鳥は星形の庭におりる 著者 西東行/挿絵 睦月ムンク ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)嵐《あらし》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)上皿|天秤《てんびん》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)雷[#「雷」に傍点] ------------------------------------------------------- [#挿絵(img/_AFDPG_001.jpg)入る] [#挿絵(img/_AFDPG_002.jpg)入る] [#ここから3字下げ]  目次 [#ここから2字下げ]  鳥は星形の庭におりる [#ここから3字下げ]  あとがき [#ここで字下げ終わり] [#改ページ]  鳥は星形の庭におりる [#改ページ] (——母様)  子供は目を覚ました。けれど視界はぼんやりして、自分がどこにいるのかはっきりしない。なんとか意識を空のほうへ向けると、木々の枝葉の向こうに空が丸く見えた。  木々の枝は途中で折れ、黒く焦げている。  子供は必死で状況を思いだそうとした。 (そうだ……上から、落ちたんだ)  空には黒雲がわきでている。すぐにも雨に、いや、嵐《あらし》になるのだろう。空気が重い。  いや、重いのは自分の身体《からだ》だ。身体がどうしても動かない。  空がやけに遠く暗く感じられる。いよいよ降りだした雨のせいなのか、視界そのものが暗くなったのか、わからなかった。 (母様)  急に怖くなった。 (母様……! 助けて、母様)  動けない。このままだと死んでしまうかもしれない。  子供は思い、次いで恐怖した。子供はこれまで母親とその崇拝者に大切に守られてきて、漠然とした危険さえ知らなかったのだ。まして死など想像したこともなかった。 (来て。早く助けて、母様。母様。母様、治して。助けて)  叫びたいのに、声もでない。絶望して泣こうとしたが、それもできなかった。数かぎりなく天から降ってくる雨の滴ひとつひとつが、自分を削って消していくかと思われた。 (母さ——)  意識が遠のいていく。それなのに雨音だけは、やけにはっきりと聞こえていた。  そのとき、重苦しい雨音をふきはらうように、爽《さわ》やかに澄んだ弦の音《ね》がひとつ響いた。 「泣いている子供はどこだい?……もう怖くない。泣かないで」  男の声だ。低く穏やかで、耳にとても快い。  それからもういちど、弦の音が響いた。綺麗《きれい》な和音だ。子供はもうほとんど意識がなく、目も見えなかったので、耳だけをすませた。 「可哀想にね。いつからこうして、ここに恐怖で縛られてたんだろう。だがもう大丈夫だよ。私が君をお母さんのところへつれていってあげるから。だから、もう泣かなくていい」  男は美しい旋律をつま弾いた。どこか懐《なつ》かしいその調べは、子供に母の優しく気高い姿を思いださせた。 (母様)  子供は安堵《あんど》した。  と同時に、子供の恐怖も意識も、霧消した。 [#改ページ]      一 「双都オパリオンが刻印した分銅《ふんどう》は、年々入手が面倒になるねぇ。そりゃ、王国が刻印したものよりは簡単に手に入るけど、それでもずいぶん待たされるよ」 「だがこの都市の刻印つきの分銅があれば、信用も得られて、商売に有利だからな」  双都オパリオンの港近く、香料を商う店で、商人と取引客が愚痴まじりに歓談していた。  店には何百種類もの香料が並び、芳香が立ちこめている。店主のそばには精巧な上皿|天秤《てんびん》と、大小の分銅を並べた頑丈な箱がすえてあった。  双都オパリオンはフィリグラーナ王国の西の端《はし》にある大都市である。  巨大な内海であるエルナズレド海をはさんでは、東岸に古王国フィリグラーナ、西岸に新興の西方諸国《ファルゲスタン》があり、互いに顔をつきあわせていた。エルナズレド海と外海をつなぐのがアラニビカ海峡で、オパリオンが双都と称されるのは、この都市がアラニビカ海峡の両岸に、東オパリオンと西オパリオンに分かれているためである。  双都には多くの異国人が訪れた。しかしたとえ言葉が通じなくとも、升《ます》と秤《はかり》、尺《しゃく》そして貨幣が同じなら、商売はできるというのが、双都オパリオンの商人たちの信条だ。  それゆえこの都市では、度量衡が厳しく定められ、取り締まられていた。 「この商売には、信頼のおける分銅が絶対に必要とわかっちゃいるけど、でもこれも税金がかかったり、いろいろ面倒だからね。いっそ不要な分銅は処分しようかと思うんだよ。できるだけ少ない数の分銅で計量がすむようにしたいんだが、どうしたらいいかねぇ」 「俺の店では一厘、二厘、四厘、八厘……って感じに分銅を使ってるよ。うまく分銅を組みあわせれば、一厘単位でどんな数でも量れるだろ」 「そうだね。やっぱりそんな感じかね」 「——分銅の数は、もっと減らすことができるわ」  突然、高い声が商人たちの会話に割りこんだ。店主と客は揃《そろ》って店の入り口に目を向け、次いでその視線を少しさげた。  店の入り口に立って店主たちのほうを見ているのは、十歳を過ぎたくらいかと思われる少女だった。  緑がかった薄い灰色の瞳《ひとみ》を厳しく澄ませて、店主たちをにらむように見すえている目には、深い知性と意志の強さが感じられた。子供らしからぬ視線の鋭さは、きゅっと引き結んだ口元とあいまって、彼女をひどく無愛想に見せている。少女は顔も体つきも華奢《きゃしゃ》で小柄だったが、男たちは自分たちのほうが見下ろされているような気分になった。  肌は透きとおるような白さで、まっすぐの長い髪は淡い金色だ。遠い昔にエルナズレド海沿岸に移ってきた、北方系の人々の血を引いているのだろう。  身なりは見るからに豪奢で、少女の身分もかなりのものと知れた。手のこんだつくりの装身具は、古い家に代々伝わる逸品に違いない。衣装の袖《そで》や裾《すそ》にも、繊細なレースがふんだんに使われている。豪華なだけでなく、女の子なら誰もが夢見るような愛らしいものだ。  しかし店主たちの前にいる少女には、その可憐《かれん》な衣装はまったく似合っていなかった。彼女はけっして不器量ではないのだが、あたたかみのある珊瑚《さんご》色の絹の衣装は、少女の肌を色褪《いろあ》せたように血色悪く見せている。華やかなレースの重なりも、ほっそりした身体を貧弱に見せるばかりだ。  けれど容姿はともかく、彼女は貴族の娘に違いない。店主はそう判断して丁寧に尋ねた。 「これはお嬢様。なにか御用でしょうか?」 「一厘、二厘、四厘と分銅を使うのは、二進法よ。場合によってはそれでもいいけど、理屈だけならもっと分銅の数は減らせるわ」  少女は冷ややかな口調で言った。今度は取引客の男が口をだす。 「どう減らすんだい。だって、まずいちばん小さな一厘の分銅は絶対いるだろう? それから二厘の分銅もいる。三厘は一厘と二厘の分銅を一緒にのせれば事足りるが、四厘を量るには足りないから、四厘の分銅がまたいるよな。それから五厘は……」  少女は哀れむように取引客の男を見やった。 「二厘の分銅も四厘の分銅もいらないわ。お前は商人のくせに足し算しかできないの?」 「なっ——」 「……あ!」  少女の遠慮のない物言いに、取引客の男は気色《けしき》ばんだが、店主のほうはなにかに気づいたように小さく声をあげた。少女は店主のほうを向き、満足そうにうなずいた。 「わかったようね。一厘と、それからあとは三の累乗の分銅を足していくのよ。そうしたら五つの分銅で、一標準マールムと二十一厘まで、一厘刻みで量ることができるわ」  ちなみにマールムという重さの単位は、古い言葉で林檎《りんご》を意味した。この重さを示す大陸標準器が林檎の形をしているからだ。 「えぇ、えぇ。わかりますよ、お嬢様。たしかにおっしゃるとおりです。お知恵を授けてくださってありがとうございます」  少女はもういちどうなずくと、店をでていった。取引客の男はまだ少女と店主のやりとりを理解しておらず、不満そうに少女の背を見送る。 「なんだ、あの生意気なガキは。どこの貴族の娘か知らんが、大人を馬鹿《ばか》にしやがって」  店主は肩をすくめた。 「お前さん、まだわからないのかい?」 「だって一厘の分銅の次は三厘の分銅なんて、どうやって二厘を量るんだよ?」  店主は黙って、上皿天秤の片方の皿に三厘の分銅をのせた。  それから反対側の皿に、一厘の分銅を置く。  左右の分銅の重さの差は、二厘。つまり一厘の分銅のそばに、量りたい品物をのせていき、天秤が水平になれば、二厘分の商品が計量できるというわけだ。 「あ……あ、そうか!! 反対側の上皿にも分銅をのせるのか!」  店主はにやにやと笑いながら、口を開けたままの取引客に品物の包みを渡した。 「貴族のお姫様でも、私やお前さんより商才があるのはたしかだよ。ま、なんだ。商売で損をするより、馬鹿にされるほうがましだと思うことだね」  貴族の令嬢プルーデンスは、店をでると、市場の近くにある港へ足を向けた。  オパリオンは商業の盛んな都市だ。市場ではさまざまな国の商品が取り引きされていた。北方の山国の瑪瑙《めのう》や鉄もあれば、大平原の麦も、砂漠の国の絨毯《じゅうたん》も売っていたし、東国の絹や螺鈿《らでん》細工も手に入った。象牙《ぞうげ》も、生きている象も、どちらも商品だった。  プルーデンスは軒を連ねた商店からあふれる珍しい品物を興味深げに眺め、ときおりは足をとめながら、港のほうへ歩いていった。  プルーデンスは侍女を伴っていなかった。身なりのいい、しかも幼い少女が市場をひとりで歩いているのが奇妙なのか、ときおりすれ違う人がふりかえって彼女を見る。しかし小柄で痩《や》せているために十歳くらいにしか見られないことが多いが、プルーデンスはもうすぐ十三歳だった。  港に停泊する帆船のひとつは、もうすぐ出航するらしく、人々が次々に乗りこんでいた。帆柱にかかげられた行先旗の紋章は、青地に金の雄牛と銀の鳥。アラニビカ公国だ。アラニビカ海峡と向かいあうようにオパリオンの南西沖に浮かぶ、島国である。  船にあがる舷梯《タラップ》の脇《わき》で、気の荒そうな水夫相手に大声をあげている人物がいた。  プルーデンスの父親のエルク・オパルス伯爵だ。彼は背後にある帆船の船主でもあり、船首にもオパルス伯の海馬《かいば》の紋章を描いた旗があがっている。  彼はこの地方でもっとも古い家系を誇る大貴族であり、フィリグラーナ王国の海軍とは強いつながりを持っていた。またオパリオンに大きな商館も持ち、エルナズレド海から西部海域にかけて多大な影響力を持つ有力者だった。  オパルス伯が気むずかしい表情をしているのは、どうやらアラニビカ島へ同行させるはずの吟遊詩人が、まだ港に到着していないせいらしかった。 「なんとか出航を遅らせるわけにはいかぬか。アラニビカでの儀式には歌い手が不可欠なのだ! わざわざ王都から呼びよせた、評判の吟遊詩人なのだぞ」 「ですが先日の嵐《あらし》で、メビウス街道が土砂崩れで埋まっているそうです。王都の歌い手も、まだ数日はオパリオンに到着できないでしょう。ただでさえひどい雷雨で出航が遅れていたのに、詩人ひとりのためにこれ以上出航を遅らせるわけにはまいりません」  船長とおぼしき男が、なんとかオパルス伯を説得しようとしていた。  オパルス伯の背後には、彼の家族と使用人たちがいた。伯爵は家族を先に船に乗せることにも思いいたらずに、船長たちと話しこんでいるのだろう。  伯爵の妻であり、プルーデンスの母親でもあるリーサ夫人は、口元にあどけなさを残した女性だった。青白いほどの肌のプルーデンスとは違って薔薇《ばら》色の頬《ほお》をしており、それが彼女の少女らしさをいっそう強調している。宝石と花をあしらった額飾りをつけ、腰までの長い巻き毛は自然に背中に流していた。  リーサ夫人は疲れたのか、息子のオーギアによりそうように立っていた。  プルーデンスの兄のオーギアは、母親譲りの血色のいい頬と、金色の巻き毛の少年だった。十四歳という成長期で、身長は既に母親よりも高い。けれども母親にぴたりとよりそい、その袖をつかんでいる姿には、幼げな印象があった。  オーギアは勉強嫌いで、いつも理由をつけては家庭教師を追いだしている。だがオパルス伯としては、むしろ息子が船を嫌い乗馬ばかり好むほうが頭痛の種だった。  家族は皆、プルーデンスが見あたらないことには、心配どころか気づいてもいない様子だった。それでもプルーデンスが港を歩きまわっていたことがばれたら、やっぱり叱《しか》られるに違いない。 「——オパルス伯か。たいそうな荷物を船に積みこんでいたが、アラニビカ島になにをしに行くんだ? アラニビカ島にある、鳥の塔への巡礼でもないだろうし」  通りで立ち話をしている男たちの声が、プルーデンスの耳に入ってきた。 「あぁ、去年亡くなった伯爵の母親は、アラニビカ大公の妹君なんだよ。死者の遺品を故郷へ納めに行くんじゃないかね。アラニビカ島では当然、伯父である大公の邸《やしき》に滞在するだろうから、あの荷物はみんな大公殿下への贈り物だろう」 「なるほど。高い身分ともなると、親戚《しんせき》づきあいも大変だな」  世間話は聞き流して、プルーデンスは母親のそばに歩みよった。リーサ夫人は娘をちらりと見ると、手を伸ばして衣装のリボンをなおした。 「プルーデンス、どこかに行ってたの?」 「はい、お母様。お父様の商館のほうに、少し用事があって」  言葉としては間違っていない。先ほどの香辛料の店は父の商館のある方角にあった。分銅の指摘をしたのも、用事と言えなくもない。 「そう? せっかく可愛い服を着せてあげたのだから、汚さないでね」  リーサ夫人はそれ以上追及しなかった。彼女は理屈っぽい娘と会話することが好きではなかったのだ。 「いっそこのまま吟遊詩人が来なくて、アラニビカ島に行くのが取りやめになったらいいのにな。ねぇ、母様?」  オーギアがリーサ夫人の袖をひき、母親の注意を自分に戻した。リーサ夫人は微笑んでオーギアの瞳をのぞきこむ。 「吟遊詩人くらいで取りやめにはならないと思うわ。あなたのお祖母《ばあ》様の遺品を故郷にお納めする、大切な儀式なんですもの。それにアラニビカの大公様にお会いする貴重な機会でもあるのよ。あなたの将来の役にも立つわ」 「それはわかってるけど……でも数日前まで、あんなにひどい嵐だったし」 「嵐はとうに去ったわ。空をご覧なさい。あんなに綺麗《きれい》に晴れているじゃないの。きっと穏やかな船旅になるわよ」  リーサ夫人は手をあげ、潮風に乱れた息子の金髪を愛情深くなおしてやった。プルーデンスの長い髪のほうがよほど乱れていたのだが、それは気づかなかったらしい。  オーギアはようやく機嫌を直した。尖《とが》らせていた口を笑みにかえ、次いで勝ち誇ったように妹のプルーデンスをちらりと見やる。相手にするのも馬鹿らしくて、プルーデンスは少しはなれてひとりで立った。  プルーデンスたちの近くには、商人や旅人が大勢集まっていた。彼らもプルーデンスと同じ船に乗ってアラニビカ島に向かうのだろう。  乗客には、竪琴《たてごと》や笛など楽器を手にした吟遊詩人も多い。アラニビカ島には鳥の塔と呼ばれる古い塔があり、風の精霊である聖なる鳥がおりたつという伝説がある。吟遊詩人たちはその塔に詣《もう》でるのだ。  プルーデンスが彼らをもの珍しく眺めていると、ひとりの長身の男が人混みをゆったりとかき分けてあらわれた。  吟遊詩人だろう、腕には使いこまれた弦楽器を抱《かか》えている。土地によってリュートやバルバット、ウードなどと呼ばれているものだ。  彼が身にまとう宵闇《よいやみ》のような蒼《あお》のマントが、潮風に大きくひるがえった途端、あたりが静まりかえったかのように感じられた。 (蒼い旅人の衣……『蒼い衣の吟遊詩人』?)  男はプルーデンスの前を悠然と通りすぎた。 『蒼い衣の吟遊詩人』とは、創世の神話に登場する、最初の吟遊詩人のことだ。  世界が創られたばかりのころ、力ある精霊が万象に名をつけ、混沌《こんとん》の世界に秩序をもたらそうとした。その精霊は、まず最初に自らを含めた明澄で気高い力を持つ精霊を神と名づけ、世界を統治する者とした。そしてあらゆるものに名をつけていった。  そんな中、名づけられることを拒んだ精霊がいた。  神は願いを聞きいれたが、同時にその精霊は何にも属することができなくなった。名のない精霊は以後、昼でも夜でもない宵の色の衣を身にまとい、異境の者として世界を流浪することとなる。これが『蒼い衣の吟遊詩人』の神話だ。  今でも吟遊詩人の中には、この神話に倣《なら》って名前と故郷を捨て、蒼い衣をまとう者がいた。 「——失礼。あなたがオパルス伯爵だろうか」  男はオパルス伯爵に声をかけた。低めの、深い響きを持つ声だった。 「ん? おぉ。もしやお前が吟遊詩人のオスカーか? 待ちかねたぞ。お前からの返書には、出航の三日前には到着すると書いていたではないか」 「申し訳ない。嵐のせいで道が崩れて、遅れていたのだ」  豊かにとおる声に、他の人々も吟遊詩人のほうをふりかえった。  双都オパリオンにはさまざまな土地の人間が集まるが、それでも彼のような浅黒い肌は珍しい。瞳は吸いこまれそうな黒で、同じ色のかたそうな髪は長く背に流していた。  年のころはよくわからない。しわのないなめらかな顔は若く見えたが、静謐《せいひつ》な瞳と、周囲の注目をあびていることをまったく意識していない落ち着き払った態度は、ずいぶんと老成した印象があった。  祝儀にもらったものだろう、さまざまな装身具をいくつも身につけている。古風なつくりの耳飾りに、流行の腕輪や異国の鎖を重ね、彼には小さすぎる指輪や飾り玉、角などの装飾品は、組み紐《ひも》にとおして革帯にからませてあった。  詩人の深い蒼の衣はところどころすりきれ、泥に汚れている。みすぼらしいとまでは言わなくとも、長いあいだ各地をさまよってきた者の姿だった。 (少なくとも、王都の劇場や貴族の邸に招かれて歌う吟遊詩人の身なりとは思えないわ)  オパルス伯も同じように感じたのだろう、不審そうに眉《まゆ》をひそめた。  その視線に気づいたのか、蒼い衣の男は小さく微笑んだ。 「先に送っていただいた書状を持参している。あらためていただきたい」 「そうだったな。見せてもらおう」  蒼い衣の男は書状を取りだし、オパルス伯にさしだした。中の書面をたしかめると、オパルス伯はようやく表情を和らげた。 「うむ。たしかに、お前は私が雇った男のようだな」  そう言って、書状を男に返した。 [#挿絵(img/AFDPG_021.jpg)入る] 「書面にも書いたが、私は沿海州の風習にしたがい、亡き母の形見を母の故郷であるアラニビカ島に納めにゆく。アラニビカは古来、風と歌の島。儀式には歌がつきものだ。そなたには死者の霊魂を慰めるための鎮魂の歌を、アラニビカ大公はじめとする貴人の御前で歌ってもらうが、できるだろうな?」 「もちろん。死者を悼む歌は、これまで幾度も歌ってきた」  吟遊詩人は瞳をかげらせる。そこには鎮魂の歌を繰り返し歌ってきたことの哀《かな》しみがこめられているかのようだった。だがオパルス伯は吟遊詩人が経験豊かであることのみを頭にとどめたようだ。詩人に向かって尊大にうなずいた。 「よろしい。即刻船に乗れ。アラニビカ島に向かうぞ」  言いわたすと、もう詩人のことなど忘れたように、さっさと舷梯に向かった。  プルーデンスも舷梯へ向かおうとしたそのとき、男の怒鳴り声がした。 「待ってくれ! そいつは偽者《にせもの》で盗人だ! 俺が本物のオスカーだ、船に乗せろ!」  プルーデンスはじめ伯爵の一行も、その他の乗客も、皆いっせいにふりかえった。  高い声で叫んでいるのは、赤毛で角ばった体つきの男だった。  派手な外套《がいとう》を喉元《のどもと》でとめている留め金は、見るからに王都で好まれそうな繊細な品だ。手にした弦楽器には優美な薔薇模様が描かれている。  赤毛の男は身体をゆらして走ってくると、芝居がかった仕草で息を整えた。 「オパルス伯爵! わたくしこそが本物のオスカー、王都の黄金の喇叭《らっぱ》と呼ばれる男でございますぞ。街道がふさがれておりましたが、馬を何頭も駆ってこうして参りました」  しかしオパルス伯は、困惑して不機嫌そうに眉をひそめただけだった。リーサ夫人や船長も、互いに顔を見あわせるばかりだ。  赤毛の男はさらに大げさな仕草で、蒼い衣の男につめよった。 「お前! その蒼い衣には見覚えがあるぞ! 三日前、メビウス街道の宿屋で不覚にも酔いつぶれた俺から、伯爵様からの書簡を盗みおったろう!」  だが蒼い衣の男は、平然とした態度で肩をすくめた。 「知らないね。突然あらわれて言いがかりをつけるなど、やめてほしいな」 「しらを切るか! おのれ、街道が崩れなければ、追いつめていたものを!」  赤毛が、蒼い衣の男にさらにつめよった。赤毛の男は蒼い衣の男より背が低かったが、体格はがっしりしている。剣呑《けんのん》な空気に周囲の者も緊張した。  が、オパルス伯はことが起こる前に手をあげ、ふたりを制した。 「オパリオンの港で騒ぎを起こすな! でなければふたりとも都市から追放するぞ!」  それからオパルス伯は鼻を鳴らし、ふたりの男を交互に眺めやった。 「……出航前にこのような揉《も》め事《ごと》が起きるとは、なんということだ。どちらかが本物で、どちらかが偽者ということらしいが——」 (両方本物はないにしても、両方偽者だって可能性を忘れているわ、お父様)  プルーデンスは思ったが、口出しはしなかった。  見たところ、王都からきた歌い手らしく見えるのは、態度も服装も、明らかに赤毛の男のほうだ。男の全身から過剰にただよう俗っぽさは、港で見れば違和感があるが、貴族の邸では自然にとけこむことだろう。  けれど伯爵の書簡を所持していたのは、蒼い衣の男だった。そもそも、あらかじめ相手に送った書状は、このような場面で立場を保証するためにある。そのことを考えると、蒼い衣の男を無下《むげ》に扱うわけにはいかない。  それに蒼い衣の男は、身なりこそ薄汚れているものの、その態度には堂々とした独特な優雅さがあり、赤毛の男の俗っぽさが卑小に見えるほどだった。  オパルス伯が、手を打ちならした。 「よし、こうしよう。それぞれ、この場で歌ってみよ。歌ってみれば王都で評判をとるほどの歌い手か、それともただの盗人かがわかるだろう」  赤毛の男がちらりと蒼い衣の男を見たが、蒼い衣の男はオパルス伯にうなずいた。 「公正だ。ではあらわれた順ということで、私から」  蒼い衣の男は先に進みでると、弦楽器をかまえた。  彼が弦をかき鳴らすと、その最初の和音だけで、皆ひきこまれて耳をそばだてた。  そして男が第一声を発した瞬間、港の空気が一変したように感じられた。  曲はアラニビカに古くから伝わる、風の精霊ナサイアを讃《たた》える歌だった。  かつてこの世界には、奇跡の力をそなえた精霊が存在した。中でも明澄で気高い力を持つ精霊たちは神と呼ばれ、世界を統治していた。  だが、神々や精霊はあるとき、この世界から忽然《こつぜん》と去った。  千年も昔の話だ。残された人間には、神々や精霊が去った理由も、また彼らがどこへ去ったのかも、いっさい知らされていない。  だが神学者や吟遊詩人たちは次のように考えていた。すなわち、創世から時が経ち、世界から奇跡の力が薄れていくにつれ、神々や精霊もその力を失っていったのではないかと。  人々は、今でも神殿や祠《ほこら》を訪れては、祈りを捧《ささ》げていた。祈りが遠い世界に届き、神々の奇跡がふたたびこの世界にもたらされることを願っているのだ。  霊鳥ナサイアは、神代に蒼穹《そうきゅう》高くを飛んでいたとされる、風の精霊である。  ナサイアは風を従え、天をつく山々を越え熱い砂漠を渡って、大海原の彼方まで旅をした。その翼は力強く優美で、啼《な》き声は天を銀色に染めあげるほど美しかったと、吟遊詩人たちは歌い継いでいる。  そして世界を飛びわたる霊鳥が、羽を休めにおりたと伝わるのが、アラニビカ島にある鳥の塔だ。鳥の塔は今もナサイアを祀《まつ》る塔として、風の加護を求める船乗りや、霊鳥の歌声にあやかりたい吟遊詩人など、多くの巡礼者を集めていた。  蒼い衣の男の声は、霊鳥とともに世界の果てまで響きわたるようだった。はじめはたゆたうように広がる低い声が、曲の途中から、驚くほど高い音域にかけあがっていく。そこにはまさしく鳥が高い雲を抜けるような解放感があった。  港の人々は一様に、神話や伝説でしか知らない太古の世界が、今ここによみがえったかのような錯覚を感じていた。  詩人のやわらかな発音と澄んだ弦の音が絡みあうさまは艶《なま》めかしくすらあった。プルーデンスがオパルス家の侍女や女中を見ると、揃って胸を押さえ、頬を染めている。気の荒い水夫や沖仲士たちさえ、手をとめ、口をぽかんと開けて歌に聴きいっていた。  最後の音の余韻が完全に消えてしまってもなお、港はしばらく静まりかえっていた。  赤毛の男だけが、顔色をなくして立ちすくんでいる。 「……うぅ……く……」  突然、赤毛の男はうめき声をもらすと、よろけるようにその場から走り去った。  彼が偽者のオスカーだったのか。あるいは、自分がなにを歌っても、蒼い衣の男にはかなわないと悟ったのかもしれない。  無粋な足音に、ようやく他の人々も夢心地から覚めた。 「まぁ……驚いたわ。なんとうるわしい声でしょう!」  美しいものを愛するリーサ夫人が、両頬を手のひらで押さえて感嘆の声をもらした。 「すばらしい! たいしたものだ。うむ、やはり歌い手は歌を聴いて選ぶべきだな!」  オパルス伯も興奮して褒めそやした。蒼い衣の男はうやうやしく頭をさげる。 「では私をアラニビカ島につれていっていただけるだろうか」 「もちろんだ。お前の歌ならばアラニビカ大公の前にも安心してだせる」  つまるところ、オパルス伯にとって吟遊詩人ごときの正体など、些事《さじ》にすぎなかった。要はアラニビカ大公の前で、面目を保てるか否かなのだ。 「さぁ、今度こそアラニビカ島に向かって出航だ!」  意気揚々と舷梯をあがっていく。伯爵が上機嫌な様子を見て、船長やリーサ夫人たちも安堵《あんど》の表情で伯爵に続いた。  蒼い衣の吟遊詩人は、オパルス伯の従者に署名を求められていた。この契約によって詩人は、この旅においてオパルス家の使用人扱いとなり、オパルス伯の船にも乗船できるし、アラニビカの都市の城門にも入れるようになるというわけだ。  ちらりと見ると、詩人は契約書の名前欄に大きく×印を書いていた。  ふと、蒼い衣の吟遊詩人が顔をあげ、プルーデンスと視線をあわせた。プルーデンスが反射的に眉をひそめると、吟遊詩人は微笑みを返してきた。 「あなたは、私の歌があまりお気にめさなかったようだ」  プルーデンスは眉間《みけん》のしわを深めた。男の声にひそむ余裕が、うっとうしかった。 「えぇ、気に入らないわ。だってお前、盗人じゃないの」  短く言い放つと、プルーデンスは舷梯をあがっていった。 [#改ページ]      二  オパリオンからアラニビカ島までは、風がよければ二日とかからない。その航海も数日前の嵐《あらし》が嘘《うそ》のような好天に恵まれ、順調だった。  しかしリーサ夫人は船に乗るや、早々に寝室に閉じこもった。船酔いがひどいオーギアが顔を土気色《つちけいろ》にして寝こんでしまったからだ。  リーサ夫人は用意してきた薄荷酒《はっかしゅ》を熱い湯でわって飲ませようとするが、オーギアはそれを口にすることすら嫌がる。リーサ夫人は息子につきっきりで、むずかるのをなだめたり、手を握ってやったりと忙しい。プルーデンスのことは目に入らない様子だ。  そうやってリーサ夫人がかいがいしく息子の世話をするほど、オパルス伯は機嫌を悪くした。息子の船酔いは、沿海州貴族として恥と思っているらしい。憂さばらしのように、船室にご機嫌うかがいに来た船長相手に一方的に喋《しゃべ》っていた。 「王都の貴族連中は、畏《おそ》れおおくも国王陛下も含め、エルナズレド海沿岸や西部沿海州の現状を理解されておらん。沿海州のことは我ら沿海州の貴族と海軍に任せるべきだ」  父のおさだまりの論を聞き流し、プルーデンスは船室をでて甲板にあがった。  女中はついていない。彼女の身分なら、乳母か女中が常にそばにいてもおかしくないのだが、プルーデンスも女中たちも、そうすることを嫌った。  別にプルーデンスも、ひとりでいるのが好きというわけではない。去年、祖母が死ぬまでは、プルーデンスはいつも祖母と一緒にいたのだ。  祖母のエヴィケム夫人は、アラニビカ前大公の息女として、オパリオンの貴族に嫁いできた女性だった。教養以上の学識をそなえた貴婦人で、プルーデンスにさまざまな学問の手ほどきをしてくれた。歴史も数学も文学も、すべて祖母が教えてくれた。  エヴィケム夫人は女主人として、邸《やしき》のあらゆる鍵《かぎ》を管理していたが、本来は子供を入れない邸の図書室や地下室にも、プルーデンスを入れてくれたものだ。幼いプルーデンスにとって、それほどれほど心躍る冒険だったろう。  プルーデンスは本当に祖母が大好きだった。祖母が病に伏したとき、プルーデンスは毎日神殿にかよい、祖母の恢復《かいふく》を神に祈った。  それでも祖母は死んでしまった。  神々に絶望したなどと、不信心なことを言うつもりはない。ただ、神々はもういないのだという事実だけが、わびしく実感された。もしかすると神々は今でも世界のどこかにいるのではないかと、プルーデンスも幼いころは空想していたのに。  プルーデンスは甲板をまわる。彼女の靴は繻子《しゅす》をはった繊細なもので、足底もやわらかい。それでもひとりで歩くプルーデンスには、自分の足音がやけにかたく聞こえた。  エヴィケム夫人が死んで、リーサ夫人が伯爵家の新たな女主人となった。だがリーサ夫人は、エヴィケム夫人が管理していた邸の鍵のすべてを、いまだに把握していなかった。無数にある衣装や食器、亜麻《リネン》類の管理も、おぼつかない。  もともと、無邪気で単純なリーサ夫人は、聡明《そうめい》なエヴィケム夫人とは折り合いが悪かった。リーサ夫人は、家政についてわからないことがあっても、エヴィケム夫人と仲がよかったプルーデンスには、けっして助けを請おうとしなかった。  春の晩餐《ばんさん》用の食器が見つからなかったときは、リーサ夫人は夫のオパルス伯に新しい食器の一揃《ひとそろ》いをねだって解決した。祖母とプルーデンスのお気に入りだった瑠璃《るり》色の春の食器は、花模様の食器にとってかわられた。  新しい春の食器を見るたび、祖母との思い出が傷つけられただけでなく、母からの不信を思いしらされるような気がして、プルーデンスは心を重くした。  母との関係がうまくいっていないのは、寂しいことだった。プルーデンスは、母が嫌いだから祖母を好きになったわけではない。リーサ夫人の周りにただよう花の香りや、彼女の優しく甘い声色が、プルーデンスは好きだった。  リーサ夫人にしても、実の娘であるプルーデンスを積極的に嫌っているわけではなかったろう。しかしリーサ夫人にとって、プルーデンスは一緒に花や音楽の会話ができるような愛らしい娘ではなかった。そして自分の好みとあわないものとどう向きあえばいいか、彼女は考えることがなかった。  父親はプルーデンスに無関心だし、勉強嫌いの兄は以前から妹を嫌っている。  祖母が死ねば、自分は家族の中で孤立するかもしれないと、プルーデンスは以前から予想していた。それにしても、見事に予想どおりになってしまったものだ。  プルーデンスは薄い唇をきゅっと引き結ぶ。  甲板をさらにまわると、弦の音が聞こえてきた。見ると、甲板の隅に小さな人垣ができている。どうやらプルーデンスの家の若い女中たちが集まっているらしい。  女たちの輪の中で歌っているのは、蒼《あお》い衣の吟遊詩人だ。港でのように声を張りあげず、囁《ささや》くように口ずさんでいるだけだが、吐息がまじる歌い方にかえって惹《ひ》かれるのか、女中たちの頬《ほお》の染まりぐあいは港のときよりも濃かった。 「——あぁ、本当に素敵ですわ、オスカー殿!」  歌い終わると、美人のエリカがため息をついて叫んだ。いちばん若いカルミアも、目を潤ませてうなずく。 「アラニビカ島では大公様の宮殿に、私たちと一緒に滞在するのでしょう?」 「旦那《だんな》様や大公様のためだけでなく、私たちのためにも歌ってくださいましね」 「お望みのままに。私の歌がお気にめしたのなら、光栄だ」  プルーデンスは帆柱の陰から進みでた。 「お前たち。お兄様のぐあいがよくないのにこんなところで油を売ってていいの?」 「……ま。お嬢様」  女中たちは顔を見あわせると、プルーデンスの目の前で露骨に眉《まゆ》をひそめた。  使用人たちは仕える主人の家族関係にさといものだ。プルーデンスが両親や兄に軽んじられていることにもちゃんと気づいていて、こうしてあからさまな態度をとる。  けれどプルーデンスは、ひるまずにその場に立っていた。 「——失礼いたしました、プルーデンス様」  やや経ってから、エリカたちはようやく頭をさげると、足早にその場を去っていった。  プルーデンスと蒼い衣の吟遊詩人だけが、その場に残った。  詩人は今の一幕をどう見ていたのか。プルーデンスは詩人を見たが、その落ちついてすました表情からは、なにも読み取れなかった。 「お前、オスカーなんて嘘でしょう。あの赤毛の男が本物のオスカーだったのよね」  プルーデンスは言ってみた。詩人は肩をすくめる。 「とんでもない。私が本物のオスカーですよ、プルーデンス様」 「様なんてよして。見てたでしょ、私は自分の邸の女中たちにも尊敬されていないのよ。どうせ私の言うことなんて誰もまともに取りあげないから、だから私には嘘はやめて。正直に言いなさい。お前が、お父様がオスカーに送った手紙を盗んだのね」  詩人がプルーデンスを見つめる黒い目が、少し変化した。春になって水がぬるむように、なめらかさが増したように感じられた。  やがて詩人はくすっと笑った。 「わかったよ、プルーデンス。そうだね。オスカーには悪いことをした。だが、なぜあなたにそれがわかったのか、尋ねてもいいかな?」 「だってお前、怪しいもの。『蒼い衣の吟遊詩人』は名づけられることを拒んだ精霊よ。とても美しい声をしているけれど、流浪を運命づけられて帰る場所を持たないんですって。だから吟遊詩人がこの古い精霊にあやかって蒼い衣をまとうときは、敬意を払って、自分の名前や故郷を捨てると聞いたわ。お前も、もし神話の詩人を真似《まね》ているなら、オスカーなんて名前で売りこむはずがないのよ」 「よく知ってるね。吟遊詩人が蒼い衣をまとうことは、最近は少なくなったのに」  かつては蒼い衣を身につけて放浪した吟遊詩人たちも、国境や都市の城門で通行手形が厳しく要求されるようになるにつれ、しだいに数を減らしていたのだ。 「お祖母《ばあ》様が博識でいらしたの。吟遊詩人の歌にも興味がおありで、詩人が減っていくとともに、彼らが口伝えに残す神話や歴史も消えていくと嘆いておいでだったわ」 「見識の高い御方だ」 「えぇ。でも関係のない話はここまでにしましょう。お前を怪しいと思ったのには、名前以外にも理由があるのよ。——お前、契約書にちゃんと署名せずに、×印を書いていたでしょう。もしかして、読み書きができないんじゃないの?」  詩人は肩をすくめた。 「たしかにそうだよ。私はきちんとした教育を受けていないからね。でも読み書きができない人なんて珍しくもない。怪しいとは思わないが」 「それだけなら、そうね。でも本物のオスカーは、お父様に手紙の返事を書いているのよ。文字が読めないはずがないわ」  蒼い衣の吟遊詩人は黙りこんだ。けれどプルーデンスを見つめる目は、明らかに今の状況を楽しんでいるふうだった。  プルーデンスは彼の胸の下から、その黒い瞳《ひとみ》を鋭く見返して詰問した。 「お前の目的はなに? 言いなさい」 「もちろん、アラニビカ島にある鳥の塔を見たいからだよ」  詩人はさらりと答える。 「空高くを飛びつづけた、風の霊鳥——その霊鳥が羽を休めたと伝わるのが、鳥の塔の最上階にあるという星の泉だ。塔の内部に立ち入ることはできないらしいが、せめて建物だけでも見たいと思ってね」 「私を馬鹿《ばか》にしないで。アラニビカ島に渡って鳥の塔を見るだけなら、人のものを盗んでまでオスカーを騙《かた》る必要はないでしょ。普通に巡礼すればいいだけよ。お前はお父様についてアラニビカの大公様に近づくことが目的なんだわ」 「大公殿下は老人だよ、プルーデンス。私の興味の対象ではないね」 「そんな言い方したりして。信じてあげないわよ」  詩人は笑って、小さく楽器をつま弾いた。港でも奏でた、風の霊鳥を讃《たた》える歌だった。  鳥の塔は五角柱の形をした古い塔だ。塔の最上階には泉がわいていると伝わる。太古の昔、風の霊鳥ナサイアはこの泉の水を飲みに、塔におりたったと言う。  この泉は、星の泉と呼ばれていた。星の光が集まって水となり、わきでているのだと吟遊詩人たちは歌うが、実際に泉を見た者はいない。霊鳥がおりたつ神聖な塔に人が立ち入ることは、かたく禁じられているためだ。  地上の人間には、塔の最上階から水が流れ落ちる様子を目にすることだけができた。  それでも高い塔の上から流れ落ちる水は、精霊が去った今も残る奇跡として、多くの人の信仰を集めていた。人々は、奇跡をとどめるこの塔になら、精霊もふたたびおりたつかもしれないと思っていたのだ。  この鳥の塔を守っているのが、アラニビカ島の統治者であるアラニビカ大公である。  鳥の塔には入り口がない。塔の地下にある広い迷宮を通り抜けて、塔の内部に入る。迷宮の正しい道は、大公にのみ伝わっているとされていた。  プルーデンスは詩人につめより、詩人を見すえた。 「お前の目的は、本当に鳥の塔かもしれないわね。鳥の塔に続く迷宮の道を、大公様から探ろうとしているんじゃないかしら。——ねぇ、お前はどこかの間者《かんじゃ》ではないの?」  詩人は黒い瞳をみはった。 「精霊の伝説から、いきなり話が飛躍していないかい、プルーデンス?」 「していないと思うわ。いい? 昔からいろんな国がアラニビカ海峡を手に入れようとしてきたのよ。アラニビカ海峡は、大陸に大きく入りこんだ内海のエルナズレド海と、外海を結ぶ海上交通の要衝ですもの」  特に西方諸国《ファルゲスタン》は、フィリグラーナと違って国内に大きな穀倉地帯を持っていない。主食の小麦は、主にエルナズレド沿海からの輸入に頼っている。彼らにとって、エルナズレド沿岸の穀倉地帯を死守するのは当然として、それを輸送するためにアラニビカ海峡をおさえておくこともまた、同じくらい重要だった。  双都オパリオンも今でこそフィリグラーナ領だが、かつては西方諸国の領土にもなったし、東西に分かれたこともあった。 「そして海峡の攻防に軍事拠点として不可欠なのが、ほかでもないアラニビカ島だわ」  アラニビカ島は、アラニビカ海峡をにらむ絶好の位置にある。しかもアラニビカ島は、海上交易の中継地として、莫大《ばくだい》な富を所有していた。多くの国々が、アラニビカ海峡だけでなくアラニビカ島をも手に入れようと、策略をめぐらせてきたのだ。  だがアラニビカ島は、一貫して独立を保っていた。アラニビカ海軍は、古来、風に恵まれることが多く、海戦にきわめて強かったのである。それもまた島にある鳥の塔の守護だと、特に迷信深い船乗りたちはアラニビカ島を聖地と見なしていた。  さまざまな国の人々が鳥の塔を訪れ、風の霊鳥ナサイアに祈りを捧《ささ》げる。領土こそ小さくても、富と軍事力、そして精霊の島として信仰を集めるアラニビカ島には、大国フィリグラーナも西方諸国もおいそれと手をだせなかった。 「でも迷宮の謎《なぞ》を解いて、鳥の塔にある泉の秘密を暴けば、精霊への信仰を削《そ》ぐことができるわ。同時に、鳥の塔を守る大公様の権威も地に落ちるわね。海戦をしかけるより、よほどましじゃないかしら。安あがりだし、兵士も民も死なないわ」 「たしかにね」 「私がどこかの国の偉い人ならとっくにアラニビカ島に間者を送ってるわ。間者には吟遊詩人のふりをさせるか、いっそのこと吟遊詩人を間者にしたてるのがいいわね? 素性がよくわからなくても、気にしない人が多いみたいだもの」  吟遊詩人は、これには苦笑のみで応じた。プルーデンスは続ける。 「アラニビカ島も魅力的だけど、鳥の塔から流れ落ちる水が、実際はどんな仕組みで高いところまでくみあげられているのか、その技術だけでも知りたい国は多いはずよ。だって井戸や農地の灌漑《かんがい》にも応用して使えそうじゃない? 特に西方諸国には有益よね。あの国々は農地が少ないんですもの」  吟遊詩人は小さくため息をつき、頭をふった。 「たいした頭の回りようだ。あなたはそんなに若いのに、本当に聡明だな」  吟遊詩人の声には、お世辞ではない称賛の響きがあった。  両親や兄なら、今のようにプルーデンスが意見を述べると『子供のくせに』とか『女の子なのに』などと言うだけだ。意見そのものはけっして聞いてもらえない。まして聡明だなどと、褒めてもらえたことはなかった。  今までプルーデンスの言葉をまともに取り合ってくれたのは祖母だけだ。  その祖母も、今はもういない。  吟遊詩人の言葉は、嬉しさを感じるよりもまず、プルーデンスを戸惑わせた。褒められたはずなのに、声から急に勢いが失われる。 「——頭がいいっていうのが褒め言葉になるのは男の人だけだわ。女の人は綺麗じゃなかったり、言葉遣いがきつければ、いくら頭がよくてもだめなのよ」  目を詩人からそらして、母の持論をそのままつぶやいた。詩人はプルーデンスの隣で肩をすくめたらしい。蒼い衣がわずかになびいた。 「賢い上に言葉遣いがきつい女性なんて、最高だと思うけどね」 「見えすいたお世辞なんてやめて。自分が意地悪で生意気な子供だってことは、よくわかってるわ。お母様もお父様もお兄様も、いつもそうおっしゃるもの」  プルーデンスは詩人を見ないまま答えた。詩人はもういちど肩をすくめたようだ。 「あなたはたしかに若いが、だからといって一人前の女性扱いしないだなんて愚かしいことだね。土からでたばかりの芽を見て、これは花じゃないから見る価値がないとでも言うようなものだ。それが植物であり、命であることには違いないのにね。浅慮なことだし、真剣に聞く必要はないよ。あなたはまだ小さな芽だが、その芽は鋭く堅くて生命力にあふれている。いつか絢爛《けんらん》と花を咲かせることだろう」  プルーデンスはさすがに呆《あき》れて、詩人を見あげた。 「詩人だけあって、本当に口がうまいのね。でも口がうまくなるほど、人からの信用はなくなるものよ。今さら遅いかもしれないけれど、覚えておいたほうがいいわ」 「——はははは!」  詩人は声をあげて笑った。歌声と同じに、ゆったりと響く心地よい声だ。  そのときちょうど帆が大きくはためいて、プルーデンスにはまるで詩人の笑い声が大空をゆく風を誘ったかのように感じられた。  見あげると、空の青があまりに濃くて、遠近感がわからないほどだった。空が近いというより、自分が空高くに上昇したかのような気がする。  その錯覚は、プルーデンスの気分をほんの少し軽くした。 「私はそろそろ戻るわ。お前も怪しい行動は控えるのよ。どうせお父様には信じていただけないから告げ口はしないけど、間者をかばうつもりもないんだから」  立ち去りかけたプルーデンスを、詩人が呼びとめた。 「プルーデンス。あなたは先ほど、塔の高いところまで水をくみあげる仕組みと言ったね。つまり鳥の塔にある泉は精霊の奇跡ではなく、人の技術の産物だと思っているのかな」  プルーデンスは細い眉をひそめた。 「私を不信心者って言いたいの? でも、そうね。私、星の泉なんて信じていないわ」  泉は大地の奥深くからわきでるものだ。建造物の最上階に泉がわきでるはずがない。かつては本当に塔の上から泉がわきでていたとしても、その奇跡もまた、神々や精霊とともに去ったに違いないのだ。 「では霊鳥ナサイアがふたたびこの世にあらわれて、鳥の塔におりたつとも思っていないのかい? この世界にも、数少ないとはいえまだ精霊が残っているよ」 「それは神々についていけなかった下級の雑霊でしょう? この世界からは奇跡の力が失われたのよ。そんなところには、ナサイアに限らず、神々も精霊も顕現されないわ。海が干上がっては大きな鯨《くじら》は自由に泳げないでしょう。それと同じよ」 「なるほど。うまいことを言うね」 「神々や精霊は遠い別世界にいらっしゃるのよ。……お祖母様は、神々は遠すぎて、神々への祈りは自分自身に対峙《たいじ》するようなものだとおっしゃっていたわ」  詩人が興味深そうにプルーデンスを見たが、プルーデンスは気づかずにいた。祖母を死なせないでほしいという必死の祈りも、ただ虚《むな》しかった。そのことを思いだして、プルーデンスは哀しみに胸を痛めていた。 「今では雑霊たちが、干潟の潮だまりに残った生きもののように、この世界の片隅に残っているだけよ。彼らは魔術師に使い魔として使役されているし、その魔術師は貴族やお金持ちに使われているわ。私も不信心者は好きじゃないけど、そういう人が増えているのはしかたないと思うこともあるの」 「そうだね」  蒼い衣の吟遊詩人はうなずき、海に目を向けた。そしてそのまま、プルーデンスの存在を忘れたように、じっと海を見つめていた。  プルーデンスには、その黒い瞳がわずかにかげっているように思えた。  あるいは彼は、波間を泳ぐ鯨を探していたのかもしれない。  彼をひとりにして、プルーデンスはその場をそっと立ち去った。 [#改ページ]      三  アラニビカ島は、大陸西部の沖に浮かぶ大きな島だ。  島の中心都市はトゥスム。島を治める大公もこの都市に住む。海岸線も含めて周囲を堅固な城壁でかこみ、軍港、商港、漁港と、いくつもの港をそなえた大都市である。  都市は黄褐色の石材でつくられていた。箱形の家々が積み木をばらまいたように無秩序に並ぶ中に、廻廊《かいろう》をそなえた広場や、丸天井を持つ神殿や貴族の邸《やかた》が点在している。  中でもひときわ大きな丸屋根と尖塔《せんとう》が目立つ建物は、トゥスム宮と呼ばれていた。アラニビカ大公が住まう宮殿だ。  また宮殿のそばには森に覆われた丘があり、石造りの都市にやわらかな印象を加えていた。丘には細い階段があり、丘の上へと続いている。  そしてこの丘の頂上に建っているのが、アラニビカ島の象徴である、鳥の塔だった。  プルーデンスたちの乗った船がアラニビカ島に到着したのは、夕暮れ時だった。都市は夕陽を受けて一面赤みをおび、黄昏《たそがれ》の燃える空に溶けいってしまうかに見えた。  その見事な眺めに、プルーデンスをはじめ船客はみな船の手すりにとりついて、日が沈む前のわずかな時間の幻想的な風景を楽しんだ。  目を都市の中心部へ向けると小さな丘があり、頂上に塔が建っているのが影絵のように浮かんで見えた。きっとあれが鳥の塔だ。プルーデンスは目をこらしたが、輪郭線以外はよくわからなかった。 (なんとかして訪ねたいけれど、機会はあるかしら)  もっとよく見ていたかったが、これからますます暗くなる。それに船をおりる準備をしなければならない。プルーデンスはしかたなく船室に戻った。  船室ではリーサ夫人が、侍女に手伝わせて身支度をしていた。 「まぁ、プルーデンス。早く支度をなさい。おとなしくして、可愛らしくするんですよ」  リーサ夫人が身につけたのは若草色の衣装だ。裾《すそ》は長く引かれ、袖《そで》は肘《ひじ》から先にかけて優雅に広がっている。金の飾り帯をしめ、髪には小ぶりの薔薇《ばら》をあしらっていた。 (お母様、お綺麗《きれい》だわ)  プルーデンスは誇らしく母親を眺めた。  一方、プルーデンスは明るい黄色の衣装を身につけた。袖の部分に花模様を透かし織りにした可愛らしい衣装だが、黄色は彼女の肌や瞳の色にまったくなじんでいない。  女中のエリカが、プルーデンスの髪にも新しい花を飾る。ひな菊はリーサ夫人の好きな花だったが、彼女はしあがったプルーデンスを見ても無言だった。  港にはアラニビカの青年貴族が一行を出迎えにきていた。大公家の馬車を連ねて大公宮に向かうころには、とっぷりと暗くなって、鳥の塔は見えなくなっていた。  大公宮はアラニビカ島の政庁を兼ねている。トゥスムの都市と同じく黄褐色の石造りの広壮な建物だ。噴水のある庭には、多くの花や果樹が植えられていた。  一同は案内されて大広間に通された。  側廊に囲まれた大きな部屋だ。高い丸天井は青く塗られ、風の精霊ナサイアの姿が銀色で描かれていた。  広間を入ってすぐのところに部屋の幅いっぱいを使った広い階《きざはし》があり、その上に数人の背の高い男たちが居ならんでいる。皆、このアラニビカ島の貴族であり、政務官でもある男たちだ。 (なるほど、高い場所から来賓を迎えて、威圧感を与えるつもりなのね)  プルーデンスは皮肉にもそんなことを考えた。  男たちの中央に、燃え立つような金朱の長衣を着た老人が立っている。  アラニビカの現大公、アンドラーシュだ。  老人といっても背はまっすぐに伸び、肩も厚い。髪は既に白かったが、鋭い視線はアラニビカ島の統治者として、島のすみずみまでにらみをきかせているのだとうかがわせた。  アンドラーシュは前に進みでると、長い金朱の衣の裾を引いて、低い階をおりてきた。  そうやって黄褐色の石造りの階に立っていると、まるで大公が炎で、部屋は大公の放つ光に照らされているかのように感じられた。 「——大公殿下。お久しゅうございます」  膝《ひざ》を折りかけたオパルス伯を、アンドラーシュ大公は鷹揚《おうよう》に手をあげ、とめた。 「エルク。そのようなあらたまった態度はどうかやめてくれ。我々は伯父と甥《おい》の間柄、しかもこたびのそなたの来訪は、私の妹でありそなたの母であるエヴィケムの魂を安らがせるためではないか」 「伯父上」  ふたりとも役者だと、プルーデンスは思った。このふたりが会うことは滅多《めった》になく、伯父と甥といった親しい感情はないはずだ。  大公の妹エヴィケムが、フィリグラーナの有力貴族であるオパルス家に嫁いだのは、前アラニビカ大公、つまりプルーデンスの曾祖父《そうそふ》の意向だった。この婚姻のおかげで、現在のアラニビカ島はどちらかといえばフィリグラーナよりの立場を取っている。だがアラニビカ島にとっては西方諸国《ファルゲスタン》も大切な商売相手であり、現在の大公アンドラーシュはしたたかに、フィリグラーナと西方諸国のあいだで慎重に中立を保っていた。  父が今回アラニビカ島を訪れたのは、表向きは祖母の形見を故郷に納めることではあったが、本当の目的はフィリグラーナとアラニビカの友好関係を再確認し、老獪《ろうかい》なアンドラーシュ大公の真意を探ることにあるのではないかとプルーデンスはにらんでいた。  そもそも『西方諸国』というのは、古王国フィリグラーナがエルナズレド海より西方にある新興の小王国群をそう言い習わしているだけのことだ。彼らは大国フィリグラーナと対抗するために協定を結んでいるが、その連合はゆるやかで、思惑も国によって違った。  王都にいるフィリグラーナ国王が、このところ西方諸国に対して横車を押すような無茶な要求をしているとも伝えきいている。このままフィリグラーナが強硬な態度を取りつづければ、西方諸国の団結は強まるだろう。そうなれば、いくらフィリグラーナが大国とはいえ、西方諸国はけっして侮《あなど》れない相手となる。  そして西方諸国と戦《いくさ》ということになれば、両者のあいだにあるエルナズレド海での海戦は避けられない。そのときにはアラニビカ海軍の動向が重要になってくるはずだ。 (でもフィリグラーナの王都は内陸にあって、国王陛下は陸軍と親しくしていらっしゃるわ。お父様は海軍の提督閣下とは懇意でいらっしゃるけど、王都との足並みは揃《そろ》っているのかしら?)  豪放な海の男を自任するオパルス伯は、微妙な交渉ごとは得意ではない。アンドラーシュ大公相手に隙《すき》など見せれば、あっという間にひっくり返されそうだ。  そんなことを思っている間に、大公は自分の息子たちを紹介し、リーサ夫人やオーギアとも挨拶《あいさつ》を交わしていた。  大公がプルーデンスのほうに顔を向けると、プルーデンスは落ちついて、教えられているとおり膝を折って挨拶した。 「はじめまして、アンドラーシュ大伯父様。プルーデンスでございます。お目にかかれて嬉しく存じます」 「プルーデンスか。……そなたの口調には、どこかエヴィケムを彷彿《ほうふつ》とさせるものがあるな。ふしぎなことだ、嫁ぐ妹を見送ったのは、もう四十年もの昔だというのに」  プルーデンスは顔をあげた。  アンドラーシュはプルーデンスを見下ろして微笑していた。その瞳《ひとみ》が祖母と同じ濃い琥珀《こはく》色であることにプルーデンスは気がついた。  視界の端《はし》に見える両親は、少し戸惑っている。ここででしゃばれば、また母の機嫌を損なうかもしれない。けれどプルーデンスは抑えきれずに、アンドラーシュに答えた。 「私、お祖母《ばあ》様とはいつもご一緒していただいてましたから」 「ほう」 「お祖母様には、多くのことを教えていただきました。アラニビカ島や鳥の塔のお話もしてくださって、私もずっとこの島に憧《あこが》れておりました」  大公は目を細めた。 「そうか。そなたとはゆっくりとエヴィケムの思い出を語り合いたいものだな」 「はい。ぜひ」  うなずくと、大公はプルーデンスの前からはなれていった。  ひととおり挨拶がすむと、一同は宴《うたげ》の席についた。大公家の召し使いが琥珀色の葡萄酒《ぶどうしゅ》を皆についでまわる。プルーデンスとオーギアには、果実酒を蜜《みつ》と冷たい水でわったものが用意された。 「天候のため、そなたたちがやってくるのが遅れてしまったが、明日はさっそく占い師に命じて、儀式を執りおこなうにふさわしい吉日を決めよう」  大公が、隣の席に座ったオパルス伯に言った。  故人の遺品を故郷の霊廟《れいびょう》に納めるのは、エルナズレド海沿岸から西方諸国にかけての大陸西域で古くから行われている風習だ。この地域は商業が盛んで、海路も含めてさまざまな国や民族の人々が移動してきた。客死する者も多かった。遺体を故郷に埋葬できなかった人々のために、こんな風習が生まれたのかもしれない。  この風習は嫁いで故郷をはなれた女性についても同じように行われていて、遺品のすべてではなくても、愛用の品、あるいは故郷の思い出につながる品を数点、実家に納めるよう遺言を残す女性は多かった。もともとこの地域では、財産管理はこまかくされ、妻の財産も夫の勝手にはできなかったのである。 「そのことですが、伯父上。母の魂を慰めるために、私も王都から吟遊詩人を呼び寄せました。母はフィリグラーナの楽も好み、自分でもたしなんでおりましたから」 「それはありがたい心遣いだ。エヴィケムも喜ぶだろう」  オパルス伯が手を軽くあげると、蒼《あお》い衣の吟遊詩人があらわれ、部屋の隅に立った。その蒼い衣を見て、アンドラーシュ大公が興味深げに眉《まゆ》を開く。  詩人は軽く目礼しただけで、弦を奏ではじめた。  艶《つや》やかな声で歌いだしたのは、アラニビカ島を讃《たた》える歌だ。  アラニビカ島の吟遊詩人が、異国の王都で初夏を迎える。街路樹の新緑もみずみずしい王都の風景も、アラニビカ島育ちの詩人の目からすればくすんだようで、哀れなばかり。故郷の島、海に臨む斜面には木の実もたわわに、花は咲き鳥はとよもして啼《な》く。太陽輝くアラニビカ島こそ、豊かにうるわしい。この島の初夏の美しさを、王都の人にも歌いきかせよう——おおよそ、そんな筋書きの歌である。  大公もアラニビカ貴族たちも、両親も、みな杯をかたむけることも忘れて、息さえひそめて詩人の歌に聴きいった。しきりに鳴きかわしていた夜啼鳥《ナイチンゲール》まで、詩人の歌に遠慮して声を低めたようだ。 (この男は信用ならないけど、たしかに蒼い衣を身にまとっているだけのことはあるわ)  見ると、そこかしこの円柱の陰に、オパルス家の従者や女中、それに大公家の召し使いたちがたたずみ、同じように歌に聴き惚れている。  歌が終わると、皆がいっせいにため息をもらした。 「……すばらしい。アラニビカは鳥と吟遊詩人が集う島だが、この私もこれほど見事な歌を聴いたことがない。妹の魂も、そなたの歌に深く慰められることだろう」  大公が言った。貴族たちもうなずき大公に同意を示したが、けっしてお追従《ついしょう》ではなさそうだ。詩人は先よりも少し深く頭をさげ、謝意を表した。 「だが詩人よ、どうか今宵《こよい》は生ける我らを楽しませるために歌ってくれ。——宴を始めよう。酒と食事を」  大公は立ちあがり、杯をかかげる。それを合図に、銀の大皿が次々に運ばれてきた。  海洋国らしく、まずは海の幸が並べられる。貝や野菜、木の実などを刻んだものを腹に詰めた魚の焼きものに、巨大な海老を酒蒸ししたもの、濃厚な海亀《うみがめ》のスープ。  他にも熱い油がしたたる羊の炙《あぶ》り肉に、鶏肉のパイ、豆料理などが次々に運ばれた。  最初の曲を披露したあとは、蒼い衣の吟遊詩人は宴の妨げにならない、軽い曲ばかりを歌っていた。人々は詩人の歌に耳をかたむけつつも、互いの会話も自然とはずませて、終始和やかな雰囲気だった。誰もがくつろいで、リーサ夫人でさえプルーデンスに微笑みかけていたほどだ。  食後の酒が供されたころ、アンドラーシュ大公が言った。 「ところで、エルク。エヴィケムは、どのような品をこの島に納めようとしたのだろうか。妹を思いだすよすがとして、見せてはもらえまいか」 「もちろんです、伯父上」  オパルス伯は従僕に目で命じた。すぐに房飾りの付いた布で覆われた長櫃《ながびつ》が運ばれて、一同の前にすえられる。  長櫃を開けると、中にはさらに小さな箱がいくつも納められていた。それぞれ趣向をこらした細工の箱だ。箱のひとつを開けた途端、リーサ夫人が声をあげた。 「——まぁ、なんて美しい透胎七宝《とうたいしっぽう》の髪飾りでしょう! エヴィケム様が、こんな素敵な品をお持ちだったなんて」  取りだしたのは、本物かと見まごうほど精巧なつくりの花の髪飾りだった。本物と違うのは、花弁が淡い虹《にじ》色をしているくらいだろうか。 「あぁ、それは私も覚えている。亡き母が、エヴィケムがはじめて髪を結いあげたときに贈ったものだ。……これは霊廟の、母の墓標のそばに納めてやろう」  大公が、わずかに湿った声でつぶやいた。  リーサ夫人は興にのって、次々に箱を開けていく。人々の前に披露される品はいずれもアラニビカの姫の持ち物にふさわしい、ため息を誘うような見事な品ばかりだった。 「あら、これは——かわった意匠の胸飾りね。腕輪も一緒に箱におさまっているわ。対《つい》の装身具かしら?」  細長い箱の中にあったのは、まずひとつは、手のひらにおさまるくらいの五角形のメダイヨンだった。メダイヨンの中心には、同じく五角形の穴がくりぬかれている。  メダイヨンは鎖をとおして胸飾りにするのだろうが、今は鎖はつながっていなかった。他の装身具とは違って宝石などは嵌《は》めこまれていない。かわりに、片面には五角形の辺と平行に溝がいくつも刻まれていた。溝はところどころで隣の溝とつながったり、いきどまりになって、複雑な紋様となっていた。  一見して、五角形の外から中の空洞部分へ通じる迷路のように見えた。  そのメダイヨンを見て、アンドラーシュ大公をはじめとするアラニビカの貴族たちが声もなくどよめきたった——ように、プルーデンスには感じられた。  そしてプルーデンス自身も、メダイヨンに目と心を奪われていた。  しかしリーサ夫人は周囲の雰囲気に気づかなかったようで、それを手にとって、もういちど首をかしげた。 「軽いわ。黄金ではないのね。それにこちらの腕輪も、どうやら真鍮《しんちゅう》製だわ」  箱に納められていたもうひとつの品は、腕輪だった。といっても完全な輪ではなく、円環の一部をすぱりと切り取ったような形をしている。切れこみの箇所では、浮き彫りになった二頭の雄牛が向かいあい、角をつきあわせていた。  片方の雄牛のほうがやや身体《からだ》が大きく、もう一方を威嚇するように角をあげている。小さいほうの雄牛はやや頭をさげていた。浮き彫りに厚みがあるせいか、つきあわせた角はそれぞれ小さな突起となって断面からつきでている。  黄金ではないとわかったせいか、リーサ夫人は明らかに関心を失っていた。 「面白いね。私にも見せてもらえないだろうか」  突然、リーサ夫人の背後から手が伸びたかと思うと、五角形のメダイヨンを取りあげた。 「これは護符だね。風の精霊ナサイアが羽を休める鳥の塔をかたどったもので、同じようなものを船乗りがよく持っているよ。片面にこんな迷路のような模様があるのははじめて見たけれどね。だが鳥の塔の迷宮を守る大公家の姫が輿入《こしい》れの際に持たされるには、ふさわしい品ではないかな」  護符を手にしていたのは、蒼い衣の吟遊詩人だ。貴婦人の耳元で囁《ささや》くなど無礼なことだろうが、リーサ夫人は耳元で響いた詩人の声に、ただ顔を赤くしていた。 「もしかするとその護符の模様は、アラニビカ大公にだけ伝わる、鳥の塔の迷宮の道を示しているのかもしれないぞ! だったらすごい秘密だ!」  オーギアがなんとも不用意に叫んだ。居ならぶアラニビカの貴族たちは顔を見あわせて失笑したが、アンドラーシュ大公は寛大に笑った。 「もちろんその護符は、鳥の塔をあらわしたもの。妹の婚礼に際し、亡き父が妹に持たせたものだ。——だがメダイヨンの紋様が迷宮の経路をあらわしているとしても、その護符の紋様を辿《たど》ったところで鳥の塔の扉は開かない。迷宮は正しい道を正しい順序で通っていかなければ、塔の扉を開けることはできないのだ」  大公の口調には、わずかに嘲笑《ちょうしょう》がこめられているようでもあった。プルーデンスが父親のオパルス伯を見ると、彼はわずかに眉をひそませている。 「……なんだぁ」  気が抜けたらしいオーギアを見て、オパルス伯はますます眉間《みけん》のしわを深めた。 「迷宮とは至宝を守るために知恵をめぐらせたもの。単純に解けるものではない」  プルーデンスは、誰も見向きもしていない、雄牛が向きあう腕輪を手に取った。 「五角形のメダイヨンが鳥の塔のあるアラニビカ島をあらわしているなら、こちらの雄牛の腕輪は、アラニビカ海峡の象徴じゃないかしら」  プルーデンスの言葉には、詩人だけがうなずいた。 「そうだね。金の雄牛はアラニビカの守護神獣だし、アラニビカ海峡は二頭の向かいあう雄牛に喩《たと》えられる。東岸のほうが大きいが、この腕輪の雄牛も片方が少し大きいね。五角形のメダイヨンが花嫁の故郷の護符なら、こちらの雄牛の腕輪は、嫁ぎ先でも土地の守護を受けられるようにと祈りをこめて持たされたものだろう」 [#挿絵(img/AFDPG_057.jpg)入る]  吟遊詩人は手にした五角形の護符を、その縁《ふち》までも子細に眺めた。 「……古くなって、欠けた箇所があるな……いや、これは文字が書いてあるのかな」 「なんだと?」  オパルス伯が小さく叫び、アンドラーシュ大公もぴくりと眉をあげた。  詩人は肩をすくめる。 「失礼。なにか文字の一部のように見えるというだけだ。私には読めないよ」  アンドラーシュ大公とオパルス伯が揃って手を伸ばしかけ、ためらって、牽制《けんせい》しあうようにお互いの顔を見た。  その隙に、プルーデンスが詩人の手から護符を取った。 「お前の言うとおりだわ。一見ひっかき傷のようだし、字間も広く取ってあるからわかりづらいけれど、どうやら文字の下半分だけのようね。でも意味はつかめないわ」  皆がプルーデンスを見つめていたが、護符を取ろうとする者はいない。卑賤《ひせん》な吟遊詩人と幼い少女の言葉を、どれほどまともに取り合うべきか、迷っているふうでもあった。誰も邪魔しないのをいいことに、プルーデンスは好きなだけ五角形の護符を観察した。 (これはフィリグラーナ語ね。……でも古い字体だし、文字が下半分だけだからなんの文字だかわかりにくいわ。母音の記号がわかればいいのだけど)  いいかげん退屈したのだろう、オーギアがややわざとらしくあくびをかみ殺した。リーサ夫人は愛しげに息子の金髪をなでてやる。 「そろそろ子供たちは寝る時間ですわね」 「そうか。うむ。そうだな」  生返事をしたオパルス伯に、アンドラーシュ大公も言い添えた。 「そなたたちも船に長く乗って疲れたろう。今宵はゆっくりと休むがいい」 「はい。これらの品もいちど片づけましょう。母の思い出話は、またあらためて」  オパルス伯が手をふると、従僕たちが遺品を片づけて長櫃に納めだした。 「今宵は私のごく親しい友人たちで内輪にそなたたちの来訪を迎えたが、明日にはこの島の他の実力者も招待して、盛大な宴をもうけようと考えている。昼間にも、非公式にだがオパルス伯をお訪ねしたいと、多くの者が私に使いをよこしているのだ」 「それは光栄です。アラニビカ島の方々には、私のほうからお近づき願おうと思っていたくらいですから」 [#改ページ]      四  翌朝、プルーデンスは早くに目を覚ました。  プルーデンスに与えられたのは、小さいながらも華やかなしつらえの部屋だった。床に敷かれた絨毯《じゅうたん》は、淡い薔薇《ばら》色と青。寝台には四隅に柱があり、天蓋《てんがい》から白い薄絹のとばりがおろされている。プルーデンスは起きあがると、とばりを開け、窓辺に歩みよった。  まだ朝も早いアラニビカ島の風景は、昨日見た夕暮れ時のそれよりもさらに美しかった。爽《さわ》やかに乾いた空気に、青い空と海、黄褐色の街並みがあざやかに浮かびあがっている。  けれども方角が違うのか、都市の中央にある丘と鳥の塔は見えなかった。  窓辺をはなれると、プルーデンスは自分ひとりで着替え、髪の毛を整えた。  その日着ようと選んだのは、霧にけぶる森のような淡い緑灰色《りょくかいしょく》の衣装だ。袖《そで》や裾《すそ》の周りには常緑樹の色の細い飾り布をあしらってある。まだ祖母がいたころ、プルーデンスが祖母と一緒に生地を見たてたもので、この色をまとうと自分の瞳《ひとみ》や肌の色が冴《さ》えて見えるような気がして、プルーデンスはとても気に入っていた。  しかしリーサ夫人は、色が地味だという理由でこの布を好んでいなかった。手触りがよく、どこにだしても恥ずかしくない衣装に仕立てられた生地だが、結局は簡素な衣装にぬいあげて日常着にしている。 (今日は夜まで予定がないんだもの。これでいいわ)  それから女中のカルミアが運んできた朝食を食べ、両親の部屋に挨拶《あいさつ》をしに向かった。  両親の滞在する部屋は、さすがにプルーデンスの部屋よりも豪華だ。居間と寝室の続き部屋で、両部屋とも大きなテラスをそなえている。居間の手前にはさらに控えの間があって、本来ならオパルス伯の従者がそこにいるはずだが、今は誰もいなかった。  プルーデンスは従者を呼びもせず、さっさと控えの間を通りすぎる。控えの間と奥にある居間のあいだは、仕切り壁があるだけで扉はない。居間に入ろうとすると、奥で父親が誰かと話しているのが聞こえ、プルーデンスは立ちどまった。 「——ラディックス殿にこの書状を。大切なものだからな、必ずご本人に手渡すのだ。詳しくは今夜お話しするとも伝えよ」  相手はどうやら父の従者らしい。そしてラディックスという男は、幾度かオパリオンのオパルス邸を訪ねてきたこともある、フィリグラーナ海軍の下士官だ。 (ラディックス様がアラニビカ島に来ていらっしゃるのかしら)  そして夜というのは、大公が催す今夜の宴のことだろうか?  ちらりとのぞくと、祖母の形見である五角形の護符を入れていた箱が机の上に置かれていた。父が取りだして見ていたのか、護符は箱の外にある。  プルーデンスは直感的に、今、父の部屋に入るのはまずいと思った。足音を忍ばせて引き返し、廊下から両親の寝室に向かった。  朝に弱い母は、まだ絹のとばりをおろした寝台の中にいた。 「おはよう、プルーデンス。ずいぶん早いのね。私は船旅の疲れがまだ取れないわ」 「大丈夫ですか、お母様。今日はゆっくり休まれてください」 「でも今日は、朝からお父様にお客様が大勢いらっしゃる予定で寝ていられないの。あなたも顔をだしてお客様にご挨拶を——」  そこまで言いかけたところで、母の侍女が朝食を運んできた。母を起こし、銀の盆を寝台にすえる。プルーデンスはその隙《すき》に、部屋から退出した。  客に挨拶するとなれば、また似合わない衣装を着せられるだろう。それを思うと気が重かった。父と客人の会話は興味深いが、意見を口挟めないのが堅苦しい。 (……抜けだしてしまいましょう)  母の言葉は聞かなかったことにしよう。  プルーデンスはそう思いついた。どうせ自分がいなくても誰も困らない。心配したり、探したりすることもないのだ。  それよりも、いい機会だから鳥の塔に行こうと考えた。  トゥスム宮の間取りや街への道は、おおまかになら推測できた。プルーデンスは幼いころから、ものの仕組みや構造を理解するのがきわだって早かったのだ。また人の視線や動線を本能的に察知することにも長《た》けていて、目立たずに行動することが得意だった。  プルーデンスはさっそく脇《わき》の部屋にするりと入りこんだ。廊下を歩くと足音が響くし、人目に立つからだ。円柱の陰をとおって部屋をいくつか抜け、使用人たちが使う細い階段を、誰かがやってこないか耳をすませながら、階下におりた。  階段の近くにあるのは厨房《ちゅうぼう》のようだ。女中の声が聞こえたので、プルーデンスは植木の陰に身を隠した。  喋《しゃべ》っているのは、どうやらオパルス家の女中のエリカと、大公家の女中たちらしい。 「あの背の高い、蒼《あお》い衣の吟遊詩人さん。さっき朝食を取りに来て、そのあとでていったわ。アラニビカの市場が見たいんですって」 「本当に綺麗《きれい》な声。フィリグラーナの吟遊詩人も素敵ねぇ。でもあの肌の色は、フィリグラーナの人ではないわよね。いったい、どこの生まれなのかしら?」  吟遊詩人が話題らしい。プルーデンスは反射的に耳をすませた。 「詳しくは知らないわ。——でもひとつ確実にわかるのはね、詩人さんのあの浅黒い肌は日焼けじゃないわよ。服の下も、全部あの色だったもの」  エリカが思わせぶりな口調で答えた途端、女たちは高い声をあげて笑いあった。 (……まぁ!)  なぜだか不愉快になってしまい、プルーデンスは足早にその場をはなれた。  いったん裏口から外にでて、花咲く庭園の木陰をつっきる勢いで抜ける。  通用門はすぐに見つかった。厚い石壁を、馬車が通れる分だけ隧道《すいどう》のようにくりぬいた様式になっている。朝の忙しい時間は行き来する者が多いのだろう、門はあいたままだ。しかもひとりしかいない門衛は出入りの商人らしき男と話しこんでいる。なお好都合なことに、行商人は大きな荷車を引いていた。商人は用事が終わって帰るところなのだろう、ゆっくりかまえて、すぐにでていく気配はない。  門衛は商人と話しながら、門の外の通りへはかたちばかりに注意を払っていたが、邸や庭の小道のほうはまったく見ていなかった。  プルーデンスは木陰を辿《たど》って門に向かう。途中、小さな小石を拾いあげた。  隧道のような門にさしかかると、プルーデンスは馬車の斜め後ろから、馬に向かって小石を軽く投げた。 (ごめんなさいね)  小石は馬の背中に当たった。馬が首をふって小さくいななくと、門衛と商人は馬の顔のほうを見た。 「ん、なんだ?」  プルーデンスはその隙に馬車の反対側にするりと入りこみ、荷物の陰で息をひそめた。 「——なんでもないようだ。虫でもいたかな」  門衛が笑いだした。 「主人が仕事もせずに話しこんでるもんだから、馬が諫《いさ》めているのさ」 「なんの、こちらにごひいきいただいているからね。気楽に商売しているよ」  商人も応じて、ふたりは声をあげて笑いあった。今度はその隙をついて、プルーデンスは馬車の陰からするりと門の外へ抜けだした。そして門衛の死角からでないようにして、できるだけ遠くにはなれた。  トゥスム宮の城壁をかこむように並木道が続いていた。そのまま歩いていくと都市の中心に向かう通りにでるが、同時にトゥスム宮の正門の前を通ることになる。そこでプルーデンスは並木道を渡って、通りの反対側にある建物の脇の、細い路地に入った。  プルーデンスはそこで鳥の塔を見あげた。塔は都市の中心にある丘の頂上にある。あれほど目立つなら、道を知らなくても、迷うことなく行きつけるだろう。  祖母はたくさんの話をしてくれたが、中でも鳥の塔については熱心に語り聞かせてくれた。もちろん、鳥の塔の内部についてはアラニビカの重要な秘密であるから、たとえ孫娘相手でも語らなかった部分は多かっただろう。迷宮や塔の内部については、まったく口にしなかった。知っているとも知らぬとも、それさえ言わなかった。  それでも祖母が教えてくれた精霊の伝説や塔のふしぎは、お伽話《とぎばなし》のように、プルーデンスの心の奥深くにあった。 『まだ神様がこの世にいらしたころ、アラニビカの丘の上に、晴れていてもいつも土砂降りのところがあったの。ふしぎに思った私のご先祖様が、高い梯子《はしご》にのぼって調べてみたら、空の真ん中に泉がわいていたのですって。そこに塔を築いたら、霊鳥ナサイアが塔の泉を訪れるようになったの。だからご先祖様は塔の入り口をふさいだのよ。人が水場にあがりこんで、休んでいる鳥を驚かさないようにね』  祖母はそんな話を語りながら、プルーデンスと一緒に小鳥の餌場《えさば》を邸《やしき》の庭園に作った。そして、ふたりして木陰に息をひそめ、餌場にくる小鳥たちを観察したものだった。 『あなたがアラニビカ島に行ったら、ぜひ鳥の塔に行ってご覧なさい、プルーデンス。塔におりてくる鳥を見ることができるかもしれないわ』  祖母はともに行こうとは言わなかった。もしかすると祖母は、ふたたび故郷に生きて戻れるとは、考えていなかったかもしれない。今思うと、祖母はプルーデンスになにかを託すように、鳥の塔の話を繰り返ししていたようにも思う。  プルーデンスは昨夜《ゆうべ》見た、祖母の遺品である五角形の護符を思いだした。  儀式に集まった際、故人の遺品を見ながら皆で思い出話をするのは、古くからの習慣だ。プルーデンスがあそこで護符を目にすることを、祖母も見通していただろう。 (護符に刻まれた迷宮の紋様……それに、下半分だけの文字——) 「——プルーデンス?」  深い響きを持つ声に呼ばれて、プルーデンスはもの思いから覚めてふりかえった。  立っていたのは蒼い衣の吟遊詩人だ。  彼はプルーデンスの衣装に目をとめて、目元を和らげた。 「綺麗な色だね。夜明け前の森のようだ。それに、あなたにはよく似合っている。瞳がとても生き生きして見えるよ。今まで見た中でその衣装がいちばんいい」  プルーデンスは答えなかったが、詩人はかまわず続けた。 「どうしてこんなところに? お付きの者は誰もいないのかい」 「答えなくてはいけないのかしら」  我ながら厳しい声で、プルーデンスはぴしゃりと言い返した。詩人はちょっと目をみはり、それから小さく微苦笑した。 「いや」 「私、鳥の塔を見に行くの」  言うなり、詩人をおいて歩きだした。すぐに詩人がついてくる足音がする。 「それは奇遇だ。私も鳥の塔を見に行くつもりなんだよ」 「でしょうね。それがお前の目的なんだもの。思う存分探ればいいわ」 「同道してもいいかな」 「勝手になさい」  詩人は黙ってプルーデンスのあとをついてくる。プルーデンスは足早に歩いているつもりだが、背後に聞こえる足音はプルーデンスのそれよりも間隔があいていた。自分は苛々《いらいら》して足早になっているというのに、詩人はあの長い足で悠々と歩いているのだ。それを思うとなおさら腹が立った。  しかしそんな気持ちも、鳥の塔がある丘に近づくにつれ薄れていった。  鳥の塔が建つ丘の頂上へは、幅の狭い石造りの階段をつづら折りにのぼっていくようになっている。プルーデンスでも楽にのぼれるような、段差の低い階段だ。昔から多くの人がこの階段を通ったのだろう、段の中央あたりは踏まれてさらに低くなっていた。  頂上を目指す人々は、誰もが丘の上にあるものへの期待に満ちていた。道すがら隣りあった人と、互いの故郷のことなどを話している。このような場所では、いつまでも怒っていることなど難しい。  丘の斜面には灌木《かんぼく》が枝を伸ばしており、塔に近づいたのにかえって塔は見えづらくなる。  かわりに、水の流れ落ちる音が頻繁に聞こえるようになった。つづら折りになった階段を横断していくように、丘の上から麓《ふもと》に向かって水路が通っているのだ。水路と参道が交わるところには小さな水飲み場がもうけられていて、階段をのぼる人々は澄みきった冷たい水に手をひたして涼をとっていた。  参道は丘の頂上のすぐ手前で、驚くほど幅の広い階段になる。  その広い階段を二分して、丘の上にある広場から小さな滝が流れ落ちていた。この水が階段を貫く水路に続いているのだ。 「早く行きましょう!」  先刻《さっき》のことは忘れて、プルーデンスは詩人にふりかえってせきたてた。そして自分も、はやる心を抑えきれず、最後の階段をかけあがる。  そうしてのぼりきった丘の頂上は、廻廊《かいろう》に囲まれた広い五角形の広場となっていて、その中心に五角形の鳥の塔が建っていた。 「…………まぁ……」  プルーデンスはそう声をもらしたきり、言葉をなくして鳥の塔をただ見あげた。  黄褐色の塔は思ったよりも細く、女性的で凜《りん》とした印象を受けた。  けれどその塔の最上階から流れ落ちる水の勢いは、力強く颯爽《さっそう》としていた。水はときおり風を受けて、水しぶきを空中に大きく広げる。すると塔の裾あたりで小さな虹《にじ》が澄んできらめき、周囲で歓声があがるのだった。 (水と風と、光をまとう塔だわ)  プルーデンスには、塔が民に迎えられて広場に立つ可憐《かれん》な女王のように感じられた。  丘の頂上に建っているので、こうして見あげると、塔の背後に見えるのはひたすら青く高い空だけだ。あたりには清々しい風が吹きわたり、本当に天から霊鳥がおりてきそうな趣があった。  祖母があれほど愛情をこめて語って聞かせてくれたのも無理はない。ようやく祖母と思いを共有できたような気がして、いっそう祖母が懐《なつ》かしくなった。 (まるで奇跡だわ。精霊がもうこの世界にいないなんて、忘れてしまいそう)  最上階から流れ落ちる水は、機械じかけで上まで運ばれているに違いないが、それでもあんな細い塔の内部に、これほどの量の水をくみあげる機関が組みこまれているとすれば、人間の技術の成果もすばらしいと思った。 「言葉をなくすね。美しさの前には、言葉は無意味かもしれない」  隣で詩人がつぶやいて、ようやくプルーデンスは我に返った。見ると、詩人は真剣なまなざしで鳥の塔を見あげている。  さらにあたりを見まわせば、ひざまずいたり、頭をたれている者も多かった。  プルーデンスはこれらの人々を見て、一転して漠とした不安にかられた。  もし鳥の塔のふしぎが明かされたら、彼らはどうするのだろう。塔への畏敬《いけい》は失われるだろうか。 「プルーデンス。あちらにも行ってみようか」  そう言って詩人が塔の下を指さした。  見ると塔の下には深い池があり、塔から落ちる水を受けている。周りには人が群がって、その水に手をひたしていた。自分も行ってみたいと思ったが、小柄なプルーデンスには、彼らに立ちまじるのは無理そうだ。  と思っていると、詩人が池に歩みよって人垣にわりこみ、またすぐにプルーデンスのところに戻ってきた。彼の大きな手のひらには、水がくまれている。 「星の泉の水だ。飲むと幸福になるらしいよ」  プルーデンスはためらった。詩人の手から直接飲めということだろうか。  しかしプルーデンスにとっては、それは他人に対してあまりにも心安い行為だった。 「早く。水がこぼれてしまう」  うながされて、決心する。水に口をつけると、視界いっぱいに詩人の手のひらが広がった。彼の手は明るい褐色をしていて、プルーデンスはふと、詩人の肌はどこも浅黒かったというエリカの言葉を思いだした。  途端に恥ずかしくてたまらなくなって、身をすくめた。その拍子に、唇が詩人の手のひらに触れる。意外にやわらかな感触だと思う間もなく、プルーデンスは大あわてで詩人からはなれた。  動揺を悟られたかと焦ったが、詩人はなにごともなかったように自分も水を飲んだ。 「冷たい水だ」  水の冷たさなど記憶に残っていなかったが、プルーデンスはうなずいた。 「きっと地下深くからくみあげているのよ」 「地下か……そういえば鳥の塔の迷宮も、この広場の地下にあるのだったね」  詩人はプルーデンスの言葉に目をすがめ、あたりを見わたした。 「あらお前、迷宮の入り口を探しているの? 間者《かんじゃ》の本性が透けて見えているわよ」  プルーデンスは軽くにらんで言ってやったのだが、詩人は笑って肩をすくめただけだ。 「迷宮の入り口には結界が張られているというわ。探したって見つからないわよ」 「そうだね。でも隠されると、人はよけいに探したくなるものじゃないかな。たとえ間者でなくても」 「それはそうかもしれないわ」  鳥の塔は地上に入り口がない。塔の外壁には凹凸《おうとつ》もなく、壁をつたって最上階までのぼるのは不可能だろう。鳥の塔に入るには、やはり地下にあるという迷宮を通るしかないのだ。 (たしかに間者じゃなくても気になるわ。迷宮の入り口はどこかしら?)  探すというでもなく周囲を見ながら、ふたりは鳥の塔の周辺をそぞろ歩いた。広場は人でごった返して、背の低いプルーデンスには先がよく見えないほどだったが、詩人がその長身でかばってくれた。  広場の周囲にある廻廊には、露店が並んでいる。売っているのはナサイアの護符で、主に船乗りらしき男たちが買っていた。五角形の形をした護符は祖母の遺品とよく似ていたが、迷路のような模様の溝はない。眺めていると、詩人が興味深げに尋ねてきた。 「もしかしてこの護符がほしいのかい?」  プルーデンスは首をふる。 「そうじゃないわ。ただ私、五角形がとても好きなの。だって五角形はとても美しい図形でしょう? それもあって、私は昔からこの鳥の塔に来てみたかったのよ」 「五角形か。たしかに単純な形は美しいし、魔術的だね。円や三角も」 「あら。それは、単純だから美しいんじゃなくて、美しいものを単純にしか見てないってことじゃないかしら。私が言いたいのはそんな意味じゃないわ」  プルーデンスは少し間を置き、思案した。 「例えば……そうね。詩人、お前は黄金比を知ってる?」 「美しいとされる比率のことかな。太古の神々が発見して、多くの壮麗な神殿や工芸品もその比率にしたがってつくられているそうだね。でも私は学がないから、神話や伝説に歌われている以上のことは知らないよ」 「黄金比は、線をふたつに分けて、短い線分と長い線分との比が、長い線分と全体との比に等しいような比率のことよ。約一対一・六一八ね。美しくて安定しているとされている比率で、建築物や工芸品だけでなく、自然物の中にもよく見られるわ。薔薇の花びらの重なりや、松かさのようなものの中にも黄金比はあるのよ」 「ふーん?」 「黄金比は、果てしなく連続する相似形をつくりあげるの。とても綺麗な連分数であらわしたり、多重平方根であらわすこともできるわ」  詩人は苦笑した。 「そういう話は、正直さっぱりわからない」 「でもお前が単純だと言った五角形の中にも黄金比はあるのよ。正五角形の一辺と対角線との比はすべて黄金比となるの。そして正五角形の交わる対角線は、互いに他の対角線を黄金比に分けるわ。正五角形の中には多くの黄金比、つまり美が隠されているのよ。人が賢くなれば、正五角形の中にもっと美しさを見つけられるかもしれないわ」  口調が熱をおびるにつれ、いつもは青白いほどのプルーデンスの頬《ほお》も紅潮していった。 「かつて神様はこの世界に名前を付けて支配したわ。ある神様は、数を数えだしたの。そうすることで数という概念を定め、支配しようと思ったのよ。でも数は無限にあるから、いつまで経っても数え終わることはできなかったの」  間断なく、しかし確実にひとつずつ刻まれつづける数とは、すなわち時間である。数を数える神は、そのまま時の神となった。  時の神は永遠に数を数えつづけると考えられている。それでも数を最後まで数えあげることはできないはずだ。数は無限なのだから。神々がこの世界を去った今も、彼はどこかで数を数えあげていることだろう。  数には神々の支配がおよばない。世界を支配した神々といえども、時間を逆戻りすることはできない。また証明された数学の定理や公式を覆すこともできないのだ。 「でも、だからこそ神様は美しい図形や数に魅了されるのですって。お祖母《ばあ》様はこの時の神の神話が大好きで、よく私にお話ししてくださったわ」  詩人はプルーデンスをじっと見つめていた。けれどプルーデンスは自分の話に夢中で、彼がどんな表情で自分を見ているか、意識していなかった。  詩人が黙っていることに気づくと、プルーデンスは口をつぐんだ。 「喋りすぎたみたいね。こういう話、理屈っぽくて退屈でしょ」 「いや。それどころか、おおいに学ばせてもらったよ。私は美しさというものについて、あなたのような視点で考えたことはなかったからね」  だがプルーデンスは小さくため息をついた。 「私は花を見ると、どうしてこんな色や形をしているんだろうって考えるわ。でもお母様はそういう考えがお好きではないの。美しいものは素直にそう感じればいいって。私みたいに疑問や理屈を口にするのは、本当は綺麗と思っていないからっておっしゃるの」  プルーデンスは蒼い衣の吟遊詩人を見あげた。 「でも私は知りたいわ。五角形だって黄金比だって、数値を計算したり定理を知ったあとでも、やっぱり美しいもの。いいえ、知らなかったときよりずっと美しく感じられるわ。私、花でもなんでも、もっと綺麗ですごいって思いたいから、もっと知りたいのよ」  ふたたび、口調が熱をおびてくる。プルーデンスは今度は鳥の塔をあおぎ見た。 「鳥の塔だってそうよ。私、鳥の塔にのぼりたい。のぼって、あの水が流れ落ちる仕組みを知りたいわ。本当にすばらしいものは、謎《なぞ》が明らかになってもそのすばらしさが減るわけじゃないと思うの。それどころか知れば知るほど驚きは増えると思うの」  そこでプルーデンスの口調は、突然勢いを失った。 「……こんなふうに考えるのは悪いことかしら? 私、みんなが大切にしているものを冒涜《ぼうとく》してるのかもしれないわ」 「とんでもない、プルーデンス。あなたはなにも間違っていない」  詩人は即答した。プルーデンスは詩人を見あげた。詩人は黒い目を細めて、プルーデンスを見つめていた。その瞳は満足そうで、そうして誇らしげでもあった。 「塔にのぼりたいというあなたの思いは、真摯《しんし》で憧《あこが》れに満ちている。ナサイアはあなたの思いを嬉しく受けとめることだろう」  プルーデンスは一瞬、顔を伏せて唇を引き結びかけた。しかしすぐに唇をほどくと、詩人の瞳を見つめ返し、言った。 「——ありがとう」  詩人はさらに目を細めた。  そのとき風が強く吹いて、鳥の塔から落ちる水が雨のようにプルーデンスたちにふりかかった。  同時に、虹がプルーデンスたちのすぐ上にかかる。  周りの人々は濡《ぬ》れた顔や服を拭《ふ》こうともせず、歓声をあげて手を空にさしのべた。 「すごいわ!」  プルーデンスも思わず叫んで、両手をあげた。 「詩人! お前の背の高さなら、虹に手が届くんじゃない?」 「だといいんだが、残念ながら少し足りないな」  詩人も楽しそうに手を伸ばしている。小柄な少女と長身の吟遊詩人の組みあわせが珍しくも微笑ましいのか、周囲の人々からくすくすと楽しげに笑う声がもれていた。  と、蒼い衣の吟遊詩人が立ちどまり、広場の入り口のほうを見た。 「……どうかしたの?」 「アンドラーシュ大公だ。——向こうもこちらに気づいたようだね」  プルーデンスは目をこらしたが、人混みに紛れてよく見えない。 「でも大伯父様がこちらにお気づきなら、ご挨拶しないといけないわ」  詩人をつれて人混みをかき分けていくと、大公が従者を従えて、ナサイアの護符を売る露店の前に立っていた。  大公はプルーデンスを見つけると、驚いたように濃い眉をあげる。プルーデンスは身体が小さいので、それまで見えていなかったのだろう。  プルーデンスは膝《ひざ》を折った。 「ごきげんよう、アンドラーシュ大伯父様」 「プルーデンスか。なぜこのようなところに? 乳母も侍女もいないのか?」 「今日はお父様にお客様がおありで、皆忙しくて。でも私は、お祖母様がよく聞かせてくださった鳥の塔をどうしても見たかったので、吟遊詩人についてきてもらいました」  大公はわずかに眉をひそめたが、それでもプルーデンスの説明に納得したらしい。それ以上追及してこなかった。 「大伯父様は、鳥の塔にどんな御用でいらっしゃったのですか?」 「大公には、この鳥の塔と広場を守る役目がある。このような護符を売る店も、大公の鑑札を得てここで商売をしているのだよ」  神ならば、神殿の管理は当然ながら神官の務めであるし、教義や祈りの言葉も定められている。しかし神として世界を統治していなかった精霊は、祀《まつ》られ方はその精霊の性格や土地の事情などによって異なっていた。アラニビカ島のように領主が祠《ほこら》を管理している場合もあるし、妖術《ようじゅつ》師や占い師がひそかに祀る邪霊もいた。 「無論、実際の監督や管理は下の者に任せているが、私自身もときおりここに来るようにしているのだ」  そう言って、ちょうど手にしていたらしい五角形の護符を、店先に戻した。 「でもまさか鳥の塔と迷宮の管理は、他の者に任せてはいらっしゃらないでしょう?」 「これはまた。そなたのような少女までが、迷宮に関心を持っているとはな」  プルーデンスはあわてて頭をさげる。 「出過ぎたことを申しあげて、失礼いたしました」 「かまわぬ。そなたの好奇心|旺盛《おうせい》なところは、エヴィケムに似ておるな」  顔をあげると、アンドラーシュ大公は笑みを浮かべてプルーデンスを見つめていた。 「昨夜《ゆうべ》の私の言葉を覚えているか? そなたとはエヴィケムの思い出を語りたいと思っていたのだ。エヴィケムはこの島のことをどう話していたのか、私に教えてくれぬか」 「もちろんです、大伯父様!」  息せききって答えると、大公はうなずいた。そして詩人にも目を向ける。 「そなたもくるか。私はアラニビカ島や鳥の塔の伝承について、なかなか詳しいと自負しているのだが。吟遊詩人にとっても興味深い話だと思うぞ」  詩人は微笑んだ。 「ぜひ」  その後の午前中いっぱい、プルーデンスと詩人はアンドラーシュ大公と鳥の塔|界隈《かいわい》を散策しつつ、さまざまなことを語って過ごした。  祖母エヴィケムも神話や歴史に詳しかったが、アンドラーシュ大公はさらに造詣《ぞうけい》が深く、特に霊鳥ナサイアの物語を語ると、つきないようだった。プルーデンスが喜び、詩人でさえ目をみはると、大公は若々しく笑った。 「島を訪れた吟遊詩人が、トゥスム宮に自分を売りこみに来ては歌うのでな。自然と詳しくなったのだ。フィリグラーナやティンブクトゥには大図書館があり、多くの神話や伝説、叙事詩が蒐集《しゅうしゅう》されているそうだが、古い物語となると、やはり吟遊詩人たちの歌におよばぬところがある」 「ですが、大伯父様。歌ですと吟遊詩人の間違いや自己流の改編も多いですから、正確さに欠けませんか?」 [#挿絵(img/AFDPG_081.jpg)入る]  プルーデンスは大公に問いかけたが、そこにわりこんで答えたのは、詩人だった。 「歌は自由なものだ、プルーデンス。詩と調べには歌い手の心がこめられている。当然、歌い手の心のありようによって変化する。だがそれでいいんだ。歌を文字にして書物の中に封じこめるなどできないし、する必要もないことだよ」  詩人の口調に、プルーデンスは少し意外さを感じて詩人を見た。  詩人は高い青空を見あげていた。 「名づけられることを拒んだ精霊が、なぜ吟遊詩人になったと思う? 詩や歌が自由だからだよ。歌も数と同じく、神々の支配を受けないんだ」 「歌が自由ですって?」 「そうだよ。かつて神々は、ものに名をつけることで世界を支配した。太陽や海、人間や鳥、そして善悪というふうにね。たしかにそれは言葉の持つ力の一面だ。けれど詩人の言葉は、それとはまったく別の力を持つんだよ」  詩人はようやく振りかえると、黒い瞳でプルーデンスをのぞきこんだ。 「例えば、詩人が『あなたは青い百合の花だ』『あなたの髪には月の光が宿っている』と歌うとしよう。そうすればもう、青という色も百合の花も、髪も月も、神の定めたところから自由に放たれて、あなただけの意味を持つというわけだ」  プルーデンスは一瞬気をのまれかけたが、すぐにその小さなあごをつんとそらせた。 「ずいぶん古びた修辞だわ。お前はそれでも詩人なの?」  だがこれには大公がまず大笑いし、プルーデンスはひどくばつの悪い思いをした。 「『美しい花には棘《とげ》がある』というところだな、詩人? いやこれも、使い古された言い回しだったか」 「だが多くの男たちが、花を得るために棘の中に手を伸ばすのだ、アンドラーシュ大公。それでこそ歌や物語も生まれる。それにそこで流れる血を甘くするのもまた詩の力だ」  大公はいっそう愉快そうに笑ったが、子供の前だから自重せよとでもいうのか、手をふって詩人をいなした。詩人は口をつぐんだが、涼しげな顔をしている。それがますます業腹で、プルーデンスはそっぽを向いた。  どれほど使い古された言葉でも、それがただひとりの人に向けて言われたものなら、最初の言葉、またはかけがえのない言葉になりうるのだが、プルーデンスはまだそのことを知らない。プルーデンスは彼女を子供扱いして笑った大公に軽い失望を味わっていたが、彼女もその程度には充分幼かったのだ。  それでもプルーデンスは無意識のうちに、肩にかかる自分の髪を見下ろしていた。いつになく自分の金髪が明るく見えたが、彼女はそれはアラニビカの陽光のせいだと思った。 「詩人の言葉は世界を自由にするが、神々の言葉は世界を支配した。今も魔術師たちは、精霊と言葉による契約を交わし、彼らを使役している。基本は同じだ」  詩人が言うと、アンドラーシュ大公はゆったりと首をふった。 「神々と同じだなど、おこがましいな。魔術師どもは、まるで自分が一国の運命を左右すると言わんばかりに売りこみに来るが、役に立つ者など本当にわずかだ」  魔術師、正式には精霊魔術師と言うが、一般には精霊使いと呼ぶことが多い。その名のとおり、今もこの世に残る精霊を使役して、その神秘の力を操る人々のことである。  精霊の気配を感じる人間はたまにいるが、精霊を自在に使役する者となると滅多にいない。鉱脈や水脈を探す土霊使いや、天気や風向きを読む風霊使いなどは比較的高級な魔術師で、市井にいる魔術師のほとんどは、雑霊に失《う》せ物を探させたり、病を散じさせたりといった占い師まがいの者だ。  力の強い精霊を召喚し、自在に操る者もいたが、そういった魔術師はたいてい国王や貴族のお抱《かか》えだった。  詩人は肩をすくめた。 「私に言わせれば、現在の魔術師たちは、神々に象徴される言葉の力、厳しく支配的な言葉の研究ばかりをしているのだ。だが言葉の力を本当に理解するためには、詩というものをもっと知らなくてはならない。実際、神々は詩や歌を愛していたのだしね」 「なるほど。蒼い衣の吟遊詩人らしい言葉だな」  そんな会話を楽しんで午前を過ごし、皆で一緒にトゥスム宮に戻ったときには、昼を過ぎていた。  プルーデンスは吟遊詩人や大公と別れると、自分の部屋に急いだ。 (昼食は終わってしまったかしら? でもいいわ、楽しかったから)  客人の滞在にあてられている棟の廊下を歩いていると、なんとなく雰囲気がざわついているのが感じとれた。オパルス伯への客人が訪れているのだろうか。  階段をあがったところでプルーデンスは足をとめた。両親の部屋で父が怒鳴っている。  なにごとかと思っていると、エリカがプルーデンスに気づいた。 「プルーデンス様! 今までどちらにおいででしたか」 「……トゥスム宮の周りを見て回っていたのよ。それよりなにごとなの?」  かわりに答えるように、父の怒鳴り声が部屋の中から聞こえてきた。 「——私の部屋から五角形の護符を盗んだのはいったい誰だ! 必ず盗人を捕らえて取り戻せ! この建物にいる怪しい者はすべて調べるのだ!」 [#改ページ]      五  盗まれたのは両親の部屋にあった首飾りや指輪、櫛《くし》などだった。午後の客にそなえて装うために、宝石箱からだして衣装と一緒においてあったらしい。  その他の両親の宝飾品や祖母の遺品を納めた長櫃《ながびつ》は、錠《じょう》をおろして別の部屋においてあったので、被害をまぬがれたようだ。  そして五角形のメダイヨンと雄牛の腕輪も、盗まれたものの中に含まれていた。 (おかしいわ。お父様は、護符を宝石の近くにおいていらしたのかしら?)  対《つい》の護符は、祖母の遺品の中から父がこっそりだしてきたものに違いない。だが、だとしたらそれらを身につける宝石や衣装と一緒にしておくというのは、おかしな話だ。オパルス伯はたしかにこまかな心配りが苦手な人物だが、朝の様子から見て、護符をどこかに放置しておくなど、まずありえないように思える。 (だったら、護符は宝石と別の場所にあったのに、一緒に盗まれたってこと?)  それもまたおかしな話だった。盗まれた宝飾品は、どれも大きな宝石を嵌《は》めこんだ高価なものだ。しかし対になった護符は両方とも真鍮《しんちゅう》製だった。金目当てなら、あの護符をわざわざ盗もうなど思うはずがない。  詳しい状況を知りたかったが、オパルス伯はそれどころではなさそうだった。 「私とリーサが朝の客人に応対していたあいだに盗まれたに違いない! なぜ誰も怪しい者に心当たりがないのだ! 大公殿下の宮殿に滞在しているからといって、お前たちは自分まで客人になったつもりでいたのか。揃《そろ》いも揃って主人の持ち物の管理を怠っていたとはなんという怠慢だ! この能なしどもめ!」  オパルス伯は自分がつれてきた使用人たちを廊下に並ばせ、表情をこわばらせて罵倒《ばとう》している。プルーデンスやリーサ夫人、オーギアは廊下の隅に控えていた。  使用人たちは神妙な顔をしていたが、オパルス伯に居丈高《いたけだか》に怒鳴られて、内心では不愉快に思っているに違いない。  使用人にまじって、蒼《あお》い衣の吟遊詩人もいた。帰ってすぐ呼びつけられたのだろう。  オパルス伯はまず吟遊詩人の前に立つと、その顔に指を突きつけた。 「お前は午前中ずっと、姿を見せなかったな。盗人はお前ではないのか!?」 「とんでもない。私は外出して大公宮にいなかったのだ。盗めるはずがない」 「嘘《うそ》をつくな!」 「——嘘ではありません、お父様。詩人は朝からずっと、私とともに鳥の塔にいました」  プルーデンスは口をはさんだ。トゥスム宮を抜けだしたことを自分のほうから言いだすつもりはなかったが、罪のない詩人が疑われるのは不公平だと思ったのだ。  オパルス伯は顔をしかめてプルーデンスにふりかえった。 「なぜお前が吟遊詩人などと一緒にいたのだ? しかも鳥の塔など」 「お祖母《ばあ》様がお話しくださった鳥の塔を、ぜひこの目で見てみたかったのです。それで、吟遊詩人についてきてもらいました」 「ふたりだけで? まぁ、プルーデンス、良家の子女がなんというふるまいです」  リーサ夫人が泣きそうに顔を歪《ゆが》めて言ったが、オパルス伯は妻を無視した。 「あてになるものか。おおかた、お前がぼんやりしている隙《すき》にでも、トゥスム宮に戻って盗んだに違いない」  プルーデンスはかなりムッとした。父親のくせに、娘の目が節穴だと思っているのだろうか。しかしプルーデンスは怒りを抑えこみ、努めて冷静に答えた。 「私が宮殿をでるときは、お母様はまだ寝台にいらっしゃいましたし、お客様もまだいらしていませんでした。そして私はトゥスム宮をでてからずっと詩人と一緒にいたのです。鳥の塔のある丘にのぼるには時間がかかりますし、途中の参道には人の目もあります。目をはなした隙にこっそりと行って戻ってこられるようなものではありません」  整然と反論されて、オパルス伯は苛々《いらいら》と身体をゆする。彼はせっかちな性分で、理屈で議論するための忍耐力に乏しかった。 「埒《らち》もないことを。お前はなぜこんな吟遊詩人風情をかばうのだ。まさかお前が盗んだのではあるまいな」 「お父様……っ」  怒りで息が詰まり、目が眩《くら》みそうになった。  リーサ夫人も夫の言い分にはさすがに驚いた様子だが、口をはさんでまでプルーデンスをかばおうとはせずにいる。  そのことがプルーデンスの度を失わせたのかもしれない。 「なんて恥知らずなことをおっしゃるの!!」 「なんだと?」 「私は、お祖母様にはもうあの護符をいただいております! 誰が盗んだりなんか」 「——なにごとだ」  威厳のある声がプルーデンスをさえぎった。  階をあがってきたのは、アンドラーシュ大公だ。彼が一同を睥睨《へいげい》すると、プルーデンスもオパルス伯も我に返って口をつぐんだ。 「盗みがあったと知らせを受けてまいった」  大公は重い口調で言った。 「私の宮殿でこのような不始末が起こり、慚愧《ざんき》に堪えぬ。しかも盗人は、死者の遺品まで盗むという心ないことをしたそうだな」 「は——その、えぇ。母の形見の、対になった護符が盗まれたようで」  大公はぴくりと眉《まゆ》を動かした。本当はもっと大きく目を見ひらこうとしたのを、無理に抑えこんだようにも見てとれた。 「亡き父が、妹の幸福を祈って持たせた護符を盗むとは許しがたい。私の名誉にかけて、盗人を探しだしてみせよう」 「伯父上にそのように言っていただければ、もう見つかったも同然。心強いかぎりです。……ですが、もう盗人の目星はついているのですが」  オパルス伯はそう言って詩人をちらりと見やった。アンドラーシュ大公はいぶかしげに目を細め、詩人を見て、プルーデンスを見た。 「その吟遊詩人のことか? しかしその者とプルーデンスとは、先刻まで私とともに鳥の塔界隈を散策していたのだ。そしてつい先ほど、同じ馬車で戻ってきたところだぞ。少なくともその吟遊詩人には、盗む機会はないように思うが」  オパルス伯は戸惑ったように大公を見返し、次いでプルーデンスと詩人を見た。 「大公殿下にお会いしたなら、なぜそう言わない? そうすれば話も早かったものを」  プルーデンスは唇を噛《か》んで答えなかった。父は、自分の話は信じられなくても、アラニビカ大公が同じことを言えば信じるのだ。悔しくて情けなくて、しかたがなかった。  大公がオパルス伯の注意を引き戻した。 「エルク、それよりも今夜の宴《うたげ》のことだ。急に取りやめとなると耳目を集めてしまい、いろいろとあらぬ噂《うわさ》も立つ。このまま宴を催そうと思っているが、かまわぬな」 「えぇ、それはもちろん」 「うむ。招待者の顔ぶれを教えておこう」  本当はまだこの場に残っていなければならないのかもしれないが、プルーデンスはこれ以上この場にいたくなくて、踵《きびす》を返した。立たされたままの使用人たちの前を通り、自分に与えられた部屋に向かう。  リーサ夫人の前を通りかかったとき、彼女が同情の表情を浮かべて身をかがめてきた。  プルーデンスがつい立ちどまって母を見あげると、リーサ夫人は声をひそめて言った。 「プルーデンス……可愛く素直にしないから、お父様にも疑われたりするんですよ」  父に疑われたことよりもなによりも、母の言葉がプルーデンスの心を深く傷つけた。  プルーデンスは、その日の午後はずっと寝台に臥《ふ》せって、起きなかった。寝具を頭からかぶって、ただひとり、乱れた心を抑えこもうとしていた。  彼女はその年齢の少女としては並はずれて理性的だったが、それでも両親の態度は彼女の心を打ちのめした。もしかするとプルーデンスは、なまじ理性的なために、かえって心や感情が純粋で傷つきやすかったのかもしれない。冷静になろうと努めれば努めるほど暗い思いは強まって、いつまでもプルーデンスを苛《さいな》んだ。  だが宴の時間になると、プルーデンスはこっそりと起きだした。  音を立てないようにして衣装箱を開け、灯《あか》りのない中で服を着替える。 (ラディックス様はいらしているのかしら? お父様と会っていらっしゃるのかしら)  父は今夜、フィリグラーナ軍人のラディックスと会う予定なのだ。そしてそれは祖母の五角形の護符にかかわることだろうと、プルーデンスは踏んでいた。  たとえ傷心を抱いていても、彼女の頭は肝心なことは忘れていなかった。  盗人の狙《ねら》いは、おそらく最初から、迷路が刻まれた五角形の護符だったのだろう。他に宝飾品を盗んだのは、狙いをごまかすつもりだったに違いない。父は明らかに、護符が盗まれたことに深く動揺していたし、大公も護符が盗まれたということに反応した。 (五角形の護符は、やはり鳥の塔に深くかかわるものなんだわ。護符に刻まれた迷路と、縁《ふち》にあった欠けた文字は、塔の迷宮の謎《なぞ》の手掛かりになるんじゃないかしら)  父はその謎を暴こうとしているのだろうか。そしてアンドラーシュ大公は、塔の謎が外部にもれることを危ぶんでいるのだろうか。  プルーデンスは持ってきた衣装の中から、緋《ひ》色のマントを取りだした。これも母の好みで、したがってプルーデンスには似合わないのだが、夜目には、赤は青を着ているよりも目立たないのだ。マントを羽織ると、プルーデンスはこっそりと部屋をでた。  遠くから澄んだ旋律が聴こえてくる。蒼い衣の吟遊詩人が宴で楽を奏でているのだろう。  その楽を聴きながら、プルーデンスは朝と同じように、誰もいない部屋を横切り、円柱の陰を辿《たど》って、宮殿の中を奥へと歩いていく。まだ宴のさなかで、使用人が大勢立ち歩いているはずだったが、いちども遭遇せずに奥の庭にでた。  庭園にある瀟洒《しょうしゃ》なあずまやに近づいたときのことだった。 「——宴に紛れて、大事な情報を伝えると言うからやってきてみれば……鳥の塔の護符を盗まれたとは、なんという迂闊《うかつ》さだ」  聞き覚えのある声がして、プルーデンスは反射的に植えこみの陰にしゃがみこんだ。 「面目ない、ラディックス殿。しかし護符は私の印章入れに隠し、錠もかけていたのだ。それが部屋に戻ってみれば、護符だけが抜き取られ、宝石と一緒に盗まれていた」  オパルス伯と、フィリグラーナ海軍の軍人ラディックスだ。オパルス伯爵邸には高官のお供でやってきた男で、海軍での地位はそれほど高くなかったと記憶している。  それが今、オパルス伯に強い物言いをし、オパルス伯のほうもそれを受容しているのが、ふだんの父親の態度を知っているプルーデンスには驚きだった。 「それにしても迂闊なことには変わりない。せめて縁に刻んであったという文字の写しでも取っておけばよかったものを」 「私ばかり責められても困る。あの迷宮の紋様はとっくに写してあったが、今まで誰もあの護符の縁には注意していなかったのだから」  オパルス伯は開きなおったようだ。 「あの護符に刻まれている溝は、たしかに鳥の塔の迷宮の地図だ。あれを頼りに進めば迷宮を抜け、鳥の塔の扉までは辿りつける。だがどんなしかけがあるのか、錠もないのに、これまで扉はけっして開かれなかった。何人|間者《かんじゃ》を送りこんでも結果は同じだったのだ。あの護符から得られる情報だけでは、迷宮の謎を明かすには不充分だと結論がだされ、だからこそいちどアラニビカ島に返すこともひとつの案だと、エヴィケム殿の遺品として認められたというのに……」  ラディックスは大きく舌打ちをした。 「——なのに今になって謎を解く手掛かりがようやく得られるとは、なんという間の悪さだ。しかもその護符が盗まれるとはな!」 「縁に刻まれたものが文字かどうかは、まだわからん。単なる傷のようにも見えたし、意味を成さぬものだった」  オパルス伯が言い訳がましく言った。けれどラディックスは馬鹿《ばか》にしたように返した。 「あたりまえだ。本当に鳥の塔の手掛かりなら、見てすぐにわかるような簡単な謎のはずがない。——これは前アラニビカ大公に、まんまとしてやられたのかもしれんな」  考えこんでいるのか、ラディックスの口調は最後には独り言のようになった。 「……四十年前のアラニビカはフィリグラーナと西方諸国《ファルゲスタン》の関係が悪化した余波をかぶり、いつ攻め入られるかわからない状況だった。大公家の血筋が絶えることを危ぶんだ前大公イシュトヴァーンは、鳥の塔の迷宮を解く手掛かりを示すものを、オパルス家に嫁ぐ娘エヴィケムに持たせたと——当時、そのような噂が流れたのだったな」 (なんですって!?)  プルーデンスは思わず声のほうに視線を向けたが、植えこみのせいでなにも見えない。 「それはたしか、西方諸国側から流れた噂だったはずだ。前大公イシュトヴァーンが、周囲の注意をそらすために意図的に流した情報だとも思われていたな。いずれにせよ、イシュトヴァーンは私の母がオパリオンに嫁いですぐ、謎の死を遂げた。事故死とも、西方諸国側の暗殺とも噂されているが……」 「その後は息子のアンドラーシュが大公家を継ぎ、鳥の塔の秘密も受けついだというわけだ。彼は西方諸国との関係も自力で修復し、アラニビカ島の独立も維持している。おかげで我が国はアラニビカ島に恩を売りそこねてしまった。フィリグラーナがアラニビカを防衛する引きかえに、鳥の塔の秘密を明らかにさせるいい機会だったのだがな」  ラディックスが急に踵を返しでもしたのだろうか、革靴がきゅっと高く鳴った。 「今、フィリグラーナと西方諸国の関係はふたたび悪化している。そうなると、アラニビカの海軍の力が状況を左右することもあるだろう。なんとしてもアラニビカとの関係では優位に立っておかねばならない。王都の貴族どもに大きな顔をさせないためにも、我々海軍がそれを成し遂げねばならないのだ。そのために提督閣下は私を遣わされた」 (……ラディックス様は表向きは下士官でも、その実は海軍提督の特命で動いていらっしゃったんだわ。道理でお父様も頭があがらないわけね)  あずまやの中から足音が聞こえる。どうやらラディックスか、あるいはオパルス伯があずまやを歩きまわっているようだ。 「それにしても、あの護符が鳥の塔の手掛かりを示しているとなると、誰が盗んだのかが問題だ。護符の縁に刻まれた文字について、その情報が他国にもれるのを防ごうと、大公が先手を打って護符を回収したのか——盗む機会を考えれば、それが妥当であるがな。だがこの島には西方諸国の者も多く入りこんでいる。奴らに奪われたのなら厄介だぞ」 「私はあの吟遊詩人が怪しいと思っていたが。実は出航前に、あの吟遊詩人は偽者《にせもの》だと騒いだ者がいたのだ。今思えば、慎重に調べるべきだったかもしれぬ」 「王都から来たという吟遊詩人か? たしかに得体が知れん」  考えこむ気配がした。 「——ひとつ疑問なのは、エヴィケム殿は、自分に持たされた護符に塔の迷宮を解く秘密が隠されていると自覚されていたかどうかだ。前大公は、娘にはなにも知らせず、ただ護符を託しただけなのか? それとも塔の迷宮の謎も、彼女に明かしていたのだろうか」 「母は夫である先代のオパルス伯にも、息子である私にもなにも語らなかった。女ならば、知っていれば口をすべらせてしまうだろう。なにも言わなかったのは、知らなかったということではないか」  ラディックスが次の言葉を継ぐまで、少し間があった。肩でもすくめたのではないかとプルーデンスは想像した。 「どうかな。エヴィケム殿は賢夫人として名高い方だった。そして賢明ということは、いつ誰に、なにを語るべきか、わきまえているということだ」 「それは、どういう……?」  しかしラディックスはオパルス伯の問いには直接答えず、別の質問を口にした。 「エヴィケム殿には、親しい人間はいなかったのか? 友人か家族か、侍女でもいいが」  プルーデンスは少し緊張して、耳をそばだてる。 「私の知るかぎり、いない。母は人付き合いを好まなかった」  それは祖父や父が、祖母と愛情深く接していなかっただけではないかとプルーデンスは思った。祖母は家族の中で孤立していたが、けっして人間嫌いではなかったのだから。 「ただ、私の娘のことは可愛がっていた様子だな」 「娘……プルーデンス殿か。エヴィケム殿にとっては孫娘だな。なるほど、彼女ならば、エヴィケム殿からなにか聞いているかもしれない」  自分の名前がでてきて、プルーデンスは思わず息を詰めた。 「それはどうだろう。娘は十歳かそこらだ。まだ幼く、なにか聞いていたとしても理解できないだろう。今日も吟遊詩人とふたりきりで外出するなど分別のないことをしていた」  父が自分を侮《あなど》っているだけでなく年齢も間違えたことに、プルーデンスは憤懣《ふんまん》を感じた。が、すぐに今の状況ではそう思ってくれたほうが好都合だと思いなおす。  ラディックスは、鼻でふんと笑った。 「つまり貴殿も、十歳のころには分別がなく理解力も悪かったということか」 「ラディックス殿!?」 「私は十歳のころには既に大人をだしぬいていた。子供を侮ると痛い目を見るぞ」  なにを思いだしているのか、ラディックスの声が冷えこんで、プルーデンスは小さく身震いした。 「ところで、プルーデンス殿は吟遊詩人と、どこにでかけたのだ?」 「鳥の塔の見物に行ったとか。大公殿下がそこでふたりに会ったと言うから間違いない」 「ほう。エヴィケム殿のお気に入りの娘と、王都から来た詩人と、アラニビカ大公が鳥の塔の下で揃い踏みか」  ラディックスは興味深そうにつぶやいた。プルーデンスは嫌な感じに胸が騒ぐ。 「待てよ——そういえば娘が、母から既にあの護符をもらっているとか言ったような」  そのとき父がふいに言いだして、プルーデンスは声をあげそうになった。 「護符? 五角形の護符を、エヴィケム殿から譲られたということか?」  ラディックスが、やや声をあげて父に問う。 「いや、私もちらりと聞いただけだ。どういう意味かは問いただしていない」 「馬鹿な。すぐにプルーデンス殿に会うのだ!」  プルーデンスは歯がみをした。これまで散々自分のことを空気のように扱ってきたのに、うっかり口をすべらせたあんな言葉は覚えているなんて、なんと気の利かない父親だ。  あずまやの中で音がする。灯りの始末などをして、ここからでていく準備をしているのだろう。プルーデンスはこの隙に、枝や枯れ葉を踏んで音をたてないように気をつけて、あずまやからはなれた。そして庭園の暗がりを走って邸内に戻る。  部屋に戻ったプルーデンスは、自分の荷物をおさめた長持《ながもち》の底を探った。でてきたのは木象嵌《もくぞうがん》のどっしりした宝石箱だ。  箱に入っていたのは、祖母エヴィケムの遺品に納められていた護符とそっくりの、五角形のメダイヨンだった。片面に迷路のような溝が刻んであるのも同じなら、縁にかすかな模様が刻まれているのも同じだ。  だが注意深く見れば、その溝の模様が、祖母の護符と違うことがわかる。 (お祖母様……)  プルーデンスはおそるおそる五角形の護符を取りあげた。これは祖母が数年前に、宝石箱ごとプルーデンスに譲ってくれた品だった。 『プルーデンス、あなたにこれをあげましょう。これにはとても大きな秘密が隠されているのよ。ただ、今のままでは、その謎を解くことはできないわ』  解けない謎をだすのはずるいことではないかと、当時のプルーデンスは祖母に抗議したものだ。けれども祖母は微笑んで、首をふった。 『いつかあなたは謎を解く手掛かりを目にするでしょう。あなたならそれが手掛かりだとわかるはずだわ。そのときがきたら解いてご覧なさい、プルーデンス。なぜ私が、今あなたにすべての手掛かりを与えないか、それも含めて考えてほしいの。あなたならきっと謎が解けるわ。でも謎が解けないうちは、これを誰にも見せてはいけませんよ』  手掛かりはなにも与えられていなかったが、プルーデンスはメダイヨンの形と祖母の生まれから、それがアラニビカ島の鳥の塔に関係のあるものだろうと考えていた。だから今回も、この島に来るに際して、メダイヨンを荷物に入れておいたのだ。  宴の席で祖母の遺品を見たときに、祖母の言ったとおり、プルーデンスにはあれが謎を解く手掛かりだとわかった。どう使うべきかも、見た瞬間に推測できた。  今が謎を解くべき時なのだ。 (お祖母様は護符に隠された謎の正体をご存じだったんだわ。そしてずっと沈黙を守ってこられたんだわ)  アラニビカの前大公は、鳥の塔の迷宮の手掛かりとして、二枚の五角形の護符を祖母に託したのだろう。そして慎重な祖母は、その二枚のうちのひとつを厳重に隠し、残る一枚はあえて人に知られる程度に隠しておいたのだ。  祖母の手元にある護符を手掛かりにフィリグラーナの間者が何人も鳥の塔に挑んだが、塔の扉は開かれなかったと、ラディックスは言っていた。だがそれも、祖母の思惑どおりだったのだろう。  それだけではない。プルーデンスがもう一枚の護符を目にするのが、アラニビカ島で祖母の遺品を納める儀式に際してであることも、すべて想定していたに違いない。 『なぜ私が、今あなたにすべての手掛かりを与えないか、それも含めて考えてほしいの』  祖母の言葉がよみがえる。  そのとき、部屋の外で人の気配がした。プルーデンスは護符を急いで箱におさめると、ふたたび箱を閉じた。それから飛びこむように寝台に入って、寝具を頭からかぶる。  と同時に、部屋の扉が音もなく開く気配がして、誰かが部屋に入ってきた。 (眠っているようだ) (この時間だからな。彼女の荷物は? ……そこにあるのは宝石箱か)  囁《ささや》き声がする。ラディックスだ。彼はプルーデンスが机の上においたままにした木象嵌の宝石箱に気づいたようだ。足音を忍ばせて、机のそばに歩みよってくる。  プルーデンスは寝息が自然に聞こえるよう呼吸をするが、鼓動が早まって息が乱れそうでしかたなかった。  ラディックスは蓋《ふた》の上部にある留め金を外し、箱の蓋を開けた。 (——中にあるのは、普通の装身具ばかりか。指輪に首飾り……護符はないようだな) (もしかすると今回の旅には持ってこずに、オパリオンに残してきたのかもしれぬな。どうする。娘を起こして話を聞くか?) (いや。やめておこう。なにごとかと思われてはまずい。明日の朝一番に聞こう)  宝石箱を閉じる音がする。 (護符がオパリオンにあるなら、我々にとってはむしろ好都合だな) (しかし最近は王都の貴族どもが西部沿海州の動向に注目している。油断はできん) (陸軍派の貴族どもか! ふん、奴らをのさばらせるなど、国王陛下にも困ったものだ)  ふたりはしだいに声をひそめながら、部屋をでていった。  彼らの気配が完全に消えると、プルーデンスは寝具をはねとばして起きあがった。そして、机の上の宝石箱に駆けよる。そして寄せ木細工でつくられた幾何学模様の数片を、幾度か指先ですべらせて、箱の下部にある隠された場所から護符を取りだした。  この宝石箱はからくりじかけになっていて、上部の蓋は普通に開閉できるが、寄せ木を移動させて開ける別の秘密の引き出しがあり、護符はそこに入れてあったのだ。  プルーデンスは護符を握りしめた。自分はこの護符を守らなければならない。祖母が自分を信じて託してくれたのだ。もう一枚の五角形の護符は盗まれた。どこの者かはわからないが、このトゥスム宮内部にいる人間とみていいだろう。残る護符を同じ者に奪われれば、その者は迷宮を解いてしまうに違いない。 (でもいったい誰が護符を盗んだのかしら? 西方諸国の者? そして私は最後にはどうすればいいのかしら。本来の持ち主である大伯父様にお返しすればいいの?)  プルーデンスは、昼間に訪れた鳥の塔を思いだした。  入り口のない鳥の塔。それは、塔を訪れる鳥を人間が驚かせたりしないようにとの配慮から、そのようにされた。そして、いつか精霊が鳥の塔に戻ってくるときのために、鳥の塔は人を遠ざけて神聖な場として大切に守られている。 (——あの塔に、人間の世界の政治や戦《いくさ》を持ちこんではならないわ)  プルーデンスは思った。祖母は故郷のアラニビカ島と、鳥の塔を愛していた。鳥の塔を、権力の駆け引きの材料にしてはならない。  プルーデンスは少し考えたあと、宝石箱から装飾品をいくつか取り、護符と同じ鎖にとおした。そして鎖を首にかけ、衣装の下に隠す。それからマントを羽織って、ふたたび部屋を抜けだした。 (お父様やラディックス様に目をつけられてしまった以上、護符をこのままにしておけないわ。宝石箱ごと取られたらおしまいだもの。かといって自分の身につけていても、ばれてしまう恐れがあるし。一刻も早く、誰にも知られない場所に隠さなければ。そのあとで、盗まれたもう一枚の護符を取り戻す方法を考えましょう)  通用門の近くまで行ったが、門は夜間なので固く閉ざされていた。しかも門衛がふたりに増えている。盗難騒ぎがあったばかりなのだから当然だ。プルーデンスはしかたなく庭園まで戻り、植えこみの陰に腰をおろした。  今夜中に宮殿を抜けだすのは無理かもしれないが、夜明け前には使用人たちが動きはじめる。行商人たちも通用門を出入りするだろう。そうしたら宮殿をでていこう。誰かがプルーデンスの不在に気づくまでに、ある程度の時間が稼げるはずだ。  プルーデンスはマントの前をかき合わせ、夜気をしのいだ。暗闇《くらやみ》の中を、花の甘い薫りがただよってくる。鳥の啼《な》く声もときおり聞こえた。 (——でも吟遊詩人の歌は聞こえないわ。もう宴の席からさがったのかしら)  プルーデンスはさまざまなもの思いの合間に、そんなことを考えた。  重大な問題を抱えた今、詩人の歌を思うことは、プルーデンスの心を清涼に和ませた。  翌朝、空が白みはじめるとプルーデンスは庭園の泉で顔と手を洗った。明るくなると悪目立ちする緋色のマントは脱いで、植えこみの陰に隠す。中に着ていたのは、昼間には目立たなそうな、少しくすんだ淡い色の衣装だ。胸元や裾《すそ》にこった刺繍《ししゅう》がしてあるのだが、刺繍糸が布地と同じ色なので遠目には無地の服に見える。  大公宮の中でも人が動きはじめたらしい。通用門も開き、産みたての卵、搾りたてのミルクなどを積んだ小さな馬車が何度かプルーデンスの前を行き来した。  さらにしばらく待って機会を狙っていると、裏口から人がでてきた。  蒼い衣を朝の風になびかせた長身が、木々のあいだに垣間見える。 「——詩人」  プルーデンスは植えこみの陰から姿をあらわした。詩人は彼女を見ると目をみはった。 「プルーデンス。どうしたんだい」 「私、ちょっと家出するの。昨日見てたでしょ、お父様が私を盗人扱いしたから、腹立ち紛れに家出してやろうと思って」  プルーデンスは拗《す》ねたふうを装って言ったが、詩人は小さく笑った。 「本当に腹立ち紛れになにかしでかす人は、自分でそういうことを口にしないよ」 「そんなことどうでもいいわ。それより私が大公宮から抜けだす手助けをなさい。昨日の盗難騒ぎのせいで門衛が増えているの。私ひとりでもなんとかできるけど、誰かが手伝ってくれたほうが危険が少なくてすむわ」  詩人は浮かべた微笑を消し、真面目な表情をした。 「お望みのままに。……昨日は私のせいであなたがお父上に疑われて、大変に申し訳なかった。お詫《わ》びにはとても足らないが、せめてなんなりとお手伝いするよ」 「謝ったりしないで。口出ししたのは私の勝手よ。お前は関係ないわ」  そうは言ったものの、語尾が震えそうになって、プルーデンスは奥歯をかみしめた。父や母の態度があらためて思いだされて気が乱れ、詩人の目を見ていられなかった。  詩人が手を伸ばしてきた。頭をなでたりしたらその手をふりはらってやろうと思ったが、詩人はプルーデンスの髪についた木の葉を取り去っただけだった。 「——愛はこの世にあふれているが、しかし同時に、とても稀《まれ》なものでもある。きっとあなたが思うよりも、孤独な人はこの世にずっと多いのだ、プルーデンス」  詩人は木の葉を風に散らして、静かな口調で言った。慰めているつもりだろうか。大きなお世話だと思ったが、プルーデンスの口をついてでたのは違う返答だった。 「オーギアお兄様は愛されているわ。お兄様は勉強がお嫌いだけど、でも冗談と乗馬はお好きなの。いつもふざけて騒がしくて明るくて、いるだけでお母様に愛されているわ。お父様も、お兄様は跡継ぎだから大切にしているの。お兄様は幸福よ。なのにお兄様は、私が勉強が好きだからって私のことをお嫌いなのよ。ずるいわ」 「あぁ、そういう人もいるね。いろんな人がいるよ。無慈悲で浅慮なのに愛される人もいるし、優しくて相手を理解しているのに、愛されない人もいる。この世は不公平で不条理で、割に合わないことばかりだよ、プルーデンス」 「そんなのひどいわ。嫌だわ。私——」 (私、愛されたい)  祖母がそうしてくれたように、ありのままの自分を無条件に肯定して、愛してほしかった。だが祖母は死んでしまった。プルーデンスにとってあれほど大切な人だったのに。本当に、なんてこの世界は不条理なのだろう。  プルーデンスは祖母の形見の護符を、衣装の上から手で押さえる。祖母から受けた愛情に報いるためにも、今はせめてこの護符を守りたかった。  詩人はそんなプルーデンスを黙って見下ろしていたが、しばらくすると言った。 「その様子では夜中からここにいたようだね。——少し待っていてくれないか」  そう言って邸のほうへ戻ると、裏口から中に向かってなにか言った。すぐにカルミアがあらわれて、詩人に小さな包みを手渡す。あの裏口は大公宮の厨房《ちゅうぼう》に続いていたから、あの包みも食料だろう。  詩人はカルミアの耳元でなにごとか囁いた。たちまちカルミアが頬をほんのり染め、笑みを浮かべて詩人の腕に手のひらをそわせた。 (まぁ。なんなの?)  詩人が戻ってきたときには、プルーデンスはそっぽを向いていた。 「プルーデンス。朝食はまだだろう? 焼き菓子と葡萄《ぶどう》だ。宮殿を抜けだしたら、どこかで食べよう」 「お前ひとりで食べればいいわ!」  プルーデンスは思いきり詩人をにらみつけて言いはなった。昨日からなにも食べてもいないし、ろくに寝てもいないことなど頭から消え去っていた。  ついでに両親から愛されていなくて云々《うんぬん》という哀しみまで消えていたが、プルーデンスもそこまでは気づかなかった。  詩人はまた黒い目をみはったが、今度は軽く肩をすくめただけだった。 「なにしてるの。行くわよ。そろそろ使用人たちが本格的に仕事を始める時間だわ」 「仰せのままにね。行こうか」 [#改ページ]      六  通用門には門衛がふたり、左右それぞれの扉の前に控えていた。  プルーデンスは先に詩人を通用門に向かわせて、門衛と話をしてもらった。  彼らの注意がそれているあいだに門を通りすぎようと思ったのだ。  しかしプルーデンスは内心、少し不安だった。昨日は通用門の警備がゆるかったし、大きな馬車が門衛のそばにとまっていた。だが今朝は、盗難騒ぎがあったばかりで門衛も厳重に注意をしている。プルーデンスは人の視線や動線をすり抜けて動くことを得意としていたが、今朝は条件が悪かった。  今も門衛のひとりは詩人の話を半分聞き流して、目を門の周囲に向けている。詩人も門衛の注意をそらそうとしてくれているが、彼がうまく話をして一方の門衛の注意を引きつけるほど、残るひとりが門に集中してしまうのだ。  詩人が、なかなか行動を起こさないプルーデンスのほうをちらりと見やった。 (焦るのは禁物だけれど、あまり時間をかけると詩人まで疑われるわ)  いちかばちか挑戦しようかと、身を乗りだしたそのとき、急に強い風が巻きおこった。  風は狭い隧道《すいどう》に入りこむとさらに勢いを増して、吟遊詩人の蒼《あお》い衣を大きくなびかせた。衣はまるで大きな翼のようにひるがえって、門衛たちの視界をふさいでしまう。 (今だわ)  プルーデンスは風に背を押されるように走りだすと、波うつ蒼い衣のあいだをすり抜けて、一気に門の外に抜けでた。 「なんだ、陸風か!? すごい風だったな」 「衣が顔に当たってしまったかな? すまなかった」  詩人は楽器で衣を押さえつけながら、門衛たちに声をかける。その隙《すき》にプルーデンスは、並木の陰に身を隠した。 「いやいや、大丈夫だよ。それより、今日も街に見物に行くのかい?」 「まだ決めていないが、せっかくアラニビカ島に来たんだからね。いろいろ見たいんだ」 「出歩くのはいいが、疑われるようなふるまいはしなさんなよ。大公様は気さくに見えて実は厳しい御方だからね」 「あぁ。忠告ありがとう」  詩人も門をはなれた。プルーデンスは、詩人が近づいてくるとふたたび蒼い衣の陰に隠れ、そのまま一緒に路地に入った。 「うまくいったわね。風がちょうどいいぐあいに吹いてくれて助かったわ」  詩人は楽器を抱《かか》えなおし、うなずいた。 「——さて。トゥスム宮をでたはいいが、このあとどこへ行くつもりだい?」 「アラニビカの市場に行ってみようと思っているの」  本当は鳥の塔に行きたかった。しかし丘に登る道は一本道だ。もしものときは逃げようがない。それよりも、人が多くて建物や路地も入り組んでいる街の中のほうが、かえって人目につかないし、逃げ隠れもしやすいだろう。 「私も一緒に行くよ。家出のお供というのも妙だけれどね。だが大公の宮殿では昨日盗難騒ぎがあったばかりだ。ひとりで歩きまわるのは不用心だよ」 「……そうね」  プルーデンスは少し考えこんだ。  今、プルーデンスは、鳥の塔の謎《なぞ》の手掛かりとなる護符を隠し持っている。オパルス伯やラディックスだけでなく、アンドラーシュ大公や西方諸国《ファルゲスタン》も、この護符の存在を知れば狙《ねら》うに違いない。祖母の遺品の護符を盗んだ者は言わずもがなだ。  いくらプルーデンスが機転の利く少女でも、この状況でひとりでいるのは危険だった。誰かがそばにいてくれれば心強い。  問題は、この蒼い衣の吟遊詩人の正体が、いまだわからないということだった。  少なくともオパルス伯やラディックスの知り合いでないのはたしかだ。  ではアンドラーシュ大公の手の者か。それとも西方諸国から来たのだろうか。  あるいは、まったく別の誰かの下で働いている可能性もある。 (いえ。どこの誰かなんてどうでもいいわ。——この人は味方になってくれるかしら?)  確実に今わかっているのは、祖母の護符を盗んだのは詩人ではない、ということだ。  プルーデンスは隠した護符を、ふたたび衣装の上からそっと押さえた。  彼女が黙っていたのをどうとったのか、詩人がごく真面目な口調で言った。 「今日はあなたと一緒にいても、あとであなたに迷惑がかからないよう気をつけるよ」 「馬鹿《ばか》ね。そんなこと考えていないわ。一緒にくればいいわよ」  プルーデンスは思わず答えてしまい、眉《まゆ》をひそめた。 「それよりも迷惑というなら、私が滞在する邸《やしき》で慎みのない真似《まね》はしないでほしいわね」詩人は片方の眉をひょいとあげた。 「もしかしてカルミアのことかい?」 「その前の日はエリカと親密にしている様子だったじゃないの」 「……なるほど。あなたの目はごまかせないな」  詩人は苦笑した。 「だがプルーデンス、慎みがないなどとんでもない。生身の人間には、あたたかな肌で触れあい慰めあうことが、息をしたり食べたりするのと同じくらい必要なんだからね。快楽は目的ではないよ。そんなものはひとりでもなんとでもできる。エリカもカルミアも、孤独な私を優しく癒してくれた。私も彼女たちに同じものを与えられたと思う。私たちはお互い感謝しているんだ。大切なのはそこだよ」  プルーデンスはひるんだ。彼女にしては珍しいことだったが、無理もない。大貴族の令嬢であり、まだ少女でもある彼女に対して、男女のかかわりについてこんなふうに遠慮なく口にした人間ははじめてだった。  子供扱いせず、率直に話してくれること自体はかまわない。プルーデンスには充分な理解力と洞察力が備わっていたし、知識もあった。それを見抜けない者に子供扱いされるのは、プルーデンスには苦々しいことだった。  しかしプルーデンスは、精神こそ大人に負けていなかったが、身体は見かけのままに未成熟だった。肉体的な快楽への憧《あこが》れや興味はいまだなく、詩人たちの奔放な行為を実感として理解することはできなかった。それよりも警戒心のほうが強い。 「だったら人の邸の女中を誘惑してないで、相手を探して結婚すればいいでしょう」  プルーデンスはそう答えてみたが、詩人は首をふった。 「私には名前がないんだよ。妻は私の名を呼べないし、神殿で婚礼を誓いあうこともできない。それでどうして結婚なんてできるだろうね」 「名前はつければいいじゃないの。故郷がなくても、新しい土地に暮らせばいいわ。孤独で寂しいのでしょう? なのにどうして一夜かぎりなんて軽薄な関係を結ぶの」 「一夜で充分だからだよ。それ以上は私には荷が重すぎるんだ」  詩人は、弦楽器の棹《さお》の部分をちょっとかかげてみせた。 「私は吟遊詩人だ、プルーデンス。自由と歌と孤独を運命づけられているんだよ。私は歌そのものであるといっていい。たったひとり、この広い天と地を旅して、この世界の歌を歌っていられればそれで幸福なんだ。たとえ誰ひとり聞いていなくてもね」  それからその黒い瞳《ひとみ》の色を、ふっと深くした。 「けれど深い山々や、森や荒野を何日も旅していると、本当にときどきだけれど、孤独がつらくてしかたなくて、胸をかきむしりたくなることがある。この身体が生身の男である以上、しかたないことだね。そんなとき私は村や町に向かう。誰かに会って、言葉を交わし歌い、触れあう。そうして生命をたしかめるんだよ。自分はひとりではないと思いだすんだ」  プルーデンスは黙っていた。  詩人はいろいろ説明してくれたが、彼女にはなにも伝わらなかった。  孤独や寂しさの部分だけなら、理解できる箇所も多い。  だが祖母や母の愛情に飢えているプルーデンスにとっては、詩人が語る男女のありようには、なんの憧れも感じられなかった。そんな関係は、ただ寂しさが増すだけのような気がした。それが大人なら、大人になるのはごめんだとすら思えた。  こんなふうに思ったりするのは、自分がまさに子供で未熟なせいなのだろうか。 「……プルーデンス?」  黙りこむプルーデンスを案じるように、詩人は呼びかけてきた。だがそれだけでなんの言い訳もしなかったし、『大人になったらあなたにもわかるよ』というような、腹立たしく愚かな慰めも言わなかった。それがプルーデンスにはありがたかった。  ふたりはしばらくそのまま、黙って歩き続けた。  港の市場が近づいているのだろう、黄褐色の石畳の道は太い道と合流しては、またさらに広くなっていく。そのたびに、路上を歩く人の数も増えていく。  多くの人がいて、それと同じ数だけの多くの人生があり、それらがこうして道の上で行きかうことが、プルーデンスにはふしぎなことに思われた。それは昨日、鳥の塔を見たときに受けた感動とはまた別の、しかし同じくらい深い感慨だった。  雑踏の人々と自分の立ち位置を別にしているものは、なんなのだろう。ずっと昔の、ほんの些細《ささい》な出来事が、今の自分と彼らを隔てているのではないか。  岐路に行きあたるたび次に進むべき道を選ぶ、その果てに、自分はどこへ行きつくのだろう。プルーデンスはそんなことを考えた。 (私はどんな大人になるのかしら)  プルーデンスは詩人を見あげた。詩人はずっと彼女の視線を待っていたように、プルーデンスを見下ろしていた。その目を見ると、プルーデンスの胸をふさいでいた漠然とした不安も、詩人が語った男女の生々しさも、薄れていくと感じられた。  やがてふたりは、港近くにたつ市場に行きついた。  鳥の塔の広場ような五角形ではなく、少し不正確な四角形の広場で、ずっと広い。広場を取り囲むように高級店が軒を並べ、広場の中には大小の屋台や露店が並んでいた。市場の規模はオパリオンより小さいものの、多様さ、人と品物の豊富さでは負けていない。  アラニビカ島は海上交易の中継地だ。陸路は持たないが、かわりに海洋民族である海人が遠い異国から運んできた、高価で珍しい商品を扱っていた。  海人の遠洋船は速く、しかも商品の破損がほとんどない。商人にとって海人の運ぶ品は魅力的な投資対象だったが、海人たちは滅多に大陸に近づかなかった。おかげでアラニビカ島は海人が寄港する数少ない島のひとつとして栄えてきた。  プルーデンスは足を速めた。市場には目的があって来たのだ。 「珍しい商品がいっぱいね。——まぁ、あれって東国の漆器《しっき》じゃないのかしら」  プルーデンスは店に並べられた艶《つや》やかな黒の器をのぞき見て言った。漆器は砂漠を越えた大陸の東の、さらに東にある小国が名産地と聞いている。 「綺麗《きれい》。あれほどの見事な商品はオパリオンでも手に入らないでしょうね」 「アラニビカ島には海人の船が入港するからね。海人の船は速いし、ずっと遠くにある、他の大陸まで航海するというよ」 「海の向こうなんて、想像もつかないわ。でも漆器には花の模様が描かれているのだから、そこには美しい花が咲いていて、人がそれを愛《め》でているのでしょうね」  店主がプルーデンスたちの会話を聞きつけ、愛想よく笑った。 「人や時代や土地は変わりますが、美しいものは不変ということでございましょうね。お嬢様、よろしければゆっくり見ていってくださいまし」  プルーデンスも相手に笑み返した。 「ありがとう。ところでうかがいたいのだけど、市場の管理事務所はどこかしら?」 「……管理事務所、ですか?」  店主は目を見ひらいた。 「えぇ。この近くで誰かの落とし物を拾ったから、届けようと思って」  都市には商業組合があり、港や市場にはその管理事務所が置かれている。彼らは出入りする船を把握し、施設の保全を行い、商品や貨幣にごまかしがないかを見張っていた。  拾得物や遺失物の管理も彼らの仕事のひとつだ。  五角形の護符を、拾得物としてこの管理事務所にあずけてしまおうというのが、プルーデンスの魂胆だった。 (木の葉を隠すなら森の中だと言うもの。物を隠すなら市場だわ)  護符を荒野や森に隠すというのは、最初から考えていなかった。ここは城壁に囲まれた都市だ。プルーデンスのような少女がひとりで城門からでていくとなれば、どうしても人の目に立つ。あとから取りに行くのも面倒だ。  かといって、都市の城内に隠すのにも問題があった。うまく隠したところで、いつ誰に見つかるかわからない。たとえ善意の人に拾われたとしても、ややこしいことになる。  だったら最初から『落とし物』として届けたほうがいい。  これほどの規模の市場なら拾得物の数もそれなりの数だろう。オパリオンでは港の拾得物は、拾った日と場所と品物の特徴をごく簡単に記して、生物等でないかぎり管理事務所の倉庫に保管していた。アラニビカの市場でも同じようなものではないか。  失った日時や品物がはっきりしていれば、後から戻ってくる確率は高かった。特に高額の装身具や護符は、衣や雑貨よりも長い期間保管してくれるから、折を見て取りに来ればいい。  プルーデンスは部屋をでるときに、高価な宝石のついた装飾品を持ちだして、護符と同じ鎖にさげていた。これなら拾得物の記録には『護符』でなく『高価な装身具』と記載されるだろう。誰かが拾得物の記録から護符を探しだそうとしても難しいはずだ。 「それとも市場の管理事務所は、アラニビカ政庁内にあるのかしら」  だとしたらトゥスム宮のほうに逆戻りになってしまう。なにより、届けた護符の存在が大公はじめ政庁内部の人間にばれてしまう恐れも高い。プルーデンスはそのことを危ぶんで尋ねたのだが、店主は首をふった。 「いえいえ。たしかにこの都市は大公様が治めていらっしゃいますけどね、商人組合の力も強いんですよ。市場の管理も組合に委ねられてます。市場の落とし物は組合の商館に持っていくのがいいでしょう」  そう言って、身を乗りだして市場の奥を指さした。 「組合の商館は市場の東側、水飲み場の近くです。でも今日は商館は混んでいるかもしれません。そろそろ夏至の祭礼の準備がはじまるので、鑑札を売りだしますからね」  彼が言う鑑札とは、臨時にだされる営業許可証のことだ。祭の期間には、見物客をあてこんで、食べ物や土産物、晴れ着まで、さまざまな業種の商人が屋台や店を開く。  特に風の精霊の伝説を残すこの島では、季節ごとの祭は風の変化と関連づけて重要視されていた。祭の時期に鳥の塔を訪れる旅人や船乗りの数も多い。したがって、店をだそうとする商人の数も多かった。 「とにかく行ってみるわ。ありがとう」  言われたとおりに行ってみると、市場の東の端《はし》に木陰に囲まれた水飲み場があり、そばに商館らしき建物があった。店主の言葉どおり商館は混んでいて、建物の外にまで行列がはみだしている。それでも待っている人々は皆のんびりと座りこみ、煙草をのんだり馬を休ませたりしていた。 「プルーデンス。私たちもここで朝食にしよう。商館はそのうち空《す》くよ」  詩人はそう提案して、並んで木陰にある石造りの長椅子《ながいす》に座った。  それから詩人は、焼き菓子と葡萄を取りだした。プルーデンスも、正直なところかなり空腹だったので、さしだされた焼き菓子を素直に口にする。  カルミアが用意してくれた菓子には胡桃《くるみ》や干した無花果《いちじく》が入っていて、とてもおいしいものだった。翡翠《ひすい》色の葡萄もみずみずしく、喉《のど》を甘くうるおしてくれる。  この食べ物はもしかしたら使用人のためのものではなく、大公やプルーデンスたち客人のために用意されていたものではないだろうか。カルミアは、詩人においしいものを味わってもらおうと、これらを大公家の厨房から失敬したに違いない。 (……カルミアやエリカも寂しかったりするのかしら)  詩人はそれを慰めてやったのだろうか。だとするとこの食べ物は詩人への感謝のあらわれかもしれない。  主人の立場としてはカルミアを叱責《しっせき》すべきかもしれなかったが、プルーデンスにはカルミアの行為が切実で人間的な、そして優しいものに感じられた。 「——そういえば、エリカとカルミアは仲がよくて、いつも一緒にふたり部屋を使うのよ。お前、よく一昨日《おととい》と昨夜《ゆうべ》とそれぞれにばれなかったわね? ばれたら修羅場でしょうに」  何気なく言った途端、焼き菓子を食べていた詩人が盛大にむせて咳《せ》きこんだ。 「お行儀が悪いわ!!」  今までにない厳しさで、プルーデンスは一喝した。 「も、申し訳ない」  詩人は焦って蒼い衣の裾で口元をぬぐったが、まだ気管にものが詰まっている様子だ。喉にからんだ咳を続けている。プルーデンスは不愉快そうに詩人を見すえた。 「なによ。もしかして既に修羅場になったの? もう口出しをする気はないけど、でも人の邸の使用人のあいだに、波風を立てないでほしいわ」 「いや、そんなことはない。ふたりはちゃんと仲良く…………いやいや——」  詩人は曖昧《あいまい》に言葉|尻《じり》をにごしたが、プルーデンスはそれを許さぬようにじろりと詩人をにらみつけた。  詩人は小さくため息をつき、息を整える。 「……その、ね。ごまかすようで申し訳ないが、これは私ひとりのことじゃないから。私の一存で勝手に喋《しゃべ》るわけにはいかないんだよ。わかっていただけるかな」 [#挿絵(img/AFDPG_123.jpg)入る]  プルーデンスは思案した。たしかに自分の立場で考えてみれば、自分たちのあいだだけと思っていた会話が勝手に他人に知れ渡っていたら、嫌な気分がする。それが男女の仲のような私的なことなら、なおさらだろう。 「お前の言うとおりね。私が立ち入ったことを質問してしまったみたい。謝るわ」 「ご理解いただいて、いたみいるよ、プルーデンス」  詩人は深く息をついた。どうやら深刻な部分に触れてしまったようだ。  それにしても、いつも余裕のある吟遊詩人の焦った表情を見られたのは興味深かった。  プルーデンスはふんと笑ってやった。 「お前って、意外と間が抜けてるのね」 「私は女性に悪《あ》しざまに罵《ののし》られたり、足蹴《あしげ》にされたりしても気にならない。状況によってはけっこう好きでもあるしね」  詩人はいつもの穏やかな口調に戻って言った。 「——だが、今の言葉はさすがに少し傷ついたよ、プルーデンス」 「いい薬だわ」  プルーデンスはすました表情で言った。  そのとき、商館の前に並んでいた初老の男が、列をはなれてプルーデンスと詩人に歩みよってきた。男は色あざやかな刺繍を施した短い上着を着て、薄い色の瞳をしている。一見して、西方の裕福な商人だと知れた。プルーデンスは緊張して身をすくめたが、男は詩人のほうだけを熱心に見つめていた。 「失礼……もしかしてあんたは、『蒼い衣の吟遊詩人』かね。本物の名無しかね?」  訛《なま》りのある言葉で話しかけてきた。 「そうだよ。なにか用かな?」  詩人が答えると、男は懐《なつ》かしげに目尻のしわを深めた。 「やはりね。私はずっと昔、いちどだけ『蒼い衣の吟遊詩人』を故郷で見たんだ。その詩人は金髪で、今のあんたより年上だったように記憶しているがね。……あぁ、懐かしいな。本当にすばらしい歌声だった。私の婚礼の席で、祝歌《しゅくか》を歌ってもらったんだよ」  男は自分の言葉をかみしめて味わうように、うっとりと目を閉じた。 「妻とは幼馴染《おさななじ》みだった。あの日の妻と祝歌は、今でもよく覚えているよ——」  目を開けると、男は言った。 「なあ、どうか私の思い出のために歌ってくれんかね」  男は丁寧に吟遊詩人に頼んだが、詩人は首をふった。 「いや。申し訳ないが」 「なぜだね? 歌はなんでもいいよ。こんな場所で婚礼の祝歌もおかしいからね」  そのころにはプルーデンスたちの周囲に人が集まっていた。商館に並んでいた商人や、楽器を手にした吟遊詩人だ。特に吟遊詩人の幾人かは、蒼い衣を興味深げに見ていた。 「おい、あんた。歌ってくれないか。俺もぜひ聞きたいね」 「創世の神話を歌ってくれ。光や風や、最初の『蒼い衣の吟遊詩人』が生まれる話がいい」  プルーデンスは詩人に囁《ささや》く。 「歌ってあげればいいじゃないの」 「プルーデンス。しかし——」 「私も創世の神話が聞きたいわ。時の神が誕生するくだりを歌ってちょうだい」  詩人は目をみはり、それから小さく笑みをもらした。 「わかったよ。ただし、私からはなれないように」  そう言うと、楽器をかまえて、弦を調えた。  それから、ゆっくりと歌いだした。  途端、水面に波紋が広がるように、広場の人々が詩人のほうをふりむき、息をひそめて音楽に聴きいるのが、プルーデンスにも感じられた。  豊かな深い声がたゆたい、広がっていく。たちまちのうちに、大勢の人でにぎわう都市の市場は、創世の神話の世界に取ってかわられた。  世界が創造されたばかりのころ、ものには名前がなかった。すべては混沌《こんとん》としてまじりあい、創世の強い力の余韻にたゆたっていたと伝えられる。  そこに神が名をつけ、秩序をつくりだした。その中でただひとり、名無しであること、すなわち自由であることを許された精霊、それが蒼い衣の吟遊詩人だ。  今、アラニビカの広場で歌う詩人は、創世のころの蒼い衣の吟遊詩人そのままかと思えた。それほどその歌声は霊妙に響きわたっていた。歌は詩人の口からではなく、どこか遠い異世界から聞こえてくるようだった。  詩人の周りで風が起こる。蒼い衣が大きく波うって、人々の夢見心地をさらに誘った。  いつの間にか、プルーデンスたちの周りには大きな人垣が作られていた。誰もが我を忘れたような表情で詩人を見つめている。  人々の視線が、詩人を見るついでに自分にも向けられては、夢から覚めかけたようにゆらぐ。それがプルーデンスは落ちつかない。徐々に後ずさり、人垣の中に入りこんだ。  詩人が歌いながらプルーデンスをちらりと見やったが、プルーデンスは手振りでかまわないでくれと伝えた。  だが人の中に入りこんだのは、失敗だった。小柄なプルーデンスはあっという間に人の輪の前にでようとする大人たちに巻きこまれて、左右から押されるはめになったのだ。  ここで地面に倒れてしまったら、踏みつぶされかねない。彼女は必死で周囲の人間の裾にしがみつき、倒れないようにした。  詩人がプルーデンスの窮状に気づいて手をとめようとする。 (だめよ! 歌をいきなりやめてはだめ!)  プルーデンスは首をふって、これも押しとどめた。もしも今詩人が歌を中断したら、夢見心地でいる人々が覚めて、緊張が切れてしまう。そうすると人の輪が一気に崩れる恐れがあった。そうなったら今度こそプルーデンスは人波に巻きこまれてしまうだろう。 (歌い終わるなら、ゆっくりと、静かに終わって。それまでにもういちど前にでるわ)  目で訴えると、通じたのか詩人はかすかにうなずいた。  旋律の調子が変わって、歌が終盤に向かいかける。プルーデンスはそれにあわせて人混みから抜けでようとした。そのときだった。 (お嬢ちゃん。つぶされそうじゃないか。こっちにおいで)  プルーデンスの肩に、誰かが手をおいて囁いた。船乗りだろうか、武骨な腕輪をはめた大きな手だった。プルーデンスはほっとしてふりかえる。 (ありがとう。助かるわ) (ほら、こっちだ。もう少しおさがりよ)  手首を握られて、強く引かれた。  次の瞬間、プルーデンスは口元を強い臭いのする布で押さえつけられ、体ごとさらいあげられた。驚きは布に吸いこまれて、声にならない。抵抗しようとしたが、身体に巻きついた毛深く太い腕は、プルーデンスの小さな手ではびくともしなかった。 (——詩人!)  せめて彼のほうをふりかえろうとしたが、それもできずに、プルーデンスは布をかぶせられた。そのまま天地がぐるりと回されて、プルーデンスの意識は遠くなった。 「プルーデンス!!」  プルーデンスが見えなくなった途端、吟遊詩人は大声で叫んで立ちあがった。  唐突に歌がやんで、人垣が戸惑ったように大きくゆれる。けれど詩人はそれらすべてを無視して、突進する勢いで歩きだした。 「詩人さん? すばらしい歌だったよ。あの——」 「すまない。とおしてくれ」 「どうしてやめてしまうの?」  周りの人々が詩人に群がったが、詩人は大きな手で集まる人々を押しのけ、人垣をわって突きすすんだ。中途半端に夢から覚めた人々は、顔を見あわせつつも詩人から遠ざかっていく。  しかし人が散ったところで、詩人たちがいた場所はアラニビカ島でもっともにぎわっている市場だ。人の数は依然多く、豊富な品物を並べた屋台や店が軒を連ねている。大きな絨毯《じゅうたん》や人の背ほどもある水瓶、籠《かご》など、プルーデンスのような少女を隠す場所はいたるところにあった。  詩人はその長身であたりを見わたしたが、無論、そんなことくらいではプルーデンスを見つけることができない。  彼は端整な眉をひそめると、くるりと踵《きびす》を返し、大股《おおまた》で市場の出口に向かった。 「——待て」  そのとき、幾人かの男たちに左右から立ちはだかられて、詩人は歩みをとめた。  男たちは五人いた。どの男も船乗りらしく、日に焼けた肌に色褪《いろあ》せた髪をしている。だが鋭い目つきは、下級の水夫や漁師とも思えない。  ひとりだけ、他の男とはなれて少し後ろに立っている男がいた。年齢は三十代半ばだろうか。金茶色の髪と瞳に、腰には実用的な長剣をさげている。身長は詩人よりも低いが、肩は厚く、力ではけっして負けないだろう。  彼の視線は、他の男たちとくらべてきわだって厳しかった。厳しいといっても、プルーデンスの緑灰色の瞳が強い憧れをたたえているのとは違い、この男の目には相手を萎縮《いしゅく》させるような危うさがひそんでいた。  昨夜の大公家の宴では互いに顔をあわせなかったので、詩人も知らなかったが、この男がフィリグラーナ海軍士官、ラディックスだった。 「貴様がオスカーと名のって、オパルス伯に雇われている吟遊詩人だな」  ラディックスは冷ややかな声で言った。 「オスカー? ……あぁ。そういえばそうだったかな」 「我々とともに来てもらおう」 「申し訳ないが、私は男からの誘いには応じないことにしている。失礼」  詩人はあっさりと断ると、彼らの横を通りすぎようとした。  その詩人の前に、今度は若い女が建物の陰からあらわれて行く手をふさいだ。濃い褐色の髪を豊かな白い胸元にたらし、ぴったりした西方諸国風の胴着で細い腰を強調している。 「では女の誘いなら応じていただけるのかしら?」  詩人は無言で片方の眉をあげる。  女の手には短剣が握られて、詩人の腹に突きつけられていた。  詩人は黒い瞳をちらりと市場に向けた。午前中の商いは今が盛りで、人々は大きな荷物を背負い、忙しく行きかっている。数人が集まって商談している姿も多く、詩人がラディックスたちに取り囲まれている姿も、さして人目をひきそうになかった。  女は詩人を挑発するように見あげた。 「無駄な抵抗はやめてね。あなたもこんなところで騒ぎを起こしたくないでしょう?」 「たしかに」  詩人が素直に認めると、ラディックスは満足そうに冷笑した。 [#改ページ]      七  詩人がラディックスたちに囲まれてつれていかれたのは、湾のはずれにある船着き場の、古い倉庫だった。都市の城壁内とはいえ、周囲には人の気配もなく、建物は雑草に埋もれて寂れている。  もとは船を修理するための建物かなにかだったのだろう。石造りの壁は厚くしっかりしていたが、扉や窓枠などの木製の箇所は腐りかけ、床には古い帆布の切れ端や大工道具、滑車や、使われなかった木材などが散らばっている。  詩人の両手は、後ろ手に縛られていた。楽器は、男たちのひとりが持っている。  詩人は黄褐色の石畳の隙間《すきま》から雑草がでているのを見下ろし、次いであたりに目を向けた。丘の上にある鳥の塔は、建物の陰になってここからは見えない。 「きょろきょろしないで。機会を見て逃げようなんて、無駄なことは考えないことね」  詩人の背後から女が言った。彼女は詩人の背中にずっと短剣を突きつけたままだ。 「私は急いでいるのだ。どうか手短に願いたい」 「それはお前の態度にかかっているな」  ラディックスがふりかえりもせずに答えた。詩人は小さくため息をつく。  倉庫に入って扉を閉めると、ラディックスは詩人に向かって尋ねた。 「さて、答えてもらおうか。オパルス伯爵の令嬢はどこだ?」 「……あなた方がプルーデンスを拉致《らち》したのではなかったのか?」  意外そうに問い返した途端、ラディックスが詩人の頬《ほお》を強く張った。  詩人は声をあげなかったが、黒い髪が、かすかにこわばった頬を隠すように、はらりと落ちた。 「このような状況では、質問に質問を返さないことだな」  ラディックスの声音は、帳簿でも読みあげるかのように無表情だった。詩人は息を整えるためにか、もういちど小さくため息をついた。 「……プルーデンスは私の目の前で拉致された。私も彼女の行方を知りたいのだ」  答える詩人の声も、静かに落ちついている。 「プルーデンス殿はなぜさらわれた? お前は直前まで彼女と行動をともにしていただろう。お前がプルーデンス殿を大公の宮殿からつれだしたのか?」 「彼女には、なにか事情があるように見受けられたね。だが彼女は賢明な女性だ。私ごときになにも話さないよ。私はなにも知らない」 [#挿絵(img/AFDPG_135.jpg)入る] 「さて、それはどうかな」  ラディックスはわずかに視線を動かした。応じるように、詩人の背後で、詩人の手首を縛る綱を女がきつく締めあげた。詩人は眉《まゆ》をひそめる。  ラディックスは詩人に一歩、つめよった。 「プルーデンス殿の行方も重要だが、私が知りたいのはむしろお前のことだ、吟遊詩人」 「私?」  ラディックスは目を細め、詩人の胸を指でついた。 「お前はどこ国の手の者だ? 正直に言え。西方諸国《ファルゲスタン》か、アラニビカか——あるいはフィリグラーナの王都にいる貴族どもの狗《いぬ》ではないのか」 「王都か。そういえば最近、母親の違う王子たちとその後見人が、それぞれ派閥をつくっているらしいね。特に、国王は美女として名高い現王妃がお気に入りで、彼女の産んだ末王子と、彼の外祖父である陸軍|元帥《げんすい》の影響力が増しているとか」  詩人が陸軍元帥のことを口にすると、ラディックスや他の男たちは、嫌なことでも思いだしたようにわずかに顔をしかめた。 「元帥殿が、西方諸国に対する強硬派の先鋒《せんぽう》でもあるだけに、王宮ではきな臭い雰囲気がただよっているそうだ。なるほど、間者《かんじゃ》が暗躍しそうな状況ではあるな」 「一介の吟遊詩人にしてはやけに詳しいではないか」 「宮廷内の人間関係は、国王から侍女まで熟知しているのが吟遊詩人の基本でね」  詩人は肩をすくめた。 「だが私は、国々の興亡や王侯貴族に物語的な興味はあるが、特定の誰かに対する忠誠心はないよ」 「かもしれん。しかし忠誠心などなくても、金で動く奴は大勢いる」  詩人は首をふった。 「私を間者と決めつけて、味方、あるいは敵と見なすのはやめてほしい。私は『蒼《あお》い衣の吟遊詩人』だ。かつて世界に君臨した神々でさえ、『蒼い衣の吟遊詩人』を支配しなかった。それがどうして人間の王や貴族の手先になったりするだろう」  ラディックスは心を動かされたふうもなく、手を伸ばすと詩人の胸ぐらをつかんで引きよせた。 「戯言《ざれごと》をつむぐのが生業《なりわい》の吟遊詩人とはいえ、無駄口はそろそろやめたほうがいいな。私は短気などという愚行は犯さん。が、寛大でもない」  そう言うと、詩人の背後に向かってあごをしゃくった。詩人がぴくりと眉を動かす。背後に立つ女が、詩人の指に短剣の冷たい刃をあてたのだ。 「正直に言わぬと、指を斬《き》り落《お》とす。港での歌を聞くかぎり、吟遊詩人としての技量は本物のようだが、楽器が弾けなくなってもいいのか?」  詩人は目を伏せた。  それから、ゆっくりと瞼《まぶた》を開けた。 「——私が歌えなくなったり、楽器を弾けなくなることはないんだよ。私は音楽そのものだからね」 「なに?」  そのとき、部屋の隅に立てかけていた詩人の楽器が、高い音をひとつたてた。ラディックスも他の男も、いっせいに楽器のほうを向く。  誰も周りにはいないはずなのに、楽器の弦が震えていた。音はゆっくりと消えていったが、余韻はいつまでも残り、石造りの倉庫の中に異様な反響をもたらしている。  そのときふわりと風が起こって、ラディックスの髪が彼の頬をなぶった。  見れば、倉庫の中で風が渦をまいている。 (隙間風か? ——いや)  ラディックスははじかれたように詩人のほうに向きなおった。詩人の長い黒髪も蒼い衣も、風に大きくなびいている。 「……貴様、なにをした? いや、している?」  詩人は答えるかわりに、両手をあげた。  後ろ手に縛られていたはずの詩人の手は、縄が解けて自由になっていた。  背後に立つ女は驚愕《きょうがく》して、詩人から一歩退いた。 「いつ縄抜けしたの!? ずっと刃をあてていたのに、手なんか動かせなかったはずよ!」 「私を殺したり傷つけることはできても、縛ることはできないよ。誰にも、たとえ私自身がそう望んだとしてもね」  詩人はひどく澄んだ声でつぶやいた。  しかし男たちには、詩人の言葉を最後まで聞くことはできなかった。倉庫の中に吹きはじめた風が、今や凄《すさ》まじい嵐《あらし》となって吹き荒れていたからだ。  風は朽ちかけた倉庫の窓板をはがし、扉を壊し梁《はり》を軋《きし》ませて、あらゆるものをまきこみ、まきあげている。宙を切り裂く高い音と、ものが壊れる音が入り乱れて、人の声を聞くどころではなかった。  顔色を変えて身がまえるラディックスたちを前に、詩人は哀《かな》しげに微笑んだ。 「あなた方には痛い思いをさせることになるな。本当に申し訳ない。だが私は一刻も早く行かなくてはならないんだ。どうかわかってほしいね」  詩人は心の底からすまなそうに言ったが、その言葉は誰の耳にも届いていなかった。  しばらくして、ようやく風が静まった。  その場に残っているのは堅牢《けんろう》な石壁だけで、それ以外のものはすべて無惨な残骸《ざんがい》となり、足の踏み場もなく散らばっていた。  ラディックスたちも、倒れた柱や大工道具にまじって倒れている。いずれも気を失っていた。頭から血を流していたり、手足が妙な方向を向いて骨折などしているようだが、瀕死《ひんし》というわけではなさそうだ。  部屋の隅に、先刻《さっき》とまったく同じに、楽器がたてかけてあった。  なにもかも破壊され尽くした倉庫の中で、楽器だけは傷ひとつ受けていない。弦はまだ震えており、音として聞こえない音を発している。  詩人は微笑むと、楽器に歩みより、指先で弦を押さえた。弦の震えが静かにとまる。すると倉庫の中に残って渦巻いていたかすかな風も、完全にやんだ。  楽器を拾いあげると、詩人は扉の失われた倉庫の出口から外にでた。  詩人の背中に短剣を突きつけていた女が、倉庫の外にまで飛ばされていた。服の裾《すそ》が大きくめくれあがり、あられもない状態になっている。  詩人はひょいと片方の眉をあげた。女に近づくと、裾を整えてやる。女は小さくうめき声をあげたが、詩人は長い足で女をまたぎ越し、その場から立ち去った。  倉庫の外は先刻と同じに静まりかえっていた。海鳥の声と、波がうちよせる音が聞こえるだけだ。詩人は片側がすぐに海になった石畳の細い道を通り、街のほうへ向かった。  突然、歩く詩人の衣がばっとまきあがった。  続いて、詩人の髪や蒼い衣が幾度もまきあがる。まるで目に見えないなにかが詩人と戯《たわむ》れるようだ。詩人は苦笑をもらし、乱れた髪を押さえつけた。 「こらこら——さっきの騒ぎに引かれて、集まってきたんだな」  詩人はつぶやいて、宙に向かって手をさしだした。 「だがちょうどいい。皆、私の声が聞こえるね? 力を貸しておくれ。ある聡明《そうめい》で小さな女性を捜すのを手伝ってほしいんだよ」  プルーデンスは人の気配を感じて、ゆっくりと意識を取り戻した。  すぐに目に入ったのは、染みの浮きでた低い天井だ。天井近くにある小さな窓から、午後の日がさしこんでいる。 (……そうだわ。私、市場で誰かにつかまってしまって——)  強い薬酒かなにかを嗅《か》がされたのだろうか。まだ少し、酩酊《めいてい》感が残っている。プルーデンスはゆっくり数を数えて、頭をはっきりさせようとした。 (お祖母《ばあ》様にいただいた護符は——)  真っ先にそれを思った。しかし衣の下を探るまでもなく、護符の重みが消えていることに気づいていた。奪われたのだ。  プルーデンスは身体《からだ》を起こす。埃《ほこり》っぽい石の床の上に、直《じか》に寝かされていたのだと気づいた。縛られたりはしていない。 (ここはどこかしら。詩人はどうしたのかしら)  小さな部屋だ。少し黴《かび》くさいのは半地下にでもなっているのだろう。もとは食料かなにかの貯蔵庫だったかもしれない。家具もなにもなく、壁は黄褐色の石材がむきだしになっていた。天井近くにある窓には格子がはまっていて、脱出口になりそうもない。  部屋の唯一の出入り口は、寝台の正面にある扉で、それは今はかたく閉ざされている。  扉の外で人の気配がした。プルーデンスを目覚めさせた気配だ。なにかを喋《しゃべ》っているが、声はくぐもっていて言葉はよく聞きとれなかった。  ただ、声が緊張をはらんでいるのは感じとれる。  プルーデンスは足音を忍ばせて扉のそばへ歩みより、鍵穴《かぎあな》から外をのぞいた。  男が数人、机をかこんで座っている。黒衣の袖《そで》からでた指が、祖母の護符を裏返し、また表に返して子細に調べているのが見えた。  鍵穴からの視界は極端に狭く、黒衣の人物の顔は見えない。手も、黒衣の袖から見えているのはわずかに指先だけだ。指が骨太だから男だろうが、それくらいしかわからない。  黒衣の男は懐《ふところ》に手を入れて、もう一枚、護符を取りだした。大きさや形は祖母からもらった護符と変わらないが、刻まれている溝の模様が違っている。 (お父様の部屋から盗まれたものだわ……!)  護符が二枚|揃《そろ》っているということは、自分をさらった者は、父の部屋に忍びこんで護符を盗んだ者と同じか、あるいは同じ組織の者なのだ。  黒衣の男は、二枚の護符を、なにも刻まれていない面と面をあわせて重ねた。そして幾度か互いの護符をずらしながら、護符の縁《ふち》を調べている。 (縁に刻まれている文字をあわせているのね) 「——わかりましたか」  誰かが身を乗りだして、おかげで黒衣の男がさらに見えなくなる。どうやら声をあげた男のほうが、黒衣の男に重なった護符の縁を見せてもらっているらしい。 「なるほど、二枚重ねると、縁に刻まれていた文字がはっきり読めるようになりましたね。……『人は人の道を歩むが、神に近づくには神への道を知らねばならぬ。道を重ね、アラニビカの神の導きによって歩め』……これはすごい。謎めいてはいるが、迷宮の正しき道が示されたも同然ではないですか」  訛《なま》りのない大陸共通語だ。言葉だけでは、男がどこの者かはわからない。  黒衣の男が護符を指さしてなにか答えたが、プルーデンスには聞きとれなかった。 「おっしゃるとおり、表面と裏面で迷路の紋様は違いますね。…………えぇ、わかります。表と裏で同時進行してゆく迷路ということでしょうか? ………………なるほど。これを解けば迷宮の正しき道が明らかになり、ナサイアのもとにいたることができるのですね」  かわりに先の男が答えて、会話の文脈を知ることができた。  黒衣の袖が伸びて、護符を二枚ともつかみ取った。それから黒衣の男は立ちあがった。黒衣が広がって、鍵穴の視界がふさがってしまう。男の体つきや身長を知ることはできなかった。 「後はうまくやっておけ」  立ちあがって身体の向きが変わったせいか、言葉がようやく聞きとれた。しかし面衣でもつけているのか、声のくぐもりがひどく、男が若いのか老いているのかもわからない。 「あの娘はいかがいたしましょう」  自分のことが話題になって、プルーデンスは小さな肩を緊張にこわばらせる。 「他にもなにか知っているかもしれん。知っていることはすべて喋らせろ」  言い残すと、部屋からでていったようだ。足音が遠ざかっていく。だがプルーデンスには、わずかになびいた黒衣の端だけがちらりと見えただけだった。  プルーデンスは身をすくめた。知っていることを喋らされて——そのあと自分はどうなるのだろう? (逃げなければ)  プルーデンスは部屋を見まわした。けれど逃げだす箇所はおろか、彼女の小さな身体を隠せる場所さえない。扉の内側には鍵もないのだ。  せめて部屋に死角はないかと考えをめぐらせていると、扉が乱暴に開かれた。  立っていたのは、三人の男だ。うちふたりは、船乗りがよく着る袖のない上衣を着て、幅広の腕輪をはめた毛深い太い腕をむきだしにしている。片方は赤毛のひげ面《づら》で、もう片方は左肩に月と狼《おおかみ》の刺青《いれずみ》をしていた。ふたりのうちどちらかが、プルーデンスを人垣の中からさらった男なのだろう。 (あの刺青の紋様は、西方諸国で好まれるものだわ)  無論、これだけで彼らを西方諸国の者と決めつけるのは早計である。プルーデンスは壁ぎわに逃れながらも、男たちをじっと観察した。 「目が覚めたか」  残ったもうひとりの男が声を発した。彼が先刻黒衣の男と言葉を交わしていた男のようだ。砂色の髪に、薄い青の瞳。詰め襟の赤い上衣に藍《あい》色の長衣を重ねて、他のふたりよりも金のかかった身なりをしていた。三人の中では彼が首領格なのだろう。 「……お前たちが私の護符を奪ったのね。お前たちは誰? 西方諸国の者なの?」  無駄な質問かとは思ったが、それでも聞いてみた。長衣を着た男はふたりの手下を押しわけるようにして、プルーデンスのそばに歩みでた。 「お前は祖母からあの護符を譲りうけたのだろう。他にもなにか譲りうけたか? あるいはそのときに、なにか告げられたことはあるか」  男は無表情に問うてきた。プルーデンスはきっと顔をあげる。 「そんなこと、正直に答えると思ってるの? 質問に答えるとしたらお前のほうが先——」  プルーデンスは最後まで言うことができなかった。いきなり大きな手に頬を張られ、部屋の隅まで飛ばされたのだ。  赤毛のひげ面の男が、いつの間にか彼女のそばに回りこんでいたらしい。長衣の男とにらみあうのに気を取られて、油断していた。  油断というよりも、まったく警戒していなかったと言うべきだろう。プルーデンスは大貴族の令嬢で、このような暴力にはまったく縁がなかった。兄のオーギアはプルーデンスを嫌っていたが、妹に手をあげるような真似《まね》は絶対にしなかった。  ひげ面の男が自分のそばにいることはわかっていたが、その男がまさか自分にこんな仕打ちをするとは、彼女の想像のおよぶところではなかったのだ。  プルーデンスは壁に強くぶつかって床にくずおれる。だが身体の痛みよりも、こんな乱暴をふるわれたことの衝撃で、身体も心も麻痺《まひ》していた。  起きあがろうとしたが、手が震えて力が入らない。プルーデンスは目の前の汚れた床を見るしかできずにいた。 「おい、あんまり最初から調子に乗るなよ」  刺青の男が笑いながら言った。ひどい西方訛りだ。プルーデンスを殴り飛ばした男も苦笑している。 「いや、こいつチビで軽いからさ。ちょっとなでただけでこのザマなんだよ」  こちらは、訛りはそれほどひどくない。彼の言い訳に、相手の男はいっそう高笑いした。 「女はな、やっぱり胸やら尻がもうちょっと重くないと、加減しづらいよな」  プルーデンスは顔をあげようとした。顔をあげて、男たちをにらんでやりたかった。  しかし、どうしてもできない。男たちが笑っている顔を見たら、自分の中のなにかが折れそうな気がした。  長衣の男が無言でプルーデンスのそばに近づいてきた。 「お前は、沈黙というのは意志の力で守れるものだと思っているのだろう」  質問ではない。揶揄《やゆ》だ。プルーデンスは答えず、男の革靴の先をただ見つめていた。 「だが暴力を受けていると、意志など関係なくなる。嘘《うそ》や言い逃れを考えることすらできなくなるのだ」  プルーデンスはやっとの思いで、乱れた髪の毛のあいだから男を見あげた。男は冷ややかにプルーデンスを見下ろしている。 「お前はすぐに、知っていることも知らないことも洗《あら》いざらい口にだすだろうな」  プルーデンスは無意識にこぶしを握りしめた。 「言わないわ。言うもんですか!」  乾ききった口を動かし、言った。  けれども、男が見せたのは、子供を哀れむまなざしだけだった。  長衣の男は無造作にプルーデンスの髪をつかむと、ひきあげた。そして背後のふたりに向かって、プルーデンスを投げつけるような気配を見せる。  プルーデンスはあまりのことに、頭の痛みを感じる余裕もない。 「やめ——」  そのとき、表の部屋の扉が激しい音をたてて開いた。  同時に強烈な風が入りこんでくる。男たちはいっせいに動きをとめ、剣を抜きはなった。  長衣の男が手をはなして、プルーデンスは床に座りこんだ。  扉は開いて壁にあたり、大きくはねかえっては、また壁を強く打つ。蝶番《ちょうつがい》は最初に扉が開けられたときに壊れてしまったのか、扉は半分壁からぶらさがっていた。  表の部屋にあった机や椅子が床の上をすべり、続けざまに壁にあたっては壊れた。部屋に置いてあるわずかなものも、部屋の隅に吹きよせられていく。  部屋には風がでていく箇所がない。押しこまれるように入ってくる強風は上下左右もなく吹き荒れて、部屋の中をかきまわしていた。  男たちは扉に向かって身がまえるものの、目元を腕でかばい、身を低くして、なにもできずにいる。  表の扉が壁から引きはがされて、襲いかかるように飛んできた。奥の部屋の入り口に当たって砕け散り、プルーデンスは思わず悲鳴をあげる。男たちも飛びちった破片から目を守り、身体を低くした。 「——プルーデンス!!」  はっと顔をあげると、扉のなくなった入り口をふさぐように蒼い衣がひるがえっていた。 「プルーデンス、そこにいるね?」 「詩人!?」  立っていたのは、楽器を抱いた蒼い衣の吟遊詩人だ。プルーデンスは身を起こそうとしたが、風に飛ばされそうになって、あわててまた身を伏せる。 「そのまま身を伏せていてくれ。すまないが、うまく加減して使役できないんだよ」  吹きすさぶ風の中でも、詩人の声はよく響いた。プルーデンスが頭を抱《かか》えながらもうなずくと、彼もうなずき返す。そして大股《おおまた》に表の部屋を横切ってくると、プルーデンスのいる部屋にためらいなく入ってこようとした。 「待って! こっちには悪党たちがいるのよ!」  プルーデンスは叫んだが、詩人には聞こえなかったのか、足をとめる気配がない。無造作に壊れかけた扉に手をかける。 「馬鹿《ばか》め!」  扉の近くに身をひそめていた刺青の男が、蒼い衣の吟遊詩人につかみかかろうとした。 「詩人!」  だが男が詩人に触れようとした寸前、吟遊詩人の胸元に閃光《せんこう》が走った。  同時に大木がわれるような音が鳴りわたり、刺青の男が硬直する。  プルーデンスには、男の髪が逆立っているように見えた。  男はふりあげた腕もそのまま、ゆっくりと声もなく床に倒れた。仰向けになった顔は白目をむき、大きく開けた口の端からは涎《よだれ》が垂れている。  肌には木の枝のような赤い痕《あと》がうきでて、衣はところどころ焦げていた。 (あれは、雷に打たれたときの症状じゃないのかしら。でもなぜ、部屋の中で?) 「——貴様、魔術師か! 風霊使いだな!?」  長衣の男が壁に手をついて身を支え、風に負けないように声を張りあげた。  風と大気の精霊は、上位のものとなると雷をも操る。けれど上位の風霊は空のきわめて高い場所にいることが多く、地上に召喚して使役するには、魔術師として相当に高い能力が必要だった。  長衣の男とひげ面の男は、緊張した表情でそれぞれ数歩後ずさった。 「これほどの力を持つ魔術師が、そうそういるはずがない。……何者だ!?」 「見てのとおりだ。ただの名もない吟遊詩人だよ」  吟遊詩人は言い捨てると、プルーデンスのそばに歩みよる。ふしぎなことに詩人がそばにやってくると、風は穏やかにおさまった。 「プルーデンス——」  詩人はひざまずき、プルーデンスの髪をかきあげた。途端、詩人は痛ましそうに眉をひそめる。彼女の頬に、平手打ちされた痕でも残っていたのだろう。  だが詩人はなにも言わずにプルーデンスを蒼い衣で包みこむと、楽器を持っていないほうの腕で抱きあげた。落ちないように思わず彼にしがみつくと、詩人が身につけた多くの装身具が、軽くさやかな音をたてた。  その優しい音に誘われるように、目頭が熱くなった。プルーデンスは懸命に涙を抑え、今度は意識して詩人にしがみつく。詩人はそれを感じとってくれたのか、プルーデンスを抱きしめる手に力がこもった。 「待て。その娘をつれていかせはせんぞ!」  ひげ面の男が剣をかまえて、部屋の出口の前に立ちはだかった。長衣の男は一瞬ためらったが、彼も同じように剣をかまえた。  詩人はため息をついて、男たちを見る。 「馬鹿なことはやめたほうがいい」 「かもしれん。……お前が魔術師だったとは、まったくの計算外だ」  長衣の男は両手で剣の柄《つか》を握りしめる。 「それでも、主命をおろそかにして貴様らを見過ごすなど、ありえぬ話だ」 「主の命令か。なにかに仕えなければならない人は大変だな」  長衣の男とひげ面の男は答えず、じりじりと移動する。二手に分かれて攻める意図だろうか。詩人は左右の男たちを交互に見やり、かすかに首をふった。 「私を怒らせないでほしかったのだけどね」  つぶやくと、楽器の棹《さお》を持った腕をすっと水平にかかげた。  プルーデンスは肌がぴりぴりと粟立《あわだ》つような感覚を覚えた。身体の奥から奇妙な感覚が這《は》いあがってきて、思わず身震いをしてしまう。  次の瞬間、詩人を中心にして部屋に閃光が走り、天井が落ちてくるのではないかと思えるほどの大音響がとどろいた。プルーデンスは悲鳴をあげて、詩人の肩に抱きついた。 「——プルーデンス。プルーデンス? もう大丈夫だよ」  しばらくして詩人に呼ばれていることに気づき、プルーデンスはようやく顔をあげた。  見ると、壁にはあちこちに焦げたような跡がついている。  長衣の男とひげ面の男は、ともに髪を逆立て、白目をむいて倒れていた。先に倒れた刺青の男と同じに、服はところどころ焼け焦げ、穴があいている。剣を持っていた手には火傷《やけど》も負っている様子だ。 「し、死んでいるの?」  詩人は倒れた男たちを見下ろして、軽く肩をすくめる。 「息はとまっているね。でもすぐに息を吹き返すんじゃないかな。剣を持っていたおかげで、火傷は負ったけど雷は内臓に達しなかっただろうからね。……私もここまでするつもりはなかったが、さりとて彼らには同情できないな」  詩人はプルーデンスを抱きあげたまま、淡々とした声でつぶやいた。  彼の声が感情の読みにくいのはいつものことなのに、プルーデンスには詩人の声がひどく冷淡に感じられて、ほんの少し、詩人から身をはなした。  詩人はそれに気づいたのか、プルーデンスを見て、いつもの穏やかさで微笑んだ。 「行こうか」  けれど部屋をでていくとき、詩人は倒れている男たちに一瞥《いちべつ》もくれなかった。 [#改ページ]      八  閉じこめられていた家をでると、陽はまだ高く、狭い路地には濃い影が落ちていた。  でてきた家も含めて、周辺には空き家が多いのか、路地には人の気配がなかった。石畳の隙間《すきま》から雑草が生え、石材の表面には埃《ほこり》がたまっている。木製の扉や窓もささくれて艶《つや》がなかった。風景は荒れて、不気味な雰囲気をたたえていた。 「詩人……」 「とりあえず、人の多いところに行こう」  詩人はプルーデンスに楽器を持たせ、彼女を抱《かか》えて歩きだした。  詩人の足どりは速い。背が高くて歩幅もあるから、歩く速度はかなりのものだろう。それでもプルーデンスには詩人の歩みが遅く感じられて、楽器を抱きしめて顔を伏せた。  しばらくして、詩人が歩みを少しゆるめた。顔をあげて周囲を見てみると、建物に囲まれた、隙間のような小さな空き地だった。  地面にはきちんと石畳がしかれ、隅にある共同の水場は清潔で、柄杓《ひしゃく》も並んでいる。周囲の住人の堅実な生活が垣間見えるようで、プルーデンスはようやくほっとした。 「おろしてちょうだい」  詩人は一瞬迷ったが、プルーデンスの言うとおり彼女を地面におろした。プルーデンスは楽器を詩人に押しつけるようにして彼から身をはなしたが、詩人のほうはそのままプルーデンスの前に片膝《かたひざ》をつき、彼女と視線をあわせた。 「……プルーデンス。目の前にいたのにあなたを守れなくて、本当にすまなかった。面目ない。悔やんでも遅いが、私は心から自分を恥じているよ」  厳粛《げんしゅく》な口調で言った。 「何を謝ることがあるの。お前がそばをはなれるなと言ったのにはなれたのは私なのよ。自業自得だわ。お前が自分を卑下するのは勝手だけど、私をその理由にしないで」  プルーデンスは詩人の黒い瞳を見ないようにして答えた。口調がかたいことは自分でも気づいていたが、そんなことはどうでもよかった。  詩人はわずかに眉《まゆ》をひそめたようだった。 「プルーデンス」  詩人が両手を伸ばして、プルーデンスの頬に触れる。大きな手は、プルーデンスの小さな顔をすっぽりと覆いつくした。  詩人の手は少しひんやりしていて、殴られた箇所が熱く感じられた。なぜだか喉《のど》の奥が痛くなって、プルーデンスは歯を食いしばる。 「助けにいくのが遅れて申し訳なかった。こんな——」  だがプルーデンスは、詩人の言葉を噛《か》みつくような口調でさえぎった。 「助けてくれたことには礼を言うわ。でも私はもう平気よ。だからそのことはもう口にしないで」  プルーデンスは詩人の手をふりはらおうとしたが、詩人の手はびくともしなかった。それでいて、プルーデンスの頬に触れる詩人の手はとても用心深くて丁寧で、まるで透かし細工の花弁でも手にのせているかのようだった。  詩人は優しい口調で言った。 「もしあなたが平気だというなら、どうしてこんなふうに奥歯を食いしばっているんだい、プルーデンス?」 「……やめて」 「なぜ我慢などするんだい。泣きたいなら素直に泣けばいい。心が晴れるよ」 「なぜ我慢してはいけないの。お前は私にお手軽に泣けというの? 弱い自分に甘んじろというの!? やめてちょうだい!」  プルーデンスは詩人の手をもういちどふりはらった。今度は詩人の手は、すぐにはなれていった。  暴力で自分を脅かした男たちの心の、なんと怠惰で鈍感だったことか。彼らに対する恐怖と怒りが、助けだされた今もプルーデンスの中に渦巻いていた。そしてその思いは、すべての単純なものに対する不審にすりかわって、プルーデンスの口調を激しくさせた。  こうやって攻撃的になり、自分の弱さを認めないのも愚かなことだろう。けれど、そうとわかっていても、それでもプルーデンスは今は泣きたくなかった。泣けば自分の弱さがあらわになって、もう立って歩けなくなるような気がした。  しかし肝心なことは、まだ何ひとつ終わっていないのだ。 「なにも考えずに泣いたり怒ったりするのは、罪がないことだと思っているのね。でも私はそんなの嫌よ。それは安易で浅はかなことだわ。可愛くないとかひねくれているって言われたって、私は我慢するの。そして最初から泣かずにいられる方法を考えるわ」 「プルーデンス……」 「私はたしかに子供で小さくて、無力よ。でもだからって私を弱くしないで!」  半ば叫ぶように言い切る。それは詩人に対するよりも、崩れそうになっている自分自身への叱責《しっせき》だったかもしれなかった。 「プルーデンス。——プルーデンス、わかったよ」  詩人はプルーデンスをそっと押しとどめるように、両手を広げた。 「私が悪かった。考えなしだったよ。もう言わない。どうか許してほしい」  子供をなだめる口調ではなかった。そこには理解と共感と、そしてプルーデンスに対する尊敬までこもっているように感じられた。  その声にプルーデンスは今度こそ泣きそうになって、詩人から顔をそむけた。 「……髪をなおすわ」  プルーデンスは詩人から逃げるように小さな空き地の隅にかけていった。石造りの水槽にためられていた水で顔を洗い、もつれてくすんでしまった髪を手櫛《てぐし》で整える。水鏡に映った自分の顔は、まだ緊張して疲れていて、怒っていた。 (私って本当に可愛くないわ)  情けない気分で、今度は衣装についた汚れをはらっていると、いつの間にか詩人がそばに立っていた。彼は、ふだん自分が使っているものだろう、古い櫛を取りだすと水槽からあふれる水でざっと洗い、プルーデンスにさしだした。 「……ありがとう」  プルーデンスは櫛を受けとった。髪をすくと、自分も櫛を洗って詩人に返す。 「待たせてごめんなさい。行きましょう」  だが詩人は櫛をとると、プルーデンスの髪に櫛をとおしなおした。 「まだ少し乱れている。綺麗《きれい》な金髪なのだから、大切にしないと」 「私の髪なんて」 「とても美しいよ。日に透けると淡い銀に光って。私の言葉を覚えているかな。『あなたの髪には月の光が宿っている』とね。あなたには古びた修辞だと言われたが」  詩人は櫛をしまいこんだが、指先でもういちど、プルーデンスの髪をすいた。  それからかがみこむと、プルーデンスの手をおしいただくように取った。 「——あなたを愛しているよ。プルーデンス」 「……なんですって?」  唐突な告白に呆気《あっけ》にとられて、涙も怒りも混乱もすべて消し飛んだ。  この男はいきなり何を言いだすのかと、詩人を見返す。詩人は微笑んで、彼女を見つめていた。その笑みの真意がつかめなくて、プルーデンスはますます困惑した。 「なによ。冗談かなにかのつもり?」 「とんでもない。私は真剣だよ。言わずにはいられないから言っただけだ。プルーデンス。あなたを心から愛してるよ。私は信用に足らない男だが、この言葉だけは信じてほしい」  自分に触れる詩人の手が、急に冷たく感じられた。それは自分の体温があがったせいではないかとプルーデンスは気がついた。  とはいえ、すぐに彼の手をふりほどくのも、こちらの混乱を教えてやるようで業腹だ。プルーデンスは努めて冷静に尋ねた。 「信じてあげてもいいわよ。でもお前の言う愛ってなんなの?」  エリカやカルミアに対するような愛情なら願いさげだ。もしそんなふうに答えたら、そのときこそ心おきなくこの手をふりほどいてやろう。  プルーデンスはそんなことを考えて問うたのだが、詩人の答えは違っていた。 「私のあなたに対する愛は、一言《ひとこと》でいうなら勇気だ。プルーデンス、あなたのような人がいると思えば、私は人間に絶望しないでいられる」  詩人はプルーデンスの手をおしいただいたまま、静かに言った。 「私は吟遊詩人、しかも蒼い衣の吟遊詩人だ。私はずっとこの世界をさまよってきた。そうしていろんな人間と、歴史を見てきたんだ。私自身もあらゆる目にあってきた。ひどい目にもあったんだよ。戦《いくさ》に巻きこまれたり、飢えたこともある。犬をけしかけられこともあった。それに前に言ったこともあるように、ときどきどうしようもなく孤独に苛《さいな》まれるときもあるんだ」  詩人はプルーデンスの指先に、唇を押しあてた。そうしながらプルーデンスを見あげ、言葉を続けた。 「だがプルーデンス。あなたを思えば、私は歌いつづけることができる。ひとりこの空の下をさまよいつづけることも怖くない。——それが私の愛だよ」  プルーデンスは、春にぬるむ淵《ふち》のような詩人の黒い瞳を、途方に暮れて見つめていた。  詩人になんと答えればいいか、わからなかった。愛を告白されたには違いないが、詩人が言うのはひとりで生きていくための愛だ。それは寂しいことではないのか。プルーデンスはこんな愛情を考えたことがなかった。  黙っていると、詩人はプルーデンスの手をはなして立ちあがった。 「——さて。これからどうするか考えなければね」  詩人はなにごともなかったかのように言った。プルーデンスも気持ちを切りかえる。手にはまだ詩人の唇の感触が残っていたが、混乱はすべて頭の隅に押しやった。 「私、以前にお祖母様からナサイアの護符をいただいたの。お祖母様の遺品にあったものと同じ、迷宮の紋様が刻まれた護符よ」 「ナサイアの護符? あの護符は二枚あったのか」  プルーデンスはうなずいた。 「お祖母《ばあ》様の遺品として持ってきたものが裏面で、私は表面にあたるほうを持っていたの。護符に刻まれた迷宮の紋様は、それぞれ違っているわ。お祖母様はなにも教えてくださらなかったけれど、たぶん表裏の両面を揃《そろ》えれば鳥の塔への道がわかるのよ。だから私、せめて残った一枚は守りたくて、どこかへ隠そうと思ったの」 「なるほど。そのために家出を装ったわけか」 「そのあとはお前も知っているとおりよ。護符は二枚とも、さっきの男たちの主らしい男に奪われてしまったわ。私、それを取り戻さないと」 [#挿絵(img/AFDPG_163.jpg)入る]  詩人は考えこむように、あごに手をやった。 「私が来る前に、あの地下室に誰かいたんだね。どんな奴だったか覚えているかい?」 「黒衣を着て背格好もなにもわからなかったけれど、たぶん西方諸国《ファルゲスタン》の人間じゃないかしら。手下の男たちに西方諸国の訛りがあったの。もちろん、それだけでは断定できないけど」 「ふむ。少なくともフィリグラーナの者ではないね」  プルーデンスは詩人を見あげる。 「自信があるのね。なぜ断言できるの?」  詩人はほんの少し、言葉を探すように間をおいた。 「あぁ……フィリグラーナの男たちがあなたを必死で捜していたのを見たんだよ。自分で拉致《らち》したなら、そんな必要はないだろう?」  枝葉末節を省いた説明だったが、詩人とラディックスたちの衝突などつゆほども知らないプルーデンスは、納得してうなずいた。 「あの黒衣の男はきっと迷宮を解いてしまうわ。私、あの男が鳥の塔を開けるのをとめないと。でないと鳥の塔が政治の道具にされてしまうわ。お祖母様はそんなことを望んでいらっしゃらなかったと思うの」 「そうだね。精霊が羽を休める場所を、人間が争う場にするなどもってのほかだ」  詩人は弦楽器を抱えなおした。 「ではこうするのはどうかな。もしあなたにお許しいただけるなら、奪われた護符は私が探しだすよ」  プルーデンスは目をみはった。 「お前が?」 「護符の片方は、あなたが長く所有していたものだ。そこにはあなたの、なんというかな、気配のようなものが残っているはずなんだよ。それを頼りに探しだせると思う」 「もしかして、風霊に命じて探させるの?」  プルーデンスはそこまで言って、考えこむように口をつぐんだ。 「……お前、魔術師だったのね。しかも雷まで落とせるなんて。でも、だったらどこかの魔術師組合に入っているはずだわ。名前だってあるはずよ。でないと登録できないもの。蒼い衣の吟遊詩人なんて、やっぱり嘘《うそ》だったのね」 「魔術師なんてたいそうな者ではないよ。さっきも言ったが、私は彼らをうまく使役できないんだ。それどころかあそこで雷が落ちるまで、雷が落とせるほどの風霊だと知らなかったくらいでね。風霊のほうが勝手に気を利かせてくれたようなんだが、驚いたよ」 「そんな問題じゃないわ」  精霊とは創世の奇跡の力をそなえた存在だ。神々についていくことができなかった下位の霊とはいえ、彼らの力が人間にとっては大きいものであることに変わりはない。彼らを使役できる魔術師もまた大きな力を持つが、半面、彼らに対する制約も多かった。  力の程度に関係なく、必ずどこかの都市や領地の魔術師組合に属さなければならないという決まりも、魔術師に課せられた制約のひとつである。また登録されていない魔術師は世間から『黒呪術《くろじゅじゅつ》師』や『死霊使い』などと呼ばれて忌避されたし、つかまれば見せしめのために重罰に処せられた。  組合に属することで、魔術師の素性や実力は周囲に知られることになる。力のある魔術師は、領主貴族や国王に召しだされて雇われることがほとんどだった。 「お前もどこかの組合に入っているんでしょうね? 吟遊詩人なんて仮の姿よね? 登録されていない魔術師なんて、誰に殺されても文句言えないのよ」  プルーデンスは念を押すように繰り返した。詩人は苦笑する。 「私は名前も故郷もない蒼い衣の吟遊詩人だ、プルーデンス。それ以外の何者でもない」 「嘘つき! なによ!」  プルーデンスは詩人を後にして歩きだした。もっとも詩人にとっては、遅い足どりだったかもしれない。彼は走りもせずプルーデンスに追いつき、なだめるように声をかけた。 「とにかくプルーデンス、護符を手に入れるためには剣をふりまわすような輩《やから》が動いているんだ。あなたはもうかかわるべきではないと思う」  プルーデンスは自分を誘拐した男たちを思いだして一瞬身をかたくしたが、それでも首を横にふった。 「そんなわけにはいかないわ。お祖母様は私を信頼して護符を託してくださったのよ」 「責任を放棄しろというのではないよ。あなたは賢明だが、その頭を使うのと同じように、他人を使えばいいと提案しているんだ。私が護符を取り戻してくる。それまでトゥスム宮に戻っていてくれないか」  プルーデンスは立ちどまり、ふりかえって詩人を見あげた。 「護符を取り戻すのは危険な行為だわ。なぜ、そこまでしてくれるの?」 「それは——」 「お前がオスカーからお父様のお手紙を盗んだこと、私は忘れていないわよ。前にも言ったけど、私に嘘をつくのはやめて。正直に言いなさい」  プルーデンスは相手をさえぎって言った。詩人はなにか言いさして、口を閉じる。それからもういちど口を開いた。 「……実は、私はある人のために、鳥の塔にのぼらなければならないんだ」 「そう」 「だがこれ以上は私の一存では詳しく言えない。私ひとりのことではないし、そのある人というのは事情があって、少し怯《おび》えているんだ。しかし誓って、戦や政治にかかわることではないし、誰かに迷惑をかけるようなことでもない。もちろん、あなたにも」  プルーデンスは黙って吟遊詩人をにらんだ。詩人は目をそらさず、プルーデンスを見つめ返している。  プルーデンスは人の言葉を根拠もなく信じるような単純な少女ではない。詩人が誰かのために行動するというなら、そこにはなにかの目的か利害があるはずだ。しかも鳥の塔にかかわることなら、それはけっして小さなことではない。詩人はやはり、正体の知れない怪しい男だとプルーデンスは思った。  けれど詩人はプルーデンスを助けにきてくれた。そのことで敵を作り、おまけに魔術師ということもばれてしまった。彼の正体が何にせよ、これは危険な状況だろう。  それでなくとも彼は目立つ。長身だし、肌の色もこの島では珍しい。なにより蒼い衣と謎《なぞ》めいた雰囲気が異彩を放っていた。  彼は、プルーデンスを助けるべきではなかったのだ。  それでも詩人はきてくれた。 「——いいわ。お前の言うとおりにしましょう」  詩人がほんの少し、肩の力を抜いたように感じられた。 「私はトゥスム宮でお前を待つわ。だから二枚の護符と、あと、雄牛の腕輪も忘れずに取り返してきてちょうだい」  取り返してからプルーデンスに手渡すまでのあいだに、詩人が護符の謎を解いて鳥の塔にのぼろうと、それは詩人の勝手だ。好きにすればいい。 「でもお前が私に護符を返しに来なかったら、私はまた抜けだしてお前を探すわ。そしてお前から護符を奪い返してみせるわよ。覚えてなさいね」 「承知した」  詩人は片膝をついた。 「信用してくれて感謝するよ。私の、あなたへの愛にかけてやり遂げてみせる」 「だからそんな言い方はやめてって言ってるでしょ。信用できなくなるじゃないの」  プルーデンスはぷいと彼に背を向けたが、先刻《さっき》のように詩人をおいていくような歩き方ではなかった。詩人も笑って、プルーデンスについていく。  狭い路地に落ちる影は長くなり、黄褐色の街並みに赤みがさしている。夕暮れが近いのだ。ときおりすれ違う人も心なしか急ぎ足だ。家路につく人だろう。  トゥスム宮の近くに帰りついたころは、あたりは暗くなりかけていた。  プルーデンスたちは通りの反対側にある建物の陰に立って、並木ごしにトゥスム宮の通用門に目を向けた。 「では、いったんここで別れよう。あなたが門をくぐるのを見届けたら、私も行くよ」 「そうね」  プルーデンスは建物の陰をでて門に向かった。が、途中でふと立ちどまり、詩人を肩越しに見やる。  気をつけて、と言いかけてやめた。雷精を使役する男にそんな言葉は無意味だ。 「プルーデンス?」 「いいえ。なんでもない——」  そのとき、トゥスム宮の城壁のほうから鞭《むち》のような鋭い音が鳴り響いたかと思うと、プルーデンスのそばをなにかがものすごい勢いで飛んでいった。  次の瞬間、詩人が大きな音をたてて建物に体を打ちつける。  その肩には、ぞっとするほど太い矢が刺さっていた。 「詩人!?」  台座に取りつけた弓から、引き金を引いて矢を発射する、弩《おおゆみ》の矢だ。盾や騎士の鎧《よろい》すら貫通する強力な矢で、いくら詩人が風霊を使役できるといっても、勢いをつけて飛ぶ弩の矢を完全にそらすことは不可能だったろう。  詩人は体を壁に押しつけるようにして、そのまま地面にくずおれる。その動きを追うように、黄褐色の石壁に、赤い血が筋を描いた。 「詩人!」  プルーデンスが叫ぶと同時に、城壁の門からいっせいに男たちが飛びだしてきた。彼らは手に棍棒《こんぼう》を持ち、次々に吟遊詩人に殴りかかっていく。  人の体を打ちすえる不気味な音がして、プルーデンスは悲鳴をあげた。 「やめて!! なにをするの!?」 「——プルーデンス!」  ふりかえると、路上にオパルス伯が立っている。  その横にはアンドラーシュ大公も並んでいた。  オパルス伯は駆けるようにプルーデンスのそばにやってくると、彼女を抱きあげ、強くゆさぶった。 「無事だったか! ——この馬鹿者め、心配をかけさせおって!」  プルーデンスは言い返そうとしたが、ゆさぶられて喋ることができない。その間に、アンドラーシュ大公もオパルス伯を追ってやってきた。 「無事でなによりだ、プルーデンス。そなたが吟遊詩人に誘拐されたと聞き、我らはずっと捜していたのだ」  プルーデンスは父のオパルス伯を見、次いでアンドラーシュ大公を見た。 「このような年端《としは》もいかぬ無力な娘をさらうとは、なんと言う恥知らずな男だ!」  オパルス伯が吐きすてるように言った。 「違います!」  プルーデンスはようやく息を整え、必死にオパルス伯と大公に訴えた。 「詩人は、さらわれた私を助けてくれたのです! お父様、大伯父様、今すぐ詩人を打つのをやめさせて! 私をさらった男は別の場所にいます。下町の空き家で——」  オパルス伯がさっと表情をかたくした。 「吟遊詩人には仲間がいたのか!?」 「すぐ調べさせよう」 「仲間なんかじゃありません! お願いですから私の話をちゃんと聞いて!」  首をめぐらせて見ると、詩人は楽器をかばうように抱いて倒れていた。突然の深手を負った上に、相手は多勢だ。囲まれて、精霊を呼びだすこともできずに打たれている。 「いや!! やめて!」 「あぁ、これはそなたのような少女に見せるものではなかったな。エルク、早く中へ」  大公がオパルス伯をうながし、ふたりの男にさえぎられて詩人が見えなくなったが、詩人を打つ音はやまなかった。 「詩人!!」  なんとかオパルス伯の腕を抜けだして詩人のもとに走りたかったが、プルーデンスは抱きあげられたまま、宮殿の中につれていかれた。  大公の執務室らしき大きな部屋には、奥に執務机、手前には小さな会議などができるように長椅子《ながいす》を並べてあった。その長椅子の隅に、リーサ夫人とオーギアが座っていた。  リーサ夫人はプルーデンスを見ると、オーギアと手を取り合って立ちあがった。 「プルーデンス! まぁ……よく無事で」  そう叫んでリーサ夫人は手を伸ばしたが、オパルス伯は気づかなかったのか、そのまま長椅子に腰をおろし、プルーデンスを自分のそばに座らせた。オパルス伯と反対側の隣にアンドラーシュ大公が座り、プルーデンスははさまれた格好になる。 「大伯父様、お父様、もういちど申しあげますが、詩人は私をさらったのではなく、悪漢にさらわれた私を助けてくれたのです! それに——」  プルーデンスは逡巡《しゅんじゅん》したが、思いきって言った。 「悪漢は、私がお祖母様にいただいた形見の護符を盗んだのです! 鳥の塔の迷路を刻んだ五角形のメダイヨンです。お祖母様の遺品と同じ意匠のものでした」  護符を持っていたことは秘密にしておきたかったが、大伯父と父を動かして詩人を助けるためには、どんなことでも言うつもりだった。 「なんだと?」  思ったとおり、オパルス伯が血相を変えて叫んだ。プルーデンスはここぞとばかりに父親の膝にすがりつく。 「詩人は私を助け、護符を取り返してくれるとも言ったのです! お父様、彼は味方なのです! すぐにあの者を手当てしてやってください」  しかしオパルス伯は、困惑を深めた表情で言った。 「プルーデンス。あの者は風霊を操って、この島を訪れていたフィリグラーナの海軍士官数名に大怪我《おおけが》を負わせたのだ。あの男の正体は吟遊詩人でなく魔術師だ」 「え……」 (フィリグラーナの海軍士官ですって?)  詩人が、自分をさらった男たち以外にもあの力を使ったというのは初耳だ。だが、そういえば詩人は、フィリグラーナの者について、なにか断言していなかったか。  詩人が怪我を負わせたというのは、おそらくラディックスのことだろうとプルーデンスは直感した。だからオパルス伯はこれほどまで表情をかたくしているのだ。 (お父様も大伯父様も、詩人が風霊を使役すると報告を受けていたんだわ。だから弩なんて強力な武器を、生身の相手に使ったのね)  それにしてもひどい。弩は殺傷力の高い武器だ。詩人が死んでもかまわないと思ったからこそ、あんなものを持ちだしたのだ。 「あの詩人は、私の娘を誘拐した上に騙《だま》したのだ! なんという悪漢だ!」  オパルス伯は髪をかきむしった。 「私はあの吟遊詩人が怪しいと、最初からにらんでいたのだ! そうとも、最初からだ。海軍の友人にもそう忠告したというのに、まんまと裏をかかれてしまった! だがまさか、奴が竜巻を起こすほどの凶悪な魔術師で、しかもなにもわからぬ幼い少女を狙《ねら》うという卑怯《ひきょう》な手段にでるとまでは予想できなかったのだ」 「恐ろしいことですわ! そのような者と知らずに吟遊詩人として雇っていたなんて」  リーサ夫人も嘆いたが、こちらはオーギア以外の者は聞いていない。  ひとり冷静さを保っているアンドラーシュ大公は、プルーデンスに言い含めた。 「プルーデンス。そなたはあの男に助けられたと言うが、それはきっとそなたに信用させるための罠《わな》だったのだ。昨日もあの男はそなたと土地の塔へでかけたが、思えばあのときからそなたをさらう機会を狙っていたのだろう。あのときはたまたま私と行きあったから、あの者もそなたに手をだせなかったのだ」 「そんな……そんなこと」 「魔術師が素性を隠して吟遊詩人を名のるなど。真っ当な者ではありえない」  大公の琥珀《こはく》色の瞳が、暗さを増した。 「しかも雷精を使役するほどの魔術師を、大公である私に一言もなくこの島に送りこんでくるとは、アラニビカに軍隊を送りこんでくるにも等しい蛮行だ。あの男がどこの者かはわからぬが、必ずその正体を吐かせてやる。その結果次第では剣を取ることも辞さぬ」  プルーデンスは言葉をなくし、蒼白《そうはく》になった。  戦をほのめかすような大公の言葉に、オパルス伯も眉をひそめる。 「伯父上……今のお言葉は」 「——あぁ、これは失礼。物騒な発言であったな」  オパルス伯のとりなしに、アンドラーシュ大公は我に返ったようだ。けれどリーサ夫人とオーギアも、居心地が悪そうに身じろいでいる。  プルーデンスはいきなり両手で顔を覆った。 「私……私、もうなにがなんだか——お母様……!」  立ちあがると、リーサ夫人のところに駆けよった。いつもは娘に対してぎこちないリーサ夫人も、このときばかりは自然な母性でプルーデンスを抱きしめた。 「プルーデンス! 大丈夫ですよ、もうなにも怖くないわ」 「私、気づいたら見知らぬ男たちにとらわれていたのです。とても怖かった。それを助けてくれたのが詩人だったから、私てっきり——なのに……」  プルーデンスはそこで言葉を詰まらせ、リーサ夫人の胸に顔をうずめた。 「まぁ、可哀想に……いつも気丈なあなたが、こんな弱音を吐くなんて」  リーサ夫人はプルーデンスの頭を抱きしめると、夫に向かって言った。 「この子はだいぶ興奮しているようですわ。まずはゆっくりと眠らせて、落ちつかせてあげましょう。よろしいですわね」 「ん? まぁ、そうだな。うむ」  ふだんはおっとりしているリーサ夫人とは思えない、その有無を言わせぬ強い口調には、それまで妻の存在を忘れていたオパルス伯もうなずくしかなかった。  トゥスム宮の使用人が客間の入り口に立った。 「申しあげます。先ほどの蒼い衣の吟遊詩人ですが、縛って牢《ろう》に入れようとしたところ、いったいどうやったのか、縄を解いて逃げてしまいました」 「なんだと!?」  オパルス伯とアンドラーシュ大公が同時に立ちあがった。  リーサ夫人がプルーデンスをさらに強く抱きよせる。プルーデンスもリーサ夫人の衣装をぎゅっと握りしめた。 「お母様……」 「大丈夫、お父様とアンドラーシュ様が、ちゃんとあの男を捜して捕らえてくださいますからね。あなたはなにも心配しなくていいのよ。私もそばにいるわ。安心して休みなさい」  リーサ夫人は立ちあがり、プルーデンスを伴って部屋をでた。オーギアもあわててリーサ夫人についてくる。 「ねぇ、母様。あの吟遊詩人がそんなに危険な魔術師だったなんて驚いたよね。そんな奴が逃げだしてこの街をうろついてるなんて怖いよ。あとで僕の部屋にも来てくれる?」 「まぁ、オーギア。だめよ、わからないの? プルーデンスがこんなに怖がってるのよ。お母様は今夜はプルーデンスのそばにいます」  リーサ夫人はきっぱりとした口調でオーギアをたしなめた。オーギアは呆然《ぼうぜん》として立ちどまる。だがリーサ夫人はプルーデンスの肩を抱いたまま、ふりかえりもしなかった。 「……わかったよ! もういいよ」  オーギアはぶっきらぼうに言い捨てた。 「ひとりで寝るよ。おやすみ、母様」  そう続けた声は、もう平静だった。プルーデンスがちらりとふりかえると、オーギアは腰に手をあてて立っていた。  眉間《みけん》にしわを寄せた表情は、拗ねているというより、反抗心のために傲然としているように感じられた。不穏ではあるが、成長期の少年には似つかわしい姿だろう。  目があうと、オーギアはプルーデンスに向かって肩をすくめてみせた。 「お前もこれに懲りて少しおとなしくしろよ。——まぁ、懲りはしないだろうけどな」  兄にしては鋭いと、プルーデンスは思った。 「少しは落ちついたかしら、プルーデンス?」 「えぇ、お母様」  プルーデンスはいい香りの湯を使い、髪をリーサ夫入手ずからすいてもらった。今はあたたかな夜具にくるまれている。 「お母様がそばにずっとついていてあげるわ。灯《あか》りはつけていていいかしら?」  かいがいしく世話を焼くリーサ夫人を、プルーデンスは眩《まぶ》しそうに見つめる。 「ありがとう、お母様。でも身体があたたまったせいか、瞼《まぶた》が重たくなってきました。眠ろうと思いますから、灯りは消していただけますか? 私、明るいとよく眠れなくて」 「そうなの? ……いいわ。じゃあ私は、お隣の部屋にいるわね。ずっと起きているから、なにかあったらすぐに呼んでちょうだい」  リーサ夫人はプルーデンスの両頬を、白い手で包んだ。それから蝋燭《ろうそく》を吹き消して部屋を暗くすると、プルーデンスを残してでていった。  ひとりになった途端、プルーデンスは寝台を抜けだした。 (本当にごめんなさい、お母様。騙したりして)  心を弱くして母親に頼る少女のふりをしてしまった。今までそんな態度を取ることは、たとえ真似事《まねごと》でも恥ずかしいと思っていたが、しかしプルーデンスは一刻も早くあの場から去りたかったのだ。  案の定、リーサ夫人は母性を発揮してプルーデンスをかばい、部屋からつれだしてくれた。おかげでオパルス伯や大公にあやしまれずに、早々にひとりになることができた。 (お母様——優しい方)  とはいえ、先刻のオーギアへの態度を見るに、包容力は意外にないようだ。  もっともオーギアも、もっと怒るか拗ねるかと思っていたのに、思いがけないほど冷静にひきさがった。存外、彼は母と共生するために甘えん坊を演じていただけかもしれない。 (それも悪くはないことかもしれないけど)  母親に優しく甘やかされて、心地よかった。  けれどそれが、弱くなければもらえない愛情なら、自分にはもうこれ以上はいらない。  弱く小さいものに対する母の慈愛を、プルーデンスは尊敬もしたし愛してもいたが、その愛情を自分が受けることについては、ふっきれたような気がした。リーサ夫人に愛される娘には、なりたくなかった。 (ごめんなさい、お母様。でも私、詩人を助けたいの。だから弱くいられないわ)  これから先、自分は何度も母に愛されない寂しさを感じるだろう。だがそれを嘆くことはすまい。 [#挿絵(img/AFDPG_181.jpg)入る]  プルーデンスは手早く身支度を調えると、窓辺に立った。  政庁は灯りがともされていて、人の出入りの激しい様子がうかがえる。衛士が総出で、蒼い衣の吟遊詩人を探しているのだろう。 (詩人……)  プルーデンスは窓からさがるとばりをぎゅっと握った。  怪我を負った詩人が見つかるのは時間の問題だ。彼のことが心配でならなかった。  しかしその一方で、プルーデンスの頭はこれまでになく冷静にはたらいていた。  先刻のことで、はっきりと事態が見わたせるようになったからだ。 『雷精を使役するほどの魔術師を、大公である私に一言もなくこの島に送りこんでくるとは、アラニビカに軍隊を送りこんでくるにも等しい蛮行だ』 (——どうして大伯父様が、詩人が雷[#「雷」に傍点]精を使役できることを知っているのよ)  オパルス伯はアンドラーシュ大公が戦をほのめかしたことに気を取られていたが、プルーデンスは大公の言葉を聞き逃していなかった。  詩人が雷を落としたのは、プルーデンスを助けてくれたときだけだ。  助けに来てくれる前に、ラディックスたちとのあいだで問題が起こって風霊の力を使ったのかもしれないが、雷精の力は使っていない。もし雷を落としていたなら、当然オパルス伯にもそのように報告がいったはずだ。だがオパルス伯は、ラディックスたちは竜巻にやられたと言っていた。  詩人にしても、後でプルーデンスと話したときに、雷が落ちて自分でも驚いたなどとは言わないだろう。それが嘘にせよ、わざわざ言う必要のあることではない。  詩人が雷精を使ったことを知っているのは、プルーデンスと詩人の他は、彼女をさらった男たちだけだ。  そして大公もオパルス伯も、プルーデンスが口にするまで、彼らの存在を知らなかったはずである。  彼らは死んでいなかった。失神から覚めれば、当然、雇い主にことの経緯を報告しに行っただろう。  おそらくは、二枚の五角形の護符を持っていた、あの黒衣の男に。  あれがアンドラーシュ大公だったのだ。  黒幕は、彼だ。 [#改ページ]      九 (鳥の塔の広場で大伯父様が手にしていた五角形の護符が、お祖母《ばあ》様の遺品の護符だったんだわ)  プルーデンスがそのことに気づいたのは、柱廊の陰を歩いていたときだった。  あのときアンドラーシュ大公は護符を手に持っていたが、それをすぐに護符を売っていた店先に戻していた。あれがオパルス伯から盗んだ護符ではなかったろうか。  アンドラーシュ大公には、祖母の遺品の護符を手に入れる機会はいくらでもあった。オパルス伯はトゥスム宮に滞在しているのだから、使用人に命じれば、客室から護符を盗みだすのは簡単だったろう。護符を手に入れた大公は、さっそく隠された手掛かりを解こうと、護符を持って鳥の塔にやってきたのかもしれない。  だが大公は、そこでプルーデンスたちに出会ってしまい、しかも五角形の護符を手にしているところを見つけられてしまった。それで咄嗟《とっさ》に、迷路の紋様が刻まれていない側をこちらに見せながら、手近にあった店の商品の中に護符を紛れこませ、プルーデンスたちの目を欺いたのだ。護符はあとで、従者か誰かが回収したのだろう。 (あそこで気づかなかったなんて、私ったらなんて迂闊《うかつ》なの)  鳥の塔でプルーデンスたちを誘い、一緒に行動したのも、プルーデンスからエヴィケムの話を聞くのが目的だったのだろう。  プルーデンスが父に疑われて、思わず祖母から護符を譲り受けたと口走ったときも、アンドラーシュ大公は近くにいた。大公はあれからずっと、プルーデンスを誰かに見張らせていたに違いない。 (でも、ひとつわからない点があるわ。大伯父様は、どうしてあれほど躍起になって護符を奪おうとされたのかしら? たしかにお父様はラディックス様に、新たに見つかった護符の縁《ふち》にある文字のことを知らせようとしていたわ。でも迷宮の謎《なぞ》を流出させたくないだけなら、私の持っていた護符まで奪う必要はないはずなのに)  夜のトゥスム宮は、人の気配がなかった。最小限の人員を残して、衛士が詩人を捜しに、ではらっているのだろう。しかも夜にこの宮殿をうろつくのは二度目だ。プルーデンスは自分の家のような感覚で歩きまわり、大公のいる部屋に向かった。  執務室の近くまで来ると、プルーデンスはあたりをたしかめ、まず隣の部屋に入りこんだ。そして、誰もいない真っ暗な部屋を横切って、テラスにでる。広いテラスは執務室まで続いていて、プルーデンスはテラスごしに執務室に近づくことができた。  幸いにも、執務室の窓におりるとばりは生地の厚いどっしりしたものだ。プルーデンスはとばりをゆらさないよう細心の注意を払いながら、大きな襞《ひだ》の隙間《すきま》に身をひそめた。 「——あの蒼《あお》い衣の吟遊詩人の正体は、何者なのでしょう。たしかに縄で縛ったのに、それを解いて逃げたというではないですか」  オパルス伯の声が厚い布地ごしに聞こえてきた。 「それもまた、魔術師の怪しげな術のひとつなのであろうよ」  返す大公の声は、プルーデンスに近い。執務机に座っているようだ。プルーデンスは緊張で鼓動が速まるのを感じた。 「やはり西方諸国《ファルゲスタン》の、いずこかの国の間者《かんじゃ》でしょうか? サグラか、ウルガゾンテ……」  そこでアンドラーシュ大公は笑ったようだ。 「私は、あれをそなたがつれてきたフィリグラーナの間者とも思っていたがな」 「伯父上!? あの者は違います——あぁ、いや。その」  大公は今度は声をあげて笑った。 「あの者は違う、か。そういえば、港であの詩人にやられたという海軍士官たちは災難だったな。皆手足を骨折して、当分動けぬそうではないか」  ラディックスたちのことを持ちだされて、オパルス伯は相当に居心地が悪かったらしい。わざとらしく咳《せき》をしている。 「あぁ、その……少し失礼して、衣服をあらためてきます。朝からの騒ぎで、汗だくで」  言い訳がましく言うと、大げさな足音で部屋をでていった。  入れ違いに、大公の従者らしい、整った歩調の足音がした。足音は部屋の中央を横切って、テラスに近い場所でとまる。それからなにかかたいものを机の上に置く音がして、液体を器にそそぎだした。  プルーデンスは息をとめて、こっそりと顔をのぞかせた。  従者が大公の執務机のそばに立ち、杯に葡萄酒《ぶどうしゅ》をそそいでいる。アンドラーシュ大公はそれを横目で見やりながら、机においてあった蒔絵《まきえ》の平たい箱を引きよせた。  書斎によくある書類入れかと思って見ていると、大公はそこから二枚の五角形のメダイヨンを取りだした。  プルーデンスは唇を噛《か》んだ。その二枚はまさしく、彼女が祖母から譲られた護符と、オパルス伯から盗まれた護符だった。プルーデンスがつれこまれた空き家で、黒衣の男が持ち去ったものだ。彼女が持っていたほうの護符からは、鎖が外されているようだ。  大公は雄牛が向かいあった腕輪も取りだすと、それは杯の横に置いた。そして、二枚の護符の、なにも模様を刻んでいないほうの面どうしをあわせ、その溝を指で辿《たど》りだす。 「オパルス伯はもうお部屋にさがられたのですか?」  従者が控えめに問うた。 「あぁ、奴は少し席を外しただけだ。すぐにまた戻ってくるだろうから、奴の葡萄酒も用意しておけ。——ただ、鳥の塔の謎を、今こそ明かせるのだと思うと、落ちつかなくてな。こうしてつい取りだしてしまう」 (……『今こそ明かせる』ですって?)  プルーデンスは小さな肩をゆらした。 (どういうこと? 大伯父様は鳥の塔の謎をご存じなかったの? でも鳥の塔の迷宮は、大公様だけには、その正しい道が伝わっているはずだわ) 「お気持ち、ご推察いたします。この護符がアラニビカ島に戻ってくるまで、長くかかりましたから」 「うむ」  大公の手元でかすかな金属音がする。二枚の護符をすりあわせているのだろう。 「……それにしてもこれは、なかなか難解なものだな。単に二枚の護符を重ねれば、両面に共通する経路が判明し、それこそが迷宮の正しき道だと思っていたのだが。しかし重ねてみても共通の道が見あたらないのだ」 「どういうことでしょう? もしや、その護符がでたらめだとか」 「それはない。なに、見当はついている。おそらく」  大公は、そばにある雄牛の腕輪を指さした。 「これを使うのだろうな。……まったく、父らしい回りくどいやり方だ」 「イシュトヴァーン様は慎重なお方でしたから」  従者は、前大公である人物の名をだした。アンドラーシュ大公は、たちまち眉をひそめて葡萄酒をあおる。 「あの男に『様』などつけるな。いまいましい。父が鳥の塔にいたる正しき道を私に明かさぬまま死んだために、私が今まで、どれほど苦労したか」 (え!?)  プルーデンスは声をたてそうになって、あわてて口をつぐんだ。 「四十年前のアラニビカの危機の際、父は私が西方諸国と手を組もうとしていることに気づいていた。父はフィリグラーナよりだったからな。——愚かなことだ。私はフィリグラーナと敵対しようとはしていなかった。だが古王国として誇り高いフィリグラーナが、アラニビカのような小国を対等に見るはずがないだろう。せいぜい属国扱いだ。それならば、西方諸国の一国として他国に対したほうがまだしもではないかと思っただけだ」 「なのにあの方はエヴィケム様に護符を渡しておしまいになり、その後もあなた様に鳥の塔の正しき道を明かすことを頑迷に拒まれて……」  従者は痛ましげに、首をふった。 「その点でも父は愚かだった。素直に明かせば、もう少し長生きさせてやったものを」 (では、前大公様がお亡くなりになったのは、暗殺だったのね!)  暗殺だったかもしれないと、父とラディックスが話すのを聞いたが、まさか息子がその首謀者だったとは。プルーデンスは胸が悪くなったが、必死で耐えて気配を消した。  だがこれでなにもかもわかった気がする。アンドラーシュ大公は迷宮の正しい道順を知らなかったのだ。だから躍起になって手掛かりを示した護符を手に入れようとしたのだろう。プルーデンスを拉致《らち》した男たちが西方諸国の者だったらしいのも、大公が昔から西方諸国とつながっていたのなら納得できる。  しかしそうなると、この四十年間、鳥の塔に足を踏み入れた者はいなかったということになる。鳥の塔を管理するはずの大公が、その方法を知らなかったのだから。  唯一知っていたとすれば護符を所持していたプルーデンスの祖母だけだが、彼女はずっとフィリグラーナにいて鳥の塔を訪れることはできなかった。 (どんな仕組みで水をくみあげているか知らないけれど、手入れもなしによく故障しなかったものだわ)  大公も、いつ鳥の塔から落ちる水がとまるかと、気が気ではなかったに違いない。護符を手に入れるために手段を選ばないはずだ。 「エヴィケム様が遺品の中に対《つい》の護符を加えておかれたこと、またプルーデンス様がエヴィケム様の五角形の護符をこの島に持ってこられたこと。この偶然が重なって、まことによろしゅうございました」 「偶然か。どうかな。エヴィケムは試していたのかもしれぬ——」  なにを、とは大公は言わなかった。ただ護符をたしかめるように、両の手に持った。  だがプルーデンスには、大公の言いたいことがわかるような気がした。祖母エヴィケムは異国にあっても、故郷を愛し続けていた。祖母にすれば、迷宮の謎が自分の手元で途絶えてしまうような事態は、なんとしても避けたかったのだろう。  だが祖母は貴族の奥方として、自由に行動できない状況にあった。  それに、お気に入りの孫娘はまだあまりにも幼いし、兄アンドラーシュは有能でアラニビカを愛しているが、父を裏切るような男でもある。どちらに望みを託すとしても、不安が大きかったに違いない。  だから、祖母は試したのだ。こんな、まるで運命にあずけるように護符を分けて。分かった護符をふたたび集める者は誰か、その謎を解く知恵を持つ者は誰か。誰にせよ、その者こそが、鳥の塔を受けつぐのだと。  プルーデンスもまた、祖母に試されていたのだ。 「——護符を手に入れたのは私だ。正しき道を通って鳥の塔にのぼり、そこにある秘密を手に入れたとき、私はようやくアラニビカの真の統治者になる。そしてあの水が流れ落ちる仕組みを解明し、その技術を武器にして、今度こそ西方諸国と手を結ぶのだ」 「長年の苦労がようやく叶《かな》いますこと、心よりお喜び申しあげます。あなた様なら、すぐにも西方諸国の盟主ともおなりでしょう」  従者がうやうやしく頭をさげると、大公は苦笑した。 「気が早いぞ。まず、この護符の謎を解かねばな。それに目の前の厄介ごとも片づけてしまわねば。……エルクやあの娘は、海軍の狗《いぬ》も消えたことだし、さっさとオパリオンに帰せば問題なかろうが、あの吟遊詩人は気にかかる。いったいどこの手の者か」  そのとき、柱廊のほうから大きな足音が響いてきた。オパルス伯の足音だ。大公と従者は顔を見あわせてにやりと笑うと、二枚の護符と雄牛の腕輪を蒔絵の箱にしまいこみ、机の端に押しやった。  ちょうどそこにオパルス伯が戻ってきた。プルーデンスは頭を引っこめる。  足音は他にもあった。誰かと一緒に戻ってきたようだ。 「伯父上、どうも失礼いたしました。ちょうどそこで、吟遊詩人どもの溜《た》まり場を調べてきた衛士と行きあいましてな。だが衛士どもは、まだ奴を見つけておらぬそうです」  誰かが一歩、前にでる。 「失礼いたします。港近くの、吟遊詩人どものよく利用する宿や小屋は、あらかた調べましたが、件《くだん》の男はまだ見つかっておりません。住宅街に紛れこんでいるかもしれませんので、そちらのほうへも捜索を広げたいのですが」 「許可する。各区の世話役には、凶悪な魔術師が逃げこんだ恐れがあると伝えよ。それで、捜索が終わっているのは、今のところどのあたりだ」 「はい。印を付けた地図を持ってきております。こちらに」  人が移動する音がした。大公が長椅子《ながいす》を並べたほうへ向かったのだろう。プルーデンスはふたたび顔をのぞかせて部屋をうかがった。  大公もオパルス伯も、長椅子に並んで身を乗りだし、地図に見入っている。 (今だわ)  プルーデンスは小さな身体をさらにかがめて、とばりの隙間からはいだした。そして執務机の陰にひそんで、蒔絵の箱に手を伸ばす。中にある護符が触れあって音をたてないように、箱をかたむけて、ゆっくりと箱を手前に引きはじめた。  この箱の中に、鳥の塔の秘密が詰まっているのだ。そう思うと、なおさら緊張する。  プルーデンスは唐突に、鳥の塔の下に集まり祈っていた人々を思いだした。  思惑はどうあれ、鳥の塔と護符はもともと大公家のものだ。そして今この護符を奪えば、鳥の塔を管理できる者はいなくなる。もし鳥の塔から流れ落ちる水がとまるようなことになれば、人々の信仰は失われ、島は荒廃するかもしれない。  プルーデンスは、自分が大変なことをしているのだと自覚した。  だが同時に、彼女は傷ついた吟遊詩人の姿も思いだした。  大公は詩人を見つけだして殺すつもりだ。そのときには、祖母の遺品の護符を盗んだ罪も、プルーデンスを誘拐した罪も、すべて詩人にかぶせるだろう。  それに大公は、もしあのとき詩人が助けに来なければ、プルーデンスのことも始末させていたに違いないのだ。  それらのことを思うと、プルーデンスの心は定まった。 (護符を手に入れるのは私だわ、アンドラーシュ大公——!)  プルーデンスは息を詰めて、蒔絵の箱を最後まで引きよせる。それから箱をしっかり抱《かか》えると、ふたたびとばりの陰に隠れ、さらにテラスにでた。  その夜は大勢の人間が、徒歩で、あるいは馬や馬車で出入りをしていた。その騒がしい気配に紛れて宮殿の外にでるのは、彼女にはいともたやすいことだった。 (詩人はどこかしら)  プルーデンスは蒔絵の箱を抱きしめて、街を走った。  大公宮の者よりも先に詩人を見つけださないと、彼が殺されてしまう。けれど広いトゥスムの、どこをどう捜せばいいのか。港に近い場所は、既に衛士が探索したと言っていた。次は住宅街に手が広がるはずだ。  確信があるわけではなかったが、プルーデンスは鳥の塔がある丘のほうへ足を向けた。  詩人は風霊を使役する。風通しのいい丘に近い場所のほうが、彼には有利なはずだ。  もっとも、彼にまだ魔術が使えるなら、だが。 (詩人……!)  丘に近い、噴水のある広場にさしかかったときだった。 「——お嬢さん」  突然声をかけられて、プルーデンスはびくっとして立ちどまった。  見ると、広場の反対側に小さな灯りがぽつんと浮かんでいる。 「怖がらせてすまなかったね。ほら、私だよ。覚えているかい?」  聞き覚えのある訛《なま》りだ。プルーデンスは息を切らしながらも灯りのほうへ目をこらす。  小さな角燈《ランタン》に浮かびあがったのは、華やかな刺繍《ししゅう》が施された上衣だった。 「……あなた、朝の市場の?」  蒼い衣の吟遊詩人に歌をねだった、西方の商人だ。男は嬉しそうに目尻《めじり》をさげた。 「そうだよ、覚えていてくれたんだね。ちょっとこちらにおいで?」  プルーデンスはためらい、一歩だけ男に近づいた。 「うん、あの吟遊詩人はあんたが警戒するだろうと言ったが、そのとおりだな」 「吟遊詩人ですって? 蒼い衣の吟遊詩人のこと?」  プルーデンスは小さく叫んだが、それでもまだ男に近づかなかった。 「あぁ。ひどい怪我《けが》をして私の店の裏にうずくまっていたから、倉庫にかくまってやったんだよ。そうしたら、今夜はどうもトゥスム宮のほうで動きがおかしいだろう?」  プルーデンスは宮殿のある坂道の下を見て、それからまた西方の商人に目を向けた。 「……それで? お前は詩人を大公宮の人たちに引きわたすつもりなの?」  商人は大仰に目をむいた。 「なんでまた、そんなことをする必要があるかね? 私はあんたたちの言う西方諸国のひとつ、タルガラの人間だ。アラニビカに店をかまえているが、この島の人間じゃない。捕り物の協力をする義理はないよ。だいいち蒼い衣の吟遊詩人をお役人にわたすなんて野暮な真似、しやせんさ。彼らは風とか鳥とか、蝶々《ちょうちょう》みたいなもんだからね」  商人は自分からプルーデンスに歩みより、手をさしだした。 「私の名はラビというんだ。詩人に、鳥の塔に向かう道をあんたがやってくるかもしれないから、見つけたら声をかけてくれって頼まれたんだよ。詩人が待ってるんだが、私について来てくれるかね?」  そう言って、プルーデンスの手のひらになにかを落とす。見れば、古風な銀の耳飾りだった。詩人が身につけていたものに間違いない。 「……こんなの、お前が詩人の味方だって証拠にはならないわ。詩人から無理矢理奪ったかもしれないもの。それにアラニビカに義理がないなんてよく言えるわね。この島で商売をしているなら、それなりの庇護《ひご》も受けているはずよ。善人であることを証《あか》すのは至難の業のようね」  ラビはぽかんと口を開けた。プルーデンスは詩人の耳飾りを握りしめる。 「でも、お前が詩人の居場所を知っていることは、たしかみたいね。いいわ。たとえ罠《わな》でもお前と一緒に行きましょう。私はプルーデンスよ、ラビ」  ラビはちょっと身体を反らし、プルーデンスを見やった。 「ふーむ」 「なによ」 「いやいや。詩人がな、もしかするとあんたがきつい物言いをするかもしれないが、それはあんたの魅力と思えと、そう言っていたのを思いだしてね」 「——さっさと案内なさい!」  ラビをせきたてるようにして案内させたのは、広場から少し奥まった通りにある店だった。間口は広く、正面の壁には美しい壁画が描かれている。農耕作業をする人々が季節ごとに描かれているところを見ると、小麦かなにかを商っているのだろうか。  夜のことで店は閉まっている。プルーデンスたちは裏庭にまわり、倉庫に入った。  ラビが大きな鍵《かぎ》を取りだし、倉庫の錠《じょう》を外した。扉を開けると苦しそうな息づかいと血の臭いがして、プルーデンスは身をすくませる。思わずラビを見ると、ラビはまるでプルーデンスにすまながるように角燈を倉庫の奥に向けた。  弱々しい光が倉庫の隅を照らしだした途端、プルーデンスはひきつった声をもらした。 「……詩人!」  吟遊詩人は、梱包《こんぽう》用の藁《わら》を積みあげた上に、ぐったりと横たわっていた。顔は殴られたところが痣《あざ》になり、蒼い衣も、弩《おおゆみ》の矢が刺さった右肩をはじめ、背中や脚などあちこちが血に黒く染まっている。彼は右手で弦楽器を大切そうに抱きしめていたが、左腕は大きな副木《そえぎ》をつけて、布にまかれていた。 「詩人……う、腕を折られたの? お前の腕——あぁ、そんなになって……」  まともに口が回らない。詩人は答えるかわりに、プルーデンスを見て小さく微笑んだ。  プルーデンスははじかれたように詩人に駆けよったが、詩人のそばまでくるとためらい、立ちどまる。  それから、まるで火に触れるように、こわごわと詩人に手を伸ばした。 「どう、どうしたらいいの? こんなにたくさん血がでて——すごく痛そうだわ。お前の腕、音楽を奏でるのに……なのに、こんな」  自分でも驚くほど唐突に喉《のど》が詰まって、話せなくなった。  と思う間に、涙があふれでて、頬をつたい落ちた。 「……なんてひどいの!」 「プルーデンス——」 「お前の魔術が怖いからって、あんな大勢で、よってたかって。卑劣《ひれつ》だわ。最低よ。お前はなにも悪くないのに、どうしてこんなことになるの!? なぜ」  プルーデンスは泣いて問うた。  けれど、誰に対する問いなのだろう。  詩人の歌、誰もが魂を奪われるあの美しい音楽が、いわれのない暴力で傷つけられたことが、哀しく悔しかった。  いったい誰がこの不条理の償いをしてくれるというのだろうか。そんなことは大公にも、オパルス伯にもできない。無論、プルーデンスにもだ。  いくらプルーデンスが強くありたいと願い、殴られて泣くのを我慢したところで、そんな矜持《きょうじ》も詩人を癒す役には立たないのだ。それを思うと、今までの自分が無意味で愚かであるとさえ感じられた。ささやかな自負や誇りまで失われた思いがして、プルーデンスは息を詰まらせて泣いた。  そして自分と詩人をこんなふうに貶《おとし》めた暴力に対して、プルーデンスはかつてないほど強い怒りと嫌悪を抱いた。 「大伯父様なんて、大嫌い! いちばんの悪人は大伯父様だったのよ。大伯父様は西方諸国とつながっていて、自分の父親を暗殺して大公になったんですって。なんて、なんて無恥で極悪非道なの!」  プルーデンスは激しい口調で大公の罪を暴いた。 「でも前の大公様が殺される前に頑として迷宮の道を教えなかったから、アンドラーシュ大伯父様はずっと鳥の塔にも入れなかったのよ。だから護符を奪ったの」 「——そうだったのか」 「お父様も嫌いだわ。男たちがお前を打つのを、とめてくれなかったもの。いつも威張っているくせに、ラディックス様が倒れたらなにもできない無能なのよ!」  詩人が、動く右手をなんとかしてプルーデンスにさしのべようとした。 「プルーデンス……どうか泣きやんでほしい。あなたがそんなふうに人を恨んで泣いていると、私もつらいよ」  プルーデンスは強くかぶりをふってその手を拒んだ。 「お前が泣きも怒りもしないから、私がこうして泣いて怒っているんだわ! 私、お前にも腹を立てているのよ。なぜ怒らないの。悔しくないの!?」 「こういうことは、はじめてでもないのでね」  息苦しそうに、けれどゆるぎない口調で、詩人は答えた。 「私はなににも属していない自由な者だ。そして誰にも守られていない。だが世の中にはけっして私のように生きてゆけない人々がいる。そしてそのうちの幾人かは、私のような者を深く憎むんだ。彼らは私に向かって石を投げたり、町や村から追い払ったりする。たぶん、こんな目にあうのも、これが最後ではないだろうね」  それだけ喋るにも詩人はつらそうだったが、彼の黒い瞳のまなざしは凪《な》いで静まりかえっていた。プルーデンスはまだ泣いていたが、息をひそめて、自分に向けられる詩人の瞳を見つめ返した。 「——それでも私はなにも怖れない。人間にもこの世界にも絶望しない。言ったろう? あなたを愛しているからね、プルーデンス。あなたへの愛があれば、私は世界を旅して歌いつづけることができる」 「世迷《よま》いごとを並べるのもいいかげんにしなさい!!」  叫ぶなり、プルーデンスは吟遊詩人の首に抱きつき、声をあげて泣きだした。  詩人もかろうじて動く右腕で、プルーデンスを抱きしめ返してくれた。  祖母もプルーデンスの頭をよくなでてくれたものだ。しかし詩人はプルーデンスの髪にその長い指をさしいれて、まさぐるように頭をなでる。そうされると詩人の手のぬくもりが、よりたしかに伝わってくるようだった。  人の肌のあたたかさに意識を澄ませていると、他の嫌なことがすべて薄れていくような気がする。それでいて涙がとまらないのがふしぎだった。プルーデンスは詩人にすがりつき、いっそう激しく泣いた。  マントの内側から蒔絵の箱がしだいにずり落ちて、床にあたってことんと鳴った。その音でプルーデンスは我に返り、あわてて詩人から身をはなす。  詩人が視線だけをめぐらせて、箱を見た。 「中になにか入っているね。護符かい? 自力で大公から奪い返したんだね」 「……そうよ。あんな悪人に、お祖母様が守ってきた護符はわたせないわ」  プルーデンスは涙をぬぐいながら答えた。詩人は肘《ひじ》をついて、苦労して身を起こす。 「その護符を手に入れて、どうするつもりだい?」 「鳥の塔にのぼるわ」  きっぱりと答えると、詩人が笑むように目を細めた。プルーデンスは少しムッとして眉をひそめる。 「だって、このまま護符を持って島からでればすむ話じゃないわ。もし塔から流れ落ちる水がとまったら、なんの関係もない島の人たちが驚くでしょう。水をくみあげる機械がどんなものか知らないし、私に手入れできるかどうかもわからないけれど、護符を手にした以上、責任は果たさないといけないわ」 「別にあなたを責めても笑ってもいないよ。感嘆してるんだ。できれば私も一緒に鳥の塔にのぼらせてほしいんだが、どうかな」  詩人は真剣な口調で頼みこんだ。プルーデンスはふたたび眉をひそめたが、それは先刻《さっき》と違って、困惑のためだった。 「それがお前の目的なんでしょうけど——でもお前、こんなに傷がひどいのに……」 「平気とは言わないが、動けないほどでもない。どうか、つれていってくれ、プルーデンス。私は鳥の塔に行かなければならないんだ」  詩人の声には、否《いや》とは言えない気迫がこもっていた。  この詩人をこれほど必死にさせるものはなんだろうかと、プルーデンスは思った。 「……いいわ。お前がそうしたければ、一緒に来ればいいわ」  プルーデンスは言った。 「でも私、背が低いからお前に肩を貸してあげたりはできないわよ。自分で歩きなさい」 「もちろんだ。恩に着るよ、プルーデンス」  詩人は身体をよろめかせながら立ちあがった。プルーデンスはあわてて詩人のそばに立ったが、詩人は言葉どおり、プルーデンスの肩を借りようとはしなかった。体格差がありすぎるのだからしかたないとはいえ、プルーデンスは自分を不甲斐《ふがい》なく感じる。  せめてと、詩人の楽器を手に取った。楽器は、あの騒動のときも詩人が身を挺《てい》してかばっていたおかげか、傷ひとつない。  ラビはふたりに気を使ってか、ずっと倉庫の入り口あたりにいたが、詩人が立ちあがったのを見て、驚いて駆けよってきた。 「ちょっと詩人さん! どこに行くつもりだい?」 「行くべきところに行くだけだよ」 「まだ無理だよ! 怪我で熱がでてるだろう? せめて熱がさがるまで休んでおいで」 「だがここには長くいられない。そのうち大公の手の者が捜しに来るだろうからね。一時的にかくまっただけでも、あんたに迷惑がかかるかもしれないんだ」  ふたりが話している間に、プルーデンスは蒔絵の箱から二枚の護符と、雄牛の腕輪を取りだしてマントの衣嚢《ポケット》におさめた。そして空になった蒔絵の箱を手に、ラビの前に立つ。 「私たち、時間がないの。だから行くわね。お前には迷惑をかけたついでに、もうひとつ迷惑をかぶってほしいのよ。これを処分しておいてもらえるかしら?」  そう言って、文字どおり漆黒の艶も見事な蒔絵の箱をラビにさしだした。ラビは驚いて、それでも商人の手つきで箱を受けとった。箱をためつすがめつ眺め、プルーデンスを見る。それから詩人を見て、もういちど蒔絵の箱に目をおろした。 「この深みのある黒……蒔絵の金の重厚さ。見事な品だね。うぅむ。それに紅葉した蔦《つた》や秋の野花の表現ときたら。——店頭じゃ扱わない品だな。由緒のあるものに違いない」  当然だ。なにしろアラニビカ大公の机から盗んできたものなのだから。 「下手に処分すればすぐに足がついてしまうわ。そんないわく付きの品物の処分をお前に任せるなんて、申し訳ないのだけど……」  プルーデンスはわざとらしく語尾をにごした。  異国でこれだけの店をかまえる商人なら、盗品を売りさばく伝手《つて》もあると踏んでのことだ。足下を見られたところで、これだけの品なら相当の儲《もう》けが得られるに違いない。  詩人のために危ない橋を渡ってくれたラビに対しての、せめてものお礼だった。  はたして、ラビは自信ありげにプルーデンスにうなずいてみせた。 「大丈夫、綺麗に処分してみせるさ。安心してもらっていいよ。任せなさい」 「お願い。それと、その灯りをもらえるかしら」  プルーデンスは角燈を受けとると、詩人とつれだって倉庫をでようとした。  その背中へ、ラビが声をひそめて呼びかけた。 「うちの店の荷を乗せたタルガラ行きの船が、明後日《あさって》アラニビカの港をでるからね。よかったら覚えておいで。西の商港だ」  詩人は笑顔を浮かべてふりかえった。 「かさねがさね、礼を言うよ、ラビ。あんたに祝福がありますように。こんな状況じゃなかったら祝歌《しゅくか》を贈ったんだがね」  ラビも目元のしわを深めて笑った。 「もう歌ってもらったよ。言ったろう? 私の婚礼の日に、蒼い衣の吟遊詩人に祝歌を歌ってもらったって。あれは私の人生最良の日だったんだよ。あの日の妻を思いだすたび、私の耳には祝歌がよみがえるんだ」 「私も覚えているよ。銀香木《ぎんこうぼく》の花を髪に飾り、あんたが贈った翠玉《すいぎょく》の首飾りを身につけた花嫁は、本当に綺麗だった」  その途端、ラビは瞬きも忘れたように目を見ひらき、立ちすくんだ。  なにか言おうと口を開けては、声をだせずにまた口を閉じている。詩人はくすっと笑うと、そんなラビをそのままにして、プルーデンスと一緒にラビの店の裏庭をでた。  プルーデンスは長いマントの袖で角燈を隠すように持ち、詩人の前を歩く。見あげると、鳥の塔はのぼりかけた月を背にして、丘の上に黒くそびえ立っていた。 「行きましょう」  プルーデンスはしっかりと楽器を抱えなおした。 [#改ページ]      十  神話では、大地と知恵の神がはじめて迷宮を造ったことになっている。彼は地下に大迷宮を建て、神々の至宝を封じた。  今でも多くの国が迷宮を造り、権標や至宝を迷宮に隠している。それはもちろん、大地の神に倣《なら》ってのことでもあるが、他に精霊除けという現実的な理由もあった。  扉に錠《じょう》をつけているだけでは、使役された精霊の力で、錠を破壊されるかもしれない。しかし人間に使役されるような下位の精霊は、知能のほうは概してきわめて単純で、迷宮があればそこで迷ってしまう。迷宮内には精霊を召喚できず、たとえ召喚できたとしても、混乱した精霊に人の命令を聞かせるのはきわめて困難だといわれていた。  それは迷路が、さまざまな線や点といった数学的な要素で構成されているからにほかならない。  世界を支配した神々も、数は支配できなかった。神々でさえも、迷宮に対しては奇跡の力をふるえず、己の知恵に頼るしかなかった。  迷宮では、すべての者が平等なのである。  丘の上で、プルーデンスはあらためて鳥の塔を仰ぎ見た。月と星の光に、塔がうっすらと浮かびあがっている。流れ落ちる水は塔の陰に入っていて、まったく見えない。  それでもプルーデンスは、期待にも近い思いで胸が騒ぐのを感じた。  ふたりは長い時間をかけて、丘の上の広場までのぼりきった。詩人は荒い息をつき、広場の外周である廻廊《かいろう》の柱にもたれかかっている。  昼間はにぎわっていた広場も、夜はしんとして人の気配がない。塔から流れ落ちる水の音だけがやけに耳についた。 (護符が盗まれたことがばれたら、ここにもすぐに衛士たちが来るわ。急がないと)  詩人は柱に手をついて身体《からだ》を起こした。 「——さて、迷宮の入り口を見つけないとね。結界が張られているはずだが……」 「えぇ。でもここの迷宮には目眩《めくら》ましの結界はないか、あってもたいしたものじゃないと思うの」  プルーデンスは廻廊を端から順番に調べていきながらつぶやいた。詩人は興味深そうに彼女を見る。 「なぜだい?」 「迷宮では精霊魔術が使えないのですって。だから迷宮の結界は、精霊の力ではなくて、柱や入り口の角度を工夫したり、騙《だま》し絵のような手法で人の目を眩ませているのだそうよ。魔術としては簡単だけど、迷宮の構造はもちろん、柱の影の角度や通路の反響まで理解しないとできないことなの。迷宮を通り抜けることすらできない大伯父様やその手下に、できるはずがないわ」 「なるほど」  詩人もあたりを見わたした。 「……あてずっぽうだけどね。あっちを調べてみないかい?」  そう言うと、詩人は頂上の広場にのぼりきる一歩手前の階段にまで戻った。  広い階段の中央には、水が流れ落ちる小さな滝がある。プルーデンスが角燈《ランタン》をかかげてよく見ると、流れ落ちる水の内側に、奥に続く細い通路がうがたれていた。 「入り口だわ! こんなところに」 「水に濡《ぬ》れるが、かまわないね? 行こう」  プルーデンスは詩人に先立って、流れ落ちる水の内側に入った。石壁があると思われたそこには、人が身体を横にしてやっと通れるくらいの隙間《すきま》があり、奥に続いている。  十歩ほど進むと、左右に続く広い通廊にでた。暗い先は見えない。  そして正面に立ちはだかる壁には、扉もない入り口が、ぽつんと黒く口を開けている。 「——これが迷宮の入り口なんだわ。左右に続いている通廊は、たぶん、広場の外周に沿っているんじゃないかしら。ここは広場と同じ大きさの、五角形の迷宮なのよ」  言葉は、奇妙に反響して聞こえた。  プルーデンスは角燈を床に置き、楽器を詩人に渡した。そして二枚の五角形の護符を取りだすと、なにもないほうの面と面をあわせる。  縁《ふち》に言葉が浮かびあがった。 『人は人の道を歩むが、神に近づくには神への道を知らねばならぬ。道を重ね、アラニビカの神の導きによって歩め』  祖母の形見としてアラニビカ島に持ってきた護符には、迷宮と同じ経路が刻まれている。おそらくはこちらが『人の道』だ。そしてプルーデンスの持っていた護符に刻まれていた溝が『神の道』をあらわしているのだろう。  詩人は床に腰をおろし、プルーデンスの手元をのぞきこんだ。立っているのがつらかったのかもしれない。だが好奇心があらわになった表情は、驚くほど少年じみて見えた。詩人は意外と若いのだろうかと、プルーデンスは思った。 「これはつまり、表裏同時進行の迷路なんだろう? ふたつを重ねると、表裏に共通した迷宮の正しい順路が浮かびあがるんじゃないのかい?」 「そんな単純なものじゃないわよ。この腕輪、覚えてるでしょ」  今度は雄牛の腕輪を取りだした。腕輪の切れ目のところで角をつきあわせた二頭の雄牛が浮き彫りになっている。  ただし、一方が他方を威嚇して頭をあげているので、角はずれて向きあっていた。 「この雄牛が迷宮で人間を導く『アラニビカの神』よ。腕輪の切れ目の幅は、ちょうど護符を二枚重ねた厚さとぴったり同じになっているの。でも腕輪の切断面には雄牛の角が突起になってでっぱっているから、このままでは向かいあう雄牛を五角形の護符の内部に持っていくことはできないわ。わかるかしら?」 「……あぁ、たしかにそうだね。引っかかる」 「だからこの飛びでている角を護符の溝にはめて、そわせて動かすのよ。そうやって護符の外から中の空洞へ移動させるの。……でもほら、角の突起が少しずれているでしょう? だから突起のはまる溝は、表と裏で重ならないのよ」  プルーデンスはそう言って、まず『神の道』である表面の溝に雄牛の角をすべりこませた。だが裏面のほうで角の突起が引っかかって、前に進めなくなる。  そこで腕輪の角度を変えて、裏側の雄牛の角を別の溝に進ませてやると、表側の角もようやく進めるようになった。ただし、表面でも裏面でも、すぐ目の前にある終着点に対して大きく回り道をすることになったが。 「そうか、表面と裏面で動線がずれるわけだ。経路は重ならないんだな」  詩人が身を乗りだした。 「しかも動線がずれるとはいっても、いつも同じように平行に移動するとは限らないのか。……これは解くのが難しそうだな」 「それなりにね。簡単だったら秘密にならないわ。でもこれは、解き方は見ればすぐに見当がつくものだし、迷路を解くこと自体はそれほど難しくない、地道な作業よ。必要なのはたくさんの根気と、論理的思考と、少しのひらめきだわ」 「解けそうかい?」 「お前は私に自信を問うているの? でも自信なんてただの願望にすぎないわ。心配しなくとも解いてみせるから、黙って見ていなさい」  詩人は声をださずに小さく笑ったが、プルーデンスはそれを無視し、集中して護符の迷路を解きだした。詩人も口出しせず、プルーデンスの手元をじっと見つめていた。  一見すると、護符に刻まれている迷路は単純だ。裏面を見ると、五角形の内部に辿《たど》りつく順路は何通りもあり、いちばん簡単な経路はほんの数回、道を曲がればすんでしまう。  しかし雄牛の角を溝にそわせて、裏面ばかりを見て経路を進もうとすると、表面で角の部分がいきどまりに突きあたってしまう。逆もまたしかりだ。表裏を平行させて迷路を進むためには、時に道を大きく回りこんだり、引き返さなければならない。  プルーデンスはまず表と裏を交互に見て、おおまかな順路の方向や流れを推測した。それから腕輪を重ねた護符の溝に嵌《は》めこみ、進めていく。主には『人の道』にあたる裏面を見ながら腕輪を動かし、詰まると表面を見た。そうやって表裏を交互にたしかめ、試行錯誤を繰りかえしながら解きすすんでいった。  どれほど経ったころだろうか。腕輪が小さな金属音を響かせて、護符の内側にある空洞部分に入りこんだ。 「——解けたわ」 「早いな」 「言ったでしょ、解くこと自体は地道なだけの作業なのよ。次は道順を覚えないと」  そう言ってプルーデンスは裏面を見ながら、腕輪を嵌めては外し、迷宮を進む道順を記憶していった。  ここで焦って間違えてはいけない。迷宮の正しい道を正しい順序で歩いていかなければ、鳥の塔の扉は開かれないのだ。  解いては戻す作業を何度か繰りかえしていると、詩人がふと顔をあげた。 「……外に人がいるようだね。武器かな、重い金属が触れる音がするよ」  プルーデンスもはっと顔をあげた。 「何人いるのかしら。ここに入ってきそう?」 「まだ四、五人ほどかな。今は滝の周囲に集まっているだけだね。だが、応援の到着を待ってここに入ってくるつもりかもしれない」  プルーデンスは立ちあがる。 「迷宮に入りましょう。こんなところで彼らを待っている理由はないわ」  詩人は手を伸ばし、プルーデンスをひきとめた。 「彼らは迷宮の正しい道順を知らないだろうが、彼らが侵入してくれば迷宮内ではちあわせする危険もある。今、外の男たちを風霊で倒してしまうほうがいいんじゃないかな」  迷宮内には精霊を召喚できない。そのことを考慮すれば、詩人の言葉は理にかなっていたが、プルーデンスは首をふった。 「何を言ってるの。怪我《けが》人のくせに無理はやめて。疲れて迷宮を歩けなくなるわよ」  精霊を使役するには相当な集中力が必要なはずだ。怪我の痛みに耐えてできることではない。 「迷宮を通り抜けたあとも鳥の塔にのぼらないといけないのよ。お前のいちばんの目的が果たせなくなってもいいの? 私、お前の手をひいてなんかあげないわよ」  詩人もそれはわかっていたのだろう、苦笑するだけで反論してこなかった。 「わかった。正しい道順は覚えたのかい?」 「大丈夫よ。さぁ、早く。楽器は自分で持って」  プルーデンスは詩人をうながし、角燈を持って迷宮に入った。  迷宮の通路は、プルーデンスが両腕を広げれば、左右の壁に手のひらがつく程度の幅だった。天井は高く、上まで光が届かない。そのためか、闇《やみ》が頭上から覆いかぶさってくるような印象がある。  記憶のとおりに迷宮の道を進んでいった。ときおり手元の護符を動かし、たしかめる。不自然と思えるいきどまりや迂回路も、腕輪が護符の裏面を辿るとおりに歩いた。 「見て、詩人。このいきどまり、隅になにかあるわ」  腕輪の通った順路でもなければ入りこまないようないきどまりの隅に、五角形の印が付された床石があった。そっと押してみると、床石は床に沈みこみ、遠くでかすかに重い歯車がまわるような音がした。 「……なるほどね」 「でもこれは、五角形の印が付された床石をしらみつぶしに探しだして押せばいいというものじゃないわね。きっと、この床石を押す順番も大切なのよ。だからこそ迷宮の正しい道順が重要なんだわ」  ふたりはさらに奥に進んだ。記憶を呼び起こしながら、しかも床石に気をつけなければならないし、詩人の怪我も気にかかる。自然、足どりは遅かった。  それでも、その遅い歩みも鳥の塔の扉にいたる道だと思うと、プルーデンスは昂揚《こうよう》した。この四十年、多くの人間が挑みながら解けなかった迷宮を、自分が今解いているのだ。  プルーデンスはようやく悟った。鳥の塔にのぼるのは、祖母のためでも誰のためでもない。もちろん利他的な理由がまったくないとは言わないが、自分はただ、塔の最上階にのぼってみたかったのだ。  青空の下で見た鳥の塔の清雅で気高い姿を思いだし、プルーデンスは頬《ほお》が熱くなるような気がした。  風の精霊ナサイアが羽を休めに訪れる、鳥の塔。その最上階にある、神秘の星の泉。  神々も精霊も、遠い昔にこの世を去った。鳥の塔に入っても、内部にあるものは伝説の痕跡《こんせき》ではなく、大仰な機械だけだろう。だがそうとわかっていても、それでもプルーデンスは、最上階の星の泉を目にしたかった。こうして詩人とふたりで塔の謎を解き、塔の最上階を目指すことは、けっして虚《むな》しいことではないと思えた。  そして心がたかぶっている一方で、プルーデンスは深い集中力で迷宮を辿り、五角形の印が付された床石を確実に踏んでいった。  迷宮の正面入り口からちょうど反対側に来たあたりで、迷宮の外周をなす通廊にでる、小さな出口に行きあたった。 「ここでいちど、この出口から迷宮の外周にでるわね」 「外だって?」 「そうよ。外の廊下も迷宮の一部なんだから」  今やすっかり冒険気分で、プルーデンスは詩人に先立っていた。角燈を後ろ手にして、外の通廊にまず顔だけをだす。  その途端、壁をつたって人の声が聞こえてきて、プルーデンスは思わず頭を引っこめた。 (——大伯父様の手の者たちだわ! 迷宮に入ってきたのね)  想像していたことだが、それでも腹のあたりがひやりと重たくなった。また彼らが弩《おおゆみ》を持っているのではないかと思うと、先刻《さっき》までの快い興奮も霧散した。  詩人がプルーデンスをそっと押しやって、外の通廊に顔をだす。プルーデンスはあわてて詩人の蒼《あお》い衣をつかみ、ひきとめようとしたが、それより先に詩人は顔を引き戻した。 「滝の入り口のほうからだね。反響で近くに聞こえるが、距離はずいぶん遠いよ」  プルーデンスは唇を引き結ぶと、角燈を低く、身体の陰に隠れるように持ち、詩人の先に立って通廊に進みでた。 「追っ手がきたからって、逃げるわけにも道を変えるわけにもいかないわ。正しい道順で進まないと、鳥の塔の扉は開かないのだもの。だから、急ぎましょう」  詩人に囁《ささや》くと、詩人はどこか満足げにうなずいた。  道なりに進むと、通廊の壁ぎわに五角形の印が付された床石があった。それを押してしばらく進んだところにあった入り口から、また迷宮内部に戻る。外周で聞こえていた人の声が途絶えて、プルーデンスはほっとした。 「もうほとんど、鳥の塔の周りを一周しているんじゃないかな?」 「そうね。もうすぐよ。もうすぐ扉の前につくわ」  早く鳥の塔の内部に入ってしまおう。プルーデンスは焦る心を抑え、目をこらして床石に五角形の印がないかをたしかめて進んだ。  鳥の塔の扉が、次の角をまわればすぐというところで、また五角形の印が見つかった。 「きっとこれが最後の床石よ」  押すと、これまで聞こえていたのよりも長い歯車の音がする。待ちきれない思いで、プルーデンスは最後の道のりを詩人をおいてかけだした。  だが角をまわって鳥の塔の扉を目にした途端、プルーデンスは足をとめた。  通路の先に階段があり、その最上段に鳥の塔の内部へいたる両開きの扉がある。  その扉の前に、アンドラーシュ大公が立っていた。  足下の階段には、弩をかまえた男たちが前後に並んでいる。 「——やはりそなただったか、プルーデンス」  大公は角燈を取りだすと、プルーデンスたちを上から照らしだした。 「貴族の姫君が盗人の真似事とは、フィリグラーナも堕ちたものだ」  勝ち誇った表情で軽く揶揄《やゆ》し、ふっと笑う。 「もっとも、そなたはエルクよりはよほど有能だな。そのあたりは我が妹、エヴィケムの血かもしれぬ。先ほどからなにかしかけが動くような歯車の音がしていた。私のかわりに迷宮の謎を解いてくれて、礼を言うぞ」  プルーデンスは答えられない。ただ息がとまる思いで弩を見ていた。いつ矢が放たれるかと思うと、それだけで気が遠くなりそうだった。  詩人が横道から姿をあらわし、プルーデンスをかばうように前に立った。 「……詩人! だめよ!」  プルーデンスは詩人を引き戻そうとしたが、詩人の長身は彼女の力ではびくともしない。 「お前か、吟遊詩人。正体は優秀な魔術師かもしれぬが、迷宮内では風霊も使役できまい。ふたたび弩の餌食《えじき》になりにやってくるとは、愚かなものだ」  しかし詩人は、落ち着き払っていた。 「そのように勝ち誇っているがね、アンドラーシュ大公。プルーデンスがうまく迷宮の謎を解いたかどうか、その扉が開くまではまだわからないんだよ? 案外、あなたが扉を開けようとした途端、大がかりな罠《わな》が発動するかもしれない」  詩人の言葉に、弩をかまえた男たちが動揺を見せた。不安げに大公をふりかえる者さえいたが、さすがにアンドラーシュ大公は平静な態度を保っている。 「罠だと? 苦し紛れにでたらめを」 「だが伝説や物語では、床が落ちたり天井がさがってきたり、そんなしかけがある迷宮も多い。迷宮の奥にいた怪物が侵入者を喰《く》ってしまったりね。最後の最後にどんでん返しは、でたらめどころか迷宮の物語の常道だ。あなたならよくご存じだと思うが」 「ふん。さすが、吟遊詩人ははったりも面白いな」 「はったりだと思うかい? アンドラーシュ大公。その扉が開くまで、自分たちが本当に正しい道順を通ってきたかどうか、私たちにもまだわからないんだよ」  大公は答えない。  神話や叙事詩を物語る吟遊詩人の声だからか、詩人の声には聞き逃せない真に迫った響きがあった。  プルーデンスでさえ、不安になり始めた。自分の護符の解き方は間違っていたかもしれない。あるいは完全に道順を覚えきらずに迷宮に入って、道を途中で間違えたかもしれなかった。印のついた床石は、はたしてすべて押せたのだろうか——。  アンドラーシュ大公も、塔の扉をちらりとふりかえり、迷いを見せる。  しかし逡巡《しゅんじゅん》を重ねた末、大公は扉に手をかけた。たとえ悪党でも、彼にはたしかに度胸と決断力が備わっているに違いなかった。 「プルーデンス、こっちへ!」  大公が扉を引くと同時に、詩人がプルーデンスを抱えて横道に飛びこんだ。  床に倒れ伏した瞬間、詩人の楽器が高く音をたてる。  その音を追いかけるように、地下とは思えない突風がうなりをあげて吹き荒れた。大公やその配下の男たちが声をあげるが、風にかき消されてよく聞こえない。  風の音にまじって、切り裂くような音がして風の中をなにかが飛んでいった。続いてもう少し重たい音がしてなにかが飛んでいく。突き当たりの壁にあたったのか、通路の逆の方向から激しい破壊音が続けざまにした。  男たちの怒号と悲鳴がいりまじる。恐慌にかられているようだ。 (風にあおられて弩や矢が飛ばされたんだわ。灯りも失ったのね)  プルーデンスは自分たちの灯りが消えないよう、あわてて角燈を支えた。詩人の楽器は風のせいか、しきりに弦を鳴り響かせている。  この様子は、港近くの空き家で詩人が風霊を使役したときとまったく同じだ。 (でも迷宮の中では、精霊を召喚できないはずなのに。どうして?) 「弩さえなくなれば、あとはどうとでもなる。行こう、プルーデンス」  詩人はプルーデンスに楽器を持たせると、かわりに角燈を取り、もとの通路にでた。  塔の扉が開けはなたれて、そこから入りこんだ風が迷宮の中で吹きすさんでいる。風の勢いだけなら、空き家の地下で吹いていたよりも強いかもしれない。大公や手下の男たちは、床にはって飛ばされないようにしていた。  それでも詩人とプルーデンスの周りだけは、風は静まって、髪や衣をゆらしていた。 「詩人、これはどういうことなの? この風はお前がやっているの? でも迷宮には精霊は呼べないはずよ!」  詩人は肩越しに、プルーデンスに笑ってみせた。 「迷宮内で使役できないのは、下位の雑霊だけだよ」  それはどういう意味だと、プルーデンスは尋ねたかった。だが、なぜか問えなかった。  詩人は男たちをまたぎ越す。プルーデンスは少しためらったが、壁にそうようにして彼らをこえた。大公が半ば顔をあげ、ふたりをとめようとしたが、風のあまりの勢いに声をだせない様子だ。  短い階段の上には、扉が大きく口を開けていた。まるでプルーデンスと詩人を待ちかまえているかのようにも見えた。プルーデンスは自分の口の中がひどく乾いていることに気づく。無理に唾《つば》を飲《の》みこむと、足を速めて階段で詩人と並んだ。  それからふたりは揃《そろ》って、鳥の塔の中に足を踏み入れた。 「……これは……」  塔の内部を見わたして、プルーデンスはつぶやいた。  角燈の光に浮かびあがる塔の最下層は、がらんとして虚《うつ》ろだった。  壁にそって上にあがる階段があり、黄褐色の石の床の中央には、塔の支柱となる太い木の柱が立っている。けれど見えるのはそれくらいで、あとは風が吹いているだけだった。プルーデンスが予想していたような機械はなにもなかった。 (どうやって水を最上階にくみあげているの? ——いえ、そもそも水はどこ!?)  詩人が戸惑っているプルーデンスをうながした。 「上に行こう、プルーデンス。私の楽器を落とさないよう、ついてきてくれ」  詩人は怪我をかばいながら階段をのぼりだす。プルーデンスもあわてて彼を追った。  塔は、外部は綺麗な五角形をしているが、内部は無秩序に梁《はり》が張られ、階段はその隙間を縫うように細く急に造られていた。階段は勾配《こうばい》や幅までが一定しておらず、しかも四十年間誰ものぼったことのない階段は、ところどころが朽ちかけている。ふたりは階段に手をついたり、梁で身体を支えたりして、慎重にのぼっていった。  だが階段をのぼりつづけても、機械らしき機械はいっこうにあらわれず、また下からくみあげているはずの水は臭いさえ感じられない。プルーデンスは階段をのぼるごとに、困惑を強めていった。 「詩人……ねぇ、ここは本当に鳥の塔なのかしら。私たち、もしかして迷宮で迷って、違う場所にでてきたのではないかしら」  思わず気弱になって問うたプルーデンスを、詩人は笑うような目でふりかえった。そしてプルーデンスの質問には答えず、吹きぬけになった塔のはるか下を見下ろし、言った。 「階下では、風が弱まった様子だね。人がのぼってくるよ」  プルーデンスはびくりとして下を見た。梁の隙間から灯りがあがってくるのが見える。 「あと少しだ。頑張って」  詩人は足を速めた。プルーデンスも今は疑問を口にすることはやめ、楽器を持ちなおして、詩人についていく。  やがて頭上に光が見えてきた。最上階にあがるのぼり口だろう。もれてくる光は淡い。迷宮を進んでいるあいだに、いつの間にか明け方になっていたのだ。  それと同じくして、水の音が聞こえてくる。  広場で聞いた、あの音だ。鳥の塔を水が流れ落ちる音だ。 「さあ、ついたよ。プルーデンス」  詩人は最上階にあがる梯子《はしご》を片手で苦労してのぼると、上から手をさしのべてくれた。プルーデンスは先に詩人に楽器を手わたし、梯子をのぼりきる。  最上階に顔をだした途端、爽《さわ》やかな水と草のかおりが、プルーデンスの頬をなでた。  五角形の部屋には、すべての壁に大きな窓があり、庭園のあずまやのようだった。  そして部屋の中央に、詩人でも楽に乗れるほど大きい水盤が吊《つる》されている。 (水盤——そんな、吊されているだなんて……)  吊された水盤から、水が豊かにあふれだしていた。水は水盤の中心で植物の芽のように盛りあがっては、ゆるやかに形を崩し、水盤の縁からあふれ落ちる。水は床にすえられた石造りの水槽から溝をとおって、壁にうがたれた大きな穴から塔の外へ落ちていった。  この水盤こそが間違いなく、星の泉、鳥の塔から流れ落ちる水の源なのだ。  人が踏みこまず、ずっと手入れがされていなかった最上階には、鳥が種を運んだのだろう、いたるところに実のなる蔓《つる》や草が生えていて、石の床を隠しかけていた。 (まるで神話にある空中庭園のようだわ)  呆然《ぼうぜん》として座りこんでいるプルーデンスとは対照的に、詩人は楽しそうに水盤に歩みより、流れ落ちる水に手をひたしている。おいしそうに水を飲むと、もういちど怪我をしていないほうの手のひらを水で満たして、プルーデンスのそばへやってきた。 「プルーデンス。飲めば幸福になるという星の泉の水だよ」  うながされるままに口をつけ、さしだされた水を飲んだ。喉を通りすぎる水は冷たく、プルーデンスはようやく我に返った。 「これはどういうことなの。この水は機械じかけでくみあげているんじゃなかったの?」  冷たい水を不器用に飲みこみながら、プルーデンスは尋ねる。詩人は笑い、片手を広げて答えた。 「見てのとおりだよ。星の光を集めてわく、聖なる星の泉だ。ここは間違いなく鳥の塔なんだからね、プルーデンス」  プルーデンスは立ちあがると、窓に歩みよった。そして下にある広場を見下ろし、小さく声をあげる。  目の下に広がっていたのは、丘の上にある五角形の広場だった。まだ朝も早いために、人はほとんどいない。  だから、広場を歩いているときは気にもとめていなかった広場の石畳が、塔の最上階から一望できた。  敷石の色を変えているわけではない。長方形の敷石の向きや長さを、微妙に変えているだけだろう。それでも広場の床には、五角形の広場の、頂点から別の頂点を結ぶ線がはっきりと浮かびあがって見えた。  そこにあらわれている図形は、正五角形に内接する星形——五芒星《ごぼうせい》だ。  プルーデンスははっとして、最上階の部屋をふりかえった。この部屋も正五角形の形をしている。そして草や蔓で覆われかけた床には、広場と同じように対角線が描かれ、五芒星が形づくられていた。  この丘の上には、水盤を中心にして、いくつもの五芒星が描かれているのだ。 (……星の光を集めてわく泉——) [#挿絵(img/AFDPG_227.jpg)入る]  階下からの声がはっきりしてきた。いよいよ大公たちが近くまでのぼってきたのだ。  プルーデンスは緊張して詩人を見たが、詩人は今にも歌を歌いだしそうな表情で、楽器を拾いあげた。 「詩人?」 「やっとここまでくることができた。あなたには本当に感謝しているよ、プルーデンス。私には、あの護符の謎は解けそうになかったからね。だけど私はどうしても星の泉の畔《ほとり》に来なければならなかったんだ」  そう言って詩人は、吊りさげられた水盤、星の泉に対峙《たいじ》して立った。そして楽器の棹《さお》を持ち、楽器の胴をまっすぐに水盤に向ける。 「——踊り子ナサイア、天上の浮かれ女《め》、神学生の誘惑者……波と戯《たわむ》れて潮風を生み、砂漠の砂と踊って熱風を生む。春の宵に憩って西風を、夏の陽に蒸れて南風を生む」  低い声で、詩とも歌ともつかない言葉をつむぎはじめた。  と、楽器の弦が、詩人の声に応じてかすかに震えだす。 「メビウス街道の森の中で、私は母とはぐれて泣いている幼子を見つけた。自ら落とした雷と一緒に地に落ち、風の届かぬ谷底で迷って途方に暮れていた。あなたの御子だ、ナサイア。私の楽器の中で充分に傷も癒した。どうか迎えに来てやってくれ」  詩人はここで、声をあげて笑った。 「なにしろ大変ないたずらっ子だ。怯《おび》えて泣いていたのは最初のうちだけ。私に懐《なつ》いてくれたのは光栄だが、勝手に人間に雷を落とすし、手加減を知らない。つい先刻も、この塔の地下で大暴れだ。地上の風霊にも好かれていたが、どうか天上につれ帰ってほしいね」  弦が、弾かれてもいないのに高く鳴る。詩人の言葉に抗議しているようでもあった。詩人はもういちど笑った。  最上階に風が集まりだした。あたりの草や蔓がなびき、水盤も大きくゆれる。詩人が目でプルーデンスに合図をして、彼女はあわてて壁ぎわによった。 「ナサイア。ここは地上の塔ではない。正五角形とその中に生じる五芒星、天上の星にもつながる、聖なる図形のただ中だ。その中には黄金比が多く隠されている——神も人も分けへだてなく魅せられる、いと美しき比率だよ」 「プルーデンス!! 詩人! もう逃げられないぞ。そこはいきどまりだからな」  アンドラーシュ大公の声が、すぐ下で聞こえた。しかしプルーデンスはそんな声など意にとめず、蒼い衣の吟遊詩人にただ心を奪われていた。  楽器の弦は何者かを呼ぶように高く鳴り響いている。最上階に渦巻く風も、しだいに強くなっていった。詩人の蒼い衣も、大きくひるがえっていたが、詩人は微動だにせず楽器をかかげていた。 「——永遠に時の神を魅了する数の聖性をもって、ここにあなたを迎える。風の霊鳥ナサイア、星の庭におり来たりて、蒼い衣の吟遊詩人の祝福を受けてくれ」  詩人の声に答えるように、最上階に開けた窓から見えるアラニビカの空が、一面銀色に輝いた。  同時に、まるで天を支える柱のように、いくつもの雷光がアラニビカ島に立った。  間をおかず、雷鳴がどよもして鳥の塔が震えた。プルーデンスは頭を抱えて悲鳴をあげるが、自分の声さえ聞こえない。凄《すさ》まじい音には身体の芯《しん》までゆさぶられるかのようだったし、閃光《せんこう》の眩《まぶ》しさは目を閉じていても瞼《まぶた》を突き抜けてくるようだった。  床のすぐ下からも悲鳴が聞こえた。大公の一味の誰かが塔の階段から落ちたに違いない。けれど彼らの悲鳴もすぐに雷鳴にかき消されてしまう。  雷は幾度も、幾度も落ちる。空き家の地下ではなたれた雷とは比較にもならなかった。  石壁を激しくうがつ音が聞こえはじめた。大粒の雨でも降り始めたのか。 『——あなたにも、ありがとう』  ふいにすべての音が遠ざかり、プルーデンスの頭の中に子供のやわらかな声が響いた。  同時に、どこかで見た風景が、断片的に頭の中に浮かぶ。なだらかな稜線《りょうせん》、森を抜けて伸びる石畳の街道は、オパリオンに近いメビウス街道の景色だ。  続いて頭の中に広がった、黒く焦げた大木、崩れた山の斜面の惨状は、プルーデンス自身は見ていないが、オパリオン近辺を襲ったひどい大嵐の結果だろう。ひどい雷雨で、陸路も海路もふさがってしまったのだ。アラニビカ島への出航が遅れたのも、あの雷雨のせいだった。 『上から落ちたんだ。でも母様がやっと迎えに来てくれる』  プルーデンスは顔をあげた。  天が雷光で銀色に輝いている。その光を受け、黄褐色の部屋は黄金色に染まって見えた。  そのただ中に、蒼い衣の吟遊詩人が長い髪と衣をなびかせてたたずんでいた。その姿は、まるで光の庭園を散策している貴人のようだった。  詩人は歌っていた。打ちつけるような音に紛れて聞こえないが、たしかに歌っている。 (この音は雨音じゃないわ。これは——)  ——この音は、鳥の羽ばたきだ。  そのとき唐突に、プルーデンスの身体の下にある床が手応えを失った。我に返って見ると、床が壁ぎわからゆっくりと崩れていく。  階下から聞こえる悲鳴も、悲壮な響きをおびた。 「詩人!!」  プルーデンスも叫んで、詩人に手を伸ばした。  だがプルーデンスの悲鳴が詩人に届くはずがない。せめてと伸ばした指先が詩人に届く前に、プルーデンスは浮遊感に包まれ、気を失った。 [#改ページ]      十一 「——プルーデンス! プルーデンス、大丈夫かい?」  軽くゆさぶられて、プルーデンスは意識を取り戻した。  瞼《まぶた》を開けると、吟遊詩人がプルーデンスを心配そうに見下ろしているのと目があった。何度か瞬きをすると、詩人は安堵《あんど》して息をついた。  詩人の背後に、抜けるように高い青空が広がっている。  くん、と空気を嗅《か》ぐと、土と樹の匂《にお》いがした。 「……ここはどこ? 私、鳥の塔の中を落ちていったんじゃなかったの?」  プルーデンスは身を起こして、あたりを見わたした。プルーデンスたちがいるのは森の中らしいが、なぜか周囲の木々がなぎ倒されている。おかげで見晴らしはよく、アラニビカの黄褐色の街並みがよく見えた。  どうやら都市の中央にある丘らしい。背後を見あげると、鳥の塔が目に入った。塔はところどころ落雷にあって壊れているようだ。詩人はプルーデンスの視線の先を見て、肩をすくめて苦笑した。 「そう、ナサイアのおかげで塔がかなり壊れてね。最上階の床も半分近く落ちた。私たちはナサイアが運んでくれたおかげで助かったんだ。ここは鳥の塔の裏手にある森だよ」 「ナサイア? 霊鳥が私たちを助けてくれたっていうの?」 「彼女の子供を助けて、送り届けたお礼だろうね。……それにしても大雑把だが」  詩人はあたりに倒れている木を眺めやり、ため息をついた。  プルーデンスはまだ少し状況がのみこめない。ふと、詩人の左手にあった副木《そえぎ》がなくなっていることに気づいた。  副木だけではなく、顔にあった痣《あざ》も消えている。 「お前、それはどうしたの? 怪我《けが》は?」 「あぁ。誰かが治してくれたみたいだね。ありがたいことだ」  詩人はおどけて両手の指を開いたり閉じたりしたが、そんなことでプルーデンスが笑うはずもない。 「誰かって、誰!? それもナサイアのお礼なの?」 「ナサイアにそんな繊細なことはできないよ。治してくれたのは、ナサイアが鳥の塔におりてくるときに、ついでに一緒におりてきた『誰か』だね。かなり大きく門戸を開いたから、あちらもつい懐かしい世界をのぞきたくなったんだろう。そうして蒼《あお》い衣を見て、旧い友人を思いだしてくれたんだろうね」  詩人は傷が癒えた左手に触れて、なにかを懐かしむ表情をした。  プルーデンスは詩人を見つめながら、懸命に言葉を探した。 「……お前は何者なの? 私——お前は王都の間者かもしれないと思っていたのに」  詩人は肩をすくめる。 「それはオスカーのことじゃないかな」 「オスカーですって!? あの俗っぽい吟遊詩人?」  オパリオンの港で、蒼い衣の吟遊詩人の声に恐れをなして逃げた赤毛の男の顔を、プルーデンスはなんとか思いだした。詩人は少し悪戯《いたずら》っぽく笑う。 「メビウス街道の宿屋で、彼と傭兵《ようへい》らしき男がアラニビカ潜入の手はずについて話しているのを耳にしたんだよ。それで私にも、彼がオパルス伯の手紙を持っているとわかったんだ。どうやらアラニビカ周辺の動向を探るのが、彼の使命だったらしい」 「じゃあ、あのオスカーも偽者だったの!?」 「あるいは、本物のオスカーだけど、間者としての命を受けていたかだね。ちょうど私もナサイアの子を拾ったところで、悪いと思ったが手紙をちょうだいしたんだ」  プルーデンスは疲れたように肩を落とした。 「……それじゃ、お前はいったい何者なの? 精霊なの? それとも神様?」 「何度も言ってるはずだよ、プルーデンス。私は蒼い衣の吟遊詩人だ。名を持たず、故郷もなく、世界をさすらって歌を歌いつづける。それだけだよ。それが私だよ」 「そんな——じゃあ、創世の神話にでてくる蒼い衣の吟遊詩人はお前なの?」 「もちろん私だ。彼も蒼い衣の吟遊詩人だよ。いや、彼女だったかな? 金髪だったかもしれないし灰色の髪だったかもしれないね。どれも私だが、大勢いるからわからないな」  詩人は、雷雲が去って洗われたように輝く空を見あげた。 「創世のころ、まだなにも名づけられていなかった時代の名残《なごり》が、蒼い衣の吟遊詩人だ。神々がこの世界を統治していたころも、蒼い衣の吟遊詩人は自由に世界を旅していた。そして神々がこの世界を去ったあとも、私は残って、こうして放浪しているんだよ」  プルーデンスも詩人と一緒に空を見た。眩《まぶ》しいほど青く明るい空だ。  それから、詩人を見た。 「——私、神様も精霊も、私たちとは違う遠い世界に去って、二度と戻ってこないのだと思っていたわ。私たちの声は神様や精霊に届かないってあきらめてたのよ」  詩人はプルーデンスに目を移し、微笑んだ。 「そんなことはない。たしかにちょっと遠い場所だから、行き来は不便だけれどね」 「でもこの世界には、もう創世の奇跡の力は残っていないんじゃなかったの?」 「奇跡なんて、今のこの世界にだっていくらでもあるよ。そうだろう?」  詩人は立ちあがると、まだ少し呆然《ぼうぜん》としているプルーデンスに手をさしのべた。 「行こうか」  ふたりが向かったのは、鳥の塔だった。  鳥の塔は落雷を受けて数ヵ所が崩れ、広場にも石材のかけらが散乱していた。ごっそりと壁が落ちて、内部があらわになっている箇所もある。階段もとぎれて、最上階に歩いてのぼることはできなくなったらしい。  それでも塔は倒れていなかった。過剰なまでに張られた梁《はり》のせいだろう。  泉のある最上階も、水盤や床の水槽は無事だったらしく、水は変わらず流れ落ちていた。弧を描いて落ちる水の爽《さわ》やかな力強さも以前のままだ。  鳥の塔が落雷を受けて壊れたことが、早くも知れわたったのだろう。広場は精霊の塔の霊験が失われたかと、心配してかけつけたらしい者であふれていた。  だが集まった人々が目にしたのは、倒れた塔ではなく、いっそう神秘性を増した奇跡の塔の姿だった。  壁が壊れたおかげで、塔の中にからくりじかけもなにもないということが、はからずも証明されたのだ。かつてアラニビカの大公だけが目にすることができた星の泉の奇跡は、今では誰の目にもさらされている。塔を見あげる人の目には、いっそう深い畏怖《いふ》がこめられているようにプルーデンスには感じられた。  そうして人々の賛嘆のまなざしを受けて立つ鳥の塔は、外壁が少しばかり壊れたところで、美しさに変わりなく思われた。  塔の周囲には、トゥスム宮の役人や、武装した兵が大勢いたが、彼らはプルーデンスや詩人とすれ違っても目もくれなかった。互いに顔をよせ、浮き足だったように喋《しゃべ》っている。  もれ聞こえた話によると、大公が高所から落ちて大怪我を負ったらしい。彼は最上階のすぐ下の梯子から落ちたはずだが、張りめぐらされた梁が、どこかで大公を受けとめたのだろう。  それでも政務を執ることは当分無理とのことで、とりあえず大公の息子が代理の統治者となるようだ。そのまま跡を継ぐ可能性も高いと思われる。 「どうやら、うまくおさまりそうだ」  詩人は鳥の塔へ向かう人波に逆らって、丘の参道をくだりながら、プルーデンスに言った。プルーデンスもほっとした気分でうなずいた。 「そうね。やり手のアンドラーシュ大公が怪我をしたから、政治は混乱するでしょうし、フィリグラーナや西方諸国《ファルゲスタン》もこの島をねらうかもしれないわ。でも鳥の塔が人々の畏敬を集めていれば、この島は大丈夫よ」  奇跡の塔がある島を侵せば、国に関係なく、各地の神殿や人々が黙ってはいまい。それらの声を無視してまでこの島に侵攻する国は、少なくとも今の情勢ではないだろう。  だが詩人は、ぐすっと笑った。 「私は、トゥスム宮に戻ってもあなたに危険がなさそうで、無事にオパリオンに帰れそうだという意味で言ったんだがね」 「私?」 「そうだよ。今の状況でフィリグラーナ貴族の姫君のあなたになにか起これば、その機に乗じてフィリグラーナがアラニビカにどんな難癖をつけてくるかわからない。大公にあなたのことを言い含められていた者たちも、もはやあなたに手出しできないだろう」 「吟遊詩人のくせに、俗っぽいことを考えるのね」  プルーデンスが言うと、詩人は可笑《おか》しそうに声をあげて笑った。  しかしプルーデンスは眉をひそめた。 「お前はこれからどうするの。お前の言葉のとおりだとしたら、お前は私の分まで、大公の配下の者に恨まれることになるのよ」 「さっさとこの島からでていくよ。この島に来た目的も果たしたからね。ラビの船に乗せてもらうつもりだ」 「タルガラに行くの?」 「とりあえずは。そこから先はまだわからないが、旅を続けることだけはたしかだ」  詩人はこだわりなく言った。  けれどその軽やかな口調に、プルーデンスの胸はかえって重くなるようだった。  詩人と別れるかと思うとつらかった。詩人の穏やかで音楽的な声が聞けなくなる。優しげなくせに人をくった口調も、黒い瞳も風になびく蒼い衣も、すべて自分の前から去ってしまうのだ。  一方でプルーデンスは、詩人は行くべきだと思っていた。 「そうよね。行けばいいわ。お前は蒼い衣の吟遊詩人だもの。放浪を運命づけられているんですものね。お前をとどめることは誰にもできないわ」  詩人は立ちどまり、プルーデンスを見た。  ふたりはちょうど丘をおりきって、参道をはずれた場所にいた。今いる道をこのまま進めば、トゥスム宮に帰ることができるはずだ。  帰る。プルーデンスはその言葉の意味をかみしめた。蒼い衣の吟遊詩人には縁のない言葉だろう。 「……私が去ると寂しいかい、プルーデンス?」  詩人が尋ねた。 「寂しいわよ」  プルーデンスは率直に答えた。 「お前は私の話を聞いてくれたし、理解もしてくれたもの。お祖母《ばあ》様がお亡くなりになってから、私のことをそんなふうに肯定してくれたのはお前だけだったわ。お前が去れば、私はまたひとりになってしまうでしょう」 「今にあなたを理解し、崇拝する者が多くあらわれるよ」 「根拠のない願望よ。それにそんな日が来るとしても、それまで私は孤独に待たなければならないわ」  プルーデンスは顔をあげ、詩人をまっすぐに見つめた。 「でも、いいのよ。蒼い衣の吟遊詩人がただの伝説じゃなくて、私の目の前に存在していたんですもの。私はそれが嬉しいの。お前には旅を続けてほしいわ。お前が人間や世界に絶望せずに旅をしているほうが、お前が私のそばにいてくれるよりずっと嬉しいわ」  詩人が手を伸ばし、プルーデンスの頬《ほお》に触れた。あたたかい。  生きている人の熱だ。人間には、このぬくもりが互いに必要なのだと詩人は言った。その言葉は正しいと、今のプルーデンスにはよく理解できた。  それでも自分はこのあたたかみを失わなければならない。  プルーデンスは喉の奥に痛みを感じたが、言葉を続けた。 「……お前がどこかの空の下を旅して歌っていると思えば、私だって寂しくても絶望しないわ。孤独でも、たとえ誰も私を理解しなくても、誰のことも恨まずにいられるわ——」 「プルーデンス」  詩人はそのままプルーデンスを引きよせて抱きしめると、深く口づけた。  口づけは、プルーデンスにはまだなんの官能も歓喜も呼び起こさない。むしろ、やわらかく湿った感触が気持ち悪いとさえ思った。吊りさげられるようにして強く抱きしめられるのも痛いし、息苦しい。  それでもプルーデンスは詩人に身体を委ねて、されるままになっていた。詩人が息を継ぐために、わずかに唇をはなすたびに鳴る、たくさんの装身具の音に耳をかたむけ、蒼い衣にしみついた見知らぬ土地の土の匂い、風の香りを探っていた。  彼は、いや蒼い衣の吟遊詩人たちは、はるかな昔から旅を続けてきた。世界が創られものが名づけられたそのときから、なににも属さずに放浪してきたのだ。  気の遠くなるような長い旅路は、これからもずっと続くのだろう。いつかすべての言葉が失われ、時の神が数を数えあげるのをやめてしまうそのときまで。  ならばせめてその旅が喜びの多いものであってほしいと、プルーデンスは心から願った。  詩人には、世界にも人にも絶望しないでいてほしい。歌いつづけてほしい。それが詩人の愛なら、自分は孤独の中にあってもなにも恐れずにいられる。  突然、詩人はプルーデンスをはなすと、蒼い衣を風になびかせた。  彼は本当に幸福そうに笑っていた。 「ありがとう、プルーデンス——いつかまた会おう」  そんな言葉を残すと、詩人は身をひるがえし、あっという間に通りの向こうに消えた。 「しじ……」  だが呼びかける声を聞きとる人はおらず、プルーデンスは声を途中でのみこんだ。  そしてそのまま、その場にたたずんで、詩人が姿を消した異国の街を見つめていた。  街の喧噪《けんそう》が、ひどく遠い。  昨日は詩人とともに、港の市場を歩いたのだ。彼は市場で、プルーデンスがいちばん好きな時の神の神話を歌ってくれた。その歌は今もはっきりと耳に残っているのに、詩人がもうそばにいないということが、ふしぎなことに感じられた。 『いつかまた会おう——』  詩人ははっきりと言った。その言葉どおり、いつかどこかで蒼い衣の吟遊詩人に会えるのだろうか。  その詩人ははたして、プルーデンスとこの数日をともに過ごした『彼』だろうか。 「……詩人」  ぽつんとつぶやいてみた。それは誰を意味する言葉なのだろう。  プルーデンスは、名前を持たないということの寂しさと自由を、はじめて思い知った。  切なさに、プルーデンスは顔を覆って泣きだした。泣くことなんて大嫌いだったはずなのに、昨夜《ゆうべ》からやたらと泣いているような気がした。  けれど今は泣いていいと思った。恐れや不安というような、弱さゆえに泣いているのではなかったからだ。  プルーデンスは詩人の旅の幸を祈り、泣いていた。  彼が晴れやかな気持ちで歌えるよう、人々が彼に優しくあるよう。そしてときおり彼を襲う孤独が、彼をひどく苛《さいな》まないようにと祈った。  だが旅を続ける吟遊詩人を想像しようとしても、うまくいかなかった。彼女は書物で得る知識こそ豊富だったが、オパリオン以外の土地を実際に目にする機会は少なかったのだ。  ならばこれからは多くの土地を訪ねよう。プルーデンスはそう心に決めた。  あらゆる色の空を見て、木々や風の匂いを感じ、そこで出会う多くの人々と言葉を交わそう。目に映るもの、耳に届くものすべてを心に刻みこもう。  世界を旅する吟遊詩人の姿を、いつも心に思い描けるように。 (だからあなたも、ずっと歌っていて——)  長いあいだ泣いたのち、プルーデンスはようやく顔をあげた。  鳥の塔が、磨かれた鏡のような青空を背後にして建ち、虹《にじ》をきらめかせている。  その塔の上を、名前も知らない白い鳥が飛びわたっていった。 [#改ページ]    あとがき  はじめまして、西東《さいとう》行《ゆき》です。  このたびは本書を手にとっていただき、本当にありがとうございました。  生まれてはじめてだしていただく本ということで、この作品を書店に本当に置いていただけるのか、まだ信じられないというか、実感がわきません。どんな方が読んでくださるのかもうまく想像できなくて、ただドキドキしています。  それでもこうしてお会いできて、心から嬉しいです。未熟な部分も多々ありますが、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。  昔からなぞなぞやパズルが大好きです。  まったくの下手の横好きというのが情けないのですが、学生時代にはパズルを解くのに夢中になって電車の乗りかえを忘れ、気がついたら電車が隣の県の山の中を走っていた……ということもありました。  それで、パズルをとりいれたお話を書こうと思ってできたのが、今回の物語です。  モチーフは、名作の古典パズルとして復刻版もでている知恵の輪。選んだポイントは、作中で解いても深刻なネタバレにならない(ここ重要です!)というところでしょうか。  本作に登場した護符のモデルは、解き方だけならひとめでわかるけれど、実際に手にとって解くのは難しいというタイプの知恵の輪です。小説にだす際には、形状にちょっとアレンジをくわえましたし、初期状態も変えました。  ですので、本作がその名作パズルのネタバレにはなってない、はず……ですが、今になって、だんだん自信がなくなってまいりました。もし、もしもネタバレになっていましたら、本当に申しわけありません……!  ともあれ、知恵の輪、大好きです。解くほうはやっぱり下手なのですが、カチャカチャと音をたてて動かしていると楽しいし、ふしぎな形のものが多いので、並べて眺めているだけでも飽きません。なにより、解けたときの驚きと達成感が爽快なのです。  そんな知恵の輪への愛をこめまして、本作に登場する男性キャラの多くは、ハナヤマという玩具メーカーさんがだしている知恵の輪のシリーズから名前をいただきました。ちなみにオスカーは、パズル「オーギア」(動きはこれがいちばん好き!)の作者のオスカー氏ではなく、廃盤になったパズル「オスカー」からのネーミングです。  知恵の輪以外に数学パズルなども好きで、本作でも少しださせていただきました。でも学問としての数学は、私、正直なところさっぱりわかりません。学生時代も文系でした。  ただ、数学者や数学のエピソードには、わからないなりに無性に惹かれます。なんと言うか私にとっては『数学がファンタジー』なんですね。  数式は魔法使いの呪文、数学者は魔法使いで、大学の数学科は魔法学院? 軍の暗号解読チームの話は、魔術師が戦《いくさ》に参加してるイメージでしょうか。  理系の方には笑われるかもしれませんね。いずれにしましても、書いた人間がそういうレベルなので、数学的なところはあまり深くつっこまずにいただければ、たいへんにありがたく思います。  また本作のタイトルは、作曲家、武満《たけみつ》徹《とおる》氏の作品『鳥は星形の庭に降りる』から拝借しています。プロットをたてて、キーワードを並べているときに(そういえばこんな感じのタイトルの音楽があった……)と思いだし、おそれおおくも、そのまま物語のタイトルにさせていただきました。  この曲には英語の題名があり、A Flock Descends into the Pentagonal Garden と、字義どおりには『五角形の庭』となります。  この作品には、他にも好きな小説や詩など、自分の好きなものをおもちゃ箱みたいにたくさん詰めこみました。とても楽しい作業でしたが、読んでくださった皆様とこの楽しみを少しでも共有できたら、これほど幸せなことはありません。今後もがんばりますので、どうぞよろしくお願いいたします。  末筆になりましたが、本作に関わってくださった多くの方々にお礼を申しあげます。  イラストの睦月《むつき》ムンク様には、お伝えした世界観や情報が貧弱であったにもかかわらずこれほど豊かにイメージをふくらませていただき、本当に感謝しております。ありがとうございました。ムンク様の詩人には、彼が自分のキャラだということも忘れて惚れてしまいました。プルーデンスも小さくて賢そうで可愛くて、感激です。  また担当編集のY様には、本作を出版するためにご尽力いただきました。多くのご指導とご配慮をありがとうございます。そして今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。  そして家族と友人に感謝を。いつも支えてくれてありがとう。お礼のかわりにはなりませんが、どうかこの物語を受けとってください。  また皆様にお会いできることを心より願いつつ。 [#地から1字上げ]西東行 [#改ページ] 底本:「鳥は星形の庭におりる」講談社X文庫ホワイトハート、講談社    2009(平成21)年3月5日第1刷発行 入力: 校正: 2009年3月10日作成