TITLE : 世界の喜劇人    世界の喜劇人   小林 信彦 著 目 次  はじめに 第一部 世界の喜劇人 第二部 喜劇映画の衰退  序章 遥《はる》かなる喝采《かつさい》  第一章 スラップスティック・コメディ マルクス兄弟 アボット〓コステロ レッド・スケルトン ダニー・ケイ マーティン〓ルイス  第二章 スラップスティックを混ぜたパロディ 〈珍道中〉映画 ボブ・ホープ  第三章 異端者チャーリー  第四章 その後のスラップスティック アメリカ フランス ソ連 日本  終章 喜劇映画を作ろう!  補章 第三部 喜劇映画の復活  序章  第一章 古典的喜劇の再生産の試み  第二章 古典的喜劇・プラス・ワン ブレーク・エドワーズそのほか  第三章 テレビ感覚派のスラップスティック リチャード・レスター  第四章 恐怖と予感の喜劇 ロマン・ポランスキイ  第五章 ヨーロッパの現状 チャップリン イギリス イタリア フランス ゴダール  第六章 黒い哄笑《こうしよう》の世界 『毒薬と老嬢』 テリイ・サザーンの仕事 人間観の変化『マッシュ』 第四部 幼年期の終り  第一章 幼年期の終り  第二章 フリドニア讃歌《さんか》 『我輩はカモである』作品分析  あとがき    はじめに  むかしむかし、日本はアメリカを相手に大きな戦争をした。  戦争は三年数ヵ月もつづいて、日本が負け、アメリカ軍が日本を占領した。  アメリカ人は非常に親切だったから、日本人に民主主義を教え込むためには、アメリカ映画をたくさんみせるのが良いと判断した。そして、日本人をアメリカ映画漬けにする方針を立てたのである。  くどいようだが、アメリカ人は親切なので、たとえば、『怒りの葡萄』のようにアメリカの暗黒面を描いた映画は日本人にみせないほうがいいだろう、と気をつかった。また、西部劇も、悪いアメリカ人が出てきて善いアメリカ人をピストルでおどかしたりするから、避けるべきだろうと配慮した。  そうすると、残るのは、心あたたまる《ハートウオーミング》映画と喜劇とスリラーである。単純な消去法でいっても、そういうことになる。  GHQは親切だったから、きわめて高級なコメディからスラップスティック・コメディ(=どたばた喜劇)まで、占領下の日本人にみせてくれた。高級なもの、あるいは、国情がちがうために理解しがたい喜劇でも、日本人にわからないだろうといった、まちがったためらいを彼らは持たなかった。これは皮肉ではなく、アメリカの文化政策のすばらしいところである。喜劇に関しては、パリパリの新作から十年近くまえのものまで、なんでもみせてくれた。  そのころ、アメリカで大衆的人気があったアボット〓コステロ映画から、古くはローレル〓ハーディ映画、マルクス兄弟の後期の映画、そして正しいパロディのあり方を教えてくれたクロスビイ〓ホープの珍道中映画が殆ど同時に公開された。  それらが送り出すギャグの豊饒《ほうじよう》の海の中を泳いでいた少年(すなわち私だが——)は、どういうことになっただろうか?  青年になった彼は、とにかく、それらのギャグを書きとめておかねばならないと考えて、トーキー以後のムーヴィー・コメディアンの個性・芸の質をギャグ中心に点検した。それがこの本の第二部であり、たぶん、もっとも面白いはずである。原稿用紙にして三百枚近くあるギャグ・アンソロジーだ。  第一部は序曲《オーヴアチユア》であり、第三部は一九六〇年代の喜劇復興運動の分析、第四部は現在までの概観プラスαである。  ギャグの質の高さ・低さは、その国の文化のレヴェルと関係があると思う。一九三、四〇年代のアメリカ映画のギャグの質はきわめて高かった。そして、それを支えたのは、有名無名のコメディアンたちなのであった。 第一部 世界の喜劇人  チューリッヒ市の町なかを散歩していると、つい、さっきまで静かだった公園で、楽隊がきこえ、子供たちのざわめきが風に乗ってきた。  多少の好奇心もあって、公園を斜めに突っ切りながら眺めようとしたのだが、大きな仮舞台の上で、若い女が小さな女の子の足をつかんで振りまわしていたのに、思わず、立ち止った。  そこは狭いわりには緑の多い場所で、舞台は、木蔭《こかげ》の、太陽に背を向ける位置にあった。立錐《りつすい》の余地もない、といっても間違いではない客席(とはいえ、全員が立見なのだが——)に、どう、もぐり込もうかと考えながら、私は妖精《ようせい》の恰好をした女の子に、黄色い紙きれのプログラムを貰った。  あいにく、私は、ドイツ語が読めないので、それが二時半から四時四十分、四時四十五分から六時五十五分までの、二回興行であることと、プログラムの演目が二十六あること以外は、とんと分らず、それでもDie Clownsという文字があちこちにあることからみて、おそらくは子供を対象とする道化師の一座であろうと見当をつけたのである。  九月初めのチューリッヒは、まことに気持がよくて、木洩《こも》れ陽《び》のなかには、けっこう、大人の姿も多く、ほう、とか、あっ、などという嘆声をあげたりするのだった。  それは主として、幼女が、道化師(これは古典的な衣裳《いしよう》のものだ)に投げあげられたり、客席に放《ほう》られそうになるたびに起るのだが、通りすがりの一日本人の頭には、幼児虐待といった言葉さえ浮んで、無条件にたのしむというわけにいかないのも事実であった。さらに、げんみつにいえば、たのしみたいという心の動きと、あんなことをしていいのだろうかという戸惑いのあいだを揺れていたことになる。  舞台の左手には、かなり大きなバスが停っていて、窓にはカーテンがかかっており、一舞台すむと、そこで着かえる仕組になっている。つまり、このバスは楽屋なのである。  貧乏性の私は、まず、これで、一座が食べられるのかと考え(まさか趣味でやっているのではあるまい)、カンカラのふたで金を集めにきた少女に、コインを渡しながら、まわりの老人たちのように素直にたのしめない自分を、あまり幸せな人間ではないように感じた。  際限なく、殴ったり、ひっくり返ったりをつづける男女の道化師たちを眺めながら、私は、パリで、立てつづけに見たマルクス兄弟の映画や、バスター・キートンのことを考えていた。  それから、マルクス兄弟とヨーロッパの道化劇、コメディア・デラルテとの関係を説明してくれたパリ在住の、道化の研究家の顔を想い出し、もう少し、注意深くきいておけばよかった、と考えた。  かつて、私は、アメリカのサイレント喜劇に興味を持っていたことがあって、それらの起源は、ヨーロッパの道化劇、パントマイム、及びヴォードヴィルと、初期ハリウッドの結びつきにあると、本に説明されてはいても、概念的なものにしか感じられなかった。  だが、マルクス兄弟の第一作『ココナッツ』と第二作『けだもの組合』をつぶさに見ることによって、私は、アメリカのヴォードヴィルというものが、これほど、したたかな構造と芸を持っていたのかという思いに、打ちのめされたのである。  この二つの作品は、彼らのヒット舞台劇の映画化である。晩年のグラウチョ・マルクスは、映画『ココナッツ』の中の芸によって、自分たちの舞台の出来ばえを推測してもらってけっこうだ、と語っていた。すなわち、発表当時は、〈舞台的すぎる〉と評されたこの二作は、いまとなっては、彼らの舞台芸の貴重な記録映画という側面を持ち合せるのである。  いうまでもなく、『ココナッツ』以下のマルクス喜劇はトーキーである。バスター・キートンの最後のサイレント長篇《ちようへん》"Spite Marriage"の発表された一九二九年に、あたかもキートンの退場と入れかわるように、マルクス兄弟が『ココナッツ』で登場したのは殆ど象徴的ともいえる。  賢明な読者は、すでに、私の文章の中に、一つの矛盾を見つけられたはずである。サイレント喜劇とヴォードヴィルの関係について言及しながら、私は、いきなり、トーキー映画を持ち出しているからだ。  だが、私は、そのような映画史的知識は、本章に限っては、意識的にとっぱらってしまった方がよいと思うのだ。  映画史的観点からみると、じつに、とんでもない間違いが生じる場合があるのである。  たとえば、少しでも、映画に興味を抱いている人なら、チャップリンとバスター・キートンは、ほぼ同年輩であり、マルクス兄弟は、ずっと若い、という風に考えがちである。  事実は、一八八九年生れのチャップリン、一八九〇年生れのグラウチョ・マルクス、一八九五年生れのキートンという順になる。チコ・マルクス、ハーポ・マルクスに至っては、チャップリンより年長なのである。  グラウチョの自伝"Groucho and Me"を読むと、彼ら兄弟が、旅興行の途中で、やはり旅芸人だったチャップリンにあったり、ジャック・ベニイにあったりしている。  チャップリンが一九一四年に映画入りし、マルクス兄弟が一九二九年にようやく映画の主役になれたのは、運と芸質の問題がからみ合っている。パントマイムの達人として名をなしたチャップリンは、そのまま、サイレント映画の世界に溶け込めたが、歌と台詞《せりふ》のかけ合いの面白さで知られたマルクス兄弟は、トーキーの発明がなかったら、フィルムの世界に入ることは不可能であったろう。  パントマイム芸のチャップリンと、アクロバット芸を得意とするキートンと、アンサンブルによるヴォードヴィル・チームのマルクス兄弟とでは、フィルムの中に形づくる世界も、おのずから異ってくる。  そのような芸風のあきらかな相違にも拘《かかわ》らず、彼らに共通しているのは、芸人の子供であったという事実と、極度の貧困である。  チャップリンの父親は、やはり、チャーリー・チャップリンの名で、イギリスの寄席の歌手であり、妻のハナは、リリー・ハーレーという旅まわりの芸人だった。父親の死が、少年チャップリンをさまざまな仕事から浮浪生活にまで追いやり、母親の訓練によって、八歳のときには子供芸人の中の古手になっていた。彼の得意は、物真似とダンスであった。  ジョゼフ・ホリー・キートンとマイラ・エディス・カトラーのあいだに生れたバスター(名づけ親はハリー・フーディニ)もまた、生れながらにして、〈キートン一座〉に属さざるをえなかった。三歳で、すでに舞台に出、五歳のときには、落ちたり、転んだりのアクロバットに加わることになる。  マルクス兄弟の場合は、母方の祖父母がドイツの旅芸人であり、その血をついだ母ミニーが、息子たちをヴォードヴィル芸人に仕立てるべく努力する。チャップリンの場合と同じく、彼らが〈人を笑わせるか否か〉は、完全に、パンの問題であった。  貧困は、チャップリンの殆どの作品に刻印を残しているが、初期のマルクス映画もまた、そうであり、『ココナッツ』で、金持の夫人のマーガレット・デュモンが、「みなさんに、ディナーをさしあげます」というと、それまで台の上でぼんやりしていたグラウチョが、すさまじい勢いで滑り降りてきて、「ディナー? どこだ?」と叫ぶ。『けだもの組合』巻頭で、パーティ会場に登場するチコの第一声も「食堂はどこだ?」であった。  戦後に、マルクス兄弟の後期の作品しか見られなかった私の犯したまちがいは——成行きとして、そして、日本のフィルム・ライブラリイに作品がないことからみて、致し方ないこととはいえ——彼らをスラップスティック芸人の系列に置いて考えたことである。もちろん、それだけではない〈何か〉を感じとり、それを筆にしていたとはいえ、まちがいはまちがいだ。  だが、前期の作品群——とくに、〈初期マルクス〉と呼ばれるパラマウント時代の五本を見ることによって、私の生れる前後に、喜劇映画がすでにここまで到達していたと知るとき、私は、その〈シネマ・バーレスク〉としかいいようのない作品群の底知れぬ魅力をたたえるだけではすまない、名状しがたい気分に陥る。  とくに『けだもの組合』を見ていると、私は、私の既成の教養ではどうにもならない、一種異様な芸を突きつけられ、映画というよりももっとナマな、いわば、彼らの舞台をそっくり見せられているような錯覚におそわれるのである。  このアクの強さは、純アメリカの産物ではない、と、まず、感覚的に想われる。ドイツ系ユダヤ人そのものというべきか。ヨーロッパ大陸に属するらしいある芸と、自分が向い合っている、そして、その背後には私のまったく知らないたぐいの芸の流れがあるらしい、と感じたとき、それ以上の理解は私には不可能だと考えざるをえなかった。  むろん、ヨーロッパの道化について、なにがしかの知識を得ることはできよう。だが、それだからといって、マルクス兄弟の複雑怪奇な芸風を、どう説明できるだろうか。そこを学者的用語で短絡させると、芸のもっとも大事な部分がこぼれ落ちてしまう、というのが、私の考え方である。  むしろ、チャップリンが名声を得、キートンが独自の世界を創りあげていた時期に、アメリカのあちこちを旅していた彼らが、どのようにして彼らの〈芸をみがいていた〉か(あるいは、何もしていなかったか)ということの方が、気になるのである。ほぼ二十年と推定される下積みの期間に、彼らは、いったい、どういうことをしていたのか? あのアナキーな芸風はどうやって、はぐくまれていったのか?  例をあげれば、唖《おし》の浮浪者ハーポが演じる一つの芸のパターンがある。  彼は、どんな相手に向っても、手の代りに、片足を突き出すのである。相手のズボンに右足をのせて、にやにやしている。相手が握手を求めて手を出すと、そこに足を乗せてしまう。酔っぱらえば、女性のひざの上に足を乗せて平気である。  彼のもう一つの特徴は盗みである。『ココナッツ』の後半で、彼は紳士のポケッチーフを歯でくわえて盗もうとする。相手が冗談はよしてくれという風に、ポケッチーフを元に戻すと、ハーポは甘えるように寄りかかりながら、さらにポケッチーフをくわえる。(紳士を中心にして反対側に立っていたグラウチョさえ、なぜか、腕時計を盗まれてしまう。) 『ココナッツ』のフィナーレで、ハーポは、刑事のワイシャツを——上着もズボンもそのままで、ワイシャツだけを——盗みとるという離れ技を見せる。  さらに、『けだもの組合』のラストで、ハーポはヴォードヴィル時代の彼のネタを再現してみせる。ハーポが盗みの道から更生したのに感動した刑事が、ハーポの腕をつかんでゆすぶるうちに、銀のナイフが袖から一本、落ちる。気がつかない刑事が、さらに腕をゆすぶるうちに、二、三本、落ち、やがて、ざーっと落ちて、ハーポの足元に銀の食器が山をなすのである。この不屈の盗魂は、彼の最後の映画まで続くことになる。  喜劇役者というのは、多かれ少なかれ、状況の被害者という形で笑わせるタイプが普遍的である。チャップリンからダニー・ケイを経てウディ・アレンまで、状況にもてあそばれる弱者という設定が多く、弱者の居直りによる勇気がクライマックスを形づくる。追いつめられたとき、彼らは彼らなりの悪智恵を働かすのだが、それはあくまでも状況打破のためであり、事件が終れば、また、もとの善人に立ち戻る。愛される浮浪者チャーリー・チャップリンは、そのシンボルといってもいい。  一方、初めから、ひとをペテンにかけるためにあらわれるピカロ的道化も、決して珍しいものではあるまい。じつは、チャップリンにしても、ごく初期には、悪党《ピカロ》なのである。が、そのようなパターンをふまえていたとしても、グラウチョ、ハーポ、チコのマルクス三兄弟の加害者的道化は、やはり、ユニークな存在といわねばなるまい。 『ココナッツ』で、ホテル・マネージャーとして登場したグラウチョは、ボーイたちが給料を払えと叫ぶと、階段の途中に立って猛烈な勢いで喋《しやべ》りだす。 「諸君は賃銀の奴隷になりたいか? どうだ? なりたくはあるまい。さて、賃銀の奴隷をつくり出すのは何だ? 賃銀そのものだ。私は諸君を解放してやりたい。まず、賃銀のことを忘れるのだ!」  やがて、浮浪者のハーポと、見るからに胡散《うさん》くさいチコが、ホテルのロビイに入ってくる。ハーポのスーツケースが開いてしまうと、中は、空である。 「おや、空じゃないか」というグラウチョに、チコは、すかさず答える。 「なに、出るときは、一杯になっているさ」  ハーポは、いきなり、カウンターにとび乗り、泊り客用の郵便物を、次々に引き裂き始める。  煮ても焼いても食えない、この加害者ぶりのかげに、第一次大戦後の混乱から不況時代を生き抜かねばならなかったアメリカ人のある種の精神を見ることも可能であろう。マルクス兄弟がスクリーンに現れた一九二九年は大恐慌の年であり、彼らが〈初期マルクス五部作〉を撮り終えた一九三三年はニュー・ディール諸法成立の年であった。彼らがスクリーンで真価を発揮したのは、不況のあいだだけだ、という説にも、かなりの理があると私は思う。そして、五部作の最後の『我輩《わがはい》はカモである』で、彼らは、彼らのロジックの当然の帰結として、国家と戦争を茶化すというエスカレーションぶりを見せ、マルクス主義の最高峰をきわめる。それはまことに孤独な作品であり、大衆はおろか、有識者の支持すらおぼつかなかった。それが大衆の中に理解者を見出《みいだ》すためには、三、四十年もの時が必要だったのである。今日、『我輩はカモである』は、興行的にも、彼らの代表作として安定しているし、何度、見返しても笑わせる、数少い映画の一つとしての輝きを持っている。  だが、映画がアナキーであるから、演ずる芸人もまたラディカルな人物である——というようなことは、まず、ないので、グラウチョを別格として、ハーポ、チコは、きわめて尋常な人物である。  よれよれのレインコートという扮装《ふんそう》が、不況時代にマッチしたとはいえ、ハーポは、実は、コメディア・デラルテの道化役アルレッキーノの伝統にかなり忠実な、古風な道化師ともいえるのである。多くは乞食《こじき》か下男役で、性格は愚鈍で狡猾《こうかつ》、というアルレッキーノの定義に従えば、ハーポはまさにそれであり、十三本のマルクス喜劇の中で彼が演じたのは、たしかに浮浪者か従者ばかりであった。その意味では、第三作『いんちき商売』で、船員に追われた密航者ハーポが、〈パンチとジュディ〉と呼ばれるおなじみの人形劇に加わる一幕など、彼が、いわば、道化の正統派であることの証左の一つともなろう。  アルレッキーノの英国的変身であるハーレキンは、時代とともに、〈愛されるおろか者〉に変質したといわれるが、チャップリン自身は、ひとりで、この〈変質〉を辿《たど》ってみせたのである。  一九一四年の"Tillie's Punctured Romance"(サイレント喜劇の邦題は、わずらわしいので、キートンについてはわざと省いたが、これは戦後公開されたので入れておく。戦前は『醜女《しこめ》の深情《ふかなさけ》』、戦後は『チャップリンの百万長者』)を代表とする三十本余のキーストン社時代のチャップリンは〈執念深くて、意地悪で、反逆的で、誰にも反抗し、誰からも反抗され、あらゆる機会を抜け目なくとらえて社会の端っこにしがみついていようという存在である〉(P・コーツ&T・ニクロース)と定義されている。私も、『醜女の深情』を含めて何本か見ているが、感情移入の余地のない悪党である。そして、まずいことに、それは、愛嬌を欠いているのである。  エッサネー社に移ったチャップリンは、そこでの六作目『チャップリンの失恋』で、初めて、のちの〈愛されるおろか者〉の原型を演じた。かくて、加害者的道化、あるいは反抗的道化としてのチャーリーは消え、〈永遠の放浪者〉であるチャーリーが登場する。すなわち、加害者的道化としては、チャップリンの芸は成立しなかったのである。  チャップリンの映画が〈思想的〉色彩を著しくするのは『モダン・タイムス』『チャップリンの独裁者』『殺人狂時代』の、現代批判三部作であろうが、『モダン・タイムス』前半の機械文明批判には、どこか、いかがわしいところがある。だが、そのような部分を否定しても、絶対に、否定しきれないものが残る。それは、チャップリンのパントマイム芸であり、スケートであり、踊りである。それこそは、チャップリンの核ともいうべきものであり、どのような衣裳(思想家・感傷家)を着せられていようとも、彼の映画は、まず、彼のパントマイム芸を見せるためのものであり、大半がそこから発想されていることは明らかだ。芸人チャップリンの偉さと限界は、この一点にかかっているといえよう。  その意味では、『ココナッツ』の前の年にサイレントで作られたチャップリンの『サーカス』は、浮浪者がサーカスの道化師たらんとするプロセスを描いて、彼のパントマイム芸を存分に見せてくれる佳作だが、すでに天下の道化師として知られたチャップリンが、無名の道化師を演ずるという構造に、若干のいやらしさ、自己讃美《さんび》が含まれている。 (この自己陶酔癖は、すでに客を笑わせられなくなった道化師カルヴェロの晩年を描く、二十四年後の『ライムライト』に直結している。『サーカス』『ライムライト』は、道化師による道化師論二部作ともいえるのである。)  にもかかわらず、『サーカス』は、いわば本格的な道化ぶりを、チャップリンが見せるという点で、注目すべき作品である。マルクス兄弟、ダニー・ケイ、マーティン〓ルイスも、サーカスを背景にした映画を作っているが、チャップリンほど鮮かに、サーカス・クラウンを演じることはなかったと記憶する。  チャップリンのあの扮装と杖《つえ》は、(おそらくは、ハーレキンの末裔《まつえい》としての)イギリスの寄席芸人の一つのパターンであった。そのことは、ローレル〓ハーディの片方のスタン・ローレル(当時はスタンレイ・ジェファスン)が、同じ服装をしている写真が現存することからでも分る。  だぶだぶのレインコートに、自動車のラッパのついた杖を持っているハーポも、また、チャップリンの異母兄弟といっていいと思う。  ただ、パントマイム一座の出身でないハーポは、きれいな動きというよりは、奇想天外な所作《しよさ》によって、その芸を見せる。観客の予想を次々にくつがえすのが、彼の使命ともいえる。  映画としては、自作自演のチャップリンにくらべて、はるかにザツに作られたマルクス兄弟映画が、今日、なお新鮮なのは、末弟ゼッポを加えた四兄弟のアンサンブルの面白さ(といっても、ゼッポは殆ど出てこないのだが)と、その混乱がしばしば神話的にさえ感じられるところにある。  たとえば、帽子の交換といった単純な行為に、おどろくべきヴァリエーションがあることを、私たちは『我輩はカモである』で見ることができる。ベケットの『ゴドーを待ちながら』における帽子の交換が、『我輩はカモである』及び、その背後にある道化師の分厚い伝統に多くを負っているのを見るとき、もそもそと帽子をとり代える日本版『ゴドー』など、なんの意味ももたないことが、容易に感得される。(帽子の交換は、『マルクスの二挺拳銃《にちようけんじゆう》』『ルーム・サーヴィス』でも、ちらっと見られる。)  また、窓からモノを棄てる——という行為がある。『御冗談でショ』において、美しい未亡人に恋を囁《ささや》くグラウチョを妨害するために、チコとハーポは大きな氷をもち、長椅子の上のグラウチョを踏みつけて部屋を横切り、窓から氷を下に落とす。  耐えかねたグラウチョが叫ぶ。 「ここは、メイン・ハイウェイなのか?」  この動きは、『マルクス捕物帖《とりものちよう》』において、グラウチョとチコが、元ナチスの親玉の下着やシャツを窓から投げ棄てるという行為として再現される。  マルクス兄弟の笑いのつくり方を見ていると、幾つかのパターンがあることが分ってくる。  第一作『ココナッツ』においては、左右の部屋をまったく舞台と同じに設定し、中央に仕切りがある。二つの部屋の奥にドアがあり、仕切りには、二つの部屋をつなぐドアがある。三兄弟と悪女ケイ・フランシスが、三つのドアをひんぱんに、あけたり、しめたりするが、彼らは絶対に顔を合さずに、入れ代り立ち代り、出入りする。  舞台そのものといってもいいこのギャグは、形を変えて『オペラは踊る』にあらわれ、さらにひとひねりして『マルクス捕物帖』でも、かなり、しつこく使われている。  マルクス兄弟の好みの、もう一つのパターンは〈狭い空間の中の混乱〉であろう。  若き日のイヨネスコを触発したという、あの、『オペラは踊る』の中の船室のシーンが代表例である。  狭い船室に三兄弟をはじめ、メイドたち、煖房《だんぼう》技師、マニキュア係りの女、給仕たちなどがぎっしり詰り、それでも、おのおのの仕事を継続しようとつとめるのだが、このシーンは有名なわりには物足りないように感じられた。むしろ、面白さは、最後のワンショット——マーガレット・デュモンが廊下に立ってドアをあけたとたん、人間がコマ落しで、なだれ落ちる、その一瞬に集約される。  このパターンは、『マルクスの二挺拳銃』の中の駅馬車内のシークエンスで繰り返され(但し、床の手前の空間に余裕があるために、ぎっしり詰った感じが出ない。監督が凡庸なためである)、さらに『マルクス捕物帖』では、ハーポとチコのにせのボーイが、レストランのフロアを、テーブルと椅子で埋め尽すギャグとしてあらわれる。  きわめて古めかしいヴォードヴィルのネタが、マルクス兄弟の異様な芸によって生き返ったのが、前のパターンであり、映画用に創造されたのが、あとのパターンである。  それらは、かつてのシュールリアリストたちを喜ばせ、また、のちのイヨネスコに「自分が影響を受けたとすれば、グラウチョ、ハーポ、チコの三人だ」という言葉を吐かせた。  グラウチョの回想録によれば、彼らのヴォードヴィル時代、ニューヨークには、専門の劇場が百近くあったとのことである。これらの劇場が潰《つぶ》れてゆき、ヴォードヴィルの灯が消えたとき、アメリカの喜劇の泉は涸《か》れた、といってもいいであろう。  チコの娘であるマクシーン・マルクスによれば、当時の〈ヴォードヴィル・ヒューマア〉は民族的タイプの上に成り立っていたということである。つまり、〈オランダ風〉〈ユダヤ風〉〈イタリア風〉〈ニグロ風〉〈アイルランド風〉といった、タイプの分類があり、その中から、チコ・マルクスはイタリア訛《なま》りを採用したというわけである。  これは、まったく、人種混合のアメリカならではの笑いの作り方であり、ウディ・アレンが、なにかというと、自分がユダヤ人であることを強調するのは、その現代的ヴァリエーションであろう。  日本には、遂に、その真価が紹介されずに終った〈喜劇王〉に、イタリアのトトがいる。  なにしろ作品数が九十本近く、ローマ市内では、つねに何本かが上映されているようだが、私が滞在したとき、かかっていたのは、香《かんば》しくない作品だというので、見るのをやめた。一九〇一年生れで、六七年に亡くなっている。  イタリアでは、いまでも、アルベルト・ソルディとかニノ・マンフレディといった人たちの喜劇が作られているが、外国に輸出されることは、めったにないようだ。ひとつには、笑いの多くが、イタリア国内の方言に依存しているかららしい。トトにしても、おそらく、その存在を国内に封じ込めてしまう内因があったのであろう。  チャップリンが、トーキー時代に入っても、トーキーを拒否し、スポークン・タイトルと音楽の混合、という不思議な作り方(『街の灯』)をしたのは、おそらく、彼のフィルムが世界市場に出まわらなくなるのをおそれたせいであろう。 『モダン・タイムス』の最後で、「ティティナ」という、何語ともつかぬ言葉の歌をうたってみせる(これがチャップリンが画面で自分の声をきかせた最初だ)のも、おそらく、そのためである。世界のアイドルとなった浮浪者は、もしひとことでも英語で喋ったなら、その存在範囲を限定されてしまう、と、チャップリンは考えたらしい。  バスター・キートンは一九二九年を最後に人気を失い、ハロルド・ロイドもまた、昔日の面影がないとき、チャップリンのみが生きのびた秘密の一つは、こうした徹底した商売人ぶりにあった、と見て、よいと思う。(『街の灯』の封切まえに、チャップリンが破滅の幻影にどれほど怯《おび》えたかについては、サミュエル・ゴールドウィンの証言がある。)  次の『チャップリンの独裁者』では、チャップリンは独裁者ヒンケルとユダヤ人の床屋の二役を演ずるが、独裁者は〈ドイツ語らしくきこえる無国籍語〉を喋り、床屋は無言のままである。  チャップリンが画面で初めて英語で喋るのは、最後の民主主義擁護の大演説においてであり、二十代だった私はいたく感激したが、この映画のリヴァイヴァル上映について、「ニューヨーカー」誌の映画欄は、終りの演説だけ、よけいだ、と手きびしい批評を下している。  チャップリンが、きわめて、ふつうのトーキー映画を作ったのは、戦後の『殺人狂時代』が最初だが、高く評価したのは、フランスと日本ぐらいで、興行的にも、批評の上でも、大敗を喫する。  かくて、チャップリンは、大衆の大好きなセンチメンタリズムにみちた、なつかしい世界へ、素顔で回帰する。名曲「イターナリー」が流れる『ライムライト』がそれで、この作品の成功をもって、実質的には、彼の活動は終る。  皮肉なことに、チャップリンと正反対の喜劇をつくりつづけたマルクス兄弟の中のハーポは、歳をとるにつれて、チャップリンに似てきた。 『マルクス捕物帖』でのハーポの顔が、素顔のチャップリンに酷似していることは、ジェームズ・エイジーが指摘した事実だが、ハーポ主演の『ラヴ・ハッピー』に至ると、ハーポは、ギャグ・シーンにおいてのみ、二十年まえのアナキーな匂いをかすかに残すものの、若い娘への浮浪者の献身という設定においては、『サーカス』や『街の灯』のチャップリンに近い存在となっている。  グラウチョが、チャップリンをからかいの眼で見ていたトーキー時代、いや、はるかヴォードヴィル時代においてさえ、ハーポは、いわば同業のチャップリンを尊敬していたという。従って、原案・主演ハーポの『ラヴ・ハッピー』(なんとマルクス兄弟らしからぬ題だろう!)が、マルクス主義とチャップリン主義の奇妙なカクテルとなったのは、当然かも知れない。ラストシーンの、踊りながら遠ざかってゆくハーポの後姿の、なんと、チャップリン的なことか!  もっとも、もともと、ハーポのパントマイムには、子供に向く要素があり、ニューヨークのウェスト・サイドで『ココナッツ』を再見したときは、彼がロビイにふらふらと登場するシーンで、"Here he comes!"と、私のうしろの黒人の子が叫んでいたのだが……。  ここで、私は、あの、チューリッヒの道化師たちの姿を想い出す……。  彼らは何のために、あのような動きを繰り返すのか? ひとを笑わせ、ときには、はっとさせることに何の意味があるのか? あれは、自分のたのしみでやっているのか、他人をたのしませるためか? そして、このような私の疑問は、まったく、世のむだごとではないのか?………… 第二部 喜劇映画の衰退 序章 遥《はる》かなる喝采《かつさい》  むかしの無声映画時代の喜劇といえば、ジャズの伴奏がついたものだった。「ラニング・ワイルド」「ラギディー・アン」「ドント・ブリング・ルル」といった曲だ。ジャック・ダフィーとか、スナッブ・ポラード、その妹のダフニなどの、めちゃくちゃなコマ落しのドタバタ演技に合せた、めまぐるしい伴奏音楽。バスター・キートンにはどんな音楽が使われたか知らないが、ラングドンはいつも「わたしはいつもハリーに首ったけ」を使っていたし、ハロルド・ロイドは、『ロイドの大学生』があたってからは、「大学生」がおなじみの曲になった。チャップリンは、「チャーリー・マイ・ボーイ」だ。 (ロバート・ブロック)  見逃した方が多いと思うが、かつて、テレビで、バスター・キートンと大口ブラウンとボブ・ホープとザス・ピッツの共演する三十分物のコメディをやった。 『遥かなる喝采』という題で、監督は老骨ジョージ・マーシャル。アカデミー賞の授賞式で(その司会者がB・ホープ)、晴れのオスカーを手にした老監督ブラウンが、私の今日あるのは、昔、いっしょに、スラップスティック・コメディをつくっていた旧友のおかげだが、あの珍優もトーキーのおかげで、どこかに消えていってしまった。せめて、今日彼に一目あえたら嬉しいのだが……と挨拶する。  ハリウッド近くの場末のスナック・バーで、ビールを飲みながら、この実況放送を眺めているのが、尾羽打ち枯したその旧友バスター・キートン。彼の隣で、これも同じ放送に、食い入るように見入っているのが、この店の定連ザス・ピッツだ。彼女は、ふと、隣の男に目をやって、どうも見た顔だが、と、首をかしげる。  キートンの皺《しわ》だらけの顔、悲しげな眼のアップに、昔の撮影所風景がダブる。そこの中庭では、いましもブラウン監督の指揮の下に、メロドラマの撮影が開始されるところだ。セットの二階の窓に、女がひとり。係の者が窓からスモークを吹き出させると同時に、撮影開始。女はオーヴァーなゼスチュアで泣き叫ぶ。  この時たまたま、所内の床屋で髪を刈っていたのが、バスター・キートン。女の悲鳴に店を飛びだし、「誰も助ける勇気が無いのか!」と叫びながら、撮影の中に割って入って、二階へよじ昇りはじめる。メロドラマの相手役の青年が、そのキートンを引張りおろそうとする。さらに床屋の主人が加わっての大混乱。キートンはハシゴを持ちだしたりして、おおいに一同を悩ませるが、ブラウンはカメラマンに命じてこの光景をうつさせる。ここにスラップスティック・コメディは誕生せり、というわけだ。  キートンが現実にもどると、店の中ではチンピラがテレビをとめろ、とさわぎだしていて、手がつけられない。ザス・ピッツなどもコテンコテンに罵倒《ばとう》され、キートンも往年のスターと分って、余計イジめられる。  このジジイめ、と、チンピラが、キートンの両肩をつかんで吊《つる》し上げると、それまで大人《おとな》しくしていたキートン、やにわに背後に置いてあったパイをとって、敵の顔にグシャリ。たじろぐチンピラの足の上に、今度は傍らのおもしを落っことす。といった往年の手で小男の老人が、グレン隊を悩ましているところに、ザス・ピッツの知らせで飛んできたブラウン老監督が現れる。〈遥かなる喝采〉とは、このブラウンが、昔のパントマイム役者を想い出して口にした言葉である。  しかし、往年のスラップスティックの手法で敵をやっつけるのは、なにも架空の話ではない。それを現実におこなったのが、『独裁者』のチャールズ・スペンサー・チャップリンである。  鶴見俊輔《つるみしゆんすけ》の『チャップリンの独裁者』評を私は興味深く読んだのだが、冒頭の「この映画を見ながら、私は、映画が同時代にだけ奉仕するという時代は終ったことを感じた」という一行にはちょっと疑問を感じた。  はたして、〈同時代にだけ奉仕するという時代〉は終ったのだろうか? 私には、そうは思えない。今でも、やはり、一般的に言って、映画が古典たることはむずかしい、と私は思っている。  私にいわしむれば、映画の中で、時の腐蝕《ふしよく》に(ある程度だが)耐え得るものの一つは、スラップスティック・コメディである。  かつて、チャップリンの『キッド』を初めて見た私は、ちょうど、一九二一年二月六日にこの傑作を世界で最初に見たアメリカの大衆がそうしたように、毛布の破れに首をつっこみ、ガウンのように着てしまうチャーリーに爆笑し、冷酷な男たちの手の中で泣き叫ぶジャッキー・クーガンに涙を流した。『チャップリンの独裁者』を古くさいなどという人がいるが、『独裁者』は、おそらく一九四〇年の封切当時においても〈古くさ〉かったに違いないのだ。しかし、そういう、一見古くさそうに見える要素こそ、この作品を一九九〇年においても、じゅうぶん見るに価いせしめるにちがいないのだ。  いや、ひとりチャップリンだけではない。ルネ・クレールの編集した『喜劇の黄金時代』を見ても、斎藤寅次郎《さいとうとらじろう》の『子宝騒動』(昭和十年)を見ても、全然腐っていないのである。つまり、スラップスティックというものは、腐らないのだ。  その証拠には、先だって、近代美術館で、サイレント映画をまとめて見た時、ヴァレンチノやスワンソンは、もうまったくタイクツ、見るに耐えなかったが、メーベル・ノーマンドやベン・ターピンのドタバタはじゅうぶん楽しめたのである。  一九四九年九月二十六日号の「ライフ」(ベン・ターピンの葉巻をくわえた顔が表紙になっている)にのったジェームズ・エイジーの快エッセイ「喜劇華やかなりし頃」(Comedy's Greatest Era)によれば、スラップスティック・コメディの最盛期は、一九一二年から三〇年までということになっている。「なっている」というのは、私が一九三二年の生れで、こうした経過を眼で辿《たど》ったわけではないからだ。他の芸術においてはともかく、こと映画に関しては〈見ていない〉ということは致命的である。〈戦後世代〉の中では、比較的、サイレント・コメディのフィルムを見ている方だと自任してはいるが、それでも、知れたものである。そこで、この時代について、何かを知ろうとすれば、書物にたよるより仕方がない。私が、エイジーのエッセイやサドゥールの『チャップリン』その他から得た、スラップスティック・コメディの歴史というのは、ざっと次のようなものである。  始めに——マックス・ランデありき。  一九一二年には喜劇映画といえば、フランス、なかでもマックス・ランデがズバ抜けていた。ランデは、ジョルジュ・サドゥールによれば、「ハイカラで女に親切で、機智に富み、皮肉で、美しい女をものにするためなら、どんな冒険でもいとわない」タイプで、いわゆる飛んだりはねたりはせず、「鋭く洗煉された諷刺《ふうし》をもった観察力にもとづいた気取り方を好んで用いた」という。  キーストン社の製作者であり、演出家であり、シナリオ・ライターも兼ねていたマック・セネットの俳優としての出発は、このマックス・ランデをマネたものだった。そして、製作者としての彼は、ジャン・デュランなどのフランスのナンセンス・コメディの感覚を徹底的に盗んだのである。  ここに、カーノ一座が登場してくる。  フレッド・カーノ。イギリスのミュージック・ホールの大ボスであるこの男が経営する〈だんまり鳥《マミングバース》〉一座(正式には、「ロンドン・コメディアンズ」)は、パントマイム、パロディ、バーレスク、なんでもござれという〈笑いの工場〉だったが、ここの数多くのコメディアンのなかには、一九〇七年、兄のシドニーの紹介で入団した、ケチで人づきあいの悪い青年チャーリー・チャップリンや、痩《や》せたトボけた味の青年スタンレイ・ジェファスン(のちのスタン・ローレル)がいた。この一座の凄《すさ》まじい面白さは、サドゥールによって次のように要約されている。 「すべてが要領よく調合され、まとめられ、集約されている。すべてがちょうど巧みな拳闘家の正確な一撃のように急所を打つのであり、あらゆるものが予測されない大砲の一発のように破裂するのである。英国のパントマイムは、子供の歌のように無邪気な残酷さにみちていた。英国の乳母たちが歌う折返し句の中には、切られた首や、体をつきさす剣が、まるでパンチとジュディ(ロンドンの人形芝居に出てくる)が演ずる裁判官や警官、そして悪魔さえも殺す殺人と同じような気軽さで物語られているのである」(傍点筆者)  チャップリン以前にも、マック・セネットは、このカーノ一座がアメリカ巡業にくるごとに、有能なコメディアンをひき抜いていた。ギャラが良いから、役者の方も、もちろん、二つ返事で移ってゆく。アタマにきたカーノは、合衆国巡業を警戒するようになったが、彼はチャーリーより、兄貴のシドを買っていたので、どうしてもチャップリン兄弟を舞台に出さなければならぬ時には、弟のチャーリーを出させるようにした。一九一一年の渡米では何ごともなかった。一九一二年も無事に過ぎたが、一九一三年にはパントマイムの名手チャーリーの名は、すでに全米に響いていた。  当時、マック・セネットのキーストン・コメディの主役は、アゴひげをはやし、シルクハットをかぶった大男フォード・スターリングである。彼を親玉とするキーストン・コップスの面々が、前記エイジーのエッセイの中の写真に入っている。その顔ぶれとは、スターリングのほか、ファッティ・アーバックル、ボビイ・ヴァーノン、チェスター・コンクリン、クライド・クック、マック・スウェイン、ジェームズ・フィンレイスン、ハンク・マン、といった人々だ。これらのポリ公《コツプス》も、フランスのゴーモンやパテの喜劇の警官たちからの〈頂き〉である。しかし、セネットの功績は、カーノ一座を代表とするようなヴォードヴィル的スラップスティックやパントマイムを、映画独自の表現につくりかえたところにある。カーノ一座の〈きたえあげられた芸〉は、マック・セネットという濾過器《ろかき》を通して、あの〈海水着美人〉や、〈キーストン・コップス〉の輝かしい動きに開花したのだ。 〈スタア〉フォード・スターリングがのべつギャラの値上げ要求をするのに参っていたセネットは、一九一三年秋、スターリングに契約破棄というドスをのどもとに突きつけられて、あわてて、次のスタアを探しにかかった。  こうして、マック・セネットと、キーストン社の出資社員兼監督のアダム・ケッセルは、別個にチャップリンに交渉しはじめた。はじめのうちは、渋っていたチャップリンも、アダム・ケッセルのしつような勧誘にのって、一九一三年十一月に、週給百五十ドルで一ヵ年契約、ただし一九一四年一月一日から有効という契約にサインした。  この知らせにカンカンになったスターリングがただちに退社の意を表明したので、若いチャップリンは、一九一四年一月から毎週、映画に出なければならなくなってしまった。  当時のセネット・コメディの定連たちは、前記の〈コップス〉のほかにアル・セント・ジョン、チャーリー・チェイズ、メーベル・ノーマンド、といった連中だった。  サドゥールは、これらの人びとの演じるキーストン・コメディの法則を、「昔のオッフェンバッハの音楽に近い気違いじみたリズムですべてを笑いとばし、すべてをぶちこわし、すべてをけがしてしまうものであった。チャップリンはすすんでそれを引受けていた。世の中を虐殺の遊戯に戯画化してしまうことによって、彼の貧困や不運や彼の恐ろしい子供時代に対し、彼はアナキー的に復讐《ふくしゆう》していた」と、うまく表現している。  ここで、本論に入るまえに、前記エイジーのエッセイの要約を述べておかねばならない。すでにこれを読んでおられる方は、ここのところは飛ばしていただきたいのだが、まず大部分の方は読んでおられないだろうと推察している。  ところで、エイジーのいう喜劇とは(そして、私のいう喜劇も同じ意味だが)、広義のコメディではなく、あくまで映画独自の形式をもった喜劇、すなわちスラップスティック・コメディのことである。  まず、エイジーは、サイレント喜劇においては、クスクスから大ゲラゲラまで、笑いに四つの段階がある、と前置きする。昔の喜劇は、観客をして、この四つの段階をトップまで上げさせたのだが、近年の喜劇(たとえば、ボブ・ホープなど)は二つ目までもいかないようなものが多い、という。というのは、当時のコメディアンが実に献身的によく動いたからなのだが、その動きは単なるドタバタではなく、詩があった。つまり、当時のベン・ターピンのようなスタアたちは、笑わせる技巧に加えて、アクロバット、ダンス、パントマイムなどの訓練を積んでいたのである。  こうした喜劇が、現在のように衰退してしまった原因は、やはりトーキーにあるといえよう。コメディアンたちは、パントマイム的演技に台詞《せりふ》をつけ加えることができなかったので、その大部分の者が、凋落《ちようらく》し、あるいは死んでいった。  マック・セネットは、二種類の喜劇を作った。  ㈰ スラップスティック・コメディ  ㈪ スラップスティックを混ぜたパロディ  この㈪の分野で、もっとも活躍していたのは、ヤブニラミの小男ベン・ターピンである。彼は、クレールが編集した『喜劇の黄金時代』の中でも、西部劇や、チャップリンの『サニー・サイド』のパロディを演じて、そのタンゲイすべからざるところを見せていたが、実際、彼は当時の問題作を片っぱしからパロディ化していた。シュトロハイムの『愚かなる妻』をモジって『愚かなる三週間』というのもよろしいが、ヴァレンチノの『シーク』の向うを張って『シュリーク・オブ・アラビイ』(「アラビアの金切り声」)などは、ウレシき限りである。もっとも、クレールのアンソロジーでは、ウィル・ロジャースのが傑作で、フォード・スターリングのパロディで、警官達が逆に彼らの自動車に追われたり、トム・ミックスのパロディで、イトモ易々と馬をコナしたり、フェアバンクスのロビンフッドのパロディでは、矢の尻に第二の矢が突きささる名人ぶり。そのくせ、身軽なロビンフッドが、低い木からおりるのに、梯子《はしご》にしがみつき、四、五人に支えてもらってコワゴワおりるのが大いに笑わせた。  セネット喜劇の特色は、エイジーによれば、スクリーンの上の人間の動作が、ふつうの人間のそれより素早くおこなわれることにあるという。これは、或る時、新米のカメラマンが、怠けて、カメラの把手《とつて》をユックリまわしたことから、セネットが発見した新手で、エイジーはこれを「急行列車の風に吸いこまれていく木の葉みたいに人間が飛んで行く」と、うまく形容している。  これらのコメディを、世の識者は〈低俗〉と評したが、何百万という観客はただ喜んだだけだった。これは文字にすることが不可能なものなので、観客は、これらの喜劇をくりかえして見ることによってたのしんだ。  当時の喜劇王は、チャップリン、ロイド、キートン、ハリー・ラングドンの四人だったが、なかでも、チャップリンは、無声喜劇にはじめて魂をあたえた偉大な人物である。チャップリン以前には、コメディ一本(主として二巻物)にギャグが二つもあれば人びとは満足したが、チャップリンは一瞬ごとにさまざまな種類の笑いを爆発させたのだった。  トーキーになると、マック・セネットは、方向転換してビング・クロスビイやW・C・フィールズと契約を結んだ。悪声のキートンはもちろん、ロイドもラングドンも落ちぶれ、かすんでしまった。〈洪水の後〉に残ったのは、チャップリンただひとり。彼のみが金持で、有名で、優れた仕事をつづけていた。 『街の灯』と『モダン・タイムス』のサイレント風二作、トーキーの氾濫《はんらん》の中で、ワケのワカらぬドイツ語まがいの珍語と(ラストにおいて)ふつうの英語を喋《しやべ》るだけの『独裁者』、完全なトーキーの『殺人狂時代』といった傑作。  トーキー時代のコメディアンは、まず、W・C・フィールズ。無声時代のスタイルで何とかつづけていたローレル〓ハーディ。それも一九四五年以後は作品がない。ウォルト・ディズニーの動物たちの動きはスラップスティック・コメディに多くを負っている。プレストン・スタージェス監督の名も逸せない。マルクス兄弟は実に抱腹絶倒ものだったが、その時代もすでに過ぎてしまった。ジミイ・デュランティ。アボット〓コステロ。そして、ラジオ芸人ボブ・ホープ。彼はラジオの軽口ではすばらしいが、スクリーンではそれほどでもない。こういって、エイジーは、ホープの『腰抜け二挺拳銃』と昔の輝かしいコメディを比較して、「本当に映画から生れた新しいコメディアンが出ないかぎり、喜劇映画の将来は絶望的である」と、そのエッセイを結んでいる。  ところで、私が、これから試みようとするのは、ジェームズ・エイジーが論じた以後の、すなわち、マルクス兄弟以後の喜劇映画の衰退の歴史を、ギャグを中心にして、具体的に辿ることである。(ただし、これらのギャグの分類ではないことをおことわりしておく。時計なら、時計に関するギャグばかり集めたというようなものがあれば、ある意味では便利にちがいないだろうが、私自身、あまり興味がない。しかし、ギャグのアンソロジーになるよう、私の記憶しているかぎりのものは全部ぶち込むつもりでいる)が、その前に、ちょっと、サイレント喜劇のギャグについてふれておきたい。  荻昌弘《おぎまさひろ》氏は、ギャグを大きく三つに分けて、㈰音響と物体の映像によるギャグ ㈪セリフによるギャグ ㈫アクションによるギャグとし、これらのすべては、人間の不幸の上に成立する、と指摘している。そして、これらのほかに、マルクス兄弟のそれのような純ナンセンスのギャグがある、というわけだが、サイレント喜劇においては㈪のギャグはむろんのこと、㈰の方もほとんど問題にならない。㈫のアクションによるものと、ナンセンス性の結びついたものが、サイレントの傑作ギャグである。そして、面白いギャグほど、飛躍が大きいものである。二重三重に飛躍していくギャグは、観る者に、笑いと同時に生理的快感をあたえるのである。  たとえば、次のギャグなどは、サイレント喜劇の象徴のようなものだと思う。 〈G(ギャグの略)1〉 "The Goat"で、バスター・キートンが、エレベーターの階を示す針を片手で急に上にあげると、エレベーターの箱は、勢い余ってビルの屋上から外にとび出す。 〈G2〉 不治の病いに絶望的になったベン・ターピンは、病院の一室でガス自殺をはかる。と、どういうわけか、これが水素ガスで、管をくわえていたベン・ターピンの身体《からだ》は風船のように浮び上り、空中に横に浮いてしまう。そして、フワフワ部屋の外に流れていく。(第一の飛躍)  病院の一室で、四人の患者がトランプをやっている。中の一人がイカサマを計り、袖口から一枚のカードをとりだす。と、この時、突然、風船になったベン・ターピンが室内にフワフワ入ってきたので、男はキョウガクのあまりカードをもったままふるえだす。(第二の飛躍)  精神病棟の一人の患者は、今日が退院の日である。彼は拘束衣をぬぎ、平服に着かえて、外へ出ようとする。が、このとき、彼の上に風船ターピンが流れてくる。これをジッと見ていた彼は、黙って洋服を脱ぎ、また拘束衣を着て、ベッドに入ってしまう。(第三の飛躍) 〈G3〉 チャーリーの兄シドニー・チャップリンの第一次大戦もので、シドニーは一人の戦友とともに敵中深く潜入、ドイツ軍陣地に入ってしまう。二人は発見されることをおそれて、芝居用の馬の中に身をかくし、〈馬の足〉となる。が、後足がウィスキーを飲んだりしたために、フラフラして、馬の首をヘシ折ってしまう。この異様なものを怪しんだ一匹の犬が、とびかかり、首の折れたところに飛びこんだため、胴体は馬で、首は犬という怪物ができ上り、ドイツ兵たちはセンリツする。  と、ここまで書いて、私は、ロバート・ヤングソンという人の編集した『喜劇の王様たち』(When Comedy Was King)という、サイレント喜劇のアンソロジーを見る機会を得た。これは、キザな紳士のチャーリー・チェイズが映画館で空席を探す光景をタイトル・バックにしている、ということで分るようにたいへん凝ったもので、ハロルド・ロイド以外、当時の代表的コメディアンのほとんどが見られるという珍品だ。このギャグの一大饗宴《きようえん》を見たあとでは、現代の喜劇がいかにも色あせて感じられる。  実際、ここに炸裂《さくれつ》する一種異様なヴァイタリティ、破壊好み、そしてもろもろのコメディアンたちの献身的な動きは、私を、文句無しに感動させた。  チャップリンのギャグには面白いのがなかったが、ロスコー・アーバックルとメーベル・ノーマンドの新居を、悪漢アル・セント・ジョンが海へ押し流し、二人が眼ざめると海の中、というアイデアは奇想天外——と思ったが、よく考えると、これは、むしろ、幼児の空想に近いので、コンスタンス・ルーァクが「アメリカ国民には幼年期がなかったといわれるが、じつはその反対に、長期にわたる幼年期があった」といっているのが、首肯されるのである。  中でも、私がもっともショックを受けたギャグは、白塗りのハリー・ラングドンが悪漢を崖《がけ》から突き落す。と、はるか下の地面にヒラヒラと落下した悪漢、クルリと起き上り、両腕を振って口惜《くや》しがるので、これには、唖然《あぜん》とした。  同じラングドンのもので、鉄骨アーニーというスーパー・ウーマンのでてくるのも傑作だ。これはヒゲでもはえていそうなガッチリしたオバサンで、常に葉巻をふかし、皿なんぞは、ポイポイと宙に投げると、自ら棚の上に並んでしまう。疾風《しつぷう》のごとき婦人で、通り過ぎたあとは、テーブル・クロスがまくれ上るという激しさ。おびえたハリーが、ブルドッグをけしかけると、オバサン、ビクともせず、かえって犬の方が逃げてしまう。こういうトテツもない婦人は、やはり、アメリカン・ヒューマア(の一種であるホラ話)なのであろう。  そういえば、『これぞ天才』で、スナッブ・ポラードの演じる天才氏は、『愉快な家族』『我輩《わがはい》は新入生』のベルヴェディア、『一ダースなら安くなる』のギルブレスの両天才(ともにクリフトン・ウエッブ扮)の原型のように思われる。家の中はすべてオートメーション、外出する時は磁石つき自動車で、よその自動車に吸いついて、燃料要らずで走る。たまたま、公園の池にさしかかると、一人の男がおぼれかけているので、水上走行靴をさし出す。ところが、これは役に立たないので、ポラードはさっさと逃げ出す。ここの残酷さはファースならではの爽快《そうかい》さだ。  同じハル・ローチ・プロの『仲よし二人組』では、パイの代りに、ソフト・アイス・クリームの投げ合いが見られる。アイス・クリームを投げるのは初めて見たが、コーンが、人間の頭の上に四本突っ立った光景というのは天下の奇観である。  追っかけでは、自動車の後ろに何人もが数珠つなぎにぶら下って砂煙を立て、車が停止したとたん、反動で、その列が傍らの柱に巻きついてしまうというギャグが秀逸で、献身性を画に描いたような感動を受けた。  また、バスター・キートンが警官嫌いの運送屋になって、レイジイ・トングスの先に拳闘のグローヴをはめ、交通巡査を殴るギャグも愉快だが、さらに、キートンは警官の大行進の中にまじり、無政府主義者の投げたダイナマイトでタバコに火をつけたことから、警官の大群に追われる。彼が梯子をシーソーのようにあやつって警官を悩ませ、右に左に体をかわすその芸もさることながら、全滅した荷物の依頼主までが警官だった——ということから看取される、作者の徹底した警官嫌いぶりに舌を巻いた(The Cops—一九二二年)。  最後の極楽コンビによる『素敵な商売《ビツグ・ビジネス》』(レオ・マッケリイ監督)は、破壊というテーマに徹している。ローレル、ハーディがクリスマス・ツリー用のヒマラヤ杉売りになり、ケチなスコットランド人と大喧嘩《おおげんか》。スコットランド人が二人の車をこわし出すと同時に、二人はスコットランド人の家をこわし出す。これが実にえんえんとつづき、ローレルが家の中から品物を投げると、ハーディがシャベルをバットのように振ってそれを打ち砕く。一方、スコットランド人は地面におちた小さいヒマラヤ杉と取っ組む、という有様で、轟々《ごうごう》たる笑いの渦の中から、人間の愚かしさがあらわれて来、現代の米ソの核爆発実験競争を連想せざるを得ないのだ。両者のこわす物品をいちいちメモしながら、いっこうに止めようとしない警官は、国連事務総長というところか。  この四十年以上前に作られた短篇《たんぺん》は、このように、実に見事に、バートランド・ラッセルのいわゆる〈大国の虚栄〉を諷刺しているのだ。しかもこのサタイアたるや、このフィルムの魅力のほんの一部に過ぎないのである。ここに、ファースの強みがある。  日本の例を一つあげよう。私は戦後の子なので斎藤寅次郎の〈喜劇の神様〉というキャッチ・フレーズが首肯できなかったのだが、彼の四巻物『子宝騒動』を見て、完全にシャッポをぬいだ。これは天才だとさえ思った。故小倉繁が、チャップリン的扮装《ふんそう》で大活躍するスラップスティック・コメディ。原題名は『産児無制限』で、「生めよふやせよ」という当時のスローガンをからかい、子供をふやすばかりで収入がなかったら、どうなるのか、と反論している。昭和十年三月二十三日の封切だが、当局の忌避に触れて、題名を変更したものである。(脚色・池田忠雄)  郊外に、やたらに子供を作っている夫婦がいる。その奥さんが、今日にも、また一人産むというのに、ガスも水道も止められてしまっている。電気屋のごときは、コードをハサミでチョン切って電灯を(傘ごと)もっていってしまう〈G4〉。  一家の主人公小倉繁は、産婆さんの家に呼びに行くが、産婆は、今までのとり上げ料ももらってないヨ、と相手にせず、人力車で行ってしまう。あとを追っていくと、大金持の邸宅に入った様子。塀《へい》ごしにのぞいてみると、〈極東一の名豚〉のお産に立会っている〈G5〉。犬などならともかく、ブタのお産に立会うというのは奇想天外である。  産婆を呼ぶためには、まず金を稼《かせ》がなければ、と、歩くうちに、別な金持の家が火事。お礼を前金でもらって、二階の子供を救《たす》け出したのはいいが、ポケットの中のお札が焼けている——というギャグは平凡だが、しかし、その次の、金貸しの家に白昼、押しこみ強盗をやり、金庫をあけにかかる件《くだ》りがいい。この家の細君もまた妊娠しているのだが、泥棒など眼中になく、横で針仕事をしている。が、ふいに女は産気づき、お産に慣れている小倉繁は金庫を放《ほう》り出して、出産の準備を始める。コマ落しで道具をならべるうちに、乳母車から学帽、ランドセルまで用意してしまい、登校用の靴を磨きはじめるのが笑わせる〈G6〉(ここらあたり、何ともいえぬいいエスカレーション感覚だ)。ところが、あわてて、台所の水道を出しっ放しにしたため、小さな台所が洪水状態になる。彼は向う側にあるものをとらなければならないので、耳につばをつけて水に飛びこみ(第一の飛躍)、目的物を口にくわえて、犬かきで戻ってくる(第二の飛躍)〈G7〉。  次に、例の〈名豚〉が逃げ出し、これをつかまえたらお礼がでるというので、一団の男たちがあとを追う。小倉繁もこれに加わり、子豚を追ううち、豚はラグビー場のスクラムに逃げこんだため、選手がボールと豚(格好、大きさがよく似ている)をマチガエて、かかえて走ったり、投げたりするのが秀抜〈G8〉。特にタンボの中の追っかけは、グロで、エクセントリックで、悲惨で、なかなかの傑作である。この作品で、もっとも感心させられたのは、サイレントのコメディアンたちの〈献身性〉と、一つのギャグに笑うイトマもなく次のギャグが予期せぬ方向からあらわれる、演出のダイナミズムであった。  日本の〈喜劇華やかなりし頃〉は、この松竹蒲田《かまた》時代なのであろう。 第一章 スラップスティック・コメディ マルクス兄弟 アボット〓コステロ レッド・スケルトン ダニー・ケイ マーティン〓ルイス A マルクス兄弟(The Marx Brothers)  アメリカで、バーレスクという新しい形式の映画が生み出されたばかりの頃、わたくしたちはすぐに、それに飛びついて行った。バスター・キートンやハロルド・ロイドの後期の作品、あるいはエディー・キャンターの初期の映画は、昔にくらべ、だいぶ面白くなっているとはいうものの、やはり古い喜劇の伝統を受けついだものだった。ところが、W・C・フィールズの活躍する『百万円もらったら』とか、『進めオリンピック』などの作品は、マック・セネットのコメディよりも、はるかに徹底して、激しく人間の理性に戦いを挑んで来ていた。そしてナンセンスは、マルクス兄弟が出るに及んで、ついに勝利をおさめたのである。 〈本当らしさ〉とか論理性を、これほど狼狽《ろうばい》させ、完膚なきまでに粉砕した喜劇俳優は、今までに現われなかったろう。アントナン・アルトーも『新フランス評論』誌上で、彼等の奇妙きてれつさは夢遊病者の域にまで達している、と激賞している。かつてわたくしは、超現実主義者たちの行う絵画や文学の殺戮《さつりく》に興味を引かれたが今度はマルクス兄弟の手による映画の殺戮に、すっかり夢中になってしまった。彼等は社会の慣習とか、分別くさい考え、言葉の使用法をぶちこわしただけでなく、事物の意味そのものをも粉々に打ちくだき、そのことを通じて事物の変革を計ったのである。たとえば、空腹のあまり彼等が瀬戸物の皿をバリバリ噛《かじ》るような場面では、彼等は、皿というものがもはや食物をのせるための道具としては存在していないことを、わたくしたちに教えてくれる。サルトルはこのような事物の否定行為に魅せられて、のちに『嘔吐《おうと》』の主人公、アントワーヌ・ロカンタンの眼を借り、ルアーブルの街中で給仕のズボンつりや電車の座席がゆらゆらと不安定に揺れ動き、変容する有様を眺めるのである。破壊と詩情。何というすばらしいやり口だろう! 世界は、彼らにより過度に人間化された粉飾をはぎ取られ、気ちがいじみた混乱の様相をさらけ出したのだ。 (シモーヌ・ド・ボーヴォワール)  クレジット・タイトルがおわると、スクリーンいっぱいにひろがるのは、カサブランカの街。そのなかに、一つの巨大なビルがある。そして、小さな人影が、そのビルの下の方にもたれかかっている。  一人の警官が、その人影に近づく。男は、ハーポ・マルクス。 「なんだ、きさま、そんなエラそうな風をして、この建物をささえてるつもりなのか」  警官が問いかけると、ハーポ、ニヤニヤしながら、うなずく。 「こいつ、怪しい奴だ。ちょっと、そこまで来い!」  警官に片手を引張られて、ハーポ、思わず、建物から手を離す。  とたんに——巨大な建物は、ガラガラッと、音を立てて崩壊する〈G9〉。  昭和二十三年(一九四八年)の秋、神田日活で、この恐るべきギャグに接した高校一年の私は、文字どおり、呆然自失した。  いま考えても、これは、戦後の最高最大のギャグであろう。そして、これはまた、私たち戦後世代が、はじめて見る、マルクス・コメディでもあったのだ。  傍若無人、神経を裏返すようなマルクス・コメディのスピリットは、このギャグに、集約されている。(この記述は、二十何年後に映画を見返してみると、少し大げさだが、少年時の感覚を生かすために、このままにしておく。)  何をかくそう、私が映画史上、いちばん好きなコメディアンはマルクス兄弟であり、ことにグラウチョ・マルクスと、ダリによって、画家のワットーに比肩するといわれたハーポ・マルクスなのである。  マルクス兄弟が、スクリーンに登場したのはトーキー初期、無声時代のコメディアンが落ちぶれて、タレント交替、〈カボチャづら〉のW・C・フィールズやエディー・キャンター(私は、ワーナーの前線慰問用映画『ハリウッド玉手箱《キヤンテイーン》』の一シーンと、深夜テレビで接しただけだ)が暴れだした時期である。  が、彼らには長い下積み時代があった。第一次欧州大戦の前ごろ、マルクス兄弟がやっとヴォードヴィルの片隅にしがみついてから、どんな苦労をして、世に出たか、ということはKyle Crichtonの"The Marx Brothers"にくわしいが、ドイツ生れの母親ミニーが彼らを一人前の芸人に育てあげたその苦労たるや、実に、聞くも涙、語るも涙の物語ではある。  戦後に私たちの見たマルクス兄弟は、グラウチョ、ハーポ、チコ、の三人だけだが、戦前はこの下に、ゼッポがおり、さらにヴォードヴィル時代には、このほかにガモがいた。この五人兄弟の本名を、実際の年齢順にならべてみると(カッコ内は生年)、  チコ——レナード(一八八七年)  ハーポ——アドルフ、のちにアーサー(一八八八年)  グラウチョ——ジュリアス(一八九〇年)  ガモ——ミルトン(一八九七年)  ゼッポ——ハーバート(一九〇一年)  となる。  グラウチョがインクで描いたヒゲに葉巻をくわえて〈大股《おおまた》潜行歩き〉をし、ハーポが赤毛のかつらをかぶった好色な唖《おし》で、チコがイタリア訛《なま》りの英語をしゃべりながら、ピアノを後手でひく、という彼らのキャラクターは、すでに、この時確立されたのである。ヴォードヴィル時代の彼らのやりとりを、ちょっと、ご紹介してみると——   グラウチョ(教師)「地球はどんな形をしているかね?」   チコ(生徒)「知りません」   グラウチョ「しからば、我輩のカフスは、どんな形をしとるかネ?」   チコ(ジロジロ見ながら)「四角いや」   グラウチョ「いや、我輩が日曜にするやつじゃヨ」   チコ「丸いですナ」   グラウチョ「しかり! さあ、これで、地球の形が分ったじゃろうナ!」   チコ「はい、ウィーク・デイには四角くて、日曜日には丸くなるんで……」  といった類いのものである。  トーキーの初期、パラマウントに招かれた彼らは、そこに、新しい活路を見出《みいだ》した。  マルクス兄弟の成功は、トーキー(=おしゃべり)の長所をグラウチョがひきうけ、スラップスティックに必要なサイレント(=唖)の長所をハーポがひきうけて、強力な二面作戦をおこなったところにあった、と私は思う。  グラウチョのおしゃべりの代表例を、『御冗談でショ』の発端部から抜いてみよう。 「どうも、今どきの若い者は、バカバカしく夜ふかしをし過ぎる。おれがおまえたちぐらいの時には、晩飯をとると、直ぐ寝てしまったものだ。晩飯の前に寝ちまったことだってあるゾ。さらに、ある時なんぞ、晩飯をとらず、そして、ゼンゼン寝なかったことだってあるのじゃ」  そして、ハーポ・マルクス!  ちぢれた赤毛で、派手なシャツの上に、じかにレインコートを着た一見浮浪者風のこの唖の怪人にとって、〈不可能〉という言葉は存在しないのである。「われ欲す。ゆえにわれあり」「われ破壊す。ゆえにわれあり」。彼は、この世の常識というものを受けつけない。欲しいものがあれば、かっぱらう。それを邪魔する一切の存在をぶっこわす。女を見れば、とっさにカジりつく。おまけに彼は、そのふくらんだレインコートの中に、ハタキから、両端に火のついたロウソク、さらに生きた犬まで、なんでも持っているのである。こうした大胆なギャグが使えるのも、映画なればこそで、だからハーポは映画でトクしているわけだが、これらのマカフカシギな数々のギャグの中には、サイレント時代の、小型自動車から三十何人という人間がゾロゾロおりてくる、あのギャグの伝統が、音を立てて流れているのである。  チコ・マルクスは、いつもオカマ帽みたいなのをかぶったイタリア移民という感じで、ピアノの名人(親指をピンと立て、人さし指で弾いたり——pistol shot techniqueというやつで、これが彼を有名にした——リンゴをころがしながら弾いたり、ピアノに背を向けて弾いたりする)だが、ハーポの兄貴分として、彼の奇想天外なパントマイムを観客に伝える役をつとめる。 『けだもの組合』で、彼が、ハーポと共に名画をすりかえにきた場面を見ていただきたい。  薄暗い部屋の中で、ハーポを叱るチコの声がひびく。 「おい、懐中電灯《フラツシユ》を出しな。そりゃ肉切り《フレツシユ》だ、バカ——フラッシュだてえのに——そりゃ魚《フイツシユ》じゃないか。フラッシュ、フラッシュ、そりゃトランプだよ。フラッシュを知らねえのかな——そりゃフルートだ、冗談じゃねえ、そんなものを吹いたら、人が目をさましちまうぜ。ええ、実際わからねえな。いいか、明るいところから暗いところにきた時出すものアなんだ? バカ、棍棒《こんぼう》を出しやがった……」  末弟ゼッポは、いちばんふつうの二枚目で、これは詰らないキャラクターで終った。チコも、他の二人ほど個性強烈ではないから、時として平凡な存在みたいに見える時もあるが、この〈三人目〉が、アクの強い二人をまとめていくうえに、いちばん重要で、しかもむずかしい存在なのである。演技力があって、出しゃばらぬこと。常に控えめでいること。  ここで、もっとも脂の乗りきった時期の彼らのギャグをいくつかご紹介したい。 〈G10〉『我輩はカモである』で、グラウチョは架空国家の大統領になる。折しも隣国と戦争がボッ発、部下が、前線で塹壕《ざんごう》が必要ですと報告すると、大統領、ただちに答える。「出来合いのを買ってまいれ」。そして、考えることしばし、「首までのがいい、鉄砲がいらんからナ」。さらにつけ加えて曰《いわ》ク、「首より高いのを買ってこい。兵隊がいらない」 〈G11〉『御冗談でショ』で、ハーポは犬捕りになる。彼は犬が来そうなところにくると、小さな折畳み式電柱をとり出す。そいつをひろげて待っていると、子犬がやってくる。 〈G12〉 グラウチョを総長とする大学ではフットボールが弱いので、秘密酒場《スピーク・イージイ》から門番のチコと、この犬捕りをやとってくる。恰好をつけるために学生にするが、ハーポは黒板にみだらな女の絵を貼《は》る。  これを見つけたグラウチョ教授、チコを詰問する。 「この絵はオマエのか?」 「そうじゃねえでしョ。あっしに似てるとは思えねえ」 「よし、おれの寝室にかけておけ」とグラウチョ。 〈G13〉 グラウチョは、恋人と、ボートに乗りに行く。オールを握りしめた彼の曰ク、「『アメリカの悲劇』を見てからこの方、ボートは敬遠しておったのだがネ……」 〈G14〉 グラウチョが、恋する未亡人にバッタリあっていう台詞《せりふ》がケッ作だ。「貴女《あなた》はベイリイ夫人ですか? さあ、どうしたんです。すくなくとも我々二人のうちの一人がベイリイ夫人なんですゾ。しこうして、私は、ベイリイ夫人じゃないんですからな」 〈G15〉 未亡人の部屋で、チコ(役名ブラヴェリ)をまこうとするグラウチョの台詞がいい。 「ブラヴェリよ、おまえはおれの赴く方へ行くか?」 「行きますとも」 「しからば、おまえはおれの赴く方へ行け。おれはここにとどまるから」 〈G16〉 グラウチョ総長は、チコと契約書をかわす。証印《シール》がないので、グラウチョとチコが「シールはどこだ!」とさがしていると、ハーポが生きているあざらし《シール》を机の上に投げ出す。 〈G17〉 最後には、グラウチョもフットボール試合に加わる。レフリーが飛んできて「なんだ、君は、試合中、口に葉巻なんかくわえて!」と、グラウチョ、フン然として曰ク、「口でくわえて悪けりゃ、どこでくわえろというのか!」 〈G18〉 グラウチョのことになると、コトバのギャグばかりになってしまうのだが、次のシーンの彼は大いによろしい。  試合に勝った嬉しさから校舎の真中でストーム・ファイアをたくのだが、破壊的なハーポは、乱暴にも校舎に火をつけてしまう。校舎の上の方には、この映画の仇役《かたきやく》がいるのである。勇敢なグラウチョ教授、猛火の廊下を救助に向うが、ふと壁の〈NO SMOKING〉の札を見ると、クルリともどってきて、葉巻の火をもみ消す。(このシークエンスは、完成した映画にはないが、「キネマ旬報」一九三二年十月十一日号に記録されている。シナリオにあって、いちおう撮影され、カットされたものと推定される。)  この作品の中には、まだまだ無数のギャグが詰っている。ギャグが豊富ということは、その喜劇が優れたものだということにほかならぬし、逆に、ギャグが減少してきたら、それはつまらぬ喜劇、そういう映画をずっと撮っているコメディアンは、てきめん、ダメになる。パラマウントのことゆえ、ギャグ・マンも優秀なのだろうが、何よりも、当のコメディアン自身のアイデアの持ち駒が多くなければいけないのだ。喜劇映画衰退の原因の一つは、ギャグを次々に考えだす大タレント(たとえば、キートン)がいなくなった、ということにもあると思う。そして、当時のマルクス兄弟はこの意味でも、優秀なタレントだったのだ。  そして、戦後、私たちの前にあらわれたマルクス兄弟の姿は、かなり、疲弊したものであった。 『マルクス兄弟珍サーカス』At the Circus(一九三九)  これは、まったくの駄作である。チコのピアノ演奏が唯一のとりえというヒドさだった。だいたい、コメディアンがサーカスに入る話を作るようになったらオシマイだと思っていい。彼らの芸だけでお客を喜ばせる自信がなくなり、サーカスの大道具・小道具を使ってその貧困をゴマ化そうとするからである。もっとも、私は忘れていたが、ある人にいわせると、たった一つ、いいギャグがあったという。 〈G19〉 寝台車の上の段にハーポ。下の段にチコがいる。ハーポはネグリジェを着て、黒と白のブチの小羊を抱いて寝ている。   チコ「おまえ、もう寝るのか?」   ハーポ「……」(頷《うなず》く)   チコ「寝られないから、羊を数えるのか?」   ハーポ「……」(頷く)   チコ「何匹数える」   ハーポ「……」(指を一本出す)   チコ「おまえ、眠り病だな!」  しかし、これはいわゆる舞台の芸であって、マルクス・スピリットを発揮しているとはいいがたい。前にも述べたように、マルクス兄弟のギャグの本質は、常識をひっくりかえしたナンセンスにあるので、たとえば、従来の喜劇では、道路にあるバナナの皮を通行人が踏んで、ひっくりかえるのが定石だが、マルクスの場合には、たとえば、通行人が踏もうとすると、皮の方でヒョイとよける、といった飛躍の仕方が特徴である。これで思いだしたのだが—— 〈G20〉 戦前、『エノケンの近藤勇』で、二村定一扮する桂《かつら》小五郎が大殺陣《たて》のあと血塗《ちまみ》れの一刀を右手に構えて見得を切ると、それまで倒れ伏していた敵の一人がムクムクと起き上り、懐紙を出して刀の血を拭い、ダーッと倒れるという秀抜なギャグがあったが、これなどマルクス喜劇的発想である。 『マルクスの二挺拳銃』Go West(一九四〇) 『珍サーカス』同様、兄弟がパラマウントからMGMに移籍した後の没落期の作品である。MGMにしては、ひどく安上りのお寒い写真だが、この映画の最後の二十分の列車大追跡は、スラップスティック史上に残る傑作である。これは、おそらく、マルクス喜劇の末期の輝きだったのではないか。 〈G21〉 まずタイトルがいい。「『若者よ、西へ行け!』一八五一年、ホレース・グリーリーの叫んだこの言葉は、アメリカ合衆国の歴史を一変せしめるに、偉大な貢献をしたが、これは、その言葉につられて、西へ行き過ぎた男たちの物語である」  この最後のところは、タイトルの原文では、こうなっている。 「これは、そう叫んだことを彼に後悔させた男たちの物語である」  こうこなくちゃいけない。  筋はセールスマンのグラウチョが、ハーポ、チコの一攫《かく》千金組と組んで、西部のサギ師をやっつけるだけの話だが——。 〈G22〉 金鉱探しに疲れたハーポとチコが町の酒場《サルーン》に入る。ハーポはのどが乾いているのだが、金がない。横で飲んでいる男のビールを見て、ハアハア舌をだし、マッチを出して、自分の舌で擦って火をつけてみせる。 〈G23〉 ハーポは町のボスと決闘することになる。ガンベルトに両手をかけ抱腹絶倒のしぐさよろしく、腰からサッと抜くと、これがなんと刷毛《はけ》で、ハーポはお世辞笑いしながら、これで相手の洋服を払う。相手が笑いだした時、ズドンと一発、刷毛の中から弾丸が宙へ飛び、両者ビックリ。 〈G24〉 悪人どもがかくしてしまった土地の証書をうばいかえすために、三人組は金庫破りを計るが、どうしても開かない。思案投首のうちに、ハーポがダイナマイトをしかけるが、これが不発。ハーポはダイナマイトの筒から道化師の帽子を出して、空になった筒をすてると、これが爆発する——。 〈G25〉 楽屋落ち。この金庫をあける途中——   グラウチョ「早くしろ……奴が帰ってくるぞ」   チコ「面倒が起ったら、電話で助けを呼ぶ手だ」   グラウチョ「電話? 今は一八七〇年だぞ。ドン・アメチーはまだ発明していないよ」 (三九年フォックスの『ベル物語』で、ドン・アメチーは電話の発明家に扮した。) 〈G26〉 ハーポがハープを弾くインディアン部落のシーンで、   チコ「おれにもインディアンと話させろ」   グラウチョ「インディアン語ができるのかい?」   チコ「インディアナ・ポリスの生れよ」 (インディアナ・ポリス付近はフランス系米人多し。ただし、チコは中国語で喋《しやべ》りだす。)  ——こうして、この作品のハイライトの部分である列車大追跡のスラップスティックが始まる。この場面を見なかった人、また見ていても記憶のない人は、トーキーのドタバタ喜劇について語る資格はない。サイレント時代のドタバタの最高のものに匹敵する素晴らしさ。ジェームズ・エイジーがこの場面に触れていないところを見ると、多分、見落していたのだろう。いくつものギャグが、仕掛け花火のように、連鎖反応的にパッパッパッと爆発していく爽快《そうかい》さは類を見ない。こういう件《くだ》りは、まず、文章にならぬものだが、とにかく書いてみよう。  証文を鉄道会社に届けようとした三人組が一つの駅でおりようとすると、拳銃をもった悪漢どもが待っている。かくてはならじと、機関車にとびうつり、機関手を追いだして、列車をメチャクチャに走らせる。この作品が日本で封切られたのは、昭和二十五年、ラウォール・ウォルシュの『死の谷』の輸入された年だが、まるであの映画のジョエル・マクリーの列車屋根上の大活躍のパロディを見る思いだった。 〈G27〉 機関手が三人組の命令をきかないので、彼らは暴力行為にかかる。ハーポと一人の機関手は走る機関車の横っ腹につかまって油差し(汽車用の、先の長いやつ)でフェンシングをやる。油が吹き出して、相手は真黒になる。 〈G28〉 燃料がなくなってしまうと、チコはトウモロコシの袋をもってきて、グラウチョにわたす。グラウチョ、これを釜《かま》に放《ほう》りこむと、とたんに、パプコーンになって、飛びだしてくる。その白い山の中に埋れて首だけだしたグラウチョが叫ぶ。 「エスキモー犬をつれてきてくれ!」 〈G29〉 いよいよ燃料がなくなると、破壊好きのハーポは、本領を発揮して、客車を片っ端からブッこわし始める。客車を斧《おの》で叩き割って、薪にするのだ。斧が切れなくなると、床をこわし、その下で回転している車輪で斧をとぐ、というアイデアは秀逸! 〈G30〉 ついに、汽車がとまらなくなる。グラウチョが、「ブレーキ! ブレーキ!」と叫ぶと、ハーポはこれをbreak(叩っこわせ!)とマチガエて、斧でブレーキを叩きこわしてしまう。チコはハーポと握手する。  "You break the brake!"  このほか、列車が、遊園地みたいに輪になってまわりだしたり、ハーポが屋根を走っている最中、線路ぞいの信号機に首をひっかけてグルグルまわるとか、フシギなギャグが続出する。 〈G31〉 ラストシーンは、デミルの『大平原《ユニオン・パシフイツク》』にあった鉄道起工式の釘《くぎ》打ちのパロディ。チコが金の大釘をおさえ、ハーポが大ハンマーをもってヤッとばかりに振りかざすと、うしろに立っていた市長に命中、オッサン、地面に埋れて、三人組は手を握り合う。画竜点睛《がりようてんせい》のラストというべきか。  戦後のマルクス物中、最良の一篇《いつぺん》である。 『マルクス兄弟デパート騒動』The Big Store(一九四一)  この作品は初めて見た時はまったく詰らないと思ったが、数年後に、見直したら、細かいギャグに見るべきところが多かった。たとえば—— 〈G32〉 ハーポがインチキ事務所でタイプを叩いているとき、タイプライターの上部(?)が右側に動いてギリギリのところまで行くと、ピーンと横に飛ぶ。そいつを片手でヒョイとつかまえ、また、上に乗せて、打っていく、というギャグが面白い。 〈G33〉 グラウチョの安オーバー。刷毛で汚れを払うと、いっしょに毛がみんな抜けてしまう。 〈G34〉 これはよくある手だが、ハープ演奏シーンで、鏡の中に多勢のハーポが写っていて、その中の一人だけがウィンクし、鏡をのぞいていたハーポが驚くというやつ。 〈G35〉 百貨店の生地売場にいるハーポ、若い女にこのスカートのともぎれをくれ、といわれて、首を振ると、女、怒ってギャンギャンいう。アタマにきたハーポ、いまとってくるから、と頷いて、女のうしろにまわり、ハサミ(お得意の)を取りだし、スカートの下の方を大きく四角に切り取ってしまう。そ知らぬ顔で、前にまわって、それを女にわたす。  最後に、大きな百貨店内部での、スケートの追っかけがあるのだが、コマ落しでやるので、動きが機械的に過ぎ、面白くなかった。 『マルクス捕物帖』A Night in Casablanca(一九四六)  この章の冒頭に記したドエラいギャグがでてくるのが、この作品だ。マルクス・コメディとしては、中の下というところだろうが、戦後初めて封切られたこのチームのものなので、印象が深い。  前記のビルディング崩壊ギャグのほか—— 〈G36〉 三人組が元ナチの高官の部屋に忍びこんで、ナチ氏が向うを向いているちょっとした隙に、部屋の家具や衣類を移動させて、室内の様子をかえてしまう。振り向いたナチ氏はいちいち仰天する。 〈G37〉 ナチの部下と、ハーポがフェンシングをやることになる。その前に、ハーポは二刀を肉屋が肉を切る時みたいに、コスり合わせる。 〈G38〉 いよいよチャンバラ。ナチが必死でかかってくるのを、ハーポ、投げやりな態度でかわしながら、大アクビをし、ついにポケットからリンゴをだしてたべはじめる。敵はヘトヘトになって倒れてしまう。 〈G39〉 ハーポはエレベーターの鉄ロープを斧で切る。エレベーターの階を示す針が、六階と五階の間からいっきに一階におりて、はずみ、扉があいて、グラウチョとハーポがガタガタしながらよろめきでてくる。  ——エトセトラ、エトセトラ。 『悩まし女王』Copacabana(一九四七)  グラウチョ単独出演作品である。『マルクス捕物帖』を〈わが白鳥の歌〉と称するグラウチョは、兄弟で映画をつくるのを投げてしまった。当時のお色気シンガー、カルメン・ミランダ(『南米珍道中』で、ボブ・ホープが彼女の真似をやった)と、好色趣味でオシャベリのグラウチョという二大ゲテモノをかみ合わせた企画は悪くないが、脚本が悪いうえに、ミュージカル場面がお寒いので不発に終ってしまった一篇である。  グラウチョは、チャップリンが『殺人狂時代』でヒゲを変えたみたいに、ヒゲを変えてでてくるが冴《さ》えなかった。むしろ、劇中劇で、往年のグラウチョとしてでてくる場面のみハツラツとしていたようである。  その後、マルクス兄弟の姿は、私たちの前から消えてしまっている。彼らの喜劇が、マンネリに陥っていたことは、まぎれもない事実だし、また、いずれもいい年輩になっているわけだが、ハーポのような本物の芸人が見られないのは、いかにも残念なことである。  ハーポは、のちのアメリカ映画でアイザック・ニュートンになってちょっと出演していたようだ。ハーポのニュートンなど、是非見たいと思うが、どうも輸入されそうもない。  グラウチョはラジオ番組"You Bet Your Life"の司会者として、健舌をふるっていた。駐留軍放送でやっていたから、おききの方も多いと思う。 B バッド・アボット&ルウ・コステロ(Bud Abbott & Lou Costello)  マルクス兄弟が衰弱したのは、一九三〇年代末期だが、このころ通俗的な人気を得たのが、アボット〓コステロの漫才チームである。彼らの登場は一九四〇年、たちまちユニヴァーサルのドル箱になった。事実、四一、四二、四三の三年間、全米金儲《かねもう》けスタアのベスト10に入っていたのである。  このコンビが、それ以前のローレル〓ハーディなどと決定的にちがうのは、彼らが〈音の世界〉からきた人間である点だ。実際、コステロは、拳闘家、小間物屋店員、スタント・マンを経て、バッド・アボットと組み、ヴォードヴィルで人気を得たのち、ラジオの漫才で売っていたのである。  アメリカの漫才は、片方がマトモで、片方がイカレ型と、タイプが決っているが、この場合は、大男で人相の悪いアボットがマトモ型で、すねた子供みたいな顔をしたデブのコステロがイカレ型だった。ギャラは、コステロの方が多くとっていたに違いない。  正直にいって、私はこのコンビが嫌いだった。はじめは好きだったが、同じギャグのむし返しが多いので、イヤになったのだ。しかし、五三年にマーティン〓ルイスがあらわれるや、そのあまりの程度の低さに驚いて、コステロまだしも、と思い始めた。  事実、単細胞であることに眼をつむれば、コステロ氏のパースナリティはなかなか好ましい。ある米誌が〈野球に入れてもらえなかった少年〉と形容したというが、私にいわせれば、コステロ氏のヨサは可愛らしさにあると思う。  ところで、彼らの映画のスタイルだが、本筋に入る前にまず、掃除人夫とかペンキ屋としてあらわれ、ちょっとした失敗をし、逃げだして本題に入る、という形を常にとっている。  ヴォードヴィルでいえば、これは、幕前でまず軽いかけ合いがあり、幕があいて本題に入る、という形式である。  出が出だから、A&C映画には、スラップスティック的要素は、あまり多くはなかった。ドタバタが始まっても、それは始めから狭い行動半径をきめておいて、その中で動くようなものだった。このコンビの面白さは、むしろ、一つのドタバタが終った時、またはその最中でも動きが停止した時、おこなわれる寸劇風の一駒にあった。それはスラップスティックの芸ではなく、バーレスクやラジオの芸なので、のちに彼らの人気がおとろえた時、二人がテレビに入って、ある程度、人気を盛りかえせたというのは、この事実を裏書きしている。  このコンビの欠陥を指摘しておくと、それは、芸のひき出しがすくないということである。じっさい、日本に輸入された範囲のA&C映画だけでも、同じギャグが何回くりかえされたことか。この例は、後であげたい。 『凸凹《でこぼこ》海軍の巻』In the Navy(一九四一)  コンビが売りだしの時には、軍隊喜劇をやらせれば間違いないというわけで、A&Cもマーティン〓ルイスも、初期には、軍隊物を撮っている。  この作品でも光っているのは、寄席風の芸なので、コステロが落語の『時そば』と同じインチキをやって、見事失敗するギャグを記憶している。 〈G40〉 黒板に向ってコステロがインチキな算術をやり「これでおしまい!」といって、白墨でスッと鉤形《かぎがた》を書き、そこに帽子を押しつけると、チャンとひっかかるというギャグがいい。  しかし、これも小劇場、ミュージックホール向きの芸で、映画独自のものではないのである。 『凸凹お化け騒動』Hold That Ghost(一九四一) 〈G41〉 間抜けなコステロが、暗闇で怯《おび》えていると、眼の前のロウソクが横に動き、あるいは宙に上りだす。恐怖のあまり、コステロは声が出ない。  コステロの驚き方はいつも同じである。はじめにヒイッというふうに叫んで、あと、声がでなくなり、シュウシュウ音がするだけだ。ただちにアボットが飛んでくる。ロウソクは元のままである。アボット、怒って、コステロをひっぱたく。(こういう時のアボットの表情は実に兇悪《きようあく》で、これがのちの人気下落の一因となったのではないか、と私など思うくらいだ。それに、アボットは、芸無しである。ディーン・マーティンも、こういう突っこみ役をやっていたのだが、彼には——歌の他にも——もう少し柔軟さがあった。)コステロはショックから立ち直るが、アボットが行ってしまうと、ロウソクはまた動きだす。  ——初歩的なギャグだが、コステロはこれが十八番だったらしく、『凸凹フランケンシュタインの巻』その他で、やたらにくりかえしている。じっさい、彼がもっとも生き生きとするのは、この瞬間なのである。 『凸凹空中の巻』Keep 'Em Flying(一九四一)  今度は、航空隊の話である。面白いのは、ただ一ヵ所—— 〈G42〉 タイヤ倉庫が爆発して、二人はタイヤにがんじがらめにされてしまう。と、その積上げられたタイヤの上からコステロが首をだして叫ぶ。 「アイム・ソウ・タイヤード!」 『凸凹カウ・ボーイの巻』Ride 'Em Cowboy(一九四二)  記憶に残るギャグなし。 『凸凹スパイ騒動』Rio Rita(一九四二) 〈歌と笑いと陰謀渦巻くリオ・ホテル〉という予告篇の文字が今でも記憶に残っているが、ギャグよりも特別出演(当時の凸凹物には有名な女性歌手が必ず出ていた)のキャスリン・グレイスン(本邦初登場だった)の可愛らしさの方が印象に残っている。南米を舞台のナチ・スパイものである。 〈G43〉 がけっぷちに、自動車の方向転換機がある。コステロがその上の自動車の尻につかまったまま、もの凄《すご》いスピードでふりまわされる。ここで、ちょっとイケるのは、コステロの帽子が右に吹っ飛んで、すぐ左からかぶさる、というギャグ。それほどの速度で回転しているというのだ! 『凸凹宝島騒動』Pardon My Sarong(一九四二)  A&C物中の佳作である。  凸凹チームが船員になって南の島に宝探しに行くというだけの他愛ない話なのだが、要するに、ギャグが豊富なのである。 〈G44〉 巻頭、二人が失職する件りに、いいギャグがある。バスの運ちゃんであるコステロが、波止場《はとば》でバックをさせすぎて、車を海に沈めてしまう。と、魚が列をなして泳いでいる海底で、コステロ、なんと、必死でワイパーを動かしているのである。一方、乗客たちはドアから出、ゆうゆうと泳いで上って行く。 〈G45〉 漂流船の中で、コステロがひげをそる。ローリング、ピッチングにつれて、鏡が部屋の中を大きく左右に動き、それを追ってコステロ、カミソリ片手に、右往左往する。 〈G46〉 船中で、食糧がなくなり、ついに大きな西洋皿にグリーン・ピースが、たった一粒、それをナイフ、フォークで、公平に二分しようと、コステロ苦心する。(岡本喜八の『大学の山賊たち』に、大きな皿に小さな料理というこの手のギャグがあったが、まるで、詰らなかった。古いギャグを使う時には、裏返すとか、ひとつ飛躍させるとか、ヒネッてくれなければ困る。) 〈G47〉 非常に面白いが、文章にしづらいギャグ一つ。  島の土人がコステロを眠らせようとして、同じようなコップA、A'のうち、A'に毒を入れ、コステロの前に置く。 「飲め!」  これに気づいたコステロ、土人がそっぽを向いたを幸い、AとA'を置きかえてしまう。が、土人もさるもの、ちゃんと横目で見ていて、再び、これを置きかえ、Aを自分の前に、A'をコステロの前に置く。  ガックリきたコステロ、土人のスキを見て、再びA、A'を置きかえるが、土人は、またしても、サッと置き直してしまう。  そこで、考えたコステロ、今度は、AとA'にちょっとさわるだけで、手をひっこめる。が、スリかえられたとカン違いした土人、A、A'を置きかえて、A'を飲み、ノビてしまう。 〈G48〉 このほかにも、コステロが鐘の中に入って、アチコチに頭をブツけるなどというのがあるが、コステロがボートにつないだ板で波のりをやっていると、ノコギリザメが追っかけてきて、疾走中この板を二つに切ってしまい、水上スキーになる、というのが愉快だった。 『凸凹探偵の巻』Who Done It ?(一九四二)  当時全盛のスリラー、特にラジオのスリラー番組をからかった作品。スリラー放送中の局で殺人がおこる話で、A&Cとして中位の作。 〈G49〉 恐怖のあまり、逃げ出したコステロが大ガラスに体あたりすると、ガラスがコステロの形に割れる、といったのは、陳腐だが—— 〈G50〉 恐怖の最中、コステロがヘマをやって、電話機をおとす毎《ごと》に、反射的に女交換手が、「何番につなぎますか《ナンバー・プリーズ》?」と問いかけてくる。そのたびに、コステロくさるが、何回目かに、温厚な彼がカッとなって、手元のソーダ・サイフォンを電話口に吹きこみ、女交換手がビショ濡れになるのが、面白かった。(が、のちに、キーストン・コメディでもっと優秀なのを見た。レストランでのすさまじいパイ合戦。一人の警官がこの旨を電話で署長に報告すると、署長は、そんなものが押えられぬか、と憤る。この時、一つのパイが飛んできて、警官の方の送話器にとびこみ、署の方の受話器から飛びだして、署長の顔にベチャリと命中する。水はともかく、パイが電話線を伝わるというギャグを考えた人は、天才といってもいいと思う。)  日活のナンセンス喜劇『大阪娘と野郎ども』(五八年)でも、電話に水を吹き込んで相手を水びたしにする、という同種のギャグが使われていた。 〈G51〉 ラストでビルの屋上に追いつめられたコステロ、手元のパチンコで近くのビルのネオンを狙い打ちし、いくつかの文字を消して "SEND HELP"(救《たす》けてくれ)という単語を作り、警察を呼ぶ。  これだけではちょっと平凡だが、このあと、SとHELPをもう一度消して、ENDマークにしてしまうのが、凸凹物にしては珍しく気がきいていた。 『凸凹スキー騒動』Hit the Ice(一九四三)  スキー、スケートものだから、コステロがキスをしているうちにまわりの氷が溶ける、というギャグは当然あったと思うが、次の二つが印象的。 〈G52〉 敵のギャングに「ブタ!」と怒鳴りつけられたコステロ、憤然として、「ブタだって、この頃は高いぞ!」と怒鳴りかえす。今の日本でも、使えそうなギャグである。 〈G53〉 プールのそばまでヨロヨロときたコステロが、観客《こちら》に向って言う。「オレが落ちると思ったろう」。そこに海水着の美人がくると、ボチャンと落ちてしまう。  いままでのスラップスティックのギャグを裏返して使うのは、A&Cの得意とするところだった。  それにしても、最盛期の作品で、いいギャグが一本に二つしかないとは、なんという情なさであろう! 脚本家もだらしないが、A&Cも意気地《いくじ》がない。  私はこのコンビに腹を立てていたので、このあとの『凸凹ハレムの巻』(Lost in a Harem—四四年)、『凸凹ハリウッドの巻』(A & C in Hollywood—四五年)、『凸凹幽霊屋敷』(The Time of Their Lives—四六年)を見ていない。が、見ている人にきくと、『ハリウッド』に良いギャグが一つあった以外、取柄はない、という。そのギャグというのは、ヴァン・ジョンスンと往年の名子役ジャッキー・ブッチ・ジェンキンスが顔を合わせてお互いのソバカスにギョッとなる、という楽屋落ちである。 『凸凹西部の巻』The Wistful Widow of Wagon Gap(一九四七)  アメリカのコメディアンは、西部へ行くのを作ると、だいたい成功するのは、マルクス兄弟が『マルクスの二挺拳銃』で最後の光芒《こうぼう》を放ったことでも分るが、この凸凹物も成功だった。A&C中期の佳作である。  今までにも述べたように、A&Cもののギャグというのは、㈰ヴォードヴィル風のセリフによるもの、㈪主としてコステロによるスラップスティック的なもの、の二つに大別されてしまうが、ここでは珍しく——きわめて泥臭く、お寒いが——西部劇のパロディをお目にかけている。このパロディ化の傾向は、A&Cの後期に近づくにしたがって多くなり、『フランケンシュタインの巻』でユニヴァーサルの怪物映画のパロディ、『外人部隊』で外人部隊もののパロディ、『透明人間』で、『フランケンシュタインの巻』で使わなかったたった一人の怪物のパロディ、『巨人退治』でジャックと豆の木のパロディ、『海賊船』でキャプテン・キッド(往年『海賊キッド』に扮《ふん》したチャールズ・ロートンが出た)、『火星探険』でSFのパロディを試みている。  ネタに窮したからにちがいないのだが、よくも、まあ、こんなにパロディばかりやったものだ。それもパラマウントあたりだったらもっとピリッとしたものになっただろうが、根が泥臭いユニヴァーサルのこと、一向に冴えず、パワーの衰弱のみが目立つ。それにしても、『西部』『フランケンシュタイン』『外人部隊』がいちおう見られる作品になっていたのは、このコンビの他の作が、どんなに非道《ひど》いものだったか、物語ってあまりあると思う。  こう言ってしまえばオシマイだが、アボット〓コステロの喜劇精神には、なんらの飛躍もエスプリもなく、ただ低俗、田臭、野卑の一語に尽きるのである。トーキー以後、スラップスティック・コメディの堕落に貢献した人物として、私はまず、この二人と、関係した脚本家、監督(シルヴァン・S・サイモンとか、アール・C・ケントンとかいった連中)たちを弾劾したい。(この堕落は、さらにマーティン〓ルイスによって一段と激しくなるのだが。)  さて、『西部の巻』であるが、この作品には二人組にくわえて、原題の〈物欲しそうな未亡人〉を、マージョリイ・メインなる当時の珍女優(同じ四七年、コルベール、マクマレイの『卵と私』で、パーシイ・キルブライトと組んで、ママ・ケトルなるガラガラばあさんを怪演して名をあげた)が演じた。前半を、このマージョリイ未亡人とコステロのからみで持たせ、後半をコステロのインチキ英雄ぶりでもたせている。 〈G54〉 まず、タイトルがいい。「開拓時代、西部の町には男の中の男ばかりが集っていた。ただし、ここに例外が一人いた」 〈G55〉 開巻と同時に、カバンを盗まれたコステロが、町に入るやいなや、景気づけに空に向けて一発ぶっ放す。同時に、死体が天から降ってくる、という発端がよろしい。 〈G56〉 コステロはマージョリイ・メイン一家のために働くことになるが、食事の時に、コステロのスープに小さな蛙《かえる》が飛びこむのが面白い。皿を替えると、蛙はちゃんと、替った方の皿にとびこんでおり、コステロはベソをかく。その顔が実にいい。蛙がコステロに水を吹っかけると、フンゼンとしたコステロ、蛙に水を吹っかけかえす、というオチがついている。 〈G57〉 この他にも、西部劇の定石のパロディとして、酒場で大いにスゴんだコステロのシェリフが、カウンターをバンと叩く。バーテンがおそるおそる「何を召し上りますか?」ときくと、小声で答えて曰《いわ》ク、「ミルクをくれ」 〈G58〉 いよいよガンプレイという時、拳銃を、ひき金を上側にして、逆さに構えて射つ。 〈G59〉 ——が、いちばん面白いのは、最後の、これで全部片づいたとばかり、コステロがライフルを馬車の外に捨てると、地面にぶつかってババーンと爆発。とたんに、岩かげからインディアンの大群が現れる、というオチであった。  この次の『凸凹持ち逃げ騒動』(The Noose Hangs High—四八年)は見ていないが、その次の—— 『凸凹フランケンシュタインの巻』A & C Meets Frankenstein(一九四八)  これは、ユニヴァーサル十八番《おはこ》の怪奇映画のサムライたち(モンスター、ドラキュラ、満月の夜に狼《おおかみ》になる怪物〈狼男〉)とコステロを組み合わせたのがミソなのだが、その思いつきがあまり生かされていない。これは、A&Cのすべてのパロディ物に共通の欠点なので、製作者側が思いつきに安んじて、ギャグを考える苦労をせず、あとは、コステロのパースナリティに頼ってしまう。これでは駄目に決っている。 〈G60〉 コステロが、棺の中からソロソロあらわれたドラキュラ伯(白塗りにした故ベラ・ルゴシ)の手におびえる件《くだ》りなど、『お化け騒動』のロウソクのギャグと同じなのだが、コステロの丹念なリアクションで笑わせる。 〈G61〉 コステロ先生、何げなく、椅子にかけているモンスターのひざの上に腰かけてしまい、(モンスターの手に自分の手を重ねたので)手が四本あるのをいぶかしく思う。首をかしげて盛んに考えこんでいるのが笑わせた。(付言しておくと、〈フランケンシュタイン〉というのは例の怪物を発明した博士の名前で、怪物の名は〈モンスター〉である。そのモンスターを、フランケンシュタインの名で呼ぶのは、ハリウッドの奇妙な習慣である。) 〈G62〉 最後に、怪物どもを全部片づけて、二人がホッとすると、宙にタバコが浮び、火がついて「オレも出演したかったヨ」と透明人間が呟《つぶや》くオチは秀逸、秀逸。 『凸凹闘牛の巻』(Mexican Hayride—四八年)、『凸凹殺人ホテルの巻』(A & C Meets the Killer)は、日本公開が五〇年、五一年で、私が凸凹にいちばん腹を立てていた時期のもの。よって見ていない。が、次の—— 『凸凹猛獣狩』African Screams(一九四九)  これは、公開当時、高熱を押して見に行き、あまりの詰らなさに、熱がさらに上ってしまった記憶がある。これで何とか見られたのは、コステロがビフテキをたべていると、向うに大きなゴリラがあらわれ、彼、ナイフとフォークをもったまま震えだす、という一場面だけである。もうこの時はA&Cの末期で、この作品などユニヴァーサルのものではなく、どこかの小さなプロの製作だったはずである。 『凸凹外人部隊』A & C in the Foreign Legion(一九五〇)  わが国に輸入された凸凹物中、最後の佳作である。ついでに書いておくと、もし、凸凹物で三本えらべといわれたら、私は『宝島騒動』『西部の巻』『外人部隊』の三本をとる。 〈G63〉 これもタイトルがいい。 「世界中の流れ者が集る外人部隊。そこには、暗い、絶望的な空気がみなぎっている。この空気をさらに暗くした二人の男がいた」  要するに二人組が、どこかの国の外人部隊に入ってアラビア人と闘うという話である。平和愛好者の眉をひそめさせるような話だが、しかし、次のセリフによるギャグは、そういう方々をも満足させるだろう。 〈G64〉 すなわち、外人部隊に入隊したコステロが、兵舎の中を見まわしながら呟く。 「おそろしく武器が多いな。今に、人死《ひとじに》が出るぞ」 〈G65〉 アラビア人が、オアシスの水を飲もうとして、思わず入れ歯を落すと、すかさず、魚がこれを口にはめてしまう。  そのあとからきたコステロは、オアシスで釣りを始めるが、釣れる小魚を、魚が入れ歯で片っぱしから噛《か》み切ってしまい、ときどき見廻りにくるアボットは、コステロがたべたのだと思って、カンカンに怒る。 〈G66〉 まず、前半に、アラビア人に殺されそうになった二人組が、あわてて外人部隊の行列に加わる一幕あり。  後半、アラビア人が二人を殺そうとすると、折悪しく、そこに外人部隊の行列がくる。こりゃ、いかん、というわけで、アラビア人が二人を身体《からだ》のうしろにかくしてしまう。と、行列が最後にきた時、いつの間にか抜けだした二人、そこに加わっており、コステロは唖然《あぜん》としているアラビア人に向って片手を振る。 〈G67〉 ラストで大爆発。わずかに残っているコステロの衣服の破片を手にしたアボット、さめざめと泣きながら、今は亡き友人に、「生きている時はずい分意地悪をしたが、おまえは本当にいい奴だった」と呼びかける。  ——と、どこからともなく現れたボロボロななりのコステロ、アボットの横に立って、貰い泣きをする。  これはまことに秀逸なギャグで、コステロの十八番らしく、『猛獣狩』その他で再三使っている。落語の『そこつ長屋』の「死んでる俺は俺だけど、生きてる俺は誰だろう?」というサゲの味に一脈相通ずるところがある。  これに似たギャグを『仇討《あだうち》珍剣法』の斎藤寅次郎が使っていた。 〈G68〉 伴淳三郎、アチャコ、益田キートンの三人は、スリのキドシンを小さな穴に追いこみ、あたりの木を集めていぶし出しにかかると、別な穴から這《は》いだしてきたキドシン、もみ手をしながら、イソイソとたき木集めを手伝う。 『凸凹透明人間』A & C Meets the Invisible Man(一九五一)  ユニヴァーサルとくいの透明人間と、二人組の組合せ——このアイデアが、相変らず不発に終っている。 〈G69〉 D・D・Tという探偵大学の卒業式。  列席したコステロが、泣きながら、「よく卒業できたものだ」と呟くと、アボットがすかさず「教師に二十ドルつかませたくせに」という。これが発端である。  探偵になった二人組が、事件の被害者である透明人間と組んで、犯人を探す。中に、一つだけ秀抜なギャグがある。 〈G70〉 二人組と透明人間(椅子しか見えない)がいっしょにトランプをやるところがある。自分の手の内を見ながら、コステロ、うしろに透明人間がいるのではないかと疑って、手探りをする。 〈G71〉 これは楽屋落ちだが、透明人間の大先輩として、壁に故クロード・レインズの写真が飾ってあった。 『凸凹海賊船』(A & C Meets Captain Kid—五二年)、『凸凹火星探険』(A & C Go to Mars—五三年)、の二本のうち、前者はテレビで見たが、海賊キッドに扮した名優チャールズ・ロートンが、コステロよりはるかにわるのりで、喜劇的演技を見せたのに驚いた。 『火星探険』には、火星行きロケットがニューヨーク中をあばれ廻り、自由の女神がサッとよけるというギャグがあったということだ。  こうして、この二人組は、あたかも火が燃えつきるように自然にスクリーンから消えてしまった。  いままで見たように、アボット〓コステロ映画の笑いには、映画特有のものが少く、その本質は、ヴォードヴィルの幕前でおこなわれる寸劇、笑劇だった。そうした芸に生きてきた彼らがスラップスティック演技をおこなわなければならぬ、というところにそもそも無理があり、しかも脚本やギャグに工夫がないのだから、これは、いやでも衰退せざるを得なかったわけである。  にもかかわらず、十五年間も何とか持続したのは、コステロ氏の好ましいパースナリティ、人徳のためだろう。  スクリーンを離れた彼らはTVに活躍の舞台を見出《みいだ》していった。が、日本で放送された限りでは、言葉の吹きかえということを別にしても、それは依然として、古いコステロのリアクションの蒸し返しであった。"Dance With Me, Henry"(五六年)という映画がコンビの最後の作品である。  コステロは、一九五九年にこの世を去り、アボットは一九七四年に死んだ。 C レッド・スケルトン(Red Skelton)  キーストン喜劇のスラップスティック演技が、ヨーロッパのパントマイムを源流としていることは、すでに多くの人によって指摘されているが、今日それを比較的、純粋な形で継承しているのは、サーカスの道化師《クラウン》たちであろう。  棍棒《こんぼう》による殴り合いや、蹴飛《けと》ばしっこや、身体を球のようにしてグルグルまわる——こうした動作が一定のリズムの法則にしたがって展開されるのがそれで、キーストン喜劇は、これらのリズムをそのまま受け入れた上で、さらに映画的にテンポを早めて観客に提供したといえよう。  そこにマック・セネットの独創があったわけだが、三八年に"Having Wonderful Time"で登場したスケルトンは、父親がハーゲンベック・サーカスの本物の道化師で、彼自身幼い頃からサーカスに出演、長い旅芸人の末、映画に現れたという、いわば筋金入りである。  しかし、時代は変っていた。  四〇年の『大編隊』から、五六年の『ぴんぼけGメンNO1』(Public Pigeon No.1)に至る作品に一貫しているスケルトンの姿勢は、サーカスの道化師のテンポをそのままスクリーンに持ちこんで、これを崩すまい、としているものである。したがって、その動きは、いかにもノロく感じられるのだが、もし彼がハーポ・マルクス流の早い動きに徹したとしたら、のちの盛名は築けなかったであろう。  デビューしてから十年間、彼は、『デュバリーは貴夫人』(DuBarry Was a Lady—四三年)、『世紀の女王』(Bathing Beauty—四四年)などのMGMのミュージカル・コメディで、脇役、又は(主演というより)ヒロインの引立役をつとめてきた。鶏口となるより牛後となることをえらんだわけだが、二流会社でワンマン・ショウ的作品をとりたがらず、その名もなつかしい〈水着美人〉エスター・ウィリアムスなどのお相手を神妙につとめたことが、かえって彼に幸いした。  スケルトンにパントマイムの素地のあることは、『世紀の女王』の中の〈女学生の寝起き〉の一幕で明瞭であろう。これは古風なパントマイムなのだが、まず、絶妙といえた。主演より脇にまわるとハツラツとする点、スケルトンは、ボブ・ホープに似ているが、もちろんホープのような都会趣味ではなく、アメリカの土の匂いがする。当代珍しくお喋《しやべ》りにたよらず、動きだけで見せる芸風なのだが、いかんせん、テンポがかったるい。『映画騒動』(Merton of the Movies—四六年)、『就職運動』(That Mad Mr.Jones—四八年)など、スラップスティック物を幾本も撮らなかったのは、そのためかどうか。しかし、『就職運動』後半の追っかけは面白かった。  五〇年の『土曜は貴方に』(Three Little Words)では、アステアの相手役で、ふつうの演技に転じ、その出来も悪くなかった。以後のスケルトンは、むしろ、TV・ラジオの方のスタアだが、それなりに功成り名とげた感が深い。かつて、伴淳三郎のうつしてきたフィルムをTVで見たが、スケルトンの邸宅の大きいことに一驚した。ハリウッドでも屈指の大邸宅だそうで、門をくぐってから邸まで、自動車で行っても、かなりかかる。息子をプールでなくしたというので、どこか淋しそうだったが(この辺が、彼の人徳のあるところだ。実際、人徳一本槍である)、伴淳三郎の質問に答えて、「私はいつまでも道化師でありたい」といい、サーカスのクラウンの人形を大事そうに抱えていた。  シナトラのお遊び映画『オーシャンと十一人の仲間』で、ゲスト・スタアとして、ジョージ・ラフト、レッド・スケルトン、フート・ギブスンの三人の名があげられていた。スケルトンの名声のほどがうかがわれるというものである。  このように、スケルトンはサーカスのクラウンから出発して、おのれの芸風(泥くさく、古めかしいものだったが、それなりの良さがあった)をほぼ完全に生かしきった人である。が、それでは、スラップスティック喜劇にとって、どれだけプラスに働いたかと考えると、この方はサッパリである。  ギャグなど考えても、さっぱり、思い浮ばないのだが、五六年の『ぴんぼけGメンNO1』に一つ、いいのがあった。 〈G72〉 警察側が、スケルトンをオトリにするため、脱獄させる。が、すっかりお膳立てして待っているのに、スケルトンはヘマで、なかなか逃げださない。やっとのことで、外へ出たと思うと、そこにあったトラックの中にかくれ、そのトラックが刑務所に用があって門の中に入ったので、スケルトンも逆もどり。喜んでいた警察側は大いにクサる——という一幕。 D ダニー・ケイ(Danny Kaye)  ここで、やはり、ダニー・ケイに触れぬわけにはいかない。  ご存じのように、ダニー・ケイは、マーカス・ショウの一人として、戦前、来日している。神戸だったかで嵐のため劇場中の電気が停電し、観客が騒ぎだしたので、ケイが懐中電灯を両手にもち、闇の中に光の線を描いて踊りながらその回を持たせた、という伝説めいた話さえ残っている。  ニューヨークで舞台にでているところを、サミュエル・ゴールドウィンにスカウトされ、四四年に『ダニー・ケイの新兵さん』(Up in Arms)で映画入りした。  ダニー・ケイの特徴である㈰ノイローゼ的芸と㈪上品なユーモアは、この処女作に、すでにはっきりとあらわれている。ノイローゼの男が兵隊に行って事件を起すという話は平凡だが、見せ場が、事件の方にはなくて、もっぱらノイローゼ男が次にはいかなる発作をおこすかという点にかかっているのが変っていた。精神病理学に、躁鬱病《そううつびよう》といって、病的に静かな状態と、やたらにはしゃぎまわりたくなる衝動が、交互にあらわれるのがあるそうだが、ケイの面白さは、つまりこういう現代人の分裂を巧みに芸にしたところにある。彼はたいていひどく弱気な男としてあらわれるが、ある瞬間、突然、強者になる。オレは強いぞ、といばっているうちに、のっぴきならぬ場に追いこまれ、また突然、弱気な男にかえる。さあ、大変——といったシチュエーションによる笑いが、彼の作品にはどんなに多かったことか。  我々は、ノイローゼ状態になったとき、逆に、気違いじみた音楽で神経をモミクチャにすることによって、緊張から解放される。現代人の内面分裂の戯画化であるケイの芸を笑うことによって、我々は一種の解放感に浸ることができたのである。ダニー・ケイお得意の早口の歌(だいたい、夫人のシルヴィア・ファインが作詞している)にしても、私にいわせれば、躁鬱病者の躁状態以外の何ものでもないのである。  そういうわけで、ケイの個性は、スラップスティック的芸とは、本質的に無関係だった。『新兵さん』は、日本では、ラストにある日本兵退治の活劇場面がカットされて公開されたが、それでも、さして奇異に感じられなかったのは、全篇《ぜんぺん》これ、ケイの神経衰弱的芸を売出すべく構成されているからだ。(具体的にいうと、ケイは、スラップスティックをやるには、長身かつ足が長すぎるのである。)  ところで、ケイの品の良さは、サム・ゴールドウィンの好みにピッタリだったらしく、その後、ケイは、ずっとこのプロの作品にでている。『新兵さん』と同じ四四年、ボブ・ホープもゴールドウィン・プロで『姫君と海賊』をつくっているが、ボブのやや下品な個性は老人《サム》の気に入らなかったらしく、彼はこれっきり、ここでは仕事をしていない。  翌四五年の『ダニー・ケイの天国と地獄』(Wonder Man)では彼の〈二面性〉的芸風がさらに露骨である。ヤクザな芸人だった兄がギャングに殺され、その魂が図書館で勉強ばかりしている弟にのり移る。この二人は双生児なので、こんどは弟がギャングに狙われる破目になる。  この作品で圧巻なのは、兄の霊が乗りうつったので安心してナイトクラブへ行くと、亡霊が大好きな酒を見て、そっちへ行ってしまい、舞台の上に立った彼は危くトチりそうになる。あわや、という時、霊がかえってきて、彼はまた素晴らしい芸人になる、という件りで、ここで彼はでたらめロシア語で「黒い瞳《ひとみ》」(オチチョルニア)をうたう。この芸にはウナらされたものである。最後の方に、お義理みたいなドタバタがあるが、これはとるに足らない。  四六年の『ダニー・ケイの牛乳屋』(The Kid from Brooklyn)は、『ロイドの牛乳屋』の再映画化で、この辺になると、ケイは大分〈ふつう〉になってきてしまっている。弱気な男がトラブルにまきこまれ、思わぬ功を立てるという、ロイド喜劇の公式を踏襲したような恰好だ。が、この作品中の「パヴロヴァ」という珍芸は逸品である。  四七年の『虹《にじ》を掴《つか》む男』(The Secret Life of Walter Mitty)はケイの本邦登場第一作だが、やはり、これが彼の最高傑作だろう。原作は、ジェームズ・サーバーで、自由脚色に大分怒ったそうだが、この脚本(ケイ・イングランド、エヴァレット・フリーマン)は優秀だった。ケイのノイローゼ趣味に、(のちの彼の作品に濃厚になってくる)お伽話《とぎばなし》的雰囲気《ふんいき》がプラスされて一種独特な味わいをかもし出していた。『天国と地獄』以来の共演者ヴァージニア・メイヨも、この作品がいちばん美しい。  ケイ扮するウォルター・ミティは、ポケットブックを量産している大出版社の校正係。並はずれて気が弱いが、ことにふれ、いたるところで白昼夢に耽《ふけ》るヘキがある。夢の世界では彼は万能の超人だが、その超人ぶりは、彼が校正している通俗小説の主人公さながらの俗っぽさである。  夢の中で、彼は嵐の中の帆船の船長、世界一の名外科医、英空軍の勇士、ミシシッピーの賭博師、巴里《パリ》の名デザイナーのアナトール、西部の勇者などになる。ケイの多芸ぶりを示すのには、実に絶好のチャンスであった。特に空軍将校クラブで演じる〈一人シンフォニー〉は、彼の全作品中、最高の面白さである。南部の大賭博師のデッキのシーンで、青いバックに無数のライトの点滅、そして浮遊するシャボン玉の作りだす美しさは、人工美の極致のように、当時の私には思われた。西部の町の簡略なセットとスモークの巧みな用法も記憶に残っている。夢の終りで、必ず恋人(どれも、ヴァージニア・メイヨ)を残して、しずしずと去っていくのも面白かった。この作品のギャグの多くは、夢と現実の交錯するところから生れている。その朝、母に買ってきてくれと頼まれた毛糸や何かが、外科医の夢の手術の場面にあらわれたりするおかしさである。(この種のものでは、クレールの『夜ごとの美女』の中で、無名作曲家のジェラール・フィリップが夢みる大コンサートのさいちゅう、楽器音の中に平素彼が最も嫌っている自動車のクラクションが混るギャグが印象的である。)監督が、手なれたノーマン・Z・マクロードであることも、この作品の成功の一因だった。  四八年の『ヒット・パレード』(A Song Is Born)は、アームストロング以下スター・ジャズメン総出演のジャズ映画(監督はハワード・ホークス)で、ケイはMC役であり、しかも珍芸の見世場すらなかった。(この映画は、ハワード・ホークス自身が、四二年につくった"Ball of Fire"の安易な再映画化で、プロットからギャグまで同じという珍品。)これに憤慨した彼はゴールドウィンと別れて、ワーナーで『検察官閣下』(The Inspector General—四九年)をつくった。これはゴーゴリの「検察官」のダニー・ケイ版だが、凡庸な作品だった。ただ面白いのは『虹を掴む男』でチラリと見せた彼のコスモポリタニズムが、ここにはっきりあらわれたことだ。実際、彼はブルックリン小僧から、ドイツ人、フランス人、ロシア人、エスキモーまで、何でもやれそうな気がする。こういうパースナリティは、アメリカのコメディアンにはちょっと珍しい。たとえば、ボブ・ホープの「検察官」など考えられるであろうか。ホープはどんな役を演じようとも、常にボブ・ホープなのである。  このあとの『ハズは偽者』(on the Riviera)は五一年のフォックス作品で、あまり評判がよくなかったが、私は割に好きである。双生児のように良く似た好色のフランス将校とアメリカの芸人がリヴィエラで会ったために起るお色気奇談《きだん》で、またしても一人二役ものである。が、この二役が、一人の人間の分裂ではなく、ただ偶然似ているというだけのお話になっているところに、ダニー・ケイの芸からノイローゼ的要素が消えてしまったことが分る。つまり、当りまえのエンタテイナーになってしまったのである。一方、注目すべきことは、彼の芸のひき出しの一つである童話的気分が、この中の「ポポ・ザ・プペット」という劇中劇の人形ぶりの一幕にはっきりと形をとってあらわれたことである。この傾向は、再び、ゴールドウィンの下に戻った五二年の『アンデルセン物語』(Hans Christian Andersen)においてさらにいちじるしいことは勿論である。  このあと、ケイはパラマウントに移り、五四年に、『あの手この手』(Knock on Wood)をつくった。これは大きなアイデアこそないが、ケイの腹話術師が米ソのスパイ戦にまきこまれるというプロットに細かいギャグをよく入れた(ノーマン・パナマ〓メルヴィン・フランクの才人チームの脚本、監督)佳作であった。もっとも、ギャグといっても、それはダニー・ケイならではのもので、最後にKのつく名前(ロシア人の)をいっぺんに沢山ならべて喋る、といった風なやつ。上品なユーモアとコスモポリタニズムの作品で、舞台も、パリ、スイス、イギリス、と移動するが、アイルランド人に化けてアイルランドなまりで演じる「モナハン・オハンの武勇伝」と、イギリス紳士に化けてキングス・イングリッシュを喋る件りが面白かった。  同年の『ホワイト・クリスマス』(White Christmas)は、たしか杉浦明平《すぎうらみんぺい》が「映画芸術」で、戦意昂揚《こうよう》映画だといってクサした作品で、また左翼の奴があんなこと書いてやがるとムカムカして、見に行ったら、本当にそうだったので、今度は私が腹を立てた記憶がある。ノーマン・クラスナ、ノーマン・パナマ、メルヴィン・フランクという才人ぞろいで、どうして、こんなシナリオになったのか。ホワイトどころか全篇カーキ色じゃないか、とフンガイした。  もっとも、この中でケイとヴェラ・エレンがやる〈ゲイジュツ・バレー〉という、わけのわからぬモダン・バレーの諷刺《ふうし》はなかなか利いていた。  五六年の『黒いキツネ』(The Court Jester)は、同じフランク〓パナマチームのものだが、題材はイギリスの昔のお家騒動である。作品全体にお伽話的気分が満ち溢《あふ》れている佳作だが、『新兵さん』『天国と地獄』『虹を掴む男』で生かされたケイの二面性は、ここでもうまく使われている。すなわち、ミルドレッド・ナットウィックの魔法使いが指をパチリとやる毎《ごと》に、ケイが、強くなったり弱くなったりするギャグである。この作品も小味なギャグは豊富で、 〈G73〉 騎士の甲冑《かつちゆう》に雷が落ちたため、磁気をおび、いろいろな武器を吸い寄せてしまう。 〈G74〉 グリニス・ジョーンズが、うるさく言い寄る王様に、悪質の伝染病にかかっているとウソをつくと、王様はこわがり、彼女が近寄っていくと逃げるようになる。 〈G75〉 クレジット・タイトルは、ケイの歌と踊りで始まるが、敵役の名前《ベジル・ラスポーン》が何度もシツコクあらわれ、ケイが押しかえすあたり、パラマウント趣味が濃厚だった。  五八年の『僕はツイてる』(Merry Andrew)も童話的世界であるが、同年の『戦場のドン・キホーテ』(Me and the Colonel)はかなり趣きを異にしている。  白黒のスタンダード・サイズ版というのも当節珍しいが、これはケイの演技面での代表作といえよう。  原作者がユダヤ人、主人公のヤコボフスキイがユダヤ人、これを演じるダニー・ケイがロシア系のユダヤ人——というこの映画の主題は、第二次大戦初期における、ナチに追われる祖国喪失者の悲哀であり、ひいては、人間の生のはかなさ、あわれさ、である。雨傘一つもってヨーロッパ中を逃げまわる、この亡命のエクスパートの中年紳士には、奇妙な実感があった。相手役のクルト・ユルゲンスや、その従者のエキム・タミロフの喜劇的演技が重くモタついていたので、よけいケイがスッキリ見えたのかも知れぬ。ラストこそいささかドタバタ(それも下手な)じみるが、ケイに関する限りは、内面的演技で優秀だった。ケイの〈無国籍〉的感じを生かした好企画である。  特に、ヤコボフスキイがオランダの大佐に向っていう、「私はイミない人間ですが、イミない人間だってイミない人生を送る権利があります」という控え目な抗議は、こちらの胸にジンときた。  五九年の『五つの銅貨』(The Five Pennies)のレッド・ニコルス役はヤコボフスキイほど適役ではなかったが、性格演技を神妙に演じていた。  このようにケイの演技(もはや芸だけとはいえまい)には、初期のエクセントリシティが沈潜して、人間の悲劇的な面が色濃くあらわれるようになった。また、かつて、南部の賭博師からパリのデザイナーまでを変幻自在に演じた彼は、血と肉をもったさまざまな生きた人間を演じるように、変ってきている。  このように、ダニー・ケイがきわめて優れたタレントをもつ特異なコメディアンであることは疑いを入れぬことである。が、しかし、ドタバタ喜劇のメイン・ストリートを歩くものといえば、他に人を求めねばならない。  アボット〓コステロ以後、その道を行く者——それは、マーティン〓ルイスのコンビであった。 E ディーン・マーティン&ジェリー・ルイス(Dean Martin & Jerry Lewis)  一九五〇年は、アボット〓コステロの最後の佳作『凸凹外人部隊』のでた年だが、同じ年に、マーティン〓ルイス喜劇の第一作"My Friend Irma Goes West"がつくられていることは、スラップスティック喜劇史上、見逃せぬ事実である。翌年、このチームは二本つくり、そのまた翌年——五二年の『底抜け艦隊』が、本邦登場第一作となった。 『底抜け艦隊』Sailor Beware(一九五二)  ディーン・マーティンはクロスビイに似たクルウナア、ジェリー・ルイスはアメリカ式イカレポンチ、白痴もしくはダアダアみたいな奇妙な味で、薄気味の悪いところがあった。  芸でいったら、とても、コステロほどの芸人とも、思われない。変に素人くさいところもあるのが、私にはPhonyに感じられた。ヨーロッパでは非常に評判が悪かったというが、私は、一見して、これはたいしたことがないと思った。だいいち、四作目ぐらいなのに、二人の呼吸がまるで合っていないのである。  アメリカのある劇場で〈ご挨拶〉をしたとき、客に向って、ただ無意味に、手あたり次第にものを投げて喝采《かつさい》を博した、ときいたが、こういうメチャメチャ(同じメチャメチャでも、ハーポ・マルクスのメチャメチャはちゃんと法則とリズムをともなった芸だが、ルイスのは本当のメチャメチャ)が朝鮮戦争のころのアメリカの若者にピッタリきたのだと思う。私は職業の都合で、二十代の前半を横浜の山の上にある外人地区で過したが、若いヤンキーのユーモアのセンスには、実際、ジェリー・ルイスのあの趣味の悪さと相通ずるところがあった。頭をGI刈りにしたルイスの変な生臭さは、兵隊やチンピラによくあるのだが、アメリカの大衆にとって、一時代前の芸人であるルウ・コステロなどより、感覚的にピタリときたであろうことは、想像に難くない。じっさい、この時、ルイスは、二十六歳だったのである。  ところで、この作品は、海軍物——特に、潜水艦の話なのだが、そのギャグの古さは、パラマウントらしからぬものだ。 〈G76〉 ルイスが甲板にいるうちに、潜水艦が沈みだす。あわてて、潜望鏡にしがみつき、溺《おぼ》れるのはまぬがれるが、内部から潜望鏡をのぞいた艦長が、ルイスの目と鼻のアップに仰天するというギャグの古さは、どうだろう。  この作品など、ラストでコリンヌ・カルヴェとベティ・ハットンを特別出演させており、パラマウントがこの二人にかけた期待のほどが分るというものだが、その作品にして、こんな古色蒼然《そうぜん》たるギャグを使っているのだから、脚本、監督、主演者のいずれの面においても、喜劇的センスの衰退は歴然たるものがある。  また、ルイスはあまり早く有名になってしまったので、芸を仕込む時間がなかったのではないかとも考えられる。長い雌伏期間のあったマルクス兄弟にくらべ、ルイスは、マーティンとコンビを組んだのが二十歳のとき(一九四六年)、以後、ナイトクラブ、映画館のステージ・ショウ、TVショウとトントン拍子に運が向き、パ社のハル・ウォーリスと契約したのが二十三歳だから、異例の躍進ぶりである。異例でもかまわないが、名に実が伴わないのは悲劇的なものである。ルイスは天才ではないのだから、もっと勉強しなければならなかったのである。ルウ・コステロにしたって、映画初登場は三十二の時である。 『底抜け落下傘《らつかさん》部隊』Jumping Jacks(一九五二)  題名のとおり、これは落下傘部隊のものだが、出来は前作よりまだ劣る。理由は、少しも笑えないからである。臆病な男が落下傘訓練でふるえ上るなどという光景は、二十世紀後半の今日、笑いのネタにはならないのである。これで人気があるというのはまったく不可解、アメリカ帝国主義文化の狂い咲きの一つか。  同じ落下傘物でも、後年日活で作られた『殴りこみ落下傘部隊』(五九年正月封切。脚本・柳沢類寿)など、降下の途中、高圧線にひっかかった市村ブーチャンが発電体になり、彼にさわったフランキー堺が感電する、といった秀抜なギャグ〈G77〉があったものである。  五三年のゴルフもの『底抜けやぶれかぶれ』(The Caddy)は未見だが、いいところのない作品の由。  が、この秋の—— 『底抜けびっくり仰天』Scared Stiff(一九五三)  は、やや好感のもてる作品だ。  スリラー仕立てで、実は先祖の宝をかくしてある島での、宝物の奪い合いである。この島にあるお城がお化屋敷みたいになっていて、敵みたいに見えた奴が味方、味方みたいに見えた奴が敵、というドンデン返しの趣向も一応ある。  ルイスのおびえ方は、コステロほど、うまくないが、とにかく一回は見られる作品。 〈G78〉 歌手のカルメン・ミランダが休演したので、ルイスが彼女の衣裳《いしよう》をつけてお客をダマす件《くだ》りが笑わせる。これはすでに『南米珍道中』(後述)で、ボブ・ホープが演じたお笑い(アクの強い歌と踊りで売ったカルメン・ミランダの真似はやさしいのだろう)だが、ルイスもなかなかの熱演だった。  彼は、かげでかけるミランダのレコードに合わせて、口を動かしているのだが、レコードが同じところをまわりだすといたずらに口をパクパクさせ、早口になると追いつかなくなり、ユックリになると、首をグルグルまわす。そして、頭上のカゴの中の果物をとってたべる。 〈G79〉 悪漢がルイスを人形とカンちがいして殴る件りがいい。声をあげられないルイスのフンマンやる方なき表情。 〈G80〉 ラストで、悪漢どもを退治し終ると、ルイスが、まだ残っている、という。顔だけクロスビイ、ホープの骸骨がいて、二人組はキャッと逃げだす。(前年の『バリ島珍道中』で、逆にマーティン〓ルイスがサカナにされていたことを思いだしていただきたい。そこではホープの夢の中の美人がこっちを向くと、ルイスなのだ。)  ジョージ・マーシャル監督だから歯切れの悪いのは仕方がないが、M&L物では見られる方である。というのは、このコンビの物には、一作に笑えるギャグが唯の一つもないことが、しばしばだからである。  ジェームズ・エイジーは、昔の二巻物のコメディでは一本にギャグが二つはあった、と書いたが、四十年後、M&L物には八巻ほどの中に一つのギャグもないという有様だ。もっとも、そんなに腹が立つなら見なきゃいいじゃないかといわれるかも知れないが、何度も裏切られながら、一つでも面白いギャグがあればと、小屋に足を運ぶのは、こっちが芯《しん》から〈好き〉だからなんだ。それほど意地が汚く、それほどギャグに飢えているのである。少しはこちらの気持も察してもらいたいというものである。 『底抜けふんだりけったり』Money from Home(一九五三)  原作は、デーモン・ラニヨン。一九二〇年代、禁酒法時代はギャング華やかなりし頃の、競馬のノミ屋のお話である。この作品では、主演コンビよりむしろ仇役のロバート・シュトラウス(同じ五三年の『第十七捕虜収容所』で売りだす)の方が面白かった。あのガラガラ声と風貌《ふうぼう》が昔風のギャングの感じをよく出していた。ただし、映画そのものは、演出(またしても、ジョージ・マーシャル)のせいもあって、詰らない。  それでも、笑えるギャグは三つほどあった。 〈G81〉 厩《うまや》の二階の廻廊《かいろう》で、悪漢ロバート・シュトラウスに追われたジェリー・ルイスが、グルグル逃げまわるうち、勢い余って、シュトラウスを何回も追い抜いてしまう件り。 〈G82〉 ラジオの声に合わせて歌をうたっていたジェリー・ルイス、声がドンドンかわるので苦しみだし、コマーシャルにあわせて走ったり、しまいにはラジオ体操をしたりする。 〈G83〉「リトル・シバ」という名の馬がでてくるが、この馬が向うへ行きかけると、ルイスが、「カム・バック・リトル・シバ」(愛しのシバよ帰れ)と呼びかける洒落《しやれ》。 『底抜けニューヨークの休日』Living It Up(一九五三)  ルイスが、原爆実験区域で死の灰を浴びた疑いをうけ、騒動がおこる話。原爆被災者問題を茶化している製作態度にひどく腹が立った。アメリカ的無神経の典型みたいなものである。公開当時、朝日新聞だったかのコラムで、吉村公三郎がいたく憤慨していたのを、記憶している。  そういうことを抜きにしても、この作品は、まったく取柄のないもので、〈低級な笑劇〉というところまでも行っていなかった。いったい、何をつくるつもりだったのか、実にフシギな写真で、ルイスがシェリー・ノースと強烈なジルバを踊るところだけが見られた。 『底抜け最大のショウ』3 Ring Circus(一九五四)  サーカス物である。前に、私は、コメディアンがサーカスへ入る話をつくるようになったらオシマイだと書いたが、これはその代表例のようなものである。  背景にリング・リング・リング・サーカスを据え、ヴィスタヴィジョン(のハシリの頃)サイズ、テクニカラーという一流のつくり方なのだが、さっぱり面白くない。アメリカでの評判も悪かったようである。いったい、こんなコメディアンがあるか、と私は(主としてルイスのことを)憤っていたが、批判力のないヤンキーは結構たのしんでいた。とにかく、彼らには、ルイスが(どんな芸なし役者でも)親近感があるらしいのだ。  ただ、ルイスが小児マヒの子を笑わそうとしてうまく行かずに自分が泣きだし、とたんに子供が笑いだす、というペーソスあふれる場面のみうまくいっていた。  常識からいうと、これは二人のいちばん脂の乗りきった時期で、会社《パラマウント》もお金をかけていたわけだが、どういうものか、さっぱりイケナイ。二人が別れるという噂《うわさ》もそろそろでていたので、こうして見ると、マーティン〓ルイスには作品の上での最盛期というものがなかったようである。 『お若いデス』You're Never Too Young(一九五五)  ルイスがボーイ・スカウトに化けて、女学校で生活する話に、宝石ギャングがからむ。  冒頭で、床屋の小僧のルイスが、親方の留守に親方に化けてマーティンのひげ剃《そ》りをやる一幕があるが、ここでルイスの無芸が露呈されてしまう。一言にしていえば、パントマイムの基礎が出来ていないための詰らなさである。芸に芯がないから、いたずらに身をくねらせることしか出来ないわけだ。(例にひくのも大人げないが、『独裁者』でハンガリアン・ダンスにあわせてお客のひげを剃るチャップリンを見るがいい。客に金をもらい、レジのひき出しをあけていながら、お金を自分のポケットに入れてしまうまでのあの流れるような至芸を。)  この中で、いくらか面白いのは、同室の少年がルイスの持っている石をダイヤと認め、彼を殺人狂だと推理する。ためしにダイヤで窓ガラスをこすってみると、見事に切れる。ギョッとなった時、ルイスの影がスリラー風に壁にうつり、ラジオのスリラー番組「口笛を吹く男」のテーマを吹きながらカミソリをもったルイスが(ひげを剃っていたのだ)あらわれ、少年は戦慄《せんりつ》する〈G84〉という一幕。  ラストの水上スキーによる追っかけは、珍しく派手なドタバタだが、ルイスが自分でやらず、全部吹きかえなのが気に喰わない。その昔、エノケンはシャンデリアにとびつく場面で手がすべり、床に落ちて死にかけた。チャップリンの「スケート」において、彼が一度でも吹きかえを使っているか。極端に危険な場面は別としても、水上スキーぐらい自分でやるがいい。そういうことをやるのもギャラのうちである。莫大な出演料をとって、できるだけ身体《からだ》を使うまいとするのは、ギャラ泥棒というよりほかない。  スラップスティック役者は献身的に身体を使うのが生命である。  ジェームズ・エイジーによれば、サイレントの喜劇役者は「頭をガンとやられると、足の先から頭までピンと伸ばし、そのままの姿勢で床に倒れたものである。そして、そのあいだにその役者は、ボウッとし、天使のように微笑《ほほえ》み、眼の玉をクルリとさせ、肩をかしげ、爪先で立って踊るように円を描いてからノビた。で、ノビたとたんに、彼は蛙《かえる》が泳ぐように、床の上で二度足を蹴《け》ってから極楽往生を遂げたのである。いわば、そこには詩があった」というのだが、こういうノビ方をするのも、ハーポ・マルクスまでであった。(チャップリンは、『独裁者』でこのノビ方の古典的代表例を見せてくれた。ナチにまちがえられて、ポーレット・ゴダードにフライパンでガンとやられたチャーリーが、歩道の上で、ワルツにあわせてバレー的に踊り出してから、フラフラとノビるまでのあの長い場面の美しさは、正しくスラップスティック史上に残る傑作である。)  ルウ・コステロの場合はどうか。彼は、頭をガンとやられると、不審そうに眼ばたきして、やがて、おのれがなぐられたことを想いだしたかのように、あの太った身体でドシンと前に倒れた。  ジェリー・ルイスに至っては、ガンとやられると、奇声を発しながら首を前に突きだし、ガニ股《また》の足をうしろに蹴り上げるようにして踊りながら、やがて——肉体的消耗をできるだけすくなくしようと努力するかのごとく——そこいらの長椅子か何かの上にゴロリと横になるのである。  何たる怠惰であることか! 『画家とモデル』Artists and Models(一九五五)  M&Lものでは、いちばん出来のよい作品である。というのは、この二人ではもたなくなってきたので、シャーリー・マクレーン(ブロードウェイで『パジャマ・ゲーム』の主役をやっていたところを、M&L物のプロデューサー、ハル・B・ウォーリスに見出《みいだ》され、五五年ヒッチコックの『ハリーの災難』でまずその奇妙なパースナリティの魅力をしめした。これはその第二作)、アニタ・エクバーグ、ドロシー・マローンといったキレイどころを揃《そろ》えて、ゴールドウィン喜劇のような賑《にぎ》やかさに仕立て上げたからだ。  ルイスが俗悪マンガの耽読《たんどく》で頭のおかしくなった男。マーティンが彼の寝言をマンガにしてひともうけするデザイナー。上の階の画家がドロシー・マローン、S・マクレーンがそのモデル、エクバーグもモデル役でちょっと出るというあんばいだ。ルイスが寝言で呟《つぶや》く新兵器の秘密方程式がアメリカ陸軍の新兵器のそれと同じで、某国スパイがルイスをかっさらう。これが、ザ・ザ・ガボール。スパイ共がルイスたちの動きを向い側のビルの窓から見ている時、「この裏窓からは見えないな」とJ・スチュアートの声色で呟くのが秀逸だった。もう一つ、マーティンが今に大統領に招待されるよ、といわれて、イヤ、おれはダメだ、だってゴルフが嫌いだから、とアイゼンハワーのゴルフ好きにひっかけたジョークも愉快だった。  が、いちばんの見物は、ルイスが階上と階下の電話の取次をやってヘタバり、マイムで「ストーク・クラブ」という固有名詞を伝えようと苦心する際の熱演である。マーティンが当てようとするが、片っぱしから外れる。ルイスはなおも力演する。 『マルクス捕物帖』の中ほどで、ハーポがチコにスープ(を飲む)とライス(をたべる)のマイムを見せ、これをちぢめてsurpriseという単語を表現するあのサンゼンたる芸には及ぶべくもないが、芸が下手でも努力すれば人を笑わせられるという一つの例である。(事実、このシーンは、『マルクス捕物帖』のギャグマンだったフランク・タシュリン監督が、ハーポ〓チコのやりとりを意識的にやらせたのである。)『ニューヨークの休日』『お若いデス』とつづいたノーマン・タウログ(かつて『お化け大統領』やエディー・キャンター物をつくっていたくせに、としのせいか、まるで冴《さ》えなかった)に代って、マルクス喜劇の脚本家上りの若いフランク・タシュリンが監督したことがよかったと思う。大味なりに、いちおうまとまっていたからである。なお、シャーリー・マクレーンのスットボケた個性が作品に大いにプラスしていたことはいうまでもない。 『底抜け西部へ行く』Partners(一九五六)  題名どおり、西部へ行くお話である。(原題は「相棒」の意)  西部の巻となると、どんなコメディアンでもみな面白いので、ベン・ターピンはむろんのこと、マルクス兄弟も、凸凹も、ボブ・ホープも成功だった。  しかし、このマーティン〓ルイス西部版は、実に詰らないのである。監督がノーマン・タウログのせいもあるだろうが、ルイスさえ出れば観客が笑うだろうといわんばかりに、ギャグなどを工夫するどころか完全に手を抜いている製作態度がいかんのである。  ところで、もちろん喜劇である以上、この退屈間伸びした駄作の中にも若干のギャグがあるわけだが、驚くなかれ、これは全部、四八年のボブ・ホープの『腰抜け二挺拳銃』からの盗用である。同じ製作会社だから別に盗んでどうのということはあるまいが、観客に対して非良心的であること、おびただしい。  例をあげよう。 〈G85〉 ルイスが西部男らしく手巻きタバコを巻こうとして失敗するギャグ。(これは『腰抜け二挺拳銃』のサルーンの場面で、ボブ・ホープが、アイリス・エイドリアン——サルーンの歌手——の身につけた羽根に邪魔されてタバコの巻けぬギャグから。) 〈G86〉 酒場に入るとき、英雄だというわけで、みんなに肩車され入口の上に頭をぶっつけるギャグ。(ボブも全く同じ。) 〈G87〉 馬車を走らせるとき、馬と馬との間に落ちてしまい、そのあいだを走るギャグ。(ダイナマイトを積んだ馬が逃げるシーンで、ボブがやった。) 〈G88〉 ルイスが馬車を走らせようとすると、馬と車がつないでないので、手綱ごと馬にひきずられるギャグ。(ボブのでは、もっと効果的に前後三回使われていた。)  シナリオは、『腰抜け』の方がエドモンド・L・ハートマン(凸凹物の原作脚色多し)、フランク・タシュリン(『スケルトンの就職運動』)の二人で、『底抜け』の方が原作マーヴィン・J・ハウザア、脚色が『お若いデス』のシドニイ・シェルドンで、人がちがうのだから、全く同じになるということは考えられない。  西部物をつくって、うまくいかなかったら、もうダメだ。このコンビも、そろそろオシマイだな、と私は思った。 『のるかそるか』Hollywood or Bust(一九五六)  題目のBustは、スラングの〈破滅〉のほかに、アニタ・エクバーグのバストの意味がかけてある。  コンビのこの最後の作品を見て、私は、私なりにこの二人組の人気というものが首肯できるような気がした。というのは、『画家とモデル』と同様、美女とテクニカラーで飾り立てた場合、彼らには、ヴィスタヴィジョン時代、大型ショウ時代にふさわしいハツラツさがあるからである。芸ではルウ・コステロにかなわぬジェリー・ルイスが、なんとか見ていられるのは、彼が(手垢《てあか》のついた表現をすれば)〈時代と寝ている〉からなのである。しかし、それだけが取柄というのでは、人気の持続はむずかしい。  この作品は、ギャングの子分ディーン・マーティンと、ハム屋の店員ルイスがニューヨークからハリウッドまで自動車道中する話だが、エピソードが平凡である。ただ、途中、アメリカの各都市や各州の風光(グランド・キャニオンなど)が、ショウ的に——水着美人を伴って——展開するのがたのしかった。  冒頭にたった一つ生きのいいギャグがある。 〈G89〉 まず、ディーン・マーティンが登場し、「この映画を、テレビを嫌い、シネラマやヴィスタヴィジョンを愛好する方にささげる。各国の映画愛好者諸君よ……」と呼びかけると、これにあわせて、ルイスが各国の映画ファンをひとりで演じる。  アメリカのファンは、手にコカコーラと山盛りのパプコーン。イギリスは、モノクルに礼装した紳士が、給仕のさしだすふたつきの銀器のふたをとると、そこに四粒のパプコーンが入っている。東洋のファンは中国人で、茶碗に盛ったパプコーンを箸《はし》でたべている。フランスのファンは、スクリーンなどそっちのけで、女の腕にキスしている。勢いあまって、これにからんでいる自分の腕にまでキスしてしまう。 「そして、他の国の諸君……」  ヒゲをはやしたソ連の高官らしきファン。やがて、おもむろに拍手をしだすと、手には白い手錠がはめられている。  この作品を最後に、マーティンはルイスと離別した。ギャラの問題もあっただろうが、演技力に自信のあるマーティンは、芸なしタレントの相手をしてお茶を濁していることに耐えられなくなったのではないか。『リオ・ブラボー』以降の彼の目ざましい歩みがこのことを如実に示している。ルイスと共演している時はさほど目立たなかったが、マーティンと会ってきた或る人は、彼こそborn to comicであると私に語っていた。ひどいアル中だが、他人といっしょにいる時は、たえず何かして相手を笑わせねばならぬという精神に徹しているそうだ。  一人になったルイスは、『紐育《ニユーヨーク》ウロチョロ族』や『底抜け一等兵』を作った(五七年)。後者は、有名な兵隊漫画「サッド・サック」が原作だが、兵隊喜劇のイヤラシサがなく、わりに良い出来だった。  アラビア人の酋長《しゆうちよう》ピーター・ローレに腕立て伏せをさせるシーンなどはちょっとしたものである。 『底抜け楽じゃないデス』Rock-A-By Baby(一九五八)  脚本・監督がフランク・タシュリンのせいか、わりに良い出来である。  ルイスの昔の恋人が今をときめく映画スタアで『ナイルの処女』の主役に決ったとたん、赤ん坊ができるという皮肉な発端。そこで彼女、赤ん坊を昔の恋人ルイスにあずけて、アフリカ・ロケにでる。  巻頭に、水道ホースを使った珍しくオーソドックスなドタバタがあり、つづいて、ルイスが煙突の中にまっさかさまに落ちて、家中に黒煙が満ち、鉢の中の赤い金魚まで黒くなるというギャグ〈G90〉がタシュリン好み。  鐘つきをしていて宙に上るというのは、『のんき大将・脱線の巻』にもあった古いギャグだが、次のギャグ〈G91〉は認められる。  すなわち、ルイスが女の子の部屋でTVを修理していると、酔っぱらった女の父親が入ってくる。あわててルイスは空っぽのTVの箱の中に首を突っこみ、女の子がチャンネルをかえるごとに、政見発表をやったり、コマーシャルを入れたり、歌ったりする。 〈G92〉 これはヒッチコックの『めまい』の楽屋落ちだが、屋根の上から下を見たルイスが「誰かさんみたいにめまいがしてきた」と叫ぶ件り。 『底抜け慰問屋・行ったり来たり』Geisha Boy(一九五八)  ひとりになったルイスは、ペーソスの方向に逃げようとしているが、これもその一つで、子供による泣きが入るウェット喜劇。 〈G93〉 軍の慰問で日本にきた手品師ルイスが、富士山の美しさに眺め入っていると、パッパッパッと星がそのまわりに出て、パラマウントのマークになってしまう。(四六年『アラスカ珍道中』に全く同じギャグあり。) 〈G94〉 スモウの能登《のと》の山《やま》が銭湯の湯船に飛びこむ。とたんに大津波が風呂屋の外へ流れでて、ルイスやラーメンの屋台をいっきに押し流してしまう。(マルクス兄弟あたりにありそうなギャグで、往年のパラマウント・センスの片鱗《へんりん》を見せる。) 〈G95〉 ルイスが早川雪洲《はやかわせつしゆう》の家にくると、雪洲は池に橋をかけており、人夫たちが「クワイ河マーチ」の口笛を吹いている。とたんに、どういうわけか、『戦場にかける橋』の橋の上を行くアレック・ギネスのアップになり、ルイスが口笛に合わせてギネスのような歩き方をして転んでしまうというギャグは秀逸である。パラマウントという会社は実にスキだな、と思う。  五九年の『船を見棄てるナ』は見逃し、『底抜け宇宙旅行』(A Visit to Small Planet)の方を見た。これは、文学界の才人ゴア・ヴィダルが行き詰った時かいたテレビドラマ(「ある小惑星への訪問」)で、アンソロジーなどに入っている佳作である。それを、ルイスがやるところがミソだったわけだ。  原作が割にしっかりしているから、話としては、面白いのだが、ルイスはどうもパッとせず、むしろ脇役の好漢アール・ホリマンに喰われていた。ただ一つ—— 〈G96〉 ビート族(戯画化されている)の酒場で、女性ビート歌手がスキャットでわけのわからぬ歌をうたうと、読心術を心得ている宇宙人ルイスのみが、さめざめと泣き、ハンカチを絞ると涙がザーッと出る、というのが面白かった。  ルイスの主演映画は依然製作されているが、私はその将来には悲観的である。パラマウントがいろいろヒネった企画を考えていることはよく分るし、ルイスも苦心はしているらしいが、どうも期待できない。  ジェームズ・エイジーは、スラップスティック・コメディの衰退の原因をトーキーに求めているが、私は大タレントがいないということも一つの大きな原因ではないかと思う。  演技はもとより、自分でギャグを生みだし、製作面にもかなりの発言権をもつようなタレント——というと、もちろん、あのチャーリー・チャップリンの顔が浮んでくるのだが、まあ、彼ほどの〈戦略家〉ではないにしろ、キートン、ロイド級のタレントがでてこない以上、この傾向はいよいよ激しくなるのではないだろうか。  知的な笑いをスクリーンに持ちこんだマルクス兄弟に始まるトーキーの正統派スラップスティックの記述が、白痴的アチャラカというよりほかないジェリー・ルイスにおいて終ることは、まことに象徴的な事実に私には思われるのである。 第二章 スラップスティックを混ぜたパロディ 〈珍道中〉映画 ボブ・ホープ A 〈珍道中〉映画(Road Pictures) 〈珍道中〉物ときいただけで、昭和ヒトケタ生れの映画マニアたちがニコニコしてくることを、私は知っている。  戦後の数多い喜劇映画の中で、このシリーズほど私たちを楽しませてくれた物はないだろう。はるかむかしに、私は旧作『アラスカ珍道中』を、ダニー・ケイの当時の新作『黒いキツネ』と二本立てで見て、前者の方がはるかに面白い(この時は、すでに封切から七年経っていた)のに一驚したが、その週のある週刊誌のコラムに、古物の『アラスカ』の方が面白いとあったので、誰が見ても同じなのだな、と改めて考えた。『アラスカ』『南米』などはいま見ても十分面白いだろう。ベン・ターピンはサイレント時代におけるパロディの専門家だが、トーキー以後、パロディの面白さだけで見せた映画は、このシリーズあるのみである。 〈珍道中〉物には、スラップスティック的要素はあまり多くないのだが、しかし、それこそ映画独自というよりほかない新形式のショウでありエンタテインメントであったので、純粋スラップスティックとは別な意味で逸することのできぬ物である。  このシリーズの成功は、パラマウントという会社のカラーを抜きにしては考えられない。人の意表をつくアイデアと斬新なギャグ、パロディ趣味、楽屋落ち趣味、そういったものがひとひねりした現代的なスタイルで吐きだされるところに、いわゆるパラマウント調の魅力があるわけだが、〈珍道中〉物は、ビング・クロスビイ、ボブ・ホープという二大エンタテイナーの噛《か》みあわせがそれらのギャグの中心になっているのがミソである。  ビング・クロスビイは、一九〇四年五月二日タコマに生れ、さまざまな職業を経て、ポール・ホワイトマン楽団のリズム・ボーイになった。三一年短篇《たんぺん》喜劇に初めて出て以来多くの音楽映画に主演してクルウナアとしての人気は大変なものだった。  一方、ボブ・ホープも、クロスビイと同じ年の同じ月、少し遅れて、二十六日にイギリスで生れている。ヴォードヴィルからスクリーン・テストを受けて落第、ニューヨークに帰って「一九三六年のジーグフェルド・フォーリーズ」にジミイ・デュランティやエセル・マーマンと出て、有名になった。ラジオには一九三四年からでていたが、三七年、ウドバリイ石鹸《せつけん》プロのスタアになった。ワーナー、ユニヴァーサルの短篇にも三四年からでていたが、本格的映画デビュウは『百万弗《ドル》大放送』(三八年)である。  人気絶頂のクルウナアと売り出し中のコメディアンを組みあわせ、三六年に映画入りしたサロン美人ドロシイ・ラムーアを配するというこのアイデアはまことに秀抜であった。ラムーアは、いつも彼女のヒット作『ジャングルの女王』『ジャングルの恋』『ハリケーン』の時のようなエキゾティックな背景の中に置かれていて、甘ったるい歌をうたう。流れ者の二人組が彼女に惚《ほ》れてイザコザをおこす、というただそれだけの筋を中心に、ビングの歌やボブの軽口、楽屋落ちの趣向などが詰っているこの映画は、〈お遊び映画〉の最たるものであり、パラマウントのドル箱となったのも当然のことであろう。また、これはそのまま、前線慰問映画(例・パラの『ハリウッド宝船』やワーナーの『ハリウッド玉手箱』)としても通用したわけだ。  ロード・ピクチュアのギャグは大部分、撮影中に生れたということだが、アレン・スミスのような優秀なユーモリストが手伝っていたことも、どこかで読んだ記憶がある。  ところで、ロード・ピクチュアはボブ・ホープという個性を抜きにしては考えられない。ホープはスラップスティックの面では見るべきところがないが、舌先三寸の芸においてはちょっと類がない。とくに、ちょっと間をおいて呟く捨《すて》台詞《ぜりふ》の妙味は真似手があるまい。この人は、本質的に、ラジオの芸、とくに司会者のセンスなので、物語中の人物となっていてもそのセンスを捨てず、時折り傍観者的皮肉を呟いてヒョイと劇中にもどる、その呼吸が新鮮だったのである。彼が単独主演作品において完全に成功せず、〈珍道中〉などでボケ役にまわると俄然《がぜん》相手を喰ってしまうのは、そのせいなので、洒落のセンスの良さ(彼および彼のブレイン・スタッフの所産だが)と舌のスピードにおいてはいまだに彼を抜く者はいない。 『シンガポール珍道中』Road to Singapore(一九四〇)  これは、シリーズの第一作だが、至極神妙につくられており、南海音楽映画のちょっと風変りな物といった感じである。プロットもちゃんとしたもので、後のように、筋など有って無きがごとしといったほんぽうさは見られない。  また、面白いことは、作品中でことわっているとおり、〈クロスビイはまったくの二枚目で、ホープはまったくの三枚目〉であることだ。のちの作品では、この両者の区別はほとんどつけがたく、どっちも三枚目になってしまっている。この第一作では、ホープはクロスビイのてまえ遠慮しているのか、たいへん控え目な演技だった。むしろ怪演するのは、異様な雄叫びをあげる珍優ジェリー・コロンナ(眼玉のまるい、太いひげをはやした男)である。  ギャグとしては、役人がホープを囚人護送車にぶちこみ、自分ものりこむ。場面が代って、車がとまり、おりてくるのは、その役人の服を着たボブ・ホープ(護送車の中で役人をノシて入れ代ってしまったのだ)——というのが見られた〈G97〉。  それから、これは見てない方にはちょっと説明しようがないのだが、のちの作品でくりかえして使われる例の〈セッセッセ〉がすでにここで用いられることである。つまり、命が危くなると、ビングとボブがセッセッセを始め、切れ目のところで、横に呆然としている加害者をノシてしまうというギャグである。この作品の監督は、音楽喜劇らしく、ヴィクター・シェルツィンガーだった。 『アフリカ珍道中』Road to Zanzibar(一九四一) 『シンガポール』の好評に気を良くし、といってさほど野放図にもならず、地味につくったのが、この作品。ボブ・ホープはこのへんから良きパースナリティを出しはじめているが、ゴリラとの格闘など、大マトモなので一向に興が乗らない。 〈G98〉 ジャングルの中の川を丸木船で下りながら、クロスビイが、歌をうたいたいが、映画だったら、ここらで伴奏が入るところなんだが、と呟き、水面を指でこするとピアノのキイをこすったような音がする。おや、といった表情でもう一度こすると、本格的に音楽が始まり、クロスビイは「アフリカのエチュード」という佳曲をうたう。これが、のちのロード・ピクチュア中に栄えた〈映画をサカナにした楽屋落ち〉のハシリである。  なお、この作品で面白いのは、土人にノサれそうになった二人が、例の手でいこうぜ、とセッセッセを始めると、これを土人がチャンと知っていて先に二人を殴ってしまう、という『シンガポール』のギャグを裏返したギャグである。こういうのも、ロード・ピクチュアの楽しみの一つであった。 『モロッコへの道』Road to Morocco(一九四二)  ロード・ピクチュアも、いよいよ三本目とあって、徹底的にフザけ散らした作品である。  この作品だけ『モロッコ珍道中』となっていないのは、これがロード・ピクチュアの本邦紹介第一作だけに、配給元が題名の見当がつけにくかったからであろう。一九四八年の正月映画として封切られたが、ロード・ピクチュアなるものの予備知識が一般に全然なかったため、見逃した人が多かったのは当然である。  当時、中学三年生だった私は、全然ブランクのまま、この作品に接し、唖然《あぜん》としたものである。のちに、私がパロディを好む一時期があったのも、この作品の影響がもっとも大なのではないかと思われるのだ。 〈G99〉 巻頭、まずボブ・ホープが、タバコを吸いながら、船室と間違えて火薬庫に入り、船が大爆発を起すというギャグでドギモを抜く。 〈G100〉 つづいて、この事件を報じる世界各国のアナウンサーの顔が、フラッシュバックで入るのが、笑わせる。フランス語から中国語になり、しまいには、なんとも分らない言語になってしまう。 〈G101〉 どこか見知らぬ海岸。  クロスビイが、グッタリしたボブを抱いて上ってくる。クロスビイ、冷くなった友人の顔に眼をやって思い入れよろしく、——とボブは細眼をあけてクロスビイの顔をうかがう。クロスビイ、とたんに、ボブの体をほうりだす。 〈G102〉 途中、ボブ・ホープの叔母さんなる幽霊があらわれるが、ボブが、もう少し話をしたいというと、「ジョーダンさんに怒られるから」と言って消えてしまう。このジョーダンさんは『幽霊紐育を歩く《ヒヤ・カムズ・ミスター・ジヨーダン》』(四一年)でクロード・レインズが演じた、幽霊の後見人のことである。これなど、この映画のことを知らなかったら全然わからぬギャグだが、ヤマイコウコウに入っていた映画狂には、これがなんともこたえられぬウレシサなのであった。 〈G103〉 このあと、モロッコへの道筋である砂漠で、ラクダの上でクロスビイ、ホープがうたう「モロッコへの道」は、ホープがラクダの毛をさかなでしたりして笑わせるが「どんな悪人が出て来てもパラマウントはぼくらを殺しゃしない」とか、「行く手には、ドロシイ・ラムーアが待っている」といった歌詞が面白い。 〈G104〉 このあと、王女のドロシイ・ラムーアのうたう「月影は君に似合う《ムーンライト・ビカムズ・ユウ》」も佳曲で、ビングもうたうが、クロスビイ、ホープ、ラムーアの三人が砂漠で歌をうたっているうちに、声が入れ代ってしまい、クロスビイがラムーアの声で、ホープがクロスビイの声で、ラムーアがホープの声でうたうというギャグが傑作だった。クロスビイが『我が道を往く』でアカデミー主演男優賞をとったのはこの翌々年だから、当時は、彼のトボけた演技がもっとも脂がのっていたのである。 〈G105〉 悪 酋 長《しゆうちよう》 カシム(アンソニイ・クイン。今日、屈指の演技派であるこのC・B・デミルの娘婿も当時はインディアン、土人など悪役ばかりだった)は二人を鎖でギリギリ巻きにして砂漠に捨ててしまう。  二人はしばられたまま暴れているが、オーヴァーラップすると、もう平気で砂漠をスタスタ歩いている。ホープが「どうやって鎖が外れたか、お客さんに説明しても信用してもらえないだろう」と呟く。ハリウッドの御都合主義を皮肉った痛烈なギャグである。 〈G106〉 クインの悪酋長の一団が、馬に乗り、西部劇の悪漢一味然として王宮に乗りこんでくると、場面は完全に西部劇スタイルになってしまう。ビングとボブの会話は、完全に西部訛《なま》りになってしまう。 〈G107〉 三人組はうまくモロッコを脱出、客船に乗ってアメリカに帰るが、途中、ボブが巻頭のと同じミスをやったため、船はまたしても大爆発。(オーヴァーラップ)三人はボロボロな恰好で筏《いかだ》に乗っている。突然、ボブ・ホープが狂ったように叫ぶ。 「ああ、こうやって、食糧も水もないままに、おれたちは死んで行くのか!」 クロスビイ「騒ぐなよ。もうニューヨークに入っているんだから」  なるほど、ショットが変ると、三人の背後には自由の女神が大きく見える。もう港に入っているのだ。  と、ボブ・ホープが両手をあげて口惜《くや》しそうに叫ぶ。 「おれの熱演に水をさすな。アカデミー賞が貰えないじゃないか!」  この作品の脚本は、『シンガポール』『アフリカ』とつづけて担当してきたフランク・バトラー(ハル・ローチ・プロの短篇喜劇より出発。『当り屋カンター』『ロイドの牛乳屋』『ダニー・ケイの牛乳屋』など)、監督は(私は見ていないが)、『アリババ女の都へ行く』などでミュージカル物のヴェテラン、デーヴィッド・バトラー、作曲はこれもヴェテランのジミイ・ヴァン・ヒューゼン(作詞のジョニー・バークと共に、『我が道を往く』のSwinging on a Starで四四年アカデミー歌曲賞をとる)だった。  ボブ・ホープの『腰抜け二挺拳銃』がアメリカで公開された時、批評家が〈バーレスク・スラップスティック〉という言葉を使ったというが、この作品などもその呼称がピッタリくるのではないかと思う。ロード・ピクチュアのスタイルは、ここに確立したので、あとはすべてこのヴァリエーションである。 『アラスカ珍道中』Road to Utopia(一九四五)  アメリカでは、一九四五年十二月五日に封切られた。 『モロッコ』以来三年ぶりなので、なぜこういう空白期間が出来たのかということが疑問なのだが、その理由として、㈰アイデアの慎重を期した、㈪ホープが前線慰問で忙しかった、㈫クロスビイが四四年に『我が道を往く』でオスカーをとったため、といったことが考えられるが、いずれにせよ、ドル箱シリーズに三年間空白をつくるなどということは、日本では考えられぬことである。まあ戦争末期なので、悪フザケを遠慮した、というところなのではあるまいか。  今回は脚本が才人チーム、ノーマン・パナマ、メルヴィン・フランクの二人。監督は、のちにマーティン〓ルイス物を多く手がけたハル・ウォーカーである。  この作品の特徴は、物語の解説者がつくことである。フランク〓パナマチームらしい才気煥発《さいきかんぱつ》のアイデアで、演ずるは、アメリカの徳川夢声(ただし、夢声より色気あり)こと、ユーモリストのロバート・ベンチリイ。  巻頭、まずこのベンチリイ先生が黒板の前にモウロウとあらわれ、 「この映画は、とてもアカデミー賞を貰えるような映画ではないデス。映画を難かしく考えるようなおエラ方のために、これからこの映画の説明を私がやるのデス」といったことを述べて消える。  ここは、ニューヨークのボブ・ホープ邸。  年老いたホープ、ラムーア老夫婦のところに、これも老いた旧友クロスビイが訪ねてきて、三十五年前の話に花が咲く。  アラスカのゴールド・ラッシュ時代。  サンフランシスコのあるホテルで一人の男が悪漢にズドンとやられる。フラフラとノビかかると画面はハタと停止。すかさず、ベンチリイ先生、画面の片隅にあらわれて曰《いわ》ク、「これが、いわゆるフラッシュバックです。OK!」合図と同時に画面は動きだし、男はバッタリ倒れる〈G108〉。  銃声をきいて飛んできた娘のラムーアに、男は「おれが発見した金鉱の地図が盗まれた、アラスカのスカグウエイへ行って、旧友ラースンを訪ねろ」といって息をひきとる。  一方、同じ街の小屋では、ビングとボブがショウをやっている。"Good Time, Charlie"といういい歌で、「チャーリーは滑稽な男、実はチャーリーは孤独な男……」という歌詞だったが、これは、私には『黄金狂時代』にひっかけてあるように感じられた。この作品は、あらゆるアラスカ活劇のパロディだからである。  二人は偶然の機会から例の地図を手に入れ、スカグウエイへ行く。ところで、ラースンを訪ねたラムーアは、彼の経営するバーでうたうことになる。(ここでベンチリイ先生あらわれ、「ラースンは怪《け》しからん奴ですぞ。ラムーアに薄物を着せようというんですから。しかし、それもまたヨキですナ」とニヤニヤする。)また、この酒場のレビュー場面で、踊り子たちが踊りながらお尻をこちらに向けた時、画面がとまり、ベンチリイ曰ク、「十分におたのしみ下さい」 〈G109〉 クロスビイ、ホープは地図を二分して各々持っているが、ホープがまず色仕掛でラムーアにその半分を奪われ、つづいてクロスビイがやられる。と、ベンチリイ、画面の片隅に登場して曰ク、「ホープと同じ手を喰ってやがる」すると、即座にクロスビイが、「笑いを奴にとられたかな?」と呟《つぶや》くに至っては、正にセンス横溢《おういつ》、パラマウント調の本領を発揮する。 〈G110〉 ラムーアの色気にダウンしたホープが、彼女を抱いて向うへ行きかけた時、クルリとカメラの方を向いて「ついてくるなよ」 〈G111〉 ラヴ・シーンが最高潮に達すると、雪がホープの熱でとけ始め、物凄《ものすご》い水蒸気が立ち昇る。 〈G112〉 ホープが本物の熊を、毛皮を着たラムーアと間違えて撫《な》でながらいう台詞がふるっている。  「こんな安い模造品なんか着てちゃダメだ。おれと結婚したら、本物の毛皮を買ってやるぜ」 〈G113〉 男二人が魚釣りをしている。クロスビイは魚に好かれて十四匹も釣り上げたが、ホープの方はサッパリ。  クロスビイが意気揚々と引揚げると、魚が氷の穴から首を出していう。 「クロスビイさんはどこへ行ったの?」 「一寸《ちよつと》そこまで……」と言いかけたホープは、びっくり仰天するが、とたんに魚の曰ク、「ねえ、クロスビイさんに十五匹目が待ってるといって頂だい」 〈G114〉 このあとで、ホープを襲った熊が小屋を出る時に曰ク、「魚にばかり喋《しやべ》らせて、オレに喋らせないとは不公平だぞ」 〈G115〉 二人組がソリで雪原を行くと、ジングル・ベルの音楽がきこえて、ソリに乗ったサンタ・クロースがあらわれる。  二人は、なんだ、お子様向きかテナことをいい、「おれたちは大人だよ」  サンタ・クロースが笑いながら、「女をプレゼントしようとしたのに」というと、二人はポケットからガラガラを出して「ダアダア」という。 〈G116〉 さらに行くと、正面に雪をかぶった山があらわれる。   ホープ「ありゃパンか?」   クロスビイ「山だよ」  とたんに山のまわりにパッパッと星が出てパラマウント社のマークになっちまう。   ホープ「やっぱりパンの種だ」 〈G117〉 毛皮を着たラムーアが、ホープの幻想の中でサロン一枚の姿になるのも、南海物の楽屋落ち。 〈G118〉 二人は、ロウソクだと思って、ダイナマイトに火をつける。やがて、気づいて、一大事とばかり窓の外の雪の中に投げ、一安心していると、忠犬が火のついたダイナマイトをくわえて窓から入ってくるという逆手は秀逸。 〈G119〉 が、この映画、最大のギャグはラストにある。  クロスビイとホープは、ずっとラムーアを奪い合っていたのだが、最後に、ギャング一味に追いつめられた瞬間、足元の氷が二つにさけ、ホープ、ラムーアは向う側、クロスビイのみがこちらに残る。いまはこれまでと、クロスビイは二人の幸せを祈ってハンカチをふり、単身ギャングに立向う。  かくて三十五年後——  想い出話は終った。  ホープ、ラムーア老夫妻は、最愛の息子をクロスビイ老人に紹介するという。  ホープに「ジュニア、おいで」と呼ばれて出てきたのは、これはしたり、若きビング・クロスビイ。  ボブ・ホープが情なさそうな顔で、 「養子じゃヨ」  というサゲはまことに秀抜であった。 『南米珍道中』Road to Rio(一九四七)  シリーズ五作目で、今回は南米篇である。原作・脚色はユナイトのターピン物やB・ホープの"My Favorite Brunette"(四七年)のシナリオを担当したエドマンド・ベロイン。フランク、パナマ物ほど才気はないが、サンバ、コンガなど南米調の歌と踊り(アンドリュウス・シスターズ、ウィヤー・ブラザース、キャリオカ・ボーイズ等出演)の味つけが豊富である。監督はヴェテラン、ノーマン・Z・マクロード。  動物が口をきくといった古めかしいギャグはない代りに、話は前回より常識的。 〈G120〉 ビングとボブの名前の間にラムーアの名が割りこんでくるタイトルでまず笑わせるが、つづいて、巻頭、二人の足跡が地図の上を歩きまわって、アメリカ各地の女を蕩《たら》して逃げ廻ったことを示すギャグが秀逸。  地図が裂けて野原があらわれる。逃げて行く二人に発砲した西部の老人が、傍らで泣いている娘に向って尋ねる。「奴の名前は何ていった?」「ジーン・オートリーって言ったわ」 〈G121〉 人足に化けたクロスビイは、ホープを袋に入れて肉に見せかけ、貨物船に乗りこみ、密航を計る。このとき、他の人足のもっている袋に〈クロスビイの馬の肉〉と書いてある。(ビングは競馬好きで馬を持っている。) 〈G122〉 無一文の二人は船中の芸能コンクールで賞金をとろうとするが、クロスビイ、いいところまで行って、猿に賞金をさらわれてしまう。この時、ボブの曰ク、「これがシナトラならなあ……」 〈G123〉 船中で催眠術使いの伯母(ゲイル・ソンダーガード)にあやつられる美女ラムーアに惚れたクロスビイ、上甲板の映画会のスクリーンのうしろでラヴ・シーンをおこなうが、その最高潮のところで背後のスクリーンにパラマウントの商標入りのエンド・マークが出る。 〈G124〉 この催眠術というのは、首飾りのロケットを被術者の眼の前で左右に振って見せるうちに相手を眠りに落してしまうという手だが、一度この術にかかった者が、のちに時計の振子を見ていて、自然と眠りに落ちてしまう。 〈G125〉 サイレント喜劇の手の焼きなおしだが、小型飛行機から多勢の人間がゾロゾロおりてくるギャグ。 〈G126〉 ビングとボブが面白い仕種《しぐさ》をしたとたん、画面外からウーッという唸《うな》り声が入る。と、彼らの曰ク、「ワーナーが嫉《や》いてるぜ」 〈G127〉 伯母は、ビング、ボブの二人に催眠術をかけてしまう。フランス宮廷風の音楽が入り、二人は決闘することになる。作法どおり、ビングがボブに平手打ちを喰わせたとたん、ボブは正気づく。が術のさめぬビングは十歩あるいて振り向きブッ放す。ボブは失神するが、ビングはこの音でわれにかえり、友人にかけ寄って呟く。 「しまった。奴を殺しちゃった。待てよ、こいつ、生命保険をかけていたかな」 〈G128〉 最後に、伯母がまたしてもラムーアに術をかけようとするクライマックスで、ジェリー・コロンナを隊長とする騎馬の救援隊を見せて、カットバックする。さて、間に合うか、とハラハラしてると、クライマックスの方は片づいてしまい、この救援隊(伴奏がまた「天国と地獄」ときている)は物語とゼンゼン関係ガナカッタことが判明する。と、馬からおりたコロンナ隊長、観客に向って曰ク、「どうじゃ諸君、コウフンしたじゃろ」  これは"Ride to rescue"のパロディである。 〈G129〉 今回も、ラムーアを得るのは、ボブの方だ。  フラれたクロスビイ、こんなことはないはずだ、と、そっとホープの部屋の鍵穴《かぎあな》から中をのぞいてみると、なんとラムーアを抱いたホープが、例のロケットを振って彼女に催眠術をかけていた、というのがオチである。 『バリ島珍道中』Road to Bali(一九五二)  五年ぶりに発表された第六作だが、フランク・バトラーの脚本は趣向にとぼしく、楽屋落ちの台詞のみが浮き上ったような恰好である。やはり、いちおう、スラップスティック的なものを用意しておかなければ、一般の人に相手にされなくなってしまう。折角のカラー(本シリーズではこれが初めて)なのに、ショウ的要素にとぼしいのも惜しい。それにクロスビイ、ホープ、ラムーアの老けも大いに目立ってきている。 〈G130〉 クロスビイ、ラムーアがジャングルの中を歩いていると、白人のハンターがあらわれて、撃ち落した鳥をひろって行く。   ラムーア「ちょっといい男ね」   クロスビイ「おれの弟(ボブ・クロスビイ)だもの。当り前だ」 〈G131〉 三人が沼地を行くと、ハンフリー・ボガートが泥だらけになってボートをひいている。(『アフリカの女王』のもじり) 「ヘイ、ボギー!」  と叫んで、かけよると、ボガートはいなくて、草むらにオスカー像が輝いている。 〈G132〉 二人がバリ島の広大な王宮の中を歩いていると、一つの部屋の前に札が下っている。  曰く、「サディ・トンプスンおとまりの部屋」(サディ・トンプスンはモームの『雨』の女主人公) 〈G133〉 二人が土人によって牢屋《ろうや》の中に入れられ、死刑を待っていると、外で鐘が鳴る。   ホープ「ああ、誰《た》が為《ため》に鐘は鳴る」   クロスビイ「あれはイヤな映画だった。ゲーリー・クーパーまで殺しやがった」 〈G134〉 前半で、笛を吹くとカゴの中から蛇ならぬ美女のでてくるギャグあり、吹き方次第で凄く太ったオバサンがでてきたりするのだが、この笛とカゴを盗んできたボブ、ラストでラムーアをクロスビイにとられ、よしそれならばオレは——と笛を吹くと、カゴの中からでてきたのは五一年の『腰抜け二挺拳銃の息子』の扮装《ふんそう》のジェーン・ラッセル。  ところが、彼女もビングの方がいいというわけで、アタマにきたボブ、出てきたENDマークを「まてまて、まだ終っちゃいない!」と叫びつつ押しのける。  アタフタする彼の姿に「ホントの終り」という文字がかぶさる。 『アラスカ』『南米』あたりでは斬新だった、このトリオの〈バーレスク・スラップスティック〉もここではすでにマナリズムに堕しているのである。  これを最後に、パラマウントでのロード・ピクチュアは製作されなくなったが、後述するように、『ミサイル珍道中』という一作が、十年後に他社で作られることになる。  製作の途絶えた理由は、やはり、アイデアのゆきづまりであろうが、もう一つ、この『バリ島』のつくられた五二年頃から、マーティン〓ルイスという、パラマウントにとっては新しいドル箱コンビが抬頭《たいとう》してきたことは見逃せまい。  ロード・ピクチュアにおいては、クロスビイ〓ホープという二大エンタテイナーのパースナリティが何よりも魅力だったわけだが、彼らが友情をもちながらも適当にheelであり、女があらわれるとその友情がたちまちこわれてしまう、という人間臭さにいままでの喜劇にない新しさがあったのだ。 B ボブ・ホープ(Bob Hope)  次に、ボブ・ホープの単独主演作品を見てみたい。  四三年の『腰抜けと原爆娘』(Let's Face It)は、ベティ・ハットン共演で、およそお寒い作品だったが、その次の『姫君と海賊』(The Princess and the Pirates—四四年)は、ゴールドウィン・プロの作品なので、存分にお金をかけ、売りだし中のヴァージニア・メイヨ以下ゴールドウィン・ガールズを総動員し、テクニカラーで彩《いろど》った大作。『アフリカ珍道中』の原案者サイ・バートレットの原作を『悩まし女王』のアレン・ボレツがカーティス・ケニヨンと共に潤色、さらにこれをロード・ピクチュアの脚本を書いていたドン・ハートマン、『五番街の出来事』のエヴァレット・フリーマン、のちに『ナポリ湾』などの監督をやっているメルヴィル・シェイヴルスンの三人が脚色した。喜劇のシナリオは、こうあらねばならないという見本である。才人たちが協力するに越したことはない。  ボブ・ホープの成功した作品のすべて(二つか三つだが)がそうであるように、これはハリウッド十八番の〈海賊物〉のパロディである。従って、『海賊バラクーダ』などでおなじみの海賊役者ウォルター・スレザック、ヴィクター・マクラグレン、ウォルター・ブレナン老、といった一癖も二癖もある連中がクラシックな〈豪傑ぶり〉を誇示している中に、全く現代的なボブが出没する、というアナクロニズムのおかしみを狙ったものである。  若き日のボブはかなりよく動いているが、喜劇役者としてはいかにも〈重い〉。やはり、自分を含めた登場人物たちを言葉で冷やかす時が、もっとも生き生きとしてくるのである。  その昔、ベン・ターピンがマイムで演じたことを現代の芸人であるボブは、舌で演じるわけで、前にも述べたように、彼は主役になるとダメで、主役からちょっとはずれた位置にいる時、もっとも光るのは、こうした芸風のためである。  だから、この作品の中でも、最も印象に残るのは、その種のギャグである。オーソドックスなギャグとしては、 〈G135〉 海賊〈鉤〉が、ガラスの向うにいる(〈鉤〉に変装した)ボブを、鏡に映る己れの姿かと思って、いろいろな仕種をする。仕方なくボブはそれにあわせて手を動かすが、左右をとっちがえたりする、といった、お古いのもあるのだが、後まで頭に焼きつけられるのは楽屋落ち的ギャグである。 〈G136〉 というのは、姫君メイヨを無事、目的地までとどけ、いざ結婚という段になると、俄然《がぜん》、姫君には婚約者がいるという。その〈男〉があらわれると、これはしたり、海軍士官服に身を包んだビング・クロスビイで、彼はメイヨの肩を抱き、ボブは「畜生! もうゴールドウィンの映画には出ないゾ!」と叫ぶ。(この言葉が現実になったことは、前に述べた。)  四六年の『吾輩は名剣士』(Monsieur Beaucaire)は、以前、フェアバンクスの演じたものの映画化だそうだが、つまりは、そういう面白さ。西洋チャンバラのパロディである。 〈G137〉 悪役ジョセフ・シェルドクラウトとの一騎打ちで、ボブの剣の一なぎは横にいた貴婦人のスカートを払って、下着一つにしてしまう。 〈G138〉 最後に善玉、悪玉共に(善玉ボブの恋人ジョーン・コールフィールドをつれて)アメリカへ渡り、ボブは床屋の主人、シェルドクラウトはそこの小僧になる。そこにきたお客が「ジェファーソンという男が宣言文をだすというから、行かねばなるまい……」といった台詞《せりふ》を呟く。「やっぱり自由の天地だ」というような会話よろしく、コールフィールドがカゴの中をのぞくと、そこには毛糸の帽子をかぶった赤ん坊のボブ・ホープが笑っている、というのがサゲだ。  四八年の『腰抜け二挺拳銃』(The Paleface)は西部劇のパロディだが、ボブ・ホープ・ショウのもっとも成功したもの。  ボブが眼だけのぞかせるタイトルからして楽しく、まず、朝の丸太小屋の一景で笑わせる。 〈G139〉 ひげを剃《そ》ろうとすると、頭の上に矢がブスリ。彼は平気でそこに鏡をひっかけ、「いったいだれが矢を射ったのだろう?」と考える。「キューピッド? ウィリアム・テル? リンゴがないぞ……インディアンかな?……インディアンだ!」という独白で、彼の真骨頂を発揮する。  大流行した「ボタンとリボン」(戦後のポピュラー・ソングの歴史はこれから始まる)。テクニカラーでとらえた西部の風景。そして、西部劇のホーカムのボブ・ホープ版のたのしさである。この中の〈人っ子一人いない街路の決闘〉をエイジーはクサしていて、もっと面白くなるはずだという。確かにそのとおりで、スラップスティックとしては中途半端なものである。眼の動きや、捨て台詞を含めて、ボブの面白さは動きそのものにはなく、あくまでアナクロニズムのちぐはぐぶりにあるからだ。なお、この中のギャグの多くをのちにルイスが使用したのは既述した。(この脚本はエドマンド・ハートマン、フランク・タシュリンの書き下し。)  同年の『腰抜け顔役』(Sorrowful Jones)は、日本でも『二挺拳銃』のあと、つづいて封切られたので大いに期待されたが、駄作だった。原作デーモン・ラニヨン、相手役はルシル・ボール。 〈G140〉 たった一つ、笑えるのは、ホープのつれている孤児の女の子が、寝る時、両手をあわせながら、「神さま、オジちゃんに上着をさずけて下さい」と祈ると、横のボブ、すかさず、「ズボンもどうぞ」という。これだけだ。 〈G141〉 もう一つ、ホープがヒッチハイクをやろうとして、車道に足を突き出して、ズボンをまくるもじり(『或る夜の出来事』のコルベールの)が面白かった。  四八年の『腰抜け大捕物』(The Great Lover)は、ボブがボーイ・スカウトになる姿のみで、目立ったギャグはない。  五〇年の『腰抜け千両役者』(Fancy Pants)もつまらぬ作品で、ホープ扮する英国流のバトラー(実はニセ者)と、西部男どもの荒っぽさの対比の面白さが生きていない。 〈G142〉 たった一つ、タイトルで、主演ロバート・ホープ氏(もとボブ)と出、つづいて英国流の貴族のなりをし、モノクルをかけたホープがあらわれ、「予の演技中はセイシュクにいたせよ、百姓ども……」とのたもうギャグのみいただけた。  五一年のヘディ・ラマールとの『腰抜けモロッコ騒動』(My Favorite Spy)は、ラクダに化けたりするクラシックなドタバタで、あまりに古めかしい。同年の『腰抜け二挺拳銃の息子』(Son of Paleface)では、物語とカンケイなく、ビング・クロスビイが現れ、ボブ・ホープが、「パラマウントの性格俳優として活躍する一人です。扶養家族が多いのでねえ」と皮肉るのが笑わせた。  四八年から五一、二年までは、ボブの、映画における人気が最高だった頃で、四九年には全米マネー・メーキング・スタアの一位になっている。その割によい作品がなかったことは認めねばなるまい。もっとも彼はロード・ピクチュアの方で大いに善戦しているから、平均点は高くなるのだが。  むしろ、五三年の『腰抜けMP』(Military Policeman)のような白黒小品こそ、ボブのハッタリズムが生かされていた。 〈G143〉 ギャングの車とまちがえて、ボブが上官の車をメチャメチャにこわし、窓に白ペンキを塗ったくるくだりのシツコサがいい。 〈G144〉 この件で上官に追われているボブが、喫茶店でボクシングのTVを見ながら、無線でそのコツをリング脇の友人に教え、リング上のミッキー・ルーニーを指導する。が、やがて、TVの具合がおかしくなり、あわてていじっているうちに、クロスビイの歌う顔があらわれ、ボブが「悪質な妨害だ!」と叫ぶのが愉快。  五四年の『豪傑カザノヴァ』(Casanova's Big Night)では、カザノヴァ役のホープが運河《キヤネル》の水をしゃくって「キャネルの五番じゃね」という台詞が利いている。五五年の『エディ・フォイ物語』(The Seven Little Foys)はダニー・ケイのハート・ウォーミングの味を狙って及ばず、五六年の『ロマンス・ライン』(The Iron Petticoat)では、イギリスのラルフ・トーマス監督の下で、カサリン・ヘプバーンと組んだ。ヘプバーンがソ連の英雄航空兵になる新版『ニノチカ』で、脚本は珍しやベン・ヘクト。もっとも彼らしい味は、ラストの皮肉(とらえられたホープ、ヘプバーンの恋人同士がソ連に到着すると、支配者が変っていて、二人を逮捕していた悪玉の方が逆に処刑されることになる)のみ。 〈G145〉 この作品でもいいのは、もっぱらホープの軽口である。やたらに「殺す」という表現をつかうソ連兵に向って、「ミッキー・スピレーンを読み過ぎたな」 〈G146〉 ヘプバーンに「変な顔ね」といわれ、「身体《からだ》とセットになってるんでね」 〈G147〉 彼女と仲よくなるため、コミュニズムに改宗したふりをするホープに、ヘプバーンが「あんたみたいに優秀な人物がなぜコミュニストにならなかったの?」と尋ねると、ホープの曰ク、「環境が悪くてねえ」 〈G148〉 汚れた軍服を脱ぎ、すばらしい夜会服であらわれた彼女に向い、「君のミドルネームがシンデレラヴィッチとは知らなかったよ」 〈G149〉 ソ連の殺し屋に「ドッグ・ノーズ!」と罵《ののし》られて、「おや、クロスビイに教わったな!」  同年の『すてきな気持』(That Certain Feeling)は佳作で、五八年の『パリの休日』(Paris Holiday)では製作を兼ね、フランスのフェルナンデルと共演した。フェルナンデルの好色趣味に対し、ボブはもっぱら健康で、最後には空と地上の大スラップスティックを展開したが、この二人には柄でなく、むしろ、フェルナンデルが自分の部屋に出入するごとにサッとカーテンをあげて己れの肖像画に眺め入るギャグの方がピッタリしていた。  五九年の『腰抜け列車強盗』(Alias Jesse James)はホープ・プロの作品(ユナイト配給)だが、滑り出しの面白さ(原作ロバート・セント・オーブリ、バート・ローレンス。脚色ウィリアム・バワーズ、ダニエル・D・ボウシャンプ)は抜群である。無能な保険外交員のボブが口説いて得た大口加入者がなんとジェシー・ジェームスで、保険金を払わないですむよう、ボブはジェシーのボディ・ガードになりに西部へ行く。ここまでが面白く、あとは手が尽きてガタ落ちになる。  ラストのジェシー一派との射ち合いは、『二挺拳銃』と同じ手で、身代りの射撃で敵が倒れる。  この身代りのメンバーが凄く、ゲーリー・クーパー(当ると、"Yap"と呟く)、ロイ・ロジャース、ワード・ボンド……最後にはクロスビイがあらわれ、「いつも世話の焼ける奴だ」と呟く。  こうして見てくると、ボブの二十年間の作品の中で、もっとも私の印象に残っているのは、ことごとくこれ、ビングをサカナにしたり、されたりの部分である。  四五年の『ハリウッド宝船』(Duffy's Tavern)で、本屋の前を通りかかったビングが、ホープの顔を表紙にした雑誌の上に自分の顔のでている雑誌をのせるギャグがあったが、つまり、万事、この呼吸。  スラップスティック役者としては買えないが、司会やジョークにかけては今なおトップの存在で、ラジオ、TVで大活躍していることはご存じのとおりである。  それにしても、友人をサカナにして、何十年も人気を保つなど、やはりアメリカでなければできないことである。彼は単なるパースナリティを越えた、国民的人気者といってよかった。一九五二年に、アカデミー特別賞を得たことなども、この人気ゆえと思われる。 第三章 異端者チャーリー  スラップスティックについて論ずる以上、チャーリー・チャップリン(Charles Chaplin)に触れぬわけにいかないのは常識である。おまけに、彼の作品は、ロイド、キートンのそれとは違って、かなりの数が、我々の眼に触れているのである。その彼について論及するのを、私がいままで慎重に避けてきたのは何故《なぜ》か?  それは、スラップスティック史からみた彼は、所詮《しよせん》、一人のアウトサイダー(何なら〈偉大なる〉という形容詞をつけてもいいが)に過ぎぬと思われるからである。アランはその好著「バルザックと共に」の中で、バルザックの創造した人物の中で医師ビアンションというと、いつもきまって、彼の後姿が心に浮ぶ、といった意味のことを述べているが、私の心の中にいるチャーリーも、また、彼の大半の映画のラストシーン同様、後姿を見せて、アヒルのような歩き方をしながら遠ざかっていくのである。  チャーリーが、アウトサイダーだったというのは、決して単なる形容ではない。  一九〇七年、フレッド・カーノは、入座したばかりの〈貧弱で無口な十七歳の少年〉について、こう述べている。「彼はあまり人好きがしなかった。一週間ぐらい誰とも口をきかずにいる。時々ひどくしゃべることがあるが、だいたいにおいてブスッとして人づきあいが悪かった。まるで坊主のようで、酒は飲まず、月給をもらうとすぐ銀行に貯金をするというふうだった」  この短いポートレートから浮んでくる顔のなんとイヤラシイことであろう。『ニューヨークの王様』のシャードフ王は、空港についたとたん、銀行の預金のことをたずねるが、私はあそこにチャップリンの素顔を見たような気がした。(ことわっておくが、私は必ずしも否定的な意味でいっているのではない。むしろ、その正直さに感心しているのだ。)  一九一三年にキーストン・スタジオにきたチャーリーは、サドゥールによれば、「彼が口を開くたびに、彼の英国流の発音がアメリカ人の同僚たちには気取り屋の極致のように思われた。チャップリンが気取り屋でいつもへだたりのあることを発見した彼らは《ライミー》(貧民区域ライムハウスからきた移民)というアダ名をつけた……」  のちの〈人類の戦士〉チャップリンが、そのスクリーン登場にあたって、〈チェイズ・チャップリン〉なる否定的役柄で現れたことは、頗《すこぶ》る興味深い。チェイズ・チャップリンは、意地悪で、残酷で、怠け者で、色情狂で、傲慢《ごうまん》で、ケチで、怒りっぽく、卑怯《ひきよう》みれんな、まったく破壊的な悪党であった。たとえ、役のうえとはいえ、こうした演技をすすんでひき受けたところに、私は、チャップリンその人の根深いコンプレックス、そして、人間嫌いのアナキストの風貌《ふうぼう》を見るのである。  一九一四年末、チャーリーは遂になじめなかったキーストン・スタジオを去り、エッサネーに移る。ここでの『拳闘』には、すでにバレエ的な動きがあらわれていることを、多くの研究家は指摘している。彼の動きにペーソスが加わってきたのも、この頃だ。  詩人エイジーはこのことを、チャーリーが、サイレント喜劇に魂をあたえた、と述べているが、私にいわせれば、それはただ魂をあたえただけのことではないのである。  たとえば、チャップリン以前、フォード・スターリング時代には(そして、その後も)、追っかけは単に追っかけであった。脱獄囚の集団が町を通り抜けると、アッという間に、その街の店々の看板から店の品物まで一瞬にして消えてしまう。これを追うのが警官だ。それは、私たちが子供の頃やった警官ゴッコとなんの変りもない無邪気な世界である。  が、チャップリンの追っかけはちがう。警官は浮浪者の愛しているキッドを奪おうとする。彼は単にポリ公なのではない。権力の手先であり、イヌなのだ。同じように、『チャップリンの独裁者』のヒンケルの親衛隊は、床屋をつかまえようとしてユダヤ人街を右往左往する。チャーリーの作品における追っかけは、支配階級の被支配階級に対する追跡である。  もちろん、その他に、必ずしもチャーリーの思想に同調しない人をもコロリと参らせてしまう例の〈ペーソス〉がある。  こうして、感情をあたえられたスラップスティック・コメディは、〈芸術〉になり、そのギャグは諷刺《ふうし》的になる。  ふつうのスラップスティックにおいて、巨漢の警官に狙われた小男はどうするか? 彼は警官の足を思いきり踏んづけ、相手のよろめいた隙に顔にパイをなげつける。そして、逆に奪いとった棍棒《こんぼう》で相手の肋骨《ろつこつ》をこじり上げる。  チャーリーが警官に追われた時は、こうである。殴ってくる警官の拳骨を、頭を下げてヒョイとかわす。おさえつけようとするのを、股《また》の下をくぐって相手の後に抜ける。と、彼の前に立ったもう一人の巨大な警官、ものも言わずに殴りかけてくる。間髪を入れず、チャーリーは首をすくめ、警官の鉄腕はもう一人の警官のあごの下へ。  前者においては、警官と小男は、単に一対一の関係にあり、その格闘の面白さは、むしろ物理的なものである。  が、後者はちがう。警官は権力の象徴であり、小男は、ひたすら相手から逃げることのみを心がけているのだ。ゆえに、警官同士の殴り合い、同士討ちは、被支配階級のリューインを下げるというのがチャップリンの発想である。「貧乏人の頬にぶつかったアイスクリームは彼女への同情をよびおこすが、金持の頬にあたったアイスクリームは大衆を喜ばす」という彼の有名な言葉は、彼がこのへんのキビをいやというほど知りつくしていることを物語っている。  ところで、チャップリンのギャグの創造力は凄《すさ》まじい。  子供のころ、日比谷《ひびや》映画劇場のチャップリン大会で、『モダン・タイムス』を見た私は、あまり笑って熱をだしてしまった。つまり、子供にも分るような単純なギャグなのだが(『独裁者』のロードショウを見に行ったら、小学生がキャッキャと笑い転げていた)一つのシーンに立てつづけに三つも四つも炸裂《さくれつ》するので、びっくりしてしまうのだ。  しかし、難をいうと、チャップリンのギャグは、飛躍にとぼしい。唖然《あぜん》とするようなギャグというのは見当らないのである。  たとえば、一九二一年の『キッド』(The Kid)であるが、ジャッキー・クーガン扮する孤児が、コインを入れるとガスが出る機械からコインをほじり出してはまた入れてガスを出す。あのギャグなどは、むろん貧乏人の生活の智恵といった感じがするのだ〈G150〉。  またキッドにおこされたチャーリーが、毛布の大きな穴から首をだし、そのままガウンにしてテーブルにつくギャグ〈G151〉にしても、チャーリー自身の幼い時の痛切な体験ではなかったか? この映画の中で、やや毛色の変ったギャグは、チャーリーがポケットの金を探しあぐねていると、隣に寝ていたスリが無意識のうちにポケットからつかみだしてくれるギャグ〈G152〉であろう。  かけ値なしの名作『黄金狂時代』(The Gold Rush—二五年)は、中学時代だけで三回見たが、ここではギャグ——雪崩で崖《がけ》っぷちまで流され、斜めになった小屋が、チャーリーがシャックリするごとにゆれる〈G153〉、餓えのあまり靴を煮たチャーリーが、靴ひもをフォークにスパゲッティのように巻いてたべ、靴底をたべるときは、釘《くぎ》を骨のように一本一本しゃぶる〈G154〉——よりも、身体から発散するペーソスの方が心に残っている。  発狂した大男が、チャーリーを大きな鶏と思って追うギャグなど、生々しくて、私には笑えなかった。それよりも、ついに現れなかった恋人ジョージアを想って演じる有名な〈小さなパンの踊り〉(ロールパン二つを二本のフォークにさしてダンスをやる)や、山をおりて酒場の入口にたたずんだチャーリーが、賑《にぎ》やかな内部をじっと見つめるあの哀愁にみちたシーンをとりたい。  そういうわけで、私は、彼の〈諷刺的なギャグ〉があまり好きではない。彼の作品や芸は好きだが、ギャグは嫌いなのである。私はむしろ、マック・セネット物からマルクス兄弟に至る〈純粋なギャグ〉、ただ笑わせるためのギャグ、飛躍にみちたギャグが好きなのだ。日本では、しばしば諷刺的な笑い(サタイア)が高く評価され、純粋な笑い(ファース)が軽視される傾向があるが、似而《えせ》非インテリの事大主義というべきで、どっちが上とか下とかいうことがあるものか。  ところで、チャップリンだが、彼には、すっかり〈ヒューマニスト〉というレッテルが貼《は》られてしまっていた。曰《いわ》く、〈哀愁のピエロ〉〈涙と笑いの詩人〉。  しかし、そんなものじゃない。彼の中には、往年の邪悪なチェイズ・チャップリンが息をひそめて生きていたのである。この彼の中《うち》なるヒューマニストとエゴイストは、のちに、二人の極端に誇張された人物の形をとって『独裁者』の中にあらわれてくる。  一九二八年、最初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』があらわれ、ハリウッドはこの新しい武器に飛びついた。そしてトーキーはサイレント喜劇を滅ぼした。 「トーキーは世界のもっとも古い芸術たる無言劇を損うようになった。それは沈黙の偉大な美を滅ぼした……」  チャップリンの新聞声明の一節である。 「私は自分の声が私の喜劇の一つにつくことができるとは思いません」  がここには、新しい怪物トーキーに対する反感(賢明な彼は、それがサイレント喜劇を食いつくすであろうことを、他の誰よりも予知していたはずである)以外に、彼の昔と変らぬ〈英国流の気取った発音〉コンプレックスがなかっただろうか? インターナショナルの名士であるあの浮浪者の口から〈英国流の気取り屋の極致的言葉〉が飛びだしたとしたら!  一九三一年の『街の灯』(City Lights)は強引にサイレントで撮影され、クロース・アップを極度に拒否した作品だった。  三六年の『モダン・タイムス』(Modern Times)は、資本主義産業の非人間性をついた作品だが、ここでも彼は頑強に〈沈黙〉を守っている。放浪者はキャバレーで、無国籍語による〈ティティナ〉を唱うが、彼の声がきかれるのはこの部分だけである。アイデアとしては、クレールの『自由を我等に』からの〈頂き〉が多く、流れ作業のギャグや刑務所でのドタバタなど、ほとんど模倣といってもいいくらいである。この〈諷刺的ギャグ〉でドキリとさせるのは、労働者の食事を早くさせて、ノルマを強化するために考案された自動給食機のテストをする件《くだ》りだ。チャーリーは動けぬように椅子にしばりつけられているのだが、機械が途中で変調を来たしたため、大変なことになる。スープは彼の顔に降りそそぎ、とうもろこしはすごい速度で回転するため、彼はその芯《しん》までかじらざるを得ないのだ〈G155〉。また、一日中ボルトをしめていたチャーリーは、発狂し、街にでて、女のボタンでも、消火栓でも、ひねってしまう〈G156〉。また、トラックからおちた赤旗をひろって歩くうちに、デモ隊がうしろに続き、投獄される、というギャグもある〈G157〉。  しかし、これらがはたしてギャグといえるであろうか。諷刺としてはシャープであり、優秀だが、私には笑えなかった。(この映画を再見した時の私が、大学卒業まぎわで就職が決らず、暗たんたる気分でいたことを割引きしても、だ。)  むしろ、私は、後半のポーレッド・ゴダード(プロレタリアの生気を実によく感じさせた)との共同生活の場面で、変な海水着をきたチャーリーが海に飛びこむと、浅くて、ゴツンと頭を打つギャグや、デパートの手すりのこわれているところでスケートをやる件りの芸に感服した。二十年前の『チャップリンのスケート』(The Rink—一六年)以来、彼のスケートの巧みさは少しも変っていなかった。これこそ芸というものであろう。  ハースト系の新聞はこの作を攻撃し、ナチスはこの作品のドイツ国内での公開を禁止した。チャップリンは、この時、すでにアメリカを去ることを考えていたらしい。  四〇年の『チャップリンの独裁者』は、わが国では、二十年遅れて封切られた。例によって〈言葉〉は極度に制限されているが、チャップリンは、独裁者ヒンケルの〈ドイツ語もどきの無国籍語〉(クサす意味らしい〈シュトンク〉という単語のみ耳に残る)による大獅子吼《ししく》と最後の床屋の大演説においてトーキーの効果を十二分に生かすことができた。そこで聞くことができたチャップリンの声は、英国流の発音ではあるが、非常に細く、美しい、優雅なものである。これは、また、後半で、もう一人の独裁者(ナパローニ)のイタリア系ギャング的米語との対照の妙を発揮するのである。  この作品についての二つの批判(それは、この作品が初めて封切られた当時からあったものだが)——㈰チャップリンは古臭くて見ていられない、㈪最後の演説はなくもがな、不自然である——は、二十代だった私を立腹させた。  なるほど、巻頭で、大砲のヒモを引張ってひっくりかえるチャップリンがでてきた時は、私もオヤオヤと思わざるを得なかった。チャーリーの動きの速度が落ちていることは認めなければなるまい。しかし、二発目の弾丸がポトンと地上に落ちてからの機関銃のようなギャグの速射の凄まじさを見るがいい。いったい、どうして古臭いなどという批評ができるものか。手法的に古臭さを突つくことはさほど難かしい業ではあるまいが、しかしそうしたサイレント喜劇的手法を用いたからこそ、この作品は、時間を越えて生き残り、我々を感動させたのではないだろうか。 〈G158〉 チャーリー(床屋)の放った巨砲の第一弾は至近距離に炸裂する。 〈G159〉 二発目は、砲口のすぐ下に落ち、床屋は処理を命じられる。ここで、三人の上官が次々に命令を伝えるギャグがでてくるが、この三人の帽子が階級が下る順に汚れがひどくなり、四人目のチャップリンの鉄カブトがいちばん汚れているのにご注意。ここらへんは『担え銃』の再登場である。 〈G160〉 つづいて、床屋の投げようとした手榴弾《しゆりゆうだん》が袖から体に入ってしまうギャグがあり。これは、パントマイムの傑作である。 〈G161〉「気をつけ」というと、床屋は銃を隣の男の足の上についてしまう。 〈G162〉 音を生かしたギャグ。廃墟《はいきよ》でトメニアの将校が、機関銃をタタタタと射つと、うしろに床屋があらわれて、戸を同じ調子でタタタタと叩く。 〈G163〉 さかさになった飛行機の中で、鎖時計が直立し、水筒の水が真上に上るギャグが秀抜。 〈G164〉 独裁者アデノイド・ヒンケルの大演説。これはチャップリンの新しい芸で、何をいっているのか分らないのに、実にヒットラーらしい。ひときわ高くわめいたところで、「今のはユダヤ人攻撃です」というアナウンスが入るのが笑わせる。ヒョイと手をあげて群衆の拍手をとめるのもよい。 〈G165〉 ヒンケルががなると、マイクがしなり、またはグルグルと回転する。 〈G166〉 カメラの砲列を前にして、ヒンケルはいやいやながら赤ん坊をだいてみせる。撮り終って赤ん坊を母親にかえす時、ハンカチでそっと手を拭く。オシッコをされたのである。 〈G167〉 ヒンケルの行く道端では、ミロのヴィーナスや考える人までが右手をあげている、というギャグはチャップリンらしくない気の利いたものである。 〈G168〉 床屋が、久しぶりに我が家に帰る。猫が何匹も戸口から追い出されてでてくる。この猫が背中を丸めてケンカしているあたり、無声映画的なヨサである。 〈G169〉 昔ながらのフライパンは、床屋とヒンケル親衛隊との追っかけに登場する。前にも書いた通り、この歩道での〈よろめきバレー〉は、『黄金狂時代』の〈小さなパンの踊り〉や、このあとの〈地球儀の踊り〉に匹敵するチャーリー一世一代の傑作である。 〈G170〉 ヒンケルの登場するシーンは、すべて昔の宮廷喜劇の呼吸だが、ヒンケルが封筒をだすと、おつき武官が舌でなめたり、獣欲にかられたヒンケルが秘書を抱くと、ベルが鳴って、ヒンケル、スタスタと部屋をでていく。このへんの〈人間の機械化〉はナチの戯画としてもっとも鋭い。その非人間性をあますところなくカリカチュアライズしている。 〈G171〉 防弾チョッキや携帯用パラシュートの実験にたちあい、実験者が死ぬとスタスタ去る、タイミングによるギャグもいい。 〈G172〉 寸暇を惜しんで画家と彫刻家のモデルになるが、すぐにベルが鳴ってでていき、画家たちは大クサリ。モデルに立ったヒンケルが左右(画家と彫刻家の方)に交互に首を向けているのが傑作。  そして、このあとにくるのが、有名な〈地球儀の踊り〉だ。ガーヴィッジに「神になれ」といわれたヒンケル、驚いてカーテンによじ登る。ガーヴィッジがでていくと、スルスルと床におりて、広い宮殿の一室で地球儀に見入り、やがて地球儀を手玉にとって踊りだす。猫がマリにたわむれるような優雅な、しかし、悪魔的なバレー。地球儀は「ローエングリン」にあわせて、しずかに、しずかに、空中を上下する。やがて、地球儀は破裂し、独裁者の夢は消える。(サドゥールが、「地球が終《しま》いにシャボン玉のように破裂した時、独裁者はヒステリックな苦痛に襲われて精神が錯乱し、追いつめられた猿のようにカーテンにはい登る」と書いているのは、完全な記憶違いで、前後をとり違えている。)  このほか、床屋が、ハンガリアン・ダンスにあわせてひげを剃《そ》る芸や、親衛隊が床屋の店を爆破したあとヒンケルがひとり(ネロもどきに)ピアノを弾くワン・ショットなどが心に焼きつく。  鶴見俊輔が指摘したように、被害者側もじゅうぶんに戯画化されており、その〈疑心暗鬼〉の残酷なカリカチュア(戸を叩く音に、三人いっせいに大きな箱に足をつっこむ)はいささかサディスティックですらある。特にヒンケル暗殺を計るシュルツ将軍は、その相談のときにも、うっかり、「ハイル・ヒンケル!」と右手を上げて、「いや、いつもの癖がでた」と呟《つぶや》く。彼は逃走する時にさえ、ゴルフ・バッグを手放さないのだ。  じっさい、この作品におけるチャップリンの眼は、神の眼のようである。ナパローニ(がさつな大男)に対する、ヒンケルのコンプレックス。オステルリッツ進駐のかけひきのナマナマしさ、鋭さ。(怒ったヒンケル、マカロニを切ってナパローニにぶつけようとするが、これが切れない。この二大独裁者の対決は、キーストン以来のパイ投げに終る。)オステルリッツ問題のために、国内の対ユダヤ人政策が猫の眼のように変るあたりも妙な凄《すご》みがある。  ラストの民主主義擁護の大演説は、全文を引用したいぐらいの傑作だが、当時、破竹の勢いだったヒットラーを明らかに狂人として描き、ゲッベルス(映画では、ガーヴィッジ)たちのカイライであることを指摘し、その破滅を予言したことは、どんなに賞讃《しようさん》しても足りないだろう。(ゴダールはこの演説をシネマ・ヴェリテの先駆と評している。)  それにしても、『独裁者』のギャグの多さは驚異的である、現実に対する緊張がこれらのおびただしいギャグを生みだしたのであろうが、キーストン以来のスラップスティック・ギャグの集大成の感すらある。そして、〈永遠の放浪者〉が登場するのも、これが最後なのである。ハースト系新聞は再びこの作品を攻撃したが、財政的には大成功をおさめた。  独裁者たちの消え去った年の翌年——一九四六年には、チャーリーは、次の作品『殺人狂時代』(Monsieur Verdoux)を作り始めた。四七年に封切られたこの作品は、アメリカの大新聞、雑誌、批評家の総攻撃を受けた。チャップリンを〈赤〉とまでいわぬ人も、ここにあらわれた皮肉で粋《いき》な殺人紳士の姿には困惑したのだ、あの優しいチャーリーはどこへいったのか!  私にいわしむれば、『殺人狂時代』は〈資本主義残酷物語〉である。パリの大銀行の会計係のヴェルドゥ氏は、三十年間まじめにつとめたあげく不況でクビになってしまう。妻子のある彼は、家族のために、結婚詐欺プラス殺人をおこなって金を稼《かせ》ぐ。初めのうちは成功するが、毒薬の実験に使おうとした失業娘を殺すに忍びず、金をあたえて帰してしまう。ここに現代ピカロとしてのヴェルドゥ氏の弱点があった。  第二次大戦がおこり、大虐殺の時代が始まる。ヴェルドゥ氏は投機に失敗し、妻子は死んでしまう。昔の失業娘は軍需成金の妻になっている。疲れ果てたヴェルドゥ氏は自首し、「一人を殺せば殺人者だが、大量殺人を犯せば英雄だ」の名《めい》台詞《ぜりふ》を残して刑場にひかれて行く。  この作品のテーマは単純なので、つまり、資本主義社会の成功者=戦争屋はすべて〈うまくやったヴェルドゥ氏〉だ、ということだ。ヴェルドゥ氏は、往年のチェイズ・チャップリンの再登場である。彼はチャップリン喜劇の例にもれず失敗してしまったが、もし他人に同情したりしなかったら成功者となっていたかも知れないのだ。個人の幸福が他人の犠牲、不幸、死の上に成り立つという資本主義の根本原理の喜劇的表現が、アメリカで評判のよかろうはずがない。非米活動委員会の問題になり、〈女性関係〉のスキャンダルを用いた攻撃を受けた。この作品は、『モダン・タイムス』や『独裁者』のような大作ではないが、古典的完成をもった秀作である。  ここにはスラップスティックの要素はほとんどなく、カーノ一座で身につけたパントマイムの美しさのみが光っている。たとえば、再三でてくるお札を数える手つきの早さ。殺人の翌朝、二人前のカップを食卓にならべかけてふと気がつき、一人前にするところ。また、煙突から上る黒い煙(焼かれる犠牲者)を背後に庭のバラの手入れをする彼の動き。マーサ・レイを相手にあとずさりして行って窓から落ちてしまう場面の呼吸。湖上でマーサ・レイの首にロープをかけようとし、レイが彼の方を見るとニコッと笑う(チャーリー十八番の芸)あたりのうまさは比類がない。コメディアンとしての生命の燃えつきる(彼はトーキーを拒否することによって、その生命をのばしたのであったが)直前の輝きともいうべき至芸であった。  五二年の『ライムライト』(Limelight)で、チャップリンは再び昔の涙と哀愁の世界に帰っている。素顔のチャップリンは、もう飛んだりはねたりはしない。が、作品中、舞台でカルヴェロ(チャップリン)が、バスター・キートンと演ずるかけ合いや、〈ノミのサーカス〉〈春〉などの天衣無縫の個人芸には、やはりうならされる。 『ライムライト』の完成と同時に、彼は、成功が保証されたので、アメリカを去ろうと考えた。折から、配給権のことでゴタゴタが起きたので、ことは急を要した。  こうして、一九五二年九月十八日、チャーリーはついになじめなかったアメリカを去ったのである。彼の乗ったクィーン・エリザベス号が大西洋にでるや否や、検事総長マック・グラナリーはチャップリンの出国を批難し、〈赤〉の手先である証拠もある、と声明した。  それから五年後の作品『ニューヨークの王様』(A King in New York—五七年)は、アメリカ政府をにくむあまり、アメリカ文明のヒステリックな罵倒《ばとう》と苛立《いらだ》ちに終始した失敗作である。 〈現代生活の不便の一つは革命である〉という冒頭のタイトルも訳が分らぬものだが、王が原子力平和利用を叫んだので革命が起ったというのは余計分らぬ。チャップリンも、ずいぶん、ナマったものである。王様がニューヨークについてから、シネスコ映画を見る件りの〈アメリカ映画の予告篇《へん》のセンセーショナリズム〉のパロディは面白いが、ロックンロールのパロディなど、まるでなっていない。あるものをパロディ化する時、その批判者はじゅうぶんにその〈あるもの〉を知った上で真似し誇張するのでなければ効果が上らないのである。しかしチャップリンはただいたずらにキチガイ沙汰として攻撃するだけなのだ。〈ニューヨークのナイトクラブ〉のセットの古めかしさ(それは、この映画のタイトルからしていえることだが)は、ほとんど一九二〇年代を思わせて、噴飯ものである。チャップリンの筋金入りの古めかしさの〈筋金〉が抜けて、ただの〈古めかしさ〉になってしまっているのである。  もっとも〈チャップリン史〉的に見れば、冒頭の旅券の件りに一九一七年の『移民』あり、少年の件りに『キッド』あり、また若い娘を見てもう二十年若ければ、という『ライムライト』ありで、結構面白いが、内容的には支離滅裂もいいところだった。(ただし、チャップリンの好色趣味がこのくらい露骨にでた作品はあるまい。若い娘好みや別居している妻のことなど、私映画的感じが濃い。)  ただ、バス・ルームのぞきの件りの芸(大使に見つけられてニコリと笑う十八番芸。そして、シャワーの音に、鍵穴《かぎあな》に飛びつく早さ!)と、「どんな政府もきらい」「権力も嫌い」という無政府主義の少年の姿にチャップリンの面目を見るのみである。  古色蒼然《そうぜん》、どうしようもないが、実におかしかったのは、一流ナイトクラブのショウに、往年のキーストン・コメディの芸がでてくる(こんなことがあろうはずはない!)場面で、雀百までと思わせた。  チャップリンが映画史上、屈指の大監督であり(一九五八年、ベルギーのシネマテーク発表——二十六ヵ国の映画関係者百十七人の選出による——の映画史上の最優秀映画において、彼の『黄金狂時代』が『ポチョムキン』に次いで二位になっており、最優秀監督十二人の一位になっている)名優であることは言うをまたないが、スラップスティック史の面から見た彼は? ——ときかれたら、私は、次のように少女みたいな答え方をせざるを得ないのである。曰く、 「きらいで好き!」  ——と。      *  一九六〇年に『チャップリンの独裁者』が本邦初公開されてから十年余のあいだに、私は、キーストン社時代の『醜女の深情』から、エッサネー社時代の作品の一部、ミューチュアル社時代のほぼ全部、『サーカス』、『街の灯』などを見ることができた。これで、主要な作品は、戦後世代にとっても、ほぼ見ることが可能になったといえよう。  私が初めてチャップリンを見たのは、戦前に、『モダン・タイムス』と『街の灯』を二本立てで日比谷映画劇場で再上映(だろうと思う——)したときだが、小学校下級だったので、画面の細部の記憶は不確かである。  強烈な印象を受けたのは、戦後すぐに公開された『黄金狂時代』であり、映画というものは、こんなに面白いものかと驚歎《きようたん》した。  にも拘《かかわ》らず、チャップリンの作品が、一つの神話としてのイメージを形成できないのは、チャップリンひとりにスポットライトが当っているような画面のつくり方にあると思うのだが、『キッド』、『黄金狂時代』、『サーカス』(これはリスボンで見た)といった作品は、必ずしもそうとも言いきれない。  そして、このような作品の場合、必ず、異様なイメージが画面にあらわれる。 『キッド』における楽園の夢がそうであるし、『黄金狂時代』の靴をたべるシーン、〈小さなパンの踊り〉、巨大なニワトリの幻想がそうである。『サーカス』は、チャップリン自身が好まぬ作品らしいが、なにかというとチャップリンを追いかける悍馬《かんば》や、ライオンの檻《おり》に閉じこめられる件りは、やはり、悪夢を想わせる。  このようなイメージが湧《わ》き出たときは、チャップリン自身、もっとも乗っていたのではないかと私は思う。それに、いかに彼がパントマイム芸を見せようと、『黄金狂時代』の主役は雪山である。彼のみにスポットが当るというわけにはいかない。 『サーカス』は、浮浪者の、道化師としての出発を描いているが、その芸のヴァイタリティと、自己中心主義、そして自己陶酔的な〈女性への献身〉をふくめて、後年の『ライムライト』の前篇と呼ぶにふさわしい。 『街の灯』は、チャップリンのパントマイム芸を見るための、そのためだけといってよい作品であり、内容は、まあ、松竹新喜劇である。(いや、松竹新喜劇をはじめ、大半の日本のセンチメンタル喜劇が、この作品の影響を受けているのだ。日本の喜劇人は、チャップリンの倒錯的自己陶酔癖だけを受けつぐ体質をもつようである。)ただ、トーキー時代がきているときに、むりにサイレント喜劇をつくる、その苦渋と不安が画面から感じられるのは興味深い。 『モダン・タイムス』は、機械文明への批判云々といった意味づけがされるが、ここでも見るべきはパントマイム芸である。  工場の流れ作業が果して苦しいものか——これに関しては、かつて佐藤忠男が、自分の経験した範囲では、流れ作業はラクなものである、と「日本の映画」の中で、きわめて即物的なアンチテーゼを提出していた。無視できぬ発言であると思う。  もはや、社会の被害者として、主人公を扱うのがムリになったのが、『街の灯』、『モダン・タイムス』の苦しさであり、だれよりも、それを知っていたのは、当のチャップリンであろう。トーキーもさることながら、浮浪者にとって十八番の動きをアニメートしたウォルト・ディズニー漫画に、チャップリンが大きな衝撃を受けたことは、チャップリンの息子の一人が書き残している。  かくして、永遠の被害者だった小男は、〈加害者〉ヒットラーと〈被害者〉床屋に、核分裂する。これが『チャップリンの独裁者』のユニークなゆえんである。  もともと、チャップリンは、友人のサミュエル・ゴールドウィンをして、「彼ほど権力を愛している人間はいない」と言わしめたほどの権力愛好者であり、また、ロリータ・コンプレックスをもつ〈変質者〉でもあった。(彼の愛人の中には、本当に、〈ロリータ〉という名の少女もいた。) 『殺人狂時代』において、彼は、この〈加害者〉と〈被害者〉を一人の紳士のうちに統一してしまう。チャップリンの作品のうち、一つといわれれば、私は、おそらくこの渋い秀作をとるだろう。  自分のマスクのもつ本質的な〈いやらしさ〉を逆用し、女蕩《おんなたら》し的殺人者として居直ることによって、彼は芸術家としての自己を昇華させた。パントマイム芸もここで鮮かな完成を見せる。  やがて、『ライムライト』によって彼は、芸人としての終りを宣言するのだが、チャップリンについて学ぶべきは、その不屈の持続力である、というのが、永遠に書かれぬであろう私のチャップリン論の結論である。 第四章 その後のスラップスティック アメリカ フランス ソ連 日本 アメリカ  一九六〇年ごろのハリウッドで、スラップスティック・コメディを本気で作っている監督を探し出すことは至難の業であった。  もちろん、ノーマン・Z・マクロードとかジョージ・マーシャルとかいった古い監督を除いての話だが、スラップスティックはシチュエーション・コメディの一部に趣向としてとり入れられる程度だった。いわゆる〈軍隊喜劇〉というやつがその例で、アンディー・グリフィス物、『八月十五夜の茶屋』『Z旗あげて』などがそうである。また、ある種のミュージカル(たとえば『掠奪《りやくだつ》された七人の花嫁』)は明らかに、このアメリカ映画最大の遺産を継承しているように見受けられた。  プレストン・スタージェスは、この方面でも有望な人物だったが、渡仏して、アメリカ映画の仕事はほとんどしなくなってしまった。  やはり、この時期のものといえば、ビリイ・ワイルダーの『お熱いのがお好き』(五八年)にとどめをさすだろう。ワイルダーがこの種の喜劇を手がけたのは、『第十七捕虜収容所』(五三年)からである。これはスラップスティック・コメディとは称しがたいが、いま一歩というところまでいっていた。ロバート・シュトラウスとその相棒の扱い方など、完全なスラップスティック調で、特に、二人組がソ連の女兵の入浴をのぞくために、白ペンキでデタラメな線をひきながら近づいていく趣向は、ローレル〓ハーディの脱獄ペンキ屋(『刑務所の二百年』)からいただいたのではないかと思われるくらいだ。 『七年目の浮気』(五五年)も一種のスラップスティックだが、主人公が妄想《もうそう》の中で、マリリン・モンローを相手にくりひろげる〈激しい恋〉が笑いを呼ぶ。  そこへいくと、『お熱いのがお好き』は、ほぼ完全なスラップスティック・コメディである。往年のギャング映画のパロディといいたいところだが、パロディというにしては、一九二九年という時への回顧趣味があまりに濃厚である。ところが、ビリイ・ワイルダーが渡米したのは三三年で、二九年当時はまだアメリカにいなかったのだから、事情はややっこしい。むしろ、ギャング映画、および当時の風俗への回顧趣味にドップリ浸ってつくったスラップスティックといえよう。ジョージ・ラフトも悪くないが、この映画でいちばん面白いのは、ジャック・レモンとJ・E・ブラウンがタンゴを踊る場面で、ジャック・レモンがくわえていたバラの花が、ブラウンがこちらを向いた瞬間、彼の口にうつっているシーンは思わず爆笑させられた。  この作品には、かけ言葉のギャグが多く、〈イタリア・オペラ友の会〉の入口で、ジョージ・ラフトの一行がゴルフ・バッグを調べられ、クラブを一本一本出していくうちに、マシン・ガンがでてくる。 「こりゃなんだ?」 「マシーじゃよ」  ——といった調子で、これは私のように俗語《スラング》に弱い(実は、俗語以外の英語にもヨワいのだが)者には、よく分らないのであった。 フランス  私はミッシェル・ボアロン監督の喜劇が大好きであった。ベベとかドモンジョとかいった女優さんを使っていながら、どこかコカ・コーラの匂いがしたからである。『お嬢さんお手やわらかに』(五八年)など、若い世代のみのもつ爽やかさ、香りのいい風がスクリーンから吹いてくる感じが何ともいえず、特にプールのシーンと、ドモンジョ、プチ、ササールとアラン・ドロンの大乱闘には瞠目《どうもく》した。パスカル・プチの幻想シーンなども流行曲「ダイアナ」が鳴りひびいて大いに笑わせた。尼さんがスクーターに乗って疾走するのを、子供が二人、見送るあたりの感覚は、大変なもので、アクションで笑わせようという意気ごみがたのもしい。  ボアロンはルネ・クレールの影響を受けて出発した(クレールが『夜の騎士道』を二班に分けて撮影した時、一方の主任だった)のだが、フランスの喜劇に触れる時、もちろん、クレールのそばを通り抜けるわけにはいかない。ジャック・タチの『のんき大将・脱線の巻』(四七年)は、アメリカのスラップスティック・コメディから多くのギャグをいただいているが、それと同じくらいの影響をルネ・クレールから受けている。始めと終りに祭りの道具を積んだトラックを少年がピョンピョン飛びながら追うシーンがある、このようなリフレインの効果的な使用法はまったくクレールの影響(『巴里《パリ》の屋根の下』『巴里祭』)なしには考えられないものである。  ジャック・タチという人は、よくよくスラップスティックが好きらしく、そのことは『乙女の星』(四五年)の犬をつれた〈白い猟人〉の優雅なサイレント風の演技からもうかがわれるが、『のんき大将』における彼の登場シーンはまことに鮮かであった。  自転車に乗った郵便配達夫が両手をハンドルから離し、わけのわからぬ手ぶりをしている。やがて、蜂《はち》の羽音がきこえ、そのイミが分るのだが、この蜂のテは古典的スラップスティックの一つの型といえよう。 〈G173〉 ローレル〓ハーディの『極楽槍騎兵』のラストでインドの蜂が、敵である土民軍のみならず、味方まで刺して、スコットランドの一大隊がスカートをヒラヒラさせながらスコットランド風の踊りを踊り出す——のなどもこのギャグの拡大である。 〈G174〉 同じ『のんき大将』で、二人の僧侶《そうりよ》が鐘をついているうちに、一人が用事ができて駈けだして行ってしまうと、残った一人が綱ごと宙へ上ってしまう、というギャグもあった。新手のギャグこそなけれ、タチは古いドタバタ喜劇のギャグを片っぱしからノートしておいて、ぶちこんだものと思われる。(なお、この作品は、四九年度ヴェニス国際映画祭脚本賞と五〇年度フランス映画大賞を得ているが、この辺が彼我の認識の相違で、我が国だったら、スラップスティックというだけで予選ではねられてしまうだろう。)  第二作『ぼくの伯父さんの休暇』(五二年)は淡彩の小品だが発表時の評価はヨーロッパでは高く、しかし、日本ではその次の『ぼくの伯父さん』(五八年)の方が先に封切られ、評判もよろしかった。この作品は子供が副主人公なので、スラップスティック特有の残酷さの欠如という根本的弱点があったが、伯父さんの買物カゴの中の魚を見て犬が唸《うな》ったり、噴水の魚が一度水をひっこめて、もういっぺんプッと吹き上げて、とめるギャグなどすこぶる優秀であった。中でも特筆すべきは、子供たちが通行人を電柱にぶっつけようと苦心する件《くだ》りで、思う方向に獲物が行かないと、先廻りしてその行手をホウキではいて埃《ほこり》を立て、相手はびっくり、脇によけた途端に電柱に衝突——というギャグ。  マルセル・カルネの『遥《はる》かなる国から来た男』(五五年)は、クレールの影響さらに濃い作品である。詩的スラップスティックとでもいうべき佳作で、主演はジルベール・ベコオ。ダニー・ケイばりの一人二役喜劇(女蕩しの小悪党と気の弱い善人)である。  クリスマスカードみたいなアイリス・インに始まるファースト・シーンから、アイリス・アウトで終るラストまで一貫した画調で、色つきのお伽話《とぎばなし》、それも『乙女の星』みたいな、優しくかわいい物語で、コクトオやアラン・フルニエの小説の気分が横溢《おういつ》している。  この作品は、音楽や音がギャグになっている例が非常に多い。 〈G175〉 やさ男の方のベコオを、不良三人組が露地にひっぱりこむ。真暗闇でドラム・ソロをきかせ、やがて、三人組は意気揚々とでてくる。……あとの方で、今度はまちがえて、悪い方のベコオをひっぱりこむ。再びドラムが鳴りひびき、今度はベコオがおもむろに手をはたきながら現れる。 〈G176〉 登場人物が電話をかけているその相手を異様な雑音であらわす。  ところで、肝心のクレール先生の方はどうかというと、これがどうも香《かんば》しくない。『夜ごとの美女』(五二年)はまだしも(これにしても、往年の機智縦横、アレヨアレヨといわんばかりの奔放さはなく、なによりもスピードとリズムの失われたこと、そして新しいギャグのないことが痛感される)、『夜の騎士道』(五五年)にいたっては、キリンも老ゆれば何とやら、気の抜けたシャンペンみたいな映画である。オムニバス映画『フランス女性と恋愛』(六〇年)中の先生の担当は、『結婚』であるが、驚くべし、そのなかのギャグは彼自身使い古し、手垢《てあか》のついたものばかりだ。  たとえば、女のハイヒールを持った男が汽車の通路をウロウロすると、子供たちがのぞきたがり、大人がそれを叱る。『巴里祭』で、アナベラ、ジョルジュ・リゴオの接吻を行列を作った子供たちが珍しげに眺め、父親がそれを叱る場面があったのを憶えていない映画ファンはあるまい。これは、『巴里祭』の中で二度くりかえされたが、『夜の騎士道』でも、ジェラール・フィリップにみとれている孤児たちを尼さん(だったか?)がひっぱって行く同じ手があった。  また、ガラスの向うのゼスチュアだけの喧嘩《けんか》(声がきこえない)は、『巴里の屋根の下』『夜ごとの美女』『夜の騎士道』と使われ、今回で四度目のおつとめである。雑巾ならとっくに擦り切れているであろう。  コメディアンのことになると、ノエル・ノエルの主演物が見られないのが残念だが、フェルナンデルは日本に輸入されたかぎりではあまり面白くない。デュヴィヴィエの『殺人狂想曲』では大いにドタバタしたが、一般的にいえば、下品で、動きのノロいコメディアンである。  むしろ、私は、より現代的なダリー・コウルに期待をかけていたのだが、主演作品がきていないので何ともいえない。しかし、『巴里野郎』(五五年)のお皿を割る実存主義学生いらい、彼は見る毎《ごと》に面白かった。初期のダニー・ケイみたいな精神分裂症の感じだが、『裸で御免なさい』(五六年)ではドタバタの方もなかなか良かったと思う。つっかえながら何度も言い直す喋《しやべ》り方と、転ぶと必ずあのヤボな鉄ぶち眼鏡にさわって、こわれていないかどうか確かめるのがよろしい。  フランス以外のヨーロッパ諸国では、やはり仁輪加芝居《コメデイア・デラルテ》の伝統のあるイタリアが目立っている。喜劇王トト(六七年死亡)の作品はついにわが国では見られないでいるが、アルベルト・ソルディは『ベニスと月とあなた』(五八年)でその力量を示した。スラップスティック役者としてはスピードに欠けているが、エネルギーはある。そのあたり、一時期のフランキー堺に似ている。  イギリスのノーマン・ウィズダムは五三年の『ノーマンのデパート騒動』が紹介されただけで、実力のほどはわからない。 ソ連  現在、ソ連で、喜劇がつくられているかどうかは知らない。  が、スターリン死後の〈雪どけ時代〉——五六年に作られた『すべてを五分で』は面白い作品だった。ソ連映画だというので敬遠した向きも多かったろうが、これはちょっとしたものである。  ミュージカルと銘打っていたが、もちろんMGMのアーサー・フリード物などに比ぶべくもない小品。むしろ、音楽入り喜劇というべきである。ソ連映画は割にヌケヌケと〈頂き〉をやる。『汽車は東へ行く』という喜劇など、まったく『或る夜の出来事』の換骨奪胎で、あきれたものであった。『すべてを五分で』は、〈頂き〉はないが、アメリカのミュージカルなどを懸命に勉強した形跡濃厚で、微笑《ほほえ》ましかった。  アナトーリイ・レーピン作曲(五六年度モスフィルム作曲賞)のジャズに始まるタイトルからして、大いに軽い気分をだそうとしており、快適なリズムが、ゴーゴリ風の(官僚主義への)諷刺《ふうし》とマッチしているのが珍しかった。  内容は大いにクダけたパーティをやろうとする連中が、頑迷コチコチな図書館長と戦う話。 〈G177〉 館長が、ジャズなど飛んでもない、老人連中を呼んでクラシックをやれ、と命じる。やがて、会場には白髪のヨボヨボなジイサンたちが現れ、荘重なクラシックをやり始めるが、途中から突然ジャズにかわる。つけひげやカツラをとると、これがみな、青年たちで、館長は仰天する。 〈G178〉 青年の中に奇術の名人がいて、口うるさい館長を箱に入れて消したり、館長の演説原稿を鳥に変えたりする。  このほか、館長が漫才のやりとりが〈不合理〉だとケチをつけて、一幕をメチャメチャにしたり、日頃お堅い天文学の教授が酔っぱらってマンボを踊ったりするのも面白かったが、ラストがまたいい。 〈G179〉 怒った館長が上司への報告書を秘書にタイプさせる。が、その口述が、マイクで筒抜けに一同に伝わり、一同がゲラゲラ笑っているうちにエンド・マークがでる。  と、エンド・マークの後に、館長、オタオタと現れて、「私はこの映画の内容について、個人的には何の責任も持たないのであります」とことわる。『女はそれを我慢出来ない』(五六年)のラストでロックンロール歌手に転向したエドモンド・オブライエンのギャングが、「お好みなら、いつでも私のおそるべき美声をおきかせするデス」と言うのと同じテだが、このソ連製の方がパンチが利いていた。 日本  サイレント時代の斎藤寅次郎の作品は、〈喜劇の神様〉の名に恥じぬ天才的なものであるらしいが、戦後はとんと振わない。『仇討珍剣法』(五四年—松浦健三郎・脚本)あたりがマシな方であろうか。その中のギャグの一つが〈G68〉であるが、さらに『黄金狂時代』の宙吊《ちゆうづ》りを複数でやるギャグも見られていた。 〈G180〉 崖《がけ》っぷちの小屋に伴淳三郎、アチャコ、キドシン、キートンの四人がぶら下ってしまう。はじめは一人で、それを助けようとして、どんどん人数がふえてしまうのだが、この生命の危険のさなかにあってもキドシンのスリはキートンの財布を抜きとるのを忘れなかったりする。(ただし、三人ぶら下っているわけなのに、ロング〈トリック撮影〉になると四人ぶら下っていたりするのは、ひどいブチコワシだ。)それから不愉快に感じたことは、半鐘が落ちてきてアチャコが土の中にもぐってしまうギャグがあるが、ようやく這《は》いでたアチャコの着物に土が全然附着していない。いくらアチャコがスタアにせよ、この献身性の無さは腹立たしい。同じ斎藤コメディでも、小倉繁は泥まみれの熱演をしていた。こうした怠け者精神が喜劇を衰弱させるのである。コメディアンは、何はさておき献身的たるべし。それにしても、寅次郎さんが往年の自分の前衛的業績を誇らぬどころか、まるで記憶していないというのは、どういうことだろうか。  スラップスティックというと、川島雄三の名を逸することはできない。かつて『オオ、市民諸君!』(四八年)という小佳作をつくり、五五年の日活入社第一作『愛のお荷物』では、凄《すさ》まじいセンスの噴出を見せた。原作はアンドレ・ルッサンの『赤ん坊頌』(五六年、フランスでミシェル・ボアロンが映画化している)だが、邦画では木下恵介の『お嬢さん乾杯』(四五年)以来もっとも笑える喜劇になっていた。当時、まだほとんど無名だったフランキー堺がオタフク風のドラマーを珍演していたのも記録に価いする。  三橋達也の息子の家出の前後のスラップスティックもいいが、最後に女性全員がツワリで倒れ、コマ落しになる、あの呼吸はあっけにとられた。  五七年の名作『幕末太陽伝』は、「居残り佐平次」「品川心中」「五人廻し」「三枚起請《きしよう》」「お見立て」の五つの落語をネタに、田中啓一、今村昌平、川島雄三が脚本を書いている。B級コメディの主役だったフランキー堺が主役にばってきされ、裕次郎、小林旭がチョンマゲで出てくるという記念碑的作品だが、雑草的人物の生きる悲しさとでもいうものが滲《にじ》みでているのにもかかわらず、カラッとした上りで、随所にスラップスティック調が見られた。この当時のフランキーは今よりやせていたので、実によく動き、しかもその動きには快適なリズムがあった。  市川崑《こん》の『プーサン』(五三年)、『億万長者』(五四年)、『満員電車』(五七年)等も記さないわけにはいかない。『億万長者』の、原爆製造におびえた木村功がコマ落しでアッという間に東京から沼津まで走ってしまうギャグなど、まことに優秀である。  中平康《なかひらこう》の『牛乳屋フランキー』(五六年)は見ている人がすくないが、これは『のんき大将・脱線の巻』がそうであったように、現代にマレな完全なスラップスティックである。スピーディで、その面白さといったらなかった。私は日本映画史に残る傑作だと考えている。  長州の堺ナニガシという老人の孫が、親せきの牛乳屋の危機を救いに上京し、見事店を再建する——というだけの話だが、ギャグがギッシリ詰ってい、一時間二十分(スラップスティックはこのくらいの長さがちょうどいい)アッという間に過ぎてしまう。  巻頭、孫の上京を見送りに〈ステンショ〉にきた堺老人(フランキーの二役だが、このフケがいい)が、小手をかざして、「おお、オカ蒸気がきた!」というのがまずおかしい。以下、石原慎太郎に似たブーチャンの太陽族(といえばこの年の夏に、中平はその最初のヒット作『狂った果実』をだしていたのだが)がでてきて、障子を破り、女にスイミン薬をのませて、〈皿屋敷〉ばりに、「一枚、二枚」とぬがせる(『処刑の部屋』のパロディ)ことを夢想しながら、自分が飲んでしまう。また、一人一殺と称する御維新生き残りの老人が登場したりする。フランキーは、ディズニー漫画の動物のように、献身的・肉弾的に動いていた。牛乳をガンベルトみたいに腰のまわりにさして、両手で二挺拳銃を扱うように、クルリクルリと抜きながら配達するのもよかった。当時、この作品を推賞したのは、飯島正ただ一人だったように記憶している。  これ以来、フランキー、ブーチャン、小沢昭一のからみというのは、日活の名物になった。これをさらに活用したのが、一連の軍隊喜劇(軍隊に題材をとっていながら、いわゆる〈二等兵もの〉的イヤラシサがまったくなく、乾いていた)で、故柳沢類寿が脚本を書いていた。この後の日活の一連の都会喜劇の源流はこの兵隊喜劇のヒットにあるように思う。  五八年の『東京野郎と女ども』は、この柳沢脚本に監督吉村廉《よしむられん》、実にスマートな都会風俗喜劇だった。巻頭、田舎の大学の卒業式で、卒業生柳沢真一をとり囲んだ学生たちが、「ヤレン、ソーラン、ソーラン、ソーラン、ソーラン、ソーラン」とうたうと、中の柳沢が「ハイハイ」とうなずくギャグには腹を抱えた。失業した柔道有段者の柳沢がシスターボーイ修業をする話で、性の倒錯という都会風俗を扱っていながら、タッチはスラップスティック。ラストのギャングとシスターボーイの乱闘など実に悪趣味で笑わせた。  また、『東京野郎』ほど奇想天外ではなかったが、同年の『大阪娘と野郎ども』(春原政久監督)もかなりの佳作。ゲテモノ〈前衛芸術〉グループの出世談で、イカサマ師ほど流行する当節の文化界を諷刺していた。  巻頭、窓外の景色がハゲ頭に写っているギャグでまずドギモを抜き、作家志望の若水ヤエ子、中島そのみ、小沢昭一らの東京乗りこみとなるが、小沢昭一のロカビリー狂の坊主が出色のできばえであった。  ラストは、お決りのギャングとの乱闘になるが、この最中、若水ヤエ子が小説を書きながら、もう一方の手にもったビールびんでギャングの頭を殴るギャグがよろしい。  同年の春原政久の『酔いどれ幽霊』もしゃれた小品だった。仲間に消されたギャングの幽霊(西村晃)が気の弱い青年(柳沢真一)を使って復讐《ふくしゆう》を計る——という筋は平凡だが、この幽霊がノンベエで酒が入ると調子が狂うのがアイデア(ダニー・ケイの『天国と地獄』に似ているが)である。  幽霊が、柳沢の独身のアパートがあんまり殺風景だから少し飾ってあげます、といって、お葬式風に飾ってしまい、柳沢がクサる一幕が秀逸。また、柳沢が「あーあ、オレはツイてねえなあ」と溜息《ためいき》をつくと、幽霊が「いや、おれがついているよ」といいかえすあたりの、トンチンカンな会話もよく利いていた。  沢島忠はミュージカル時代劇の作者ということになっているが、喜劇的センスもなみなみならぬものがあった。  代表作『殿様弥次喜多』は見落したが、もう一つの佳作『地獄の風車』の方は見た。これは大友柳太朗の右門物なのだが、全篇《ぜんぺん》、これ時代劇のパロディとなっていた。  たとえば、人物の会話は全部現代語であり、堺駿二のおしゃべり伝六が犯人追跡のトレーニングをやったりする。そのオカシサは、ラストの釣をしている右門の落ちつきはらった姿(これが何ともいえずオカシイ。つまり、その名人風の構え方が、である)において絶頂に達する。ザ・ピーナッツの歌に入る呼吸が水際立っているとか、群衆が活き活きしているとかいった見事さとは別に、そのパロディ精神に大いに感心したものだ。  こういった精神をミュージカルにではなく活劇に生かしたのが、岡本喜八である。 『独立愚連隊』『暗黒街の対決』『独立愚連隊西へ』は痛快無類な活劇であると同時に、活劇映画のパロディであった。したがって、彼の作品には、笑いが多い。登場人物が、現代語(例・『独立愚連隊』の「いったい、どうなってんだ?」)を盛んに使うところも、沢島忠に似ている。もっとも、『大学の山賊たち』のような喜劇になると、かえって冴《さ》えず、一向に笑えないというのも興味深い(〈G46〉参照)事実である。 終章 喜劇映画を作ろう!  まず、読者におことわりしておかねばならないのは、この章のみは、一九六〇年に書かれた原型のままであることである。無理に楽天的になろうとつとめているこの章は、本書全体の調子を乱すものであり、定本をこころがける以上、章全体をカットするのが、あるいは、正しいあり方かも知れない。  だが、そのようにした場合、私なりの同時代者への呼びかけという、そもそも、この評論が、初めからもっていた側面を切りすてることになり、また、本章で私がこまかく指摘している幾つかの芽が一九六〇年には確実にあったという記録をも抹消《まつしよう》することになる。以上のことを考えあわせた上で、少なからぬ恥しさをしのびながら、あえてこの章を、原型のままで提出することにした。  この評論のはじめの予定は、トーキー以後の喜劇映画(主としてアメリカの)衰亡のあとを辿《たど》ることであった。  辿りながら、なぜこのように衰退したのかその原因を探り、そして文字どおり不毛というよりほかない現状の中で、どうしたら新しい喜劇がつくりだせるかを考えてみようということだったのだが、前章まで書いてきた私は、ふと次のようなことに気づいたのである。  すなわち〈衰退〉しているのは、欧米(特にアメリカ)であって、こと我が国に関する限り事情はいささか異るという事実である。  というのは、米、仏の場合は、かつて〈黄金時代〉が明確に存在していたわけだが、我が国においては、戦前の松竹蒲田時代の斎藤コメディ、および一時期のエノケン映画を除いては、喜劇の全盛時代というようなものは決してなかった、という一事である。  そして、前章に列挙したような、川島雄三、市川崑、中平康、沢島忠、岡本喜八というような才能のある作家達が非常に脂の乗った仕事をつづけている現在は、喜劇映画の復活を願う者にとって、それほど悪い時代とはいえないと思うのである。  また情勢としても、ともかく、毎週、どの会社かの封切館では〈爆笑コメディ〉と称するものが上映されているということは、とりもなおさず、会社のお偉方が、そういった〈爆笑コメディ〉が観客に受けることを知っており、そういうものをつくる気になっているということだから、これも決して悪くはない。(そんなことはアタリマエじゃないか、といわれるかも知れないが、私たちが本気で面白い喜劇映画をつくろうと考えるならば、こういったアタリマエの事実を一つ一つ確認していかなければならないのである。)  というわけで、面白い喜劇をつくろうと考える人たちにとって、現在の日本の映画界は、決してよくはないが、また悪くもないという状態なのではないか。  私がそういう希望を抱くようになったのは、日活の『東京の暴れん坊』(六〇年)という佳作を見たせいもある。  現在の日活は、喜劇映画愛好者にとって希望の持てる唯一の会社である。松竹の〈喜劇〉なるものは最早《もはや》若い世代と感覚的に断絶していて救いようがない。東映、大映またしかりで、むしろ新東宝の泥くさいドタバタの方に新しい芽が見出《みいだ》されるような気がする。東宝の〈軽喜劇〉というやつ、これは私たち本物の喜劇愛好者の最大の敵であり、喜劇とは似てもっとも非なるもの、フランキーのような優れたタレントまでがこの風潮に巻きこまれつつあるのは嘆かわしい。  しかし伝統というものは、あるものだ。ほんのここ数年のことではあるが、日活にはちゃんとナンセンス喜劇の伝統ができているので、活劇専門の観すらある今日の日活映画の〈陰之流《カゲノナガレ》〉となっているのである。  活劇専門会社のプログラム・ピクチュアの中ですら、『東京の暴れん坊』のような快作ができることに、東宝の誇る〈多彩な喜劇陣〉は慚死《ざんし》すべきであろう。この作品の成功の理由は簡単である。ギャグを真剣に考えている無名のシナリオ・ライターの脚本を、斎藤武市が真面目に演出した、というだけのことである。  斎藤武市はかつて地味でハッタリのない人生派的作品をコツコツとつくっていた人である。そういう監督が、この作品の冒頭の小林旭、浅丘ルリ子の会話を、増村保造や、『結婚のすべて』の岡本喜八ばりの急テンポできかせる。当然、そこには或る〈努力〉が要ったはずなのだが、この〈努力〉こそ、喜劇を面白くする大切な要素なのである。  以下、この作品に触れながら、新しい喜劇のそなえるべき必要条件を列挙してみよう。(註《ちゆう》・『東京の暴れん坊』が新しい喜劇のサンプルだというわけではない。新しい喜劇への多くの可能性を含んだ佳作という程度のものである。) (1) リズミカルであること  リズミカルである、というのは、必ずしも音楽が入るということではない。たとえば、『東京の暴れん坊』巻頭の小林、浅丘の会話はリズミカルであり、快適であるというような意味でだ。  もちろん、音楽は大きな要素となるだろう。ミュージカル特有の調子の良さ、これも不可欠の条件である。  かつて、スラップスティック・コメディがトーキーの出現によって瀕死《ひんし》状態に陥った時、ルネ・クレールは、人物を無声のままにとどめながら、画面の流れに快適な音楽をプラスし、人物をバレエ風に動かすことによって、新しい喜劇(『ル・ミリオン』『自由を我等に』)を創造した。この線を、迷わずに伸ばすことである。 (2) スピードがあること  ローレル〓ハーディの動きにはちゃんとリズムがあるのだが、それ以前のキーストン・コメディにくらべるといかにもノロノロしていて、イライラさせられる。いかにその芸に〈味〉があっても現代ではスピードがなかったらダメなのである。『暴れん坊』における小林旭の動きを見るがよい。彼はトンボを切ったり、二階から飛びおりて、そのまま乱闘をつづけられる唯一の活劇俳優だが、この作品中の海岸における乱闘のスピードは、ちょっと他の俳優ではムリだろう。スピード増加の赴くところ、コマ落しとなるのが、スラップスティックの定石だが、これは一瞬やるところに効果があるので、延々とやるべきではない。 〈G181〉 ローレル〓ハーディ映画の中に、この最高の例がある。  ローレル、ハーディの二人組が山の神の眼をのがれて、情婦のところにシケこんでいると、そこに情婦の亭主が帰ってくる。あわてて、窓から逃げだす二人を、山の神たちが見つけて、ピストルをぶっ放す。  と、コハイカニ、道の両側のアパートの窓から、パジャマ姿、下着姿の男たちがゴマンとあらわれて、凄まじいスピードで、道の彼方《かなた》にクモの子を散らすように逃げ去る。 (3) パロディ的要素 『暴れん坊』は、小林旭活劇のパロディの要素を含んでいるが故に、いっそう面白いのである。タイトル・バックで、悪玉がズラリとならんで歌ったり、小川虎之助の突きだす槍を旭が片手でぱっとおさえるあたりで、いつもの彼の〈英雄ぶり〉を嗤《わら》っている。この態度は知的な笑いを呼ぶ。 『独立愚連隊西へ』の中谷一郎の戦士の墓参り姿は『ビルマの竪琴《たてごと》』のパロディであり、堺左千夫の馬が石垣の向うに飛びこんだあと、落馬した筈の彼がしずしずと現れるのは『七人の侍』のパロディである。  この作品には、他に『ヴェラクルス』の背後射ちや、『死の谷』のラストシーンなどが入っているが、これは少し多過ぎるよね。 (4) 飛躍 〈G9〉 などが好例であるが、ふつうのギャグのほかに、シュールリアリズム風の、飛躍したギャグを入れることは絶対に必要である。が、これはつづきすぎると効果が薄れるし、一般観客に理解されないおそれが多いから、ふつうのギャグばかりで、やや中だるみになった時、ドカンとやると効果がある。 (5)〈人情〉〈涙〉をぬくこと  これはもういうまでもあるまい。日本映画の通弊であるこの二つを絶縁しなかったら、優れた喜劇に必要な〈かわき〉は出ないのである。 「この二つを抜くと、ただのナンセンスじゃないかって言われるけど、こっちはそのナンセンスを狙ってるんだからねえ」という、NTVディレクター井原高忠の言葉が思いだされる。  しかし、若い世代は、いわゆる日本的ジメジメ趣味を体質的に受けつけなくなっているから、この点は、大して問題はない。むしろ、製作会社幹部の認識の問題であろう。 (6) ギャグが豊富であること  ギャグはいかにあるべきか、ということは、いままでに多くの実例をあげて説明してきたが、その数が多ければ多いほどよいのは、当然である。  過日、アメリカ文化センターのホールで、"School Pal"という二巻物の無声喜劇を(音楽も音も入っていない本当のサイレントで)見る機会を得た。辺境の分校みたいな学校へ、猿が人間の子供に混って通い、先生にいろいろなイタズラをする——というだけの話なのだが、感心したのは、そのギャグの豊富なことであった。私の周囲のハイティーン諸君がキャッキャッと声をあげるのをききながら、私はこの(一九六〇年)十一月五日に死んだマック・セネットやハル・ローチの偉大さを痛感した。そして、現代の喜劇は、もう一度あの無声喜劇という豊かな水源に身を浸すことによってエネルギーを取りもどさねばならぬのではないか、と考えたものである。  もっとも、こうしたことを考えているのは、私だけではない。最近、アメリカで無声喜劇のアンソロジーのようなものが盛んにつくられているのも、単なるノスタルジアからではなく、やはり〈ここに真の映画あり〉といった気持からでたことではなかろうか。  ジェリー・ルイスの一時間十分ほどの小品『底抜けてんやわんや』(The Bellboy—六〇年)なども、こうした無声喜劇への関心という風潮を抜きにしては考えられぬ作品だ。  これは、ディーン・マーティンと別れて凋落《ちようらく》の一途を辿るルイスが、この一作で最近の不評をはねかえそうと試みた野心作である。  製作・脚本・監督ジェリー・ルイスと、正にチャップリンばりの張り切り方。海岸にある大ホテルのボーイたちの仕事ぶりを描いたもので、ルイスが子供のころホンモノのベル・ボーイだったというように自伝的なところまでチャップリン的である。作品のはじめに断られているとおり、この映画には筋がない。マック・セネット喜劇に『海辺の一日』(後述)といって、夏の海辺を舞台にした、まったく筋のない小品があるが、この種の作品では筋の代りにギャグが話を進めていくのである。ルイスのこの作品もそうで、ギャグ、または軽演劇のスケッチ風のお笑いで全篇をつないでいる。これは、非常によいことだと思う。  もう一つ、ボーイに扮《ふん》したルイスは一言もモノを言わず、ラストシーンでたったひと言喋るだけである。まったく無声喜劇の構え方なのが特徴だが、ギャグも無声的なのが多い。 〈G182〉 物凄《ものすご》く太った女がホテルに現れ、ダイエットをやる、という。マネージャーが、お菓子をたべないように、と注意する。カレンダーが数葉落ちて、向う側からスラッとした美人がやってくる。これが例のデブ女で、減食の効果あらたかだったわけだが、ホテルを去りぎわに、ルイスがお別れにお菓子をわたし、女はタクシーがくるまで、と箱をあけにかかる。やがて、タクシーがきた時、床はチョコレートの包み紙でいっぱいで、女は初めのデブに逆戻りしている。 〈G183〉 自動車一台から無数の人間がおりて、それがそのまま小さなエレベーターの箱におさまってしまう。 〈G184〉 先輩の意地悪ボーイが、ルイスに、だだっ広いホールに椅子を並べる仕事を命じる。ルイスはノロノロと一脚だけを運び出す。その時、くだんのボーイ二人、ルイスの仕事ぶりを笑ってやろうや、と話し合いながら、ホールの外にきて、窓から内部をのぞきアッと驚く。ホールいっぱいに、椅子がキチンとならべられていて、ルイスは最後の一脚をゆうゆうと置くところだったのである。 〈G185〉 ルイスの名は「スタンリー」だが、ボーイ長が「スタンリー!」と呼ぶと、スタン・ローレルそっくりな男があらわれ、あとからきたルイス、思わず首をひねる、というギャグがよろしい。 〈G186〉 プールの内部が見える、大きな窓よりの席でルイスが一人食事をしていると、プールの中の連中、「水の底で変な奴がメシをくってる」とばかり、逆に眺めにくる。奴は左巻きだと水中で手マネしてみせる男もいる。みんなが消えたあと、例の、スタン・ローレルに似た男がアブクを吹きながらゆっくり右から左に歩いて過ぎる。 〈G187〉 場末のストリップ小屋。いよいよ、これから、という時、"Censored"という字がでて、画面が真黒になる。  といった具合で、なかなかよいギャグがあるのだが、演出が下手なために冴えないうらみがある。また、ギャグの数は多いが、あまりにも幼稚なのが多過ぎるのと、これまた飛躍というか、何が何だか分らないギャグがあったりするのはヨワい。  結論的にいって、スラップスティック・コメディの現代化というルイスの実験的意図は買えるが、出来上った物は〈未だし、未だし〉という感をまぬがれないものである。特にルイスの出ない(つまり、彼のパントマイム演技のない)シーンがよいというのは、ちょっと気の毒みたいな感じがしないでもない。が、この線は大いに伸ばしたいと私は思う。  スラップスティックの現代版ということになると、やはり、ルイ・マルの『地下鉄のザジ』(Zazie Dans Le Metro—六〇年)にとどめを刺すだろう。ギャグの多さということでも、この作品はズバ抜けている。 『死刑台のエレベーター』でスリラーを、『恋人たち』で古典的完成を示したルイ・マルのこの第三作は、スラップスティック・コメディであった。  もっとも、マルは、単に無声喜劇のリヴァイヴァルを意図したわけではあるまい。むしろ現代の混乱を表現するための〈方法〉としてスラップスティックのスタイルを選んだのだと思われる。マル自身の自作解説中の言葉(これは喜劇論として大変立派なものだが)を借りれば、「この不条理な世界の歪《ゆが》められデフォルメされたヴィジョンは、リアリズムで描くわけにはいきません」、「こういう非現実的表現は、また必然的に喜劇に通じ」るというわけなのである。この作品にも、筋というべきものはない。  ザジという田舎の少女が、地下鉄に乗るのをたのしみにパリへでてくる。が、地下鉄はスト中で、仕方なくザジはパリ見物をする。翌晩、ストは解決し、地下鉄は動きだすが、ザジは眠りこけていてついにそれを見ずに、パリを離れる、というだけのお話である。  これは、ジャック・タチが撮ってもフシギがないようなお話である。もしジャック・タチがつくったならば、その中では、ユロ氏のような自然人に対する、パリジャンたちのきわめて現代的な生活が優しく揶揄《やゆ》されていたことだろう。が、マルは意識的にこうした方法を避けている。(「私はジャック・タチのようなリアリスティックな方法をとりませんでした……」)  マルの態度は、もっと残酷である。彼は「喜劇というものは、おのぞみの如何《いかん》にかかわらず、きわめて残酷なもの」で、「なぜなら、それはベールをひきはがし、現実を無残にさらけ出し、一つの態度、一つの判断を迫るからです」と考えるからである。〈優しい〉タチのスラップスティックと〈残酷な〉マルのスラップスティックのいずれが、スラップスティック本来の姿に近いかは言うまでもあるまい。カトリーヌ・ドモンジョという十歳の魅力ある少女の扮するザジは、実に残酷にふるまい、彼女に接触するすべての男女をやっつけてしまう。マルが〈パリを舞台にした西部劇〉と称するのもむべなるかなで、彼は〈きびしい純粋な人間が、腐敗した都会にやって来て悪を一掃する。これは誰もが大好きな西部劇の、きわめて古典的テーマ〉だというが、正しくザジは、ワイアット・アープやビリー・ザ・キッドみたいにサッソウとしている。その意味から、最初と終りにウエスターン音楽を使ったということは、マル自身の説明を読んで気づいたのだが、汽車で〈都会〉へきて、また汽車で去って行くザジは、つまり、リヴォルヴァーを腰の両側にさげて馬で町に現れ、またフラリと去っていく、あのテンガロンハットをかぶった英雄にほかならないのである。ただ、注意すべき点は、残酷に扱われるのは〈都会の人びと〉だけでなく、ザジ自身もまたそうなので、ラストの母親の「パリで何をしていたの?」という問いに答えて、「わたし、年をとったわ」といったザジの言葉がそれを物語っている。チェイズ・チャップリンやグラウチョ・マルクスは、他人に対して、実に破壊的・残酷だが、彼ら自身もまた残酷に扱われ、こづき回されている。この点でも、『地下鉄のザジ』はスラップスティック・コメディとして実にオーソドックスなのである。  こういうわけで、この一時間二十三分の映画には、〈叙情的〉要素がほとんどなく、都会の人間たちの混乱が凄まじいスピードで展開される。才気煥発《かんぱつ》もいいところで、才能さえあれば、現代でも素晴らしいスラップスティック・コメディがつくられるというお手本だ。また無声喜劇を勉強していることも大変なもので(日本では勉強しようにもシネマテークがない)、キーストン・コメディなどの影響濃厚、むろん『ル・ミリオン』などのクレールが入っていることはいうまでもない。この作品の感覚を因数分解すると〈「不思議の国のアリス」+マック・セネット+ルネ・クレール+「MAD」〉ということになりはしまいか。(「MAD」は、現代アメリカのパロディ雑誌で、この映画の中にもちょっとでてくる)。方法としてスラップスティックを採用したにもかかわらず、すこしも〈実験的〉に見えないのは、マルのテクニックが完成しているからである。全体としては〈スラップスティック・ファンタジー〉といった印象を受けた。  では、以下、この超スピード喜劇をスロー・モーション的に分解して、その中にいかに多くのギャグが詰っているか、そして、それがいかに昔の喜劇に多くを負うているかということを、述べていこう。 《シークエンス1》は、ザジのパリ到着から翌朝までである。  まず、ウエスターン音楽でウットリさせておいて、英雄のパリ到着。デブの叔父ガブリエル(フィリップ・ノワレ)が駅に出迎えているが、スリが彼の時計をスリとる。と、これが懐中時計ならぬ目覚し時計でリリリリと鳴り出し、スリはあわてる〈G188〉。このスリは再三登場するが、これはマルの師匠ブレッソンの『スリ』を踏んまえてのイタズラと見たは読ミ過ギか。  さて、汽車が停車し、乗客が降りるのがコマ落し。そして、ザジのママンが走りでる。ガブリエルが腕をひろげたとたん、ママンは彼のうしろの男に抱きつく〈G189〉。そして、ザジはママンと別れ、ガブリエルと共に外へでるが、突然、地下鉄の入口へ向って走りだす。地下鉄はスト中で、ザジはそこの鉄柵《てつさく》を叩くが、ここではズームが効果的に使用されている。  ガブリエルの友人シャルルの車に乗って、叔父の家へ。車中、叔父とマセたザジの問答が面白く、突然、タクシーのメーターがメチャメチャに動くギャグがあり。曰《いわ》く、「これがヌーヴェル・ヴァーグだ」〈G190〉。先輩ルイ・マルの皮肉というべきか。  ザジが叔父の住居につくところから夕食を共にする場面にかけては、中抜きの使用が盛んである。(マック・セネットの『海辺の一日』にはその見事な例があった。イタズラ二人組がボートの底をぶち抜きそこから足をだして走りだす。大男がそれを追う。二人組は、画面中央の棒くいのところまできてパッと消えてしまう。大男は、ハテ、このへんにかくれたはずだが、と、そこいらを探していると、はるか背後《うしろ》を二人組が左から右に走り抜けて行く。) 《シークエンス2》は、ザジのパリ見物の始まりで、ここは〈追っかけ〉に終始する。まずザジがこっそりでてきて、階段に立つとそこの鏡にたくさんのザジが写っている。〈G34〉のハーポと同じだが、マルはこの鏡をギャグに生かさずに、次に進んでいる。ザジが外に飛びだすと、バーの主人チュランドが追ってくる。逃げるザジに、街頭写真師がカメラを向けると、ザジはパッとポーズをとるが、その恰好が実にサマになっている。チュランドはザジをつかまえるが、折から寄ってきた救世軍のメンメンに質問されたザジ、「あのオジさん、変質者よ」と耳うちしたから耐《たま》らない。チュランドは散々な目にあって逃げだす。  逃げかえったチュランド、ガブリエルを叩き起すが、靴直しの主人が入ってきて、空襲の想い出話を始めたため、ザジのことは消し飛んでしまう。空襲がたのしかった、という靴屋の姿に、この作品特有の残酷さ(アナキズムに通じる)が見られる。ザジは再び地下鉄の入口に行くが、依然スト中で、悲しくなって泣きだす。そこに怪紳士トルースカイヨン(ビットリオ・カプリオリ)が現れて、ザジを市場につれて行く。この時、二人の背後で強盗があるのだが、このギャグは不発に終っている。(マルは、ギャグが多すぎて相殺し合っているのは仕方がない、と述べているが、これはすこし自己弁護の匂いがする。)  トルースカイヨンはザジにブルー・ジンを買い、貽貝《いがい》をたべに行く。ここで、ザジが一瞬のうちに、フライの山を平らげる昔ながらのお笑い〈G191〉あり。次に、貽貝をたべ始め、中から真珠がでてくると、ザジはポイとうしろに捨ててしまうのが面白い〈G192〉。往年のマルクス兄弟が得意だった〈価値判断のサカサマぶり〉の新版である。ザジはおそろしく残酷な話をしてきかせながら、貽貝のカラを皿に捨てる。そのたびに茶色い汁がトルースカイヨンのシャツに飛ぶのだが、これも『海辺の一日』にあった手で、クラシックの定石である。(ついでに、セネットのこの二巻喜劇中、最高のギャグをご紹介しておこう。レストランにやとわれた二人組が釣をして、見事な魚を釣り上げるが、勢いあまって魚は宙をとび、大口あけたお客の口中に飛びこむ。お客は七転八倒、やっと引張りだすと、今度は婦人客のドレスの背中からお尻の方へ飛びこんでしまう。二人組は何とかして魚をとりだそうとするが、婦人の背中に手を突っこむわけにはいかない。そこで、窮余の一策、一人が釣竿をもってテーブルの上にあがり、糸に餌《えさ》をつけて、くすぐったがる婦人の背中の上に、垂らす。とたんに、魚、パクリと食いつく——というギャグ〈G193〉。)  さて、話はもどるが、あわてるトルースカイヨンを尻目にザジはブルー・ジンをつかんで逃げだす。このあたり、子供の残酷さが光っているが、さあ、これからが〈追っかけ〉(ザジの幻想中の)だ(ズーム使用)。トルースカイヨンに追いつめられたザジ、ブルー・ジンを男の頭越しに投げるが、その向う側でパッと受けとめたのは、これもザジ〈G194〉。〈G81〉と同じように、勢いあまった追手がザジを追い抜いて走るギャグもあり、また、これはディズニーがしばしば用いるギャグだが、屋根の上を追いつ追われつする二人組が、音楽のテンポにあわせて、非常にゆっくり走ると思うと、超スピードで駈け抜ける〈G195〉のが秀逸である。さらに、追ってくる男に、街頭写真師になったザジがカメラを向けると、男、すかさず、ポーズをつくる〈G196〉。つづいて、今度は、カメラに向い、二人が並んでポーズをつくる〈G197〉——といった風に、一つのギャグが次のギャグを呼び、ダイナミックに発展するのは、実に壮観だ。(古いギャグが、すべて一ひねりしてあるのにも、ご注意。) 〈G198〉 柱の向うにかくれたザジ、どこからだしたのか、フライパンで男をガーンとやる。つづいて、今度はグローヴでパンチを入れ、次には〈G199〉男に受話器を差しだす。男がそれを耳にあて、モシモシとやったとたん、コードがシュウシュウ燃えてきて、電話が爆発する。〈G200〉次に、ザジは男にローラー・スケートをはかせ、向うへ滑って行ったとたん、大マグネットをとりだす。男はスーッと吸い寄せられてくる。といった数々のギャグのほか、ダイナマイトを投げたりする凄い手まで加えたコマ落しの追っかけが、アレヨアレヨという間に終ると、次には静的な場面がくるのであるが、このへんのチェンジ・オブ・ペースのうまさはちょっと類がない。〈G201〉夢からさめたザジは、トルースカイヨンにとらえられて、家に帰るのだが、そのトルースカイヨンは、ガブリエルの細君アルベルチーヌ(カルラ・マルリエ)に向いあったとたん、ハッと目を見開く。ブラームスがかすかに流れてきて、すでにおかしくなるのだが、やがて、アルベルチーヌのアップ。この女優が、ジャンヌ・モローそっくりで、ブラームスが大きくなり、すかさず「恋は一目で生れる」と、ナレーションが入る。(『恋人たち』のパロディ。)  自作の楽屋落ちをやるときは、実に、まあ、大した自信だが、とにかく、これは〈珍道中映画〉も顔負けのギャグである。トルースカイヨンは窓からほうりだされ、ここに昔の映画さながらのクラシックな枠《わく》に入って〈23分後〉というタイトルがでる〈G202〉。無声映画の〈×年後〉というタイトルのパロディだが、これも実にいい呼吸である。 《シークエンス3》は、エッフェル塔。詩的幻想的気分は、この件《くだ》りが最高である。 〈G203〉 ガブリエルが塔の上にくると、船長風の人物が双眼鏡を眼にあてている。とたんに波音がきこえ、大きな波が二人の足元で砕ける。(カミの小説「エッフェル塔の潜水夫」を思い出させる。) 〈G204〉 ガブリエルが頂上にのぼると、そこに白熊がいて、ふるえているのが抜群。このほか、ガブリエルの落したメガネが塔の下で本を読んでいたオバサンの顔にひっかかり、オバサン、本をさかさにするギャグあり。 《シークエンス4》は、自動車による追っかけである。これはどうしても、クラシック・カーでなければいけないので、新型車がぶっこわれ、シャシーだけになり、クラシック・カーそっくりになる。 〈G205〉 ここでは、モンローそっくりな女が広告塔の中に入り、怪しんだ警官、B《ベ》・B《ベ》の愛人サッシャ・ディステルのポスターの貼《は》ってある広告塔の戸をあけると、中からディステル自身がでてきて、モンロー風の女は、いつの間にか道の向う側を歩いている、といったまったくイミのないギャグ〈G206〉もあるが、これが何ともいえずおかしいのである。 《シークエンス5》は、ガブリエルのつとめ先のキャバレーである。これはまったく西部劇のサルーン風の感じで、音楽もそういう具合になっている。このあたりから、人物の混乱はいっそう激しくなる。  シャルルの結婚を祝う一同がキャバレーに集ってくる件り(夜景のなまめかしい美しさ——マルのいう「この作品のライト・モチーフである、混沌《こんとん》として不定な外観の世界の印象を強調するのに役立つ」アンリ・レイシの色彩撮影が最も効果を発揮する部分)では、はじめてモダン・ジャズが用いられる。ザジはここで眠ってしまうのだが、その彼女の夢の光景は、いわばジャズの即興演奏の視覚化といえよう。つまり、登場人物が、立場や衣裳《いしよう》をかえて現れてくるわけで、全体が一つの夢のようなこの作品の中で、この部分は〈夢の中の夢〉らしい異様な雰囲気《ふんいき》を醸しだしている。  つづいて、レストランのドタバタに入るが、夢からさめたザジが、この部分では、またテーブルにつっ伏して、寝ていることにご注意。(こんな〈解釈〉はどうでもいいことだが、以下の大混乱は、すべてザジの夢なのである。) 〈G207〉 ガブリエルたちとレストランのボーイとのあいだでパイ投げ(実はパイではなく、スパゲッティ・ミートソースみたいなもの)が始まる。コックがカウンターに酒のびんをならべると、一列になった従業員がそれを一本ずつ取って、ガブリエルたちを殴りに行く。と、靴直しのジイさん、カウンターの中に入って、コックをノシてしまい、逆に酒びんを一本ずつ手にして、一列になってくるボーイを片っぱしからブン殴る。列の最後尾の一人などは、殴らぬうちに(酒びんがなくなって、ジイさん、ハッとするとたん)ノビちまう。 〈G208〉 この赤シャツを着たジイさん、かたわらのハイ・ヒールを手にすると、カカトを握り、爪先を敵に向けて、拳銃みたいに構える。爪先から煙が出て、ボーイの一人の額に穴があく。ジイさんは、その爪先を、『オクラホマ・キッド』のジェームズ・キャグニイみたいに、フッと吹く。これはウレしいギャグで、思いなしか、ジイさんの顔がジョージ・ギャビイ・ヘイズ老みたいに見える。  このあとは、トルースカイヨンがムッソリーニみたいな独裁者になって現れ、ガブリエルたちに向って一斉射撃する。ルイス・キャロル調の残酷さだが、ここにアルジェリアの悪夢の影を見る人もあるだろう。  このあとが、前記のザジの「わたし、年をとったわ」という台詞《せりふ》になるわけである。 『地下鉄のザジ』を見たあと数日、私は実に幸福だった。単に傑作だというだけでなく、私のようにスラップスティック・コメディの将来を憂うる者に、希望をあたえる作品だったからである。これは、スラップスティック・コメディの現代版として最高の達成の一つである。  これはまったくの余談だが、『ザジ』と前後して、私は、無声喜劇のニコニコ大会を見る機会を得た。そこには、凄くいいギャグがあった(前記『海辺の一日』もその中の一本。これは、製作年度不明だが、一九一五年頃と推定される)ので、少し附言したい。 〈G209〉『忍術キートン』(Sherlock Jr.—二四年)の中では、キートンがもの凄い苦心をして金庫の鍵《かぎ》をあけ、分厚い扉を開くと、なんとこれはタダのドアで、キートン、スタスタと戸外へでて行く。  また、非常によくないプリントだったが、『チャップリンの拳闘』(The Champion—一五年)が見られたのも幸いであった。前にも述べたとおり、これはピーター・コーツとセルマ・ニクロースが、チャップリンの動きに、はじめてバレエ的型とリズムがでてきた、と評している作品だからである。実際、この拳闘シーンのマイムはスゴイが、『独裁者』のヒンケルが演説の最中、水を耳から入れてプッと口から出すギャグが、すでにここで使われているのを見て、私は、ある感動を禁じ得なかった。 『ロイドの巨人征服』(Why Worry?—二三年)は、金持のノイローゼ患者のロイドが南米の小島に行き、その島の独裁者による革命にまきこまれる、という話。ブッソウな国情が、ノイローゼのロイドには、全部ノンビリ見えるいくつかのギャグ——中でもノサれた男がタンゴを踊っているように見えるギャグが秀抜である。  昼間からみんな寝ているこの国(メキシコ風)では、寝ている老人のヒゲに蜘蛛《くも》が巣を張っている——というギャグ〈G210〉もいいが、何といっても笑わせるのは、白痴の大男の虫歯を抜こうとしてロイドが苦心する件りで、歯に太い針金をひっかけ、それをロープをつけて、大男の体にロック・クライミングをやるのだが、これが全然抜けない。 〈G211〉 仕方がないのでそのロープを持ったまま、ロイドが走りだし、その勢いで抜こうとするのだが、アニハカランヤ、頭の弱い大男、ロイドと一しょに走りだす。かなり走ったロイドが、もう良かろうとヒョイとうしろを見ると、そこに大男が立っている、というのは実に傑作である。  あとの部分を記すと、ロイドは、独裁者の大軍とたたかうことになる。味方は、女秘書(恋人?)と、歯を抜いてやった巨人だけである。敵は大隊で、しかも武器をもち、こちらには何もない。  この時、ロイドは一計を案じ、塀《へい》のこちら側に土管を立てかける。(これが、向う側から見ると、大砲のつつ先に見える。)女秘書が太鼓をドドーンと鳴らすと同時に、巨人がタバコの煙を土管の中に吹きかける。なにしろスーパー・ジャイアントの吐く煙だから、つつ先からモクモクと吹きでる。同時に、ロイドが西瓜《すいか》を投げる。ドドーン、モクモク、パッ——とこの三つをいっせいにやると、まるで大砲をブッ放してるように見え、ウンカのごとき敵勢、なだれを打って逃げ出す。  ギャグはどんなに多くても多すぎるということはないし、練りすぎて練りすぎるということがない。実際的なことをいうと、ギャグを考える時は、一人でやるより、才能のある者が集って、二、三人でやる方がうまくいくのである。脚本家と別にギャグマンが必要になるゆえんで、日本映画はこういうところにまるで手を抜いているからダメなのだ。 (7) ミュージカル風の処理  これもいうまでもないことだが、戦前、エノケンの時代劇で、誰やらの死を葬《とむら》うナムミョーホーレンゲキョーのうちわ太鼓の音が、ドラムになり、「南京豆売り《ピーナッツ・ベンダー》」になってこれにあわせてチャンバラが始まり、斬られた奴がそのリズムにあわせて踊りながらノビていく、というのがあったそうだが、こうした感覚は今後ますます必要になっていくであろう。  さて、こうと決まれば、もう単なる〈理論〉には興味がなくなってくる。〈映像による笑いの表示〉がどうの、〈通俗性〉がこうのといいながら、気の利いたギャグ一つ考えられぬようでは、喜劇を論ずる資格はないのである。折も折、私は、「映画芸術」(一九六〇年十一月号)の、やなせたかしの「喜劇映画待望論」なる一文を読んだ。  これは最近の映画雑誌唯一の収穫というべき快文章で、森繁、フランキーをクサし、『チャップリンの独裁者』を批評する時は、平和に対する自分の考えをハッキリさせてからモノをいえ! ときめつけ、最後に「論じているだけではガマンできない」として、「ボクはヒヒョー家、論説家というのが大嫌いだ。ボクは喜劇映画を待望するが、待望するだけじゃなしに、『やなせ君! こんど喜劇映画をつくるのだが、撮影所のゴミ掃除をやってくれないか』といわれれば、いつだって参加する気だ。たとえ便所掃除であろうと、カントクの汗をふく役であろうと! それがほんとうの喜劇映画をつくるためなら、今日でも、何でもボクはするよ。ホントだよ」と絶叫している。  このように、一方に、タダでも喜劇をつくるお手伝いをしたい、と真剣に考えている才能ある人たちがいる。そしてもう一方に、ただ〈組織〉に入っており、ベルト・コンベアに乗っているというだけで、すこしもおかしくない喜劇のシナリオを量産して平然としている人たちがいる。こういう平行状態はなんとかならないものか。  別に、実験映画をつくろうとか、冒険をしようというのではないのである。ただ面白い喜劇をつくるのを手伝いたいというだけのことである。そして、どう間違っても、現在つくられている喜劇以下の物をつくるおそれはないのである。(監督の問題はちょっと別にする。さしあたりは脚本であり、ギャグである。)  とにかく、現状において、日本に本当の喜劇を生むためには、プログラム・ピクチュアの製作に〈参加〉することによって、その質をじょじょに変えていくより方法はないのである。  それとも、私たちの夢は、結局、雲散霧消していかなければならないのであろうか。 補章 ㈵ 「喜劇映画の衰退」を書き終えてから、二年ほどのあいだに、世界的に一種の無声喜劇ブームがおこり、六三年の正月などは、日本でも『ロイドの喜劇の世界』『黄金狂時代』『キートン将軍』(The General—二六年)の三長篇が見られた。とくにキートンのは代表作の一つで、独特のポーカー・フェースが、今日にも充分に通ずる苦い笑いを産み出していた。  邦画も、〈喜劇ブーム〉だといわれたが、佐藤忠男のいう〈職場喜劇〉の量産にほぼ終始したようである。 「疎外を逆手にとって生きようとする者は、日本の職場喜劇には登場しにくいのである。他人との協調性ということが、そこでは最大の美徳である」(佐藤忠男・「日本の大衆芸術」の〈喜劇〉の章)わけだが、六二年の夏、この「疎外を逆手にとって生きようとする者」が、なんと東宝B級プログラム・ピクチュアの中からスイスイと現れたのだから、世間はアッと言った。正しく、コロンブスの卵である。  古沢憲吾監督の『ニッポン無責任時代』のヒーロー、植木等がそれで、彼は一躍、天下の人気者となった。  私が日活につないだ希望は、この社のアクション路線強化と共に崩れたが、思わぬところから、ドタバタとミュージカル的要素をもったアクチュアルなコメディが生れたのである。これは、新しい喜劇の一つの方向であった。この作品について、私は、いくつかの短文を書いたが、その中の二つを引用させていただく。 《1》コメディアンが成功するのは、彼が〈時代と寝た〉時だ。 『ニッポン無責任時代』(東宝)の主人公、平均に扮《ふん》する植木等は、その見事な例である。植木は、この一作で、彼が〈一本になった〉ことを証明して見せた。  平均(たいら・ひとしと読む)は、「ラサリーリョ・デ・トルメス」以来のロマン・ピカレスクのヒーローたちの正統な子孫である。この人物像を消費ブームと不況のかげにおびえる現代の日本に登場させただけで、このプログラム・ピクチュアは記憶されるに足るというものだ。  世わたりのためには手段をえらばず、両親を質においても成り上ろうとする。こうしたピカロの受動的なタイプとしては、『幕末太陽伝』の居残り佐平次(フランキーの出世作)の例があるが、フランキーの個性でかなりドライに演じられていたものの、日本的湿気がまだつきまとっていた。平均は、この点、まさに生国スペインの土のように乾いていて、快い。  初めの案では、さらに非道の限りをつくす文字どおりの〈悪党〉になっていたそうだが、東宝の健全モラルに反するというので、途中から、お家のためを計る一等サラリーマンになってしまった。ルーティーンを外したサラリーマン物を狙ったところが、飛んだフロック。植木等は正しく〈時代と寝た〉わけである。(「読書新聞」62・8) 《2》クレージー・キャッツのファンになったのは、そうだ、いまから丸六年前である。  いらい一貫したファンで、失業中は、新宿のA《ア》・C《シ》・B《ベ》のガランとした二階席で、植木等の歌をきいていた。コーヒー一杯で三回もネバったのは、ほかに行き場のなかったせいもあるが、植木、ハナのかけ合いがたのしかったからでもある。当時、植木は、東北弁と故竹脇昌作のマネがとくいで、「枯葉」のパロディを好んで歌っていた。最近のクレージー・キャッツは大衆性をめざすためにすっかり泥くさくなってしまったが、当時は、スタン・フリーバーグ風のたんげいすべからざるパロディぶりで、なかでも、植木等の個性はぬきんでていた。「スカッとしたアイヴィ・スタイルで東北弁を使うのがイカす。いつもポーカー・フェースなのもよろしい」と、三年まえに私は書いているが、舞台における態度の悪さも彼がいちばんだった。なんとなくニヤニヤしたり、妙に色悪《いろあく》めいたムードをだしたり、とにかく、グレン隊的面白さにみちみちていた。  が、これも、実は、彼の〈芸〉のうちだったらしい。というのは、青島幸男が彼に初めてあった時、こいつはヘンな奴だと直感し、よく知ったら、なんと修身の教科書にでてくるような人物だった、と私に語っていたからである。  その頃から看板だった〈無責任と大オーバー〉を生かした「スーダラ節」のヒットが、彼の新しい道を開いた。その看板を映画に向けたのが、この主演作である。  主人公、平均は、その名前とは反対に、〈平凡なサラリーマン〉以上の才智をもち、失業者から課長に、あっという間に成上がる男である。青島幸男の話では、彼はさらに極悪非道な人間につくられていたのだが、〈上の方〉から文句がついてかなり水割りされてしまったのだそうだ。それでも、開巻から二、三十分の植木の跳梁《ちようりよう》ぶりは、見事というよりほかはない。美男(それも通俗的な)でありながら、口を開くと、ボアーッという感じ(これは渥美清の表現)で声がでる。この瞬間、彼は自分の美男ぶりを見事にパロディ化してしまうのである。往年の「枯葉」や、今度の「ハイ、それまでヨ」はこの転調をメロディにうまく生かした例である。  この映画の成功の一因は、レジャー・ブームに湧《わ》く日本の真只中に、〈悪漢小説〉から抜けだしてきたような陽性のピカロを放《ほう》り出したアイデアにあると思うが、植木等はこのチャンスをみごとに生かして、日本映画にはまったく新しいタイプの人間像を創りあげた。植木が夜の街をおどりながら走ってくるシーンを見れば、そのことは容易に首肯されるはずである。(永年きたえたリズム感が、ここで見事に生かされているのだ。)  この平均の行動を見終ると、いったい責任とは何だろうか? 無責任とは何だろうか? という疑問が湧いてくるのを押えることが出来ない。 〈戦争責任〉などという言葉があり、やたらに責任、責任というが、そういう奴に限って、実生活では無責任の極をゆくのが多い。平均は、そのまったく逆の例である。彼の〈無責任〉な行動が、〈責任〉を重んじる連中の行動よりも、人びとを幸福にしてゆく、という皮肉をもう一歩突っ込んだら、かなりの秀作になったものをと惜しまれる。(「映画評論」62・10)  アメリカ映画では、ビリイ・ワイルダーが東西ベルリンを舞台にしたファースの小佳作『ワン・ツウ・スリー』(One, Two, Three—六一年)がある。「MAD」の笑いをウィーン風にひねった戯作《げさく》調が目立つが、東独のクラブで、ストリップの響きのために壁のフルシチョフの肖像画が落ちると、下にスターリンの画が残っている〈G212〉のや、東独警察がコミュニストを拷問《ごうもん》するのに「ビキニ・スタイルのお嬢さん」のメロディを使ったのは、ワイルダーの狙いとはまた違う意味で、私には、鋭い諷刺《ふうし》に感じられた。  同じ六一年の『フラバァ』は、別な意味で興味がある。 『フラバァ』はディズニー・プロの作品である。近年のディズニーは往年の才気・野心を失い、平凡になってしまっているが、観客を面白がらせようという狙いだけは常に一貫している。 『フラバァ』は大人・お子さまの双方を狙った娯楽映画だが、たいした宣伝もせず、あまりホメた人もいないのに、我が国でも当り、東京新聞によれば「子どもは意外に少なく、おとなが喜んでいる」という。私もピカデリーで見たのだが、大変な受け方だった。これは『この虫十万ドル』や『春の珍事』のようなアイデア物で、あれをもうすこし活動写真臭くして、サイレント・スラップスティックの味つけがしてある、などと解釈するのは私のような物好きだけで、ふつうの人はただもう無条件に楽しみ喜んでいるのである。何故《なぜ》そんなに面白いのか? それは、ギャグがたくさん詰っているからである。 〈G213〉 巻頭、タイトルの前に、フレッド・マクマレイの善人教授が、音波で薬品の入ったグラスを割る実験をして見せる。音波をだす、といってもラッパを吹くわけなのだが、これは、大楽隊の演奏で壁が崩れるおなじみのギャグ、また四八年のダニー・ケイの『ヒット・パレード』にあったチューバの音波で物品を棚から落し、侵入してきたギャングをやっつける、というギャグのリヴァイヴァルである。  マクマレイ教授が力を入れて吹くと、グラスは割れず、一番前列の学生の眼鏡にヒビが入る、というオチは、ルーティーンだが秀逸。  だいたい、この物語の中心アイデアである飛ぶゴム《フライング・ラバア》(略してフラバァ)というのは、どうもたいしたものではない。ただ、そのアイデアの生かし方、飛躍のさせ方が優秀なのである。特に、ギャグがフラッシュ的に集中しているバスケット・ボール試合と、キーナン・ウィンが空中に舞い上る件りは小傑作と言っていい。 〈G214〉 母校危しと見るや、マクマレイは選手の運動靴を、裏にフラバァを貼ったのとすりかえる。ために、選手たちは見る見る空中高く舞い上り、一方的勝利に終るわけだが、各選手のシュートの仕方が凝りに凝っていて笑わせる。エドワード・コールマンのトリック撮影の巧妙さに負うところ大なのだが、中でも、一人の選手がボードに足をつけて軽くシュートし、一点入れるギャグは凄《すご》い。 〈G215〉 そして、最後に同点近くまで盛り上げておいて、時間切迫、最後の一秒で、飛び上り過ぎた選手、シュートしてから、つづいて、自分もネットの中に落ちてしまう、というオチも秀抜だ。  キーナン・ウィンの件りというのはこうである。  悪ラツな実業家の彼は、教授のフラバァの附《つ》いているT型フォードを、同型の車とスリかえる。これに気づいた教授、恋人と共に、キーナン・ウィンをダマして、フラバァ底の靴をはかせ、外へジャンプさせる。  が、フラバァの性質上、そのジャンプは止まらなくなり、驚いたウィンは盗んだフォードのかくし場所を白状する。これをききだした二人が去ってしまったので、ウィンはいつまでも地上と空中を往復しつづける。 〈G216〉 ウィンの一人息子がベッドで寝ていると、父親の叫び声がする。ハッとした彼、窓の外を見ると、そこを父親が上下しているので、思わず、「パパ、凄《すげ》えなあ」と言い、おこられる。 〈G217〉 消防署の連中が飛んで来て(この署長がキーナン・ウィンの父親エド・ウィン)、下に布を張って、ウィンを受けとめようとするが、布は破けただけで、ウィンはまた空中に舞い上ってしまう。下の方で、なぜ去年張りかえなかったんだ、てなことを叫んでいるのが面白い。 〈G218〉 この光景を、息子は電話でガール・フレンドに報告している。「来てごらん。パパがスゴいことになってるんだ!」 〈G219〉 やがて、あたり一面黒山の人で、アイスクリーム屋やパプコーン屋がでている。 〈G220〉 中年女性が警官に訴えている。「あの人は飛び上りながら、私の浴室をのぞきました」 〈G221〉 予想屋らしい男。「先刻《さつき》から見ると、十八インチ高くなったね。もう少し経つと、これは相当の高さになる」 〈G222〉 アイス・キャンデーを甜《な》めながら、子供たちが首を上下させている。 〈G223〉 一方、フォードをかくしてある倉庫に忍びこんだマクマレイは、ウィンの子分二人に発見され、ドアのところに追い詰められる。(このドアがなかなかあかないという設定あり)二人が飛びかかると同時に、マクマレイはフラバァ底の靴で宙に飛び上り、二人組はドアに体あたりする。とたんに、ドアがすこしこわれる。このギャグ、もう一度くりかえし、マクマレイ「よし、あと一回で、ドアがこわれる」と呟《つぶや》く。  ところが二人がノビているので、マクマレイ、水をぶっかけて二人の目をさまさせる。二人は「よし、今度はジャンプしてやろう」と言い合い、ワン、ツウ、スリーで飛ぶと、なんとマクマレイは伏せたままで、二人はドアを破って外に飛びだす。  このあと、昔ながらの〈追っかけ〉になるが、教授がフラバァのT型フォードを、キーナン・ウィンの高級車の真上からぶつけて相手を威嚇する、というのは新手だろう。(教授は、前の方でも、この手で恋仇《こいがたき》をイジめるのだが、教授が善人なので、この行為が憎らしくない、という風にできている。)結局、悪玉の車は二度ともパト・カーと正面衝突するのだが、このパト・カーの警官がいつもコーヒーを飲みかけたとたんにドカンとくる、というくりかえしによる笑いも、ちゃんと用意してある。  ディズニー・プロのことゆえ、ギャグ・マンがそろっているのだろうが、とにかく、サイレント・スラップスティック(T型フォードがそれを象徴している)のリヴァイヴァルとして、この喜劇は注目に価いする。  六二年作品としては、〈珍道中もの〉の最後の作『ミサイル珍道中』(Road to Hong Kong)がある。メルヴィン・フランク、ノーマン・パナマのチームのもので、英国でつくられ、ユナイトから配給された。  タイトル・バックに、往年の作品名がズラリと出ることから分るように、クロスビイ〓ホープの〈なつかしのメロディ〉的作品で、二人のシワが痛々しい。女優はジョーン・コリンズで、ラムーアは終りにちょっと出る。香港の町を行く人力車を第一作『シンガポール珍道中』いらいのジェリー・コロンナがひいていたり、「ここは、ビル・ホールデンのなわばりだ」とか、太った魚を見て、「あのジャッキー・グリースンみたいな奴」と言ったり、他の星にシナトラ、ディーン・マーティンがいたりする楽屋落ちは相変らずだが、何といってもエネルギーがなく、寒々とした印象を受けた。  むしろ、イギリスのケン・アナキン監督、ジェームス・ロバートソン・ジャスティス主演『謎《なぞ》の要人・悠々逃亡』(Very Important Person—六一年)や、すこし落ちるが、ピーター・セラーズ主演の『泥棒株式会社』(Two-way Stretch—六〇年)、『新・泥棒株式会社』(The Wrong Arms of the Law—六二年)などのプログラム・ピクチュアの方が、注目に価いする。ともに、ミステリー趣味をからませた、味のあるドタバタだ。  フランスでは、キートン風の純粋ドタバタ『女はコワイです』(Le Soupirant—六二年)で六二年のルイ・デリュック賞を得たピエール・エテックス(Pierre Etaix)が期待できる。ジャック・タチのお弟子さんだが、ギャグの発明力に秀《ひい》で、短篇《たんぺん》『幸福な結婚記念日』も大いに笑わせた。 ㈼  いままでに書き落したギャグを、ここに附記する。  まず、マルクス兄弟。 〈G224〉 スロット・マシンで大当りしたハーポ、そばの電話機からも多量の小銭を吐き出させる。(『御冗談でショ』) 〈G225〉 グラウチョが競馬に行くと、アイスクリーム売りを装ったチコの予想屋がピタリとあたるという本を売りつける。グラウチョが一冊買ってみると、馬の名が暗号で書いてあるだけで、「くわしくは暗号解読書Bを見よ」とある。本Bを買うと、「飼育者ガイドCを見よ」とある。そこで本Cを買うと、ジョッキー・ガイドDを見よ……という具合で、ついに十何冊という本を買わされ、最後の一冊を開いて勝馬の名がわかったときは、別の馬がトップでゴールインしていた。(『マルクス一番乗り』) 〈G226〉 ハーポの杖《つえ》の先で押されたギャングの親分、拳銃とカンちがいして両手をあげる。ハーポ、うれしげに親分とセッセッセを始める。(『いんちき商売』) 〈G227〉 ルイス・カルハーンの悪玉が、タバコの火を貸してくれというと、ハーポ、やおら、ふところから、工夫が熔接《ようせつ》に使うガス・バーナーをだして、火を吹きつける。(『我輩はカモである』) 〈G228〉 これは〈G17〉のつづきである。フットボールの試合中、葉巻をくわえているグラウチョをレフリーが叱る件《くだ》り。   レフリー「きみ、葉巻を捨てたまえ!」   グラウチョ「捨てたら、お前が拾う気だろう」  もうひとつ—— 〈G229〉〈G12〉で述べたように、グラウチョの大学総長は、フットボール選手をやといに、秘密酒場《スピーク・イージイ》へ行く。ところが、チコの門番が頑張っていて入れてくれない。  チコ「ここに入るにゃ、"Swordfish"てえ合言葉をいわなきゃダメなんだ」(とウッカリその合言葉を喋《しやべ》ってしまう。)   グラウチョ「そうか……Swordfish」   チコ「チクショウ、よくわかったな」  と呟きつつ、グラウチョを中に入れる。チコは逆に外に出てしまう。   チコ「おい! おれを中へ入れろ!」  グラウチョ(中から)「ここに入るには、合言葉が必要なんだ。それを言わなきゃ入れられん」   チコ「Swordfish」   グラウチョ「それじゃダメだ、入れてやれない」   チコ「そんなバカなことがあるか。これが合言葉だ」   グラウチョ「ところが、それが、たった今、変ったんだ」  ところが、グラウチョは、自分のつくった合言葉が思い出せなくて、外に出、チコとともにドアのまえにすわる。そのとき、刀(sword)を魚(fish)の口に突きさしたハーポが、平然とドアの中に消えてゆく。  次は、『マルクスの二挺拳銃』から—— 〈G230〉 巻頭、グラウチョが、ポーターに荷物を持たせて入ってくる。グラウチョ、荷物をうけとり、チップをやろうとして、   グラウチョ「十セントやりたいが、お釣りがあるか?」   ポーター「ありません」   グラウチョ「Well, keep the baggage」(荷物はいらないよ)  と、荷物をおっぽりだして行ってしまう。これは、むろん、「Keep the changes」(お釣りはいらないよ)のもじりである。 〈G231〉 駅で西部行きの切符を買う人の列。一計を案じたグラウチョ、横に立って、「西部行きの切符はこちら!」と叫び、列がドーッと動いたその隙に窓口へ。 〈G232〉 グラウチョと、ハーポ、チコのかけ合い。ハーポが西部へ金を掘りに行くときいたグラウチョが、「He is a tenderfoot……」(青二才めが……)と呟くと、これを文字通り〈痛み易い足をしている〉というイミにとったチコ、「うん、靴が悪いんです」 〈G233〉 このグラウチョはインチキ・セールスマンでハーポに何かイカサマな品を売りつける。ハーポは十ドルさつをだし、グラウチョは小銭で九ドルお釣りをやる。が、ハーポの十ドルさつは糸がついているので、何度もこれをくりかえして、十ドルは渡さず、小銭をまき上げる。が、そのうちに糸でひっぱられて、グラウチョのズボンがどんどん破けてしまう。図々しいハーポは、その上、グラウチョの帽子と自分の洗い熊帽をすりかえる。グラウチョはボロボロな恰好で行ってしまう。(これと同じ手で、コステロが十ドルさつにゴムバンドをつけ、手を放すと同時に、さつがワイシャツの袖に入ってしまうのがあった。こういうものの原型が、向うのヴォードヴィルにあるものと思われる。) 〈G234〉 このあとで、チコが十ドルさつをだす。グラウチョ、用心して、「九ドル釣り銭をくれというんだろう?」というと、チコは「五ドル紙幣と四ドル紙幣でくれ」という。(もちろん、四ドル紙幣なんてありゃしない。) 〈G235〉 チコはミスター・ビーチャー(胸に赤い花をつけているはず)を迎えに駅へいく。  ビーチャー氏は向うから名乗りでてくる。が、胸には花がない。   チコ「そりゃ困る。約束がちがうから」  と、花をとりだして、ビーチャー氏の胸につけると、その場を一まわり、サッとビーチャー氏の胸の花に眼を向け、 「ミスター・ビーチャー!」  と叫び、握手する。ハーポもマネしてかじりつく。 〈G236〉 駅馬車の中。  馬車がゆれるたびに紳士(ミスター・ビーチャー)の帽子が落ち、車内が混乱する。と、えたりかしこしと、ハーポはその混乱を助長する。せっかく、紳士が帽子をかぶると、とたんに叩きおとし、向い側の赤ちゃんのミルクを盗んで飲む、エトセトラ、エトセトラ。 〈G237〉 グラウチョとボスの対決。  ボスは拳銃を抜き、「右の棚のビンが見えるか?」 グラウチョ「見える」 とたんにボスはぶっ放し、ビンの口が吹っとぶ。ボスは拳銃をグラウチョに渡す。   グラウチョ「右の棚のビンが見えるか?」   ボス「見える」   グラウチョ「ビンの栓が見えるか?」   ボス「見える」   グラウチョ「その上にとまっているハエが見えるか?」   ボス「見えるとも」   グラウチョ「そりゃ、良い眼だ」  と、拳銃をボスに押しつけて逃げる。 〈G238〉 最後の列車上の大ドタバタ——〈G27〉のあたりに入るもの。  グラウチョ、ハーポ、チコの乗った列車が驀進《ばくしん》してくる。が、先廻りした悪漢三人組は兇悪《きようあく》にもレールを外してしまう。このため、列車は脱線、それでも走りつづけて、遊園地の汽車ポッポみたいに円を描いて廻りだす。とたんに音楽がメリー・ゴーラウンドのそれに変る。列車は、一軒の農家に衝突、この家を頭に冠った恰好で走りつづける。(ここで、確か、走っている家の入口からハーポがコマ落しで出入りするギャグがあった。)驚くべきことは、この家の主人が屋根を修理中で、走っているわが家に気がつかない。すると、グラウチョ先生が窓から首をだして屋根の上の主人に呼びかける。「降りて来いよ。ストーヴが暖く燃えてるぜ!」 〈G239〉 つづいて、ハーポが列車上から駅員が駅で輪(タブレット)をとるみたいに、牛の鼻輪をとって見せる。二度目に失敗、地面に転落、がケロリとして、どこからともなくレールをかついであらわれ、走る列車の前に置くと、たちまち列車は元の線路にもどり、悪漢追跡が始まる。 〈G240〉 連結器がコワれると、ハーポは自ら連結器となってグラウチョとチコを渡し、列車の間隔に応じて伸びちぢみする。 〈G241〉 このシークエンスの中のギャグ。 〈G29〉に書いたとおり、三人が床以外は全部燃料にしてしまったので、屋根もカベも何もない一連の客車(その上で客の紳士淑女が騒いでいる)を機関車がひいていく遠景。(これは映画館で大ウケだった。) 〈G242〉 ハーポについて、もう、少し。『御冗談でショ』の犬捕りの彼は、ポケットからバナナを出すと、チャックを二つ引いて皮をひらき、中身をたべたあとでまた、チャックをしめる。 〈G243〉 これは『デパート騒動』。  ハーポは携帯用消火栓をもっていて、他人の車の横におき、警官を呼ぶ。警官が車をどかせると、ハーポは自分の車をそこに入れ、消火栓をしまう。 AP通信より——   チコ・マルクス(米喜劇俳優)  十一日ハリウッドの自宅で病死。有名な喜劇チーム“マルクス兄弟”の長兄として半世紀にわたって、映画、ステージで活躍した。(61・10・11)   74歳のハーポ・マルクスが引退 『ココナッツ』『我輩はカモである』などの映画で、オールド・ファンになつかしいマルクス兄弟のうちの二番目のハーポが、カリフォルニア州パームスプリングスでの公演中の舞台から引退を発表。演技ではオシで押し通した彼が、その口を開いて観客に別れのあいさつをおこなった。  すでに七十四歳の老ハーポがこの決心を固めたのは、妻にすすめられたから。くしゃくしゃの髪、だぶだぶのレインコートというおなじみのいでたちで、得意のハープを演奏し終ると、共演の人気歌手アレン・シャーマンが登場して彼の引退を発表したが、そのことばが涙声になってきたのに感激して「思わず私もしゃべってしまったのだ」という。二千人の観衆は思いがけぬハーポの引退あいさつに、満場総立ちで拍手を送った。(63・1・21) ロイター通信より——   ハーポ・マルクス  有名な喜劇チーム“マルクス兄弟”の一人、二十八日夜ハリウッドの病院で死去。死因は明らかにされていない。七十五歳。マルクス兄弟のなかで死んだのは、チコ(一九六一年)についで二人目。ガモ、ゼッポ、グラウチョは健在。(64・9・30) AP通信より——   ハロルド・ロイド(米喜劇俳優)  八日ロサンゼルス郊外ビバリーヒルズの自宅で死去、七十七歳。昨年七月じん臓の手術を受けていた。  一九二〇年代から三〇年代にかけてサイレント映画、トーキー映画初期の喜劇俳優として活躍、ハリウッドの歴史に一時代を画した。トレード・マークの“ロイドめがね”が有名だった。(71・3)  次は、凸凹《でこぼこ》コンビである。 〈G244〉『お化け騒動』の下げのギャグ。  マクラで、二人組の給仕がつとめ先をクビになる。その時コステロがひっぱたかれると、〈イカ胸〉がクルクルと巻き上がる。  これが伏線で、のちに大金を入手し、そのレストランの経営者になったアボット、レジの金額がゼロになっているのを怪しみ、コステロをひっぱたくと、〈イカ胸〉がクルクル巻き上がり、お札がザーッと流れ落ちる。  このほかにも『お化け』にはいくつかのギャグがあるが、だいたい、既出ギャグのヴァリエーションなので略したい。 〈G245〉『凸凹カウ・ボーイの巻』の中の〈悪夢〉のシュールリアリズム風の扱い。  すなわち、二人組がオープン・カーに乗って池にもぐって行く。と、おもむろに下車したコステロ、カップで水を汲んで(ここは水中なのでアル)うまそうに飲む。それを、アボット、車のドアをトントン叩きながらジリジリ待っている。 〈G246〉『凸凹スパイ騒動』で、テキに追い詰められたコステロ、ヒョイと左手を挙げる。つりこまれて相手が見上げた隙に腹へ一発、相手が二つ折れになった隙に逃げだす。  このあとで、同じテキにまた追われ、今度は左手を挙げてもダメなので、間髪を入れず、かわりに右手を挙げ、左手でパンチを喰わせて逃げる。  と、書いているうちに、類似のギャグを思いだした。これは日活の『東京野郎と女ども』だったが、ラストでオカマの大群とギャングとの組み打ちが始まる。と、内海突破のキャバレーの支配人が悠然とあらわれ、おもむろにタキシードを脱いで、塵《ちり》をはらい、構えているギャングの左拳《ひだりこぶし》に掛け、気を呑まれたテキにいきなりパンチを喰わす〈G247〉というやつ。 〈G248〉『スキー騒動』中、ただ乗りをやるために、コステロが楽団のあとにくっついてバスに乗る。その時、前の二人が、「第一《フアースト》ベース」「第二《セカンド》ベース」と言ったのを受けて、コステロ、「ショート」と言い、すまして入って行く。 〈G249〉 カッとなったコステロがアボットを殴ろうとする。アボットは怒れるコステロを制して、床の上にハンカチをひろげ、   アボット「このハンカチの両端に向い合って立って、俺を殴れるか?」   コステロ「お易いことよ」  アボットはハンカチを拾い、隣室につづくドアを開き、そのドアの敷居の上にハンカチをひろげて、コステロをその片方に立たせ、ドアを閉めて、もう一方の端に立つ。   アボット「さあ、殴ってみろ!」  コステロ、てんでクサる。これは伏線、後半、ギャングとのドタバタになり、コステロは殴られかかる。コステロ、おもむろにギャングに「待った」をかけ、先刻のテをもちかける。ギャングは怪しみつつもOKして、二人、ドアをはさんで対峙《たいじ》する。   コステロ「さあ、殴ってみろ!」  次の瞬間、ギャングの鉄腕はいとも易々とドアをブチ抜き、コステロのアゴに炸裂《さくれつ》する。 〈G250〉 スキー場のホテルで、コステロ、柄になく、モテようという気をおこし、ピアニストに化ける。ピアノのうしろには、レコードがしかけてある。  女の子がくると、コステロ、レコードをまわし、両手を動かして弾くふりをする。  そのうち、図に乗って、片手になり、「これでも同じことだ」  やがて、足で弾くふりをして、「これでもちゃんと弾ける」  しまいに、手も足も全部放してしまって、「これでも、ちゃんとできるぞ」 〈G251〉『ハレムの巻』中の有名な〈ポコモコ〉のギャグ。  アボット、コステロの二人が放りこまれた牢《ろう》に、〈ポコモコ〉という殺人狂がいた。この殺人狂がなぜ〈ポコモコ〉というかというと、すなわち、彼、かつてポコモコ河畔に住んでいて、浮気女房と姦夫を絞殺、以来、〈ポコモコ〉という言葉をきくと、俄《にわ》かに殺意を催すヘキがある——から。  ひとたび、〈ポコモコ〉の四字をきくや、カーッとなって、「スローリイ・スローリイ・ステップ・バイ・ステップ……」と妙な手つきで、かつての殺人シーンを再現する。このギャグがくりかえされて、ラストで、二人組が車に乗り、「さよーなら、ポコモコ!」と叫ぶと、突然、くだんの怪人が車の前からムクムクとあらわれ、「スローリイ、スローリイ」と近づいてくる、というオチは傑作だ。  レッド・スケルトンの『世紀の女王』から—— 〈G252〉 惚《ほ》れたエスター・ウイリアムスは女学校の先生で、逢いに行かれぬ。ドシタライインダロ、アキラメラレナイという悩みを、バーで、スケルトンがドナルド・ミーク(『駅馬車』のピーコック氏)の酔っぱらいに打明ける。手近の果物皿をとり、「たとえば、これが彼女……」と桃を置き、「これが鉄の門」とバナナを置く。「それから、これが僕……」とパイナップルをデンと置いて、つくづく眺め、「頭刈らなくっちゃナ」  このあとで、ドナルド・ミークがマネをして愚痴っていると、ザヴィア・クガート(『姉妹と水兵』がなつかしいですな。下手な自画像を描いてたっけ)がきて、桃をつかみ、かぶりつこうとする。ミーク先生、烈火のごとくなって「マイ・スウィートハート!」とひったくる。  ダニー・ケイの新作『替え玉作戦』(On the Double—六一年)は、衰弱した二役ものだったが、『あの手この手』の中には、こういうたのしいギャグがあった。  グロミック以下ソ連スパイの放った殺し屋の手を逃れるために、ダニー・ケイは止っている自動車の中を通り抜ける。この時、同じ老夫婦の乗っている車の中を何度も何度も通るのだが、ケイが愛想がいいので、老夫婦、「感じのいい人ね」「まったくだ」「もう一回通ったら、養子にきてもらいましょうよ」〈G253〉 「珍道中」シリーズでは、まず『アラスカ』。 〈G254〉 すでに述べたように、のべつビング・クロスビイにチョロまかされているボブ。デュエットの途中でクロスビイと握手し、急いで自分の指の数をかぞえる。 『南米珍道中』では、 〈G123〉 の、スクリーンのうしろからクロスビイとラムーアが映画を眺める件りがいい。このスクリーンに、クロスビイとボブが楽隊屋になって出てくる。と、すかさず、クロスビイが言う、「ハリウッドにいたこともあるんでね」〈G255〉 〈G256〉 これは〈G127〉のつづき。  クロスビイ、伸びているボブに向って悲しげに。 「いい奴だったんだがな。お前に借りた十ドルももうかえせない」  と、ボブ、俄《にわ》かに例の大きな眼玉をむいて、「さあ、返せ!」  ボブ・ホープの単独主演物にも、なかなかたのしいギャグがそろっている。 『腰抜け二挺拳銃』で—— 〈G257〉 ホテルで、ジェーン・ラッセルと二人きりになったボブ、廊下に面したドアに、「猛犬注意」の札をかける。 〈G258〉 ボブはインディアンにつかまり、二本の木の曲げたのに両足をゆわえつけられて、股裂《またさ》きの刑にあう。その直前、ボブはジェーンの愛をたしかめて、 「ジェーン。あの世で、君はきっと二人の色男に逢うだろう。見損ってくれるなよ。そいつは二人ともボクなんだからな」 〈G259〉『豪傑カザノヴァ』より。  恋人ジョーン・フォンテーンが「いっしょに逃げましょう」と言ってくれたので、ホープ先生、狂喜して、 「いっしょに!? You mean We?」 「Yes, We」と恋人。 「We! おお、一人称複数!」と大カンゲキ。そこへドッと敵の人声。 「それ、逃げろ! 三人称複数が来た!」 〈G260〉 ラストで、彼が首をチョン切られかかると、画面を止め、 「さて、これより、ロバート・オーソン・ウェルズ・ホープ氏の演出に変えてごらんに入れます」  と、たちまち、超人的な力を発揮して悪漢どもを叩きノメし、美女を両手に、観客に向い、 「この方がいいでしョ。ええ、先刻の終りの方がいい方は、ロリポップ(柄つきアメ)を高くさし上げて下さい。……ありませんネ。じゃ、あとのエンドの方がいい方、ピーナッツを高く上げて下さい……(間)……テヘッ、この小屋、ピーナッツを売ってないのかい!」 ㈽ 「喜劇映画の衰退」を書き終えたとき、何よりも心残りであったのは、マルクス兄弟についての記述が不足であることだった。  その後、私がひそかに考えていたのは、彼らがスラップスティック芸人だったことよりも、自分たちの狂気ともいうべきグロテスクな笑いに偏執した結果、今日の〈不条理喜劇〉といったたぐいのものの先駆となったという歴史的事実の証明である。『オペラは踊る』の中の、信じられぬほど人が詰った部屋というイメージが、イヨネスコの〈無限の増殖〉に影響をあたえなかったかどうかは、 「フランスのシュールリアリストたちが私をはぐくんだことはたしかだが、自分の作品に対するもっとも大きな影響は、グラウチョ、ハーポ、チコ・マルクスの三人によってあたえられた」(「タイムズ」一九六〇年一二月一二日)  というイヨネスコ自身の言葉によって、ほぼ見当がつく。  マルクス兄弟については、一冊の本を書くつもりでいた。なぜなら、チャップリンなどについては、すぐれた本が沢山出ているが、マルクス兄弟の映画に関しては一冊の研究書もなかったからである。  やがて、テレビにおいて日本で未公開の二作を見ることができた。また、彼らの映画についてのすぐれた批評と解説の書が英米で二冊出版された。マルクス兄弟とバスター・キートンの評価はとみに高くなっていると言い得る。  この章で、私のこころみることは、テレビで放映された作品(一本はふつうのスクリーンで見直す機会をあたえられた)について、なるべく細かく記すことである。  そのまえに、彼らの作品歴を見てみよう。  1『ココナッツ』The Cocoanuts(一九二九)  2『けだもの組合』Animal Crackers(一九三〇)  3『いんちき商売』Monkey Business(一九三一)  4『御冗談でショ』Horse Feathers(一九三二)  5『我輩はカモである』Duck Soup(一九三三)  6『オペラは踊る』A Night at the Opera(一九三五)  7『マルクス一番乗り』A Day at the Races(一九三七)  8『ルーム・サーヴィス』Room Service(一九三八)  9『マルクス兄弟珍サーカス』At the Circus(一九三九)  10『マルクスの二挺拳銃』Go West(一九四〇)  11『マルクス兄弟デパート騒動』The Big Store(一九四一)  12『マルクス捕物帖』A Night in Casablanca(一九四六)  13『ラヴ・ハッピー』Love Happy(一九四九)  8の『ルーム・サーヴィス』は〈マルクス三兄弟やりくり一座〉なる題で放映された。 『ルーム・サーヴィス』は、ブロードウェイのヒット戯曲で、RKOはマルクス兄弟のために特にこの戯曲を買いとった。原作は、のちにフランク・シナトラ主演で『芸人ホテル』として再映画化されているから、ご存じの方もあろう。  一文なしのプロデューサー、ゴードン・ミラーが、スタッフ、キャストとともにホテルに閉じこもり、いんちきとペテンの限りをつくして、見事に、ホテルの劇場でのショウを成功させるというファースで、舞台はゴードン・ミラーの部屋に限られ、この人物のいんちきぶりが焦点になっている。  ゴードン・ミラーに扮《ふん》するのは、グラウチョで、チコは舞台監督、ハーポはその助手らしき人物である。  原作は、みごとに作られたシチュエーション・コメディだが、これまでは野放図な物語ばかりを演じていた三兄弟が、初めて、舞台劇をとり上げたところに、彼らなりの野心があった。  結果は、まあまあ、というものであった。三兄弟が、彼らのいつものキャラクターと、がっちり創られている舞台劇のキャラクターのあいだで、戸迷っているような印象を受ける。極論すれば、これだけ〈面白く〉作られている戯曲ならば、あえて三兄弟の才能を必要としない——ばかりか、そのアクの強い芸が、かえって筋の運びの邪魔になるのである。  従って、彼らがハツラツとするのは、筋と関係のない細部においてであった。  たとえば—— 〈G261〉 ハーポが人を押えつけて、強引にシャツを脱がしながら、そのまま(いっきに)裏返しに自分が着てしまう。 〈G262〉 グラウチョが独り占いをやりながら、こっそり袖の下からカードを抜いてインチキをやる。 〈G263〉 飢えた彼らが、ウェイターをだましてとり寄せた料理をパクつくとき、ハーポは左手のフォークを、皿と口のあいだに機械的に往復させて、料理を無限にたべつづける。さらに、チコが肩のうしろに塩を振ると、ハーポは空中の塩を右掌でパッと受けとめ、ペロリとなめて、なおもフォークを動かしつづけるという輝かしい瞬間がくる。  ほかにも、面白いギャグがあるのだが、文章では表現しにくいものばかりゆえ、遠慮する。  この作品は、当時は好評で、時がたつにつれて評価が下っているが、失敗であることを知っていたのは、ほかならぬグラウチョであった。 「われわれは失敗した。ギャグを演ずることも、われわれのものでないキャラクターを演ずることもできなかった。われわれは努力した。しかし、二度とこうしたことはやらないだろう」  13の『ラヴ・ハッピー』は、〈恋は楽し〉という題でテレビ放映された。マルクス兄弟の最後の作品である。  この作品はアメリカの批評家には好意的に迎えられた。『マルクス捕物帖』を自分の白鳥の歌だと称するグラウチョは、ラジオの"You Bet Your Life"の司会が始まる少しまえなので、初めと終りに、ちょっと出てくるだけである。従って三兄弟のバランスは崩れているが、ハーポが主役として活躍するので、その意味で好評であった。ハーポの名が配役のトップにきたのは、これが、初めで、終りである。  前作『マルクス捕物帖』でビルが崩壊するギャグを考えたのは、のちの監督、フランク・タシュリンであるが、その冴《さ》えを買われて、ここでは脚本を執筆している。  内容は『ルーム・サーヴィス』に通ずるところがあって、今日のパンにも困っているショウの一座の非公式のマネージャーがチコ、一座のために食料品を集めるべく、やとわれている浮浪者がハーポである。  ハーポは、このとき、六十一歳だが、ある批評家は「ハーポの輝きは、チャップリンやキートンとはちがって、年齢によって曇らされてはいない」とホメ、別な評者は、ハーポの性格が破壊性を失っているのを惜しみながらも、その動きの若々しさをホメるといった具合で、まずは、めでたい。  食いつめた一座に、ダイアモンド盗難事件がからむというストーリーには新味がないが、Harpoismに興味のある方は必見で、ハーポがよれよれのレインコートの下から、ソフトアイスクリーム、マネキン人形の足一対、二貫目ほどの氷、氷原用のそり、生きた犬、床屋のアメン棒状の看板、welcomeと書いた入口用マット、その他を次々と出してみせる件りは光っている。  このハーポ主演映画のうち、もっともすばらしいギャグは、空腹のハーポが悪漢一味につかまったシーンにある。 〈G264〉 首飾りの隠し場所を白状しろといわれて、ハーポが拒むと、ウィリアム・テルもどきにリンゴを頭に乗せられ、射撃の的にされる。悪漢の一人がおどかしにリンゴを一発で射ち抜くと、おどろく間もあらばこそ、ハーポはリンゴにかぶりつき、むしゃむしゃ食い始める。  このように、〈状況〉を無視して、おのれの固定観念(ハーポにおいて、それは多く色欲と飢餓である)に忠実に行動するところに彼のスピリットがあるわけだが、主役であるために、一座の娘ヴェラ・エレンに恋する場面などもあり、そこではペーソスを出していた。  この映画のクライマックスである屋上の追っかけは、タシュリンの考えたギャグによって飾られているが、ギャングに追われた彼が煙草〈クール〉の広告の煙を吸い込み、胃を殴られると、口はもとより、両耳から多量の白煙が吹き出る〈G265〉のが視覚的に面白い。  また、これはたしか、女の子とのデートの前のシーンにあったと思うが、ハーポが手鏡を見ながら髪にブラシをかけ、鏡をクルリと裏にすると、ちゃんと後頭部が写っていたり、自分の眼の玉をくり抜いてみがくギャグ〈G266〉などは、タシュリンの漫画的小味ギャグの一例で、この種のギャグは、タシュリンを通じて、のちのジェリー・ルイス映画に持ち越されることになる。  ゴダールは「今後、喜劇映画を語る際には、もうチャップリン的などとは言わずに、堂々とタシュリン的だと言おうではないか」と過大評価をしているが、タシュリン、もって瞑《めい》すべしであろう。 第三部 喜劇映画の復活 序章  くりかえすまでもないことだが、映画におけるコメディは、シチュエーション・コメディとスラップスティック・コメディに大別される。前者は(例えば、ジャック・レモンの『おかしな二人』などが典型的な例だが——)舞台やテレビで可能であり、また、その方が効果が上る場合が多い。だが、後者は、絶対に映画独自のものであり、映画でなければならぬ特産品である、という私の意見には少しも変りがない。そして、ギャグを媒介にして現実から別の次元に飛翔《ひしよう》するのが本来の在り方だという考えにも変りはないのだが、〈ギャグを中心にスラップスティック・コメディの衰退の歴史を辿《たど》る〉という第二部のようには、第三部はいかないのではないかと思う。  一九六〇年代の初めに、ヨーロッパの若い映画人のあいだで、無声喜劇の再評価が行なわれ、ロイドやキートンの旧作がリヴァイヴァル上映されたのは、テレビに追いつめられた当時の映画界のどうしようもない行き詰りと無関係ではない。  このときに当り、スタンリイ・クレイマーのような目先のきくプロデューサーが、『おかしな、おかしな、おかしな世界』というスラップスティックの大作をつくるのにシネラマ方式を採用したのは、一つの象徴的事実であると思う。  たしかに、一九六〇年代には、喜劇映画は、まさに、多様に復活したといい得る。これは単に、復活というだけではなく、『俺たちに明日はない』のようなニュー・シネマにおいては、恐怖や悲劇とともに笑いが共存しているのである。こうなると、もはや手法の問題ではなく、作者がこの世界とどうかかわるかという問いかけへのぎりぎりの答えとして笑いがあらわれているのである。  むろん、商業主義的なドタバタ喜劇は次々に作られているし、その枠《わく》の中で〈面白い〉映画は数多くある。すなわち、私が第一部で力説した〈ギャグを多用して面白くなければならぬ〉という命題は、見方によっては、いちおう、満たされてしまったといえなくもない。  空腹のときにはスイトンを食わせろと叫んでいたのが、とりあえず、スイトンを毎日たべられるようになると、今度はステーキが食べたいと言い出すようなものだが、私個人は、あくまでもナンセンスという方法に執着しながらも、私たちのグロテスクで、不条理な在り方を照らし出す喜劇、ボーヴォワールが〈気ちがいじみた混乱の様相〉と形容した世界を裸出させてくれる喜劇に興味を抱くように変っている。マルクス兄弟や『毒薬と老嬢』の作者たちは、気ちがいじみた混乱を彼らの天才によって作り出した。それは現実への攻撃といってもいいし、破壊といってもいい。  そのような毒をもたぬ喜劇は、必ず、趣味的なものに陥ってしまう。そして、このたぐいの、整えられた庭園のような喜劇に私は満足することができない。  さらに困るのは、時流に迎合した〈反体制〉めかした喜劇である。一見、混乱してみえるために、うかつな人はそれをホンモノと見あやまってしまうのである。 第一章 古典的喜劇の再生産の試み  スタンリイ・クレイマーがシネラマでドタバタ喜劇を作るというニュースをみた時、その着眼に、思わず、あっと言った。  ヨーロッパにおけるスラップスティック再評価と、アメリカにおける無声喜劇のテレビ放出——それらがかもし出す漠然としたムードをキャッチし、これをシネラマでとるというアイデア、しかも〈ハリウッドに映画を復活させる〉という錦の御旗を前面に押し出すところに、このジャーナリスティックなプロデューサーの頭の冴《さ》えがあった。  私が危惧《きぐ》したのは、三時間十三分という長尺をドタバタで貫くのは、まず不可能ではないかということであった。  ソール・バスによる、地球をチャックで締めたり、ノコギリで切ったり、卵のように割ったりする動画で始まる『おかしな、おかしな、おかしな世界』(It's a Mad, Mad, Mad, Mad World—六三年)を見終って、まず感じたのは、アメリカとは、なんとまあ、広い国であることよ、という一事であった。  この作品を見て笑う人がいるとすれば、よくよくの笑い上戸にちがいない。何組かの人間が隠された宝を探す、という古めかしい設定を責めているのではない。むしろ、こういう狙いの映画であれば、単純なプロットほどよいのである。  それが香《かんば》しくない出来になったのは、クレイマーの演出、勘の悪さと、コメディアンの選定にミスがあったというべきだろう。  これ以後、ドタバタ喜劇は、必ずしも、専門のコメディアンを要さないようになった。だが、ここでは、映画、テレビの新旧コメディアンを動員して、人海戦術的に出してくる。シド・シーザー、フィル・シルヴァース、ミルトン・バールといったTVコメディアンが騒々しく動きまわるのだが、ちらっと出てくる老バスター・キートンのサマになり具合にくらべて、殆ど見るに耐えない。  この映画の中で、一つだけ光っているのは、怪力の運転手ジョナサン・ウィンターズが暴れまわって、ガソリン・スタンドを一軒、ぶっつぶしてしまうギャグだが、映画はなお、三時間十分ほどあるのである。このギャグのなさ加減は記録に価いする。  ローレル〓ハーディが最高のコメディアンだったかどうかは賛否両論あるところとしても、家を一軒つぶすために、彼らがどのような段どりをふむかを考えてみるがいい。ようやく家を建てたばかりの大工のローレル〓ハーディの近くにトラックがとまる(The Finishing Touch—二八年)。このトラックが家をぶちこわすであろうことは容易に想像されるが、トラックは決して動こうとはしない。  そのうちに二人組は、運転手とケンカを始めるのである。でかい石が当って、家がこわれるのか? そうではない。彼らはただ、石を投げ合うだけである。  やがて、二人組のどちらかがタイヤの前のでかい石をひろう。この石はタイヤの動き出すのを食い止めていたのである。  でかい石だから相手は逃げ出すが、それ以上に、トラックは少しずつ動き始め、家を完全にぶちこわして、どんどん行ってしまう。自分たちの手で家をこわした態《てい》のローレル〓ハーディは呆然と立ちすくむ〈G267〉。せめて、この程度のリズムとタイミングは欲しいものである。  ケン・アナキン監督の『素晴らしきヒコーキ野郎』(Those Magnificent Men in Their Flying Machines—六四年)も大型喜劇であるが、こちらは、むしろ活動大写真的精神に充ちて、破壊の快感をあたえてくれる。  ドーヴァー横断飛行をめぐって、米、英、独、仏、日、各国飛行士が一着を争うのだが、この映画の成功は、ゲルト・フレーベのような重量級のオッサンにドタバタをやらせ、純粋のコメディアンは英国代表の悪役テリー・トマスだけという配役の妙にある。  巻頭、ヘンチクリンな初期の飛行機が次々にあらわれて、片っぱしからこわれてゆくギャグで笑わせるが、この飛行機はミニチュアではないらしい迫力がある。  事実、この映画の面白さは、小さなアイデア、ギャグをこえた、物量作戦によるブッコワシの魅力にかかっている。  サイレント喜劇は、自動車を際限もなく破壊することによって一九二〇年代の繁栄を謳歌《おうか》した。そうしたバーバリズムは、ハワード・ホークスという、まったく感傷をもたぬ老監督の血に、いまだに生きており、『ハタリ!』のジープと犀《さい》の衝突や、『レッドライン7000』というカー・レースの映画に脈打っているのだが、この自動車を飛行機に替えたのが、ケン・アナキンの大作である。飛行機を、どしどし、ぶっこわそうという発想は、雄大かつ、おおらかである。  従って、この大作には、鮮かなギャグというのはないけれども、漫画映画のみに可能だったギャグを活動写真にしてみせるという意気込みがあった。悪役テリー・トマスの乗った飛行機が列車の屋根に不時着し、そのままトンネルに入って、飛行機もテリー・トマスもボロボロになるというギャグなどは、ながいあいだ、漫画映画に奪いとられていたたぐいのものである。  サイレント喜劇のギャグの多くは、ディズニー、フライシャーらのすぐれた漫画映画に吸収されてしまったのだが、それらのギャグをもう一度、映画に——しかも大型画面にとり戻そうというのが、この映画の狙いであり、しかもゲルト・フレーベのような性格俳優を飛行機にぶら下げて海面すれすれにとばせるといったことを札束の力でやってのけた。  この映画は殆ど飽きる部分がない佳作だが、無声喜劇へのノスタルジックな姿勢が、よくも悪くも、全体に一つの枠をはめているといえる。 第二章 古典的喜劇・プラス・ワン ブレーク・エドワーズそのほか 『おかしな、おかしな、おかしな世界』が無声喜劇の下手な再生産とすれば、『素晴らしきヒコーキ野郎』に、無声喜劇のヴァイタリティを改めて確認するという作業であった。このような試みの上に立って、さまざまな試作がつみ重ねられることになる。  ブレーク・エドワーズは『ティファニーで朝食を』『酒とバラの日々』といった都会生活の哀歓を描いた作品で知られるが、喜劇にも一家言を持っているようだ。  ことに、『ペティコート作戦』(Operation Petticoat—五九年)を手始めに—— 『ピンクの豹《ひよう》』(Pink Panther—六三年) 『暗闇でドッキリ』(A Shot in the Dark—六四年) 『グレート・レース』(The Great Race—六四年) 『地上最大の脱出作戦』(What Did You Do in the War, Daddy?—六六年) 『パーティ』(The Party—六七年)  とつづく旺盛《おうせい》な仕事ぶりは、注目に価いする。 『ピンクの豹』と『暗闇でドッキリ』は、ピーター・セラーズが扮《ふん》するクルーゾオ警部という、世にもドジな警部の活躍する推理コメディであるが、あまり歯切れのいい出来ではない。監督に、スラップスティックを現代によみがえらせようという志があるのは分るが、いかんせん、悪く凝りすぎるのである。  この二本では『暗闇でドッキリ』の方が面白いが、その主たるものは、真犯人が、クルーゾオ警部のヘマに腹を立てた上司だったというとてつもない意外性にある。こういう犯行動機は江戸川乱歩の動機分類表にもないが、程度が高すぎて、日本では理解されなかった。そのわりに他の部分のドタバタが低調で、こうしたアンバランスが、ブレーク・エドワーズの作品には非常に目立つのである。  だが、このような好みをもつ人物が、折からの〈喜劇復興〉の風潮を見逃すはずはない。 『グレート・レース』は、ニューヨークからパリめざして、トニー・カーチスのカー・レーサーが出発する。それをジャック・レモンとピーター・フォークの悪玉があの手この手で妨害するという趣向で、時代は十九世紀の終りごろだろうか、幻灯にハエがはさまるクレジット・タイトルと、〈ローレル〓ハーディにささげる〉という献辞が、作者の無声喜劇へのノスタルジックな心情をあらわしている。  シークエンスで分けると、  ㈰巻頭、二巻ほど、悪役二人がトニー・カーチスを出発させまいと演ずる漫画映画風のやり合い。(悪役の仕掛けた災厄が、すべて、わが身に戻ってくるというルーティーンが、わりにうまくいっている。)  ㈪レースのスタート。  ㈫西部での抜きつ抜かれつ。  ㈬アラスカの吹雪の中での休戦。  〈インターミッション〉  ㈭ヨーロッパの小王国でのトラブル。  ㈮目的地パリ。  ということになっているが、〈インターミッション〉までの前半が快調である。  トニー・カーチスが典型的な二枚目になるのだが、その眼がカメラ(観客)を見ると、人工的にピカリと輝き、二枚目らしさをいやが上にも強調する〈G268〉のが卓抜で、ナタリー・ウッドが主題歌をしっとりと歌う場面では、画面の下に歌詞があらわれ、ピンポン玉の如き白い玉が上を飛んでゆく。むかしの短篇《たんぺん》漫画によくあったやり方だが、それを模しているのが笑わせる。  小王国の件《くだ》りは、泰西伝奇小説『ゼンダ城の虜《とりこ》』のパロディだが、ジャック・レモンが馬鹿王と悪役の二役をコナす芸達者ぶりを見せるためにあるようなもので、肝じんの〈レース〉の方は、どこかに、すっとんでしまう。  この部分で買えるのは、デコレーション・ケーキを投げ合う〈パイ投げ〉であるが、意外に呼吸が悪く、おそるおそる顔を出したピーター・フォークの顔に、数発、立てつづけに命中するオチだけが辛うじて笑える。  ブレーク・エドワーズの弱点は発想の妙にくらべて、呼吸《タイミング》の悪いことである。  ラストで、ナタリー・ウッドと結ばれたトニー・カーチスめがけて、ジャック・レモンが大砲をぶっ放す。ところが、大砲が爆発してエッフェル塔を倒してしまうのだが、画竜点睛《がりようてんせい》のおもむきをそえねばならぬこのギャグが、エッフェル塔をえんえん写した(といっても、時間にしたら一秒位だが)ために、先に観客に分ってしまい、シラケる。エドワーズの喜劇を見ていると、おかしい話をしている当人が吹き出しているような場合がしばしばで、フシギなことである。 『地上最大の脱出作戦』は、こと脚本に関しては、これ以上、面白いのは望めないというほど、よく出来ている。 〈コンバット〉スタイルの米軍が、イタリアの某村を攻撃する緊迫したシーンに始まり、そこのイタリア軍も村人も、お祭りで、まるで戦う気がないのが分る。米軍の方もずっこけて、お祭りにまき込まれ、酒と女にうつつを抜かす。ところが米軍のヘリコプターが偵察にくるというので、あわてて八百長戦争を行ない、さも戦っているようにみせる。一方、独軍もこれを空中から見て、一大事とばかり、機械化部隊が攻め寄せる。挙句は、米、伊ともに独軍の捕虜になり、奇想天外な脱出作戦になる。  この映画のすぐれた点は、地上の動きとは別に、泥棒の二人組がどういうわけかダイナマイトを持って、地下道をウロウロしている設定にある。  二人は、銀行(?)か何かを狙っているらしいのだが、お決りの大男と小男で、のべつ、間違ったところを爆破する。ところが、地上は戦場だから、さして驚かないというのがミソである。 「今度こそ、金があるぞ」と呟《つぶや》いて地下で導火線に火をつけた次の瞬間、米伊の捕虜に狙いをつけていた独軍の大型戦車が、(爆破とともに)地上から消えてしまうギャグが、この奇妙なパニック喜劇のハイライトであろう。  これが傑作になり損ねたのは、脚本が画期的であるほどには、演出と編集が画期的でなかったためである。  混乱(その理由を理解しているのは観客だけだ)の果てに、米軍司令官は発狂し、地下をさまよって泥棒たちとぶつかり、最後には、まったくどういうわけか、高い建物の上に立って、 「この映画は狂っとる! みんな、家へ帰ってテレビでも見るべし!」  てなことを叫ぶに至る。  このような〈食い違いの連続〉が一つのパニックを現出するのは、エドワーズが製作した(監督ウィリアム・グレアム)『荒野の隠し井戸』(Waterhole No.3—六七年)においても、同じであった。これはジェームズ・コバーン主演のひねくれた西部劇だが、とにかくムダが多く、もっとすっきりさせれば、テーマがよりはっきりするという意味で、『地上最大の脱出作戦』と同じ欠点をもっていた。  その点、『パーティ』は短いもので、さらに直接的に無声喜劇に迫っている。ローレル〓ハーディが給仕人になって、ディナーの席をめちゃめちゃにする古典があるが、それをカラフルに、現代的にやってのけようというのである。  ピーター・セラーズが扮するインド人らしき役者が、ガンガ・ディンの役でやとわれてくるのだが、発火装置の上で靴ヒモを直したためにハンドルを押し、砦《とりで》のセットをぶっ飛ばしてしまう。  ハリウッドのプロデューサーのあいだに彼をシャットアウトしようという回状がまわり、インド人は失業する。ところが、どう間違ったのか、さるプロデューサーのパーティの招待状が彼の部屋に舞い込む。インド人は、いそいそと出かけて行って——あとはお決りの、紳士淑女たちのパーティをよそ者がメチャメチャにする、というルーティーンにのっとったおかしみである。  外国とちがって、ピーター・セラーズというコメディアンは、日本人の肌に合わぬタイプらしく、彼の喜劇は輸入会社にも好まれない。『マダムと泥棒』のころはともかく、主役になってから、これはという演技は『博士の異常な愛情』と『マリアンの友達』ぐらいだろうか。自分ひとりで面白がっているようなところが私には頷《うなず》けない。  大パーティをメチャメチャにした男が、一室で犯されそうになっていた娘(クローディーヌ・ロンジェ)とともに、虚栄の世界をあとにするというパターンは、チャップリンそのままであり、さして面白いものではない。ハリウッドへの厭味《いやみ》も、この程度では、どうということもない。  むしろ、給仕の青年の中に面白いキャラクターがいて、客に酒をすすめ、断られると、クルリとうしろを向いてガバッと一息にのみ、グラスを空にする〈G269〉。……このつみ重ねで、しまいには、ベロベロになり、お盆を片手に池の中をザブザブ歩いたり、コックがサラダを作っていると、途中で持っていってしまったりする。まことにユニークなキャラクターであった。  ここでの〈パニック〉は、邸内の池に乱入したヒッピーが象を洗うために洗剤を流し、その泡《あわ》がみるみる邸内をいっぱいにしてしまうクライマックスにあるが、暴力性をともなわぬ節度が、ブレーク・エドワーズの限界と、今のところ、いえそうだ。 『ワン・ツウ・スリー』というファースのあとで、ビリイ・ワイルダーは『ねえ! キスしてよ』という渋い秀作を作っているが、この線の喜劇については、本書のテーマを外れるので、割愛せざるを得ない。 〈珍道中〉映画のようなバーレスク趣味は、六〇年代にはフランク・シナトラとディーン・マーティンを中心とする〈シナトラ一家〉がひきつぐ形になった。 『オーシャンと十一人の仲間』というコメディ・タッチの犯罪劇に始まる系列では、『七人の愚連隊』(Robin and the 7 Hoods—六三年)が出色の出来である。  ギャング華やかなりし頃のシカゴが舞台で、シナトラの一家と珍優ピーター・フォーク一家の縄張り争いに、老ビング・クロスビイがからむ。  シナトラ、マーティン、クロスビイの三人がかけ合いで歌う「スタイル」が忘れがたいナンバーだが、親分《シナトラ》こそ現代のロビンフッド、と人にいわれて、子分たちの交す会話がたのしい。   ギャングA「ロビン・フッドって何だ?」   ギャングB「鳥泥棒《ロビン・フツド》さ」   D・マーティン「森の中でグリーンのシャツを着てた男のことよ」   ギャングA「ああ、洗い熊の帽子をかぶってた奴か」   D・マーティン「いや、名前は、ウォルター・ローリーってんだ」   ギャングA「そいつは、何をしたんで?」   D・マーティン「ぬかるみに布を敷いて、白馬にまたがった裸女を通したんだ」   ギャングA「そうか。おれは、また、ダニエル・ブーンかと思った」  六〇年代の特色は、喜劇映画と活劇映画(スパイ物、西部劇その他)との境界線がアイマイになる——というよりも、この二つをどうカクテルするかということが、作家のオリジナリティの問題になったかのようだ。  もちろん、たとえば、『彼女は二挺拳銃』のような西部を舞台にしたコメディは、一九五〇年代から作られているし、才人プレストン・スタージェスはスリラー喜劇『殺人幻想曲』を四〇年代につくり、五〇年代の終りにはデュヴィヴィエの『殺人狂想曲』があった。  だが、これらは、あくまでも、そのジャンルの中での〈別格〉的作品であり、才能ゆたかな作家が演じてみせる〈離れわざ《トウール・ド・フオルス》〉であった。  六〇年代のコミック・アクション映画は、これらとは、まったくちがう。それは世界的な流行であり、もっとも安易な製作態度であったともいえる。  具体的には、それは英国でのジェームズ・ボンド映画に始まった。ボンド・シリーズ第二作の『007/危機一発』(六三年)の爆発的成功は、あちこちの国に超人のエピゴーネンを輩出させるに至った。  ジェームズ・ボンドは、原作じたいが〈大人の紙芝居〉としての狙いをもっていたから、それが忠実に映画化されるほど、本質的に連続大活劇になり、現代人の感覚では〈ナンセンス〉としか受けとめられなくなる。すると、今度は、〈ナンセンス〉を初めから意図して、ボンド物よりはるかにロウ・コストでつくる——となれば、内容は連続漫画《コミツク・ストリツプ》にならざるをえないのである。  ジェームズ・コバーン主演の『電撃フリントGO・GO作戦』(Our Man Flint—六六年)は、こうした超人スパイ喜劇の極限であり、主人公のフリントは被害者の背中に刺さった矢の匂いをかいで、 「むっ、ブィヤベーズ……しかも、マルセーユのだ」  とたんにマルセーユに姿を現す、といった奇想天外ぶりで、このようなギャグの数で作品の優劣が決る、という珍現象を呈するに至った。 (今にして思えば、五〇年代終りから六一年初夏にかけて、日活が量産したアクション・コメディは、このような世界的状況を〈先取り〉していたといえなくもない。)  それらのうち、輸入されたのはまだマシな方で、テレビでしばしば放映されるイタリア産のアクション物などを見ていると、このテの三流品は、まだ無数にあると推察される。西部を舞台にした喜劇では、リー・マーヴィンをスターにした『キャット・バルー』(Cat Ballou—六五年)、バート・ケネディ監督の『夕陽に立つ保安官』(Support Your Local Sheriff—六八年)が挙げるに足る収穫である。  ジュールス・ダッシン監督の『男の争い』に始まる集団ギャング物の喜劇化では、やはりダッシンによる『トプカピ』(Topkapi—六四年)がすぐれ、『黄金の七人』(Sette Uomini d'Or—六六年)等の類似作が続々と作られた。これらの中では、『ミニミニ大作戦』(The Italian Job—六八年)がいかにもイギリス産らしい味で、刑務所の中のノエル・カワードが、外部のマイケル・ケインを使って金を強奪するのだが、小型車フィアットによる下水道の中での猛烈な追っかけが目をひいた。  これらを〈総括〉するかのごときプロットをもつ『空かける強盗団』(The Great Bank Robbery)に触れたいのは、六〇年代の終りである六九年に作られたこの作品が、とびぬけた出来であるからではなく、六〇年代の平均的娯楽喜劇の諸要素をあわせ持っているからである。  この作品は——  ㈰西部を舞台にしたコメディである。  ㈪集団による計画的銀行破りがある。  ㈫ブレーク・エドワーズ的な〈食い違いの連続〉による笑いを目指す。  ㈬情報局員が出てくる。  ㈭主役を大超人としてパロディ的に扱っている。  ——といった特徴をもっている。  西部の伝道師に化けたゼロ・モステルとキム・ノヴァクの一味、エキム・タミロフのひきいるメキシコの山賊の一党、黒ずくめの無法者クロード・エイキンズ、の三組が、ある町の銀行を狙っている。  この銀行は、ジェシー・ジェームスたちがかっぱらってきた金をあずかる悪徳銀行で、鉄壁の装備がしてある。いざとなると、ガトリング・ガンがまわり出すという、こわいところである。  どこからともなく現れた旅烏——実は、テキサス・レンジャーが、クリント・ウォーカーで、酒場で物凄《ものすご》い撃ち合いになるのだが、突っ立っているヒーローには、なぜか、ぜったいに弾丸が当らず、いきなり、射ちかえして、相手は全滅、ヒーローは拳銃をくるくるとまわして、ホルスターに恰好よくおさめる〈G270〉というのは、あきらかに、西部劇の約束ごとのパロディである。彼は怪銀行の正体を突き止めようとしているのだが、もう一人、中国人(マコ)が銀行を狙っている。この中国人は、なんと、FBIの一人であった。  伝道師一味は教会に住み込み、そこから銀行の金庫めがけて地下道を掘る。一方、マコは洗濯《せんたく》屋を開いており、そこから銀行めがけて地下道を掘る。両者の地下道が隣同士で、板一枚あけて、挨拶したりする〈G271〉。  ゼロ・モステルの方は、物凄い音を立てるときは、教会に集った子供たちに合唱させ、楽器を鳴らしてゴマ化す。  結局、大金はモステル一味が手に入れ、軽気球にのって逃亡する。スッカラカンになった銀行めがけて、山賊一味は果敢な突撃を加え、ようやく鉄扉をぶち破る——といった〈食い違いの連続〉から、FBIの中国人一党、山賊たち、無法者一味が、軽気球を追って右往左往するクライマックスに達する。  この作品は、卓抜な着想において、ブレーク・エドワーズの『地上最大の脱出作戦』に匹敵するが、ハイ・アバーバック監督の腕に余る材料であった。テンポが悪いのである。しかしながら、六〇年代喜劇の特徴が、ここに集約されていることは間違いない。  一九四〇年代のアメリカの喜劇映画の大半は、男一人女一人の〈食い違い〉、あるいは男二人、女二人の〈食い違い〉によって喜劇的状況を成立させていた。才人プレストン・スタージェスの"The Lady Eve"(四一年)や『結婚五年目』も、その例にもれない。(一九四四年の『毒薬と老嬢』のみが、二十年後に知己を見出《みいだ》すが、この作品については、のちにくわしく述べる。)  一九五〇年代は、マーティン〓ルイスの笑劇とドリス・デイらのシチュエーション・コメディ(それは男一人、女一人に、ギク・ヤングやトニー・ランドールといった三枚目がからむもので、四〇年代のパターン——意地の張り合い、誤解、最後の和解——を出るものではない)に代表される。  六〇年代には、これらのパターンは魅力を完全に失ってしまった。一対一の恋のかけひきは、もはや〈ハリウッド的〉ではない。  西部劇が一対一の決闘物から『ワイルド・バンチ』(六八年)のような集団戦に変化したように、〈ハリウッド的〉喜劇も、集団対集団の〈食い違いの連続〉が生み出す笑いに、一つのパターンを見出しているようである。おそらく、ジョン・スタージェスの『ビッグ・トレイル』(The Hallelujah Trail—六五年)の騎兵隊とインディアンの大混戦あたりがその走りであろう。この作品は、おそろしく大がかりに語られたアメリカほら話の一典型であった。  六〇年代のすぐれた喜劇は、以上のようなプログラム・ピクチュアの土壌の上に咲いた花であることを考えねばならぬ。 第三章 テレビ感覚派のスラップスティック リチャード・レスター  リチャード・レスターについて語るとき、私は他人事《ひとごと》のような態度をとれない。  彼の映画が続けざまに封切られたとき、私はその成否にひそかに自分を賭《か》けた。もうむかしのことだから、語れるのだが、レスターの映画が、日本の批評家、及び、観客から黙殺されたとき、私はひそかに憤怒し、映画について何かを書くことの虚《むな》しさを思い知らされた。  改めて、書く。リチャード・レスターは、私と同じ年に生れて、私が漠然と夢想していたことを次々に実行にうつした男である。この男は、私と同じような〈映画歴〉を持っているはずである。無声喜劇への偏執、〈珍道中〉映画への郷愁、ショウ・ビジネス愛好癖……。  リチャード・レスター。一九三二年一月、フィラデルフィア生れ。ペンシルヴァニア大学で臨床心理の学位をとる。一方、ポピュラー・ミュージックを書き、卒業の年にはヴォーカル・グループをつくってフィラデルフィアのテレビ局に売り込んでいる。結局、CBSテレビの演出見習になり、カナダのテレビ局でも芽が出ずに、ロンドンでテレビCMのディレクターになる。それから「グーン・ショウ」というヴァラエティ・ショウの演出で認められる、というのが世に出るまでの経歴である。  彼の作る作品の異常なまでのスピードは、「監督は、観客側のスピード感を低く評価してはならない」という信念に基いているのだが、基礎にあるのは、テレビのヴァラエティの感覚である。  一九六〇年に、ピーター・セラーズに見出されて『飛んだりはねたりとまったり映画』(The Running, Jumping, Standing Still Film)という十一分の短篇をつくった。  私はたまたま当時の日本RKOの好意で見たが、一見、サイレント映画と見紛《みまが》うような短篇で、セネットの『海辺の一日』がそうであるように、野原でピクニックする人々の姿を〈セネットの文体〉で描いたもの。タイトルの文字からして二〇年代調であった。  いわば、フィルム・ライブラリイで昔の喜劇を勉強してきた青年が、それを再現しようと努力している、といったもので、当時としては、まことに反時代的な態度であり、アカデミー賞(おそらく短篇賞だろう)を得たという。  画家がキャンバスのところまで(非常に短距離なのだが)自転車に乗って行って筆をふるい、また自転車で戻って、しげしげ眺めるギャグなど、そう、おかしくない。どこか見当がちがう。  いいギャグは、二つあった。 〈G272〉 青年が切株の上にレコードを置き、片手にレコード針、片手にラッパを持って、レコード針を盤の上におき、猛烈な勢いで切株のまわりをまわり出すと、レコードが鳴り始め、向うにいる猟師の青年が踊り出す。 〈G273〉 画面のはるか奥に男がいる。画面の下の隅から指が出て、もっとこっちへこい、もっと右に寄れ。言われるままに、男、フラフラとこっちにくると、グローヴをはめた手が男を殴り倒す。  ビートルズが映画主演第一作に、レスターを選んだのは、眼が高かった。『ビートルズがやってくる、ヤア! ヤア! ヤア!』(A Hard Day's Night—六四年)は、コメディ・タッチのドキュメンタリイというスタイルで、ビートルズの一日半の生活を追ったもの。実はフィクションなのだが、それをドキュメンタリイ風に撮り、ビートルズの曲をふんだんにかぶせたこのスタイルは、のちの〈新しい映画〉の音楽場面の大半に影響をあたえることになる。  レスターのマック・セネット趣味は、自動車泥棒のシーンに明らかである。泥棒が自動車の鍵《かぎ》をこじあけようとしていると、警官隊(これはキーストン・コップスのイメージで出てくる)が向うを走り抜ける。泥棒は自動車の持主のふりをする。また、こじあけようとすると、警官隊が走ってくる——というタイミングの妙に、レスターのまぎれもない個性があった。  次の『ナック』(The Knack ...... and how to get it—六五年)は、ヒット舞台劇の映画化だというが、原型をとどめぬまでに解体されている。スケこましの名人がショボクレた青年(マイケル・クロフォード)に女をひっかけるコツを教えるという話で、リタ・トゥシンハムの田舎出の娘がからむ。八週間で撮り、編集に数ヵ月かかったというが、技術的に完成され、画面のレイアウトぶりがみごとなだけ、喜劇としてはつまらなくなっている。  印象に残るのは、三人の男女が大型ベッドをえんえんと運ぶシークエンスだけで、ギャグまがいのものはあっても、いいギャグはない。セックスとスラップスティック手法というのは、どうも結びつかないのではないか、というのが私の感想で、カンヌ映画祭でグランプリを得たというのが、よく分らなかった記憶がある。 『HELP!—四人はアイドル』(Help!—六五年)は、〈文体演習〉をすませたレスターが、再びビートルズと組んだ、徹底した娯楽映画である。レスターは、ロケーションが大好きだそうだが、ここでは、ロンドン、アルプス、バハマへのロケを大がかりに行なっている。  この映画は、いってみれば、連続大活劇のパロディである。ダイナマイトをしかけた橋、ライオンのいる地下室の危機が、ポップ・アート調の色彩で、きわめて揶揄《やゆ》的にくりひろげられる。  中近東辺の怪しい国で、カイリという邪神にささげるべく、王がイケニエの女を蛮力でぶった切ろうとしている大時代な絵柄が発端である。イケニエ女の指に指輪《ゆびわ》がない。指輪がなくては儀式が出来ないというわけで、式は中止される。  問題の指輪は、リンゴ・スターの指にある。土人娘の一人がビートルズ・ファンで、贈ってしまったのである。あれをとり戻せ、というので、王みずから殺人団を組織してロンドンに向う。  レスターは、この映画で、四人にマルクス兄弟のイメージを附与したという。いちばん道化役のリンゴは、ハーポ・マルクスの役どころであろうか。 〈G274〉 殺人団は四人の住んでいる住宅地に現れる。音楽は〈ジェームズ・ボンドのテーマ〉に似て、オンボロ自動車の尻から(秘密兵器風に)画鋲《がびよう》がバラまかれる。  かくて、殺人団が五回にわたって、リンゴを襲うのを、『トムとジェリー』風のギャグ攻めで見せる。敵はポストの中に隠れていたり、トイレの温風機で吸い上げようとしたりする。脚本(マーク・ベイム)のアイデアの見せどころである。  ……リンゴの指輪はどうしても抜けず、殺人団は指を切ってしまおうとする。ビートルズたちがアラビア料理店に行くと、殺人団は店員に化け、楽師に化ける。ビートルズの「ハード・デイズ・ナイト」をアラビア風にアレンジして演奏するギャグ、よし〈G275〉。  リンゴの指輪を貴重品とみた二人組のマッド・サイエンティストがここで加わり、リンゴは二派から追われる破目になる。 〈G276〉〈第一部の終り——インターミッション〉のタイトル。  ビートルズ、コマ落しで遊んでいる。 〈第二部の始まり〉のタイトル。  からだに〈土民用の〉色を塗ったイケニエ女、お袋さんに洗い落して貰っている。 〈第二部の終り——インターミッション——第三部の始まり〉のタイトル。(70ミリ映画の、あの荘重な〈インターミッション〉のからかい。) 〈G277〉 四人はアルプスへ逃げる。ここで歌になり、数本の電線に音符がならんでゆく。 〈G278〉 マッド・サイエンティスト二人組のしかけた爆薬が雪の中で破裂。アルプス山中に水が湧《わ》いて、水泳選手が浮いてくる。 「あの……ドーヴァー海峡の終点は、ここですか?」 〈G279〉 もはや、彼らはレコーディングにも油断できない。  野原の真中でのレコーディング。カメラをひくと、軍の戦車がビートルズを護衛している。 〈G280〉 バッキンガム宮殿も安全ではない。逃げ込んだパブで一杯やると、床があいて、リンゴだけが地下に落ちる。とたんに虎が入ってくる。Tigerと白い字でわざわざ註《ちゆう》が出る。 〈G281〉 この虎はベートーベンの第九をきくと、おとなしくなる、と(ビートルズに味方する)敵の女が教えてくれる。地下室のリンゴは第九を思い出せない。床上で全員が合唱し始め、ジョン・レノンが、カメラに向って、皆さん、歌って下さい、という手真似。とたんに大競技場の応援群衆(関係ないフィルムなのに、音だけが第九の合唱に吹きかえてある)がうつし出される。 〈G282〉 バハマでの追っかけ。リンゴの指輪がどういうわけか、スルリと抜けて、殺人団長の指にはまる。団長の「ヘルプ!」という叫びがすでにビートルズの声で、以下、テーマ曲「ヘルプ!」になる。  呆然と立つ四人のまえに、(アルプスでの)水泳選手が水から上ってきて、同じ問いをくりかえす。黙って沖の方を指さすビートルズ。画竜点睛《がりようてんせい》のサゲである。  この喜劇をレスターは、鮮かにレイアウトされた画面とクラシックの名曲の使用によって、優雅なものに仕上げている。内容は狂躁《きようそう》的だが、うつわには趣味の統一がある。従って、破壊的エネルギーにとぼしい。むしろ、良質のショウ映画といったおもむきがある。それにしても、彼がやりたいことをやった『ナック』よりも、この商業映画の方に才能の閃《ひらめ》きが感じられたのは皮肉であった。  このあと、レスターはブロードウェイのヒット・ミュージカルの映画化に招かれた。ハリウッド資本で、『アラスカ珍道中』や『あの手この手』のヴェテラン、メルヴィン・フランクが製作、及び脚本を手がけ、撮影はスペインで行なわれた。  アーサー・フリードという製作者によって開拓された戦後のアメリカ・ミュージカルは名作『バンド・ワゴン』(五三年)において、最高峰をきわめた。音楽、色彩、笑いの洗練度において、これを越えるのは、当分、不可能であろう。  大型画面とヴァイタリティにおいて、『バンド・ワゴン』とはちがう次元で、半ば暴力的にさらに大きな達成を試みたのが『ウエストサイド物語』(六一年)である。この作品は〈歌と踊りを路上に解放する〉という点で、フリード製作の『踊る大《だい》紐育《ニユーヨーク》』(四九年)の延長上にあるが、おかげで『ウエストサイド物語』以後のミュージカル映画は、いずれもカゲがうすくなるという宿命をもっている。  レスターの『ローマで起った奇妙な出来事』(A Funny Thing Happened on the Way to Forum—六六年)は、こうした膠着《こうちやく》状態を逆に利用して、ミュージカル・ナンバーをも含めて、各シーンをスラップスティック手法に解体するという作業を行なっている。  従って、映画が始まって三十分ぐらいの人物紹介——いわゆるストーリーの〈売り〉の部分は、ぎごちない。当然のことながら、舞台にはない、後半の追っかけ〓大ドタバタの部分が、もっともハツラツとしている。レスターはこの作品を〈ミュージカル・コメディ〉とはいわず、〈ミュージカル・ファース〉と呼んでいるのだ。  物語の骨子は単純である。  ローマの、ある貴族の息子ヒーロー(マイケル・クロフォード)が高級娼婦にされそうな娘フィリア(アネット・アンドレ)に惚《ほ》れる。ところが、フィリアはすでにローマ軍の大英雄ミレ・グロリオサス(レオン・グリーン)に買われている身である。売春宿を舞台の大さわぎの挙句、子供の行方を探す老人エロニアス(バスター・キートン!)の登場で、グロリオサスとフィリアは老人の子供であることが分り、兄弟では結婚するわけにいかないので、ヒーローとフィリアが結ばれる。  「モラルはあした   今夜はコメディ」  とゼロ・モステルが歌っている通り、この物語には、何の意味もない。文字通り、空の状態において、レスターは、とにかく笑殺し、たのしませるから、そのつもりでいろ、と居直っているわけだ。  この映画では、ギャグがミュージカル・ナンバーと有機的に結びついているので、殆ど活字化できない。  たとえば、「女中《メイド》を持とう」というナンバーなどは、今まで動画でしかできなかったギャグを、平手打ち風につみ重ねる。歌声はそのままに、イメージがどんどん飛躍し、箒《ほうき》で女中のマネをしたジャック・ギルフォードが、それを股《また》にはさむと同時に空中に舞い上ったり〈G283〉、同じ人物たちが、なぜか、ものすごく高い廃墟《はいきよ》の上で踊るショットが挿入《そうにゆう》されて、ドギモを抜く。  また美男・美女が愛のテーマ「ラヴリー」にのって森の中を行くナンバーのあとで、むくつけき奴隷のモステルとギルフォードが同じ「ラヴリー」にのって、前と同じ森の中をゆくと、立木が倒れる、といった、一つのナンバーがパロディ的ギャグとして使われている例もみられる。  英雄ミレ・グロリオサスの堂々の入場のシーンでは、英雄が自分の強さを大オーバーに歌い上げるおかしさが、うしろにつづくずっこけた兵隊たちによって倍加される。洗濯物にひっかかる奴、花束を投げられてクシャミしている奴。大方、花粉熱だろう〈G284〉。  バスター・キートンは、戦後、『サンセット大通り』(五〇年)、『ライムライト』(五二年)に顔を見せていたが、いつも痛々しかった。ところが、ここでは、独特の、沈痛な無表情を逆用して、笑いをさらっているのが目立った。レスターの大先輩への敬意が感じられる演出である。  ローマの七つの丘を走ると、子供にめぐり会えると教えられたキートンは、子供たちにめぐり会えたあと、指折り数えて、まだ丘の数が残っていると分ると、やにわに走り出す〈G285〉、老人にとっては、子供たちと会えた喜びより、七つの丘を走らねばという固定観念の方がはるかに強いのであろう。(バスター・キートンは、これを撮り終えて、六六年二月一日に肺ガンでこの世を去った。) 「ライフ」のジュールス・ファイファーの評—— 「これはただの映画化ではなく、完全にレスターのものだ。オーソン・ウェルズやフェリーニのように監督の個性が息づいている。喜劇映画は、ビリイ・ワイルダーからすでにレスターへと引き継がれている」  このミュージカルは日本でのロード・ショウで興行的に失敗した。以後、レスターの映画は配給会社に警戒の眼で見られるようになる。六〇年代のすぐれた喜劇の多くが、興行的に失敗しているのは注目すべきであろう。  むろん、国情やコトバのちがいということはある。だが、四〇年代、五〇年代のように、喜劇が安全な商品であるという保証がなくなったばかりか、配給会社で働く人の理解を絶したものが多くなったのが事実だ。  レスターの作品は、かなり経って、『華やかな情事』(Petulia—六八年)というメロドラマの佳作が公開されただけである。  あれはビートルズ映画の監督と決めつけて、風のまにまに、パゾリーニとかローシャとかいった〈新しい名〉を追ってゆく。それが日本の映画ジャーナリズムだし、まあ、そういうものであろう。  レスターに即していえば、『ローマで……』と『華やかな情事』のあいだ、六七年に作られた"How I Won the War"が『大勝利』と邦題がつけられたまま、公開を見送られた。幸い私は見る機会をあたえられたので、ここで記憶を辿《たど》りながら、この作品についてメモしてみることにしよう。 「ケイチョウフハクの典型のようなリチャード・レスターが反戦映画をつくる、などとは、ちょっと予想もできなかったことだが、しかし、『大勝利』は、じつに痛烈な反戦映画である。これは、反戦映画のそうとうな傑作ではないか」  という書き出しの『大勝利』評が、「映画評論」誌の六八年九月号にのっている。未公開映画の批評が雑誌にのってしまうのは珍しいことではないが、筆者が発言に慎重な品田雄吉であるので、いま読んでも異様な感じを受ける。 『大勝利』は、戦後二十数年を経て初老に達したグッドボディ中尉(もと)の回想記という形をとっている。〈いかにしてワガハイは戦争に勝ったか〉という原題は、巻頭での中尉の叫びであり、回想記のタイトルでもある。  まず、第二次大戦における新兵の訓練がギャグを折り込んだいつものレスターのスタイルで展開し、どういうわけか、グッドボディ(マイケル・クロフォード)は部下数名をつれて、敵の後方にクリケット場を作れという命令を受ける。  この〈クリケット場〉が何かのシンボルなのか、ただのナンセンスなのか、分らぬままに、グッドボディの無能から部下はバタバタと死んでゆく。砂漠の中で、死にかけた男が、家族にあいたいというと、家族が熱砂の中にパッと現れ、かけ寄るギャグ(?)があったような気がする。  もともと飛躍的なショットが多いクセに加えて、おやおやと分らなくなるのは、カラー映画の中に、赤、青、黄などの単色のシーンが入ってくる。単色のシーンには、ニュース映画からの転用フィルムが混っているようで、タッチがあらい。これらは、すべて、部下が死んでゆくシーンでインサートされ、カラー・シーン(嘘の戦争)に対して陰画(真実の戦争)の役割をもっている。グッドボディの部下たちの悲惨な死にざまをみろというわけだが、不気味で滑稽なのは、死んだ部下たちがグッドボディのあとにくっついて、ぞろぞろ歩いている光景である。彼らは死んだシーンの色(赤、青、黄)をボディ・ペインティング風に背負ったまま、力なく、グッドボディのあとにくっついてゆく。その中には、下層階級出身の善良で無気力な青年ジョン・レノンもいる。(彼が腸《はらわた》をおさえて死んでゆくシーンは、もっとも悲痛である。)  グッドボディだけは生きのびて、ドイツ軍の捕虜になっているが、やがて英国軍の戦車(?)がきて、ドイツ軍将校をひき殺し、戦車の上の男が、「次は、モスクワだ!」と叫ぶ。ドイツ兵がむしろ気の毒にみえるのも珍しいが、笑いが次第に重層的になり、黒い意味を帯びてくるこの作品を見て、すぐに連想したのは、大島渚の『絞死刑』であり、国王やチャーチルを含む支配者への強い糺弾《きゆうだん》という点ではトニイ・リチャードソンの『遥《はる》かなる戦場』であった。  これまで〈心情〉を拒否し、スラップスティックに徹してきたリチャード・レスターが、自分なりの方法で、反戦映画を完成したことに、私は、感動を禁じ得なかった。 第四章 恐怖と予感の喜劇 ロマン・ポランスキイ  ポーランド出身のポランスキイの恐怖喜劇『吸血鬼』(The Fearless Vampire Killers—六七年)は、非常に好評であったけれども、スラップスティック(主として、吸血鬼退治のプロである教授と助手が演ずる)としては、そううまいものではないと思う。テンポが、はなはだ、かったるいのである。作品のおかしさは、吸血鬼伝説を真正面から喜劇化するという根本アイデアによるところが大であろう。  この監督の『反撥』(六四年)を見たとき、私は、若い身空で、こんなにウマくていいのだろうかと考え込んだことがあった。『反撥』は、古いハリウッド用語でいえばニューロティック映画というジャンルに属するものだが、短篇《たんぺん》『タンスと二人の男』(五八年)、『水の中のナイフ』(六二年)と作ってきた作家が、どうして、このテの性的ノイローゼなどをとり上げたのかと、点在する鋭いイメージには感心しながらも、納得できぬものがあった。  しかし、他国である英国で映画をつくるのは、容易なことではないだろうし、亡命者というのは、フリッツ・ラングにしろ、ロバート・シオドマクにしろ、実に妙な形で、新環境に適応すべく努力するものだということを少年時代にみているので、この才気煥発《かんぱつ》な監督への興味を失うことはなかった。  翌年の『袋小路』は〈不条理喜劇〉系列の秀作だが、輸入が遅れ、わが国では『ローズマリーの赤ちゃん』(六八年)が先に公開されたので、ポランスキイというのは、新しいヒッチコックではないかと漠然と考えていた。 『ローズマリーの赤ちゃん』は、売れない役者と新妻の不安定な生活に始まり、夫が悪魔と契約して〈出世する〉代りに、妻は悪魔に犯され、悪魔の世継ぎを産む、という現代怪談である。  アイラ・レヴィンの原作では、三人称を使っているとはいえ、実際は妻の眼を通して描写されており、日常生活の生き生きした描写の果てに、ショッキングな結末がくる、という形になっている。その点、映画は、サスペンスをつみ重ねた挙句に現れる結末が、さほどコワく見えないので、損をしている。 『ローズマリーの赤ちゃん』だけ見ると、通俗小説の達者な映画化にみえるが、『吸血鬼』をあとから見ることによって、ポランスキイなりに一つのテーマを追っているのがようやく感得された。 『吸血鬼』は、ドタバタ喜劇調で、あきらかに過去のドラキュラ映画、とくにクリストファー・リー主演のハマー・プロ作品のパロディになっているので、映画マニアに受けたのだが、コワい部分は非常にコワい。街の映画館で見直したとき、マントを赤くひるがえした吸血鬼が、窓ガラスを割って舞いおりるシーンでは、観客が声をあげて怯《おび》えていた。最近、こういう経験は、めったにない。  だいたい、怪奇映画とは、どこかコッケイなものだ、というのが私たちの常識である。すでに、四〇年代において、ユニヴァーサル名物の怪物たちは、アボット〓コステロの相手役になり下っていた。  怪奇役者ベラ・ルゴシの死後、ドラキュラ伯爵の名を高めたのは、英国のクリストファー・リーで、どぎつい色彩を得て吸血鬼映画は息を吹きかえした。女の唇がまくれて鋭い牙《きば》が現れたり、死体に杭《くい》を打ち込むと血が吹き出すショックが毒々しい見世物になったのは、五八年の『吸血鬼ドラキュラ』からで、『兇人《きようじん》ドラキュラ』、『帰ってきたドラキュラ』と、〈吸血鬼の名誉〉は回復されたといっていい。  だが、それでもなお、怪物たちにコッケイなところがあるのは、行動に一つのパターンがあるからだ。日がさす前に、棺の中に逃げこむ、とか、ニンニクに弱いという決りが、くりかえされると、なぜ、棺の中に寝ているときに杭を打込んでしまわないのだろうか、という素朴な疑問が湧いてくる。ヴァン・ヘルシング教授(ピーター・カッシング)ほど勇敢な人が、そのくらいなことができないとは、おかしいじゃないか!  このような疑問に答えるべく、ポランスキイは『吸血鬼』を作ったと想像される。 「どうせ客がコッケイと思うなら、初めからコッケイに作ればいい」  といった意味のことを彼は述べていたはずで、新旧の吸血鬼映画を片っぱしから見直したともきいている。  かくて、〈おそれを知らぬ吸血鬼退治屋たち〉(原題)が登場する。  吸血鬼狩りのプロは、ヴァン・ヘルシング教授ならぬアブロンシウス教授。ずっこけて、たよりない爺さんである。助手のアルフレッドを演ずるのは、ダニー・ケイの弟みたいな風貌《ふうぼう》のポランスキイ自身である。爺さんも悪くないが、ポランスキイのドタバタ演技はなかなかの善戦といえよう。  二人の泊った宿屋の娘サラ(シャロン・テート)が怪人クロロック伯爵にさらわれ、宿の主人もまた、吸血鬼にされてしまう。  宿屋の陰うつな感じが、ハマー・プロ作品などより、ずっとホンモノらしくていいのだが、黙って吸血鬼の襲来に耐えているというよりも、理不尽な迫害を日常化して生きている人々の姿に、暗い迫力がある。この映画が、からっとしたスラップスティックになりきらないのは、眼に見えぬどろどろしたものが、画面の奥にあるからだが、そのための重さ、泥くささが大きな魅力となっているのも否めない。ポランスキイの血液型と題材が、非常にうまく、マッチしたともいえる。  この映画で、はなはだ、おかしいのは、伯爵と、その息子であるホモの吸血鬼とが、夜明けとともに、別々に棺の中に横たわる場面があることだ。棺のふたは下男がしめる。  そこに、吸血鬼の仲間入りしたばかりの宿の主人が、自分で真新しい棺をひきずってきて、ふたをあけて中に入り、自分でふたをしめる。  たちまち、下男がやってきて、新入りの棺をひきずってゆき、ウマヤに突っこむ。吸血鬼にも、色々ランクがあるわけだ。  ……やがて、下男の留守を見すまして、納棺堂にポランスキイ助手が現れる。腹が窓につかえて入れない教授の命令のままに、右の棺をあける。伯爵が寝ている。左の棺をあけると、ホモの息子の横に、宿の主人がもぐり込んでいる。(ウマヤは日がさし込んで眠れないのと、良い棺で寝たいという願いがいじらしい〈G286〉。)  だが、臆病な助手は杭を打ち込めない。  その夜、助手は、さらわれた娘サラの部屋を訪れ、愛情を告白しようとする。手には、美しい娘に愛を告白する百の方法、といったハウ・トゥ物のハンドブックがある。  サラの部屋に入っていくと、そこにいたのは、ホモ青年で、かえって助手の方が口説かれる破目になる。  ふと、壁の鏡をみると、これはしたり、自分の姿しかうつっていない。じゃ、この青年は吸血鬼だ!  ホモ吸血鬼は、助手のハンドブックを読みながら、唇を助手の髪に近づけ、不意に凄《すご》い形相で歯をむき出す。ガバッときた牙に、すばやくハンドブックをはさんだ助手は、猛烈な勢いで逃げ出す。吸血鬼はハンドブックから牙を抜こうともがく〈G287〉。  悪夢そのもののような追っかけが始まり、コワさとおかしさはその頂点に達する。回廊まできたホモ青年は息をつく。一方、助手はひとりでグルリと逃げてまわって、再びホモ青年にぶつかる、というルーティーン・ギャグの見事な活用があり、格闘のすえ、助手が吸血鬼の耳に噛《か》みつき、吸血鬼が悲鳴をあげる〈G288〉というオチがつく。  恐怖映画としては、むしろ、このあとの、代々の吸血鬼たちが墓場からよみがえり舞踏会をひらくシークエンスが秀抜なのだが、喜劇的には、以上の部分が、もっとも、すぐれている。  教授と助手はサラをすくい出し、馬そりで逃げるが、サラはすでに吸血鬼になっていて、いきなり助手に噛みつく。教授はそれに気がつかない。 「その夜、トランシルヴァニアでは、アブロンシウス教授は、かねてから駆逐しようとしていた悪をのせているとは気づかなかった。彼のおかげで、この悪は世界中にひろがったのだった……」  というナレーションで、この吸血鬼狩りのドラマはみごとに逆転する。  サラ役のシャロン・テートは、『吸血鬼』完成後一年たって、ポランスキイと結婚した。六八年の一月である。  そして、六九年の夏、事件が起った。ポランスキイがロンドンへ行っているあいだに、遊び仲間とともに自邸で惨殺されたのである。全身を刺されたシャロン・テートは妊娠中であり、死体が宙吊《ちゆうづ》りにされていたというだけで、〈惨状〉はいまだに明白ではない。壁には被害者の血でPigと走り書きされていた。 『吸血鬼』について明るい印象をもつことができないのは、私にとって事件の記憶が余りになまなまし過ぎるからであろう。  犯人は数人のヒッピーと発表され、主犯は教祖的な魔力をもつ青年であった。この事件を機にポランスキイはハリウッドを去った。 第五章 ヨーロッパの現状 チャップリン イギリス イタリア フランス ゴダール 〈不条理〉とか〈反体制〉とかいう旗印をかかげた喜劇は、とかく頭デッカチで面白くない。ギャグの追究の果てにそういうものが現れるなら本当だが。そのためには、監督や役者がギャグへの狂気を抱いていないとダメで、中途半ぱだと作品も生煮えに終ってしまう。  ギャグの追究ということを考えると、やはり、商業ベースで作品を生産している人々について見る必要がある。  大物では、『ニューヨークの王様』のチャップリンが、九年ぶりに『伯爵夫人』(A Countess from Hong Kong—六七年)を監督、発表した。マーロン・ブランドの外交官とソフィア・ローレンの娼婦との豪華船の中での恋の物語で、チャップリンの作品歴に何かをつけ加えるというほどのものではないにせよ、感傷的なハッピー・エンドに昔ながらのチャップリンがいる。気の毒なのは、ブランドとローレンがチャップリン的動きを強いられていることであった。  これはイギリスで撮影されたが、イギリスのプログラム・ピクチュア喜劇というのは、殆ど日本には輸入されない。  たとえば、ノーマン・ウィズダムという役者がいるが、『ノーマンのデパート騒動』というのが紹介されたきりだった。ようやく、『カミカゼ救急車』(A Stich in Time)というのが一部の地区で公開されたが、ノーマンは救急車の看護人になって奮闘していた。 〈G289〉 アーサー・ランクの作品なので、黒人がガーンとドラを鳴らす。(これはランク・プロの商標だ。)次に、ノーマンがチョコチョコと出てきて、ドラを叩くと、ガチャガチャンとドラが砕ける、という優秀なギャグが巻頭にあった。  この種のB級作品は、尊敬はできないが、決して無視するわけにはいかないのである。  イタリアの喜劇も、ピエトロ・ジェルミの『イタリア式離婚狂想曲』(六一年)や『誘惑されて棄てられて』(六四年)のような、重喜劇の秀作を除くと、あまり紹介されていない。  ジェルミより通俗だが、デ・シーカの『昨日・今日・明日』(六四年)、『ああ結婚』(六四年)といった喜劇は、本書のテーマを外れると思う。  イタリアには、B級、C級、D級の小喜劇がひしめいているのだが、民族性が強すぎて、他国には通じない笑いなのだろうか。 『史上最大の作戦』がヒットすると、すぐに『地上最笑の作戦』(原題は『史上最大の喜劇』—六二年)をつくる。この何ともチャチで、しかも憎めない便乗精神が、一つのパターンだ。  作品名だけの羅列はやめたいが、『追い越し野郎』(六三年)、『ナポリと女と泥棒たち』(六六年)のディノ・リージ監督などは質のいい方で、後者は、音楽祭の夜に寺院の宝物を盗むという計画を、アメリカのギャングとイタリアのギャングが争う。音楽祭の夜は全員がテレビに釘《くぎ》づけになっているという国民性を基盤にしていて、プロットは面白いが、テンポが論外にノロい。  この映画に、トト(故人)という〈イタリアの喜劇王〉が、ちらっと出てくるが、この人(故エノケンみたいな存在ならん)の無数にある作品も、まったく輸入されていない。  フランスの喜劇は、比較的、接する機会があるのではないかと思われる。 『地下鉄のザジ』のルイ・マルは、『ビバ! マリア』(六五年)という、ショウ芸人のバルドーとジャンヌ・モローが南米の革命にまき込まれる上品なドタバタ喜劇を作っている。上品な、といえば、J・P・ラプノーの『城の生活』(六六年)は、城で暮す浮世ばなれした夫と美しい妻が第二次大戦にまき込まれる話で、優雅といってもいい。フランスのスラップスティックは、バーバリズムを欠いているのが特徴の一つだ。  コメディアンに即していえば、ジャック・タチは、『ぼくの伯父さん』の九年後に、『プレイ・タイム』(Play Time—六七年)を自作自演している。ユロ氏という、いつもの人物が、パリに出てきて、現代生活に戸惑うというスケッチを淡々と見せるが、あまりの淡々ぶりに眠くなった。笑うところが一つもないというのも珍しく、こういう映画を70ミリ、カラーで撮るというのは、どういう神経なのか。むしろ、バスター・キートンの現代版を狙っているピエール・エテックスの方がやや可能性があるが、『女はコワイです』以後の作品は未公開である。  タチ、エテックスといった〈芸術型〉に対し、下品で狂躁《きようそう》的で、そのために大スターになったのが、ルイ・ド・フュネスだ。  長年の下積みのエネルギーが六〇年代に入って爆発し、ウッドペッカー人間版のような騒々しさと猛烈なアクションで人気の波にのった。 〈ファントマ〉という怪盗シリーズの、ドジな警部役で売り出し、並行して、ジェラール・ウーリー監督の『大追跡』(Le Corniaud—六五年)、『大進撃』(La Grande Vadrouille—六六年)で、実力を見せた。とくに後者は〈よくできた娯楽映画〉の典型であり、レジスタンス時代を舞台にしたファースだが、英国代表のテリー・トマス、フランス側から故ブールビルとフュネス、と三スターがしのぎをけずるドタバタで、古いギャグが使い方で、こうも面白くなるという見本である。  ナチの将校に気づかれないように、ホテルを逃げ出そうとする三人が、ドアのひびきでルーム・ナンバーを示す9が6にひっくり返ったために、ナチの将校を起しかけ、二重三重に混線する。こういう初歩的なギャグを中心に混乱する喜劇の方が、妙に高踏的な、しかも少しも笑えぬ〈芸術型〉よりは好ましい。  ジェラール・ウーリーのドタバタ喜劇は、まず精密な大作戦の青写真があり、それが、ことごとく、食い違ってゆくおかしさにある。 『大追跡』では悪人たちが麻薬をかくした車をブールビルに運ばせるというアイデア、『大進撃』では、テリー・トマスの英軍将校をいかにしてフランスから脱出させるかというサスペンスがあり、それがこと志とちがって、メチャメチャになるのだが、ギャグの計算が確かなのは、さすがである。  次の『大頭脳』(The Brain—六八年)は、NATOの大金を、輸送係の大佐D・ニヴン、マフィアのイーライ・ウォーラック、それにブールビルとベルモンドが狙う話で、〈食い違いの連続〉にみちていることは、ブレーク・エドワーズの作品と同じである。  ウーリー作品は、フランスはもちろん、世界的に大ヒットしたのだが、『大頭脳』からは外されたフュネスも、フランスではまだ人気者である。『グランド・バカンス』(Les Grandes Vacances—六七年)までしか私は見ていないが、初老(一九一四年生れ)のわりにはボルテージが高い。不遇時代が長かったために神経質で、コンプレックスがはげしいそうだが、あのケタタマシサはフランスでは特異な個性である。 〈芸術派〉と〈保守派〉のあいだで、なかなか良い喜劇を作っている監督にジョルジュ・ロートネルがいる。 『スパイ対スパイ』(L'マil de Monocle—六二年)で、もっともらしいツラのポール・ムーリッスをドタバタ的に使い、『女王陛下のダイナマイト』(Ne nous f営hons pas—六六年)は、もとギャングのリノ・ヴァンチュラが、明らかに『HELP!』のビートルズを想わせる英国のチンピラどもに痛めつけられ、忍耐の果てに、全員をぶち殺すという話をとてつもないギャグ入りで見せる。英国青年の一人が野の花をつむと、それが爆発する、といったムチャクチャな快作だった。 『牝猫と現ナマ』(Fleur d'Oseille—六七年)は、死んだギャングが残した金の隠し場所を、残党どもが漁《あさ》る、というところまではフツウだが、故ギャングの情婦(ミレイユ・ダルク)が赤ん坊のために、その金を死守すべく奮闘努力するのが変っている。女は山中の家に立てこもって、銃をかまえている。暴力的未亡人の美談というべきか。  このシチュエーションのとり方には、アメリカ映画、とくに西部劇の影響が濃い。ロートネルの喜活劇は、暴力的なギャグの多いのが特徴である。こうした発想は、死んだ批評家のアンドレ・バザンが、ジョージ・マーシャルのような凡骨を高く評価したことと関係があるようだ。バーバリズムも、ラウォール・ウォルシュまでいけば、脱帽。ジョン・フォードやハワード・ホークスとなると、フランスでは神様扱いである。  つまり、〈まったくフランス的でない映画人〉にヨワいのだ。ゴダールが批評家時代に、フランク・タシュリン監督を絶賛したのも、その一例で、『のるかそるか』(マーティン〓ルイス主演)について、「ハワード・ホークスによくでてくる道中ものというテーマに関して、タシュリンは、ふんだんな詩的発見に没入してゆく」  と書き、さらに〈道中もの〉について、〈このテーマはまさにアメリカ産のもの〉と註《ちゆう》を加えている。  いやはや、大げさもきわまったり。これは一九五七年執筆だからまだいいとしても、十年後、さらに、 「ハリウッドの圧制に対抗して、いかなる範疇《はんちゆう》にも、いかなる規格にも、いかなる原理にも陥らずに、全く新しい何かを創造しているのはジェリー・ルイスだけである」  と語っているではないか!  思えば、『勝手にしやがれ』は『暗黒街の顔役』が、『女は女である』はスタンリイ・ドネンのミュージカルが下敷きであった。後者において、アンナ・カリーナがフライパンの目玉焼きをポンと投げ上げ、電話をかけてきてからパッと受けとめる〈G290〉ギャグがよく利いていた。  ゴダールの『ウイークエンド』(Week-end—六八年)は、彼流の〈道中もの〉喜劇である。ただ、彼がユニークなのは、破壊と暴力が際限なくエスカレートして、遂には別な幻想世界に突入してしまうところで、最後に出てくるアナキーな集団は、まさに、彼のいうところの〈ふんだんな詩的発見〉にみちていた。 「アメリカ喜劇の撮影は最も生真面目な仕事の一つである」と書いたゴダールは、すでにそのような枠《わく》を超えて走りつづける……。 第六章 黒い哄笑《こうしよう》の世界 『毒薬と老嬢』 テリイ・サザーンの仕事 人間観の変化『マッシュ』  今日、ブラック・コメディと称されるたぐいの喜劇が、いつごろから現れてきたのか。  ひとによって意見が異るだろうが、私の映画的体験によれば、それは『毒薬と老嬢』(Arsenic and Old Lace—四四年)からである。 『毒薬と老嬢』が発表された年は第二次大戦の末期で、ハリウッドはスリラー映画、ニューロティック映画の最盛期だった。 『オペラハット』、『スミス都へ行く』などで、〈ヒューマニズムと社会諷刺《ふうし》の喜劇作家〉という定評のあったフランク・キャプラが、あの殺人コメディを作ったのは、単なる偶然とは思えない。その後の作品歴をみても、〈善人は必ず勝つ〉式のものばかりで、『毒薬と老嬢』は孤立している。単なるファースにしては毒が強すぎ、題材のえらび方として、はなはだキャプラ的でない。  もちろん、原作の猛烈な面白さを職人的に映像化しただけ、といえないことはないだろう。それにしても、昭和十九年という時点が気にかかる。(〈公開〉が十九年という説もあるが、いずれにせよ、戦争中の作品であることは、まちがいない。)  キャプラの描く、〈アメリカの栄光と夢〉が、『群衆』(四一年)において、衰えをみせていたのは、誰もが指摘していたことであった。また、戦後のキャプラ喜劇が気の抜けたビールのように感じられたことも、彼十八番の〈善意〉がもはや全く信じられなくなっていたことも確かである。自分の旧作を二本も再映画化している事実が、精神の衰弱を何よりも物語っている。  従来、『毒薬と老嬢』は〈面白さは無類だが〉キャプラらしからぬ作品という風に評価されていた。が、果して、そうだろうか?  ——いかなる事態にあっても驚かぬ劇評家モーティマー・ブルースター(ケイリイ・グラント)は、自分の結婚を二人の老いた伯母に告げるために伯母の家に立ち寄り、長椅子(薪を入れる箱型の)の中に男の死体を発見する。  びっくりしたブルースターが、伯母に告げると、伯母たちは少しも騒がず、それがどうしたの、とききかえす。 「身寄りのない老人をラクにするのは、いいことです。これで十二人目ですからね」  ブルースターは伯母たちが狂人であることに気づいて仰天する。二人は、毒入りワインを老人にあたえては、死体を地下室に埋めていたのだ。その運搬役は、自分をルーズベルト大統領と信じている甥《おい》のテディであった。  ブルースターは、伯母たちを精神病院に入れようとする。その夜、行方をくらましていたブルースターの兄のジョナサン(レイモンド・マッセイ)が、ドクトル・アインシュタイン(ピーター・ローレ)という小男をつれて、この家に戻ってくる。アインシュタインは、ジョナサンが人を殺すごとに人相を変えるための外科医で、ジョナサンはいまはフランケンシュタイン・モンスターの顔をしている。アル中のアインシュタインが、怪物映画をみたあとで、手術を行なったからだ。  椅子の中の死体を見つけたジョナサンは、真相をきいて怒り狂う。 「おれたちは世界中を逃げまわって、やっと十二人しか殺していない。しかし、伯母たちは、この家にすわったままで、十二人殺しているのだ!」  ジョナサンの自尊心は、もう一人殺さなければおさまらない。そこで、弟のブルースターを縛り、殺しにかかる。  たまたまパトロール中の警官が入ってくる。彼は劇作家志望なので、この光景をスリラー劇のリハーサルと思い込む。縛られている劇評家に自作の通俗ドラマのプロットをえんえんと話し、さすがの殺人狂二人組をくたびれさせてしまう。  結末は、ジョナサンがつかまり、伯母さんたちと自称大統領は精神病院にひきとられ、ブルースターはこの狂人一家と血がつながっていないことが分って、めでたし、めでたし、という風になっていた。  ジョセフ・ケッセルリングの原作(ヒット戯曲)は結末がちがう。  最後に舞台に残った精神病院の院長が、「自分も孤独の身で……」といった呟《つぶや》きをもらすと、伯母たちは、すかさず、毒入りワインをすすめ、院長がグラスをとり上げたところで幕になる。  右のような変更は、当時のハリウッドとしては当然であった。キャプラは、ケイリイ・グラントに必要以上に狂躁的演技をさせ、印象が〈黒く〉ならぬように心がけていた。 『毒薬と老嬢』は、早く来すぎたために、すわるべき席を見つけられなかった作品である。誰もが〈面白さ〉を認めながらも、キャプラらしいヒューマニズムの欠如に当惑せざるを得なかったのだ。キャプラその人すら気づかぬままに、この作品は、二十年後の喜劇の変質を予見していたといい得る。(オーソン・ウェルズ原案の『殺人狂時代』をチャップリンが発表したのは、それから、三年後である。この作品も、また、おそろしく評判が悪かったが、ブラック・コメディの先駆的作品として輝かしい位置を占める。)  テリイ・サザーンが脚色し、スタンリイ・キュブリックが監督した『博士の異常な愛情』(Dr. Strange Love: or How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb—六三年)は、偶発戦争による地球の破滅をスラップスティック手法で描くという、危険な試みに成功することによって、喜劇に新しい可能性をひらいた。ピーター・ブライアントのまじめなSF「破滅への二時間」を、めちゃめちゃに改変したのは、脚色者テリイ・サザーンの功績である。いまだに印象あざやかなのは、狂った司令官の命令でソ連領界内に入りつつあるB52核爆撃機をとめるための暗号を大統領に知らせるべく、副司令官(ピーター・セラーズ)がホワイトハウスに電話しようとするが、小銭がない。軍人に機関銃でコーラの自動販売器を撃ちまくらせると、小銭が溢《あふ》れ出るという鬼気迫るギャグ〈G291〉であった。  テリイ・サザーンの次の脚色は、クリストファー・イシャーウッドと共同で、イヴリン・ウォーの名作を視覚化することだった。トニイ・リチャードソンの『ラヴド・ワン』(The Loved One—六四年)がそれである。カリフォルニアに実在する、徹底的に企業化された墓地をモデルに、死体を商品化してゆく事業欲、経営者と軍の結びつき、アメリカ市民の他人志向性を斬りまくるこの映画ほど、〈悪趣味な〉笑いにみちたものはない。  死体処理の名人ロッド・スタイガーが、恋している娘(死化粧係)のところにまわす死体を、すべてニッコリさせておく、など気味の悪いギャグ〈G292〉の連続である。  脚本家としてのサザーンは、以上の二作に『イージー・ライダー』(六八年)を加えれば、ほぼ評価が可能である。彼の名は現代アメリカ文学史にも出てはくるが、代表的な仕事は、他人の作品やアイデアに大胆な脚色をほどこす点にあるだろう。  さらにサザーンについてみると、彼がM・ホッフェンバーグなる人物(実在かどうか不明)と合作した好色戯作小説《コミツク・ポーノグラフイー》『キャンディ』(Candy—六六年)と、彼の原作・脚色の『マジック・クリスチャン』(Magic Christian—六九年)が映画化されているが、前者は、まあまあ、後者は反体制仕立てで、実は中味が何もなく、おかしくもない映画だった。  テリイ・サザーンという名前が、これだけ知られたのは、やはり、『博士の異常な愛情』における、原作無視に近い自由ほんぽうな脚色ぶりにあったと思われる。  サザーンに似た、正体の分らぬ〈鬼才〉にゴア・ヴィダルがいる。若年にして文名をあげ、十年間、筆を絶ったり、下院選挙に民主党から立候補して、敗れたりしたのち、また小説を書き始めた。その一つが映画化され、『マイラ』(Myra Breckinridge—七〇年)の邦題で公開された。  原作の主人公マイラは、 「わたしも『毒薬と老嬢』の劇評家モーティマー・ブルースターの流れをくんでいる」  と独白しており、〈黒いユーモア〉を意識しているとおぼしいが、映画は、原作の芯《しん》となる謎《トリツク》を、冒頭でバラしている(映像化しにくいからだが)ために、マイケル・サーン監督の努力にも拘《かかわ》らず、〈珍作〉程度にとどまっている。ただ、マイラ(ラクェル・ウェルチ)が裸の男をうしろから犯すシーンには奇妙なユーモアがあり、一九七〇年にメジャー・スタジオがここまでやっていたという尺度にはなろう。  ブラック・コメディは、人間性の尊厳がそこなわれている現代の状況を逆説的に描きだすもので、そのために、水爆・死者・ハリウッドといった、その時点でのタブーを破り、あらゆるものに唾を吐きかけ、毒づく。『博士の異常な愛情』や『ラヴド・ワン』には、しびれるような毒があった。  このたぐいの映画が、たとえば宗教団体や良識派によって排斥されるといった形で大きな話題を呼ぶと、ただちに、それらの〈反逆〉、〈反体制志向〉すら、商品化されてしまうというのが、私たちの住む社会のメカニズムである。  そのように規格化された〈反体制〉コメディは、ポテンシャル・エネルギーがないから、すぐ見分けがつく。画面のどこかに、星条旗が出てきたり、学生運動のテレビ中継がちらちらしたりするのが特徴だが、こういう作品をみると〈体制〉にしろ、いくら落ちぶれたとはいえハリウッドにしろ、そんな〈諷刺〉でどうにかなるほどチャチじゃないよ、と言いたくもなる。 『マイラ』は、部分的に愛すべきところがある作品だが、ハリウッド諷刺の部分を見ていると、いくらなんでも、四〇年代のハリウッドはこんなものじゃなかったぜ、と思うのだ。対象をあらかじめ、卑小化しておいて、からかうのは、もっとも安易な作業である。  このようなマナリズムにおいて、マイナスの札をいくらならべてみても、それは作家の志の低さを露呈する以外のなにものでもない。外面的な残酷さやスカトロジーを、ただちに、黒いユーモアと考えること自体、はなはだ観念的、皮相な理解なのである。  ドタバタ喜劇の輝かしい伝統を比較的すなおに生かしながら、一つの可能性を示したのが、『マッシュ』(M.A.S.H.—七〇年)であろう。 『マッシュ』は、アメリカ喜劇の流れの一つ〈ずっこけ軍隊物〉の果てに生れた快作である。  第二部にも書いたように、シチュエーション・コメディの一種である〈軍隊喜劇〉は、第二次大戦後、とくに盛んで、そこでは軍律をどこまで破るかということが笑いのタネになる。酒と女に狂うずっこけた兵隊たちが、最後には、辻《つじ》つまを合せ、星条旗に敬礼して終る、というのが一つのパターンである。 『マッシュ』では、朝鮮戦争当時の移動野戦外科病院に現れた三人の外科医が、軍律はおろか、盗み、覗《のぞ》き、その他あらゆるハレンチ行為を、きわめて無感動におこなうのが笑いを呼ぶもととなっている。彼らは、いってみれば、最後まで、ずっこけっ放しである。その狂躁的厭戦《えんせん》ぶりは、あきらかにヴェトナム戦争にもとづいている。GIのヒッピー・スタイルからみても、一見、風俗を忠実に再現しているかに見えて、実は、そうではない。朝鮮は仮りの舞台で、実は二十年後のヴェトナムが、作る側のイメージにある。 〈ずっこけ〉というのは、いうまでもなく古典落語から出た言葉だが、六〇年代終りのすぐれたアメリカ映画の特徴は、人間は本質的にコッケイで、たよりないものだ、という認識に立っていることであろう。  戦後のアメリカ映画は、いわゆる〈ハリウッド主義〉を排し、〈英雄も、また、人間であった〉式の〈くそまじめ〉リアリズムにのめり込んで行った。  六七年に現れた『俺たちに明日はない』(Bonnie and Clyde)は、ヒーローもヒロインも喜劇的である点で、画期的である。彼らは喜劇的であると同じくらいに悲劇的でもある。ここに至って、喜劇と他のジャンルの映画の間の垣根はとり払われてしまった。やがて、喜劇的動きが悲壮美と背中合せにある『明日に向って撃て!』以下のニュー・シネマが続出する。 『俺たちに明日はない』の脚本を書いた、D・ニューマンとR・ベントンは、フランソワ・トリュフォーの『ピアニストを撃て』(六〇年)の影響を受けたという。『ピアニストを撃て』は、ギャング映画だが、喜劇味と恐怖と悲劇が同居している類のない名作であった。  ニューマン、ベントンの次の脚本は『大脱獄』(There Was a Crooked Man……—七〇年)だが、この中で、ウォーレン・オーツ扮《ふん》する悪漢のいる酒場に、善意にみちた古典的保安官ヘンリー・フォンダが乗り込んでくるシーンがある。フォンダが拳銃を抜くと、バーの主人は、カウンターの蔭《かげ》にかくれる。悪漢は動けない。ところが、保安官は殺す気がないことを示すために拳銃をテーブルにおき、とたんに悪漢に撃たれて、床にノビる。その悪漢をバーの主人がやにわに大トンカチで張り倒す〈G293〉——といった、意外な展開がみられる。  保安官と悪漢の対決すら、このようにずっこける。『夕陽に立つ保安官』の保安官、ジェームズ・ガーナーは、撃ち合いの途中で、タンマをかける。呆然とする悪漢たち。保安官は道の向う側にわたり、また撃ち合いが始まる〈G294〉といった具合だ。 『マッシュ』の主人公たちも、こうした意味で、どこか関節が外れたようなところがあり、彼らの無意味な行動が、戦争の無意味さの陰画となっているのが特徴である。ドタバタの笑いを、ドキュメンタリイ風に撮るというロバート・アルトマン監督の試みも成功の一因だ。  しかも、細部には、アメリカ喜劇らしい芸がある。 〈G295〉 エリオット・グールド軍医が赴任してくる。ドナルド・サザーランド軍医がマーティニをすすめると、グールドは、 「きみら、オリーヴを使わんのか」  と呟き、防寒コートの下からオリーヴの実の入ったびんをとり出す。 〈G296〉 患者の首筋から血が吹き上げるのを、軍医は指でとめる。脳の手術では、画面外からゴリゴリといやな音がきこえる。 〈G297〉 インポになったと思い込み、自殺するという歯科医のためのディナーの席の人物たちが〈最後の晩餐《ばんさん》〉と同じポーズをとる。  このようなエピソードの末に、フットボール試合がくる。莫大な金がかかった試合は、敵味方ともにアンフェアの限りをつくす。  このシークエンスには、『御冗談でショ』で、グラウチョ・マルクスの大学総長が、へたりこんだ選手たちに策をさずけると、それは敵方のチームだった〈G298〉、というような、とび抜けたギャグはないが、タイミングよろしく笑わせる。  とくに敵方が混ぜているプロ選手に、大混乱の中で注射をしてフラフラにさせたり〈G299〉、ボールを隠し持った味方の選手が退場するみたいに歩き出し、味方の応援団が「どうした?」と叫ぶと、ちらっとボールを見せて、いきなり走り出す。彼方ではボールが消えたので大さわぎしている〈G300〉、といったルーティーンの使い方が、きわめて自然で、新鮮であった。カンヌ映画祭でグランプリをさずけられたのは当然である。  大島渚の映画は、重厚・深刻の見本みたいに思われているが、『絞死刑』(六八年)は、ブラック・コメディの範疇に属すると考えられる。  この作品が、ヨーロッパで評価を得たというのは、本質が不条理喜劇であるからにちがいなく、絞死刑にされた男がどういうわけか生きている——という、とてつもない発想のおかしさ自体が、もう少し評価されてよかった。  絞首されたR少年が眼をあけると、   保安課長「生き返った!」   医務官「生きていることは、さっきから生きてますよ、一回も死んでいないのですから」  といったコッケイなやりとりから、Rに彼の〈犯罪〉を納得させるべく、死刑に立ち会った役人たちが、Rの生きてきた過去を、役をとっかえひっかえ演じてみせるグロテスクぶりのエスカレーションの果てに、   R「人を殺すのは悪ですか。……では、死刑で私を殺すのも悪ですね」  という問いかけが出てくる。  死んでいなければならぬはずのRが、生きているばかりか、徹底的に論理的な問いを発するのだが、そのミもフタもない論理性ゆえにおかしみが湧《わ》いてくる。なぜ、なぜ、と問いつめて、「国家がある限り、ぼくは有罪です」と納得すると、「いま死にます」とRは言うのだが、無限の質問という古典喜劇のルーティーンを活用して、一つの長篇《ちようへん》を構築したところに、この作品のオリジナリティがある。  論理的といえば、ジョセフ・ヘラーの『キャッチ−22』は、複雑な構成、狂気と紙一重のギャグにおいて、ならぶもののない反戦文学の傑作だが、マイク・ニコルズによるその映画化もまた、大きな期待を私に抱かせた。マルクス兄弟の狂笑の系列として、作家ヘラーと、コメディアン(今は監督)マイク・ニコルズの名がしばしば挙げられていたからだが、だが、映画化された『キャッチ−22』(七一年)においては、その結合は、むしろマイナスに作用したようであった。 第四部 幼年期の終り 第一章 幼年期の終り  ここで、もう一度、おさらいをしておこう。  アメリカのスラップスティック喜劇は、一九一二年から、さかんに製作され始め、一〇年代のうちに、状況やギャグの大半のパターンは出尽してしまった。そして、二〇年代に入ると、チャップリン、ロイド、キートンといった、おのれのスタイルをもった役者は長尺物をつくり始め、古いギャグを自己流に消化することによって名をあげる。一方、巨大な混沌《こんとん》ともいうべきスラップスティック役者たちは次々に脱落し始める。  もしも、ローレル〓ハーディが、一九一〇年代から映画を作っていたら、いまほどに名前が残ることはなかったのではないか。幸いにも(?)彼らがコンビを組んだのは、サイレント末期の一九二六年であり、それからの二、三年に面白い短篇を立てつづけにつくるのだ。  キートンが最後のサイレント喜劇を作った年、そしてマルクス兄弟がトーキー映画『ココナッツ』で登場した一九二九年に、アメリカ映画の〈幼年期〉は終った、と考えても、あながち、私の独断にはなるまい。 (私がこの程度の知識を得たのは、敗戦直後のフィルム不足のころに、そえ物として上映されていたラリー・シモンやモンティ・バンクスの短篇類、及び昭和二十年代後半になぜかWBが放出したベン・ターピンを中心とする二巻物のたぐい、そして、テレビ局が多量に買いつけた役者の名前も分らぬ——ロイド・ハミルトンだけは分ったが——一九一〇年代のグロテスクな短篇群、パリで見たロスコー・アーバックルとキートンのコンビの二巻物などによってで、とくに、テレビ局の重役が勝手に買いつけてきてしまったとかいう無数の短篇は、一九一〇年代というものを教えてくれた、わがシネマテークであった。)  一九二九年、あるいは区切りをよくして一九三〇年に、サイレント喜劇の黄金時代が終ったというのは、今日では、いわば定説といっていい。  それは、いわば、終るべくして終ったので、トーキーの出現は、いわば、崩壊のきっかけに過ぎなかったのではないか、と私は想像する。チャップリンの『黄金狂時代』(二五年)、『サーカス』(二八年)、『キートン将軍』(二六年)を見れば、それが或る極限にまで達していたのは明らかであろう。  トーキーに入ってからは、パラマウント社が積極的に奇想天外な喜劇を作ったが、その中で抜きんでていたマルクス兄弟については、あとで触れることにする。  サイレント喜劇のギャグのパターンは、ディズニー、フライシャーらの漫画映画に流れ込み(というより、とりこまれ)、飛躍の精神は、レオ・マッケリイの喜劇や音楽映画(いずれもパラマウント)に生かされた。  くりかえすようだが、一九六〇年前半に始まったスラップスティック喜劇の復活は、商業的な意図によるものと、作家の内的なのっぴきならぬ方法としてドタバタを採用したものの、二つに分けられると思う。  それは表面的には、たしかに賑《にぎ》やかであり、はなばなしく、騒々しくさえあった。  だが、冷静に考えると、『博士の異常な愛情』、『ラヴド・ワン』、そしてすぐれた商業喜劇として『マッシュ』——この三本ぐらいしか印象に残っていないのは、なぜだろうか。  もちろん、ポランスキイの『袋小路』や『吸血鬼』も面白い。だが、これらを、喜劇といってしまうには、ためらいが残る。そして、じつは、『博士の異常な愛情』や『ラヴド・ワン』だって、喜劇(と私は思うのだが——)といいきっていいか、一般的には疑問が残ろう。  むしろ、〈反体制〉的看板で売り込まれた『マッシュ』こそ、もっとも伝統的なアメリカ喜劇なのである。あのラストが、フットボール試合ではなく、流血また流血の大手術の光景で終るべきだと力説した知人がいるが、なに、あのフットボール試合は、マルクス兄弟の『御冗談でショ』のクライマックスであるインチキ・フットボール試合の再製《リメーク》なのですよ。ギャグだって、同じだもの。(ロバート・アルトマン監督はマルクス兄弟の崇拝者であり、グラウチョ・マルクスは『マッシュ』を〈rowdy and funny〉とホメている。)  そうだ。もう一本、世界的にヒットした商業喜劇がある。ピーター・ボグダノヴィッチの『おかしなおかしな大追跡』(What's Up, Doc?)で、この若い才人は『ラスト・ショー』(The Last Picture Show—七一年)という渋い秀作で、〈開拓者の夢〉の終りを描いてみせ、かえす刀で、徹底した商売人である一面を示してみせた。 『おかしなおかしな大追跡』は、ハワード・ホークスの『赤ちゃん教育』(三八年)の再製《リメーク》であり、それへのオマージュである。  ボグダノヴィッチは、もと映画批評家で、ホークスやジョン・フォードを敬愛している。才気充分なこの監督は、オ堅イ男に大胆な女が惚《ほ》れてトラブルがおこるという三〇年代シチュエーション・コメディのパターンに、当世向きのドタバタ趣味を飾りつけ、神経のこまかい演出を見せたが、私は、全巻を通して、二度ほど、笑っただけだった。  この映画は、アメリカでの評判はきわめてよろしくない。つまり、まだ具眼の士がいるということであろう。「この映画を面白いといわなければならないのは、いかに喜劇の質が落ちているかということだ」という批評など点の甘い方で、「ニューヨーカー」など〈失敗作〉の一語で片づけている。  日本では、やれ破壊のエネルギーがどうのこうの、と鈍感な批評家たちが書いた中で、双葉十三郎の「〈心〉がない」という一行の批評が光っていた。  考えてもみるがいい。どのように奇想天外な組合せの男女だろうと、ふざけた設定だろうと、三〇年代、四〇年代の喜劇の中におけるヒーローとヒロインの幸福な未来は、監督がまず信じており、そのために、私たちもまた、それを信じられたのであった。それがクーパーとジーン・アーサーであれ、ケイリイ・グラントとカサリン・ヘプバーンであれ、ヘンリー・フォンダとバーバラ・スタンウィックであれ、作者たちは、とにかく、彼らの幸せを念じたのである。だから、とうてい起りえないような奇蹟《きせき》が、フィルムの中では起ったのだ。 『ラスト・ショー』で、アメリカ映画が大衆の内部にはぐくませる夢の終りを描いてみせたボグダノヴィッチは、初めからそんな甘さはもっていようはずがない。ヒーローとヒロインの最後の結びつきだって、もちろん信じてはいないのだ。そこで、物語そのものを、一九四〇年代映画にまつわるフェティシズム(WB漫画、『カサブランカ』の有名なピアノ曲)でふちどることによって、これは、あくまでもオハナシなのです、と強調し、才走った一席を弁じてのけた。  世界中が、この種の喜劇に飢えている状態だから、アムステルダムでも、マドリッドでも(ここは行列していた)、ローマでも大ヒットだった。私は試写で一回、劇場に家族づれで行って一回、さらにニューヨークからロスまでの飛行機の中で、もう一度、見せられた。  題材からいってもB級の内容のものが、こうも騒がれるのは只事ではない。ただ、アメリカのジャーナリズムが、日本のそれとちがうのは、商業価値と作品評価を断乎《だんこ》として混同しない見識にある。商業的に成功しても(これは、じつは、商業映画なのだから、あたりまえなのである)、作品は認めないという、はっきりした態度をとる「ニューヨーカー」その他のジャーナリスト及び批評家の態度は正しいと思う。 『おかしなおかしな大追跡』を含めて、六〇年代からの映画人のスラップスティック志向には、根本的なカンちがいがあったように私には思われる。  一九一〇年代のスラップスティック・コメディのもつ、あの無垢《むく》な感触は、人間でいえば、幼年期に特有の〈ある無邪気さ〉の発露といって、そう、まちがいではないと思う。  それから五十年、ないしは六十年を経て、もう一度、そうした〈無邪気さ〉をとり戻す、または、そうした精神に戻って、ある至福の状態をつくり出そうとするのは、いわば、オトナが幼児の精神を身につけようと努力するような、奇怪ともいえる発想である。  それが、たとえば、『地下鉄のザジ』のように、技法だけの問題であるならば、どうということはない。  だが、それを、自分の生き方として、内的に、骨がらみにとり込んでしまった人もいないではない。リチャード・レスターは、さしずめ、その代表例であろう。あるいは、レスターは、そのような〈無邪気さ〉の喪失を百も承知で、無理な、喜劇作りをつづけていたのかも知れない。  いずれにせよ、〈幼年期〉は遠く去り、ぜったいに戻ってはこないのだ。隣の家の娘と抱き合うべく離れ技を展開するバスター・キートン(Neighbors—二〇年)は笑えても、同じ状況で苦闘する現代のコメディアンは、いたずらに私たちをシラけさせるだけである。  ここで、第二部において、〈白痴的アチャラカ〉と評したジェリー・ルイス(じつは、今となっては、この評語すらホメ過ぎではないかと思えてくるのだが)のその後に触れておこう。 『底抜けてんやわんや』について私は〈チャップリン的〉と書いたが、その後のルイスは、チャップリン的自作自演の辿《たど》る最悪の道に落ちて行った(例・『底抜けもててもてて』、『底抜け便利屋小僧』)。ひょっとしたら、という気もして、日本に入った作品の大半は見たが、やがて、輸入さえされなくなった。  アメリカでも相手にされなくなり、ヨーロッパで映画を作ったという話をきいた。私が〈チャップリン的〉と評したのは形容であるが、当人が、成上ったあまり、本当に、そんな気になったらしいという記事も読んだ。  たまたま、カサブランカ市の中心部で、彼の"Which Way to the Front?"(七〇年)を見た。これは驚いたことに、『チャップリンの独裁者』を意識した作品で、ルイスが、星条旗のためにナチスと闘う話である。  私は、フランス人が、ルイスをホメあげたりするのは、フランスにこれといった大物コメディアンがいないせいだと考えている。(ルイ・ド・フュネスでは老人すぎたのだろう。)ゴダールなどが、一時、持ち上げたせいもあるかも知れない。(ゴダールは、ルイスを、ハリウッドへの反抗者とカンちがいしたのである。そのころ、ルイスは、まったく独善的なギャグ〈?〉ばかりの映画を作っていた。それがゴダールの眼には、〈自立〉と見えたらしい。)  だが、これらの、強引で独断的なデッチ上げ的〈好評〉が、当のジェリー・ルイスを狂わせたことは確かである。  もともと、寄り眼と奇声と関節の外れたような歩き方しか売り物がなかったルイスは、それらを全部やめてしまった。彼は、ナチスの高官とアメリカ人の二役(この発想は、もちろん、チャップリンの真似である)を重々しく演じ、しかも、ナチス高官とヒットラーの出逢いのシーンでは、抱き合おうとした二人が左右にすれ違う、極度に古いギャグを、スローモーションで見せる。いうまでもなく、『チャップリンの独裁者』の中の〈地球儀の踊り〉の拙劣な模倣である。監督・主演ジェリー・ルイス——見ている方が恥しくなるような代物であった。  一九七二年に、ロス・アンジェルスでテレビを見ていたら、ジョニー・カースン・ショウの十周年記念番組で、ジャック・ベニー、ジョージ・バーンズを筆頭に、ダイナ・ショアが中堅、ルイスはその下ぐらいの格で出演していた。スタイルは悪くないのだが、眼つきが妙に神経質であり、あごが太くなったために、そこにあるたてのみぞが目立つのである。  なにを喋《しやべ》っても座がシラけるので、遂に、ルイスが、 「ねえ、これだけのエンタテイナーがカリフォルニアに集っているのに、どうして、もっと、しょっちゅう、逢わないのだろう?」  と、〈心暖まる〉ルーティーンの台詞《せりふ》を吐くと、ジョニー・カースンが軽くいなした。 「逢わないって? あなた、嫌われてるんだよ……」  "Vogue"の一九七二年十二月号に、"Woody The Great"という記事があって、ウディ・アレン(Woody Allen)が、チャップリン、キートン、グラウチョ、ハーポの四人に扮《ふん》した写真を特集している。  そう簡単にGreatなんていわれても困るのだが、ジェリー・ルイスに象徴される五〇年代、六〇年代の笑いの荒野の中で、アレンの喜劇映画を見ると、満足はしないまでも、いささか、ほっとさせられるのは事実だった。  当時、「ニューヨーカー」誌は、ウディ・アレンを"Jewish Buster Keaton"と形容していたが、それから約十年、彼は〈道化のプリンス〉として、押しも押されもしない立場になった。現在、アメリカの喜劇人についての本をみると、必ず、〈チャップリンからウディ・アレンまで〉という扱いになっており、それを認めぬわけにはいかない。  一九三五年、ブルックリンに生れた彼は、若くして、人気テレビ番組のギャグ作家《ライター》になった。シド・シーザーというコメディアンの番組(一九五〇〜五四)の作家《ライター》になったのは、ハイスクールを出るか出ないかのころだ。この番組の作家群の中には、気になる名前がさらに二つある。すなわち、メル・ブルックスとニール・サイモン。  ウディ・アレン、メル・ブルックス、ニール・サイモンの三人は、それぞれのスタイルで、七〇年代のアメリカ喜劇をになってゆくのだが、これを詳細に記すためには、一冊の書物が必要になる。  本書の側面からスケッチすれば、一九六五年に初めて映画の脚本を書いたウディ・アレンは、自作自演の『泥棒野郎』(Take the Money and Run—六九年)、『バナナ』(Bananas—七一年)で頭角をあらわした。  そのころのアレン喜劇は、背が低く、若いのに禿《は》げかけた、みるからに滑稽なユダヤ人の青年が幸福を求めて奮闘する、というアメリカ喜劇の伝統に則《そく》したものであったが、主人公が病んでいるのが特徴であった。とくに、弱気なサラリーマンが南米某国の革命にまき込まれ、独裁者になる『バナナ』は出色の出来で、マルクス兄弟映画の影響ありと評された。  役者としてのアレンはうまくはないが、アイデア、ギャグに見るべきものがあった。視覚的《サイト》ギャグの集大成は、"Love and Death"(七五年)で、ダイアン・キートンが意外なコメディエンヌぶりを見せ、イングマル・ベルイマンの影響もあらわれて、アレン喜劇は大きく変貌《へんぼう》することになる。  神経過敏なスタンダップ・コミック(日本でいう漫談芸人)が別れた恋人(ダイアン・キートン)について語る『アニー・ホール』(Annie Hall—七七年)は、一種の私映画であり、アカデミー賞の作品賞、脚本賞、監督賞、主演女優賞を得た。以後、〈道化のハムレット〉と化したアレンは、主として、ベルイマンやフェリーニの影響下にある作品を作りつづける。  一九二六年、ブルックリンに生れたユダヤ人メルヴィン・カミンスキー——メル・ブルックスは、シド・シーザーの番組や「それゆけ! スマート」の脚本で地歩をかため、六七年に映画製作を始めた。  映画キャリアの中で記すにあたいするのは、一九七四年に発表された二本の作品である。 『ブレージングサドル』(Blazing Saddles—七四年)は、五〇年代の大型西部劇のパロディ(スプーフと呼ばれるが——)であり、脚本・監督がメル・ブルックス。五人の脚本家の中に、今を時めくリチャード・プライアの名があるのにびっくりさせられる。  この映画に主演したジーン・ワイルダーがひそかに暖めていたのが、フランケンシュタイン・スプーフである。『ヤング・フランケンシュタイン』(Young Frankenstein—七四年)は、ジーン・ワイルダーとメル・ブルックスが脚本を書き、メル・ブルックスが監督し、ジーン・ワイルダーが主演した白黒映画であり、〈スラップスティックを混ぜたパロディ〉の傑作となった。  七〇年代には下らないスプーフ・ムーヴィーが続出したが、『ヤング・フランケンシュタイン』のみは屹立《きつりつ》しており、以後は、メル・ブルックス自身、低迷をつづける破目になる。 〈無邪気な〉ドタバタ喜劇を作るのが不可能と考えられる現代で、奇蹟的に夢を実現させた作品がある。あまりにも無造作に提出されたので、だれもその意義に気づかなかったほどだ。作品は『ブルース・ブラザース』("Blues Brothers"—八〇年)。一九六三年いらいのさまざまな試みを嘲笑《ちようしよう》するかのように、あっさりと〈スラップスティック・コメディ〉を成立させてみせた。  孤児院出身の二人組(ジョン・ベルーシとダン・アクロイド)が、孤児院が滞納した税金分の五千ドルを入手するためにコンサートを開く——という単純この上ない設定と直線的ストーリーは、ダン・アクロイドとジョン・ランディス監督による。この設定を生かしたのは、ノッポのダン・アクロイドと〈悪意を持ったコステロのような〉デブのジョン・ベルーシの古典的二人組である。コメディ・チーム不在の現代では、これがすでに珍しい。  もう一つの見せものは、後半のカーチェースと徹底した破壊ぶりである。多くの〈意欲的〉映画人が果せなかったスラップスティックの無垢の祭典を、若いジョン・ランディスは軽々と実現してしまった。さらに呆《あき》れるのは、この映画全体、及び、ジョン・ベルーシの肉体に、感嘆するほどの〈無邪気さ〉が溢《あふ》れていたことである。この〈無邪気さ〉は何だろうか、と考える間もなく、ベルーシは八二年三月に天国へ行ってしまった。  さて、私は、ここで、トーキーに入ってすぐ、立てつづけに、奇妙な光芒《こうぼう》を放ったマルクス兄弟に、立ち戻らなければならない。  この不可思議な存在——サイレント・コメディアン特有の〈無邪気さ〉をもつことを許されなくなった時代に登場してきた四人組の喜劇の世界には、なにか現代と強くかかわるものがあるらしく、六〇年代末から、急速に再評価されてきた。  たとえば、『博士の異常な愛情』に出てくる愛国兵士の好戦ぶりには、マルクス兄弟の代表作『我輩はカモである』と似通うものはなかったか? 『ラヴド・・ワン』に至っては、宣伝ポスターに、〈ネクロフィリアのマルクス・ブラザーズ〉という惹句さえついていたではないか!  この長い評論を閉じるにあたって、私は、喜劇映画史上の最高の作品と考えられる『我輩はカモである』を分析してみたいと思う。製作は一九三三年——〈幼年期の終〉った直後である。 第二章 フリドニア讃歌《さんか》 『我輩はカモである』作品分析  一九六七年春、カナダ、オッタワの映画保存協会は、世界四十ヵ国の批評家にアンケートを出して〈映画史上のコメディ・ベスト10〉を選んだ。これは、一つの遊びにすぎないが、なにかの参考にはなろう。  1『黄金狂時代』(二五年)  2『キートン将軍』(二六年)  3『オペラは踊る』(三五年)  4『ぼくの伯父さんの休暇』(五二年)  5『我輩はカモである』(三三年)  〃『モダン・タイムス』(三六年)  7『ル・ミリオン』(三一年)  〃『マダムと泥棒』(五五年)  9『イタリア麦の帽子』(二七年)  10『要心無用』(二三年) (5位、7位は二つとも同点なり)  マルクス兄弟の作品であげられているのは『オペラは踊る』と『我輩はカモである』である。『マルクス兄弟のおかしな世界』(晶文社)の著者ジンマーマンも『オペラ』をトップにあげ、そして、だれよりもグラウチョ自身がそう主張しているのだが、そこには、『オペラ』が彼らにとって快適に製作され、大ヒットしたという事情が含められてもいるのである。  それに比して『カモ』の方は、マルクス兄弟の挫折《ざせつ》の記念碑である。輝かしいパラマウントの〈初期マルクス五部作〉は、この映画の不評と不入りで打ち切られ、一年の間をおいて、MGMに移った彼らは『オペラは踊る』で再起する。当事者にとって、どちらの作品が好ましいかは自明の理であろう。 「『我輩はカモである』は、他のマルクス兄弟映画と隔絶している」  と、アレン・アイルズは"The Marx Brothers: Their World of Comedy"に記しているが、両者を見くらべれば、その優劣はあまりにも明瞭である。この映画の〈わけのわからなさ〉(巷《ちまた》では不条理とも呼ばれる)は、まさに、マルキシズムの真骨頂といってよい。  さて、うっかり〈分析〉するなどと書いたが、じつは、〈分析のためのメモノート〉ぐらいなところで終ることは、私にも分っているのである。だいいち、私は、この映画を、まだ、三回しか見ていないのだから。 『我輩はカモである』(いちいち書くのには面倒なタイトルだが、"Duck Soup"をうまく訳したものである)を私は、もっと複雑な映画だと思っていた。独裁政治と戦争を扱っていると知っていたからだが、実物は、一見、じつに単純な戦争ヴォードヴィルであった。……だが、日が経つにつれて、印象が深くなり、いわば重層的なイメージに変化してくる。これは、監督のレオ・マッケリイすら計算できなかった効果であろう。  ……タイトル・バックは、四羽の鴨《かも》が鳴きわめいている光景である。(『ダック・スープ』という題名をグラウチョはなにか説明できるらしいが、これはまた、レオ・マッケリイが一九二七年につくったハル・ローチ・プロのオールスター喜劇の題名でもあった。)  ヨーロッパの架空国家であるフリドニア。そこの大統領が決定したという新聞記事——その名は、ルーファス・T・ファイアフライ、写真はグラウチョ・マルクスその人である。  ファースト・シークエンスは大統領の就任式である。ミセス・グロリア・ティーズデール(マーガレット・デュモン)があらわれ、各国の大使と挨拶を交す。その中には、シルヴァニア国の大使トレンティーノ(ルイス・カルハーン)がいて、いかにも優雅な悪役らしくふるまう。この国を支配しているのは、じつは、億万長者の未亡人グロリアであり、グラウチョはそれを蕩《たら》しこんでいるだけだ。トレンティーノは隙あらば未亡人にとり入ってやろうと、未亡人の秘書ヴェラをスパイにしている。  人物関係を手短かに紹介してから、大統領秘書のゼッポが、時計が十時を打つと大統領がお出ましになる、とミセス・ティーズデールに告げる。  一同はその意味の歌を合唱し始め、やがて、時計が鳴り始める。  中央の階段につづく通り道の左右に衛兵がならび、荘重な国歌をうたい出す。なぜか、バレリーナたちが花びらを絨毯《じゆうたん》にまき散らしながら階段をおりてくる。次は〈大物〉の出番であろう。   一同「ヘイル、フリドニア!」  ……〈大物〉は出てこない。一同はシラけきり、やむなく、もう一度、国歌をくりかえす。  その歌声を遠くにききながら、グラウチョ大統領は眼をさます。白いガウン状のナイトシャツをすっぽり脱ぐと、いつもの貧しげな服装である。どうやら自分の就任式らしいと気がついて、消防夫用の柱につかまって、階下にすべりおりる。  それから衛兵の末端の一人をつかまえて、「だれか、くるのかい?」と訊《き》く。  衛兵がうなずくと、グラウチョは、片手に葉巻を握って突き出し、刀を構えた衛兵たちの列に加わる。  ミセス・ティーズデールは、衛兵たちの外れにグラウチョを発見して、宮廷風の出迎えの言葉をうやうやしく述べる。グラウチョは、いきなり、トランプを出して、彼女に一枚、抜きとらせる。  さて、グラウチョは施政方針を歌と踊りで示したのち、「車を呼べ!」と叫ぶ。この声は次々に伝えられ、サイドカーつきのオートバイに乗ったハーポが中庭に入ってくる。グラウチョがサイドカーに乗ると、ハーポのオートバイだけが走って行ってしまう。  一方、シルヴァニア国。陰謀家のトレンティーノは、二人のスパイをグラウチョにつけている。チコリーノ(チコ)とピンキー(前出のハーポ)である。  トレンティーノが記録《レコード》を出せ、というと、ハーポは、ぱっと一枚のレコードを出す。トレンティーノがレコードを投げすてると、ハーポは拳銃でそれを打ち砕く。ハーポは鋏《はさみ》であらゆるものを切りまくり、チコの報告はでたらめをきわめている。トレンティーノと握手したハーポが、相手の手にネズミトリをはさんでゆくのがこの一景のサゲになる。  グラウチョ大統領の方もいいかげんなもので、会議室の外からは木槌《きづち》の音らしくきこえても、中では彼は、全閣僚をまえに、テーブルに向って玉投げをしているだけである。  チコは、スパイのほかに、ピーナッツ売りを兼ねている。ハーポもそこにいて、二人は、隣でレモネードを売っているエドガー・ケネディと喧嘩《けんか》を始める。二人がケネディをあいだにはさんで、帽子の猛烈なとりかえっこをやる有名な場面がここにあり、ハーポはいつのまにかケネディの帽子を燃している。(この喧嘩は、さらにエスカレートするのだが、これがレオ・マッケリイの十八番のテーマであることは、本書の第二部の『素敵な商売《ビツグ・ビジネス》』の項を読みかえして頂けば、明らかであろう。)  グラウチョは露台に姿を見せて、チコからピーナッツを買う。安易にも、グラウチョの気まぐれによって、チコは〈国防大臣〉になってしまう。  とたんにハーポが(なぜか)グラウチョの部屋に入ってきて、自分を売り込み始める。まず、左手首にある自分の似顔の刺青《いれずみ》を見せ、次に右腕の半裸の女の刺青をくねらせてみせる(ストリップの音楽、入る)。次に「おまえの電話は?」ときかれて、シャツをまくり、脇腹の刺青(数字)を見せる。次に住所を問われて、胸をあけると、犬小屋の刺青がある。  グラウチョ、思わず、「ミャーオゥ!」と猫の鳴真似をすると、刺青の犬小屋から本物の犬が首を出して、荒々しくグラウチョに吠えかかる。  さて、トレンティーノがグロリア・ティーズデールにあうと知って、グラウチョ大統領は、屋外パーティへ出かけようとする。  ハーポの運転するお召し車がくる。グラウチョがサイドカーに乗ると、ふたたび、ハーポのオートバイのみ、走って行ってしまう。  グラウチョは、前かがみの大股《おおまた》の歩き方で屋外パーティにのり込んでくる。大統領ともあろう人が、一つのテーブルのドーナッツを失敬し、次のテーブルのコーヒーに漬けて食うという厚かましさ。(ヨーロッパの上流パーティに、ドーナッツが出るだろうか!)  トレンティーノはグロリア・ティーズデールを口説いている。結婚と同時にフリドニアを支配しようという魂胆なのである。  発端部でトレンティーノに「成上り《アプスタート》」といわれたグラウチョは、なだめるグロリアの言葉もきかばこそ、得意の罵言《ばげん》を連発する。両者のあいだは険悪になり、グラウチョは相手の頬に手袋を叩きつける。  不機嫌なまま、グラウチョは、ハーポの車に戻り、今度は用心して、オートバイの方に乗ると、ハーポの乗ったサイドカーのみ走り去り、グラウチョはがっくり、取り残される。  国際情勢のエスカレートと平行して、市井の争いも、また、エスカレートしている。  チコは、ピーナッツの屋台をハーポにまかせる。例のレモネード屋は急に強気になって、ピーナッツを勝手につかんで食べかかる。この争いのエスカレーションは、レモネード屋がピーナッツの屋台をひっくり返して終るが、そのあいだにレモネード屋の方には行列ができている。  レモネード屋はゆっくり商売に戻るが、急に客が逃げ出すのに驚く。ふと見ると、ハーポがレモネード・タンクに汚ない足を突っ込んでかきまわしており、カメラの方を見て、嬉しそうに笑うのだ。  グラウチョはシルヴァニアとの開戦を勝手に決めてしまい、作戦計画書をグロリア未亡人(といっても、堂々たる女丈夫)に渡す。  一方、トレンティーノは、彼のスパイである、グロリアの女秘書に連絡して、作戦計画書を盗む手引きをさせる。ところが、グロリアの家には、グラウチョ大統領が泊っているという次第である。  盗みにあらわれたのは、チコとハーポで、さんざん、ドジを踏んだ挙句、女秘書の手引きで家の中に入る。  二人は次々に失敗したあげく(ハーポはピアノの弦をハープ代りにひいたりして騒々しい)、ようやく、グラウチョを浴室に閉じこめるのに成功する。  これからあとの芸は、三人の兄弟の素顔が似ているという下地がないと、成立しないのである。  まず、チコがグラウチョと同じ顔をつくり、白いナイトキャップに白いナイトシャツで、グロリアの部屋に入る。  チコが喋り出すと、大統領の言葉が、まったくイタリア訛《なま》りに変ったので、グロリアは仰天する。 「……いや、イタリアでスパイをするための訓練だ」とチコはごまかす。  とたんに、まったく同じ(グラウチョの)扮装でハーポが入ってくる。チコはびっくりして、ベッドの下にかくれる。  ハーポの表情も動きもグラウチョそっくりだが、いかんせん、彼は唖《おし》である。うろうろしたのち、金庫の番号を書いた紙をグロリアに渡されて、部屋を出てゆく。  ほっとしたグロリアがドレスを脱ぎかけると、チコがベッドの下から出てくる。 「あなたが出てゆくのを確かにこの眼で見たんですよ!」とグロリア。 「きみの眼とわしの眼と、どっちを信用するね」  とチコは、グラウチョ風のインチキ論理で反論する。 「閣下、水を! 水を!」  叫びながらグロリアはベッドに倒れる。  チコが逃げ出すと、本物のグラウチョがとび込んでくる。 「水、水を……」 「水って、なんのことだ?」  グラウチョは当惑して呟《つぶや》く。  ハーポは、盗み出した数字を見ながら、金庫のダイアルをまわしているが、ダイアルはつまみごとすっぽり抜けて、金庫はそのまま、ラジオになってしまう。しかも、大きな音で「星条旗よ永遠なれ」を鳴らすので、ハーポは、ラジオを窓の外に投げ、その足で壁一杯の鏡に激突して、鏡を割ってしまう。  ここから始まるのが、有名な〈鏡のシークエンス〉である。  グラウチョがかけ降りてきたとき、鏡の破片は片づけられ、何もない。しかし、怪しんだグラウチョは、鏡のまえを通る。そのとき、グラウチョに化けたハーポは、さも鏡の中の人物のように、さりげなく柱の向う側を通るのである。 (これは、おかしい……)とグラウチョは疑う。以下、グラウチョはさまざまな動きを鏡(?)に向ってこころみるが、先方(ハーポ)はどんな動きでもぴたりと合せてしまう。  もっともナンセンスなのは、グラウチョが怪しんだあまり、両者の位置が入れ替ってしまうことで、ごていねいに、もう一度、入れ替って、元に戻る。ハーポが手にもった帽子を落すと、グラウチョがひろってやるという念の入り方である。  ハーポとグラウチョは私生活でも仲良しなのだが、これだけ、呼吸が合うのは、なみ大抵のことではない。顔の似ていることは、うっかりすると、観客がとり違えるほどである。のちには動画でしか可能にならなかったギャグが、肉体で演じられるのが私にはショックであった。 (ここは、ほんらい、グラウチョの独裁者的野心を示すプロダクション・ナンバーを含む重要なシークエンスになるはずなのを、レオ・マッケリイが突然、変えてしまったのだ。この〈鏡のシークエンス〉の撮影を見た脚本家のハリー・ルビーは「あれは何をやってるんだい?」ときいたというから、脚本にはなかったのである。)  さて、その鏡の側に、もう一人、チコが入ってきたので、さすがのグラウチョも(鏡ではなかった……)と気づき、チコの方をつかまえる。  チコは法廷に引き出される。巨大な法廷のセットの中で、遅れてきたグラウチョ大統領は、牛乳とサンドイッチをカバンからとり出して卓上に置く。  検事は銃殺刑を求める。〈国防大臣〉がスパイだったというのだから問題である。グラウチョは途中から、急に、弁護士風に変って「このあわれなチコリーニを見給え」などと、ぶち始める。  そこにグロリアが入ってきて、トレンティーノが、すべてを水に流そうとしていると告げる。グラウチョも、〈平和〉には同意するが、トレンティーノの本心を忖度《そんたく》するうちに、興奮し始める。ひとりで興奮していたために、トレンティーノが入ってきたときは、いきなり、相手の頬を手袋で打ってしまう。「戦争だな!」とトレンティーノは叫ぶ。  これをきっかけに、グラウチョ、ハーポ、チコ、ゼッポの四人が、戦争に向って昂揚《こうよう》してゆく民衆の精神を、ニグロ・スピリチュアルやヒルビリイ・ソングのスタイルでうたいあげ、閣僚から民衆までが狂乱する凄《すさ》まじいミュージカル・シーンが展開する。背後の民衆の動きが整理されていないのが、かえって凄《すご》みを増す。ギャグと音楽を詰め込んだこのナンバーは、筆では表現しようもない。  つづいてポール・リヴィア(独立戦争当時の唖の愛国者)の扮装をしたハーポが白馬で町を走り抜けるが、窓に半裸の女が見えたので(曲は二〇年代のヒット曲に変る)、馬をおりて、中に入ってゆく。  女はハーポの相手になるというが、そこに亭主が帰ってくる。ハーポは浴室にかくれる。ところが、亭主もまた、風呂に入るという。  この亭主は、例のレモネード屋である。彼が湯にひたると、ブッとラッパの音がする。少しずつ体を沈めると、ブッ、ブッ、とラッパが鳴って、やがて、ラッパを吹きながらハーポが湯の中から出てくる……。  ハーポはまた馬をとばしてゆく。別な女が窓から呼ぶと、ハーポは馬ごと、女の家に入ってゆく。  ……やがて、ベッドの脇に、ハイヒールが二つ、ハーポの靴が二つ、馬の蹄鉄《ていてつ》が四つ。が、ダブルベッドで寝ているのは、ハーポと馬である。 〈鏡のシークエンス〉や〈開戦ミュージカル〉にくらべると、これからあとの戦争シーンは、第一次大戦のフィルムとギャグのコラージュのようなもので、手を抜いたのか、わざとそうしたのかよく分らないものである。  グラウチョはギャング口調で味方を撃ち、ゼッポに注意されると、チップを五ドルやるから黙っていろと言う。大きな弾丸が窓からとび込んで反対側に突き抜けると、グラウチョは窓の日除けをおろして防ごうとする。  彼らが味方に助けを求めると、消防車の群れ、白バイの群れ、ランニング選手たち、ボートの群れ、水泳選手のいっせい飛び込み、走る象、猿の群れ、イルカの群れのフィルムがフラッシュバックされ、やがて、トレンティーノはフリドニア軍の小屋のドアに首をはさまれる。兄弟はトレンティーノにオレンジ(リンゴという説もあるが、画面では不明)をぶつけ、トレンティーノは降伏する。  グロリア・ティーズデールは急に「ヘイル、フリドーニア」とうたい出す。声が高音になったところで、四人組は、この愛国的な婦人に向って、オレンジをぶつけ始め、映画はぶった切るように終る。  あきらかにヨーロッパの王国であるにもかかわらず、会話や風俗がアメリカ風であり、音楽もすべてアメリカ風である。しかも、ハーポは独立戦争当時の衣裳《いしよう》で白馬に乗っている。これらのシュールリアリスティックな効果がつみ重なって出来たのがフリドニア国なのであった。  この映画はヒットラーの抬頭《たいとう》する時代につくられたが、べつに特定の国や個人を諷刺《ふうし》したものではない。ヒットラーだけはいくらか念頭にあったろうし、その意味では、これは、ルネ・クレールの『最後の億万長者』や『チャップリンの独裁者』の先駆的作品ともいえる。 〈フリドニア〉はアメリカではない、と力説している批評家もいるが、アメリカではない、ともいいきれぬのが、この映画の強味なのである。  監督のレオ・マッケリイは、ギャグまたギャグの〈おかしさ〉だけを心がけ、だが、グラウチョは、マッケリイの発想そのものがサイレント喜劇臭いと、撮影中に批判的だったという。そのせいか、マッケリイは、トラブルの多い連中(マルクス兄弟の意)と仕事をするのは厄介だとのちに語り、この映画にはまったく愛情を持っていない。じじつ、マッケリイが好きなのはハーポひとりであった。一方、グラウチョもまた、この映画はキチガイじみすぎていると考えている。  純粋に〈おかしさ〉だけをめざした喜劇が、見る者の心を抉《えぐ》るような力を今でも持っている事実は、改めて考えられてもいいことだろう。グラウチョは支配者の立場から、ハーポとチコはすれっからしの民衆の立場から、国家という権威を攻撃し、架空の国フリドニアを解放するとともに、いわゆる〈愛国者〉に向ってオレンジを投げつけた。おそらく、彼らはいまだに、オレンジを投げつづけているにちがいない。 あとがき 「世界の喜劇人」という書名は、なんだか大げさであって、本当は、「ムーヴィー・コメディアンズ」といったものが、ふさわしいように思う。「世界の喜劇人」とは、あくまでも、「日本の喜劇人」(新潮文庫)と対《つい》になった書名、ぐらいにお考えいただきたい。  本書には、三つの異本《ヴアリアント》がある。それらを簡単に記しておくと——、   a「喜劇の王様たち」(校倉《あぜくら》書房・一九六三年)   b「笑殺の美学」(大光社・一九七一年)   c「世界の喜劇人」(晶文社・一九七三年)  の三冊であり、現在は、いずれも絶版になっている。  aは、本書の第二部にあたる「喜劇映画の衰退」三百枚(「映画評論」一九六一年二月号〜六月号)を中心にして、若干のエッセイを加えたものである。 「喜劇映画の衰退」は、一九六〇年(執筆時)に、世界的に黙殺されていたマルクス兄弟に光を当てたことで、少数の読者を得たように思う。(少数というのは決して謙遜《けんそん》ではない。この本は殆どの取次店が〈ジャンル不明〉として受けとらず、著者である私が印税の一部として本二百冊を受けとるハメになった〈呪《のろ》われた処女出版〉でもあった。)マルクス兄弟が世界的に支持を得るのは一九六八年からである。だから、ここで私が力説している対象は、あの〈神格化された兄弟〉ではなく、〈時代遅れになったコメディアンたち〉なのである。  bは、「喜劇映画の衰退」を第一部とし、第二部として「喜劇映画の復活」を書下した上に、佐藤忠男氏の序文と渡辺武信氏の解説でサンドイッチ状にはさまれたような本だが、出版社が間もなく〈活動を停止〉したために、またしても幻の本となる。なお、「笑殺の美学」という書名は、大島渚氏の命名による。  cは、この文庫版とほぼ同じものであり、「世界の喜劇人」(「新劇」一九七三年二月号)と「幼年期の終り」(書下し)を加えて、定本にした。一九七二年にパリとニューヨークでマルクス兄弟映画をくりかえして観たために、なんとか定本版になった、というのが実感である。  そして、「喜劇の王様たち」出版から丁度二十年たって、この文庫版が世に送られる。もちろん、大きな加筆や訂正があるが、それらは当然のことだろう。  ヴィデオテープが出まわる今日では、マルクス兄弟映画はもちろん、一九三、四〇年代の喜劇映画をそろえるのも可能である。現在、アメリカで評価されつつある〈珍道中映画〉については、別な形で、もう一度考えてみたい。  なお、第四部の『我輩はカモである』紹介は、ヴィデオテープのないころ、ニューヨークの名画座(いまはない「リトル・カーネギー」)でメモをとった産物であるが、ヴィデオテープの普及によって殆ど無駄骨と思われるようになった。しかしながら、私がマルクス兄弟(または喜劇の亡霊)の呪縛《じゆばく》をまぬがれるプロセスの一つだったと、微笑とともに御理解いただければ幸いである。 (一九八三年十月)   この作品は昭和五十八年十一月新潮文庫版が刊行された。尚、電子文庫版では挿入写真を削除した。 Shincho Online Books for T-Time    世界の喜劇人 発行  2000年12月1日 著者  小林 信彦 発行者 佐藤隆信 発行所 株式会社新潮社     〒162-8711 東京都新宿区矢来町71     e-mail: olb-info@shinchosha.co.jp     URL: http://www.webshincho.com ISBN4-10-861044-X C0874 (C)Nobuhiko Kobayashi 1983, Corded in Japan