[#表紙(表紙.jpg)] 篠田節子 レクイエム 目 次    彼岸の風景  ㈵ 時の迷路    ニライカナイ    コヨーテは月に落ちる  ㈼ 都市に棲む闇    帰還兵の休日    コンクリートの巣  ㈽ そして、光へ──    レクイエム     文庫版のあとがき [#改ページ]   彼岸の風景  列車は沼田から後閑《ごかん》にかけての急坂をゆっくりと登っていく。  関東平野の単調な景観は、渋川を過ぎたあたりから一変する。深い谷あいを利根川の深緑色の流れが蛇行し、澄み切った冬空に、遠く三国連峰の雪を頂いた尾根が屹立している。  曲がりくねったルートのせいか、それともレールが老朽化しているからか、車体は右に左に振り子のように揺れる。向かいの座席の夫は窓ガラスに体をもたせかけ、食い入るように車窓の景色に見入っていた。午後の光をまともに浴びて、少し顔をしかめたその頬は黄色くかさつき、血の気はなかった。 「何を見てる?」  夫は、ちょっと顔を上げて言った。淀み水の腐臭が鼻を打った。薄い紫を帯びた乾いた唇が、確かに病巣に直結している事を私は、夫が息を吐き出す度に実感した。だが、臭い息こそは、夫がまだ生きているということの証明でもあった。  三十八年の人生の中で、私は人の死を間近に見たことはない。祖母が亡くなったときも、長く廊下で待たされた後にようやく呼ばれ、湿った薬臭いベッドの上で静かに目を閉じている姿を拝んだだけだった。喘息を患っていた友人が死んだ時は、振り袖姿で微笑むひどく陽気な写真と対面したきり遺体さえ見なかった。  だから生きている者に、これほどはっきり死の影が刻まれていくことを私は知らなかった。日、一日と濃くなってくる死相は、病院の一室で、医師から夫の病名と進行状態を告げられたときにははっきり理解できなかった永遠の別れを否応無く実感させるものだった。  日本でも有数の豪雪地帯で知られる小千谷《おぢや》の外れの町に、私たちは今、向かっている。そこに夫、恭浩の実家がある。結婚の許しを請いに行って以来八年、二度と足を向けることはあるまい、と思っていたその家に再び行くことを決意したのは、一つには彼の両親にせめて最後の別れをさせてやらなければ、という義務感にかられたからだが、それ以上に、まもなく来る愛する者の死をたった一人で受けとめる勇気がなかったからでもある。  安らかで、ひっそりとした死などありえない。大出血、嘔吐、呼吸困難、この数カ月、死は何度か夫のすぐそばまでやってきた。激しく苦悶する夫のそばで、私は病人の手を握ることさえできず、生身の体が壊れていく凄惨な姿を目のあたりにして震えていた。そして私自身の神経が耐えきれなくなって、とうとう彼の肉親に助けを求めたのだった。  上越線の臨時特急は、ゆっくりと上牧駅のホームに滑り込んでいく。燦爛《さんらん》と弾ける午後の光の中に、雪を被った家々の屋根が見える。  素早く網棚から荷物を下ろし、私は恭浩を立たせる。鎮痛剤が効いているらしく、特に痛みを訴えることもなく、彼は一人で歩いて改札口に向かう。  駅前は、溶けかけた雪で水びたしになっていた。  今日は、ここの温泉宿で一泊するつもりだ。スキーシーズンのことで水上の旅館はどこも満室だったが、一駅ずらした上牧ではすぐに取れた。  新幹線を使えば、長岡で乗り換えて東京から二時間ほどのところを、わざわざ在来線を使い、途中で一泊して行こうと提案したのは私だ。  これが子供のいない夫婦が二人きりで過ごす最後のときになりそうな気がした。相手の苦痛を一人で支えることもできないくせに、愛情だけは独り占めにしたいと思う私の虫のよさをわかっていただろうに、恭浩は「いいよ」と笑って応じてくれた。  決して甘くもなければ、主体性がないわけでもない。彼は日常生活の些末なことがらは、たいてい、この「いいよ」ですませた。障害児施設の指導員という仕事がそうさせるのか、それとも持って生まれた性格によるものなのか、彼の寛容さと鷹揚さを私は愛し、甘えていた。  中学校の教員である私が、荒れたクラスをもてあまし、思い通りにならぬ子供達との関わりに悩み疲れて戻ってくるとき、恭浩は、きまって砂糖と牛乳のたっぷり入ったインスタントコーヒーをいれる。私は彼のそばにぺたりと座り、そのコーヒーをすする。甘くミルクの勝ったその味に心を和ませながら、とりとめのない話をする。ときにはいつ尽きるとも知れない愚痴をこぼし、話し疲れると、空になったマグカップを横に押しやり、いつの間にか畳の上に横になって眠っている。小一時間ほどして彼の脇腹に頭をつっこんだ格好で目覚めると、気分はすっきりしていた。  コーヒーでなぜ眠ってしまうのかわからない。しかし癒す力というのがもともと彼には備わっていたのかもしれない。そうやって他人を癒しながら、彼は代わりに病気を自分で背負っていったのではなかろうか。  その彼にも、一つだけ鷹揚になれない部分があった。父との関係だ。 「小千谷の家には、戻りたくない」というのが、恭浩の口癖だった。その次に続くのが、「親父が生きている限り、あの家には行かない」という言葉だ。  八年前に彼の実家を訪ねたとき、恭浩とその父親との間で交わされる言葉の折り目正しさと穏やかさに、地方の旧家というのはこういうものかと感心した覚えがある。肩まである髪を後ろ一つに束ねた野武士のような風貌の息子と、無表情なほど謹厳な顔をした父親が煤《すす》けた高い天井の下で、相対している様にはどこか違和感があったが、そのやりとりの底に流れるひんやりとした空気に気づいたのは、しばらくしてからだ。  女の子ばかり三人という家庭で、少し知能の発達の遅れた末の妹も含め、父にはただただ甘やかされ宝物のように扱われて育ってきた私には、息子と父親の緊張した関係がわからない。仮面を被ったかのような親子の表情を見比べながら、とまどうばかりだった。  義父は私には丁寧だった。親切でさえあった。屋敷や庭の隅々まで案内してくれて、この地の風物や歴史などについて教えてくれた。しかしそれは息子の妻になる人に対するものではなく、はるばる東京から訪れた客人へのもてなしであったようだ。  あの夜、小千谷の家の天井の高い座敷に、親類縁者が集まっていた。半ば博物館化した豪農屋敷でしか見たことのないだだっ広い座敷がこの家にはあって、まだ生きて使われていた。  彼らの顔を見たとたん、恭浩はそれまでの丁寧な口調をがらりとかえて、「約束が違う」と父親に食ってかかった。私は、それが未来の花嫁を披露するための集まりだと信じていたから、恭浩の激高ぶりがわからず、彼をいさめた覚えがある。  義父は青磁を思わせるつるりとした顔の表情を少しも変えず、集まった人々に挨拶をした。そのときになって、それが私を紹介する場ではなく、私がこの家の嫁としてふさわしいかどうかの資格審査をする親族会議だと気づいた。  いつの間に調べられたものか、私の父の地位、年収、母の出身、親族の疾病などがあからさまにされていた。弁当屋で働いている末の妹が養護学校出身であることが話題に上ったそのとき、私は憤然とその場を立ち部屋を出た。それも片手で夫の腕を掴んだまま。  廊下を抜け、何か言いたげに私達を小走りに追ってきた彼の母親にあいさつもせず薄暗い玄関から雪の積もった庭に飛び出し、そのまま肩を並べて、吹雪の道を駅まで物も言わずに歩いた。  あのとき私は、小千谷の家から恭浩を奪い取ってきた。もともと芯の部分でうまくいっていなかった父子の関係に決定的なくさびを打ち込んだのだ。  今回、私が小千谷の実家に帰ろうと言ったとき、「いいよ」と意外なくらいあっさり答えた恭浩の胸のうちにあったものは何だったのだろう。  私は駅前に残っている汚らしい色をした雪の固まりを避けながらタクシーを探す。しかし一台も見あたらない。電話をかけて呼ぼうかと、駅の構内に戻りかけたとき、彼は私の腕を軽く引いて止めた。 「歩いていこう」  そして頬の肉がすっかり落ちて、細い鼻梁ばかりが目立つようになった顔で太陽を見上げた。 「無理よ。十五分くらいかかるわ」 「だいじょうぶ」  首を振る私のデイパックをひょいと取り上げ、恭浩はおぼつかない足取りで先にたって歩き始める。 「だいじょうぶじゃないから……」  言いかけてやめ、恭浩の口調をまねて「いいよ」と言った。途中でくたびれたら、旅館に電話をして迎えにきてもらえばすむことだ。  泥色の雪を跳ねとばしてトラックが通り過ぎていく道を、私達はゆっくり歩いていく。商店街の外れまで来て、彼は足を止めて言った。 「何か食べていこう」  私は驚いて、その顔をみつめた。ここ数週間、物を食べたいなどという言葉を夫から聞いたことはない。夫にとって、食事は命を引き延ばすための憂鬱で苦痛に満ちた仕事になっていた。あっさりした食べやすいものを集めてきて、口をこじ開けるようにして食べさせるのが、私の役目だった。  彼は少し戻ると道路沿いの食堂の薄汚れた暖簾《のれん》をひょい、と片手でかきわけて中に入り、私を呼ぶ。  ラーメン、うどん、オムライスからカツ丼まで、何でもある典型的な駅前食堂だ。  壁に貼られた黄ばんだ品書きを見て、恭浩はかしわうどんを注文し、私も同じものにした。運ばれてきたうどんは具もうどんもたっぷりあって、丼からあふれそうだった。 「おそばの方が食べやすかったかしら?」  見ただけで食欲が失せてしまうのではないかと心配して、私が尋ねると、夫は「いや」と首を振った。 「そばは苦手なんだ。子供のころから」 「まあ……」  八年間も一緒に暮らしていて、そんなことも知らなかった。病気になる前は、出されたものは何でも食べる人だった。  目の前で真っ白なうどんが、つるつると彼の口に収まっていく。一口食べては顔をしかめる最近の仕草からすると奇跡を見ているようだ。  私は彼が物を食べる姿を見ているのが好きだった。その食べっぷりに惚れて、私は彼の独り住まいのアパートに押し掛けて、居着いてしまったのだから。  あれは地域の障害児との交流ハイキングのときだった。長い髪を肩に垂らし、古びた手ぬぐいをかぶった彼はまだ春も浅いというのに半袖のTシャツ姿だった。  いっときも目を離せない子供達に細かく目配りをし、一人一人にまんべんなく話しかけながら、そうしたことにわずらわされている様子は微塵もなく、昼食のおにぎりを頬張っていた。その姿はたくましく健全で、偏差値だけを睨んで生きてきた私にとってはこの上なく新鮮に映った。  ハイキングが終わり、子供達を無事に帰した後、大人達だけでちょっとした打ち上げ会を行ない、その流れで彼についていった私は、結局、彼と一緒に朝を迎えていた。  温かいうどんのせいか、夫の額には汗が滲み、頬には赤みがさしている。 「そのくらいにしてよ。いきなり食べると具合が悪くなるから」  止めなければ、丼一杯平らげそうだ。  恭浩は少しうらめしそうにうなずき、箸を置いた。  支払いをすませ店を出ると、正面に橋があった。渡ったところが目指す旅館だ。そちらに行きかけた私のデイパックに手をかけ、夫は線路を挟んだ反対側を指した。  山があった。どこの何という山かわからない、さほど標高もなさそうな山が、傾きかけた午後の陽に、青く沈んでいる。 「ほら、あそこ」  翳った斜面の一部分に、どういう加減か陽が当たって、ぽっかりと金色に抜けているのがいかにも暖かそうだ。 「行ってみよう」 「まさか」  私は笑って旅館の方に行きかける。早く部屋に入って恭浩を横にさせようと焦っていた。 「行こう」 「無理よ」  ごく近くに見えるが、こことの標高差は、少なくとも三百メートル以上はある。  恭浩はかまわず私の手を引いて、道路を横断してそちらの方に向かう。私はしかたなくついていく。  舗装道路から一本入った裏道は除雪されていなかった。午後の陽に溶け、重たくなった雪に踵《かかと》が食い込み歩きにくい。緩やかな上り坂で、夫は何度も立ち止まっては、呼吸を整えた。旅館に戻ろう、とは、私はもう言わなかった。気が済むまで歩けばいいのだ。  這うようにして歩いていくと、まもなく視界が開けた。ガードレールに手をかけて身を乗り出すと、利根川の流れに沿ったこぢんまりとした上牧の町が箱庭のように見える。  恭浩は肩で息をしていた。短く切った髪が、汗で額に張りついている。 「戻る?」  彼は首を横に振った。 「こっちだよ」と私の手首を引っ張って、大きくカーブした道をさらに先へと向かう。 「どこへ行くの?」と尋ねたものの、夫にしてもここに来たのは初めてで、この道がどこに通じるのか知っているはずはない。しかし目指しているところがあるかのように、一歩一歩、ガードレールにつかまりながら確信をこめた足取りで登っていく。  そうするうちに行き倒れるなら行き倒れたでいいという気になってきた。このままこのひなびた温泉町で二人揃って息絶えることができたらどれほど幸せだろう。 「ちょっと待って」  恭浩のコートを脱がせて自分で持ち、その額の汗を拭いた。長い髪は一度目の入院をした一昨年の冬に、短く刈り込み、その短い髪も今は薬の副作用ですっかり薄くなっている。  道は北に回り込んでいた。雪は深くなったが、ほどよく踏み固められていて足裏に心地よい。家並みは切れ、深々と雪を抱いた木々が、両脇にひっそりと立っているばかりだ。  陽の翳った森は、淡い水色から深い藍に至るさまざまな色調の雪に覆われ、静まり返っていた。どこからかかすかに水音が聞こえて来るところからすると、近くに沢でもあるらしい。温泉町のすぐ裏手に、こんな深山の趣のある場所のあることに驚きながら、私は歩いていた。  そのとき気づいた。  恭浩が雪を踏みしめ、真っ直ぐに歩いている。息を弾ませることも、よろけることもなく、驚くほどしっかりと歩みを進めていた。さっきのうどんのせいなのか、と私は首をひねる。消化器系のガンの末期である夫が、あれだけの分量のうどんを消化できるはずのないことはわかっていた。しかし気分の悪そうな様子はない。 「ねえ」  私は恭浩の腕を取った。 「どうした、疲れた?」  尋ねた彼の息からは、あの腐水のような濃厚な死のにおいが消えていた。痩せた顔は上気し、不吉な黄味は薄れていた。私は瞬《まばた》きした。  奇跡が起こった。  やはりあの診断、もってあと二カ月という診断は誤りだったのかもしれない。家に戻りたいという恭浩の希望を聞いて、命を縮めることを覚悟で退院させたのは、間違っていなかった。症状は、今、好転を見せているではないか。それが今まで何度か経験した、一時的な「見かけの回復」であろうことはわかっていたが、その都度、希望をつなぐのが常だった。  森は深くなり、空気は木々の芳しい香を運んでくる。雪を被った樫の木の根元に、真新しい石仏が一体、赤い前垂れも鮮やかに立っていた。  どれだけ登っただろうか。ふいにぽっかりと開けた場所に出た。峠だ。右手に雪を被ったほこらがある。そして目の前に、午後の光をいっぱいに浴びた集落が現われた。  かやぶきの民家が点在している。軒先に干柿が暖簾のように下がっている。ぬれ縁の新聞紙の上にはあずきが干してあり、脇では老女が豆の仕分けの手を休めて、爪を切っている。  道は緩やかに起伏しながら村の中に入っていく。その中央にマッチ箱を立てたような形のトタン屋根の建物があった。消防車の車庫だ。数人の若者がしゃがみこんで、何やら熱心に相談をしていた。真新しいスーツを着て、それぞれに派手な色のウールのマフラーを首に巻きつけているところを見ると、これから水上の町にでも下りるのだろうか。ゴム長をはいた子供達が横合いの道から飛び出して来て、私達を追越し散っていく。ちらりと見えた頬は赤くひび割れ、鼻の下には薄黒く洟が乾いてこびりついていた。  両脇の雪を被った畑が、西日に金色に燃え立つ。あたり一面、無数の光の粒子が弾け、躍っていた。その光に酔ったように頭がぼんやりして、私は足を止めて瞬きしていた。 「まぶしいか?」と恭浩は、私の顔を覗き込んだ。 「こんな雪景色なんて、久しぶり。ずいぶん前にスキーに行って見て以来だもの。あなたは子供の頃から見慣れているでしょうけど」  恭浩の表情は、少し翳った。 「小千谷の雪はこんなじゃないよ。ひと冬、どんよりした空しかなくって、一面の黒と灰色だ。明るい雪は、おふくろの故郷で見たきりだ」  幼い頃あずけられた鹿島槍の麓にある母の実家の話を、私はよく聞かされた。夏休みが近づくと大糸線に乗る日を心待ちにしていたこと、従兄達と魚を捕りに行った中綱湖のことなど、小千谷の話はほとんどしないのに、そこの町のことになると恭浩は上機嫌で話した。  雪を被った畑の間に小川が流れている。彼はそちらに近づくと靴と靴下を脱ぎ、ズボンの裾をまくり上げた。 「何するの?」  答えずに恭浩はしぶきを上げて川に入っていく。ふくらはぎまで水につかって手招きした。私は、ぶるっと身震いした。 「大丈夫だよ」と笑う夫につられて、そろりと指先を水に入れる。温かい。  驚いて首を傾げ、手首まで入れる。 「温泉?」 「まさか。清水が湧いているんだよ。外気が寒いから温かく感じるだけだ」 「湧水があるの?」 「あっちにね」と恭浩は笑って、山の方を指差した。 「あなた、前にここに来たことあるの?」  不思議に思って尋ねたが、夫は微笑んだだけで答えず、忙《せわ》しなく足踏みしながら川底を探り、両手で水をすくう。 「お、入った、入った、ハヤだよ」 「答えられないところを見ると、前に付き合ってた彼女と来たんだ」  私はからかうように続ける。恭浩は笑いながら両手ですくい上げたものを素早く掴み直す。 「ほら、見ろ」  大きな手のひらで、砂色の魚が跳ねていた。 「すごい」  私は目を丸くして夫の顔と魚を見比べた。 「素手で、魚が獲れるの」 「まだまだ腕は鈍っちゃいない」と得意げに言うと、彼は手にした魚をそっと水面に逃がした。小さな体はたちまち川底の小石の色に紛れ、見えなくなった。  両手の水を切ると、彼は片手を雪の土手にかけ敏捷な動作でひょいと道に上がった。病気になる前の軽々とした身のこなしが、痩せ衰えた体に戻ってきている。  ひょっとすると、いやたぶん、彼は治るのだ。そんな期待をこめて、私はその様を見ていた。  私が手渡したタオルで恭浩は無造作に足を拭き、再び歩き始める。まもなく集落は途切れ、一本道は分岐にさしかかった。一方はさらに正面にそびえる山へと延び、一方は脇にある静まりかえった落葉松《からまつ》の森へと入っていく。  恭浩は立ち止まり、山の頂《いただき》を見上げる。 「もう少し行く?」  私は尋ねた。 「いや」  彼は首を振った。 「今日のところはやめておこう」  そう言うと、恭浩はくるりと背を向け、来た道を引き返し始める。まばゆい雪原を抜け、森を抜け、私たちは戻っていく。  上牧の町を見下ろせるあの高台まで下りてきたとき、彼は重たい雪に足を取られながら、肩で息をしていた。吐き出される吐息は、再びあの腐敗した真っ黒な水のにおいがした。脂汗の滲む顔はどす黒く変わり、死相は再びそこに現われていた。  上牧に一泊し、小千谷駅から鈍行に乗り換えて、二つ三つ行ったその町に着いたのは翌日の午後の事だ。雁木《がんぎ》の下の狭い歩道は、雪こそないが、どんよりした空から注がれるわずかな光さえ遮られて、陰気に湿っていた。  八年前の深夜、恭浩と二人で駅へと急いだ道を私は今、彼を支えながら歩いている。  今回は、あたりを見回す余裕があった。  駅から少し離れた国道の交差点にあるガソリンスタンドの名前は「ガソリンスタンド木部」、その先にある円筒型のタンクの横腹にある文字は「木部石油」、さらにその先の川べりにあるセメント工場は「木部セメント」。木部というのは、夫、恭浩の姓であり、そういう意味で私もまた、木部の人間なのである。  この町を掌握しているかのような「木部」の文字を目のあたりにしたとき、私は恭浩とその父の根深い葛藤の原因に思いあたった。  人には高い地位に上り、他者を支配、統治することを人生の目的とし、それに喜びや責任や義務感までも見いだせる者がいる一方で、そうしたことを拒否する一握りの者もいる。恭浩の場合は後者なのかもしれないし、あるいは単純に父の大きすぎる支配力から脱しようとする、長男らしい意地があったのかもしれない。  いずれにせよ恭浩が、ことさら父親の望みと正反対の方向に生きようとしたのは間違いない。留年を繰り返してようやく大学を卒業した後も故郷には戻らず、都内の障害児施設に就職した。そこで介護と指導というおよそ権力にも出世にも縁のない、さらには身分保障さえない仕事に携ったのである。  長岡にある豪農の分家としてこの町に根を下ろし、いくつもの事業を手がけ成功させてきた彼の父にしてみれば、恭浩は理解を超えた存在であったことだろう。結局木部の家は、いったん東京の商社に入社し、東京で所帯を持った次男が戻ってきて継いだのだが、幼い頃からそれなりの期待をこめて育てた長男に裏切られた父親の思いはいかばかりのものだったろうか。その許せぬ気持ちも理解できないではない。  雪を被った巨大な門柱が見えたのは、五分ほど歩いてからだ。湧水を引き入れた広い池の表面は靄《もや》立っている。真冬でも凍結することのない水の中で、色とりどりの錦鯉が泳いでいた。  黒光りするだだっ広い玄関は八年前と少しも変わっていなかった。 「ただいま」と夫は、引き戸を開けた。あんな形で出ていった家でも、「ただいま」と言って帰っていくものなのか、と私は奇妙な感慨を覚えた。  高い天井の下で、底冷えのする空気が黴《かび》のにおいを含んでしんと静まり返っている。磨きこまれた廊下の突き当たりは、闇に吸い込まれるように黒く沈んでいた。  その闇の中から、小さな人影が走り出てきた。背中を丸め、肩をすぼめ、少し怯えたような独特の眼差し。  義母だった。  息子の体から立ち上る死の気配を一瞬のうちに察知したのか、その表情は何とも言えない虚《うつ》ろなものに変わった。私は不意に身の置きどころのないような気分におそわれ、言葉もなく深々と頭を下げていた。  廊下は、梅の花や鳥などでところどころ象眼が施されており、床の滑らかな冷たさが足裏から上ってくる。  中庭に面した座敷で、彼の父は息子の帰りを待っていた。 「ご無沙汰してました」と恭浩は言った。前回と変わらぬ折り目正しく他人行儀な声色だ。 「どうだ? 具合は」  父親は、八年の歳月など全くなかったかのように尋ねる。恭浩の容体については、事前に詳しく手紙で知らせてあるのだから何もかも心得ているはずだったが、一日の勤めから帰ってきた息子を迎えるかのようなその口調の平静さに私はほっと胸を撫で下ろした。 「別に、変わりはありませんよ」  彼は答えた。あまりの素っ気なさに私は呆れ、彼の父に同情した。最後の別れを告げに戻ってきたことは自分でもわかっているだろうに、それでも埋めることのできない父子の心の溝とはいったいどのようなものなのだろうか。もしも私達夫婦に子供がいて、恭浩が父親になり、我々の息子が複雑な年ごろを迎える、その頃まで生き長らえることができたなら、腹を割って話すこともできたかもしれないと思うと、少し後ろめたいものを感じる。  しばらくして隣の敷地に所帯を持っている弟夫婦や、夫の従兄達もやってきた。  義母は毛玉だらけのセーターの袖をまくり上げ、台所でそばを茹でている。こちらでは祝い事には、そばが欠かせない。  死を前にした帰省が祝い事と言えるかどうかわからないが、とにかく家を飛び出した息子が八年ぶりに戻ってきて、表面的であるにせよ、父子の和解が成立したのは、一応めでたいのかもしれない。  私が鍋の中で躍っているそばをかきまぜようとすると、義母がやんわりと手元を遮った。 「難しいのよ、このおそば茹でるの。ふのりが入っているから」 「そうですか」と私は箸をもったまま、後ろに下がる。ぽつりと姑は何か言った。  えっ、と私は問い返した。 「このうちに来たばかりの頃ね、お祝い事でそばを茹でさせられたの。私は信州だから信州そばしか知らなくって、実家にいたときみたいに茹でたら、ダンゴになってしまってね。お舅さんに、すごくきつく叱られて。このあたりのそばって特別のものだから」  私は何と答えていいかわからず、息子と話すこともままならず忙しく立ち働く、この影の薄い女性をみつめていた。  ふと、恭浩が前日に「そばは嫌いだ」と言った理由がわかったような気がした。祝い事の度に大量に茹でられるそばは、確かに特別のもので、木部の家の歴史そのものなのかもしれない。 「大町はいいところですか?」  黙っているのも気詰まりで、私は鹿島槍の麓の村について尋ねた。 「冬に晴れているからね」  義母は淡い笑みを浮かべた。 「それに水が温かいのよ。いえ、大町の水が温かいんじゃなくてね、実家の裏にちょうど清水が湧いていてそこから引いていたから。だからここに嫁いで来たときは、水仕事が辛かったわ。今は大きなスキー場ができてあの泉も埋めたてちゃってね。母のお葬式に行ってみたら、子供達が魚獲りした川も、コンクリートで全部固めてあったわ」  少し切ない気分になって、私はへぎに手際よく盛り付けられていくそばの山をぼんやりと見ていた。  この夜、恭浩はほんの少しだけ酒を飲み、そばを食べた。そして数時間後、私に背中をさすられながら、すべてもどした。  ここに来て四日目に、恭浩は息を引き取った。大出血も、ひどい呼吸困難もなく、昏睡状態になり町医者がかけつけたときには、最後の息を吐き出した後だった。  その最期が思いの外安らかであったことに救われた。こんなことなら、枕元には私一人が座り、私だけがその手を握って死なせてやりたかったと思うのも身勝手ではあった。  この家の者にとって、私は彼の妻でも長男の嫁でもなく、ただの客人にすぎず、葬儀のてはずは私の知らないところで整っていった。彼の母親はというと、相変わらず忙しく立ち働いていたが、気がつくと台所の片隅でこちらに背中を向け、目に染みるほどに白いエプロンの縁で涙を拭っていた。家族で分かち合える悲しみなど、しょせん大したものではない。嫁の私はもちろん、義父もそして次男さえ寄せ付けない、凍り付くように厳粛な嘆きとも怒りともつかないものが、その後ろ姿にほの見え、私は話しかけることも、近づくことさえもできなかった。  通夜の翌日は、友引、そしてその翌日は日が悪いとの理由で、結局、恭浩はそのまま三日間、棺の中で寝ていた。普通ならドライアイスなどを使うことになるのだろうが、天井の高いこの家は、家族のいる部屋以外は息が白くなるほど寒いので、そんなものもいらない。死体が寂しがるはずも、寒がるはずもないだろうが、やはりぽつんと置いておくのもしのびなく、そしてそれ以上にこの家に、恭浩以外に一緒にいられる人もいなかったので、私はずっとその火の気のない部屋で過ごした。  告別式の前日、私は義父に分骨を願い出た。  連れ添った時間は短かったし、子供もいなかった。しかし少なくとも私達は夫婦だった。いずれどこか眺めの良い場所に墓を買って、一緒のところに入りたい。  義父は、私の言葉の一つ一つをうなずきながら聞いていたが、私が話し終えたとき、おもむろに口を開いた。 「そうもいかんですな」  そう一言答えて立ち上がり、奥座敷に消えた。  半ば予想していた答えでもあった。追いすがってなおも訴える気力はなく、私はその場に座ったまま、ぼんやりと祭壇の写真の中の恭浩を見上げていた。  何があろうと、本人の意志に関わりなく、恭浩は木部の人間だった。この家で生まれ育ち、この家で死に、この家の墓に葬られる。父親としては、この期に及んでようやく息子を取り戻したのかもしれない。  このあたりの冬の夜は、いつやってくるのかわからない。鈍色《にびいろ》の空を覆った無数の微細な雪が闇に溶けたとき、日暮れを知る。  雪が小止みになったその夕方、私は棺の置いてある座敷から縁先に出た。板の間から庭が望めた。うっすらとした闇があたりを覆っていた。石灯籠の淡い光が舞い下りる細かな雪の粒の中に浮かんでいる。  池の表面が靄立っていた。深いところから湧く水で、冬でも温かいのだ、という話を八年前、この庭を案内してくれた義父から聞いた。  そのとき植木を透かして、何かが動くのが見えた。人影だ。池の畔《ほとり》にしゃがみ込んでいる和服姿の背中が見える。  義父だった。私はちょっと息を呑んだ。後ろ姿が、ひどく孤独に見えた。彼なりに悲しみを噛み締めているのかもしれない。しかしそこには母親の背中にあったような、人を寄せ付けぬ厳しい悲しみは見えなかった。心を開いて語り合う間もなく、息子が逝ってしまったことへのやりきれない思い、そんなものを私は想像した。少し感傷的になっていた。  私はその場に脱ぎ捨てられたサンダルをひっかけ、庭に出た。自分のうちにあった頑なさが、少し和らいでくるような気がしていた。  目が闇に慣れてくると、義父の右の袖が絶え間なく動いていることに気づいた。何をしているのだろう、と首を伸ばしてみる。  池の表面が小波《さざなみ》立っていた。近づくにつれて、彼の足元に集まったものが見えてきた。色とりどりの背ビレが水音を立て、静まり返った白一色の庭に場違いな活気を与えていた。義父は麩をまいている右手を止め、ゆっくりとこちらを振り返った。片方の目をちょっと細め、不審そうな表情で私を見上げた。そのときになって自分がそばにやってきたのは、間違いだった、とようやく気づいた。 「見事な鯉ですね」  私は強《こわ》ばってくる口を開いて言った。何か話さなくてはならないような気がした。できるだけ無意味なことを。 「たいしたのは、おらんですよ」  ぼそりとした口調で、義父は答えた。 「ま、価値があるのは、その岩陰にいるのくらいでしょうな」と、水底に沈んでいる一匹を顎でしゃくった。朱を帯びた金の体が、灯籠の光にきらりと輝いた。 「水が冷たくならんので、冬でも餌を食うから成長は早いんですがね、人間同様、しめられるときがないと、錦鯉はうまく育たんものです」 「はあ……」  恭浩もまた、彼にとってはうまく育たなかったのだろうか、とふと思った。 「そこのなんかが、そうですが」と義父は、私の足元にいる一匹を指差した。形も色も大きさも、特に変わったところはない。 「立派に育っているようですが?」  私は尋ねた。 「白と朱の色分けが不鮮明で、全体に肌色がかかってしまっているでしょう」  とたんにその鯉は、ゆらりと体をくねらせて池の中程に泳いでいき、石の下に消えた。  その姿を視線で追いながら、義父はつぶやくように言った。 「いずれ処分するようですな」 「えっ」と聞き返したが、彼は二度と同じ事は言わなかった。  吹き付ける風の冷たさが急に肌身にしみてきた。私は身震いをして立ち上がり、そそくさと母家に戻った。  骨になってみると、恭浩の体から小さな仏様が出てきた。 「喉仏、といいましてね。いえ、本当は喉ではなくて頸椎、首の骨なんですが、まれにこういう形をしてる方がおられるんですよ」  菩提寺の住職は、精巧な象牙細工のようなものを指差して言った。確かに見れば見るほど、その姿は蓮華座を組んだ如来像に似ていた。 「生前、徳の高かった方なのでしょう」  しみじみとした口調で言い、住職は軽く合掌した。  施設でだれよりも子供達に慕われていた彼の事を私は思った。  たまたま訪れた施設見学会で初めて彼に会ったとき、恭浩は大柄な子供をはがいじめにしているところだった。同じ施設の女の子にいたずらをした、という理由で叱っていたのだ。子供を叱責する激しい言葉にもかかわらず、その目の色は驚くほど真剣で暖かかった。きれいごとではすまされぬ仕事をしながら、常に真摯な愛情を持ち続けた彼の魂がこんな形で残ったのだろう。  恭浩の骨はひとかけら残さず骨壺に収められ木部家の墓に入り、私には思い出と戸籍だけが残った。  東京に帰るその日、挨拶をしようと奥座敷に入ったが、たまたま義父はいなかった。襖を開けると仏間だ。  喉仏があった。仏壇の中央で、小さな錦の座布団をしいて鎮座していた。私はその前に座り、合掌することもなくそれをみつめていた。仏様として手を合わせるには、私の中の恭浩の存在はまだ生々しすぎた。白い小さな骨に、元気な頃の彼の姿が重なり、やがてその幻は揺らぎ、髪を短く切って鋭角的な鼻梁が際立つようになった病み衰えた恭浩に変わった。  その瞬間、私は手を伸ばしそれを掴んでいた。  小さく軽く滑らかな彼が、手の中にいた。握り締めたとたん、感動とも哀しみとも安堵ともつかない、熱い思いがこみあげてきた。たとえ小さく乾いていようと、それが彼の実体だった。  廊下のきしむ音が近づいてくる。私は弾かれたように立ち上がった。こめかみの血管の脈打つ音が自分で聞こえる。決意などいらない。私はそれを握り締め、後手に襖を閉めて素早く隣の座敷に入ると、隅に投げ出してあった荷物をまとめてデイパックに放り込んだ。それを背負い玄関を飛び出すまで、ものの数十秒だった。  冷えきったスノートレの紐を結ぶのももどかしくそのまま屋敷を走り出て、雁木の下を通行人にぶつかりながらつっ走り、駅に駆け込んだとき、日に数本しかない水上行きの鈍行がちょうどホームに入ってきた。  それに飛び乗り、肩で息をつきながら、そっと手を開いた。手のひらの中の仏はわずかにぬくもりを帯び、汗で湿っていた。  八年前同様、私は再び彼を小千谷の家から連れ出したのだった。  東京に戻ってきた後も、私は彼の喉仏をどうしたらいいものか、迷い続けていた。どこかの寺に納めるのが筋なのだろうが、特別の信仰を持っていなかった夫の骨を形式的に供養するのには抵抗がある。  そしてそれ以上に、私は彼の残した肉体の一部をずっと持ち続けていたかった。この先どこに行くにも一緒に、二人で生きていきたいと思った。ただしその骨の存在は、私に彼といる一体感をもたらしたのかといえばそうではない。それは彼の実体でありながら、やはり物言わぬ、無機的な物体にすぎなかった。  傷がいつまでも癒えず、濡れた傷口から透明な液がじくじくとしみだしているような状態が続いた。悲しみが癒えること、彼のことを忘れることを私自身が拒否し、あえて治らぬ傷を温存しているようなところもあった。  職場に行けば、快活な教師の顔をしていても、だれもいない六畳間に戻ってきたとたん、私は彼の喉仏に向かい延々と愚痴をこぼし始めるのだ。しかし彼は昔のように私を安らかに眠らせてはくれず、自分でいれたコーヒーは胃を直撃し、夜半から明け方にかけて、さし込むような痛みをもたらした。その痛みが、私にとって救いであり、緩慢な死への道程と思えば、甘い感傷を誘う。布団の上にうつぶせになり、片手で胃のあたりを押さえながら、元気な頃の恭浩との思い出を辿《たど》って夜明けまで過ごすこともあった。  上牧で訪れた山上の村のことを頻繁に思い出すようになったのは、新学期が始まってまもなくのことである。  渇きにも似た切なさが心を締め付け、その地に引き寄せられるのを感じながら、各種の学校行事に忙殺されて、身動きが取れないまま二カ月が過ぎた。  そうして七月半ば、夏休みを目前にした土曜日、私はようやく骨となった彼と二人、再び上牧駅のホームに降り立った。  梅雨が明けたばかりの陽ざしは瞼《まぶた》を射るように強い。半年前濡れた雪に足をとられながら歩いた線路沿いの坂道を十分ほど行くと、箱庭のような上牧の町が眼下に見渡せる。町の中央を貫いて流れる利根川の川筋は今は木々の緑に縁取られ、振り返ればあのとき雪に包まれ青く沈んでいた山肌は、濃淡入り交じる緑に覆われていた。  私は小箱から喉仏を取り出し、手のひらに乗せた。私の背後で、息を弾ませ下の町を見ている彼の気配と体温がはっきりと感じ取れた。振り返ったがだれもいない。  木々の葉の斑《まだら》な影を映す乾いた路面を風が通りぬけていくだけだ。私はもう一度、町の方を向いて目を閉じた。彼がすぐそばにやってきたという実感があった。  再び歩き始め、北に折れた道の木陰にはいると、頭上から蝉の声が降ってきた。風は肌にひんやりと心地良い。  沢の水音が聞こえてくる。生い茂った下草の中に玉あじさいの白と青紫が、目を射るばかりの鮮やかさで現われる。  尾根道の分岐まで、あとわずかだ。まもなくのどかな山村風景が開ける……。  道路の舗装が切れた。道は急速に細くなっている。  妙だ。この道路は真っ直ぐに峠の村まで続いているはずだった。半年前の記憶が正しければ。  間違えたのかもしれないと、いったん引き返す。しかし枝道はない。この前来たときと同じ一本道だ。  もう一度、注意深く道を辿る。やはり同じところに出る。首を傾げながら細い未舗装の道に入る。藪の中の石仏に見覚えがあった。冬に見たものだ。この道で間違いはなかった。前回は、雪があったので、実際よりも広く感じたのかもしれない。  道の片側は浅い沢になっており、水際に一群れのシャガの花が咲いていた。わずかな紫を滲ませた花は、仄暗い林の中で燐光を放つように白い。  水音を聞きながら登りつめていく。息が弾んできた。道は張り出した大岩を避けるように大きく回り込む。間違いなく、あの道だ。  回り込んだ先が峠で、森は切れ、田畑と点在する民家が現われる。  歩を進めて、私は瞬きした。  峠がない。緩やかに起伏する田畑も集落もない。  道幅はさらに狭まり、タケニグサの林立する藪の中に消えている。何かの間違いだ、と私はその狭まった道に、低木の枝を掻き分け入っていった。  道はすぐに切れた。目の前にあるのは崖だ。赤茶けた岩肌の露出した崖がそそり立っている。あたりを見回す。巻き道も切り通しもない。大きく褶曲《しゆうきよく》した断面を見せる崖があるだけだ。  蝉の声が、いっそう喧《やかま》しく耳を打った。  私は混乱した思いで、岩を見上げた。この細道が工事か何かのためにごく最近作られたというのが、その生々しい地層の断面からわかる。集落に通じる道などではない。いったいどこで踏み迷ったのか。私は崖に両手をついて、ぼんやりとその赤茶けた色を眺めていた。  あの冬に見た光景が瞼によみがえる。  眩しかった。  降り積もった雪が、陽光を跳ね返し、あたり一面が白い炎の中に揺らめいているように見えた。  白い田畑、柿を吊した民家の白い屋根。すれちがった子供達の顔。  既視感とも違うあの懐かしさは何だったのだろう。そしてあの川は? 見渡す限りの雪原の中に流れていた小川の水の温かさ。  唐突に思い当たった。  恭浩の思い出の中にしか存在しない風景だ。  今はスキー場になってしまった森と集落。コンクリート三面張りの排水路に変わった小川。幼い頃遊んだ鹿島槍の麓の村、その失われた風景の中に恭浩は私を連れ出したのだ。  岩から滲みだす水気に手のひらが、じっとりと濡れた。辺りを包んでいた蝉の声が不意に止んだ。  手のひらが熱い。崖の褶曲面が揺らぎ、溶けだすような感じがあった。  顔を上げると、褐色の砂礫《されき》と粘土の向こうに、金色に輝く雪原があった。私は息を呑んで、その季節はずれの雪原の向こうに瞳を凝らした。かやぶき屋根の民家が見える。疎《まば》らな集落の間を緩やかな弧を描いて一本道が抜けている。  いつか見た分岐があった。遥か彼方に連なる山々に道が続いていた。  そこを恭浩が歩いていた。  たった一人で、長い影を引いて。  とっさに私は手を伸ばした。湿った硬いものが、手のひらを押し返してきた。立ちはだかる土の褶曲面が、その風景とこちら側を隔てていた。  髪を短く切った恭浩は、肩胛骨の飛び出した細い背中を少し左に傾けて、ゆっくりと遠ざかっていく。 「待って」と叫んだ。「いやだ」とわめいて、こぶしを振り上げた。  湿った土の感触が伝わってきただけだ。  恭浩の姿は揺れながら小さくなっていく。そしてやがて光に吸い込まれるように視界から消えた。  私は言葉にならない叫び声を上げていた。  逝かせたくはなかった。なぜ、今、私だけが置いていかれるのかわからない。なぜ連れて行ってくれないのか、と恭浩を恨んだ。あまりに淡々としたその足取りを、あまりにも安らいだその後ろ姿を恨んだ。せめて後ろを振り向き、ほほ笑みかけて欲しかった。いつか必ず迎えにくるよ、と約束して欲しかった。  こぶしで岩を叩いた。そうすれば夫の消えた彼岸への道が開けるかのように、叩き続けた。しかし湿った小石がばらばらと降ってくるだけで、向こうの世界とこの世を隔てる扉が開くことは二度となかった。  やがてくたびれてその場に膝をついたとき、放り出してあったバッグからあの小箱が転がり出ていることに気づいた。不安にかられて蓋をあける。  それはあった。仏は、そのままそこに鎮座していた。精神的な、抱き締めて泣くには、小さすぎる姿だった。  恭浩は去った。たった今、私は一人で彼を見送った。 「逝って、いいよ」  私は震える手で小さな仏を掴み、口の中に入れた。乾いた、いくぶん苦い味がした。 「逝かせてあげる……」  かさつく突起のあるそれを奥歯に挟み、噛み締めた。鈍い音がして砕けるまで、私はきつく噛み締めていた。 [#改ページ]   ㈵ 時の迷路    ニライカナイ  手の中の十円玉が冷たかった。煙草屋の店先にある赤電話に入れた五枚は、長い間握り締められ、汗ばみ温まっていたのに、わずか数十秒の通話の後に戻ってきた四枚のコインは氷のかけらのようだった。 「結婚するんだ、僕。いつって? 二十一日、今月の。え……その件ならちゃんとけじめをつけたはずだよ」  受話器を置いた後も男の声が鼓膜の奥に貼りついていた。  重たい足音をたてて急な階段を上り、朋子は木製のドアを乱暴に開けた。六畳の部屋をダブルベッドが占領している。繻子《しゆす》で包んだ分厚いマットレスのついたダブルベッド……。  高校を卒業してデパートに勤め、当時大学生だった男と知り合い、その生活費の大半を負担しながら卒業させたのが、五年前。トータル八年の恋が終わってみれば、朋子に残されたのは、この真新しいベッド一つだった。  手切れ金で買ったベッドだ。相手の瞳の中に自分への熱意を見出せたのは、最初の一年くらいのものだっただろうか。後は惰性で続いた。男が卒業して商事会社に就職してからは、もっぱら朋子から誘うだけの関係になった。  意思をはっきりさせない男に業を煮やし、朋子は何度か別れを口にした。そのたびに男は微笑して去っていき、朋子が再び誘うと何事もなかったかのように戻ってきた。そんなことを繰り返して、数十回目の別れ際に「私ももう二十八よ。別れてあげるから手切れ金払ってよね」と朋子は確かに言ったし、男は素直に「いくら?」と尋ねた。さほど考えもせずに、「十万円」と朋子が答え、一週間後、男は本当にその金額を朋子に手渡したのだった。  いざなぎ景気に国中が沸いている時期ではあった。しかしそれでも大卒の初任給がようやく二万という時代にそれは大金で、朋子は自分の半ば脅し、半ば冗談のもたらした結果に茫然として数日を過ごした後、何かの間違いかもしれないと彼の職場に電話をした。  手切れ金を払って別れたはずの男は、しかし朋子が誘うと何事もなかったようにやってきた。以前と変わりなく銀座で会って、映画を見て、お茶を飲んで帰っていった。金の話は出なかったし、そんな話をする雰囲気でもなかった。その次も、さらにその次も、少しも変わりなく会い、別れた。  そしてつい二日前、朋子は十万円を握り締めて家具屋に行き、ダブルベッドを買った。別れるそぶりもない男の様子から、あの金は二人の所帯に入れるつもりで自分に預けられたもの、と都合のいい解釈をしたのだ。加速度的に世の中が豊かになりつつある時代で、新婚カップルの間では、狭い部屋いっぱいにダブルベッドを置くのが流行っていた。  朋子の部屋にそれを入れるときはちょっとした騒動で、ドアからはもちろん入らず、窓を外して吊り上げた。それがたった今、無用の幅広長物になってしまった。  それからの朋子の行動は自分でもあきれるほどに迅速だった。「いくらでもいいから引き取ってくれ」と買った店に駆け込み、運び出す手筈を整えた。肉親が死んだ後、死体に取りついて泣く余裕もなく、慌ただしく葬儀の準備にかからなければならない一家の長のようなもので、悲しみに打ち沈むよりは一刻も早く処理しなければならない気分だった。  果てのない絶望感が襲ってきたのは、ベッドが部屋から再び消え、手の中に家具屋の戻した七万円が残ったときだった。朋子は涙さえ出ないまま、元の広さにもどった畳の上にぺたりと腰を下ろして爪を噛んでいた。  一階に住む大家から自分に電話がかかっていることを知らされたのはそんなときだ。もしや、と転がるようにして階段を下りて、受話器をとった。聞こえてきたのは、耳馴染んだ男の声ではなかった。 「ごめん、すごくごめん。でも、お願い」  切羽詰まった声が聞こえてきた。  高校時代からの友達で一緒に故郷の甲府から出てきた潤子だ。 「二千円、いえ、千円でもいいの、お願いだから」  六年前に結婚して三人の子供のいる潤子の生活が楽でないのは知っていた。 「いいわよ……いつでも貸したげる。私、もう口紅もマニキュアもブローチも、何にもいらないもの」  なげやりな調子で答えた。 「そうじゃないの。買ってほしいの。私、パート始めたのよ、証券会社の。月掛けの証券貯蓄。証券といっても、心配しないでね。公社債投信だから銀行預金と一緒」 「いいわ、買ってあげる」 「ありがとう。じゃ、いくらならいい? 二千円ならとってもうれしい。でも、だめなら千円でもいい」 「七万」  朋子は答えた。  えっ、と相手はしばらく絶句した。 「なんで?」 「いいのよ、お金なんてあってもしょうがないじゃない、ねえ、そうでしょう」  涙が溢れてきた。しかし潤子はそんな朋子の口調よりも、金額に動転した様子だ。 「本当に七万」 「ええ」 「ちょっと、いったい何があったの」  潤子は、ようやくただならぬ気配に気づいたらしく、慌てふためいた口調で尋ねた。 「別に……。ひょんなことからお金が入ってきただけ」  数秒間の沈黙があった。 「それじゃ……」と少しためらってから相手は言った。 「ね、投資信託じゃなくて、株やってみない。上田光学ガラスって、特殊カメラのレンズ作ってる会社。業績がいいのに、額面は四十円切ってる。買い、よ、絶対、買い」 「好きなようにして」  証券屋と取引するにしても素人の場合、せいぜい証券貯蓄で、株を買うのはプロかセミプロという時代だったが、そんなことは朋子は知らない。何かを考えるのも億劫《おつくう》だった。 「ありがとう。絶対、損させない、約束するから」  慌ただしく電話を切った潤子は、その日のうちにバスを乗り継いで朋子の家に集金にやってきた。余計な詮索はせず、友人の沈んだ様子を気にかけるふうもなく、潤子は預かった七万円の入った集金かばんをしっかりと抱き締めて帰っていった。  手元の金がなくなってみると、憎しみや恨みを伴った男への執着は、ようやく透明な悲しみに変わった。  男の結婚式の当日、朋子は一人で東海道線に乗った。わずかばかりの貯金をはたき、紀伊半島に向かった。「海と山が美しい温暖の地」という記事を何かの雑誌で読んで以来、新婚旅行はそこと勝手に決めていた。職場は三日間の休暇を取っていた。しかし三日後に出勤するつもりはない。  紀伊田辺駅から二十分ほどバスに揺られると終点で、そこから海上を一本の橋が岬の突端に向かい延びている。波が荒くなったら没してしまいそうな頼りなく細い橋は、赤い欄干《らんかん》で飾られ、ホテルの玄関に続いていた。  白亜の三階建ての建物は、西洋の植民地《コロニアル》様式を真似たキッチュなものだったが、泊まりがけの旅行などしたことのない朋子の目には、ただ眩しく夢の城のように見えた。そして夢のように過ぎた二十八年の人生をしめくくるには十分な豪華さに映った。  四月の紀伊半島は、新婚のカップルで溢れていて、このホテルの宿泊客もほとんどがそうした客だ。気兼ねするように朋子はフロントに行き、一番安い部屋を指定した。  一階の端の客室に朋子は通された。狭くじめついた部屋だったが、廊下に出るとすぐ脇に彫刻をほどこした大きなドアがあり、それを開くと小さなテラスになっている。岬の崖っぷちに建ったホテルは、一階のそのテラスから大海原が見渡せた。しかもそこから海岸の大岩を結ぶようにジグザグの回廊が、波《なみ》飛沫《しぶき》の砕ける海岸まで延びているのだった。  陽はまだ完全に没してはおらず、朋子は一人でテラスに出て、金色に燃え上がる海を眺めていた。これが自分の最後に見る光になるのだと思った。それからゆっくりと回廊に足を踏み出した。風が生暖かく、海面は浮き上がり光りながら宙に浮いているように見える。  全身に鳥肌が立つ。それが感動によるものか不快感によるものか、わからない。  海辺に近づこうとしたが足が震えて、板で作られた狭い回廊を踏みしめることができなかった。朋子はへたへたとその場に座り込み、次第に輝きを失い、濃い藍に呑み込まれていく海をじっと眺めていた。  いったいどれだけそうしていたのだろう。我に返るとあたりはすっかり暗くなっていた。空に月はなく、黒い空には騒々しいほどの密度で、星がひしめいている。浮き足立ったような、落ち着かない気分になって、朋子は回廊に踏み出す。数メートルも行くと、濃密な闇に包まれ、足元もおぼつかなくなった。板の継目につまずきながら朋子はそろそろと進んでいく。体の中で、何かがざわめき出していた。  人生を終わらせるつもりでやってきた紀伊田辺の海。しかしその海原は、自分が体を沈めるには、予想外に大きく、得体の知れない力に満ちている。足元の波音は次第に大きくなり、やがて体全体が包み込まれるのを感じた。回廊の中央まで来たらしい。ホテルの方を振り返る。黒松の林を通して、玄関の明かりだけがうっすらと見えた。  そのとき首筋あたりに奇妙な感じを覚えた。光が射している。淡い藤色の光が回廊の木の床と、華奢《きやしや》な手摺りと、そこに置いた朋子自身の手を照らしていた。手摺りの朱も朋子の手のはげかけたマニキュアのピンクも、白木の床も、何もかも色を失い砂色の濃淡に変わっていたが、微弱な光は欄干の微細な彫刻や指先のささくれ、あらゆる物の輪郭の隅々まで鮮やかに浮かび上がらせていた。  目を海面に転じて、朋子はふと首を傾げた。上弦の月が海上に出ようとしているのか? 違う。淡い真珠様の光沢を帯びている海岸は西。陽も月も沈む方向だ。そこから一条の光が射している。  白く光る海面が、泡立ったように見えた。ざわざわと何かがうごめいている。泡立つ海面がうごめきながらこちらに向かってくる。  朋子は息を呑んだ。いくつもの真珠色の泡に見えたものは、小さな生物だった。小さな齧歯類《げつしるい》。尖った顔を持った、白い、二十日鼠のようなものの大群が海を埋めつくし、こちらにやってくる。自分の目にしている光景を信じられないまま、朋子は崩れるようにその場に膝をついた。  無数の鼠の白銀の毛並、鼠の海、その向こうにやがてまばゆく輝く物が現われた。船だ。揺らめきながら、幾万、幾億、幾兆の小生物を従え、ゆるゆると巨大な船体が近づいてくる。内側に太陽をはらんだようなオレンジと金に燃える船体。  瞼の裏で、何かが炸裂したような明るさを感じた。  朋子は両目を押さえてその場にうずくまった。波の音と波をかきわけやってくるものの立てる無数の水音、そして天体の運行を思わせる船の静かな接近が、全身の皮膚を鳥肌立たせる。  数秒後、その巨大な物の気配が、ふっつりと途絶えた。朋子は恐る恐る顔を上げた。  漆黒の闇だけがあった。闇の中で波が岩を洗う音がする。沖を見るが何もない。海と空の境さえ闇に呑み込まれ、空にばらまかれた星が砕かれたような光を放っているだけだ。  朋子は手摺りに掴まり立ち上がると、ふらつく足を踏みしめテラスの方に戻っていった。  すべては幻だった。しかしたとえ幻であったにせよ、自分が神秘を見たことは間違いなかった。捨てようとした自分の命の取るに足りなさを知らされた。その取るに足りぬ命を、今、闇の中から現われた輝く船が担保に取っていったのだと思った。  翌日の深夜、アパートに戻った朋子の部屋の前に、潤子から昼間何度も電話があったことを告げるメモが貼ってあった。  朝になってから、いぶかりながら証券会社に電話をすると息を弾ませて潤子が出た。興奮した口調なので、何を言っているのかわからない。  三十六万、三十六万という言葉だけが辛うじて聞き取れた。  でかける前に買った上田光学ガラス株に仕手《して》が入ったのだ。市場の極端に小さな時代のことで、株には投資というより投機の色合いが濃かった。そして七万で買った上田光学ガラスはこの四日で乱高下し、この日買値の五倍に跳ね上がったのだという。 「いくら電話してもいないから、勝手に売っちゃったからね」  潤子は電話の向こうで叫び続けていた。朋子は潤子の言う三十六万という金の価値を実感できないまま、ぼんやりと相づちを打っていた。  その夜、潤子に渡された札束の手触りは男との別れを思い出させたが、こちらの方が遥かに厚かった。しかし使い道はない。親孝行したくても、両親は娘の花嫁姿も見ずに相次いで亡くなっていた。潤子に再投資を勧められたが、この金にはどこかしら油断ならない、時が来たら木の葉に化けてしまうような危うさがつきまとっていて、そんな気になれなかった。少し前まで欲しくてショーウインドウの前でため息をついて眺めていた春物のワンピースは、男に去られた今、手に入れたところで虚しいだけだという気がする。  勤め先のデパートの隣の貸画廊に飾ってある天目《てんもく》茶碗が目に止まったのは、翌日の昼休みのことだった。店の女主人の説明によれば生活に困った旧華族が、家宝を売りに出したものということだった。  もちろん朋子は陶器の見方など知らない。しかしその黒い釉薬《ゆうやく》の光る底に、朋子は紀伊の夜の海を見た。茶碗の底から何かが湧いてくるような気がした。 「それ三十万ですのよ」  追い払うような調子で女主人が言う。 「払います。とっておいてください」  とっさに答えたそのとき、「お嬢さんもそれを気に入りましたか」と背後から声がした。振り返ると、白いスーツを着た老人が立っている。 「ここは、どうか先の短い年寄りに譲ってくださらんか」 「でも」  と朋子は茶碗から目を離さずに答えた。 「申しわけないんですが、こちらに譲ってあげて下さいません?」と慇懃だが、高圧的な口調で女主人が言った。老人が馴染みの客なのか、あるいは朋子の支払い能力をはなから信用していなかったのだろう。  唇を噛んで朋子がうなずき、その場を離れかけると、 「そんなにこれを気に入ったのなら、どうだろう」と老人が背後から声をかけてきた。 「これはあたしが買っていくとして、こんど拙宅にお越しいただいてこれでお茶をごちそうするというのは」  茶の湯の心得がないから、と朋子は断ったが、老人はそんなことはかまわない、茶は楽しんで飲めばいい、と言う。老人の顔を見ているうちに、ふと優しい気持ちになった。孝行できなかった親の代わりに、この老人を慰めてやってもいいのではないかと思った。  茶碗を老人に譲り、その週の日曜日、横浜にある老人の家を訪れた朋子は、その豪壮なたたずまいに圧倒された。老人が、一代で財を成した石材会社の社長だと知ったのはそのときだ。妻に先立たれてはいたが、一人息子は常務取締役をしており、決して朋子が同情して遊びに来なければならないような、淋しい境遇ではなかったのだ。ただし老人にも悩みがあった。二代目が四十間近にして未だ独身なのだ。これでは信用が築けないと心配する社長に対し、二代目は「縛られたくない」と結婚を拒否していた。  古びたスカートにセーターといったいでたちで遊びに行った朋子は、何の心の準備もなく、二代目に引き合わされることになった。  埴輪に似てつるりとした顔をしたその男のどこにも、朋子の胸を熱くするものはなかった。だからこそその面差しのうちに、豊かで平穏なこの先の人生を見ることができた。そして驚くべきことに、その二代目は、格別美人でもなく、当時はとうに後妻口しかないと言われる年齢に達した朋子を前にして、「まだ家庭に縛られたくない」とは言わなかったのだ。相対した瞬間に、話が決まったようなものだった。  贅沢なものはダブルベッド一つという、一介のサラリーマンとの2DKの暮らしを痛切に夢見ていた朋子は、その年の秋、横浜の高台にあるスペイン風の中庭を持つ瀟洒《しようしや》な洋館に若奥様として納まった。  息子の結婚を見届けるように、朋子をここに招いた先代の社長は倒れ、四カ月後に他界した。会社は夫が無事に引継ぎ、すべては順調に進んでいった。  夫の身辺には常に数人の女性がいたし、家にはめったに戻ってこなかったが、大人の分別のある男らしくこれといったトラブルを起こすことはなく、朋子の方もその程度のことをいちいちあげつらって騒ぎ立てることもなく、夫にも周囲にも社長夫人にふさわしい鷹揚さを見せつけた。事実、二十代で男女間の生臭い情熱のすべてを燃やしつくしてしまった朋子にしてみれば、夫の異性関係など取るに足りないことだったのだ。  朋子にとって、夫は身辺の世話をしてやるだけで、港の見える高台に建つ、ピンクの大理石を敷きつめた玄関をもつ百坪の家に住まわせてくれ、使い切れないくらいの生活費を渡してくれる神様のような人だった。ただ、新婚当初から互いに老夫婦のような穏やかさで接してきた当然の結果として、何年経っても子宝に恵まれないという唯一の心配事はあったが。  神様のような夫が貧乏神に転じたのは、一九七〇年代も半ばに入り、ニクソンショックに続く石油危機が日本経済を直撃した頃からである。石油の高騰と建設不況のただ中で、原材料は際限なく値上がりし、注文はぴたりと止まった。在庫が山をなし、賃上げを求めるビラが工場や自宅にも貼られる。  石切りの熟練工で保《も》っている商売をしながら、従業員との関係がいったん気まずくなると、苦労知らずで育った夫にはそれを修復する器量がなかった。腕のいい職人はつぎつぎに辞めていき、結果的に製品の品質と信用を落としていく。そのうえ高度成長期に設備投資のために借りた金の金利が、冷えきった生産ラインを圧迫する。  外泊続きだった夫が横浜の自宅に戻ってくるようになった。そして朋子の作った朝食を食べて早朝から出掛けていく。注文取りや安い原材料を求めて、夫は一営業マンのように走り回っていた。しかし事態はいっこうに好転せず、その行き先は、取引先から金融機関へと変わった。信用組合、国民金融公庫、商工中金と、借りられるところからすべて借りつくしたところに、手形の決済日が迫る。  深夜に戻ってきては、夫は朋子相手に長い時間、愚痴る。このとき夫は五十間近だった。しかし隈のできた目を潤ませ、真っ白に変わった頭を振りながら朋子に窮状を語る夫の様は、五十男どころか病気の年寄りか貧乏神そのものに見えた。そんな夫を格別、腑甲斐ないとも、情けないとも思えず、朋子は初冬に降る時雨の音を聞くようにその言葉に耳を傾けていた。 「これも縁」という諦観だけを胸に、朋子は家政婦と二人でせっせと床を磨き、料理を仕込み、自宅にやってくる商工会の役員や、市議会議員や、会社の役員たちの接待に明け暮れる。商売をしている者が窮乏を見破られたら一巻の終わりだ。借りられる金も借りられず、原料も売ってもらえなくなる。何食わぬ顔をしながら借金返済のための借金に追われ、崖っぷちに向かい憑かれたように一路疾走する生活だった。だだっ広いリビングの窓から海を眺めていると、薄汚れた海面が次第に膨れ上がり、この家を洗い、土台ごとさらっていくような気がした。  そんなある日、夫は高金利の不動産担保ローンを組むためにブローカーの許に出掛けていった。玄関で見送った後、夫の寝室に入って枕元にある小さな瓶に気づいた。中身を見て仰天した。農薬だった。  朋子は勝手口のサンダルを履いたまま表に飛び出し、タクシーに乗った。駅に着くと、階段を上っていく夫の姿が見えた。乗車券も買わずに改札を走りぬけ、階段の中途で夫の腕にしがみついた。 「まだ、早い」  絞りだすような声で、それだけ叫んでいた。 「だめよ、あなた。まだ早い。ばかなこと考えちゃだめよ」  心の中にあったのが必ずしも夫への愛情だけだったようには思えない。もちろん何か他にいい計画を思いついたわけでもない。まだ早いというのが、危ない業者から高金利の金を借りることなのか、それとも死ぬ覚悟をすることなのかさえわからなかった。ただ無意識に叫んでいた。  困惑顔の夫の腕を掴んだまま、サンダルの踵を鳴らして、朋子はホームへの階段を下りた。どこでどう乗り換えたのか、よく覚えてはいない。気がつくと呆《ほう》けたような表情の夫と並んで新幹線の座席に座っていた。そのときようやく自分たちが紀伊半島に向かっていることに気づいた。二十代の終わりに、人生の転機をくれた場所へと戻っていこうとしていた。そこに、救いを見出そうとしているのか、それとも夫婦二人の死に場所を求めているのかさだかではない。とにかくその地で束の間の安らぎが得られるような気がして、ふらふらと乗ってしまったらしかった。  いつか泊まったホテルにたどりついたときには、深夜になっていた。  旅の疲れと心労が重なったのか、夫は部屋に通されると同時に、自殺を企てる気力も失ったように倒れて寝入った。朋子だけが闇にとり残された。  結果的にあの失恋は、平凡なデパートガールを社長夫人に引き上げた。しかしそれは十二年経ってみれば、青春の恋の悩みなど比較にならないくらい散文的で深刻な危機を朋子の人生にもたらしていた。  波の寄せる音が聞こえた。眠気を誘う、低く単調な音だった。しばらくしてその中に無数の小さな泡の弾ける音が耳鳴りのように混じるのに朋子は気づいた。  陽気な笛の音のようでもあり、小さな妖精たちのおしゃべりのようでもある。何かが沖合から、やってくる。無数の小生物の気配だ。  朋子は跳ね起きた。傍らで夫が小さな呻《うめ》き声を上げる。寝巻の前を整え、紐を締めなおし裸足のまま廊下に出た。木の扉があのときのままあった。押し開けると生暖かい潮風が吹き込んできて、白髪混じりの髪を吹き上げる。回廊の床は、十二年前に比べ湿って潮の香りがしみつき、足を乗せるとぎしぎしときしんだ。夜の海に向かって延びたその回廊を朋子は走る。  浜の方がいくぶん明るい。だれかが焚火をしていた。手摺りから身を乗り出すようにして見ると、小さな人影が四つか五つ、焚火を囲んで、踊りを踊っている。白装束の中年の女たちだ。老女もいる。汐汲みの杓《しやく》のようなものを持った者、笹の枝を持った者、白い吹流しのようなものを手にした者、供物を入れた籠を捧げ持った者、それぞれが焚火のまわりを回っていた。その光景は妙に近しく、懐かしく感じられた。そこが自分の本来の居場所のような気がしたのだ。女たちの輪の中心に、何かある。四角く藁を編んだ座布団のようなものだ。  朋子は両手で手摺りを握り、大きく身を乗り出した。そのとき女の一人がくるりとこちらを振り返った。太り肉《じし》で胡麻塩の髪にパーマをかけた漁師のおかみさん風の女が、朋子に向かって唇を引き結んで首を振ってみせた。それから片手で追い払うような仕草をする。  来るな、見るな、余所者《よそもの》。そう言わんばかりの仕草だった。不思議なことにそれが朋子には、冷たい拒否の表情には見えなかったのである。引き結んだ唇にも、がっしりとした顎にも、道路に飛び出しそうになる幼子を叱る母親に似た、どこか真摯な愛情が感じられた。  それからさらに不思議なことに気づいた。朋子のいる回廊に明かりはない。浜で焚いている火の淡い明るさを受けてはいるが、朋子の姿がそこからはっきり見えるとは思えない。にもかかわらず、白装束の女は朋子の顔、しかも目を見据えて首を振った。  それだけではない。朋子の立っている位置からさほど離れていないところに大岩があって、海に向かって張り出している。焚火と女たちの姿は、その大岩の手前にあった。にもかかわらず大岩よりはるか遠くに見える。距離の問題ではない。焚火が、小さいのだ。そして女たちの姿もそれに比例して、小さい。まるで人形のように。わけがわからず何度も瞬きしたそのとき、異様な気配が全身を包んだ。  何かが沖から押し寄せてくる。そして海はいつか見たのと同じ淡い光に満たされた。銀の毛皮をきらめかせ、無数の小さな鼻面をひくつかせ、小さな齧歯類が茫漠たる海を埋めつくし、やってきた。そしてその後から、光り輝く巨大な船の影が見えた。  とたんに頭の中をかき回されるような衝撃があった。水平線近くのその帆船のようなものが自分を呼んだ。確かに手招きしているような気がした。  次の瞬間、光は消えていた。船も、小動物の大群も、浜辺に燃えていた火も、小さな白装束の女性たちの姿も、何もかもが濃い闇に溶けてしまい、あとには寄せては返す波の音が聞こえてくるばかりだった。  朋子はきびすを返し、部屋に戻った。そして苦しげないびきを立てて寝入っている夫を揺すり起こす。 「あなた、呼んでます」  自分でも何を言っているかわからない。 「なんだ?」  夫は布団をはねのけ、起き上がった。 「南西遥かな方向で、神様が呼んでいるのです」  朋子は窓の向こうを指差した。 「なんだ……」  夫は不思議そうな、いくぶん気味悪そうな顔をした。 「海が光に包まれ、鼠に似た動物が押し寄せて来て、宝船のようなものが沖に見え、こちらにやってきて、呼んだのです。こちらに来い、と」  夫はぽかんとした顔でしばらく朋子を見つめていたが、不意に何かを思い出したように、「あ……」と声を上げた。 「吉兆だ」  夫は布団の上に、正座した。 「ありがたいことだ、なんとありがたい……」  朋子の両膝に手を置き、薄くなった白髪頭を畳にすりつける。夫はいきなり予言めいた言葉を口走った朋子の精神状態を疑ったりはしなかった。はなから朋子の吉夢と決めつけていたのだ。気弱になった夫は占いや星回りや夢判断の類に頼りたい心境だったのかもしれない。 「わかった。二度と自殺や夜逃げなど考えない。裸になって一から出なおそう」  夫は朋子の手を握り締めて言った。このとき朋子は、夫が彼なりにある決意を固めたことには、気づかなかった。  東京に戻った朋子は夫と共に、和議の申請のため、弁護士や債権者の間を駆け回り、再建計画書をしたためた。本社ビルも横浜の広大な家屋敷も売却したが、以前はまったく知らなかった夫の会社のことが、次第にわかってきた。会社の役員たちと接待ではなく、再建計画のために話し合う機会が多くなり、気がついたときにはそれなりの信任を得て、経営の一端を担っていた。  和議を進める一方で、夫は大きな経営転換を行なった。生産拠点を土地も原材料費も人件費も安い台湾に移したのだ。以前から台湾に住んでいる知人に勧められながらも、沈み行く船にしがみつくように父の代の商売をそのまま続けていた夫を動かしたのは、朋子の発した「南西方向で神様が呼んでいる」という言葉だった。その夫なりの解釈が、台湾という土地が商売を呼んでいるということだったのだろう。  結果的に、台湾移転は成功した。低コストで生産された大理石建材は輸送コストをかけても、国内業者との価格競争を勝ち抜き、五年目には競争相手はあらかた整理され、市場は極めて生きやすい環境になっていた。会社は元の繁栄を取り戻し、一旦、人手に渡った横浜の屋敷を買い戻すこともできた。  夫は頻繁に日本と台湾を往復し、朋子は東京の事務所に残って経営管理に当たった。まもなく夫は一年の大半を台湾で過ごすようになり、朋子にテレックスでの報告を求めたりしていたが、そのうちにこちらのことは朋子に任せきりになって、せっかく送った金銭貸借表も見ている様子がなくなった。  暮れも押し詰まったある日、夫は四カ月ぶりに日本に戻ってきた。しかし一人ではなかった。幼児と女が一緒だった。  空港に迎えに行った朋子や役員や社員の前で、「息子だ」と夫は、三つくらいの男の子を抱き上げてみせた。そこに冗談の調子はなかった。かといって、深刻そうな、すまなそうな様子もなかった。どちらかというと、得意げで無邪気極まる親バカの表情を浮かべていた。 「五十代も半ばを過ぎて、子供に恵まれるとは思わなかった」  祝福されて当然、という口調で夫は言った。呆れたような非難するようなため息が、義父の代からいる専務の口から漏れた。 「良かったわね」  朋子は皮肉をこめることもなく言った。専務が驚いたように朋子を見た。  戸籍上の妻の言葉に勇気づけられたように、夫は子供の背後にいる女を「息子を産んでくれた人だ」と紹介した。下膨れの顔に、レースや刺繍のついた繻子のブラウスばかりがやけに浮いて見えた。台湾事務所で通訳に雇った二十八歳の現地女性とのことである。 「息子に日本の教育を受けさせたいので、向こうの家族を連れてきた」と夫は説明した。夫と朋子を見比べる役員たちの顔色は、赤くなったり青くなったり、めまぐるしく変化し、最後に専務が一つ舌打ちし、「ま、それはそれとして」と夫を追い立てるように車に乗せ、朋子から引き離した。  朋子だけが不思議と落ち着いていた。ことの成り行きに納得してさえいた。思い起こしてみれば、その父親に見初められ息子に引き合わされたときから、朋子は夫の生活と事業を支えるパートナーではあっても、女ではなく家族でさえなかった。危機を前に強まった絆は、家族や夫婦としてのものではなく、共同経営者としてのものであった。不安定であいまいな「愛情」などというものではなく、相互に役割をわきまえ、実務の上で結びついた関係であり、それを朋子自身、重要視していた。しかしそうした絆は実生活の危機を脱したときには、意外に脆《もろ》かった。それでも後悔の気持ちは湧いてこない。夫への恨みもない。恨みに変わるような濃密な情などもとより抱いてなかったからだ。そもそも台湾に進出したこと自体、朋子自身の助言によるものであり、その根拠はあの海で朋子が見た幻影の船にあったのだ。女と子供のできた夫が、横浜の家とは別のところで暮らしたところで、それはそれでかまわない。自分には関係がないこと、と諦めることができた。  しかし一週間後、夫に離婚を切り出されたときには、さすがに驚いた。 「一生生活に困らないだけの金銭的保証はする。今までだってほとんど一緒に暮らしていないのだから同じことじゃないか」と夫は言った。確かにその通りだが、なぜいまさら結婚とか離婚とかいう形式にこだわるのか、朋子には理解できない。 「息子が欲しいなら認知したらいいでしょう。養子という扱いにしてもいいし。別に横浜の家に戻って来なくても私はまったくかまわないのよ」 「そうじゃないんだ。家庭が欲しいんだよ」  夫は哀願するような哀しげな顔をした。 「家族が欲しいんだ。生まれ育った家で、妻と子供の揃った生活をしたいんだ」  縛られたくない、と四十近くまで縁談を断ってきた夫が、老いを目前にして人生に求めたものは、これ以上の事業拡大や、経済的繁栄ではなく、息子や安らぎを与えてくれる相手だった。その着地点のあまりの卑小さに、朋子は軽蔑とも同情ともつかない気持ちを抱いた。 「別れたいっていうなら、そうしてもいいけど」  醒めた声で答え、付け加えた。 「でも横浜の家は、私がもらうわ。終《つい》の住みかとして、そのつもりでいたから。いまさら出て行くのはいやよ」  夫は埴輪のような顔にぴくりと縦皺を寄せた。不愉快そうな表情ではあったが、哀願する口調は変わらなかった。 「頼む。親父と幼い頃死んだおふくろの思い出のしみついた家なんだ。落ち着けるのはあそこしかない。この歳になるとしみじみ感じることもあってな……」 「わたしはどこに住むの?」 「東京に新築の家を一軒買えるくらいの金は払う。ごまかしはしない。君にはずいぶん助けてもらったし、恩を感じている。しかし僕は僕なりに、いいときはいい暮らしをさせてきたつもりだし、それで勘弁してくれ」 「そうね」と朋子はため息をついた。これも宿運だ、という気がしてきた。自分の人生は本来、二十八歳で終わっていたのだと思うと、こうした事態に逆らい、立ち向かおうという気も失せた。すべてのことは何か大いなる思慮のうちにある。自分を慰めたわけではなく、本当にそう思った。  その歳の暮れ、朋子は正式に離婚し横浜の屋敷を出た。少なくとも夫は卑劣漢ではなかった。愛情はなくても恩義を感じている前妻に、財産分与の他にも多額の慰謝料を払った。通帳や印鑑の入ったバッグを片手にその高台の家の門を出た朋子は、あらかた荷物を運び出してしまった家を振り返った。そのとき初めて胸の中を淋しさが木枯らしのように吹き抜けていった。夫ではなく、この家と別れるのが辛かった。  二十代の頃のような、愛を失えば金も命もいらないと嘆くような甘い感傷はもとよりない。いつか必ず戻ってくるという意志とも期待とも予感ともつかないものを胸に、朋子はその家に別れを告げた。  豊富な資金を元手に、夫の会社から切れ者の財務担当と腕のいい職人を引き抜き、朋子が建材会社を設立したのは一年後のことである。  紀伊の海の沖合に見たあの光景は、自分の運勢を象徴するもので、押し寄せる齧歯類と光り輝く船が富と繁栄をもたらすものなのだという確信をそのとき朋子は得ていた。それは恋だの愛だのという不確実な一時の喜びと引き替えに自分の運命を力強く牽引《けんいん》していくはずのものだった。夫が不在の間、こちらの事務所を切り盛りしていた朋子は、それなりの社会的信用を築いており、従業員の信頼も得ていたから、会社設立は意外なくらい順調に進んだ。  円高による空前の大不況が日本を襲ったのは、それからまもなくしてのことである。  しかし充分な自己資金があり、手堅い経営に徹した朋子にとって、それはむしろ追い風となった。長期借入金がゼロに近いところに、売掛金の確実な回収と徹底した生産管理を貫く朋子の方針は、逆風の中で着実に業績を伸ばしていく。  元の夫の会社が左前になりかけているという噂を聞きつけたのは、離婚して横浜の家を出てから三年目のことだった。  そのとき朋子はある金融ブローカーに会った。不動産を担保に、高利のローンを組んで金を貸す仲介をしている男だ。男はてっきり、朋子が金を借りにきたものと思ったらしい。朋子が、元夫の経営する会社に資金を融資したい、と切り出すといささか驚いたような顔をしたが、そこは商売人で余計な事情は尋ねず、話を進めた。  資金繰りに窮していた元夫は、ブローカーの話にすぐに乗った。昔、枕元に農薬を用意して眠りに就いていたあの頃と同じ失敗を、彼はまた繰り返そうとしていた。ただしあの頃、彼の味方についていた朋子が、今、ブローカーの背後にいるということは知る由もなかった。  半年後、予想どおり夫は破産し、朋子はその赤字不良会社を呑み込むとともに、横浜の屋敷も取り戻した。そして朋子は広尾のマンションから、四年ぶりに住み慣れた屋敷に戻ってきたのである。  引っ越しの終わったその日、広々としたリビングの窓から、朋子は港の風景を眺めた。ほっとしたような、ようやく戻るべきところに戻ったような安定感と幸福感に酔って、朋子は長い間、窓辺に立っていた。  元社長とその家族がどうなったのかは、しばらくしてから風の噂に聞いた。  松戸付近の木賃《きちん》アパートの六畳に、老人と日本語のやや訛った三十そこそこの女と幼児という、親子三代にしては様子のおかしい家族がやってきて住み着いたという。女がソープ勤めをしながら、老人と幼児を養っているらしい。元夫は、ようやくその器量に見合ったささやかな幸せを手に入れた様子だった。  総額六兆円を超える空前の円高不況対策が打ち出されたのは、その直後のことだ。景気が急激に持ち直し、町工場や小さな木造家屋が一掃されて更地になったかと思うと、石炭の露天掘りのような巨大な穴が穿《うが》たれ、高層ビルの骨組みが立ち上がっていく。建材、特に大理石の需要は急上昇した。工場は国内外ともフル稼働しても、とうてい需要に追いつかない。  一方、会社の所有する土地は天井知らずの値上がりをみせ、資産は膨らんでいった。  そのころ朋子の許を、男たちが頻繁に訪れるようになった。  ぴんとプレスされた襟元も眩しいコンチネンタルタイプのスーツ、いくぶん艶のある布地で仕立てられたゆったりしたダブルのスーツ……。十以上も年上だった元夫と異なり、彼らは颯爽とした青春の息吹をまだ身辺にまといつかせた若い牡たちだった。そのグレーのスーツに、朋子はあの輝く銀の毛並を見た。  最初にやってきたのは銀行員と不動産屋だった。  ──今なら金利が底ですよ。借金してでも不動産を買って、インフレヘッジにしなくちゃ。そのほうが税制上も有利なんだから。  ──本業が好調な今だからこそ、土地を買いそれに上物を作っておいたらいかがでしょうか。  ピンクの鼻面をひくひくとうごめかせ、毛並の良い鼠たちは口々に言う。  朋子はふと孤独感に襲われた。今までも孤独だったが、孤独感を感じたことはなかった。しかしこのとき新品のスーツを着た美しく若々しい牡鼠たちに取り囲まれて、朋子はひどく心細く、淋しかった。それを察したかのように鼠の一匹がそっと体をすり寄せてきた。おもわずなでてみたくなるような美しい毛並だった。  証券屋の営業マンだった。 「株は絶対上がりますよ。来年中には、日経平均二万八千円、再来年には、三万五千円をつけます。今ですよ、今」 「ええ、そうねえ……」  朋子は今のままで充分、満足していたのだ。横浜の家での家政婦と二人の生活も、手堅い建材屋の商売も、死ぬまで続けていられればそれでよかった。  しかし時代が満ち潮のように、朋子の生活を洗っていく。  宿命だ、と朋子は観念した。満ち潮に乗って、無数の齧歯類がやってきた。その一匹が膝に乗ってきた。それだけの話だ。  朋子は初めて四千万の金を一時に動かした。株を買ったのだ。義父の代からいる生え抜きの財務部長が止めたが、朋子の固い決意を知ると、それ以上強硬には反対しなかった。世の中全体がそういう方向に流れていたのだ。勝負に打って出ない財務担当者は、怠慢だとみなされる時代だった。株は四日後に、二割増しで売れた。遠い昔、友達を助けるために買ったときのように五倍には化けなかったが、元手が大きいから利益も莫大だ。儲けた金は、別のものに再投資された。 「稲城《いなぎ》の方にいい土地があるんですよ」  もう一匹の鼠が、朋子の足元にピンクの鼻をこすりつけながら、キイキイとしゃべった。朋子はそっと手を伸ばし、二匹目を抱き上げた。  孤独感は消えていった。さらに三匹目、四匹目が、膝に乗ってきた……。  明けて一九八八年は、輝かしい年になった。東京の郊外に建てたマンションが、竣工前に売り切れになり、それで得た利益は株式に投資され、金が金を生む。男の社長ならうつつをぬかす遊びにも、その結果の放漫経営にも、朋子は縁がない。金を増やすことそのものが、朋子の趣味であり、生きがいであり、宿命でさえあるように感じられた。  都下のマンションはまもなく供給過剰になるだろう。むしろこの先はオフィス需要が逼迫《ひつぱく》してくる。そう助言したのが、スーツ姿の鼠のうち、どれだったのかよく覚えてはいない。  まず手始めに池袋に貸しビルを建てた。こちらは建ち上がる前に申し込みが殺到した。  小さな自治体なら一年分の予算に匹敵しそうな金が、一日二日で回転していく。  毎日が祭りとなった。朋子はせっかく取り戻した横浜の家に戻る余裕がなくなった。本社ビルのある御茶ノ水近辺のホテルに泊まる日が続く。  ベッドに入っても眠れない。目を閉じると、押し寄せてくる齧歯類の銀の毛皮が、幻のように瞼の裏に広がり、成功への確信と破滅への漠然とした不安が交錯する。  自分の見たあの光景は、確かに鼠と宝船だ。あれが見えたということは永遠に自分の宿命としての繁栄が続くのだと朋子は自分に言い聞かせる。体の隅々にまで精気がみなぎるかと思うと、一瞬後には背筋から力が抜けていく。ほんの少し先をみつめ、走るしかない。振り返ることも、十年先の自分自身に思いを馳せることもできない。自分の方が白鼠になって、輪の中で息つく暇もなく回転しているようだ。強迫的な躁状態の多忙さは心地よかったが、一人になると奈落の底に引き込まれるように深い疲労感が襲ってくる。  池袋の次は臨海副都心だ、とだれかが言った。銀の毛皮の、若々しい齧歯類が、鼻をひくひくと動かし時代の匂いを嗅ぎ取りながら、朋子にささやきかける。そのとき自分がなんと答えたのかは忘れてしまった。 「いろいろ儲けさしてもらったし、ここは一つ、あんたの顔を立ててあげようか」だったのか、それとも「税金にもっていかれるくらいなら、あんたの儲けにさせてあげる」だったのか。とにかく投資する金額を数桁間違えているような言葉を朋子は吐いた。金銭感覚は完全に狂っていた。いや、それ以前に朋子の金銭感覚では計れない単位に取引全体が膨れあがっていたのだ。扱う人間の器を超えて金が入ってきたとき、単に物の交換手段である金は、持ち主を襲う凶器に変わる。  昭和から平成に変わった年の春、公定歩合が引き上げられた。それでもじわじわと株価が上昇するのを、朋子はさしたる危機感もなく眺めていた。むしろキイキイと鳴く鼠をなでながら、小反落を機に買い増したりしていた。そしてその年の暮れ、株価は天井を打ち翌年から急激に落ちていった。しかし株価は落ちても、地価は下がらない。  土地がしっかりしていれば、株は必ず値を戻す。そう信じて、右下がりのグラフをにらむ日が続いた。事実、オフィスビル建築のために買った有明近辺の地価はそのときも順調に上がり続けていたのだ。  しかし翌年の春、上がりすぎた地価と噴き出した国民の批判に怖れをなしたかのように、大蔵省は突然、不動産金融の総量規制を打ち出した。  土地を買うための金が、それまでのように自由に銀行から借りられなくなった。そして八月、イラクがクウェートに突然侵攻する。朋子ははじめて引き潮を意識した。それでも「うちだけは流れが違う」とつぶやきながら、バグダッドから飛びたっていく戦闘爆撃機の映像をぼんやり眺めていた。  直後に株価は急落した。資金源を断たれて、土地の売買件数は急速に落ち込んでいく。ついに地価の反落が始まった。土地を買うために借りた金の金利だけが急カーブでふくれあがっていく。もうだれもどうすることもできない。強い逆風が吹き始めた。何もかも凍らせるみぞれ混じりの木枯らしだ。  五年持ちこたえれば、と危機感に身を強ばらせながら朋子は考えた。建設業界の好不況の波は五年ごとに来る。それにこんな状態を政府がいつまでも放置するはずがない。  自分は違うのだ、という思いは現実が厳しくなると、さらに強固なものになった。  自分だけは違う。自分にはあの銀の毛並の鼠と光り輝く宝船がついている。富と繁栄は、家庭や愛情といったものと引き替えに、生きている限り自分について回る。  朋子は本業に精を出し始めた。しかしどこも金づまりで、建築需要は底にある。しかも経済力を伸ばした台湾は、もはや安価な材料と労働力の供給基地ではなくなっていた。無理をして利益率の悪い仕事を取った結果、売り上げは上がっても収益は反対に落ちていく。仕事は忙しいのに社員にボーナスも払えないという状態になった。それどころか給料さえ危ない。  買い漁《あさ》った土地と建物を投げ売りに出し、運転資金を作る。しかしそれができたのもごく短期間だった。年が明けると、どこも買い手がつかなくなった。  有明のビルは組み終えた鉄骨がむき出しになった状態で、資金不足のために建築がストップした。  いったい鼠はどこに行った? 宝船はどこに行った?  ここに至ってなお、公認会計士にも、弁護士にも相談することなく、朋子は社員のあらかた去ったオフィスにぼんやりと腰掛けていた。  そしてある日、再びスーツ姿の男たちがやってきた。しかし今度は前に来た男たちとは少し様子が違う。薄黒い鼻をひくひくうごめかせ、灰色の濡れた毛並を逆立てて、一回り大きな生き物が押しかけてきた。  取引先、原材料供給先、金融業者に囲まれ「もう少し待ってください」という以外、朋子は応戦のしかたを知らなかった。古参の財務部長は、朋子のやり方に呆れはてバブルの頂点で去ってしまっていた。 「もう少しではなく、具体的に回答しろ」という怒号の中、突然正面のドアが開いた。  異様に物腰の丁寧な男が一人入ってきた。その姿は大きく威圧的で、無数のどぶねずみの背後から、真っ黒な鉄の船が重油臭い煙を吐きながら現われたように見えた。  そのとき、それまで罵声を浴びせかけていた債権者の一人が、すばやくオフィスの後方のドアを開けた。 「早く逃げなさい。殺される」  朋子は震え上がって、言われた通りにした。債権者たちが人垣を作って守ってくれた。朋子の身を思いやったからではない。その筋の始末屋に介入され根こそぎ持っていかれ、自分たちの回収分がなくなることを危惧したのだ。  朋子は逃げた。ビルの非常口から外に出て、ようやく今が真冬だということに気づいた。しかし匿《かくま》ってくれる者はいない。親戚も家族も友人も、この二十年の間にすべて失っていた。  たった一カ所、逃げ場があった。  危機を好機に変える奇跡を起こしてくれる場所があった。たとえ愛情や家族という幸福を失っても、かわりの幸運を与えてくれる何かが、そこで待っていてくれるはずだった。  朋子が空港のカウンターに辿り着くと、待っていたかのように白浜行きの飛行機にキャンセルのあることを告げられた。有り金をかき集めチケットを買う。プロペラ機なので料金が安いのがありがたい。億の金ではぴんとこなくても、千円単位なら鋭敏に反応する自分の感覚が不思議でもあり、悲しかった。  ホテルに着いたのは、夕暮どきだ。初めてきた時、最後のぜいたくにふさわしく豪華に見えたホテルは、平成のバブルの弾けた後のこの時代になると、外壁の塗装がはげかけ、玄関のステンドグラスにひびが入り、それをテープで補強してあるというなんとも寒々しい有様に変わっていた。それでも客は入っている。かつてのように新婚旅行客の姿はないが、釣り人のグループが玄関のたたきでリールの調子を見ている。  浜の方がにぎやかだ。 「村起こしっていうんですか、昔の行事を復活したんですよ。藁の神様を作って海に流すの。大漁祈願の漁師の祭りとは別みたいよ。商売繁盛、疫病封じとか言ってたかしら。七年に一度ですって。流した神様は海の向こうにある世界に行くそうですよ」  客室係の女が朋子を案内しながら言った。廊下には、ペンダントタイプの照明がぼうっと灯っている。鈴蘭の花のような形のシェードは、初めて来たときから変わっていない。長細い蛍光灯ばかり見慣れた時代、とてつもなく華やかに豪華に見えたそれは今、全体が黄ばみ金具が錆《さ》びて、天井や壁に染みの浮き出た廊下をさらにわびしく見せていた。朋子はその廊下の突き当たりに目をやった。何かの間違いか、と一瞬目を疑った。  ドアがない。そこにあったはずのドアが消え、のっぺらぼうのベージュ色の壁に変わっていた。 「あれは?」と朋子は、指差した。「ドアがないじゃないの」 「ええ」と客室係は、微笑して応じた。 「お客さん、前にもいらっしゃったんですか。非常口の位置、変わったんですよ、ほら、そこ」と脇を指差した。  壁と同じ色をした鉄板のドアが、そこにある。 「いえ、あのドアは……」 「こちらも少しずつ改築しましてね、サウナができたんですよ。夏には、韓国風あかすりも始めますから」  うわの空で朋子はかつてドアのあった場所をみつめた。周りと同じ色に塗ってあったが、そこの部分の壁だけが長方形に新しく、染みがなかった。  命運は尽きた……。奇跡の海とのルートは断ち切られていた。  客室に入ると寒さが身にしみた。冬の陽はすっかり落ち、闇の中に波の音が聞こえる。朋子は座卓の前に腰を下ろし、ガラス窓の向こうに目を凝らす。しかしそこには染めの落ちかけた白髪頭をがくりと垂らし、背を丸めてお茶をすすっている老女の姿があるばかりだ。一瞬自分の姿であることが信じられなかった。まだ六十前だというのに、なぜこれほど老け込んだのか。  いいことなんか、何もなかった、と思わずつぶやいた。  何一つ、楽しいことなんかなかったと、どこか知らないところで増えて、どこか知らないところに消えていった金のことを思った。  数億の財産を築いたときも、数億の負債を抱えたときも、同じようなものを食べ、同じようなものを着ていた。そしていつも孤独だった。結局のところ朋子にとっての金は、単なる金銭貸借表の中の把握しがたい数字の一群でしかなく、朋子の人生になんら輝かしい夢をもたらすものではなかった。  夜中に目覚めて窓の外に目をやった。暗やみに慣れた目には、うっすらと広がる黒い海面と手前の大岩の影が識別できたが、いつか見た神秘的な光は、その光景のどこにもなかった。  そっと起きだし廊下に出た。外に出てみようと正面玄関のドアを押してみたが、押しても引いてもびくともしない。ほこりっぽい布をかけた売店の土産物の山を、薄暗い蛍光灯が照らしているだけだ。  再び廊下に戻る。部屋の前を通り過ぎ、ぼんやり歩いていった。そして突然気づいた。  ドアがある。  朋子の鼻先に、あの彫刻をほどこした、真鍮《しんちゆう》のノブのついた丈高いドアが、そびえるようにあった。  まさか、と触れてみる。幾何学文様を彫り出したニスを塗った木のなめらかな感触、そしてノブの冷たい手触り。  握り締めたノブをゆっくり回す。軽やかな音をたててロックが外れ、ドアは開いた。磯の香りを含んだ生暖かい風が吹き込んできた。  それは廊下のエアコンで暖められた空気と攪拌され、すぐ脇に画鋲で不安定に止められた列車の時刻表の縁をひらひらと揺らした。  朋子はドアを大きく開き、一歩踏み出した。  いつ作り替えたのか、テラスは真新しい白木になっている。テラスだけではない。磯に続く回廊も、前回来たときは湿気で黒く腐りかけていたのが、今は木の香りさえ新しい白木だ。淡いオレンジ色の光が一帯を照らしていた。  浜で焚火をしているのだ。  白装束の人々が片手に笹や汐汲みの杓を持って、焚火の周りをゆっくり回っている。  いつか見た胡麻塩のパーマ頭をした漁師のおかみさんが、日焼けした顔をこちらに向けた。しかし今回は、人々も焚火もごく普通の大きさだ。回廊から二メートルと離れていないところで、厳粛な表情で朋子をみつめ、来い、というように、手招きした。  いつのまにか白装束の人々全員が、焚火の周りを回るのを止め、こちらを向いて立っていた。中年の女が三人と、真っ白の少ない髪を後ろに結った老女が二人。その人々とどこかで会ったことがあるような気がした。債権者の一人か、元夫の親類か、あるいは生まれ育った甲府の実家の奥座敷で鴨居の上に飾られていた写真か。切なく懐かしい思いが胸に込み上げた。  にこりともせず、しかし限りない親しみを込めて、彼女たちは手招きをした。  朋子は体を屈めて、手摺りの下をくぐった。それから注意深く砂の上に飛び降りる。湿った砂の感触が足裏にあり、次の瞬間ふわりと体が浮くのを感じた。  白装束の女たちが自分の体を担ぎ上げたのだ。朋子は砂浜の上の座布団ほどの大きさの藁の船の上に鎮座させられた。女たちがそれを波の上に押しやる。不思議なことに藁の船は沈まず、朋子を乗せたまま浮いた。  不意にあの気配がした。無数の鼻面、無数の銀の毛並が押し寄せてくる。海面が泡立ち、朋子の乗った藁の船は、そちらの方に向かってゆっくりと流されていく。  やがて海面は銀の毛並一色になる。これは鼠などではない、と朋子は悟った。繁栄と富でもなく、災いでもない。  愛も、金も、欲望も、何もかも消えて無くなった後、自分が戻っていく、巨大な知恵の懐だ。朋子の船はやがて小動物の体によって、くるくると回転し始めた。もはやどちらが西やら東やら、どちらが磯でどちらが沖なのやら、見当もつかない。  そのとき頭上から光が射した。巨大な船影が自分を呑み込むようにゆっくりと近づいてくるのを朋子は感じた。  膝を抱えるような格好で浜に老女が倒れているのを発見したのは、まだ暗いうちに沖釣りに出た客のグループだった。助け起こそうとしたときには、息がなかった。崖上にホテルがあるので、そこの窓から寝呆けるか何かして転落したらしい。それにしても老女の泊まっていた部屋は、浜とは反対側で、廊下にも窓やドアはない。いったいどこから落ちたのか、後に現場検証にやってきた警察官やホテルの従業員にも皆目見当がつかなかった。  少し離れた海岸沿いにある神社では、宮司がゴミ拾いをしていた。潮の流れの関係から、この海岸線のゴミや海藻のちぎれたものは、この神社のある小さな入江に流れ着いてしまう。  そしてこの日、大量の藁の船と藁人形がここに打ち上げられた。前日の祭りで流された神様の残骸だ。  古くからの言い伝えがどうであろうと、それらが太平洋をわたってハワイ沖に流れつくはずはないし、もちろん常世《とこよ》に行くはずもない。波に揉まれて沈む前に、二キロと離れていない小さな入江にたまって終わりだ。 「村起こしだか、伝統行事だか知らないけど、これってただの海洋汚染だよな」とぶつぶつ言いながら、今年大学を卒業して故郷に呼び戻された若い宮司は、つぎつぎに流れ着く藁や和紙などを拾い集める。  ふとその一つを手にして首を傾げた。膝に鼠のようなものをかかえ藁船に行儀よく鎮座している藁人形だ。しかしその頭部に白髪混じりの人毛が植えられていて、目も鼻も何もないその顔が、なぜか穏やかな笑みを浮かべているように感じられた。 「へえ」と肩をすくめた後、彼は他の漂着物と一緒に、それを黒いビニール袋に放りこんだ。 [#改ページ]    コヨーテは月に落ちる  もうどのくらい、経つだろう。ここに迷い込んでから。  いや、迷い込むも何もない。自分はここの住人、このマンションの一室を所有する人間なのだ。こともあろうに、自分のマンションで迷うとは。いや、出ることも、この建物の中にある自分の部屋に入ることさえかなわないとは。  もっとも入れたとしても、中はがらんどうだ。家財道具はもちろん布団さえ運び込んでいない。ここを買って、薄汚い木造アパートの六畳二間から引っ越そうとした直前に、転勤の辞令が下りてしまったからだ。  こつこつ貯めた一千万円と共済組合と住宅金融公庫と銀行からの借金、合わせて一千四百万の二十年ローン。一大決心をして手に入れた自分の城に一夜も泊まらないうちに、来週の月曜日には、青森にある事務所に出勤しなければならなくなった。  それが二十二年まじめに勤めてきたノンキャリアに対する人事課の措置だ。  しかしこの状態では、どうやって転勤の準備をすればいいのだろう。それどころか、どうやって出勤すればいいのか……。いや、もうすでに「来週の月曜日」は来てしまっているのかもしれない。  廊下にしゃがみ込み、冷たい壁にもたれて、寺岡美佐子はバッグからピルケースを取り出した。中の錠剤を口に入れ飲み下した。頭がはっきりしない。もう一錠、さらにもう一錠……。効きそうにないから、あと一錠。  少し休んだら、エレベーターホールの方に行ってみようと思う。さきほどそこにエレベーターホールはあったが、まだあるのかどうかはわからない。  人生に定かなものなどない。あの不条理な転勤辞令一つ見てもわかるではないか。目に映るこの世のものは、すべてが不確かだ。  そもそもここに自分が来るきっかけになった出来事だって、本来ありえないことだった。  あれがいつのことなのか、美佐子の腕時計によれば、わずか二時間足らずの間に起きたはずなのだが、何日も経ったような気がしてしかたない。  宵闇迫る銀座の雑踏で、それは美佐子の左のふくらはぎをかすめてすれ違い、一瞬のうちに人の群れに呑み込まれていった。灰褐色の毛をした、中型の秋田犬ほどの大きさの動物。普通なら犬と見まごうはずで、現に近くを歩いていたサラリーマンの三人連れは、「おっ、野良犬か、めずらしいな、こんなところに」と声を上げた。  しかしそれは犬などではなかった。  透明な飴色の目とピンと立った大きな耳、そしてほっそりした顔。振り返ったとき、それは人混みの中を驚く程の速さで駆け抜けようとしていた。  太く大きな尻尾がほぼ水平になびき、四本の足は目に見えない一本の細いリボンの上を渡るように、見事なばかりの直線歩行を見せていた。犬では決してありえないフットワークだった。  見てはならないものを見た。とっさに美佐子はきびすを返して、その後を追っていた。  歩道を駆け出すと、帰宅を急ぐサラリーマン、買物をするOL、そして同伴出勤をしてくるピンヒールの女性たちとぶつかりそうになった。よろめき、肩を接した人々に忙《せわ》しなく謝りながら、美佐子は走る。四十も半ばに達した体は、あの動物のように、しなやかに敏捷に人々の間を泳ぎ抜けることはできない。  コヨーテ。  交換留学生としてアメリカに渡った美佐子が、フィールドワークの折に目にした光景は、今でも脳裏に鮮やかだ。ロサンゼルスからバスで十一時間も行った砂漠。そこにある大学からさらにジープで四時間も走ったところにあるインディアンの居住地でのことだった。「民族言語とイメージ」というのが、たしかあの講座のテーマだっただろうか。夢のあった時代だった。輝かしく過ぎ去った一瞬だった。もう二十年も前のことになる。  砂漠の中の、特に生産力に乏しい不毛の地だけを選んで不定形に囲ったようなインディアン居住地のゴミ捨て場にそれはいた。くず籠に首を突っ込み、中からとうもろこしの芯のようなものを引っ張り出してくわえたまま、美佐子を一瞥した。瞳が沈みゆく夕日を溶かし込んで金色に透けて見えた。  それは確かに犬ではなかった。ゴミを漁りながらも、さもしさはなく、凍り付くばかりの孤独感と獣の誇りを見せて、砂の上に長い影を引いて立っていた。そして一瞬後には美佐子の脇をかすめて、一陣の風のように砂の上を走り去っていった。  そう、コヨーテは北アメリカの平原に棲む。ときおり何を間違えたのか、町に出てきてゴミを漁り、子供を襲うこともある……。  けれども、銀座の夕暮の雑踏に、出没するはずはない。いるはずのないものが現われ、それが人混みに消えた後も、美佐子は追い続けた。気がつくとすでに銀座を通り越し、新橋まで来ていた。  晩秋の日はとうに暮れている。  コヨーテどころではなかった。  まもなく儀式が始まるところだったのだ。無意味な儀式が。 「係長を送るんですから、いいところにしましょうよ」と若いキャリアが美佐子の歓送会場に決めた店は、銀座にあるフランス料理店だった。  別に私のためじゃない、と美佐子はつぶやいていた。レストランでの一次会が終わった後、若いキャリアやアルバイトの女性たちからの二次会の誘いをやんわりと断り、あとはみなさんで、と一万円札をそっと渡して消えるのが、中年のノンキャリアのたしなみというものだ。役所というフィールドの中で、棲み分けは厳然としている。  官庁に入ったのは、女性が一生働くにはここしかない、と思ったからだ。ノンキャリアであることなどさほど深刻に考えてはいなかった。その中で、与えられた仕事を着実にこなし、一つ一つ夢を失っていった。  銀座の人通りやネオンは今や途絶え、あたりは殺風景なオフィスビルの谷間に排気ガスが淀んでいるだけだ。コヨーテはいなかった。  見間違いだったかもしれないと思った。  コヨーテは、狼でも狐でも、ディンゴでも、もちろん犬でもない。あえて言えば、狼と狐の中間的なフォルムを持った動物と言えようか。だから姿だけ見れば、雑種の犬に似てなくもない。しかし犬にあの四肢を交差させるような直線歩行はできない。  歓送会の開始時刻から五分が過ぎた。五分の遅刻は、美佐子の役人生活にはありえないことだった。二十二年間、配属された部署の机の前に、少なくとも十五分前には座っていた。霞が関にいたときも、名古屋の事務所にいたときも、そして地方の出先機関に飛ばされたときも、遅刻したことはない。面倒を見たキャリア組の若者を地方の自治体に送り出す壮行会でさえ、遅れたことはない。  しかし自分のための、自分が到着しなければ始まらないはずの歓送会に、美佐子は開始時刻を五分過ぎてもまだ行かず、コヨーテを追っていた。  目を上げると少し離れたビルの壁の液晶パネルに文字が流れている。そしてその前に人だかりができていた。口々に何やら騒いでいるところを見ると、西武の優勝か、それともオウムの信者でも捕まったのか?  文字が一転して日本列島の地図が大きく映し出された。季節はずれの大型台風でもくるのだろうか。  一瞥して通り過ぎ新橋駅前に出た。殺風景なロータリーに、コヨーテの姿はない。  空車のタクシーが急発進してどこかに走っていく。人々が駅に殺到している。首を傾げてその様を見ている美佐子の脇をパトカーが猛スピードで走り去る。  歓送会の開始時刻から十五分が過ぎた。これから銀座に戻れば、二十五分の遅れだ。もう戻れないと諦めた。  そのときロータリー中央にある階段を、あの動物が軽やかな足取りで駆け上がっていくのが見えた。灰褐色の背中の毛が排気ガス臭い風にそよいでいる。太い尻尾がバランスを取るように左右に振れる。美佐子は、弾かれたように走り出す。階段を昇ると息が切れる。やがて無人電車の乗り場に出た。  コヨーテはいなかった。美佐子は切符を買い、ホームに駆け上がる。  発車寸前の電車に飛び乗ると同時にドアが閉まった。車両の前から後まで見渡したが、灰褐色の毛並みはどこにもない。にもかかわらず、そこにははっきりと獣の匂いが残っていた。つんとくるような刺激臭。脂と尿と獲物の血の入り交じった匂いは、犬のものではない。馬でも牛でも山羊でもない。飼い慣らされることを毅然として拒否する獣の匂い。それに美佐子は切なく熱い胸のたぎりを覚えた。座席のひとつに腰かけ、外の闇に目を凝らす。無人電車は、カーブし緩やかに起伏した軌道上を滑るように進んでいく。  時計を見ると、すでに六時四十分を回っていた。  レストランではもう料理が運ばれてきたことだろう。幹事は時計を見て、軽く舌打ちして宴会の開始を告げ、主賓がいないまま、シャンペンで乾杯が行なわれ、和やかな会が始まる。自分がいてもいなくても、会は和やかに進行していく。だれも不自由はしない。  しかし仕事の場面でだけは自分が必要とされる。その思いは誇らしさよりも、虚しさを誘う。  窓の向こうにあるのは、埋立地に囲まれた暗い海だ。ガラスの漆黒の面に美佐子自身の姿が映っている。  ツイードのスーツに、七宝のペンダント、お揃いの七宝のイヤリング。この日のためにした精一杯のおしゃれ。ただし髪にまでは手が回らなかった。グレーのショートカットと言えば聞こえがいいが、カラーリングにもパーマにも無縁の髪。仕事の合間にビルの地下に入っている理髪店に行って切ってもらった髪だ。  初めて白髪を見つけたのは、転勤先の名古屋でのことだ。格別暑かったその年の夏がようやく終わろうとする頃だっただろうか。  すでに女の盛りは過ぎたのだとそのとき美佐子は実感した。  安い給料をもらいながら、月二百時間を超える残業と持ち帰り仕事を抱えて、二十代はあっけなく終わっていた。結婚を意識しないということはなかったが、始発で家に戻り仮眠してまた出勤するといった生活では、恋に傾けるエネルギーなど、どこにも残らない。三十代に入って、係長昇格の条件として出されたのが名古屋転勤だった。  慣れない土地での神経をすり減らす生活と白髪の代わりに、本省に戻った美佐子は係長のポストを与えられ、その二年後には再び地方の事務所に飛ばされ、去年、霞が関に戻ってきた。  名古屋時代に初めて発見した白髪は、新たな赴任地を与えられた今、頭全体を灰色に変えている。  法案の提出や予算編成のために膨大な資料を作るのは毎年のことだが、今年はさらに多忙だった。ある事件が起きて、書類を検察に押収されることになったのだ。その前に仕事に使う書類八千枚をコピーしなければならなくなり、美佐子たちは丸二日間、コピー機にはりついた。一言で言えばキャリアの尻拭いで、それが転勤をひかえた美佐子の最後の仕事となった。そう言えば、十年ほど前、大臣のスキャンダルのもみ消しに若いキャリアとともに奔走したこともあった。それでもノンキャリアの出世は課長補佐どまり。結婚も人生のあらゆる楽しみもあきらめて打ち込むほどの仕事ではない、と気づいた時は四十になっていた。  だから家を買うことに最後の夢をかけた。少なくとも自分の勤め人としての人生が、形となって残る。  この九月、霞が関と直結する地下鉄路線につながる私鉄の沿線にマンションができた。女性の単身者にぴったりとうたった地上二十四階のツインタワーのセキュリティは万全で、眺めの良い部屋は、便利で洒落た造りになっている。  迷った挙げ句に、美佐子はそこを買い、直後に青森への転勤辞令が下りた。  電車はレインボーブリッジにかかった。軽い頭痛と耳鳴りが始まり、美佐子はピルケースから薬を取り出し、水なしで飲んだ。飲みすぎているのはわかっている。しかし書類作成中に頭がぼうっとなってミスでもしたら取り返しがつかない。会議中や業者を相手にしているときに震えがきたら信用にかかわる。 「更年期障害なんていうのはね、病気じゃないんだから、気の持ちようで乗り切れるものですよ。昔、女の人が何人も子供を産んで育てた頃は、問題にもされなかったんですよ。今みたいに便利じゃなかったから、忙しくてそれどころじゃなかったからね。あなたみたいに子供を産んだことがなくて、ずっと独身でいると、症状を強く自覚することが多いんだよね」  医者はそう言った。男の医者だった。  それから漢方に民間療法に自然食品、いろいろなものを試した。どくだみ茶、コラーゲンと、よもぎ、テープ療法なんてものも試みた。どれも効かなかった。  干しサボテンだけが効いた。行きつけの漢方薬屋で買ったもので、煎じて冷蔵庫に入れておき、毎日さかずき一杯ずつ飲む。初めは、これもだめだった。三日続けたが効果はなく、四日目にばかばかしくなって、残りの煎じ汁全部といつもの錠剤を三粒飲んだらどういうわけか効いた。一年ぶりくらいにぐっすり眠って、翌日は耳鳴りもほてりもなくなった。理由もなく心が弾み、高揚した気分になって、仕事にリズムが出てきた。しかしその翌日はぐったりと体中から力がぬけた。発汗ものぼせもひどい。  そこでまた飲んだ。サボテンだけでも、錠剤だけでもだめで、両方一緒に飲むと気分は急に壮快になる。そうするうちに量は少しずつ増えていった。増やさないと効かない。錠剤は普通の鎮痛剤だからいいが、サボテンは百グラム二千円もする。もう少し安いのはないの? と尋ねると、色黒の顔に口ひげを生やしたうさん臭い店主は首を振った。  体の病気にも心の病気にも効く優れた薬だ。これでも安すぎる、と。ただし飲みすぎはいけない。このサボテンはあの世とこの世の間、あっちの宇宙とこっちの宇宙の間を隔てている壁に、穴を空けてしまう恐れがあるんだ。  人をくったことを、と美佐子は舌打ちした。私の心にはとうに穴が空いている。いくつもいくつも空いて、寒いったらありゃしない。この上、財布にまで穴をあけられてたまるか。そう悪態をついて、店を出た。  しかし今、ここにサボテンはないから、頭がぼうっとしてきても、飲めるのは鎮痛剤だけだ。五錠も飲んだら少し頭がすっきりした。  時刻はまもなく七時。歓送会無断欠席、これが二十二年の役所生活の中でたった一度の抵抗になるかもしれない。  そのとき窓の外の暗い海がうねったような気がした。墜落感をともなっためまいを感じた直後に、電車は大きく一つ揺れて止まった。  車内は意外なほど静かだ。騒ぐ客もいない。一呼吸おいて、海の向こうに見える都心の灯りが夏の花火のように砕け散り、空一面が輝いた。真昼のような青空ではない。磨き上げた銀の盆のように真っ白に輝いたのだ。すべては一瞬のことだった。  どのくらい時間が経っただろう。人工の光がところどころ瞬《またた》く埋立地を電車は蛇行しながら進んでいく。奇妙な音を立てて停まった電車のドアが開き、再び閉じる寸前、美佐子はプラットホームの階段を下りていく獣の太い尾の先端を見た。  慌てて席を立ち、閉まりかけたドアをこじ開けるようにしてホームに下りる。 「発車間際の駆け込みは、大変に危険です」という間の抜けたアナウンスを背に、美佐子は階段を駆け下りた。  無人の駅だ。駅員だけでなく、乗降客もいない。  外に出ると、整地されただけのだだっ広い土地が広がっていた。脇には作りかけのビルの土台らしきものが、錆びた鉄筋を直立させて放置されている。建材をおおったビニールシートが、木枯らしにぱたぱたと翻り、美佐子は上着の襟を立てる。  廃墟の町のようだ。いや、作りかけて放置された町か……。  街灯らしいものもないが、全体がぼんやりと明るい。雲が低く垂れこめ、淡く顔を出した月の光が空一面に鈍く反射しているのだ。  黎明《れいめい》を思わせるその光の中をコヨーテが走っていた。どこまでも平坦な大地に道らしきものはない。建物もない。そこここに月見草が丈高く茂っている。とはいっても、花の時期はとうに過ぎ、細長く枯れた種子とおぼしきものを付けているだけだ。そしてやはり枯れて褐色に縮れたセイタカアワダチソウが生い茂る。  埋め立てたきり開発しそこねた海の残骸のような土地をコヨーテは走る。頭を下げ、小刻みに四本の足を動かし、止まることも急ぐこともなく、細いリボンの上を渡るようにどこまでも真っ直ぐに走る。  美佐子はその姿を追う。五分ほどで息が切れ、ローヒールの足首も痛み始め、美佐子は崩れるようにその場にうずくまった。両手を膝に置き、しばらくの間荒い息をついていた。  やがて顔を上げたとき、コヨーテは視野から消えていた。雲間の月に照らされた夜の大地があるきり、駅もその前にあった建ちかけのビルも、何もない。  すべてが幻だった……。  ふと目を上げ、自分が長い影の下にいることに気づいた。二本の影が乾いた大地の上に伸び、その一方が美佐子を呑み込んでいる。  雲は取り払われ月が輝いていた。  美佐子は小さな呻き声を上げ、何度も瞬きした。  いつのまにか、我が家の前に帰ってきている。いや、我が家ではない。我が家になりそこなったところ、最近買ったマンションが目の前に出現していた。しかしあのツインタワーが、ここ臨海副都心にあるはずはない。あれは霞が関に地下鉄で直結した東京北端の町にあるはずだ。  あるいは自分は、一旦、新橋からあの埋立地に行き、どこかで記憶を失って、ここにやってきたのか。  ひょっとすると、新橋から思いなおして歓送会の会場に行き、遅れたことを平謝りに謝り、その後二次会、三次会に付き合い、泥酔して自宅にたどりついたのかもしれない。いずれにせよ、記憶がなくなるほど泥酔したことは以前にはない。これは歳のせいか、それとも薬のせいなのか?  それにしても、やってきたのが現在寝起きしている高円寺の安アパートではなく、このマンションというところに、諦めるに諦めきれない自分の思いをあらためて知らされる。  ため息をついて美佐子は振り返った。  コヨーテから始まった幻覚はまだ続いているらしい。マンションの前にあるはずの道路はない。歩道橋も公園も、公園脇にある地下鉄出口も、そして道路を隔てた向こうに広がる中層の団地も、何もない。平らな土の上に、茶色に縮れたセイタカアワダチソウと種ばかりになった月見草が、冷たい風に揺れているばかりだ。ツイードの目の粗い生地を通し、寒さが皮膚に染み入ってくる。  美佐子は両手に息を吹き掛けながら、建物の中に入った。  磨かれた黒みかげ石の玄関ホールには、郵便受けが並んでいる。郵便受けの脇にインターホンがついており、エレベーターホールと玄関の間は、透明なガラス戸で仕切られている。美佐子はポケットを探った。冷たい手触りがあったが、それは高円寺のアパートの鍵だった。ガラス戸は、インターホンによって部屋の主に来訪を告げるか、部屋の鍵を差し込むかしなければ開かない。このマンションの誇るセキュリティシステムの一つだ。  ぼんやりと、郵便受けの2209という表示を眺める。二十二階の美佐子の部屋の番号だ。数字だけで名前は入っていない。この先数年は、入ることがないだろう。  そのとき滑らかな音がして、ガラス戸が開いた。住民が出てきたのかもしれないとそちらを見るが、人影はない。  寒気に追われるように美佐子は中に入り、二基あるエレベーターの一つに乗り、これといった意図もなく、二十二階のボタンを押していた。エレベーターはゆっくり上昇し、目的階で止まった。  タワーの中心部を通ったエレベーターを取り囲むように廊下と部屋が並んでいる。  表札のない2209号室の前まで来て、美佐子はノブを掴んでみた。金属の冷たさが、手のひらに伝わってくるだけで、当然のことながらドアは開かなかった。  廊下に立っていてもしかたないので、高円寺のアパートに戻ろうとエレベーターホールに向かい歩き出す。ふと違和感を覚えた。それが何に起因するのか、わからないままエレベーターに乗った。  1Fのボタンを押そうとして気づいた。ボタンがない。ドアの脇にはつるりとした壁があるだけだ。ボタンの上にカバープレートでも被せてあるのか、と手のひらで触れてみるが、それらしきものはない。  ぽかんと口を開いていると、網入りガラスを透かしてエレベーターが下降し始めるのが見えた。コンクリートの内壁と外のフロアの光景が交互に現われ、やがてエレベーターは止まり、ドアが開いた。逃れるように外に出る。さすがにボタンのないエレベーターにこれ以上乗っている気にはなれない。  エレベーターホールで階数を確認しようとしたが、それらしい表示はなく、いったい自分がどこにいるのかわからない。エントランスがないところを見ると、一階でないことだけは確かだ。デパートではあるまいし、懇切丁寧な案内板はいらないにしても、このわかりにくさはどうしたことだろう。我ながらずいぶん妙なところを買ってしまったものだ、と美佐子は舌打ちした。  手がかりを求めて廊下を歩いていると、先程、二十二階で感じた違和感の正体がわかった。タワーの北側にある非常階段の扉脇にあるはずの小さな窓がないのだ。まるで壁に塗りこめられてしまったように、それは消えていた。すると急に外の景色を見たくなった。皮膚の下がざわつくような不安を覚えた。  来るときの埋立地の風景も、コヨーテの姿も、もう消えているはずだ。玄関を出れば、正面は広い道路になっている。それをまたいで、歩道橋が公園を横切り、真っ直ぐ駅ビルに続いている。駅ビルの二階にあるカフェテリアのピンクのネオンサインが、窓から見えるはずだ。それを確かめたい。  しかし窓がみつからないまま、いつの間にかエレベーターホールに戻っていた。廊下を一周していたらしい。  無人のケージがゆっくりと降りてきた。乗り込む前に、美佐子は中に首をつっこんで確認した。ちゃんとボタンはあった。それでは先程乗ったのはどういうエレベーターだったのかと、首を傾げながら乗り込み、1Fのボタンを押す。  エレベーターは二、三階分下降し止まった。ドアが開いたきりロックしたように、動かない。  まだ一階に着いてはいないはずだ。いったん降りて、向かい側にあるエレベーターの下りボタンを押したが、まったく点灯しない。  故障かもしれない。  こうなれば非常階段で下りるしかない。  廊下を回り込むと、不動産屋に案内された折の記憶どおり、非常口の緑色の扉があった。  開けると、中は薄暗い照明がついている。しかし階段を下りることはできない。手摺りと壁の間には有刺鉄線が張ってあるからだ。いったい何のためのものなのかわからない。非常時以外立入禁止というなら、ロープで充分のはずだ。なぜ有刺鉄線などという大げさな物で封鎖するのか。  爆破か何かで、階段が途中で崩れたのだろうか。有刺鉄線の間からうかがうと、階段の中程までが、蛍光灯の青白い光に照らし出されているきり、その先は闇に沈んでいる。  ドアを閉め、美佐子は再びエレベーターホールに戻ろうとした。しかしみつからない。とにかく一周すれば着くはずだと、歩いてみたが、何周してもフロアのどこかにあったはずのその場所にたどりつかない。  何かがおかしい。いや、何もかもがおかしい。混乱した思いで振り返るとめまいを感じた。  廊下が微妙に歪んでいる。中央に立てば真っ直ぐに見通せるはずの廊下正面のドアがずれている上に、床面に微妙な傾斜が生じていた。  建物全体がねじれている。  真四角の角を切り落としたような形の八角形のタワー、その中心部をエレベーターが通り、単身者用の、狭いが機能的な部屋が整然と配置されている。自分が買ったのは、そういうマンションだ。こんな複雑な建物を買った覚えはない。  かぶりを振って、美佐子は視線を足元に落とした。ローヒールの爪先に傷がつき、ストッキングの足首に、伝線が一本入っている。ここに来る前に、銀座で見たとおりの紛れもない自分の足だ。スーツに触れてみると、ツイードのちくちくとした感触が指先に伝わってきた。  これは現実の自分の身体だ。実在感がないのは、「ここ」という空間の方だ。不確かなのが、自分を取り巻く環境なのか、自分の意識なのか判断するのは難しい。とりあえず、自分の意識を疑うよりも、正常な「場」に脱出する方が先だ。  どこかに公衆電話でもないかと思ったが、雑居ビルではないのでそれらしいものは見あたらない。  美佐子はふと時計を見て、眉をひそめた。七時五分。電車を降りて一時間も経ったような気がするが、五分しか経ってない。いや、途中で酔って記憶が途切れているとすれば、翌朝の七時五分かもしれない。  しかし廊下に外光は差し込まないので、確認はできない。  あるいは単純に時計が狂っているのか。そう言えばここ二年以上、電池を取り替えてない。  とにかくここから出て、今が本当に何時なのかを知り、高円寺のアパートに戻り、着替え、そして……出勤しなければならない。  自分の使っていたファイルを整理し、後任の者に渡し、それから転勤だ。  一つのドアの前でためらいながら、インターホンを押した。 「はい……」  警戒感をあらわにして、女の声が答えた。それでも人の肉声が聞けたことに、美佐子はほっとした。 「あの、すみません。ちょっと教えてほしいんですが」 「………」 「迷ってしまって出られないんですが。エレベーターはどこにあるんですか?」  インターホンはぷつりと切れた。あたりまえだ。部屋の鍵がなければ入れないマンションの建物に、住人以外の人間が入ってきた。それだけでも気分が悪いのに、「迷ってしまって出られない」などと言われたら、だれだって切りたくなるだろう。  もう一度、インターホンを押したが、もう相手は出なかった。  あきらめて他の家のインターホンを押す。受話器を上げた音がするが、相手は何も言わない。 「すみません……」  美佐子は言いかけた。 「いりません」  いきなり遮られた。 「いえ、違うんです。すみません、エレベーターの位置がわからなくて、出られないんです」 「ばかじゃないの」という非難とも独り言とも言えない言葉を残し、インターホンは切られた。  喉が渇いた。急に足が痛み始めた。いったいいつまでこうしていればいいのか。渇きや痛みを感じるということは、やはりこれは現実だ。  再び廊下を歩き始めた。  そうしていると頭がぼうっとしてきて、その場に座り込んで薬を飲んでいた。  しばらくたつと、薬が効いてきたのか、思考力が戻ってくるような気がした。  そのとき気づいた。確かここに来る途中の電車の中で飲んだのが五錠、今飲んだのが三錠。足して八錠。職場を出るときに洗面所で飲んだような気もする。ピルケースには五錠しか入れてないはずだ。入れたくても、直径三センチ足らずの銀のケースにはそれ以上入らないのだ。  いったいいつの間に、自分は錠剤を足したのか、それともケースの底から鎮痛剤が湧いてくるのか?  立ち上がって廊下を歩き始める。二、三メートルも行かないうちにすぐに曲がり角があり、その先にエレベーターホールがあった。  待っていたかのようにエレベーターのドアが開いた。慌てて乗り込み、美佐子は小さく声を上げた。隅の方に人がいた。幽霊、妖怪の類ではない。アタッシェケースを抱えた、スーツ姿の若い男だ。ここで初めて見る人の姿だった。  疲れた様子でぐったりと壁に寄り掛かっていた男は、美佐子の姿を見ると、急に居住まいを正した。 「ここのマンションの人ですか?」  はい、と答えるべきか、いいえと答えるべきか迷った。確かに自分はここの二十二階の部屋を買った。しかし自分の買ったタワーはこんなややこしいところだったとは思えないから、もしかすると違う建物かもしれない。 「たぶん……そうだと思うんですが、迷ってしまいまして」と、美佐子は答えた。 「あっ」とその男も声を上げた。 「自分も迷ってしまいまして。なんだか変ですよね、ここ」 「はあ」 「ここから出られなくなって、何日も経つような気がするんです。気がするっていうのは、何せ外が見えないでしょう、今が昼なのか、夜なのか……会社に報告しておかなけりゃならないんですが、携帯は圏外になってて使えないし、公衆電話はないし。住人は『まにあってます』の一言で、話も聞いてくれないから、どうやって外に出たらいいのか、わからない」  泣きそうな声で、男は言った。 「じゃ、あなたは、どうしてここに?」  美佐子は尋ねた。 「実は、自分は……」  男は名刺を取り出そうとするように、胸ポケットを探った。  そのときエレベーターのドアが開いた。  黒のみかげ石の床が見える。一階だ。 「ありがとう。おかげで出られるわ」と美佐子は言った。 「ところが、そうもいかないんだよね」  若い男は、無力な笑みを浮かべた。  先程のエントランスに美佐子は立った。  正面にガラス戸があって、その向こうには郵便受けと、外に出るためのオーク材のドアがある。  しかしガラス戸が開かない。外から内へは鍵がなければ開かないが、内から外に出るときはステップに立っただけで開くはずのドアが、押しても引いてもびくともしない。  美佐子は舌打ちして、男を振り返った。そのとき美佐子は、ここの雰囲気が入ってきたときよりも寒々しいのに気づいた。その原因はすぐにわかった。白熱球が蛍光灯に変わっていた。いったいいつの間にだれが取り替えたのか。 「何度もここまでは来てるんですよね、でも開かないんっすよ」そこまで言って、男はふらふらとエントランスの脇にある郵便物取り出し口の狭い通路に入っていった。そこに段ボールが敷いてある。 「疲れたら横になるんですよ。いつまでいるのか知らないけど」 「なんでこんなところで?」  男は黙って開いている郵便受けに片手をつっこみ、外側についた細長い蓋を指先で持ち上げて見せた。 「ほら、外の空気があるんですよ。こうすれば指先に感じることができるでしょう」 「ところで、あなたがなぜここに入り込んでしまったのか、私、まだ聞いてないわ」  美佐子は軽い苛だちを覚えながら尋ねた。 「入り込んだって、仕事だからですよ。自分は就職して二年目なんですが、ノルマ厳しいんっすよ、うちの会社。それで課長に、契約がとれるまで、絶対社に戻ってくるなって言われて」  そこまで言って男は、「あっ」と声を上げて、いきなりアタッシェケースを開いた。 「あの、今、時間ありますよね」 「あるわけじゃないけど、どうしようもないのよ」と美佐子はため息をついた。 「アンケートに答えてくれませんか」 「え……」 「この三年の間に海外旅行とか、してる?」  男は急に砕けた口調になった。 「ぜんぜん」 「したいと思わない?」 「ええ。まあ」 「場所はどこ?」 「アリゾナ」 「アリゾナと言えば、ええと、北米大陸ね」  と男は調査用紙に何か書き込む。 「費用と日数はどれくらいならOK?」  他にもいくつか質問した後、男は明るく軽い口調で、言った。 「それで、今、僕たちYPC、ヤングペガサスクラブでは新会員をつのってるんだけど、一緒に旅行とかしない? 年会費たったの七千円でたとえば、ゴールドコーストに七万でいけちゃったりするんだ。ファックスとか、持っているよね。おトクな情報をじゃんじゃん流すから。このくらいで驚かないで。実は友達を紹介してくれれば、たとえば、彼と二人で入ればそれが五万円になるんだ」 「ばか……」と美佐子は白髪頭を振った。 「友達でいいんだよ。たとえば会員を五人紹介してくれれば、君の分はただになったりするわけ」 「一生、ここをさまよってなさい」  それだけ言い残して、美佐子は男を置いて、エレベーターホールに戻った。  そのときエレベーターの脇に扉があるのに気づいた。ドアを叩いてみたが、応答はない。ノブに手をかけると抵抗もなく鉄の扉は向こう側に開いた。  悪臭がして、思わず美佐子は片手で鼻を覆った。リノリウムの細い通路が延びていて、その先に扉がもう一つある。その先が何なのか、すぐに判断がついた。このマンションには、ゴミが道に飛び散り、野良犬やカラスが荒らすようなゴミ置場はない。管理の行き届いたゴミ置場が内部に作られているのだ。  そしてそこには清掃車が出入りできる入り口が外部と直接つながっているはずだ。  美佐子はドアを開けた。ゴミのにおいはさらにひどく、内部は暗かった。壁際にある電灯のスイッチを手で探る。そのとき、ガサリ、と音がした。だれかがいる。暗やみでゴミを漁っている者がいる。目を凝らしたとき、光るものが二つ現われた。  目だ。緑に光る目が、美佐子の方を見ている。指にスイッチが触れて、内部は蛍光灯のまばゆい光に満たされた。  コンクリートの棚に重ねられたビニール袋、床に直接置かれたビンや缶の類、紙袋に無造作につっこまれた雑誌と新聞。そんなものの向こうにあれがいた。  灰褐色の毛に包まれた獣が、破れたビニール袋の中身から顔を上げ、さほど関心もない様子で、美佐子を見ていた。 「こんなところにいたの」  美佐子はそちらの方にゆっくりと近づいていった。  自分がここにはまり込んだのは、こいつのせいだった、と美佐子は遠い昔のことのように、銀座通りの光景を思い出した。この動物に導かれ、歓送会をすっぽかして、ここまで来てしまった。いや、歓送会から逃げるきっかけをコヨーテが作ってくれたのかもしれない。  怪訝な表情を浮かべたコヨーテは、小さく尻尾を揺らした。それからその揺れはゆったりと大きく、知らない者に対し攻撃の意図がないことを示す礼儀正しいものに変わった。  先程の若い男は礼儀を知らず、ゴミをあさるコヨーテには礼儀があった。  美佐子はその肩に手を伸ばした。飴色の目が、知性を帯びたおちついた光をたたえて、しずかに美佐子を見上げていた。  美佐子はそれの脇を擦り抜け、ゴミ置場の端まで行った。シャッターが下りていて、そばの壁のスイッチに「開」「閉」と書いてある。美佐子は「開」を押す。シャッターがゆっくり動き始める。外は夜明けなのだろうか。青白い光が差し込んできた。背後でのそりと獣が立ち上がり、爪の音を響かせて隣にやってきた。  しかしシャッターが二十センチほど上がったところで気づいた。向こうにコンクリートの壁のようなものがある。ゴミ運搬車の車止めか何かだろう。シャッターはなおも上がっていく。それは車止めではなかった。入り口いっぱいに築かれた壁だ。そして薄明の正体がわかった。コンクリート壁に張りついた蛍光灯だったのだ。ちょうど都市の地下通路にある広告か、ビルの谷間にある飲み屋の飾り窓のような仕掛けのものだ。  いったいだれが、こんなものをわざわざ作ったのだろう。  膝の裏に、ふわふわとした物が触れた。獣が体を寄せていた。美佐子を見上げる目に、同情の色がある。美佐子はその場にしゃがみこみ、それの首に両手を巻き付けた。 「どうしたんだろうね、いったい」  つぶやいて大きな頭に頬ずりをすると、それは控え目な仕草で美佐子の顔をなめた。その動物の頬に美佐子は触れた。荒く太い毛を掻き分けるようにそっと口元の皮膚をまくり上げて、思わず後ずさった。  犬の物でも、猫の物でもない、長く鋭い牙がそこにあった。コヨーテ、草原狼の名前にふさわしい牙だった。  コヨーテは、うるさそうに首を振って、美佐子の手から逃れる。そしてゴミ置場の出口のドアの方に行く。美佐子は慌ててその後を追う。  エレベーターホールに駆けていったコヨーテは、ちょうど開いていたエレベーターに乗った。美佐子がそれを追って乗ったとたんドアは閉まり、ケージは上昇し始めた。  やがてそれはどこか上層階で止まった。  エレベーターを下りたコヨーテはゆっくりした足取りで、美佐子の前を歩いていく。どこへ行こうとしているのかわからない。彼もまた出口を探しているのだろうか。廊下を曲がって、美佐子は立ち止まった。若い女がいた。制服姿の女子高校生だったが、眉の細い顔は四十女のように老けている。いや、実際に四十の女が、コスチュームプレイをしているだけかもしれない。関わり合いにならずに通り過ぎようとしたとき、「おばさん」と女が呼び掛けてきた。 「はあ?」と美佐子は立ち止まる。前を行くコヨーテも歩調を緩めた。 「窓、ないですか? ここ」 「さあ、ないみたいね。前に来たときには、あったんだけど」 「これじゃ飛び降りれないよね」  女は口を尖らせ、「せっかく来たのに……」と足元に唾を吐いた。 「あんた、いつからここにいるの?」  さまよった挙げ句に、外に出られずついに窓から逃げようとしているのかもしれない、と美佐子は思った。 「さっき」と億劫そうに女は答え、視線を逸らした。 「なんか、面白いこともなんもないし、このタワーから飛び降りたら、どうなるのかな、とか思って。親、泣くかもしんないけど」 「ああ、そう。がんばって」と言い残し、美佐子はコヨーテの後を追う。  コヨーテは小走りに廊下を行く。フロアを一周したように見えたが、同じところに制服姿の細眉の女はいなかった。目的を達成したのか、それとも別のところに行ったのかわからない。  コヨーテはやがてドアの一つの前で止まった。  ノブに手をかけると開いた。正面にあるのは、真っ直ぐなリノリウムの廊下だった。隣のタワーに空中でつながる廊下でもあったかしらと首を傾げる間もなく、コヨーテは走っていく。確信を込めた走り方だ。いよいよ脱出口がみつかったのか、と美佐子も追う。  やがて廊下はもう一つの扉に突き当たり、それを開けると曲がりくねった狭い通路になっていた。出口らしきものも窓もない。  そこで美佐子は動けなくなった。爪先も足首も膝も、どこもかしこも痛かった。空腹感から胃も痛み出した。しゃがみこみ、バッグを開ける。ピルケースと文庫本と手帳の下から、のどあめが出てきた。たばこの煙が部屋中に充満する役所の打ち合せでは必需品だが、この場で腹の足しにはならない。コヨーテの姿はもうない。  このままここで自分は干涸びるのだ、と美佐子は思った。せっかく買ったマンションの部屋にはとうとう入れなかった。しかし青森に行くこともないし、歓送会で酒をつがれることもない。  時計は七時十二分を指している。名古屋の地下街で三千二百円で買った時計だ。八年も使っていれば狂ってもしかたない。  それにしても職場の人々はどうしたのだろう。霞が関の方は後任が決まっているからいいが、青森事務所はしばらくの間、一人減員になる。  靴を脱いでその場に足を投げ出すと、足裏がにおった。ああ、やだ、とかぶりを振った。頭は白髪、足は臭い、関節は痛い、小さな字は見えない。たった一人で年を取る……。  両手で頭を抱えて目を閉じたそのとき、暖かく生臭い息を首筋に感じた。  コヨーテが戻ってきた。  その首に、美佐子は抱きついた。ざらついた毛並は暖かく、ゴミのにおいが染みついていた。  自分に抱きついた人間に対して、格別な好意も拒否も示さず、コヨーテはされるままになっている。ふと足元に転がっているものに気づいた。フライドチキンだ。 「私に?」  コヨーテはあらぬ方を向いている。 「悪いけど、遠慮するわ。あなた、食べなさい」  骨の部分を持って、獣の口元に持っていくが、コヨーテは鼻面でそれを美佐子の方に押しつけてくる。美佐子はひどく気まずい気分になった。  相手の真心を裏切ったような、罪悪感にも似たものを感じ、口に運ぶふりをした。しかしコヨーテは美佐子の動作を、深い色の瞳でじっとみつめている。そのまま口元から離すわけにはいかず、吐き気を覚えながら、美佐子はその肉に歯を立てた。冷えきっていたが、肉は腐ってはいなかった。香辛料と下味がきいていて、美味でさえあった。  コヨーテの視線はなお、美佐子の口元から離れない。 「わかったよ、わかった……。食べますよ、全部。後で絶対、下痢するわ」  飴色の目は、美佐子がその残飯とおぼしき一切れを咀嚼し、飲み込むのを静かに見守っていた。  食べおわると体が暖かくなってきた。何か急に楽天的な気分になった。結局、先程までの焦りも絶望感も自己嫌悪も腹が減っていたからなのだろう。  コヨーテは再びどこかに向かって歩き出し、元気を取り戻した美佐子がその後を追う。  そのとき廊下にまた人影が現われた。ぶよぶよと青白く太った若い女だ。そしてその女の前の部屋の扉は開いていた。  美佐子は素早く女のところに近づいた。 「あのすみません。ここから出たいんですけど」 「そこ、エレベーター」と女は右側を指差した。 「いえ、それが、一階に出てもガラス戸が開かなくて」 「知らない……そんなの」  美佐子は、とっさに開いたドアから、内部を見る。  手前の六畳の和室が見えた。甘ったるい体臭の漂ってきそうな部屋だ。ピンクのカーペット、籐の座椅子、テーブル、籐の引き出し、テーブルの上のティッシュの箱、ありとあらゆる物の上に、様々な色合いの、様々な材質の手作りとおぼしきカバーがかかっている。それらを照らし出しているのは、太陽の光だった。紛れもない昼間の光だ。  とっさに美佐子は言った。 「電話、貸してください。どうしても今すぐ、不動産屋さんに連絡を取りたいので。出られないんですよ、ここから」  女は後退りするように、玄関の中に入った。 「うち、電話ないんです。あたし、電話、嫌いだから」  美佐子の鼻先で、ドアが閉められ、鍵のかかる音がした。  気がつくとコヨーテは、早く来い、と言わんばかりにこちらを振り向き、地団駄を踏んでいた。  美佐子がそちらに行きかけると、コヨーテは廊下を走り始めた。  いくつかの曲がり角を抜け、細い通路を抜け、美佐子はコヨーテを追って走る。  何か楽しい気分になってきた。  銀座から追ってきたコヨーテ、憧れの獣に導かれるようにここに来たのだ。それと一緒に走っているのが、そう悪い状態ではないように思えてきた。餌も分けてもらったことだし、飽きるまでここにいればいい。  外に出たところで本州の北にある事務所で、代わりばえしない仕事を続けるだけなのだ。  やがて正面にガラスのドアが見えた。コヨーテが立ち止まる。追い付いた美佐子が観音開きのドアを開ける。暖かく湿った、カルキ臭い空気が淀んでいた。  プールだ。ごく小さな室内プールが、青いタイルの張られた部屋の中央にある。  このタワーにフィットネスクラブなどついていたっけ、と首をひねる間もなく、コヨーテはそろそろと水に入ると、泳ぎ始めた。何の目的があるという風でもなく、悠々と端まで行き、上がると体を振るって水気を切る。  プールサイドに小さな漆の葉に似た足跡をつけて、更衣室に入っていくのを美佐子は追う。更衣室を抜けたところは、トレーニングルームだ。いったい何年間、放置されているのだろう。床はざらつき、ベンチプレスのラバー部分がぼろぼろになり、エアロバイクのペダルは錆付いている。そうした器械類を飛び越え、コヨーテは走っていく。  そのときドアが開いた。さきほど別れた営業マンが現われた。 「あれ、おばさん、犬と散歩?」  ぽかんとした顔で尋ねた。 「あなたは?」 「歩き回ってるんですよ。契約、取れないから」 「さっき、ここの住人に会ったわ、その前は自殺志願のセーラー服の子」  男は笑った。 「ああ、あの連中ね。彼らも出られないみたいですよ。もっともあの部屋の前に立っている人は出たくても出られないんじゃなくて、出たくないだけなんだけど」  男はコヨーテの頭を無造作に撫でた。コヨーテは小さく唸り声を上げた。 「この建物は生きていて、自在に形を変えるんだ」  断定的な口調で営業マンは言った。 「自由に形を変えるっていうのは、当たってるかもしれないけど、ビルが生きてるっていうのは……」と美佐子は肩をすくめた。 「いや、生きてます。どうしてだか知らないけど、ビル自体が生きてて、目的を持っているんだ。人を閉じこめるっていう」 「まさか」 「目的意識というより義務感を持って人を閉じこめているのかもしれない。なぜかって、ここの住民は、ここから出て行きたくないから。僕がいくら扉を叩いても、助けを求めても『まにあってます』の一言だし。だれも外の世界とは関わり合いになりたくないんだ。だからこのビルは彼らを閉じこめて養ってる。究極のインテリジェントビルだ」 「私は、養われちゃいないわ」  美佐子は遮るように言った。 「そう、自分みたいに営業で入ってきたり、飛び降り自殺のために入ってきた人間は、このビルにとっては外界からの侵入者だ。当然養ってはくれない」 「私は、ここの住人なのよ。たまたま今、鍵を持ってないだけで」 「それは不運だったですね」 「つまり生きているビルが、私たちを閉じこめて、干乾しになるまでさまよわせるって言いたいの?」  美佐子はコヨーテの首筋を撫でながら、低い声で言った。 「冗談じゃないわよ。私はここを買ったのよ。こつこつ貯めた一千万を頭金に二十年ローンを組んで、自分の物にしたのよ。たとえ一部分にしたって、主人は私の方なんだから」  ふと思い当たって、美佐子は男に尋ねた。 「ここの建物の造りはどんな風になってるの?」  男は怪訝な顔をした。 「だから、私にとってはタワーになってるのよ。ツインタワーの一つ。八角形の真ん中にエレベーターが通っていて、周りを部屋が取り巻いてるの。北側に非常口」 「ほんと?」と男は瞬きした。 「自分には東西に長くて、日照権の関係で五階から上は部屋数が少なくなってる八階建ての……」  やっぱりね、と美佐子はうなずいた。  変幻自在に形を変えるこのビルは、この男にとっては、別の形をしていた。あの飛び降り志願の女にとっても、足元でおとなしくうずくまっているコヨーテにとっても、おそらく自分が見ているものとは異なる空間なのだ。  考えてみればこの世で起きている現象は、その情報を受信し再統合している脳により、一人一人、いや動物の一匹一匹に至るまで別々の様相を呈しているはずだ。同一の対象だからと言って、同じように認知していると考える方がおかしいのかもしれない。だれもが違う認知世界に生きていると思えば、結局のところ、自分たちは建物ではなく、自分を取り巻く世界に閉じこめられたということになる。 「あのね……」  美佐子はその場に座り込み、男を見上げた。「あたしはこんなビルに閉じこめられる前に、役人人生に閉じこめられちゃったのよ」 「はあ」と男は、怪訝な表情をした。  美佐子はコヨーテの首に腕を回した。コヨーテは飴色の目でどこか遠くを見ていた。たとえ別々の意識世界に生きているとしても、手の中の毛皮の感覚だけは確固たる現実感を保《も》ってこの動物とつながっていることを感じさせる。 「行こうか」  美佐子はコヨーテに囁いた。  永遠に出口にたどりつかないビルの上下東西南北の三次元空間を、この獣と二人で歩き続けるのも運命かもしれない。そのことを美佐子はもはや悲観してはいない。自分の役人人生にしても同じようなものだ。廊下を歩き、エレベーターに乗り、疲れて動けなくなるまで出口を探して歩いてきただけだ。  しかし今、少なくとも孤独ではない。関節がすり減るまで歩き続け、疲れたら暖かな毛並に顔を寄せて眠ることができる。そして、やがて干涸びていく。それでいい。  いったい何日間、歩いただろうか。あの後、もう一度玄関ホールで営業マンに会った。目蓋《まぶた》が落ち込み、肩の辺りが痩せて、ひどく憔悴した様子だった。  空腹だし、どこか柔らかい床の上で眠りたいが、マンションの住人にいくらインターホンで訴えても、出口を教えてはくれないし、もちろん中にも入れてくれない。セールスマンはそう言って泣き出しそうな顔をした。  美佐子の方は、コヨーテがときおり運んでくる残飯を分けてもらい、コヨーテに寄りそって暖を取りながら眠る。相変わらず時間の流れは遅い。まだ八時二十分だ。  営業マンの時計も美佐子のものと同じ時刻を示しており、自分の時計が狂っているわけではないことがわかった。どうやらここでは、流れる時間の単位が違うらしい。  少し前から、コヨーテの様子が変わったのが気になる。裏声に似た高い声で遠吠えし、落ち着かないそぶりでうろうろと歩き回っている。不意に走り出すかと思えば立ち止まる。それを数回繰り返し、美佐子が追い掛けるのも疲れた頃、何やら哀しげな目で美佐子を見つめ小さく鳴く。  何度かそんなことを繰り返した後のことだった。直線の廊下をコヨーテが走った。もともとそんな長い廊下がここにあったのか、それともコヨーテが走るから廊下が延びるのか、立ち止まったコヨーテにようやく追い付いたとき、廊下の脇に一枚の鉄の扉があった。それに前足をついて立ち上がって、コヨーテはさかんにひっかくような動作をした。 「開けろって言うの?」  美佐子は躊躇《ちゆうちよ》しながら、ノブに手をかけた。何か妙な予感があった。  扉を細く開けてみると、何のことはない。最初に見たあの非常階段だ。あの時同様、うっすらとした電気がともっていて、有刺鉄線でさえぎられた階段は暗かった。コヨーテは有刺鉄線のところまでくると、鋭い声で一声鳴いた。 「どうしたの?」  美佐子が尋ねると、それは飴色の目で美佐子を見上げた。痛切な表情に見えた。しかしそれは犬のような甘えと親しみを含んだ、人に助けを求めるものではない。悲しい知性と身震いするほどに冷えた孤独の影が見えた。  尻尾を下げて、コヨーテは有刺鉄線の前を行ったり来たりする。  美佐子ははっとした。  ここが、脱出口かもしれない。だから塞いであったのではないだろうか。  出てどうするのだ? と美佐子は思った。  出たところで自分は以前と変わらぬ役人生活を送る。しかも本州の北の端の地で。そしてコヨーテはインディアン居住区でゴミを漁る。それでも出たいというのか? コヨーテは鋭く鳴いた。荒野を吹き渡る風を思わせる声だった。  促されるように、美佐子は有刺鉄線の端を探した。それは柵の下の部分にしっかり留めつけてある。  バッグの肩紐を本体から外す。その止め金の頑丈な金具を鉄線にひっかけて、ゆっくり引っ張る。小さく端を跳ね上げ、鉄線は外れた。皮膚を傷つけないようにつまみ、そっと指先に力を込めて下の一段目を外す。とたんにコヨーテは身を屈め、背中を刺にひっかかれながらくぐり抜け、あっという間に闇の中に消えた。 「待って」  美佐子は叫んだ。階段を四、五段降りたコヨーテがこちらを振り返った。二つの目が青白く光る。  美佐子は有刺鉄線に手をかけ、力任せにそれを曲げた。手のひらに鋭い痛みが走ったがかまわず穴を広げる。それから四十を過ぎ固くなった体を二つに折って屈み込んだ。  頭と背中を、鉄の刺にひっかかれ、上着が破れた。美佐子は有刺鉄線の下をかろうじて通り抜け、暗い階段を手探りで下りる。  コヨーテが吠えた。裏声の長い遠吠えだ。  目が慣れてくると天井の辺りがうっすら明るい。踊り場に窓があって淡い光が差し込んでいるのだ。  月だ、とわかった。月明かりの冷たい青……。窓は意外なくらい低い位置にあるのに足元は暗い。しかし天井部分だけが明るい。さらに一段下りて、美佐子は息を呑んだ。  奇妙な景色だった。  夜空に月が出ている。青白い半月だ。夜空は広い。上も前方も、そして下にも広がっていて、月は遥か下方で輝いている。まるで透明な水を湛えた深い泉の底に沈んでいるようだ。  コヨーテは一際、甲高く吠えた。  美佐子が振り返ったとき、コヨーテは立ち上がり、小さく体を震わせたところだった。 「だめ」と美佐子は叫んだ。 「行っちゃだめ」  しかしコヨーテは美佐子を見なかった。  犬のように、美佐子の方をうかがいはしなかった。  すがすがしく孤独な姿で立ち上がり、月を真っ直ぐに見下ろし、四肢を踏ん張った。 「だめ」  次の瞬間、コヨーテは、その窓の向こうに向かって跳躍した。  一瞬のうちに、美佐子の両手は空になった。胸は大きな穴が開いた。何かが破裂した後のようだ。寂しさの爆弾のようなものが……。  コヨーテの頭がガラスに激突し、乾いた音とともに透明な破片が降ってくる。それと同時に、美佐子はガラスのなくなった窓に頭から突っ込んでいった。  体が浮いた。体中の毛穴が一斉に粟立つような落下の感覚と同時に、外界の空気を全身で感じた。  視野の中の月が迫ってくる。目の前をコヨーテが月に向かって落ちていく。  美佐子は腕を一杯に伸ばした。手元からバッグが離れ、大きく開いた口からまず定期券が、ポーチが、手帳が、ピルケースが、最後に出勤簿に押すための印鑑がこぼれて、ゆっくり後方に上って行った。美佐子の体とコヨーテだけが落下していく。  数秒後に、バッグを取り落とした美佐子の片手は、何かに触れた。ざらついた毛の密生する太く長い尻尾。  必死の思いで掴んだ。生きものの体の持つ独特の暖かさが、有刺鉄線で傷ついた手のひらに伝わってくる。  美佐子は、コヨーテとつながった。つながったまま、どこまでも月に向かって落ちていく。  背後で一斉に、窓の開く音がするのが聞こえた。マンションに養われ、マンションに飼われている人々の無数のため息が、木枯らしのように降ってきた。  青白く眩しい光輝を放って、月は今、視野いっぱいに広がっている。  十八時五十八分、核融合炉を搭載した軍事衛星が都心部に墜落。大気との摩擦により本体の大部分は燃えつき、地上にはわずかな破片が落下するのみという関係者の予測に反し、ほぼ完全な形で首都を直撃した。  衝撃で丸の内の老朽化したビルは一斉に崩れ落ち、半径四キロ以内の可燃物は一斉に発火。死亡者数、不明。二十三区内に生存者のいる確率は極めて低い。  歓送会はとうにお開きになった。しかし美佐子はコヨーテとともに落ち続ける。 [#改ページ]   ㈼ 都市に棲む闇    帰還兵の休日  夏の夕方の生温かい風を受け、菅本は自転車のペダルを漕ぐ。オフィスからアパートまでは、堤防上のサイクリングロードを通って四キロほどだが、緩い登り坂になっていて、二、三分で汗が噴き出してくる。  トラサルディのサマースーツが風をはらんでばたばたと音を立て、その下でネーム入りシャツがびっしょり濡れて肌に貼りついている。  一発逆転、と菅本は無意識につぶやく。スポークの錆びた自転車が、踵《かかと》のあたりで小さく悲鳴のような音をたてた。  少し前まで、彼は堤防上のこの道を五十CCのバイクで飛ばしていた。三十も半ばを過ぎて腹が出てきたから自転車に替えた、と周りの人々には説明してある。まさか借金のかたに、飲み友達の古びた自転車と取り替えられた、とは言えない。  原付バイクの前は、スカイラインに乗っていた。さらにその前、二十代の終わりには、ベンツで都心のマンションからこの多摩川沿いの町にある住宅販売会社の支店まで通勤していた。  沈みゆく夕日の眩しさに菅本は目を細める。明るいうちに帰れるのは、久しぶりだ。約一年半前にできた免震マンションの売れ行きがかんばしくなく、このところ対策会議と売込みで深夜まで仕事に追われている。客を現地に案内しているとき以外は、大半の時間は電話に貼りついている。 「奥様でいらっしゃいますか。こちら大栄住宅販売と申します。実はですね、富士見町の方に」と、ここまで話させてくれればいい方で、たいていは社名を言ったとたんに受話器を置かれる。ひどいときには、「奥様」の一言で、「間に合っています」と切られる。帰ってきた夫を狙って深夜に電話をかければ罵倒される。  それでも「あの時代」に比べれば、この程度の忙しさは仕事のうちに入らない、と思う。  まもなく前方に旧国道をつなぐ橋が見えてくる。第三暁橋というのがこの橋の名称で、グラウンドやオートバイ練習場を抱え込んだ広い河川敷を跨《また》いでいる。  四本あるコンクリートの橋脚のうち二本は、二キロほど上流で二手に分れた川筋の中州部分に立っており、その脇に青いビニールシートでできたテントのようなものがある。  菅本がそれを発見したのは約一週間前、バイクを自転車に乗り替えて初めて出勤した朝だった。  丈高く茂った夏草の遥か向こうにその青い色が見えたときは粋狂な人々がいるものだと思った。アウトドアレジャーが盛んになったとはいえ、遠くに行く暇も金もないのだろう。せめて気分だけでも味わおうというのか、猫の額ほどの庭にビーチパラソルを持ち出してバーベキューをしたり、河川敷の湧水脇にテントを張って釣り糸を垂れている人々の姿を、この町ではよく見かける。だからどぶ川をRV車で渡って、中州でキャンプする人々がいても不思議はない。その貧乏臭い発想に、我知らずいびつな笑いを浮かべていた。  貧乏臭さほど、彼が嫌悪するものはない。  菅本のアルマーニのスーツは、あるときからトラサルディに変わった。それが妥協できる最低の線だ。量販店の物は論外として、国産に落とすのにも抵抗がある。借金をしていてもワイシャツはクリーニングに出す。自宅で洗って、襟先の崩れたシャツを着てくる所帯持ちの気が知れない。  橋が近付くに従い、道の勾配はきつくなってきた。重いペダルを踏みながら、大きく息を吸い込むと、腐った水の匂いが鼻孔を刺激する。  大川端にあったあのマンションのガラス戸を開けたとき、夜風とともに部屋に入ってきた風の香りだ。それとこのどぶ川沿いのサイクリングロードを吹き渡る風の匂いが同じであることに、菅本は皮肉な感じを受ける。フローリングの広いリビングは、当時、若いOLや自称ヤングエグゼクティブたちのあこがれの的だった。  そこにかつての菅本は住んでいた。家賃の高さなど問題ではなかった。あたりまえのように億の物件を売り買いし、銀行員と共に古いアパートの持ち主を訪れマンションに建て替えるようにと説得していた自分が、周囲の人々の目にどのように映っていたのかは定かでない。  しかし少なくとも若い娘には、颯爽として並はずれて有能な男に見えたらしい。彼が扱ったワンルームマンションを親に買ってもらった女子大生に惚れられ、週に一回はその部屋で過ごしていた時期もある。手帳には、二十人を超える女友達の誕生日が記入されていた。  しかし大川端にあった彼のマンションに上げた女は一人もいなかった。情事の場所は相手の部屋かホテルと決めていた。オートロック、床暖房といった当時としては最新式の設備を誇っていた高層マンションは彼の聖域だった。  リビングの窓辺に独り立ち、暗い川面に映る灯を眺めながら、バカラのグラスでナイトキャップのロイヤルサリュートを飲む。そんなシーンを演出するために借りた部屋でもあった。  実際のところ、そうして窓の外を眺めていても、淡い室内灯に浮かび上がる自分自身の顔の方が、夜景よりも暗く見えた。頬がこけ、目の下には濃く隈ができていた。色白で華奢《きやしや》な作りの菅本の顔は、特に隈が目立つらしく、よく同僚や馴染みの客に冷やかされたものだ。しかし遊んでできた隈ではない。早朝からオフィスにでかけ、コンピュータを立ち上げて物件を確認し、顧客と登記所とモデルルームを回り、契約をまとめ、明け方まで接待という日々が続いていた。  その合間に遊んだことも確かだ。半端な遊び方はしなかった。  昭和から平成に変わってほどなく、菅本は大川端のマンションを出た。家賃を払いきれなくなったからだ。  駐車場にとめたベンツの中に、服と身の回りの物を置き、サウナで寝起きし、その金さえ尽きたときは車の中で寝た。そんな日が二週間ほど続いた後、彼はベンツを売って勤め先の近くのこの町に引っ越してきたのだった。  古い軽量鉄骨のアパートが彼の住まいになり、車はスカイラインに変わった。しかしそれもやがて手放し、原付バイクに乗り始め、現在はそれが自転車になった。  そのことを嘆いてもしかたない、と彼は思う。自分は今の二十代や親の世代が経験できなかったような、ゴージャスな時代を生きたのだ。住宅販売会社の営業という部署にいたからこそ、あのきらびやかな時代の極彩色の激流のただ中を泳ぎ渡っていくことができた。  不動産不況に先立ち、株が暴落したとき、彼はいち早く風向きが変わったことを察知し、覚悟を決めた。五年は苦しいことになると。その間を堪え忍び、生き残れば、またいい時代がくると信じていた。しかし五年が過ぎてもいい時代は戻ってこなかった。  あの頃、人生の頂点は二十代で三十代は老後、と考えていた。それがバブルの後遺症から立ち直れないまま、実際にその歳になってみると、老後の達観などからはほど遠く、この先も続いていくであろう人生の長い午後を想像して、言い知れぬ焦燥感にとらえられるのである。  なんとしてでも敗者復活を遂げ、こんな生活から脱出しなければならない。明け方近くにベンツで帰宅する生活は、夜風を切って自転車で帰る生活に変わってしまった。しかし人生に浮き沈みはつきものだ。  月三百万の生活を体験してしまった男が、六畳二間のアパート暮らしを受け入れられるはずはない。あの大川端のマンションから見た夜景は忘れようもなく、いつかは戻っていくべき風景として彼の脳裏に刻まれている。自分は必ずあの生活に復帰してやると、菅本は力を込めてペダルを漕ぐ。  バブルが弾けてから七年、金利の際限無い低下を受けて不動産需要は少しずつ回復しつつある。そして自分には切札があると菅本は信じている。免震マンション、この新商品が売れないはずはないと、菅本は阪神大震災のニュースを目にしたとき確信した。その確信は今、揺らぎつつあるが、ここで弱気になったら終わりだ。  一発逆転、と菅本はつぶやいた。それにしても七年間、何度、同じ言葉で自分を励ましてきたことだろう。  一発逆転。サドルから腰を浮かし、片方のペダルに体重をかけた。とたんに小さな反動とともに、足首が浮いた。急に抵抗がなくなり、からからと金属の鳴る音がした。  舌打ちをして、自転車から下りる。チェーンが外れていた。右手の人差し指で、真っ黒に油光りしているチェーンを持ち上げ、空いている方の手でペダルを回す。しかしうまく歯車と噛み合ってくれない。前の歯車にはまると後ろが外れる。何度も繰り返しているうちに、両手が油で真っ黒になった。  向こうからジョギングしてきた初老の男が気の毒そうな一瞥《いちべつ》をくれてすれ違っていく。  続いて、「おおっ」という声を背後で聞いた。そのときになって、菅本は自分が長い影の中にいることに気づいた。この辺りではめずらしい高層マンションが、堤防の外側に建っている。彼が就職しこの町の支店にやってきたとき、最初に売ったマンション「グレンエステート・タマリバー」だ。モデルルームには人が殺到し、買い手を抽選で決めるほどの人気だった。  マンションの三階部分がちょうど土手の高さと同じになっていて、「おおっ」と声を上げたのは、そのベランダにいた男だったらしい。菅本が振り返ったとき、ベランダから室内に引っ込む老人の後ろ姿が見えた。  菅本は再びチェーンを直し始める。背後のマンションは、彼が住んでいた大川端のマンションと造りが似ている。同じ会社で建てたものだから当然だが、築年はやや新しい。  土手に面した一階部分は専用庭がついており、たいていの家が芝を植えている。蔓《つる》バラを植え白いベンチを置いて、年寄りがくつろいでいる光景を見ることもある。 「てめえ、大栄」  背後で自分の会社の名前を呼ばれ、菅本は振り返った。「はいっ」と反射的に、にこやかな表情を浮かべていた。 「何がおかしい」  七十間近とおぼしき半白髪の男の顔に見覚えがあった。どこかで会ったはずだが、どこのだれなのか思い出せない。もっとも激高した表情を浮かべた顔から、記憶を辿《たど》るのはむずかしい。それが先程マンションの三階のベランダから引っ込んだ人物だと思い当たったのは、数秒後だった。  菅本がこのマンションを売った客だ。練馬近辺で小さな鋳物工場を営んでいた彼は、静かな環境を求め、四千万の現金を握って菅本のところにやって来た。業界の人間たちに言わせると「おいしい客」だった。  無理のない返済計画を立てさせ、そこそこの物件を売ることもできた。しかし菅本はそうはしなかった。菅本の判断、というよりは当時、同僚や同業者がみんなそうしていたように、節税のために、と称して書類を操作し、莫大な融資を取り付けさせることに成功したのだ。及び腰になるこの男と、最後まで首を縦に振らなかったその妻を説得し、菅本は最初に彼らが買おうとしていた準工業地域の2DKではなく、この多摩川べりに建つマンションの、二十二畳のリビング付き4LDKを売った。 「万一、返済できなくなったって転売すれば楽勝ですよ。広くていい物件を持っていれば買い替えも楽だし、いずれ息子さんたちも同居を持ちかけてきますしね」と言いながら。 「上の部屋、三千万で売り出したそうだな……」  老人はあえぐように言って、菅本に近づいてきた。 「はあ?」 「この間、広告で見た」 「いえ、三千六百万ですよ。それに手数料、税金など入りますとですね」  菅本は興奮している客に向かって答えた。怒鳴られることや追い払われることでうろたえていたら、営業マンは務まらない。 「俺が山のような借金を背負って、九千六百四十万で買ったのと同じ物件が、三千万か」 「いやあ、新築と中古ですから、そのあたりは……」 「今より必ず高く売れるからと、人に借金背負わせて高いものを押し売った」  菅本は男の方に向き直り、背筋を伸ばした。 「押し売った、と言われるのは心外です。私たちは誠心誠意お客さまのために、最高の物件を用意しているつもりです」  客には頭を下げているばかりではだめだ。ときには厳しい調子で物を言わなければ信用されない。その内容が真実か否かは別にして。 「一億が、三千万か」  男はのそりと菅本に近づいてきた。薄汚れたジャージをはいた片足を引きずっている。体の動きもどこかおかしい。と、いきなり襟首を掴まれた。  確かマンションを売ったときは、この客は普通に歩いていたのではないか、と菅本は記憶を辿ってみる。  鼻先にある男の体からすえたようなにおいが立ち上っている。寝付いていた病人のにおいだ。自分の襟首を掴んでいるのと反対側の男の手を菅本はそっと見る。脱力したようにだらりと下がっている。半身不随らしい。 「お客さま、何しろちょうどバブルの最盛期でしたから、今とは事情が違います。なんと言ってもですね、一度、人が入ってしまったところと、そうでないところというのはまったく違う物件と考えていただかなくては。リフォームするにしても三百万以上はかかるわけですし」  襟首を掴まれたまま、菅本は穏やかな調子で言った。男の顔が怒りに歪んだ。とっさに菅本は男の空いた方の手を見た。こぶしを握ることもできずに、だらりと垂れ下がっているのを確認する。  とたんに襟首から手が離れ、同時に鼻に痛みを感じた。虚をつかれて菅本の体は自転車の方に倒れた。チェーンの外れた自転車が倒れ、土手を滑り落ちていく。フレームと川原の石のぶつかる音がする。  枯草の上に尻をついたまま、唖然として菅本は男を見上げていた。動く方の手でまだこぶしを固めたまま、男は肩で息をして立っている。 「かあちゃんは、この春、死んだ。掃除婦をやってて、自分で塗ったワックスですべって階段を転げ落ちた。なんだって、あの歳になってビル清掃のパートなんかしなけりゃならなかったんだ、えっ? 子供たちは離れていった。借金漬の親父の面倒なんかみられるかってな」  言い終える前に、老人は息を切らし始めた。青ざめた顔から脂汗を垂らし、くるりと菅本に背を向け、片足を引きずりながら戻っていく。  その後ろ姿を上目遣いに見ながら、菅本はのろのろと立ち上がった。そしてトラサルディの裾についた乾いた泥を払う。  自分だって、いい目を見たはずじゃないか。  押し売られた、とはなんという言い草か。おまえのもってきた四千万だって、つぶれたような自宅を売って作った泡銭《あぶくぜに》だろうが。一生、工場の壁を見て暮らさなければならなかった人間が、一時でもこんな豪華マンションに住めたのだ。なぜ俺が恨まれなければならないのだ。  だれもが夢を見た。だれもが楽しんだ。それなのに、なぜバブルバブルと断罪されなければならないのだ?  菅本は男の後ろ姿にそうつぶやいて唾を吐くと、自転車の転がっている川原に下りていった。自転車はフレームが曲がっていた。  菅本はそれを押して土手を上がり、もと来た方向に戻り始める。自転車屋は堤防を一キロほど戻ったところにあった。  バスの便の悪いところに住んでいることもあり、車もバイクも手放した今、頼りになるのはこの自転車だけだ。新しい自転車を買おうにも、次の給料日まではあと半月ある。  自転車を押しながら、菅本はマンションを見上げる。半身不随の老人に殴られたことには腹が立ったが、築七年のこのマンション「グレンエステート・タマリバー」が今年に入ってから、分譲価格の三分の一にまで値崩れを起こしていることは事実だ。 「不動産価格はこの先も際限なく上がる。今、買っておかなかったら一生家など持てませんよ」と言って、自分が売った物件であることも間違いない。  バブルの最盛期、もっとも建築需要の多い時期に最短の工期で、しかも慢性的な建材不足の中で建てられたものだ。大きめの地震がくれば一たまりもないというのは、同業者の中では周知の事だ。また二、三年前から、角部屋では結露がひどく畳が真っ黒に変色したり、最上階で雨漏りがしたりといった苦情が持ち込まれるようになっている。コンクリートの廊下が一部波打っている、との報告も入っている。  大手の仲介業者の中には、「大声では言えませんが、あそこのマンションはお薦めしません」などと客にささやく者まで出てくる始末だ。それが三千六百万の正体だった。  それでも昔は「ほとんど億ション」と言われたところだけに、広告を打つと金利が底になっていることもあり、客は飛び付いてきた。  良い、悪いという問題ではない。何を求め、いくらで手を打つかの問題だけだ、と菅本は割り切っている。  振り返るとマンションはずいぶん遠くになっていた。夕焼け空を背景にそそり立つ建物のグリーンを帯びた灰色のタイルが美しい。  何を言われたところで、自分が今住んでいるアパートに比べれば、天と地ほどの開きがある。あんな軽量鉄骨の2Kなど人間のすむところじゃない、と菅本は我が家を思い浮かべ、吐き捨てるようにつぶやく。  奥多摩の山々にまさに沈もうとしている夕日が、華々しい光を川原に投げかけている。すべてのものが金色に染まり、光と影の極端なコントラストに、胡桃の木や石を覆って繁茂した荒地瓜《あれちうり》の葉の輪郭までが鮮明に浮き立っていた。長く伸びた陽差しは、第三暁橋の下に這入っている。  その陽差しの中に、青いビニールシートのテントらしきものが、はっきり見えた。初めて発見したときから一週間が経っているのに、まだ元の場所にあることからすると、川原でキャンプをしているわけではなさそうだ。RV車の姿もない。  それだけではない。杭《くい》のようなものを立て、ロープを張って、衣服が干してある。  三角形に張った登山用テントのように見えたビニールシートは、屋根もなければ囲いにさえなっていない、几帳《きちよう》のようなものだ。単なる目隠しで、よく見るとその脇に布団が積み重ねられているのがわかる。  浮浪者の住みかだ。幅のある橋の下なので、嵐でも来ない限りは天井や壁がなくても、雨にうたれる心配はないのだろう。  私鉄の駅の地下通路にも最近、浮浪者が増え始めた。老人もいることはいるが、菅本と同じくらいの年格好の男が、コンクリートの上に布団を敷き、酒を飲んでいる。そうした姿を見かけるたびに、菅本は不吉な感じにとらえられ、足を速める。  あの大川端のマンションを追い出された直後のことを思い出すのだ。ベンツはあっても住む家はなく、金はなくても身形《みなり》を整えなければならない。手足を伸ばせない車中での生活は肉体的にも精神的にもひどく消耗するものだった。まかりまちがえば、彼らと同じところにまで堕ちていたのだ、と思うほどに、段ボールハウスやコンクリートの上に布団を敷いて寝ている連中に、恐れとも憎悪ともつかぬものを覚える。  それにしても今どき地下通路やビルの軒下ではなく、橋の下に住む古典的な浮浪者がいるというのは、意外だった。  透明な金色の光を受けているせいか、それとも遠く離れているせいか、青いシートで仕切られた彼らの家や積み重ねられた布団、干してある洗濯物などは、のどかで美しい日常生活の風景に見えた。  菅本は押していた自転車をその場に止めた。目を凝らすと枯れかけた夏草の間から、淡く煙が上っているのが見える。石を組んだかまどに鍋がかかっている。幼い頃のそんな記憶はないはずなのに、懐かしさに胸をつかれた。  人影が一つ、青いシートの陰から出てきた。小さく腰の曲がった姿だ。  ばあさんか……と菅本は小さく呻《うめ》いた。女の浮浪者がいても不思議はない。しかし老女が橋の下の中州で生活しているとは思いもよらなかった。事業に失敗して、ここまで落ちてきた夫婦の片割れかもしれない。  第二次石油危機のあおりをうけて菅本の父親の事業が失敗したのは、彼が大学を留年し、一年生にとどまることが決まった春だった。学費や家賃はもちろん、遊ぶ金もすべて親の仕送りに頼り、車まで買ってもらっていた生活は一転した。父からの手紙には、もう仕送りはできない、できることなら少しでもいいからアルバイトをして金を送って欲しいということなどが、したためられていた。  親など頼りにならないものだ、とそのとき菅本は悟った。同時に親に勧められるままに大学の経営学部に進学した自分の愚かさを思い知らされた。この上、アルバイトをしながら勉強したところで何の役にも立たないと彼は考えた。その先の決断は早かった。もう一度一年生をやりなおすことはせずにさっさと大学をやめ、新聞の求人広告を見て零細な不動産会社に入ったのだった。  学業成績と営業能力はまったく別物だと知ったのは、入って一年もしないうちのことだ。名もない私学を中退した彼は、社内でトップの成績を上げた。時期を同じくして、零細な不動産会社「大栄」は急成長を遂げ、わずかの間に財閥系の大手と肩をならべるほどの住宅販売会社になっていた。  菅本からの多額の送金を受けとった母親は、涙ながらに電話をかけてきた。 「このままなら、お父さんと二人、家を出て橋の下に住まなきゃならない、と言っていたところなんだよ」と。  今見ている光景は、あのときまかりまちがえば、自分の両親が辿った運命だったのだろうか、と菅本は思う。それにしては丈低い夏草の原にしゃがみ込み、鍋をかき回す老女の姿はどこか牧歌的で悲惨な感じはない。  もう一つの人影が、青いビニールシートの陰から現われた。男ではなかった。こちらも女だ、それもかなり歳取った──。さらに夏草の間にもう一人いる。老女が三人だ。  老人ホームの野外レクリエーションというわけでもあるまい。いったいどうなっているのか、と菅本は目を凝らす。  女たちはそれぞれに器のようなものを持って、鍋の中の物を掬《すく》い上げて食べている。  醤油の香りがしたような気がした。かなり離れているから実際にはここまでにおいが漂ってくるはずはない。しかし菅本の五感はその食物の匂いと温かな器の感触を鮮やかに感じ取った。自分でも不思議なくらい、その光景に心を引かれる。  陽はとうに落ち、器の中の物をすする人影も急速に不鮮明になり、辺りはあっという間に青い闇に包まれていった。菅本は再び自転車を押し始める。  夏場に浮浪者が住むには、橋の下の中州は案外いいところかもしれない。川幅は広いが浅いどぶ川を渡ってこちら岸に来れば、グラウンドや公園がある。そこには水道が引かれており、行楽客の食べ残しも捨てられる。コンビニエンスストアも近い。何より駅前の地下通路と違って、どぶ川に阻まれているから、酔っ払いにからまれたり、少年たちの浮浪者狩りの標的になる心配もない。  堤防から下り、繁華街をしばらく歩いて自転車屋に着くと、主人は怪訝な顔をした。 「事故ですか」とフレームの曲がった自転車と菅本の顔を見比べる。 「ちょっと……」と言葉を濁すと、主人はティッシュの箱を差し出した。  菅本は傍らにある子供用自転車のミラーを覗き込む。鏡の中の顔は血で汚れていた。気がつかなかったが、鼻血を出していた。 「あのじじい」と唇を噛んで、ティッシュで拭く。血はすぐに取れたが、二十代の頃からあった目の下の隈はどす黒く皮膚に貼りついたままだ。いつの間にか色素沈着を起こし、そこだけ皮膚がたるんでいる。自分の形相が一変していることに菅本は驚いた。昔と違って、鏡の前で自分の姿形をチェックすることを怠るようになっていたから、徐々に進んだ変化に気づかなかっただけかもしれない。「三十過ぎたら老後よ」と甲高い声でうそぶいていた二十代の頃の自分を思い出し、菅本は軽く舌打ちした。  翌日、「グレンエステート・タマリバー」の管理組合から、菅本は呼び出された。  築七年にしては傷みがひどすぎる。これはあきらかに建物の欠陥だ、と管理組合の代表が、会社にクレームをつけてきたのだ。そしてこの日、菅本と支店長代理が代表に連れられ、修繕が必要な箇所を見て回った。  最初に入ったのは、畳が波打った部屋だった。結露がひどく押入は黴《かび》で真っ黒だ。 「なにしろ最近では暖房が行き届いてますからね。我々の子供の頃のように家の中で雑巾が凍るなんてことはないですし。暖かい部屋は確かに快適ですが、たまには風を通してやらないといけません。毎日の掃除のときにでも窓をちゃんと開け放してください。だいぶ違うはずですよ」と支店長代理は、たくみに話題をそらせ、換気扇を取り替えることを約束した。しかし実際はそんなことでは解決しない。壁の断熱材がうまく入っていないか、もともと規定量より少ないのだ。わかりきったことだが、そんなことを言えるはずはない。 「でもね」とその家の主婦は不服そうに言う。 「この畳、見てくださいよ。黴がすごいんですよ。うちの子、これで肺炎になって、学校を二カ月も休んで……。中学受験前の一番大事なときにですよ」  話しているうちに、主婦は興奮して早口になってきた。  下の子はダニのせいでアトピーになった、と涙声で訴える。菅本たちは適当に聞き流してその部屋を出た。  管理会社が入っているので、修繕箇所のチェックは本来ならそちらの仕事だ。しかし誠意ある対応が見られないとの理由から、管理組合は直接の販売元である大栄住宅販売に苦情を上げてくる。管理会社にもともと誠意など見られるはずはない。そこは大栄の系列子会社なのだから。  菅本たちは屋上にあがった。眼下に第三暁橋が見える。 「これ、ですよ、これ。こういう状態です。管理費と修繕積立金合わせて、うちの場合、現在月一万八千円納めてもらっているわけですけどね、七年でこれじゃとうてい積立金で賄えませんよ」  代表がひび割れたコンクリートの床面を指差した。 「そんなわけはないんですけどね。これは業界大手の和田建設に発注したものなのですから、手抜き工事はありえません」と支店長代理は首をひねってみせる。たとえそうであっても、本体工事の欠陥を認めてはならない。そして系列下の業者を差し向け調査をさせて、格安の費用で目立つところを直すのが、会社のやり方だった。  そのとき菅本は足元に黒っぽい本のようなものが落ちているのに気づいた。おもちゃのオペラグラスだ。何気なく拾い上げ、目に当てる。  とたんに調節もしないのに、鮮明な川原の景色が目に飛び込んできた。  第三暁橋の下だ。日蔭で老女が一人、流れに釣り糸を垂れている。さほどの倍率でもないはずなのに、老女の着ている襟の擦り切れた化繊のブラウスやそこから出た首のしわまでが、鮮明に見える。  そのとき老女はふと、川面から顔を上げてこちらを見た。目が合った。オペラグラスでのぞいている菅本に向かって前歯のかけた口を開いて、何か言ったように見えた。  小さく菅本は息を呑んだ。管理組合の代表が咳払いをした。 「菅本!」と支店長代理が、怒りを呑み込んだ低い声でたしなめた。はっとして菅本はオペラグラスを取り落とした。プラスチックの角が白変したオペラグラスは、コンクリートにぶつかり、レンズが外れて飛んだ。  支店長代理は小さく舌打ちし、菅本を睨みつける。  代表は、先に立って階段を下りていった。菅本はオペラグラスのレンズを通して見たものを思い出し首をひねる。  ありえないことだ。彼女の位置からは離れたところに建っているマンションの屋上の人影がようやく判別できる程度だ。いや、そもそもおもちゃのオペラグラスで、川原にいる彼女たちの姿をそれほど大きくとらえられるはずはない。 「菅本」  怒気をはらんだ声で、上司が再び呼んだ。  その日の昼、彼は自転車で川原に出た。普段は近所の中華料理屋で食事をするのだが、なぜか同僚と肩を並べて油っぽい料理に箸を伸ばす気になれず、コンビニエンスストアで弁当と烏龍茶を買った。それを河川敷の公園で食べるつもりだった。  土手に立つとやはり夏草の間に、中州の青いシートが望めた。オペラグラスの視野に入ってきた老女の顔が心にひっかかっている。  橋の上からならもっとよく見えるのではないか、ということに気がついた。ちょうど車の通りの少ない時間帯だ。彼はその場に自転車を置き、弁当を片手に橋の上に行った。欄干に体をすりつけるようにして端を歩き中央部分まで来て下を覗き込む。  青いビニールも、老女たちも見えない。それらのものは橋の真下にあるので、身を乗り出すようにして覗き込んでも見えないのだ。とたんに背後から派手にクラクションを鳴らされた。バスだ。欄干に張りついてやり過ごす。  ばかやろう、と菅本は走り去っていくバスに向かって罵声を浴びせかけた。昔は人と車が譲りあって渡っていた橋だが、今は自動車専用道という明確な表示もないままに歩行者が締め出されている。  堤防に戻り、コンクリートの斜面に腰掛け、弁当を広げた。  中州の夏草の間に小さく人影が見える。老女が一人、デッキチェアらしきものに腰掛けてぼんやりしている。浮浪者とデッキチェアという組合せが、なんともそぐわない。  昔、菅本は大川端のマンションのベランダに、デッキチェアを置いたことがあった。夏の日の夕暮、川辺を眺めながら一人でスプリッツァでも飲もうと思い買ったのだ。  しかし結局、その機会はなかった。いつも深夜か明け方にしか部屋に帰らなかったからだ。一度も使うことがないまま、菅本はそこを追い出された。あのデッキチェアは、ベンツに入らないのでそのまま置いてきたが、いったいどうなったのだろう。粗大ゴミとして出されて近所の浮浪者が拾っていったかもしれない。  それにしてもここは奇妙な場所だ、と菅本はあらためて河川敷を見回し、空になった弁当箱をビニール袋に押し込む。  数年前、何をまちがえたか鮭が遡上《そじよう》したのは愛敬だが、この春には子供がピラニアを釣り上げ、指を食いちぎられそうになったという噂が立った。川原に北米原産のアナグマが生息していて、遊びに来た親子連れに餌をねだるという、それなりにほのぼのとした話があるかと思えば、アナコンダのような柄の巨大な蛇が川を渡るのを見たという都市伝説も生まれた。  菅本が実際に目にしたのは、群れをなしてネコヤナギの木にとまっていたセキセイインコだけだが、輝くばかりの黄緑色の羽が枯れ木を埋め尽くす様は、日本の景色としてはいささか奇異だった。いずれにしてもかなりの数のペットが住宅地近くの川原に捨てられていることは確かだ。そうした中で日本の気候に適応し、自分で餌を取れるものだけが生き残っているのだろう。  雑草の生い茂ったどぶ川の河川敷が、遠い国から運び込まれた様々な生物と人間までを養っていることに、菅本は感動めいたものを覚えた。  立ち上がると同時に、内ポケットの携帯電話が鳴った。慌てて出ると「どこにいるんだ」という苛ついた支店長代理の声がした。時計を見ると昼休みはとうに終わり、モデルルームに詰めなければならない時間だった。慌てふためいて、自転車に跨《また》がる。  隣町にある免震構造のマンションに遅れて着いて、部屋に上がり込む。すでに建ち上がったマンションの空き部屋が、現在モデルルームとして公開されているのだ。  あれはちょうど各社とも、新築マンションの在庫を抱えていた時期のことだった。バブル崩壊後に、不動産の需要は底になり、金利は限りなく低下していったが、それでも買い手はつかない。そんなときに神戸で大地震が起きた。  多くの建物が倒壊してところどころで火の手が上がっている被災地の映像をテレビで眺めながら、菅本は「やった」と手を打った。その五年ほど前から、菅本の会社では住宅の販売だけでなく、免震構造のマンションの建築を実験的に手がけていたのだ。  これからは安全を金で買う時代だ、見せかけの豪華さを競う時代は終わった、という社長の鶴の一声で建てられたものの、売れ行きはさっぱりで、会社のお荷物と言われていたものだ。そこに福音のように大地震が起きた。  パンケーキ状につぶれたり、外壁にひびが入った建物の映像に目を凝らしながら、菅本はついにチャンス到来、と武者震いしていた。バブルのときにはみんながいい夢を見た。しかし今は、先見の明のある者、才覚のある者、実力のある者だけが、はい上がれる時代だと思った。  一戸建なら建物が壊れても土地は残る。しかしマンションが壊れたら残るのはローンだけ。被災地のそんな嘆きがマスコミによって伝えられ、マンションの売れ行きは一気に落ち込んだ。その中でほとんど買い手がつかないまま、免震マンションが建ち上がろうとしていたのだ。  これで形勢は逆転するだろうと、社のだれもが思った。残っている部屋を人々は競って買うだろう。今後、順次建設されるはずの免震マンションの先行きも明るいと信じられていた。  しかし意外なことに、地震後も売れなかったのである。  建ち上がって二年が経過すれば、だれも入居していなくても、中古物件とされてしまう。その段階で、敗北が決定する。二年の期限まで、あと四カ月を切っている。  休日ということもあり、この日モデルルームにはかなり客が入っていた。普通のマンションと免震マンションを比較して、震度7の揺れを体験できる装置には、子供が群がっている。客は積極的に菅本に質問してくる。感触はいい。しかし買わないのだ。  少し前、業を煮やして、菅本たちはオフィスのガラス戸に被災地と壊れたマンションの内部の写真をパネルにして貼り出した。すると普通のマンションの売れ行きに影響するから撤去するようにと、本社から指示が来た。  モデルルームに詰め、電話をかけ、少しでも脈のありそうなところは一軒一軒回り、それでも売れなかった。売れない理由はひとつしかない。  価格が高すぎるのだ。六千三百万円がその免震マンションの最低価格だ。最新の技術を用い、建物全体を一回り大きな穴に埋め込み、ゴムやダンパーで地震のエネルギーを吸収するように作られたマンションのコストは莫大なものだ。にもかかわらず外見は、さほど豪華には見えない。  安全は欲しい。しかしいつ来るかわからない地震のために、高い金は払いたくないというのが人々の本音だ。  阪神大震災の映像は、人々に地震の恐ろしさを見せつけはしたものの、安全と引き換えに多額の出費をさせることはできなかった。被災地の映像を見ながら、「起死回生、一発逆転」とつぶやいた自分の甘さを菅本はいまさらながら思い知らされる。  ひどくコストのかかった建物は、菅本の神経に重しのようにのしかかっていた。これがある限り、自分は再び浮かび上がることができないような気がする。  憂鬱な思いや不安を必死で振り払い、菅本はなおも電話をかけ、客を現地に案内する。そして伝道師のように繰り返す。 「これからは安全は金で買う時代ですからね。一度地震が来れば、必ずこの物件にしていてよかった、と思うはずです」と。  一夜の霜で、土手の草が見事なばかりに黄色に枯れた晩秋の夕方、菅本は土手に自転車を止めた。  この日、免震マンションはついに竣工から二年が経過した。  住宅販売会社「大栄」は、一度も人の入っていないこのマンションの多くの部屋を不良在庫として、中古住宅専門の販売業者に売り渡した。  敗者復活はならなかった。それでも立ち止まることは許されない。次の目標に向かって走りだすしかない。菅本の目標は未来ではなく、過去にあった。バカラのオールドファッションドグラスを片手に過ごす一枚ガラスのリビングルーム。ヤングエグゼクティブという言葉の心地よい響き。  サドルに跨がってぼんやりしていると、菅本は一週間前、自分を襲ったひどいだるさと吐き気を思い出す。客を現地に案内してオフィスに戻ってきたとき、気分は最悪だった。  前回案内したときは、買うと決めたように見えた客が、何やかやと理由をつけて決意を翻《ひるがえ》してきたのだ。まだ仮契約は済んでいないし、手付けさえ支払われていない。あと一息で、七千数百万の物件が売れるところだった。  案内しているときから、すでに立っていることさえおぼつかない状態だった菅本は、客を応接室に待たせておいてトイレに入った。そこで便器に腰掛けたまま動けなくなった。  上司が代わりに応対に出て、菅本は救急車で市内の病院に運ばれた。  診断結果は肝機能障害だった。  酒を飲みすぎた覚えはない。あの輝かしい時代、週に四回は銀座や六本木で明け方まで飲んでいた。それでも仮眠してすぐに出勤できた。  しかし今、あの頃の七割しか仕事をせず、三分の一しか酒を飲まず、十分の一ほども遊んでいないのに、肝臓病に倒れた。原因は過労という医師の言葉を、菅本は納得がいかないままに聞いた。倒れるほど働いたという達成感も、病気になるほど遊んだという満足感もない。  幸い入院の必要まではなく、菅本は運び込まれた救急病院から自宅近くの内科医院に紹介状を書いてもらい、四日間仕事を休んで通院した。医者からは簡単な生活指導を受け、飲酒を止められただけだった。  木枯らしに身を縮めて川原を眺めながら、菅本はベンツもロイヤルサリュートも女も大川端のマンションも、取り戻すことのできない夢になり、独身のまま、安普請のアパートで朽ちるだけなのかもしれないと思った。果てしない絶望感が襲ってきた。その安普請のアパートにさえ、いつまで住めるかわからない。五年前、菅本たち自身が、昭和三十年代から住んでいた木造アパートの住人たちを追い出して、あの免震マンションを建てたのだから。  晩秋の陽が落ちるのは、驚くほど早い。辺りが暗くなるのと同時に、風が氷のような冷たさを帯びてきた。  闇を透かして、中州に小さな炎の立つのが見える。  年老いた女性浮浪者たちは、この季節になってもまだ橋の下にいた。駅前の地下道の人々さえ、暖を求めて暖房のきいたデパート側に移動して、しじゅう警備員と小競り合いをしているというのに、吹き曝《さら》しの川原の老女たちはそこを動かない。  炎は暖を取るためのものなのか、それとも煮炊きのためのものなのか。菅本にはわからないが、小さなオレンジ色の光は不思議に魅力的に映った。理屈ではその場所がどれほど寒いかわかっているのに、なぜかほのぼのとした感じがする。  人間はビニールシート一枚あれば暮らせるのではないか、とふと思った。寒い夜をやり過ごせば、昼間はデッキチェアで陽なたぼっこし、飽きるまで釣りをする。自分が必死でマンションを売っているこちら側とは違う世界が、川の向こうに開けている。  土手の上からも橋の上からも、首を伸ばしてなんとか探ろうとしてかなわなかった彼女たちの暮らしを近くで見るのは案外たやすいことなのだ、と菅本は不意に気づいた。  川を渡ればいい。幅は広いが、深いところでもせいぜい膝程度の流れだ。それを渡れば、中州に行かれる。下水が流れこんでいる水の不快感にさえ目をつむれば簡単なことだった。  菅本は堤防を下りると、ゆっくり流れに近づいていく。土手の上からは、じゅうたんを敷き詰めたように平坦に見える枯草は中に入ると意外なほど深く、その下の石ころだらけの地面は起伏に富んでいる。人工の灯りのない一帯を月が青白く照らしだし、丈高く茂ったすすきの向こうから水音が聞こえてきた。音だけ聞いていると、清らかな流れを連想する。  川べりに出て、菅本は自転車を枯草の中に倒し、ズボンの裾をまくり上げた。  自分がばかなことをしているとはわかっていた。  買い置きの冷凍うどんを温め、それを食べながらテレビを見て、それに飽きたらパソコンに向かい、インターネットに接続する。真っ直ぐ家に帰れば、貧乏臭くても、一応は寒くない生活がある。  それに対して川向こうにあるのは、吹き曝しにビニールの囲いをして雨を防ぐだけの人間以下の暮らしだ。  女浮浪者の生活に心を引かれていく自分の後ろ向きの感傷が不可思議でもあり、現実の生活を見ることでその感覚を断ち切れるかもしれないという期待もあった。  夜の大気の中で、川面に月が砕け、輝いていた。水温が低いせいか悪臭もない。  浅瀬をみつけ靴と靴下を脱ぎ、菅本はゆっくり足を踏み入れる。気温が下がっているので、水は思いの外、温《ぬる》く感じる。川床の石はぬるぬるとして不快だが、想像していたよりも浅い。それでも流れは速く、足首にぶつかる水が飛沫《しぶき》をたて、盛り上がってはズボンを濡らす。  中州にはあっけなく着いた。水深は予想していたよりずっと浅く、石伝いに足を運べば、せいぜいくるぶし程度しかない。流れという存在が、観念上の境界として中州を隔てているに過ぎなかったのだとあらためて知った。  渡りきったところに、杭のように篠竹が立っており、そこに黒いゴム長が逆さにひっかけてある。  菅本は老女たちの生活の一端を見たような気がした。彼女たちにしても、中州だけで生活できるはずはない。公園の水を汲んだり、生活に必要なものを買ったり漁《あさ》ったりするために、このゴム長を履いて浅瀬を渡っているのだろう。  青白い月は空高く昇り、あたりは濡れたような光に照らしだされている。  菅本は中州の光景を眺め回す。ビニールの囲いのある辺りは、橋の影に黒く沈んでいる。生い茂ったすすきを通して、淡くオレンジ色の炎が見える。何か煮炊きしているのだろう。流れから少し中程にはいると、もう丈高い枯草の原だ。ところどころ胡桃やハリエンジュの木が、大きく枝を広げている。  そのとき菅本は危うく声を上げそうになった。やや小高いところに胡桃の木が一本生えている。その根元に老女がひとり、微動だにせず置物のように座っていた。  月の光に、その肌も髪も男物のウィンドブレイカーも真珠のような白さだ。  恐怖がはい上がってきた。怖がる理由などない。老いた女の浮浪者の住みついている中州に渡ってきたのだから、彼女たちがここにいて当然だ。それでもそのしんと静まり返ったたたずまいに、立ち木か大きな石が人の姿を借りて現われたような神秘とも不気味さともつかないものを感じた。  老女の片手がゆるゆると上がった。額に手をかざして月を見ている。  菅本は後ずさった。老女はこちらを向いた。取って食われるのでは、とはさすがに思わなかったが、他人の庭先に勝手に入り込んだのを見咎められたような後ろめたさはあった。 「あ、どうも、こんばんは。おじゃましてます」  営業用の声が萎縮した喉から出た。 「はあ? 何を言ってるんだかね……」  老女はウィンドブレイカーの襟元に突っ込んでいたタオルを直しながら、小さく瞬きした。 「いえ、川を渡るとどうなってるのかと思っただけで、すいません」 「今日は、満月だからね。中秋はとっくに過ぎてるけれども、本当は今頃の方が空気が澄んでてきれいなんだよ。夜中になったらどんなに冴え渡って清々していることか」  菅本の言葉を聞き終える前に、老女は勝手に話し始める。耳が遠いらしい。 「月はきれいだけど、寒いでしょう」  菅本は大声で言った。今度は聞こえたらしい。 「ここに来なさい」と老女は体をずらせた。 「いえ」と菅本は、後ずさる。老女は隣の石の上を片手で叩いた。そこに座れという意味だ。断り切れずに菅本は腰を下ろす。  空気がふわりと暖かかった。茂った枯草に風をさえぎられているのだ。流れのある方向にだけ、視界が開けている。 「空襲の跡を上野の山から見たっけね」 「はあ?」  菅本は身じろぎした。  中州の老女が自分を拒絶することもなく、案外簡単に受け入れてくれたことに菅本は驚いてはいたが、それに感激するには老女の様子は尋常ではない。かと言ってさっさと腰を上げて逃げ出すのは気が引ける。 「焼け跡に月が出て、それはそれはきれいだった」  老女の語り口には、謡うような緩やかな抑揚が加わった。 「小石川の私の家も焼けてしまった。昭和の初めに建て替えたばかりで、たいそう大きな洋館だったのだけれど、空襲が激しくなってからは祖母が疎開するというので、女中も使用人もそれに付けて行かせてしまった。大きながらんとした家は私一人で、ずいぶん心細かった。近くに焼夷弾が落ちたのは、五月の中ごろだったかね。私はのんびりした方だったから、家財道具を運び出すのが遅れて、ずいぶんたくさん着物を焼いてしまった。着物はあきらめがついたけれど、母の形見の白狐の襟巻は雪のような毛並でそれはそれは見事な品だった。焼けてしまったのはつくづくもったいなかったけれど、それにしても……」と老女は深い吐息をついた。  菅本はふと流れの方をふりかえって、息を呑んだ。淡く川霧が立っている。目を凝らせば、月に照らされて細かな水滴の一つ一つが、微細な光を放っているのが見える。数秒のうちに、霧は濃さを増し、ゆっくりとこちらに迫ってきた。 「何もかも焼けてしまったというのに、月はなんときれいに照り輝いていたことか。私は運び出したわずかばかりの身の回りのものを荷車に積んで、谷中近くの父の知人の家に一時、身を寄せた。そのころの私の姿といったら、今日食べるご飯もないのに髪は黒く、小さな鏡に映る顔は、それはそれは艶々しかった。若くて美しいときは私にもあったけれど、そんなときに限ってもんぺに古木綿の着物で身を飾るものもなく、男は戦争に取られていない。苦しい時代が長く続いて、ようやく食べるにも着るにも困らなくなったときには、すっかり歳を取ってしまっていたのは、なんて皮肉なことか……。小さなかわいい男の子が、そこのお家に来たのは、いつ頃のことだったかしら。戦前までそこに住んでいたご主人の弟さんが、一家でサンフランシスコに渡った折、日本に戻る途中の客船が沈んでしまって、忘れ形見になったのがその子。小さな手でお線香を上げる不憫《ふびん》さに、後先のことも考えず、引き取って育てた。女中も乳母も田舎に帰ってしまった後のことで、しかも戦後の物のないときで、食べさせていくのだけでも難儀なことだったけれど、聞き分けのよい子でそれはそれは美しい立派な若者に成長した。けれどお嫁さんが来てみれば、体も耳も目も衰えた老婆がひとつ屋根の下に暮らしているのは、なかなか気詰まりなことと見えて、ある日、嫁は私をどこかにやってくれとあの子に泣いて訴えたらしい。それからしばらくして、私はあの子に手を引かれて、この町に来た。東京一見事な桜を見せてあげると言われて、電車をふたつ乗り換えて来てみると、本当にまあ、きれいだこと。上野の寛永寺の桜は、趣があるけれどもう老木で、花の付きはごくあっさりしているけれど、ここの桜は花の精が陽炎のように立ち上ったのかと思うほど勢いがあって、花びらが分厚く重なり合っていた。  これがあの子との別れ、我が家との別れとわかっていたから、よけいにその鮮やかさが目にしみた。私を老人ホームに置いてあの子は帰っていった。ホテルのようなホームの玄関のガラス戸の脇で、私は桜を見上げた。ちょうど今夜のような満月で、桜は雪のように白かった。花びらが闇の中に白く舞って幻のような眺めだった……。あれから夜毎に月の下で桜を眺め暮らしているけれど、今夜、ちょうどあの子と同じくらいの年格好のあなた様が現われ、こんな風に昔話をしてしまった。これも縁かもしれないけれど、すっかり衰えてしまったこんな姿を人様にさらすのは恥ずかしいこと」  老女は微笑して、パーマ気のない真っ白なおかっぱの髪の乱れを直した。  窪んだ目と細く高い鼻筋、肉の削げた頬が、月の光に鋭角的な影を刻んでいる。静かな気品をたたえたその顔に菅本ははっとして目を凝らした。  もしやと背筋が冷えた。引き取り、育てた血のつながりのない子供によって老人ホームに送られた老母は、そこですでに息を引き取って久しいのではないだろうか。浮かばれないまま、魂だけがこの川を渡って中州に棲みついてしまったのでは。 「あの、どうも」と菅本は立ち上がった。同情の思いとともに薄気味悪さにとらえられ、逃げ出すことも慰めることもできないまま、じりじりと後ずさる。  流れのある方向は霧が濃く巻いていた。しかし橋の下のビニールの囲いがあったあたりに目を転じると、霧を透かして小さく光がともっている。  菅本は胡桃の木の根元で月を仰いでいる老女に視線を張りつけたまま、そろそろとそちらに向かっていく。菅本の視野の中の老女は川霧に溶けて消えたりはしなかった。顔色は多少青ざめてはいるが、しっかりした実在感をもってそこにいた。  ビニールシートのすぐそばまできて、それがすでに夏場に見たような形態ではないことを菅本は知った。さすがに寒くなってきたからだろう。屋根の部分まできっちりとシートで囲った小屋が、丈高いすすきに包まれるようにしてある。  床部分がどうなっているのか定かではないが、布団が二つのべてあるのが妙に生々しい感じを与える。  その向こうで老女が二人、火をたいている。石のかまどの上にはアルミの鍋がかかっており、一人がそれをかき回していた。 「あれ」  胡麻塩頭を刈り上げにした老女が手をとめ、菅本の方に顔を向けた。「ああ」ともう一人の老女は、見知った男に会ったかのように菅本に向かい笑いかけた。こちらの老女は深く皺の刻まれた鼻の脇や目元と不釣り合いに、髪だけは闇にとけこむように黒い。 「すいません、勝手に入ってきて」  菅本は、言った。 「別に。川原は、だれのもんでもねえ」  刈り上げの方の老女が答える。 「あの、ここにいるのは、あなたがた二人だけですか」 「鶴ちゃんなら、そっちの方にいるけど。あんたが義理の息子かい」  刈り上げの老女が、菅本の来た方を顎で指した。どうやら胡桃の根元に座っていたのは、幽霊ではなく鶴ちゃんという女だったらしい。 「いえ、息子じゃありません」と慌てて答え、菅本は木の根元でその鶴ちゃんに会ったのだが、この世のものとも思われない風情なので逃げてきた、と正直に言った。  老女二人は笑うでもなく、顔を見合わせてうなずいた。 「鶴ちゃんは耳が悪いから、ときどきわけのわからないことを言う。よその人が驚くのも無理はないね」  黒髪の方が言いながら、プラスティックの皿をもってきて、鍋の中のものをよそう。あんかけのような茶色のどろりとした液体だ。 「ほら、鶴ちゃん。葛湯」と刈り上げの老女が川霧の向こうの闇に声をかけ、菅本に小声で言った。 「呼んだって聞こえやしないんだけど、匂いはわかるんだ」  やがてのろのろと、月を見ていたあの老女が現われた。 「あ、どうも」と菅本は頭を下げたが、鶴ちゃんと呼ばれた老女は怪訝な顔で首を傾げただけだった。少し前に自分が身の上話を聞かせた相手をすでに忘れているらしい。 「ほら、鶴ちゃん、暖まるよ」と黒髪の女が皿の物を差し出す。 「小菊ちゃん、これ」と刈り上げの女が黒髪の女に別の皿を渡しながら、菅本の方を顎でしゃくった。小菊と呼ばれた黒髪の老女は、菅本に葛湯の入ったその皿を押しつけた。  菅本は、「どうも」とぺこりと頭を下げて受け取る。浮浪者の夜食にたかる気はしないが、断るのも気が引ける。菅本は渡されたプラスティックのスプーンで、恐る恐るそのゲル状のものをすくった。水溶きした片栗粉を砂糖と醤油で味付けして煮た、実の無いあんかけのようなものだ。おいしいというほどのものではないが、寒い夜には体が暖まる。酒で暖を取る男の浮浪者に比べて健康的ではある。 「あの、おたく、小菊さん、というんですか」  菅本は目の前の老女の、汚れてもなお艶を浮き立たせている黒髪を見て尋ねた。  相手の名前を確認するときの癖で、思わず名刺を取り出そうとしてやめた。 「柳橋じゃ、売れっ子でね」と小菊は、すっと背筋を伸ばした。 「ブロマイドを作ったんだよ。知らないかい、歌手や女優より、芸者のブロマイドの方が人気のあった時代があったんだ。見せてあげたいよ」  鶴ちゃんと呼ばれた老女は、かちゃかちゃと忙しなく箸を動かし、葛湯をかっこむと、再び枯草の中に消えていった。 「十九のときに旦那が死んじゃってね、お座敷で杯《さかずき》片手にばったり倒れてそのまんま。口さがない連中が多くてね、私の精が強くてとり殺しちまったって言うんだよ。いろいろあって、なんだか日本にいるのも嫌になって、外地に行って一旗揚げようと思った。行李いっぱいの着物を処分して、神戸に行って、そこから船に乗ったんだ。ちょうど今ごろの季節だったかね。七色のテープが岸壁に滝のように流れて、それは夢のような光景だったよ。ところが出航して二時間もした頃、揺れ始めてね。凪いでいるんだけど、何せ海の上だから。ぐぐー、と持ち上げられたかと思うと、ふうっと落ちる。なんだかこうくらくらしてきて、気持ちが悪くて、そのうち一歩も歩けなくなって、恥も外聞もなく船倉でひっくり返った。気がつくと興福寺の阿修羅様のようなきりっとした顔をした海軍士官が、見下ろしている。軍服の真っ白なリンネルが目にしみるようだった。 『どうされました。船酔いですか?』って、その人は聞いた。お座敷では、たくさんの旦那衆や軍人さんを相手にしていたけれど、そんなふうに親身に声をかけられたのは初めてだったよ。『帯を緩めなさい。そして辛いかもしれないが、起きて動きなさい。さほど海は荒れてないから、今のうちに船に馴れてしまわないと、この先、下船するまでずっと辛い』って言う。それでくらくらするのを我慢して起き上がると、すいっと腕を貸してくれた。それから上海につくまでの二日間は、夢のようだった。その人は海軍中尉だったんだ。最初の予定じゃ翌日、長崎から乗るはずだったのが、所用があって神戸からの乗船になったそうでね。東シナ海を越えて、無事に黄浦江《こうほこう》に船が入ったとき、船長を囲んで乾杯して、ダンスが始まった。ホールで中尉さんに抱かれて踊ったことがつい昨日のように思い出されるよ。浅黄色の暈繝《うんげん》ぼかしの長い袂《たもと》を揺らして、黒地に金扇を織りだした帯をしめてね、着物に草履でワルツを踊るんだよ。芸者はみんな踊れたものさ。くるっと回る度に袖が揺れる。それはそれは優雅なもので見せてあげたいよ。考えてみれば、あれが初恋だったんだね。遊び上手でハンサムな呉服屋の若旦那に惚れたことはあったけど、それは色さ。恋とは違う」 「ほう、色と、恋ですか……」 「そうさ」  静脈の浮いた自分の手を小菊はつるりと撫でる。節高な骨ばった指は、汚れて黒ずんでいたが、その動きはなめらかで柔らかく、どこかしら艶な情緒が漂っていた。菅本はふとその手が閉じた扇を持ち、目の前にかざしてみせる、そんな姿を思い浮かべた。  肩から袖にかけて、秋草を染め抜いた黒|綸子《りんず》の裾をかすかに乱して片膝を踏み出す芸者の艶姿が、いまだ黒々した頭髪をネットでまとめている目の前の老女に重なる。  小菊は菅本の顔をちらりと見上げた。オレンジ色の炎を映して、うるんだ目の端に、どきりとするような媚びが浮いた。 「おや、どうしたんだい?」 「いえ、別に、その」  菅本は慌てて、小菊の顔から視線を外した。 「で、その上海では、何をしていたんですか?」 「蘇州河の南に大きな色町があってね、それはそれは賑やかなところだった。やってくる男たちも、日本のようにけちな旦那衆じゃない。鉄道会社の会長さんや、鉱山技師や、もちろん軍人さんもいたけれど。戦争が終わりに近づいたころ、すぐに日本に逃げ帰った方がいい、と寝物語に教えてくれたのは、馴染みになった陸軍参謀長だった。その男が、内地に戻る船も手配してくれたんだ。何も知らずにそこに留まった娘たちは、ずいぶん難儀したって話さ。男は金と力だよ。金と力のある男に惚れさせなきゃ、女はだめさ。それにしてもいつのまにかこんなしわくちゃになってしまったのかね。なまじ髪が黒いから、なんだかすっぱりとあきらめがつかなくて。早く真っ白になれたら楽だろうね。鶴ちゃんが羨ましいよ。吹き曝しの小屋で、こうして暮らしているのも、何かの報いかもしれないね」 「その場になれば、あきらめなんかつかないですよ。気がついたら、いい歳になってしまってる」  菅本は言った。大川端のマンションから眺めた夜景が幻のように脳裏によみがえる。 「おや、わかったようなことをお言いだね」  と、小菊の話を黙って聞いていた刈り上げの女が、低い声で言った。 「いや、別に」  慌てて菅本は首を振った。 「で、陸軍参謀長はともかく、船の中の海軍中尉はどうなったんですか?」  小菊は唇の端で小さく笑った。 「風のたよりに南方で戦死したと聞いた」  予想した通りの答えで、菅本は何と受けていいかわからず黙っていた。 「なに、無事に生きていたところで、客と芸者の関係になるだけさ。船を下りたら、恋は終わるんだ。しばらくして、小さなひすい玉の簪《かんざし》を送ってきたけれど、戦後のどさくさでおじやと取り替えてしまった。自分の腹を満たす方が先だったんだ。簪食っては生きられないからね。ところが、あれは十年ほど前かね、流れていった先の温泉宿で三味線を弾いていたら、遊びに来ていた県議会議員さんの一行の中にいたんだよ、あの中尉さんが。ちゃんと生きてた。向こうが先に気がついて、『そこのハコのおねえさん、三味線はいいから、踊ってくれ』と言うんだ。『こんな姥桜《うばざくら》に無理言うもんじゃありません』と言って、その顔を見てふと気がついたんだよ。どこかで会ったなんてものじゃない。忘れたつもりでいたけれど忘れられるものじゃない……。踊ったよ。そりゃ、客に頼まれればね。けれども老いた身をさらして踊ることの、恥ずかしいこと。婦人会の催しならいざしらず、座敷だもの……。酷なことをしてくれたものさ。今は、こうして男もなければ、踊りも踊らず、それでも生きていられるのは、わびしいんだか、気楽なんだかね」 「ちょっと、待って」  菅本は言った。 「それって五十年ぶりくらいの再会ですよね。で、一緒にその中尉さんと過ごしたのは、神戸から上海までのたった二日でしょう。なんで覚えているんですか?」 「だから色じゃなくて、恋なんだよ」  ぴしゃりとした口調で小菊は言った。  自分は、あの時代に抱いた女の顔を一人でも覚えているだろうか、と菅本は記憶をたどる。額の上だけカールさせた長く真っ直ぐな髪、バストを強調したスーツ、すらりと伸びた足、きれいな女だった。それがだれなのかわからない。記憶の中ではだれもが同じ顔をしており、だれ一人輪郭が定かではないのは、どうしたことだろう。  ふと振り返るとビニールシートで囲われた小屋の中で、鶴ちゃんが布団に潜り込むのが見えた。 「耳が遠くなると、寝るのが早いね」と刈り上げの老女が、肩をすくめる。 「あの布団はどうしたんですか?」と菅本は尋ねた。 「春先にマンションの前に行ってごらんよ」  にこりともせず、刈り上げの老女が答える。 「布団も所帯道具も、より取り見どりだ。まだ使えるものをみんな置いて引っ越していくからね。今の日本は、お金なんか一銭もなくたって、他人様のおこぼれで生きてられる。いい時代になったものだよ」  小菊は前歯の欠けた口を開いて、軽やかに笑った。  いい時代か、と菅本は、無意識の呻き声を上げた。彼にとってのいい時代は過ぎていた。華々しく短い季節が過ぎてみると、あとはいつ明けるともしれないどんよりと薄暗く寒い時代が果てしなく続いている。五年待てば、という期待はとうに裏切られた。  もっともいい時代とは自分にとっての戦時で、この不況がまさに平和時なのかもしれない。しかしいくらの物件をいくつ売るという戦いなど、いかに金額が張ったところで所詮は金のやりとりで、命をやりとりする戦争と比べれば、遊びのようなものかもしれない。彼女たちの生きてきた時代に自分の数年前を重ねる愚かさを菅本も自覚してはいた。  刈り上げの老女が小さく伸びをして、立ち上がる。 「寝るのかい? 史子さんも」と小菊が声をかける。 「布団に入るよ、寒くてかなわない」  刈り上げの女の名は史子というらしい。 「これだから、おひいさまは困るよ。そんなんでこの冬を越せるのかい」と小菊は笑う。  菅本は小さく身震いして言った。 「何も冬になってまで、こんなところに住まなくたっていいじゃないですか。市役所に行ってみたらどうですか」 「うるさくってね」  史子と呼ばれた刈り上げの老女は、そっけなく言った。 「あれこれ干渉されるのが嫌なんだよ。それに気の合わない年寄りと一部屋で暮らすくらいなら凍死した方がいい」 「本当に、いつまでたっても誇り高い」と小菊は呆れたように言って続けた。 「何しろ華族の出だもの。この辺りの霧が谷庭園というのは、市が財閥から買ったものだけど、その前はこの人の家の持ち物だったんだよ」  本当ですか、と菅本は目を丸くした。この町のある地区の高級感を出すのに、頻繁に使われるフレーズは、「徒歩〇分のところに霧が谷庭園」というものだった。戦前は財閥の持ち物だった、その起伏に富んだ日本庭園が、目の前の女浮浪者の生家というのは驚きだった。 「どんな家に生まれようと、歳を取ればこの通り」  史子は窪んだ目に淡い笑みを浮かべる。 「この冬を越せば、梅やれんぎょうの花開く春が訪れるけれど、昔の秋には戻れない。今でも思い出すけれど、いえ、今の方が鮮やかに記憶に蘇ってくるのはなぜなのかしら……。臙脂《えんじ》の縮緬《ちりめん》に百合を大きく染めだした振り袖に糸錦の丸帯を胸高に締めて、天皇の招宴の園遊会に訪れたおり、私は父にあの人を紹介された」  唐突に恋物語が始まる気配に、菅本はとまどった。刈り上げにした老女の声はいくぶん高くなった。薄汚れ、毛玉のできたカーディガンは、どこかで拾ってきたものに違いない。しかし老いたとはいえ乱れのない顎の線とそらせた首筋には、確かにかつてのおひいさまを偲ばせる気位の高さと凜《りん》とした気品が漂っている。 「背が高くて、映画で見る外国の方のように彫りが深くて、すてきな方だった。父の知人の子息で、大学の研究室にいらっしゃったのだけれど、いずれは大きな会社に勤めて、エンジンを作る仕事をしたいと言ってらした」  菅本のことなどいっこうに気にかける様子もなく、史子は話し続ける。 「美男子で頭のいいその方を母もすぐに気にいってしまい、もちろん私は彼を紹介されてからは、他のどこの貴族院議員の御曹司、知事の息子などの話を持ってこられても、とても会う気にはなれない。そのうちにお母さまが、そっと打診してみると、その方は自分は一生結婚する気はない、と答えられたそうな。別の方が、どこかから聞き出した話によると、新しいエンジンのしくみを勉強するために留学していたドイツに恋人を残してきて、どうやら結婚の約束もしているらしいとの話。『お嫁さんをもらうなら、異国のお嬢さんよりは、日本のしかるべき家の人をもらいなさい。一時の情熱で結婚しても、歳を取ればやはり日本の女が恋しくなるから』お友達にそう説得されてあの人も次第に私に心動かしてくれていたのだけど、そのときになってあの人は新型エンジンの開発のために、軍の命令でドイツに連れて行かれることになった。けれどもう太平洋戦争の敗色も濃くなっていた頃のことで、敵にみつからず無事にドイツに着ける見込みなんかなかった。私と母は父に頼んで手を回してもらった。あなたたちは知らないだろうけど、軍というのは、お金が物をいうところだったのですよ。もちろんあの人のお母さまも、『負けとわかっている戦争のために、そんな危険な船旅をさせたくはない』と、父に手をついて頼んできた。ただ、そのとき『母がこんな頼み事をしたことをあの子には決して伝えないでください。こんな不正をしたことがわかったら、潔癖な子だから私を一生許してくれないだろうから』と語ったらしい。あの人は私の父の働きかけによって、ドイツへ行くことは免除されて、整備技師として小松に行くことになった。国の命運をかけた特殊エンジンの開発という、危険だけれど名誉ある任務に携われなくなって、あの人は拍子抜けしたみたいだったけれど。もちろん裏でどんなやりとりがなされたかなんてことは、何も知らない。知らないから小松に行く直前になって、ほとんど決まっていた私との婚約を解消したい、と言ってきた。父も母も内心は怒っていたけれど、そこは華族の誇りもあって、ドイツ行きを阻止したことについて、恩に着せるようなことは一言も言わなかった。けれど私は彼に手紙を書いた。父と母と彼のお母さまの間で行なわれたやりとりについて、事細かに書いて送った。あなたの命は、私の父のお金によって守られたもの、と。恨み? いいえ。侮辱されたことが許せなかったから。けれど彼が本当のことを知ったところで、もうどうにもならなかった。小松行きは決定し、いまさら本人の意志で変えることなどできなかったから。あの人が乗っていくはずだった潜水艦は、無事にドイツについた。だけど帰りには沈められてしまった。軍人でもなんでもない技師や学者がたくさん死んだ。けれどあの人も無事ではなかった。所用があって東京にやってきたついでに、疎開先の両親を気遣って郊外の町に向かった。ところが乗っていた列車がトンネルを出たところで銃撃されて、あの人は死んでしまった。あと一カ月たらずで終戦というときだったっけ。銃撃された場所は、軍の施設でも町でもなくてね、一面の夏草の生い茂る原っぱ。濃い緑の葉っぱの中に、鮮やかな真っ赤な花が一面に咲いているように見えたけれど、近寄ると血だったそうな。どのみち人間、死ぬときには死ぬし、死ねない人間は死ねない。こんなふうに屍《しかばね》より醜い衰残の姿をさらして生きていかなければならないこともあるってことね。若い頃、多くの罪を犯すほどに、その報いとしていつまでも死ねないで恥ずかしい姿をさらしているのかもしれない。ただ、こうして美しい月を見ていると、老いてなお生き続けるのも悪くはないと思うけれど……」  史子は、小さく一つ身震いし、自分の両腕を手のひらでこする。 「ああ、あんたが変な話をさせるから、すっかり冷えてしまったじゃないか」  そう言った史子の声は、身の上を語っていたときの滑らかな艶をすっかり失い、金属がすれあうようなしわがれ声に変わっていた。 「朝《あした》に紅顔あって世路《せいろ》に楽しむといえども、夕べには白骨となって郊原《こうげん》に朽ちぬ」  不意に背後で、歌うような声がした。振り返ると、鶴ちゃんが起きてきていた。小菊がそちらを一瞥してささやいた。 「しょうがないんだよ。耳が遠いから、自分の声が自分で聞こえない。思っていることが、口から出てしまうんだ」 「有為《うい》の有様、無常のまこと、誰《たれ》か生死《しようじ》の理《ことわり》を論ぜざる、いつを限るならひぞや。老少《ろうしよう》といっぱ分別《ふんべつ》なし、変わるをもって期《ご》とせり。誰か必滅《ひつめつ》を期せざらむ」  それまで月明かりに真珠色に立ち上っていた川霧は淡くなり、向こう岸の堤防の彼方にある家々の明かりがうっすらと見えてきた。地上げが終わる前にバブルが弾け、古い木造家屋やつぶれかけたアパートが残っている一帯だ。  橋の下のテントの脇に身を置いてみると、今度はその明かりが不思議と暖かく、ここち良さそうに見えるのが不思議だ。  菅本はカバンから財布を取り出し、千円札を一枚取り出した。 「すいません、これ夜食代」 「おや、すまないね」と小菊がすばやく取り上げ、史子に見せる。史子はそれをちらりと見たきり、礼は言わなかった。  鶴ちゃんの声が一段と張って、月の光の中を流れた。 「運ぶ蘆鶴《あしたず》の、根をこそ絶ゆれ浮き草の、水は運びて参らする、罪を浮かべて賜《た》び給え」 「ああ、辛気臭くてかなわないねえ」と小菊が言った。  史子がそっと菅本の背を押した。 「さ、お帰りよ、明るくならないうちに。お天道さんの下で私たちの姿を見るのは、後生だからやめておくれ」 「いまさら恥ずかしがるもんでもないだろ」と小菊が笑った。 「ほら、霧が薄い今のうちに」と史子が急《せ》かした。  菅本は立ち上がり浅瀬に向かって、石に足を取られながら歩いていった。  翌朝目覚めたときには、昨晩自分が中州に渡ったことは、どこか現実感に乏しく、生々しい夢をみたのではないかと疑わしく思われた。それでも夜中に一度目覚めたときも、明け方も、あの鶴という老女の口ずさんでいた歌とも詩ともつかないものが、鼓膜の奥から染み出てくるように、頭の中で鳴っていた。  そして強いて中州を見ないようにして、堤防を通り過ぎオフィスに向かった。やはり「お天道さんの下で私たちの姿を見るのは、後生だからやめておくれ」という史子の声が心に残っていたからかもしれない。  青いビニールシートはいつまでもあった。師走も近くになり、霜に当たった草がすっかり枯れ、吹き付ける風が耳に痛く感じられるほどになっても、それは同じ場所にあった。  しかし形は変わった。きちんと補強し、屋根の部分もシートですっぽり覆い、少し保温性を高めたようだ。それにしてもストーブか石油コンロの一つもあるのかと気になる。  正月明け早々に、菅本は近所の医院に行った。年末の宴会で一切酒を絶ったのがよかったのか、肝臓病の症状はほとんどなくなっている。救急病院から紹介されて彼が通院しているのは、この町で戦後まもなくから開業している七十過ぎの内科医のところである。  その日、とうに午後の診療時間が始まっているというのに医者はいなかった。四十分も遅れて、診察が始まり菅本の番が来たとき、医者は言い訳するように言った。 「いやあ、行路《こうろ》死亡人が出ちゃって、検死に呼ばれちまってね」 「行路死亡人?」 「ああ、行き倒れのことだよ」 「今の時代にですか? 旅行でもしてたんですか」  菅本は尋ねた。聴診器を当てながら、老医師は答える。 「違うよ。住民票がないんだ。ショッピングバッグレディってやつだ、橋の下の」 「えっ」と叫んで、菅本は診察用の丸椅子から、腰を浮かせた。 「知ってるの?」 「ええ、一度、中州に渡ったことがあって」 「へえ、福祉ボランティアでもやってるの」 「いえ……」  菅本は口ごもった。なんと説明したらいいのかわからない。 「亡くなったのは、あの鶴ちゃんとかいう、おばあさんですか」 「いや、鶴ちゃんじゃなくて、史子さんの方だ。急性肺炎で、警察に連絡が行ったときには、もう死んでた。ケースワーカーが行って、残りの二人を緊急保護しようとしたが、ばあさんたちが、がんとしてあそこを離れようとしない。この年になって人に指図されて住みかを動かされるなんざ、死んでも嫌だと言い張るんだ」と医者はため息をつく。 「史子さんも、他人と同室の老人ホームなんかに入るなら死んだ方がいいと言ってました。華族の出だから、特別プライドが高かったのでしょうけど」 「華族の出?」  医者は、すっとんきょうな声を上げた。 「だって、霧が谷庭園の元の持ち主の……」 「霧が谷庭園って、松岡財閥の?」 「だからその前です」 「その前は華族じゃなくて、千石あたりの薬問屋の持ち物だ。宇野史子って、あれが華族の出なもんか。クインビーってバーのマダムだよ」 「マダム?」 「戦後、進駐軍相手に小さな店をやってて、パトロンが国に帰ってしまった後、一人で店を切り盛りしてた。小便臭くて狭苦しい店で、二階が住まいになってて、ときどき物好きな客をひっぱり込んでいたが……。二、三年前まで商売してて、化け物屋敷とこのへんじゃ呼ばれていたね。なにせ七十過ぎのマダムが、目張り入れて『いらっしゃいませ』だもの。我々は古い馴染みだからいいけど、フリの客はドアを開けたとたん仰天して逃げちまう」 「戦後、零落した華族のお嬢様が転落して、なんてことでは……」  まだ半信半疑で菅本は尋ねる。 「マダムの身の上話を本気にしてるのかい? 華族のお嬢様が書生と駆け落ちしたが、相手は結核で死んじまったって、あの話だろ。我々も聞かされたよ」 「いえ、駆け落ちじゃありません」 「似たようなもんだろう。彼女は宮城県の貧農の出だ。尋常小学校卒業後に、埼玉に女工として売られてきた。年季が明けて東京に出てきて商売を始めたらしい。警察が身元を調べて、今日、姪が遺体を引き取っていった」 「姪が、いたんですか」 「いるよ。故郷《くに》にも、村山の都営住宅に住んでるのもいる」  菅本は、こめかみを揉みながら尋ねた。 「それじゃ残っている小菊さんって、元芸者さんは?」 「なんだい、そりゃ? 小菊のばあさんのことか? 小菊豆腐店のばあさんだよ、芸者のわけがないだろ。菊地豆腐店の弟が店を出したんで、小菊豆腐だ。我々が勝手にそう呼んでただけだが。亭主が女作って、家を出ていってね、ずっと一人で店を守ってたんだが、さすがに年取って続けられなくなったって、五年くらい前に店を畳んだ。有名な吝嗇家《りんしよくか》でね。あるとき僕が、患者さんに豆乳を勧めたことがある。その人は小菊のばあさんのところに買いに行ったんだが、そうしたらコップ一杯三百円だか、四百円だか、吹っかけたらしい。あたしの髪が黒いのは、毎朝豆乳を飲むおかげだって、自慢してたらしいがね。息子が二人いたんだが、ばあさんのケチぶりに愛想つかして、出ていってしまった。しかしケチが高じて、おかしな金融商品に手を出したのが運の尽き。気がついたときには、店も家も取られて丸裸にされていた。その後は木賃アパート住まいだ」 「柳橋の売れっ子だったっていうのは……」  茫然として菅本は尋ねる。  医者はため息をついて首を振った。 「婦人会で、日本舞踊の会があってね。役員をやってたな。祭りのときなんか、朝から浴衣姿で駆け回ってたよ。帯にうちわを挟んでね。町内で揃いの浴衣を作るんだ。クインビーのマダムなんかも仲良しで一緒にやってた。よく言ってたもんだ、あたしゃ芸者になりたかったってね。豆腐屋は辛い。朝早く起きて力仕事して、冬は冷たいし、夏は油で火傷しそうに熱い。同じ辛いなら、踊りや三味線の稽古で辛い思いをしたかった、というのが口癖だった」 「それじゃ、一旗揚げようと上海に渡って、引き揚げてきたと言うのは」 「ドラマでも見たんだろ。あのばあさんは同じ町内の経師《きようじ》屋の娘だ。上海どころか東京の真ん中にさえ出たことがないんじゃないか。前に『あたしゃ箱根から西に行ったことがない』って、言ってたくらいだ」 「すみません、鶴さんの素性は?」  せっつくように、菅本は尋ねた。ここまでくれば、最後まで聞き、自分がどれだけ騙されたのか確認しなければ気がすまない。 「鶴岡先生だろ。すっかりボケてしまったが、国文の先生だよ。インテリだが金はない。小菊豆腐店のばあさんとは、アパートの隣同士だ」 「独身ですか? 子供を引き取って育てたりはしてませんよね」と菅本は念を押す。 「独身だが、子供育てたって話は聞いたことがない。たまに生徒が遊びに来ていたようだが」  菅本は、こぶしで自分の頭を叩いた。 「連中、どうして揃いも揃ってあんな嘘を……」  腹が立つより、奇怪な感じがした。  医者は、カルテを書く手を止めて苦笑した。 「極道と女の身の上話なんてものはね、あんた、みんな作り事だよ。じゃ、とにかくあと二週間、薬飲んで様子見て」と、診察を終わらせようとした医師に、菅本は取りすがるように尋ねた。 「あの三人、なんであんなところに住んでいるんですか、アパートがあるのに」 「追い出されたんだよ」  事もなげに医師は答え、傍らの看護婦に次の患者を入れるように指示した。 「ほら、おたくの会社の免震マンション、建ったろ」  ひっ、と小さく菅本は息を吸い込み、絶句した。  バブルはとうに弾けていたが、手付かずに残っていたあの土地に、菅本たちは社の命運をかけた。バブルの時代のように札束を積み上げるわけにはいかず、地元に密着した不動産屋を介し、しっかり根を張った草を一本一本むしるようにして住民を退《ど》かしていったのだった。立退きが進む前、あの一帯を歩いたときの嫌悪感を菅本は忘れられない。そこには彼が住んでいる安普請のアパートより、さらに惨めな建物と惨めな暮らしがあった。汚れた靴の散らかった玄関と、その奥の共同台所から流れてくる悪臭、窓の外に吊された洗濯物。こんなスラムのような場所は一刻も早く取り壊し、限られた土地を有効利用することにより理想的な街づくりをしなければならない、という企業人としての使命感もあった。 「アパートの住人もクインビーのマダムもご近所さまだ。このあたりも、ほんの十年前には、祭りだ、葬式だと、何かと近所付き合いがあったが、あの時代を境に変わった」 「わかりました、わかりましたよ」  菅本はあいさつもそこそこに、診察室から逃げ出した。  それにしても、なぜ彼女たちがあのような作り話をしたのかは謎のままだ。深く考えるまでもない。金はなくても暇だけは売るほどにある浮浪生活の中に、物好きな若い男が入っていったのだから、一つからかってやろうという気になっても不思議はない。しかし遊ばれたというには、どこか物悲しい話ばかりではあった。所詮は美しい月を愛でながらの一夜の余興であったのかもしれない。  仲間を一人失い、厳寒の季節を迎えても小屋はそのままあった。医者の話を聞いて以来、菅本には彼女たちの行動が、自分たちを長年住み慣れた土地から追い立て、なれ親しんだご近所さんの絆を断ち切った社会と時代への抵抗のように思われてしかたない。そうして見ると、青いビニールシートはさしずめ筵旗《むしろばた》といったところか。  幸いなことに、年が明けてからの東京は例年にない暖冬になった。今年あたり何か天変地異が起こるのではないか、という話も世間では飛びかい、そのせいか免震マンションがじわじわと売れ始めた。中古屋なんかに売り飛ばさず、あのまま会社で持っていれば、と菅本たちは悔しがったがもう遅い。  菅本の生活は変わらない。それでもささやかなボーナスでどうにかバイクだけは買い直し、錆びの浮いた自転車は、処分するのも面倒なまま、アパートの自転車置場の隅に放りこんである。  そして二月に入ってまもなく、季節はずれの暖かさにとうに梅が咲きほころび、桃や桜の莟《つぼみ》までが大きくなったある日、雷が鳴った。  午後もまだ早いうちに、辺りは暗くなり大粒の雨が、菅本の乗っていた営業車のフロントガラスを叩き始めた。あっという間に道路の側溝から水があふれ、車は水をかきわけるようにしてのろのろと進む。ボンネットに当たる雨がドラムのような音を立てた。早く社に戻らなければと、菅本の頭にはそれしかない。銀行の融資担当者に連絡を入れ、必要な書類を早急に作成しなければならなかった。  幸い市内の高台にあるオフィスには無事に辿り着き、その日の七時過ぎには仕事を終えることができたが、雨は降り止まず、菅本はロッカーの中の合羽を着てバイクにまたがった。  幹線道路の坂を下りかけたところで、ごうごうという水音が聞こえた。下水から路面に水が溢れ、道路は一本の太い川に変わっていた。菅本はしかたなくその近くのパチンコ屋の駐車場にバイクを置き、そこからバスを乗り継いで帰ることにした。  泥水の中を泳ぐようにしてバスは走った。ようやくアパート近くのバス停で下りたとき、菅本はふと嫌な感じを覚えた。それまで頭にあったのは、仕事のことだけだった。それが終われば帰宅し、テレビを見ながら、缶ビールを開ける。そんな日常的な光景が待っていることを信じて疑わなかった。  果たしてその平和な日常は失われていた。それはアパートに辿り着く前にわかった。  丘陵地と堤防に挟まれたその溝のような土地は、三十年前までは川の水を引いて水田が作られていた場所だ。さらに遡れば、定期的に訪れる洪水によって、ほとんど肥料も必要なく米が実ったところでもある。  道路の水は膝くらいの深さになっていた。その道路からコンクリート階段で、四、五段下りた土地に建つアパートは、一階の窓のすぐ下まで、濁流に洗われていた。不運なことには、彼の部屋は一階にあった。鍵を出す前に、近づいてきた雨合羽姿の男に、「すぐに避難してください」と声をかけられた。地域の消防団員だ。  菅本は身の回りのものも持ち出せないまま、少し離れたところにある神社裏手の町内会館に避難させられた。  普段なら町民のカラオケ大会などに使われる広間の板張りの床にシートが敷かれ、その上で汚れた水に家を追われた人々が、不安げな顔でラジオを聞いていた。  着替えもない菅本は、トラサルディの上着の裾が汚れることを気にしながら、その場に尻をつく。石油ストーブがいくつも持ち込まれていたが、濡れた下半身は痺れるように冷たく、疲労感が体を重く覆《おお》ってくる。  這うようにしてストーブのそばに行き手をかざし、泥水で汚れたズボンの下半分を舌打ちしながら乾かす。あの免震マンションを抱えていたとき、彼がテレビで眺めて狂喜した、阪神大震災の避難所の光景に自分がすっぽりはまりこんでいるような気がした。 「堤防が決壊するとは思わなかったですね」  菅本は、隣にいる子供連れの女に話しかけた。 「まったく」と女は憤懣やる方ない様子でうなずき、続けた。 「川のそばのマンションの、それも一階なんかに、住むもんじゃないわね。床上浸水だなんて」 「もしやグレンエステート・タマリバー……」 「そう。六千万も出して買ったのに」  自分の素性がばれるとは思っていないが、菅本は反射的に顔を伏せた。 「別に堤防が決壊したわけじゃないよ」  そのとき背後から聞き覚えのある声がした。 「床下浸水なんてのは、この辺じゃしょっちゅうでね、でも床上は、二十年ぶりくらいじゃないかね」  のんびりした口調で言ったのは、菅本の肝臓病を診てくれているあの医者だった。医院も床上浸水したので、ここに一時避難しているのだという。  と、不意にあの中州の住人のことを思い出した。ビニールシートの小屋はもちろん、中州自体が流れに呑まれて無くなっているだろう。濁流に流れていく青いシートが目に浮かぶ。彼女たちは無事なのだろうか、と考えたあと、こんなときに浮浪者の身の上を案じている自分に呆れた。  眠れぬ一夜を明かした翌日の午後、菅本は会社の互助会から三万円の見舞い金をもらい、水の引いたアパートに戻った。ドアを開けたとたん、すさまじい臭いが鼻をついた。洪水の水がドブと同じ臭いを発するということを菅本は初めて知った。  六畳二間の畳に置いてあったものと押入の下段のものは、ほとんど使えなくなっている。ラジカセも、ワイドテレビも、分割払いで買ったアップルのコンピュータも、クリーニング屋から取ってきて畳の上に放り出してあったワイシャツも何もかもが泥水を被っていた。  大川端のマンションを追い出された後、ベンツに積み込んで持ってきた品々も同様だった。ロレックスに、バカラのオールドファッションドグラス、投資目的で買った池田満寿夫の版画などにも泥がこびりつき、ヘドロ臭を放っている。  菅本はゴミ集積場に運ぶために、そうした遺産の一つ一つをビニール袋に放り込んでいく。豪華なマンションと夜景を失った今、あの時代を偲《しの》ばせる物を失った。  洗面所の棚にあった歯ブラシとヘア・ムース、シャネルのオーデコロンの類だけが、泥はねひとつなく残っていた。  今を去ること、七年前俺は……。  多くのものが消え、泥水の跡だけが残る部屋の壁をみつめたまま、彼はつぶやいていた。  俺は一カ月で、トータル七億の物件を売った。格別営業などしなくても、客の方からやってきた。オフィスを出るのは毎晩十一時過ぎ。銀座か六本木で四時近くまで遊んで、翌朝は普通に出勤した。一晩五十万くらい使ったかもしれない。クラブ小菊のホステスを連れてラスベガスに遊びにいき……。待てよ小菊などというクラブはなかったか…。とにかく女とラスベガスに行き、一晩で一千万すった。いや、違う。女と行ったのはヌメアのカジノの方だっただろうか。千葉に住んでいた病院の院長は、一緒にハワイでゴルフをした後、マンションを一棟丸ごと買った。いや、そんな景気のいい話をしただけで実際は買わずに終わったのだろうか?  時が経ち、いよいよ元に戻れなくなると、記憶はさまざまな色合いに塗り替えられ、現実と虚構が入り交じってしまうものらしい。  不思議なことに、七億の仕事の中身も、女も、カジノも、記憶に定かでないのに、マンションから見た夜景だけは、実在感をもって心に焼き付いている。  いい思いなど、実のところしていなかったのかもしれない、とふと菅本は思った。若さにまかせて仕事と接待に明け暮れ、前線から戻った兵士のようにぼろぼろになって、あのマンションに辿り着いた。だからこそあの部屋と、一人で飲んだロイヤルサリュートの味は忘れがたいのだ。  菅本は自分の辛い過去を、それぞれ一編の物語に作り替えて語った老女たちの心中をなんとはなしに理解できた。悔恨、羨望、希望、そうしたものが過ぎ去った時代を作り替える。未来は幻に過ぎないし、それまでの人生も各自の記憶の集積に過ぎない。  水の下から顔を出した中州にオレンジ色のシートを菅本が発見したのは、その二日後、通勤途中のことだった。  小屋は再び出現していた。同じ位置にそれはあった。ただシートの色だけが変わっていた。その近くで炎が上がっている。焚火だ。燃料は廃材らしい。  人影が二つ見えた。のんびりと何かを炎にかざして乾かしている。焚火の周りにはさまざまなものが干してある。  数カ月前と変わらぬのどかな光景がそこにあった。  彼女たちが、いったいどうやって避難し、どこにいたのか知る由もない。何事もなかったかのように彼女たちは戻ってきた。そして以前と何一つ変わらぬ生活を始めた。地震や洪水にいちばん強いのは、高価な免震マンションではない。ビニールシートの屋根と囲いと土間しかない小屋なのだと、菅本は実感する。壊れようが流されようが、またどこかから材料を拾ってくればすむ。それで住まいを作り直し、以前と変わらぬ生活が始まる。  浮浪する彼女たちは何も持たないし、何にも執着していない。命にも執着せずに史子という老女は逝った。彼女たちの唯一の持ち物は、虚実を取り混ぜた物語としての記憶だけだ。  物にしがみついたところで、戦争でも起これば、すべてが壊れ、焼け、無くなる。彼女たちは不確かさをその価値観の底に抱えて、戦後を過ごしてきたのかもしれない。  たかが不況、たかが洪水なのかと、菅本はため息をついた。  家財道具や生活用品のほとんどを失い、がらんとした部屋を泥だらけにしたまま、菅本はきっちりと髭をそり、ムースで髪を整え、トラサルディのスーツを着てオフィスに向かっている。数日前と何一つ変わることのない出勤風景だ。  いや、乗り物だけはまた自転車に変わった。豪雨の中で、パチンコ屋の駐車場に乗り捨てたバイクは、何者かに盗まれた。ところがスポークがさびて、フレームの曲がった自転車の方は流されることもなく、奇跡のように自転車置場の柱に引っ掛かって残っていた。  いつかはあの大川端のマンションに戻るのだ。弱気になる自分を叱咤して、菅本は自転車のペダルを踏む。一発逆転、一発逆転と唱えながら。 [#改ページ]    コンクリートの巣  その日、富岡正恵は、今年度が始まってから初めての有給休暇を取った。  数年ぶりの空梅雨《からつゆ》で、団地の駐車場のコンクリートが太陽を反射して白々と焼けていた。  上着を食堂の椅子にかけたまま玄関を出ようとして正恵は慌てて戻った。  民間会社と違い、正恵の勤務している官庁では、まじめに仕事をしているかぎり、服装についてはさほどうるさいことを言われない。ノンキャリアの女性たちは木綿のTシャツにギャザースカートで出勤してきたりするが、主査の肩書きがついたときから、正恵は男性のスーツに相当する服装で出勤するようにしていた。  私物のノートパソコンの入ったカバンを抱え、正恵はところどころ滑り止めの欠け落ちた階段を駆け下りる。  南北に六畳を配したこの公社住宅の2DKは、一人住まいには手ごろな大きさだった。家賃が安いこともあって、昔はかなりの人気だったらしいが、バブルが弾けて五、六年経った今、空き部屋が目立つ。完成から二十年を経て、当初から住んでいた住人はほとんど出ていった。一戸建や分譲マンションを買った者もいれば、年を取ったためにエレベーターのないこの建物に住みきれなくなり、民間の賃貸アパートに移った者もいる。  団地内の小学校が一つ廃校になり、二軒あったスーパーマーケットは両方とも撤退し、酒屋もクリーニング屋もつぶれた。ゴーストタウン一歩手前になって、ようやく公社はそれまで所帯持ちにしか貸さなかった2DKを単身者にも開放したのだ。  三十五歳になるまで笹塚のワンルームマンションに住んでいた正恵は、それを知ってすぐに申し込み、移ってきた。なにしろ部屋の広さは二倍、家賃は二分の一である。五階にある部屋まで階段で上がるのは面倒だが、収納スペースもたっぷりあり、風通しもいい。以前のワンルームマンションのようにオートロックではないが、玄関の向かいあった二世帯ごとに階段があり、むしろエレベーターと開放式廊下で結ばれた建物よりは、住民の目が行き届いており安全だ。多少の古さと、霞が関までの遠さに目をつぶれば、上等の住まいといえる。  棟の入り口に置いてある自転車にまたがり、駅に向かおうとしたそのときだ。場違いに鮮やかな色が目に飛び込んできた。輝くばかりのコバルトブルーのものがコンクリートの上をよちよちと這っている。  自転車から下りてそばに行くと、インコだった。手を伸ばすが飛ばない。驚かさないようにそっと捕まえる。インコは小さく鳴いたが、衰弱しているのか抵抗しない。  正恵は、時計を見た。すぐに行かないと始業時刻に間に合わない。太陽が首筋を焼く。  手を開いたが、インコは飛ばなかった。かわりに小さく体を震わせ、正恵の手のひらに小さく細い糞をした。その色に正恵は息を呑んだ。鮮やかな、混じり気一つない緑色だ。籠から逃げて何時間経っているのだろう。胃の中の餌は消化しつくされ、小鳥は団地の芝だけをついばんでいたらしい。  正恵はきびすを返して、今下りてきた階段を駆け上がっていった。  室内に入って、ぐいのみに水を汲《く》んでインコの前に置き、大きめのざるを伏せて鳥籠の代わりにする。ざるをかぶせたのは、インコが室内を自由に飛び回ると、レースのカーテンなどに足をからませて宙吊りになる危険があるからだ。  すぐに近くのコンビニエンスストアに行き、稗《ひえ》と粟の混合餌を買ってきた。小さな器にあけて、水とともにインコを閉じこめてあるざるに入れてやる。  しかしインコは食べない。もはや弱りすぎてついばむことができないのか、それとも環境が変わったので神経質になっているのかわからない。しばらく見守っていたが、インコはよちよちと伏せたざるの中を歩くだけだ。  正恵はため息をつき、受話器を取って職場の電話番号を回した。  電話に出た男性職員に一日休暇を取る旨を伝える。 「係長が休むってめずらしいですね、どうしたんですか?」  この四月に入庁してきた若者が、すっとんきょうな声を上げた。 「インコ拾っちゃってね、餌を食べないので心配だから、今日一日休むわ」  相手は笑いだした。  少しばかり疲れがたまり休みたくなっていたのかもしれない。そこにちょうどインコが現われたのだ。それを察したように相手は、「ゆっくりしてください、ちょうど今日は、何もないですから」と答えて、電話を切った。  受話器を置くと急に腹が空いた。  このところ残業で帰宅が遅くなり、朝はぎりぎりまで寝ていたので、ずっと朝食を抜いていた。埃《ほこり》をかぶっているコーヒーメーカーを洗ってコーヒーをいれ、一カ月も前から冷凍庫に入っている食パンを焼いた。  ジュース類の買い置きはないので、ミネラルウォーターをグラスに注ぎ、食パンにマーガリンを塗ろうとしたときだった。  ざるの中のインコが、急に落ち着きを失った様子でバタバタとはばたき始めた。何に驚いているのか、と伏せていたざるを外すとインコは正恵の手に乗ってきた。  手乗りだったのだ、とあらためて思い、そのまま食卓に戻った。とたんにインコはテーブルの上に飛び下りた。グラスに突進し、羽をばたつかせながらグラスにはい上がろうとする。  コバルトブルーの羽の間から、フケのようなものが飛び散り、パンに降りかかった。皮膚病にかかっているらしい。眉をひそめながら正恵はインコを掴み、グラスの縁に止めてやった。体をぐらつかせ、インコはむさぼるように水を飲んだ。いったいどれほど渇いていたものだろう。頭を水につっこむようにして、テーブルを水びたしにして飲む。  それが終わると今度はパン皿に下り、パンをついばみ始めた。驚くばかりの勢いで狐色に焼けたパンの縁を食いちぎる。  正恵は、呆れてその様を見ていた。ざるの中に置いた稗粟を食べた形跡はない。  パンと水を与えられるとインコはあっという間に元気になって、家の中を歩き回った。しかし飛べない。  正恵は捕まえて、その体を見た。羽が切ってある。ざるを見ると、羽をばたつかせて逃げようとするところからして、今まで籠に閉じこめられたことがないらしい。  羽を切られ、家の中で放し飼いにされ、鳥の餌を与えられずに人間と一緒に同じ食物を食べていた鳥だ。体中フケだらけというのも、そうしたところからくる栄養の偏りが原因だろう。  正恵は、インコを溺愛する孤独なOLの姿を想像した。自分と同様、ここが単身者に開放されたのを機に移り住んできた人のペットだろう。  正恵は隣の部屋からA4判の紙を持ってきて、太いマジックインキでインコを拾った旨と、電話番号、部屋番号を記した。どういう飼われ方をしていたにせよ、とりあえずこのインコは持ち主に返さなければならない。何より地方出張の多い正恵が、生き物を飼うのは難しい。紙を持って外に出ようとするとインコはついてきた。甲高い声を発して、よちよちと追ってくる。  ため息が出た。互いに依存しあい、神経症的な絆で結ばれた孤独な女とフケだらけのインコの姿がうかがい知れる。  素早く鉄の扉を閉め、コンビニエンスストアに行き、先程書いた物を四枚コピーし、その一枚を店内に貼らせてもらった。残りを団地の掲示板や階段に貼り、そのまま自転車で駅ビルに向かう。そこで鳥籠とインコのためのミネラル分を含んだ土、小鳥の飼い方に関する本などを買った。いつ飼い主が現われるかわからないが、とにかくそれまで、正常な飼い方をしてやらなければならない。  インコが原因で取った休暇ではあった。しかしまさかインコだけのために費やすことになろうとは思ってもみなかった。買物をし、本を読み、昼風呂にでも入ってくつろぐつもりが、この日は結局、インコの相手をして暮れた。  インコは鳥籠を極端に嫌がったのだ。捕まえて閉じこめると暴れ、出してやると落ち着く。本来の鳥の餌である粟と稗には見向きもせず、一目散に正恵の食べているインスタントラーメンのどんぶり目がけて走ってくる。鳥用の水入れの水は飲まず、正恵の腕に止まりグラスの水を飲む。始末におえないので鳥籠に戻すと、また暴れる。 「そんな生活していると、病気になるよ」という正恵の言葉が鳥に通じるはずもない。夕方近くには、インコは正恵の姿を見ると逃げるようになった。鳥籠に閉じこめようとし、まずい餌と飲み方のわからない水を与える新しい飼い主を恐れ、嫌っているのだ。正恵から必死に逃げ回り、いよいよ捕まるとわかると部屋の隅で固まったように丸まる。数時間前、正恵の後をどこまでも追ってきたのが、嘘のようだ。  なんともざらついた気分になり、早く飼い主が現われてくれないものか、と正恵は、ぼんやりと五階のベランダから下を眺める。こんな変な鳥はさっさと手放したかった。  夜になり、有無を言わさず掴んで鳥籠に入れ布をかけたのは、鳥を飼うときの当然の心がけだ。いくら手乗りとはいっても、陽が落ちたら鳥籠に戻し寝かせなければ鳥が弱る。布は人工照明を遮るためのものだ。  中でばたばたいう音が途絶え、ようやくあきらめたらしく静かになった。そのとき、玄関の呼び鈴が鳴った。  チェーンをかけてドアを細目に開くと、幼い女の子が二人立っている。顔立ちが似ているところを見ると、姉妹だ。 「インコありがとうございました」  姉らしい女の子が、歳に似合わないはっきりした言葉遣いで礼を言った。 「えっ」と小さく声を上げ、正恵はあっけに取られながらチェーンを外し、彼女らを玄関に入れる。  姉は小柄だが、態度からすると、小学校の三年くらいにはなっているかもしれない。妹の方は保育園の年中組くらいだろうか。  インコは孤独なOLのペットではなかった。  正恵が鳥籠を持ってくると、姉の方が中からインコを掴み出そうとした。 「鳥籠のまま持っていきなさい」と慌てて止める。そして餌とミネラルの土を持たせ、さらに飼い方を書いた本を示して正恵は言った。 「これ、ママに渡してちょうだいね」  姉はこくりと首を縦に振った。ふと気になって正恵は尋ねた。 「あなたのところ、ママ、いるよね」 「はい」と姉は答えて、正恵を見上げる。丸い顔がこけしのようだが、目鼻立ちはすこぶるはっきりしている。弓形にきれいに整った眉と丸い目が可愛らしい。美人に成長することを期待できる顔ではないが、童話の挿絵《さしえ》に出てきそうな、いかにも子供らしい「無垢《むく》」という言葉を造形的に表現したような顔立ちだった。  返したインコがどうなるかはわからない。あのままでは長くは生きないだろうが、とにかくフケだらけの体は、二度と見ないですむ。ほっとして正恵は、買い置きの缶ビールを開けた。  ドアポストに何かが入れられる音がしたのは、八時を回った頃だった。  宅配ピザに猥褻《わいせつ》ビデオ、そして保険の勧誘……。民間マンションと違って、管理のゆるい公社住宅のドアポストにはありとあらゆる広告が投げ込まれる。正恵はほろ酔いかげんで出ていき、ポストを開けた。白い封筒が入っていた。 「インコを拾ってくださいましてありがとうございます。あきらめていたので、子供たちもとても喜んでいます」と書かれた手紙と、五千円分の商品券が入っている。  嫌な感じがした。インコを拾い、しばらく預かった。単純な好意だった。それを五千円で貸し借り無しにしてくれ、とでも言われているような気がした。  礼状はともかく、商品券をもらうわけにはいかない。国家公務員として働いているうちに、正恵はこうしたものを極端に忌避する癖がついていた。もちろん同僚の中には業者から金品をもらうことに抵抗のない者もいるが、正恵は業者以外でも一切受け取らない。頑なすぎるという非難はあるが、つまらないことで人生を棒に振る気はなかった。相手はだれであれ、理由のない金品をもらったら後が面倒だ。  正恵はサンダルをつっかけると、手紙に書いてあった部屋番号を頼りに階段を駆け下りた。その家は正恵と同じ階段の三階にあった。空き家の目立つ団地の中で、ここの階段だけはまだどこの家にも人がいる。それも表札から判断する限り、所帯持ちばかりだ。目指す家のドアには、ハート型のプレートが貼りつけてあり、蛍光ペンで名前が書き込まれていた。 「細貝 美香 亜実 さやか」とある。  インターホンを押すとすぐにドアが開いた。  丸い顔がのぞいた。正恵はその顔に目を凝らした。一卵性母娘という冗談があるが、まさにその通り、先程やってきた上の娘と瓜二つの母親がいた。丸い輪郭、丸い目、弓形の眉、顔の造作が何一つ子供と変わらない。不思議なことに印象まで似ている。  親子が似ているのは当然だが、母親が娘のいかにも子供らしい可愛らしさをそのまま身につけていることに驚かされた。丸い顔と不釣り合いに細い首、華奢《きやしや》な細い体をぴっちり包んだTシャツ。ティーンエイジャーのようだが、その可愛い丸い目の脇や口元には、小皺が刻まれている。厚いファンデーションのために目立つだけかもしれないが。 「あ、先程はどうもインコありがとうございました」  愛想よく母親は頭を下げた。こちらは知らなかったが、相手は、新しく入居してきた単身の女の顔を知っているらしい。母親の濃いピンクに塗られた唇から、茶色に変色した隙間のあいた前歯がのぞいている。パーマ気のない長い髪が、はらりと肩に落ちるのをマニキュアの指で払う。 「せっかくですが、私、ただちょっと預かっただけですから、こんなことしていただかなくてけっこうですので」と正恵は、商品券を差し出した。 「いえ」と母親は首を振った。 「本とか、鳥籠とか、もらっちゃったし、子供たちも喜んでいたし」  急に舌足らずな子供っぽい口調になって、相手は言った。 「いえ、いただくわけにはまいりませんので」となおも返そうとしたとき、後ろからぬっと大柄な子供が顔を出した。妹や母親に比べ、やや太り肉《じし》のせいで目が細く見えるが、母親によく似ている。この家の長女らしい。すると玄関にかけてあったプレートの「美香 亜実 さやか」というのは、三姉妹の名前だろうか。 「いいんです。うち、鳥籠もちょうどなかったし、餌もなかったから、買ってもらってよかったんです」 「五千円もするものじゃありません」  玄関マットには動物の模様、下駄箱にはシール、アップリケのついたウォールポケット、ライオンの顔のついたキルティングのティッシュ入れ、子供の多い家らしく、騒がしいほどの飾りに囲まれているが、暮らし向きは豊かそうには見えない。 「いいんです、もらってください」  媚びを感じさせるほどに愛想よく笑い、母親は商品券を押し返す。理由もなくこうしたものを受け取ることはできない、とたいていの相手にははっきり説明し、金品を返してきた正恵だったが、この母親には、それ以上抗弁できなかった。暖簾《のれん》に腕押しというのか、何を言っても無駄だという無力感がある。言葉が通じ合わない相手というのはいるのだとあらためて思った。  後味の悪さと少しばかりの敗北感を覚えながら、正恵は商品券を手に階段を上っていた。  数日後、正恵は二週間ぶりに定時で仕事を終え、家に戻ってきた。昼すぎに上陸した台風が東京に接近しつつあり、木々をなぎ倒さんばかりの勢いで風と雨が吹き荒れていた。  傘はほとんど役に立たず、ずぶ濡れで帰ってきた正恵が、階段を駆け上がっていたときだ。三階のコンクリートの階段に蹲《うずくま》っている小さな体に危うくつまずきそうになった。  女の子が顔を上げた。この前インコを取りに来た上の子だ。  屋根はあっても、雨は容赦なく階段に吹き込み、女の子の髪は雫《しずく》をたらして額に貼りついている。 「おうちの鍵、ないの?」  正恵は尋ねた。女の子はうなずいた。鍵を持たずに家を出て、戻ってみると家族は外出中、というのは、一人暮らしの正恵は経験したことがないが、よく聞く話だ。 「ママ、帰ってくるまでうちにおいで」  とっさにそう言っていた。  女の子は、目のぱっちりとした丸い顔で笑うと敏捷《びんしよう》な動作で立ち上がった。 「あんた、さやかちゃん、だっけ?」  正恵は、あの家のハート型のプレートにあった名前のひとつを言った。 「ううん」と女の子は首を横に振った。 「亜実、さやかは妹」 「するといちばん上のお姉ちゃんが……」と、商品券を返しにいったときに、母親の背後から顔をのぞかせた女の子の顔を思い出して尋ねた。 「美香」  亜実という女の子は答えた。  正恵がドアを開けると、亜実は遠慮する様子もなく中に入り、上がり込んだ。 「足、拭いて」  正恵が洗面所にあった雑巾を投げてやると素直に拭き、南北にある六畳と台所を行ったりきたりする。 「うちと同じだ」  洗面所のドアを開け、手洗いを開け、間取りを確かめている。 「うん、団地だからね」  正恵は夫婦と子供三人の計五人が、ここと同じ広さの2DKに住んでいる様を想像した。いったいどこにどう物を置き、どうやって寝ているのか、想像もつかない。狭いながらも楽しい我が家、かどうか知らないが、わいわいと混乱の中で日々が過ぎ去り、子供たちが成長していく暮らしというのは、どんなものなのだろうと思った。独身のまま、過ぎ去っていった自分のここ十数年の生活と重ねてみると複雑な感慨にとらえられる。  タンスの中からバスタオルを取り出し、亜実に渡す。ちょうど長めのTシャツもある。 「ほら、その濡れた服、脱いでこれに着替えなさい」  亜実は物怖じする様子もなく、洗面所で服を脱ぎタオルで体を拭いて、正恵のTシャツを着た。ピンクのTシャツは小さな亜実が着るとちょうどワンピースくらいの丈になり、目鼻立ちのはっきりしたこけしのような顔によく似合った。 「ねえ、ママ、何時頃帰ってくるの?」  正恵は尋ねた。 「わかんない」と答えて、亜実は食器棚をものめずらし気に見ている。人見知りするなどということを知らないらしい。  嵐はますますひどくなり、窓を叩きつける雨が滝のようにガラスを洗っている。そろそろ夕食の時間でもあり、家族が心配しているだろう。 「お姉ちゃんは?」 「わかんない」 「鍵をお家に忘れてきたんだよね」 「ううん」と亜実は首を横に振った。鍵は母親と姉しか持っていないので、自分が先に帰ったときは、どちらかが帰って来るのを待っているのだ、と言う。いつもは児童館に行っているのだが、この日は台風のために児童館からも早めに帰されたらしい。 「お姉ちゃんは、どこにいるの?」 「わかんない」 「亜実ちゃん、何年生?」と正恵は質問の内容を変えた。 「二年生」と、はきはきした口調で亜実は答えた。姉は五年、妹は保育園の年少組、と問われもしないのに付け加える。しっかりした利発そのものの受け答えだ。それと姉や母親の行方を尋ねたときの「わかんない」という口調が不釣り合いだった。  とにかく家に電話して母親か姉が戻ったことを確認したら、この子を帰さなければならない。 「亜実ちゃん、お家の電話番号、教えて」  正恵は言った。 「ない」 「電話だよ」と確認する。 「ない」  はっきりした口調で答えて亜実は首を振った。  正恵は、ファイルボックスに入れておいた自治会名簿を引っ張り出した。  世帯主名と部屋番号は、どこの家も記載されている。しかし電話番号を入れてある家は、半数くらいしかない。トラブルを嫌っているのだ。そして世帯主名「細貝忠夫」と記された亜実の家も、電話番号の記載はなかった。 「うち、電話ないんだよ。でもママが携帯持ってる」  妙な家だ、とは思ったが、留守がちであれば、確かに家に電話を置いても意味がない。 「携帯の番号は?」 「ママ、携帯を人に教えちゃいけないって」 「それじゃ亜実ちゃん、ちょっと電話して、ママ、帰ってるかどうかきいて」  亜実は首を振った。 「ママの携帯に電話すると怒られる。お客さんがいるから」  とっさに正恵は、部下の村山というノンキャリアの女性職員の顔を思い浮かべた。  入庁二カ月目に結婚した村山は、結婚六カ月目で切迫流産のために病気休暇を取った。病休が終わると同時に産休、続いて育休、育休が明けて出勤し、二カ月後にまた切迫流産のため病休、産休、育休、というサイクルを繰り返し、現在四人目を妊娠中だ。休暇の合間をぬっての短い勤務期間の間も、彼女の長女からは、頻繁に職場に電話がかかる。今日、学校で何があったとか、どうでもいいような内容だ。十分近くもしゃべった後、村山は周りの視線にようやく気づいたように、「あんまりここに電話しちゃだめよ」とおざなりに付け加える。  亜実の母親が何の仕事をしているのかはわからない。民間でしかも客商売ともなれば、村山のようなことをしていたらたちまちクビだろう。  正恵はサンダルをつっかけ、玄関のドアを開けてみる。雨が吹き込んできた。屋根があるとはいえ、これでは階段を下りる間にずぶ濡れになる。亜実の髪が乾くまで待って、母か姉が確実に帰ったくらいの時刻を見計らって帰すことにした。  キッチンでお湯を沸かしていると、亜実が入ってきた。 「おばちゃん、お腹すいた」 「そう」 「焼きそば、とかある?」 「ない」と正恵は即座に答えた。 「あのね、亜実ちゃんのおうちは、これからお夕飯でしょ。ちゃんとおうち帰って、ママの作ったごはん食べなさい。ママ、ごはん作ってくれるんでしょ」  亜実は小さくうなずく。  正恵はマグカップ二つに、スキムミルクと黄粉を入れて湯で練る。 「それ、何?」 「黄粉ミルク」  亜実は正恵の手元を凝視しながら言った。 「亜実、お茶わん洗えるんだよ」 「そう、偉いね」 「でもいつもは、お姉ちゃんが洗ってる」 「ふうん」 「ママは、お茶わん洗わないの。手が荒れるから」 「え?」  正恵は手を止めて亜実の顔を見た。 「お姉ちゃん、何年生だっけ?」 「五年生」  子供に食事の後片付けをさせるのは、しつけの一つだ。しかし母親の手が荒れるから子供に食器を洗わせるというのは、何か違うような気がする。あの母親は洗剤アレルギーでもあるのだろうか。  充分練った黄粉ミルクに湯を注ぎ、火傷《やけど》しないように水で薄めて亜実に渡す。  一口飲んで、亜実は小さな前歯を見せて笑った。 「おいしい?」 「うん」 「それ飲んだら、帰りなさい。まだママもお姉ちゃんも帰ってなかったら、また戻ってくればいいから」  亜実は無言でうなずく。そよりと、正恵の裸足《はだし》の足に何かが触れた。  テーブルの下を見ると、亜実の足の親指が正恵の足の甲をなでている。亜実は恥ずかしそうに笑った。正恵も笑い返した。するとこんどはぺたり、と遠慮なく触れてきた。  不意に正恵の手の甲に、あのときのインコの意外なくらい高い体温と、尖った爪の感触がよみがえった。  奇妙な馴々《なれなれ》しさは妹と姉に挟まれ、親とのスキンシップに飢えているからなのかもしれない。 「さて、じゃ行こうか」と正恵が立ち上がったときだ。素早く亜実は椅子から下りると、洗面所にかけておいた自分の服を持ってきた。 「Tシャツ、そのまま着ていっていいよ。まだ服、乾いてないから」と正恵は声をかけた。 「うん」と答えて、亜実はびっしょり濡れた運動靴に足をつっこんでいる。 「まだママたち帰ってきてなかったら、戻っておいで」と言うと、にっこり笑い、「ばいばい」と手を振って、雨の吹きつける階段の踊り場に出ていった。部屋には、いくぶん乳臭いような子供の体臭が残された。  何かが妙だ、と気づいたのは、そろそろ秋の気配が濃厚になった頃だろうか。  階段を上がってくるとあの嵐の夕方のように、亜実がときどき踊り場にぼんやりと腰掛けていることがあるのだ。 「あら、また?」と尋ねはするが、慌ただしく通り過ぎるしかない。正恵は正恵で家に戻り、すぐに洗濯機を回しながら、夕食を済ませ、パソコンに向かって翌日の仕事の段取りをつけなければならないのだ。亜実を連れて帰り、相手をしている暇はない。戦力にならない村山のような職員を抱えているため、正恵の課は慢性的な人手不足の状態にある。残業し、それでも足りなければ仕事を家に持ち帰ってくる。亜実のことは気になるが、まもなく家の人も帰ってくるということなので、それ以上は関わらないことにした。  しかし考えてみれば、その後親から一言の挨拶もないのは、おかしなことではあった。普通なら、すぐに自治会名簿を見て礼の電話をかけてくるか、そうでなくても娘が正恵のTシャツを着て帰っていったのだから返しにきそうなものだ。もっとも正恵は昼間いないから連絡が取れないのかもしれないし、亜実が正直なことを親に話していないのかもしれないが……。  四回目に亜実を見かけたとき、「また、家に入れないの?」と正恵は尋ねた。そのとき亜実は、階段ではなく団地前の花壇にいた。 「ママ、お姉ちゃんと買物に行ったから、すぐ帰ってくるよ」と亜実は答えた。  なぜ鍵を渡してから買物に行かないのか、正恵には理解できない。それにスペアキーくらい簡単に作れるのだから、一つを真ん中の娘に持たせておくことくらいできるはずだ。 「インコ、元気?」 「死んじゃった」  こともなげに亜実は答えた。 「まあ」 「お墓作ってあげたんだよ、お姉ちゃんと妹と一緒に」 「なんで死んじゃったの?」 「病気だって、ママが言ってた」 「死ぬだろうね、あれなら」と正恵はつぶやいた。返してやらなければよかったと後悔した。無理しても自分で飼えば、死なせないですんだかもしれない。 「パパは鳥、嫌いなの。あのね、亜実の小さい頃、ママが飼っていたインコをパパが怒って放しちゃったことがあるんだよ」 「そう」  亜実は花壇の土を指差す。 「ピーちゃん、ここに埋めたの」  鳥が埋められた土の上には、オキナワ月見草が野放図に伸びピンクの花を開いている。 「ばいばい」と手を振って、正恵は階段を上がる。三階まで上ってきて気づいた。鉄の扉についたハート型のプレート、その下にある防犯用レンズから中の明かりが見える。明かりをつけたまま、母親は娘を締め出して買物に行ったのだろうか。  家に足を踏み入れたとたん、三階に住む子供のことは忘れた。シャワーを浴びながら洗濯機を回し、慌ただしく食事を作って済ませる。  一息つく暇もなく、洗い終えた服を干そうとベランダに出たときだった。闇に沈んだ花壇の縁に白っぽいものが見えた。亜実のTシャツだ。彼女はまだそこにいる。時計を見ると、あれから小一時間は経っている。  どうすべきか迷った。声をかけて家に入れてやった方がいいのか? しかし何かがそれを思いとどまらせた。関わりあったら面倒なことになりそうな予感があった。  独身者に開放したとはいえ、ここの棟にいるのはほとんどが既婚の子持ちだ。亜実と同じ小学校に行っている子供を持つ親も多いはずだ。なぜ彼らは亜実を放っておくのだろう。同じ階段を使いながら、言葉をかけるのをためらわせる何かの事情があるのではないだろうか。  それを聞きたいが、引っ越してきて半年経っても、世間話をするような間柄の人ができない。子供もおらず、昼間は家にいない正恵と、近所の奥さんたちとは共通の話題はもちろん、言葉をかわす機会さえない。  急に面倒になり、正恵は洗濯物を干し終えると逃げるように部屋に入った。  亜実が家に入れない理由が、どうやら鍵などではないらしい、と気づいたのはそれからまもなくしてからのことだ。  その日正恵は深夜まで残業し、支給されたタクシー券で帰宅した。時刻はとうに夜の十二時を回っている。寿命がきたまま取り替えられず、少し前まで瞬いていた階段の蛍光灯は、とうとう切れ、二階と三階の間は月明かりだけがあった。  そこの壁に黒い影が見えた。  亜実がいた。月の光を浴びて、ぽつねんと階段に座っている。ぴんと来るものがあった。 「どうしたの?」  亜実は何か答えようとした。それを封じるように、正恵は言葉をつなげた。 「ママに入れてもらえないの?」  亜実は沈黙し、小さくうなずいた。この前も、嵐の夕方も、この子は折檻のために締め出されていたのかもしれない。 「何をしたの?」 「けんかをしたから……お姉ちゃんと」  亜実はぽつりと答えた。 「もう、おうちに入れてあげません」と甲高い声で叫んで、子供を外に出す母親の姿を、正恵は思い浮かべた。それ自体はどうということはない。しかし夜中の十二時を回っている。鍵がないのであれば、家に上げてやることもできるが、母親に締め出された子供に対して、それはできない。他人の教育方針や家庭の問題に介入するのは、ご法度だ。自分はこの子にとって所詮は他人で、責任は負えない。責任を負えない以上、差し出がましいことはできない。 「もうすぐ入れてもらえるよ、きっと」  自分に言い聞かせるように言い、正恵は足早に五階の自宅に上がっていった。  家に戻ったあともコンクリートの上に黒く伸びた少女の影が脳裏にこびりつき、寝つけなかった。 「締め出されてたんだよね、二年生の女の子がよ。それも十二時過ぎに。びっくりしちゃって」  前夜見たことを正恵が村山に話したのは、翌日の昼休みのことだった。  キャリア組で独身の正恵と、ノンキャリアで三人の子持ち、しかも就職期間の大半を妊娠と子育てに費やし、ほとんど職場にいない村山との間では、仕事を離れればほとんど共通の話題はない。しかしこの日は違う。子供というのは正恵にとっては未知の相手だが、相手は子育てのベテランだ。  普段の卑屈な態度とはうって変わり、村山は余裕のある笑みを浮かべて、正恵の言葉を聞いている。 「まあ、今は生活時間帯が深夜にずれ込んでるから十二時っていったって、親の方は抵抗ないのかもしれないけど、子供の健康とかの問題を考えるとね」と正恵は言った。 「富岡さんの両親って、十二時まで子供を起こしておくなんてことは、なかったですか?」  村山は尋ねた。  新潟でガソリンスタンドを経営していた正恵の実家は、どうひいき目に見ても、上品で静かな家庭ではなかった。家には近所の商店主や工場主が、始終ステテコ姿でやってきて、野卑な冗談を飛ばしながら賭け麻雀をしていたし、母親は旅行会や懇親会を取り仕切るのに忙しく、子供達を放って飛び回っていた。そんな騒々しく柄の悪い家でもけじめだけはしっかりつけられていて、そうした大人の世界に子供が顔を出し、ちやほやされることは許されなかった。十時を過ぎれば大人の時間で、正恵と二つ違いの妹は子供部屋の二段ベッドに追いやられ、大人の遊んでいる場所に顔を出すと怒られたものだ。 「今の時代、十二時といったって、テレビはやってるし、ちょっと飲んでればその時間になるし、それはわかってるけどね。だけど翌日の学校もあるんだから。それにうちの団地、オートロックもないから、階段は通りと同じなのよ。そこに女の子を出す親の気が知れないわ」  村山はくすっ、と笑った。何も知らないんだから、というような侮《あなど》りの表情がその笑いに見えて、正恵は嫌な感じがした。 「親はドアのすぐ内側にいるわよ」  自信に満ちた笑顔で村山は言った。 「そりゃ心配で心配で、いてもたってもいられなくて、実はちゃんとドアの覗き窓から娘の様子をうかがってるものなのよ。そんなときいちばん辛いのは、母親なんだもの。他人にはわからないかもしれないけど」 「村山さんもそう?」 「そりゃそうよ、ねえ」と同意を求めるように、隣の男の顔を見た。織田というこちらの三十男にも、六歳になる子供がいる。 「うん、悪さして今日はテレビゲームはいっさい禁止、なんてことうちの女房も言うけどね、子供より母親の方が辛そうだよね。なんか落ち着かなくて。それが母親なんだろうね」  ほっとしたような気分と疎外感を半々に感じながら、正恵は亜実の母親の、奇妙に子供じみた、小皺の寄った顔を思い浮かべた。  再び村山が病気休暇に入ったのは翌日のことだ。また切迫流産だった。同じ公務員である夫が診断書を持って職場にやってきた。 「絶対立ってはいけない、とベッドに縛りつけられるんですから、本人がいちばん辛いと思うんですよね。でも何しろ子供が好きで、嫌がらずに産んでくれるんでそのあたりは、頭が下がります」  夫は、課長に診断書の入った封筒を渡しながら言った。 「いや、村山さんのような人が、日本の高齢化社会を救ってくれるんだよ。何しろ最近の女は、自分の楽しみのために、子育てのようなわずらわしいことを嫌がる」  課長は答える。 「せいぜい予算取ってきて、優秀な産休代理のバイトを入れてちょうだいよ。それが管理職の仕事なんだから」  気心の知れた間柄の課長に、正恵は遠慮なく言った。事実上の人員減のために、多くの残業を引き受けなければならなくなった男性職員が、電卓を叩きながら言った。 「ところで村山さん一人分の給料で、バイトの若い女の子、何人雇えるんだい?」 「やめなさい」と正恵はそちらを見て一喝した。  一人減員になったまま、二カ月間は嵐のように過ぎ、季節は冬になりかけていた。  明け方近くにタクシーで家に戻って仮眠を取り、再び出勤するような生活の中で、相変わらず正恵には、この団地に知り合いはできなかった。またさすがにというべきか、亜実の姿を階段で見かけることはなくなった。  寒さは増してきたが、衣類の入れ替えをする暇もないまま、正恵はずっと木綿のトレンチコートで通勤していた。しかしとうとう耐えかねて、衣装ケースからウールのコートを出し、畳みじわがついたまま職場に着ていった日、この年初めての寒波がやってきた。  あまりの寒さに萎《な》えたわけではないが、今夜は早めに終わろうと、仕事を十時で切り上げ、忘年会にはまだ早いが、久しぶりに同僚と飲み、ほろ酔いかげんで帰ってきた。団地の前でタクシーを降りたとたん、どこからともなく力のないヒーヒーという声が聞こえてきた。子供の泣き声にしては、勢いがない。瀕死の病人が、呼吸のたびに無意識に洩《も》らすうめきのような陰鬱な響きだ。  眉をひそめて棟に入ると、声が近くなった。まさか、と思い、階段を駆け上がる。  三階のドアの入り口までたどりついたとき、正恵は声を失った。  亜実が立っていた。裸だった。  あの嵐の日のように、髪は濡れていたが、体は寒風に乾いて鳥肌が立っている。肩は小刻みに震え、蛍光灯の青白い光が、表情のない顔と細い腕、つるりとした体と、性器の割れ目までもを、克明に照らしだしている。 「ママに追い出されたの?」 「悪いことしたから」  寒さに足を小刻みに踏みかえながら亜実は言った。 「悪いことって、あんた……」  とっさに鉄の扉を叩こうとして、思いとどまった。  反対に怒鳴られ、逆恨《さかうら》みされかねない。いや、こうしてドアの外に裸の子供を立たせて泣かせているうちはまだいい。もしも自分が抗議したら、亜実の折檻は鉄の扉の内側、密室で行なわれるようになる。  この家の向かいや上下の家の住人が、この子の声を聞きながら、顔も出さない理由はこれだろう。子育ての経験もあり、子供の扱いは自分よりはるかに慣れている人々さえ、お手上げの状態なのだ。 「悪い男の人とかが通りかかったら、大変だよ。お母さん、心配じゃないのかしら」  正恵は、亜実の両肩に手を置き、ことさら大声で言った。この子の母親は、ドアの向こうでこのやりとりを聞いているのだろうか、と思った。  いつか村山が言ったように、辛い思いで耐えているのだろうか。しかし厳寒の戸外に、性器までも丸出しにして立たされる以上に辛い思いなどあるのだろうか。 「パパはなにやってるの?」  生き物の嫌いなパパは、何をしてるの? こんな異常な状態をなぜ放置しているの?  亜実は答えなかった。はっとした。今まで母親の話しか出なかったから、気づかなかったが、もしかするとこれは父親が母親に命じて、やらせているのかもしれない。その父親は彼女と血のつながりがないという可能性もある。  余計なことを言うと危ないととっさに判断した。警察に届けるべきかもしれない。  それとも自分が大げさに考えているだけなのだろうか。風呂場でたまたま悪さをした女の子を、ヒステリーを起こした母親が、「そんな子は家に入れてあげないっ」と叫んで、そのまま外に出したのかもしれない。時刻からいっても、女の子の濡れた髪からしても、そう考えるのが妥当だ。  判断ができなかった。所詮は、自分は独身の女だ、と思った。 「もう少ししたら、入れてもらえるね、きっと」  そう言い残し逃げるように階段を上がる。そして四階の家のインターホンを押した。 「どなたですか」と女の声がした。 「五階の富岡といいます。下の家の前で女の子が裸で立たされていますけど、なんか様子が変なので」 「ええ、よくあるんですよ」  扉を開けずに、女は答えた。 「あのままでは……裸ですし、何かあったら」 「そのうち、中に入れてもらえるようですよ」 「でも」 「ちょっと今、取り込んでますし、うち赤ん坊がいるんで」 「すみません」と答えて、ドアの前を離れた。あれが「よくある」ですまされるのか、「そのうち中に入れてもらえる」と放置しておけることなのか?  家に入り、どこかに電話をして相談に乗ってもらおうとしたが、どこに電話をしたらいいのかわからない。子供に関する情報が自分の身辺にまったくないことに、正恵は今更ながら驚き、とまどっていた。  再び玄関のドアを開けると、あのヒーヒーという力ない声はまだ続いている。初めのうちは、激しく泣いていたはずだ。そのうち力も失《う》せ、ああした声に変わる。  このままでは命に関わる、と判断した。  正恵はそのまま階段を駆け下りた。亜実の青白い体は、まだそのままの場所にあった。  ウールのコートを脱いで、正恵は亜実に着せた。亜実は「いい」と首を横に振った。  脱ごうとする亜実に「いいから、着てなさい」と言い、「いつからここに立ってるの?」と尋ねる。 「わかんない」と亜実は答えて、続けた。 「ママ、寝てるかもしれない」 「なんですって?」  ドアの向こうで息を詰めて見守っている、のではないのか。  はっとして尋ねた。 「お酒、飲んでる? ママとパパは」  亜実はうなずいた。  決心はついた。  ドアを叩く。 「はい」  意外なほど柔らかい声が答えた。寝てはいない。 「どうなさったんですか? お嬢ちゃん」 「放っておいてください」  母親は答えた。言葉に相反して、きつい物言いではない。驚くほど優しく甘い口調と、子供に対する苛酷《かこく》な仕打ちのアンバランスさが、不気味だった。 「変な人もいることだし、危ないですよ」 「すみません。大丈夫ですから、放っておいてください」  ヒステリックな応対も、逆恨みの気配もない。少し舌足らずな、甘い響きは変わらない。正恵はとまどった。怒鳴られたなら怒鳴り返すつもりだった。震えている亜実をコートに包んだまま抱いて、警察に駆け込む決意はあった。しかし酒を飲んでいるにせよ、母親が眠っていた気配はない。やはり村山の言う通り、母親はドアの向こうで辛い思いに耐えていたのか?  自分には何もできることはない、と感じた。正恵は先程亜実に着せたコートを指してささやいた。 「これ、このまま着てなさい。ママがドアを開けてくれたら五階のおばちゃんが無理やり着せていったと言うのよ」  そう言って再び階段を上がる。四階まで上がったときだった。ドアが開く音がした。そしてぺたぺたと裸足で階段を上がってくる音がする。振り返ると亜実が裸でコートを差し出した。 「ママ、入れてくれるって」 「よかったね」  小さく息を吐いて受け取った。コートには、亜実の体のぬくもりと乳臭い匂いが残っている。  あのまま寝かされればいいが、と急に不安になった。入れてもらった家の中で、何も起きないことを祈った。  翌朝、正恵が家を出たとき、階段は静まり返っていた。団地内の小学校に通う子供たちは、まだ家にいる時間だ。亜実がどうしているのかはうかがい知れない。  職場に着くと正恵は、真っ先に亜実の通っている小学校に電話をした。  女性の声が電話に出た。「校長先生を」と言うと、「私が校長です」と相手は答えた。  女性校長ということであれば、話がしやすい。  正恵は自分の名前と身分を名乗り、その学校に細貝亜実が在籍していることを確認し、昨夜とそれ以前に自分が見た一部始終を話した。  黙って聞いていた校長は、正恵が話し終えると、「亜実ちゃんは、深夜、頻繁に家から締め出されているというわけですね」と確認した。 「はい」 「裸で出されていたというのは、昨夜だけですか」 「私が見たかぎりは、そうです」 「パンツもはかずに、ですか?」 「もちろんです」  相手は沈黙した。 「私は子供を育てたことがないんですが、やっぱりしつけの範疇《はんちゆう》を逸脱してますよね」 「虐待ですね」と校長は、きっぱりと言った。そして少しの間、正恵を待たせてから再び電話口に出た。 「担任に確認しました。亜実ちゃんの家、お父さんはいないですね。離婚です」 「いない?」  小鳥嫌いの父親というのは、亜実の父親に関する最後の記憶だったのだろうか。 「家庭訪問は、母親が多忙ということを理由に拒否されています。父母会にも出席したことがありません。至急、担任を通じて詳細を調べてみます」  校長はそう言った後、付け加えた。 「隣近所に亜実ちゃんの同級生のお宅があるんですが、トラブルを嫌ってみなさん見て見ぬふりをしているようです。ご連絡いただいてありがとうございます。私どもも注意してますが、お宅様の方でも、気をつけて見守って、何かありましたらまたご連絡ください」 「わかりました」  正恵はほっとして受話器を置いた。  これでもう自分が、持ったこともない子供のことで右往左往することはない。校長と担任、場合によっては児童相談所が、母親の心理相談なども含めて、何か有効な解決案を出してくれることだろう。夜の階段に、ひっそり座っている少女の姿など二度と見たくない。ましてや全裸で寒風に震えている少女の姿など。  校長から職場に電話がかかってきたのは、その日のうちだった。家に戻るのがこのところ連日深夜なので、正恵は職場の電話番号を教えておいたのだ。 「ちょっと、確認させていただきたいんですけど」と慎重な調子で、校長は切り出した。 「深夜に家の外に出されていた、というのは、何時から何時の間のことですか?」 「たしか、十二時くらいですけど」 「頻繁とおっしゃってましたけど、その時間帯に出されていたのは何回くらいありましたか?」 「さあ、二、三回……かしら」 「毎回、その時間だったんですか?」  詰問するような口調が不愉快だった。 「たぶん……」 「裸で外に出されていたのは?」 「だから、一回……」 「何時頃で、何分くらいその状態でした?」 「私が帰ってきたときには、すでにそこにいましたから。私とのやりとりがあったあとは、すぐに入れてもらったみたいですけど」 「そうですか」と校長は独り言のように言い、その後ではっきりした口調で言った。 「細貝亜実ちゃんに尋ねてみたんですが、お宅の言うこととまったく食い違うんですよ」 「どういうことですか?」  思わず叫んでいた。  外に出されたことはあるけど、夕方だけ。時間はほんの少し、長くても三十分くらい。裸で出されたのは、一回だけ。お風呂で自分が妹を叩いたので、ママが怒って追い出した。でも少ししたら入れてくれた。ときどき鍵がなくて入れないこともあるけど、それは叱られて出されたんじゃない。ママに叱られるのは、お姉ちゃんにいいつけられた留守番をしないで、自分だけ遊びにいってしまったときとか、妹とけんかをして泣かせたとき。食べ物の好き嫌いをして、残したとき。  亜実はそう答えたらしい。 「夕方ではありません。深夜です」 「はい」と校長は答えた。正恵の言うことも、亜実の言うことも、百パーセントは信じていない、というような冷めた声だった。 「折檻の理由はささいなことですね」  正恵は言った。 「ええ」 「そんなことで締め出されているんですか?」 「そうですね。でも殴られたりしたことはないようですから」  確かに、亜実の蒼白に鳥肌立った体には、痣《あざ》らしきものは、一つもなかった。単に家から締め出されただけだ。ただし全裸で。あるいは深夜に。それが校長には正確に認識されていない。 「亜実ちゃんに直接聞いてみたんですがね、自分が悪いから叱られるんだ、とちゃんとわかってるんですよ」 「もしも余計なことを言うと、さらに折檻がひどくなるからではありませんか」 「ええ、それも考えましたので『ママのこと好き?』と尋ねてみたんですが、『好き』って答えるんですよね。お宅のおっしゃるように、もし本当に深夜出されているのに、そうでない、と答えているのだとすれば、大好きなママをかばっているということになりますね」  余計に危ない状態じゃないですか、という言葉を正恵は呑み込んだ。子供を持っていない自分には、その気持ちがわからないのかもしれないという劣等感に似た思いもあった。 「お姉ちゃんの美香ちゃんもすごくしっかりしたいい子なんですよね。お父さんはいないんだけど、みんなでお母さんを助けて暮らしている様子です」  校長は言う。 「あの、食器洗いなどは、母親が手が荒れるというので、お姉ちゃんがやってるそうですよ」 「ええ、美香ちゃんの手が夏でもひどく荒れているんで、養護教諭が薬を塗ってあげたりしたこともありますが、総じて二人とも成績はすごくいいし、とくに妹の亜実ちゃんは明るくてクラスの人気者です。私たちが呼んで話を聞いたときも、問題のある子にはまったく見えませんでした」  確かに一般的にイメージされる問題家庭の児童ではない。だからこそ根が深いのではないか、と正恵は言った。校長は正恵の言葉を根気よく聞いていた。そして正恵が話し終えると、穏やかな口調で言った。 「一応、母子家庭ということもありますから、この地区の民生委員さんに連絡を取っておきました。その方が亜実ちゃんの家にもそれとなく行って様子を見てくれるということですので」 「民生委員ですか?」 「はい」と校長は答え、その民生委員の電話番号と名前を教えてくれた。何かあったらそちらに相談するようにと言う。  電話を切った後、正恵はしばらく混乱していた。昨日のショッキングな情景と午前中の校長の対応、数時間後にはまったく違う方向に行ってしまった一連の話。それとも例外的な事態に子育てを経験したことのない自分が過剰に反応しただけなのか。  不可解なのは、どう見ても事実に反する亜実の言葉だ。それはどこから出てきたものなのか。自分を裸で戸口に立たせた母親に対する恐怖によって、彼女の悲鳴は圧殺されているのか? もしそうだとすれば、恐怖を隠して、明るくふるまう子供の心の内を見抜けない教員など失格ではないのか。  それ以来、深夜の階段にぽつりと座っている亜実の姿を見かけることはなくなった。  ドアをノックして声をかけたことが効いているのか、それとも学校からなにかの働きかけが母親になされたのかはわからない。確かに自分も少しばかり神経質になっていたかもしれないという気がしてきた。  幼い頃、正恵の親はほとんど体罰を加えるなどということをしなかったが、隣の子供はときおり土蔵に押し込められていた。近所中響き渡るような声が、夕食が終わって寝る時間になっても、まだ聞こえていたこともある。案外亜実の母親の意識も、彼らの両親と変わらないのかもしれない。土蔵への閉じこめが、締め出しに変わっただけで。  年の瀬が迫っていた。仕事の忙しさには拍車がかかり、家の中も家の前の階段も汚れてきた。帰宅は深夜で、土日は寝ているか、仕事のための調べ物をしているかで終わってしまい、掃除にまでは手が回らない。たまったゴミを出すのがせいぜいだ。  久しぶりに亜実の声を聞いたのは、息つく暇もない生活の中で、彼女のことを忘れかけた頃のことだった。  出勤しようとドアを開けたとたん、悲鳴が聞こえてきた。慌てて階段を走り下りた。亜実の姿はなかった。そのかわり鉄の扉の内側から声がした。 「だったらなぜ、自分だけ遊びに行ったのよ。全部、あたしがやったんだからね」という声は、子供のものだった。声だけが子供で、口調が大人であることが正恵をとまどわせた。  姉の美香だ。亜実の言い返す言葉はない。「やめて、やめて」という悲鳴だけが聞こえる。こちらもドラマの中で、暴行される大人の女性の口調とそっくりだ。 「ちゃんと帰ってくるって、約束して行ったでしょ」と姉の声。 「やめて、ほんとうに苦しいんだから」という亜実の声とともに、ひどく咳き込む音が聞こえてきた。  背筋が凍った。  大人がいない家で、子供が子供を折檻している。ドアを叩いてやろうとしたとき、低い声がした。 「じゃあ、なんであんなことしたのよ」  姉と同じ口調の声は、大人の女のものだった。 「あんたが悪いんじゃないの」  母親は、その場にいる。  咳き込む音が激しくなった。苦しいという言葉も、悲鳴もない。  正恵は震えた。震えながら、逃げるようにその場をあとにした。  何度か駅に行く途中の道から、学校に電話しようとして止めた。まもなく冬休みに入ってしまうから、連絡を入れるとすれば今しかない。しかしこの前の対応からして、彼らもさほど頼りにはならないという気がするし、あの女性校長と話をするのが不愉快だった。他人の家庭のことだ、と自分に言い聞かせ忘れようとしたが、職場に着いても亜実の悲鳴が耳について離れない。 「どうしたんですか、係長」  織田が、正恵の落ち着かない様子に気づいたらしく尋ねた。 「嫌なもの見ちゃったっていうか、聞いちゃってね。近所の家のドアの向こうで、子供を折檻してるのよ。それで悲鳴上げるのが、聞こえるわけ」  正恵は答えた。人に話すことで、少し気が軽くなりそうな気がした。また子持ちである織田なら、何か適切なアドバイスが返ってくるような気がした。 「自分もやっちゃうんですよね。こらぁ、なんてうっかり娘に手を上げちゃって、あれ、と思うと血が出てたりして」  織田は笑いながら答えた。 「やめてちょうだいよ」 「でも、そういうことってない? はずみだから」と彼は、昨日から職場復帰した村山に尋ねた。 「あるわよね。可愛い赤ん坊のときが過ぎて、成長していく間に何回か、すごく憎たらしくなる時期があるの。保育園とかで悪口覚えてきて、すぐに反抗するし。こっちもこの子たちの相手をしている間に、どんどん歳取っていって、女の時期が終わってしまうんだって、焦りを感じてたりすると、本当に『あー、もう、いやっ』て感じで、一回叩けばいいところを気がつくと二、三発叩いてたり、とか」 「村山さんまで。いったいどうなっちゃってるのよ」  正恵は悲鳴に似た声を上げた。 「子育てなんてきれいごとじゃ済まないんですよ。やってみなきゃわからないですよね」  村山は、織田の方を向いて言う。 「そうだよね、テレビで評論家がいろいろ言ってるけど、けっこう独身とかで自分で育てたことがないんじゃないの」  正恵は、しだいに反論する気力も失っていき、それきり口をつぐんだ。  そのとき手帳の間から、一枚の名刺が落ちた。 「民生委員 常盤ハル」とある。一昨日、家に戻るとドアポストに「お伺いいたしましたが、お留守のようですので、名刺を置いていきます。なにかありましたら、お電話をください」というメモとともに入っていたものだ。  校長から話を聞いたときは、まるであてにしていなかったその人に、正恵は救いを求めるように、電話をしていた。  呼び出し音とほとんど同時に、しわがれた女の声がした。常盤ハル本人だった。  正恵が名乗ると同時に「何度も、お宅に伺っているんですけど、いつもお留守のようで」という言葉が返ってきた。その口調に非難がましいものを感じ、正恵は電話をしたことを早くも後悔していた。 「共稼ぎなんですか? お宅」  常盤ハルは尋ねた。 「いえ、一人です」と答え、最近では公社住宅にも独身者が入居できるのだ、と説明する。 「ああ、そう。女の方の一人住まい」と妙に納得したように常盤は言い、しばらく沈黙した。一人住まいだからどうだというのだ、と反発を覚えながら、正恵は自分の家の玄関先を思い出した。深夜しか帰ってないので、しばらく掃いてない。階段の手摺りも埃だらけで、もちろん玄関の鉄の扉も拭いていない。玄関が狭いので傘立ては外に出してあるが、雨が降ってから二週間も経つのに、傘がそのまま入っている。 「夜遅くならいらっしゃるんじゃないかと思って、何回かお電話さしあげたこともあるんですよ」 「残業が続いておりまして」  憮然《ぶぜん》として、正恵は答えた。 「それは大変ですね」とおざなりな調子で答え、常盤は続けた。 「お宅に、あの名刺を置いていった日に、実は私、細貝さんのお宅に寄ってきたんですよ」 「そうだったんですか、で、どうでした」  正恵は、身を乗り出した。 「行ったときには、ちょうどお嬢ちゃんたち三人だけで、ママがいなかったんですよ。それでママとお話ししたいって私が言ったら、それじゃ上がって待っててくださいって、上のお姉ちゃん、美香ちゃんて言ったかしら、あの子が言ってくれたんで上がらせてもらったんです。ちょうどクリスマスで、三人でお部屋の飾り付けをしたり、ママの作ったお料理を盛り付けたりしていたんです。本当に明るくていい子たち。そこにお母さんが帰ってきたんですが、これがまたすごく丁寧な、優しいお母さんで」 「お酒とか、ありませんでした?」  遮《さえぎ》るように正恵は尋ねる。 「さあ。とにかくそれでお母さんが、せっかくですから一緒にっておっしゃってくれて。美香ちゃんや亜実ちゃんも、『おばちゃん一緒にクリスマスしよう』って言うので、歌を歌ったり、ケーキを食べたりしてきたんですよ。お嬢さんは三人とも人なつこくて、上の子二人は、すごくしっかりしてて、それでお母さんに、『なにか困ったことや辛いことがあったら、いつでも相談に来てくださいね』って申し上げたら、『はい、ありがとうございます』っておっしゃってました。いまどきあんなに丁寧なお母さんって、いないですよ」 「なんか変な感じ、しませんでした。すごく子供っぽいような、なんかスナック勤めしているような……」 「あなたね、お嬢さん三人育ててるんだから、そりゃ一人で仕事して食べてるのと違って、大変ですよ。いろんなことして働かなきゃいけないでしょう。スナックでもなんでも勤めているかもしれませんよ。でも、現にまじめにああして生活しているんですからね」  叱りつけるような調子で言った後、常盤は付け加えた。 「それに、あなたの言ってたあのお嬢さん、お母さんにそっくりじゃありませんか。お話を聞いたときは、もしかすると彼女だけが別れたお父さんが他の女の方に産ませた子かと思ったんですけど、そんなことはないわね。間違いなくあのお母さんの子だし、亜実ちゃんも本当にお母さんを好きなのね、見ててよくわかったわ。お母さんも子供たちをよく可愛がってるし」 「わかりました、もう、わかりました」  今朝のことを何も話す気にはなれず、正恵は受話器を置いた。所詮は他人の家庭のことだ。何が起ころうと、鉄の扉を閉ざしているのが賢明なのだ。何か叫んだとたんに、世間から鉄の扉を閉ざされるのは自分の方だ、ということがよくわかった。  午後になって、ひどく冷え込むと思っていると、夕方近くからみぞれが降ってきた。  正恵は駅に自転車を置いたまま、バスで団地に帰った。そのとき座席に一人で座っている女の姿が目に入った。  亜実そっくりの丸顔は、小皺を埋めるように丁寧な化粧がほどこされている。長い髪をきらきら光る髪留でまとめ、白とクリーム色のツートンカラーのスーツはウエストを極端に絞ったデザインだ。それに同色のピンヒールの靴を合わせた様は、とうてい三人も子供のいる母親には見えない。  彼女は正恵に気づくとにっこりと笑って頭を下げた。自分が小学校に電話をしたことを彼女は知っているのだろうか、と正恵はその表情から読み取ろうとしたが、できなかった。 「今、帰りなんですか?」  少し舌たらずな、甘い声で亜実の母親は尋ねた。 「はい。お宅もお仕事?」と正恵は問い返す。 「ええ、ちょっとお友達と会って」  丁寧にマニキュアの塗られた指に、バッグの紐をくるくると巻き付けながら、母親は答えた。ほっそりとした艶《つや》やかな指を見下ろしながら、正恵は保健室で荒れた手に薬を塗ってもらったというこの家の長女のことを思った。  バスは団地の停留所に着いた。乗客のほとんどはここで降りる。正恵は家と反対方向にあるコンビニエンスストアに向かった。そのとき一緒に降りたあの母親に女の子が傘を差し掛けたのが見えた。  亜実だった。みぞれが降ってきたので、傘を持って母親を停留所で待っていたのだ。母親はあの甘く優しげな口調で次女に向かって何か言い、亜実は母親の腕にしがみついた。  彼女らもコンビニエンスストアの方に歩いていく。正恵の視線に気づいたように、亜実が振り返った。ひどくうれしそうなはしゃいだ表情をしている。  正恵は反射的に笑い、手を振った。  亜実は、まるで恋人と一緒のところを見られた十代の少女のように照れた表情を見せた。  その表情をどう解釈したらいいものか、正恵にはわからなかった。気がつくと目の前の信号が赤になっている。亜実と母親はすでに向こう側に渡っている。  あの母親は、可愛く、魅力的な女なのかもしれない、とその後ろ姿を目で追っているうちに思った。男や夫にとってそうであるように、彼女自身が産んだ子供たちにとっても、とろけるばかりに甘く、ときに残酷なあの人は、痛切に愛されたいという欲望をかき立てる存在なのかもしれない。本来保護すべき存在を溺愛したり、突き放したりすることによって、強烈に引き付け、その魅力の前に屈服させているのかもしれない。  少し遅れてコンビニエンスストアに着いた正恵は、店内に入ってから何も買うものがなかったことに気づいた。まっすぐ一人の部屋に帰る気がしなかっただけなのだ。あの常盤という民生委員の「ああ、そう。女の方の一人住まい」という口調が、苦々しい思いを伴って耳によみがえってきた。  店内は明るく、母子は奥で何かを買っている。そちらを見ないようにして正恵は目の前にあった輸入物のビールを二缶籠に放り込み、レジに運んだ。会計を済ませた後でこんな寒い日にビールを買ったことを少し後悔した。  背後から亜実のはしゃいだ声と、限りなく優しい母親の受け答えの言葉が追ってくる。  店を一歩出ると、寒さが身に染みた。  翌日から官庁は年末の休みに入った。正恵は自宅の大掃除を早く終えて、郷里の新潟に帰らなければ、とは思ったが、年々疲れが抜けにくくなるのか、ここ数年は役所が休みに入ってもすぐには掃除にかかれない。  目覚めてもしばらくの間、布団の中でうとうとしていた。  ようやく十時間際になって起き出し、セーターの上に袢纏《はんてん》をひっかけた姿で、一階にある郵便受けに行った。昨日のみぞれはすっかり上がり、風は冷たかったが空はきれいに晴れ上がり、植込みの山茶花《さざんか》が満開になっていた。  そのとき数人の主婦がほうきを持って集まっているのに気づいた。慌てて五階に上がりほうきを持って駆け下りた。  団地では管理費を安くしたいという住民の意向によって、敷地内の掃除を住民が持ち回りで行なっているのだ。この年最後の週は正恵が当番になっている。  主婦たちに交じって、駐車場や芝生の大きなゴミを拾う。  駐車場は団地の建物の正面にある。二十年前、ここは都内ではめずらしく広い緑地を持つ団地として話題になった。しかしその後住民の要望に従い、何本もの欅《けやき》が切られ、芝生が剥がされ、緑地は次々に駐車場に変わっていった。そして今、家賃四万七千円の2DKに住む家族のほとんどが、車を持っている。落葉や樹脂で車が汚れるという理由で、大半の欅を切られた駐車場には、無造作に煙草の吸い殻や、空き缶、生ゴミ、ときには子犬までが捨てられる。  ここを五階から眺めると、赤い車が多いのに気づく。日本で走っている乗用車は白系統が七〇パーセントを占めると言われているが、この団地では圧倒的に赤が多い。理由はわからない。その中の一台、赤いBMWのスポーツセダンの窓ガラスには大きなミッキーマウスのビニール人形が吸盤で貼りつけてある。後部シートにぬいぐるみやカセットテープが投げ出してあり、車の周りには小さなチョコレート菓子が落ちていた。  漠然とした違和感を感じながら、正恵は車の周りを掃いていく。  そのとき「どうも、ごくろうさまです」と背後から声をかけられた。甘く柔らかな声だった。童女のような顔の母親が丁寧に頭を下げ、三人の娘を連れて通り過ぎたところだ。どこかに買物に行くのだろうか、三人は母親にまつわりつくようにしてついていく。これが細貝家の車であることは、説明されなくても想像がついた。  ほうきを持つ手を止め、そちらを見送った正恵を亜実が振り返った。  不意に胸をつかれた。利発そうな丸い目と、小さな丸い鼻、絵本に出てくる子供のような顔があった。しかし正恵をみつめる目に何か哀しげで、母親とは対照的な大人びた表情が見えた。  おかっぱの髪が少し乱れて、頬にかかっている。襟ぐりの伸びたトレーナーから出た首が、寒々しい。大好きなママと姉妹三人で、どこかに行こうとしていながら、足を止め正恵を振り返った顔には、歳に似合わぬ陰りがある。  我知らず正恵は表情を強ばらせていた。この子は、自分が校長に電話をしたことを知っているのだ、と直観的にわかった。校長が正恵から通報があったことを亜実に話さなくても、翌日呼び出されて、なぜ外に出されていたか、などと尋ねられればわかることだ。  寒さも恥ずかしさも、母親が機嫌を直した後は、一刻も早く忘れたいことだったのかもしれない。亜実にしてみれば、つつかれたくないことだったのだろう。翌日はまた母親に甘え、まつわりつきながら一緒に買物に行く。あきらかに虐待と思えるような扱いをした後、その反動のように母親は娘を可愛がるのかもしれない。その心理は正恵の理解を超えている。 「亜実ちゃん……」  正恵は小さな声で呼び掛けた。亜実は瞬きして、ぱっと輝くような笑顔を見せた。大人びた憂いの表情は、その笑いの中に塗り込められて消えた。 「また、遊びにおいで。黄粉のミルク、作ってあげるから」 「うん」  絵本に出てくる子供のような笑顔で亜実は答えた。 「ばいばい、おばちゃん」 「ばいばい」  手を振ると、亜実は母親の方に走り去っていった。  それから半日もしないうちに、前と同じことが繰り返されようとしていた。  夕刻、子供の悲鳴が鉄の扉を通して、部屋にまで入ってきた。正恵が転げるように階段を駆け下りていくと、まさに三階のドアが開いて、ずぶ濡れになった裸の亜実が締め出されるところだった。亜実がこちらを見る前に、母親と目があった。娘と瓜二つの顔に浮かんだ表情は幼児が癇癪《かんしやく》を起こしたように、怒りと泣きが一緒になったものだった。  母親はすぐに気まずそうな笑いを浮かべた。それはあっと言う間に、いつもの媚びを含んだような柔らかな笑顔に変わった。その手にバケツが握られている。亜実は風呂に入っていたところを追い出されたわけではない。服を剥がれ、バケツの水をかけられたのだ。  正恵は無言でそのバケツと母親の顔を交互に見ていた。母親は笑顔のまま、小さく頭を下げ、バケツをその場に置き、亜実の肩を抱くようにしてドアの中に入れた。  正恵はしばらくそのまま中の様子をうかがっていた。  亜実の泣き声が一瞬聞こえ、すぐに止んだ。  なぜ止んだのか、考えたくない。恐ろしかった。先程、五階まで届くような亜実の声が聞こえたはずなのに、周りの家の鉄の扉が相変わらず固く閉ざされたままなのも、耐えがたいほど恐ろしかった。  その夜、正恵は荷物をまとめ、夜行列車で新潟に帰った。翌日の新幹線でもよかったのだが、これ以上この団地に留まっていたくはなかったのだ。  正月明けに正恵が戻ってきたとき、郵便受けは年賀状の束でいっぱいになっていた。何気なくのぞいた細貝家も同様の状態だ。こちらも帰省組なのだろう。  翌日、細貝家の郵便受けは空になっていた。ドアポストからこぼれ落ちていた新聞もきれいになっている。しかし人のいる気配はない。悲鳴も聞こえない。  松の内が明けた頃、帰宅した正恵は棟の入り口で、長女の美香とすれ違った。片手に年賀状の束を持っているところからすると、こちらに戻ってきてから年賀状の返事を書いたらしい。美香の顔は見たが、亜実の姿はない。そのことを長女に尋ねる気はしない。  まさか、と駐車場の間に作られた花壇を見た。葉牡丹が霜をかぶっている隅に土を掘り返したあとがある。緑化委員の主婦たちが、何かの球根を植えたのだろうというのはわかっているが、どうにも薄気味悪い。病気で死んだインコの鮮やかなコバルトブルーの羽とともに、もっと大きなものの埋まっている様が脳裏をよぎる。  二日後の日曜日、ようやく亜実の姿を見た。  元気だった。  自転車の空気を入れていた正恵の脇を、娘三人と一緒に母親が、おはようございます、と挨拶して通り過ぎた。  体にぴったり貼りついたリブ編みのツインニットは、ラメだ。大きく開いた襟ぐりから蒼白の胸元がのぞいていた。娘三人が、母親にまつわりつきながら、駐車場に行く。母親はBMWのトランクを開けて、荷物を押し込んでいる。  後部シートに長女の美香が下の妹のさやかを抱くようにして乗り、その隣に亜実が乗る。助手席は空だ。  車はゆっくりと駐車場を出て、徐行しながら正恵の方にくる。団地内の通路は一方通行になっていて、駐車場に入った車は棟をほぼ一周しないと、道路には出られない。  邪魔にならないように自転車をどかした正恵は、はっとして車の中に目を凝らした。片手でハンドルを握った母親のもう一方の手は、後ろの座席にいる亜実の髪を握っていた。  母親の形相が変わっている。駐車場まで行き、車に乗り込んだ後、母娘の間で何があったのだろう。しかし母親は殴りはしない。痣や切り傷のつかないように、髪を掴んで引っ張っている。車は一瞬のうちに通り過ぎた。正恵は車の後ろを見守った。やがて真っ赤な車は道路に出た。  そのとき車の後部ドアが開いた。  亜実と美香が何か争っている。  車は止まらない。そこから亜実の小さな体が勢いよく放り出された。同時にドアが閉まり、車はスピードを上げて走り去った。  車道にぺたりと尻をついたまま、亜実が立たない。正恵は弾かれたようにそちらに駆け出した。  幸いこの団地内の道路は、ほとんど車が通らないから、ひかれることはなかった。歩道を歩いていた同じ棟の主婦が、亜実を助け起こすのが見える。しかし正恵が近づいてくるのを見ると、「おねがいします」とでも言うように小さく頭を下げ、小走りに去っていった。  正恵は息を弾ませ、亜実の正面に立った。埃のついたトレーナーの袖が破れ、血がにじんでいる。額の横に痣があるのは、ガードレールにでもぶつかったのだろうか。片足も怪我をしているらしく、ひきずっている。 「痛い?」  正恵は尋ねた。亜実の無表情な顔が今にも泣きそうに崩れた。  正恵は立って歩こうとする亜実の体を抱き上げた。 「おばちゃん、平気だよ。歩けるよ」と亜実は言ったが、かまわず抱いたまま道路を横切る。そこはタクシーの溜り場になっていた。その一台に乗り込み、正恵は駅の近くにある病院に向かった。  病院に着くと正恵は待合室の患者をかきわけ、受付に行った。交通事故だと告げると、その場で診察室に通された。  若い医師は亜実の手足の傷を診た後、レントゲンを撮るよう看護婦に指示した。 「交通事故だって?」  白衣の下からTシャツをのぞかせた精悍《せいかん》な面ざしの医師は正恵に尋ねた。 「ええ、それがちょっと事情がありまして」  正恵は、医師にこの日に見た情景を話した。 「母親の運転する車は、そのまま走り去ったんですか」  医師は確認する。 「はい」 「気がつかないなんてことはないはずだね」 「はい。戻ってくる気配もありませんでした」  看護婦にトレーナーを脱がされながら、亜実はこちらにじっと瞳を凝らしている。  まもなく亜実は看護婦に付き添われて、レントゲン室に行った。  その間に正恵は、これまで自分が何度か目にした虐待の事実を感情を交えず、詳細に話した。  しばらくして亜実が戻ってきた。  骨にひびが入っている、とレントゲンフィルムを見ながら、医師は言った。 「痛かっただろ」  亜実は医師をみつめてこくりとうなずく。  それから医師は、正恵の方を見て言った。 「すいません、お宅、ちょっと待合室に出ててくれる?」 「でも……」 「この子と二人で話したい」  有無を言わさぬ調子で、彼は言った。  またあの校長に話したときと同じ結果になるのか、と正恵は絶望的な気分になった。  亜実は言うだろう。 「よくわからない。でもあたしが勝手にドアを開けて出たの。お姉ちゃんとけんかして。そうしたら、道路で転んだだけ。ママのこと? 好き。大好き。お正月はね、みんなでお餅食べたんだよ、それからね……」  あの丸顔に輝くような笑いを浮かべて、亜実はそう答えるに違いない。  すごすごと廊下に出て数分後、正恵はさきほどの医師に呼ばれた。  診察室に亜実の姿はない。衝立《ついたて》の向こうで、看護婦と話をしている。 「お母さんのことをかばってたでしょう」  正恵は何も尋ねられないうちに、小声で医師に言った。 「いや」と相手は首を振った。 「お母さんが買ってくれたたまごっちを妹と争ったそうだ。無理やり取って妹を泣かせたので、お母さんが怒った。それでドアを開けて、自分で車から飛び降りたと言ってる」 「いえ、上のお姉ちゃんに落とされ、お母さんは知っているのに、運転し続けていたんです」  正恵は先程説明した内容を再び繰り返した。 「ふむ」と、同意するでも否定するでもなく医師はうなずいた。 「なんでもお母さんは、今日、八ケ岳のサービスエリアで、男友達と待ち合わせをしていたらしいね」 「男友達?」 「子供は、『大月のおじちゃん』と言っていたが、たぶんそうだろう。母親としても子供は可愛いのだろうが、いろいろ不安定な気分になっていたのかもしれない」 「お母さんが運転しながらあの子の髪を掴んで引っ張り、長女が走ってる車からあの子を突き落としたんです。あの子は母親をかばって、本当のことを言ってないんです。どんな母親だって、彼女にしてみれば母親に変わりはないんでしょうから」  むきになって正恵は言葉を重ねていた。 「かばってるんじゃない」  鋭い口調で医師は否定した。 「母親を悪く言ったとき、彼女には世界のどこにも、自分の居場所がなくなる。それを恐がってるんだ。自分が悪いから、母親が叱る。悪いのは自分だと自分を納得させているかぎり、家庭内に彼女の居場所は、一応確保されているんだ」  はっとして正恵は若い医師の顔を見た。確かにその通りだった。彼女を受け入れてくれる場所は、家庭しかなかった。鉄の扉の外は、泣いてもわめいてもだれも助けてくれない非情な世界があるだけだ。 「信じられないと思いますが、実のお母さんです。あの子にそっくりの顔をしているんです」  正恵は訴えた。 「そうだよ。たいていのケースは」  医師は言った。その平静な口調に正恵は息を呑んだ。 「実の母親がですよ……継母とか、夫が他の女に産ませたとかいうならわかるけど」 「当然だ。昔からいくらでもあるよ。継母神話として、事実が巧妙に隠されているだけで。この前、僕のところに運ばれてきたのは、頭蓋骨《ずがいこつ》陥没だった。父親も上の子も、もちろん当の母親も、本当のことは言わない。すぐに脳外科に運んだが助けられなかった」 「なぜ」と言ったきり、正恵は絶句した。 「実の母親だからこそ、歯止めがきかない。母性は慈しみ育てる女神と子供を食う魔女のふたつの顔を持っているんだ」 「わかりません」  正恵は首を振った。自分が母親になった経験はないが、子供として母に接した時代はあった。夜中に高熱を出し、街灯一つない雪道を母に背負われ、医者に連れて行かれた記憶がある。おいしいものがあると、黙って自分の皿から子供たちの皿に移してくれるのが母だった。母は自分を守ってくれるものだった。危険を冒し、自分を犠牲にし、育ててくれるものだと信じていた。それと同時に、抑圧し忘れようとしていた記憶もある。  鬼のような母の顔。やはりささいなことで自分もそれを見たのだろう。理由を忘れてしまったのは、忘れたいからだろうか。少なくとも自分を慈しんでくれる人の絶対的なイメージを、人は求めるのだろう。それが虚構であっても。  亜実は、脳外科に送られ精密検査を受けることになった。 「大丈夫だと思いますが、万一のこともあるから」と医師は言う。彼は紹介状を書き、それを封筒に入れると、手元にある電話の受話器を取った。  脳外科病院に連絡するのだろうと思って見ていると、いきなり「警察署ですか」と尋ねた。  冷静な口調で語られる言葉に、正恵は仰天した。彼は今まで、正恵がしようとしてできなかったことを行なっている。  正恵が伝えた「事故」の様と、亜実の怪我の状態を事務的に、しかし的確に彼は警察官に話していた。  母親の運転する車から、女の子が突き落とされ、怪我をしていること。車から子供が落ちたことを知りながら、母親は走り去ったこと。そしてこれまでも虐待されてきた可能性が高いこと……。  そのとき衝立の向こうで看護婦相手に話をしていた亜実の声が、ぴたりと止んだ。看護婦が何か話しかけているが答えない。 「トイレ」  亜実が甲高い声で言った。 「亜実、一人で行けるから平気」と手を貸そうとした看護婦を振り切って、廊下に出ていく。説明を終えて受話器を置いた医師の机の前の電話に赤いランプが点灯した。 「第二診察室に入り込んで、電話かけてる、あの子」  看護婦が言って、慌ててそちらに行こうとするのを医師が制して、モニターボタンを押した。  忙《せわ》しない呼び出し音の後、「はい、私。あと二十分で着くから待ってて」という母親の舌足らずな声が聞き取れた。サービスエリアで待ち合わせをしているという「大月のおじちゃん」からの電話と間違えたらしい。 「お母さん、お母さん」と亜実の声が入る。はっと息を吸い込む音がする。 「なによ、あんたが自分で来たくないって言ったんでしょ」  甲高い怒鳴り声が聞こえた。  医師は、正恵の方を振り返った。 「お母さん、帰ってきちゃだめ、警察に捕まる」と亜実が叫んだ。  正恵は、声にならない声を上げた。自分がしたことは何だったのか、目の前の医師に説明されてはいても、感情はついていかず、怒りを覚えた。 「用もないのに電話してきちゃだめって言ったでしょ」  母親は電話の向こうで叫ぶ。 「帰ってきちゃだめ、本当に警察に捕まっちゃうよ、今、お医者さんが電話してる」 「何を言ってるの」という声が途中で裏返った。背後で子供の甲高い悲鳴のようなものが聞こえる。  一瞬後に、雑音が入り、通信は途絶えた。  その場にいた人々は、顔を見合わせた。  ドアを開け、ぼんやりした顔で亜実が入ってくる。 「お母さんに、電話切られちゃったね……」  正恵が言うと、亜実は体をびくりとさせて大人たちを見上げた。 「お母さんが帰ってきたら、ゆっくり話を聞いてもらいなさい」と医師は、亜実の肩に手をかけた。亜実はあの無垢な輝くばかりの笑顔を見せた。それが作り物とわかるだけに、正恵はやりきれない思いがした。  亜実を連れて駅前の救急病院を後にした正恵は、その足でさきほどの医師の指定した市内の脳外科病院に行った。  亜実を診た医師は、入院を勧めた。おそらく心配はないだろうが、一応いくつかの検査を行ないながら、一晩様子を見た方がいいだろう、と言う。  正恵は、亜実に母親の携帯電話の番号を尋ねた。 「わかんない」と亜実は言った。 「ママとお姉ちゃんたちは、どこに行ったの?」 「わかんない」  亜実は正恵から視線を逸《そ》らせる。無関心で無感動な眼差しに、この少女の内面を見たような気がして、心が冷えた。  しばらくして病院のケースワーカーがやってきた。中年の女性ワーカーは亜実のベッドの脇にひざまずき、亜実の手を握って尋ねる。 「ね、亜実ちゃん。今日、亜実ちゃんは、この病院に泊まるんだよ。だからね、ママに言っておかないと、心配するでしょ。ママ、何時頃帰ってくるのかな、今日は?」 「わかんない、帰ってこないかもしれない」  亜実の表情が、今にも泣き出しそうに崩れた。  ケースワーカーは、微笑した。 「ま、いいや、おやすみ」  ワーカーは、正恵に目配せし、それ以上は何も聞かずに亜実の肩に毛布をかけてやった。 「いいんですか」  正恵は尋ねた。 「まあ、落ち着くまで待ってもいいでしょ」  ワーカーは言い、正恵を促して廊下に出た。  そのとき警察官が二人、こちらにやって来るのが見えた。児童虐待の通報を受けて、やって来たもの、と正恵は思った。その対応の迅速さに驚いた。  警察官は、ケースワーカーと正恵を人気《ひとけ》のない待合室に連れていった。そして虐待の事実に関して質問し調書を取るかわりに亜実の母親が高速道路で事故を起こした、と伝えた。  赤いBMWは高速道路のカーブを曲がり切れずに中央分離帯に激突し、その反動でフェンスを乗り越え、四十メートル下の河川敷に転落したという。  母親と三女は即死。長女は意識不明の重体。目撃者はなく、事故原因は今のところ不明。淡々と語られるその事実に、正恵は亜実と母親の携帯電話のやりとりを重ね合わせていた。  あのとき「何を言ってるの」という母親の言葉の語尾が裏返った。背後で聞こえたものはやはり悲鳴だったのか? おそらく迫ってくる中央分離帯を目にした長女のものだったのだろう。 「あちらの病院の先生から聞きましたでしょうか。ここにいる次女が走っている車から突き落とされた原因は、妹とたまごっちを取り合ったことだったって」  警察官は、小さく眉を動かした。 「まさか、高速運転中に、母親がたまごっちに気を取られて、運転を誤ったということですか、まさか大の大人が」とケースワーカーが驚いたように言った。  短い沈黙の後、警察官は「実際にそういう事故が、起きてますからね」と低い声で答えた。 「亜実ちゃんの親戚の方とかは、いるんですか」  正恵は尋ねた。 「お母さんの関係者は、絶縁状態で連絡が取れません。お父さんは再婚して博多にいますが、今、遺体の安置されている山梨の病院に向かっています」  警察官が答えた。  正恵とケースワーカーは、ほぼ同時に立ち上がった。無言のまま、亜実のいる病室のドアに向かって歩いていく。  細く開いたドアの向こうに、ぼんやりと目を開いている亜実の青白い顔が見えた。  羽を切られ、フケだらけの体でトーストを欲しがったインコは、飼い主にみすみす返したことで死なせてしまった。  しかし亜実については、返す必要がなくなった。彼女の帰る家はもうない。  慈しみ育てる女神も、子供を食い殺す魔女も、いっぺんに去った。この子が自身の手で葬ってしまったのだ。  恐怖と痛みと悲しみと愛情の濃彩で彩られていた心に、いきなり穿《うが》たれた空洞を想像し、正恵は震えた。 「家族が亡くなったことは、お父さんから知らせてもらいますか?」  警察官は正恵に尋ねた。  小鳥を放してしまった父親。彼女たちを置いて、家を出ていった父親。おそらく亜実にとって、彼は遠い存在であったに違いない。だから亜実は虐待を繰り返す母親に執着しなければならなかった。その寄辺《よるべ》無さが正恵には悲しかった。 「私が知らせます」  正恵は警察官に言った。  あなたはもう二度と、裸で木枯らしの階段に立たされることはない。ドアの隙間から見える亜実の顔に向かい、正恵は心の内でそう語りかけた。  あの電話が、事故に結びついたことは、決して亜実に悟らせてはならない。亜実の電話が間接的に母親たちを殺したことだけは、知られてはならない。  大きくドアを開け、身震いをひとつすると正恵は病室に入っていった。 [#改ページ]   ㈽ そして、光へ──    レクイエム  三百人を超える人々の読経が、力強いアレグロを刻む。  振り返る余裕を与えず、死者を真っ直ぐに浄土に追いやろうとするかのような、威圧感さえ漂う法華経の大合唱だった。  やがて経文は「南無妙法蓮華経」の繰り返しになる。  合掌したまま、とり残されたように口をつぐんでいた祥子は、ようやくつぶやくように唱和し始めた。  この中に部外者が自分の他にいるのだろうかと、首を回し広い会場をそっと見渡してみる。少なくとも亡くなった伯父、一蔵の親類は、自分以外だれ一人来ていないようだ。白菊の山に埋もれ、華やかなライトを浴びて微笑しているのは、祥子が看取った伯父ではなく、日本屈指の大教団の幹部、小山田一蔵だった。 「帰ってくれ。そんなに人の不幸がおもしろいのか」と叫んで祥子の母が、実の兄に殴りかかり、玄関の戸を叩きつけるように閉めて追い出したのは、七年前のことだった。父の肝硬変がいよいよ悪化し、もって数カ月と医師から宣告されたときのことだ。  数年ぶりに訪れた伯父が母に言った言葉が、「入信すれば救われる」だったのか、「信心しないからこんな病気にかかった」だったのか祥子はよく覚えていない。とにかく伯父の言葉に激高した母は、二度と一蔵を家に上げることはなかった。  一蔵伯父の弟、貞次郎伯父は一蔵の信仰している教団の幹部が選挙に立候補した際、それまで没交渉だった兄から電話を受けた。用件は選挙の応援と寄付の依頼だった。 「選挙のときだけが兄弟か、ばかやろう」と怒鳴って受話器を叩きつけ、以来年賀状の返事も書いたことがないという。  他の親類も大方似たような形で一蔵伯父とは絶縁していた。  祖父から受け継いだ家と土地を売り払い、東京に出ていき、そちらに建てた家の内部の大半を信者の集会所にしてしまった一蔵の行為は、兄弟や親戚からすれば異常で許しがたいものに映ったに違いない。もちろん同じ教団内の熱心な信者である一蔵の妻や妻の親戚との交流も、祥子たち一族にはない。  一蔵伯父は祥子以外の血縁のすべてを失い、代わりに多くの信仰上の友と仲間を得た。  一蔵が腹動脈瘤破裂で倒れ、緊急手術を行なうことになったとき、深夜の二時だというのに、電話網を通じて連絡を受けた信者が、輸血のための血液を提供するのに五十人以上集まり、彼の命を助けた。  しかしこの入院をきっかけに一蔵には痴呆の症状が出始めた。一時退院はしたものの年老いた妻の手に負えなくなり、一昨年丹沢の麓にある老人病院に再入院した。  そこで介護士をしている祥子と七年ぶりに出会ったのである。 「あれ、祥子かぁ?」  そう声をかけられても、祥子は同室の患者と揃いのライトグリーンのパジャマを着せられた総白髪の男が伯父とは、はじめ気づかなかった。七年前に祥子の家の玄関に立っていた一蔵は、七十間近とはいえ衰えを見せぬ堂々たる体躯をしていたが、そのとき、その体は二回りも縮み、動作も言葉も間延びしていた。  一蔵の方にしても、ピンクの立襟の上着にピンクのズボンをはいてリノリウムの廊下を小走りに行き来している祥子が、かつて間近に迫った父の死を知り、うなだれていたミニスカート姿の高校生とは、とっさにはわからなかっただろう。  秋の長雨が止み、久々に眩しいばかりの陽がのぞいた朝のこと、伯父はふと正気を取り戻し、通りかかった介護士が自分の姪であることを認識したらしかった。 「なんだ、こんなところで働いていたのか?」と伯父は言った。斑《まだら》ボケ、という言葉の残酷さを、祥子はこのときほど感じたことはない。  鍵のかかる部屋に入れられ、部屋ごとに色の決められたパジャマを着せられ、保育園児のように管理されている老人は、血縁者に対する精一杯の愛情をにじませた眼差しで、「立派になったな」と祥子を見上げたのだった。  つぎに「富士子は元気か。このところ喘息は出てないか?」と、祥子の母のことを尋ねた。 「大丈夫。田舎に戻ってから元気よ」と祥子は答え、少し躊躇しながら、「でも、裕子叔母さん、死んだの。今年の一月十二日」と付け加えた。  妹の死を知らされて、一蔵は少し驚いたようだった。 「直腸癌、そんなに苦しまなかったのが救いよね」と祥子が言うと、「そうか」とつぶやき「癌じゃ、しょうがないな」と小さくため息をついた。  通常、一蔵伯父は看護婦や介護士の問い掛けには何の受け答えもできず、どんよりした視線を相手に向けているだけだったから、たまたまそのとき意識が清明な状態にあったのかもしれない。あるいは遠い昔、一、二度抱いたことのある幼い姪の面影が、老人の心に久しく味わうことのなかった感動をもたらしたのだろうか。  祥子は信州にいる母や親戚に、一蔵が自分の勤め先の病院にいることを知らせた。しかし一蔵の弟妹、親戚は、見舞いにはやってこなかった。  自分の体が悪いので遠い病院まで行かれないと、一蔵の年老いた兄弟姉妹は言ってきた。本音のところは、ぼけてしまったのでは見舞いに行ってもしかたない、と考えたのかもしれないし、どっぷりと信仰に浸《つか》った兄とのつきあいに、気まずく億劫なものを感じたのかもしれない。  それに対して教団の信者と彼の妻や子供たちは、頻繁にやってきた。そして白く膜の張ったような目に、虚ろな表情を浮かべてあらぬ方を見ている伯父に語りかけ、ときにはその手を握って励ました。そんな様を見るにつけ、祥子は血族から非難されながらも、大教団に所属し信心を続けた伯父の気持ちが理解できたし、信仰の意義についても考えさせられたものだ。  ところが一蔵伯父の方は、彼らの訪問を喜ぶ様子がまったくないということに、しばらくしてから気づいた。ぼんやりした瞳の奥に苛ついた表情がほの見え、ときによるとそれが怒りとなって放出される。  いきなり枕元の湯のみを掴んで投げることがあるかと思えば、見舞いにやってきた年老いた妻から逃げるように病室内の壁に顔を向けたまま動かなくなる。  ときおり意識が清明なことがあると、「疲れているので、会いたくない」とはっきり看護婦に告げる。  朝晩欠かさなかった勤行《ごんぎよう》もやめた。  病や死を前にしたとき、だれもがすがりたくなる神仏や、信心を共にした人々との絆を一蔵伯父は断ち切ろうとしているかに見える。おぼろげな意識の暗がりの中で、死に向かって独り、手探りで歩いていくような伯父の姿は見るに忍びなく、祥子は暇ができると伯父のかたわらによりそって過ごした。  ある日、伯父は立ち去りかけた祥子のピンクの制服の袖を引いて尋ねた。 「観音菩薩を見たことはあるか」  奇妙にはっきりした口調だった。 「え?」と問い直すと、一蔵はどんよりした目で瞬きしたきり、口をつぐんでしまった。そしてしばらくすると再び「観音菩薩を見たことがあるか」と聞く。 「ないけど、伯父さん、見たことあるの?」  祥子が言うと一蔵はうなずいた。 「昭和十八年、四月二十八日の朝、貨物船に乗せられて宇品を出航。行き先は知らされなかった」 「えっ」と祥子は問い返した。今が平成の何年か、伯父は答えられない。昨日何をしていたかなどということは、ますますわからない。それが五十年以上昔のことだと、年月日まで克明に思い出すことができる。多くの老人を扱っているからいまさら驚きはしないが、それでも観音を見たことがあるか、という問いと合わせるといささか奇異な感じがした。 「貨物室に詰め込まれ、途中パラオに寄って、六月十日、ウエワクに到着。船酔いで地獄の思いを味わった後、上陸した島はこの世でいちばん美しいところだった。見たこともないほど青い海と濃淡入り乱れた緑。鮮やか過ぎる日の出と夕暮、五色のホタル。信州に生まれ育って、海など見たことがなかったから、目に映るもの何もかもが珍しかった」  ウエワクという地名は初めて聞くが、とにかく南の島のどこかだろう。 「上陸後、船酔いなど比べものにならないような苦しみが待っているなどということはそのときは想像もつかなかった。信州の山は確かに深いがいったん高地に登れば、尾根から尾根へと渡り歩くことができる。けれどもそこは違う。ようやく尾根に出るとこんどは急な下りで谷底まで下りる、そして再び同じ高さの山に登る。まるで地面を十重二十重に折り畳んで立てたような場所だ。谷底の暑さはじっとりとまつわりつくように重い。親指ほどの太さのヤスデ、山ヒル。乾パンも鰹節さえ腐るような湿ったジャングルだった。蚊は足首や首筋に真っ黒になるくらいたかってきて、逆立ちして刺す。死ぬ思いでようやく頂きに登ると、次には再び千尋《せんじん》の谷に下り、また目前にそびえる同じ高さの峰に登らなければならない。転進に次ぐ転進。いや、敗走だ。無意味な行軍だった。補給はとうに断たれ、重火器もない。あっという間に食料は尽きた。兵力のほとんどを失っても作戦は変わらない。何月何日、どこに集結と命令が出て歩き始める。間に合わなければ逃亡とみなされて殺される。今の若い者が敵と一戦交えるのが戦争だと思っていたら大間違いだ。弾は空から飛んでくる。ジャングルの木々の間から飛んでくる。何も見えない。一人、また一人と落伍していく。行軍などというものではない。マラリアと下痢と飢えで、まともに歩けるものなどだれもいなかった」  伯父が自らの戦争体験を語り始めたのだということを祥子はようやく理解した。長男一蔵が南方で戦死したものと、親がとうに諦め、弟、貞次郎に家督を継がせることに決めた直後、一蔵は復員してきた、という話を以前に母から聞いていた。 「嫁に行った私たちの代わりに、親孝行してくれると思ったら、帰ってきたとたん、南無妙法蓮華経に凝っちまって」  母はよくぼやいていたものだ。  一蔵の独白は続いた。たいていは途中から言葉が怪しくなり、同じことを何度も繰り返し始めるのだが、なぜかこのときの一蔵の話はよどみなく、明晰だった。目前にいる姪に向かい懺悔《ざんげ》しているかのようでもあり、独り言のようでもあった。 「畑をみつけたら幸運だ。川沿いのぬかるみを抜けてありったけの芋を盗んで、砲弾が飛んでこないうちに逃げる。何もないときは数粒の米の入った粥だけで歩かされる。銃を持った幽鬼のようなものが緑色の地獄の底をはい回るんだ。動けなくなったものは、その場に残される。熱のために頭のおかしくなった新兵が分隊長に撃たれた。水場やゴムの木の根元に脱落した者が転がる。一本の倒木を跨《また》ぎ越すことができずに回り道する。小さな尾根を越えたとき、とうとう俺も動けなくなった。沼地で足を取られ倒れて、そのまま小便をした。戦友が草の上まで運び、バナナの葉の上に仰向けに寝かせてくれた。足音が遠ざかり、鼻先を無遠慮に飛び回る蠅だけが最後の友となった。  不意に静寂が訪れた。毒々しい緑の葉の間に見える青空の鮮やかさに驚いた。いよいよこの世ともお別れだと、松本にいる母のことを思った。すると体がふわふわと浮いて、山の峰を飛び始めた。そうか、いくつも越えてきた峰を通り過ぎ、海を越えて故郷に戻れるのだと喜んだが、いっこうに海に出ない。そのまま浄土に連れていかれてしまった。故郷にあった楢《なら》や樫に似た木の枝から、緑の葉を茂らせた蔓のようなものが下がって、木漏れ日の中に、淡い色の蘭に似た花が咲いている。  泉があって透明な水が湧き出していた。溢れ出た水は小さな流れを作って、草原を流れ、視界を遮っている森の彼方で滝を作っているらしくかすかな水音をさせていた。  足が見えた。確かに人の足の親指が見えた。力強くふくよかな足の甲には、人知で計りがたい知恵とも慈悲ともいえぬものが感じられた。艶々と黄金色に光る肌をして、ふっくらした裸の胸には、首飾りが垂れている。観音菩薩が現われた。  おまえはまだ死んではいけない、と観音様は言った。そして白い食べ物をくれた。とろけるように甘くなめらかな芋だった。俺は七日七晩浄土にいた。そして満月の夜、観音様は、いよいよおまえはここを出ていかなければならない。これから力のつく物を上げるから、それを食べて、帰りなさい、と言う。と、傍らの泉がふつふつと泡立ち沸騰した。そこにいきなり観音様は身を投げた。あっ、と声を上げる間もなく、観音様は煮えてしまった。腕を持って引き上げようとすると、鳥肉のようにぽろりと腕が取れた。柔らかな、きめの細かい白い肉だった。涙を流して口に入れると芋に似た甘い味がして、口の中でとろけた。気がつくと、水筒をまくらに倒れていた。極楽浄土はどこかに消え、マラリアと蠅だらけの辛く苦しいこの世が待っていた。ほどなく司令部から玉砕命令が出たが、従う気などなかった。観音様が、まだ死んではならない、と言ったのだ。そうこうするうちに、軍司令部が敵の手に落ちてしまったから命令も何もあったもんじゃない。どれだけの時が経ってからか、ある日、クマンバチのような音をさせて飛行機が飛んできたと思ったら、青空から湧きだしたように無数のビラが落ちてきた。『日本軍降伏せりただちに戦闘停止すべし。孤国の肉親を救え、国土を救え、武器を捨てて、新制日本の建設にたて』とあった」  疲れたのか、そこまで語って伯父は目を閉じた。母を始めとする兄弟親戚が散々忠告し、それが聞き入れられなかった後は口を極めて罵り、ついに絶縁するにいたった伯父の教団への狂信ともよぶべき心情が、このとき祥子にはなんとはなしに理解され胸をしめつけられた。  戦地における極限状態と、臨死、観音菩薩を見たという神秘体験。それは復員後、伯父の中で整理され、それなりの解釈が加わりこうした一編の物語として心の奥深くに沈んでいったのだろう。彼を仏教教団に入信させ、人一倍熱心な信者にしたものが、その苛酷な戦争体験であったことは間違いない。  それから数日して、一蔵はだれにも看取られることなく息を引き取った。たまたま夜、見回りにきた看護婦が一蔵を見て発した言葉は、「あら、やだ。この患者さん、死んでるよ」だったという。すぐにベッドの周囲に白いカーテンが引かれ、医者が呼ばれて死亡を確認した後、一蔵の鼻と喉に脱脂綿が詰め込まれた。三十分後には、彼の妻子を含めた信者たちが病院の霊安室に集まっていた。  祥子は通夜まで伯父の顔を見ることはなかったが、最後に一蔵と話したのは、おそらく自分だっただろうと思う。 「じゃ、伯父さん、あたし帰るからね」と、祥子は帰りがけに声をかけた。虫の知らせとでもいおうか、ロッカールームで私服に着替えた祥子はなぜかその日に限って、伯父にあいさつをするために再び病室に戻ったのだった。 「祥子」と、病室を出て行きかけた彼女に一蔵は声をかけた。足を止めて振り返ると、はっきりした口調で言った。 「祥子、私はもうじき死ぬので、そうしたら骨は拾わんでいい。このまま、体ごと、いや、腕一本でいいから、ニューギニアに持っていってくれないだろうか」 「ニューギニア?」  何を言っているのだろう、と祥子は首をひねりながらも介護士として型通りの受け答えをした。 「まだまだ元気じゃないの。縁起でもないこと言わないで長生きして」  そんな気休めは聞こえないか、聞く意志をもたないかのように、伯父は続けた。 「旅費と手間賃は、これで頼む」と、伯父は、サイドテーブルの引き出しを開けた。そこに数珠と杯《さかずき》が入っていた。 「だって、おじさん、これ……」  数珠は、勤行のときに使う翡翠《ひすい》玉のもの、そして杯は、二年前、一蔵伯父が丸五十年間教団に尽くしてきたことに対して、名誉会長から下された記念品の金杯だ。 「いいから、私が死んだら、これを売って旅費にしてくれ」 「何を言ってるの?」  無宗教の人間でさえ、死を目前にすれば神仏にすがる。しかし伯父は反対に、信仰を捨てようとしている。旅費を工面したいのなら、他の物を売ればいい。預貯金や保険くらいありそうなものなのに、わざわざ一般の信者が喉から手が出るほど欲しがる会長の名入りの金杯を売れ、とはどういうことなのだろうか。 「わかりました。これ、伯父さんの形見にいただくけど、伯父さんには、まだまだがんばって長生きしてもらうわ。せっかくここで会えたんですもの」  祥子は言った。 「形見で欲しいものがあれば、他にやる。それは売って旅費にして、ニューギニアに行ってくれ」  伯父は執拗な調子で言った。 「私の骨をスイスのレマン湖のほとりにまいてくれ」と遺言した友人の母がいた。今から相模湾を散骨場所に指定しているサーファーの友達もいる。しかしニューギニアとはどういうことなのか祥子には理解できなかった。 「いいか、骨でも、遺髪でもない。腕を一本、ニューギニアの山南地区に持っていって、芋の根元に埋めてくれ。芋が実れば、人を養える」 「もう、そういう話はやめよう。伯母さんや子供三人をちゃんと養ったじゃない。そんなことは考えないで、みんなの世話になればいいのよ」  祥子が遮ると一蔵は悲壮な表情をした。 「骨にしないでくれ。骨にしたら何も残らない。こんな老いぼれでも肥やしくらいにはなる。何もきかずこの腕をニューギニアの芋の根元に深く埋めてくれ」  不意に泥に埋まった蝋のような腕を想像し背筋が冷たくなった。しかし祥子は笑顔を作って、虚しい言葉を繰り返した。 「まだまだ伯父さんは元気なんだから。そんな気弱なこと言わないで、伯母さんや私のためにもっともっと長生きしてくれなくちゃ」と。  果てもなく繰り返されるかのような「南無妙法蓮華経」の大合唱は、リタルダンドがかかり静かに終結した。  焼香が始まる。一蔵伯父の妻は悲しみの中にも精一杯の感謝をこめ、一人一人に丁重に頭を下げる。その隣にいる長男は確か教団の幹部になっているはずだ。実父の遺影でも仰ぎ見るかのような尊敬と悲しみと祈りのこもった若い女性信者の眼差しや、残された家族に一礼する人々の親身な表情といった、信仰を共にするものの結束の前に、祥子は自分こそが伯父の最期を看取ったたった一人の親類だというプライドめいたものが崩されていくのを感じた。おずおずと黒枠の写真を見上げ合掌する。  ひと通り焼香が終わると、壇上にダブルのスーツを着た男が立った。ときおりテレビなどでも顔を見かける代議士で、この教団の大幹部だ。  彼は、小山田一蔵の経歴を厳かだが決して暗くはない口調でよどみなく伝えていく。この世の生を修行とみなし、死は卒業であり新しい生の始まりであるとするこの教団の考え方を示すかのように、そこには、死への嘆きや底の無いような悲しみは感じられない。 「小山田一蔵さんは、敗色濃くなった昭和十八年四月に召集され、東部ニューギニア戦に従軍しました」  祥子ははっとしてこの大幹部の言葉に神経を集中させた。 「兵の十人に九人が亡くなった当地で、まさに九死に一生を得て、昭和二十一年に復員され、以後、小山田さんは進駐軍基地でトレーラーの運転手として勤務する傍ら、自分の生の意味を問い直し、仏様の慈悲にすがりながら、まさに全霊をかけて、私たち仲間に手を差し伸べ、謙虚に尽くしてきてくださいました」  ニューギニアが戦地であったということを祥子はそのとき初めて知った。グアムやサイパン沖に零《ゼロ》戦が沈んでいるということは、そちらに遊びに行った折に聞いた。ラバウルという地名も、カラオケで軍歌を歌う上司がいるから知っている。しかしニューギニアというのは、裸族が住んでいて石器時代のままの暮らしをしているところというイメージしかなかった。その地で戦闘があったなどということは、どこかで聞いたかもしれないが、少なくとも伯父の言葉からすぐに思い出すことはなかった。するとあの最期の言葉は、亡くなった戦友への思いが、死を目前にして頭を掠《かす》めたからなのだろうと想像がついた。  肉親の縁を絶ってまでの、伯父の信心の根底にあったものは、単に極限状態における神秘体験だけではなかったらしい。もしそうなら伯父はより個人的で求道者的な隠遁生活を選んだだろう。  兄弟親戚との縁は切れていても、伯父の生活と心情は信者に対しては限りなく開かれていた。復員後数年して伯父は親から譲り受けた土地と屋敷を売り払い、勤め先の横田基地の近くに家を建てた。ごく狭い寝室をのぞいてほとんどの部屋を信者の集会所として提供し、自分を頼ってやってくる人々の相談に乗り、あらゆる援助を惜しまなかったという。  伯父は、神秘体験によって仏の道に目覚め、悟りの境地を求める求道者ではなく、在家信者として菩薩行を実践して生きた。九死に一生を得た自分に対し、残りの九割に回って生きて日本の土を踏むことのできなかった戦友のために、一蔵伯父は朝に夕に経を唱え、あの戦争を生き抜いた多くの人々の心を救おうとしたのではないか。  それにしては、なぜ病に倒れた伯父が急に信者を遠ざけ始めたのかはわからない。自分の脳が少しずつ機能を止めつつあったことを伯父は気づいており、ぼけた自らの身を秘したかったのだろうか。  焼香が終わり、金銀で飾り付けられた壮麗で広い会場から、人々は吐き出されていく。  ただ一人の親戚である祥子と、一蔵伯父の家族、同じ教区で共に活動していた人々など、二、三十人がその場に残った。  息子と数人の男の手で、祭壇から棺が下ろされ、蓋が開けられる。  病院では幼稚園児のようにライトグリーンのお揃いのパジャマを着せられ、鍵のかかった大部屋に収容されていた一蔵は、親類の中でも一際高い鼻を上に向けて、ようやく歳に見合った人としての尊厳を取り戻したような、いくぶん気難しい顔で目を閉じていた。  その妻がいとおしむように一蔵の額を撫でる。一蔵の顔にも胸の上で組まれた手にも淡くファンデーションが塗られている。  人々は渡された白菊をつぎつぎに棺に入れる。白い菊が冷たく固まった肉体を埋めていく。祥子はさきほどから自分がじっと伯父の手を見ていることに気づいた。伯父の最期の言葉を無意識に心のうちで反芻している。 「骨でも、遺髪でもない。腕を一本、ニューギニアに持っていって芋の根元に埋めてくれ。芋が実れば、人を養える」  やがて棺は再び蓋をされ、釘を打たれた後、同じ会館の地下にある焼き場にエレベーターで、運ばれていった。  バルコニーのように張り出した部屋に入ると、棺が窯に押し込まれていく様がガラス越しに見えた。  背後で再び、「南無妙法蓮華経」の合唱が始まる。  伯父の体は焼かれるのだ、とあらためて祥子はその棺に目を凝らす。死線を越えて五十数年を生き延びた人間の体が白い骨になっていく。 「骨にしないでくれ。骨にしたら何も残らない。こんな老いぼれでも肥やしくらいにはなる。何もきかずこの腕をニューギニアの芋の根元に深く埋めてくれ」  伯父の悲痛な声が、換気の音に交じって聞こえてくるような気がする。  いずれにしても非現実的な願いではあった。叶えてやりたくてもできるはずはない。腕一本を冷凍にして、ニューギニアに運ぶなどというのは考えただけで不気味であるし、不可能だ。散骨など他の方法を取りたくても、自分は葬儀や墓の問題について、この教団の人々や伯父の家族に何か言える立場ではない。  窯の蓋が閉じられた。  火葬場の職員に案内され人々は待合室に向かう。  庭園に面した大広間に、酒や食べ物が用意されていた。他の葬儀もいくつか入っているらしく、このフロアには人の死に似つかわしくない賑わいがある。葬式を機会に数年ぶりに会った親戚、友人、仲間が後ろめたい気持ちを抱きつつも再会を喜びあい、安否を確かめる光景がそこここで見られる。 「お腹すいたでしょう。よかったらどうぞ」  信者の若い女が、重箱を祥子の前に差し出した。刻んだ野沢菜やたらこを混ぜ込んだ握り飯、くだものなどが、彩りも美しく並べてある。  火葬場で用意してあるのは茶菓子の類だけなので、信者たちが自ら作って持ち込んだものだ。精進落としはこの後なのだが、あちらこちらで話の輪ができビール瓶が行き交う。空腹感はあったが、彼らの心尽くしの料理に手をつける気にはなれないままぼんやりしていると、少し離れたテーブルにいる五分刈りの胡麻塩頭をした、ひどく痩せた老人の姿が目に入った。老若男女入り混じった信者たちの中で、一人違和感を漂わせ、灰色の影のようにひっそりと座っている。隣の中年女性にビールを勧められ、丁重に辞退する様にことさらのよそよそしさが見える。 「どうもこのたびは遠いところをありがとうございます」  そのとき一蔵伯父の妻に声をかけられた。共白髪というが、本当に一蔵伯父と同じように真っ白な髪をした伯母は、疲れの滲んだ顔で、弔問客の一人一人に、挨拶して回っていた。 「本当に、うちの人、すごく気難しくなって、最期は何もわからなくなってしまったけど、祥子さんがずっとついててくれたおかげで、安らかに過ごせたと思うのよ。ほんとうにありがとうね。なんとお礼を言ったらいいか」と柔らかな手で祥子の手を握りしめた。その暖かさに居心地悪さを感じ、祥子は身じろぎした。 「いえ、いえ」と笑顔で謙遜するのは葬儀の場では気が引けるし、「そんなこと、ないんです」と涙するのは芝居じみている。ただ伯父の最期の言葉だけが、澱《おり》のように心の底に淀んでいる。 「あの、すみません」  一通りお礼の言葉を述べた後、他の信者の許に行きかけた伯母を祥子は呼び止めた。 「観音菩薩の話を聞いたこと、ありますか。伯父さんの口から」 「はあ?」と伯母は不思議そうな顔をした。 「伯父さんが戦争でニューギニアに送られて、病気と栄養失調で死にかけたんだそうです。そのとき観音様が現われて極楽に導いてくれたとか」 「まあ……」 「それでしばらく極楽で過ごした後、その観音様があなたはまだ死んではいけない。私の体を食べて、生き延びなさいと言って、傍らの煮えたぎる泉に身を投げてしまった。それでその観音様の腕を食べたら、この世に戻された、と言っていました」  伯母は感じ入ったようにため息をもらした。背後で話を聞いていた老女が、手を合わせて涙を流している。  そのとき茶わんの倒れる音がした。テーブルの上に茶が流れ、喪服姿の女たちが慌てて台布巾で拭いている。その濡れたテーブルの前で、さきほどの老人が、奥に引っ込んだ目を見開き、手を細かく震えさせて祥子の顔を見つめていた。 「大丈夫ですか?」 「ご気分でもお悪いんですか」  他人行儀な口調で、中年の女たちが尋ねている。祥子同様、あの老人もまた部外者であるらしい。信者でも血縁でもないとしたらだれなのだろう、と祥子は不思議な思いで老人の視線を受け止める。 「そう、お父さんはそんなこと言ったの」  祥子ははっとして伯母の方を見た。 「お父さんは、私には戦争の話はしたことがないのよ。死んだ方がましだと思うほど辛かったから、思い出したくないって言ってね。よく三途の川を見たとかいう話を聞くけれど、そうしたものをお父さんも見たんでしょうね」と伯母は涙を浮かべる。 「たしかに教区長さんは、観音様のような方でしたね」と先程の老女が小さく鼻をかむ。  妻にも、おそらく他の信者にさえ、伯父は彼が見たという観音の話はしていない。それをなぜ自分に告白する気になったのか解《げ》せないまま、祥子は係員に促されて待合室を後にした。  窯が開き、ゆっくりと台が引き出される。まだところどころオレンジ色に明るみを残した骨が引き出された。  結局、こうなってしまうのか、と祥子は小さくため息をつく。一蔵の腕は、彼の希望通り芋の肥やしになって、人を養うことは叶わなかった。もっとも神秘体験も彼の奇妙な希望も、痴呆の症状に伴って口をついて出たことに過ぎないのかもしれないが。  葬儀場の外に出ると、マイクロバスが待っていた。これから町の料理屋に行って精進落としをするのだ。伯父の唯一の血縁ではあったが祥子は辞退した。この集団の過剰な親密さが、やはり信者以外の者にとっては居心地悪かった。  引き止める伯母に、用事があるからと丁重に頭を下げ、駅前の繁華街へと続く坂道を足速に下りていく。  そのとき、片方の足をひきずりながら歩いている老人の痩せた背中が目に入ってきた。先程テーブルの上に、お茶をこぼしたあの老人だ。やはり祥子同様、あの集団の親密さからはじき出されたらしい。 「あの、すいません」  祥子は、老人に追いついて、声をかけた。 「私、池田祥子といって、故人の姪です。失礼ですが、一蔵伯父さんとは?」  老人は、呻くような声を上げて祥子の方に顔を向けると、「戦友です。南方では同じ部隊におりました」と答えた。 「それでは、あなたも九死に一生を得た方」  伯父の戦友は、「まあ、そう言われると、いかにも運がいいように聞こえますが、事実は筆舌につくしがたく」と言ったきり、声を詰まらせた。一蔵の死にあらためて感慨を覚えたのか、辛い記憶が五十数年を経てよみがえったのか、わからない。  言葉もなく祥子が隣を歩いていると、老人は「おたくはあの教団の人じゃないですね」と尋ねた。「はい」と答えて、祥子は自分があの場にいた伯父のただ一人の血縁であり、伯父が教団に深入りすることによって、親戚から絶縁された事情などを話した。 「今日の幹部の方のお話を聞くまでは、なぜ伯父が本家の土地や家を売って、肉親から見離されてまで、宗教にのめり込んだのかわかりませんでした。けれどたくさんの戦友が亡くなって、自分だけ生きていることに申し訳なさを覚えたのだとわかり、納得がいきました。親類の一人としては、それでよかったとはいえないけれど。信仰して、勤行することで死んでいった戦友の霊を慰めようとしたんですね。親戚のだれも伯父のそんな気持ちを理解してあげられなかったのだ、と思うと悲しいです」  そんなことを話していると、葬儀場ではまったくこぼれなかった涙で、目が潤んできた。そのとき老人は、低い声で言った。 「そんなもんじゃ、ないです」  入れ歯が合っていないらしく、ぼそぼそと聞き取りにくい声だった。 「そんなきれいなもんじゃありませんよ。戦場なんて、あんた、戦友ったって、みんな自分のことで精一杯なんだから……。理由もなく古参兵になぐられて、こづきまわされて、ありがとうございます、と言わされる。言うたびに、心の中じゃ、殺してやりたい、と思う。病気持ちの新兵や怪我をして一人で動けない戦友は足手まといで、早く死んでくれないかと願う。みんな最後は自分のことしか頭にない。他人のことを思うのは、本当に死ぬとき、すべての欲がなくなって心が透明になったときだ。ただね……」  老人は前にのめるような速足になった。 「僕たちはね、人間としてやっちゃいけないことをしたんです」 「は?」と祥子は尋ねた。 「畜生以下になった……しょうがないんですよ。極限状態って、今の人は簡単に言いますけど、そんな一言で言い表わせるものじゃない。補給のない軍隊、我々は捨てられた軍隊だったんですよ。ラバウルから来るはずの補給船は沈められた。いや軍は最初から補給する気などなかったのかもしれない。兵を送り込んでおいて、あとは何もない。進めと言われれば進む。現地調達しろ、と命令が出れば現地調達です。自活しろと言われれば自活するしかない。しかしジャングルで自活なんてできるはずはありません。やはり現地の民から奪うしかない。今の人がどう非難しようと、そういう命令が出るんだから兵としちゃしかたないじゃないですか。本当のこと言っちまえば、村を襲って食料を得られた中国の部隊は幸せでした。僕たちは、村を襲ったって何もない。パプア人はね、物を貯め込まないんだ。貯めたって腐ってしまう。椰子の澱粉や芋をそのつど必要なだけ取って食べている。僕たちにできるのはせいぜい畑の芋を盗むぐらいです。銃なんか一発も撃ってない。ただただ食べ物を探していた。そしてジャングルにとり残されて、マラリアと下痢と飢えで死んでいった。枯れ木のようになって、尻を下痢便で濡らして歩き、最後は自決用の手榴弾さえなく木の根元で息絶える。それでも名誉の戦死なんですよ。そうした中で、僕たちは人間としてやってはいけないことをした。そうして生き残ったんです」 「従軍慰安婦ですか?」  人間としてやってはいけないこと、と聞いて、とっさに祥子の頭に浮かんだのは、その単語しかなかった。単に新聞や雑誌で話題になっていたからで、もちろんその実態については、何も知らない。 「あんた……そんな気力や体力が残っていると思いますか」  老人は失望したような顔で首を振り、それきり口を開かなかった。  家にやってきた友人が、たまたま祥子の家の飾り棚に入れてあった数珠と金杯に目を止めたのは、伯父の初七日が過ぎた頃のことだ。伯父から受け取ったものの「金に換えろ」と言われたところで、そのための手段など知らなかったし、そんな気にもなれずにそのままにしてあったのだ。  それに古物商にこうしたものを持ち込んでも二束三文にしかならない。使い込んだ数珠は手垢がついてすり減っているし、宗教団体の出した記念品の金杯などメッキにきまっている。  それでもボケ老人の戯言《たわごと》と考えるのは悲しい。いずれ機会があればパプアニューギニアヘ行き、それらの品を島のどこかに埋めてこようと祥子は考えていた。 「別に私、信者じゃないからね」  友人に誤解されたくなかったので、何か問われる前に、祥子は言った。  しかし、それには答えず友人は「この数珠、ちょっとしたものよ」と手にした数珠の玉に目を凝らしている。彼女は上野にある宝石卸会社で色石の鑑定の仕事をしていた。祥子が出所を説明すると、少し貸してくれないか、と言う。かまわないけどと答え、祥子は数珠だけでなく、金杯の方も持ち帰らせた。  一週間後友人から電話があり、数珠の翡翠が現在ではかなり少なくなってしまったビルマ産の高級品で、金杯が文字通り純金でできていることを知らされた。それぞれをアクセサリーにリフォームした上で、余った分の金地金と翡翠は店で買い取るということでどうだろうか、と彼女は提案した。  祥子はアクセサリーはいらないので、そのままお金に換えればいくらになるのかと、尋ねた。友人は、そうすると安い値段にしかならないから、アクセサリーにした方がいい、と忠告しながらも、その金額を言った。  二百万、ということだった。当初予想したのより、遥かに高い値段に祥子は驚いた。パプアニューギニアへの往復の航空券と手間賃としては、充分だ。伯父は本気だったのだ、とあらためて知った。彼は、自分の腕をニューギニア、山南地区の芋の根元に埋めろ、という遺言とともに、それを実行するための金銭的な手段まで残していった。  それにしても骨になったら何も残らない、芋の肥料になれば人を養える、という言葉もまた、伯父にとっては、何か象徴的な言葉というよりは、極めて現実的で即物的な意味を帯びているのではないか、とそのときふと思った。  確かなのはその言葉が、戦友たちを失う原因となった「餓え」に結びついているということだ。  葬儀にやってきた戦友の、「人間としてやってはならないこと」という言葉の意味が、そのとき薄々わかりかけた。いや、伯父の話を聞いたときから、頭の片隅に浮かんではいた。しかし意識に上らせるのは恐ろしかったのだ。  人殺しと現地の女に対する性的暴行を「人間としてやってはならないこと」とは、実際にその場で戦った人間は言わない。  戦争なのだから当然ではないか、負けたからそれらの行為が断罪されるだけだ。地獄のような場所から生還した人々はそう口にする。しかしそうした戦場でさえ、なおタブーとされることがある……。  極限状態の餓えの下で、伯父たちは、おそらく戦争文学の主人公たちが逡巡し、とうとう越えられなかった一線を越えてしまったのではなかろうか。  九死に一生という言葉通り、九割の人間が死んだ戦場で、一割に入るためにしたことがあった。  戦友の肉を食ったのだ、と祥子は結論した。  だから伯父は、復員後の人生を信仰に生きた。小説の主人公のように、僧になって戦地を巡礼することはなく、妻帯もし、子供ももうけた。しかしだれもが豊かになっていった戦後の日本で、親から継いだ財産を寄進し、親戚兄弟に絶縁されながら、せっせと働き、その稼ぎのほとんどを教団のために使った。そうして戦友のために朝に夕に唱え続けたのではなかろうか。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、と。  仏教説話を模したような、あの観音の話は懺悔だったのだ、と思うにつけ、その話を聞かされたことに対して息苦しいほどの責任を感じた。 「自分の腕を、芋の根元に埋めよ」という伯父の言葉は、「戦友の慰霊をしてきてくれ」という言葉に置き換えることができるだろう。そしてその地に自分の骨を埋めてくれということでもある。  死の間際に、親しんだ教団の仲間や家族までも遠ざけ、信仰を捨てたかに見えたのは、戦友の言葉を借りれば「畜生以下の行為」をした自分の罪をなお贖《あがな》っていない、と感じていたからに違いない。  祥子は、伯母の家に電話をかけた。本人がすぐに電話に出た。 「あら、祥子さん、この間は本当にありがとうございました。祥子さんだけでも来てくれて、お父さん、本当に喜んでいたと思うわ……」という伯母の声は、最後の方で涙の調子に変わっていた。信者というだけで、なんとはなしに遠ざけてはいたが、いい人だったのだと胸の底がじんわりと熱くなった。  しばらく伯父の思い出話などした後、祥子は用件を切り出した。  葬儀に来ていた伯父の戦友の名前と連絡先を知りたい、と言うと、伯母は「ちょっと待っててね」といったん受話器を置き、すぐに電話をかけ直してきた。  その人は奥村昭平、という名で、信州の岡谷で桐タンスの製造業を営んでいるとのことだ。伯母とは面識がなかったが、信者の一人が彼の顧客だったので、一蔵伯父の死をその信者から聞き、駆け付けてきたらしい。 「本当に、五十何年たっても、お父さんのこと忘れないでいてくれる人がいるなんて、ありがたいことよね」と伯母は声を詰まらせた。  忘れられない事実があったからだと、祥子は小さく心の内でつぶやいた。  香典袋に書かれていたので奥村の住所はわかるが、電話番号はわからないと伯母は言う。礼を言って電話を切った後、番号案内にかけなおしタンス製造業で調べてもらうと、奥村の電話番号はすぐに判明した。  そちらに電話をかけると若い女の声が出た。祥子が名乗り、奥村昭平を出してくれるように頼むと、外出していていないと言う。 「削り直しですか? おじいちゃんが帰ってきたら、すぐに電話させますが、今はもう新しく作るのはやってないんですよ」と相手は言う。八十過ぎに見えた奥村は、まだ現役の桐タンス職人だった。  慌てて祥子は、自分が奥村の戦友の姪であることを話し、相手に問われるままに自分の電話番号を伝えた。  翌日の早朝、奥村から電話がかかってきた。型通りのあいさつをした後、祥子は伯父から託された最期の願いについて話した。 「正直な話、異様な内容なので、真に受けていませんでした。そのうち機会でもあれば、花を携えてパプアニューギニアに行かれたらいいなと、思ったくらいだったのですが、なんだかできるだけ近いうちに、休暇を取って行かなければならないんじゃないかって気がしてきたんです。そうしないと伯父が浮かばれないようで」  もし行かれることになったら、自分に何か託すことはないか、と祥子は奥村に尋ねるつもりだったのだが、その言葉は奥村の切羽詰まった声にさえぎられた。 「それで小山田は、自分の腕を芋の根元に埋めろ、とそう言ったんですか。芋なら、人を養う、と」 「ええ」 「そうですか」と奥村は言い、小さく咳き込んだ。 「おたくに話しておくことがある。遠いんで申し訳ないんですが、こっち、岡谷に来るついではありませんか?」  ついではなかったが、祥子は翌週の水曜日を指定した。病院は変則勤務になっているので、その日が休みに当たっていたのだ。 「じゃ私は、ずっと店にいますから、何時でもけっこうです。本当はこちらからうかがわなければいけないんでしょうが、何しろ仕事が立て込んでおりますもので」と奥村は言う。  八十過ぎの老人の「仕事が立て込んでいて」という言葉をさほど真に受けることもなく、祥子は翌週、高速バスに乗って岡谷に行った。  奥村タンス店は、JRの駅からほど近い繁華街にあった。黒ずんだ格子戸を開けると、中は黒光りする広い板の間になっている。その中央で木屑にまみれて、奥村は板にカンナをかけていた。 「いらっしゃいませ」と中年の女が、脇の廊下から愛想よく出てくる。奥村の娘か、この家の嫁のようだ。  白い肌着に作業ズボン姿の奥村が目を上げ、「これはどうも」とカンナ屑を払いながら、立ち上がりこちらに来た。事情は知らされているらしく、中年の女性はすぐに祥子を奥にある茶の間に上げた。 「いまどき、桐タンスなんてとお思いになるかもしれませんが、なにしろ職人がいなくなってしまったでしょう。このごろは、東京や名古屋からも注文が来るようになってしまって、おじいちゃんも、なかなか隠居できなくて」と苦笑しながら、その女性はお茶をいれてくる。 「そうだ、あんた、悪いがちょっとあの箱、松屋さんに届けてくれんか」  奥村は、女に向かい、板の間に置いてある物を指差した。 「あら、やだ。まだ持っていってなかったの」と女は、慌てた様子でそれを抱え、祥子に「ごめんなさいね」と頭を下げ、サンダルをつっかけて、小走りに出ていく。 「次男の嫁でしてね」と奥村は説明した。人に聞かれたくない話を始めるために、奥村が人払いしたというのが、祥子にはわかった。  座敷に奥村と二人残されると、急にあたりが静まりかえったような気がした。天井の高い部屋は薄暗く、煤《すす》けた柱にかけられた時計の時をきざむ音だけが、高く響く。 「それで、ニューギニアには、いつ行かれるんです?」  奥村は尋ねた。 「十二月の始めにでも、と思っています。私たち、暮れもお正月も関係ない仕事なので、かえってその頃の方が、休みが取りやすいんです」と祥子は答えた。 「小山田は、おたくに何を話したのか、よかったら聞かせてくれますか」  奥村の言葉は、入れ歯のせいか聞き取りにくいが、語っている内容は明快だ。現役の職人で仕事に追われる状況が、頭をいつまでも冴えた状態に保っているのかもしれない。しかしもし伯父と同じ体験を共有しているのだとしたら、明晰な意識は彼にとってはむしろ残酷であるように思える。  祥子は、もう一度、伯父の最期の願いを話した。それから伯父が話してくれた観音の話を一切の解釈を加えず、聞いたままに伝えた。 「観音様ですか」  落ち窪んだ目を奥村は、瞬かせた。 「ええ。伯父は自分の辛い体験をそれになぞらえて語ったのでしょう」  祥子は言った。  アンデス山中の飛行機事故の折に、キリストの肉に重ね合わせて、同胞の肉を食ったのと同じ心理だろうと思ったが、さすがにそのことは奥村の前では口にできなかった。 「観音様っていうのは、女のことですよ」  不意に断定的な口調で、奥村は言った。 「女?」  祥子は、驚いて問い返した。 「するとやはり従軍慰安婦」と、いつかと同じ言葉を再び祥子は口にした。 「戦場にいる女は、慰安婦ばかりじゃないですよ」  奥村は抑揚のない調子で言った。 「もっとも我々は、人とは思っていなかった。同じ日本軍でも、もっと友好的な関係を結んでいた部隊もあったが、我々は猿と呼んでいた。こっちは人の国に行って戦争しているんですよ。戦っているのは日本とオーストラリアなんだが、戦場になっているのは、南方の島です。そこにはあたりまえだが、パプア人が住んでいる。戦争する方は、飛行機で爆弾は落とすわ、砲撃はするわで、島の形まで変えちまいますが、そこには人が住んで、畑を耕して、豚を飼って、生活してるんですよ。だから現地調達なんてことを我々も命じられたりするんです。村に入ってパプア人から食料をもらう、家を貸してもらう。実際は、そんな上品なものじゃなくて、接収とか掠奪《りやくだつ》ってやつです。  あれは終戦の半年ほど前のことだった。パプア人の住む山南地区の西部が敵の手に落ちて攻撃が始まり、我々は密林の奥深くに敗走していった。村も遠くなり、食料などどこにもない。マラリアによる高熱と餓えが襲ってくる。我々の分隊は十二人で、病気で動けない三人はそのまま村に置いてきた。自決用の手榴弾を与えて。朝、村を出て九人で進んだが、昼前に二人落伍した。一時間としないうちに、また小山田を含む三人が落伍。自決用の手榴弾は与えられなかった。そんな無駄は許されなくなっていたからだ。我々は最後の力を振り絞って浅く土を掘り、その上にバナナの葉をしいて、小山田たちを横たえた。後から来たものが、息絶えた三人に土をかけてやってくれるだろうと思ったからだ。その程度のことしかしてやれなかった。道すがら、同胞の死体はいくつもみつけた。生きているうちに蛆《うじ》が食ってしまうので、死ぬとたちまち白骨に変わる。死体と区別のつかない病人もいた。自分も数日後には同じように転がるのだと思えば、格別の感慨もない。しかし置き去りにされた兵のうち、小山田だけは生き延びた」 「倒れた戦友の遺体の肉を食って」という言葉は、さすがに奥村の口からは聞けなかった。  祥子は、茶を飲もうとして手にした湯呑みを、そのまま置いた。 「彼を置き去りにしてしばらくして、僕は小山田と再会した。部隊はちりぢりになり、再びパプア人の村に立てこもった。我々から見れば人外魔境の密林の間にも、現地人の村がある。小山田はそこにいた。相変わらず痩せてはいたが、ずっと血色もよくなって、垢で黒光りして豚の匂いがした。小山田はパプア人と一緒に暮らしていたのだ。もちろん我々も分宿と称して彼らと一緒に暮らしていたが、小山田は日本兵としてではなく、向こうの人間になっていた。小山田を助けたのは、パプアの娘だった。娘が小山田を発見し、村人たちは彼を担いで村に連れ帰った。その運び方がすごかったそうだ。蔓で編んだ網みたいなものに入れて転がされてその網を棒に吊して、村人が二人で担ぐ。密林や湿地を村人たちは裸足で走る。息も切らさず、恐ろしいほどの速さだそうだ。小山田は、網の中で仰向けになり、青空をぼんやり見ていたらしい。白い雲が流れて、風が体の周りを吹き抜けて、極楽に運ばれているのだ、と思ったそうだ。村に入った小山田は娘やその血族や豚と一緒に暮らし始めた。娘と恋仲になったらしい。娘ったって、裸族だ。我々は村人から芋は奪ったが、女は犯してない。もちろんそんな体力がなかったからだが、とうていそんな気にはなれないからだ。臭い、皮膚病にやられていて汚い。我々は、猿と呼んでいた。人間とは思っていなかった。猿でなければならなかったんだ。あれが人であってはならなかったのだ」  そこまで話して奥村は、忙《せわ》しない息をしながら言葉を止めた。  一蔵伯父の話した観音菩薩は、その娘であったのだろう。娘は伯父にとっては、生身の女どころか神仏であり、奥村にとっては猿だった。 「伯父は、その娘さんと愛し合い、結婚したのでしょう」 「結婚制度が彼らにあるのかどうかは知らない。しかし小山田が、その娘に惚れていたのは確かだ。女たちは腰みので下半身を覆っただけの姿をしている。だから立ったり座ったりするときに、裾が乱れないように、手で直すんだがその仕草がなんともしとやかで魅力的なんだ、と小山田は語っていた。冗談だろうと僕は笑ったが、小山田は本気だった」 「あの……」  躊躇しながら祥子は尋ねた。 「大家族で、それも豚と一緒に寝起きしているんでしょう。どこでどうやって、二人になれるんですか」  自分の質問の露骨な意図に、祥子は少し顔を赤らめた。 「それが微妙なものだそうだ。ちょっと視線を交わしあい、ふらっと小屋を出て密林の中に入っていくそうだ。草の中にしゃがみ込んでさっとはめて終わりだ」  何の感情もこめず、微塵の鄙猥《ひわい》さもない口調で、老人は語った。 「小山田は、村人に慕われていた。我々百姓のせがれは、みんな器用なものだから、兵隊がそこらへんに落としていったブリキの飯盒《はんごう》や蔓で、いろいろな道具を作ってしまう。錆《さ》びたナイフをみがいてやったり、竈《かまど》を直したり、水汲みの壺に把手をつけてやったり。子供に数を教えたりしていたらしい。もちろん芋作りも手伝った。そんな話をした後、僕たちは別れた。僕は自分の分隊の宿舎に戻ったが、だれにも小山田のことは言わなかった。あいつはもう、日本人ではない。雌猿とよろしくやって、猿の仲間に入っちまった。本気でそう思った。そう思わなければならない事情があった。あれは玉砕命令の出る直前のことだ。追い詰められ、いくら食料調達しろ、と言われても、もう何もなくなっていた。草も芋も密林には茂る。しかし植物というのは、人が栽培した野菜以外はほとんど毒を持っている。餓えに耐えかねた者は、得体の知れない芋を茹でて一口食ったとたん吐き出し、そのままよだれを流して死んでいった。弱った体では野生動物は捕まえられない。鉄砲を持っているというのに、鼠一匹当たらない……」 「戦友の遺体、ですね」  祥子は、小さな声で言葉の先を続けた。  奥村の顔が歪んだ。 「人の肉は食えなかった」と白髪頭を振る。  その一線は越えていなかったのだ。自分の思い込みが外れたことを知ったとたん、祥子の全身に生温かい汗が噴き出した。 「どんなに餓えても、戦友の遺体は食えなかった」  奥村は繰り返した。 「しかし猿は食える。猿と思えば食えた」  祥子は小さく声を上げた。 「食料を持って来いと猿の娘に命じて、言われた通り芋を二つ持ってきた娘を殺して、刻んだ。肉を飯盒で茹でて食った。人の肉は食えないが、猿の肉なら食える」  祥子は後ずさった。 「極限状態などといういい加減な言葉で、言い逃れる気はない。ただ戦場では上官の命令は絶対だった。分隊長に命じられるままに、我々は娘を殺して食べた。同胞の死体を食えば銃殺だが、現地人を食ったところで咎められはしなかった」  人肉食がタブーであることは間違いない。しかし祥子にとって、すでに死んでしまったものを食うのと、生きている人間を殺して食うことの間には、果てしない距離がある。 「そうして終戦までの数カ月、我々は何人かの現地の女を解体して食った。そんなある日、ひょっこり小山田がやってきた。同じ部隊にいた者たちは再会を喜んだが、小山田の様子は違った。自分の女を知らないか、と僕に殺気だった顔で尋ねた。女など知らんと、僕たちは答えた。そしてせっかく来たのだから、豚の肉でも食っていけ、と分隊長が言い、飯盒の中のものを器にあけて、小山田に渡した。小山田は、すぐに中身を理解したはずだ。そんなことだろう、と思ったからこそ、部隊に自分から戻ってきたのだ。小山田は顔色をどす黒く変えて、震え始めた。飯盒の中身が、小山田の馴染んだ娘だったのかどうかはわからない。あるいはもっと前に、我々はその娘を食ってしまっていたのかもしれない」 「伯父は、どうしました? その上官を殺したのですか」  奥村は苦笑した。 「兵隊っていうのはね、そんなものではないですよ。小山田はありがとうございました、と言った。一列に並べられて、往復ビンタを食らい、そのたびに頭を下げてありがとうございました、と言わされるのが、軍隊なんだ。敗走に次ぐ敗走ですでに軍隊の体をなしていなくても、ほとんどの人間が死に絶えてしまっていても、軍隊は軍隊だったんです。ありがとうございました、と小山田は肉を食った」 「なぜ?」  悲鳴のような声で祥子は尋ねていた。 「なぜ、食べられるの。上官に逆らえないのは、わかるけれど、ありがとうございましたって、言わなければならないのは、わかるけれど、それを食べて、飲み下せるのはなぜ? 食べないと、自分が殺されるから?」 「分隊長は女を殺して煮ることについては有無を言わせないが、口に突っ込んで食わせることまではしない。兵隊の中にも、最後までそれに口を付けられず、死んでいった者もいた。しかし小山田は食った。僕も食った。僕は生きて帰らなければならなかったんだ。なんとしてでも。郷里には老いた母がいた。結婚したばかりの妻は僕が出征したとき、身籠もっていた。人、それぞれに事情はある」  祥子は膝の上のハンカチを握りしめ、うなずいていた。  伯父の事情とはどのようなものだったのだろう。それにしても自分の命を救ってくれて、愛し合った女性を殺され、「ありがとうございました」と言わなければならない心の内はいかばかりだっただろう。そしてそれを見て、吐きもどすこともなく食べた心境はどのようなものだったのだろう。  そのときの思いが、伯父に肉親との絆を断たせ、信仰の道に導いたのだろう。しかし戦時下とはいえ、伯父が殺人、食人の犠牲者となった者を菩薩として神仏に祭り上げたことについては、割り切れないものを感じた。 「他人様にこんなことを話したのは、初めてです。戦友会なんてことをやって思い出を語れる連中は、我々ほどの地獄を見てないんですよ。いや一割弱しか生きて帰れなければ、自分が生きているのがただただ申し訳なく、そんなことをする気にもなれない。僕は、若い者に戦争の話をすることができません。話そうとすると心臓が苦しくなって、いや、ひと頃はニューギニアという言葉を聞いただけで、体が震えてきました。気が知れないんですよ、昔話として語る人がいますけど。孫が、サイパンに行きましたよ。遊びにね。僕は怒ったんだ。そんなところに行くな、と。遊びになんかに行くな、と。じいさんは、ボケてる、と孫は笑った。しかし説明はできなかった。話そうとすると、息が苦しくなって咳き込んでしまって」  祥子は座り直し、老人の顔をみつめた。 「なぜ、私には話せたのですか。やはり伯父のことがあるからですか」  奥村は老人斑の浮き出た頬を緩め、うっすらと笑った。  そのとき玄関が開いて、さきほどの中年の女が戻ってきた。 「今なら、嫁にだって話せるかもしれないな」  奥村は言った。 「何しろ、もう長くはないんで。膵臓《すいぞう》癌なんですよ。もっともこの歳になれば、あまり関係ないんですがね。しかし、なんですか、それがわかってから急に気持ちが楽になりましたね」  祥子が言葉もなくうなずくと、この家の嫁である女が部屋に入ってきた。 「ごめんなさいね、お客さんをほったらかしにして」と、再び台所に引っ込んだかと思うと、すぐに寒天菓子を出してきた。 「なあ、僕が無事に戻ってこなかったら、あんた、この家にいなかったな」 「はあ?」と首を傾げた後、女は微笑した。 「また、じいちゃんは、何かわけのわからないことを」 「復員してきて、一年後に次男が生まれた。この人は次男の嫁だから、つまり僕が戦地で死んでいたら、宏樹もこずえも優太も、この世にいなかったってわけだ」  それらの名前は、孫のものらしい。サイパンに行く、といって祖父の怒りをかったのは、どの子なのだろう、と祥子は思いをめぐらせた。  ある生命を犠牲にして、ある生命を生み出した、ということで、この人は自分を納得させてきたのかもしれない。  そして伯父は、と祥子は、あのとき老人病院で揃いのライトグリーンのパジャマを着せられていた一蔵の姿を思い出した。伯父が最期まで正気であれば、彼もこのように自宅で家族と信者に囲まれて過ごしていたのだろうか。  寒天菓子に手をつけないまま、祥子は奥村と彼の次男の嫁に丁寧に礼を言って立った。片腕をニューギニアに持って行き、芋の根元に埋めてほしい、という伯父の最期の言葉が、耳の底によみがえる。  人が芋の肥やしとなり、芋は人を養う──。  伯父は人の肉体について、自分たちとは違った意味でとらえるようになったのかもしれない。ふと、自分なら愛するものの体を食うことができるだろうか、と思った。  愛するものが永遠に失われると思ったときに、それを体の中に取り入れることで、伯父は、彼女という存在を永遠に自分のうちに留めようとしたのではなかろうか。失われた面影を心のうちに留めていても、やがて記憶は薄れ、風化する。それなら罪とともにその肉体を自分の体に永遠に閉じこめようと考えたのかもしれない。  焼くな、芋の根元に埋めろというのも、自分の体というカプセルに五十数年間封じこめてきた彼女を故郷に返すと同時に、自分の体もまた南の島の生命のサイクルの中に戻してやろうという意図だったのかもしれない。  しかし伯父の肉体は、すでに焼けて、その灰は南無妙法蓮華経の合唱に送られ、墓に入ってしまった。  信仰の証として与えられた金杯と、勤行の折に使われた翡翠の数珠は、今、宝石加工場で女性たちの身を飾るものに生まれ変わりつつある。  その年の暮れ、祥子は品川埠頭にいた。コンテナがひとつ、貨物船に積み込まれていく。船は途中でマニラに寄り、約半月後にパプアニューギニアの首都、ポートモレスビーに到着する予定である。  その後、パプアニューギニアについて調べた祥子は、すでにそこが裸族の住む島などではなく、政治的経済的な問題をいくつかかかえた環太平洋に位置する発展途上国の一つであることを知った。  コンテナの中身は、毛布や食料、薬品類だ。エルニーニョの影響で、現地では旱魃《かんばつ》が起き深刻な食糧難に陥っているという。特に道路が開けていない奥地では、交易路として機能していた川が干上がり、高地を含むいくつかの村が孤立しているらしい。  本当なら祥子自身が現地に行きNGOのメンバーとして活動に参加したいところだったが、現在、治安が悪化しているとのことで、事務局から女性は派遣できないと断られた。  祥子は、伯父の肉体の一部を届けるという約束を反古にした。しかし渡された金杯と翡翠の数珠は、孤立した地域への緊急援助物資に変わった。自ら芋の肥やしとなって人を養うという伯父の最期の言葉が、より実質的な成果となってあらわれてくれることを祥子は祈る。  もしもあの事件さえなかったら、たとえ投降ビラがまかれて、終戦を知らされても、伯父は日本には戻らなかったのではないか、と祥子は思う。現地に留まり、パプア人の女性を愛し、農機具を作り、芋畑を耕し、豚を飼って生きていったかもしれない。  罪を背負い、南無妙法蓮華経と唱えつつ生きた伯父の五十数年を、今回送った物資がすでに世代交替した現地の人々に伝えてくれることを祈りながら、祥子はクレーンに吊り上げられ、青空高く昇っていくコンテナをみつめていた。 [#改ページ]    文庫版のあとがき  少女時代から青春期にかけて読んだ小説の中で、未だにその鮮烈なイメージが心に刻まれているいくつかの作品がある。  谷崎潤一郎の「少将滋幹の母」、泉鏡花の「高野聖」、円地文子の「なまみこ物語」、そして今は官能小説の大家として知られた宇能鴻一郎の「鯨神」……。それらの本の茶色に変色したページを繰ってみると、作品の意外な短さに驚かされる。  私の中では、どれもかなりの大作として記憶されていた。しかし実際のところ「なまみこ物語」は多少、分量が多いものの、たいていは四、五篇で一冊の本になるくらいの短篇だ。いまさらながらそれらの作品世界の大きさ、包含した内容の複雑さ、人間のはかりしれなさに息を飲むのである。  短篇小説は、決して小さく愛らしく洒落たミニアチュールではない。  優れた短篇小説の要件とされる、鋭い切れ味、驚き、人生の一断面を切り取る鮮やかさ、人情の機微、といったものに私は関心がない。  短い物語の中には、人生の一断面ではなく、複雑な世界を丸ごと封じ込めることもできると信じている。  連作短篇(『女たちのジハード』がそうなのだが)といったものは、厳密な意味で短篇小説とは呼べないし、短篇集を作るに当たって同じタッチの作品をまとめるというのも、単なる営業戦略上の手段に過ぎず、書き手が物語を書くに当たって配慮することではない。  一作一世界という原則は、長篇でも短篇でも変わりはなく、この短篇集『レクイエム』も、新潮社刊の『青らむ空のうつろのなかに』と同様、さまざまな傾向の作品を収める結果となった。  とはいえテーマは一つであり、一応の秩序はある。入口は感傷的なアリアで、出口は主旋律を低音に移したパッサカリア。中間部の「帰還兵の休日」「コヨーテは月に落ちる」あたりはいささか馴染みにくいかもしれないが、良くも悪くももっとも作者らしい作品となった。全六篇の組曲のような作品を一作ごとに気分を変えつつ読まれ、全体のテーマを感じとっていただければ、たいへんにうれしい。  なお作品を書き上げるにあたり、コヨーテの生態について貴重なお話を聞かせてくださり、資料を提供してくださった作家の村山由佳様、率直なご意見と励ましをいただいた文藝春秋の樋渡優子様に、心よりお礼を申し上げます。 [#地付き]篠田 節子   単行本 一九九九年一月 文藝春秋刊 〈底 本〉文春文庫 平成十四年四月十日刊