、すぐにエッチなことを考えている。それがどれくらいエッチなことなのかは個人差があるから一概には言えないけど、とにかくかなりエッチなことを、かなり長時間にわたって、かなり事細かに考えていると言っていい。 「いーや。俺は断じてそんなことないぞ。俺は真面目《まじめ》な男なのだ」  などと真顔で反論する奴も中にはいるかもしれないが、なーにを言うかこの森田健作野郎めッ、足の親指と親指の間にエッチなものをブラ下げているくせに、黙れ黙れい、である。  誤解のないようにここで断っておくが、真面目であることとエッチであることは、決して相反するものではないのである。真面目な奴は真面目な奴なりに、真面目にエッチと取り組んでいるはず。真面目だからエッチじゃないんだもんね、というロンリは成立しないのである。  中でも十代の半ばから二十代。この年代の男は、エッチが服を着て歩いていると考えてもいい。特に女性と一緒にいる時なんかは、頭の中はエッチで一杯。どうすればより素早く、スムーズに、スマートに、的確にエッチができるか。それともできないのか。できるのかできないのか。できないのかできるのか。うわあーハッキリしてくれいッ。てなことしか考えていないはずである。 「私の彼氏はそんなヒトじゃないわ。イヤイヤ。そんなはずないわ」  なあんて甘い考えは捨てなさい。ことエッチに関しては、例外はないのである。私の彼氏だろうが貴方の彼氏だろうが誰だろうが、男である以上はエッチなのである。  と、これくらいしつこく前置きをしておけば、ぼくの若い頃の数々の悪行も告白しやすいというもの。まあ悪行というほど大袈裟《おおげさ》なものではなく、普通の男の子なら誰でも身に覚えのあることばかりだけど。  さて当然のことながら、かく言うぼくも十代二十代の頃はかなりエッチな男の子であった。もちろん今でもややエッチであるが、十年前とは比ぶべくもない。今回はそんな昔の話、二十三歳当時の「ぼくってエッチ」な一夜について話そうと思う。  当時のぼくは大学を卒業してコピーライターの事務所に弟子《でし》入りし、毎日忙しく立ち働いていた。基本的に土日は休みだったのだが、下ッパはそういう呑気《のんき》なことでは勤まらない。何しろ平日は原稿届けや資料の受け渡し、撮影の立ち合いなんかで時間が潰《つぶ》れてしまい、コピーを書いたりする暇なんてぜーんぜんなかったのである。従って週末には山ほどの仕事がたまってしまい、これをこなすためには土日出社しておおりゃあッと書きまくるしかなかった。  まあ若かったから体の方は何ともなかったが、やはり精神的にはかなりストレスがたまってくる。二カ月もそんな状態が続くと、 「うー、遊びたいィー」  という抑えがたい欲求が湧《わ》いてきて、身悶《みもだ》えするほどであった。何しろ好きな彼女とゆっくりお茶を飲むこともままならない。来る日も来る日もコピーを書いて、資料を調べ、TVコマーシャルの企画を立てたりするばかりで、生活にこう何ちゅうか現実感がないのである。広告というのはあくまでも絵に描いたモチであって、良いことばかりを表現するわけだから、続けていく内に、 「てやんでー」 「すっとこどっこいめ」 「キレイ事言ってんじゃねーや」  という気持が湧いてきて、精神のどこかが消化不良を起こし始めるのである。しかしあまりにも忙しいので、この消化不良を解消するための時間が取れない。かくしてぼくの精神はますます荒廃していったわけである。  そんなある日。土曜日のことである。  当時ぼくは下北沢の安アパートに一人暮らししていたのだが、仕事を終えて夜遅く帰宅したところ、何だかその日に限って目が冴《さ》えて眠れなかった。酔客でごった返す下北沢の駅前をトボトボ帰って来たことで、何か複雑な思いが胸中に渦巻いていたせいだったかもしれない。自分以外の若い奴の誰もが、 「人生楽しんじゃってるんだもんね」 「これでいいんだもんね」 「ぬはははは、だもんね」  というカルーイ気分で生きているように思えて仕方なかった。それに引き換えこのぼくは、土曜日の夜だというのに四畳半のアパートの一室で、|オ《?》ールナイトフジを観《み》ながら眠りにつくだけなのだ。うー、ちきしょうちきしょう。  てな思いに胸を掻《か》き乱されて、すっかり目が冴えてしまった。そこで布団の上に起き上がってまずテレビをつけ、何かこう今からパアアーッと遊ぶ方法はないものだろうかと、懸命に考え始めた。  しかしながら時刻は既に夜中の二時。この時間では遊べる場所なんて限られているはずだし、友人を叩《たた》き起こすのも気がひける。新宿の歌舞伎町まで出れば何かありそうな気もするが、面倒臭くもある。わざわざタクシーに乗って出掛けて行って、結局なーんも面白くなかった、てなことになったら本当にメも当てられないではないか。となると、地元の下北沢近辺で何か探すしかない。 「うーむ、下北沢に何かあったかなあ」  ぼくは腕組みして考え込んだ。まず一番に考えられるのは酒だ。しかしぼくはもともと外で飲酒することは滅多にない男である。ましてや一人で飲みに行くなんて、緊張するばかりであまり楽しそうではない。他に考えられるのは、ゲームセンター。当時はまだ新風営法が施行前だったので、ゲームセンターも二十四時間営業だったのである。しかし真夜中にいい年こいた男が一人、テレビゲームに熱中する姿というのも、あまりカッチョいいものではない。  そうなると残るはエッチ関係だけである。下北沢の駅前には、何軒かのピンクキャバレーがいらはいいらはいと存在している。入ったことは一度もないが、店先に目付きの鋭いお兄さんが立って、 「はいスケベスケベスケベスケベー!」  などと大声を張り上げている様子は何度も目撃した。こういう悶々《もんもん》とする夜こそ、勇気を出してああいう所へ行ってみるのもテかもしれない。  この発想はぼくを大いに興奮させた。立ち上がり、狭い四畳半の部屋をウロウロ歩き回りながら、 「うーむそうか」 「そうだな」 「むむむむむ」  と一人でウナり声を上げつつ、ぼくは頭の中でめくるめくエッチの世界を構築し、あれがあーなってこうなって、さらにこうなっちゃったりしてああなると、うわあー堪《たま》らんなあこりゃあ、ひー、などと独りごとを漏らした。  しかしここでぼくはハタと大問題に気がつき、顔面|蒼白《そうはく》になって動きを止めた。金がないのである。ああいうところへ行って心おきなくエッチをするためには、やはり五千円いや一万円は必要であろう。何しろ男にとってエッチは高くつくのである。特に当時のぼくみたいに四六時中ぴーぴー言っているような青年にとっては、「家、自家用車、宝石、エッチ」と、この世で四番めくらいに高価なものであったのだ。 「これは困った……」  ぼくは財布の中に千円札が三枚くらいしかないのを確かめ、暗澹《あんたん》たる気持になった。いくら場末とはいえ、三千円ではお話にもなるまい。頭の中で構築したエッチの王国が、ぐわらぐわらと音を立てて崩れていく。おおお何ということだせっかく築き上げた私のエッチ王国がこなごなに……。  ぼくはしばらく茫然《ぼうぜん》として、廃墟《はいきよ》と化したエッチ王国跡に立ち尽くし、何とかならんもんだろうか神よ、と天を仰いだりした。エッチというのは、いったん火がつくといつまでもくすぶり続け、なかなか消えないものなのである。 「これはもう最後の手段、擬似エッチ方面へ走るしかないッ」  ぼくは胸の奥でくすぶり続けるエッチの火を持てあまして、自分にそう言いきかせた。擬似エッチ方面というのは、ようするに本物のエッチ方面の代替案、生身のエッチ以外のものを指してそう呼ぶのである。現在ならばアダルトビデオというやつがその代表格であろうが、当時はまだビデオのハード自体がそれほど普及していなかった。従って擬似エッチ方面の代表格というと、ポルノ映画関係もしくはポルノ雑誌関係であった。 「確か駅前の線路脇の映画館はオールナイトだったはずだ」  下北沢に一軒だけあるその映画館は、いつもエッチな映画しか上映しない男の館《やかた》であったのだ。恥ずかしいのでまだ一度も行ったことはなかったが、一応男として意識はしていたのである。映画ならば千円もあれば十分に足りる。 「よおーし、行くぞ行くぞお」  ぼくは鼻息も荒く支度を始めた。できるだけ目立たない地味な服を着て、わざと髪の毛をボサボサにして、サングラスまで掛けて部屋を出る。一応変装のつもりなのである。これはまあ自意識のなせるわざで、誰かに見られちゃ恥ずかしい、と思ったわけだ。しかし夜中の二時に、ポルノ映画館へ入っていく男のことをじーっと観察する奴なんて、いるはずもない。だから無駄な努力なのだが、自意識が過剰なのでついそういうことをしてしまうのである。  ぼくは真夜中の下北沢の繁華街を抜け、お目当てのポルノ映画館の前まで、脇目《わきめ》もふらずに突き進んだ。さすがに人気は少ないが、映画館のすぐ隣が『スズナリ』という呑《の》み屋《や》街になっているので、どことなく賑々《にぎにぎ》しい雰囲気がある(余談だがつい先日下北沢へ行ってみたら、この映画館はピッカピカのスポーツクラブに変身していた)。  ぼくはあたりを見回しながら、まず一度映画館の前を素通りした。一度でサッと入れないあたりが、これまた自意識のなせるわざである。誰かに目撃されたら、 「おッ、あの野郎|ポ《?》ルノ映画を観《み》るのか。はっはっはっは、恥ずかしい奴!」  などと思われてしまうのではないかと、不安なのである。だからいったん映画館の前を通り過ぎて、線路脇にある電話ボックスへ入り、電話を掛けるフリをしながら様子をうかがう。まったく馬鹿みたいだが、本人は結構真剣なのである。  案の定、映画館はオールナイトで営業している様子である。洋モノの『私はセクシーなんとかかんとか』というのと『アメリカンなんとかポルノかんとか』というのと『エロチックなんとかかんとかな女』というのが、どどーんと三本立てである。おおおすごいぞすごいぞ、とぼくは目を充血させて興奮しまくった。切符は、映画館の入口脇に自動券売機があって、ここで買う手筈《てはず》のようである。できるだけ人と顔を合わせたくないぼくとしては、これはありがたい。  ぼくはポケットの中で硬貨を握りしめ、あたりの人通りが完全に途切れるのを待って、おおりゃあーッと電話ボックスを飛び出した。一直線に自動券売機の前まで行き、電光石火の素早さで硬貨を取り出し、うりゃうりゃと投入する。ガッチャン、ひらひらと落下してきた切符をわっしと掴《つか》み、 「ダーッシュ!」  と入口へ向かって、ほとんどアメラグのタッチダウンさながらの勢いで駆け込む。するとそこにモギリのおばさんが座っていて、 「何じゃいお前は」  といった表情でぼくを見据えた。ぼくは急ブレーキをかけてうつむき、小娘のように赤面して切符を差し出した。おばさんは「ギロギロ」とカタ仮名で音が出そうな感じでぼくを見つめながら切符を受け取り、乱暴に二つにチギッて戻した。 「今からじゃ二本しか観れないよ」  彼女は続けてそう言ったのだが、ぼくは物も言わずにその場を離れ、すぐに劇場内への扉を押した。まるで犯罪者の気分である。  劇場内へ足を踏み入れると同時に、何ちゅうかポルノ映画館独特の、獣臭いような男臭いような、何とも言えない欲望のニオイが鼻をついた。しかしまあ、ここまで来れば一安心である。もう誰にも咎《とが》めだてされることはない。  客席はガラガラで、十人も入っていない様子である。ぼくは真ん中あたりへ行って腰を下ろし、やれやれと溜《た》め息をついた。スクリーンでは何ていうこともない俳優と、何ていうこともない女優が車に乗って話をしているシーンが展開されている。ようするにエッチな場面へ至る前段階というわけである。 「うーむ。何か虚《むな》しいのお……」  そんなことを考えながらも、画面に集中している内に、登場人物の二人は濃厚なキスをし始めたので、たちまちぼくは虚しくなくなった。ところが、この時ぼくの背後に何やら黒い影が忍び寄って来たのである。耳元に何か酒臭い息が吹きかけられたかと思うと、 「ねーえ。一緒に呑みに行かない?」  と、妙に甘ったるい男の声が響いてきたのである。驚いて振り向くと、そこにはチンピラ風のおじさんが座って、濡《ぬ》れた瞳《め》でぼくを見つめていた。目が合った瞬間、 「ホモだあー!」  と思ったが、さすがに口に出しては言えない。ポルノ映画館には非常にしばしばホモが出没するという噂《うわさ》を聞いたことがあるが、まさかこのぼくがターゲットにされることになろうとは。 「ねー、行かない?」  男はなおも甘ったるい声でぼくを誘ってきた。ぼくはうひえええー、と叫びたい気持を抑えて、無言のまま席を移った。ところがこの男はかなりしつこいタチのようで、五分もしない内にまたぼくの真後ろへ来て、 「呑みに行こうよ。ねーえ」  と誘うのである。三回ほど席を移ってみたが、その度に男はぼくの後をついてくる。その挙句には、背後からぼくの後頭部のあたりを撫《な》でたりしやがったのである。 「ひー!」  ぼくはとうとう堪えがたくなり、劇場内から逃げ出した。ロビーを駆け抜け、表へ出て、茶沢通りを足早に渡る。腹立たしさと虚しさがこみ上げてきて、思わず目尻に涙が滲んじゃいそうであった。せっかく勇気を出して映画館に入ったのに、どうしてこんなメにあわなければならないのか。神様それはないでしょう。あまりにも情けってモンがなさすぎますぜ。うううー。  てなことを考えながら、ぼくは静まり返った繁華街を抜け、とぼとぼと自分のアパートへ向かって歩き続けた。  ところが。  さっきのホモ男はまだあきらめていなかったのである。人の気配がするので、ふと肩越しに振り返ってみたところ、小走りに近づいてくる足音とともに、 「ねー、お兄さん。飲みに行こうよォ」  という甘ったるい声が響いた。ぼくはあからさまに「どひゃあ」と叫びそうになった。一旦解決したかのように見せ掛けておいて、安心したところへもう一回怪物がワッと出てくるホラー映画のラストみたいである。ホモ男はぼくの背後二メートルほどのところを付かず離れず歩きながら、 「ねー、おいしい肴のある店、知ってるんだよ。ここからすぐ近くでさァ」  などと話しかけてくる。街灯の光のもとで改めて観察すると、四十がらみで、なよなよとした感じの小男である。妙に丈の短いスラックスに、ヘンな柄のポロシャツを着ているのが特徴的だ。 「うー、どうするどうする!?」  ぼくは心臓にびっしょり汗をかきながら、必死で頭を働かせた。まさかいきなりブン殴るわけにもいかないし、かといってこのままアパートまで帰ってしまうと、後々まで不安が残る。夜中に「ねー、飲みに行こうよ」なあんて訪ねて来られたりするのは嫌だわ嫌だわ。ええーい、どうしたらいいのだ。  ぼくは様々な可能性を目まぐるしく考えあぐねた挙句、とんでもない奇策を思いついた。名付けて�俺は凶暴なんだぞ、だからまとわりつくんじゃねえよ怪我するど作戦�。ようするにぼくがひどく乱暴で凶暴な男であることをアピールして、相手をビビらせ、関わり合いになるのはやめようと思わしめる作戦である。 「えーとえーと、どうすりゃ凶暴そうに見えるかな……」  ぼくは独り言を呟きながら、まず肩をいからせてみた。それから歩き方を不自然なほど大股にし、時々腕を振り回したりして見せた。これだけでも背後にいるホモ男はかなりビビっているはずである。 「俺はなあ、凶暴な男なんだぞう。近づくと怪我するんだぞう」  ぼくは必死で自分に言いきかせ、背後のホモ男に威圧光線を発射した。作戦が功を奏し始めたのか、それまでしきりに話しかけてきたホモ男の声が止んだ。 「よおしよおし。ここで一発、きわめつけの凶暴性を発揮しちゃうぞ!」  そう思ってぼくは、通りがかりのコーラの自動販売機をいきなり蹴りつけた。一回蹴ると、何だか本当に自分が凶暴な男になったような気がした。おりゃおりゃと掛け声を上げながら二回三回と蹴りつけ、パンチも炸裂させ、 「どうだ! どうだコノヤロ! コノヤロ!」  と小声で叫びながら、罪もない自動販売機を徹底的に攻撃した。頭突きまでカマしたので、頭がくらくらしたが、んもう夢中で凶暴性をアピールした末に、 「どうだあ!」  むふむふと鼻息も荒く振り返った。すると背後には誰の姿もなく、ただ虚しい風がひょおおおおーと吹いているばかりであった。ホモ男はとっくの昔に退散していたのである。誰もいないのに、ぼくは一人でコーラの自動販売機を蹴ったり殴ったりしていたのである。何という虚しさ。馬鹿丸出しもいいところである。 「うううー、どうして俺がこんなメに……」  ぼくはその場にヨヨヨと泣き崩れたいのを何とか堪え、痛む拳を撫でながら、とぼとぼと帰路についた。  この例にも明らかなように、青年期のエッチというのは、結構な虚しさと情けなさを伴うものなのである。  喫茶店秘話  ところでぼくは喫茶店というものについて結構うるさい。  うるさいといっても別に喫茶店の中でわーわー騒ぐわけではないが、とにかくうるさい。店構えから始まって、店内のインテリア、コーヒーの味、従業員の接客態度、流れている音楽についてまで、一々うるさい。だからといって店のマスターに、 「俺はうるさいんだかんね」  と主張して改善を求めるわけではないのだが、やっぱりうるさい。  他のことに対しては概《おおむ》ね鷹揚《おうよう》で「ま、いいか」的態度をすぐにとってしまうぼくなのに、どうして喫茶店に限ってはこうもうるさい人間になってしまったのか? そのへんの事情を今回は話してみたいと思う。  ぼくの記憶の中にある最も古い喫茶店体験というのは、多分小学校五年か六年の時。父親に連れられて行った、駅前の純喫茶であった。当時ぼくら家族は東京郊外の一ツ橋学園という小さな町に住んでいた。父親が連れて行ってくれたのは、この駅前の商店街の中にあった純喫茶である。 『|田《?》園』  という何ともオーソドックスな店名の、まごうかたなき純喫茶である。余談だがどうして純喫茶にはこの『田園』という店名が多いのであろうか。とにかく当時はどこの町へ行ってもこの店名の喫茶店が必ずといっていいほど存在した。あれは例えばルノアールのように、チェーン店展開でもしていたのだろうか。それからもうひとつの疑問は、純喫茶の�純�というのが、いったい何を表現しようとしているのかということである。何がどうしてどのへんが�純�なのか。純喫茶があるのなら、不純喫茶もあるのか。そのへんのところがどうもはっきりしないぞ、ええどうなんだどうなんだ責任者出てこい、と思うわけなのである。  ま、そういう疑問はこっちへ置いておくとして、とにかくぼくが父親に連れられて行ったのは駅前の純喫茶『田園』であった。どうしてそういう成り行きになったのかはよく覚えていないが、確か日曜日に、何かの買い物の帰り道に、 「ちょっと喫茶店で休んでいくか」  と言われたのである。ぼくは素直に「休む休む」とうなずいて、父親の後に従い、その喫茶店の扉を潜ったのであった。  入ってみると店内は驚くほど暗く、各テーブルに女物のパンツみたいな色をした、エッチな感じの電気スタンドが置いてあった。どこからともなくコーヒーの香りと、音量を低くしたクラシック音楽が流れ、その重厚とも陰気とも言いがたい雰囲気に浸りつつ、大人たちは静かにコーヒーを飲んでいるのであった。 「おお、何だかよくワケ分からんがとにかくアダルトな雰囲気だッ」  と、ぼくは店内に入るなり思った。何しろ子供の姿はぼく以外に見当たらなかったのである。そんなぼくをよそに、父親は慣れた様子ですたすたと店内を横切り、壁際の熱帯魚の水槽|脇《わき》の席についた。ぼくもおそるおそる後に従い、腰を下ろす。テーブルの上には、今ではもうすっかり見掛けなくなってしまったピーナッツの販売機が置いてあった。ぼくの興味はすぐにその販売機に集中し、 「この肥満したロケットのような形のものはいったい何だッ?」  と、いじくり始めた。どうやら二十円入れると、ピーナッツがバラバラ下から出てくるらしい。それを薄いペラペラの紙容器で受けるのである。 「ねえ二十円ちょうだい二十円」  ぼくはさっそく父親に要求した。見たことのないものは必ず試す、というのが幼年時からのぼくの主義であったのだ。父親は最初渋っていたが、ぼくの余りのしつこさに辟易《へきえき》して二十円をポケットから出して渡してくれた。ぼくはぬふふふふと微笑《ほほえ》みながら、その二十円を投入し、ダイアル状のスイッチをがちゃりと回した。すぐにザザザッとピーナッツが落下してきて、紙容器を満たした。二十粒くらいのものだったが、ぼくはすっかりこの機械が気に入ってしまった。ピーナッツをぽりぽり齧《かじ》りながら、何とかして二十円入れないで出てこないものだろうかと、あちこちいじくり回していると、 「お前、何にするんだ?」  と父親に訊《き》かれた。顔を上げてみると、テーブルの脇に痩《や》せたウエイトレスが来て、つまらなそうな顔をしている。 「え? 何にするって?」  と訊き返すと、父親は腹立たしげな口調で、 「注文だ注文」  と言った。ぼくは急激に緊張しながら「注文? 注文って何だ? 何だ何だ何だ?」と脳味噌《のうみそ》飛び散っちゃうほどフル回転で考えた末に、 「バナナ」  と、自分でも意外なことを口走ってしまった。父親は唖然《あぜん》とした顔で、 「何だそりゃ」  と呟《つぶや》いたが、隣に立っていたウエイトレスが結構機転のきく人だったらしく、 「フルーツパフェならありますけど」  と助け船を出してくれた。ぼくは顔がたちまち紅潮してくるのを感じながら、それですそれですと答え、向かいの父親に、 「お父さんは何にするの?」  と矛先を逸《そ》らすつもりで訊いた。すると父親は急に声のトーンを低め、背後にダバダ〜とBGMが流れそうな感じで、 「俺は|ブ《?》レンドだ」  と答えた。ぼくは眉《まゆ》をひそめて口の中で「ブレンド?」と呟いてみた。いったい全体それは何だろう? パンの一種だろうか。いやいや、この雰囲気の中でパンを齧るというのもヘンだ。酒だろうか。まさか焼き魚が出てくるということはあるまい……などとめまぐるしく考えた挙句に、 「ぼく、それも欲しい」  と言った。父親はしょうがねえなと呟いて、フルーツパフェひとつとブレンドふたつを注文してくれた。  引き下がったウエイトレスの後姿《うしろすがた》を見送ってから、待つこと数分。父親は勉強のこととか友達のこととか、何だかんだと話しかけてきたが、ぼくはもう上の空で、ピーナッツをポリポリ齧りながら、謎《なぞ》の注文品ブレンドのことを考えていた。 「お待たせいたしました」  やがて先程《さきほど》のウエイトレスが銀のトレイを手に現れた。まずフルーツパフェがぼくの目の前に置かれ、続いていよいよブレンドなるものがふたつ、テーブルに並べられた。 「むむむむむ?」  ぼくは少々目を疑った。それは見たところコーヒーそっくりの飲物であったのだ。色も香りも、コーヒーそっくり。そりゃあ、そうである。しかし当時のぼくは、それがコーヒーだとは思わなかった。 「これがブレンド?」  向かいの父親に訊くと、むろんそうだと答える。ふーむそうなのかと思って、父親のやる通りに真似《まね》をして砂糖とミルクを入れ、おそるおそる飲んでみた。やはり、コーヒーの味がする。家で飲んだことのあるネスカフェよりはずっと香りがきついが、コーヒーそっくりの味がする。色も香りもコーヒーそっくり。なのにこれはブレンドなのか?  ぼくは何とも言えぬ不条理な思いにとらわれ、ピカソの絵を目の前にした猿のように困惑した。しかし父親の手前、これはコーヒーのように思えるのだがと訊くこともできず、黙々とフルーツパフェを食べ、かつブレンドを飲んだ。正直言ってそれが美味《うま》いのか不味《まず》いのか、よく分からなかった。ただ喫茶店の中に漂う怪しげで大人っぽい雰囲気は、充分に堪能した。この時の体験が、後々ぼくが喫茶店に対してうるさくなる素地を築いたことは言うまでもないことである。  さてこのような少年時代の思い出に始まり、ぼくと喫茶店との付き合いは年を経るごとに切っても切れないものとなっていった。バスケットボールに熱中していた中学時代はそれほどでもなかったが、やはり高校時代。喫茶店はぼくにとって一種の学校のような役割すら果たした。  高校二年のある時期。  この頃ぼくは唐突に不良になろうとしたことがあったという話は以前にも書いたが、同時進行の形で文学青年になろうともしたのである。不良と文学青年。このふたつは一見違うベクトルのもののように思えるかもしれないが、実は結構重なる部分があるものなのである。  今でこそ文学というと、偉そうにふんぞり返ったり、あるいはキザに構えたりして、キレイゴトの学問であるように思われがちだが、その昔は文学を志すということはつまり不良になることであったのだ。文学なんてロクデナシのやることだ、物書きと結婚するなんてお父さんは許しませんよ、の世界であったはずなのだ。それがいつのまにか「文学はおりこうさん」の世界に突入してしまい、ぼくみたいにあまり出来のよくない物書きは、てやんでいと思っているのである。文学の衰退が叫ばれて久しいが、それは取りも直さずこの「文学はおりこうさん」の範囲内に物書きが収まってしまっていることに原因があるとぼくは思う。みんなねー、そんな難しい顔したり頭よさそうな顔したりしないで、「歌って踊れる文学者」とか「鼻からうどんを食う小説家」とか「ケツから火を噴く詩人」とか、そういうバカなものを目指してみたらどうだろう。文学界がおもしろくなること、うけあいなんだけどなあ。  と、急に話が横道に逸れてしまったあ。すまんすまん。  閑話休題。  高校二年生のある時期に、ぼくが不良および文学青年になろうとした、という話であった。その思いを実らせるためにぼくはどこへ行ったのかというと、ほかでもない、喫茶店だったのだ。  当時ぼくが二日とおかず通いつめた『I』という名の喫茶店(今はもうなくなってしまったが、こういう所へ登場することを嫌うマスターのためにあえて名を伏せておく)は、ぼくにとって様々な意味で学校のような場所であった。十七歳のぼくはこの喫茶店で煙草の味を覚え、女を口説き、本を読みまくり、稚拙極まりない小説を書き、友人たちと議論を闘わせた。ぼくが今持っている美意識(と呼べるほど大層なものじゃないかもしれないけど)のほとんどは、この喫茶店から始まっていると言っても過言ではない。何しろ人生の内で最も感じやすい時期を、この喫茶店で過ごしたものだから、モロに影響を受けちゃったのである。  さてこの『I』という喫茶店には、謎《なぞ》のマスターがいた。年齢不詳、経歴不詳の無口な男である。容貌《ようぼう》はインディアンを想わせ、めったなことでは笑わない。『I』の持つ雰囲気は、この謎のマスターそのものであったと言っていい。十五人も入ればいっぱいの狭い店内は薄暗く、マスターが自ら製作した木製のぶ厚いテーブルには、各々スポットが当たっている。天井には漁に使う網が無造作に張ってあり、ちょっと奇妙な感じだ。左手奥にはピアノが一台。店内に流れる音楽はマスターの趣味が強烈に反映されたもので、ジャズを中心にして|ド《?》イツECM系のものが多い。マスターは右手奥の席にいつも座って、コーヒーを淹《い》れに立つ時以外は、|エ《?》ピステーメーとか|ユ《?》リイカなんかを読んでいる。  普通、喫茶店というのは、たいてい純喫茶とかジャズ喫茶とか画廊喫茶とか民芸喫茶とか、その店の性格を表すような呼称があるものだが、この『I』に関してはいかなる呼称もあてはまらない。とにかく十七歳のぼくにとっては、この上もなく文化的な匂《にお》いがし、想像力および創造力を刺激するような場所だったのである。  そういう風に感じるのはぼくだけではなかったらしく、この店には�地方のインテリ�みたいな感じの人が多く集まっていた。みんな難しそうな本を持ってここへ来、居合わせた友人と静かに話をし、コーヒーを飲んで帰る。それが「カッチョいいのよね」だったのである。  だからぼくもこの喫茶店へ行く時は、必ず難しそうな本を持って行った。席についてコーヒーを注文すると、オモムロにその本を取り出す。ECMの音楽に耳を傾けながらページを開き、懸命に読む。時々顔を上げて、隣の席にいる奴が読んでいる本をちらりと眺めて、 「うッ、|カ《?》ントか……負けた」  とウナだれたり、 「ふん、小林秀雄か。甘いな……」  などとほくそ笑んだりしたものである。今思うとバカみたいだが、文学青年というのはこういうところから始めるのが、常道であったのだ。別に本を読んで勝ったも負けたもないものだが、そんなふうに考えるのが楽しかったのである。  まあ人によってはこの『I』の雰囲気を鼻持ちならないと感じるかもしれないが、十七歳のぼくは、それをこよなく愛していた。いや、いまだに愛していると言っていい。だから無神経な店造りをしている喫茶店に対しては怒りを覚えるし、地方へ行くと街道《かいどう》沿いにしばしば見られる、 「ラーメン&コーヒー」  なあんて店はどうしても許せないのであるってばあるのである。  結局、ぼくにとって『I』という喫茶店は文化面での故郷であり、十数年を経た今でもそこへ帰省したいという思いが募る。無意識の内に、ああいう喫茶店を探しているふしがある。だからぼくは、こと喫茶店に関してはうるさいのである。  ファッションが何だってんだ 「ボローは着てても、心はァ錦《にしき》ィー♪」  なあんて歌がある。メロディにのせてこれを聞くと、 「うんうん、そうそう。そうなのよね。錦なのよね」  と、妙に納得してしまったりもするが、じゃあ本当に心が錦ならボロを着ててもいいのかというと、そうでもない。やっぱボロを着るのはヤだもんね、と誰もが思う。 「いい服着てて、しかも心は錦に越したことはない」  と欲張りなことを考えたりする。しかしこれがボロを着ている人の本音である。かく言うぼくもその昔、貧乏学生でボロばっかり着ていた頃、そういう本音を抱いていた。 「ボロを着るのはイヤだあー。心はボロでもいいから、錦を着て歩きたいよお」  なあんて目先の虚栄にとらわれて、よこしまな希望を抱いたりもしていた。若かったのであるなあと、我ながら思う。  だから当時、アルバイトなどで金が入った折に「ファッション関係充実をはかろう」と決めると、んもう嬉《うれ》しくてしょうがなかった。たとえ千九百八十円のスニーカーを一足買うだけでも、前の晩から興奮しちゃって、 「明日は新しい靴買うんだもんねー。うっふっふっふ」  と掛け布団の端っこをうぐうぐ噛《か》みながらニヤニヤしていたものである。そして翌日、千円札を三枚くらい握りしめて吉祥寺あたりへ出掛け、安売りの靴屋を片っぱしから見て回った。ご存じの通り吉祥寺には何故《なぜ》か安売りの靴屋が多い。目抜き通りのサンロードやダイヤ街には、まさに二十歩ごとに一軒くらいの割合で靴屋がひしめき、互いに張り合っている。だから似たようなスニーカーでも、店によって微妙に値段が違うのである。 「むむッ、この千九百七十円のバスケットシューズ。同じものがさっきの店では千九百五十円だったのではッ?」  という程度の、本当に微妙な違いではあったが、ぼくは真剣だった。十円でも安く買わなくてはと、血マナコだったのである。  むろん値段だけではなく、品質面においても、妥協を許さぬ態度でのぞんだ。どうせ普段はボロ着てんだから新しけりゃそれでいいだろう、というようなロンリは成り立たない。安物には安物なりのコダワリがあるのである。こういうコダワリを持たずに買い物をすると諺《ことわざ》通り「安物買いの銭失い」てなことになりかねない。ただ値札だけを見て、 「おおッ! |プ《?》ロケッズのスニーカーが何と千九百八十円! これは安い!」  というような判断を下し、ロクに品物も見ないで購入すると、痛いメを見る。家へ帰ってあらためてタグを確かめると、 『プラケッス』  だったりすることが往々にしてある。まあ今もそうなのかもしれないが、当時のスニーカーといったらこのテのコピー商品がうじゃうじゃ氾濫《はんらん》していた。ようするにホンモノがそれだけ高かったということの証明でもあるのだが、知らないで購入した後、真実が判明した時の失望感といったらなかった。てっきりコンバースだと思ってルンルン気分で買って帰ったら、 「こここれは! コンベースだッ!」  ということに気付いたり、リーガルのローファーだとばかり思っていた靴が、実は家へ帰ってよくよく眺めると、 「うッ、この綴《つづ》りは……レーゲル!」  てなことを知ってしまった時の、あの驚きと怒りと敗北感。ちきしょうちきしょうちきしょう、なけなしの千九百八十円をどうしてくれる。うううー神様のいじわるいじわるゥー。と、天を仰いだところでもうどうにもならない。ブランドにこだわるあまり、判断力を鈍らせた自分が悪いのである。  とはいえ棄てるわけにもいかない。何しろなけなしのお金で買ったばかりなのだ。そこで渋々|履《は》くことになる。しかしそれがニセモノであることが頭のどこかに常にひっかかっていて、歩くたびに、 「コンベースコンベースコンベースコンベースコンベースコンベース……」  と呪文《じゆもん》のごとき足音が響くような錯覚にとらわれ、頭の中が全面的にコンベース状態になってしまう。悲劇である。  しかしまあたとえコンベースでも、新しい靴を一足買うと、それだけでぼくは嬉しかった。今思うと、ぼくはまさにあの頃に�小さな幸せ、大きな満足�の精神を学んだような気がする。 「幸せというのは、何かに感謝している状態を指して言うのだ」  という言葉をどこかで聞いたことがあるけど、この言葉通りならば、あの頃のぼくは実に幸せな青年だったと言える。何しろもうちょっとしたことで、すぐに感謝しちゃっていたのだから。靴を買えば靴に感謝したし、カツカレーを食えばカツカレーに感謝し、パチンコに勝てばパチンコ台に感謝し、とにかくありとあらゆることに感謝しまくる青年だったのだぼくは。  そういう状態だったから、靴よりも大物の買い物、例えばズボンとかシャツとか上着とか、そういったファッション関係の買い物をするとなると、んもう大変なハイテンションになって収拾がつかないほどであった。  あれは確か大学二年の十二月だったと記憶しているが、予想よりも多くのバイト料を手に入れた青年原田は、 「いよおおしッ、明日は新宿に繰り出してズボンを買うぞお!」  と拳《こぶし》を固めて決意した。別に拳を固める必要はないんじゃないかと思うんだけど、気合が入ってるんだから、つい拳君が固まっちゃうのである。しかもこの時は本格的なブランド物(といっても今と違って、当時はジュンとかビギとかドモンとか、そういう程度のブランドしかなかったんだけど)のズボンを買っちゃうもんねー、と決心したものだから、気合の入り方がものすごかったのである。 「やはり八千円、いや一万三千円くらいは覚悟しなければ」  ぼくはまるで荒れ狂う海原を前にした星飛雄馬のように、瞳《め》の中をボーボー燃やしつつ決意を固めた。何しろ普段は|ジ《?》ーンズメイトで千五百円のジーンズを買うのにも、大きな躊躇《ためら》いを伴うような生活状況だったのだ。ちゃんとした本格的な文句のつけようのないズボン的ズボンを買うのは、大学入学以来これが初めてだったのではなかろうか。いきおい気合が入るのも無理ない話ではないか。  さて当日。  それは十二月のある晴れた日曜日のことであった。ぼくは懐《ふところ》に一万円札を二枚忍ばせて家を出た。自由にできる金を幾らか持っているということは、人間を妙に陽気にする。ぼくは腰に手を当ててスキップスキップらんらんらん的歩行で裏通りを駅へと向かい、道ばたに寝そべっている犬を見つけては、 「おお犬よ聞いてくれ。俺は今日これからズボンを買いに行くのだ。しかもタダのズボンではなく高級ズボンだ。どうだまいったか、まいったと言え」  と話しかけたくなり、生垣の下で丸くなっている猫を見つけては、 「おお猫よ。猫も来なさい聞きなさい。この真冬にお前はズボンも穿《は》かずにそんなとこに寝てェ。寒かろう寒かろう。しかし俺はこれから高級ズボンを買いに行くのだ。どうだ羨ましいだろう。うわっはっはっは!」  と高笑いしたくてしょうがなかった。まさに弱者は弱者を笑う、ロンリ通り。当時のぼく以下の弱者といえば犬か猫くらいしかいなかったのかと思うと、うううッ、情けなくもあるが。  しかしまあその時のぼくはとにかく上機嫌で駅まで辿り着き、西武新宿線に乗って新宿へと繰り出した。年末とあって、大変な人出である。ぼくは歩行者天国の通りのどまんなかを「おらおら、どきなさいどきなさい!」と自信満々で歩きつつ、お金があるというのはいいものだなあ、とシミジミ思った。そしてその勢いで某デパートへのっしのっしと乱入し、いよいよ高級ズボンとごたーいめーん、の運びとなった。  しかしここで問題が発生した。  今でもそうなんだけど、ぼくはどうも昔っからホテルだのデパートだのという小綺麗《こぎれい》な場所に弱い。何ちゅうかこう、非常に場違いな感じがして居心地が悪くなっちゃうのである。しかもこの時のように、余り小綺麗ではない格好をしている場合はなおさらだ。ぼくは穿き古したジーンズにスニーカー、チェックのワークシャツに米軍放出品の緑色のジャンパーを着ていた。しかも髪の毛もボッサボサで林家ペー的状況を呈している。その姿をエスカレーター脇の鏡に映して見た瞬間、 「うー、何か犯罪者みたい……」  と思えてきて、たちまちさっきまでの元気はどこへやら、シオシオのパーになってしまったのである。  思春期のナイーヴな青年というのは、一旦《いつたん》こんなふうに自信を喪失してしまうと、回復に結構時間がかかる。ぼくはエスカレーター付近をうろうろしながら、 「やっぱ止めようかなあ」 「考えてみればお金もったいないし」 「しかしせっかくここまで来たのになあ」 「犬や猫にも自慢しちゃったし」  と悩みまくった。たかがズボンを買うだけなんだからサッと行ってパッと買えばいいじゃないか、という意見はごもっとも。分かってはいるのだが、何だか妙に周囲の雰囲気に馴染《なじ》めずに、ギコチなくなってしまうぼくなのであった。  しかし何とか自分を励まして紳士服売場へと赴く決心がついたのは、他でもない懐に入った二万円のおかげであった。とにかく金は持ってるんだから文句はあるまい。買えばいいんでしょ買えば、と妙に鼻息も荒く、ぼくは紳士服売場へと到った。そこは今でいうとデザイナーズブランドのフロアで、全体的にこう何ちゅうかカッチョいい雰囲気が漂っていた。右を見ても左を見ても高そうな服がディスプレイされ、それを選んでいる客も、若いのにハイソサエティな雰囲気を「ぬっふふふ」と漂わせていて、一歩足を踏み入れるなりぼくはたじたじとなって萎縮《いしゆく》した。 「うーむ。まずは偵察だ」  ぼくは自分に言いきかせて、伏目がちにフロアを歩き回った。ポケットに手を突っ込んでさりげなさを演出しながら各店舗を横目で眺めて回ると、店ごとにやけにカッチョつけた格好の店員たちが、ぎろぎろぎろおーッと冷たい視線を投げかけてくる。  その目は暗に、 「お金ない人はあっち行ってなさいね」 「君のセンスに合う服はここにはないのッ」 「もっと端っこ歩きなさいよ」  と語っているように思える。もちろんそんなふうに思うのはぼくの錯覚に過ぎないのだろうが、排他的な雰囲気があることだけは確かだ。ぼくはそういう店員たちの顔を見ている内に、何だか段々腹が立ってきて、 「てやんでえスットコドッコイ。ブランドがなんぼのもんじゃい」  という気分になり、犬よ猫よ力を貸してくれいと呟《つぶや》きながら、適当にそのへんの店舗へとズカズカ入って行った。そしてズボンがずらずらとぶら下がっているスペースへ近づき、わざとガサツな手つきで品定めし始めた。するとその背後へ、まるで影のように店員が忍び寄って来、 「今日はパンツですか?」  と内角低めの甘い声で囁《ささや》きかけてきた。  ぼくは一瞬、 「パンツではない、ズボンだ」  と答えそうになったが、どうも状況からしてその店員はズボンのことをパンツと呼んでいるらしいので、口を閉ざしたまま、 「ええ、ああ、うむむ」  と曖昧《あいまい》に語尾を濁した。その店員は髪を短く刈り上げており、全体的に黒ずくめの格好をしてシャープな雰囲気を漂わせていた。 「ウールのパンツならこちら。黒に見えるけど茶なんです。コーディネイトしやすくていいですよ。ちょっと試着なさっては?」  店員は早口でまくし立て、ぼくに反論の余地を与えなかった。 「うーむ、そうですね」  ぼくはちらりとそのズボンの値札に目をやり、四千五百円というプライスを垣間《かいま》見て、何だ結構安いじゃねーかと安心して試着室へと向かった。ふっふっふ、何しろ俺は二万円持ってんだからよ。ナメんじゃねーぜ。あー心配してソンしちゃった。などと腹の中で呟きながら汚いジーンズを脱ぎ、そのズボンに足を通してみる。 「おおお、これはッ!」  ぼくはまずその穿《は》き心地に驚嘆した。実に何ともたとえようのない、スルリとした感覚である。そして目の前にある鏡を見て、 「おおお、カッチョいい!」  という結論を得た。さすがブランド物。西武柳沢商店街で売っているスラックスとは全然違うぞおッ。こんなものを穿いてそのへん歩いたら、|モ《?》テてモテて困っちゃうのではないだろうか。いやーまいったな。  てなことを考えながら、鏡の前で通販モデル風にポーズをつけてみたりしているところへ、扉の向こうから店員の声がかかった。 「いかがですう?」 「いやー、これ、いいですねー」 「ウールとシルクの混紡ですからねえ。穿き心地最高でしょう」 「ほほー、それはそれは……」  ここでぼくは「ん?」と思い、もう一度値札を確かめて愕然《がくぜん》とした。 「よんまんごしぇんえん!」  四千五百円ではなく、四万五千円。一桁勘違いしていたのである。四万五千円といえば当時のぼくにとって、天文学的な数字であった。ぼくはその場で足の裏から炎を噴射し天井を突き破ってデパートの屋上まで飛び上がりそうなほどビックリした。 「裾《すそ》の方、上げましょうか?」  続いて店員はそんなことを言って扉を開けそうになったので、ぼくは慌てて「うわー」とか「いやー」と叫び声を上げ、 「ちょっとデザインがあれですね太すぎるような細すぎるような、それに色もあれだしベルト通しがあれだからどうもこれはなあー、困った困った」  てなことを口走りながらそのズボンを脱いでジーンズを穿き直し、 「ちょっと他を見て来ようかなあー」  と言い残して、尻《しり》から煙を出す勢いでその場を去った。まさに醜態である。犬よ猫よ俺を笑ってくれい……。  この時の苦い経験は、当然その後のぼくの人生に暗い影を落としていて、ぼくは未だにブティックなんかで最新の服を買うことが苦手である。  香港サウナ悶絶記  サウナ。  この言葉には何だか怪しげな雰囲気がつきまとう。ちょっとイカガワシくて、エッチな雰囲気とでも申しましょうか。  最近流行のエステテテティッ(舌かんじゃった)エステティックサロンなる施設の中に備わっているサウナならば、それほどイカガワシくないかもしれない。「美容と健康」なあんてキャッチフレーズそのままの世界がそこにあるのかもしれない。ぼくはエステティックサロンのサウナには入ったことがないから、はっきりしたことは分からないが、おそらくそうなのだろう。旅行先の温泉なんかに備わっているサウナにしても、それほどイカガワシくはない。こちらもまた「美容と健康」そのままの世界が展開しているものと思われる。  しかし、繁華街にあるサウナは違う。怪しくてイカガワシくて、何だかエッチなのである。例えば新宿歌舞伎町にあるオールナイトのサウナ。これなんか、かなりイカガワシイ感じがする。歌舞伎町のオールナイト営業というだけでもかなり怪しい雰囲気なのに、そこへもってきてサウナである。サウナといえば裸になる場所、熱気ムンムン汗ダラダラの世界、しかも追加料金を払えばマッサージもみもみの世界なんてえのもある。  整理してみよう。  歌舞伎町、オールナイト営業、サウナ、裸の熱気ムンムン汗ダラダラ、マッサージもみもみ。  やはりイカガワシくてエッチだと言わざるを得ないではないか。これだけお膳立《ぜんだ》てが揃《そろ》っていて、ドンドンッ!(これ机を叩《たた》いた音です念のため)何も起きないわけはなあーいッ!  従って、歌舞伎町のオールナイト営業のサウナに入っている客は、たいてい何かが起きることに半ば期待している。怪しくイカガワシイ雰囲気にどっぷり浸りながら、 「うー、何か起きないかな」  と心待ちにしているふしがある。マッサージを頼んだら、もしかしてスゲエ美人が現れて全身をくまなく優しくもみもみしてくれた後に、 「まだ一カ所だけもみもみしてない所があるわよねン」 「ああッ、そこだけはいけません!」 「まあ、ウブね」 「ああッ! そこを揉《も》まれたらぼくもうどうかなっちゃいますう」 「いいのよどうかなっても。ほれ、もみもみもみいーッ」 「あへあへあへあへえー」  てな事態が急展開するのではないかと、期待しているふしがある。ま、心理学的に言うと�マッサージ嬢もみもみあへあへ的|リ《?》ビドーの法則�とでも申しましょうか。とにかく男という生物は基本的にエッチで馬鹿だから、繁華街のサウナに入ると、どうしてもこういう都合のいい想像に走りがちなのである。まあ中には、 「サウナごときでそんなことを考える馬鹿がいるものか。俺《おれ》は平然と汗を流すぞ」  と否定的な立場に立とうとする人もいるかもしれない。しかしそういう人は早い話、想像力が足りないのである。健全なる肉体と精神と想像力を有している男性ならば、サウナに行ってマッサージを頼んだ際に、 「美人が来るかも……」  という期待が湧《わ》くのは、これ自然の成り行きというもの。そしてマッサージ台に横になってマッサージ嬢を待つ間に、想像力の翼がばさばさ広がって、あっという間に美人マッサージ嬢と自分とのもみもみあへあへ合戦を思い描いてしまうのも、これ欲望の法則に則った成り行きである。  しかし現実はキビシイ。  さんざ期待した末に現れたマッサージ嬢は、たいていの場合�嬢�と呼ぶのはかなり苦しい年齢の女性なのである。正しくはマッサージおばさん、あるいは肝《きも》ったまマッサージ母さん、もしくはマッサージばあさんと呼ばざるを得ない女性が現れる。ひどい時はマッサージじいさんや、逞《たくま》しいマッサージ筋肉おじさんが現れ、荒々しく上にのっかって、 「うおおりゃあ! ぼきぼきッ!」 「オー、ノーッ!」 「そりゃあ! べきばきッ!」 「ぐええ!」  てなプロレス的世界が展開されることもある。  美人マッサージ嬢との甘いもみもみあへあへの世界と、マッサージ筋肉おじさんとのべきばきぐええーの世界。このギャップは大きい。いかなる想像力をもってしても、到底埋められないギャップである。サウナへ行ってマッサージを頼むと、男は必ずこの余りにも大きなギャップに戦慄《せんりつ》し失望する。そして虚《むな》しく帰途につきながら、 「俺が馬鹿だった……」  と、サウナに過大な期待を寄せた自分を反省するのである。ところがある程度のインターバルを置いて、再びサウナを訪れた際には性懲《しようこ》りもなく、 「この間はああだったけど、今度こそ美人が来るかも……。ぬふふふふ」  とホノカな期待を抱いてしまう。しかしこの期待は永遠に裏切られ続けるのである。まことに馬鹿丸出し。話していて情けなくなってくるが、男というのはそういう生物なのだから仕方がない。  さていつものことながら前置きがやけに長くなってしまったが、今回ぼくが話したかったのは、昨年の夏に香港《ホンコン》を旅行した時に訪れたチムシャッツイという繁華街にあるサウナのことである。  まず、どういう経緯《いきさつ》で香港へ行ったのかという説明から話を始めなければなるまい。  ぼくを香港旅行へ誘ったのは、友人のデザイナーH君であった。彼はその前年にも、仕事がらみで香港を訪れ、連日|飲茶《ヤムチヤ》の接待を受けてウハウハ喜んだ挙句に、腹部近辺をかなり肥満させて帰国した経験の持主である。その彼が、またもや仕事がらみで香港を訪れなくてはならないと言う。もちろん今回も、連日飲茶の接待付きであると言う。当然ウハウハ喜ぶつもりであると言う。腹部近辺もまたもや肥満しそうであると言う。  ぼくは腹部近辺の肥満は遠慮したかったが、それ以外の点においては実にウラヤマシイ話だ、あやかりたい、と思った。そこでその旨をH君に伝えたところ、往復の航空運賃および宿泊代さえ出す気があるのなら、香港での飲食費はすべて向こうの会社持ちで何とかヤリクリしてくれると言う。このセチガライ世の中にあって、何という太っ腹の会社なのであろうか。えらあいッ!  てなわけで、ぼくはH君の尻馬《しりうま》にのっかって、香港行きを決意した。もう一人の友人であるN君も、飲茶の魅力に惹《ひ》かれてくっついて行くことになった。  かくしてぼくとH君とN君のトリオは、本格派飲茶をタダで食って食って食いまくったるで、というよこしまな決意を胸に香港の地を踏んだのであった。ま、今回はサウナのことだけで紙面も尽きそうなので、飲茶の話はしないけど、とにかくもう絶句するくらい美味かったとだけ報告しておこう。  さて香港滞在二日目の夜である。  夕食を腹いっぱい食べて老酒《ラオチユー》をしこたま飲んだぼくらは、ホテルへ戻って「死ぬ死ぬ」と張り裂けそうな腹を抱えていた。ぼくと同室のN君は、 「いやあ、堪能しましたなあ」 「そろそろ寝ますか」 「そうですなあ」  てな会話を交わした後に、どちらが先に風呂《ふろ》を使うか、ジャンケンをして決めている最中であった。そこへH君と、今回の香港行きのお膳立てを整えてくれた会社のX君が、ついさっきオヤスミを言って別れたばかりなのに闖入《ちんにゆう》してきた。 「何だ何だ」 「どうしたどうした」  とぼくとN君が当惑していると、H君は酔いのためにまだらになった頬《ほお》をニヤリと緩めて、 「これからサウナへ行かんか」  と提案してきた。唐突な申し出だったので、ぼくは少々面食らった。何しろもう夜の十一時を回っている。しかもここは東京ではなく、香港なのである。いきなりサウナへ行こうと誘われても、困ってしまうではないか。 「いや、実は前の香港滞在の際に世話になったTさんという人がだな、チムシャッツイにとても快適なサウナがあるから、ぜひ行きなさいと地図を書いて渡してくれたのだ」  H君は重大な打ち明け話をするかのように、ちょっと勿体《もつたい》をつけて話した。 「実にすばらしいサウナであるらしいぞ」 「うーむ」  ぼくは思案にくれた。夕食と老酒のために体力を使い果たし、かなり疲れていたのだ。いつもなら夜十一時くらいというのは、ぼくにとって最も活動的な時間帯なのだが、旅先だとどうも調子が狂ってすぐに眠くなる。今からサウナへ行くのは億劫《おつくう》でもあった。 「N、お前はどうだ?」  H君は煮え切らないぼくに苛立《いらだ》ち、話の矛先をN君に向けた。彼はいつも付き合いが良いことで有名で、誘われても滅多に嫌な顔をしない。この場合も例外ではなく、 「ん、まあ俺は行ってもいいよ」  と、あっさり同意した。こうなるとぼくも男の友情にヒビを入れるわけにもいかず、では行くか俺も、と重い腰を上げることになった。 「そのサウナというのは、近いのか?」  ホテルのエレベーターの中で、ぼくはH君に尋ねた。 「うむ、この地図によるとかなり近い。歩いて数十秒といったところだ」 「そうか……」  ぼくはうむうむとうなずきながら、徐々に酔いがさめていくのを感じた。代わって、サウナに対するいつもの期待感が頭をもたげてくる。 「ひょっとして美人のマッサージ嬢がいるのではないか?」 「受付で幾らかの金を出せば別室へ案内されめくるめく陶酔の世界へといざなわれるのではないか?」  などと性懲りもなく考えてしまったのである。何しろ香港の繁華街である。新宿歌舞伎町をも凌《しの》ぐほどの怪しいイカガワシサに満ちた雰囲気なのである。日本の繁華街の常識を大きく逸脱した陶酔の世界があっても、不思議はない。日本では想像の中にしか存在しなかったもみもみあへあへ合戦の世界が、香港ならば現実に存在するかもしれない。うわあ、どうするどうする。  と、ぼくは一人で興奮しながら、H君の後に従って夜のチムシャッツイを闊歩《かつぽ》した。十一時過ぎているというのに、辺りには沢山の人通りがあり、異様なほどの活気にあふれている。ネオンぎらぎら、酔っぱらいウロウロ、ポン引きちょんちょんわ、の世界である。道行く人々が声高に口にしているカントン語というのも、何だか妙にパワフルで、こちらの興奮を誘う。 「なあ、Hよ」  ぼくは黙っていられなくなって、歩きながらH君に尋ねた。 「そのサウナというのはあれか、ごく普通のサウナなのか?」 「ごく普通の? というと?」 「つまりあれか、こう何やら怪しげな側面があるようなサウナではないのか?」 「うーむ。それはどうかなあ」  基本的に生真面目《きまじめ》なH君はぼくの言わんとする意味を悟り、表情を曇らせた。 「そういう方面のオタノシミに関しては、Tさんはかなり精通した人だからな。|そ《?》れならばそれと勧めてくれたはずだろう」 「それならばそれ、か」 「うむ。それはそれ、これはこれだ」 「するとこれは、これなのか」 「多分そうだろう」 「むむむむー、そうかあ……」  ぼくは、これはこれならば、それはそれの方もちょっと期待しちゃうんだけどなあ、とワケの分からんことを考えながら、少々肩を落とした。隣を歩いているN君の様子をうかがうと、やはり彼もやや肩を落としている。その後ろを歩くX君も、やはりやや肩を落としている。誰しも、サウナに対するエッチな期待というのは共通して抱いているものなのである。 「いや、蓋《ふた》を開けてみるまでは分からんぞ」  しかしぼくは自分を励ますように、そう独り言を呟《つぶや》いた。何しろここは香港の繁華街なのだ。日本の常識が当てはまらない可能性の方が強いのだッ。そうだそうだ。そう考えた方が楽しいぞ。ぼくは風速十二メートルくらいの鼻息をむふむふと吐き出しつつ、血液中に大量のアドレナリンを分泌し続けるのであった。 「おお、ここらしいぞ」  やがてH君は足を止めて、嬉《うれ》しそうな声を上げた。白い十五階建てくらいのビルの前である。結構迷ったので時間は食ったが、実際にはホテルから目と鼻の距離であった。 「ここの地下だ」  H君はトロイの遺跡を発見したシュリーマンのように興奮した声で、ぼくら三人に告げた。なるほど看板を見上げると、難しい漢字に混じって「泉」とか「浴」とかいう文字が読める。しかし本当にそれだけでサウナであると判断してよいものだろうか。ぼくはその日の昼間、N君と二人でカントン語しか通じない中華料理屋へ入り、何もかもがちんぷんかんぷんで往生したことを思い出して、不安にかられた。 「サウナのつもりで入って行ったら実はホモバーだった、なんてことはないだろうな」  ぼくは眉《まゆ》をひそめながら、そう言った。するとN君もすぐに呼応して、 「それは一理ある」  とうなずいた。言い出しっぺのH君はうーむと困惑した表情を呈し、 「ならば偵察隊を出すか」  と提案した。誰か一人だけで先に行って、様子をうかがってくると言うのである。しかしそれはかなり危険な任務のように思われた。偵察に行ったきり何らかのトラブルに巻き込まれて帰って来られなくなり、二週間後に東シナ海で発見される、なんてえのは嫌だわ嫌だわ勘弁しちくりだわ、と四人が四人とも考えてしまうのである……。 「ここはひとつ勇気をふりしぼってだな、四人で一斉にワッと踏み込もうではないか」  言い出しっぺのH君は、ずいぶん長い間|躊躇《ちゆうちよ》した末に、そう言った。しかしぼくとN君とX君は尻込《しりご》みをして、 「しかしワッと踏み込んだらホモバーだった場合どうするのだ。ワッと取り囲まれてワッとおかまを掘られてワッと泣くハメに陥るのは嫌だぞい」  と口々に囁《ささや》きあった。しかしH君はここまで来たらどうしてもサウナに入らなくては帰らんもんね、という意気込みで、 「ワッと踏み込んでヤバそうだったら、ワッと逃げりゃいいのだ!」  などと口角泡を飛ばして、強引にぼくらの背を押すのである。 「うーむ。しょうがないですなあ」 「お前一番前な。俺後ろでいい」 「俺は三番、長嶋がいい」 「じゃあ俺四番ファースト、王」 「おい押すな。押すんじゃねえ!」  ぼくらは恐怖心をごまかすために、わいわいと賑《にぎ》やかにさえずりながら歩いた。ビルを入ってすぐ右手にある階段を、おそるおそる地下へと下る。 「むむ、あそこらしいぞ」  やがて先頭を行くH君が振り返って小声で囁いた。見ると、真っ直ぐに続く廊下の突き当たりに、何やら場末の映画館の入口のようなものがある。ガラス扉の脇《わき》に背広姿の一人の男が立っていて、暇そうに煙草をふかしている。見るからに、 「マネージャーざんす」  といった風体《ふうてい》の男である。ぼくら四人は一瞬立ち止まって彼の様子を窺《うかが》った。と、男はぼくらの視線に気付いて、こちらを見る。目が合うと、ちょっと怖《こわ》い顔をして、 「にゃあまんちーちゃるすーぺいやかーにゃあまんにゃあまん」  などとカントン語で話しかけてき、こっちへ来んかいと手招きをする。ぼくらたちまちひょええと萎縮《いしゆく》して後ずさり、 「おい。どうするどうする」 「分からんぞ分からんぞ」 「困ったわ困ったわ」  と互いに肘《ひじ》でつっつき合った。一方男は、ぼくらが動揺していることを見てとると、急に笑顔を浮かべて、 「バス? おふーろ、おふーろ?」  と、メチャクチャな発音の日本語で話しかけてきた。それを聞くとH君は嬉々《きき》とした表情になり、 「ほれみろ! やはりサウナだ」  そう言ってずんずん男の方へ近づいて行った。H君はお酒がかなり入っていたせいもあるし、もともとぼくらの中では最も勇気のある男なのである。ぼくらはこの勇気あるH君の後に従って廊下を突き当たりまで進み、さあさあ入りなはれ入りなはれと誘うマネージャーざんす男の手招きに応じて、ドキドキしながら中へ入った。  そこは結構広々としたロビーのような場所であった。右手にホテル風のフロントがあり、制服姿の女性が三人並んでいる。おそらくここがキャッシャーなのだろう。  ぼくらはマネージャーざんす男に先導されるまま、このロビーを通過し、ロッカールームへと到った。広々としていて、なかなか清潔な雰囲気である。マネージャーざんす男はぼくらが入って行くなり、左手に並んでいるロッカーの扉を四つ、 「うりゃうりゃうりゃうりゃ!」  と勢いよく開けた。ここを使えという意味なのであろう。ぼくらは扉の開かれたロッカーの前にそれぞれ立ち、 「ここで脱げというのかな?」 「多分そうだろう」 「うーむ。ぽりぽり……」  と囁き合った。しかしもし万が一、ここが脱衣場ではなかったとしたら。例えば貴重品預り所なのに勘違いして、いきなり服を脱ぎ出しちゃったりしたら、えらい失態ではないか。そういう恐怖があって、ぼくらは四人ともなかなか服を脱げずにいた。しかも、振り返るとぼくらの背後には、従業員らしき男性が八人もいて、 「ニホン人信用ならないのことある!」  といった鋭い目付きで、こちらをジーッと見つめているのである。いったいこの男たちは何なのだ? そんなにジロジロ見られたら恥ずかしくて脱げないじゃないの。と、ぼくらはおおいに困惑した。しかしいつまでもそうやってモジモジしているわけにもいかないので、やがて誰からともなく、 「じゃ、脱ぎますか」  と呟《つぶや》きながら服を脱ぎ始めた。すると従業員たちは、じわじわあッとぼくらの背後に接近してくるのである。 「こ、こ、これはやはりおかまかッ?」  と一瞬緊張したが、彼らはバスタオルを手にしていて、ぼくらがパンツを脱ぐと、すばやく背後から、 「どんぞ」  という感じで腰に巻いてくれるのである。このヒトタチは、そういう係のヒトタチなのである。たかが客の腰にバスタオルを巻くだけの作業に、こんな人数はいらんだろうと思うのだが、どうやらそれが香港サウナの流儀であるらしい。 「ひー、襲われるかと思った」  ぼくらは冷や汗をかきながら腰にバスタオルを巻いた出で立ちでロッカーを後にし、突き当たりにある扉へと進んだ。  扉を開くと、そこは案の定広々とした浴場であった。熱めの風呂《ふろ》とぬるめの気泡風呂と冷水風呂と、三種類ある。奥に木製の扉があり、多分そこがサウナなのだろう。ここまで来ればもう安心。ぼくらは「いやはや」とか「まいったまいった」とか「やれやれ」とか言いながら、思い思いに風呂へ浸り、サウナ室に入った。大変快適である。 「いやー、極楽極楽」  中でも言い出しっぺのH君は満足そうであった。何度もサウナ室を出たり入ったりして汗を流し、|冷《?》水に浸って悲鳴を上げたり、気泡風呂で泳いだりして大騒ぎである。  そうやって一時間ほど浴場内でぎゃあぎゃあ騒ぎまくった後、ぼくらは隣接した休憩室へと移動した。バスタオルで体を拭《ふ》き、備えつけのハッピみたいな上着を羽織り、サウナ風デカパンをはいて、 「うー、キモチえかったー」  などと口々に呟く様は、まさに�純正日本のおじさん�といった感じである。その格好で休憩室のソファに身を横たえ、煙草などふかしていると、ややあってからチャイナドレスの女性が飲物を手に近づいてくる。ぼくは一瞬、 「うッ、これはもしかしてもみもみあへあへの誘惑か?」  とたちまち想像力の翼をばさばさあッと広げた。チャイナドレスの女性はぼくの脇《わき》へ来て飲物を置くと、怪しげな微笑《ほほえ》みを浮かべて両手で肩を揉《も》む仕種をし、 「マサージュ? マサージュ?」  と訊《たず》ねてきた。どうやら「マッサージ」と言っているらしい。ぼくは彼女の顔をじっと見つめて、うーむと考え込んだ。果たして行く手にぼくを待ち受けるのは、めくるめく官能の世界なのか、はたまた怪力筋肉男べきばきぐええーの世界なのか、にわかには判断がつかなかったのである。  ところがぼくがそうやって悩んでいる一方、すっかり上機嫌になったH君とN君とX君の三人は、早くもマッサージ受け入れ態勢を整えたらしく、 「では、揉んでもらいましょうかいのう」  などと言い交わしながら、係の男性に従ってマッサージ室の方へ歩いて行く。ぼくはこの怪しげな休憩室に一人残されるのがイヤで、あわてて立ち上がり、三人の後に続いた。もうウムを言わさぬ段取りである。  こうしてぼくら四人は、ハッピとサウナ風デカパンを身にまとった何とも脱力感あふれる出で立ちでマッサージ室へ入った。赤外線みたいな薄ぼんやりした明かりのともる、八畳ほどの部屋である。室内にはマッサージ台がちょうど四脚、並んでいる。ただ奇妙なのは、それぞれの台の頭の部分に掌ほどの大きさの穴が穿《うが》ってあることだ。 「これ一体何のための穴なのだ?」  ぼくらはマッサージ台に横たわり、互いに顔を見合わせた。その内に、うつぶせになったN君が、 「おおッ、これはこうして顔を嵌《は》めるのだ」  と言い出した。なるほどやってみると、うつぶせになって背中を揉まれる際に、この穴へ顔をスパッと嵌めると、ちょうどいい按配になるのであった。 「これはまさに中国四千年の知恵だなあ」  そうやってぼくらがしきりに感心していると、そこへドヤドヤと足音が響いて、四人のマッサージ嬢が唐突に現れた。ぼくらはたちまち黙り込んで緊張し、マッサージ受け入れ態勢に入った。何だか照れ臭いのであまりジロジロ見なかったが、どうやら四人ともそれなりに若い様子であった。少なくともオバサンではない。四人は、 「いーりゃんさんすーうりゅーちーぱー」  などとカントン語で囁《ささや》き交わして、誰が誰を揉むかを決めたらしく、しばらくしてからそれぞれマッサージ台の横へ来た。  ぼくの担当になった女性は三十前後のちょっと太めのヒトで、代表質問に立った土井たか子のように険しい表情をしていた。目が合うなり、ぼくは「うひー怖《こわ》そうなヒト」と萎縮《いしゆく》してしまい、自分の運のなさをつくづく思い知った。他の三人の方が、ずっと若くて美人だったのである。  さて香港製土井たか子さんは、ぼくの脇へ来ると、まずうつぶせになれと手振りで命令した。ぼくは「はいはい」と素直に従い、うつぶせになって例の穴へスパッと顔を嵌め込んだ。いよいよマッサージの開始である。まず背中一面に柑橘《かんきつ》系の香りのするオイルを塗りたくり、 「にちゃにちゃにちゃー、ぬるるるーん」  という具合に隈《くま》なく揉《も》まれる。これは実に気持がいいのだが、脇腹の辺をやられると、くすぐったいったらありゃしないのである。まさに気も狂わんばかりのくすぐったさである。しかし笑い出したりしたら、香港製土井たか子さんに叱《しか》られそうなので、ぼくは必死で笑いを堪《こら》えた。  しばらくそうやってオイル手揉みをした後に、香港製土井たか子さんは唐突にぼくの背中の上に乗った。うーむ、何をするつもりなのだろう、と肩越しに振り返って様子を垣間《かいま》見ると、彼女は天井に通っている鉄パイプに掴《つか》まって、ぼくの背中の上に立っているのであった。そして足指と足裏およびふくらはぎの辺りを使って、オイルの滑りを利用しつつ、ぼくの背中をにょるるるーんと揉み始めた。これぞ必殺足の裏揉み、である。こういうマッサージのやり方があるとは知らなかったので、ぼくはすっかり感心してしまった。体重がかかる分だけ、実に効くのである。しかも女性の足の感触とオイルのぬめぬめ感がまったりと融合して、まさに背中は至福状態に陥る。 「おおー、これは気持ええー」  ぼくは夢見心地で呟いた。他の三人もすっかり快感に身をゆだねている様子で、ウンともスンとも言わない。  まあここまではよかった。香港マッサージの奥義を味わい、至福状態の内にハッピーエンドを迎えるのだと思っていた。ところが、そうはいかなかったのである。  香港製土井たか子さんは、足裏を駆使してぼくの背中を二十分近く揉み続けた後に、今度は仰向けになれ、と指図してきた。ぼくはもうボーッとした状態で従い、仰向けになって天井をぼんやり眺めた。香港製土井たか子さんは、今度はぼくの腕を揉み始めた。ゆっくりと滑らかな調子でまず右腕、そして左腕と揉み、続いて肩、そして首と、丁寧に揉みしだく。 「うーん、原田もうぐにゃぐにゃ」  と、全身がタコのようになってしまうほどの気持よさである。首が済んで、これでもう終わりかなと思いきや、香港製土井たか子さんは続けてぼくの頬っぺたまで揉み始めた。それまでは実に気持よかったのだが、この頬っぺたを揉むという行為は、正直言ってあまり気持よくなかった。何しろ痛いのである。たか子さんの怪力で両方の頬っぺたを、 「おりゃあー!」  と引っ張られたり、餅《もち》のようにコネられたりすると、何ちゅうかこう、おそ松くんに登場する|ダ《?》ヨンのおじさんになった気分で、愉快ではない。頬っぺたがぼよよーんと伸びてしまいそうな気がするのである。 「まさか目は揉まねえよな」  ぼくはハタと思い当たった。何しろぼくの目にはハードコンタクトレンズが入っているのである。揉まれたりしたら、悲劇である。頬っぺたを執拗《しつよう》に揉まれながら、ぼくはそのことが段々不安になってきた。しかしながらカントン語しか解さない香港製土井たか子さんに、 「あのー、コンタクトが入ってるから目は揉まないでね」  と日本語で説明しても無駄なこと。うーむこれは困ったな。しかしまあ、目なんか揉むワケないか……。と、自分に言いきかせようとした矢先。香港製土井たか子さんはイキナリ両方の親指をぼくの瞼《まぶた》に押し当て、渾身《こんしん》の力を籠《こ》めて、 「のおりゃあ!」  と揉み始めたのである。ぼくは驚きと痛みのあまり、 「どわーッ!」  と叫び声を上げたが、たか子さんは微塵《みじん》も動揺せず、親指の力をさらに強くして、ぐりぐりぐりいーッと目玉を揉むのである。この間、約十秒。ようやく親指の力を抜いてくれたので、ぼくはマッサージ台の上に起き上がり、目をパチクリさせた。コンタクトが目玉にメリ込んでしまい、しばらく視界がぼうッとする。目の中で割れたのではないかと一瞬心配したが、どうやら大丈夫なようであった。徐々に正常に戻る視界の中に、香港製土井たか子さんはにっこり笑って立っていて、ぼくと目が合うと、 「チップ。五十香港ドルね。OK?」  と嬉しそうに言った。もちろんぼくがそのチップを言われるがままに支払ったのは言うまでもない。文句を言ったりしたら、また目玉を揉まれてしまうかもしれないではないか。  |お《?》お恐ろしい。  本人談  原田宗典《はらだむねのり》という男は、一見ぼーッとした大男である。ぼくは本人だからよく知っているのだが、こいつは毎日正午まで惰眠を貪っている。そのせいで、何ちゅうかこう、ぼーッとしているように見えるのである。  ところがこいつは夜九時を過ぎたあたりから、にわかにシャキッとした精神状態になってくる。見た目にもかなりキリリとした顔に変身し、男前も二割がた上がってくる。本人が言うのだから間違いない。こういうシャキッとしたところをぜひ写真で撮ってもらいたいと思うのだが、残念なことに雑誌などの撮影は大抵が昼間、原田が寝起きの時間を狙《ねら》いすますようにして行われる。したがって世間には、 「原田ってぼーッとした奴」  というふうに認知されているらしい。本人まことに残念である。  さて夜九時前後にシャキッとし始めた男前の原田が何をするのかというと、小説を書くのである。ただもうひたすらに机に向かって、朝六時くらいまでウンウン唸《うな》りながら小説を書く。丸一晩唸っても、原稿用紙三枚くらいしか進まないのが常であるにもかかわらず、実にストイックに毎晩小説を書く。えらいなあ男前の原田は。褒めてやる褒めてやる。誰も褒めてくれないからせめて本人が褒めてやる。  ならば昨年から今年にかけてインド人もびっくりするほど量産したエッセイ、コラムの類はいつ書くのか?  これは当然昼間ということになる。ぼくは本人だからよく知っているのだが、原田がエッセイおよびコラムを書くのは、午後二時から七時くらいの間と決まっている。つまり寝起きでぼーッとしていて、あまり男前でない状態の時に書くのである。 「エッセイやコラムを書く時は、なあーんにも考えてません」  と原田は以前何かのインタビューで答えていた。ぼくは本人だからよく知っているのだ。こいつは実に無責任に、なあーんにも考えずにエッセイやコラムを書き散らかしているのである。だからこそこんなに量産して、平成三年度などは三月から八月までの間だけで五冊ものエッセイ集を上梓《じようし》できたのだ。それで印税ガッポガッポ(ぼくは本人だからよく知っているが本当はガッポガッポではない)貰《もら》っているのだから、不愉快な奴である。実に腹立たしい。  この『東京困惑日記』(角川書店刊)はそんな不愉快な男、原田宗典が平成三年八月に上梓したエッセイ集である。内容は本の腰巻きにも書いてある通り「本当におもしろいですこれは」というモノ。ここだけの話だが原田は臆面《おくめん》もない男だから、この腰巻きのコピーも自分で書いたらしい。自画自賛もいいとこである。恥というものを知らないのだろうかこの男は。  しかし本を開いて中を読んでみると、なるほどこれはおもしろいのである。自分がいかに失敗と挫折《ざせつ》と恥の多い人生を生きてきたかについて、実に正直に描いている。他人の失敗談や困惑話というのは、本当に楽しいものだなあと実感できる。しかしぼくは本人だから、本当はあまり楽しくない。  本文快説  いつの頃からそういうことになったのか知らないけど、文庫本の巻末には解説というものがつきものである。別に憲法で定められてるわけでもないし、 「解説ナキ文庫本ハコレヲ文庫本トシテ認メンモンネ」  という法律があるわけでもない。なのにどういうわけかどの文庫本にも、当然のような顔をして、巻末には解説が載せてある。おそらく文庫の創世紀の頃は、何とな〜くモノ分かりの悪い読者たちのために、評論家という頭よさそうだけど友達にはなりたくないようなおじさんが、 「この文学作品はこれこれしかじかの内容で、これこれしかじかな経緯の時に描かれたりしてるから、これこれしかじかに楽しむべきなのですぞ。ですぞですぞ」  てな具合に文字通り解説を加えることによって、巻末に存在する意義を勝ちえていたのであろう。しかしながら最近は、モノ分かりの良い読者が増えたのか、あるいは「これこれしかじか」と解説を加えるほどでもない作品が増えたのか——いずれにしても巻末の解説は、単なる旗持ち当番化してしまっているように思う。言っちゃ何だけど、 「もうちっと芸見せんかいワレー、こっちは解説含めて金払うたってこの文庫本読んどんのやでワレー、もうちっと働いて見せんかいワレー!」  とツッコミを入れたくなる解説が多いのが現状である。  そこで当「東京困惑日記」文庫版では、作者自らが解説ならぬ快説を書くことにしてみた。これはまあ言わばツッコミを入れられる前に、こっちからボケて見せちゃいましょうという試みでもある。一応、若い読者諸君にとって分かりにくいであろう単語について快く説明を加える、といった体裁をとっているが、とりあえずザッと読み流して苦笑していただければ幸いである。 [犬の耳にギンナン]  やってみるとよく分かると思うんだけど、犬の耳の穴のサイズは、ギンナンのサイズとぴったり合うのである。 [トミーガン]  後日談だが、結局この時トミーガンは買ってもらえず、数年後、扁桃腺《へんとうせん》の手術の際に、「トミーガンを買ってやるから」とまた同じ手を使われた。ちなみにトミーガンとは、トミー社製の拳銃オモチャである。 [ヤットコ]  これは医療器具というよりも、ペンチのような工具である。何やら「やっとこさ」で行う大変な作業に使用されることが多い。 [志賀直哉の短編小説]  我が敬愛する志賀先生の名作「剃刀《かみそり》」のこと。角川文庫版にて一読をお勧めする。 [ヘアーカッター]  これは当時ポピュラーなものであった、とまでは言わないが、日本人の五十人に一人くらいは使ったことがあるはずの調髪器具である。と思う。 [アポロキャップ]  野球帽系のツバのついた帽子。確か、正面の部分に月桂樹の葉みたいなカッチョいい刺繍《ししゆう》が入っていた。もしかしたらアポロの宇宙飛行士たちが被っていたので、この名がついたのかもしれない。 [昭和枯れススキ] �さくらと一郎�というとんでもない名前のヒトたちのヒットソング。昭和50年に流行した。歌の冒頭は「まぁずうしさにい、負けたぁ〜」というチョベリバなものであった。 [11PM]  昭和40年から平成2年まで放映されていた日本テレビの深夜番組。月曜から金曜まで、十一時十五分になると、青少年たちは親に隠れてテレビを点け、「シャバダバシャバダバ〜」というテーマソングを、一緒に口遊んだものであった。そしてインビな妄想に耽ったものである。 [魔女ゴーゴンというか林家ペーというか]  ようするに頭がバクハツ状態の髪に覆われているということである。 [八丈島のきょん]  山上たつひこ作「がきデカ」に登場した、ちょっと情けない鹿系動物。�きょん�という響きが、何故か哀愁を漂わせていた。八丈島に本当に棲息するのかどうかは、知らない。 [ショッカー]  石ノ森章太郎作「仮面ライダー」に登場する悪の手先。「イーッ」「イーッ」と言いながら大勢登場するが、すぐにやられちゃうのが最大の特徴である。 [ゲル化]  ゲルとは、髪につけるディップみたいな、あるいはカレーうどんのカレーみたいな、もしくはモヤシそばの上にのっているアッチッチのどろどろした……ええーい、とにかくああいうものだ! [子供用プール]  ほらあのプープーふくらませて、水深二十センチくらいになる円型ビニールプールのことです。 [インベーダーゲーム]  タイトー製のテレビゲーム。群れをなして攻めてくるインベーダーを「プチュン! プチュン!」とやっつけるシューティング系ゲームの元祖。バイトの時給が四百円の時代に一回百円もしたから、このゲームのせいで破産した学生もいた。バカだった。 [ロシア式」  といっても決してコサックダンスを踊りながらウンチョスする形式のトイレではない。あくまでも創作なので、ロシアの人は怒らないで下さいね。 [肛門がオチョボ口」  もしくは�肛門がスッパイ!�ってかんじの状態。 [森田健作おれは男だぞでも袴の下はもっこり]  森田健作本人に確かめたわけではないが、おそらくこれは真実である。と思う。ちなみに当時、「おれは男だ」という青春ドラマが放映されていて、青少年たちは結構森田健作の影響を受けていた。現在でも、修学旅行先の土産物屋に木刀を売っていたりするのは、その名残りであろうと思われる。 [エロ広告]  言うまでもなく白黒印刷だったので、この広告からエッチなことを想像するためには、紙に穴があくほどのものすごいエネルギーが必要であった。 [耳の穴]  嘘ではない。本当に耳の穴の写真が送られてきたのである。当時は他にも�ヘソの穴�や�鼻の穴�などのアップの写真や、相撲とりが組み合っている写真などが送られてくることもあった。いずれにしても悲劇である。 [ダッチワイフ]  日本語に直すと�代用妻�てなかんじか。南極観測隊が携行した、という話から「南極一号型」なんてえのもあった。 [五百円札]  この札に印刷されていた偉人は岩倉具視。ものスゴ気難しそうな顔をしていたので、使うのが怖かった。ちなみに、もっと以前は百円札というのもあって、板垣退助が印刷されていた。この人はヒゲが超怖くて、やっぱり使うと叱られそうだった。 [ボンナイフ]  主に小学生が鉛筆を削る時に使用した、やっちいナイフ。ナイフと言うより、カミソリに近いものであった。何故�ボン�なのかは、誰にも分からない。 [オクラホマミキサー]  フォークダンスの一種。ほのぼのとした喜びを表現する際には、最高のパフォーマンスであると言えよう。 [ボンタン]  一着を四人でも履けそうなほどぶっといズボン。何故�ボン�なのかは、誰にも分からない。 [ジャズ喫茶]  文字通りジャズがかかっている喫茶店。私語禁止、女人禁制、過剰スイング禁止等々、キビシイ掟が沢山あって、それを守るだけでヘトヘトに疲れたものである。 [コイズミ学習机]  ほとんど意味のない機能が満載の子供用学習机。これを大学生になるまで使用するのは、苦痛を越えて、悲劇であった。 [ピーピーケトル]  最近あまり見かけなくなった。沸くとピイイイーッと鳴るヤカン。たかがお湯が沸いたのを知らせるのに、その音はねえだろうと、イチャモンをつけたくなるほどうるさくて、ヤになったものである。 [早稲田ランチ]  つい先日(平成八年六月)に早稲田の学食へ行ってみたところ、早稲田ランチは五百円であった。その他にも大隈ランチというのがあったりして、こっちの方が豪華であった。 [クリープ]  この他にも「ニド」とか「クレマトップ」とか「ブライト」とか、色々試してみたが、やっぱりクリープが一番美味しかった。実は今でも時々なめたりしている。 [悲劇]  ぼくの場合、悲劇というのはどうも下半身方面に集中しているような気がする。いつもいつも「よりによってこんな時に!」という時にオナカが痛くなったりするので、大変困る。うー。 [オールナイトフジ]  昭和58年から平成3年まで土曜深夜にフジテレビで放映されていた超成りゆき番組。女子大生を起用し、男たちの下半身を中途半端に刺激した。 [ポルノ]  そういや最近は「ポルノ」なんて言わんなあ。考えてみればポルノって、何のことだ? ポルトガルとは関係ないと思うけど……うーむ。 [田園]  この他、純喫茶にありがちな店名といえば「憩」とか「純」とか「葵」などの純和風一派と、「ルノワール」とか「らんぶる」とか「ボン」などの何故かフランス系入りィ〜の一派があった。 [ブレンド]  のちにぼくは「アメリカン」も誤解してしまった。アメリカ風のカッチョいいコーヒーなのかと思って注文したら、ただの薄いコーヒーだったので、シオシオのパ〜であった。 [ドイツECM]  とにかく哲学っぽいジャズ系音楽のレーベル。 [エピステーメー]  とにかく哲学っぽい雑誌。二ページ読むとメマイがする。 [ユリイカ]  とにかく哲学っぽい詩の雑誌。二ページ読むと立ちくらみがする。 [カント]  とにかく哲学っぽい偉人。一ページも読めない。 [プロケッズ]  マガイモノとしては他にも「プロカッツ」「ブロケッズ」などがあった。コンバースのマガイモノとしては他に「コンパース」「カンバース」などがあった。とにかくもうこうなると何が本物なのか、ワケ分からなかった。 [ジーンズメイト]  今でもあるのかなあ。ま、ようするにジーンズの安売店である。大学二年の時、ジーンズメイト早稲田店のワゴンセールで一着百円の黄色いジーンズを買ったのだが、あまりにも黄色いので、結局一度も穿いて表を歩けなかった。とほほ。 [モテてモテて困っちゃう]  そんなことあるわきゃねえだろっての= [リビドー]  ラテン語で「欲望」を意味する。御存知フロイトはこれを�性的エネルギー�、ユングはもっと広義に�生命エネルギー�と解釈している。ようするに「おれたちゃスケベに向かって生きてんの!」という意味で、肯定はしたくないけど否定もできんところが辛い。 [それならばそれ]  それとはつまりアレのことである。 [冷水]  そういやこのサウナの冷水は殺人的な冷たさで、五秒も浸かると金玉がシャービック化して体内にメリ込み、精子が全滅しちゃいそうなほどであった。ぶるるる。 [ダヨンのおじさん]  シモぶくれにも程があるッ、と意見してやりたくなるほどシモぶくれ顔のおじさん。おそらく頬っぺたの中に猫が二匹は入るものと思われる。語尾に「だよ〜ん」とつけるのが口癖。この喋り方をマネしていると、顔がシモぶくれになるので注意するように。 [おお恐ろしい]  ちなみにこの時、N君は唇にちょっとしたオデキができていたのだが、そこをうりうり揉まれて、口の回りが血まみれになってしまった。香港のマッサージは、とにかく手加減なしなのである。要注意。 平成三年八月、角川書店より単行本として刊行 角川文庫『東京困惑日記』平成8年7月25日初版発行             平成10年5月30日7版発行