Ambarvalia 西脇順三郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ <例> (覆《くつがえ》された宝石)のような朝 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 <例>|麗《うららか》な忘却の朝 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 <例> [#改ページ] -------------------------------------------------------   LE MONDE ANCIEN[#古代の世界の意]    コリコスの歌 浮き上れ ミュウズよ 汝は最近あまり深くポエジイの中にもぐつている 汝の吹く音楽はアビドス人には聞えない 汝の喉のカーブはアビドス人の心臓になるように [#改ページ]    ギリシャ的抒情詩     天気 (|覆《くつがえ》された宝石)のような朝 何人か戸口にて誰かとささやく それは神の生誕の日     カプリの牧人 春の朝でも 我がシシリヤのパイプは秋の音がする 幾千年の思いをたどり     雨 南風は柔い女神をもたらした 青銅をぬらした 噴水をぬらした ツバメの羽と黄金の毛をぬらした 潮をぬらし 砂をぬらし 魚をぬらした 静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした この静かな柔い女神の行列が 私の舌をぬらした     菫 コク・テール作りはみすぼらしい銅銭振り であるがギリシャの調合は黄金の音がする 「灰色の菫」というバーへ行つてみたまえ バコスの血とニムフの新しい涙が混合されて 暗黒の不滅の生命が泡をふき 車輪のように大きなヒラメと共に薫る     太陽 カルモジインの田舎は大理石の産地で 其処で私は夏を過ごしたことがあつた ヒバリもいないし 蛇もでない ただ青いスモモの藪から太陽が出て またスモモの藪へ沈む 少年は小川でドルフィンを捉えて笑つた     手 精霊の動脈が切れ 神のフィルムが切れ 枯れ果てた材木の中を通して夢みる精気の 手をとつて 唇の暗黒をさぐるとき 忍冬の花が延びて 岩を薫らし森を殺す 小鳥の首と宝石のたそがれに手をのばし 夢みるこの手にスミルナの夢がある 燃える薔薇の藪     眼 白い波が頭へとびかかつてくる七月に 南方の綺麗な町をすぎる 静かな庭が旅人のために眠つている 薔薇に砂に水 薔薇に霞む心 石に刻まれた髪 石に刻まれた音 石に刻まれた眼は永遠に開く     皿 黄色い菫が咲く頃の昔 海豚は天にも海にも頭をもたげ 尖った船に花が飾られ ディオニソスは夢みつつ航海する 模様のある皿の中で顔を洗つて 宝石商人と一緒に地中海を渡つた その少年の名は忘れられた |麗《うららか》な忘却の朝     栗の葉 豌豆の豆の花が咲いて 眼が細くなつた 夜がきた 魚も僕も眠つた 粟の葉のささやきの中に Maud の声がする ナイチンゲールがないて 夜があけてきた 僕の頭が大理石の上に薔薇の影となる     ガラス杯 白い菫の光り 光りは半島をめぐり 我が指環の世界は暗没する 灌木のコップの笑い |尖《とが》つた花が足指の中に開き さしのばされた白い手は 三色菫の光線の中に|匿《かく》され 女神と抱擁する 形像は形像へ移転 壮麗な鏡の春に頬※[#底本では「來+頁」、第3水準1-93-90]を映す ガラスにプラタノスの葉がうつる 青くそつた眉にポリュアントスの花がうつる 宝石に涙がうつる 昼が海へ出て 夜が陸へはいる時 汝の髪が見えなくなる すべての窓に汝の手がうつる ブリス カーメン 喜びの女が歩く 汝の言葉は 五月の|閉《とざ》された朝     カリマコスの頭と Voyage Pittoresque[#図説航海紀の意]      1 海へ海ヘ タナグラの土地 しかしつかれて 宝石の盗賊のようにひそかに 不知の地へ上陸して休んだ 僕の煙りは立ちのぼり アマリリスの花が咲く庭にたなびいた 土人の犬が強烈に耳をふつた 千鳥が鳴き犬が鳴きさびしいところだ 宝石へ水がかかり 追憶と砂が波打つ テラコタの夢と知れ      2 宝石の角度を走る永遠の光りを追つたり 神と英雄とを求めてアイスキュロスを 読み 年月の「めぐり」も忘れて 笛もパイプも吹かず長い間 なまぐさい教室で知識の木にのぼつた 町へ出て 町を通りぬけて むかし鶯の鳴いた森の中へ行く 重い心と足とは遠くさまよつた 葉はアマリリスの如くめざめて 指を肩にささやく如く あてた 心は虎の如く滑らかに動いた ああ 秋か カリマコスよ! 汝は蝋※[#底本では「虫+鑞のつくり」、第3水準1-91-71→78互換包摂 蝋]燭の女で その焔と香りで ハシバミの実と牧人の頬※[#底本では「來+頁」、第3水準1-93-90]をふくらます 黄金の風が汝の石をゆする時 僕を祝福せよ [#改ページ]    拉典哀歌     Catullus  雀よ 乙女は汝に戯れて 欠乏のかすかな悩みを医するものなれど われにも汝と戯れしめよ そして我が心の苦しみを軽くなさしめよ(et tristis animi levare curas![#苦しい心労を和らげられればいいのに!の意。雀を詠ったカトゥルスの詩の有名な一節]) しかもアタランタの長くとざされたる帯をひもとく黄色のアプリともなれ  あ! 愛よ 悲しめ しかし我が乙女の雀は死せり 雀は何人も帰らざる暗黒の地に行つた 残酷なるオルクスの暗さ 我が乙女の眼はいまは 泣き 赤く ふくれている  ビチューニアより帰りしカトゥルスは彼の舟の航海の美しさをほめた アドリアの海岸 アルキペラゴーの島々 トラキア マルモーラ  我がレズビアよ 生きて 愛そう 太陽はのぼり 沈むとも 我々は永遠の夜を通して眠るべし 数万年の接吻は年と共に数えられない  アウレーリュウスとフーリュウスよ 汝等道楽者よ 我が詩を少し肉感享楽的と判断するな 我れも亦卑猥であると判断するな 真の詩人は自ら貞淑ならざるべからず けれども詩は必ずしもそうであるべきではない 詩に味と美を与えるには 詩には多少の肉感の快美と卑猥尾籠なるところがあるものとする そして髭のない少年のためでなく放蕩の故老のこわくなつた筋肉に好色の刺戟を与えるものとする 我が詩に数万の接吻を読みて 我れを女々しい者と汝等は考えるが よせ  プリアープスよ 汝に此の叢林を献ずる 汝はラムプサークスに汝の住地と森林をもつが ヘレスボントの海岸は特に牡蠣の名産地 その町々では汝を崇拝する  プリアープスの歌をきけ  乾ける槲※[#底本では「木+解」、第3水準1-86-22]の樹から刻まれた 我れは 少年達よ この地を育てた 我れは花咲く春の最初の産の輝いた花の花輪に柔い穀物の柔い緑りの茎と耳に 飾られる黄色い菫 黄色い|罌子栗《けし》 青白い|葫蘆《ひょうたん》 香ばしい林檎 影多い葡萄樹の下になつた赤い葡萄の実が我れに捧げられる 時には(このことは秘密にしていてくれないか)髭のある牡野羊と角足の牝野羊が我が祭壇を血をもつて汚される(註 プリアープスの像は普通たち樹のままに刻まれて、手には鎌か、角杯か、すばらしく大きなPhallusをもつていた。主として農園の神の一つであつた)  旅人よ 汝は我れを拝むべし 手を触れるな罰の道具として この荒荒しいファルスが用意されている これで君の頭をなぐるぞ  スィルミヨよ 半島と島の輝ける眼よ 再び君を訪れるとは なんと喜ばしいことである 遠い旅につかれて帰つて来て このソーファにかけるとは チュー二アやビチューニアの野を去つて 再び君を見るとは夢の気持である     Ambarvalia[#収穫祭の意]  ここに集まるすべての人に恵を与えよ 古より伝わる儀式として我等は我が穀物と野の清めるバックスよ 我れへ来れ 汝の角からたれさがる甘い葡萄をもつて またセレースよ 汝の|顳※《こめかみ》[#「需+頁」、第3水準1-94-6]を麦の耳で飾れ この神聖の日には農夫も休ましめよ Requiscat[#哀歌、レクイエムの意] すべてのものは神の式をあげよ しかし昨夜愛の女神が歓楽を与えた祭壇には近づくな 天は清浄を欲する 着てくる着物は清かるべく手は泉の水にて浄めよ 見よ 神に捧げる羊は光る祭壇に歩き その後に白い行列が歩き 彼等の頭髪は橄欖に飾られぬ 我が先祖の神々よ 我等は野を清める農民を清める 我等が領域からあらゆる悪(mala)を追い給え 実の少い穀物をして収穫を侮蔑せしめるな  ——我が祈祷※[#底本では「示+壽」、第3水準1-89-35→78互換包摂 祷]はきかれた 見よ 予言する羊の内臓の具合を 神々は恵み深いことを知れ くすむフレーリヌムの葡萄酒を古い瓶から持ち去れ キオスから来た瓶のヒモを解け 葡萄酒をして今日を祭らしめよ 酔うことは恥にあらず ふらつき 足どり悪いことも恥にあらず メサラのために祝杯をあげよ 発する各々の言葉には今日祝日に居ない人々の名も聞えしめよ ——我れ田園を歌う 田園の神々を歌う——田園の少年は春の花で小さい輪を作りラレスの神の頭に置く 労働につかれた農夫は田園の言葉をもつて歌をつくり 食事がすむと 歌(カルメン)は 飾られた神々の前で 牧人パイプ(アウエーナ)であやつられる ——愛(クピードウ)は野に生れる 愛の喜びは乙女の心をさし 強き者をも地に伏さしむ 青春をして財宝をすてさしむ 老人をして恥ずべき言葉を怒れる女の戸口で発せしめる 乙女をしてひそかに手さぐりにて夜の暗やみを歩かしめる アア 愛の神がかりを受けぬ者は不幸なるかな 愛の呼吸をかけられるものは幸なるべし——愛の少年(クピードウ)よ 来れ——我等は皆この愛の神を歌え 各人は愛の神を声高く家畜のために呼べ しかし自分のためにはささやきで呼べ 声高く呼んでもよい それは饗宴がやかましいから聞えない 曲つたパイプはフリジアの音楽で汝の祈祷※[#底本では「示+壽」、第3水準1-89-35→78互換包摂 祷]が消されるから 思うままに遊べ 夜は馬をつないでいる 黄色い星群はタ暮の星の車につづいて踊り来る その後から睡眠が暗い翼をひろげる そして黒い夢がよろめいてはいつて来る     ヴィーナス祭の前晩      ㈵※[#ローマ数字1、1-13-21]  明日は未だ愛さなかつた人達をしても愛を知らしめよ 愛したものも明日は愛せよ 新しい春 歌の春 春は再生の世界 春は恋人が結び 小鳥も結ぶ 森は結婚の雨に髪を解く  明日は恋なきものに恋あれ 明日は恋あるものにも恋あれ      ㈼※[#ローマ数字2、1-13-22]  明日は恋人を結ぶ女は樹の影にミルトゥスの小枝でみどりの家を織る 明日は歌う森へ祭りの音楽を導く ディオーネの女神が尊い法を読む  明日は恋なき者に恋あれ 明日は恋ある者にも恋あれ      ㈽※[#ローマ数字3、1-13-23]  明日は最初の精気が結ばれた日であろう 明日は天の血と泡のふく海の球から青天のコーラスと二足の馬との中に、結婚の雨の下に 海から生れ出るディオーネを産んだ  明日は恋なき者に恋あれ 明日は恋ある者にも恋あれ      ㈿※[#ローマ数字4、1-13-24]  女神は紫の季節を花の宝石で彩る 浮き上がる蕾を西風の呼吸で暖い|総《ふさ》に繁らすためにあおる 夜の微風がすぎるとき残してゆく光る露の濡れた滴りを播きちらす  明日は恋なき者に恋あれ 明日は恋ある者にも恋あれ      ㈸※[#ローマ数字5、1-13-25]  輝く涙は重たき滴りにふるえる 落ちかける雫は小さい球になり その墜落を支える 晴朗な夜に星が滴らした湿りは処女の蕾を夜明けに濡れた衣から解く  明日は恋なき者に恋あれ 明日は恋ある者にも恋あれ      �※[#ローマ数字6、1-13-26]  見よ 花びらの紅は清浄なはにかみを生んだ そして薔薇の火焔は暖い群りから流れ出る 女神自身は乙女の蕾から衣を脱がせよと命じた 薔薇の裸の花嫁となるために  明日は恋なき者に恋あれ 明日は恋ある者にも恋あれ      �※[#ローマ数字7、1-13-27]  キュプリスのヴィーナスの血 恋の接吻 宝石 火焔 太陽の紫の輝き とでつくられた花嫁は 明日は 燃える衣の下にかくされた紅の光りを濡れた森のしげみから恥じずに解く  明日は恋なき者に恋あれ 明日は恋ある者にも恋あれ     哀歌 薔薇よ 汝の色は悲しみである 髪はふるえる この清朗の正午に微風が波たつ 星の輪が風にふるえる 我が心も見えざる星と共にふるえる Kalos tethnake meliktas[#美しい詩人は死んだの意] 赤い百合 タマリスク 青い董 エトナの煙り アステリアの島波は祭壇を飾らしめよ この晴天の首 この夏の眠り このトレミイは夏の草花の中に呼吸する 彼の夢はトリトンの貝殻より反響する音に 触れて曲れる音を吹く 夢にふるえる眼蓋 黄金の気候に|息《いき》する霊 霞と熟せる果実の季節よ 再び夏にもどり ねむたき永遠とドルフィンのささやきに麻痺する 唇に ひややかな星に濡れたマリゴウルドの花を投げよ 彼の静かな思いは静かな宝石の如く 静かにドリアの海からパイプを吹く 彼の思考は静かな宝石である 彼のパイプの音は静かな宝石である 彼の眠りは静かな宝石である 彼はアルビオンと喧しいヒベルニアの海を去つて このドリアの海にまだ生きている 我れこの朝 この海を歎ず  rosa, color tuus est murex attrora doloris,  ah! mota aura, ista tremitque coma.  ecce, dies medius tranquillus sparsit fiatum;  ventum potantes astra tremunt calices.  atque meum vertit cor cum astris aestivis, ——kalos tethnake meliktas.  fragrans ara in asteriae undis est facta;  aetna colit, tamarix et vapor et viola.  en! dormit pulchrum caput tempestatis crudae,  en! ptolemaeus ita spirat in auriculas.  cantitat quem calamum palpebram quae tremit ample;  gemma serena gelae est sua mundities.  mens ejus melos est umbra tritonis pictum;  acta abducta, murmurat oceanus.  《薔薇よ 汝の色は悲しみの貝殻の夜明けである  ああ 風起り此の髪も亦ふるえる  見よ 晴朗な正午は風を起した  風を飲む星は杯をふるわす  そして僕の心は夏の星の如く漂う  ——美しい詩人は死んだ  アステリアの島波の中に香しい祭壇をつくる  エトナ火山は拝む タマリスクの花も火画の煙も 菫も  みよ 晴天の美しい首がねむる  みよ プトレミイは斯くして耳に呼吸する  無限に動く瞳のパイプを彼は吹くことよ  彼のスタイルはゲラー海岸の晴朗な宝石である  彼の思考はトリトンの影を映す音楽である  海岸は取去られ 海はささやく》 [#改ページ]   LE MONDE MODERNE[#近代の世界の意]    馥郁タル火夫  ダビデの職分と彼の宝石とはアドーニスと莢豆との間を通り無限の消滅に急ぐ故に一般に東方より来りし博士達に倚りかかりて如何に滑らかなる没食子が戯れるかを見よ!  集合的な意味に於て非常に殆ど紫なるそうして非常に正当なる延期! ヴェラスケスと猟鳥とその他すべてのもの  魚狗の囀る有効なる時期に遙に向うにアクロポリスを眺めつつ幼少の足を延してその爪を新鮮にせしは一個の胡桃の中でなく一個の漂布者の頭の上である  間断なく祝福せよ楓の樹にのぼらんとする水牛を!  口蓋をたたいて我れを呼ぶ者あれば我れはひそかに去らんとする けれども又しても口中へ金貨を投ずるものあり 我れはどならんとすれども我れの声はあまりにアンジェリコの訪れにすぎない 脆きたれども永遠は余りにかまびすし  色彩りたる破風よりクルブシを出す者あれば呼びて彼の名称を間う 彼はやはりシシリイの料理人であつた  堤防を下らんとする時我が頸を吹くものがある それは我が従僕なりき 汝すみやかに家に帰りて汝の妻を愛せよ!  何者か藤棚の下を通るものがある そこは道路ではない  或は窓掛の後ろより掌をかざすものあれども睡眠は薔薇色にして蔓の如きものに過ぎない  我れは我れの首飾をかけて慌しくパイプに火をつけて麦の祭礼に走る  なぜならば厳に水の上に頤※[#底本では「臣+頁」、第4水準2-92-25]を出す 訶梨勒を隠す  筒の如き家の内面に撫子花をもちたる男!  ランプの笠に関して演説するのではない然し使節に関して記述せんとするものだ 窓に倚りかかり音楽として休息する萎縮病者の足をアラセイトウとしてひつぱるのである  繁殖の神よ! 夢遊病者の前に断崖をつくりたまえよ! オレアンダの花の火  桃色の永遠に咽びて魚をつらんとする 僧正ベンボーが女の如くささやけばゴンドラは滑る  忽然たるアカシアの花よ! 我はオドコロンを飲んだ  死よさらば!  善良な継続性を有する金曜日に 水管パイプを捧げて眺望の方へ向かんとする時 橋の上より呼ぶものあれば非常に急ぎて足を全部アンブロジアの上にもち上げる すべては頤※[#底本では「臣+頁」、第4水準2-92-25]である 人は頤※[#底本では「臣+頁」、第4水準2-92-25]の如く完全にならんとする 安息する暇もなく微笑する額を天鵞絨の中に包む  コズメチヅクは解けて眼に入りたれば直ちに従僕を呼びたり  脳髄は塔からチキンカツレツに向つて永遠に戦慄する やがて又我が頭部を杏子をもつてたたくものあり 花瓶の表面にうつるものがある それは夕餐より帰りしビートロの踵 我れこれを憐みをもつてみんとすれどもあまりにアマラントの眼である  来らんか 火よ [#改ページ]    紙芝居 Sylockiade     Prologus[#序文の意]  はしばみの実に映る我が眼のささやきは  地獄の泉に吹くタ陽の影と知るか  女は横臥り草の中に燃えて涙は  遠き国へ滴り行くか  我が二つの眼は二人のアポロンである  アポロンのなげきは草むらに消えた  汝ら行け 演劇は終つた  この朝我れはすみれをたいて我がひややかな頸輪をあたためた  温かい水晶は汝を思う夢  汝等帰れ 演劇は再び始まつた  北方人サスペールは我が歴史を誤るものである  我れは真のミュソスを物語らんとするものである  けれどもアリストテレスとプラトンよ 去れ  ディオニソスの神も野の夢にすぎない  スフィンクスとアリストファネスにて誓う我が黄金の  舌を見よ 牧人も海に飛べ サッポオと紫の海草  と共にエルグレコオの聖者の夢となれ  文芸復興もケルトの牛乳しぼりもジキタリスと狐火  にすぎない またトロイの物語もあれど  プラタヌスの葉にうつる盲人の明りにすぎぬ  我が音楽者はダビデや天体音楽者やオルフェウスや  シエラザードやストラビンスカヤなどの如きものは知らない  我が踊手はダッタンの奇術者で 北方のマーズ  の如きは単に乞食のヨッパライにすぎない  我が幕は聖ペデロ寺よりも重く けれどもその  動きは ねむれるアドネの呼吸よりも軽く  そのまた香わしく美しさはカイロの都市を包む  夕ベにもまさるものである  汝等カルタゴの波止場に咲くタンポポの毛を吹く者よ  汝等怠け者よ 焼栗とアプリを捨てて我がテアトルにいそげ  我が思い出は我が心の中でアネモネの如く戦慄する  我が言語はドーリアン語でもないアルタイ語  である そのまたスタイルは文語体と口語体と  を混じたトリカブトの毒草の如きものである  学校の作文よ にげよけれども女はこの毒草を  猪の如く好むことは永遠の習慣である シャイロック  呪うべきベニチイア けれども今は暴風の次第に  柔げられるように 我が心は静かになつた  寧ろほほえみをもつてベニチイアの方へ呼吸を送る  ことが出来る ゴンドラの如きは マンドリンの  如くそれを弾奏することも出来る  経済学に戯れる者も今は遠くにいる  Legenda Aurea[#黄金伝説の意]は皆嘘である 我れは  アントウニオを殺した 宝石と共にジェスイカを連れ  この一つの大なる宝石の如きカルタゴの都市ににげて来た 「女を抱いて罪あり」とは四月の雨の如く  我が心を濡おす あらゆる財宝は  ビアカスの如く海に投じて ナイル河を  のぼり ジェスイカと共にピラミッドに倚りかかり  泣いたこともあつた また太陽と共に  スフィンクスを拝し その永遠の謎は水であつた  ジェスイカという宝石も亦やがては海に投ずるつもりである  カルタゴの水夫どもから|銭《ぜに》を取る我がPunch and Judy劇[#イギリスで有名な人形劇のこと]  は我が生命の餌ではあるがこれもやがては水に捨てるつもりだ  へーラ へーラ へーラ! これからエーディポス王の悲劇  が始まる ジェスイカよ ラッパをとどろかせ  ジェスイカ(Ventriloquy[#腹話術の意]) (エーディポス)  盲人の子アンティゴネーよ 此処は如何なる土地で  あるか? 我等は如何なる民族の都市の門に到着したのであるか? (アンティゴネー)  エーディポス 我が父よ 遠くに美しい都市が見える  ここは神様を祭るところと思う 桂樹とオリブの  樹と葡萄樹とに花が咲いている その中に  多くのナイチンゲールは群り飛び囀る  はるばると此処まで歩いてくるうちにお前は年を  とつてしまつた この荒い石の上でお前の足を延ばして休みなさい—— アントウニオの幽霊  此のあたりに ささやく音はナイル河の音かと暫らく  みみかたむけていたが 汝であつたか 汝は  べネチイアの法律を遁れて来て 生きのびて  いたものか 呪わしきシャイロックよ シャイロック  オオ このあたり 蜻蛉の影か ツバメの羽と思  つていたが 汝アントウニオの幽霊であつたか 汝  猶太人の敵 まだ肉がほしいか 汝の肉は乾して  砂糖づけのナツメの実の如くなして シシリイ  島の牧人をだましてこれを食わせてしまつた アントウニオの幽霊  おれの肉を取りに来たのではない 汝の  子ジェスイカをよこせ ロレンゾーという青年  よりもおれの方が早くから目をつけていたの  であつた 我が憂欝は東方貿易ではない汝の  子であつた シャイロック  汝自然主義者 可憐なる心をもつていたのか  けれどもあらゆる財宝は汝に与えるよりは水にすてるつもりである  へーラ ヘーラ 蜻蛉に追わるるものか ジュウピテルの神(Deus ex machina[#機械仕掛けの神の意。演劇をご都合主義で終わらせる神のこと]として)  シャイロックよ 汝は鮑となるべし(シャイロック死す)  ジェスイカよ 汝は微風となりて我が庭に来れ(ジェスイカ死す) [#改ページ]    恋歌           イヴァンよりクレールヘ               イヴァン ゴルより 君は杏子の唇をもつたおれの牧場である 二つの青い千鳥が 君の眼の静かな水面をかき乱す そうしておれはおれの疲労した魂をその中で洗う 金魚が君のお喋りを刺戟する 君のえくぼの忘れな草は 我等の小なる姪等である 君の朗々たる頭髪の中で風は|竪琴《たてごと》を弾奏する 遠方の教会堂は君の心臓の中で おれのアンジェリュスの鐘をたたく おれのアンジュリュス 彼女等は旅役者の偉大なる悲劇であつた 彼女等は黙考沈思する雲であつた 彼女等はメトロのガラス窓で夢みるのであつた 彼女等は可愛い馬鹿者であつた 彼女等は暑い掌中に溶解する雪であつた 彼女等は支那縮緬の薔薇の樹であつた 彼女等は雨の降る夕暮であつた 彼女等は露西亜人かブラジルの人であつた 彼女等は 然しながら君は おれは君のことはわからない おれは君を描写することが出来ない おれは君を恋愛するのである (旧約書の伝道之書による) 君の頭髪は現世紀に於ける最大な火事である 君の額は人類の秘密が通過する|屏風《スクリーン》である 君の眼はスフィンクスの眼孔の中に据えられた二個の金剛石である 君の首は薔薇に塗られたエフェル塔である 君の唇は紅海に踊る双生児のボートである 君の歯はおれのピアノの鍵よりも整然としている 君がものをいうとアカシアの樹に花が咲き 十個の渓流が笑うのである 君が歩くと 地球がみんな動揺する ねむれよ可愛そうな幼児よ おれは地球の廻転を止めるであろう おれは君の涙が錆びさせた 月の連※[#「金+干」、第4水準2-90-49]に油をひくであろう 君をねむらすためには おれは仏蘭西国をめざませる喘息的の暴風を体裁よく断わるであろう すべての電車は綿でその車輪をつつむであろう 雨は雪になるだろう そうしておれは君の破損し易い心にひびをつける |山雀《やまがら》を朝には暗殺してしまう 君をねむらすために 紫丁香花は雨の下で色どりを失つた 瑠璃草は彼等の眼をみんな潰した 黎明の虚偽の黄金に誘われて 恋愛を捜索する 小鳥は絶望してまた戻つて来た 暴風雨はダイナマイトで天空をハネ飛ばした そうして地球は永久に廻転する しからば何処で横わるか おれは牡蠣の如くに戸をしめて 非常に|森閑《しんかん》とした心持でいたのに 君がそれをあけようとしてそれを殺してしまつた 君は白樺の森から逃れ出たニンフである 君の黄金の足の下で犬はみんな自殺する そうして星は君の眼球の中で かつて河が流れた時代と混合する 最後の人頭獣 おれはオペラ街を乗つて通る おれはおれの四足から下りる 自分自身を二つに切りはなして 君の失つた森林の入口に おれのダクダクと流れる胴体を 君に捧ぐ 雄鶏の錆びた叫びに起きる 石屋に劣らず的確に おれは毎朝 仏蘭西中の小鳥にとりまかれ 建築中の我等が恋の普請場の前で待つのである 我等は互に会得せんと勉励する 一つの前廊を建てんと勉励する 煉瓦に煉瓦を重ね 苦痛に苦痛をもつて セメントと涙とで 我等の老いた時の或る日に 追憶の前に坐り 我々は我々自身を黙想するために おれはラジュウムにより稀薄になつた君の肉体を見た わからない世界 おれのものと呼んだ肉体 おれの恋がずるずるひきずられていた 紫外線の|昆布《こんぶ》を見た 君の尖つた心臓は顛※[#底本では「鷆」の「鳥」にかえて「頁」、第3水準1-94-3→78互換包摂 顛]覆した一つの舟の漂着物の如く 夢の底にじつとして動かないでいた 酸化したる珊瑚の中に 貫き難い一つの静寂に満ちて 何んたる秘密の上にか その時 おれは 重苦しい潜水夫 おれはそこへ下りたかった そこで失われた金を捜索せんと そうして最早人々はおれの帰つて来るのを見なかつた 時々おれの死んだ心が夜の中で 一つの古い甲冑が鳴るように叫ぶ あの薔薇色の桜の樹の時代を想い起す 既に一つの習慣として悲歎する 君の名を一つの去り行く雲の上に書く 君が歌つていた柳のある一つの牧場を眺める またおれは眼を時々開く 近視眼の錣戸のうしろで 海洋のほとりにある持主のわからない貸別荘のように 立つても 坐つても 三時でも 十五時でも 夕刊 朝の夢 賛成不賛成 精進と酩酊 昨日 明日 おれは君のみ思う おれはもはや頭を横たえる処を知らず 地上を選択せしめる方がよろしい 使いすぎたゴムの風船玉のように おれの微笑は月の壁に塗られた 古代の石灰の如くにはげる 北の風がおれの中で すべての涙を乾かす 一つの曙が泣かねばならなかつた おれの骸骨の鳥籠の中で おれの心の駒鳥が 第七と第八の肋骨の間で首を縊つた 夜は蜜柑色の君の髪が 天国の古い楼閣を照らしていた 土星の塔までも 其処で|風邪《かぜ》をひいた天使等が 時ならぬ露にぬれた 彼等の毛糸の翼を乾かしていた しかし或る黄昏に光りがうすらいだ 君の赤い電気のうなじの髪が 一つの流星のようにうすく弱つてしまつた 君の磁器の頭の中に 或は君の青白い胸の或る部分に 鉛の玉がとびこんでしまつたのであつた 君の心 おれは君を愛する時以来 おれは君を愈々愛するのである おれは槲※[#底本では「木+解」、第3水準1-86-22]の樹や瑠璃草を根こぎにする おれは地からおれの頭髪をひつこぬく お粘は自分の爪で天空をかく もう泣くべき眼をもつていない 歎ずべき神もいない 夜の向うの端で叫んでいる静寂に傾聴せよ おれは一つの彗星の土耳古サーベルを取る そうして自分の心臓をつき通す 日々 夜な夜な 年々 花 犬 及び雲 郊外の別荘 自転車に乗る人々は 君が去つたことをまだ知らない 彼等はかけまわる 彼等は食う そうして彼等は死ぬ そうしてこんなことは如何にも無益である おれはもう常にひとりぼつちでもなく又貧しくもないだろう おれはおれのいたましさをもつ おれの尊厳なるいたましさ 悲しみの葉があるいたましさの樹木 真赤な手袋をはめているいたましさの友人 おれは兄弟で夫である おれはおれのいたましさの息子である おれはいたましさをもたなければ無である おれはいたましさを食す おれはいたましさを笑う おれはいたましさを煙草にふかす おれはそれを怒鳴る おれはそれを吐き出す おれはそれが君のものであるが故にそれを愛する 今は嫉妬の季節である おれの乾燥した眼は葉つぱの様に おれの生涯に沿うて落ちる 寡婦の手をもつた一つの雨が おれの頭髪を撫でる おれのトランクの上に腰かけている おれの姉妹のいたましさよ おれのために泣け 鉄も鉛も 恋ほどそんなに重くはない [#改ページ]    失楽園     世界開闢説 化学教室の背後に 一個のタリボットの樹が音響を発することなく成長している 白墨及び玉蜀黍の髪が振動する 夜中の様に もろもろの泉が沸騰している 人は皆我が魂もあんなでないことを願う 人は材木の橋を通過する ゴールデンバットをすいつつ まだ一本の古い鉛筆が残つている 鮭で充満する一個の大流の縁で おれ達 即ちフッケと僕は二つの蛇のように横わつた 一つのポプラの樹が女の人の如くやかましい 桑の木の森で柔弱となつた山が我等の眼球の中へ流れ込む 一つの吹管をもつて我等が心臓の中にある愛情を吹きつつ おれ達はフランスの話をした それから再び我等の洋燈の方向へ戻つた オオ なんと美しい古い|刷毛《ブラッシ》よ 忍冬におおわれたエスキロス嬢の家より遠く しかしおれの家に近く一人の正直者が 修繕すべき煙管を探求するために彼の水蒸気を鳴らす おれの友人はみんな踏切の向うに移転してしまつた そこにはトマス・カルディの写真がある 一つの非常に大きいマズワンの座ブトンがある 石油ストーヴがある そうして机の上に万年筆と 実際的にペッチャンコな懐中時計がある けれどもおれは 諸々なる機械職工と幼稚園でひつぱられている 一個の小丘の斜面に おれは地上権を購買してそうして おれは自分に 一個の危険なる藤椅子を建造せり 未だ暗黒である 足の指がおれのトランクにぶつかる 空気の寒冷が樹木をたたく 七面鳥が太陽の到来を報告する 家禽家が毛糸のシャツを来て薪を割る 極めて倹約である 旧式なオロラがバラの指を拡げる 貧弱な窓を開けば おれの廊下の如く細い一個の庭が見える 養鶏場からたれるシャボンの水が おれの想像したサボテンの花を暗殺する そこに噴水もなし ミソサザイも弁護士も|葉巻《シガー》もなし ルカデラロビアの苦き唱歌隊のウキボリもなく 天空には何人もいない 百合の咲く都市も遠く ただ鏡の前で眼をとず     内面的に深き日記 一つの新鮮な自転車がある 一個の|伊皿子人《いさらごじん》が石齢の仲買人になつた 軟柔なそうして動脈のある斑点のあるそうして 香料の混入せるシャボン これを広告するがためにカネをたたく チンチンドンドンはおれの生誕の地に住む牧人の牛後なり 甘きパンの中でおれの魂は ペルシャの絨毯と一つの横顔と一枚の薄荷の葉を作る ミレーの晩鐘の中にいる青年が 穿いているズボンのように筋がついていないので ブクブクして青ぼつたいのは 悪いことである 夕暮が来ると 樹木が軟かに呼吸する 或はバルコンからガランスローズの地平線を見る 或は星なんかが温順な言葉をかける おれの友人の一人が結婚しつつある 彼は両蓋の金時計をおれに啓示した ボタンをひくと その中で アンジェリュスの鐘が鳴る それをほしいという気が太陽の如く起る 修道院の鐘が羅馬に向つて チンカンチンカンとなる これは人をして呼子笛を吹奏さす 朝めしの中に夕日がある 紅色のオキアガリコボシ おれの傾斜の上におれはひとりで 垂直に立つ 価値なき多くの屋根の向うに 地平線にデコデコ飾られたシャレた 森の上にのつかつている 黄色い異様な風格を備える一個の家を見る こんな森はおれに一つの遠くの人生を想わしめる しかし柔い土壌は悲しい思想の如き植物 を成長さすために 都会の下から農業地帯の中ヘ オレンジ色のしとやかな牛が 糞便を運送する 人間の腐敗した憂欝をもつて サラドを成長させるとはいたいたしい されどこの辺り 恋愛を好む一人の青年がひとりで 歩行している トロンボンを吹け 色彩のきわめてよいズボンツリを購い 首府を去りそうして三日にして 砂地の地峡に己れ自身を見る 終日 燈台を眺めながら 青い莢豆の中で随分紙煙草を吸う しからざれば 芸術とか人文とかを愛好する人達より遠く分離して 胡瓜と鶏頭との花に有名な一都会にて 猛烈にマッチを摺る 教会堂がまた一時間の四分の一を宣言する ジアコンド ストローベリイ 一つのペンキ塗りのホテルの後で 呼吸する冷朗たるそうして非常に気の毒な 秋の中におれははいる 肉なき松柏類は地平線の中で徘徊する ホウレンソウの如きは静かである すべては寝室のスリッパになつたと思う おれの脊髄の内部に幾分のチョコレートを感じ 我が肺臓の中にタンポポとスミレを入れて ギュイヨー夫人の小学読本をよむ 沈黙の二重の唇はいずこに 射的場は近いのである     林檎と蛇 わが魂の毛皮はクスグッたいマントを着た おれの影は路傍に痰を注ぐ 延命菊の申にあるおれの影は実に貧弱である 汽車の中で一人の商売人は 柔かにねむるまるで自分の|家《うち》にいるようにスコヤカに眠る なんと不規律なベゴニアの花よ グラグラする黄昏のバルコニイの上で 一個の料理人が ミモザの樹の如く戦慄する 我が幼年時代はなんたる林であるんだ 午前十二時に 墓地に沿うえ電車が廻転する 内面に一つの温室がある 睡眠をむさぼる口は蝿取り草だ 一個の香水をまく偉大な スポイトの夢を彼等はみている 人々はタンポポより桜を愛すそうして 入れ歯の如くサンランたるアナゴのテンプラを食う 粉歯みがきは聖像の光輪 |眼《まなこ》は取りくずされたる礼拝壁の円塔をよじ登る そうしてトタン屋根の先に広がる緑の原ッぱを 走る太陽を追う なんたる痛恨 淋しき人々は縫箔した靴を穿き 樹木が牛乳のように腐るのを眺めんとして外出する しかしながら彼等の時計は時間の地層を正確に 掘るよ シトロンの森にシャツを吊り 人は熱き水浴をとり死すことなく疲労をむしやきにする 非常に善良な鰕よ 神が君を祝福せんことを 山羊の唱歌よ 葡萄酒の神様よおれは 葡萄パンのような眼球をもつた山羊がないから アフリカ産のカモシカをたべ給え おれの貧にして孤独なる脳髄の中に烟火をあげてそれを よろこばすような一個のアルカラザスの水差しをおれに与えよ おお遠くの大学町で ツグミがなく 縮れたる頭髪に金盞草の花輪を飾り コメロンの祭礼をみるも 我が脳髄の栄華は重し ブラウニングの柘榴と鐘 椿油でゴテゴテ光る黒髪は 四十五歳の女の人に属す 彼女のパイプはペン軸の如く長くほそい 彼女の汽車は鉄橋を渡つている 盆地は冷寒である ほほえむと彼女の歯グキが寒い 是等の人達はみんな面白くない 楽園の傾斜にある|巴旦杏《あめんどう》の樹に 我が七絃琴を吊らん 十五時が鳴つた 駈け出しませんか     風のバラ 帽子を浅くかむつて 拉典人類の道路を歩く 樹木の葉の下と樹木の葉の上を 渾沌として気が小さくなつてしまう瞳孔の中に 激烈に繁殖するフュウシアの花を見よ あの巴里の青年は 縞の帽子の中で指を変に屈折させる 郵便局と樹があるのみ ラムネのビンは青い おれの面前で クレベルの本屋の主人がステキに悲しんでいる それから中央欧羅巴にアルコールランプを置き 牧場の中で乞食の手風琴に傾聴しつつ 牛乳の入つたコーヒをわかす 遠くのミカン色の屋根と青い樹木は おれの心を鞭撻する しかし海は死んだ葡萄酒である 人は岡に上り大なる緑の影をもつた アカシアの樹のそばでジツト 残りたいと思う 太陽 ゴムの樹 軽便鉄道 虎 金銭 が音楽的共和国を建てる 疑いなくロンドンのデメテルの前で おれの帽子をあげる 美しきタコよ あなたの柔かい魂は 不活溌※[#底本では「さんずい+發」、第三水準1-87-9→78互換包摂 溌]な流れぬ午後の中で 鱈の光りを漁る しかしあなたは職業としては神様であつた コクリコの女神 麦の女神 梨の美爪師 けれども今は地方の女学生の脂肪と 埃を吸入する 遊園地の向こうの 船舶の森に花が開く 株主がみんなよろこぶ 世界的正午 ホテルの方へ商売人が歩き出す 太陽の中で一人の男が アツボッたいチョッキと杏子色の腰巻をきて 酢につけた葉巻煙草を食う そうして非常に熱烈に バラモンの神様と勲章と蛇のことを 考えて笑う それから彼は彼の頭蓋骨ほどそれだけ大きい 椰子の果実に吸口をつけて一個の クラリオネットを製作して それをシャガンで吹く時 カゴの中からコブラの頭が踊り出る なんと美麗なサボテン 一つの|節時計《メトロノーム》のように振動する けれども人々は日影の方を歩く 彼の友人の一人は支店長になつて ステキにいい帽子をかむつて 半島をズンズン歩いている ラヴナラスの樹の下でヴァイオリンをひき 雨が愛情より降つて来るのをまつている マホメット教の礼拝堂の窓から人は 徴笑する顎をつき出している その下の方に静粛な湖水が ドンブリの様な遠方の山々を写す (このドンブリは実は諸君の背中であつた 要するにフンドシが実によく乾くのである アカシアの花が非常に美しい いやになつてしまう)と旅人がいう スエズの運河の中で クラゲが実によく走つている 地平線が非常に砂だらけである 犬が遊んでいるテントがある ムーア人が夕日とビタ銭を追求する それから星の夜がある しかし工手学校なにかは無い 追放された入々は岸の上にシャガンで 涼しい沈黙の中で焦げついた指を監視する 保証人なんぞいない 気の強い労働者は密閉された夜の中で しやべつている ここに一つの軟柔で無口な都会がある 店先で千鳥と宝石が会話することが出来る 警察署の庭にヒビスカスの花が諸君の充血した心臓のように咲いている 土地の人達は猫のようにハダシで歩く 不明な葉つぱと石灰を噛みながら心配そうに話していた 二人の男は何処かへ行つてしまつた 船舶が到着すると海の下で金銭を魚のようにつかむ その金銭を耳にはさんだり口に入れたりして 再び電車線路をつたわつて何処かへ行つてしまつた クネンボの中に路が失わるるまで運命を みずに極端に崇高なることを思索する おれは駱駝の様に砂の中にもぐつて 熱心をもつて代数をやつてみたい それから四十歳になつたら その辺の市場をさがし出し ホコリだらけの葡萄をたべる それからいま一ッペん おれの魂の方へ 駈け出したらね カイロの市で知合になつた 一名のドクトル・メジチネと共に シカモーの並木をウロウロとして 昨夜噴水のあまりにやかましきため睡眠不足を 来たせしを悲しみ合つた ピラミッドによりかかり我等は 世界中で最も美しき黎明の中にねむり込む その間ラクダ使いは銀貨の音響に興奮する なんと柔軟にして滑らかな現実であるよ     薔薇物語 ジオンと別れたのは十年前の昼であつた 十月僕は大学に行くことになつてジオンは 地獄へ行つた 雲のかかつている倫敦の中を二人が走つた ブリテン博物館の屋根へのぼつてしかられた ジオンの写真はその後文学雑誌に出た 鉛筆の中で偉らそうに頬※[#底本では「來+頁」、第3水準1-93-90]骨を出した 公園にクローカスの花が石から破裂する時 黄色い曲つた梨がなる時 毎日酒場とカフェと伊太利人の中で話した ジオンの寝る所はテムズ河の南の不潔な 町の屋根裏であつて 電気がないから ビール瓶の五六本にローソクを花のように つきさして 二人の顔を幾分あかるくした ビール箱にダンの詩とルイスの絵を入れた 僕はその時分は南ケンジントンのブラムプトン にある薔薇のついたカーペトのあるホテル に住んでいた 我々はこのホテルをロマン・ド・ラ・ローズと呼んでいた 時々 月影にやき栗をかつて 一緒に ロマン・ド・ラ・ローズの中にはいつて 電気をつけて悲しんだ その頃時々遊びに行つたところは プロレタリアトの雑誌に小説をかいて いた盲目の青年のところであつた 彼は 休戦条約の祝賀会に烟火をあげてヒゲと 眼をやいた勇敢な人であつた その細君は 非常に親切で我々を歓待してくれた その夫婦のいる室の下が路次の酒場 になつていた 十時すぎになると笛吹きが 現われて流行歌をピュコピュコ吹いていた 或る晩 その男を室へ呼んで話を した(笛をふくつもりで遂話ばかりになり) ビールとソーセジをなめながら 戦後は時勢がかわり商売にならないとこぼした     五月 マリゴウルドの花輪に 飾られた僕の頭は五月の風に 縮れ 黄金に波うつ テミストクレースの死の行列 をみている僕の白い法衣も波うつ 小鳥の鳴く海か 果実の影か 首環の破裂か     旅人 汝カンシャクもちの旅人よ 汝の糞は流れて ヒベルニヤの海 北海 アトランチス 地中海を汚した 汝は汝の村へ帰れ 郷里の崖を祝福せよ その裸の土は汝の夜明だ あけびの実は汝の霊魂の如く 夏中ぶらさがつている     コップの原始性 ダフネの花が咲き 光る河岸を 林檎とサーベルをもつた天使のわきを過ぎ 金髪の少年が走る アカハラという魚を その乳光の眼の上を 指の間でしつかりつかみながら 黄金の夢は曲がる     理髪 鉱山の煙は火山のように見える 谷川の上 山百合の咲く崖の下に トコヤはアトリエを開いた 牀の上には工夫の髭と百合の花粉とが 混じて積みかさなつている ビール会社の広告の女優の肖像の下で 新聞紙と尺八との間で この芸術家は |脚気《ベリベリ》の神様のようにほほえんでいる     セーロン 土人はみな家にはいつている 炎天に僕はひとり歩いた 土管の上にトカゲがいた 茄子が光つている 菫は燃えている 菫の葉の上にたまつている熱い砂が 手の甲にふりかかる セーロンの昔     歯医者 コルビエルの髭 ゴムを焚いて蛇を追出す 水は天へ流れる このペナンの秋 ラマ教の衣を潜た 少年の僕は喜んだ ラマ僧は菖蒲の葉の先から 僕の天国の口をのぞいた     ホメロスを読む男 夜明と黄昏は静かに 金貨の両面のように タマリンドの樹を通つて 毎日彼の喉のところへやつて来た その時分彼は染物屋の二階に 下宿してホメロスを読んでいた その時分彼は三色菫の絵がついている 珊瑚のパイプをもつていた ガリア人は皆笑つた(君のパイプは 少女の手紙かビザンチウムの恋愛小説 のようなパイプだね——ウーエー) しかしその燐光の煙は鶏頭の花や 女神の鼻や腰をめぐる