アメリカン・スクール 小島 信夫 目 次  汽車の中  燕京大学部隊  小銃  星  微笑  アメリカン・スクール  馬  鬼 [#改ページ]   汽車の中     一  東海道線上り列車は、くたびれかけていた。九州を出てから、一昼夜はしりつづけている。デッキの上だけでも二十人は乗っている。ステップの上だけでも三人はぶら下っている。列車が、尻をぶっ叩かれた馬のように、仕方なしにあえぎ始めると、この連中も観念して静かになるけれども、それまでの|喧《やかま》しさは、|屠所《としよ》であばれる豚みたいだ。声まで豚にそっくりだ。|尤《もつと》も、この二十数人の人間が、あれだけの狭さのところに詰ることが出来るということはまったく不思議だ。だがこれは、よくみてみれば何でもないことだ。片脚で立っているものも半分はいる。こういう連中は右脚と左脚とを替える余裕があるならば、責任を|担《にな》った片脚に、一生懸命追従し督励している。どんなに脳味噌の重い頭を持った|御人《ごじん》も、片脚だけの値打ちしかない。尤も、こういう頭の御人は、「時間はすべてを解決する」などと、うまいことをいって、片脚にいいきかせていることは確かだ。お尻や肩や顔のような出っぱったところは、あばれまわる中に、適当な|凹《へこ》みを見つけてそこを埋めるという具合だ。うわぜいのある男の顔などは、たいてい小さい男か、ご婦人の頭の上に坐っている。肩や腕は、のび上って唯一の|隙間《すきま》である空間を利用しようとする。空間を利用したら、天井までかなり余裕があるわけだ。これを一口でいうと、二十数人の乗客は、この正確な計算でゆくと、せいぜい七、八人しか乗っていない勘定になるということだ。  人間一人助けると思って、もう一歩なかへはいってくれ、おれは片手、片脚しか汽車の上にはないのだ。これは人道問題じゃないか、などという聞きずてならぬ叫び声をのせて、まったく汽車の方も、くたびれてるし、いやになっている。やけくそになって燃えさしのつぶつぶの入った、どす黒い煙を吐きだすと、そいつがデッキの中へ横なぐりに入りこんできて、連中は懸命になってもがくけれども、がっちり組み合わさっていて、顔の上で顔が|苦悶《くもん》の表情をみせるだけだ。  デッキからはみ出てしまって、佐野はステップで生きた気持がない。佐野の片手は手かけをつかんでいるけれども、片手でふろしき包みをぶらさげている。こいつが次第に重くなってくるので乳のあたりへずりあげたり、肩へもち上げたりしているうちは、まだよかったけれども、もう今では手がしびれてきて、いくら力を入れたつもりでも、ぶら下ったままで、早晩、佐野が思い切ってふりはなしてしまうか、それとも佐野がふろしき包みと運命を共にするかである。佐野の背中では、リュックサックが、背中から離れようとして、これまた、かれに重みを加えている。かれは片脚でデッキのいちばん端に、かろうじて乗っかっている細君の脚を蹴って、 「おれはもうすぐ落ちるぞ。もうすぐさきにカーブが見える。あのカーブは外まわりなんだ。おれは空中へおいてゆかれる、たのむから、もう少し入ってくれ。おい、これ、もう少し入ってくれ」 「わたしだって落ちそうよ、とても駄目だわ」 「おまえの落ちるのは、おれが落ちてからだ。たのむ、おれが落ちなければ、おまえだって支えがある。あっ、ベッベッ」  かれは眼の中に気をとられて、あやうく大切な片手を離すところで、冷汗を出して思い止まった。  細君の手さげ|鞄《かばん》の骨ばった竹の柄が佐野のあごを容赦なくおしだしている。佐野はそれで一生懸命になって、たのむたのむというのだけれども、何しろ、細君のもう一方の手は、またぼろぼろに|剥《は》げた佐野の鞄を肩の上にあげているし、片脚はどうにも入れる隙間がないので宙にとまっているし、その手さげ鞄を動かすことなんかできない。決して佐野より良好な立場にいるとはいえないのだ。 「もう少し、な、押してみてくれ、押すよりほかに手がないじゃないか」 「石のようよ、とても駄目だわ。気が遠くなりそう。息がくるしいわ」 「そうか、だんだんおれは、はみ出してくるよ、とても駄目そうだ。おれは|諦《あきら》めた。もう押さないでいい。人のからだを押すときには、どうしても、憎しみの気持がわくものだよ。これはスピノザか誰かが、倫理学の中でいっていた。おれは、もうこのままでいい。死ぬときは、なるべく、ひと思いに頭をぶちつけて死にたいものだ」 「あなたが落ちたら、わたしはどうなるの。支えがなくなるじゃないの」  列車は悲鳴をあげてカーブを廻った。背中のリュックは、勢よくかれの胸をしめあげて空中へとび上った。重みのかかったかれの身体を片手が、最後の力をこめて佐野に奉仕した。かれは、もうすっかり線路へなげ出されて、死んでしまっているか、死にかかっている自分を想像して、ゆめうつつで、気が遠くなって、佐野がもう少し正気に返らないでいると、せっかくの片手も開いてしまうところであった。  いいことに、それから列車は逆の大カーブに入ったので、佐野はやっと一息ついた。しかし考えるに、こんご、この状態をつづけるくらいならば、いっそ、ぶち落ちてしまって、何もかもわからぬようになった方がいいかもしれぬ。またそのうちに外まわりのカーブがきて、くるしみをなめねばならぬとすれば、そのくらいなら、いっそ、その方がいいかもしれぬ。そのとき、細君の頭の真上の顔が、 「旦那、このつぎのT駅ですいちゃいますよ。ガラス戸の中へ入れるのは、もうしばらくの辛抱ですよ、運さえよけりゃ、坐れますよ」  としゃべった。ふりあげた細君の眼へ、そのすいた歯のあいだから|迸《ほとばし》り出た生温いしぶきが、一せい射撃した。細君は、いままで死にかかっていたようだった無表情な顔の筋肉を、急に大仰に動かして、 「まあ、うすぎたない」  と感に堪えぬように率直な意見を出した。かの女の清潔ぶりは、電気のように敏感だ。 「ヘッヘッヘッ、どうせ、おんなじように汚れてしまいますよ」  細君はびっくりして、横を向こうとしたが、あいにく、首が動かばこそ、そこで眼だけで横眼をした。  このうすぎみわるい客は、いかにも旅なれたようすで、小さな荷物を頭の上にのせて、そのふろしきの二つの端を、あごへまわして結んでいる。右手を器用に空中にあげると、パチリとライターに点火して、外国煙草の、ぜいたくな匂いを、くゆらせはじめた。 「どうも、うすぎたない匂いで、ご迷惑ですな。そこのステップのとこの旦那、気をとり直して、一ぷく、おとりなさいよ」 「君、ありがとう、いや、僕はけっこうです。どうぞご心配なく、僕はもう」 「ね、どうです、何とか、わしの手が届きますよ」 「残念ながら手があいてないんですよ。それより僕はもう」 「旦那、口があいてるじゃないですか。口でくわえるんですよ」 「ぼ、ぼくは、そ、そんな悠長なことをしちゃおれないんですよ。ちょっとゆれたら、僕はおさらばだ。もう手は感覚を失っている」 「だからさ、大丈夫だといってるんですよ。もう、ここからはね、あんた、手ばなしでいたって、落ちっこありませんよ。カーブは次の駅までは内廻りばかりですよ。それよか、旦那、ほら、財布がのぞいてるじゃありませんか。手があいたら、さっそく入れておかないと、中へ入る前に抜かれますぜ」 「そ、その煙草は、ぼ、ぼく……」  といううちに、太巻きのスマートな舌ざわりの外国煙草が、かれの口の中へはいりこんできて、思わず、佐野の油あせをかいた、むざんな鼻の下で、苦しそうに煙が立ちのぼって、かぜにあおられてながれた。統制品や、配給品だけに一蓮托生している佐野は、まことに|不本意《ふほんい》であったけれども、ただ、今はこの世のものでもなく、煙だけは反射的になまなましい煙を吐いて、あごの下の財布を苦しげに見おろしながら、ああ、もう|盗《と》られてしまうなら、盗られてしまえと沈痛悲壮なおももちだ。 「あなた、その、こい煙何とかならない、もう少し外へはき出せない、あなたの口の臭いよりはましだけれど、やり切れないわ、ああ早く何とかならないものかしら、もう少し外へ、ね、もう少し外へ」  佐野は、さすが地だんだふむところであったが、ステップに乗りかかった、あと二人のものが、無言のうちに佐野の片脚の位置を占領してしまっていたので、片脚は空中を泳いでおり、もしも、口惜しがって暴れたりしたら、そのまま、車外へ放り出されてしまうところだ。  汽車は、例の男のいったように、内まわりのカーブをはしりつづけるので、しぜんと具合がよくなり、背中のリュックはかれにもたれかかり、いつの間にか空中をさまよっていた片脚もステップの上へ戻ってくるし、佐野のからだは細君の腰のあたりへ、よりかかってきた。 「旦那、ねえ、調子がいいでしょう、わしがこの|紐《ひも》を放りなげてあげますからね、いまのうちなら、つかまらなくても倒れっこないですからね、バンドに、ちょっちょっとゆわえつけてしまいなさいよ、片手で出来ますよ。そいつがすんだらね、わしが紐をひっぱってるうちにその荷物を首にぶらさげなさい。そいつが、いちばん楽ですよ」 「いや、そんなこと、ぼ、ぼくはしたことがない。僕はまあいいよ。もう少し辛抱するから」 「いいから、ほら放りますよ。ほんとに手がしびれてしまいますよ。見栄どころじゃないですよ」 「僕はそんな。僕は落ちるからいい。そんなことしたことがない。よ、よしてくれたまえ」  紐が二度目に佐野めがけて落ちかかってきたときには、佐野は拒むことができなかった。いわれた通りに佐野が、泣きそうな顔になってやると、 「わしは、この救援策は経験ずみでしてね。どうです、具合は上乗でしょう。わしは終戦後五六十回ここを往復しますがね、だいぶ救援したものですよ。失礼ですが旦那はさいきん汽車は初めてでしょう? わしはね、どこにどんな小さな橋があること迄しっていますさ。ほーら、もうすぐ橋ですよ、汽車はとんとんと二つばかり音をたてますよ」 「いや、その通りだ、わかったよ。何という。ああ」  佐野は、へその|緒《お》のようにバンドから紐で吊りあげられたまま、一度この恰好をすると、もう解いてもいいのに、それさえ忘れてしまって、「ああ、ああ」と心の中の方で深いためいきをついていると見え、とりのこされたような顔がかぜに吹かれていた。 「あわてて窓からとびこまなくても、ちゃんとねらいをつければ、坐れるもんですよ。顔つき、恰好、座席の場所で、どこがいつあくか、わしは、たいてい見当がつくものでさあ」  沿道の百姓たちが、はたらくのをやめて立ち上ると、手おいの|猪《いのしし》のような、こぼれそうな鈴なりの汽車を眺めて笑っていた。佐野は恥しさで懸命にからだをちぢめていたが、背中に笑いをかんじていた。汽車が逃げるようにはしり去ってからも、百姓たちは、このさいついでに|休憩《きゆうけい》するつもりで、立ち上ったままゲラゲラ笑っていた。     二  列車は無事に怪我人を出さずにT駅にすべりこんできた。乗客が祭のようにフォームに集っていた。この難局にあたって、佐野はどういうふうに身を処してよいのか分らない。今までステップにいたのだから、いっそこのままステップにとどまって、たとえ苦しくともこの状態をつづけて、そして最悪の場合には、そうだ、死ぬだけじゃないか。乗客が、たちまち列車をとりまいてしまった。 「降りるものがある! 降りるものがある!」  と佐野が、へその緒をつけたまま叫ぶと、 「お前、早く降りねえか!」  と、ひきずりおろされそうになるので、 「僕は違う、僕は降りないのだ!」 「お前が降りなきゃ、降りるものが降りられねえじゃないかよ」 「僕が降りたら、き、きみらは、ぼ、ぼくを乗せてくれないじゃないか、ぼ、ぼくは、いままで……」 「お前は何だ!」 「僕は先生だ」 「医者か、何の先生だ!」 「が、がっこうの先生だよ」  すると、群衆のなかで爆笑がおこって、雷がなりひびくときのように、つたわって行った。  窓から入れなかったものや、窓辺でことわられたり、ガラスを破る勇気のたりなかったものが、さっとうしてきた。 「分らねえやつだな、リュックをもって、引きずりおろせ!」  という合唱がおこった、なおも、片手片脚でステップの上にいた佐野のからだは、たえ切れず、群衆の上へ倒れかかり自分のかさなる不運に観念して死人のように眼をつむってしまっているうちに、肩あげされたように、群衆の頭の上をわたって、フォームへ投げ出されてしまった。佐野は、|茫然《ぼうぜん》として、子供のじぶん、野原であそんでいるような途方もない錯覚をおこして、何か朗々たる気持がふいに湧いてきた。群衆は佐野を尻目に一度に入口を襲撃して、水門へすいこまれる水みたいになだれこんでいったが、三人四人の肩が、いっぺんに入りこもうともがくので、尤もこうなると誰ひとり身をひいて譲歩する者がないので、二、三秒のあいだは、骨がみりみり音をたてるほどのいさましさだ。  へその緒をつけたまま倒れた佐野は、しばらくして起きあがったが、これが列車にのりこむという仕事が、かれをせきたてるのでなかったら、かれはもう今日一日でもそこにぶったおれていたであろう。かれには、もはや自分と天地が、まるでこの天地さえも、なんのかんけいもないものに見えて、もう起きる気持もないのだ。まして、この|活溌《かつぱつ》きわまる人間たちは、もうまるで縁なき衆生だ。フォームを走りまわる乗客にふまれそうになるので、かれがからだをおこしたとき、 「旦那、はやくいらっしゃい、何をぐずぐずしてるんです」  佐野に何の考えもあるわけでなく、反射的に入口の方へはしると、又例の男が、 「こっちへくるのです、この窓へきなさい、奥さんもここにおいでです、はやくはやく」  佐野が無我夢中ではしりよってその窓にとびついたのと、汽車が動き出したのと、同時であった。とびついたものの、リュックはせおっているし、ふろしき包みは持っているので、ぶら下ったまま、 「少しひっぱって、背中が重いのだ」  と細君に救いを求めると、 「靴は大丈夫、抜けやしない? はやくはやく力を入れて、意気地なしですね、まあ、まっくろな顔をして、汚いわね」 「とにかく引きあげてくれ、もうフォームは終ったのだ!」  すると、例の男が、 「汽車は客を拾って発車したもんだが、どうです旦那、ひでえ変りようですな」  といいながら、佐野のからだを車内にひきずりこんだ。ところが余り力が入りすぎた為か、佐野のからだが緊張しすぎて棒のようになっていたせいか、手は空中を泳ぎ、脚の片一方が窓ぎわの別の乗客のあごにふれ、もう一方の脚は、あえなきさまの夫に、ひんしゅくしている細君の頬ぺたを横なぐりになでて、なだれこんだ。それまでに、細君は、ひたいのまん中に二筋のしわを刻みながら、座席にふろしきをひろげていた。なにしろ、|煤煙《ばいえん》と乗客が長年こすりのこしていた垢で、よういに細君を安らかな気持にさせなかった。細君はあられもなく自分の頬ぺたを打ちたたいて倒れた主人に、満座の中でかんだかい、悲鳴に似た叫びをあげた。 「あなた、子供だってもっとましよ。人造人間だってもっとましよ」 「こ、こどもは、身が軽いよ、人造人間は、めしを食う心配がないよ、人造人間になりたいよ」  といって真赤になって座席の下を向いた。例の男が、前の席で、大声あげて笑いだしたかと思うと、あみ棚から無作法に、佐野の細君の頭の上へ二本の脚をぶらさげていた復員者ふうの闇屋が、ひきつるようなけたたましい笑い声をたてた。すると、やにわに佐野は腰をあげてじっとしておれないように身もだえしていたが、何か云いたいことがいっぱい口の中で詰っていて出てこないという有様で、又次の瞬間、がっくりと坐ると、いよいよ真赤になって|喋舌《しやべ》りだした。もっとも、断水になっていた水道の水が久しぶりに空気をおしのけて出てくるときのようで、出る気はあるのだが、どうもうまく出てくれないというのに似ていたし、何といっているか、いかにもひとりよがりで、よく分らないのだ。 「そうか、お、おかしいですか、よ、よろしい、ぼ、ぼくは、ほんとに人造人間になりたいね。食糧のことは、これは絶対量が足りないのだから、ひもじくても仕方がないと思っとる。僕は、|粥《かゆ》や、く、くされいもを日に二回くって、そ、それでも有難いさ。お前はそれを甲斐性がないといって、僕を嘲ける。僕は筋みちを通したいのだ、そういう生活をしたいのだ、僕はね。生徒がこういうのだ。先生声が小さくてさっぱり聞えん。さっぱり? そうです、さっぱり聞えないのです。さっきから僕たちは先生の声をきいていません。先生の口が動いているところを見ると、先生は講義をしとると思っとるだけです、この頃の生徒は敬語を使うと思いますか、対等以下です。先生、それでは何にもならんじゃないか。僕たちは高い交通費を払って、電車にもまれて、被服をいためて通学しておるのです。僕たちが|敢《あえ》て先生にいうのは、先生僕たちのいうこと聞えますか。わしは耳はまだ確かだ。と僕はいった。先生は今日だけじゃないのだ。僕はむりに小さい声をしているとか、この声は諸君聞えるか? 聞えません、さっぱり聞えません。先生の口が動いただけだ。そうか仕方がない。腹がへるから大きな声を出さないとかいうのじゃない、これ以上声がたたないのだ。僕は子供が二人いるし、後妻の女房は、胃拡張で、これは矯正する前になきつかれるだけだ。僕も売るものがあれば売るさ。この服をぬげば、もう肌は売れないからね、だからどうだというのだ! 僕は何をいっているのかな。ところが、先日生徒が僕の|陋屋《ろうおく》に遊びにきた。焼けてしまって五冊しかない本を、二冊貸してくれというのだ、これは僕の最後の本だ、こいつは、いくら何でも御免だというと、そんな水臭いことをいわないで、先生、生徒と教師のあいだじゃないですか、是非その二冊拝借ねがいたい、先生、そんなら一週間だけでいいからというのだ、それで持ってゆきおった。そのとき、僕の下の子供が僕の膝の上におって何かしゃべりおった。そうすると、奴は何といったと思います? やかましい! とこうだ、いや君、これはからだが弱くてね、むずかるのだよ、というと、困った子供さんですな、どうもまつ毛の長いところなんぞ、腺病質ですな、といいおるのだ。その本を未だに返さない。僕は二回見かねて催促した。三回目に催促しようと思ったら、退学して行方が分らぬのだ。すべてこういうふうさ。すべてまわりのものはこうさ。何という厄介な人格だ!  ところでどうだ、こういうことはこういうこととしておいて、僕は今日S駅で汽車を待っておった。乗れないというものだから、僕は夜中におきて、いちばん先頭で列を作っておった。何という厳粛な有難さだろう。僕は安心立命の境地で五時間まった。それが汽車がついたらどうです、僕らはいちばん後になって|了《しま》った。何のために列を作るんです! みなさん、何のために列を作るんです! われがちに乗ることに、始めからきまっておれば列車のくるまで列をつくっておるのは、何のためですか? 一列にならんでいないと、フォームの整理上こまるというだけですか? 僕は何のために五時間まったのか!」  佐野のふとあげた眼には、あっけにとられたような、又ずるそうな笑い方をしている口ばかりあちこちに見えた。 「しゃべるだけ腹がへるぞ、先生なんか止めて闇をやれ、闇を! 僕は闇屋ですう——お国のために、お国のために働いた軍人さんのなれの果て」  と、「僕は軍人大好きよ」もじりの節で弥次ったのは、あみ棚の闇屋だ。  佐野は、風の向きが急に変ったように、ふっつりと話をやめてしまって、眼をつぶって顔の筋肉だけを細かくピリピリさせていた。まるで失神したように見える。細君は恥しさで何度も佐野の|騎虎《きこ》の勢をくいとめようとしたが、さすがあんまりむきになっているので、それが出来ずそっぽを向いていた。 「旦那、この闇屋さんたちも、これで食べて行っているわけでしてね、こういう人たちがまるでいなかったら、それこそ、われわれも今より困るかも知れませんぜ」  あみ棚の男は、気恥しげにからだを動かしたかと思うと、ごろりと横になって、一つ寝がえりを打って、汚れた兵隊靴下の足をぶらぶらふり始めた。佐野の細君はしばらく、ゆれる足をきっとみつめていたが、 「そんなに足を動かさないで下さい、頭の上へ泥がこぼれてくるじゃありませんか、失礼な、代って貰おうかしら、あんたと」  佐野は相かわらず高僧のように眼をつぶったままだ。  そのとき、例のおせっかいな男が、あみ棚へ声をかけた。 「ねえ、上にいる人。ちょっと荷物を整理してくれないかね。この旦那の荷物を、ねえ旦那、これは二つに分けた方がいいよ。どうせこっちにはシャリが入っているんでしょうが」 「ジャリ?」  と佐野が|漸《ようや》く眼をあげると、 「シャリですかい」  と面倒くさいことをきく男だといわんばかりすぐには返事をしないで、勝手に佐野のリュックをあけると、ふろしきづつみとリュックの荷物とを平均にした。ぎゅっぎゅっとしめながら、持主の二人を尻眼に自分の荷物のように整理するあいだ佐野は黙りこんでいた。何の後めたさもない手つきで、手ぎわよく二等分された二つの荷物は、あみ棚の男の横につまれた。復員者ふうの男は、何のくったくもなくこの荷物を枕にして、雑誌をひろげていたが、そのうち傍若無人にいびきをかき出した。 「シャリというのはね旦那、白い粒の通り言葉でさあ、荷物を見たかんじで、何が入ってるか分らなくっちゃ、叩いたりさわったりして中身がわかるのなんぞ、序の口でさあ、あっしの親父は興行師でね、どんなことでも人より眼が|利《き》くようにと仕こまれたもんですよ」  気のいいというか、眼がきくというか、千里眼には|呆《あき》れるばかりだ。まるで自分の荷物のように、いや自分の荷物にしたところで、佐野などはどうだというのだ、故あって子供をあずけ、細君と僅かばかりの米をリュックに入れて命からがら乗車したというものの、まるで他人の荷物のように持て余しているではないか!  車内は益々混雑して、ただからだを車内へほうりこんで、汽車まかせに運んで貰うだけだ。さっきから佐野の脚の下で、もぞもぞするものがある。そこに隙間があいていたのだ。佐野が足を押されるので、見ると、生魚の箱を|菰《こも》につつんだのを、一生懸命おしこんでいる男がいる。 「ちょっと脚を持ちあげてくれよ、おっと、ここんところが、がらすきだ、もったいないことだ」  佐野が命令された気持で、ひょいと脚をあげると、いせいよく菰づつみが、ずりこんできた。この男はこうして安心して袖で汗をふいた。とたんに佐野の細君は、その特有の敏感さで、気がふれたと見るほど急速に、鼻をハンカチでおさえた。 「奥さん、トンネルですぜ」  と|件《くだん》の男が、いねむりしながら促した。細君が、あわててハンカチを落しながら、扉をおろすと、しばらくして列車はわんわん|喚《わめ》きながら、真暗闇の中をはしりだした。便所の臭気が電燈がくらいので、よけいくさい。 「どうです、旦那、景気よくはしるじゃありませんか。この石炭ではしるのは、又かくべつですな、電気のとはまるで違う、りきみが入っている、いいですな」  なるほど、がんがんはしる。そういえばそうだ。そうほめられたみたいに、汽車は煙をあげて大へんなものだ。佐野にとっては、こんなことはどうでもよく、一分でも早く目的地へついてくれることだ。魚の闇屋が、そのとき、佐野の|肱《ひじ》かけにかけた肱をおしのけて、厚みのある、おそらくその手の毛深いところからすると、毛のふんだんに生えていそうな尻をどっかりすえた。     三 「F駅がすんだから、旦那、もうそろそろ移動警察が乗りこんできますよ」  件の男が、とつぜん思い出したように薄眼をあけていった。すると、佐野の肱かけの尻が妙に落ちつかなそうに、何度も位置を直した。佐野夫妻もそわそわし出し、佐野も堪え切れないように、つったってしまった。とおもうと又どっと坐りこんで、さかんに爪をかみだした。 「よしてよ、そのくせが|治《なお》らないのね」 「先生、リュックを調べられたら、高飛車に出てやるんですよ、おとなしくしていたら、駄目です。ああいう手合は。ああ来た、ああ、あいつか」 「あんた震えてるの」 「いや、考えているのだ。下劣なことだ、まったく」 「そらそら煙草の灰が落ちるわ、あなたのお荷物はどれです?」 「わしのはこれです」 「そんな小さいの一つですか?」 「そうです。これは内しょですがね。かさは小さくとも、大事なものがあるんですよ。大きなものを持って乗りこんでいるのは、愚の骨頂でさあ。旦那、おちつきなさい、こういう連中は、却ってちょろくさいもんです。わっしは釣りには素人ですがね。玄人ぐらいはとりますよ。大きな魚という奴はね、その妙なものでしてね。毎日同じ時刻に同じところを通るんですよ。そこへはっておくとね、もんだいなく捕れるんですよ。急所ですよ、旦那」  あごの長い、猫背のひょろひょろした警官が、佐野の方へ近づいてきた。この男は、始めてこの客車の中に姿を現わしたときには、|拳銃《けんじゆう》をもってむかしの軍装した将校のような恰好なので、うれしくもあり、満座の注視を浴びるので、照れくさそうに、眼の位置が不安定であったけれども、仕事をし出すと、なかなか照れくさいどころではなくなってきた。  あみ棚の青年は、ふりむいて、上から情景を見下していたが、又、尻をこちらにむけて、寝ているふりをした。自分が見ていないのだから、逃れられるだろうというぐあいだ。 「降りて下さい、そこは乗客の乗るところじゃありません」 「…………」 「降りて下さい。どうも降りて貰わんといけません」 「…………」 「荷物をのせるところです、そこは。降りて下さい」  といって、警官はこれまた長い手を、あみ棚へのばしたので、佐野の顔は、まったくかくれてしまった。 「僕は荷物ですがな」 「からかっちゃ困る。荷物が物をいうかね」 「僕は荷物のように、おとなしゅう向うをむいて寝ておるさかい、荷物も同じやな。ちっとも迷惑はかけへん、僕が下におらんだけでも、下のもんは助かるがな」  と、警官の手をふりきるようにして、寝返りを打った。 「おい、君はそういう態度に出るのなら、こちらも民主的に出られないな。君の荷物はどれだ」 「…………」 「手間をとらせるな、君の荷物はどれだ」 「僕の荷物? 僕の荷物は、この頭の下やがな」  佐野は、自分の荷物のことをいわれたのでとびあがった。 「そ、それは僕のです」 「あなたのです? ふうん? それでは、この荷物の中に何が入っているかいって貰いましょう」  冷たい顔になると、あごが一センチほどのびた。佐野は、 「し、しつれいなことをいいますね、君は。僕のに間違いないですよ。僕は苦労して持ってきたのです」 「どれほど苦労されたか、こちらには関係ありません。わるいものを運ぶときの方が、よけい苦労ですからな、私のいうのは、何か禁制品が入っていないとも限らないので、調べているのですから、あなたのも、しらべさせていただきましょう」 「き、きみのいいようにして下さい」 「何が入っていますか?」 「自分でしらべて下さい。家内の握り飯や、魚の干したのや、何やかやだ。とりあげるんなら、とりあげて下さい。僕を降ろすなら降ろして下さい」 「これは、お巡りさん。この人が土産に貰ってきた魚だよ」 「あなたは誰です? あなたに何も聞いちゃいませんよ」  すると例の物知りの男は、つづけた。 「わっしはこの人の知人ですがね。この人は大学の先生でね、田舎で講演をされて、そのお礼の土産ですよ」  佐野は、 「僕は別に」 「いや、何なら、名刺を見せておあげなさい、尤も、そんなことをするまでもないでしょうが」 「大学の先生、そうすると教授ですな」  そういって、警官は、佐野を点検して教授という言葉と合せるように、上から下までジロジロ見た。ところで、この警官は、さいきんとりあげたチョコレート色の短靴を丸公で入手してはいていたので、佐野の大きな、つぎのあたった黒靴に眼がとまると、薄笑いを浮べながら、やわらいだ口調で、 「いや、名刺には及びません、わかりました。しまって下さい」 「まだ荷物はあります。このリュックもそうです、これも私のものです」 「いや、もうよろしい。あんたはまだ降りないのですか」  と警官は|鋒《ほこ》先きを、あみ棚へむけた。 「えげつないね。あんたは、僕を荷物だと思ったらええやないの。そう思うだけやないの。えげつない、非民主的なんやな」 「どうしても降りて来ないつもりなら、荷物と見なして、本官はピストルを打つ、本官はそういう権限を与えられているからね」 「へいへい、そんなら降りますわ、こわい人やな。高尚な荷物やでな」  と|呟《つぶや》きながら、佐野たちの背中の上にあたるところをわたって降りてきた。そこで思い切りわるそうに、靴を長いことかかって|穿《は》いていたが、けっきょく完全には穿かないで、警官が見えなくなるのを待っていた。  周囲のものが開放されたような、朗らかな笑い声をたてた。ところが警官は自分が笑われたと勘ちがいしたのか、ふりかえってみてふくれ面をしたが、佐野の脚の下の魚の菰を見つけるや、獲物を捕った猫のように引きずり出した。 「これは何です。この持主は誰です。おや、返事がないな。確かに返事がないな。こういうのは、きっと怪しい、やっぱりそうだ、魚の菰づつみだ? 何の魚だ? まぐろだ! おっ五匹だ! 誰です! この包みの主は、誰です! おや確かに返事がないですね」  長いあごを動かして、魚のように瞬間、口をあぶあぶさせた。  佐野の細君は横目で、さっきの持主を見た。持主は、あみ棚の男のことでもめているあいまに、すぐ横の座席と座席の間へわりこんで、反対側の窓を、いかにも何かほんとうに見とれているように、肩をさげて|覗《のぞ》いていて、冷淡そうな背中や脚つきだ。 「あれは、すばらしい景色だな、あれは」  とでもいっているように、あんまり知らん顔をしているのは、この男一人なので、すぐ|嫌疑《けんぎ》がかかった。 「魚くさい! 君だろう」 「君だろう、持主は、このまぐろの」 「つんぼの真似をしておるんだな。よし、これはおろそう」  常習犯であると見えて、連行されるのを恐れて、|逞《たくま》しいからだに似ず、小さく震えていた。警察官が菰包みをひきずって通りすぎたあと、佐野は、ふくらし粉を入れたパンがふくれてくるように、怒りがふくれあがってくるのをかんじた。誰に向けた怒りというわけのものではなく、漠然とした、生きていることの憤怒で、佐野は直接の被害は受けなかったけれども、げっそりやせたように思った。前に坐った男の救助ですりぬけたのだが、何といううまいことを云ってのけるのかと、佐野は地べたへ打ちのめされたようにかんじる。かれはいかにも、田舎の某大学に関係のある学校の教授である。かれはいかにも「日本文化の将来性について」という講座を、せんだっても、田舎の青年に話したことがある。その時は、佐野の住む田舎の町よりも、もう一つの田舎の部落でやったので、佐野が出場に及んだら、寺のお|斎《とき》の時に使う粗末な机が用意されてあった。佐野が話し始めると、|村夫子《そんぷうし》や、村におちついて|了《しま》って、村の金をさいきんまでかき集めていた医者や、浪曲式美声を以って口説きおとすの妙を得ている弁護士が加わって、部落の文化祭を気どったのだが、いかんながら、少からぬ物質的、精神的な悩みをもつ佐野教授は、満足を与えるような講座をきかせるどころか、いつのまにか、話は食糧困窮、金欠病のことに堕落して、佐野は、さんざん口角|泡《あわ》をとばし、大いに|訥《ども》り、何が何やら、話している本人も、聴衆の方も、分らなくなってしまい、文化祭をめちゃくちゃにして、土産物どころではなかったのだ。よしんば、土産物を貰ったとて、何が東京へ運ぶほどあるであろうか、細君の|貪食《どんしよく》にかかっては。  それにしても、この男は何という恐るべき千里眼であろう。佐野はX光線にあてられどおしの如くかんじ、寒気がする。靴を|穿《は》く真似だけした例の復員者ふうの男は、もとの経路をつたって、のそのそとあみ棚へ乗りかかった。例によって脚を二本ぶらさげて、煙草に火をつけて、車内の雑踏を見下して何くわぬ顔をしていた。煙草を半分だけ吸うと、火のついた方を、親指と人差指でもみ消して、ポケットへしまいこんだ。それから、首にまいた手拭をとって、あみ棚の|枠《わく》にぶらさげ、脚をくくりつけると、寝ているうちに、ぶらさがりすぎて、安眠を妨げないようにしといて、編上靴をぶらさげてから、横になった。そして遠くの方のあみ棚へ声をかけた。 「おい、あといくつ目や」  すると遠くのあみ棚の荷物の蔭から、 「うん、四つ目や」 「ふん、おこしてくれや」 「よしよし」  と話し合った。     四  死線を越えてきた佐野が、今や重なる心身の疲労から、うつうつと眠りに落ちこもうとしたとき、細君がかれの肩をゆすぶった。 「あなた、荷物を下してちょうだい。とても汚くて、いやだけど、わたしお弁当食べるわ」 「もう食べるの?」 「もうって、あなた、わたしさっきから辛抱しているんですよ」  そして、もうこれ以上たまらないといって、佐野先生の肩をもう一度つよくゆすぶった。佐野があみ棚のふろしきづつみの中から弁当をおろすには、すぐそこに見えていながら、なかなかちょっとやそっとで出来ることではなかった。先ず左脚は長いこと曲ったままになって、|紆余《うよ》曲折をへているので、容易に抜けるものではない。右脚はというと、これは又、本人の佐野ですらその所在がわからないのだ。何しろ、座席の間には、だいたいのところ、二人半ばかり詰めこまれていて、前の席の人物などは、洋服の一端しか見えなかった。という始末であるから、かれの右脚が底ぶかく埋れてしまっていて、その所在の分らぬのは当然のことだ。 「ちょっと、まことにすみませんが、あみ棚の荷物をとりたいので」  と佐野がいうと、二人半のからだは、さすが心持だけ動いて礼儀を示した。が、とうてい佐野が両脚をたてるところまではゆかなかった。だい一それは無理であったろう。もともと両脚を立てられるだけの場所が、なかったからだ。四苦八苦して|徒《いたず》らに苦しむのみであった。かれがようやくにして、からだを立てかけたとき、かれの座席の片隅へ、すばやく一つの尻がすべりこんでしまった。そうしてこのことに佐野が気がついたのは、弁当を手にして坐ったときであった。  ところで、ようやくにしてのびあがった佐野のからだは、折あしく座席の間に立った人物が、自分たちが倒れないでいるのは、互いにおし合いへし合いしているからで、ちょっとこれがくずれたら、すぐ倒れてしまうことに急に気がついて、そのような混雑のなかを身をひるがえしたので、佐野先生のやせた洗濯板の上半身は折れるように、うつぶせになった。みかねて前の例の男が立ちあがり、 「おい、上のあんちゃんよ、一寸そこの頭の下の荷物たのむ、弁当を出してあげてくれ」 「よし、ちょっと待っとれな」  とこの青年はあおむけに寝たままで、後手で器用に荷物をさぐり、弁当をさぐりあてると、 「おい、投げまんね」  と放りなげた。  このしぐさの正確無比さや、パスの鮮かさには、ようやく腰を立てなおした佐野の口をぽかんとあけさせた。あとは|他人事《ひとごと》のように、悲しげな面持ちで彼はみとれていた。弁当は直接に細君の手にわたり、手持無沙汰のままで、かれは腰を下した。そして外ならぬ生々しい他人の尻をかんじたのである。  佐野は即座に事情を察して、自分の尻の方をちぢめるようにしてわりこんだが、いかにしても、わりこむことが出来なかった。もう既にかれの分だけ余分になっているのだ。 「ちょっと、もう少し」  この不敵な客は、尻に全幅の責任を負わせようとするものの如く、一言の返事もしない。 「もう少し君、何とかなりませんか」 「私は、とてもこれ以上は立っておられませんわ。倒れてしまう。どうしても立っておられん。かんべんして貰いましょう。お互い助け合うことが大切ですわ」 「それはそうだけれど、ただもう少しよけて貰いたいのです」 「おんなじ汽車賃を払っておるのですからな、早いもんがちじゃ」 「だって君、もともとこれは」  そういいながら、佐野は、あちこちから押されてきて立ってさえおれなくなってきた。 「旦那、こねまわすんですよ。大丈夫はいりますよ。人げんの尻でさあ」  言葉にならって、かれは、むりやりに占領地を回復したが、尻は首かせをされたように、浮いていた。そこでもう一つ力を入れてみると、ちょうど、既に握り飯にむしゃぶりついていた細君が——但し、かの女は、握り飯の腹にあてた指を、それまでに、いまどきどこで入手したのか、アルコールを浸した綿で消毒を終っていたのだが——握り飯の中へ、かん高い叫び声を浴せかけた。その拍子に、握り飯は細君の指を離れて転げだし、幸せなことに、床の上には隙間というものがなかったので、彼女の膝と尻をむけて立った別人の脚との間にはさまれて、そういう|悶着《もんちやく》の隙に、佐野は自分の腰だけがおさまる席を確保した。佐野は一方本能的に耳にスウィッチを入れて細君の叫び声から遠ざかろうと努めた為めに、そして|序《つい》でに眼も閉じてしまった為めに、細君だけが、生き生きとあばれた。ちょっとでも細君がからだを動かせば落ちてしまうのだ。ところが、 「早く取って下さいよ。早く、あなた、つんぼになったの。何です、眼をつぶって、めくらになったの。まだ聞かないふりしてるわ」  という言葉だけは否応なしに聞えてきた。佐野は地球になってしまいたいと思い、額に血が上るのをかんじた。これ以上、石になることも出来ないので、窮屈な胴体から腕をのばすと、その時、座席の間に立木のようにつったった脚がずり動いたために、握り飯は思いなおしたように床へ|顛落《てんらく》してしまった。細君の絶望的な大きな溜息が、かれのからだをあおるように吹いた。そして思わず向いた佐野の眼に、二つ目の握り飯が、いきおいよく口の中へ消えてゆくのが映った。非常な速さで口のそばまで来ると、吸いこまれるように消えてゆく有様は、精巧な機械を見ているようで、言葉をはき出すだけでなく、物を吸収するという仕掛けになった、この口というもののことをつくづく思わせられた。口という扉からはいる、もうそれっきり何もなくなってしまう、何という無駄なことだ、誰がいいことをするのか、胃袋か。そして人間は生きているという。この人間が生きているということで、誰が喜ぶか。誰も喜びゃしない。このように消えてなくなってしまう食糧のために——この女だって、そう大して生きていたくもなさそうだ。かれは今や、今更の如く、清潔な細君の指に|玩《もてあそ》ばれながら口の中へ吸いこまれてゆく三つ目の握り飯を見送りながら、何もかも忘れてしまった。     五  ところが、佐野がこのような誰にも分らぬ夢心地に陥っているときに、いやこの夢心地でいるということは、案外かれの尿意が——細君の清潔ずきが先夫からうつった癖なら、これまた佐野の持って生まれた性癖にちがいない——急襲してきて、|如何《いかん》ともしがたい急激な力で全身をしびれさせてしまっているためかも知れない。佐野の尿意は、不惑に近いかれの年になっても、子供のように地だんだ踏まなければならぬほど、急速に襲ってくる。これの攻撃にあうと、かれは、その瞬間は何もかも忘れてしまう。|如何《い か》にしてこの攻撃に|応《こた》えるかということで、いっぱいになってしまうのだ。  やがて、佐野が夢心地から我にかえったとき、果して、それこそ、居ても立ってもいられないほどになっているのに気がついた。かれは、かねてこれを覚悟していたので、機会があれば、この襲撃に会う前に用事を足しておこうと願っていたのだが、いったいそんな余裕や暇が、かれに許されていたかどうかは、読者諸君も御承知の通りである。こうして不意に現実にかえった佐野は、事態の重大さに絶望的になった。いくつかの座席を越えて便所へ|辿《たど》りつくことは、アルプスの|峻嶮《しゆんけん》を越えるが如きものだ。よしんば途中まで辿りついたとしても、群衆は佐野を追い返してしまうに相違ない。全くかれらの頭上をわたってゆく以外には、空地はないのだから。又、よしんば目的地へ辿りついたとしても、便所は今では七人用の座席も同然だ。佐野はどうしてそういうことになったのか知らないけれど、いつのまにか乗客の方でかってに七人だけ入りこむことにしている。この連中をどかすことが、いったい|何人《なんぴと》と|雖《いえど》も出来えようか。つまり列車には便所はないのだ。佐野は、これはという妙案も浮ばずに、腰をつきあげてくる力に押されて、尻を持ちあげた。泣き叫ぶ手に余る子供を抱きあげるように。 「べんじょ?」  すかさず細君の声だ。 「困った人ね」  かれはそのままの姿勢で、うろうろしていた。 「先生、むりですぜ」  と例の男の声だけ聞えた。 「もう二つ待ちなさい。B駅では十五分停車ですよ、それまでは駄目です。小さな駅で、時間がないし、第一、あけたら最後とびこんできますよ」 「いやね」  と細君は自分のことのようにしょげてしまった。 「もう駄目だ! 辛抱できないのです。僕はそんなら」  佐野は、倒れるようにして、他人の足を踏みつけようと、今では問題ではない。窓辺にかかっている水筒にとびつくと、栓をひき抜いて|忽《たちま》ち所期の目的を果した。用がすんでも今は恥しさと、|安堵《あんど》で立ち上って、顔をあげることも出来ず、満座のおそらく|嘲笑《ちようしよう》している声を、ぼーと水中で聞いているような気持で聞いていた。佐野の座席へわりこんでいた男は、豚の|啼声《なきごえ》のような太い声を出して笑っていた。少し合い間を置いては笑い出し、まるで誰かがわきの下でもその度にくすぐっているのではないかと思われるほどだ。  細君は、この座席の周囲がこんなに混雑していなかったならば、あるいは卒倒していたかも知れないが、気絶したり倒れたりするほど気分のいい環境ではなかった。  このとき、異様な空気に、首を横へ出して事の次第を|覗《のぞ》き見していた|件《くだん》の物しりの男は、何もかもすんでしまうまで驚愕の眼を向けつづけていたが、首をひっこめると、脚の蔭で、 「旦那、そんなに待ち切れなかったんですかい」  といった。  佐野は、水筒を座席の下へねじこむと、まだ笑いの余波を残している件の尻に一撃をあたえて、斜めに尻を入れると、細君には背をむけて、又もや眼をつぶって|防禦《ぼうぎよ》線を張った。その眼に見えぬ心の中は、|怒濤《どとう》のように荒れていた。永遠にこういう人の中から消えてしまいたい、せめて魂だけでもと。     六  佐野の恥ずべき行為を眺めて、くすぐられるような笑い声を断続させていた、すぐ横の男は、しばらく考え深そうに黙っていたが、急に佐野の方をふりむいて、へんに親しい口をきいた。 「あなたは、失礼ですが信仰をしておりますか」  眼をつぶっていた佐野は、自分のこととは知らず、|尤《もつと》も自分のことと知っていたとしても、そのままの状態をつづけていたであろう。 「ねえ」  こういって、|執拗《しつよう》にからだで押したので、佐野は初めて自分のことだと気がついたが、恥しさと、例の此の世からとび出したいという願いとからで、暫く眼をあけなかった。 「ねえ、あんた」  と、今度は、手で胸のあたりを突いたので、さすが眼をあけないわけにはゆかなかった。 「あんたは、信心しておらんでしょうな」  あまり近いところに、さっき、早いもん勝ちですわ、といったばかりの顔が迫っているので、佐野はおどろいた。 「僕ですか、信心? 僕は別に」 「そうでしょう。どうもそうだと思った。わたしの判断でゆきますとね、あんたの、その、それはですな」 「…………」 「その……」  といって手を下の方へもって行って、場所を明らかにした。 「そのお通じのお近いのはですな、それは、心の迷いから来ておるんですよ」 「心の迷い、心の迷いが何の……僕はこれは、子供の時分からです。僕の身のことは、よ、よして下さい」 「肉体の欠陥はすべて、精神の不安定から来るのです。煙草だってそうです。あなたは煙草をおやりでしょう。煙草の煙は、迷いの煙です。煙で心の憂悶をはらしているわけです」 「そんなこと、欠陥があろうとなかろうと、いいじゃありませんか。僕はどうでもいいのです」 「わたしたちの立場からいいますと、捨てておけないのです。尤も捨てておいても、ついてきますがね。失礼ですが、あなたは先生で? 何の先生です、何を教えていらっしゃいます」 「僕は教育学です。僕は、じ、じしんのある教師ではないのです。僕はただ、弁証法だけは今の世にたえ得ると思うのです。その代り僕は、この世にいるということが、こんなこと別に話しても仕様がないが……、全く眼ざわりで仕方がないのです。もう僕のことには、かまわんで下さい」 「あんた、そうすると倫理学史というのは知っておいでのわけで」 「そ、それが、だからどうしたというのです」 「倫理科学という説をご存じですか、そうでしょう、ご存じない|筈《はず》です。これは絶対の新説でしてね。わたしは、その倫理科学の信奉者で、その講師です。これがその機関雑誌です。月おくれですが、古本屋にあったわけじゃないのです。これが、ちょっと、あなた、わたしの書いた文章です。勿論、倫理科学についてです。それじゃないのです、これです。ここです」 「あ、これですか。いや僕はもう」 「それ、ご|吹聴《ふいちよう》して下さい。講師代は無料で、交通費、宿泊費だけ持っていただければ、いつでも参ります。わたしは特にインテリーの人にすすめているのです。今なやんでいるのは、インテリーの人が多いのですからね。ああ、|一寸《ちよつと》待って下さい。これが私の名刺です。倫理科学塾W市支部、講師、和洋クリーニング染物業某、一寸お待ち下さい。この染物のところは消して下さい。この節は、染物なんか、釜はいいのを戦時中供出しましてね、悪い釜を使っていましたが壊れてしまいましてね……」  ここまで一気に話してくると、さっきの豚の啼声そっくりのくすぐられるような笑い方をしばらくやった。それが静まるのを、佐野はぼんやり眺めていた。佐野には、まわりの現実が、笑い声といっしょに、だんだん溶けていってしまいそうにかんじるのだ。「どうぞ一つお読みになって下さい」 「この十行ばかりのところですか」 「そうです[#「です」に傍点]、ね、先生、当節、科学的でない宗教なんてものが知識人に魅力があるでしょうか。何しろサイエンスですよ。原子爆弾が、戦争を止めさせた世の中ですからね。この宗教はですな。諸宗教の長所を取り入れて、こん然一丸としたもので、理論は極めて科学的で、近代的です[#「です」に傍点]。迷信を排除しています。これを一冊さしあげますから、どうぞ」  この男は、すというときに妙に節をあげるくせがあって、圧倒的な自信が見えた。 「一種の精神主義ですね」 「そうです[#「です」に傍点]。精神で物質を活かすのですから、その点では物質主義といってもいいです[#「です」に傍点]。感謝の心が、そのまた中心です[#「です」に傍点]。お見受けしたところ、あなたにも、この心が欠けております。これが|凡《あら》ゆる欠陥のもとです[#「です」に傍点]。肉体的苦痛や肉体的障害というものは」  この男は、顔をゆがめて腰が如何ともしがたく、しびれが切れ出したと見え、しばらく|疼《うず》くのか黙っていた。 「すべて、この気持の欠如が原因です[#「です」に傍点]。どうぞこれを受取って下さい」 「いや有難う。だが、まあ大切なもんでしょうから、もう結構です」 「そうです[#「です」に傍点]、紙だけでも大したもんです[#「です」に傍点]。印刷しない紙だけでもです[#「です」に傍点]。いや、どうぞお受取り下さい」 「それなら」  その時、例の向い側の千里眼が首を出した。 「一寸拝見。これはどの位で出来ますか。かなり儲けはありますかな。何部刷るのです?」 「こ、これは営利雑誌ではないのです[#「です」に傍点]」 「部数は出るでしょう、こういうものは」 「それは出ますとも。何しろ誌友というのがありがたいもので。一週間ぐらい平気で泊めてくれる農家があります。感謝してくれるのでありがたいです。そういう家に限って、あなた、立てなかった神経痛が治ったり」 「結構な御商売ですな」 「いや、これは商売ではないのです[#「です」に傍点]。因果の法則です[#「です」に傍点]。科学的です。わたしは、さっきもこちらの先生にお話しましたように、商売は別にやっております[#「ます」に傍点]。不思議なもので、商売の方はお蔭で忙がしくて、眼が廻るほどでしてね。息子は上級学校へ入ってくれますしな。ところで先生はどこまでいらっしゃいますか?」 「東京ですが」 「そうですか。どうです、この混み方は。私は二三秒ばかり立って見ます。どうも坐っている方が辛いくらいです、すごい人ですな、ちょっと、あんた、わたしは席をあけたわけじゃありませんわ。立って見るだけですよ」  座席の間に突立っていた一人が、すばやく割りこもうとして、未然に防止されてしまった。 「やっぱり先生、坐った方が楽です」  坐ると次にあまり突飛な言葉を吐いたので、佐野は大きな恥しそうな眼をあいたが、すぐそらした。 「あなたを、霊魂がよんでおりますよ」 「れいこん? 魂のことですか?」 「そうです[#「です」に傍点]、あなたは失礼ですが、どこの出です」 「…………」 「どこの出です?」 「もう止して下さい。僕は田舎の出ですよ」 「田舎は分っていますが、何県です?」 「K県です」 「ほう、しかしもともとあなたは西の方の出ですよ。実はさっきから、李[#「李」に傍点]という霊魂がさかんによんでいるのです」 「そうすると僕の祖先が半島人だというわけですか? 止して下さい、もう」 「いや必ずしもそうじゃないのです。ただ何か関係があるのですが、心当りはありませんか」 「別にありませんな、一切知りませんよ」 「たしかに呼んでいるのですがな」 「それは一体どういう意味なのです」 「意味なんかありません。ただそうなんです」  といって、かれは眼をつぶり祈る恰好をした。その青ぶくれのした首筋の肉が、ぴりぴりと動いている。なんという面倒くさい世の中だろう。 「あなたは、長春という所と何か関係がありませんか」 「知りません」 「これは割合さいきんのことですがね」 「…………」 「あなたはね、先生、現在不幸です。ちゃんと分ります。これはすててはおけません。これは私の意志ではありません。絶対者の意志です。それがそうしてやれといっておられるのです。祖先の霊魂が迷っておるために、あなたは道が開けないのです。因果の関係です。不自然ではなく、極めて科学的です」 「科学と何の関係があるのです」 「それは、さっきから申し上げているじゃありませんか。原因追究の精神が、いうまでもなく科学の精神です。わたしの今やっているこの態度はですね、これはあくまで原因追究です」 「僕のいうのは、その原因追究のしかたが、どうも科学的でないので……、しかしこんなことは」 「あんたは先生だから、口がうまい。わたしはそんな口車にはのりません。あんたは、信じて行い、その実際の効果のあることを、疑うつもりですか」 「ど、どうすればいいのです。結論は、この霊魂がどうだというのです。どうか簡単にして下さい。さっきから僕の脚はあんたの左脚のために抑えられていて、しびれが切れているのですが、ちょっと」  相手は、この大切な話の途中で、こんな|些事《さじ》にかまっちゃおれないと、忌々しげに脚をあげると、隙間を見つけてためらっていたが、やがて通路に靴の先きが入りそうな隙間を発見すると、さっとさしこんだので、佐野はやっと開放されて右脚をさすった。 「霊魂はですな」 「あなたは霊戒師というのですな」 「ちょっと待って下さい。見える見える。宗という字が見える。あなたの祖先には宗という字のつく方がおられた筈です。ちょっと待って下さい、これは刀|鍛冶《かじ》か何か刃物を使う人です。心当りありませんか」 「もうよして下さい。霊魂などはどうでもいいんですよ。僕はパッと死んで、それっきり何もかもなくなって了うことの方が合うのだ」自分の霊魂が、ぶらぶら未練がましくしていたってどうせ|碌《ろく》なことはないというように、しかめっ面をしてさえぎった。ところが此の男は霊魂にばかり気を取られているので、佐野のさえぎっている手はいっこうに問題にならないと見え、尚もつづけようとするので、 「僕は死んだもののことなどどころじゃないですよ。冗談じゃない。何も幸せにして貰わなくてもいい、僕が死にたいくらいだ!」 「この人はすぐこんな死ぬとか何とかいうんですよ。一度も死んだことがないくせに、きっとわたしに|嫌《いや》がらせをいってるんだわ」 「奥さん、御主人は不幸なのです。これには原因があるのですがな」 「ああ一切やめてくれ給え!」  といって厳しい先生づらをした。 「あなたは、お見受けしたところ、こう何ですな、えーとこの自分を非常にせばめていらっしゃるのですな。態度はですな」 「非科学的ですか?」  それには答えず、 「どうも普通じゃないですな」  あなたの奥さんに対する、といって何もかも知り抜いているという顔付きで佐野を覗きこみ、笑い出しそうな気配があるので、佐野は顔をそむけた。 「これは霊魂が|蔽《おお》いかぶさっていて、八方を閉じこめているのです。あなたの祖先は西の方から出ているのですか、あなたは|其処《そ こ》を離れて祖先をおろそかにして見える。ああ」  といって霊に取りつかれたように、勝手に話しもしない佐野をさえぎる真似して、静かにという手つきをした。 「今祈っているのです。現われています」 「祈りどころではない。たこが出来そうだ」 「いま直ぐ終りますよ。今出かかっているところです。ああそうだ」  たえ切れなくなった佐野が腰をあげると、細君が、 「骨ばったところを下にするからですよ。立つのなら、そっと立ってちょうだい。ほこりが大へんよ、私の方へ向いて進んでくるわ」  といってハンカチで顔をおおった。 「あっ、そうだ。お家族の中で、今廃屋になっているところはありませんか。ちょっと待って下さい。これが妙な家なんですよ。六畳と三畳と……、その出入口のところがおかしい、それがですね、三畳の方から入るのですが、その方向がですね……」 「私の今いるところは廃屋だったのですよ。以前の青年団の会合所でしてね、二年ばかり廃屋でしたのよ」 「奥さん、祖先の方の住まれた家で廃屋はないかというのですが、そこに無縁仏がいるのです」 「ああ嫌だ、どうもあの家は、汚くて薄暗くて雨はもるし、この人はね雨がもっても、ちっともなおさないのですよ」 「そうでしょう。祖先でなくても、あなた方がいられても結局同じようなもんです。祖先は因であなた方は果ですからね。ああ私は、今あなた方の祖先の霊にとりつかれて、身震いがして仕様がないのです。だいたい私が町を歩くと、霊魂が、私を頼ってくるのです。痛い、そんなに押さなくてもいいじゃありませんか」 「出て行ってくれ給え、もともと僕の席なんだから、うるさい!」 「そんなことはない。あなたは不幸な人ですよ。御主人は感謝の気持が全然見受けられません。これでは祖先は守ってくれる筈はありません。私はここを|退《ど》きません。絶対にどきません。さっきの本を返して下さい」 「どかなければ、勝手にし給え、僕がどくからいいですよ」  といって佐野が立ち上った。その尻の下になって、さっきの雑誌が、ねじれて現われた。察するに、例の物知り男が、いつの間にか放りなげておいたのだろう。すると、やにわに、洗濯屋兼霊戒師は、腕をのばして奪い取ると、未練がましく|皺《しわ》をのばして|埃《ほこり》を払った。  うす闇が下りてきた車内で、霊戒師は、 「ここはどこですか、今止ったところは」 「ここはT駅です。あんたはS駅からT駅まで二時間しゃべりつづけたですよ」  と例の千里眼がいった。 「T駅? そいつはしまった。ここの誌友によばれているのです。すみませんが、窓をあけて下さい。窓を、ちょっともう少しどいて下さい。もう少し、ああ右足の靴が抜ける。ちょっと右足だけ大きいのです。靴はどこへ行った。靴は?」  千里眼が、 「靴はあとから投げてやるから、とびおりなさい、もう発車ですよ。ここは少し離れてとびおりないとフォームと列車の間の隙間が大きいんです」 「そうですか、お願いします。もう少し、もう少しあけて下さい。この尻は何とかなりませんか、ああもう少しだがなあ。あ、あいたあいた! あ、ちょっと奥さん、この膝失礼します」  といって真逆様にとびおりた。 「あっ」  と、この瞬間、佐野の女房と、とびおりた男とが同時に悲鳴をあげた。したたか霊戒師は肩を打ったらしい。 「あんまり|慌《あわ》てるからですよ」  といって右靴を放りなげると、とたんに立ちあがって、 「ああそこに、ふろしきづつみがあるのです。忘れたのです。放って下さい。お願いします。そこには、わたしらのバイブル『精神の実体』という|叢書《そうしよ》が入っています」  それを佐野が、もう新しい客の尻の下になっているふろしきづつみを放りなげた。そいつを、重いものだから、受取りながら、闇のフォームで後へ倒れた。と汽車は動き出した。     七  やがて佐野は、背中に間をおいてひびいてくる震動で、かれの陰気な、ひとりよがりな思索を破られた。何かこれは太平な響きで、誰しも、どんな陰気な顔も|綻《ほころ》ばせてしまう響きである。いうまでもなく細君が満腹の後に快い熟睡を|貪《むさぼ》っているわけだが、これは、生きている以外なにものでもない証拠で、かれは知らず|識《し》らずのうちに、笑えて来てどうにも仕様がなくなってきた。といっても、佐野が笑っているというよりは、佐野のからだが共鳴をかんじて、笑いの震動を始めたといった方が、適切であるかも知れない。そして、こんどはこの快い震動が、佐野の眠りを誘ってきたので、かれは細君と肩を並べて、狭い天地でいかにも親しげに眠りはじめた。これを見て、佐野がさっきまで、陰うつな思索に|耽《ふけ》っていたとは、誰が想像しよう。それはそれとして、こういう男は、死にたいならば、さっさと此の世をおさらばしてくれることだ。また眼をさましたら、この無器用な男は、この世の中に煩わしさを増すだけだ。  列車の中に夜がすっかり忍びこんできた。客をすてたり、ひろったり、またすてたり、行儀のわるい、やかましい客をはらんで、悲鳴をあげながら、一散に走るだけだ。出入口近くには、眠りながら立っている連中は、眼を覚したり眠ったり、何度もくりかえしている。膝まで眠りたがるからいけないのだ、というように、立ち直って、また眠り始める。そしてまた膝を折る、荷物を落す、それが運わるく床の上に腰を下して、膝の中へ次第に頭を沈めてゆく客の背筋へ落ちる。が又この被害者も眠ってしまう。眠っていないのは列車だけになってきた。  するとドアが開いて車掌が入ってきた。車掌というものは、よくこういう眠気の最高潮にやってくるものだ。そして声を張りあげて客を起してしまう。 「みなさん、只今から乗車券を拝見させていただきます」  この声で眼をさますのは一部だ。その証拠に車内には大した動揺の波が起らぬのを見ても分る。車掌というものは、どんなに混んでいても、かきわけて進んでくる。その代り少々足をふんでも、食べている弁当をひっくりかえしても|臆《おく》せず進軍してくる。  佐野はどういうものか、重い疲労をしょいこんでいたものと見えて、車掌の声ぐらいでは起きそうもなかった。細君はというと、まだ佐野に|挑《いど》みかからぬところを見ても、覚めないことは明らかだ。  この|闖入者《ちんにゆうしや》は、神経質な男と見えて、おかしなことに、ハンカチを手に持っていて、忙がしい切符しらべの間に、ときどき鼻や口へハンカチを運ぶ。こんな面倒くさいことはないといわんばかりに、どんなに眠っているものでも、胸もとをつついて起してしまい、横むきに切符を放りなげて行き、その合いま合いまにハンカチで鼻や口を保護するのだが、その可愛がり方が妙な印象をあたえた。  この男はこれが職業柄のことなのに、佐野の席までくるうちに、いく度か溜息をついた。佐野の席へ|辿《たど》りつくと、どういうものか、いままでにない深い溜息をついた。と思うと、急に元気を振い起した如く、佐野の胸元をじゃけんにつっつき、その勢で細君の頬ぺたを指でついた。はじかれたように二人のからだがもつれ合った。どこの馬の骨かも分らぬ、しかも見れば口のあたりにハンカチをあてている病的な男に触れられたというので、細君は黙っているわけがなかった。 「まあ失礼な、不潔じゃないですか」  といい放つと自分のハンカチで、被害箇所を拭った。 「切符、切符、切符を拝見します」  車掌はその返答のつもりで、途方もなく大きな声を出した。  佐野の渡した二枚の切符を疑い深げに、ものの一分も見つめた後、うさんくさそうに佐野の顔と見くらべてから、とたんにハンカチを口へ持って行き、ふいと切符を放りなげて次の席へ移ったが、あみ棚を忘れたことに気づいた。ところが、あみ棚の当の男は、よほど寝性のわるい男らしく、さっき迄は一人で歯を鳴らして音を立てていたが、今は、ちょうど寝言らしい意味のないことを、二言三言|呟《つぶや》き、気持のわるい一人笑いを|洩《もら》したところであったので、車掌は、自分の人格を傷つけられたとかんじ、口惜しそうな眼つきをした。 「おい、さっきからいっているのに、分らないですか。おいおい」  といいながら肱かけに靴をかけて、復員者ふうの青年のあごをぐいぐい押したので、さすがかまくびをもちあげた。 「おい君、切符を見せ給え」 「切符? あんたは誰やな」 「誰だって?」  とハンカチを口へ持って行って、ごほんと一つ|咳《せき》をして余裕を置いた。 「車掌か」  というと、ポケットの中をごそごそやっていたが、思い切り悪そうに一枚の切符を出した。 「何? 君はどこまで行くのですか?」 「Hだよ」 「これは君、Kまでの切符じゃないかね」 「あ、さよか、これこれ」 「君は二枚もっているのかね、こ、これは君日附印が押してないじゃないか、君、こういうのが必ず二三人いると思った。君、これが放って置かれると思いますか?」 「何が放って置かれへんか、さっぱり分らへん」 「日附なしで、切符を二枚持っておる。よくある手だ」 「日附は係員が忘れたんやがな、二枚持とうが三枚持とうが、鉄道省の方は、おこることいらしまへんがな」 「しかし君、疑われても仕方がないでしょうが」 「疑いたいやったら、そこで、いつまででも疑っとったらよろしいがな。切符は返して貰います」 「これは返すわけには行かない」  車掌は冷笑しながら、余裕をとりもどした。 「しかるべく考慮しよう」 「返してくれへんて。意地のわるい人やな。いいようにしなはれ。僕は寝るよってな」 「君はまだ他に切符を持っているのか」 「…………」 「おい、君はまだ切符を持ってるのか」 「…………」 「おい、返事をしないか、君は、第一あみ棚に乗ることは違法じゃないか」  相手は、かたつむりの態勢をとって動かなくなってしまった。 「また後で来るからね。図々しい奴だ」  と|捨《すて》|台詞《ぜりふ》を残すと、ハンカチで鼻をこすって切符の点検をつづけ出したが、 「切符は、裏を見せないで、ちゃんと表を見せるようにして下さい」  と憎まれ口をきいた。  この時、佐野は、何げなくあみ棚へ眼をうつして、|蒼《あお》くなってまわりの客に急激な震動をあたえてとび上った。 「これはおかしい。荷物がない。ねえ君、君の頭の下にあった、リュックとふろしきづつみは知りませんか。さっきまで確かにあったのですが。おいお前、知らないか」 「今まで何をしていたの」 「眠っていたのだ!」 「眠ったり、ご不浄したり、あんたは何のために汽車に乗ってるの」  あみ棚の男が、今までにないまじめな顔をおこした。 「そいつはな、さっき、そこにおった小父さんが下したがな。あんた知らへんなんだのか」 「僕は眠っていたから知らなかった」 「ああ|盗《と》られたわ、車掌さん! 泥棒よ。まあ、どうしよう。あの男だわ、あんまり何でも世話をやきすぎると思ったわ。あんたは、それにも気がつかないで。あんたが意気地なしだからよ。あの中には……」  といって細君は急に言葉をきって、車掌の方を眺めたが、 「馬鹿! けちで意気地なしで、汚くて、そのくせ物は気前よく盗られる。よくも自分のからだは盗られないわね」  佐野は、実は自分のからだも|序《つい》でに盗られてしまえばよかったと思った。かれは、又もや生きていることが、いかにも無駄なこととかんじられてくる。さて死ぬのなら、どんな死に方をしてやろうか。死ぬということは未知のことだが、未知のことは世の中にはいくらもあるものだ。そうか、それならおさらばしようか。死んでそれっきりになってしまうことは、何か、なるほど淋しいみたいだが、どうせ一秒ながらえたところで、その一秒が、どうせ大した碌なことはあるまい。それでは逃げ出して、何もかも、無くなってしまおうか。佐野は、二人の子供のことも、何もかも、遠のいて、乗客や細君の声も姿も別の世界へぼやけて行き、自分が、はかない影のような、もやもやしたものになってしまい、いかにも文字通り無になって行くのだ。 [#改ページ]   燕京大学部隊     一  一九四四年三月、僕は砂けむりをあげて|淫売《いんばい》屋にはしって行った上級者たちを見送って、久しぶりに昼間から寝床へもぐりこんだ。今しがた代えてやったばかりのシーツを敷いて、二枚も三枚も|蒲団《ふとん》をつんで寝てやろうと、僕は今は淫売屋の扉を叩いて|猛《たけ》り狂った犬のようにわめいている連中の煙草を失敬して、一ねむりねむりについた。このように人のいない数時間は一生のような気がする。僕は脚を他人のシーツの上へくねらせて生甲斐をしみじみ味った。すると、その快調のさなかへ、扉があいて吉野曹長の戦車でならされたような顔があらわれた。僕は鼻のかんじで彼の来たことを予知していたので、正体もなく寝入っているふりをした。|惨《みじ》めなやつだと、いくらでも際限なく可愛がるお人好がいる。吉野はどの位僕が惨めであるかをためすように、|徐《おもむ》ろに僕に近づくと寝息をうかがった。 「疲れておるな、可哀想な奴だ。作戦にやらなくてよかった。どうせすぐにくたばるたい。ひげでもそってやろうたい、これでも|嚊《かかあ》があるのかのう」  そばへ顔を持ってくるので、僕は静かに頬をそむけた。僕を起すことをあきらめた吉野は、携えてきた電報を、自分で解き出した。やがて解けて行く電文をぶつぶつと読みはじめた。  北支那方面軍参電第〇〇〇号  北支那方面軍防空要員として、米国二世及び米語に堪能なる兵、下士官を必要とするに付き、貴隊に該当者あれば、|其《そ》の氏名、経歴をなるべく速かに報告され度し。 「曹長殿、うっかりしておりました。自分が解くであります」 「ええから寝とれ」 「自分がやるであります」  僕は電文を写しとりながら、妙なヒステリックなおかしさがこみあげてくるのをどうしようもなかった。吉野に頬ぺたをはじかれたほどである。丁度初年兵の時に幾月ぶりで|娑婆《しやば》へ出て皿にいっぱい盛った|饅頭《まんじゆう》を運んできた女給仕を見た時と似ている。 「曹長殿、これは何でありましょうか」 「たぶん捕虜の番だろうの」 「内地へ帰れるでありましょうか」 「分らんたい」 「曹長殿、自分の名前を書いていただけんでありましょうか」 「お前は米語に堪能かの」 「そう云うことには出来んでありましょうか」 「よかろう、軍隊は員数じゃけん。お前の出るのはつらいのう」  二十三歳の新鋭曹長はもう三十歳に手の届く僕にこう言った。人のよい、分りの早い九州軍人分遣隊長はこうして僕を北京へ送ってくれた。いよいよ出発の日が来て別れぎわに僕は一つ|捧《ささ》げ|銃《つつ》をしてその恩義に報いた。 「おれは将校じゃなかよ。それそれ何という敬礼ばする」 「自分の気持では将校以上であります」 「お前は九州人とちがって人が悪いけん」 「しかし女房は九州人であります」 「そんなら、お前も九州人げなことあるたい」  僕は涙を流して彼の部屋で私物のコーヒーをすすり、下給品の横流しのビスケットを食った。|図嚢《ずのう》と小遣銭いくばくかを拝借して山西省|朔県《さくけん》城をはなれた。  |北京《ペキン》の|兵站《へいたん》で、僕はさすが大きな声で入宿を申込むのも恥しく、鉄砲と|背嚢《はいのう》を下すと、「お願いしたいのですが」と云った。すると受付の下士官はジロリとふり返り僕の星を数えたが、返事をしない。僕はだんだん声を大にして三度ばかり昔の道場破りみたいなことを言った。ようやくこちらをむくと、矢庭に腕を出して僕の横面をいやというほどなぐりつけた。 「この野郎、この受付簿に記入しやがれ、街へ出たら気をつけろ、司令官に欠礼するな、この前も欠礼した田舎者が自殺しおった。フトンを貸してやらねえと思ったが、まあかんべんしてやる、その代り軍人勅諭を云って見ろ、犬みたいな目つきをするな!」  僕は|謝《あやま》り方を思案中であったので、喜んで云いつけ通りにした。僕は何となく悲しく吉野を思い浮べ、他国者の情なさで、いきなり放りなげてくれたフトンを頭の上にのせて運びながら、どうせ他国者なら、いっそ星の数をふやしてやれ、と思った。部屋へ入ると、かねて用意の星章をつけて兵長に早代りした。そうしてたのしい気持になり、内地へ帰れる、とそれだけで浮き浮きし、行く先きの空想にふけりながら、ひっくりかえっていた。僕はドアがあいて入って来た男がいたのを知っていたが、わざとそしらぬ体でいてやろうとは思ったものの、一等兵の本能で、ひょいと顔をもちあげた。星を見る前に僕はそのからだのいかにも大きいのにおどろいた。六尺近く、しかもその大きな顔、それに大きな手足、僕は五尺をこすかこさぬかの自分の|小躯《しようく》を思い、おちつかぬ気持になった。僕はこの男のように十二文八分はある大きな靴でたっぷり地面をひきずるやつを見たことがない。  この兵長は僕がうしろめたそうにしているところへすりよってきた。少しはなれたところで鼻毛をいじりながら僕の星を見ていたが急に鼻唄を歌い出して、唄といっしょに声をかけた。 「お前、何年兵や」 「自分は三年兵です」 「ふーん、おれは五年兵や、お前作戦に行ったことあるかいな」 「オ号作戦で負傷しました」とうそをついた。 「お前、何しにきたんや」 「方面軍へ来たのです」 「ふーん、汽車で来たんやな。おれは前線から歩いてきたんや。まさか英語のことで来たんと違うやろな」 「実はそうなのです」 「そうや? お前英語が分るのか? 員数の口やな。アメリカへは行ったことないやろ」 「ありません」 「そんな英語あかへんぞ。使いものにならんぞ。よう云わんわ」 「そうでありますか、きっとそうでありましょう。兵長殿は何年位?」 「うん、一カ月や。旅行したんや、貿易でな」 「何の貿易でありますか」 「花やがな」 「花屋さんでありますか」 「只の花屋とはわけが違う。心安う云わんといて」  翌日のんびり寝ている間もなく僕は不服げな顔をした昨夜の男、|塙《はなわ》善兵衛に叩きおこされた。そうして僕は蒲団をたたませられ、飯を部屋へ運ばせられた。 「英語をやる者はな、軍人精神を忘れるのや、気いつけなはれ」  僕はゆっくり街を見物しつつ司令部へ|赴《おもむ》こうと思っていたのに、よせばよいのに塙は小男の僕を同道して司令部へ向った。電車通りの向う側を将校がやってくる度に、彼は一々僕に歩調をとらせ、もどかしげに左脚で、小きざみな僕の右脚を蹴ったりした。衛門を入る時、僕らは呼びとめられた。塙はやがてつっ立っている僕の|許《もと》へ引っかえしてくると、いきなり僕の腰に手をやり、 「何のざまや、お前といっしょになったばかりに、えらい迷惑なこっちゃ、油をしぼられたわい」  僕は塙に急がせられたためについ剣の柄に空の|飯盒《はんごう》をぶらさげたままであったのだ、と云いたいが実は塙にそっと|復讐《ふくしゆう》してやったわけだ。僕らは三回|頭右《かしらみぎ》をやらされた。僕らの脚がそろわないためなのだ。門の手前から出直す度に塙は僕の尻を叩いたが、僕はどうしてもこれ以上の歩調にはなりません、と答えた。司令部では、阿比川という眼の青い二世や、毛のちぢれた南方の二世や、その他数人の日本語のあやしい二世にめぐり合った。仲間に初年兵が多いのを見てとると、僕は便所へ入ってもとの一等兵に早代りした。試験を受ける最中に、塙はいくどとなく、いんけんそうに銀ぶちの眼鏡ごしに僕の方をふりかえったが、ロシヤ人のしゃべる英語を書き取るに忙がしく彼はふりむかなくなった。僕はルーズベルトという単語が分っただけで後は何一つききとれぬので塙の方を盗見した。僕はたかをくくっていたこの巨大な兵長ににぎられた小さな鉛筆が、次々と横文字を並べて行くのにかんたんした。  僕はこれでは一人だけ原隊に帰されるにきまっている。内地へ帰って女房の手を握る、そして女房が浮気をしていたら快く許してやって|睦《むつま》じく暮そうなどと思っていた夢が破れて、駄目なら駄目で、また伍長あたりの星をつけて、二、三日北京で女遊びでもして帰ろうと、空襲警報のなりわたって兵隊が右往左往するのを横眼で見ながら、庭の奥まった木蔭でうたたねに入ろうとしていると塙が近よってきた。 「おい、お前どの位金もってきたんや」 「兵長殿は?」 「おれ? おれはまだ百円はある」 「自分はそれより遥かに少ないです」 「あっ、お前は一等兵やないか? いつのまに一等兵になった。こ、こんな奴は見たことがないわ。お前の原隊に知らせてやる。ひどい奴やな」 「何でありますか?」 「とぼけるのもいいかげんにしといて、星のこっちゃがな」 「前からこの通りであります。自分で一番よく知っとるであります」 「うん、まあおれは大目に見てやるさかい、汽車賃をのこしておれに貸しいな」 「どうされるのですか」 「どうでもええやないか、さっぱりしなはれ」 「でもこれは班長どのに借りたものであります」 「わからん奴やな。北京へ来たついでに花の種子を買うのや」 「どうするのでありますか」 「花の種子を買うて家内に送ってやるのやがな。家内には育てるように云うてあるよってぬかりはないわ」 「いまどき花とはのんきですな」 「あほらしい、この善兵衛がそんなのんきな。その種子を改良しふやしてアメリカへ輸出するのやが」 「輸出? そうすると……さっぱり自分にはわけがわからんです」 「日本はな」  と兵長はずるそうに僕をチラッと横眼で見て、 「日本はな、もうすぐアメリカに負けるさかい、その時の用意や」  僕は呆れるばかりで、貸せ貸せとせまる、大きな|鰐口《わにぐち》から吐くあつい息に顔をそむけ阿比川が呼びにくるまでかぶりを振りつづけた。  やはり軍隊は員数で誰一人落第するものはなかった。トラックに乗せられた僕たち一行九名の眼は、万寿山へ通ずるたそがれの並木道をそぞろ歩きする、肉づきのいい北京女にいっせいにそそがれたが、阿比川がアメリカ人ふうに女にむかって|揶揄《やゆ》する口笛をならすと、塙は女から視線を放しふりむきざま阿比川をなぐりつけ、 「何と云うこっちゃな!」  と云った。  僕たちのトラックは燕京大学の構内へ入って行った。そこでうやむやに仕事をさせられることを知った。内地へ帰れるどころではなく、戦争の終るまで置いておかれると云うのだ。隊長出口大尉は僕ら毛色の変った九人の者を整列させると塙善兵衛の捧げ銃を受けながら、こう云った。 「お前たちの任務は防空情報をとって、|逸《いち》早くしかるべきところへ報告し、華北四十万の生命を救うにある。したがってだ、お前たちの肩の星は暁の星よりも少いけれども、しかもその任務の重大なることは、前線の中隊長、まあすくなくとも小隊長ぐらいの任務より軽いと云えない。お前たちは原隊の者が帰っても帰ることは許されない。と云うのはだ、お前たちは自分では分らぬだろうが転属になったからだ。お前たちは戦争の終るまで、その生命はおれが預かる。ついでに注意しとくが、そのように任務は重いが、これはほんとうにお前たちがえらくなったと云うわけではない。軍隊では階級は厳然としておるのは云うまでもない。二人に一室あてがわれるが、これはお前たちの教育上よくないが、大部屋がないための止むを得ない処置なのだ。わかったか、終り、……塙兵長はやく捧げ銃をせんか!」  と云うわけで、何の因果か塙は僕を同室の相手にえらんだ。さいきんまで女気のあった大学女子寮のベッドに腰をおろすと、僕は今更のように取返しのつかぬ仕儀になったと悔まれ、女房のからだを抱くのぞみが一時に遠のいてしまったとしょげていた。するといつか部屋へ入ってきた塙の叫び声にとびのいた。しばらく逃げるに逃げられず部屋のすみで彼の狂気じみた顔をながめていた僕は、場合によっては窓ガラスを破って、とかくごを決めていると、それは彼の感傷的な歌声であることが徐々に分ってきた。ほかでもない、サンタルチアなのだ。手ぶりよろしく次第に高潮し、僕が耳を抑える力に弱りきった頃、彼は静かになり、 「うまいもんですね」  と僕がいうと、 「ここはここの風が吹くわ、どうせ戦争は長うはないねん」  やがて僕たちは通信の教育をうけはじめた。指導教官は出口大尉であったが、直接教育にあたったのは権田と云う軍属で、以前の教授寮に家族を|携行《けいこう》しているのだった。見る物ことごとく珍しかったが、この権田が女房子供といっしょにすんでいることが不思議でたまらず、彼がひげのそりあとの真青なだるまのような顔を教壇に出すと、月世界の生物を見るように彼のからだを見つめるのだった。塙は三十五歳になる。阿比川やインドネシアを除いては|何《いず》れも年をとり、そろってモールス符号を、「数十丈下降」と云う調子で唱えはじめるのだが、むし暑い夏の日で速成教育が一向にはかどらず、権田は机を叩いて云った。 「通信教育を始めて十年にもなるが、こんな出来のわるい生徒がいるクラスはあったためしがない」  中でもひどいのは塙兵長で、彼は休み時間に僕らに体操をやらせたあとで、階段のすみに僕を呼んで暗記用カードを僕に持たせて、一々僕にモールスを云わせて、答える練習をするのであった。僕は遠大な希望をもつ花貿易商で二人の子供たちの父である筈の塙が、このような貧しい頭を持っているのが気の毒になり、しげしげその途方もない巨躯をうち眺め、うどの大木と云う言葉は当っているなあと感心するのだ。  ある日のこと授業中に僕がうしろから幾度となく教えてやっていたのに、さんざん権田にいじめられている彼が冷汗を流し出し、土色になり、ぶるぶるふるえているのに気がついた。僕は早速権田に訴え、三人が彼をかかえて部屋へ運んだ。彼はひどい|痔《じ》だったのだ。彼の|褌《ふんどし》を代えてやりながらおどろいた。彼はちらりとこちらを見て、 「いくら軍隊でも褌は洗ってやるものやない。それはな、失礼に当るからやわ。但し今の場合は非常の場合やで許してやるさかい。布地のいたまんよう、よく気いつけて洗っとくれ。それからな、わいの成績のわるいのは此の痔のせいや。痔がわるうのうて、もう五つ若いんやったら、わいが一番や」  と呟いた。  塙のは物にならずじまいに通信教育は終りに近づきつつあった。外出になると彼は重い足をひきずり単身でどこへともなく北京の街へ出て行き、何かの拍子に、たぶん、腹ふくれたる時か、女房を想い出した時か、あとで分ったが、何か快き算段を|弄《ろう》しつつある時分には、営内にひびきわたる叫び声をあげた。ある日出口大尉の精神訓話があり、大尉は、学科の不備は精神で補うと云う塙には好都合、有益な訓話をし、一致団結上官を|賤《いやし》めてはならぬと云った。気がつくと塙と僕の外は誰一人まともな恰好をして聞いている者はなく、二世たちは思い思い肱をつき、あごをかかえている。そのうちいつのまにかそれが伝染し僕の足は持ちあがり、からだは貧乏ゆすりを始めた。出口はかっとなり一人一人立たせて演説の要旨を復唱させたが、まともに日本語の話せる者は数人で、話にならない。塙はその晩は部屋の中で僕にひどい|打擲《ちようちやく》を加えてから云った。 「ええか、あしたから点呼一時間前に起きるんや。起きたら、あそこの倉庫に|鍬《くわ》が二|挺《ちよう》かくしたるさかい、わいになろうて此所の芝生を掘りおこすんや。通信みたいなもん、どうでもええ。今に権田がわいのところへ頭を下げにくるにきまっとる」  うまい口実を見つけて僕を使役に使うことに決めてからひどく煙草をすう彼は、僕の下給品の煙草を強要してベッドに横になり、鼻唄まじりにふところから写真をとり出し、 「これが女房と子供やが、時にお前は四十八手を心得とるか」  と云ってむっくりと起きあがった。僕は危険をかんじたので、 「四十八手とまでは行きません。ところで兵長殿、あそこへ湧いた毛じらみを手さぐりでとる快感は又と云われんそうですよ。これは阿比川の話です」  彼はじっと僕を|睨《にら》んだ。  翌朝は暗いうちから二人はきれいに生えそろって美観をなしている芝生を片端から掘りおこした。この作業はその後一週間つづいた。その朝食事の時、青い眼の阿比川二等兵が味噌汁をつけて塙の前へきてさし出した時、 「この中にはしらみがいるわ、手を洗ってつけ直せ」  と塙がどなると、阿比川は顔に似合わぬきれいな江戸弁で、 「兵長殿、もう少しつけやしょう。しらみがこぼれて落ちまさあ」  とすご味を出した。彼は大津生れ、マリンの落し子で、ドスを忍ばせているとのことだった。僕は塙の味噌汁を自分のと代えてやった。塙は相手に一目おいた形だったが、折あらば仕返ししかねない有様だった。  僕たちは器材についてダイヤルを廻しながらめくらめっぽうにさぐることを始めた。数カ月たつと基地の隠語がわかり、基地同士の会話から機上の会話がつかめてきた。英語のよく分る阿比川などは、生で入ってくる無線電話の相手同士の言葉を聞きとって、受話器を投げ出してゲラゲラ笑い出し、ついでにこんな時でしか大きな顔で笑えないので、思う存分笑いつづけるのだった。何だ何だ、ときくと、 「兵長殿、電話の終りにね、これから交代して休むが、恋人がそばにいるわけでもないから、せめてウイスキーのびんでも抱いてねるってんですよ、はっはっはっ。これが笑わずにおれましょうかってんだ、ねえ兵長殿」  塙兵長は貧乏ゆすりをしながら、苦い顔で鉛筆を走らせている。塙の長い便所のすきに彼のとったものを見ると、キャベツが五個とか、|苺《いちご》がどうしたとか書いてある。 「こういう隠語をしゃべったのかな」 「じょうだんでしょう。あの人は皆、花や野菜に聞えるのですよ」  そう云って見れば一事が万事彼のとったものはどれもこれも彼の|所謂《いわゆる》専門に類した言葉ばかりで花畑か野菜畑を見るようであった。僕は初めていつかの書取の答案に塙が何を書いたか思い当った。 「なるほど、これでは隠語が解けないのもむりもない」  野菜畑と云えば、いつのまにか彼の畑は野菜と花が生えかけて、トマトの林が茂り、野菜と花は百種にのぼり、かなり広大な塙農園には立札が立ち並び、それに怪しげな横文字で品種が書きこんであった。既に塙農園第三号まで開墾され、手伝は遂に僕だけではなく通信員のぜんぶが何時となくさせられた。塙は僕の忠言を物かは、力に任せてあちこち羽目板をはがしてきて立札をこしらえた。そのような多種多様な品種の出所については情報屋の阿比川も小首をかしげていたが、彼は外出の時——外出は、塙は必ず単独でした——そのあとをつけて、彼が農事試験場に立入り、そこの技師の家庭にも入りこみ、そこでさんざん飲み食いして、ただで種子を貰ってくることが分った。  塙はたのしげに日々畑を訪れ、後手をくみ|畦《あぜ》を見廻りながら適当なところに小便をした。そうして彼はふりむいて窓からガラス越しにのぞいている僕らの方を横眼で見て、小便のしどころを示すのだ。  塙と出口は夫々伍長と少佐に進級したが、兵隊は依然として元の星を守った。塙農園のトマトが実り、僕らが盗食いをし、花がさき種子がとれてきて塙の机の|抽出《ひきだし》に一々紙袋に入れてしまいこまれるようになった頃、サイパンは|陥《お》ち、物価は上り出し、権田たちは日々の野菜の買出しにもことかくようになった。  ある日塙がいつになく力を入れてタイプを叩いているので覗いて見ると米国某州、某街何番地、某商会にあてた次の様な文意の英文である。 [#ここから1字下げ]  拝啓、貴商会、その後御発展の由慶賀至極に存じます。さて|愈々《いよいよ》此度過去五カ年にわたる忌むべき戦争も終了いたしました。本戦争はまことに有害無益にて、貴国に徒らに物資、人命を損耗させて申訳なく存じます。既に軍は|迂生《うせい》の平和主義を憎んでか、迂生を愛する妻子の|許《もと》から離別させ支那の地に送りました。しかれども迂生は大陸にあって各地を遍歴し、北京に一カ年過す間も、その間|夢寐《むび》だに花野菜の品種改良を忘れず、新品種を求め、一尺の地を求めてはこれが栽培に精励し、軍務などには露はげみはしませんでした。これは当、塙商会に一段と飛躍的向上をあたえること疑いもないのです。くり返して申しますが、善兵衛・塙は根っからの平和主義者であります。別表としてリストを添付しますから何卒御高覧下さい。 敬 具 [#ここで字下げ終わり]  勿論原文は支離滅裂で、右のは筋の通るようにしたのである。彼はこれを封筒に入れてこれにもタイプを打ち、僕と共同のものである机の上にのせて置いた。阿比川はある日この本文をぬきとって便所紙にしてしまった。尤もこの動機となったのは、塙が阿比川の煙草をかすめていたことが判明したからである。これは味噌汁の一件のことから彼のやった報復手段かも知れない。阿比川は犯人を発見するために自分の煙草に自分だけ分る印をつけておいたり、無断で抽出をあけると、怪我をするように取手の内側に安全カミソリの刃をつけておいた。塙は苦もなくわなにかかってしまった。阿比川は取られた分だけ、下給品の煙草を受領してくると、塙の分からそれだけ差し引いて、ていねいに英語で領収証をつけた。塙はさすがにこれには一言も云わなかったが、その代りに同室の僕の煙草を抽出から抜いて自分の抽出へとうつすようになった。そのくせ自分の抽出には大きな錠を下した。  レイテが敗れてからある日、権田が|竦然《しようぜん》と現われて、つぶやくように云った。 「自分も売り食いを始めました。給料で肉百匁しか買えないんだ。物力だな。通信機だってそうだ。日本の軍隊のものはどこへ出したって恥じないものだ。只数が足りん。といってもあんた方は一日も早くいい情報をとって、われら華北四十万の生命を守ることですよ。小島一等兵、あんたの師団はレイテへ向ったのを知っていますか。知らんでしょう、あんたが此所へ来て一月たたんうちですよ」  僕は泣きたいような笑いたいような得体の知れぬ気持になった。送り返した図嚢や金の返事が来ないのはそのためだったのだ。死んだ自分の部隊だって、大なり小なりここのようにばかげているのだ。が彼等は死んだのだ。吉野曹長も死んだのだ。ちがうのはとにかく死んだと云うことだ。 「女房が、どてを叩いて待っとるわ。早う手をあげるこっちゃ。何や子供みたいに」  と口をはさんだのは、僕から盗んだ煙草をすい、ゴリラのように南京豆をかじっていた塙で、すると権田は、 「どて、どこのどてですか。あんたのことだから、家のまわりのどてと云うどては畑だろうがね」 「そのどてとわけが違う。いやしいこと云わんといて」 「どちらがいやしいですか」 「わしの云うのはもっと柔かい女房のあそこのどてやんねん」 「それならなおのこといやしいですよ。第一、叩くとは、あんたの奥さんもひどく大ぴらな人ですね」 「感きわまる、って云うとこですよ」  と云ったのは阿比川だ。 「アメリカのすぐれとるのはな、量だけやないわ、一ぺん洋行して見い、日本に出来へんような品がぎょうさんあるに。レイテかて、フィリッピンかて負けるのが当り前やわな。いらん抵抗するよって長びいたのや」  権田は劣等生の塙に、自分が劣等生みたいに云われて、唇をかんでいたが、ふるえていた。権田の眼の先きには窓の向うに塙農園第一号の野菜が時を得顔に伸びていた。塙はとつぜん椅子から立ちあがると、 「権田さん、野菜を市価の三分の一値でお分けしますわ。もし種子がいるんやったら、何の種子でも、幾種類もとりそろえてあるよって、外の軍属の方にも順に吹聴してくんなはれ。まあ今日は店開きに、ただでおあげしますわ」  しばらく権田はしぶっていたが、頬の色を染めて云った。 「あんたのとこで買えりゃ、わざわざニーコーのところへ出むいて行くこともないし、そんならちょくちょくこれから分けてもらうかな。何もわるいことをするわけではないしね」  それ以来権田は、僕たちの部屋を訪れ、窓の下から遠慮しいしい、お願いします、と声をかけるようになった。ぼつぼつ野菜や種子を買いにくる軍属がふえてきて、部隊外の軍属までもやってきはじめた。僕は彼の店員のような具合になって、棚や抽出から種子を出してやり、畠から引き抜いた野菜を洗ってフロシキに包んで、ハイ、と云って引渡してやった。とうとう塙はどこからともなく板をはがしてきて、|桝《ます》のついた台を作り、区分して種子を入れるように僕に命じた。その代り彼はうまくもない時無し大根や|茄子《な す》の漬物を彼の指導の下に製造させて、これを食わせてくれた。僕はこれには有難迷惑で、実はその昔|姑娘《クーニヤン》たちの入った浴槽が僕たちの洗濯場になり、阿比川はしらみをつけたまま水浴をすることもあったのに、この中で洗った野菜を漬物にしたわけだったのだ。一度巡視があった時、僕たちはあわてふためいたことがあった。それからと云うものは、空部屋に秘密の塙商会専用の倉庫を設け、店には必要なものしか並べぬようになった。それさえも隠すのに時間がかからぬように、塙は僕を訓練した。     二  北京の秋は長い、また世界一だという。ましてこの大学構内の秋は北京の粋を集めた感があり、築山あり池あり、彼方に万寿山が見え、日毎に少しずつ色づいてゆく風景の美しさは、はげしい戦争が北上しつつあるのを忘れさせそうであり、それだけ不安になり、|依怙地《いこじ》になり、でたらめになった。その頃、部隊長が代り、|蝗谷《いなごや》忠助と云う中佐が転任してきた。彼は出口少佐の指揮で出迎えた相当数の軍人、軍属を閲兵して僕たちの前までくると、噂はきいていたが成程これかと云わぬばかりに|頷《うなず》き、ニヤリと笑った。彼は六尺ゆたかな青い眼の阿比川の前では、不思議な動物を見るようにしげしげと眺めつつ足を停めた。しかし、おかしいのは本当は中佐の方で、彼は油ぎった童顔の四十五、六の男で軍帽を横ちょにかぶっていた。彼は同期の連中より出世がずっとおくれていて、軍人にも似合わぬ敗戦主義者であることがあとから次第に分ってきた。阿比川は果して宿舎へ帰るときげんがひどくわるく、八つ当りし、仲のよい僕にさえ暗い顔を見せ、頬の深い|創《きず》あとを一そう凄くしてからんだ。飯上げにも行かぬので、仕方なく僕も手伝って|飯桶《めしおけ》をかついでくると、しぶしぶ立ち上って飯をつけ出したが、よせよせと云うのに塙の飯だけ目立って少くつけた。人一倍大食の塙が、平素からどんなに飯の量には真剣であるかを、阿比川は知っていたのだ。食卓につくと、塙は習慣で、|箸《はし》箱から箸を出しながら、ひとわたり並べてある食器を見わたし、よりによって自分の飯がいちばん少いことに気がつくと盛のいちばん多い食器——それは阿比川のであったが——を取りあげ、自分の食器を阿比川の方へ向って投げつけた。飯の入った重い瀬戸物製の食器は阿比川をそれ床へ落ちて割れ飯がちらばった。阿比川は塙が知らぬ顔で飯を食い始めるのを見てとると、しずかに部屋へ帰り、ナイフを持って戻ってきた。 「どうせ、さきはみんな死ぬからだだ。てめえのどてっぱらに風穴をあけてやらあ」  と|啖呵《たんか》をきり、あとは英語で分けの分らぬ|捨《すて》|台詞《ぜりふ》をのべて塙の方へ進んできた。 「増長するない、軍隊は軍隊やて」  僕は何かしら誰彼となくふびんになり、かけよって阿比川を抱きとめた。 「古兵どの、すてておいて下さい」  と又もや英語で|呪《のろ》いの言葉をはきながら僕を軽くふり放した。僕は倒れつつ、|呆然《ぼうぜん》としてつっ立ったり、箸を口へ入れっぱなしにしているインドネシア二世や、カリフォルニア二世などに向って命令した。 「何をしとるか。馬鹿! みんなのためにならんぞ。早く押えろ、塙伍長を逃がせ!」  早口に云う僕の言葉が分らず、 「どっちを押えるのですか」  と英語できき返す始末だ。  しかし塙は人の助けを借りるまでもなく、窓をこじあけて逃げたが、しばらくしてまた|覗《のぞ》きに来た。僕は、 「飯はとっておきますから、もう一寸の間姿を見せん方がいいです」  と云ってやった。  支那全土にわたって日本の部隊は、師団は大隊に、大隊は中隊に、中隊は小隊に、小隊は分隊にと、トーチカを作っては守備人員をへらして後退し、余力はと云うと南方へ|満洲《まんしゆう》へとまわされていた。重要飛行基地にはすべて米軍が配置されて通信を交しており、遥か成都、重慶、昆明、さてはカルカッタあたりの基地や、基地を発する、B二十九の大群の機上会話が耳に痛いほどきこえてくる。そしてそれが|所謂《いわゆる》敵国の部隊なのである。 「すごいですねえ」  と阿比川が云うとすると、それは敵国に対する讃嘆にも、傍受能力の自慢にも、何だ、何だ、と駈けよってくる出口あたり、ひいては日本軍の上級者に対する|揶揄《やゆ》にもとれる。それに尚わるいことには阿比川の血の半分はアメリカ人である。出口は、すごい、と云っていては駄目だ、これは敵ではないか、と云いたくて仕方がなくなった。ただし、そうすれば連中は「すごい」情報は、あるいは取ることを止めるかも知れない。出口はそこで何となく、これを意気の不振とも考え、ふやけた部隊の軍属、兵隊を剣道の寒稽古に狩り出した。  彼の剣道の指揮はひどい悪口で始まった。 「有象無象ども、さあかかれ!」  とかけ声をかける。僕たちもしまいに、 「有象無象ども、や、や、や」  と揶揄半分の懸声を用いるようになった。此の稽古にも楽をしたくなったので、僕は口実を作って休むようにした。それは当大学図書館に天津のアメリカ海軍武官室から寄贈された「暗号解読の歴史」なる書物を阿比川が見つけてきたので、それを研究し、今に五文字作戦暗号を解読することになるかも知れない、そうすれば、出口あたりは二段とび昇級も行われるかも知れないと云う暗示をあたえたのである。此の本は阿比川には別な小説本を与えて僕が借りることにしたのだが、同室の塙は、昼間、自分が読むと云って聞かず、したがって、僕は夜間この貴重書を耽読するために、剣道の如き勤務は一切免除されることになった。塙はいつしか此の本をかえり見なくなった。阿比川はそれから小説本を読むことをおぼえ、あり余る色慾を|刺戟《しげき》するという悪結果を及ぼした。出口はしげしげと真夜中耽読している筈の僕を訪れて、激励した。やさしく僕の肩を叩き、 「研究結果は逐一自分に知らせるように、お前たち兵隊は、忘れ易いくせがついているから、結果の出来次第、出来ればちゃんと書類にして提出するがよい。兵隊が業績をあげれば、当隊の名誉である」  しかしどうしても妙なことは、そのうち僕自身が、自分の名誉と思い、部隊の名誉と思い、あわよくば二段とび昇級したいと思い、ことによれば内地へ飛行機で帰されるかも知れない、という妄想をえがき出したことである。その本のさいごのところで著者は、第一次世界大戦の後、アメリカでは機械暗号を用いている、もはやこれは偶然そのものの組合せの暗号で、いかにしても解けるものではなく、解けても、別の暗号を解く鍵にはならない、と述べている。僕はこういうことをやるのに必要な数学は不得意である。ただいかにも神妙にして憂い深げな顔つきをすることにも慣れていたために、ほんとうに今に大功績をあげるかもしれない、と出口も思い、出口が思うと僕自身もそう思い、女子専用の鏡にうつる小躯の上にのったわが顔を見て、そう信じたいとさえ思った。  わかい阿比川は、全身にみなぎる精力を、小説本だけでは持て余して、勇み立って剣術にと出むいて行った。しぶしぶ重い足を引きずって出て行く塙を此の時こそ思い切りいじめるためであった。鈍重な塙は|敏捷《びんしよう》な阿比川の敵ではないが、負けても負けたと云わず、阿比川が勝ったと思って手を抜いた拍子に突いてくると云う奥の手を使った。ある日阿比川はとうとう塙を塙農園第二号の畑の中へつき倒してしまった。しばらく起ち上れないでいる塙のそばへかけよって介抱していると、その時、上空をP三十八が心憎く旋回していた。蝗谷中佐はその時剣術の方はふりむきもせず、支那人数人と連れだって、自分も支那服をまとい塙農園の温室の花を見せに来ていたが、連れの者や兵隊をあとに残して自分一人大きな木立の下へ走りこみ、 「早くかくれるんだ、はやく」  と呼んだ。 「そのうち爆撃があるぞ。飛行機はごめんだ。わしは前線で命拾いしたことがあるが、早目にかくれるのが一番だ。剣術なんぞやっている時ではないよ。やりたけりゃ死んでからやるさ」  出口少佐のせいかんな顔はお面のようにこわばり空を睨んでいた。蝗谷はそしらぬ顔をして支那人と|喋々《ちようちよう》なんなんと支那語で話し、相手は、大げさに合づちを打つのが見える。 「石あたまでは、こういう仕事はできん。いっそ花でも作って心をほぐし大勢を考えることだ」  いっそ花でも作って心をほぐすことだと云った蝗谷は官舎に十七、八の支那娘を女中においてしきりと心をほぐしていた。一カ月位で女をかえ、手切金は五十円均一だという噂が立っていた。  塙はその日は上機嫌で、構内の松の木からもぎとった松笠の実を御馳走してくれた。彼が慰問袋をぶらさげて帰ってくるので、何が始まるのかと心待ちしていたのである。なるほど松の実は、|榧《かや》の実のように、南京豆の下卑た味ではない。塙はかねて空室から抜いてきていた用意の|真鍮《しんちゆう》のドアの|把手《とつて》で、こつんこつんと肉の厚い実を叩いては皮をはがし賞美することを伝授してくれた。 「どうや、石あたまではあかん。松の実かて充分と栄養になるんやぜ」  というわけで、いつかの四十八手の話になり初夜の話に陥ち、こういう結論になった。 「こんどの外出日には、出番の者はみんな女を買いに行きいな。少しみんな遊ぶがええ」  外出の前日、冬になった幸福すぎる林の中を、カモフラージ用にウェブスター大辞典を借り出して図書館から帰ってくると、行く手に|蹲《うずくま》っている兵隊の姿が見える。それは誰かの排便しているうしろ姿であったので、知らぬふりをして通りすぎると、 「古兵どのではないですか。水くさいですよ。阿比川ですよ。声くらいかけてくださいよ」 「阿比川か」 「見られちゃった上からは男らしく声をかけました。もうすぐ終りますから待ってて下さい」 「なぜこんなところでするのだい」 「古兵どの、そうなんです。ここのところまでくるうちは、こんな気配はなかったんです。ここまでくると、どういうものか急にたのしいように催してきたというわけです。これはどういうわけでしょう」 「たぶん、きれいなものや、幸福なものや、手に入れたいものが、ふんだんに見せつけられると、刺戟するのだろうな。泥棒だって慣れた奴は仕事の前に家のまわりですますそうだよ」 「泥棒といっしょにされた形ですね。ひどいですよ」 「どっちにせよ、此の冬の日だまりの幸福には心がいたむね、流されどおしのおれたちは、何か外部に流れをくいとめてくれるものが起らないと、生きている気がせず、不安だね」 「ぜいたくですよ。古兵どの。そういったところ、まさに悩める騎士ですな。少しずんぐりしすぎますがね。これは冗談です。ほんとうはこの林の中で阿比川はあちらの方も同時に催して困っていたのです。明日はいっしょに遊びに行きましょう。なあに、阿比川には日本人として死ぬ覚悟が出来ています。自分は自分を産んだ米人の父親には恨みがあるだけです。なあに玉砕しますよ、ねえ古兵どの」  阿比川は云い終ると、ズボンを直しながら、汚い手で僕の頭に無雑作にふれて激励した。  外出の日の朝、鼻唄まじりの塙の声に目がさめた。塙は昨夜ねる前に、明日は女が買えて嬉しいか、と云いつつ下品な笑いをうかべながら僕のからだの上へ倒れかかってふざけるので、それとなく逃げるというむつかしい技術を要した。今朝彼はいつものくせで寝台から足首を出して、その二つの足首を|絡《から》ませつつ妙に悦に入っている様子である。便所へ立つといつになく一面に掃き清められ、水まで打ってある。二等兵の連中が、ひげをそりながら、いっせいに、 「お早うございます」  といってふりむく。阿比川は僕に、 「古兵どのも早く。おいて行きますよ」  と声をかけた。  塙は皆と別行動をとり、フロシキをさげ単独で逆の方向に向った。彼の外出は前から許されていた。出かけに彼が鍵を持っている専用倉庫からフロシキ包みをさげてきて机の上へおいた。一寸のすきに中身をしらべて見ると、いつか松の実を叩いたような|真鍮《しんちゆう》の把手や帽子かけがぎっしりつまっている。塙はこれを支那人に売りとばして金に代え、家へ送金するか、種子を仕入れるか、あるいは巨大な胃の腑を満足させていたにちがいない。支那語も得意な阿比川が物ずきに近所の道具屋をたずねて廻って、その事実をつきとめて帰ってきて僕たちに追いついて語った。 「兵隊さんにしては仲々売上手だと云ってかんしんしてましたよ」  塙は北京の市街へ廻ったので、僕はいたずら心から、皆にひそかに昇級させておいた。僕は自分は伍長になり、連中にも同じ星をあたえたが、誰も遠慮してそれ相応の進級しか望まず、上等兵で充分です、その任ではないです、と云った。阿比川は兵長の星章に何度も手を出したが、 「自分は何と云っても顔やからだに特徴がありますからね、目立たぬところで満足させて貰いやしょう」  と神妙な|諦《あきら》め方をした。  万寿山のふもとには、支那家屋を改造した兵隊のホールや遊び場があり、裏手にバラックの長屋が並んでいた。長屋には戸毎に花子、とし子、松子、梅子、きよ子、といった日本名の女の名札が掲げてある。それがすべて支那人であった。連中は途中で雑貨屋の奥へずかずか入って、携行してきた下給品の煙草を金に代えた。この交渉は阿比川が引き受け、僕の煙草は塙にとられていたので、僕の分は阿比川が出してくれた。軍人ホールへ乗りこむと、一般の兵隊の帰営時刻である暮方まで料理を食い酒を飲んだ。飲むにつれて毛色の変った兵隊たちは、あやしげな南方やカリフォルニアの歌を次第に大声でやり出し、引率者が伍長にしては気の利きすぎるのとで、ホールの女の人気が集ってきた。インドネシア二世の小山(連中の通り名はトミー)に、トミー、歌え歌えと英語でわめき、一々阿比川がそれを又支那語に訳して解説する、と云う具合にして、小山はちぢれ毛に南方の情緒をこめ気どった口を開くと、スマトラの民謡が、お経のように聞えてきた。小山はもともとスマトラ貴族の娘と日本商人との間の子供で、オランダ語と英語が得意で、入隊当初は、わけも分らず軍人勅諭をローマ字にして憶えたていどだったが、今では手紙を日本語で阿比川ていどには書けた。彼は声援におくられてアメリカのジャズを小声で歌っていたが、酔がまわるにつれて手ぶり足ぶりおどり出した。よろこんだのは支那の少女たちと、上等兵以下の兵隊たちであった。それより上級者は、さすが伍長の僕が仲間であることと、異様な一同の風態に押されていたが、知らぬまに人垣を作っていっしょに声を合せるのだった。困ったことは、かれ等は自分の階級を忘れて、僕を、古兵どの、と呼んだり、僕にしてからが何だか覚つかなくなってきたことだ。早くきりあげなくてはならない。  ホールの少女の中に、キミ江とよぶ、十二、三の支那娘がいて愛くるしく、目をパチパチさせて給仕を忘れがちだったが、阿比川が説きつけると、「支那の夜」だの「愛国行進曲」だの「新雪」だのを歌う。人垣を煙にまいて連中がなだれを打って裏手の長屋へ押しよせて行くと、キミ江がついてきた。キミ江は長屋の真中あたりのとし子と名札の出ている部屋の錠をこじあけると、中へ入れと云った。ここの女のとし子は自分の姉で、丁度いま昼間のが終ってこれから入浴して部屋で夕食をとり、夜の泊りの将校や軍属を相手にするのだが、それまでは割に暇だから遊ぶのに徳用だ、と云うのだ。それに貴君たちには自分は非常に興味を持ち、さだめし姉も同様だと思う、以上は阿比川が少女を問いつめたあげく僕たちに説明したところだ。小山はその時ちょっと部屋を出た拍子に長屋の隣室の誰とも知らぬ女性に抱きすくめられ、 「古兵どの、いや伍長どの、では行って参ります」  と前線で斥候に出かけるように軽く敬礼をして奪われて行った。  キミ江と云うその小娘が出て行くと、しばらくして湯上りの二十三、四の女が、僕たちの使う軍隊用|石鹸《せつけん》の匂いをさせて入ってきた。大きな口をしたその女は、にっこりと音を立てずに数分のあいだ微笑んでいた。それは儀礼的で、やり切れないほどあほらしい、わびしいものであった。つまり彼女は其の日は日曜であるから書入れ時で、既に十数人の兵隊を相手に敢闘したあとであることは分っていたからである。その微笑をつづけたまま、僕の襟章に敬意を表して先ず僕を抱擁してから、阿比川を抱いた。たぶん阿比川の身の丈からすれば、抱かれたのであろう。阿比川は満足の意を表するために、女の肩ごしに僕にウインクをして見せて、 「伍長どの、わるいけど自分もこれにします。伍長どのさきにあがって下さい」 「それならおれもこの女にしよう。おれはあとでゆっくりとあそぶから、お前先きにあがれよ。しかしあわてるには及ばないよ。時間は十時までたっぷりあるからな。おれはもう一杯のんでくる」 「そんなら古兵どの、いや伍長どの、わるいけど先きに失礼します。どっちみち他人のあとですからね」  実は阿比川の如き体臭の強い、しらみを蓄え愛好する巨漢のあとは御免だったが、ここまでくれば、いいことはなるべくゆっくりの方が楽しみが深いというものだ。阿比川はやがて前のようにゲートルを|穿《は》いて眼を輝かせながら帰ってきた。僕は此の時ほど人間らしい幸福そうな彼を見たことがない。 「古兵どの、どうにもこうにも、ここの筋肉が|弛《たる》んで弛んで、笑えて笑えてしようがないんですよ」  と云い、困ったというわけでピチリと指をならし、どすんと僕の背中を叩き、 「さあどうぞ」  と云った。 「おれの帰るまで笑っていろよ」  と云いすてて僕は交代した。部屋へ入ると女は鍵をかけ、誰ものぞいていないか見定めるように小窓から外をうかがいカーテンを下してから、くるりとふりかえると微笑を顔面に製造して静かに近よってきて、たぶん阿比川にもそうしたようにていねいに接吻した。見るかげもないうす汚い壁は兵隊の|楽書《らくがき》で埋められている。女はわずかに英語が話せる。 「私、食事してもいい?」 「イエス」 「イエス? イエス、イエス」  とからかうように笑う。女はじろじろこっちをうかがいながら食事の用意をする。 「そのカリン糖のようなものと、焼そばだけで、大丈夫なのかい。それでからだ、こわれないの、ホワイラにならないの?」 「あなたも食べなさい。なかなかうまいよ。ホワイラになると思えば、員数でやる」 「員数? 僕も員数ですまされると云うわけだね」 「ちがうちがう、今いったのは冗談、冗談。ねえ、おこった、おこった?」 「どうしてどうしておこるどころか、うれしいばかりです」  この会話は三カ国語を使ってしりめつれつに話されたわけだ。 「きみの名前は何と云うの」 「とし子」 「いやほんとうの名前さ」  すると彼女は枕もとにころがしてある軍用鉛筆をとりあげると、いきなり壁に向って書いた。 「すると此の楽書の半分ぐらいは君の書いたやつか」 「あなた、心ホワイラ。心わるい。書いたの、今日だけ」 「支那の名前二つもあるの?」 「あなたがた一つしかないの? 兵隊だからでしょう?」 「情けないね」 「それとも、この名前がいいわ」  と云って、とたんに足首を見せた。金の輪だ。 「これ、私が上海でダンサーしていた時分の芸名なの、ジューリア」 「ジューリア。何だかすごいぞ」 「あんた誰?」 「うん、おれは、小島だよ、スモール、アイランドだよ」  女に分らせるために遂に僕も壁に字を書いた。 「ああ、小島ね。ミンバイ、スモールね」 「小島は伍長?」 「いや、そのうち変ることもある。他人のとまちがえたのだよ。ほんとうは大分下だ」 「まあ、心ホワイラ」 「ところで、お前の足の裏はずいぶん汚いな、風呂へ入ったくせに」 「|不行《ブーシン》(いけない)?」  女は僕の方をふりかえりながらストーブのそばへかけおりて、見えぬようにカーテンをしめ湯を洗面器にあけると洗い清めて、又カーテンをあげ、拭きながら、こちらに足の裏をあげて見せた。 「ひどくきれいになったね」  やがて、 「ジューリア」 「スモール、アイランド」  と抱擁しようとすると、その折を見はからったようにドアをがたがた動かす音がし、小窓のカーテンの隙間から|覗《のぞ》く気配がした。 「待ってよ。待って待って。ドアをこわしてはいけない。わるい兵隊よ」  と女は裾を直しかけ下りると支那語でやりながらドアをあけた。するとその兵隊は物も云わず、ぬーと顔をつき入れ部屋を見渡し、 「小島の声がする。小島やな。小島はおらんのか」  それは正しく塙の声だった。 「おります、たしかに」 「わいの鼻に狂いはないわ。三里はなれた北京の街から匂ったぞ、何や」 「何でありますか」 「何や、もうすんだのやな」 「班長どの、これからです」 「そんなら今、何をしとったんや」 「この通りです。だき合っていたのです」 「汚い女やないか、汚うてかなわん。今夜帰ったら、からだを洗ってから部屋へ入れ」 「すぐ終えますから一寸お先きへ」 「うつつを抜かすな。花の種子を仕入れてきたよってな。あんまりいい気分になるな」 「でもそれは無理です」 「物には程度があるのやて」  塙は不機嫌そうにドアにひどい反動をあたえて、バタリバタリと靴をひきずって去って行った。 「シー、ユー、アゲイン、シャオトー」  別れぎわに女は戸口でこう云った。 「何? 何と云ったの?」 「シー、ユー、アゲイン(又来て下さいね)プリーズ」 「なるほど、なるほど、なるほどね、たぶん、またくるだろうよ」  僕は途々おかしくて晴々として仕方がなかった。いくら云いきかせても無駄だった。からだが笑っている。まるで他人のからだのようだ。他人の口のようだ。いやいやほくそえんでいる。どうしたと云うのだ! あちこちの戦場で人が死んでいる。それなのにどうも分らない、いやおかしいわい。僕はこの|呟《つぶや》きを部屋の中までもちこんだに違いない。 「ええかげんにしいな。何がうれしいのやな、ええ年をして。今日は留守に大分種子を買いに来た人がおったそうや、損をしたことより、客にわるいことしたのが堪えられんわ」 「でも僕は花屋ではないです。兵隊です」 「兵隊? ただの兵隊のくせに、たんと漬物やらチシャのような高級品やら松の実やらのおかげで栄養をつけておられるのは、誰のおかげや。まあええ、この夕食は食わんのやな」 「どうぞ」 「まあ捨てるのももったいないよって、食べよか」 「班長殿のは?」 「わいは食うてからホールへ出かけたんや。残しておいても、どうせ阿比川の奴が食いおるだけや」  歌のうまい、脚長で、ちぢれ毛のインドネシア小山があくる日に語ったところによると、次のようである。小山が強力な女にひきずりこまれた部屋は、数カ月も掃除の形跡がなく、窓ガラスは破れっぱなしになっており、ストーブも消えたままで、第一こわれている。いけないことにかんじんの女も掃除のあとがなくこわれていたのだ。(ふんふんと聞いている阿比川の註釈によれば、それは血が頭に上ったのらしい)何を云っても返事をせずゲラゲラ笑ってばかりいる。神経質な小山が突撃の要領で女をつき倒して部屋をとび出ると|慄《ふる》えて|煉瓦《れんが》の塀のかげにかくれていた。と六尺ゆたかな大きな腰の骨をした兵隊が連れもなくかぎまわすように首をふりふり長屋の方角へ歩いて行く。それはわが塙であったわけだ。塙は一つ一つ部屋をあけさせてはバタンバタンと閉めてくるうちに今しがた小山が逃げ出したばかりの部屋へ入って行ったが女といっしょに出てきた、というより塙がひきずり出した。塙はそこで交渉を始めたが、塙は規定料金十円を五円にねぎり、一円にねぎったが、相手は笑ってばかりいるので、彼は一円をにぎらせたが、それでも笑ってばかりいるので、塙はその一円を取りかえし、 「気前のええ女子やな」  と云いつつ中へ入りドアをバタンと閉じてしまった。  小山は溝の中へおちこんだような気分になりました、と述懐した。塙が僕の部屋へ|闖入《ちんにゆう》したのはそのあとのことのようだ。     三  フィリッピンは広い島で負けてしまうのに時間がかかる。遠いところの兵隊たちは、|此《こ》の島が負けつつあると云うことを思い慣らされているうちに、あたりまえのことになり、何でもないと思う心の状態がつづいた。故郷を思うと食い入るように心が痛む。しかし、だからと云って何が出来よう。くりかえす言葉にあき、顔さえも忘れると云うわけだ。自分が死ぬ空想にもあきあきした。万寿山のふもとまで半里ある。阿比川と僕は半里の道を歩くのももどかしく凍りついた|田圃《たんぼ》のあぜをかけて行く。いつか原隊の上級者が砂けむりをあげて通ったように、競争でかけて行く。長身の阿比川は小川をとびこしたり、丘を一息でかけのぼったりしては、あとから追いつこうとする僕を待っている。そのうち小山二等兵もこれに加わり、同じ女を目標に走って行く始末だ。阿比川と女の提案で、火曜日に僕が外出すれば、水曜日は阿比川、木曜日は小山、それから偽外出証をつくり、塙の寝しずまるのを待って、塀をこえては又僕が行く。しげしげと通ううちに阿比川のしらみはいつしかめぐりめぐって僕にうつり小山にもうつった。僕がおこると、こんどこそは阿比川も心を入れかえて長年の習慣をたち切ることを約束した。 「古兵どのにまで迷惑かけるとは思いませんでした、これこの通り駆逐しました、ごらんなさい」  こう云って彼はわざわざ僕の眼前に証拠を見せつけた。  どこへ行くとも分らず塙は、この頃ではサンタルチアもあまりどならず、逆に小山から教わった古い流行歌を口ずさみながら、しげしげと外出した。ある晩そのあとで出かける用意をしていると出口がまわってきた。いそいで巻脚絆をといていると、 「敬礼はせんでもよし。何だ今頃?」 「はい、駈足をしてきました」 「駈足?」 「気合を入れに一人で池のまわりをやってきたのです」 「ふうん、お前らも|愈々《いよいよ》そういう気持になってきたか、そんなら俺もやりたいから全員で鍛えようか」 「はい、でも自分は一人でやりたいのです。むつかしい暗号のことを考える直前にやりたいのです」 「なるほど、あれの方はどうだ。さっぱり報告がないではないか、参謀部へもお前のことは云っておるぞ。あそこの将校連中はな、そんな大事なことは兵隊にやらせておかぬがよい、こちらでも考えようではないか。ついでにその本を持ってこい、と云うが、俺は反対したぞ。どの位すすんだのだ。中間報告をやるべきだぞ」 「実は小島の考えるには、機械暗号に対して之を解決しようとするには、やはり機械を以てしなければならぬのであります」 「それでお前は」 「はい、機械を設計中なのです」 「機械? それで図面でもあるのか」 「図面と云うか、全体の構想です。原理的に云って、かようなものにならねばならぬと思われるのであります」 「お前はむつかしい言葉を使いすぎる。軍人精神で行け、何だこれか、なるほど、穴がいくつもあるのだな、何かに似ておるな」  これは先日小山が遊び半分に僕に書いてよこした洗濯器具の図面であったのだ。 「これ一つあればどれでも何だ、解けるのか」 「だいたい使用法さえ誤らなければ、どれにでも間に合います」 「どうもお前は商人のような口のきき方をするな。そんなことでは死ねないぞ」 「はい、それでですが、まだまだ難点が二つ三つありまして実用にはならないのです。いずれ完成したら、よろしくお願い致します」  このことがあってから、僕たちは用心するようになった。  僕がとし子に呼ばれるのは彼女の飯時であるか、彼女がほんとうに一人になって寝ようとする時が多い。キミ江が僕に鍵をわたすまでお預けの形でホールで酒をのんでいる。僕はやがてこう云う遊び方をするようになった。  僕は彼女が例によって食事を始めるのをじっと犬のように|蹲《うずくま》って眺めている。彼女は僕に時々酒をあてがい料理をとりよせたりする。そこで彼女の昔話をきいてやる。互いに何を話しても平気である。僕の云ったことが分り、女の云ったことが分ると、ミンバイ、と云い合う。そこまでの道中が花だ。|青島《チンタオ》にいた子供の頃が一番よかったわ。お母さんがよくしてくれた。父は税関の課長。父が死に兄の代になり|嫂《あによめ》がきてからは、私たち妹は駄目なの。女学校を出る時、私の作詞が作曲されて卒業式の記念歌になったわ。でも、もうおぼえていない。歌えといわれても歌えない。私、ほんとうは|燕京《えんけい》大学へ入りたかったの。あこがれだったわ、一度だけ見に来たわ。それから師範学校に入ったの、そう先生になるためにね。それも|止《や》めたわ。上海へ出てダンサー。流れてここへ来たわけ。どうして来たって? 新聞広告よ。新聞広告で此のホールへ来たの。可哀想でないの。これでなけりゃ私たち食べられないのよ。ここはね、軍はね、現物給与でしょ。とても事務員なんかは駄目、私、タイプだって出来るの。でもそれでどうして食べて行けるの。現物給与といえば、女の部屋のストーブの横に転がしてあるのは小麦粉の一袋で、これは彼女が腕一つからだ一つで獲得したものなのだ。何げなくホールに掲げた勤務成績の番付を見ると、何と彼女は首席であったがこの一袋はその|褒美《ほうび》と云うわけだ。 「あの妹はずっと連れて歩いているのかい」 「あの子? キミ江? あれは上海で買ったのよ」 「買った? お金で?」 「そう。あの子に芸でもしこんでさ。私、左うちわになるの。どう、あの子うまい? 私それまでこうして働くの。あの子見こみあるかしら。でも私はいい母親。そら私こんなの、暇を見て教えてやるの。四書五経」 「ほう、これを此の部屋で教えているの」 「そうよ。私の部屋よ。ありがたいわ。自由よ。自分で子供産むたいへん。早く楽になるには、これが一番よ。私の友達こうしてしあわせな母親になった人いる。ああ、これ、私の子供の頃の人形」 「ほう、腕がとれてるな。これはキミ江がとったのかい」 「いや私がちぎった想い出よ。これ正月の晴着、赤のビロード、きれいでしょ」 「いろんな物が行李の中にしまってあるな、まだまだ出て来そうだな。ちょいと」 「もういや、そんなにのぞいたら、はずかしいわ」 「はずかしい?」  と云うふうにしてやがてキミ江は呼びにやられ、黄色い声をはりあげて一くさりやる。ついで僕は口から出まかせに童謡をうたい、子守歌をうたう。すると彼女は眼をくりくりさせてニヤリと微笑むと気を利かして僕を寝床へ運ぶ。そこで僕は最後のものを頑固に拒む。 「どうしてなの」  既に態勢に入りチャンチャンコのようなものを上半身に着たきりの彼女は云う。 「どうしてなの。私いや? 今日は足きれいよ。どこかまだよごれているとこある? よごれているだけできたなくないの。ねえ」 「僕はこのままでいいよ」 「どうして。しなくていいの。そんなはずないわ。そんなら何しに来るの。困るわ、私たいへん困る、さあ」 「いやこうして寝ているのが一番いい。そういうものには触れたくない。断っておくが、きたないからでも、よごれているからでもない。無用危惧」  と、さいごの文字をまた壁に書く、彼女は分らぬと顔をしかめて、 「でもはじめ一生懸命にしたではないの。どうしたの。又あれわいた? しらみ?」 「そうではない。非常に望むけれども触れたくない」 「ああ、あなた心さっぱりしない。なぜそんなふうに泣くように顔をしかめるの? ねえ、すれば気持なおるよ」 「僕はこのままでいい」 「でも私、風邪ひくだけよ。あなた心わるい」  石地蔵みたいになって僕が相手を困らせている時、がやがやと長屋の女たちが立話をはじめた。すると僕の部屋の女は、じっと耳をすましていたがやにわにオーバーをひっかけると、一つ分けの分らぬキッスをあたえておいてかけ出した。彼女もまじってまくし立てていたが、やがて引返してくるとひどく|昂奮《こうふん》して、支那人に話すように、彼女特有のスースーという音の入る上海語で話しかける。それによると、例の気の狂った女のところでけたたましい悲鳴が聞えるので、隣の女たちがとび出て見ると、大きな兵隊が、巻脚絆と帯剣を手にぶらさげてホールの方へ逃げて行った。部屋の中では女が血を流して泣きわめいていたが、狂人は仕方がないもので、皆がよってくると、けたけた笑い出した。この女は丁度、月々訪れる病気のところを犯されたらしく、男は遊んでそれと知ると、ひっぱたいたらしい、と云うのである。尤も別の女が寝ながら隣の部屋から様子を聞いたところでは、そうではなくて、ひっぱたいたのは、男が金を払わずに出ようとしたら、女がその腕にかみついたからだ、と云うのであった。  とし子は井戸端会議をしたおかみさんのように僕に逐一報告して、その男はたぶん、塙班長だろう、とのべ、 「あの人、ああして花子のところで遊ぶくせに、その足で私のところへもくるの。とてもいろいろなこと要求する。小島には俺のくること云うな、と云った」 「班長もくるのか。油断がならぬ」 「この前この袋くれた。おかしな人。春になったらこの中の種子まけと云った。空地にまけとね。何が咲くかそのうち分かる。出口もくるわ、時々夜泊るの」 「出口少佐も……みんなくるのだな」 「みんなくるがいい。みんな可哀想、私より可哀想、みんな日本の別々のところから私のところ集る、剣をさげて。おかしい。可哀想よ」 「なるほど、それでは、さっき君の云う通りに始めようか。やっぱり、意見に従うよ」 「何を始めるの? 何のこと?」 「ジューリア……」 「ああ、あなた心わるい。早くしてね。もう泊り客がくるの。あなた心わるいよ」  ある日、勤務下番の日僕は朝からやってきた。女の部屋には表から|鍵《かぎ》が下りていた。僕は、キミ江が、何時に帰るか分らない、昨夜は泊りに行ったままだからと泥棒を見るような眼付で云うのを構わず鍵を借りて中へ入った。一人で寝ているうちにあきてきて、バケツに水をくんでくると隣の女に雑巾を借りて、壁をごしごし拭き出した。うかつなことに自分のしていることが何であるか気がついたのは、長屋の女たちがのぞきにきて、にやにや笑い、支那語とは云いながら、 「あの人、とし子の色男」  なるほど、色男であるとしても、こんな馬鹿げたことをするだろうか、これは僕ら二人の部屋でもなく、兵隊軍属が何十人となく遊びにくる部屋だ。頼まれたわけでもない。といって考えて見れば色男でもなければ、いったい誰がするだろうか。俺と云うやつも、おかしなやつだ。僕は|斑《まだ》らになっている壁をながめ今更やめるわけにもゆかず、汚れたバケツの水を女たちにひっかけて追払うと、あたらしく水をくみ入れてつづけた。兵隊の楽書は三つの壁にぎっしり埋っている。僕は一々それを読みながら作業を終了するまでに数時間を費した。しまいに花子まで覗きに現われ物の分ったような微笑をうかべる始末で、バケツの水を代えると傍についていて二、三人の女がポンプで汲んでくれる。そのうち僕は女の汚れ物を押入れから取り出し、ストーブを焚きつけ湯をわかし、さすが屋外では恥しく部屋の中で洗濯をすると、上衣をぬいでゆすぎにだけ外へ出た。するとこれも女たちに露見し、 「小島と云う小柄な兵隊が、ホール一番のアルバイト女である、とし子の部屋を片端から拭き片付け、洗濯までしている!」と云う|噂《うわさ》がとび、じろじろとホールの給仕まで集る様子なので、僕は部屋へ逃げこみ、中から鍵をかけ、一度に疲れが出て前後不覚にねこんでしまった。  無数の肉親、顔を忘れた妻、知人が、死んだ僕に|湯灌《ゆかん》を使わせ、ごしごし洗っている。いや俺は死んでいるのではない、よせやい、くすぐったいぞ、そんなに笑うな、ひどいぞ、と声をあげる、と、僕をゆすぶっているとし子の外出着の姿がうつった。女が指す洗濯物が部屋いっぱいに干してある場景や、見ちがえるような壁を見て、おどろいたのはむしろ僕の方だった。 「あんた、掃除、洗濯、よっぽど好き? ねえ、日本でおくさんにもそうなの?」 「たぶん兵隊の習慣だよ。女みたいだよ。ことによると、何か好きになると、やたらに洗いたくなるのかも知れないな」 「ねえ、私そんなに好き?」  と彼女は英語でそう云うと、顔をそむけたくなるほどコケティッシュに僕の眼をのぞきこみ、僕を抱いた。 「今晩は可愛がってあげる。泊って行きなさい。大丈夫、出口にも塙にも、もしおこったら、私云えば大丈夫、小島、心配いらぬ。ねえ、私、帰ってきたら、みんな手を叩いて私をからかうじゃないの。何かと思った」  女には壁を拭われてはむしろ迷惑なのだ。想い出の文字がつらねてあると云うわけだ。それに、よごれているのは住心地いいばかりで苦にならぬのだ。 「えーい。泊ったろか」  僕は塙の口調で、|嘲《あざけ》るように自分に云ってきかした。さっきの夢が|甦《よみがえ》ってきた。 「くそっ! ごまかしたれ。権田の家にでも泊ったと云って」  女は真夜中に眠りながら、からだをかきむしり、|唸《うな》った。 「どうしたのだい」 「心配いらぬの。注射をうった日はこうなの。それに昨夜すこし稼ぎすぎたの。でも、あんたには、かんけいない」  その時、こつこつと歩みよってくる長靴の音が聞えた。立ち止るとドアを叩きだした。 「誰か来た、出口かも知れないぞ」 「そうかも知れない。いいの、断る」 「だれ、だれ。もう|有《ユウ》(いる)よ。だめよ」 「いいじゃないか。誰がおるのだ?」  女を押したおすようにして|捻《ね》じこんできたのは、確かに出口だ、酔った出口の声だった。つかつかと近寄ってきて、 「誰だ、兵隊の靴だな、けしからん。こちらを向け! おや、小島一等兵だな。うん、おれは帰る。帰るが、かくごはしておけ」  出口は長靴で僕の背中をふまえて、ぐいっと押した。 「くそっ! 押したろうか」  と云ったのは僕の声だった。出口に押されながら僕は懸声をかけたのだ。 「痛かった? 痛かった? でも出口はいい人だから、わるいようにはしない。もう一度、気持直し遊びなさい。今すぐ帰っても、どうせおんなじ」  夜明け前に僕はふらふらと人一人通らぬ街道を帰ってきた。近よってくる人影にどきっとすると、それは北京の城内まで野菜を売りに行く百姓だった。中ほどまでくると靴の音が聞えて軍人の姿が一本道の正面に現われた。僕は防寒帽の垂れを下し肩章をかえると、憤りの気持をこめて近づいて行った。それは他部隊の巡察将校だった。どういうものか、僕は自分の非力も忘れて相手の|咽喉《の ど》仏に食いついてやることを考えていた。 「待て! 誰だ、どこの部隊だ!」 「栄部隊」 「官姓名を名のれ」 「陸軍伍長、塙善兵衛」 「何? ハナ? 何?」 「塙保己一の塙、塙善兵衛であります」 「うん、何だ今頃」 「公用であります。公用証をなくして、大分前から行ったり来たりさがしているところです」 「何の公用だ」 「情報に関することは申されません」 「情報? こんな時間に何だ? どうせ万寿山の女のところからの帰りだろう。太いやつだ。よし俺が任務終了後お前の部隊へ行く。もう一度名のれ」 「陸軍伍長塙善兵衛」 「ハナワと云う字は何扁だったか?」 「サンズイ扁であります」  僕は大声あげて|居丈高《いたけだか》にそう云った。 [#改ページ]   小銃     一  私は小銃をになった自分の影をたのしんだ。日なた、軍靴の土煙をすかしてうつる小銃の影の林の中で、ふとその影をさがすということを私はいくどもした。その林はひびきと共に動いて行く。さがしあてた自分の小銃の|這《は》う地面が、なつかしく、故郷のように思われるのだった。  |蒙疆《もうきよう》の地区では、春先きになると黄塵の|竜巻《たつまき》がおこり空を駈けてくる。これに襲われると、私たちが毛布にくるまっていても、細い砂が小銃の表面に粉がふいたようになり、ドーム風のユウテイ|蓋《がい》の上に指をすべらせると、そのあとがすーとつく。|況《いわ》んや室内には厚みをもった層ができあがり私たちの銃の手入れはいっそうはげしくなるのだった。  私は、キラキラと|螺旋《らせん》をえがいてあかるい空の一点を慕う銃口をのぞくと気が遠くなるようだった。それから弾倉の秘庫をあけ、いわば女の秘密の場所をみがき、銃把をにぎりしめ、床尾板の魚の目——私はそう自分で呼んでいた——であるトメ金の一文字のわれ目の土をほじり出し、油をぬきとると、ほっと息をついで前床をふく。この前床をふくという操作は、どんなに私の気持をあたためたか知れない。一つ一つ創歴のあるというこの古びた|創口《きずぐち》を私はそらで数えたてることが出来た。たとえば、右手の腹のここのところの鈍いまるい創、それから少しあがったところの手術あとのようなくびれた不毛の創口、左手の銃把に近いところに切れた仏の眼のような創、中でも、どうしたものか|黒子《ほくろ》のようにぽっつりふくれた、かげのところのボツ。それはたぶん作戦中、何か、あんず[#「あんず」に傍点]の|飴《あめ》のようなものでもくっついて、汗と熱気でにぎりしめる掌の中で、木肌の一部になったのかも知れない。こうして私は毎日いくどとなく、小銃のあそこここにふれた。その度に私はある女のことをおもいだした。おもいだすためにまた銃にふれた。  私は二十一歳で内地をたつ時、二十六歳の年上の女で出征中の夫をもつ人妻に、あたえられ得る最大のことをのぞんだ。夫の子供をやどしている女を、実家へ送りとどける途中、行きあたりばったりの寒駅の古宿で、私はその七カ月にふくらんだ白い腹をなで、あちこちの起伏、凹みに顔をむせばせるだけで別れた。さわらせて、もう少しさいごだから、という私の声に、女は|贖罪《しよくざい》のつもりか、目をとじてあけず、用心深く私の手をにぎって自由にはさせなかった。漠然とした手ざわり、匂い、それから黒子が手がかりであった。  銃把をにぎりしめると、私の存在がたしかめられた。そこから生命が私の方へ流れてくるように思われた。銃把は女がみごもる前の腰をおもいおこさせた。私はかなしみをこめてその細い三八銃の腰をにぎりしめた。いたいいたい慎ちゃんやめて、むりよ。私にはそういう声がきこえるようだった。私はあたえることの出来なかった|臂力《ひりよく》を小銃にむけた。私はかなりの臂力があり、銃把をにぎりしめ地面からまっすぐ垂直にまであげ、しばらくそのままの位置にとどめることも楽にできた。  小銃は私の女になった。それも年上の女。しみこんだ創、ふくらんだ銃床、まさに年上の女。知らぬ男の|手垢《てあか》がついて光る小銃。  私はこの、イ62377という番号の小銃を交換することをいやがった。それも私には許された。射撃にかけては、同年兵で私の上に出るものがなかったからである。|指物師《さしものし》の家に生れ子供のあそびに物尺をもった私の眼は正確だった。的をねらうと、女の唇が物をいいはじめるのだった。  慎ちゃん、あなたはきっと可愛がられるのね。あんたは可愛がられる人。それで大安心なの。私だけでないのね。それで大安心なのよ。あの人にも気がすむの。ひみつだけど、この子、主人のではないようよ。そう思いたいわ。男ならあんたの名前とるの。ほんとうは私こわかったの。年上だと思えなくなりそう。そしたらもうおしまい。あんたに可愛がられるようになったら。わかって。でも私、いつもあんたのそばにいる。そう、あんたの鉄砲になって。  私は心をこめて標的に射こんだ。私が射つと、五発の弾丸の|痕《あと》は小さくかさなり合った。     二  初年兵の一期の訓練が終るころ、古年兵が討伐から殺気立って帰ってきた。翌日私たちは例によって城外の演習場へ駈足で向った。阿片になる白いケシの花が菜種のようにくずれた城壁の下をとりまいて咲いていた。路傍の露店では|濛々《もうもう》と立ちあがる|土埃《つちぼこり》の中で、豚の脚や爪をにつめた鍋がたぎっていた。銃の林が移動して行った。そして私は又しても私なりのたのしみにふけるのだった。小銃は私の肩で歓呼の声をあげた。  穴を掘る! このくらいの大きさ。深さ二米、所要時間は二時間。  大矢班長は棒切れで丸をかくと私たちの方をふりむいてこう命令した。 (僕はこうして穴を掘る。待っておいで。すぐ終る。僕は他人より早い)  私は小銃に言葉をかけるとエンピを動かしはじめた。私には労働という労働がみんなたのしかった。  作業の終ったころ妙な一隊があらわれた。シナ服を着、シナ靴をはき、巻脚絆をつけた男たち、それから普通のシナの女。後手にしばられ、そのうち二人は棒をかついでいる。ああ、シナの兵隊、おんなじ兵隊、ふと私はしたしさがこみあげてきて、声をかけたい衝動にかられるのだった。まして女、ああ私はどんなに女をもとめていたか。私はその女に私の女を求めた。穴の中で作業の手をやめて私はその女を|舐《な》めるように眺めた。あっと私は声をのんだ。私はそれをただの使役かと思っていたのだ。  一行は立ち止るとそれっきり誰も動かなかった。 「縛れ!」  班長の微笑を、私はおろおろした気持で見あげた。その微笑は平素私にむかって、 「お前はうまいな。小銃に悪魔がついておる見たいじゃないか。ちょっとそいつを貸して見ろ。どうだ生物のようだぞ、こいつは」といいながら、小銃をうらがえし、白っぽい魚の腹のような銃床をたたき、つっ立てて見たりする時の、好意的な微笑とおなじではないか。  七人の捕虜は穴のそばへ動かなかった。どうしても動こうとしない駄々ッ子のように行きたがらなかった。小銃のさきについた銃剣がおしやった。そのおしやる銃剣は殺しはしないが、穴の前に立てばもう殺される。だから彼等のなかには声を出して弓なりになるものがあった。たぶん女を眺めていたのは私一人であったのだろう。その女は私に向って歎願の色を見せた。私はその時に不用意にうなずいた。いちどうなずくと私はもはや顔をそむけることが出来なくなった。女は私だけを見、私から視線をはずさなかった。女の|垢《あか》で黒ずんだ額には、すだれのように髪の毛が下っていた。誰のためにこの女はこの髪の毛を美しくきりそろえたのだろうか。その顔は、そうだ私の内地の女だ。あごを少し長くすれば、そのままあの女の顔になる。顔かたちだけではない。その女はみごもっている。何十里もろくに食物もあたえられずに追いまわされ、兵隊とおなじはやさでここまで連れてこられた女のズボンはうすよごれていたが、それが腹のところで心持ふくらんでいた。思うにこの女は兵隊ではなく工作隊員でもあったろうか。 「分隊長どの!」  私のありあまる体力は、いちどに激動のあらしとなった。分隊長はふりむき石を拾うと私めがけて放りなげた。そして笑った。 「こいつめ、穴から出ろ、きさまだけだ。きさまを埋めてやろうか」  そうだ。私はまだ穴の中にいたままだったのだ。  私が何をいいたかったか、たぶん分隊長にはわかっていたし、私にはそれ以上何がいえよう。分隊長はたぶん私を気に入っていたが、弱音が気に入らなかったのだ。 「何だ、何だ、いって見ろ。さあこっちへ来て、みんなの前でいって見ろ。何とお前がいいたいか、さあみんなきいてやれ。おれに何をいうつもりだ」  私はこの大矢班長を愛していた。申分のない軍人であった。軍人としてこの人に出来ないことはなかった。私は商業学校の時から剣道も二段で主将をしていたが、軍隊でおぼえたこの人の剣にはかなわなかった。私が得意にしていた珠算さえもこの人にはかなわなかった。 「云えないだろう。いえないことになっているのだ。よし、お前はその女を|殺《や》れ!」  私は思わずその女をふりかえった。 「お前は百米さきからこの女を射て。射ってから着剣して前進し、五十米前方で突撃せよ。それから突くのだ」 「駈足、進め!」  私はまわれ右をして駈出した。やけつくような砂原が私の軍靴でくずれた。あらされた|西瓜《すいか》畑には実らぬ果実だけがころがっていた。私はその果実をふみつぶして走りながら、その百米がいつまでもつづくことを願った。 「停止!」  声があつい風にのって追いかけてきた。そこで私は又まわれ右をした。 「立ち射ちのかまえ、|銃《つつ》!」  本能的に私は呼吸をしずめかまえた。かまえる相手が、標的ではなくて、|棒杭《ぼうぐい》にしばりつけられた女であることをほんとに感じたのはその時であった。私はかまえた。命令は動作を|強《し》いるしかけになっていたのだ。銃は目標を照準線に入れようとあせった。照星が照門に入ると女の唇が|綻《ほころ》んで声がささやいた。  この子があんたの子供であったらいいの。そう思うの。でもね、これだけにして。きっと可愛がられたくなるの。そうなったら、おしまい。私はおしまいになるの。ね、わかる。  私はくらくらと目まいがしそうになった。目まいがしそうになった時、ふと私は女に通う道が銃弾の通う道であるように思えた。その一直線がそのまま通う道、胸の底へ、心の底へ、腹の中へ通う道のように。 「射て!」  私の銃、イ62377は私の肩で躍った。私はそのまま着け剣をして走りだした。女の首がうなだれているのと、血が胸を染めているのを走りながら見た。次第に人の姿が大きくなってきた。走りつづけるうちに私は道具になり、小銃になり、ただ小銃に重みと勢と方向をあたえる道具になった。習いおぼえたように、ふみきると、私の腕はひとりでにのびた。  私の任務と演習は終った。 「りっぱだ」 「すごい。一発だ」  大矢班長はほこらしげに私の肩をたたいた。 「お前もこれで一人前になった」  息づいてそのほまれを受けていたのは小銃であった。イ62377は私の手の中で返り血をあびて主人にこびていた。こんこんと怒りがわきおこってきた。大矢班長にではなく、私をたぶらかし、射的から|殺戮《さつりく》にとすりかえたこの道具にたいしてであった。一人前になったどころではなく、血管を逆流してくる憤りのために、その場で私は|昏倒《こんとう》してしまった。     三  昼間、飯を食いながら走りまわり、剣術をし、行軍をし、というぐあいに忙しい日々がくれていったが、夜になってあまった私の体力は、女に対する恋慕の気持からうつってシナの名も知らぬあの女の眼におびえるようにさせた。一人前になるどころか、すっかり半人前になってしまい、小銃にむかっていくら心をかきたてても、ついぞ今までの情熱はわいてはくれず、人のいない時なぞ、私は小銃の銃口に手荒にサクジョウをつっこんでひきかきまわしたり、わざと床尾板をさびつかせて見たり、照尺をあげっぱなしにしたり、あんなにまで私が愛した木製の部分を、愛情ではなく、憎しみと、離れていった女にたいする未練の気持でふみにじったあげく、アンペラの床の上に放りだすのであった。男の生血を吸う娼婦のようだ、と私はまだ一人の女もほんとに知らなかったが、そう思った。横倒しになった小銃。私はそれ見ろ、そのざまはどうだ! などと叫びそれから私は小銃にとびついてゆすぶるのだが、何かただあざ笑う表情がチラと気孔のあたりにひらめくばかりで、そんならと、油をぬりたくって厚化粧を施してくれるのだった。  そうこうするうちに、私のなかの内地の女は死んでしまった。夢の中のシナ服の女も私をなやまさなくなったが、私は無力になってしまった。おそらく二十一歳の私の心がいろいろと気まぐれなところがあったのだろうが、私は外出日に女あそびをおぼえて、朝鮮女を体力のかぎりをつくして喜ばせることに憂身をやつしだした。その結果私は不名誉な病気を拾い、初年兵のくせに何十里もはなれた大同の街の病院にやられた。イ62377の小銃はとりかえられて、がさつな製作年度の新しい見るからに下品な小銃があたえられた。二貫目のその小銃は、私がもって見ただけで重心がくるっており、心得た部分を掌にのせて支えて見ると、その傾きが一目で知れた。新しいくせに銃口がまめつしており、のぞきこむ銃口の中の光りと影が乱れていた。もはやこの小銃は私の憎悪をふくんだ未練の気持にもあたいしなかった。     四  ゆがんだ小銃と、ゆがんだ心とからだをもって私は原隊へ帰ってきた。  ある日私は飯上げから帰り、助手に云いつけられて班長のところへ飯をはこんだ。以前私はこういうことを率先してやった。それがたのしかったのである。ひとよりよけい動き気が利き可愛がられる、それが二十一歳の兵隊である私にはうれしかったのだ。その頃は班長は私あての女からの手紙を、軍隊の慣例上声をあげて読みあげて、 「初年兵受領で内地へ帰ったら、お前のかわりに訪ねてやるぞ。おれにもいいのを世話しとくれ、その女には妹はないか」  などとたわむれることもあった。もちろんもう女から手紙は来なくなっていた。そしてそれはたぶん班長のさしがねにちがいなかったが、私はこの人をにくむ気持にはなれなかった。  班長は、私の、 「飯を持って参りました!」  という声をきくと、中から扉をしめて、私をしめだした。私の声が軍隊的でなくなったためと思い私はいくども大きな威勢のいい声をはりあげた。そのうちとつぜん扉があいて無表情に近い班長の顔があらわれ、つっと膳をとりあげると、受取るのではなく、中庭の石だたみの上に投げすてた。私は途方にくれてかがみこんで破片を拾いにかかると、内務班から兵隊が走りよってきて、私をつきとばした。私は今までなら、まじめでもあったが、こんな男を容赦もしなかった。私は臂力に自信があったから。今では、私は呆然とつっ立ったままだった。  班長の絶食のために全員の食事は取止めになり、同僚の憎しみの眼をあびて飯の入った|食缶《しよつかん》を私一人で返しに行った。その原因はあとで分ったが、私の小銃のユウテイが誰かのものと入れかわり、私のものはどこにも見あたらない、ということのためであった。そんなこと私には一向におぼえのないことで、前から私のはかわっていたのかも知れない。イ62377の銃の時には、撃茎中項一つ、撃茎尖頭一つにも、さわっただけでひとのものとの区別がついた。私には弁護の余地がなかった。弁護してくれるはずの大矢班長が先頭にたって私の心を戒めることにかかっていたからである。私はそのために営倉に入れられた。罪状をよみあげられ、ユウテイのない小銃にわざと赤い布を銃口からたらして捧げ銃をした。私の捧げ銃の動作は立派であるというので訓練中は模範になったものだった。その申告の時も、私は格式のある動作をして見せた。それが唯一の私の|抗《あらが》いの表現だった。赤い布は、「赤い着物をきる」のと同じ意味であったが、私のいかった眼には、あの女の赤い血潮のように思われた。  何もかも遠のいてしまった。武器も被服も兵隊も、故郷さえも、そのぶんだけ私はぼけているわけで、ことごとにこづきまわされ、何でもない針が一本なくなっても、|虱《しらみ》がわいても、そのうたがいが私にかかった。前には射撃の名手であることによって私をたのしんだ連中はこんどは私の劣性のために私をたのしんだ。幹部候補生の試験はとうにすんでいた。すんでいなくても私はうけることも出来ないし、その気持もおこらなかった。私は一人だけとり残されて二等兵だった。  その頃|聯隊《れんたい》の名誉のためにかり出されて、師団の射撃大会に出されることに決った。それは班長の私にたいするさいごの期待であったはずだ。私はイ62377の小銃をかしてくれるように頼んだ。この銃はある古参曹長がもっていたが、班長はわざわざ借り出していそいそとして私ににぎらせた。 「お前もこんどこれで点数をかせいで|抜擢《ばつてき》されるのだ。な、一期の頃を思い出して見ろ。あの頃はお前もりっぱなやつだった。お前のことはおれが隊長にたのんだのだ。しっかりやれ」  班長は感きわまって男泣きに泣きだした。私はそれを背中でうけながら小銃をしらべて見た。何となくそれは人手をわたるうちにかわってきていた。脇腹にあった、私があんなに思い出をたのしんだ黒子のつぶは、きれいにはぎとられてすべすべになっていた。手入れは行きとどいているように見えながら、当番の兵隊の員数的な手入れにまかせられてきたのであろう、いってみれば、耳の|孔《あな》の中の耳くそや、歯ぐきの汚なさや、|日向《ひなた》にすかすと見られる髪の毛のよごれのようなものが見られるのだった。  私は班長のかんげきの言葉をよそに、とつぜん笑い出すとイ62377を放り出した。私は銃を放り出す習慣が身についていたのだ。 「きさま血迷ったか、かしこくも」  あとは天皇陛下のことにきまっていた。私は頬を軍靴でおさえられながら叫んだ。 「このユウテイは、班長どの、あの兵隊のなくしたユウテイであります。イ62377のユウテイではないのであります」 「それが何だというのだ。きさまは」 「何でもありません、わるうございました。しかし代表で出ることは出来ません」 「出来ません? きさまの一存ではない。そうなっているのだ。出ないというのか」 「出ます。出ます」 「出ろ、出るのだ。見ろ。お前の肩の星を、おれなら自殺するぞ。ここだって毎年一人は自殺するのだからな」  私は射撃大会に出場した。私だけが零点に近い点をとった。私はねらいもせずにぶっ放したのだ。     五  その年の秋も深まるころ、私たちは討伐に出かけた。これは鉄砲をもった徒歩旅行だ、一人一人こいつを持っている目的をきいて見るがいい、ただ食いたい休みたいと思いながら歩きつづける。そのうち鉄砲をもった相手方の徒歩旅行者にぶつかる、すると徒歩旅行が戦争にかわる、こういうものだ、この討伐というものは。それを知らぬげに小銃の林は、えんえんと谷川に沿ってのぼって行った。それは五台の山の中から遠く流れて白河となり|天津《テンシン》にそそぐ、|※[#SJIS=#94BC]沱《こだ》川という澄んだ水の川だった。この無言の林のなかにいると、私は声をあげて叫びだしたいような気持になった。二貫目の重さのこの荷物のなかから妖気がただようようだった。 「こんな淋しいところで、この小銃がなかったら、ひどく頼りないもんだ。こいつは守り神だ」という大矢の声が銃の林の中からふいときこえた。いやこの小銃のためにこそ、おれはこのようにやりきれなく淋しいのだ。私は川にうつる自分の影を見てぎょっとした。あおざめた女が棒杭をしょってこちらに歎願している姿を見たからである。  私はその時もう熱におかされていた。私の脚はもつれてきて、水をのみにうつぶせになるのもやっとで、目前に南画風の岩山が黒くそびえ立ったとき、私は絶望的な気持になった。思い思いのかっこうで|真鍮《しんちゆう》の銃口蓋のついた小銃が一列にのぼって行く。小銃の脚に靴下をはかせたもの、|繃帯《ほうたい》を巻いたもの、すっぽり袋をかぶったもの、お祭のようにはしゃいでいた。今に火をふいて焼けてしまうぞ、山の下に立った時私は心の中で叫んだ。  私は落伍して最後尾に立った。ヨイショ、ヨイショ、山の中腹から、|揶揄《やゆ》するような声が私にさかんにかかった。私にはそれが小銃の悪魔が私をさいなむ声にきこえた。私はいきりたってその声に|呪《のろ》いの声をあびせようとしたが、声が出なかった。  ふと気がつくと私は誰かに押しあげられていた。私はふりむきざま気を失いそうになった。私の尻を押しあげてくるのは私の小銃の台尻で、それを又おしているのは大矢班長だった。私の背後から小銃が押しあげてくる! 私は恐怖と侮辱とをいっしょに感じて云った。 「班長どの、殺して下さい」  班長の顔は取りつく島もないように無表情で、 「自殺をした者もいる」  と語っているようだった。  私はそれからロバに乗せられた。ロバの|啼声《なきごえ》で私は自分が高いところにいることと、歩いているのは自分ではなくて、ロバであることを知った。そして小銃が宿命のように又もや私のせなかに食いついてきたことを知った。  夕闇がせまってきて樹のない岩山に夕やけが気味のわるいように照り映えるころ、半ば|廃墟《はいきよ》と化した部落が夢のようにあらわれてきた。抗日の文句を大きく書きつらねた家々の壁がこの討伐隊をむかえた。とつぜんチェッコ銃のひびきが|山巓《さんてん》でわきおこると谷間にこだました。  たちまち小銃の林はたおれると弾丸をのみ下し岩山をよじのぼった。祭がはじまった、さあ笛を吹くがいい。こいつが正体なのだ。踊れ、踊れ。とこう思っていると、やにわに私はひきずりおろされた。私はロバに乗っていたのだった。     六  それからあとの私の記憶はとぎれる。終戦後の私の軍刑務所の刑は十七年残っていた。  私はあの夜、|藁《わら》に火をつけて自分の小銃を焼きはらおうとしたという。私の様子を見張っていた班長が駈けつけて斬りつけた時、私は手許の銃をとりあげてそれを防いだ。たまたま安全装置のかかっていないその銃の引金に私の指がひとりでにかかったのであろう、弾丸がとび出して相手の腹を射った。私も肩に傷をうけた。  終戦の翌年、私は|天津《テンシン》の貨物|廠《しよう》で海をわたる日を待っていた。独房に坐らせられつづけた膝は立つとむしろ苦しかった。私は法務曹長の護衛つきで、|南京《ナンキン》の戦犯収容所に送られた刑務所長の身廻品をリュックにつめこんで、ここに|辿《たど》りつくと、日々シナ人の使役をしていた。  武装解除した三八銃が毎日トラックに積まれて到着した。それはそっくりそのまま向うの軍隊のものになる筈だった。私は機械のように、上から放りなげられるのを下で受けとめて暮した。 「ほい、ほい」  と調子を合せながら|慌《あわただ》しいその動作を無感動でつづけていると、私はふと握りしめた掌の中で何か血の通ったような感じがした。私は見ずしてそれがイ62377の小銃であることを知った。して見ると私は忘れていたが掌はおぼえていたのだ。  長い遍歴のあとのめぐりあいである。  眺めてみると床尾板はもとより銃身からユウテイまで、鉄の部分はみんなさびていた。銃床はかわき切り、床尾板の金具がガタガタに浮いている。あああの女はどうしたろう。内地へ|辿《たど》りついた夫を抱いているか、それともこの銃のように死に|萎《な》えているか。ああどうしているだろう。私はつぎつぎと上から落ちてくるこの道具をうけとめながら口ずさんだ。  慎ちゃん、可愛がられたくないの。可愛がってあげたいの。ね、だから分って。  シナの兵隊の何故か私をにくむ眼がせまってきて、さっと|鞭《むち》がひらめいた。 [#改ページ]   星   第一章  誰にでも彼にでもぽいと投げられた服の|襟《えり》に、赤い一つ星のくっついているのを眺めて、異様なかんじにならなかったものがあったでしょうか。いや少くとも僕はその時に心のしびれるようなかんじになったのです。それは僕がアメリカ二世であって、兵隊の訓練を一つも受けていないために、未来|永劫《えいごう》兵隊でいなければならぬためであったかも知れません。赤い薄手のラシャの中に、すりきれた無造作な黄色い星のうかんだこの下等な印が、僕の襟にこれからつきまとい、しかもそこにあっては僕の眼に見えないが、他人の眼には見えるというわけです。こういう悪智恵発案者こそ|呪《のろ》われるべきです。僕の襟にくっついた宿命的な星を僕自身で忘れることのないようにしなければ、この星の意味は半減されてしまうように出来ているのです。おれの襟にはこの星がついている。おれは一番下等な星をつけている。そしてこれは誰の眼にもちゃんと見えているのだ。こういうことを、僕は毎日自分に云いきかせなければならなくなったわけです。  僕はそれまで軍隊というものを、ほんとに知っていなかったことになります。僕は二等兵から大将、元帥に至る|遥《はる》かな系列を思いみると、天国にのぼる|梯子《はしご》を仰ぎ見るのにも似た目まいをおぼえるのです。何という遠さ、その一つも跳びこすわけには行かない。その間に二十に近い段階がある。そして僕の周囲の海のような一つ星の群れ。それだけではないのです。貧しい一つ星から二つ星、三つ星と賑かになるのですが、とつぜん次に筋が入り、次に銀色の筋に銀色の星が重なって行く。それからまた急に模様はあらたまり賑かにふちどられる。それから……こんなふうに上になるほどきらびやかに美しく装飾的になるのです。こういうことをきめる時にはたぶん会議が開かれたことでしょうが、会議に列席した連中の頭には、えらい者は美しく、ということがつきまとったに相違ありません。ああそれでは一寸きれいすぎるな。つり合いがとれない。もう少し貧弱に、これではまだ差がつかなすぎる、といったぐあいにして……。  ですから僕は入隊すると気がついているかぎり、この憎悪の気持をこめて、僕を見る相手を|睨《にら》んだものです。それによって何か僕の意思表示ができると思っていたようです。ところが古年兵になぶり者にされるのが、この僕であることがわかりました。憎悪の気持をこめている表情がどんなにむだなものであるか僕には分っていなかったのです。僕のからだの肉のつきかたがアメリカ人に似ているとか、僕が|敏捷《びんしよう》でないとかいうことのほかに、僕の真剣な顔つきを見ると大笑いをしました。そして鏡を見るようにとおだやかに云い、僕が引返そうとすると、それから料理がはじまるのです。彼等はこれを「西洋料理」又は「アメリカ見物」とよんでいました。カリフォルニアのことアメリカの女のこと、さまざまな質問に僕が答えさせられる。英語をしゃべって見ろという。ジャズをうたえという。僕がそういう時に彼等をよろこばせていたら、「アメリカ見物」も「西洋料理」という言葉も出てこなかったにちがいないのです。僕は菜食人種たちの底意地のわるさに敵意をかんじて口をつぐんでいたのです。一度そうしたために二度目からの彼等の質問は僕を道化にしてかわいがるのではなくて、僕をなぐるためにするようになりました。「西洋料理」とは僕を料理することで「アメリカ見物」とは僕のその様子を見物することの意味になったのです。  僕はそんなわけで鏡を見るのがいっそういやでヒゲをそるにも鏡をつかいません。  僕の隣に寝る兵隊で|匹田《ひきた》というのがいました。それがまたひどくなぐられたりいじめられたりするのです。通りすがりにその男がなぐられている様子を見て、自分でわけがわからなくなりました。何故なら、その男がなぐられるのが僕に快かったからです。その男はそうされるような、いわゆる悪い男ではない。僕が見ていて快感をかんじたのは、実は彼の醜さにやり切れなく思ったからなのです。僕はその時はじめて日夜僕がすこしも彼に好意を示していないどころか、僕なりにいじめていることに気がつきました。  僕が醜さといったのは、彼の釣合いのとれない姿勢や、うろうろして叱られ通しであるために暇がないのか、汚ないものを身につけていることや、そういったことだけではなくて、こうなのです。彼の襟元の貧しい一つ星が、彼の小さい目、しょげ切った、ほくろの三つもある顔色の悪い長い顔に合わない、いや云ってみれば、一つ星の方が馬鹿にされている[#「馬鹿にされている」に傍点]といったかんじがするのでした。一つ星でさえも高尚すぎる。一つ星よりももっと下等な星を考え出さなくてはならない、そんなふうに思えるのです。  僕は自分がどう見えるか、考えるのがいやでした。しかしおぼろげではあるが、僕も僕なりに自分の星をいやしめているように見えるのではないかと思いました。一つ星をいやしめるということは、あらゆる星を含めていやしめることになります。  いつか炊事から貰って帰った醤油がありました。どうしたらいいかと匹田に聞かれて、僕は捨てるように云いました。このような残りものを持って行けば、この次から醤油をくれてやらない、というふうにからんでくるにきまっているからで、これは僕にも分っている軍隊の常識なのです。彼は僕の云う通りに便所の中へ流しこみ、いっしょに|食缶《しよつかん》をかついで炊事へ行ったのです。炊事係は待ちかまえていて、残った醤油はどうしたのだ。外の班ではみな正直に返してきた。お前たちはどこかへ捨てたに違いないと問いかけます。僕が、全部つかったのだ、と答えると、嘘を云え。どこへ捨てた。アメリカ、お前が捨てさせたにきまっている、と僕の方に向き直りました。僕はそとで歯を食いしばって待っていると、炊事の仕事も忙がしく僕たちの方が忙がしいのに彼は僕らをひきとめて存分こらしめたのですが、本来ならば僕の方がひどい目にあわされるはずなのに、炊事係が匹田の前に立つと何か身もだえするように地だんだふみ、なぐらずにはいられないといったそぶりを見せるのです。匹田はそのなぐられ方に特徴があって子供がするように手で顔をかくし、なぐる手から顔を遠ざけるのです。なぐられる時には、むしろなぐる手の方へ顔を近づけるのが、普通で能率的なのですが。例によって初めからなぐりたい[#「なぐりたい」に傍点]衝動をおこさせ易い匹田は、こうしてますます相手をあおり立てていることがわかるのです。炊事係は彼を取り扱ううちに、僕の存在を忘れてしまうほどいきりたちました。  僕はこんなふうに思いました。おれは匹田といっしょにいると、日本語でいう、隠れみの[#「隠れみの」に傍点]とやらにかくれたようになれる。匹田は少くとも僕以下であることにはまちがいないと。  僕は頭の中で自分なりに、Xという階級をこさえあげたわけです。こんなことはほんの一例にすぎず、次第に僕はこうした自信を得たのです。  おかしな話ですが、僕は軍馬というものをおそれていました。もちろん馬のいる通信隊に入った以上は、馬に食わせたり、|馬糞《まぐそ》を片づけたり、いろいろ手入れもせねばならず、それを一つも抜くことが出来ないのは、銃や器材の場合以上です。何しろ相手は生き物ですから。それに|蹴《け》られる心配がある、病気をするかも知れない。そういうこともあるけれども、実は僕は馬の眼をおそれていたのです。軍隊には「馬でも星を知っている」という|俚諺《りげん》があるのですが、僕たちよりも先きに入隊し、隊長をのせたり、大切な器材を運んだりする馬が、僕たちより以下のものであるはずはないのです。いや僕はよく云われました。お前、隊長を背中にかついで走れるか。よしんば走れたとしてもだな。隊長の方で断るよ。アメリカ、器材を運べるかよ。持ちあげるのにも四人がかりなんだよ。お前たちなら五人はいる。さあ馬とお前とどっちがえらい? 僕はよくそういったぐあいに問いつめられて、何か妙だ妙だと思いながら、その通りだと思わされるのです。たしかに馬の方がよっぽどえらい[#「えらい」に傍点]。どうして馬がこんなにえらい[#「えらい」に傍点]ことに今まで気がつかなかったのだろう、と僕は真剣に考えこむくらいだったのです。いやしかしこんなに考えこむといっても、兵隊にそんな暇があるわけでなし、第一僕はやはり心の奥底では、馬がそれほどえらい[#「えらい」に傍点]とは思うわけには行かないのです。だいたいのところ馬には星がないからして分るのですが、馬は相当下の方の位にあることはたしかで、僕たちと非常にせり合うていどの位にいるのではないかと思われるのでした。とにかく動物の中では下等とはいえないこの家畜動物が、(そして僕たちが一種の家畜動物なのでしたが)その涼しい眼で僕の星をのぞきこむかと思うと、例の「馬でも星を知っている」という軍隊俚諺がひしひしと|鞭《むち》うってくるのです。  僕はこんなわけで、上級者に立ち向う以上のおそれを以て馬に向いました。馬が僕の星を知っていて軽蔑するかも知れないというよりは、馬が位をくらべて[#「位をくらべて」に傍点]その実力を何かのかたちで、蹴るとか|噛《か》むとかして、示しはしないかというおそれなのです。僕が馬に襟章をかくすようにしていたといったら笑われるでしょうか。しかしそれは事実なのです。  しかし馬に星を見せないようにすることなんかできるでしょうか。馬の首のことを考えただけでも、それがいかに空頼みかがわかるわけです。  隊長の馬など僕たちが扱うものではない。ところがどうしたことか、ある朝匹田があごを蹴られて仰向けにたおれたので、見るとそれが隊長の馬です。その五郎という栗毛の馬は、匹田を|犠牲《ぎせい》にすると、そのまま練兵場にかけ出し、誰にかまわれることもなく跳んでいますが、その姿が心にくい美しさなのです。匹田にこの馬を手入れさせたのは悪意にちがいないのです。僕でさえ馬の方に好意をもったくらいだからです。いや実をいえば、隊長の馬の手入れをさせたのは僕です。そういう嘘の命令を伝えたのは僕なのですから。それが隊長の馬であったことさえ、彼は愚かにも知らなかったのです。ほんとうは彼はその隣りの馬を手入れするはずだったのです。もちろん僕はあとで例の|打擲《ちようちやく》にあいました。嘘がばれたからです。しかし打擲そのものを僕はおそれていたわけではないのです。僕のおそれていたのはむしろ恥の方なのです。  恥をあがなうことが出来る打擲なら、僕は深夜の打擲さえもさほど恐れなくなっている。僕はあちらで学生時代に、ボートを漕がされたことがありますが、それを僕は思い出すのです。何千回というバック台の練習をやる時など、たとえば五千回という回数に近づくにつれて激励の声がまわりでおこり、受難者を追いこむのです。頬打ちも大体のところこの要領で、その時その時の罰に相当する三十、四十、五十……と十進法による目標の打撃数に近づくと、この追いこみの声援が周囲でおこるのです。そして僕は受難よりも、この恥辱の方がつらいのです。  僕はそれまでによく夜中にようかんの類を匹田に手渡したものです。そのために僕の食べるものをしんぼうして蓄えておいたのです。彼は、そばにいるだけで、こちらの|身体《からだ》がむずがゆくなるような男ですが、その彼がフトンの中で音をたてはじめる。それを楽しむために自分の胃の|腑《ふ》の要求をおさえて蓄えておいたわけです。飯も彼に僕の分をわけてやりました。そのために彼も僕も睨まれるのですが、とにかく僕は優位に立てるのです。打擲者に対してさえも。  馬にあごを蹴られた匹田は、人になぐられた時よりも、いっそう同情を失って寝ていました。僕は彼に|粥《かゆ》を流しこんでやったり、甘味品をつぶして入れてやったりしたのですが、その時ほど口の醜悪さをかんじたことはありませんでした。そしてそれだけまた僕の喜びでもあるわけです。  僕の部隊のいる部落から少し西南に行くと、もう深い山が迫ってきています。その山へいくども登らさせられたのです。敵が来るとすればその山をおりてくる。その山を登ることは出世をしたい兵隊にとってあこがれでないわけはないのです。戦わなくとも沢山の荷物を一人で背負って隊伍の先頭をきって山を登ることが、抜擢されるめど[#「めど」に傍点]になるのです。僕はこの山をきらいました。僕はかくべつ体力が劣っているわけではないけれども、|樵夫《きこり》や炭焼き人夫の多いこの部隊の者と競うのが、僕には許せなかったのでした。僕は匹田を道連れにすることに心を決めていました。  夜中に出発して翌日の昼頃には僕たちは三つの大きな木のない山を越えました。隊伍は乱れてきて匹田はその短くやせた脚ではおくれるのがあたりまえで、匹田にばかりついてきた僕は、気がつくと二人だけかたまって歩いているのです。匹田の哀れな姿を見ると、僕にしてもその襟から星をもぎとってやりたい気持にかられるのです。そいつがあまり毒々しく生々して寄生虫のようなかんじだからです。僕は匹田の脚が岩につまずく音をきき、その数をかぞえていました。僕は彼の手から銃を受けとり二|挺《ちよう》かついだのです。彼にしても銃を人手に渡すことの意味を知っていたのですが、気をゆるしたのです。  一時間後に匹田は|崖《がけ》の上から逆さになって脚をバタバタさせていました。  先行者たちは頂上で僕たちを|肴《さかな》にするつもりで待っていたが、なかなか上ってこないので、日は暮れかかるし、迎えに来たのですが、僕の二、三十|米《メートル》後方のところで、匹田は自ら崖から落ちようとしていたのを見つけられたのです。彼が何をしていたか、僕も心得ていないわけではない。何故なら「杉原よう、杉原よう」と何度も匹田は僕の名をよんでいたからです。僕が彼にほんとの友情をもっていたら、そんな時に知らん顔をしている筈はないのですが、二、三十米前方に距離を保ち、しかもこんなに部隊ぜんたいからおくれているのは、まったく自分のためなのです。彼等は僕をなぐる前に匹田をなぐるでしょう。それに僕は彼の銃を持ってやっているではありませんか。彼はかってに死のうとしている、小銃は手放している。これほど上級者にとって、いや厳然たる星にとっての侮辱はないのです。そこで彼は無残にも二人の古兵に脚をもたれて、崖の上から谷にむかってぶらさげられたのです。  匹田はさんざん悲鳴をあげてから、かついでこられ、隊長の馬にのせられました。馬にのせるように命じたのは隊長で、馬は例の五郎です。匹田はうなだれて時々僕の方をぬすみ見しました。僕に救いを求めているのです。  途中軽戦があって戦果として二人の敵が死にました。匹田はその間崖のかげにかくれて馬にのっていました。  道端に空色の綿入れの服を着た一人の兵隊がうつぶせになっており、一人の兵隊がそれをごろりと足でおこしてながめています。やはり僕たちとおなじところに、黒の地に白っぽい星を一つつけているのです。あくどい貧しさではないけれども、敵の星[#「敵の星」に傍点]の貧しさは僕に親近感をいだかせるのです。あるいはこれは屍体となっているからでしょうか。僕はアメリカにいる時に、友人の日本人を火葬にしたあとで、骨壺に骨をくだいていれる時、アメリカ人が、これは日本人にしては体格のいい人だね、というのをきいて、死んだ友人に|嫉妬《しつと》をおぼえたことがありましたが、これがかぼそい骨だったらそんなことはなかったと思います。  匹田が隊長の馬にのって戻ったという豪せいさは、前にもました虐待によってむくいられるはずなのですが、彼は肺炎で衛生室につれて行かれ、僕は食事をはこんでやりました。  彼は日傘の絵描きでチリ紙に絵をかいたのをそっと僕に見せてから、それで鼻をかんで僕にすててくれと云いました。彼の描くバラの花や朝顔の花の絵は、どれもこれもきまりきったものでつまらぬものです。ただそれを描いている彼の表情には、いつもとはちがったものがあるので、なるべく見ないようにしました。彼は病衣を着ていましたが、それを洗うのは僕です。僕がぬがせると、困った顔をして礼も云えない有様です。それがまた僕には大切なことなのです。  悲しいと思いますが、僕は彼に妻子があるとは考えたこともなかったし、聞いたことがあったのでしょうが、僕の方で忘れたがっていたのか、彼が手箱の中から妻子の写真を持ってきてくれと僕に頼んだとき、はじめてそのことに気がつきました。彼は僕に手渡して、見てくれというので、ああもう見たよ、と嘘をつきました。彼に妻子があるとみとめることは、匹田を一人前のにんげんあつかいにすることです。僕は彼を家畜動物にしておきたかったのです。  ですから僕が、彼だけ二等兵にとり残されたことをつげた時、僕は泣いていたけれども、彼は見ぬくわけはないのです。  星の数が一つふえるということが、なぜあのように兵隊の心を支配する重大なものなのでしょうか。哀れな一つのこの地上の星がふえるということの意味は何でしょうか。ほかのさまざまの式のばあいとおなじく、進級式というものがおごそかに行われるのです。この日から兵隊たちは一そうよくはげむようになる。外へ出たがる。外出してこの進級を見せたがる。しかし誰に向って見せたいのか。  僕は一等兵になって初めて鏡を見ました。一つ星であるべきだった。おれはもう軌道にのせられている。僕は見たことにかえって大へん恥辱をおぼえたのです。  匹田は病室で僕を一等兵どのと呼び、もうじき退院なのでこれからのことを相談しました。ここにいて少し楽をしたが、今さら戻るくらいならば、毎日いじめられていた方がよかった、と告げるのです。僕はこれから衛兵につくのだから、その間だけは僕たちだけでいられるといって慰めると、彼はフトンに顔をかくしてしまっています。それが何か僕をこわがっているみたいです。 「どんなことがあっても死ぬことはよせよ、匹田くん」  すると匹田はフトンの中から顔をのぞかせて、 「そうですか、女に生れたかったね。女ならどんな女でも奴等にいじめられることはないのに。くっついてくるわ」  と|口惜《く や》しそうにいうのです。いずれにせよ匹田は暇にまかせて彼の妻子のことや、死ぬことを考えていたらしく、僕は冷水をあびせられたようにぞっとしました。自殺者は一つ星の者にきまっているし、連中は例外なく首をつる。  匹田は僕にはなくてはならないにんげんである。いや、にんげんというより、星である。それにも増して古年兵にとっては大切な存在です。匹田が病室にいるようになってから、古年兵は何かせきりょう感におそわれ、僕の方に何かとしかけてくるが、そのあとで匹田の安否をきくのでも分るのです。  とにかく僕と彼とは城門|歩哨《ほしよう》に立つようになったわけです。城壁は周囲一里あり千五六百年はたっています。東西南北の四つの城門があり、|青錆《あおさび》のついた金具のうってある重い城門を朝の五時半に開門し、夕方の五時半に閉門するのです。閉門すれば交通はとだえ、それ以後は城壁上を動哨するわけです。待機時間には城外へ|西瓜《すいか》を盗みにやらされたものですが、気がついてみると僕は匹田に命令を下しているのです。僕はつったって彼に西瓜をちぎらせ、あちこち、よさそうなのを見つけては取らせているのです。匹田はさすがにおどおどと僕を見あげるので、僕は腹立たしくなって、早くと語気をつよめる。僕は今までこういうことはなかったはずです。匹田が動けば僕も動いていたのです。これはいったいどうしたことか。いつのまにこうなってしまったのか。  城門歩哨に立つと、匹田と僕は、城門を出入する支那人に一人一人身分証明書を出させて首実検をするのです。ここでは僕たちも孤独でいられるだけではなく、鉄帽をかぶり銃剣を手にしている以上、馬鹿にはされない。二世であることも分らない。そういう立場から僕は現地人になら|馴染《なじ》んだ気持になれる、と思ったのでしょう。  名は何というか。どこの生れか。何歳か。  子供はあるか。幾人?  何処より来て何処へ去るか。  その部落は幾里はなれているか。  汝の|小孩《シヤオハイ》は美人になる。  僕はこんなことからはじまって、僅かな単語をつなぎあわせて任務をはなれたことまで聞きこむのです。宣教師が通ると僕は英語で話しかけたりする。ふと見ると匹田も僕をまねて顔をよせるようにしてききこんでいる。彼は商売のことは僕らよりくわしいので色々ききたいこともあるのだろう。現地人は、綿、メリケン粉、フトン、家財道具、野菜、石炭、その他さまざまな品物を|担《にな》うかロバで運ぶのですが、銃剣でさして中に兵器等が入っていやしないか、時にはひっくり返してしらべるという残酷なことをするのが任務なのに、僕も彼も自分のために渇いた|喉《のど》をうるおすように問いかける。  この奇妙な検問者は荷物に手をつけることがないので、支那人は「|謝々《シエシエ》」と礼をいって去るのです。ところがいつのまにか歩哨係がそっと後ろに立って様子を見ていたので、現場を見られた僕はいきなり蹴倒されました。僕は銃剣を手にしたままつんのめって|蛙《かえる》のように地べたに倒れました。僕だけそういう仕打ちにあうのは心外ですが、僕が一等兵で二人の責任者であれば当然のことかも知れません。僕が起きあがるともう一度蹴倒されましたが、僕の前に立っていた現地人の男は急に歩哨係に|愛嬌《あいきよう》をふりまきはじめ、そればかりか、その男のあとに順を待っている連中が、僕の方を見てうす笑いをうかべているのです。それはたぶん僕の眼鏡の球が一つ落ち、つる[#「つる」に傍点]がこわれたのがおかしかったからでしょうが、いずれにせよ彼等は僕には何か急に遠い、敵のような、僕の上級者の仲間のように思えるのです。今考えるのに、彼等の前には一つ星、二つ星、三つ星のかんけいがさらされたわけです。それだけでも笑うべき価値は十分にあったのです。  こうして瞬時にして夢は消えてしまったのです。僕には夢を霧散させたのは、匹田だという気がしてならない。それからあとは支那人が僕の前を通りすぎて行ってももうなつかしい気持はおこらないのです。ところが匹田の方を見ると、たまたま妊婦をつれた男に、卑しい表情さえうかべて食いついているので、彼によすように合図をするのですが、彼の方では微笑を僕に返しさえする。匹田は|先《せん》だって僕の云った言葉をそのまま受け入れ、存分に楽しんでいるのは明かです。僕を信頼し、|庇護《ひご》を期待している。その浮き浮きした様子が、僕にはがまんがならないのはどうしたことなのか。一つ階級のあがったことがそうさせるのでしょうか。  城壁の上には幅三、四米の道がついている。夜になると真暗なその道を動哨するのです。本来ならば四つに区分したうちの二つの地域を、一人ずつで動哨するのですが、見習期間で僕らは二人で警戒する。  昼間から僕は、匹田をただですますまいと身ぶるいして困ったのですが、動哨に立つと、彼は例によって僕の後ろからのこのこついてくるだけでなく、ぼんやりとあかりのついた城内の民家を城壁の上から吸いつくように眺めて歩くので、一度二度すべり落ちんばかりになりました。僕は三度目にはただでおかないと怒りがこみあげてくるのです。  ですから三度目に彼が愚かにも城内へすべり落ちかかった時には、僕は彼の首すじをもってひきずりあげながら、反対側の城壁の方へひっぱって行き、そこにおしつけ、警戒の任務も忘れて、 「お前は兵隊だぞ!」  と叫んでなぐりつけました。なぐられる者の痛みが、僕の手にひびいてくるのです。それはなぐられつづけてきた者でないと分らないかもしれません。僕はほんとは、「最下等の星だぞ」と云いたかったのです。  匹田は僕には手で顔をかくしてふせぐのです。彼はやっと|此《こ》の頃打たれる時に手をあげなくなっていたのに、僕にはそうするのです。僕はこの手をもぎはなしてなぐりつけたのです。 「譲次さんよう。何でもするからかんにんしてくれよう。お前の洗濯でも何でもするからよう」 「きさまにまでなめられてたまるか」  僕はたしかにこう云ったようです。僕は|益々《ますます》自分の言葉にいきり立つと、匹田は涙の伝わる平ったい放心したような顔を城外へ向けて、おいおいと泣き声を高めながら、十米ある城壁をまたごうとするのです。僕は病室でのことが浮んできて、ぞっとしました。そして彼を引き下したのです。  城壁の上で僕は何をしていたのでしょう。城内、外からロバの|啼声《なきごえ》が断続してきこえてくる。城内のすぐ足下の家の軒からは読経の声がのぼってくる。貧しい支那人の生活なのですが、僕らの方がどれだけ|惨《みじ》めかも知れない。僕は惨めさに|気狂《きちがい》のようになって城壁の古い冷たい石をつかむと、僕の眼より下のところから一面の星が空高く昇っているのが見えるのです。空をめぐって向う側の城壁のところで切れている。僕は長い間天上に星のあることを忘れていたのです。  僕は悲しみが胸からつきあげてくるのをかんじてふるえていると、とつぜん匹田が、うずくまったまま、 「お前さんはやっぱり日本人じゃないわ。そうや、そうや、そうなのや」  と駄々をこねるように|呟《つぶや》くのです。   第二章  員数外の匹田が南方の部隊に転属したあと、僕は|聯隊《れんたい》本部に勤務に出て|猪間《いのま》大尉の当番兵になり、その後方面司令部へついて行きました。猪間大尉は二十二、三の男で、将校という以外これという目立った特徴のない、しいて云えば、僕が毎朝洗面水をはこぶと、窓から|痰《たん》をいきおいよくとばすことや、濃いシナ茶をのむことぐらいです。一口で云えば、彼はまったくの将校でした。将校の星をつけた彼は三十歳に見えるし、ふしぎなことには二つ星をつけると、年齢もその年相応になるようで、年さえも星に屈服しているかんじです。  このような遥かな星に向うと、僕は憎しみよりも、憧憬に近い気持をいだくようになっていたのです。下々の星のなかでさいなまれているうちに、星の系列のなかに身をなげ出して、自分を思いきりおとしめることの方が、はるかに生き甲斐をかんじるようになったのでしょうか。事実僕はしだいに星は星だけのことはある、一等兵は二等兵より、上等兵は一等兵より、下士官は兵隊より、それから将校はぐんと下士官よりえらい[#「えらい」に傍点]というふうに思いさえしてきたのです。僕は自分より上の階級のものは、初めからちがった人種であるほどにも思うようになってきたのです。とくに将校が、たとえば僕が、毎日洗濯をしてやったり、飯をはこんだり、茶をささげたりする猪間大尉どのが、僕と同じ人種であると、どうして思えたでしょう。僕は一時は菜食人種だからおれよりえらいのではないか、という奇妙な考えをいだいたことさえもあります。自分がだめなのはアメリカにいて肉食をしたからではないだろうかと。  いやそれよりも僕が二つ星に進級したことが[#「二つ星に進級したことが」に傍点]、星に対する信頼の念を増さしめたのでしょう[#「星に対する信頼の念を増さしめたのでしょう」に傍点]。  いつか聯隊での師団長の検閲があった時です。僕たちと向い合って立っている兵隊が、猪間大尉の「頭右」の号令で師団長の方に向って勢よく顔を動かした瞬間に、その兵隊の顔がとつぜん長くなってしまったのです。ただ漠然と長くなったことだけが、緊張した僕の眼にうつっているのみです。師団長がその前に来た時、彼は兵隊につかつかと近づき、そのあごに手をかけてエイッと気合を入れると、そのまま師団長は移動して行ったのです。兵隊は短くなった顔を一層硬直させて、直立不動をつづけています。実は兵隊のあごが外れていたのをとっさに直したのですが、僕は驚歎してしまいました。もちろんあとで全軍が泣きました。その堂々たる落着きはらった師団長の様子と温情にはやはり星にはかなわぬと思ったのでした。考えて見ればこれだけの演技がそもそも何のことがあるでしょう。彼はあごを入れる術を心得ていただけかも知れません。  僕は猪間大尉の当番兵、つまり女中なのですが、たとえ今ここに大尉の襟章と一等兵の襟章とを持ってきて、子供にどっちの方を取るかと云えば、必ず大尉の方をとるにきまっていますが、そのままのひらきをもって、僕は猪間大尉に|拝跪《はいき》していたのです。  聯隊本部にいる時なぞ、僕は同室の勤務兵の代表で、一番星が低いために点呼に出る。その前にストーブを五個たく。二十数米の廊下と階段に|雑巾《ぞうきん》がけをする、大尉の食事をはこぶ、いや洗面水をその前に運ぶわけだし、床をしまう。いやその前に僕が自分で代表で飯あげに行ってきている。ストーブをたく前には石炭を炊事から盗んできていなければならない。いや朝だけでも数かぎりないこれらの任務を行うことが、妙に楽しくさえ思われるのです。なぜなら雑巾がけには、雑巾のしぼりぐあいから、廊下の|釘《くぎ》をよけて拭いて行く面白味はあるし、飯あげには、ぬげそうになる営内靴をぬがさぬように、汁をこぼさぬようにはこびつつ、遥か前方から来る上官に敬礼を行うという、苦しいだけにそのあとの快感はある。いや廊下に雑巾がけをしながら聯隊旗の前で急に立ちあがり、歩哨に敬礼をし又雑巾をかけて行くスリルもあるのだ。聯隊旗は|塵《ちり》をかぶって部屋の台座の上に垂れている。そしてそれを生きた兵隊が守り、それに僕が敬礼をするのです。  猪間大尉にはじめて会ったとき、彼は僕に履歴書をかかせました。彼は僕がたった二つ星の当番兵であることと、二世であることに不満のようでした。実は恥しい話ですが、僕はすぐにリレキショという言葉がわからず、 「リレキショ、リレキショ」  と口の中で呟いていますと、彼はリレキショの説明をしてくれるので、 「ああ……でありますか」  と英語で口をすべらすと彼はほんとに|慨歎《がいたん》しましたが、何か僕のようなものを当番兵につかって一人前の兵隊に仕立てることに責任をかんじたようなのです。僕は中学に行くようになってカリフォルニヤの両親のもとに引きとられ、向うで大学を終えたのち、叔父に会いに日本にもどってきたまま兵隊になった経歴をかくと、彼は不思議な動物を見るように僕の顔をのぞいていたが、そう云えばどこか日本人ばなれしておる、とうなずき、カリフォルニヤのことをいろいろ聞いてくれるので、つい心を許し回想にふけっていると、彼はとつぜん僕の書いたリレキショを破ってストーブにくべてしまい、 「杉原譲次一等兵、お前が日本軍人になるのは大変だぞ。今日かぎりお前の過去はないものと思え」  と申し渡しました。それだけでなく、彼は日々僕に反省録を書かせることにきめました。彼がそれを読み、日本軍人になりつつあるかどうかをしらべるわけなのです。それから彼は特に僕に詩吟をおしえてくれることになりました。僕はその後リレキショを二度ばかり書かせられ、そして破られたのです。そしてそれをまた反省録に|認《したた》めるのです。  猪間大尉は僕が反省する材料をさがしあぐんでいると、彼の方で指摘してくれるのです。反省録の紙面がつぶされるほど喜ぶわけですが、僕が彼を侮辱しやしないかと|猜疑心《さいぎしん》がつよくて、反省文の内容は主として、彼に対して僕がいかに尊敬心をそだてているかといったふうのもので、遂に彼は奇妙な|術《て》を用いることにしたのです。それは僕が大尉の襟章を三つ用意していて、彼が就寝すると、折々つけかえるということなのです。いうまでもなく僕がそれによって、猪間大尉は大尉なのだということを、|夢寐《むび》の間にも忘れないためです。そして又もや反省録が待っているという順なのです。  僕が恥辱を以て、この襟章のつけかえという行為をあがなったせいもあるかも知れないが、僕は猪間大尉は星で、星そのもの[#「もの」に傍点]がえらいのだというふうに、だんだんと思うようになってきたのです。こういうことは少くとも今迄にはなかったことです。  今となっては信じられぬことですが、猪間大尉が歩いてくる[#「猪間大尉が歩いてくる」に傍点]と僕が思う時には、僕は自分にとって一つ一つおぼえのある星のことの方を、考えていたようです。少くとも僕は自分のつけかえてやる三つの襟章の表情が、やるせないほど心にしみこんでいるのです。何ということでしょう! そんなわけでトム・フランク・ケイトと、僕は僕だけで二人の兄弟と一人の妹の名をつけてひそかによんでいたわけですが、星が近よると、オー・フランクといったぐあいに心の中で迎えるのです。  そう云えばいつか僕が猪間大尉に敬礼をすると、彼はふきげんそうに云いました。 「杉原一等兵、お前は何に敬礼しているのだ」 「はい、大尉どのにでありますが」 「おれに[#「おれに」に傍点]ではだめだ。おれの眼に敬礼するのだ。反省録に書いておけ」   雪の日にはケイトは気の毒だ。   フランクは乱暴者でよごして困る。   儀式のときはやはり兄貴のトムさ。  このような僕のひとりごとは反省録にも書かれないので、猪間大尉は知るはずもなかったわけです。  ある日僕は大尉の入浴の三助をしたのですが、彼が湯ぶねから裸の姿をあらわして、僕の眼の前にどっかりと坐りこんだ時に、僕は電気にうたれたような強い衝撃をうけました。僕はおかしなことですが、大尉の襟首に、僕のケイトがくっついている気がしてならない。大尉が裸になっていて軍服を着ていないということが、なぜこんなに僕をおどろかすのか。この僕の前にいる裸は誰なのか。筋肉が隆々としているとはいえ、坊主頭をしたこの裸と僕の裸とがこんなに違うのか。猪間大尉は入浴すると得意な詩吟をはじめるのです。僕はタオルと石ケンを手にしたまま茫然としていたのですが、例の吟声で、まぎれもなく猪間大尉どのだとほんとにかんじ、我にかえったのです。僕は何か歯車が食いちがったようなとどこおりと、不安をかんじてならず、早く自分にも猪間大尉の裸にも、軍服を着せたくなるのでした。  僕はそれまでに彼といっしょに入浴したことはない。この時以来、僕は大尉の三助を毎回つとめることになったのですが、その度に僕はますます落着かない。いや困ったことに彼が茶を音をたててすすりこむのも、飯のお代りをするのも、いびきをかいて寝るのも、窓から毎朝|痰《たん》をはきすてるのも、みんな変に思われてならないのです。僕は考えこむわけですが、兵隊が考えこんだら、怪我をするか、大失態を演ずるかにきまっています。僕は何かしでかさなければいいがと心配にもなってくるのです。  ある日のこと、猪間大尉のお伴をして|北京《ペキン》の街へ出て行くと、こっちに向って通りの向うからさかんに手があがり敬礼してくるので、僕も何か浮き浮きしてきて手をあげる。すると行手で一台の車がとまったのです。大尉が立ちどまるので僕もそれに合わせて足を止めてじっと見ていると、ドアがあいて、参謀の|縄《なわ》があらわれた。もうその時には大尉が「敬礼!」と大声でさけんでいるので僕も耳もとに手をあげたが、何があらわれるか、手をあげながら大尉のかげからのぞくと、僕がまだこんな近くで見たこともない、豪華けんらんたる何十万の星にも価するベタ金の星があらわれたのです。このような星は何にたとえたらいいか、僕の愛育している三人兄弟なぞ、育ちのわるさを思わせるばかりで、これは街におり立った女王のようだ。僕は右手の方も忘れはてて、わくわくして女王の歩み出すのを尚も眺めていると、参謀の縄がそれをじゃまするように先きに立って僕に近づき、こちらも一歩二歩近づこうとすると、急に|破《わ》れ|鐘《がね》のような声がなりひびき僕はあっと後ずさりしたのです。  僕は閣下に欠礼したことを知らされました。そんな筈はないと思いながらも、目の前が真暗になり大尉にひきずられるようにして戻ってきました。一時間後、僕ははじめて大尉の顔をまじまじと眺めて立っていたのです。僕は大尉も云ったように、思えば彼と日常の生活を共にしながら、さいきんは彼の顔を見たことはなかったような気がします。彼の鼻は根元から太っている。目は細いが光っている。あごは角で口もとがしまっているが、その口がさっきから気ぜわしく開いたり閉じたりしているのです。僕は今なお夢うつつでいるので彼の言葉がなかなか耳に入らないのです。 「見世物を見るように閣下をのぞいているやつなぞ、どこにいるか。こともあろうにあの参謀の前で。おれはお前をたたき|斬《き》る」  彼がこんなことをくりかえし云っていることが分ったのですが、こうした自分の身にとっての一大事が、やすやすと相手の口から発せられる奇妙なよりどころのなさに、僕は茫然とするばかりで、今日あたりはケイトをかえてフランクにしてやらねばならぬ。星がゆがんでいる。こんなはずはないのだが……。  とか、猪間大尉はこの参謀と同期生だが二階級おくれているので、そのために第一線で勲功をたてたいのだが、彼が功をたてれば、参謀もそれにつれて進級するので、口惜しがっていたことなど、かえってそんなことがうかんでくるのです。  猪間大尉は業をにやしたと見え、僕をむりやりに裸にし、自分も勢いこんで上衣をぬぎました。僕は東の方に向けさせられ、彼は手に軍刀をにぎり僕のシャツでそれをつつんで僕のそばによってきました。 「いいか、ためらわず腹をかき切れ、あとでおれが首をおとしてやる。死んでからのことは心配するな」  僕は彼の言葉を冗談だとは思っていないが、ほんとにするにはあまり急で、僕は悲しい気持になるひまもない。自分の腹を見ると|臍《へそ》がぽつんとわびしげである、見つめているうち思わず僕が、 「あっ、一つ星が」  と口ばしると、 「何、何があるのか、杉原」  とのぞきこむので、 「一つ星が、一つ星が……」 「お前の|臍《へそ》は、なるほどまた星に似ておるぞ、こいつは……」  大尉はこういうと、僕の方がびっくりするほど快活に笑いはじめたのです。  僕の語る荒唐無稽な話が信じられぬとしたら、それは僕の語り方のまずさの故です。人を死なせることを目的にした軍隊というものの中にいたら、荒唐無稽な感情こそ、むしろあたりまえだと思っていいのです。  そのような感情を疑う人に祝福あれ!  僕がこのような呟きをもらしたのは、僕が長い間かかってやっとふりおとしたはずの最下等の一つ星が、所もあろうに自分の腹の真中にかくれていたという悲しさなのですが、僕はこの感情を外へ出したことには|堪《たま》らない恥しさをおぼえる。猪間大尉は自から|哄笑《こうしよう》したことで、僕を処刑することはあきらめて僕を病人あつかいすることにしたようなのですが、僕は彼に心の秘密をさらけだしたわけです。助かったことがおそろしいくらいです。  僕があわてて腹をかくすために軍刀を巻いたシャツを着ると、猪間もまだ昂奮のさめやらぬ様子で軍衣を着ています。彼がふと顔をあげると、僕はあっと声を立てんばかりになりました。猪間一等兵が突如僕の前に出現したからです。僕は猪間大尉が猪間一等兵になり得るなどと、考えたこともないのですから、僕の方が虚をつかれた恥しさをかんじなければならず、いや僕ははげしい喜びに身うちがふるえるのを知ったのです。肌ざわりも何もかも違う僕の軍衣をまとうとは、彼の|迂濶《うかつ》さにも程があります。彼は気が変になったのかも知れない。  彼はそれでも僕の表情に異常を認めたのか我が身をふりかえり、真赤になり、僕の上衣をぬいで放り出すと、 「もう襟章をかえるでない。お前は謹慎して反省しろ」  と云い残して靴音たかく出て行きました。  彼は僕を神経衰弱というふうに上司に報告して十日間の謹慎を命じたのですが、僕が閣下に対して敬礼したさいに、僕の身体の角度がずれていただけで、僕の首を切ろうという猪間自身が、どうして狂人でないと云えるでしょうか。僕はさっき猪間大尉が一等兵になった喜悦を思い出し声をあげて笑いました。ケイトを彼の首から奪ってやるぞ……。  僕は彼の入浴時を見はからって風呂場へ忍びこんで行きました。三助の役を続けたいと願っていたわけではないのですが、今まで三助をしていたのに、もうその仕事を取りあげられたことは、どこまでも落ちっ放しにされたような奇妙なわびしさをおぼえるのです。僕はそれまでは|焚口《たきぐち》から、 「おかげんはいかがでありますか」  と叫ぶのが習慣だったので、表の方から足を忍ばせた時には、われながら気が|咎《とが》めていたのですが、そんな感情を無視して僕は彼の軍服の襟元をねらったのです。  ところが足をふみ入れたとたん、僕は急に猪間に怒鳴られたようにかんじ、外へとび出してしまいました。よく落着いていると、その怒声は僕に向って放ったものではなく、つまり例によって彼が独り湯ぶねの湯にさざなみを立てながら、詩吟を吟じているのだったのです。  サンセンソウモク ウタタコウリョウ  ジュウリ カゼナマグサシ シンセンジョウ  …………  僕はその隙に乗じて大尉の洋服からケイトを奪いとって、その代りに僕の襟章をつけると逃げて来ました。  引返してくると、その足で大尉の部屋の観音開きの扉をはずして中へ入り、扉を元通りになおしておきました。部屋の中で僕は何事[#「何事」に傍点]かをし、しかもそれを大へんに気ぜわしくやって[#「やって」に傍点]しまうと彼の帰ってくるのを、息をころして待ちかまえていたのです。  するとやがて、猪間大尉が息せき切ってかけてくる姿が、紙障子の破れ穴からのぞいていた僕の目にうつりました。彼は上衣を手にかかえこみ、|襦袢《じゆばん》のままの姿です。大尉は部屋の中へとびこむと、とたんに上衣を放り出しましたが、彼が上衣をかかえてくるところから、こうして放り出すまで逐一眺めていた僕にとって、猪間は何かただの若僧という感じがしてなりませんでした。僕を見つけると、物もいわず後ずさりしました。後ずさりするといっても彼の背中はすぐに扉に当ってしまい、そこで彼は立ち直り、僕を叱りつけるように叫びました。 「こいつ、そ、それは此の猪間大尉の一装用の軍衣ではないか」 「…………」  僕は大尉の目を見ながら立っていたような気がします。いつか「目を見るのだ」と云った大尉の言葉そのままに。大尉の襟章を見ようにも、彼は襦袢一枚のままなのです。  猪間大尉に云われて見るとなるほど僕は彼の一装用の軍衣(それには、僕はトムをつけておいたのだが)を着ています。  僕が自分の姿におどろいていると、彼は我をとりもどしたようで、彼のからだは急に僕には大きく威圧的に見えてくるのでしたが、そう見えるとたん、僕は横面をなぐりつけられました。 「悪質な狂人だ、きさまは。さすがのおれも、おどろいた。この狂人。きさまのような奴がふえたら将校は枕を高うして眠れんし、軍隊の壊滅だぞ。あの時に斬りすてるべきだったなあ。こらっ、悪いと思うか、アメリカ!」 「…………」 「きさまが何故そんな気になったか、ようく反省してみろ。分るか。分らんだろうな」 「…………」 「それはだな。きさまが自由主義の国に育ったからだ。ほんとに、そのうちお前のようなやつは、閣下の星をつけかえるかも知れん。そんなことになったら、おれは少佐にもなれんわ」  それから彼は無法にも僕を縄でしばりあげて、被服庫の中に閉じこめておきました。彼がどうして被服庫をえらび、また幾日間そこへ置いておくつもりだったのかは分らないが、僕は何か自分でもしょげてしまって、おとなしく端坐してあたりを見まわすと、皮肉なことに、まわりは束にした襟章の山なのです。僕はその頃は連日の不眠の夜を送ってきていたのですが、襟章の束の中にうずくまると、いつしか眠りに落ちたようです。今になって記憶を整理すると、やがてとつぜん僕は立ちあがり窓べりに歩いて行き、破れ|硝子《ガラス》で縄を切ると、窓を外してとび出したらしいのです。  僕は|途々《みちみち》こんなことを呟いていたと思います。  閣下は明朝司令部へ出られて、そこへ先ず参謀が挨拶に顔を出す。どうも今朝は見すぼらしくなられたな。オヤ、閣下ではなく、一等兵じゃないか。何を威張っているのだ、この一等兵は。しかしどうもやはり此の男は閣下らしい。どうされたのだ。まあ黙ってそっとしておこう。こんなぐあいにして参謀はじめ誰も彼も黙っている。二日目になると閣下は……  こんな空想にひたりながら歩いていたとすると、僕は猪間大尉の予言を忠実に実行しようとしていたことになります。ところが、その時僕は、 「ジャズを歌いやがって」  と誰かが叫ぶ声を背後で聞いたかと思うと、ひどい力で組み伏せられそうになりました。詩吟ならばともかく、軍隊でジャズを歌っていたとは、何としたことでしょう。腹立たしいのは僕の方なのですが、とにかく僕は、どうしてそんなことをしたのか、とっさに相手の手にかみついてそれをふりほどくと、アッパーカットをくらわせました。その時僕は、相手が猪間であることに気がつきました。 「この狂人の馬鹿力め」  と叫ぶ声を後にして僕はそれから夢中になって|塀《へい》をとびこえ街の中に出たのです。何時間歩きまわったかもしれないが、どこを歩いているのか、何をしているのか、ここが北京の街であることさえさだかではないのです。僕は地球の外へ落ちて行くような気さえしたのです。僕は地べたに坐りこんで、大声をあげて叫びました。 「陸軍一等兵杉原譲次。自分はどこにいるのだ。おれを連れてってくれ」   第三章  終戦になったとき、猪間大尉は、戦争は終るわけはないと云いました。大尉一人でも攻めて行く勢だったからです。いや大尉が行けば当番の僕は、どうして行かずにおられるでしょう。しかし大尉はその後、自決することにしたといいました。そのうち彼は共産軍に入るからお前も行かないかと誘いました。共産軍に入ると三階級はとんで、大尉は大佐になり、僕も下士官ぐらいにはなれるというのです。大尉のこの誘惑は僕にとっても強いものでした。三階級とべるなら、共産軍と運命を共にしてもいいとほんとに考えたのです。これは特筆すべきことです。僕はもうその頃には渉外事務をとらされて、海兵隊に届けるために奥地からの情報を英語になおしていたので、奥地では重慶軍の北進をまたずに共産軍に投降する部隊があって、それが階級のあがるのが主な理由なのを知っていたのです。投降しない部隊では全滅になったのもあります。 「ほんとに下士官になれるのでしょうか」  僕は大尉だけ大佐に進級して僕の方は兵隊のままになることもあるのではないかと思って、大尉に聞いても彼は僕のことにはあまり関心がないようで、 「直ぐになれん場合にでもそのうち猪間大尉がしてやるぞ」  と答えるのです。  僕の持っているのは僅か二つ星です。しかしこれきり終戦になったとすると、僕の二つ星は大尉の星と同様に、僕には大切なものなのです。二つの星には思い出と歴史があるわけです。その点では僕の方が大尉の場合より大切なものとも云える。僕はこの星が大切なあまり、もっと星のつきまとう生活をつづけたいような奇妙な考えをもったのです。  僕が英語の仕事をするようになったのは猪間大尉がどなりつけるようにこう云ったからなのです。 「お前は今日から英語を思い出せ。いいか、どんな事があっても思い出すのだぞ。そのつもりになれば人間なんでも出来る」 「どうしたら思い出せるでしょうか」  僕にアメリカのことを忘れよ、と日夜精神訓練を行ったのは猪間大尉本人ではありませんか。つい先日まで攻撃をもくろみ、自決だと云い、現在は逃亡を企てかねない猪間大尉の口から出た言葉なのです。  僕は通訳、翻訳の任務のほかに有志の将校に英語の会話を教示する大任を授かったわけで、その大任を果す時間は、軍服を着ないようにと、猪間大尉は僕に命令を伝達したのです。猪間大尉は喜べというのですが、僕は初年兵のときにも劣らぬ恥辱をかんじるのです。この恥辱は猪間大尉には分るはずもない。彼等は、たとえば閣下は、軍服を着ているのです。そのしょうこに僕に閣下の背広を着させようとしているのですから。彼等は僕に二つ星をつけさせれば、恥をかくのは今や彼等の星です。それに彼等は何のために英語を習うのか。僕でさえも忘れたままの方がいいと思っている英語を何故習うのか。  英語を習い始めると猪間は共産軍入りをだんだん忘れたようです。  いずれにせよ閣下の背広を着服して、いく日、いく時間かは彼等の前に坐ることになったのです。僕は僕のプリントした教材をもって、将軍、佐官、尉官と司令部の並木道をぞろぞろと会議室の方に歩いて行くのを、窓から、見ていました。まだ彼等は軍刀を|佩《は》いています。やがて猪間大尉が僕をつれにくる。それが僕には囚人をつれにくるように思われる。僕は入隊して以来四年間にこの時はじめて感傷的な涙を流したのです。 「陸軍一等兵、杉原譲次は、英会話を教えさせていただきます」  僕はこう申告をしたのですが、もちろん猪間大尉は、あとでたしなめました。 「お前は親からもらった杉原譲次という名前だけ云えばよい。譲次だけでよいぞ」  しかし北支那幾十万の兵隊の生死を左右してきた将星たちが、現に共産軍に包囲されて無線で知らせてくる部隊もあるのに、まるで階級章標本みたいに僕の前に並んでいるのを見ると、僕の方が堪らない悲しみにおそわれるのです。  僕は猪間大尉と相談して(いや彼が日本語の教材を作ったのですが)次のような内容の英語をプリントしました。  曜日、月の名、階級名、部隊名、兵器名  貴官はアメリカ軍人ですね。自分は日本軍陸軍大尉猪間伍六であります。  それは間違っています。信じられません。  それはどこから聞きましたか。  ようこそ。御用件は何でありますか。  どういたしまして。  我が軍は勇敢でした。貴軍もそうでした。皆自分が悪いのです。  罪のあるのは某々です。  部隊は×所に×万残留しています。  |糧秣《りようまつ》はあります。ありません。  酒をたしなみますか。  捕虜はどのように取り扱われますか。  自分は戦犯になる筈はありません。  以上はざっと思い出すものだけです。何回にもわたって|復誦《ふくしよう》させ、発音をなおすのですが、軍隊式発声になれているので到底まともな発音は出来そうもないのです。僕は一人一人に(これも猪間大尉の指示によるのですが)英語で階級と名前を云わせることも何度もやりました。閣下は、階級名の多いのには今更のように苦汁をなめたような顔さえされるのです。  おまけに猪間大尉が「文法ならお前に負けはせんのだが」と口惜しがり、誰よりも熱中し出して、彼の熟達は群を抜くようになったのです。その上彼は、数年前アメリカ商人から接収したタイプライターを自室に持ちこんで僕に教えさせ、無骨な指でキーを叩く始末です。何ということでしょう。そのくせ一歩個室を出ると彼の敬礼は厳重で、僕の教え子である筈の彼が、僕の欠礼には神経質で、欠礼すると僕の胸をぐいとおして文句を云うのです。こうして僕が気楽に話すことを要求されるのは背広の時だけで、このあいだは猪間は僕の欠礼には神経質でなくて、僕から吸収するのに余念がなかったのです。  僕たちは一様に一階級あがりました。逃げこむように。思うに上司は支那軍に接収されて被服庫に襟章がなくなるのを、おそれていたのかも知れません。  僕はポツダム[#「ポツダム」に傍点]上等兵になったわけです。この呼名は今でも|自嘲《じちよう》の響きをおびてつかわれます。この期に及んで進級するという企てにひそむ愚かしい心根、——上司の心根——と、それを知っていて僕たちがやはりうれしかったことのためでしょう。猪間大尉は猪間少佐になり、この襟章のつけかえは、彼が自分でやりました。僕は当番だけは解放されていたのです。猪間少佐と杉原上等兵との顔合わせほど、|面映《おもは》ゆいものはありませんでした。  僕が猪間少佐の部屋で進級の申告に行った直後、大尉は「お互いによかった」と云い、それから、彼は、僕に就職のあっせんをしてくれるかあるいは、在米の僕の父親の財産が没収されていなければ、そこの農地で使ってくれないかと切り出しました。 「そんなことは止めて下さい。少佐殿は少佐殿でいてもらいたいのです。自分が困ります」 「それではこの俺はかわいそうではないか。こうしていられればいたいさ。しかし頼まんぞ。えらい恥をかいたよ、杉原上等兵。俺は自決すべきであったぞ、な、譲次」  新しい襟章をつけた猪間少佐はこういって溢れる涙を掌でぬぐうのです。  北京の高い空から落ちる秋の陽ざしが、木の間もれに彼の白金色の星にキラリキラリと漂うのです。僕は長い間わすれていたクリスマス・ツリーにかかった星やベルを思い出しました。メリー・クリスマスの歌ごえがどこからともなく聞えてくるようにかんじ、何という妙な聯想だろうと思いました。  ところが猪間少佐はこの劇的なシーンにもかかわらず、その後折にふれて僕を|口説《くど》き、年が明けてLST復員船にのってからは、いっそう切実になってきたようです。  僕の原隊は、山西省である有名な将軍の指揮する共産軍に入りました。そのために僕は猪間少佐といっしょに、よその部隊に加わって乗船したのです。この船はタンクを積載、輸送にあたっていたもので、タンクをのせる船艙に千人単位でつめこまれました。ボイラーから遠い|舳先《へさき》には波だつ音がきこえるだけではなく、沈まないていどに海水が入ってきさえするのです。僕は通訳の資格ですが将校室をはなれてこの船艙に坐りこんでいると、リュックのかげに|蹲《うずくま》っている千人の兵隊が復員するものとはどうしても思えず、これから日本に向って出征するような錯覚をおこすのです。制服であるために被服の程度に敏感な兵隊たちは、被服庫の中で一番上等なものを身につけてきたようで、残った被服が支那兵の手にわたってしまうことを考えればもっともなことです。  誰一人として軍服をぬぎたがっている者はいない。  誰もみなこの襟章をつけて郷里に帰りたがってる。  これはどうしたことか。  彼らの心は僕にはいじらしいような、うとましいような気がしますが、それはまた僕の心でもあります。僕はこの姿で日本はおろか、アメリカにいる筈の両親のところにさえ現れたいくらいなのです。  僕がそんな感慨にふけっているとき、僕は左腕をひっぱられたので見あげると、襟章のない小柄な兵隊が立っていましたが僕に顔をかしてくれというのです。僕はその男の顔を見た時、すぐに匹田を思いおこして身内のふるえるのを感じました。その男は確かに匹田とは違います。匹田は員数外の兵隊であるために、次々と南方部隊に転属させられたのですが、おそらくそこで死んだことでしょう。何故なら、彼のような何をしてもいいと思わせる男は、神様にも見放されてしまうものだからです。僕が匹田に似ていると直観したのは、彼の暗くて、どこか間の抜けたような表情のせいです。僕は彼のあとについて甲板上にのぼって行くと、相手は身体に似合わず語気が激しい。 「お前は通訳だな」 「そうですよ」 「この船の中で下士官以上をなぐるんだ。そのあいだはだな、アメリカのやつに顔を出してもらいたくないのだ。お前はやつらを納得させるか、ひっこませておけ」 「下船してからにすればいいじゃないか」 「星をつけているうちにやるんだ。復員してからではおもしろくない。お前だってその星ならこの気持は分るだろう」 「秩序をみだしては皆が損ですよ」 「土をふんだら帰りたい一心でなぐらなくなるのだ」 「なぐりたくなくなればいいじゃないか」  彼はそれ以上僕が口答えすれば|狼藉《ろうぜき》をはたらきかねない模様なので、なだめて、そのあしで直接輸送隊長の軍曹にあおうと一、二歩ふみ出すと、とたんに僕の背後で、彼は奇妙な声をあげて笑いました。  その兵隊は襟章をとっているところからすると、たぶん刑務所下番で彼なりに星に腹を立てているのでしょう。彼が音頭をとってリンチを|企《たくら》んでいるらしいのです。彼の音頭で一斉に兵隊が動くとは思われないが、物のはずみでどうなるか分らない。  軍曹は個室でデスクの上に脚をあげ歓談しました。僕がフレスノで十年をすごしたことを話すと、大げさになつかしがって初めて僕は人心地がついたようなのですが、大学を出ているのに上等兵とはおかしいと云ってしきりに首をかしげるのです。彼は僕がアメリカ軍にでもいるようなふうで、そのうち明かに彼も何か軽蔑心をいだいているような眼付きをしはじめる。僕は言葉をつくして語っているうちに、彼までが階級のことに拘泥しているのが腹立たしくなりました。 「ジョージ・スギハラ。きみのその上等兵の襟章を僕にくれないか。僕はそれを土産にしたい」 「上等兵の襟章なぞどうするのですか、ミスター・ブラウン。船艙に満ち満ちていますよ」 「いや、きみのその星がほしいのだ」 「それより僕の両親のところに無事だと伝えて下さい」  彼は残念そうに僕の襟元をみていたが、僕の両親の宛名を書くとそれをポケットにしまいこみました。それからリンチの話をすると、彼は僕がその本人であるかのようにいきり立って、 「上官は上官です。断じて許しません、スギハラ」  彼は日本軍の秩序が失われることをおそれているだけではなく、感情的に許せないという表情で、僕にその隊を教えろと云い僕をひっぱって行くのです。正直のところ僕はひどく失望したのです。ブラウン軍曹は僕のうしろにかくれてその兵隊の姿を見とどけると指を鳴らしました。相手が貧弱な男なのでいまいましかったのです。彼は僕を呼び入れ、ガムやチョコレートや煙草をその兵隊に渡してたしなめるように云い、但し船中で食べたりのんだりしてくれては困る。煙草に就ては、WCの中でのむようにとつけ加えました。  僕はその兵隊にブラウン軍曹の云った通りにして、 「きみは気をつけないと帰れませんよ」  と云うと、彼は品物を受取ったが、返事をしないのです。甲板上の急設の吹けばとぶようなWCの小屋(風のふくたびに海の方へ傾いたものです)の中から紫煙が立ちのぼり風に吹き流されるのが見られるのです。天井がない上に一列になって用を足すのだから、船艙にいるのも変りはないのです。僕は彼をたしなめましたが、実は僕は内心彼が船艙内で何事[#「何事」に傍点]かしてくれることを待ちのぞんでいたのです。何事も起らずに上陸し何事も起らずに解散するということは、僕にも許せない[#「許せない」に傍点]ことに思えるのです。それのみではなく、僕の身に何事かおこることによって僕は匹田に対する|贖罪《しよくざい》を願っていたのでしょう。  猪間少佐は臨時編成部隊の隊長なのですが、僕は彼に何も話さず、なるべく彼をさけて船艙にばかりいました。ところが、彼は僕をさがしまわり、つい話をすると、彼が船が内地へ近づくのをよろこんでいるのにはおどろくばかりで、彼は僕の内地の親戚の家に訪ねて行くと云うのです。そして又就職の話をするのです。そんなことではなくてあなたと僕との間にも何か起るべきだ[#「何か起るべきだ」に傍点]と思うのですが、そんなことを予想さえしていない少佐を見ると悲しくなるのは僕の方です。  僕は外の一人の兵隊をつかまえて、匹田に似た兵隊のことをきいて見ました。するとその兵隊は、ああ、あいつは狂人ですよ。知らないのですか。閉じこめる部屋がないから放してあるのです、と答えて帽子の後ろを指す。僕は孤独になり、甲板に出てその兵隊をさがすと、又彼は神妙にWCにいて煙草をすっているのです。なるほど彼の帽子の後ろには赤い布がぬいつけてある。考えて見ればこれが彼の星なのです。そう云えば眼の動きが尋常ではない。しかし彼が狂人とすれば、狂人でない者の方が僕にはうとましいのです。  二日目の朝、一日一回の|粥食《かゆしよく》を終えてリュックのかげにうずくまっていると、五、六人の海兵隊の兵隊がポケットに両手をつっこんだままぶらりぶらりとあらわれました。口笛を吹いておどけながら歩いてくる者もある。愉快な仲間の登場といったかんじだが、目つきからすると何か企んでいることが分るので、日本兵の眼がそそがれるのでした。ばらばらと分れると、われわれ坐りこんだ兵隊たちの中へ入ってくる。膝といわず足首といわず、彼等はふみつけるのです。僕はそのうち彼等が日本兵の首すじばかり眺めつつ移動しているのに気がつきました。不審に思っていると、とつぜん僕の横の曹長の襟章が、一人の米兵によってむしりとられたのです。それから僕をまたいで僕のうしろの軍曹のも。次にもう一度僕をまたいで僕の前に坐っている軍曹の前で立ちはだかると、手の中のさっきの襟章とくらべていたが、メンコでもやるように前のを叩きつけました。  僕はその米兵に、 「何にするのです」  ときくと、 「きみは英語が話せるか、これはな、土産にするのだ。|沖縄《おきなわ》で取るのを忘れていた」 「復員者はいつもこうして星をとられるのか」 「おれたちはこんど初めて乗りこんだのだ。外の者のことは知らん」 「隊長ブラウン氏は此の星集めを許しているのか」 「彼が一番ほしがっている」 「秩序が乱れてもか」 「その時は」  彼は機関銃を打つまねをして見せたのです。  僕はその時になって、階級の星というものは、敵の首をとり、耳をきって持ち帰るのとおなじように、持ち帰られるのだということを知ったのです。  こんなぐあいにして下士官の星は、あらかた此の仲間によってむしり取られてしまったのでした。それから彼等は並んだ兵隊の星の中からきれいなものをさがして取るのです。僕はその時とられる日本人の方が、何か自分が取られるのを望んでいるような姿をさえ見かけました。その卑しさに僕は居ても立ってもおられなくなりました。愉快な仲間たちは通路に星を何列かに並べると、歓声、奇声をあげて打ち興じています。  やがて将校室を襲うのか意気揚々と彼等がひきあげて行った時、ため息にも似たものが、船艙内でわきおこりました。すると襟章をもぎ取る音があちこちで聞えてきます。しかしもぎ取った星をどうしていいか処置に困っているのでした。最初の一人がそれを放り上げると、次々とその真似がはじまったのです。笑声さえまじっているのです。僕は終始、例の兵隊を見守っていたのですが、ひっくりかえってぼんやり天井を仰いでいるだけなのです。それは彼に投げる星のないためだけではないようです。  僕はじっとしてはいられなくて立ちあがると、 「大事な星を自分でとるな、止めろ」  と叫んでしまったのです。僕が何度も同じ言葉をくりかえすうち、まわりの者は星を投げ終ると集ってきました。そのうちの一人が、 「何だこいつ。おれが取ってやる」  といっていきなり僕の襟からむしり取ると、僕の上等兵の三つ星を軍靴でふみにじり、僕をつきたおしました。  ローリングのはげしい甲板へ出て行くと、猪間が星のない姿で笑いながら立っているのです。 「ジョージ。ブラウンに|図嚢《ずのう》と長靴をとられたよ」  彼は代りに米兵のはく軍靴をはいていました。僕は彼の足が並はずれて大きかったことをふと思出しました。  ……兵隊も猪間もあたらしい星をさがそうとしているのだ。  |舳先《へさき》をまげて警笛をならしながら、LSTが佐世保湾に入りこんで行くと、朝霧の中から丘が現われてくるのですが、その色がいかにも見覚えのある色に似ているので、気がせくのです。あれは何の色だろうな、何の色だろうな、と皆に聞いてまわりたい気持になって甲板上を右往左往しているうちに、僕は急に立ち止りました。僕はやっとそれが僕の着ている軍服のカーキ色であることに気がついたのです。 [#改ページ]   微笑  先日のY新聞に小児|痲痺《まひ》患者の水泳講習の模様をとった写真が載っており、「プールの中で微笑する父親」という添え文句がついていた。あの微笑している幸福そうな父親は僕なのだ。僕はかねがねあの講習のことを友人知人にふいちょうしていたので、あの写真が載ると、みんな、「よかったね」といってくれた。     一  僕がはじめてじぶんの息子にめぐりあったのは四年ぶりで戦地から復員した時で、僕はじぶんの息子であるというより、何か病気の息子であるようなかんじにおそわれた。疎開先きに戻った時には、僕の息子はそのあばら家の中にはいないで外であそんでいた。僕はだまってはじめて見る息子を宝さがしでもするように表へさがしに出た。僕は赤ん坊の頃の写真しか見ていないので満四歳になった息子をさがすには、その写真の記憶をたどるよりは、僕というこのにんげんに似たものをさがした方がよかったわけで、とにかく僕は僕に似た息子をさがしあてることができた。その時彼はもう右足の|踵《かかと》をあげてびっこをひいて歩いていた。妻にきくとそれは親指の怪我がまだ治らぬためなので、マッサージにつれて通っているといった。  僕にはそう思えない。親指が痛むのなら、何を好んで親指をついて踵をあげて歩くはずがあるか。僕はそういうことをちゃんと知っていたし、これはこまった、これはこまった、と心の中で思い口にも出したが、一晩ねると明朝には|奇蹟《きせき》がおこってびっこをひかなくなる、というようなふうに思いながら、一日一日とすごした。僕には可哀想と思う前に父親としての義務をはたしているだろうかという気持がつよかったのだ。それでも僕は息子を背負って三里の山道を最寄りの電車の駅まで下りそこから一時間電車に乗り、それからまた汽車にのって名古屋の赤十字病院までつれていったことがある。その時その三里の山道の途中に|吊橋《つりばし》があり、谷底に音をたてている渓流を見下すと目がくらむようだったが、それをわたると妻は僕に、 「この子をおんぶしてここをわたって岐阜の町まで買出しに行ったのよ。わたる前に目をつぶって祈り、あなたのことを思出したのよ。それから、真白き富士の……をうたいながらわたったわ。あのうたをどうしてうたったのかわからないけど、ふしぎと勇気が出るのね」  そう云いながらもうその時にはうたいはしなかった。僕は妻と三里の道を交替交替に背負っては、おろすごとにしばらく腰を下して休んだり、子供に物を食べさせたりした。僕は義務を果している感じで心が休まり、たのしく、それは妻が何か幸福そうで、そのことによって僕は自尊心を満足させていたのだ。  赤十字では外科につれて行ったので湿布してくれただけで、戻ってきた。息子はそのうち右手で|箸《はし》をにぎらなくなった。いくら叱ってもにぎらない。そのうち|吃《ども》りだした。息子が吃りだした時、吃りに敏感な僕は周章|狼狽《ろうばい》した。これほどまぎれもなく僕の息子であるしょうこはないからだ。僕はそれまで妻の息子であり、日々息子の病気のことを気にやんでいたので、「病気の息子」だというかんじはあったが、吃りだした時にはかってがちがった。  僕の父親は吃り、僕は子供の頃に吃りを|治《なお》し今でも完全に治ったとはいえない。僕は妻に腹を立てたりする時には吃りに吃り、妻の方が|唖然《あぜん》としてだまってしまうくらいだ。息子は吃りというこの情けない病気になる素質が僕からうけつがれていたのだろう、でなければ僕が戻ってきてから二、三度妻といさかいをした時の僕のしゃべる調子を習いおぼえて早くも吃りはじめたにちがいないと思った。  その意味においても僕の息子は、病気の息子であったわけだ。吃りであるにせよ、父親としてまことに気の毒なことだが、それでも僕は僕の息子が、ぜんたいとして可哀想だという実感はおこらない。僕はそのために考えこんだりした。僕というこのにんげんは果してそんなに冷たいやつであったのか、僕の父も母も僕に冷たい仕打をしたことはない。僕もまた父や母にたいしてそうだ。父も母も病気になった時には看病の仕方に不足であるのと、そんな看病にたよらなければならぬのをくやしがって、よく大げさな自殺のまねをした。父は母にたいして母は私の姉にたいして。父は裏の柿の木へ腰紐をもって歩いていった。父は僕のとめるのをたぶん待っていた。母は二階からとびおりようとした。母も僕のとめるのを心待ちにした。早すぎずおそすぎず僕はだきとめに行った。その時僕は義務としてそうしたろうか、いや僕は父や母の心に涙をながし、病気を怒ったものだ。父母にしてもほんとは病気に腹を立て、病気を向うにまわして人間踊りの狂言をする気持の方がつよかったことを僕は感じている。     二  岐阜に出てきて一年ほどたってから、小児|痲痺《まひ》だということを知ったが、根本的に|脊椎《せきつい》に注射してなおるのは|罹病《りびよう》後三カ月以内で、それからあとはもうマッサージ(それも専門家にやらせなければならない)しか手はない、いや僕の息子は片手片足がわるいのだからこれは脳性のもので、これはさいしょから|治《なお》す手はなかったのだ。という話も病院できいた。それまでは県病院でもよく正体がつかめなかったのだ。僕はこの手おくれだという医者の話をきいたときには何かふかい溜息をつくように|安堵《あんど》した。もう自分の責任ではない、病気の責任でなければ、栄養不良にみちびいた戦争の責任で、戦争の責任といえば、生きているだけましではないか、僕は妻にそういった。僕は妻をなぐさめるためにそういったというより、自分の安堵感を肯定するためにそういったのだ。僕はそういったあとしばしば子供を遊びにつれだした。そうしない自分を監視したのだ。僕にとっては歩く子供の不自由さをあわれみ、かなしむよりも、僕が息子をつれて他人に見られるのを堪えて見せることで、息子にたいする愛情の足りなさをおぎなうつもりだったのだ。  予測していたように僕たち親子が歩けばかならず道行く人がふりかえった。僕は前から来る人が僕たちとすれちがうまでは僕たちの方を見ず、ちょうどまよこのところにきてからずうっと子供のからだを見、ふりかえって眺めていることを知っていた。僕はよく往来で、 「見られてもかなしむな。父ちゃんがいるぞ」  というようなことを声を出して云ったけれども、はたして子供に元気をつけるつもりであったろうか。僕はこの感情のやりとりで疲れ果てて帰った。  僕は遊動円木にのせに連れて行った。 「いいか、乗れ」  僕がほんとに乗せてやりたい一心で連れて行ったのなら、誰も見ていないところで、いたわりながら抱いて乗せてやったにちがいない。しかし僕は、 「いいから乗れ」  といって不安げに僕の方を仰いでいる臆病な息子に手をかさないだけでなく、びっこをひき右手を後ろにそらせて円木に近づくのをじっと見ているのだ。 (勇気をつけねばならぬ、この不具の子がこの世の荒波にたえられるように)  僕はそう思ったつもりではげしくゆすぶった。僕はその時息子がどのような醜悪な表情で泣くかを知っていた。その顔は僕一家の泣く表情に似ているだけでなく、この病人特有の不釣合なゆがんだ表情なのだ。  僕はある時見も知らぬ老婆にそうした現場を見つけられた。 「あんたはん……」  その老婆の怒った顔を見て僕はかえってはげしい怒りをかんじた。 (お前さんの子か。おれだって他人の子なら……)  僕は息子の手に、財布の底をはたいて買ってやった玩具をにぎらせていた。その僕の心の中を監視していた老婆に、僕はたたきのめしてやりたいくらいの憤りをおぼえた。しかし僕は|昂奮《こうふん》がおさまると、長良川の橋の上から親子ともに投身したいような情けない気持にもなるのだった。そうして僕はその点では僕が|紛《まぎ》れもなく母親の子であることを知った。  僕は自分が息子を愛することができないのは、直接手をかけて育てなかった報いだ、と知っていたが、そのために手をかけ鍛えねばならないと思ったりした。しかし実際は僕が愛さないどころではなく、憎んでいるのは、息子が不具であったからなのだ。僕は息子の割の悪さを考えると、いても立ってもいられなくなったりした。  妻は子供が不具であることを忘れて叱った。そして夜僕に背中を向けて泣いていた。僕はむしろ不具であるために叱っている。僕はその意味で妻の心が一番こわいのだ。  妻はながいことつわりで寝ていた。息子は小用が近い。(これも一つは病気のためだが)僕が起すと息子はフトンの上に立って小用をしだした。僕は息子をなぐり倒し、倒れた息子の硬直したからだの脚をもって屋根のところまではこんで行った。僕はそうしながら|痺《しび》れるような快感を味っていたのだ。僕はもちろん自分が一個の悪魔にちがいなかったが、実は小悪魔を退治しているような感じであったのだ。(僕は不具という悪魔をにくんでいたのだ)僕はそれから硬直した木ぎれのようなからだを、木ぎれを投げるようにしてフトンの上に放りだした。僕はそれから尻を叩きはじめた。太鼓を叩くように。  僕は終戦直後で疲れはてていたし、妻は一月以上も寝つづけで何も食わず、明日にも腹の子をおろさなければ|身体《からだ》がもたなかった。僕は妻が僕を止めてくれるのを待っていた。すると妻は僕にとびかかってきた。そうして僕は妻の首をしめた。僕は妻に下腹をけられてのけぞった。妻は僕といっしょになってはじめて、男の使うようなはげしい乱暴なことばで僕を|罵《ののし》りながら、うつぶせになっていた。 「なにをしやがる」  妻はたしかに僕にそういった。僕より育ちのいい妻が、そういうことばをどうして使うことが出来たのであろう、僕はむしろそのことばにおどろき冷静にもどることが出来た。 (なにをしやがる)  この言葉を心の中でくりかえし、フトンの始末をすると子供をねかしつけ(息子は僕にそうされたことさえ、しばらくすると忘れて眠った。そしてこれが病気の特徴なのかどうか分らない)、妻の頭を冷やし、長いあいだ坐りつづけていた。僕は宿屋の二階に下宿していたので、僕の所行は皆に見られていた。  僕はこの残酷な所行がどうして思いついたのか検討してみる必要があると思った。僕は長い狂暴な軍隊生活ではおとなしい生活を送り、人のからだにふれたことさえなかった。その僕がこんなことをするのは何故だろう。これほどのことが出来るならば、僕は自分に用心をしなければならない。  宗教に入るか、  精神修養をするか、  ほかの動作でくいとめるか。  ほかの動作というのは、僕がいきり立ちそうになったら、いきなりハタキをかけはじめるか、|箒《ほうき》ではきだすか、外へとび出して行くかというようなことなのだ。しかし僕はおそらくその前にハタキでなぐり、箒でつきとばし、あるいはなぐってから逃げだすかも知れない。信仰をしようが、精神修養をしようが、そんなものを一ぺんにかなぐりすてることも容易かもしれない。信仰を思い立つのも、かなぐりすてるのも同じく僕の心なのだからだ。しかし、すくなくともこういうことを考えているうちは僕の心は、考えない時よりはましであるかも知れないとも思った。妻はこの事件を契機にしてつわりがなおってしまった。  僕は洗濯をしている妻の後ろに立って心の中で|呟《つぶや》いているのに、よく気がついた。 (おれはどうしたらいいのかな)  僕は自分の温厚さの|恢復《かいふく》に自信をもちたいと思った。これから幼稚園に行く年齢になった息子に、妻が数を教えようとしていた。四の次がどうしても云えないので、僕は妻をなだめて自分が代った。 「四の次は五だよ。五」  僕はいつになく優しくくりかえした。 「やさしくしなければだめだ。さあいいか坊や、一、二、三、四、五だよ。五」 「一、二、三、四……」  息子は四までいうと、だまってしまった。 「五なんだよ。なんでもないよ」  僕はそう云いつつ息子が吃りであることを思い出した。 「ね、坊や、云えないの、知っていて云えないの、どっち、どっちなのさ。知らないの、云えないの。さあどっち」  すると息子は急に笑いだした。 「くす、くす」  僕の手は僕の心をうらぎっていつのまにか息子の頬っぺたに向っていた。 「なにがおかしいか。笑ってみろ」 (おれの手を止めてくれ) (なにをしやがる)  僕はなぐってから、息子の笑いがいっこうに止らずにやがて眼から涙がおちかかり、オチンチンをおさえてからだをふるわせだしたのを見た。僕には息子の頭のわるさが本質的なものか、小児痲痺のためか、それとも吃りのために云えないのか、それをさぐっているうちに、息子がとつじょとして笑うべからざる時に笑いだしたためにこの始末になったのだ。そうして実は息子が笑ったのは悲しいためであり、たぶん脳のせいなのだ。     三  生れなかったはずの女の子が息子の犠牲を契機にして生れた。この子が生れると僕は自分の心の底に人並みの愛情が住んでいるのにおどろいた。この子が小児痲痺になることを考えただけで、僕は目まいがしそうになるのだ。そうして僕は子供は不具でないのが普通なのだ、と妙なことを今更のように知った。  僕はそれまでも、ばくぜんと不具でない子供がいかに多いかを感じていた。ちょうど近親や知人の死に次々とめぐり合うと、にんげんがこれほど生きていられるということにふしぎさを感じるのとおなじだろう。僕はまともな子供を見たくないために、まともな子供の多いのを、ただばくぜんと——ここの子供も健康なはずだ。あそこの息子も不具でない——と感じていた。何故なら僕はよその子供を見ることがつらくてさけていたからだ。息子が幼稚園に入ると、僕は息子が仲間はずれになっていやしないか、のぞきに行かざるを得なかった。  僕はそこでまともな子供の多いのに|眩《まぶ》しくて眼をあけていられなかった。僕はこの子供たちが二、三日もたてば|狡猾《こうかつ》な智恵をはたらかして僕の子供の歩き方、話し方のまねをして見せるだろう、ということを知っていた。僕の息子はまねをされていることにも気がつくまいが。 (しかし、おれは幼稚園を|止《や》めさせはせぬぞ)  見ていると僕の息子は楽しげに笑っていた。笑っているためにブランコは彼の番がまわってきてもほかの子供にとられてしまう。遠くから僕の姿を見つけると、旗を持ったように右手をあげてびっこをひきながらかけてくる。もうころぶころだと思っているとはたして僕のところへつくまでにたおれてしまった。僕は子供の起きあがるのを待っていた。顔をしかめて僕に近づいてきた。僕は息子をつれてブランコのところまでひきかえしはせず、息子だけにまたブランコのところへもどらせた。何げない様子で僕は子供たちのうしろに立っていて監視をしていたのだ。まもなく僕は幼稚園にひびきわたるような大きな声でどなっていた。僕は子供らを叱り順々にブランコにのらせて監視をつづけた。僕は熊のように昂奮し、はげしい息づかいをしていた。  息子は幼稚園で台の上からおとされて腕を折った。僕は妻が病弱なので二人を|乳母車《うばぐるま》に乗せて|接骨医《ほねつぎ》に通った。僕はその頃小さな田舎町に移り住んでいたが、 (また乳母車にのせて通る。女の子を見せたいのだ) (手をつっているが、ほんとは小児痲痺なんだ。手おくれだったんだ。親が悪い) (接骨医に行くのをよろこんでいる。一人前の病気だからよろこんでいるんだ)  というような声が町の家のガラス戸の中からきこえてくるような気がする。  接骨は失敗した。|添木《そえぎ》をとるのが早すぎて、硬直した筋肉が、こんどは|脱臼《だつきゆう》させてしまった。僕はそのために、東京へ出てきて昔の友人で東大の病院にいる人に会い相談をした。彼は病院内をあちこちまわって、いく人か、その道の専門家に紹介をしてくれた。 「もう肉が出来ていますね。手術をすれば脱臼は治るが、何しろ小児痲痺ではね。結果はかえってわるいんじゃないかな」  僕は友人と別れて病院を出ると、いっしょに死ぬべきところを、自分だけが運よく助かったようなはればれとした気持になった。御茶ノ水駅に向って歩いて行くと、僕は見知らぬ婦人に声をかけられた。 「坊ちゃん小児痲痺ですか。かわいそうにね。なかなかなおらない病気でね」  僕の身勝手なはればれとした気持は一ぺんに好意ある他人の声でくもってしまい、妻の顔が浮んだ。僕は汽車の中で外ばかり見ている息子に云った。 「何がほしい。何か買ってあげるよ」  息子は頭を横にふって微笑した。 「早よう帰りたいんだ」 「そうか。こわかったか」 「うん」  息子は病院で裸のからだを硬直させて泣いた。息子は今まで何べんとなく医者の前で僕がおなじことを説明するのをきいたはずだ。僕は小児痲痺の説明をするのがだんだんうまくなっていた。僕はもはや正確にというよりは、正確そうな伝説をつくっていた。 「もうだめですな」  そう云うふうに答えるような環境を作ったといった方がいいかも知れない。こんどは大きな病院の中で一人でレントゲン台にのり、数人の医者が立ちはだかって考えていた。被告のように息子が立っていたのだ。 「坊やは治りたいか」  僕は汽車の中でこういう愚問を息子に発した。僕は息子が、治る治らぬということさえ気がつかないことをのぞんでいた。息子はそれにただ微笑しただけだった。僕は微笑の意味を知りたいと思った。僕は息子の微笑にあうと、土俵の外へいきなり放り出されたような感じがした。と同時に、  この息子には何をしてもいい。何をしても許される。……  こんなおそろしい心が私のどこかにうずくまりはじめるのだ。 「どうして笑うの、坊や。考えると何かぼーとしてくるのかい。まさかうれしいからではないね」  息子は微笑しながら眼を伏せはじめそれから客の方を盗み見し、急に微笑でなくて、 「くつくつ」  と、ほんとうに笑いだした。息子の笑いを誘ったのは、闇屋の若者同士のふざけた大げさな身ぶりと会話であった。息子と僕とは当然のことながら通じるものがない。通じるものがないのが、僕の罪のためなのか、それともけっきょくは病気のためなのか、僕は息子の幼い病んだ頭の中をさぐりだそうとしているのだ。 「小児痲痺がもんだいなんだ。脱臼なんぞ物の数ではないよ。脱臼もどうも小児痲痺かららしいな。台から落ちたんではないかも知れん」  僕は帰ると妻の顔はまともに見ず、女の子をあやしながらこういった。妻の目が急にひろがった。それは僕ではなくて、僕の背後に何か大きなものを見ているような目だった。僕は顔をそむけた。 「そんなことってないわ。脱臼は落ちたからよ。幼稚園へやったからなのよ。私があれだけ反対したのに。あんな幼稚園のある町になんか、こんりんざいいるもんですか。子供がつき落されるのを見ていないなんて。小児痲痺は不具ではないわよ。ちゃんとあるべき位置にあるべきものがあるんですもの。脱臼は不具よ。そうよ。子供に申しわけないですわ」  妻は泣きだした。  妻はこの町を怒っているが、けっきょく僕を怒っているだけのように思われた。その怒りに導かれて僕らは東京へ出てきた。     四  息子はそのまま大きくなり学校へ行くようになった。広い東京に出てくると、世間は息子の病気のことを、小さい町のようには関心をもたなかった。それはその気になってさがすと、どこにも不具の子がいた。僕は小児痲痺の子供を見つけた日にはすぐにそれを妻に話した。僕はそういう話題のある日には、帰宅が急がれたのである。そういう子の中には松葉杖をついて歩かねばならぬ子も見うけられた。そういう子は顔が悪びれず、見られることになれている天真|爛漫《らんまん》なところがあるが、道の隅を歩いていた。 (あの子よりはまだましだ。あの子の親だっているんだからな)  僕は郊外の川沿いの一本道を見えなくなるまで見送ったことがあった。  そのほか僕は自分の勤先や、友人の勤先にいる同僚で、小児痲痺でいて仕事を一人前にやっている人のことを聞くと、すぐそれを|土産《みやげ》話にした。  妻はだんだん僕の術策におちこんできた。ある時妻が僕にこういうのだ。 「駄菓子屋さんが悲鳴をあげていたわ。あの子がくると家中のものが出て来て見てるんですって。そうすると又くじがあたるんですってよ」  僕は息子にそっとついて行って様子をうかがって見た。駄菓子屋の好意や、妻のはかない夢でありはしないかと思ったのだ。そうして僕は驚歎して帰ってきた。その時もまた当ったのだ。僕は妻にさぐりを入れる気も起らなくなった。たとえ駄菓子屋に妻がそれ相応の手をまわしていたとしても、おそらく妻の方ももうその結果を信じているにちがいないからだ。僕はともかくこの結果を信じることにしよう。  子供の右手が左手を妨害した。|蛇《へび》のように子供の意志とは別に動いてしまうのだ。そのために学校では隣席の子供の左手を妨害し、彼のせっかくの健全な左手を妨害し、机の上にのせると理不尽にも紙を破った。寝ている時のほかはたえず動き何をしでかすか分らない。息子はそのためにその手の親指をたえずポケットにひっかけ|牽制《けんせい》しているので、ポケットが|忽《たちま》ちやぶけてしまう。 「とてもこまるんだ。こいつ」  息子は|吃々《きつきつ》として誰にともなく訴える。わんぱくな右手を叱っているのだ。僕はある医師の言葉を思い出した。 「動きを止めるには脳の手術をすればいいんです。そのかわりぜんぜん動かなくなりますよ」  ところが妻は「そうね、ほんとにポケットを破ってこまるわ」  というので僕は妻にお株をうばわれたかたちでたじろいでしまった。そして息子に向ってこういわなければならなかった。 「どれその指を父さんの指にからませてごらん」  息子の指は変則な強さで僕の心をえぐるようにからまってくる。僕はその掌と指とをぐいぐいと逆に押した。 「ああ気持がいいな。とても気持がいいよ」  僕が尚も押すと息子は歓喜の叫び声をあげるのだ。息子の腕や指の神経が一部だけ生きていて、その神経が死んだ神経を無視してのさばっている。そのために筋肉はいためつけられ、筋肉はその不平を神経に訴える。その不平を聞きとどけてやったわけだ。  僕の衝動的な悪意が息子をこのように幸せにしている。僕はその時、ある野戦病院のことを書いた小説の中で、弾丸のためにめちゃめちゃになって、わずかに掌の上に残っている指の機能を回復させるために、一日何百回となく皮の道具で|鞭《むち》のようにパタパタひっぱたかせるくだりのあるのを思い出した。 「いったいこうして動くようになるのですか」  と患者の少佐が聞くと、 「治った人の写真があれです。そのためにこそ写真がはってあるんです。信ずるんですな」  と医師が冷かに指すのだ。  この皮の鞭には医師の好意と悪意がまざっている。僕も僕なりにこの悪意を持続させて見なければならないかも知れないと思った。  僕はそれにつけても僕の思う壺にはまってしまって僕を窮地に追いこんだ妻の愚かさに腹が立つが、さて道を歩いていても親子連れの人を見ても、僕は息子が心配になってきていそぎ帰ると、何となく妻をどなりつけてから、指押しをしたりするようになった。そのために妻はすっかり安心してしまった。 「右手はどうした。|箸《はし》を持て」  僕は食事時には息子の右手にしつっこく食い下った。箸を持つというささいなことのために、息子は百貫目の石を持ちあげるような顔をした。 「持てなくても持とうとするのだ。いいか、それよりほかに仕方がないんだ。またお父さんが指押しをしてやるからな」  僕は狭い部屋がわれるように叫んだ。僕は妻に向って云っていたのだ。いやそうではないかも知れない。僕はこの親二人を代表して誰かに、見えざる監視者たとえば神に向って、|居丈高《いたけだか》になって見せていたのであろう。 「ほんとにね。怠けているのよ、この子は」 「怠けている? そんなことはない。怠けているのはこの子ではない」 「怠けているのは誰だというのよ」 「だ、だれだか知らん。そ、それはだ、だれだか知らんさ」  僕は怒りで身体がふるえてきて物がいえなかった。  僕は息子を庭へ連れだした。 「ボールを受けるのだぞ。なるべく右手を使う。よ、ようしゃしないからな」  僕は息子が|嬉々《きき》としてボールを持って庭へとんできたのを見ると、自分が何をしでかすか分っていた。僕はそういう時に、自分がこの息子の父ではなく、隣家のおじさんであって、|崖《がけ》の上からでも眺めていて、美しい情景を見て、涙を流す立場にあったらどんなにいいだろうと思った。     五  さいきん僕は新聞紙上で、小児痲痺患者に対する特別水泳講習会が、YWCAの室内プールで施行されるという小さい記事を読んだ。それは赤十字社が主催となって都内の患者八十名に補導員が一名ずつついて試験的にやってみるというのであった。 (小児痲痺患者水泳講習がある以上、親たる僕は行かざるを得ない)  重たい気持で僕はそう思った。僕はそういう記事を今迄のがしたことがない。僕が幼稚園で監視していたり、乳母車に息子を乗せて人に見られるのをこちらで監視していたのと同じように、僕はこういう記事を監視していたのだ。妻は僕が喜び勇んでそれに参加するものと決めていた。そう決めている以上僕は行かざるを得なかった。  この病気の治療はアメリカが進んでいるということだし、アメリカ人が占領してから増えたという臆説もあるくらいだが、アメリカ帰りのAという医師が自ら指導した十数名の補導員を指揮して講習を行うというのだ。  開会にあたって、同じ病気の不具者たちが一堂に集った時、僕は今までさがして歩いてきた患者がそのまま集ってきたような感じがした。僕の見おぼえのある子供も現にその中にいた。おかしなことに、軽い病気の父親や母親ほど胸を張っており、かすかだが誇りやかな微笑をうかべている。僕はいったいどう見えるだろうか。僕は息子のことよりそのことの方を気にしているのだ。  気がつくと、息子は五年生になるのに、司会者や当事者の話、激励の|辞《ことば》などには耳をかたむけてはいないで、おなじ並びの不具の男の子の方を見たり、今にもふざけ合いをしかねない様子なのだ。僕は息子の病気の右手を引きよせると、 「ポケットに入れておきなさい」  といいながらギュッと|抓《つね》った。 「いたいよう」  息子の手はそういう感覚だけは残っているのだ。それを僕は知っていたのだが、声をあげるとは思っていなかった。  みんなの視線が僕の方にいっせいに集った。 (それではこんなことをするのは俺一人なのか) (そういう僕は悪人です。救われない悪人です)  僕は心の中でそう云いながら、息子を守るように抱く恰好をして、むりに顔をあげていた。  僕はプールの中で自分の息子がポカンと浮かせられているのをスタンドから見ていた。これほどさわがしいプールも少ないであろう。泳いでいる子供たちがしゃべるのではない。補導員がしゃべるのだ。補導員は説明し、浮いて見せ、おどけて見せ、賞讃していた。その様子を見ているうちに、何か補導員の方が異常ではないかと思えてくる程の、誇張された善意がみなぎっていた。僕はその善意の|氾濫《はんらん》に目まいがしそうになった。  僕の息子が、いたわられ抱きかかえられるようにして水の中に入れられるのだ、|産湯《うぶゆ》を使わせるようにして。息子の係りの補導員(それは学生だった)が息子より先に水の中に入らなかったというので、 「だめじゃないか」  とA氏から叱られた。そばにいた僕は思わず何か弁護したくなったが、A氏の背中が僕を無視するようにさえぎってしまった。  僕は何も云わなくてよかったと思ったが、息子が水の中で|甦《よみがえ》ったようにうきうきし、笑いながらぴょんぴょんとびあがり、みにくいあどけない顔を見せているのを見ると、 (いい気になるでない。お前は病気なんだぞ)  と声をかけたくなる。僕はこれ以上見ている自分の心の処置に困るので、目をつぶってじっとしているが、それでも歓声は聞えてくる。耳をおさえるわけにも行かず、頭をスタンドの下に垂れてじっとしていると、 「お父さん、お父さん。この人のお父さん」  僕はA氏によばれて、あたふたとタオルを持って水際まで走って行った。 「お父さん、大事にしてくれるよ」 「アルバイトなんだ」 「アルバイトって何?」  僕は息子にそうきかれて、自分の言葉にびっくりしてしまった。  僕はA氏をさけていたが、A氏は僕の方に近づいてきて、いっしょにプールに入ることをすすめられた。 「お父さんも一つ勉強して下さい」 (勉強?)  僕は何を勉強するのだ。抑制力の勉強をするのであろうか。  僕は云われるままに水着をきるとプールへ入ったが、息子のそばに行く自信がなかった。僕は自分でもわけが分らないが、一番重症の患者のところへ近よって行った。その子は中学生で、上半身は立派な大人だが、脚は竹のように細くて水の中に立つことさえ出来ない模様だった。その子は下半身が軽いために、仰向けになるとかえってよく浮いた。  僕が近づくとその子の方から僕に笑いかけ、補導員が抱いた手を放すと両手を動かして少し進んだ。補導員が抱きかかえると、 「泳げた、泳げた」  といってその子は僕の方を見る。次には僕の方に向って泳いできた。僕のからだにどんとぶつかった。それをむしろ予期しているようなところがあった。  僕はその子の不思議な哀れな|身体《からだ》を抱き、 「よかったね」  といったけれども、僕の心は憤っているのが分る。その子の不具のからだが僕に頼りきって喜びにふるえているからなのだ。しかしスタンドにとりまかれた水の中にあっては僕は笑わねばならず、顔の筋肉を動かすと、 「よかった、よかった」  とくりかえした。口ではそういったものの、僕はなれ合いのかんじでそれ以上つづけることがとても苦痛であった。  僕は自分の息子の方をふりかえった。息子はもはやどう見ても僕の息子とは思えない。補導員と息子とのあいだには僕の入りこむ隙などないようだ。それに僕が行けば、僕はせっかく浮いている子供を沈めてしまうだろう。僕はそう思ったものだからぼんやり立ちすくんでいた。すると、 「ちょっとお父さん、お父さん」  と呼ばれるので、僕はぎくりとしながらふりむくと、 「ちょっと、ちょっと笑って下さい。もう少しこっちを向いて……」  という声がプールの外からかかり、思わずそれにつられて笑うと僕の目の前がパッと明るくなった。 「お父さん、お父さん、ちょっと。この試みはいいと思いますか、感想はどうですか」  僕は片腕をつかまえられて無理やりに岸の方に引きよせられたのだ。 「いいと思います(僕のような父親にとっては)」  と僕はあとの方は心の中で答えた。  僕はその日御茶ノ水駅で息子に百万円のくじをひかせた。 (なにをしやがる)  僕は妻が何年も前にいった言葉が、今では自分の声として、A氏の声としてひびいてくる。  先日の新聞にのった「微笑する父親」の写真の主は僕なのだ。 [#改ページ]   アメリカン・スクール     一  集合時刻の八時半がすぎたのに、係の役人は出てこなかった。アメリカン・スクール見学団の一行はもう二、三十分も前からほぼ集合を完了していた。三十人ばかりの者が、通勤者にまじってこの県庁に|辿《たど》りつき、いつのまにか彼らだけここに取り残されたように、バラバラになって石の階段の上だとか、砂利の上だとかに、腰をおろしていた。その中には女教員の姿も一つまじって見えた。盛装のつもりで、ハイヒールを|穿《は》き仕立てたばかりの格子縞のスーツを着こみ帽子をつけているのが、かえって卑しいあわれなかんじをあたえた。  三十人ばかりの教員たちは、一度は皆、三階にある学務部までのぼり、この広場に追いもどされた。広場に集れとの指示は、一週間前に行われた打合せ会の時にはなかったのだ。その打合せ会では、アメリカン・スクール見学の引率者である指導課の役人が、出席をとったあと注意を何カ条か述べた。そのうちの第一カ条が、集合時間の厳守であった。第二カ条が服装の清潔であった。がこの達しが終った瞬間に、ざわめきが起った。第三カ条が静粛を守ることだという達しが聞えるとようやくそのざわめきはとまった。第四カ条が弁当持参、往復十二|粁《キロ》の徒歩行軍に堪えられるように十分の腹|拵《ごしら》えをしておくようにというのだった。終戦後三年、教員の腹は、日本人の誰にもおとらずへっていた。  ジープが急カーブを描きながら砂利をおしのけて県庁の玄関先きにとまった。するとそのたびに、玄関先きに腰を下していた者は、あわてて腰をあげると移動した。  その中で一人きり腰を下さないで棒のように立っている男がいた。中では一番服装もよく血色もよかった。そのために目立ち、異様でもあった。一週間まえ打合せの時、その男はいく度も手をあげて係の役人の柴元に質問をした。 「私たちはただ見学をするだけですか」 「というと?」 「私たちがオーラル・メソッド(日本語を使わないでやる英語の授業)をやってみせるというようなことはないのですか」 「それはあなた、見学ですからね」  係の者はそのガッシリした柔道家のようなからだをゆすぶり声を一段と高くした。 「この承諾を得るためには、われわれ学務部は並大抵でない苦労をしたんです」  するとその男は|口惜《く や》しそうにだまってしまった。  柴元が服装の清潔を旨とすることを告げた時もこの山田という男は周囲のざわめきの中から又手をあげた。 「何か御質問ですか」 「今云われたように服装はどんなことをしても整えておくべきです。そうでないと、われわれ英語を教えている者の品位をおとすし、第一われわれの英語教育のていどまでも疑われるのです。敗戦国民として、われわれは彼らに|嘗《な》められているんです。彼ら視察官が私たちの学校に来た時、私は通訳をしたのでよく知っておりますが、先ずわれわれの服装を見て、目をそむけます。とくに便所です……」  彼が便所の話まで持ち出したので、彼の話はそれで中断させられてしまったが、彼は外の教員の注視をあびた。満足な皮靴をはいている者はほとんどいなかった。 「それに」山田はざわめきが静まると性こりもなく発言した。「われわれはその日は一日中なるべく日本語を使わぬようにし、われわれの英語の力を彼らに示しましょう」  ざわめきは又おこったが、そのとなりにいた男が悲鳴に似た叫声をあげて、それをさえぎった。その男は伊佐と云った。 「そんなバカな。そんなバカな」  隣合せのため山田は、伊佐一人に向き直った。柴元が、 「お互いに行きすぎは|止《よ》しましょう」  と云わなければ、山田は柴元に代って伊佐を説得したり、新しい提案を次々と出したかも知れなかった。  伊佐は英語を担当しているというだけで選挙の時に通訳にかり出されて、ジープに乗って村々の選挙場をまわったことがある。選挙はすべて占領軍の監督の下に行われたのだ。彼は英語の会話をしたことはそれまで一度もなかったし、自分が英語を教えている時、会話が出てくるとくすぐったいような恥しい気持になった。まだ三十そこそこの男だが、平素英語の話をさせられるのを恐れて、視察官が来た時、二日前から学校を休み、熱もないのに|氷嚢《ひようのう》をあてて|臥《ね》ていたことがある。選挙場まわりのジープに乗せられた時も、彼は又もやこの|仮病《けびよう》を用いるつもりでいたが、軍政部に登録されていて休むと、何をされるか分らなかった。彼はある黒人と乗合せになったのだが、その時彼はとたんに、英語で、 「お待たせいたしましてまことに相すみませんでございました」  と云ったが、相手には分らないらしくて、彼はそれを三度ばかりくりかえし、やっと相手は伊佐の顔を穴のあくほど眺めた。それは余りにもオーソドックスな、ていねいな英語であったからだ。(伊佐はいく日も前からその英語を用いることを考えてくらしていた)伊佐はそれから遂にゴウ、ストップの二語以外は何も云わなかった。彼はその日の五時間くらいのあいだは釜の中で煮られるような思いですごした。その実相手にとっては、彼はジープの中で眠りつづけていたも同然で、もちろん何の役にも立っていなかったのだ。  彼は選挙場へは入って行かなかった。彼がいないので黒人が場内から引返してくると、彼の姿はない。彼はどこともなくサッとかくれてしまったのだ。彼はそんなことをするくらいなら初めから休んでいた方が無事なくらいだったのだが、いざとなると場内の満座の中で相手の分らぬ英語を聞きとったり、自分が話すことを思うと、足がすくんでしまうのだ。  彼は必ずしも気の弱い男ではなかったので、村の中をジープが通りかかったりする時には、彼は後ろから相手をどうかしてしまいたい気持にかられるので、とうとう車の速力の落ちた時にとびおりて山道に沿った雑木林の中にかくれた。黒人は彼がとびおりたことを知ると、うす暗い山の中で一人にされたことをおそれて、彼の姿をさがしにきた。彼は林の中で待っていて、 「おい」と日本語でいった。「お前に日本語を話さしてだな。話せなかったら容赦しないといったら、どうなるんだ」  相手は何か孤独そうな、刈りそろえたヒゲのある黒い顔を彼に近づけて、聞こうとした。刈りそろえたヒゲだけが、へんに文明的なかんじだった。近づければ伊佐の早口でしゃべる日本語の意味がわかるとでもいうようであった。伊佐はわざと早口でくりかえした。彼の口から出てくる言葉が日本語だと分ると黒人の伍長は両手をひろげて、肩をすぼめた。黒人にしてみたら、このように米語をほとんどしゃべらず、しゃべるかと思ったら日本語だということに、バカらしく劣等感さえ感じてきたのであろう、彼は孤独な顔をますます孤独にして運転していた。  黒人はしまいには彼にはかまわなくなった。客をのせているような調子で、彼を連れて乗りまわしていたが、何にならぬにしても、辺ぴな田舎道を乗りまわすには、不穏な日本人に対して、少くとも用心棒にはなると思いだした。     二  県庁の広場にジープが現われるごとに、伊佐はだんだん広場の隅の方に動いて行った。伊佐は一週間前に山田の前でイキリ立って何かわめいたのも、山田のつまらぬ発言がもとになって、モデル・ティーチングなぞをやらされたらどうしようかという、発作的な恐怖からであった。彼はただ山田の口を封じさえすればよかったのだ。彼はああいったくせに黒い靴を|穿《は》いてきていた。それが、国防色の服の下ではきわめて不調和であったが、彼はせめて兵隊靴を穿いたりして外人の目につくことは止めたいと思ったのだ。彼は国防色の兵隊カバンに弁当箱を入れていたが県庁に近づく途中でこれをまるめて脇の下にかくしてしまった。  山田はひとりキゼンと立っていた。山田はジープが止る毎にそれに近づき、おそれ気もなく、挨拶をかわしていたが、そのうちの一人が彼につかまった。彼は英語でこう云った。 「われわれ[#「われわれ」に傍点]は本県の英語の教師の一部です。われわれ[#「われわれ」に傍点]は英語をたいへん愛好しています。われわれ[#「われわれ」に傍点]は英語の教育に熱心です。われわれ[#「われわれ」に傍点]は新しい教授法を実行しているのです。われわれ[#「われわれ」に傍点]は|御国《おくに》の英語の先生にも負けないほどです」 「お前さんたちはそんなに熱心なら、何のためにこんなところに朝っぱらからうろついているんだい」  相手はジープに|片肱《かたひじ》ついてめんどくさそうに云いながら煙草を一本よこした。山田はそれを断った。 「煙草はけっこうです」 「それでお前さんが指揮者なのか」 「指揮者は県庁の役人です。もう集合時刻をとっくにすぎているのですが来ないのです。役人は怠慢でよくない。しかしそういう日本人ばかりではないのです」 「お待たせいたしましてまことに相すみませんでございました」  黒人は英語でそう云うとめんどくさそうに手を振って去って行った。山田は黒人の最後のセリフの意味がよく分らず、役人の云うセリフを代りにしゃべっているのかと思ったので、腕時計を見ながら口走った。 「まだ出てこない。遅刻して行ったら、先方で何と思われるか知れない。これだから困るのだ」  そういうと山田はあちこちにちらばっている教員たちに声をかけた。 「誰か私といっしょに学務部へ参りませんか。これでは遅刻だ。私たちの名前はアメリカン・スクールに登録されているのですからね。遅刻したら私たちの面目にかかわりますよ。じっさい敗戦国民の……」  山田は彼からそれこそ一粁も離れたところに背中を向けて何かしている伊佐の姿を見つけた。山田はこともあろうに伊佐のそばに近よってきた。  伊佐はその時、包みを開いて弁当を食べていた。彼は今朝は三時に起きて|最寄《もよ》りの駅まで三里を自転車で乗りつけ、それから電車と汽車でこの市に|辿《たど》りついた。彼はもう空腹をおぼえていた、というより空腹をおぼえる頃だと思っていた。  伊佐が食事をしているのを知ると、山田は|呆然《ぼうぜん》と|佇《たたず》んでいたが、 「キミ、飯を食べている時ではないですよ。僕といっしょに学務課へ行って下さい。役人がぐずぐずしているようだったら、軍政部へいっしょに行きましょう」  軍政部という名をきくと伊佐はいつかの通訳の一件を思いだした。彼は集合するジープの中から例のヒゲを|生《はや》した黒人の姿を見ていた。その黒人は山田につかまった。彼が飯を食べだした一つの理由はそのためなのだ。このような危険区域にいると、いつ誰に英語で話しかけられぬともかぎらぬが、彼は飯さえ食べていたら、いかなる要求も彼に対しては出来ないというようなふうに直観したのだ。  彼は山田にそう云われて返事をしなかった。彼は今朝村を出発するにあたって、いかなることがあっても、今日は一言もしゃべるまいと思ってきたのだ。彼は先日の会合の席で山田と張合ったことをひどく後悔した。日本語を話せば、英語も話さねばならない。日本語を最初から最後まで一言もいわず、沈黙戦術をとるならば、人は彼が今日はどうかしていると思うにちがいない。そうすれば学務部の役人もほかの教師も、彼がしかるべき時に英語を一言も云わなくとも、英会話が出来ないとは思わぬであろうと思ったのだ。  伊佐はふりむきもせず箸を持った手を振って断った。 「それはどういう意味です、アイ・カント・シー・ウァット・ユウ・ミーン」  山田は同じことを英語で云いなおすと、返答を待った。しかし伊佐は何も聞えぬ様子を守っていた。山田は腹が立つとよけいに英語が出てくる。 「オー、シェイムフル(恥しい)」  と云いはなつと、女教員ミチ子を説きふせて、玄関の石段をのぼりはじめた。伊佐はその時になってはじめて山田の方をふりむいた。  しかし山田たちはそこで、指導課の役人柴元が、ソフトをかぶりオーバーを着て、外出の|出装《いでたち》であらわれたのに鉢合せになった。  柴元は、ガッチリした体躯をゆすって玄関の端に出ると、笛を吹いた。すると山田は、 「笛を吹くのはうまくないですね。そういうところを外人に見られると、われわれがまだミリタリズムを信奉していると思われますよ。われわれは集合するだけで並んではいけないはずです」 「承知。笛はいいんですよ。みなさん! 並ばないで、並ばないで」  彼は手を振って集合を命じた。山田は柴元の参謀のような恰好で、その横に立っていた。ぞろぞろと教員が集合した、伊佐は一番あとからついてきた。 「見学時刻が変更になった旨達しがあったのです。ごくろうさんでした、さあ出かけましょう。第一回の参観は、先方にたいへん好感を持たれました。今回も粗そうのないよう願います。さあ」  アメリカン・スクールまではたっぷり六粁あった。そこには舗装されたアスファルトの道が、市外に出るとまっすぐつづいている。  見学団の一行はぞろぞろと囚人のように動き出した。山田がその先頭を柴元と並んで歩いて行く。伊佐は女教員のそばにいるのが一番安心だという様な考えをもってはなれなかった。  十分もするとアスファルトの道が見えてきた。自動車がひっきりなしに通った。アメリカン・スクール附近には、そこから数里はなれたところにある大部隊に出ている軍人軍属の宿舎があった。  その道は歩くための道ではないために、あまり遥かにまっすぐつづいているので、一行の中から溜息がいくつも洩れた。  伊佐は教員ミチ子がフロシキの中から運動靴をとり出して穿きかえるのを見て、その周到なのにおどろいた顔をしたが一言も云わなかった。誰も彼も見わたすかぎりオーバーを着ていた。伊佐は軍隊の|外套《がいとう》を着ていたが、ほかにもそうした服装の者がいくらかいた。  厚着をしているのが貧しさをあらわしていた。舗道に立つとその見苦しさが目立って見えた。 「並ばないで。かたまって歩いて下さい。バラバラになっては見苦しいと思います。ここは進駐軍がいっぱい通るんですから」  柴元の云うように、まったくよく通った。彼らが、というより彼らの自動車がよく通ったのだ。自動車道路であって、歩く道ではないのだ。三十人からなるこの不穏な貧しい一行に女性が一人まじっているということが、多少この一行のフンイキを和らげていた。ものの五分もたたぬうちに、前方から来た車がすうっとミチ子に近づいてきて、車から兵隊が首を出し声をかけた。 「あんたたち、何をしているんだい」  これは県庁前の広場で聞かれた問とまったくおなじであった。 「私たち、アメリカン・スクール見学に行くところですのよ」  ミチ子は達者な英語でそう答えた。 「あんたたちは何だい。なぜ見学なんかするんだい」 「私たちは|英語の先生《イングリツシユテイチヤー》です」 「おう、あなた、大へんうまい」  ミチ子の手にはチーズの|缶《かん》がわたされた。伊佐は、ミチ子が声を立てて笑いだし、伊佐の袖をひくので初めてミチ子の方をふりかえった。彼は大分前からそっぽ向いていたのである。彼は、ミチ子のそばにいるために、外人が自分のそばにも集ってくるのでは、かなわないと思った。彼はミチ子の会話中にずっと|田圃《たんぼ》の方を見つづけていた。ふりかえる前に伊佐のポケットの中にはチーズの一缶がころがりこんだのが、その重みで分った。  すべての好意が食糧の供給であらわされる時期であったので、伊佐はミチ子の好意を感じた。しかしミチ子はチーズの缶は二個もらったので、すくなくとも一個を取るためには一個を誰かにくれてやらねばぐあいがわるかったのだ。伊佐は横を向いていたのでそのことに気がつかなかった。彼はミチ子のそばにおれば外人は寄ってくるかも知れないが、そっぽ向いておれば、けっきょく何のことはない。それどころか食糧までころがりこんでくるのだ。  ミチ子はアスファルト道路を歩きはじめてから、何か忘れものをしたことに気がついた。彼女は戦争でやはり教員であった夫をなくした。息子が一人ある。息子を送りだしていそいで着替えして出てきたのだが、忘れ物をした。彼女は歩きながら包みの中をさぐってみたが案のじょう、手ざわりでそれのないことがわかったのだ。ミチ子はその忘れ物は借りられぬことはないものだったので、その相手を伊佐にえらんだ。彼女は外人の手からチーズの缶がわたされた時、とっさにそのことに思いついたのだった。  冬とは云え平和なあたたかい日が差していた。アスファルト道路が目にいたいようだった。  車はいく台も通った。こんどは後ろから来たジープが一台徐行しはじめ、一行と動きを共にした。それは異様なおそさであった。中から白人と黒人とが一人ずつのぞいていた。山田はふりかえって、その車が自分の横まで来た時、 「ハロー、ボーイズ、あなたたちは何をしているのです?」  相手は問いかけられたので、ちょっとおどろいた様子をしたが、 「女は一人か?」  と聞いた。山田の返事を聞いてはいず、その二人は、女が一人であることを自分の目で確かめると、その車は往来で止ってしまい、ミチ子の近づいてくるのを待った。 「オジョーサン。オジョーサン」  彼らは目的地を聞くとミチ子に乗れと云った。ミチ子はすぐさま英語で答えた。すると彼女は日本語の時より生き生きと表情に富み、女らしくさえなった。 「私たちは団体行動をとっているのですわ。ここから離れることは出来ませんのよ」  彼らは感心したようすで顔を見合わせ、この日本の婦人の全身を観賞していたが、惜しいというように首をふり、ゴソゴソとチョコレートを二枚とり出すと、ミチ子に放りなげた。ミチ子はそのうちの一つを割ってそばにいる者に分けた。こんどは伊佐にはやらなかった。ミチ子のまわりに集ってきた教員たちは、そのままミチ子の周囲をはなれたがらなかった。     三  隊伍ははじめから出来てはいなかったのだが、もうすっかり二組に分れてしまい、先頭の柴元と山田組の位置から、後尾の、ミチ子をとりまく組とのあいだには、ほぼ百|米《メートル》の距離が出来ていた。  伊佐はその頃から、皮靴が自分の足をいためていて、一歩一歩が苦痛であることがわかってきていた。彼はその苦痛のために、この靴をはいてきたことを悔みだし、それはこの見学のためであり、山田のためであり、ひいては外国語を外人のごとく話させられることのためであり、自分がこんな職業についているためだと腹が立った。苦痛はだんだん増してきた。彼はミチ子よりはおくれまいとしたが、どうもそれさえも出来なくなってきた。彼はミチ子がハイ・ヒールを包みこみ、かわりに運動靴にはきかえて平気で歩いているのがねたましい気持にさえなった。自分の周囲はもちろんのこと、百米さきを見通しても誰一人自分のはいている靴で難渋しているものはなかった。靴がこんなに彼の気になりはじめたのは生れてはじめてだった。彼は実はその靴を同僚から借りてきたのだ。彼にちょうどいい大きさと思えたのに、ちょっとのちがいが次第に彼の足をいためつけてきたのだ。彼はその同僚が、にわかに油断のならない存在のようにかんじられさえし、山田の企みであるようにさえ思われるのだった。  彼は行く先きの道路が途中で上りになっているためにアメリカン・スクールが見えないので、どのくらい来たものか、ふりかえってみた。そして彼は失望した。県庁さえもまだかなりの大きさで見えていたのだ。  ミチ子は自分より五米おくれている伊佐をふりかえって待っていた。 「どうされたの?」 「靴が……」  ミチ子は急に顔色を変えたほど真剣な表情になった。ミチ子は自分が新調の靴をはいてきたが、運動靴を持ってこなかったら、どんなことになったか、思い知ったのだ。 「こまりましたわね。まだまだあるらしいわ。進駐軍の自動車に乗せてもらったら? 自動車をとめてそうお頼みになったら?」  伊佐は足の痛みを忘れるほどおどろいた。彼はそんなおそろしいことになりそうだとは考えてもいなかった。 (そんなことが出来るくらいだったら)  伊佐はなるべく爪先きの方に足をよせて後がわの痛いところをすれさせないようにしながらミチ子におくれまいとした。こんなことをすすめられてはたまらないと思ったのだ。しかし靴ずれというものは、そんなことをすればよけいに痛くなるものなのだ。  ミチ子は自分もおくれることによって伊佐の痛みがおさまるかのようにそっと歩いた。ミチ子は自分のことだけに妙にとらわれている伊佐がめんどくさい気がしていたが、こうしていっしょに苦痛をわかってきているうちに、異性にたいして忘れていた愛情がほのぼのとわいてくるように思われた。しかし彼女はまだ忘れ物を借りることは忘れていなかった。その忘れ物を借りることのために、そういう卑しい借り物をすることで、愛情がうえた胃袋のあたりからふくれあがってくるようにかんじたのかも知れなかった。 「ねえ、やっぱりそうなさった方がいいわ」  ミチ子は伊佐の背中をさするようにしてそう云った。車はひっきりなしに通っていた。 「私、頼んであげましょうか」 「いいんです。いいんです。そのくらいならハダシで歩いて行きます」 「まあ」  伊佐は一言もしゃべらないつもりでいたのに、これはしまったと思った。しかし黙っていたら今にもミチ子は自動車を止めるかも知れず、彼女が|流暢《りゆうちよう》な英語で頼めばたぶん乗せてくれるであろう。乗せてくれては困る。彼は外人と二人きりで自動車に乗せられるのはどんなことがあってもいやだと思った。彼は黒人と二人で乗りまわした|拷問《ごうもん》にかけられているような一日のことを忘れられなかった。彼はあの時ほんとに衝動的に黒人を殺しかねなかった。あれがあのまま二日とつづいたら、彼は逃げ出すならともかく、ほんとに相手を殺していたことだろう。  ミチ子は伊佐が頑強に拒むので、せっかくわいてきた男に対する慕情が消えて行くのをかんじた。汗ばんできた肌が、何か自分の心の不潔さを|聯想《れんそう》させた。あれだけ借りればいい、いや、場合によっては借りることだって、どうでもいいと思った。ミチ子は伊佐をふりかえるまいと心を決め前の一群の最後尾に追いつこうとした。すると伊佐のまわりの一群も伊佐をのこして動いて行った。  山田はいつのまにか柴元と意気投合していた。柴元は戦争中まで柔道では県下でも有数な高段者の一人で、講道館五段だということを話していた。柔道と戦犯的人物とは何のかんけいもない、そのしょうこに自分は今、レッキとした県庁の、それも学務部の指導課にいることでも分る、と云った。柴元はそれから警察と、米軍とに柔道を教えているのだ、とつけ加えた。彼がその地位についたのは、その米軍指導の恩恵のためだった。  山田は柴元が米軍に柔道を教えていると聞くと、急に眼をかがやかしはじめた。山田は通訳から、米軍とのあらゆる交渉に興味をもっていた。それだけではなく、彼はチャンスをつかんでアメリカに留学したいものと願っていた。彼はその野心のために、日夜、生き生きと、それから小心翼々と生きていた。  彼は柴元に自分の英語の達者なことを知らせたいと思った。彼の学校では彼が主催して、もういくどもモデル・ティーチングをやったことを話した。柴元は既にそのことを知っていると答えると、彼はどうして持ってきたのか、 「ザァット・イズ・イット(あれはこれなんです)」  と云って、その頃では珍しい皮鞄の中からその時の授業次第を書きこんだガリ版のパンフレットを柴元に見せた。 「そりゃもう、みんな出来ませんよ。先生といったって。僕はそのうち指導課の御後援を願って、この市で講習会をやりたいと思っているんです。米人の方にも一つ応援を願いたいですな」  彼は名刺を柴元に差し出した。その裏に横文字が刷りこんであった。 「僕もこう見えても剣道二段です」 「ほう、大分やられましたな」 「そうですとも」山田は剣をふる真似をした。「実はこんなこと云って何ですが、将校の時、だいぶん試し斬りもやりましたよ」 「首をきるのはなかなかむつかしいでしょう?」 「いや、それは腕ですし、何といっても真剣をもって斬って見なけりゃね」 「何人ぐらいやりましたか」 「ざっと」彼はあたりを見廻しながら云った。「二十人ぐらい。その半分は捕虜ですがね」 「アメさんはやりませんでしたか」 「もちろん」 「やったのですか」 「やりましたとも」 「どうです、支那人とアメリカ人では」 「それゃあなた、殺される態度がちがいますね。やはり精神は東洋精神というところですな」 「それでよくひっかからなかったですね」 「軍の命令でやったことです」  山田は会話が機微にふれてきて、自分で自分のいっていることが分らなくなったのか、それっきり口をつぐんで、柴元がオーバーをぬいでいるのに気がつくと、自分もいそいでぬいで小脇にかかえこみ、その拍子に道路をふりかえった。とたんに山田の浅黒い顔の中でよくしまった口がゆがみ口惜しそうな表情になった。 「どうです、このざまは、これが戦時中の行軍だったら……これが教師なんだからな」     四  山田は|鷹《たか》のように最後尾の伊佐をねらっていた。彼の位置からふりかえってみると山田の憤るのもむりはない。その一行は、じっと山田が|佇《たたず》んでいる横を三々五々通って行くが何のために歩いているのか、米兵でなくとも聞いてみたくなるような、ダレた歩きぶりであった。彼は伊佐の近づくまで待っていようと思った。彼は先日来、伊佐が自分に何ごとか反抗心をいだいているのを気にしないわけには行かない。彼は「規律破壊者」という言葉を佇みながら考えだした。そうすると伊佐という男はすべて解釈がつくように思われた。いつしか彼は三年前までの軍隊の中隊長になっていた。それはさっき柴元と回顧談を交したために、すべりがよかったのかも知れない。それでも伊佐の近づくまでは声もかけずに黙っていた。それには彼の優者としての残忍さがまじっていたのだ。伊佐より前にミチ子が山田のそばを通った。 「靴ずれなんですよ、あの人」 「靴ずれ? そんなバカな」  山田はただの「規律破壊者」ではなくて、靴ずれであると聞いて、ただの「規律破壊者」以上に規律破壊者だと思った。そのような幼稚な理由でおくれていることは許せない。そんなふうだとこの男はそのうち便所に行きたいだの、|喉《のど》が痛いだのといっておくれるかも知れない。第一、その靴は何だ。山田は伊佐の黒い靴がアスファルトの地面をするように歩いてくるのをじっと見ていた。その白く|埃《ほこり》をかぶった黒靴が山田をおそれるかの如く彼の前に寄ってきた時、山田ははじめて声をかけた。 「それはキミの靴ですか(英語)」  伊佐は山田が彼を待ちうけていることさえ気がつかなかった。彼は痛みをこらえるだけで目はあいていても何も見てはいなかったのだ。 「この隊伍が乱れているのはキミのためですよ。キミのような人が一人いると、みんなダレてくるんです、こまったものだ!」  ミチ子が戻ってきて云った。 「自動車を止めて乗せてもらってはと思うんですけど」 「自動車? 米軍のですか?」山田はミチ子の方は見ず伊佐の足もとを眺めながら、肩をすぼめて見せ、それから急に強い語気の英語にかわった。「そいつはいかん。ミスター伊佐、そんな恥しいことが出来ますか。これが盲腸だとか何とかいうのならいいが、こんなことで……」  すると、二、三の者が戻ってきて、山田の肩ごしにのぞいた。 「いっそハダシで歩いたら。何しろ道はいいんだから」  伊佐はさっきからいくども靴をぬいで歩こうと思った。しかしそんなことをすれば、すぐに彼の異様な姿は米軍の自動車の中から目についてしまい、米兵はその奇態なかっこうを見て、彼に何か話しかけ、むりやりにでも彼を自動車にのせてしまうかも知れない。山田は云った。 「とにかくあんたは止らないで少しずつでも歩いて下さい。あんたのためにみんな待ったり考えたりしているのですから。どうしたらいいでしょう。ねえ、柴元さん」  柴元は山田が戻ってこないので、地蔵のように道ばたに佇んで待っていた。柴元と山田とが動かなくなると、一行の動きもおのずから止ってしまった。 「こんなことをしていては遅れてしまいます。われわれの恥辱です。とにかく米軍から見えないようにすることが肝腎です。オー、シェイムフル!」 「どうしてですか」  柴元が山田のいうことが呑みこめないように云うと、 「こんなざまを見られては」 「それなら……」  柴元の発案で伊佐はけっきょくハダシになり山田たち数人にかこまれて歩きだすことになった。伊佐は急に元気になった。その道路はじっさいハダシがいちばん快適であった。なぜなら自動車のタイヤは一種のハダシみたいなものだからである。  ミチ子は自分のそばにいて、そのうち自分よりおくれてくる伊佐のことを始終心にかけていた。あまり云うことを聞かないので放っておく様子をしたが、そのがんこなところが何か亡夫に似ていた。それが今は山田らのかげにかくれてハダシのままいそいそと歩いて行く。何というがんこな貧しい男であろう。ミチ子は亡夫の出征を送って行った日のことが思うともなく思い出されるのだ。  兵営から出発駅まで二里の道を駈けるようにして隊伍の横について行った。途中一度も休憩せず、その隊伍はミチ子をよせつけない早さで歩いた。夫は口をむすんだままミチ子の方をばほとんどふりかえりもせず、ミチ子をふりかえったたった一度の時は、手を振って追払う様子をした。ミチ子だけではなくどこかの老婆までが、息子の名を呼びながらころげるようにしてついて走った。ミチ子はそのがんこな夫の恥しがり屋な心根を知っていたので、このハダシの男もたぶんそうなのだろう、アメリカン・スクールに着いたら話しかけて見ようと思った。するとミチ子は自分のハイ・ヒールのことが、花の|蕾《つぼみ》のような感触で、包みの中でよみがえってきた。そう、向うでハイ・ヒールをはいた時に彼に話しかけて見ようと思った。  ほんとに伊佐が遅れるどころかハダシでぐんぐん歩きだすと、伊佐がいちばん楽に歩いているように見えた。彼は山田とはちがった意味で米兵に見られやしないかという思いで前かがみになり、一刻も早く、歩くことを止めるところへ、一先ず着きたいと念じながら歩いているのであった。妙なことに、彼は先方に着いても歩かねばならぬことや、帰り途のことをすっかり忘れて、山田たちのかげにかくれることだけに夢中になっていた。  山田は行軍状態がおちついてくると、何も不服はないはずだったが、伊佐がぐんぐんとついてくると、どうして先日来この男はおれの気持を|損《そこ》ねることばかりするのだろうと思った。彼は柴元に云いたくてムズムズしていたことを今こそ云うべきだと柴元に話しかけた。 「モデル・ティーチングをぜひやらせてもらうべきですよ。ねえ柴元さん。後はわれわれの力を相手に見てもらうべきだと思うのです。これはちょうどいいチャンスじゃないですか。出来れば、成績の順位をきめてもらってもいいのです」  柴元は坂をおりてやがて見えだした目的地の建物を望見していたが、迷惑そうに首をかしげた。 「あなたが不服なら僕が直接かけあって見ます」 「たびたび申しますがね。それは先方で困るかも知れませんのでしてね」 「困る? そうでしょうか。おなじ英語をつかう国民同士のあいだがらですよ。それにそのあとで彼らの教えを受けてやればいいのです。あなたもせっかく柔道で鍛えられたのですから、敵に一歩先んずる作戦というものを御存じない筈はないですがね」  柴元は山田の鋭い|鋒《ほこ》先きをかわしかねて山田の云うなりになってしまった。柴元はこのようにアクの強い教員にめぐりあったことがない。そんなら学校に着いたらさっそくかけ合って見ますからね、と山田は柴元に念を押した。  伊佐は山田のこの談話を一言も聞きもらさなかった。そうしてこの結論に到着するや否や急に山田たちの包囲からのがれようとしはじめた。彼はばくぜんとした|塊《かたま》りである、その隊列をそれとなくはなれると路のすみに行き、前のボタンをはずした。山田はそのことに気がつかず、誰も伊佐にかまうものはないほど疲れてきていた。  その時ミチ子はジープに呼び止められた。彼女は車から乗り出した憂うつな黒い顔を見て、その男が路端で用を足している伊佐を指さしているのを知ると、冷汗が流れた。 「どうしてハダシでいるんですかい」  ミチ子はホッとして、わけを話すと、とたんにジープは音を立てて伊佐のそばへ走り出した。伊佐はあわててふりかえってそれがいつかの乗り合わせた黒人であることを知って後ずさりした。彼はその黒人に今日まためぐり合うことを予感していたので、こうして予感が的中すると所を忘れて道路から畑の中にとびこんだ。そこはいつかの山の中の雑木林とは勝手がちがっていた。畑の中から彼は懇願するように手をふって断ったが、相手は彼に五本入りの煙草の小箱を差し出すと、それで彼をおびきよせようとした。山田はこの様子を見ると心から怒って走りより、 「こんなに親切にされて、どうして乗らんのですか」  と叫ぶと、黒人と二人で彼を畑の中に捕えにきて、ジープに放りこんだ。  彼だけを乗せたジープが、砂塵を残してアッという間に小さくなると、あとで爆笑がおこった。  烏が高いところにいるくせに、群をなしてジープをよけるようにそれていた。アメリカン・スクールの周辺には餌があるのであろうか。それをみやりながら、ミチ子は重荷を下したような気分になり、忍び笑いをしていたが、伊佐の遠慮ぶかさがのみこめず、あの人は戦争中に米人をよほどひどい目にあわせたのではないかしら、と思った。  伊佐は身をちぢこませてジープに乗っていたが、すぐに運転席から背を向けると、徒歩者は窓の中を見る見る小さくなって行き、彼らの笑っている様子だけは彼の眼にうつった。それでもあの群の中に入っていた方がましで、今となっては絶望的だと思った。笑っているところを見るときっと山田は自分をしゃべらせる破目においこむにちがいない。伊佐はそう信じこんでいた。信じこまなくても、その可能性があれば、それは彼にとっておなじことだった。  その黒人は伊佐の怠慢な通訳ぶりを自分に対する軽蔑と、それからイヤガラセだととった。彼は軍政部に帰ってそれから学務部に寄って理由をのべず経歴をしらべさせたが、英語を話せない理由を認めなかったので、やはりそうだったのだと、心の中で決めた。彼は伊佐に会ったのを幸い、ちょっとあの林の中の|復讐《ふくしゆう》をしてやろうと思った。  急にジープが止ると、いきなり伊佐の前に小型のピストルが向けられた。彼は、 「英語を話さぬか、『お待たせして相すみませんでございました』ってもう一度いって見ろ」  伊佐は冷汗を流して、おし出すようにそういった。すると相手はきれいにそろえたヒゲの下で、笑いだし、それが玩具であることを伊佐に教えて、それからジャズ・ソングを口ずさみつつ運転をはじめた。  黒人は二度も彼にめぐりあう機会にめぐまれたことを、因縁浅からぬものと感じたのか、車をおりる時、 「また会うかも知れんな」  とあいさつをしたが、伊佐は心の中でギョッとした。ジープが去ると彼は運動場の柵の方へハダシのまま駈けて行き、そこで一息ついてからそっと靴をはき、うずくまった。そこからアメリカン・スクールの生徒たちが遊んでいるのが見えた。小学校、中学校の男女の生徒が色とりどりの服装で、セーター一枚か、うすいシャツの上にジャンパーだけで動いている。伊佐はそこを離れて建物のかげから、なおものぞいていた。そこにおれば安全なのだ。彼は心の疲れでくらくらしそうになって眼をつむったのだが、だんだん涙が出てくるのをかんじた。なぜ眼をつぶっていると涙が出てきたのか彼には分らなかったが、それは何か悲しいまでの快さが彼の涙をさそったことは確かであった。彼はなおも眼を閉じたまま坐りこんでしまったが、その快さは、小川の|囁《ささや》きのような清潔な美しい言葉の流れであることがわかってきた。  それは彼がよくその意味を聞きとることが出来ないためでもあるが、何かこの世のものとも思われなかった。目をあけると、十二、三になる数人の女生徒が、十五、六米はなれたところで、立ち話をしているのだった。彼は自分たちはここへ来る資格のないあわれな民族のように思われた。  彼はこのような美しい声の流れである話というものを、なぜおそれ、|忌《い》みきらってきたのかと思った。しかしこう思うとたんに、彼の中でささやくものがあった。 (日本人が外人みたいに英語を話すなんて、バカな。外人みたいに話せば外人になってしまう。そんな恥しいことが……)  彼は山田が会話をする時の身ぶりを思い出していたのだ。(完全な外人の調子で話すのは恥だ。不完全な調子で話すのも恥だ)  自分が不完全な調子で話しをさせられる立場になったら……  彼はグッド・モーニング、エブリボディと生徒に向って思いきって二、三回は授業の初めに云ったことはあった。血がすーとのぼってその時ほんとに彼は谷底へおちて行くような気がしたのだ。 (おれが別のにんげんになってしまう。おれはそれだけはいやだ!)     五  一度立ち去ったジープは、すぐにまた引返してきたが、伊佐はそのことに気がつかなかった。彼が目をつぶって夢中になって聞いていたのは、ジープの音ではなくて、軽快なピアノの|小夜曲《セレナーデ》や|遁走曲《フーガ》のような女生徒のおしゃべりだったからだ。  ジープから出てきた黒人は、口笛をふきつつ、伊佐のいるところとは離れた|柵《さく》にもたれて、息子をさがしていた。彼は急用で学校のそばの宿舎にもどってきたのだが、それをすますと伊佐の足のことを思いおこしたのだ。中学生の息子が彼のところに走ってくると、校舎の中にかけこんで行った。  まもなく伊佐はアメリカ映画に出てくるような長身の美しい婦人が小走りに柵の方へ近づいてくるのを見て、それが何かをさがしているのを知った。そのあとから黒人の子供がついてきていた。伊佐はここに|蹲《うずくま》っているのを見られては、泥棒と思われるのではないかと思い、少しずつ動いて木立の蔭に身をかくした。彼はそうして何も見えず、同時に聞えないというふうに、目をとじてしまった。しかしその婦人の声と足音が次第に彼に近接してくることを知ると、伊佐はもう駄目だと観念した。彼は自分に声をかけられているかも知れないということを知っていても、しばらくは顔もあげず目もあけなかった。とうとうからだにさわられて靴のことを云われていると知ると、ようやく立ちあがっておじぎをした。伊佐は目をあけるとはじめて間近かにその婦人の食糧や物資や人種に恵まれた表情を見て、そのまぶしさに、これがおんなじにんげんであり、教師であろうか、と彼は足のすくむようなかんじになり、ただ|頷《うなず》くことが出来るだけだった。  伊佐は下僕さながらに、自分より首だけ高いその婦人にひきずられるようにして、校舎の中に連れこまれて行った。彼は婦人の、春の雪解水のように流れて行く言葉の流れの中から、こんな破目になったのは、例の黒人のおせっかいのせいだとやっと知った。 「あんたの足はこれから手当てしてあげます。私はあなたの足に毒薬をつけるのではありません」  伊佐は歩きながら、 「サンキュウ」  と云いたかったが、それを云えばそのあとで色々話さないわけには行かないので、|唖《おし》のように黙りこくってついてくるのだが、一人で大勢の外人の中に入れられ、自分が英語の教師である以上、さまざまな質問を浴せられたときにはどうしたらいいか、それを思うと、さっきジープの中の絶望的な気持がまたよみがえってくる。びっこをひきながら歩く彼のあとからは、生徒がゾロゾロついてきた。伊佐はそのことさえ気がつかない状態だったが、その婦人の一声で、生徒はざわめきながら駈けもどって行った。婦人は何かを語りかけ、いく度も彼に微笑をあたえるごとに伊佐はますます自分が耳がわるくて聞えないふりをした。彼はそのために心の中ではその婦人に対して礼儀上自責の念にかられ、そのまま地べたに倒れ、その足に接吻するとか、その足の下の地面に接吻するとかして|詫《わ》びたいように思った。その矛盾した心の動揺のために、彼はいきなり彼女の持っている分厚い本を持ってやろうと思い立ち、走りよってそれを自分の手にとろうとした。その場合にどのように云えばいいか彼も知らぬわけではなかったが、それを言葉にあらわすのが恥しくて、彼はだまってそうしたのだ。伊佐がむりに奪おうとするので、彼女はグッと本をひいたが、頭をさげ、泣きそうな微笑をうかべながら、しつこく本に食いさがってくるので、はじめて彼女は伊佐の意を察して礼をいったが、彼に渡しはしなかった。しかし伊佐は自分の意が通じたことがわかったので、これから自分がこの学校でどんな能足らずと思われても、少くとも人でなしではないと知ってもらえるだろう、と死に行く者が、生きている者に|懺悔《ざんげ》をしたときのようなかすかな満足をおぼえたのだ。  彼女は衛生室に看護婦がいないので、そのまま伊佐を彼女の個室につれてきた。ドアがガチャリと閉り、彼女が|鍵《かぎ》をかけた時、伊佐はさっき、玩具のピストルをつきつけられた時のようにおどろいた。そのまま一歩もすすまずにドアを背中にして立っていた。  その婦人がエミリーということを伊佐はその部屋に入る前に名札で知った。エミリー嬢は彼に坐れというと、それから、 「鍵をかけて煙草を吸うのよ。生徒に吸うところを見られると困るでしょ。男も女もそうなのよ」  伊佐はしばらくあとになって彼女がそう云ったということを知ったが、床に目を落している彼の耳はどうしてもエミリー嬢の声は聞こうとしていないので、何か彼の無礼を責めているのであって、治療のことなど忘れてしまったのだと思い、これ以上目をあげないとよけいに失礼になると、彼は目をあげて煙草の|烟《けむり》ののぼるのを眺めていた。彼は無言で立ったままその烟の行方を眺め、次第に天井の方へ視線をうつして行き、エミリー嬢の目から離れようとしていたのだが、とつぜん彼女は彼に靴をぬげと命令したように思った。そこで彼はあわてて軍隊の靴下をぬぎ出すと、彼女が笑い出すので、見あげると、 「コーヒーをのみますか? のむなら、自分で勝手にのみなさい」  と云っているようなので、頭を横にふって靴下を又はこうとした。するとエミリー嬢のからだが動いて彼のそばに近よってくると、彼のしまおうとする足をむりやりにむき出しにさせた。珍しいものでも見るように彼の足をうちながめ、一皮完全にはがれた|無慚《むざん》な傷口を見ると、 「オー」  と顔をしかめ叫び声をあげて、とたんに煙草の火をもみ消した。  伊佐は自分の足がこの美しい異国の婦人によって密室で見世物になった口惜しさはあるが、さっきから何一つしゃべらないのだから、このていどのことなら仕方がないが早く一行の中にまいもどり、大勢の中の一人になりたいと思っていると、彼女は自分だけコーヒーをのみ、廊下へ出て行った。その時に又彼は外から鍵をかけられた。看護婦を見てくると云って出て行ったような気がするので、それはありがたいが、なぜ鍵をかけるのだろう。彼はその時になって、さっき部屋に入った時、彼女が生徒に煙草を吸う現場を見られると困るといったということに気がつき、同時に今こうして鍵をかけて出て行ったのも、伊佐がかってに校内を歩きまわったり、又は逃げ出しはしないかという(ちょうど親切にされても動物が逃げ出すことがあるように)心配からそうしたと云うことが分ったのだ。彼はそうすると今なら一行の中に逃げられると発作的に思った。窓をあけて運動場へとび出すと、ハダシで走り出した。伊佐は走り出してから靴を部屋の中に置いてきたことに気がつき、それが借り物であるので又窓から部屋の中にとびこもうとした時、ドアをあけたエミリー嬢に見つかってしまった。     六  伊佐が|瀟洒《しようしや》なアメリカン・スクールの校舎のかげにひそんでいる時に、山田はミチ子のそばに寄りそってきた。山田は学務課へいっしょに行くように誘ったさいにも、彼にはある意図があったのだ。彼はミチ子が外人と自由に話しているのを前にも見たことがあったので、|何時《い つ》かその会話力を試して見ようと思っていたのだ。教師の中には、まるで昔の武芸者が腕前を試すためにわざと|鞘当《さやあて》をするように、因縁をつけるのがいるが、山田にはそうしたところがあった。伊佐が|執拗《しつよう》にミチ子のそばをはなれず、ミチ子もまた伊佐に何となく親しげな様子を見せているので、山田は近よることが出来ずにいた。今まで彼は自分より英語の会話力がある婦人に出あうと、おそれげもなくほかの力で|遮二無二《しやにむに》征服しようとしたこともあった。がたいていそれは失敗に終った。  山田は彼女に教師の経歴から、卒業学校、さては特別に会話を勉強したか、外人との交渉はあるかと矢つぎ早やに英語で問いかけるので、さすがミチ子も日本人同士のくせに英語で答える恥しさで、ぽっつりぽっつり日本語をまぜていたが、山田は一向に質問を止める気配がないのだ。ミチ子は相手が自分を女と思ってなめてかかっているということが分っているので、何故そんなに英語が好きになったか、モデル・ティーチングをやりたいのか、あなたのどの発音がアメリカ南部で、どの発音が東部で、日本で云えば、青森弁に九州弁がまざっているようなものですわ、と英語の気易さでついはげしい応酬をしてしまうと、山田は意外な強敵にたじたじとなってしまった。  山田はヒゲをひねり、英語よりも話の内容上答える言葉もなく、このように腕の立つ女性にはもはや食糧か衣服かの話より|術《すべ》はないものと覚悟した。彼は初めて日本語で云った。 「りっぱな御服装ですな。戦前のものですか」 「ええ戦死した主人の|生地《きじ》なんですの」 「御主人が亡くなられては大へんですな。僕の方でお米なら割に安く手に入りますよ」  彼はそういって女の顔色が動くのをじっと見ていた。 「さようでございますか。御名刺を一つ」 「それから何なら内職の仕事もお世話いたしますよ」 「ええ、ぜひお願いしますわ。何といっても男の方は得ですものね」  そこまで話がすすんで来た時、ようやく一行は守衛に呼び止められた。 「一名ジープに乗って先行したのです」  山田は出しゃばった口をきいて、女をふりかえり、英語で云った。 「彼はまだハダシで校舎のかげにでもかくれていますよ」 「どうしてなんでしょう」 「あれは、話ができないんですよ。かんたんなことです」それから声を小さくして英語でつけ加えた。「もうそろそろ靴をはかれる時ですよ」  ミチ子は云われるまでもなく思っていたのに、先きまわりをしていう山田は、今まで私の姿を見つづけてきたのかも知れない。この男は警戒しなければならない。それにしてもあの人はほんとにかくれているのだろうかと、やがて近づいてきた建物を見まわした。  彼らがこうして|辿《たど》りついたアメリカン・スクールは広大な敷地を持つ住宅地の中央に、南にガラス窓を大きくはって立っていた。敷地は畠をつぶしたのだ。アメリカ人にとっては|贅沢《ぜいたく》なものとは云えないが、|疎《まば》らに立ちならんだ住宅には、スタンドのついた寝室のありかまで手にとるようで、日本人のメイドが幼児の世話をしていた。参観者たちにはその日本人の小娘まで、まるで天国の住人のように思われる。ミチ子はそっと眼頭をおさえた。日本人であって自分のように英語をこなせるにんげんと|此所《こ こ》に住んでいる米人とは教養の点ではおそらく遥かに自分の方が上である。それなのに私はこの六|粁《キロ》の道を歩きながら、ここでハイ・ヒールをはくことをひそかに楽しんできた。この花園では私たちというにんげんが既にもう入りきれないほど貧しくなっているのだ。 「授業の参観などする必要はない」そう云って柴元の方を見たのは、伊佐にハダシになれとすすめた男だった。「このような設備の中で教える教育というものが、僕たちに何の参考になるものですか。僕たちは歩いて来ただけで参考になりましたよ。敗けたとはいえですよ。この建物は僕たちの税金で出来たものです。それを見せていただいて涙を流さねばならんですか」  ミチ子は自分の、眼を押えた姿を見られたかと横を向いた。その拍子に手持無沙汰のために、みんなからはなれて靴をはきかえた。はきおえて顔をあげた時、伊佐が運動場をよこぎって歩いてくるのを見かけた。その後方にエミリー嬢がつっ立っていた。伊佐は靴をぶらさげていた。エミリー嬢の美しい姿を見ると、ミチ子はまた運動靴にはきかえようかと思った。  空腹をかかえて歩いてきた距離の長さが或る者を怒らせ、或る者をよけい無気力にしたのだ。 「しかしこの参観は苦労して得た我らの特権なので早まったことをしていただいては学務課の顔が立ちません。何です、あなたは」  柴元は広い肩をゆすって|居丈高《いたけだか》に云い、その勢いで|叱咤《しつた》した。 「アメリカン・スクールの前で腰を下さないで下さい。乞食のように見えます。もうあんたはそこにいたのですか」  柴元の視線の止ったところには、伊佐が背中を向けて坐っていた。 「だからです」と山田が割りこんだ。「我々の力を見せようではありませんか。僕に任せて下さい。それ以外意味ないと思うんだ」 「それはそれとして、みなさん」  柴元は横あいから山田の話を奪うと、鞄の中から、印刷した用紙をとり出してみんなに配った。一同の注意はその紙の方に転じた。 「参観後の感想をくわしく書いて提出していただきます。参考資料にしますから」  するとミチ子が感情のたかまりを抑えかねたように高い声をはりあげた。 「書くことなんかありませんわ。書いてどうなるんですの?」 「いや」と山田が|嘴《くちばし》を入れた。「僕の通りに書けばいいんです。僕がこの学校の授業方針、巧拙、その他ぜんぶ厳正に批判します。僕がみなさんにあとで見本を示しますよ、それよりも……」 「そんなことをいってるんじゃないんですわ」 「では何ですか。何が不足ですか、あなたは」  ミチ子は、山田はお話にならない。伊佐はどこかいじけすぎているくせに、女の人によくされる。ほんとに伊佐に聞きただしてやらねば、とミチ子は、山田と伊佐のことを同時に思うのだ。  その時、鉄柵があいて眼鏡をかけた、三十ばかりの、校長、ウイリアム氏が微笑をうかべてあらわれた。もう立ち話をしている時ではなかった。  山田が最初にとびこんで行ったが、そのあとではしばらくゆずり合いがおこった。伊佐は柵がしめられる頃になって、足をひきずりながら一人おくれて入った。  伊佐は彼のカンで山田が、山田自身とそれから伊佐とにモデル・ティーチングをするように画策していると察していたが、いよいよそれはまちがいないと思った。どんなことがあっても山田の口を封じなければならないと思った。そう思いながらも、封じる手は思いつかず、彼の足は前にすすむに重かった。  参観者は生徒のじゃまをしないように二列になってすすんだ。山田が校長ウイリアム氏にへばりついていた。ウイリアム氏が発声すると山田は片手をあげて、ふりかえり何ごとかをしゃべるのだ。それが順々に逓伝されてくる。それは誰が発案したともなくいつのまにかそうなってしまったのだ。そしてそれは、まだ生々しい軍隊の命令伝達のやり方や、防火バケツの手渡しの記憶がのこっていたせいであろう。ミチ子は伊佐の前にいたが、ミチ子を経て伊佐に伝わるまでには時間がかかった。そして逓伝者のおどろきの部分だけが伊佐の耳に伝わった。  ウイリアム校長というより、通訳者山田の第一声は、次の如きものであった。 「私たちのアメリカン・スクールの校舎は日本のお国のお金で建てたものです。お国の建築屋が要求通りにしないのとズルイために、ごらんの通り不服なものなんですが。第一、経費も本国の場合とくらべると約五分の一です。明るさというのが私たちアメリカ人のモットーなのですが、まだまだこれではそのモットーに添っていません。ここの生徒は一クラス二十人です。まだこれでも多すぎます。十七人が理想なのです。お国の学校は七十人だそうですが、あれはいけません。(ウイリアム氏は、十七のセブン[#「セブン」に傍点]ティーンと七十のセブン[#「セブン」に傍点]ティーとが期せずして頭韻をふんだのを得意げに発音したと伊佐は思った)なぜならばそんなに多くては団体教育になり、軍国主義になるもとにちがいないからです」  とウイリアム氏はにこやかに話しつづけて、ここで笑った。が彼の通訳は多少の粉飾を以て行われた。たとえば彼は「ズルイ」という言葉を勝手につけ加えた。まるで自分だけがズルクないといったふうであった。 「私たちの給料は本国から支給されているのです。聞くところによると、私たちの中のいちばん若い女の先生のそれも皆さんがたの多い人の約十倍のようです。これは本国にいるよりはかなりいいのですが、それは物価が高いためで、私たちの給料が皆さんのそれより多いのは、一つは私たちの生活水準が高いからに外なりません」ウイリアム氏は色々な意味でこれは理想的な学校とはいえない、といっただけなのだが、きく者の耳にはちがってひびいた。それからあとの細かい授業内容の話には誰も真剣に耳を傾けようとはしなかった。  この二回目のウイリアム氏の話が伊佐に伝った頃には、月給が十倍という溜息まじりの文句だけであった。ミチ子はあやうくよろめくところを伊佐に支えられた。 「何ということでしょう。ほんとに誰かのおっしゃったように、帰るべきだったわ」 「そうです、その通りです」 「あなた、あの人に手当てして貰ったんですか?」 「そうです、その通りです」 「何を話したの?」 「何にもです」 「あら、あんなことをして、いやあね」  伊佐はミチ子に云われてそちらを見やると、廊下のすみで男女の学生がより添い、目をつぶり手をにぎり合っているのだ。エミリー嬢が、ぽんぽんと二人の背中をたたき、参観者がいるという合図をした。そうして彼女はミチ子の方を見て微笑した。 「何か夢の国ね。だけど中身は案外ね、きっと」 「そうです、その通りです」  ミチ子はこの奇妙な返事をくりかえす伊佐の|兎《うさぎ》の眼のようなおじけづいた、心配そうな眼を見ると、山田の言葉を思い出した。急に伊佐が口を切った。 「何故こんなに恥しいめをしなければならんのでしょう」 「恥しいめって? ハダシになったこと?」 「いいや、こんな美しいものを見れば見るほど」 「美しいって。そうかしら」 「僕は自分が英語の教師だからだ、と思うんです」 「何のこと、それ? あなたは英語を話すのおきらい?」 「き、きらいですとも、……」 (やっぱり)とミチ子は思った。(そういう男の人はよくある、伊佐も山田と反対にその一人なのかしら)     七  参観音は、バラバラに別れて、各自その好む授業を観ていいことになったのだが、みんなかたまりたがった。柴元はそれをむりやりに三組にわけた。それには彼の柔道家としての身体が役立った。わかれた者はその者同士でかたまって動いた。東京見物にきたお上りさんのようだった。  ミチ子はとにかく伊佐のそばを離れなかった。彼にあのことを云わねばならない、とアスファルト道路上からの重荷になっていたことがあるだけではなく、彼のそばにいると、何をしでかしても、自分がアメリカ婦人にくらべて惨めでも、心がおちつく気がするのだ。つまり伊佐は彼女にとって、アメリカン・スクールをいっしょに歩くには恰好の相手だった。伊佐はまた山田のそばを離れなかった。彼は山田の一挙手一投足に注意を集めていたし、山田が階段からすべり落ちて怪我でもするように心から願っており、何ならその扶助さえも惜しまない気持になっていた。怪我してまで、モデル・ティーチングの提案をウイリアム氏に出すことはあるまいから……おまけに山田のそばにおれば、何一つ英語を話す必要はなかった。山田が一人で活躍したがっているからだ。  したがって、山田と伊佐とミチ子はいっしょにある教室に入って行った。そこは図画の授業がはじまっていたが、準備室で山田は手帖に何か書きこんだ。それからミチ子をふりかえって|狡猾《こうかつ》そうに云った。 「ごらんなさい。これだけの物量を誇っているくせに、子供の絵は下手くそで見られないから、ドンチュー・シンク・ソー? (そう思いませんか)」  すると、山田の口もとに耳を集めていた二、三名の日本人は、神妙に|相槌《あいづち》を打ってニヤニヤした。  ミチ子は自分も同感だが、この人たちは、卑くつな日本人の悪さを持っている。しかし自分や伊佐は……と思って伊佐をふりかえると、伊佐はエミリー嬢の運動靴が大きすぎるのでしゃがんで|紐《ひも》を結びなおしていたが、ミチ子の目に合うと顔を赤くして横をむいた。 「ちょっと生徒の絵を見ましょう」  しかし教室には空中を大小さまざまな魚が泳いでいた。いろんな色を塗られた、いろんな魚が、一つ一つ数人のグループでこさえられたのだ。すると、窓から遠くに見える日本の|藁《わら》ぶきの農家の写生をしていた中学一年の男女がふりかえりはじめ、そのうちの一人が柴元を右手で指しながら左手でアンコウを指した。山田は|鮫《さめ》になり、伊佐はやせているためか、飛魚になり、ミチ子は金魚になった。こうしてまたたくまに全員が魚になった。廊下へ出ると柴元に山田が云った。 「女の先生にまでこんな恥をかかせる教育なんてものはない。一札申入れましょか。どうです、みなさん。あなた何でした、ミス……」 「そんなこといいじゃあ、ありませんか。何でもないのよ。こっちがひがんでいるからですわ」 「ひがんでいる? 僕は教育のことを云っているんです。図画の教師がケシカランと思う。しかし被害者のあなたがそう云うのなら、あなたは金魚でしたよ。他人の親切を……」  山田は笑いもせず、不機嫌にそうつけ加えると、手帖に何ごとか記入した。 「伊佐くん、キミは何でした」  彼は返事をしなかった。 「キミの飛魚はケッサクだ。ハダシで飛びまわったのですからな」  しかし伊佐は山田の身に事故の起ることばかり考えていたので、聞いてはいなかった。  エミリー嬢が英語を教えているのを、エミリー所有と横文字で書いた運動靴をはいて、伊佐は廊下で聞いていた。ミチ子はこんどは伊佐を誘いはせず、部屋に入って行った。やがて小声でしゃべりながら彼らは、一人一人あらわれた。 「あなたや僕の英語の方がよっぽどうまいくらいだし、どうです、あの生徒の文法上のまちがいは」 「でもきれいな女の人ね」 「映画女優が高給をもらっておるようなものだ」 「あの人、ほんとに英語が嫌いらしいですわよ」  ミチ子は伊佐のことを英語で山田に云った。山田はやはり英語で答えた。 「僕は何でも分るのです。何か僕に悪意をいだいているらしいことも分っています」  ミチ子は英語で「彼」というと何か伊佐の蔭口を云ってもそれほど苦にならないことを知って、伊佐のあれほど英語を話すのを嫌う気持もわかるような気がした。たしかに英語を話す時には何かもう自分ではなくなる。そして外国語で話した喜びと昂奮が支配してしまう。ミチ子は、山田のそばをはなれなくてはと思った。     八  ミチ子は伊佐と肩をならべた。 「英語を話すのがお嫌いなら、わたしなんか、おきらいですわね」  そう云ってミチ子は自分の言葉におどろいた。 「女は別です」 「女は真似るのが上手って意味?」  伊佐は、ミチ子のいう通りかも知れないと思った。  するとミチ子は急に伊佐の耳もとに何か|囁《ささや》いた。伊佐はそれが日本語であるのでホッとした。 「えっ? そりゃあなたさえ……」  そう云うと伊佐は囁いた当のミチ子より真赤になった。 「ねえ、それも恥しいことなの?」  ミチ子が何となく浮き浮きしたことを云いだしたのは一つには彼らの目の前に展開されている光景のためかもわからない。そこでは、当アメリカン・スクールと近県のアメリカン・スクールとのあいだのバスケットの試合を明日にひかえての応援団による激励が行われていた。応援団は十六、七の三人のユニフォーム姿の女生徒でリーダーシップをとっていた。彼女らが一声高く選手の名を呼び気合を入れるとそれについて気勢をあげる。次第に応援は白熱し、遂に生徒はレビューガールのように気勢をあげるたびにスカートを持ちあげ、そのうち宙がえりをはじめるのだ。  山田が近づいてきた、と思うと伊佐に向って云った。 「午後、あなたと僕がモデル・ティーチングをやって見せることに決りました」 「ぼ、ぼくは何にも知らない。僕にはかんけいはない」 「いや、キミと僕とが適任なのだ。柴元さんを通して話しをつけた。午後一時間参観が終ったらそのあとで打ち合せをしましょう。にげないで下さい。にげれば柴元氏は感情を害しますよ。この方の指導を受けておきなさい」  と山田はミチ子をあごで指した。それが何か意味ありげだった。  山田は伊佐といっしょにモデル・ティーチングをやる気持は実際にはなかった。伊佐の如きものとやれば、教員ぜんたいの|面《つら》よごしだと思っていたからだ。ところが、応援の進行中にふと伊佐たちの方をふりむくと、ミチ子が伊佐の耳もとに何か囁き、伊佐がうなずきつつ顔を赤らめているのを見た時、山田の心は決った。すぐ校長に独断で談じこんだ。校長は狂人じみた山田の語気のはげしさに、柴元同様、うなずかざるを得なかったのだろう。柴元は、ウイリアム氏が山田の一方的な果し合い状をつきつけるような申入れに何と答えるか気がかりだったので、ウイリアム氏が許可した時、柴元はおどろいた。当のウイリアム氏は、近々帰国するので、この勇敢な演技を故国への土産の語り草にと思ったのかも知れない。 「食事は門を出た百米先きの広場のベンチの上でして下さい。場所はそこ一カ所に限られています」  と云い残すと山田は先きに立って歩き出した。伊佐は唇をふるわして山田の後姿を|茫然《ぼうぜん》とながめていたが、 「私が代ってあげますわ、伊佐さん」 「いや、こうなったら、僕は山田をなぐるか、職を止めるか、やらせられても英語を一言も使わないかです」  伊佐は山田のあとを追っかけようとしたが靴ずれの痛みがよみがえってきて、びっこをひきながら進もうとした。ミチ子はその手をおさえた。 「ねえ、ちょっと貸してちょうだい、さっきお願いしたの、洗ってくるわ」  伊佐はそう云われてその瞬間、何のことなのか分らぬといった表情を見せて、その兎のような目をまたたきさせた。 「ねえ、さっき……」  彼は二度云われてミチ子の要求が何であるのか、ようやく察した。しかしそれは自分が先ず用いてからのことなのだが、と伊佐は山田に決戦を|挑《いど》むというこんな大切な時にもかかわらず、自分のその一事を忘れなかった。ええっと伊佐は思い切って鞄の中から新聞紙にまるめた物を取り出してミチ子に渡した。そうしながらも彼の眼は山田の姿を見送っていた。ミチ子は伊佐の手からその包みを受け取ろうと両手をのばした。このあいだにはものの十秒とたっていなかった。  ミチ子は両手をのばした時に、伊佐はリレーの下手な選手とおなじく、渡しきらぬうちに自分が走り出していた。ミチ子はミチ子で顔を赤くし、つい身体の均衡がくずれた。  ミチ子は、ハイ・ヒールをすべらせ、廊下の真中で悲鳴をあげて|顛倒《てんとう》した。その時彼女の手から投げ出された紙包みの中からは二本の黒い|箸《はし》がのぞいていた。  彼女がこのような日本的なわびしい道具を手にして倒れたとは、伊佐以外には誰も気がつかなかった。すると忽ちウイリアム氏の怒号と共に日本人は追いちらされ、それと同時にあちこちのドアから外人がとび出してきた。そしてその中からまた女性だけが残り、彼女たちが衛生室にかつぎこんだ。  ウイリアム氏はこの事故をなげかわしいと思ったのか、伊佐とミチ子とは何をしていたのか、と|苛立《いらだ》たしげに眼鏡をなおしながら柴元にきいた。引返してきた山田が、キゼンとしてそれを通訳した。 「びっこをひいて追いかけた男は、この山田にモデル・ティーチングを代ってやらせてくれるように頼むつもりで駈けようとしたのです。そしてあの婦人もまた、自分でそれをのぞんで、彼をとめようとしたのです。すべて研究心と、英語に対する熱意のためです」 「そう、特攻精神ですか」  ウイリアム氏はそう皮肉に云ったが、山田はそれを|讃辞《さんじ》と受けとって柴元に伝えた。山田は目をしばたたいた。  ウイリアム氏は山田たちが取りちがえているのを知ると、しばらく考える様子をしていたが、おだやかにこういった。 「これからは、二つのことを厳禁します。一つは、日本人教師がここで教壇に立とうとしたり、立ったり、教育方針に干渉したりすること。つまり、あまり熱心すぎること。もう一つは、ハイ・ヒールを|穿《は》いてくること。以上の二事項を守らないならば、今後は一切参観をお断りすることもあります」  ウイリアム氏は早口でそう云い残すと、大股で衛生室へ歩いて行き、中へは入らずドアの外で|佇《たたず》んで様子をうかがっているのだった。いつまでたっても山田がウイリアム氏の宣言を通訳しないので、柴元が山田の胸をつつくと、山田はようやく我に帰り、物も云わずそのまま入口の方に逃れるように走って行くと、その後を柴元をはじめ日本人教師が思い出したようにくっついて駈けだした。そして伊佐は又もや一人とり残された。 [#改ページ]   馬     一  僕はくらがりの石段をのぼってきて何か堅いかたまりに|躓《つまず》き|向脛《むこうずね》を打ってよろけた。僕の家にこんな躓くはずのものは今朝出がけにはなかった。今朝出がけではなく、今まで三年何カ月のあいだにこんな障害物はなかった。これはいったい何であろうと思ってさわって見ると、材木がうず高くつんであるのだ。それに手ざわりによるともうその材木には切りこみさえしてある。僕の家の敷地に主人である僕に断りもなしにいったい誰がこんな大きな荷物を置いて行ったのか。それにしても材木は家を建てるべき材料だから、誰かがこれで以て家を建てるにちがいない。家を建てるとすれば、ここから五|粁《キロ》も六粁もはなれたところに建てるはずはない。建築者はこの近所に住んでいるのか、住もうとする人にちがいはない。いったいその本人はどこの誰で、何のために僕の家の敷地に置かねばならないのか。  ことがらの意外さに僕は向脛の痛みも忘れかけていたが、妻のトキ子の姿を見るに及んで急に痛みがよみがえってきたのには、またおどろかされた。たぶん長年の習慣で、どんな痛みにしろ、トキ子の姿を見ると生き生きとしてくるのかも知れない。僕の歯の痛みにしろ、心のすみのウズキにしろ、トキ子の日常的な姿を見ると、とたんにこんなぐあいに自分でもおどろくほどよみがえってくる。これはそもそも僕がトキ子との結婚に入るさいに、愛の告白をしたときからはじまっている。僕は義理がたい男なので、もう十数年のあいだ、この貴重にして悲しむべき|言質《げんち》を一旦とられてしまったために、(残念なのは、思い出して見るに、トキ子が直接僕に愛の告白をしたことは一度もない。彼女は映画に誘ったり、ケーキを御馳走してくれたり、淋しそうにしていた僕に接吻を許したりはしたけれども)以来、僕はトキ子に云いたいことがいっぱいあるにもかかわらず、いつもトキ子の方が僕に云い分があると思っているのだ。  僕は脛をさすりさすりトキ子に詰問した。 「誰におかせてやったの」 「さあ、何といっていいかしら、誰にもおかせてやらないわ」 「すると、これはどういうことになるの」 「私が置かせたのよ」 「そう、誰が建てるの」 「そりゃ、あなたよ」  僕は今までトキ子にはおどろかされつづけであるが、自分の建てる家のことを自分で知らないということには、まったく闇夜に鼻の先きをつままれたような、一方的なかんじを受けざるを得ない。  それでは僕が建てるというのは、世の中にはふしぎなこともあるのだから分るとして、さて、誰が住むのだ、たぶん名義だけにして何かトキ子が|企《たくら》んでいるのかと思って、つきつめると、 「住むのはあなたよ」  と答え、そのさまが無邪気でさえある。そうなると要するに、僕が自分で色々考えて金の工面をして建てるという、普通の住宅の建築の段取りをトキ子が無断で僕の代りに行っていることになる。トキ子は親セキなど一人もない天涯の孤児なのだから、よそで金を借りてくるはずは毛頭ない以上、そしてトキ子が僕の妻である以上、金を払うのは僕の外にいるわけはない。  それにしても僕が甘く見ていただけで、誰か彼女に金をみつぐ愚か者がいて、それをトキ子が上手に建築の方にまわしたのかも知れぬ。いやそんなそぶりは今までにあったはずはない。僕は今までトキ子が少しでも僕から離れて、僕自身に対してではなくとも愛の告白をしてくれることを願ってきたくらいだが、そんなそぶりはなかった。あるいは愛の告白を、例によって、うまくかち得たのかも知れない……  僕は頭をかかえて、このことをこれ以上トキ子に聞かず、自分のアタマで考えることが非常に大切であると思ってでもいるように、例によってトキ子の顔も見ずに(僕はもう数年トキ子の顔を見たおぼえがない)物の五分も考えていたが、ついに分らぬ。ふりむくとトキ子は新聞を読んでいる。  僕は自分のアタマが三十五を越してきゅうにまわりが悪くなったかと、腹立たしい気持にかられてはじめてトキ子の顔をジッと見るとその顔は肉がたるんできてはいるが、僕の心のすみずみまで知りつくしているような、昔かわらぬ自信ありげな風貌だ。  お金は誰が出すの、とけっきょく考える前からの大問題を小さい声で|囁《ささや》くように僕がつぶやくと、 「お金は私が出すのよ」と平然という。それでやはり僕が疑ってみた通り、誰か彼女にみついだ者があったのかと、うらがなしい気持になるが、そのうちだんだんアタマがほてってきて、「だけど、それは誰なの誰なの、相手は?」とふるえる声でききただしてみると、 「まあいやらしいわね。それはあなたよ」と答える。  僕が彼女にあたえたおぼえもないのに、僕のみついだ金だとすれば、僕が小悪事さえもはたらかず、日々恐妻これつとめてきたのは、ヘソクられるためであったのか。  顧みるに僕は、世の男は小悪事をはたらくか、ずぼらであるためにこそ、恐妻であるのに、僕というにんげんはこれとはちがう。くわしく云うと僕は自分をおそれていたから妻をおそれていたのかも知れない。僕は自分一人でいる時には何ものも恐れたことはないが、さっき云ったように、トキ子の前へ出ると僕は、トキ子が僕に愛情の奉仕を要求し、僕を馬車馬のように働かせるつもりでいることが分るので、僕はたえず本心は怒っている。トキ子に怒っている。そのために僕はいつどなりだすかも知れず、どなればトキ子は僕の愛情を疑った言葉を吐きだし、昔日の「愛情の告白」をもち出し、僕の裏切りを責める。僕が居直ってしまえば、トキ子は家出をするかも知れないが、家出をしたとて、どこに行くところがあろう。それで僕はなるべく彼女の顔を見ないようにし、もっぱら平穏無事をのみ祈ってきたのだ。  ところがトキ子はいったいどうしたのか知らないが、何年間の沈黙のうちに、僕の金をヘソクり、それがいくら|貯《たま》ったとも分らない。  僕が何か公金でも費消して首でもくくろうとしている時に、ヘソクリを僕の前に出してくれるならば、山内一豊の妻である。悲しむべきことには、僕の望みもしない家を建て増ししようとしており、既に工事は始まろうとしているのだ。 「あなた、うれしくない、ほんとうはうれしいんでしょう」  そう云われると妙なくすぐったいような気持にならざるを得ない。何一つ非難する点はありはしない。僕のような男に相談していたら、永久に家だの部屋だの建つことはない。現にこのアバラ屋だって、これはトキ子の強行策によっていつのまにかここにこうして存在するようになったのだ。この僕にとっては城壁のような気持をおこさせる迷惑な敷地を手に入れたのも彼女だ。  僕は家というものは、にんげんがこの世に生れてきた以上、神様がすっぽりと頭の上から一軒ずつ|傘《かさ》のように下してくれるべきものだというような妄想をいだいているので、大きい家の建っているのを見ると、自分の持物や、自分のことでもあるように「この家は大きすぎるぞ、分けてやるべきだ」と|呟《つぶや》くのだ。  僕のいる北の三畳間からは北向きの斜面が一望されて、日々何か悪事をはたらいているようなやましい気分になやまされるが、トキ子はいつも南の部屋にいて、一段と高いかぶさるような隣りの家ばかり気にしている。これは僕とトキ子の考えのちがいを表わして、僕はトキ子の顔を見ないように、この南側の一段と高い家はあってもなきが如く、見てはいないのだ。  部屋は少いより多い方がいいに決っている。僕の日頃の考えを知っているからこそ、この暴挙に出たとするならば、又何をか云わんや。しかし僕はなおも|腑《ふ》におちぬ|面《かお》をしていると、 「いやなら私、この材木みんな風呂の薪にしてもいいのよ。どうせ無いもおなじ金ですもの。それとも着物を買おうか知ら、私みたいに着物をなくした者もないんですもの」  僕は絶壁の上から突きおとされるような|脅迫《きようはく》をひしひしとかんじて、わざと聞こえぬような声で、 「そうするさ」  と云ったものの、それをトキ子が聞きとらなかったのを知ってホッとした。  トキ子は云ったことは何でも実行する独特の才能がある。思切りよく材木を薪にすることもあり得ないことではないし、その薪割りの仕事は僕がやらせられるのではたまったものではない。それに僕の家に呉服屋が出入りしたとあっては、それこそ僕の方が家出をしたくなる。  もはや一任する以外に何が出来よう。思えば家計簿をつけたことのない彼女が時々|仔細《しさい》らしく鉛筆をにぎっている背中を見かけたものだが、あれは既に徴候があらわれていたのであろうか。それを僕の方でも聞いても見ず、彼女の方でも見せることはなかったが、彼女の志はかたく、歴史は古いものだった。  思い余ってトキ子に建築費の伺いを立てると、指を三本あげた三十万だという。三十万ヘソクったのかときくと、冗談でしょう、と答える。それではどうして|増《ふや》したのかも知れんが、元も子もなくしなかっただけ、不幸中の幸せといわねばならぬ。現在いくら持っているのかとなおも問いつめると、答えるには及ばないという。それでは、万事秘密主義で、まるで自由党の吉田みたいではないか、と云うと、吉田さんて私みたいかしら、ととぼけた表情だ。そういう答え方が既にそうなのだ。と口惜しまぎれに|居丈高《いたけだか》に云って見たが何もかもつかまれていて、しかもこれ以上ねばれば、愛情の問題にギロンがうつり、とっくに伝説と化してしまった過ぎし日の僕の「愛情の告白」の言葉がもち出されることは必定だ。     二  翌朝僕が起きるより前にトキ子が起きるので、ふしぎに思っていると、にわかに庭がさわがしくなってきたので、雨戸の穴から外をのぞくと、数名の仕事師が、僕の庭に立ちあらわれて、その|逞《たくま》しい背中や首すじを見せながら、トキ子をとりまいて職人たちが指示を受けているさまは、戦争中を思わせる。僕はいつのまにか僕がトキ子という女にかわり、あそこにいるのが僕という男性ではないかと、目を疑うばかりだが、僕が僕であることにまちがいないのは、僕の枕もとに紙片がおいてあって、「食事をして早くお勤めに出なさい。トキ子」と書き|認《したた》めてあることを見ても分る。  云われるまでもなく、僕がノコノコ顔を出して|呆然《ぼうぜん》と彼らの|立居《たちい》ふるまいを傍観することがあっては、第一、僕が|屑《くず》のように見える。これはとんだりっぱな知恵だと、僕は顔も洗わずに台所へ走り、犬のように飯をかきこむと北の出口から崖を伝って隣家に下り、あっけにとられているその家人に、せなかで礼をしたまま、一目散にかけ出した。  走りつつふりかえると、僕の家が僕の方を見ている。この家が建つ時、しらじらしさに憎みさえしたものだ。間借りの部屋を出て省線で四十粁も先きから通勤していたのだが、N駅とH駅との中間で速力をまして走る電車の窓から、僕は他人を押しのけて、ガラス越しに、はるか千五、六百|米《メートル》かなたの北斜面に出来かかっている我が家の動静をうかがったものだ。その家は僕の心を裏切り、トキ子が建築の運びに至らせたのだが、僕は次第に出来あがって行く我が家を毎日眺めていたのだ。  僕はもうどの位出来あがったかということではなくて、今日も立っているか[#「今日も立っているか」に傍点]、まだ立っているか[#「まだ立っているか」に傍点]、それを見るために、毎日窓に鼻をおしつけていたのだ。その家の見られるのは、ほんの二秒間。そのあいだに僕は見てしまわなければならない。だから駅を電車が出ると僕は座席から立ちあがってしまい、窓をふいて用意しているのだ。  誰が僕の心を知っていたろう。僕は帰るとトキ子に|進捗《しんちよく》状況を報告しなければならない。実は電車の中から見えるということを僕に教えたのは、当のトキ子だったのだ。  そのささやかな家は何カ月もたって出来てしまったのだが、窓からのぞく僕の眼に、たとえばその骨組だけの家に|瓦《かわら》がのったりすると、僕はその数日後には取立てを食うのだ。  これを直接取り立てるのはもちろんトキ子なのだ。そのトキ子は、僕が持つべき幸福を持たないでいるので、ムリヤリに僕に持たせようと涙ぐましい努力をしているとも云える。実際、トキ子は金を持って逐電しかかっていたその建築屋を追跡して、駈けずりまわったものだ。そうなると金を直接払わせられたのは僕であるくせに、僕はまことに広い東京を次々と辿って行くことなんか出来やしない。  例によって電車の中からその二秒間に注意を集めていると、何か僕の直ぐ横でやはり僕と同じように僕の家の方を眺めている者がいる。ところがなんとそれがトキ子で、トキ子はそっと僕のあとをつけてこの電車にのりこんで僕を監視していたのだと見える。その時には既に家は出来あがっていたのだが、僕は一週間もそのことをトキ子に告げてはいなかった。僕のこのハカナイりょうけんを見破られてしまった。それをさいごとして、僕はトキ子の強い不信を買い、愛情の不足を|詰《なじ》られたあげく、さるところに人質同様にアルバイト勤めをすることで、金を払わせられたのだ。  ささやかな家とはいえ、ふりかえってみるとこの家は僕の抵抗のあとを|止《とど》めているといってもよかろうが、第一次抵抗もむなしく、トキ子は、僕が方々にバラ|撒《ま》いた借金の返却に昼となく夜となくみみっちい稼ぎをしているうちに、いつのまにか第二次計画をたてていたのだ。うかつなことに僕は稼ぐうちに、何のためにいくらの借金のために稼いでいるのか、そのへんのところがボンヤリしてきた。足りないわ、足りないわ、とトキ子がいうたびに僕は無能力を罵倒されている思いがして、これでもか、これでもかと三年半のあいだ自分に|鞭《むち》うち、卑しめているうちに、既に昨夜から今朝の始末となったのだ。  なるほど僕のような不甲斐ない亭主を持つことほど、確実に金の貯まる|術《すべ》はない、と僕は小走りに走りながら(この小走りに走るくせにしてからが、僕の結婚生活の表徴なのだ)笑いたくもなる。僕が女だったらこんな亭主こそいちばんありがたい亭主と思わねばならないと、道行く人にも話しかけたくなったりするのだ。  それにしても毎日僕が帰って行くはずのわが家の庭に、今日は土台工事が終り、そのうちに建前が行われ、日々積みかさねられ、塗りたくられて、やがてまた確固とした物体が出来あがって行くというのは何という妙な、心おののくことであろう。それを建てているのは僕であって、僕ではないのだ。僕は第二次抵抗を企みたくなるのだが、さてこの場合の抵抗とはそもそも何だろう。第一次抵抗では、僕はただ省線電車の窓ガラスから鼻を押しあてて眺めるか、せいぜい、進捗状況をトキ子に告げないていどのことではなかったか。そんなことをいえば、トキ子との結婚以来、僕は僕であったことはほんのわずかな時間だ。どこにいても僕はトキ子の亭主で、この頃では正当な僕でさえも、いや正当な僕と思う時こそ、すみずみまでトキ子になっている。僕がトキ子に抵抗し、この出来上がりつつある家に抵抗するということは、けっきょくこの僕に抵抗するようなものなのだ。  しかし、そうは云っていられぬぞ。そう思うことが既にトキ子の悪智恵の網にひっかかってもいるのだ。  僕はその夜は(夜のアルバイトがすんでからわざわざ時間を外ですごすまでもなく、まっすぐ戻ってきても僕の帰宅時間はおそいのだ)そっと工事のあとへ行って見た。くらがりでそっとコンクリートで固めた土台を手でさわっていると、また犬がきたのね、シッシッと雨戸をあけるのはトキ子だ。僕はあたふたと裏手の方へまわって、ジッとかくれているのだが、どうして僕がかくれなければならぬわけがあるのだろう。僕は|後手《うしろで》をくんで、「トキ子、雨戸をあけてごらん、ちょっと見て見るから」とどうして云わなかったのだろう。こんなことでは、ほんとに犬になってしまうぞ、と僕は歯ぎしりしながら外へまわり直して、それから我が家に入ってくるのだ。     三  建前の日、その日も僕は稼ぎつかれて、戦前に朝鮮軍司令官の住宅が所せまく建っていたというわが家の敷地の石段をのぼってきた。「大した石段だね」と常々僕の友人に冷かされていた石段なのだ。この大谷石の石段や崖は、ちょっと城廓の感がある。僕はそんなものを見ると、大谷石を切りきざんだりここまで運んだり、これを積みあげた労苦ばかりがまざまざとうかんできて、心が痛くなるばかりであり、今頃、朝鮮軍司令官某はどこにどうしているのやら、と気にかかることばかりで、のぼる足取りも重いのだ。  さて僕が石段を足音しのばせてのぼりきって、土台の上にのせられたトキ子の第二次計画の家をのぞみ見た時、僕は自分の眼をうたがわざるを得なかった。僕がトキ子から聞いたところによれば、そこにはささやかな十畳ばかりの部屋がつつましやかにその骨組をさらしている筈だったのだ。しかるにそこに建っているのは、二階屋なのだ。二階屋も二階屋、北斜面からのぼってきた僕の眼には、かなしくなるほどキゼンとそびえて見えるのだ。いったいこれはどうしたことであろう。大工がまちがえてトキ子がそれを知らぬ顔でいるわけもないから、これはトキ子の計画にちがいない。トキ子の計画だとすれば、それは僕の計画でなければならぬ。しかるに……  いつもいつも何か論理がつまずいてしまって僕が茫然として立ちすくんでしまわねばならぬのは、要するにトキ子が主人であるのに、まだ僕が主人であると思いまちがえていることによるのかも知れない。 「トキ子、トキ子!」  僕はあれ狂う犬のように叫びながら、家の中へかけこむと、 「あ、あれは、だれのす、すむ部屋だ、あの二階のことだ」 「あなたが住むのよ」 「じ、じょうだんでしょう。ぼ、ぼくはいやだよ」  僕は半泣きになってそうわめくと、いつになく化粧すがた|初々《ういうい》しいトキ子が、僕の|吠《ほ》える声などには頓着なく、かねて僕をわなにかけようと待ちかまえていたのか、かん酒をはこんでくる。これではまるで待合政治ではないか。酒はいかん。酒はいかんぞ。汚職ではないか。いや汚職といい条、この汚職によっていったい誰が損をし何が汚れるのか。  僕はなおも半泣きにわめくが、実は僕にしてみれば、このように初々しく、香水の匂いをみなぎらせ、どうして|皺《しわ》のみぞを埋めたのか、つやつやとみがきのかかった皮膚を見せられると、これは何年ぶりのことなので、つい気を許し、嫌いどころか好きでたまらぬ酒を一杯のむ。一杯をのんでから、頭をかかえて考えこんでいると、何か物悲しくうっとりとしてきて、二杯目をのむ。かくして僕は三合の酒をのみ終り、奴隷のようになり、やけくそになって、 「そ、それであとはいくら借金したらいいの」  と聞く始末だ。 「それはもっとあとでいいのよ。今夜はお休みなさい」  と云う。トキ子にそう云われなくとも、僕はもう考える気力もなにもなく、なにしろ日夜の稼ぎの疲労で、そのままそこでねこんでしまった。  僕は昨夜僕の庭に出現していた二階屋は夢の中にあらわれた被害意識からくる妄想にすぎないのではないかと床の中でうつらうつらしていると、もうトキ子は床の中にはいないでもぬけの殻だ。と思う間に庭に威勢のいい足音が入り乱れてきて、そのうち僕の頭上から声が聞えてくる。たしかにもう大工が高い所で仕事をはじめたのにちがいない。  このように軌道にのっているからには、僕の抵抗などわりこむすきがあるであろうか。  頭の上で|金槌《かなづち》をふりまわされては寝ているわけにもいかないし、第一もう朝なのだ。僕は例によって、あたふたと飯をかきこみ、昨夜とちがってもう平素の女にかえったトキ子が、庭に立って指令を発してはいるが、僕に対するサービスなどおかまいなしなのには裏切られた無念な思いはするが、もう取返しはつかない。もう既に僕は|籠絡《ろうらく》されているのだ。  僕は外へとび出ると珍しくトキ子が僕をちょっとと呼ぶ、何だ、と不承げに問い返すと、今日は日曜日だという。日曜日だとて僕はおそれる必要はない。(とにかく僕は日曜日も午後は稼ぎに出かけるのだが、午前中だけは唯一のあいた時間なのだ)その通りだ、こんな貴重な時間を忘れて外へ出かけるとは、もう稼ぐ習慣もひどく身についてしまったものだ、と思って引返すと、そこには工事がもうさかんに行われている。僕はあてもなくさ迷い出ようかどっちにしようかと思いなやむうち、トキ子が僕を|棟梁《とうりよう》に紹介してしまった。トキ子も玄関先で、うろうろしている僕を見ては紹介せざるを得なかったのであろう。  今更僕が主人だといって大工の棟梁に紹介されるとは、なんたる恥辱であろうか。このような主人を、他人の家庭に入りこむことの多くて眼の肥えている連中が、何と思うか知れている。僕をほんとの主人だと思わないに決っているのだ。  僕はそう思い、キッと棟梁の顔を眺めると、軽く頭を下げたまま、僕の方はふりむきもせず、トキ子と相談をはじめる。いや僕に相談をされたとしても、僕は何を知っていることか。二階の出来ることさえも、昨夜この眼で直接に見て、知ったばかしではなかったのか。  しかし僕は、けっきょくは僕から金を支払ってもらうはずの連中が、いくらトキ子が僕の家の代表であるとしても、僕に何の敬意もいだいていないということは、腹立たしくてならない。僕は職人たちに暗黙の抵抗をしてやらねばならないというふうに思われてくるのだ。そこで僕は堂々と監督してやろうと覚悟をきめて工事場に出むいて行くうち、もしあれこれとたずねられたら、どうしようかと心配になってきて、焼あとからいつのまにか生えてきた一本だけある実のならぬ柿の木のかげにかくれて、ジッと見守っていた。  見ているうちに、僕は一枚の板にも、一本の|釘《くぎ》にも、それから一枚の瓦にも、稼いできた日々の労苦がしのばれている気がして、こんな家など建てないで、このまま積んでおいてくれたらば、労苦の計算がはっきりついていいのにと思うが、いつしかやってきた電気工夫が|瓦葺《かわらぶき》職人が瓦をとりに行っているうちに、するすると猿のようにのぼって行くさまには思わず僕はさんたんの声を放ってしまった。いや梯子をのぼり高いところにかじりつくのは電気工夫が上手にきまってはいるが、どの職人を見ても、仕事をしているよりは何か楽しい芸当を僕の眼前で演じているようだ。板をけずっている半人前職人が片目をつぶっているのを見ると、僕は労賃を払ってもらわねばならぬのは、この僕ではないかという気がする。  僕はやがてこの二階に坐ることになるであろう。そして僕はそのために、これから何年間はあそこに坐る暇もないほど稼ぐことだろう。やがてトキ子は、僕が生きており、彼女が生きている限りは、そして、ここに庭の空地が残っている限りは、第三次、第四次計画をすすめるかもしれない。してみると僕とは何であり、この次第にひろがるこの家とは何であろう。  それにしても、僕は|此《こ》の僕を除外した一糸乱れぬ統制にいらだち、せめて僕も仲間に入っていっしょに動きまわるか、僕のものである、これらの材料に触れたい気がするのだ。僕が組し易いと思って、柿の木をはなれて近よった十五、六のそのカンナけずりの青年は、僕がケズリあとを指でさすると、きっと僕を見すえて、 「お前さんは誰だね、じゃましないでくれよ」  と叫んだ。 「いや、どうも」  僕はどうせこの家の主人とは思われていないのを、僕の方から主人顔をして何かと云えば、恥の上ぬりであるばかりか、ひいては妻のトキ子を|嘗《な》めてかかり、出来上りつつあるこの家も、あるいはイビツになるかも知れない。そう思って僕は引き下った。  ところがそうして見ているうちに、トキ子がとつぜん棟梁に向って、 「さあこれどうなるのかしら、何だかこの部屋おかしくない?」  と云うと相手はけげんな顔をして、 「ダンナこれは馬小屋にするんでしょう?」  と答える。  僕は、トキ子のことを「ダンナ」と呼んでいるのにもおどろいたが、「馬小屋」ときいてぎょうてんした。 「そうだったかしら」 「ダンナは、ちゃんとそうおっしゃったし、ちゃんと図面はそうなっていますよ」 「そんなはずはないんだけど、でもそうならそれでもいいわ、馬小屋にしましょうよね」  ニヤリとはしたが、棟梁はそれっきりトキ子の方はふりむきもせず、仕事師とうち合せるとどんどん仕事をすすめている。オート三輪のけたたましい音が僕の耳をうってくるので、道路を見下すと、いっぱい砂利と砂をつんで、僕の家の石段の前に止り、道路のすみに落しはじめた。この多量の砂利や砂はそれでは馬小屋の床に使うつもりなのか。僕がふしぎに思うのはトキ子が、 「馬小屋にしましょうね」  とかんたんに同意してしまったことなのだ。馬小屋にするかしないかがそんなにかんたんにどっちかに決るということは、たとえそれが僕に聞く聞かないは別として、(いや、そんなバカなことを僕に聞いて何になろう)それが選択を要する問題として同列に並べられること自体がどうかしているのではないか。 「あんたはこの石を食べる? それとも、カレーライスにする?」  と問を発する如きものなのだ。  本来ならば馬小屋になると聞いて、|昏倒《こんとう》してしまわなければならぬのは、むしろトキ子ではないだろうか。  いったい人の住むべき部屋をトキ子の口ぶりでは「馬小屋」にしたのは、トキ子ではなく、棟梁であり、棟梁のとんだ考えちがいであるかのような調子なのが、そんならどうして断然「馬小屋」を拒否しないのか。  そんなふうに考えてくると、棟梁の考えちがいではなくて、トキ子の最初からの企みなのかも知れん。それにしても棟梁が平気でいるとは、これまたどうしたことか。するとあのニヤリだけが秘密を持っているのかも知れんぞ。  僕はトキ子がこの時ほど自分から遥かなところへ去ってしまったとかんじたことはない。しかし僕の住むべき二階の、その階下の部屋が、誰かの間借人に貸すのならともかく、馬が入りこむというのはどういうことになるのか、さっぱり見当がつかないし実感が伴わないので、ただぼんやりと進行状況を見ているのみだが、折も折、僕の家の高台から焼跡をこえておよそ百米ばかりはなれた道を、今日も駄馬が通って行く姿がふと目に入った時に、急に馬の実体がよみがえってきて、僕はいままでかくれていた柿の木の蔭からとび出して行って、いきなり棟梁をなぐりつけようとした。僕がトキ子に立ち向わずに棟梁の背中に向って突進したということが既におかしいことだが、それは僕がトキ子に対して暴力をふるうことが出来ないという習慣的な事情のためなのだ。  僕が棟梁をなぐりつけたと思ったが、棟梁は急に屋根の上に用を思いついたのか、声をかけながらスルスルと|梯子《はしご》をのぼりはじめていたので、僕はいたずらに梯子にぶつかったのみであった。僕はそれでも梯子にしがみついて|遮二無二《しやにむに》のぼって行くと、何かたわむれてでもいるように、相手は印バンテンを風になびかせて屋根にとびのってしまった。 「降りてこい。馬小屋というのはほんとに馬のすむ馬小屋のことか! それを云わぬとこの梯子を外してしまうぞ」  と僕は叫んだのだが、僕は何という突拍子もない子供じみたことを叫んでいたのか。(梯子を外したぐらいで誰がビクともするものか)僕がそう叫ぶより早く、庭中から一せいに笑い声がおこり、その笑い声さえ、トキ子が音頭をとっているように感じられる。 「こいつはシマッタ」  僕はもっとうまいことを言っておこらなければと気をもむうちにふらふらと足もとが狂い、電気工夫の垂していた電線につかまると、そいつがピリッと僕のからだからアタマを打ちふるわし、僕は梯子の三段目のところから、地べたへ落ちてしまった。     四  僕は病院の三階のベッドの上で夕暮れ時になって気がつき、僕は看護婦の姿を見かけるととたんに、 「ここは保険証が使えるのでしょうね」  とさもしいことを云わんとしたがよく口がきかない。すると、看護婦は僕が何を云おうとしたか知っている様子で、僕のそばに近よってきて、 「さっき大分さわがれたので麻酔剤をかけたのです。もうやがて元どおりになります。しかし強い電気にうたれたのですからアタマの様子が変になるかも知れませんよ。でも今では狂人にも電気療法をして一時失神させることもはやっているんですからね」  とわけのわからぬことを云う。僕はもどかしくなって、そのままの姿勢で窓から外を見ると、病院の貧弱な杉の木立をすかして、たしか僕の家の庭で、骨組の|聳《そび》えたった二階屋のてっぺんに何のマジナイか紙きれが風にひるがえり、酒宴がひらかれているのが見える。ここから僕の家は八十米とはなれていない。してみると僕の家からこの病院も八十米しかはなれていないわけだが、昼間ほとんど家にいない僕はこんな病院を知らなかった。トキ子はと思ってさがすと、いそいそと御馳走を皿に盛ってはこびだし、棟梁ににじりよって僕の心が重くなるような微笑をうかべながら酌をしている。かんじんの主人がこのように、外傷はないと云え、アタマに電気を打たれてねているのに、僕のそばにつき添うどころか棟梁たちのそばにつき添って楽しげであるのはこれでいいのかしら。するとこれでいいのかも知れない、と僕の心は即座に答える。僕はそんな答え方をする自分が哀れで、ホントにお前という奴はアタマがおかしいのではないかと反省するのだが、仕方がないではないか。あそこにトキ子がいないわけには行くまい、トキ子はダンナなのだから。それに僕のそばにつき添っていたとて僕がどうなるものでもない。僕はりっぱな大人だから。それにしても馬が住むようになるとはホントなのか。あれは僕が今アタマが変なためにそう思っているので、そんなことはなかったのではないのかしら。僕はそう思い直して僕の庭の二階屋の階下を望見すると、何としてもにんげんが住むところとは思えない。馬ではなくとも、何か自動車のようなものが入らなくてはならない風貌を示していることは、疑う余地がない。  僕一人このように悩み「馬」とは何なのか、とくるしんでいるうちに、シャンシャンと手を三度打つ音が、八十米の距離を伝って、僕のいる部屋の窓べりにまでひびいてくるのだ。  その夜トキ子が病院にやってきたので、僕が何か云いだそうと、ベッドから起きあがろうとすると、トキ子は、 「馬のことでしょ。私の知人の競馬馬を一頭あずかってやるのよ」 「馬は一人で寝たり起きたり、出かけたり飯を食ったり、つまりにんげんとおなじわけではないはずだが」 「そりゃそうよ」 「すると馬の世話は誰がするのだ」 「そりゃ私やあなたがするのよ。あの二階の部屋の分は下の馬の部屋代で出るのよ」 「すると僕はむしろやがて移ってくる馬に感謝しなくちゃならんワケなのだな」  僕はこの筋の通った話しをきいているうちに、自分のアタマがやはりおかしいのだろうと、だんだん思わざるを得なくなった。ヘンだとすればこの思いつきだけで、思いつきがヘンだとすれば、世の中のことはヘンでないことはほとんどありやしない。早い話が、競馬や競輪というものがヘンではないだろうか。相撲がヘンではないだろうか。あんなせまいところで子供の|喧嘩《けんか》のようになぐり、投げ、押し、高いところから太鼓腹を放り出してひっくりかえさせるということがオカシな企みではないだろうか。いやあのパチンコなるものはどうだ。いや、水爆という文明の大人の|玩具《おもちや》はどうだ。  何もかもこのようにヘンなこの世の中に、僕の家にとつじょとして馬が住みこむという発案をトキ子がしたとしても、年甲斐もなくヘップバーン型の髪をしている以上何をするかも知れず、|咎《とが》めることができるものかしら。  僕は習慣上、長い会話をしたり、トキ子を追求してとことんまで疑念をはらしたりすることはないので、この時もこれ以上、つづけることが何かもういけないことのようにさえ思われて、 「馬の世話の仕方はどうなのかしら。すると僕は残された日曜日の午前の時間は馬の世話にふりあてることになるね」  とか云って問いつめることもせずいたが、何か妙なぐあいに僕はききたくなって、 「それで馬の名は何というの?」  と云うと即座に、 「五郎なのよ」  と答える。 「五郎? まるでにんげんの名のようだな」 「そうよ」 「すると、少なくとも男だな、その馬は」 「そうよ。それがどうしたの?」 「いいやどうもしないさ。馬にだって男と女とがあるということをたしかめただけさ」 「あんまり考えるとアタマが悪くなるわよ。どうなのアタマ。だいたいあなたが悪いのよ。アタマを悪くしないでちょうだい」 「僕もそれをのぞむのだが」  それっきり僕はフトンの中にもぐってしまうと、トキ子は去って行った。  僕はそれまで、この家の建つのは僕からヘソクった金が蓄積されたためだとばかり思っていたが(そうしてそう僕に云ったのはトキ子なのだ)さっきの彼女の話によると、僕の足の下に馬がくることによってあの家が今建ちつつあるということになると、僕はトキ子にそもそものはじまりからウソをつかれていたことになる。  僕はその時、思わず、病院の窓からもう一度、我が家の庭をのぞこうと身体をおこしかけたが、既にトキ子は帰ったと見えて燈火はついているが、庭の方はくらやみで何も分りやしない。ただ屋根にヒラヒラと白い紙きれがはためいているのが、わかるだけだ。僕はそもそものはじまりからウソをつかれていたと気がつくと、ハテ、馬小屋になるということさえも、ウソなのではないかとうたがわれてくるのだ。  そんなふうにあらぬことを考えながら、僕はそのまま窓からながめていた。僕は以前ささやかな我があばら家が建つ時に、N駅とH駅とのあいだの省線電車の中から、北斜面に建ちつつあるその家を、毎日、まだ立っているかまだ立っているか[#「まだ立っているかまだ立っているか」に傍点]、というふうにたしかめながら眺めていたが、僕はまたもや、そのくらやみの中の、僕にとっては|混沌《こんとん》の源である新しい家が、僕の眼前で|雲散霧消《うんさんむしよう》してくれることをひそかに願いながらながめていた。  考えてみれば、僕はこんなに早くからベッドに横たわっていることは、今までに一度もありはしなかった。これはその点ではさいきんにない幸福と云わねばならず、電線にふれたことを感謝しなければならないわけだが、思えば僕は日々、それが倫理であるかの如く、時間を埋めて仕事をしてきたわけだが、それがせめてトキ子のヘソクリになったと云われたときには、阿呆らしいような気持にはなりながら同時に、「倫理」が金にかわったその化け方に、この世の当然の成行を知り、僕は実体にカチンとつきあたった安心さえおぼえたのだった。ところが、それが何と僕の「倫理」にすぎず、あの階下に馬がやってくることによってあの家の出資が行われるときくと、僕はその意味でも、一種、あてどのない|寂寥感《せきりようかん》におそわれるのだ。     五  ところが我が家の窓に何か影法師がうつるのが見えるので、トキ子が何かこの日の片附物でもしているのであろうと思ってじっと見つめていると、その影法師は一人のものではない。  それではこのもう一人の影の主は誰なのか、僕の影ではないことは確かなので、そんなふうに興味をおぼえつつ窓に額をつけていると、僕は三年半前に毎日省線電車の窓に額をこすりつけて、その家の進捗状況を凝視していた時に、いつのまにか僕を監視するためにトキ子が立っていたことを思い出して、ゾッとした。しかしトキ子はあきらかにあの影法師であると指摘することが出来るので、もう一人の方を懸命に影から|辿《たど》るのだが、なかなか分らない。  病院の|燈《あか》りは消えているのを幸いに僕は数時間そうしていたのだが、影はいつもうつっているわけではなく、そのうちフッと窓が暗くなってしまった。まったく闇をながめつづける僕のアタマは次第に痛みを増してきて、それ以上つづけると床の上に|顛倒《てんとう》しそうになったので、ベッドの上に横になりながら、目をつぶって真暗な天井を漠然と見やっているうちに、僕は自分の身体が次第にゆすぶれてくるのが感じられる。僕はゆすぶれているので、これはどうしたことか、心臓がやられたのではないか、そのために僕の身体がゆすぶれていると感じるのかと思って、胸に手をあてて見ると、なるほど|動悸《どうき》がおそろしいほど強く打っているのだ。水でも飲んでおちつかなくてはと窓の反対側にあるテーブルの水差を取りに行こうとして立ちあがり、僕はギョッとした。僕は水差を取りに行くはずだったのに僕は窓の方に歩んで行って、またもや窓に額をこすりつけだしたからだ。  僕は額をこすりつけている自分を何とか水差の方に向けさせ、早くベッドに横たわらなければと気がせくのだが、どうしても僕は窓からはなれない。  そのうち僕の胸の動悸はますますはげしくなってくるので、ベッドへベッドへと僕は叫ばんばかりになるが、僕は吸いついたように離れない。  ところでその時黒い人影が二つ玄関から出てきてやがて僕の妻のトキ子とおぼしき方はひっこんでしまった。それは確かに男の姿だが、僕の家の、僕の家にしては不釣合な立派な石段をおりてくる、そうしてそのままよその家のかげにかくれてしまった。僕はどっとベッドにたおれこみ、水のことを忘れて、魚のようにあえいでいた。  僕はその時になって何故僕があんなに執拗に窓べりから離れなかったか、だんだん自分に分ってきたのだ、その分りのおそさとは何であろう。電気にふれて僕のアタマに異常が生じたのか、それともこうした問題について僕がトキ子を信じる心が強すぎたためなのだろうか。  僕には影法師だけ僕に見せ、やがて闇夜にかくれてしまった男が、何者であるのかが分らない。いや何者であってもそのことはかまわぬが、電燈のスウィッチを切ってからあれだけの長いあいだ家の中にいたことが僕を|苛立《いらだ》たせるのだ。  いずれにせよトキ子に完全に裏切られたことは確かと云わねばならず、仕事をおえて夜中近くにならないと帰ったことのない僕のことだから、そのあいだにこんな交渉がつづいていなかったと誰が云えよう。せめてトキ子が窓をあけて、僕のいる病院の窓をのぞいてから、彼らの交渉を持つならばともかく、いくら僕がこっちの電燈を消していたと云え、一度も様子をさぐりもせず、こうした挙動に出るとは、思うに僕の存在を完全に無視していると考えるより仕方がなかろう。     六  僕は明日トキ子が病院にきたら誘導訊問するか、それが効を奏さなかったら、夜、人影があらわれた時を見はからって病院をぬけ出して様子をさぐって見ようと思った。僕はその夜はまんじりともせず、夜明方になってはじめて浅い眠りについた。目をさましたが、アタマが痛くて僕は目をつぶってじっとしていた。するとドアがあいて誰かが入ってきた。 「おかしいのは以前からでしょうね。しかし、そういうそぶりはお見せにならん方がいいですよ。当分ここに置いときなさい、手に負えなくなったら、考えます、まあ、心配なさるほどのこともありません。保険証はありますね」  と云っているのは院長の声で、僕は思わず目をつぶりながら、 「保険証は|抽出《ひきだし》に入っているんですが」  と答えると、女のかすかな笑い声がするがそれはトキ子にちがいない。 「おとなしくしていてちょうだい。ねえ」  とトキ子が猫なで声を出すので、だまされはせぬぞと僕は目をあいてトキ子に、 「昨夜きたのは誰だ」  とはげしく問いつめると、 「何を云ってんのよ。誰がくるものですか、気の迷いよ。ほんとに、困った人ね」 「いや確かに石段をおりて行く男の姿を見た」 「いやね。それはあなたじゃないの。病院をぬけ出てきたのはあなたなのよ。私が病院へ連れもどしたのを忘れたの」 「そうなのでしたか。杉の木を伝っておりられたりしては危いのですがね、今日は向うの部屋にうつしましょうか」  と院長が云う。 「この人がこんなふうでしょう。だから私がいろいろ一人で苦労しなけりゃならないんですのよ」  こんな|藪《やぶ》医者に何が分るものか、第一この病院に入院しているのは僕一人で、僕をいやおうなしに患者に仕立ててしまおうと思っていることは火を見るより明らかだが、トキ子が、昨夜、建前がすんだあと僕が忍びこんでトキ子に送り帰されたとこんなにシャーシャーというのは、僕を夢遊病者に仕立てて何か企んでいるに相違ない。今までトキ子の企みは、彼女の言によると、僕の身のためになることばかりのはずだが、この企みはいったいどういうふうに僕の身のためになるのであろうか。  とにかく僕は窓べりの部屋を離れることだけは頑強に拒否してしまった。トキ子は帰りぎわに、もう夜中に病院を脱出するような無茶なことはせずに、と云い残して去った。     七  その日は胸におさまらぬ気持を蔵しながら僕は朝から窓から外を眺めつづけた。今日は棟梁もなかなかあらわれず、大工たちもノロノロと仕事ぶりも緩慢で、いくら僕の好まざる建築とは云いながら、あんまりこれではひどいではないか。昨日の手ぎわのいい遊戯のような、見るからに、こちらが給料をもらいたいような仕事ぶりは見られないのでこんどはかえって腹立たしくなり、僕は思わず窓から上半身をのり出して、トキ子に叱咤しようとしながらふとした拍子に病院の壁を見るともなく見ると、「R脳病院、入院歓迎、入院室多数あり」とペンキで書いてある。これにはおどろいたが、それでは僕は今まで何の病院だと思っていたのだろう。僕を此の病院に入れた契機や過程はともかく、僕を狂人あつかいしていることは疑う余地はない。僕はそう気がつくと、今朝の彼らの会話も分ってくるような気がして、そんならよしここをとび出してやるのだと怒りがもえてくるが、ここに塗られたペンキはこの病院に塗られているのではなくて、僕の外部に塗られていると見れば何ほどのことはない。狂人か否かを決定する尺度なんていうものはどこにもない。トキ子を狂人と思い世間の奴や院長を狂人と思う尺度を僕の中におけばいいのだ。ちょうど僕を狂人だと見なす尺度を彼らがかってに持ち合わせているように。僕はしばらくここで様子を見つづけてやることにしよう。  僕がそう思いかえし庭を見ると、やがて棟梁は姿をあらわしたが、彼は真赤な顔をしている。彼は朝っぱらから酒をのんでいると見える。僕はその時ふと昨夜の人影は棟梁ではないかと思った。この職人の幅広い肩と|敏捷《びんしよう》な腰つきは、たしかにあの影だ。そう思えば思うほど、僕にはそう思えてくる。トキ子はと見ると泣きそうな顔つきをして怒っている。  僕は昨夜のあとでトキ子がすっかり|嘗《な》められてしまっているのではないか、トキ子の浅はかな智恵が逆にこんな結果になったのだ、僕はこんな時もトキ子を|咎《とが》める気持はおこらず、おかしいことにトキ子がかわいそうになるばかりで、棟梁を叩きのめさねば気がすまぬ。(僕はまたあの公理を思いおこしていたのかも知れない)僕がベッドをはなれてドアに走りよると、ハンドルをにぎってあけようとしたが鍵がかかっている。僕はその二階の窓から杉の木にとびつき地上に辿りつくと何でなぐってやろうかと、そんなことを思いながら、そのあたりを探しまわっているうち、僕は、ワッと声がするので、しまったと思うとたん、三、四人の者につかまえられてしまった。僕の杉の木からおりるのを待っていたにちがいない。僕はいちばん力のありそうな看護婦をつきとばし、それから院長に向った。ところがうしろから助手らしき男が僕の腰にぶらさがったので、僕は遂に手錠のようなものをはめられてしまった。  僕はもうあの窓のある部屋ではない、別の作りの一部屋に入れられてしまった。それから僕は注射された。僕はどのくらい眠っていたかわからない。目をさますと飯を食いそしてまた眠った。とにかくある日僕が気がつくと、トキ子が枕もとに立っている。 「僕はあいつをやっつけようと思ったのだ」 「何をいってんのよ」 「あいつを追払ってくれ。あいつがあの僕の見た影だ」 「まだそんなことを云ってるの、もう家は出来たのよ」 「あいつが酒に酔っていたのはどうしたのだ」 「棟梁の知人が死んだので振舞酒をのんできたのよ」 「死んだ? 誰がだ」 「あの人の知人がよ」 「馬はどうした」  僕は皮肉のつもりでそう云ったが、トキ子は笑いもしなかった。 「もう来ているのよ。りっぱな馬よ。それはそうとあなた休んでいるとよけいだめなのよ。私ちゃんと知っているの。家が建ってしまえばきっとあなたも落着くわよ。あなたは家が建つときにはいつもアタマが変になるのは、家の建つのが嫌いなためなの。建ってしまえばあきらめてよくなるわ。さあどう、もういいんじゃない? あなたの部屋は出来たわよ」  トキ子にそう云われると、ほんとに僕のアタマの痛みはほとんどなくなっていた。僕の見た悪夢のような人影は何であったのだろう。そういう疑問よりも、既に僕はトキ子の言葉をきいているうちに、そういうことを忘れそうになり、トキ子の云う通り、明日からでもまた働きつづけなければならないと思うことの方がふしぎでならない。 「院長は僕を出すかな」 「そんなこと。こんなに長びいたのは私が頼んだからよ、それに入院患者が殺到してるんですって」 「お前が頼んだ?」 「そうよ。しようがないでしょ。家を建てるじゃまになるでしょ。仕事のじゃまされたら、かなわないわ」 「それでは僕はお前のじゃまになりそうな時は、いつもここに入れられるのだな」  僕がそう食いさがると、トキ子は僕の顔をいっぱい花の匂いをただよわせて、接吻でうずめてしまい、 「ね、何も云わないこと。いやがらせは。私に任せてちょうだい。今まで私に任せて悪いことあって。あなたは私を愛していると、あの時、あんなに云ったじゃない。あれ、忘れて。忘れたとは云わさないわよ」  こうしてトキ子は又もや私一家の伝説と化した僕の「愛情の告白」を持ち出してくるのだ。  僕はふと思った。僕がアタマが痛かったのは、僕のアタマの狂っているせいではなく、電気のせいでもない、麻酔剤のためではなかったのかと。そして僕の胸の|動悸《どうき》の高まったのもそのせいではなかったろうかと。そして棟梁と思ったのは、トキ子の云うように実は僕自身だったのであろう。  僕はこうして退院したわけだが、それにしても僕が住む部屋が出来たからといって、わがことのように喜ぶとは、トキ子は何という|傲慢《ごうまん》な女であろう。僕は僕の部屋のことでトキ子が喜ぶ以上僕も喜ばないわけには行かず、しかもそれがこれから拝顔の栄に浴するところの馬のおかげであるのだ。この立派な馬のおかげで僕が新しい二階の一室をあてがわれ、そして僕は暇のある時にはこの馬のめんどうをもちろん見なければならないのだ。     八  なるほど我が家は立派に増築された。僕は石段をのぼりながら何かほんとに城のように|俯瞰《ふかん》しているこの二階屋には何か威圧さえも感じる。因果なことにもほどがある。どこの誰が自分の住む家に威圧を感じて当惑する者がいるのであろう。  もう職人どもの一味が我が庭にうろついていないのはありがたいといわねばならないのだが、トキ子があいさつにつれて行き「五郎」という馬の姿を見せられた時、ちょっと僕もその栗毛の三歳馬には一驚した。僕はそれまで馬というものは、場末か郊外か、時々は僕の近所の道を、荷物をひいてトボトボと歩いている駄馬しか見たことがないせいか、さすが走るために鍛えられ育てられたこの|逞《たくま》しくハンサムな上背のある姿には、僕はすっかり自分のにんげんとしての尊厳を傷つけられたような気がして目を|蔽《おお》いたくなった。自分の家に、自分より遥かに男らしく逞しい動物が——それがにんげんでなくとも僕の家に常住いるようになるということで、心に平衡を失わぬ男がいるであろうか。それが犬であってさえもそうなのだ。ところが犬よりはずっと大きく、僕よりも大きく、貴公子にして野性的なこのつややかなる生き物が、僕を下僕のように見下しているのだ。(少くとも僕にはそう思える)  僕はその家をしらべて見て、おどろきを増したことは、その馬の部屋の豪華さだ。その部屋には上下水道、暖、冷房など近代的設備が整い、周囲の壁にはこの馬の血統を示す祖先馬の写真がかかげてある。さらにおどろいたことには、今まで僕のものであった書籍が大部分この馬の部屋の壁にうつされていて、それだけではなく、今までになかったような「人類学辞典」「動物百科辞典」「その時代の政治の象徴としての男女の関係」そのほかに馬にかんする図書が所せましと書架をうずめているし、テーブルや、どっしりとした、いかにも馬小屋にふさわしい安楽椅子もそろっている。(どっしりしたという点では) 「この馬はいったい本を読むのか」 「いいえ、私が読むのよ」 「とにかく男だな、この馬は」  僕が二階にあがってみると、例の病院がここからはよく見えるが、あの窓には誰かがまた入ったのか、こちらをのぞいている。別の窓にもちょうど入室したばかりと見えて人の動きが見える。今まで一人も入院患者がなかったのに、どうしたことかしら。僕があそこに入れられて、杉の木立の下で連中と乱闘したことで、いくぶんあの病院の信用が増したわけでもあるまいが。  僕は自分の部屋というこの八畳間に坐ってみたが、押入れに粗末なフトンが一かさねあるだけで何というわびしい部屋であることか。そういう意味では、ここもまたあのR病院の個室の匂いがただよっているようだ。 「あの馬はそれで競馬に出るの」 「いいえ、馬主が亡くなり未亡人が私に世話さえしてくれれば、といってよこしたの」 「ばかに信用があるのだなあ」 「あなたの部屋を建てたいと日頃私が云っていたので、私を信用したのよ。そんな主人思いの人なら、きっと馬の世話も出来るでしょうって。それに私、馬に乗れるでしょ」  僕は苦笑した。これはまた何という甚だしい誤解であろう。     九  こうしてまた僕は自分の例の生活がはじまったわけだが、そのあくる日馬の駈けるひびきで起されて二階の窓をあけてみると、家の前の道路を、五郎がトキ子を乗せて|往《ゆ》きつ戻りつしている。僕はトキ子が馬に乗れるということは前から知っていたがなかなか鮮かなものだ。どこにしまってあったのか借りてきたのか知らないが、乗馬服をきこんで皮の|鞭《むち》を手にしている。トキ子は僕の見る目でも十歳も若がえったようで心がときめく。トキ子は往来から無邪気に僕に向って手を振る。鞭をピシリと一つ加えると、五郎は一散に人気のない早朝の道を砂利を蹴たてて走って行く。まことに美しい光景だが、僕の勤めに出る用意は何一つされてはなく、既に五郎は朝のカイバを食べたものと見え、食缶の中にそのよごれが見えている。五郎はああして走っているのが、果して彼の仕事なのだろうか。それとも遊びなのだろうか。トキ子にせよ、あれは彼女の仕事なのかそれとも遊びなのか、僕は何か割り切れない腹立たしい気持だが、僕にもそれはさだかではないのだ。  ただ云えることはトキ子は僕がこうして冷飯をかきこんで出勤したあとの時間、それから僕の帰宅するまでの宵のうち、それこそ彼女は彼、五郎と共にすごし、僕とよりも親しくくらすことだろう、ということだ。何故なら僕は自分一人ででも飯を食べるけれども、五郎にはトキ子は食事の用意をしてやらねばならないし、からだを磨いてやらねばならない。その代り五郎はいつ何時でもトキ子を乗せて走り、その報酬をただちに返すわけだ。五郎はトキ子の新鮮な快楽の足しになるが、僕は彼女と僕の生活の資をかせいでくるだけだ。あきらかに何倍か五郎の方が僕より分がいいということになる。それに五郎は何の苦労もないだけにますます逞しく美しくなるだろうし、五郎はトキ子に仕えることによっていよいよ鍛えられ美しくなるに反し、僕は日々疲れ|老《ふ》けるだけだ。  僕がその夜帰宅してみると、それまでは茶の間のあたりにいた彼女がいない。 「トキ子、トキ子、帰ったのだがね」  と云いながら、二階にのぼってもいないので馬小屋をあけて見ると、馬のそばにおいたテーブルにもたれ、読みさしの本を伏せて眠っている。昼間の運動の疲れが出たのであろうが、五郎のそばで本を読んでいたとは、これはどういうことだ。  トキ子は僕に起されると、馬の長い首と頬に恥げもなく接吻をあたえて座敷にもどってきたが、トキ子には五郎の体臭がしみついていて、外からもどってきた僕にはたまらない。  それよりも僕が五郎の部屋を後にした時ふりかえって見た五郎の目が、焼けついたように僕の脳裏に残っている。それは五郎の軽蔑の目である。僕を排除しようというだけならばともかく、僕を馬鹿にしている目なのだ。僕はそれをおそれていたので、果してそうならばとても五郎と同じ家に住むことは出来ないと思った。そう思いながらも、それをトキ子に告げて五郎の処置について相談したとしても、どうなるはずもないかも知れん。  僕はウツウツとして二階に引きあげると、トキ子も僕にあいさつをするどころか、僕が床をしいてやると、そのまま寝こんでしまうほどだ。何も僕は二階に行かなくとも寝るところは階下にあるのに、二階が出来ている以上僕はやはり二階にのぼるのでなければ、何のためにR病院にまで入れられたか分らず、僕はそのためにもわざわざ二階にのぼって行くありさまなのだ。  二階に上るときふと僕はやるせなくなって、五郎の匂いのするトキ子のからだにふれて、唇をトキ子の唇によせると、五郎にはあんなに感慨こめてその首すじに接吻したくせに、何の反応もなく眠っているし、その唇は毛がついていて、それが僕の唇にくっつき、まるで五郎に接吻したようでもある。     十  五郎は馬だから立って寝むわけだが、この一夜中立っているということが、僕に油断のならぬぞという気持をいだかせるし、階段をのぼってやれやれと二階にごろりと寝ころぶと、下で五郎が脚で床をけるゴツンゴツンという音がひっきりなしに聞える。あの豪華にして清潔な部屋には、|蠅《はえ》や|蚊《か》がいるわけもないから、五郎は僕の自尊心をおびやかすためにそうしているのではないかと思われてくる。  僕は気になりながらも明日の勤めのことがあるので、無理やりに目をつぶって眠りかけたのだが、五郎が床を脚で叩く音がいつまでたっても|止《や》まない。僕は五郎を叱りに階下におりて見ようと思ったが、どうしたら叱ることが出来るのか僕に分らん。困ったものだと、トキ子が熟睡しているのがうらやましい。ところが、僕はフトンの上に身を起してしまった。床を叩いているとばかり思っていたが、いま聞えてくる音は床ではなくドアを叩いている音ではないか。羽目板を叩くのなら分るがドアをえらんで叩くとは聞きずてならない。僕はそのうち自分がとうとう畳の上に耳をつけて、さぐろうとしているのに気がついた。実は僕はドアを叩く音を聞きはじめた時から、ある物音をも聞きとっていたのだが、僕はそいつを僕の耳から拒否していた。ところがいよいよそいつは疑うべからざるものとなってきていたのだ。そうだそいつはこんなふうに聞えてくる。 「奥さん、奥さん、あけて下さい」  僕はいかなることがあっても、これだけは放置することは出来ない。それが馬であろうが、にんげんであろうが、夜中にトキ子に向って呼びかけるとは、その目的はいくら僕が頓馬でも察しがつく。僕は別れぎわにトキ子が馬の首すじにあたえた接吻や、トキ子の唇についたかたい馬の毛や、それから馬の匂いを思い出した。そこで僕は階段をおりかかったが、途中で|止《よ》してしまった。馬がこんなににんげん同様に物を云うことを僕が疑わず、トキ子の名を呼んでいるのを怒っているのは、僕というやつはどうかしているのではないか。馬が物を云うはずはない。たぶんこれは、僕の恥ずべき|嫉妬《しつと》からきた|妄念《もうねん》にすぎないにちがいない。僕はそのままじっと|佇《たたず》んでいたが、馬の床を叩く音はなおもつづいてはいるが、人声なんか聞えやしない。トキ子のかすかな寝息が聞えるのみなのだ。  僕は忍び足で階上の部屋にもどり、フトンの中にもぐりこんだが、しばらくすると僕は又もやフトンの上に起き直ってしまった。たしかにトキ子を呼んでいる。僕はこれは声の主は五郎であるはずはなく、五郎の部屋の中か外かに誰かが忍びこんでいるのではあるまいか、と思って又もや階段をそっとおりてきたが、声はぴたりと止んでしまう。僕は五郎の部屋をのぞくのはいよいよ五郎に足下を見すかされるような気がして、そのまま階段に腰をかけたまま、夜明けまですごした。  夜明けになるとトキ子はもう起き出し、五郎の部屋に入って行くと何かと馬の世話をし、馬と話をしている。ちょうど|乳呑子《ちのみご》に母親が語りかけるように、新婚の妻が夫に一人しゃべりするように語りかけている。はじめは僕はそのていどに思ったけれども、五郎がそのトキ子の話に返事をしているのをたしかにきいたのだ。僕はもう昨夜のことを読めてしまった。これは、そう云えば何かよくあることだ。馬だ、馬だと思わされたのは真赤ないつわりで、これはにんげんなのだ。僕は五郎が僕を見る眼の意味が今こそ分ったと、いきなり階段をおりて行き、トキ子を外へ呼んだ。 「もうしんぼう出来ない。五郎と何の話しをしていたのだ」 「朝っぱらからなんなのよ。動物と話してわるいの。どこの人だって、犬とでも鶏とでも小鳥とでも、話しているじゃないの」 「そうじゃないのだ。ゆうべから——」  僕はうまく説明が出来ないでうろたえていると、 「動物をかわいがったことのない人には何にも分らないわ。そんな人はにんげんだってほんとの気持、わからないのよ」 「あいつは、おれたちとおなじ言葉をしゃべるじゃないか」  するとトキ子はおかしくてたまらないといったふうに笑いだし笑い終ると急にツンとして、 「しゃべって悪いの」  僕はそれが本気なのか、そうでないのか見当がつかず、もう乗馬服にきかえて、朝化粧をすませている顔から首から、甘い匂いがたちこめてきて陶然としてしまい、その甘さに|鋭鋒《えいほう》もついに鈍ってきて、 「悪いということはないね」  とつい口をすべらしてしまった。  しかし疑いたいことは疑いたいという本能を、にんげんとして僕は持っているので、何かうまくやりこめることはないものかと思いまどっているうちに、もうトキ子はサッと五郎の背中にまたがった。  僕は五郎の顔は一度も見なかった。僕はこれがホントのにんげんであるならば、恥しく思うのは僕より、五郎の方であるはずなのに、一向にその様子はなく、鼻息もあらく足をふみならしているのを知ると、畜生とのこうしたかんけいでは僕の方が恥しく思わねばならないのか、畜生は何をしてもいいとでもいう|不逞《ふてい》な精神をそなえているのか。この調子がつづくなら、僕は五郎にますます気がねをし、あげくの果てはほんとにこの家から出て行かねばならぬことにもなるであろう。 「そんなことを云ってるのは、五郎に乗ったり、世話をしたりしないからよ」  とトキ子は云いのこすと、トキ子と五郎の姿はそこの角を曲り、やがてこのごろ僕には、その存在が忘れられないR脳病院の門のあたりに砂煙りをあげているかと思ううちに、もう|蹄《ひづめ》の音が聞えるばかりとなった。あの連中はああしてどこへ行ったかというと、僕にはほぼ見当がついている。ここから二粁のところにK公園があり、そこの池畔をめぐり、雑木の|喬木《きようぼく》のあいだを走り、おそらくそのあたりで休息し、出勤者が道路に溢れる前にもどってくるのであろう。  僕が自分の耳で聞かざるを得なかった会話からすれば、僕のいないところで何の話をし、何の契約を結んでいるか知れたものではない。それにしてもいったいトキ子があんなに平気でいることからして考えると、トキ子には五郎の言葉は聞えてはいないのだろうか。そうすれば僕にだけ聞えるということは、どういう意味のことになるのか。  僕が他人の影だと思ったのが、僕の姿だということがあった以上、馬のあの話声は、僕に外ならないかも知れない。     十一  僕はトキ子をとっちめるのは苦手なので、明朝はトキ子より先に馬を乗りまわして、馬の上から馬をシボるなり、|難詰《なんきつ》するなりしゃべらせて見るなりしてやろう。僕は馬に乗ったことも軍隊にいた時以来ないが、要するに手綱と脚のしめ方が問題なのだから、それさえ心得ておれば心配したことはなかろう。その夜はじめて仕事も早めにきりあげて家へ帰った。僕は省線電車の中でも、道路を歩む時も、心は動揺をきわめて、明朝馬から何の手がかりも得られなかったら、家庭裁判所か何かの厄介になるより仕方がないのではないか、それとも何も考えずに僕は家出しようか、などと思いは|千々《ちぢ》に乱れるのみであった。  その夜、もどってくるなり僕はまっすぐに五郎の部屋に入ろうとした。僕はトキ子がそこにいると直観していたからだ。部屋の中からトキ子の低く唄う声がしばらく聞え、そのうち、 「これ読みましょうか」  と云うと何か小説らしきものを読みはじめた。いきなりドアをあけようとすると、|鍵《かぎ》がかかっているので、 「あけてくれ」  と大声をあげると、 「まあシツレイね、これ五郎さんの部屋よ」  と答えるのはトキ子だ。いくら五郎が我が家の重要動物とは云え、これは何としたことであろう。トキ子が鍵を鍵穴にまわしつつ、 「ちゃんとノックするものよ」  僕は五郎の顔をまともに見ることの出来ないのは例の如くであるが、五郎が|尻尾《しつぽ》をヒラリとふってゾッとするほど逞しい尻を僕に見せたのは印象的であった。今日はトキ子は五郎の部屋で食事をし茶を飲んだらしくて、何かと彼女の持物までこの部屋に運んできてあり、鏡台までもここにあるとはどうしたものであろう。「鏡は女の心」という|諺《ことわざ》もある以上、鏡のあるところには即ち女心があるわけで、やはりトキ子の心は全面的にこの部屋にあるといってよいわけだ。  この調子だと、トキ子は五郎が動物であることをよいことにして、明日あたりはベッドまでここに持ちこむのではないだろうか。そうなれば僕が階段のところで通せんぼするように頑張っていたとて何の甲斐があるものか。  僕は頭へ一時に血がのぼるような感じになり、何かどなりそうになるのだったが、僕にはどなることはどうしても出来ない。夫婦でどなり合いをする人は僕は幸福者だと思う。僕はどうしたものか、トキ子にどなりそうになる前にふっとそういう気持が逃げて行ってしまい、それを追いかけようとしても、もうつかまえることは出来ない。ただ苦々しい気分だけが漠然と残り、僕に苦渋の言葉を吐かせるのがせいぜいだ。そうなると被害をうけるのは僕なので、そう思い思いしているうち、いつのまにか臆病になり、ついにはおっくうになってきたのか知らん。ましてこのさい五郎が、いくら僕らに背中を向けているとは云え、五郎のおるところで文句を云うことが出来ないという、にんげんである情なさは、今朝の場合と同様だ。 「ごゆっくり」  僕はそう云いつつ、パタンとドアを閉めることで、せめてもの反抗を示して二階へのぼった。二階でひっくりかえり、そもそも何年間のあいだ、トキ子の姿をまともに見たことがなく、顔を見ることもなく、背中ばかり眺めてくらしてきたということが、この罰になってあらわれたのではあるまいか。しかしもはやこのように流れ出したからには|遡《さかのぼ》ることは出来ず、このままの成行の中でもがくより仕方がないのか。それにしても、これはイソップ物語の中によくある話とそっくりではないか。さしあたり僕は何か愚かなる動物というところだ。五郎が馬なら僕も何か愚かな動物にすると恰好がつくわけで、いや、僕なんかは動物であった方がどれだけいいか知れない。僕が同じ動物なら、何煩うことなく思い切って五郎を今すぐにでも蹴り殺してやることが出来るのだが……  そのうち、僕は明日の朝といわず今からでもこの五郎のやつをひきずりまわして、馬か、にんげんかのけじめをつけてやろうと思いだした。やぶれかぶれになって、わざとはげしい音をたてて階段をおり、トキ子の部屋をのぞくと、さすが僕に遠慮してか、僕にまるい背中と例のヘップバーン型の髪のさびしいタワシのような後頭部を見せながら、あみ物に余念がない。僕は心も少しほぐれてき、やぶれかぶれになったことを恥じて、 「トキ子、何をしてるの?」  と云ってよりかかると、あんでいるのは僕のものにしては大きいセーターなので、 「いくらゆったりしたのがいいといってもちょっとこりゃ大きすぎるなあ」  と善意のこもった嘆息をもらすと、 「そうかしら、さっききせて見たのだけど」  僕はそれ以上トキ子とは話をつづける元気をうしなってしまった。僕はその反動でいきなり五郎の部屋へ入ろうとしたが、ふとドアにノックをして入りこんだ。なぜ僕はノックなんかしたのだろう。僕はそのことでよけいおそろしくなってふるえつつ装具をつけ五郎の手綱をとって外へひき出そうとするのだが、ふしぎに五郎はすなおについてきて拍子抜けだ。  トキ子は僕について入ってきたが、 「何をするのよ、今頃」 「馬なら乗っていいはずだね」 「五郎が冷えるわよ」 「いや汗をかかせてやるさ」     十二  僕はトキ子を真似てとび乗ると思いきりピシリと鞭をくれた。いくら強い打撃でも、馬であればこれで文句は云えまい。五郎は勢よく走り出したが、どっしりした、かたい胴のかんじは、これにトキ子が乗っていたかと思うと、僕に嫉妬をかんじさせる。頭へのその遠さが何か僕に威厳をさえかんじさせてよそよそしい。僕が五郎のことでおこっているのは、五郎にトキ子がしてやる心づくしよりは、この五郎が僕よりすぐれているらしいということのためなのだが、僕はこいつに乗っている以上、自分はこいつよりは優位にたてるのだとその尻に又もや強い一撃を加えた。五郎はいつものコースを、サッと杉木立をなびかせてR病院の前を通り、まっすぐ公園めがけてとんでいった。僕は次第に快感をおぼえてきて、 「コラ五郎、今夜はうんと走らせてやるからな。馬ならそうさせられぬわけには行くまい。コラ返事をせんか」  五郎には返事をする模様も見えずただひたすらに走るので、 「どうだこれから毎夜走らせてやる。トキ子の主人はオレなのだ。返事をせんか、しゃべらぬか」  僕は池の|畔《ほとり》をまわり出した時、五郎の速さはいよいよまして、僕はだんだん僕が馬になり、五郎をのせて走っているような奇妙な感じにとらわれだし、これはいかんと思った。両脚は宙にうき、手綱を持つ手が弱ってくる。僕は仰向けになり、五郎が僕の上にのっかっているようだ。これは五郎の悪智恵だなと、歯を食いしばるうち、僕は空中をとんで行ったと思うと、目がまわり僕は池の水の中につっこんだ。  僕は水の中で我をとりもどし、幸い池は浅いので立ちあがって五郎の姿をさがすと、ちゃんと池の畔で僕を待っている。僕は寒さでふるえながら五郎のそばに辿りつくと、相手がじっとしているので、僕はその落着きぶりに腹が立ち、こんどはどんなことがあっても落されぬぞと、その背中にはいのぼって、鞭をくれた。すると五郎はこんどは、我が家に向って、前にもました速さで駈け出し次第に僕は目がくらんできて、五郎に何もかも任せてよいという弱気になるので、僕は心を持ちなおし、落ちたら五郎もただではすまさないつもりで、馬に乗ったのは支配するためなのだから僕はがんばるのだが、R病院のあたりにくると、もういかんともしがたくて、落ちる方がはるかに楽になってきた。落ちたらたぶん僕は死ぬだろうとかんじると、どうしたことか事もあろうに、 「院長さん院長さん」  と僕は叫ぶのだが、窓から誰かがのぞいたと思う瞬間に通りすぎて、もう僕は我が家の前にきていた。五郎は急に止るとそのまま動かなかった。僕はおりる力もなく、その背中につかまってあえぐのみだ、 「トキ子、トキ子、帰ったよ」  僕は妻の名を呼びつづけていると、黒い人影がすうーと通用門をおりて出て行く。僕は今ごろ誰が僕の家にいたのか馬の背中にのびあがってみると、それは僕が病院の窓から見たあの人影なのだ。僕のアタマが狂っているのか。いやそんなはずはない。あの影は僕の影とはちがう。僕より肩幅が広くて背の低いあれは、たしかに棟梁の後姿だ。  そうするとこれはどういうことになるのだ。何も分らぬが、分ることはやがて明日にでも建築が始まるということだ。僕からヘソクった金などとはかけ離れた建築を彼女は試みる。そのために僕の家は僕でない人が出入し、僕でない人が住み、僕でない人が主人となる。彼女はこんどは何を計画することか。  そうして新しい建築が終るまでR病院のやっかいになる。そのためには僕はいちおう電線にでもふれればいい。  ところが五郎は急に一ふりふって僕を地上に払いおとすと、たしかに、 「この野郎!」  というふうに叫んで走り出した。もう棟梁の姿は闇の中にかくれてしまったが、五郎の走る方角からすると、五郎は棟梁のあとを追っかけて行くことはまちがいない。「この野郎!」というのがこの僕のことかと思ったら、どうやらそうではないようだ。五郎が棟梁に向って走るのなら、棟梁にたいする好意か悪意のためなのだ。こんな雑言をほんとに吐いたのではないとしても、そんなふうに聞えたからには、好意のためとは考えられぬ。  僕はからだがゾクゾクと寒くなってきて、心身の疲労が堪えられぬようになり、この家で休むよりはこのままR病院にしばらく入院させてもらおうかと思い胸をさぐると、幸い退院のときに返してもらってきた保険証がある。まだ一人ぐらい入院できるだろうと、R病院に向ってトボトボ歩きだすと、トキ子は一部始終を見ていたのか、 「あなた、待ってよ」  と叫ぶ。ふりかえると彼女は僕のそばにかけより、僕がズブぬれであることにも気がつかず、こう語りかけるのだ。 「あなたは私を愛しているんでしょ。私のいう通りにしていればいいの、あなたはだんだんよくなるの。このあたりで、あんな二階のある家がどこにあって? あなたがいやなら私が出て行くわ……私はホントはあなたを愛しているのよ。私のような女がいなければ、あなたはまともになれないの、ねえ分って?」  僕ははじめてトキ子の妙な「愛情の告白」をきくのだ。 [#改ページ]   鬼  もう六、七年にもなるが、その頃私は田舎都市のある会社に勤めていた。私はその町まで三里のあいだ堤防づたいに自転車に乗って通っていた。一口に三里の堤防道というけれども、利根川ぐらいの大きさの川になると、風の吹く日には、逆風にあうととても自転車では前へ進むことが出来ない。仕方がないので自転車からおりて、自転車をひきずって歩いたりしなければならない。これほどイタイタしいことはありはしない。私は自転車にのって、つまり自転車という便利な道具を|操《あやつ》ることによって、歩くより何倍か楽に、何倍か早く目的地に到着すべきはずであった。ところが私は悲しいことに荷物をひっぱって歩かなければならないのだ。私が自転車をすてないのは、帰り|途《みち》にひょっとすると、風が止むか、追風になることを当にしているからであるのと、その自転車を預けるところがどこにもないからなのだ。全くそのような場所だからこそ、風の吹きようもはげしいというものなのだ。  私は|茫漠《ぼうばく》とした風景の中を風に吹かれながら自転車をひっぱって歩きながら、このさい忍耐というものを学ぶよりほかに仕方はないと思った。私は一歩一歩徒労に近い行進をしながら、その一歩一歩によって私の忍耐力が次第次第にふくらみ、私が将来、それによって何事かを成就することになるかも知れないと空想したりした。しかし私が将来そのような具合のよいことになる様子に見えはしなかった。私はエンマというおそろしい名前で呼ばれている運河にはさまれた百姓家の倉を借りて、親子四人暮していたわけで、お先き真暗というより仕方がなかった。  しかし私は執拗に忍耐した。その忍耐の仕方が今いった、自転車をひっぱって歩くというようなことや、子供をエンマに落さないように常住気をつけているということや、どんなに辛いことがあってもその倉でしんぼうしてそこから去るなどということを考えないということなどであった。  私は今、エンマに子供を落さないように気をつけるといったが、これは大分説明を要する。というのは、このエンマというのは実は、江間ということらしく(もっともこれは誰にも聞いたわけでなく、私が想像しただけのことだが)これは小運河で交通路であるために、かんじんの道路はきわめて細く、そして細いことこそ土地の人の自慢の種である位であった。というのは雨でも降れば、その三尺足らずの道はツルツルとすべり、エンマへ落ちずに歩くことは至難のことであるのだが、住人は誰一人としてすべるものはない。私も妻も子供もみんないくどとなくエンマへ落ちこむ悲運に会ったが、彼らにとっては私たちが落ちこむことこそ、彼らの誇りを高め、隠微な自慢の種であったのだ。私は知っているが彼らは決して笑いはしない。そのくせ、私たちが落ちたことは、翌日には全村に伝わり、彼らはその細い道を何か彼らの村の誇りのように語りあって、酒のサカナにしていたのである。  私は天気のいい日でも、私が家にいる限り、子供がエンマに落ちないように見張りをしていなければならなかった。それは楽なことではない。彼等村人も生れた時から、エンマへ落ちずに歩くことが出来たわけではなくて、幾多の|犠牲《ぎせい》をはらってきているのである。そのしょうこにどの家でも二代か三代のあいだに一人はそのエンマに食われているのだ。私のヨチヨチ歩きの子供が名誉ある犠牲者の一人になることはいくら私がその村を去る意志がないにせよ、どうして喜ぶことが出来ようか。村人は誰も私の子供が落ちることを気にかけてはくれないことは、私にはよく分っていた。彼らはむしろ私の二人の子供のうち一人位は|溺死《できし》することによって、はじめてその村に住む資格があると思っていたのであろう。  だから私はじっと子供の見張りをしている。子供をエンマのそばに行かせなければいいが、そんなことは出来るものではない。家の庭の外にエンマ沿いの三尺の道しか人の歩けるところはないからだ。それに子供は川を好む。そのために私は、日曜日などは、妻にかわってその重大な役目を果さなければならないわけだが、これくらい忍耐のいる仕事はないといっていい。私は時々疲れ果てて、ぼうぜんとして、その任務を忘れる瞬間がある。その瞬間からよみがえった時には、私は思わず、エンマの中をのぞきこんだ。それから道をさがした。つまり私は少しも見張りをしてはいなかったのである。一瞬でも私が忘我の境にあるということは、子供が溺死する可能性が無限にあるということなのだ。これは私にとって重大な発見といわねばならない。それなら私はいったい何のために見張りをしているのか、ただ溺死した時私が一番早く発見する可能性ぐらいはあるということか。  しかしこれとて何という怪しげな自信であろう。私は忘我の境にある時間がホンの僅かなようなことをいったが、私はある時、私の前を舟にのって通って行った百姓が、いっぱい刈入れをつんで戻ってきたのを見て、はじめて我に帰った。そうしてガクゼンとなった。私の忘我の時間の意外に長いことはともかくとして、なんと私の子供が舟の中に入れられて帰ってきたのを見出したからだ。  そのあいだ私は何をしていたのだろう。私は何もしてやしない。いや私は見張りをしていただけだ。そして見張りはしていなかった。私はおそらくエンマの表面にエビガニが浮んでは沈み、浮んでは沈むのを眺めつづけていたのであろう。いやそれさえ眺めてはいなかった。なぜなら、私は何をしていたか、ぜんぜんおぼえておらず、ただそういって妻にたしなめられて、そんな気がしただけだったからだ。  私はそんな気がしたといった。実は私はその夜、うす暗い電燈の下で夕食をすすりこんでいる時にクモが電燈の笠からぶらさがっているのを見るとコツゼンとして、エビガニが垂した|藁《わら》の端にくいつく様子がうかび、 「オヤ」  と小さい|呟《つぶや》きを|洩《もら》した。すると私は急に自分の顔が赤らんできて、暗い電燈の下だがその場にいたたまれないほどになった。 「これは何としたことだろう」  私はあの時間のあいだ、子供たちのするのを真似て、エビガニを釣っていたのだ。そう気がつくと、私は自分のしていたことが他人のしていたことのように次第にはっきりと、その場景がうかんできた。  私がただの藁で釣っていたのは、はじめのうちだけであった。そういえば私はそのうち私がかくれるようにして背中をまるめながら、道にころがしてあった|蛙《かえる》の屍体を、藁の先きにつけて、エビガニを釣り出した様子が、何よりその警戒した背中や腰のあたりが、目にうかんでくる。  いやそればかりではない。私は何ごとか口の中でわめいていたような気さえもするのだ。それから……私はそれからエビガニを釣ると、エビガニをひっくりかえして、その腹を押えてホクソ笑んだような気がする。そうだ私はかねてエビガニをば、ひそかに憎んでいたことはたしかだ。  私は久しく食うや食わずの生活をしてきていた。その村へきたのは、多少でも食糧事情のよいのを当てこんだのだ。私がその村へくるのをすすめたのはその村に住んでいるHという画家だが、この男は会社の上役に絵を売込みにきたりして、私はちょっと顔見知りの間柄だった。私はその村へ落着くと、倉庫こそHの世話で借りることが出来たが、それが意外に高くて、その上、思うように米や野菜を買うことさえ出来なかった。まことに信じられぬ話だが、私が住んでいる倉の|母屋《おもや》はふしぎな論理を身につけていて、それはとうてい私の理解の及ぶところではなかった。私は自分の頭脳を疑い、細道を歩く自信のないように万事に自信を失った。  彼らは米から卵から何一つ、現金では売ってくれなかった。インフレのはげしさのためではない。そのしょうこに彼らは闇米を現金にかえて得意としていたし、それで器具を買ったりミシンを買ったりしていたからだ。それに私の部屋に彼らの欲しがる物があるはずはない。私たちの欲しいものこそ、彼らの家には貯えられており、虫干しになれば、雑多な珍しい衣類が、物干竿にぶらさがったからである。  ただ彼らは私たちに売ることをきらったにすぎない。それ以上私には何も分らなかった。そのくせ、盆になれば、先方からボタ餅のようなものを持ってきた。私は妻に云われて、町で果物を買い求め、それを礼として届けた。すると、それから彼らは何事かことある度にそんな物を持ってきた。しかし村人は私たちに大よそ何も安く分けてくれないばかりか、とにかく分けてくれなかった。  私はそのうち、私がケイサツに出入りしているということを、村人が云いふらしているという噂をHから聞いた。私は会社の仕事のかんけいで、時々ケイサツへ赴いたことはある。何の仕事かいう必要もないが、私を村人はそういう意味で警戒していたにちがいないと思った。私はそれから母屋にも話したが、彼らは分ったとも分らぬとも、ぜんぜん私には|手応《てごた》えが感じられなかった。  私はそうしたわけで、食物の中にいて食物には恵まれなかった。私は子供の釣るエビガニのふくらんだ腹のあたりを、いくどもそれまで見ていた。ひそかに私はコイツを憎んでいた。  私には何のかんけいもないどころか、私の精力の半ば以上を奪ってしまう、このエンマという運河にセイソクする、このアメリカから広まったというふしぎな生き物に心を奪われていた。  この生き物は|勿論《もちろん》タンボにも繁殖していた。百姓たちは、文字通りこの舶来の生き物にはあまり関心を持たなかった。彼らはそれより食用蛙がどこからか紛れこんできて、彼らのタンボに|棲息《せいそく》していることが、ひどく得意でもあり、夜になると子供や若者はこの生き物の方をとりに行き、それを目方で売りさばいて小使銭にしていた。  私は食用蛙ほどの値打ちもないこのエビガニが、おそろしい勢いで|殖《ふ》えていくのに何ともいえない気持をいだいた。コイツがあさましいほどエンマというエンマにはびこって舟も何も通れないようになることを願うと同時に、この繁殖力を憎んでいた。  そこで私はコイツを、そのふくらんだ肉を食べたいものだと何となく思っていたと見える。私は妻の留守に百姓の子供から貰ってソイツを煮て子供と食ったことがある。味はあくどくて美味とはいえないが、なるほどエビとカニとを合せたような、そうしてそれより下品で、それを食っていたら身体に何ごとか起りそうなかんじのする味であったが、私はこれを毎日常食しようと、妻に相談しかけた。私は勤めの弁当のおかずにもそれを望んだのだ。  しかしその望みは達せられなかった。妻は私が食人鬼になったようにバトウする上に、子供の口から私がいやがる子供に食わせたと聞いた時には、私を見下げ果てた人間のように、私の方が悲鳴をあげたくなるような、おそろしい表情をし、そのあげく発作を起した。妻はそれまで私の意外な性質を発見した度毎に、その性質が妻と結婚する前からの二十何年にわたって育ってきた性質であることを思い知ってか、外国の小説の中で|屡々《しばしば》見るような悲鳴と発作をおこした。そいつが又おこったのだ。それがおこるということは、そのことは今後ぜったいに行ってはならないという御託宣のようなものであった。私はそのことを一応は天命とあきらめた。  それにしても、タンボの稲にむらがる|蝗《いなご》とか、エンマを次第に占領して行くこの生き物に対する私の執着がおさまったわけではない。  そいつらをとることによって、私は誰にも|咎《とが》められるはずはない。しかるに私の家のまわりのエンマをつたって行けばやがてエンマとエンマの間は拡がり、そのあいだが、広大なタンボとなり、そこに私たちのアコガレの的である米がなっているし、イモも野菜も出来ている。そいつをとれは、私は盗人になるが、蝗や、エビガニは違う。私は蝗やエビガニの自由を怒り、それからそいつをとれば労せずして私の胃の|腑《ふ》は助かるのに、それが許されぬのを、恨みに思っていたのだ。  私はHの言葉にしたがってそのエンマの取りまく小さい島の中に住みつくようになったのだが、実は私は引越しをしてくるのにも、そのエンマを舟でやってきたのだ。私たち家族と、家族の僅かな荷物、炊事道具やフトン、薪などをつんだ小さな舟は利根川を横断して大運河を通り、それから入りくんだ泥水のエンマをめぐって、私が借りることになっていた倉のすぐ下のエンマに横づけになったわけだ。この異様な引越しはともかくとして、舟の中から古びた六畳ばかりの部屋のくっついた倉を仰いだ時の、私たち家族のおどろきは、おどろきというより絶望に近いものであった。私はヴェニスのことを思い出させるように妻を説いてきかせたのだが、妻は承服しそうになかった。妻はそのままエンマをめぐって、舟を返してもらいたいと叫んだ。実は私もその倉は見てはいなかった。私はもう帰るところもなくなっているので、やっと妻をなだめた。私たちの飲料水がそのエンマの水をコシたものであることが、早速その晩から分ってしまうと、私たちは文字通り島流しになったように感じた。私はHを恨んだり、このあまりにも便利に出来ている、エンマを恨んだ。といってもこの村に子供の頃から住んでおるHには、ここよりよい所はないらしくて、彼はエンマの水を飲んだら、とても水道の水は飲めないと云い、ここの生活を楽しめないのは、私たちの方が悪いと責めた。  そのエンマにエビガニがむらがっていたのだ。エンマにその奇体なヒネクレ者の生き物が住んでいることを知ってから、ようやく私はエンマを見直すようになった。それだけの意味でこの濁った運河は、私にとって何ものかであるように思われだしたのだ。  私は夕食の時になって、長い間、子供の見張りもしないで、エビガニを釣ろうとしていたことに思い当ると、こんどから見張りをする自分を見張らなければならないジレンマに陥った。日曜日には妻はあとの六日間の疲れが出て寝てくらした。それほどこの慣れぬ土地は疲れた。妻はその六日間、子供の見張りをしているわけなのだ。私は日曜日だけはどうしてもその任務を受け持たなければならない。私は自転車に乗せて遠くへつれ出そうとしたが、町の中にまで連れ出さぬ限り、運河やエンマのない所はないのであった。  きわめて奇妙に聞えて、読者は信じないかも知れないけれど、そのことがあってから、私は子供に、 「父ちゃんに気をつけておれ、父ちゃんがお前を見ていなくなったら、大きい声で父ちゃんを呼ぶんだ」  と叫んだことがある。私は何もこんな阿呆なことを朝っぱらから子供に云ったのではない。疲れに疲れて、それから|倦怠《けんたい》に倦怠をかさねてくると私が子供の隙を見て、私の方が自分のたのしみに|耽《ふけ》ったりしやしないか、気に懸りはじめるのだ。  それなら私は、エビガニを釣りながら子供を遊ばせればいいではないか、と読者は思うであろう。もちろん私はそうもして見たが、しかし、実際やって見ると、なかなかそううまいぐあいには行かなかった。私は先ず自分が夢中になった。夢中になると、私には何かと子供がじゃまになった。私は心の中で、子供が私の傍にいてくれないことを望むものだから、子供が私の傍をいやがって、自分で私のまわりから離れて行くし、困ったことに、一方私もそれを望んでいるときている。それでは私の見張りの仕事はまったくゼロなのである。  私は反省してみなくてはならないと思い、私のエビガニに対する執着の理由等を箇条書にして、次のように検討を加えてみた。 [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]  一、エンマが私を包囲し、エンマが私の子供の生命を奪う公算が大きいこと。  一、しかもエンマは私がここへ引越しをしてきた通路であり、私に過去を想起させる。この通路を通じて未来を連想する能力が私には欠けていること。未来には死があるのを知っていること。  一、エンマは、住民にとっては重要な生活条件であり、私も飲料水をそこから仰いでいること。  一、エンマで子供が一人位|溺死《できし》しなければ、住人として一人前ではないこと。  一、子供の見張りをしなければならないから、自然の勢として、エンマに注意が向くこと。  一、エンマに棲息するエビガニは、エビとカニとを合せたような、混合した姿態と名称を持つこと。それがそれだけで|嫌悪《けんお》を抱かせること。  一、エビガニは|貪《どん》ランで、肥り、繁殖力が|旺盛《おうせい》で、しかもアメリカから移植されたものであり、何か東洋的でないこと。  一、私が食糧を入れた倉に住むのに食糧に|逼迫《ひつぱく》しておる状態なので、エビガニを食用にすれば、妻に幾分の義理が立つのにも|拘《かかわ》らず、食用にするのを妻が許可してくれないこと。  一、私がHに対して|面《つら》当て的行為をしているかも知れない点が認められること。 [#ここで字下げ終わり]  Hに対して面当て行為をしているのではないか、という項目が頭にうかんできた時、私はHが私に売ってくれた自転車のことを連想していたのだ。そうしてその解釈がにわかに大きく位置をしめてきて、私は緊張した。面当てということは、いずれにせよ恥ずべきことである。一つの行為をガッチリ受けとめて、それを正当になり、術策を|弄《ろう》してなり、相手にハネ返すことこそ男らしいりっぱな行為であるのに、……と私は「面当て」という言葉が私のアタマの中に、私のアタマを通じて|忽然《こつぜん》と出現したことだけで、おののいた。  それにも拘らず、かような考察をしたのにも拘らず、私は次の日、また早朝から自転車を駆って、エンマにかかった山型の橋をわたり、堤防へ出て、そこを風に吹かれてはしらせ、それから大運河にかかった|堰門《せきもん》の背中の幅二尺ばかりの板をわたり、それから大利根にかかった橋をわたり、それから……途中には坂もあるし、林の中の径もあるし、|肥溜《こえだめ》も私を待ちうけている。私は坂の上から曲芸じみた乗り方をして真逆さまにタンボの中におちこみ、足の親指爪をはがしたこともあるので油断がならない。そうしてこの曲芸じみた運転ということも突如として私の心身をゆすぶって、そうしたい衝動にかり立てることがないとは今後ともいえないのだ。そのために私は確実に自転車を操りながらも、ふと道の近くに、満々と|湛《たた》えた肥溜を見ると、ハッと思うのである。いつ私は肥溜へおちるかも知れない。肥溜へおちることは、私が堰門の上から何十尺と落下して水中に|顛落《てんらく》して死ぬのと、殆ど同じだけ私を恐怖させるのである。  私は一度顛落したことがあるといったが、エンマとちがって陸路に於てこうした事故を私がおこすことにはがまんがならなかった。私は|生爪《なまづめ》をはがしたが、自転車をおこし、自転車と地上に立ちながら、しばらく私はボウゼンとしていた。私は傷のことよりも、この不覚に腹を立てていたのである。  これらはすべて風の吹かぬ時のことである。或は追風の時のことである。私は普通の天候であって、自転車を走らせるのに何不自由ないはずの時でさえ、Hから遠のいてしまい、いつしかHの姿は私の視界から見えなくなる。私は無理をしないように忍耐していた。生きるために忍耐をしなければならないことを、私は戦争中に確かめたものと見える。私は作戦に出て危く地雷にはじきとばされて死ぬところであった。私の隊長は私の隊の最初の犠牲者であった。私はその行軍が白兵戦よりもおそろしいものであることを、予感していた。私は行軍中、二、三人前の兵隊の足から目を離さなかった。それは尋常の努力では出来ることではない。先行者の靴が地面にふれて、そのままあとかたもない足跡を私の脳裏にきざみつけようとした。私の一生のうちで、忍耐を実地に学んだのはこの時が最初である。とにかく私が、その小隊の生き残りの二十名の一人になったことだけは確かである。そういう時には、かなり確実に迫ってくる「死」というものに、どれだけ魅せられ、その中にとびこみたがるものか、私は知っていた。 「突撃の時にはあとになった者ほど死ぬ率が多いのだぞ」  私はこの重大な言葉を、精神訓話の中で聞いた時には、悪魔的な心のシビレを感じた。軍隊の成立員の一人一人が容易に死なれては死ぬお前たちはそれでよいかも知れないが、軍隊が困るのだ、ということを言っているのであろう。しかしそれだけではない。一人一人が生きるための「技術」を教示してくれているわけでもあるし「なるべく生きた方がよい」「なるべく死ぬな」「そのためにはあらゆる工夫をせよ」などというような意味を引き出そうとすれば、引き出せるものを、その言葉は含んでいる。「あらゆる工夫をせよ、生きるためには」、というのは、もちろん禁句だ。それが禁句であるが故に、その禁句をのぞかせ、私たちを釣りよせているところを、その言葉は持っている。私が心のシビレを感じたのは、釣りよせられながら、釣りよせられた顔を見せずにいようという、その瞬間の心理的な格闘みたいなものに、目まいのするような気持を味わったということなのだ。とにかく私はその時、秘密の匂いをかいだ。私だけのうちにその秘密をかくしておけば、例え私の動作に、そうしたことからくる何物かがあらわれたとしても、ただの愚鈍な動作とごまかすことが出来ないことはない。私が何故そのようなことをくどくどと書き並べるかというと、実は軍隊では、そのような忍耐はなかなか出来ないからだ。  軍隊で私は大部分ぐずで暮した。ぐずで暮したことが、意外に私の生命を長びかせた。私を生きる方へと運んできた。生き残った二十人のうち、その二十人は全部私が病院に入院しているうちに南方へ転出して途中輸送船もろとも死んだ。私があの時地雷で死んでいなくとも、この入院ということがなければ、私は生きていない。私は相手につられて動かないで、じっと忍耐しているという、非生産的な生れつきの性質に、何か実証みたいなものを得たこともあるような気がする。  Hが自転車をとばしていく時、こうして私は彼に抜かれてもあせらず、そのあとをついて行くことにしていた。 「お前はどうしておくれるのだ」  Hは風のないある日、わざわざ車をおりて私にそう云った。私はその時も彼からおくれようとして、その心の用意を怠らないでいたのだ。私は不意をつかれて黙っていた。すると彼は、 「その車に油をさせよ。重いのか」  彼はムリヤリに私の自転車と取りかえて乗れ、といった。私は云うなりになって、とにかく彼の車に乗ると、彼はもともと彼の車であった私の車に乗ってペダルを踏みながら、 「これはきみ、ぜんぜん動かないじゃないか。こんなにひどいことはなかったぜ」  一方私はHの車の確かに軽くて、その車ならきわめて楽々とすすみ、私が用心することも何も必要のないほど安定感があるので、かえって奇妙な不安定感をいだいた。 「きみの車はこれは故障だよ。よくこれで乗っていたな。これでは歩いた方が早いくらいじゃないか」  彼は侮辱されたように怒った表情でそう云った。 「おれは、今だから話すが実を云うと、ボロになったのだからきみに売ったのだが、こんなになってきみが平気で乗っているのは、きみの責任で、きみが悪い。おれはきみが、ムリにおれよりおくれるのかと思って怒っていたが、これを知るとよけい腹が立つわい。大体きみはあの家に文句があるらしいが、あれだってきみが勝手に居心地悪くしているとしか思えんぞ。まあいい、きみとにかく自転車屋へ修理に出せ。これはマメツだけじゃない。あちこち故障だらけだ。きみは何か、鬼みたいなやつだね」 「鬼?」 「おれには気味が悪いよ。きみをモデルに何かいい絵が描けそうだな」  彼はそれから急に用事を思いついたように、私には何も告げずに引返して行き矢のように堤防の上を走り森のかげにかくれてしまった。私はその時ひどく淋しい気持になった。私が忍耐していると思ったのは、忍耐しているのではなくて、私が自転車の故障を利用して、忍耐に酔っていたのかも知れない。私の車は風が吹くと自然に止ってしまったり、いつ横転するかも知れない不安を抱いていたということは、つまりバクゼンとその車という器具に乗せられていて、不安を感じていたということは、車の故障による不安にすぎなかったのかも知れない。  私はHが私に使い古した車をかなり高値で売りつけたことは、あとで知った。私はそれを心の中で怒っていたことは確かだ。Hのいう通り腹いせにその車をおくらせていたことも、そういわれれば、その通りだ。エンマの中のエビガニに夢中になっているのも、私が反省した最後の項目の一つのように、私はけっきょく、Hのためにこそそうしていたのであって、要するに私はHをうらんでいたのにすぎないかも知れない。そいつを除いておいて、私はもっぱら忍耐に|耽溺《たんでき》していたのかも知れない。  その時私は鮮かに一つのことが浮んだ。Hがボートに乗せて|鴨射《かもう》ちに連れて行ってやるといった時のことだ。Hは絵を百姓に売り、それを米に代え、それを船大工と、モーター屋にやって、一|艘《そう》のボートを新造していた。彼はそいつに乗って、運河を乗りまわし、霞ヶ浦まで出て珍しい構図の絵を描いていた。彼は最初はそいつに乗せて、町まで毎日私を送ってやるといっていた。しかし私はそうしてもらったことは一度もなく、私と彼は自転車で通っていたのだが、そのボートに私を乗せて鴨射ちに出かけるということは、私にはちょっと信用の置けない気がしたが、Hが執拗に誘うので彼の家へ行き、先きにボートの中で彼を待っていた。  ところがHは二人の外人を連れて舟へ近づいてきた。そして私にこれから通訳してくれといった。私は中学しか出ていないが、彼より多分言葉を知っているとはいえ、鴨射ちに出かける二人の外人を相手にして数時間すごすことは、私には苦痛であった。私は何も彼にそれほどムリをしてサービスする必要はない。私が何かいおうとする時、もうボートは運河をすべり出していた。  外人は私を通訳と思っているので、私に何か早口に話しかけてきたが、私は聞きとることが出来ない。そのうちHは手真似で何か、ブロークンもひどいブロークンでやり出し、それでけっこう彼らは話をし合った。私はとうとうせまいボートを持てあまし背中を向けてしまった。  Hは霞ヶ浦へ出ると、私をおびやかすように銃声をとどろかせて、何羽かの鴨を射って見せ、外人にも射たせた。私はいよいよ間が悪くなり、それでも私はじっと忍耐していた。私はおし黙ったまま、落ちてくる鴨を眺めたり、エンジンの音を聞いたりして、数時間をすごした。私が帰る時、Hは鴨を一羽もくれなかった。それは当然のことだが、私はその鴨を家に持って行くはずになっていたので、ふくらんだ鴨が私の手に渡らないことは、遺憾のきわみであった。  私はHが私をその島へ連れてきた理由が急に分ったような気がする。彼は私を通訳の仕事に利用し、外人のサービスをし、その肖像画をかくか、彼の絵を買わせるつもりであったにちがいない。私は彼が私の世話を拒否しているのが、目が覚めたように分ってきた。私はHがそれから鴨射ちにいくども出掛けたことを知っている。私がエビガニをねらっていた時に、その日曜日に彼は鴨射ちにボートで出かけていたのだ。私は彼が本式の通訳を町から連れてきて、夜は川べりの料亭で酒宴をはっているのも人伝てに聞いて知っているのだ。  こうしてみると、私がエンマのめぐる島の倉にきて、そこから私が三里の道を動きにくくなった自転車を走らせて、通わねばならぬということは、いったいどういうことなのか。結果だけが私をとりまき、それはエンマと古自転車のようなものなのだ。 (ここであわててはいけない。ここであわてると、今自分は横転して肥溜におちこむか、何かする。とにかく忍耐しなければいけない。考えるより先きに先ず忍耐するのだ)  私はもう既に自転車を走らせていたという程ではないが、追風に乗って、とにかく車はあるていどの速力を持ち出したのを、却って危険なもののように警戒しながら私はペダルを踏んだ。カーブをまわると風が私の自転車をおしつけ、とたんに私はあることに気がついた。  私はそれまで自転車の上にある時、意の如く動かぬペダルを踏みながら、ありとあらゆる言葉を口の中で呟いていたものらしい。それは妙なぐあいに、例えば風に抵抗したり、坂をのぼったりする時には、悪夢のように私の口をついて次々とあらわれてきて、私の車の動きがなめらかになると、忽然と消えるといった、あやしげなものであった。自転車の上では、と私はいうが、私は自転車に乗っているといった気持になったことは、実に少ないのである。それは|一重《ひとえ》にこの車の動きのわるいためであろうが、私は作業を行っている、といった感じなのだ。私は前にもいったが、歩くことの方が或は作業量が少ないかも知れぬからといって、歩くことにしようとは思わない。私はここでも忍耐していると見える。その忍耐の分だけの報復として、私は悪魔の声を私の口の中からはじき出すのだ。  私は趣向を変えてさまざまの声をはじき出すようだ。そして私はさまざまな声を考え[#「考え」に傍点]出しながら走っているくせに、私が出しているとは思わないようだ。つまり私はただ忍耐しているだけで、忍耐の方にまわっているだけなのだ。私はそのうちにその声にも堪えることを意識しはじめるもののように思われる。  私はそういうことは、実はこの日になって明瞭に意識しておどろいたわけだが、それはHのことについて考え、いろいろ派生的に思いめぐらしていたためかも知れない。  そんなことを思い、私は行手の左側のタンボの中に|鷺《さぎ》が二、三羽立っているのを見かけた。私はそういうものを予期してはいなかったので、思わず自転車を止めてその姿を眺めた。私は見ているうちに、胸が迫ってくるような感動におそわれる、と思っているうちに、目に涙が出てきた。私は次の瞬間に眼をつぶってその感動が静まるのを待ち、じっとこらえて立っていた。つまり私は忍耐していたのだ。それから私は、 「オヤ」  と|呟《つぶや》いた。 (こいつは何だろう) (この忍耐は何だろう)  しかし私はそう呟きながら次の作業にうつっていた。私はそれから会社まで一里の道を、いく度足を動かし、ペダルを踏み、それから車輪を廻転させねばならぬかを、考え出した。いや考え出すほど、車の進みはおそいといった方がよいかも知れない。私はそれから踏む数を数え出し、もう私の頭は数で一杯になって割れんばかりにまでなり、もうしんぼう出来ないと思った頃、私は|堰門《せきもん》にかかり、私は抱くようにして、自転車を運ぼうとした。その門の上の道は私一人が歩くだけで一杯で、とても自転車の輪の分まではないのである。  私はその時堰門が私の前で二つに別れて、私はその一つの上に乗って、門といっしょに動いているのを知った。私はこうした危険に|易々《やすやす》とさらされてしまったことに、|狼狽《ろうばい》した。が、私はその時、Hのボートが通過するために、門があいているのだと知った。Hはボートの中から私を仰ぎ見ていたが、私が気がつくと、急に顔をそむけた。彼は私に、ボートで通わせると約束した手前、ぐあいが悪かったのだろうが、ボートの中に大きな絵が二枚あるのを見て、私は彼が急に思いついたように引返したのは、そのためであることを知った。彼はそれをどこかへ届け、また彼の生活は豊かになるにちがいない。そうして、私がこんな厄介な手順をふんで、毎日通い、それからこうして何の支えもなく宙ぶらりんに門の上にのっかっているのも、何もかもHの仕業なのだ。私はいかにも腹立たしくなるが、動けば私の危険は一層高まる。これにくらべれば、エンマの危険などは生易しいものと云わねばならない。私はこうして冷汗を流しながら、彼が本流へ出て、再び自動的に門がしまるまでそうして待っていたのである。門をあけるように操作したのはもちろん彼である。  Hのボートは本流を横断しはじめたが、私は大橋に|辿《たど》りつき、追風の中を向岸までやってきた。私はそこで一服し、汗をふき、そこから町に近づくので上衣をきようと、自転車の荷物台をふりかえって、私は自分の眼を疑った。荷物台には私の弁当と私の上衣がしばりつけてあったはずである。  私は自転車を引きずって、ふるえながら橋の上を渡った。幸い私は橋の上で弁当箱を拾うことが出来たが、私の上衣は見当らなかった。私はふと川を見下した。私はそのような馬鹿げたことが起ることは信じたくなかった。そのために私の眼は川へ向いたが、実は最初は川を見ていなかった。私の眼は拒否していたのだ。しかもそこにはHがまだエンジンの音を川いっぱいにひびかせてボートを走らせている。  私の上衣は水死人のように半ば浮き、半ば沈みつつ川に流れていた。私は自分の上衣が自転車から風に吹かれて遥か下の川の中に落ちたということが、その異常さが、私の身の上のこととは見えなかった。それは私の子供がエンマへ落ちて死ぬのと似たような、決して自分の身に起ってはならないことが起った場合の悲痛さと孤独に似ていた。私はとっさにHの名を呼んだ。その上衣は皮肉にHのボートのすぐ傍を漂流していたのであった。私はそれから二度三度呼んだ。しかしHはふりかえりもせず、次第に遠ざかりやがて縦断して入江の方へ離れて行った。私には着るものはその時、その上衣以外には何もないし、それよりも、そのような不覚は、ただでさえも、そのエンマの中へ引越してきたことを|呪《のろ》いつづけている妻に話してきかせるとすれば、私は生きている心地がしないのである。私はHのボートが方向転換した時、上衣よりもHのボートめがけてとびおりて、格闘したいような衝動にかられたが、私は次の瞬間、それがいかに愚かしい、逸心かをさとった。  私はその上衣の動きをじっと見ていた。そこへ泳いで行けるかどうか、私はしばらく考えた。そのくせ私は全く泳げないのであるが。私は泳げないことに気がつくまで、その距離をはかっていたのだ。私は泳げないことに気がつくと、泳げないで来たことにいいようのない腹立たしさをおぼえた。私はそこで溺死したありさまをじっと又考えた。そうして私が誰よりもHに見られていることに思いあたると、私はまたその考えが、何よりも愚劣な想像であると思った。私はとにかくじっと心を押えて、上衣の|行方《ゆくえ》を見守っていようと思った。すると上衣は、風に吹かれて、徐々に岸の方に近よりつつあることが分った。私は上衣を見失わぬようにしながら、向岸へおり、|葦《あし》の中を水に浸りながら渡って行き、上衣をさがした。上衣は徐々に、ほんとに徐々にではあるが岸へ向って動いている。私はじっと忍耐して、そいつの近よるのを待っていた。  水はしゃがんでいる私の眼の前に一面に拡がって、水以外のことを考えることが無駄であると思わせるほど、威力にみちていた。私の上衣は、その中の一点となって、とにかく水の中を風にあおられて、僅かながらこちらの岸の方に動いてくる。私はなぜか、あのタンボの中の遠景に|佇《たたず》んでいる鷺のことを思い出した。私のサモシイまでの執念に拍車をかけられているのか、平手打をくらわされているのか、いずれとも分らないが、私は自分のからだがある感動でゆすぶれるのを知った。  いずれにせよ、私はバカげたことだが、その上衣がやがて私のからだに戻ってくることで、私が一つの「死」の手をすり抜けて、「生」を獲得したと思っていたことは事実だ。とにかく私は大川の中へイキナリとびこむというような、アホウな、それでいてやりかねない行動を思い止まることが出来た。それも間一髪のところで。それから上衣は私がじっと見ていることによって、それが再び私の手に戻り、私は妻にそしらぬ顔をしてすまされるという、有利な結果を得ることが出来た。そしてたった一つ、Hに私の弱音を見せてしまったということがあるが、だからといって、それが何であろう。私はかくの如くしてHよりも一年でもよけいに生きるのだ。  私は|厖大《ぼうだい》な水の量を前にして、水が私の方に一時に押しよせてくることがなく、上衣だけが近よってくることに、次第に自信を得てきていたにちがいない。しかし私はその時、ケシカラヌ声が私を軽い浮き浮きする気分にしているのを感じていた。それは私がよく耳をすますと、聞きおぼえのある音声であった。私はそれまで|蹲《うずくま》って、葦原の中の砂に何か輪のようなものをいくつも書いていたが、立ちあがった。葦が密生していて私の視野はきかない。そのくせ声だけは風にのって、ちょうど私の上衣を運ぶように、声を運んできている。私はそれがボートの中で歌っている、Hの|安来節《やすぎぶし》であることに気がついてカッとなった。彼は鴨射ちに出かけた時も、それで外人をもてなし、踊りをおどって見せた。私は葦をかきわけて水の中へかけこんで行こうとし、片一方の足が膝までつかった時あわてて引返した。しかし私の心は尚も足を裏切って、前へ進もうとあせった。私は「忍耐、忍耐」と叫んで葦の中にかけもどった。このように「死」が到るところに蹲っているのでは、よほど注意しなくては、と葦原の水に足を踏みならした。 昭和四十二年六月新潮文庫版刊行