猫を抱いて長電話 小池真理子 [#表紙(表紙.gif、横90×縦130)]   コワイ話  子供のころから、いわゆるコワイ話というのが大好きだった。楳図《うめず》かずおの恐怖漫画はもちろんのこと、大人から時折聞く不思議な話や、友達が夏休みに田舎で体験したぞっとするような話……などにはもう、夢中になり、宿題そっちのけで聞き入ったものである。  心霊写真が雑誌などに掲載されるようになると、興味津々で眺めたし、幽霊談ばかりでなく、宇宙人がどうしたこうした、といったSF的な話や吸血鬼の話にも魅了された。  今でも基本的にはこうした話は大好きである。わが家には、私が集めた幻想恐怖小説専用の本棚があるほどだ。  だが、さすがにいわゆるコドモだまし的な「よくあるコワイ話」には興味を持てなくなった。タクシーの運転手が人けのない道で女の客を拾ったが、目的地まで来ると消えていた。その家では折りしも、通夜の真最中であった……とか、自殺者が出たことのある空き家から、夜な夜なおかしな泣き声が聞こえた……とかいった話は、こわくもなんともない。  だいたいそうした類いの話というのは、誰かが言い出してから広まって、嘘《うそ》か誠か定かではないままに、一種の現代民話ふうに語り継がれてきた話にすぎない。  怪談というのは、話し手が聞き手の想像力をかきたてようとして、語れば語るほど、脚色されていくものなのだ。冷静に考えてみると、これほど怖くない話というのもない気がする。  ただ、私には今だに、というよりも、今だからこそ怖いと思える話がひとつある。  私の母は生まれつき直感が鋭く、幼いころから何度か科学で解明できない不可思議な体験をしてきた人間である。身近な人が死ぬ時は、たいてい、事前に予知するし、真っ昼間に明るい家の茶の間で、すでに死んだ人の存在を感じたりもする。  また、買物の途中、交通量が多い賑《にぎ》やかな場所で、見知らぬ霊を見かけたりもする。明らかにこの世のものではない人間が、ふっと現れ、さみしそうに肩を落として母の目の前を歩くんだそうである。あれ、と思って目をこらすと、確かに今まで前を歩いていた人がふっと消える。それで、母は「ああ、また」と思うんだそうだ。  あまりにそうしたことに慣れてるので、本人は別段、驚かないらしいが、聞いているほうはいちいちぞっとさせられる。あっけらかんと話をされると、かえって怖いのである。  その母が私を産んだ時のこと。東京中野の産院だったが、あいにく、出産予定日前後はベッドがひとつ残らずふさがっていた。困った父が「なんとかなりませんか」と持ちかけると、産院側は「個室ならあります」と言う。費用が高くついても結構、と思って父はその個室をとった。  無事に出産が終わり(夜六時半ころ、私は産声をあげたらしい)、母はその個室に私ともども移された。  母はその部屋に入った途端、ぞっとしたと言う。何の変哲もない部屋だったが、どことなくカビ臭く、おまけにベッドのマットレスは長い間、人が寝ていたことを裏づけるかのように、人型にへこんでいた。  何かあるな、いやだな、と思ったのも束の間、疲れていた母は眠った。二、三時間うとうとした後のこと。身体中に妙な感触があることに気づいて目を開けた。何かが、母の身体を撫《な》でまわしていた。それはなんとも言えない不気味な感触だったらしい。  母は勇気を出して布団をめくった。そしてそこに、ベッドの下から伸びている二本の青白い手を見てしまったのである。それでも母は気丈に耐えた。念仏を唱え、心を安らかにしようと努力した。  手は明け方までそこにいた。哀しそうに見える手だった、と言う。  翌朝の回診の時、看護婦に正直に打ち明けた。看護婦は「困った」という顔をしながらも、その部屋のそのベッドで産後の肥立ちが悪く、長患いした後に死んだ女性がいたという話をしてくれた。赤ん坊もその時、死んだのだという。  母は今でも言う。「あの時の女の人があんたのことを自分の子供だと思って、あの世から守ってくれてる気がしてならない」と。笑われるかもしれないが私は、その通りだと信じている。何故か、その通りだと思えてならないのである。 [#改ページ]   踏んだり蹴ったり  新年を迎えたばかりだというに、こんなことは書きたくないのだけど、去年はホントにいいことの少ない年だった。  まずひとつは健康面。新年早々、体調を崩して病院に行ったのがそもそもの始まりで、以来、どうも肉体のノリが悪く、やれ、あっちがおかしい、こっちがおかしい……と年に三度も検査を受けた。病院通いが年に三度! これは新記録であり、これまで払いこむばかりで一向に利用しなかった国民健康保険の貸しを一挙にチャラにしてしまったようなものだ。  結果、なんともなかったので肩すかしを食らいながらもほっとしたが、「あなた、それは年のせいなのよ」とかなんとか周りから言われてガックリ。三十路半ばにさしかかるに至って、どっとこれまでの疲れが出た感じであった。  健康面のお次は、人間関係。何があったというわけではない。だが、どうも、物事すべてがスムースにいかず、せっかく完成しかかったパズルが最後の一片をはめようとした時に地震が起こり、全部ぐしゃぐしゃになってしまうような、そんな具合で、ツレアイ相手に愚痴ばかりこぼしていた。  その他にも、とてもここに書いて公にするわけにはいかないが、原因が定かではなく、ただひたすら運命だ、と呪うしかない不運が幾つかあったし……やれやれ。まあ、生きてればこんな年もあるのだろう。  昔、友達と「最悪にツイてない時の話」をし合って、どっちがより多くツイてなかったか、競い合ったことを思い出す。私が何を話したかは忘れてしまったが、忘れてしまうくらいだから大した話ではなかったのだと思う。でも、その時に聞いた友達の話は悲惨でした。  なにしろ、彼女は婚約までしていた恋人にふられ、傷心の思いでひとり銭湯に行ったら、石鹸《せつけん》ですべって転んで腕の骨を折り、病院から帰ってみると、アパートの彼女の部屋に泥棒が入っていて、現金と預金通帳、それにテレビや洋服、下着に至るまできれいに盗まれていた……というのだから、文字通り、踏んだり蹴《け》ったり。 「落ち込んだなんてもんじゃないわよ」 と彼女は言っていた。「落ち込みすぎると人間って笑うのね。笑ったわよ、もう」……その気持ちはよくわかる。  人間は怒りの対象がはっきりしている時は、落ち込んだり嘆き悲しんだりしないものだ。たとえば、自分をおとしめた相手や自分を罠《わな》にはめた相手、理不尽な攻撃をしてきた相手に対しては、人は怒り、何らかの方法をとろうとするから、落ち込んではいられなくなる。それは戦いである。戦いには勝たなくてはいけない。少なくとも勝てるように努力しなくてはいけない。落ち込んでいる暇などないのである。  しかし、運命のいたずらによって陥った不運に対しては、人はちょっと弱くなる。先の彼女の例をあげると、恋人にふられたことは何かの原因があったのだろうから、別に運命とも言えないが、銭湯ですべって転んだのは運が悪かったせいだろうし、また、留守中、部屋に泥棒に入られたのもこれまた、運が悪かったとしか言いようがない。  そりゃあ、泥棒に怒りをぶつけてもいいが、この場合、泥チャンにとってみれば、彼女の部屋を選んだのは、彼女個人に悪意があったからではなく、泥チャン本人の都合によるものだったのだ。泥チャンを怨《うら》み、怒りをぶつけてみても、最終的には救われないのである。  となると、これはもう、わが運命を呪い、怨み、酒でも飲んでふてくされながら寝てしまうしかないわけだ。  私が弱いのはこの「運の悪さ」である。運が悪ければ悪いほど、頑張ってもりもりと逞《たくま》しく美しくなっていく人もいるが、私はそうではない。弱い。まったく情けなくなるほど弱い。その代わり、怒りの対象が明らかな場合は、図々しくて強いのだけど……。  今年のこの運の悪さにとどめをさすようなことがこの間起こった。某編集者と酒を飲みながら「今年は胃[#「胃」に傍点]を悪くして病院通いだったのよ」と言ったところ、彼は何を思ったか「痔[#「痔」に傍点]を悪くして」と聞き違えた。以後、会う人ごとに「刺激物と痔《じ》との関係」なんてのを大真面目に講釈されたりなんかして、どうも話がおかしい、と気づいた時はもう、あとの祭り。んもう! どうとでも言ってよ! [#改ページ]   詐欺師  元来、疑い深い性格だが、たった一度だけ「詐欺」に遭ったことがある。  学生時代、住んでいた四畳半ひと間のアパートに化粧品の訪問販売員(聞いたこともない化粧品会社だったけど)と名乗る男が押しかけてきた。パック剤だの乳液だの特製オイルだのがワンセットになっていて五万円。お買い得だから買え、と言う。  五万と言えば、当時の大金。そんな金はない、と言っても「お父さんに頼めばいい」と引き下がる様子がない。いくら昼間といえど、こちらは女の独り暮らし。怖さも手伝って、契約してしまった。  男はその場で乳液とローションの二本をくれたが、「今持っている商品は見本だから渡すわけにはいかない。残りの商品は後日、会社のほうから郵送させる」という。私は親に電話し、嘘《うそ》八百並べて五万の金を送金してもらい、約束の日に再び訪れて来た男に手渡した。  ところが待てど暮らせど、残りの化粧品セットが届かない。これはもしかするとヤラレタか、と思って化粧品会社に電話した。会社側は、そんな訪問販売員はうちにはいない、と言う。泣いてもわめいても後の祭り。レッキとした詐欺であった。  それ以降、路上でミシンのセールスマンや何やら、いかがわしそうな連中に声をかけられても、最悪にいやな顔をして黙って通り過ぎることにしているし、誰かが家の玄関チャイムを鳴らそうものなら、ドアスコープで確認。ちょっとでも不審な奴だと中年のヒステリックなオバサン的不愉快な声を張り上げて「忙しいから帰ってください」と言うことにしている。  だいたい私がいやな顔をしたり、いやな声を出したりすると、人の倍以上、いやな感じを人に与えるらしくて、友達にも「よくそんなに冷たい態度がとれるわね。相手はタカがセールスマンじゃないの」と言われるのだが、仕方がない。  我が身を護るためには、冷酷になるべき瞬間があるものなのだ。  で、こういうやり方で「詐欺」を警戒しているから、ちょっとやそっとじゃだまされない、という自信があるのだが、先日、聞いた話には自信がぐらついた。  その人……仮にAさんとしておこう……は超有名大学を出たインテリ。エリートコースを歩くことを自ら拒否して、企画宣伝のためのユニークなプロダクションを設立した。Aさんが厳選してきたスタッフは揃《そろ》いも揃ってキレ者ばかり。会社は安定成長し、落ち着いた。  そのAさんを会社設立当初から陰になり日なたになり支えてきたのは、Bという若い男。ひょんなことから友人に紹介されて知り合ったというBは、慶応大学出身の若く、スタミナのある、しかも忠実な部下だった。Aさんは数年間、Bを従えながら仕事をしてきて、これほど信頼できる男はいない、と判断した。  口はかたい、頭の回転がいい、Aさんに絶対忠実で、しかも適切なアドバイスもしてくれる、他人に好かれる、人柄がいい……。ついにAさんはBに会社の経理を全面的に任せた。Bはそれに応えた。  それから一年後の或る日、会社の女性スタッフから緊急の電話がAさんの自宅に入った。金庫にある証券類が全部なくなっていて、経理の帳簿が大幅にごまかされている、という。  驚いたAさんが駆けつけ、調べてみると、損害額は数千万円にのぼっており、行方をくらましたBは慶応出身でもなんでもない、地方の高校中退者で、家庭環境から出生まで、何もかもが嘘《うそ》であったことが判明した。  警察に届けたが、それから一年たってもいまだにBの行方はおろか、Bがいったい何者であったのか、わかっていない、という。 「ホンモノの詐欺師の怖さと面白さを知りましたよ」とAさんは初めのうちこそ腹をたて、怒り狂い、自分を責めたが、次第にBの腕の見事さに敬服するようになった、と言った。これぞホンモノの詐欺。お高くとまった大学出のインテリをせせら笑い、まんまとごまかす腕の凄さ。しかも長期計画で……。 「だまされているとわかってあなたに惚《ほ》れた」という演歌の歌詞があるが、詐欺師の中には人を引きつけてやまない何かがある。彼等は孤独で冷静だ。その徹底した孤独な仮面に対抗できるだけの仮面をつけた人間でない限り、我々は常に詐欺に遭う可能性を持っているのである。 [#改ページ]   恋の季節  昔の恋人と再会する、というのはなかなかロマンチックでいいものである。  都会の雑踏の中でばったり……というのもいいし、突然、会いたくなって電話してしまった、というのもまたよろしい。  要は相手とのリズムの問題で、いくら電話をしたとしても、相手がいかにも迷惑そうだったら、再会は果たせない。たまたま相手も非常に懐かしがってくれて、ぽんぽんと会話がはずみ、「じゃあ、この次の土曜日に会おうか」とでもなったら、それはそれで楽しいひとときが過ごせるだろう。  三十五歳のA子さん、結婚して子供がふたりいるイラストレーターである。サラリーマンの夫との仲は、まあまあ。別に、当世流行の「フリン」願望があるわけではない。だが、或る日、突然、昔の男に会いたくなった。  理由などなかった。多分、安定した生活の中で、ふっと学生時代のことが懐かしくなっただけなのだろう。彼女は思いたって結婚前につき合っていた男ふたりに、簡単な葉書を書いた。  ちょうど気に入った絵が描けた後だったので、自分の絵を葉書に刷りこんだ。 「私の絵をごらんください。今はこんな仕事をしています。お元気ですか。懐かしいですね」……とだけつけ加えた。  もちろん、宛先は彼らの実家である。男どもも、とうの昔に結婚しているだろうから、自宅に送るわけにはいかない。  一週間ほどたってから、ふたりのうちひとりから返事が来た。「この間、或る店で君と昔、よく聞いたビージーズがかかっていた。急に懐かしくなり、どうしているかな、と思っていたら、母親が君からの葉書を転送してくれた。驚いてしまったよ。会いたいね。よかったら僕の会社のほうに電話してください」……と。  A子さんは、ぐっと胸が熱くなるのを感じた。その男(Bクンとしておこう)とは、二十歳の時、実にロマンチックな恋をし、キスもしないままに別れてしまったのだった。  はやる気持ちをおさえて彼女はBクンの会社に電話した。声はちっとも変わっていない。十五年の歳月がたったとはとても思えなかった。聞くところによると、今は二児の父親だという。  ふたりは甘い会話を交わし、一週間後の金曜日の夜、食事を共にすることを約束した。  電話をした翌日、彼女の家に大きなバラの花束が届けられた。Bクンからだった。メッセージはたった一言。「君は昔からこのバラのイメージだった」……。  普段だったら、「なにさ、このキザ男」と思って苦笑するような文句ではあったが、どうしてどうして、彼女は感動の極みに達した。胸がドキドキした。甦《よみがえ》った青春! 恋の季節の到来!  昔、Bクンは同じ大学のホッケーの選手だった。背が高く逞《たくま》しく、それでいて文学青年ふうの青っぽさを持ったいい男であった。彼女はBクンとの淡かったデートの数々を思い出し、思い出しては頬をゆるめた。何も知らずに隣で寝ている夫が、ただの太ったカバに見えた。  待ちに待ったデートの夜、彼女は仕事仲間のパーティーがある、と夫に嘘《うそ》をつき、とっておきのシャネルのスーツを着て、念入りに化粧をし、約束の喫茶店に出かけた。  Bクンの姿はどこにも見えなかった。仕事で遅れてくるのかもしれない。彼女はドキドキしながら店内を見回した。  ひとり、頭の禿《は》げかかった、カバみたいにでっかい中年男が彼女をじっと見ていた。どこかで見たことがある。次の瞬間、彼女はぞっとし、吐きそうになり、顔がひきつった。 「君か。変わってしまったんでわかんなかったよ」Bクンは傍にやって来て、にっと笑った。 「あなたも……少し変わったのね」  気のすすまない食事を早々に終え、彼女は早い時間に帰宅した。帰宅してから鏡を見た。バラのイメージなんてありゃしない、と彼女は溜め息をついた。それ以降、Bクンからは何の音沙汰もない、という。  再会はロマンチックである。しかし、年齢を超えて感動を呼びおこすような再会はほとんどない、と私は考えている。  日常に退屈して失ったロマンを求めるのはいいが、よくよく考えてからでないと、かえって失望したりするから、ご用心。終わったことはやはり終わったこと。終わりを知るのがオトナの女なのだ。 [#改ページ]   男を愛でる  先日、「新吾のお待ちどおさま」というテレビ番組で、「究極の美男子ベストテン」の集計発表をやっていた。  視聴者が選んだベストテンである。現代女性の「美的感覚」が伺われて、これがまあ、実に楽しいものであった。見なかった人のために、結果をちょっと書いておくと……  一位 田村正和。  二位 郷ひろみ。  三位 京本政樹。  四位以下はちょっと忘れてしまって順不同になるが、長谷川一夫、杉良太郎、五木ひろし、上原謙、里見浩太朗……らの名前が上がっていた。  選ぶ側の年代が多岐に渡っていたせいか、選ばれる側の年代も多岐に渡っていて、なかなか説得力があるではないか。郷ひろみや田村正和ら、現代に活躍している男たちは別にして、古きよき時代の美男子というのは、映画やドラマの中でまさに究極の美男子を演じていたのだ。古い映画ファンたちにとってみれば、永遠の美男子であり続けるのだろう。  いまや、アデランスの宣伝でさりげなく御みずからの頭を電波にのせておられる上原謙も、かつては美男子以外の役柄など考えられない人だったし、長谷川一夫ともなると、私の母などミーハー的に目をとろんとさせ、近所の肉屋に長谷川一夫に似た店員がいた時なんか、毎日せっせと肉を買いに通っていたものだ。  しかしそれにしても、美しいものを見るというのは、男女を問わず、気分のいいことに違いない。時々、六本木などを歩いていて、美しい男優とすれ違ったり、偶然、飲み屋で見かけたりすることがあるが、そんな時、やっぱり惚《ほ》れ惚れと見入ってしまう。  これが女優の場合だと、「あら、この人、案外背が低いんだ」とか「なんだ。着てるものの趣味があんまりよくない」とか「性格が悪そう」とか、思わず相手の美しさへの妬《ねた》みをこめた感想を吐露し、自分の性格の悪さにうんざりするが、男優の場合は違う。素直に憧れのまなざしを投げたりして……。  一度、赤坂のホテルの駐車場で、深夜、颯爽《さつそう》と現れた寺尾聡とばったり会ったことがあった。顔はいまひとつの人だが、そのスマートさといったら! しばし、惚れ惚れと後ろ姿を眺め、一緒にいた連れの男に呆れられたし、六本木で田村亮を見かけた時は、偶然、目が合ったのをいいことに視線を外さず、迷惑そうな顔をされてしまった。オバサングルーピーか、と思われたかもしれない。  男女の別なく、美しさというものは一種の魔力なのであろう。昔の映画になるが、『野良犬』という黒沢監督の映画で三船敏郎が画面に登場するたびに、私など自分が女であることを痛感させられたものだ。不精|髭《ひげ》、垢《あか》、泥、汗……男の臭さと汚さをまといつつ、あの方はまるごと男だった。言葉を失うほどのまるごとの男、というのは現実にはなかなかお目にかかれない。  では、そうした「まるごとの男」や「見惚《みと》れるような男」を恋人に持ちたいか、といったら私はノーである。関わりたいとは思わない。美しいものは皆で鑑賞すべきである。鑑賞して、個人個人、幻想に浸り、夢を描いているのがいいと思うのである。  だいたい、美しい男とベッドをともにするなどと考えただけで幻想がさめる。美しい男がパンツを脱いだりはいたりする姿を見たいとは思わない。「腹減った」とか「便所に行ってくる」とかいった日常的なセリフを聞きたいとは思わない。美しい男の脱いだ靴下が臭かったりしたら、もうその場で逃げ出したくなるに決まっている。  要するに私は、美しい男がテレビや映画の画面の中で現実にはあり得ないような美しい男っぽさを演じてくれているのをビールでも飲みながら「いいわぁ」などとぼんやり見ているのが好きなのである。  それにつけても、最近の男たち、美しい男が少なくなった。原宿あたりを歩いていると、皆、同じ顔に見えてくる。ダブダブの黒っぽいコートに昔ふうの黒ぶちメガネ、ヘアスタイルまで似たりよったり、セクシーな感じをわざと殺すのはいいにしても、あのプラスチックみたいな乾いた感じはどうも……ね。汗くさいミフネみたいな男がいい、と思ってしまうのは、やはり年齢が少々、かさんでいるからでしょうか。 [#改ページ]   キョーフの白タク  しかしそれにしても、最近のタクシーの運転手はえらく愛想がよくなったものだ。  初乗り料金四百七十円で行ける距離をお願いして、「あんたねェ、人を馬鹿にするのもいい加減にしなよ」とドスの利いた声でジロリと睨《にら》まれることはなくなったし、深夜、バックミラー越しにチラチラ視線を感じ、「お姉さん、今夜はお楽しみだったんだねえ」などと言われ、車はみるみるうちに人通りのない空き地へ……という恐怖もなくなった。  これはひとえに値上げによるタクシー業界の不況からきた、従業員教育の徹底によるものだろう。要するに、以前と比べて会社組織が強固になった分だけ、運転手はサラリーマン化したのだ。不祥事は御法度。客から訴えられでもしたら、それこそ身の破滅なのかもしれない。  それに比べると、昔はホントにひどかった。「タクシーに深夜、女がひとりで乗るものではない」という通説がまかり通っていて、私など、学生時代に飲んで遅くなった時に駅からタクシーで帰ろうものなら、親にさんざん「無謀だ」と罵《ののし》られたものだ。  それは決してわが家が厳格な躾《しつけ》をモットーにしていたからではなく(厳格どころか自由でした)、当時、「タクシー運転手に襲われる」という事件が相次いだためである。  深夜、タクシーに乗った若い女が、いつものコースとは違う道に連れて行かれ、はっと気づくと雑木林のどまんなか。泣けど叫べど、誰も助けには来てくれない。運転手はよだれを垂らして彼女に襲いかかり……という事件である。  実際、こんな事件が全国で何件あったのかは定かではない。一件だけ起こった事件が様々な尾ひれをつけて拡がっただけなのかもしれない。が、仮にそうだったとしても、親たちが眉をひそめて語る「暴行事件」の顛末《てんまつ》は、不思議とリアルに想像力に訴えかけるものがあった。  暴行ならず、「暴走タクシー」も多かったように記憶している。ともかくひどいスピード違反をするのだ。もう、窓から外を見ていると「びゅんびゅん」という感じ。急ブレーキは踏むわ、運転している本人は「へっへっへ」と薄笑い浮かべているわ……で、これもまた、目的地に着くまで生きた心地がしなかったものである。 「暴走タクシー」といえば、面白い体験がある。もう八、九年前になるだろうか。クリスマスの夜、仲間と新宿で集まってパーティーを開いた。飲んで騒いで、気がつくと深夜二時。私は当時、横浜に住んでいたので、鎌倉方面の友人たち総勢六名で駅周辺のタクシー乗場に行った。  行ってみて驚いた。タクシーなんか一台だっていやしない。そればかりか人々がタクシーをつかまえようと、ほとんど半狂乱で車道に出ている。これはヤバイ、と思った。朝まで帰れそうにない。  そこにサッと現れたのが、泣く子もだまる白タクの運チャン。「よぉ、これに乗んなよ。え? 鎌倉? いいよ。ひとり八千円で行ってやるよ」  八千円が安いのか高いのかわからなかった。八千×六で四万八千円が運チャンのポケットに入る計算だ。まあ、いいや、と私たちは考えた。酔っていて眠かったし、ともかく帰れればいいと思った。  で、我々は後部座席に四名、助手席に二名、ぎゅうぎゅうに詰めて乗った。私は助手席にいた。エンジンをかけた運チャンがドスの利いた声で「さぁ、しっかりつかまってなよ」と言った。それが何を意味するのか、すぐにわかった。  運チャンは突如として猛烈なスピードを出し始めたのだ。それはもう、スピードなんてもんじゃなかった。信号は徹底無視。対向車との間をジグザグ運転。何度か急ブレーキをかけ、チッと舌を鳴らす。 「白タク、歳末の無謀運転、男女六人即死」という新聞記事が早くも頭をよぎった。誰も叫び声ひとつ上げなかった。恐怖のあまり、全員が口をきけなかったのだ。  やっと横浜までたどり着き、降りることを許された時の嬉しさを想像してほしい。  翌日、鎌倉まで乗って行った友人に電話した。あれから運チャンはさらに勢いを増し、白バイに追いかけられてなお、うまく逃げおおせたのだそうな。  あの運チャン、いったい何者だったのだろうか。 [#改ページ]   化粧仮面  時々、ふと、何故女は化粧するのか、と思うことがある。  少しでもきれいに見せたいからに決まっているし、化粧でもしないと、とても他人様にお見せできない顔である、と信じているからであろうが、それにしても、毎度毎度、顔の上にペンテルクレヨンのごとく色を塗りたくるのは、我ながら実に不可解な行為ではある。  友人で、風邪をひいてひとり寝ている時でも、化粧を欠かしたことがない、という人がいる。他人の目、ことに異性の目を意識しているだけではなく、いついかなる時にでも他人に見られて大丈夫、という仮面を作っておかないと不安なのだそうだ。  理解できないこともない。たとえば、私は「もし入院したら」ということをよく考える。もし入院して、ベッドの上で四六時中スッピンでいるのは、ほとんど耐えがたい屈辱なのではないか、と想像したりする。  むろん痛みや気分の悪さと闘っている時はそれどころじゃなくなるだろうが、さほどの痛みも苦しみもなく、自由に病院内を歩き回れる状態だとしたら、これは実に困る。見舞い客だって気軽にやって来るだろう。それに、もしかしたら、担当医が好みのタイプだったりするかもしれない。廊下でよく会う男の入院患者のひとりに、元気だったらきっとグッとくるであろうハンサムボーイがいるかもしれない。  入院経験がある人に聞くと、化粧をしている入院患者はまずもって皆無であるという。入院中のおしゃれというと、せいぜいが素敵なパジャマやガウンを着ることぐらい。化粧は顔色の判断がつかなくなるから、医者にも看護婦にも嫌な顔をされるのだという。  別に元気な時でも顔色の悪い女はいくらもいるのに、と思うのだが、まあ、入院すると、化粧をこてこてやるのは不謹慎だ、という考え方があるのかもしれない。そうだとすると、女にとって、入院という事態は二重三重の不幸。よほどの美人でない限り、素顔をさらし続けるのは苦痛に違いない。  かつて急性胃炎をおこし、深夜、救急病院に担ぎこまれた時のこと。担当してくれた若いお医者さんが、とても親切だったので、いつか御礼を言いたいと思っていた。  数日後、検査結果を聞きに病院へ再び出向いた時、たまたま廊下でその先生に会った。私がにこにこして「こんにちは、先日は本当にどうもありがとうございました」と頭を下げたところ、先生は怪訝《けげん》な顔をする。「どちらさまでしたっけ」などとおっしゃる。  私が「急性胃炎で……」と説明し、当夜の状況を説明すると、やっとわかってくれたらしい。先生は「ああ、あの時の……」と顔をほころばせた。「お化粧なさっているので、ちっともわかりませんでした」  この時のショック! 実は私は深夜、担ぎこまれた時、スッピンであった。当然だ。その日は夕方から苦痛に七転八倒していたのだ。化粧なんかする余裕などあるわけがない。  先生はスッピンの私の顔を覚えておいでだった分だけ、数日後、元気に化粧を施した私の顔を見ても、誰なのかとんと思い出せなかったのだ。  いくらなんでもあんまりじゃない、と言いたくなるのを我慢して、私は愛想笑いをし、先生と別れた。  この調子であるからして、入院して素顔をさらすとなると、これは大変な覚悟がいる。下手をすると、退院の時、きれいに化粧でもしたら、医者、看護婦、果ては同じ病室内の患者たちにも、「この人、こんな顔だったっけ」などと首を傾げられてしまうかもしれない。  こんな話を先日、女友達としていたところ、彼女は身を乗り出して「わかるわかる」と言った。この人になると、さらに念が入っていて、自分が死んだ時のことまで考えて不安になるらしい。  素顔をさらして柩《ひつぎ》に入れられるのは、大変な屈辱だし、かといって、自分は死んでいるのだから気に入ったメイクを施すわけにもいかない。だから、今から亭主や子供に「自分が死んでも絶対に死に顔を公開するな」ときつく言い渡してあるのだそうな。  冗談のような話ではあるけれど、やはり化粧とはそれほどに、生涯、女の仮面であり続けるのでしょうね。 [#改ページ]   男と女  男が女一般の悪口を言う時によく使われる言葉……。  生意気。論理が通用しない。くだらないことですぐに泣く。自己正当化が激しい。女どうしになると愚痴ばかり言い合う。ちょっと身体の調子が悪いと大袈裟《おおげさ》に騒ぎたてる。現実的。打算的。冷たい。視野が狭い。仕事と私生活の区別がつかない。嫉妬《しつと》深い。物事を深く真面目に考えない。事務的。融通がきかない。陰険。意地悪……。  これに対して、女が男一般の悪口を言う時によく使われる言葉というと……。  子供っぽい。理想ばかり追って現実の対処ができない。女を馬鹿にする。出たがりや。目立ちたがりや。軽薄。馬鹿。くだらないことですぐに怒る。育ちが悪い。意志薄弱。自意識過剰。自尊心過剰。物事を勝った負けたで決めてかかる。ロマンという言葉は男のためにあると信じている。寂しがり屋。甘ったれ。いやなことでも頼まれればいやと言えない。女にもてるかもてないか、で男の価値が決まると信じている。自慢話ばかりする。嘘《うそ》をつくのが下手。やさしくするとつけ上がり、厳しくすると逃げ出す……。  まあ、どれもこれも個人差というべきものであり、厳密に言うと男女の違いでもなんでもない、ただの性格の違いでしかないのだが、どこにでも転がっている悪口を集めてみると、その差が割合はっきり出て興味深い。  男たちが「だから女ってやつは」と眉をひそめるのは、たいてい女の理不尽な発言を耳にした時である。つまり理屈が通らない時だ。 「Aだろ? だからBでさ、ゆえにCになる。別に不思議はないだろうが」と言っても、女は柳眉《りゆうび》を逆立てて不機嫌な顔をいっこうに崩してくれない。「それは認めるけど、いやなものはいやなのよッ」ですべてが決まったりする。 「おまえ、アホか。この理屈がわからないのかよ」と男が怒鳴ったとしても、頑として譲らない。いやなものはいや。理屈は空しく消えていき、男はムッとしながらも「わかったよ」と一言。惚《ほ》れた弱みというやつだ。  かくして男は外で酒など飲み、「まったく女ってやつは」と男どうし、同調し合う。そこらへんから、先に挙げたような女一般への悪口が始まるのである。  一方、女たちが「男ってどうしようもない」と溜め息をつくのは、たいていがその子供っぽさを話題にした時。  毎日、言うことがころころ変わり、今日は「俺《おれ》はだめな人間だ」と絶望していたと思うと、翌日は天下をとったみたいな気分に浸って「一発、勝負しなくちゃ男じゃないもんな」と劇画チックなセリフを並べる。そのわりには臆病《おくびよう》で、結局は何もしない。 「俺を理解してくれるのは君だけだよ」なんて言ってるうちは可愛いが、そのうち暴走して、何をやっても許される、と誤解する。ひどいものになると、浮気をしてもバレても、「君なら許してくれるだろ」などと上目使いにチラリ。  外に出ていくと鉄砲玉で、いつ帰るかわからないくせに、女が外で楽しく遊んで帰って来ると仏頂面。「尻軽女」だの「どうせチャラチャラと男にいい顔見せて来たんだろ」だのと意味不明のイチャモンをつけ、ふてくされ、翌日になると、ここぞとばかりにメシがまずいとか、洗濯物が乾いてないとか、ビールを買い忘れている、とか文句たらたら。 「これすべて男の幼児性に基づくものなのよ」と或る女友達は分析する。幼児は母親を必要とするが、それは自分が必要としている時のみ、そばにいてくれればいいのであって、自分が何か他のことに熱中している時は母親のことなんか頭にない。叱られると腹をたてて暴れ、無視されるとまた腹をたててカラむ。かといって、年中、べたべたされるとうっとうしくなり、幼稚園のオトモダチと一緒に砂場で遊びほうける……という具合。その幼児性とも言うべきものが、男のキャラクターと一致することがしばしばある、と彼女は言う。  なるほど、と私も思う。「あんな問題児、うまく扱えるのは私ぐらいなものよ」と言って苦笑する女はとても多いが、「あんなじゃじゃ馬、うまく扱えるのは俺ぐらいなもんだ」と言える男にはあまりお目にかかったことがない。じゃじゃ馬でも、理屈の通らないわがまま娘でも、そこに喜んで寄り添う男たちの素顔は、砂場で遊び疲れた時の幼児の顔に似ていなくもないのだ。  男と女。その間に深くて暗い川があったとしても、やっぱり互いに興味は尽きそうにない。 [#改ページ]   �女流�とは  男性編集者の中には、「女流作家の担当はなるべくならやりたくない」とおっしゃる人がとても多い。  むろん、これは但し書きつきで、作家が「若く」て「美人」の場合は例外である……という世の常を地でいくわけだが、それも初めのうちだけ。「若く」て「美人」でも、しばらく担当していると、いろいろな理不尽な御発言が鼻につき、「テメエ、コノ野郎!」と下品なセリフが喉《のど》まで出かかるケースが多くなってくるのだそうな。  こんな具合だから、「若くなく」て「美人ではない」女流の場合は、初めからお役目御免をしたくなるらしい。  無理難題をふっかけないでよ、誰だって年をとれば「若くなく」て「美人ではなく」なるじゃないの、と言いたいところだが、かく言う私も、一応、「女流」のはしくれ。こういった編集者諸氏の発言はひどく気にかかるところである。  女であるというだけで、担当を敬遠されたりしていたら、書いた小説が本にならずに、喰いっぱぐれてしまう。かと言って女の武器を使って「ねェ、あたしの御本、作ってェ」などとスカートの裾《すそ》を十センチたくし上げながら、迫ってみせる勇気もない。  あらかじめ、それなりの権力をもっている女流ならば、それはそれで偉そうな発言をしても表向きは許されるが、私ごとき権力も何もない臆病《おくびよう》作家が真似をして偉そうにふるまってみたところで、「ケッ」とそっぽを向かれてしまうのが関の山である。  出版界に限らず、考えてみると、こうした仕事上の苦労は女の場合、つきもののような気がする。  若くして亡くなった女優の夏目雅子と仕事を介して懇意にしていた某氏は、彼女が大活躍していたころ、口癖のように「ありゃあ、所詮《しよせん》、お嬢さん芸だ」と言っていた。むろん、愛情をこめてそう言っていたのであることは確かだったが、その「お嬢さん芸」という言い方は、男社会の揺るがぬ体質を表現したものとして、今でも強く印象に残っている。  今の社会で、女がどれほど成功を勝ち得ようと、努力をし、立派な足跡を残そうと、男たちのそれを見つめる目には、どこか「所詮、お嬢さん芸だ」といった見方が根強くあるのではないか。  私の友人知人には、社会的にそれぞれの立場で精力的に仕事をこなしている人が多いのだが、彼女たち共通の悩みは「男たちはどこまで本気で私たちを評価しているか」という猜疑心《さいぎしん》のようだ。  ビジネスとして当然のことを発言すると、「言い方がきつくて生意気」「ギスギスして可愛げがない」などと言われ、そう言われたくないがために、優しく物腰も柔らかく接すると、肝心かなめの時に都合よく無視される。頑張りを過剰に見せると、「潤いに欠ける」と言われ、頑張りを見せないと「所詮、女は」と言われる。  成功すると「女とは競争したくない」と言ってニヤニヤ笑いながら逃げる男がいるし、成功しなければしないで、「女は男と違って一生を仕事に生きるわけではないから、無理しないでいいよ」とオトーサンのような顔で慰めてくる男もいる。  いったい全体、どうすりゃいいのよ、というのが、女たちの隠された声だと思うのだが、これはまさしく、女の仕事=お嬢さん芸……という図式が世にまかり通っているせいではないだろうか。  ではこの「お嬢さん芸」という見方が現れるのは何故なのか。  男たちは、女と同じ土俵で勝負することを好まない。社会は男にとって戦場であり、女とドンパチ争うのは、子供相手に機関銃をぶっ放すようなもので、勝負したことにならない、というのがまずひとつ。  また、どうにも変えがたい女特有の性格、表現方法というものがあって、どうもそれが男のやり方と一致しない、だから女と勝負するのは面白くないのだ、という見方もある。  それに、他の女なら男と勝負してくれたっていいが、自分の妻や恋人がそんなことをするのは許せない、という単純な独占欲からくるもの……など様々だろう。  まあ、いずれにしても、男たちの女を見る目には、一朝一夕には変えがたい根深い偏見がある。偏見は変わらないのに、一方で女たちがどんどん仕事を持ち始めているわけで、ここはひとつ、過渡期だと割り切って、私たちが黙って仕事を続けていくしか治療の方法はないように思えるのであります。 [#改ページ]   私はサディスト?  スポーツ観戦が、結構好きである。ゲームの面白さはもちろんのこと、試合中に怪我をした連中の凄い回復力を見るのが、痛快だからである。  だから、ひどい話だが、プロ野球でも誰かがデッドボールを受けはしないか、と心待ちにする。ひとたび、デッドボールシーンがあると、もう大変。テレビに身を乗り出して「わあ、痛そう。わあ、大変」などと、ひとりわめきちらす。  そして、選手が痛みをこらえてすっくと起き上がり、何事もなかったように歩き出すのを見て、スカーッとした気分を味わうのだ。  こんな調子であるから、やわなスポーツよりも、激しいスポーツ……怪我や死と隣り合わせの肉弾相撃つスポーツには目がない。  ことにヘビー級のボクシング。これは興奮します。この間、放送された世界チャンピオンのタイソンの試合なんかは、もう、手に汗握り、第八ラウンドでタイソンがKO勝ち(相手はほとんど死んだように伸びていたが)になった時は、今すぐアメリカに飛んで行ってキスしてあげたくなってしまった。  あの鋼鉄のような筋肉に囲まれた彼の身体は、セクシーとかエロティックとか美しい、とかいう次元を超えて、生ける戦闘機そのものだ。戦闘機を相手に闘うなんて、対戦相手も相当な根性である。これぞ、まさに死と隣り合わせになったスポーツでなくて何であろう。  あとはやはりラグビーですね。ゲームルールなど、ほとんどわからないのだが、見ていて楽しいのは、脳しんとうか何かをおこしてぶっ倒れた男たちに、大きなヤカンの水をぶっかけるシーン。おかしなことに水をぶっかけられると、それまで死んだようになっていた男たちは、みるみるうちに甦《よみがえ》る。あれは見ていて本当に痛快である。  肉体が訓練によって一種の機械のようになっている彼らの姿は、感動的だ。一回、脳しんとうでもおこそうものなら、三日三晩、ベッドにもぐりこんで、お粥《かゆ》でもすすっているであろう、ひ弱な私のことを思うと、別世界。そこがまた新たな感動を呼びおこすのである。  言いたくはないが、私はひどい運動音痴。小学校の時の体育の成績が、五段階評価で「3」以上に上がったことがないし、「2」だったことも何度かある。  それに、私のもっとも恥ずかしい記録は、大学に入った時の体力測定で、五十メートルを十秒かかって走ったこと。百メートルではない。五十メートルを十秒なのだ。当然、クラスで最下位だった。  まだ十八か十九の、もっとも体力があったころの成績がそうなのだから、今もし測定したとしたら、五十メートルを二十秒かかって走るのかもしれない。何をかいわんや、である。  決して運動神経がないわけではない。テニスだって卓球だって、まあまあ人並みにはプレイできる。水泳だって、まったくのカナヅチではないから、足が底につくような海やプールでなら、なんとか背泳ぎで二十五メートルは泳げる(クロールは駄目なのだ。息つぎが出来ないから。それに何故か、平泳ぎも駄目。一生懸命、水を掻《か》いても、進まないのである)。  ごく稀《まれ》に、気が狂ったようにして突然、ジョギングをやってみようと思いたつことがあるが、そうした時でも二キロから三キロまでなら、わりと楽に走ることができる。運動能力がゼロというわけではないらしい。  では何が私のスポーツに対する不器用さの原因になっているかと言えば、それは明らかに「恐怖心」である。  恐怖心……自分の肉体が傷つき、死と隣り合わせになりはしないか、という想像力が、この厄介な感情を生み出す。  たとえばスキーは、足の骨を折りそうで怖いし、登山は崖から滑り落ちそうで怖い。スキューバダイビングなんて、もっての外。海中でウツボにでも出会ったら、私などパニックを起こして、たちまち酸素を使い切ってしまうに決まっている。  バレーボールは突き指が怖いし(もう、こうなると馬鹿丸出しだ)、器械体操は捻挫《ねんざ》が怖い。昔、テニスをやり始めたころボールを打ったと思った途端、打ったのは自分の脛《すね》で、しばらく歩けなくなったこともあった。  この異常な恐怖心、早く直そうと努力した時期もあったが、結局は失敗に終わっている。今ではもう、諦めの心境で、だからこそ、他人が「死と隣り合わせ」になって競技するスポーツを見ることにより、満足するのだ。ほとんどサディストではないか、と時折、怖くなることもあるのだけど。 [#改ページ]   平和な悩み  最近の若い女性たちは、男の「毛」を嫌うらしい。「毛」と言っても頭髪のことではない。ワキの下の毛、足と腕の毛、そして胸毛などの、いわゆるムダ毛のことである。  知人の二十二歳の女子大生は、恋人にワキ毛が多く、胸にもちらほら胸毛が生えているのが、いたく気にいらない、と文句を言う。あら、胸毛だなんてカッコいいじゃないの、と言っても聞く耳を持たない。いまどき、胸毛をはやらかして喜んでいる男は馬鹿の典型なのだそうだ。  彼女の恋人は二十四歳のサーファーお兄ちゃん。彼はどう反応するのか、と見ていると、いとしい彼女が自分のワキ毛と胸毛を嫌悪していると知り、愕然《がくぜん》としたらしい。早速、脱毛クリームを塗って、いとも簡単にワキ毛と胸毛をそっくり脱毛してしまったというから驚きである。  ひと昔前までは、毛深い男というのは、憧られこそすれ、軽蔑《けいべつ》されることは、滅多になかった。それだけ、男のムダ毛というものは、性的な魅力に通じていたのだと思う。  007シリーズのボンド役、ショーン・コネリーが胸毛を風にたなびかせているのを見て、多くの男たちはその精悍《せいかん》さを羨ましいと思い、女たちは彼の「毛」にこそセクシュアルなイメージを託したはずである。  それにたとえば西城秀樹あたりが、テレビの歌謡番組で、上半身タンクトップ一枚になり、激しい踊りを展開して、ワキ毛が黒々と垣間見《かいまみ》えても、別段、ファンたちは「わっ、いやらしい」とか「気持ち悪い」とか思わなかったはずだ。  だが、今や時代は変わった。男の「毛」は頭髪以外は嫌悪の対象になりつつあるらしい。「シルベスター・スタローンに胸毛がごっそり生えてたら、あたし、あの映画、絶対見なかったわよ」と言っていた女の子もいる。オヘソから胸を通過し、首まで至る立派な山脈のような胸毛をお持ちの或る青年は、それを女の子にさとられるのがいやで大層、悩み、常に立ち襟のシャツしか着ない。水着になるなど考えられない、とおっしゃる。  なるほど、注意してテレビなど見ていると、男の歌手たちはワキ毛の手入れをことの他、念入りに行っているらしく、昔のように「ギョッ」となるほどの剛毛には、なかなかお目にかからない。  これも時代の趨勢《すうせい》なのだろうが、いやはや、価値観はとてつもなく変わったものだ、とつくづく思う。  だが、一方では、女性たちのムダ毛に対する文字通りの「毛嫌い」は、これまた日を追ってヒステリックになってきている。  毎日毎日、新聞にはさまれてくる広告ちらし。うち三分の一は「脱毛サロン」の宣伝だというのを御存知か。  その内容たるや、時として首をひねりたくなるものばかり。ムダ毛は忌むべきもの、退治すべきもの……とまるで水虫のような扱いなのだ。毛は生えてて当たり前、そこまで言わなくても……と思うのだが、世間はどうやらそうは思っていないらしい。  女性のワキ毛が「はしたないもの」「下品なもの」「人目にさらすべきではないもの」という考え方は、ひとえにその社会の価値観が生み出すものである。フランス人の若い女性の二人に一人は、ムダ毛の処理に無頓着だし、第一、日本ほど女性たちの間で、やれエステティックだの脱毛だの、騒いでいるのは聞いたことがない。  これはメキシコあたりでも同じらしく、かの地に旅行した人は、等しく、「目のやり場に困る」とおっしゃる。なにしろ、とびっきりの美人(あちらは美人が多いそうで)が、腕を上げるとそこに剛毛が垣間見《かいまみ》える……というのだから、慣れない日本人にとっては、まさしくカルチャーショックであろう。  だが、最近、日本でも黒木香さんのように、女としてワキの下の毛をナチュラルに保つことを誇りとする人が現れた。わざわざ見せびらかす必要はないと思うが、あれはあれで我が国における「毛」に関する古くさい価値観を揺るがせる結果になる。まことに結構なことである。  え? 私ですか? 私は、何ぶん黒木さんのように勇気もなく、かと言って脱毛に何万円もの金を使うなんて考えられないケチなので、面倒だ面倒だ、と愚痴を言いつつ脱毛クリーム……のクチであります。  強いて言えば、私はムダ毛なんてものは男も女も取ろうが取るまいが、どっちだっていい、と思っている。脱毛に命をかけたい人には悪いけど、生えているべき場所に生えない人の悩みに比べれば、平和な悩み。まして男に胸毛が生えてたっていいじゃござんせんか。 [#改ページ]   スーパーウーマンにはなれずとも……  二十代のころ、スーパーウーマンに憧れたことがあった。  しかるべく仕事を持ち、趣味も広く、当然、生活のこまごまとした事柄にも目配りが利き、料理はプロ級の腕前、編み物をやらせればセーターの一枚や二枚、さっさと余暇にこなし、洗濯の後の糊《のり》づけやアイロンかけなども、あれよあれよという間にすませ、家の中は常にピカピカ。かと言ってヌカミソ臭くはならずに、こまめに美容院に通い、髪の手入れ、肌の手入れも怠らず、着るものの趣味たるやモデル並み。  そればかりではない。知識欲|旺盛《おうせい》、本や映画の話題は豊富、当然、自分なりのしっかりした人生哲学を持ち、いかなる人種と席を同じうしても恥をかくことなし。  また、車の運転はレーサー並みで、機械類に滅法、強く、ちょっとやそっとの電化製品の故障など、業者を呼ばずに自分で直すことができ、スポーツをさせればテニス、スキー、ゴルフ、ダイビング等々、文字通りの万能、酒に強く、睡眠不足に強い……そんな女……今、考えるとうんざりするほどイヤな女だが……そんな女に憧れていたことがあった。  まあ、こういう憧れは一時期、誰しもが罹《かか》るハシカみたいなもので、私の場合もその例にもれなかった。今、挙げたスーパーウーマンの条件の中で、私自身にあてはまる項目は、仕事を持っている、ということと、酒に強い、ということだけ。あとは全部、条件もれだったからである。  だいたい私は、料理や編み物がダメ。洗濯の後のアイロンかけなど、考えただけで面倒だし、家中がピカピカになることなど、年末の大掃除の時以外、一度としてあった試しがない。  美容院にこまめに行くのが面倒で、いつも「もっとマメに来てくださいよ。パーマがとれてバサバサじゃないですか」と担当の美容師に言われるし、洋服を物色するのは嫌いではないが、人ごみの中を半日かけて洋服を漁《あさ》って歩くのは疲れて、すぐにへばる。  本や映画の話題は自分の好みに合ったものしか話題にしたくないし、このズボラにしっかりした人生哲学などあろうはずがなく、�風に吹かれて……�のクチ。  車の運転はできず、必要に迫られれば免許を取ろうと思うが、十人中七人には、「悪いこと言わないから、車の運転だけはやめといたほうがいい」と忠告されているし、機械類には滅法、弱く、直すどころか、壊し専門。  スポーツときた日には、相当の運動音痴で、ダイビングなんかやったら、確実に自分は死ぬと信じているし、スキーに行ったら、足を折るに決まっているから、雪見酒。従って、ほとんど「運動後の爽快感《そうかいかん》」など経験したことがない。  肝臓にだけは自信があるから、酒に強いけど、睡眠不足には弱い。徹夜で飲むことはできても、翌日はまず使いものにならない。翌々日まで響くことを計算してからでないと、おいそれと徹夜などできない。  ……とまあ、こんな具合。  それにしても、なんと昨今の進歩的な女性雑誌には、名実ともに立派なスーパーウーマンがたくさんグラビアなどに登場していらっしゃるのであろうか。  精力的に仕事をこなし、恋の噂《うわさ》も絶えず、つきあいも広く、寝る暇もないのではないかと思われるような超多忙な女性でも、専門分野だけではない、あらゆる分野の得意芸を持っておられる。その、感動的なほどの、活躍ぶりは、私に言わせると神がかり的である。  だが、何なのだろう。私はそうした方々の登場する美しく飾りたてたグラビアページを垣間見《かいまみ》ながら、そこに潜んでいる一種の慌ただしさ、刹那《せつな》の饗宴の影に、必ずあるであろう、彼女たちのナーバスな部分をこそ知りたい、と思ってしまう。  友人にひとり、精力的な女性がいる。彼女は子供をきちんと育て、おしゃれをし、仕事をし、毎日の食卓をヘルシーに飾りつけ、家の中のことをすべてきちんとやり、夫ともきわめて友好的に関わり続けている、私など舌を巻くホンモノのスーパーウーマンである。彼女はかつて、ぼつりと言った。 「何かが足りないの。すべてこなして、にっこり笑ってるだけの毎日は怖いんだもの。だって、なんでもこなせるからと言って、それがなんなの? そんなもの、大した問題じゃないでしょ。寂しくてひとりぽっちで、何もできなかったけど、何かを一生懸命、考えてた若いころの自分のほうが、自分らしかった」  いい言葉だな、と記憶に残っている。 [#改ページ]   �小池�の体験  三歳か四歳の時、現在の板橋区|成増《なります》あたりにある社宅に住んでいたことがある。なかなか立派な社宅で、周囲を雑木林に囲まれた広い庭があり、庭には池までついていた。奮発すれば鯉も飼えたかもしれないが、わが家では池に近所の子供たちが落ちる危険性があるというのを理由に、池に水を張らなかった。要するに庭の片隅に、ただのコンクリートの小さな穴ぼこがあった……ということである。  或る夏の日の午後、蝶々だかバッタだかを追いかけるのに夢中になっていた私は、庭の隅まで走って行って、不意に穴に片足を取られた。「痛い!」と思ったのも束の間、火のついたような痛みが股間《こかん》のあたりに走った。  母が走って来て池から引き上げてくれた時には、太ももに血が流れていた。剥《む》き出しのコンクリートで股間をすりむいたのだ。  大した怪我ではなく、二、三日で治ってしまったのだが、ひとつだけ幼児の記憶に残ったものがある。怪我をしてから、何度か母が眉間に皺《しわ》を寄せて「もしかしたら」とつぶやいていたことだ。 「もしかしたら」……何なのか。もしかしたら、何が起こるのか。まったくわからなかったが、ちょっと不吉な言葉であるらしいことはわかった。母に訊《たず》ねても、答えてくれなかった。  それから間もなく私たちは板橋の家を離れ、父の転動で全国を転々とし、私は仙台の高校に入学した。男友達が「ただのボーイフレンド」ではなくなる年ごろである。デートまがいのことも始まり、親はどこの親にも共通するように、そわそわと私の帰り時間を気にするようになった。  そんな或る日だったと思う。何かの話の折りに母が妙なことを言った。 「あのね、突然こんなこと言うのもヘンだけどね、あんた、もしかすると、そのう……ほら……初めての時にね、なんて言うか……そのう……疑われるかもしれないわよ」 「何よ、それ」と私。 「だからさ、初夜っていうの? そういう時の話よ」 「はっきり言いなさいよ。なんで、あたしが男と寝て疑われるの」 「ほら、あんた覚えてる? 四つの時、板橋の家の庭の池に落ちたこと……」 「覚えてるけど、それがどうしたの」 「血が出たでしょ」 「出たわよ。だから何なのよ」 「だから、そのう……処女膜がね、あの時に切れちゃったかもしれないのよね。そうすると……初夜の時に……初めてじゃないんじゃないか、って思われて……」  ナルホド、それは可能性がないでもない、と私は思った。だが、処女膜信仰などというものとは無縁の考え方をしていた私としては、一笑に付す話だった。「だいたいね」と私は言ったものだ。「処女かどうか、ってこと気にするような男とはつき合わないわよ」と。  それからまた私はその話を忘れた。四つの時に池に落ちて処女膜をなくしたかもしれない、なんてことを気にするほど暇じゃなかったのである。  十八のころ、同じ年の男と恋に落ちた。彼は学生運動の活動家だった。恋にかまけて大学受験に失敗した私たちはそろって浪人生活を送り、その春、めでたく(?)初めての体験をすませた。  コトがすむと、彼は小雨ふる仙台の街を歩きながら、突然「君は初めてじゃなかったんだね」と言った。「本当のことを言ってほしかった」  そう。確かに私は初めてなのに出血しなかったのである。だからといって、何よ、それ……と言いたい気分だった。あんた、勇ましく機動隊と渡り合ってるってのに、今さら処女かどうかにこだわるわけ?……と。 「こだわるわけではないけど」と彼。 「僕に嘘《うそ》をつかないで欲しかった」  嘘? 誰が嘘をついたのよ! 血が出たか出ないか、なんてちっぽけなことを気にして、恋人の言うことを信じられないなんてサイテイよ!……と、そういったことをわめき、大喧嘩し、翌日、彼は木造の古びた仙台駅から「傷心の旅」と称して旅に出てしまった(バカみたい)。彼の帰りを待って、私は「四つの時の体験」を打ち明けた。彼がそれを信じたかどうか、未だに定かではない。大学に入り、東京に出て来てまもなくその人とは別れてしまった。多分、作り話だと思っていたんでしょうね。シャクだけど。  それにしても、私の苗字が悪かった。娘が「小さな池=小池」に処女を捧《ささ》げることになろうとは、親でも考えつかなかったに相違ない。 [#改ページ]   �作家�は楽じゃない  普段、何が困るかと言って、「ご職業は?」と聞かれた時ほど困ることはない。いったい「作家」の方々は、そう聞かれた時に何と答えていらっしゃるのだろうか。  むろん、そう質問してくる相手にもよる。たとえば公認会計士や医者であるなら問題はない。会計士は企業の税務から、売れない芸能人の確定申告書に至るまで、あらゆる分野の職業に就く人々を相手にしているし、医者は医者で、これまた患者の職業と病気が関連してくるため、世の中には様々な職業があるものだ、と初めからわかってくれている。「ご職業は」と聞かれて「はい。ヘロインの密売人をやっております」と答えたとしたって、医者ならば大して驚かないだろう。  だが、その他のケースではこうはいかない。かつて東北新幹線の中で、隣に座ったオジサンたちのグループにビールを勧められたことがあった。断るのも悪いので、少しつき合ったのだが、そうなると、話題は自然に双方の職業の話になる。 「で、おたくは何の仕事をしてるんスか?」と聞かれ、ちょっと迷って「物書きです」と答えた。 「へえ、偉いんだねェ」とオジサンたちは感心したように私を見た。「んじゃあ、センセイ、仙台には何の用事で行くんだすぺ?」 「講演を頼まれて……」 「ほーっ!」オジサンたちは一斉にどよめいた。  この時点まで、私はオジサンたちに私の職業のことが通じていると思っていたのだ。なにしろオジサンたちは、若いのに偉い、とか、やっぱり才能がないとできないことだ、とか何とかガヤガヤと騒いでいたからである。  やがて列車は仙台に着いた。すでに相当、酔っぱらって眠っていたオジサンのひとりが、目を覚まし、降りようとしていた私の背中に向かって「ところでセンセイは何のセンセイなんだすぺ?」と聞いた。「アホタレ!」と別のひとりが叱った。「何度言ったらわかる? センセイは立派な偉い、書道のセンセイなんだ」 「そっか。書道の先生だったかぁ」 「んだよ。ほんでもって、仙台で書道の展覧会やるっちゅって、忙しいンだ」 「そっか。立派な字ィ、書いて、センセイ! これからも頑張ってけろ!」  ……以上、実話であります。  その他にも「物書き」というと、「漫画家」と勘違いする人、「文筆業」というと鉛筆会社に勤めているんじゃないか、と思う人など、様々である。 「作家です」と答えていいのだが、こう答えるのはちょっと抵抗がある。芥川賞か直木賞を受賞した人のことを作家と呼ぶのだ、と思いこんでいるような人たちにむかって「作家です」なんていう答え方はまっとうな答え方ではないだろう。ミステリーを書いています、と答えてもいいかもしれないが、これでは脚本家と間違われる可能性もある。  それに「作家」なんて世間の屑《くず》だ、と信じている人間も多数いる。愚にもつかないことを書いて、昼間っから酒を飲み、働きに行くこともせず、いい年してネクタイも締めたことがない(女の作家の場合は、これに「ろくに家事もできないくせに」という一言が加わります)、あんな人間どもはインテリを鼻にかけただけの屑だ……と思っている方々である。  そういう人たちがローン会社の中にいると悲劇である。私は以前、某社でローン支払いのためのカードを作る時にいやな目にあった。「文筆業」「作家」「物書き」……そのいずれも通用しない。「作家であることはわかりました。ですが、当社の場合、年収その他の証明をいただかないとちょっと……」と言う。  あんまり頭にきたのでその足で近所の書店に行き、自分の本を買って来て見せてやった。ちょうど女子社員の中に私のことを知っている人がいてくれたため助かったが、そうでなかったらいったいどうなっていたのだろう。  ところで先日、わが家では警察の巡回訪問を受けた。例の皇居爆弾事件以来、過激派対策に乗り出しているのだろう。かなりしつこく職業について聞かれた。文筆業というのが彼らにはわからない。昼も家にいらっしゃるんですか、などとぬかす。  おまけにわが家は主義として入籍していないので、ツレアイとは苗字《みようじ》が違う。苗字の違う男と女が、子供も作らず、文筆業だと主張して昼も家にいる……というのが彼らにとって気に喰わないらしい。仕方なくミステリーを書いているのだ、と教えてやったが、その年若い巡査が知っていた作家の名前は赤川次郎だけだった。まったく、「作家」が生きていくのも楽じゃないのである。 [#改ページ]   ローンを組むのもラクじゃない  前回、「作家稼業というものは、なかなか世間に通用しなくて困る」という内容のエッセイを書いたが、今回はその続編、第二弾。  先日、毛皮屋にミンクのコートを買いに出かけた。……などと書くとイヤミなのだが、事実なのである。  私が生まれて初めてミンクなるものを買ったのはかれこれ八年前。傷物だったため、驚くほど安く買えた。ともかく毛皮を買うためには、年収一千万以上、土地ないしはマンションを持ち、駐車場には車が二台……という生活環境が必要だと本気で信じていたころの話である。手に入れたミンクを眺めて、しばし、「こんな大それた品物を買ってしまって、果たしてよかったのだろうか」などと溜め息をついていたのだから、我ながら可愛い時代もあったものだ。  さて、そのミンクのコート、毎冬、すこぶる愛用してきたのだが、さすがに安物。八年もたつとボロボロで、毛並みも悪くなり、裏地はすりきれ、なんともみっともなくなってしまった。  ついこの間、飲みに行った店で、ママさんに「あら、どうしたの? このウサギのコート、ちょっと毛並みが悪いじゃないの」と言われ、ガクゼン。ミンクがウサギに見えるようじゃ、話にならない。まあ、着るほうも年をとったことだし、ここでちょっくら買い換えよう、と思ったのが発端なのであった。  さて、そういうわけで、私はひとりで意気揚々と渋谷《しぶや》に出かけた。今や、誰もが気軽にローンで毛皮が買える時代。昔のように毛皮を着ることが一部、金持ちのステータスシンボルではなくなったから、丸井のクレジットカードでワンピースを買うような気楽な気分だった。  買いに行った店は、広告でもおなじみの大きな毛皮ショップ。別におどおどする必要もないので、私はふらりと店の中に入って行った。  現れ出たるは、中年の女性。私がラフな恰好《かつこう》をして行ったせいか、ちっとも真面目に商品を勧めてこない。冷やかしの学生か何かと思ったのか、「どなたに買っていただくの?」などと聞く。  そう言われてふと店内を見渡すと、来ている客は全員、親子連れだったり、一目で「愛人」とわかる若い女性を連れた初老の紳士ばかり。それも皆さん、派手に着飾っていらっしゃる。ラフな恰好で、しかもひとりで来ているのは私ひとり。そのうえ、文筆業となると……。いやな予感がした。  だが、あちこち店を変えて探し歩くのも面倒である。ちょうど手頃な価格のミンクがあったので買うことに決めた。  ローンで支払うため、早速、店専属のクレジット会社の男が呼ばれ、書類作成にかかった。彼は「この書類に記入してください」と言う。  名前、住所、年齢……そこまではいい。職業、勤め先の連絡先、勤続年数……という欄でボールペンの動きがふと止まる。 「あのう、私、自由業ですので……」 「と申しますと?」 「文筆業……物書きなんです。ですから家で仕事をしていて……」 「はあ」とクレジット会社の男性は、メガネの後ろでギラリと目を光らせる。  私は微笑む。「本を書いていましてね。書店にも何冊か本が並んでいると思いますけども……」  メガネの後ろのギラリ視線は変わらない。「ちょっとお待ちください」と彼は書類を抱えて姿を消した。  毛皮屋の女性が、さして興味もなさそうににこやかに聞く。「本って、どんな本をお書きなんですの?」  きたきた……と思いつつ、私はまたにっこりと笑って「ミステリー小説なんです。エッセイも書きますけど……」  そこへもうひとり別の女性従業員が登場。「こちらのお客様はミステリー小説をお書きになるんですってよ」とさっきのひとりが話しかけると、彼女は「まあ」とほほえましそうに目を輝かせた。「小説のお勉強ですか。夢があってすばらしいですわねえ」  どうやら、カルチャーセンターの小説講座か何かに通っているんだと思われたらしい。  やれやれ、と思いながら出されたコーヒーなど飲んでいたが、さっきのクレジット会社の男がいくら待っても戻って来ない。三十分は待ちましたね。待っている間中、私は考えた。この人は文筆業であり、疑わしい人間ではない……と証明してくれる身分証明カードか何かを日本文芸家協会は発行すべきである、と。物書きだって、一生に一度くらいは、ローンで毛皮を買うのです。せめて気持ちよく買いたいものですよ、まったく。 [#改ページ]   異人種たち  どういうわけか、原宿のファッションビル『ラ・フォーレ』あたりに多いのだが、最近、�異人種ハウスマヌカン�がやたら目につく。  売り子が、ハウスマヌカンなどというカッコいい職業名を与えられてから久しく、そのせいか、ちょっと前までのように、商品に関する知識が皆無という人は少なくなったが、それにしても、あの人たちは私にとって�異人種�である。  まず客を迎える態度。あの、「いらっしゃいませえ」と言う妙な抑揚をつけた裏声を聞くたびに、あれはそう言わねばならないキマリになっているのだろうか、と暗澹《あんたん》たる気持ちにさせられる。 「いらっしゃいませ」と普通、私たちが言う時、「い」から「ませ」までの抑揚は、ほとんど平坦であるはずである。やや、「ませ」の部分が下がり気味になることもあるが、大した違いはない。「いらっしゃいませ」という言葉のもつ優しい穏やかな抑揚は、言葉自体が平坦なアクセントで語られてこそ相手に伝わるわけである。  ところが、マヌカンたちのおっしゃる「いらっしゃいませ」はまるで違う。「い」から「らっしゃい」までは、妙に上がり気味になり、「ま」で頂点に達して、一挙に「せ」でガクンと落とすのだ。  つまり、わかりやすく書くと「いらっしゃいませええ」となる感じで、これは完全にストリップ劇場の呼び込みと同じ発音の仕方なのである。 「いらっしゃいませええ。踊り子さんの身体には手を触れないように、お願いいたしますう。いらっしゃいませええ」……このノリと同じなのである。  ひとりから言われるのならまだ我慢できる。しかし、たいていの場合、あの人たちは三、四人で束になっていらっしゃる。  ということは、店に一歩、足を踏みこんだ途端、「いらっしゃいませええ」が連呼されるわけである。おお、来た来た、と思い、すぐにでも出たくなるのだが、生来、気が弱いので、そのまま立ち去ることができない。  背中に粟《あわ》をたてながら、精一杯の努力をして、「目の保養に来ました」という涙ぐましい演技をする。マヌカンの方々は、宇宙人みたいなわけのわからない化粧をして、私のやることをじっと見つめておられる。  とそこへ、「客」としての私が店にいたことに気づかなかった別のマヌカンが奥から出ていらしたりする。律儀にもその方は大声で「いらっしゃいませええ」とがなりたてる。すると不思議なことに、もう挨拶《あいさつ》は終わったはずの他のマヌカンたちも、つられて再度「いらっしゃいませええ」を繰り返すのだ。  我慢の限界にきた私は何事もなかったように……とっても素敵なお店だけれど、あいにく私の探していたお洋服は見つからなかったわ……的な表情を作りながら、そっと店を立ち去る。  背中が「ありがとうございましたああ」の裏声の集中攻撃を受ける。言うまでもなく、この「ありがとうございましたああ」というのも、ストリップ劇場のノリそのもの。何も買わなかったのに「ありがとうございました」と言われる筋合はない、などというこだわりを超えて、あれはいったい何だったのだろう、と私は首をひねりながらエレベーターで一挙に出口へ向かう……というのが、最近の傾向になってしまった。  まあ、マヌカンの中にも実に気持ちのいい応対をしてくれる人もいる。こればっかりは趣味の問題で、「いらっしゃいませええ」を連呼してくるような店が好きな方もおられるのだろうから、そういう方たちにはご自由にと言うしかない。  あともうひとつ困るのは、買物をしていて、やたら話しかけてくるマヌカン。「どういったものをお探しですか」に始まって「これは新しく入った商品なんですが、どう? ちょっと試してみたら」とおせっかいをやき、「そうねえ」と口を濁しているとじっと側に立って、こちらがあれこれ手にとったものを片っ端から説明し始める。  こっちは、「この色、あのスカートに合うかしら」とか「この値段じゃ高すぎる」と計算しているというのに、その間も与えずに喋《しやべ》りっ放し。  いい加減に疲れてぼーっとしていると、 「ね? ね? これ、いいですよ。絶対、素敵だわ」などと押し売り。  これをふりきって店を去っていけるというのは、相当の図々しさと人生のキャリアが必要なわけで、気が弱い私としては、やっぱりしぶしぶ財布を開いてしまい、結局またマヌカンという人種が嫌いになってしまうのである。 [#改ページ]   働く女の本音  働く女がキャリアウーマンと呼ばれ、もてはやされ、何やらやたらとカッコよく喧伝《けんでん》されている。  女の人が仕事を持ち、世の中を渡っていくのは、相当の覚悟とエネルギーが必要だと言われていた時代は過ぎた。今はそれが当たり前のことになり、結婚出産後に仕事を続けている人が、特別の女のように見られることはまずなくなった。  そんな時代を投影してるな、と面白く思ったのが、例の「しば漬け」のテレビCMである。  このCMには二種類あって、最近、流されているのは、深夜、仕事帰りか何かの女性が、ネオンまたたく大都会の路上に立って「だけど、ウチ、しば漬け好きやし!」と叫ぶ�関西編�である。  前後のストーリーは定かではないが、想像するに、この女性は仕事を終えて、さて、どこかで一杯やってくか、という心境になったか、あるいは仕事仲間に「どう? ちょっと一杯やってかない?」と誘われたかしたのであろう。で、彼女はどうしようか、と迷う。気取ったカフェバーに行くのも悪くはない。でも、きちんと着こなした、よそいきの服装や、足を締めつけるヒップアップ式のパンティストッキングがうっとうしく感じられる。剥《は》げないよう注意して何度も塗り直したお化粧も、いい加減、洗い流してさっぱりしたい。  それに第一、カフェバーなんかで、お上品な小エビのマリネなんか食べたくもない。今、やりたいこと。それは、化粧を落とし、パジャマに着替え、誰の目を気にすることなく、しば漬けで御飯を食べることなのよーっ!……と、そうした状況を描いたものなのだろう。  この�関西編�の前に流されていた�エレベーター編�というのも、これまたよかった。  ハイヒールの音も高く、高層ビルの廊下を打ち合わせなどしながら歩く、実に素敵なキャリアウーマン。書類を男性社員に見せたりして、ひとりエレベーターに乗り込む。そこで彼女はエレベーターの壁に身体をよりかからせながら、一言、うんざりしたようにつぶやくのだ。 「ああ、しば漬け食べたい」  これには笑いました。仕事をしている女なら、ほとんど誰でも経験のあることだろう。  仕事はそれなりに面白い。やる気も充分。それに大がかりな仕事を任されたりもすれば、なおさらエネルギーが湧いてくる。しかし、女は疲れる。昨夜は打ち合わせかたがた、取引先の連中とフランス料理を食べ、ワインを飲み、女だというので笑みをたやさずにいたため、神経をすりへらし、くたくたに疲れて帰った。今朝もまた、早起きして、きちんとシャワーを浴び、シャンプーし、満員電車にゆられて出社。仕事場では山のような仕事が待ちかまえている。  昼食の後で口紅もちゃんと塗り直した。顔つきに疲れが出ないよう、心がけ、歩き方だって、よたよたしないよう、背筋を伸ばして歩くよう心がけた。  しかしもう、限界。ハイヒールの中で足はむくみ、笑顔だってひきつってくる。そこで一言。「ああ、しば漬け食べたい」……となるのである。  このCMは私の友人たちにも、えらく評判がよかった。ワカル、ワカル、その気持ちという感じで全員の意見が一致したのである。  かつて、「女は自立して頑張らねばならない」という風潮があった。女は頑張った。退屈な人生を受け入れるよりも、素手で人生を作りだそうと努力した。仕事を持った。おかげで、つまらない倫理観、封建的な価値観から解放された。  そこでこのCMの登場なのである。働くのは当たり前。もう仕事も板についた。しかし、しかしである。それにしても、疲れる毎日だよね……という嘆きにも似たつぶやき。  住宅ローンの返済に悩まされ、出張ずくめで身体をこわし、上司に怒鳴られ、一時間半かけてやっと家に戻って、女房に「茶漬でも喰いたいな」と言えば、「もうとっくに御飯なんか捨てちゃったわよ」と言われるようなサラリーマンのオトーサン。そのオトーサンが、同じセリフを吐いたとしても、面白くもなんともない。面白いのは、同じセリフを女が吐くところなのだ。 「しば漬けでも食べないと、やってらんないわよ」という女たちが、自宅に帰り、化粧を落として満足げに箸と茶碗を持つシーンの新鮮なこと。そのうち、「疲れるのはお互いさまだよね」と男女がつぶやき合いながら、深夜の台所でお茶漬け用のメザシを焼くCMが登場するかも……。 [#改ページ]   男はメルヘンに生き、女は……  私はいわゆる�風変わりな人�というのが、結構、好きである。  ほら、よくいるでしょう。近所のオバさんたちが集まる場所などで、「あの人、変わってんのよねえ」「そう。でも、とってもいい人なのよねえ」「ホントホント。変わってるけど、いい人なのよねえ」「あたし、あの人みたいな人、好きだわ」「あたしも。絶対、憎めないもの」「そうよ、そうよ」……なんていう形で会話に登場してくる人物が。  そして、実際、その人に会うと、「なるほど。変わってるけど、いい人だ」としみじみ思えてしまう人が。  私はそんな人が好きなのである。「ごく普通の常識家なのに、いやな奴」と比べたら、風変わりであることのほうが、よほど素敵である。昔、日がな一日、野山を歩き回り、スケッチをし、夜は夜でアパートにこもりきりになって絵を描いている熱心な画家(と言ってもまったくの売れない画家だったが)の女性と話をしたことがある。その人はおしゃれにも食べることにもまったく無関心で、風変わりを絵にかいたような人だったにも関わらず、喋《しやべ》っていると何か暖かいものが伝わってくる童女のような人だった。  さて、最近、たて続けにTVで、�風変わりな男�をふたり見つけた。ふたりとも有名人ではない。無名の男たちである。  ひとりは写真家。この人は�水�しか撮影しない。いわば�水�の写真家である。水がはねている小川や滝や、光がさしている池、湖……彼が手がけた�水�の写真は、すべて抽象的である。そう言われないと、そこに写っているのが�水�なのかどうか、わからない。  司会者に「失礼ですが、収入になるんでしょうか」と聞かれ、彼は恥ずかしそうに「そちらのほうは妻に頼りっぱなしです」と微笑んだ。  そして、もうひとりはクマ研究家。この人は、クマ……ことに北海道のヒグマの生態を研究、観察することに命を捧《ささ》げている。ヒグマを生け捕りにし、麻酔注射を打って、体のサイズを計り、探知機のついた首輪をセットする。そして、半年でも一年でも、雪にまみれ、雨に打たれながら、そのクマ君を追い求め、行動様式、餌、糞《ふん》の状態、冬眠前の動きなど、ありとあらゆることを観察し、記録するのである。  この男性も「妻に食べさせてもらっているおかげです」と照れた。  やっていることの内容は違うものの、両者に共通するのは、俺《おれ》は社会的に価値のあることをやっているんだ……という妙な意気込みがまったくないということである。  失礼を承知で言わせてもらえば、�水�の写真がどれほどきれいに撮影できたとしても、あるいはまた、ヒグマがどこで何を食べ、どのように動き回ったか、個人的に把握したとしても、それは社会的なレベルで言ったら、無意味に等しい。�水�の写真やヒグマの行動記録が社会的に価値のあるものになるためには、それに関わっている彼ら自身が、何らかの欲望……有名になりたい、金が欲しい、その道の権威になりたい……というような世俗的な欲望を持たねばならない。  そうした欲望を持てば、たとえば�水�の写真はアートとして認められるかもしれないし、彼は世界に名を轟《とどろ》かせる有名な�水�写真家になって、弟子がわんさか集まるかもしれない。あるいはまた、ヒグマ研究家は、世界動物保護団体か何かの顧問や常任理事になり、ヒグマの生態が映画化され、たちまちのうちに、マスコミの寵児《ちようじ》になるかもしれない。  そしてふたりとも、朝日新聞のインタビューか何かに答えて、「苦しい時、妻にはとても世話になりました。妻がいなかったら、今の私はなかったでしょう」などと言っていたかもしれない。  でも彼らは多分、そうなることを期待してもいないし、おそらく考えてもいないだろうと思う。彼らが今、熱意を燃やすのは、�水�であり、�ヒグマ�なのだ。それ以外のことは考えていないに違いない。  一般常識から言ったら、「奥さんに喰わせてもらっている男」は、それだけで非難の対象になるんだろうけど、実際のところ、女房が喜んで喰わせてやる男ってのは、魅力的なものなのである。周囲がどうのこうの言う問題ではないのであります。  しかしそれにしても、�水�や�ヒグマ�に夢中になり、生活するのも忘れた、という女の話は聞いたことがない。男はメルヘンに生き、女は現実に生きる……というのは、やはり素朴な真実なのでしょうか。 [#改ページ]   アルバイトとプロ意識  学校を卒業してから、就職せずに、アルバイトで喰いつなぐライフスタイルが若者たちの間で流行している。  古い時代の人たちに言わせると「いい加減だ」とか「親の顔が見たい」とかいうことになるのだろうが、まあ、それもひとつの生き方。まして職種はどんどん多様化している。昔のように、就職が一生の大事になることは、少なくなったと言っていいのだろう。転職を繰り返しただけで犯罪者のように言われた時代があったことを思えば、日本人の意識も欧米並になった、と痛感する。  しかし、しかし、である。サムタイマーなどとカッコよく横文字ふうに言われている人々の職業意識、プロ意識が希薄になってくるとしたら、これは問題なのである。  私は最近、たびたび、このサムタイマーと呼ばれる人々と接して、その知識のなさ、融通のきかなさにぶったまげた。  たとえば化粧品店。買う物がはっきりしている時はいい。カネボウの何々のファンデーションの何番をください、と言えばそれですむ。間違った品物を買わされる心配もない。  だが、買う物が漠然としている時はこうはいかない。何か乳液が欲しい、とか何か新しいマッサージクリームが欲しいという時、応対に出る人をよく選ばないと、とんでもない羽目に陥るのである。  私は一度、「M」と表示のあるクリーム瓶のラベルをしげしげと眺めた若い女の店員に「これはモーニングクリームです」と言われたことがある。彼女は別の瓶のラベルに「N」とあったのを見比べると、「そしてこちらがナイトクリームですね」と言った。  こいつ、バッカじゃないか、と思って「あのう、この�M�っていう表示は、�モイスチュア�の�M�のことなんじゃないの。それに�N�っていうのは、ナリシングクリームの意味でしょう?」と問いただしてやった。すると、彼女は顔を赤くして「やだーっ。ウッソー」とひとしきりわめき、笑いをかみ殺しながら言った。 「私、アルバイトなんです」  その次はレンタルビデオ屋での話。そこは外人客がとても多い店で、いつ行っても外国語があふれているのだが、いつかしら、受付カウンターに若い女の子がふたり、入るようになった。  ふたりとも片言ならば英語が話せるようで、今ふうの装いでセンスもよく、一見、万博のコンパニオンといった感じ。そのせいか、アメリカ人のカッコいいあんちゃんたちに時折、声をかけられ、うれしがっているタイプなのだが、このふたり、恐ろしく仕事ができない。ちょっと店がたてこんできて、レンタルを注文する客と借りたビデオを返しに来る客とが長蛇の列を作るようになると、もう、本人たちがプッツンしてしまう。  ついこの間も、やはり店が混み合っていた時、ひとりのフランス人の紳士が流暢《りゆうちよう》な日本語で女の子たちにかみつき始めた。どうやら紳士は手持ちの会員カードが期限切れだと言われて、カードに期限があるなどという話は聞いていない、会員になった時にそういう説明もされていない、と突っぱねたらしい。  さて、このふたりのチャラチャラした女の子たちが、どう応対するのか、と興味津々で見守っていると、彼女たち、懸命になって説明を始めたのが「コンピューターではそういうことになっているのです」というトンチンカンな間の抜けた答え方。  紳士は執拗《しつよう》に食い下がる。「どういうことなのか、よくわかりません」  あの、その、と彼女たちは互いに顔を見合わせてしどろもどろ。そしてついに、言うに事欠いて、「私たちアルバイトなんです」。  そこで紳士は軽蔑《けいべつ》をこめて冷笑し、最大級のイヤミを一言。「僕は人間なんです。コンピューターではありません」  じれったいのは聞いているこちら側だった。どうして「会員規則を入会の時にお教えしなかったことは申し訳ありませんでした」と真先にあやまることができないのだろう。  彼女たちがそう言えないのは、後で責任をかぶるのが怖いからであり、また、会員規則をきちんと教えなかった別の人間の非を担うのがシャクだからなのである。「アタシのせいじゃないわよ」というわけである。都合が悪くなると「アルバイトだから」と言って逃げる。それがいかに子供じみた言い訳か、本人たちは気づいていない。  アルバイト、おおいに結構。根無し草みたいに生きるのもまたよし。でも、やっぱり仕事のプロになる、というプライドは捨ててほしくないのです。 [#改ページ]   ニッポン人の�国際感覚�  ニッポンはすごい国である。偉い。大したものだと思う。  あれだけ敗戦の痛手を背負いながら、あれよあれよという間に急成長。今や、トーキョーは世界に冠たる巨大都市。ソニー、ホンダ、シセイドウともなると、民族を越えて、人類の垂涎《すいえん》を誘い、医薬品、ファッション、果ては警察捜査に至るまで、そのセンスと技術の差は他国の追随を許さない。  いや、まったく、大した国である。これはひとえに、ニッポン人の性格気質によるものだろう。  しつこい、粘り強い、負けない、勝つまで退かない、内気なくせに好奇心|旺盛《おうせい》……こうしたニッポン人の気質を称して「ニッポンの台所にいるゴキブリに似ている」と言った知り合いのガイジンがいたが、言い得て妙。  比喩《ひゆ》の良し悪しは別にして、なかなか的確な表現だと思った。  外国の観光旅行コースには、ニッポン人があふれている。そしてニッポン人はいつ見ても元気である。外人たちが、バカンスでのんびり海辺で昼寝をしている時でも、ニッポン人たちは、カメラ片手に隅々まで歩き回っている。疲れを知らず、好奇心と生命力にあふれているのである。  そんなニッポン人の中に、最近になってようやく�国際化�の波が広まってきた。ニッポンはすでに大国なのだ、国民的レベルで国際人にならねばならない……とするこの動きの趣旨はもっともなこと。  でも、実情を見ていると、国際化までの道程は険しいな、と思わされることが度々。  まず語学。私などもそうなのだが、まだまだニッポン人の語学に対するセンスは磨かれていない。そう。語学というのは、能力の問題ではない。センスがあるかどうか、なのだ。  この間、スイスでホームステイしている日本の女子大生たちを紹介したテレビ番組を見た。  ホームステイ先のご主人が、簡単な英語で「あなたがこの国《スイス》で短期留学をしようと決めたのは何故ですか」と聞いた。  女子大生たちは、一瞬、すごく戸惑った表情を見せ、あげくの果てに「スイスはきれいだから」と答えていた。  言葉がなかなか出てこないのは、私も同じだからよくわかる。でも、これではまるで小学生の返答だ。何故、自分がこの国を選んだのか、よくわからない、わからないままに来てしまった……それだからこそ、答え方が幼稚になるのだろう。  問題は語学能力ではない。日頃、ものを考えるという習慣を持たないこと、それが問題なのである。  一度、飛行機の中で隣どうしになったフランス人の十九歳の男の子は、モスクワからパリに着くまで、日本という国に対する自分の考え方、捉《とら》え方を喋《しやべ》りまくっていた。  疲れていたこちらは、へとへとになってしまったが、あのエネルギーには感動した。今の十九歳の日本の男の子が、見知らぬガイジン相手にその国についての持論を四時間、喋り続けるなんてことがあるだろうか。  これすべて、幼いころからものを考える試練、意見を述べるという試練を受けてきたかどうか、という問題。一朝一夕には、真似できないのでありましょう。  もうひとつ言えば、�国際化�というのは、ただ表向きのいいところだけ、カッコいいところだけを受け継ぐことだと考えている人がいるようだが、それは大きな誤解だと思う。  犯罪と麻薬汚染と差別と貧困……それらは、どうしようもなく外国の都市に根づいてしまっているものだが、そうしたものに目をそむけて、�国際化�だなんて笑っちゃうよ、という感じもする。  最近では、国際化すると外国人犯罪者が多くなるから、外人入国を制限したほうがいい、なんていう意見も現れているが、それじゃあ、まるで江戸時代の鎖国と同じ。  ホント、ニッポン人というのは発想が極端だ。  様々な人種が出入りすれば、価値観が揺さぶられることになる。それを恐れるのは、かたくなさの現れでしかない。  さすがに現代では、ガイジンなど見たことがない、と言う人はいなくなったが、それでも、外人に対する過度の不信感、コンプレックスを持っている人は結構、いる。  片方で、脳天気に海外旅行で散財し、もう片方で、自分の身の回りから危ないものを遠ざけようだなんて、ムシがよすぎるというもの。  あれやこれやで、自分がニッポン人でありながら、ニッポン人種は、世にも不思議な民族だと痛感します。 [#改ページ]   清潔志向に疑問  近頃、巷《ちまた》の若い女性たちの間で流行ること。それはワンレングスにボディコンシャス、加えて不潔恐怖症候群……というところか。  不潔恐怖症候群というのは、いわば神経症の一種で、汚いものが過剰にいやになる、という現代人特有の症状。私の知っている或るOLは、カフェバーなどに行っても、トイレのドアノブや水洗の握りバーなどを触るのが怖くて、いつも専用のハンケチを用意し、それを使ってやっとの思いで触る……とおっしゃる。  また、別の或る女性は、会社の昼休み時間に必ず十五分もかけて、歯を磨くのが習慣だ、とおっしゃる。その際、使用する煉り歯磨も、クリニカ、ザルツ、ホワイト&ホワイト、お子様用いちご味ハミガキ……にいたるまで、種々雑多とりそろえ、ほとんど趣味に近い感覚でせっせと磨かないと気がすまないそうである。  それに最近では、朝シャン(朝のシャンプー)をする時間のない人のために、昼シャン専用の時間帯を設けた美容院もオフィス街に登場した。要するに最低、一日に一回シャンプーしないと気持ちが悪い人たちが多いわけで、このあたりの感覚を馬鹿にしようものなら、「不潔ねっ!」という軽蔑《けいべつ》に満ちたマナザシが返ってくるのである。  同時にスリム志向はますます病的で、はたから見る限りでは、ちっとも太っていないような人でも、せっせとダイエットに励み、なんだかシワシワのおばさんみたいに痩《や》せてしまっている人も見かける。  デブで不潔で流行に無関心なのは、社会の罪悪だ、と宗教みたいに信じているアメリカの影響なのか、とも思うが、いやはや、ちょっと行き過ぎだわよ、と思うことは、しょっちゅうである。  ともあれ、この清潔志向は、怒濤《どとう》のごとく人々を巻き込み、いまや、日本はどこに行ってもピカピカに磨かれたステンレスみたいになっている。若い女性の身だしなみばかりではない。世の中すべて、どこかしら、汚れた部分、認めがたいと思われるものに対し、ヒステリックに反応し過ぎてはいないだろうか。  いい加減で、無計画な生き方を排除し、毒気のある考え方を毛嫌いする。生活をまるでお花畠のように、ふわふわときれいに飾りたがり、そのお花畠の地下深く、腐った匂いが漂い始めるやいなや、半狂乱になって、修復にかかろうとする。  自然体がいい、と口では言いながら、ちっとも自然体になっていない。みんなが認める自然体というのは、回りの人々から軽蔑されない程度の気楽なライフスタイル……ということに過ぎず、人と違った個性は恐ろしくて表に出すことができずにいる。  で、何が言いたいかというと、いま、世の中を騒がせている例の中学生による両親祖母惨殺事件についてである。  あの事件を世にも恐ろしい事件だ、と言うのは簡単。あれこれ教育の現場から評論するのもまた、簡単だろう。でも、私には、あの被害者たちも加害者の少年も、共に不潔恐怖症候群に罹《かか》っていたのではないか、と思えてならない。  人と違った生き方、後ろ指をさされるような生き方を抹殺し、より安全で危険のない生き方を求める親と、思春期の少年の揺れる心。どこの家庭にもあることだが、親は子供の将来が安定することを強く望み、子供はそんな親に反発し好きな道を歩もうとする。この他愛のない亀裂が、どうして、これほどまで酷《ひど》いことになってしまったのか、というと、ひとえに社会全般の不潔恐怖感覚が、親も子も巻き込んで、身動きをとれなくしていたのではないか、と思える。  清潔で計画的で安全な将来を守ろうとする親。そして、それにしっくりしないものを感じながらも、それ以外の生き方がまるで想像できないでいる子供。百人の人間がいたら、百通りの生き方がある、という単純な事実をまるで忘れ、規格化された幸福だけを求めるのは、ものすごく不幸なことだ。  少年がせめてもう少し、冷静だったら……あるいは、周囲にひとりでもいい、親や世間に反発してもいいよ、でも自分のプライドだけを守り通せ、と言ってくれる人がいたら……こんな事件は防げていたのではないか。  ご清潔に生きることを望む父親は、世間並になりたい一心で仕事に埋没し、ご清潔に生きることを望む母親は、子供のちょっとしたズレも許さない。  朝シャン、趣味の歯磨、ダイエット程度ですめばいいが、清潔志向はこのままいくと、人間の心を画一化し、あるいはこうした酷い第二第三の事件の原因を作り出さないとも限らないと思うこのごろである。 [#改ページ]   信州のおばあちゃん  夏になり、お盆の帰省ラッシュのニュースが流されるようになると、私はいつも、帰る田舎がある人のことを考える。  私の父は満州生まれ。父方の祖父も祖母もとっくの昔に亡くなり、長男である父は本籍を横浜に移してしまっているから、田舎を持っていない。  母は函館《はこだて》生まれだが、こちらも祖父祖母ともに亡くなっており、兄弟姉妹はバラバラ。田舎と呼べるところはすでにない。  私は東京生まれで、現在は両親が住んでいる横浜が本籍地。電車で三十分そこそこのところへ行くのに、「帰省する」などという感覚があるわけもない。  そういう人間から見ると、あの乗車率二百パーセントの列車に荷物と共に乗り込み、汗みどろになりながら帰省していく人々や、遅々として進まない炎天下の高速道路をひたむきに田舎に向かって車のハンドルを握る人々の、うんざりしながら、それでも半ば嬉々《きき》とした表情は、何か神々しいものにさえ感じられる。  田舎っていうのは、きっとそういうものなんだろう、と思う。帰るのがいやなら、誰も帰らない。行っていやな思いをするところだったら、誰もそんなに苦労して帰省するわけがない。  きっと田舎というのは、何か人々を駆り立ててやまない魔力のようなもの……精神の深い部分をたぐり寄せてしまう、何か目に見えない磁力を備えた不思議な場所なのかもしれない。そう思える。  そりゃあ、現実を考えれば、帰省して、兄弟姉妹の家族と一緒になり、人間関係がうまくいかずにムッとする人もあるだろう。ましてヨメの立場だったら、忙しく立ち働かされて、おまけに厭味《いやみ》を言われたりし、とんでもなく不愉快なことも多いのかもしれない。しかし、それでも、人はこの時期になると、田舎を目指す。田舎って何なのだろう、と田舎を持たずにきた私などは、本当に不思議に思うのである。  きっと、お母さんやお父さんや、おばあちゃんなどが待っているんだろう。帰れば、お風呂が沸いていて、庭でとれたトマトが水滴をつけながら、台所のマナ板の上に転がっているんだろう。こんもりと茂った雑木林では、油|蝉《ぜみ》がけたたましく鳴いているんだろう。堆肥の匂いがするのかもしれない。カネヨの洗濯|石鹸《せつけん》でおばあちゃんが洗ったシーツが、庭で風を受けてたなびいているのかもしれない。そして、人々は子供のころを思い出して、しみじみと空を見上げるのかもしれない。  うん、わかる。なんとなくわかるような気がする。  実をいうと、私には昔から、想像上の田舎がある。こんな田舎があったらいいな、という想像の産物なのだが、これを想像するといつも楽しくなる。  場所は信州。絶対、信州がいい。長野あたりの山間の小さな村……という感じがベスト。高くも低くもない山に囲まれたささやかな平地で、近くを小川が流れていればもっといい。  そこの藁《わら》ぶき屋根の一軒家に、おばあちゃんが一人で住んでいる。ちょっと無口で気の優しいおばあちゃんで、滅法、身体が丈夫であり、八十に近くなっても、まだ野良仕事に充分、耐えられる。  おばあちゃんは、小さな畑を耕し、鶏と牛と山羊を飼って生活している。着るものは野良着だけで、贅沢《ぜいたく》なことは何もしない。  夏の昼下がり、私が�帰省�すると、おばあちゃんは無表情のまま、それでも嬉しそうに歓迎してくれる。黒い土が踏み固められた庭に面した縁側で、私はおばあちゃんとふたり、切ったばかりの大きなスイカを食べる。おばあちゃんは、面倒な質問はしない。お天気の話とか、山羊の乳の話とか、村の鎮守様のお祭りの話ばかり。  足もとに飼い犬の日本犬が二匹、たわむれる。大きな金|蠅《ばえ》が、唸り声を上げて飛び交う。かすかな堆肥の匂い。庭に茂ったトマトや茄子《なす》や胡瓜《きゆうり》の葉が、そよ風に揺れてサワサワと鳴る。安物の風鈴の音と油蝉やツクツクホーシの鳴き声。  おばあちゃんと同じくらい長生きした三毛猫が、そばに来てニャオンと鳴く。スイカを食べ終えたおばあちゃんは、「風呂、沸いてるよ」と言う。うん、と私はうなずく。「ビールある?」 「あるよ。枝豆、裏庭にいっぱいなってるから、とっといで。茹《ゆ》でてあげよう」  ……ああ、こんな田舎があったらなあ。時々、私はこの「信州のおばあちゃん」の話をする。話を聞いた人はみんな笑う。子供みたいだ、と馬鹿にされる。でも、私の中の信州のおばあちゃんは、ずっと生き続けるのである。 [#改ページ]   みんなキライ症候群  ふと、周囲を見渡してみると、�好きな人�というのは、意外に少なかったりするものである。  なんとなく腐れ縁で関わりを持ってきたけど、どうもね、あの人とはウマが合わないのよ、と思う相手もいれば、あの人、感じはいいけど、どっか生きてる世界が違うのよねえ、と思う相手もいる。  年に数えるほどしか会わないのに、会うたびにますます、好きになってしまう相手もいれば、月に何度も会っているのに、ちっとも親しくなれない、という相手だっている。  別に友人と呼べる人でなくても、淡い関係を保つ人の中に、すごく波長の合う人と、そうでない人がいる。そして、寂しいかな、�すごく波長の合う人�というのは、実はとってもとっても、少ないような気がする。  昔、小学校のころ、何かあるとすぐに友達に「絶交状」を送りつける女の子がいた。私も送られて、閉口したことがあるけれど、子供時代はそんなふうに堂々と�絶交�できる分だけ、案外、幸せだったんじゃないか、とも思える。  いい年をした大人が、知人友人にことあるごとに「絶交状」を送りつけ、あなたのことが嫌いになりました、よって今後のおつきあいはやめさせていただきます、と宣言などしたら、エライことになる。トラブルが大きくなるばかりか、差し出し人は知能程度を疑われて、ひたすら笑い者になるのがオチだ。  オトナは、やはり、一応誰にでもわけへだてなく、お愛想笑いをふりまくことを要求される。そこが辛いところである。  辛くて、つい愚痴も出る。それに、イライラした頭で考えていくと、ああ、どいつもこいつも、みんな、キライだ! などということになりかねない。仕事関係者のAも、友人のBも、恋人も亭主も、親兄弟も、角の煙草屋のばあさんも、みんなキライ。私はこれを「みんなキライ症候群」と呼んでいる。  この「みんなキライ症候群」に陥る人は、幼児的性格の人間に多く、根が真面目な人、愛情に飢えている人ほどなりやすい。時として周囲の人間が手のつけようもなくなるほど、症状が悪化することもある。が、まあ、大した症状ではないから、誰かがとっても優しい電話をかけてくれたり、喧嘩した恋人と仲直りしたり、仕事でほめられたりするだけで、たちまち治る。  単純と言えば単純だが、その分だけ、人の孤独、不安を垣間見《かいまみ》る感じもする。現代は、多くの人が「みんなキライ症候群」に陥っているのではないか、とも思うのである。  私のことを言えば、私はともかく、正直な人が好きである。男も女も、正直であるかどうか、が私にとってつきあう上での基準になる。  たとえば、自分の意見を正直に言える、自分の感じたことを正直に言える、それが、どれほどみっともないことでも、どれほど世間の常識からはずれていても、屈託なく自分の言葉で語れる人というのが好きだ。  正直に話してくれる人の前では、こちらもいっぺんに殻がとれる。いいつき合いがそこに生まれる。  ところが、この正直さというのを持ち合わせている人は意外に少ない。少ないというよりも、年齢を増すに従って、正直さの表現が下手になっている人が増えるから厄介だ。  若いうちはいい。たいていの人は、みんな正直だ。自分の考えていること、体験したこと、感じたこと……それらを正直に喋《しやべ》ることができる。心に社会的な垢《あか》がついていないからだ。気取ったり、世間体を気にして嘘《うそ》をついたりすることは少ない。  ところが、年をとってくると、みんな変わってくる。よく言えば、気づかう。悪く言えば、水くさい。もっと悪く言えば、自意識過剰で自己保全に走る。  ちっとも問題のある過去ではないのに、必要以上に自分の過去を隠している人とか、世間の意見と同じことしか言わない人とか、ただヘラヘラ愛想笑いしてばかりで、自分の考えを述べずにいるとか……いるでしょう。私はそういう不正直な人とは、やっぱりおつきあいできない。  人と人との関わりというのは、どこかでどうしようもなく互いの深部を抉《えぐ》ってしまうものだ。その抉り出し作業がなければ、関係は深まらないし、続きもしない。  抉り出されたくないと思う人は、人とは淡く表面的につきあっていればいいから問題ない。だが、抉り出されてもいいけど、その抉り出し方が気にいらない、と文句を言う人が「みんなキライ症候群」に陥るわけだ。みんなキライでも、誰かに愛されたいはずで、それならば、正直に人と関わっていくしかない。  世の中にたった一人、ウマの合う人がいれば上等ではないか。 [#改ページ]   中年の殿方たちにもの申す  別に私は中年の殿方たちが嫌いなのではない。そりゃあ、四十代五十代サラリーマン諸氏を見ていると、疲れがたまった顔、出っ張ったお腹、濁った目……など、決して美しくないものも見えてしまうわけだが、だからといって、そんな些細《ささい》な容貌の衰えをいちいち指摘して、あげつらおうだなんて、我が身を顧みないようなことをする気はない。  四十代というと、子供たちの教育費がべらぼうにかかり始め、まして社内ではストレスの多い中間管理職の身。また五十代にもなれば、男の最後のあがきとも言える妙なガンバリズムが求められる一方、家庭に帰れば意思疎通を欠いた娘や息子にスネをかじられるだけ。  どっちを向いても疲れるばかりの毎日でいらっしゃることも充分、承知しているのだから、そのうえ、無理難題をふっかけて、いじめようなどという気はあるわけもない。  私はただ、あの人たちに共通する一種の�センスのなさ�を言いたいだけなのである。  四十代五十代はまだまだ男としての現役。若い女性を見て、目の色を変えるな、などと堅苦しいことを言う気はないが、若い女性を相手にすると、何故、ああもくだらない、言い古された冗談を連発なさるのであろうか。  友人の結婚式に招かれた時、スピーチに立った四十代後半の紳士がマイク片手に言いました。 「こんなに美しい新婦に、毎朝、味噌汁《みそしる》を作ってもらうなんて、男として羨ましい限りです。私ももう一度、結婚したいものですな。わっはっは」  結婚したからといって、毎朝、フリルのエプロンをつけ、味噌汁を作るようなことをいまどきの若い女性がするわけがない。多分、この紳士はそのくらいのことは知っておられたのであろうが、思わず口をついて出てしまう冗談が「味噌汁」では、あまりに情けない。シラケるあまり、耳を塞《ふさ》ぎたくなる。  それから飲み屋のカウンターなどで、若い女の子たちを口説く紳士たち。先日、二十一歳の女性に愚痴をこぼされたが、「なんで、あの人たちって、わざとらしく光ゲンジの歌の話をしたり、そうかと思えば、自分の世代の自慢話ばかりするんでしょう。それにね、こっちがお愛想で笑っているのにも気づかないで、すぐにアブナイ話をするんですよ。ラブホテルの社会見学に行かない? とか。バッカみたい」……などと、彼女たちが蔭で吐き捨てるように言っていることを知らないのでしょうか。  ウィットに欠けるものだから、たとえば話題がエロティックなものになると、露骨にいやらしくなるばかりで、収拾がつかなくなる。あるいはまた、男と女の問題を深く真面目に考えたことがないものだから、いきおい、女と見ると「口説いてモノにする」というあさましい根性が丸見えになってしまう。  そればかりではない。思いあがった発言を平気でなさり、社内の若いOLを集めては、先週、銀座で自分がいかにモテたかを披露する。  もう、聞いていると、興味は女、女、女……これしかない。  若い男の子が女に興味を持ち、まっしぐらにそのことばかり考えているのなら話はわかるが、とっくに様々な経験をお済ませになっておられるであろう紳士諸氏が、目をギラつかせて、何のセンスもなく女の話をするのは、見ていておぞましいものがある。  若い男と違って困るのは、あの方たちが、それなりに社会的な地位を持ってしまっていることである。地位や財力(それも大したことのないものがほとんどなんだけど)を振りかざして、迫って来たりすると、これはもう、迫られたほうはストレートパンチを食らわせて逃げるか、さもなくば利用させていただくか、ふたつにひとつの選択を一瞬のうちに求められるわけだ。  彼らにユーモアやウィットがない分だけ、関係の曖昧《あいまい》なところで楽しさや面白みが味わえない。逃げるか、利用するか。それしか選択の余地がないのだ。  あの方たちがそんな具合だから、ますます若い世代の女性たちが幼児化する。いつまでたっても、若さだけが特権とばかりに、上の世代に甘え、手こずらせ、尻|拭《ぬぐ》いさせる、という寸法だ。  日本にオトナの恋愛が少ないのはこういう図式があるせいだとも思う。のさばっているギャルと、センスのない中年男とでは、恋など生まれるわけがない。かといって若い男の子たちはどうもひ弱……とくれば、これはもう、恋愛欠乏時代に突入しているとしか思えないのだ。 [#改ページ]   愛しのコバンザメ  コバンザメという、可愛い魚がいる。大きなサメの腹のあたりにくっついている、子ザメみたいな、あれである。  あれはサメの子供なのだと言う人もいるが、それは間違い。彼らは�ジョーズ�たちとは何の関係もない、赤の他人、もとい、他魚である。  よく、会話の中で、「あいつはコバンザメみたいに俺《おれ》のまわりをうろちょろし、甘い汁を吸いやがる」などという使い方をされたりする。まあ、いい意味で引き合いに出されることが滅多にない、気の毒な魚でもある。  しかし、この「うろちょろして、甘い汁を吸う」というのは、実はコバンザメの生態を言い得ているわけではない。コバンザメが大ザメにまとわりついているのは、ひとえに「泳ぐのが面倒」だからなのだ、という説がある。  彼らの背中には特殊な吸盤がついている。それを使ってぴったり大ザメに吸いつく。一方、大ザメは元気にあふれているから、獲物探しに海の中を一日中、回遊している。くっついてさえいれば、しかるべきエサ場に連れて行ってもらえる、という寸法だ。つまり、彼らは大ザメがつかまえたエサを横取りするためにくっついているのではない、という説が有力なのである。  彼らのことをナマケモノと言うのはたやすい。サカナのくせして泳ぐのが面倒だなんて、サカナの風上にも置けない、という意見もあろう。でも、彼らは滅多に自分では泳がないが、自力でエサを捕まえ、食べるのである。一応、自立はしているのである。そのうえ、誰にも迷惑はかけていない。悪口を言われる筋合は、さらさらないのである。  これは人間にとっても理想の形と言える。たとえば、何を隠そう、この私。自慢じゃないが、無趣味、ぐうたら、出不精……の、人間としてあるまじき三大欠陥を兼ね備え、さらにそのことを反省もせず、自慢げに人に語るという悪しき性格にも拍車がかかるばかり。  たまたまくっついたツレアイが、私に輪をかけた面倒くさがり屋だったため、相乗効果を引き起こし、今や二人して、コバンザメさながらの暮らしに憧れるという、恐ろしい結果になってしまった。  たとえばの話。これまで会話にのぼった計画を列挙してみよう。英会話を二人で習いに行こう。二人で手軽なフィットネスクラブに入会しよう。懐石料理を家で作ってみよう。週末は必ず、都内に新しく出来たレストランを探険してみよう。レンタカーで月に一度は遠出をしよう。スキューバダイビングのライセンスを取ろう。冬はスキーに行こう。年に一度は海外に行こう。家の中の模様替えをしよう。週に一度は手分けして念入りに掃除をしよう……。  これ、すべて実行された試しがない。次いで、私に関する計画。  汚くなった寝室のソファーに手製のカバーをかけよう。毎日、バラエティに富んだメニューを考え、料理の腕を磨こう。昼寝をするのはやめよう。車の免許を取りに行こう。洗濯物を溜めるのはやめよう。テニスの腕を磨こう。家計簿をつけて、支出のチェックをしよう。少しは財テクに関する知識を身につけよう。もっとマメに出版社関係のパーティーに出席しよう。面倒臭がらずに、あちこちに旅行し、新鮮な感動を味わおう……。  これまた、すべて、実行された試しなし。次、ツレアイの計画。  洗濯機の回し方を覚えよう。電子レンジの使い方を覚えよう。筋肉をつけるために、トレーニングマシーンを買おう。ペーパードライバーにならないよう、マメに車を借りて運転しよう。草野球をしよう。アメリカのバーボンを全部、集めよう。たまには好きなマージャンをしよう。ゴルフを始めよう。せめてジャガイモの皮が剥《む》けるようになろう。得意料理をマスターしよう……。  同じく、実行された試しなし。  我々が面倒に感じないのは、仕事をすることだけ。ワープロに向かい、締め切りの近づいた小説原稿を書くこと以外、何もする気がない。買物も面倒。彼の場合は着替えるのも面倒、と言うのだから、何をか言わんや、である。  仕事を終えたら、大ザメみたいなものが現れて、こちらの吸盤をくっつかせると、マーケットや本屋、図書館などに連れて行ってくれないものだろうかと思う。帰りはまた、大ザメの腹を借りて、一足飛びに家に戻る。誰に迷惑をかけるでなし、締め切りも守っているわけだから、文句もなかろう。銀行への振り込み、モロモロの郵送手続き、日々の買物、義理のおつきあい……生きていくには煩雑なことが多すぎる。ああ、私はコバンザメになりたい。 [#改ページ]   ファンレター  仕事柄、時折、読者から手紙をもらう。私など、本当に少ないほうで、有名作家たちにはアイドルタレントよろしく、ドカドカと手紙が舞い込むらしい。  物書きはたいてい自宅の住所を公表していないから、手紙は出版社の編集部気付になる。そして開封されないまま、担当編集者の手により、自宅に転送されるわけだ。  手紙の大半は、むろんファンレターである。あの作品のこういうところが良かった、感激した、頑張ってください……というような手紙を読者からもらうのは、何よりも嬉しい。そうか、そうか、よしよし……上機嫌になり、神棚にあげて手を打ちたくなる心境にかられる。  中には、身の上相談の手紙もあり、長々と、やれ不倫の恋に悩んでいるだの、離婚しようかどうか、迷っているだの、前後の説明も何もなく、自分のことだけをぐちゃぐちゃと書き連ねてくる人もいる。こういう自分勝手な人からのぶ厚い手紙は、いちいち読んでいると時間の無駄になるだけだから、放っておく。返事が来ると思いこんで、日々、ポストを覗《のぞ》き、あげくに「返事をくれなかった!」と怒って、本を買ってくれなくなるかもしれないが、数からいったら、ほんの四、五人。四、五冊、本が売れなくなったとしても、こちらとしては痛くも痒《かゆ》くもない。  困るのは、異常な読者からの手紙が来てしまうことだ。  或る作家は、「あなたと結婚します。ついては、某月某日、荷物をまとめて上京しますから、出迎えに来てください」と書かれた女性からの手紙を受け取り、大笑いした。たちの悪い冗談だと思ったらしい。ところが、手紙は続々と続いた。この結婚は神の定めた宿命なのだから、私は喜んで従う……などという意味不明の言葉が羅列してある。作家は次第に薄気味悪くなってきた。  そのうち編集部にも電話がかかってくるようになった。新居を探さねばならないから、よろしくお願いします、などと言う。写真が何枚も送りつけられ、ウェディングドレスの相談をされたりする。  結局、このおかしな女性は、勝手に上京して来たところを編集者に押さえられ、作家本人の自宅のまわりを徘徊《はいかい》されることなく終わったようだが、聞いているだけでぞっとする話だった。  私にも似たような経験がある。どこの誰だかわからない男から何度も何度も�熱愛�の手紙を受け取り、正直な話、街のどこかで見張られているんじゃないか、と不安になったことがあった。  こういう人は決まって、頭がバカではない。バカどころか、結構、教育水準が高い場合もある。この種の人にありがちと思われる誤字脱字も少ない。  だから一見、正常のように見えるのだが、注意して読んでみると、異常さはじわじわと伝わってくる。  まず、対象との距離が取れていないことだ。受け取り人とは一面識もないにも関わらず、あたかも咋日まで酒をくみかわしていた相手のように語りかける。その薄気味悪さは、この種の手紙を受け取ったことのある人でなければわかるまい。見も知らない人にこちらの情報が伝わっていて、一方的にあれこれと説教され、こちらは相手のことを何ひとつ知らない、というのは相当、こわいことだ。  それから、文章の中に、ヒステリックな絶叫のようなものが混じっているのも大きな特徴である。ごく一般的な挨拶《あいさつ》文の途中から、突然、感情的になり、「あんな作品は反吐《へど》が出る」とか「あんたに失望したから、あんたみたいな人は死んだほうがいい」とかいった調子に変わったりする。文章に一貫性がない。そのくせ、最後にはまた元に戻り、「風邪をひかないように、頑張ってください」などと続いて終わるわけだ。  去年だったか、編集部のほうに送られて来たものはひどかった。  あろうことか、私の本が同封されており、本の各ページに赤ペンで「死ね」だの「恥を知れ」だの、とてもここでは書けないような言葉が走り書きされてあった。  臆病《おくびよう》で暗い内向的な人間のしわざとは思うが、それにしても、自分がこういう類いのものに煩わされる立場にいることを痛感させられた。  物書きなんてのは、本当は気が弱く、怖がりなのだ。表向き偉そうに装っていても、実はうじうじ、ぐちゃぐちゃしているのが普通である。怖い手紙、ショックな手紙を受け取れば、日がな一日、クラーイ気分になる。仕事が手につかなくなる。それをザマアミロ、と思うあなたは異常。気の毒に、と思うあなたは正常なのです。 [#改ページ]   テレビ・ウォッチング  最近、TVがつまらない。  まず映画。夜九時台から放映される洋画劇場は、同じ映画の再映ばかりだ。 『レイダース』や『スター・ウォーズ』『インディ・ジョーンズ』などは、この二、三年の短い期間にそれぞれ二度ずつ放送されたと思う。いくらハリソン・フォードが人気を博しているからといって、これはちょっと安直に過ぎる。  それに昔だったら深夜映画でひっそりと放送していたはずの名もなきB級映画が、最近は堂々と夜九時台で放映される。局側ではスポンサーさえつけば何でもいい、と考えているのだろうか。  ビデオが普及し、レンタルビデオはまさにバナナの叩き売りのようにレンタル料を引き下げている時代である。映画ファンはレンタルで数々の名作新作を見ることができるし、老いも若きもすっかり字幕スーパーに慣れている。今更、あまり面白くもないテレビ映画を芝居がかった日本語の吹き替えで、しかも、ズタズタにカットされているやつなんか見たくもない、というのが正直なところだろう。  民放の深夜映画ではさすがにちょっといい地味な映画を字幕スーパーノーカットで放映……という嬉しいことをやってくれているが、これもレンタルビデオの氾濫《はんらん》に押されてか、最近はどうでもいいようなつまらない映画しかやってくれない。ホント、つまらないのだ。  映画がだめならドラマだ……と思うのだが、ドラマはさらに面白くない。だいたい歌手あがりのアイドルタレントが主演する数々の�おしゃれ�で�いま風�のドラマは、どれもこれも続けて見る気がしない。取り扱っているテーマが相も変わらず恋と結婚とキャリアウーマンの生き方……に限定されており、そんなもんはちょっと周囲を見渡せば、誰だってやってることだよ、と言いたくなる。掘り下げ方がワンパターンだから、退屈きわまりない。  またサスペンス劇場ふうの二時間ドラマは、どうしてああも、同じ役者しか起用しないのだろうか。ダントツに多いのが沢田亜矢子と松尾嘉代。サスペンスドラマに向いているとはいえ、毎週、登場されると物語まで同じなんじゃないか、と思えてくる。  ドラマの量産が現場の制作者たちに優れたドラマを制作する意欲を失わせているのだろうか。残念なことである。  ドラマでやっぱりいいな、と思うのはNHK制作のもの。作りが実にきめこまやかで丁寧である。脚本演出が見事で、滅多にはずれがない。民放もああいうものを作るべきなんじゃないだろうか。  映画、ドラマがつまらん、というわけで、最近はよくドキュメンタリー番組を見る。これらは相応に面白くて興奮させる。とはいえ、めかしこんだタレントリポーターのお嬢さんが登場して、世界各国を回り、いちいち黄色い声で「わ—っ、凄いですねえ」などとわめきたてるのは×。ナレーションだけで充分なのに、ニホン人というのは若い女のリポーターがどうしてこうも好きなのだろうか。  個人的に言えば、それでも何人かの好きなタレントはいる。まずタモリ。この人はどこか冷めている感じを与えて、見ていて飽きない。根っからのTV人間だと思うが、本音のところでTVという媒体そのものを揶揄《やゆ》しているように見える。その冷やかで鋭い感性がいい。  NHKの『ウォッチング』に出ているタモリをごらんなさい。画面に映る動物たちを見ながら彼が洩《も》らすセリフは、動物のみならず、人間観察の鋭さを物語っている。  それから『テレビ探偵団』の三宅裕司、それに小堺一機なんてのもいい。ふたりとも育ちのよさを感じさせる。育ちがいいから、痛烈な皮肉を言う時でもイヤミがない。頭もいいんだろうな。  あとはしょっ中、軽いトーク番組に出てくる西城秀樹。昔はあんまり頭の回転がよさそうじゃなかったし、「ローラ!」と絶叫したり「YMCA!」と体操のお兄さんみたいに飛んだり跳ねたりするイメージが強すぎて、あんまり興味をひかれなかったが、最近はなかなか話上手で、見ていて引き込まれることがたびたびある。  司会者の聞き方によって、あるいは共演したゲストによっては、妙に優等生的になってしまうこともあるが、きっととってもいい人で、案外、気が弱いんだろう、と思わせる。あれだけのアイドルだったのにスレていないのがいい。  しかし、こうやって並べてみると私もよくぞTVを見ているな、感心する。ツマラナイ、面白くないと愚痴を言いながら見るのがTVなのかもしれないけど。 [#改ページ]   バレンタイン・パニック  そりゃあ、若い女性というものはロマンティックなことが大好きです。恋人やボーイフレンド、それにあわよくば……と狙いを定めているあの男、この男に、二月十四日という特別の日を利用して、チョコレートを贈りたくなるのも当然と言えます。  それにひとたび、誰かに贈ろうと決めると、「ああ、A君にも、B君にも贈っておこうかな。きっと喜ぶだろうな」などと、勝手に想像して、三たび四たびと財布の紐《ひも》をゆるめることになるのも、理解できます。第一、チョコレートなどというシロモノは、決して高いものではありません。五百円……いえ三百円も出せば、可愛い箱が手に入ります。三百円で男たちの気を引くことができるのなら、この世にこれほど安あがりのものはないでしょう。  両手いっぱいに買いこんだところで、買おうと思っていた春のスーツを諦《あきら》める必要もないわけです。手頃で、ロマンティックで、洒落《しやれ》ていて、おまけにほのかな恋が生まれる可能性だってある……とくれば、毎年二月に全国のワンレン、ボディコンのお嬢様がたが、競ってデパートや洋菓子店に駆けつけ、目の色変えてチョコレートを買いあさるのも無理はない、と言うべきかもしれません。  しかし、です。ニッポンはどこか狂ってる、と思うのは私だけでしょうか。  先日……二月十三日のことでした。某地下鉄の某駅の、お嬢様がたが日頃からえらくおしゃれしてお歩きになっている界隈《かいわい》に、汚いズックを履《は》き、いつもの「お買物用ルック」で夕餉《ゆうげ》の買物に出かけた私は、ふと「うちのツレアイにもチョコレートを買ってやるかな」などと思い、軽い気持ちで某洋菓子店に入りました。  そして店先で唖然《あぜん》として立ち止まりました。どこを向いても女、女、女……。チョコレートのパッケージが宙を飛び、レジ係の男性は長蛇の列のお嬢様がたを捌《さば》いていくのに汗だくです。黄色い歓声。熱気。まるでディスコの会場のようだった、と言っても過言ではありません。  仕方なく私は次なる店に足を向けました。そこは高級スーパーマーケットで、売場に大がかりなバレンタインコーナーが設置されていたのを思い出したからです。  ところが、どうしたことでしょう。店内に足を入れた途端、とぐろを巻くように連なっているお嬢様がたの列が私の行く手を阻みました。一瞬、かつてのオイルショックの際、主婦たちがこぞってトイレットペーパーを買いだめた風景を思い出した私は、ぞっとして思わず目をこすりました。  チョコレートコーナーには、わずか三、四個のチョコレートが残っているだけです。そのわずか三、四個のチョコレートをためつすがめつ手に取って、真剣な顔であれこれ思案中のお嬢様。他人のことなんかどうだっていいわ、私はこれを手に入れたんだから、と言わんばかりに満足げにひとり微笑んでいるお嬢様。ペチャクチャと誰にどれを贈るか、相談し合っているお嬢様……。  私のそばで立ちすくみ、同じように行き手を阻まれた外人の若い男性二人が、「クレイジー!」とつぶやき、肩をすくめ、眉をひそめたのを私は見逃しませんでした。その二人は嘆かわしい顔つきで、お嬢様がたの群れをかきわけ、どこかに消えていきました。  結局、私はチョコレートを買うのをやめました。そうです。私が目撃したあの正気の沙汰ではないお嬢様がたの集団は、私に嫌悪をもたらしたのです。あれは失礼ながら、バレンタイン商戦にのって、何の考えもなしにチョコレートに群がるハイエナそのものでした。集団ヒステリーとも言うべきものだったかもしれません。  どうしてささやかなプレゼントをするのに、他人と同じことをしなければならないのか、私には理解できません。おそらく一生、理解できないと思います。見栄もプライドもないのでしょうか。自分が他人と違うことをするのが怖いのでしょうか。世間の決まりごとを無視して生きるカッコよさはないのでしょうか。  単なる遊びじゃないの、と言われてしまえばそれまでです。でも、もし私が男だったら、自分の彼女にはあんな馬鹿なことをしてほしくない、と願うでしょう。世間の騒ぎにそっぽを向き、自分たちだけで命名した「サラダ記念日」のような時を選んでプレゼントを贈ってくれる女性をいとおしく思うでしょう。  ただし世の中には、チョコレートをもらえなかったからと言って、本気でひがむ男もいるそうです。となると、どっちもどっち、と言うべきかもしれませんが。 [#改ページ]   作家の市民権  作家という商売は、実に一般人に理解されにくいところがある。  まずたいていの作家は事務所を持たない。自宅の他に仕事場を持っている人もいるが、そこに秘書や電話番を置いているケースは稀《ま》れである。玄関の表札だって個人名となる。その部屋が何に使われているのか、実際に中に入ってみなければ誰もわからない。  それに作家は生活が不規則である。忙しくなると朝方まで仕事をし、翌日は昼過ぎまで寝ていることもあるし、逆に早朝から起き出して仕事をし、夕方にはもう、ベッドへ入っていることもある。  ミステリー作家が執筆に疲れて、丑《うし》三つ時に、ふと思いたって散歩に出ることだってある。パトロール中の警官に「失礼ですが、どちらへ」と聞かれ、「別に」と答える。 「何をなさってたんですか」「アイデアにつまずいてね」 「何の?」「完全犯罪の方法だよ」……これでは、立派な要注意人物だ。  それに加えて、一般市民から見ると考えられないほど非常識な時間帯に人が作家の家を訪ねて来ることもある。編集者は深夜だって原稿を取りに来る。原稿を渡して、ハイさよなら、ということはまずない。当然、「お疲れさま。まあ、一杯やってけや」ということになる。飲めば声が大きくなる。近所に声が漏れる。あそこの家はいったい何をしている家なんだろう、と思われるのはしょっ中だ。  また、作家は仕事柄、いろいろな本を資料として買い集めてくる。時として「爆弾の作り方」とか「毒物研究」「武器の構造」などという本も必要となったりする。こういった本がずらーっと書棚に並んでいるのを誰かが見たら、こいつはいったい何者なんだ、と思うだろう。  近所の喫茶店で編集者と原稿の打ち合わせをする場合、ミステリー作家は声を低くして語らねばならない。「例の殺人はやはり完全犯罪を狙ったもので……」とか「青酸カリはやはり、あの場合はまずいかも……」とかいった話をひそひそしていると、必ず周囲の怪訝《けげん》な視線を浴びることになるからである。  先日……例の大喪の礼が間近に迫った或る日のこと。突如としてわが家に警察の交通課と名乗る刑事が訪れた。表向きは当日の交通規制についての話だったが、その実、眼光鋭い、いわゆる過激派探しのローラー作戦部隊であることはすぐにわかった。  こういう時、わが家は非常に困るのである。まず第一に、うちはツレアイともどもミステリーを書いているので、昼日中からふたりともヨレヨレの恰好《かつこう》をして机に向かっている。  アイデアに詰まったり、原稿が遅々として進まなかったりしている時に、突然、チャイムが鳴ったら、「ちょっと、あなた、出てよ」「おまえ、出ろよ」と互いに知らんぷりを決めこもうとし、結局、玄関を開けるのが遅くなる。当然、玄関に出たほうは、原稿のことで頭が一杯で、目つきが悪くなる。訪問者に対して、威嚇するような顔をしてしまう。  まして、わが家は玄関を開けるとすぐに、廊下にまで流れ出した本の山が丸見えになる。視力のいい人なら、そこに「ザ・殺人術」などという本を見つけるのもたやすいかもしれない。  ふたりとも仕事中は、狂ったように煙草を吸うので、室内は煙でもうもうとしている。訪問者はドアを開けた途端、煙の匂いを嗅ぐことになる。  わが家の玄関は、一般家庭の玄関とは縁遠い。収納力のない狭いマンションだから、玄関の壁一面にコートやブルゾンなどが引っ掛けてあるし、片側の壁は洋書のペーパーバック本がずらり。レースの敷物に置かれた一輪差しもなければ、気のきいた絵が掛かっているわけでもない。ひたすら殺風景で汚くて暗い玄関の三和土《たたき》には、しまい忘れた男物の靴、女物の靴、サンダル、スニーカーなどが散乱し、まるで五、六人の人間が通って来ているようにも見える。 「ご職業は」と聞かれ、「もの書きです」と答え、なおかつ玄関がこれでは、過激派対策に血まなこになっている警察が、密かに要注意人物のリストに載せたとしたって、不思議はない。疑い深い刑事なら、私やツレアイが本物の銃を取材するため、猟銃店にでも行こうものなら、「それいけ」とばかりに徹底的にマークしてくるだろう。まったく迷惑千万の話である。  とはいえ、「小説書き」が立派な市民権を与えられてしまうのにも抵抗がある。もともと小説書きなどという仕事は、まともな仕事じゃなかった。あまりまともに市民権を得てしまうと、いいものが書けなくなるかもしれない。難しいね。 [#改ページ]   Vie(人生)のない日本人……  たまたま入ったスナックで、初対面の若い女性と話がはずんだ。彼女は父親の仕事の関係上、小学校二年のころからドイツに行き、中学を終えるまであちらで生活をしてきたのだという。  よく言われることだが、ドイツ人には親日家が多い。性格的にもドイツ人と日本人とは似ているところがある。ヨーロッパを回った経験のある友人の大半が「ドイツが一番、気分のいい国だった」と言っていたことを思い出した私は、聞いてみた。 「さぞかし、住み心地はよかったんでしょうねえ」  すると彼女は、残念そうに首を横に振る。「そんなことないです。ドイツ人って生真面目すぎて……」 「そうなの? でも日本人も相当、生真面目な国民だから、案外、気が合ったんじゃない?」 「とーんでもない。息が詰まりそうになるんですよ、あそこは。なんでもかんでも、キチンとしなくちゃ気がすまない人たちばっかり」  それからはドイツの悪口のオンパレードが始まった。借りていた家の大家さんが、彼女たち一家が留守中、頼みもしないのに家に入って来る。何をしているのか、問いただすと、大家さん曰《いわ》く、「ここはあなたがたに貸していますけど、私の持ち物ですからね。お留守の間に掃除をさせてもらう権利はあります。何か問題がありますか」  理屈からすれば大家の言うことは、別段、間違ってはいない。彼女たち一家は文句も言えずに引き下がったらしい。このことに代表されるように、ドイツ人というのは、すべてにおいて論理的で、理屈に合いさえすれば、日本人が驚くような非常識なことでも平然とやってのけるのだそうだ。 「それがうっとうしくって」と彼女はぼやく。「それに異常なほど清潔好きな国だから、家を汚したりするとすぐに怒られるの。うちだけじゃなかったんですよ。在独日本人たちはみんな、そういう経験をしてました」 「じゃあ、日本に戻った時はほっとしたでしょ」と私。ところが、彼女は「とーんでもない」とまた声を張り上げた。「私、ほんとはまたドイツに帰りたいんです」 「そんなにうっとうしい思いをしたのに?」 「日本はね」と彼女は眉をひそめた。「もっといやな国なの。ドイツのほうがずっと好き」  外国で教育を受け、成長してから日本に戻った、いわゆる海外帰国子女たちの多くは、不思議なほど彼女と同じことを言う。私はこれまで何人かの帰国子女たちから、似たような話を聞いた。皆、外国での生活に比べて日本は便利だ、と口を揃《そろ》える。外国の悪口を並べる子もいる。でも、日本はいやだ、と言うのだ。また元いた国に戻りたい、と言うのだ。  これはいったい何なのだろう。すべてにおいて恵まれているはずの日本。自分が生まれた国。そこに戻った時にまず感じるものが、絶望であったり、嫌悪であったりするのは、何が原因なのだろう。  知り合いに、はたちを少し過ぎた若いハーフの男の子がいる。彼の生まれはパリ。父親が日本人で母親がフランス人である。彼は十九歳になるまでフランスを離れたことはなかったが、このたび、父親の祖国で学ぼうと決意。日本に留学して一年半になる。  彼には日本人の友達はいない。ガールフレンドも皆、日本人ではない。日本人とは、つきあう気がしない、と言う。何故? と聞いた私に、彼は一言、簡潔に答えてくれた。 「日本人にはVie(フランス語で�人生�の意)がなさすぎるから」と。  これなんだなあ、と思ったものだ。Vieのない日本人。そう。日本人には人生がないのかもしれない。老いも若きも常に時間に追われた生活をしている。さもなくば世間や常識を気づかう束縛された生活をしている。本気で愛したり、何かに夢中になったり、逆にひたすらぼんやりしたり、考えたり、透明な孤独感を楽しんだりする精神の余裕、強さがない。小賢しいだけの若い人々。年老いれば、その小賢しさが、ずる賢さに変わっていくだけ。人生と呼べるような、ゆったりした大河の流れのようなものは、どこにも見られない。 「たいていの国にはVieがあるのに」と彼は言った。「どうして日本にはないんでしょう」  海外で暮らした経験を持つ子供たちが、再び海外に行きたがる理由は、どうやらそのへんにあるのかもしれない。 [#改ページ]   �内縁�と�知人�  パスポートを申請する時は、ふつう、所定の書類と共に、旅行代理店で作成してもらう申請用紙を提出しなければならない。  先日、ツレアイがその申請用紙をもらうために、旅行代理店を訪れた。現住所や本籍など、サラサラと用紙に書きこんでくれていた代理店の女性が、「緊急連絡先」の欄でふと手を止めた。 「あのう……」と彼女。「この同居なさっている小池さんという方が、緊急の連絡相手でよろしいんですね?」  ツレアイは「はあ」と答える。「それが何か?」 「あのう」と彼女はまたもじもじする。「……続柄は何とお書きすればよろしいんでしょうか」 「続柄? ああ、�内縁�でいいんじゃないですか」 「内縁……ですか? でも……そのう……」 「内縁じゃ、連絡先にならないんですか?」 「いえ、そうじゃないんですけど……でも……」  彼女は慌てた様子で、別の男性社員を連れて来た。事情を聞いたその社員も、そろってもじもじする。「内縁っていうのも、何ですし……妹とか、従姉妹《いとこ》とか、そんなふうに書いておきましょうか」  ツレアイはビビった。小池真理子なる人物は、彼の妹でも従姉妹でもない。法律上はまったくの他人である。赤の他人のことを「妹」だの「従姉妹」だのと偽って申請書に記入するのはどう考えてもマズイ。 「それはマズイですよ」と主張する彼にむかって、代理店の社員たちは「じゃあ、空白にしておきましょう」と結論を出した。「旅券課の人に聞いてみてください」  怪訝《けげん》に思いながらも、彼は旅券課の窓口に行き、�続柄�の欄を指さして言った。「内縁なんですけど、そう書いてはいけないんでしょうか」  窓口で応対したのは、人のよさそうな初老のオジサンだった。オジサンは「うーん」と唸り、首をひねり、ちらりとツレアイの顔を眺め、それからおもむろに言った。「内縁だなんて……そんな……ねえ? わかった。いっそのこと、�知人�にしときましょうよ。ね? それがいいですよ。�知人�。うん。やっぱりそれがいい」  で、オジサンはそこにさっさと�知人�と書きこんでしまったのだ、という。  この話を帰ってきたツレアイから聞き、私も彼も爆笑し合った。�内縁�と�知人�とでは、言葉のもたらす印象はえらく違ってくる。男女の関係を表現する上で、それは天と地ほどの差がある言葉と言っていい。これこそ、贋《にせ》の申請になるのではないか。  わが家は�入籍しない結婚�をしてから六年たっている。今も入籍するつもりはない。よほど入籍していないことで困った事態がおこらない限り、今後も同じ形のまま暮らしていくだろう。  籍を入れるか入れないか、で男女のつながりが変化することはないのだ、という一種の証明を自分たちで行っているわけだが、なかなか世間の反応はユーモラスだ。  きっと旅行代理店の人も、旅券課のオジサンも「内縁」という手垢《てあか》のついた言葉に嫌悪感を持っていたのだと思う。「内縁」という言葉から連想されるイメージが頑固に彼らの頭の中にあるらしい。四畳半のアパートでのしみったれた同棲《どうせい》生活。あるいは、どちらかに法律上の配偶者がいて、入籍できない、という関係。世をしのび、人目を避け、ひっそりとただれた関係を続ける男女……といったところか。だからこそ、なるべくならそんな言葉を使わせたくない、とする同情心が湧いたに違いない。  要するに、ツレアイは同情されたわけだ。それで、ふたりの関係が、「他人」と同義語に等しい「知人」になってしまうのだから、世間というのはまことに親切、お節介、野暮、というものである。  不動産を共同名義で購入し、銀行ローンを利用しようとする時も、私たちは入籍していないことで、野暮な質問をシャワーのように浴びなければならなくなる。つまるところ、信用されにくいわけで、これは正直なところ、ちょっとムッとするところがある。ローン返済の見通しがたっていさえすれば、人が入籍していようがいまいが、あんたらには関係ないでしょうが、と言いたくもなる。  入籍しないでいると、このように世間の様々な反応が見られて実に楽しい。今度、「入籍しない結婚をしている人間が遭遇した滑稽《こつけい》な出来事」と題する本でも書いてみようかしらね。 [#改ページ]   男の涙  ちょっと前まで、男は泣かないものとされていた、愛する人に死なれた時に泣くのは当然としても、それ以外では、滅多やたらと涙なんか見せないのが普通だと思われていた。  実際、学生時代に関わった男たちについてあれこれ思い出してみるのだが、私も彼らが泣いたのは見たことがない。  たとえば一緒に映画を見に行って、悲しいシーンになったとしても、連れの男が喉《のど》をひくひく鳴らして鼻水をすすり上げたことなんか一度だってなかった。  せいぜいが、映画館を出て明るい太陽の下で見た時に、目がうさぎのように赤くなっている程度であり、それにしたって、「あなたも泣いちゃったでしょ」と言えば、「まさか。そこまではいかなかったよ」などと強がる程度。  若気のいたりの、ひどくつまらない喧嘩をし、あげくに別れるの別れないの、という話になった時、相手の目がうるみ、目もとが歪み始めるのを二、三度、目撃したことがあるけれど、あれも泣いたうちには入らないだろう。第一、泣き声など聞いたためしがないのだ。  もともと男があまり泣かないのは、精神構造のせいではなく、ただ単に男子として泣かない教育を受けてきたせいだろう、と考えていたので、別に不思議はなかった。ほんとに、かつての男は老いも若きも泣かなかったものだ。  ところが少しずつ事情が変わってきた。男が泣く……というのを初めて不思議な思いで見たのは、例のロス疑惑で世間を騒がせたM……をテレビで見た時である。  彼は実によく泣いた。豪快で手放しのその泣き方には、明らかにちょっと胡散《うさん》臭いものが見え隠れしていたが、それでも、愛する妻を暴漢に殺された男……という筋書を思えば、それなりに芝居は上出来だったと言える。  あのころからだろうか。別にM……がきっかけになったわけではないだろうが、泣く男が目につき始めた。  若い女性たちの話を聞いていると、「喧嘩したんだけど、彼、泣いちゃって……」とか「ゆうべ、ちょっと文句言ったら、彼がしくしく泣いて、だから今朝、彼は目が腫《は》れてるの」といった内容が、俄然《がぜん》、増えてきているのに気づく。  知り合いの或る若い女性は、よく泣く男を恋人に持っていて、そのために喫茶店で泣かれて大弱りした、とぼやいていた。その意味では明らかに旧世代に属する私は、興味津々で質問を飛ばす。泣くって、いったいどうやって泣くの? おいおい、と口に腕をあてて泣くの? それとも、真っ直ぐ前を向いて嗚咽《おえつ》をこらえるの?  彼女は答える。「あら。普通に泣くんですよ」  普通って?「だから、普通に泣くんです。女の子が悲しくなって泣く時みたいに、しくしく、って」  おやおや。喫茶店で男にしくしく泣かれたら、女はいったいどうやって取りつくろえばいいのだろうね。そんなマニュアルはどこを探してもないだろうに。  最近の男が泣くのは、何も恋人同士の間に限ったことではない。スポーツ界でも、屈強な男たちが実によく泣く。  先日、入団五年目にして初めてホームランを打った若い選手がおいおい泣いていたのをテレビで見た。よほど嬉しかったのだろう。ホント、手放しの泣き方で、見ているうちに、これはひょっとして高校野球? と思ったほどだ。  あとは、居酒屋の片隅などで、何やら酔っぱらって、自分の言葉に酔い、涙してる若い男も見たことがあるし、陶酔きわまって、男どうし肩を抱き合いながら、鼻水をすすり上げている光景に出くわしたこともあった。  あるいはまた、テレビのCMにもその傾向は表れている。  鹿賀丈史の出演するウィスキーのCMは、自宅で感動的なビデオを見ながら、思わず涙を流す男のCMだ。あんなCMは昔はなかった。家族みんなでテレビ映画を見ていて、ああ、ヤバイな、涙腺《るいせん》が切れそうだ、と思うと、男はたいてい、わざとオナラをしてみせたり、ゲップをしたりして、ごまかしていたものだ。  泣くのは女、男は泣かないもの……とされていた不自然な図式は、ここにきて完全に崩れ始めているようである。女が歯を食いしばって泣くまいとする顔が、美しいのと同様、男が男社会のルールに逆らって、手放しで泣く姿は、逆の意味で美しく見えることがあるのかもしれない(時と場合によりますがね)。  泣くからといって、弱い存在とは言えない。涙はヒトの強弱とはとりあえず無関係である。そのことを知って素直に泣ける男は、わりと好みではある。 [#改ページ]   男と女のスキャンダル……  しかし、どう考えてみても、私には不愉快千万な話なのだ。宇野さんの女性スキャンダルのことである。  多くの識者たちの御意見は、大方、一致している。いわく、女性を性の道具として扱い、あろうことか金で買ったような男が、一国の総理大臣になるなんて、もっての外。女性|蔑視《べつし》は人間蔑視、人間差別につながるのは必至だから、そんな奴に政治を任せるわけにはいかん……と。  むろん、その通り。ごもっともである。反論する気はさらさらない。だが、ここで私が言いたいのはもっと別のこと。即ち、過去を楯《たて》に取って、かつては何が目的であろうが、一応は「愛してるわよん」と囁《ささや》いたであろう男を社会的に貶《おとし》めようとする、女性の�悪意�である。  これは宇野スキャンダルだけに限らない。過去の肉体関係を暴露して、マスコミに売り、有名人気取りでインタビューを受ける人が、何と後を絶たないことか。そして、その大半が女性だということに、お気づきだろうか。  そりゃあ、裏切られれば誰だって腹はたつ。惨めな思いをして泣きあかし、恨みを抱くことだってある。しかし、しかしですよ。そんな男を選択したのは、アンタなのよ、と私は言いたい。  寂しかったから、お金が欲しかったから、恋愛ごっこをしてみたかったから……理由は何でもいい。男と女の関係は、男の選択によってのみ生まれるものではない。男と女がそこにいて、たまたま互いに互いを選択し合ったからこそ生まれるものなのだ。それをあたかも、自分は最初から受け身であったかのようにふるまい、しかもその個人的な閨房《けいぼう》のエピソードを公にし、あろうことかそれによって相手の男を糾弾《きゆうだん》したつもりになるなど、私にはもう、理解を超える話だ。  男が過去に関係した女を恨んで、似たようなスキャンダルを意図的に流すこともまったくないわけではない。ニャンニャンしちゃった写真を雑誌に公開されてしまった若手女優がいたが、あれは確かに男が女を社会的に貶《おとし》めてやる目的で仕組んだことだった。だが、写真を売り込んだ当の少年は、自分がしてしまったことの重大さに悩み苦しみ、その後、自殺した。  痛ましい話ではあるが、女性を世間に売った男には、ふつう、このような形での苦悶《くもん》がつきまとう。何故かって? 男のほうが女よりも社会性を強いられてきたからだ。  人格の程度の高さ低さに関わりなく、男社会に生まれた限り、社会性なくしては生きていけないのが男である。過去の女を世間に売ったところで、売った男は馬鹿にされこそすれ、決して同情されはしない。浅ましいことをする奴だ、よっぽどモテなかった馬鹿な男なんだろう、と逆に総スカンを食らう。  そのことを薄々知っているから、男は女への恨みつらみを世間に公表するようなことは滅多にしない。そういうことをするのは、よほどのヤクザか、性格異常者、あるいは子供だけだ。  有名人としての女性と関わった男だけではない。普通の女性と関わった男とて、同様である。たとえ相手の女性をどれほど恨んだとしても、あたりかまわず悪口をばらまき、その女性を貶めてやろうと薄汚いことをする男は非常に少ない。  男が恨みつらみを発散させようとすると、たいてい、暴力事件に発展する。相手の女性を殴る。傷つける。  暴力に訴えない男は、女性不信に陥り、人生に絶望するのみ。こうした男と女の違いは大きい。  これだけ女性の社会進出が増え、風潮の上でも男女平等が当然のこととされている今日でさえ、なお、一皮むけば相も変わらぬ程度の低い男がいる。また同様に相も変わらぬ被害者意識を持ち出し、社会性のかけらもないくせに、手前勝手な正当論をぶつ女が後を絶たない。これはいったいどうしたことなのだろう。  程度の低い者同士が、蔭で秘密を暴露し合っているだけなら害がなくていい。だが、今回は告白したほうが元芸者サン、されたほうが一国のソーリダイジンだったために、多方面に騒ぎの種をまきちらすことになった。  私に言わせれば、告白したほうもされたほうも、どっちもどっち。本気で宇野サンの失脚を狙って�告白�したのなら、あの女性に拍手を送ろう。だが、彼女はおそらく違う。恨みつらみを晴らしたかっただけなのだ。  結局、日本の男の程度の低さと、日本の女の程度の低さを見せつけられただけのような気がする。あんまり双方の程度が低すぎて、これが政治スキャンダルだということすら忘れてしまいそうだ。 [#改ページ]   差別構造の是非  小学校の低学年だったころ、週に一度、ピアノを習いに行っていた。ピアノの先生宅にはいつも、たくさんの絵本が置いてあり、レッスンの順番待ちにその本を眺めているのが楽しみだった。 『ちびくろさんぼ』の絵本を見たのもそのころだ。木のまわりをトラが物凄いスピードで回っているうちに、おいしそうなバターになってしまいました……というくだりが面白くて、何度も繰り返し読んだものだ。黄色いトラが、猛スピードで回転したら、とけてバターになった、なんていう発想は、いくら童話とて、凡人の才によるものではない。子供心にもワクワクするほど楽しく、感動した記憶がある。  その絵本が最近、絶版になったそうだ。黒人差別につながるから、という理由らしい。  それと同時に、カルピスの黒人マークも廃止された。黒人を戯画化して商品に使用するのはいけないそうである。唇がぶ厚くて、顔が黒い人間を絵にしたら、それだけで差別になるというのである。  話は飛ぶが、最近、小学校で運動会の徒競争を廃止しているところが多いそうだ。徒競争では一位から最下位までの順位が明らかにされる。子供たちに人間は皆、平等であるということを教えながら、順位をつけるのはマズイ。だから、一斉に廃止しよう、というものだ。  また、教室で子供たちに挙手させる時、全員、机に頭を伏せて、誰が手を上げているのかわからないようにしている学校もある、と聞く。問題が解けない子は、先生に「わかった人は手を上げて」と言われても挙手できない。挙手できないことによって植えつけられていく被害者意識、被差別意識をなくそうという試みらしい。  ついにここまできたか、と暗澹《あんたん》たる気持ちにさせられる。人類は、差別のない平等な世界を願うあまり、何かとてつもなく愚かな方向に進んで行こうとしているのではないか。  誰しも差別されたくないと思っているし、平等でありたいと願っている。それは当たり前のことだ。だが、当たり前のことを極端に意識して、重箱の隅をつっ突き始めると、ロクなことにはならない。  子供にとって小学校というのは、初めて体験する社会である。そこは、泣いたり戸惑ったりする試練の場所でもある。動物の子供が、親別れして必死に生きていくように、人間の子供も右往左往しながら、それでも立派に成長していくものだと私は思う。  私は徒競争ではいつもビリッかすだった。途中で転んで、みんなに笑われ、ゴールに入る前に泣いたこともある。音楽と国語の成績はよく、その時間は楽しめたが、算数は劣等感にさいなまれた。楽しんでいる時の私は、ある意味で加害者であり、劣等感に苦しんでいる時の私は被害者だった。私は優位に立ったり、劣位に落ちたりしながら、青息吐息で小学校を卒業した。そして社会とはそういうものであること、闘っていくしかないものであることを知ったような気がする。  子供が楽しんで読んでいる童話を「差別になるから」と言って取り上げ、子供が可愛いマークだと信じていた飲料水のマークを消し去り、徒競争を廃止し、手を上げる時に机に頭を伏せさせる……そんな世の中で、子供たちはどうやれば厳しさや不条理と闘っていくことを学べると言うのだろう。�木を見て森を見ない�式に語られる�平等�のスローガンは、子供たちをいたずらに去勢してしまうのではないだろうか。  世界には歴然とした差別構造がある。人種問題だけではない。男女間の差別や成績、学歴による差別、金の有無による差別、美醜の差別……。生きていながら、それらに目をつぶることは事実上、不可能だ。それらを知ることから、人間はあるべき形を求めて努力するようになる。ものごとを深く考えるようになる。感じるようになる。  それなのに、大人は子供たちの目をつぶらせようとしている。何も見なかったことにして育てようとしている。その愚かさを今こそ、知るべきだと私は思う。  どうも日本とアメリカには�是か非か�という極端な物の考え方がはびこり過ぎている気がする。柔軟なものの考え方ができない国民は、いずれ間違いなく極端な方向に走っていく。それは過去の歴史が実証済みだ。  どうせ極端に走るのなら、皆が皆、自分のことだけ考えて生きていればいい。そうすれば世の中には無数の価値観が生まれる。無数の秩序が生まれる。それでいいのである。 [#改ページ]   自意識と整列現象  わが家の近所に最近、名所ができた。『OPERA』という名のビアレストランである。  え? 何それ、と言う人のためにちょっと説明しておくと、『OPERA』が開店したのは、つい四、五か月ほど前。キューバ大使館の跡地をサントリーが期限つきで借り受け、開業した。売りものはその名の通り、オペラ。そう、オペラを聞きながらビールを飲むのである。  これまでビアガーデンとかビアホールというと、会社帰りのオジサンたちが背広を脱いで、ネクタイゆるめて、枝豆やヤキトリなんかを前に、ジョッキでガブガブやり、流れてる音楽はハワイアンか二十年前のアメリカンポップス……と相場が決まっていたものだ。  ビールとオペラ。この取り合わせの妙に加えて、ここ『OPERA』では、鼻の頭に汗かいて泡が吹きこぼれた大ジョッキを三つも四つも運んで来る、疲れた感じのウェイターはいない。店内を颯爽《さつそう》と歩くのはキリリとした風貌《ふうぼう》のギャルソン。何もかもがスノッブなのである。  その意外性が受けたのか、この店には夕方四時ころから客が並び始める。ひところ、アイスクリーム屋の前に長蛇の列ができたことがあったが、まさしくそれと同じである。開店直前ともなると、人の列が道路にまでせり出してくる。もう、凄まじいのである。  客層は若者中心。全員が、クローゼットの中から選び抜いた一張羅といった感じの服を着て、目いっぱい気取っている。列をなす着飾った連中の前に、これみよがしに外車で乗りつけるカップルがいれば、それをじろりと値踏みするカップルもいる。見ていて飽きない。  むろん、オバサングループもいる。オベントウ買って杉良太郎の公演に行く、なんてのはいまどき流行らない。今のオバサマはやっぱり行列して『OPERA』でビールを飲むのである。  七時ともなると、列はさらにふくれあがる。店内に収容(?)された客の他に、続々と新たな客が到着するからである。七時半、八時……。それでもまだ列は途切れない。そんなに待ってたら、お腹がすくだろうと思われるのだが、皆さん微笑みをたやさずに辛抱強く待っておられる。  私はその列の脇を通り過ぎ、ほぼ毎日、夕食の買物に行く。こちらはスニーカーにジーンズ、Tシャツ姿で、ボサボサ髪、手には財布ひとつ……という買物ルック。頭の中は夕食の献立と書きかけの原稿のことで一杯というありさまで、『OPERA』の脇を通る時はいささかカルチャーショックを受ける。オペラを聞きながらビールを飲むために、遠いところから一時間も二時間もかけてやって来て、そのうえまだ整列を続けるなんていう気力は私にはない。  東京を中心にしてこうした�整列現象�がおこるようになったのは、ここ五、六年のことだと思う。話題の店ができると、話題の店の前に並ぶのが一種のファッションになったわけだ。情報化社会が生んだアホらしい現象とも言えるが、私は、�整列�好きの人間が増えたのは、現代人の自意識がきわだって強くなったせいかもしれない、と思っている。  いや、ホント。現代人は老いも若きも自意識が強くなった。自意識というものは、貧困に喘《あえ》いでいたり、戦争が勃発《ぼつぱつ》したりした時は、影をひそめるものとされている。そりゃあそうだ。そうなったら、自意識どころの騒ぎではなくなる。  だが、世の中が平和になり、暮らしにゆとりができてくると、途端に自意識は強くなってくる。目立ちたい、少しでもカッコよくありたい、皆に羨ましがられたい……そういう意識がムクムクと頭をもたげてくる。  ところが、普通の生活をしている人間は、まず大勢の他人に見られたり、そのセンスを採点されたりすることはない。せっかく着飾っても、電車に乗って街を歩くだけなら、ただの人だ。美的センスを見知らぬ他者にチェックしてもらうためには、同種の人間が集まるような場所に行くのが一番、手っ取り早い。しかも、�整列�していれば、頭の先から足の先まで他者に見てもらえる。自意識はそれによって、多少なりとも緊張し、満足するわけだ。  そんなこんなで�整列�現象がおこったのだろうが、それにしても、あの執念には脱帽する。出不精でメンドくさがり屋で、パーティーでハイヒールをはいて立っているだけでウンザリしてしまう私のようなぐうたら者には、やはり、自宅でパジャマに着替え、茹《ゆ》でたてのエダマメに缶ビール、レンタルビデオ……という暮らしが似合っているようである。 [#改ページ]   ネコ飼えば……  わが家では今、メスの三毛ネコを飼っている。訪れた人の様々な反応は見ていると興味深い。  まず一番多いのは、「可愛いネコですね。何という名前ですか」と型通りの質問をする、いわば�常識型�。この人たちはたいてい、ネコの歓迎の挨拶《あいさつ》(……クンクン匂いを嗅ぎ、手をひと舐《な》めするという、うちのネコ特有のもの)を甘んじて受け、無視することなく、かといって過剰に気をまわすこともなく、ネコはネコ、人間は人間、という距離を保って接する。  次に多いのは「動物なんでも大好き人間」。女性に多いかと思いきや、さにあらず、意外と男性にも多い。中には熱狂的なネコ好き男性もいて、うちにいる間中、ずっとネコを抱きしめ、いやがって暴れる彼女にしこたま引っ掻《か》かれ、血が流れてもなお、ニコニコしているスゴイ人もいる。このタイプは、たいてい自分でもネコを飼っており、定期入れに妻子の写真ではなく、飼い猫の写真を入れて持ち歩いていたりする。ほとんど谷崎潤一郎の小説の世界だが、普段のいかつい目つきが動物を見るとデレッとヤニ下がるところなど、七変化を見ているようで微笑ましい。  数は圧倒的に少ないが、明らかにイヌネコ嫌いという人も何人かいる。訪問先に大嫌いなケモノがいた時の嫌悪感は、動物嫌いでなければわからないだろうが、それにしても気の毒ではある。彼らは客人である限り、イヌネコのいる家によばれて、「イヌネコは嫌い」とは言えない。従って我慢に我慢を重ねるわけで、その我慢のせいだろうか、いささか会話がうわの空になったりする。別にペット自慢をするつもりはないが、普段、愛想のよかった人が、動物を見て眉をひそめたりするのを見ると、�正体見たり�という気にさせられるのが辛い。  この種の客人が帰った後は、ネコは欲求不満を解消すべく、家中を走り回ったりする。愛されるはずだったのに相手にされず、ヒスを起こした人間の悲哀を見るようで、なんだかもの悲しい。  このように人間は動物と接する時に、もっとも素直な自分を暴露することがある。どれほど頑なに殻を閉ざしている人でも、どれほど普段、対人関係で巧妙な演技をしている人でも、動物を相手にすると正直になってしまう。そこが面白い。  動物とは言葉によるコミュニケーションができない。自分はおまえを愛してるんだよ、大好きなんだよ、決して捨てたりしないよ、ということの表現も、言葉では伝えきれない。身体表現を使わねばならない。頭を撫《な》で、抱きしめ、頬ずりをし、時にはじゃれ合い、レスリングのまねごとをし……という具合に。  その表現方法はきわめて原始的だ。だからこそ、そこに人間の本性が現れる。人間社会の仮面をかなぐり捨てないと、動物とは直に関わっていけないのである。  先日、楽しい光景を見た。今、住んでいるマンションのベランダで洗濯物を干していた時のこと。ベランダからは向かいの家の裏庭が見下ろせるのだが、そこにその家のオジサンが現れた。日曜の午後のことだ。庭いじりでもするつもりだったのだろう。手には小さなシャベルを握っている。  このオジサン、犬小屋の前に立った。雑種と思われる大きな犬がオジサンに向かって尾を振っている。オジサンは犬をじっと見下ろした。無表情にただ、見下ろしているだけだ。  犬が精一杯、シッポを振っているのに、オジサンは応えない。頭ひとつ撫でようとしない。あれれ、ずいぶん、冷たい飼い主だな、あのシャベルで犬をぶん殴る気かしら、とヒヤヒヤして見ていると、オジサンは周囲をキョロキョロし始めた。静かな午後だった。あたりには誰もいない。むろん、オジサンは私が見下ろしていることなど気づかない。  オジサンはやおら、地面に座り込んだ。そして両腕を一杯に拡げて犬を抱きしめた。ものすごい抱きしめ方だった。もう、愛して愛して、おまえのためなら死んでもいい、というくらいの抱きしめ方だ。抱きしめ、キスをし、犬の顔をぐしゃぐしゃにかきまわし、それでも足りずにまた抱きしめる。犬は喜んでオジサンを舐《な》めまわす。  そこに、オバサンが出て来た。オジサンはパッと犬から身体を離し、まるで浮気の現場を目撃された時みたいに、そそくさと家の中に入って行った。オジサンは犬を相手にした時だけ素直になれるのだろう。ワカル、ワカル、その気持……と私は深くうなずいたのであった。 [#改ページ]   後家を�ゴヤ�と読まれては……  妹がまだ六つか七つのころのことだ。ある時、ヤブ蚊をうまく殺すことができた彼女が、「ほら」と言って私や両親の目の前に自慢げに殺した蚊を見せに来た。 「カガ殺したよ」と妹は言った。え? と聞き返す。何度、聞き返しても、妹は「カガ殺した」としか言わない。  父親が「蚊が殺した、んじゃなくて、蚊を殺した、って言うんだよ」と、テニヲハの基礎を教えこもうとする。だが、妹は頑として「カガ殺したんだもの」と言って譲らない。  何を言っているのか、よく理解できなかった私が、ふと思いたって彼女が殺した蚊をつまみあげ、「ねえ、これ、何ていうの」と聞いてみた。妹は「カガ」と答えた。  そう。彼女はみんなが「蚊がいる、蚊がいる」と言うのを聞いて、人を刺す虫が�カガ�である、と思いこんでいたのだった。  この種の思いこみは、愚妹には尽きず、三十に近くなった今も�我孫子《あびこ》�という地名を平然と�がそんし�と読んで周囲の失笑をかう悲しい習性があるのだが、まあ、内輪の恥をさらすのはこのくらいにしておこう。  思いこみは誰にでもあるものだ。我孫子を�がそんし�と読んでいたからといって、別段、他人に迷惑をかけるわけではない。地名や人名を誤って読んだせいで、その人の知能程度が本気で疑われるようなこともない。かえって、ご愛嬌になったりもする。思いこんでいたことを素直に認めることによって、人との関係が深まり、恋や友情が芽生えたりすることだってあるのだ。  だが、思いこみを通り越して、知識や一般教養に対する無関心さが度を越すと、これはちょっと問題である。  先日、ビートたけしが出ているTV番組で「現代の若い女性が、どれほど古い結婚観から解放されているか」ということを調べるために、面白い実験を行なっていた。 �貞操��後家��石女�などという漢字が書かれたカードを道行くOLや学生に見せて読ませ、意味がわかっているかどうか、質問したのである。制作側では、それらの漢字が読めるかどうか、をテストしたのではなく、あくまでも、これらの因習深い言葉の語源を彼女たちが理解しているかどうか、をテストしたわけだ。  ところが蓋《ふた》を開けてみると、予想しなかった結果が現れた。まず�石女《うまずめ》�が正しく読めた女性は皆無。イシオンナ、セキジョ……えーっ、何これ、石みたいに固い女っていう意味ぃ? それとも女子プロレスのことかしら……という具合。 �貞操《ていそう》�を正しく読めて、意味を把握していた人は二割程度。えーっ、ウッソー、これって、正しい体操っていう意味なんじゃないのぉ?……という方もいらっしゃいました。 �後家《ごけ》�ともなると、珍回答が続出。ゴヤ? ゴカ? ウシロヤ? 何なんだろ、ワカンナーイ、セカンドハウスみたいな家のことを言うの? 違うのぉ? ワカンナーイ、こんなの知らないもん……。 �石女�を正しく読んで、意味を言える人が少ないのはわかる。ウマズメなどという言葉は、現代において、確かに死語となりつつあるし、いくら国語の辞書の中で生きていたとしても、若い女性たちが知らないのも無理はない。  だが、貞操、後家という言葉は、死んだ言葉ではない。現代語として未だに生きているし、いわば常識でもある。これらが読めない、意味がわからない、となると、相当一般常識、一般教養に欠けているとしか言いようがない。  一般常識や一般教養などなくても、充分、朝シャン、ワンレン、ボディコンで楽しく生きていけるのだろうし、そんなものに関心を向けている暇があったら、世間に遅れをとらないよう、せっせと情報誌をめくって、新しいブランド商品を買いに行き、新しく出来た話題の店でエスニック料理でも食べたほうがいい、と彼女たちは思っているのかもしれない。  でも、正直なところ、私はモノ書きの一人として、�貞操��後家�が読めない女性が圧倒的に多かったことに、多大なショックを受けている。漢字が読めない、意味もわからない読者に向けて、私はいったい、何を書いたらいいのだろう。今後、作家は自分の小説に、ひとつひとつ漢字の意味を書き加えていかねばならないのだろうか。  ともあれ、これ以上、「キレイだけど頭はカラッポ」の日本女性が増えないよう、心から祈っている。 [#改ページ]   疲れた時には『クマのプーさん』  どんな時が一番、幸せか、と聞かれたら、迷うことなく次のように答える。  たとえば、長編小説を書き上げた翌日、一日中、誰とも会う予定がなく、出来れば翌日もスケジュールは特になし、という状態の時で、天候は曇り、もしくは雨がよろしい。ついでに言えば、朝から雪がちらつき始めて、テレビの天気予報で「関東地方に大雪注意報が出ています」などと伝えられ、外はしんしんと冷えこんでいるのに、部屋の中はぬくぬくという状態であれば、さらによし。  冷蔵庫を開ければ、二、三日、買い物に行かなくても充分、おいしい食事が楽しめる材料が揃《そろ》っていて、「ちょっと一口」のためのお菓子や果物もたっぷり。  電話を留守番電話に切り換えて、「ちょっと一口」のお菓子と、必需品の煙草を携え、炬燵《こたつ》、もしくはベッドに直行。  そしておもむろに読みたかった本のページをめくり始める。窓の外は雪。二、三時間たつと、次第に眠くなってくる。活字が揺れ始める。どれ、少しウトウトするか、と読みかけの本に栞《しおり》をはさみ、目を閉じる。  三十分くらいウトウトし、ひょいと再び目を覚ます。欠伸をしながらコーヒーをいれる。また本を開く。雪が強くなっている。雪を見ながら、煙草を吸う。ああ、極楽、極楽、てなものである。  そんな時は、日頃、読みたくても時間がとれなかったディケンズの『荒涼館』全四巻なんてのも、読む気になってくるし、昔読んで、大半忘れてしまったような『ドクトル・ジバゴ』全二巻とか、その他、文芸評論や美術評論、心理学専門書や果ては古典文学にいたるまで、モーレツな読書意欲がわいてくるから不思議なものだ。  本好きの人間にこの話をすると、たいてい「ワカル、ワカル」と身を乗り出してくる。晴耕雨読の生活でもしていない限り、なかなかじっくり本が読めないのが多忙な現代社会。読みたい本ばかりが棚に積まれ、そのまま埃《ほこり》がたまっていくのを見るのは、なんとも虚しいものだ。昔はあんなにたくさん本が読めたのにな、などと暇だったころを懐かしんだりするのも、精神状態によくないわけで、忙しすぎて疲れた時は、やっぱりそれにふさわしい本を選ぶに限る。  私は心身ともに疲れた時は、必ず『クマのプーさん』を読む。子供のころから、この習慣は変わらない。  わが家にはボロボロになった岩波書店刊の初版本と共に、その後、上製本として新たに刊行された『クマのプーさん・プー横丁にたった家』の二冊がある。ボロボロになってしまったほうは、さすがにもう読めないが、上製本のほうは、未だに健在。これほど何度も読み返し、文章を暗記してしまっても、なお、また読みたくなる本を私は他に知らない。  たかが童話だ、として馬鹿にする人もいるが、この『クマのプーさん』を読まずに小説を書いている小説家など、信用しないほうがいい。『クマのプーさん』はすぐれた作家(A・A・ミルン)とすぐれた翻訳家(石井桃子)、それにすぐれた挿絵画家(E・H・シェパード)による、今世紀最大のメルヘンなのである。 『クマのプーさん』が疲れた時のための本だとすると、風邪をひいて熱がある時の本は、猫のマンガの『ホワッツ・マイケル』。これはもう、風邪をひいた時のみならず、二日酔いで気分が悪い時や、いやなことがあってイライラしている時などにも絶大な効果を発揮するスグレモノだ。  今のところ、まだ全六巻しか出ていないが、私は体調が悪い時はたいていこれを読む。繰り返し読んでも全然、飽きない。気持ちがふんわり優しくなり、頭がカラッポになり、ついでに笑いがこみあげてきて、心身ともにくつろいでくる。  他にみつはしちかこの『チッチとサリー』なんて漫画も風邪の時は効き目があるし、ちょっと趣向を変えて、手塚治虫の『ブラック・ジャック』も悪くない。体裁ばかりよくて、中身のない小説を読むよりは遥《はる》かに漫画のほうがタメになることも多いわけだ。  世の中には軽いタッチの本(漫画もふくめて)のことをえらく軽蔑《けいべつ》する人種がいる。最近の若手の作家は、漫画や軽い本ばかり読んで、プルーストやジョイスを読んだことがないのではないか、と怒っている文芸評論家もいる。プルーストやジョイスなんか読まなくてもいい小説は書けるし、何を読もうが、基本的に人の勝手だ。  だいたい、風邪で高熱を発しながら、プルーストを読んでいる人がいたら、やっぱりちょっとブキミではありませんか。 [#改ページ]   能面のように無表情な若者  最近、二十代前半の男の子たちが何だかおかしい。ヘンである。  もちろん、一口に二十代前半の男の子といっても、いろいろな人がいるし、十把一からげにして語れるものではないということは、充分承知している。でも、それにしてもヘンなのである。彼らの世代に共通しているものが、なんだかありそうな気配がするのである。  まず感じるのは、「無表情」ということ。顔に表情が乏しい。あんまり笑わないのだ。ごく親しい仲間や身内の間では、ゲラゲラと馬鹿笑いするが、一歩、社会に出ると突然、顔に能面シールでも貼《は》ったように無表情になる。  私が通っている美容院のシャンプーボーイ君を例にとろう。彼はおそらく二十一、二歳。背が高く、痩《や》せていて、なかなかファッショナブルでもある。そのシャンプーボーイ君、客が店に入っていくと、「いらっしゃいませ」と言う。シャンプーをしている最中には、「痒《かゆ》いところはありませんか」と聞く。終わると「お疲れさまでした」と言う。店を出る時は、どこからともなく「ありがとうございました」という声が聞こえてくる。しかもその言い方たるや、テープに吹き込まれた機械の声と同様、単調で人間味がない。こわいくらいに一本調子なのだ。  彼の目には光がない。感情の動きが見られない。彼を見ていると、突然、シャツのポケットからアーミーナイフを取り出して、周囲の人間を切りつけたとしてもちっとも不思議ではないようにさえ思う。はっきり言って、ちょっと不気味なのだ。  時々、彼がどんな反応をするのか試してみたくて、無難な冗談などを言ってみるのだが、それでも彼は笑わない。ちょっと困ったように唇の端を歪めるだけ。質問しても「はい」と「いいえ」を交互に繰り返すだけだし、それ以上の会話を始めようとすると、居心地の悪い沈黙が広がるばかり。  だが、彼はもくもくと働く。ロボットのように、と言ってもいい。何かこちらが頼むと、無表情のままではあるが、頼まれた通りのことを忠実にやってくれる。真面目で正直で、信頼もできる。ナイフを持たせたら怖そうだが、子猫などを抱かせたら、それなりに似合ってしまいそうな雰囲気もある。  世の中にはこんな人種もいたんだ、と知った時は、いささかショックだった。ことあるごとに私は彼の話を持ち出して、「ねえねえ、変わった男の子がいたのよ」などと彼のことをみんなに教えてやったりしていたのだが、あにはからんや、世の中、あのシャンプーボーイ君のごとき若者がゴロゴロしている、と実感することになるとは。もうほとんど、私など竜宮城から帰ったばかりの浦島太郎の心境である。  インタビューに来るフリーライターの若者とか、雑誌、広告、その周辺をうろうろしている彼らのタイプは、皆、どこかあのシャンプーボーイ君と似ている。マニュアル通りの会話はできるのだが、少しでもそこから話題がはずれていったり、自分の知らない話題が出てきたりすると、さっさと殻を閉ざし、沈黙してしまうのだ。  二十一、二歳の男の子が三十ン歳のオバハンを目の前にして、共通の話題を探し、あれこれ取り入る……という光景も気持ち悪いものだが、いくら共通の話題がないからといって、能面のように表情をなくされると、もっと気持ち悪い。こちらは自分が年上であることを意識して、彼をリラックスさせようと冗談を言って笑わせようとするのだが、どんな冗談を言っても笑わない、というツワモノも中にはいる。あんまり笑わないから、こちらも「夜のヒットスタジオ」の加賀まりこみたいに、いやったらしい熟女ふうのイヤミを言ってみたくなり、「ねえ、ちょっと、あんたって面白味のない男ねぇ。女を口説く時も、そうやって渋い顔をしてるわけ?」なんて、苛《いじ》めてみたりするのだが、それでも笑わなかったりされると、お手上げである。  昔は能面のように無表情の男には、その下に隠されている様々な感情が垣間見《かいまみ》えて、いかにもセクシーだったものだ。ニヒルである、ということは、混沌とした感情を隠し、風に吹かれて生きようとする男の気取りをさした言葉なのであって、いまどきの若いアンちゃんたちみたいに、何もないのに渋い顔をしているのは、ただのアホである。  そこへいくと、女性たちは何と表情豊かなことか。どうせ、若い男の子たちは世紀末に向かってゾンビみたいに生きていくのだろうから、もう「女の時代」なんて言葉も当然すぎて、死語となりつつある。 [#改ページ]   自律神経友の会  去年の暮れから、漢方薬を飲み始めた。漢方薬といっても、民間の薬局で調合してもらったやつではない。ちゃんとした東洋医学専門の病院で診察を受け、出してもらった本格的な煎《せん》じ薬である。  四年ほど前から、ことあるごとに胃腸の調子が狂っていたのだが、去年はさらに狂いっ放し。夕刊に載っている養命酒の広告を見て、ひとつ飲んでみるか、と思ったり、雑誌や何かで「癌《がん》」という文字を見ると震えあがり、これは癌かもしれぬ、早く遺作となる大傑作を書き残しておかねば……などとつぶやいて周囲を呆れさせたりしていた。  でも、いくらなんでもまだ三十代。老化現象とも思えず、やっぱり、重病に違いないと案じて、おそるおそる病院の門をくぐって各種検査を受けること、通算三回。結果はすべて異常なし。けっこう人並み以上に酒を飲んでいるのに、肝臓は赤ちゃんみたいにキレイだ。なんて言われるオマケつきであった。  となると、これは内臓のビョーキではなく、神経のビョーキということになる。考えてみれば、そりゃあそうだ。作家は内臓よりも先に、神経をやられやすい。理屈から言えば、よほど忙しい時を別にして、作家は基本的に好きなだけ眠ることができる。徹夜して飲んだって、翌日は一日中、寝ていられるから、大して身体には響かない。  身体をあまり動かさないから、食事も消化のいい、栄養バランスのとれたものになる。いやな人間関係もあるにはあるが、会社勤めの人間よりは遥《はる》かにましで、会いたくないヤツには会わずにすませることだってできる。極端に言えば、いい小説を書けばそれでいいわけであり、いい小説書いて、締切を守っていれば、人間関係が悪くなるはずもない。内臓を守るためには、案外、健康的な生活ができるわけだ。  但し、神経だけは別物である。小説誌の締切がある。書下しの締切がある。とりわけ雑誌の締切が神経に響く。中には、一週間や十日くらい遅れたって、最後に印刷所に入って書いちまえばいいのさ、などと言い、実際、それを実行している人もいるが、気の弱い私にはとてもそんなことは出来ない。万が一、それでも書けなかったら、月刊誌に穴をあけることになる。要するに、自分のせいで一つの雑誌の十数ページ分がボツになってしまうのだ。予告を打ってあれば、なおさらのこと。弁解無用の世界。どうして、神経を使わずにいられようか。  締切の次に神経がボロボロになるのは、小説のアイデアが出てこない時である。これは怖い。だってそうでしょう。アイデアなんか、そうそう湧き水のごとく出てくるもんじゃありません。しぼり出し、ひねり出し、最後には頭の中をナイフで切り開き、それでも何も出てこないことだってある。俗に言う�壁�である。  壁にぶちあたったら、何をしたってダメ。物語ひとつ、浮かんできやしない。そうなったら気分転換なんて、子供だましみたいなもの。ひっくりかえっても、転がってもダメ。ダメの連続。  締切は迫る。アイデアは出ない。編集者からは矢の催促。テキも必死だ。生活がかかってる。なだめすかし、持ち上げ、それでもダメとわかると、脅しにかかる。「もうそろそろ、雑誌に穴があきます。お覚悟を」てなもんである。  これで神経がおかしくならないはずはない。そのうえ、運動不足、喫煙、飲酒……とくれば、立派な神経病患者ができあがるという寸法だ。  で、私の場合、仕方なく漢方治療を始めたのだが、結果はまだよくわからない。根本的な治療というのは、仕事をやめることです。なんて医者に言われて、まさか、センセイ、そんなことは不可能です、と答えた限り、どこかで悪循環を断ち切らないといけないのだが、はて、どうしたものか。  この種の「不定愁訴」を訴える人は数多いそうで、作家仲間にも結構いる。総合的に病名をつければ「自律神経失調症」ということになるのだが、締切が近づいたり、根をつめたりすると、心臓が痛み出し、呼吸困難になる人、胃|痙攣《けいれん》をおこす人、発熱する人、食欲をなくす人……と、人によって症状は様々だ。  私は今、そういう人たちを集めて「自律神経友の会」というのを結成している。まだ、定期会合というものはしていないが、会う人ごとにその話をすると、「あ、オレも入会する」「アタシも」というわけで、今後、会員の数はウナギ上りに増えそうな気配。どうせなら、「自律神経を病んでる作家の書くものは、優れた作品が多い」と言われるよう、頑張ってみるとするか。 [#改ページ]   倒錯の一夜  たいていの女は、ゲイバーに行くことが嫌いではない。オカマと聞いて、眉をひそめ、「いやあだ。あたし、そういう人って嫌いなの」と本気で言う女性とはお目にかかったことはない。これは不思議な現象である。  一方、意味もなくオカマが嫌いな男は多い。玉三郎の女装は許せても、オカマたちの化粧や女装はキモチ悪いと言う。  TVのミスター・レディ・コンテストなんかは、結構、面白がって見るくせに、実際にオカマを目の前にすると、落着きがなくなり、そそくさと帰ろうとする人もいる。「若くて美人ならいいよ。でも、どうしてオレが、あんなババアのオカマの相手をしなきゃいけないんだよ」と言いわけがましく言う人もいる。  もっとも最近では、整形手術の発達により、どう見ても女にしか見えない人も大勢、登場しているし、普通の男たちが化粧する御時世だ。女装した男のことを毛嫌いする人は減ったようだが、それにしたって、女の子たちが「オカマ、大好き。きれいじゃない」なんて、無邪気に言うほどには、ファン層は薄いような気がする。  ゲイ、ホモ……など、倒錯したことに対して、大らかでいられるのは、実は男よりも女のほうであるらしい。とはいえ、それも他人事として見る時だけに限られる。わが身に災難がふりかかってきたら、そうも穏やかにしてはいられまい。  先日、機会があって、仲間たちと久し振りに夜の六本木に出た。とある店で、仲よくカラオケに興じていた時のこと。  隣のグループの中に一人、若い男がいた。グループは男女混合の七、八人のグループで、全員、ごく普通の会社員といった感じ。同じ会社の上司と部下たちだったのだと思う。その若い男も普通のサラリーマンタイプで、背広を着て、きちんとネクタイをしめ、どこの職場にもいそうな、特徴のない顔をしていた。  店には私たちグループとその会社員グループの二組しかおらず、二つのグループは交互に歌を歌う形になった。  男は私たちグループが歌っている時にしゃしゃり出て来て、気をひくようなしぐさをし始めた。踊ってみせたり、笑いかけてみたり。うっとうしい奴だな、と思ったが、初めは単に酔っぱらっているだけなのか、と思って無視していた。  やがて彼はカラオケステージの譜面台にしがみつくようにして、歌い手の顔を見つめ始めた。どうも様子がおかしかった。一緒になって歌うわけでもなし、かといって、野次を飛ばすでも、言いがかりをつけるでもなし、ただステージの前に立ちふさがり、うっとりした目つきで歌う人間の顔を見つめているだけなのである。  私たちの仲間には私を含めて女は二人しかいなかった。同席していた男たちからは「気をつけろよ。あいつ、なんか目つきがおかしいよ」なんて言われたものだから、私たちはてっきり、その男の目的が私たち女性軍をからかうことなのだと思いこんだ。  ところが時間がたつにつれ、その男の行動パターンがはっきりしてきた。男は私のツレアイが歌い始めると、やおらステージに上がり、ツレアイの顔を舐《な》めまわすように見るのである。他の人が歌ってもじっとしている。ツレアイが歌う時だけ、脱兎のごとく自分の席から駆け出し、彼を見つめるのである。  ひょっとして、と思い始めた時、店のママがそっとやって来てこう囁《ささや》いた。「ごめんなさいね。あの人、あちらのケがあるのよ。真理子さんのご主人に一目|惚《ぼ》れしたみたい」  ギェーッ、と驚いたのは言うまでもない。誓って言うが、私のツレアイにはそちらの趣味は皆無である。同時に、そちらのケのある人間に言い寄られた経験もない。  そう。倒錯した世界は一般大衆にまで広く浸透してきたのである。普段はフツーの市民であり、フツーの人間としてフツーに生きているのに、その実、深くねじれた倒錯世界を抱いている人間が増えてきたのである。  女が亭主や恋人を男に奪われ、男が妻や恋人を女に奪われる可能性も出てきた。男だから、女だから、といって安心してはいられない。  私は倒錯した世界に対して寛大な物の見方ができる人間だが、自分の亭主にチョッカイを出す�あちらのケ�を面白がれるほどお人好しではない。テキが女であれ、男であれ、同じこと。あたしの男に色目を使わないでよっ、とゲキを飛ばし、ツレアイをかばいながら店を出た。男になったみたいで刺激的だった。これぞ倒錯の一夜だったのだろうか。 [#改ページ]   東京にサヨナラ  最近、素朴な疑問を抱いている。東京の人口はここ十年ばかりの間に、二倍に増えたのではないか。人口一千二百万……と総理府が発表しているのは計算違いで、実は二千万……いや、ひょっとすると三千万近くになっているのではないか。  日曜日の渋谷に行ったことのある人なら、わかると思うが、だいたい、西武デパートの前の道は、ラッシュアワーの電車みたいで、前に進むことなどできやしない。頭のおかしくなったヤツが、デパートの屋上から飛び下り自殺でもしたら、自殺しようとした本人は人波がクッションの役割をしてくれるので助かり、下を歩いてた連中は、間違いなくまとめて五人は病院行きとなることだろう。  私はつい最近、日曜日のあの魔の三角地帯で、ハトにフンを引っかけられたのだが、私の両隣にいた二人の若い女の子にも、そのフンの飛沫《しぶき》が飛んで、結局、被害者は三人となった。ハトごときの小さなフンでも、三人に被害が及ぶのだからわかってもらえると思う。  公園通りまで出ると、なんとか前進が可能だが、周辺のビル内は人、人、人の山だ。西武デパートが経営するLoft、若い子たちに圧倒的人気の東急ハンズあたりに行って買物をしようと思ったら、前日の夜、たっぷり十時間は眠って、朝食にウナギ定食を食べ、そのうえ、強壮剤持参で臨んだほうがいい。そうでないと、途中で体力的にメゲて、引き返してしまうことになりかねないからである。  ふだんの日曜日でさえ、このありさまなのだから、年末ともなると、正気とは思えない混雑ぶりを目のあたりにすることになる。私は今年から年末は一切、外出しないことに決めた。去年は暮れに、渋谷の魔の三角地帯で買物をし、ほとんどこれは死の行軍ではないか、と思ったからである。  だまされたと思って、クリスマスの前に渋谷のLoftに行って、クリスマスカード一枚とサインペン一本を買ってごらんなさい。商品を選んで、レジの前に並び、金を払って釣銭を受け取り、エスカレーターを降りるまで、三十分以内ですんだら、あなた、それは相当、運が強い、ということですよ。  外は寒風吹きすさんでいても、あの人ごみの中は熱帯ジャングルそのもの。人いきれの中を汗だくになって走りまわっていると、日射病にでもなったようにめまいがしてくる。ああ、そうですか、もう、わかりましたよ、ええ、ええ、こんな時に買物に来た私が悪いんですよ……なんて呟《つぶや》いて、髪振り乱しながら外に出て、結局、後でよくよく見てみると、買ったものが気にいらなかった、なんてことはしょっ中だ。  こういう現象がおきているのは、もちろん、渋谷に限ったことではない。新宿も原宿も同様。東京タワーほどもある巨大な掃除機で人ごみ(文字通り、人のゴミ)を吸い取ったら、どんなにすっきりするだろうか、なんて考えるのは、私の頭がおかしいせいだろうか。  人間が多いだけなら、まだしも我慢できるが、車の台数もウナギ上りに増えている。この狭い都会にいて、何故、車を買おうとするのかわからないが、だいたい、用もないのに都内を走り回る連中が多すぎる。高速道路は渋滞、渋滞で、時には駐車場みたいに車が止まったまま動かないこともあるし、雨の金曜日の夕方ともなると、これはもう、あんまりひどすぎてお話にもならない。車は単なる雨つゆをしのぐ箱と化し、ただ、一列に並んで、道路を封鎖するのみ。この前、乗ったタクシーの運転手は、棺桶に片足を突っ込んだ人のような弱々しい声で、「東京はもうだめですよ」と言っていた。「こんなところで毎日、運転してるオレもオレなら、こんなところで車でどっかに行こう、っていう客も客。お互いさま、頭のどっかが狂ってんですよ」  しかし、いつからこんなになったのか、と考えてみるのだが、ホント、よくわからない。あれよあれよ、という間に街に繰り出す人間が増えてきて、あれよあれよ、という間に車の台数が増えたのだ。それに伴って、モノがあふれ、それを欲しがる連中がさらに街にあふれた。人々は何かに取りつかれたように、モノを欲しがり、そのためにせっせと働き、車を乗り回し、仕事のしすぎで過労死し……それでもなお、トーキョーというところは、人々の耳もとに甘ったるい声で見果てぬ夢を囁《ささや》き続ける。  私は来月から、信州で暮らすことにした。好きでたまらなかったけど、やっぱり鬱陶《うつとう》しくなって別れることに決めた腐れ縁の恋人……それが私にとっての東京だったような気がする。 [#改ページ]   テレビはパロディ  この間、新聞の投書欄に面白い投書が載っていた。 「お昼のワイド番組は、どうしてあんなにくだらないのだろうか。主婦を馬鹿にしているとしか思えない。そんな番組こそが、馬鹿な主婦を生み出していくのだということを制作者たちはわかっているのだろうか」……というものである。  投稿したのは、まだ年若い主婦である。思っていた通り、続々と反響が寄せられた。その九割が「よくぞ言ってくれた」と言うものだった。  中には「くだらないと思うのだったら、見なければいい」というものもあったが、この際、そうした正論は、あたりまえすぎて、あまり意味を持たない。問題は、TV人間たちの番組制作に関わるその態度であろう。  人々に与える影響力がTVほど強い情報媒体は、他にはない。チャウシェスク政権を倒したのも、ベルリンの壁を壊したのも、ソ連を民主化したのも、ある意味ではTVだということができる。TVは、たとえ一部とはいえ、西側諸国のカッコいいファッション、音楽、映画、若者たちの自由な溌剌《はつらつ》とした意見を東側の家庭に流してしまうことになった。それを見聞きした人々が、西側の人々の生活を羨ましく思い、自国の政策に不満を抱くようになったとしても、不思議ではない。  TVは、未だ見ぬ世界を人々に伝え、夢を与え、どう考えても知り合えるはずのない他国の人々の暮らしぶり、意見を伝えてしまう。もし東欧諸国にTVがなかったら、民主化の波はこんなに早く訪れなかったかもしれない。  とはいえ、TVは常にこうした革命的な役割を担っているというわけではない。時として、TVは悪い意味で人心を操作してくる。それは本当に不愉快なことだし、恐ろしいことでもある。  つい最近のことだが、アメリカの婦人警官をルポしたドキュメンタリー番組を見た。日本と違って凶悪犯罪の多いアメリカでは、婦人警官も常に命がけ。女だからといってひるんだり、泣き出したりすることは許されない。厳しい職場だが、それでも彼女たちはこんなに明るくきびきびと仕事に励んでいますよ……という、いわば女の生き方レポートみたいな番組だったのだが、笑ってしまったのが、番組最後のしめくくり方である。  婦人警官が深夜、家に帰り、ほっと一息つく。冷蔵庫を開け、飲物を取り出し、子供部屋に行って子供の寝顔を見る。やさしく子供に毛布をかけてやる。そこでナレーションが一発。 「疲れて家に帰った彼女は、子供の顔を見た途端、母親の顔になります。婦人警官として頑張っている彼女も、やはり家庭ではやさしいお母さんであり、賢い妻、立派な主婦なのです」  番組を見ていた私とツレアイは、ここで思わず顔を見合わせ、吹き出した。 「ねえ、今の言い方、聞いた?」 「うん、聞いた。男だって家に帰れば父親だろうよ。あたりまえのことをなんで、あんなに大まじめに言うのかね」 「ヤクザだって、家に帰ればオトーサンだしね」 「うん。ヤクザのドキュメンタリー番組で、『○×組の親分は、刑務所を出て家に帰った途端、やはりやさしいお父さんの顔になりました』なんて言うかよ」 「でもさ、やるんだったら、そこまでやってほしいよね。テロリストのルポで、『五人の閣僚を爆死させた○×も、家に戻れば、こんなにやさしいオトーサンでした』なんてさ」 「男の生き方を扱う番組だと、そこまではやらないんだよ。女が出て来ると、必ずワンパターンが始まる」 「こんなの、どう?『朝から晩まで小児科病棟で働き続けるやさしい看護婦の××さんは、家に帰ったら、子供の顔を見るのもいやだ、と思うので、さっさと寝ることにしています』」 「そうそう。『社長の×子さんは、家に帰ってもやっぱり社長気分が抜けず、夫に子供を任せ、夫の手料理で晩酌するのが日課です』とかさ」  ……等々、冗談話は尽きなかったのであるが、しかし、それにしても、TVで女性を扱うと、どうしてこうも、キョーフのワンパターンに陥ってしまうのだろう。まるでそこからはずれていく女性は、女ではない、とでも言い切っているみたいだ。  今の日本では、TVは女性週刊誌と並んで、最も保守的な情報媒体になってしまっている。もう私たちには、笑いとばして、パロディーにしてしまう以外TVとつきあう方法はない。 [#改ページ]   軽井沢での新生活  五月の中旬に、東京のマンションを引き払い、ここ軽井沢の地に引っ越してきた。  軽井沢……と聞くと、大半の人々は、㈰原宿のごとき、旧軽井沢の華やかなメインストリート㈪ギャルたちが歓声をあげるテニスコート㈫ギャルたちが歓声をあげるゴルフ場㈬夏になると、皇室一家も滞在する日本でも最高級のリゾート地㈭気取って食べるフランス料理㈮緑色の風を受けて走るサイクリング㈯何か秘密めいた恋が起こりそうな予感のする霧の朝……等々を一瞬のうちに頭に思い描き、「軽井沢に新居を建てるなんて、よくそんなお金があったわね」などと目を丸くするようだが、これが困る。実際、本当に困るのである。  確かに軽井沢には、こうしたイメージが定着しているところがある。物価も高いし、東京と同じか、それ以上の高級志向がある土地である。ことに夏の軽井沢には、日本を代表する有名人たちがわんさかやって来て、ヨダレの出そうな大きな別荘に滞在し、BMWだのベンツだのを乗り回しては、夜、高級レストランでお食事なんぞをする光景があちこちで見られる。  それに確かに軽井沢の土地は高い。旧軽井沢の古い別荘地ともなると、東京の麻布あたりと変わらない値段で売買される。五年後には新幹線が通り、東京・軽井沢間は、わずか一時間十分で結ばれる。ほとんど通勤圈になるので、そのために、今、当地ではマンション建設のラッシュだ。  温泉はあるわ、居ながらにして森林浴はできるわ、野鳥の宝庫で、どこに行っても珍しい鳥が見られるわ、超一流のホテルが五つも六つもあるわ……で、まあ、日本中、どこを探しても軽井沢ほど歴史のある高級リゾートはないと言っていい。  でも、わが家は同じ軽井沢でも中心部から相当、はずれた山のてっぺんにある。当然、車がないと、どこにも行けない。信じられないかもしれないが、五年前に購入した時、土地はわずか坪あたり四万円だった。今は少し上がったようだが、それでも中心部から比べると、格安である。  山のてっぺんなので、気温は旧軽井沢あたりよりも二、三度は低い。夏はいいですよ、夏は。でも、冬は極寒の地。最低気温がマイナス十五度にも二十度にもなる。  だから新居には全館、温水式の床暖房を敷設した。だが、それとて灯油が切れたらおしまい。二週間に一度は、タンクを満タンにしておく必要がある。  それに、山を降りて、買物に行くのに、冬場は命がけになる。雪は少ないが、気温が低いために路面が凍結してしまうのだ。いくら四駆の車とはいえ、一冬に一度は、スリップして車体を木にぶつけるのは覚悟しておかねばならない。  こんな所だから、新聞配達もなし。新聞は郵送してもらうので、その日の夕方にならなければ読めない。まして、冬場、雪が続いたら、郵便屋さんも登山不可能となり、郵便物は自力で�下山�して取りに行かねばならないというわけ。  一応、別荘地になっているので、家はたくさん建っているけど、この山に住んでいるのはわが家を含めて二世帯だけ。夜は文字通り、漆黒の闇。なーんにも見えない。いるのは無数の蛾と昆虫だけ。  そう。軽井沢という土地は奥が深いのだ。軽井沢に関する情報は、常にリッチで優雅でロマンティックなものばかりだが、それは軽井沢という土地を表現した、ごく一部のイメージでしかない。実際の軽井沢は、都会人が想像もつかない厳しい自然条件を隠し持った土地なのである。  だが、自然は厳しければ厳しいほど美しい。わが家の窓という窓からは、朝から晩まで、自然の移り変わりを目のあたりにすることができる。高原の天候は変わりやすい。午前中、さんさんと光があふれていたと思ったら、午後には突然、雷が鳴り、大雨が降り出したりする。そして雨が上がれば、再び緑が光で満たされる。  空気が緑色に染まる中、木々の梢の向こうに八ケ岳の山々が見える。雨があがった後は、樹液の匂いがあたり一面、たちこめる。カッコウが鳴き始める。それはもう、ほとんど何物にも代えがたい美しさ、感動だ。  おかしな言い方かもしれないが、ここに来てから、私は人間が自由であったことを感じ始めている。そう。人間はどんな所でも住めるほど自由だったのだ。長い間、都会に住んでいた私はそのことを忘れかけていたようである。 [#改ページ]   虫愛でるオバサン  先日、御飯を食べながら何気なく見ていたニュースで、何かの昆虫がオス一匹五万円で売られることになった、というのを聞いた。へえ、ずいぶん珍しい昆虫がいるんだな、一匹五万なのだから、アフリカの果てあたりでしか見られない虫なのかもしれない、と思ったのだが、よく聞いてみると、それは「クワガタ」の話。私は思わず、食べていたガンモドキを丸呑みしそうになった。  この春から住み始めた軽井沢の山の上には、ちゃんとクワガタが生きている。最近では、巨大なオスのクワガタが三匹、わが家の外壁に張りついていたりする。三匹だから十五万円。わが家の外壁にはいつも一万円札が十五枚、張りついている、という計算になり、そう考えると何だか不思議な感じがする。  梅雨空が続いて元気がなくなった時は、近くの木にハチミツを塗ってそこに移動させてやる。すると彼らはせっせとミツを吸い、翌日には元気になっている。毎朝、彼らに「元気?」などと挨拶《あいさつ》し、玄関の掃除などをするのも、また都会では味わえない楽しさである。  都会の少年たちが聞いたら、ヨダレを流して羨ましがることだろう。ありがたいことに、ここにはそうした自然がまだまだ残っている。  但し、一匹五万円で売られるクワガタがいるところには、反面、お目にかかるのを遠慮したいコワイ虫もたくさんいる。まず代表格がムカデ。これはコワイ。一発、手を刺されると、腕全体がラグビーボールみたいに腫《は》れる。運悪く頸《けい》動脈あたりを刺されたら、ショックで意識不明になるとも聞いている。  この虫は夜になると活動して家の中に入って来るから、ますます油断できない。見つけたら、ただちに金槌《かなづち》のようなもので頭を潰すか、さもなくば燃やしてしまうかしないといけないらしい。  引っ越してまもなく、深夜、わが家の猫が暖炉あたりで短い紐《ひも》のようなものを相手に興奮しているので、何を見つけたのだろう、と思って見てみると、それがムカデであった。 「母は強し」ならず「飼い主は強し」であり、私は猫がムカデの怖さを知らずにじゃれついて、鼻の頭を刺されたりしたら大事だ、と思うあまり、片手で猫を取り押さえ、残った手でティッシュをつかんで、ムカデをバシバシと叩き殺したのであった。  後でその話をすると、ムカデに詳しい人から「そんなこと二度としてはいけない」と諭された。奴さんは相当、頑強で、復讐心《ふくしゆうしん》が激しく、ティッシュを通してチクリとやることもあるんだそうだ。ゾーッ。  ムカデと同様にコワイのが蜂。蜂の一刺しは強烈で、ことに山にいる蜂は獰猛《どうもう》なやつが多い。スズメバチともなると、これは人間に死をもたらす毒を持っていらっしゃるわけで、近寄らないのが一番だが、それでも洗濯物の中にまぎれこんでいる可能性もあり、洗濯物を取り込む時は、細心の注意をはらってパジャマのズボンの中、靴下の裏側まで覗《のぞ》いてみなければならない。  あとはヒルとか、毒蛾《どくが》とか、まあ、都会では信じられないような虫のオンパレード。雨あがりの夕方、近くの木立でヒルを見つけた時は、背筋が寒くなった。あれは一見して、ベチョッとしたコールタールみたいに見えるものなのですね。  今でこそ、知ったふうなことを言っているが、何を隠そう、私は大の虫嫌い。引っ越して来た当初は、小さな豆粒みたいな蛾が飛び込んで来ただけでも、ギャーギャー騒ぎ、床にコオロギのか細い足が一本、抜け落ちているのを見つけただけでも、その足を掃除機で吸い取るありさまだった。  だが、慣れるということは凄いことだ。今では窓に張りついた親指大の蛾だってティッシュで難なく捕まえるし、デッキで洗濯物を干す時は、蜂がいない時を見計らって手早く干す癖もついた。地下室の片隅に聞きなれぬガサゴソという音を聞けば、勇気を出して正体を見極めることもできるようになった。  あたりまえのようだが、自然の中に住んでいると、一匹五万円のクワガタなど買わずにすむ。だが、同時に、そこに住む虫たちともうまくつき合っていくことを要求される。最近、私の中には、虫たちと同じ大地を共有している、という謙遜《けんそん》した気持ちがフツフツと湧き始めているようだ。だから無駄な殺生はしない。巨大なコオロギや蛾を見つけたら、通称「虫取りコップ」を用意して、コップの中に生け捕りにし、窓から外に放ってやる。「虫愛でる姫君」ならず、「虫愛でるオバサン」というところか。 [#改ページ]   ひとりで食べること  世間には一人で食事をすることができない人がいる。私の友人知人……とりわけ男性にはそんな人が多い。駅前の立食い蕎麦はいいとしても、レストランに一人で入るなんて、もっての外。最悪なのは、休日の夜、自宅で自分でメシを作って一人で食べること……なんて言う人もいる。  一方、女友達の中には、結構、ひょいひょいと一人でレストランに入り、気にいったメニューを選んで贅沢《ぜいたく》な一人の時間を味わったりする人が多い。甘いものが食べたくなったら、仲間がいなくても、好みのケーキ屋などに入って行く。まして、休日の夜、自宅で料理を作り、化粧を落として、たった一人、のんびりTVなど見ながら食事することを「最悪のこと」などと言う人とはお目にかかったことはない。結婚して子供がいればなおさらのこと、たまに一人で食事をするのは最高の贅沢だ、とさえ言う人もいる。  私も一人で食事をするのは好きである。あまり親しくもない、かといって無愛想にしているわけにもいかないような人を相手に気取ったレストランで食事をするくらいなら、一人で納豆かけ御飯を食べていたほうが百倍おいしい。  男社会の熾烈《しれつ》な戦いをくぐり抜けてきて、知らず知らずのうちに男性が幼児的なまでもの寂しがりやになってしまったのか、あるいは、もともと男のほうがつるんで行動しやすいところがあるのか、正確なところはわからない。だが、食事をする、という行為はきわめて本能的なものである。その剥《む》き出しの本能を恥ずかしがるあまり、会話などで場つなぎをしたがる気持ちがあるのだとしたら、それは私にも理解できなくはない。  例えば列車の中などで、たった一人、弁当を拡げる時、意外にも勇気がいることを御存知だろうか。私はかつて、仕事で新幹線に乗った時、三人の中年男女に周囲の席を囲まれたことがあった。  三人連れの仲のよさそうな一行に、すみません、ここの席を四人掛けにしてもよろしいでしょうか、と言われれば、いやだと断るわけにもいかない。にこにこして「いいですよ」と答えたものの、いざ、席についてみると、その居心地の悪さは想像以上。私のまわりを囲んだ二人の中年女性と一人の中年男性は、互いに遠い親類同士であるらしく、矢継ぎ早にお喋《しやべ》りを始める。何やらいささか深刻な話だ。田舎の誰それが亭主とうまくいってない、だの、その亭主がいかにひどい男だったか、だのと、三人はそれぞれ溜め息まじりに眉をひそめる。  車内でゆっくり食べようと思って買って来た弁当が目の前でちらちらする。朝食抜きで来たものだから、十二時を過ぎるあたりから猛烈にお腹が減ってくる。  なのに、一行はまるで食事に無関心。車内販売が弁当を売りに来ても、いっこうに立ち上がる様子はなく、おまけにお菓子を食べ始める気配もない。  何を遠慮することがあるの、この人たちと自分とは他人同士。一人で食べ始めたっていいじゃない、と自分に言いきかせるのだが、三人の見知らぬ男女に囲まれて、たった一人、弁当を拡げる勇気がどうしても湧いてこない。で、結局、私は大阪に着くまで弁当を食べられず、ホテルまで持って行って、一人こそこそと冷たくなった幕の内を拡げる、という馬鹿なことをしたのであった。  かつて学校のお昼の時間に、弁当箱を恥ずかしそうに、抱えこむようにして食事する癖のある子供は一クラスに十人はいた。弁当の中身が何であれ、自分だけはあんな卑屈な食べ方は絶対にしない、と固く心に誓い、正々堂々と弁当を拡げて食べることにしていた私の中にも「食欲を満たす」という行為に関して、照れ、あるいは恥じらいがあるのは事実である。  先日、上野から信越線に乗った時のこと。隣に乗り合わせた上品な感じのする初老の紳士は、私が駅で買ったのと同じ「大江戸太鼓」という幕の内をそっと窓の脇に置いた。私は、このおじさんが食べ始めたら、自分も食べよう、と思っていたのだが、彼もまた、同じことを思っていたらしい。夜の八時過ぎだというのに、彼はいっこうに食べ始める気配がない。ははん、なるほど、このおじさんも恥ずかしがっているんだな、と思った私は、高崎を過ぎるあたりから、おもむろに「大江戸太鼓」の包みを開いた。おじさんは待ってました、とばかりに週刊誌を閉じ、自分の「大江戸太鼓」を開き始めた。そして私たちは互いに前を向きながら、シャケの切身をつつき、煮物を頬張り、食べ終えるころには、なんだか無言のうちにすっかり仲良くなったような気がしたのであった。 [#地付き]『asunaro』'87〜'90 [#改ページ]   二度目のデビュー?  唐突だが、私は蠍座《さそりざ》生まれである。これがどうも厄介な星座であり、キイワードは再生と死、無か有か、革命、執着、沈黙、挑戦、秘密、洞察、復讐《ふくしゆう》……などという、わけのわからない言葉ばかり。まあ、要するにネクラの底力と、ネクラの絶望とが同居しているようなものらしい。  初めて『知的悪女のすすめ』というエッセイ集を出したのが一九七八年、二十五歳の時。挑戦とか野心といったものはまったくなく、ただ、思いつくままに書いた本で、それがベストセラーになるなど考えもしなかった。  TV出演やインタビュー、講演などの依頼が殺到し、断ったほうがいいのか、はたまた全部受けて立ったほうがいいのか、悩みに悩んだあげく、結局、全部、受けて立った。これも蠍座生まれの特徴らしい。オール・オア・ナッシングの精神である。  それまで�ただの人�であったのに、女性週刊誌で「私の嫌いな有名人、ベストテン」の中の第三位に入選(?)したり、バーゲンで九八〇円のTシャツをあさっていると、そばで「ねえ、ねえ、あの人、小池真理子じゃない?」などと女の子たちが囁《ささや》いている声がしたり、「あなたのお書きになるエッセイは読んでいて腹がたちます。だからすぐに捨ててしまいました。恥を知りなさい、恥を」などと書かれた手紙を読者から受け取ったりするようになったのもそのころである。  雑誌の対談で野坂昭如さんと初めて会った時も、開口一番、「あなたが悪名高き小池さんですか」と言われた。「そーなんですよ」と笑って応じて、話がすぐに盛り上がった。私は私の悪名をおもしろがっているところもあった。  そんな時代……名前だけが一人歩きしていった時代にどっぷり浸りつつも、私はいつかはケリをつけねばなるまいな、と思っていた。蠍座の特徴、その二。挑戦の精神である。  ケリをつけるそのつけ方は、すべて一切合切のTV、講演を断ることに始まった。あまり極端に過ぎたかもしれないが、これも蠍座の特徴、引っ込む時は引っ込む……の徹底した精神に基づくものと思われる。  初めて長編小説を書き出したのは、一九八四年ころ。集英社の担当編集者だったN氏に励まされ、書き直しを命ぜられたのもたった一度で済んだ。それが翌八五年に刊行された『あなたから逃れられない』というミステリ長編である。�悪名高き�エッセイを出してから七年後。二度目のデビューは、初めのデビューと違って静かなスタートを切った。騒々しいことが苦手な私にとって、これはとても嬉しいことだった。  こじつけかもしれないけれど、私のこれまでの人生は、占星術師をうなずかせるに足る、まこと、蠍座らしいものであったように思う。再生と死。挑戦。無か有か。さて、今後、どのように変遷を繰り返すのか、当事者はおそるおそる見守るばかりである。 [#地付き]「別冊小説宝石」'899月 [#改ページ]   ネコ可愛がりの自己弁護  これまで猫には興味がなかった。いや、どちらかというと、嫌いだった。それは認める。だいたい、目つきが陰険だ。態度がこそこそしている。寝てばっかりいて、何の役にも立たない。  それに猫を飼っている人は、おしなべて飼い猫の話をする時に甘い声を出すような気もしていた。「うちのネコちゃんたらね」「あら、おたくのネコちゃんもそうなの?」……という具合である。そのべたべたした感じもいやだし、まして血統書付きの立派な猫をソファーにはべらせ、「エリザベート?」と呼びかけたりするなど、想像するだにおぞましかった。  だから、飼うなら犬……と決めていた。しかも野性的な日本犬。これまで犬を飼った経験は二度あるが、犬との生活で得たものは計りしれない。犬とはアウトドアライフを共有できる。フィラリアで死んだ柴犬が、死ぬ直前、足をひきずりながらも私と散歩に出かけることを望み、坂の上から沈んでいく太陽をじっと眺めていた様子を思い出すと、今でも涙が出て来る。  しかし、しかし、である。その私が猫に夢中になってしまったのだから、人間なんていい加減なものだ。  ことの始まりはこの間の夏の夜。生ゴミを外に出しに行ったツレアイが、一匹の薄汚い三毛猫を連れて戻って来た。ゴミを出していたらすり寄って来た、と言う。  猫を見て私はギャッと叫んだ。よりによってなんで、こんな皮膚病の猫を連れて来たのよ、と文句を言った。その三毛猫は、スペインの港町で見た皮膚病の猫を私に思い出させた。毛はぼさぼさ。痩《や》せていて、おまけにダミ声で「ギャー」と鳴くあたりが、スペインの猫と似ていたのだ。  ずんずん部屋の奥に歩いて行った猫を追いかけ、明るい電気の下で眺めてみて、二度びっくり。彼女(メスだった)は、皮膚病ではなく、身体中の毛を何者かによってきれいにカットされていただけだったのである。  毛を五分刈りにされている他は、いたって元気そうな可愛い猫だった。声がダミ声なのも生まれつきらしい。 「どうする?」とツレアイが聞いた。「一泊だけ泊めてやろうか」  どうしてあの時、私がそれに同意したのか、いまだにわからない。ただ、自分たちの生活の場にすぐになじんでしまった猫を見ていて、心暖かい気持ちになったことだけは事実だった。  私たちは、猫に「ゴブ」という名前を付け(五分刈りにされていたから)、次の日も、また次の日も家においてやった。  ゴブは活発で人間に馴《な》れていた。多分、遊んでいて迷ってしまった迷い猫だったのだろう。食欲|旺盛《おうせい》、オシッコもウンチも指定した猫用トイレできちんと済ませる。外出から帰ると玄関まで走って来る。しだいに私は、そのよく動く手を持つ小さな生き物が好きになっていた。  近くにある動物病院に連れて行って健康診断をしてもらうと、「健康そのもの」と太鼓判を押された。診断料六千円を取られても、別段、腹も立たなかった。  ついに私は「飼おう!」と決心した。しっぽがひん曲がっているし、どこにでもいる�その他大勢�の駄猫だし、おまけに刈られた毛はなかなか生えそろわず、エサ代はかかり、朝は早くから起こされ、飲んでいる時にツマミのフグのみりん干しを横取りされ、手足に引っ掻《か》き傷が絶えず、ワープロ原稿を印刷する時になると、プリンターの上に乗って来ていたずらされ、壁紙は生傷《なまきず》だらけ、思いたった旅行もままならず……という迷惑は数え上げればキリがないが、それでもゴブといると楽しい。最高なのである。  かくてかつての猫嫌いは鼻の下を伸ばしてこんなエッセイを書いているわけだが、これ以上書くと、ソファーの上の�立派猫�を「エリザベート」と呼ぶデブの金持ちオバサンと変わりなくなりそうで怖い。だからゴブに関するエッセイは今回限りでやめておきます。 [#地付き]「小説NON」'881月 [#改ページ]   酒豪の血筋  母方の一族は、北海道の産である。母は血圧が高いせいであまり飲まなくなったが、毎晩の寝酒は欠かさない。盆暮れハタ日、その他もろもろの理由づけができる日には「一杯だけね」とかなんとか言いながら、結局、がんがん飲む。飲むと陽気になり、ケタケタと笑ってばかりいる。酒飲み婆さんの手本のような人物である。  母の姉、つまり私の伯母は七十近いというのに、一升酒どんぶり酒、なんでもござれの大酒豪。彼女はいま函館に住んでいるのだが、函館でも現役酒豪ランキング五番以内に入るのではなかろうか。  現在、富良野に住んでいる叔父の口癖は「まあ、飲めや」。久し振りに会っても挨拶《あいさつ》代わりに「まあ、飲めや」で、たいてい朝まで酒宴が続く。  この叔父の息子、つまり私の従兄弟もウワバミ、底なし、ザル……といった感じで、北大在籍時代、駆けつけどんぶり酒三杯……という信じがたい習練を積んできたツワモノ。飲ませると際限なく飲み、最後までけろっとしている。  かたや、父親は下戸の血筋。飲めないことはないが、「水割りの氷がグラスに当たる音を聞いただけで吐きそうになる」……という理解しがたい体質の持ち主である。なのにこの人はヘンな人で、男の酒飲みは嫌うが、女の酒飲みは大好きなのだ。  大学時代、私が実家に帰っては「ボトル一本あけてからディスコで踊った」とか、「男たちが皆、ぶっ倒れたので世話をした」とか父に報告すると、いつも喜ばれた。そうかそうか、よしよし……てなもんである。  間違って「ビール飲んだだけで酔っぱらった」などと言おうものなら、「いつからそんなに酒に弱くなったんだ」と叱られる。酒に弱いのは女じゃない、と信じている人なのである。  こういった家庭環境、血筋は否が応でも人間に影響を与えるものだ。  大学入学した年に合宿先でビールの大瓶八本近くを空け、意識不明になって以来、十五年。私は酒豪一族の名を汚さないよう、鍛練を積み、成果をあげてきた。  その成果が上がり過ぎたのか、それとも体質なのかは定かではないが、酔ってストレスを発散させる、という飲み方がどうもできない。酔っぱらわないのである。  たまには日頃、言いたいと思っていたことをぶちまけ、「てやんでえ」と怒鳴ってみたい、と思っているのだが、どうもそうならない。  いくら飲んでも、さほど顔は赤くならないし、舌ももつれない。ふつうに喋《しやべ》り、ふつうに笑い、ふつうにトイレに行くだけ。  酔ったふりして男にからむ、とか、編集者にからむのも面白い、と思うのだが、思うだけで実行にはうつせない。つまらないものである。  でも、最近、少しだけ様子が変わってきた。どうせ、酔わないなら深酒をする必要もない、と考え、酒量をかなり減らした。第一、キラキラネオン街にはもう、飽きた。どこに行っても新鮮さを感じないから外に飲みに行くこともなくなった。  現在、わが家では深夜になるとツレアイとふたり、ひっそり酒宴を始める。化粧を落とし、パジャマに着替え、もう、とても他人様にはお見せできないような見苦しい恰好《かつこう》で飲む。これが、気分いいのですねえ。  目バリを入れ、コロンをつけ、ハイヒール履きながら飲んだ日々が信じられない。  あの時、キミは若かった……なんて悪態をつかれるのだが。 [#地付き]「オール読物」'871月 [#改ページ]   指先が憶えてくれて……  元来、メカニックなものには弱い。SFに精通し、車を運転し、パソコンでひと晩中遊ぶことのできる若い女の子たちを見ていると、つくづく自分の同時代性のなさに悲哀を覚える。  先日など、銀行の両替機の前に立ち、しばし茫然《ぼうぜん》としてしまった。どう操作すればいいのか、まったくわからない。ピッピッと鳴るボタン音にいちいちビクつきながら後ろを振り返る。客が列を作って、順番を待っている。焦ってボタンを押し違える。もうパニック寸前であった。  こんな人間がどうしてワードプロセッサーなる複雑きわまる機械を操作してみようと決心したか、というとこれはひとえにうちのツレアイの影響である。同業者である彼はお話にならないほどの悪筆で、常日頃から編集者の方々に多大な迷惑をかけていた。  いつもそのことを深く恥じていた彼は、ある日、借金してでも、ワープロを買うぞ、と奮起。早速、秋葉原に飛んで行き、富士通のオアシス100Sなる立派なワープロを購入してきた。  正直に言って私は何の興味もなかった。人差指でぽつんぽつんとキイを探して叩いている暇があったら、手書きで十枚は書ける、などと思っていた。肉筆で書いた原稿の、あの自分の文字からたちのぼる匂いがなかったら、原稿なんて書く気がおこらない、とも思った。  だが、機械というものは面白いものだ。操作を誤ったからといって、爆発するはずもない。ならば、ちょっとだけ触ってみるか、という気分にさせてしまうところがある。  彼のワープロを借りていたずらにキイボードを叩いているうちに、みるみるうちに指が文字を覚えていった。それは本当に不思議な感覚で、たとえて言えばピアノの鍵盤《けんばん》の位置を頭ではなく指が記憶していく過程に似ていた、と言っていい。  時折、夢の中にキイボードそのものが現れ、指が文章を生み出していく様子が浮かんだ。それはかつて経験したことのない、感動的な光景であった。  その後、約二週間でほぼ完全に指はキイの位置を覚え、一、二か月で、片手三本、計六本の指を使いこなすことができるようになり、半年で合計八本の指の使い方をマスターすることができた。  結局、半年後に私は自分専用の同機種のワープロを買った。愛用していた原稿用紙や2Bの芯が入ったシャープペンシル、手垢《てあか》が適度について丸まった消しゴムなどをひとまとめにして押し入れに放り込んだ時はいささか寂しさを覚えたけれど、今ではこの機械がないと仕事にならない。  頭で考えた文章が、一瞬後にはもう指先を通してディスプレイに表示されるのだ。名文は名文のままに、駄文は駄文のままに……それがあまりにはっきり見えすぎるから、時々、怖くなることもあるのだが。 [#地付き]「別冊婦人公論」'87冬号 [#改ページ]   都市は病んでいる  今、都市は病んでいる。  先日、郵便局に行った時のこと。いつ行っても混雑している局で、その日も相変わらず、窓口には、列が出来ていた。通路に設けられている椅子はひとつだけ。そこには七十五、六とおぼしき腰の曲がった老婆と、赤ん坊を抱いた若い女性、それに学生ふうの若い男が座っていた。  列の最後尾について、ぼんやり立っていた私は、老婆がしきりともじもじし始めたことに気づいた。手にした巾着型の袋を開けたり閉めたりし、周囲をきょろきょろ見回している。今にも独言を言い出しそうに口をすぼめて、唇を動かしていたが、やがてその視線が隣の赤ん坊に向けられ、ひたと止まった。 「可愛いわねえ、赤ちゃん。おお、可愛いこと。何か月になったの?」老婆は何度も練習したかのように、ぎこちない口調でそう言った。赤ん坊を抱いていた若い女性が、「三か月です」と小声で答えた。ちょっと迷惑そうな言い方だった。彼女は目をそらし、老婆と逆のほうを向いた。それ以上、話しかけないでください、というサインのようだった。  にも拘らず老婆は膝を乗り出し、皺《しわ》くちゃの指で赤ん坊の小さな手をさすった。 「そうなの。三か月なの。元気そうでいいねえ。ほんとに可愛いねえ」  若い母親は顔をそむけたまま、黙っていた。老婆は「可愛いねえ」「三か月なの」「元気そうでいいねえ」……の三種類の言葉を繰り返し繰り返し語りかけ、ちらりと母親のほうを窺《うかが》った。そして母親に向かって笑顔を作ってみせた。とっておきの笑顔のようだった。 「夜泣きはしますか?」老婆は聞いた。  母親は迷惑そうに顔を歪め、「時々」と答えた。老婆は「そうなの。時々泣くの」と楽しそうに言った。「赤ちゃんは泣くのが商売だからねえ。そうよねえ。泣くのが商売だものねえ」  だが母親は黙ったきり、何も言わない。赤ん坊がむずかり出した。母親は子供をあやすふりをして、つと立ち上がり、老婆から離れてしまった。残された老婆は笑顔をひきつらせたまま、所在なげに背中を丸めた。  やがて順番が来て、椅子に座っていた学生ふうの男が窓口に立った。彼はおずおずと封書を差し出し、「あのう」とかすれた声で言った。「これ、速達で出したいんですが……僕、切手は持ってるんですが……あのう……いくら貼《は》ればいいでしょうか」  彼が差し出した封書は、定形のもので、薄っぺらく、間違いなくふつうの速達料金で届くものに見えた。応対に出た中年の男性職員が、形式的に封書を受け取り、秤《はかり》にかけた。「二百七十二円です」  学生ふうの男は持っていた切手を眺め、「二百七十二円を貼れば速達になるんですか」と聞いた。そうです、と職員はうんざりしたように答える。なんでこんな初歩的な質問に答えねばならないのか、と苛々《いらいら》している様子だった。男はそれでも、まだ窓口で困ったような顔をして立っていた。 「あのう……速達だったら、�速達�と書かねばならないんですよね」 「そうですよ」 「赤い文字で……ですよね?」 「スタンプがそこにありますから。それを押せばいいんですよ」声に刺《とげ》がある。 「あのう……どこに押せばいいんですか。ここですか」 「そう」 「一か所だけでいいんですか?」  男は封筒の上のほうを指さした。職員は呆れ果てたようにうなずき、声を張り上げた。 「次の方、どうぞ」  男は顔を真っ赤にして、その場を去った。台の上の速達スタンプを押している彼の手元に、定期入れに入れられた学生証が見えた。彼は某有名大学の学生だった。  こうした光景は何も珍しいものではない。都会のあちこちで起こっている些細《ささい》な、誰にも気づかれずに忘れてしまえる一瞬の出来事でしかない。  だが、私はこうした光景に出くわすたびに、「都会の孤独」だの「今どきの若者は……」式の手垢《てあか》のついた言葉を超えた、何かうそ寒い、都市の慢性化した病を思い浮かべてしまうのである。  老婆は、誰かと話がしたかったのだろう。寂しさを訴え、世間話の中で慰められたいと思ったのだろう。その欲望を無視されたものだから、深い悲しみの中で殻を閉ざす形になった。みんな冷たいんだ、と老婆は不特定多数の�みんな�を恨んだかもしれない。  ところが若い母親にはもともと社交の才能がなかった。彼女が冷たい女、老人を無視する女だったとは思えない。彼女はただ、見知らぬ他人と世間話をするのが苦手だったのだ。だから突然、老婆に話しかけられて困惑した。鬱陶《うつとう》しいと思った。おそらくその一瞬、老婆を憎んだかもしれない。  また速達の出し方もわからなかった学生は、自分の無知がどれだけ他人に迷惑を及ぼすか、考えたこともなかった。無知な人間を見捨てないのが社会であると思いこんでいた。だから何故、自分が邪険にされたのかわからない。だから彼は赤面しながらも、やっぱり無知のままでいる。彼は誰をも恨まない。その代わり、相変わらず社会と自分との距離がとれずにうろたえ続けていくのだろう。  これらは都市が生んだ病に他ならない。みんな心を閉ざし、自分だけの思いこみの中で生きている。その思いこみが通用しないと、人を恨んだり絶望したり、あるいはまたひどくうろたえたりする。いわゆる異常犯罪もこの延長線上に生じる。病巣は深いのだ。  こうした都市型の病があればこそ、ミステリ小説に描く題材にはこと欠かないでいられる。でも、ふと怖くなることもある。事実は小説より奇なり……ではなく、もしかすると小説が事実に先行してしまうこともあるのではないか……と。こんなふうに怖がりながら尚、いそいそと都市型病を好んで書き続ける私もまた、病んでいるのかもしれないけれど。 [#地付き]「青春と読書」'89年8月 [#改ページ]   快楽の原則  古今東西、凡百という意見が出るのが�今の若者は�というテーマについてであろう。  かつて、その道の(?)活動家だったような人が、�今の若者は�なんて分析を始めるのを見ているのは、なんだか面白く、懐かしく、また同時に不思議な感じさえする。かつて、彼ら自身が、オジサンオバサンから�今の若者は�と言われ、勝手に分析統合され、それに抗議するために、また新たなブームを巻き起こしては、オトナをコケにしていた時代があった。歴史は、この、世代の飽くことなき交代によって、動いていくものだとわかっていても、なお、不思議さは拭《ぬぐ》えない。  ……と、つまらないことをのっけから書いたが、さて、「カウチポテト現象」について、である。  カウチポテト現象とは、㈰カウチに寝そべって、ポテトチップスを食い荒らしながらゴロゴロとTVなどを見る若者たち㈪若者たちがカウチの上に転がしたポテトのように、日がな一日、ごろごろしていること……のいずれかであるらしいが、確固たる定義はなさそうだ。  どちらにしても、この現象は昨今の若者たちの「室内おこもり願望」を表現するものであることに変わりはない。  これまで一般的に言えば、若者の活動する場所は室内ではなく、外……と考えられていたし、実際、そうだった。  たとえば私が過ごした六十年代末から七十年初頭にかけての、あの結構面白かった時代のことを言えば、家というのは、口うるさく束縛してくる親がいるところであり、生活の匂いがプンプンする、保守的で創造性のかけらもない、退屈な役所のような場所でしかなかった。  たとえ、一人暮らしをしていたとしても、四畳半一間、風呂なし、トイレ共同、月額八千五百円也……の、アンモニアの匂いが漂う、ゴキブリの巣窟《そうくつ》のような部屋は、廃品の山から拾い出してきた、NHKしか映らないTVと、雑音だらけのトランジスタラジオと、家具と言えば折り畳み式の四角いテーブルだけ……といった殺風景な部屋が主流で、そこは連れ込み旅館(私も古いですねえ)に行く金を惜しむために、異性を連れて来るためにのみ、存在していたと言っていい。  たまに、お金持ちの友達が住んでいる高級マンションの一室を留守番という名目で借りて、異性とリッチに夜を過ごすことはあっても、それも一夜かぎりの儚《はかな》い夢、一夜明ければ、盗み飲みしてしまった友人のサントリーオールドの瓶に、水を足してごまかし、やっぱりジャズ喫茶でウツウツとしていたほうが、性に合ってるなあ、と思いつつ、あたふたと外に出る、といった具合だった。  とにもかくにも、TVを自室に持っている人が数えるほどしかいなかった時代である。汚い部屋にこもっていても、本を読むこと以外、何もすることがない。電話もないから、友人と長話して時間をつぶすこともできない。だから、目は自然に外部に向かう。外に出れば、きっと何か面白いことがある。刺激的なことがある。そう信じて、日夜、街を徘徊《はいかい》するのが、当時のごく一般的な若者たちの風景だった。  ところが、現代はたいていの若者が自室にTVを持っている。ステレオ、CDプレーヤー、ビデオデッキだって、相当数の連中が所有している。パソコンは無理としても、ファミコン程度なら、楽にそろえられる。  彼らがどこまで、�快・不快�の原則に忠実でいられるのか、私には見当もつかない。学校を卒業し、就職してしまったら、突然、豹変《ひようへん》して、案外、長いものに巻かれろ……式に、やたら世間のリズムに従順になってしまうのかもしれない。また、自己認識に欠ける分だけ、快楽の味つけさえしてあれば、どんなことでも、無自覚に受け入れてしまう危険性もあるのかもしれない。  だが、一方で、カウチポテトの若者たちに期待できる何かがあるような気もしている。  最近、オジサンたちの世界では「ビフォア9」の活用……つまり、出社前の朝の数時間を英会話や各種勉強会に当てる人たちが増えている。朝七時から勉強会! こういうのに参加するオジサンたちは、いったい何なのだろう。  朝七時に始まる勉強会に出るためには、少なくとも五時半には起きねばならないわけだ。当然、前の晩は十二時過ぎまで接待で飲んでいたんだろう。慢性睡眠不足と戦い、痛めつけた肝臓をだまし、世間のあらゆる情報を咀嚼《そしやく》してやろう、と無駄な努力をし、なおかつ、競争社会で生き残らんとする、この痛々しさ!  殺伐としたサバイバルゲームに積極的になるフリをしなければならない人たちの苦しみ、自己抑圧はどれほどのものか、想像しただけで、同情の涙がわく。  オジサンたちオトナの世界では、�快・不快�の原則は、ただのフィクション、遠い南の島でしか起こりえないファンタジーにすぎないのだ。  カウチポテト現象が、すべての年代に広まったとしたら……と考えると楽しくなる。どうせ、世紀末なのだ。日本全国、日々是カウチポテト……となってみるのも、時代の病巣をショック療法で根治させるのに少しは役立ちそうな気もするのだが、乱暴に過ぎる発想だろうか。  電話ももちろんある。冷蔵庫の中には、缶ビールやジュース、果物がいつも冷えている。ポテトチップスやプリッツ、サキイカなどは、なくなったら、近所のセブンイレブンですぐに買える。ついでにコミック雑誌やレンタルビデオも夜中だって手に入る。値段はどれも安い。セブンイレブンでポテトチップスと缶コーラ、コミック雑誌を買って、隣のレンタルビデオ屋で『13日の金曜日・パート5』を借りたとして、出ていく金はせいぜい千円ちょっとである。六本木|界隈《かいわい》のカフェバーに出かけ、女の子におごってやることを考えたら、信じがたく安い出費と言える。  そのうえ、自室でごろごろと一人で楽しむ時に、気取った服装も、シャンプーしたてのさらさらの髪も、また疲れるお喋《しやべ》り、お愛想笑いも必要ではなくなる。気楽な短パンにヨレヨレのTシャツでも着て、丸井で買ったソファに寝そべり、照明を一ランク落とし、電話を留守番電話に切り換えれば、たちまちのうちに自室は映画館、ホテルの個室、そしてひとりだけのレストランに早変わりするのだ。  つまり、これは誰の目から見ても快楽なのである。オジサン、オバサンだって、こんな楽しみ方をしたいと思っている。孤独が欲しいから? 人間関係に疲れたから? いやいや。そんな生真面目な分析の仕方は、おそらく的はずれに違いない。  人は誰しも快楽を追う。そのことを咎《とが》めることは誰にもできない。そして、快楽というのは、ほとんどの場合、生身の自分を何の抑圧もなく表現するということに尽きる。  たったひとりで、自分の好きな物を食べ、好きなひとりごとを言い、好きな恰好《かつこう》をして、好きなことをする……この贅沢《ぜいたく》さを超える快楽というのが、いったいこの世にあるだろうか。  オトナたちは、現代の若者たちをとらえて、「熱狂しない」「冷めている」「人間関係を持ちたがらない」などと批判的なことを言いたがるが、……私はちょっと見方が違う。今の若者たちは、素直に快楽を追っている。冷めているのでもなく、人間との関わり方が下手なのでもない。彼らは、ただ�快・不快�の原則に従って、素直に生きているだけだ。  いやなことはやらない。自分を抑圧するようなことはしない。自分が常に心地よい状態にありたいと願う。  カウチポテトの若者たちが、かつての世代の人間たちと比べて、観念的な考え方をするのが苦手になった、とはよく言われることだし、また事実だろう。だが、彼らが不真面目で不勉強だからそうなった、と言うのは必ずしも当たっていない気がする。  観念はあくまで頭が生み出すものだ。ということは、他者や書物、あるいは環境が少なからず影響を及ぼす。影響を受けて編み出した観念は、どこかで自己抑圧を生む。××という考えに基づけば、俺《おれ》は○○であらねばならない、本当は俺は○×なのだが、やはり○○になるようにしなければ、整合性がなくなる……といったように。゛  カウチポテトの若者たちは、些細《ささい》な自己抑圧ですら拒否する。彼らが観念を排し、一見、不真面目に見えるほど、だらだらと生きるのは、快楽こそが人生の要である、ということを肌で知りつくしているせいだと思う。 [#地付き]「create」'88秋号 [#改ページ]   バックネット裏の我家劇  私が子供のころ、わが家で�オス�と呼べるのは常に父親だけだった。  別に女系家族というわけでもないのだが、母と妹と私に加え、かつて飼っていた二匹の犬からカナリア、文鳥に至るまで、すべてメスばかり。何かと父親の分が悪かったのはそのせいかもしれない。  父はいわゆる�男の子のスポーツ�というのがすべて好きで、野球はもちろん、ゴルフ、サッカー、ラグビーなど、テレビ観戦するのが趣味だった。一方、我ら女族は、そうしたモロモロのスポーツに興味なし。  ことに大正生まれの母親は、プロ野球中継の、あの喧噪《けんそう》と雑音に耐えることが出来ず、夏の夜ともなると、たいてい狭い茶の間でイライラしていたものだ。「棒で球を打って走るだけのスポーツのどこが面白いんだろう」というのが彼女の素朴な疑問であり、まあ、私や妹もそれに似たりよったりの感想を抱いていたので、夏ともなると、父は野球中継のボリュームをしぼって、ひっそりと巨人を応援していたものである。  私は昭和二十七年生まれなのだが、周囲を見渡してみて、野球ファンの女性はまずいない。昭和三十年代後半か、あるいはその逆で、昭和十年代生まれの女性の中には、熱烈なプロ野球ファンがいるのだが、どういうわけか、この年代の女たちすべてが野球音痴。昭和二十七年生まれというと、戦後民主主義教育を受け、男の子と家庭科の授業を受けて育った年代である。野球イコール男が見るものと断定し、遠ざけたはずもなし、なんとも不思議な現象だ、と思う。  ともかく、そんなわけで私はつい最近まで、野球にはおよそ興味はなく、恥ずかしい話だが、セ・リーグとパ・リーグというのは、どこかの証券会社の投資信託の名称だと思っていたし、王選手というのは「野球の王様」という意味の「王」だと思っていたことすらあった。  そんな具合だから、私を相手に野球の話をしてくる人はおらず、野球とは縁遠い生活をしてきた。その私が、野球狂と連れ添うなどと、想像したことがあったろうか。  そう、現在の私のツレアイは、自他ともに認める野球狂である。プロ野球中継は、一晩たりとも見逃さない。中継はたいてい夕食時間に放送されるので、こちらはテレビの大音響と、彼が、打て! 馬鹿野郎! と品のない声援を送りながら飛ばし続ける御飯粒の中で慌ただしく食事をとる羽目に陥る。  その上、彼は解説好き。別にいちいち解説してくれなくてもいいよ、ひとりで楽しんでればいいじゃない、と言うのだが、ひとりで観戦するのは面白くないらしく、ともかくすべての選手の癖にはじまり、血液型、性格分析、何故、あいつは最近調子が出ないのか、といったことに至るまで、テレビ中継の間中、喋《しやべ》りつづける。  まして贔屓《ひいき》チームが逆転ホームランでも打とうものなら、試合が終わった後三十分近く興奮して、私を相手にお喋り。その後でまたプロ野球ニュースを見るのだから、これは凄い。凄いエネルギーである。  こうした男と長年一緒にいて、野球音痴が音痴のままでいられるだろうか。  セ・リーグを投資信託の名前だと思っていた私は、今では新しく入った外人選手の名前と顔がすぐに一致するし、巨人の原が案外弱気だったこと、王監督が教育ママ的な神経質な性格であること、カープの高橋がすごく負けず嫌いで、博打《ばくち》で生活しても生きられそうであること……等々を知った。  最近では「ボリュームをしぼってよ」と文句を言いながらも、ツレアイと一緒になって画面を見ている。ちなみに私はカープファン、四年前だったか、初めて熱心に見たのが、広島巨人戦で、その時あのおイモみたいにコロコロした愛すべき長嶋選手が驚異のサヨナラホームランを二日続けて打った。以来広島カープは偉大なりと信じているのである。  蛇足ながら広島カープの選手には、私と同じ蠍《さそり》座生まれの人が多い。縁起かつぎばかりしている私としては、カープの調子がいいと、自分も調子よく仕事ができる、とこれまた信じている次第。  今夜もまた「打て! ヒットでいい、ヒットで」とわめきちらすツレアイを横に、そのうるささに眉をひそめながらも、思わず「突っ込め」などと騒いでしまう、わが家の品のない夕餉《ゆうげ》のひとときが始まるのであろう。プロ野球中継は家族の平和の象徴なり。 [#地付き]「Grass Ball通信」'88第7号 [#改ページ]   ホテルは晴れの場所。使いこなせば女も一人前。  ホテル大好き人間である。だいたい、ホテルほど利用価値のある空間はどこを探してもないのではないか。  まず泊まる(これは当たり前だ)、食事する、お酒を飲む、お茶とケーキを楽しむ、パーティーを開く、待ち合わせに使う、清潔なトイレを利用して入念な化粧直しをする、ロビーで本を読む、あるいはボンヤリと考えごとをする(ロビーで居眠りすると追い出されるそうです)、贅沢《ぜいたく》なアーケード街を冷やかして歩く、個室ふう電話ボックスで恋人に電話し、長々と愛の語らいをする……等々。  また、ホテルの一室は書斎や仕事場になり、瞑想《めいそう》にふけるための聖域になり、まずい事態に陥った時の恰好《かつこう》の隠れ家、あるいは密会場所になったりする。  かつて、今のように物書きの仕事にありつけなかった頃、私は新聞社のアルバイトをしていた。寒かろうが暑かろうが、街をうろつき、若い女性をつかまえてはインタビューする仕事である。  一日中、歩き回って疲れ果て、もう喫茶店を探す気力もない時など、よくホテルに飛び込んで、ロビーで休んだ。ふかふかのソファーに身体を埋めていると、様々な人たちが目の前を通り過ぎていく。パーティーの帰りなのか、ロングドレスを身にまとった女性たち、大きなスーツケースを携えた外国人夫婦、密会でもしているのか、こそこそとチェックインしてエレベーターに消えていくカップル……。  ふん、こっちは仕事中だっていうのにさ、などという品のない羨望《せんぼう》のまなこを極力、押し隠して、そうした優雅な光景を眺めているのは、それはそれで結構楽しいものだった。  人間観察の好きな人なら誰でも経験があることと思うが、ホテルのロビーほど人の観察ができる場所はない。それまでペチャクチャお喋《しやべ》りに興じておられたご婦人方が、ホテルの森閑としたロビーに一歩、足を踏み入れるやいなや、ひそひそ声に変わったり、突然、自意識過剰になって気取り始めたりするのを見ているのも面白いし、足がきれいでオッパイの大きいモデルふうの金髪女性が、颯爽《さつそう》と歩いていくのをチラリと新聞の陰から覗《のぞ》き見ているビジネスマンを観察するのも面白い。  一流ホテルに泊まるだけのお金も暇もなかった私は、その代わりにロビーでたくさんのファッションセンス、身のこなし、孤独とのつき合い方などを学ばせてもらった。これもまた、ホテルの有効な利用法のひとつになるかもしれない。  ホテルというのは、シティホテル、リゾートホテルの別なく、晴れの場所だと私は思っている。昔、祝日に国旗を玄関先に掲げる習慣がまだあったころ、祝日のことをよく「旗日《はたび》」と呼んだ。  旗日はなんとなく晴れがましい感じがしたものだ。正月ほどではないにせよ、大人たちはよく「今日は旗日だから」とかこじつけて、家事をさぼったり、午後からビールを飲みだしたりしていた。  その旗日のイメージが、私にとってホテルのイメージと重なって離れない。だから、今でもホテルを利用する時は、何か晴れがましい気分になる。  ホテルには日常がない。生活がない。自分の匂いが染み付いたシーツもなければ、新聞の集金人が鳴らすチャイムもない。これを晴れがましさと呼ばずして何と呼ぼう。  そんな晴れがましさを与えてくれるホテルをひとりで自由自在に使いこなせるようになったら、女も一人前である。恋人と一緒じゃなくちゃツマンナイ、とか、ひとりだとどうも不安だからグループで、とかいった利用の仕方は、私に言わせるとホテルへの冒涜《ぼうとく》ですらある。ホテルは喧噪《けんそう》や慌ただしい人間関係から逃れ、孤独を求める人間にとってのオアシスだ。ひとりになりたくて……と、それなりにちょっと晴れがましい顔をしながら、バーで一杯やっている気の強そうな女性を見ると、私などついつい、ぽんと肩を叩き、「わかるわかるその気持ち」と声をかけたくなるのである。 [#地付き]「the HOTEL」'875月 [#改ページ]   永遠の味です、もう一杯!  けっして味覚音痴ではない。断言できる。自分で作る料理の味には自信がある。外で食事して、本当に旨《うま》いものと平凡な味との微妙な違いも区別もできる。  しかし、しかしである。「忘れられない食べ物は何か」と聞かれると、はたと悩んでしまうのである。  スペインの鰯《いわし》のフリッツ、もう一度食べたいわ、あーら、それを言うなら北フランスのキノコソースのかかった魚に限るわよ、とかなんとか、カフェバーのカウンターで粋《いき》に会話を交わしたこともないし、「あれをもう一度、食べることができたら死んでもいい」と思うものもない。 「死んでもいい」で思い出したが、以前、何かのアンケートで「死ぬ間際にこの世の最後の食事として食べたいものは何か」というものがあった。忘れられないあの店の霜降りステーキだの、なんとかという店のラーメンだの、と答えていた人たちがいたが、私は「バーカ」と思ったものだ。食い意地はってるだけのグルメが言いそうなことだ。死ぬ間際にステーキなんか食べられるか。  だが、たったひとりだけ、そのアンケートで「子供のころ、母がいれてくれたのと同じ熱いほうじ茶を、ふうふう息を吐きかけながら飲み、ああ旨かった、と言ってから死にたい」と答えていた人がいた。じつにいいなあ、と思った。こういう答えはじつにいい。  この世の最後の食事に、熱いほうじ茶を所望する。煎茶《せんちや》ではいけない。安っぽいほうじ茶。ピクニックで食べるおにぎりに似合うようなほうじ茶でなくてはいけない。そのほうじ茶を気に入った茶碗に入れ、湯気の向こうに見えかくれする茶柱なんかを見ながら、「ああ、昔を思い出すなあ」などとつぶやきながら、この世の最後の食事を終える。最高の味、忘れられない味、というのはこういうものを言うのだと思う。  昔、「渡辺のジュースの素」という粉末ジュースがあった。テレビでもガンガン宣伝していたから、「ワタナベのジュースのモトです、もう一杯」というあの歌を覚えている人も多いだろう。バヤリースや「リボンちゃん、リボンジュースよ。わかった?」というCMでお馴染《なじ》みのリボンジュースなどと並んで昭和三十年代後半のヒット商品だった。  当時、小学生だった私は、学校から帰って「渡辺のジュースの素、クリームソーダ」を自分でコップにあけ、冷蔵庫で冷やしておいた水を注ぎ、ストローを差し込んでぐぐっとイッキに飲み干すのが楽しみで仕方なかった。  クリームソーダといっても、人工着色した緑色の水の上にぶくぶくと泡が立つだけのシロモノなのだが、あのおいしかったことといったら。この世にこんなにおいしいものがあるのか、と思ったものだ。  あのころは忘れものをすると、家に取りに帰ることを命じられ、子供たちは泣く泣く昼下がりの人けのない道をひとり歩いて取りに行く、という悠長な時代だった(今はこういうことしないんでしょうねえ。誘拐、交通事故、子供の自殺なんかがありますから)。 「何い? 教科書を忘れた? すぐ取りに行って来いっ!」  そう怒鳴られ、クラスの子供たちの気の毒そうな、それでいておもしろがっているような視線を浴びながら廊下に出る時のあの打ちひしがれた気分は今も覚えている。授業中の廊下には人の姿はなく、しーんとしている。靴を履《は》きかえ、外に出ると教室の窓から担任の教師の横顔が見える。こちらのことなど忘れたかのように黒板に向かっている。ああ、自分はひとりぽっちだ、と思う。涙が出てくる。  少しでも早く戻れるように、と思いきり走る。  自宅の玄関前に立ち、そっと戸を開ける。母がひとり、遅めの昼御飯を食べていたりする。 「あら、何よ。また忘れもの?」  泣きたくなるのをこらえて、私は教科書を小脇にはさみ、黙ってコップを取り出す。「渡辺のジュースの素」を中に入れ、水を注ぐ。緑色の泡の浮いた「クリームソーダ」。  ゆっくり飲んでなんかいられない。ストローもなしだ。大慌てでコップをつかみ、ごくごくと音を立てながら飲み干す。  束の間、ほっとした気持ちが甦《よみがえ》る。忘れものをしたからこそ、ジュースが飲めたのだ、という帳尻合わせにバツの悪い幸福感を覚え、その分、急いで靴を履く。  再び学校へ向かう道を歩いているうちに、必ずゲップが出る。「渡辺のジュースの素」の味のするゲップ。  口の中に広がり、鼻に抜けるあの味は、今も忘れられない。  幼年期に知った味こそ、永遠の味。でもこの世の最後に「渡辺のジュースの素」を所望するとしたら、ちと欲がなさすぎるか。 [#地付き]「小説NON」'88 10月 [#改ページ]   明かりのデカダンス  現代日本人の趣味志向を大きく分けると「ヨーロッパ派」と「アメリカ派」とに分類されるのではないか。  簡単に言ってしまうと、「ヨーロッパ派」は荘重、華麗、優美、繊細……といった雰囲気を好み、「アメリカ派」はカジュアル、ポップ、合理性……といったものを好む。例えば建築物なら前者はオーク材を使った床、アイボリーホワイトに塗りこんだ壁、チューダーふうのどっしりとした家具……なんてのがお好みで、後者はパイン材を主としたカントリー調の家具やシンプルさを強調したモノトーンの壁、大胆な照明……なんてのがお好みである、という具合だ。  で、まあ、これに関してはどうでもいいのだけれど、この分け方によると、私は自分のことをずっと長い間、「ヨーロッパ派」だと信じていた。一生、かなえられない夢だろうけど、もし三十畳のリビングのある億ションに住むことができるのだったら、絶対に壁から天井、インテリアまでピッカピカの本格クラシックにまとめてやるのだ、と思っていた。  ところが、である。聞くと見るとは大違い。私は縁あってこの二、三年の間に数回、フランスを訪れる機会を得たのだが、そこでいくつかのヨーロッパタイプのホテルを転々として、うんざりした。  スポンサー付、アゴアシ付……という優雅な滞在ではなかったので、当然、ホテルも五つ星デラックスタイプなんてのには巡り会わなかったのだが、それでもそこそこに「並以上」の場所を選んだつもりである。むろん、バストイレに、カラーテレビ、ヒーター付の部屋で、窓を開けると緑に囲まれた煉瓦造りの町並みが見え、化粧用のドレッサーやクローゼットなども、日本で買ったら目の玉が飛び出すに違いないホンモノのアンティーク。真っ白の胸当つきエプロンをかけた太ったルームメイドが、毎日掃除のたびに艶出《つやだ》し剤をつけ、リンネルの布巾で拭《ふ》いている様子を想像できるあたりなど、なかなかヨーロッパ的でよろしかったのである。  夜、眠る前の部屋の雰囲気も、ベッドサイドの淡い照明がぼんやりと室内を照らし出したりなどして、大変、結構。さすがヨーロッパの歴史の重みは凄い、などと感心していたのだが、それも束の間のことであった。  問題は昼なのである。はっきり言って室内が暗い。淀《よど》んでいるのである。空気が停滞しているのである。部屋の中でじっと物思いにふけっていたりすると、自分が異国で病に倒れ、全人類に忌み嫌われながら死んでいく悲劇のニッポン女性か何かのように思えてくるのである。  窓をいくら全開しても、室内の一部がちょっと明るくなるだけで効果はない。仕方なく間接照明の明かりを頼りにするのだが、ただでさえ重苦しい部屋の雰囲気は、あの薄黄色いぼーっとした明かりがつくとますます、うっとうしくなる。微熱が出てきたような感じに襲われるのである。  そのため、滞在中、私はほとんど、昼の間は外をふらついていた。疲れるとカフェに入る。明るい光の中に席をとり、そこに坐ると本当にほっとするのだ。  これはホテルだけにあることなのだろうか、一般の人々の住まいは違うのだろうか、とそう訝《いぶか》しく思っていたのだが、ある時、たて続けに二度ほど、パリの一般家庭に食事に招かれて確かな結論を得ることができた。  出かけて行った先の二軒の家(ゴージャスなマンションだったが)が二軒とも、薄暗い。どっしりとしたアンティーク家具や、あこがれのまなざしを送ってしまいたくなるインテリア用品に満ちあふれているのだが、そこはホテルの中と同じように、空気が停滞し、眠くなってしまいそうなぼーっとした光が漂っているだけだった。  フランス人に聞くと、誰もがこの間接照明の薄暗さを嫌ってはいないが、かと言って愛しているわけではないのだ、と教えられた。フランスでは、カフェに用もなさそうにぼんやりと一時間も二時間も坐っている人はとても多いが、彼らは皆、あの暗く淀んだ部屋にいるのがいやで出て来るのだそうである。  だったら、変えればいいのに、と言いたくなるのだが、ヨーロッパ的なものを真に愛し、いつくしんでいくためには、あの陰鬱《いんうつ》なデカダンスを誘う薄暗い部屋の照明をも受け入れなければならないのだ。  自分にできるだろうか、と自問してみて、今のところ答えはノー。ヨーロッパふう住居なんていやだ、皓々《こうこう》と明るい茶の間がある日本のウサギ小屋が一番いい、と住居に関しては密かに愛国心を抱き始めている今日このごろである。 [#地付き]「月刊・高層住宅」'88 11月 [#改ページ] 角川文庫『猫を抱いて長電話』平成3年1月25日初版発行