[#表紙(表紙.jpg)] 天下を狙う 西村京太郎 目 次  天下を狙う  真説宇都宮釣天井  権謀術策  維新の若者たち  徳川王朝の夢 [#改ページ]   天下を狙う      一  まだ、秀吉《ひでよし》が在世中のことである。  気に入りの侍臣に向って、冗談まじりに、きいたことがあった。 「このおれが死んだあと、天下を狙うのは誰か、わかるか?」  難問である。下手に返事をして、秀吉の怒りを買ったら、打首になりかねない。きかれた侍臣は、青い顔になった。黙ってしまった。 「どうだ?」  と、秀吉にきかれて、 「見当がつきませぬ」  と、答えると、 「当らなくてもいいから、名前を挙げてみよ」  と、しつこく、いった。秀吉は、自分の出した質問を、楽しんでいる様子だった。天下人になってからの秀吉には、上に立つ人間がいなくなったせいか、我ままが多くなった。それに、人が当惑するのを、喜ぶ風もある。 「まず、誰が、天下を狙う器量人と思うな?」  秀吉が、重ねてきくので、侍臣も答えないわけには、いかなくなった。 「徳川|家康《いえやす》さまは、いかがでございますか?」 「ふむ」  と、秀吉は、うなずいたが、すぐ、苦い顔になって、 「あれは、別格じゃ」  と、いった。家康の大きさは、秀吉にとって座興にするには、気が重い存在だったのである。 「他に、誰と思う?」 「前田|利家《としいえ》さまは、いかがでございますか?」 「利家は、性善《せいぜん》に過ぎる。わしの統一した天下を奪い取る気は起こすまい」 「毛利|輝元《てるもと》さま?」 「輝元のごとき退嬰《たいえい》的な性格で、天下が取れるものか」 「上杉|景勝《かげかつ》さま?」 「覇気あるも、地の利を得ぬ。中央に位置せぬものが、どうして、天下に号令できようか」 「宇喜多秀家《うきたひでいえ》さま?」 「秀家は、八方美人じゃ。保身の術には秀れているが、それだけでは、天下は取れぬ」  秀吉は、一人一人、否定していった。気に入りの侍臣と二人だけで、気ままに喋《しやべ》っていることが、ひどく楽しそうでもあり、一刀両断に、人物評をやることが、得意気でもあった。老人の稚気だったかも知れない。  侍臣が、並べた名前は、五大老と呼ばれていた大名である。  侍臣は、次に、五奉行の名前を挙げた。前田|玄以《げんい》、浅野|長政《ながまさ》、増田長盛《ましたながもり》、長束正家《なつかまさいえ》、それに、石田|治部《じぶの》少輔三成《しようみつなり》の五人がある。侍臣が、五大老、五奉行の名前を口にしたのは、秀吉が、この十人を、重視していると、思ったからである。事実、秀吉は、病死する十三日前、有名な遺言状を書いているが、その中に、次のように記している。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]  ——返々、秀よりたのみ申候。五人のしゆたのみ申候。いさい五人の物ニ申わたし候。なこりおおく候。以上—— [#ここで字下げ終わり]  この文中にある、五人のしゆ(衆)は、五大老のことであり、五人の物というのは、石田三成ら五奉行のことである。これを見ても、秀吉が、十人の大名を重視していたことがわかるのだが、侍臣との問答の時には、簡単に、首を横にふって見せた。  侍臣は、一層、当惑した顔になった。 「他に、天下を狙うような器量のある人間は、見つからぬか?」  秀吉は、笑いながら、侍臣を見た。 「加藤さまは、いかがで、ございますか?」 「清正《きよまさ》か」  秀吉は、にやりと笑った。 「あれは、武辺第一かも知れぬが、智略に欠ける。所詮《しよせん》は、天下は、望めまい」 「福島|正則《まさのり》さま?」 「あれも、清正と同じだ。しかも、短慮者だ。天下を取る器ではない」 「——」 「他には?」 「もう、思い浮びませぬ」 「そちは、一人忘れておる」 「どなた様のことで、ございましょうか? 殿下のあと、天下を治めるような器量のある方は、思い浮びませぬが」 「一人いるのだ」  秀吉は、天井を見上げて、くっくっ笑った。 「この男、親の腹におる時から、天下を狙っていたような男でな。どこか、禿鷹《はげたか》に似ておる」 「どなた様のことで、ございますか?」 「わからんか?」 「見当がつきませぬ」 「あいつじゃ。あいつじゃよ」  秀吉は、大きな声でいってから、ひどく影のある笑い方をした。自分の死後、天下の覇権を狙って、相たたかう大名たちのことを、考えたのかも知れなかった。  侍臣は、笑い続けている主君の顔を、ぼんやりと見つめていた。秀吉のいったのが、誰のことか、侍臣にも、すぐわかった。  豊前中津《ぶぜんなかつ》城主、黒田|長政《ながまさ》の父、黒田|如水《じよすい》のことに違いなかった。  そこまでは、すぐわかったが、彼には、足も悪く、あまり風采《ふうさい》の上らない黒田如水が、秀吉のいうように、天下を狙う人間には、どうしても、思えなかった。  年若い侍臣は、きっと、主君が、冗談をいったのだと、考えてしまった。      二  秀吉が、黒田如水の野心に気付いたのは、信長《のぶなが》の命を受けて、中国攻略に従っていた時である。  備中《びつちゆう》高松城を攻囲中に、信長変死の報せを受けた。  本能寺の変は、秀吉にとって、文字通り青天の霹靂《へきれき》であった。瞬時、どう動いたらよいかわからなかった。  眼前には、攻囲中の高松城がある。その背後には、毛利の三万の大軍が控えている。このまま、引き返せば、必ず追撃を受けよう。と、いって、べんべんとして、毛利軍と対峙《たいじ》しているわけにもいかぬ。秀吉にとって、生涯でもっとも、困惑し、同時に、強い決断に迫られた時である。  秀吉は、軍師格で従事していた黒田|官兵衛《かんべえ》(如水)を呼んで、対応策をたずねた。  その時、官兵衛は、信長の死を聞いて、にやッと笑ったのである。 「おめでとうございます」  と、官兵衛はいった。 「これで、天下は、貴方《あなた》様のもので、ございますな」  その時の黒田官兵衛の声を、秀吉は今も憶えている。 (この男は、誰が天下を取るかということしか考えていない)  と、秀吉は、思った。確かに、信長の死は、秀吉にとって、天下を握るチャンスかも知れなかったが、同時に、涙なしには、受けとれぬ凶事でもあった。それを、官兵衛は、むき出しに、「おめでとうございます」と、いったのである。 (この男は、わしが死んでも、おめでとうございますと、いうだろう。そして、恐らく、その言葉を、自分自身に向って、いうに違いない)  と、秀吉は思った。  だが、秀吉は、黒田如水という男を、嫌いではなかった。むしろ、駄々っ子みたいに、 「俺は、天下が欲しい」と、眼をぎらぎらさせている官兵衛が、好きであった。 (わしが死んだら、他の諸大名は、空涙を流すだろう。だが、この男だけは、一滴の涙も流すまい。そして、にこにこ笑いながら、今度こそ、俺の天下だと、決めこむに違いない)  秀吉は、そう思った。自分の死後のことを考えるのは、愉快ではなかったが、黒田如水の顔を思い浮べると、何か、爽快《そうかい》な感じがした。  秀吉が、如水に好感を持っていたのは、その気性の他に、如水の容姿のせいも、あったかも知れない。  秀吉自身、幼少の折、猿と呼ばれていたように、風采《ふうさい》はあがらぬ方である。  黒田如水も同じであった。生れつき、体躯矮短《たいくわいたん》である。しかも、秀吉に従って転戦中、伊丹《いたみ》城で災難にあい、足を不自由にしてしまった。その上、皮膚病で頭髪をやられて、頭は、禿げあがっている。  そんなところにも、秀吉は、親近感を持っていたのかも知れない。  慶長《けいちよう》三年八月十八日。秀吉が、死んだ。六十二歳である。  秀吉の死を、一番喜んだのは、徳川家康である。「好機到来」と、感じたが、勿論《もちろん》、野心は、おくびにも出さなかった。  病が重くなった時に、秀吉が、家康を病床に呼んだ。 「このたびの病は、とうてい平快する見込みはない。いまもし、わしが死ねば、たちまち天下は瓦解《がかい》し、兵乱が起こるにちがいない。徳川殿は、軍慮の知識、文武の良将、この兵乱を鎮める器量のあるものは、徳川殿以外にはありえない。それゆえ、天下の軍勢の権は、徳川殿に譲り申そう。秀頼《ひでより》は幼にして父とわかれ、孤独となるは不憫《ふびん》であるが、どうか、成長の後、その器量を計って、どのようにでも、取り計って貰いたい」  と、いった。  黒田如水であったら、それならばと、喜んで、天下の権を譲り受けたかも知れない。自分の意志を、かくすことの嫌いな男だからである。  だが、老獪《ろうかい》の家康は、はらはらと、落涙して見せた。そして秀吉に向っては、こう答えている。 「それがしは、短才浅慮、とうてい天下の兵権を握り、四海を治める重任に堪えませぬ。殿下万歳のあと、秀頼卿がおわしますうえは、四海のうちたれか違乱の者がありましょうか。しかし、人心は測りがたいものです。よくよく神算を遺して、ご子孫長久の基を、おかため下さい。それがしは、決して、その任ではありません」  勿論、この言葉が、嘘っ八であることは、秀吉が死んだあとの家康の行動が、はっきり示している。  家康の天下取りの野心は、岡崎城主であった時からのものである。爾来《じらい》、三十六年。  天下の実権を、わが手に掌握したいという野心は、妄執にまでなっている。  秀吉の頼みぐらいで、ぐらつくものではなかった。  秀吉の前では、落涙し、「不肖なれば、天下の大任は果しがたし」などと、いったが、秀吉の死を知った時、家康は、待ちに待った時が来たと感じた。勿論、涙などは、流しはしない。  黒田如水も、勿論、秀吉の死を悲しみはしなかった。この男には、人の死を悲しむという心情はない。また、家康のように、嘘涙を流して見せるなどということも出来ない性格だった。  九州で、秀吉の死を知った時、如水は、家臣を相手に酒を飲んでいたが、かッと、大きく眼をひらいて、 「これぞ、天地の慶祝」  と、怒鳴ったという。  黒田如水にとっても、家康と同じく、秀吉の死は、好機到来であったのである。      三  如水は、直ぐ、謀臣の竹中|外記《げき》を呼んだ。  外記は、三十六歳の若さだったが、才智に秀れていたので、如水が重用していた男である。その関係は、昔の、秀吉と、如水自身のそれに似ていた。  如水は、外記と二人だけになると、 「秀吉公が亡くなられた」  と、いった。  外記は、黙って、如水を見ていたが、 「これで、風が変わりますな」  と、いった。 「どう変ると思う?」 「簡単には、申し上げられませぬ。殿は、どう思われます?」 「わしにも、わからん。だが、そちのいう通り、これで、風が変る。風雲に乗れば、天下も掌握できる。そう思わぬか?」 「思いますが、その道は、嶮《けわ》しかろうと存じます」 「わしに、力が足らんというのか?」 「いえ、殿には、天下人たる器量が、ございます。しかし、事を計るは人なれど、事を成すは、天なりの諺《ことわざ》が、ございます」 「うむ」 「まず、天下の形勢を把握することが、先決で、ございましょう」 「どう動くと思う?」 「天下を狙う第一の人物は、殿を除きますれば、徳川家康かと存じます」 「うむ」 「家康を倒さずに、天下を握ることは、出来ませぬ」 「倒せるか?」 「まず、無理でございましょうな」 「無理か」  如水は、にやにや笑った。 「無理だが、倒さねば、天下を握れぬというのか?」 「御意」 「困ったな」  如水は、笑いを崩さずに、いった。別に困惑している様子ではなかった。  外記の方も、微笑していた。 「徳川家二百五十五万石に比べて、ご当家の禄高《ろくだか》は、わずか、十八万石でございます。戦えば、必ず敗れましょう」 「負けるだろうな」  如水も、あっさりといった。 「勿論、対等に戦ったらの話だが」 「御意。徳川殿を煙たがっておられるのは、殿だけでは、ございませぬ」 「それが面白いところだ」  如水は、盃を口に運んだ。 「家康に対抗するのは、誰と思う?」 「まず、石田三成」 「うむ」 「毛利輝元」 「うむ」 「島津|義弘《よしひろ》」 「うむ」 「小西|行長《ゆきなが》」 「うむ」 「上杉景勝」 「前田利家は、どうだ?」 「人物、勢力ともに、徳川家康に対抗できましょう。しかし、老齢ゆえ、家康に対抗する気力があるかどうか疑問で、ございますな」 「加藤清正は、どうだ? 武辺者で、通っておるが」 「家康を煙たく思っていることは、間違いございますまい。しかし、近頃は、保身に汲々《きゆうきゆう》としているとか、聞いております。事が起これば、保身のために、家康の麾下《きか》について、戦うかも知れませぬ」 「——」  如水は、黙って宙を睨《にら》んだ。いくたりかの大名の名前が、彼の頭に浮んでくる。もし、天下を二分した戦いが始まれば、その時こそ、権謀の限りをつくして、天下を、この手に握って見せる。 「戦いがあると思うか?」  暫《しばら》く、間を置いてから、如水は、外記にきいた。 「ありましょう」  と、外記は、いった。 「問題は、その戦が、小さなものか、天下を二分するような大きなものかということで、ございましょう。もし、大きな戦となれば、ご当家にとって、願ってもない好機。絶対に、どちらにも加担なさっては、なりませぬ」 「わかっておる」  如水は、外記に向って、にやッと、笑って見せた。  外記も、笑った。 「双方が、疲労の極に達した時、殿が、精兵を集めて、中央に突進なされば、天下を掌中に握られることは、いとも簡単なことにございましょう」 「わしも、そうありたいと思う」  如水は、外記に向って、うなずいて見せた。      四  如水は、諜報《ちようほう》方の雑賀弥平次《さいがやへいじ》を呼んだ。 「すぐ、部下を連れて、大坂へ行け」  と、命じた。 「秀吉公死んで、天下の風雲は、急を告げている。わしは、その動きを知る耳と眼が欲しい。九州にいて、中央の動きを知る耳と眼がな」 「かしこまって、ござる」  と、弥平次は、いった。 「中央の動き、細大もらさず、報告致します」 「部下は、いくら連れていってもよい。金を、いくら使ってもよい。得るところを考えれば安いものだ」 「はッ」 「わかったら、すぐ行け」  その日のうちに、雑賀弥平次以下、二十人の者が、筑紫《つくし》を出発して、大坂へ向った。  如水は、九州に腰をすえて、じっと、その報告を待った。  最初にもたらされた報告は、秀吉の死を境に、武将派と文官派の間に、露骨な争いが生れ始めたというものだった。  武将派というのは、加藤清正、福島正則、浅野長政といった、槍《やり》一筋で、のし上って来た大名たちである。それに反して、文官派は、石田三成、長束正家といった机の上の手腕で、大名に取り立てられた者で形成されている。  この二派の間に、争いが生れるようになったのは、秀吉の朝鮮遠征からである。武将派の大名は、遠い異郷で、生死をかけて戦っている。その間、文官派の大名たちは、平和な国内で、秀吉の機嫌取りをしている。しかも、武将派の大名の論功行賞は、文官派の手に握られている。そんなところから来た軋轢《あつれき》である。  秀吉の在世中は、それが、押さえられていたが、秀吉が死ぬと、両派の不満が、一時に爆発したのである。  如水は、報告を聞いて、ほくそ笑んだ。とにかく、彼にしてみれば、中央に、争乱が起きて欲しいのだ。 「ところで、徳川殿は、どうしておられる?」  如水は、報告に来た小者に質問した。 「徳川殿は、どちらに、味方しておられるのだ」 「徳川さまの噂は、全く、耳に致しません」 「どういうことだ? それは」 「どちらにもつかず、ひややかに、両派の争いを、見ておられるのではないかと、存じますが——」 「そうか」  如水の顔に、ふっと、影が射した。小者を退らせると、 (狸め)  と、如水は、舌打ちをした。自分が、天下を取るとき、もっとも大きな障害になるであろうと思われるのは、徳川家康と、外記もいったし、如水自身も、そう思っている。今度の報告で、それを、再認識した恰好《かつこう》であった。  中央の動きは、その後も、めまぐるしかった。  九月三日、五大老、五奉行連名で、秀頼擁立の誓書を書く。  その報せを受けた時、如水は、外記と顔を見合わせて、苦笑した。 「噴飯ものだな」  と、如水は、いった。 「誓書など、何枚書いたところで、何の役に立つというのだ。いざとなれば、紙の上の約束など、何の役にも立たん」 「一時の気休めには、なりましょう」  外記は、落着いた声で、いった。 「問題は、その気休めが、いつまで続くかということですな」 「一ケ月持つかな」 「さあ」  外記は、首をかしげた。 「一月と持たぬと思いますが——」  外記の予言は、適中した。  その月の下旬になって、家康は、勝手に、伊達政宗《だてまさむね》や、福島正則などと、縁組みを取りかわした。「諸大名の縁組みは、全て、秀吉の許可を得なければならない」となっていたし、秀吉の死後も、この掟《おきて》は守ると、誓書が出してある。家康は、その誓いを破ったのである。  この報告を受けた時、如水は、「始まったな」と、思った。 「始まりましたな」  と、外記も、いった。 「家康は、明らかに、わざと、誓書に違反したのです。恐らく、自分の勢威が、どれほどのものか、試す積りでしょう」 「前田利家や、石田三成が、どう出るかだが?」 「一応の詰問は致すでしょうな」 「あの狸めが、そんなことで、尻尾《しつぽ》を出すものか」  如水は、笑った。如水には、その結果が、わかるような気がした。きっと、狸親爺《たぬきおやじ》が、相手方を、まるめこんでしまうに違いない。  毛利輝元、宇喜多秀家、石田三成らは、大坂城内で協議し、詰問の使者を、家康に送った。  しかし、その結果は、如水の予測した通りであった。家康は、のらりくらりと、相手をはぐらかした揚句、年が明けてから、やっと、誓書を、差し出した。縁組みについての忠告は了承したとは書いてあったが、謝罪の文句は、一言も書かれては、いなかった。大老や奉行には、重ねて、家康を詰問する勇気がなかった。それどころか、「さっそく、御同意頂き、恐縮つかまつる」と、家康に、頭を下げているのである。 「想像した通りだな」  と、如水は、外記と顔を見合わせて、笑った。 「家康め、まんまと、自分の威勢を示すのに成功したな」 「これで、秀吉公の遺功も、地に堕ちましたな」 「家康め、さぞ、得意だろう。刃向う者なしと知って」 「単騎で、家康に対抗できる者はいないと、わかりましたが、家康を心良く思わぬ者が、連合すれば、対抗し得ましょう」 「まとめる人間がいるか?」 「わかりませぬが、中央にも、人はおりましょう。反徳川が、かたまれば、一方では、家康に味方する者も集ります。そうすれば——」 「天下が二分するか」 「好機到来ということに、なりましょう」 「そうありたいものだ」      五  だが、如水が望むような戦雲は、なかなか生れなかった。  如水は、かすかに焦燥を感じ始めた。  慶長四年三月。  大老前田利家の死が、知らされた。  如水は、前田利家の死が、何を意味するのか、それを考えてみた。 「家康の地位は、これで、ますます強いものになるでしょうな」  と、外記は、いった。 「それは、わかっている」  如水は、やや、不機嫌に、いった。 「問題は、家康に対抗する力だ。前田利家が死んだあと、誰が、狸親爺に対抗すると思う」 「加藤清正や、福島正則では、その任ではないでしょう。前田利家ほどの人望がありません」 「では、誰だ?」 「恐らくは、石田三成」 「うむ」  と、如水は、うなずいた。 「あの男は、才もあり、気力もある。だが敵が多過ぎる」 「敵を作れるほどの人物でなければ、家康には、刃向えますまい」 「それも、そうだな」  如水は、笑った。が、眼は、笑っていなかった。  如水は、石田三成という男を、よく知っている。彼が、石田|左吉《さきち》と呼ばれていた少年の頃から、知っている。  伊吹《いぶき》山の貧乏寺の小坊主から、秀吉に認められて、江州佐和山《ごうしゆうさわやま》十九万石の大名にまで出世した男である。頭がいいし、政治的手腕にも、秀れている。あの男が、家康の傍若無人な行動を、黙って見ている筈《はず》がない。きっと、立つ筈だ。如水は、そう信じた。  また、石田が、家康に対抗して、立ち上ってくれなければ、困るのである。  その石田三成が、武将派との争いから、五奉行の地位を追われ、佐和山へ隠退したと、知ったのは、二ケ月後である。如水へ知らせたのは、雑賀弥平次だった。  如水は、驚いて、 「本当か?」  と、何度も、ききかえした。本当だとわかると、これも、家康の謀略に違いないと思った。狸親爺らしいやり方で、自分に反対する勢力を、少しずつ、中央から、追い払っていく積りだ。 「どう思う?」  如水は、外記にきいた。 「狸もなかなかやるぞ」 「やりすぎるということも、ございます」  と、外記は、冷静に、いった。 「あまり、相手を追い詰めると、かえって、危険なものです。窮鼠かえって猫を噛《か》むの例えも、ございます」 「石田三成が、鼠か?」 「石田どののことは、私よりも、殿の方が、よくご存じでは、ありませぬか?」 「そうだ。あの男のことは、良く知っている。隠退生活に、甘んじていられるような男ではない」 「それならば、石田三成が中央から追われたことは、かえって、戦いの近いことを、示しているかも知れませぬ」 「確かに、そうも、いえる」  如水は、うなずくと、再び、雑賀弥平次を呼んだ。 「江州佐和山へ行け」  と、如水は、命じた。 「石田三成の動勢を、探ってくるのだ。もし、おだやかに、隠退生活を送っているなら、報告に戻らずともよい。そのまま、大坂へ行け。だが、少しでも、石田三成の動きに不審な点があれば、すぐ、報告に戻れ」 「承知つかまつりました」  弥平次は、一礼して、飛び出して行った。      六  弥平次は、なかなか戻らなかった。  再び焦燥が、如水を捉え始めた。中央の動きも、活発ではなかった。  一ケ月が、何事もなく過ぎた。戦火の匂いは、何処からも、漂って来ないのだ。  雨のひどく降る日に、弥平次は、ずぶ濡れになって、江州佐和山から、戻って来た。待ち兼ねていた如水は、直ちに、報告を聞いた。 「あれは、ただの隠棲《いんせい》生活では、ございませぬ」  と、弥平次は、いった。 「佐和山では、盛んに、浪人を召し抱えております」 「ふむ」  如水の眼が輝いた。やはり、予感は、当っていたのだ。 「他には?」 「武器弾薬、それに兵糧も、盛んに、城内に蓄えております」 「ふむふむ」  如水は、次第に上機嫌になっていった。 「他に、会津《あいづ》の上杉家とも、しきりに、連絡を取っているようで、ございます」 「上杉とか」  如水には、うなずくものがあった。石田三成が、上杉景勝や、その臣下で、米沢《よねざわ》二十四万石の城主でもある直江山城守《なおえやましろのかみ》と、親交のあることは、如水も、知っていた。  成程と、思った。三成も政治家だ。彼一人で、家康に対抗できないことは、よく知っているのだ。だから、北の上杉、直江と組んで、家康を挟撃する積りだ。 「面白くなってきたぞ」  如水は若者のように、血が躍るのを感じた。上手《うま》くいけば、覇権が、自分の手に、転がりこんで来るのだ。  やがて、上杉家は、公然と、家康に反抗し始めた。明らかに、石田三成との了解のもとに、動いているのだ。  慶長五年六月。  家康が、上杉討伐の兵を起こした。総兵力十五万の大軍である。  雑賀弥平次は、飛びかえって、それを報告すると同時に、 「噂によりますと、石田三成は、家康に向って、会津討伐の軍に加えて欲しいと、申し出た由です」  と、つけ加えた。  如水は、げらげら笑い出した。狐と狸の化かし合いだなと思った。 「それで、家康は、何と答えた?」 「貴殿は、後方にて、ご見学あれと、返事した由」 「あははは」  如水は、笑った。 「どっちもどっちというところだな」 「戦雲は、動き出しましたな」  と、外記も、頬を紅潮させて、如水に、いった。 「これで、石田三成が挙兵すれば——」 「必ず挙兵する」  如水は、大きな声で断言した。 「必ずだ」 「石田三成が挙兵すれば、天下分け目の戦いになりましょう。その時には、殿にとって、天地の慶祝——」 「今から、準備せねばならぬ」 「——」 「まず、浪人を集め、武器弾薬を、ととのえておかなければならぬ」 「はッ」 「そちが、手配せい」 「承知つかまつりました」 「その準備が出来たら、あとは、吉報を待つだけだ」  如水は、宙を睨んで、いった。  七月十七日。  如水は、石田三成挙兵の報告を受けた。来るべきものが来たと思った。  如水は、雑賀弥平次の報告を元に、両軍の戦力を比較してみた。 ○東軍(家康方)—徳川家康、福島正則、加藤清正など、総兵力約十万四千。 〇西軍(三成方)—石田三成、島津義弘、宇喜多秀家ら、総兵力約八万五千。 「兵力は、ほぼ、拮抗《きつこう》していますな」  外記は、如水の顔を見て、いった。 「問題は、石田方が、寄せ集めの軍隊であることですが」 「その欠点は、東軍にもある」  と、如水は、いった。 「福島正則や、加藤清正は、別に、大義名分があって、家康に味方しているわけではない。どこまで本気で働くか、狸親爺も、気がかりで仕方がないだろう」 「東西両軍とも、向背の定かでない分子を抱えているとなると、行動も、慎重にならざるを得ないかも知れませんな」 「この合戦は、どの位続くと、思う?」 「恐らく、長引くでしょうな」  外記は、考える眼で、如水を見た。 「兵力が、相《あい》拮抗している場合は、川中島の上杉、武田両勢の戦いを考えるまでもなく、戦いは長期化するものです。ひょっとすると一年は続くかも知れませぬ」 「一年か——」  如水は、頭の中で、その長さを測ってみた。  両軍の戦いが、長引けば、長引くほど、如水にとって、好都合である。そうなれば、徳川方も、石田方も、疲弊する。  その時、九州から、大軍をひきいて中央に進めば、天下の権は、ひとりでに、如水の掌中に、ころがりこんで来よう。 「一年は、要らぬ」  と、如水は、いった。 「半年でいい。半年戦いが続いてくれたら、その間に、九州全土を、席巻し、後顧の憂いを無くしておいて、中央に兵を進めることが出来る」 「九州の平定なら、半年は要しますまい」  外記は、微笑を見せて、いった。 「殿の采配《さいはい》、それに、わが精兵を持ってすれば、恐らく、三月で、九州全土を、掌握できるものと思います」 「うむうむ」  如水は、上機嫌で、うなずいた。当代第一の戦上手を以って任じている如水である。九州の掌握ぐらい、瞬時の間にという自負がある。半年といったのは、慎重に、いったまでであった。  外記の言葉を待つまでもなく、短期間に、九州を平定する気でいた。      七  如水は、次の日から、直ちに、行動を起こした。  今日を期して、養い、鍛練していた三万の精兵は、獲物を求める鷹のように、豊前中津城から、溢《あふ》れ出た。  如水は、家来に担がれながら、指揮を取った。  久しぶりの戦であった。  しかも、天下が賭けられた戦いである。如水の眉に激しい気魄《きはく》が溢れていた。  まず、赤根山に進んで、富来《とみく》城を攻めた。  三日目に、富来城攻略。  続いて、大友|義統《よしむね》を立石城に攻め、激闘三時間、大友の軍は敗北し、義統は、剃髪《ていはつ》して如水に降伏。  如水は、軍を進めながらも、絶えず、中央の動きに、神経を尖《と》がらせていた。  九月に入って、西軍の主力は、大垣《おおがき》城に集結した。その兵力約五万。  十四日には、徳川家康も、大垣城の対岸、岡山に到着。集結した東軍の兵力は、約七万五千。  如水は、陣中にも、中央の地図を持ち込んで、外記と共に、戦いの帰趨《きすう》を占っていた。 「恐らく、戦場は、関ケ原になろう」  と、如水は、地図を見ながら、いった。 「家康も戦上手。西軍にも、大谷|刑部《ぎようぶ》という戦上手がいる。対峙したまま、容易に、戦いは、仕かけまい」 「長引きますな」 「長引いて貰わねば困る」  と、如水は、笑った。  兵力が大きくなればなるほど、その行動は慎重になるものである。  如水は、そう思っている。  この東西の戦争は、どう少く見つもっても、三ケ月以上は、続くと、如水は、見ていた。  それは、一つの賭けでもあった。  如水にとって、時間との戦いであった。  九月十五日、如水は、軍を熊本に進めた。  九州席巻は、目前であった。  九月二十日、宮崎城を攻略。 「ひとまず、終ったな」  と、如水は、外記にいった。あとは、機を見て、中央に兵を進めるだけだと思った。  実は、この時、すでに、関ケ原の戦いは終っていたのである。  如水は、それを知らなかった。  兵をまとめて、中津城に帰った時、その知らせが、如水を待っていた。  如水にとって、それは、悲報であった。  僅《わず》か四時間半で、西軍が壊滅したと聞いても、如水は、信じられなかった。  今度の戦は、少くとも、三月は続く筈ではなかったのか。それが、僅か四時間半で、終ってしまうとは。 「天、われを見捨て給うか」  と、如水は、慨嘆した。  今日までの雌伏は、天下の権を握らんが為だったのである。  そのチャンスは、一瞬にして、如水の眼の前から、去ってしまったのである。 「まだ、お諦めは、早すぎましょう」  と、外記は、なぐさめるように、いった。 「まだ大坂城には、家康に対抗して、秀頼がおります。東西の争いは、まだ続きましょう」 「馬鹿な」  と、如水は、苦い笑い方をした。 「たかが城一つが、どうして、あの狸親爺に対抗できる。もはや、徳川の天下と、決ったようなものだ」 「——」 「好機去る。好機去る」  如水は、天を仰いで、何度も、同じ言葉を呟《つぶや》いた。  その後、如水は、急に老込んでしまった。  かがやきを持っていた彼の眼は、そのひかりを失なってしまった。  死に臨んで、如水は、この時を回顧して、 「関ケ原で、石田が、今しばらく支えてくれたら、俺が、天下を掌握したかも知れぬ」  と、いった。  秋雨の降り注ぐ寒い日、黒田幕府をひらくことが出来たかも知れぬ男が、死んだ。 [#改ページ]   真説宇都宮釣天井      一  元和《げんな》八年の初め、江戸市中に、不吉な噂が流れた。  江戸に大火があるという噂。地震があるという噂。あるいは、「天命改まる」などと、幕府の崩壊を予告するような噂も流れた。  徳川幕府の下に、天下は統一されたといっても、まだ、二代目|秀忠《ひでただ》の時代である。豊臣家の残党も各地に残っているし、諸大名の向背も定かではない。  秀忠は、自然、神経を尖《と》がらせた。  秀忠は、側近の土井|利勝《としかつ》、酒井|忠世《ただよ》の二人に命じて、噂の出所を追求させた。自然発生的なものとは、思われなかったからであろう。徳川家に反感を持つものが、意識的に流した噂と思われる節が、ないでもなかった。  命令は、奉行所——与力——同心——目明しと伝達されて、江戸市中に、捜査の網が張られたが、噂の出所は、不思議に、判明しなかった。しなかったばかりではない。暗い噂は、更に、広まって行った。  武家屋敷の塀に、幕府の施政を誹謗《ひぼう》するような貼紙が貼られたりもした。ここまでくれば、誰もが、「黒幕」の存在を考える筈《はず》である。誰かが、意識的に、噂を流しているのである。  奉行所の役人達は、必死に、犯人を追った。幕府の威信が、かかっていたからである。その探索の結果、半月ほどして、やっと一人の男を逮捕することが出来た。  その男は、夜半、日本橋《にほんばし》の袂《たもと》に、立札を立てているところを、目明しに捕ったのだが、その立札には、次の文字が読めた。  幼者は形|蔽《おお》われず  老者は体に温みなし  悲嘆と寒気と  ともに鼻中に入って辛し  昨日残税をいたし  よりて官軍の門を窺《うかが》えば  絹布は山の積むごとく  糸綿は雲のあつまるに似たり  これは、「朱門には酒肉の臭きに、路には凍死の骨あり」と嘆じた白楽天の詩である。明らかに、幕府の施政を批判する目的で、この詩を引用したに違いない。  男の態度も不審であった。町人の恰好《かつこう》をしていたが、態度は、明らかに、武士のそれであった。 (豊臣の遺臣ででもあるまいか)  と、捕えた役人たちは、色めき立ち、厳しく訊問《じんもん》した。  だが、自分の意志で書いたとしかいわない。更に厳しく訊問し、拷問にまでかけたところ、その男は、ついに、頼まれた人間の名前を自白した。  今、江戸市中に流れている噂は、全く、その人間の命令によるものだというのである。 「その方の名は、本多|正純《まさずみ》公——」  と、男は、いった。  役人達は、その名前を聞いて、驚愕《きようがく》した。  本多正純といえば、宇都宮《うつのみや》十五万五千石の領主である。  また、ただ単に、十五万五千石の城主というだけではない。幼少の頃から、家康に可愛がられ、家康の死に際しては、南光坊天海《なんこうぼうてんかい》と共にその臨終に立ち会っている。徳川幕府の重臣なのだ。  役人達は、男が、苦しまぎれに、嘘を吐いているのだと思った。他に、考えようがなかったのである。  しかし、三日後に、流言をまき散らしている男を逮捕したところ、その男も、本多正純の名を口にした。 「本多様から、金が出ている」  というのである。  ここまで来ると、役人達も、本多正純の名前を伏せておくことが出来なくなった。報告は、町奉行に届き、更に、重臣の土井利勝、酒井忠世の耳に入った。  この時、当の本多正純は、宇都宮で、梅を楽しんでいた。      二  将軍秀忠は、本多正純の名前が飛び出してきたことに、驚愕し、同時に、不快げな顔を見せた。 「そち達は、どう思う?」  と、側近の土井利勝、酒井忠世の二人を見やった。  酒井忠世の方は、黙って小首をかしげる様子を見せたが、土井利勝は、 「とんでもないこと」  と、きっぱりといった。 「本多殿のような功臣が、徳川家を誹謗するごとき流言を、まき散らす筈が、ございませぬ」 「しかし、二人の男が捕り、口を揃えて、本多正純の名を口にしたというではないか」 「恐らく、徳川家に恨みを持つ者が、本多殿の名を口にして、幕府内部に、争いを起こさんとしたものと思われます」 「余も、そうだとは思うが——」  秀忠の言葉には、何となく、ふっ切れないものがあった。  秀忠も、本多正純が、自分に、反抗するとは思ってはいない。だが、心のどこかに、本多正純を煙たがる気持が働いていたことも、否定できなかった。  それだけの理由があるのである。  本多正純は、家康に仕え、その信任を受けた。が、家康の後継者として、(秀忠の実兄の)結城秀康《ゆうきひでやす》を推したのである。結果的に、二代将軍は、秀忠になり、秀康は敗れたのだが、秀忠にしてみれば、自然に、本多正純に対して、警戒心が湧く。 (あの男は、自分より結城秀康の方が、将軍にふさわしい人間と思っている)  その気持が、絶えず、秀忠の胸にある。今度の様な事件が起きると、そうした日頃の警戒心が、表面に現われてくるのだ。  土井利勝は、そんな秀忠の心を見透かしたように、 「ご疑念が、お残りならば」  といった。 「本多殿を、呼び出されて、お訊《き》き遊ばされたら、如何《いかが》かに思います。そう致されれば、ご疑念も氷解致しましょう」 「そうだな」  秀忠は、頷《うなず》いた。 「正純を呼べ」 「心得ました」  と、利勝は、頭を下げながら、本多正純が周章《あわ》てふためいて登城してくる姿を想像して、にやっと笑った。 (あの狸め、さぞ、周章てることだろう)      三  利勝は、屋敷に戻ると、腹心の三田弥平次《みたやへいじ》を呼んで、殿中でのことを話して聞かせた。 「そちは、どう思う?」  利勝がきくと、弥平次は、にやっと笑って、 「本多様も、さぞ、お周章てになることと思います。見ものでございますな」  という。  利勝は、苦笑した。この男は、俺と同じことを考えると思った。 「噂の出所、どこと思う? 本多殿と思うか?」 「まさか——」  と、弥平次は、いった。 「あの頭の切れる本多様が、こんな馬鹿なことは、なさりますまい」 「では、誰だ?」 「判りませぬが、本多殿に恨みを持つ者であることは確かかと——」 「それだけか」 「殿は、本当の黒幕を、ご存じでございますか?」 「知らぬ。が、想像はつく」 「酒井忠世さま?」  弥平次が、ぽつんといった。  利勝は、眼を剥《む》いて、弥平次を見た。 「何故、酒井殿と?」 「今、秀忠公の側近と申せば、殿と、酒井さまの二人のみ」 「それで?」 「本多正純さまは、家康公の寵愛《ちようあい》を受けられましたが、お世継の問題で、失脚した形になっております。しかし、頭の切れる本多さまのことでございますから、いつかは、側近の列に返り咲きたいと、機会を窺っておられるに違いありませぬ」 「それを不安に思って、酒井殿が、本多殿に罠《わな》をかけようとしたというのか?」 「考えられなくは、ございませぬ」 「ふふふ」  と、利勝は、笑った。 「考え過ぎだな」  と、利勝は、いった。 「酒井殿に動機があれば、わしにも、同じ動機があることになる。酒井殿ではあるまい。彼なら、もっと、巧妙な手段を使うだろうな」 「では、誰と、殿はご覧になっておられますか?」 「女だ」  と、利勝は、いった。 「あんなやり方は、女に決っている」 「女——?」 「奉行所へ行って、最初に捕った男を、連れて来て欲しい」  と、利勝は、弥平次に命じた。 「わしが、直接、訊きたいことがあるのだ」  弥平次は、すぐ、奉行所に飛んで、男を連れてきた。  利勝は、庭で、その男を引見した。背の高い、骨格の逞《たくま》しい男である。 「名前は?」 「日下《くさか》三郎」 「武士か?」 「左様」 「本多殿に頼まれて、詰らぬ噂を流し回ったそうだな」 「左様でござる」 「何故、そんな嘘を吐く」 「嘘ではござらぬ。拙者は、本当に、本多様の命令で——」  相手が必死に、いうのを、利勝は、黙って聞きながら、にやにや笑っていた。 「まあいい」  間を置いて、利勝はいった。 「許すから、早々に立ち去れ」 「許す——と申されるのは?」 「許すということだ。だから、何処へなりと行けというのだ」  利勝は、面倒臭そうに、立ち上ってから、ふと、思い出したように、 「加納《かのう》さまによろしくな」  といった。  ぎょっとしたように、男が、その場に、立ちすくんだ。 (やっぱりか)  利勝は、にやっと笑ってから、 「弥平次」  と、呼んだ。 「あの男を斬れ」  と、命じた。 「奉行所には、逃亡を企てたから、斬ったといっておけ」      四  本多正純は、呼び出しを受けて、周章《あわ》てた。正純にとって、寝耳に水の事件であった。  数人の家臣を従えただけで、江戸に急いだが、 「今のわしは、義経公の心境」  と、途中で、家臣の一人に洩らしたという。兄の頼朝に、あらぬ疑いを持たれて、困惑した義経と同じということなのだろうが、義経の場合は、少くとも兄弟である。正純の場合、相手は主君である。弁明|如何《いかん》では、切腹せねばならなくなる。  正純は、江戸に着くと、直ちに登城して、極力、今度の事件が、何者かによる捏造《ねつぞう》であると主張した。 「もし、お疑いならば、町奉行所で逮捕した日下三郎なる男と、対決させて頂きたい」  ともいった。が、その日下三郎という男は、既に殺されてしまっている。  秀忠の顔には、正純の弁明を聞いても、まだ迷いの色があった。  また、重臣の中には、本多正純に反感を持つ者も多い。本多正純は、父親の正信《まさのぶ》と共に、徳川家の功臣であることは確かだが、先祖伝来といった名家の出ではない。父の正信は、出生も、はっきりしていないのである。  それだけに、徳川家譜代の家臣の間では、 「あの成り上り者が」  という気持がある。普段は、そんな意識が押さえられているが、いざ、正純の地位が危くなってくると、頭をもたげてくるのだ。 「あの男は、油断がなりませぬ」  と、そんな連中が、秀忠の耳に吹きつける。  自然、秀忠も、迷ってしまうわけだが、そんな空気の中にあって、土井利勝だけは、終始、正純を弁護した。 「詰らぬ讒言《ざんげん》に、耳を貸してはなりませぬ」  と、利勝は、秀忠にいった。 「しかし、余は、どうしても釈然とせぬ」  が、秀忠は、迷った顔でいう。 「そちは、正純に異心はないというが、反対の言をなす者もおる」 「その者たちの言葉を、お信じになりますか?」 「いや、信じるというわけではないが——」 「迷って、おいでになるのですか?」 「正直にいって迷っている。もし、正純に異心があるなら、罰せねばならぬ。しかし、もし無実なら、功臣を一人失うことになる」 「では、こうなさりませ」  と、利勝は、いった。 「本多殿を暫《しばら》く、江戸屋敷に止めおかれたら如何でしょうか。その間に、更に、噂の出所を調べたら、真実がわかりましょう」 「他には、ないかも知れぬな」  と、秀忠も、その折衷《せつちゆう》案に同意した。  本多正純は、江戸屋敷に、謹慎を命ぜられた。  利勝は、翌日、土産物をたずさえて、早速見舞いに出向いた。  正純は、顔をくしゃくしゃにさせて、利勝を迎えた。 「土井殿のご恩、一生忘れはせぬ」  と、向い合って座るなり、正純は、利勝に向って、深々と頭を下げた。 「貴公一人が、殿に向って、拙者の無実を主張して下さった由。忘れませぬぞ」 「いや、私の力が足りず、申しわけないと思っております」  と、利勝は、殊勝にいった。  正純は、利勝より年輩であったし、早くから、重臣の列に入っていた。怖い相手であったが、 (老人も、今度は、相当こたえているらしい)  と、内心では、笑っていた。  だが、油断はできない。今は、弱り切っているが、翼を与えたら、自分や酒井忠世を追い落して、幕政を、占有してしまうだろう。 「それにしても、今度のことは、ご不運でございましたな」  と、利勝は、慰めるように、いった。正純は、怒りを顔にあらわして、 「何者かが、拙者を陥れようとしたに違いない」  と、いった。 「誰だか、見当がつきますか?」 「判らぬが、拙者の功績を妬《ねた》んでおる者であることだけは確かだ。拙者が、再び、側近の地位につくのを嫌がっておる者だ」 「では、今の重臣たちの間に、犯人がいると?」 「うむ。拙者は、そう思う。が、土井殿は、どう思われる?」 「私は、女と思いますが」 「女?」  正純は、眼を剥いた。 「女——?」  と、口の中で呟《つぶや》いている。利勝は、黙って、頷いて見せた。 「男なら、直接、本多様のお命を狙わせましょう。不吉な噂をまき散らして、その責任を本多様に負わせようとするのは、女の考えと、私は思いますが」 「女というと?」 「思い当ることが、ございませぬか?」 「ない。が——?」 「本当に?」 「例えば、誰のことを、土井殿はいわれるのかな?」 「例えば——」  利勝は、一度、言葉を切ってから、 「加納さま」  と、いった。 「加納——」  正純は、ぼんやり、その名前を口にしてから、急に、口をへの字に曲げた。 「成程」  と、ひとりで頷いて、 「亀姫《かめひめ》さまか」  と、吐き出すようにいった。  亀姫は、家康の長女である。現将軍の秀忠には、姉に当る。  奥平《おくだいら》氏に嫁ぎ、現在は、加納殿の名で呼ばれている。  奥平家は、宇都宮城の城主であったが、本多正純が、城主になったため、奥平家は、下総《しもうさ》の古河《こが》藩主に転封された。  加納殿にしてみれば、正純のために、古河へ追い出されたという気持が湧く。 「成程。亀姫さまがな——」  本多正純は、同じ言葉を口にした、利勝は、 「証拠はありませぬが——」  と、慎重ないい方をした。 「あり得ぬことでは、ございますまい」 「確かに」  と、正純はいった。 「加納殿なら、やりそうなこと」 「女は、怖《こお》うございますから、お気をつけなさいますよう」  利勝が微笑していうと、正純も苦笑した。 「かたじけない」  と、いった。 「秀忠公には、拙者から、極力、お取りなし致すつもりでおります」  帰りしなに、利勝は、生真面目にいった。 「それ故、気を楽に、お持ち下さるよう」 「お願い致す」  本多正純は、もう一度、利勝に向って頭を下げた。  利勝は、本多邸を辞した。自分の屋敷に向って、駕籠《かご》にゆられながら、利勝は、冷たい眼付きで、計算していた。 (今日、正純に会ったことは、効果があったろうか)  利勝は、計算してみた。 (少くとも、本多正純と、奥平家の確執は深まるだろう。そうなれば——)      五  江戸市中に流れていた噂は、次第に消えていった。  何故、消えていったのか、疑問に思うものも多かったが、実際には、利勝が、加納殿に圧力をかけたのである。  利勝は、一通の手紙を、亀姫(加納殿)宛に書いた。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 〈江戸市中に流布されおる噂の出所につき、独自に調査したるところ、加納様の命により、本多正純殿を傷つけるために、流布していると申す者が見つかりました。詰らぬことを申すなと、斬り捨てましたが、困ったことと、心痛致しております〉 [#ここで字下げ終わり]  穏やかな文面ではあったが、加納殿の方でも、これ以上、やることの危険を知ったらしい。  江戸市中に流れていた噂が止んだ。  本多正純も、謹慎を解かれた。 「全く、貴殿の尽力によるもの」  と、正純は、利勝に向って、大袈裟《おおげさ》に感謝して見せた。利勝は、 「本多様の誠心が、認められただけです」  と、笑って見せてから、 「しかし、まだ、安心なさらぬ方がよいかも知れませぬ」  と、いった。 「一度、人の心に芽生えた疑惑というものは、なかなか消えぬものです」 「それは、わかっている」  正純は、暗い顔になって、頷いた。 「秀忠公のお顔にも、まだ、釈然としない色があった。どうにかして、秀忠公に、拙者の誠心をわかって頂きたいと思うのだが」 「方法は、あるかと思いますが」 「あるかな?」 「私見ですが、お聞き頂けますか?」 「喜んで。その考えというのを、教えて頂きたい」 「一月後に、秀忠公は、神君家康公の七回忌の法要のため、日光の東照宮にご参拝遊ばされます」 「うむ」 「その帰途、本多様の居城宇都宮に一泊されれば、その折、本多様の誠心を、秀忠公にお見せすることが出来ましょう」 「しかし、泊って頂けるだろうか?」 「私が、極力、おすすめしてみます」  と、利勝はいった。 「恐らく、秀忠公も、賛成になると思います」 「お願いする」  と、正純はいった。  利勝は、登城すると、すぐ、秀忠に、日光参拝の帰りに、宇都宮にお寄り下さいと、進めた。  秀忠は、意外そうな顔をして、利勝を見た。 「何故、宇都宮に寄れと、余にすすめる」 「殿は、まだ、本多殿に対して、釈然とせぬものを、お持ちなのでは、ございませぬか?」 「正直にいって、わからぬのだ。正純が、忠臣のようにも見えるし、油断のならぬ男にも見える」 「ですから」  と、利勝は、声を強めていった。 「宇都宮にお寄り下さることを、おすすめするのです。それによって、本多殿の本心がわかりましょう」 「——」 「昔、魏《ぎ》の国で、老臣の一人|仲達《ちゆうたつ》が、天子に対して謀叛《むほん》を企てているという噂が流れたことがあります。その真偽を知るために、魏の天子は、仲達の屋敷へ行幸されたと、三国志に出ております。その故事にならわれることを、おすすめするのです。君臣の間に、少しでも釈然としないものがあるのは、よくありません」 「わかった」  と、秀忠は、頷いた。 「東照宮参拝の帰りに、宇都宮に寄ってみよう」 「ありがとうございます」  利勝は、平伏した。  利勝が、この知らせを正純にもたらすと、正純は、欣喜《きんき》した。 「早速、宇都宮に戻って、用意しなければならん」  狸と綽名《あだな》された老人は、満面に笑みを浮べて、いった。利勝は、そんな相手の顔を見ながら、 (これで、布石だけは、出来たな)  と、思った。      六  利勝は、屋敷に戻ると、弥平次を呼んで、 「すぐ、宇都宮へ行け」  と、命じた。 「宇都宮で、何を致せば、よろしいのですか?」  弥平次が訊く。利勝は、その顔を見下し、 「わからぬか」  と、訊き返した。 「わかりませぬ」 「将軍秀忠公は、東照宮参拝の帰途、本多殿の居城、宇都宮にお立ち寄りになる」 「そのことなら聞いております。本多様にとっては、この上ない名誉でございますな」 「わしが、宇都宮にお立ち寄り遊ばすよう、秀忠公に、おすすめしたのだ」 「殿が?」 「不審か?」 「いえ。そうでは、ございませぬが」  弥平次が、あわてて頭をふるのを、利勝は、笑いながら見やった。 「かくさずともいい。わしが、競争相手の人間のため尽くすのが、不審なのであろうが」 「——」 「その不審の念を忘れずに、宇都宮に行って参れ」 「は?」 「本多殿は、秀忠公をもてなすため、宇都宮城を修築するに違いない」 「はっ」 「だが、秀忠公の東照宮参拝は、あと一月後に迫っている」 「御意」 「時間がない。従って、工事を急ぐことになる。恐らく、昼夜兼行の作業になるだろう」 「工事に無理が生れますな」 「本多殿は、必死だ。無理を承知でも、工事を急がせる。恐らく、工事関係者の間に、死人も出よう」 「——」 「工事で死んだ人間の名前を、一人残らず、書きあげてくるのが、そちの役目だ」 「何故、死人の名前を?」 「わからぬか?」 「わかりませぬが」 「わからなければ、わからぬでよい」  利勝は、そっけなくいった。 「すぐ、宇都宮に行け」  弥平次を、宇都宮に出発させた後、利勝は、ひとりで、碁盤に向った。  石を並べながら、自分の計画が、成功するだろうかと、考えてみた。 (今までは、上手《うま》くいった)  と思う。 (だが、これからも、自分の計画通りに、進むだろうか?)  自信はあった。が、不安もある。相手は、油断のならない古狸だ。もし、失敗したら、逆に、自分が、重臣の地位を追われるに違いない。  利勝は、盤の中央(天元)に、白石を置いてみた。 (これが、本多正純として——)  利勝は、腕を組んだ。 (この石は強い。殺すのは大変だ。しかし、この石は、一つで、生きているのではない。他の石との関連で生きているのだ。孤立してしまえば、死んだことになる)      七  宇都宮に向った弥平次からは、一日おきに、早飛脚で、報告が届けられた。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 〈当地にては、大々的な城の修築工事が開始され、大工、左官など職人が不足し、近隣はもとより、遠く江戸表からも、職人を呼び寄せ、夜を日についで工事をすすめております〉 [#ここで字下げ終わり]  最初の報告には、そうあった。利勝の予想していた通りであった。  本多正純が、必死になっているさまが、手に取るようにわかった。この機会に、秀忠の機嫌を取り結び、側近に返り咲く気でいるに違いない。  正純が、側近に返り咲いたら——その結果は、はっきりしている。あらゆる手段を尽くして、自分の気に入らぬ人間を、追い払うだろう。 (どっちが、先手を取るかだな)  と、利勝は、冷酷な眼で、天井を睨《にら》んだ。 (今のところ、俺の方が、先手を取っているが——)  弥平次からの三度目の報告には、次の言葉があった。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 〈本日の工事にて、死者三名が出ました。大工二名、左官一名です。その名前は、次の便にて、報告いたします。いずれも、工事を急ぎすぎた為の犠牲で、工事担当者は、その補充に、頭を痛めている模様です〉 [#ここで字下げ終わり] (二日で死者三人か)  利勝は、指を折った。工事が進めば進むほど、疲労が重なって、死者は増加するに違いない。  大工や左官が、二人か三人死んだところで、何ということもない。  だが、百人と、まとまった数になったらどうだろうか——  利勝は、その結果を考えてみる。恐らく、さまざまな噂が流れるだろう。利勝が期待しているのは、その噂だった。  工事は、秀忠の東照宮参拝の日が近づくにつれて、ピッチを早めていった。 〈本日も、死者二人。負傷者三人——〉  といった弥平次の報告が、続いて、送られてきた。 (予想通りだ)  と、利勝は思った。  一方では、利勝は、将軍の東照宮参拝の準備を、着々と進めていった。それを、書状で、本多正純に知らせた。勿論《もちろん》、親切心からではなかった。正純を、心理的に、焦らせるためである。  将軍出発の三日前に、弥平次が、宇都宮から戻ってきた。 「昨日で、宇都宮城の修築工事が、終りました」  と、弥平次は、利勝に報告した。 「宇都宮の城下は、将軍を迎えるというので、湧き立っています」 「そうか」 「突貫工事のため、沢山の人間が死にました。これは、その都度、お知らせしましたが」 「全部で何人だ?」 「八十二人です」  弥平次は、死者の名前が書かれた紙を、利勝の前に拡げて見せた。 「八十二人か——」  利勝は、口の中で呟いた。 (まあまあだな)  と、思う。八十二人死者がいれば、暗い噂の材料になるだろう。 「これから、どうなります」  弥平次が、利勝を見上げて、訊いた。利勝は、 「そちに、使いに行って貰いたいところがある」  といった。  利勝は、紙と筆を運ばせると、考えながら、筆を走らせた。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 〈此度《このたび》、秀忠公が、神君家康公の七回忌法要のため、東照宮に参拝遊ばすることは、ご承知のことと思います。その帰途、本多正純殿の居城、宇都宮城にお立ち寄りになることになっていますが、その件につき、奇怪な噂を耳にして困惑しております。  本多殿は、秀忠公を迎えるためと称し、宇都宮城を修築致しましたが、その工事に従事した大工の語るところによりますと、次の如き奇怪な事実が判明したのでございます。 [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]  一、宇都宮城の構造に不審な点があり、釣り天井が仕掛けられている。  二、幕府の許可なく、本丸の石垣を築きなおし、鉄砲を製造して、こっそり、城中に運び込んでいる。  三、これらの秘密を外に洩らさぬため、工事に従った八十二人の大工、左官が、事故に見せかけて殺害された。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]  これらの事実を知り、私は、愕然《がくぜん》と致しました。  明らかに、宇都宮において、秀忠公殺害の陰謀が、企まれておるのです。しかし、寛大な秀忠公のこととて、私が申し上げても、簡単には、お信じ遊ばさぬと考えます。先に、本多殿について暗い噂が流れた折も、秀忠公は、本多殿の誠心を、お疑いにならなかったのですから。  しかし、今度は、秀忠公の御命に拘《かか》わる大事であります。絶対に、秀忠公が宇都宮に立ち寄られるのを、止めて頂かなければなりませぬ。  そこで、加納様に、お願い申し上げたいのです。秀忠公におかれても、私の言葉にお聞き入れなくとも、お姉弟の言葉は、お受け入れになるかも知れませぬ。よって、加納様より、宇都宮行の中止を進言して頂きたいのです。お願い申し上げます。  なお、宇都宮城修築工事に死亡した大工、左官職人の名簿を同封いたします。八十二人にのぼる人間が、僅《わず》か一ケ月間に死亡せること、即ち、工事の裏にかくされた暗い影を、示していると、愚考いたすものであります。  よろしくご賢察下さいますよう、お願い致す次第です。 [#ここで字下げ終わり] [#地付き]土井利勝拝     加納様〉  書き終ってから、利勝は、二、三度、読み返してみた。  この手紙を受け取ったときの、加納殿の気持を憶測してみた。恐らく、心をときめかすに違いない。女の嫉妬《しつと》というものは、根強いものだ。利勝が期待しているのは、それだった。  加納殿は、きっと、本多正純に謀叛の下心ありと、秀忠公に知らせるだろう。彼女の本多正純に対する憎悪は、激しい筈だから。 (問題は、秀忠公が、加納様の言葉を信用されるかどうかだが——)  賭けだなと思った。  利勝は、弥平次に眼を向けた。 「この書状を、下総の加納様に届けてくれ」  と、利勝はいった。 「間違いなく、明日中に届けるのだぞ」 「かしこまりました」  弥平次が、書状を受け取って退出すると、利勝は、ゆっくりと立ち上った。 (勝たなければならない賭けだが——)  天井を睨んで、利勝は、小さく呟いた。      八  三日後、東照宮参拝の行列が、美々しく江戸を出発した。  利勝も、酒井忠世と共に、行列の中心にいた。  東照宮参拝は、無事に終った。  その日、日光に一泊。翌日は、宇都宮に立ち寄る筈になっていた。本陣で、利勝は、いらだつ気持を無理に押さえていた。 (加納殿は、一体、何をしているのか?)  ひょっとして、弥平次が、書状を届け忘れてしまったのではあるまいか。そんな不安が、利勝の心を横切る。  夕刻になって、本陣の前が、急に、騒がしくなった。 「加納様が——」と、家臣の一人が来て、利勝に告げた。 「至急、上様にお目にかかりたいと、お出で遊されました」  来たか——と、利勝の眼が輝いた。  やがて、廊下に、加納殿の甲高い声が聞こえた。しきりに、「上様と二人だけで、内密の話が——」といっている。  利勝は、わざと、座を外した。  奥座敷で、秀忠と加納殿の二人は、会った。深更に近くまで、二人の話しがあり、加納殿は、帰って行った。  二人の間で、どんな話があったのか、利勝には、勿論、わからない。だが、想像はついた。問題は、秀忠が、加納殿の言葉を、どう受け取ったかだった。  加納殿が帰ったあと、利勝は、何気なく、秀忠の前に伺候した。秀忠の顔は、蒼《あお》ざめていた。眼には、迷いの色があった。 「加納様は、何のご用で?」  と、利勝は訊いてみたが、秀忠は、「うむ」と、ひどく曖昧《あいまい》な返事しかしなかった。 (迷っているのだな)  と、利勝は、冷たい眼で、主君の顔を見つめた。 (この迷いが、明日、どうなるかが、問題だが——)  利勝は、自分の部屋に戻った。  翌朝は、雨であった。 (この雨も、秀忠公の心理に多少は、影響するかも知れぬ)  と、利勝は、強い眼で、細い雨足を見つめた。  行列は、本陣を立った。  二、三丁進んだところで、行列が急に止まった。 「上様が、お呼びです」  小姓が、大きな声で、利勝に告げた。  利勝の顔が、赧《あか》くなった。小さく咳払《せきばら》いして、心を静めてから、秀忠の駕籠に近寄った。 「利勝か」  駕籠の中から、秀忠の声が聞こえた。 「宇都宮に寄らぬ。岩槻《いわつき》に行くぞ」 「——」 「何もいうな」 「かしこまりました」  利勝は頭を下げた。顔を上げた時、彼の眼は、きらきら光っていた。 (賭けに勝った)  と、思った。 (これで、安心して眠ることが出来る)       ×   ×  六ケ月後、本多正純は、宇都宮城主の地位を追われ、二年後に身柄を、出羽《でわ》の佐竹氏にあずけられた。 [#改ページ]   権謀術策      一  寛永《かんえい》八年。  将軍|家光《いえみつ》の時代、江戸に、土屋|三蔵《さんぞう》という浪人がいた。  年齢は、二十五、六で、なかなかの美丈夫であった。自分では、武田|信玄《しんげん》に仕えて武名の高かった土屋|昌次《まさつぐ》の子孫と称していたが、これは、嘘であった。甲斐《かい》に生れたのは事実だが、郷士の生れである。土屋昌次の名前を借用したのは、偶然、その姓が同じだったからに過ぎない。  三蔵は、幼少から、剣をよくした。兵学にも、いそしんでいる。もともと、自信過剰の性格だったから、近在に並ぶものなしと考え始めると、甲斐の山の中での生活が、我慢できなくなった。  功名心に燃えて、江戸へ出た。が、既に世の中は、槍《やり》一筋で出世できる時代ではなくなっていた。戦雲も、ようやくおさまり、多少剣が使えたぐらいで、仕官の道が開ける時代ではなくなっていた。 (生れてくるのが、遅かったか?)  と、歯ぎりしたところで、時代が逆転するものでもない。郷里を出る時に持ってきた金で、小さな道場を開いたが、一向に弟子は集まらなかった。土屋昌次の子孫というのも、三蔵の苦肉の宣伝だったのだが、効果は、さっぱりであった。  自然に、気が荒くなった。不満が、気を荒くするのである。酔っては喧嘩《けんか》をするようになったが、剣の心得があるから、滅多に負けはしない。相手が武士でも負けなかった。乱暴者として評判が立ったが、勿論《もちろん》、仕官をすすめてくる物好きはいなかった。 (何処かに、戦雲のきざしはないものか)  三蔵は、そんなことばかり考えていた。      二  年が明けて、寛永九年、先の将軍秀忠が死んだ。  三蔵は、ひそかに、「時節到来か」と、眼を光らせた。  世は泰平といっても、家光でわずかに三代、徳川幕府は、必ずしも磐石とはいえない。  豊臣家は、滅亡してはいても、その恩顧を受けた大名は、加藤、前田と、諸国に散在していて、必ずしも、徳川家に心服しているとは思えなかった。  しかも、三代将軍の座をめぐって、幕府内部に抗争があった。  秀忠には、実子が二人あった。いずれも正室から生れていて、長子は、竹千代《たけちよ》、二歳年下の弟は、国松《くにまつ》である。  どちらを、三代将軍に推すかで、閣内が二派に分かれた。母親の崇源院《すうげんいん》(淀君《よどぎみ》の妹)は、剛気な長子の竹千代(家光《いえみつ》)より、どちらかといえば、軟弱な感じの弟国松(忠長《ただなが》)の方を愛していた。欠点のある子の方が、可愛いということなのだろう。  家臣達の意見も分裂した。家光を推す者、崇源院に味方して、忠長を推す者に分かれたが、結局、長子の家光が、三代将軍の座に就くことになった。  弟の忠長は、駿河《するが》、遠江《とおとうみ》五十五万石の領主に任じられ、駿河大納言と呼ばれるようになったが、兄弟仲の悪さは、公然の秘密になっていた。 (ひと波乱あるかも知れぬ)  と、三蔵は、思った。三代将軍は家光に決ったが、弟の忠長を推した家臣達には、不満がくすぶっている筈《はず》だ。ひょっとすると、家光を廃して、忠長を擁立する動きが現われるかも知れぬ。その勢力が、反徳川色の大名と結びつけば、再び、戦乱が起きるに違いない。  三蔵の期待は、それであった。戦場を馳駆《ちく》する自分の姿を思い浮べて、興奮した。波乱が生れてくれなければ、困るのである。  秀忠が死んで一ケ月後に、三蔵の眼を輝やかせる事件が起きた。  幕府内部で、第一の実力者といわれていた土井|利勝《としかつ》が、失脚したというのである。  利勝は、家康《いえやす》の従弟《いとこ》で、秀忠の補佐役をつとめた幕府の功労者である。世間の眼が、「何故?」と、利勝の身辺に注がれた。  子細は、世間の動揺を恐れてか、発表されなかった。が、人の口に戸は立てられないの理屈で、噂話が忽《たちま》ちに江戸市中に流れた。 〈土井利勝は、忠長を、次の将軍の地位に就けようと、画策した〉  というのが、利勝が、失脚した理由だというのである。 (さもあろう)  と、三蔵は、ひとりでうなずいた。他に、理由は、考えられないのである。 (これで、面白くなってきた)  と、思った。  土井利勝は、たとえ閣内を去ったといっても、当代の実力者であることに変りはない。年寄(のちの老中)達の間にも、利勝の支持者は、いる筈である。また策士といわれる利勝が、黙っているわけはないと、三蔵は思う。  三蔵の、こうした期待を裏書きするように、夜半、三蔵の家を訪ねて来た武士があった。      三  中年の武士で、供は連れていなかったが、人品いやしからず、相当の地位にある武士と三蔵は、見た。 「わけあって、今は、姓名は申し上げられぬ」  と、武士は、いった。 「だが、貴殿にとって、悪い話を持って来たのではない」 「それで?」  三蔵は、相手の顔を、じろじろ見廻した。衣服も、大小も、かなり高価なものだなと、思った。二百石取りぐらいの武士かも知れぬ。しかし、用件は、見当がつかなかった。 「貴殿は、なかなか腕が立つそうな」  と、武士は、柔和な眼で、三蔵を見ていった。 「腕が立てば、勿論、仕官をお望みでござろうな」 「まあ、出来れば——」  と、三蔵は、笑って見せたが、内心では、どきどきしていた。この男は、俺に、仕官の口を持って来たのだろうか。それなら嬉しいのだが。  武士は、そんな三蔵の腹を見すかしたように、にやッと笑った。 「腕が立てば、その腕を頼りに、才気あれば、その才を頼りに、栄達を望むが人間の本性。別に不思議はない。そうでは、ござらんかな?」 「はあ」  と、いったが、三蔵には、何となく、自分の声が間が抜けて聞こえた。相手が、ひどく大人っぽく感じられたのである。 「あるご仁が、貴殿の腕を買われた」  と、武士は、真面目な顔になって、いった。 「もし、貴殿に、仕官のご希望があるなら、お連れしたいのだが——」 「あるご仁とは、どなたのことで、ござるか?」 「それは、お会いになれば、判ること」  相手は、わざと、謎めかして、いった。 「いかがですか?」 「勿論、お会いしたい」  三蔵は、努めて落着いた調子で、いったが、不覚に、声が、かすれていた。 「では、明日、改めて、お迎えに参上する」  中年の武士は、それだけ、いい残して、帰っていった。 (とうとうやったぞ)  と、三蔵は、眼を輝かせていた。とうとう、夢がかなったのだと、酒屋から酒を取り寄せて、ひとりで、祝酒を楽しんだ。自分を召しかかえようという相手が誰なのか、何のために、自分の腕を買ったのかもわからなかったが。      四  翌日の夕刻。約束通り、昨夜の武士が、三蔵を迎えに来た。  三蔵は、駕籠《かご》に乗せられた。が、行けば判るというだけで、相手の名前は、相変らず教えてくれなかった。軽い不安を感じたが、三蔵は、すぐ、それを打ち消した。まさか、俺を殺すつもりでもあるまいと思う。俺を殺して得をする人間が、いる筈がなかったし、殺すつもりなら、こんな面倒なことは、する筈がないと思ったからである。  暫《しばら》く駕籠にゆられてから、三蔵が、連れて行かれたのは、深川の妾宅《しようたく》風の邸《やしき》だった。武家邸に案内されるものとばかり思っていた三蔵は、拍子抜けしたような気になったが、その気配を察したように、 「内密な件なので、わざと、こうしたところに」  と、武士がいった。  三蔵が通されたのは、奥の六畳の部屋だった。邸の中は、気味が悪いほど、しーんと静まりかえっている。武士は、「しばらくお待ちを」と、三蔵を残して姿を消したが、それっきりなかなか姿を現わさなかった。  茶菓子も出ない。  三蔵が、しびれを切らしかけた頃になって、やっと襖《ふすま》が開き、先刻の武士と、小柄な老人が、姿を現わした。  老人は、じろっと、ひどく冷酷そうな眼で三蔵を見てから、正面に座った。脇息《きようそく》にもたれて、また、ちろりと、三蔵を見た。三蔵の人物を測っているような眼だった。 「わしを、知っているか?」  ふいに、老人がきいた。意外に、甲高い声だった。三蔵は、老人の顔を見返した。が、その顔が、急に、怯《おび》えたように歪《ゆが》んだ。相手が誰か判ったからである。この老人は、あまりにも大物すぎる。  三蔵は、自然に、眼を伏せた。 「土井利勝様と——」  三蔵は、自分の声が、震えるのを意識した。怯えは、まだあった。が、同時に、感動もこみあげてきた。俺は、こんな大物に認められたのか——  老人は、小さく笑った。 「この弥平次《やへいじ》に聞いたが——」  と、老人は、傍《そば》の武士を顎《あご》で示してから、 「腕が立つそうな」 「いささかは——」 「それを見込んで、頼みたいことがある」 「私に、出来ますことなら、水火の中でも」 「そんな難しいことではない」  老人は、相変らず、甲高い声でいった。 「熊本まで、使いに行って貰いたいのだ」 「熊本と申しますと、加藤家——?」 「そうだ。加藤|忠広《ただひろ》殿へ書状を届けて貰いたい」 「何故、浪人者の私に?」 「わしの家臣では、目立つのでな」  老人は、無表情にいった。 「それだけ、内密の手紙ということだ。役目を果して戻れば仕官でも、金銭でも好きな方を取らせる。どうだ? 行ってくれるか?」 「勿論、喜んで」  三蔵は、歓喜に震えた声でいった。老人が目配せすると、弥平次と呼ばれた武士が、密封された書状と、五十両の金子《きんす》を三蔵の前に、置いた。 「いうまでもないと思うが——」  と、老人は、三蔵を見ていった。 「その書状は、内密のもの故、絶対に、見てはならん。絶対にだ。わかっておるな」 「承知致しております」  三蔵は、頭を、畳にすりつけるようにして、いった。 「ならばよし、すぐ、熊本に行け」  と、老人がいった。  三蔵が、興奮した表情で退出すると、老人は、細い眼を、弥平次に向けた。 「あの男。どうかな?」 「お役に立つと、存じます」  弥平次は、小さく笑って、いった。 「野心のみ大きく、才気に欠ける男でございます。今度の役目には、恰好《かつこう》の人間かと思いますが」 「ふむ」  老人は、鼻を鳴らした。満足した時の土井利勝のくせであった。 「ただ、一寸《ちよつと》、気にかかりますのは——」  と、弥平次が言葉を続けて、 「あのように、見てはならんと、強調しますと、かえって、書状を読みたくなるのが、人情かと存じますが?」 「あの男が、途中で、書状を読むと思うか?」 「あるいは——」 「ふむ」  老人は、また、満足気に鼻を鳴らした。 「わしも、読むと思う」      五  三島まで来て、三蔵は、どうにも我慢が出来なくなった。ふところにした書状が、気になって仕方がないのだ。読んではならんと念を押されたことが、逆に、三蔵の好奇心をあおるのである。  それでなくても、土井利勝が、何を、加藤忠広(清正《きよまさ》の子)に伝えようとするのか、興味が湧かない方が、不思議であった。  宿に着くと、三蔵は、まわりの襖を閉め切ってから、書状を取り出した。  無理に気持ちを落着けて、書状を開いた。  読んでいくうちに、三蔵は眼を剥《む》いた。当りさわりのない時候の挨拶に始まってはいるが、内容は、謀反《むほん》の誘いだったからである。内容は、次のようなものだった。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 〈三代将軍の座は、家光公が継いだが、性格は陰険であって、とうてい、将軍の器ではない。現在、駿河大納言であられる忠長公こそ、性|闊達《かつたつ》、しかも慈愛に満ちた名君であり、三代将軍にふさわしい方である。私は、その故に、強く忠長公を推したのであるが、聞きいれられなかった。  しかし、その後の家光公の態度や、老中たちの様子を見ていると、このままでは、徳川家は亡びるのではないかという不安を感じてならない。家光公は、もともと、大将軍の器ではないのである。また、諸大名との間が上手《うま》くいくとは考えられない。  そこで、私は決心した。これは、私欲のためではなく、天下万民のためである。  私は、家光公を退け、忠長公を新しい将軍に迎える決心をした。  そのために、貴殿の力を貸して頂きたい。二人で力を合わせ、不明朗な閣内の空気を一掃しようではないか。  貴殿が、外様《とざま》大名として、不遇をかこっておられることに、私は、前から同情していた。家光公が将軍であり、今の年寄たちが政権の座についている限り、貴殿に対する冷遇は続く筈である。だが、忠長公には、そのような偏見は全くない。従って、忠長公を、新たな将軍として迎えることは、貴殿のためでもあると、私は、信じている。  なお、家光公を退け、忠長公を擁立せんとする声は、諸藩の中に起こりつつある。私の手元にも、それをすすめる書状が山積している。これこそ、天の声である。今こそ、手をたずさえて、立ち上がるべき時であると信ずる〉 [#ここで字下げ終わり]  読み終ったあとも、三蔵は、暫くの間、ぼんやりと、宙に眼を向けていた。大変なことに巻き込まれてしまったものだという怯えを感じた。が、一方では、とうとう、自分の待ち望んでいた時が来たのだという、武者ぶるいも感じた。  土井利勝と、加藤忠広が手を結べば、天下が鳴動しよう。いや、策士の土井利勝のことだから、加藤家だけを、誘ったのではあるまい。日頃、徳川家に対して不満を持っている大名には、同じような書状を出している筈だ。 (どうしたらいいだろうか?)  三蔵は腕を組んで、考え込んでしまった。どうしたらいいかというのは、どちらについた方が得だろうかという計算でもある。  これから、直ちに江戸へ引き返して、この書状を証拠に、土井利勝謀反を訴え出れば、恩賞には、あずかれるだろう。上手くいけば、仕官の口にありつけるかも知れない。 (だが、せいぜい百石止まり)  と、計算した。それなら、再び、天下が騒乱の巷《ちまた》になった方がいいと思う。戦乱ということになれば、功名手柄を立てて、一国一城の主になることも夢ではないのだ。  三蔵は、心を決めた。      六  三蔵は、熊本に行き、書状を届けると、江戸に戻った。  深川の閑居で、土井利勝に復命すると、小柄な老人は、「ご苦労」と、やさしくいってから、探るような眼で、じっと三蔵を見つめた。 「途中で、書状を読んだのではないか?」  と、老人は、妙に乾いた声でいった。三蔵は、どきっとした。 「とんでもございませぬ」  と、あわてていい、三蔵は、老人と、傍に控えている弥平次の顔を見た。が、二人は、無表情に、三蔵を見返しただけである。 「嘘をいってはならぬ」  と、老人がいった。 「見たら見たと、正直にいうのだ」 「——」 「見たのなら、それでもいい」  と、老人は、言葉を続けた。 「むしろ、読んで貰った方がよかった」 「は?」  三蔵は、小首をかしげて、老人の顔を見上げた。 「やはり、読んだのだな」  老人は、にやりと笑った。自分の推測が当ったことに満足している眼付きだった。三蔵は、相手の態度に、甘えるような顔になって、 「つい、興味に釣られまして——」  と、いった。 「申しわけありませぬ」 「まあいい」  老人は、笑いを消さずに、いった。 「だが、見た以上、それだけの覚悟は、して貰わねばならぬ」 「——」 「あの書状にあった如く、わしは、加藤忠広殿の協力を得て、幕府に新風を吹き込む積りでいる。もし、この計画が外部に洩《も》れれば、全てが無に帰してしまう。だから、もし、その方が——」 「わかっております」  三蔵は、必死で、いった。 「もし、私が裏切るつもりでしたら、あの書状を見た瞬間に、その筋に訴え出ております」 「それもそうだ」  と老人は、いった。 「これからも、信頼していいのだろうな?」 「信頼して頂きとうございます」 「わしのために——というより、駿河大納言様のために、一身を投げうつ覚悟があるか?」 「勿論ございます」  と、三蔵は、いった。ここでは、誠心を示しておいた方がいいと、三蔵は、計算していた。 「よし」  と、老人は、うなずいた。 「改めて、わしのために働いてくれ。勿論、恩賞は、望みのままだ」 「有難き仕合せ」 「では、もう一仕事して貰いたい」  老人は、傍にいる弥平次に眼を走らせて、いった。 「加藤忠広殿は、むろん、わしの考えに賛成してくれるものと信じている。だが、加藤家の重臣の中には、一身の安泰のみを考えて、我等が計画を、密告するやも知れぬ。そうなれば、我等が計画は、画餅に帰する。そこで、その方に働いて貰わねばならぬのだ。直ちに、弥平次と共に出発し、熊本から、密告の使者が走るのを阻止するのだ」 「それは——」  と、三蔵は、乾いた眼で、老人を見上げた。 「密告の使者とわかれば、斬り捨てても構わぬということでしょうか?」 「構わぬ」  老人は、簡単にいった。 「そのために、腕の立つその方を、見込んだのだ」  老人は、にやッと笑って見せた。三蔵は、身体を固くして、老人の言葉を聞いていた。斬るということに、不安と武者ぶるいの両方を感じたからである。 「全て、弥平次の指揮に従えばよい」  といってから、老人は、強い眼で、弥平次を見た。 「わかっているな。弥平次」 「わかっております」  弥平次は、老人に、小さくうなずいて見せた。二人だけにわかるようなうなずき方だったが、三蔵は、それに気付かなかった。      七  三蔵は、弥平次に従って、再び、江戸を出発した。他にも何人か、腕の立つ者が同行するものと、三蔵は考えていたのだが、出発の時になっても、誰も姿を見せたかった。二人だけである。二人だけで、何人ともわからぬ熊本からの使者を、途中で、阻止できるのだろうか、三蔵が、その不安を口にすると、弥平次は、おだやかな微笑を口元に浮べて、 「大丈夫」  と、だけいった。  ひどく自信ありげだった。三蔵には、中年の弥平次という男が、よくわからなかった。自信満々のその根拠が、わからないからである。三蔵の不安に気付いたのか弥平次は、もう一度、 「大丈夫だ」  と、同じ言葉を繰り返した。  何処で、待ち伏せるかも、問題の筈だった。  熊本から江戸に入る道は、いくつかある。  中仙道《なかせんどう》  甲州街道  東海道  それに、海路を加えれば、四つの道が考えられるのだが、弥平次は、何の迷いもなく、甲州街道に向った。  甲府に着くと、「ここで待つのだ」と、いい、さっさと宿をとった。 「もし、他の道を来たら、どうなさる積りですか?」  と心配してきくと、弥平次は、無駄な心配だというように、笑って見せた。 「船旅は目立つから海路を来ることは考えられぬ。東海道は、最短距離だが、それだけに、我々が待ち伏せていると考えるだろう。中仙道の高崎を通る道は、遠廻りになりすぎる。こう考えてくれば、甲州街道しか残らん、密使が来るとすれば、この道以外にない」  弥平次の言葉は、自信に満ちていた。そういわれてみると、三蔵も、甲州街道以外に考えられないような気になってくるのだが、何処かに、矢張り、不安が残っていた。 (本当に、ここでいいのだろうか?)  と、思い、三蔵は、時々、弥平次の顔を覗き見ていた。  甲府に宿をとってから、二日、三日と過ぎた。が、密使らしい姿は見かけなかった。 「他の道を取ったのでは?」  と、三蔵が、不安になって、きくと、弥平次は、 「心配ない」  と、笑って見せた。 「来るとすれば、この道以外にないのだ」  弥平次の確信は、一向に崩れないようだった。三蔵は、次第に相手の自信についていけないものを感じていたが、四日目の夕刻になって、宿の二階から、街道を見下していた弥平次が、 「来たぞ」  と、急に、いった。  三蔵は、あわてて、視線を走らせた。成程、弥平次の指さす方に、厳重に旅ごしらえをした武士の姿が見えた。長旅をしてきたらしく、顔が陽に焼け、衣服も埃《ほこり》に汚れている。 「あの男に、間違いない」  と、弥平次は、断定するようないい方をした。 「加藤家の武士だ」 「本当に、間違いありませんか?」  三蔵が念を押すと、弥平次は、愚問だというように、にやッと笑って見せた。 「間違いはない。あの男が密使だ」 「では、直ちに——」 「いや。あの様子では、今夜は、ここ泊りだろう。明日早朝、甲府を出たところで襲う。町中では、まずいからな」  弥平次の予言通り、武士は、近くの宿に姿を消した。  翌日。三蔵と弥平次は未明に起きて、宿を出た。まだ、周囲は薄暗かった。そして、寒い。三蔵は、歩きながら、身体がふるえるのを感じた。が、寒さのためだけとは思えなかった。  甲府の町を出たところで、待ち伏せることにした。  陽が昇ったが、初冬の空気は、まだ薄寒い。 「来たぞ」  と、弥平次が短くいった。昨日の武士が、急ぎ足に近づいてくるのが見えた。三蔵は、乾いた声で、 「斬るのですか?」  と、弥平次の顔を見た。弥平次は、「斬る」と、小さくいった。  武士の足が、二人の姿を見て、急に止った。  近くで見ると、精悍《せいかん》な感じの若い顔をしていた。 「加藤家の方ですな?」  と、弥平次が、きいた。相手は、睨《にら》むように、二人の顔を見て、 「だとしたら、何の用だ?」  と、きき返した。弥平次は、にやッと冷たい笑い方をしてから、 「斬れッ」  と、いきなり三蔵に向って叫んだ。三蔵は、その声に励まされて、刀を抜いた。相手は、顔色を変えて一歩退がる。三蔵は、相手を追うように、斬りつけた。  ずしりという手応《てごたえ》が、はね返ってきた。相手は悲鳴をあげ、血が吹き上げた。よろけるように逃げようとするのを、三蔵は、夢中で、もう一度、斬りつけた。また悲鳴があがった。 「もういい」  と、弥平次がいった。その声で気がつくと、相手は、もう倒れていた。  弥平次は、死んだ武士の傍にかがみ込むと、その懐中を探った。 「あった」  と、取り出して見せたのは、厳重に包まれた書状だった。  弥平次は、それを拡げて眼を通していたが、 「殺すことはなかった」  と、いった。三蔵が、まだ蒼《あお》い顔を向けて、理由《わけ》をきくと、  弥平次は、「読んでみろ」と、書状を渡した。  それは、土井利勝の陰謀を幕府に密告する書状ではなく、老人の計画に同意した旨の、加藤忠広の書状であった。 「早まったな」  と、弥平次は、倒れている武士の死骸《しがい》に眼をやった。 「だが、仕方がない。この書状は、拙者が代って、殿にお届けする。それで、成仏してくれ」      八  斬りすてた武士の死骸を、近くの川底に沈めてから、二人は、江戸に向った。 「これで、加藤家が、殿の考えに賛成のことがわかった」  と、弥平次は、歩きながら、満足気に、いった。 「殿も、加藤家と一緒なら、敗れても後悔はなさるまい」 「敗れても——?」  三蔵は、驚いて、弥平次の顔を見た。 「敗れてもというのは、どういうことでござるか? 家光公を廃して、忠長公を将軍の座につけるという計画は、必敗するとお考えなのか?」 「貴公は、成功すると、思っていたのか?」  逆に、ききかえされて、三蔵は狼狽《ろうばい》した。 「しかし——」と、三蔵は、いった。 「最初の話では、加藤家の賛同が得られれば、計画の成就は疑いなしというようなことだった筈ですが——」 「それは、言葉の上だけのこと」  と、弥平次は、固い表情で、いった。 「徳川家の基礎は既に安泰、殿と加藤家が腕を組んで、家光公を廃そうとしても、上手くいくものではない」 「それならば、何故?」 「それが、殿らしいところなのだ。敗北するとわかっていても、自己の考えを貫き通したいと考えておられる。それに、加藤家の賛同があれば、万一ということもある。だから、このような計画を立てられた。だが、敗北は動くまい」 「——」 「拙者は、勿論、殿と生死を共にする覚悟でいる。敗北とわかっていても、戦わねばならぬ。貴公は、正式の家臣ではないが、勿論、我等と生死を共にしてくれるのだろうな?」 「むろん——」  と、三蔵はうなずいたが、心の中では、全く逆のことを考えていた。弥平次の言葉だと、土井利勝の旗色は、ひどく悪いらしい。加藤忠広と組んで、自棄《やけ》ッ八の戦いを仕掛けるということのようだ。彼等は、それでもいいだろうが、俺は真っ平だと、三蔵は思った。あんな老人と心中は、ごめんである。それに、この調子では、天下を二分するような戦乱は生れそうもない。  その夜、八王子の宿に泊った時、三蔵の気持が決った。  恐れながらと訴えて出て、土井利勝と、加藤忠広が、共謀して、家光公を廃し、駿河大納言を新しい将軍の座につけようと画策していることを、打ちあけるのだ。仕官の道が開けたとしても、せいぜい百石止まりだろうが、それでも、陰謀に加担した罪で、打首になるよりは、どれだけよいかわからない。  夜更けに三蔵は、弥平次の寝息をうかがって宿を抜け出した。  三蔵は、真っ暗な道を、江戸に向って走った。      九  三蔵は、その足で、奉行所に駈《か》け込んだ。  奉行所でも、最初は、三蔵の話を信用しなかった。あまりにも、事が大き過ぎたからである。だが、三蔵が、何度も同じことを繰り返し喋《しやべ》っているうちに、奉行の顔色も蒼ざめてきた。本当なら、幕府にとって一大事だからである。  奉行は、三蔵を引き止めておいて、あわてて、大目付に事の次第を報告した。そして、話は、大目付から年寄へ。  すぐ、年寄たちを中心に、評定が開かれたが、その場の空気は、奇妙に落着いたものだった。何か、かくあることが予期されていたといった空気だった。 (加藤忠広の違心明白)  と、決めつけ、その処置が、迅速に取られた。  寛永九年五月、加藤忠広は、「徳川家に対して、謀反を計画した」罪で、出羽庄内《でわしようない》に流された。抗弁は許されなかった。三蔵という生証人によって、罪状は明白だというのである。  三蔵は、恩賞として、金子五十両を得たが、仕官の道は開けなかった。  三蔵は、元の家に戻り、そこで、加藤家が改易されたことを知った。 (彼等に、加担しなくてよかった)  と改めて、胸を撫で下したが、不審なのは、陰謀の主魁《しゆかい》である土井利勝が、処分されたという噂が聞けないことだった。  加藤家が、謀反の罪で改易されるのなら、あの老人にも、当然、死罪が与えられなければならない筈である。だが、一向に、その噂が伝わって来ない。秘密の中《うち》に処分されてしまったのかと、考えているように、三蔵を驚ろかせる事件が起きた。  土井利勝が、年寄に返り咲いたというのである。三蔵は、わけがわからなかった。が、そのうちに、あッと、思った。 (全てが、最初から仕組まれた罠《わな》ではなかったのか?)  と、思ったのである。全てが、外様大名の加藤家を改易するための罠ではなかったのか。  あの老人は、罪を得たふりをして、年寄の地位を退いた。そして、家光を廃して、忠長を立てる計画をすすめる。勿論、嘘の計画だ。その計画に、三蔵は、引っかかったというわけではないのか。そして、加藤家も、引っかかったのだ。  甲府で斬ったあの武士も、本当に加藤家の家臣かどうか怪しいと、三蔵は思う。その武士も、仕立てられた人間ではなかったのだろうか。今から考えれば、甲州街道にしか来ないと、弥平次が決めてかかっていたことも、おかしいのだ。  斬られた武士の懐中にあった書状。あれも本物かどうか、わかりはしない。三蔵を、望み通りの証人に仕立てるための小道具だったのかも知れない。勿論、三蔵が逃げ出して、奉行所に駈け込むことも、老人の計画の中に入っていたのだろう。  全てが、徳川家の基礎を磐石なものにするための、老人の計画だったに違いない。そして、その計画は、まんまと成功した。三蔵という道化役を作ったことで。 (くそッ)と、三蔵は、歯がみをしたが、所詮《しよせん》は、歯の立つ相手ではなかった。相手が大きすぎるのだ。  三蔵は、自分がひどく小さな存在に見えてきた。      十  老人は、満足していた。 (これで、徳川家も安泰)  と思う。家康、秀忠、家光と三代の将軍に仕えて、ただ、徳川家の基礎を磐石のものにすることだけを念じてきた。  最大の問題は、外様大名の処遇だった。徳川の天下になったものの、豊臣家の恩顧を受けた大名の中には、完全に、徳川家に心服していないものも多い。 (だが、加藤家を改易させたことで、他の外様大名には、いい見せしめになった筈だ)  と、老人は思う。これで、当分、大名達の反抗はないだろう。  障子が開いて、弥平次が顔を出した。 「全て落着。おめでとうございます」と弥平次は、いってから、 「あの男の処置は、いかが致しましょうか?」  と、老人にきいた。 「あの男か——」老人は、小さく笑った。 「三蔵とかいったな」 「土屋三蔵でございます。道化者でございますが、詰らぬことを喋られても、迷惑と存じますが——」 「それなら斬れ」と、老人は、冷たくいった。  弥平次がうなずいて退《さが》ると、老人は、もう、三蔵という男のことなど、忘れてしまった顔になっていた。 [#改ページ]   維新の若者たち  松下村塾      一  十九歳の高杉晋作は、ゆううつであった。  思い切り大声で叫びたいのに、その叫びを、無理矢理、押さえられているような感じだ。  晋作は、天保《てんぽう》十年八月、萩《はぎ》の城下|菊屋《きくや》横丁に生れた。父は、長州藩士高杉|小忠太《こちゆうた》。温厚な役人で、百五十石取りの家柄である。大身とはいえないが、上流の子弟とはいえる。  父親は、晋作を、立派な役人に育てようと考え、上流子弟の入る藩の学校、明倫館《めいりんかん》に入れた。  藩校というのは、もともと、形にはまった教育をするところと、相場が決っている。型にはまった人間を作った方が、藩としては使い易いからであろう。  生れつき負けず嫌いの晋作は、明倫館で、優秀な成績を示した。当時、晋作の作った詩に次のようなものがある。   昨雨炎を洗《あろ》うて 涼味新たなり   今朝《こんちよう》秋立ち 葉声《ようせい》しきり   始めて林景を見 詩意に堪《た》う   残月依々たり 影半輪  二十歳前の若者の詩としては、秀《すぐ》れているといえるが、どこか、型にはまって感じられるのは、明倫館の教育のせいであろう。  父親の小忠太は、この詩を読んで、大いに喜んだらしい。この調子でいけば、将来、自分の後をついで、立派な役人になってくれるだろうと思ったからである。だから、時にふれて、 「世の中の道理というものをわきまえて、自分勝手なふるまいをしてはならぬ」  とか、 「長いものには巻れろということがあるように、出世には、相手の心を損じぬことが先決である」  などと、お説教をくり返した。  このままでいったら、秀才肌の、小利口な一人の役人が生れていたかも知れない。  だが、晋作という人間は、型にはめるには、人間が大きすぎた。  しかも、ペリー提督がアメリカ軍艦をひきいて浦賀《うらが》に来航し、開国か攘夷《じようい》かで、日本国中が、騒然としている時である。当然、晋作の心は、若者らしく、ゆれ動く。それなのに、明倫館に行けば、相変らず、「子曰《しのたまわ》く——」の古めかしい講義の連続だった。  当時の明倫館に、偉い教師がいなかったわけではない。山県大華《やまがたたいか》とか、小倉尚斎《おぐらしようさい》といった人たちは、当時、博学で聞こえた漢学者である。だが、彼等の知識は、時勢に結びつかなかった。「論語」を、詳しく解説してくれても、それが、今の時代に、どう結びつくのかは、一言も教えてくれないのだ。晋作が知りたいのは、後者の方だというのに。 (論語で、黒船が、打ち払えるのか)  晋作は、腹立たしくなる。明倫館の空気にも、長州藩全体の、のんびりした空気にもである。  長州は、後に、薩摩《さつま》と共に維新の原動力になった藩だが、この頃は、まだ、のんびりした太平無事の空気が支配していた。だが、全部が全部、太平の眠りを、むさぼっていたわけではなかった。時代の流れに敏感だった人々もいた。  その一人が長州藩の兵学師範だった吉田|松陰《しよういん》である。  松陰は、アメリカ艦隊が、浦賀に来航のことを聞くと、すぐ、浦賀に急行して、その眼で、黒船を見た。そして、その威力の恐るべきことを知ると、西欧知識を身につけようとして、安政元年三月、密航を企てたが、失敗した。  当時、密航は国の禁ずるところである。幕府に捕えられた(自首)松陰は、国元での蟄居《ちつきよ》を命ぜられた。  萩に帰った松陰は、安政三年、家塾を開いた。これが、松下村塾《しようかそんじゆく》である。  明倫館の型にはまった講義にあきたらず、時代の動きに敏感だった高杉晋作にとって、吉田松陰の名は、一つのあこがれであった。      二  萩の町外れを、松本《まつもと》川が流れている。その川を渡ったところに、松下村塾があった。  晋作の足は、自然に、松本川の方向に向いてしまう。一度、吉田松陰に会ってみたいと思った。会って、時勢について話しあいたいと思う。  問題は、父のことだった。父の小忠太は、息子の晋作が、国禁を犯したような危険人物の教えを受けることを、喜ぶ筈《はず》がなかった。彼の父親だけではなく、一般の父兄も、松下村塾の存在を、心よく思ってはいなかった。従って、上流家庭の子で、松下村塾を訪ねるものはなく、殆《ほとん》どの弟子が、微禄《びろく》、軽輩の子弟だった。  晋作は、何度か、ためらった。が、ある日、明倫館の帰りに、松本橋を渡って、松下村塾を訪ねた。  初秋の、西陽の強い日だった。  松下村塾の前に立った時、晋作は、うっすらと汗をかいていた。西陽の強かったせいもあるが、緊張のせいもあった。  ひどく小さな家の前に、形ばかりの門があった。  晋作は、その門をくぐった。誰もいないのか、ひっそりとしている。晋作は、狭い庭に立って、周囲を見廻した。  ふと、足音がして、裏から、野良着姿の男が、顔を出した。痩《や》せた長身の男である。晋作は、井戸端で、足を洗っているその男に、 「松陰先生に、お会いしたいのだが」  と、声をかけた。  男は、手を止めて、細い眼で、じっと、晋作の顔を見た。 「松陰なら私だが?」  と、相手は落着いた声でいい、口元に微笑を浮べた。  晋作の顔が、あかくなった。この時、松陰は、わずか二十八歳だったが、晋作には、自分より、はるかに年輩に感じられた。 「高杉晋作です」  と、晋作は、興奮した声で、いった。 「先生に、教えて頂きたいことがあって、参ったのです」 「まあ、上りなさい」  松陰は、先に立って、座敷に案内した。八畳ほどの部屋だが隅には、うずたかく書籍が積まれてあった。 「私に何を教えて欲しいんだね?」  松陰が、いう。口元から、微笑は消えていなかった。妙に、勢い込んで訪ねてきた若者に、好意を持った眼であった。  晋作は、膝に手を置いて、松陰を見た。 「私は、今、明倫館で、山県大華先生や、小倉尚斎先生の教えを受けております」 「お二人とも、立派な方だ」  松陰は、生真面目な顔になって、いった。 「私も、山県先生から、論語の講義を受けたことがある」 「立派かも知れませんが、所詮《しよせん》は、死んだ学問です」 「ほう」  松陰は、笑った。 「それで?」 「今は、古臭い論語などを、ひねくりまわしている時ではないと思うのです。たった四隻のアメリカ船が来ただけで、幕府は、周章|狼狽《ろうばい》し、わが国は、夷敵《いてき》の侮りを受けております。この非常時に、のほほんと、古臭い書物を開いていることに、我慢がならないのです」 「それで?」 「それで?」  と、晋作は、おうむ返しにいってから、 「ですから、何をなすべきか、それを知りたくて、こうして伺ったのです」 「君自身は、どう思っているのかね? 今、何をしたらいいと思う?」 「洋夷討つべしです。幕府に、その力がないのなら、諸藩が連合して、洋夷を討つべきです。彼等の侮りを甘んじているのは、我慢がなりません」 「ふふふふふ」  と、松陰が、ふいに、含み笑いをした。 「久坂玄瑞《くさかげんずい》を、君は知っているかね?」 「久坂玄瑞?」  晋作は、その名前だけは知っていた。禄高二十五石の微禄の子弟だが、早くから秀才の聞こえが高かった。確か、晋作より、一歳年下の筈であった。 「噂は、知っておりますが」 「彼の議論が、君と同じだ。すこぶる勇ましい」 「いけませんか? 洋夷討つべしが、何故いけません」 「簡単に、追い払えると思っているのかね?」 「決死の覚悟を持ってあたれば、いかに強力な外敵でも、討ち払えぬことがありましょうか?」 「私は、浦賀で、アメリカの軍艦を、この眼で見た。また、ポーハタン号には、実際に乗ったことがある。彼等の武力は、我々の想像を絶するほど強力だ。私は背筋に冷水を浴びせられるのを覚えた。死を持って当ればというのは易い。だが、粗末な武器で、彼等に勝つことはできない。彼等と戦うことは、日本という国家を賭けるということなのだ。勝算もないのに、国の運命を賭けることはできない」 「では、ただ、手をこまねいているというのですか?」 「そうはいわぬ」  松陰は、強い眼で、晋作を見つめた。 「攘夷の精神を持って開国せよ。これが、私の答だ。わかるかね?」 「よくわかりませぬが?」  晋作が、正直にいうと、松陰は、きびしい顔を崩して、 「そのうちに、わかってくる」  と、いった。  晋作が、なおも、議論を持ちかけようとした時、急に話し声が聞こえて、数人の若者が入ってきた。いずれも、野良着姿のところをみると、畠《はたけ》仕事でもしていたのだろう。 「丁度いい」  松陰は、若者たちに声をかけた。 「新しく憂国の士が、一人加わった。高杉晋作君だ」 「よろしく」  と、晋作が、小さく頭を下げた時、若者たちの中で、ひときわ色の白い、小柄な若者が、皆を代表する恰好《かつこう》で、 「久坂玄瑞です」  と、いった。      三  晋作は、松陰の門下生の一人になった。勿論《もちろん》、両親には、内密である。  松陰は、晋作の第一印象を、次のように、日記に記している。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 〈俊敏な少年のように見える。だが、惜しいことに、頑固なところがある。将来、この性格が、彼のわざわいになるかも知れぬ〉 [#ここで字下げ終わり]  後の晋作のことを考えると、松陰の観察は、的を射ているということが、できそうである。  晋作は、ここで、久坂玄瑞を知り、吉田|稔麿《としまろ》を知り、品川|弥二郎《やじろう》、山県狂介《やまがたきようすけ》(有朋《ありとも》)、伊藤|俊輔《しゆんすけ》(博文《ひろぶみ》)たちを知ることができた。いずれも、明倫館の生徒のような上流子弟ではない。その多くは、足軽の子だった。が、彼等には、自由な若さがあった。それは、同時に、晋作の求めていたものでもあった。  そして、皆若かった。  吉田松陰 二八歳  高杉晋作 一九歳  久坂玄瑞 一八歳  山県狂介 二〇歳  伊藤俊輔 一七歳  そして、松陰の教育には、その若さを、自由に生かすものがあった。型にはまった教育は、一つもなかった。  中でも、晋作たちに、一番興味があったのは、「飛耳長目録《ひじちようもくろく》」による講義だった。  松陰は、江戸や上方から人が来たと聞くと、それが、町人や百姓であっても、必ず会いに出向いて、その話を書き止めた。それが、「飛耳長目録」である。  松下村塾では、それが教科書になった。松陰は、それを元に、江戸の事件を語り、上方の動勢を語り、それに、適確な判断を下してみせた。 「君たちは——」  と、松陰は、事あるごとに、晋作たちにいい聞かせた。 「萩一国、いや、長州一藩という狭い世界に甘んじていてはいけない。日本全体が、猛烈な勢いで動いているのだ。江戸や京都の情勢は急を告げている。私が見るところでは、どれもこれも、危機に向って、突き進んでいる。このままでは危い。それを救えるのは、君たち若者しかいない」 「私たちは、一体、何をしたらいいのですか?」  晋作が、きいた。皆の眼が、師の松陰に注がれる。誰もが、それを知りたがっていた。彼等には、若者らしいエネルギーがあった。ただ、何をしたらいいか、それが、わからないだけである。 「難しい問題だ」  と、松陰は、いった。 「それは、なすべきことが、わからないからではない。なすべきことは、わかっている」 「何です?」 「私は、前に君たちにいった。攘夷の心を持って開国せよと。幕府は、長い間、鎖国政策をとってきた。これからも、同じ政策をとることは容易だが、ますます世界の時勢におくれることになる。まず、開国して、外国の文明を受け入れる必要がある。外国に負けぬ軍艦、大砲を作れるようにしなければならない。そうしなければ、彼等に勝つことは、できない」 「それでは、単なる開国論ではありませぬか?」  久坂玄瑞が、さかしげに口をはさんだ。 「幕府も、アメリカの武力に屈して、通商条約を結ぼうとしています。それと、どこが違うのですか?」 「違う」  松陰は、大きな声で、いった。 「幕府のやり方は、まるで、外国に対して、臣下の礼をとっているに等しい。今、そのような態度で、不平等条約を結べば、悔いを千載に残すことになる」 「しかし、先生は、前に、外国の武力は恐るべきものがあり、到底、かなわぬとおっしゃった筈です。武力を持って、条約の締結を迫ってきた場合はどうすればいいのですか?」 「確かに、彼等は、武器によって、威嚇している。だが、こちらに、断固たる決意があれば、戦いにはならぬ筈だ。彼等とて穏やかに通商をしたいのだ。武力による威嚇は、その方便にすぎない。我等に、それに乗ぜられぬ決意と団結があれば、開国に踏み切っても、不平等条約を押しつけられる心配はない」 「先生は、それが、可能とお考えですか?」 「わからぬ」  松陰は、暗い眼になって、弟子の顔を見廻した。 「私が、なすべきことはわかっているが、難しいといったのは、そのことなのだ。攘夷の心を持って開国する。我国のとるべき道は、これしかない。だが、現在のように、国論が乱れていては難しい。外国に対する知識のない人間が、いたずらに鎖国を唱え、開国を唱えるものは、いたずらに卑屈になっている。これでは、外国の侮りを受けるだけだ」 「それを打ち破る方法がありましょうか?」 「ある」  松陰は、燃えるような眼になって、若者たちを見た。 「時代は動いている。君たちのような若い力が、長州だけでなく、各藩にも、生れつつある。幕府の内部にも。その新しい力が結集されれば、可能だ」  その日のために、学ばねばならぬと、松陰は、いった。  晋作は、自分の前に、新しい世界が開いていくのを感じた。それは勿論、晋作だけの思いではなかった。久坂玄瑞にしても、品川弥二郎にしても、山県狂介にしても、同じ思いであった。  彼等が、時代の主人公になる日が、近づきつつあったのである。      四  晋作は、二十歳になった。  松下村塾における彼の勉強ぶりは、素晴らしいものがあり、久坂玄瑞と並んで、松陰門下の双璧《そうへき》と呼ばれるまでになった。  二日ほど、松陰の姿が見えぬことがあった。  三日目に、姿を見せると、松陰は、いきなり、 「君たちは、江戸へ行き給え」  と、若者たちに、いった。 「殿様に会って、君たちの江戸留学のお許しを得てきた」 「先生は?」  晋作がきくと、松陰は、「私は、行けない」と、首を横にふった。 「私は、謹慎中の身だ」 「それなら、我々も、ここに止《とど》まります。先生と別れることは、できません」 「そんな感傷に、浸っている時代ではない」  松陰は、叱るように、いった。 「君たちは、江戸に行かねばならん。ここに止まっていては、どうしても時勢に遅れてしまう。時代と共に生きるためには、時流の中に身を躍らせねばならん。その場所が江戸だ。私が、君たちに教えることは、もう全部教えた。もう私を離れて、君たちが、自分の力で、時代を動かすべき時が来たのだ」  それは、激励の言葉であると同時に、別れの言葉でもあった。  松陰は、自分が、革命家ではなく、教育者であることを知っていた。彼が教え、教えられた者が、新しい時代を作ってくれるだろう。松陰は、自己の限界を知っていた故に、別れる必要を感じたのだろうと思う。  松陰は、虎を育て、その虎を野に放ったのである。  まず、久坂玄瑞、赤川|淡水《たんすい》などが、江戸に遊学し、半年おくれて、晋作も、江戸に向った。  江 戸      一  安政五年七月。  晋作は、江戸に着いた。師の松陰は、江戸こそ、時代の中心だといった。今、その場所に、来たのである。  晋作は、江戸に着くとすぐ、先に来ている久坂玄瑞や、赤川淡水を、江戸の藩邸に訪ねた。が、二人は、いなかった。 「二人とも、京都に行った」  と、いうのである。  久坂玄瑞は、晋作に、置手紙してあった。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 〈時代の風雲いよいよ急を告げ、江戸幕府と京都朝廷との争いは、日を追って激しさを加えようとしている。あまつさえ、幕府大老|井伊直弼《いいなおすけ》は、自己の政策に反対する者は、水戸|烈公《れつこう》(徳川|斉昭《なりあき》)といえども隠居謹慎せしめるごとき、弾圧政策にでている。これに反対して、京都では、梅田|雲浜《うんぴん》、橋本|左内《さない》、頼三樹三郎《らいみきさぶろう》らの在京志士が、決起しようとしている。今や、時代は、江戸でなく京都を中心として動かんとしている。我々は、京都に行き、在京の有志と連絡して、松陰先生の教えを実行する覚悟である。貴兄も、是非、上京されたい。お待ちしている〉 [#ここで字下げ終わり]  読み終った晋作の顔には、迷いの色があった。  久坂玄瑞が、手紙に書き置きしたことは、晋作も知っていた。井伊直弼が大老職について以来、反対勢力に対する弾圧政策が続けられている。それに反対する人々が、自分たちの旗印として、京都朝廷の周囲に集っていることも知っていた。  将軍後継問題で、井伊直弼と対立した水戸藩に、朝廷から、井伊直弼を除くべしという密勅が下ったという噂も、晋作は、聞いている。確かに、今、時代の中心になっているのは、京都かも知れない。  それに、京都には、桂小五郎《かつらこごろう》、薩摩の西郷吉之助《さいごうきちのすけ》なども集っているらしい。会ってみたい相手だった。 (だが——)  と、晋作は、迷う。  晋作の性格には、意外に慎重なところがある。それは、百五十石という上流武士の家に生れたせいかも知れない。 (京都に行って、果して、何ができるか?)  との疑問に、突き当ってしまうのだ。  幕府の力は、まだ強大だ。何人かのばらばらの人間が、その政策に反対したところで、勝てる筈がない。自分たちが、長州藩を動かすことが出来て、始めて、幕府の政策を変えさせることが、できるのではないか。  そして、藩の動きは、江戸藩邸にいた方が、よくわかる。  晋作は、江戸に止まる決心をした。      二  晋作は、京都の久坂玄瑞に手紙を送り、京都の動きを知らせてくれるように頼むと同時に、江戸で、見聞を広めるために、歩き廻った。  最初に足を向けたのは、大橋|訥庵《とつあん》の塾であった。  ここには、井伊直弼の政策に反対する水戸藩士が、多く出入りしていた。晋作は、彼等に会って、その志を聞いてみたいと思った。  晋作が、大橋塾に顔を出した時、二人の水戸藩士が、姿を見せていた。  一人は、関|鉄之介《てつのすけ》と名乗り、もう一人は、佐野|竹之介《たけのすけ》と、自分の名前を、いった。晋作が、名乗ると、 「ほう、長州の方か」  と、二人は、面白そうに、晋作の顔を見た。関鉄之介の方は、にやにや笑い出した。晋作の顔の長いのが、可笑《おか》しかったらしい。晋作の顔の長いことは、郷里の萩でも有名で、後には、次のような唄が、はやったくらいである。  こりやどうじゃ  世は逆様になりにけり  乗った人より  馬が丸顔  晋作をからかった唄だが、晋作自身も、自覚していたから、関鉄之介が笑っても、ただ苦笑を返しただけである。 「今日は、あんた方の考えをお聞きしたい」  と、晋作は、いった。 「水戸藩は、今の幕府の政策に反対だと聞いたが、本当ですか?」 「幕府のというより、井伊大老のやり方に、反対なんじゃ」  年上の関鉄之介が、激した口調で、いった。 「外国の力に押されて、開国を約束するが如き軟弱な政策は、許すことができん。烈公がいわれた如く、外夷討つべし。これが、我々の志だ」 「簡単に、彼等を打ち払えると、お考えか?」 「決死の覚悟で当れば、容易《たやす》いことだ」  関鉄之介がいい、若い佐野竹之介も、大きくうなずいて見せた。 「開港地を襲って、有無をいわせず彼等を斬る。これで充分です」  佐野竹之介が、歯を見せて笑った。 「本心から、そう思っておられるのか?」  晋作がきくと、二人は、「むろん」と、うなずいた。 「洋夷斬るべし。それだけで、充分ではないか。他に、何を考える必要がある?」  関鉄之介は、晋作を、睨《にら》みつけるように見た。  晋作が、黙っていると、 「今度は、あんたの考えを聞かせて欲しい」  と、いった。  晋作は、にやっと笑って、立ち上った。 「わたしの考えは、いう必要がなくなった」 「何故?」 「話しても、あんた方には、理解して貰えんと思うからです」  それだけいうと、晋作は、さっさと、大橋塾を出てしまった。  単純な男たちだと思った。松陰の教えを受けた晋作には、二人の意見が、あまりにも、子供っぽく思えたのだ。  藩邸に戻った晋作は、萩に残っている松陰に、手紙を書いた。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 〈江戸にいても、藩の動勢や、京都にいる久坂玄瑞たちのことが、気になってなりません。  今日、大橋塾を訪ねて、水戸藩士に会いましたが、彼等の愚かさに、あきれてしまいました。江戸には、人物が、おりません〉 [#ここで字下げ終わり]      三  江戸に人物なしと思ったが、それでも、晋作は、次に、昌平黌《しようへいこう》を訪ねてみた。ここは、全国から俊才の集まる学校だったが晋作は、やはり失望した。あの形式的な明倫館の教育と、全く同じなのだ。  晋作が、こうした、日を送っているうちにも、時代は動いていた。  京都朝廷の反幕的な動きや、在京志士の動きに怒った幕府は、徹底的な弾圧に乗り出した。その弾圧の手は、水戸藩にも向けられた。  水戸藩家老   安島帯刀《やすじまたてわき》    切腹  水戸藩士   鵜飼吉左衛門《うがいよしざえもん》    死罪  同   鵜飼|幸吉《こうきち》    獄門  同   鮎沢伊太夫《あゆざわいだゆう》    遠島  福井藩士   橋本左内    死罪  薩摩藩士   日下部伊三次《くさかべいそうじ》    死罪  小浜藩士   梅田雲浜    死罪  この他、百人近い諸藩の藩士や浪人に断罪の命令が下された。世にいう安政の大獄である。  京都にいた久坂玄瑞や、桂小五郎たちは、江戸に逃げ戻って、藩邸に身をかくした。 「京都は、だめだ」  と、久坂玄瑞は、蒼《あお》ざめた顔で、晋作に、いった。 「朝廷自体が、幕府の威勢に屈しては、どうしようもない。皆、散り散りだ。薩摩の西郷吉之助も、上手《うま》く薩摩へ逃げたらしいが、このままでは、どうすることもできん」 「わしは、松陰先生のことが、心配だ」  晋作も、暗い顔になっていった。 「弾圧の手は、先生の身辺にも及ぶかも知れん」 「先生は大丈夫と思うが」  久坂玄瑞は、不安をかくした声で、いった。 「先生は教育者だ。それに、城代家老の周布《すふ》様も、先生の支持者だ。幕府が、先生を逮捕しようとしても、藩が許すまい」 「だが、藩の意向も、この頃では、幕府におもねる方向に向いているという噂を聞いている」  晋作は、相変らず暗い声で、いった。上流の家に生れた晋作には、藩の要路にある人間が、どれほど自己の保身に汲々《きゆうきゆう》とするものか、よく知っていた。自己の保身のために、松陰を人身御供に差し出すことぐらい。簡単にやるに決っている。  晋作たちが、江戸藩邸で、師の身を案じているところへ、松陰からの手紙が届いた。晋作たちは、争うように、その文面に眼を走らせたが、読み進んでいくうちに、どの顔も、蒼白《そうはく》になってしまった。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 〈大老井伊直弼、老中|間部下総守《まなべしもうさのかみ》らの弾圧政策は、狂気の沙汰《さた》であり、日本を危くするものである。  幸い、薩摩藩が立ち上って、越前藩と連盟し、井伊大老を打倒して、幕政を改革せんとしているとの噂を耳にした。  わが、長州藩も、この挙に参加しなければならぬ。私は、藩当局に対して、井伊大老および、間部下総守要撃の武器として、クーホール砲三門、百目玉|筒《づつ》五門、三貫目鉄空弾二十、百目鉄玉百、合薬五貫目の貸与を願い出た。諸君も、すぐ、帰藩して、私に助力して欲しい〉 [#ここで字下げ終わり] 「無理だ」  と、まず、久坂玄瑞が、低い声で、いった。 「正論だが、今となっては、もう遅い。薩摩も立ち上る筈がない」 「わしも同感だ」  と、晋作も、うなずいた。 「先生のいわれることは正しい。だが、今は時期ではないと思う。わしは、みすみす失敗するとわかっていることで、先生を失いたくない」 「私は、萩に帰る」  同座していた入江|杉蔵《さんぞう》(九一《きゆういち》)が、晋作や、久坂玄瑞の顔を、睨むように見て、いった。 「あんた達は、卑怯《ひきよう》だ。私にだって、先生の考えが無謀だとわかる。だが、私は、生死を共にせんと誓って、先生の門に入った。あんた達も同じ筈だ。それなのに、ただ、無理というだけで、先生の呼びかけに、応じようとしないのは、何故なんだ。私には、わからん」 「時期が悪い」 「そんなことは、わかっている。先生も、おわかりの筈だ。とにかく、私も、先生のもとへ行く」 「入江——」  と、久坂玄瑞が止めようとするのを、晋作は、 「行かせてやれ」  と、いった。  晋作自身も、松陰のもとへ、駈《か》け戻りたい気持だったからである。      四  晋作は、一日考えた末、久坂玄瑞や、桂小五郎と相談して、師の松陰に、手紙を書いた。松陰の計画は、失敗するに決っている。それだけならばいい。だが、幕府に、弾圧の口実を与えることになる。晋作も、久坂も、他の弟子たちも、松陰を死なせたくなかった。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 〈先生のお手紙、拝読致しました。正論であり、ご決意のほども思われて、一同、感激致しました。しかし、天下の形勢は、変りつつあります。恐らく、薩摩も、越前も、幕府の武威を恐れて、立ち上りはしますまい。そのことは、先生にも、よくおわかりのことと存じます。時機を、お待ち下さい。時致らば、先生のもとに、はせ参じ、共に、幕政を改革する所存であります〉 [#ここで字下げ終わり]  書きながら、晋作は、何度も、筆を置こうとした。辛《つら》いのだ。松陰以外に師はないと思っている。その師に、反対する手紙を書かなければならないのだ。  だが、何日か後に届いた松陰の返事は、晋作や、久坂たちを叩《たた》きのめした。  松陰は、怒っていた。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 〈君たちに失望した。私は、君たちに、国に尽くすことを教えた筈なのに、君たちは、安全に、功名手柄を立てることだけを考えているらしい〉 [#ここで字下げ終わり]  文面には、教え子が、自分と行を共にしてくれないことへの失望と怒りが、あふれていた。 「先生は、我々を、誤解しておられる」  久坂玄瑞が、悲痛な声で、いった。 「この上は、萩に戻り、先生にお会いして、誤解を解くより仕方がない」 「わしも行く」  と、晋作もいった。が、彼等が、江戸を発つよりも早く、悲報が届いた。  松陰が、逮捕されたのである。先に、萩に戻って、松陰と行を共にしようとした入江杉蔵も逮捕された。  松陰の計画は失敗すると考えた晋作たちの予想は正しかったのだ。だが、それを喜ぶ気には、勿論、なれなかった。 (師を失うかも知れぬ)  晋作の胸を、久坂玄瑞たちの胸を、暗い、痛い思いが、走り過ぎた。  松陰の死      一  松陰は、江戸に送られた。  晋作は、松陰に会いたいと思った。そのために、国元から金を送らせて、役人に渡した。彼が、そのために、用立てた金は、五十両に近かった。  晋作は、一時だけ、松陰に会うことを許された。勿論、牢の内と外とである。うす暗い獄舎で見るせいか、松陰の顔は、ひどく蒼ざめてみえた。 「私は、覚悟している」  と、松陰は、落着いた声で、いった。 「ここで死ぬのも、悪くないと思っている」 「何をおっしゃるのです」  晋作は、思わず、声を大きくした。激してくると、自分を押さえられなくなる。 「先生が、死罪になる筈がありません。藩の重役たちも、先生を見捨る筈がないではありませんか」 「そういってくれるのは、ありがたいが」  松陰は、牢格子の向うで苦笑した。 「井伊大老は、私を、死罪にするつもりだ。いや、私だけではない。今度のことで逮捕された者は、全て、死罪にするだろう。そうすることで、幕府の威光が保てると思っている」  松陰は、二日前、福井藩の橋本左内が、斬首《ざんしゆ》されたと、晋作に、いった。 「まだ、二十六歳だ。惜しい若者が、どんどん死んでいく。それが残念だよ」 「何か、私が、して差し上げられることは、ありませんか?」 「一つだけ、頼みたいことがある」 「何でしょうか?」  晋作は、眼を輝かせて、師の顔を見た。  松陰は、微笑した。 「君に、萩へ帰って欲しい」 「先生——」  晋作は、顔を歪《ゆが》めた。 「先生を置いて、江戸を離れることは、できません」 「よく聞き給え」  松陰は、強い眼で、晋作を見つめた。 「私の死、そんなものは、時代の流れから見たら、何ほどのことでもない。感傷に溺《おぼ》れて、時代の動きを見失ってはいけない。今の状勢を、冷静に見ることだ」 「——」 「幕府の弾圧政策は、成功したように見える。多くの有為な若者が死ぬ。だが、その芽は残っている。長州には、私が死んでも、君や久坂や、伊藤や、桂がいる。私は、君たちに、生き残って貰って、再起を図って貰いたいのだ。江戸に残っていれば、私とのことで疑いを招く」 「平気です」 「そんなに命を粗末にして、事が行えるか」  松陰は、怒鳴った。 「すぐ、国元へ帰り給え」 「帰って、どうすればいいのです?」 「わかっている筈だ」  松陰は、強い声で、いう。 「個人の力は、限度がある。まず、藩を動かすことだ。君や、久坂や、桂には、その力がある。今、長州藩は、頑迷な老人たちに支配されている。だが、いつか、君たち若者の手に委《まか》せられる時がくる。そのためにも、すぐ帰藩して貰いたいのだ」 「藩を動かすことができれば、事が行えますか?」 「いや」  と、松陰は、首を横にふった。 「一藩の力では、幕府に対抗することは難しいし、外夷の悔りを受ける。志を同じくする各藩が協力する必要がある」 「どことですか?」 「それは、わからぬ。だが、どの藩にも、志を同じくする若者はいる筈だ。例えば——」  と、松陰は、言葉を切って、暫《しばら》く考えてから、 「薩摩には、西郷吉之助という男がいる」 「名前だけは、久坂から、聞いております」 「私も会ったことはない。だが、なかなかの傑物だと聞いている。恐らく、いつか、薩摩を動かす人間になるだろう」 「他には?」 「土佐《とさ》には、坂本|竜馬《りようま》という男がいる。君に似た男らしい」 「私にですか?」 「うむ。桂の手紙に、坂本という男は、野に放たれた虎に似ているとあった。いつか、君も、会う時があるだろう」 「その名前を、よく覚えておきます」  晋作は、口の中で、松陰のいった二人の名前を呟《つぶや》いてみた。会ってみたい相手であった。      二  晋作は、萩に帰った。  萩に帰った晋作を待っていたのは、江戸で、松陰が斬首されたという知らせであった。  覚悟してはいたが、それは、晋作にとって、激しい衝撃であった。晋作は、心の支えを失った気がした。  両親は、そんな晋作が、過激な行動に走るのを恐れた。師の仇《あだ》を討つと、いいかねないからである。  両親は、晋作を結婚させることを考えた。嫁でも貰えば、詰らない考えは捨てて、父親の思い通りの役人になってくれると考えたのかも知れない。  父が選んだ相手は、山口町奉行井上|平《へい》右衛門《えもん》の二女で、まだ、十五歳の娘だった。晋作は、両親を安心させるために、この結婚を承諾したが、家庭に落着く気は、なかった。  結婚式があって、四、五日して、晋作のもとに、桂小五郎と、久坂玄瑞が訪ねてきた。桂は、吉田松陰の門下生ではなかったが、松陰を尊敬し、彼の刑死に、憤慨していた。 「これから、江戸へ行く積りだ」  と、二人は、晋作に、いった。 「伊藤俊輔も、同行することになっている。あんたも、江戸詰めを願い出て、我々と、一緒に、もう一度、江戸に出ないか?」 「江戸に出て、何をする?」 「師の仇を討つ」  久坂玄瑞は、頬をあかくして、いった。 「先生を死に追いやったのは、井伊大老と、間部下総守だ。この二人を斬って、先生の仇を討つ」 「あんたも、同じ意見なのか?」  晋作は、桂を見た。  桂は、微笑して、晋作に、うなずいて見せた。 「私は、松陰先生の門下生ではなかったから、久坂君のような気持とは少し違う。だが、井伊大老や間部下総守が、現在の幕府の政策を支えていることは確かだ。だから、この二人を倒せば、幕府の政治を変えさせることができるかも知れぬ」 「あんたたちだけでやるのか?」 「いや」  と、久坂が、首を横にふった。 「水戸藩士が、我々に協力してくれることになっている。彼等の中からも、安政の大獄で犠牲が出ているし、水戸烈公は、いまだに、井伊大老の命令で、謹慎させられている。彼等も、井伊や間部には、恨みを抱いている。だから、協力はいとわぬ筈だ」 「水戸か——」  晋作は、江戸の大橋塾で会った二人の水戸藩士のことを思い出した。 「水戸藩士で、関鉄之介という男を知っているか?」 「うむ」  と、久坂は、うなずいた。 「井伊大老を斬るべしと、急先鋒《きゆうせんぽう》になっている男だ。その男と江戸で連絡をとることになっている」 「感心せんなあ」  晋作が、眉をしかめて見せると、久坂は、 「何故だ?」  と、声を尖《と》がらせた。晋作は、眼を大きくして、久坂と桂の顔を見た。 「あんたたちが、井伊や間部を斬ろうとするのは、松陰先生の仇《かたき》を討つことの他に、現在の政治の方向を変えさせるためだろう?」 「その通りだ」 「だから感心せん」 「理由は、何だ?」 「わしも、江戸で、水戸藩の連中に会って、言葉を交わしたことがある。彼等の考えていることは、ただ、外夷を討てということだ。方策も何もないのだ。ただ、猪のように突進するだけのことだ。彼等に協力すれば、井伊や間部は倒せるかも知れんが、政治は、もっと悪い方に走るだけのことだ」 「では、指をくわえて、このまま、萩に止まっているというのか?」 「指をくわえているとは、いわん」  晋作は、二人に向って、にっこり笑って見せた。 「わしが、最後に先生に会った時、先生は、こういわれた。まず、わが藩の政治を動かすことだ。それができなければ、事を行うのは難しいと。わしは、この先生の教えを実行しようと思っている」 「そんなことが、どうして出来るのだ? 今の藩政は、老人連中に握られている。彼等は、幕府の方針に従順だ。どうやって、それを変えさせることができるというのだ?」 「簡単さ」  と、晋作は、いった。 「老人たちは問題ではない。近く行われる参勤交代の折、ご主君の駕籠《かご》を途中で止め、直訴する。直訴して、ご主君に、長州藩の方針を変えて頂くのだ」 「——」  桂と、久坂は、呆然《ぼうぜん》として、晋作を見つめた。晋作は、事もなげにいったが、果してそんなことが、できるのか。恐らく、失敗して、打首になるだろう。  久坂と桂は、晋作の言葉に、どぎもを抜かれた恰好で、その日はわかれたが、二人とも、晋作の考えは、暴挙に等しいと思った。 (止めさせねばならぬ)  と、久坂も、桂も思った。晋作の才能を惜しむからである。  桂は、晋作の父親に話した。父の小忠太は驚愕《きようがく》した。結婚したので、ほっとしていた矢先である。だが、説得しても、諦める晋作ではない。 「どうしたらいいものか?」  と、狼狽する小忠太に、桂は、一つの考えを告げた。  その頃、幕府では、新しく購入した千歳丸《ちとせまる》という蒸気船に、各藩の有志を乗せて、上海に航行する計画を持っていた。晋作を、その船に乗せて、日本から出したらどうかと、いうのである。  小忠太は、その考えに飛びついた。主君に、伜《せがれ》の晋作を、上海行に加えて頂きたいと願い出た。百五十石の家柄だから、藩の代表として、問題はない。藩主の敬親は、晋作を呼びつけると、上海行を命じた。  上海行が決ってから、桂や久坂に会うと、晋作は、 「あんたたちのおかげで、上海に行かされることになったよ」と、笑った。 「知っていたのか?」 「こんなことは、自然にわかる」 「あんたを、無駄死にさせたくなかったからだ」  と、二人は、いった。 「あんな無茶な計画は、失敗するに決っているからな」 「無茶はわかっていたよ」  晋作は、けろりとした顔で、いった。 「あんたたちが、水戸の連中と手を組んで、無茶なことをやろうとするから、脅かしてやったのだ。わしの計画が無茶なら、あんたたちの計画は、もっと危険だ。江戸に出るのはいいが、水戸と手を組むのだけは、止めた方がいい」  手を組むなら、薩摩か、土佐だと、考えたが、そのことは、口には出さなかった。  砲 戦      一  幕府軍艦千歳丸は、五十一名の各藩の有志を乗せて、上海に向って、出港した。  五十一名の中に、薩摩藩の五代才助《ごだいさいすけ》が、いた。  晋作は、五代才助に、西郷吉之助のことをきいてみた。五代才助の答は、こうであった。 「西郷さんは、大きな人です。身体も、眼も大きいが、人間も大きい。いつもは、口数が少くて、黙っていることが多い人ですが、一度口を開くと、誰もが、西郷さんの意見に従います。薩摩の英雄です」 「一度、会いたいな」  と、晋作は、いった。  千歳丸は、七日して、上海に着いた。上海には、二ケ月いたが、その間、晋作は、上海の町を見て歩いたが、痛切に感じたのは、外国軍隊によって植民地化されていく支那の悲惨さだった。  晋作は、日記に、次のように、記している。 五月二十一日 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]  午前中、骨董《こつとう》店を歩いて廻る。この日は、一日中、上海という町のことを考えた。ここでは、シナ人は、ほとんど外国人の使用人になってしまっている。ここは、主権がシナにあるというのに、イギリス人やフランス人が歩いていくと、シナ人は、みな、こそこそ道をよけていくのだ。これでは、まったく、イギリスやフランスの植民地にすぎないではないか。  ひるがえって、わが国のことを考えてみる。わが国でも十分に注意しておかないと、やがて、このような運命に見舞われるかも知れない。 [#ここで字下げ終わり] 五月二十三日 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]  朝早く、五代才助と西門で、シナ人の練兵を見学。鉄砲はすべてシナ式、実に拙劣な武器で、これでは、イギリス、フランスの侮りを受けるのも無理からぬことと思う。恐らく、この国の退嬰《たいえい》的な鎖国精神が、今日の衰微を招いたものと思われる。 [#ここで字下げ終わり]  この日記でもわかるように、晋作は、上海で、シナを見ながら、同時に、日本を見ていた。外から見ると、今まで、見すごしていたことも、はっきりと見える。晋作は、上海に行ったことで、ひとまわり成長したのである。      二  二ケ月半して、晋作は、日本に帰った。この間に、時勢も大きく動いていた。  井伊大老は、桜田門外で、水戸浪士のために斬殺されていた。久坂や、桂は、晋作の忠告を聞いて、この挙に加って、いなかった。 「よかった」  と、晋作は、桂や、久坂に再会するなり、いった。 「今は、日本の国内で、争っている時ではない。下手をすると、シナのように、外国の植民地になってしまう」  晋作は、上海で見聞したことを、二人に語って聞かせた。 「今、必要なのは、井伊や、間部といった個人を斬ることじゃない。外に対して、軍備を強化することだ」 「具体的に、何をしたらいいというのだ?」 「軍艦を買わねばならん。それに大砲もだ」 「当藩に、そんな金があると思うのか?」  桂が、まず、疑問を呈した。 「蒸気船は、非常に高いと聞いているが」 「一隻二万両というところかな」  晋作は、あっさりといった。久坂は、眼を剥《む》いて、 「そりゃあ、駄目だ」  と、いった。 「重役たちが、賛成する筈がない」 「賛成しなくても、買わなければならん。上海で、五代才助に聞いたのだが、薩摩では、七万両で、蒸気船を買入れたという話だ。ぼやぼやしていたら、長州は、時代に取り残されてしまう。わしは、購入して見せる」 「無理だ」  と、桂も、久坂も、いった。晋作は、藩当局に献策したが、案の定、高価すぎるということで、拒否されてしまった。 「思った通りだ」  と、桂と久坂は、いったが、晋作は、あきらめなかった。シナの悲惨さが、晋作の眼に焼きついて離れないのだ。一隻の軍艦も持たずに、どうして、国や藩を守ることができるというのか。  晋作は、勝手に長崎に出かけて、そこで、長州藩の名前で、蒸気船購入の契約をしてしまった。そんな非常手段に出る以外に、腰の重い藩の重役に、軍艦を買わせる方法はないと思ったからである。  藩の重役たちは、狼狽した。晋作が、勝手にやったことだが、契約に藩の名前が出ている以上、購入しなければ、長州藩の名前に傷がつく。晋作の非常手段は、成功するかに見えたが、これは、売手のイギリス商人が、晋作と、藩当局の間にいざこざがあるらしいのを見て、手を引いてしまった。  晋作は、呼びつけられて、叱責を受けた。が、晋作は、平気な顔で、逆に、藩の重役たちの態度を批判した。 「このままでは、外夷は防げませんぞ」  晋作は、警告のつもりであった。晋作は、開国論者だが、「攘夷の心を持って開国せよ」という松陰の教えを信じている。いつか、彼等と戦う必要があるかも知れぬ。その時のことを考えれば、軍艦は、絶対に必要だった。  晋作の警告は、半年と立たぬうちに、事実となった。  下関で、アメリカ艦隊と、砲撃を交えることになったからである。      三  井伊大老の時、幕府は、開国にふみ切った。が、井伊直弼が桜田門で殺されてから、攘夷を主張する水戸藩や京都朝廷に押されて、百八十度転換して、攘夷を各藩に命令した。  長州藩も、その命を受けて、五月十日、下関海峡を通過しようとしたアメリカ船ペムブロークを砲撃した。  ペムブロークは、武器を持たない商船だったから、あわてて逃げていったが、報復にきたアメリカ軍艦ワイオミングの時は、逆であった。  下関砲台の旧式砲が火を吹いたが、一向に、弾が届かない。ワイオミングは、射程距離の外から、ゆうゆうと狙いをつけ、忽《たちま》ち、砲台を、壊滅させてしまった。晋作の警告が当ったのである。  晋作は、この負け戦を、日記に、次のように記している。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 〈アメリカ軍艦、下関砲台と相戦う。砲塁忽ち崩壊して守るべからず、夷人|遂《つい》に小艇を下し、数百人陸にのぼる。砲台をこわし、民家を焼く〉 [#ここで字下げ終わり]  完全な敗戦であった。上海で、見聞を広めてきた晋作には、最初から、結果のわかっていた戦いだったといってもよい。  藩の重役たちは、この敗戦に狼狽した。どうしてよいかわからないのだ。  晋作は、今こそ、自分の出る時だと思った。師の松陰は、藩を動かすことができなければ、国を動かすことはできぬと、いった。今こそ、藩政を、手中にする絶好の時ではないか。  晋作は、敗戦の処理に当りたいと、申し出た。誰もが、いやがる仕事だから、一も二もなく、この申し出は、受け入れられた。 「単なる藩士では、向うも、承知しますまい」  と、晋作は、いった。 「藩を代表する資格を与えて頂きたい」 「どうすればいいのだ?」 「私を家老職ということにして頂きたい」 「百五十石の家老など、聞いたことがない」  と、重役たちは、反対したが、それなら、手を引きたいと晋作が脅すと、渋々、臨時に家老職に就かせることに、同意した。  晋作は、同じ松陰門下の伊藤俊輔を同行して、アメリカ軍艦ワイオミングに出かけて行った。死を覚悟して、白装束の上に、礼服を重ねて行ったのだが卑屈にはならなかった。敗けたのは、自分の警告を無視した重役たちの責任だと思っていたからである。  晋作は、傲然《ごうぜん》と構え、相手が、「何故、砲撃してきたのか」と、難詰してくると、 「幕府の命令で、止むなく砲撃したのだ」  と、答えた。 「だから、賠償金は、幕府から取って貰いたい」  晋作は、一歩もゆずらなかった。その時の彼の態度を、ワイオミング号に乗っていた通訳の一人は、「まるで、勝者のように、傲然としていた」と、記している。  結果的には、晋作の、こうした態度が成功して、賠償金を払うことなしに、敗戦は処理された。  晋作は、この交渉を通して長州藩の担手《にないて》として、自他共に許す存在になったのである。  薩長連合      一  晋作が、この敗戦から受けた教訓は、いくつかあったが、その一つは、今まで、武士といわれていた藩士たちの、だらしなさであった。  敵は、砲台を破壊すると、上陸して来たのだが、それを迎え撃った藩士たちは、一人で、七十発から八十発の弾丸を撃ったにも拘《かかわ》らず、アメリカ兵一人が負傷しただけであった。  晋作は、自分が、百五十石の藩士でありながら、藩士のだらしなさに愛想をつかしてしまった。その結果生れたのが、奇兵隊である。  奇兵というのは、正規の兵隊ではないということで、農民や町人、それに小者たちの間から、力量の秀れた者を選んで、軍隊を組織した。現在の国民皆兵に近い考え方で、晋作は、自分の作った奇兵隊の隊長になった。  この奇兵隊の、最初の戦いが、世にいう第一次長州征討の時だった。長州が、朝敵の汚名を受けて、幕府や薩摩と戦わなければならなかった戦争である。  晋作は、この戦いには、初めから反対であった。  晋作は、薩摩が土佐と結んで、幕府に対抗すべきだと考えていた。それなのに、この戦いでは、薩摩を敵に廻してしまうことになる。  長州は、この戦いに敗れた。敗れただけでなく、晋作は、親友の久坂玄瑞を失った。わずか二十四歳であった。  長州藩は、孤立してしまった。前には、アメリカ軍艦に、叩かれ、今度は、幕軍に敗北したのである。  晋作は、焦燥した。松陰の遺志を行う時機を失ったような気がしたからである。  そんなある日、伊藤俊輔が、あわただしく下関にいた晋作を訪ねてきた。 「土佐の坂本竜馬が、下関に来ていることを知っていますか?」  と、伊藤は、会うなり、いった。 「坂本が?」  晋作は、驚いて、ききかえした。松陰が、「君に似ている」といった相手であり、一度は会ってみたいと念じていた男だった。その坂本竜馬が、下関に来ているという。 「本当なのか?」 「本当です。あんたか、桂小五郎に会いたいと、いっています」 「願ってもないことだ」  晋作は、桂を誘うと、坂本竜馬が泊っている宿屋へ足を運んだ。  晋作が、竜馬に会ったのは、この時が、初めてである。  顔を見て、最初に、大きな男だなと思った。竜馬は、五尺八寸(一七六センチ)だから、当時としては、大男である。ふところ手のまま、晋作と、桂を迎えると、 「どうです? この辺で」  と、笑いながら、いった。二人が、何のことかわからず、黙っていると、 「あんた方さえよけりゃあ、この足で薩摩に行って、西郷さんを、ここまで引きずって来ますがね」  と、いう。その言葉で、晋作は、長州と薩摩の提携のことをいっているのだとわかった。  晋作は、桂の顔を見た。 「わしに、異存はない」  と、晋作は、いった。が、桂は、やや慎重な顔で、 「あんたは、上手く話し合いがつくと、思っておられるのか?」  と、竜馬を見た。竜馬は、身体を柱にもたせかけて、 「正直にいって、わからん」  と、いった。 「だが、薩長が手を結ばなければ、お互いが困るんじゃないだろうか。喜ぶのは、幕府だけだからね」 「そりゃあ、正論だ」  と、晋作は、大きな声を出した。そのまま桂の顔を見て、 「この人を信用しなけりゃいかん」  と、いった。 「他に方法はない」  その言葉で、桂も、決心したようであった。桂がうなずくと、竜馬は、ゆっくりと身体を起こして、 「では、西郷さんを、引っ張って来ますから」  と、隣の部屋へでも行くみたいな気軽さで、部屋を出て行った。      二  この時、坂本竜馬は三十二歳。晋作より、四つ年上であった。が、晋作は、その年齢の開き以上のものを感じた。 (人物だ)  と、思った。日本は広いと思った。秀れた人間は多いのだ。松陰を失い、久坂玄瑞を失った心の空白が、いくらか埋ったような気がした。  慶応《けいおう》二年一月、竜馬は、約束通り、薩摩の西郷吉之助を連れて、下関に戻って来た。西郷には、小松|帯刀《たてわき》が同行した。長州からは、桂小五郎が代表となり、晋作も、その席に加わった。  晋作は、会見の方は、桂小五郎に委せて、もっぱら、西郷という人間を観察していた。  上海で、五代才助に聞いた話を思い出した。五代は、西郷を評して、身体も、眼も大きいといったが、その通りだと思った。  色男には、ほど遠いが、その顔には、不思議な魅力があった。  長州と薩摩が手を握ることには、すぐ双方で、同意した。が、盟約の細かい内容になると、藩の利害が対立して、なかなかまとまらなくなった。細かいことの苦手な晋作は、次第に退屈してきたが、その時まで、黙っていた竜馬が、ふいに、 「何を、ごちゃごちゃ詰らんことを論議しているんですか?」  と、大声で、西郷と桂の二人を睨んだ。晋作は、竜馬を見た。竜馬は、眉をしかめて、 「何が、藩の面目、体面ですか」  と、声を高くした。 「もっと、大きいことを考えなさい。藩のことばかり考えて、日本という大きいことを忘れて貰っては困る。長州も、薩摩も同じ日本だ。違いますか?」 「——」  桂は、苦い顔で、黙ってしまった。西郷は、腕を組んだまま、眼を細めていたが、その眼を大きく開くと、 「まあ、この辺で」  と、桂と、晋作の顔を見た。 「手を打ちましょうかな。これ以上議論していると、坂本さんに、ばっさりやられるかも知れん。死ぬのは、お互いいやですからな」 「これで、決った」  と、竜馬が、いった。桂も、黙ったまま、西郷にうなずいて見せた。  この時決った盟約の内容は、次のようなものだった。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] ㈰ 幕府が、再び長州を討とうとした場合、薩摩は、三千の兵で、京、大坂を制圧して、長州に協力する。 ㈪ 戦況が、長州に有利に展開した場合は、薩摩は、ただちに、朝廷に斡旋《あつせん》して、長州の朝敵という汚名を消す。 ㈫ 長州藩が、敗色に包まれた場合でも、薩摩は、これを見捨てない。 ㈬ 両藩力を合せて、国家のために尽力する。 [#ここで字下げ終わり]  この盟約の効果は、すぐ現われた。  幕府が、長州の再征に踏み切ったからである。      三  幕府が、長州再征の軍を起こしたと聞いた時、晋作は、小躍りした。今度は、勝てるという確信があったからである。薩摩、土佐の二つの雄藩が、長州に味方しているからである。  西郷吉之助も、鹿児島で、長州再征の報《しら》せを受けると、小松帯刀に、次のような手紙を送っている。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 〈いよいよ幕府は、長州再征に踏み切ったとの報せを受けた。  これで、幕府は、自壊の道を辿《たど》るものと思う。徳川家は、幕府の威光を示そうとして、長州再征の挙に出たようだが、この行為は、幕府自らが、墓穴を掘る結果になると確信している。徳川家の衰運このときと考えている〉 [#ここで字下げ終わり]  英雄の見るところは、一致していた。  晋作は、奇兵隊の隊長として、さっそうと出陣した。  慶応二年六月十三日。幕府軍は、国境から長州に向って、雪崩《なだ》れ込んできた。だが、幕府軍は、各藩の集りで統一を欠き、中核となるべき薩摩藩は、長州との盟約を守って、将軍の参加要請を無視して、動かなかった。  彦根、高田の両藩からなる幕府軍は、長州の藩境を流れる小瀬《おせ》川を突破したが、待ち伏せていた長州兵に包囲されて、敗走した。  十六日、晋作のひきいる奇兵隊は、清水《しみず》、源明《げんめい》、笛吹《ふえふき》の三峠で、幕府軍と戦って、これを敗った。  長州兵は、連戦連勝して、幕府軍を敗走させ、追撃に移って行った。  この時になって、晋作は、病気に倒れた。  結核であった。もともと、どちらかといえば、病身の方であった。時代の激動が、病勢を進めたのかも知れない。  八月二十二日になって、激しく血を吐いた。もう、立って戦うことはできなかった。それでも、無理に起き上って、刀を取ろうとする晋作を、桂小五郎や、伊藤俊輔が、押さえつけるようにして寝かせた。 「戦況は?」  ときく、病床の晋作に、伊藤俊輔は、 「大丈夫です」  と、笑って見せた。 「もう勝ったも同然です。征長軍を指揮していた十四代将軍が大坂で亡くなってからは、幕府軍の志気は、急速に劣えています」 「そうか」  と、晋作は、嬉し気に笑った。 「これで松陰先生の遺志が、実現されるな」  そういった時、晋作の脳裏を、死んで行った若者たちの顔が、浮んで、消えていった。多くの若者が死んだ。師の松陰を始めとして、共に学んだ久坂玄瑞も、入江|九一《くいち》も死んだ。残っているのは、自分と、伊藤俊輔と、あと僅《わず》かしかいない。 「ずい分死んだものだ」  と、晋作は、声に出して、いった。それを聞き咎《とが》めて、伊藤俊輔が、 「不吉なことは、いわんで下さい」  と、いった。 「高杉さんには、もっと長生きして貰わなきゃならんのですから」 「わしのことじゃない。死んだ松陰先生のことや、久坂たちのことを思い出していたのだ」 「死んだ人たちのためにも、高杉さんには、長生きして貰わんと困ります」 「上手いことをいう」  と、晋作は、苦笑した。が、既に死は、覚悟していた。死は怖くはなかったが、心残りが、二つあった。  一つは、新しい世界を見ずに死ぬことであった。もう一つは、西郷吉之助や、坂本竜馬のことだった。もう一度、二人に、会ってみたいと思った。 (だが、会えまい)  と、思った。 (死神という奴は、意地が悪いからな)  慶応三年四月十四日、晋作は、「おもしろきこともなき世をおもしろく、すみなすものは心なりけり」と辞世を残して死んだ。  年号が、明治に変るわずか一年前である。年齢も、まだ、満で二十七歳であった。       ×   ×  晋作が、もう一度会いたいと念じた坂本竜馬は、七ケ月後の慶応三年十一月十五日、京都で、見廻組に斬殺された。竜馬も、明治維新のわずか二ケ月前に死んだのだが、年齢も、まだ働き盛りの三十四歳であった。  西郷吉之助は、無事に生き伸びて、明治の元勲と呼ばれたが、明治十年九月二十四日、西南戦争に敗れて、自殺した。晋作が死んでから、十年後である。 [#改ページ]   徳川王朝の夢  『出師の表』  勝海舟《かつかいしゆう》は、小普請組勝|左衛門《さえもん》の長男として生れた。裕福な生活でなかったことは、青年時代、オランダ語の辞典を二部複写して、一部を自分の学習用にし、一部を売って、生活の費に当てたという有名なエピソードで、想像がつく。  私塾も経営した。平和な時代だったら、私塾の師か、平役人で終っていたかも知れない。幕末の騒然たる時勢が、彼の蘭学の知識に、広い政治的視野を要求した。  三十三歳の時、蕃書《ばんしよ》翻訳御用出役に登用され、その年、海軍伝習生として、長崎へ派遣された。  万延《まんえん》元年には、咸臨丸《かんりんまる》の艦長として、初めてアメリカに渡った。  四十二歳に到り、幕府の軍艦奉行となり、続いて、神戸海軍操練所の総監の職についた。  小普請組という軽輩の家に生れた武士にしては、異例の出世といわなければならない。  だが、勝は不満だった。  当時、勝は、好んで「蜀志《しよくし》」の中にある「出師《すいし》の表」の言葉を口にした。  出師の表は、諸葛《しよかつ》孔明が、敵国の「魏《ぎ》」を討つために遠征軍を起こした時、自分の仕える皇帝の劉禅《りゆうぜん》に奉った表文である。  長文だが、勝が好んで口にしたのは、中ほどの何行かであった。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 〈臣ハ、モト布衣《ほい》ニシテ、自ラ南陽ニ耕セリ。イヤシクモ、性命ヲ乱世ニ全ウシ、聞達ヲ諸侯ニ求メザリシ、先帝臣ノ卑鄙《ひひ》ナルヲ以テセズ、ミダリニ自ラ枉屈《おうくつ》シ、臣ヲ草廬《そうりよ》ノ中ニ、三度カエリミ給イ、臣ニハカルニ当世ノ事ヲ以テス。コレニヨリ感激シ、ツイニ先帝ニ許スニ駆馳《くち》ヲ以テス〉 [#ここで字下げ終わり]  この数行は、劉備《りゆうび》玄徳が、孔明を軍師として迎えるために、三度、孔明の住む村を訪ね、その誠意に感動した孔明が、劉備玄徳に仕えたいきさつを述べている。  勝が、何故、この数行を、殊更に、好んで口にしたのか、その理由は二つあった。  一つは、勝が、自己の才能や、経綸を、孔明に、擬していたことである。  内には、幕府の土台がゆるぎ、外には、黒船の来航が続く時代である。その時代が、偉大な政治家の出現を求めている。 (自分こそ、それにふさわしい)  という、自負が、勝にはあった。咸臨丸の艦長として、アメリカを見てきた彼は、誰よりも、新しい知識の所有者であったし、政治に対する見識も、誰にも負けぬものを持っていた。  軍艦奉行や、海軍操練所の総監は、なるほど、出世かも知れないが、幕府の政治の中枢からは、離れている。  勝には、それが不満だった。孔明の如く、政治に参画し、それを動かしたいのに、神戸で、青年たちに、船の動かし方を教えていなければならないのだ。  しかも、幕政を動かしている老中たちは、勝の眼から見れば古いシキタリばかりを重視し、新しい時代の動きに応じきれぬボンクラばかりである。  第二の理由は、孔明を認めた劉備玄徳の如き存在が、自分の場合には、ないことへの不満だったに違いない。  士は、己を知る者のために死ぬという、勝は、自分を認めてくれる人が欲しかった。  当時の将軍|家茂《いえもち》は、まだ十八歳である。その上、病弱であり頑迷な老中の意のままに、動かされている。その老中たちは、勝の本当の才能を認めようとしない。  勝の不満は、一日ごとに、積み重なっていった。  西郷と勝  勝が、西郷《さいごう》に初めて会ったのは、この頃である。  西郷は、越前《えちぜん》藩士青山|小三郎《こさぶろう》の紹介状を持って、大坂に、勝を訪ねてきた。その時、勝が、四十二歳。西郷の方は、四歳年下の三十八歳であった。  勝は、西郷について、殆《ほとん》ど予備知識を持っていなかった。紹介者の青山小三郎からは、「将来の薩摩《さつま》藩を背負って立つかも知れぬ、有為の士」と聞かされていたが、勝は、自分の眼で見るまでは、あまり他人の評を信用しないことにしていた。世の中には、志士風のニセモノが、あまりにも多いからである。  勝は、西郷を一目見たとき、「こりゃあ、田舎者だ」と思った。  話が始まってからも、その印象は、変らないどころか、いよいよ強いものになった。 (この男は、何も知らぬ)  と思った。外国の事情にも暗く、確固とした政治理念も持っていないらしい。当時の武士なら当然のことだが、勝のように、アメリカにも行き、その見聞を基にして、一つの理想を持つこと自体、稀《ま》れな存在なのだが、そんな勝の眼には、西郷の知識が、あまりにも貧しく思えたのは、仕方がなかったかも知れない。  だが、勝は、不思議に、眼の前の大きな男に対して、軽蔑《けいべつ》の念がわかなかった。  理由は、西郷の茫洋《ぼうよう》とした風貌《ふうぼう》にあったのかも知れない。持っている知識は貧しい。だが、西郷という男には得体の知れぬ力強さのようなものがあった。  勝は、アメリカで得た知識を、西郷に話した。西郷は、子供のように、素直に聞いた。 「それでさ」  と、勝は、多少、べらんめえ口調でいった。 「攘夷《じようい》攘夷って、騒いでいる奴がいるが、刀や槍《やり》で、追い払えるもんじゃない。そんなのは唐人の寝言だあね。今は、一刻も早く開国して、外国の知識を取り入れる時さ。ぐずぐずしていると、時代に取り残されちまうよ」  勝は、西郷に向って喋《しやべ》りながら、俺が、聞いて貰いたいのは薩摩の武士なんかじゃなくて、幕府の要路の人間たちなのだと、思っていた。  勝は、開国に踏み切るべしという建白書を老中に何度も提出している。だが、一向に取り上げられる気配はなかった。  その不満が、西郷に向って喋りながらも、自然に口につい出てしまう。 「ところが——」  と、勝は、語調を強めていった。 「今の幕府のお偉方ときたら、ただただ自己の保身にのみ汲々《きゆうきゆう》として、何一つ決断できない。あの連中に政治を委《まか》せておいたら、間違いなく、この国は亡びるね」 「——」  西郷は、眼を丸くして、勝を見た。幕府の軍艦奉行が、幕府の悪口をいったからだろう。その顔が可笑《おか》しくて、勝は、にやっと笑った。 「私が、幕府の悪口をいったので、驚いたようだね?」 「正直にいって、驚きもうした」  と、西郷は、正直にいった。勝には、相手の馬鹿正直さが、可笑しくもあり、好ましくもあった。その好ましさが、勝を能弁にした。 「幕府のお偉方には、現実を見る眼がないし、現実の混乱を収拾する方策もない」  と勝は、言葉を続けて、いった。 「だが、諸外国は、わが国の周辺に艦船を浮べて、開国を迫っている。この事態を、何とかしなければ、外国の侮りを受けるばかりだ」 「その方策は?」  西郷は、眼を輝かせてきく。 「雄藩連合以外にはない」  と、勝はいった。 「一つの藩、或《ある》いは、幕吏だけが、折衝に当っても、外国人は、我等の力を侮どるに違いない。しかし、例えば、薩摩のような雄藩が、四あるいは五、集結して、外国と折衝し、条約を結べば侮りも受けず、有利な条件を結べる」 「雄藩連合——」  西郷は、その言葉に、酔ったように、顔を紅潮させた。 「素晴らしか考えでごわす」 「そう思うかね」 「素晴らしか——」  と、西郷は、一人で、呟《つぶや》いてから、 「早速、薩摩に帰って、実行に移さにゃ、なりませんな」  と、いった。あまりにあっさりいわれて、勝は、一寸《ちよつと》、面くらった顔になった。 「いやに、簡単にいうが、あんたに、薩摩藩が動かせるのかね?」 「薩摩一国が動かせんで、なんで、この国を動かせますか? そうじゃ、ごわせんか?」  西郷はにこにこ笑いながらいった。  勝は、初めて、この単純そうに見える男に、恐怖に近いものを感じた。 (この男は、本当に、薩摩を動かすかも知れない。そして、この男のために、徳川幕府が亡ぼされることになるかも知れぬ)  長州再征開始  海軍操練所には、土佐《とさ》藩の坂本|竜馬《りようま》や、紀伊《きい》藩の伊達小次郎《だてこじろう》(のちの陸奥宗光《むつむねみつ》)らも、訓練のために来ていたが、勝は、彼等に向っても、西郷に向って話したように、遠慮のない喋り方をした。幕吏でもある総監が、生徒に向って、幕府の悪口をいうのだから、妙なものだが、それだけが、勝の満たされぬ不満の捌《は》け口だったといえるかも知れない。自分の才能を認めようとしない老中たちへの怒り、賢明な主君を持たぬことの不幸感、そんなものが、幕政への痛烈な批判になってしまうのだ。  だが、だからといって、勝の態度が容認される筈《はず》がなかった。海軍操練所が、「危険分子養成所」になったのでは、幕府としても捨てておけない。  元治元年九月、操練所は廃止され、勝は、軍艦奉行の地位からも追われた。  勝は、完全に、幕政から遠去けられたのである。だが、別に残念という気持も起きなかった。このままでは、どうせ幕府の衰退は眼に見えている。それを、外から、ゆっくり見物してやろうという冷酷な眼になっていた。  幕府は、長州再征の方針を決めた。 (馬鹿な)  と、勝は、思った。  家康以来十四代、幕府は、全国の大名を押さえつけてきた。だが、その力は、今はなくなっている。第一次の長州征討の時でさえ、屈服させたとはいえ、それは、幕府の力でというよりは、長州藩が、英・仏・米・蘭の四国艦隊と戦って敗北(下関砲撃)した結果といった方がよかった。  再び、幕府が勝利を収められるという確証はなかったし、それに、再征の名目もなかった。表面上は、「長州藩には、幕府を倒さんとする容易ならざる企てがあり、また、朝廷より、長州を征討せよとの勅命があった」ためとされた。  しかし、勝の眼からみれば、全て、拙劣なこじつけにすぎない。  確かに、長州では、高杉|晋作《しんさく》が、奇兵隊を作るなど、反幕府勢力の擡頭《たいとう》は感じられるが、それが、そのまま長州藩の方針にはなってはいない。  また、朝廷云々も、内実を知っている勝には、笑止であった。  朝廷が、将軍家茂に上洛を命じたのは、第一次長州征伐の後始末を相談するためである。それを、幕府は、長州再征の命令が下されたと内外に発表した。朝廷は、これに怒って硬化し、幕府内部にも批判の声が生れたくらいである。  だが、長州再征は、決行された。天下を治めるには、諸藩の力を弱める以外ないとする家康以来の考えが、今日まで生きていたことでもある。この考えは治世方針としては正しいが、時代が違っていた。だが、頭の古い老中たちには、まだ、「強大な幕府」の幻影が取りついていたのである。  幕府が、命令を発すれば、諸藩は、長州再征に同意しようという甘い考えもあったらしい。  だが、第一次の長州征伐では、幕府に協力した強藩薩摩が、「私闘には、協力できぬ」と、けんもほろろの返事を送ってきた。老中たちは、大いに狼狽《ろうばい》した。が、勝の眼からみれば、薩摩藩の反対は、充分に予期されたことで、今更驚くというのは滑稽《こつけい》以外の何ものでもなかった。  薩摩は、協力を拒否しただけではない。西郷は、幕府が長州再征を決めたと聞いて、同藩の小松|帯刀《たてわき》宛に、次のような書簡を送っている。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 〈いよいよ、幕府は、長州再征に踏み切ったようだが、これで幕府は、自ら墓穴を掘ることになると思う。幕府の老中たちは、長州を叩《たた》いて、徳川家の威信を高める積りらしいが、笑止の極みである。かえって、幕府の命運の尽きることになろう〉 [#ここで字下げ終わり]  また西郷の手で、ひそかに、長州に対する援助の手を差し伸べていた。薩長連合の密約である。  こうした薩摩藩の動きは、少しずつ、勝の耳にも入ってくる。その動きは、予期されたことながら、西郷が、その中心になっていると聞いて、 (あの男が——)  と改めて、西郷の怪偉な容貌を思い浮べた。 (あの男は、事もなげに、薩摩を動かしてみせるといったが、本当に動かしている)  それは、一種の心地良い感動に、勝を誘った。勝自身が、下野していたせいだろう。もし、幕府の中心にいたら、西郷を、「恐るべき敵」と考えたに違いないのである。  六月中旬、長州再征開始。  だが、緒戦から、長州軍が優位に立ち、幕府軍は、劣勢に立たされた。長州軍の方が、近代的な火器で武装していたこともあったし、精神面でも挙藩体制がとれたのに反して、幕府の命令で、いやいや出陣した諸藩の兵士には、最初から、戦意が欠けていたこともあった。肥後《ひご》藩の如きは、幕軍の旗色の悪いのを見て、途中で、さっさと兵を帰してしまった。  西郷の予期した通りであり、勝の考えた通りになりつつあった。  そうした中で、長州征討軍の総帥である将軍家茂が、大坂城内で急死した。慶応二年七月二十日、家茂はわずか二十一歳であった。  新将軍慶喜  勝は、家茂死すの報せを、江戸で聞いた。 (悪いときには、悪いことが重なるものだ)  と、流石に、暗い顔になった。  古くからの家来で、勝が、軍艦奉行を退いてからも、身辺の雑事に働いてくれている田中|弥平次《やへいじ》も、 「これから、どうなりますか?」  と心配顔できく。この老人の眼にも、徳川家の衰運が、何となく感じられるのだろう。 「さあ、どうなるかな」  勝は、あまり熱のない声でいった。幕府の将来に関心がないわけではなかった。だが、政治の中枢から退けられた自分に、何が出来るかという自嘲《じちよう》と、老中たちに対する怒りが、勝を冷静な第三者にしてしまうのである。 「いずれにしろ、このままでは、駄目だな」  と、勝は、いった。が、その言葉は、老僕の弥平次にというより、独白に近かった。 「決断力に富む人間が上に立って、時局を収拾しなければ、幕府は亡びるかも知れぬ」 「幕府が亡びますか?」  弥平次が、眼を丸くした。この男には、徳川家の亡びることなど、考えられないのだろう。 「亡びるさ」  と、勝は、いった。 「このままではな」 「一橋《ひとつばし》さまなら、いかがでございますか? あの方なら、何とかなさるかも知れませぬ」 「一橋|慶喜《よしのぶ》公か」 「新しい将軍さまには、あの方が、おなりになるのでしょう?」 「まあ、そうだろうが——」  勝は、一橋慶喜の青白い顔を思い浮べた。何度か会ってはいるが、親しく、意見を交わしたことはない。慶喜の方も、寡黙だった。  勝は、一橋慶喜が、どんな政治的意見の持主なのか、知らなかった。が、 (どうせ、柔弱な貴君子)  という先入主のようなものが、勝にはあった。  一橋慶喜は、水戸藩主徳川|斉昭《なりあき》の七男として、天保《てんぽう》八年に生れている。斉昭は、烈公《れつこう》といわれたほど、気性の激しい人であったが勝から見て、慶喜は、その父に、あまり似ていないように思えた。  機械いじりが好きで、時計を自分で分解したりするという噂も、勝は聞いている。そんな噂から描かれる一橋慶喜の姿は、�果断�という言葉からは、ほど遠い君主であった。 「まあ、たいして変りはあるまい」  と、勝は、それが結論のように、弥平次にいった。そのくらいだから、慶喜が、大坂で、新しい将軍の地位についたと聞いても、勝は、何の感動も受けなかった。  だが、勝は動かなかったが、向うから、使いがやってきた。 「至急、大坂へ来るように」  という使者であった。それは、慶喜の命令だった。  同時に、勝は、軍艦奉行にも再任された。  勝が、一橋慶喜に対して、認識を改め始めたのはこの時からである。  将軍の秘命  勝は大坂に着いた。  大坂は、騒然としていた。幕軍不利の状勢から、長州の軍隊が、攻め上ってくるという噂が流れているためである。  勝は、登城すると、すぐ、慶喜に呼ばれた。慶喜は、老中たちを退けて、勝に二人だけで、会った。 「すぐ、行って貰いたいところがある」  と、慶喜は、いきなり、いった。  勝は、黙って、相手の顔を見ていた。慶喜の顔には、深い疲労の色があった。が、不安の影は、何処にもなかった。それは、勝にとって、新しい発見だった。 (この人は、今の事態を恐れていない)と、思った。 「承知してくれるか」 「ご命令とあれば、何処へでも」 「行って貰いたいのは、広島だ」 「広島?」  勝の眼は光った。広島は、長州藩の町である。そこへ行けというのは—— 「長州と、休戦をお考えですか?」  思わず勝の声が大きくなった。慶喜は小さく笑った。 「勝てる見込みのない戦争を、いつまで続けても、仕方あるまい」  と、慶喜は、あっさり、いう。あまり簡単ないい方に、勝の方が、軽い狼狽を感じて、 「しかし——」  と、いった。 「老中方の中には、休戦に反対の方も、あると思いますが」 「反対の者の方が多いな」  慶喜は苦笑して見せた。 「老人たちは、昔の夢を追っていて、現実を直視する勇気がない」  そのいい方に、三十歳の若さを、勝は感じた。 「それに形式にばかり拘《こだ》わっている」  と慶喜は、言葉を続けた。 「休戦を、当方から申入れては、世間に、幕府敗れたりの印象を与えてしまうというのだ。今、そんな世間体を気にしている時だろうか?」  慶喜は、勝の顔を見て、いった。 「敗北の印象を与えたとしても、本当の敗北よりはいいと、思っている」 「上様は、長州には、勝てぬと、お考えですか?」 「勝てぬな」  と慶喜は、おだやかに、いった。 「今のままの幕軍では、勝てぬ。装備は長州に劣り、兵卒五十人の隊といっても、事実は三十人にも満たぬ。兵制の改革が成功すれば、長州はもとより薩摩にも勝てようが、今は駄目だ。休戦以外に手はない」 「長州が、休戦に応じぬ時は?」 「いや、応じる筈だ。こちらが疲れているように、向うも疲れている筈だからな」  慶喜の声は、確信に満ちていた。  勝も、慶喜の言葉に同感した。確かに、長州も疲れていよう。それに、こちらから、和議を提案するのだから、長州の面目も立つ。 「早速、行って参ります」  と、勝は、いった。  慶喜は、「頼むぞ」と、いってから、ふと調子をかえて、 「薩摩の西郷|吉之助《きちのすけ》を、知っているそうだな?」  と、きいた。 「一度会って、はなしたことが、ございますが」 「どうだ、恐しい男か?」 「一種の英雄で、ございましょう」  と、勝は、いった。 「あるいは徳川家にとって、恐しい敵になるかも知れませぬ」 「そうか——」  慶喜は、難しい顔になった、宙に眼をすえた。勝は、その顔をじっと、眺めていた。  長州との休戦  勝は、深い感動を、覚えた。 (この方は、名君の素質を、お持ちだ)  と、思った。自分と同じ考えを持つ人間がいたことへの喜びもあった。  今、勝の前には、現実を見る眼がなく、自己の保身にのみ汲々としている幕府の要人のかわりに、決断力に富み、冷静な判断力を持った、若い、新しい将軍がいた。  後に、長州の木戸孝允《きどたかよし》(桂小五郎)は、慶喜を評して、 「徳川家康の再来のようだ」と、いっている。  勝の眼に慶喜の言動が、そのように見えたとしても、不思議はない。まして、勝は幕臣である。幕府の将来に絶望していたが、慶喜に会うことによって、その暗い前途に、微《かす》かな明るさを見た気がした。 (この方のためなら、喜んで、生死を共に出来よう)  と思い、その思いが、彼の心を楽しくさせた。  だが、同時に、冷静な勝の眼は、「時代」というものを、見つめていた。  慶喜を名君と思う。恐らく慶喜は、長州と休戦した後、果敢に幕政の改革を実行するだろう。徳川幕府は、昔の威信を取り戻すことが出来るかも知れない。 (だが、時が味方すればのことだ)  と、思う。時の流れというものがある。時の勢いというものがある。  いかに、慶喜が名君であり、補佐する人間が優秀であっても、時代の流れは、喰い止めることが出来ぬ。  勝は、西郷の大きな眼を、改めて思い出した。  あの男は、薩摩を動かすといって、それを実行した。薩摩を動かして、何をやろうとするのか。幕府を亡ぼし、自分たちの手で、日本という国の政治を行う積りなのだ。  勝は、西郷の才智を怖いとは思わない。むしろ、単純な男だと思っている。だが、西郷という男の持っている、得体の知れない実行力が恐しい。  それに、西郷の薩摩や、長州には、時が味方している。 (やはり、幕府は、亡びるかも知れぬ)  と思う。だが、その思いは、以前のようにシニカルな感情には、つながっていかなかった。  前には、腐れ切った幕府との心中は、真平だという気持があった。だが、今、その気持はない。 (この人となら、一緒に亡びるのも悪くはない)  勝は、慶喜の顔を見ながら、心が、楽しくなるのを覚えた。  九月二日、勝は、広島におもむいて、長州藩代表の広沢|真臣《さねおみ》と、休戦について、話し合った。慶喜の予想通り、長州藩も休戦に同意して、和議が成立した。  勝は、幕軍の撤収に際して、長州藩はこれを妨害しない旨の約束を取りつけて、結果を待つ慶喜の許《もと》に戻った。  慶喜は、微笑を口許に浮べながら、勝の報告を聞いていたが、 「まず、一つ片付いたな」  と、いった。 「問題は、これからだが」 「長州との休戦もあくまで一時的なものと見るべきでしょう」  勝は、自分の考えをかくさずに、いった。 「この次は、長州の方から、幕府に対して、宣戦を布告してくるかも知れませぬ」 「そう思うか?」 「思います。その時には、恐らく、薩摩も長州に味方するものと考えておく必要がありましょう。広島で、私が見聞しましたところでも、薩長の連合は、相当進んでいるようです」 「いつかな」 「は?」 「彼等が幕府に対して、戦いを仕掛けてくるのは、いつになると思う?」  慶喜は、笑いを消した。真剣な眼で、勝を見た。 「判りませぬ」  と、勝は、いった。 「長州は、今度の戦いでかなり疲労しておりましょうから、暫《しばら》くは、藩の力を貯《たくわ》える政策をとりましょう。しかし、薩摩が、主導権を取った場合は、シャニムニ、討幕の道を直進する心配があります」 「私もそれが怖い」  慶喜は、小さく頷《うなず》いた。 「今、薩長が連合して、戦いを挑んできたら、幕府は勝てまいなア」 「恐らく」 「軍艦奉行のそちがいうのだから、間違いあるまい——」  慶喜は、苦笑した。が、すぐ真顔になって、 「一年。いや半年欲しいな」  といった。 「半年あれば、幕軍を近代化することが出来る。私にはその自信がある」 「そのためには、薩摩、長州に、戦いの口実を与えぬことです。特に、薩摩には。彼等にしても、理由のない戦争は、起こせぬ筈です」  勝は、話しながら、ちらっと、西郷の顔を思い浮べた。 (あの男は、今頃、一体、何を考えているのだろうか?)  恐らく、薩摩藩をひきいて、天下を制覇することを考えているだろう、あの男が、いつ、その決断を下すか、それが問題だ。慶喜が望むように、一年先だろうか。そうなるかも知れぬし、ひょっとすれば、明日かも知れぬ。 「広島から戻ったばかりのところを、ご苦労だが、明日、江戸にたって貰いたい」  慶喜の言葉で、勝は、現実に引き戻された。 「江戸で、フランス公使のロッシュに会って欲しい」 「ロッシュなら、二、三度、会ったことが、ございます」 「ロッシュは今、病気中だ。小栗《おぐり》の別邸で養生している。そちは、外国の事情に詳しいから、話相手になれよう。外国奉行の栗本|安芸《あき》と一緒に、ロッシュを見舞ってやってくれ」 「はッ」 「その際、私も、会いたいと伝えてくれ」 「上様は、江戸へ、お帰りにならぬのですか?」 「私は、京都へ寄ってから、江戸に戻る」 「京都?」 「昨日、所司代の松平|定敬《さだあき》が知らせてくれたことがある。薩摩藩の大久保|利通《としみち》という男がひそかに上洛しているというのだ」 「朝廷に対する工作が目的でしょうな」 「私も、そう思う。反幕派の公家を動かして、朝廷内の空気を薩摩支持に、まとめ上げる積りに違いない。もし、それが成功すれば、天皇に働きかけて、倒幕の旗印を手にしようと企むかも知れぬ。私は、それを防がねばならぬ」  慶喜は、固い声で、いった。 「どんなことをしてでも、薩摩や長州に、戦いの口実を与えてはならぬからな」  ロッシュの進言  勝は、江戸に戻った。  本所の自宅に入ると、妻が「人が、お変りになったように見えます」と、笑った。 「この間までは、何もかも、ご不満みたいに見えましたのに、今日は、楽しそうなお顔を、していらっしゃいます」 「生き甲斐《がい》ができたからさ」  と勝も、笑って、いった。 「俺は正直な人間だから、すぐ、顔に出ちまうのさ」  勝にしてみれば、生き甲斐というより、「死に場所を得た」という言葉の方が適切だったが、流石に、妻に向っては、その言葉は、口にできなかった。  次の日、勝は、外国奉行の栗本安芸とロッシュを見舞った。  ロッシュは、床の上に起き上って、二人を迎えた。まだ、少し熱が残っているらしく、顔は赧《あか》かったが、元気であった。六尺近い大男で、鼻下に美髯《びぜん》をたくわえている。  勝が、慶喜の言葉を伝えると、ロッシュの顔に、喜びの色が拡がった。 「私も、是非、お会いしたいと考えていたところです」  とロッシュは、いった。 「あの方は、聡明《そうめい》で、決断力に富んでおられます。あの方が、新しい将軍の位につかれたことは、徳川家にとって、大きな幸いだと思っております」  勝は、その言葉に、単なるお世辞だけではないものを感じた。そのことが、勝を喜ばせた。自分が、非凡な人間と認めた慶喜を、外国人のロッシュが、同じように認めていることが、嬉しかったのだ。 「あの方なら——」  とロッシュは、続けた。 「十分に、薩摩や長州を押さえられましょう」 「私もそう思っています」  と勝も、いった。  ロッシュを訪ねての帰途、栗本安芸が、 「ご老中方の中には、上様のやり方に不満な方が多いらしい」  と、勝に教えてくれた。  勝もうすうす感付いていたことである。慶喜は、頑迷な老中たちを信用していない。だから、勝を始めとする、若手の奉行たちに、直接相談し、命令する方法をとっている。老中たちは、そのことが、不満なのだろう。 「あのご老人たちのことは、気にする必要はあるまい」  勝は、あっさりと、いった。 「文句をいうだけで、何もすることはできんのだから」  今の勝にとって、慶喜のことだけが、問題であった。  六日後に、慶喜が江戸に着いた。迎えに出た勝は、慶喜の機嫌の良さから、京都での問題が、幕府に有利に解決したのを知った。 「反幕府の公家たちは、処罰された」  と慶喜は、いった。 「これで、当分の間、朝廷は、薩長とは結ぶまい」 「上洛した薩摩の大久保という男は、どうなりました?」 「噂では、薩摩に帰ったということだ。ところでロッシュは?」 「上様を待ちかねております」 「そうか」  と、慶喜は、上機嫌で頷くと、その場から駕籠《かご》を、小栗|忠順《ただまさ》の別邸に向けさせた。  ロッシュは、床を上げ、正装して、慶喜を迎えた。  儀礼的な挨拶が終ると、慶喜は、短刀直入に、 「私は、費用の助力を必要としている」  と、ロッシュに向って、いった。 「私は、この度、将軍職につくことになったが、幕政を改革し将来に備えて、軍備を拡充するには、フランス政府の助力を必要としている」  勝は聞いていて、あまりな慶喜の素直さに、これではロッシュにつけ込まれはしまいかと恐れたが、ロッシュは、かえって感動したようであった。 「それほどまでに期待して頂けるのは、身に余る光栄であります」  と、ロッシュは、頬を紅潮させて、いった。 「この席には、フランス公使の私ではなく、ただ、日本のためを思い、上様のことを思う一人の外国人がいると、おぼしめされて、何事も、ご相談頂きたいと存じます」  勿論《もちろん》、この言葉には、多分に外交辞令が含まれているに違いない。しかし、勝は、その言葉から、ロッシュの慶喜に対する親愛の心も、読むことができた。  実際にも、ロッシュは、慶喜の聡明さと決断力に、敬服していたと考えられる節がある。  彼が、日記に、次のように慶喜の印象を、記しているからである。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 〈この人には、不思議に、人を魅するものがある。持って生れた高貴さ、聡明さの他に、何か劇的なものを私は感じる〉 [#ここで字下げ終わり]  その日、深更まで、慶喜とロッシュの会談は続いた。 「上様は、幕制の改革を口にされましたが、どこから、手をつけられるお積りですか?」  と、ロッシュがきいた、慶喜は、一寸考えてから、 「どこからというより、全体を近代化したいのだ。フランスの制度を模範にしたいとも思っている」  慶喜が、何か忠告して欲しいというと、ロッシュは、次のような改革の方向を示した。  第一に、天皇と公家たちを、完全に政治から切り離すこと。日本の政治は、幕府だけが行うべきであり、その形が完全なものになれば、将軍の地位は「日本皇帝」といったものになる。  皇帝の地位については、ナポレオン三世を模範にすべきである。  第二に、大名の権力を削り、中央集権国家にすべきである。大名には地方の政治だけを委せ、その家来は、将軍直属の兵士とし、余った武士は、農業、商業などの他の職につかせればよい。  第三に、官僚機構を整備して、将軍を補佐する内閣制をとるべきである。  ロッシュが説いたのは、絶対主義国家への道であり、「徳川王朝」の実現であった。 「そちはどう思う?」  と、慶喜は、勝に視線を向けた。 「アメリカを見てきた、そちの考えを聞きたいものだな」  勝が、アメリカで見たのは、絶対主義国家というより、共和制の国家であった。雄藩連合の考えも、そこから出たのだが、それを、西郷に向って熱心に説いた時とは、気持が変っていた。今は、西郷たちから幕府を守らねばならない。そのためなら、どんな幕府強化の方法も、取り入れたいと思う。 「改革の方向としては、悪くありませぬ」  と、勝は、いった。  ロッシュは、満足そうに頷いてから、慶喜に視線を戻して、 「問題は、実行できるか否かということです」  と、いった。 「当然、古い制度をなつかしむ方々から、反対の声が起こりましょう」 「内部の反対など、問題ではない」  慶喜は、強い声でいった。 「幕府を強化するためなら、どんなことでもする意志を、私は持っている。だが、改革するだけの時間的余裕があるかどうかが問題だ。幕府の力が強まるのを、喜ばぬ人間も多いからな」 「薩摩や長州の動きが問題だと、おっしゃるのですな」 「そうだ。それに、薩長の背後には、イギリスがついている。商人を介して、武器も与えている。今、戦えば、装備の劣る我々は、苦戦をまぬがれぬ。だから、時が欲しい」 「成程」  と、ロッシュは頷いた。 「正直に申し上げれば、海軍にしても、汽船の寄せ集めで、近代的な軍隊とは、申しかねますな」  ロッシュの正直な意見に、軍艦奉行の勝は、黙って、苦笑するより仕方がなかった。 「陸軍にしても」  とロッシュは、言葉を続けた。 「近代的な装備も訓練もなく、あれでは、雄藩は、押さえられますまい」 「わかっている」 「海軍は、軍艦を持つことです。陸軍は、単なるサムライの集団ではなく、歩兵、騎兵砲兵に分科された近代的な軍隊でなければなりませぬ。十隻の軍艦と、近代装備の三万の陸軍があれば、薩摩や長州など、簡単に打倒することが出来ましょう」 「問題はその資金ということでしょう」  勝は、無遠慮にいって、慶喜の顔を見た。  慶喜は、勝を、ちらっと見やってから、 「フランスは——」と、ロッシュにいった。 「我々に対して、財政的な援助の手を、差しのべてくれる積りなのか?」 「勿論、その積りです」  ロッシュは、胸を張って、いった。 「その用意があるからこそ、いろいろと申し上げたのです。フランスは、六百万ドルの借款を提供する用意があります」 「その代償に、フランスが要求するものは?」 「我々が欲しいのは、日本における貿易の優先権です。特に生糸の」 「優先権?」  慶喜は小さく笑った。 「独占権の間違いではないのかね?」 「それは適当に解釈して下さって、結構です」  とロッシュも、笑ってみせた。  各大使接見の案 「問題は、まだ残っておりましょう」  と、勝は、口を挟んだ。  ロッシュと、慶喜の眼が、勝に向けられた。 「六百万ドルの資金があれば、幕府の近代化は可能でしょう」  と、勝は、いった。 「しかし、我々が、フランスの援助を受けて、軍備を強化しようとすれば、薩摩や長州も、我々に対抗して、イギリスの援助の下に、同じように、軍備を強化するに違いありません。既にその方向に動いております」 「イギリスと、薩長の間を断ち切る方法があるだろうか?」  慶喜は、ロッシュにきいた。ロッシュは、首を横にふった。 「ありますまい。フランスに対抗する上からも、イギリスは、薩摩や長州への援助を止めるとは考えられません。しかし、援助をしにくくすることは、可能かも知れません」 「その方法は?」  慶喜は、膝を乗り出した。薩摩や長州の力は、侮りがたい。しかし、その力は、イギリスの援助に負うところが多いのだ。 「まず、新将軍の名で各国代表に招待状を、お出しになることです」  とロッシュは、いった。 「江戸或いは、大坂で、各国代表を接見され、改めて、日本の統治者は、将軍であることを示されることです」 「私も、そうする積りでいる。しかし、イギリス公使のパークスは、招待に応じないかも知れぬ」 「その点は、私が上手《うま》く説得して、上様の招待に応じさせます」  ロッシュは、自信のあるいい方をした。 「上様を、日本国の統治者と認めれば、以後は、大っぴらな、薩長への援助は出来なくなります」 「そちは、どう思う?」  慶喜が勝を見た。勝は、一寸考えてから、 「上様は芝居が好きですか?」  と、いった。 「芝居?」 「各国大使の接見には、大芝居が必要かも知れませぬ」  勝は、幾らか皮肉な目付きになって、ロッシュを見やった。 「ロッシュ殿は、イギリス公使を前において、一芝居打つ心算《つもり》のご様子だが、上様にも、そのお積りがないと、上手くいかぬことになりましょう」  勝の言葉に、ロッシュは、笑って肩をすくめた。慶喜も、勝のいわんとすることが、判ったらしく、苦笑して見せた。 「私にも、少しぐらいの芝居ッ気はある」  〈狐《パークス》、謁見ヲ承諾ス〉  新将軍徳川慶喜の名で、フランス、イギリス、アメリカ、オランダの四か国の代表に対して、正式な招待状が送られた。  特に、招待状には、ロッシュの意見で、次の字句が挿入された。 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 〈余は、十五代将軍として、祖法にのっとり日本国の主権者であることを宣言する。今後、諸外国との間に結ばれる全ての条約は、十五代将軍の名において締結され、履行される〉 [#ここで字下げ終わり]  この字句は、将軍の権威を無視し、薩摩・長州を後援するイギリスを、牽制《けんせい》するために挿入されたものだった。 「イギリス公使パークスは、果して、招請に応じるだろうか?」  と、慶喜は、勝や、外国奉行の栗本安芸に問いかけた。栗本は、「さあ」と首をひねったが、勝は、笑って、 「万事、ロッシュにお委せあれば、よいと存じます」  と、いった。 「彼は、老獪《ろうかい》な男ですから、嫌がる狐でも、引っぱり出して参りましょう」 「パークスは狐か?」 「少くとも、豚ではありませんな」  勝は、慶喜を見て、いった。 「自分では戦わず、薩摩や長州をけしかけて、我々と戦わせようと考えている、ずるがしこい狐です。ロッシュは、国で、狩が得意だったそうですから、狐を、いぶり出すのも上手いと思います」 「そうだといいが——」  慶喜は、慎重に、いった。  フランス、アメリカ、オランダの各代表からは、招待に応じる旨の返事が届いた。が、イギリス公使パークスからは、何の返事もない。  それのみか、パークスが、「慶喜は、日本の君主ではない。日本の君主は、京都にいるミカドである。だから、接見に応じる必要はない」と、各国の代表に、触れ廻っているという噂も伝わってきた。 (狐が——)  と勝は、苦笑し、腹を立てた。  大坂城での謁見は、三月十五日と決った。が、その五日前になっても、イギリス公使からの返事は届かなかった。  三月十四日。あと一日という日になって、ロッシュから、慶喜に手紙が届いた。それには、たった一行の文字が読めた。 〈狐、謁見ヲ承諾ス〉  陛下《マジエステイ》に栄光を  その日は、朝から、肌寒く、謁見が始まる頃には、小雨さえ降り出した。が、謁見の場に当てられた大坂城の大広間には、緊張がみなぎっていた。  盛装した慶喜は、栗本安芸、塚原|但馬《たじま》の二人の外国奉行を左右に従えて、会見にのぞんだ。  勝は、後列に席をしめて、若い主君の様子を見守っていた。  主君と家臣の順とは逆に、四十五歳の勝は、三十一歳の慶喜を、親鳥がひなを見るような眼で見守っていた。  慶喜は、堂々としていた。その姿に、勝は、ほっとするものを覚えた。 (これなら上手くいくだろう)  各国の代表は、ロッシュを上席にして、フランス、イギリス、アメリカ、オランダの順でならんでいる。  ロッシュが、パークスより上席にいることも、勝を安心させた。これなら、ロッシュが各国代表の主導権をとれるだろう。  案の定、儀礼的な挨拶が終ると、ロッシュが立って、 「四国外交団を代表して、陛下《マジエステイ》に、ご挨拶申し上げます」  と、大きな声でいった。「代表して——」という言葉に、パークスは顔色を変えて、何かいおうとしたが、アメリカ、オランダの代表が黙っているのを見て、渋々、口をつぐんでしまった。  ロッシュは言葉を続けた。 「我々は、陛下が、日本国における主権者と考えておりますが、中には、異論を唱える者もおるとか聞きます。この際、陛下ご自身が、主権者であることを、我々外交団に宣言して頂きたいと思います」 「むろん、将軍である私が、日本を統治する責任を負っています」  慶喜は、四人の代表に向って、いった。 「祖宗以来、将軍が、日本国の支配者であって、この事実は、いささかも変っておりません。従って、諸外国との外交折衝に当り得るのは、幕府をおいて、他にはありません」 「それを伺って、安心致しました」  ロッシュは、慶喜に調子を合わせるように、いった。 「我々外交団も、陛下以外に、外交折衝を持たぬことを、ここに誓うものであります」  完全な八百長問答である。  勝は、パークスに眼をやった。頭の禿《は》げたイギリス公使は、憤然とした表情になっていた。が、何もいわなかった。敗北を認めたからであろう。この勝負は、ロッシュが上席に着いた時に、決っていたのである。  謁見は、成功の中に終った。  フランス、アメリカ、オランダの代表は、退出に際して、慶喜の手を握って、 「陛下《マジエステイ》に栄光を」  と、いった。イギリス公使パークスだけは、陛下といわずに殿下《ハイネス》といった。  勝は、思わず、苦笑した。それが、ロッシュに先手をうたれたパークスの、せめてもの反撥《はんぱつ》と、映ったからである。  六百万ドルの借款  謁見は成功だった。  ロッシュも、「素晴らしい成功でした」といった。彼の顔には、喜色が、溢《あふ》れていた。 「アメリカ、オランダの代表も、上様を、素晴らしい君主と、賞賛しておりました」 「だが、パークスには嫌われたらしい」  と、慶喜は、笑った。 「それに」  と、慶喜は、笑いを消して、いった。 「パークスは、薩摩、長州の後押しは、止めまい」 「むろん、止めますまい」  ロッシュも頷いた。 「パークスは狐ですからな。しかし、今後は公然とした援助は出来なくなる筈です。それに、上様には、わがフランス政府がついております。本国からの承認があり次第、例の六百万ドルの借款は、供与されます。さすれば、薩摩、長州を恐れることは、微塵《みじん》もありますまい」 「本国からの承認は、いつ頃、得られる見込みなのか?」  と、慶喜が、たずねると、ロッシュは、 「半月以内には、必ず」  と自信を持って、答えた。 「すでに、昨日、武器輸出商のクーレーが、横浜に到着いたしました。また、数日中にはフランスから、軍事使節団も到着する予定になっております。上様は、このロッシュを、お信じになって、吉報をお待ちくださいますように」  ロッシュが、胸を叩いて帰った後、勝は、慶喜の顔に、小さな翳《かげ》りがあるのを見た。 「何が、ご心配なのです?」  勝がきくと、慶喜は、やや、狼狽した眼になった。 「何も、心配は、しておらぬ」 「それなら、よろしゅうございますが——」  勝は、言葉を濁したが、慶喜の顔に浮んでいた暗いものは、見誤りではなかった、と思った。  勝には、慶喜の不安が、何処にあるのか、見当がついた。  借款のことに違いない。  幕府の全てが、六百万ドルの借款にかかっている。ロッシュは、胸を叩いたが、協定が成立するまでは、失敗の可能性も残っているのだ。 (借款に失敗したら?)  その不安が、慶喜の心を捕えているに違いなかった。  借款に失敗したら——幕府は力によって亡ぼされるだろう。  慶喜の不安は、そのまま、勝の不安でもあった。  不吉なニュース  京都所司代松平定敬が、ふいに、大坂城の慶喜を訪ねて、孝明天皇の崩御を伝えた。  慶喜は、突然の知らせに、「本当なのか?」と、何度も、念を押した。  すぐ、勝が呼ばれた。  勝も、松平定敬から、孝明天皇崩御を聞いて、愕然《がくぜん》となった。彼にもこの事件が持つ意味の大きさが、わかっていたからである。 「困ったことになりましたな」  と、勝は、慶喜に、いった。  孝明天皇は、薩摩や長州より、徳川家に対して親しい感情を持たれていた。だからこそ、慶喜が、反幕派の公家を処罰しようとした時、それを支持されたのである。 「京都では、反幕派の人間が、毒殺したのではないかという噂も、流れております」  と、松平定敬が、いう。慶喜は、暗い顔で、「あり得ることだ」と、いった。 「後継ぎの天子は、まだ年少と聞いているが?」 「十六歳に、おなりになったばかりです」 「さすれば、反幕派の公家たちが、少年の天皇を擁して、朝廷の意志を左右することも考えられるな」 「私も、それを恐れております」  と、松平定敬も、顔を曇らせた。慶喜は、勝を見た。 「そちなら、どうする?」 「私なら——」  と、勝は、考えながら、いった。 「会津、桑名の両藩に依頼して、京都の守備を強化させます。威圧によって、朝廷の空気を押さえる以外に、方法はないと思います」 「私にも、他には、考えつかぬ」  と、慶喜も頷いた。  だが、不吉なニュースは、それだけではなかった。フランス本国で、外務大臣が更迭されたというニュースも、伝わってきた。このニュースは、孝明天皇の崩御以上に、慶喜を不安に落し、勝を動揺させた。外務大臣が代れば、外交方針も変ろう。六百万ドルの借款が、中止されることも考えられるのだ。  ロッシュは、「外相が代っても、六百万ドルの借款には影響はありませぬ」といったが、勝には、簡単に、その言葉が、信用できなかった。その言葉とは、裏腹に、ロッシュの顔に、焦燥の色が、見えたからである。 「昨日、横浜で発行されているジャパンタイムスを、読みました」  と、勝は、いった。 「それには、フランスの新しい外務大臣と、貴方の間に、日本に対する方針で、意見の喰い違いがあるとありましたが、本当ですか? 正直に、話していただきたい」  勝の言葉で、ロッシュの顔が、青ざめた。 「意見の喰い違いがあるのは、本当です」  と、ロッシュは、低い声で、いった。 「しかし、借款のことは、私が、責任を持って——」 「正直に、いって頂きたい」  勝は、同じ言葉を繰り返した。 「いつまで待てば、借款は、実現するのですか?」 「私は、これから、本国に、強硬な意見書を提出する積りです」 「それで?」 「それで——」  ロッシュは、一瞬、言葉を見失ったような顔になった。勝はロッシュが、自信を失っているのを感じた。  勝はありのままを、慶喜に報告した。 「ロッシュの約束は、もう信用できぬな」 「しかし、六百万ドルは、幕府の死活に関係します」 「だが、ロッシュが信用できぬ今、どうすればいいのだ?」 「栗本殿を、フランスに派遣して、借款を要請する以外にありますまい」 「栗本安芸をか」  慶喜の顔に、ほんの少し、明るいものが射した。 「彼なら、やってくれるかも知れぬな」 「栗本殿は、誠実の士であると同時に、パリ博覧会にも参加されて、フランスには、知己も多いと聞いています。この役目には、最適の方と思われます」  と、勝は、いった。  直ちに、外国奉行の栗本安芸が、親書をたずさえて、フランスに派遣された。親書には、六百万ドルの担保として、北海道の開発権を、フランスに提供する旨が、記されてあった。  栗本安芸は、出発に際して、「身命を投げうって、借款をとりつけて参ります」と、慶喜にいった。その言葉に嘘はない、と勝は思う。 (だが、間に合うだろうか?)  勝の不安も、慶喜の不安も、そこにあった。  勝の眼に、西郷の顔が、ちらついた。  時代の波  間に合わぬかも知れぬ。と、勝は、思った。  借款が暗礁に乗りあげたことは、西郷や大久保の耳にも達している筈であった。幕府を叩く絶好の時と考えるかも知れぬ。  外国の援助を失った幕府。倒幕に反対していた孝明天皇の崩御。条件は、揃いすぎている。  勝の不安は適中した。  慶応三年、十一月二十三日。  薩摩の藩兵一万が、突然、六隻の汽船に分乗して、大坂に着き、翌二十四日京都に入った。  出兵の名目は、京都の形勢が不穏なので、宮門の守備に当るというものだった。宮門の守備には、すでに、幕府側から、会津、桑名の藩士が当っているのだから、理由の立たぬ名目であった。  二十六日には、長州藩兵三千が上洛して、薩摩の軍隊に合流した。  二十九日になると、薩摩藩の兵士は、旭御門前で、勝手に演習を始めた。大砲まで加わった演習である。銃声や喚声が京都の市民を驚かせた。完全な挑発である。  翌三十日には、長州藩も加わって、演習の規模は、更に大きくなった。  慶喜は、会津、桑名の藩士に、相手方の挑発に乗るなと命じた。  この命令は守られたが、切歯|扼腕《やくわん》した会津藩士の中には、切腹する者まで出た。  この挑発が失敗と判ると、今度は、江戸屋敷の薩摩藩士が、乱暴を始めた。怪火騒ぎが起き、火つけ人は、薩摩藩士だという噂が、江戸市中に流れた。 「すぐ江戸に行って貰いたい」  と慶喜は、沈痛な顔で、勝にいった。 「市中の取締りに当っている庄内《しようない》藩の士に、相手の挑発に乗るなと、伝えて欲しいのだ」 「わかりました」  勝は、すぐ、江戸に向って出発した。が、名古屋まで来た時庄内藩士が、江戸の薩摩藩邸を焼討したという知らせを聞いた。 (馬鹿なことを)  と、勝は、小さく溜息《ためいき》をついた。西郷の喜ぶ顔が見えるようだった。  勝は、止むなく、大坂に引き返した。  大坂は、すでに、戦争の渦の中にあった。  一度火がつくと、慶喜や勝の一人の力では、どうしようもなくなってしまうのだ。  切歯扼腕していた会津や桑名の藩士は、江戸の事件を耳にすると、 「今こそ、薩賊を討つべし」  と唱えて、慶喜の命令を待たずに、進撃を開始してしまった。  慶喜も、仕方なく、薩摩藩の罪状を書状に記して、天下に発表した。 〈——松平|修理大夫《しゆりだいぶ》(島津藩主)及び、奸臣《かんしん》どもの陰謀は、天下の知るところなり。ことに、江戸、長崎、京都など、諸処において、乱暴強盗に及びしこと大罪なり〉  と、罪状書には記してある。  だが、結局は、力が正義を決することは、慶喜にもわかっていた。 (勝つ見込みは、万に一もない)  と、慶喜は、知っていた。幕兵の装備は、少しも近代化されていないのだ。  一月三日。  両軍は、鳥羽《とば》、伏見《ふしみ》に戦い、幕府側は大敗した。  慶喜は、大坂城で、敗報を聞いた。流石に、顔は青ざめていたが、狼狽はなかった。 (終った)  と思い、一月六日の夜、大坂城を出て、軍艦|開陽丸《かいようまる》に乗船、江戸に向った。  軍艦奉行の勝海舟が、同行した。 「やはり、間に合わなかったな」  慶喜は、妙に落ちついた声で、勝にいった。 「力は尽くした積りだが、天が、時を貸してくれなかった」 「事を計るは人にあり、事をなすは、天にありと申す言葉があります」 「私を、慰めてくれるのか」  慶喜は、微笑した。  その顔を見ているうちに、勝は、胸に、激しい痛みを感じた。 「まだ、敗けたと決っては、おりませぬ」  と、勝は、怒鳴るように、いった。  自分でも、意識していなかった言葉であった。  無性に、慶喜を、このまま敗北の将に終らせたくなくなってきたのである。 「上様に、あくまで戦うご意志がおありなら、軍艦で桜島を襲い、一方では、清水港に船を集めて、東下してくる敵軍を迎撃します。勝てるかも知れませぬ」  喋りながら、勝は、自分が嘘をついていることに気付いていた。  勝てないことは、わかっている。  だが、慶喜が、やるといえば、この将軍のために、喜んで死ねると思った。  慶喜は、黙って、笑っただけである。  勝も、黙ってしまった。 「夢は終ったな」  間を置いて、慶喜が、ぽつりといった。 「徳川王朝の夢が——」 初 出 天下を狙う  『剣豪列伝集』昭和四〇年一二月 真説宇都宮釣天井  『剣豪列伝集』昭和四一年一〇月 権謀術策  『剣豪列伝集』昭和四一年八月 維新の若者たち  『剣豪列伝集』昭和四二年一月 徳川王朝の夢  『読切文庫』昭和四一年一一月 角川文庫『天下を狙う』平成15年1月25日初版発行