小島政二郎 海燕 [#表紙(表紙.jpg、横90×縦130 )]   モダン・マダム     一  ガラツ——  玄関《げんくわん》を明《あ》ける音《おと》に、 「オ帰《かへ》ンチヤーイ。」  いきなり、五つになるなつ子《こ》が飛《と》び出《だ》して来《き》た。 「あい、只今《たゞいま》。」  上《うへ》へあがると、 「パパ、お土産《みや》は?」と云《い》ひながら、腰《こし》に纏《まつ》はり附《つ》いて来《き》た。 (また留守《るす》だな。)  海野《うんの》はさう思《おも》つた。母親《はゝおや》がゐる時《とき》とゐない時《とき》では、自分《じぶん》が帰《かへ》つて来《き》た時《とき》の、子供《こども》の喜《よろこ》び方《かた》がまるで違《ちが》つてゐた。 「今日《けふ》はパパ、忘《わす》れてお土産《みや》を買《か》つて来《こ》なかつた。」  海野《うんの》はわざと買《か》ひ物《もの》の包《つゝみ》をうしろへ隠《かく》して見《み》せた。 「嘘《うそ》。」  なつ子《こ》は纏《まつ》はり附《つ》きながら、父《ちゝ》の背中《せなか》の包《つゝみ》を取《と》らうとして暴《あば》れた。 「本当《ほんたう》。これパパの御本《ごほん》だよ。」 「嘘《うそ》。なつ子《こ》のお土産《みや》よ。」  相手《あひて》になつてやりながら、海野《うんの》は茶《ちや》の間《ま》まで来《き》た。 「あ、此奴《こいつ》め。」  子供《こども》は包《つゝみ》を引《ひ》ツたくると、大《おほ》きな笑《わら》ひ声《ごゑ》をあげて向《むか》うへ逃《に》げて行《ゆ》きながら、 「|なか《ヽヽ》や、早《はや》く明《あ》けてよ。」  それまで黙《だま》つて笑《わら》ひながら見《み》てゐた女中《ぢよちう》が、 「お嬢《ぢやう》さん、駄目《だめ》よ明《あ》けちや——。パパさんの御本《ごほん》ですつて。」 「嘘《うそ》。こんな御本《ごほん》ないわ。——早《はや》く明《あ》けてよ。」  |なか《ヽヽ》は茶《ちや》ぶ台《だい》の上《うへ》で、包《つゝみ》の紐《ひも》を解《と》きながら、 「何《なん》でせうね、お嬢《ぢやう》さん?」  なつ子《こ》は待《ま》ち遠《どほ》しさうに、茶《ちや》ぶ台《だい》に両手《りやうて》を突《つ》いて、足《あし》でピヨン/\跳《は》ねてゐたが、|なか《ヽヽ》にさう聞《き》かれて、 「パパ、おもちや? 食《た》べるもの?」 「さ、どつちだらう。当《あ》ててごらん。」 「お人形《にんぎやう》。」 「ハハハ、お人形《にんぎやう》が好《す》きだね、なつ子《こ》は。」 「お人形《にんぎやう》でせう?」 「だつて、君《きみ》は、幾《いく》つも持《も》つてるぢやないか、お人形《にんぎやう》なら。」 「おや/\、お人形《にんぎやう》ぢやないんですつて。」と、|なか《ヽヽ》が二|番目《ばんめ》の結《むす》び目《め》に爪《つめ》を立《た》てながら云《い》つた。 「食《た》べるもの、パパ?」 「さう。」  すると、なつ子《こ》は手《て》で包《つゝみ》の上《うへ》から抑《おさ》へて見《み》た。 「甘栗《あまぐり》だわ。」 「違《ちが》ふ。」 「さうよ。」  やがて解《と》きほぐされた包《つゝみ》の中《なか》から、逸早《いちはや》く袋《ふくろ》を掴《つか》み出《だ》すと、中《なか》を覗《のぞ》いて、 「ホーラさうだ。——|なか《ヽヽ》や、甘栗《あまぐり》よ。ホラ。」  小《ちひ》さな手《て》に一《ひと》つかみ、畳《たゝみ》の上《うへ》にこぼしながら、|なか《ヽヽ》に見《み》せ、もう一人《ひとり》の小《ちひ》さな方《はう》の女中《ぢよちう》にも見《み》せて廻《まは》つた。  海野《うんの》は手《て》を洗《あら》ひに立《た》つたが、茶《ちや》の間《ま》へ帰《かへ》つて来《き》ながら、 「僕《ぼく》はとてもお腹《なか》が減《へ》つてるんだが、何《なに》か支度《したく》してあるかい?」  |なか《ヽヽ》は栗《くり》を剥《む》いてゐた手《て》を止《や》めて、 「あの、仰《おつ》しやつて入《い》らつしやらなかつたものですから、なんにも仕《し》てございませんのですが——」 「ぢや、何《なに》か取《と》つて貰《もら》はう、大急《おほいそ》ぎで——」 「はい。」  間《ま》もなく、彼《かれ》は、丼《どんぶり》が一つしか載《の》つてゐない佗《わび》しい夜食《やしよく》の膳《ぜん》に向《むか》つた。  その時《とき》、手荒《てあら》く玄関《げんくわん》の明《あ》く音《おと》がしたと思《おも》ふと、 「海野《うんの》さん、電報《でんぱう》。」     二   シユジンキトク、オイデヲコフ、タマ  電報《でんぱう》にはさう書《か》かれてゐた。発信局《はつしんきよく》は、大阪《おほさか》の岡町《をかまち》としてあつた。  読《よ》み下《くだ》すと同時《どうじ》に、海野《うんの》の顔色《かほいろ》が変《かは》つた。 「パパ、何《なん》の電報《でんぱう》?」  恐《こは》い顔《かほ》をして、ぢつと電報《でんぱう》を見詰《みつ》めてゐる海野《うんの》の気《け》はひに、なつ子《こ》が傍《そば》から口《くち》を出《だ》した。 「椿《つばき》の小父《をぢ》ちやまが、病気悪《きいきわる》いの。」  云《い》つてゐるうちに、日当《ひあた》りのいゝ、小《こ》ぢんまりした友達《ともだち》の家《いへ》のさまが、海野《うんの》の目《め》の前《まへ》に浮《うか》んで来《き》た。  椿《つばき》と云《い》ふのは、小学校《せうがくかう》も一|緒《しよ》、中学校《ちうがくかう》も一|緒《しよ》、大学《だいがく》も一|緒《しよ》、一|生《しやう》の目的《もくてき》としてゐることも同《おな》じ海野《うんの》の親友《しんいう》の一人《ひとり》だつた。  二人《ふたり》は、戯曲作家《ぎきよくさくか》を志《こゝろざ》して一|緒《しよ》にスタートを切《き》つたが、二人《ふたり》とも新進作家《しんしんさくか》として認《みと》められ、相当《さうたう》の地歩《ちほ》を占《し》めかけた頃《ころ》、椿《つばき》はふと柳橋《やなぎばし》の芸者《げいしや》と深《ふか》くなり、借金《しやくきん》は出来《でき》るし、到底《たうてい》一|緒《しよ》になれない事情《じじやう》に迫《せま》られた結果《けつくわ》、何《なに》も彼《か》も振《ふ》り捨《す》てて、大阪《おほさか》の地《ち》へ駆落《かけおち》をしてサンザン苦労《くらう》を舐《な》めた末《すゑ》、今《いま》では宝塚《たからづか》の座附作者《ざつきさくしや》として、関西文壇《くわんさいぶんだん》で押《お》しも押《お》されもせぬ人気作家《にんきさくか》になつてゐた。 「|なか《ヽヽ》や、大急《おほいそ》ぎで旅行案内《りよかうあんない》を買《か》つて来《き》てくれないか。」 「はい。」  海野《うんの》は時計《とけい》を出《だ》して見《み》た。六|時《じ》二十|分《ぷん》だつた。   コンヤ九ジ二五フンデタツ  取敢《とりあへ》ず、さう云《い》ふ電報《でんぱう》を打《う》つて置《お》いて、彼《かれ》は女中《ぢよちう》に支度《したく》を急《いそ》がせた。 「安全《あんぜん》剃刀入《かみそりい》れてくれたかい?」 「あ、忘《わす》れました。」 「駄目《だめ》駄目《だめ》、こんな物《もの》はもつと下《した》の方《はう》へ入《い》れなきや。」  女中相手《ぢよちうあひて》では、間《ま》だるいことだらけだつた。 (チヨツ。)  彼《かれ》は、こんな時《とき》、家《うち》にゐてくれない、外出好《ぐわいしゆつず》きな妻《つま》に対《たい》して、心《こゝろ》の中《うち》で舌打《したう》ちをしずにはゐられなかつた。  キトクの三|字《じ》が、海野《うんの》の頭《あたま》に|こびり《ヽヽヽ》ついて離《はな》れなかつた。 (何病《なにびやう》だらう?)  気忙《きぜは》しい中《なか》で、椿《つばき》の上《うへ》が気遣《きづか》はれた。  海野《うんの》は気《き》ばかりいら/\して、何《なに》も手《て》に附《つ》かなかつた。なつ子《こ》がチヨコマカするのも|うるさ《ヽヽヽ》かつた。 「奥《おく》さん、どこへ行《い》つたのか知《し》らないか。」  さう海野《うんの》が聞《き》いた。 「ちよいと買《か》ひ物《もの》に入《い》らつしやると仰《おつ》しやつてお出《で》ましになりましたのですが——」  彼《かれ》は幾度《いくど》か時計《とけい》を出《だ》して見《み》た。出発《しゆつぱつ》の時間《じかん》は迫《せま》るばかりだつた。しかし、万里子《まりこ》は帰《かへ》つて来《く》る様子《やうす》は見《み》えなかつた。 「よし、カバンは僕《ぼく》が締《し》めよう。なんにも入《い》れ忘《わす》れた物《もの》はないだらうね。」 「ないつもりでございますが——」 「ぢや、君《きみ》は自動車屋《じどうしやや》へ行《い》つて、八|時《じ》二十|分《ぷん》までに一|台来《だいき》てくれるやうに云《い》つて来《き》てくれ。」 「はい。」  その間《あひだ》に、海野《うんの》は書斎《しよさい》へ上《あが》つて妻《つま》への置手紙《おきでがみ》を簡単《かんたん》に書《か》いた。一|度封《どふう》をしてから、また破《やぶ》いて、 [#ここから2字下げ] 火《ひ》の用心《ようじん》、これだけはくれ/″\も頼《たの》みます。就寝前必《しうしんまへかなら》ず火気《くわき》のあるところを君自身《きみじしん》見廻《みまは》ること。忘《わす》るべからず。 [#ここで字下げ終わり]  と書《か》き添《そ》へた。これは、書斎《しよさい》で夜作《よなべ》をしてゐて、何《なに》かの用《よう》で下《した》へ降《お》りたついでなどに、長火鉢《ながひばち》にカツカと火《ひ》が起《おこ》つたまま、鉄瓶《てつびん》も何《なに》も掛《か》けてないところを幾度《いくど》か見《み》た記憶《きおく》が、まざ/″\と甦《よみがへ》つて来《き》たからだつた。 「ぢや、奥《おく》さんが帰《かへ》つて入《い》らしつたら、忘《わす》れずにこの手紙《てがみ》をお見《み》せしておくれよ。」  さう云《い》つて、彼《かれ》は白《しろ》い封筒《ふうとう》を|なか《ヽヽ》に手渡《てわた》した。寝台券《しんだいけん》を買《か》はねばならず、少《すこ》し早目《はやめ》に東京駅《とうきやうえき》へ行《ゆ》くつもりで、海野《うんの》は最後《さいご》に、お金《かね》のはひつてゐる用箪笥《ようだんす》の引出《ひきだし》を明《あ》けた。 「あら?」  彼《かれ》は思《おも》はず口《くち》の中《なか》で叫《さけ》んだ。ついこの間《あひだ》、百五十|円渡《ゑんわた》してそこへ入《い》れさして置《お》いた札《さつ》が、一|枚《まい》もなくなつてゐた。     三 「旦那様《だんなさま》、奥様《おくさま》がお帰《かへ》りでございます。」  |なか《ヽヽ》はかう云《い》ふが早《はや》いか、急《いそ》いで玄関《げんくわん》の方《はう》へ出《で》て行《い》つた。  分厚《ぶあつ》い草履《ざうり》の擦《す》る音《おと》がして、小刻《こきざ》みに歩《あゆ》み寄《よ》る万里子《まりこ》の気《け》はひがしたと思《おも》ふと、やがて 「只今《たゞいま》。」  襖《ふすま》を細目《ほそめ》に明《あ》けて、クリツとした目《め》だけをそこから覗《のぞ》かせながら、綺麗《きれい》な歯《は》をチラリと見《み》せて笑《わら》つた。媚《こび》のある目《め》だ。 「……。」  海野《うんの》はニコリともしずに突《つ》ツ立《た》つてゐた。 「御免《ごめん》なさい、御飯《ごはん》までに帰《かへ》つて来《こ》ないで——」  いつもはすぐ応《おう》じて来《く》る良人《をつと》が、今日《けふ》に限《かぎ》つて少《すこ》し様子《やうす》が違《ちが》つてゐるので、万里子《まりこ》は肩《かた》を落《おと》して弱々《よわよわ》とはひつて来《き》た。シールのコートを着《き》て、胸《むね》と裾《すそ》とから、派手《はで》な色《いろ》を零《こぼ》してゐた。スラリとしたいゝ姿《すがた》だつた。 「ちよいとここへ来《き》たまへ。」  海野《うんの》が、用箪笥《ようだんす》の前《まへ》から冷《つめ》たく云《い》つた。 「なあに。」 「君《きみ》は一人極《ひとりぎ》めで、仕舞《しま》ふ場所《ばしよ》を勝手《かつて》に変《か》へちや困《こま》るぢやないか。」 「あら、変《か》へやしないわ、なんにも。」 「ぢや、どうしたんだこれは?」  海野《うんの》は空《から》の箱《はこ》を叩《たゝ》いて見《み》せた。  万里子《まりこ》は黙《だま》つて目《め》を伏《ふ》せた。 「どうしたんだよこれは?」 「……。」  上目使《うはめづか》ひに、底《そこ》に魅力《みりよく》のある眼差《まなざし》でチラと見上《みあ》げたと思《おも》ふと、また伏《ふ》せた。 「時間《じかん》がないんだ。早《はや》く云《い》つてくれ。——使《つか》つちやつたのか。」 「……。」  万里子《まりこ》は子供《こども》のやうに頷《うなづ》いて見《み》せた。 「冗談《じようだん》ぢやないぜ。つい二三|日前《にちまへ》に渡《わた》したばかりぢやないか。」 「……。」 「なんに使《つか》つたんだい一|体《たい》?」 「怒《おこ》らないでよパパ、そんなに。」 「これが怒《おこ》らずにゐられるかい。椿《つばき》が死《し》ぬか生《い》きるかと云《い》ふ時《とき》に、金《かね》がない為《た》めに駆《か》けつけられないなんて、そんな馬鹿《ばか》なことがあるか。」 「まあ、椿《つばき》さんが?」  海野《うんの》は黙《だま》つて電報《でんぱう》を放《はふ》つた。 「まあ、どうしませう。」  電報《でんぱう》を読《よ》み下《くだ》すなり、万里子《まりこ》はおろ/\声《ごゑ》になつて云《い》つた。 「御免《ごめん》なさいね。私《わたし》これから行《い》つてすぐお金取《かねと》り戻《もど》して来《く》るわ。」 「……。」  海野《うんの》は、どう工面《くめん》をしても、今夜《こんや》のうちに立《た》たなければ——と思《おも》つてゐた。 「ね、百|円《ゑん》ぢや足《た》りないこと?」 「取《と》り戻《もど》して来《く》るツて、一|体《たい》何処《どこ》へ行《い》かうツて云《い》ふんだ?」 「云《い》ふから怒《おこ》らないでね、ね。」 「知《し》るもんか。」 「私《わたし》、冬《ふゆ》の外套《ぐわいたう》を持《も》つてゐないでせう。だもんだから、寒《さむ》くつてもう洋服《やうふく》が着《き》られないのよ。で、毛皮《けがは》の外套《ぐわいたう》を拵《こしら》へたの。」 「また始《はじ》まつた。」  これが欲《ほ》しいとなると、矢《や》も楯《たて》も堪《たま》らなくなる万里子《まりこ》の性癖《せいへき》を、海野《うんの》は悲《かな》しく思《おも》ひ浮《うか》べずにはゐられなかつた。  その晩《ばん》、彼《かれ》が九|時《じ》二十五|分《ふん》の急行《きふかう》に乗《の》り遅《おく》れたことは云《い》ふまでもない。それでも、母親《はゝおや》から金《かね》を借《か》りて、辛《から》うじて十|時《じ》五十五|分《ふん》の最終《さいしう》の急行《きふかう》に間《ま》にあつた。     四  海野《うんの》は翌《あく》る朝《あさ》の十一|時近《じちか》くに、梅田駅《うめだえき》に着《つ》いた。  下車《げしや》するとすぐ、一息《ひといき》つく暇《ひま》もなく、宝塚線《たからづかせん》の電車《でんしや》に乗換《のりか》へた。  病室《びやうしつ》へはひると、椿《つばき》が蒼《あを》い顔《かほ》をして、平《ひら》べツたく仰向《あふむ》けに寝《ね》てゐた。寝姿《ねすがた》があんまり平《ひら》べツたいので、海野《うんの》はびつくりした。  肺炎《はいえん》と聞《き》いて、 「よかつたな。僕《ぼく》は|てつきり《ヽヽヽヽ》チフスだと思《おも》つて来《き》たんだが——」 「でも、熱《ねつ》が高《たか》いせゐか、方々《はうばう》が痛《いた》い痛《いた》いと云《い》つて苦《くる》しがりまして——」  お|たま《ヽヽ》さんは櫛巻《くしまき》に結《ゆ》つて、看護疲《かんごづか》れで黄《きいろ》い顔《かほ》をしてゐた。 「動《うご》いちやいかんと云《い》ふし、熱《ねつ》を下《さ》げる訳《わけ》にはいかんと云《い》ふし——」  椿《つばき》はドンヨリした目《め》を動《うご》かさずに、囁《さゝや》くやうな低《ひく》い声《こゑ》でこんなことを訴《うつた》へた。  体温表《たいをんへう》を見《み》ると、熱《ねつ》は三十九|度《ど》七八のところを上下《じやうげ》してゐた。平生《へいぜい》心臓《しんざう》の弱《よわ》い椿《つばき》としては、重態《ぢうたい》に相違《さうゐ》なかつた。 「お医者《いしや》はどんな人《ひと》?」  医者《いしや》の住《す》まひを聞《き》くと、海野《うんの》はすぐそこへ出向《でむ》いて行《い》つた。了解《れうかい》を得《え》て、彼《かれ》は、中学時代《ちうがくじだい》の友達《ともだち》が今《いま》内科《ないくわ》の博士《はかせ》になつて大阪病院《おほさかびやうゐん》に勤《つと》めてゐるのを呼《よ》んで来《き》て、診《み》て貰《もら》つた。  中二日置《なかふつかお》いて、熱《ねつ》が八|度台《どだい》に下《さが》つた。二三|日《にち》すると、七|度台《どだい》に下《さが》つた。一|度《ど》六|度台《どだい》に下《さが》つて、それから平熱《へいねつ》に返《かへ》つた。  海野《うんの》が来《き》てから十一|日目《にちめ》に、椿《つばき》は床《とこ》の上《うへ》に起《お》き直《なほ》つて、お粥《かゆ》が食《た》べられるやうになつた。 「ゆつくり遊《あそ》んで行《ゆ》きたいが、仕事《しごと》を放《はふ》り出《だ》して来《き》たんで、僕《ぼく》は一《ひと》まづ帰《かへ》るぜ。」  その晩《ばん》、梅田《うめだ》の駅《えき》まで来《き》て、彼《かれ》は自分《じぶん》の紙入《かみいれ》の中《なか》が乏《とぼ》しくなつてゐるのに気《き》が附《つ》いた。母《はゝ》の臍繰《へそく》りを借《か》りて来《き》たの故《ゆゑ》、始《はじ》めから沢山《たくさん》あつた訳《わけ》ではないが——  余《よ》ツ程椿《ぽどつばき》のところへ汽車賃《きしやちん》を借《か》りに引《ひ》ツ返《かへ》さうかと思《おも》つたが、それも面倒臭《めんだうくさ》かつた。寝台《しんだい》さへ取《と》らなければ、二|等《とう》へ乗《の》る位《くらゐ》の金《かね》はあつた。が、途中《とちう》でどんな不慮《ふりよ》の出来事《できごと》があるかも知《し》れなかつた。その時《とき》の用意《ようい》に、彼《かれ》は幾《いく》らか金《かね》を余《あま》して置《お》きたかつた。で、思《おも》ひ切《き》つて三|等《とう》の切符《きつぷ》と急行券《きふかうけん》とを買《か》つた。  堅《かた》い座席《ざせき》に腰《こし》を卸《おろ》した時《とき》、海野《うんの》は、 (これも女房《にようばう》のお蔭《かげ》だ。)と思《おも》ふと、腹《はら》が立《た》つた。  汽車《きしや》は相当込《さうたうこ》んでゐた。  京都近《きやうとちか》くなつた時《とき》、彼《かれ》は便所《べんじよ》に立《た》つた。通路《つうろ》のドアに手《て》を掛《か》けようとした時《とき》、ガラツと向《むか》うから明《あ》けられて、海野《うんの》は思《おも》はず立《た》ち留《ど》まつた。 「やあ。」  洋服《やうふく》を着《き》た、肉附《にくづき》のいゝ、色《いろ》の白《しろ》い相手《あひて》が声《こゑ》を上《あ》げた。 「おお。」  海野《うんの》も、笑顔《ゑがほ》になつた。それは見知《みし》り越《ご》しの露木渉《つゆきわたる》だつた。海野《うんの》の仲《なか》のいゝ梅村《うめむら》の友人《いうじん》で、そんな関係《くわんけい》から、一|年《ねん》に一|度位《どくらゐ》づつ顔《かほ》を合《あ》はす機会《きくわい》のある、三田大学《ただいがく》の予科《よくわ》の教授《けうじゆ》だつた。 「どちらへ?」 「いや、鳴尾《なるを》の競馬《けいば》へ|いたづら《ヽヽヽヽ》をしに来《き》ましてね——」 「あ、さう。成程《なるほど》シーズンでしたね。どうでした出来《でき》は?」 「お話《はなし》にもなんにも——。やつとこの汽車《きしや》に乗《の》れた始末《しまつ》です。ハハハ。」  海野《うんの》は、一生食《しやうく》ふに困《こま》らない家《うち》に生《うま》れたやうに露木《つゆき》のことを聞《き》いてゐた。だから、この時《とき》も、暢気《のんき》で羨《うらや》ましい位《くらゐ》にしか思《おも》はなかつた。 「これで、明日《あした》の朝《あさ》品川《しながは》に着《つ》くと、その足《あし》ですぐ学校《がくかう》です。」と露木《つゆき》が云《い》つた。  しかし、こんなことを云《い》ふのも、露木《つゆき》のやうな身分《みぶん》の者《もの》の一|種《しゆ》の趣味《しゆみ》だと思《おも》つて、海野《うんの》は軽《かる》く聞《き》き流《なが》したに過《す》ぎなかつた。 [#改ページ]   月給日《げつきふび》     一 「お帰《かへ》んなさい。」  細君《さいくん》の三千代《みちよ》は、細面《ほそおもて》の、情緒的《じやうしよてき》な綺麗《きれい》な人《ひと》だつた。  露木《つゆき》は、ポートホリオを三千代《みちよ》の手《て》に渡《わた》しながら、 「ああ、とても眠《ねむ》い。すぐ蒲団敷《ふとんし》いてくれないか。」と、うしろ向《むき》になつて靴《くつ》の紐《ひも》を解《と》きにかかつた。 「お風呂《ふろ》へ行《い》つてらつしつたらどう?」 「さうさな。——面倒臭《めんだうくさ》いから後《あと》にしよう。」  彼《かれ》は、濃《こ》い眉毛《まゆげ》の下《した》の涼《すゞ》しい妻《つま》の目《め》が恐《こは》かつた。今日《けふ》一|日《にち》、学校《がくかう》で講義《かうぎ》をしながら、競馬《けいば》でスツテンテンに取《と》られた月給袋《げつきふぶくろ》のことが、苦《く》になつて仕方《しかた》がなかつた。 「どうでしたのお調《しら》べ?」  ずつと寝通《ねとほ》して、十|時頃目《じごろめ》を覚《さ》ました露木《つゆき》は、三千代《みちよ》のお給仕《きふじ》で遅《おそ》い夜食《やしよく》の膳《ぜん》に向《むか》つてゐた。  母《はゝ》と、二人《ふたり》の子供《こども》とは、|とう《ヽヽ》に寝床《ねどこ》にはひつてゐた。 「え?」  露木《つゆき》は、学校《がくかう》から、京都《きやうと》の同志社大学《どうししやだいがく》を参観《さんくわん》して来《こ》いと云《い》ふ命令《めいれい》を受《う》けたと云《い》ふ口実《こうじつ》で、旅《たび》に出《で》たことをうつかり忘《わす》れてゐたのだつた。が、途中《とちう》で気《き》がついて、慌《あわ》てて 「あ、今日《けふ》学校《がくかう》で報告書《はうこくしよ》を書《か》いて出《だ》して置《お》いた。」 「どう? 京都《きやうと》も少《すこ》しは変《かは》つて?」 「いや、大《たい》して変《かは》つてゐない。」  こんな空々《そらぞら》しい嘘《うそ》をつきながらも、いつ尻《しり》が割《わ》れはすまいかと思《おも》ふと、露木《つゆき》は安《やす》き心地《こゝち》はなかつた。 「少《すこ》しは出張手当《しゆつちやうてあて》を残《のこ》してらしつた?」  露木《つゆき》は、自分《じぶん》の蔵《くら》に火《ひ》が附《つ》きさうな気《き》がした。 「残《のこ》りやしないさ。この節《せつ》は学校《がくかう》だつて世智辛《せちがら》くなつて、キチ/\にしか渡《わた》してくれないもの。」 「あら、今日《けふ》月給日《げつきふび》ね。」  彼《かれ》は自分《じぶん》でも顔《かほ》の色《いろ》が変《かは》つたと思《おも》つた。 「あ、さうだ。すつかり忘《わす》れてゐた。」  今日《けふ》は二十六|日《にち》。  二十五|日《にち》が月給日《げつきふび》だつた。が、その日《ひ》が日曜《にちえう》に当《あた》る時《とき》は、前《まへ》の日《ひ》にくれるか、翌日《よくじつ》に伸《の》びるか、その時《とき》の都合《つがふ》でどつちかになつた。今月《こんげつ》は、二十四|日《か》の土曜日《どえうび》に渡《わた》つたのを幸《さいは》ひ、彼《かれ》は競馬《けいば》へ走《はし》つたのだつた。  その後《ご》の或朝《あるあさ》—— 「ね、今日《けふ》はお母《かあ》さまのお詣《まゐ》りに入《い》らつしやる日《ひ》よ。お小遣少《こづかひすこ》し置《お》いてらしつて。」 「ないよ。」 「あら、どうして?」 「……。」  それにはなんにも答《こた》へず、露木《つゆき》はプイと学校《がくかう》へ出《で》て行《い》つてしまつた。 「お母《かあ》さま、少《すくな》くつて済《す》みません。」  その後《あと》で、三千代《みちよ》は在《あ》り金《がね》を掻《か》き集《あつ》めて、全部母《ぜんぶはゝ》に持《も》たせて出《だ》してやつた。  母《はゝ》は孫《まご》を連《つ》れて、一月《ひとつき》に一|度《ど》浅草《あさくさ》の観音《くわんのん》さまへ参詣《さんけい》に行《ゆ》くのを、たつた一《ひと》つの楽《たの》しみにしてゐた。 「梅村《うめむら》のところで御馳走《ごちそう》になつて来《き》た。」  その晩遅《ばんおそ》く、露木《つゆき》は酒気《しゆき》を帯《お》びて帰《かへ》つて来《き》た。  三千代《みちよ》の前《まへ》に両手《りやうて》を突《つ》くと、露木《つゆき》は何《なに》かクド/″\喋《しやべ》り出《だ》したが、何《なに》を云《い》つてゐるのだか、よくは聞《き》き取《と》れなかつた。 「分《わか》つてるわ、また何《なに》か悪《わる》いことをしたんでせう。」 「……。」  露木《つゆき》はお辞儀《じぎ》をした。 「大方《おほかた》、月給《げつきふ》を使《つか》ひ込《こ》んだんでせう。」 「……。」  露木《つゆき》はまたお辞儀《じぎ》をした。     二 「いゝわ。少《すこ》し位《ぐらゐ》どうにかするから、兎《と》に角残《かくのこ》つた分《ぶん》だけ頂戴《ちやうだい》。」  三千代《みちよ》は、酔《よ》ツぱらひの匂《にほひ》が鼻《はな》に来《き》て厭《いと》はしかつたので、眉《まゆ》を寄《よ》せながら云《い》つた。 「それが——」  |それが《ヽヽヽ》だけハツキリ聞《きこ》えるのだが、後《あと》は何《なに》を云《い》つてゐるのだかさつぱり分《わか》らなかつた。 「それが何《なに》よ。」  飲《の》めもせぬ露木《つゆき》が、大酔《たいすゐ》したやうな風《ふう》をしてゐるのが三千代《みちよ》にはをかしかつた。 「その——」  突《と》ツ拍子《ぴやうし》もない大《おほ》きな声《こゑ》を出《だ》すのだつた。 「いゝわ。今夜《こんや》はお休《やす》みなさいね。明日伺《あしたうかゞ》ふから。」  翌《あく》る日《ひ》は、三十日《みそか》で、露木《つゆき》の学校《がくかう》のない日《ひ》だつた。 「今日《こんち》は。」  寝坊《ねばう》をしたので、三千代《みちよ》は起《お》きると間《ま》もなく、出入《でいり》の商人《あきんど》の声《こゑ》を聞《き》かなければならなかつた。 「はい。どちら?」 「三河屋《みかはや》でございますが。」  三千代《みちよ》は立《た》ち上《あが》ると、洋服《やうふく》のポケツトの中《なか》を探《さぐ》つて見《み》た。  内懐《うちぶところ》、チヨツキのポケツト、ズボンのポケツト、どこにも月給袋《げつきふぶくろ》はなかつた。  紙入《かみいれ》の中《なか》かと思《おも》つて明《あ》けて見《み》たけれど、そこにもなかつた。 「あなた。」  二|階《かい》へ上《あが》つて見《み》ると、露木《つゆき》はまだ夜着《よぎ》を引《ひ》ツ被《かぶ》つてゐた。 「あなた。」 「えツ?」 「どこにあるの?」 「何《なに》?」 「今日《けふ》三十日《みそか》よ。」 「昨夜云《ゆうべい》はなかつたか、俺《おれ》?」 「何《なに》を?」 「月給《げつきふ》のこと。」 「それらしいことは仰《おつ》しやつてたけど——」 「それなんだ。頼《たの》む。」  露木《つゆき》は、寝《ね》たまま、手《て》を合《あは》せて拝《をが》む真似《まね》をした。 「あら。ぢや——」 「酔《よ》ツぱらつて落《おと》したと思《おも》つて諦《あきら》めてくれよ。二三|日《にち》うちに何《なん》とかするから。」  三千代《みちよ》は、崖《がけ》ツ縁《ぷち》から突《つ》き飛《と》ばされたやうな気《き》がした。 (また競馬《けいば》。)  この春《はる》あんなに、もう決《けつ》して二|度《ど》と馬券《ばけん》は手《て》にしないと誓《ちか》つて置《お》きながら——その為《た》めに、彼女達《かのぢよたち》が、どんなに切《き》り詰《つ》めた生活《せいくわつ》をしてゐるかと云《い》ふことをよく知《し》り抜《ぬ》いてゐながら——さう思《おも》ふと、三千代《みちよ》は良人《をつと》の余《あま》りの無責任《むせきにん》さに、涙《なみだ》が込《こ》み上《あ》げて来《こ》ずにはゐなかつた。 「ひどいわ、あんまりだわ。」 「御免《ごめん》、御免《ごめん》。」  三千代《みちよ》が袂《たもと》を顔《かほ》に当《あ》てるのを見《み》ると、露木《つゆき》はうろたへて云《い》つた。 「二三|日《にち》うちにきつと何《なん》とでもするから、今日《けふ》のところだけは何《なん》とか|まじくな《ヽヽヽヽ》つて置《お》いてくれよ。」 「お払《はら》ひのことなんか末《すゑ》の末《すゑ》だわ。それよりも、こんなことばかりしてゐて、仕舞《しまひ》にどうなさるおつもりなの。」 「済《す》まない。」 「駄目《だめ》よあなたツて方《かた》は。口尖《くちさき》ばかりで——」 「……。」 「ホホホ、同志社大学《どうししやだいがく》参観《さんくわん》はよかつたわね。瞞《だま》されちや又瞞《まただま》されてる私《わたし》と云《い》ふ人間《にんげん》が、いぢらしいわ。」 「……。」  露木《つゆき》は何《なに》も云《い》ふことが出来《でき》なかつた。     三  その晩《ばん》、露木《つゆき》は御飯《ごはん》の後《あと》で外《そと》へ出《で》て行《い》つたが、間《ま》もなく帰《かへ》つて来《く》ると、お針《はり》をしてゐる三千代《みちよ》の鼻尖《はなさき》へ 「これ。」と云《い》つて、お札《さつ》を握《にぎ》つた手《て》を無造作《むざうさ》に突《つ》き出《だ》した。 「どうなすつたの?」  三千代《みちよ》は針《はり》の手《て》を止《や》めて涼《すゞ》しい目《め》で見上《みあ》げた。 「本《ほん》を売《う》つて来《き》た。」 「あら、いけないわ。御本《ごほん》なんかお売《う》りになつちや。」 「いゝんだよ、どうせ要《い》らない本《ほん》なんだから。」  博士《はかせ》にでもなつて貰《もら》ひたい位《くらゐ》に思《おも》つてゐるのに、本《ほん》を大事《だいじ》にしない良人《をつと》を見《み》ることは寂《さび》しかつた。 「もう目《め》ぼしい御本《ごほん》が幾《いく》らもなくなつてしまつたぢやないの。取《と》り戻《もど》して入《い》らつしやいよ。お金《かね》はもう要《い》らないのよ。」 「どうして?」 「どうしても。」  三千代《みちよ》はさつき、お嫁《よめ》に来《く》る時《とき》、母《はゝ》に買《か》つて貰《もら》つたダイヤの指輪《ゆびわ》や、帯《おび》や、着物《きもの》などを質《しち》に入《い》れて、支払《しはらひ》に必要《ひつえう》なだけの金《かね》を調達《てうだつ》して来《き》たのだつた。  質《しち》と云《い》へば、三千代《みちよ》の目《め》ぼしい持《も》ち物《もの》は、この二三|年《ねん》の間《あひだ》に、あら方《かた》質屋《しちや》の庫《くら》に運《はこ》ばれて、どこへか行《い》つてしまつてゐた。今《いま》では、四|季《き》それ/″\の余所行《よそゆき》が一|枚《まい》づつ残《のこ》つてゐるだけだつた。  生《うま》れて初《はじ》めて質屋《しちや》の暖簾《のれん》を潜《くゞ》らされた時《とき》の悲《かな》しい記憶《きおく》を、三千代《みちよ》は針《はり》を動《うご》かしながら思《おも》ひ出《だ》してゐた。  露木《つゆき》は、下谷《したや》の相当大《さうたうおほ》きな呉服屋《ごふくや》の息子《むすこ》だつた。そこへ、幾荷《いくか》もの長持《ながもち》を荷《にな》はせて、嫁《とつ》いで来《き》た三千代《みちよ》だつた。  露木《つゆき》が大学《だいがく》を卒業《そつげふ》した年《とし》に、露木《つゆき》の父《ちゝ》が死《し》んだ。それ以来《いらい》、露木《つゆき》の家《うち》はいけなくなつて行《い》つた。弟《おとうと》が二人《ふたり》、妹《いもうと》が一人《ひとり》、この三|人《にん》が引《ひ》き続《つゞ》いて肺《はい》を冒《をか》されて、養生《やうじやう》に金《かね》を食《く》つて次々《つぎつぎ》に死《し》んで行《い》つた。店《みせ》は番頭任《ばんとうまか》せだつたし、バタ/″\と家産《かさん》が傾《かたむ》いて行《い》つた。収入《しうにふ》と云《い》つては、露木《つゆき》が学校《がくかう》で貰《もら》つて来《く》る月給《げつきふ》の外《ほか》にはなんにもなくなつてしまつた。 「ね、あなた。」  繕《つくろ》ひを終《を》はつた三千代《みちよ》が、針箱《はりばこ》を片附《かたづ》けながら云《い》つた。 「うむ?」 「私《わたし》いろ/\考《かんが》へたんですけど、もつと安《やす》いお家賃《やちん》のとこへ越《こ》さない?」 「どうして?」 「だつて、無理《むり》ですもの。三十五|円《ゑん》のお家賃《やちん》の家《うち》にゐるのは。」 「そんなことないさ。」 「そんなことないツたつて、——よくつて? あなたに、どんなに倹約《けんやく》して戴《いたゞ》いたつて、二十|円《ゑん》はかかるでせう。信用組合《しんようくみあひ》に十|円差《ゑんさ》し引《ひ》かれてよ。洋服《やうふく》の月賦《げつぷ》が十|円《ゑん》。みんなのお小遣《こづかひ》が五|円《ゑん》。家賃《やちん》の三十五|円《ゑん》を差《さ》し引《ひ》くと、後《あと》四十|円《ゑん》しか残《のこ》らないでせう。親子《おやこ》五|人《にん》で四十|円《ゑん》ぢや随分苦《ずゐぶんくる》しいわ。」 「だから、来学期《らいがくき》からでも僕《ぼく》は夜学《やがく》の方《はう》へも出《だ》して貰《もら》はうと思《おも》つてゐるんだよ。」 「駄目《だめ》。さう仰《おつ》しやるだけで、あなたはいつだつて実行《じつかう》して下《くだ》さらないんだから。」 「いや、今度《こんど》こそ必《かなら》ず実行《じつかう》する。」 「お医者《いしや》さまにだつてあなた、六十|円近《ゑんちか》い借《かり》が出来《でき》てしまつてるのよ。これから追々寒《おひおひさむ》くなつて、子供《こども》が病気《びやうき》になつたつて、あの先生《せんせい》へは掛《か》かれやしないわ、きまりが悪《わる》くつて。」 「何構《なにかま》ふもんか、そんなこと。」 「そりやあなたは構《かま》はないでせうよ。でも、私《わたし》は厭《いや》だわ。そんな思《おも》ひをしてまでも、三十五|円《ゑん》の家《うち》にゐる必要《ひつえう》はないぢやないの。どんな裏店《うらだな》でもいゝから、少《すこ》しはユツタリとして見《み》たいわ。」 「大学《だいがく》の先生《せんせい》が、裏長屋《うらながや》になんか住《す》めるもんか。」     四 「だけど、考《かんが》へやうによつちや何《なん》でもないことぢやないの?」  月給《げつきふ》を満足《まんぞく》に渡《わた》して貰《もら》へず、何《なに》か彼《か》か無駄遣《むだづか》ひをされた残《のこ》りを渡《わた》されるばかりでなく、春秋《しゆんじう》二|回《くわい》に大穴《おほあな》を明《あ》けられたりして、毎月《まいつき》、いや、一|年中《ねんぢう》、苦《くる》しい言訳《いひわけ》と、無理算段《むりさんだん》とに齷齪《あくせく》させられるよりは、三千代《みちよ》にすれば、いつそ裏長屋《うらながや》へでも何《なん》でもいゝ、身《み》を落《おと》してノウ/\としたかつた。 「そんなことは俺《おれ》にや出来《でき》ないよ。」 「だつて、生活《せいくわつ》出来《でき》ないもの仕方《しかた》がないぢやないの。」 「来月《らいげつ》から何《なん》とかするよ。」 「何《なん》とかして下《くだ》さらなくつてもいゝから、せめて月給《げつきふ》だけでも丸《まる》ごと渡《わた》して下《くだ》さればいゝんだけど。——駄目《だめ》ね、それがあなたには出来《でき》ないんだから。」 「出来《でき》ないことがあるもんか。来月《らいげつ》からきつとさうするよ。」 「私《わたし》信用《しんよう》しないわ。これまで何年同《なんねんおな》じ嘘《うそ》を吐《つ》かれて来《き》たことでせう。——私《わたし》今度《こんど》のことがいゝ機会《きくわい》だと思《おも》ふんだけど。越《こ》して、一|番下《ばんした》の生活《せいくわつ》から、新規蒔《しんきま》き直《なほ》しに遣《や》り直《なほ》しませうよ。ね。」 「溝板《どぶいた》を踏《ふ》んで学校通《がくかうがよ》ひか。」 「ホホホ、それも面白《おもしろ》いぢやないの。」  涙《なみだ》を感《かん》じながら、三千代《みちよ》は云《い》つた。 「面白《おもしろ》いもんか。」  露木《つゆき》は憂鬱《いううつ》な顔《かほ》をして吐《は》き出《だ》すやうに云《い》つた。 「だけど——」 「働《はたら》けど働《はたら》けどわが暮《くら》し楽《らく》にならざりぢつと手《て》を見《み》る、か。」  露木《つゆき》は突然《とつぜん》啄木《たくぼく》の歌《うた》を口誦《くちずさ》みながら、弱《よわ》い目《め》をして三千代《みちよ》を見《み》た。  三千代《みちよ》の胸《むね》にも、この歌《うた》の悲《かな》しみが一|杯《ぱい》に拡《ひろ》がつて来《く》るのを感《かん》じずにはゐられなかつた。享楽好《きやうらくず》きな良人《をつと》が、一|年《ねん》一|年《ねん》と享楽《きやうらく》の範囲《はんゐ》を狭《せば》められて来《き》たこれまでのことを思《おも》ふと、気《き》の毒《どく》——と云《い》ふよりも、三千代《みちよ》には可哀想《かはいさう》だつた。  しかし、彼女《かのぢよ》はわざと、弱《よわ》い良人《をつと》の目《め》を跳《は》ね返《かへ》すやうに 「ぢつと手《て》を見《み》てごらんなさいよ。そんな白《しろ》い手《て》。」  彼女《かのぢよ》はさう云《い》ひながら、自分《じぶん》のザラ/″\に荒《あ》れた両手《りやうて》を良人《をつと》の目《め》の前《まへ》に拡《ひろ》げて見《み》せた。同時《どうじ》に、白《しろ》い、細《ほそ》い、スンナリとした娘時代《むすめじだい》の自分《じぶん》の指《ゆび》が幻《まぼろし》のやうに彼女《かのぢよ》の目《め》に浮《うか》んで来《き》た。  二人《ふたり》は悲《かな》しくそのまま黙《だま》り込《こ》んでしまつた。  暫《しばら》くして三千代《みちよ》が 「ね、思《おも》ひ切《き》つて越《こ》しませうよ。」とまた云《い》つた。 「……。」 「その方《はう》が結局《けつきよく》あなたも楽《らく》よ。夜学《やがく》へ出《で》るなんて仰《おつ》しやつたつて、ブラ/″\してゐることの好《す》きなあなたに、朝働《あさはたら》いてまた夜働《よるはたら》くなんてこと、とても出来《でき》ツこないわ。」 「出来《でき》るよ、毎晩《まいばん》ぢやないんだから。」 「そんなら、もう一|年《ねん》も前《まへ》からさうしてゐて下《くだ》さる筈《はず》ぢやないの? さうでせう?」 「……。」 「ね、私《わたし》かう思《おも》ふんだけれど——。一|軒《けん》の家《うち》には、それ/″\人間《にんげん》で云《い》へば性格見《せいかくみ》たいなものがあつて、一|度《ど》顛落《てんらく》し出《だ》すと、どこまでもドン/″\顛落《てんらく》して行《ゆ》くもんぢやないでせうか。そんな時《とき》、幾《いく》ら人間《にんげん》が手《て》を出《だ》して留《と》めようとしても、留《と》まるものぢやないんぢやないかしら。」 「……。」 「さう云《い》ふ時《とき》は、ジリ/″\落《おと》されて行《ゆ》くのを待《ま》つてゐずに、——ジリ/″\落《おと》されて落《お》ち込《こ》んだ時《とき》には、もう這《は》ひ上《あが》る力《ちから》が尽《つ》きてしまつてゐると思《おも》ふの。だから、少《すこ》しづつジリ/″\落《おと》される前《まへ》に、こつちから思《おも》ひ切《き》つてドン底《ぞこ》まで落《お》ちてしまふのに限《かぎ》ると思《おも》ふわ。さうして堅実《けんじつ》に生活《せいくわつ》をし直《なほ》すのね。さうすれば、力相応《ちからさうおう》のところまでは這《は》ひ上《あが》れると思《おも》ふんだけど——」 「……。」 「ね、さう云《い》ふ意味《いみ》で、思《おも》ひ切《き》つて越《こ》しませうよ。」 「……。」 「お厭《いや》?」 「厭《いや》ぢやないけど、まあもう少《すこ》し考《かんが》へさしてもらはう。」 (もう少《すこ》し考《かんが》へさしてもらはう。)  これが良人《をつと》の常套語《じやうたうご》だつた。それを思《おも》ふと、三千代《みちよ》は寂《さび》しかつた。 [#改ページ]   社会《しやくわい》の風《かぜ》     一  二三|日《にち》すると、梅村《うめむら》が就職《しうしよく》の返事《へんじ》を持《も》つて三千代《みちよ》を訪《たづ》ねて来《き》てくれた。 「奥《おく》さん、旨《うま》く行《ゆ》きましたよ。」  午前《ひるまへ》の日《ひ》のよく当《あた》つた二|階《かい》へ通《とほ》ると、すぐ梅村《うめむら》が弾《はず》んだ声《こゑ》で云《い》つた。 「まあ、さうですの。」  火鉢《ひばち》やら、お茶《ちや》やらを運《はこ》びながら、三千代《みちよ》も嬉《うれ》しさうに云《い》つた。  当《あ》てにならぬ良人《をつと》をいつまで当《あ》てにしてゐても仕方《しかた》ないので、彼女《かのぢよ》は月々《つきづき》の足《た》らぬ分《ぶん》を、せめて自分《じぶん》で稼《かせ》ぎ出《だ》さうと決心《けつしん》して、良人《をつと》と一|番親《ばんした》しくしてゐる、引《ひ》いては三千代《みちよ》も大抵《たいてい》な話《はなし》は打《う》ち明《あ》けられる間柄《あひだがら》の梅村《うめむら》に、自分《じぶん》に勤《つと》められさうな仕事《しごと》の世話《せわ》を頼《たの》んだのだつた。  その時《とき》、梅村《うめむら》が 「あなたのやうな楚々《そゝ》とした美人《びじん》を職業婦人《しよくげふふじん》にするのは痛々《いたいた》しいな。」  さう云《い》つて反対《はんたい》らしい口吻《こうふん》を洩《も》らしたのを、真剣《しんけん》に押《お》し返《かへ》して頼《たの》んだ結果《けつくわ》、 「アナウンサーでもいゝですか。」と真顔《まがほ》になつて聞《き》き返《かへ》された時《とき》、 「人《ひと》に顔《かほ》を見《み》られないで、いゝわ。」 「あすこなら少《すこ》し伝手《つて》もあるし、あなたの声《こゑ》は綺麗《きれい》だからいゝと思《おも》ふんだけど。」  さう云《い》つて引《ひ》き受《う》けて帰《かへ》つて行《い》つた今日《けふ》だつた。 「あすこの児童部《じどうぶ》に|あき《ヽヽ》があるんですつて。兎《と》に角連《かくつ》れて来《こ》いと云《い》ふんですが——。どうです、御都合《ごつがふ》は?」 「今日《けふ》?」 「ええ。」 「これから?」 「さう。」 「まあ。私《わたし》——」  三千代《みちよ》は、落着《おちつ》かなくなつた胸《むね》を抱《だ》いて立《た》ち上《あが》つたが、 「私《わたし》心配《しんぱい》になつちやつた。」  一人言《ひとりごと》のやうな言葉《ことば》を残《のこ》して、梯子段《はしごだん》を降《お》りて行《い》つた。  姑《はゝ》に手短《てみじか》に訳《わけ》を話《はな》すと、ちよいと顔《かほ》を直《なほ》して、手早《てばや》く着物《きもの》を着換《きか》へた彼女《かのぢよ》は、うるさく後《あと》を追《お》ふ女《をんな》の子《こ》を姑《はゝ》に頼《たの》んで、梅村《うめむら》と一|緒《しよ》に外《そと》へ出《で》た。ミサの泣《な》く声《こゑ》が、外《そと》まで聞《きこ》えて来《き》た。  二人《ふたり》の乗《の》つた自動車《じどうしや》が、やがて急《きふ》な坂《さか》を登《のぼ》りわづらひながら白《しろ》い放送局《はうそうきよく》の玄関《げんくわん》へ辷《すべ》り込《こ》んだ。  彼等《かれら》は狭《せま》い応接室《おうせつしつ》へ通《とほ》された。すぐボーイが紅茶《こうちや》を運《はこ》んで来《き》た。  その紅茶《こうちや》を二口《ふたくち》と飲《の》まないうちに、ドアにノツクの音《おと》がして、薄《うす》くなつた頭《あたま》の地《ぢ》を、長《なが》く伸《の》ばした髪《かみ》の毛《け》を引《ひ》き廻《まは》して上手《じやうず》に隠《かく》したズングリ肥《ふと》つた部長《ぶちやう》が、精力的《せいりよくてき》にはひつて来《き》た。  挨拶《あいさつ》が済《す》むと、 「では、ちよいと声《こゑ》のテストをしますから、こちらへ——」  かう云《い》つて、部長《ぶちやう》はすぐ事務的《じむてき》に腰《こし》を擡《もた》げた。 「……。」  返事《へんじ》の代《かは》りに、慎《つゝま》しく頷《うなづ》くと、三千代《みちよ》はスラリと立《た》ち上《あが》つた。梅村《うめむら》と笑顔《ゑがほ》を見合《みあは》せた後《のち》、彼女《かのぢよ》は胸《むね》を顫《ふる》はせながら、背《せい》の低《ひく》い部長《ぶちやう》の後《あと》に附《つ》いて応接室《おうせつしつ》を出《で》た。     二  導《みちび》かれるままに、三千代《みちよ》は階段《かいだん》を上《あが》つた。  部長《ぶちやう》は或《ある》部屋《へや》のドアを明《あ》けると、まづ自分《じぶん》が中《なか》へはひつて、それから 「どうぞ。」と振《ふ》り返《かへ》つて云《い》つた。  一足中《ひとあしなか》へはひるが否《いな》や、床《ゆか》も、壁《かべ》も、妙《めう》にフハツとした感《かん》じで彼女《かのぢよ》の感覚《かんかく》を包《つゝ》んで来《き》た。  何《なに》か部屋内《へやうち》の空気《くうき》が、とても敏感《びんかん》になつてゐるやうに感《かん》じられて、彼女《かのぢよ》はひとりでに息遣《いきづか》ひまで意識《いしき》してしなければならないやうな窮屈《きゆうくつ》さを覚《おぼ》えた。 「こちらへお立《た》ち下《くだ》さい。」  部長《ぶちやう》は、銀色《ぎんいろ》をした小《ちひ》さなマイクロホンの前《まへ》の位置《ゐち》を指《ゆび》さした。体《からだ》に似合《にあ》はない細《ほそ》い部長《ぶちやう》の声《こゑ》が、喋《しやべ》る傍《そば》からスツ/\と壁《かべ》へ吸《す》ひ込《こ》まれて行《ゆ》くのが目《め》に見《み》えるやうな気《き》がした。  三千代《みちよ》は云《い》はれるままに、指《ゆび》さされたところに堅《かた》くなつて立《た》つた。 「もう少《すこ》し前《まへ》。」  三千代《みちよ》は心持前《こゝろもちまへ》へ出《で》た。 「そこ。」  事務的《じむてき》な部長《ぶちやう》の言行《げんかう》が、生《うま》れて初《はじ》めての就職《しうしよく》の実際《じつさい》にぶつかつてコチ/\になつてゐる彼女《かのぢよ》には有《あ》り難《がた》かつた。 「これが原稿《げんかう》です。一|通《とほ》り下読《したよ》みをして置《お》いて下《くだ》さい。私《わたし》が出《で》て行《い》つてから、あすこの——」  かう云《い》ひながら、部長《ぶちやう》は正面《しやうめん》を指《ゆび》さして、 「あすこの磨《すり》ガラスの中《なか》へ電燈《でんとう》が点《とも》りますから、さうしたら、この位《くらゐ》の声《こゑ》で——よござんすね、この位《くらゐ》の声《こゑ》ですよ——この原稿《げんかう》を一|度読《どよ》んで見《み》て下《くだ》さい。」 「はい。」 「ぢや——」  かう云《い》ひ終《を》はると、部長《ぶちやう》はさつさと出《で》て行《い》つた。  一人《ひとり》になると、首《くび》から上《うへ》が体《からだ》から離《はな》れて、何《なに》かフハツと空中《くうちう》に浮《うか》んでゐるやうな変《へん》に便《たよ》りない感覚《かんかく》に捉《とら》はれてゐるのを意識《いしき》した。 (知《し》らない字《じ》はないかしら?)  女学校《ぢよがくかう》を出《で》てから久《ひさ》しくなるので、さう云《い》ふ点《てん》彼女《かのぢよ》は自信《じしん》がなかつた。  大急《おほいそ》ぎで原稿《げんかう》を読《よ》んで見《み》たが、幸《さいは》ひ仕舞《しまひ》までどうやら読《よ》むことが出来《でき》た。そのくせ、意味《いみ》はよく頭《あたま》にはひつて来《こ》なかつた。 (まあ厭《いや》だ、こんなに上《あが》つてしまつて——)  三千代《みちよ》は、自分《じぶん》の意気地《いくぢ》なさが情《なさけ》なかつた。学校時代《がくかうじだい》はこんなでもなかつたのにと思《おも》ふと、朝晩《あさばん》齷齪《あくせく》と家庭《かてい》の中《なか》に閉《と》ぢ籠《こ》められてばかりゐるうちに、すつかり溌剌性《はつらつせい》を失《うしな》つてしまつた女《をんな》の哀《あは》れさを感《かん》じずにはゐられなかつた。  ボーツと磨《すり》ガラスが点《とも》つた。  三千代《みちよ》は思《おも》ひ切《き》つて声《こゑ》に出《だ》して原稿《げんかう》を読《よ》み始《はじ》めた。 「この時《とき》信長《のぶなが》は、幸若《かうわか》の舞《まひ》『敦盛《あつもり》』の一|節《せつ》『人間《にんげん》五十|年《ねん》、下天《げてん》のうちに比《くら》ぶれば、夢幻《ゆめまぼろし》の如《ごと》く也《なり》』と唄《うた》ひつつ、そら貝《かひ》を吹《ふ》け、具足《ぐそく》をよこせと命《めい》じ、立《た》ちながら食事《しよくじ》をして、鎧《よろひ》を着《き》て出陣《しゆつぢん》した。その時従《ときしたが》ふもの僅《わづか》に六|騎《き》、三|里《り》の間《あひだ》を一息《ひといき》に駆《か》けつけた。途《みち》にしてやう/\二千|足《た》らずになつた。即《すなは》ち直《たゞち》に進《すゝ》んで、義元《よしもと》の本陣《ほんぢん》を突《つ》かんとした。」  原稿《げんかう》はここで終《を》はつてゐた。読《よ》み終《を》はると同時《どうじ》に、磨《すり》ガラスの中《なか》の電燈《でんとう》がポツリと消《き》えた。三千代《みちよ》はいつかネツトリ汗《あせ》をかいた手《て》で、両方《りやうはう》の袂《たもと》の尖《さき》を握《にぎ》り締《し》めてゐた。  その時《とき》ドアが明《あ》いて、制服《せいふく》を着《き》た色白《いろじろ》のボーイが、 「部長《ぶちやう》が、先程《さきほど》のお部屋《へや》でお待《ま》ちしてをります。」     三  翌《あく》る日《ひ》一|日《にち》、三千代《みちよ》は楽《たの》しい不安《ふあん》のうちにウキ/\しながら、梅村《うめむら》の来訪《らいはう》を心待《こゝろま》ちにしてゐた。しかし、どうしたのか、梅村《うめむら》は夜《よる》になつても来《こ》なかつた。 「何《なに》をしてるんだい、そんなところで。」  心待《こゝろま》ちに、遅《おそ》くまで明《あ》けて置《お》いた二|階《かい》の雨戸《あまど》を締《し》める手《て》を止《や》めて、どこかで鳴《な》いてゐる虫《むし》の声《こゑ》に耳《みゝ》を貸《か》しながら、静《しづ》かな秋《あき》の夜《よ》の底《そこ》に、梅村《うめむら》の足音《あしおと》を捉《とら》へようとしてゐるかのやうに、三千代《みちよ》はいつまでもスンナリとした姿《すがた》を廊下《らうか》に浮《う》かせてゐた。それへ、さつさと床《とこ》にはひつてしまつた露木《つゆき》が、上向《うはむ》きになつて何《なに》か待《ま》つてゐるやうな声《こゑ》を投《な》げてよこした。 「……。」  三千代《みちよ》は夜《よる》のうるさい良人《をつと》の上《うへ》を思《おも》つて、知《し》らず知《し》らず眉《まゆ》を寄《よ》せてゐた。  翌《あく》る晩《ばん》、夜食《やしよく》の済《す》んだ頃《ころ》を見計《みはか》らつて、梅村《うめむら》が大《おほ》きな体《からだ》を運《はこ》んで来《き》た。 「奥《おく》さん、済《す》みません。」  三千代《みちよ》と顔《かほ》を合《あ》はせるが否《いな》や、梅村《うめむら》はオールバツクの耳《みゝ》のうしろへ手《て》を上《あ》げて恐縮《きようしゆく》して見《み》せた。 「駄目《だめ》でしたの? おや/\。」  一|度《ど》の職探《しよくさが》しですぐ就職《しうしよく》出来《でき》たらあんまり旨過《うます》ぎると思《おも》ひながら、でも、三千代《みちよ》はがつかりした。しかし、梅村《うめむら》の恐縮《きようしゆく》してゐる状《さま》を見《み》ては、三千代《みちよ》としては気軽《きがる》さうにさう云《い》はずにはゐられなかつた。 「何《なに》か読《よ》み方《かた》が違《ちが》つてゐましたの?」  でも、一|応《おう》は駄目《だめ》だつた理由《りいう》が知《し》りたかつた。 「いや、下天《げてん》がよく読《よ》めたと云《い》つて感心《かんしん》してゐた位《くらゐ》ですから、その方《はう》はパスしたのですが、分《わか》らないもんですな、声《こゑ》で落第《らくだい》したんですよ。」 「そいつは意外《いぐわい》だな。」  傍《そば》から露木《つゆき》が、本当《ほんたう》に意外《いぐわい》らしい声《こゑ》を出《だ》した。 「さうだらう?」と、梅村《うめむら》は露木《つゆき》と頷《うなづ》き合《あ》つた後《のち》、膝《ひざ》に絡《から》まつて来《く》るミサをあしらつてゐる三千代《みちよ》の方《はう》を見直《みなほ》して、 「部長《ぶちやう》も不思議《ふしぎ》だと云《い》つて首《くび》をかしげてゐましたが、マイクロホンを通《とほ》して聞《き》く奥《おく》さんの声《こゑ》は、どうしても電波《でんぱ》に乗《の》らない声《こゑ》なんですつて。」 「あら厭《いや》だ。そんな変《へん》な声《こゑ》なんですかしら私《わたし》。」 「さうなんださうですよ。」 「あなたお聞《き》きになつた?」 「いや、僕《ぼく》は聞《き》きませんでしたがね。」 「まあ、よかつた。」  やがて、男《をとこ》二人《ふたり》は五十|銭賭《せんか》けて将棋《しやうぎ》を始《はじ》めた。  三千代《みちよ》は、猶《なほ》この上《うへ》とも何《なに》か自分《じぶん》に出来《でき》る仕事《しごと》があつたらお世話《せわ》を願《ねが》ひますと頼《たの》んで、ぐづり出《だ》したミサを寝《ね》かしに次《つぎ》の間《ま》へ退《しりぞ》いた。  その晩《ばん》、床《とこ》にはひつてから、 「お前《まへ》本当《ほんたう》に勤《つと》めに出《で》るつもりなのか。」と露木《つゆき》がどこか寂《さび》しさうに聞《き》いた。 「ええ。どうして?」 「僕《ぼく》はお前《まへ》に勤《つと》めて貰《もら》ひたくないんだけど。」 「だつて、この間《あひだ》いゝツて仰《おつ》しやつたぢやありませんか。」     四 「そりや云《い》つたけど——」と、露木《つゆき》はちよつとたじろいで、 「今日《けふ》、山岡君《やまをかくん》に電車《でんしや》の中《なか》で逢《あ》つたんだよ。さうしたら、今《いま》山岡君《やまをかくん》の監督《かんとく》してゐる映画《えいぐわ》の中《なか》で、弱虫弱虫《よわむしよわむし》した感《かん》じのする男《をとこ》の子役《こやく》が必要《ひつえう》なんだが、なか/\見附《みつ》からないで困《こま》つてゐる、今君《いまきみ》に逢《あ》つてふと思《おも》ひ附《つ》いたんだが、どうだい、君《きみ》んとこの明君《あきらくん》を貸《か》してくれないかツてえ話《はなし》なんだ。」 「で、貸《か》さうと仰《おつ》しやつたの。」 「いや、云《い》やしない。が、そんな話《はなし》から、子役《こやく》の内幕話《うちまくばなし》になつて、いろ/\聞《き》いたんだがね。馬鹿《ばか》にならないんだね、子役《こやく》の収入《しうにふ》なんてものも。」 「……。」 「不断《ふだん》は親《おや》の手許《てもと》に置《お》いて、学校《がくかう》へ通《かよ》はせたり、その外《ほか》、現在《げんざい》とちつとも変《かは》らない生活《せいくわつ》をさせて置《お》いていゝんださうだ。唯《たゞ》、必要《ひつえう》な時《とき》だけ、一|週間《しうかん》なり二|週間《しうかん》なり、スタヂオへ通《かよ》ふんださうだがね。それで月々《つきづき》三十|円位《ゑんくらゐ》はくれると云《い》ふんだ。」 「……。」 「どうだい、馬鹿《ばか》にならないだらう。君《きみ》が家事《かじ》をおツぽりだして勤《つと》めに出《で》たところで、せいぜい四十|円位《ゑんくらゐ》なものだらうからな。僕《ぼく》はその話《はなし》を聞《き》いて、考《かんが》へたんだがね。どうだい、一|時貸《じか》すだけでなく、ずつと子役《こやく》として使《つか》つてくれるやうに山岡君《やまをかくん》に話《はな》して見《み》ようか。」 「……。」 「明《あきら》の奴《やつ》、厭《いや》に生《なま》ツ白《ちろ》い色《いろ》をしてゐやがるし、親《おや》の欲目《よくめ》か知《し》らないが、綺麗《きれい》な目鼻立《めはなだ》ちをしてゐるし、彼奴《あいつ》映画俳優《えいぐわはいいう》の真似《まね》なんかするのが好《す》きだらう。向《む》いてゐやしないかと思《おも》ふんだが——」 「……。」 「旧派《きうは》の役者《やくしや》と違《ちが》つて、子役《こやく》だからつて、泣《な》きを見《み》なきやならないこともないらしいし、好《す》きなことをしいしい金《かね》が貰《もら》へてさ。俺《おれ》の身分《みぶん》ぢや、彼奴《あいつ》に大学教育《だいがくけういく》を授《さづ》けてやれるかどうかも正直《しやうぢき》の話怪《はなしあや》しいものだしな。たとひ大学《だいがく》を卒業《そつげふ》したつて、これからの世《よ》の中《なか》ぢや食《く》つて行《い》けるかどうかも分《わか》らないし——。そこへ行《ゆ》けば、月給《げつきふ》を貰《もら》ひ貰《もら》ひ修行《しゆぎやう》を積《つ》んで、万《まん》に一つ、人気俳優《にんきはいいう》にでもなつて見《み》ろ。収入《しうにふ》も莫大《ばくだい》だらうし、女《をんな》には騒《さわ》がれるし、結句《けつく》彼奴《あいつ》の仕合《しあは》せかも知《し》れないぜ。」 「……。」 「今考《いまかんが》へると、子供《こども》の体《からだ》で金《かね》を稼《かせ》がせるのはちよいと哀《あは》れなやうな気《き》もするけれど、子供《こども》のうちから職業教育《しよくげふけういく》を施《ほどこ》すと思《おも》へば、何《なん》でもないことだし、どうだい、いつそさうしないか。」 「……。」 「え、どうだい? 思《おも》ひ切《き》つてさうしないか。さうすりや、僕《ぼく》から云《い》つても、お前《まへ》を勤《つと》めに出《だ》さないで済《す》むし——。何《なん》てつたつて、お前《まへ》のゐない家庭《かてい》を考《かんが》へることは、僕《ぼく》には悲《かな》しいよ。」 「……。」 「ね? 明《あきら》に話《はな》して見《み》て、いゝと云《い》つたらさうしないか。」 「……。」 「ね?」 「……。」 「何《なん》とか返事《へんじ》しろよ。こんなに僕《ぼく》はお前《まへ》のことを思《おも》つて云《い》つてるんぢやないか。」 「……。」  しかし、強情《がうじやう》に三千代《みちよ》は口《くち》を開《ひら》かなかつた。彼女《かのぢよ》は心《こゝろ》の中《なか》で、余《あま》りの情《なさけ》なさに泣《な》いてゐた。自分《じぶん》に対《たい》する、さう云《い》ふ良人《をつと》の|けち《ヽヽ》な愛情《あいじやう》に泣《な》いてゐた。 [#改ページ]   海《うみ》つばめ     ——嵐《あらし》の前兆《ぜんてう》です     一 「露木《つゆき》さアん。」  玄関《げんくわん》で郵便屋《いうびんや》が大《おほ》きな声《こゑ》で突《つ》ツ慳貪《けんどん》に呼《よ》んだ。  返事《へんじ》をする暇《ひま》もなく、重《かさ》ねて 「露木《つゆき》さん、速達《そくたつ》。」 「はい。」  三千代《みちよ》が障子《しやうじ》を明《あ》けると、格子《かうし》の間《あひだ》からハガキを放《はふ》り込《こ》んで行《い》つた。  見《み》ると、三千代宛《みちよあて》の梅村《うめむら》からのハガキだつた。 「例《れい》の件《けん》に付《つき》御面談致《ごめんだんいた》したし。このハガキ着《つ》き次第《しだい》お出《い》でを乞《こ》ふ。」  さう書《か》かれてゐた。一|回《くわい》の経験《けいけん》ではあつたが、就職《しうしよく》したくともなか/\就職先《しうしよくさき》のないことを三千代《みちよ》はしみ/″\感《かん》じてゐた矢先故《やさきゆゑ》、梅村《うめむら》の親切《しんせつ》が嬉《うれ》しかつた。 「海野《うんの》を知《し》つてるでせう。」  梅村《うめむら》の書斎《しよさい》へ通《とほ》るか通《とほ》らぬかに、梅村《うめむら》が云《い》つた。その声《こゑ》の調子《てうし》で、何《なに》か仕事《しごと》があつてくれたのだと三千代《みちよ》は感《かん》じた。が、「海野《うんの》」とは突然何《とつぜんなに》を云《い》ひ出《だ》すのだらうと思《おも》ひながら、 「ええ。」と云《い》つた。知《し》つてゐると云《い》へば、海野《うんの》とは、二|度程《どほど》挨拶《あいさつ》をし合《あ》つた程度《ていど》の見識《みし》り越《ご》しだつた。 「海野《うんの》が——実《じつ》は昨日逢《きのふあ》つたんですが、僕《ぼく》がちよいとあなたの話《はなし》をしたら、彼《かれ》大反対《だいはんたい》なんですよ、あなたが家《うち》を外《そと》に勤《つと》めに出《で》ることに。」 「なぜですの。」  三千代《みちよ》は折角《せつかく》決心《けつしん》をした出鼻《ではな》を挫《くじ》かれた不快《ふくわい》さを、海野《うんの》に対《たい》して抱《いだ》かずにはゐられなかつた。 「あなたのやうなフラヂヤイルな(こはれ易《やす》い)人《ひと》を勤《つと》めに出《だ》すなんて、残酷《ざんこく》だと云《い》ふんですよ。」  さう聞《き》くと、三千代《みちよ》は何《なに》か自分《じぶん》を否定《ひてい》されたやうな反撥心《はんぱつしん》と、その底《そこ》に、女性《ぢよせい》として庇《かば》はれた一|脈《みやく》の嬉《うれ》しさを感《かん》じた。 「でも、お金《かね》が欲《ほ》しけりや仕方《しかた》がありませんわ。」 「だから、海野《うんの》は、あなたを家庭《かてい》の外《そと》に出《だ》さずに、金《かね》の取《と》れる方法《はうはふ》を講《かう》じてやるのが君《きみ》の義務《ぎむ》だよ、と、僕《ぼく》までついでに遣《や》ツつけるんですよ。」 「まあ。」 「でね、ホラ、いつかあなたが懸賞《けんしやう》に応募《おうぼ》して、一|等《とう》に当選《たうせん》したことがあつたでせう。」  それもやつぱりお金欲《かねほ》しさに、童話《どうわ》を書《か》いたのだつた。 「あの話《はなし》を僕《ぼく》がしたもんだから、ソラ見《み》ろ、さう云《い》ふ才能《さいのう》があるものを、ジエイ・オー・エー・ケーなんか遣《や》らせる奴《やつ》があるものか。君《きみ》はいつか、三千代《みちよ》さんがお嫁《よめ》に来《き》た時《とき》の蔵書《ざうしよ》の夥《おびたゞ》しさに驚《おどろ》いたツてえ話《はなし》をしてゐたぢやないか。つまり、好《す》きなら、好《す》きなことで身《み》を立《た》てさせてやれ。——外《ほか》に才能《さいのう》がなきや、及《およ》ばずながら僕《ぼく》も勤《つと》め口《ぐち》を探《さが》してもいゝが、才能《さいのう》があるなら——君《きみ》はしじゆう、三千代《みちよ》さんの文学的才能《ぶんがくてきさいのう》の豊《ゆた》かさを、まるで自分《じぶん》の女《をんな》の惚気《のろけ》のやうに僕《ぼく》に聞《き》かしてばかりゐたぢやないか、それが本当《ほんたう》なら、才能《さいのう》で金《かね》を生《う》ませてやれ、原稿《げんかう》を売《う》る方《はう》の役《やく》は、一|本立《ぽんだ》ちが出来《でき》るまで僕《ぼく》が引《ひ》き受《う》けてもいゝ、かう云《い》ふ海野《うんの》の説《せつ》なんですが——」 「でも——」  三千代《みちよ》はそんな、物《もの》を書《か》くなどと云《い》ふ才能《さいのう》のある女《をんな》とは——物《もの》を読《よ》むことは好《す》きだけれど——どう考《かんが》へても考《かんが》へられなかつた。第《だい》一、一|度《ど》もそんなことを——物《もの》を書《か》いて見《み》ようなどと思《おも》つたことさへなかつた。物《もの》を書《か》くなどと云《い》ふことは、自分《じぶん》とは全《まつた》く別《べつ》の世界《せかい》に住《す》んでゐる人《ひと》のすることだと思《おも》つてゐた。そんな盲《めくら》の世界《せかい》へ、手《て》さぐり足《あし》さぐりで踏《ふ》み込《こ》むより、三千代《みちよ》にすれば、もつと実際的《じつさいてき》な仕事《しごと》の方《はう》が望《のぞ》ましかつた。     二  梅村《うめむら》は、とても自分《じぶん》の弁舌《べんぜつ》では、三千代《みちよ》をウンと云《い》はせることは出来《でき》ないと思《おも》つたらしい。 「兎《と》に角《かく》、一|度《ど》海野《うんの》に逢《あ》つて見《み》ませんか。その上《うへ》で、どうしても海野《うんの》の云《い》ふ仕事《しごと》が不向《ふむ》きだと思《おも》つたら、また改《あらた》めて——今度《こんど》は海野《うんの》にもあなたの望《のぞ》む仕事《しごと》を探《さが》させる|よすが《ヽヽヽ》にもなるし——」 「ええ。」  三千代《みちよ》にすれば、さうまで云《い》つてくれる梅村《うめむら》の好意《かうい》に、一|応折《おうを》れて出《で》るより外《ほか》はなかつた。  二三|日《にち》すると、また梅村《うめむら》から、海野《うんの》を訪問《はうもん》する日《ひ》を報《はう》じた手紙《てがみ》が来《き》た。  その日《ひ》は、雨《あめ》の降《ふ》る暗《くら》い日《ひ》だつた。  三千代《みちよ》は侘《わび》しい雨《あめ》の足《あし》を眺《なが》めながら、女《をんな》らしい迷信《めいしん》めいたものを感《かん》じた。  三千代《みちよ》が生《うま》れた日《ひ》は、九|月末《ぐわつすゑ》の嵐《あらし》の日《ひ》だつたさうだ。嫁《とつ》いだ日《ひ》も、やつぱりジヨビタラ/″\降《ふ》る雨《あめ》の日《ひ》だつた。始《はじ》めて子《こ》を生《う》んだ日《ひ》は、豪雨《がうう》だつた。——さうして仕事《しごと》を求《もと》めて始《はじ》めて海野《うんの》に逢《あ》ひに行《ゆ》く日《ひ》も、かうして雨《あめ》が降《ふ》つてゐる。三千代《みちよ》は新《あたら》しい生活《せいくわつ》に踏《ふ》み出《だ》す日《ひ》が、いかにも自分《じぶん》らしく雨《あめ》が降《ふ》つてゐることに、変《へん》な宿命的《すくめいてき》なものを感《かん》じない訳《わけ》には行《ゆ》かなかつた。  海野《うんの》は細君《さいくん》と二人《ふたり》で款待《くわんたい》してくれた。海野《うんの》の書斎《しよさい》は本《ほん》で埋《うづ》まつてゐた。本箱《ほんばこ》へはひり切《き》れない本《ほん》が、机《つくゑ》のまはり、床《とこ》の間《ま》、畳《たゝみ》の上《うへ》、どこにもかしこにも雑然《ざつぜん》と積《つ》まれてゐた。日《ひ》に焼《や》けた畳《たゝみ》が、三|人《にん》がやつと坐《すわ》れる位残《くらゐのこ》されてゐる外《ほか》は、すべて本《ほん》の山《やま》だつた。掃除《さうぢ》も行《ゆ》き届《とゞ》かず、置《お》き物《もの》も何《なに》一つなかつたが、それでゐて、何《なに》か豊《ゆた》かな感《かん》じがした。 「ね、奥《おく》さん、あなた『巌窟王《がんくつわう》』の作者《さくしや》を知《し》つてゐるでせう。あのヂユマが、まだ二十《はたち》そこ/\でパリへ職《しよく》を求《もと》めに来《き》た時《とき》、やつと世話《せわ》をしてやらうと云《い》ふ人《ひと》に出合《であ》つたのはいゝが、さて『君《きみ》は何《なに》が出来《でき》る?』と聞《き》かれた時《とき》、ハタと困《こま》つてしまつたのです。このポツと出《で》の田舎者《ゐなかもの》は、ごく普通《ふつう》の読《よ》み書《かき》が出来《でき》る外《ほか》は、何《なに》もこれと云《い》ふ特技《とくぎ》を持《も》つてゐなかつたのです。『数学《すうがく》は?』と聞《き》かれたが、『ノン、ムツシユー』と答《こた》へる外《ほか》はない。『地理《ちり》は?』『ノン、ムツシユー』『歴史《れきし》は?』『ノン、ムツシユー』『代数《だいすう》は?』『ノン、ムツシユー』これには、世話《せわ》をしてやらうと云《い》つた人《ひと》もホト/\困《こま》つてしまつた。仕方《しかた》がなしに、『ぢや、そこへ宿所《しゆくしよ》と姓名《せいめい》とを書《か》いて行《ゆ》きたまへ。何《なに》か君《きみ》に向《む》く仕事《しごと》があつたら、知《し》らせを上《あ》げるから』これは、求職者《きうしよくしや》を追《お》ツ払《ぱら》ふ誰《たれ》も遣《や》る手《て》です。そこで、ヂユマは云《い》はれるままに宿所《しゆくしよ》と姓名《せいめい》とを書《か》いた。その筆跡《ひつせき》を見《み》て、世話《せわ》をしてやらうと云《い》つた人《ひと》が、思《おも》はず、『やれ、助《たす》かつた。君《きみ》はなか/\よく書《か》くぢやないか。それだけ書《か》けるなら、一つパレ・ロワイヤールの書記《しよき》に世話《せわ》してやらう』さう云《い》つて、最下位《さいかゐ》の書記《しよき》に世話《せわ》をしてくれたのです。ところが、そこの上役《うはやく》に文学《ぶんがく》の正《たゞ》しい鑑賞家《かんしやうか》がゐて、その人《ひと》の提嘶《ていせい》によつて、だん/″\文学《ぶんがく》に対《たい》する目《め》を明《あ》けられて、結局《けつきよく》あれだけの大文豪《だいぶんがう》になつたのださうですがね——」 「……。」  三千代《みちよ》も、梅村《うめむら》も、黙《だま》つて、——殊《こと》に三千代《みちよ》は、生《うま》れて始《はじ》めて座談《ざだん》にも情熱《じやうねつ》のあることを知《し》つたやうな気《き》がした。こんな種類《しゆるゐ》の座談《ざだん》を耳《みゝ》にしたのは、彼女《かのぢよ》の生涯《しやうがい》には一|度《ど》もないことだつた。情熱《じやうねつ》の飛沫《しぶき》を浴《あ》びてゐるやうな気持《きもち》で、ぢつと聞《き》き入《い》つてゐた。 「僕《ぼく》は、奥《おく》さんが果《はた》して文学的才能《ぶんがくてきさいのう》があるかどうか知《し》りませんよ。ただ梅村《うめむら》があるあると云《い》ふから、あると思《おも》つて、僕《ぼく》の手伝《てつだ》ひをしたらどうかと云《い》つたまでです。しかし、梅村《うめむら》から聞《き》くと、あんまり望《のぞ》んでゐられないさうですが、何《なに》か外《ほか》に望《のぞ》みが——と云《い》ふことは、何《なに》か特技《とくぎ》を持《も》つてゐると云《い》ふことになるが、『ウイ、ムツシユー』と云《い》へる特技《とくぎ》を何《なに》かお持《も》ちですか。」 「さあ——」 「就職《しうしよく》に遠慮《ゑんりよ》は要《い》りませんよ。お持《も》ちなら、持《も》つてゐると仰《おつ》しやつて下《くだ》さい。それによつて、僕《ぼく》も考《かんが》へて見《み》ますから。」     三  さう云《い》はれれば、女学生《ぢよがくせい》の時分《じぶん》に、好《す》きで或《ある》日本画家《にほんぐわか》について四条派《しでうは》を少《すこ》し習《なら》つた外《ほか》は、これと云《い》ふ特技《とくぎ》を持《も》つてゐる三千代《みちよ》ではなかつた。好《す》きと云《い》へば、詩《し》とか小説《せうせつ》とか、戯曲《ぎきよく》とか、さう云《い》ふ文学書《ぶんがくしよ》を読《よ》むことが恐《おそら》く一|番好《ばんす》きかも知《し》れなかつた。  さう云《い》ふことを、傍《そば》から梅村《うめむら》が彼女《かのぢよ》に代《かは》つて海野《うんの》に説明《せつめい》してくれた。 「兎《と》に角好《かくす》きがやがて特技《とくぎ》になるんだから、好《す》きなものを遣《や》つて見《み》るんだな。ぢや、挿絵画家《さしゑぐわか》として紹介《せうかい》して上《あ》げませうか。」 「駄目《だめ》ですわ、改《あらた》めて四五|年《ねん》年期《ねんき》を入《い》れ直《なほ》さなければ——」 「一|体《たい》、月《つき》に幾《いく》ら位《くらゐ》必要《ひつえう》なんです?」 「……。」  そんなこと、図々《づうづう》しくつて云《い》へなかつた。 「五十|円《ゑん》?」 「そんなに——」 「ぢや、四十|円《ゑん》?」 「……。」  その位取《くらゐと》れたらどんなに嬉《うれ》しいだらう—— 「ぢや、四十|円《ゑん》と極《き》めときませう。その月《つき》によつて、五|円位《ゑんくらゐ》の出入《でいり》はあるものとして——」 「……。」  三千代《みちよ》は遠慮深《ゑんりよぶか》く頭《あたま》をさげた。テキパキと事《こと》を片附《かたづ》けて行《ゆ》く海野《うんの》の態度《たいど》に、彼女《かのぢよ》は知《し》らぬうちに信頼《しんらい》の糸《いと》を一|本投《ぽんな》げ掛《か》けてゐる自分自身《じぶんじしん》を感《かん》じた。 「仕事《しごと》はね、僕《ぼく》の書《か》くものの下調《したしら》べが主《しゆ》ですが、例《たと》へば、十九の処女《しよぢよ》の訪問服《はうもんふく》はどんなのがいゝか、デパートへ行《い》つて調《しら》べて来《き》て貰《もら》ふとか、まあ、それに類《るゐ》した調《しら》べ物《もの》が沢山《たくさん》あるんです。それから、僕《ぼく》の代《かは》りに本《ほん》を読《よ》んで貰《もら》ふとか、徳川時代《とくがはじだい》の衣裳《いしやう》や調度《てうど》を、図書館《としよくわん》や博物館《はくぶつくわん》へ行《い》つて調《しら》べて来《き》て貰《もら》ふとか、なか/\面倒《めんだう》ですよ。クルー(手懸《てがゝ》り)は僕《ぼく》が与《あた》へてあげるけれど——。出来《でき》るでせう、その位《くらゐ》のこと?」 「……。」  無言《むごん》で、三千代《みちよ》は涼《すゞ》しい目《め》に喜《よろこ》びの表情《へうじやう》を浮《うか》べた。 「それから、毎月欠《まいげつか》かさずある仕事《しごと》は——僕《ぼく》は子供《こども》の雑誌《ざつし》に毎月《まいげつ》一つづつ童話《どうわ》を書《か》いてゐるので、僕《ぼく》の手許《てもと》にある本《ほん》や、図書館《としよくわん》の本《ほん》の中《なか》から、面白《おもしろ》さうな話《はなし》を読《よ》んで来《き》て、僕《ぼく》に聞《き》かして貰《もら》ひたいんだが——」 「……。」 「で、まあ兎《と》に角《かく》、月水金《げつすゐきん》と一|週《しう》に三|日《か》、午後《ごご》から通《かよ》つて来《き》て貰《もら》ふことにしませうか。」 「はい。」  そんな話《はなし》をしてゐるうちに、夕方《ゆふがた》になつてしまつた。送《おく》つて行《い》くと云《い》つて、海野《うんの》は霧雨《きりあめ》の降《ふ》つてゐる街中《まちなか》へ出《で》た。三千代《みちよ》は、火照《ほて》つた頬《ほゝ》に細《こま》かい雨《あめ》の飛沫《しぶき》が気持《きもち》よかつた。  新橋《しんばし》で省線《しやうせん》を降《お》りた時《とき》、 「御飯《ごはん》を食《た》べて行《い》つてはいけない?」と、海野《うんの》が人懐《ひとなつか》しさうに引《ひ》き留《と》めたが、三千代《みちよ》は子供《こども》のことが気《き》になるので、断《ことわ》つて一人《ひとり》で市内電車《しないでんしや》の方《はう》へ急《いそ》いだ。  ラツシユ・アワーで市内電車《しないでんしや》は混《こ》んでゐた。海野《うんの》は、|ぬかるみ《ヽヽヽ》に心許《こゝろもと》ない三千代《みちよ》の足許《あしもと》を見《み》てゐるうちに、押《お》し合《あ》つてゐる男《をとこ》の間《あひだ》へ、挟《はさ》ませてやるに忍《しの》びなくなつた。 「奥《おく》さん、ちよつと。」と、彼《かれ》はあたり構《かま》はぬ声《こゑ》で呼《よ》び留《と》めた。     四 「僕送《ぼくおく》つて行《ゆ》きたくなつたから、ちよつと待《ま》つて下《くだ》さい。——いゝだらう、梅村《うめむら》?」 「う、うむ。」  引《ひ》き返《かへ》して来《き》た三千代《みちよ》は、 「そんな——もう結構《けつこう》です。」と云《い》ひ捨《す》ててまた向《むか》うへ行《ゆ》き掛《か》けた。 「何《なに》を考《かんが》へてるんだい。厭《いや》なら、僕《ぼく》一人《ひとり》で送《おく》つて行《ゆ》くぜ。いゝか。」 「……。」  梅村《うめむら》は窃《ひそ》かに三千代《みちよ》に好意《かうい》のしつツこい感情《かんじやう》を持《も》つてゐるだけに、海野《うんの》のやうに率直《そつちよく》に振舞《ふるま》へなかつた。 「オーイ。」  海野《うんの》は構《かま》はず自動車《じどうしや》を呼《よ》んでしまつた。 「どうぞ——」  断《ことわ》る三千代《みちよ》を先《さき》に乗《の》せ、続《つゞ》いて自分《じぶん》も乗《の》り、まだ歩道《ほだう》の端《はし》に立《た》つてゐる梅村《うめむら》に、 「早《はや》く乗《の》れよ。」  さう云《い》つた海野《うんの》は、まるでお酒《さけ》を飲《の》んでゐない酔《よ》ツぱらひのやうに三千代《みちよ》には思《おも》へた。 「僕《ぼく》は止《よ》さう。君送《きみおく》つて行《ゆ》け。」 「変《へん》な奴《やつ》だな。」  パタンとドアが締《し》まつた。  梅村《うめむら》は、海野《うんの》の言葉《ことば》をうしろの地面《ぢめん》に落《おと》したまま、寂《さび》しい酔《よ》ツぱらひのやうに向《むか》うへ歩《ある》き出《だ》してゐた。  海野《うんの》は、梅村《うめむら》の後姿《うしろすがた》に暫《しばら》くぢつと目《め》を置《お》いてゐたが、その後姿《うしろすがた》に、梅村《うめむら》が三千代《みちよ》に好意《かうい》以上《いじやう》のものを持《も》つてゐるらしいことを——気《き》の弱《よわ》い梅村《うめむら》の、三千代《みちよ》に対《たい》する心《こゝろ》の影《かげ》を、見《み》たやうに思《おも》つた。  一|方《ぱう》、三千代《みちよ》は片隅《かたすみ》に体《からだ》を堅《かた》くしながら、 (海野《うんの》の——初対面《しよたいめん》と云《い》つてもいゝ海野《うんの》の、この親切《しんせつ》は何《なん》なのだらう。何《なん》と云《い》ふ図々《づうづう》しい——とも思《おも》へる——無邪気《むじやき》な——とも思《おも》へる——この遣《や》り方《かた》は何《なん》なのだらう。)  自動車《じどうしや》を降《お》りてからも、海野《うんの》は三千代《みちよ》の家《うち》の見《み》えるところまで送《おく》つて来《き》た。  三千代《みちよ》が家《うち》の前《まへ》で振《ふ》り返《かへ》つて見《み》たら、まだ別《わか》れたところに海野《うんの》の傘《かさ》が夜目《よめ》にもポツツリ動《うご》かずに湿《ぬ》れてゐた。彼女《かのぢよ》は、処女《しよぢよ》のやうにひとりでに|はにか《ヽヽヽ》んで来《く》る自分自身《じぶんじしん》をどうしやうもなかつた。 「海野《うんの》さんて親切《しんせつ》な方《かた》ね。断《ことわ》つたのに、自動車《じどうしや》でそこまで送《おく》つて来《き》て下《くだ》すつたのよ。」  三千代《みちよ》は良人《をつと》に、その日《ひ》のことをこま/″\と話《はな》した。 「フーム、そりやよかつた。」  さうは云《い》ふのだが、三千代《みちよ》に仕事《しごと》のあつたことを、三千代程身《みちよほどみ》に沁《し》みて喜《よろこ》んでくれてゐない良人《をつと》の熱《ねつ》の無《な》さに、彼女《かのぢよ》は物足《ものた》らなさを覚《おぼ》えずにはゐられなかつた。  そんなこんなで、三千代《みちよ》は、良人《をつと》に、海野《うんの》が自分《じぶん》を家《うち》のすぐ傍《そば》まで送《おく》つて来《き》てくれたことを云《い》ふのを止《よ》した。と云《い》ふよりも、何《なに》か率直《そつちよく》に云《い》へないものがあつたと云《い》つた方《はう》が正直《しやうぢき》かも知《し》れない。最初《さいしよ》の良人《をつと》への嘘《うそ》——とまでは云《い》へない嘘《うそ》の萌《きざ》しかも知《し》れなかつた。  三千代《みちよ》は美《うつく》しい生《うま》れ付《つき》の為《た》め、大方《おほかた》の男性《だんせい》の好意《かうい》には馴《な》れてゐた。それだけにまた、男性《だんせい》の好意《かうい》に対《たい》する或《あ》る警戒《けいかい》も知《し》つてゐた。が、最初《さいしよ》から、海野《うんの》には、彼《かれ》の大胆《だいたん》な親切《しんせつ》な振舞《ふるまひ》に目《め》を見張《みは》りながらも、警戒《けいかい》らしいものは少《すこ》しも感《かん》じなかつた。それは一つには、海野《うんの》には美人《びじん》の噂《うはさ》の高《たか》い細君《さいくん》があり、その家庭《かてい》の円満《ゑんまん》さはゴシツプにまで唄《うた》はれて、文壇《ぶんだん》周知《しうち》のことだつたせゐもあつた。兎《と》に角《かく》、三千代《みちよ》は海野《うんの》にだけは安心《あんしん》して対《たい》してゐられると思《おも》つてゐた。 [#改ページ]   智《ち》     一 「何《なに》かありましたか。」と、海野《うんの》が聞《き》いた。 「ええ。——こんなの如何《いかゞ》?」  かう云《い》つて、三千代《みちよ》が図書館《としよくわん》で読《よ》んで来《き》た童話《どうわ》の筋《すぢ》を語《かた》り出《だ》した。 「うむ。——うむ。」  頷《うなづ》きながら聞《き》いてゐた海野《うんの》が、 「|そいつ《ヽヽヽ》は面白《おもしろ》いや。|そいつ《ヽヽヽ》を一つ、面倒《めんだう》ついでにちよいと書《か》いてくれませんか。」 「駄目《だめ》ですわ、書《か》くなんて。」 「そんなこと云《い》はずに、書《か》いて下《くだ》さいよ。改《あらた》まらずに、今話《いまはな》した通《とほ》りでいゝんですから。」 「でも——」 「ああ、さうか。そのまま僕《ぼく》が使《つか》ふとでも思《おも》つてるんでせう。さうぢやないんです。唯細《たゞこま》かいところを忘《わす》れるから、心覚《こゝろおぼ》えに書《か》いといてくれればいゝんです。細《こま》かければ細《こま》かい程僕《ほどぼく》は助《たす》かるんだが——」  せう事《こと》なしに、三千代《みちよ》は自分《じぶん》の机《つくゑ》に当《あ》てがはれた二|月堂《ぐわつだう》に向《むか》つてペンを執《と》つた。  二|時間程《じかんほど》して、九|枚《まい》に書《か》き上《あ》げた原稿《げんかう》を海野《うんの》は受《う》け取《と》つた。 「成程《なるほど》、梅村《うめむら》が極力褒《きよくりよくほ》めてゐただけあつて、旨《うま》いな。」  ざつと一|度目《どめ》を通《とほ》した後《あと》で、海野《うんの》が原稿《げんかう》から目《め》を放《はな》しながら云《い》つた。 「少《すこ》しテンポが早《はや》いが、もう少《すこ》し間《ま》が持《も》てたら、このまま通用《つうよう》しますよ。これなら、一|等《とう》に当選《たうせん》した訳《わけ》だ。」 「……。」  しかし、三千代《みちよ》は笑《わら》つて相手《あひて》にならなかつた。 「どうです、いつそ助手《じよしゆ》なんか止《や》めて、童話作家《どうわさくか》になつたら——」 「あら、女《をんな》には点《てん》が甘過《あます》ぎるんではないかしら。」  三千代《みちよ》が笑《わら》ひながら云《い》つた。 (畜生《ちくしやう》。)  海野《うんの》は心《こゝろ》の中《なか》で思《おも》はずさう叫《さけ》んだ。——実際《じつさい》、これまで男《をとこ》の助手《じよしゆ》を幾人《いくにん》か使《つか》つたことはあつたが、探《さが》して来《き》た種《たね》が、一|度《ど》で心《こゝろ》に叶《かな》つたことは一|度《ど》もなかつた。さう云《い》ふ意味《いみ》で、まづ三千代《みちよ》の頭《あたま》のよさに感心《かんしん》せずにはゐられなかつた。  その人《ひと》の頭《あたま》のよさ、芸術的気稟《げいじゆつてききひん》の有無《うむ》は、一|度物《どもの》を書《か》かして見《み》れば、隠《かく》すところなく赤裸々《せきらゝ》に露呈《ろてい》して来《く》るものだと云《い》ふ考《かんが》へを海野《うんの》は持《も》つてゐた。さう云《い》ふ下心《したごゝろ》もあつて、一《ひと》つには、三千代《みちよ》に筆《ふで》を持《も》たせて見《み》たのだつた。  その結果《けつくわ》は、正直《しやうぢき》に云《い》つて、十|人近《にんちか》くも出入《でいり》する若《わか》い男《をとこ》の作家志望《さくかしばう》の誰《たれ》よりも、この作家志望《さくかしばう》でない「主婦《しゆふ》」の方《はう》が、書《か》いたものの行《ぎやう》と行《ぎやう》との間《あひだ》から、芸術的《げいじゆつてき》な薫《かを》りをくゆらしてゐた。  しかも、褒《ほ》めても、それにオイソレと乗《の》つて来《こ》ない賢《さか》しさは——褒《ほ》めれば、すぐ興奮《こうふん》して来《く》る「作家志望《さくかしばう》」に馴《な》れてゐる海野《うんの》には、一|面《めん》面憎《つらにく》くもあれば、一面女《めんをんな》らしい好《この》もしさでもあつた。 (こいつはいゝ拾《ひろ》ひ物《もの》をした。)  海野《うんの》は少《すこ》し狼狽《らうばい》しながら、強《し》ひてさう云《い》ふ事務的《じむてき》な考《かんが》へ方《かた》をしようとした。     二  かうして、三千代《みちよ》は一|日毎《にちごと》に、自分《じぶん》に与《あた》へられた仕事《しごと》に馴《な》れて行《い》つた。海野《うんの》にも馴《な》れ、海野《うんの》の書斎《しよさい》にも馴《な》れて来《き》た。始《はじ》めのうちは、何《なん》と云《い》つても強張《こはば》つてゐた感情《かんじやう》や動作《どうさ》が、それと一|緒《しよ》に開放《かいはう》されて自由《じいう》に働《はたら》くやうになつた。草《くさ》や木《き》に見《み》るやうに、三千代《みちよ》はメキ/\生々《いきいき》として来《き》た。  今日《けふ》も、三千代《みちよ》は海野《うんの》に調《しら》べて来《く》るやうに命《めい》じられた衣裳《いしやう》のことで、江戸橋《えどばし》の婦人洋装店《ふじんやうさうてん》シホザハへ行《い》つた帰《かへ》り道《みち》だつた。  半年《はんとし》ばかり前《まへ》にパリから帰《かへ》つて来《き》たそこの女主人《をんなしゆじん》は、敏捷《びんせふ》な応対《おうたい》で気持《きもち》よく三千代《みちよ》に答《こた》へてくれた。職業《しよくげふ》を持《も》つ女《をんな》のみが発散《はつさん》するテキパキした活気《くわつき》が、思《おも》はず見惚《みと》れる位《くらゐ》気持《きもち》がよかつた。  三千代《みちよ》は、海野《うんの》から三|人《にん》の女《をんな》の衣裳《いしやう》を調《しら》べて来《く》るやうに云《い》ひ附《つ》けられて来《き》たのだつた。そのうちの若《わか》いマダムと、断髪《だんぱつ》の令嬢《れいぢやう》との洋装《やうさう》はそこで分《わか》つたけれど、もう一人《ひとり》の令嬢《れいぢやう》に着《き》せる思《おも》はしい和服《わふく》が見当《みあた》らなかつた。  で、そこを出《で》てから、銀座《ぎんざ》の松屋《まつや》へ行《い》つて見《み》た。  派手《はで》な色《いろ》の呉服類《ごふくるゐ》が縦横《じゆうわう》に飾《かざ》られてゐたが、どれもこれも美《うつく》し過《す》ぎて個性《こせい》がなかつた。三千代《みちよ》はかうした陳列《ちんれつ》の中《なか》から、生《い》きた服装《ふくさう》を探《さが》さうとした自分《じぶん》の智慧《ちゑ》の無《な》さに気《き》が附《つ》いて、外《そと》へ出《で》た。  賑《にぎや》かな真昼《まひる》の銀座《ぎんざ》の歩道《ほだう》を歩《ある》きながら、三千代《みちよ》は、自分《じぶん》の神経《しんけい》が八|方《ぱう》に飛躍《ひやく》するのを頬笑《ほゝゑ》ましく眺《なが》めてゐるもう一人《ひとり》の自分《じぶん》を感《かん》じてゐた。仕事《しごと》の為《た》めに緊張《きんちやう》してゐる自分自身《じぶんじしん》が、何《なん》と云《い》ふことなしに楽《たの》しかつた。 「ああ、あれにしよう。」  三千代《みちよ》は尾張町《をはりちやう》の角《かど》で立《た》ち留《ど》まつた自分《じぶん》の前《まへ》を、今《いま》自動車《じどうしや》から降《お》りた一人《ひとり》の令嬢《れいぢやう》を見《み》たのだつた。髪《かみ》をピツタリ襟筋《えりすぢ》へ束《たば》ねてゐるのが、ツンとした顔立《かほだ》ちを一|層《そう》怜悧《れいり》さうに引《ひ》き立《た》たせてゐた。着物《きもの》は木《こ》の葉色《はいろ》の金紗地《きんしやぢ》に、黒《くろ》い大胆《だいたん》な横縞《よこじま》だつた。黒《くろ》ツぽい光《ひか》らない帯《おび》に、大《おほ》きな帯留《おびどめ》の玉《たま》がみづ/″\しく空《そら》の色《いろ》を吸《す》つてゐた。草履《ざうり》は、着物《きもの》と同《おな》じ色《いろ》に白《しろ》の|だんだら《ヽヽヽヽ》だつた。すべての派手《はで》を、黒《くろ》い金紗《きんしや》の羽織《はおり》が伊達《だて》に包《つゝ》んでゐた。 「あの——」  三千代《みちよ》は、帰《かへ》つて来《く》るなり、海野《うんの》に報告《はうこく》した。 「若《わか》いマダムの衣裳《いしやう》は、銀色《ぎんいろ》ブルー。共色《ともいろ》のオーバーコートの襟《えり》と、肘《ひぢ》とへ、黒狐《くろぎつね》を堂々《だうだう》と附《つ》けるのが|はや《ヽヽ》つてるんですつて。」 「肘《ひぢ》?」 「ええ、肘《ひぢ》へ——。袖口《そでぐち》ぢやないんですつて。」 「へえ。」 「帽子《ばうし》はマルキー。」 「何《なに》マルキーつて?」 「ナポレオン時代《じだい》の型《かた》が流行《はや》つてゐるんですつて。その型《かた》のことですの。」 「ひどくまた復古《ふくこ》だな。——靴《くつ》は?」 「エナメルの黒《くろ》。ハンドバツグも、黒《くろ》のエナメルがいゝでせうツて。」 「有《あ》り難《がた》う。」  海野《うんの》は、三千代《みちよ》の細《こま》かく行《ゆ》き届《とゞ》いた親切《しんせつ》と、仕事《しごと》に対《たい》する熱心《ねつしん》な態度《たいど》とが、無条件《むでうけん》に嬉《うれ》しかつた。 「どう、疲《つか》れやしませんか。」 「ちつとも。なぜもつと早《はや》く自分《じぶん》の決心《けつしん》が附《つ》かなかつたかと後悔《こうくわい》してゐる位《くらゐ》ですの。」  三千代《みちよ》はさう云《い》ひながら、長《なが》い過去《くわこ》の間《あひだ》、的《あて》のない生活《せいくわつ》にさまよつて来《き》た自分《じぶん》の、果敢《はか》ない日《ひ》と時《とき》とを思《おも》ひ合《あは》せて、ほつそり寂《さび》しい笑《わら》ひ方《かた》をした。 [#改ページ]   情《こゝろ》     一  海野《うんの》の家《うち》へ通《かよ》ひ出《だ》してから暫《しばら》くするうちに、三千代《みちよ》は、彼《かれ》の家庭《かてい》について不審《ふしん》を抱《いだ》き始《はじ》めてゐた。  海野《うんの》の、細君《さいくん》に対《たい》する態度《たいど》に解《げ》せないものが度々《たびたび》あつた。  細君《さいくん》は、大方《おほかた》の場合《ばあひ》留守《るす》だつた。そんな時《とき》、海野《うんの》の寂《さび》しさが、ふい/\と三千代《みちよ》の上《うへ》に陰《かげ》つて来《く》ることがあつた。彼女《かのぢよ》は海野《うんの》が家庭的《かていてき》に幸福《かうふく》でないことを少《すこ》しづつ感知《かんち》した。 「……。」  三千代《みちよ》は少《すこ》し身《み》の締《し》まる感《かん》じがした。漠然《ばくぜん》と或《ある》不安《ふあん》を感《かん》じずにはゐられなかつた。 (海野《うんの》さんが幸福《かうふく》でないとしたら——) (海野《うんの》さん夫婦《ふうふ》が円満《ゑんまん》でないとしたら——)  そこには、大丈夫《だいぢやうぶ》だと安心《あんしん》し切《き》れない或物《あるもの》が——全然《ぜんぜん》ないとは云《い》ひ切《き》れなかつた。 (たとひ漠然《ばくぜん》とでも自分《じぶん》がそれを感《かん》じた以上《いじやう》、自分《じぶん》は、海野《うんの》さんの家庭《かてい》に近附《ちかづ》いてはならないのではないだらうか。) (自分《じぶん》には良人《をつと》がある。) (子供《こども》がある。) (——それこそ大変《たいへん》な不幸《ふかう》が生《しやう》じて来《こ》ないとは誰《たれ》が云《い》ひ得《え》よう。) (不幸《ふかう》を未然《みぜん》に防《ふせ》ぐ為《た》めには、私《わたし》が海野《うんの》さんのところへ通《かよ》ふのを止《や》めるのが一|番《ばん》いゝのではあるまいか。)  三千代《みちよ》はさう考《かんが》へて、口実《こうじつ》を設《まう》けては海野《うんの》を訪問《はうもん》する日《ひ》を減《へ》らして行《い》つた。さうして与《あた》へられた仕事《しごと》を家庭《かてい》で仕上《しあ》げて、結果《けつくわ》だけ海野《うんの》の所《ところ》へ持《も》つて行《ゆ》くやうにした。  しかし、彼女《かのぢよ》が海野《うんの》のところへ行《ゆ》くことを躊躇《ちうちよ》し始《はじ》めた時《とき》は、とりもなほさず、海野《うんの》と三千代《みちよ》との間《あひだ》が、一|歩《ぽ》づつ近寄《ちかよ》りつつあつた時《とき》だつたのだ。  一|週《しう》に三|度通《どかよ》つてゐたのを一|度《ど》にした時《とき》、その次《つぎ》に逢《あ》つた海野《うんの》は、感情的《かんじやうてき》には倍《ばい》の倍《ばい》の力《ちから》で三千代《みちよ》を把握《はあく》しようとするかのやうな情熱《じやうねつ》を貯《たくは》へて待《ま》つてゐた。 (さうだわ。)  折角得《せつかくえ》た収入《しうにふ》の道《みち》ではあつたが、危険《きけん》な助手《じよしゆ》の位置《ゐち》を捨《す》て去《さ》らうと三千代《みちよ》がほぼ思《おも》ひ定《さだ》めた時《とき》だつた。以前《いぜん》、海野《うんの》に勧《すゝ》められるままに、大《たい》した望《のぞ》みからではなく、万《まん》に一《ひと》つにもそれによつて収入《しうにふ》の道《みち》でも開《ひら》けてくれたらと思《おも》つて書《か》いた短《みじか》い小説《せうせつ》が、二《ふた》つ三《みつ》つ海野関係《うんのくわんけい》の雑誌《ざつし》に載《の》り始《はじ》めた。殊《こと》に、第《だい》一|作《さく》は、夢《ゆめ》にも思《おも》はなかつたやうな文壇《ぶんだん》の或《ある》大家《たいか》から讃辞《さんじ》をさへ受《う》けた。  三千代《みちよ》は「ままよ」と目《め》をつぶつて、歩《ある》き出《だ》した道《みち》を一筋《ひとすぢ》に行《ゆ》き切《き》らうと覚悟《かくご》した。  これまで、彼女《かのぢよ》は、自分《じぶん》の前《まへ》に幸福《かうふく》らしい道《みち》が開《ひら》き掛《か》ける度《たび》に、きつと誰《たれ》かへの遠慮《ゑんりよ》から、その人《ひと》に道《みち》を譲《ゆづ》つて裏路《うらみち》へ逸《そ》れては苦《にが》い後味《あとあぢ》に悔《くい》の多《おほ》い人生《じんせい》を歩《ある》いて来《き》た。さう云《い》ふ人《ひと》の世《よ》の渡《わた》り方《かた》をして来《き》た彼女《かのぢよ》には、曾《かつ》て一|度《ど》も幸福《かうふく》らしい「小路《こうぢ》」すら開《ひら》けて来《き》たことはなかつた。しかし、今度《こんど》の場合《ばあひ》ばかりは、何《なに》か悲壮《ひさう》と云《い》ふに近《ちか》い或《ある》決心《けつしん》が、彼女《かのぢよ》をうしろから狩《か》り立《た》ててゐるやうに感《かん》じられてならなかつた。  海野《うんの》はだん/″\恋愛《れんあい》に似《に》た感情《かんじやう》で三千代《みちよ》を包《つゝ》んで来《き》た。  家族《かぞく》の多《おほ》い家庭生活《かていせいくわつ》の煩《わづら》はしさ、世帯苦《しよたいく》、心《こゝろ》の煩悶《はんもん》、さうしたものが、三千代《みちよ》の姿《すがた》に、侘《わび》しい陰影《いんえい》を濃《こ》くした。しかし、海野《うんの》の目《め》には、さうした生活《せいくわつ》の影《かげ》も、却《かへ》つて彼女《かのぢよ》の人柄《ひとがら》を一《ひと》しほ深《ふか》く見《み》せたに過《す》ぎなかつた。     二 「——ところが、一|方《ぱう》には、かう云《い》ふ反証《はんしよう》もあるんですよ。」  その日《ひ》も、何度《なんど》か座蒲団《ざぶとん》を辷《すべ》り降《お》りようとする三千代《みちよ》を引《ひ》き留《と》めたさに、海野《うんの》は一《ひと》つ話《はなし》が終《をは》ると、息《いき》もつかずに、その次《つぎ》の話《はなし》のとツかゝりを織《お》り込《こ》んで来《く》るのだつた。 「……。」  いつまで経《た》つても、三千代《みちよ》は座《ざ》を立《た》つ機会《きくわい》がなかつた。話《はなし》はどれも面白《おもしろ》かつたが、しかし、我家《わがや》の夕餉《ゆふげ》のことが、子供達《こどもたち》のことが、三千代《みちよ》の心《こゝろ》を落《お》ち着《つ》かせてくれなかつた。  三千代《みちよ》は自分《じぶん》でも知《し》らない間《ま》に、いつか包《つゝみ》を膝《ひざ》の上《うへ》に抱《だ》き上《あ》げてゐた。  海野《うんの》は、この家庭《かてい》へ心忙《こゝろせ》いてゐる女《をんな》に、このドメスチツクな妻《つま》としての三千代《みちよ》に、嫉妬《しつと》を感《かん》じてふと話《はなし》の継穂《つぎほ》を見失《みうしな》つた。それと同時《どうじ》に、ドメスチツクな感情《かんじやう》に全《まつた》く欠《か》けてゐる、投《な》げ遣《や》りな自分《じぶん》の妻《つま》のことが寂《さび》しく思《おも》ひ合《あ》はされた。 「そんなに帰《かへ》りたい?」  海野《うんの》は、秋《あき》の夕空《ゆふぞら》のやうな果敢《はか》ない色《いろ》を目《め》に浮《うか》べながら三千代《みちよ》を見《み》た。  三千代《みちよ》は慌《あわ》てて、膝《ひざ》の上《うへ》の風呂敷包《ふろしきづゝみ》を畳《たゝみ》の上《うへ》に置《お》いた。その慌《あわ》て方《かた》が女《をんな》らしい魅力《みりよく》となつて海野《うんの》の心《こゝろ》を動《うご》かした。 「さあ、帰《かへ》して上《あ》げませう。」  侘《わび》しい笑《わら》ひを口《くち》のあたりに浮《うか》べながら、彼《かれ》は自分《じぶん》から座《ざ》を立《た》つた。  海野《うんの》の家《うち》から省線《しやうせん》の駅《えき》までは四五|丁《ちやう》あつた。 「モロツコ見《み》た?」  夕方《ゆふがた》の、ざわ/″\と人通《ひとどほ》りの多《おほ》い路《みち》を、車《くるま》や人《ひと》の間《あひだ》を縫《ぬ》ひながら海野《うんの》が聞《き》いた。 「いゝえ。」 「あんまり評判《ひやうばん》なので昨日行《きのふい》つて見《み》て来《き》たけど、僕《ぼく》にはチヤツプリンの『パリの女性《ぢよせい》』の方《はう》がよかつた。」  さう云《い》ひながらも、すぐ「モロツコ」の筋《すぢ》を彼《かれ》は語《かた》り出《だ》した。海野《うんの》は、三千代《みちよ》に逢《あ》はずにゐる間《あひだ》の自分《じぶん》の生活《せいくわつ》の収穫《しうくわく》を、大小何《だいせうなに》くれとなく、みんな三千代《みちよ》に話《はな》してしまはなければ気《き》が済《す》まないのだつた。  停車場《ていしやば》まで来《き》てしまつた。が、彼《かれ》の「モロツコ」は、まだ「ザ・エンド」にならなかつた。 「済《す》みません。もうぢきだから、あすこまで歩《ある》いて——」  彼《かれ》はかう云《い》ひながら、レールに添《そ》つて伸《の》びてゐる黒《くろ》い枕木《まくらぎ》の柵《さく》の向《むか》うの倉庫《さうこ》を指《ゆび》さした。  三千代《みちよ》は、子供《こども》のヤンチヤを見《み》てゐる姉《あね》のやうに、ちよいと笑《わら》つて海野《うんの》の云《い》ふがままになつた。  倉庫《さうこ》まで行《ゆ》き、素《もと》のところまで引《ひ》き返《かへ》して来《き》たけれど、話《はなし》はまだ終《をは》らなかつた。  海野《うんの》は、駅《えき》の売店《ばいてん》の傍《そば》に立《た》ち留《ど》まつて、まだ話《はなし》の続《つゞ》きを止《や》めなかつた。 (早《はや》く帰《かへ》らなければ——早《はや》く帰《かへ》らなければ——)  さう思《おも》ひながら、三千代《みちよ》は一|方《ぱう》ではいつまでも海野《うんの》の話《はなし》が聞《き》いてゐたかつた。  彼《かれ》は自分《じぶん》の話《はなし》に自分《じぶん》で興奮《こうふん》して、ぬれ/\とした目《め》をしてゐた。  二人《ふたり》を、停車場《ていしやば》から出《で》て来《く》る人《ひと》が、はひつて行《い》く人《ひと》が、脇見《わきみ》して行《い》つた。振《ふ》り返《かへ》つて行《い》く人《ひと》もあつた。  話《はなし》が終《をは》つた時《とき》、三千代《みちよ》は自分《じぶん》が人々《ひとびと》の視線《しせん》の原《はら》にゐることに気附《きづ》いて、少《すこ》し取《と》りのぼせ気味《ぎみ》に急《いそ》いで、 「さよなら。」をすると、改札口《かいさつぐち》へ駆《か》けて行《い》つた。     三  長《なが》い階段《かいだん》を登《のぼ》り、長《なが》い階段《かいだん》を降《お》りて、プラツトホームに立《た》つと、黒《くろ》い柵《さく》のところに海野《うんの》がぢつと彼女《かのぢよ》を待《ま》つて立《た》つてゐた。  三千代《みちよ》はこんな——一|直線《ちよくせん》の、鋭《するど》い男《をとこ》の情熱《じやうねつ》に狼狽《らうばい》して、自分《じぶん》が引《ひ》かれて行《ゆ》きさうな不安《ふあん》な予感《よかん》に、立《た》つてゐる足《あし》が顫《ふる》へて来《き》た。 「まあ——」  三千代《みちよ》は、海野《うんの》の全部《ぜんぶ》とは云《い》へないまでも、自分《じぶん》に対《たい》する感情《かんじやう》の波《なみ》だけはピン/\感《かん》じてゐた。しかし、それを、強《し》ひて彼女《かのぢよ》は感《かん》じまいと努力《どりよく》した。  さうしなければ、自分《じぶん》に心《こゝろ》を寄《よ》せてゐると分《わか》つてゐる男《をとこ》との交際《かうさい》を、三千代《みちよ》の良心《りやうしん》が、人妻《ひとづま》としての貞操観念《ていさうくわんねん》が、許《ゆる》してくれなかつた。さう云《い》ふ意味《いみ》で、彼女《かのぢよ》は海野《うんの》の燃《も》え上《あが》らうとする心《こゝろ》を、一生懸命《しやうけんめい》に否定《ひてい》し続《つゞ》けた。  なぜと云《い》つて、三千代《みちよ》は最早《もはや》海野《うんの》を失《うしな》ふことを恐《おそ》れてゐたから——。彼女《かのぢよ》にとつて、海野《うんの》は最早《もはや》インヂスペンサブルな(欠《か》くべからざる)心《こゝろ》の必要物《ひつえうぶつ》になつてゐた。聞《き》きたいこと、話《はな》したいことの一《ひと》つ一《びと》つに、最《もつと》も反響力《はんきやうりよく》を持《も》つた男性《だんせい》として彼女《かのぢよ》の心《こゝろ》に或《ある》位置《ゐち》を占《し》めてゐた。  今《いま》まで曾《かつ》て、海野程高《うんのほどたか》く彼女《かのぢよ》の才能《さいのう》を——いや、彼女《かのぢよ》の人間《にんげん》を、高《たか》く評価《ひやうか》してくれたものは、男女《なんによ》を通《つう》じてなかつた。そのお蔭《かげ》で、どんなに彼女《かのぢよ》は世渡《よわた》りに自信《じしん》を得《え》たことだらう。  世渡《よわた》りに自信《じしん》を得《え》たばかりでなく、心《こゝろ》の中《なか》に朗《ほがら》かな風《かぜ》がそよ/\と吹《ふ》き通《とほ》つて来《き》たやうな気《き》がした。俄《には》かに我身《わがみ》がノビ/″\と自由《じいう》になつたやうな気《き》さへした。物《もの》を見《み》るのにも、物《もの》を判断《はんだん》するのにも、安《やす》んじて、迷《まよ》はずに、自分《じぶん》の思《おも》ひ通《どほ》りに見《み》、思《おも》ひ通《どほ》りに判断《はんだん》して不安《ふあん》を感《かん》じなくなつただけでも、どんなに大《おほ》きな収穫《しうくわく》だか分《わか》らなかつた。  第《だい》一、尊敬《そんけい》出来《でき》る男友達《をとこともだち》を得《え》たことだけだつて、三千代《みちよ》にとつては、新《あたら》しい人生《じんせい》が開《ひら》けたやうなものだつた。両親以外《りやうしんいぐわい》——両親《りやうしん》とは違《ちが》つた意味《いみ》で、精神的《せいしんてき》に最後《さいご》にたより得《う》るところが出来《でき》たと云《い》ふことは、どんなに心丈夫《こゝろぢやうぶ》なことであらう。  さう云《い》ふ意味《いみ》で、海野《うんの》を失《うしな》ふことは、失《うしな》つた後《のち》の寂《さび》しさを思《おも》ふと、三千代《みちよ》は自分《じぶん》の生活《せいくわつ》が空虚《くうきよ》そのもののやうな気《き》がしてならなかつた。  彼女《かのぢよ》は、海野《うんの》の真剣《しんけん》にならうとする心《こゝろ》を、心《こゝろ》の矛《ほこ》を、何《なん》とかして向《む》き換《か》へたかつた。灼熱《しやくねつ》しようとする男《をとこ》の心《こゝろ》を、|はぐら《ヽヽヽ》かしてなりとも、何《なん》でもない日常《にちじやう》の感情《かんじやう》にしてしまひたかつた。  さう云《い》ふ考《かんが》へで、三千代《みちよ》はその晩《ばん》巻紙《まきがみ》にこんな詩見《しみ》たいなものを書《か》いて海野《うんの》へ送《おく》つた。     こころ忙《せ》く     子《こ》ある女《をんな》を     夕暮《ゆふぐれ》の秋風《あきかぜ》の中《なか》に     人繁《ひとしげ》き大路《おほぢ》に立《た》たせ     遠《とほ》きモロツコの話聞《はなしき》かすは     賢人《かしこびと》にや     その人《ひと》の子《こ》にてもあるか  三千代《みちよ》のつもりでは、海野《うんの》がこれを笑《わら》つて読《よ》んでくれることを祈《いの》つたのだつた。  しかし、彼女《かのぢよ》の心遣《こゝろづか》ひも、恋愛《れんあい》に燃焼《ねんせう》しようとしてゐる時《とき》の男《をとこ》にとつては、唯女《たゞをんな》の才気《さいき》を一《ひと》しほ|いとほ《ヽヽヽ》しませるに過《す》ぎなかつた。 [#改ページ]   ノスタルヂヤ     一  三千代《みちよ》が目《め》の前《まへ》に現《あらは》れて以来《いらい》、海野《うんの》の生活《せいくわつ》の海《うみ》は俄《には》かに騒立《さわだ》つて来《き》た。  今《いま》まで波《なみ》も上《あ》げない位《くらゐ》すつかり低調《ていてう》になつてしまつてゐた毎日《まいにち》の生活《せいくわつ》が、再《ふたゝ》び溌剌《はつらつ》としたリズムを打《う》ち出《だ》した。——海野《うんの》はよく書《か》いた。  劇評家《げきひやうか》の玉置《たまき》が 「お前《まへ》は全《まつた》く馬鹿見《まかみ》たいだよ。枕《まくら》に頭《あたま》を附《つ》ける、すぐグウだからな。」  かう云《い》つて海野《うんの》のことを|からか《ヽヽヽ》つた程《ほど》寝附《ねつ》きのいゝ彼《かれ》だつたが、その海野《うんの》が、この頃《ごろ》は、床《とこ》にはひつてから何時間《なんじかん》もモゾ/″\してゐることが多《おほ》かつた。 「しくじつた、しくじつた。」  寝返《ねがへ》りを打《う》つ度《たび》に、同《おな》じことを口走《くちばし》つては溜息《ためいき》をつくのだつた。  もう二三|年前《ねんまへ》から、万里子《まりこ》となつ子《こ》とは下《した》の八|畳《でふ》に寝《ね》、海野《うんの》は書斎《しよさい》の隣《となり》の三|畳《でふ》に一人《ひとり》で寝《ね》てゐた。  彼《かれ》は心《こゝろ》に彫《ゑ》り刻《きざ》まれた三千代《みちよ》の姿《すがた》に、人《ひと》の寝鎮《ねしづ》まつた夜更《よふけ》に一人惚《ひとりほ》れ惚《ぼ》れと見入《みい》つてゐるのだつた。三千代《みちよ》は人目《ひとめ》を忍《しの》んで、涼《すゞ》しい目許《めもと》へ微笑《びせう》を浮《うか》べて海野《うんの》を見《み》た。眉《まゆ》も、鼻《はな》も、口《くち》も、顎《あご》も、すべて破綻《はたん》のない細《ほそ》い線《せん》でかこまれた細面《ほそおもて》の顔立《かほだ》ちが、その涼《すゞ》しい二《ふた》つの目《め》で生々《いきいき》と灯《ひ》が点《とも》つた感《かん》じだつた。  彼女《かのぢよ》の優《やさ》しい顔立《かほだ》ち、なよ/\とした立《た》ち姿《すがた》、さう云《い》ふ肉体的《にくたいてき》な魅力《みりよく》は、やがて彼女《かのぢよ》の神経《しんけい》のこまかさ、心《こゝろ》の優《やさ》しさ、しつとりとした心緒《しんちよ》、さう云《い》つた内《うち》の魅力《みりよく》を語《かた》つてゐた。涼《すゞ》しい目《め》は、彼女《かのぢよ》のエスプリをそこから覗《のぞ》かせてゐた。  殆《ほと》んど化粧《けしやう》してゐるとも思《おも》へない位《くらゐ》の化粧《けしやう》、統《とう》一された古典的《こてんてき》な着物《きもの》の好《この》み、どんないゝ着物《きもの》を着《き》た時《とき》でも、不断着《ふだんぎ》を着《き》てゐる時《とき》のやうな着《き》こなし、さう云《い》つた彼女《かのぢよ》の趣味《しゆみ》の現《あらは》れは、三千代《みちよ》のボン・サンス(良識《りやうしき》)を慎《つゝ》ましやかに示《しめ》してゐた。  三千代《みちよ》を眺《なが》めてゐると、海野《うんの》は遠《とほ》く旅《たび》に出《で》て、我《わが》古里懐《ふるさとなつか》しと思《おも》ふあのノスタルヂヤに似《に》たものが、楚々《そゝ》と来《き》て胸《むね》をこそぐるやうな憧《あこが》れを感《かん》じずにはゐられなかつた。  元来《ぐわんらい》、海野《うんの》は、 「尾上菊次郎《をのへきくじらう》が扮《ふん》するやうな女《をんな》をお嫁《よめ》さんに世話《せわ》してくれよ。」  冗談半分《じようだんはんぶん》にしじゆうさう云《い》つてゐた男《をとこ》だつた。だから、タイプに分《わ》けて云《い》へば、三千代《みちよ》のやうなシツトリとした肌合《はだあひ》の細君《さいくん》を持《も》つものと友達《ともだち》はみんな思《おも》つてゐた。  ところが、貰《もら》つた細君《さいくん》は、西洋人《せいやうじん》のやうな顔立《かほだ》ちの万里子《まりこ》だつた。顔《かほ》も、姿《すがた》も、動作《どうさ》も、モダンな西洋好《せいやうごの》みの美人《びじん》だつた。凡《およ》そ友達《ともだち》の知《し》つてゐる海野《うんの》の好《この》みとは|うらはら《ヽヽヽヽ》な、エキゾチツクな美《うつく》しさを生々《いきいき》と発散《はつさん》してゐる女《をんな》だつた。友達《ともだち》はみんな意外《いぐわい》に思《おも》つた。  しかし海野《うんの》の性格《せいかく》には、さう云《い》ふ——ダイアレクチツクと云《い》はうか、自分《じぶん》の持《も》つてゐるものを抑《おさ》へて、持《も》つてゐないものを所有《しよいう》しようとする——変《へん》に勉強家《べんきやうか》気質《かたぎ》があつた。女《をんな》に対《たい》する下町趣味《したまちしゆみ》を卒業《そつげふ》したい意志《いし》があつて、——万里子《まりこ》のやうな新時代《しんじだい》の美《うつく》しさを味到《みたう》し得《え》たことを、「善《よ》いかな、海野《うんの》。」と自分《じぶん》で自分《じぶん》を褒《ほ》めてやりたい位《くらゐ》の気持《きもち》で一|杯《ぱい》だつたのだ。     二 「お前《まへ》は、女《をんな》から愛《あい》されない顔《かほ》ですよ。だから勉強《べんきやう》して偉《えら》い人《ひと》になつて、それで——」  トルストイは、子供《こども》の頃《ころ》、母親《はゝおや》からかう云《い》はれたことを永《なが》く忘《わす》れなかつた。その時《とき》の寂《さび》しさを、後《のち》に「幼年時代《えうねんじだい》」だか、「青年時代《せいねんじだい》」だかに書《か》いてゐる。  海野《うんの》は、「鏡《かゞみ》」からさう云《い》はれた。  で、女《をんな》に対《たい》する理想《りさう》の実現《じつげん》を、結婚《けつこん》に賭《か》けてゐた。さうして思《おも》ひ通《どほ》りの美《うつく》しい女房《にようばう》を貰《もら》ひ当《あ》てたと思《おも》つてゐた。  結婚《けつこん》の時《とき》まで、彼《かれ》は恋愛《れんあい》——は愚《おろ》か、恋愛《れんあい》らしいものも、——いや、童貞《どうてい》だつたとは云《い》はないが、——「女《をんな》」を知《し》らなかつた。女《をんな》で苦労《くらう》をしたことがなかつた為《た》め、「女《をんな》」を知《し》る機会《きくわい》がなかつた。だから、考《かんが》へがフエミニズムに流《なが》れ勝《がち》だつた。女《をんな》を尊敬《そんけい》し勝《がち》だつた。美《うつく》しい女《をんな》には、美《うつく》しい精神《せいしん》が宿《やど》つてゐるものと思《おも》つてゐた。  ところが、男《をとこ》などは足許《あしもと》にも及《およ》ばないデリケートな神経《しんけい》、デリケートな感覚《かんかく》を持《も》つてゐるとのみ信《しん》じてゐた女《をんな》が、一|緒《しよ》に住《す》んで見《み》ると、男《をとこ》よりもヴアルガーな神経《しんけい》や感覚《かんかく》を持《も》つてゐるのを知《し》つて、海野《うんの》は目《め》を見張《みは》つた。 「どうしたんだい、この手拭《てぬぐひ》は?」  便所《べんじよ》から出《で》て手《て》を拭《ふ》かうとすれば、グツシヨリ黒《くろ》く濡《ぬ》れた手拭《てぬぐひ》が目《め》の前《まへ》に垂《た》れてゐた。  爪《つめ》を切《き》らうとして、ペン皿《ざら》の中《なか》を探《さが》すと、——幾《いく》ら探《さが》しても見当《みあた》らなかつた。 「おうい、ここの鋏知《はさみし》らないか。」  万里子《まりこ》を呼《よ》んで聞《き》くと、 「……。」  きまり悪《わる》さうに、自分《じぶん》の頬《ほゝ》を人差指《ひとさしゆび》で掻《か》いて見《み》せるのだつた。 「また使《つか》ひツぱなしか。早《はや》く持《も》つて来《き》てくれ。」  子供《こども》とふざけてゐて、ふと気《き》がつくと、可愛《かはい》い指《ゆび》の尖《さき》に毒々《どくどく》しく爪《つめ》が伸《の》びてゐることが度々《たびたび》だつた。 「気《き》を附《つ》けろよ、子供《こども》はすぐ指《ゆび》を銜《くは》へるぢやないか。」 「はい。」  しかし、結局《けつきよく》、いつでも子供《こども》の爪《つめ》を切《き》るのは——少《すくな》くとも、爪《つめ》が伸《の》びて黒《くろ》いものが溜《たま》つてゐるのに気《き》が附《つ》くのは、大抵《たいてい》の場合《ばあひ》海野《うんの》だつた。  物《もの》を食《た》べれば、いつまでも茶《ちや》ぶ台《だい》の上《うへ》に食《た》べ散《ち》らかしたまま放《はふ》つてあつた。  海野《うんの》は、仕事《しごと》の都合《つがふ》で徹夜《てつや》をすることが多《おほ》かつた。そんな時《とき》、夜中《よなか》にお腹《なか》が空《す》いて堪《たま》らなくなり、妻《つま》を起《おこ》すのも可哀想《かはいさう》だし、ノコ/\台所《だいどころ》へ出掛《でか》けて行《い》つて、戸棚《とだな》を探《さが》し廻《まは》ることも珍《めづら》しくなかつた。  二《ふた》つのお鉢《はち》に、同《おな》じ位《くらゐ》御飯《ごはん》が残《のこ》つてゐて、どつちが今日焚《けふた》いた御飯《ごはん》だか分《わか》らないで往生《わうじやう》したことも一|度《ど》や二|度《ど》ではなかつた。お鉢《はち》で足《た》りずに、丼《どんぶり》にも冷飯《ひやめし》が盛《も》り上《あ》げてあることもあつた。 「こんなことがしてあるんだもの、幾《いく》ら稼《かせ》いだつて金《かね》の残《のこ》る訳《わけ》はないや。」  稼《かせ》いでも稼《かせ》いでも追《お》はれてばかりゐる自分自身《じぶんじしん》の作家生活《さくかせいくわつ》を顧《かへり》みて、海野《うんの》はさう思《おも》はずにはゐられなかつた。  第《だい》一、爪《つめ》に火《ひ》を点《とも》すやうにして自分《じぶん》に大学教育《だいがくけういく》を授《さづ》けてくれた父親《ちゝおや》に対《たい》して、こんな無駄《むだ》は、理窟《りくつ》でなしに、申訳《まうしわけ》ない気《き》が|ひし《ヽヽ》と海野《うんの》の身《み》を攻《せ》めた。     三  さう云《い》つた工合《ぐあひ》に、ごく詰《つ》まらない日常生活《にちじやうせいくわつ》のことで、海野《うんの》と万里子《まりこ》とは、全《まつた》く|うらはら《ヽヽヽヽ》の性質《せいしつ》を持《も》つてゐた。  海野《うんの》が綺麗好《きれいず》きなら、万里子《まりこ》は汚《きた》な好《ず》き、海野《うんの》がキチンとしてゐるのが好《す》きなら、万里子《まりこ》は投《な》げ遣《や》りが好《す》き、と云《い》つた風《ふう》に——  朝《あさ》ウト/\しながら聞《き》いてゐると、なつ子《こ》が靴下《くつした》を穿《は》きながら、|なか《ヽヽ》に、 「あら、こんな大《おほ》きな穴《あな》が明《あ》いてるわ。」と云《い》つてゐるのが海野《うんの》に聞《きこ》えた。  これは、万里子《まりこ》がなんにも見《み》てやらない証拠《しようこ》だつた。秋《あき》の肌寒《はださむ》い朝《あさ》のことだ。なつ子《こ》が哀《あは》れになつて海野《うんの》は起《お》きて行《い》つてやらずにゐられなかつた。  さう云《い》へば、子供《こども》が起《お》きて行《い》つた後《あと》のシーツに、|たる《ヽヽ》くなつて擦《す》り切《き》れた跡《あと》を見出《みいだ》した時《とき》の侘《わび》しさも、海野《うんの》には忘《わす》れ難《がた》かつた。秋《あき》の朝故侘《あさゆゑわび》しさは一《ひと》しほであつた。 「あら、穴《あな》がないわ。」  |なか《ヽヽ》に寝間着《ねまき》を着《き》せ換《か》へて貰《もら》つてゐたなつ子《こ》が、突然《とつぜん》かう云《い》つた。附紐《つけひも》を通《とほ》す穴《あな》を縫《ぬ》ひつぶしてしまつたのだ。——これなども、万里子《まりこ》が何《なん》でも女中任《ぢよちうまか》せにしてゐるいゝ例《れい》でなければならなかつた。  万里子《まりこ》が虫干《むしぼし》をしてゐるところへはひつて行《い》つた海野《うんの》は、 「ホウ、随分帯《ずゐぶんおび》を持《も》つてゐるんだね君《きみ》は。——一《ひい》、二《ふう》、三《みい》、四《よう》——」  昼夜帯《ちうやおび》ばかり十四|本《ほん》もあつた。 「まだ二三|本《ぼん》あるわ。」 (馬鹿《ばか》。|たま《ヽヽ》には子供《こども》の靴下《くつした》でも買《か》つてやれ。)  海野《うんの》はさう呶鳴《どな》りたいのをやつと怺《こら》へた。  その頃《ころ》、毎晩《まいばん》のやうにかなり大《おほ》きな地震《ぢしん》が揺《ゆす》つた。 「枕許《まくらもと》に必《かなら》ず蝋燭《らふそく》を置《お》いてお寝《ね》よ。」 「はい。」  半徹夜《はんてつや》をして寝《ね》る時見《ときみ》ると、万里子《まりこ》は極《き》まつて手燭《てしよく》を置《お》き忘《わす》れてゐた。そのくせ、地震《ぢしん》を一|番恐《ばんこは》がるのは彼女自身《かのぢよじしん》だつた。  海野《うんの》のところへ来客《らいきやく》のあつた時《とき》、なか/\お茶《ちや》が来《こ》ないでいら/\するのなどは毎度《まいど》のことだつた。勢《いきほ》ひ、海野《うんの》の方《はう》で、 「お茶《ちや》。」 「紅茶《こうちや》。」  と、客《きやく》を前《まへ》にして一々|呶鳴《どな》るより外《ほか》はなかつた。一|度《ど》など、 「お菓子《くわし》。」と云《い》ひ附《つ》けたところ、重《かさ》ねて 「羊羹《やうかん》に致《いた》しませうか。カステラに致《いた》しませうか。」  女中《ぢよちう》をさう訊《たづ》ね返《かへ》しによこされたのには、思《おも》はず海野《うんの》は顔《かほ》を染《そ》めざるを得《え》なかつた。 (何《なん》だ、けち臭《くさ》い。客《きやく》に出《だ》すお菓子《くわし》の指図《さしづ》までこの家《うち》では主人《しゆじん》がするのか。)  客《きやく》はさう思《おも》つて、万里子《まりこ》よりは海野《うんの》を軽蔑《けいべつ》したに違《ちが》ひなかつた。  一|事《じ》が万事《ばんじ》だつた。  二人《ふたり》は、さう云《い》ふ日常《にちじやう》の些事《さじ》でよく喧嘩《けんくわ》をした。しかし、幾《いく》ら喧嘩《けんくわ》をしても、窘《たしな》めても、一|向利《かうき》き目《め》はなかつた。  さうなれば、永《なが》い間《あひだ》には、海野《うんの》としては匙《さじ》を投《な》げるより外《ほか》はなかつた。     四  さう云《い》ふことは、幾《いく》ら書《か》いても切《き》りがなかつた。  夏《なつ》が来《き》て、始《はじ》めて上布《じやうふ》を着《き》る時《とき》など、麻《あさ》のサラリとした肌触《はだざは》りを思《おも》ふと、男《をとこ》でも心楽《こゝろたの》しいものだつた。 「足袋《たび》、足袋《たび》。」  そんな時《とき》、一|番始《ばんはじ》めに足袋《たび》を穿《は》き、それから着物《きもの》を着換《きか》へる順序《じゆんじよ》が呑《の》み込《こ》めず、いつも着物《きもの》を拡《ひろ》げてうしろへ廻《まは》る万里子《まりこ》だつた。  袖《そで》に腕《うで》を通《とほ》した時《とき》の、夏《なつ》でもヒヤリとする肌触《はだざは》りのよさ。しかし、前《まへ》を合《あ》はせ、帯《おび》を締《し》めようとすると、膝《ひざ》のあたりに、前《まへ》の年《とし》の|しみ《ヽヽ》がそのまままざ/″\と黴《かび》になつて残《のこ》つてゐるのを見出《みいだ》した時《とき》の疎《うと》ましさは、なんに譬《たと》へやうもなかつた。 「チエツ。」  折角《せつかく》の上布《じやうふ》を脱《ぬ》ぎ捨《す》てて、もうそれでは暑《あつ》い、ジツトリと肩《かた》に来《く》る単衣《ひとへ》で我慢《がまん》して会《くわい》へ出《で》て行《ゆ》かなければならない海野《うんの》の心持《こゝろもち》は、——さつきまでの、ウキ/\とした心持《こゝろもち》とは似《に》ても似《に》つかぬ、トゲ/″\とした、我《われ》ながら情《なさけ》ない心《こゝろ》の状態《じやうたい》に陥《おちい》つてゐた。  冬《ふゆ》は冬《ふゆ》で、二|枚重《まいがさ》ねの裄《ゆき》が合《あ》はず、着《き》て暫《しばら》く経《た》つうちに、いつの間《ま》にか、派手《はで》な下着《したぎ》の袖《そで》がチヨロリと目《め》を出《だ》すやうな着物《きもの》ばかり着《き》せられた。 「何《なん》とかしてくれよ。」  何遍《なんべん》となくさう云《い》つても、一冬直《ひとふゆなほ》つた|ためし《ヽヽヽ》がなかつた。  襦袢《じゆばん》の袖《そで》が、長《なが》いせゐであらう、二の腕《うで》に絡《から》まつて、しじゆうそこに意識《いしき》が行《い》つて不愉快《ふゆくわい》だつた。 「さうお。そんな筈《はず》はないんですけどねえ——」  万里子《まりこ》はさう云《い》ふだけで、物差《ものさし》を当《あ》てて見《み》ようともしないのだつた。  それよりも何《なに》よりも、海野《うんの》が気持《きもち》が悪《わる》くつて堪《たま》らないのは、余所行《よそゆき》、不断《ふだん》を通《とほ》して、少《すこ》し長《なが》く坐《すわ》つてゐると、羽織《はおり》の襟《えり》が着物《きもの》の上《うへ》へ被《かぶ》さり出《で》て来《き》て、彼《かれ》の襟首《えりくび》をぢかに舐《な》めることだつた。 「をかしいわね。ちやんと寸法通《すんぱふどほ》りに仕立《した》てさせてあるんだけど——。あなたの着方《きかた》が悪《わる》いのよ、きつと。」  かう云《い》つて——男故《をとこゆゑ》仕立《した》てのことの分《わか》らない悲《かな》しさには——さう云《い》ふ着《き》にくい羽織《はおり》を海野《うんの》は二|年越《ねんご》し着《き》せられてゐた。  万里子《まりこ》はよく頼《たの》んだことを忘《わす》れた。 「もう下駄《げた》が大分《だいぶ》ひどくなつたよ。」  黙《だま》つてゐたら、いつ気《き》が附《つ》くか分《わか》らない相手故《あひてゆゑ》、——幾度《いくど》か懲《こ》りた後《のち》、海野《うんの》はこつちから注意《ちゆうい》することにしてゐた。  ところが、今度《こんど》余所《よそ》へ出掛《でか》ける時《とき》、玄関《げんくわん》へ出《で》て見《み》ると、大分《だいぶ》ひどくなつたままの下駄《げた》が、平気《へいき》で揃《そろ》へてあつた。 「これでないの出《だ》してくれ。」  万里子《まりこ》のゐない時《とき》など——そのゐない時《とき》が多《おほ》いのだ。——女中《ぢよちう》が方々探《はうばうさが》し廻《まは》つた挙句《あげく》、 「新《あたら》しいのございませんですが——」 「そんな筈《はず》はないがな。仕舞《しま》つてあるんぢやないか。」  戸棚《とだな》と云《い》ふ戸棚《とだな》を引《ひ》ツ掻《か》き廻《まは》して見《み》ても、買《か》つてないものが出《で》て来《こ》よう訳《わけ》がなかつた。 「ぢや、いゝやこれで。」  雪駄《せつた》で行《ゆ》くには、道《みち》が少《すこ》し|ぬか《ヽヽ》り過《す》ぎてゐるし、足駄《あしだ》で行《ゆ》くには、少《すこ》し道《みち》が善過《よす》ぎると云《い》つた天候《てんこう》の日《ひ》、海野《うんの》は、会席茶屋《くわいせきぢやや》の水《みづ》を打《う》つた玄関《げんくわん》に、目《め》の前《まへ》にある禿《ち》びた下駄《げた》を脱《ぬ》ぐ時《とき》の肩身《かたみ》の狭《せま》さを思《おも》ひながら、八幡黒《やはたぐろ》の鼻緒《はなを》の|すが《ヽヽ》つた下駄《げた》の上《うへ》へ足《あし》を卸《おろ》したことも幾《いく》たびか。     五 「煙草買《たばこか》つてあるね。」 「あら、もうないの?」 「コーヒーまだある?」 「ええ。」 「ミルクは?」 「あります。」 「レモンもあるね?」 「レモンはないわ。」 「ぢや、すぐ買《か》はせといてくれ。」 「はい。」 「ついでに夜中《よなか》に食《た》べるものも頼《たの》むよ。」 「大丈夫《だいぢやうぶ》。」 「なつ子《こ》に吸入《きふにふ》してやつたかい。」 「まだ。」 「駄目《だめ》ぢやないか。」 「だつて、起《お》きるとすぐどこかへ遊《あそ》びに行《い》つちやつたんですもの。」 「すぐ呼《よ》びにやりたまへ。寝《ね》るまでに五|回《くわい》してやらなければ駄目《だめ》だよ。」 「はい。」  ちよいとした話《はなし》が、毎日《まいにち》こんな調子《てうし》だつた。四|方《はう》八|方《ぱう》に気《き》を配《くば》つて置《お》かないと、夜中《よなか》になつて煙草《たばこ》がなかつたり、コーヒーがなかつたり、——煙草《たばこ》とコーヒーのないことは、徹夜《てつや》で仕事《しごと》をする時《とき》の海野《うんの》には、停電《ていでん》よりも恐《こは》かつた。  幾度《いくど》かさう云《い》ふ恐《こは》い目《め》に逢《あ》つて以来《いらい》、この節《せつ》では、外《そと》へ出《で》たついでに、海野《うんの》は自分《じぶん》で足袋《たび》を買《か》つて来《き》たり、紅茶《こうちや》の鑵《くわん》を買《か》つて来《き》たりするやうになつた。  森鴎外先生《もりおうぐわいせんせい》から、永平寺《えいへいじ》に於《お》ける禅房生活《ぜんばうせいくわつ》の状《さま》をこま/″\と聞《き》いて以来《いらい》、 「腹《はら》を立《た》てちや損《そん》だ。なるべく自分《じぶん》のことは自分《じぶん》でするやうにしよう。」  さう思《おも》つて、人《ひと》のした掃除《さうぢ》が気《き》に入《い》らない時《とき》は、彼《かれ》は黙《だま》つて自分《じぶん》で箒《はうき》を持《も》ち、雑巾掛《ざふきんがけ》まで自分《じぶん》でして見《み》た。そんな時《とき》、あんまりいぢ/″\とした自分自身《じぶんじしん》が、顧《かへり》みて誰《たれ》にともなく羞《はづか》しいやうな気《き》がしないでもなかつた。しかし、さうしなければ、落《お》ち着《つ》いて本《ほん》も読《よ》めず、落《お》ち着《つ》いて仕事《しごと》も出来《でき》ない自分自身《じぶんじしん》なら仕方《しかた》もなかつた。  なるべく腹《はら》を立《た》てないやう——なるべく妻《つま》に求《もと》めるところの少《すくな》い生活《せいくわつ》を——  永《なが》い間《あひだ》の、激《はげ》しい、大小《だいせう》さま/″\な夫婦喧嘩《ふうふげんくわ》の後《のち》に、一|歩退《ぽしりぞ》き、二|歩退《ほしりぞ》き、海野《うんの》の心持《こゝろもち》は漸《やうや》くその辺《へん》で落《お》ち着《つ》かうとしてゐた。しかし、寂《さび》しい心境《しんきやう》であることは否《いな》めなかつた。  海野《うんの》は八|畳《でふ》の書斎《しよさい》を禅房《ぜんばう》とも心得《こゝろえ》て、好《す》きな読書《どくしよ》と、一|生《しやう》を賭《か》けた創作生活《さうさくせいくわつ》とに没頭《ぼつとう》しようとした。生活《せいくわつ》は簡素《かんそ》でも、書《か》く戯曲《ぎきよく》は、これまでの日本画風《にほんぐわふう》のやうなものでなく、あぶらツこい、西洋人《せいやうじん》の書《か》く油絵風《あぶらゑふう》の作風《さくふう》に出《で》ようとする野心《やしん》に燃《も》えてゐた。  つまり、万里子《まりこ》の存在《そんざい》は、海野《うんの》の心《こゝろ》の中心《ちうしん》から遠《とほ》い位置《ゐち》に置《お》かれるやうになつてしまつたのだ。  しかし、遊《あそ》ぶ相手《あひて》としては、万里子《まりこ》は、贅沢《ぜいたく》で、白《しろ》くつて、柔《やはらか》くつて、面白《おもしろ》かつた。仕事《しごと》の合間《あひま》に、疲《つか》れた頭《あたま》を休《やす》めるには、持《も》つて来《こ》いの「美食《びしよく》」だつた。     六  さう云《い》ふコンヂシヨンの時《とき》、海野《うんの》の目《め》の前《まへ》に現《あらは》れたのが三千代《みちよ》だつた。見《み》るからドメスチツクな、女《をんな》らしい、情緒的《じやうしよてき》な三千代《みちよ》だつた。  万里子《まりこ》に諦《あきら》めてゐたものを豊《ゆた》かに持《も》つてゐる三千代《みちよ》を見《み》て、海野《うんの》の心《こゝろ》は急傾斜《きふけいしや》して行《い》つた。  美《うつく》しさの点《てん》から云《い》つたら、万里子《まりこ》を春《はる》の花《はな》の美《うつく》しさに例《たと》へれば、三千代《みちよ》は秋《あき》の花《はな》のやうな美《うつく》しさを持《も》つてゐた。美《うつく》しさの点《てん》だけだつたら、海野《うんの》はそれ程《ほど》までに三千代《みちよ》に心《こゝろ》を引《ひ》かれはしなかつたであらう。  しかし、悪《わる》いことに、三千代《みちよ》は、それに加《くは》ふるに、心《こゝろ》の優《やさ》しさを持《も》つてゐた。海野《うんの》が女性《ぢよせい》に第《だい》一に求《もと》めて止《や》まない受《う》け身《み》の優《やさ》しさを持《も》つてゐた。鋭《するど》い神経《しんけい》と、潔癖《けつぺき》と、デリケートな感情《かんじやう》と、感謝《かんしや》を知《し》つてゐる心臓《しんざう》と、豊《ゆた》かな情感《じやうかん》とを持《も》つてゐた。  そこへ——さう云《い》ふものに飢《う》ゑてゐた海野《うんの》は、一《ひと》たまりもなく、そこへ|のめず《ヽヽヽ》り込《こ》んで行《い》つた。  彼《かれ》は毎日《まいにち》でも逢《あ》つてゐたかつた。逢《あ》つて、読《よ》んで面白《おもしろ》かつたこと、見《み》て面白《おもしろ》かつたもの、聞《き》いて面白《おもしろ》かつたこと、味《あぢ》はつて美味《びみ》だつたもの、さうした一《ひと》つ一《びと》つについて彼女《かのぢよ》に話《はな》して聞《き》かせたかつた。話《はな》して聞《き》かせて、一|緒《しよ》に楽《たの》しみたかつた。  ところが、毎日《まいにち》は愚《おろ》か、三千代《みちよ》は一|週三日《しうみつか》の約束《やくそく》の日《ひ》にさへ来《こ》ないのだつた。家庭《かてい》の都合《つがふ》を楯《たて》に、 「当分《たうぶん》どうぞ——」  さう云《い》つて、一|週《しう》に一|度《ど》——どうかすると、十日《とほか》に一|度《ど》しか顔《かほ》を見《み》せないのだつた。  仕方《しかた》がない、海野《うんの》は毎日《まいにち》のやうに手紙《てがみ》を書《か》いた。しかし、本当《ほんたう》に書《か》きたいことは書《か》いてはならない二人《ふたり》だつた。 「パパのところに三|銭《せん》の切手《きつて》ない?」  或朝《あるあさ》、かう云《い》ひながら二|階《かい》へ上《あが》つて来《き》た万里子《まりこ》が、机《つくゑ》の上《うへ》の原稿紙《げんかうし》を見《み》て 「あら、昨夜《ゆうべ》徹夜《てつや》なすつたんぢやないの?」と云《い》つた。 「どうして?」 「だつて、昨日《きのふ》の朝見《あさみ》た時《とき》も十二|枚《まい》だつたのに、今日《けふ》も十二|枚《まい》だから——」 「フフ、君《きみ》でもそんなことに気《き》を配《くば》つてゐるのか。」  海野《うんの》は冗談《じようだん》に紛《まぎ》らしたが、彼《かれ》としては珍《めづら》しいことに、今日《けふ》この頃《ごろ》は仕事《しごと》に身《み》のはひらないことが屡《しばしば》あつた。一晩中《ひとばんぢう》一|行《ぎやう》も書《か》けずに、用《よう》もない和歌《わか》など作《つく》つて、しかも「——君《きみ》が|まよびき《ヽヽヽヽ》(眉《まゆ》)面影《おもかげ》に立《た》ち——」などと下《しも》の句《く》だけ出来《でき》て、上《かみ》の句《く》を得《え》ずに夜《よ》を明《あ》かしたりした。  或晩《あるばん》、フランスから帰《かへ》つて来《き》た詩人《しじん》の歓迎会《くわんげいくわい》があつて、海野《うんの》もそれに出席《しゆつせき》した。食事《しよくじ》が済《す》んで、親《した》しい友達《ともだち》ばかりが十|人程残《にんほどのこ》つたその席上《せきじやう》で、何《なに》かの話《はなし》から、新帰朝者《しんきてうしや》の詩人《しじん》がこんなことを云《い》ひ出《だ》した。 「フランス語《ご》には、男女間《なんによかん》の関係《くわんけい》を云《い》ひ現《あらは》す言葉《ことば》が実《じつ》に豊富《ほうふ》なのに驚《おどろ》いたよ。」 「フーム。」 「一人《ひとり》のマダムがゐるとして、男《をとこ》とこれだけの関係《くわんけい》が結《むす》べるんだからな。第《だい》一が、モン・マリさ。これは亭主《ていしゆ》だね。その次《つぎ》がモン・ノンム。翻訳《ほんやく》すれば、まあ『情人《いゝひと》』かな。それからモナミさ。それからベガンと云《い》ふのがあるんだ。」 「何《なん》だい、ベガンと云《い》ふのは?」 「さうさな。女《をんな》をチヤホヤする男《をとこ》とでも云《い》ふかな。無論《むろん》ルラーシヨンはないんだ。」  そんな話《はなし》を聞《き》きながら、さう云《い》ふ自由《じいう》な国柄《くにがら》を羨《うらや》ましいと思《おも》ふ程《ほど》海野《うんの》の心《こゝろ》は堕落《だらく》してゐた。 [#改ページ]   小切手《こぎつて》     一 「三千代《みちよ》、僕《ぼく》は晩《ばん》の支度要《したくい》らないよ。」 「なぜ?」 「今夜会《こんやくわい》だ。」 「あら、ちつとも知《し》らなかつたわ。何《なん》の会《くわい》?」 「送別会《そうべつくわい》だ。」  良人《をつと》の弱《よわ》い目《め》の色《いろ》を見《み》ると、三千代《みちよ》は、聞《き》かれたくないらしいところを、突《つ》ツ込《こ》んで聞《き》いて見《み》たい|いたづら心《ヽヽヽヽごゝろ》を感《かん》じた。 「どなたの送別会《そうべつくわい》?」 「うむ? 相良君《さがらくん》のだ。」  相良《さがら》と云《い》ふのは、露木《つゆき》より三|年程《ねんほど》の後輩《こうはい》で、学校《がくかう》に残《のこ》るについては、或《ある》有力《いうりよく》な教授《けうじゆ》に露木《つゆき》が橋渡《はしわた》しをした関係《くわんけい》もあつて、礼《れい》に来《き》たこともあり、三千代《みちよ》も二三|度逢《どあ》つて顔《かほ》を知《し》つてゐた。 「相良《さがら》さんどこへか御転任《ごてんにん》?」 「いや——」  さう云《い》つたまま、暫《しばら》く経《た》つてから 「相良君《さがらくん》今度《こんど》フランスへ三|年間留学《ねんかんりうがく》を命《めい》ぜられたんだ。」 「まあ、そりや喜《よろこ》んでらつしやるでせうね。」  口癖《くちぐせ》のやうに、フランスへ行《ゆ》きたい、フランスへ行《ゆ》きたいと云《い》つてゐた相良《さがら》の喜《よろこ》びが、三千代《みちよ》にさへ手《て》に取《と》るやうに感《かん》じられた。その為《た》めに——洋行《やうかう》を実現《じつげん》させる為《た》めに、幾《いく》つもあつた縁談《えんだん》をみんな断《ことわ》つて来《き》た相良《さがら》だつた。 「ぢや、後《あと》の雁《がん》が先《さき》になつたのね。」  さう云《い》ふ言葉《ことば》が自然《しぜん》に三千代《みちよ》の喉《のど》まで込《こ》み上《あ》げて来《き》たけれど、誰《たれ》の送別会《そうべつくわい》か云《い》ひ渋《しぶ》つてゐた良人《をつと》の心《こゝろ》のうちを推量《すゐりやう》して、慌《あわ》てて飲《の》み込《こ》んでしまつた。  一|時間《じかん》ばかりの後《のち》に、良人《をつと》は洋服《やうふく》に着換《きか》へて出掛《でか》けて行《い》つた。  その後《あと》、母《はゝ》と子供《こども》三|人《にん》との賑《にぎや》かな膳《ぜん》に向《むか》つてゐる間《あひだ》も、添《そ》ひ寝《ね》をしてやつてゐる間《あひだ》も、やつと一人《ひとり》になれて、ホツとして遅《おそ》い夕刊《ゆふかん》にどうでもいゝ目《め》を走《はし》らしてゐる間《あひだ》も、三千代《みちよ》は肌寒《はださむ》い夕風《ゆふかぜ》がスウ/\胸《むね》を吹《ふ》き抜《ぬ》けて行《ゆ》くやうな侘《わび》しさを感《かん》じてゐた。 「二三|年《ねん》うちには僕《ぼく》も留学《りうがく》だ。」  結婚《けつこん》した当座《たうざ》、露木《つゆき》は目《め》を耀《かゞや》かして三千代《みちよ》によく云《い》つたものだ。書棚《しよだな》からシエレーの伝記《でんき》を抜《ぬ》き出《だ》しては、中《なか》の挿絵《さしゑ》を見《み》せながら、熱狂《ねつきやう》と恋愛《れんあい》とに富《と》んだ詩人《しじん》の一|生《しやう》を語《かた》つて聞《き》かしてくれたものだつた。 「僕《ぼく》は一|生《しやう》の仕事《しごと》として、シエレーの研究《けんきう》をしようと思《おも》つてゐるんだ。さうして研究《けんきう》の余暇《よか》に、詩《し》を全部訳《ぜんぶやく》して見《み》ようと思《おも》つてるんだがどうだらう。難事業《なんじげふ》だがね。」 「いゝわ。」 「イギリス本国《ほんごく》にもないやうな完全《くわんぜん》なシエレーの伝記《でんき》も書《か》いて見《み》たいな。」 「是非書《ぜひか》いてよ。」 「だから、西洋《せいやう》へ行《ゆ》く前《まへ》に、僕《ぼく》は集《あつ》められるだけ——二三百|冊位《さつぐらゐ》シエレーの文献《ぶんけん》ばかり集《あつ》めて見《み》ようと思《おも》つてゐるんだ。」 「そりやお集《あつ》めになるといゝわ。」 「実際問題《じつさいもんだい》となると大変《たいへん》だがね。何《なに》しろ、伝手《つて》を求《もと》めてイギリスの古本屋《ふるほんや》まで漁《あさ》らなけりやならないんだから。」  その後露木《ごつゆき》は何《なに》をしたらう?  二三百|冊集《さつあつ》める代《かは》りに、二三百|冊《さつ》の蔵書《ざうしよ》を売《う》り払《はら》つた。シエレーの詩集《ししふ》も、シエレーの伝記《でんき》も、シエレーの書簡集《しよかんしふ》も、綺麗《きれい》に書棚《しよだな》から姿《すがた》を消《け》してしまつてゐた。     二 「ね、いゝの?」  学校《がくかう》から帰《かへ》つて来《く》ると、なんにもせずにボンヤリ煙草《たばこ》を吹《ふ》かして時間《じかん》を消《け》してゐる露木《つゆき》を見《み》て、三千代《みちよ》はさう云《い》はずにはゐられなかつた。 「何《なに》?」 「シエレーよ。」 「……。」  露木《つゆき》は苦笑《にがわら》ひをするだけだつた。それでも、露木《つゆき》よりは一|年後《ねんあと》に卒業《そつげふ》した木村《きむら》と云《い》ふ同僚《どうれう》が、学校《がくかう》からイギリスへ留学《りうがく》を命《めい》ぜられた時《とき》だけは、流石《さすが》に二三|日《にち》シヨンボリしてゐた。 「留学《りうがく》なんかどうでもいゝぢやないの。それよりも、一人楽《ひとりたの》しんでシエレーの研究《けんきう》をなすつたらどうなの? それが本当《ほんたう》の学問《がくもん》ぢやないかしら。」 「しかし、一|度《ど》外国《ぐわいこく》へ行《い》つて来《こ》ないとな——」 「——分《わか》らないことがあるの?」 「それもあるが——。大学部《だいがくぶ》の教授《けうじゆ》になれないんだ。」  大学《だいがく》の予科《よくわ》の先生《せんせい》を職《しよく》としてゐる以上《いじやう》、大学部《だいがくぶ》の教授《けうじゆ》になるのが理想《りさう》だらうと思《おも》ふと、後《あと》の雁《がん》に追《お》ひ越《こ》された良人《をつと》が——自業自得《じごふじとく》とは云《い》ひながら——気《き》の毒《どく》でもあつた。 「だつて、あなたちつとも勉強《べんきやう》なさらないんだもの。どこかでやつぱり分《わか》るのよ。」 「うむ。」 「だけど、勉強《べんきやう》なさる気《き》があるなら、これからだつて遅《おそ》くはないわ。第《だい》一、シエレーの研究《けんきう》をなさると云《い》ひながら、本《ほん》をみんな売《う》つておしまひになるツて法《はふ》はないわ。——買《か》つてらつしやいよ。」  彼女《かのぢよ》は、翌《あく》る日《ひ》、従妹《いとこ》が自分《じぶん》の丸帯《まるおび》を欲《ほ》しがつてゐることを思《おも》ひ出《だ》して、姑《はゝ》に頼《たの》んで内証《ないしよう》で売《う》つて来《き》て貰《もら》つた金《かね》を、良人《をつと》に渡《わた》した。 「あら、お金足《かねた》りなかつたの?」  二|冊物《さつもの》の詩集《ししふ》だけしか買《か》つて来《こ》ない露木《つゆき》を見《み》て、三千代《みちよ》が云《い》つた。 「いや、一|時《どき》にみんな買《か》つてしまふのも勿体《もつたい》ないと思《おも》つて——。伝記《でんき》は来月《らいげつ》でいゝよ。書簡集《しよかんしふ》は再来月《さらいげつ》だ。」 (本《ほん》の為《た》めになら、裸《はだか》になつてもいゝと思《おも》つてるのに——) 「久振《ひさしぶり》だ、今夜何《こんやなに》か旨《うま》いものでも食《た》べに行《ゆ》かうよ。」 「それこそ勿体《もつたい》ないわ。それ本《ほん》のお金《かね》なんだから、返《かへ》して頂戴《ちやうだい》。」 「さう云《い》ふなよ。みんな使《つか》やしないよ。——五|円《ゑん》、いゝだらう、五|円《ゑん》だけ使《つか》はせろよ。」 「厭《いや》アよ。」 「たまには、俺《おれ》だつてこんな厚《あつ》いビフテキが食《く》ひたいやな。」  それもさうだらうと思《おも》ふ三千代《みちよ》の目《め》に、毎日《まいにち》の乏《とぼ》しい食膳《しよくぜん》の上《うへ》が浮《うか》んだ。  で、その晩《ばん》は三千代《みちよ》が負《ま》けて、連《つ》れられて外《そと》へ出《で》た。  そんな時《とき》、——一|度《ど》だつて姑《はゝ》を連《つ》れてどこかへ行《い》つたことのない露木《つゆき》だつた。 「私《わたし》が辛《つら》いから——」  さう云《い》つて幾《いく》ら三千代《みちよ》が頼《たの》んでも、花見《はなみ》へ一|度《ど》、寄席《よせ》へ一|度《ど》、姑《はゝ》を連《つ》れて行《い》つたことすらなかつた。子供《こども》を連《つ》れて行《ゆ》くことも承知《しようち》しなかつた。——旨《うま》いものを食《た》べに行《ゆ》くのは、面白《おもしろ》いものを見《み》に行《ゆ》くのは、三千代《みちよ》と二人《ふたり》ツきりでなければならなかつた。  その点《てん》、実《じつ》に露骨《ろこつ》だつた。さう云《い》ふ愛《あい》し方《かた》しか知《し》らなかつた。     三 「ね、この前《まへ》、あなたシエレーの詩《し》では『雲雀《ひばり》の歌《うた》』が有名《いうめい》だと仰《おつ》しやつたわね。」 「うむ。」 「翻訳《ほんやく》して、私《わたし》に読《よ》ませて下《くだ》さらない?」 「よし、毎晩《まいばん》一つづつ訳《やく》して、シエレーの詩《し》を全部《ぜんぶ》お前《まへ》に読《よ》ませてやらう。」 「ええ。読《よ》みながら訳《やく》して下《くだ》されば、書《か》くのは私書《わたしか》いてもいゝわ。」 「駄目《だめ》だよ、やつぱり自分《じぶん》で書《か》かなきや——」  炭《すみ》をつぎながら、机《つくゑ》の傍《そば》に坐《すわ》つてゐる三千代《みちよ》の目《め》の前《まへ》で、露木《つゆき》はペンを取《と》り上《あ》げた。  一|行訳《ぎやうやく》してはペンを置《お》き、辞書《じしよ》を引《ひ》いてはまたペンを取《と》り、——進行《しんかう》の遅《おそ》いのを三千代《みちよ》に恥《は》ぢるかのやうに、 「口《くち》で意味《いみ》を伝《つた》へることは優《やさ》しいけど、文字《もじ》に訳《やく》すことはむづかしいもんだな。」  そんなことを云《い》ひながら、三|時間近《じかんちか》くもかゝつて、五|行《ぎやう》二十一|節《せつ》の詩《し》を訳《やく》し終《をは》つた。 「まあこんなものだらう。読《よ》んで見《み》てくれ。——どうだい、分《わか》るかい?」 「分《わか》るわ、」  いきなり火鉢《ひばち》を退《ど》けると、露木《つゆき》はゴロリと仰向《あふむ》けに、三千代《みちよ》の膝《ひざ》を枕《まくら》に 「ウウ。」と伸《の》びをしながら、両手《りやうて》を彼女《かのぢよ》の腰《こし》に廻《まは》して来《き》た。 「何《なに》をするのよ。」  素直《すなほ》に愛撫《あいぶ》を受《う》けながら、三千代《みちよ》の目《め》は、消《け》し沢山《だくさん》の行《ぎやう》と行《ぎやう》との間《あひだ》を、一|生懸命《しやうけんめい》に辿《たど》つてゐた。  翌《あく》る晩《ばん》は、「ギターを持《も》つた淑女《しゆくぢよ》へ」を訳《やく》して貰《もら》つた。三日目《みつかめ》には、「思《おも》ひ出《で》」を訳《やく》してくれた。いゝ塩梅《あんばい》に、一|週間《しうかん》ばかり続《つゞ》いた時《とき》、 「今夜《こんや》は試験問題《しけんもんだい》を拵《こしら》へなきやならないから休《やす》みだ。」 「惜《を》しいわ、休《やす》むのは。五|行《ぎやう》か六|行《ぎやう》の短《みじか》いのでもいゝから——」 「まあさう云《い》はずに、今夜《こんや》は勘忍《かんにん》してくれよ。」  ところが、翌《あく》る晩《ばん》も、久振《ひさしぶり》で梅村《うめむら》が遊《あそ》びに来《き》たので、オジヤンになつてしまつた。 「梅村《うめむら》さん、近頃《ちかごろ》露木《つゆき》はシエレーの詩《し》を毎晩一《まいばんひと》つづつ訳《やく》してゐますのよ。」  将棋《しやうぎ》の合間《あひま》を見《み》て、露木《つゆき》を励《はげ》まして貰《もら》ふつもりで、三千代《みちよ》は訳詩《やくし》の書《か》いてゐるノートを梅村《うめむら》に見《み》せたりした。 「そりやいゝ仕事《しごと》を始《はじ》めたぢやないか。是非《ぜひ》完成《くわんせい》させるんだな。」  訳詩《やくし》の全集《ぜんしふ》のことなどを聞《き》かされて、梅村《うめむら》は意外《いぐわい》らしくさう云《い》つて勧《すゝ》めた。 「うむ。」  露木《つゆき》も嬉《うれ》しさうにして、いろ/\抱負《はうふ》を語《かた》つたりした。  その晩《ばん》、梅村《うめむら》が遅《おそ》く帰《かへ》つてから、露木《つゆき》は、 「昨夜《ゆうべ》も休《やす》んだし、今夜《こんや》は型《かた》ばかりに短《みじか》い奴《やつ》を一《ひと》つ訳《やく》して置《お》かうかな。」  自分《じぶん》でさう云《い》つて、暫《しばら》く机《つくゑ》に向《むか》つてさら/\ペンの音《おと》をさせてゐたが、 「チエツ、短《みじか》いと思《おも》やあ故事《こじ》がありやがつて、家《うち》にある辞書《じしよ》ぢや分《わか》らねえや。——ウウ寒《さむ》い。寝《ね》よう、寝《ね》よう。」  外《そと》は月夜《つきよ》か、雪《ゆき》が降《ふ》つてゐるのか、シーンとしてゐた。  その後《ご》も、所蔵《しよざう》の辞書《じしよ》では埒《らち》の明《あ》かない故事《こじ》にぶつかることが度々《たびたび》だつた。その度《たび》に、それをいゝことにして、露木《つゆき》はペンを放《はふ》り出《だ》してしまふのだつた。  それが、一晩《ひとばん》一|詩《し》の極《き》めが崩《くづ》れる素《もと》だつた。そこへ持《も》つて来《き》て、露木《つゆき》には、呼《よ》び出《だ》しを掛《か》けられて、三日《みつか》に一|度《ど》、四日《よつか》に一|度位《どくらゐ》づつ勝負事《しようぶごと》をしに出掛《でか》ける癖《くせ》があつた。それも、三千代《みちよ》の窃《ひそ》かな心《こゝろ》の計画《けいくわく》を覆《くつがへ》す大《おほ》きな原因《げんいん》だつた。     四 「どうしたい、その後《ご》シエレーは?」  半月程後《はんつきほどのち》に遊《あそ》びに来《き》た時《とき》、梅村《うめむら》が飛車先《ひしやさき》の歩《ふ》を切《き》りながらさう云《い》つて聞《き》いた。 「うむ?」  角《かく》の交換《かうくわん》を挑《いど》まうかどうか考《かんが》へながら 「歳《とし》を取《と》つたせゐか、昔程詩《むかしほどし》は面白《おもしろ》くないよ。」 「惜《を》しいぢやないか、折角手《せつかくて》を附《つ》けたものを。」 「その代《かは》り、散文《さんぶん》の研究《けんきう》をしようと思《おも》つてゐる。」 「誰《たれ》の?」 「これまで日本《にほん》ぢや、ヂツケンスばかり紹介《せうかい》され、称揚《しようやう》されて、サツカレーが余《あま》り顧《かへり》みられなかつた。だから、僕《ぼく》は大《おほ》いにサツカレーを研究《けんきう》して、サツカレーの偉大《ゐだい》さを紹介《せうかい》して見《み》たいと思《おも》つてゐるんだ。」  さう云《い》ふ会話《くわいわ》を傍《そば》で聞《き》いてゐた三千代《みちよ》は、その後《ご》、折《をり》を見《み》ては、それとなくその方《はう》へ話《はなし》を持《も》つて行《い》つて見《み》たけれど——第《だい》一、彼《かれ》の本棚《ほんだな》には、サツカレーの作品《さくひん》など、一|冊《さつ》だつて並《なら》んでゐはしなかつた。  仕事好《しごとず》きな——一|度《ど》かうと目的《もくてき》を極《き》めたが最後《さいご》、無《む》二|無《む》三に岩《いは》でも|こじ《ヽヽ》あけて通《とほ》らうとする海野《うんの》の|ねつ《ヽヽ》い激《はげ》しい気性《きしやう》に接《せつ》するやうになつた三千代《みちよ》は、——その方《はう》へ、少《すこ》しづつ、渚《なぎさ》の砂《すな》が踵《かゝと》の下《した》から少《すこ》しづつ波《なみ》に撈《さら》はれて崩《くづ》れて行《ゆ》くやうに、じり/″\と海野《うんの》に引《ひ》かれて行《ゆ》く危険《きけん》を感《かん》じつつある三千代《みちよ》は、その為《た》めにも、自分《じぶん》がしがみつく為《た》めにも、良人《をつと》に仕事《しごと》が——情熱《じやうねつ》に燃《も》えてゐる良人《をつと》の姿《すがた》が、目《め》の前《まへ》に欲《ほ》しかつた。 「厭《いや》——厭《いや》。」  抱《だ》かうとする良人《をつと》を、夜着《よぎ》の中《なか》で拒《こば》みながら、三千代《みちよ》が云《い》つた。 「ね、私達《わたしたち》を本当《ほんたう》に愛《あい》してゐて下《くだ》さるなら、一|年間《ねんかん》——半年《はんとし》でもいゝわ、将棋《しやうぎ》や麻雀《マアヂヤン》やお|はな《ヽヽ》や、さうした勝負事《しようぶごと》を一|切断《さいた》つて下《くだ》さらない?」 「……。」 「さうしてあなたが口癖《くちぐせ》に云《い》つてらつしやる一|生《しやう》の仕事《しごと》に取《と》りかゝつて下《くだ》さらない?」 「……。」 「本当《ほんたう》を云《い》へばね、一|生《しやう》の仕事《しごと》なんてそんな大《おほ》きなことでなくつてもいゝのよ。どんな小《ちひ》さなお仕事《しごと》でもいゝのよ。このことだけは、俺《おれ》のところへ持《も》つて来《こ》い、さう云《い》つたあなたの専門《せんもん》を一《ひと》つ拵《こしら》へて戴《いたゞ》きたいの。」  同《おな》じことを、幾度泣《いくどな》いて頼《たの》んだ三千代《みちよ》だつたらう。さうして幾度《いくど》失望《しつばう》して来《き》た三千代《みちよ》だつたらう。——三千代《みちよ》のつもりでは、これが最後《さいご》の願《ねが》ひ、最後《さいご》の希望《きばう》、最後《さいご》に残《のこ》された唯《たゞ》一|縷《る》の望《のぞ》みのやうな気《き》がした。  良人《をつと》の答《こた》へはいつも同《おな》じだつた。  人一倍《ひとばい》健康《けんかう》な体《からだ》を持《も》つてゐながら、露木《つゆき》が根気《こんき》の続《つゞ》かないのは、夜《よる》の異常《いじやう》なせゐではあるまいかと考《かんが》へた三千代《みちよ》は、出来《でき》るだけナチユラルに|それ《ヽヽ》を避《さ》けるやうに心《こゝろ》を配《くば》ることをも忘《わす》れなかつた。  答《こた》へと同《おな》じやうに、結果《けつくわ》も——誘《さそ》はれれば断《ことわ》り切《き》れずに、ぐづ/″\に、いつの間《ま》にかまた牌《パイ》を手《て》にするやうになつたのも、いつもと同《おな》じだつた。 「知《し》らないわよ。」 「知《し》らないわよ。」  或《あ》る時《とき》は口《くち》に出《だ》して、或《あ》る時《とき》は胸《むね》のうちで、三千代《みちよ》は自分自身《じぶんじしん》への警戒《けいかい》のやうにそれを云《い》ひ続《つゞ》けた。     五  送別会《そうべつくわい》の晩《ばん》。  九|時頃《じごろ》。 「只今《たゞいま》。」  駄々《だゞ》ツ児《こ》のやうに玄関《げんくわん》一|杯《ぱい》に喚《わめ》きながら、露木《つゆき》が帰《かへ》つて来《き》た。 「お帰《かへ》んなさい。——あら。」  電燈《でんとう》のスヰツチを撚《ひね》つた三千代《みちよ》は、三和土《たゝき》の上《うへ》に、うつそり立《た》つてゐる四五|人《にん》の客《きやく》の姿《すがた》に 「入《い》らつしやいまし。」と、笑顔《ゑがほ》になつて、そこへ膝《ひざ》を突《つ》いた。 「さあ、上《あが》りたまへ。」  露木《つゆき》は先《さき》に立《た》つて靴《くつ》を脱《ぬ》ぐと、主人気取《しゆじんきど》りで足音《あしおと》を立《た》てて二|階《かい》へ上《あが》つて行《い》つた。 「奥《おく》さん、遅《おそ》く上《あが》つて済《す》みません。」  二|階《かい》へ上《あが》ると、北村《きたむら》がかう云《い》つて三千代《みちよ》に挨拶《あいさつ》をした。それにつれて、顔馴染《かほなじみ》の中野《なかの》と織田《おだ》とが 「暫《しばら》く。」  一|番左《ばんひだり》の端《はし》にゐた一人《ひとり》が 「お初《はつ》にお目《め》にかゝります。」と、居住《ゐず》まひを直《なほ》して、曾根《そね》と云《い》ふ姓《せい》を名告《なの》つた。 「奥《おく》さん、こいつは麻雀《マアヂヤン》のエー・ビー・シーなんです。どうぞ宜《よろ》しく。」  中野《なかの》が、傍《そば》からそんな冗談《じようだん》を云《い》つた。みんな赤《あか》い顔《かほ》をしてゐた。  下《した》でお茶《ちや》を淹《い》れてゐると、良人《をつと》が降《お》りて来《き》て、 「みんな麻雀《マアヂヤン》をしたがつてゐるんだがね——」 「なさるといゝわ。」 「どこにある?」 「今持《いまも》つて行《ゆ》きますわ。——何《なに》か召《め》し上《あが》るもの要《い》らなくつて? 家《うち》になんにもないのよ。」 「要《い》らないだらう、なんにも。ただ番茶《ばんちや》を沢山《たくさん》くれないか。」 「だけど、どうせ夜《よ》が更《ふ》けるでせう。その時《とき》になつて、何《なに》かツて云《い》はれても困《こま》るから。——支度《したく》だけでもして置《お》きませうか。」 「さうさな。」  間《ま》もなく、牌《パイ》を掻《か》き混《ま》ぜる涼《すゞ》しい音《おと》が天井裏《てんじやううら》に響《ひゞ》いて来《き》た。  その間《あひだ》に、三千代《みちよ》は、唐紙一重《からかみひとへ》の隣座敷《となりざしき》に寝《ね》てゐる——中《なか》の女《をんな》の子《こ》と、一|番下《ばんした》の男《をとこ》の子《こ》とを、下《した》の、姑《はゝ》の寝《ね》てゐるところへ抱《だ》き卸《おろ》したり、饂飩玉《うどんたま》を買《か》ひに行《い》つて来《き》たりした。ついでに、ちよいとした撮《つま》み物《もの》も仕入《しい》れて来《き》た。——外《そと》は、下駄《げた》に当《あた》る石《いし》が凍《こほ》つてゐた。 「曾根《そね》、ちよいと見《み》ろよ。——な、かう云《い》ふ水際立《みづぎはだ》つた手《て》を、後学《こうがく》の為《た》めに一|度拝《どをが》んで置《お》くといゝ。」  中野《なかの》は|はしや《ヽヽヽ》いで、体《からだ》を撚《ひね》りながら、ヅラリと並《なら》んだ牌《パイ》を寸《すん》の長《なが》い指《ゆび》で一《ひと》わたり指《ゆび》さして見《み》せながら云《い》つた。  曾根《そね》は素直《すなほ》に、膝《ひざ》で伸《の》び上《あが》りながら覗《のぞ》いて見《み》て、 「こりや何《なん》て手《て》なんだ?」 「馬鹿云《ばかい》つてくれるな。勝負最中《しようぶさいちう》だよ今《いま》は。」 「ハハハ。」  みんなは、曾根《そね》の、エー・ビー・シー丸出《まるだ》しと見《み》せて、その実人《じつひと》の悪《わる》い質問振《しつもんぶり》に、目《め》と手《て》を働《はたら》かしながら笑《わら》つた。  とたんに、 「ロン。」と露木《つゆき》が、自分《じぶん》の前《まへ》の牌《パイ》を全部《ぜんぶ》パタリと前《まへ》に倒《たふ》した。 「あ痛《いた》。」  清一色《チンイツソウ》を狙《ねら》つてゐた中野《なかの》が、若《わか》いのに禿《は》げ上《あが》つた額《ひたひ》をピタンと右《みぎ》の平手《ひらて》で叩《たゝ》いて、うしろへ引《ひ》ツ繰《く》り返《かへ》つた。     六  三千代《みちよ》はゐるところがなかつた。  みんなの遊《あそ》んでゐるところに女房《にようばう》が坐《すわ》つてゐたら気詰《きづ》まりだらうし、と云《い》つて、下《した》にゐようと思《おも》つても、茶《ちや》の間《ま》には姑達《はゝたち》が寝《ね》てゐるし、玄関《げんくわん》の三|畳《でふ》にゐれば、|はゞかり《ヽヽヽヽ》へ登《のぼ》り降《お》りにみんなへの目障《めざは》りだらうし、——第《だい》一、三|畳《でふ》は寒《さむ》さに弱《よわ》い彼女《かのぢよ》にはゐたゝまれなかつた。 「私《わたし》も拝見《はいけん》させて戴《いたゞ》きますわ。」  幾度目《いくどめ》かのお茶《ちや》を淹《い》れ替《か》へて持《も》つて行《い》つた時《とき》、三千代《みちよ》はさう云《い》つて、火鉢《ひばち》の一《ひと》つに手《て》を翳《かざ》した。 「さあ、どうぞ。」  北村《きたむら》のさう云《い》ふ尾《を》について、中野《なかの》が 「締《し》めたぞ。俺《おれ》はどう云《い》ふものか、座《ざ》に女性《ぢよせい》がゐると、自分《じぶん》の風《かぜ》がソヨ/\と吹《ふ》き出《だ》す癖《くせ》があるんだ。」 「但《たゞ》し、それはまださう額《ひたひ》の脱《ぬ》け上《あが》らない以前《いぜん》の話《はなし》だらう。」と北村《きたむら》が云《い》つた。 「止《よ》さうぜ、頭《あたま》のことだけは。女房《にようばう》だつて、こいつへばかりは、夫婦喧嘩《ふうふげんくわ》の時《とき》にだつて言及《げんきふ》しないからな。——ポン。ほら見《み》ねえな。もう既《すで》にソヨ/\と吹《ふ》き初《そ》めてお出《い》でなすつた。」 「成程《なるほど》ね、争《あらそ》へないもんさ。不断《ふだん》の中野《なかの》の生活態度《せいくわつたいど》そつくりだ。女《をんな》を選《えら》ばず——」 「冗談《じようだん》だらう、選《よ》りに選《よ》つて——」  自摸《ツモ》つた牌《パイ》の取捨《しゆしや》を中野《なかの》が決《けつ》し兼《か》ねてゐる隙《すき》に、北村《きたむら》が 「インチキ・ダンサーを女房《にようばう》にした君《きみ》だつたな。」 「ポン。」  中野《なかの》の捨《す》てた牌《パイ》を、露木《つゆき》がすぐにポンした。 「畜生《ちくしやう》。」 「祈《いの》らずとても女房守《にようばうまも》らん——」  口《くち》の重《おも》い露木《つゆき》までが、そんなことを云《い》つた。  と、中野《なかの》が当《あ》てられたと云《い》ふ表情《へうじやう》をして、 「ああ、ダレた、ダレた。」  一|段《だん》技量《ぎりやう》の劣《おと》るらしい織田《おだ》は、性来《せいらい》の無口《むくち》なのか、殆《ほと》んど口《くち》を利《き》かなかつた。唯《たゞ》時々《ときどき》ニヤ/\笑《わら》つてゐた。  口《くち》やかましいのは、北村《きたむら》だつた。勝負《しようぶ》が附《つ》く度《たび》に、 「あの時《とき》、五筒《ウートン》を捨《す》てる手《て》は絶対《ぜつたい》にないよ。」と、次《つぎ》の勝負《しようぶ》の牌《パイ》を掻《か》き混《ま》ぜながら、思《おも》ひ切《き》り悪《わる》く幾度《いくたび》も幾度《いくたび》も他人《たにん》の手《て》の批評《ひひやう》をした。そのくせ、自分《じぶん》でもよくミスをした。  出来《でき》がいゝせゐもあるだらうが、心《こゝろ》から麻雀《マアヂヤン》を楽《たの》しんでゐるのは中野《なかの》だつた。 「奥《おく》さん、奥《おく》さん、御主人《ごしゆじん》の手《て》を見《み》て下《くだ》さい。」  云《い》はれて、三千代《みちよ》は良人《をつと》の手許《てもと》へ目《め》を遣《や》つた。 「顫《ふる》へてるでせう。——ああ云《い》ふ時《とき》は、露木君《つゆきくん》に最《もつと》もいゝ手《て》が附《つ》いた時《とき》なんです。嬉《うれ》しさを敵《てき》に悟《さと》られまいとすればする程《ほど》、あべこべにああやつて顫《ふる》へて来《く》るんです。可愛《かはい》いぢやありませんか。」 「また始《はじ》めやがつた、中野《なかの》の奴《やつ》。違《ちが》ふよ、これはニコチン中毒《ちうどく》で顫《ふる》へるんだよ。」 「さうかよ。君《きみ》がドカンと大上《おほあが》りに上《あが》る前《まへ》に、俺《おれ》はさつさと小上《こあが》りに上《あが》つてしまふからいゝよ。」  三千代《みちよ》は良人《をつと》の手《て》を見《み》てゐるのに忍《しの》びなかつた。自分《じぶん》の手《て》で、みんなの目《め》から掩《おほ》ひ隠《かく》したかつた。     七  勝負《しようぶ》は、中野《なかの》の連荘《レンチヤン》が続《つゞ》いたりしたので、十二|時近《じちか》くになつてやつと終《をは》つた。それでも遠慮《ゑんりよ》して、四圏《スーチヤン》の申《まを》し合《あは》せで始《はじ》めたのだつた。 「皆《みな》さんお腹《なか》お透《す》きになりません。」  お茶《ちや》を新《あたら》しくして来《き》た三千代《みちよ》が、みんなの顔《かほ》を見廻《みまは》した。 「いや、お腹《なか》は透《す》きませんけど——どうしたい中野《なかの》、も一《ひと》つ味《あぢ》ないなツて顔《かほ》をしてゐるぢやないか。」と上方生《かみがたうま》れの北村《きたむら》が云《い》つた。 「うむ——」  中野《なかの》も要領《えうりやう》を得《え》ない返事《へんじ》をしたまま、ニヤ/\してゐた。  みんな物足《ものた》らなさうな——舌舐《したな》めずりをしてゐるやうな顔付《かほつき》だつた。 「ホホホ。」 「構《かま》ひませんか、奥《おく》さん。」  お茶《ちや》を飲《の》んでゐたのを止《や》めて、北村《きたむら》が自分《じぶん》でも呆《あき》れたと云《い》ふ表情《へうじやう》をわざと露骨《ろこつ》にして見《み》せながら、弱気《よわき》の強気《つよき》と云《い》つた感《かん》じで三千代《みちよ》の方《はう》をジロツと見《み》た。 (どうぞ。)  三千代《みちよ》がさう云《い》ふ前《まへ》に、 「構《かま》はないさ、どうせ明日《あした》は日曜《にちえう》だ。」と主顔《あるじがほ》に露木《つゆき》が云《い》つた。 「本当《ほんたう》に構《かま》ひませんか、奥《おく》さん?」  中野《なかの》が八重歯《やへば》を見《み》せながら、三千代《みちよ》を顧《かへり》みた。 「どうぞ。」 「ぢや、もう四圏《スーチヤン》。」  さう云《い》ひながら、中野《なかの》は長《なが》い指《ゆび》を揃《そろ》へて、兵隊《へいたい》のするやうな失敬《しつけい》をして見《み》せてから、クルリと向《むか》うを向《む》いたと思《おも》ふと、 「さあ。お許《ゆる》しが出《で》たとなれば、気《き》の毒《どく》だが、もう一捻《ひとひね》りしてやるかな。」と、もう骰子《シヤイツ》を振《ふ》つてゐるのだつた。  風《かぜ》が極《き》まつて、露木《つゆき》と織田《おだ》とが入《い》れ替《か》はつた。 「やだ、やだ、髯《ひげ》のない膃肭獣《をつとせい》が前《まへ》へ浮《うか》び上《あが》つたぜ。」  中野《なかの》が白板《パイパン》を捨《す》てながらさう云《い》ふのを聞《き》いて、三千代《みちよ》は危《あやふ》く吹《ふ》き出《だ》すところだつた。 「御存《ごぞん》じですか、奥《おく》さん? 生徒《せいと》の一人《ひとり》が、夏休《なつやす》みに北海道《ほくかいだう》へ旅行《りよかう》をして、連絡船《れんらくせん》の上《うへ》から海《うみ》を眺《なが》めてゐると、その丁度目《ちやうどめ》の前《まへ》へ、ポツカリ波間《なみま》から膃肭獣《をつとせい》が顔《かほ》を出《だ》したんですつて。とたんに、織田先生《おだせんせい》を思《おも》ひ出《だ》したと云《い》ふんですがね。」  これには、一|座《ざ》が腹《はら》を抱《かゝ》へて笑《わら》つた。  この勝負《しようぶ》が終《をは》つたのは、一|時半《じはん》——二|時近《じちか》かつた。  結局《けつきよく》、中野《なかの》の一人勝《ひとりがち》だつた。織田《おだ》は二千|符《ぷ》綺麗《きれい》に負《ま》けて、五|円払《ゑんはら》はされてゐた。北村《きたむら》は一|円《ゑん》八十|銭《せん》の負《ま》けを支払《しはら》ひながら、 「露木《つゆき》は例《れい》によつてまた小切手《こぎつて》か。」 「要《い》らないぜ、露木《つゆき》。露木《つゆき》の小切手《こぎつて》なら、俺《おれ》のところにこんなに溜《た》まつてゐるからな。今日《けふ》はテラ銭《せん》に置《お》いて行《ゆ》くよ。」 「まあさう云《い》ふなよ。」  さう云《い》ひながら、露木《つゆき》は名刺《めいし》の裏《うら》へ、万年筆《まんねんひつ》で「金《きん》二|円《ゑん》二十|銭也《せんなり》」と書《か》き込《こ》んでゐた。  始《はじ》め「小切手《こぎつて》」と聞《き》いた時《とき》、三千代《みちよ》にはそれが何《なに》を意味《いみ》するのか分《わか》らなかつた。が、現金《げんきん》を支払《しはら》ふ代《かは》りの「信用証書《しんようしようしよ》」と分《わか》つた時《とき》、—— 「露木《つゆき》の小切手《こぎつて》なら、俺《おれ》のところにこんなに溜《た》まつてゐる」と云《い》つた中野《なかの》の言葉《ことば》から、良人《をつと》が小切手《こぎつて》の濫発者《らんぱつしや》であることを知《し》つた時《とき》、三千代《みちよ》は情《なさけ》なさにぢつとしてゐられなかつた。 「あなた、お金《かね》ならあつてよ。」  彼女《かのぢよ》は帯《おび》の間《あひだ》から蟇口《がまぐち》を引《ひ》き抜《ぬ》くと、良人《をつと》の手《て》に無理《むり》に握《にぎ》らした。 (あなたツて人《ひと》は、そんな情《なさけ》ない思《おも》ひをしてまでも、こんな下《くだ》らないことがしてゐたいの。) (ねえ。あなた、今《いま》一|番私《ばんわたし》は、あなたの偉《えら》いところを見《み》たがつてゐるのに、——それ一筋《ひとすぢ》に縋《すが》らうとしてゐるのに、どうして、さう選《よ》りに選《よ》つて|しが《ヽヽ》ないところばかり見《み》せて下《くだ》さるの。) (知《し》らないわよ。) (私知《わたしし》らないわよ。) [#改ページ]   閨怨《けいゑん》     一 「近所《きんじよ》の手前《てまへ》もあるわ。三千代《みちよ》さんを送《おく》つて行《ゆ》くのだけ止《よ》して頂戴《ちやうだい》。」  海野《うんの》が帰《かへ》つて来《く》ると、玄関《げんくわん》の障子《しやうじ》の蔭《かげ》に万里子《まりこ》が待《ま》つてゐて、いきなり云《い》つた。  楽《たの》しかつた心持《こゝろもち》が、この一言《ひとこと》で急所《きふしよ》を突《つ》かれて尖《とが》つた。 「何《なん》だい、近所《きんじよ》の手前《てまへ》と云《い》ふのは?」 「兎《と》に角《かく》、近所《きんじよ》の口《くち》がうるさいから、送《おく》つて行《ゆ》くことだけは止《や》めて頂戴《ちやうだい》と云《い》ふの。」 「止《や》めないね、近所《きんじよ》の口《くち》がうるさい位《くらゐ》ぢや——」  と、ふいに、万里子《まりこ》は嫉妬《しつと》に剛張《こはば》つた顔《かほ》を優《やさ》しく崩《くづ》して、 「そんな恐《こは》い顔《かほ》をしちや厭《いや》。」と甘《あま》い声《こゑ》になつて、両手《りやうて》で海野《うんの》の肩《かた》を揺《ゆす》ぶりながら 「ね、私《わたし》を愛《あい》してゐるなら、止《や》めてよ。」 「そんなことは別問題《べつもんだい》ぢやないか。」 「別問題《べつもんだい》ぢやないわ。昔私《むかしわたし》にしたことと同《おな》じことを、あの人《ひと》にパパがするのを見《み》ると、私《わたし》心配《しんぱい》だわ。」 「バカ。」 「パパは、女《をんな》の人《ひと》に親切過《しんせつす》ぎてよ。あの人《ひと》、人《ひと》の奥《おく》さんぢやありませんか。それに、昼間《ひるま》ぢやありませんか。送《おく》つて行《ゆ》かなければならない理由《りいう》はどこにもないぢやありませんか。」 「ところが、あつたんだよ。」 「どんな——?」 「云《い》ひ忘《わす》れたことを思《おも》ひ出《だ》したんで、後《あと》を追《お》ツ掛《か》けて行《い》つたんだ。」 「あら厭《いや》だ。パパのやうな記憶力《きおくりよく》のいゝ人《ひと》が、そんなに——あの人《ひと》が来《く》る度《たび》に、云《い》ひ忘《わす》れるなんてことあるかしら。」 「今日《けふ》のことを云《い》つてるんだ、僕《ぼく》は。」 「そんなら、この次《つぎ》から送《おく》つて行《い》つちや厭《いや》よ。」 「そりや分《わか》らんよ。送《おく》つて行《ゆ》きたい時《とき》は送《おく》つて行《ゆ》くだらうし、送《おく》つて行《ゆ》きたくない時《とき》は、頼《たの》まれたつて送《おく》つて行《ゆ》きやしない。」  さう云《い》ひ切《き》ると、海野《うんの》は相手《あひて》が邪慳《じやけん》と感《かん》じないやうに万里子《まりこ》の手《て》を肩《かた》から外《はづ》して、トン/\二|階《かい》へ上《あが》つてしまつた。 (それにしても、どうして俺《おれ》は逢《あ》ふ度《たび》に三千代《みちよ》を送《おく》つて行《ゆ》かずにはゐられないのだらう?) (どう云《い》ふものか、彼女《かのぢよ》を一人《ひとり》電車《でんしや》に乗《の》せて、大勢《おほぜい》の男性《だんせい》の貪婪《どんらん》な目姦《もくかん》に穢《けが》されるのに任《まか》せて置《お》けないのだ。)  机《つくゑ》の前《まへ》に坐《すわ》つたと思《おも》ふと、踵《かゝと》を踏《ふ》むやうにして附《つ》いて来《き》た万里子《まりこ》の為《た》めに、海野《うんの》は座蒲団《ざぶとん》ごとクルリと横《よこ》に向《む》けられた。 「何《なに》をするんだよ。」 「……。」  万里子《まりこ》は、ペン軸皿《ぢくざら》の中《なか》の鋏《はさみ》を取《と》らうとして伸《の》ばした海野《うんの》の手《て》を払《はら》ひ退《の》けると、構《かま》はず良人《をつと》の膝《ひざ》の上《うへ》へ馬乗《うまの》りに跨《また》がつて、西洋《せいやう》の女《をんな》のやうにスラリとした恰好《かつかう》のいゝ両足《りやうあし》を思《おも》ひ切《き》り伸《の》ばしながら、両手《りやうて》を彼《かれ》の首筋《くびすぢ》へ絡《から》めて来《き》た。 「パパ、散歩《さんぽ》に行《ゆ》かない?」 「まあ、ちよいと待《ま》てよ。」 「ね、連《つ》れてつてよ。」 「重《おも》いよ。」 「どこか郊外《かうぐわい》へドライヴしない?」  さう云《い》へば、郊外《かうぐわい》の匂《にほひ》が、若《わか》い男女《なんによ》を青空《あをぞら》の下《した》に誘《さそ》ひ出《だ》す柔《やはらか》い季節《きせつ》になつてゐた。     二 「僕《ぼく》は郊外《かうぐわい》は嫌《きら》ひだよ。」 「ぢや、銀座《ぎんざ》。」 「昼間《ひるま》銀座《ぎんざ》へ行《い》つたつて詰《つ》まらないぢやないか。」 「ぢや、どこでもいゝわ。兎《と》に角外《かくそと》へ連《つ》れてつて。」 「——面倒臭《めんだうくさ》いな。」 「ぢや、そこの丘《をか》でもいゝわ。」 「だつて、あすこは知《し》り尽《つく》してしまつて、散歩《さんぽ》の興味《きようみ》なんかちつとも湧《わ》かないぢやないか。」 「でもいゝから連《つ》れてつて。」 「……。」 「よう。私《わたし》パパと久振《ひさしぶり》で一|緒《しよ》に散歩《さんぽ》したいのよ。」  万里子《まりこ》は膝《ひざ》の上《うへ》で体《からだ》を揺《ゆす》つた。クリツとした万里子《まりこ》のお尻《しり》が、海野《うんの》の太腿《ふともゝ》の感覚《かんかく》を荒々《あらあら》しく擽《くすぐ》つた。彼《かれ》は不覚《ふかく》にも、茹玉子《ゆでたまご》を剥《む》いたやうな妻《つま》の引《ひ》き締《し》まつた肉体《にくたい》を、目《め》の前《まへ》に思《おも》ひ描《ゑが》かずにはゐられなかつた。 「この頃《ごろ》パパは変《へん》に冷淡《れいたん》ね。——どうかしたの?」 「……。」 「あんなに、毎朝《まいあさ》のやうに丘《をか》を散歩《さんぽ》した方《かた》がピツタリ散歩《さんぽ》をしなくなるし、この半年程《はんとしほど》と云《い》ふもの、一|緒《しよ》に外《そと》へ出《で》たことなんか数《かぞ》へる程《ほど》しかないわ。昔《むかし》のパパは、かうぢやなかつたわ。」 「そりや昔《むかし》と違《ちが》つて、急《いそ》がしくなつたからさ。女房《にようばう》たるもの、散歩《さんぽ》の度数《どすう》の少《すくな》きを咨《かこ》たんよりは、去《さ》つて家業《かげふ》の繁栄《はんえい》を喜《よろこ》ぶべしさ。」  海野《うんの》は足《あし》の爪《つめ》の伸《の》びたのが|さつき《ヽヽヽ》から気《き》になつて、ムヅ/″\して堪《たま》らなかつた。で、万里子《まりこ》の腋《わき》の下《した》へ|つと手《ヽヽて》をやつた。 「厭《いや》。」  万里子《まりこ》は、身《み》を竦《すく》めた拍子《ひやうし》に、彼《かれ》の註文通《ちゆうもんどほ》り、両手《りやうて》を首筋《くびすぢ》から放《はな》した。  その隙《すき》に海野《うんの》は立《た》つて、鋏《はさみ》を取《と》つて縁側《えんがは》へ出《で》た。  目《め》の下《した》の庭《には》には、木蓮《もくれん》の白《しろ》い花《はな》が、明《あか》るくたわゝに群《むらが》り咲《さ》いてゐた。  万里子《まりこ》はしつツこく後《あと》を追《お》つて来《き》ながら、 「無論《むろん》それは喜《よろこ》んでゐるわ。だけど、喜《よろこ》んでばかりもゐられない或物《あるもの》を感《かん》じてもゐるわ。」  籐椅子《とういす》に腰《こし》を掛《か》けて、前屈《まへかゞ》みに足《あし》の爪《つめ》を切《き》つてゐる海野《うんの》のうしろへ来《き》て立《た》つた。 「……。」  彼《かれ》は、爪《つめ》を切《き》るのに気《き》を奪《うば》はれてゐる振《ふり》をして返事《へんじ》をしなかつた。 「ねえ——」  さう云《い》ひながら椅子《いす》の靠《もた》れ越《ご》しに、万里子《まりこ》は白《しろ》い顎《あご》を彼《かれ》の肩《かた》の上《うへ》に柔《やはらか》く載《の》せてよこした。 「パパはもう私《わたし》と散歩《さんぽ》する興味《きようみ》がないんでせう?」  喋《しやべ》るにつれて、顎《あご》の動《うご》きが小《ちひ》さく肩《かた》へ響《ひゞ》いて来《き》た。 「さう云《い》ふよりは、寧《むし》ろ散歩《さんぽ》そのものに昔程《むかしほど》興味《きようみ》を感《かん》じなくなつたと云《い》ふ方《はう》が本当《ほんたう》だらうね。」 「嘘《うそ》。あの人《ひと》となら、毎日《まいにち》でも散歩《さんぽ》したがつてゐるくせに。」 「……。」 「どう? 返事《へんじ》なさいよ。」  さう云《い》ひながら、万里子《まりこ》は覗《のぞ》き込《こ》むやうにして、自分《じぶん》の頬《ほゝ》をピツタリ彼《かれ》の頬《ほゝ》に押《お》し附《つ》けた。 「お止《よ》しよ。往来《わうらい》から見《み》えるぢやないか。」     三  海野《うんの》は、熱《あつ》い位《くらゐ》あツたかい万里子《まりこ》の頬《ほゝ》の火照《ほて》りに、春《はる》になつてからの炬燵《こたつ》のやうな一|種《しゆ》の重苦《おもくる》しい厭《いと》はしさを感《かん》じながら、肩《かた》で押《お》し戻《もど》すやうにした。 「何《なに》するのよ。」  万里子《まりこ》の声《こゑ》が忽《たちま》ち尖《とが》つた。 「見《み》ろよ。——鳶《とび》が輪《わ》を描《ゑが》いてゐる。」  さう云《い》ひながら、彼《かれ》は心《こゝろ》の中《なか》で反射的《はんしやてき》に、抱《だ》いてもすぐには火《ひ》のやうな体温《たいをん》を感《かん》じさせないやうな女《をんな》の肌《はだ》の感触《かんしよく》に対《たい》する病的《びやうてき》な好《この》ましさを、皮膚《ひふ》に思《おも》ひ描《ゑが》いてゐた。——三千代《みちよ》は、見《み》たところ、さうした感《かん》じの女《をんな》だつた。 「それがどうしたと云《い》ふの?」 「……。」  どうしたと云《い》ふのではないが、この場合《ばあひ》、なぜか悠々《いういう》とした鳥《とり》の姿《すがた》に海野《うんの》は心《こゝろ》を引《ひ》かれずにはゐられなかつた。 「あんなことを云《い》つてごまかさうと思《おも》つて——」  さう云《い》ひながらも、万里子《まりこ》は彼《かれ》の肩《かた》に顎《あご》を載《の》せたまま、やはり青空《あをぞら》に目《め》を放《はな》つてゐるらしい気《け》はひが海野《うんの》に感《かん》じられた。 「ね、パパ、正直《しやうぢき》に云《い》つてよ。」  やがて、彼《かれ》は邪慳《じやけん》に肩《かた》を揺《ゆす》ぶられた。 「あの人《ひと》とパパと何《なに》かあるんぢやない?」 「何《なん》だい、何《なに》かツて?」 「作家《さくか》と助手《じよしゆ》の関係《くわんけい》以外《いぐわい》のもの。」 「そんなものあるものか。」 「ぢや、どうしてこの頃《ごろ》あの人《ひと》から来《き》た手紙《てがみ》を隠《かく》したりするの?」 「隠《かく》すもんか。」 「だつて、ないぢやないの。」 「あるよ。」 「どこにあつてよ。」 「どこにあつたつて、大《おほ》きなお世話《せわ》ぢやないか。」 「ホーラ御覧《ごらん》なさい。云《い》へないでせう。」 「うるさいな。」 「云《い》ひ詰《つ》められたものだからあんな恐《こは》い顔《かほ》をして——。幾《いく》ら恐《こは》い顔《かほ》したつて駄目《だめ》よ。」 「……。」 「をかしいわ、いゝ歳《とし》をして——。外《ほか》の人《ひと》の手紙《てがみ》はみんな指《ゆび》で封《ふう》を切《き》り捨《す》てるくせに、あの人《ひと》の手紙《てがみ》だけは一々ちやんと丁寧《ていねい》に鋏《はさみ》で切《き》つたりして——。そんなに有《あ》り難《がた》いの?」 「……。」 「今年《ことし》に限《かぎ》つて日記帳《につきちやう》を買《か》つたと思《おも》つたら、英語《えいご》で二人《ふたり》のことを附《つ》けたりして——。あなた程《ほど》のお利口《りこう》な方《かた》でも、上手《じやうず》の手《て》から水《みづ》の洩《も》れることがあるのね。幾《いく》ら私《わたし》が英語《えいご》が読《よ》めなくつたつて、あの人《ひと》の来《き》た日《ひ》を思《おも》ひ出《だ》して繰《く》つて行《ゆ》くと、その日《ひ》ばかり詳《くは》しく何《なに》か書《か》いてあつて、外《ほか》の日《ひ》は|Ennui《アンニユイ》(物憂《ものう》し)とか、|Silence《サイレンス》(便《たよ》りなし)とか、|Waiting in vain《ウエイチイングインヴエーン》(待《ま》てども来《きた》らず)とかしか書《か》いてないんですもの。あれぢや、ハヽア、あの人《ひと》のことを書《か》いてるんだな、と、すぐ分《わか》つちやふわ。——どうもお気《き》の毒《どく》さま。」  海野《うんの》はついムカ/\腹《はら》が立《た》つて来《き》た。 「呆《あき》れたね、人《ひと》の秘密《ひみつ》を探索《たんさく》するなんて——」  語気荒《ごきあら》く云《い》ひ放《はな》つと、肩《かた》の手《て》を払《はら》つて籐椅子《とういす》から立《た》ち上《あが》つた。 「ホラ御覧《ごらん》なさい、二人《ふたり》の間《あひだ》には秘密《ひみつ》があるんぢやありませんか。」  海野《うんの》は、自分《じぶん》の失言《しつげん》に「しまつた」と思《おも》ひながらも、もう破《やぶ》れかぶれだつた。 「あるとも——」     四  それを聞《き》くと、万里子《まりこ》は得《え》たりとばかり 「夫婦《ふうふ》の間《あひだ》に秘密《ひみつ》があつていゝんですか。」 「仕方《しかた》がない。」 「何《なん》ですつて? あなたは夫婦《ふうふ》と云《い》ふものを、そんなに不真面目《ふまじめ》に考《かんが》へてゐるんですか。」 「生意気云《なまいきい》ふな。」 「何《なに》が生意気《なまいき》です? 負《ま》けたもんだから、そんな大《おほ》きな声《こゑ》を出《だ》して威嚇《ゐかく》しようと思《おも》つて——」  彼等《かれら》は睨《にら》み合《あ》つたまま、近々《ちかぢか》と鼻《はな》を突《つ》き合《あ》はせた。 「ぢや、聞《き》くがな。ぢや貴様《きさま》、自分《じぶん》には一|切《さい》秘密《ひみつ》がないと云《い》ひ切《き》れるんだな。神明《しんめい》に誓《ちか》つて、綺麗《きれい》な口《くち》が利《き》けると云《い》ふんだな。」 「止《よ》して頂戴《ちやうだい》、貴様呼《きさまよ》ばはりは——」 「馬鹿《ばか》。喧嘩《けんくわ》する時《とき》に、喧嘩語《けんくわご》を使《つか》はずに喧嘩《けんくわ》が出来《でき》るかい。」 「私《わたし》は喧嘩《けんくわ》をしてゐるんぢやありません。」 「ぢや、夫婦喧嘩《ふうふげんくわ》と云《い》ふのはどう云《い》ふんだ?」 「どう云《い》ふんだか知《し》るもんですか。唯《たゞ》あなた一人《ひとり》で腹《はら》を立《た》ててゐるんぢやありませんか。痛《いた》いところを突《つ》かれたもんだから——」 「誰《たれ》が痛《いた》いところなんか突《つ》かれるもんか。」 「突《つ》かれないもんなら、そんなに|いき《ヽヽ》り立《た》たなくつてもいゝぢやありませんか。」 「誰《たれ》が|いき《ヽヽ》り立《た》つてゐる。唯幾《たゞいく》ら夫婦《ふうふ》の間《あひだ》にだつて、非常時《ひじやうじ》には秘密《ひみつ》も許《ゆる》さるべきだと云《い》ふことを云《い》つてゐるんだ。」 「やあい、問《と》ふに落《お》ちず語《かた》るに落《お》ちたあい。あの人《ひと》とあなたとは今《いま》非常時《ひじやうじ》なんぢやありませんか。」 「さうだよ。それだから俺《おれ》は苦《くる》しんでゐるんだ。いかにして非常時《ひじやうじ》を非常時《ひじやうじ》にすまいか、いかにして非常時《ひじやうじ》を常時《じやうじ》にしようかとして、戦《たゝか》つてゐるんだ。」 「……。」  万里子《まりこ》の顔《かほ》の色《いろ》が変《かは》り、深刻《しんこく》な表情《へうじやう》になつた。 「夫婦《ふうふ》の生活《せいくわつ》を不幸《ふかう》にするやうな秘密《ひみつ》を伏《ふ》せて置《お》くことのよくないこと位《くらゐ》は、俺《おれ》だつて知《し》つてゐる。また、そんなことと云《い》ふものは、隠《かく》しおほせるものでもない。しかし、細君《さいくん》が荒立《あらだ》てずに|そつ《ヽヽ》として置《お》いた為《た》めに、不幸《ふかう》を招来《せうらい》せずに危機《きき》を通過《つうくわ》した夫婦《ふうふ》の例《れい》が沢山《たくさん》ある。それとは|あべこべ《ヽヽヽヽ》に、傍《そば》から細君《さいくん》が|ほじく《ヽヽヽ》り立《た》てた為《た》めに、却《かへ》つて危機《きき》を招来《せうらい》した場合《ばあひ》も少《すくな》くない。だから僕《ぼく》は君《きみ》にも、|そつ《ヽヽ》として置《お》いてくれと頼《たの》んでるんだ。」 「さうすりや、あなたには都合《つがふ》がいゝでせうよ。だけど、私《わたし》としては一|日《にち》もゐたゝまれないわ。良人《をつと》に異性《いせい》に関《くわん》する秘密《ひみつ》があると知《し》りながら、知《し》らん顔《かほ》をして一|緒《しよ》に生活《せいくわつ》してゐることなんか私《わたし》には出来《でき》ないわ。」  万里子《まりこ》の眉《まゆ》と眉《まゆ》との間《あひだ》に、青黒《あをぐろ》い線《せん》が隆起《りゆうき》して来《き》た。 「だから、僕《ぼく》は一|生懸命《しやうけんめい》に——」 「厭《いや》です、そんなこと。あの人《ひと》と手《て》を切《き》るか、私《わたし》を離縁《りえん》するか、どつちかに極《き》めて下《くだ》さい。」 「……。」 「いゝわ。どうせあなたは私《わたし》が厭《いや》になつたんだから——。私《わたし》、母《かあ》さんにさう云《い》つて、お暇《ひま》を戴《いたゞ》きますから、後《あと》は好《す》きな方《かた》をお貰《もら》ひになるといゝわ。」 「僕《ぼく》はもう家庭《かてい》を作《つく》ることは君《きみ》で懲《こ》り懲《こ》りだ。」     五 「随分《ずゐぶん》残酷《ざんこく》なことを仰《おつ》しやるのね。」 「そんなことはないよ。実感《じつかん》だから仕方《しかた》がない。」 「私《わたし》やつぱりあなたを見違《みちが》へてゐたわ。あなたから話《はなし》のあつた時《とき》、目白《めじろ》の叔父《をぢ》さんが、文士《ぶんし》は止《よ》せと云《い》つてくれたんだけど——。お前《まへ》の姿《すがた》や容貌《ようばう》の美《うつく》しさに心《こゝろ》を引《ひ》かれてゐるだけのことだ、さう云《い》ふものが衰《おとろ》へたら、また外《ほか》の花《はな》に心《こゝろ》を移《うつ》すに違《ちが》ひないから……さう云《い》つて留《と》めてくれたんだけど——。私《わたし》海野《うんの》に限《かぎ》つてさう云《い》ふ心配《しんぱい》はない、紳士《しんし》だから……さう云《い》つて、来《き》たんだわ。でも、やつぱり叔父《をぢ》さんの云《い》つたことの方《はう》が当《あた》つてゐたわ。」 「そりやお気《き》の毒《どく》さま。」  海野《うんの》がさう云《い》つた時《とき》、万里子《まりこ》の大《おほ》きな目《め》からポタ/\涙《なみだ》が零《こぼ》れた。 「お気《き》の毒《どく》さまぢやないわ。あなたは私《わたし》の一|生《しやう》を滅茶滅茶《めつちやめつちや》にしてしまつたんだわ。」  万里子《まりこ》は急《きふ》に顫《ふる》へ声《ごゑ》になつた。薄《うす》い唇《くちびる》がピク/\わなゝいた。 「私《わたし》、でもあなたより三千代《みちよ》さんを怨《うら》むわ。あの人《ひと》さへ現《あらは》れなかつたら、私達《わたしたち》の上《うへ》にこんな不幸《ふかう》は来《こ》なかつたんですもの。あの人《ひと》が現《あらは》れるまでは、こんなに冷淡《れいたん》なあなたぢやなかつたわ。もつと優《やさ》しかつたわ。私《わたし》、姉妹《きやうだい》ぢゆうから羨《うらや》まれる程《ほど》幸福《かうふく》だつたわ。その時《とき》は別《べつ》に幸福《かうふく》とも思《おも》つてゐなかつたけれど——。罰《ばち》が当《あた》つたのね、その。」  急《きふ》に彼女《かのぢよ》は声《こゑ》を立《た》てて泣《な》き出《だ》した。自分《じぶん》でも慌《あわ》てて袂《たもと》を顔《かほ》に当《あ》てながら—— 「罰位当《ばちくらゐあた》つてもいゝね。大《だい》の男《をとこ》が全力《ぜんりよく》を挙《あ》げて愛《あい》したのに、愛《あい》し返《かへ》すことをしなかつたのだから。」 「その代《かは》り、今度《こんど》はあなたの方《はう》に罰《ばち》が当《あた》るから。」 「……。」  海野《うんの》はこんな——中心《ちうしん》を外《はづ》れた云《い》ひ合《あひ》をしてゐるのが馬鹿《ばか》らしくなつた。女《をんな》が泣《な》き出《だ》したらお仕舞《しま》ひだ、さう思《おも》つて、彼《かれ》は体《からだ》を動《うご》かした。 「卑怯者《ひけふもの》。どこへ逃《に》げるんだ。」  咄嗟《とつさ》に万里子《まりこ》の形相《ぎやうさう》が変《かは》つて、鋏《はさみ》をペン軸皿《ぢくざら》に置《お》きながら下《した》へ行《ゆ》かうとする彼《かれ》の行《ゆ》く手《て》に立《た》ち塞《ふさ》がつた。 「…………。」  海野《うんの》は万里子《まりこ》の手尖《てさき》を避《よ》け避《よ》け、梯子段《はしごだん》の上《うへ》まで来《き》た。万里子《まりこ》はどこまでもしつツこく絡《から》み附《つ》いて来《き》ながら 「男《をとこ》なら男《をとこ》らしく、蔭《かげ》でこそ/\するな。あの人《ひと》が好《す》きなら、おほツぴらに愛《あい》せ。」と、半分泣《はんぶんな》きながら上《うは》ずつた声《こゑ》で喚《わめ》いた。 「愛《あい》すよ。お許《ゆる》しが出《で》た以上《いじやう》、おほツぴらに愛《あい》すよ。」 「嘘吐《うそつ》き。愛《あい》したくつても、世間《せけん》が恐《こは》くつて愛《あい》せないんだらう。」  仕舞《しまひ》には、両手《りやうて》で手首《てくび》を握《にぎ》つて引《ひ》き戻《もど》さうとする万里子《まりこ》を、 「いゝ加減《かげん》にしないか。」と振《ふ》り払《はら》つて、海野《うんの》は梯子段《はしごだん》を駆《か》け降《お》りた。  その晩《ばん》、万里子《まりこ》は家《うち》を出《で》たまま帰《かへ》つて来《こ》なかつた。  万里子《まりこ》と云《い》ふ女《をんな》は、愛《あい》に対《たい》しては情《なさけ》ない位《くらゐ》アパセチツクだつたが、嫉妬《しつと》に掛《か》けては、実《じつ》に執拗《しつえう》であつた。これが逆《ぎやく》に、愛《あい》にパセチツクで、嫉妬《しつと》に、味《あぢ》の細《こま》かな焼《や》き方《かた》を見《み》せたら、男《をとこ》に好《す》かれるのだが——海野《うんの》はさう思《おも》はずにはゐられなかつた。嫉妬《しつと》したとなると、彼女《かのぢよ》は外《ほか》のどの場合《ばあひ》にも見《み》せたことのないやうな情熱《じやうねつ》に燃《も》えて襲《おそ》ひ掛《か》かつて来《く》るのだつた。  海野《うんの》は一|晩《ばん》ぢゆう、寂《さび》しい夜更《よふけ》の汽車《きしや》の踏切《ふみきり》が目尖《めさき》にちらついて眠《ねむ》れなかつた。 [#改ページ]   あひびき     一  切符《きつぷ》を渡《わた》しながらも、海野《うんの》の目《め》はほつそりとした三千代《みちよ》の姿《すがた》に出逢《であ》はうとして、鳶《とび》の目《め》のやうに忙《せは》しかつた。 「工合《ぐあひ》が悪《わる》かつたのかな。」  見渡《みわた》せる限《かぎ》りに於《おい》て、どこにもあの|すんなり《ヽヽヽヽ》とした姿《すがた》は目《め》にはひつて来《こ》なかつた。  が、柱《はしら》の蔭《かげ》などに、人目《ひとめ》を避《さ》けて目《め》だけ出《だ》してゐる、と云《い》つた形《かたち》の好《す》きな三千代《みちよ》だつた。兎《と》に角《かく》、二|等《とう》の待合室《まちあひしつ》と云《い》ふ自分《じぶん》の申《まう》し送《おく》り通《どほ》り、彼《かれ》はその方角《はうがく》へ爪尖《つまさき》を向《む》けた。  と、どこかの蔭《かげ》から、ヒラリと雌鹿《めじか》の感《かん》じで、三千代《みちよ》の姿《すがた》が人混《ひとご》みの中《なか》へ現《あらは》れた。いつもの癖《くせ》の、撫肩《なでがた》の左《ひだり》の方《はう》を稍《やゝ》きつく、古風《こふう》に袖《そで》で胸《むね》を抱《だ》いて、遠《とほ》くを、ツツと急《いそ》ぎ足《あし》で歩《あゆ》み寄《よ》つて来《き》た。目《め》を落《おと》したまま、二足三足来《ふたあしみあしき》たと思《おも》ふと、ちらと上《あ》げた瞳《ひとみ》が、海野《うんの》の視線《しせん》と唯《たゞ》一筋《ひとすぢ》にぶつかつた。  その瞬間《しゆんかん》、海野《うんの》は、彼女《かのぢよ》の瞳《ひとみ》一|杯《ぱい》に漲《みなぎ》つてゐる唯《たゞ》ならぬ色《いろ》に、何《なん》とも知《し》れず或《ある》不安《ふあん》を暗示《あんじ》されて、はつとなつた。彼女《かのぢよ》の顔色《かほいろ》は、いつもと違《ちが》つて荒《あ》れてゐた。髪《かみ》も引《ひ》ツ詰《つ》めに結《ゆ》つて、洗《あら》ひざらしのセルの不断着《ふだんぎ》のまま、紫《むらさき》の前掛《まへかけ》をさへ締《し》めてゐた。  二人《ふたり》とも頬笑《ほゝゑ》み交《かは》す余裕《よゆう》もなく、一|瞬間互《しゆんかんたがひ》に目《め》の中《なか》を見合《みあ》つたまま近々《ちかぢか》と立《た》ち向《むか》つてゐた。 「どうかしたの?」  海野《うんの》はまづ聞《き》かずにはゐられなかつた。 「今日休《けふやす》みなの。」  かう囁《さゝや》きながら、三千代《みちよ》は見上《みあ》げるやうに目《め》で縋《すが》つて来《き》た。 「だつて今日《けふ》水曜日《すゐえうび》ぢやないか。」 「開校記念日《かいかうきねんび》で休《やす》みなの。」  海野《うんの》は時計《とけい》を出《だ》して見《み》ながら、 「すぐ帰《かへ》らなきやいけない?」  それには答《こた》へずに、彼女《かのぢよ》も一《ひと》つ時計《とけい》の中《なか》を覗《のぞ》くので、彼《かれ》は見《み》いゝやうに三千代《みちよ》の方《はう》へ正面《しやうめん》を廻《まは》してやりながら、 「余《よ》ツ程待《ぽどま》つた?——一|体《たい》幾時《いくじ》に来《き》たのさ?」 「家《うち》を出《で》てからもう一|時間《じかん》以上《いじやう》になるかしら。」 「そりや|まづ《ヽヽ》かつたな。——それにしても、よく出《で》られたね。」 「お午《ひる》のお使《つかひ》に出《で》て、そのまま来《き》てしまつたの。」 「それぢや御飯《ごはん》が食《た》べられずに大騒《おほさわ》ぎしてるだらう。」 「ちよいと脇《わき》へ廻《まは》るから、届《とゞ》けてくれツて頼《たの》んで来《き》たから——」  かう云《い》つて、三千代《みちよ》は寂《さび》しく笑《わら》つて見《み》せた。さうした危険《きけん》を冒《をか》して、逢《あ》ひたくつて飛《と》んで来《き》てくれた彼女《かのぢよ》の無茶苦茶《むちやくちや》な情熱《じやうねつ》が、海野《うんの》の心臓《しんざう》へジユウと焼《や》け附《つ》いて来《き》た。人目《ひとめ》がなければ、ぐいと抱《だ》き締《し》めて、撫《な》で|さす《ヽヽ》つてやりたい位愛《くらゐいと》しかつた。  これが二人《ふたり》の始《はじ》めての逢引《あひびき》だつた。——かうなるまでは、三千代《みちよ》は突然《とつぜん》万里子《まりこ》の訪問《はうもん》を受《う》けて、良人《をつと》の愛情《あいじやう》を盗《ぬす》んでくれるなと半《なか》ば詰問《きつもん》され、半《なか》ば懇願《こんぐわん》された。海野《うんの》は海野《うんの》で、三千代《みちよ》からの手紙《てがみ》を横取《よこど》りされた。彼《かれ》はとう/\、怺《こら》へに怺《こら》へ、抑《おさ》へに抑《おさ》へて来《き》た恋愛《れんあい》の情《じやう》を、長《なが》い手紙《てがみ》にぶちまけて三千代《みちよ》に送《おく》つた。しかし、また横取《よこど》りされる危険《きけん》をおもんぱかつて、「返事《へんじ》はくれるな」と自身書《じしんか》き送《おく》つて置《お》きながら、響《ひゞ》きの返《かへ》つて来《こ》ない不安《ふあん》と焦躁《せうさう》とに堪《たま》り兼《か》ねて、追《お》ツかけてまた「逢《あ》ひたい」と云《い》つてやつた今日《けふ》だつた。     二 「兎《と》に角《かく》、出《で》よう。」  三千代《みちよ》を誘《さそ》つて、海野《うんの》は静《しづ》かに足《あし》を踏《ふ》み出《だ》した。  二人《ふたり》は肩《かた》をくツつけるやうにして、かあツと明《あか》るい構外《こうぐわい》へ出《で》た。すると忽《たちま》ち、稍《やゝ》皮膚《ひふ》に熱《あつ》い日《ひ》の光《ひかり》が、二人《ふたり》の上《うへ》から被《かぶ》さつて来《き》た。さうして足許《あしもと》に影《かげ》を呉《く》れた。  海野《うんの》は、時々《ときどき》ぶつかる肩《かた》と肩《かた》との柔《やはらか》い感触《かんしよく》に、歩《ある》きながら感覚《かんかく》を嬲《なぶ》られた。  三千代《みちよ》は、まぶしい日《ひ》の光《ひかり》に暫《しばら》く目《め》を窄《すぼ》めてゐたが、一《ひと》つには、擦《す》れちがふ人毎《ひとごと》に射向《いむ》けてよこす視線《しせん》も避《さ》けたかつたのだらう、流行遅《りうかうおく》れの柄長《えなが》なパラソルを静《しづ》かに黒《くろ》く開《ひら》いた。 「問題《もんだい》は要《えう》するに——」  云《い》ひかけて、海野《うんの》は三千代《みちよ》の右脇《みぎわき》から左脇《ひだりわき》に寄《よ》り添《そ》ひ直《なほ》した。海野《うんの》に話《はな》しよくさせようとしてパラソルを少《すこ》し左《ひだり》へ寄《よ》せると、太陽《たいやう》が右《みぎ》から彼女《かのぢよ》の半面《はんめん》を——頬《ほゝ》のあたりへ、一筋《ひとすぢ》ベツトリと光線《くわうせん》を塗《なす》つてよこすのに気《き》が附《つ》いたからだつた。 「これから急《いそ》いで帰《かへ》つたら、あなたがここへ来《き》たことを悟《さと》られずに済《す》むか、それとも幾《いく》ら急《いそ》いで帰《かへ》つても、もう遅《おそ》いか、そのどつちかによつて、我々《われわれ》の今日《けふ》の行動《かうどう》も極《き》まる訳《わけ》なんだが——。どつちです一|体《たい》?」 「もう間《ま》に合《あ》はないわ。」  三千代《みちよ》は俯向《うつむ》いたまま、パラソルの中《なか》で小《ちひ》さく云《い》つた。 「ぢや、自動車《じどうしや》を掴《つか》まへよう。」  彼《かれ》は立《た》ち留《ど》まつて、左右《さいう》を見廻《みまは》した。電車線路《でんしやせんろ》が、鉛《なまり》のやうに遠《とほ》くまで光《ひか》つてゐた。 「おい。」  一|刻《こく》も早《はや》く人目《ひとめ》を避《さ》けたさに、海野《うんの》は来《き》たとこ勝負《しようぶ》に円《ゑん》タクを呼《よ》び留《と》めた。 「どちらへ?」 「麹町平河町《かうぢまちひらかはちやう》。」  実《じつ》を云《い》ふと、彼《かれ》は懐《ふところ》が寂《さび》しかつた。で、今朝《けさ》出懸《でが》けに着《つ》いた原稿料《げんかうれう》の小切手《こぎつて》を、現金《げんきん》に替《か》へようと思《おも》つたのだつた。  二人《ふたり》だけの密室《みつしつ》になることとばかり思《おも》つてゐた自動車《じどうしや》の中《なか》も、クツシヨンの上《うへ》へ並《なら》んで閉《と》ぢ込《こ》められて見《み》ると、今更《いまさら》ながら、目《め》の代《かは》りに、すぐ近《ちか》くに耳《みゝ》が開《ひら》かれてゐることを意識《いしき》に入《い》れて話《はな》し合《あ》はなければならない窮屈《きゆうくつ》さを感《かん》じた。 「ね。」  しかし海野《うんの》にして見《み》れば、限《かぎ》られた時間《じかん》のうちに、話《はな》し切《き》れない程話《ほどはな》したいことが胸《むね》に溜《たま》つてゐた。だから、分秒《ふんべう》をも無駄《むだ》にしたくなかつた。で、そつと彼女《かのぢよ》を呼《よ》んだのだつたが、三千代《みちよ》は今《いま》自分《じぶん》のしてゐることの重大《ぢゆうだい》さに気圧《けお》されて、それと心《こゝろ》の中《なか》で戦《たゝか》ふだけで精《せい》一|杯《ぱい》らしく、体《からだ》を堅《かた》くして、空間《くうかん》の一|点《てん》を凝視《ぎようし》したまま、それには反応《はんのう》して来《こ》なかつた。 「ね。」  海野《うんの》はもう一|度低《どひく》く強請《せび》つた。 「……。」  三千代《みちよ》は、神経《しんけい》の剥《む》き出《だ》しになつた、ほつそりとした横顔《よこがほ》を、昼間《ひるま》の薄暗《うすぐら》さの中《なか》に蒼白《あをじろ》く浮《う》き出《だ》させたまま、ぢつとしてゐた。  さう云《い》ふのが女《をんな》だと思《おも》ひながらも、僅《わづか》な時間《じかん》が消《け》し飛《と》んで行《ゆ》くことを考《かんが》へると、かうした場合《ばあひ》にも、非事務的《ひじむてき》な女《をんな》の態度《たいど》に、海野《うんの》は|もど《ヽヽ》かしく、いら/\するばかりだつた。     三  しかし、胸《むね》を落《おと》してグツタリうしろに靠《もた》れかゝつてゐる三千代《みちよ》の姿《すがた》を見《み》てゐるうちに、海野《うんの》は、その柔《やはらか》い線《せん》の一《ひと》つ一《びと》つから、彼女《かのぢよ》の心《こゝろ》の奥《おく》の声《こゑ》を聞《き》くやうな思《おも》ひがして来《き》た。 「さうか。」  擾乱《ぜうらん》してゐるのは三千代《みちよ》の神経《しんけい》で、心《こゝろ》ではないことを彼《かれ》はやつと探《さぐ》り当《あ》てることが出来《でき》た。  自動車《じどうしや》はやがて目的《もくてき》の銀行《ぎんかう》の前《まへ》に留《と》まつた。 「すぐ。」  かう云《い》ひ残《のこ》して、海野《うんの》はドアを押《お》して中《なか》へはひつた。  一人《ひとり》も待《ま》たずに、海野《うんの》は札束《さつたば》を手《て》にすることが出来《でき》た。 「一|枚《まい》だけ細《こま》かいのにして下《くだ》さい。」  銀貨《ぎんくわ》を小出入《こだしいれ》に入《い》れながら、これで、行《ゆ》かうと思《おも》へば、二人《ふたり》で北海道位《ほくかいだうくらゐ》までは行《ゆ》けるぞと云《い》ふ腹《はら》になつて、彼《かれ》はまた車《くるま》へ帰《かへ》つた。  三千代《みちよ》はさつきのままの姿勢《しせい》をぢつと続《つゞ》けてゐた。 「人形町《にんぎやうちやう》へ行《い》つてくれたまへ。」  海野《うんの》は、京都料理《きやうとれうり》を食《た》べさす「八新《はちしん》」と云《い》ふ家《うち》の瀟洒《せうしや》な小部屋《こべや》を思《おも》ひ浮《うか》べながら、運転手《うんてんしゆ》にさう命《めい》じた。  自動車《じどうしや》は、陸軍省《りくぐんしやう》の前《まへ》を、まぶしい光《ひかり》の一|杯《ぱい》に漲《みなぎ》つてゐる霞《かすみ》ケ関《せき》へ出《で》て、左《ひだり》へ曲《まが》つた。 「どこへ行《ゆ》くの?」  この時始《ときはじ》めて、三千代《みちよ》が心持体《こゝろもちからだ》を寄《よ》せて来《き》ながら、小《ちひ》さく聞《き》いた。 「夕方《ゆふがた》まで、どこか静《しづ》かなところでいろ/\話《はな》したいと思《おも》ふんだが、生憎僕《あいにくぼく》はさう云《い》ふところを知《し》らないんでね。」  ここまで海野《うんの》が云《い》つた時《とき》 「厭《いや》。どこかへ行《い》くの厭《いや》。」と、三千代《みちよ》が|かぶり《ヽヽヽ》を振《ふ》りながら|きつ《ヽヽ》く云《い》つた。 「ぢや、どうする? 帰《かへ》る?」 「……。」  三千代《みちよ》は|かぶり《ヽヽヽ》を振《ふ》つて見《み》せた。 「兎《と》に角降《かくお》りようか。」 「……。」  三千代《みちよ》は頷《うなづ》いた。 「君《きみ》、ここでいゝや。留《と》めてくれたまへ。」  海野《うんの》は運転手《うんてんしゆ》の方《はう》へ乗《の》り出《だ》しながら、慌《あわたゞ》しく言葉《ことば》を投《な》げ附《つ》けた。  自動車《じどうしや》は急停車《きふていしや》に、ジヤリ/″\とアスフアルトを噛《か》んだ。  二人《ふたり》は虎《とら》の門《もん》の方《はう》へ引《ひ》き返《かへ》した。広《ひろ》い往来《わうらい》の行手《ゆくて》に、麦藁帽子《むぎわらばうし》が一《ひと》つ遠《とほ》い彼《かれ》の目《め》を引《ひ》いた。  人通《ひとどほ》りのない路《みち》を、支那公使館《しなこうしくわん》の明《あか》るい白壁《しらかべ》に添《そ》つて歩《ある》きながら、海野《うんの》は思《おも》ひ切《き》つて切《き》り出《だ》した。 「ね、この間《あひだ》の手紙《てがみ》にも書《か》いたやうに、僕《ぼく》はこれまで幾度君《いくどきみ》の前《まへ》から姿《すがた》を隠《かく》さうと思《おも》つたか知《し》れない。ずつと前《まへ》から、大阪《おほさか》へ移住《いぢゆう》して、郊外《かうぐわい》などに住《す》まずに、わざと市中《しちう》に住《す》んで、向《むか》う三|軒《げん》両隣《りやうどなり》を大阪人《おほさかじん》に取《と》り囲《かこ》まれながら生活《せいくわつ》して見《み》たい、さうして『金《かね》の大阪人《おほさかじん》』の現実生活《げんじつせいくわつ》を観察《くわんさつ》して、それを戯曲《ぎきよく》に書《か》いて見《み》たい、口癖《くちぐせ》のやうにさう云《い》つてゐたらう? あれも、本当《ほんたう》を云《い》ふと、実《じつ》は君《きみ》の前《まへ》から逃《に》げ出《だ》す手段《しゆだん》として考《かんが》へたことなんだ。」     四 「と云《い》ふのは、たゞ単《たん》に君《きみ》の前《まへ》から逃《に》げ出《だ》したところで、それで完全《くわんぜん》に逃《に》げおほせるかどうか甚《はなは》だ覚束《おぼつか》ないと思《おも》つたからなんだ。が、さう云《い》ふ自分《じぶん》の仕事《しごと》と引《ひ》ツ絡《から》めた目的《もくてき》の下《もと》に大阪《おほさか》へ移住《いぢゆう》したら、仕事《しごと》を大事《だいじ》にする僕《ぼく》のことだから、さうでもない、逃《に》げおほせはしまいかと考《かんが》へたんだ。」 「……。」 「だけど、だん/″\日数《ひかず》が経《た》つにつれて、たとひ大阪《おほさか》へ落《お》ちて行《い》つたところで、結局《けつきよく》駄目《だめ》なことが分《わか》つて来《き》た。現在《げんざい》よりも、仕事《しごと》に手《て》が附《つ》かなくなることは火《ひ》を見《み》るよりも明《あきら》かだ。さうとすりや、僕《ぼく》は大阪《おほさか》の地《ち》で干乾《ひぼ》しになるか、それとも、君恋《きみこひ》しさにまた逆戻《ぎやくもど》りをして来《く》るか、二《ふた》つのうちのどつちかだ。その位《くらゐ》なら、始《はじ》めから東京《とうきやう》を動《うご》かない方《はう》がどの位《くらゐ》|まし《ヽヽ》だか知《し》れはしない。と云《い》つて、東京《とうきやう》にゐれば、考《かんが》へることと云《い》やあ、君《きみ》と逢《あ》ふことばかりだ。外《ほか》のことはなんにも考《かんが》へない。——僕《ぼく》は戯曲家《ぎきよくか》として、破産《はさん》するより外《ほか》はない。このまま半年《はんとし》と経《た》ち一|年《ねん》と経《た》つうちには、僕《ぼく》は亡《ほろ》びるに違《ちが》ひない。いや、現《げん》に生活的《せいくわつてき》にもう破綻《はたん》を生《しやう》じて来《き》てゐる。」  二人《ふたり》はいつか馬政局《ばせいきよく》のあたりを歩《ある》いてゐた。  ふと足許《あしもと》に目《め》を落《おと》すと、大《おほ》きな蟻《あり》が、逞《たくま》しい六|本《ぽん》の足《あし》を盛《さか》んに動《うご》かして、正直《しやうぢき》に路《みち》の凸凹通《でこぼこどほ》りに走《はし》つてゐた。 「しかし、僕《ぼく》はどう考《かんが》へても亡《ほろ》びるのは厭《いや》だ。それも僕《ぼく》が君《きみ》に横恋慕《よこれんぼ》をしてゐると云《い》ふのなら、亡《ほろ》びるのも仕方《しかた》がない。自業自得《じごふじとく》と諦《あきら》めてもいゝ。だけど、露木君《つゆきくん》の君《きみ》に対《たい》する愛《あい》し方《かた》を見《み》てゐると、僕《ぼく》は必《かなら》ずしも自分《じぶん》が横恋慕《よこれんぼ》してゐるとは思《おも》はない。君《きみ》を本当《ほんたう》に愛《あい》してゐるのは僕《ぼく》だ。愛《あい》すると云《い》ふことは、云《い》ふまでもなく、女《をんな》の色香《いろか》に溺《おぼ》れることぢやない。自分《じぶん》の羽交《はが》ひの下《した》で、女《をんな》を生《い》かし切《き》ることだ。露木君《つゆきくん》は果《はた》して自分《じぶん》の羽交《はが》ひの下《した》で、君《きみ》を生《い》かし切《き》つてゐるだらうか?」 「……。」 「僕《ぼく》は、露木君《つゆきくん》には生《い》かし切《き》れてゐないと思《おも》ふんだ。また、これから先《さき》も生《い》かし切《き》り得《え》ないと思《おも》ふんだ。君《きみ》を生《い》かすには、——君《きみ》と云《い》ふ人間《にんげん》を全部的《ぜんぶてき》に理会《りくわい》しなきやならない。が、君《きみ》の方《はう》が、人間《にんげん》として|より《ヽヽ》複雑《ふくざつ》な精神生活《せいしんせいくわつ》をしてゐるとしたら、幾《いく》ら理会《りくわい》しようと思《おも》つたつて、理会《りくわい》出来《でき》ツこない。そこまで来《く》れば、人間《にんげん》の優劣《いうれつ》の問題《もんだい》だからな。」 「……。」 「丁度昔《ちやうどむかし》の剣客《けんかく》に比較《ひかく》を取《と》るとよく分《わか》ると思《おも》ふんだが——。腕前《うでまへ》の|ぐん《ヽヽ》と立《た》ち優《まさ》つた方《はう》の剣客《けんかく》の目《め》から見《み》れば、相手《あひて》の——劣《おと》つてゐる剣客《けんかく》の腕前《うでまへ》は手《て》に取《と》るやうに分《わか》る。しかし、劣《おと》つた方《はう》の剣客《けんかく》には、相手《あひて》の強《つよ》さがどの程度《ていど》か——どの程度《ていど》に自分《じぶん》の腕前《うでまへ》を凌《しの》いでゐるか——白雲万里《はくうんばんり》の隔《へだた》りとは夢《ゆめ》にも気《き》が附《つ》かない。まさかそれ程《ほど》でもあるまいが、云《い》つて見《み》りや、それさ、君《きみ》と露木君《つゆきくん》との間《あひだ》は。」 「……。」 「幾《いく》ら背伸《せいの》びをしたつて、三|尺《じやく》の人間《にんげん》には三|尺《じやく》のところまでしか君《きみ》を愛《あい》することは出来《でき》ない。上《うへ》にまだ二|尺《しやく》も余《あま》つてゐる。その余《あま》つてゐる方《はう》へは、一|度《ど》も露木君《つゆきくん》の手《て》が届《とゞ》いたことがない。君《きみ》がしじゆう自分《じぶん》の夫婦生活《ふうふせいくわつ》に或《ある》物足《ものた》らなさを感《かん》じてゐたのも、原因《げんいん》はみんなそこにあつたんだ。」     五 「そこへ行《ゆ》けば、僕《ぼく》は君《きみ》の胸《むね》の琴線《きんせん》を、全部《ぜんぶ》とは云《い》はないが、その幾《いく》つかは——いや、大方《おほかた》は掻《か》き鳴《な》らしたと思《おも》つてゐる。君《きみ》の四|尺《しやく》か四|尺《しやく》五|寸位《すんくらゐ》のところまでは確《たしか》に手《て》を届《とゞ》かしたと思《おも》つてゐる。僕《ぼく》は天下《てんか》の伯楽《はくらく》とは思《おも》つちやゐない。だけど、君《きみ》の場合《ばあひ》に於《おい》てのみ、一|個《こ》の伯楽《はくらく》だつたと自惚《うぬぼ》れてゐる。——かうした場合《ばあひ》でも、やつぱり横恋慕《よこれんぼ》と云《い》はれなければならないだらうか。」  横恋慕《よこれんぼ》か、さうでないか、そんなことは三千代《みちよ》にはどうでもよかつた。それよりも、海野《うんの》によつて、才能《さいのう》を認《みと》められ、自分《じぶん》の個性《こせい》に或《ある》価値《かち》を賦与《ふよ》されたのは事実《じじつ》だつた。彼女《かのぢよ》は海野《うんの》に出合《であ》ふまでは、誰《たれ》からも——いや、父親《ちゝおや》から、男《をとこ》の兄弟達《きやうだいたち》以上《いじやう》に相談相手《さうだんあひて》にされた経験以外《けいけんいぐわい》、それこそ誰《たれ》からも、自分《じぶん》の才能《さいのう》を認《みと》められたことはなかつた。まして自分《じぶん》の個性《こせい》に敬意《けいい》を払《はら》はれた覚《おぼ》えなどは絶《た》えてなかつた。  それだけに、始《はじ》めて海野《うんの》に敬意《けいい》を表《へう》された時《とき》、彼女《かのぢよ》は、それが非常《ひじやう》に巧妙《かうめう》なお世辞《せじ》ではないかしらと疑《うたが》つた位《くらゐ》だつた。しかし、やがてお世辞《せじ》でないことが分《わか》つた時《とき》、三千代《みちよ》は余《あま》りの嬉《うれ》しさに、魂《たましひ》の痺《しび》れるのを覚《おぼ》えた。  この日《ひ》以来《いらい》、三千代《みちよ》には小《ちひ》さいながらも自信《じしん》が出来《でき》た。——遠慮深《ゑんりよぶか》げにではあるが、少《すこ》しは手足《てあし》を伸《の》ばすことが出来《でき》た。 「一|方《ぱう》、僕《ぼく》の方《はう》の夫婦生活《ふうふせいくわつ》だが、これも二人《ふたり》の背丈《せいたけ》が違《ちが》ふ。しかし僕《ぼく》の方《はう》は、君《きみ》と違《ちが》つて、妻《つま》を選《えら》んだのは僕自身《ぼくじしん》なのだから、どこまでも自己《じこ》の不明《ふめい》と云《い》ふ点《てん》で、僕《ぼく》は責任《せきにん》を負《お》はなければならない。さう思《おも》つて、どの位《くらゐ》万里子《まりこ》の性根《しやうね》を叩《たゝ》き直《なほ》さうと苦心《くしん》したか分《わか》らない。——が、とう/\僕《ぼく》も匙《さじ》を投《な》げた。」 「……。」 「兎《と》に角《かく》、さう云《い》ふ二|組《くみ》の夫婦《ふうふ》がある。その場合《ばあひ》、各々《おのおの》の夫婦《ふうふ》の間《あひだ》に愛《あい》がなければ、——愛《あい》が残《のこ》つてゐれば問題《もんだい》はない。が、愛《あい》がない場合《ばあひ》、微《かす》かにはあつたのが、新《あたら》しい親和力《しんわりよく》が生《しやう》じた為《た》めに消《き》え去《さ》つてしまつた場合《ばあひ》、親和力《しんわりよく》を感《かん》じ合《あ》つた|A《エー》と|C《シー》とが、ゲーテが我々《われわれ》に描《ゑが》き残《のこ》してゐるやうに、|B《ビー》と|D《デー》とから離《はな》れたがり、一|緒《しよ》になりたがるのは当然《たうぜん》の帰趨《きすう》だと僕《ぼく》は思《おも》ふんだ。——さう云《い》ふ意味《いみ》で、僕《ぼく》は君《きみ》が欲《ほ》しい。」 「……。」 「僕《ぼく》なら完全《くわんぜん》に君《きみ》を愛《あい》せると思《おも》ふ。少《すくな》くとも、僕《ぼく》は君《きみ》を幸福《かうふく》にし得《う》る自信《じしん》がある。単《たん》に経済的《けいざいてき》に云《い》つても、君《きみ》が苦《くる》しんでゐて、万里子《まりこ》のやうな人間《にんげん》が浪費《らうひ》してゐると云《い》ふ法《はふ》はない。法《はふ》があるかないか知《し》らないが、浪費《らうひ》されてゐる僕《ぼく》の身《み》にとつては、同《おな》じ浪費《らうひ》されるなら、君《きみ》に浪費《らうひ》されたい。」 「……。」 「いや、これは|ほん《ヽヽ》の一|例《れい》に過《す》ぎないが、僕《ぼく》の方《はう》から云《い》つても、僕《ぼく》の持《も》つてゐるもので、君《きみ》に叩《たゝ》かれて始《はじ》めて音《ね》を出《だ》すものも沢山《たくさん》あると思《おも》ふ。それを、君《きみ》によつて叩《たゝ》かれたい。」 「……。」 「それに、僕《ぼく》はもう万里子《まりこ》と生活《せいくわつ》する興味《きようみ》がない。僕《ぼく》が君《きみ》を愛《あい》してゐ、君《きみ》も僕《ぼく》を愛《あい》してくれてゐるものとして、——いや、愛《あい》してゐてくれるなら、問題《もんだい》は簡単《かんたん》だ。二人《ふたり》は一|緒《しよ》になればいゝのだ。いや、二人《ふたり》はどんな困難《こんなん》と戦《たゝか》つてでも、一|緒《しよ》にならなければならない。」 「……。」     六 「実際《じつさい》、人生《じんせい》には、本《ほん》のやうに再版《さいはん》と云《い》ふやうなことがないんだからな。かうと思《おも》つたことは、ドシ/″\実行《じつかう》しなければ|いけ《ヽヽ》ない。愛《あい》のない夫婦《ふうふ》が、いろ/\の第《だい》二|義的《ぎてき》な縄縛《じようばく》に煩《わづら》はされて一|緒《しよ》にゐるなんて卑怯《ひけふ》だ。」 「……。」 「僕《ぼく》は元来《ぐわんらい》、離婚《りこん》をもつと自由《じいう》にすべきだと思《おも》ふ。結婚《けつこん》には情熱《じやうねつ》が伴《ともな》ふから、打《う》ツちやらかして置《お》いても結婚《けつこん》したい奴《やつ》は結婚《けつこん》するが、離婚《りこん》には情熱《じやうねつ》が伴《ともな》はない。だから、なか/\実行《じつかう》しにくい。その上《うへ》、社会《しやくわい》が離婚《りこん》には意地《いぢ》の悪《わる》い目《め》を向《む》けたがる。だから、猶更《なほさら》実行《じつかう》しにくい。僕《ぼく》はそれは間違《まちが》つてゐると思《おも》ふ。社会《しやくわい》は、離婚《りこん》し合《あ》はなければならないやうな不幸《ふかう》な人達《ひとたち》に向《むか》つては、特《とく》にもつと暖《あたゝか》い目《め》を向《む》けてやらなければ|いけ《ヽヽ》ない。さうして一|日《にち》も早《はや》く、幸福《かうふく》な第《だい》二の結婚《けつこん》が出来《でき》るやうに仕向《しむ》けてやるべきだと思《おも》ふ。」 「……。」 「さう云《い》ふと、離婚《りこん》を自由《じいう》にして置《お》くと、これを悪用《あくよう》する者《もの》が出《で》て来《く》るから危険《きけん》だと云《い》ふ人《ひと》があるかも知《し》れない。しかし、さう云《い》ふ少数《せうすう》の人生《じんせい》に不忠実《ふちうじつ》な奴《やつ》の為《た》めに、多数《たすう》の人生《じんせい》に忠実《ちうじつ》な者《もの》が犠牲《ぎせい》にされてゐると云《い》ふことは間違《まちが》つてゐる。第《だい》一、危険《きけん》の程度《ていど》から云《い》へば、その方《はう》が比較《ひかく》にならない程《ほど》危険《きけん》だ。現《げん》に、離婚《りこん》の不自由《ふじいう》な西洋諸国《せいやうしよこく》に、姦通《かんつう》の多《おほ》い事実《じじつ》に見《み》ても明《あきら》かだと思《おも》ふ。」 「……。」 「二人《ふたり》で社会《しやくわい》を論《ろん》じたところで始《はじ》まらないが、兎《と》に角《かく》、一般論《ぱんろん》をすればさうだと思《おも》ふんだ。ところで、二人《ふたり》の問題《もんだい》に返《かへ》つて、——僕《ぼく》は君《きみ》と結婚《けつこん》したい。結婚《けつこん》するには、二人《ふたり》はまづ離婚《りこん》しなければならない。本来《ほんらい》なら、情熱《じやうねつ》の伴《ともな》はない離婚《りこん》に、幸《さいは》い君《きみ》と結婚《けつこん》したいと云《い》ふ情熱《じやうねつ》が伴奏《ばんそう》してゐてくれる。それを飛込板《とびこみいた》にして、僕《ぼく》は困難《こんなん》な離婚《りこん》を敢行《かんかう》しようと思《おも》ふんだ。」 「……。」 「君《きみ》に心《こゝろ》を打《う》ち明《あ》けてから、これを口《くち》にするまでには五|日《か》と日《ひ》が経《た》つてゐないけれど、万里子《まりこ》には永《なが》い間《あひだ》さん/″\悩《なや》まされてゐるので、離婚《りこん》については、僕《ぼく》は随分考《ずゐぶんかんが》へ抜《ぬ》いたつもりだ。武者小路《むしやこうぢ》が夫人《ふじん》と別居《べつきよ》する時《とき》、誰《たれ》も不幸《ふかう》にならないやうにと先《ま》づ考《かんが》へたと云《い》つてゐたが、僕達《ぼくたち》もなるべく不幸《ふかう》を少《すくな》くする方法《はうはふ》を考《かんが》へなければならないと思《おも》ふ。」 「……。」 「しかし、四|人《にん》にとつて一|番《ばん》不幸《ふかう》なのは、現状《げんじやう》のままでゐることだと云《い》ふことを忘《わす》れてはならない。それを思《おも》へば、離婚《りこん》から生《しやう》じるさま/″\な不幸位《ふかうくらゐ》、みんなで忍《しの》ぶべきだ。」 「……。」 「無論《むろん》、滅多《めつた》に人《ひと》のしないことをするんだから、いろ/\な苦《くる》しみを舐《な》めさせられることは覚悟《かくご》してゐなければならない。それに堪《た》へて、押《お》し通《とほ》せる自信《じしん》が君《きみ》にある?」 「……。」  三千代《みちよ》は力強《ちからづよ》く頷《うなづ》いて見《み》せた。彼女《かのぢよ》が一|生懸命《しやうけんめい》であることは、まざ/″\と頬《ほゝ》の肉《にく》に刻《きざ》まれてゐた。 「僕《ぼく》の方《はう》のことばかり云《い》つて、君《きみ》の方《はう》のことはちつとも聞《き》かなかつたけれど、君《きみ》は僕《ぼく》を信《しん》じてゐてくれるね?」  三千代《みちよ》はもう一|度声《どこゑ》を出《だ》さずに返事《へんじ》をした。 「ぢや、渦巻《うづまき》の中《なか》へ巻《ま》き込《こ》むよ。」 「……。」  彼女《かのぢよ》はまた頷《うなづ》いた。 「ところで、どう云《い》ふ方法《はうはふ》を取《と》る?」  三千代《みちよ》は暫《しばら》く黙《だま》つて歩《ほ》を運《はこ》んでゐたが 「どうでも——。あなたの仰《おつ》しやる通《とほ》りになるわ。」     七  海野《うんの》にとつて、こんな嬉《うれ》しい言葉《ことば》はなかつた。生《う》まれてからこの方《かた》、彼《かれ》は誰《たれ》からも、こんな全心的《ぜんしんてき》な信頼《しんらい》を受《う》けたことは唯《たゞ》の一|度《ど》もなかつた。 「有《あ》り難《がた》う。——僕《ぼく》は今《いま》一廉《ひとかど》の理窟《りくつ》らしいことを|こねく《ヽヽヽ》つたけれど、本心《ほんしん》を云《い》ふと、君《きみ》と三日一《みつかひと》つ屋根《やね》の下《した》で生活《せいくわつ》出来《でき》たら、死《し》んでもいゝ。だから、今日逢《けふあ》ふまでに頭《あたま》の中《なか》で幾《いく》つか考《かんが》へた方法《はうはふ》の中《なか》で、若《も》し君《きみ》に離婚《りこん》する勇気《ゆうき》がなかつた場合《ばあひ》には、僕《ぼく》は君《きみ》を撈《さら》つて一|緒《しよ》に死《し》ぬつもりだつた。」 「まあ。」 「これは下々《げゞ》の下策《げさく》だとは思《おも》ふが、僕《ぼく》は最後《さいご》へ行《ゆ》けば、この下々《げゞ》の下策《げさく》へでも|しがみ《ヽヽヽ》つく覚悟《かくご》だつた。兎《と》に角《かく》、生《い》かしちや返《かへ》さないつもりだつた。」 「……。」  二人《ふたり》はいつか、日枝神社《ひえじんじや》の石段《いしだん》の下《した》に出《で》た。  一|段《だん》一|段《だん》が、滝《たき》のやうな白《しろ》さで日《ひ》に燿《かゞや》いてゐた。  見上《みあ》げると、大木《たいぼく》の青葉《あをば》が、幹《みき》に似合《にあ》はぬ細《こま》かさと涼《すゞ》しさとで、ほの/″\と日《ひ》の光《ひかり》を透《す》かしてゐた。 「唯《たゞ》面倒《めんだう》なのは、子供《こども》の問題《もんだい》だ。」  ゆつくり、ゆつくり、一|段《だん》一|段《だん》と登《のぼ》つて行《ゆ》きながら、海野《うんの》は第《だい》二の問題《もんだい》にはひつた。 「それも、僕《ぼく》の方《はう》は比較的困難《ひかくてきこんなん》は少《すくな》いと思《おも》ふけど——。万里子《まりこ》が欲《ほ》しいと云《い》へば遣《や》つてもいゝ。要《い》らないと云《い》へば、無論君《むろんきみ》に育《そだ》てて貰《もら》ふ。」 「……。」 「子《こ》を育《そだ》てるのは、生《う》みの親《おや》でなければならないと云《い》ふ説《せつ》は、無論《むろん》一|面《めん》の真理《しんり》には違《ちが》ひない。だけど、全面《ぜんめん》の真理《しんり》とは思《おも》はない。広《ひろ》い世間《せけん》を見渡《みわた》しても、生《う》みの親《おや》に育《そだ》てられなかつたら、ああはならなかつたらうと思《おも》はれるやうな人間《にんげん》が沢山《たくさん》ゐる。公平《こうへい》に云《い》つて、僕《ぼく》はなつ子《こ》をどつちに育《そだ》てて貰《もら》ふかと云《い》へば、喜《よろこ》んで君《きみ》に育《そだ》てて貰《もら》ふ。育児《いくじ》、教育《けういく》に対《たい》して生《う》みの親《おや》が最適《さいてき》であるかどうかについては、バーナード・ショウに論文《ろんぶん》があつて、最適《さいてき》だとは決《けつ》して云《い》つてゐない。」  海野《うんの》はここで言葉《ことば》を切《き》つて、三千代《みちよ》の返事《へんじ》を待《ま》つたが、それは聞《き》かれなかつた。 「無論《むろん》、手放《てばな》せないのが当《あた》り前《まへ》だけれど——」  海野《うんの》は、三千代《みちよ》が意中《いちう》を打《う》ち明《あ》けいゝやうにさう云《い》ふのを忘《わす》れはしなかつた。それでも、三千代《みちよ》は答《こた》へなかつた。  三千代《みちよ》が一|番《ばん》懊悩《あうなう》してゐるのは、対露木《たいつゆき》の問題《もんだい》ではなくて、対子供《たいこども》の問題《もんだい》であることに海野《うんの》は想到《さうたう》した。さう云《い》へば、却《かへ》つてここに先決問題《せんけつもんだい》の横《よこ》たはつてゐたことを俄《にはか》に悟《さと》らずにはゐられなかつた。 「露木君《つゆきくん》が二人《ふたり》くれれば問題《もんだい》はないんだが——」  と、三千代《みちよ》は急《きふ》に顔《かほ》を上《あ》げて、海野《うんの》に視線《しせん》を注《そゝ》ぎながら 「さうしたら——若《も》し二人《ふたり》くれたら——?」 「僕《ぼく》は喜《よろこ》んで三|人《にん》の父親《ちゝおや》になる。」  さう答《こた》へると、三千代《みちよ》はそれツきり何《なに》も云《い》はずに、視線《しせん》を外《はづ》してまた俯向《うつむ》いてしまつた。  海野《うんの》は、彼女《かのぢよ》の感情《かんじやう》を追《お》ふやうに、 「だけど、若《も》し君《きみ》がきつと二人《ふたり》自分《じぶん》のものになると思《おも》つてゐるなら、そいつアあんまり楽天的過《らくてんてきす》ぎると思《おも》ふね。心《こゝろ》では子供《こども》なんか欲《ほ》しくないと思《おも》つてゐても、細君《さいくん》を自分《じぶん》のところから離《はな》れさせまい為《た》めに、意地《いぢ》になつても子供《こども》を渡《わた》さないのが男《をとこ》の慣用手段《くわんようしゆだん》だからな。一|番旨《ばんうま》く行《い》つて二人《ふたり》、|まづ《ヽヽ》く行《い》つたら全部失《ぜんぶうしな》ふ位《くらゐ》の覚悟《かくご》がないと——」 「でも——」  三千代《みちよ》が俯向《うつむ》いたまま強《つよ》く答《こた》へた。 「私《わたし》、傍《そば》に子供《こども》がゐなかつたら、日《ひ》の暮《くら》しやうがありませんわ。」     八 「でも、とつくり露木君《つゆきくん》の膝《ひざ》を抱《だ》いて懇談《こんだん》したら、一人《ひとり》は必《かなら》ずくれると思《おも》ふがな。正直《しやうぢき》に云《い》ふと、二人《ふたり》は大丈夫《だいぢやうぶ》くれさうな気《き》もするんだが——。だから、最《もつと》も具体的《ぐたいてき》な話《はな》し方《かた》をすれば、今君《いまきみ》は三|人《にん》の子供《こども》を自分《じぶん》のものにする代《かは》りに、恋愛《れんあい》を失《うしな》ふか、恋愛《れんあい》と二人《ふたり》の子供《こども》を得《え》て、一人《ひとり》の子供《こども》を失《うしな》ふかと云《い》ふ瀬戸際《せとぎは》に立《た》つてゐる訳《わけ》なんだ。いや、失《うしな》ふ子供《こども》は二人《ふたり》かも知《し》れないよ。しかし、僕《ぼく》は全力《ぜんりよく》を挙《あ》げて、一人《ひとり》で済《す》むやうに努力《どりよく》することを誓《ちか》ふ。」 「ええ。」  やつと三千代《みちよ》の唇《くちびる》が綻《ほころ》びた。 「私《わたし》、二人《ふたり》手許《てもと》に引《ひ》き取《と》れれば我慢《がまん》出来《でき》るわ。」 「さう。」 「上《うへ》の子《こ》はもう大《おほ》きいし、どつちかと云《い》へば祖母《おばあ》さん子《こ》で、私《わたし》が留守《るす》にしても平気《へいき》な代《かは》りに、祖母《おばあ》さんがちよいとでも見《み》えなからうものなら、祖母《おばあ》さん祖母《おばあ》さんツて大騒《おほさわ》ぎなの。」 「フーム。」 「後《あと》の二人《ふたり》は——」  三千代《みちよ》はポツリ/\話《はな》すのだつた。が、ここまで来《く》ると急調子《きふてうし》になつて、 「あれね、子供《こども》が可愛《かはい》いツての、突《つ》き詰《つ》めて見《み》りや不憫《ふびん》なのね。」  成程《なるほど》と海野《うんの》は思《おも》つた。彼女《かのぢよ》は彼女流《かのぢよりう》に、子供《こども》に対《たい》する気持《きもち》を突《つ》き詰《つ》めて、行《ゆ》き尽《つく》すところまで行《ゆ》き着《つ》いてゐると云《い》ふ安心《あんしん》が海野《うんの》の胸《むね》に来《き》た。 「だけど、急《いそ》ぐ必要《ひつえう》はないぜ。ゆつくり構《かま》へて、気持《きもち》を流《なが》して置《お》いてごらん。流《なが》して流《なが》して仕舞《しまひ》に凝結《ぎようけつ》した結果《けつくわ》が、一|番《ばん》自然《しぜん》で、一|番《ばん》人間的《にんげんてき》な解決《かいけつ》だと僕《ぼく》は思《おも》ふんだが——」 「ええ。」  三千代《みちよ》は、おとなしく返事《へんじ》はしたが、 「でも、私《わたし》、今日《けふ》ぢゆうに解決《かいけつ》してしまひたいの。」 「どうして?」  とは云《い》つたものの、海野《うんの》はすぐ、買《か》ひ物《もの》に出《で》て、そのまま飛《と》び出《だ》して来《き》てしまつた彼女《かのぢよ》であることを思《おも》ひ出《だ》した。 「私嘘《わたくしうそ》をついてゐるの辛《つら》いの。この間《あひだ》のあの手紙《てがみ》を見《み》るまでは、そりや二人《ふたり》の心《こゝろ》が接近《せつきん》し合《あ》つてゐることを意識《いしき》してはゐても、でも、仮《かり》に露木《つゆき》に聞《き》かれたとしても、私《わたし》、さうぢやないと答《こた》へられたわ。だけど、あの日以来《ひいらい》、私《わたし》にはもうさうは答《こた》へられないわ。だから、本当《ほんたう》を云《い》ふと、一|日《にち》でも黙《だま》つてゐられなくなつて、明日《あした》まで待《ま》てずに今日来《けふき》てしまつたの。」 「それはさうと、一|体《たい》どう云《い》ふ形《かたち》を取《と》つて君《きみ》は解決《かいけつ》するつもりなんだ?」  暫《しばら》くして海野《うんの》が訊《たづ》ねた。 「これから帰《かへ》つて、正直《しやうぢき》に心持《こゝろもち》を話《はな》して、離縁《りえん》をして貰《もら》はうと思《おも》ふの。」 「だけど、かう云《い》ふ話《はなし》つてものは、一|挙《きよ》に片附《かたづけ》ようとすると、失敗《しつぱい》するぜ。」 「ええ。」 「第《だい》一、今日《けふ》半日《はんにち》やそこらでは僕《ぼく》は解決《かいけつ》は附《つ》かないと思《おも》ふが——」 「……。」 「それに、かうしたことと云《い》ふものは、急《きふ》に非常《ひじやう》な反動力《はんどうりよく》で、相手《あひて》に未練的愛着《みれんてきあいちやく》を抱《いだ》かせるもんだしね。」 「ええ。」 「大丈夫《だいぢやうぶ》? それに負《ま》けちまやしない?」 「大丈夫《だいぢやうぶ》よ。」 「そんならいゝけど——。|ほだ《ヽヽ》されたりしちや厭《いや》だぜ。」 「……。」     九 「僕《ぼく》は心配《しんぱい》だから、今夜《こんや》はこの区《く》を離《はな》れずにゐる。幸《さひは》ひ君《きみ》の家《うち》の近《ちか》くに、仲《なか》のいゝ友達《ともだち》の家《うち》があるから、僕《ぼく》はそこに夜中《よなか》の十二|時《じ》までゐさせて貰《もら》ふ。さうでもない、若《も》し何《なに》か危険《きけん》が身《み》に迫《せま》るやうなことがあつたら、その南《みなみ》の家《うち》まで逃《に》げて来《き》たまへ。」  かう云《い》つて、海野《うんの》は南《みなみ》の家《うち》の所在《しよざい》を詳《くは》しく説明《せつめい》して聞《き》かせた。 「若《も》しまた僕《ぼく》を必要《ひつえう》とするやうなことがあつたら、南《みなみ》のところには電話《でんわ》もあるから、呼《よ》んでくれればすぐ行《ゆ》く。」 「ええ。」  二人《ふたり》は、新町《しんまち》の通《とほ》りから聯隊《れんたい》の坂《さか》を登《のぼ》つて、庭木《にはき》の多《おほ》い高台《たかだい》の町《まち》へ出《で》た。三千代《みちよ》の家《うち》は、抜《ぬ》け路《みち》をすれば、そこから十|分《ぷん》とは掛《か》からない近《ちか》さにあつた。 「ぢや、もう帰《かへ》つて。」と、三千代《みちよ》が立《た》ち留《ど》まつた。  時計《とけい》を出《だ》して見《み》ると、四|時《じ》を大分廻《だいぶまは》つてゐた。 「ぢやね、結果《けつくわ》は明日《あした》ぢゆうに電報《でんぱう》か速達《そくたつ》でお知《し》らせするわ。」 「明日《あした》?」 「ええ。」  どうでも今日《けふ》ぢゆうに解決《かいけつ》を附《つ》ける覚悟《かくご》なんだな、と、海野《うんの》は彼女《かのぢよ》の決心《けつしん》の堅《かた》さを思《おも》はずにはゐられなかつた。同時《どうじ》に、何《なに》か不安《ふあん》な気《き》もしないではなかつた。 「だけど、|あせ《ヽヽ》つちや駄目《だめ》だよ。|あせ《ヽヽ》ると無理《むり》が出来《でき》るからね。」  海野《うんの》は唯々《たゞたゞ》、露木《つゆき》が刃物《はもの》を振《ふ》り廻《まは》しはしないかと、そればかりが不安《ふあん》だつた。 「大丈夫《だいぢやうぶ》かな。心配《しんぱい》だな。」 「大丈夫《だいぢやうぶ》よ。」 「決《けつ》して興奮《こうふん》しちや|いけ《ヽヽ》ないよ。」 「ええ。」  もう一|度《ど》三千代《みちよ》は頷《うなづ》いて見《み》せた。さうして 「左様《さやう》なら。」と軽《かる》く頭《あたま》をさげた。  別《わか》れる前《まへ》に、二人《ふたり》は瞳《ひとみ》でガツチリ抱《だ》き合《あ》つた。海野《うんの》はこのまま放《はな》して遣《や》りともない気《き》が強《つよ》くした。  つと踵《くびす》を返《かへ》すと、三千代《みちよ》は例《れい》の、路《みち》の端《はし》を行《ゆ》く癖《くせ》を露骨《ろこつ》に、左側《ひだりがは》へ日差《ひざし》の移《うつ》つた三|間幅《げんはゞ》の住宅地《ぢゆうたくち》の往来《わうらい》を、板塀越《いたべいご》しに枝《えだ》を差《さ》し伸《の》べた松《まつ》の木《き》の下《した》あたりを、ほつそりと向《むか》うへ遠去《とほざか》つて行《い》つた。  帯《おび》の下《した》に動《うご》く腰《こし》の肉《にく》の左右《さいう》への|うごめき《ヽヽヽヽ》が、海野《うんの》の目《め》を捉《とら》へた。それは、いつもの三千代《みちよ》の柔《やはらか》い腰《こし》の動《うご》き方《かた》ではなかつた。或種《あるしゆ》の努力感《どりよくかん》の伴《ともな》つた、堅《かた》い、|しこり《ヽヽヽ》のある動《うご》き方《かた》をしてゐた。  彼《かれ》の目《め》は、稍耀《やゝかゞや》きの薄《うす》れた日《ひ》の光《ひかり》の中《なか》に、黒塗《くろぬ》りの駒下駄《こまげた》を翻《ひるがへ》してチラ/\する白《しろ》足袋《たび》の方《はう》へ降《お》りて行《い》つた。見《み》ると、三千代《みちよ》は一|歩《ぽ》一|歩《ぽ》、ガクン、ガクン、と踵《かゝと》を地面《ぢめん》に打《う》ち附《つ》けるやうにして歩《ある》いてゐた。 「あゝ、さうか。」  三千代《みちよ》は、普通《ふつう》の歩《ある》き方《かた》をしたら、すぐフラ/\と倒《たふ》れてしまふ位《くらゐ》、今日《けふ》半日《はんにち》の間《あひだ》に精神力《せいしんりよく》のありツたけを使《つか》ひ尽《つく》したに違《ちが》ひない。一|歩《ぽ》一|歩踵《ぽかゝと》を踏《ふ》み締《し》め踏《ふ》み締《し》めしなければ、上体《じやうたい》の重《おも》みを支《さゝ》へ切《き》れない程《ほど》、それ程《ほど》、三千代《みちよ》にとつて、今日《けふ》の問題《もんだい》は死力《しりよく》を必要《ひつえう》としたのだ……。  海野《うんの》は、三千代《みちよ》が抜《ぬ》け裏《うら》へ曲《まが》つてしまつた後《あと》までも、重荷《おもに》を背負《せお》つた優《やさ》しい撫肩《なでがた》の後姿《うしろすがた》を、いつまでも心《こゝろ》の目《め》で見送《みおく》つて立《た》つてゐた。 [#改ページ]   異端《いたん》     一  沓脱《くつぬぎ》の上《うへ》に、里《さと》の両親《りやうしん》の下駄《げた》が脱《ぬ》いであるのを見《み》た時《とき》、三千代《みちよ》は (悪《わる》い時《とき》に——)と思《おも》つた。  上《あが》り口《ぐち》の障子《しやうじ》が中《なか》から明《あ》いて、良人《をつと》が顔《かほ》を出《だ》した。目《め》が丸《まる》く飛《と》び出《だ》してゐた。 「……。」  じろ/″\見《み》てゐる良人《をつと》の前《まへ》を、押《お》し退《の》けるやうにして通《とほ》つて、茶《ちや》の間《ま》の襖《ふすま》を明《あ》けながら 「入《い》らつしやい。」  膝《ひざ》を突《つ》いて、型《かた》ばかりに挨拶《あいさつ》を済《す》ますと、何《なに》も話《はな》し掛《か》けられないうちに、三千代《みちよ》はさつさと襖《ふすま》を締《し》めてドン/″\二|階《かい》へ上《あが》つてしまつた。  後《あと》から、追《お》ふやうに良人《をつと》が上《あが》つて来《き》た。  三千代《みちよ》は何《なん》と云《い》つてもヘト/\に疲《つか》れてゐた。で、箪笥《たんす》の前《まへ》にペツタンコと坐《すわ》つて、うしろに体《からだ》を預《あづ》けて目《め》をつぶつた。  何《なに》か云《い》ふかと思《おも》つて三千代《みちよ》は心待《こゝろま》ちに待《ま》つてゐたけれど、良人《をつと》は突《つ》ツ立《た》つたまま、さうした三千代《みちよ》を不安気《ふあんげ》にぢつと見据《みす》ゑたまま、何《なに》も云《い》はなかつた。 「聞《き》いて欲《ほ》しいことがあるんだけれど——。ここへ来《き》て下《くだ》さらない?」  目《め》を明《あ》けながら三千代《みちよ》が云《い》つた。その目《め》に、良人《をつと》の机《つくゑ》の上《うへ》に、自分《じぶん》の手文庫《てぶんこ》の蓋《ふた》が明《あ》けられて、中《なか》が引《ひ》ツ掻《か》き廻《まは》されたまま載《の》つてゐるのが映《うつ》つた。その中《なか》には、海野《うんの》から来《き》た手紙《てがみ》やハガキが一|枚残《まいのこ》らず仕舞《しま》つてあつた。 「あ、御覧《ごらん》になつたのね。」 「……。」  露木《つゆき》は木兎《みゝづく》の目《め》のやうになつた目《め》を見開《みひら》いてゐた。 「ぢや、——お分《わか》りでせう。」 「……。」 「——私《わたし》にお暇《ひま》を下《くだ》さいません?」  この時始《ときはじ》めて、露木《つゆき》が口《くち》を開《ひら》いた。 「ぢや——ぢやお前《まへ》は、お前《まへ》も、海野君《うんのくん》を愛《あい》してゐると云《い》ふんだな。」 「……。」  三千代《みちよ》が頷《うなづ》くのを見《み》ると、露木《つゆき》はいきなり立《た》ち上《あが》つた。ドタ/″\と梯子段《はしごだん》を駆《か》け降《お》りて行《い》つたと思《おも》ふと、台所《だいどころ》から出刃庖丁《でばばうちやう》を持《も》つて、また慌《あわたゞ》しく上《あが》つて来《き》た。 「三千代《みちよ》、お前《まへ》が俺《おれ》を捨《す》てるなら、俺《おれ》はここで死《し》んでしまふ。」  さう云《い》ひながら、彼《かれ》は立《た》つたまま、出刃庖丁《でばばうちやう》を逆手《さかて》に持《も》ち直《なほ》した。 (フフン。)  良人《をつと》の芝居気《しばゐぎ》を嘲笑《あざわら》ふ気持《きもち》と同時《どうじ》に、三千代《みちよ》の神経《しんけい》は、刃物《はもの》を見《み》ると、理窟《りくつ》なしに怯《おび》えた。 「ね、興奮《こうふん》しずに、落《お》ち着《つ》いて私《わたし》の云《い》ふことを聞《き》いて——。私《わたし》、いつあなたを捨《す》てると云《い》つて? そんなことを云《い》つてやしないわ。捨《す》てる気《き》なら、今日《けふ》だつて帰《かへ》つて来《き》やしないわ。訳《わけ》を話《はな》してお暇《ひま》を下《くだ》さいませんかツて相談《さうだん》してゐるんぢやありませんか。」 「そんな相談《さうだん》にや乗《の》れない。」 「さう。そんなら、私《わたし》あなたを捨《す》てて本当《ほんたう》に逃《に》げるかも知《し》れなくつてよ。」 「そんな真似《まね》をすりや、お前《まへ》を殺《ころ》して俺《おれ》も死《し》ぬ。」 「後《あと》に残《のこ》る子供《こども》はどうするの?」 「そんなことは構《かま》つちやゐられない。」 「そんなことを云《い》つて、それぢや子供《こども》が可哀想《かはいさう》ぢやありませんか。だから、子供《こども》の為《た》めにも、親《おや》は賢《かしこ》い道《みち》を取《と》つてやらなければ——。その賢《かしこ》い道《みち》を、二人《ふたり》で相談《さうだん》して発見《はつけん》しませうツて云《い》つてるのに。」     二 「そんな相談《さうだん》は、夫婦《ふうふ》二人《ふたり》きりですべきことぢやない。」 「まあ。こんな相談《さうだん》こそ、夫婦《ふうふ》二人《ふたり》きりですべきことですわ。」 「いや、第《だい》三|者《しや》を混《まじ》へて、その公平《こうへい》な判断《はんだん》に待《ま》つべきだ。幸《さいは》ひ、下《した》にお父《とう》さんとお母《かあ》さんとが来《き》てゐるんだから、すべてを聞《き》いて戴《いたゞ》かう。」  かう云《い》ひながら、露木《つゆき》は既《すで》に腰《こし》を擡《もた》げてゐた。 「卑怯《ひけふ》だわ、そんなこと。どつちが間違《まちが》つてゐるとか何《なん》とか云《い》ふ性質《せいしつ》の問題《もんだい》ぢやないぢやありませんか。お互《たがひ》の——二人《ふたり》にしか分《わか》らない——愛情《あいじやう》の問題《もんだい》ぢやありませんか。二人《ふたり》で話《はな》し合《あ》つて、——お互《たがひ》の心《こゝろ》の中《なか》を正直《しやうぢき》に見《み》せ合《あ》つて、納得《なつとく》が行《ゆ》けばそれでいゝことぢやありませんか。」  しかし、それには耳《みゝ》を貸《か》さずに、露木《つゆき》は三千代《みちよ》の言葉《ことば》を振《ふ》り払《はら》ふやうにして降《お》りて行《い》つてしまつた。 (卑怯者《ひけふもの》。)  三千代《みちよ》は唇《くちびる》を噛《か》んでさう叫《さけ》ばずにはゐられなかつた。  やがて三千代《みちよ》を、両親《りやうしん》と三|人《にん》で囲《かこ》むやうにして坐《すわ》つた。 「今《いま》突然帰《とつぜんかへ》つて来《き》て、三千代《みちよ》がかう云《い》ふことを云《い》ひ出《だ》したのです。お父《とう》さんとお母《かあ》さんとはどうお思《おも》ひですか。」  露木《つゆき》がさう云《い》つた。 「海野《うんの》と云《い》ふのは何《なん》だね?」と父《ちゝ》が聞《き》いた。  露木《つゆき》がその説明《せつめい》をした。 「フム。」と父《ちゝ》は頷《うなづ》いた。  両親《りやうしん》がドツシリ坐《すわ》つてゐるのに、露木《つゆき》は犬《いぬ》のやうに落《お》ち着《つき》がなかつた。海野《うんの》との関係《くわんけい》を説明《せつめい》し終《をは》ると、彼《かれ》は立《た》つてソハ/\と下《した》へ降《お》りて行《い》つた。  暫《しばら》くすると、下《した》で|はばかり《ヽヽヽヽ》の戸《と》の明《あ》く音《おと》がした。と、またソハ/\と上《あが》つて来《き》て元《もと》の場所《ばしよ》に坐《すわ》つた。 「三千代《みちよ》、今《いま》露木君《つゆきくん》が云《い》つたことは、本当《ほんたう》か。」  やがて父《ちゝ》が云《い》つた。 「……。」  両親《りやうしん》の姿《すがた》を見《み》た時《とき》から、三千代《みちよ》は「こりや駄目《だめ》だ」とすぐ思《おも》つた。幾《いく》ら一|生懸命《しやうけんめい》になつて説明《せつめい》して見《み》たところで、良人《をつと》のある女《をんな》の恋愛《れんあい》の気持《きもち》など、一|時代前《じだいまへ》の道徳《だうとく》を持《も》つてゐる両親《りやうしん》に、正当《せいたう》に理会《りくわい》して貰《もら》へようとは信《しん》じられなかつたから。父《ちゝ》と母《はゝ》との目《め》から見《み》れば、海野《うんの》と自分《じぶん》とのしようとしてゐることは「悪《わる》いこと」に極《き》まつてゐた。——だから、父《ちゝ》にさう聞《き》かれても、三千代《みちよ》は黙《だま》つてゐた。  案《あん》の定《ぢやう》、父《ちゝ》は、三千代《みちよ》が貧乏暮《びんばふぐ》らしが厭《いや》になつたものと取《と》つたらしかつた。 「わしも、家族《かぞく》が多《おほ》いからお前《まへ》も大変《たいへん》だらうとは思《おも》つてゐたが——」  父《ちゝ》は、人《ひと》の一|生《しやう》は七転《なゝころ》び八起《やお》きであることを、くど/″\と説《と》き起《おこ》すのだつた。 「苦《くる》しければ、わしの方《はう》から毎月足《まいげつた》してやつてもいゝから——」  三千代《みちよ》は余《あま》りの情《なさけ》なさに泣《な》き出《だ》したかつた。 (違《ちが》ふの、お父《とう》さま、まるで違《ちが》ふの。)  三千代《みちよ》は心《こゝろ》の中《なか》で云《い》ひ続《つゞ》けた。  その間《あひだ》に、露木《つゆき》はまた落《お》ち着《つき》なく立《た》つて、|はばかり《ヽヽヽヽ》へ行《い》つて、またざわ/″\と上《あが》つて来《き》た。     三  父《ちゝ》は仕舞《しまひ》には、家名《かめい》のことまで持《も》ち出《だ》した。 「お前《まへ》が足《た》らぬ勝《がち》の家政《かせい》を上手《じやうず》に切《き》り盛《も》りしてゐることは、親類《しんるゐ》ぢゆうで皆知《みなし》つてゐる。みんなお前《まへ》のことを褒《ほ》めてゐる。その度《たび》に、どんなに|わし達《ヽヽたち》は鼻《はな》の高《たか》い思《おも》ひをしてゐるか知《し》れない。そのお前《まへ》が、そんな真似《まね》をしてごらん。」 「……。」  母《はゝ》が云《い》つた。 「そりや私《わたし》にしても覚《おぼ》えがあるよ。実際《じつさい》、年《ねん》がら年中《ねんぢう》子供《こども》の面倒《めんだう》や、家政《かせい》の切《き》り盛《もり》ばかりさせられてゐちや、若《わか》いうちは全《まつた》く厭《いや》になるよ。そりやお察《さつ》しするよ。だけどね三千代《みちよ》、それが人《ひと》の一|生《しやう》なんだよ。まあ早《はや》い話《はなし》が、誰《たれ》にしたつて子供《こども》の成長《せいちやう》を楽《たの》しみに、ならぬ我慢《がまん》もするのさ。」 (おや/\。)と三千代《みちよ》は思《おも》つた。すつかり話《はなし》が俗《ぞく》に落《お》ちてしまつたことを思《おも》はずにはゐられなかつた。 (ホホホ、これぢやまるで私《わたし》|いたづら《ヽヽヽヽ》者扱《ものあつか》ひだわ。)  三千代《みちよ》は苦笑《くせう》する外《ほか》はなかつた。  何《なん》と云《い》ふ小《こ》うるさい男《をとこ》だらう、五|分《ふん》と経《た》たないうちに、露木《つゆき》はまたしても便所《べんじよ》へ立《た》つて行《い》つた。 「分《わか》つたね。——分《わか》つてくれたね。これからは、どんな面倒《めんだう》でも見《み》るから——。さう云《い》ふことだけは思《おも》ひ留《とゞ》まつておくれ。」  父《ちゝ》が云《い》ふのだつた。 「不足《ふそく》はあらうけれど、なんにも知《し》らない子供《こども》が可哀想《かはいさう》だからね。子供《こども》の為《た》めだと思《おも》つて辛抱《しんばう》しておくれよ。」  母《はゝ》が云《い》ふのだつた。 「……。」  三千代《みちよ》は両手《りやうて》で耳《みゝ》が掩《おほ》ひたかつた。  何《なん》と云《い》つても、三千代《みちよ》が返事《へんじ》をしないのを、父《ちゝ》は納得《なつとく》の行《い》つたものと思《おも》つたのであらう、四|度目《どめ》に下《した》から上《あが》つて来《き》た露木《つゆき》に、 「君《きみ》も愛想《あいそ》を尽《つ》かされないやうに、折角《せつかく》勉強《べんきやう》して下《くだ》さい。」と云《い》つた。 「ええ。気《き》を入《い》れ替《か》へて一|生懸命《しやうけんめい》に勉強《べんきやう》します。僕《ぼく》には今日《けふ》のことが、実《じつ》にいゝ刺戟《しげき》になりました。——御心配《ごしんぱい》かけて済《す》みません。」  顔《かほ》の色《いろ》は蒼白《さうはく》で、目《め》はまだ木兎《みゝづく》のやうな目《め》をしてゐたけれど、早《はや》くも露木《つゆき》の顔《かほ》にはどこかに安心《あんしん》の色《いろ》が漂《たゞよ》ひ始《はじ》めてゐた。  両親《りやうしん》と露木《つゆき》とは、三千代《みちよ》をうしろにして何《なに》か話《はな》し合《あ》つてゐた。  その声《こゑ》は聞《きこ》えるのだが、言葉《ことば》の意味《いみ》は三千代《みちよ》の耳《みゝ》に一《ひと》つもはひつて来《こ》なかつた。  三千代《みちよ》は自分《じぶん》でも分《わか》らぬ一《ひと》つことをさつきから思《おも》ひ詰《つ》めてゐるのだつた。頭《あたま》がキリ/\痛《いた》んだ。意識《いしき》されるのは、痛《いた》む頭《あたま》と、息苦《いきぐる》しい心臓《しんざう》とだけで、体《からだ》の後《あと》の部分《ぶぶん》は全部《ぜんぶ》虚脱《きよだつ》したやうに何《なに》も感《かん》じられなくなつてゐた。  彼女《かのぢよ》は腹立《はらだ》たしく、いら/\しく、情《なさけ》なく、さうして結局《けつきよく》に於《おい》て寂《さび》しかつた。 「三千代《みちよ》。」  やがて、彼女《かのぢよ》は父《ちゝ》から呼《よ》ばれた。 「……?」  顔《かほ》を上《あ》げると、部屋《へや》のうちはすつかり黄昏《たそがれ》の色《いろ》に包《つゝ》まれてゐた。近《ちか》くで、遠《とほ》くで、豆腐屋《とうふや》の笛《ふえ》が悲《かな》しく鳴《な》つてゐた。  しかし、誰《たれ》も立《た》つて電燈《でんとう》を附《つ》けようとする者《もの》もなかつた。     四 「厭《いや》。」 「……。」 「そつちへ行《い》つて——」 「手位握《てくらゐにぎ》らしてくれたつていゝぢやないか。手《て》でも握《にぎ》つてゐないと、俺《おれ》はお前《まへ》に遠《とほ》くへ行《ゆ》かれてしまふやうな気《き》がして寂《さび》しいんだ。」 「厭《いや》、勘忍《かんにん》して——」 「どうして?」 「人《ひと》の体温《たいをん》がうるさいの。」 「……。」 「厭《いや》ですツてば。」 「いゝぢやないか、俺《おれ》を捨《す》てないツて証拠《しようこ》に、キス位《くらゐ》させたつて。」 「そんなもの証拠《しようこ》にならないわ。」 「ねえ、三千代《みちよ》、キスさせやしないだらうね?」 「……。」 「させた?」 「……。」 「ね、怒《おこ》りやしないから、正直《しやうぢき》に話《はな》してくれよ。」 「……。」 「よう。」 「うるさいのね。そんなことを聞《き》いてどうするの? 若《も》し仮《かり》にそんなことをしたとしたら、どうするの?」 「どうもしやしない。ただ本当《ほんたう》のことを知《し》つて置《お》きたいからさ。」 「……。」 「ね、唇《くちびる》にはしないまでも、額《ひたひ》とか、頬《ほゝ》とか、耳朶《みゝたぶ》とかにしなかつた?」 「お願《ねが》ひだから、もう寝《ね》かして。」 「寝《ね》かすから、それだけ答《こた》へてくれよ。」 「キスなんかどこにもされません。」 「本当《ほんたう》か? だつて愛《あい》し合《あ》つてゐる二人《ふたり》が逢《あ》つて恋愛《れんあい》を打《う》ち明《あ》けツこしながら、キスしないツて法《はふ》はないと思《おも》ふがな。」 「……。」 「ぢや、手位握《てくらゐにぎ》り合《あ》つたらう? 撫《な》でたり、さすつたり——」 「……。」 「ぢや、なんにもしずか。」 「……。」 「あ、さうか。抱《だ》き合《あ》つて、頬擦《ほゝず》りをし合《あ》つた?」 「……。」 「おい、何《なに》かしたらう? 話《はな》してくれよ。」 「そんなにあなた何《なに》かして貰《もら》ひたかつたの?」 「……。」 「そんなら私何《わたしなに》かすりやよかつた。」 「……。」 「そんなにあなた気《き》になる? 体《からだ》のことが?」 「なるさ。」 「どうしてその割《わり》に心《こゝろ》のことが気《き》にならないの?」 「そりや気《き》になるさ。しかし、どうにもならないもの。」 「こゝろ妻人《づまひと》に抱《だ》かせて——さう云《い》ふ佐藤春夫《さとうはるを》の詩《し》があるわね。その丁度《ちやうど》あべこべでもあなたはいゝのね。」 「どつちがいゝかと云《い》はれれば、僕《ぼく》は抱《だ》く方《はう》がいゝね。結局《けつきよく》その方《はう》が勝《か》ちだもの。」 「さうかしら。結局勝《けつきよくか》ちかしら。」 「さうさ、結局勝《けつきよくか》ちさ。」 「さう云《い》つて安心《あんしん》してゐられる?」 「……。」 「厭《いや》ですツたら——。厭《いや》、厭《いや》、厭《いや》。」     五 「馬鹿《ばか》にするな、亭主《ていしゆ》だぞ俺《おれ》は。」  咄嗟《とつさ》に露木《つゆき》は夜着《よぎ》を跳《は》ね退《の》けると、何《なに》か分《わか》らぬことを叫《さけ》びながら、荒《あ》れた獣《けもの》のやうに、凄《すさま》じい勢《いきほ》ひで蒲団《ふとん》の上《うへ》に立《た》ちはだかつた。 「あツ。」  叫《さけ》びとも呻《うめ》きとも知《し》れぬ声《こゑ》が三千代《みちよ》の喉《のど》を通《とほ》つた。いつさうしたのか知《し》らない間《ま》に、彼女《かのぢよ》は障子《しやうじ》の裾《すそ》に寝間着姿《ねまきすがた》を縮《ちゞ》めてゐた。  二三|秒《べう》の間《あひだ》、二人《ふたり》はまるで刀《かたな》の切《き》ツ尖《さき》を合《あ》はせたやうに見詰《みつ》め合《あ》つたままでゐた。  露木《つゆき》は突然身《とつぜんみ》を屈《かゞ》めたと思《おも》ふと、枕許《まくらもと》にあつた大《おほ》きなコツプを鷲掴《わしづか》みにした。三千代《みちよ》は本能的《ほんのうてき》に目《め》をつぶつた。  次《つぎ》の瞬間《しゆんかん》、頭《あたま》のすぐ上《うへ》のところで激《はげ》しい音響《おんきやう》がしたと思《おも》ふと、コツプが割《わ》れ、障子《しやうじ》の桟《さん》が折《を》れた。コツプの中《なか》の水《みづ》と、ガラスの|かけら《ヽヽヽ》とが、三千代《みちよ》の上《うへ》にむごたらしく散《ち》つた。 「あなた。」  三千代《みちよ》は良人《をつと》の荒《すさ》んだ心《こゝろ》を鎮《しづ》めたさに、弱々《よわよわ》しく救《すく》ひの手《て》を差《さ》し伸《の》べた。——三千代《みちよ》は命《いのち》が欲《ほ》しかつた。どんなに身《み》をよごしても、醜《みにく》さの底《そこ》を晒《さら》しても、今《いま》の命《いのち》は救《すく》ひたかつた。今《いま》の彼女《かのぢよ》には、どんな嘘《うそ》でも忍《しの》ぶことが出来《でき》た。  露木《つゆき》は三千代《みちよ》の両手《りやうて》をしつかり握《にぎ》り締《し》めながら、 「三千代《みちよ》、お前《まへ》はやつぱり俺《おれ》を愛《あい》してくれてゐるんだ。」  興奮《こうふん》でガタ/″\顫《ふる》へてゐた。 「ね、俺《おれ》を一|番愛《ばんあい》してくれてゐるね。」 「ええ。」 「誰《たれ》よりも——」 「ええ。」  三千代《みちよ》はどんな誓《ちか》ひでも云《い》へた。 「三千代《みちよ》は海野《うんの》なんかのところへ行《い》きやしないね。」 「——だつて、返事《へんじ》だけはしなければ。」 「そんなこと、手紙《てがみ》だつていゝ。」  露木《つゆき》は三千代《みちよ》の手《て》を取《と》つて、自分《じぶん》の机《つくゑ》の前《まへ》へ連《つ》れて行《い》つた。紙《かみ》とペンとを前《まへ》に置《お》いて 「さあ。」と、極度《きよくど》に弱々《よわよわ》しい、さうして恐《おそ》ろしく不気味《ぶきみ》な目《め》をした。|はだ《ヽヽ》かつた寝間着《ねまき》の間《あひだ》から見《み》えてゐる良人《をつと》の分厚《ぶあつ》な胸《むね》の肉《にく》が、三千代《みちよ》を威圧《ゐあつ》した。 「何《なん》て書《か》くの?」 「約束《やくそく》を捨《す》てる——それだけでいゝ。」 「……。」  三千代《みちよ》はペンを取《と》つたまま、暫《しばら》くぢつとしてゐた。——何《なに》も書《か》けよう訳《わけ》がなかつた。一|字《じ》一|字《じ》を良人《をつと》の目《め》が縛《しば》つて行《ゆ》くのだ。 [#ここから2字下げ] お約束《やくそく》を捨《す》てます。 今《いま》までの生活《せいくわつ》を続《つゞ》けて行《ゆ》くのが私《わたし》に一|番《ばん》幸福《かうふく》なのださうです。 拝借《はいしやく》の御本《ごほん》は、いづれ梅村《うめむら》さんに返《かへ》して戴《いたゞ》きます。 御自重下《ごじちようくだ》さい。 [#ここで字下げ終わり]  書《か》きながら、三千代《みちよ》は、海野《うんの》がこの短《みじか》い手紙《てがみ》の中《なか》から、書《か》いてゐる今《いま》の自分《じぶん》の位置《ゐち》を、動《うご》けなさを、——どこにも自分《じぶん》の感情《かんじやう》を現《あらは》してゐないことから、この手紙《てがみ》が嘘《うそ》の手紙《てがみ》であることを、察《さつ》してくれるに違《ちが》ひないと思《おも》つて、安心《あんしん》した。だから、この手紙《てがみ》を書《か》かされたことによつて、彼女《かのぢよ》の心《こゝろ》は却《かへ》つてしつかりと極《き》まつた形《かたち》だつた。 [#改ページ]   灯《ひ》     一  体《からだ》も心《こゝろ》もヘト/\に疲《つか》れて、三千代《みちよ》は枕《まくら》が上《あが》らなかつた。  昼間《ひるま》も部屋《へや》を暗《くら》くして、夜着《よぎ》を被《かぶ》つてゐた。食慾《しよくよく》なんかちつともなく、果物《くだもの》の汁《しる》を吸《す》つて生《い》きてゐた。一|番下《ばんした》の男《をとこ》の子《こ》が、 「カアチヤン、カアチヤン。」と云《い》つて纏《まつ》はり附《つ》くのも、何《なに》か一重膜《ひとへまく》を隔《へだ》ててゐるやうで、うるさいとも感《かん》じなかつた。  十日《とほか》と経《た》ち、一月《ひとつき》と経《た》ち、いつか二月近《ふたつきちか》い月日《つきひ》が経《た》つてゐた。  周囲《しうゐ》はすつかり青《あを》く——夏《なつ》になつてしまつた。  あの日以来《ひいらい》、三千代《みちよ》は一|度《ど》も海野《うんの》と逢《あ》つてゐなかつた。いや、もう一生逢《しやうあ》はない方《はう》がいゝのだと強《し》ひて思《おも》はうともした。  三千代《みちよ》は、父《ちゝ》の、母《はゝ》の、世間《せけん》の、教《をし》へるところに従《したが》つて、もう一|度《ど》露木《つゆき》を愛《あい》さうと、——生活《せいくわつ》を立《た》て直《なほ》すことに努力《どりよく》して見《み》ようと思《おも》つた。  しかし、思《おも》ふことは思《おも》つても、彼女《かのぢよ》の体《からだ》は、心《こゝろ》は、藻脱《もぬ》けの殻《から》だつた。だから、すべてに激《はげ》しい努力《どりよく》が必要《ひつえう》だつた。  さう。それはあくまで努力《どりよく》だつた。だから、どうかした場合《ばあひ》、彼女《かのぢよ》はみんなと食卓《しよくたく》に就《つ》いてゐながら、いつの間《ま》にか、いつまでも自分《じぶん》の御飯《ごはん》を食《た》べるのを忘《わす》れてゐたりした。汗《あせ》によごれた良人《をつと》のワイシヤツやカラの洗濯《せんたく》をしてアイロンを掛《か》けながら、ふと自分《じぶん》が囚人《しうじん》のやうな気《き》がして、ひとりでに涙《なみだ》が一|杯溜《ぱいたま》つて来《く》るのだつた。泣《な》くまいと——こんな果敢《はか》ない様子《やうす》を母《はゝ》や良人《をつと》に悟《さと》られまいとすると、三千代《みちよ》は、ひどい——とても|ひど《ヽヽ》い努力《どりよく》をしなければならなかつた。  三千代《みちよ》は、見《み》る見《み》るうちに痩《や》せ衰《おとろ》へて行《い》つた。  悪《わる》いことに、その年《とし》の夏《なつ》はまた馬鹿《ばか》な暑《あつ》さだつた。  暑熱《しよねつ》と、心《こゝろ》と体《からだ》の二|重《ぢう》の疲労《ひらう》とで、可愛《かはい》い子供《こども》の存在《そんざい》さへ、うるさく思《おも》ふ時《とき》がフイ/\とやつて来《き》た。  露木《つゆき》は前《まへ》にも増《ま》して、絡《から》み附《つ》くやうに三千代《みちよ》を愛《あい》した。夕方《ゆふがた》、三千代《みちよ》が子供《こども》を連《つ》れてお風呂《ふろ》へ行《ゆ》く時《とき》など、露木《つゆき》は大抵《たいてい》の場合《ばあひ》一|緒《しよ》に附《つ》いて来《き》て、町角《まちかど》でいつまでも待《ま》つてゐるのだつた。  三千代《みちよ》は近所《きんじよ》の奥《おく》さん達《たち》に何《なに》か羞《はづか》しかつた。  それは、急《きふ》に夕闇《ゆふやみ》が降《お》りて来《き》て、十|間先《けんさき》はもう朧《おぼろ》に何《なに》も見《み》えないやうな時刻《じこく》だつた。三千代《みちよ》は風呂屋《ふろや》の暖簾《のれん》を潜《くゞ》つて出《で》た。外《そと》は、何《なに》か靄《もや》のかゝつたやうな、いかにも夏《なつ》らしい、艶《なまめ》いた、恋《こひ》しい人《ひと》に逢《あ》ひたくなるやうな——そんな宵《よひ》だつた。三千代《みちよ》はなぜか海野《うんの》の匂《にほ》ひをふいと自分《じぶん》の湯上《ゆあが》りの爽《さはや》かな肌《はだ》に感《かん》じた。  三千代《みちよ》は先《さき》へ駆《か》けて行《ゆ》く子供《こども》の後《あと》を追《お》ひながら、思《おも》はず立《た》ち留《ど》まつてうしろを振《ふ》り返《かへ》つた。  片側大《かたがはおほ》きな屋敷《やしき》の裏《うら》になる塀《へい》の暗《くら》がりに、小《ちひ》さい/\煙草《たばこ》の火《ひ》が動《うご》いてゐた。小《ちひ》さな火《ひ》の輪《わ》を空《くう》に描《ゑが》いて、自分《じぶん》を呼《よ》んでゐるやうな気《き》がした。それは、真暗《まつくら》な夜《よる》の海《うみ》にふと見《み》た、記憶《きおく》の中《なか》の燈台《とうだい》の灯《ひ》に似《に》てゐた。懐《なつか》しい、恋《こひ》しい、悲《かな》しいやうな瞬《またゝ》きだつた。三千代《みちよ》は胸《むね》の中《なか》が熱《あつ》くなつた。 「海野《うんの》だ。」  三千代《みちよ》は、自分《じぶん》の六|感《かん》が、かう云《い》ふ場合誤《ばあひあやま》たないことを知《し》つてゐた。三千代《みちよ》はそつちへ駆《か》けて行《ゆ》きたかつた。  が、いつものやうに、町角《まちかど》の氷屋《こほりや》の灯《ひ》の往来《わうらい》に流《なが》れてゐる|あかり《ヽヽヽ》の隈《くま》の外《そと》に、良人《をつと》が立《た》つてゐた。  三千代《みちよ》は良人《をつと》と子供《こども》と並《なら》んで歩《ある》きながら、こんなところまでさまよつて来《く》る程愚《ほどおろ》かになつた海野《うんの》の感情《かんじやう》が恐《おそ》ろしかつた。同時《どうじ》に、海野《うんの》が理窟《りくつ》や言葉《ことば》だけでなしに、自分《じぶん》をやつぱり本当《ほんたう》に愛《あい》してゐてくれたことを知《し》つて、嬉《うれ》しい気《き》が強《つよ》くした。 (全部《ぜんぶ》で愛《あい》してくれてゐる人《ひと》に、なぜ逢《あ》つてはいけないのだらう?)  さう考《かんが》へると、反対《はんたい》に、起《お》き伏《ふ》しを共《とも》にしてゐる良人《をつと》を、自分《じぶん》が心《こゝろ》の底《そこ》で憎《にく》んでゐ、軽蔑《けいべつ》してゐることがよく分《わか》つた。     二     あはれ     今年《ことし》の秋《あき》かぜよ     情《なさけ》あらば伝《つた》へてよ [#地付き](秋刀魚《さんま》の歌《うた》——佐藤春夫《さとうはるを》)  三千代《みちよ》は、新聞《しんぶん》や雑誌《ざつし》で、海野《うんの》の心境《しんきやう》を知《し》ることも出来《でき》たけれど——海野《うんの》は、時々来《ときどきく》る梅村《うめむら》を通《とほ》して彼女《かのぢよ》の上《うへ》を聞《き》くより外《ほか》に道《みち》はなかつた。  話《はなし》下手《べた》な梅村《うめむら》は 「三千代《みちよ》さんこの頃《ごろ》ひどく痩《や》せたな。」  とか、 「露木《つゆき》の奴《やつ》、変《へん》にぼんやりしてゐるぜ。」  とか——そんな切《き》れ切《ぎ》れな便《たよ》りに、海野《うんの》は百の耳《みゝ》を傾《かたむ》けて彼女《かのぢよ》の全部《ぜんぶ》を聞《き》かうとした。  秋《あき》になつた或晩《あるばん》——  銀座《ぎんざ》の近藤《こんどう》で、海野《うんの》が新刊書《しんかんしよ》の棚《たな》を丹念《たんねん》に探《さが》してゐると、 「おい。」と、肩《かた》を叩《たゝ》かれた。  梅村《うめむら》が少《すこ》し赤《あか》い顔《かほ》をして立《た》つてゐた。 「馬鹿《ばか》に景気《けいき》がいゝぢやないか。」 「どうしたい? 君《きみ》はまた厭《いや》にぼんやりしてゐるぢやないか。」 「フフ。」  今度《こんど》の事件《じけん》を知《し》つてゐる梅村《うめむら》に、海野《うんの》は気《き》の弱《よわ》い笑《わら》ひ方《かた》をした。 「どうだい?」 「一|日逢《にちあ》はねば千|日《にち》の——」 「何《なに》を云《い》つてやがんでえ。——逢《あ》はせてやらうか。」 「フン。」 「今夜《こんや》二人《ふたり》で東京劇場《とうきやうげきぢやう》へ行《い》つてるぞ。」  海野《うんの》は心《こゝろ》が疼《うづ》いた。梅村《うめむら》に羞《はづか》しい位顔《くらゐかほ》が赤《あか》くなつた。 「——逢《あ》つたつて|せう《ヽヽ》がねえや。」  男《をとこ》の意地《いぢ》が、しかし、さう云《い》はせた。 「俺《おれ》の家《うち》へ来《こ》ないか。」  海野《うんの》は一人《ひとり》で家《うち》へ帰《かへ》りたくなかつたので、さう云《い》つて誘《さそ》つた。 「今夜《こんや》は連《つ》れがあるんだ。」  往来《わうらい》で、自分《じぶん》の知《し》らない彼《かれ》の仲間《なかま》が二三|人塊《にんかたま》つて待《ま》つてゐるのに海野《うんの》は始《はじ》めて気《き》が附《つ》いた。 「さうか。」 「ぢや失敬《しつけい》。——しつかりしろよ。」  手荒《てあら》く小突《こづ》かれて、海野《うんの》は雪駄《せつた》の足許《あしもと》を二足《ふたあし》ばかり蹣《よろめ》いた。     三  一人《ひとり》になると、海野《うんの》は悔《くや》しさが先《さき》に立《た》つた。無上《むしやう》に三千代《みちよ》が怨《うら》めしかつた。こんなに自分《じぶん》が真剣《しんけん》に心《こゝろ》を通《かよ》はせてゐるのに、二人揃《ふたりそろ》つて芝居《しばゐ》へ行《ゆ》くなんて——もうそんな遠《とほ》い世界《せかい》に住《す》んでしまつてゐる三千代《みちよ》なのだらうか。  でも、あの優《やさ》しい姿《すがた》を随分暫《ずゐぶんしばら》く見《み》てゐない海野《うんの》だつた。さう云《い》へば、彼女《かのぢよ》を目《め》で見《み》たかつた。彼《かれ》の全身《ぜんしん》は、三千代《みちよ》に逢《あ》ひたさで渇《かわ》き切《き》つてゐた。 (構《かま》ふものか。行《い》つてやれ。)  海野《うんの》は急《きふ》にセカ/\歩《ある》き出《だ》した。  切符《きつぷ》を買《か》つて中《なか》へはひると、シーンとしてゐた。案内《あんない》の小女《こをんな》に附《つ》いてドアをはひると、舞台《ぶたい》が——「三人吉三《さんにんきちさ》」の大川端《おほかはばた》の場《ば》が、ポカツと明《あか》るく遠《とほ》くに浮《うか》んでゐた。とたんに 「たちばなやあ。」 「大《おほ》たちばな。」  薄暗《うすぐら》い観客席《くわんきやくせき》が俄《にはか》にざわめき立《た》つた。  海野《うんの》は始《はじ》めから舞台《ぶたい》なんか見《み》る気《き》はなかつた。落《お》ち着《つき》なく、腰《こし》を少《すこ》し浮《う》かすやうにして、周囲《しうゐ》を見廻《みまは》して見《み》たけれど、用《よう》のない頭《あたま》ばかりが薄暗《うすぐら》く重《かさ》なり合《あ》つてゐた。  うしろかも知《し》れない、さう思《おも》つて、彼《かれ》は体《からだ》を拈《ひね》つて自分《じぶん》より後《うしろ》の席《せき》を見廻《みまは》して見《み》た。が、視野《しや》に這入《はひ》つて来《く》る間隔《かんかく》は知《し》れたものだつた。無数《むすう》の目《め》が、一|心《しん》に舞台《ぶたい》を見詰《みつ》めてゐる。知《し》らぬ人間《にんげん》の首《くび》と云《い》ふものは、生人形《いきにんぎやう》の首見《くびみ》たいに変《へん》に不気味《ぶきみ》だつた。 (二|階《かい》かも知《し》れないぞ。) (一|等《とう》に来《き》てゐるんぢやないんぢやないか。)  いろんな有《あ》り得《う》べき食《く》ひちがひの場合《ばあひ》が次々《つぎつぎ》に考《かんが》へられた。 (これで、幕《まく》になつて、これだけの人間《にんげん》に一|時《じ》にざわ/″\と立《た》たれて見《み》ろ。分《わか》りツこないから。)  そんな心配《しんぱい》も湧《わ》いて来《き》た。 (さうだ、今《いま》のうちに二|階《かい》へ上《あが》つて探《さが》して見《み》ろ。)  彼《かれ》は今腰《いまこし》を卸《おろ》したばかりの椅子《いす》から|そつ《ヽヽ》と低《ひく》く立《た》つと、通路《つうろ》を逆《ぎやく》に廊下《らうか》へ出《で》た。 「ほんに今夜《こんや》は節分《せつぶん》か。西《にし》の海《うみ》から河《かは》の中《なか》、落《お》ちた娘《むすめ》が厄落《やくおと》し——」  舞台《ぶたい》からは|お嬢吉三《ぢやうきちさ》の台詞《せりふ》が聞《きこ》えて来《き》た。  二|階《かい》のドアを一《ひと》つ一《ひと》つそつと明《あ》けて、海野《うんの》は彼女《かのぢよ》の後姿《うしろすがた》を物色《ぶつしよく》した。狭《せま》いだけに、ここは探《さが》しよかつた。——ゐない。 (まさか三|階《がい》ぢやあるまいな。)  二|階《かい》には、通路《つうろ》が三つあつた。海野《うんの》は周囲《しうゐ》に気《き》を兼《か》ねながらも、その一《ひと》つ一《びと》つを降《お》りて行《い》つて、|てすり《ヽヽヽ》のところに踞《しやが》んで、一目《ひとめ》に見渡《みわた》せる平土間《ひらどま》の客《きやく》の頭《あたま》を見卸《みおろ》した。  第《だい》一|列《れつ》を、左《ひだり》から右《みぎ》へ、第《だい》二|列《れつ》を左《ひだり》から右《みぎ》へ、——幾《いく》ら見《み》て行《い》つても、求《もと》めてゐる優《やさ》しい後姿《うしろすがた》はなかつた。劇場《げきぢやう》の光線位《くわうせんくらゐ》面白《おもしろ》い光線《くわうせん》はない。暢気《のんき》に見《み》てゐればハツキリ見《み》えるくせに、ぢつと瞳《ひとみ》を凝《こ》らして見《み》ようとすると、ワヤ/\と朧《おぼろ》に霞《かす》んでしまふのだつた。 (何《なん》てえ情《なさけ》ない奴《やつ》なんだ、お前《まへ》は。命《いのち》に賭《か》けてゐる女《をんな》が、幾《いく》ら人間《にんげん》がゐたからつて、この位《くらゐ》の人数《にんず》の中《なか》から探《さが》し出《だ》せないのか、お前《まへ》には?)     四  舞台《ぶたい》では、和尚吉三《をしやうきちさ》を真中《まんなか》に、右《みぎ》に|お坊吉三《ばうきちさ》、左《ひだり》に|お嬢吉三《ぢやうきちさ》が、駕舁《かごかき》二人《ふたり》を踏《ふ》んまへて、キツとなつたところでチヨンと木《き》の頭《かしら》、——幕《まく》になつた。と、観客《くわんきやく》が一|斉《せい》にワヤ/\と立《た》つた。  通路《つうろ》を緩《ゆる》く押《お》し合《あ》ひながら、廊下《らうか》へ出《で》ようとする人《ひと》の幾流《いくなが》れを、海野《うんの》は秋《あき》の冷《つめ》たさを真鍮《しんちゆう》の|てすり《ヽヽヽ》に感《かん》じながら、落《お》ち着《つき》なく見卸《みおろ》し続《つゞ》けてゐた。  が、似《に》た姿一《すがたひと》つ目《め》にはひつて来《こ》なかつた。 (三千代《みちよ》は廊下人種《らうかじんしゆ》とは思《おも》へないが、露木《つゆき》が一|緒《しよ》とすると分《わか》らない。)  海野《うんの》は急《いそ》いで二|階《かい》の廊下《らうか》へ出《で》て見《み》た。正面《しやうめん》の廊下《らうか》には、知《し》つた同志《どうし》が談笑《だんせう》してゐるのが多《おほ》かつた。横《よこ》の廊下《らうか》には、安楽椅子《あんらくいす》に深々《ふかぶか》と埋《うづ》まつて、煙草《たばこ》を呑《の》んでゐる知《し》らぬ同志《どうし》の人達《ひとたち》ばかりだつた。  二|階《かい》の廊下《らうか》にも、三千代《みちよ》はゐなかつた。  三|階《がい》へ上《あが》らうとした時《とき》、劇評家《げきひやうか》の玉置《たまき》が楊枝《やうじ》を使《つか》ひながら降《お》りて来《く》るのに逢《あ》つた。玉置《たまき》は海野《うんの》の顔《かほ》を見《み》るが否《いな》や、 「さうか、畜生《ちくしやう》。一足遅《ひとあしおく》れてお前《まへ》が現《あらは》れるツて寸法《すんぱふ》だつたのか。」  かう云《い》ひながらニヤ/\笑《わら》つて見《み》せた。海野《うんの》には、玉置《たまき》が誰《たれ》のことを云《い》つてゐるのかすぐ分《わか》つた。悪《わる》いところを見附《みつ》けられたと思《おも》ふ一|方《ぱう》、三千代《みちよ》がどこかに確《たしか》に来《き》てゐることがこれで確実《かくじつ》になつた嬉《うれ》しさに、なぜかワク/\した。 「どこに来《き》てゐる?」 「知《し》るもんか。」  玉置《たまき》は立《た》ち留《ど》まらうともしずに、海野《うんの》の右側《みぎがは》を降《お》りて行《い》つた。 「おい。」  踵《くびす》を返《かへ》して追《お》ひ縋《すが》りながら 「教《をし》へてくれよ。」 「何云《なにい》つてやがんでえ。」  二人《ふたり》は、どつちから誘《さそ》ふともなく、二|階《かい》のカツフエへ腰《こし》を卸《おろ》した。 「紅茶二《こうちやふた》つ。」  煙草《たばこ》へ火《ひ》を附《つ》けながらさう註文《ちゆうもん》してゐる海野《うんの》へ 「しつとりしたのを見附《みつ》けやがつたぢやないか。」 「批評《ひひやう》は後《あと》でゆつくり聞《き》く。昔《むかし》の誼《よし》みに教《をし》へてくれよ。」 「……。」  玉置《たまき》は笑《わら》つて相手《あひて》にならなかつた。 「二|階《かい》か。」 「……。」 「一|階《かい》か。」 「……。」 「覚《おぼ》えてろ、畜生《ちくしやう》。」  海野《うんの》も笑顔《ゑがほ》でこんなことを云《い》ひ続《つゞ》けてゐた。  その時《とき》、紅茶《こうちや》の湯気《ゆげ》の中《なか》の玉置《たまき》の目《め》が急《きふ》に或《ある》表情《へうじやう》を点《とも》した。  海野《うんの》は急《いそ》いで振《ふ》り返《かへ》つた。が、そこには期待《きたい》した姿《すがた》は見《み》られなかつた。しかし、鮎《あゆ》か何《なに》か、ああした魚《さかな》がスーツと身《み》を飜《ひるがへ》して通《とほ》つた後《あと》の——あれに似《に》た、三千代《みちよ》が通《とほ》つたに違《ちが》ひない柔《やはらか》い空気《くうき》の揺《ゆ》れが感《かん》じられた。  紅茶茶碗《こうちやぢやわん》を放《はふ》り出《だ》すと、海野《うんの》は衝立《ついたて》の外《そと》へ飛《と》び出《だ》した。  と、二|間程向《けんほどむか》うを、懐《なつか》しい細《ほそ》い肩《かた》が、ちら/\と人混《ひとご》みを縫《ぬ》つて足早《あしばや》に遠去《とほざか》つて行《ゆ》くのが見《み》えた。  吸《す》ひ附《つ》けられてぢつと立《た》つてゐる海野《うんの》へ、三千代《みちよ》は肩《かた》へ顎《あご》を引《ひ》いて、振《ふ》り返《かへ》るとも振《ふ》り返《かへ》らぬとも分《わか》らぬ程《ほど》に、ちらと目《め》だけで振《ふ》り返《かへ》つて、笑《わら》つて向《むか》うへ曲《まが》つて行《い》つた。三千代《みちよ》がゐなくなつた後《あと》の廊下《らうか》に、海野《うんの》は、懐《なつか》しいやうな、寂《さび》しいやうな、すつかり思《おも》ひ諦《あきら》めたやうな今《いま》の三千代《みちよ》の笑《わら》ひの澪《みを》の中《なか》に——シヨンボリ取《と》り残《のこ》された。 [#改ページ]   蜘蛛《くも》の巣《す》     一 [#ここから2字下げ] 拝啓《はいけい》 このたび中谷丁蔵氏《なかたにていざうし》の短篇小説集《たんぺんせうせつしふ》「南風《なんぷう》」並《ならび》に随筆集《ずゐひつしふ》「新鮮集《しんせんしふ》」の出版《しゆつぱん》を期《き》し常々《つねづね》同氏《どうし》の提嘶鞭撻《ていせいべんたつ》を蒙《かうむ》り居候《をりさふらふ》我等《われら》一|同《どう》相集《あひあつま》り一|夕《せき》中谷氏御夫妻《なかたにしごふさい》を御請待《ごしやうだい》の上《うへ》祝宴《しゆくえん》相催《あひもよほ》したく右御案内《みぎごあんない》申上候《まうしあげさふらふ》 敬具《けいぐ》 [#ここで字下げ終わり]  こんな往復《わうふく》ハガキが三千代《みちよ》のところへも来《き》た。中谷丁蔵《なかたにていざう》と云《い》ふのは、海野《うんの》の先輩《せんぱい》で恩人《おんじん》で、三千代《みちよ》も間接《かんせつ》ながら少《すくな》からざる「提嘶《ていせい》」と「鞭撻《べんたつ》」とを蒙《かうむ》つたばかりでなく、逸早《いちはや》く彼女《かのぢよ》の才能《さいのう》を認《みと》めてくれた人《ひと》であつた。さう云《い》ふ意味《いみ》で、三千代《みちよ》は心《こゝろ》の中《なか》で恩《おん》を感《かん》じてゐた。 「こんな案内状《あんないじやう》が来《き》たんだけど——」  三千代《みちよ》はさう云《い》つて、その往復《わうふく》ハガキを良人《をつと》に見《み》せた。 「……。」  露木《つゆき》は黙読《もくどく》してゐたが、やがてなんにも云《い》はずに三千代《みちよ》の膝《ひざ》へハラリと放《はふ》つて返《かへ》してよこした。——黙《だま》つてゐるのが、——目《め》で三千代《みちよ》を避《さ》けてゐるのが、露木《つゆき》が心《こゝろ》の中《なか》で狼狽《らうばい》してゐる何《なに》よりの証拠《しようこ》だつた。 「ね、行《い》つちや|いけ《ヽヽ》ない?」 「|いけ《ヽヽ》ないことはないけど、——お前《まへ》はもう野心《やしん》を捨《す》てたんだらう? 捨《す》てたんなら、附《つ》き合《あ》ふ必要《ひつえう》はないぢやないか。」 「でも、あの方《かた》の会《くわい》にだけは——恩知《おんし》らずには私《わたし》なりたくないわ。」 「行《ゆ》きたいんだね、結局《けつきよく》?」 「ええ。」 「だつて、女《をんな》はお前《まへ》一人《ひとり》だらう?」 「——かも知《し》れないわ。」 「そんなところへ出《で》しや張《ば》らなくつたつてよささうなもんぢやないか。」 「もういゝわ。分《わか》つたわ、あなたは私《わたし》が海野《うんの》さんに逢《あ》ふのが恐《こは》いんでせう?」 「……。」 「大丈夫《だいぢやうぶ》よ。」  三千代《みちよ》は縁側《えんがは》に踞《しやが》んで羽織《はおり》の紐《ひも》を解《と》いたり結《むす》んだりしてゐたが、その手《て》はわな/\顫《ふる》へてゐた。 「あなたの愛情《あいじやう》は、私《わたし》には蜘蛛《くも》の巣《す》のやうに汚《きたな》いうるさい気《き》がして来《き》たわ。私《わたし》——私《わたし》本当《ほんたう》に怒《おこ》つたら、そんな汚《きたな》いもの、食《く》ひ破《やぶ》つて飛《と》ぶわよ。」  三千代《みちよ》は剣《けん》のやうな目付《めつき》で良人《をつと》を真面《まとも》に見《み》た。 「そんな、そんな——僕《ぼく》はもつと大事《だいじ》に——」 「嘘《うそ》。——でも、もうそんなことしないツて私《わたし》約束《やくそく》して上《あ》げたんだから、その代《かは》りに——私《わたし》は外《ほか》になんにも楽《たの》しみがないんですもの、小説《せうせつ》を書《か》く楽《たの》しみ位《くらゐ》、その位《くらゐ》のこと私《わたし》に残《のこ》して置《お》いてよ。でなければ、あんまり可哀想《かはいさう》だと思《おも》はない?」  一|杯《ぱい》に見張《みは》つた目《め》から、ポタ/\涙《なみだ》が湧《わ》き零《こぼ》れた。 「私《わたし》やつとの思《おも》ひでそれだけへ立《た》て籠《こも》つて——何《なに》も彼《か》も忘《わす》れてしまつて——と覚悟《かくご》したのに、それさへ邪魔《じやま》なさるなら、私《わたし》の行《ゆ》くところは死《し》より外《ほか》にないぢやないの? 昔《むかし》から女《をんな》の人達《ひとたち》は、みんなこんな風《ふう》に邪魔《じやま》されて来《き》たのね、男《をとこ》に。——私《わたし》は云《い》ひたいこと、書《か》きたいことが胸《むね》一|杯《ぱい》になつて来《き》てしまつた。」  三千代《みちよ》は、庭《には》の立《た》ち樹《き》を伝《つた》つて、空高《そらたか》く駆《か》け登《のぼ》りたい位《くらゐ》良人《をつと》の存在《そんざい》が不愉快《ふゆくわい》で不愉快《ふゆくわい》で堪《たま》らなくなつた。     二 「おい、ちよいと君《きみ》と入《い》れ替《か》はらせてくれよ。」  海野《うんの》が向《むか》う側《がは》の南《みなみ》に云《い》つた。 「どうして?」  向《むか》う側《がは》の方《はう》が、三千代《みちよ》の顔《かほ》がよく見《み》えるのだつた。 「止《よ》せ止《よ》せ、南《みなみ》。」  玉置《たまき》が早《はや》くもそれと察《さつ》して、横《よこ》から口《くち》を出《だ》した。 「玉置《たまき》、余計《よけい》な口出《くちだ》しをするな。」  海野《うんの》の腕白《わんぱく》一|杯《ぱい》の高声《たかごゑ》に、三千代《みちよ》は誰《たれ》にともなく伏《ふ》せてゐた目《め》を、始《はじ》めてふいと声《こゑ》の方《はう》へ上《あ》げた。中央《ちうあう》の、主賓夫妻《しゆひんふさい》の真前《まんまへ》にゐる自分《じぶん》からはずつと下座《しもざ》の方《はう》に、海野《うんの》が長《なが》い支那箸《しなばし》を持《も》つて立《た》つてゐるのが見《み》えた。彼《かれ》の目《め》が急《いそ》いで三千代《みちよ》の目《め》を捉《とら》へた。三千代《みちよ》は懐《なつか》しい笑顔《ゑがほ》を見《み》せた。  晩翠軒《ばんすゐけん》の日本間《にほんま》。縦長《たてなが》の白《しろ》い卓《たく》を挟《はさ》んで、四十|人《にん》からの大《おほ》一|座《ざ》が、向《むか》ひ合《あ》はせに、ずつと居並《ゐなら》んでゐた。  三千代《みちよ》はさつき来《き》た時《とき》、階段《かいだん》の上《うへ》のところでコートの紐《ひも》を解《と》きながら、五六|間先《けんさき》の廊下《らうか》で、海野《うんの》が二三|人《にん》の人《ひと》と幹事《かんじ》らしく何《なに》か相談《さうだん》してゐるのを見《み》た。しかし、横顔《よこがほ》を見《み》ただけで、声《こゑ》も掛《か》けずに席《せき》に坐《すわ》つてしまつた。それ以来《いらい》、なるべく海野《うんの》を見《み》まいとして、銀《ぎん》の小皿《こざら》や、盛《も》り花《ばな》の上《うへ》に目《め》を遊《あそ》ばせてゐたのだつた。 「お目出度《めでた》う。」  久保氏《くぼし》が、肥《ふと》つた洋服《やうふく》のお腹《なか》を曲《ま》げて口火《くちび》を切《き》つたのが愛嬌《あいけう》になつて、|ざわめ《ヽヽヽ》いたままみんながそれに和《わ》して、後《あと》は和気靄々《わきあいあい》たる会《くわい》になつた。 「こら、誰《たれ》だ、そんなことを云《い》つてるのは?」  海野《うんの》が、彼《かれ》のことを何《なに》か噂《うはさ》してゐるらしい遠《とほ》い席《せき》の友達《ともだち》にさう呶鳴《どな》るのが聞《きこ》えた。滅多《めつた》に笑顔《ゑがほ》を見《み》せない中谷氏《なかたにし》が、老酒《ラオチユ》の杯《さかづき》を静《しづ》かに口《くち》へ運《はこ》びながら笑《わら》つた。  三千代《みちよ》は中谷氏《なかたにし》から受《う》けた杯《さかづき》を一つ口《くち》にしただけだつたが、大勢《おほぜい》の人気《ひとけ》に上気《じやうき》して、ほのぼのと目《め》を潤《うる》ませてゐた。地味《ぢみ》な黒《くろ》ツぽい着物《きもの》に、小《ちひ》さな顔《かほ》だけが、白《しろ》いうしろの襖《ふすま》に映《は》えて生々《いきいき》と浮《うか》び出《だ》して見《み》えた。  酒《さけ》と、美食《びしよく》と、弾《はず》んだ会話《くわいわ》と、——あつちでもこつちでも、陽気《やうき》に笑《わら》ひ崩《くづ》れる声《こゑ》が渦巻《うづま》いた。 「幹事《かんじ》、隠《かく》し芸《げい》。」  さう云《い》ふ声《こゑ》に、やがてそれが順々《じゆんじゆん》に廻《まは》り始《はじ》めた。|おけさ《ヽヽヽ》や、関《せき》の五|本松《ほんまつ》や「嘆《なげ》きの天使《てんし》」の中《なか》の唄《うた》や、大道《だいだう》の万年筆屋《まんねんひつや》の口真似《くちまね》や、——くりかへし/\草津節《くさつぶし》を唄《うた》つてゐる人《ひと》もあつた。  三千代《みちよ》は|のぼ《ヽヽ》せて来《き》たのと、自分《じぶん》に番《ばん》の廻《まは》つて来《く》るのを外《はづ》したい気持《きもち》とから、目立《めだ》たないやうに席《せき》を辷《すべ》つて、下座《しもざ》の窓《まど》のところへ行《い》つて坐《すわ》つた。  煙草《たばこ》や酒《さけ》の匂《にほひ》の籠《こも》つた部屋《へや》の暖《あたゝか》さには、窓《まど》からの、しつとりとした秋《あき》の夜気《やき》が、彼女《かのぢよ》の頬《ほゝ》に気持《きもち》よかつた。     三 「狡《ずる》いや。」  若《わか》い学生上《がくせいあが》りの小説家《せうせつか》の一人《ひとり》が、三千代《みちよ》の方《はう》を振《ふ》り向《む》いて親《した》しい声《こゑ》を掛《か》けた。三千代《みちよ》は相手《あひて》にちよいと笑顔《ゑがほ》を見《み》せただけで、そのままそこに坐《すわ》つてゐた。 「露木《つゆき》さんの奥《おく》さん、あなたの番《ばん》ですよ。」  やがて若《わか》い連中《れんぢう》がワイ/\云《い》ひ出《だ》した。 「私《わたし》駄目《だめ》。」  さう云《い》ひながら、三千代《みちよ》はみんなに頭《あたま》を下《さ》げて見《み》せた。 「駄目《だめ》はないでせう。何《なん》でもいゝから唄《うた》つて下《くだ》さい。」 「だつて、私《わたし》なんにも知《し》らないんですもの。」 「ぢや、鳩《はと》ポツポでもいゝ。」  それでも彼女《かのぢよ》が笑顔《ゑがほ》で拒《こば》んでゐるのを見《み》て、誰《たれ》かが 「幹事《かんじ》。」と大《おほ》きな酔《よ》ツぱらひ声《ごゑ》で呼《よ》んだ。 「おうい。」  玉置《たまき》が返事《へんじ》をした。 「女《をんな》が唄《うた》はないぢや公平《こうへい》が保《たも》てないぞ。」 「よし、俺《おれ》が代理《だいり》に唄《うた》ふ。」  その時《とき》、海野《うんの》がぬつと立《た》ち上《あが》つた。 「よう、よう。」  一|座《ざ》は滅茶苦茶《めちやくちや》に囃《はや》し立《た》てた。  三千代《みちよ》は自分《じぶん》まで顔《かほ》が赤《あか》くなるやうな思《おも》ひに俯向《うつむ》いてしまつた。  と、その騒《さわ》がしい中《なか》から、     死《し》ぬまでにも一|度逢《どあ》はんと云《い》ひやらば     君《きみ》もかすかにうなづくらんか  と、嫋々《でうでう》と和歌《わか》を朗詠《らうえい》する、どこか哀調《あいてう》を帯《お》びた海野《うんの》の声《こゑ》が盛《も》り上《あが》つて来《き》た。  三千代《みちよ》は思《おも》はずハツとした。隠《かく》し芸《げい》とばかり思《おも》つてゐたのに、それに託《たく》して、胸《むね》の思《おも》ひを訴《うつた》へられたとしか彼女《かのぢよ》には聞《き》き取《と》れなかつた。 「もう一《ひと》つ。」  誰《たれ》かが打《う》ち込《こ》むやうに云《い》つた。海野《うんの》はそれを自然《しぜん》に受《う》けてまた唄《うた》ひ出《だ》した。  三千代《みちよ》は、もう止《や》めて欲《ほ》しいと——実感《じつかん》を籠《こ》めた歌《うた》は止《や》めて欲《ほ》しいと、ハラ/\思《おも》はずにはゐられなかつた。     大寺《おほでら》の香《かう》のけむりは細《ほそ》くとも     天《そら》に登《のぼ》りてあま雲《ぐも》となるあま雲《ぐも》となる  こんな「神楽歌《かぐらうた》」さへ、三千代《みちよ》には細々《ほそぼそ》と何《なに》かが通《かよ》つて来《く》るやうな思《おも》ひがしてならなかつた。  いつか隠《かく》し芸《げい》の順番《じゆんばん》は向《むか》うの方《はう》へ遠去《とほざか》つて行《い》つた。  三千代《みちよ》はホツとして、何《なん》の気《き》もなくちらと窓《まど》から外《そと》を見《み》た。と、向《むか》う側《がは》の電柱《でんちゆう》の蔭《かげ》に、ぢつとこつちを見上《みあ》げてゐる顔《かほ》が目《め》にはひつた。帽子《ぼうし》も被《かぶ》らず外套《ぐわいたう》も着《き》てゐない姿《すがた》。三千代《みちよ》はドキツとした。反射的《はんしやてき》に、障子《しやうじ》の蔭《かげ》にそつと身《み》をずらせた。  しかし、三千代《みちよ》は自分《じぶん》の体《からだ》に投《な》げ縄《なは》を掛《か》けられたやうな思《おも》ひをどうしやうもなかつた。ひとりでに寂《さび》しい影《かげ》のやうな坐《すわ》り方《かた》になつた。 「どうしたの? 気持《きもち》でも悪《わる》いの?」  海野《うんの》が立《た》つて来《き》て彼女《かのぢよ》に聞《き》いた。 「……。」  三千代《みちよ》は今《いま》にも泣《な》き出《だ》しさうな目《め》を上《あ》げて、悩《なや》ましげに相手《あひて》を見《み》た。 「三千代《みちよ》。」  低《ひく》い、三千代《みちよ》にだけ聞《きこ》える呼《よ》び声《ごゑ》が這《は》ひ上《あが》つて来《き》た。 「どうしたのさ?」  三千代《みちよ》の顔色《かほいろ》を見《み》て、海野《うんの》がもう一|度聞《どき》いた。 「三千代《みちよ》——三千代《みちよ》。」  水《みづ》の底《そこ》から響《ひゞ》いて来《く》るやうな声《こゑ》が、今度《こんど》は海野《うんの》の耳《みゝ》にもハツキリ聞《きこ》えた。 「はい。」  三千代《みちよ》は誰《たれ》にも聞《きこ》えないやうに下《した》へ答《こた》へると、挨拶《あいさつ》もしずに、逃《に》げるやうに部屋《へや》を出《で》て行《い》つた。 [#改ページ]   その日《ひ》     一  ——さまよひくれば秋《あき》くさの——  フラ/\と、三千代《みちよ》は海野《うんの》の家《うち》の前《まへ》に来《き》てゐた。  塀《へい》の上《うへ》に、木槿《むくげ》の白《しろ》い花《はな》があは/\と日《ひ》を吸《す》つてゐた。  しかし、いざとなると、流石《さすが》にはひり兼《か》ねた。でも、思《おも》ひ切《き》つて訪《おとな》ふと、障子《しやうじ》が細目《ほそめ》に明《あ》いて、細君《さいくん》の万里子《まりこ》が覗《のぞ》くやうに目《め》だけ出《だ》した。堅《かた》い、笑《わら》ひを忘《わす》れた目《め》の色《いろ》だつた。 「朝早《あさはや》く出《で》て留守《るす》なんですけど——」  何《なに》もこちらから云《い》はぬ先《さき》に、さう云《い》ふのだつた。 「……。」  露骨《ろこつ》に一|歩《ぽ》も入《い》れまいとしてゐる彼女《かのぢよ》の身構《みがま》へを見《み》ると、三千代《みちよ》は出先《でさき》を聞《き》く気《き》も何《なに》もなくなつてしまつた。 「ねえ、三千代《みちよ》さん、お願《ねが》ひですから、もう海野《うんの》を誘惑《いうわく》に来《こ》ないで下《くだ》さいな。」  万里子《まりこ》は、三千代《みちよ》のうしろ姿《すがた》へ棘々《とげとげ》しく浴《あび》せ掛《か》けた。 「……。」  三千代《みちよ》は、子供《こども》が駄々《だゞ》をこねる時《とき》、両足《りやうあし》でバタ/″\畳《たゝみ》を蹴《け》つて泣《な》き叫《さけ》ぶやうに、大地《たいち》を蹴《け》つて何《なに》か喚《わめ》きたい程《ほど》の衝動《しようどう》を感《かん》じた。彼女《かのぢよ》は夢中《むちう》で小走《こばし》りに当《あ》てもなく駆《か》け出《だ》した。駆《か》けながら、 「来《く》るんぢやなかつた。来《く》るんぢやなかつた。」と、一人呟《ひとりつぶや》いてゐる自分自身《じぶんじしん》に、やがて彼女《かのぢよ》は気《き》が附《つ》いた。叩《たゝ》き出《だ》された野良犬《のらいぬ》のやうなみじめツたらしい自分自身《じぶんじしん》の姿《すがた》が、目《め》に見《み》えるやうな気《き》がしてならなかつた。 (誘惑《いうわく》してやらうかしら。)  もうどんなことでも出来《でき》る自分《じぶん》だと思《おも》ふと、三千代《みちよ》はそんな|いたづら心《ヽヽヽヽごゝろ》も動《うご》くのだつた。 (自分自身《じぶんじしん》離婚《りこん》を企《くはだ》てて見《み》て、痩《や》せて、やつれて、その上《うへ》で、あなたと、あなたのお子《こ》の為《た》めに、あなたの家庭《かてい》をそつとして置《お》くことが、女同士《をんなどうし》の務《つと》めだと悟《さと》るやうになつた今《いま》の私《わたし》であることも知《し》らないで——)  相手《あひて》に意地《いぢ》に出《で》られれば、どんなにでも強《つよ》くなれる自分《じぶん》だと思《おも》ふと、三千代《みちよ》はこんな時《とき》の自分《じぶん》が恐《おそ》ろしかつた。 (別《わか》れに一目《ひとめ》——)  そんなことを考《かんが》へて、それとなく海野《うんの》を訪《たづ》ねて来《き》た自分《じぶん》を顧《かへり》みると、何《なに》か自分《じぶん》が世話浄瑠璃《せわじやうるり》の中《なか》の女《をんな》のやうな気《き》がして哀《あは》れだつた。  三千代《みちよ》の帯《おび》の間《あひだ》には、貰《もら》つた、今日《けふ》の早慶戦《さうけいせん》の内野券《ないやけん》が一|枚《まい》用意《ようい》されてゐた。 (内野《ないや》だからはひれないこともあるまい。)  さう思《おも》つて、三千代《みちよ》は省線電車《しやうせんでんしや》に乗《の》つた。彼女《かのぢよ》はなぜか一人《ひとり》でゐるのが恐《こは》かつた。時間《じかん》が来《く》るまで大勢《おほぜい》の人《ひと》と一|緒《しよ》にゐたかつた。  信濃町《しなのまち》のプラツトホームへ三千代《みちよ》は揉《も》み出《だ》された。そこから球場《きうぢやう》まで、足早《あしばや》に急《いそ》ぐ人《ひと》の流《なが》れの中《なか》にゐながら、彼女《かのぢよ》はまるで別世界《べつせかい》の人間《にんげん》のやうに一人《ひとり》ぼつちだつた。  内野《ないや》の入口《いりぐち》には三十|人程《にんほど》の人《ひと》が列《れつ》を作《つく》つてゐた。三千代《みちよ》のうしろにも、すぐ十|人程《にんほど》の尾《を》が出来《でき》た。  一|塁側《るゐがは》の上《うへ》の方《はう》へ、彼女《かのぢよ》はやつと割《わ》り込《こ》ませて貰《もら》つた。  見渡《みわた》す限《かぎ》り、ビツシリ人《ひと》で埋《うづ》まつてゐた。三|塁側《るゐがは》は早稲田《わせだ》。黒地《くろぢ》に白《しろ》く、応援団《おうゑんだん》のシート一|杯《ぱい》に大《おほ》きく「|W《ダブリユー》」と人《ひと》で染《そ》め出《だ》されてゐた。     二  夕方《ゆふがた》、暗《くら》くなつてから、露木《つゆき》が顔《かほ》の色《いろ》を変《か》えて、三千代《みちよ》の両親《りやうしん》のところへ飛《と》び込《こ》んで来《き》た。 「お母《かあ》さん、三千代《みちよ》は来《き》てゐませんか。」  ソハ/\茶《ちや》の間《ま》へはひつて来《く》るなり、挨拶《あいさつ》もしずに、いきなりさう云《い》つた。 「何《なに》かあつたの?」  母《はゝ》は銅壺《どうこ》のお湯《ゆ》を鉄瓶《てつびん》に移《うつ》してゐた手《て》を留《と》めて、聞《き》いた。 「今朝《けさ》野球《やきう》を見《み》に行《ゆ》くと云《い》つて家《うち》を出《で》たまま帰《かへ》つて来《こ》ないんですが——」 「おや。——入《い》れちがひになつたんぢやないの。——一|体《たい》お前《まへ》さんはいつ家《うち》を出《で》たのさ?」 「御飯前《ごはんまへ》。——朝僕《あさぼく》が学校《がくかう》へ行《ゆ》く時《とき》、野球《やきう》に行《ゆ》くとは云《い》つてゐましたけれど、帰《かへ》りがあんまり遅《おそ》いので、外苑《ぐわいゑん》まで迎《むか》へ旁探《かたがたさが》しに行《い》つて、逢《あ》へなかつたので、こりやテツキリ入《い》れちがひになつたんだと思《おも》つて、急《いそ》いで家《うち》へ帰《かへ》つて見《み》たんですが、やつぱり帰《かへ》つてゐないので、すぐまた飛《と》び出《だ》してここへ来《き》たんです。」 「をかしいね。あの子《こ》の行《ゆ》くところと云《い》へば、家《うち》か、目黒《めぐろ》か、この二|軒《けん》しかないんだが——。野球《やきう》の帰《かへ》りに、目黒《めぐろ》へ寄《よ》る筈《はず》はないし——。中《なか》で誰《たれ》か昔《むかし》のお友達《ともだち》と逢《あ》つて御飯《ごはん》でも食《た》べてゐるんぢやないかい?」 「でも、無断《むだん》でそんなことをする|あれ《ヽヽ》ぢやありませんし——」 「さうだね。——まあ、待《ま》つてゐてごらんな。そのうちヒヨツコリはひつて来《く》るかも知《し》れないから。」 「ええ。」 「お前《まへ》さんまだ晩御飯《ばんごはん》を食《た》べてゐないらしいが——」 「ええ。」 「ぢや、お茶漬《ちやづけ》でも食《た》べるといゝ。」  母《はゝ》は女中《ぢよちう》を呼《よ》んで膳拵《ぜんごしら》へをしてくれた。  露木《つゆき》はボロ/″\御飯粒《ごはんつぶ》を零《こぼ》しながら、一|杯《ぱい》お茶漬《ちやづけ》を掻《か》ツ込《こ》んだと思《おも》ふと、箸《はし》を置《お》いた。 「どうしたの、渉《わたる》さん?」 「お茶《ちや》を下《くだ》さい。」 「一|膳飯《ぜんめし》はいけないよ。さ、軽《かる》くもう一|杯《ぱい》お上《あが》り。」 「……。」  露木《つゆき》は返事《へんじ》もしないで、時計《とけい》ばかり気《き》にしてゐた。さうしては、例《れい》の、二三|分間置《ぷんかんお》きに一|度位《どくらゐ》づつ小《こ》うるさく|はばかり《ヽヽヽヽ》へ立《た》つた。  三千代《みちよ》のことと云《い》ふと、恥《はぢ》も外聞《ぐわいぶん》も忘《わす》れて、オロ/\する聟《むこ》を見《み》てゐると、娘《むすめ》の母《はゝ》としては、いぢらしさが先《さき》に立《た》たないこともなかつたけれど、でも、 「渉《わたる》さんや、しつかりおしな。」と、ドンと背中《せなか》の一《ひと》つも叩《たゝ》いてやりたかつた。  母《はゝ》は一通《ひととほ》り乾《かわ》いた布巾《ふきん》で長火鉢《ながひばち》を撫《な》でると、手《て》を伸《の》ばしてラヂオのスヰツチを入《い》れた。丁度《ちやうど》ニユースの時間《じかん》で、追《お》ひつ追《お》はれつ非常《ひじやう》な接戦《せつせん》を見《み》せた後《のち》、一|点《てん》の差《さ》で慶応《けいおう》が勝《か》つたと云《い》ふ野球《やきう》のニユースが報《はう》じられた。  露木《つゆき》はさつきからソハ/\と、煙草《たばこ》の吸《す》ひ詰《づ》めだつた。気《き》のせゐか、母《はゝ》は、だん/″\露木《つゆき》の目《め》がいつぞやのやうに円《まる》くなつて来《く》るやうな気《き》がして不気味《ぶきみ》でならなかつた。     三  演芸放送《えんげいはうそう》が終《をは》つて、時報《じはう》の鐘《かね》が鳴《な》るか鳴《な》らぬかと云《い》ふ時《とき》、玄関《げんくわん》のガラス格子《がうし》が明《あ》いて、そこに取《と》り附《つ》けられてあるベルがけたたましく鳴《な》り響《ひゞ》いた。  と、真先《まつさき》に、露木《つゆき》が玄関《げんくわん》へ飛《と》び出《だ》して行《い》つた。  が、はひつて来《き》たのは——父《ちゝ》だつた。がつかりしたらしく、それでも露木《つゆき》は立《た》つたまま 「お帰《かへ》んなさい。」  それには大様《おほやう》に頷《うなづ》き返《かへ》しただけで、父《ちゝ》は母《はゝ》が 「夜《よる》になつてから、寒《さむ》くはありませんでしたか。」  とか、 「眼鏡《めがね》を忘《わす》れて入《い》らしつて、お困《こま》りだつたでせう。」  とか話《はな》し掛《か》けるのに簡単《かんたん》に返事《へんじ》をしながら、茶《ちや》の間《ま》へはひつて、大振《おほぶ》りな座蒲団《ざぶとん》の上《うへ》へゆつたりと坐《すわ》つた。 「君《きみ》一人《ひとり》か。」  孫《まご》を連《つ》れて、夫婦《ふうふ》で遊《あそ》びに来《き》てゐるとでも思《おも》つてゐたらしく、父《ちゝ》は母《はゝ》の勧《すゝ》める六|兵衛《べゑ》の茶飲茶碗《ちやのみぢやわん》を両手《りやうて》で抱《だ》くやうに持《も》つて、かたみ代《がは》りに茶碗《ちやわん》の肌《はだ》をさすりながら、露木《つゆき》に云《い》つた。 「いえね——」  咄嗟《とつさ》に返事《へんじ》の言葉《ことば》に詰《つ》まつてゐる露木《つゆき》の代《かは》りに、見兼《みか》ねて母《はゝ》が説明《せつめい》の労《らう》を取《と》つた。 「フーム。」  と、聞《き》き終《を》はつた父《ちゝ》は 「今頃《いまごろ》までここへ見《み》えなければ、無論家《むろんうち》へ帰《かへ》つてゐるさ。」 「さつきから私《わたし》もさう云《い》つてるんですけれど——」 「あんまり遅《おそ》くなると、今度《こんど》は向《むか》うで心配《しんぱい》すると|いけ《ヽヽ》ない。早《はや》く帰《かへ》つてやるがいゝ。」 「ええ。」  露木《つゆき》はしかし立《た》ちともない風情《ふぜい》だつた。  父《ちゝ》と母《はゝ》とは、今日《けふ》の出先《でさき》での話《はなし》を問《と》ひつ問《と》はれつしてゐた。  ラヂオは既《すで》に全国天気概況《ぜんこくてんきがいきやう》を終《を》はつて 「では、どなた様《さま》も御機嫌《ごきげん》ようお休《やす》みなさいませ。こちらは——」  母《はゝ》の二の腕《うで》が露《あら》はに伸《の》びたと思《おも》ふと、そこでピチツとスヰツチが切《き》られた。 「渉《わたる》さん、十|時《じ》だよ。明日《あした》は朝《あさ》が早《はや》いんだらう。早《はや》く帰《かへ》つておやりよ。」 「ええ。」  不承不承《ふしようぶしよう》に彼《かれ》は尻《しり》を擡《もた》げた。 「お休《やす》み。」 「はい、お休《やす》み。」  露木《つゆき》の立《た》つて行《い》つた跡《あと》には、「朝日《あさひ》」とマツチが置《お》き忘《わす》れてあつた。  今《いま》ベルが鳴《な》つて締《し》まつたと思《おも》つたばかりなのに、またけたたましくベルが鳴《な》つた。  と、衣擦《きぬず》れの音《おと》がして 「今晩《こんばん》は。」  言葉《ことば》ではなしに、笑顔《ゑがほ》でさう云《い》ひながら、思《おも》いがけぬ三千代《みちよ》がはひつて来《き》た。 「あら。逢《あ》はなかつたかい?」 「——来《き》てゐたの?」 「来《き》てゐたのぢやないよ。夕方《ゆふがた》からたつた今《いま》し方《がた》まで——まだ五|分《ふん》とは経《た》つちやゐまい。」 「……。」  三千代《みちよ》は鉄瓶《てつびん》を卸《おろ》して、火《ひ》の上《うへ》で手《て》をこすり合《あ》はせてゐた。 「あんまり心配《しんぱい》おさせでないよ。」     四 「……。」  ええ——と返事《へんじ》をする代《かは》りに、三千代《みちよ》は笑《わら》つて見《み》せた。覚悟《かくご》を極《き》めてしまつてからと云《い》ふもの、彼女《かのぢよ》は不思議《ふしぎ》に心《こゝろ》が朗《ほがら》かだつた。 「車《くるま》をさう云《い》つて上《あ》げるから、急《いそ》いで停車場《ていしやば》へ行《い》つてごらん。まだ渉《わたる》さんは電車《でんしや》に乗《の》つてしまひはしないよ、きつと。」 「……。」  三千代《みちよ》は静《しづ》かに|かぶり《ヽヽヽ》を振《ふ》つた。 「どうして?」 「私《わたし》もう帰《かへ》らないつもりで出《で》て来《き》たの。」 「……。」  今度《こんど》は母《はゝ》が目《め》を見張《みは》つた。  そこへ、父《ちゝ》が湯上《ゆあが》りのいゝ血色《けつしよく》をして、寝間着《ねまき》の上《うへ》へはおつた褞袍《どてら》の前《まへ》で兵児帯《へこおび》を結《むす》びながら、 「入《い》れちがひになつたな。」 「それどころぢやないんですよ、お父《とう》さん。」と下《した》から見上《みあ》げながら母《はゝ》が叫《さけ》ぶやうに云《い》つた。 「うむ?」 「出《で》て来《き》たのですつて、露木《つゆき》のところを。」 「……。」  父《ちゝ》は黙《だま》つて長火鉢《ながひばち》の前《まへ》に膝《ひざ》を揃《そろ》へて大《おほ》きく坐《すわ》つたが、 「どうした?」  ——と聞《き》かれても、三千代《みちよ》にも一口《ひとくち》でポツカリ心持《こゝろもち》の分《わか》つて貰《もら》へるやうな言葉《ことば》はなかつた。俯向《うつむ》いてゐる彼女《かのぢよ》へ、両親《りやうしん》の沈黙《ちんもく》が重《おも》く来《き》た。 「やつぱり旨《うま》く行《い》かないか。」  暫《しばら》く経《た》つてから、溜息《ためいき》のやうに父《ちゝ》が云《い》つた。  三千代《みちよ》は頷《うなづ》いたが、父《ちゝ》の言葉《ことば》を聞《き》くと同時《どうじ》に、急《きふ》に喋《しやべ》れるやうな——胸《むね》の思《おも》ひを受《う》け取《と》つて貰《もら》へるやうな、或《ある》空気《くうき》の通《かよ》ふのを感《かん》じた。 「御心配掛《ごしんぱいか》けて悪《わる》いのですけれど——私《わたし》このままの生活《せいくわつ》を続《つゞ》けて行《い》つたら、痩《や》せ細《ほそ》つて行《い》つていつか死《し》にさうな気《き》がするんです。」  三千代《みちよ》はもう俯向《うつむ》いてなどはゐなかつた。父《ちゝ》の顔《かほ》を一|生懸命《しやうけんめい》に見詰《みつ》めてゐた。 「生活《せいくわつ》が苦《くる》しいとか何《なん》とか云《い》ふことぢやないんです。その点《てん》は何《なん》とか凌《しの》いで行《ゆ》けると思《おも》ふんです。性格《せいかく》が合《あ》はないと云《い》ふのでもないんです。」 「……。」  父《ちゝ》は何《なに》も云《い》はず、頷《うなづ》きもしなかつた。しかし、目《め》で聞《き》いてゐてくれた。 「露木《つゆき》と一|緒《しよ》にゐると、私息《わたしいき》が吐《つ》けないやうに苦《くる》しくなつて来《く》るのです。露木《つゆき》との生活《せいくわつ》には、何《なん》の目的《もくてき》もなければ、何《なん》の努力《どりよく》もなければ、何《なん》の光明《くわうみやう》もなければ——唯私《たゞわたし》を放《はな》すまいとしてゐるだけなの。」 「……。」 「お父《とう》さん、お願《ねが》ひですから、私《わたし》を一人《ひとり》にさせて——。今度《こんど》のことは、海野《うんの》さんとは無関係《むくわんけい》です。私唯息《わたしたゞいき》の吐《つ》けるところへ出《で》たいの。」  何《なん》と思《おも》つたか、父《ちゝ》は 「まあ当分《たうぶん》お前《まへ》は家《うち》にゐろ。その間《あひだ》に|わし《ヽヽ》が露木《つゆき》によく談《だん》じてやるから。ああ云《い》ふことがあつた後《あと》だから、露木《つゆき》がうるさく附《つ》き纏《まと》ふのも無理《むり》はないが——度《ど》が過《す》ぎるとなあ。」     五 「さうぢやないの。お父《とう》さん、私《わたし》離縁《りえん》を取《と》つて戴《いたゞ》きたいんです。」 「……。」  父《ちゝ》はぢつと三千代《みちよ》の顔《かほ》を穴《あな》の明《あ》く程《ほど》見詰《みつ》めた。 「お前《まへ》そんな馬鹿《ばか》な事《こと》を云《い》つて——離縁《りえん》を取《と》つてどうするのさ。」と母《はゝ》が云《い》つた。 「私《わたし》自分《じぶん》で、身軽《みがる》になつて生《い》きて行《ゆ》きたいの。」 「そんなことを云《い》つて、——お前《まへ》、子供《こども》はどうする気《き》なの? 子供《こども》がなければだけれど。」 「子供《こども》は一人《ひとり》でも二人《ふたり》でもくれるだけ貰《もら》つて、自分《じぶん》で遣《や》つて行《い》きたいと思《おも》ひます。」 「若《わか》い女《をんな》一人《ひとり》で、子供《こども》まで背負《しよ》つて遣《や》つて行《ゆ》けるものかね。世《よ》の中《なか》と云《い》ふものは、お前《まへ》が考《かんが》へてゐるやうなそんな生優《なまやさ》しいところぢやないよ。第《だい》一、なんにも知《し》らない子供《こども》が可哀想《かはいさう》ぢやないか。」 「ええ。」 「お前《まへ》さへここで辛抱《しんばう》すれば、たとひ貧《まづ》しくとも、親子《おやこ》五|人《にん》が水入《みづい》らずで暮《くら》して行《ゆ》けるものを、お前《まへ》の心一《こゝろひと》つでみんなが別《わか》れ別《わか》れにならなければならず、渉《わたる》さんだつてまだ若《わか》いんだから、後添《のちぞ》ひを貰《もら》ふものと思《おも》はなければなるまいし、さうすれば、見《み》す見《み》す子供《こども》を継母《まゝはゝ》の手《て》に掛《か》ける道理《だうり》ぢやないか。」 「……。」  聞《き》いてゐるうちに、出懸《でが》けに縁側《えんがは》で遊《あそ》んでゐた三|人《にん》の子供《こども》の姿《すがた》が三千代《みちよ》の目《め》に浮《うか》んで来《き》た。今頃《いまごろ》は祖母《そぼ》と枕《まくら》を並《なら》べて寝《ね》てゐる上《うへ》の男《をとこ》の子《こ》、ぐづりながらも、遊《あそ》び疲《つか》れて泣《な》き寝入《ねい》りに真赤《まつか》な頬《ほゝ》をしてスースー荒《あら》い寝息《ねいき》を立《た》ててゐる中《なか》の女《をんな》の子《こ》、母《はゝ》を慕《した》つて、ひよつとすると、祖母《そぼ》を手《て》こずらしてゐるかも知《し》れない神経質《しんけいしつ》な末《すゑ》の男《をとこ》の子《こ》、さうしたそれ/″\三|人《にん》の小《ちひ》さな姿《すがた》が、彼女《かのぢよ》の心《こゝろ》を噛《か》み砕《くだ》いた。三千代《みちよ》はいつかまた俯向《うつむ》いてしまつてゐた。ポロ/\、ポロ/\、後《あと》から後《あと》から膝《ひざ》の上《うへ》へ涙《なみだ》が零《こぼ》れ落《お》ちた。 「勘忍《かんにん》してよ、勘忍《かんにん》してよ。」  三千代《みちよ》は心《こゝろ》の中《なか》で云《い》ひ続《つゞ》けた。——現《げん》に、今日《けふ》も、二人《ふたり》の子《こ》を連《つ》れて出《で》て来《く》るつもりだつたのだ。しかし、兎《と》に角《かく》、一|応《おう》は身一《みひと》つで家《いへ》を出《で》るのが順当《じゆんたう》だと思《おも》ひ返《かへ》して、着物《きもの》も、嫁《とつ》ぐ時持《ときも》つて行《い》つた古《ふる》い大島《おほしま》の袷《あはせ》を着《き》たまま、家出《いへで》をして来《き》たのだつた。  しかし、母《はゝ》が云《い》ふやうに、三|人《にん》の子《こ》を三|人《にん》ながら露木《つゆき》の手許《てもと》に置《お》き去《ざ》りにする気《き》は三千代《みちよ》にはなかつた。両親《りやうしん》の助力《じよりよく》を乞《こ》うて、全力《ぜんりよく》を尽《つく》して、三|人《にん》のうち二人《ふたり》はどうあつても自分《じぶん》の方《はう》へ引《ひ》き取《と》るつもりだつた。  引《ひ》き取《と》つてどうするつもりか。  彼女《かのぢよ》は自活《じくわつ》して行《ゆ》くつもりだつた。たとひ二|階階《かいが》りをしてでも、アパート住《ず》まひをしてでも、二人《ふたり》の子《こ》を養《やしな》ひながら、この住《す》みにくい人《ひと》の世《よ》に住《す》み附《つ》いて見《み》たい生活慾《せいくわつよく》に燃《も》えてゐた。  しかし、彼女《かのぢよ》の望《のぞ》みはそれだけではなかつた。これはまだ誰《たれ》にも云《い》つたこともなく、自分自身《じぶんじしん》にさへ、——神《かみ》の聞《きこ》えもいかゞあらうと羞《はづか》しく、——ハツキリ云《い》ひ聞《き》かせたことさへないのだつたけれど、出来《でき》れば、——さうして自活《じくわつ》して行《ゆ》きながら、出来《でき》れば、海野《うんの》によつて発見《はつけん》され、中谷丁蔵《なかたにていざう》によつて認識《にんしき》された自分《じぶん》の「才能《さいのう》」を、実際《じつさい》に——もつと力《ちから》一|杯伸《ぱいの》ばして見《み》たい窃《ひそ》かな願《ねが》ひが、だん/″\力強《ちからづよ》く彼女《かのぢよ》の胸《むね》の中《なか》に形《かたち》を取《と》り出《だ》して来《き》てゐたのだつた。  しかし、これは三千代《みちよ》の窃《ひそ》かな窃《ひそ》かな「独白《どくはく》」に過《す》ぎなかつた。だから、 「自惚《うぬぼ》れるな。」と云《い》はれれば、彼女《かのぢよ》は 「はい。」と従順《じゆうじゆん》に答《こた》へたであらう。 「それはお前《まへ》の白日《はくじつ》の夢《ゆめ》に過《す》ぎないよ。」  さう云《い》はれれば、彼女《かのぢよ》はそれにも従順《じゆうじゆん》に 「はい。」と答《こた》へたであらう。     六  三千代《みちよ》に云《い》はせれば、それがたとひ自惚《うぬぼ》れであらうと、白日《はくじつ》の夢《ゆめ》であらうと、そんなことは実《じつ》はどうでもよかつた。  この世《よ》に生《う》まれて来《き》た以上《いじやう》、「何《なに》か」するのが我々《われわれ》人間《にんげん》の務《つと》めのやうに彼女《かのぢよ》には思《おも》はれてならないのだつた。「何《なに》か」は、人《ひと》各々《おのおの》によつて相違《さうゐ》するであらうけれど。彼女《かのぢよ》は、その「何《なに》か」を、良人《をつと》と二人《ふたり》で——いや、良人《をつと》によつて成《な》し遂《と》げて貰《もら》ふのが、妻《つま》としての自分《じぶん》の務《つと》めだと思《おも》つて生《い》きて来《き》た。  しかし、良人《をつと》に、その「何《なに》か」を成《な》し遂《と》げる生活意志《せいくわついし》がない以上《いじやう》、女《をんな》ながらも、自分自身《じぶんじしん》でその「何《なに》か」をして見《み》たかつた。  成《な》るも、成《な》らぬも、三千代《みちよ》には大《たい》して問題《もんだい》ではなかつた。兎《と》にも角《かく》にも、自分《じぶん》の才能《さいのう》を、実際《じつさい》に試《ため》して見《み》るのが、人生《じんせい》——戦《たゝか》ひの場《には》での生《い》き方《かた》だと考《かんが》へるやうになつて来《き》てゐた。  子供《こども》の為《た》めの犠牲的《ぎせいてき》な生《い》き方《かた》——母《はゝ》に云《い》はれるまでもなく、それも勿論考《もちろんかんが》へないではなかつた。いや、何《なに》を置《お》いても、第《だい》一に、さん/″\考《かんが》へて考《かんが》へ抜《ぬ》き——いや、三千代《みちよ》の第《だい》一の、最《もつと》も深刻《しんこく》な悩《なや》みはそれだつた。  しかし、幾《いく》ら考《かんが》へても、この問題《もんだい》だけは割《わ》り切《き》れなかつた。海野《うんの》との恋愛《れんあい》の時《とき》は、祖母《おばあ》さん子《こ》である長男《ちやうなん》を手放《てばな》す悩《なや》みだつた。後《あと》の二人《ふたり》は、手許《てもと》に引《ひ》き取《と》り得《う》るものと思《おも》ひ込《こ》んでゐた。  今度《こんど》にしても、死力《しりよく》を尽《つく》して露木《つゆき》と争《あらそ》つて、二人《ふたり》の子供《こども》は自分《じぶん》が引《ひ》き取《と》るつもりに相違《さうゐ》はなかつた。  しかし、万《まん》に一《ひと》つにも、三|人《にん》の子供《こども》を三|人《にん》ながら手放《てばな》さなければならない羽目《はめ》に陥《おちい》るかも知《し》れない場合《ばあひ》をも、三千代《みちよ》は十|分《ぶん》考慮《かうりよ》に入《い》れずには考《かんが》へられなかつた。 「それでも仕方《しかた》がないわ。」  三千代《みちよ》はそこまで決心《けつしん》してゐた。  と云《い》ふのは、現在《げんざい》のまま露木《つゆき》との生活《せいくわつ》を続《つゞ》けて行《い》つてゐたら、彼女《かのぢよ》は遠《とほ》からず痩《や》せ細《ほそ》つて死《し》んでしまふに違《ちが》ひないと云《い》ふ予感《よかん》が頻《しき》りに胸《むね》を去来《きよらい》してゐたからだつた。実際《じつさい》、今日《けふ》この頃《ごろ》、三千代《みちよ》は細《ほそ》い食欲《しよくよく》しかなかつた。夜眠《よるねむ》れなかつた。両方《りやうはう》の肩《かた》に、目《め》に見《み》えない鎖《くさり》を背負《せお》つてゐるやうな鈍《にぶ》い重《おも》さを二六時中感《にろくじちうかん》じてゐた。  死《し》んでしまふ位《くらゐ》なら、——たとひ傍《そば》にゐなくとも、どこかに生《せい》を完《まつた》うしてゐた方《はう》が、子供《こども》に対《たい》して、窮極《きゆうきよく》の意味《いみ》において、母《はゝ》として親切《しんせつ》ではあるまいか。  しかし、いつかそれと知《し》つた時《とき》、子供《こども》は母《はゝ》を怨《うら》むであらう。  怨《うら》まれる覚悟《かくご》は三千代《みちよ》は持《も》つてゐた。  しかし、怨《うら》んで怨《うら》んで怨《うら》み抜《ぬ》いた挙句《あげく》、最後《さいご》の一|点《てん》で、子供《こども》は涙《なみだ》のうちに母《はゝ》のエゴイズムを許《ゆる》してくれはしないだらうか。いや、許《ゆる》してくれないまでも、理会《りくわい》してだけはくれないだらうか。  それが、三千代《みちよ》の一|縷《る》の望《のぞ》みだつた。許《ゆる》してくれなくともいゝ、せめて理会《りくわい》してくれればいゝ、——彼女《かのぢよ》は最後《さいご》の腹《はら》をそこに据《す》ゑることが出来《でき》るやうになつてゐた。  ——だから、母《はゝ》が泣《な》いて掻口説《かきくど》いても、父《ちゝ》が叱《しか》るやうに帰《かへ》ることを勧《すゝ》めても、 「……。」  彼女《かのぢよ》も泣《な》きながら|かぶり《ヽヽヽ》を振《ふ》り通《とほ》した。 [#改ページ]   未練《みれん》     一  真夜中《まよなか》。  割《わ》れるやうに雨戸《あまど》を叩《たゝ》く音《おと》に、三千代《みちよ》は寝《ね》られぬ耳《みゝ》を欹《そばだ》てた。  下《した》では、耳敏《みゝざと》い年寄夫婦《としよりふうふ》がとうに目《め》を醒《さま》してゐた。しかし万《まん》一を慮《おもんぱか》つて、黙《だま》つて聞《き》き耳《みゝ》を立《た》ててゐた。と云《い》ふのが、叩《たゝ》いてゐるのが門《もん》でなくて、門《もん》をはひつた玄関《げんくわん》の雨戸《あまど》らしかつたからだつた。 「篠田《しのだ》さん、明《あ》けて下《くだ》さい。——篠田《しのだ》さん。」  外《そと》の声《こゑ》はだん/″\大声《おほごえ》に、叩《たゝ》き方《かた》も悪意《あくい》があるかと思《おも》はれる位激《くらゐはげ》しかつた。  そのうちに、竹《たけ》の垣根《かきね》の踏《ふ》みしだかれるらしいミシ/\云《い》ふ音《おと》が聞《きこ》えた。  と、やがて、足音《あしおと》が庭内《にはうち》にはひつて来《き》た。 「お母《かあ》さん、ちよいと明《あ》けて下《くだ》さい。」  寝《ね》てゐる枕許《まくらもと》の雨戸《あまど》が、斟酌《しんしやく》もなく叩《たゝ》き揺《ゆす》ぶられた。 「渉《わたる》さんかい?」 「ええ、僕《ぼく》です。」 「何《なん》だねえ、盗坊見《どろばうみ》たいな真似《まね》をして——。びつくりするぢやないか。」 「どうも済《す》みません。」 「玄関《げんくわん》へお廻《まは》り。今明《いまあ》けて上《あ》げるから。」 「……。」  返事《へんじ》の代《かは》りに、少《すこ》し経《た》つてから、また垣根《かきね》を踏《ふ》みしだく音《おと》が聞《きこ》えた。 「仕様《しやう》のない奴《やつ》だ。まるで気《き》ちがひ沙汰《ざた》ぢやないか。」  さう呟《つぶや》きながら、父《ちゝ》も起《お》き上《あが》つた。  母《はゝ》が、撚《ね》ぢ込《こ》みを戻《もど》し、ガラス格子《がうし》を明《あ》け、雨戸《あまど》を明《あ》けてゐるのも|もど《ヽヽ》かしげに、露木《つゆき》は矢庭《やには》に三和土《たたき》へ躍《をど》り込《こ》んで来《き》た。 「三千代《みちよ》が来《き》てゐるでせう。」  木菟《みみづく》のやうに真《ま》ン丸《まる》くなつた目《め》を据《す》ゑて、露木《つゆき》は喘《あへ》ぐやうに云《い》つた。 「ああ、お前《まへ》さんが帰《かへ》ると間《ま》もなく来《き》てね——。ま、うしろを締《し》めてお上《あが》りな。」 「——連《つ》れて帰《かへ》らうと思《おも》ふんです。」 「こんな夜更《よふ》けに——。まあ今夜《こんや》は泊《とま》つて行《ゆ》くさ。明日《あした》はお勤《つと》めがあるの?」 「ええ。」  露木《つゆき》は返事《へんじ》も上《うは》の空《そら》だつた。うしろも締《し》めず、つと上《うへ》へ上《あが》つた。 「二|階《かい》ですか。」 「|あれ《ヽヽ》も今日《けふ》は疲《つか》れてゐるらしいから、話《はなし》は明日《あした》のことにして、今夜《こんや》はそつと寝《ね》かして置《お》いておやりよ。」 「ええ。」  返事《へんじ》だけは従順《じゆうじゆん》だつた。しかし、返事《へんじ》の下《した》から、すぐ露木《つゆき》はバサバサと梯子段《はしごだん》を上《あが》つて行《い》つた。  足音《あしおと》を聞《き》いた時《とき》から、三千代《みちよ》は|せう事《ヽヽこと》なしに覚悟《かくご》を極《き》めて寐《ね》た振《ふり》をしてゐた。 「三千代《みちよ》。」  突然《とつぜん》夜着《よぎ》の上《うへ》から、体《からだ》一|杯《ぱい》に露木《つゆき》の重《おも》い体《からだ》が圧《の》し掛《か》かつて来《き》た。 「三千代《みちよ》、帰《かへ》つてくれ。」  さう云《い》ひながら、露木《つゆき》は夜着《よぎ》を剥《は》いで、渇《かわ》いた口《くち》で三千代《みちよ》の唇《くちびる》を求《もと》めて来《き》た。 「……。」  肉体《にくたい》に終始《しうし》する露木《つゆき》が三千代《みちよ》は厭《いと》はしかつた。唇《くちびる》を吸《す》はせまいとして、夢中《むちう》で首《くび》を左右《さいう》に振《ふ》りながら、圧《の》し掛《か》かつてゐる肉体《にくたい》の重《おも》みに、息苦《いきぐる》しさに、三千代《みちよ》は思《おも》はず呻《うめ》いた。     二 「三千代《みちよ》、帰《かへ》つてくれ。」 「……。」 「頼《たの》むから帰《かへ》つてくれ。」 「……。」 「ミサも、順二《じゆんじ》も、お前《まへ》がゐないので寐《ね》やしない。子供《こども》の為《た》めだと思《おも》つて帰《かへ》つてやつてくれ。」 「……。」 「あれ達《たち》は、子供《こども》ながら何《なに》か感《かん》じてゐるんだ。だから、いつものやうに泣《な》きやしない。みんなおとなしくしてゐる。泣《な》かないだけに、シヨンボリとおとなしくしてゐるだけに、俺《おれ》としちや哀《あは》れで見《み》てゐられないんだ。」 「……。」  さう云《い》はれると、下《した》の二人《ふたり》の子供《こども》の寝間着姿《ねまきすがた》が、——夜着《よぎ》の下《した》で、いつまでも目《め》をパチ/\明《あ》けてゐる小《ちひ》さな二つの顔《かほ》が、目《め》の前《まへ》に浮《うか》び出《で》て、三千代《みちよ》はつぶつたままの目《め》の中《なか》が熱《あつ》くなつて来《き》た。 「さ、帰《かへ》らう。自動車《じどうしや》で帰《かへ》りや帰《かへ》れない時間《じかん》ぢやない。」 「……。」 「さ、帰《かへ》らうよ。」 「……。」 「帰《かへ》つてくれよ。」 「……。」 「帰《かへ》つてやつてくれよ。」 「……。」 「ミサと順二《じゆんじ》の為《た》めに、二人《ふたり》で帰《かへ》つてやらうよ。」 「……。」 「三千代《みちよ》、これ程頼《ほどたの》んでも、お前帰《まへかへ》つてくれないのか。」 「……。」  ポタ/\生暖《なまあたゝか》い露木《つゆき》の涙《なみだ》が三千代《みちよ》の顔《かほ》に掛《か》かつた。 「三千代《みちよ》、帰《かへ》つてくれるね。——帰《かへ》つてくれるだらう。」 「……。」 「よう、頼《たの》むから帰《かへ》つてくれよ。」  さう云《い》ひながら、露木《つゆき》は、夜着《よぎ》の上《うへ》からギユーツと三千代《みちよ》の体《からだ》を締《し》め附《つ》けて来《き》た。骨《ほね》が一つところに集《あつ》められて、ポキ/\音《おと》を立《た》てて砕《くだ》けさうな力《ちから》だつた。 「ウウ——」 「帰《かへ》るか、帰《かへ》らないか。」 「……。」  三千代《みちよ》は夢中《むちう》で跳《は》ね退《の》けようとした。 「畜生《ちくしやう》。」  露木《つゆき》は肘《ひぢ》で三千代《みちよ》の胴《どう》を攻《せ》め、腿《もゝ》で腰《こし》を一|層締《そうし》め附《つ》けて来《き》た。  が、夜着《よぎ》の厚《あつ》みが間《あひだ》に挟《はさ》まつてゐる為《た》め、下《した》からの抵抗《ていかう》と縺《もつ》れて、露木《つゆき》の腿《もゝ》が三千代《みちよ》の腰《こし》から辷《すべ》つた。辷《すべ》つて左《ひだり》へ流《なが》れたはずみに、三千代《みちよ》は右《みぎ》へ逃《に》げた。  下《した》へ——  三千代《みちよ》は両親《りやうしん》のうしろへ身《み》を隠《かく》すことしか考《かんが》へてゐなかつた。  しかし、身《み》を起《おこ》す暇《ひま》もなく、三千代《みちよ》は畳《たゝみ》の上《うへ》へぢかに仰向《あふむ》けに倒《たふ》された。 「あツ。」  彼女《かのぢよ》は思《おも》はず悲鳴《ひめい》を挙《あ》げた。露木《つゆき》の右《みぎ》の手《て》が、グルリと一|巻《ま》き彼女《かのぢよ》の喉《のど》へ絡《から》み附《つ》いたのだ。 「可愛《かはい》い。——可愛《かはい》い。」  露木《つゆき》は突然《とつぜん》獣見《けものみ》たいに、自分《じぶん》の顔《かほ》を、三千代《みちよ》の顔《かほ》と云《い》はず、胸《むね》と云《い》はず、所嫌《ところきら》はず無茶苦茶《むちやくちや》に|こす《ヽヽ》りつけて来《き》た。     三  人間《にんげん》の感覚《かんかく》なんて、実《じつ》に我儘勝手《わがまゝかつて》なものだ。曾《かつ》ては、同《おな》じ人《ひと》から、同《おな》じポーズで、エクスタシーへ誘《さそ》ひ込《こ》まれたこともある三千代《みちよ》が、今《いま》は快感《くわいかん》どころか、豚《ぶた》に舐《な》められてゐるやうな悪寒《をかん》に全身《ぜんしん》が顫《ふる》へた。 「放《はな》して——」 「一|緒《しよ》に帰《かへ》るか。」 「あなた放《はな》して——」 「だから——帰《かへ》るか。」 「……。」  三千代《みちよ》は夢中《むちう》で|※[#「足へん+宛」、unicode8e20]《もが》いた。  いつか彼女《かのぢよ》の胸《むね》は白《しろ》く裸《はだか》にされてゐた。三千代《みちよ》は夢中《むちう》で、両手《りやうて》で寝間着《ねまき》の胸《むね》を掻《か》き合《あ》はせた。  と、すぐまた無残《むざん》に掻《か》きはだかされた。  三千代《みちよ》の両手《りやうて》が慌《あわ》てて寝間着《ねまき》の胸《むね》を重《かさ》ねた。  三|度目《どめ》にグイと大《おほ》きく、彼女《かのぢよ》の右《みぎ》の胸《むね》が押《お》し開《ひら》かれた時《とき》、露木《つゆき》の鼻《はな》の尖《さき》に乳房が盛り上つて来た。露木《つゆき》はむしやぶりついた。 「ああ——」  三千代《みちよ》はぞつとして身悶《みもだ》えした。 「厭《いや》。」  |※[#「足へん+宛」、unicode8e20]《もが》くはずみに、露木《つゆき》の唇《くちびる》がポロリと離《はな》れた。  とたんに、三千代《みちよ》は喉《のど》を締《し》められた。 「ゲツ。」 (殺《ころ》される。)  さう云《い》ふ考《かんが》へが——いや、考《かんが》へではない、稲妻《いなづま》のやうな赤《あか》いものが、キラツと頭《あたま》の中《なか》を走《はし》つた。  同時《どうじ》に、両方《りやうはう》の目《め》の玉《たま》が飛《と》び出《だ》しさうな——|顳※[#「需+頁」、unicode986c]《こめかみ》が破《やぶ》れさうな苦《くる》しさが来《き》た。 「どうだ? 帰《かへ》るか?」  熱《あつ》い息《いき》が三千代《みちよ》の鼻《はな》に掛《か》かつた。 「……。」  もう三千代《みちよ》は恐《おそ》ろしさを通《とほ》り越《こ》して、心持《こゝろもち》は却《かへ》つて平静《へいせい》だつた。  グツタリ手足《てあし》を投《な》げ出《だ》したまま、目《め》をつぶつて身動《みうご》きもしずにゐた。その目蓋《まぶた》の裏《うら》に、何《なに》もない一|面《めん》の日向《ひなた》の色《いろ》が浮《うか》んだ。  露木《つゆき》はそれ以上喉《いじやうのど》を締《し》めるのでもなかつた。いや、却《かへ》つて喉《のど》へ絡《から》んでゐた腕《うで》から、少《すこ》しづつ力《ちから》を抜《ぬ》いて行《い》つた。  と思《おも》ふと、また 「ええツ。」と、何《なに》か荒々《あらあら》しいものに身内《みうち》を走《はし》り廻《まは》られるのか、突然《とつぜん》 「畜生《ちくしやう》。」と叫《さけ》びながら、グーツと腕《うで》へ力《ちから》を込《こ》めて締《し》め附《つ》けて来《き》た。  三千代《みちよ》は手足《てあし》を——胸《むね》を、腹《はら》を、臍《へそ》を、縮《ちゞ》めて怺《こら》へた。  じり/″\、じり/″\、もう一|息《いき》と云《い》ふところまで締《し》め附《つ》けて置《お》いて、露木《つゆき》は、 「さ、帰《かへ》るか、帰《かへ》らないか。」 「……。」  三千代《みちよ》は充血《じゆうけつ》したままの顔《かほ》で、ぢつと黙《だま》つてゐた。恐怖《きようふ》よりも、憎《にく》しみが、軽蔑《けいべつ》が、彼女《かのぢよ》の心《こゝろ》を捉《とら》へた。 「帰《かへ》らないなら帰《かへ》らないとハツキリ云《い》へ。」 「……。」 「——締《し》め殺《ころ》してやるから。」 「……。」  一|旦弛《たんゆる》めた手《て》を、露木《つゆき》はまたジリ/″\締《し》め附《つ》けて来《き》た。 「おい、露木《つゆき》。」  その時《とき》、突然《とつぜん》、頭《あたま》の上《うへ》で父《ちゝ》の声《こゑ》がした。 「はい。」  をかしい位《くらゐ》露木《つゆき》は慌《あわ》てて跳《は》ね起《お》きた。 [#改ページ]   別居《べつきよ》     一  松風《まつかぜ》の中《なか》で万里子《まりこ》は目《め》を醒《さ》ました。雨戸《あまど》の透《す》き間《ま》に、明《あか》るい日《ひ》の色《いろ》が溜《たま》つてゐた。  右《みぎ》にも、左《ひだり》にも、もう誰《たれ》も寝《ね》てゐなかつた。気兼《きが》ねなしに、枕許《まくらもと》の畳《たゝみ》の上《うへ》に投《な》げ出《だ》した両腕《りやううで》を、腋《わき》の下《した》の毛《け》まで見《み》える位思《くらゐおも》ひ切《き》り伸《の》ばして、グーツと一つ伸《の》びをした。 「あら。」  昨夜《ゆうべ》は、腕時計《うでどけい》を外《はづ》すのも忘《わす》れて寝《ね》たらしい。ちらと見《み》ると、もうやがて十一|時《じ》に近《ちか》かつた。  またサヤ/\と松《まつ》の梢《こずゑ》を微風《びふう》の渡《わた》るのが聞《きこ》えた。サワ/\サワ/\遠退《とほの》いて行《い》つて、さあツと音《おと》を消《け》すと、後《あと》にはもう何《なん》の物音《ものおと》もない静《しづ》けさ。——何《なん》とも云《い》へない快《こゝろよ》い目醒《めざ》め心地《ごゝち》だつた。  手《て》を叩《たゝ》くと、東京《とうきやう》から連《つ》れて来《き》てゐる|よし《ヽヽ》が姿《すがた》を見《み》せた。 「お風呂沸《ふろわ》いてるかい?」 「はい、沸《わ》いてをります。」 「ぢや、すぐ這入《はひ》るからね、支度《したく》をしといておくれ。」 「はい。」  元禄袖《げんろくそで》の寝間着《ねまき》の上《うへ》から、派手《はで》なナイトガウンを、わざと袖《そで》を通《とほ》さずに肩《かた》で着《き》て、前《まへ》を抑《おさ》へて、黄《きいろ》いスリツパを突《つ》ツ掛《か》けると、 「フオリング、イン、ラヴ、アゲン——」と、デートリツヒの鼻《はな》にかかる歌《うた》ひ方《かた》をそのまま、長《なが》い足《あし》で風呂場《ふろば》へ急《いそ》いだ。  と思《おも》ふと、 「|よし《ヽヽ》や、水《みづ》が汲《く》んでないんぢやない? とても出《で》が悪《わる》いよ。」 「はアい。」  慌《あわ》てて下駄《げた》を突《つ》ツ掛《か》ける音《おと》。——やがて、ガツチヤン、ガツチヤン、ポンプを動《うご》かす音《おと》が聞《きこ》えて来《き》た。 「|よし《ヽヽ》や。」  まただ。 「はい。」 「糠《ぬか》が出《で》てないぢやないか。どうしたの? 毎日《まいにち》毎日極《まいにちき》まつてることなのに。」 「はい。」  万里子《まりこ》は体《からだ》ぢゆうをシヤボンの泡《あわ》だらけにしながら、伏見《ふしみ》と云《い》ふ男友達《をとこともだち》と、今日《けふ》午後《ごご》一|時《じ》に新橋《しんばし》で落《お》ち合《あ》つて、邦楽座《はうがくざ》へ「白銀《はくぎん》の乱舞《らんぶ》」を見《み》に行《ゆ》く約束《やくそく》をしてあることを思《おも》ひ出《だ》してゐた。でも、どんなに急《いそ》いだところで、お風呂《ふろ》から上《あが》つて、お化粧《けしやう》をして、朝御飯《あさごはん》を食《た》べて、自動車《じどうしや》で停車場《ていしやば》へ駆《か》け着《つ》けて、旨《うま》く上《のぼ》りの汽車《きしや》をキヤツチ出来《でき》たにしても、約束《やくそく》の時間《じかん》までに新橋《しんばし》に着《つ》くことは、天《てん》へ登《のぼ》るよりもむづかしいことだつた。 「構《かま》ふもんか、待《ま》たしてやれ。」  心《こゝろ》の中《なか》でさう云《い》ひながら、万里子《まりこ》はスポンジで足首《あしくび》を丁寧《ていねい》にこすつてゐた。伏見《ふしみ》なら、一|時間《じかん》は待《ま》たせ得《う》る自信《じしん》が万里子《まりこ》にはあつた。 「|よし《ヽヽ》や。」  湯舟《ゆぶね》の中《なか》から、また呼《よ》んだ。 「|よし《ヽヽ》や。」 「なあに?」 「あら、お姉《ねえ》さま? |よし《ヽヽ》やは?」 「蒲団《ふとん》を上《あ》げてゐるわ。仰《おつ》しやい。なあに。」 「済《す》みません、剃刀《かみそり》が欲《ほ》しいと思《おも》つて。」 「どこ?」 「鏡台《きやうだい》の、右《みぎ》の一|番上《ばんうへ》の抽出《ひきだし》だと思《おも》ふんだけど。」  姉《あね》は右《みぎ》の手《て》を胸《むね》のあたりで動《うご》かしてから、 「右《みぎ》ね?」 「多分《たぶん》さうだと思《おも》ふんだけど。若《も》しなかつたら、真中《まんなか》かも知《し》れないわ。」     二  万里子《まりこ》の姉《あね》が、予後《よご》の養生《やうじやう》の為《た》めにここの海岸《かいがん》に一|軒家《けんうち》を借《か》りてゐる先《さき》へ、万里子《まりこ》はなつ子《こ》を連《つ》れて遊《あそ》びに来《き》たまま、もうかれこれ二月近《ふたつきちか》くになつてゐた。始《はじ》めは、二人《ふたり》きりで来《き》てゐたのが、いつか東京《とうきやう》へ遊《あそ》びに出《で》た帰《かへ》りに、小《ちひ》さな方《はう》の女中《ぢよちう》を連《つ》れて来《き》たり、着物《きもの》も大分持《だいぶも》ち込《こ》んだり、手《て》まはりの道具《だうぐ》なども、知《し》らない間《ま》に驚《おどろ》く程殖《ほどふ》えてゐた。 「悪《わる》いから、家賃私《やちんわたし》も半分出《はんぶんだ》すわ。」  子《こ》のない姉《あね》が、たつた一人《ひとり》で土地《とち》の女《をんな》の子《こ》を雇《やと》つてヒツソリ暮《くら》してゐた家《うち》が、急《きふ》に賑《にぎや》かになつた。今《いま》では土地《とち》の女《をんな》の子《こ》は断《ことわ》つてしまひ、姉《あね》と、万里子《まりこ》と、なつ子《こ》と、|よし《ヽヽ》と、——どつちが同居人《どうきよにん》だか分《わか》らないやうな生活《せいくわつ》をしてゐた。 「ああ|じれ《ヽヽ》ツたい。髪切《かみき》つちやはうかしら。」  ヘヤーアイロンを当《あ》てながら、万里子《まりこ》は一人言《ひとりごと》ともなく、長火鉢《ながひばち》の前《まへ》にゐる姉《あね》へともなく、そんなことを云《い》つた。 「勿体《もつたい》ない。第《だい》一、海野《うんの》さん断髪《だんぱつ》なんか嫌《きら》ひよ、きつと。」 「海野《うんの》なんか。もう私《わたし》なんかどうなつたつて構《かま》はないらしいから——。一|緒《しよ》にゐたつて、お互《たがひ》に口《くち》も利《き》かないのよ、この頃《ごろ》ぢや。」 「一|体《たい》一人《ひとり》でどんな生活《せいくわつ》をしてゐるのかしら?」 「女中《ぢよちう》の拵《こしら》へる|おかず《ヽヽヽ》で不平《ふへい》も云《い》はずに食《た》べてるわ。俺《おれ》は女房《にようばう》の要《い》らない人間《にんげん》だ、と不断《ふだん》から口癖《くちぐせ》のやうに云《い》つてゐただけあつて、|なか《ヽヽ》を指揮《しき》して、キチンと遣《や》つてゐるわ。」 「寂《さび》しくないのかしら、それで?」 「ないらしいわ。あの人《ひと》はね、元《もと》から仕事《しごと》を始《はじ》めたとなつたら、女房子《にようばうこ》なんか忘《わす》れちやふ性《たち》だつたけれど——。それに、楽《たの》しみを外《そと》に求《もと》める人《ひと》ぢやないでせう。本《ほん》さへありやいゝ人《ひと》なんだから——。」  話《はな》してゐるうちに、寂《さび》しいだらうと話題《わだい》にされてゐる人《ひと》よりも、二月近《ふたつきちか》くも家《うち》を明《あ》けても、良人《をつと》から寂《さび》しがられない自分自身《じぶんじしん》の方《はう》が——万里子《まりこ》は急《きふ》に寂《さび》しくなつた。 「でも、やつぱり寂《さび》しいのかしら。この節《せつ》、小鳥《ことり》を飼《か》つたり、犬《いぬ》を飼《か》つたりしてゐるわ。」  万里子《まりこ》は強《し》ひても、海野《うんの》をも寂《さび》しい人間《にんげん》にしたかつた。 「だから、万里《まり》さん、あなたも早《はや》く帰《かへ》つてお上《あ》げよ。」 「厭《いや》なこツた。ゐてもゐなくつてもいゝやうなところへ、誰《たれ》が帰《かへ》つてやるものか。」 「さうぢやないよ。男《をとこ》ツてみんなそんな顔《かほ》をしたがるものなんだよ。」 「……。」 「それでなきや、あなたにお小遣《こづかひ》を今《いま》のやうに豊富《ほうふ》にくれる訳《わけ》はないわ。」 「……。」 「だつて、もう今《いま》ぢや——何《なん》てえの?——向《むか》うの奥《おく》さんも、向《むか》うは向《むか》うで無事《ぶじ》に収《をさ》まつてるんだらう? プツツリ出入《でい》りが留《と》まつてるんだらう?」  万里子《まりこ》はパフで粉《こな》白粉《おしろい》を鼻《はな》の頭《あたま》へ叩《たゝ》き込《こ》みながら、頷《うなづ》いて見《み》せた。 「——そんならいゝぢやないの?」 「よかないわ。海野《うんの》が自身《じしん》で迎《むか》へに来《こ》なきや私帰《わたしかへ》らないわ。」 「……。」 「悪《わる》いことをしたのは向《むか》うですもの。海野《うんの》が謝《あやま》るのが——迎《むか》へに来《く》るのが、謝意《しやい》の現《あらは》れだわ。さうでせう?」 「だけど——」 「本当《ほんたう》を云《い》へば、海野《うんの》と私《わたし》とは性格《せいかく》が合《あ》はない同士《どうし》だとつく/″\思《おも》ふわ。こんな人間《にんげん》が夫婦《ふうふ》になつてゐるのが間違《まちが》ひだわ。お互《たがひ》の不幸《ふかう》だと思《おも》ふわ。なつ子《こ》さへゐなきや、私《わたし》さつさと別《わか》れちまふんだけど——」     三 「|よし《ヽヽ》や、お嬢《ぢやう》さんは?」 「ひろ子《こ》ちやんと遊《あそ》んで入《い》らつしやいます。」 「どこで?」 「唐土《もろこし》が原《はら》で——」 「唐土《もろこし》が原《はら》? 困《こま》つたね。ぢや、自動車《じどうしや》で行《い》かう。お前《まへ》お隣《となり》へ行《い》つて電話《でんわ》を掛《か》けて来《き》ておくれよ。」 「はい。」  万里子《まりこ》は盛装《せいさう》すると、自動車《じどうしや》に乗《の》つて、ブラインドを卸《おろ》して、なつ子《こ》の遊《あそ》んでゐる原《はら》の前《まへ》を通《とほ》つて、停車場《ていしやば》へ向《むか》つた。  十|分《ぷん》と待《ま》たずに、上《のぼ》りの汽車《きしや》がはひつて来《き》た。  新橋《しんばし》へ着《つ》いた時《とき》は、それでも二|時《じ》を三十|分近《ぷんちか》く過《す》ぎてゐた。約束《やくそく》の場所《ばしよ》に、しかし伏見《ふしみ》は待《ま》つてゐた。前《まへ》のめりに茶《ちや》のフアーを被《かぶ》つて、アメリカ好《ごの》みの緩《ゆる》いオーバーの襟《えり》を立《た》てた彼《かれ》のガツチリした姿《すがた》を一|目見《めみ》るが否《いな》や、万里子《まりこ》は、半《なか》ば以上《いじやう》予期《よき》はしてゐたものの、流石《さすが》に満足《まんぞく》だつた。 「なんにも云《い》はないこと。」  クルツと目《め》で笑《わら》つて、立《た》ち留《ど》まりもしず、伏見《ふしみ》の傍《そば》をすれ/\に通《とほ》り過《す》ぎながら、彼女《かのぢよ》は云《い》つた。 「云《い》ふ張《は》り合《あひ》も感《かん》じないよ。」 「フフ——」  伏見《ふしみ》も上手《じやうず》に肩《かた》を並《なら》べて一|緒《しよ》になりながら、 「自動車《じどうしや》——?」  さう云《い》ひ掛《か》けて来《く》る円《ゑん》タクの客引《きやくひき》の間《あひだ》を無言《むごん》で、穏《おだや》かな冬《ふゆ》の日《ひ》の当《あた》つてゐる構外《こうぐわい》へ出《で》た。シールのコートに包《つゝ》まれて万里子《まりこ》の姿《すがた》が、日《ひ》を吸《す》つて艶々《つやつや》と光《ひか》つた。 「どこへ行《ゆ》くのさ?」  左《ひだり》へ行《ゆ》かずに、真直《まつす》ぐに行《ゆ》く伏見《ふしみ》の顔《かほ》を万里子《まりこ》は仰《あふ》いだ。 「待《ま》ち草臥《くたび》れて腹《はら》が減《へ》つたから、ちよいと寿司《すし》を撮《つま》んで行《ゆ》かうと思《おも》つて——」 「間《ま》に合《あ》ふ?」 「ハハハ、間《ま》に合《あ》ふもないもんだ。」  二人《ふたり》は新富寿司《しんとみずし》へはひつた。 「白銀《はくぎん》の乱舞《らんぶ》は?」  切符《きつぷ》を買《か》ひながら万里子《まりこ》が聞《き》くと、 「今始《いまはじ》まつたばかりでございます。」  案内《あんない》されて、二|階《かい》の席《せき》に腰《こし》を卸《おろ》すと、丁度女《ちやうどをんな》が、風《かぜ》に髪《かみ》を吹《ふ》かれながら、シユナイダーにスキーを教《をそ》はつてゐるところだつた。  二|匹《ひき》の狐《きつね》が掴《つか》まつて、檻《をり》の中《なか》へ入《い》れられて、四|方《はう》八|方《ぱう》から大勢《おほぜい》のスキーヤーに雪《ゆき》の塊《かたまり》をぶつけられるところで、パツと明《あか》るくなつた。 「なまじツか変《へん》なストーリーがないのがいゝぢやないの?」 「さうだな。」  二人《ふたり》は紅茶《こうちや》を飲《の》みに廊下《らうか》へ出《で》た。 「やあ。」 「あら。」  そこには、いつものグループが男《をとこ》をんな取《と》り交《ま》ぜて五六|人《にん》、立《た》ち話《ばなし》をしてゐた。  万里子《まりこ》はみんなを誘《さそ》つて喫茶店《きつさてん》へ腰《こし》を卸《おろ》した。大勢《おほぜい》に取《と》り囲《かこ》まれて、賑《にぎや》かにしてゐるのが万里子《まりこ》は好《す》きだつた。 「みんな一|流《りう》のスキーヤーなんだらうけれど、シネマになると、我々《われわれ》トリツクに馴《な》れてゐるからね、幾《いく》ら旨《うま》くつてもそれが当《あた》り前《まへ》だと云《い》ふ感《かん》じがして来《き》て、狐狩《きつねがり》のところなんざあ、やゝ単調《たんてう》退屈《たいくつ》だね。」  誰《たれ》かがそんなことを云《い》ひ出《だ》した。 「でも私《わたし》、レエニのやうなあんな真白《まつしろ》なジヤケツを着《き》て辷《すべ》つて見《み》たくなつたわ。」と万里子《まりこ》が云《い》つた。 「いゝな。奥《おく》さんにはあんなジヤケツ似合《にあ》ふな、きつと。」 「さうね。カツトなさいよ、奥《おく》さん。私《わたし》とても洋装《やうさう》お似合《にあ》ひになると思《おも》ふわ。」 「さうかしら。」     四 「出《で》ない? 詰《つ》まんないぢやないの。」  次《つぎ》の「最後《さいご》の偵察《ていさつ》」の途中《とちう》で、万里子《まりこ》が伏見《ふしみ》に囁《さゝや》いた。さうして返事《へんじ》を待《ま》たずに席《せき》を立《た》つた。  伏見《ふしみ》はオーバーを抱《かゝ》へて、|そそくさ《ヽヽヽヽ》と彼女《かのぢよ》の後《あと》を追《お》つて廊下《らうか》へ出《で》て来《き》た。 「みんなは?」  振《ふ》り返《かへ》りながら万里子《まりこ》が云《い》つた。 「いゝぢやありませんか。見《み》てゐるなら——」 「誘《さそ》はうよ。大勢《おほぜい》の方《はう》がいゝもの。」 「二人《ふたり》きりの方《はう》が僕《ぼく》はいゝな。」 「……。」  万里子《まりこ》が黙《だま》つてゐるので、オーバーへ手《て》を通《とほ》してしまふと、彼《かれ》は今《いま》自分《じぶん》が出《で》て来《き》た隣《となり》のドアを明《あ》けて中《なか》へはひつて行《い》つた。  やがて、伏見《ふしみ》を先《さき》に、保坂《ほさか》と|かつよ《ヽヽヽ》とが飛《と》び出《だ》して来《き》た。 「後《あと》の連中《れんちう》は仕舞《しまひ》まで見《み》て行《い》くツて。」  万里子《まりこ》は、伏見《ふしみ》の言葉《ことば》を聞《き》き流《なが》しながら、うしろの二人《ふたり》に 「ダンス附《つ》き合《あ》はない?」  二人《ふたり》は笑顔《ゑがほ》で万里子《まりこ》の言葉《ことば》を受《う》けたが、 「どうする?」と保坂《ほさか》が|かつよ《ヽヽヽ》を顧《かへり》みた。 「お供《とも》するわ。」  万里子《まりこ》を先《さき》に、四|人《にん》は階段《かいだん》を降《お》りた。  うそ寒《さむ》く日《ひ》の陰《かげ》つた往来《わうらい》に、夕風《ゆふかぜ》が吹《ふ》くともなく吹《ふ》いてゐた。 「東京《とうきやう》は寒《さむ》いのね。」  隣《となり》で靴音《くつおと》を立《た》ててゐる|かつよ《ヽヽヽ》に、万里子《まりこ》は顎《あご》を毛皮《けがは》の中《なか》へ埋《うづ》めたまま話《はな》し掛《か》けた。 「鵠沼《くげぬま》ぢや、もういろんな花《はな》が咲《さ》いてるわ。」 「羨《うらや》ましいな。」  四|人《にん》は銀座裏《ぎんざうら》の浜作《はまさく》でゆつくり晩飯《ばんめし》を食《た》べてから、赤坂《あかさか》のダンスホールへ行《い》つた。 「入《い》らつしやいまし。」  馴染《なじみ》のボーイが、万里子《まりこ》の足許《あしもと》へ、預《あづ》けてあるダンス草履《ざうり》を揃《そろ》へてくれた。  レコードが止《や》んで、間《ま》もなくバンドが「ボレロ」を送《おく》り出《だ》して来《き》た。同時《どうじ》に、ホールの照明《せうめい》がポーツと夢見《ゆめみ》るやうな緑色《みどりいろ》に変《かは》つた。  万里子《まりこ》は、伏見《ふしみ》と組《く》んで踊《をど》り出《だ》した。洋行帰《やうかうがへ》りだけあつて、伏見《ふしみ》が軽々《かるがる》とリードしてくれる柔《やはら》かな手触《てざは》りは、外《ほか》の誰《たれ》と踊《をど》る時《とき》よりも快《こゝろよ》かつた。彼《かれ》は写真術修行《しやしんじゆつしゆぎやう》の目的《もくてき》で、三|年程《ねんほど》アメリカへ行《い》つてゐて、去年《きよねん》の秋帰《あきかへ》つて来《き》たばかりの青年《せいねん》だつた。 「決心附《けつしんつ》いた?」  踊《をど》りながら、伏見《ふしみ》が万里子《まりこ》の耳《みゝ》に囁《さゝや》いた。 「そんな忙《せ》いたつて——」  静《しづ》かに廻《まは》りながら万里子《まりこ》も囁《さゝや》いた。 「だつて、幾《いく》ら考《かんが》へたつて切《き》りのないことだもの。」 「そんなことないさ。」 「ステツプ、ジス、ウエー。後《あと》は引《ひ》き受《う》けるよ。」  万里子《まりこ》が何《なに》か云《い》はうとした時《とき》、音楽《おんがく》が終《をは》つた。——パツと当《あた》り前《まへ》の照明《せうめい》に返《かへ》つた。  一|休《やす》みした頃《ころ》を見計《みはか》らつて、バンドが「パセ・ド・ブル」を奏《かな》で出《だ》した。手足《てあし》がひとりでにウキ/\するやうな「ドン・ホセ」だつた。 「今夜《こんや》こつち?」  また踊《をど》りながら伏見《ふしみ》が聞《き》いた。 「どうしようかしら。」  心《こゝろ》では「帰《かへ》る」と極《き》めてゐながら、万里子《まりこ》は思《おも》はせ振《ぶ》りにわざとさう云《い》つた。 [#改ページ]   蜂《はち》     一 「休《やす》まないか。」  大学《だいがく》を出《で》て、一二|年《ねん》、同人雑誌《どうじんざつし》から巣立《すだ》つたばかりと云《い》つた感《かん》じの青年作家《せいねんさくか》が四|人《にん》、夕騒《ゆふさわ》がしい銀座《ぎんざ》を歩《ある》きながら、エスキモーの前《まへ》で立《た》ち留《ど》まつた。 「うむ、休《やす》まう。」  重《おも》いガラスのドアを押《お》して、一人《ひとり》づつ中《なか》へはひつた。 「僕《ぼく》は紅茶《こうちや》だ。」  四|人《にん》差向《さしむか》ひにセパレへ腰《こし》を卸《おろ》しながら、白《しろ》いさつぱりした服《ふく》を着《き》たボーイに云《い》つた。 「なんだ、僕《ぼく》は飯《めし》を食《く》ふぜ。——カツレツランチを二つ。」 「二つ? 二つ君《きみ》一人《ひとり》で食《く》ふのか。」 「うむ、さつきから腹《はら》が減《へ》つて叶《かな》はんのだ。」 「呆《あき》れた。」 「こいつアいけねえ。さう云《い》はれたら、俺《おれ》も俄《にはか》に空腹《くうふく》を覚《おぼ》えて来《き》やがつた。——ボーイさん、僕《ぼく》にもそのカツレツランチなるものをくれたまへ。——一つでいゝよ。」 「ぢや、僕《ぼく》も紅茶《こうちや》は取《と》り消《け》しだ。さうさな、僕《ぼく》はなんにしようかな。——何《なん》だい、ボーイさん、この臓物《ざうもつ》ランチつてのは?」 「それはレバなんかが煮込《にこ》んでございますのです。」 「そいつア旨《うま》さうだ。そいつをくれたまへ。」 「はい。」  ボーイが向《むか》うへ行《い》つてしまふと、すぐ煙草《たばこ》と雑談《ざつだん》とが始《はじ》まつた。 「こりや驚《おどろ》いた。」  一人《ひとり》、夕刊《ゆふかん》を拡《ひろ》げてゐた武田《たけだ》がかう云《い》つて 「見《み》ろよ、海野《うんの》さんが舞踊《ぶよう》にまで手《て》を拡《ひろ》げたぜ。」  さう云《い》ひながら、新聞《しんぶん》をテーブルの上《うへ》へ置《お》いた。 「舞踊《ぶよう》?」  みんなの頭《あたま》が四|方《はう》から集《あつ》まつた。そこには、月末《げつまつ》に三|日間《かかん》歌舞伎座《かぶきざ》で蓋《ふた》を明《あ》ける××会《くわい》の為《た》めに、海野太郎《うんのたらう》が、老《お》いた魔女《ヰツチ》を主人公《しゆじんこう》にした舞踊台本《ぶようだいほん》を脱稿《だつかう》したと云《い》ふことが報《はう》ぜられてゐた。 「一|体《たい》どうしたつてんだらうな、近頃《ちかごろ》の海野《うんの》さんは。」  レバを註文《ちゆうもん》した小坪《こつぼ》が顔《かほ》を上《あ》げながら云《い》つた。 「あんまり仕事《しごと》をし過《す》ぎるよ。去年《きよねん》の秋《あき》から、毎月何《まいげつなに》か彼《か》か一つづつ上演用脚本《じやうえんようきやくほん》を書《か》いてゐるぢやないか。」 「上演用脚本《じやうえんようきやくほん》ぢやないよ。」 「——商業的脚本《しやうげふてききやくほん》か。」 「さうだよ。旧劇《きうげき》の書《か》き直《なほ》しか、役者《やくしや》に当《あ》て嵌《は》めて書《か》いた——いや、書《か》かされたとしか思《おも》はれないやうなものばかりだ。」 「そんなことはないよ。さう云《い》ふものを書《か》いてゐる一|方《ぱう》では、ちやんとした本格的《ほんかくてき》な芸術脚本《げいじゆつきやくほん》も発表《はつぺう》してゐるさ。××××の正月号《しやうぐわつがう》に出《で》た『木《こ》がくれの巣《す》』なんか、堂々《だうだう》たるものだつたぢやないか。評判《ひやうばん》もよかつた。」 「そりや書《か》いてゐるさ。しかし、率《りつ》から云《い》つてどうだい? 商業的脚本《しやうげふてききやくほん》五つの、ドラマ一つ、と云《い》つた割合《わりあひ》ぢやないか。それが同《おな》じことでも、あべこべなら——商業的脚本《しやうげふてききやくほん》一つの、ドラマ五つ——とまでは行《ゆ》かなくとも、せめて三つ位書《くらゐか》いてゐればな、僕等《ぼくら》は何《なに》も云《い》ふところはないけれど。ひどいよ、ここ半年《はんとし》ばかりの海野太郎《うんのたらう》の堕落振《だらくぶ》りは。」 「しかし、何《なに》か金《かね》の必要《ひつえう》に迫《せま》られてゐる——とでも云《い》ふやうな事情《じじやう》でもあるんぢやないのか? それでなければ、ちよいと理会《りくわい》出来《でき》ないぢやないか。」 「誰《たれ》か近頃逢《ちかごろあ》つたか。」  かう云《い》ひながら、小坪《こつぼ》が三|人《にん》の顔《かほ》を見廻《みまは》した。 「いや。」  第《だい》一に、武田《たけだ》が|かぶり《ヽヽヽ》を振《ふ》つた。     二 「僕《ぼく》も暫《しばら》く逢《あ》はないな。」と、度《ど》の強《つよ》い近眼鏡《きんがんきやう》を光《ひか》らしながら森《もり》が云《い》つた。 「ぢや、僕《ぼく》だけだな、最近逢《さいきんあ》つてるのは。」  カツレツランチを二|人前《にんまへ》註文《ちゆうもん》した荒木《あらき》が云《い》つた。 「さうか。どこで逢《あ》つた?」 「いや、この間《あひだ》の土曜日《どえうび》に、久振《ひさしぶり》で逢《あ》ひたくなつて遊《あそ》びに行《い》つたんだ。」 「フーム、どんなだつた?」  人《ひと》のゴールデンバツトに手《て》を出《だ》しながら小坪《こつぼ》が聞《き》いた。 「とても元気《げんき》だつた。元気《げんき》だつたと云《い》つただけぢや云《い》ひ切《き》れない位《くらゐ》活気《くわつき》が溢《あふ》れてゐたぜ。」 「フーム。」  意外《いぐわい》な消息《せうそく》に、三|人《にん》が三|人《にん》とも目《め》を耀《かゞや》かして思《おも》はず聞《き》き耳《みゝ》を立《た》てた。 「——あんなことのあつた後《あと》だらう? おまけに鰥夫暮《やもをぐ》らしだつてんだらう? とてもシヨボ/″\してゐるんぢやないかと思《おも》つて行《い》つたところが、いゝ血色《けつしよく》をして、少《すこ》し肥《ふと》つて、小面憎《こづらにく》い位《くらゐ》溌剌《はつらつ》としてゐたんで、面喰《めんくら》つちやつたよ、僕《ぼく》は。」 「ヘエー。」 「今《いま》まで海野《うんの》さんは徹夜組《てつやぐみ》だつたらう? それが朝《あさ》八|時《じ》に起《お》きて、晩飯《ばんめし》までずつと書《か》き続《つゞ》けるんだつて。晩飯《ばんめし》が済《す》むと、それから読書《どくしよ》の時間《じかん》になるんだとさ。さうして十|時就寝《じしうしん》。——三日坊主《かばうず》でせうと僕《ぼく》が云《い》つたら、冗談云《じようだんい》ふな、もう一|月《つき》以上《いじやう》も続《つゞ》いてゐるのを知《し》らないのか、なんて威張《ゐば》つてゐた。」 「変《かは》れば変《かは》るもんだな。」 「面会時間《めんくわいじかん》夜間《やかん》、昼間《ひるま》は執筆中《しつぴつちう》に付《つき》用談《ようだん》十|分《ぷん》以内《いない》に願上候《ねがひあげさふらふ》。玄関《げんくわん》のところに、支那《しな》の赤《あか》い紙《かみ》にさう書《か》いて張《は》り出《だ》されてゐるよ。」 「また|やけ《ヽヽ》にガツチリしちやつたもんだな。——商業的脚本《しやうげふてききやくほん》ばかり書《か》いてゐることについて、なんにも云《い》つてゐなかつたか。」 「云《い》つてゐた。頼《たの》まれりや何《なん》でも書《か》く。書《か》く興味《きようみ》の湧《わ》かないものぢや仕方《しかた》がないが——。何《なん》でも書《か》いた為《た》めに、本質《ほんしつ》まで堕落《だらく》するやうな人間《にんげん》なら、何《なん》でも書《か》かなくたつていつか堕落《だらく》する人間《にんげん》に違《ちが》ひない——」 「強弁《きやうべん》だな、少《すこ》し。自己弁護《じこべんご》の匂《にほひ》がするぢやないか。」  さう云《い》ふ小坪《こつぼ》の言葉《ことば》に、森《もり》がさつきの問題《もんだい》に返《かへ》つて 「だけど、何《なに》か、さう何《なん》でも引《ひ》き受《う》けて書《か》く——書《か》かなければならない——何《なに》か経済的《けいざいてき》な事情《じじやう》でもあるのか。」 「いや、面白《おもしろ》いから書《か》くんだと云《い》つてゐた。時間《じかん》とエネルギーとが余《あま》つてゐるから書《か》くんだと云《い》つてゐた。」 「嘘云《うそい》つてやがらあ。何《なに》も余《あま》つてやしないぢやないか。肝腎《かんじん》なドラマをちつとも書《か》いてないぢやないか。そのセリフは、毎月欠《まいげつか》かさずドラマを発表《はつぺう》してゐる作家《さくか》の云《い》ふことだ。」 「ところが、海野《うんの》さんは書《か》いてゐるよ。見《み》せられて僕《ぼく》も驚《おどろ》いたんだが、こんなに書《か》いて持《も》つてゐる。」 「本当《ほんたう》か。」 「三|幕物《まくもの》が一つに、一|幕物《まくもの》が五つ位《くらゐ》、綺麗《きれい》に清書《せいしよ》して——あのうしろの抽出《ひきだし》な、あすこから出《だ》して見《み》せてくれたよ。」 「だけど、をかしいぢやないか、書《か》けてゐるものを、どうして発表《はつぺう》しないんだ?」 「僕《ぼく》もさう云《い》つて聞《き》いたんだ。ところが、答《こた》へは至極簡単《しごくかんたん》だ。どこからも買《か》ひに来《こ》ないから——発表《はつぺう》する機会《きくわい》に恵《めぐ》まれないから、発表《はつぺう》しないまでのことだと云《い》ふんだ。」 「フーム。」  三|人《にん》が三|人《にん》とも、海野《うんの》の燃《も》え盛《さか》つてゐるヴアイタル・フオース(生活力《せいくわつりよく》)が、なま/\しく圧《の》しかかつてくるやうな圧迫《あつぱく》を感《かん》じずにはゐられなかつた。     三 「なんにしても、盛《さか》んなことだな。」  さう云《い》ひながら、武田《たけだ》がバツトの吸《す》ひさしを灰落《はひおと》しの底《そこ》にこすりつけた。 「兎《と》に角《かく》いゝ傾向《けいかう》だよ。」  さう云《い》つた小坪《こつぼ》の尾《を》に附《つ》いて、荒木《あらき》が 「何《なに》か知《し》らないが、非常《ひじやう》に積極的《せききよくてき》な気持《きもち》になつてゐることは事実《じじつ》だね。」 「とすると、シツトリ夫人《ふじん》との事件《じけん》が旨《うま》く行《い》かなかつたことは、海野太郎《うんのたらう》にとつては、寧《むし》ろいゝことだつたかも知《し》れないな。」  小坪《こつぼ》が云《い》つた。 「いや、それは何《なん》とも云《い》へないぜ。」  さう云《い》つて相手《あひて》に廻《まは》つたのは荒木《あらき》だつた。 「我々《われわれ》第三者《だいしや》は何《なん》とでも云《い》へるがね、当人《たうにん》の身《み》になつて見《み》たまへ、辛《つら》いことだらうと思《おも》ふな。僕《ぼく》は、人知《ひとし》れず、そつと涙《なみだ》を拭《ふ》いてゐる夕方《ゆふがた》もあるだらうと思《おも》ふんだ。」 「そりやさうさ。だけど、僕《ぼく》は飽《あ》くまで第《だい》三|者《しや》として批判《ひはん》してゐるんだ。」  小坪《こつぼ》が慌《あわ》てて自分《じぶん》の立《た》ち場《ば》を守《まも》つた。 「だから——批判《ひはん》するのは勝手《かつて》さ。だけど、あの事件《じけん》が旨《うま》く行《ゆ》かなかつたことが、海野《うんの》さんの為《た》めに却《かへ》つてよかつたと軽々《けいけい》に云《い》ひ切《き》るのはどうかと云《い》ふんだよ。旨《うま》く行《い》つた方《はう》が、もつといゝ結果《けつくわ》を生《う》んだかも知《し》れないものね。さう云《い》ふ理由《りいう》が僕《ぼく》はいろ/\あると思《おも》ふんだ。」 「うむ。」 「この間《あひだ》も、こんな話《はなし》をしてゐた。京都《きやうと》の竹内栖鳳《たけのうちせいほう》ね、あの人《ひと》の話《はなし》なんだが——。お孫《まご》さんが病気《びやうき》の時《とき》、オロ/\と、心配《しんぱい》して、そつと病室《びやうしつ》へ様子《やうす》を見《み》に来《く》るのだが、いつの間《ま》にかゐなくなつてしまふんださうだ。どこへ行《い》つたんだらうと思《おも》つて、探《さが》すと、画室《ぐわしつ》にちやんと坐《すわ》つて絵《ゑ》を書《か》いてゐる。——それが毎日《まいにち》なんださうだ。」 「……。」  みんな黙《だま》つて耳《みゝ》を傾《かたむ》けてゐた。 「いゝ塩梅《あんばい》に、お孫《まご》さんの病気《びやうき》は直《なほ》つた。そのお祝《いは》ひの席《せき》か何《なに》かで、栖鳳《せいほう》が孫《まご》の両親《りやうしん》に向《むか》つて云《い》ふには、お前達《まへたち》はよくあんなに苦《くる》しがつてゐる子供《こども》の傍《そば》に附《つ》いてゐられるな。わしは小《ちひ》さい者《もの》の病気《びやうき》は御免《ごめん》だ。と云《い》つて、病室《びやうしつ》の外《そと》に出《で》てゐたつて、心配《しんぱい》で心配《しんぱい》でとてもぢつとしてゐられるものではない。仕方《しかた》がないので、わしは画室《ぐわしつ》へ逃《に》げ込《こ》んで、絵《ゑ》を書《か》いてゐた。しかし、そんな気持《きもち》で絵《ゑ》らしい絵《ゑ》が書《か》ける訳《わけ》がない。それでも、絵《ゑ》を書《か》いてゐる間《あひだ》は、絵《ゑ》に心《こゝろ》を奪《うば》はれてゐるのでな——さう云《い》つたと云《い》ふのだ。」 「フーム。」 「海野《うんの》さんは、この話《はなし》を、栖鳳《せいほう》が純粋《じゆんすい》な画家《ぐわか》である好話柄《かうわへい》として僕《ぼく》に話《はな》して聞《き》かせてくれたんだが、僕《ぼく》は聞《き》きながら、あの事件以後《じけんいご》の海野《うんの》さんの心境《しんきやう》を聞《き》いてゐるやうな気《き》がしてならなかつた。海野《うんの》さんの場合《ばあひ》では、あの事件《じけん》は、孫《まご》の病気《びやうき》だよ。小坪《こつぼ》の云《い》ふ商業的脚本《しやうげふてききやくほん》の多産《たさん》は、つまり画室《ぐわしつ》さ。」 「うむ。成程《なるほど》さうか。」  小坪《こつぼ》が一|文字《もんじ》に唇《くちびる》を結《むす》んで、大《おほ》きく頷《うなづ》いた。 「ぢや、肥《ふと》つて溌剌《はつらつ》としてゐるのは何《なん》だい?」と武田《たけだ》が|からかふ《ヽヽヽヽ》やうに荒木《あらき》に云《い》つた。 「そりや規則的《きそくてき》な生活《せいくわつ》が健全《けんぜん》な肉体《にくたい》を招来《せうらい》したまでのことさ。」 「ハハハ。」  みんなは声《こゑ》を合《あ》はせて笑《わら》つた。  そこへ、誂《あつら》へたものが来《き》た。みんなは煙草《たばこ》を捨《す》てて、すぐに食《た》べにかゝつた。  その時《とき》、ドアが明《あ》いて、万里子《まりこ》が、ハイカラなスタイルをした、混血児《あひのこ》のやうな顔立《かほだ》ちの青年《せいねん》と連《つ》れ立《だ》つて這入《はひ》つて来《き》た。  客《きやく》の目《め》が一|斉《せい》に新来《しんらい》の客《きやく》に注《そゝ》がれた。四|人《にん》も顔《かほ》を上《あ》げた拍子《ひやうし》に、万里子《まりこ》と目《め》が合《あ》つた。 「やあ、暫《しばら》く。」 「しばらく。」  軽《かる》く挨拶《あいさつ》を交《かは》すと、万里子《まりこ》はさつさと奥《おく》の方《はう》へ歩《あゆ》み去《さ》つた。——連《つれ》は、この間《あひだ》の伏見《ふしみ》ではなかつた。 [#改ページ]   十一マイナス九     一 「さう云《い》ふ訳《わけ》だから、——と云《い》つて、わしは離婚《りこん》には反対《はんたい》だ。君《きみ》から三千代《みちよ》を引《ひ》き放《はな》す考《かんが》へは毛頭《まうとう》ない。しかし、三千代《みちよ》の云《い》ふところにも一|理《り》はある。それを一|概《がい》に退《しりぞ》けるのは間違《まちが》つてゐる。だから、この際暫《さいしばら》く別居《べつきよ》して見《み》るがいゝと思《おも》ふのだ。」 「……。」 「別居《べつきよ》して、お互《たがひ》にジツクリ考《かんが》へて見《み》ることだ。お互《たがひ》に反省《はんせい》して見《み》ることだ。さうすると、二人《ふたり》一|緒《しよ》にゐたのでは分《わか》らないことも、別居《べつきよ》して、一人《ひとり》になつて、いろ/\不便《ふべん》な思《おも》ひをしてゐるうちには、人間誰《にんげんたれ》しも謙遜《けんそん》な気持《きもち》になるものだ。そこで、もう一|度《ど》夫婦生活《ふうふせいくわつ》と云《い》ふものを——自分達《じぶんたち》のこれまでの生活《せいくわつ》を、反省《はんせい》して見《み》るのだね。」 「……。」 「わしはどつちの味方《みかた》をするのでもないが、かう云《い》ふ結果《けつくわ》になつたところを見《み》れば、君達《きみたち》の夫婦生活《ふうふせいくわつ》には、三千代《みちよ》にも、君《きみ》にも、両方《りやうはう》に間違《まちが》つたところがあつたのだらうと思《おも》ふのだ。どう云《い》ふ点《てん》が間違《まちが》つてゐるか、それはわしには分《わか》らない。が、間違《まちが》つたところがあつたことだけは間違《まちが》ひないと思《おも》ふのだ。そこを、お互《たがひ》が反省《はんせい》するのだね。反省《はんせい》すべき時《とき》が来《き》たのだとわしは思《おも》ふのだよ。」 「……。」 「三千代《みちよ》にも、無論《むろん》いろ/\反省《はんせい》すべき欠点《けつてん》があるに違《ちが》ひない。また、君《きみ》にもいろ/\反省《はんせい》すべき欠点《けつてん》があると|わし《ヽヽ》は思《おも》ふのだ。いゝ機会《きくわい》だから、そこを十|分《ぶん》反省《はんせい》して見《み》て、気附《きづ》いた点《てん》があつたら、それを切《き》つて捨《す》ててしまふのだね。さうしてまた改《あらた》めて、生《うま》れ変《かは》つたやうな気持《きもち》で一|緒《しよ》になるさ。手段《しゆだん》として、いゝ方法《はうはふ》だと思《おも》ふし、第《だい》一、二人《ふたり》の気持《きもち》がここまで来《き》てしまつた以上《いじやう》、これ以外《いぐわい》にいゝ方法《はうはふ》はないと思《おも》ふのだがね。」 「……。」  露木《つゆき》はさつきから、父《ちゝ》の云《い》ふことに頷《うなづ》いてばかりゐるのだつた。しかし、腹《はら》の中《なか》では、決《けつ》して父《ちゝ》の云《い》ふことに承服《しようふく》してゐる訳《わけ》ではなかつた。たとひ一|時《じ》にもせよ、三千代《みちよ》と別居《べつきよ》することなどは厭《いや》だつた。  が、彼《かれ》は厭《いや》だと思《おも》ふことでも、父《ちゝ》に向《むか》つては厭《いや》だと云《い》へない弱《よわ》い性格《せいかく》である上《うへ》に、よく思《おも》はれてゐなければ損《そん》だと云《い》ふ打算《ださん》もあつて、その点《てん》からも、強《つよ》いことは到底云《たうていい》へないのだつた。第《だい》一、別《わか》れたいと云《い》ふ三千代《みちよ》の申《まを》し出《で》に比《くら》べれば、別居《べつきよ》の方《はう》がまだどんなにいゝか知《し》れなかつた。 「分《わか》つたかね?」 「……。」  露木《つゆき》は神妙《しんめう》に頷《うなづ》いて見《み》せた。 「ぢや、さう云《い》ふことにするから——。今夜《こんや》は遅《おそ》いから泊《とま》つて、明日勤《あしたつと》めが早《はや》いなら、わしの袴《はかま》を穿《は》いて行《ゆ》くがいゝ。」 「いゝえ、明日《あした》は休《やす》みます。」 「勤《つと》めは休《やす》まん方《はう》がいゝ。」 「一|日位休《にちくらゐやす》んでも構《かま》はないんです。」 「さうか。」 「渉《わたる》さん。」  それまで黙《だま》つて聞《き》いてゐた母親《はゝおや》が、 「これは急《いそ》ぐことではないけれど、ついでの時《とき》、|あれ《ヽヽ》の着換《きが》へを二三|枚《まい》、郵便《いうびん》ででも送《おく》つてやつておくれでないか。」 「え、すぐお届《とゞ》けします。」 「それから、|あれ《ヽヽ》にゐなくなられてはお前《まへ》さんとこでもお困《こま》りだらうから、——それに、|あれ《ヽヽ》も子供《こども》がゐないと寂《さび》しいと云《い》ふし、ミサでも、順二《じゆんじ》でも、——何《なん》なら二人《ふたり》一|緒《しよ》でも構《かま》はないよ、さうさ、遊《あそ》び相手《あひて》があつて、その方《はう》がいゝかも知《し》れないね。——おツ母《か》さんにでもお願《ねが》ひして、明日《あす》にでもこつちへおよこしな。」 「はい。」     二 「ぢや、お休《やす》み。」  さう云《い》つて、父《ちゝ》がまづ立《た》つた。 「お休《やす》みなさい。」  露木《つゆき》も立《た》つて、いつも二|階《かい》と極《き》められてゐる寝室《しんしつ》へ上《あが》つて行《い》つた。  と思《おも》ふと、いきなりドタ/″\と踏《ふ》み抜《ぬ》きさうな足音《あしおと》を立《た》てて、駆《か》け降《お》りて来《き》た。  ガラツと、茶《ちや》の間《ま》の襖《ふすま》を手荒《てあら》く明《あ》ける音《おと》。と、今《いま》まで明《あか》るかつた茶《ちや》の間《ま》が真暗《まつくら》になつてゐた。  その為《た》め、露木《つゆき》はちよいと気勢《きせい》を殺《そ》がれた形《かたち》だつた。が、忽《たちま》ち一|層《そう》気持《きもち》を激発《げきはつ》されたらしく、真暗闇《まつくらやみ》の中《なか》で手触《てざは》りも荒《あら》く、座敷《ざしき》の襖《ふすま》に突《つ》き当《あた》りながら、ガラツと一|気《き》に引《ひ》き明《あ》けた。父《ちゝ》の枕許《まくらもと》のところにだけ、スタンドが丸《まる》く点《とも》つてゐた。 「何《なに》?——どうしたの?」  母《はゝ》が半身《はんしん》を起《おこ》しながら聞《き》いた。  露木《つゆき》はそれには答《こた》へず、一|番端《ばんはし》の三千代《みちよ》の——空《から》の蒲団《ふとん》へ殺到《さつたう》した。  枕《まくら》を蹴飛《けと》ばすと、夜着《よぎ》を二|枚《まい》一|緒《しよ》に引《ひ》ツ担《かつ》ぐが早《はや》いか、ズル/″\尾《を》を引《ひ》きながら部屋《へや》を出《で》て行《い》つた。  母《はゝ》は露木《つゆき》の意図《いと》が分《わか》つたので、安心《あんしん》して横《よこ》になつた。  彼《かれ》はまた降《お》りて来《き》た。さうして今度《こんど》は敷蒲団《しきぶとん》を、これも二|枚《まい》いちどきに担《かつ》いで二|階《かい》へ運《はこ》んで行《い》つた。  三千代《みちよ》は、風呂場《ふろば》で顔《かほ》と歯《は》とを洗《あら》ひながら、この物音《ものおと》を聞《き》いて知《し》つてゐた。何《なに》か羞《はづか》しくつて、すぐには両親《りやうしん》の寝《ね》てゐる部屋《へや》へ帰《かへ》つて行《い》けなかつた。  そつと襖《ふすま》を明《あ》けて見《み》たら、枕《まくら》と湯《ゆ》タンポとが薄暗《うすぐら》い畳《たゝみ》の上《うへ》に北《きた》と南《みなみ》とのやうに落《お》ちてゐた。 「行《い》つておやりよ。」  向《むか》うを向《む》いたまま母《はゝ》が云《い》つた。 「……。」  三千代《みちよ》は戸棚《とだな》を明《あ》けて、別《べつ》の蒲団《ふとん》を敷《し》いて横《よこ》になつた。  五|分《ふん》も経《た》つたらうか。  また梯子段《はしごだん》に足音《あしおと》がして、 「三千代《みちよ》。——三千代《みちよ》。」  茶《ちや》の間《ま》の暗闇《くらやみ》の中《なか》で呼《よ》ぶ声《こゑ》がした。  三千代《みちよ》は額《ひたひ》まで夜着《よぎ》を被《かぶ》つたまま黙《だま》つてゐた。  露木《つゆき》は湯殿《ゆどの》へ三千代《みちよ》を探《さが》しに行《い》つた。引《ひ》ツ返《かへ》して、また足音《あしおと》が近附《ちかづ》いた。唐紙《からかみ》が明《あ》く音《おと》がした。三千代《みちよ》は夜着《よぎ》の下《した》で、息《いき》を凝《こ》らしてゐた。  と、意外《いぐわい》にも、露木《つゆき》ははひつて来《こ》ずに唐紙《からかみ》を明《あ》け放《はな》したまま、二|階《かい》へ駆《か》け上《あが》つて行《い》つた。 「行《い》つておやりよ。」  母《はゝ》がまた云《い》つた。  と、二|階《かい》からまた夜着《よぎ》を放《はふ》り落《おと》す音《おと》が聞《きこ》え出《だ》した。やがて、それを引《ひ》き擦《ず》つて、露木《つゆき》は部屋《へや》へはひつて来《き》た。  三千代《みちよ》は体《からだ》ごと蒲団《ふとん》をグイと横《よこ》に引《ひ》かれた。  出来《でき》た透《す》き間《ま》へ、露木《つゆき》はせつせと自分《じぶん》の蒲団《ふとん》を敷《し》き始《はじ》めた。  シヤツの上《うへ》から寝間着《ねまき》を着《き》ると、バタツと仰向《あふむ》けに転《ころ》がつた。     三  三千代《みちよ》はぢつと寐《ね》た振《ふり》をしてゐた。 「びつくりした。——何《なに》よ?」  ふいに肩《かた》を掴《つか》まれて、三千代《みちよ》は怯《おび》えた目《め》で振《ふ》り返《かへ》つた。——薄暗《うすぐら》い肩《かた》の上《うへ》に、起《お》き上《あが》つた露木《つゆき》の生《なま》ツ白《ちろ》い半身《はんしん》があつた。おど/″\した二つの目《め》が、何《なに》かに燃《も》えてゐた。頬《ほゝ》の肉《にく》が身《み》すぼらしく顫《ふる》へてゐた。  三千代《みちよ》は肩《かた》に置《お》かれてゐる手《て》から、悪寒《をかん》が全身《ぜんしん》に走《はし》るのを覚《おぼ》えた。動物的《どうぶつてき》な厭《いと》はしさが五|感《かん》に|むつ《ヽヽ》と来《き》た。——三千代《みちよ》は、知《し》らぬ間《ま》に、こんなにも自分《じぶん》の体《からだ》と心《こゝろ》とが露木《つゆき》を離《はな》れてしまつてゐたのかとびつくりしずにはゐられなかつた。  理窟《りくつ》も何《なに》もなかつた。唯肌《たゞはだ》に触《さは》られてゐるのが本能的《ほんのうてき》に厭《いと》はしかつた。三千代《みちよ》は露木《つゆき》に背中《せなか》を向《む》けると、夜着《よぎ》の中《なか》で蒲団《ふとん》の端《はし》の方《はう》へずつと身《み》を|ずら《ヽヽ》した。  露木《つゆき》の手《て》が追《お》つて来《き》た。 「厭《いや》。」  心《こゝろ》の中《なか》でさう叫《さけ》びながら、三千代《みちよ》は寝《ね》たまま夜着《よぎ》の中《なか》から転《ころ》がり出《だ》した。  寝間着《ねまき》のどこかを掴《つか》まれたらしい手応《てごた》へを彼女《かのぢよ》は感《かん》じた。  そんなことに構《かま》はず、三千代《みちよ》は母《はゝ》の夜着《よぎ》の中《なか》へ飛《と》び込《こ》んだ。  ビリツと音《おと》を立《た》てて袖《そで》が千切《ちぎ》れた。母《はゝ》の寝床《ねどこ》の中《なか》で、腋《わき》の下《した》が剥《む》き出《だ》しになつた寒《さむ》さを感《かん》じた。 「……。」  母《はゝ》は黙《だま》つて、急《いそ》いで体《からだ》を退《すさ》つてくれた。  その肥《ふと》つた肩《かた》へ、三千代《みちよ》は優《やさ》しく、しかし心《こゝろ》では|ひし《ヽヽ》としがみついた。急《きふ》に昔《むかし》の懐《なつか》しい母《はゝ》の温《ぬく》みと匂《にほひ》とが三千代《みちよ》に返《かへ》つて来《き》た。  親子《おやこ》三|人《にん》が耳《みゝ》を欹《そばだ》ててゐるやうな何分間《なんぷんかん》かが部屋《へや》を埋《うづ》めた。  母《はゝ》に縋《すが》つてゐる安心《あんしん》もあつた。露木《つゆき》との間《あひだ》に、夜《よる》の物《もの》が一つ隔《へだ》ててゐる安心《あんしん》もあつた。三千代《みちよ》はいつか我彼《われか》の気色《けしき》にうと/\となつた。 「ウーツ。」  夜着《よぎ》を引《ひ》ツ被《かぶ》つた下《した》で、露木《つゆき》が泣《な》いてゐるらしい声《こゑ》に、三千代《みちよ》はハツと意識《いしき》を取《と》り戻《もど》した。  ハツキリ目《め》が醒《さ》めて見《み》ると、それツきり泣《な》き声《ごゑ》は聞《きこ》えなかつた。何《なに》も聞《きこ》えないシーンとした間《あひだ》が、何《なに》をされるかも分《わか》らないと思《おも》ふと、三千代《みちよ》は肉体的《にくたいてき》に恐《おそ》ろしかつた。  見《み》ると、父《ちゝ》はまだスタンドの|あかり《ヽヽヽ》を附《つ》けたまま、手《て》に古《ふる》い大《おほ》きな和綴《わとぢ》の本《ほん》を持《も》つて読《よ》んでゐた。父《ちゝ》の好《す》きな陸放翁《りくはうをう》の漢詩集《かんししふ》であらう。  母《はゝ》も、露木《つゆき》も、三千代《みちよ》も、三|人《にん》が三|人《にん》ながら寐《ね》た振《ふり》をしてゐる真夜中《まよなか》の静《しづ》けさの中《なか》で、時々父《ときどきちゝ》が丁数《ちやうすう》をめくる微《かす》かな音《おと》が、小鳥《ことり》の羽音《はおと》のやうに聞《きこ》えた。  やがて、母《はゝ》の寐息《ねいき》が静《しづ》かに聞《きこ》え出《だ》した。母《はゝ》が寐《ね》たと知《し》ると、三千代《みちよ》の心《こゝろ》は古《ふる》い大《おほ》きな和綴《わとぢ》の本《ほん》へ一筋《ひとすぢ》に縋《すが》り附《つ》いて行《い》つた。  今本《いまほん》が父《ちゝ》の手《て》を離《はな》れるか、今本《いまほん》が父《ちゝ》の手《て》を離《はな》れるか、三千代《みちよ》はそこだけ明《あか》るい父《ちゝ》の枕許《まくらもと》に、目《め》も心《こゝろ》も一|心《しん》にとまり木《ぎ》へのやうに|とま《ヽヽ》つてゐた。  父《ちゝ》の手《て》からは、とう/\一晩《ひとばん》ぢゆう「放翁詩集《はうをうししふ》」が離《はな》れなかつた。パタリと音《おと》がして、本《ほん》が閉《と》ぢられた時《とき》、三千代《みちよ》は頼《たの》みの綱《つな》が切《き》れたやうにハツとした。が、父《ちゝ》は手《て》にしてゐた本《ほん》をゆつくり下《した》へ置《お》くと、二|冊目《さつめ》を手《て》に取《と》り上《あ》げたのだつた。  三千代《みちよ》は久振《ひさしぶり》で、父《ちゝ》の愛情《あいじやう》に庇《かば》はれて夜《よる》を明《あ》かした。     四  その後《ご》、露木《つゆき》はミサと順二《じゆんじ》とを一人《ひとり》づつ二|度《ど》に連《つ》れて来《き》た。その度《たび》に、泊《とま》つて行《い》つた。  泊《とま》ると、その翌《あく》る日《ひ》は学校《がくかう》を休《やす》んだ。 「さう勤《つと》めを欠《か》いていゝのか。」  父《ちゝ》にさう云《い》はれては、もう一|晩泊《ばんとま》つて行《ゆ》きたさうにしいしい、帰《かへ》つて行《ゆ》くのだつた。  父《ちゝ》は心配《しんぱい》して三千代《みちよ》に学校《がくかう》へ電話《でんわ》を掛《か》けさせたりした。 「ちよいとお待《ま》ち下《くだ》さい。」  返事《へんじ》は、ずつと露木《つゆき》が休講《きうかう》してゐるとのことだつた。 「仕様《しやう》のない奴《やつ》だ。」  父《ちゝ》は一人呟《ひとりつぶや》いてゐたが、女《をんな》と仕事《しごと》とを一|緒《しよ》にしてゐる——いや、仕事《しごと》より女《をんな》の方《はう》を重《おも》く見《み》てゐる露木《つゆき》の生活態度《せいくわつたいど》が、昔《むかし》気質《かたぎ》の父《ちゝ》に気《き》に入《い》らなかつた。  午後《ごご》、子供達《こどもたち》が、無心《むしん》に何《なに》か訳《わけ》の分《わか》らぬことを云《い》ひながら、庭《には》の日向《ひなた》で砂《すな》いたづらをしてゐた。  そこへ、学校《がくかう》の帰《かへ》りだと云《い》つて、露木《つゆき》がはひつて来《き》た。三千代《みちよ》は明《あか》るい二|階《かい》の籐椅子《とういす》の上《うへ》で編《あ》み物《もの》をしてゐた。  視線《しせん》を挙《あ》げた三千代《みちよ》が自分《じぶん》の目《め》を疑《うたが》つた程《ほど》、露木《つゆき》は生気《せいき》のない顔色《かほいろ》をしてゐた。 「ああ疲《つか》れた。」  さう云《い》つて、ポートホリオを畳《たゝみ》の上《うへ》へ放《はふ》り出《だ》しながら、露木《つゆき》は籐椅子《とういす》の脚《あし》の近《ちか》くへ両足《りやうあし》を投《な》げ出《だ》して坐《すわ》つた。 「済《す》まないが、三千代《みちよ》、水《みづ》をくれないか。」  コツプをお盆《ぼん》に載《の》せて上《あが》つて来《く》ると、露木《つゆき》は両手《りやうて》を組《く》んで、その中《なか》へ頭《あたま》を入《い》れて、仰向《あふむ》けに寝転《ねころ》んでゐた。 「はい。」  枕許《まくらもと》に置《お》くと、 「うむ。」  首筋《くびすぢ》を膨《ふく》らましながら、物憂《ものう》げに腹這《はらば》ひになつて、なぜか息《いき》を弾《はず》ませながら、ゴク/″\と一|気《き》に飲《の》み干《ほ》した。目《め》が鈍重《どんぢゆう》に潤《うる》んでゐた。 「フーツ。」  溜息《ためいき》を吐《つ》いて、露木《つゆき》はまた元《もと》の姿勢《しせい》に返《かへ》つた。  三千代《みちよ》はなるべく相手《あひて》にならないやうに、また籐椅子《とういす》に戻《もど》つて編《あ》み棒《ぼう》を手《て》に取《と》つた。  |ぎごち《ヽヽヽ》ない空気《くうき》の中《なか》で、三千代《みちよ》は手《て》を動《うご》かしてゐた。手《て》を動《うご》かしながら、意図《いと》の分《わか》らない露木《つゆき》の存在《そんざい》がしじゆう心《こゝろ》に懸《かゝ》つて、編《あ》み目《め》を間違《まちが》へたりした。  三千代《みちよ》は、下《した》からぢつと露木《つゆき》に見詰《みつ》められてゐる意識《いしき》を持《も》ち続《つゞ》けてゐた。  と、微《かす》かな寐息《ねいき》がどこからか聞《きこ》えて来《き》たやうな気《き》がした。しかも、それは聞《き》き覚《おぼ》えのある寐息《ねいき》だつた。  半分耳《はんぶんみゝ》を疑《うたが》ひながら、三千代《みちよ》は目《め》を挙《あ》げた。と、露木《つゆき》が今度《こんど》は赤《あか》い上気《じやうき》した顔《かほ》をして、両手《りやうて》の中《なか》でウト/\|うたた寐《ヽヽヽね》をしてゐた。  三千代《みちよ》は哀《あは》れになつた。こんな時《とき》、百千の議論《ぎろん》よりも彼女《かのぢよ》は一|番身《ばんみ》を責《せ》められた。  音《おと》のしないやうに戸棚《とだな》を明《あ》けて掻巻《かいまき》を出《だ》すと、彼女《かのぢよ》は|そつ《ヽヽ》と足《あし》の方《はう》から掛《か》けてやつた。  露木《つゆき》がドンヨリとした目《め》を見開《みひら》いた。 「三千代《みちよ》、もう——もう僕《ぼく》は——駄目《だめ》だよ。」  露木《つゆき》がノロ/\と云《い》ひながら、潤《うる》んだ瞳《ひとみ》でぢつと彼女《かのぢよ》を見上《みあ》げた。     五 「どうしたの?」  掻巻《かいまき》を掛《か》ける手《て》を止《や》めて、三千代《みちよ》が何気《なにげ》なく聞《き》いた。 「これが——これがお別《わか》れだから——顔《かほ》を——顔《かほ》をよく——見《み》せてくれよ。」  さう云《い》ひながら、露木《つゆき》は目《め》を据《す》ゑるやうにした。 「どうしたのよ?」  彼女《かのぢよ》はいつか、傍《そば》へ寄《よ》るまいと心《こゝろ》に極《き》めてゐたことも忘《わす》れて、枕許《まくらもと》に躙《にじ》り寄《よ》つてゐた。 「三千代《みちよ》、永《なが》い間《あひだ》御免《ごめん》よ。」 「どうしたのよ、一|体《たい》?」  三千代《みちよ》は露木《つゆき》の顔《かほ》を覗《のぞ》き込《こ》んだ。 「飲《の》んだんだ。」 「……。」  何《なに》を飲《の》んだのかすぐ三千代《みちよ》の胸《むね》に来《き》た。しかし、露木《つゆき》の云《い》ひ方《かた》に何《なに》か素直《すなほ》でないものを感《かん》じた彼女《かのぢよ》は、さう云《い》はれたからと云《い》つて、すぐには信《しん》じられないものがあつた。  三千代《みちよ》は露木《つゆき》の目《め》の中《なか》を見《み》た。露木《つゆき》は視点《してん》の定《さだ》まらないトロンとした眼差《まなざし》をしてゐた。普通《ふつう》の目付《めつき》でないことは事実《じじつ》だつた。顔《かほ》も、四十|度《ど》も熱《ねつ》のある人《ひと》のやうな|のぼせ《ヽヽヽ》やうだつた。  三千代《みちよ》は掻巻《かいまき》の中《なか》へ手《て》を入《い》れて、露木《つゆき》の手《て》に触《さは》つて見《み》た。骨《ほね》のやうに冷《つめ》たかつた。思《おも》はず握《にぎ》り締《し》めて見《み》ずにはゐられなかつた。幾《いく》ら堅《かた》く握《にぎ》り締《し》めても、体温《たいをん》が感《かん》じられなかつた。  三千代《みちよ》はゾーツとした。 「|いけ《ヽヽ》ないわ。」  何《なに》が|いけ《ヽヽ》ないのか自分《じぶん》にも分《わか》らず、さう自分自身《じぶんじしん》に呟《つぶや》きながら 「ぢつとして入《い》らつしやい。あなた、眠《ねむ》つちや駄目《だめ》よ。」  三千代《みちよ》は立《た》ち上《あが》つた。が、露木《つゆき》を一人残《ひとりのこ》して行《ゆ》くのが何《なに》か心許《こゝろもと》ない気《き》がして、立《た》ちは立《た》つたが、一|瞬間《しゆんかん》、下《した》へ降《お》りて行《ゆ》くことが出来《でき》なかつた。 「お父《とう》さん、露木《つゆき》が睡眠剤《すゐみんざい》を飲《の》んだらしいんですが——」  茶《ちや》の間《ま》で、定石《ぢやうせき》の本《ほん》を片手《かたて》に一人《ひとり》で碁盤《ごばん》に石《いし》を並《なら》べてゐる父《ちゝ》のうしろから、三千代《みちよ》が言葉忙《ことばせは》しく云《い》ひ掛《か》けた。 「うむ?」  指尖《ゆびさき》に黒《くろ》を挟《はさ》んだまま、父《ちゝ》はゆつくり振《ふ》り返《かへ》つた。三千代《みちよ》は同《おな》じことを繰《く》り返《かへ》して云《い》つた。 「沢山《たくさん》か?」 「さうらしいの。少《すこ》し変《へん》なの。行《い》つて見《み》てやつて頂戴《ちやうだい》。私《わたし》すぐお医者《いしや》さまのところへ行《い》つて来《き》ます。」 「……。」  なんにも云《い》はずに、父《ちゝ》は背中《せなか》を丸《まる》くして立《た》ち上《あが》る姿勢《しせい》を見《み》せた。  三千代《みちよ》はそのまま表《おもて》へ飛《と》び出《だ》した。彼女《かのぢよ》は、人間《にんげん》の命《いのち》の尊《たふと》さ——と云《い》つたやうなものに狩《か》り立《た》てられた。  医者《いしや》はいゝ塩梅《あんばい》にゐてくれた。医者《いしや》がゐてくれたことが、露木《つゆき》の助《たす》かる前兆《ぜんてう》のやうな気《き》がして、三千代《みちよ》は幾《いく》らか心《こゝろ》が落《お》ち着《つ》いた。気《き》が附《つ》くと、口《くち》の中《なか》がパサ/\に乾《かわ》いてゐた。  一|通《とほ》り三千代《みちよ》から容態《ようだい》を聞《き》き取《と》ると、医者《いしや》は 「今《いま》すぐ伺《うかゞ》ひます。」  薬局生《やくきよくせい》に何《なに》か用意《ようい》して置《お》くべきことを云《い》ひ附《つ》けるが早《はや》いか、大島《おほしま》の不断着《ふだんぎ》のまま、カバンを下《さ》げて三千代《みちよ》と一|緒《しよ》に駆《か》け附《つ》けて来《き》てくれた。 「あら。」  玄関《げんくわん》を上《あが》る時《とき》ふと気《き》が附《つ》くと、三千代《みちよ》は父《ちゝ》の俎下駄《まないたげた》を穿《は》いてゐた。     六  何《なに》を飲《の》んだか?  幾粒飲《いくつぶの》んだか?  何時頃飲《なんじごろの》んだか?  医者《いしや》はさう云《い》ふことを病人《びやうにん》に糺《たゞ》した後《のち》、胃《ゐ》の洗滌《せんでう》をすることになつた。 「よし、わしが抱《だ》き起《おこ》してやらう。」  かう云《い》つて、父《ちゝ》は海月《くらげ》のやうになつた露木《つゆき》の体《からだ》を、うしろから抱《だ》きかゝへた。  三千代《みちよ》は割烹着《かつぱうぎ》を着《き》て、さしづめ看護婦《かんごふ》の役《やく》だつた。 「もう少《すこ》し。——もう少《すこ》し。」  医者《いしや》の云《い》ふままに、三千代《みちよ》は容器《ようき》に水《みづ》を足《た》して行《い》つた。 「あなたはそれをこの位《くらゐ》の高《たか》さに持《も》つてゐて下《くだ》さい。」  医者《いしや》は三千代《みちよ》にさう云《い》つてから、真田虫《さなだむし》の頭《あたま》のやうな恰好《かつかう》をした細《ほそ》いゴム管《くわん》を露木《つゆき》の口《くち》に近附《ちかづ》けながら、 「アーンと明《あ》いて——。さう。もう少《すこ》し大《おほ》きく——。さう/\。」  優《やさ》しく言葉《ことば》を掛《か》けながら、言葉《ことば》とは凡《およ》そ反対《はんたい》に、実《じつ》に機敏《きびん》にゴムの先《さき》を露木《つゆき》の咽喉《のど》へ差《さ》し込《こ》んだ。 「ゲエー。」と、露木《つゆき》は舌《した》を吐《は》き出《だ》した。  が、その時《とき》は、ゴム管《くわん》は二三|寸彼《ずんかれ》の食道《しよくだう》に呑《の》み込《こ》まれてゐた。——後《あと》は凧《たこ》のダマを出《だ》すやうに、楽《らく》に医者《いしや》の手《て》からする/\する/\ゴム管《くわん》が繰《く》り出《だ》されて行《い》つた。  医者《いしや》の目《め》が、三千代《みちよ》が立《た》つて持《も》つてゐる洗滌器《せんでうき》に注《そゝ》がれた。容器《ようき》の中《なか》の水《みづ》が、ズン/\線《せん》を描《ゑが》いて減《へ》つて行《い》つた。  水《みづ》が一|滴《てき》もなくなつた時《とき》、医者《いしや》は洗滌器《せんでうき》に繋《つな》がつてゐるゴム管《くわん》の端《はし》をはづした。さうしてその端《はし》を、膝《ひざ》の前《まへ》の洗面器《せんめんき》の中《なか》へ伏《ふ》せた。  一|旦胃《たんゐ》の腑《ふ》の中《なか》へ収《をさ》まつた水《みづ》が、ゴム管《くわん》の端《はし》から洗面器《せんめんき》の中《なか》へ少《すこ》しづつ逆戻《ぎやくもど》りをし始《はじ》めた。 「ウエー。」  露木《つゆき》は苦《くる》しさうに声《こゑ》を立《た》てた。その度《たび》に、|はだ《ヽヽ》けた分厚《ぶあつ》な胸《むね》が、生白《なまじろ》く波《なみ》を打《う》つた。彼《かれ》は足《あし》で蒲団《ふとん》を蹴《け》つた。  ゴム管《くわん》を呑《の》んだ露木《つゆき》の口《くち》から、黄色《きいろ》い泡《あわ》のやうなものがブツ/″\吹《ふ》き出《だ》した。脂汗《あぶらあせ》で顔《かほ》がぬれ/\として来《き》た。彼《かれ》は体《からだ》を右《みぎ》へ左《ひだり》へ|くね《ヽヽ》らして呻《うめ》いた。  見《み》るに忍《しの》びなかつた。父《ちゝ》は目《め》を|そつぽ《ヽヽヽ》の畳《たゝみ》の上《うへ》へ落《おと》してゐた。三千代《みちよ》は坐《すわ》るのも忘《わす》れて、心《こゝろ》は完全《くわんぜん》に露木《つゆき》の妻《つま》になつてゐた。露木《つゆき》の生白《なまじろ》い胸《むね》の|うねり《ヽヽヽ》を、そのまま自分《じぶん》の胸《むね》に苦《くる》しく感《かん》じてゐた。  彼女《かのぢよ》は優《やさ》しく額《ひたひ》の汗《あせ》を拭《ふ》いてやつた。ともすると、横《よこ》に曲《ま》げ勝《がち》な彼《かれ》の顔《かほ》を、静《しづ》かに両手《りやうて》で抑《おさ》へてやることも忘《わす》れなかつた。 「もうぢきお仕舞《しま》ひよ。」  三千代《みちよ》は露木《つゆき》の耳《みゝ》に口《くち》を寄《よ》せてさう云《い》つた。  間《ま》もなく、露木《つゆき》は静《しづ》かに寝《ね》かされた。正体《しやうたい》なく夜着《よぎ》の中《なか》に埋《うづ》まりながら、時々《ときどき》シヤツクリをしてゐた。 「いかがでございませう?」  下《した》へ降《お》りて来《き》た時《とき》、三千代《みちよ》が医者《いしや》に聞《き》いた。 「十一|粒飲《つぶの》んだのだと危険《きけん》ですが、どうやら九|粒《つぶ》しか飲《の》んでゐないらしい様子《やうす》ですから、生命《せいめい》は取《と》り留《と》め得《う》ると思《おも》ひますが——。」  さう云《い》つて、医者《いしや》は帰《かへ》つて行《い》つた。三千代《みちよ》はホツとした。     七  クツ  ……  クツ  露木《つゆき》のシヤツクリがだん/″\間断《かんだん》なしになつて来《き》た。うつら/\しながら、一|分間置《ぷんかんお》き位《くらゐ》にシヤツクリをする病人《びやうにん》を永《なが》い間見《あひだみ》てゐるのは、変《へん》に不気味《ぶきみ》なものだつた。  三千代《みちよ》は心臓部《しんざうぶ》に当《あ》てがつた氷嚢《ひようなう》を注意《ちゆうい》して取《と》り替《か》へながら、もう電燈《でんとう》の欲《ほ》しい夕闇《ゆふやみ》の中《なか》に、グツタリとしてゐる病人《びやうにん》を見守《みまも》つてゐた。  電報《でんぱう》で呼《よ》び寄《よ》せられた露木《つゆき》の母《はゝ》が、長男《ちやうなん》の芳彦《よしひこ》を連《つ》れて、取《と》るものも取《と》り敢《あへ》ず駆《か》け附《つ》けて来《き》た。  入《い》れ替《か》はつて、三千代《みちよ》は下《した》へ降《お》りた。——下《した》は電燈《でんとう》が点《つ》いて、極楽《ごくらく》のやうに明《あか》るかつた。  時々《ときどき》、三千代《みちよ》は気《き》になつて梯子段《はしごだん》の下《した》に立《た》つて耳《みゝ》を欹《そばだ》てずにはゐられなかつた。夜《よる》になつても、シヤツクリは止《や》む気色《けしき》もなかつた。唐紙《からかみ》の締《し》まつた二|階《かい》から、梯子段《はしごだん》の下《した》までハツキリ聞《きこ》える位《くらゐ》それは大《おほ》きかつた。  三千代《みちよ》はだん/″\心配《しんぱい》になつて来《き》た。嘘《うそ》か本当《ほんたう》か知《し》らないが、シヤツクリが止《や》まないと死《し》ぬと誰《たれ》かに聞《き》いたことも思《おも》ひ出《だ》された。 「ちよいとお医者《いしや》さままで行《い》つて来《き》ます。」  彼女《かのぢよ》は医者《いしや》の寝《ね》てしまはないうちにと思《おも》つて、真暗《まつくら》な路《みち》を、暗《くら》い風《かぜ》に吹《ふ》かれながら急《いそ》いだ。 「先程《さきほど》は——」  三千代《みちよ》は自分《じぶん》の心配《しんぱい》を話《はな》した。  医者《いしや》は晩酌《ばんしやく》の名残《なごり》のまだ残《のこ》つてゐる顔《かほ》を頷《うなづ》かせてゐたが 「いや、大丈夫《だいぢやうぶ》でせう。」と、暫《しばら》く考《かんが》へた後《あと》で云《い》つた。  翌《あく》る朝《あさ》になつても、シヤツクリは止《や》まなかつた。でも、出《で》る回数《くわいすう》が余程減《よほどへ》つてゐた。 「もう御心配《ごしんぱい》はありません。」  回診《くわいしん》に来《き》てくれた医者《いしや》が、見送《みおく》りに立《た》つた三千代《みちよ》にさう云《い》つて帰《かへ》つて行《い》つた。  病人《びやうにん》は、その日寐《ひね》てばかりゐた。  その翌《あく》る日《ひ》だつた。三千代《みちよ》が台所《だいどころ》で働《はたら》いてゐるところへ、露木《つゆき》の母《はゝ》が寄《よ》つて来《き》た。 「済《す》まないけど、頻《しき》りにお前《まへ》さんに来《き》て貰《もら》ひたがつてゐるんだけどね、ちよいと行《い》つててやつておくれでないか。——後《あと》は私《わたし》がするから。」  さう云《い》ふのだつた。  この気《き》の優《やさ》しい姑《はゝ》に対《たい》して、三千代《みちよ》は一|度《ど》は厭《いや》とは云《い》へなかつた。  濡《ぬ》れた手《て》を拭《ふ》きながら、彼女《かのぢよ》は梯子段《はしごだん》を上《あが》つた。どこで見《み》てゐたのか、芳彦《よしひこ》とミサとが、ドタ/″\音《おと》を立《た》てて後《あと》に附《つ》いて来《き》た。 「なあに?」  さう云《い》ひながら、三千代《みちよ》は枕許《まくらもと》に坐《すわ》つた。 「寂《さび》しかつたから——。何《なに》かそこで話《はな》してくれよ。」  と云《い》はれても、彼女《かのぢよ》には何《なに》も話題《わだい》がなかつた。 「蓄音器《ちくおんき》でも掛《か》けませうか。」  蓄音器《ちくおんき》と聞《き》くと、まだ露木《つゆき》が何《なに》も云《い》はない先《さき》に、芳彦《よしひこ》が 「僕《ぼく》チヤンバラ。」と云《い》つた。  すると、ミサが 「チヤンバラ厭《いや》。『かい(愛《あい》)してちやうだいな』して。」  三千代《みちよ》は膝《ひざ》を動《うご》かして、蓄音器《ちくおんき》の前《まへ》に行《ゆ》くと、静《しづ》かにハンドルを廻《まは》し始《はじ》めた。     八  蓄音器《ちくおんき》がやがて鳴《な》り出《だ》した。 「かあちやん、これが済《す》んだら『かいして頂戴《ちやうだい》』を掛《か》けてよ。」  左側《ひだりがは》から、ミサが、兄《あに》の所望《しよまう》を先《さき》にされた不平《ふへい》を、甘《あま》えた声《こゑ》で訴《うつた》へた。  芳彦《よしひこ》は一入《ひとしほ》得意《とくい》で、よく知《し》り抜《ぬ》いてゐるそのレコードのリズムを、右側《みぎがは》で口真似《くちまね》をしてゐた。  その時《とき》、三千代《みちよ》は何《なに》か手《て》か足《あし》かで畳《たゝみ》を|さす《ヽヽ》るやうな音《おと》をうしろに聞《き》いた。振《ふ》り返《かへ》ると、露木《つゆき》がいつの間《ま》にか腹這《はらば》ひになつて、顫《ふる》へる手《て》で何《なに》か探《さが》し求《もと》めてゐるやうに畳《たゝみ》の上《うへ》を撫《な》でてゐるのだつた。  が、なぜか三千代《みちよ》がうしろを振《ふ》り向《む》いたのと同時《どうじ》に、動《うご》かしてゐた手《て》を止《や》めて、露木《つゆき》はぢつとしてしまつた。何《なに》かそこに三千代《みちよ》は或《ある》不自然《ふしぜん》さを感《かん》じた。 「なあに? 水《みづ》?」  三千代《みちよ》が聞《き》いた。 「うむ。」  コツプに水《みづ》をついで飲《の》ましてから、三千代《みちよ》がもう一|度《ど》蓄音器《ちくおんき》の方《はう》へ向《む》き返《かへ》ると、暫《しばら》くしてまた畳《たゝみ》を|さす《ヽヽ》る音《おと》が聞《きこ》えた。 「もつと?」  うしろへさう云《い》ひながら、何気《なにげ》なくレコードから離《はな》した三千代《みちよ》の目《め》に、露木《つゆき》の右《みぎ》の手《て》が半分《はんぶん》ばかり剥《めく》つた蒲団《ふとん》の下《した》に、——いつそこへ持《も》ち込《こ》んだのであらう——羅紗鋏《ラシヤばさみ》の蒼味《あをみ》を底《そこ》に沈《しづ》ませた切尖《きつさき》が覗《のぞ》いてゐた。 「あつ。」  三千代《みちよ》は突然水《とつぜんみづ》を浴《あび》たやうに身《み》が竦《すく》んだ。が、夢中《むちう》で二人《ふたり》の子供《こども》を抱《かゝ》へると、——とたんに、 「ああ。」  形容《けいよう》の出来《でき》ない不気味《ぶきみ》な呻《うめ》き声《ごゑ》を上《あ》げて、夜着《よぎ》を蹴《け》つて立《た》ち上《あが》つた露木《つゆき》の熊《くま》のやうな姿《すがた》が目《め》にはひつた。  右《みぎ》の手《て》には、羅紗鋏《ラシヤばさみ》が握《にぎ》られてゐた。  三千代《みちよ》は二人《ふたり》の子供《こども》を抱《かゝ》へたまま、露木《つゆき》の前《まへ》を大廻《おほまは》りして唐紙《からかみ》の方《はう》へ走《はし》つた。  ほんの一|足《あし》の違《ちが》ひだつた。肩《かた》のうしろを、露木《つゆき》の右《みぎ》の手《て》が流《なが》れる風《かぜ》を感《かん》じた。  いつ唐紙《からかみ》を明《あ》けたのか自分《じぶん》でも知《し》らなかつた。子供《こども》の体《からだ》を突《つ》き放《はな》した。三千代《みちよ》は自分《じぶん》も唐紙《からかみ》の外《そと》へ飛《と》び出《だ》した。  中心《ちうしん》を失《うしな》つて畳《たゝみ》の上《うへ》へ倒《たふ》れたらしい露木《つゆき》の姿《すがた》が|ちら《ヽヽ》と見《み》えた。三千代《みちよ》は矢庭《やには》に目《め》の前《まへ》の襖《ふすま》をピツタリ締《し》めた。 「早《はや》く、早《はや》く下《した》へ行《い》つて——」  子供《こども》へさう云《い》ひながら、三千代《みちよ》は力一杯《ちからぱい》唐紙《からかみ》を抑《おさ》へた。が、子供《こども》は左右《さいう》からしがみついて離《はな》れなかつた。  突然《とつぜん》、向《むか》う側《がは》から唐紙《からかみ》に力《ちから》がはひつた。 「芳彦《よしひこ》、早《はや》く下《した》へ行《い》つて——。ミサ、早《はや》く下《した》へ入《い》らつしやい。」  思《おも》はず三千代《みちよ》の声《こゑ》が尖《とが》つた。  子供《こども》は二人《ふたり》一|緒《しよ》にワーツと泣《な》き出《だ》した。さうして顫《ふる》へながらギユーツと腰《こし》へ|しが《ヽヽ》みついて来《き》た。  プスリ  音《おと》を立《た》てて、唐紙《からかみ》を破《やぶ》つて、羅紗鋏《ラシヤばさみ》の尖《さき》が三千代《みちよ》の胸《むね》のあたりへ突《つ》き出《だ》された。 「誰《たれ》か来《き》て——」  ヒヤリと胸《むね》を引《ひ》きながら、思《おも》はず三千代《みちよ》は悲鳴《ひめい》を挙《あ》げた。     九  梯子段《はしごだん》に音《おと》が入《い》り乱《みだ》れて、父《ちゝ》の大《おほ》きな姿《すがた》が上《あが》つて来《き》た。 「どうしたのさ?」  さう云《い》ひながら、母《はゝ》も息忙《いきせ》き切《き》つて上《あが》つて来《き》た。 「お母《かあ》さん、早《はや》く二人《ふたり》を下《した》へ連《つ》れて行《い》つて——」  自分《じぶん》は父《ちゝ》に抱《だ》き取《と》られたやうな気《き》がして、三千代《みちよ》は母《はゝ》の顔《かほ》を見《み》るが否《いな》や子供《こども》のことを云《い》つた。 「さ、お出《い》で。」  母《はゝ》は子供《こども》を三千代《みちよ》から|※[#「手へん+宛」、unicode6365]《も》ぎ放《はな》すと——二人《ふたり》の泣《な》き声《ごゑ》が、下《した》の、奥《おく》の間《ま》へ遠去《とほざか》つて行《い》つた。  一|方《ぱう》、三千代《みちよ》は父《ちゝ》の顔《かほ》を見《み》ると同時《どうじ》に、唐紙《からかみ》を抑《おさ》へてゐる力《ちから》が急《きふ》に萎《な》えたやうな気《き》がした。 「お前《まへ》も早《はや》く下《した》へ行《ゆ》け。」と父《ちゝ》が云《い》つた。  その間《あひだ》にも、羅紗鋏《ラシヤばさみ》の尖《さき》が、プス/\滅多矢鱈《めつたやたら》に唐紙《からかみ》に突《つ》き立《た》てられてゐた。 「……。」  父《ちゝ》一人《ひとり》に後《あと》を任《まか》せて、しかし三千代《みちよ》には下《した》へ行《ゆ》けなかつた。そこへ、母《はゝ》が血《ち》の気《け》の失《う》せた顔《かほ》ながら、もう一|度上《どあが》つて来《き》てくれた。 「馬鹿《ばか》もいゝ加減《かげん》にしないか。」  唐紙《からかみ》の向《むか》うへ、父《ちゝ》が厳《きび》しく窘《たしな》める声《こゑ》をうしろに聞《き》きながら、三千代《みちよ》は梯子段《はしごだん》を駆《か》け降《お》りた。  座敷《ざしき》へ行《ゆ》くと、露木《つゆき》の母《はゝ》の膝《ひざ》に両方《りやうはう》から掴《つか》まりながら、芳彦《よしひこ》とミサとがまだ泣《な》きじやくつてゐた。 「どうしたの?」  露木《つゆき》の母《はゝ》が、三千代《みちよ》の瞬《またゝ》きを忘《わす》れた目《め》を見上《みあ》げて、こつそり聞《き》いた。 「……。」  彼女《かのぢよ》は|かぶり《ヽヽヽ》を振《ふ》つたまま、座敷《ざしき》を出《で》て来《き》てしまつた。三千代《みちよ》はぢつとしてゐられなかつた。  台所《だいどころ》には、|たま《ヽヽ》がゐた。女中《ぢよちう》に顔《かほ》を見《み》られるのは厭《いや》だつた。  湯殿《ゆどの》へ行《い》つて、まだ顫《ふる》への止《や》まぬ手《て》に水道《すゐだう》から水《みづ》を受《う》けて二|度《ど》も三|度《ど》も飲《の》んだ。  そこへ、父《ちゝ》がはひつて来《き》た。 「金盥《かなだらひ》へ水《みづ》を汲《く》んでくれ。」  興奮《こうふん》に頬《ほゝ》が稍《やゝ》蒼白《あをじろ》んでゐた。  見《み》ると、父《ちゝ》の右《みぎ》の手《て》が血《ち》に染《そ》まつてゐた。 「あら。」 「|※[#「手へん+宛」、unicode6365]《も》ぎ取《と》る拍子《ひやうし》に、尖《さき》が当《あた》つたらしい。」  父《ちゝ》と一|緒《しよ》に茶《ちや》の間《ま》へ行《ゆ》くと、入《い》れちがひに露木《つゆき》の母《はゝ》は二|階《かい》へ行《い》つたのだらう、二人《ふたり》に順二《じゆんじ》まで混《まじ》つて、母《はゝ》から菓子《くわし》を貰《もら》つてゐた。母《はゝ》も粗《あら》い表情《へうじやう》をしてゐた。 「あなた、明日《あした》にも引《ひ》き取《と》つて貰《もら》つて下《くだ》さい。ああ云《い》ふ人《ひと》に家《うち》にゐられた分《ぶん》には、私《わたし》の命《いのち》が堪《たま》らない。」  父《ちゝ》の顔《かほ》を見《み》るなり母《はゝ》が云《い》つた。 「いや、今日帰《けふかへ》してしまふ。」  いつになく、父《ちゝ》の語調《ごてう》は激《はげ》しかつた。 「ああまで馬鹿《ばか》とは思《おも》はなかつたが——。あの男《をとこ》も駄目《だめ》だな。」  指《ゆび》に繃帯《はうたい》をして貰《もら》ひながら、父《ちゝ》はさう云《い》つた。どうあつても、最後《さいご》は三千代《みちよ》を露木《つゆき》の許《もと》へ返《かへ》す臍《ほぞ》を極《き》めてゐた父《ちゝ》も、どうやら考《かんが》へ直《なほ》すところがあるらしい口吻《こうふん》だつた。  事《こと》の余《あま》りの生々《なまなま》しさに、三千代《みちよ》はゐたたまれなかつた。このまま消《き》えてしまひたい気《き》がした。が、煙《けむり》のやうに消《き》えることが出来《でき》ないものなら、せめてどこへか身《み》を隠《かく》してしまひたかつた。  さう思《おも》ふと同時《どうじ》に、海野《うんの》の姿《すがた》が浮《うか》んで来《き》た。——が、折角思《せつかくおも》ひ浮《うか》べた海野《うんの》のうしろには、万里子《まりこ》の顔《かほ》があつた。  三|界《がい》に家無《いへな》し——そんな気《き》がした。三千代《みちよ》はフラ/\と立《た》つと、玄関《げんくわん》へ出《で》て行《い》つた。 「どこへ行《ゆ》くの?」  母《はゝ》が、女《をんな》の敏感《びんかん》さでうしろから呼《よ》び留《と》めた。 「あの、ちよつと——」  構《かま》はず三千代《みちよ》は下駄《げた》の上《うへ》へ降《お》りた。 「いけないよ、一人《ひとり》で行《い》つちや——。|たま《ヽヽ》や、|たま《ヽヽ》や、子供衆《こどもしゆ》を連《つ》れて奥《おく》さんのお供《とも》をしておくれ。」 [#改ページ]   手切《てぎ》れ     一 「あら。」  寝間着《ねまき》の上《うへ》へナイトガウンを纏《まと》つたままの万里子《まりこ》は、身《み》の置《お》きどころがないやうに両手《りやうて》で胸《むね》を抱《だ》いて、玄関《げんくわん》に踞《しやが》んでしまつた。 「お早《はや》う。」  乾《かわ》いた灰色《はひひろ》のホームスパンに、ポタ/\黒《くろ》い斑《ふ》を散《ち》らした、いかにも「早春《さうしゆん》」の感《かん》じのするサツクコートを着《き》た椿《つばき》が、赤《あか》い唇《くちびる》を綻《ほころ》ばせながらそこに立《た》つてゐた。 「御免《ごめん》なさい、こんな装《なり》をしてゐて——。どうぞ。」 「少《すこ》し早過《はやす》ぎたやうだね。」 「ええ。ホホホ。」  丁度《ちやうど》いゝ塩梅《あんばい》に、風呂《ふろ》が沸《わ》いてゐた。大阪《おほさか》からの夜汽車《よぎしや》を降《お》りたばかりの椿《つばき》には、時《とき》にとつて何《なに》よりの馳走《ちそう》だつた。 「をぢさん、孀暮《やもめぐ》らしなので、男物《をとこもの》の浴衣《ゆかた》もなければ、褞袍《どてら》もないのよ。」  湯気《ゆげ》でビシヨ/″\に濡《ぬ》れてゐる曇《くもり》ガラスの外《そと》から、万里子《まりこ》が、湯槽《ゆぶね》に浸《つか》つてゐる椿《つばき》に声《こゑ》を掛《か》けた。 「成程《なるほど》その訳《わけ》だね。——僕《ぼく》のカバンをそこへ持《も》つて来《き》て置《お》いてくれないか。」 「あれいゝカバンね。」 「ちよいといゝだらう。」 「とてもいゝわ。上品《じやうひん》で、ドツシリしてゐて、手頃《てごろ》で——」  頭《あたま》を艶々《つやつや》と濡《ぬ》らして、椿《つばき》は風呂《ふろ》から出《で》て来《き》た。  姉《あね》とも、彼《かれ》は初対面《しよたいめん》ではなかつた。  明《あ》け拡《ひろ》げたガラス戸《ど》に靠《もた》れて食後《しよくご》の煙草《たばこ》を吹《ふ》かしながら、日向《ひなた》一|杯《ぱい》の庭《には》に目《め》を遊《あそ》ばせてゐたが、 「こんなに荒《あ》らしてしまつて、大家《おほや》さんに怒《おこ》られるぜ。これぢや庭《には》だか畑《はたけ》だか分《わか》りやしない。」  小《ちひ》さな庭《には》には、チユーリツプや桜草《さくらさう》の鉢物《はちもの》が置《お》いてあるかと思《おも》ふと、萵苣《ちさ》が縮《ちゞ》れた葉《は》を出《だ》してゐたり、藁《わら》を掛《か》けた苺畑《いちごばたけ》があつたりした。 「そんなことを云《い》ふと、お姉《ねえ》さまに怒《おこ》られてよ。」  万里子《まりこ》は、三|尺《じやく》の縁《えん》を隔《へだ》てた障子《しやうじ》の角《かど》に、これも背《せ》を靠《もた》せながら、大島《おほしま》の膝《ひざ》を楽《らく》に崩《くづ》して、煙草《たばこ》の煙《けむり》を時々吐《ときどきは》いてゐた。  雲雀《ひばり》の声《こゑ》が聞《きこ》えさうないゝ天気《てんき》だつた。 「なつ子《こ》はどうしたい?」  さつきから椿《つばき》は吸殻《すひがら》を持《も》て扱《あつか》つてゐたが、いつまで経《た》つても相手《あひて》が気《き》が附《つ》かないので、 「灰落《はひおと》し——」と云《い》つた。  万里子《まりこ》は顔《かほ》だけを台所《だいどころ》の方《はう》へ向《む》けて、 「|よし《ヽヽ》や、灰落《はひおと》し。」  さう云《い》つて置《お》いてから 「こつちへ来《き》てから、とても丈夫《ぢやうぶ》になつたわ。一月《ひとつき》に一|度《ど》はきつとお腹《なか》を悪《わる》くしてゐたのが、この頃《ごろ》ぢや忘《わす》れたやうにお医者《いしや》さまに罹《かゝ》らなくなつたわ。」 「そりやよかつたな。いつそどうだい? 一|家《か》を挙《あ》げてこつちへ越《こ》してしまつたら?」 「駄目《だめ》よ、海野《うんの》は田舎嫌《ゐなかきら》ひだから。」 「ぢや、なつ子《こ》が丈夫《ぢやうぶ》になつたのを幸《さいは》ひ、こつちで東京《とうきやう》へ引《ひ》き上《あ》げるさ。」 「……。」 「あんまり永《なが》く別居生活《べつきよせいくわつ》してゐるのも好《よ》し悪《あ》しだぜ。」 「私《わたし》このまま永久《えいきう》に別居《べつきよ》してしまはうと思《おも》つて——」     二 「どうして?」 「どうしてツて、私《わたし》海野《うんの》の気《き》に入《い》るやうに出来《でき》ないんですもの。」 「そんなことはないさ。出来《でき》ないんでなくつて、しなかつたんだらうと思《おも》ふがな。」 「そんなことないわ。これでも私《わたし》したつもりよ。」 「さうかな。」 「心細《こゝろぼそ》い御返事《ごへんじ》ね。——本当《ほんたう》に、私《わたし》としちや随分努《ずゐぶんつと》めたつもりだわ。だけど、私《わたし》が人《ひと》一|倍気《ばいき》の附《つ》かないところへ持《も》つて来《き》て、海野《うんの》がまた人何倍《ひとなんばい》かの神経質《しんけいしつ》でせう。私《わたし》とても海野《うんの》に気《き》に入《い》るやうには振舞《ふるま》へないわ。」 「さう云《い》はないで——」 「気《き》の附《つ》く附《つ》かないと云《い》ふ点《てん》だけで云《い》へば、まるで私《わたし》の方《はう》が男《をとこ》で、海野《うんの》が女《をんな》ね。エヘン灰吹《はひふき》と云《い》ふけど、本当《ほんたう》に海野《うんの》はすぐ灰吹《はひふき》を持《も》つて行《ゆ》くわね。その位《くらゐ》だから、海野《うんの》がエヘンと云《い》つたら、人《ひと》もすぐ灰吹《はひふき》を持《も》つて行《ゆ》くやうでなければ気《き》に入《い》らないのよ。ところが、私《わたし》と来《き》たら、エヘンは愚《おろ》か、エヘン/\と二|度位咳《どくらゐせき》をされたつて、灰吹《はひふき》には気《き》が附《つ》かないんだから——」 「だけど、そこまで反省《はんせい》してゐれば、出来《でき》さうなもんぢやないか。」 「ところが駄目《だめ》なのよ。その点《てん》で海野《うんの》に気《き》に入《い》らうとすると、私何《わたしなに》も彼《か》も打《う》ツちやらかして、起《お》きるから寝《ね》るまで、そのことにばかりぢつと注意力《ちゆういりよく》を集《あつ》めて緊張《きんちやう》してゐなければならないんですもの。」 「さうしたらいゝぢやないか。」 「さうね。——だけど、それ程《ほど》にまでして、さて考《かんが》へて見《み》ると、そんなこと、それ程《ほど》にまでする価値《かち》のあることかしら。私《わたし》二三|日《にち》したら馬鹿《ばか》馬鹿《ばか》しくなりはしないかと思《おも》ふんだけど——。第《だい》一、息苦《いきぐる》しくなつて堪《たま》らなくなるだらうと思《おも》ふわ。——結局《けつきよく》、私《わたし》には出来《でき》ないツてことね。」 「なあに、実際《じつさい》にやつて見《み》れば、機械的《きかいてき》に出来《でき》ることだもの、大《たい》したことはないさ。」 「さうかしら。さうは思《おも》へないけど——。私《わたし》近頃《ちかごろ》ではね、自分《じぶん》のやうなものを女房《にようばう》に持《も》つて、痒《かゆ》いところに手《て》の届《とゞ》かない目《め》にばかり合《あ》はせて置《お》いちや、海野《うんの》が気《き》の毒《どく》のやうな気《き》がし出《だ》したの。」 「フム。」 「正直《しやうぢき》に云《い》ふと、自分《じぶん》も可哀想《かはいさう》だし、海野《うんの》も可哀想《かはいさう》だわ。私《わたし》が身《み》を引《ひ》けば、私《わたし》も仕合《しあは》せになれるかも知《し》れないし、海野《うんの》は私以上《わたしいじやう》にホツとするだらうし——。双方《さうはう》の為《た》めになることなら、進《すゝ》んで別《わか》れるべきぢやないかしら。」 「ぢやまあ、別《わか》れた方《はう》が海野《うんの》も君《きみ》も仕合《しあは》せになると仮定《かてい》してだね、ここに不仕合《ふしあは》せになる人間《にんげん》が一人《ひとり》ゐるとしたらどうする?」 「なつ子《こ》でせう? 私《わたし》それでは随分《ずゐぶん》煩悶《はんもん》したわ。——だけど、よく考《かんが》へて見《み》ると、海野《うんの》が口癖《くちぐせ》のやうに子供《こども》は嫌《きら》ひだと云《い》つてゐるやうに、あんまり子供《こども》は好《す》きぢやないらしいわ。好《す》きでない父親《ちゝおや》の傍《そば》に、愛《あい》されない母親《はゝおや》と一|緒《しよ》にゐるよりは、片親《かたおや》でも母親《はゝおや》の傍《そば》に置《お》いて大事《だいじ》に育《そだ》ててやつた方《はう》が、子供《こども》の仕合《しあは》せぢやないかしら。なつ子《こ》はどんなことがあつても私《わたし》手放《てばな》さないわ。」 「海野《うんの》の子供嫌《こどもぎら》ひは、ありや彼奴《あいつ》の詩《し》だよ。海野《うんの》が特《とく》に子供《こども》を嫌《きら》つてゐる——子供《こども》を愛《あい》さない具体的《ぐたいてき》な事実《じじつ》はないぢやないか。公平《こうへい》に云《い》つて、第《だい》三|者《しや》が見《み》て、海野《うんの》は特《とく》に子供《こども》の愛《あい》に溺《おぼ》れる程《ほど》子供好《こどもず》きでもなければ、自分《じぶん》で云《い》つてゐる程《ほど》子供《こども》を憎《にく》んでもゐないさ。あれで世間普通《せけんふつう》の父親《ちゝおや》さ。」     三 「折角《せつかく》だけど、もう間《ま》に合《あ》はないわ、をぢさん。」 「どうして?」 「私《わたし》、海野《うんの》へ昨日《きのふ》手紙《てがみ》を出《だ》してしまつたの。」 「何《なん》て?」 「別《わか》れたいツて。」 「そんなことは何《なん》でもないさ。取《と》り消《け》しやいゝんだもの。」 「だつて——」 「そんなことに|こだは《ヽヽヽ》る必要《ひつえう》はないよ。君《きみ》の面目《めんぼく》を潰《つぶ》さないやうに、僕《ぼく》が取《と》り消《け》して来《き》てやる。」 「手切金《てぎれきん》のことまで書《か》いてしまつたのよ。」 「いゝさ。」 「厭《いや》だわ、一人《ひとり》で呑《の》み込《こ》んで——。海野《うんの》が何《なん》て云《い》ふかも分《わか》りやしないくせに。」 「そんなことはないさ。今《いま》、東京《とうきやう》では、家《うち》の神《かみ》さんが海野《うんの》を同《おな》じ趣旨《しゆし》の下《もと》に口説《くど》いてゐる最中《さいちう》だよ。」 「あら、奥《おく》さんも一|緒《しよ》? 今度《こんど》は?」 「ああ。夫婦《ふうふ》二人《ふたり》がかりで、君達《きみたち》に仲直《なかなほ》りをさせるつもりで上京《じやうきやう》したんだから、いゝ加減《かげん》なことぢや帰《かへ》らないぜ。」 「まあ、さうなの。済《す》みません、御心配《ごしんぱい》かけて——。だけど、どんな事情《じじやう》だらうと構《かま》はず、無理往生《むりわうじやう》に二人《ふたり》を元通《もとどほ》り押《お》し附《つ》けようツてんぢやないんでせう?」 「そりやさうさ。」 「別《わか》れた方《はう》がいゝと思《おも》ふだけの理由《りいう》がありや、別《わか》れさせても下《くだ》さるんでせう。」 「勿論《もちろん》さ。」 「そんなら別《わか》れさせて——」 「どうして?」 「私《わたし》と云《い》ふ人間《にんげん》は、良人《をつと》に仕《つか》へることの出来《でき》ない女《をんな》よ。男《をとこ》に仕《つか》へることに、女《をんな》らしい喜《よろこ》びを感《かん》じる女《をんな》でなければ、海野《うんの》を満足《まんぞく》させることは不可能《ふかのう》だと思《おも》ふわ。ところが、私《わたし》は選《よ》りに選《よ》つて、さうでない女《をんな》よ、私《わたし》は男《をとこ》に仕《つか》へるよりも、男《をとこ》に仕《つか》へさせることに喜《よろこ》びを感《かん》じる変《へん》な女《をんな》ね。——旨《うま》く行《ゆ》く筈《はず》がないわ。」 「さうかな。」 「正直《しやうぢき》な話《はなし》、私《わたし》ドメスチツクなことをしてゐても、ちつとも楽《たの》しくないの。厭《いや》で厭《いや》で仕方《しかた》がないの。——そんな女《をんな》ツてないと思《おも》ふわ。」 「フーム。」 「こんな女《をんな》を元《もと》の鞘《さや》に収《をさ》めたところで、海野《うんの》が可哀想《かはいさう》よ。私《わたし》だつて可哀想《かはいさう》だわ。それより、私《わたし》の為《た》めに海野《うんの》から手切金《てぎれきん》を沢山取《たくさんと》つてよ。」 「こいつア参《まゐ》つたね。ところで、手切金《てぎれきん》を沢山取《たくさんと》つて、何《なに》をしようツてんだい、一|体《たい》?」 「私《わたし》? 商売《しやうばい》するの。」 「商売《しやうばい》? そいつア凡《およ》そ君《きみ》と不似合《ふにあひ》ぢやないか。」 「水商売《みづしやうばい》よ。」 「ヘエー。」 「小《ちひ》さな旨《うま》い物屋《ものや》を始《はじ》めようと思《おも》ふの。海野《うんの》のおかげで、私《わたし》お料理《れうり》には幾《いく》らか自信《じしん》があるわ。だから、どこか一|流《りう》の家《うち》へ頼《たの》んで一|年《ねん》ばかり年期《ねんき》を入《い》れて、その上《うへ》で店《みせ》を出《だ》さうと思《おも》ふの。その方《はう》が——女《をんな》だつて経済的《けいざいてき》に独立《どくりつ》して、思《おも》ふやうな生活《せいくわつ》をして見《み》たいわ。——どう? をぢさん?」     四  東京《とうきやう》では、海野《うんの》がお玉《たま》さんに掴《つか》まつてゐた。 「まあ見《み》て下《くだ》さい。今朝《けさ》かう云《い》ふ手紙《てがみ》が万里子《まりこ》から来《き》てゐるんです。」  かう云《い》つて、海野《うんの》は白《しろ》い西洋封筒《せいやうふうとう》をお玉《たま》さんに手渡《てわた》した。 「どうです。理路整然《りろせいぜん》としてゐるでせう? 実際《じつさい》この通《とほ》りの女《をんな》ですよ、万里子《まりこ》は。」  お玉《たま》さんが読《よ》み終《をは》るのを待《ま》つて、海野《うんの》がさう云《い》つた。 「……。」  お玉《たま》さんはおつとりした瓜実顔《うりざねがほ》に、潤《うる》んだやうな大《おほ》きな目《め》を寂《さび》しさうに笑《ゑ》ませてゐた。 「ここに手切金《てぎれきん》の要求書《えうきうしよ》もあるから一|応目《おうめ》を通《とほ》して置《お》いて下《くだ》さい。」  海野《うんの》は、紙入《かみいれ》の中《なか》から小《ちひ》さく畳《たゝ》んだ紙切《かみき》れを出《だ》して、お玉《たま》さんの目《め》の前《まへ》へ拡《ひろ》げた。  それにはかう書《か》かれてゐた。 [#ここから2字下げ、折り返して4字下げ] 一 金《きん》八千|円也《ゑんなり》      一|時金《じきん》として。 一 上演料《じやうえんれう》の半額《はんがく》     向《むか》う一ケ年間《ねんかん》。初演再演《しよえんさいえん》に拘《かゝ》はらず。 一 毎月金《まいげつきん》百|円《ゑん》づつ  向《むか》う五|年間《ねんかん》。   但《たゞ》し、五|年《ねん》以内《いない》にても、万里子《まりこ》が再婚《さいこん》したる場合《ばあひ》は、この限《かぎ》りにあらず。 [#ここで字下げ終わり] 「——困《こま》つたわ。」  低《ひく》い声《こゑ》でさう云《い》ひながら、お玉《たま》さんはその書付《かきつけ》を元通《もとどほ》り畳《たゝ》んで海野《うんの》に返《かへ》した。 「ねえ。かうしたものは一|切《さい》御覧《ごらん》にならなかつたことにして、話《はなし》を元《もと》に戻《もど》して下《くだ》さらない?」 「そりや戻《もど》してもいゝけれど——。だけど、結局《けつきよく》無駄《むだ》だよ、お玉《たま》さん。」 「でも、今度《こんど》はそのつもりで——無理《むり》でも私達《わたしたち》の云《い》ふことを聞《き》いて戴《いたゞ》いて、元通《もとどほ》りになつて戴《いたゞ》くつもりで二人《ふたり》で出《で》て来《き》たんだし——」 「……。」 「そりやお二人《ふたり》にはそれ/″\云《い》ひ分《ぶん》もあることだらうとは思《おも》ひますけど——。なつちやんの為《た》めだわ。なんにも云《い》はずに万里子《まりこ》さんを許《ゆる》してあげてよ。」 「……。」 「それに、三千代《みちよ》さんツてものがゐればこそ、離縁《りえん》の必要《ひつえう》もあるんでせうけど、ゐなければ、その必要《ひつえう》もないぢやないの?」 「フフフ、なか/\手厳《てきび》しいね。」 「まあさ。——三千代《みちよ》さんツてものが現《あらは》れるまでは、万里子《まりこ》さんでどうにか収《をさ》まつてゐたんぢやありませんか。よく大阪《おほさか》まで愚痴《ぐち》をこぼしに来《き》は来《き》たけれど——」 「ハハハ。」 「まあ、今度《こんど》だけは私達《わたしたち》に免《めん》じて不承《ふしよう》してお上《あ》げなさいよ。ねえ、椿《つばき》が万里子《まりこ》さんをウンと云《い》はせて来《き》たら、今度《こんど》だけは|あなた《ヽヽヽ》もなんにも云《い》はないでね。」 「……。」 「また浮世哲学《うきよてつがく》だと笑《わら》はれるかも知《し》れないけれど、何《なん》ツてつたつて、最初《さいしよ》の女房《にようばう》、最初《さいしよ》の亭主《ていしゆ》に如《し》くものはなし——」 「しかしねお玉《たま》さん、三千代《みちよ》さんツてものがまた現《あらは》れたらどうする?」 「あら、あれツきりぢやないの?」 「いや、あれツきりだがね、現在《げんざい》までは。」  ふと海野《うんの》は、お玉《たま》さんに対《たい》して急《きふ》に屈辱《くつじよく》に似《に》たものを感《かん》じた。恋愛《れんあい》を完《まつた》うし得《え》なかつた男《をとこ》の面目《めんぼく》なさに、血《ち》が赤《あか》くならずにはゐられなかつた。自分《じぶん》の返事《へんじ》が、既《すで》に自分自身《じぶんじしん》から遠《とほ》い三千代《みちよ》の存在《そんざい》であることを肯定《こうてい》してゐるやうで寂《さび》しかつた。彼《かれ》は思《おも》はず牙《きば》を剥《む》いて真実《しんじつ》を云《い》はずにはゐられなかつた。 「しかし、僕《ぼく》にはこのままで終《をは》る二人《ふたり》とは思《おも》へないんだがね。」 「まあ。」 [#改ページ]   蒼《あを》い影《かげ》     一  十|日経《かた》つた。 「お前《まへ》それで何膳食《なんぜんた》べるの?」  夜食《やしよく》の時《とき》など、冗談半分《じようだんはんぶん》に母《はゝ》にさう云《い》はれる位《くらゐ》三千代《みちよ》は幾《いく》らでも御飯《ごはん》が食《た》べられた。 「どうしたんだらう私《わたし》。おいしくつて仕様《しやう》がないのよ。」  こんなに食慾《しよくよく》のあつたことは何年《なんねん》にもないことだつた。  父《ちゝ》が食後《しよくご》の林檎《りんご》の皮《かは》を剥《む》いてゐるのに、三千代《みちよ》はまだ箸《はし》を動《うご》かしてゐた。  夜《よる》もよく眠《ねむ》れた。朝《あさ》、順二《じゆんじ》が共寝《ともね》の蒲団《ふとん》を這《は》ひ出《だ》して行《い》つたのも知《し》らずに、グツスリ寐込《ねこ》んでゐた。  昼間《ひるま》も、子供《こども》の相手《あひて》になつてやる外《ほか》は、なんにも考《かんが》へずにボンヤリ日向《ひなた》ぼつこをしてゐた。それで少《すこ》しも退屈《たいくつ》しなかつた。何年振《なんねんぶり》かで、ノンビリした日《ひ》を三千代《みちよ》は送《おく》ることが出来《でき》た。いつか肩《かた》の凝《こ》りも忘《わす》れてしまつた。 「あら、またお昼寝《ひるね》かい?」  何《なに》か話《はな》しに来《き》た母《はゝ》が、かう一人言《ひとりごと》を云《い》つてそつと部屋《へや》を出《で》て行《ゆ》くやうなことも度々《たびたび》だつた。  三千代《みちよ》は何《なに》か深《ふか》い疲労《ひらう》を少《すこ》しづつ取《と》り戻《もど》しつつあるやうな快《こゝろよ》さに浸《ひた》つてゐた。時候《じこう》も丁度《ちやうど》一|日増《にちま》しに寒《さむ》さが緩《ゆる》んで行《ゆ》きつつあつた。 「……。」  何《なに》か云《い》ひたいやうな、と云《い》つて、云《い》ふべき言葉《ことば》が見出《みいだ》せずに、一|日《にち》に幾度《いくど》か彼女《かのぢよ》は快《こゝろよ》い溜息《ためいき》を吐《つ》いた。  これだけでも、三千代《みちよ》は自分《じぶん》のしたことが間違《まちが》つてゐなかつたやうな気《き》がした。実際《じつさい》、もう一|年《ねん》もあのままの生活《せいくわつ》を続《つゞ》けてゐたら、自分《じぶん》は死《し》んでしまつたに違《ちが》ひないやうに三千代《みちよ》には思《おも》はれた。 「貰《もら》つた切符《きつぷ》があるんだけど、寄席《よせ》へ行《い》つて見《み》ないかい?」  或日《あるひ》の夕方《ゆふがた》、母《はゝ》が三千代《みちよ》を誘《さそ》つてくれた。 「どこ?」 「神田《かんだ》の立花《たちばな》。」 「大丈夫《だいぢやうぶ》かしら?」 「何《なに》が?」 「露木《つゆき》。」 「さうだね。——お父《とう》さん一|緒《しよ》に入《い》らつしやらない?」 「行《い》つてもいゝな。」  子供《こども》二人《ふたり》を連《つ》れて、五|人《にん》で、——三千代《みちよ》には、こんなノンビリした夜《よる》の外出《そとで》が久《ひさ》しく恵《めぐ》まれなかつたせゐか、町《まち》の灯《ひ》がまるで龍宮《りゆうぐう》の灯《ひ》のやうに美《うつく》しかつた。  かうして——許《ゆる》してくれぬ時《とき》はどうしても許《ゆる》してくれぬけれど、一|度許《どゆる》したとなると、かうしてそれとなく娘《むすめ》の心《こゝろ》を紛《まぎ》らしてくれる両親《りやうしん》の心遣《こゝろづか》ひを、三千代《みちよ》は暖《あたゝか》く感《かん》じずにはゐられなかつた。 「これからどうしよう?」  やがて、自分《じぶん》の将来《しやうらい》の方針《はうしん》に具体的《ぐたいてき》に心《こゝろ》を使《つか》へる程《ほど》三千代《みちよ》の神経《しんけい》は常態《じやうたい》に復《ふく》して来《き》てゐた。 「ね、お母《かあ》さん、このまま半年程私《はんとしほどわたし》迷惑《めいわく》を掛《か》けててもいゝ?」  食後《しよくご》の長火鉢《ながひばち》の前《まへ》で、或晩《あるばん》三千代《みちよ》はかう母《はゝ》に云《い》つた。     二 「いゝともね。」と母《はゝ》が云《い》つた。 「ぢやさうさせてね。」 「だけど、一|体《たい》これから先《さき》どうするつもりなの?」 「本当《ほんたう》はね——」  そこまで云《い》つて、三千代《みちよ》は目《め》で笑《わら》つた。母《はゝ》に向《むか》つて、小説家《せうせつか》になるとは、きまりが悪《わる》くつて明《あか》らさまには云《い》へなかつた。 「女文士《をんなぶんし》かい?」  母《はゝ》も笑《わら》ひながら 「厭《いや》だよ。」 「ホホホ。」  三千代《みちよ》とても、筆《ふで》で自分《じぶん》が生活《せいくわつ》して行《ゆ》けようとは考《かんが》へてゐなかつた。自分《じぶん》が全人格《ぜんじんかく》を打《う》ち込《こ》む仕事《しごと》として選《えら》ぶとすれば、一|生《しやう》の仕事《しごと》として小説《せうせつ》が書《か》いて見《み》たかつたけれど、生活《せいくわつ》の資《し》は、別《べつ》の、もつと実際的《じつさいてき》な仕事《しごと》から得《う》るやうにしたかつた。したかつたと云《い》ふよりも、さうするより外《ほか》に生活《せいくわつ》の道《みち》はないと思《おも》つてゐた。現《げん》に子供《こども》二人《ふたり》を抱《かゝ》へてゐる以上《いじやう》、親子《おやこ》三|人《にん》が、住《す》んで、着《き》て、食《た》べて行《ゆ》くことは、今日《こんにち》の問題《もんだい》だつた。「旨《うま》く行《い》つて、何年《なんねん》か後《のち》に生活《せいくわつ》して行《ゆ》けるやうになるかも知《し》れない」原稿料生活《げんかうれうせいくわつ》などに期待《きたい》を掛《か》けることは、境遇上《きやうぐうじやう》三千代《みちよ》には許《ゆる》されてゐなかつた。  仲《なか》のいゝ女学校時代《ぢよがくかうじだい》の友達《ともだち》の一人《ひとり》が、四|谷《や》で小《ちひ》さな美容院《びようゐん》を開《ひら》いてゐた。三千代《みちよ》はエプロンを風呂敷《ふろしき》に包《つゝ》んで、そこへ助手《じよしゆ》として通《かよ》ひ始《はじ》めた。 「強過《つよす》ぎません?」  そんな気遣《きづか》ひをしながら、三千代《みちよ》は客《きやく》の髪《かみ》を梳《す》いたり、 「三千代《みちよ》さん、髪洗《かみあら》ひの用意《ようい》をして頂戴《ちやうだい》。」  女主《をんなあるじ》に云《い》はれて、シヤンプーを熱湯《ねつたう》で溶《と》かしたり、髪《かみ》を洗《あら》つてしまつた客《きやく》のうしろへ廻《まは》つて乾燥器《ドライア》を掛《か》けたり——そんな手尖《てさき》の仕事《しごと》に急《いそ》がしく働《はたら》いてゐた。  どんな仕事《しごと》でも、真剣《しんけん》に携《たづさ》はつて見《み》れば、その中《なか》におのづからな面白味《おもしろみ》を見出《みいだ》すことが出来《でき》た。殊《こと》に、心《こゝろ》と全《まつた》く掛《か》け離《はな》れた仕事《しごと》だけに、却《かへ》つて三千代《みちよ》には日々《にちにち》の仕事《しごと》と仕易《しやす》かつた。毎朝早《まいあさはや》くから夕方遅《ゆふがたおそ》くまで、三千代《みちよ》は朗《ほがら》かな気持《きもち》で——過去《くわこ》のことも思《おも》ひ出《だ》さず、現在《げんざい》の不安《ふあん》な境涯《きやうがい》に思《おも》ひ沈《しづ》む暇《ひま》もなく、前途《ぜんと》に対《たい》する恐《おそ》れもさう心《こゝろ》に圧《の》し掛《か》かつて来《こ》ず——急《いそ》がしいのが有《あ》り難《がた》い位《くらゐ》に思《おも》つて働《はたら》くことが出来《でき》た。  でも、特《とく》に雲脂《ふけ》の多《おほ》い、ニチヤ/\した髪《かみ》を梳《す》いてゐる時《とき》や、来《く》る度《たび》に着物《きもの》を変《か》へて来《く》る厭味《いやみ》な女《をんな》の為《た》めに梳《くしけづ》る自分《じぶん》の指《ゆび》が不憫《ふびん》になる時《とき》など、芸術創作《げいじゆつさうさく》の魅力《みりよく》が、大理石《だいりせき》の肌《はだ》のやうな幻《まぼろし》の姿《すがた》で遠《とほ》く向《むか》うに浮《うか》び出《で》る時《とき》がないでもなかつた。  その日《ひ》も、殆《ほと》んど一|日立《にちた》ち詰《づ》めに働《はたら》いて、お腹《なか》を減《へ》らして、パサ/\に脂《あぶら》の抜《ぬ》けた手《て》を気《き》にしながら、両親《りやうしん》の家《うち》へ近《ちか》い省線《しやうせん》のステーシヨンで降《お》りて、改札口《かいさつぐち》で切符《きつぷ》を渡《わた》さうとした時《とき》だつた。 「あら。」  三千代《みちよ》は一|時《じ》に全身《ぜんしん》の血《ち》が足《あし》へさがる思《おも》ひがした。     三  ステーシヨンの前《まへ》の広場《ひろば》に、洋服姿《やうふくすがた》の露木《つゆき》がこつちへ横顔《よこがほ》を見《み》せて、一《ひと》つところを行《い》つたり来《き》たりしてゐるのだつた。  三千代《みちよ》は渡《わた》し掛《か》けた切符《きつぷ》の手《て》を急《いそ》いで引《ひ》ツ込《こ》めると、怪訝《けげん》な顔《かほ》をしてゐる駅夫《えきふ》には構《かま》はず、急《いそ》いで人《ひと》の蔭《かげ》に身《み》を避《さ》けた。さうして、後《あと》から後《あと》から出《で》て来《く》る人《ひと》の流《なが》れに逆《さか》らひながら、人《ひと》と人《ひと》との間《あひだ》を縫《ぬ》ひ縫《ぬ》ひ、人《ひと》と人《ひと》との間《あひだ》に身《み》を隠《かく》しつつ、プラツトホームへ引《ひ》ツ返《かへ》した。  と、風《かぜ》を巻《ま》いて五|輛《りやう》連結《れんけつ》の電車《でんしや》が飛《と》び込《こ》んで来《き》た。三千代《みちよ》は肩《かた》を押《お》し戻《もど》されながら、目《め》の前《まへ》に開《ひら》いたドアへ遮《しや》二|無《む》二|体《からだ》を押《お》し込《こ》んだ。  自動開閉《じどうかいへい》のドアが目《め》の前《まへ》を流《なが》れた。ホツとした。電車《でんしや》が動《うご》き出《だ》した時《とき》の救《すく》はれたやうな嬉《うれ》しさに、三千代《みちよ》は、見《み》も知《し》らぬ男《をとこ》をんなの乗客《じようきやく》に、我知《われし》らず気《き》の弱《よわ》い微笑《びせう》を投《な》げ掛《か》けたい位懐《くらゐなつか》しい気《き》がした。  電車《でんしや》は留《と》まつては走《はし》つた。その度《たび》に、彼女《かのぢよ》の呼吸《こきふ》が楽《らく》になつて行《い》つた。気《き》が附《つ》くと、乗客《じようきやく》が減《へ》つて、座席《ざせき》が幾《いく》つか空《あ》いてゐた。それに今《いま》まで気《き》が附《つ》かずにゐたことがきまり悪《わる》く、三千代《みちよ》は慌《あわ》てて腰《こし》を卸《おろ》した。  留《と》まつた窓《まど》の外《そと》を、駅夫《えきふ》が 「吉祥寺《きちじやうじ》。吉祥寺《きちじやうじ》。」と大《おほ》きな声《こゑ》で云《い》ひながら通《とほ》り過《す》ぎて行《い》つた。  乗客《じようきやく》が一|斉《せい》にバラ/″\立《た》ち上《あが》つた。三千代《みちよ》もつれてプラツトホームへ降《お》りた。  セカ/\階段《かいだん》を登《のぼ》つて行《ゆ》く人達《ひとたち》の後《うしろ》に附《つ》いて、彼女《かのぢよ》も改札口《かいさつぐち》へ出《で》た。  切符《きつぷ》を渡《わた》すと、 「もし/\。」と呼《よ》び留《と》められた。 「……?」 「これは——?」 「あ、済《す》みません、乗《の》り越《こ》したんですけど——」 「ちよつと待《ま》つて下《くだ》さい。」  三千代《みちよ》が構外《こうぐわい》へ出《で》た時《とき》には、足《あし》の早《はや》い乗客達《じようきやくたち》は一人残《ひとりのこ》らずどこへか姿《すがた》を消《け》してしまつてゐた。  未知《みち》の郊外《かうぐわい》の夜景《やけい》が、高《たか》い空《そら》の下《した》に、うしろ弱《よわ》い燈火《ともしび》を鏤《ちりば》めた家並《やなみ》を低《ひく》く拡《ひろ》げてゐた。三千代《みちよ》は、裾《すそ》を|あふ《ヽヽ》る風《かぜ》にも馴染《なじみ》のない寒《さむ》さを覚《おぼ》えた。  路《みち》の左側《ひだりがは》に、線路《せんろ》が幾筋《いくすぢ》か夜目《よめ》に遠《とほ》くへ光《ひか》つてゐた。三千代《みちよ》はふと、この線路《せんろ》の果《はて》の、どこか遠《とほ》い知《し》らぬ国《くに》へ小《ちひ》さく消《き》えてしまひたいやうな突《つ》き詰《つ》めた厭離《おんり》の情《じやう》に襲《おそ》はれた。  自働電話《じどうでんわ》の中《なか》の白《しろ》い明《あか》るさが、ちらと三千代《みちよ》の目《め》にはひつた。と、殆《ほと》んど反射的《はんしやてき》に、その狭《せま》い明《あか》るさの中《なか》に、自分《じぶん》の帰《かへ》りを待《ま》つてゐるであらうミサと順二《じゆんじ》との笑顔《ゑがほ》が浮《うか》んだ。  三千代《みちよ》は|さつき《ヽヽヽ》、美容院《びようゐん》からの帰《かへ》り路《みち》で買《か》つたキヤラメルの箱《はこ》を、咄嗟《とつさ》に懐《ふところ》に思《おも》ひ出《だ》した。  彼女《かのぢよ》は現実《げんじつ》に返《かへ》つた。一つ手前《てまへ》の駅《えき》には人力車《じんりきしや》のあつたことを思《おも》ひ出《だ》してゐた。三千代《みちよ》は一|刻《こく》も早《はや》く子供達《こどもたち》のところへ帰《かへ》りたかつた。     四  或晩《あるばん》、三千代《みちよ》の弟《おとうと》が遊《あそ》びに来《き》て 「姉《ねえ》さん、今《いま》そこまで来《く》るとね、——材木《ざいもく》を積《つ》んだ空地《あきち》があるだらう、左側《ひだりがは》に?」と、いきなり話《はな》し掛《か》けた。 「ああ。」 「あすこの蔭《かげ》から、ふらツと蝙蝠《かうもり》のやうに出《で》て来《き》て、僕《ぼく》の横《よこ》をすツと影《かげ》のやうに通《とほ》つて行《い》つた人間《にんげん》がゐるんだよ。」 「……。」 「あんまり不意《ふい》だつたんで、胆《きも》を冷《ひ》やしの見送《みおく》りさ。すぐ闇《やみ》に見《み》えなくなつたけれど、どうも後姿《うしろすがた》が露木《つゆき》の兄《にい》さんに似《に》てゐたやうな気《き》がするんだけど——」 「厭《いや》だねえ。まだこの辺《へん》をうろ/\してゐるんだらうか。」  夕刊《ゆふかん》から放《はな》した眼鏡《めがね》の目《め》を弟《おとうと》に向《む》けながら、さう云《い》つたのは母《はゝ》だつた。この間《あひだ》の刃物沙汰《はものざた》以来《いらい》、すつかり母《はゝ》は怯《おび》え上《あが》つてしまつてゐるのだつた。  弟《おとうと》は面白《おもしろ》がつて 「別《わか》れた女房《にようばう》より、別《わか》れさせた母親《はゝおや》が憎《にく》いツてね。さしづめ母《かあ》さんなんか十|分《ぶん》警戒《けいかい》した方《はう》がよござんすぜ。何《なに》しろテロ流行《ばやり》の世《よ》の中《なか》だし、それには持《も》つて来《こ》いの、手《て》の中《なか》へはひつてしまふやうな、音《おと》のしないピストルがあるツて云《い》ひますからね。」 「馬鹿《ばか》だね、この子《こ》は。親《おや》を威《おど》かしたりして——」 「ハハハ。嘘《うそ》ですよ、嘘《うそ》ですよ。」 「空地《あきち》から飛《と》び出《だ》したと云《い》ふのもお前《まへ》の作《つく》り事《ごと》だらう?」 「それは本当《ほんたう》ですよ、母《かあ》さん。」 「どうだか知《し》れたもんぢやない。」  口《くち》ではさう云《い》ひながらも、母《はゝ》は翌《あく》る日《ひ》から、昼《ひる》もガラス格子《がうし》に鍵《かぎ》を支《か》つて置《お》くやうにと、みんなに云《い》ひ渡《わた》した。さうして電気屋《でんきや》を呼《よ》んで来《き》て、格子《かうし》の外《そと》に呼鈴《よびりん》を取《と》り附《つ》けさせた。 「当分《たうぶん》お前《まへ》も四|谷《や》へ通《かよ》ふのお止《よ》しよ。」  母《はゝ》は三千代《みちよ》にさう云《い》ふのだつた。 「ええ。」  三千代《みちよ》は神経《しんけい》が蒼《あを》く顫《ふる》へた。少《すこ》しでも気《き》を許《ゆる》したが最後《さいご》、自分《じぶん》を取《と》り巻《ま》く闇《やみ》の中《なか》から、蒼白《あをじろ》い切《き》ツ尖《さき》が、稲光《いなびかり》のやうに、乳房《ちぶさ》か、咽喉《のど》か、兎《と》に角女《かくをんな》の急所《きふしよ》へ閃《ひらめ》き落《お》ちて来《く》るやうな——寝《ね》てゐても、そんな強迫観念《きやうはくくわんねん》に威《おど》された。 「でも——」  こつちから無理《むり》に頼《たの》んで助手《じよしゆ》に使《つか》つて貰《もら》つた最初《さいしよ》のことを思《おも》ふと、向《むか》うの都合《つがふ》も考《かんが》へずに、勝手《かつて》に当分休《たうぶんやす》ませてくれとは、幾《いく》ら仲《なか》のいゝ友達《ともだち》へでも、三千代《みちよ》には云《い》へなかつた。 「朝行《あさゆ》く時《とき》は大丈夫《だいぢやうぶ》だと思《おも》ふけれど——」  三千代《みちよ》が云《い》つた。さうして弟《おとうと》に 「帰《かへ》る時《とき》、|あんた《ヽヽヽ》会社《くわいしや》の帰《かへ》りに迎《むか》へに寄《よ》つてくれないかしら?」 「毎日《まいにち》かい? 恐《おそ》れるなあ。」 「いゝぢやないか。当分《たうぶん》のうち——。その代《かは》り、晩御飯《ばんごはん》を御馳走《ごちそう》するわ。」 「餌《ゑさ》でつるとは|ひで《ヽヽ》えや。」 「さうしてお上《あ》げよ。」  母《はゝ》が口《くち》を入《い》れた。 「ぢやあ、——実《じつ》は今夜《こんや》は母《かあ》さんに小遣《こづかひ》を|せび《ヽヽ》りに来《き》たんだけど、|さつき少《ヽヽヽすこ》し威《おど》かし過《す》ぎたんで云《い》ひ出《だ》しにくいから、姉《ねえ》さん、手附《てつけ》に五|円程出《ゑんほどだ》すか。」 「ホホホ。その代《かは》り、忘《わす》れたりしちや厭《いや》だわよ。」     五  父《ちゝ》のところへ、二三|日続《にちつゞ》けて同《おな》じ客《きやく》が見《み》えた。 「おさだ。」と、母《はゝ》が父《ちゝ》の居間《ゐま》に呼《よ》び込《こ》まれた。 「三千代《みちよ》、お前《まへ》も入《い》らつしやいツて。」  来客《らいきやく》の後片附《あとかたづ》けをしてゐる三千代《みちよ》を、間《ま》もなく母《はゝ》が呼《よ》びに来《き》た。 「これはまだ秘密《ひみつ》だが——」  二人《ふたり》の女《をんな》を前《まへ》にして、父《ちゝ》が重《おも》い口《くち》を綻《ほころ》ばせた。 「今度《こんど》新京《しんきやう》に、半官半民《はんくわんはんみん》の大《だい》デパートを造《つく》る計画《けいくわく》が立案《りつあん》されて、その創立委員長《さうりつゐゐんちやう》なり、専務《せんむ》なり、マネージヤーなりに、|わし《ヽヽ》を買《か》ひに来《き》たのだが——」 「あ、そのお話《はなし》でしたの、この間《あひだ》から?」 「うむ。——で、いろ/\内容《ないよう》を聞《き》いて見《み》たのだが、国家的事業《こくかてきじげふ》ではあるし、|わし《ヽヽ》もこのまま隠居《いんきよ》してしまふにはまだ早過《はやす》ぎるしな、お前達《まへたち》に異存《いぞん》さへなければ、最後《さいご》の御奉公《ごほうこう》にもう一|度働《どはたら》いて見《み》ようかと思《おも》ふのだが——」 「そりやもう、あなたさへそのお気持《きもち》なら、私達《わたしたち》に異存《いぞん》などのあらう筈《はず》はありませんけれど——。でも、新京《しんきやう》と云《い》ふのは、馬鹿《ばか》に寒《さむ》くつてまた馬鹿《ばか》に暑《あつ》いところぢやないんですか。」 「さうだらう。」 「どうでせう? お体《からだ》に?」 「なあに、その点《てん》は設備《せつび》が整《とゝの》つてゐることだし——。で、若《も》し|わし《ヽヽ》が承諾《しようだく》することになると、ここ十|日《か》ばかりのうちに視察《しさつ》に立《た》たなければならないのだが——」 「まあ、そんなに急《きふ》な話《はなし》なんですか。——そりや困《こま》るね、三千代《みちよ》?」 「なあぜ?」 「なぜツて、例《れい》の一|件《けん》があるもの。」  さう云《い》ひながら、母《はゝ》は刃物《はもの》を振《ふ》り廻《まは》す手真似《てまね》で露木《つゆき》を暗示《あんじ》して見《み》せた。 「私《わたし》はお父《とう》さんがゐてさへ恐《こは》いもの。」 「大丈夫《だいぢやうぶ》よ。」 「いゝえ。何《なん》とかそつちの方《はう》のケリがつくまで延《の》ばして貰《もら》へないんでせうか?」 「ぢや、越《こ》すさ。」 「駄目《だめ》駄目《だめ》。探《さが》し当《あ》てますわ、あの調子《てうし》ぢや——」 「だつて、お母《かあ》さん、それとこれとは——」 「そりや分《わか》つてるけど——。でも、理窟《りくつ》ぢやないんだよ、私《わたし》のは——」 「ぢやどう? お母《かあ》さん一|緒《しよ》に連《つ》れて行《い》つて戴《いたゞ》いたら?」 「後《あと》が心配《しんぱい》でお前《まへ》——」 「ぢや、保《たもつ》に来《き》て貰《もら》ひませうよ。」 「あの子《こ》なんか、|たより《ヽヽヽ》にもなんにもなりやしないやね。」 「それぢやお父《とう》さんが困《こま》るわ、お母《かあ》さん。」  三千代《みちよ》だつて、老《お》いた父《ちゝ》を、気候《きこう》の激《はげ》しい遠《とほ》い異国《いこく》へ遣《や》りたいことはなかつた。子《こ》の情《じやう》としたつて引《ひ》き留《と》めたかつた。内地《ないち》で——殊《こと》に江戸《えど》に生《うま》れて一|生《しやう》を東京《とうきやう》で過《すご》した父《ちゝ》だ。人一倍《ひとばい》東京《とうきやう》に愛着《あいぢやく》を持《も》つてゐる父《ちゝ》だ。出来《でき》るなら、東京《とうきやう》で安楽《あんらく》に晩年《ばんねん》を過《すご》させたかつた。そこを墳墓《ふんぼ》の地《ち》にさせたかつた。  ——その三千代《みちよ》が、どうして母《はゝ》と共《とも》に引《ひ》き留《と》めようとはしないのだらう?     六  しかし、二三|年前《ねんまへ》に職《しよく》を退《しりぞ》いた後《のち》の父《ちゝ》の日常《にちじやう》を見《み》てゐると、父《ちゝ》は三百六十五|日《にち》の各々《おのおの》を、実以《じつもつ》て退屈《たいくつ》し切《き》つてゐた。  父《ちゝ》には、これと云《い》つて、道楽《だうらく》がなかつた。一|生《しやう》を働《はたら》き詰《づめ》に働《はたら》いて来《き》た父《ちゝ》としては、道楽《だうらく》のないのが当《あた》り前《まへ》だつた。たまに訪《たづ》ねて来《き》た友達《ともだち》と、或《あるひ》は|たま《ヽヽ》に友達《ともだち》を訪《たづ》ねて行《い》つては、碁《ご》を囲《かこ》む位《くらゐ》が、——たつた一つの時間潰《じかんつぶ》しだつた。  後《あと》は、炬燵《こたつ》に当《あた》りながら、一|日中《にちぢう》三つ四つの新聞《しんぶん》を読《よ》んでゐるか、ラヂオを聞《き》いてゐるか、稀《まれ》に寄席《よせ》へ行《ゆ》くか、——兎《と》に角見《かくみ》てゐて気《き》の毒《どく》になる位《くらゐ》「時間《じかん》」と「健康《けんかう》な体《からだ》」とを持《も》て扱《あつか》つてゐた。  父《ちゝ》がいかに仕事好《しごとず》きであるかは、もう隠居《いんきよ》してしまつてゐる身《み》にも拘《かゝ》はらず、何《なん》の当《あて》もないのに、天気《てんき》のいゝ日《ひ》には未《いま》だに一|生《しやう》をその為《た》めに献《さゝ》げて来《き》た仕事《しごと》の実地研究《じつちけんきう》に、デパート巡《めぐ》りをして倦《う》まない一|事《じ》を以《もつ》てしても知《し》ることが出来《でき》よう。だから、誰《たれ》か父《ちゝ》の専門《せんもん》について意見《いけん》を叩《たゝ》きでもしようものなら、父《ちゝ》は目《め》を輝《かゞや》かして幾《いく》らでも喋《しやべ》つた。——その時《とき》が、碁《ご》を囲《かこ》んでゐる時《とき》よりも、何《なに》をしてゐる時《とき》よりも、父《ちゝ》は心《しん》から心《こゝろ》から楽《たの》しさうだつた。  さうした父《ちゝ》へ、今《いま》仕事《しごと》が——働《はたら》く場所《ばしよ》が——しかも、大《おほ》きな舞台《ぶたい》が、提供《ていきよう》されたのだつた。父《ちゝ》としたら、老後《らうご》隠退《いんたい》の身《み》を見出《みいだ》された信頼《しんらい》と附託《ふたく》とに応《こた》へる意味《いみ》から云《い》つても、この際立《さいた》つて新京《しんきやう》へ行《ゆ》きたいであらう。路《みち》の遠隔《ゑんかく》、地《ち》の荒蕪《くわうぶ》などは、問《と》ふところではないであらう。さうでなくとも、「仕事《しごと》」と、「一生困《しやうこま》らぬ富《とみ》」と、何《いづ》れを選《えら》ぶかと云《い》はれたら、父《ちゝ》は進《すゝ》んで「仕事《しごと》」を取《と》つたに違《ちが》ひない。  新京《しんきやう》の酷寒《こくかん》と炎熱《えんねつ》とは、或《あるひ》は父《ちゝ》の寿命《じゆみやう》を何年《なんねん》か縮《ちゞ》めるかも知《し》れなかつた。でも、三千代《みちよ》に云《い》はせれば、無為退屈《むゐたいくつ》のうちに東京《とうきやう》で寿齢《じゆれい》を完《まつた》うするよりも、仕事《しごと》の真只中《まつたゞなか》に死《し》を迎《むか》へる生活《せいくわつ》の方《はう》が、父《ちゝ》としても、死所《ししよ》を得《え》てゐると信《しん》じてゐるに違《ちが》ひないやうに思《おも》はれた。  さう云《い》ふ意味《いみ》で、三千代《みちよ》はどうしてもこの際父《さいちゝ》を新京《しんきやう》へ立《た》たせてやりたかつた。  と云《い》つて、母《はゝ》の神経《しんけい》の怯《おび》えもさら/\無理《むり》とは思《おも》へなかつた。父《ちゝ》にゐなくなられた後《のち》に、露木《つゆき》に附《つ》け狙《ねら》はれる恐《おそ》ろしさは、母同様《はゝどうやう》——いや、母《はゝ》よりももつと、三千代《みちよ》を顫《ふる》へ上《あが》らせずには置《お》かなかつた。 「ぢや、お父《とう》さん、いつそ私《わたし》を一|緒《しよ》に連《つ》れて行《い》つて下《くだ》さらない?」  いろ/\な意味《いみ》で、仕舞《しまひ》に三千代《みちよ》がさう云《い》ひ出《だ》した。 「私《わたし》さへゐなければ、まさかあの人《ひと》だつてお母《かあ》さんに乱暴《らんばう》はしないでせうし——」 「……。」 「あなた、是非《ぜひ》さうして下《くだ》さいよ。|これ《ヽヽ》が一|緒《しよ》なら、あなたの身《み》のまはりのお世話《せわ》も出来《でき》るし、私《わたし》も安心《あんしん》してゐられるし——」  母《はゝ》もさう云《い》つた。 「女秘書《をんなひしよ》か。——だが、お前《まへ》の旅費《りよひ》はどこから出《で》るんだ?」  父《ちゝ》も仕舞《しまひ》にはこんな冗談《じようだん》を云《い》つた。 [#改ページ]   上下動《じやうげどう》     一 「無茶《むちや》だよ、この一|時金《じきん》八千|円也《ゑんなり》と云《い》ふ奴《やつ》は——」  椿夫妻《つばきふさい》を前《まへ》にして、海野《うんの》が、万里子《まりこ》との手切金《てぎれきん》のことを話《はな》してゐた。  海野《うんの》の、本《ほん》だらけの書斎《しよさい》の障子《しやうじ》もガラス戸《ど》も明《あ》け拡《ひろ》げて、明《あか》るい電燈《でんとう》の光《ひかり》が、庭《には》の黐《もち》の木《き》の梢《こずゑ》へ、パーツと春先《はるさき》らしい柔《やはらか》い光線《くわうせん》を浴《あ》びせてゐた。三|人《にん》とも、湯上《ゆあが》りの食後《しよくご》のいゝ血色《けつしよく》をしてゐた。 「無論《むろん》、僕《ぼく》は八千|円出《ゑんだ》すのを惜《を》しんでゐるんぢやない。持《も》つてゐれば、喜《よろこ》んで出《だ》すよ。だけど、八千|円《ゑん》は愚《おろ》か、千|円《ゑん》の貯金《ちよきん》さへありやしない。そのことは、誰《たれ》よりも万里子《まりこ》が一|番《ばん》よく知《し》つてゐなければならない筈《はず》だのに——。出来《でき》ない相談《さうだん》を持《も》ちかけたところで始《はじ》まらないぢやないか。」 「そりやさうだ。——だから、僕《ぼく》も万里子《まりこ》によく念《ねん》を押《お》したんだ。一|体《たい》海野《うんの》は八千|円出《ゑんだ》す程《ほど》貯金《ちよきん》があるのかツて。さうしたら、さあ、貯金《ちよきん》はどうですか、でも拵《こしら》へようと思《おも》へば、その位《くらゐ》の金《かね》は出来《でき》るだらうと思《おも》ふツて返事《へんじ》なんだ。」 「さうかね。」 「万里子《まりこ》の方《はう》ぢや、一|万円《まんゑん》と云《い》ひたいところらしいよ。」 「フーム。」 「ところで、外《ほか》の条件《でうけん》はどうなんだ?」 「後《あと》の二つには、異存《いぞん》はない。どんなに辛《つら》くつたつて、出来《でき》ることだから、喜《よろこ》んで応諾《おうだく》する。だけど、一|時金《じきん》の問題《もんだい》は、僕《ぼく》に云《い》はせれば、憤慨物《ふんがいもの》だよ。こんなことツてものは、もと/\相対的《さうたいてき》なものぢやないか。」 「それは僕《ぼく》も万里子《まりこ》にさう云《い》つた。で、兎《と》に角《かく》、僕《ぼく》が仲《なか》に立《た》つ以上《いじやう》、片手落《かたてお》ちな真似《まね》は断《だん》じてさせないから、君《きみ》としたら、沢山《たくさん》の上《うへ》にも沢山《たくさん》の金《かね》が欲《ほ》しいだらうけど、海野《うんの》にも出《だ》し得《う》る金高《かねだか》の最高《さいかう》と云《い》ふところで我慢《がまん》してくれなければ、いつまで行《い》つても、この話《はなし》は纏《まと》まりツこない。それからもう一つ、この金《かね》を出《だ》したが為《た》めに、海野《うんの》が借金《しやくきん》の穴埋《あなう》めにこれから後《のち》の半生《はんせい》を営々《えいえい》として送《おく》らなければならず、その為《た》めに、引《ひ》いては海野《うんの》が芸術家《げいじゆつか》として亡《ほろ》びるやうな危険《きけん》のある条件《でうけん》は、なんとしても僕《ぼく》には強《し》ひる訳《わけ》には行《ゆ》かない。この二つは恐《おそら》く君《きみ》も同感《どうかん》だらうと思《おも》ふが——と云《い》つたら、万里子《まりこ》も、その点《てん》は了解《れうかい》してゐた。」 「で、結局《けつきよく》どうなつたんだ?」 「どうなつたツて、これから万里子《まりこ》の周囲《しうゐ》の人達《ひとたち》と相談《さうだん》して返事《へんじ》をする……さ。」 「一々|面倒臭《めんだうくさ》いんだな。」 「何《なに》を云《い》つてんだ。当《あた》り前《まへ》のことぢやないか。——ところが、ギリ/″\結着《けつちやく》のところ、君《きみ》は幾《いく》らなら出《だ》せるんだ?」 「さうさな。鯱立《しやちほこだ》ちして三千|円《ゑん》かな。それも、一《いち》|どき《ヽヽ》には無理《むり》だ。半年《はんとし》づつの二|度払《どばら》い、それが嘘《うそ》も隠《かく》しもない僕《ぼく》の精《せい》一|杯《ぱい》だ。」 「さうだらうな。僕《ぼく》もそこ等辺《らへん》だらうと見《み》てゐた。」 「何《なに》しろ、一|方《ぱう》に上演料《じやうえんれう》を半分《はんぶん》づつ抑《おさ》へられてゐるんだらう? 融通《ゆうづう》のつきツこはないよ。——その辺《へん》で何《なん》とか纏《まと》めてくれよ。」 「話《はなし》は違《ちが》ふが、万里子《まりこ》のお袋《ふくろ》ツて人《ひと》は妙《めう》だね。僕《ぼく》は話《はなし》を纏《まと》めに——いや、離縁《りえん》させない話《はなし》にさ——逢《あ》ひに行《い》つたんだが、元《もと》の鞘《さや》に収《をさ》める話《はなし》には耳《みゝ》も傾《かたむ》けないんだ。別《わか》れ話《ばなし》一|点張《てんば》りさ。」     二  椿《つばき》が間《あひだ》に立《た》つて、何回《なんくわい》か折衝《せつしよう》してくれた結果《けつくわ》、一|時金《じきん》の問題《もんだい》も、海野《うんの》の出来得《できう》る最高《さいかう》の金額《きんがく》で、万里子《まりこ》の側《がは》でも、不承《ふしよう》して来《き》た。  それと聞《き》いた時《とき》、流石《さすが》に海野《うんの》は寂《さび》しい気《き》がした。が、寂《さび》しい中《なか》で、大《おほ》きくホツとした。彼《かれ》はすぐに金《かね》を作《つく》りにかかつた。  と云《い》つても、書《か》き溜《た》めてあつた原稿《げんかう》を持《も》つて、雑誌社《ざつししや》へ買《か》つて貰《もら》ひに廻《まは》るより外《ほか》に海野《うんの》には金《かね》を作《つく》る方法《はうはふ》はなかつた。 「お帰《かへ》んなさいまし。」  或日《あるひ》、朝出《あさで》て夜遅《よるおそ》く帰《かへ》つて来《き》た海野《うんの》を迎《むか》へに出《で》た|なか《ヽヽ》が 「お留守《るす》に、大《おほ》きい旦那《だんな》さまと奥様《おくさま》とが入《い》らつしやいまして、つい今《いま》し方《がた》まで待《ま》つて入《い》らつしやいましてすが、旦那《だんな》さまのお帰《かへ》りがないので、十|時少《じすこ》し前《まへ》にお帰《かへ》りになりました。」と云《い》つた。 「フーム、そりや悪《わる》いことをしたな。——晩御飯《ばんごはん》に何《なに》か御馳走《ごちそう》してあげてくれたかい。」 「ええ。何《なに》もいらない、お総菜《そうさい》でいゝと仰《おつ》しやいましたんですけれど、何《なに》かと存《ぞん》じまして、鰻《うなぎ》と肝《きも》吸物《すひ》とをお取《と》り致《いた》しました。」 「そりやよく気《き》がついたね。有《あ》り難《がた》う。で、何《なん》とか仰《おつ》しやり附《つ》けはなかつた?」 「あの、急《きふ》にお話遊《はなしあそ》ばしたいことがおありだから、明日《あした》午後《ごご》一|時頃《じごろ》までに是非《ぜひ》お出《い》で下《くだ》さいますやうにと——」 「ああ、さう、うむ。——外《ほか》には誰《たれ》も来《こ》なかつた?」 「はい。どなたも——」  翌《あく》る日《ひ》は、一|軒用《けんよう》を済《す》まして、久振《ひさしぶ》りで午飯《ひるめし》を一|緒《しよ》に食《た》べるつもりで、早目《はやめ》に彼《かれ》は両親《りやうしん》の家《うち》を訪《おとづ》れた。 「昨日《きのふ》は済《す》みません。——お父《とう》さんは?」 「急《きふ》に拠《よ》んどころない用《よう》が出来《でき》てね——」 「ああ、さう。ぢや、別《べつ》にお変《かは》りもなしですね?」 「ああ。」  食後《しよくご》に、海野《うんの》は二|階《かい》へ呼《よ》び上《あ》げられた。  話《はなし》と云《い》ふのは、彼《かれ》が予想《よさう》して来《き》た通《とほ》り、今度《こんど》の離縁《りえん》に関《くわん》することだつた。 「そりや万里子《まりこ》がお前《まへ》の気《き》に入《い》らないことは、私達《わたしたち》だつて知《し》らないぢやないよ。」  母《はゝ》は云《い》ふのだつた。 「私達《わたしたち》ばかりぢやない、海野《うんの》の家《うち》は、太郎《たらう》さんのゐない時《とき》に行《ゆ》くと骨灰《こつぱひ》だと親類《しんるゐ》ぢゆうで云《い》つてゐる位《くらゐ》だもの。私達《わたしたち》としたら、多《おほ》くもない子供達《こどもたち》の家《うち》へ、月《つき》に一|度《ど》か二|度孫《どまご》の顔《かほ》を見《み》に行《ゆ》くのが何《なに》よりも楽《たの》しみなのに、それさへ行《ゆ》かないと云《い》ふのは、行《ゆ》けば目《め》に余《あま》ることも見《み》なければならない。見《み》りや親《おや》として小言《こごと》も云《い》はなければならない。が、云《い》つて聞《き》くやうな人《ひと》ではなし、早《はや》い話《はなし》が、私達《わたしたち》に親《した》しまうと云《い》ふ気《き》の全《まつた》くない嫁《よめ》のところへ、何《なに》も好《この》んで嫌《きら》はれに行《ゆ》くがものはなし、結局《けつきよく》太郎《たらう》さへ気《き》に入《い》つてゐれば、私達《わたしたち》が兎《と》や角口《かくくち》を出《だ》すところはないんだから……。まあさう思《おも》つて、万里子《まりこ》のことは一切合切見《さいがつさいみ》ざる聞《き》かざる話《はな》さざるで来《き》たんだけれど——。しかし、元《もと》はと云《い》へば、お前《まへ》が気《き》に入《い》つて貰《もら》つた嫁《よめ》ぢやないか。今《いま》となつて、子供《こども》まで出来《でき》た今《いま》となつて、出《だ》すの別《わか》れるのと云《い》へた義理《ぎり》ぢやあるまい?」 「——だから、お父《とう》さんやお母《かあ》さんのお耳《みゝ》に入《い》れずに——と云《い》つても、はひつちやつたけれど——何《なん》とか自分《じぶん》だけで始末《しまつ》をしますから、どうか御心配《ごしんぱい》なさらずにゐて下《くだ》さい。」     三 「そんなことを云《い》つたつて、——お前《まへ》と、万里子《まりこ》と、二人《ふたり》の間《あひだ》はお前達《まへたち》二人《ふたり》で何《なん》とか片《かた》を附《つ》けるにしても、なつ子《こ》と云《い》ふものがここにゐる以上《いじやう》、ああさうかと云《い》つて、私達《わたしたち》は済《す》ましちやゐられないよ。」 「……。」 「なつ子《こ》の生《う》みの母《はゝ》としての万里子《まりこ》は、海野《うんの》の家《いへ》には、大切《たいせつ》な人《ひと》だからね。さうお前達《まへたち》の勝手《かつて》にさせては置《お》けないよ。」 「……。」 「お前《まへ》の書《か》いたものの中《なか》にあつたぢやないか。子供《こども》はその国《くに》の伝説《でんせつ》の中《なか》で育《そだ》てなければ|いけ《ヽヽ》ないツて。それと同《おな》じことさ、子供《こども》は二親揃《ふたおやそろ》つて育《そだ》てなければならないものだよ。」 「……。」 「お前《まへ》だつてまだ若《わか》いんだし、万里子《まりこ》と別《わか》れれば、いづれは後添《のちぞひ》をお貰《もら》ひだらう? なつ子《こ》を継母《まゝはゝ》の手《て》にかけて、可哀想《かはいさう》とは思《おも》はないのかい?」 「……。」 「|あれ《ヽヽ》が、ちつとも連《つ》れて遊《あそ》びに来《こ》ないから——私達《わたしたち》の方《はう》からも、一|年《ねん》に一|度《ど》かそこらしか行《ゆ》かないのもよくないには違《ちが》ひないけれど——なつ子《こ》を、外《ほか》の孫達《まごたち》のやうに抱《だ》いたり|おぶ《ヽヽ》つたりして可愛《かはい》がつてやれないのを、どんなに不憫《ふびん》に思《おも》つてゐるか知《し》れないんだよ。まして男《をとこ》の孫《まご》ばかりの中《なか》で、たつた一人《ひとり》の女《をんな》の子《こ》だもの。私達《わたしたち》にして見《み》れば、たまには泊《と》めて、添《そ》ひ寝《ね》もしてやりたいし、何《なに》か欲《ほ》しいものも|ねだ《ヽヽ》られて見《み》たいやね。」 「……。」 「さう思《おも》ふ度《たび》に、何《なに》か買《か》つてやつたと思《おも》つちや、ほんの僅《わづか》づつぢやあるけれど、なつ子《こ》の名《な》で貯金《ちよきん》をしてやつてゐるのさ。」  さう云《い》ふ悲《かな》しみを、母親《はゝおや》に味《あぢ》ははせてゐようとは、今《いま》の今《いま》まで海野《うんの》は夢《ゆめ》にも知《し》らなかつた。まして母親《はゝおや》が、さう云《い》ふ意味《いみ》で、蔭《かげ》でなつ子《こ》の為《た》めに貯金《ちよきん》をしてゐてくれようとは——聞《き》いてゐるうちに、海野《うんの》は目《め》の中《なか》が濡《ぬ》れて来《き》た。 「済《す》みません。——だから、さう云《い》ふ悪《わる》い母親《はゝおや》を——」 「いゝえ、それは違《ちが》ふよ。さう云《い》ふ、私達《わたしたち》には余《あま》り嬉《うれ》しくない嫁《よめ》にしても、なつ子《こ》には、世界《せかい》に二人《ふたり》とない母親《はゝおや》なんだよ。」 「そんな馬鹿《ばか》なことがあるもんですか。」 「いゝえ、まあお聞《き》き。祖父《おぢい》さん祖母《おばあ》さんがなければ別《べつ》のこと、あつて見《み》れば、二親《ふたおや》の外《ほか》に祖父《おぢい》さん祖母《おばあ》さんの味《あぢ》を知《し》らないと云《い》ふのは、私達《わたしたち》の目《め》からすれば、なつ子《こ》の不仕合《ふしあは》せさ。しかし、これは祖父《おぢい》さん祖母《おばあ》さんが始《はじ》めからゐなかつたものと思《おも》へばそれまでだけれど、母親《はゝおや》となると、さうは行《ゆ》かない。この上《うへ》、お前達《まへたち》の勝手《かつて》から、母親《はゝおや》まで|※[#「手へん+宛」、unicode6365]《も》ぎ取《と》つてしまふのは、親《おや》の道《みち》に外《はづ》れたことと云《い》はなければね。さうだらう?」 「……。」 「それぢやあんまりなつ子《こ》が可哀想過《かはいさうす》ぎるよ。」 「……。」 「そりやお前《まへ》に云《い》はせれば、云《い》ひたいことも沢山《たくさん》あるだらう。が、それはどこまでもお前《まへ》と万里子《まりこ》との間《あひだ》のことさ。何《なん》の罪《つみ》もないなつ子《こ》にまで飛《と》ばツちりを掛《か》けちや、神《かみ》さまのやうな子供《こども》に対《たい》して申訳《まをしわけ》がなくはないかい?」 「……。」 「気《き》に入《い》らない女《をんな》なら、手綱《たづな》を引《ひ》き締《し》めて、気《き》に入《い》るやうに矯《た》め直《なほ》すさ。お前《まへ》も男《をとこ》ぢやないか。女《をんな》一|匹《ぴき》自由《じいう》に出来《でき》ないでどうするんだね?」 「……。」     四  母《はゝ》の云《い》つてゐることは、海野《うんの》だつてこれまでに何《なん》十|遍考《ぺんかんが》へたことか知《し》れなかつた。 「……。」  彼《かれ》は強情《がうじやう》に押《お》し黙《だま》つてゐた。西洋《せいやう》の諺《ことわざ》に、「返事《へんじ》のないのはよい便《たよ》り」と云《い》ふのがあるが、海野《うんの》の場合《ばあひ》は、その反対《はんたい》だつた。  その日《ひ》は、そのまま母《はゝ》の許《もと》を辞《じ》した。  それで母《はゝ》は思《おも》ひ諦《あきら》めたものと思《おも》つてゐたところが、翌《あく》る日彼《ひかれ》は寝込《ねこ》みを母《はゝ》に襲《おそ》はれた。 「今日《けふ》はお父《とう》さまも一|緒《しよ》に入《い》らつしやるところだつたんだけれどね、今度《こんど》のことを考《かんが》へると、心配《しんぱい》で心配《しんぱい》で、今朝《けさ》も頭《あたま》が割《わ》れるやうに痛《いた》むと仰《おつ》しやつて、寝《ね》て入《い》らつしやるんだよ。でね、二人分《ふたりぶん》お前《まへ》からよく太郎《たらう》に云《い》ひ聞《き》かせて来《こ》いと云《い》ふ仰《おつ》しやり附《つ》けで来《き》たんだけれど——」 「……。」  彼《かれ》は起《お》きぬけから重《おも》い溜息《ためいき》が出《で》ずにはゐなかつた。 「無駄《むだ》ですよ、お母《かあ》さん。」  さう云《い》ひたいのを、海野《うんの》はぢつと怺《こら》へてゐた。 「どうだね、思《おも》ひ返《かへ》しておくれでないか?」  さう云《い》ふ母《はゝ》に、海野《うんの》は 「御心配《ごしんぱい》かけて済《す》みませんけど、今度《こんど》ばかりは我儘《わがまゝ》を通《とほ》させて戴《いたゞ》きます。」 「これまでつひぞ私達《わたしたち》の云《い》ひ附《つ》けに背向《そむ》いたことのないお前《まへ》ぢやないか。どうして、私達《わたしたち》の一|生《しやう》一|度《ど》の頼《たの》みが聞《き》いてくれられないんだらうね?」 「それ程《ほど》——よく/\のことなんだと思《おも》つて、どうか許《ゆる》して下《くだ》さい。」 「一|体《たい》どうするのさ、万里子《まりこ》を離縁《りえん》した後《あと》?」 「御想像《ごさうざう》に任《まか》せる外《ほか》はありません。」 「まさかお前《まへ》、相手《あひて》の奥《おく》さんを離縁《りえん》させて、一|緒《しよ》にならうと云《い》ふのぢやあるまいね?」 「いゝえ、向《むか》うが離縁《りえん》をして来《く》れば、一|緒《しよ》になるつもりです。それが最初《さいしよ》からの目的《もくてき》なんですから——」 「お前《まへ》そんな——そんな道《みち》に外《はづ》れたことを考《かんが》へてゐるのかい?」 「……。」 「止《や》めておくれ。聞《き》けば、三|人《にん》の子供《こども》のお母《かあ》さんだと云《い》ふぢやないか。なつ子《こ》からお母《かあ》さんを取《と》り上《あ》げるだけで足《た》りなくつて、人《ひと》さまの子供衆《こどもしゆ》のお母《かあ》さんまで取《と》り上《あ》げて——奥《おく》さんを引《ひ》き放《はな》された御主人《ごしゆじん》と、三|人《にん》の子供衆《こどもしゆ》の怨《うら》みだけだつて、これからのお前《まへ》に決《けつ》していゝことはないよ。奥《おく》さんにゐなくなられた御主人《ごしゆじん》と子供衆《こどもしゆ》とが、朝《あさ》につけ夜《よる》につけ、どんなに不便《ふべん》な、どんなに寂《さび》しい、どんなに悲《かな》しい、どんなに悔《くや》しい思《おも》ひをすることだらう。その度《たび》に、その怨《うら》みはみんなお前《まへ》と、その奥《おく》さんとの上《うへ》に降《ふ》りかかつて来《こ》ずにはゐないんだよ。その御主人《ごしゆじん》と、身《み》を入《い》れ替《か》へて考《かんが》へてごらんな。」 「……。」 「さうだらう?」 「……。」 「お前《まへ》のやうな物《もの》の道理《だうり》の分《わか》つた人間《にんげん》が、どうしてそんな空恐《そらおそ》ろしいことを考《かんが》へておくれなんだらうね。——ね、それだけは止《や》めておくれ。後生《ごしやう》だから。」 「……。」 「私《わたし》はまた、お前《まへ》が女房子《にようぼこ》まで忘《わす》れる位好《くらゐす》きな人《ひと》だと云《い》ふから、定《さだ》めし利口《りこう》な人《ひと》だらうと思《おも》つてゐたら、そんなことをお前《まへ》と二人《ふたり》で考《かんが》へるやうぢや、ちつとも賢《かしこ》いことはないぢやないか。」 「……。」     五 「そんなことをして、人《ひと》の怨《うら》みがお前《まへ》に——お前《まへ》の体《からだ》へなり、可愛《かはい》い子供《こども》へなり、お前《まへ》の商売《しやうばい》へなり、きつと何《なに》かへ報《むく》つて来《こ》ずにはゐないから。——さうしたら、お前《まへ》どうするい? 人《ひと》の怨《うら》み位恐《くらゐおそ》ろしいものはないよ。」 「……。」 「第《だい》一、そんな道《みち》に外《はづ》れたことをして、世間《せけん》さまが許《ゆる》して置《お》く訳《わけ》がないから——。殊《こと》には、お前《まへ》の商売《しやうばい》は人気家業《にんきかげふ》だからね。世間《せけん》さまが相手《あひて》になさらなくなつたら、明日《あす》が日《ひ》から困《こま》らなければならないぢやないか。そんな思《おも》ひまでしてお前《まへ》——」  母《はゝ》の声《こゑ》が顫《ふる》へたと思《おも》ふと、若《わか》い頃《ころ》「目《め》千|両《りやう》」と云《い》はれた母《はゝ》の大《おほ》きな目《め》が、じつとり潤《うる》んで来《き》た。 「……。」 「お前《まへ》ばかりぢやない、歳《とし》を取《と》つた私達《わたしたち》までが、この歳《とし》になつて世間《せけん》さまへ顔出《かほだ》しが出来《でき》なくなるぢやないか。親《おや》をさう云《い》ふ目《め》に合《あ》はせても、お前《まへ》強情《がうじやう》を通《とほ》すつもりかい?」 「……。」 「お前《まへ》の写真《しやしん》が雑誌《ざつし》に出《で》たり、多少《たせう》は世間《せけん》に名《な》が聞《きこ》えてゐたりするので、親類《しんるゐ》や、路《みち》で知《し》つた方《かた》にお目《め》にかかつたりする度《たび》に、お世辞《せじ》にもせよ、いゝ息子《むすこ》さんを持《も》つてお仕合《しあは》せだと云《い》はれ云《い》はれしたのが、お前《まへ》今度《こんど》は逆《ぎやく》に、路《みち》で行《ゆ》き合《あ》つても、私達《わたしたち》は目《め》を伏《ふ》せて——面目《めんぼく》ない思《おも》ひをして行《ゆ》き過《す》ぎなければならない。少《すこ》しは私達《わたしたち》の身《み》にもなつておくれ。」  母《はゝ》は鼻《はな》を詰《つ》まらせて、暫《しばら》くは後《あと》が云《い》へなかつた。 「子《こ》として、こんな親不孝《おやふかう》はないよ。世間《せけん》さまに対《たい》する申訳《まうしわけ》にも、私達《わたしたち》は、厭《いや》でもお前《まへ》とお附合《つきあひ》をする訳《わけ》には行《ゆ》かないから——。愈《いよいよ》なつ子《こ》が可哀想《かはいさう》ぢやないか。私《わたし》は一|生《しやう》——いゝえ、死《し》んでもあの世《よ》からお前《まへ》とあの人《ひと》とを怨《うら》むよ。」 「……。」 「考《かんが》へてごらん。相手《あひて》から怨《うら》まれ、三|人《にん》の子供《こども》から怨《うら》まれ、二親《ふたおや》から怨《うら》まれ、きつとあの人《ひと》の御両親《ごりやうしん》だつて、お前《まへ》を怨《うら》んで入《い》らつしやるに違《ちが》ひないから——。そんなに大勢《おほぜい》から怨《うら》まれて、お前《まへ》のこれからの運《うん》の開《ひら》けやうがないぢやないか。」 「……。」 「ね、よウく考《かんが》へて思《おも》ひ返《かへ》しておくれ。——不思議《ふしぎ》に、この海野《うんの》の家《うち》には、三十三と云《い》ふ歳《とし》が祟《たゝ》るんだね。祖父《おぢい》さんが、お蔵《くら》を盗坊《どろばう》に切《き》り破《やぶ》られて、——その頃《ころ》は銀行《ぎんかう》がなかつたんで、みんなお金《かね》を瓶《かめ》に入《い》れてお蔵《くら》の下《した》へ埋《う》めて置《お》いたんだつてね。それを洗《あら》ひざらひ持《も》つて行《ゆ》かれたのが、丁度《ちやうど》三十三の歳《とし》。それから、お父《とう》さんが山室《やまむろ》に引《ひ》ツかかつて大損《おほぞん》をなすつたのが、やつぱり三十三。だから、私《わたし》は去年《きよねん》あたりから、何《なに》かお前《まへ》の身《み》に間違《まちが》ひがなければいゝがと実《じつ》は心配《しんぱい》してゐたんだが——」 「……。」  親《おや》に泣《な》きを見《み》せるであらうことは、予《かね》て海野《うんの》は覚悟《かくご》の前《まへ》だつた。しかし、海野《うんの》の前途《ぜんと》の計《はか》り知《し》れない運命《うんめい》の恐《おそ》ろしい予測《よそく》の前《まへ》に、母《はゝ》が、いや父《ちゝ》も、共々《ともども》、心《こゝろ》から怯《おび》えてゐるのを見《み》るのは、泣《な》き悲《かな》しんでゐるのを見《み》るのは、子《こ》として余《あま》りいゝ気持《きもち》はしなかつた。と云《い》ふよりも、やつぱり親子《おやこ》ゆゑ悲《かな》しかつた。  しかし、心《こゝろ》の奥《おく》では 「お母《かあ》さん、暫《しばら》くの間《あひだ》、お願《ねが》ひですから、目《め》をつぶつて、耳《みゝ》を塞《ふさ》いで、口《くち》を噤《つぐ》んでゐて下《くだ》さい。一嵐過《ひとあらしす》ぎてしまへば、後《あと》はお母《かあ》さんも、お父《とう》さんも、優《やさ》しい嫁《よめ》が出来《でき》たと云《い》つて、きつとお喜《よろこ》びになるに違《ちが》ひありませんから。|あれ《ヽヽ》がゐてくれれば、太郎《たらう》の身《み》も家《いへ》も安心《あんしん》だと仰《おつ》しやる時《とき》がきつと来《き》ますから。」  さう云《い》ひながら、不孝《ふかう》の罪《つみ》を詫《わ》びながら、——涙《なみだ》をこぼしながらありツたけの力《ちから》を傾《かたむ》けて掻口説《かきくど》く母《はゝ》の前《まへ》に、海野《うんの》は頑《かたくな》な拒絶《きよぜつ》の沈黙《ちんもく》を守《まも》り通《とほ》した。     六  母《はゝ》は実《じつ》に|ねつ《ヽヽ》かつた。波《なみ》が岩《いは》にぶつかつて行《ゆ》くやうに、何度《なんど》でも、力《ちから》を弛《ゆる》めずに、飽《あ》きずに打《う》ち返《かへ》して来《き》た。  海野《うんの》は、その翌《あく》る日《ひ》も、三|度目《どめ》の母《はゝ》の来訪《らいはう》を迎《むか》へなければならなかつた。この日《ひ》は、父《ちゝ》と母《はゝ》とが揃《そろ》つて遣《や》つて来《き》た。  年寄《としより》としては珍《めづら》しく午後遅《ごごおそ》く遣《や》つて来《き》たと思《おも》つたら、父《ちゝ》を促《うなが》して母《はゝ》は三千代《みちよ》の里《さと》を訪《たづ》ねたのだつた。  しかし、訪《たづ》ねてどうだつたのか、それについては父《ちゝ》も母《はゝ》も一言《ひとこと》も話《はな》してくれなかつた。  父《ちゝ》の打《う》ちひしがれた姿《すがた》を一目見《ひとめみ》た時《とき》、海野《うんの》は思《おも》はず目《め》を逸《そ》らした。母《はゝ》に強意見《こはいけん》をされても、泣《な》かれても、掻口説《かきくど》かれても、感《かん》じなかつた両親《りやうしん》の心労《しんらう》の激《はげ》しさを、彼《かれ》はまざ/″\と父《ちゝ》の姿《すがた》に見《み》た。  目《め》の前《まへ》に坐《すわ》つてゐる父《ちゝ》は、まるで病人《びやうにん》だつた。息切《いきぎ》れがするやうな呼吸《こきふ》をしてゐた。立《た》つて歩《ある》いても、足音《あしおと》もしないだらうと思《おも》はれる位《くらゐ》の影《かげ》の薄《うす》さだつた。  ——これが、一月前《ひとつきまへ》に見《み》た父《ちゝ》だらうか。一月前《ひとつきまへ》に見《み》た父《ちゝ》は、上背《うはぜい》のある、胸《むね》の張《は》つた、血色《けつしよく》のいゝ、老人臭《らうじんくさ》くない、昔《むかし》のままの恐《こは》い父《ちゝ》だつた。  海野《うんの》は目《め》を見張《みは》つて、もう一|度父《どちゝ》を見直《みなほ》した。父《ちゝ》は胸《むね》を落《おと》して、背中《せなか》を丸《まる》くして、ちま/\と、蒲団《ふとん》の真中《まんなか》に、まはりを余《あま》して坐《すわ》つてゐた。 「御心配《ごしんぱい》かけて申訳《まをしわけ》ありません。」  海野《うんの》は目《め》を伏《ふ》せて、父《ちゝ》の前《まへ》に頭《あたま》をさげた。しかし、心《こゝろ》の中《なか》では、彼《かれ》は平伏《ひれふ》してゐたのだ。 「ねえ、太郎《たらう》。」  父《ちゝ》は、痰《たん》の絡《から》まつてゐるやうな低《ひく》い声《こゑ》で云《い》つた。 「私《わたし》は離縁《りえん》するなとも、離縁《りえん》した後《あと》で結婚《けつこん》するなとも云《い》やしない。それ程厭《ほどいや》な女《をんな》なら離縁《りえん》するのもよからう。また、好《す》きな女《をんな》があつたら、結婚《けつこん》するのもよからう。」  何《なん》と云《い》ふ弱々《よわよわ》しい声音《こわね》だらう。まるで遺言《ゆゐごん》を云《い》つてゐる人《ひと》の声《こゑ》のやうな気《き》がふつと海野《うんの》にした。 「私《わたし》は留《と》めやしない。唯《たゞ》何事《なにごと》も、私《わたし》が目《め》をつぶつてからのことにしておくれ。」  海野《うんの》は、|顳※[#「需+頁」、unicode986c]《こめかみ》がキユーツと熱《あつ》くなつて来《き》た。 「もう何年生《なんねんい》きるものでもない。それまでどうか待《ま》つておくれ。」  ふと、父《ちゝ》の膝《ひざ》に置《お》かれてゐる皺《しわ》だらけの手《て》の動《うご》くのが、俯向《うつむ》いてゐる海野《うんの》の目《め》にはひつた。撮《つま》んだやうに皮膚《ひふ》のたるんだ指《ゆび》が、両方《りやうはう》の膝《ひざ》の上《うへ》でキチンと十|本揃《ぽんそろ》つたのを見《み》た瞬間《しゆんかん》、彼《かれ》は父《ちゝ》に拝《をが》まれたやうな気《き》がした。 「……。」  海野《うんの》はうろたへた。 「……。」  父《ちゝ》はそれ以上何《いじやうなに》も云《い》はなかつた。返事《へんじ》を求《もと》めるでもなければ、駄目《だめ》を押《お》すでもなかつた。頼《たの》みツぱなしだけに、海野《うんの》は|あがき《ヽヽヽ》が取《と》れなかつた。 「……。」  母《はゝ》も云《い》はなかつた。  その日以来《ひいらい》、海野《うんの》は、どうかすると、自分《じぶん》が踏《ふ》み殺《ころ》しさうになる父《ちゝ》の姿《すがた》を爪尖《つまさき》に感《かん》じて歩《ある》けなかつた。 [#改ページ]   別府《べつぷ》     一  薄《うす》い青味《あをみ》を帯《お》びた温泉《をんせん》の中《なか》で、三千代《みちよ》の体《からだ》は人形《にんぎやう》のやうに白《しろ》かつた。ヘタ/\に疲《つか》れた体《からだ》の心《しん》へ、ぢん/″\温泉《をんせん》が沁《し》み通《とほ》つて来《く》るやうで、彼女《かのぢよ》はうつとりとした。 「無理《むり》にお父《とう》さんのお供《とも》をして来《き》ていゝことをしたわ。」  ボンヤリした頭《あたま》の中《なか》のどこか小《ちひ》さな隅《すみ》で、三千代《みちよ》は自分《じぶん》の魂《たましひ》が呟《つぶや》いてゐるやうな気《き》がした。  神戸《かうべ》まで汽車《きしや》、あれから「うすりい丸《まる》」に乗《の》つて、門司《もじ》に着《つ》くまでの間《あひだ》に 「お前《まへ》新京《しんきやう》まで来《き》たところで仕方《しかた》があるまい?」と父《ちゝ》が云《い》ひ出《だ》したのだつた。「どうだ、|わし《ヽヽ》の帰《かへ》るまで別府《べつぷ》へ行《い》つてゐたら?」 「勿体《もつたい》ないわ。」 「勿体《もつたい》ないツて、ぐる/″\お前《まへ》を連《つ》れて歩《ある》くんだつて只《たゞ》ぢやないからな。贅沢《ぜいたく》さへしなきや、別府《べつぷ》に滞在《たいざい》するも、新京《しんきやう》まで行《ゆ》くも、同《おな》じ位《くらゐ》かかるだらう。その位《くらゐ》なら、別府《べつぷ》にゐた方《はう》が、お前《まへ》の体《からだ》の為《た》めにもいゝだらう。」  父《ちゝ》の目《め》に映《うつ》つてゐる自分《じぶん》の窶《やつ》れた姿《すがた》が見《み》えるやうな気《き》がして、——父《ちゝ》の心遣《こゝろづか》ひに、急《きふ》に目《め》の中《なか》が熱《あつ》くなつた。 「いゝ? さうしても?」  思《おも》ひがけぬ涙《なみだ》の目《め》を、入口《いりぐち》の、五色《ごしき》の日《ひ》を受《う》けてゐるステインドグラスの上《うへ》に逸《そ》らしながら、三千代《みちよ》はわざと少《すこ》し蓮葉《はすは》な位《くらゐ》の語調《ごてう》で云《い》つた。二人《ふたり》は、ベランダの深《ふか》い椅子《いす》にゐたのだつた。 「さうしろ。」 「まあ嬉《うれ》しい。新京《しんきやう》くんだりまで行《い》つたつて、私《わたし》には何《なに》も面白《おもしろ》いことなんかありやしないわ。」  本当《ほんたう》に、三千代《みちよ》は椅子《いす》に腰《こし》をかけてゐられない位嬉《くらゐうれ》しかつた。心《こゝろ》の中《なか》では、遠《とほ》い女学生《ぢよがくせい》の昔《むかし》に返《かへ》つて、父《ちゝ》の首《くび》ツ玉《たま》へかじりついてゐる自分自身《じぶんじしん》の姿《すがた》があつた。——本当《ほんたう》に、何年振《なんねんぶり》の温泉《をんせん》だらう。さうして、若《も》しさう云《い》ふ贅沢《ぜいたく》が許《ゆる》されるものなら、今《いま》の自分《じぶん》の体位《からだくらゐ》温泉《をんせん》を欲《ほつ》してゐる時《とき》はなかつた。 「だけど——」  その瞬間《しゆんかん》、新京《しんきやう》へ行《ゆ》くのには足手纏《あしでまと》ひだからと云《い》つて、下《した》の小《ちひ》さな子《こ》まで引《ひ》き受《う》けてくれた母《はゝ》の姿《すがた》が、埃《ほこり》ツぽい東京《とうきやう》の隅《すみ》ツこの方《はう》に、小《ちひ》さく済《す》まなく思《おも》ひ描《ゑが》かれた。  船《ふね》は朝早《あさはや》く門司《もじ》に着《つ》いた。  父《ちゝ》は帰《かへ》りの日取《ひど》りの予定《よてい》を三千代《みちよ》に話《はな》して 「その時《とき》は電報《でんぱう》で知《し》らせるから、ここまで出《で》て来《こ》い。」 「はい。——でも、帰《かへ》りには、お父《とう》さんも別府《べつぷ》で二三|日休《にちやす》んで入《い》らしつた方《はう》がいゝわ。」 「さうだな。若《も》しかしたらさうしよう。——宿《やど》は分《わか》つてるな?」 「ええ。日名子《ひなご》でせう。」 「ここですぐ電報《でんぱう》を打《う》つて置《お》け。」 「はい。」 「|わし《ヽヽ》に構《かま》はず先《さき》へ行《ゆ》くがいゝ。」 「見送《みおく》つてからにするわ。」  出帆《しゆつぱん》は午《ひる》の十二|時《じ》だつた。  ——夜暗《よるくら》くなつてから別府《べつぷ》に着《つ》いての今朝《けさ》だつた。 「お父《とう》さんの船《ふね》は、今頃《いまごろ》玄海灘《げんかいなだ》かしら?」     二  起《お》き抜《ぬ》けに温泉《をんせん》にはひつて、サツパリして上《あが》つて来《く》ると、綺麗《きれい》に掃除《さうぢ》の出来《でき》た座敷《ざしき》で、湯上《ゆあが》りのお茶《ちや》が出《で》た。香《かをり》の高《たか》いお茶《ちや》が、まるで玉《たま》を転《ころ》がすやうに喉《のど》を通《とほ》つた。それが済《す》むと、グー/″\お腹《なか》が鳴《な》る位《くらゐ》食欲《しよくよく》を感《かん》じてゐる三千代《みちよ》の前《まへ》に、|おみおつけ《ヽヽヽヽヽ》の匂《にほひ》がした。  いつの間《ま》にか、南《みなみ》に面《めん》した障子《しやうじ》に、ぢかに当《あた》らない、落《お》ち着《つ》いた朝《あさ》の日向《ひなた》がポツカリ来《き》てゐた。  そつち側《がは》の、下《した》の庭《には》の池《いけ》で、鯉《こひ》の跳《は》ねる音《おと》がノンビリと一《ひと》つした。  食事《しよくじ》までの、こんな、何《なに》一つ自分《じぶん》でしない朝《あさ》の長閑《のどけ》さは、三千代《みちよ》にはこの世《よ》の極楽《ごくらく》のやうに思《おも》はれた。 「どうぞ。自分《じぶん》でしますから。」  三千代《みちよ》は女中《ぢよちう》にさう云《い》はずにはゐられなかつた。 「さよでございますか。では、恐《おそ》れ入《い》りますが——」  お鍋《なべ》を長火鉢《ながひばち》に掛《か》け、一|度《ど》だけお給仕《きふじ》をした後《あと》で、若《わか》い、物堅《ものがた》い中《なか》に上品《じやうひん》な色気《いろけ》のある女中《ぢよちう》は、さう云《い》つて静《しづ》かに立《た》つて行《い》つた。  昨夜《ゆうべ》と今朝《けさ》の第《だい》一|印象《いんしやう》から云《い》つて、宿《やど》も、女中《ぢよちう》も、三千代《みちよ》の気《き》に入《い》つた。宿屋《やどや》らしい匂《にほひ》のちつともない、物持《ものも》ちの、親類《しんるゐ》の家《うち》の、母屋《おもや》から離《はな》れた広《ひろ》い二|階《かい》の一間《ひとま》に目醒《めざ》めた朝《あさ》のやうな、落《お》ち着《つ》いた心持《こゝろもち》がしてゐた。  三千代《みちよ》は久振《ひさしぶり》で旨《うま》い朝御飯《あさごはん》を食《た》べた。  よごれ物《もの》を女中《ぢよちう》がみんな下《さ》げて行《い》つてしまつた後《のち》、彼女《かのぢよ》は快《こゝろよ》いボンヤリとした時間《じかん》を、明《あ》けた縁側《えんがは》の障子《しやうじ》の角《かど》に背中《せなか》を靠《もた》せたまま、綺麗《きれい》な日《ひ》の光《ひかり》を見入《みい》つたり、晴《は》れた空《そら》の真白《まつしろ》な雲《くも》を見送《みおく》つたりしてゐた。  |さつき《ヽヽヽ》から何《なに》か耳《みゝ》についてゐると思《おも》つたら、鉄瓶《てつびん》が松風《まつかぜ》の音《おと》を立《た》ててゐるその涼《すゞ》しい音色《ねいろ》だつた。  あたりは嘘《うそ》のやうに静《しづ》かだつた。  東京《とうきやう》の汚《よご》れた空気《くうき》に馴《な》れた三千代《みちよ》の喉《のど》には、ここの空気《くうき》は、汲《く》み立《た》ての朝《あさ》の水《みづ》のやうな、塵《ちり》一つない、透明《とうめい》な、軽《かる》い、——第《だい》一、何《なに》より喉《のど》にも肌《はだ》にも実《じつ》に柔《やはら》かかつた。  三千代《みちよ》はウト/\眠《ねむ》くなつた。  きまりが悪《わる》かつたけれど、一人《ひとり》で夜着《よぎ》を出《だ》して、部屋《へや》の隅《すみ》に小《ちひ》さく横《よこ》になつた。 「どうしたんだらう私《わたし》?」  自分《じぶん》でも呆《あき》れる位《くらゐ》、来《く》る日《ひ》も来《く》る日《ひ》も、三千代《みちよ》は無闇《むやみ》に眠《ねむ》かつた。暇《ひま》さへあれば、馬鹿《ばか》のやうになつて眠《ねむ》つた。  頭《あたま》をどこかへ置《お》き忘《わす》れて来《き》たやうな、肉体《にくたい》ばかりになつたやうな気《き》が三千代《みちよ》はした。  食《た》べるものが何《なん》でも旨《うま》かつた。三|度《ど》三|度《ど》、お|かず《ヽヽ》を一箸《ひとはし》も残《のこ》さず食《た》べてしまつた。 「御免下《ごめんくだ》さいまし。」  かう云《い》つて、二|日《か》に一|遍《ぺん》、三|日《か》に一|遍《ぺん》づつ、何《なに》か彼《か》かお八《やつ》を持《も》つて女中《ぢよちう》がはひつて来《き》た。  それが癖《くせ》になつてか、それのない日《ひ》は寂《さび》しい気《き》がした。 「あの、上手《じやうず》な女《をんな》の按摩《あんま》さんゐません?」  或晩《あるばん》、首筋《くびすぢ》が凝《こ》つて凝《こ》つて仕様《しやう》がなかつた。 「それには奥《おく》さま、砂風呂《すなぶろ》をお召《め》しになりまして、その後《あと》で按摩《あんま》にお揉《も》ませになると、大変利《たいへんき》きますさうでございますよ。」 「さう。」  砂風呂《すなぶろ》は、この日名子《ひなご》の家《うち》の中《なか》にだけでも、二ケ所《しよ》か三ケ所《しよ》あつた。 「だけど、後《あと》で気持悪《きもちわる》いことなくつて? 砂《すな》が体《からだ》にくツついて。」 「いゝえ。ちつともそんなことはございません。それはいゝお気持《きもち》でございますわ。始《はじ》めは皆《みな》さんさう仰《おつ》しやいますけれど、一|度《ど》お召《め》しになりますと、今度《こんど》は砂風呂《すなぶろ》砂風呂《すなぶろ》と大騒《おほさわ》ぎをなさいます。」     三  或朝《あるあさ》、縁側《えんがは》の籐椅子《とういす》の上《うへ》で紅茶《こうちや》を飲《の》みながら、三千代《みちよ》は、いつ這入《はひ》つたのか、ガラスに頭《あたま》をぶつけながらブン/″\羽音《はおと》を立《た》ててゐる早《はや》い蜂《はち》を見《み》てゐるうちに、羽織《はおり》がボテ/″\と重《おも》くなつて来《き》た。  立《た》つて、脱《ぬ》いで、籐椅子《とういす》の背《せ》に投《な》げ掛《か》けた。裏《うら》の赤《あか》いのが少《すこ》しばかり零《こぼ》れ出《で》てゐるのが、変《へん》に美《うつく》しいものに見《み》られた。  ついでに、締《し》め切《き》つたガラス戸《ど》を左右《さいう》に明《あ》け拡《ひろ》げた。横長《よこなが》な下《した》の池《いけ》に、鯉《こひ》の背《せ》が色模様《いろもやう》を描《ゑが》いてゐた。  何《なん》と云《い》ふ山《やま》かしら。尖《とが》つた禿《は》げ山《やま》が、昨夜《ゆうべ》の雨《あめ》にシツトリとした地肌《ぢはだ》にしみ/″\と日向《ひなた》を吸《す》つてゐた。いつもより近々《ちかぢか》と見《み》えた。  思《おも》はず彼女《かのぢよ》は胸《むね》一|杯《ぱい》に南国《なんごく》の空気《くうき》を吸《す》ひ込《こ》んだ。  この日限《ひかぎ》り、三千代《みちよ》はすつかり眠気《ねむけ》を忘《わす》れてしまつた。三|度《ど》三|度《ど》、何《なに》か青《あを》いものが食《た》べたくなつた。  鏡《かゞみ》の前《まへ》に坐《すわ》る度《たび》に、頬《ほゝ》に艶《つや》が出《で》たことの嬉《うれ》しさに、いつまでも自分《じぶん》の顔《かほ》を眺《なが》めてゐた。  その代《かは》り、三千代《みちよ》は、考《かんが》へる働《はたら》きをどこかへ落《おと》して来《き》たやうな人間《にんげん》になつてしまつた。一つことを、五|分《ふん》とは考《かんが》へてゐられなかつた。 「お裁縫《さいほう》でも持《も》つて来《く》ればよかつた。」  さう思《おも》つた程《ほど》、彼女《かのぢよ》は体《からだ》を持《も》て扱《あつか》つた。  今《いま》まで手《て》も触《ふ》れなかつた「大阪朝日《おほさかあさひ》」を拡《ひろ》げて、永《なが》いことあつちを読《よ》みこつちを読《よ》みしたりした。 「東京《とうきやう》の新聞《しんぶん》は来《き》ませんの?」 「あの、御註文《ごちゆうもん》ならばお取《と》り寄《よ》せ致《いた》しますけれど——」  さう云《い》はれると、何《なに》か東京《とうきやう》の空気《くうき》に触《ふ》れることが恐《こは》いやうな気《き》がして 「いゝえ、わざ/″\ならいゝんです。」  慌《あわ》ててさう云《い》つた。  下《した》には、三十|畳敷位《でふじきくらゐ》のドツシリとした座敷《ざしき》があつた。床《とこ》の間《ま》に、一|行《ぎやう》に和歌《わか》を書《か》いた九條武子《くでうたけこ》の軸《ぢく》が品《ひん》よく懸《かゝ》つてゐた。  三千代《みちよ》はそこの縁側《えんがは》に踞《しやが》んで、子供見《こどもみ》たいに池《いけ》の鯉《こひ》に麩《ふ》を投《な》げてやつたりした。  その晩《ばん》、早寝《はやね》の床《とこ》で、ここへ来《き》て始《はじ》めて隣《となり》に子供《こども》の寝《ね》てゐない寂《さび》しさを三千代《みちよ》は味《あぢ》はつた。  散歩《さんぽ》にも急《きふ》によく出《で》た。ザボンの砂糖漬《さたうづけ》を売《う》つてゐる店《みせ》が目《め》に附《つ》いた。南国《なんごく》らしい感《かん》じがした。  海岸《かいがん》へ出《で》ると、突堤《とつてい》が長《なが》く海《うみ》に突《つ》き出《で》てゐた。その一|番先《ばんさき》まで行《ゆ》くと、底《そこ》を泳《およ》いで通《とほ》る魚《さかな》の薄《うす》い影《かげ》まで見《み》える位《くらゐ》、青《あを》い潮《しほ》が静《しづ》かに動《うご》いてゐた。三千代《みちよ》は、そこに退屈《たいくつ》もしずに、踞《しやが》んで何《なん》とも附《つ》かぬ時間《じかん》を消《け》した。  子供瞞《こどもだま》しの動物園《どうぶつゑん》にもはひつて見《み》た。親猿《おやざる》が、子猿《こざる》を人力車《じんりきしや》に乗《の》せて、見物人《けんぶつにん》の歩《ある》く地面《ぢめん》の上《うへ》を走《はし》つてゐた。  通《とほ》りすがりの|はずみ《ヽヽヽ》で、きたない活動小屋《くわつどうごや》へもはひつて見《み》た。  流川通《ながれがはどほ》りの本屋《ほんや》へも、よく肩《かた》の凝《こ》らないやうなのを選《えら》んで雑誌《ざつし》を買《か》ひに行《い》つた。 「御退屈《ごたいくつ》で入《い》らつしやいますでせう。」  さう云《い》つて、或日《あるひ》、丸髷《まるまげ》に結《ゆ》つた綺麗《きれい》なお神《かみ》さんが部屋《へや》へ話《はな》しに来《き》てくれた。 「地獄廻《ぢごくめぐ》りをなすつては如何《いかゞ》で入《い》らつしやいます?」  さう云《い》へば、来《き》た早々《さうさう》、女中《ぢよちう》からもそれを勧《すゝ》められたことを三千代《みちよ》は思《おも》ひ出《だ》した。     四  父《ちゝ》からは、大連《だいれん》へ着《つ》いたと云《い》ふ知《し》らせが、ヤマトホテルのヱハガキに書《か》かれて三千代《みちよ》の許《もと》へ届《とゞ》いた。  その簡単《かんたん》な文面《ぶんめん》を、時々手《ときどきて》に取《と》つては読《よ》んでゐるうちに、三千代《みちよ》も 「かうしてはゐられないわ。」と云《い》ふ気《き》がして来《き》た。  将来《しやうらい》美容院《びようゐん》で暮《くら》しを立《た》てて、その余暇《よか》に何《なに》か書《か》いて行《い》つて見《み》たいと思《おも》つてゐたけれど、いろ/\現在《げんざい》のやうに事情《じじやう》がこんがらかつて来《き》て見《み》ると、さうした二|重《ぢゆう》生活《せいくわつ》をすることが間《ま》だるツこく思《おも》はれて来《き》た。  三千代《みちよ》は、大好《だいす》きな一葉女史《いちえふぢよし》の事《こと》をあれこれと思《おも》ひ出《だ》してゐた。筆《ふで》を折《を》つて、大音寺前《だいおんじまへ》に駄菓子屋《だぐわしや》の店《みせ》を開《ひら》いた一葉《いちえふ》のこと、あの弱《よわ》い体《からだ》で、駄菓子《だぐわし》を入《い》れた箱《はこ》を背負《せお》つて、朝暗《あさくら》いうちから、神田《かんだ》の多町《たちやう》まで仕入《しい》れに通《かよ》つた二十|幾《いく》つかの、自分《じぶん》より若《わか》い一葉《いちえふ》のこと、どうにも我慢《がまん》が出来《でき》なくなつて、店《みせ》を畳《たゝ》んで再《ふたゝ》び筆《ふで》の生活《せいくわつ》に返《かへ》つた一葉《いちえふ》のこと、それから後《のち》に於《おい》て「にごり江《え》」のやうな、「たけくらべ」のやうな、その頃《ころ》の大家《たいか》と云《い》はれた紅葉《こうえふ》にも、露伴《ろはん》にも、誰《たれ》にも書《か》けない、ああ云《い》ふいつまでも人《ひと》の心《こゝろ》を打《う》つ小説《せうせつ》を書《か》いた一葉《いちえふ》のこと、さうして、たつた二十五までしか生《い》きずにこの世《よ》を去《さ》つた一葉《いちえふ》のこと、——そんなことを考《かんが》へてゐるうちに、三千代《みちよ》は、自分《じぶん》もいつまで生《い》きられる健康《けんかう》だか分《わか》らないやうに思《おも》はれて来《き》た。 「さうだわ。」  人並《ひとなみ》の生活《せいくわつ》をしようと思《おも》へばこそ美容院《びようゐん》も必要《ひつえう》だつた。しかし食《た》べて、着《き》て、住《す》んで行《ゆ》くだけなら——それでいゝと覚悟《かくご》さへ附《つ》けば、美容院《びようゐん》の必要《ひつえう》はなかつた。 「かう云《い》ふ際《さい》には、殊《こと》に自惚《うぬぼ》れて考《かんが》へることが大事《だいじ》だわ。」  三千代《みちよ》は、自分《じぶん》の書《か》いたものが売《う》れることを想像《さうざう》した。三十|円《ゑん》に売《う》れたら三十|円《ゑん》の生活《せいくわつ》をすればいゝのだ。二十|円《ゑん》にしか売《う》れなかつたら、その月《つき》は二十|円《ゑん》の生活《せいくわつ》をすればいゝのだ。  考《かんが》へて見《み》れば、三千代《みちよ》は手尖《てさき》が器用《きよう》に生《うま》れ附《つ》いてゐるとも思《おも》はれなかつた。特《とく》に不器用《ぶきよう》とも思《おも》はなかつたけれども——  撫肩《なでがた》の、ドメスチツクな、毀《こは》れ易《やす》い、女《をんな》らしい女《をんな》、三千代《みちよ》の容姿《ようし》が与《あた》へる感《かん》じは、さう云《い》ふフレキシブルな線《せん》から成《な》り立《た》つてゐた。海野《うんの》も、さう云《い》ふ三千代《みちよ》に心《こゝろ》を引《ひ》かれたのだつた。いや、三千代自身《みちよじしん》でさへ、自分《じぶん》はさう云《い》ふ日本的《にほんてき》な女《をんな》だとばかり思《おも》つてゐた。  しかし、かうして一人《ひとり》になつてよく考《かんが》へて見《み》ると、——今度《こんど》のやうな事件《じけん》に直面《ちよくめん》した自分自身《じぶんじしん》の心《こゝろ》の経過《けいくわ》した跡《あと》を顧《かへり》みて見《み》ると、さうとばかりも思《おも》はれないものを、心《こゝろ》の奥底深《おくそこふか》く自分《じぶん》が隠《かく》してゐたことを発見《はつけん》しずにはゐられなかつた。  日常生活《にちじやうせいくわつ》の範囲内《はんゐない》では、彼女《かのぢよ》は常識《じやうしき》を持《も》つてゐた。が、一|歩心《ぽこゝろ》の生活《せいくわつ》に立《た》ち入《い》ると、三千代《みちよ》には常識《じやうしき》がなかつた。馴《な》らされざる、生《き》のままの、彼女自身《かのぢよじしん》の「規矩《きく》」があるばかりだつた。  彼女自身《かのぢよじしん》の規矩《きく》とは?  正直《しやうぢき》と真心《まごゝろ》とだつた。それも、野蛮人《やばんじん》のやうな正直《しやうぢき》と真心《まごゝろ》とだつた。  しかも、一|方《ぱう》、三千代《みちよ》は、芸術家《げいじゆつか》のやうなデリケートな神経《しんけい》と、敏感《びんかん》と、インサイト(物《もの》の核心《かくしん》を見抜《みぬ》く力《ちから》)とを持《も》つてゐた。だから、理窟《りくつ》でなしに、直感《ちよくかん》で、彼女《かのぢよ》は人《ひと》の不正直《ふしやうぢき》と、不誠意《ふせいい》とを見抜《みぬ》いた。さうして、それを野蛮人《やばんじん》のやうな激《はげ》しさと、単純《たんじゆん》さとで憎《にく》んだ。     五  この偽《いつは》りの多《おほ》い世《よ》の中《なか》に生《い》きて行《ゆ》く上《うへ》で、三千代《みちよ》は自分《じぶん》の正直《しやうぢき》と真心《まごゝろ》と、野蛮人《やばんじん》の血《ち》と、この三つのものを持《も》て扱《あつか》つた。    神《かみ》よあなたは わたしには    ゆがんだ霊《たましひ》をつくられた    嗟《ああ》 どのやうにやつてみても    これは幸福《かうふく》の匣《はこ》には納《をさ》まらぬ  佐藤春夫《さとうはるを》の「歎息《たんそく》」と題《だい》するこの詩《し》を読《よ》んだ時《とき》、三千代《みちよ》は自分《じぶん》の「歎息《たんそく》」をこの四|行《ぎやう》のうちに聞《き》いたやうに思《おも》つた。  しかし、女《をんな》として、彼女《かのぢよ》は愛《あい》する男《をとこ》から最後《さいご》には可愛《かはい》い女《をんな》として愛《あい》されたかつた。  チエホフの「可愛《かはい》い女《をんな》」。  世間《せけん》の規矩《きく》に当《あ》て嵌《はま》らない、野蛮《やばん》な、——しかし可愛《かはい》い女《をんな》。  野蛮人《やばんじん》の若《わか》い女《をんな》が、梢《こずゑ》をわたる風《かぜ》の音《おと》を聞《き》きながら、水《みづ》の底《そこ》の国《くに》のやうに青《あを》みわたる月《つき》の光《ひかり》を浴《あ》びながら、何《なに》かと空想《くうさう》を楽《たの》しむやうに、三千代《みちよ》も、ふと彼女《かのぢよ》の感覚《かんかく》を誘《さそ》はれるままに、空想《くうさう》の世界《せかい》に閉《と》ぢ籠《こも》ることが何《なに》よりも好《す》きだつた。この世《よ》で何《なに》が一|番幸福《ばんかうふく》かと聞《き》かれたら、三千代《みちよ》は一人《ひとり》でボンヤリとしながら、好《す》き勝手《かつて》な空想《くうさう》をほしいままにしてゐる時《とき》だと答《こた》へたであらう。その時位《ときくらゐ》、彼女《かのぢよ》は生《い》き生《い》きと心《こゝろ》のして来《く》る時《とき》はなかつた。  それと同《おな》じやうな楽《たの》しみを彼女《かのぢよ》に与《あた》へてくれるものは、芸術《げいじゆつ》に接《せつ》してゐる時《とき》だつた。  温泉《をんせん》と、オゾンに富《と》んだ新鮮《しんせん》な空気《くうき》と、これまでの煩《わづら》はしい生活《せいくわつ》から全《まつた》く切《き》り放《はな》された長閑《のどか》な旅先《たびさき》の生活《せいくわつ》と、この三つのものが、三千代《みちよ》に彼女《かのぢよ》の健康《けんかう》を取《と》り戻《もど》してくれた。自分《じぶん》にも分《わか》る位《くらゐ》、細胞《さいばう》の一つ一つが生々《いきいき》と新陳代謝《しんちんたいしや》しつつあることが感《かん》じられた。  三千代《みちよ》はもう退屈《たいくつ》などは感《かん》じなかつた。起《お》きた時《とき》と、寝《ね》る時《とき》と、この二|度《ど》温泉《をんせん》に浸《ひた》る外《ほか》は、午前《ごぜん》に一|度《ど》、下《した》を温泉《をんせん》が流《なが》れてゐる砂《すな》の層《そう》を掘《ほ》つてホカ/\と埋《うづ》まつてゐる外《ほか》は、殆《ほと》んど部屋《へや》の中《なか》に閉《と》ぢ籠《こも》つたきりだつた。三千代《みちよ》の心《こゝろ》は、これまでの自分《じぶん》の生活《せいくわつ》の整理《せいり》に楽《たの》しく急《いそ》がしかつた。  三千代《みちよ》は自分《じぶん》を反省《はんせい》もして見《み》た。  始《はじ》めは、海野《うんの》と一|緒《しよ》になりたい為《た》めに、露木《つゆき》との離婚《りこん》を企《くはだ》てた自分《じぶん》だつた。しかし、いろ/\の事情《じじやう》で、このまま海野《うんの》と一|緒《しよ》になる機会《きくわい》がなくとも、三千代《みちよ》は後悔《こうくわい》するところはなかつた。このまま一人《ひとり》で一生送《しやうおく》らなければならなくとも、決《けつ》して不幸《ふかう》だとは思《おも》はなかつた。  過去《くわこ》の、露木《つゆき》との夫婦生活《ふうふせいくわつ》のいろ/\な場面《ばめん》が、三千代《みちよ》の心《こゝろ》の目《め》の前《まへ》に生々《いきいき》と躍《をど》つた。  さう云《い》ふ幾場面《いくばめん》を通《とほ》して、彼女《かのぢよ》は自分達《じぶんたち》の哀《あは》れないぢらしい若《わか》い姿《すがた》を見詰《みつ》めてゐる間《あひだ》に、いつか両方《りやうはう》の頬《ほゝ》が濡《ぬ》れて来《き》た。 「大《おほ》きく見《み》える影《かげ》」  三千代《みちよ》はさう云《い》ふ題《だい》のテーマを掴《つか》んだ。彼女《かのぢよ》は久振《ひさしぶり》で芸術的《げいじゆつてき》な興奮《こうふん》を感《かん》じた。その興奮《こうふん》も三千代《みちよ》には懐《なつか》しかつた。 「お宅《たく》に原稿紙《げんかうし》あります?」  三千代《みちよ》は飛《と》び出《だ》して行《い》つて、紙屋《かみや》や文房具店《ぶんばうぐてん》を尋《たづ》ねて廻《まは》つた。  ザラ/″\の悪《わる》い紙《かみ》に青《あを》く刷《す》つた一綴《ひとつゞ》りを買《か》つて帰《かへ》ると、三千代《みちよ》は張《は》り切《き》つた気持《きもち》でペンを握《にぎ》つた。  彼女《かのぢよ》は一|生懸命《しやうけんめい》だつた。この一|作《さく》に、過去《くわこ》の女《をんな》としての悲《かな》しみ、怨《うら》み、哀《あは》れみ、さう云《い》つた自分《じぶん》の生活《せいくわつ》のあらゆるものをぶち込《こ》んで、すつかり露木《つゆき》との夫婦生活《ふうふせいくわつ》の清算《せいさん》を、少《すくな》くとも半分《はんぶん》は附《つ》けてしまふつもりだつた。 [#改ページ]   バア・クロコダイル     一 「あら。」  影《かげ》のやうにはひつて来《き》た露木《つゆき》の姿《すがた》に、ふいを喰《くら》つて胸尖《むなさき》を冷《つめ》たくしながら、それでも、女給《ぢよきふ》の一人《ひとり》が 「入《い》らつしやい。」  さう云《い》ひながら立《た》つて来《き》た。 「びつくりしたわ私《わたし》。」  その位《くらゐ》、昼間《ひるま》のバア・クロコダイルは陰気《いんき》で薄暗《うすぐら》かつたが、露木《つゆき》のはひつて来方《きかた》も、音《おと》を立《た》てぬ陰気《いんき》さだつた。 「……。」  むツつり、隅《すみ》のテーブルに坐《すわ》つた露木《つゆき》の目《め》は、白目《しろめ》に血《ち》の筋《すぢ》が幾本《いくほん》もはひつてゐた。 「なんに致《いた》しませう?」 「ヂン・フイズ。」  太鼓胴《たいこどう》の分厚《ぶあつ》いコツプに揺《ゆ》れる透明《とうめい》な液体《えきたい》を 「お待《ま》ち遠《どほ》さま。」と云《い》ひながら女給《ぢよきふ》が運《はこ》んで来《き》た。  ガブツと一|口飲《くちの》むと、ガチツと乱暴《らんばう》にコツプを下《した》に置《お》いて、フーツと溜息《ためいき》を吐《つ》いた。  もう一|度逢《どあ》ひたいと思《おも》つて、——逢《あ》つて、引《ひ》ツさらつてでも、もう一|度《ど》三千代《みちよ》を自分《じぶん》の手許《てもと》へ連《つ》れて来《き》たいと三千代《みちよ》の家《うち》の近《ちか》くをうろついて見《み》たり、こつそり女中《ぢよちう》から三千代《みちよ》が外出《ぐわいしゆつ》したことを聞《き》き出《だ》して、殆《ほと》んど丸《まる》一|日《にち》省線《しやうせん》の停車場《ていしやば》に立《た》つて彼女《かのぢよ》の帰《かへ》りを待《ま》ち伏《ぶ》せしたりして見《み》たけれど、その甲斐《かひ》もなかつた。哀《あは》れに持《も》ち掛《か》けても駄目《だめ》なら、それ以外《いぐわい》に方法《はうはふ》はなかつた。  しかし、日《ひ》が経《た》つにつれて、引《ひ》ツさらふなどと云《い》ふ殺気《さつき》もだん/″\消《き》えて行《い》つて、仕舞《しまひ》には、せめて三千代《みちよ》の後影《うしろかげ》なりと見《み》たいと思《おも》つて、三千代《みちよ》の里《さと》の近《ちか》くへ毎日《まいにち》のやうに通《かよ》つた。  そんな日《ひ》の一|日《にち》、どうにも寂《さび》しくつて堪《たま》らなくなつて、露木《つゆき》は通《とほ》りすがりに、このバア・クロコダイルの入口《いりぐち》を潜《くゞ》つたのだつた。  彼《かれ》はいける口《くち》ではなかつた。 「何《なに》かあんまり強《つよ》くない酒《さけ》をくんないか。」 「ぢや、コクテルか何《なに》か——」  飲《の》めない口《くち》にも、口《くち》の中《なか》がベト/″\してコクテルは露木《つゆき》には向《む》かなかつた。  かうして覚《おぼ》えたヂン・フイズだつた。酔《よ》つて忘《わす》れるのが、忘《わす》れる為《た》めに飲《の》むのが、露木《つゆき》の日課《につくわ》になつた。 「どうしたの、こちら? 何《なに》か深《ふか》い仔細《しさい》がありさうね?」  始《はじ》めの日《ひ》、こんなことを云《い》ひながら、ゲラ/″\笑《わら》ひながら三|人《にん》ゐる女給《ぢよきふ》がみんな一塊《ひとかたまり》になつて彼《かれ》の前《まへ》へ腰《こし》を卸《おろ》した。 「……。」  しかし、なんにも云《い》はず黙《だま》つて、たまにガブリとコツプの縁《ふち》を口《くち》へ持《も》つて行《ゆ》く客《きやく》の不愛想《ぶあいさう》に呆《あき》れて、三|人《にん》が三|人《にん》とも露木《つゆき》のテーブルを離《はな》れて行《い》つてしまつた。  彼《かれ》は、別《べつ》に女給《ぢよきふ》を必要《ひつえう》としなかつた。 「おい。」  ヂン・フイズがなくなると、コツプを上《あ》げて、見《み》せる位《くらゐ》のものだつた。 「はい。」  新《あたら》しいコツプを露木《つゆき》の前《まへ》に置《お》くと、女給《ぢよきふ》はさつさと自分達《じぶんたち》の——客《きやく》のない昼間《ひるま》のテーブルの一つへ三|人《にん》かたまつてベチヤクチヤ薄暗《うすぐら》くお喋《しやべ》りをしてゐるところへ、引《ひ》き返《かへ》して行《い》つた。     二  寐不足《ねぶそく》の頭《あたま》はボンヤリしてゐた。体《からだ》はどこかに熱《ねつ》があるやうに|だる《ヽヽ》かつた。何《なに》を見《み》ても物憂《ものう》く、何《なに》を聞《き》いても物憂《ものう》かつた。喋《しやべ》るのも大儀《たいぎ》だつたし、人《ひと》の話《はなし》を聞《き》くのも億劫《おくくう》だつた。そのくせ、心《こゝろ》の底《そこ》に悲《かな》しさと寂《さび》しさとがプス/\|いぶ《ヽヽ》つてゐた。|そいつ《ヽヽヽ》が堪《たま》らなかつた。  風《かぜ》の吹《ふ》く野原《のはら》へ一人立《ひとりた》つてゐるやうな寂《さび》しさだつた。見《み》る見《み》るうちに、空《そら》が夕空《ゆふぞら》の色《いろ》に寒々《さむざむ》と陰《かげ》つて行《ゆ》くのを見《み》てゐるやうな悲《かな》しさだつた。無闇《むやみ》に人懐《ひとなつか》しかつた。と云《い》つて、話《はな》し掛《か》けられたりするのは変《へん》に重苦《おもくる》しかつた。だから、誰《たれ》でもいゝ、人《ひと》のゐるところに自分《じぶん》もゐて、——知《し》らない人《ひと》でも、取《と》りすがりたい位懐《くらゐなつか》しかつた。——打《う》ツちやらかして置《お》いて貰《もら》ひたかつた。いや、本当《ほんたう》を云《い》へば、自分《じぶん》を勝手《かつて》に泣《な》かせてくれる人《ひと》がゐてくれれば、さう云《い》ふ人《ひと》なら欲《ほ》しかつた。  だから、夜《よる》になるのを待《ま》ち兼《か》ねるやうにして、梅村《うめむら》が勤《つと》め先《さき》から帰《かへ》つて来《く》る時刻《じこく》を見計《みはから》つては、毎晩《まいばん》のやうに梅村《うめむら》のところへ愚痴《ぐち》をこぼしに行《い》つた。  露木《つゆき》は飽《あ》かずに一つことを繰《く》り返《かへ》し繰《く》り返《かへ》し訴《うつた》へた。梅村《うめむら》は厭《いや》な顔《かほ》もしずに、聞《き》いてくれた。露木《つゆき》は子供《こども》のやうに、梅村《うめむら》と床《とこ》を並《なら》べて泣《な》き寐入《ねい》るのだつた。  が、トロ/\と寐《ね》たと思《おも》ふと、三千代《みちよ》とキスをした夢《ゆめ》を見《み》て、ハツと目《め》を醒《さ》ました。露木《つゆき》はそれツきりもう寐《ね》られなかつた。  夢見《ゆめみ》の後《あと》のシーンと静《しづ》かな夜更《よふけ》には、一《ひと》しほ三千代《みちよ》が恋《こひ》しかつた。肌《はだ》で恋《こひ》しかつた。  昼《ひる》と夜《よる》とでは、三千代《みちよ》の恋《こひ》しい色合《いろあひ》が違《ちが》つた。露木《つゆき》は血《ち》が騒《さわ》いだ。  二《に》の腕《うで》の内側《うちがは》に、うつすら透《す》いて見《み》える静脈《じやうみやく》を浮《うか》べた肌《はだ》の色《いろ》が、なまめかしく露木《つゆき》の目《め》を刺戟《しげき》した。なだらかな盛《も》り上《あが》りを見《み》せてすべ/″\と拡《ひろ》がつてゐる肉《にく》の丘《をか》の中《なか》に笑《わら》つてゐる臍《へそ》の形《かたち》が、闇《やみ》の中《なか》の彼《かれ》の目《め》に絡《から》み附《つ》いて来《き》て仕方《しかた》がなかつた。  そんなことを考《かんが》へてゐると、海野《うんの》と夫婦気取《ふうふきど》りで伊豆《いづ》の温泉場巡《をんせんばめぐ》りをしてゐる三千代《みちよ》の姿《すがた》を思《おも》ひ描《ゑが》かれてならなかつた。  熱海《あたみ》か。  伊東《いとう》か。  それとも、箱根《はこね》かも知《し》れない。  畜生《ちくしやう》。明日《あした》は一つ、乗《の》り込《こ》んで行《い》つて、現場《げんば》を取《と》ツつかまへてやらなくつちや—— 「ああ——」  熱《あつ》くなつた頭《あたま》を、露木《つゆき》は枕《まくら》の上《うへ》で一つ寝返《ねがへ》りを打《う》つた。 「どうした? 寐《ね》られないか。」  真暗《まつくら》な中《なか》から、近々《ちかぢか》と梅村《うめむら》の云《い》つた言葉《ことば》が、露木《つゆき》の耳《みゝ》には遠《とほ》くからのやうに聞《きこ》えた。  そんな翌《あく》る朝《あさ》、梅村《うめむら》は細君《さいくん》に揺《ゆ》り起《おこ》されてもなか/\目《め》を醒《さ》まさなかつた。 「何《なに》しろ俺《おれ》まで堪《たま》らないよ。」 「お断《ことわ》りなすつたらいゝぢやないの。こつちはお勤《つと》めのある体《からだ》なんですもの。」 「さうも行《ゆ》かないよ。ああして俺《おれ》を慕《した》つて来《こ》られて見《み》ると——。俺以外《おれいぐわい》に|あれ《ヽヽ》には友達《ともだち》と云《い》ふものが一人《ひとり》もないんだからな。」  梅村夫婦《うめむらふうふ》は、朝《あさ》の部屋《へや》の隅《すみ》で小声《こごゑ》でこんな会話《くわいわ》を取《と》り交《かは》したりした。  梅村《うめむら》には、海野《うんの》のところのなつ子《こ》と同《おな》い歳《どし》の女《をんな》の子《こ》があつたが、その子《こ》が近頃妙《ちかごろめう》に露木《つゆき》を恐《こは》がつた。     三  かうした露木《つゆき》にとつて、昼《ひる》の間位侘《あひだぐらゐわび》しい時《とき》はなかつた。  蔵書《ざうしよ》を叩《たゝ》き売《う》つては、バア・クロコダイルの薄暗《うすぐら》いテーブルの前《まへ》に身《み》を隠《かく》すより外《ほか》に、時間《じかん》のつぶしやうがなかつた。  コツプに一|杯《ぱい》ヂン・フイズを飲《の》んでしまふ頃《ころ》から、ドロンとした頭《あたま》が、生々《いきいき》と活動《くわつどう》し始《はじ》めるのだつた。思《おも》ひ出《だ》さなくてもいゝやうな記憶《きおく》が、まざ/″\と甦《よみがへ》つて来《く》るのだつた。  今《いま》も、今朝《けさ》母親《はゝおや》から 「渉《わたる》や、お前《まへ》さう学校《がくかう》を休《やす》んでいゝのかい?」  さう云《い》はれた時《とき》の、自分《じぶん》に取《と》り縋《すが》つて来《く》るやうな母《はゝ》の目《め》を思《おも》ひ出《だ》してゐた。 「いゝんです。当分《たうぶん》欠席《けつせき》の届《とゞ》けが出《だ》してあるんだから。」 「だつてお前《まへ》、病気《びやうき》と云《い》ふのぢやなし、毎日外《まいにちそと》へばかり出《で》てゐて、若《も》し学校《がくかう》の方《はう》にこれが知《し》れでもしたら——。若《も》しものことがあつたら、どうする気《き》なのさ、お前《まへ》?」 「若《も》しものこと? あ、月給《げつきふ》をくれなくなつたらですか?——さうしたら、親子心中《おやこしんぢう》でもするさ。」 「……。」  母《はゝ》は、気《き》ちがひをでも見《み》るやうな、不気味《ぶきみ》なと云《い》つた目付《めつき》と、哀《あは》れみを湛《たゝ》へた優《やさ》しい眼差《まなざし》とをした。と、忽《たちま》ちその目《め》がモヤツと潤《うる》んだのを露木《つゆき》は見《み》た。 「おうい。」  堪《たま》らなくなつて、彼《かれ》はコツプを高《たか》く頭《あたま》の上《うへ》へ差《さ》し上《あ》げて、二|杯目《はいめ》を註文《ちゆうもん》した。  記憶力《きおくりよく》を麻痺《まひ》させたい一|心《しん》で、露木《つゆき》は二|杯目《はいめ》を早目《はやめ》に明《あ》けた。 「おうい、お代《かは》り。」 「はあい。」  コツプを持《も》つて来《き》た女給《ぢよきふ》に、 「ピーナツツをもつと、こんな吝臭《けちくさ》い入《い》れ物《もの》でなく、もつと|うん《ヽヽ》と持《も》つて来《こ》い。」  彼《かれ》はやつと目《め》の前《まへ》だけの人間《にんげん》になれた。少《すこ》し酔《よ》ひを誇張《こちやう》してゐた。色白《いろじろ》な顔《かほ》が桜《さくら》海老《えび》のやうに真赤《まつか》だつた。彼《かれ》は自分《じぶん》で知《し》らずに息《いき》を弾《はず》ませてゐた。  いつか電燈《でんとう》が薄青《うすあを》い靄《もや》のやうな色調《しきてう》で部屋《へや》を意味《いみ》あり気《げ》に包《つゝ》んでゐた。 「入《い》らつしやいまし。」 「まあお珍《めづ》らしい。」  女給《ぢよきふ》が一|斉《せい》に活気《くわつき》づいて来《き》てゐた。    植《う》ゑてうれしい銀座《ぎんざ》の柳《やなぎ》  葉蘭《はらん》の蔭《かげ》で、蓄音器《ちくおんき》が唄《うた》ひ出《だ》した。 「廟行鎮《べうかうちん》の夜《よ》は明《あ》けて——」  テーブルの一つから、蓄音器《ちくおんき》に合《あ》はせて、酔《よ》ツぱらつたお客《きやく》の唄《うた》ふ声《こゑ》に女給《ぢよきふ》のキイ/\声《ごゑ》が絡《から》まるやうに聞《きこ》えて来《き》た。 「ハツキリ云《い》つて置《お》くが、俺《おれ》は一|月《つき》に一|遍《ぺん》しか来《こ》ない客《きやく》だ。だから、持《も》てようとは思《おも》つてやしない。だがね、着物《きもの》の上《うへ》からお尻《しり》を撫《な》でる位《くらゐ》のことが何《なん》だ。」  そんな管《くだ》を巻《ま》いてゐる若《わか》い声《こゑ》も聞《きこ》えた。 「やアだ。」  突然《とつぜん》女給《ぢよきふ》の金切声《かなきりごゑ》が飛《と》び上《あが》つたりした。さう云《い》ふ騒《さわ》ぎの中《なか》を縫《ぬ》つて、時々《ときどき》シエーカーの音《おと》が涼《すゞ》しく一人《ひとり》ぼつちの露木《つゆき》の耳《みゝ》に響《ひゞ》いて来《き》た。  どうかした光線《くわうせん》のはずみで、天井《てんじやう》を這《は》ふ煙草《たばこ》の煙《けむり》が薄紫《うすむらさき》に転《ころ》がつて行《ゆ》くのが見《み》えた。  夜《よる》は露木《つゆき》は始《はじ》めてだつた。いつまでも一人《ひとり》でテーブルを塞《ふさ》いでゐる引《ひ》け目《め》を感《かん》じながら、さうかと云《い》つて、思《おも》ひ切《き》つて立《た》ち上《あが》れもしなかつた。     四 「おい、|しい《ヽヽ》ちやん、お代《かは》りだ。」  相客《あひきやく》への手前《てまへ》、露木《つゆき》は、通《とほ》りすがつた女給《ぢよきふ》にさう云《い》つた。 「はい、只今《たゞいま》。」  景気《けいき》よく新《あたら》しいコツプを口《くち》へ持《も》つて行《い》つたが、義理《ぎり》にももう喉《のど》を通《とほ》らなかつた。 「済《す》まないが、アイス・ウオーターを一|杯《ぱい》くれないか。」 「はい。」  冷《つめ》たい水《みづ》は、舌《した》も喉《のど》も洗《あら》はれるやうに旨《うま》かつた。  いつか露木《つゆき》は陽気《やうき》な気分《きぶん》になつてゐた。人《ひと》の騒《さわ》ぐのを、一|緒《しよ》になつて唇《くちびる》のまはりに薄《うす》ら笑《わら》ひを浮《うか》べながら、たわいなく見《み》てゐた。  そのうちに、女給《ぢよきふ》の姿《すがた》や、テーブルや、大《おほ》きな植木鉢《うゑきばち》が|ぼや《ヽヽ》けて来《き》た。賑《にぎや》かな声々《こゑごゑ》が遠《とほ》い合唱《がつしやう》のやうに耳《みゝ》を|なぶ《ヽヽ》つた。  でも、自分《じぶん》が居眠《ゐねむ》りをしてゐるとは気《き》が附《つ》かず、意識《いしき》ではやつぱり一|緒《しよ》になつて 「ハハハ。」と笑《わら》つてゐるのだと思《おも》つてゐた。  それが、意識《いしき》の最後《さいご》だつた。彼《かれ》はテーブルに靠《もた》れて、ぐつすり寐込《ねこ》んでしまつた。  ガタ/″\身顫《みぶる》ひが出《で》るやうな悪寒《をかん》に、露木《つゆき》はふと目《め》を醒《さ》ました。 「……?」  彼《かれ》はハツとして、どうにもならない両方《りやうはう》の腕《うで》の痺《しび》れる痛《いた》みも忘《わす》れて、目《め》を見張《みは》つた。  自分《じぶん》の前《まへ》に、テーブルを隔《へだ》てて、三千代《みちよ》が坐《すわ》つてゐる……。彼《かれ》はさう思《おも》つたのだつた。 「ホホホ、どうしたの? 夢《ゆめ》でも見《み》たの?」  目《め》をまんまるくした露木《つゆき》の顔《かほ》に笑《わら》ひ掛《か》けながら、目《め》の前《まへ》の女《をんな》が云《い》つた。 「……。」  声音《こわね》がまるで違《ちが》つてゐた……。この家《うち》のお神《かみ》だつた。 「どうしたのよ、そんなにまじ/″\と人《ひと》の顔《かほ》を見《み》て——」 「……。」  露木《つゆき》は急《きふ》に歯《は》の根《ね》が合《あ》はない位《くらゐ》の寒気《さむけ》に、思《おも》ひ出《だ》したやうに顔《かほ》を顫《ふる》はした。 「うう、寒《さむ》い。」 「あら、風邪《かぜ》をお引《ひ》きになつたんぢやない?」  それよりもしかし、彼《かれ》にはあたりのシーンとした夜更《よふ》けの感《かん》じの方《はう》が気《き》になつた。  バア・テンダーもゐなければ、女給《ぢよきふ》の姿《すがた》もそこ等《ら》に見当《みあた》らなかつた。入口《いりぐち》のドアも締《し》め切《き》られて、草色《くさいろ》のブラインドが卸《おろ》されてゐた。さつきまで、あんなに生々《いきいき》としてゐたテーブルや椅子《いす》が、死《し》んだやうにバラ/″\に眺《なが》められた。 「悪《わる》いことをしたな、すつかり店《みせ》の邪魔《じやま》をしてしまつて——。起《おこ》してくれればよかつたのに。」 「いゝのよ、そんなこと。」  お神《かみ》は気軽《きがる》に椅子《いす》から立《た》つて、バアの方《はう》へ行《ゆ》きながら 「待《ま》つてらつしやい、風邪《かぜ》をお引《ひ》きになると|いけ《ヽヽ》ないから、何《なに》か一|杯《ぱい》あツたかい物《もの》をグツと引《ひ》ツかけて入《い》らつしやるといゝわ。」 「大丈夫《だいぢやうぶ》、大丈夫《だいぢやうぶ》。それよりやお神《かみ》さん、お勘定《かんぢやう》をして下《くだ》さい。」  さう云《い》ひながらも、彼《かれ》は、向《むか》うへ行《ゆ》くお神《かみ》の、三千代《みちよ》によく似《に》た撫肩《なでがた》のあたりから、意気《いき》な後姿《うしろすがた》を懐《なつか》しく見送《みおく》らずにはゐられなかつた。 「お待《ま》ち遠《どほ》さま。少《すこ》し|ぬる《ヽヽ》いかも知《し》れませんけど——」  お神《かみ》の指輪《ゆびわ》の光《ひか》る細《ほそ》い手《て》で、ホツトヰスキーが露木《つゆき》の前《まへ》に置《お》かれた。香《か》の立《た》つ匂《にほひ》が湯気《ゆげ》と一|緒《しよ》に彼《かれ》の顔《かほ》にかゝつた。 「有《あ》り難《がた》う。」  三千代《みちよ》に似《に》た女《をんな》の親切《しんせつ》が、身《み》に沁《し》みて感《かん》じられた。人《ひと》の親切《しんせつ》に感《かん》じ易《やす》くなつてゐる彼《かれ》の涙腺《るゐせん》が、じつとりと目《め》の中《なか》へ熱《あつ》い涙《なみだ》を送《おく》り出《だ》して来《き》た。 「さやうなら。また明日《あした》昼間入《ひるまい》らつしやいね。」  声《こゑ》の違《ちが》つてゐる三千代《みちよ》に送《おく》られて、彼《かれ》は夜更《よふ》けの往来《わうらい》へ出《で》た。春《はる》の夜《よ》らしく、大地《たいち》が下駄《げた》の下《した》に柔《やはら》かかつた。     五 「ね、あなた何《なに》か大《おほ》きな心配事《しんぱいごと》が胸《むね》にあるんぢやない?」  二|月堂《ぐわつだう》を中《なか》に差《さ》し向《むか》ひに、赤《あか》い袖口《そでぐち》の絡《から》まる|きやしや《ヽヽヽヽ》な肘《ひぢ》を突《つ》いて、体《からだ》を乗《の》り出《だ》すやうにしながらお神《かみ》が云《い》つた。 「……。」  露木《つゆき》の、男《をとこ》としては色白《いろじろ》な顔《かほ》が、隠《かく》れ遊《あそ》びをする家《うち》の小部屋《こべや》らしく薄暗《うすぐら》い中《なか》に、煙草《たばこ》の煙《けむり》に囲《かこ》まれながら視線《しせん》を落《おと》してゐた。 「よく分《わか》るね。」  暫《しばら》く経《た》つてから、露木《つゆき》がさう云《い》つた。瞳《ひとみ》がお神《かみ》の上《うへ》へ弱々《よわよわ》しく注《そゝ》がれた。神経衰弱《しんけいすゐじやく》の濁《にご》つた目《め》だ。 「そりや分《わか》るわ、永年《ながねん》の経験《けいけん》で——。一|目見《めみ》た時《とき》すぐ分《わか》つたわ。——一|体《たい》どうしたの? 差支《さしつかへ》なかつたら、話《はな》して聞《き》かせない?」  露木《つゆき》は煙草《たばこ》を銜《くは》へたまま、話《はな》しにくく黙《だま》つてゐたが、 「そんなことを聞《き》いてどうするんだい?」 「どうしたつていゝぢやないの。あなたが始《はじ》めてお店《みせ》へ入《い》らしつた時《とき》から、妙《めう》に気《き》になつて仕方《しかた》がなかつたのよ。」 「……。」 「仰《おつ》しやいよ。」  露木《つゆき》は露悪的《ろあくてき》な気持《きもち》になつた。 「恋女房《こひにようばう》に逃《に》げられて悲観《ひくわん》してゐるのさ。」 「——さうでせう? どうも私《わたし》そんな気《き》がして仕方《しかた》がなかつた。」 「……。」 「そりや未練《みれん》のあるのは分《わか》つてよ。だけど、そんなことを云《い》つちや悪《わる》いけど、どうせ男《をとこ》か何《なに》か拵《こしら》へて逃《に》げてつたんでせう? 仕様《しやう》がないぢやないの? うぢ/″\したつて。」 「……。」 「すつぱり思《おも》ひ切《き》つておしまひなさいよ、そんな心《こゝろ》の腐《くさ》つた女《をんな》。」 「……。」 「第《だい》一、つまらないぢやないの? そんな脈《みやく》のない女《をんな》の為《た》めに、お酒《さけ》で体《からだ》を毀《こは》したりしちや。あなたのお酒《さけ》は無理酒《むりざけ》だもの。さうでせう?」 「……。」 「さうしてお勤《つと》めを休《やす》んでさ。若《も》し首《くび》にでもなつたら、どうするつもり? そんな女《をんな》の為《た》めに、体《からだ》は毀《こは》す、勤《つと》めは無《な》くすぢやア、あんまり詰《つ》まらなさ過《す》ぎやしないこと?」 「……。」 「それよりや二人《ふたり》で——こんなお多福《たふく》でもよかつたら、私《わたし》どんなことでもするわ。二人《ふたり》でその女《をんな》を見返《みかへ》してやらうとは思《おも》はない?」 「……。」 「いきなりそんなことを云《い》つたつて分《わか》らないわね。私《わたし》、あなたのやうな男《をとこ》が好《す》きなの。実《じつ》は、私好《わたしす》きであんな商売《しやうばい》してゐる訳《わけ》ぢやないのよ。話《はな》せばいろ/\長《なが》い身上話《みのうへばなし》もあるけど、兎《と》に角私《かくわたし》或人《あるひと》の世話《せわ》になつてゐる体《からだ》なの。だけど、一|日《にち》も早《はや》くあんな商売《しやうばい》は止《や》めたい止《や》めたいと思《おも》つて——あんな商売《しやうばい》をしてゐるものだから、いろんな方《かた》から云《い》ひ寄《よ》られることも珍《めづら》しくないけど——お店《みせ》へ来《き》て下《くだ》さるお客《きやく》さまのうちで、これはと思《おも》ふ方《かた》を正直《しやうぢき》な話探《はなしさが》してゐた訳《わけ》なのよ。さう云《い》つちや何《なん》だけど、あんなところへ来《く》る人《ひと》に、たよりになる人《ひと》なんて無《な》いものよ。あの商売《しやうばい》を始《はじ》めて一|年半《ねんはん》と少《すこ》しになるけど、一人《ひとり》もなかつた。そこへ、あなたが飛《と》び込《こ》んで来《き》たつて訳《わけ》なの。」     六 「……。」 「そこへ行《い》けば、あなたは人柄《ひとがら》が違《ちが》ふわ。私《わたし》、つまり永《なが》い間《あひだ》あなたのやうな男《をとこ》を探《さが》してゐたのね。私《わたし》あなたで身《み》を固《かた》めたくなつちやつた。どう? 身《み》を固《かた》めさせてくれない?」 「俺《おれ》は尻《し》ツ腰《こし》がないんで、女房《にようばう》に逃《に》げられた男《をとこ》だぜ。」 「いゝわ。」 「俺《おれ》を何《なん》と思《おも》つてゐるか知《し》らないが、学校《がくかう》の教師《けうし》をしてゐる、しがない月給取《げつきふとり》だぜ。」 「いゝわ。」 「雀《すゞめ》の涙程《なみだほど》しか月給《げつきふ》を貰《もら》つてやしないぜ。とても今《いま》のやうな派手《はで》な生活《せいくわつ》なんかさせてやることは出来《でき》ないぜ。」 「今《いま》の生活《せいくわつ》なんか、内《うち》へはひつて見《み》れば、ちつとも派手《はで》ぢやないことよ。」 「その上《うへ》、お袋《ふくろ》がゐるぜ。」 「……。」  お神《かみ》は平気《へいき》よと頷《うなづ》いて見《み》せた。 「子供《こども》が三|人《にん》もゐるんだぜ。」 「賑《にぎや》かで嬉《うれ》しいわ。私歳《わたしとし》のせゐか、この頃小《ごろちひ》さいのが欲《ほ》しくつて仕様《しやう》がないのよ。丁度《ちやうど》いゝわ。」 「断《ことわ》つて置《お》くが、俺《おれ》は働《はたら》きのないくせに、競馬《けいば》、麻雀《マアヂヤン》、将棋《しやうぎ》、そんな遊《あそ》び事《ごと》の好《す》きな男《をとこ》だぜ。」 「ようござんすつたら——」 「焼餅焼《やきもちや》きで——」 「助平《すけべい》で——。ホホホ。」 「……。」 「それでもいゝツてつたら、あなたどうしてくれる?」 「そりやあ——しかし、大丈夫《だいぢやうぶ》かな?」 「何《なに》が?」 「少《すこ》し一|緒《しよ》になつて、また愛想《あいそ》を尽《つ》かされるんぢや辛《つら》いからな。」 「私《わたし》、そんな浮気《うはき》なんぢやないわよ。」 「でも——」 「どうなのよ、お神《かみ》さんにしてくれる?」  突然《とつぜん》、彼女《かのぢよ》は男《をとこ》の把握力《はあくりよく》を二《に》の腕《うで》に感《かん》じた。次《つぎ》の瞬間《しゆんかん》、|むつ《ヽヽ》とした男臭《をとこくさ》さに包《つゝ》まれた。 「うツ。」 「……。」 「苦《くる》しいわ。——放《はな》して。」 「——そんなことを云《い》つて、君《きみ》の方《はう》はどうなんだい?」 「どうツて?」 「今《いま》世話《せわ》になつてゐる人《ひと》との関係《くわんけい》さ。」 「そりや訳《わけ》ないわ。不断《ふだん》からはつきり私《わたし》さう云《い》つてあるんだから。浮気《うはき》はしません、その代《かは》り、しつかりした人《ひと》を見附《みつ》けて身《み》を固《かた》める時《とき》は、いざこざなしにお暇《ひま》を下《くだ》さいツて約束《やくそく》してあるんだから。」 「フーム。」 「その代《かは》り、店《みせ》はあのままそつくり返《かへ》さなければならない約束《やくそく》なの。毎日《まいにち》の売上《うりあげ》は私《わたし》にくれてゐた代《かは》りには、若《も》しもの時《とき》にも、手切金《てぎれきん》は一|文《もん》もくれないツてことになつてゐるの。だけど、かうなつて見《み》ると、つまらないことをしたわ。着物《きもの》が少《すこ》し殖《ふ》えたきりで、売上《うりあげ》なんかトン/\だし、結局只《けつきよくたゞ》で御奉公《ごほうこう》したやうなものだわ。私《わたし》お小遣位《こづかひくらゐ》しかないわよ。それでもよくつて?」 「いゝとも。——お父《とう》さんお母《かあ》さんの方《はう》は大丈夫《だいぢやうぶ》かい?」 「私《わたし》片親《かたおや》よ。姉《ねえ》さんはゐるけど。抑々《そもそも》を云《い》へば、私《わたし》お父《とつ》さんの為《た》めにああ云《い》ふ社会《しやくわい》へはひつたやうなものだから——それに私《わたし》としては出来《でき》るだけのことはしてあるし、今《いま》はどうにかかうにか遣《や》つてゐるし、喜《よろこ》びこそすれ、何《なん》とも云《い》ふ訳《わけ》はないわ。これから後《のち》も、あなたに御迷惑《ごめいわく》を掛《か》けるやうなことはないわ。」  ふと、唐紙《からかみ》の向《むか》うの廊下《らうか》に人《ひと》の気《け》はひを感《かん》じて、お神《かみ》は慌《あわ》てて露木《つゆき》の膝《ひざ》の上《うへ》から立《た》つた。髪《かみ》へ手《て》をやりながら—— [#改ページ]   希望《きばう》の叶《かな》へ賃《ちん》     一 「さうですか、お留守《るす》ですか。」  梅村《うめむら》ががつかりしたやうに云《い》つた。  梅村《うめむら》の前《まへ》には、三千代《みちよ》の母《はゝ》が、柔《やはらか》い落《お》ち着《つ》いた恰好《かつかう》をして坐《すわ》つてゐた。 「三千代《みちよ》さんは?」 「あれも、私《わたし》の代《かは》りにお父《とう》さんのお供《とも》をしてあちらへ行《い》つてゐるんですよ。」 「さうですか。」  梅村《うめむら》は腕組《うでぐみ》をして、 「そいつア困《こま》つたな。」  かしげた首《くび》の目《め》のはづれへ、庭《には》の大《おほ》きな木《き》の枝《えだ》に一|杯《ぱい》に真赤《まつか》な花《はな》を附《つ》けた木瓜《ぼけ》が、ベツトリと色《いろ》を落《おと》した。 「何《なん》ですの?」 「いえ、露木君《つゆきくん》のことでちよいと御相談《ごさうだん》があつて伺《うかゞ》つたんですが——」 「そりや折角《せつかく》でしたのに——。どうしてゐます? 近頃《ちかごろ》?」 「一|時《じ》は|やけ酒《ヽヽざけ》ばかり飲《の》んで、学校《がくかう》の方《はう》も休《やす》んでばかりゐましたが、この頃《ごろ》はやつと少《すこ》し落《お》ち着《つ》いて、この二三|日前《にちまへ》から学校《がくかう》へもちやんと出《で》てゐます。」 「さう。そりやいゝ塩梅《あんばい》だこと。その分《ぶん》で落《お》ち着《つ》いてくれればね——。一|時《じ》はどうなることかと、本当《ほんたう》に私《わたし》は命《いのち》の細《ほそ》る思《おも》ひがしました。」 「でまあ、当人《たうにん》もいろ/\考《かんが》へた末《すゑ》、三千代《みちよ》さんに帰《かへ》つて貰《もら》へないと云《い》ふことがハツキリ分《わか》つて来《き》たらしいんです。」 「……。」 「それについて、勿論《もちろん》手切金《てぎれきん》の何《なん》のと云《い》ふ意味《いみ》ではないんですが、何《なん》と云《い》ふか、あの歳《とし》になつて三|人《にん》の小《ちひ》さいのを残《のこ》されたおツ母《か》さんの為《た》めに、少《すこ》し纏《まと》まつたお金《かね》を出《だ》して戴《いたゞ》きたいと云《い》ふのが露木《つゆき》の希望《きばう》なんですが——」 「へええ。」 「……。」 「男《をとこ》が、女《をんな》から手切金《てぎれきん》を取《と》るんですか。」 「いえ、ですから、手切金《てぎれきん》と云《い》ふ意味《いみ》は少《すこ》しもないんです。たゞ今《いま》まで三千代《みちよ》さんが面倒《めんだう》を見《み》てゐた三|人《にん》の子供《こども》を、そつくりそのままお年寄《としより》が面倒《めんだう》を見《み》なければならない、そのまあ御苦労賃《ごくらうちん》と云《い》つたやうな意味《いみ》でです。」 「しかし、現在向《げんざいむか》うのおツ母《か》さんに御苦労《ごくらう》を掛《か》けてゐるのは芳彦《よしひこ》一人《ひとり》ぢやありませんか。後《あと》の二人《ふたり》は、家《うち》で、私《わたし》が面倒《めんだう》を見《み》てゐる。三千代《みちよ》の希望《きばう》では、現在《げんざい》のまま二人《ふたり》は自分《じぶん》が養《やしな》ひたいと云《い》つてゐますし——」 「露木《つゆき》は、二人《ふたり》の子供《こども》はこちらへ一|時預《じあづ》けてあるだけのことで、別《わか》れる時《とき》は、三|人《にん》とも自分《じぶん》が引《ひ》き取《と》ると云《い》つてゐます。」 「そんなら、向《むか》うのおツ母《か》さんに、三|人《にん》の子供《こども》の面倒《めんだう》をお掛《か》けするのは三千代《みちよ》の責任《せきにん》ぢやないぢやありませんか。云《い》つて見《み》れば、露木《つゆき》の勝手《かつて》からぢやありませんか。」 「理窟《りくつ》を仰《おつ》しやればさう云《い》つたものかも知《し》れませんが、兎《と》に角厭《かくいや》だと云《い》つて離縁《りえん》を望《のぞ》まれるのは三千代《みちよ》さんなんですから、名義《めいぎ》はおツ母《か》さんの為《た》めと云《い》ふことにして、事実《じじつ》は唯《たゞ》ぼんやり、何《なん》ともつかず、厭《いや》だ、離縁《りえん》をしてくれと云《い》ひ出《だ》した方《はう》から、——云《い》ひ出《だ》して、自分《じぶん》の希望《きばう》を叶《かな》へた方《はう》から、男女《をとこをんな》に拘《かゝ》はらず、希望《きばう》の叶《かな》へ賃《ちん》として、なにがしかの金《かね》を出《だ》す、まあその辺《へん》のところで御不承《ごふしよう》して戴《いたゞ》きたいんですが——」 「さう云《い》つたもんですかね。私《わたし》にはさつぱり分《わか》らない。」 「……。」     二 「ねえ、梅村《うめむら》さん、あなたはあの人《ひと》と古《ふる》いお友達《ともだち》だから御存《ごぞん》じかと思《おも》ひますが、私達《わたしたち》は三千代《みちよ》をお嫁《よめ》にやる時《とき》、株券《かぶけん》で一|万円以上《まんゑんいじやう》のものを|あれ《ヽヽ》に附《つ》けてやりました。着物《きもの》も一|式《しき》、どこへ出《で》ても羞《はづか》しくないだけのものを持《も》たせてやりました。それをどうです、株券《かぶけん》は二|年《ねん》のうちに、みんなお金《かね》に替《か》へられて、今《いま》ぢや一|文無《もんな》しぢやありませんか。それも、夫婦《ふうふ》が暮《く》らしに困《こま》つてとか、贅沢《ぜいたく》をして使《つか》つてしまつたとか云《い》ふなら仕方《しかた》もありませんが、露木《つゆき》の家《うち》の借金《しやくきん》の穴埋《あなう》めに使《つか》はれてしまつたんです。それも、あの人《ひと》のお父《とつ》さんの残《のこ》した借金《しやくきん》の穴埋《あなう》めにですよ。」 「しかし——」 「そればかりぢやない、持《も》つて行《い》つた手廻《てまは》りのもののうち、目《め》ぼしいものはみんな売《う》り払《はら》はれてしまつてゐます。残《のこ》つてゐるものは、四|季《き》それ/″\の余所行《よそゆき》が一|枚《まい》きり、いつ来《き》ても、あなたも御存《ごぞん》じでせう、|あれ《ヽヽ》は一つ物《もの》ばかり着《き》てゐます。」 「……。」 「それを兎《と》や角云《かくい》ふのぢやありません。お嫁《よめ》に行《い》つた以上《いじやう》、露木家《つゆきけ》の人間《にんげん》なんですから、露木《つゆき》の家《いへ》の浮沈《ふちん》に拘《かゝ》はる場合《ばあひ》には、身《み》の皮《かは》を剥《は》いでも共々《ともども》苦労《くらう》するのが当《あた》り前《まへ》です。よく裸《はだか》になつたと私《わたし》は心《こゝろ》の中《なか》で褒《ほ》めてゐる位《くらゐ》です。だけど、露木《つゆき》の方《はう》から、今《いま》あなたの云《い》はれたやうな出方《でかた》に出《で》られると、こんなことも云《い》ひたくなるぢやありませんか。」 「いや、そりや御尤《ごもつと》もです。御尤《ごもつと》もですが——」 「いざ離縁《りえん》と云《い》ふ時《とき》には、嫁入《よめい》つた時《とき》の通《とほ》りにして返《かへ》すのが作法《さはふ》だと私達《わたしたち》は母《はゝ》なぞから聞《き》いてゐますがね。」 「……。」 「だから、その作法通《さはふどほ》り|あれ《ヽヽ》が嫁《よめ》に行《い》つた時《とき》の通《とほ》りにして返《かへ》せと云《い》ふのぢやありませんよ。が、云《い》つて見《み》れば、さう云《い》つたもんぢやないだらうかと云《い》ふお話《はなし》までに申《まを》し上《あ》げたんですが、ねえ、さうぢやないでせうか。」 「仰《おつ》しやる通《とほ》りです。若《も》しこれが普通《ふつう》の別《わか》れ話《ばなし》の場合《ばあひ》でしたら、露木《つゆき》もこんな要求《えうきう》はしなかつたらうと思《おも》ふんです。しかし、今度《こんど》の場合《ばあひ》は、少《すこ》し普通《ふつう》の場合《ばあひ》と違《ちが》つてゐると思《おも》ふんですが——」 「……。」 「私《わたし》の申《まを》す普通《ふつう》の場合《ばあひ》と云《い》ふのは、合議《がふぎ》のですな、つまり良人《をつと》も離婚《りこん》を望《のぞ》み、妻《つま》も離婚《りこん》を望《のぞ》んでゐる場合《ばあひ》ですね。ところが、今度《こんど》の場合《ばあひ》は、露木《つゆき》は離婚《りこん》を肯《がへん》じてゐないのです。離婚《りこん》を欲《ほつ》してゐるのは、三千代《みちよ》さんの方《はう》だけなのです。」 「しかし、露木《つゆき》の家《うち》にゐたたまれなくしたのは誰《たれ》なんです、ぢやあ。」 「お母《かあ》さんのお心持《こゝろもち》では、露木《つゆき》だと仰《おつ》しやるんでせう。ところが、露木《つゆき》に云《い》はせると、海野《うんの》だと云《い》ふんです。」 「そんなら——」 「海野《うんの》のところへ行《ゆ》けと仰《おつ》しやるんでせう。しかし、離縁《りえん》し合《あ》ふ人間《にんげん》は、露木《つゆき》と三千代《みちよ》さんの二人《ふたり》なんですから——」 「お断《ことわ》りしますわ私《わたし》。そんな娘《むすめ》に難癖《なんくせ》を附《つ》けて——」 「いや、難癖《なんくせ》なんか附《つ》けやしません。ですから、始《はじ》めから手切金《てぎれきん》をとは云《い》はなかつたつもりです。」 「いゝえ、云《い》はなくつても、云《い》つてゐるのと同《おな》じことです。私娘《わたしむすめ》に難癖《なんくせ》を附《つ》けられては黙《だま》つてはゐられません。第《だい》一、露木《つゆき》さへしつかりしてゐて、月々《つきづき》|あれ《ヽヽ》を困《こま》らせさへしなかつたら、海野《うんの》と云《い》ふものが|あれ《ヽヽ》の前《まへ》に現《あらは》れる隙《すき》はなかつた筈《はず》ぢやありませんか。」     三 「そこまで溯《さかのぼ》ると果《は》てしがありませんし、また海野《うんの》云云《うんぬん》のことが三千代《みちよ》さんを傷《きず》つけると仰《おつ》しやるなら、僕《ぼく》の失言《しつげん》として取《と》り消《け》します。要《えう》するに、僕《ぼく》は正直《しやうぢき》どつちの味方《みかた》でもないつもりです。二人《ふたり》がこのまま別《わか》れてしまつても、僕《ぼく》は露木《つゆき》とも附《つ》き合《あ》つて行《ゆ》くでせうし、また三千代《みちよ》さんとも、これまで通《どほ》りお附《つ》き合《あひ》をして行《ゆ》きたいと思《おも》つてゐる位《くらゐ》ですから、露木《つゆき》さへよければ、三千代《みちよ》さんの方《はう》はどうなつてもいゝとは思《おも》つてゐません。同《おな》じやうに、三千代《みちよ》さんの味方《みかた》をして、露木《つゆき》を袖《そで》にする気《き》もありません。双方《さうはう》いゝやうに、双方《さうはう》に後々《のちのち》まで厭《いや》な思《おも》ひ出《で》を残《のこ》さずに、問題《もんだい》を解決《かいけつ》したいと願《ねが》つてゐるばかりです。ですから、どうかそのおつもりでお聞《き》き下《くだ》さい。」 「それはよく分《わか》つてゐますけれど、でも、今《いま》のやうに仰《おつ》しやられると——」 「御尤《ごもつと》もです。唯僕《たゞぼく》としては、どうかして露木《つゆき》の申《まを》し出《で》を聞《き》き入《い》れて戴《いたゞ》かうと思《おも》ふので、いろ/\説明《せつめい》して行《ゆ》くうちに、つい云《い》はないでもいゝことまで云《い》つてしまふやうな訳《わけ》なんで——」 「……。」 「で、もう一|度元《どもと》に戻《もど》つて申《まを》し上《あ》げると、——これまでおツ母《か》さんと三|人《にん》の子供《こども》のことは、三千代《みちよ》さんが一人《ひとり》で取《と》りしきつて遣《や》つてゐてくれたが、いよ/\三千代《みちよ》さんに出《で》て行《ゆ》かれたとなると、勢《いきほ》ひすべてが露木《つゆき》の肩《かた》にかかつて来《く》る訳《わけ》ですが、勤《つと》めに出《で》たり、家庭《かてい》の処理《しより》までは遣《や》り切《き》れないと云《い》ふのです。で、この際《さい》、露木《つゆき》は露木《つゆき》で一人《ひとり》になつて、生《うま》れ変《かは》つたつもりで勉強《べんきやう》をしたい、おツ母《か》さんは、かね/″\何《なに》か小《ちひ》さな商売《しやうばい》を遣《や》りたいと云《い》つてゐたから、幸《さいは》ひ伝手《つて》もあり、この機会《きくわい》に隠居仕事《いんきよしごと》に何《なに》か遣《や》らせて、かた/″\三|人《にん》の子供《こども》の面倒《めんだう》を見《み》てもらひ、全《まつた》く後顧《こうこ》の憂《うれ》ひのないやうにして、自分《じぶん》は落《お》ち着《つ》いて勉強《べんきやう》したい、かう云《い》ふ希望《きばう》なんです。ついては、その商売《しやうばい》の資本《しほん》を出《だ》して戴《いたゞ》きたいと云《い》ふのですが——」 「そりや分《わか》つてゐます。しかし、その資本《しほん》を出《だ》す責任《せきにん》が三千代《みちよ》にあるんでせうか。」 「責任《せきにん》があるなしの点《てん》になると、むづかしい問題《もんだい》になりますが、かう思《おも》つて戴《いたゞ》けないでせうか。例《れい》が卑近《ひきん》で面白《おもしろ》くありませんが、例《たと》へば芸者《げいしや》ですね。芸者《げいしや》が|いろ《ヽヽ》と別《わか》れる場合《ばあひ》、先《さき》に厭気《いやけ》のさした方《はう》、つまり別《わか》れ話《ばなし》を持《も》ち出《だ》した方《はう》が手切金《てぎれきん》を出《だ》す例《れい》らしいですが、まあさう云《い》つた意味《いみ》で——」 「そこが、私《わたし》には呑《の》み込《こ》めないんですが——。兎《と》に角《かく》、幾《いく》ら云《い》つても切《き》りがありませんから——。それに、お父《とう》さんも留守《るす》のことですし、よく新京《しんきやう》の方《はう》へ云《い》つてやつた上《うへ》で、御返事《ごへんじ》することに致《いた》しませう。」 「はあ、どうぞ。」 「それで、向《むか》うではどの位《くらゐ》のことを云《い》つてゐるんです?」 「造作《ざうさく》を買《か》つたり何《なに》や彼《か》や、千五百|円《ゑん》はかかるだらうから——」 「千五百|円《ゑん》ね? へえ。」 「……。」 「私《わたし》は露木《つゆき》はこんなことを云《い》ひ出《だ》す男《をとこ》だとは思《おも》ひませんでしたよ。見損《みそこな》ひました。家《うち》へもいろ/\迷惑《めいわく》を掛《か》けてゐますし、家賃《やちん》も取《と》らずに家《うち》の離室《はなれ》にあれでも二|年《ねん》の余《よ》も置《お》いといてやつたでせうか。兎《と》に角《かく》義理《ぎり》にもこんなことの云《い》へた訳《わけ》のものぢやないだらうと思《おも》ふんですがね。呆《あき》れたもんですよ。それに、お父《とう》さんが隠退《いんたい》して今《いま》は無収入《むしうにふ》だと云《い》ふこともよく知《し》つてゐるくせに。——誰《たれ》か智慧《ちゑ》を支《か》ふ人間《にんげん》でもゐるんぢやないんですか。」 「さあ、さう云《い》ふ者《もの》は別《べつ》にゐないと思《おも》ひますが——」 「何《なに》しろあの男《をとこ》は刃物《はもの》を振《ふ》り廻《まは》したりして、気《き》ちがひじみた真似《まね》をしますからね。恐《こは》くつて——。本当《ほんたう》を云《い》へば、お金《かね》さへあれば、欲《ほ》しいと云《い》ふだけ遣《や》つて、サバ/″\として、枕《まくら》を高《たか》くして休《やす》みたいのは山々《やまやま》ですけど——」     四 「人《ひと》を馬鹿《ばか》にしてゐるわ。」  三千代《みちよ》は、露木《つゆき》から手切金《てぎれきん》の要求《えうきう》の申《まを》し出《で》があつたと云《い》ふ母《はゝ》の手紙《てがみ》を前《まへ》にして、顔《かほ》まで熱《あつ》くなるやうな憤《いきどほ》りが体《からだ》ぢゆうを走《はし》り廻《まは》るのを感《かん》じた。 「男《をとこ》のくせに——」  最後《さいご》に金《かね》に転《ころ》んで来《き》たことが、堪《たま》らなく汚《きたな》らしく思《おも》はれた。 「私《わたし》なら——」  さうだ、自分《じぶん》だつたら、自分《じぶん》が露木《つゆき》だつたら、綺麗《きれい》にさツと身《み》を引《ひ》いて見《み》せるのに——。それでこそ男《をとこ》だのに——  途中《とちう》はどうあらうとも、途中《とちう》ではどんな醜態《しうたい》を見《み》せてゐても、少《すくな》くとも最後《さいご》だけは、綺麗《きれい》に身《み》を保《たも》ちたかつた。  母《はゝ》の手紙《てがみ》には、父《ちゝ》の意向《いかう》も漏《も》らしてあつた。金《かね》で円満《ゑんまん》に解決《かいけつ》が附《つ》くものなら、三千代《みちよ》の為《た》めに千|円位《ゑんくらゐ》の金《かね》は出《だ》してやつてもいゝ、一|切《さい》は叔父《をぢ》に取《と》りしきつてもらへ、さうして、一|日《にち》も早《はや》く後腐《あとくさ》れのない関係《くわんけい》になつてしまへ、さう書《か》かれてゐた。 「御免《ごめん》なさい、お父《とう》さん。」  露木《つゆき》が自分《じぶん》を相手《あひて》にしずに、両親《りやうしん》を相手《あひて》にする根性《こんじやう》が三千代《みちよ》には蔑《さげす》まれた。昔《むかし》の、盛《さか》んだつた父《ちゝ》なら、千|円《ゑん》や千五百|円《ゑん》の金《かね》は何《なん》でもなかつたらう。が、今《いま》の父《ちゝ》——居食《ゐぐひ》をしてゐる父《ちゝ》から、千|円《ゑん》の金《かね》を出《だ》してもらふことは、老《お》いた父《ちゝ》の皮《かは》を剥《は》ぐやうな気《き》がして、子《こ》として忍《しの》びなかつた。 「お志《こゝろざ》しは有《あ》り難《がた》うございますが、どうぞお父《とう》さん、金《かね》は一|文《もん》も出《だ》せないと云《い》つて、はねつけてやつて下《くだ》さいまし。」  ——だつて、その為《た》めに、お前《まへ》がいつまでも露木《つゆき》から離《はな》れられなかつたら、どうする? 「いゝえ、その時《とき》はその時《とき》で、私《わたし》露木《つゆき》と根比《こんくら》べをして見《み》ますわ。」  ——まあ、いゝ。そんなつまらないことで——高《たか》が金《かね》で済《す》むことだ——そんなつまらないことで殺気立《さつきだ》つには当《あた》るまい。それよりは、早《はや》く過去《くわこ》と手《て》を切《き》つて、これからのお前《まへ》の生活《せいくわつ》の道《みち》を一|日《にち》も早《はや》く踏《ふ》み出《だ》した方《はう》が賢明《けんめい》ぢやないか。 「——はい。」  三千代《みちよ》は慌《あわ》てて襦袢《じゆばん》の袖《そで》で目《め》を掩《おほ》つた。  誰《たれ》が何《なん》と云《い》つても、露木《つゆき》と暮《く》らした十|年間《ねんかん》に於《お》ける自分《じぶん》は、よき妻《つま》であり、よき母《はゝ》であつた。このことは、最後《さいご》の審判《しんぱん》の場《には》ででも、三千代《みちよ》は目《め》を伏《ふ》せずに云《い》へると信《しん》じてゐた。 「これが——その十|年間《ねんかん》の総決算《そうけつさん》か?」  さう思《おも》ふと、余《あま》りのことに、三千代《みちよ》は悔《くや》し涙《なみだ》も出《で》なかつた。 「ホホホ。」  三千代《みちよ》は涙《なみだ》で潤《うる》んだ目《め》を挙《あ》げて、思《おも》はず笑《わら》ひ出《だ》してしまつた。何《なん》と云《い》ふ冷《つめ》たい笑《わら》ひ声《ごゑ》だらう。 「お父《とう》さん。やつぱり仰《おつ》しやる通《とほ》りに、三千代《みちよ》のこれが不孝《ふかう》の仕納《しをさ》めだと思召《おぼしめ》して、お金出《かねだ》して戴《いたゞ》きますわ。いゝえ、どうか溝《どぶ》へ落《おと》したとお思《おも》ひになつて、お金出《かねだ》して下《くだ》さいましな。」  何《なん》と云《い》つても、十|年間連《ねんかんつ》れ添《そ》つた露木《つゆき》と、自分《じぶん》の方《はう》から自発的《じはつてき》に別《わか》れて見《み》ると、そこに一|脈《みやく》の負《お》ひ目《め》が三千代《みちよ》の心《こゝろ》のどこかにないとは云《い》へなかつた。 「ぢやあ金《かね》を出《だ》せ。」  この声《こゑ》は、露木《つゆき》の最後《さいご》の一|線《せん》をまで、三千代《みちよ》に軽蔑《けいべつ》させた。死《し》ぬまで十|字架《じか》として担《にな》つて行《ゆ》かなければならないと思《おも》つてゐた一|脈《みやく》の負《お》ひ目《め》を、三千代《みちよ》は千|円《ゑん》の金《かね》で綺麗《きれい》さつぱりと買《か》ひ取《と》つた気《き》がした。 「さうだわ。」  三千代《みちよ》は机《つくゑ》に向《むか》つて、父《ちゝ》へ心《こゝろ》から感謝《かんしや》した手紙《てがみ》を書《か》いた。母《はゝ》へは、ミサと順二《じゆんじ》とを是《ぜ》が非《ひ》でも自分《じぶん》のものにしてくれるやうにと懇願《こんぐわん》の手紙《てがみ》を書《か》いた。 [#改ページ]   死《し》のダツブ     一     スグデンワニカヽレ  夜桜《よざくら》を感《かん》じる或宵《あるよひ》の口《くち》に、海野《うんの》は母《はゝ》の名《な》で至急報《しきふはう》を受《う》け取《と》つた。  自動電話《じどうでんわ》へ駆《か》け着《つ》けると、兄《あに》の声《こゑ》で 「すぐ来《き》てくれ。お父《とう》さんが脳溢血《なういつけつ》でお倒《たふ》れになつたんだ。」         ×         ×              ×         ×  父《ちゝ》の死《し》。  葬式《さうしき》。  初七日《しよなのか》のお客《きやく》。  海野《うんの》はヘト/\に疲《つか》れた。突然《とつぜん》の父《ちゝ》の死《し》を心《こゝろ》から悲《かな》しむ暇《いとま》もない位《くらゐ》、何《なに》や彼《か》や、そは/\と彼《かれ》は急《いそ》がしかつた。 「お母《かあ》さんが急《きふ》に寂《さび》しいだらうから、当分《たうぶん》お前《まへ》と二人《ふたり》で一晩置《ひとばんお》きに泊《とま》りに来《き》て上《あ》げることにしよう。」  初七日《しよなのか》のお客《きやく》を済《す》ませて帰《かへ》つて来《き》た時《とき》、兄《あに》がさう云《い》ひ出《だ》した。 「ええ、それがいゝな。」 「今夜《こんや》は私《わたし》が泊《とま》るから、お前帰《まへかへ》れ。」 「さうですか。ぢやもう少《すこ》しゐて、今夜《こんや》は失礼《しつれい》します。」  帰宅《きたく》。  湯《ゆ》にはひつて、すぐ蒲団《ふとん》の上《うへ》に横《よこ》になつたが、疲《つか》れてゐるくせに、頭《あたま》が冴《さ》えて眠《ねむ》れなかつた。  ついこの間《あひだ》、自分《じぶん》の前《まへ》にシヨンボリ坐《すわ》つてゐた父《ちゝ》の姿《すがた》が、心《こゝろ》の目《め》から離《はな》れなかつた。 「……。」  頭《あたま》を振《ふ》つて、父《ちゝ》との楽《たの》しい思《おも》ひ出《で》を思《おも》ひ浮《うか》べるやうにしても、いつかまた心《こゝろ》の目《め》の前《まへ》にぼんやり浮《うか》び上《あが》る姿《すがた》は、あの時《とき》の姿《すがた》だつた。 「ああ。」  実《じつ》は、海野《うんの》は自分《じぶん》が父《ちゝ》を殺《ころ》したやうな気がして、気《き》が咎《とが》めてならないのだつた。  無論《むろん》、歳《とし》が歳《とし》だから、父《ちゝ》の動脈《どうみやく》は徐々《じよじよ》に硬化《かうくわ》しつつあつたのではあらう。 「だが、自分《じぶん》が離婚問題《りこんもんだい》であんなに心配《しんぱい》を掛《か》けなかつたら——?」  正直《しやうぢき》の話《はなし》、父《ちゝ》があんなにも心《こゝろ》を苦《くる》しめようとは海野《うんの》は夢《ゆめ》にも想像《さうざう》しなかつたのだ。後《あと》で専門医《せんもんい》に聞《き》いたところでは、動脈硬化《どうみやくかうくわ》と云《い》ふ病気《びやうき》は、非常《ひじやう》に——一|種《しゆ》の強迫観念《きやうはくくわんねん》に襲《おそ》はれてゐる人《ひと》のやうに、神経《しんけい》が摩《す》り切《き》れはしまいかと思《おも》はれる程《ほど》一つのことを苦《く》に病《や》むものださうだ。よし父《ちゝ》が健康《けんかう》であつたにせよ、心配《しんぱい》はしたであらう。が、病気故《びやうきゆゑ》にその心配《しんぱい》が二|倍《ばい》にも三|倍《ばい》にも——いや、恐《おそら》くは十|倍《ばい》にも響《ひゞ》いたのだらう。 「十|分《ぶん》の一の心配《しんぱい》をして下《くだ》さればよかつたのに——」  海野《うんの》としては、さう云《い》ひたいところだつた。が、病人《びやうにん》の神経故《しんけいゆゑ》、他人《たにん》にはどうすることも出来《でき》ないのだ。みす/\現実《げんじつ》の十|倍《ばい》の心配《しんぱい》を、——いや、心配《しんぱい》などと云《い》ふ生優《なまやさ》しいものではなかつたに違《ちが》ひない。十|倍《ばい》にも拡大《くわくだい》された強迫観念《きやうはくくわんねん》で、父《ちゝ》の神経《しんけい》を脅《おびや》かしたに違《ちが》ひない。その為《た》めに、父《ちゝ》の神経《しんけい》はズタ/″\に引《ひ》き裂《さ》かれたのだ。  動脈硬化《どうみやくかうくわ》の病人《びやうにん》に、心配《しんぱい》苦労位毒《くらうくらゐどく》なものはないのださうだ。その毒《どく》を、知《し》らずにと云《い》はば云《い》へ、海野《うんの》は父《ちゝ》の神経《しんけい》の上《うへ》の現実《げんじつ》として、十|杯《ぱい》も飲《の》ませた訳《わけ》だつた。 「親殺《おやごろ》し。」  さうだ。神《かみ》さまの国《くに》での親殺《おやごろ》しに違《ちが》ひなかつた。 「ああ。」  海野《うんの》は息《いき》が吐《つ》けない位苦《くらゐくる》しくなつて、飛《と》び起《お》きた。  彼《かれ》は下《した》の座敷《ざしき》へ駆《か》け降《お》りて行《い》つた。  電燈《でんとう》をパツと附《つ》けると、心《こゝろ》に描《ゑが》いて来《き》た仏壇《ぶつだん》のない、八|畳《でふ》の間《ま》がガランと照《てら》し出《だ》された。 「あ、さうか。」  彼《かれ》は夢《ゆめ》が醒《さ》めたやうに、仏壇《ぶつだん》のない家《いへ》の、侘《わび》しい空気《くうき》を背中《せなか》に感《かん》じた。     二  海野《うんの》は、寝間着《ねまき》の上《うへ》から褞袍《どてら》をはおると 「ちよいと電話《でんわ》を掛《か》けて来《く》るから——」  女中部屋《ぢよちうべや》から、今針《いまはり》を置《お》いたばかりと云《い》つた顔付《かほつき》をして出《で》て来《き》た|なか《ヽヽ》に、さう云《い》ひ捨《す》てたまま急《いそ》いで外《そと》へ出《で》た。  町筋《まちすぢ》は、いかにも春《はる》の宵《よひ》らしく、明《あか》るく、ゾロ/″\人《ひと》が大勢歩《おほぜいある》いてゐた。 「もし/\。」  彼《かれ》は自動電話《じどうでんわ》のボツクスの中《なか》へはひつて、ホテルを呼《よ》び出《だ》した。宝塚《たからづか》の興行《こうぎやう》が終《を》はつて、生徒《せいと》と一|緒《しよ》に大阪《おほさか》へ帰《かへ》つたばかりの椿《つばき》が、海野《うんの》の父《ちゝ》の不幸《ふかう》を聞《き》いて、また上京《じやうきやう》して来《き》てくれたのだつた。 「椿《つばき》さんはもうお立《た》ちになつた?」 「……。」 「さう。今《いま》部屋《へや》にゐる?」 「……。」 「ぢやあね、これからすぐ伺《うかゞ》ひますからツてさう云《い》つてくれたまへ。」  三十|分《ぷん》も経《た》たないうちに、二人《ふたり》は一|階《かい》の椿《つばき》の部屋《へや》で、スタンドを中《なか》に差《さ》し向《むか》ひに腰《こし》を卸《おろ》してゐた。 「今夜立《こんやた》つんぢやないのか。」 「そのつもりだつたんだが、お玉《たま》に頼《たの》まれて来《き》た用事《ようじ》が済《す》まないんでね、もう一|晩伸《ばんの》ばさなくつちやならなくなつちやつたんだ。」 「さうか。丁度《ちやうど》よかつた。」 「何《なん》だい?」 「ううん、ぐづ/″\決《けつ》しなかつた万里子《まりこ》とのことだがね、親父《おやぢ》が死《し》んだんで、最後《さいご》の決心《けつしん》が附《つ》いたから、ちよいと君《きみ》に聞《き》いてもらはうと思《おも》つて——」 「止《よ》せよ、当分《たうぶん》。親不孝《おやふかう》だぞ。」 「俺《おれ》も実《じつ》はさう思《おも》つたんだが——何《なん》だか親父《おやぢ》の死《し》を早《はや》めたのが俺《おれ》のせゐのやうな気《き》がしてね。」 「そんなこともあるまいが——」 「いや、確《たし》かにさうだよ。それで、俺《おれ》は責任《せきにん》を感《かん》じてゐるんだ。で、今更《いまさら》改心《かいしん》しても追《お》ツ着《つ》かないが、この際《さい》我慢《がまん》して、離縁《りえん》を思《おも》ひ留《とゞ》まるのがせめてもの仏《ほとけ》への手向《たむけ》になりやしないかと云《い》ふやうな気《き》がして来《き》たんだ。」 「フーム。」 「人間《にんげん》ツて実際《じつさい》不思議《ふしぎ》だね。親父《おやぢ》に死《し》なれたりすると、変《へん》に気《き》が弱《よわ》くなつて、こんなセンチメンタルなことを真面目《まじめ》に考《かんが》へるんだからね。」 「……。」 「それも理窟《りくつ》ぢやない、実感《じつかん》で来《く》るんだ。」 「うむ。」 「だけど、俺《おれ》は考《かんが》へ直《なほ》したよ。万里子《まりこ》との事件《じけん》では、俺《おれ》から云《い》はせれば、万里子《まりこ》の為《た》めに俺《おれ》は大事《だいじ》な親父《おやぢ》の寿命《じゆみやう》を犠牲《ぎせい》にしてゐるんだ。」  ここまで云《い》つて来《き》た時《とき》、海野《うんの》は不覚《ふかく》にも顎《あご》が顫《ふる》へて涙声《なみだごゑ》になつた。 「俺《おれ》にとつちや、何物《なにもの》にも代《か》へ難《がた》い犠牲《ぎせい》だ。」  熱《あつ》い涙《なみだ》がジユーツと海野《うんの》の目頭《めがしら》に溢《あふ》れて来《き》た。 「俺《おれ》は確《たし》かに償《つぐな》ひ難《がた》い親不孝《おやふかう》を働《はたら》いた。それは認《みと》める。しかし、だからと云《い》つて、このまま万里子《まりこ》と一生《しやう》厭々連《いやいやつ》れ添《そ》ふことが、幾分《いくぶん》でも償《つぐな》ひになると考《かんが》へるのは、手前勝手《てまへがつて》の甘《あま》い心《こゝろ》ゆかせだと思《おも》ふんだ。」 「……。」 「それよりは、自分《じぶん》の親不孝《おやふかう》を認《みと》め、償《つぐな》ふことの出来《でき》ないことだと云《い》ふ事実《じじつ》を認《みと》めた方《はう》が、男《をとこ》らしいと思《おも》ふんだ。第《だい》一、その方《はう》がリアルでもある。僕《ぼく》はこの、僕《ぼく》にとつては代《か》へ難《がた》い犠牲《ぎせい》を前《まへ》にして、だから離婚《りこん》を敢行《かんかう》しようと思《おも》ふんだ。」 「……。」 「君済《きみす》まないが、この金《かね》を万里子《まりこ》へ渡《わた》してくれないか。」 [#改ページ]   われ中空《なかぞら》に     一  海野達《うんのたち》は、湯本《ゆもと》の橋《はし》の前《まへ》で乗合自動車《のりあひじどうしや》を降《お》りた。  ドヤ/″\、ドヤ/″\、二十|人程《にんほど》の人数《にんずう》が吐《は》き出《だ》された。中《なか》には、中谷丁蔵《なかたにていざう》もゐた。久保《くぼ》もゐた。南《みなみ》もゐた。若《わか》い武田《たけだ》、小坪《こつぼ》、荒木《あらき》、森《もり》などもゐた。彼等《かれら》は日帰《ひがへ》りで箱根《はこね》へ遠足《ゑんそく》に来《き》たのだつた。 「どつちへ行《ゆ》くんですか。」  先《さき》に降《お》りた若《わか》い連中《れんぢう》の中《なか》から、かう云《い》ふ叫《さけ》び声《ごゑ》が挙《あが》つた。 「橋《はし》を渡《わた》る。」  南《みなみ》がステツキで向《むか》う岸《ぎし》をさした。  須雲川《すくもがは》の岸《きし》に出《で》ると、唐風《からふう》の門《もん》と白壁《しらかべ》の塀《へい》とに長閑《のどか》な春《はる》の日《ひ》がぢつとしてゐた。  向《むか》う岸《ぎし》は、一|面《めん》に灌木《くわんぼく》の原《はら》。その中《なか》から、澄《す》んだ山《やま》の空気《くうき》の中《なか》で、遠《とほ》くの方《はう》で、鶯《うぐひす》が鳴《な》いてゐた。  向《むか》うから、西洋《せいやう》の女《をんな》が二人《ふたり》ペチヤクチヤ喋《しやべ》りながら擦《す》れちがつて行《い》つた。  グラ/″\揺《ゆ》れる吊《つ》り橋《ばし》を渡《わた》ると、ヒンヤリとした木立《こだち》の杉《すぎ》の匂《にほひ》が人々《ひとびと》を包《つゝ》んだ。 「これでも滝《たき》?」  誰《たれ》かがかう云《い》つた。  見上《みあ》げるやうな岩《いは》の面《おもて》に、乏《とぼ》しい水《みづ》が一|面《めん》に白《しろ》く引《ひ》ツかかりながら落《お》ちてゐた。それでも流石《さすが》に、そこから涼《すゞ》しい風《かぜ》が流《なが》れて来《き》た。  幾《いく》つかの床几《しやうぎ》に別《わか》れてみんな腰《こし》を卸《おろ》した。 「入《い》らつしやいまし。」  そこのお神《かみ》さんや女《をんな》の子《こ》が、お茶《ちや》とビスケツトを載《の》せた小《ちひ》さなお盆《ぼん》を運《はこ》んで来《き》た。 「僕《ぼく》に|ゆであづき《ヽヽヽヽヽ》をくれないか。」 「はい。」 「僕《ぼく》にも。」 「はい、只今《たゞいま》。」 「小母《をば》さん、この滝《たき》の水《みづ》は飲《の》んでも大丈夫《だいぢやうぶ》かい?」 「えゝ/\、山清水《やましみづ》ですもの。」  あつちの床几《しやうぎ》でも、こつちの床几《しやうぎ》でも、賑《にぎや》かな談笑《だんせう》の声《こゑ》が絶《た》えず起《おこ》つた。 「先生《せんせい》、向《むか》うに鷹《たか》がゐますよ。」  ガサ/″\奥《おく》の方《はう》から出《で》て来《き》た二三|人《にん》が、中谷丁蔵《なかたにていざう》の前《まへ》に来《き》てさう云《い》つた。 「……。」  中谷《なかたに》はステツキを洋服《やうふく》の股《また》の間《あひだ》に立《た》てて、行儀《ぎやうぎ》よく腰《こし》を掛《か》けたまま、頷《うなづ》いて見《み》せた。 「大《おほ》きいの?」  海野《うんの》は興味《きようみ》を感《かん》じて立《た》ち上《あが》りながら聞《き》いた。 「いゝえ、子供《こども》です。」  灌木《くわんぼく》の木立《こだち》の中《なか》に、素人《しろうと》の手《て》でしつらはれたらしい大人《おとな》の背丈程《せいたけほど》もある鳥小屋《とりごや》が、こぼれ日《び》を浴《あ》びて立《た》つてゐた。  鷹《たか》は五|羽《は》ゐた。みんな鳶《とび》に似《に》てゐた。五|羽《は》とも赤《あか》い舌《した》を見《み》せて鳴《な》きながら、山奥《やまおく》の巌《いはほ》の上《うへ》から飛《と》び立《た》つ大鷹《おほたか》を思《おも》はせるやうな飛《と》び方《かた》をして、前《まへ》の方《はう》へ集《あつ》まつて来《き》た。 「海野君《うんのくん》。」  声《こゑ》に、振《ふ》り返《かへ》ると、中谷《なかたに》が幅広《はゞびろ》く歩《あゆ》み寄《よ》つて来《き》てゐた。 「三千代《みちよ》さんが二百|枚《まい》の長篇《ちやうへん》を送《おく》つてよこしたんだが——。旨《うま》くなつたね。心《こゝろ》にくい位頭《くらゐあたま》のいゝ人《ひと》だ。僕《ぼく》は感心《かんしん》した。で、君《きみ》の領会《りやうくわい》を得《え》て『××公論《こうろん》』あたりへ紹介《せうかい》しようと思《おも》ふんだが——」 「どうぞ、是非《ぜひ》紹介《せうかい》してやつて下《くだ》さい。——しかし、いつの間《ま》に書《か》いたんだらう? 今《いま》親父《おやぢ》と一|緒《しよ》に満洲《まんしう》へ行《い》つてゐる筈《はず》なんですが——」 「いや、別府《べつぷ》に滞在《たいざい》してゐると書《か》いてあつたぜ。」 「さうですか。」  海野《うんの》はきまりが悪《わる》くなる位急《くらゐきふ》に顔《かほ》が生《い》き生《い》きとして来《く》るのを自分《じぶん》でも感《かん》じた。三千代《みちよ》が二百|枚《まい》の小説《せうせつ》を書《か》き上《あ》げたことに対《たい》する喜《よろこ》び——いや、しかもそれがいゝ出来《でき》であると云《い》ふ喜《よろこ》び——無論《むろん》それもあつた。しかし、さうした喜《よろこ》びの外《ほか》に、三千代《みちよ》が未《いま》だに小説《せうせつ》を捨《す》てずにゐると云《い》ふことが、二百|枚《まい》もの小説《せうせつ》を書《か》き上《あ》げたと云《い》ふことが、海野《うんの》には——海野《うんの》だけには、彼女《かのぢよ》が未《いま》だに初《しよ》一|念《ねん》を——海野《うんの》に対《たい》する約束《やくそく》を——万難《ばんなん》を排《はい》して恋愛《れんあい》を完《まつた》うしようとする意志《いし》を、未《いま》だに捨《す》てずに、未《いま》だに胸《むね》にはぐくみ育《そだ》ててゐる事実《じじつ》を独白《どくはく》してゐた。     二  翌《あく》る朝早《あさはや》く、海野《うんの》は自動車《じどうしや》を飛《と》ばして、まだ活動《くわつどう》を開始《かいし》しない東京《とうきやう》の、白《しら》けたやうな街々《まちまち》を、日比谷《ひびや》の飛行会館《ひかうくわいくわん》へ急《いそ》いだ。彼《かれ》は昨夜《ゆうべ》箱根《はこね》から帰《かへ》るとすぐ、夜行《やかう》で大阪《おほさか》へ下《くだ》り、船《ふね》で別府《べつぷ》へ行《ゆ》かうかと思《おも》つたのだつたが、さうすると、汽車《きしや》の中《なか》で一晩《ひとばん》、船《ふね》の中《なか》で一晩《ひとばん》、合《あ》はせて二晩《ふたばん》、三日目《みつかめ》でなければ三千代《みちよ》に逢《あ》へないのが|もどか《ヽヽヽ》しかつた。今日立《けふた》つて、今日顔《けふかほ》が見《み》られるのでないと、我慢《がまん》が出来《でき》なかつた。  いゝ塩梅《あんばい》に、下《くだ》りの一|番《ばん》の切符《きつぷ》が手《て》にはひつた。  同行《どうかう》三|人《にん》、飛行会館《ひかうくわいくわん》から会社《くわいしや》の自動車《じどうしや》で立川《たちかは》まで運《はこ》ばれた。  飛行場《ひかうぢやう》に着《つ》くと、海野達《うんのたち》の乗《の》るスパー・ユニバーサルの六|人乗《にんのり》が、五|万坪《まんつぼ》の原《はら》の真中《まんなか》に引《ひ》き出《だ》されてゐた。玩具《おもちや》のやうな小《ちひ》ささだつた。 「大丈夫《だいぢやうぶ》でせうか。」  昨夜《ゆうべ》の汽車《きしや》に乗《の》り遅《おく》れて、今日《けふ》午前中《ごぜんちう》に大阪《おほさか》に着《つ》いてゐないと、集金《しふきん》が出来《でき》ないと云《い》ふ日本橋《にほんばし》の方《はう》の或《ある》商人《あきんど》が、そこのバラツクの一|室《しつ》で署名《しよめい》をしながら、小声《こごゑ》で海野《うんの》に云《い》つた。洋服《やうふく》を着《き》て、眼鏡《めがね》を掛《か》けたこの三十二三の若紳士《わかしんし》は、 「実《じつ》は家族《かぞく》と水盃《みづさかづき》をして来《き》たのです。」と云《い》つてゐた。  本当《ほんたう》に血《ち》の気《け》のない顔色《かほいろ》をしてゐた。  飛行機《ひかうき》のステツプに片足《かたあし》かけた姿勢《しせい》で、この若紳士《わかしんし》は記念《きねん》の撮影《さつえい》をした。  もう一人《ひとり》は、飛行機《ひかうき》の会社《くわいしや》の人《ひと》で、故郷《こきやう》の福岡在《ふくをかざい》へ、結婚《けつこん》しに帰省《きせい》するとかで、朗《ほがら》かな顔色《かほいろ》をしてゐた。 「では、どうぞ——」  案内《あんない》されて、飛行場《ひかうぢやう》に立《た》つと、春《はる》の雑草《ざつさう》が、絶《た》えずヒラ/\風《かぜ》に靡《なび》いて綺麗《きれい》だつた。  乗《の》る前《まへ》に、耳《みゝ》に詰《つ》める綿《わた》と、道中筋《だうちうすぢ》の略図《りやくづ》とを渡《わた》されて、三|人《にん》は狭《せま》い飛行機《ひかうき》の胴中《どうなか》へはひつた。  真中《まんなか》に通路《つうろ》を残《のこ》して、左右《さいう》に三つづつ籐椅子《とういす》が稍《やゝ》上向《うはむ》きに、縦《たて》に並《なら》んでゐた。椅子《いす》にはバンドが附《つ》いてゐた。腰《こし》を卸《おろ》した後《のち》、これを乗客達《じようきやくたち》は自分《じぶん》の臍《へそ》の上《うへ》あたりで締《し》めるのだ。  頭《あたま》の上《うへ》には、小《ちひ》さな網棚《あみだな》があつた。一|輪差《りんざし》の花《はな》が咲《さ》いてゐた。  海野《うんの》は右側《みぎがは》の一|番《ばん》うしろの椅子《いす》に腰《こし》を卸《おろ》した。右手《みぎて》に、目《め》の高《たか》さにガラス窓《まど》があつた。丁度《ちやうど》小型《こがた》の自動車《じどうしや》に乗《の》つた感《かん》じだつた。  窓《まど》の外《そと》には、会社《くわいしや》の人達《ひとたち》が見送《みおく》りに立《た》つてゐた。オーバーオールを纏《まと》つた機関部《きくわんぶ》の人《ひと》が十五六|人《にん》、前《まへ》の方《はう》を取《と》り囲《かこ》んでゐた。  プロペラを抑《おさ》へてゐた一人《ひとり》が、片手《かたて》を合図《あひづ》に上《あ》げながら、プロペラをグーンと廻《まは》して離《はな》れた。  エンヂンにスヰツチがはひつた。機体《きたい》の鼓動《こどう》が体《からだ》に伝《つた》はつて来《き》た。  エンヂンは音《ね》を高《たか》めた。オーバーオールを纏《まと》つた人《ひと》が二人《ふたり》、滑車《くわつしや》の下《した》から大《おほ》きな石《いし》|ころ《ヽヽ》を外《はづ》すのが見《み》えた。  突然《とつぜん》バリ/″\と、エンヂンが裂《さ》けて飛《と》ぶかと思《おも》はれるやうな音《おと》を立《た》てたと思《おも》ふと、ガクンと一つ、機体《きたい》が揺《ゆ》れて走《はし》り出《だ》した。  ガクン/″\ガクン。  窓《まど》の左右《さいう》を、青《あを》い色《いろ》がちぎれて飛《と》んだ。  すツと抵抗《ていかう》が消《き》えた。と思《おも》つた時《とき》には、飛行機《ひかうき》は大地《たいち》の十|間《けん》もの上《うへ》に浮《うか》んでゐた。  そのままグン/″\昇騰《しようとう》して行《い》つた。正面《しやうめん》の、天井近《てんじやうちか》くに取《と》り附《つ》けられてある高度計《かうどけい》の針《はり》が、三百メートル——五百メートルと動《うご》いて行《い》つた。  みんなは窓《まど》から下《した》を覗《のぞ》いてゐた。と、突然《とつぜん》、森《もり》と草原《くさはら》との青《あを》い平面図《へいめんづ》が、シーソーのやうにフハツと目《め》に強《つよ》く飛《と》び上《あが》つて来《き》た。飛行機《ひかうき》がどつちかへ傾《かたむ》いたのだらう。が、乗《の》つてゐる海野達《うんのたち》の五感《ごかん》には、飛行機《ひかうき》が傾《かたむ》いたとは感《かん》ぜずに、大地《たいち》の方《はう》が傾《かたむ》いたとしか感《かん》じられなかつた。  飛行機《ひかうき》はいつか機首《きしゆ》を転《てん》じて、再《ふたゝ》び飛行場《ひかうぢやう》の上《うへ》に戻《もど》つて来《き》てゐた。見送《みおく》りの人《ひと》が手《て》を振《ふ》つてゐるのが、それと分《わか》らない位小《くらゐちひ》さく見卸《みおろ》された。  飛行場《ひかうぢやう》の上《うへ》を一|周《しう》すると、飛行機《ひかうき》は機首《きしゆ》を西《にし》に向《む》けて、いよ/\正式《せいしき》のコースにはひつた。  雪《ゆき》を厚《あつ》く被《かぶ》つた富士《ふじ》の姿《すがた》が、あの秀麗《しうれい》な美《うつく》しさを消《け》して、作《つく》り物《もの》のやうな生彩《せいさい》の無《な》さでボツテリ突《つ》ツ立《た》つてゐるのが海野《うんの》の目《め》を捉《とら》へた。     三  日本《にほん》といふ国《くに》が、いかに青《あを》いものの多《おほ》い国土《こくど》であるかを海野《うんの》は感《かん》じた。目《め》の下《した》は濃《こ》く、遠《とほ》くなる程《ほど》薄緑《うすみどり》に、野《の》も山《やま》も苔《こけ》に掩《おほ》はれて柔《やはらか》く煙《けむ》つてゐる美《うつく》しさは、何《なん》とも云《い》ひやうがなかつた。  その|びろうど《ヽヽヽヽ》のやうな青《あを》いものの上《うへ》に、海野《うんの》の乗《の》つてゐる飛行機《ひかうき》が、自分自身《じぶんじしん》の影《かげ》を朧《おぼろ》に落《おと》しながら顫《ふる》へてゐた。瞬《またゝ》くうちに箱根《はこね》を越《こ》え、沼津《ぬまづ》の千|本《ぼん》松原《まつばら》の上《うへ》を飛《と》んでゐた。  東海道《とうかいだう》が一|筋白《すぢしろ》い糸《いと》のやうに走《はし》つてゐた。その一|筋《すぢ》の路《みち》が水銀《すゐぎん》のやうに目《め》に涼《すゞ》しかつた。  山《やま》と山《やま》との間《あひだ》を、川《かは》が白《しろ》い腹《はら》を見《み》せて実《じつ》に従順《じゆうじゆん》に|うね《ヽヽ》つてゐた。さう云《い》ふ川添《かはぞ》ひに、僅《わづ》かばかりの土地《とち》を求《もと》めて人々《ひとびと》が部落《ぶらく》を作《つく》つてゐた。人家《じんか》は貝殻《かひがら》をばらまいたやうに日《ひ》に光《ひか》つてゐた。海野《うんの》は太古《たいこ》の民《たみ》の部落生活《ぶらくせいくわつ》を目《ま》のあたり見《み》るやうな心持《こゝろもち》がした。  やがて、海《うみ》の上《うへ》へ出《で》た。三河《みかは》の蒲郡《がまごほり》の常磐館《ときはくわん》の屋根《やね》が黒《くろ》く真下《ました》に見《み》えた。  伊勢湾《いせわん》を突《つ》ツ切《き》つて、四日市《よつかいち》あたりで陸《りく》へ上《あが》つた。木曾川《きそがは》の河口《かこう》が凄《すさま》じい飛沫《しぶき》を上《あ》げてゐた。  鈴鹿峠《すゞかたうげ》にかゝつた時《とき》、輝《かゞや》くばかり真白《まつしろ》な、厚《あつ》い、見通《みとほ》しのつかぬ位大《くらゐおほ》きな雲《くも》の層《そう》が、物凄《ものすご》く行手《ゆくて》を圧《あつ》して立《た》ち塞《ふさ》がつた。飛行機《ひかうき》は急角度《きふかくど》に上《あ》げ舵《かぢ》を引《ひ》いた。見《み》る見《み》る高度計《かうどけい》の針《はり》が二千メートルを指《ゆび》さした。  海野達《うんのたち》は雪《ゆき》のやうな眩《まぶ》しい白雲《しらくも》の上《うへ》に出《で》た。右《みぎ》を見《み》ても、左《ひだり》を見《み》ても、たゞ真白《まつしろ》だつた。  その真白《まつしろ》な上《うへ》に、海野《うんの》から見《み》ると右手《みぎて》に、七色《なゝいろ》の虹《にじ》が完全《くわんぜん》に円《まる》く鮮《あざや》かな色《いろ》を落《おと》した。その丁度《ちやうど》真中《まんなか》に、ピンと尾《を》を跳《は》ねた飛行機《ひかうき》の影《かげ》が蜻蛉《とんぼ》のやうに飛《と》んでゐた。 「ああ。」  海野《うんの》は思《おも》ひがけぬ現象《げんしやう》に、思《おも》はず声《こゑ》を挙《あ》げた。何《なん》とも知《し》れず幸福《かうふく》な感《かん》じがした。  奈良《なら》の上《うへ》を飛《と》び、生駒《いこま》の山《やま》を越《こ》えて、大阪《おほさか》へはひつた。さうして木津《きづ》の飛行場《ひかうぢやう》へ、泥水《どろみづ》を跳《は》ね飛《と》ばしながら着陸《ちやくりく》した。——三|時間《じかん》とはかゝつてゐなかつた。 「ああ着《つ》いた、着《つ》いた。」  水盃《みづさかづき》の若紳士《わかしんし》が、さう云《い》ひながら真先《まつさき》に飛《と》び出《だ》して行《い》つた。 「ぢやあ御無事《ごぶじ》で——」  彼《かれ》は海野《うんの》の手《て》を握《にぎ》つて、大阪市内《おほさかしない》まで送《おく》り届《とゞ》けてくれる会社《くわいしや》の自動車《じどうしや》の中《なか》へ姿《すがた》を入《い》れた。  十|分《ぷん》ばかり休憩《きうけい》の後《のち》、海野《うんの》は相客《あひきやく》と一|緒《しよ》に福岡行《ふくをかゆき》の飛行機《ひかうき》に乗《の》り換《か》へた。  今度《こんど》の操縦士《さうじゆうし》の飛行振《ひかうぶり》は、荒《あら》かつた。大気《たいき》の中《なか》を刳《ゑぐ》りながら進《すゝ》むやうな安定《あんてい》のない飛行振《ひかうぶり》だつた。五|分間置《ふんかんお》き位《ぐらゐ》に、機体《きたい》がぐツと二|尺程《しやくほど》づつ摩《ず》り落《お》ちた。  海野《うんの》は胸《むね》が悪《わる》くなつた。折角楽《せつかくたの》しみにしてゐた瀬戸内《せとうち》の鳥瞰図《てうかんづ》をほしいままにする暇《ひま》もなく、小豆島《せうどしま》を出《で》はづれた頃《ころ》から一|生懸命《しやうけんめい》に寐《ね》た。 「やがて宮島《みやじま》の大鳥居《おほとりゐ》の上《うへ》を飛《と》びます。」  紙切《かみき》れに書《か》いた、かう云《い》ふ機関士《きくわんし》からの知《し》らせも海野《うんの》は知《し》らなかつた。  目《め》が醒《さ》めた時《とき》には、九|州《しう》の、山《やま》また山《やま》の上《うへ》を飛《と》んでゐた。 「後《あと》五|分《ふん》で太刀洗《たちあらひ》に着《つ》きます。」  正面《しやうめん》のドアが明《あ》いて、かう書《か》かれた紙切《かみき》れを撮《つま》んだ手《て》がぬつと出《で》て振《ふ》られた。  目《め》の前《まへ》の高《たか》い山《やま》を一つ越《こ》えると、太刀洗《たちあらひ》の飛行場《ひかうぢやう》が、遥《はる》か下《した》に、掃《は》き清《きよ》められたやうな澄《す》んだ円形《ゑんけい》を優《やさ》しく現《あらは》した。     四  太刀洗《たちあらひ》から博多《はかた》まで自動車《じどうしや》。博多《はかた》から小倉《こくら》まで汽車《きしや》でざつと二|時間半《じかんはん》。乗《の》り換《か》へて、別府《べつぷ》まで四|時間《じかん》。東京《とうきやう》から太刀洗《たちあらひ》までより、僅《わづ》かの距離《きより》を乗《の》る汽車《きしや》の方《はう》が余計《よけい》に時間《じかん》が掛《か》かるとは、馬鹿《ばか》らしい気《き》がしてならなかつた。海野《うんの》は一つ一つ留《と》まる汽車《きしや》がじれつたかつた。  途中《とちう》で夜《よる》になつた。八幡《やはた》で停車《ていしや》した時《とき》、汽車《きしや》の窓《まど》から見《み》える、すぐ傍《そば》が製鉄所《せいてつじよ》でもあるのか、あれが熔鉱炉《ようくわうろ》と云《い》ふのでもあらうか、始《はじ》めて見《み》る土地《とち》の闇《やみ》の底《そこ》に、何《なに》か知《し》らず、炉《ろ》のやうなものが真赤《まつか》に怒《おこ》つてゐた。耳《みゝ》を聾《ろう》するやうな音響《おんきやう》と、黒煙《こくえん》の濛々《もうもう》と——。その、地獄《ぢごく》の釜《かま》の蓋《ふた》が明《あ》いたやうな眺《なが》めに、海野《うんの》は息《いき》を呑《の》んで窓《まど》から首《くび》を出《だ》してゐた。その鼻尖《はなさき》へ、高《たか》い空《そら》に聳《そび》え立《た》つた五|本《ほん》の煙突《えんとつ》から吹《ふ》き卸《おろ》して来《く》る石炭《せきたん》の煙《けむり》の咽《むせ》ツぽい匂《にほひ》が、プラツトホームに渦巻《うづま》いた。バラ/″\煤煙《ばいえん》が顔《かほ》に当《あた》つた。  間《ま》だるツこい停車場《ていしやば》の数々《かずかず》だつた。時間《じかん》で四|時間《じかん》二十|分《ぷん》、停車場《ていしやば》の数《かず》でまだ二十五あつた。  海野《うんの》はすぐにも三千代《みちよ》に話《はな》し掛《か》けたかつた。   コンヤ九ジハンニツク  そんな電報《でんぱう》の文句《もんく》も頭《あたま》の中《なか》で躍《をど》つてゐた。が、ふいに彼女《かのぢよ》の前《まへ》に現《あらは》れる楽《たの》しみを思《おも》つて、じり/″\わく/\しながら、ぢつと我慢《がまん》してゐた。我慢《がまん》してゐる自分自身《じぶんじしん》を、彼《かれ》は享楽《きやうらく》してゐた。  やつとの思《おも》ひで、この次《つぎ》と云《い》ふところまで漕《こ》ぎつけた時《とき》の嬉《うれ》しさ。いよ/\別府《べつぷ》で降《お》りて、自動車《じどうしや》を雇《やと》つて、日名子《ひなご》の玄関《げんくわん》に着《つ》いた時《とき》、案内《あんない》されて、二|階《かい》の部屋《へや》の前《まへ》に立《た》つた時《とき》。 「御免下《ごめんくだ》さいまし。」  女中《ぢよちう》が膝《ひざ》を突《つ》いて障子《しやうじ》を明《あ》けた。内《うち》からは返事《へんじ》がなかつた。 「御免下《ごめんくだ》さいまし。」  もう一|度《ど》さう云《い》ひながら、女中《ぢよちう》は中《なか》の唐紙《からかみ》を静《しづ》かに明《あ》けた。  部屋《へや》は、人《ひと》のゐない気《け》はひにさえ/″\と明《あか》るかつた。微《かす》かに白《しろ》百合《ゆり》の香《か》がした。  絹《きぬ》の夜《よる》の物《もの》がふつくらと盛《も》り上《あが》つてゐた。  枕許《まくらもと》には、まだ点《とも》さぬスタンドが、うね/\とコードを畳《たゝみ》の上《うへ》に這《は》はせてゐた。「ラ・ボエーム」の訳本《やくほん》が、四|角《かく》に置《お》かれてゐた。  隅《すみ》の方《はう》に、乱《みだ》れ箱《はこ》の中《なか》に、見馴《みな》れた昼夜帯《ちうやおび》がキチンと八つに畳《たゝ》まれて、その上《うへ》に帯揚《おびあ》げと、下紐《したひも》とが、華《はなや》かに光《ひかり》を吸《す》つてゐた。  海野《うんの》は、夏外套《なつぐわいたう》を女中《ぢよちう》の手《て》に渡《わた》したままの姿《すがた》で、袴《はかま》も取《と》らず、彼女《かのぢよ》の机《つくゑ》をうしろに胡坐《あぐら》をかいた。着《つ》いたままの姿《すがた》を三千代《みちよ》に見《み》せたかつたのだ。  女中《ぢよちう》が浴衣《ゆかた》と褞袍《どてら》とを持《も》つて来《き》てくれた。海野《うんの》は茶《ちや》を飲《の》みながら、 「僕《ぼく》はまだ飯《めし》を食《く》つてゐないんだが——。ああ、見《み》つくろひで、三|品《しな》ばかり。——いや、酒《さけ》は飲《の》まない。」  間《ま》もなく、間遠《まどほ》な足音《あしおと》が部屋《へや》の前《まへ》で留《と》まつた。障子《しやうじ》が静《しづ》かに明《あ》いた。その明《あ》け方《かた》に海野《うんの》は三千代《みちよ》を感《かん》じた。 「あら。」  湯上《ゆあが》りの優《やさ》しい額《ひたひ》が、唐紙《からかみ》の間《あひだ》から覗《のぞ》いた。湯気《ゆげ》で潤《うる》んだやうな瞳《ひとみ》が、咄嗟《とつさ》に熱情《ねつじやう》を宿《やど》して光《ひか》つた。  二人《ふたり》は、立《た》つたまま、坐《すわ》つたまま、懐《なつか》しい目《め》をぢつと見合《みあ》つた。いつまでも、ぢつと見合《みあ》つたまま、身動《みうご》きも出来《でき》なかつた。が、そのうち、どちらからともなく、唇《くちびる》のまはりが綻《ほころ》び、目《め》が笑《わら》ひ、顔《かほ》ぢゆう笑《わら》ひに溶《と》け合《あ》つた。 「迎《むか》へに来《き》たよ。」  とう/\海野《うんの》が云《い》つた。  次《つぎ》の瞬間《しゆんかん》、捉《とら》まへどころのないやうな三千代《みちよ》の体《からだ》が、全身《ぜんしん》で海野《うんの》の両腕《りやううで》の中《なか》へ転《ころ》がり込《こ》んで来《き》た。 [#地付き]——了——  この作品は昭和七年七月新潮社より刊行され、 昭和九年八月新潮文庫版が刊行された。