[#表紙(表紙.jpg)] 天国からのメール 喜多嶋隆 目 次  1 すでに尾行されている  2 希望と不安をバッグにつめて  3 その恋は、タイム・リミットつき  4 ふり向けば、レイバンの男  5 たとえ写真は色あせても、あの日は色あせない  6 彼は、探偵に向いてない  7 机に噛《か》みつかれた場合  8 マイケル・ボルトンに似た、ただの能なし  9 苦尽甘来  10 かつては、妻がいた……  11 ダイアナ・パール  12 ジャカランダの青い花が咲いていた  13 ホノルルの朝に死す  14 ラスト・メール  15 あの頃、ハワイアン・ソングを歌ったわ  16 クリスへの伝言  17 ゴッホになれなかった男  18 銃声は、たそがれに響く  19 とどめは左フック  20 もう一度、人生を……  21 ホノルルの灯《ひ》がにじむ   あとがき [#改ページ] [#1字下げ]1 すでに尾行されている  ドキリとした。  事務所《オフイス》のドアがノックされた。3回、ノックする音。ダンボール箱を開けていたわたしは、手を止めた。  ハワイ、ホノルル時間で、午前11時45分。わたしが、独立してオフィスを開く日だった。とはいうものの、まだ、看板も出していない。 〈沢田《さわだ》探偵事務所〉  日本語と英語でそう描《か》かれたプレートは、まだ、ドアの外に貼《は》っていない。これから貼るつもりで、壁に立てかけてある。  また、ドアをノックする音。誰もいないオフィスに響いた。  わたしが、ホノルル市警の女性警官をしていた頃、強盗傷害でぶち込んだバズという凶悪な男が、3日前に仮出所したという噂《うわさ》を聞いていた。わたしは、デスクの引出しから、拳銃《けんじゆう》を取り出した。25口径のベレッタ。長年、使い慣れたものだった。  わたしは、拳銃を手に、ドアに歩いていった。ドアの、のぞき穴から、外をのぞいた。魚眼レンズのような視界の向こう。初老に見える日本人の男がいた。わたしは、拳銃を、ショートパンツのヒップ・ポケットに差し込んだ。ドアのロックをはずす。20センチほど、ドアを開けた。  夏物のスーツを着込んだ男が、わたしを見た。 「あの……私立探偵の沢田|麻里《まり》さんの事務所でしょうか?」  彼は、日本語で言った。 「ええ……。そうです」  わたしは、かすかに微笑《ほほえ》みながら答えた。もしかしたら、最初の依頼人かもしれない。 「私……プルメリア・ホテルの、ジム・ハサウェイさんから紹介された者ですが」  彼は言った。プルメリア・ホテルは、先月までわたしが仕事をしていたホテル。ジム・ハサウェイは、その総支配人だ。わたしは、はっきりと微笑した。 「どうぞ」  ドアを開けた。彼をオフィスに入れた。 「ここが、どうしてわたしのオフィスだと?」 「とりあえず、部屋番号で……」  彼は言った。なるほど。事務所《オフイス》の看板は出してなくても、オフィスのドアに、番号はついている。  彼は、ドアの近くに突っ立っている。少し驚いた表情をしている。その理由は、簡単に想像できた。まず、わたしのスタイル。上半身は、ビキニのブラだけ。下は、デニム地のショートパンツ。足もとは、ゴムゾウリだ。おへそが、相手に向かってウインクしている。 「こんなかっこうで、ごめんなさい。ごらんの通り、荷物の整理をやっていたもので」  それは、本当だった。オフィスの中には、まだ開いていないダンボール箱が、3つ4つある。中には、ファクシミリ、コーヒー・メイカーなどが入っている。  わたしは、1時間前から、そんな物の整理をやっていた。おまけに、天井のフライ・ファンが故障していて回らない。ビルの家主に文句を言わなければならないだろう。  1時間働いただけで、わたしの額《ひたい》は、少し汗ばんでいた。  それにしても、ブラだけで依頼人と話をするのは、あまりだろう。わたしは、ソファの背に置いてあったハワイアン・シャツを取る。上にはおった。木のボタンをかけた。  依頼人に、ソファをすすめようとした。〈おやおや〉と、胸の中で、つぶやいていた。ソファセットのテーブルの上。ビールの空き缶が、散らかっている。昨日《きのう》の夜、仲間が集まって、オフィス開きのパーティーをやってくれた。その残骸《ざんがい》だ。ソファのすみには、タケシが忘れていったウインド・ブレーカーが、しわくちゃになって丸まっている。  わたしは、とりあえず、ビールの空き缶を、ラナイ、つまりベランダに持っていった。ラナイには、大きなゴミ袋が置いてある。ゴミ袋には、ビールの空き缶と紙皿が、山ほどつまっていた。サンタクロースがかつぐ袋ほどに、ふくれていた。わたしは、その中に、さらに空き缶を放り込んだ。  中庭から、かすかに、プルメリアの香りが漂っていた。  この建物は、コの字型の2階建てだ。わたしがオフィスとして借りたのは、その2階だ。芝生の中庭があり、大きめのプルメリアの樹が、真ん中にある。庭のすみには、ブーゲンビレアの茂みもある。ラナイから見おろすこの中庭は、わたしがこの部屋を借りた理由のひとつだ。  わたしは部屋に戻る。男が、立ったまま、名刺をさし出した。 「私、こういう者です」  名刺を見る。 〈榊慎一郎《さかきしんいちろう》〉  という名前。そして、肩書きは、 〈榊真珠株式会社 取締役社長〉  となっていた。会社の住所は広島県だ。 「真珠……」 「ええ。真珠の養殖をやっています」  彼、榊は言った。わたしは、彼を、あらためて見た。年齢《とし》は、50代の半ば……あるいは後半といったところだろう。日本人としては、背が高い。痩《や》せ型。麻のサマー・スーツを着ていた。糊《のり》をきかせた、まっ白いYシャツ。紺地に細いストライプの渋いネクタイをしめている。  髪は、きっちり七三に分けている。かなり白いものが混ざっている。英語で言う〈ソルト&ペッパー〉。ゴマ塩まじりだ。はやしている口ヒゲも、ソルト&ペッパーだ。眼鏡は、あまり洒落《しやれ》たデザインのものではない。上だけがセルフレームになっている。  全体の印象としては、どことなく、〈教師〉を思わせた。黒板を背にした数学の教師。そんな雰囲気だった。 「まだ、名刺ができていないんだけど……」  わたしは言った。先週、交付されたハワイ州の許可証《ライセンス》を見せた。榊は、それを2秒ほどチラリと見る。 「あなたの事は、ジムさんから、よく聞いてきました。プルメリア・ホテルにいた5年間、いくつもの事件やトラブルを解決してきた事もね」  と言った。わたしは、ちょっと照れ笑い。その時だった。ラナイの方から、いい匂《にお》いが漂ってきた。  わたしの部屋の真下には、中国人が部屋を借りている。至忠《ツーツオン》という名前の老人だ。彼は、そこで、太極拳《たいきよくけん》の教室をやっている。いい匂いは、どうやら1階の方から立ちのぼってくる。鶏《とり》のガラでスープをとっているような匂いだった。至忠《ツーツオン》じいさんは、毎日のように、自分で食事をつくっている。わたしの腹が、思わず鳴った。 「ごめんなさい」 「いや。……そういえば、昼時ですね」  と榊。腕時計を見た。わたしも、壁の時計を見た。11時57分。 「どうでしょう。お昼をご一緒しながら、話を聞いていただくというのは……」  わたしは、うなずいた。彼をリラックスさせるためにも、その方がいいと思えた。私立探偵のオフィスを訪れるのだから、何かしらのトラブルか悩みをかかえているのだろう。  わたしは、ゴムゾウリを、|AVIA《エイヴイア》のスニーカーに履きかえた。 「じゃ、行きましょう」  眩《まぶ》しい。  ホノルルは、きょうも快晴だった。正午《ハイヌーン》。通りをいく人の影が、濃く、小さい。路上駐車しているカルマン・ギアの金属バンパーに、陽射《ひざ》しが照り返している。ヤシの樹の彼方《かなた》。コーラウ山脈が見える。緑の上に、生クリームのような白い雲がわき上がっている。 「お昼は、やはり和食がいいの?」  わたしは、榊に訊《き》いた。 「いや。日本にいる時は、和食が多いから、逆に、こっちのものがいいですなあ……」 「こっちのもの?」  榊は、うなずいた。 「もし、マヒマヒなんかが食べられれば……」  と言った。その口調が、だいぶリラックスしている。 「了解」  わたしは言った。榊と並んで、歩きはじめた。 「ハワイには、よく来るの?」  わたしは、榊に訊いた。彼の口から、〈マヒマヒ〉などという言葉が出たからだ。日本語だと、その魚の名はシイラ。それをマヒマヒと呼ぶ観光客は少ない。 「……昔……しばらく、こちらで暮らしていた事があって……。でも、もう、30年以上も前の事でね……」  榊は言った。 「そう……」  それ以上は、いま訊かない事にした。わたし達は、並んで歩いていく。  わたしのオフィスは、クヒオ|通り《アベニユー》と、アラ・ワイ|大通り《ブルヴアード》の間にある。いちおう、〈ワイキキ〉と呼ばれる区域《エリア》の中だ。けれど、いわゆるワイキキ中心部の雑踏からは、少し離れている。  ワイキキ中心部のホテルから、歩いてこようと思えばこられる。けれど、あたりを観光客達が、ぞろぞろと歩いているわけではない。そんな立地条件も、わたしが、あの部屋を借りた理由のひとつだった。  2ブロック歩いて、クヒオ|通り《アベニユー》に出る。クヒオ|通り《アベニユー》は、あのカラカウア|大通り《アベニユー》と並行している。カラカウアほど観光客でごったがえしていない。それでも、人通りは、ある。  クヒオの近辺には、本土《メイン・ランド》から来たアメリカ人向けのコンドミニアムが多い。当然、長く滞在しているアメリカ人が多く歩いている。いまも、よく陽灼《ひや》けした白人娘の3人組が、わたし達とすれ違った。水着を着て、腰に、パレオを巻いている。すれ違うと、ココナツ・オイルの香りが鼻先をかすめた。ワイキキ・ビーチの香りだ。  金髪の白人男が、チラシを配っていた。がっしりした体格。だが、腹が少し出かかっている。青いTシャツの袖《そで》を、肩までまくり上げている。腕には、サソリの刺青《いれずみ》をしている。  アダムだ。わたしがホテルでセキュリティ・ガードをやっていた頃、一度、荷物のかっぱらいで、とっつかまえた事がある。チンピラだ。 「ハイ、アダム」  わたしは、立ち止まり、彼に声をかけた。アダムは、わたしを見る。ちょっと嫌《いや》な顔をした。 「あ……あんたか……」 「どう? 景気はいい?」 「いいわきゃねえだろう」  アダムが言った。わたしは、アダムと立ち話をしながら、20メートルほど後ろを注意していた。一人の男が、店のショー・ウインドウを眺めている。正確に言うと、眺めているふりをしている。  中年の日本人、あるいは日系人だった。ポロシャツの上に夏物のジャケットを着ている。コットンのスラックスをはいている。サングラスをかけている。  その男は、わたし達が、オフィスを出た時、通りの向こう側にいた。ヤシの樹にもたれて、煙草《たばこ》を吸っていた。クヒオ|通り《アベニユー》への角を曲がる時、ちらりとふり向くと、30メートルほど後ろを歩いていた。そしていま、店のショー・ウインドウの前に立ち止まり、中を眺めるふりをしていた。その店は、女物の水着ショップだった。やつが、わたし達を尾行しているのでなかったら、オカマだ。  わたしは、 「じゃ、がんばってね」  とアダムに言った。また、榊と並んで歩きはじめた。  わたしだって、年がら年中、周囲に注意を払っているわけではない。ただ、仮出所したという凶悪犯のバズの事が、頭のすみにあった。平気で人を撃つ男だ。缶ビールのプルトップを開けるように、引き金をひくやつだ。それが、わたしを注意深くさせていた。おかげで、尾行しているらしい男に気づいた。たまには、凶悪犯も、役に立つ事がある。  クヒオ|通り《アベニユー》を、1ブロック半、歩く。〈|Risa's Kitchen《リサズ・キツチン》〉は、そこにあった。地元《ローカル》の客が多いレストランだ。目立つ店ではないので、観光客は、あまり来ない。平屋の一軒家だ。〈Risa's Kitchen〉と、小さな看板が出ている。メニューも何も、外には出ていない。  店に入る時、一瞬、ふり向いた。例の男が、ぶらぶらと歩いてくるのが見えた。オカマではなく、尾行らしい。  木のドアを押して、中に入る。ハワイアン・シャツ姿のロニィが、笑顔を見せる。 「やあ、麻里《マリー》」  と言った。ロニィは、リサの息子だ。お母さんのリサは、文字通り、キッチンの中で魚や肉と格闘しているのだろう。テーブル席が8つほど。カウンター席が6、7人分。庭にもテーブルが出ている。わたしは、 「庭がいいな」  とロニィに言った。ロニィは、うなずく。わたし達を案内してくれる。テーブル席の間を通って、庭に出る。庭には、テーブルが4つ、出ている。全部あいている。 「一番奥がいいわ」  わたしは、ロニィに言った。一番奥のテーブルなら、他人に話を聞かれることもない。ロニィが、メニューをわきにはさんで、そのテーブルに案内してくれた。青いギンガム・チェックのテーブルクロスが、かかっている。椅子《いす》は、屋外用のものだ。わたしと榊は、テーブルについた。  テーブルは、木陰になっていた。キャンドル・ナッツの樹《ツリー》が、頭上で葉を拡げてくれている。白い花をつけている。どこかで、小鳥がさえずっている。木陰を、ほど良く乾いたハワイのそよ風が吹き抜けていく。テーブルの上のペーパー・ナプキンが、かすかに揺れている。店内からは、|K《ケオラ》・ビーマーのCDらしいスラッキー・ギターが、静かに流れていた。榊が、メニューを開こうとした。 「マヒマヒがお望みなら、メニューにない料理法でも注文できるわよ」  わたしは言った。この店のメニューは、もう、暗記している。マヒマヒは、ソティーしかメニューに載《の》っていないはずだ。  榊は、5秒ほど考える。 「じゃ……フライを注文してもらえるかな」  と言った。わたしは、うなずいた。わたしも、マヒマヒの料理では、フライが一番好きだ。わたしは、ロニィに、まず、マヒマヒのフライを注文した。そして、メニューを開かず、自分のランチをオーダーした。ハマグリだ。メニューには、〈|Fresh Clams《フレツシユ・クラムズ》〉と書かれている。大きく新鮮なハマグリ。この店の売り物だ。わたしは、ハマグリをフライにしてくれるように、ロニィにオーダーした。マヒマヒのフライにつられたのだ。 「ワインでも、少しどう?」  わたしは、榊に訊《き》いた。少し飲んだ方が、しゃべりやすくなると思った。榊は、うなずいた。 「いいね。注文してください」  と言った。わたしはロニィに、白ワインをオーダーした。カリフォルニア産の白。500ミリ・リットルのカラフェに入ったものをオーダーした。  ワインとパンが、先に出てきた。わたしは、パンをちぎり、バターを塗った。この店で使っているバターは、ちゃんと塩味がきいていて美味《おい》しい。わたしは、ちぎったパンに、バターをたっぷりと塗る。太る心配なんか、くそくらえだ。パンを口に放り込む。よく冷えた白ワインを、ひとくち。目の前の榊を見た。 「じゃ、話を聞きましょうか」 [#改ページ] [#1字下げ]2 希望と不安をバッグにつめて 「ある人を探《さが》してもらいたいんだ」  榊《さかき》は、口を開いた。 「人探し?……」 「ああ……。彼女の名前は、クリス・トクナガという。ハワイ育ちの日系人だ。もう、50歳ぐらいになるはずだ」  榊は、そこまで言った。わたしを見た。ちょっと苦笑い。 「すまない。ちょっと話を急ぎ過ぎたな」  と言った。軽く息を吐いた。目の前にあるパンをちぎる。バターを塗る。口に入れる。白ワインを、ひとくち飲んだ。ゆっくりと飲んだ。その眼が、遠くを見ている。 「あれは……もう、32年ほど前の事になる……」  つぶやくように口を開いた。 「当時から、私の家では、牡蠣《かき》の養殖をやっていた」  わたしは、うなずいた。広島県が牡蠣の養殖で有名な事は、わたしも知っていた。ホノルルにあるジャパニーズ・レストランのシェフから聞いた事があった。 「一家で、牡蠣の養殖をやっていたの?」 「まあ……一家といっても、従業員も200人ほど使っていたがね。私の父が社長として、会社を仕切っていた」 「なるほど……。かなりな規模で、牡蠣の養殖をやっていたのね……」  榊は、小さく、うなずいた。 「広島とその周辺では、まずまずの大きな規模の養殖会社だと思う」  と言った。また、白ワインをひとくち飲んだ。 「そんなわけで、私のところは、牡蠣の養殖会社だったんだが、私の父は、牡蠣以外にも、夢を持っていた」 「牡蠣以外に?」  わたしは、パンをちぎろうとしていた手を止めた。榊を見た。また、バターをパンに塗りはじめた。 「それは、もしかしたら、真珠の養殖?」  と言った。榊が、わたしを見た。微笑《ほほえ》んだ。 「さすがに、頭の回転が早いな。プルメリア・ホテルのジム・ハサウェイさんも、そう言っていたが……」  わたしは、かすかに苦笑。 「それは、1プラス1みたいなものよ。小学生にも、わかるわ。だって、あなたは、いま、真珠の養殖の会社を経営しているのだから」  と言った。 「それもそうだな。同じように、貝を使った養殖の仕事だし……」 「そういうこと」  わたしは、微笑んだ。ワイン・グラスに口をつけた。 「で……あなたのお父さんは、真珠の養殖という夢を持っていた」 「ああ……。牡蠣の養殖は、まずまず軌道にのっていた。業績も安定していた。そこで、父は、瀬戸内海で真珠の養殖が出来ないものかと考えたんだ」 「なるほど。牡蠣を養殖する技術をいかして?……」  榊は、うなずいた。 「もちろん、牡蠣の養殖と真珠の養殖では、大きく違う事は、わかっていただろう。しかし、共通する部分があるはずだという自信も、父にはあったようだ」  と言った。  そこへ、ランチの皿が運ばれてきた。榊には、マヒマヒのフライ。マヒマヒをフライにしたものが4切れ、皿にのっている。わたしは、ハマグリのフライだ。フライにされたハマグリが6個。マヒマヒもハマグリも、ボリュームは、たっぷりだ。フライのいい香りが、テーブルの上に漂っている。 「食べながら話しましょう。冷めるとまずいわよ」  わたしは言った。フライの上にレモンを搾《しぼ》る。フォークとナイフを手に取った。サクッと揚がっているフライにナイフを入れた。タルタル・ソースを少しつける。ハマグリを食べはじめた。熱いフライ。冷たい白ワイン。熱いフライ。冷たいワイン。言うことはない。  ハマグリのフライを2個食べたところで、わたしは、ペースを落とした。榊も、フォークを動かすスピードを落とした。ワインをひとくち。ノドを湿らす。また、話しはじめた。 「日本で真珠の養殖といえば、志摩《しま》半島ということになっている。確かに、あっちが本場であることは間違いない。……しかし、私の父は、広島で、志摩に負けない真珠を養殖しようという志《こころざし》を持ったんだ」  と榊。 「40歳近くになって、父は、真珠の養殖をはじめた。真珠については、ゼロからの出発だった」  と言った。マヒマヒのフライを、ひと切れ、ゆっくりと口に運んだ。 「周囲から変人扱いされながら、父が真珠の養殖をやっている姿を、私は、子供心に覚えているよ……」 「……で、お父さんの努力は、実ったの?」  わたしは訊《き》いた。榊は、かすかに、首を横に振った。 「父が、真珠の養殖に手をつけて約10年……父が50歳になる頃、初めて、何個かの真珠が、貝の中からとり出された。けれど……」 「けれど?」 「それは、小さな小さな真珠だった……。まるでイクラの粒ぐらいのね……」  榊は言った。微苦笑している。 「それでも、真珠ができた事に変わりはなかった。父は、さらにがんばり続けた」 「……周囲からの反対は、なかったの?」 「周囲は、あきらめていたね……。本業の牡蠣の方が、まずまず順調にいってたからね……。まあ、一種の道楽と、周囲は見ていたようだ」  と榊。苦笑したまま言った。店のオーディオから流れている曲が、|T《テレサ》・ブライトに変わっていた。 「父は、さらに5、6年、がんばり続けた……。しかし、とれる真珠の粒は、あい変わらず、イクラのように小さいままだった。何かが、根本的に間違っていると、父は思いはじめていたようだ」 「……その頃、あなたにとって、お父さんは、どう見えたの?」 「その頃の私は、水産大学に通っていた。牡蠣の養殖に安住しているだけじゃなく、新しいものに挑んでいる姿が、私は好きだった。……たぶん、家族の中でも、私だけが、そんな父の姿に共感していたのかもしれないな……」 「榊さん、兄弟は?」  わたしは訊いた。〈慎一郎〉という名前からして、長男だろうとは思っていた。 「私が長男で、弟と妹が1人ずついる」  と榊。ワイン・グラスに口をつけた。わたしは、カラフェから、彼のグラスに白ワインを注いだ。 「父の真珠は、何年かけても、イクラの大きさより大きくは、ならなかった。さすがの父も、真珠を諦《あきら》めるしかないかと迷いはじめた時だった。ある話が、父の耳に入ったんだ」 「……それは、どんな話?」  榊は、数秒、無言でいた。話す順序を考えているらしかった。ワイン・グラスをじっと見ていた。ゆっくりと、口を開いた。 「広島県から、多くの人間がハワイに移民としてやって来たのは知っているよね」  わたしは、うなずいた。 「父の知人にも、親類がハワイで暮らしている人がいた。木村さんという人だ。親類が、ハワイに移住し、サトウキビ畑の仕事をしているという」  と榊。わたしが注いだ白ワインで、ノドを湿らせた。 「その親類から来た手紙に、こう書かれていたというんだ。いま、ハワイでも、真珠の養殖の研究がされているらしいと、ね」 「……ハワイで、真珠の養殖の研究が?」  わたしは、思わず訊き返していた。榊は、うなずいた。そして言った。 「もともと、パール・ハーバーというじゃないか」  わたしは、フォークとナイフを止めた。 「そうか……」  と、つぶやいた。〈パール・ハーバー〉。訳せば〈真珠湾〉。その周辺にも、〈パール・シティ〉もある。〈パール・リッジ〉という地名もある。わたし達、ハワイに住む人間は、いま、特別な意味も感じずに、そういう地名を口にしている。 「私の父が人づてに聞いた話では、〈パール・ハーバー〉は、文字通り、真珠からつけられた地名だという。その昔、そのあたりでは、天然の真珠がとれたらしいという話だった」 「……へえ……」 「という事は、そのあたりは、真珠を育てるのに適した条件があったらしい。さらに、父は、調べた」  榊は、フォークを止めたまま、話し続ける。 「父が調べた結果、ある事が、わかった。ハワイ大学の水産研究室にいるラッセル教授という人が、真珠養殖の研究をしているという事が、わかったんだ」 「そのラッセル教授は、白人?」 「いや。四分の一、ハワイアンの血が入った白人だ。そのラッセル教授が、研究チームをつくって、真珠養殖の研究をしているという話だった」 「へえ……」 「たぶん、真珠の養殖を、ハワイの産業の一つにしようと考えて、研究していたんだと思う。そこで、私の父は、そのラッセル教授に手紙を書いた。自分の息子を、その研究チームの一員に加えてくれないか、という手紙だった」 「息子っていうと、あなた?」 「……ああ……。そういう事だ。当時の私は、ちょうど、水産大学を卒業したところだったんだ」  榊は言った。 「それで?」 「しばらくして、返事が来た。無給の研究員という事でよければ、来てくれという返事だった」 「……それで、あなたは、ハワイに来たのね?」  榊は、うなずいた。 「希望と不安が半々だったがね……。広島から東京に出て、羽田空港から飛行機に乗ったよ。生まれて初めて、飛行機に乗ったんだ」 「……羽田か……」 「そう。その頃は、まだ、成田空港はなかった」  と榊。かすかに苦笑した。また、フォークを使いはじめた。わたしも、また、ハマグリのフライを食べはじめた。 「で……あなたは、ハワイにやって来た」 「ああ……。家の事情もあるので、2年間という期限つきだったけれどね……」 「それで、こっちに着いての生活は?」 「研究チームがパール・ハーバーで活動していたので、私も、そこまで自転車で行けるパール・シティに部屋を借りた。まあ、狭いアパートメントだったけどね」 「そこから、パール・ハーバーに通った」 「そう。ラッセル教授の研究チームに、加わらせてもらう事が出来た」  榊は言った。 「大変だった? 楽だった?」  わたしは訊いた。榊は、ふと、フォークを止めた。5秒ほど、考えている。 「両方、あったね……。まず、研究そのものは、とても興味深かった。ラッセル教授のやっていた研究は、とても科学的だった。父がやっていたのとは、かなり違っていた」 「じゃ、大変だった事は?」  わたしは訊いた。榊は、フォークにマヒマヒを刺したまま、苦笑した。 「英語だったね」 「そうか……」 「なんせ、水産大学を出たばかりで、ハワイに来たわけだから……」 「日常生活に、困った?」 「まあ……それは、カタコトの英語と身ぶり手ぶりで、なんとかしたけれど……問題は、研究の方だった。毎日のように渡される資料が、読めないんだよ。……これには、困った」  と榊。つぶやくように言った。 「毎日、辞書を片手に、夜中過ぎまで、資料と格闘していたよ。それが1ヵ月も続くと、若いとはいっても、さすがに、ひどく疲れがたまってきた……。昼間でも、目眩《めまい》がしてくるありさまさ」 「……それで?」 「ところが、ある夜の事だ。私の前に、天使が現れたんだよ」 [#改ページ] [#1字下げ]3 その恋は、タイム・リミットつき 「……天使?……」  榊《さかき》は、うなずいた。 「……その頃、私は毎日のように、アパートメントの近くにあるレストランに、夕食をとりに行ってた。……最初は部屋で自炊をしていたんだが、研究の方に手一杯で、自炊する余裕すら、なくなっていたんだ……」 「……そう……」 「まあ、レストランといっても、食堂と呼んだ方がいいような店さ。〈ハーバー・デリ〉という名前でね……。魚のフライとか、ミート・ローフにご飯かパンをつけた夕食が、確か、当時、1ドル50セントから2ドルぐらいで食べられたように記憶している」 「へえ……」 「日本からの仕送りだけで、細々と生活していたから、その〈ハーバー・デリ〉の存在は、ありがたかったよ。私は、しょっちゅうそこで夕食を食べたものだった」  わたしは、うなずいた。5個目のハマグリにナイフを入れた。 「そんなある日の事だ。夕方の6時頃だと思う。私は、〈ハーバー・デリ〉で夕食をとっていた。テーブルに資料を拡げ、英和辞典をめくりながらね。……そこへ、夕食の皿が運ばれてきた。それと同時に、〈お勉強?〉という声が、頭の上で聞こえたんだ」 「日本語?」 「そう、日本語だった。私が顔を上げると、日本人の娘が、料理の皿を持っていた」 「まるで日本人?」 「正確には日系二世の娘だと後からわかったんだが、顔つきは、日本人で、日本語も、ほぼ普通にしゃべれた」 「へえ……。それで、彼女の名前が、クリス・トクナガ?」  わたしは訊《き》いた。このレストランに来て、最初に、榊が、〈探してほしい〉と言った相手の名前だ。榊は、うなずいた。 「そう……。彼女の名前は、クリス・トクナガ。2日前から、その〈ハーバー・デリ〉でアルバイトをしていると言ったよ」 「なるほどね……。で、彼女が、救いの女神に?」 「ああ……。その夜、〈ハーバー・デリ〉はすいていたんで、私は、辞書と首っぴきで資料を読んでいる事情を簡単に話した。そしたら……」 「そしたら?」 「それなら、わたしが訳してあげるわよ、と彼女は簡単に言うんだ。ハワイ育ちの人らしく、大らかに微笑《ほほえ》みながらね」 「それで、訳してもらったの?」 「うん……。店が終わるのが9時だから、その頃、店の前まで来てくれと、彼女が言ったよ」 「もちろん、あなたは行った」 「もちろんさ。一度、自分の部屋に帰って、9時頃に出なおして行ったよ。9時きっかりに、彼女は店を出てきた」  わたしは、うなずいた。最後のハマグリにフォークを入れる。口に運んだ。ワインを、ひとくち。 「私と彼女は、近くにあるコーヒー・ショップに行った。そこで、彼女は、私が持っていた資料を、すらすらと訳してくれたよ」  と榊。彼も、マヒマヒの最後のひと切れを、口に入れようとした。そのフォークから、マヒマヒのフライが落ちた。彼は、苦笑い。もう一度、フォークでフライを刺す。口に運んだ。 「私が、辞書をひきながら4、5時間がかりで訳してた資料を、彼女、クリスは、ものの4、5分で訳してしまったよ。まあ……英語ができる人にとっては、当然だろうけどね」  わたしは、うなずいた。 「彼女が資料を訳してくれた後、私達は、あらためて自己紹介をしたよ」 「クリスは、何歳だったの?」 「私と知り合った時、18歳だった。当時の私が23歳だから、5歳違いだったな……」  つぶやくように、榊は言った。その時、キャンドル・ナッツの白い花が一輪、はらりと頭上から落ちてきた。青いギンガム・チェックのテーブルクロスに落ちた。 「クリスは……マウイ島から、ひとりで、オアフに出て来ているのだと言ったよ」 「ひとりで?」 「ああ……。彼女は、歌手になる夢を抱いて、マウイ島から、ホノルルのあるオアフに来ていた。そして、ホノルルのすぐ近くのパール・シティに家を借りていると言った」 「歌手か……」  わたしは、つぶやいた。 「そう……。シンガーになりたいんだと、彼女は言った。そのチャンスを、ホノルルでつかみたいという……。私が、どんな曲を唄《うた》うのかと訊くと、これから、聞かせてあげる、と言うのさ」 「聞かせてあげるって……どこで?」 「彼女の部屋さ」  わたしは眼を丸くした。 「部屋で?」 「ああ……。私も、その時は驚いたよ。その日、初めてあった男を、自分の部屋に呼ぶというのだからね……。私がその事を言うと、彼女は笑いながら言ったよ。〈あなたは、まじめで信用できる人だもの〉と……」  榊は言った。わたしは、 「なるほどね……」  と、つぶやいた。いまの彼を見ていれば、23歳の彼も想像できる。たぶん、一見してまじめで誠実だとわかる若者だったのだろう。それに、 「もしかしたら、彼女、クリスは、はじめから、あなたを気に入っていたとか?」  わたしは言った。榊は、ちょっと照れたように微笑《わら》った。 「あるいは、多少、そういう部分もあったかもしれない。お互い、ひとつの夢を持って、このパール・シティに来たという共通点もあったしね」 「……で、あなたは、彼女の家に行ったの?」  榊は、うなずいた。 「しばらくは遠慮していたけど、結局、行ったよ。私のアパートメントから、歩いても5、6分の所にある一軒家だった」 「へえ……一軒家……」 「まあ、とても小さな平屋だったけどね。でも、きれいに片づけられた家だった。その家の窓ぎわで、彼女は、ギターを軽くつまびきながら、唄ってくれたよ……」 「なんの曲?」 「〈ムーン・リバー〉と〈テネシー・ワルツ〉だった。いまでも、彼女の澄んだ声は、よく覚えているよ……」  と榊。その眼が、過ぎ去った遠い日を見ている。木《こ》もれ陽《び》が、フォークやナイフに反射している。 「で……彼女とは?」 「それから、毎日のように、会うようになったよ。私は、6時か6時半頃になると、彼女がアルバイトをやっている〈ハーバー・デリ〉に行った。夕食をとった。私の皿には、いつも、ご飯が大盛りになっていたよ」 「なるほどね……」 「9時になると、私は彼女を店の前まで迎えに行って、ふたりで歩いて、彼女の家へ行った。彼女は、私が持ってきた資料を日本語に訳してくれた」  ロニィが、食事の皿を下げにきた。わたしはコーヒー、榊は紅茶を注文した。榊は、話を再び続ける。 「……資料を訳すのが終わると、彼女が唄うのを聴いた。時には、レコードを聴いたりもした……」 「そうして、恋人になっていった?」  榊は、また照れた表情を浮かべて、かすかにうなずいた。 「……まあ……そうだね……。気がつくと、私達は、恋人同士と呼べる間柄になっていたよ……」 「じゃ……彼女の家に移り住んだの?」 「いや。それは、しなかった。貧しかったとはいえ、私にも、若者らしいプライドがあったから、彼女の家に転がり込む事はしなかった。それに……」  と榊。そこで、言葉を呑《の》み込んだ。  榊は、10秒近く、無言でいただろうか……。やがて、ぽつりと口を開いた。 「それに……私達の恋愛は、期限つきだったからね……」 「そうか……」 「……私は、2年間という期限つきで、ハワイに来ていた。その2年間が過ぎたら、日本に帰らねばならない。そして、父の跡を継がなければならない事が、わかっていた」  ロニィが、コーヒーと紅茶を持ってきた。わたしは、ゆっくりと、コーヒーに砂糖を入れた。ブラックで飲めば、いかにも、男まさりの女探偵に見えるかもしれない。が、そういう趣味はない。スプーン一杯の砂糖を入れた。 「彼女は彼女で、シンガーとして成功する夢を持っていた。いずれは、ニューヨークのカーネギー・ホールで唄う、そんな夢を持っていた」  わたしは、 「なるほど……カーネギー・ホールか……」  と、つぶやいた。その年齢の人にとって、歌手としての最高の舞台は、カーネギー・ホールだったのだろう。 「そんなわけで、私達の恋は、期限つきだった。その事を、お互いにわかっていた。しかし……」  と榊。ゆっくりとした動作で、紅茶に砂糖を入れる……。 「しかし……私達は、やはり、若かったんだな……。タイム・リミットがある事なんて、気にならなかった。その瞬間瞬間を楽しんでいた……。若いってのは、そういう事なのかもしれないな」 「たぶんね……。じゃ、楽しかった?」  わたしは言った。 「……そうだね……。楽しかったよ。休日になれば、ビーチに泳ぎに行ったり、芝生の公園にピクニックに行ったりした。アラ・モアナ……ワイキキ……カピオラニ……」  紅茶をスプーンでかき回しながら、つぶやくように榊は言った。〈|Saffron Finch《サフラン・フインチ》〉と呼ばれている黄色い小鳥が、テーブルの上に降《お》りたった。散らかっているパン屑《くず》をついばみはじめた。 「……やがて、私達にとってのタイム・リミットがやってきた」  榊が言った。 [#改ページ] [#1字下げ]4 ふり向けば、レイバンの男 「あなたが、日本に帰る日がやってきた?」  わたしは言った。榊《さかき》は、ゆっくりと、うなずいた。キャンドル・ナッツの白い花びらが、また一輪、ふわりとテーブルに落ちた。 「……別れは、もちろん、ひどく悲しかった……。けれど、また、近いうちに会えると思っていたんだよ」  榊は、ティーカップを手に言った。 「私がハワイで得た知識や経験は、それだけで充分とは思えなかった。ラッセル教授達の研究も、まだまだ、成功への途上だった。……だから、私は、また、ハワイに来るつもりでいた。父に頼んで、また、ハワイに勉強に来るつもりだった。ところが……」  と榊。そこで、一度、言葉を呑み込んだ。 「ところが……私が日本に帰って1ヵ月後、父が倒れてしまったんだ」 「お父さんが……」 「ああ……。動脈|瘤《りゆう》の破裂だった。倒れて4日後に、息を引きとった……」  静かな口調で、榊は言った。 「私は、父が倒れた日から、会社を切り回さなければならなくなった。弟は、まだ大学生だったしね」 「牡蠣《かき》の養殖の会社?」  と、わたし。榊は、うなずいた。 「まだ25歳かそこいらで、200人の従業員を使わなければならない立場になってしまった。仕事はすでに軌道にのっているというものの、かなり大変だったよ……」  抑《お》さえた口調で、榊は言った。けれど、その〈かなり大変だった〉という言葉の裏には、彼の苦労の重さが感じられた。 「父が死んで1、2年は、殆《ほとん》ど休日もなく仕事をしたよ。なんせ、200人の従業員の生活がかかっているんだからね……」  と榊。紅茶を口に運ぶ。 「その間、ハワイには?」  わたしは訊《き》いた。 「もちろん、ハワイに来るゆとりなんて無かったよ。彼女、クリスに手紙は書いたがね……」 「彼女からの返事は?」 「最初は、私が手紙を書くと、必ず、1ヵ月以内に返事が来たよ。私は、こちらの事情を書いた。彼女からは、お店で唄《うた》うようになったという返事が来たよ」 「お店で……」 「ああ……。ホノルルにあるレストラン・バーで、唄う仕事をはじめたという近況が書いてあった。ギャラは安いけれど、とにかく唄う仕事に就《つ》けたという手紙だった」 「へえ……それで?……」 「そんな手紙のやり取りが、1年、2年と続いたよ……。私の方の事情は、あまり変わっていかなかった。とにかく、牡蠣の養殖の仕事をきちんとやるしかなかった」  と榊。淡々とした口調で話す。 「私がハワイから戻って3年ほどたつと、クリスとの手紙のやり取りも、だんだん、間隔があくようになった。毎月だったのが、2ヵ月おきになり……3ヵ月おきになり……」  わたし達の足もとに、〈|Saffron Finch《サフラン・フインチ》〉が、もう1羽、降《お》りてきた。人に慣れているらしい。わたしがパンの屑《くず》を投げてやると、せっせとついばんでいる。 「……あれは、私がハワイから戻って、そろそろ4年になろうとする頃だった。淋《さび》しい知らせが2つ、ハワイから届いた」 「淋しい?……」 「ああ……。知らせの1つは、ラッセル教授のもとで一緒に研究していた仲間からのものだった。それは、研究プロジェクトが中止になったというものだった。原因は、予算のカットらしかった。もともと、州から出ている予算で運営しているプロジェクトだったからね」 「じゃ……ハワイ州からの予算が、出なくなった……」 「まあ、簡単に言ってしまえば、そういう事だ。州としては、もっと早く成果が出るものと考えていたんだろう。それが、なかなか出ないもので、ついに、予算を打ち切ったらしい」 「じゃ……研究プロジェクトは挫折《ざせつ》?」 「そういう事だな……。残念だが……」  榊は言った。 「それで……もう1つの淋しい知らせって?」 わたしは訊いた。 「彼女が……クリスが、結婚するという知らせだった」  30秒ほど、2人とも無言でいた。 「結婚……」  わたしは、つぶやいた。 「ああ……。ホノルルのレストラン・バーで唄っている時、一人の音楽プロデューサーと知り合ったというんだ。彼は白人で、有能な男だそうだ。クリスは、彼の紹介で、ワン・ランク上のレストランで唄えるようになったという。いずれは、彼のプロデュースで、レコード・デビューする予定らしい」 「へえ……」 「そうして、仕事を一緒にするうちに、クリスと彼は親密になっていった。そして、結婚ということになったらしい」  わたしは、軽くため息をついた。 「……なるほどね……」  榊の表情は、淡々としていた。 「仕方ないと思ったよ。私がまたハワイに来られる日があるのかどうか、それすら見当がつかないんだからね……。思い返してみれば、その時、クリスはすでに25歳になろうとしていた。結婚を考えるのは当然だ」  あい変わらず淡々とした口調で榊は言った。 「私とクリスの過ごした日々は、輝かしいけれど、戻ることのない2年間だった……。いい思い出だったと、私は、自分を納得させたよ」 「で?」 「結婚おめでとう。君の幸せを祈っているよ。そんな手紙を書いて、クリスに出した。それが、私からの最後の手紙だった。きょうに到るまでね……」  榊は言った。わたしは、うなずいた。コーヒーを飲み干した。 「彼女から来た、そういう手紙は、とってあるの?」 「もちろん全部とってある。プルメリア・ホテルの部屋にあるよ」 「じゃ、後の話は、歩きながらしましょうか。どっちみち、プルメリア・ホテルに行かなきゃならないし」 「わかった……。そうしよう」  レストランの勘定は、榊が払った。23ドル45セント。チップを3ドル置いて、わたし達は、店を出た。昼下がりのクヒオ|通り《アベニユー》。あい変わらず、陽射《ひざ》しは明るい。わたしは、さりげなく、あたりを見回した。  いた。  尾行してきた日本人だ。歩道の端に、新聞の自動販売機がある。〈ホノルル・アドバタイザー紙〉の販売機だ。男は、ウエストぐらいの高さの自動販売機に、もたれて立っている。たぶん、そこで買ったと思われる新聞を拡げていた。拡げた新聞の向こうから、わたし達をチラチラと見ていた。  わたしは、知らん顔で歩いていく。男の尾行に気づかないふりをして、榊と歩いていく。  男のすぐ近くを通った。男は、レイバンのサングラスをかけていた。昔からあるナス型のレイバン。いまでは、あまり、かけている人間のいない型だ。レイバンの色は、定番のダーク・グリーン。男の表情は、わからない。足もとに、煙草《たばこ》の吸いがらが、いくつも落ちている。わたし達がレストランで食事をしている間、ここでずっと張っていたらしい。  ご苦労なことだ……。わたしは、胸の中でつぶやいた。同時に、警戒心を強めていた。これだけしつこく尾行や張り込みをするには、それなりの理由があるはずだ。油断は出来ない。わたしと榊は、男の近くを通り過ぎた。  榊は、ホテルからわたしのオフィスまで、タクシーで来たという。帰りは、わたしの車で、ホテルに戻る事にした。わたしと榊は、わたしのオフィスに向かって歩く。もちろん、レイバンの男も、尾行してくる。ゆっくりと歩きながら、わたしは口を開いた。 「で……クリスの結婚を知った後の榊さんは?」  彼は、しばらく、足もとを見つめて歩いていた。やがて、顔を上げた。 「……私は、決心したよ」 「どんな?……」 「ハワイが私にくれたものを、決して無駄にしてはいけない。それを、役に立てなければいけないと、あらためて心に決めたんだ。……ラッセル教授が与えてくれた、さまざまな研究成果……。そして、私の勉強をささえてくれたクリスの好意……。そんな、ハワイが私に与えてくれたものを、このまま、埋もれさせてはいけないと、あらためて思ったよ」  ひとこと、ひとこと、噛《か》みしめるように、榊は言った。 「……そして、私は、広島で、真珠の養殖にトライしはじめた……」 「本業の牡蠣《かき》の養殖をやりながら?」 「ああ……。幸い、その頃には、弟も大学を出て、私の仕事を手伝いはじめていた。だから、私も、少しずつ、休日を取れるようになっていたんだ」 「弟さんが……」  榊は、うなずいた。 「弟も、私と同じように水産大学を出ている。海や、牡蠣の養殖については、多少の経験がある。以前から、父の仕事を手伝わされていたからね。だから、牡蠣の仕事については、弟も、力になってくれはじめていた」 「なるほど」 「そこで、私は、真珠の養殖をやりはじめたよ」 「お父さんの夢を、引き継ぐため?」 「……というより……その頃、真珠の養殖は、すでに、私自身の夢になっていた」  と榊。 「ハワイでの勉強をいかすため?……」 「……ああ……。それと、私を助けてくれたクリス……。彼女の優しさを、無駄にしないためにも、なんとか、真珠づくりを成功させたいと心に決めたんだ」 「……そう……」  わたしは、つぶやいた。クヒオ|通り《アベニユー》の角を曲がった。さりげなく、見る。レイバンの男は、40メートルほど後ろを尾行してくる。榊は、まるで気づいていないようだ。 「休日、そして、牡蠣の仕事が終わった後の時間を使って、私は、真珠の養殖をやりはじめた」  と話しはじめた。 「……もちろん、最初は失敗の連続だったよ……。でも、私は、諦《あきら》めなかった。寝る時間を削っても、真珠の養殖に没頭していた。われながら、頑張《がんば》ったと思う」  わたし達は、小さな交叉点《こうさてん》にさしかかっていた。歩行者用の信号は赤。〈DONT WALK〉。けれど、榊は、横断歩道を渡っていこうとした。その腕を軽くつかんで、わたしは止めた。 「信号が赤よ」  と言った。赤いマスタングが、わたし達の目の前を、かなりなスピードで走り過ぎた。 「あ……話に気をとられていた」  と榊。苦笑した。すぐに、信号が青に変わった。わたし達は、横断歩道を渡った。また歩道を歩いていく。ローラー・ブレードを履いた金髪の少年が2人、シャーッと音をたて、わたし達を追いこしていく。少年達の金髪が、午後の陽射しに光る。  わたしのオフィスに着いた。建物のわきに、駐車スペースがある。奥から3番目が、わたしの駐車スペースだ。歩いていく。チェロキー・スポーツ。助手席のドアを開けた。 「どうぞ」  榊が、車に乗り込む。わたしは、エンジンをかける。ゆっくりと、通りに出ていく。  グレイの|MAZDA《マツダ》が、路上駐車している。87年型と思えるマツダ。かなり古い4ドア・セダンだ。レイバンの男が、あわてて乗り込むのが見えた。尾行してくるのは、わかっていた。それならそれでいい。相手の車のナンバーが読める。相手の正体がわかる可能性が高い。  わたしは、車をプルメリア・ホテルに向けた。グレイのマツダも、当然、ついてくる。クヒオ通りの手前で、信号ストップ。相手のマツダは、すぐ後ろに近づいてきた。信号ストップなので、すぐ後ろまで来ないのは不自然だ。相手は、たぶん、仕方なく、すぐ後ろについた。  わたしは、ルーム・ミラーで、マツダのナンバーを読んだ。ミラーに左右逆に映るナンバーを読む。その訓練は、警官だった頃につんだ。身についている。相手のナンバーは、頭の中にメモをした。信号が青に変わる。わたしは、クヒオを左折した。  2ブロック走って、右折。一方通行の道をいく。マツダはついてくる。やがて、カラカウア大|通り《アベニユー》に出た。この大通りは、西から東への一方通行。わたしは、左折のウインカーを出した。  カラカウア|大通り《アベニユー》に出ると、急に人通りが多くなる。同時に、日本人の割合も急にふえる。ピンク色に灼《や》けた日本人の娘《こ》達が、砂浜に敷く中国ゴザを持って歩いていく。水着の上にショートパンツ。そして、厚底のサンダルを履いた娘《こ》もいる。このハワイの陽射しに、厚底サンダルは、あまり似合っているとは言えない。おまけに、厚底サンダルのせいで、猫背になってしまっている。逆に、プロポーションが悪く見える。けれど、本人の自由だ。わたしは、車を走らせる。  プルメリア・ホテルが近づいてきた。カラカウア|大通り《アベニユー》から、わき道に入る。わたしは、ホテルの車寄せの一画に、車を駐《と》めた。おりる。ベル・ボーイのスコットが、笑顔で近づいてきた。 「やあ、麻里《マリー》」  と言った。スコットは、先月までは、同僚だった。 「これ、駐めといて」 「いいとも」  わたしは、スコットに、車のキーをぽんと放った。ふり向く。ホテルに入ってくるわき道。その途中に、尾行してきたマツダが駐まっている。  わたしと榊は、ホテルの玄関に入った。わたしは、顔見知りのスタッフと笑顔をかわしながら、エレベーターに向かう。27階に上がった。2701号室。そこが、榊の部屋だった。デラックス・スウィート。このホテルでも、最高級クラスの部屋だ。入る。広いリビング・ルーム。ビリヤード台なら、3台は楽に置けるだろう。広い窓ガラス。その向こうは、ラナイ。さらに向こうには、ホノルルの海が拡がっている。午後なので、そろそろ逆光になっている。海の色は、青ではなく、淡い金色になっている。観光客達を乗せたカタマラン・ヨットが、シルエットで動いていく。波乗りポイント、〈クイーンズ〉には、波待ちをしているサーファー達の姿が見える。  部屋の中は、ほど良くエアコンが効いている。 「その、クリスからの手紙は、ここに置いてあるの?」  わたしは訊《き》いた。 「ああ……」  と榊。 「けれど……その前に、ぜひ見て欲しいものがあるんだ」  と言った。 「見て欲しいもの?……」 [#改ページ] [#1字下げ]5 たとえ写真は色あせても、あの日は色あせない  榊《さかき》は、となりのベッド・ルームに入っていった。  クロゼットを開けている音が、聞こえた。そして、小さな音。金庫を開けている音が、かすかに聞こえた。このホテルでは、どの部屋にも、金庫がついている。小型テレビぐらいの大きさの金庫が、クロゼットの中についている。  榊が、何かを手に、ベッド・ルームから戻ってきた。大きめの封筒と、平たいケースだった。平たいケースは、雑誌ぐらいの大きさだった。表面には、濃いブルーのビロードが張られていた。  それを、テーブルに置いた。榊は、ビロード張りのケースを、ゆっくりと開いた。  真珠のネックレスが、あった。こういう物にうとい[#「うとい」に傍点]わたしでも、それが、高級なものだとは、一見してわかった。まず、真珠の粒が大きい。一重のネックレスなのだけれど、粒が大きい。正面にくる部分の真珠が一番大きい。そのあたりの真珠は、直径で2センチ近くありそうに見えた。 「一番大きい玉で、直径17ミリ」  わたしの心を見通したように、榊が言った。 「後ろの方の、一番小さな玉でも、12ミリあるよ」  と言った。わたしは、うなずいた。さらにネックレスを眺めた。大きさのつぎに気づいたのは、やはり、光沢だ。かすかにピンクがかったパールの光沢。それが、並の真珠とは、あきらかに違う。ただ光沢があるというのではなく、光沢がしっとりとしている。上品で奥が深い光り方をしている。宝石類などに、あまり興味のないわたしでも、さすがに、そのネックレスにじっと見とれてしまった。 「光沢が……素晴らしいわね……」  つぶやいた。榊は、ゆっくりと、うなずく。 「プロの言葉では、照りがいい[#「照りがいい」に傍点]と言うんだけどね……」 「へえ……」 「これだけの大きさ、照り、そしてキズが少ない真珠は、まず、なかなか無いだろう」 「……これ……あなたが?……」 「……ああ……長年の苦労の末にね……」  榊は、つぶやくように言った。 「そう……養殖に成功したのね……」  と、わたし。榊は、4、5秒、無言でいた。そして、 「まあ……一種の成功とは言えるかな……」  と言った。 「……一種の?……」  わたしは訊《き》き返した。榊は、うなずく。スーツの上着を脱ぐ。かたわらのソファに置いた。 「……さまざまな苦労と、試行錯誤の結果、私の養殖所でも、真珠と呼んでもいいものがつくれるようになった……。中には、とても照りがいい真珠もできるようになった。時には、養殖とは思えないような大きな真珠も、とれるようになった」  と榊。目の前のネックレスを見た。 「普通、日本で養殖される真珠では、直径12ミリぐらいが最大とされていた。けれど、私の所では、こんなに大きい真珠ができた。しかも、大きいだけではなく、巻き[#「巻き」に傍点]がしっかりした、つまり光沢のいい玉がつくれる……」  そこで、榊は言葉を切った。 「……だが、問題点もあるんだ」 「問題点?……」  と、わたし。榊は、かすかに苦笑した。 「……うちの真珠は、気まぐれなんだ」 「気まぐれ?……」  榊は、微苦笑したまま、うなずいた。 「そう……。気まぐれとしか言いようがないんだ……。たとえば、このネックレスに使っているような、養殖の常識をこえたような真珠がとれる事がある。ところが、同時に開いた貝からは、とても製品として世の中に出せないような不出来な真珠ばかりが出てきてしまったりする……」 「へえ……」 「100個、200個と、屑《くず》みたいな真珠がとれた後、1個だけ、とんでもなく見事な玉がとれる……まあ、たとえて言えば、そんな感じだな……」 「その原因は?」 「……それがわかれば、苦労はしないんだが……」  と榊。はっきりと苦笑した。 「私のやり方に、原因があるのかもしれない。もしかしたら、瀬戸内海という環境に原因があるのかもしれない。……とにかく、いまのところ、理由は、わからない。いろいろとデータをとって調べてはいるんだがね……」  榊は、部屋のすみにあるミニ・バーに行った。冷蔵庫を開けた。 「何か飲むかい?」 「じゃ、ジンジャエールをお願い」  わたしは言った。榊は、ジンジャエールを2瓶、持ってきた。わたし達は、それに口をつけた。ノドを、うるおす。 「とにかく、そんな状態ではあるけれど、年に何個か、すごくいい真珠がとれるのは事実なんだ」 「でも……年に何個じゃ、会社としてやっていくのは大変じゃないの?」 「ああ……そうだ。さっき、〈榊真珠〉という名刺を渡したけど、会社としては、とても黒字になっていない」 「じゃ……」 「まあ、経済的には、いまだに、牡蠣《かき》の方で食ってるんだよ」 「それじゃ、同時に、牡蠣の養殖も?」 「もちろん。そっちの社長はずっと続けている。業績は好調だ。私の収入の殆《ほとん》どは、いや全部が、そっちからだね」  と榊。 「じゃ……真珠は、世の中に出していないの?」 「いや……。数はひどく少ないが、自信のある物は、世の中に出している。ただし、値段もそれなりに高いんで、ごく限られた宝飾店にあるだけだけどね。なかなか売れないな」 「そうか……」 「しかし、〈榊の真珠〉といえば、一部の人間には知られている。少量生産の、超高級品としてね。あのティファニーからも、話がきたんだよ」 「ティファニーから……」 「そう。いまから4年前の事だ。わざわざアメリカから、トップクラスの人間が視察と商談にやってきた」 「それで?」 「真珠の良さは彼等も認めたようだ。けれど、生産量が少な過ぎるという事で、話は、いまのところペンディングになっている。うちの場合、少量生産というより、微量生産と言った方が正しいからね」  と榊。苦笑。ジンジャエールを、くいと飲んだ。 「で……このネックレスは?」  わたしは訊いた。榊は、わたしをまっすぐに見た。 「君も、おおかた見当はついているだろうが、もしクリスが見つかったら、彼女に贈りたい」 「プレゼント?」 「そうだ。これまでのところ、私がつくった最高の真珠だ。これを、彼女にプレゼントしたい」  わたしは、榊の眼をじっと見ていた。 「32年前の恩返し?」  榊も、わたしの眼を見る。かすかに、うなずいた。 「ああ……。そういう事だ……。そして、あの頃、資料すらまともに読めなかった若造が、ここまでの真珠をつくれるようになった……その事を彼女に知ってもらいたい……そういう気持ちもある」  と榊。 「私も、もう若くはない。これをクリスに贈る事で、ひと区切りをつけたいと思うんだ。もちろん、真珠はまだ、つくり続けるがね……」  と言った。わたしは、彼の眼を、10秒ほど見ていた。そして、うなずいた。 「……わかった。なんとか、クリスを捜してみるわ」 「よろしく頼むよ」 「とにかく、やってみるわ。……それにしても、このネックレス、かなり高価なものでしょう?」 「……このぐらいのものになると、正確な値段がつけづらいものだが……まあ、宝飾店に置けば、相当な値段がつくだろうね」  榊は言った。 「そうなると、この、部屋の金庫に置いておくのは、あまり良くないわね。わたしは、先月まで、このホテルで働いていたから、あまり、こういう事は言いたくないんだけど……部屋の金庫は、完璧《かんぺき》に安全というわけじゃないの。なんせ、千人をこえる従業員がいるわけだから……」  わたしは言った。彼は、うなずいた。 「私も、そうだろうとは思っていたよ。だから、これは君に預けようと考えていたんだ。安全に保管してくれるかな?」  わたしは、うなずいた。 「銀行の貸し金庫を借りてあるわ。クリスが見つかるまで、そこに入れておけば安全ね」  と言った。探偵事務所を開く準備の1つとして、ハワイ・ナショナル・バンクの貸し金庫を借りておいたのだ。 「わかった。じゃ、これは預けるよ」  と榊。ネックレスのケースを閉じた。 「で、そっちは手紙?」  わたしは、封筒の方を指さした。 「ああ。この中に、クリスからの手紙が全部入っている。彼女の行方を捜す手がかりになるかもしれない。これも、君に預けるよ」  と榊。わたしは、うなずいた。そして、 「クリスの写真は、ないの?」 「ある。昔のものでよかったら」  わたしは、また、うなずいた。 「ないよりはましよ。役に立つかもしれないわ」 「……わかった……」  と榊。ベッド・ルームに行った。ノートのようなものを持ってきた。ノートではなく、アルバムらしかった。薄いアルバムだった。榊は、それを大切そうに開いた。写真が3枚、貼《は》られていた。3枚とも、カラー写真だった。かなり褪色《たいしよく》している。 「写真は、これしかないんだ」  と榊。わたしは、それをのぞき込んだ。褪色しているけれど、写っている人の顔は、はっきりとわかる。  1枚目の写真。若い日系人の娘が写っている。クリスだろう。上半身が写っている。どこかの砂浜で撮《と》ったものだ。 「アラ・モアナ・ビーチだよ。9月の末の日曜だ。泳ぎに行ったんだけど、この写真を撮った後、雨に降られたよ」  と榊。まるで先月撮った写真だという感じの口調で言った。  クリスは、なかなか可愛《かわい》い娘だった。肩までかかるストレートな髪は、真ん中で分けている。カメラをまっすぐに見ている。額《ひたい》が広め。頭の良さそうな顔だ。白い歯を見せて微笑《ほほえ》んでいる。その表情から、活発で明るい性格が感じられた。  クリスは、Tシャツを着ている。絞り染めのような模様のTシャツだった。そうか。32年前といえば、60年代の終わり頃だ。まだ、ヴェトナム戦争は終わっていない。ヒッピーと呼ばれる連中と、そのファッションが、流行した時代だ。こういう模様のシャツは、その頃のファッションとして、何かの映像で見た事がある。クリスも、ただ流行のファッションとして、着ていたのだろう。ヴェトナム戦争。ヒッピー。……遠い日だ。  2枚目の写真も、クリスだけが写っている。どこか、芝生の上だ。ぼやけている背景を見て、 「カピオラニ公園?」 と、わたしは訊《き》いた。榊は、うなずいた。 「ハロウィンの3日前だ」  と言った。広い公園の芝生の上。クリスは座っている。黄色いTシャツ、カットオフ・ジーンズというスタイルだ。ピクニックをやっているらしい。片手に、サンドウィッチのようなものを持っている。もう片方の手に、何か、飲みものの瓶を持っている。どうやらコークらしい。この写真でも、クリスは明るい笑顔を見せている。  そして、3枚目の写真。これは、同じ日にカピオラニ公園で撮ったものだろう。クリスと、若い日の榊が並んで写っていた。誰かにシャッターを切ってもらったんだろう。  榊は、白いTシャツ姿だ。短かめの髪は、きちんと七三に分けている。かなり陽灼《ひや》けしている。まだ、眼鏡はかけていない。23歳の頃の写真でも、やはり、面影がある。まじめ。几帳面《きちようめん》。そんな性格が、表情に出ている。  ふたりは、ちょっと眩《まぶ》しそうな表情で、カメラを見ている。陽射しが眩しかったようだ。並んで立っている。その肩と肩が、かすかに触れ合っている。32年前のふたり……。わたしは、若い日のクリス・トクナガの顔を、心の中のファイルに焼きつけた。 「わかったわ。もう、これはオーケイ」  と言った。アルバムを閉じた。榊に返した。 「それじゃ、さっそく、クリスを探しはじめるわ」  わたしは言った。 「どのぐらいの日数が、かかるかな……」 「それは、やってみないと全くわからないわ。1日2日で、簡単に見つかるかもしれないし、何日もかかるかもしれない……。あなたのハワイ滞在予定は?」 「いちおう、2週間。この部屋も、2週間はとってある」  わたしは、うなずいた。 「その2週間の間に、クリスが見つかるとは、保証できないわ。でも、ベストをつくすけどね」  微笑みながら、榊に言った。 「本当に、よろしく頼むよ」  と榊。 「そういえば、その……費用は、いくらぐらい払えばいいのかな……」 「それは……わたしにも、まだ、わからないの。なんせ、きょう、探偵事務所を開いたばかりだから……」  かすかに苦笑して、わたしは言った。 「でも、いちおうの相場みたいなものは、あるんだろう?」 「ええと……警官をやっていた頃、ある事件で関係した私立探偵は、1日250ドル、プラス経費と言っていたわね……」 「オーケイ。じゃ、それでいこう」  と榊。上着の内ポケットから、トラベラーズ・チェックを出した。何枚かにサインをした。 「とりあえず、3日分の750ドルを先払いしておくよ。経費の方は、かかるたびに請求してくれ」  と言った。トラベラーズ・チェックを、さし出した。わたしは、受け取った。立ち上がる。 「じゃ、これは、責任を持って預かるわ」  わたしは、真珠のネックレスと、手紙の入った封筒を、持った。 「途中経過は、しょっちゅう報告するから」  と言いながら、ドアの方に歩きかけた。そして、立ち止まった。榊の方にふり向いた。 「そう言えば、榊さん、視力に障害がない?」  と訊いた。 [#改ページ] [#1字下げ]6 彼は、探偵に向いてない  彼は、5秒ほど無言。わたしを見ていた。やがて、口を開いた。平静な口調だった。 「さすがに、勘が鋭いな……。別に隠しておく必要のある事じゃないんだが、確かに、私の視力は、かなり悪くなっているよ」  わたしは、小さくうなずいた。だいぶ前から、気づいていた。  レストランでの昼食。榊は、マヒマヒのフライをひと切れ、食べようとして、皿に落とした。フォークから落とした。フォークでの刺し方が、まずかったのだ。さらに、皿についている模様を、つけ合わせの野菜と勘ちがいしたのか、フォークの先で突《つつ》いたのを一度見た。そして、わたしのオフィスへ戻る途中、信号が赤だったのに、横断歩道を渡ろうとした。 「真珠の養殖ってのは、すごく眼を疲れさせるものなんだ」  榊は言った。 「貝に核を入れる段階からはじまって、とれた真珠を調べるまで、とにかく、顕微鏡やルーペをのぞき続ける事になる……。何時間も、何日も、何ヵ月もね……。それを30年近く、続けてきた……。だから、私の網膜や視神経は、かなりダメージをうけてきた。特に左眼がね。殆《ほとん》どポンコツだ」  と榊。自分の左眼を指さして言った。 「治療や手術で治らないの?」 「まあ、手術する事は出来るんだが、いまは様子を見ている。とりあえず、右眼があるし、日常生活には、さしつかえないからね」  榊は言った。 「そう……。でも、気をつけてね」 「ありがとう。気をつけるよ」  と榊。わたしは、うなずく。彼の部屋を出た。  ご苦労な事で……。わたしは、胸の中で、つぶやいていた。  プルメリア・ホテルを出た。車のキーを返してもらった。駐《と》めてある自分のチェロキーに歩いていく。歩きながら、ホテルへ入ってくるわき道を見た。尾行してきたマツダが、駐まっていた。レイバンの男が、いた。くわえ煙草《たばこ》で、こっちを見ている。昔の型のレイバン。くわえ煙草。それでも、本人は、かっこいいつもりなんだろう。  わたしは、ちょっと苦笑。チェロキーのドアを開けた。ネックレスの入ったケースと、手紙の入った封筒を、助手席に置いた。エンジンをかけた。ギアを入れる。走り出す。マツダのわきを、ゆっくりと走り過ぎる。やつは、車をUターンさせる。あくまで尾行してくるつもりらしい。オーケイ。それならそれでいい。わたしは、右のウインカーを出す。カラカウア|大通り《アベニユー》に走り出る。  8分後。  わたしの車は、自分のオフィスの駐車スペースに入っていった。ルーム・ミラーを見る。尾行してきたマツダが、走り過ぎるのがミラーに映った。車をおりる。通りに出てみる。マツダは、見えない。レイバン男の姿も、なかった。きょうの尾行は終了という事らしい。  わたしは、車から、ネックレスと手紙の入った封筒を出す。それを持って、自分のオフィスに戻った。  部屋の中は、少し、むっとしていた。デスクの上に、ネックレスと封筒を置いた。ラナイ側のガラス扉を開ける。外の空気を入れた。ラナイに出た。  見おろす中庭。至忠《ツーツオン》じいさんが、太極拳《たいきよくけん》のレッスンをやっていた。遅い午後の陽射《ひざ》しがあふれる中庭。至《ツー》じいさんと、10人ほどの生徒が、太極拳の型をやっていた。ゆっくりと、体を動かしていた。至《ツー》じいさんは、カンフー映画に出てくるような丸襟《まるえり》の服を着ている。生徒達は、バラバラだ。Tシャツ、ショートパンツの生徒もいる。トレーニング・ウェアの生徒もいる。生徒達の人種や年齢も、バラバラだった。太った白人のおばさんもいる。若い東洋人の男もいる。中学《ジユニア・ハイ》に通ってる年齢の、ハワイアンの男の子もいる。  太極拳の型が、一段落した。至《ツー》じいさんは、2階のラナイにいるわたしに気づく。微笑し、礼儀正しくおじぎをした。わたしは、じいさんに笑顔で軽く手を振った。  部屋に戻る。もう、むっとする熱気は抜けていた。わたしは、仕事をはじめた。  まず、封筒から、クリスの手紙を出した。30通ほどある。手紙は、どうやら、来た順番になっていた。その几帳面《きちようめん》さが、榊らしかった。  わたしは、最後に来た手紙を手にとった。淡いブルーの封筒。開ける。封筒とお揃《そろ》いの便箋《びんせん》。5枚。横書きの日本語が並んでいた。きちんとした文字だった。ただし、漢字が少ない。いかにも日系人の娘《こ》の手紙だった。  読む。  内容は、榊が言っていた通りだった。店で唄《うた》っている時、白人のプロデューサーと知り合った。5ヵ月ほど前の事だ。プロデューサーは白人。名前はトムという。彼の紹介で、新しい店で唄えるようになった。いずれ、彼のプロデュースで、レコード・デビューする事になると思う。  そして、1行あき。〈正直に書きます〉という書きだし。彼女とトムは、来年、結婚する事になった。そう書かれていた。手紙の最後。〈あなたのことは、けして忘れません〉で結ばれていた。そして、〈|With《ウイズ・》 |Love《ラヴ》〉……。わたしは、その手紙を、じっと見た。  淡々とした文章だった。それはそれとして、結婚相手の事が、ただ、〈トム〉としか書かれていない。ファミリー・ネーム、日本語で言う苗字《みようじ》が、書かれていない。〈トム〉は、ハワイだけで何千人もいるだろう。なんの手がかりにもならない。  わたしは、それ以前の手紙も開けてみた。その前の手紙は、約3ヵ月前。ここには、〈トム〉は登場していない。さらに前の手紙は、6ヵ月前。クリスが、トムと出会う前だ。いちおう、文面をさっと読んだ。やはり、トムは出てこない。  トムのファミリー・ネームは、わからない。という事は、結婚後のクリスの名前がわからないという事になる。  最初から、つまずいた。  けれど、わたしは、ハワイ州の電話帳を手にとった。個人名の電話帳を手にとった。〈クリス・トクナガ〉で調べはじめた。クリスが、離婚した可能性は、ある。相手のトムが亡くなった場合も考えられる。クリスが元の名前に戻っている場合を考えて、電話帳をめくる。  けれど、〈クリス・トクナガ〉は、見つからなかった。わたしは、電話帳を閉じた。この電話帳に名前を載《の》せる載せないは、自由だ。電話帳に名前がないからといって、その人間が存在しないとは限らないのだ。  わたしは、軽くため息……。まあ、最初は、こんなものだろう。  電話帳をめくって、一発で捜す相手が見つかったら、逆に運が良すぎるというものだ。  わたしは、時計を見た。そろそろ、バリーが、市警に戻る頃だろう。わたしは、電話をとった。ホノルル市警。Jセクションの直通番号をプッシュした。コール3回。女性警官が出た。 「バリー・オオタ、いますか?」  わたしは言った。バリー・オオタは、わたしがホノルル市警の女性警官だった頃の仲間だ。日系人なので、日本人相手の犯罪を扱うJセクションに配属されていた。わたしより2歳年上だった。いま、31歳ぐらい。すでに、子供が3人いる。ハワイでも、最近は、子育てにお金がかかる。バリー・オオタも、楽ではないようだ。いままで、わたしは、何回か、バリーにアルバイトを紹介した事がある。CMの撮影現場の警備などだ。警官の多くが、そんな類《たぐい》のバイトをやっている。 「やあ、麻里《マリー》か」  受話器から、よく響く声が聞こえた。 「バリー。調べて欲しい事があるんだけど」  わたしは言った。きょう、ずっと尾行していたレイバン男。やつの車のナンバーを伝えた。電話の向こうで、メモしている気配。 「これの持ち主を調べて欲しいの。30ドル出すわ」  3秒ほどして、 「わかった……。明日でいいか?」 「いいわ。わかりしだい、オフィスか携帯電話《セルラー》に連絡をちょうだい」 「了解」  話は簡単に終わった。バリーは、警察のデスクで電話をうけている。当然、受け答えには、周囲に気を遣《つか》う。コンピューターで車の持ち主を洗い出すのも、たぶん、人が少なくなった夜にやるはずだ。だから、明日になるという事だろう。  もう、夕方近い。市のオフィスも、州のオフィスも、もう、閉まっている。きょう、出来る事は、これまでだ。仕事終了。わたしは、心の中で、〈OPEN〉だったプレートを、〈CLOSED〉にひっくり返した。オフィスの戸締まりをした。真珠のネックレスと手紙を持った。オフィスを出た。  翌朝。9時20分。  わたしは、〈ハワイ・ナショナル・バンク〉のホノルル支店に行った。真珠のネックレスを、自分の貸し金庫に入れた。  銀行を出る。ホノルルは、今朝も晴れている。サングラスをかける。ホノルル市のオフィスに行った。市役所の住民課。そこで1時間半ほどかけて、クリス・トクナガについて調べた。けれど、収穫はなかった。クリス・トクナガという住民は、ホノルル市に登録されていない。市のオフィスを出たところで、携帯電話《セルラー》が鳴った。ハワイアン・シャツの胸ポケットから、携帯を出す。 「マリー?」  その声は、市警のバリー・オオタだった。 「車の持ち主、わかった?」 「ああ」 「じゃ……会って聞くわ。お礼も渡さなきゃならないし」  わたしは言った。30分後、ダイアモンド・ヘッド下のビーチ・パークで会う事にした。 「待った?」  わたしは、バリーの背中に声をかけた。海を眺めるビーチ・パークの駐車場。ホノルル市警のポリス・カーが駐《と》まっていた。バリーは、ポリス・カーにもたれかかっていた。海を眺めながら、何か、食べている。 「いや、さっき来たところさ」  とバリー。その手には、バーガー・キングのワッパーがあった。どうやら、バリーの昼食らしい。紺の制服は、半袖《はんそで》。その右袖には、黄色い市警のマークが縫《ぬ》いつけられている。胸には、銀色のバッジ。 「そいつを食べちゃってからで、いいわよ」  わたしは、バリーに言った。バリーは、うなずいた。食べかけのワッパーをかじる。わたしは、海を眺めた。きょう、ダイアモンド・ヘッドのポイントは、フラットだった。ごく小さな波しか、立っていない。ビギナーらしいサーファーが3、4人、波待ちをしている。ポリス・カーの窓ガラスは、下げられている。無線が、時々、雑音まじりで聞こえてくる。 「104号車、これから現場に向かいます」 「了解。被害者は、日本人観光客のもよう。状況がわかりしだい、連絡せよ。必要なら救急車を行かせる」  そんな、やり取りが、聞こえる。きょうも、どこかで事件があったらしい。ザーッという雑音まじりの無線……。わたしはふと、警官だった頃を思い出していた。じっと、眼を細める。水平線を見つめる……。やがて、バリーが、ハンバーガーを食べ終わった。紙カップから、ストローで何かを飲んだ。バーガー・キングの紙袋に放り込んだ。バリーは、ポケットから、一枚のメモ用紙を取り出した。 「あのマツダの持ち主だ」  と言った。わたしに渡した。見る。 〈ロイ・サカモト〉という名前。そして、住所が書かれていた。住所は、カイムキ。ワイキキの東にあるエリアだ。カイムキの|六番通り《シツクス・アベニユー》。だいたい、見当がつく。 「ロイ・サカモト……」  つぶやいた。 「元は、あんたと同業者さ」 「同業者?……」 「ああ、私立探偵だった」  とバリー。過去形で言った。 「〈だった〉っていうと?」 「ライセンスを取り消されてるんだ。6年前、書類送検されてる」 「送検っていうと……犯罪を?」 「ああ……。何かの調査中につかんだ情報をネタに、州議会の議員をゆすったんだ。ところが、その議員が告訴した。結果、ロイ・サカモトは有罪。刑務所送りにはならなかったが、書類送検された。同時に、私立探偵のライセンスは、取り消された。……というわけで、警察のコンピューターに、やっこさんの名前も堂々と登録されたってわけさ」  とバリー。苦笑しながら言った。わたしは、うなずいた。あれほど尾行がへたくそでは、どっちみち、私立探偵には向いていない。そう思った。とにかく、 「ありがとう」  わたしは、バリーに言った。ショートパンツのポケットから、30ドルを出した。周囲に人がいないのを確かめる。バリーに渡した。バリーは、微笑して、お金をうけ取った。 「ところで、リンダは元気?」  わたしは訊《き》いた。リンダは、彼の奥さんだ。 「ああ、おかげさんで、元気だ。元気だが……」 「だが?」 「4人目の子供を孕《はら》んでる」 「それは……おめでとうと言っていいのかしら……」  わたしもバリーも、苦笑していた。 「まあ……とにかく、家族は増えるが出費も増えることは確かだな」 「いっそ、さらに1人つくって、バスケのチームでもつくれば?」 「やめてくれよ、マリー。冗談でも、やめてくれ」  とバリー。 「じゃ、とにかく、子づくりにはげむのを、ひかえるのね」  苦笑したまま、わたしは言った。バリーは、うなずく。うなずきながら、 「わかってるんだけどな……夜のテレビ番組がてんで面白くないのがいけないんだ」  と言った。  オフィスに戻る途中、カパフル|通り《アベニユー》の、〈|RAINBOW《レインボー・》 |BENTO《ベントウ》〉に寄った。  プレート・ランチを、テイク・アウトした。チキンの照り焼き。だし巻き玉子。ご飯。しめて、5ドル35セント。プレート・ランチを持って、オフィスに戻った。ガラス扉を開け、外の空気を入れる。プレート・ランチを食べながら、手紙を調べはじめた。クリスから榊に来た手紙だ。  封筒に書かれている、差出し人の住所を調べていく。最初の手紙から16通目までは、パール・シティ。これは、榊と出会った頃に住んでいたという小さな一軒家だろう。17通目から、最後の手紙までは、ホノルル。マノアにあるアパートメントだ。当然、クリスは、移り住んだのだろう。昼食が終わったら、この2つの住所に行ってみよう。わたしは、そう思った。とりあえず、一番頼りになる手がかりだ。  プレート・ランチを食べ終わった。手紙の封筒から、住所をメモ用紙に書き写した。手紙を封筒に戻した。出かけるために、ラナイ側のガラス扉を閉めた。  その時、ドアがノックされた。  わたしは、引出しに入れてあった拳銃《けんじゆう》をつかんだ。それを右手に、ドアの所に歩いていく。ドアの、のぞき穴から見た。水道局の青いツナギを着た男が2人、見えた。わたしは、チェーンをかけたまま、ドアを開けた。 「水道メーターのチェックです」  という声。わたしは、拳銃をヒップ・ポケットにしまいながら、チェーンをはずした。  その瞬間、顔面と体に、すごいショックをうけた。体ごと、はね飛ばされた。相手が、ドアを思い切り蹴《け》ったのだ。一瞬、遠くなる意識のすみで、その事に気づいた。 [#改ページ] [#1字下げ]7 机に噛《か》みつかれた場合  気を失ってはいなかった。  床に、仰向けに倒れていた。気がつくと、首筋に冷たい感触。どうやら、ナイフの刃が、首筋に当てられている。 「へたに動くと、ノドをかっ切るぜ」  声がした。視界に、男の顔が入ってきた。白人の男。30歳ぐらい。長めの金髪が、ちぢれている。エラの張った四角い顔をしていた。首が太い。見覚えがない。 「ゆっくり、起き上がれ。ゆっくりだ。ちょっとでも、おかしなまねをしたら、ノドをかっ切る」  やつが言った。わたしは、ゆっくりと、体を起こした。目眩《めまい》はしない。ひどい怪我《けが》はしていないようだった。ドアにぶつかった左頬《ひだりほお》が、ジンジンと熱い。軽い耳鳴りがしている。右手に持っていた拳銃《けんじゆう》がない。ゆっくりと、首を回す。部屋のすみに、拳銃が転がっていた。ドアに吹っ飛ばされた時、手から飛んだらしい。  わたしは、立つ。軽く、ふらついた。 「いい娘《こ》だ」  と白人の男。わたしの首筋に、ナイフを押し当てたまま言った。わたしは、かすかに首を動かした。もう1人の男が見えた。ハワイアンだった。白人男より若い。頭の両サイドは、刈り上げている。頭頂部は、3、4センチの髪が、天井に向かって直立している。片側の耳に小さなリングのピアスをしている。 「さあ、あっちに行こうか、お嬢ちゃん」  と白人男。わたしの首筋を、ナイフの刃で、軽く叩《たた》いた。デスクの方を指さした。やつは、悪《ワル》ぶった口調を装っている。けれど、完全にリラックスしているわけではない。リラックスしたふりをしている。その言葉の奥に、わずかな緊張が感じられた。はっきりと感じられた。プロ中のプロというわけではない。  逆襲できるかもしれない。わたしは、ダメージをうけているふりをする事にした。少しよろよろと、歩く。白人男の言う通り、デスクの方に行く。 「そこの椅子《いす》に座れ」  と白人男。わたしは、デスクとセットになっている椅子に腰かけた。ずっと、ナイフが首筋につきつけられている。白人男は、わたしのそばに立つ。わたしの首にナイフをつきつけたまま、 「探せ」  と、ハワイアンのピアス男に言った。ピアスのやつは、部屋を見回す。とりあえず、壁ぎわにある書類キャビネットに歩いていった。部屋がそれほど広くないので、小型の書類キャビネットを買って置いてある。ピアスは、書類キャビネットを開ける。3段ずつ、3列。キャビネットを引き出す。もちろん、まだ、何も入っているわけはない。  調べ終わったピアス男は、白人男を見る。〈何もないぜ〉という表情で、首を横に振った。白人男は、わたしの首にナイフを当てたまま、 「デスクの引出しだ」  と言った。ピアス男は、うなずく。こっちにやってきた。デスクの引出しを開けようとした。  この木のデスクは、かなりがっしりとした物だ。ミニッツ|HWY《ハイウエイ》沿いにある〈サルベーション・アーミー〉、つまり救世軍の店で見つけた中古だ。サルベーション・アーミーでは、すべてが安い。このデスクも、いま、わたしが座っている椅子とセットで、47ドルだった。まともな家具屋で新品を買えば、その10倍はするだろう。  ピアス男は、デスクの引出しに、手をかけた。わたしのすぐ前だ。デスクには、引出しが4つ、ついていた。まず、中央に1つ。広く浅い引出し。そして、デスクの右に、3つの引出しがある。  ピアス男は、まず、デスク中央の引出しを開けた。何も入っていない。  デスクの右側の引出し。上の2段が浅い。一番下の引出しは深い。ピアスは、一番上の引出しを引いた。入っているものは、わずかだ。ボールペンが2本。アロエ・クリームのチューブが1本。それだけだ。2段目。同じようなものだ。オアフ島の細かいロード・マップ。ガス・ステーションの割引チケット。それだけだ。 「ちっ」  ピアスは、舌打ちする。2段目の引出しを乱暴に閉めた。一番下の、深目の引出しを開けた。たたんだタオルが2、3枚。サンターン・オイルが1瓶、入っている。 「ちゃんと探せ」  どうやら兄貴分らしい白人男が言った。ピアスは、中にあるタオルを乱暴につかみ出した。床に放る。その奥に手を突っ込んだ。もちろん、何もない。ピアスが、あきらめて、引出しから手を出そうとした瞬間。わたしは、引出しを、思い切り、右足で蹴《け》った。 「ギャッ」  と悲鳴。ピアスの指が、引出しにはさまれたのだ。わたしは、かまわず、右足で引出しを押す。指をはさまれたピアスの悲鳴がつづく。 「こいつ!」  白人男が言った。わたしの首から、ナイフがはなれた。  わたしは、白人男にヒジ打ちをくわせた。すぐわきに立っていた白人男の腹に、ヒジ打ちをくわせた。入った。くぐもったうめき声。やつが体を折る。わたしはもう、椅子から立ち上がっていた。  ピアスは、噛《か》みつかれた引出しから、手を引き抜いていた。右手を左手でつかんで、うめいている。 「……指が……」  うめきながら、言った。指の一、二本は骨折しているかもしれない。知った事じゃない。わたしは、白人男に向きなおった。鳩尾《みぞおち》のあたりを押さえ、体を折っていたやつは、わたしを睨《にら》みつけた。 「くそ! 女だと思って手加減してやりゃ」  と言った。その右手には、まだナイフが握られている。刃渡り20センチぐらいのシー・ナイフだった。やつは、ナイフをかまえる。サッと、横に振ってきた。わたしは、上体をそらす。鼻先を、刃先が走り過ぎた。空振り。その右手を、わたしは両手でつかんだ。  やつの右手首を、両手でつかむ。壁ぎわにあるキャビネットに、やつの手を叩《たた》きつけた。1回、2回、3回。ナイフの刃が、スチール製のキャビネットに当たる。金属音が響く。さらに叩きつける。4回、5回、6回、7回、8回。  やつの手から、ナイフが落ちた。わたしは、そのナイフを蹴《け》った。ナイフは、デスクの下に転がっていく。  わたしは、やつの右手を握ったまま、体を沈める。背負い投げのような技をかけようとした。けれど、うまくかからなかった。わたしとやつは、もつれるように、転んだ。やつの頭が、デスクの角にぶつかった。ガツッと、にぶい音がした。  わたしは、やつの右手をはなす。やつは、デスクにぶつけた頭を振っている。わたしは、立ち上がった。その時、 「動くな」  という声がした。ゆっくりと、そっちを向いた。ピアスが、わたしの拳銃を握っていた。左手で握って、わたしに向けていた。わたしは、呼吸を整えながら、やつを見た。 「左手で撃って、当たるかしら……」  わたしは言ってやった。右ききの人間が、左手で撃てば、もちろん、当たる率はぐっと下がる。それでなくても、命中率の良くない短い銃身の拳銃だ。 「自分の足を撃たないようにね」  わたしは言ってやった。 「うるせえ」  と、やつ。右手の指を折られて、頭に血がのぼっているらしい。たぶん、右手の指が痛むのだろう。顔に脂汗《あぶらあせ》をかいている。拳銃の銃身が、小刻みに震えている。  たぶん、こいつらの目的は、わたしを殺す事ではない。けれど、こいつは、半ば発作的に引き金をひくかもしれない、と、わたしは感じた。わたしとの距離は、ほんの3メートル。左手撃ちとはいえ、命中しないとは言えない。わたしは、頭をフル回転させる。こいつに引き金をひかせない手を考える。  その時だった。拳銃を握ったやつの左手が、ゆっくりと動きはじめた。ゆっくりと、上にあがっていく。わたしに向けていた銃口が、ゆっくりと、天井の方に向かっていく。まるで、あやつり人形のように……。  はじめは、何が起こったのか、わからなかった。よく見る。やつの左手を、別の手がつかんでいた。やがて、やつの後ろに人がいるのがわかった。ピアスは、わりに体が大きい。その後ろに、かなり小柄な人影……。  やがて、銃口は、上を向いた。ピアスは、体をよじる。やつの後ろにいる小柄な人間の姿が見えた。至忠《ツーツオン》じいさんだった。  至《ツー》じいさんは、両手で、ピアスの左手首をつかんでいる。ピアスは、どうやら、全力で、さからっているようだ。けれど、その銃口は、じりじりと上を向いていく。完全に、天井を向いてしまった。 「このじじい……」  とピアス。後ろをふり向いて言った。その言葉が、苦しそうだ。至じいさんの方は、無表情だ。至じいさんの手が、ピアスの手首を、かすかにひねった。とたん、 「あう……」  と、うめき声。その表情がゆがんでいる。至じいさんの表情は、殆《ほとん》ど変わらない。静かと言ってもいいような表情だった。ピアスの指が開いていく。拳銃《けんじゆう》が、手から離れ、床に落ちた。至じいさんは、やつの左手を離した。自由になったピアスは、 「じじい……」  と叫ぶ。至じいさんに、つかみかかろうとした。  至じいさんの方が早かった。その右手が、ひらめいた。たぶん、格闘技用語で言う裏拳《うらけん》なのだろう。手の甲の側で、相手の頬《ほお》のあたりをなでたように見えた。優雅とも言える動作だった。が、ピアスは、横にふっ飛んだ。体がくるりと一回転。ドアの近くの壁に、顔をぶつけた。すぐに鼻血が噴き出した。 「ずらかれ」  と白人男。やつら2人は、開けっぱなしになっていたドアから、もつれるように外に出ていった。わたしは、やつらを追いかけようとした。拳銃をひろい上げようとして、かがんだ。軽い目眩《めまい》がした。たぶん、ドアにぶつかったせいだ。わたしは、ソファに腰かけた。 「大丈夫ですか?」  と至じいさん。 「なんとか……。助かったわ。ありがとう」  わたしは言った。呼吸を整えた。 「上の方で、ドスドスという音がしたんで、来てみたんです。お役に立ててよかった」  と至じいさん。わたしの顔を見て、 「それにしても、かなり痛そうですね」  と言った。 「やつらの蹴ったドアが、ぶつかったの」  わたしは言った。至じいさんは、うなずく。 「いい薬がある。持ってきましょう」  と言った。部屋を出ていった。  わたしは、拳銃に安全装置《サム・セフテイ》をかける。ヒップ・ポケットに差し込んだ。バス・ルームに行った。このオフィスには、小さいながら、シャワーのついたバス・ルームがある。バス・ルームの鏡に、顔を映す。左頬、頬骨のところが、青アザになっている。特別に驚かなかった。警官だった頃、いや、ジャジャ馬娘だった頃から、青アザとはお友達だ。  わたしは、バス・ルームを出る。電話をとった。ホノルル市警にかけた。元同僚のジェーンが出た。わたしは、事情を簡単に話す。近くを巡回しているポリス・カーと鑑識を回してくれるように言った。住所を、もう一度、正確に言った。電話を切る。至じいさんが、入ってきた。手にマスタードの瓶を持っていた。その瓶の蓋《ふた》を開けた。 「中はマスタードじゃない。自分で調合した薬だよ」  至じいさんは言った。瓶には、半透明の物が入っていた。至じいさんは、それを人さし指ですくい取る。どろりとしたグレイの液体だった。 「打ち身に効く薬です」 「自家製?」  至じいさんは、うなずいた。 「いわゆる漢方薬です」  うなずきながら、至じいさんは言った。指ですくった薬を、わたしの頬にそっと塗りはじめた。ズキッと痛んだ。思わず、顔をしかめた。 「痛いですか?」 「大丈夫」  わたしは言った。本当だった。こういう痛みには慣れている。 「たぶん、1、2時間で効いてきます」  と至じいさん。わたしの頬に、薬を塗っていく。やがて、塗り終わった。立ち上がる。足音がした。開きっぱなしのドアから、警官が2人、入ってきた。若い制服警官だった。知っている顔ではない。わたしは、彼等に、簡単に事情を説明しはじめた。  その時、鑑識のレスターが入ってきた。中年でベテランの男だ。手にプラスチックの道具箱を持っている。 「やあ、麻里《マリー》、ひさしぶりだな」  と言った。その眼が、すでに、部屋の中を見回している。 「デスクの下に、シー・ナイフがあるわ。それと、デスクの引出しから、指紋が採《と》れるかもしれない。あと、この拳銃。指紋が採れそうなのは、それだけね」  わたしは言った。自分の拳銃を、ヒップ・ポケットからつまみ出した。レスターは、うなずく。手にゴム手袋をはめる。デスクの下から、シー・ナイフを、そっと、つかみ出した。 「こいつは、うまくない」  と言った。それを見て、わたしも、うなずいた。シー・ナイフの|握り《グリツプ》は、ゴムだ。その表面が、細かいメッシュのパターンになっている。滑り止めのためだろう。 「このグリップからは、指紋は採れないな。犯人のやつが、お利巧さんで、わざわざこれを使ったか、偶然かは、わからんがね」  とレスター。 「ま、いちおう、ナイフの出どころを調べてみよう」  と言った。ナイフを、ビニール袋に入れた。デスクの引出しから、指紋を採りはじめた。 「じゃ……わしは、これで」  と至じいさん。 「後でお礼に行くわ。もしかしたら、犯人のモンタージュ写真をつくるのに、力を貸してもらうかもしれないし」 「ああ、いいとも」  至じいさんは、微笑《ほほえ》みながら言った。部屋を出ていった。 「3つほど、採れたよ」  レスターが言った。デスクの引出しと、わたしの拳銃から、指紋を採り終わったところだった。レスターは、拳銃を、わたしに返した。わたしは、それを、ヒップ・ポケットに差し込んだ。まだ、軽い耳鳴りがする。わたしは、ポリス・カーで市警に行く事にした。 「よお。麻里《マリー》。探偵稼業も楽じゃないみたいだな」  と警部補のトロイ。わたしの青アザを見て言った。トロイは、女好きで軽口を叩《たた》くのが欠点の男だ。 「どうだ、また、市警に戻ってこないか」  とトロイ。にやにやしながら言った。 「お断りよ」  わたしは言った。トロイに向かって、舌を出してやった。そのまま、市警の廊下をスタスタと歩いていく。Jセクションのオフィスに歩いていく。バリー・オオタがいた。無線を聞いて、市警に戻って来てくれたのかもしれない。 「襲われたんだって?」  とバリー。わたしの青アザを見ている。 「油断してたわ。水道局のユニフォームを着てたから」 「水道局の?」 「そう。本物の水道局のユニフォームか、さもなければ、本物そっくりにつくったツナギ。それを着てたわ。で、水道メーターのチェックだと言ったの」  わたしは言った。 「どう? 最近、その手口を使うやつ、いない?」  とバリーに訊《き》いた。バリーは、腕組みしながら、小さく、うなずいた。 「いない事もない」 「いるの?」 「ああ……。いる」 [#改ページ] [#1字下げ]8 マイケル・ボルトンに似た、ただの能なし  バリーは、デスクをはなれる。一度、奥に入っていった。すぐに、一冊のファイルを持って戻ってきた。 「で、人相は?」  ファイルを開きながら、バリーが訊《き》いた。 「1人は、白人。30歳ぐらい。身長1メートル80センチ前後。体重190ポンド(85キロ)ぐらい。筋肉質で首が太い。金髪。歌手のマイケル・ボルトンみたいに、金髪が長めでちぢれてる」  わたしは言った。 「オーケイ。こいつだな、たぶん」  バリーは言った。開いたファイルのページを、わたしに見せた。わたしは、ゆっくりと、うなずいた。 「こいつよ」  間違いない。わたしは、そのファイルを、じっと見た。ピーター・ホルツ。31歳。前科2犯。元水道局の職員。ホルツという名前からして、ドイツ系だろう。 「元水道局の職員か……」  わたしは、つぶやいた。 「ああ、そうだ。着てたツナギは、たぶん本物だろう。そこに書いてあるように、6年前に水道局をやめてる。その約1年後、カラカウア|大通り《アベニユー》で、引ったくり。能がないな」  とバリー。苦笑した。 「その時は、初犯なので執行猶予がついている。さらに約半年後、水道局のユニフォームを使って、窃盗をはたらいてる。水道の水質検査といつわって、カイルアの屋敷に入り、そこにあったノート型パソコンを盗もうとして、メイドに見つかってる」 「で、ぶち込まれた?……」 「ああ。その時は、1年と2ヵ月、刑務所《モンキー・ハウス》に世話になってる。出所後の住所は、現在のところ不定……。まあ、チンピラだな。体は大きいが、やる事は、せこい」  とバリー。苦笑したまま言った。鑑識のレスターが、こっちに歩いてきた。 「指紋から、割り出したよ」  と言った。1枚のファイル用紙を、わたしに見せた。あのハワイアンのピアス男だった。髪型は変わっている。ファイルの写真では、アフロだ。けれど、間違いない。ジョン・シルバーマン。23歳。前科1犯。1犯は、サンディ・ビーチの駐車場での車泥棒。初犯なので、執行猶予中。 「とっつかまったのは、この件だけだが、まあ、いろいろとやってると思う」  とレスター。わたしは、うなずいた。ピーター・ホルツのファイルと、そのファイル用紙を並べた。 「チンピラ同士が、デュエットを組んだってわけね」  と、つぶやいた。ジョン・シルバーマンの住所をメモした。  帰りは、バリーがポリス・カーで送ってくれた。車は、遅い午後のホノルルを走る。わたしは、助手席の窓にもたれて、考えていた。  さっきのチンピラ2人……。やつらの行動は、あきらかに、物盗《ものと》りだ。しかも、ただの強盗ではない。ある目的の物があって、それを探しに来たのだ。わたしのオフィスにあって……あるいは、あると予想される物で、値うちのある物といえば、榊から預かった真珠のネックレスしかないだろう。  となると、あの、へたくそな尾行をしてきたロイ・サカモト、元私立探偵のロイ・サカモトが関係しているのだろう。  わたしが榊と会って、真珠のネックレスを預かったのが、昨日《きのう》。ロイは、夕方まで、ずっと尾行していた。わたしが、オフィスに戻ってきたところで、やつは尾行を終わりにした。  しかも、わたしが今朝、ネックレスを銀行の貸し金庫に入れたのを、やつは知らないはずだ。となると、わたしのオフィスにネックレスがある可能性が高いと考えるだろう。そこで、チンピラ2人をよこした。そうでなければ、あいつらが来た理由がない。  しかし……。  わからない事が多い。なぜ、ロイ・サカモトが、榊を尾行したのか。なぜ、榊が、高価な真珠のネックレスを持っていると知ったのか。そこが、全く、わからない。これから、ロイ・サカモトを見つけて、締め上げる。真相を吐かせる。その手も、ない事はない。  けれど、きようはやめておこうと、わたしは思った。まだ、ドアにぶつかった左肩が少し痛む。ロイを締め上げるのは、明日にしよう。そう決めた。ポリス・カーが、わたしのオフィスに着いた。わたしは、 「じゃ、ありがとう」 とバリーに礼を言った。 「なんの。力になれる事があったら、いつでも言ってくれ」  とバリー。わたし達は、ハワイ式の握手をした。バリーはポリス・カーに乗り、走り去った。  オフィスのバス・ルームに入る。シャワーを浴びる。乱闘での汗を、洗い流した。  シャワーを出る。新しいTシャツを着る。鏡に、顔を映してみる。あい変わらず、青アザはある。そっと、指で触れてみる。意外に痛みがない。軽く押してみる。あまり痛くない。  このぐらいの打撲傷だと、最低でも、2、3日は、ズキズキと痛むものだ。けれど、痛みは、かなり軽くなっている。少し驚いた。至《ツー》じいさんの薬が、本当に効いたのだろう。わたしは、鏡を眺めていた。そして、思い出した。至じいさんの所へ、お礼に行かなければ。  タオルで髪を拭《ふ》く。後ろで束ねる。口紅だけを、さっとつける。部屋を出る。1階におりた。至じいさんのドアを、ノックした。7、8秒して、ドアが開いた。 「やあ、あなたか……」  至じいさんが、笑顔を見せた。 「まあ、どうぞ」  と言った。わたしを招き入れてくれた。この部屋に入るのは、初めてだった。ガランとした板張りの部屋だった。太極拳《たいきよくけん》の教室をやっているのだから、当然だろう。天気の悪い日は、ここで太極拳を教えているようだ。  部屋のすみ。日本で言う床の間のようなものがある。香炉が置いてある。となりに白っぽい壺《つぼ》があり、黄色い蘭《らん》の花がいけられていた。その後ろには、漢字を書いた掛け軸が下がっていた。  インテリアらしいものといえば、それだけだ。おそろしく、小ざっぱりした部屋だった。清潔で、静かで、気持ちのいい部屋だった。至じいさんは、白いTシャツを着て、グレイのショートパンツをはいていた。カンフー着を身につけるのは、太極拳を教える時だけなのかもしれない。 「打ち身は、どうですか?」  と至さん。わたしは、痛みがやわらいだ事を話した。お礼を言った。 「効きましたか。それはよかった」  と至さん。おだやかに微笑《ほほえ》みながら言った。わたしは、あのチンピラを撃退した、そのお礼も言った。 「あれは、太極拳の技なの?」  と訊《き》いた。至さんは、微笑んだまま、 「まあ、太極拳が基本にはなっていますが、いろいろと改良して、自分なりの技にしてきたものです」  と言った。 「へえ……」 「その……中国武術には、太極拳や少林寺《しようりんじ》などの大きな流派はありますが、そこから枝分かれした、さまざまな流派があるんです。それこそ、星の数ほどね」  と至さん。 「へえ……。じゃ、あの、ブルース・リーなんかの技も?」 「ええ……。ブルース・リーなども、さまざまな流派の技を取り入れて、自分なりの型と技をつくったようですね。もちろん、彼の場合は、かっこ良く映画に写るように、工夫してある部分もありますがね」  おだやかな口調で、至さんは言った。  わたしは、至さんを、あらためて見た。身長は、わたしよりだいぶ低い。160センチないぐらいだろう。体も細い。年齢は、60代の後半というところだろうか。後ろになでつけている髪は、まっ白だ。口ヒゲも、白い。一見、どこにでもいるチャイニーズの老人だ。この小柄な体のどこに、あれほどのパワーが秘められているのだろう。わたしが、その事を言うと、至さんは苦笑した。 「力は、必要な時に、必要なだけ出せればいいんです」  ゆっくりと言った。おだやかな口調で、そう言われると、説得力があった。  その時、ポクポクという小さな音に、わたしは気づいた。何か、いい匂《にお》いもする。部屋のすみに、小さなキッチンがある。そのコンロに、大きめの鍋《なべ》が置かれている。その鍋が、ポクポクと小さな音をたてているのだ。何かを煮ているらしい。 「夕食のしたくです」  わたしの視線に気づいて、至さんが言った。 「あ、そうだ……。あなた、今夜、夕食の予定、ありますか?」  と至さん。わたしは、首を横に振った。 「別に何も……」 「そりゃよかった。どうです、夕食を一緒に食べてくれませんか。実は、太極拳の若い生徒が3人ほど来るというので、煮込みをつくっているんですが、都合が悪くなったと、さっき電話がきて……。まあ、若い連中は気まぐれだ……」  苦笑しながら、至さんは言った。わたしは、大鍋をのぞき込んだ。ニンジン。大根。それに、肉が、半透明なスープの中で煮られている。かなりな量だ。 「わし一人じゃ、こんなには食べられない。どうですか、ぜひ一緒に食べてくれませんか」  至さんは言った。 「もちろん」  わたしは答えた。八角や陳皮《ちんぴ》など、中国の香辛料のいい匂いが漂っていた。 「肉は、豚の足と舌ですが、大丈夫ですか?」 「オーケイよ。わたしは、ダウンタウン育ちだから、そういうものは、なんでも好きよ」  わたしは言った。わたしが生まれ育った家〈サワダ・バー〉のすぐ近くには、オアフ市場《マーケツト》がある。  その辺には中国系の人が多いので、肉は、圧倒的に豚だ。焼いた鴨《カモ》や、豚肉のブロックなどの間に、豚の足や豚の頭などがぶら下がっていた。そんなダウンタウンで育ったので、そういうものには、全く抵抗がない。 「それにしても……」  わたしは、鍋をのぞき込んで、つぶやいた。 「2人で食べるにしても、これは多いわね」 「ええ、多いでしょう。4人分のつもりで、つくってありますから。誰か、お友達でもいませんか?」 「大|喰《ぐ》いのボーイフレンドがいるけど、招《よ》んでいい?」 「もちろん。大歓迎です」  と至さん。わたしは、電話を借りる。タケシの携帯電話にかけた。すぐに出た。 「船長? こちら私立探偵」 「よお」  タケシの太い声が、受話器から響いた。事情を話す。もちろん来るという。わたしは、至さんにふり向く。 「あと、どのぐらいで夕食?」 「そう……あと1時間半も煮ればいいでしょう」  わたしは、また、受話器を耳に当てる。 「1時間半ぐらいしたら来て」 「了解。いま船を洗ってるところだから、一度部屋に帰って、自分の体を洗って、それから行くよ」 「オーケイ。待ってるわ」  たそがれ近い陽射《ひざ》しが、部屋にさし込んでいた。ガラス扉が開け放してある。少し涼しくなってきた微風も入ってくる。いけてある黄色い蘭の花が、かすかに揺れていた。壁にかけてある小さなAMラジオは、ハワイアンの局にチューニングしてあった。いま、|HAPA《ハパ》のギターが静かに流れていた。鍋は、ポクポクと、かすかな音をたてて煮えていた。わたしは、そのいい香りをかぐ。 「これ、なんていう料理?」  と至さんに訊いた。至さんは、菜箸《さいばし》で鍋をかき回しながら、 「中国の煮込みです」  と言った。菜箸を置いた。そばにあるメモ用紙を取る。鉛筆で、〈青江羅白※[#「保/火」、unicode7172]猪手利〉と書いた。わたしには、〈猪〉という漢字が、豚をさす事ぐらいしかわからない。 「なんて読むの?」  至さんは、メモ用紙に書いた漢字を、1文字ずつ鉛筆でさして、 「〈|青江羅白※[#「保/火」、unicode7172]猪手利《チエン・ホン・ロ・バ・ホー・チユー・サオ・レイ》〉と読みます」  と、ゆっくりとした口調で教えてくれた。また、菜箸を握った。至さんの箸さばきは、ゆったりとしていて、しかも無駄がなかった。それは、生徒に教えている太極拳の、身のこなしにも共通していた。 「至さん、どこの出身なの?」  わたしは、至さんと並んで鍋を眺めながら訊いた。 「生まれたのは、中国の山東省《シヤントン》です。けれど……」  と至さん。そこで、一度、言葉を呑《の》み込んだ。 「あの文化大革命で、逃げ出さなくてはならなくなってしまって……」  と言葉をつないだ。あの文化大革命で、国を追われた中国人が多いという話は、わたしも聞いた事がある。 「で……その後は?」 「しかたなく、香港《ホンコン》に移り住みました」 「香港……。家族で?」 「ええ……。妻と、2人の子供を連れてね……」  と至さん。ゆっくりと鍋をかき回しながら、淡々と話す。 「わしの息子にとっては、香港はいい土地だったようです。貿易の仕事をはじめて、成功しました」 「へえ……。じゃ、お金持ちに?」  至さんは、かすかに微笑しながら、うなずいた。 「息子は、ベンツに乗って走り回っています。その下の娘も、香港の実業家と結婚しました。高級なアパートメントに住んで、娘を1人、育てています」 「そう……。ところで、至さん、奥さんは?」  わたしは訊いた。鍋をかき回す至さんの手が、一瞬、止まったように見えた。また、ゆっくりと、同じペースで、手が動いている。 「妻とは、離婚しました」 [#改ページ] [#1字下げ]9 苦尽甘来 「……離婚?……」  わたしは、つい、訊《き》き返していた。至さんは、ほんのかすかに苦笑した。 「中国人に離婚は似合いませんか?」 「……いや、そういうわけじゃないんだけど……。中国の人って、もともと、家族や一族のつながりを、とても大切にするじゃない。だから……」  至さんは、うなずいた。 「確かに、あなたの言う通りでしょう。けれど、例外もあります。白い鶏《とり》もいるけれど、世の中には黒い鶏だっています」  と至さん。淡々と話し続ける。 「あれは、もう、何年前の事になるかな……。わしらの住んでいた香港が、中国に返還される事が決まって、その日が、だんだん近づいてきた……。わしのように、文化大革命で中国を追われたような人間にとって、中国に返還された後の香港では、とても生きていくのが難しいと判断しました。いろいろ考えた末、ハワイに移住することにしました。ハワイなら、中国人も多い。香港でやっていたように、太極拳《たいきよくけん》を教えて、生活の糧《かて》を得る事が出来ると考えたんです。けれど、妻は同意しなかった……」 「香港にとどまる事を選んだ?」  至さんは、うなずいた。 「たとえハワイに移住したとしても、わしは、しがない太極拳の教師です。生活するのがやっとである事は、わかっている。わしは、それでもいいと思ったんです。どんなに質素でも、生活していければ、それでいい。中国政府におべっかを使いながら生きていくより、よほどましだと思った……。ところが……」 「奥さんは、そうは思わなかった……」 「ええ……。太極拳を教えるしか能がない夫などより、息子や娘が援助してくれる裕福な暮らしの方を選んだんです」 「息子さん達が援助を?」 「そうです。わしが香港にいる頃から、実業家の息子や、実業家と結婚した娘が、わし達に、経済的な援助をしてくれようとしていました」 「へえ……」 「しかし……わしは、それを断ってきた。自分が体を動かして、少しでも収入を得られるうちは、子供の世話になりたくなかった……」 「誇り?」  と、わたし。至さんは、菜箸《さいばし》を止め、数秒、無言でいた。宙を眺めていた。 「まあ……たぶん、それに近い気持ちでしょうね……。だから、ハワイに移住しても、なんとか、自力で生活していくつもりだった……。けれど、妻は、同意しなかった。わしと二人のつつましい暮らしより、香港での裕福な暮らしを選んだんです。で、わし達は離婚しました」  と至さん。〈玉子が焼けました〉というぐらいの軽い口調で、〈離婚しました〉と言った。 「じゃ……至さんは、一人でホノルルに?」  わたしは訊いた。至さんは、 「ええ」  とだけ言った。また、ゆっくりと、菜箸を動かしはじめた。  そうなのだ。表向きは観光地であるホノルルは、そんな人間の集まる街でもある。たとえば、中国から……。たとえば、ヴェトナムから……。さまざまな理由で、祖国に別れを告げて、あるいは、別れを告げざるを得なくて、海を渡ってくる人が集まる街……。それもまた、ホノルルの一つの姿なのだ。  わたしは、静かに菜箸を動かしている至さんの姿を、斜め後ろから見ていた。武術をやっているせいか、その背筋は、しゃきっと伸びていた。けれど、その髪は、すでに、まっ白だ。頭頂部は、少し薄くなりかけている。そんな白髪に、たそがれの淡い陽《ひ》が射《さ》している。AMラジオからは、あい変わらず、|HAPA《ハパ》のギターが流れていた。 「どうした? ヘビー級のボクサーにでも殴られたか?」  とタケシ。部屋に入ってくるなり言った。わたしの顔の、青アザを見て、言った。冗談めかした、軽い口調だった。内心は、かなり心配しているのだろう。けれど、あまり心配した顔をすると、わたしの自尊心が傷つく。その事を気遣《きづか》って、あえて、サラリと訊いたのだろう。一人のボーイフレンドと長くつき合う良さは、こういう事かもしれない。 「ボクサーよりごついやつに殴られたのよ」 「なんだ? それ……」 「スチールのドアよ。くわしい事は、ゆっくり話すわ」  わたしは言った。タケシを至《ツー》さんに紹介する。至さんは、礼儀正しく、おじぎをした。タケシは、 「ほんの差し入れです」  と言って、ビニール袋をさし出した。スーパーのビニール袋。タケシは、そこから、ビールの|6缶《シツクス》パックを取り出した。中国製の青島《チンタオ》ビールだった。 「……これは……」  と至さん。青島ビールを、じっと見た。しばらく、何も言わない。それほど、ひさしぶりに見た青島ビールなのだろうか……。タケシに向かい、何回も頭を下げた。  明るさの残る部屋。わたし達は、夕食のしたくをはじめた。至さんは、部屋のクロゼットを開けた。折りたたみ式の簡単なテーブルと椅子《いす》を出してきた。部屋を広く使うため、テーブルや椅子は、みんなクロゼットにしまってあるらしい。たたんであるフトンも、ちらりと見えた。  庭の近くにテーブルを置き、わたし達は、夕食をはじめた。  真夏に向かうこの季節、夜は7時半ぐらいまで陽射しがある。いまも、ヤシの樹ごしの淡い陽射しが、部屋にさし込んでいた。開け放したガラス扉。中庭から、プルメリアの花と、かすかな芝生の匂《にお》いが漂ってくる。AMラジオからは、ピーター・ムーン・バンドの曲が、静かに流れていた。 「うまい……」  豚の舌を、ひとくち食べて、タケシがつぶやいた。わたしも、豚の舌を食べてみる。  長時間煮込んだ豚の舌は、箸《はし》でも切れそうなほど、柔らかくなっていた。至さんがすすめるように、ちょっとマスタードをつけて食べてみる。さっぱりとした塩味のスープで煮込んであるのに、その肉には奥深いコクがあった。わたしも、つい、黙ってしまった。本当に美味《おい》しいものは、人を無口にさせる。わたしとタケシは、豚の舌と豚足を、じっくりと味わっていた。至さんは、コップに青島ビールを注ぐ。ゆっくりと、口に運ぶ。ひとくち、飲む。 「ああ……」  と、声に出した。そして、微笑した。 「ビールを飲むのは、何ヵ月ぶりだろう……」  と至さん。このつつましい暮らしぶりを見れば、想像できた。至さんにとって、ビールは、贅沢品《ぜいたくひん》なのかもしれない。至さんは、ビールの缶を手に取る。じっと、見つめる。白地に、金と緑のデザイン。そして、赤で〈|青島※[#「口+卑」、unicode5564]酒《チンタオ・ビール》〉と描《か》かれた缶を、じっと見つめる……。やがて、顔を上げた。 「この、青島《チンタオ》というのは、わしが生まれ育った山東省《シヤントン》にあるんですよ」  と言った。〈そうか……〉わたしは、胸の中で、つぶやいた。このビールは、至さんにとって、故郷のビールでもあったのだ。 「まだ若かった20代の頃は、よく飲んだものです……」  至さんは、つぶやいた。 「その頃から、太極拳を?」  タケシが訊《き》いた。 「はい。わしの父も、太極拳の師範で、沢山《たくさん》の人に教えていました。あの頃の中国では、武術の師範は、皆から尊敬されていたものです……。わしの家も、使用人を3、4人使っていた大世帯でした……」  と至さん。その眼が、過ぎた日を見ている。至さんの肌や髪には、さすがに年相応のものが感じられる。けれど、その眼だけは、生気に満ちていた。〈不屈〉そんな言葉を連想させる強い光が、その眼にはあった。  至さんは、しみじみとした表情で、青島ビールを飲む。そして、つぶやいた。 「しかし……あの文化大革命で、何もなくなってしまった……」 「ご家族や、生徒さんは?」  とタケシ。 「父は……紅衛兵に逆らって、銃殺されました。母も投獄され、病死しました。父の道場の弟子達も、多くが紅衛兵に殺された」  と至さん。タケシが、 「悪いことを訊いたようですね」  と言った。至さんは、微笑しながら首を横に振った。 「いいんです……。過ぎた事です。それに、幸いにも、わしも、妻も、子供達も、生きのびる事が出来た……」  と言った。至さんは、わたしを見た。 「そんな事より、さっき、あなたを襲った連中について、話してくれませんか」  わたしは、話しはじめた。  ゆっくりと、至さんの煮込みを口に運び、青島ビールを飲みながら、話しはじめた。依頼人の榊の事。彼のこれまでの人生。そして、彼から預かった真珠のネックレス……。それらの出来事を、ひと通り、話した。食べ終わる頃、話し終わった。 「……なるほど……」  と至さん。淹《い》れたお茶を飲みながら、つぶやいた。 「その、榊という方は、いろいろと苦労した末に、そんな、素晴らしい真珠をつくる事に成功したんですね……」  わたしは、うなずいた。 「中国では、そういう事を、ああいう言葉であらわします」  至さんは言った。小さな茶碗《ちやわん》を置く。部屋の壁を、指さした。いけてある黄色い蘭《らん》の上にある掛け軸を指さした。やや小さめの掛け軸。漢字が4文字、墨で書かれていた。 〈苦尽甘来〉  そう書かれていた。日本人のわたしには、なんとなく、その意味がわかった。 「あれは、〈苦尽甘来《クー・チン・カン・ライ》〉と読みます。あなた達は日本人だから、わかるかもしれませんね……。〈苦尽〉、つまり、苦しい事、苦い体験をし尽《つ》くして、〈甘来〉、つまり、良い事がやって来る……。そういう意味なんです」  至さんは言った。花の模様がついた小さな茶碗を片手に、じっと、その言葉を見つめている。中庭から入っている風は、ひんやりと涼しくなっていた。彼方《かなた》に見えるヤシの葉は、もうシルエットになっている。かすかに青みを残した空に、三日月《クレセント》が出ていた。ラジオからは、ピーター・ムーン・バンドの唄《うた》う〈|You Send Me《ユー・センド・ミー》〉が、静かに流れていた。わたしの左手を、そっと、タケシの右手が握っていた。  翌朝8時半。オフィス。 〈出撃〉。わたしは、胸の中でつぶやいていた。拳銃《けんじゆう》をチェックする。弾倉《クリツプ》を抜き出す。一度、弾丸をすべて、デスクの上に出す。銃身のスライド。引き金。チェックしていく。  自動拳銃《オートマチツク》は、作動不良を起こしやすい。チェックをまめにする事は大切だ。死にたくなければ。それに、拳銃の作動チェックをしていると、気持ちが引き締まる。集中力《コンセントレイシヨン》を高めるのに役立つのだ。  弾丸を1つずつ、弾倉にこめていく……。準備オーケイ。わたしは、拳銃の安全装置《サム・セフテイ》をかける。ジーンズの右ヒップ・ポケットに差し込んだ。サングラスをかける。オフィスを出た。  オフィスのわきに、タケシのトーラス・ワゴンが駐《と》めてある。タケシから借りておいた。正確に言うと、きょうは、わたしのチェロキーと交換してもらったのだ。元私立探偵のロイ・サカモト。やつは、わたしの車がチェロキーだと知っている。チェロキーで張り込みをするのは、まずい。  わたしは、トーラスに乗り込む。エンジンをかける。まず、ハワイアンのジョンの家に向かった。ジョン・シルバーマン。昨日《きのう》、わたしのオフィスに来たやつの片方だ。机に噛《か》まれたピアス男だ。  わたしは、鑑識のレスターが割り出してくれた住所に向かった。アラ・モアナの北。ケアモク|通り《ストリート》から、さらにわき道に入ったあたりだ。  きょうも、ホノルルは、よく晴れていた。カー・ラジオをKIKIにチューニングした。約15分走って、目的の住所に着いた。けれど、しばらくは、めざす家が見つからなかった。住所表示が出ていない……。わたしは、道に車を駐める。おりる。歩いて、家を探しはじめた。  5、6分で、見つけた。細いわき道から、さらに引っ込んで、その家はあった。  貧しげな一軒家だった。玄関のわきにある住所表示が、色褪《いろあ》せて消えかけている。小さな木造の家だった。グリーンのペンキが塗られていたらしい。が、もう、殆《ほとん》どが、はげてしまっている。窓ガラスがひび割れている。そこには、内側から、ガムテープが貼《は》られていた。  家のわきには、ブーゲンビレアの茂みがある。ピンクのブーゲンビレアが咲いていた。風景の中で、それだけが、生き生きとしたものだった。家の前は、茶色くなりかけた芝生だ。ヤシの樹が2本ある。そのヤシの樹に、ロープが張ってある。  いま、一人の少女が、洗濯物を干していた。ポリバケツに入っている洗濯物を、ゆっくりとした動作で干していた。ゆっくりというより、だらだらとした動作で、干していた。  少女は、16歳ぐらいだろう。まっとうな家庭の娘《こ》なら、この時間は、ハイスクールにいっているはずだった。痩《や》せた体に、襟ぐりの伸びたTシャツを着ている。膝《ひざ》が破れたジーンズをはいていた。裸足《はだし》だった。  わたしは、眼を細め、その光景を見つめていた。  ここから数百メートルいけば、アラ・モアナ・|S・C《シヨツピング・センター》だ。ラルフ・ローレンのポロシャツを着た日本人観光客達が、プラダやグッチを買いあさっている。いま、わたしの前にいる少女は、一生、グッチの時計を手にはめる事はないだろう。もしかしたら、手錠がその手にかけられる事があっても……。彼女が、顔を上げた。わたしを見た。 「ジョン、いる?」  わたしは訊《き》いた。彼女は、答えず、 「警察?」  と訊いた。わたしは、首を横に振った。 「ただの友達よ」  と言った。彼女は、7、8秒、無言でいた。やがて、 「兄貴なら、もう10日以上、帰ってきてないわ」  と言った。洗濯物に視線を落とす。 「兄貴……何か、やったの?」  と、小声で訊いた。わたしは、また、首を横に振った。 「……何も……」  彼女に背を向け、歩き去った。どこかで犬の鳴き声がしていた。  20分後。わたしは、カイムキにいた。ワイキキの東にある、古い住宅地だ。ワイアラエ|通り《アベニユー》のわき道である|六番通り《シツクス・アベニユー》にいた。  元私立探偵、ロイ・サカモト。その家の斜め前に、トーラスを駐めていた。ロイ・サカモトの家も、木造の一軒家だ。ブルー・グレイに塗られた平屋。さっきのジョンの家ほど、みすぼらしくはない。けれど、どこか、荒れた印象の家だった。  わたしは、腕のダイバーズ・ウォッチを見た。9時47分。携帯電話を取り出す。ロイ・サカモトの電話番号は、調べてある。携帯のキーを押した。コールしはじめる。3回、4回、5回、6回、7回、8回、やっと相手が出た。 「はい」  眠そうな男の声だった。あくびを噛み殺している。 「おはよう、アンディ?」  思いきり明るい声で、わたしは言ってやった。 「間違えだ、馬鹿野郎」  相手が言った。電話を切った。わたしは、携帯電話をナビ・シートに置いた。やつは、家にいる。張り込む事にした。  そして、1時間半待った。何も起こらない。ロイは、出かけない。誰もやって来ない。KIKIが、ニルソンの古い曲を流している。陽射《ひざ》しだけが、ヤシの葉や、〈|たいまつ《トーチ・》|ショウガ《ジンジヤー》〉の花に降り注いでいた。そろそろ、退屈してきていた。けれど、辛抱強く待った。心の中で、至さんに教えてもらった〈苦尽甘来〉という言葉を思い出していた。我慢だ……。  変化があったのは、2時間後だった。 [#改ページ] [#1字下げ]10 かつては、妻がいた……  1台のヴァンが、わたしの車のわきを走り過ぎた。30メートルぐらい先で、駐車した。ブレーキ・ランプが消える。男が2人、おりてきた。  あいつらだった。わたしのオフィスを襲いにきた白人とハワイアンだった。いま、水道局のツナギは着ていない。2人とも、ジーンズ姿だった。ハワイアンのジョンは、右手に包帯をしている。デスクの引出しにはさまれた手に、白い包帯を巻いているのが、チラリと見えた。やつらは、わたしには、まるで気づかない。道路を横切る。ロイの家に歩いていく……。家のわきに回り込む。姿が消えた。  わたしは、車からおりた。ロイの家に歩いていく。ジョン達が消えた家のわきに回っていった。勝手口がある。たぶん、キッチンに入る勝手口なのだろう。ドアは、半開きになっていた。わたしは、ヒップ・ポケットから拳銃《けんじゆう》を引き抜く。安全装置《サム・セフテイ》をはずす。そっと、半開きのドアに近づいていった。中から、話し声が聞こえた。 「お前らがドジなんだ」  という声。さっき、電話に出た男だった。ロイ・サカモトだろう。 「そんな事言ったって、あそこに真珠はなかったぜ」  という声。これは、白人男のピーター・ホルツだ。やはり、〈真珠〉と言っている。やつらの目的は、真珠のネックレスだった……。 「だいたい、あの女、何者なんだ。拳銃持ってたぜ」  とピーター。 「俺《おれ》は、指を骨折しちまった」  という声。これは、ハワイアンのジョンだ。 「それは、お前が、間抜けだからだ」  とロイ。 「いや、あの女は、ど素人《しろうと》の姐《ねえ》ちゃんじゃない。一体、何者なんだ」  とピーター。 「俺にも、わからないんだ。ただ、あの日本人のじじいから、真珠を預かった事しか、わからないんだ」  ロイ・サカモトが、面倒くさそうな声で言った。わたしは、半開きのドアを、軽く、足で蹴《け》る。開けた。拳銃を右手に、入っていった。散らかったキッチン。一番近くに、ピーターがいた。ふり向いた。わたしは、1歩、踏み込んでいた。  暴発しないように、引き金から指をはなす。拳銃を握った右手で、ピーターの横っ面《つら》を殴りつけた。拳銃の握りが、やつの鼻を叩《たた》いた。やつは、後ろによろける。そこにあった椅子《いす》と一緒に、床に尻《しり》もちをついた。わたしは、拳銃をかまえなおす。 「噂《うわさ》話が聞こえたわよ」  と言った。誰も動かなかった。倒れたピーターが、頭を振りながら、上半身を起こした。鼻血が、Tシャツに流れ出している。 「ひさしぶりね、ジョン、ピーター、ロイ」  わたしは言った。3人とも、口を半開きにしている。キッチンのテーブルに、ロイ・サカモトがいた。あのレイバンをかけていないので、だいぶ人相が違う。食べかけらしいコーンフレイクが、テーブルにあった。朝食兼昼食らしかった。やつらは、かたまって動かない。やがて、 「警察か?……」  と、ロイが言った。昨日《きのう》襲った相手が、もう、襲ったやつらの名前を知っている。で、そう思ったようだ。当然かもしれない。 「警察に友達はいっぱいいるわ。あんた達の事も、みんな調べはついてるわ」  ピーターとジョンを見て、わたしは言った。2人の表情が、こわばっている。わたしは、ピーターを見た。 「また刑務所に入りたくなかったら、いますぐ、ここを出ていって、この件から、手を引くのね。もう、この勝負は終わってるわ」  と言った。ピーターは、ゆっくりと立ち上がった。左手で、鼻血をぬぐった。もう、闘志はないようだ。 「……わかった……手を引くよ」  と言った。ゆっくりと、キッチンの出入口に歩いていく。 「あんたもよ、ジョン」  わたしは言った。拳銃を動かして、〈出て行け〉と指図した。かたまっていたジョンは、弾《はじ》かれたように動き出す。ピーターの後について、キッチンから出ていった。すぐに、車のエンジンをかける音が、かすかに聞こえた。車が走り去る音が聞こえた。 「さて」  わたしは、銃口を向けたまま、ロイ・サカモトに言った。  やつは、半袖《はんそで》のポロシャツを着ていた。その胸のあたりには、食べ物で出来たらしいシミがあった。髪は、ボサボサだった。レイバンで隠していた眼には、力がなかった。眼尻が下がっている。せこい性格が、眼に出ている。  キッチンも、ひどいものだった。キッチン全体が、ゴミためのようだった。床には、コーンフレイクや何かのかけらが落ちていた。シンクの中は、汚れた皿や何かで一杯だった。どこからか、食べ物が腐ったような臭《にお》いが、かすかに漂っていた。 「……ここじゃなんだから、居間で話をしないか?」  ロイ・サカモトが言った。 「いいわよ」  わたしは答えた。銃口で、〈お先に〉と示した。ロイは、ゆっくりと立ち上がる。となりの居間に入っていく。グレイのスラックスをはいている。素足にゴムゾウリを履いていた。この家に、ほかの人間がいる気配はしなかった。わたしは、ロイの後から、居間に入っていった。  ごく当たり前の居間だった。  ただ、キッチンと同じで、すさんだ感じがしていた。全体にホコリ臭かった。実際、床にはホコリが、小さな塊《かたまり》になって転がっていた。もう、何週間も掃除をしていないらしかった。  ベージュのソファ・セットがあった。L字型に置かれたソファ。そこに、ロイは、腰かけた。  ソファとソファの角には、小さな丸テーブルがあった。貝を貼《は》り合わせたシェードの、電気スタンドがあった。その下に、写真立てが1つあった。写真立てには、男と女の写真が入っていた。結婚式の記念写真だった。男は、ロイだった。女は、東洋系としか、わからない。この男にも、かつては、妻がいたのかもしれない。  わたしは、数秒、その写真を見ていた。けれど、視界のすみで、ロイの動きをとらえていた。ロイの体が、じりじりと動く……。その右手も、そっと、動いていく……。 「ストップ」  わたしは言った。同時に、ロイにピタリと銃口を向けた。ロイの動きが止まった。 「そっちへ行って」  わたしはロイに言った。ロイは、ソファの端に、ゆっくりと移動した。ロイが腰かけていたソファは、座るところが、3つのクッションに分かれている。わたしは、その、端のクッションに手をかけた。クッションを持ち上げた。  やはり。  自動拳銃《オートマチツク》が、あった。しかも、消音器つきの拳銃だった。いまのロイの動きは、これのためだったらしい。わたしは、その拳銃を手に取った。ドイツ製のワルサー。口径は、NATO仕様の9ミリ。それに、消音器がついている。これは、その昔、007の映画か小説に登場してきたものだった。わたしは、ワルサーを左手で握った。 「素敵な銃ね。これで、わたしに風穴を開けようとしたわけ?」  と言った。ロイは、黙っている。ふてくされた表情。わたしは、左手の人さし指で、安全装置をはずした。むぞうさに、引き金を絞った。左手に、ちょっとしたショック。パスッという発射音。ロイが腰かけているソファの背に、小さな穴があいた。ロイから50センチほど左側だ。ロイの体が、ビクッと動いた。 「あら、失礼。左手で撃つと、弾がどこへ飛ぶか、わからないわよ」  わたしは言った。脅《おど》しだった。わたしは、元警察官だ。左手で射撃する訓練は、充分にうけている。右手を負傷した時と、障害物で体を守るために、左手で撃つ場合にそなえた訓練だ。  ワルサーの銃口を、ロイに向ける。 「さて、話してもらいましょうか? なぜ、真珠の事を知ってるの?」  ロイの眼を見て訊《き》いた。ロイは、わたしと眼を合わせない。そっぽを向く。また、ふてくされた表情。わたしは、引き金を絞った。ソファに腰かけているロイ。その両足の間に命中した。もちろん、狙《ねら》って撃った。ロイの体が、また、ビクッと動いた。その額《ひたい》に、汗がにじみはじめている。 「わ……わかった……。話すよ」 「オーケイ。嘘《うそ》は、なしよ。話して」  わたしは言った。 「……その……情報が入ったんだ。あの、榊っていう男が持ってる真珠のネックレスについて……」 「情報って、どこから?」 「そ……それは、あるルートから」 「あるルートって?」  わたしは訊いた。ロイは、また、口を閉ざした。わたしは、また、引き金を絞った。ロイの肩から、15センチの所に、穴が開いた。 「わ……わかった。しゃべるよ」 「そうよ、あんたは、どっちみち、しゃべるはめになるわ。痛い思いをする前にしゃべる方が利巧よ」  わたしは言った。やつは、うなずいた。 「……税関なんだ……」 「税関?」 「あ、ああ……。ホノルル空港の税関さ。あそこにルートがあって、情報をくれたんだ」 「税関からの?」 「そうだ。榊は、真珠を持って入国する時、税関に申告したんだ。なんせ、あれだけの値うちの物だからな。で、税関にいる俺の知り合いから、情報が来たんだ」  ロイは言った。  わたしは、心の中で、うなずいていた。以前、ホノルル市警にいた時も、同じような事があった。税関の人間が、情報を流したのだ。入国する人間が、高価な貴金属を持ち込む時には、税関に申告する。その情報を、チンピラに横流しした事があったのだ。  しかも、榊は、クリスが見つかったら、真珠のネックレスをプレゼントするつもりで持ち込んでいる。当然、税関には申告しているだろう。いまのロイの話は、真実味があった。脂汗《あぶらあせ》を浮かべているやつの顔を見ながら、わたしは、そう思った。 「なるほど……。で、あんたは、ミスター・榊を尾行した。さらに、真珠を預かったわたしの所へ、チンピラをよこして、ネックレスを奪おうとしたわけね……」  ロイは、無言。わたしも、返事は期待していない。すでに、わかった事だ。 「とにかく、残念だけど、ネックレスはあんたの手には入らないわ。諦《あきら》めるのね」  わたしは言った。立ち上がった。居間から出ていこうとした。ロイが、顔を上げた。 「ちょっと待ってくれよ」 「何?」 「あんたが、どういう事情で、真珠を預かったか知らないが、どうせ、たいした手間賃をもらってるわけじゃないんだろう?」 「そんなの、あんたに関係ない事でしょう」 「いや、さ……。そうだったら、ここはひとつ、考えてみちゃ、どうだい。あの榊って男を裏切って、真珠をいただいちまう手もあるって事。俺は、そういう物を売りさばける人間を知ってるから、手を組むのも悪くないぜ」  わたしは、軽いため息。何も言わず、居間を出ていく。 「利巧になれよ。一生、遊んで暮らせるんだぜ」  背中で、ロイの声が聞こえた。わたしは、知らん顔。キッチンを抜ける。勝手口から、外へ出た。外にあるゴミ缶に、やつの拳銃を放り込む。自分の車に歩いていく。 〈なんだろう……〉  わたしは、ジップ麺《めん》の丼《ボウル》を前に、胸の中でつぶやいていた。カパフル|通り《アベニユー》のジッピーズ。昼過ぎた店の中は、すいていた。わたしは、ジッピーズ特製のサイミン、ジップ麺を食べかけていた。ジップ麺は、特別に美味《おい》しいサイミンではない。けれど、さっぱりした味ではある。軽いランチには悪くない。  わたしは、箸《はし》で、ジップ麺を食べはじめた。そこで、思い返していた。  さっきから、何かが気になるのだ。何か、小さな疑問が、心のすみに引っかかっていた。小骨のように、引っかかっている……。わたしは、箸を持った手を止めた。じっと、窓の外を見た。駐車してあるトヨタに、若い女が乗り込んだ。駐車場を出ていく。  入れかわりのように、1台のベントレーが、駐車場に入ってきた。ロールス・ロイス社のベントレーだ。ロールスと共通する型のフロント・グリルに、午後の陽射《ひざ》しが照り返している。ベントレーは、すーっと、駐車スペースに滑り込む。 〈あの豪華なベントレーに乗って、ジッピーズか……〉  わたしは、かすかに苦笑していた。その時、気づいた。ベントレーの姿を見ているうちに、心の中の疑問に、気づいたのだ。  それは、あのロイの台詞《せりふ》だ。わたしが、やつの居間を立ち去ろうとした時、やつが言った台詞だ。 〈一生、遊んで暮らせるんだぜ〉  やつは、そう言った。確かに、榊のネックレスは、高価なものだろう。たぶん、何百万円……。もしかしたら、1千万円を超すものかもしれない。けれど、〈一生、遊んで暮らせる〉ほどの金額ではない。たとえコーンフレイクを食べ続けたとしても……。  あのロイが言った台詞は、なんの意味を持つものだろう。わたしは、動かしていた箸を止め、頭をめまぐるしく回転させた。 [#改ページ] [#1字下げ]11 ダイアナ・パール  結局、わたしの頭の中では、謎《なぞ》はとけなかった。目の前では、ジップ麺《めん》が、ふやけていた。麺が、スープの中で溺死《できし》していた。ここは、榊本人に事情を訊《き》くしかないだろう。わたしは、食べかけのジップ麺を残して、席を立った。  車に乗り込む。走って、約10分。プルメリア・ホテルに着いた。顔見知りのスタッフに笑顔を見せて、ホテルのロビーに入っていく。館内電話《ハウス・フオン》で、榊の部屋にかけた。榊は、部屋にいた。 「ああ、君か……」 「いま、ホテルのロビーにいるんだけど、ちょっと、折り入って、訊きたい事があって……」 「ああ、いいとも。私も、部屋にいるのも飽《あ》きた。どこか、レストランかバーででも、話をしようか」 「……じゃ……ホテルのプールサイド・バーはどう?」 「いいね。5、6分でおりていく」  電話を切った。わたしは、ロビーから、プールサイドに出ていった。プールサイド・バー。カウンターの中にいるキモが、わたしの青アザを見て、 「どうした、麻里《マリー》。誰かと喧嘩《けんか》でもしたのか?」  と言った。 「ほっといて。それより、|BUD《バド》とピスタチオ、くれない」  わたしは言った。パラソルのあるテーブル席についた。いまは、午後3時過ぎ。プールサイド・バーは、すいていた。テーブル席に、殆《ほとん》ど、客はいない。これなら、他人《ひと》に話を聞かれる心配もないだろう。ウエイトレスのジェニーが、 「ハイ、麻里《マリー》」  と言って、|BUD《バドワイザー》とピスタチオを持ってきてくれた。わたしは、よく冷えたBUDを、ひとくち飲む。榊の姿が見えた。さすがに、スーツ姿ではない。白い半袖《はんそで》のオープン・シャツ。こげ茶のスラックスをはいている。ゆっくりと歩いてくる。わたしの前の椅子《いす》に座った。注文をとりに来たジェニーに、 「私も、ビールをもらおうかな。ハイネケンがいいな」  と言った。ジェニーが、笑顔でうなずいた。榊は、わたしの顔を見る。 「……そのアザは……」  と言った。 「まあ、ゆっくりと事情を話すわ」  わたしは言った。ジェニーが、ハイネケンのボトルとグラスを、榊の前に置いた。榊は、それを飲みはじめた。わたしは、話しはじめた。榊と最初に会った時、すでに尾行されていた事から、はじめた。そして、さっきロイ・サカモトから聞き出した事まで、すべて話した。榊は、さすがに、驚いた表情をしている。 「税関から、情報が……」 「そう。どこにも、ろくでもない人間はいるわ。税関。出入国管理局《イミグレーシヨン》。そして、警察にもね」  わたしは言った。ピスタチオをひと粒、口に放り込んだ。 「……確かに、私は、あのネックレスを、税関に申告した……。しかし、その結果、君にまで危険がおよぶとは……」 「いいのよ、わたしの事は気にしないで。この仕事に、こういう危険はつきものなんだから。警察にいた頃は、もっと危険な目に遭《あ》ってたわ」  わたしは、微笑《ほほえ》みながら言った。 「それより、よかったら話してくれない? あのネックレスには、何か特別な価値があるんじゃないの? 超高級品という以上に……」  わたしは訊いた。その時、榊の表情が変わるのを、わたしは見逃さなかった。あきらかな動揺が走った。  榊は、しばらく、無言でいた。グラスのハイネケンを、ゆっくりと飲んだ。5分ほどした頃だった。やっと、決心がついたようだった。口を開いた。 「最初から、君に話しておくべきだったかもしれない。別に、隠すつもりでいたわけじゃないんだが」  と話しはじめた。 「あのネックレスは、〈ダイアナ・パール〉と呼ばれているんだ」  と言った。 「〈ダイアナ・パール〉?……ダイアナって、あの、事故死したダイアナ妃?」  榊は、うなずいた。 「まあ、順を追って話そう」  彼は、ビールでノドを湿らせた。 「4年ぐらい前、あのティファニーから、商談が持ちかけられた事は、話したよね?」 「聞いたわ」 「その時は、うちの生産量が少な過ぎるという事で、ティファニーとの商談はペンディング、つまり、すえ置きになった。ところが、そのすぐ後、……英国大使館の、高官夫人から連絡があったんだ」 「……英国大使館?……」  榊は、うなずいた。 「日本に駐在している、あるイギリス人高官の夫人からだった。うちの事は、ティファニーの人間から聞いたそうだ。そのぐらいの高官夫人となると、ティファニーと、直接にやり取りがあるんだろうな……。そして、ティファニーとうちの商談は成立しなかったが、〈榊のところには、少しだけれど、とびきりの真珠がある〉という噂《うわさ》が、広まりはじめていたらしい」 「……なるほど……」 「その高官夫人の話は、こうだった。彼女は、結婚後のダイアナ妃と、かなり仲がいいという。そして、ダイアナ妃の誕生日に、何か、プレゼントをしたいと言うんだ」 「誕生日プレゼント……」 「ああ……。その頃のダイアナ妃は、さまざまな問題で、悩まされている時期だったと思う。そこで、その高官夫人は、ダイアナ妃の誕生日に、何か、彼女が喜ぶようなプレゼントをして、元気づけてあげたいという。そして、ティファニーから聞いた〈榊の真珠〉を、プレゼントしたらどうかと思ったらしい」  と榊。また、ハイネケンでノドを湿らせる。 「私としては、嬉《うれ》しい話だから、快い返事をしたよ。そうしたら、その高官夫人は、わざわざ、東京から広島までやって来た」 「へえ……」 「私は、うちで出来た最高のネックレスを、お見せした。それが、あのネックレスさ。そしたら、高官夫人は眼を輝かせ、ぜひ、これをダイアナ妃に贈りたい、売って欲しいと言われた。ところが、私は、〈お売りはしません〉と答えた」 「売らない?」 「そう。売らない。ただし、〈贈らせていただきます。さしあげます〉と言った」  わたしは、じっと、榊を見た。 「私としても、ダイアナ妃は、素晴らしい女性だと思う。美しく、聡明《そうめい》な、ああいう方が、スキャンダルに巻き込まれているのは、お気の毒に思えてしかたなかった。もし、私のつくった真珠で、少しでも喜んでもらえるなら、幸せな事だ」  と榊。 「あの、ダイアナ妃を、私の育てた真珠のネックレスが飾るというのは、とても名誉な事だとも思った。……もともと、私が真珠をつくろうとした目的は、金儲《かねもう》けじゃないからね……」  と言った。 「まあ、結局、その高官夫人も納得してくれて、あのネックレスは、私の手許《てもと》をはなれた。高官夫人を通じて、ダイアナ妃にプレゼントされた。その1ヵ月後に、礼状が来たよ」 「礼状って、誰から?」 「ダイアナ妃からだった。ワープロで打った手紙だったが、最後に、ダイアナ妃のサインがあったよ。ていねいな手紙だった」 「へえ……」 「さらに数ヵ月後、その高官夫人から、一通の封書が送られて来た。開くと、雑誌の切り抜きと、そこに手紙が添えられていた。雑誌は、最近出たイギリスの雑誌だと書かれていた。そこには、ダイアナ妃の写真がアップで大きく載《の》っていた。そして、ダイアナ妃の胸もとには、まぎれもなく、私のつくったネックレスが輝いていた」 「……で、記事の内容は?」 「ダイアナ妃に好意的なものだった。要約すると、こうだ。その前月にモナコで開かれた盛大なパーティーに、ダイアナ妃が出席された。俗っぽいスキャンダルにもめげず、ダイアナ妃は美しい笑顔を見せた。その笑顔は、胸もとに輝く大粒の真珠の輝きとともに、出席した人々の心に刻《きざ》み込まれた……。まあ、そんなところだね。さらに、高官夫人の手紙には、こう書かれていた。あなたの真珠は、〈ダイアナ・パール〉として、一夜で世界的に有名になったようです。よかったですね、と……」  榊は言った。わたしは、うなずいた。わたし達は、同時に、ビールのグラスを口に運んだ。プールでは、兄妹らしい白人のティーンエイジャーが遊んでいた。榊は、ビールのグラスをテーブルに置いた。 「私は、幸せな気持ちになった。だが……それも、長くは続かなかった……」 「……ダイアナ妃の事故死?」 「……ああ……。突然にね……。本当に、突然だった……」  何か、あふれ出る感情を抑《おさ》えるように、榊は言った。プールで遊んでいる子達のたてる水《みず》飛沫《しぶき》が、遅い午後の陽射《ひざ》しをうけて光っていた。 「……しばらくの間、私は、茫然《ぼうぜん》としていた。が……ダイアナ妃の事故死から約半年たった頃、例の高官夫人から、書留の小包みが来た。開けてみると、真珠のネックレスと手紙が入っていた」 「手紙は、なんと?……」 「まず、〈とても辛《つら》い気持ちで、この手紙を書いています〉とあって、こういう内容が続いていた。ダイアナ妃の側近から、伝言とともに、ネックレスが送られてきた。ダイアナ妃は、もし、自分に万が一の事があったら、このプレゼントされたネックレスは、贈ってくれた日本の方にお返しするようにと、側近に頼んであったというんだ」 「へえ……」 「ダイアナ妃が、あの事故を予感していたわけではないだろう。しかし、そう、側近に伝えてあったという。自分がもし仮に死ぬような事があったら、あのネックレスは、王室の博物館にでも納められてしまうかもしれない。けれど、それは、ダイアナ妃の望む事ではない。誰か、あの真珠の輝きにふさわしい女性に、身につけて欲しい。宝石や真珠は、誰かが身につけてこそ、その存在価値があるものだから……。ダイアナ妃は、そう、側近に伝えてあったらしい。そこで、高官夫人は、私のもとへ、ネックレスを送り返してきたという」 「……なるほど……」  わたしは、つぶやいた。あの真珠をこの眼で見ているだけに、納得できる気がした。どんな美しい宝石や真珠も、それにふさわしい人間が身につけてこそ、本当に輝くものだ……。その言葉も、正しいと思えた。  榊が、ぽつりと口を開いた。 「ネックレスが、私の手許に送り返されてきて、3ヵ月ほどした時、一本の電話がかかってきた……。東京の宝石商と名のる男からだった」 「なんて?……」 「例の〈ダイアナ・パール〉を、売ってくれないか、そういう電話だった」 「ふうん……。じゃ、あのネックレスが、榊さんの手許に戻っているという事は、噂になっていたのね……」 「そういう事らしい。そういうものを扱う業界の人間達がいて、その連中には、あのネックレスの行方は、知れていたらしい」 「そうか……。で、その話は断ったのね……」わたしは言った。現に、榊がネックレスを持っているわけだから、そういう事なのだろう。 「もちろん断った。が……それから以後も、そういう話は、何回も来たよ。中には、直接、広島までやって来た大阪の宝石商を名のる男もいたよ」 「直接……」 「ああ。ピカピカに磨いたジャガーに乗って、葉巻をくゆらせながら交渉に来た男がいてね……。その男は、こういう意味の事を言ったよ。私が、ダイアナ・パールを売らないのは、値が上がるのを待ってるんだろう、とね……。もちろん、お引き取り願ったよ。塩をまいてね」  苦笑しながら、榊は言った。 「で……、そういう連中は、あのネックレスに、いくらの値をつけるの?」 「……そう……これまでに来た話で、一番、高額だったのは、3億円だったかな……」  あまり関心がなさそうな口調で、榊は言った。 「3億か……」 「あれを、オークションに出せば、もっと高い値がつくと踏んで、交渉に来たんだろうが……私には、全く、売る気がない」  と榊。わたしは、うなずいた。 「そんな連中の話を断りながらも、私は、別の事を考えていた」 「というと?……」 「ダイアナ妃からの伝言にあった言葉だ。どんな美しい宝石や真珠も、それにふさわしい人間が身につけてこそ輝く……。その言葉さ。そして、あの真珠にふさわしい人を思い出した」 「……クリスね……。32年前の思い出……」  榊は、うなずいた。 「そういう事。勘のいい君なら、それから先の事情は、説明しなくてもわかるよね?」 「ええ。わかるわ……」  わたしは答えた。いま聞いた、劇的な出来事をへて、榊は、ネックレスを手に、ハワイにやって来たという事だろう。 「……それにしても……ちょっとした疑問が残るわね……」  わたしは、つぶやいた。 [#改ページ] [#1字下げ]12 ジャカランダの青い花が咲いていた 「疑問?……」  グラス片手に、榊が訊《き》いた。わたしは、小さく、うなずいた。 「あのネックレスを狙《ねら》おうとした、元私立探偵のロイ・サカモトって男は、どう見ても、小物よ。せいぜい、ちょっとしたゆすりや脅《おど》しをやるぐらいが、お似合いの雑魚《ざこ》だわ。そんなやつの所へ、そんな大きな情報が転がり込むかしら……。たとえ、税関に、知り合いがいたとしても……」 「それもそうだな……。だいいち、もし、あのネックレスを手に入れたとしても、売りさばくのが大変だ。まして盗んだものじゃ、オークションにも出せないし……。ああいう物を、オークションにかけるには、それなりの人間でないと信用されないしね」  榊が言った。そこで、わたしは思い出した。さっき、ロイ・サカモトに白状させた時の事だ。 〈俺《おれ》は、そういう物を売りさばける人間を知ってる〉  と、ロイ・サカモトは言っていた。という事は、小物のロイとつながっている人物がいるという事かもしれない。わたしは、その事を、榊に言った。榊は、うなずいた。 「たぶん、税関の人間だって、そういう物に、ひどく詳《くわ》しいわけじゃないだろう。私は、ただ、ひかえ目に、〈500万円相当の真珠のネックレス〉と、税関に申告した。その真珠のネックレスと、〈榊〉という私の名前から、それが〈ダイアナ・パール〉だと判断するのは、普通の人間には難しい。その手の、つまり、いわくつきの宝石類に詳しい、特殊な業界の人間でないと、その判断はつかないはずだ」 「そうでしょうね……」  と、わたし。 「という事は、ロイ・サカモトを手先として使っている、特殊な宝石商のような人間がいると考えられるわけね?」  と言った。 「その可能性が高いだろうね……」  と榊も言った。ビールを飲んだ。 「いずれにしても、あのネックレスは、安全な所にあるわ。後は、少しでも早く、クリスを探し出す事ね。やってみるわ」 「よろしく頼むよ」  と榊。傾きかけた陽射《ひざ》しが、その白髪を光らせていた。プールで遊んでいた白人の子達は、水から上がっている。デッキ・チェアーで、昼寝をしている。カウンターの中では、キモがグラスを磨いている。バーのスピーカーからは、ハーブ・オオタらしいウクレレの演奏が流れていた。ポロン、ポロンと丸いウクレレの音が、シャボン玉のように、プールサイドを漂っていた。風が、少し涼しくなりはじめていた。  翌朝。10時過ぎ。  わたしは、自分の車を走らせていた。ワイキキからH1にのり、パール・シティに向かっていた。あのクリスから榊にきた手紙。その頃、クリスが住んでいた住所をめざして、車のステアリングを握っていた。きょうのホノルルは、珍しく、快晴ではない。空を、少しグレイがかった雲が動いている。晴れたり曇ったり。かすかに湿度がある。もしかしたら、小雨が降るかもしれない。  わたしは、カー・ラジオを、KRTRにチューニングした。〈ソフト・ロック〉と自称しているステーションだ。主に、バラードを流している。こういう日には、ぴたりだろう。H1を西へ走る。尾行してくる車はいない。  車は、パール・シティに近づいてきた。右車線に移る。10番出口が近づいてくる。右にウインカーを出す。H1の本線から、10番出口に向かう。ゆるい下り坂をおりきると、一般道路だ。  わたしは、一般道におりたところで、一度、路肩に車を駐《と》めた。正確なロード・マップを取り出した。クリスからきた手紙。その差出し人の住所を、もう一度確かめる。ロード・マップで確認。オーケイ。車のギアを入れた。  15分後。着いた。  クリスが住んでいた一軒家。それがあった場所を見つけた。正確に言うと、あったらしい場所だ。  そこは、ま新しいアウトレット・ショップになっていた。コンクリートとガラスで出来たショッピング・センターだ。ささやかな一軒家があった場所には、大きく立派なショップが建っていた。  そのだだっ広い駐車場に、まっ赤なレンタカーが入ってくる。日本人の女の子達が3人、車からおりた。観光客らしい。にぎやかにしゃべりながら、アウトレット・ショップに入っていった。わたしは、眼を細め、その光景を見つめていた。けして、榊には見せたくない光景だった。誰にとっても、思い出は、ハートの中の宝石なのだから……。  自分の車に戻る。エンジンをかけた。ここを調べても、全くの無駄だろう。かつて、ここにあった一軒の貸し家の事など、調べようがないだろう。わたしは、ギアを入れる。H1の入口に、車を向けた。また、アウトレット・ショップに入るらしい日本人のレンタカーとすれ違った。  H1を、東の方向に戻る。  車のフロント・グラスに、雨粒が落ちてきた。細かい雨粒が、フロント・グラスを濡《ぬ》らしはじめた。いわゆる、通り雨《シヤワー》ではない。静かな小雨だ。わたしは、車のワイパーを、スローで動かしはじめた。  やがて、ワイキキの近くまで戻ってきた。24番出口で、H1をおりる。おりた所が、ユニバーシティ|通り《アベニユー》だ。〈ユニバーシティ通り〉は、文字通り、ハワイ大学に沿った道路だ。  すでに、雨はやんでいた。わたしは、ワイパーを止める。ユニバーシティ通りを、北に向かう。もう、道路の右側は、ハワイ大学だ。〈ハワイ大学マノア校〉という事になっている。けれど、ここが、ハワイ大学のメイン・キャンパスだ。デイ・パックを背負って、自転車に乗った、ハワイらしい学生達が、あちこちにいる。わたしは、そんな大学通りを、北へ向かった。  やがて、ハワイ大学の敷地が、とぎれる。  このあたりは、マノアと呼ばれる地区だ。特に高級住宅地ではない。けれど、ハワイ大学が近いせいか、どちらかというと、柄《がら》のいい住宅地だった。落ち着いた町並みが、続いている。  そのあたりを15分ほど、走り回った。めざすアパートメントを見つけた。〈|Manoa《マノア・》 |Villa《ヴイラ》〉の文字を見たとたん、わたしは胸の中で、〈見つかった……〉と、つぶやいていた。  クリスから榊へ、最後の手紙がきたのが、約26年前。この、〈マノア・ヴィラ〉に住んでいたクリスが、榊に最後の手紙を書いてから、すでに26年が過ぎているのだ。  26年……。長い年月だ。特に、このハワイでは、かなりなスピードで、何もかも変化している。この〈マノア・ヴィラ〉が、いまも残っている事は、わたしも、あまり期待していなかったのだ。  静かな住宅地の一角に、2階建ての〈マノア・ヴィラ〉はあった。  まず最初に目につくのは、その庭にある、ジャカランダの樹だ。2階の屋根と同じくらいの高さがある。この樹は、南米が原産だと言われている。いまでは、ハワイのあちこちにある。5月末のこの時期は、開花する季節だ。薄いブルーの花が、一面に咲きほこっていた。日系移民の年寄りは、この花の色を〈藤《ふじ》色〉と呼んでいる。けれど、ハワイ育ちのわたしは、藤の花を見た事がない。やや紫色がかった淡いブルーとしか表現できない。  ちょうど、雲が切れて、陽が射してきた。ジャカランダの青い花に陽射しが当たる。美しかった。ホノルルでは、ジャカランダは、あまり多くない。わたしは、しばらく、その光景を見ていた。樹全体が、青い花束のようなジャカランダを、眺めていた。  ジャカランダの樹の下。手入れのいき届いた感じの庭には、〈|貝殻しょうが《シエル・ジンジヤー》〉の白い花が咲いていた。  2階建ての建物は、コテイジ風だった。手すりは、すべて木だ。全体に、チョコレート色のペンキが塗られていた。何回も、ペンキを塗りなおしたようだ。建物も庭も、手をかけて、大事にされてきた、そんな感じに見えた。1階、2階ともに4部屋ずつ、あるようだった。  わたしは、木の階段を、登っていった。手紙の住所は、202号室だ。階段を上がって最初のドアが、201号室。201号室のドアには、〈201〉の番号プレート。そして、その下に、〈|Leni's《レニズ・》 |Ukulele《ウクレレ・》 |School《スクール》〉の看板が出ている。どうやら、ここで、ウクレレ教室をやっているらしい。  そして、202号室。ドアには、〈202〉の番号プレートしかない。  わたしは、ノックをしてみた。3回。……反応は、ない。さらに、ノック3回。……応答なし。  わたしは、一度、階段をおりた。建物の前に、郵便受けがある。日本語で言う、〈カマボコのような形〉をした、アメリカン・スタイルの郵便受けがあった。各部屋に、一つずつ。合わせて8個の郵便受けが、2列に並んでいた。それぞれに、部屋番号が書いてある。アルミで出来た、その郵便受け。〈202〉と描《か》かれてあるやつの蓋《ふた》を、わたしは開けてみた。  中には、かなりたくさんの郵便物が入っていた。わたしは、それらを全部、取り出した。1通ずつ、見ていく。最初の2通は、広告のチラシだった。3通目。水道局からの請求書だった。宛名《あてな》は、〈|Cris《クリス・》 |Rand《ランド》〉となっていた。  ビンゴ。わたしは、胸の中で、つぶやいていた。わかった事が2つ。その1。クリスが、まだ、ここに住んでいる。その2。クリスの苗字《みようじ》は、〈トクナガ〉から〈ランド〉に変わっている。たぶん、ランドという苗字の男と結婚したのだろう。  わたしは、次つぎと、郵便物を見ていく……。私信は、一つもない。電気や水道、ガスなどの請求書、あるいは、督促《とくそく》状。それか、DMだ。宛名は、すべて、〈クリス・ランド〉になっていた。一番古いものは、約2ヵ月半も前だ。という事は、2ヵ月半、クリスは、この郵便受けを開けていないのだろうか……。  わたしの心の中を、一抹の不安がよぎった。  わたしは、また、2階へ上がった。202号室のドアへ行く。ドアに、耳を当てた。何も、物音はしていない。どこかで、小鳥がさえずる声だけが聞こえていた。  わたしは、ドアの下の方を見た。ドアの下。かすかなすき間がある。わたしは、腹ばいになった。ドアのすき間に、鼻を近づけた。これは、警官だった頃からの習慣だ。すき間からは、何も臭《にお》ってこない。ガスが漏《も》れている臭いはしない。最悪の場合、死臭が臭う場合もあるのだが、その気配はない。  わたしは、体を起こそうとした。その時、気づいた。となりの203号室。そのドアが、かすかに開いていた。誰かが、こっちを見ていた。  けれど、わたしが体を起こした時、203のドアは、もう、閉まっていた。あわてて閉めた感じだった。のぞいていたのが、男か女かさえ、わからなかった。  わたしは、203のドアに行く。ノックをした。3回。返事がない。さらに、4回、ノックをした。けれど、返事はない。この部屋に、住人がいる事は、わかっている。けれど、あわてて、ドアを閉めた。7回もノックをして、返事がない。という事は、相手は、わたしに応対する気がない。  あきらめる。わたしは、202号室の逆隣り、ウクレレ教室をやっている201号室のドアもノックしてみた。こちらも、返事は、ない。わたしは、とりあえず、自分の車に戻った。携帯電話を取り出す。いまわかったクリスの電話番号にかけてみた。すぐに電話局からのテープが流れはじめた。 〈この電話は、お客様の都合により、ただいま不通になっています〉  という内容のテープが流れた。という事は、電話料金未払いで、通話を止められている。あるいは、何か事情があって、あえて電話を不通にしている。その、どちらかだろう。  わたしは、車のエンジンをかけた。ギアを入れ、走りはじめた。ユニバーシティ|通り《アベニユー》に戻る。ゆっくりと、車を走らせる。  頭の中。いくつかの疑問が、かけめぐっていた。整理していく。  その1。クリスは、どうやら、結婚して、〈ランド〉という苗字に変わっているらしい。それなら、電話、水道、電気などの請求書の宛先が、〈クリス・ランド〉になっているのは、なぜか……。もし、結婚して、夫婦であそこで暮らしているのなら、なぜ、その手の請求書が、夫の名前で送られていない……。  その答えとして想定できるのは2つ。まず、クリスが、一度結婚して、離婚した。離婚後も、夫の姓を名のる事は出来る。もう1つの答えは、簡単だ。結婚したが、夫は死んだ。その場合も、夫の姓を名のり続ける事は出来る。  疑問、その2。クリスは、なぜ、2ヵ月半も、あの〈マノア・ヴィラ〉を留守にしている……。旅行。それは、あり得るだろう。あるいは、彼女が歌手を続けているとすれば、どこか遠くで、仕事をしている。たとえば、オアフ以外の島。たとえば、ハワイでなく、本土《メイン・ランド》のどこか……。それも、あり得るだろう。  けれど、もし、そうだとしたら、隣人のあの対応は、理解出来ない。203号室。ドアをそっと開けて、のぞいていた。その直後、あわてて、ドアを閉じた。わたしがノックをしても、まるで返事がなかった。あれは、一体、何を意味するのだろう。  とにかく、謎《なぞ》だらけだった。わたしは、唇を結ぶ。車のステアリングを握る。信号を右折。プルメリア・ホテルに向けた。 [#改ページ] [#1字下げ]13 ホノルルの朝に死す  プルメリア・ホテルのロビーに入った。館内電話《ハウス・テレフオン》で、榊の部屋にかけた。榊は、いた。 「だいぶ、わかった事があるんで、報告したいんだけど……」  わたしが言った。榊は、〈おりて行くよ〉と言った。ロビーで待つ。5、6分で、榊はおりてきた。グレイのスラックス。上には、ハワイアン・シャツを着ていた。生地の裏地を使った渋くて美しい色調のハワイアン・シャツだった。プルオーヴァーになっている。たぶん、〈レイン・スプーナー〉のものだろう。 「いいハワイアン・シャツね」  わたしは、笑顔で言った。 「午前中に、ワイキキの店で買ったんだ」 「似合うわよ」 「そうかい。ありがとう。やはり、これを着ると、ハワイにいるという実感があるね……」  榊は、すごく嬉《うれ》しそうな表情になった。少年のようだ。腕時計を見た。午前11時50分だった。 「ちょうど、昼飯を食べに行こうと思ってたところなんだ。一緒にお昼を食べながら、話を聞こうか」  と榊。わたしは、うなずいた。わたしと榊は、ホテル2階にある〈シーブリーズ・テラス〉に行った。〈シーブリーズ・テラス〉は、最近できたレストランだ。どちらかというと、軽い食事を出すカフェテリアだ。文字通り、テラスになっていて、海風が通り抜ける。下を見おろせば、プールサイド。視線を上げれば、ホテルの前のワイキキ・ビーチ。そして、海と水平線が見える。  わたしと榊は、一番海に近い席についた。ランチ・タイムだけれど、客は少ない。5月下旬のこの時期、日本人観光客は少ない。日本人宿泊客が多いこのホテルとしては、いまは暇《ひま》なシーズンなのだ。  わたし達は、メニューを拡げた。薄い雲ごしの淡い陽射《ひざ》しが、テーブルのナイフやフォークを光らせていた。結局、榊はクラブハウス・サンドウィッチ。わたしは、小エビとアヴォカドのサンドウィッチを注文した。  わたしは、落ち着いて、順序よく、話しはじめた。まず、パール・シティ。クリスが住んでいた小さな一軒家は、もうなくなり、アウトレット・ショップになっている事。それを聞いても、榊は、動揺した様子はない。 「まあ、30年前後、たっているんだから、そんなものだろうね……」  と、つぶやいた。静かな表情だった。注文したサンドウィッチが運ばれてきた。わたし達は、アイス・ティーを飲みながら、食べはじめた。ゆっくりとサンドウィッチを食べながら、わたしは、話の続きをはじめた。クリスがパール・シティから移った〈マノア・ヴィラ〉が、まだ、あったと話した。そして、クリスが、そこに住んでいるらしいと説明した。  そこまで聞いて、榊の表情が変わった。 「〈マノア・ヴィラ〉が、あった……」 「ええ……。あったわ」  わたしは言った。そして、どうやら、クリスが、〈ランド〉という苗字《みようじ》の男と結婚したらしいと、淡々と話した。榊は、それほど驚いた表情をしていない。クリスが結婚していたと聞いても、平静な表情をしている。 「そうだろうな……」  と言った。クリスが結婚したと聞いて、かえって安心したような表情をしている。それだけ、長い時間が流れたという事なのだろうか……。  クリスは、〈マノア・ヴィラ〉に住んでいるらしい、けれど、それ以上の事は、いま、話さなかった。ただ、クリスは留守だったとだけ、話した。  クリスのいまの状況に関する謎《なぞ》は、ただの疑問に過ぎない。何か、はっきりとした事実がわかったら、榊に話すべきだろう。ただの疑問を話して、あえて不安にさせる必要はない。榊の滞在期間は、まだ充分にあるのだから……。わたしは、そう決めていた。 「そうか……。ランドという人と結婚していたか……」  榊は、サンドウィッチを手に、つぶやいた。淡々とした口調だった。 「……ところで、……榊さん、結婚は?」  わたしは訊《き》いた。榊は、一瞬、わたしを見た。3、4秒、無言。やがて、苦笑いした。 「していないよ。なんせ……仕事が忙し過ぎた……」  とだけ言った。結婚しなかったのは、仕事が忙しかった、それだけの理由なのか。……わたしは、ふと、考えていた。 「でも……ずっと結婚しないでいると、周囲から、とやかく言われるんじゃない? 特に日本の場合は」 「……まあ、一般的には、そうだろう……。が、私の場合は、周囲から変人扱いされていたからね」  苦笑したまま、榊は言った。 「変人扱い?……」 「ああ。広島で、真珠の養殖をするなんて事に熱中し続けて、30年も、やってきたんだからね……。家族から見ても、変人だろう……」 「家族?」  榊は、うなずいた。 「以前も話したように、私には、弟と妹が一人ずついる。弟は、私と一緒に、牡蠣《かき》の養殖会社をやっている。妹は、地元の銀行員と結婚している。二人とも、まともな家庭を持ち、子供もいる。そんな弟や妹から見れば、私みたいな人間は、変人以外の何者でもないだろうな……」  微苦笑して、榊は言った。サンドウィッチを食べ続ける。わたしも、アイス・ティーでノドを湿らせた。 「もし、クリスが見つかったら……榊さん、会って、直接、あのネックレスを渡す?」  サンドウィッチを口に運ぶ榊の手が、ピタリと止まった。しばらくの間、宙を眺めている。 「さあ……どうするかな?……」 「迷ってる?」 「……まあね。クリスは、すでに結婚しているわけだから、いまさら、私が会いに行って、かえって迷惑かもしれない。それに……」 「それに?」 「私は、もう、こんな年齢《とし》になってしまった。もはや、20代の若者ではない。クリスにしても、もう50歳ぐらいだろう。その年齢の彼女に会いたいかどうか……自分でも、迷っているよ。永遠に、ポニー・テールの似合ったあの頃のクリスを、心の中に残しておきたい、そういう思いもあるしね……」 「……ロマンチストなのね。男はみんな、そうかもしれないけど……」  わたしは言った。榊は、答えない。ただ、静かに微苦笑しているだけだった。海からの風が、その、アロハの襟を揺らせていた。  それが、生きている榊を見た最後だった。  午前11時38分。  わたしは、自分のアパートメントで身じたくをしていた。たまっていた洗濯物を片づけたところだった。これから、また、あの〈マノア・ヴィラ〉に行こうとしていた。口紅だけを塗る。車のキーをつかんだ。その時、電話が鳴った。とる。ジムだった。プルメリア・ホテル総支配人、ジム・ハサウェイ。 「麻里《マリー》だね」  その声が、いやに低い。硬い。 「ミスター・榊が、事故に遭《あ》った」 「事故?」 「交通事故だ。車にはねられた。重体で、いま、病院に運び込まれるところらしい」  わたしは、病院の名前を聞く。もう、受話器を置いて、部屋を飛び出していた。  約16分で、病院に着いた。途中、一方通行の道を2回、逆走した。病院の駐車スペースに、チェロキーを頭から突っ込む。玄関に走り込んだ。  ER(緊急救命室)へ走る。ドアの前に、ジムがいた。制服警官が2人いた。ジムは、わたしを見ると、首を横に振った。 「駄目だった。ここに運び込まれた時は、もう、心臓が停止していたらしい。いちおう、蘇生《そせい》のための努力はしたが、いまから10分前に、死亡が確認された」  ジムは言った。わたしの頭の中は、冷静だった。仕事|柄《がら》、人の死には、さんざん出会ってきた。 「状況を聞かせて」  わたしは、制服警官に言った。若い警官は、手帳を開きながら、 「交叉点《こうさてん》での事故です。クヒオ|通り《アベニユー》と、シーサイド|通り《アベニユー》の交叉点で、被害者のミスター・榊は、はねられた」 「はねた車のドライバーは?」 「アルフレッド・バクスター。62歳。退役軍人で、年金生活をしています。きょうは、年金をもらいに行くので、車を走らせていたようです」  と警官。わたしは、 「確か?」  と訊いた。若く、真面目《まじめ》そうな警官は、 「確かです。はねた本人も、認めています」  と言った。榊が車にはねられた、と聞いて、わたしはまず、〈ダイアナ・パール〉をめぐるトラブルの事を考えた。けれど、その関連性は、薄いようだ。  警官から、さらに、状況を聴く。事故が起きたのは、午前11時8分頃。榊は、交叉点の横断歩道を渡りかけて、車にはねられた。その時、榊が渡ろうとした横断歩道の信号は、赤だったという。 「これは、はねた車のドライバーも主張しています。それと、目撃者もいます。ミスター・榊と同じ横断歩道を渡ろうとしていたハワイアンの女性2名です。信号が赤なので待っていたら、となりにいたミスター・榊が、スタスタと横断歩道を渡りはじめたそうです。そして、走ってきたセダンにはねられたという事です」  警官は言った。  その20分後。わたしは、病院の廊下で、市警のバリー・オオタと話をしていた。事故の被害者が日本人という事もあって、Jセクションのバリーが担当しているらしい。バリーは、最初、わたしの姿を見て、驚いていた。 「被害者は、お前さんの知り合いかい?」 「そう。依頼人」  わたしは言った。彼は、少し硬い表情になった。 「そうか……。残念だが、この事故は、被害者の側に、かなり、はっきりとした過失があるな……」  と言った。現場で描《か》いてきた図を、わたしに見せた。それを見て、わたしは、〈やはり……〉と、内心つぶやいていた。榊は、自分の左側から走ってきた車に、はねられていた。榊の眼は、視力がひどく弱っていると本人が言っていた。特に左眼は、かなりひどいらしかった。わたしと一緒に歩いていた時も、歩行者用信号が赤で、左から車が走ってきているのに、横断歩道を渡ろうとした事があった。  けれど、いま、その事は言わないつもりだった。 「被害者は、信号が赤なのに、横断歩道を渡ろうとした。これは、2人の人間が証言している。そこへ、車が走ってきた。車のドライバーは、クラクションを鳴らした。これも、証人がいる。ドライバーは、歩行者が止まるものと思った。だが、歩行者は止まらなかった。ドライバーは、あわてて急ブレーキを踏んだ」 「道路にタイヤ・スリップの跡《あと》は?」 「あった。だが、運が悪い事に、今朝は、通り雨《シヤワー》が何回か降った。この事故の15分ぐらい前も、シャワーが降っていた。つまり、路面が濡《ぬ》れていた。車の制動距離は、少しのびた。結果的に、歩行者をはねた。歩行者は、車にはねられて、後ろに倒れた。後頭部を、アスファルトに叩《たた》きつけた。そして、脳挫傷《のうざしよう》をうけた。死因は、これだ。打ち所が悪かったと、医者も言っていたよ。……とにかく、運も悪かったな、この被害者は」  バリーは言った。 「ドライバーは、退役軍人だって?」 「ああ。海軍の大尉までいった人間だ。2年前に退役している。いまは、軍の年金で暮らしている。62歳。住所はカネオヘだ。このドライバーに、なんの裏もないな」  わたしは、うなずいた。 「事件性が全くないから、司法解剖の必要もないだろうと、検死官は言ってる」 「そうでしょうね……」 「被害者を見るかい?」  とバリー。わたしは、うなずいた。わたし達は、廊下を突き当たりまで行く。階段をおりた。地下1階に、遺体の安置室がある。ドアを開ける。遺体には、すでに白い布がかけられていた。部屋のすみに、透明なビニール袋に、何か入っている。ビニール袋は、警察がよく使うものだった。 「被害者の遺品?」 「ああ。事故に遭った時、持っていたものだ」 「見ていい?」 「もちろん」  わたしは、ビニール袋を開けた。中には、彼の眼鏡が入っていた。片方のレンズにヒビが入っていた。そして、ま新しい紙包みが入っていた。どうやら、榊は、買い物をした帰りに、事故に遭ったらしい。紙包みを開けてみる。明るいベージュのコットン・パンツ。それに、薄茶のデッキ・シューズが出てきた。  榊は、このところ、グレイやこげ茶のスラックスをはいていた。黒い皮靴を履いていた。いかにも、硬苦しいスタイルだった。昨日《きのう》、彼が着ていたハワイアン・シャツを見て、わたしは、〈似合うわよ〉と言った。彼は、嬉しそうな顔をしていた。  榊は、ハワイに合う、カジュアルな服装をしようと思ったのかもしれない。もっと、ハワイの風を感じて、〈あの頃〉を思い出したくなったのかもしれない。それで、コットン・パンツやデッキ・シューズを買ったのだろう。もしかしたら、クリスに再会する時の事を考えて、この買い物をしたのかもしれない……。そう思うと、胸がしめつけられた。  わたしは、遺体のそばに行く。そっと、白い布をめくった。死に顔は、きれいだった。後頭部の脳挫傷だから、顔には、小さな擦《す》り傷があるだけだ。眼鏡をかけていない彼の顔を、初めて見た。眼鏡をはずしても、真面目そうな顔に変わりなかった。かすかに、まぶたが開いている。わたしは、そのまぶたを、指でそっと閉じてあげた。まだ、体温があった。  わたしは、車に戻った。携帯電話を取る。プルメリア・ホテルにかけた。ジムは、日本の家族に連絡をとるために、ホテルに戻っている。やがて、電話がジムにつながった。 「広島にいるミスター・榊の弟さんに、連絡がついたよ」 「で?」 「明後日《あさつて》、こっちに着くそうだ」 「明後日……」  わたしは、つぶやいた。日本時間で、いまはまだ、朝の7時頃だ。夜、大阪空港を飛び発《た》つ便に乗れば、明日には着けるはずだ。おまけに、いま、日本からのホノルル便は、すいているはずだ。わたしがその事を言うと、 「なんでも、仕事が忙しくて、そう、急には日本を発《た》てないそうだ」  とジム。感情をまじえない口調で言った。 「忙しいったって、実の兄さんが急死したんだから……」 「私も、そうは思うんだが、本人がそう言うんだから、こちらとしては、それ以上、何も言えないよ」  とジム。わたしは、携帯を握って、 「そうね……」  と言った。きのう、榊が言っていた。〈私は、家族からも変人扱いされているから〉という言葉を思い出していた。結局は、そういう事なのだろう。弟にとってさえ、榊は、その程度の存在でしかないのだろう……。 「よお、麻里《マリー》」  ライフ・ガードのアンディが、わたしに声をかけた。わたしは、右手を彼に振った。左腕では、サーフ・ボードをかかえている。  夕方の5時過ぎ。ダイアモンド・ヘッドの下にあるビーチ・パーク。わたしは、ボードをかかえ、海に入ろうとしていた。きょうのダイアモンド・ヘッド・ポイントは、かなりいい波が立っている。  わたしは、波打ちぎわまで行く。海に入る。三枚《トライ》フィンのボードを、前に押し出しながら、腹ばいになった。両手のパドリングで、沖のポイントをめざした。しばらく進むと、向かい波が大きくなってきた。1つ、波をこえるたびに、飛沫《しぶき》が散った。わたしの顔を濡らした。  わたしは、榊の事を思っていた。彼の人生……。そして、昨日《きのう》、〈そのハワイアン・シャツが似合うわよ〉と言った時、彼が見せた少年のように嬉しそうな表情。  さらに、彼が事故に遭《あ》った時に持っていた買い物の包み。コットン・パンツとデッキ・シューズ……。もしわたしが、〈それが似合うわよ〉などと言わなければ、榊は、あの買い物に行かなかったのだろうか。そうすれば、事故に遭わずにすんだのだろうか……。その事を思うと、心が痛い。涙が、あふれ出す。わたしは、頬《ほお》を、飛沫と涙で濡らしながら、それでも、沖をめざした。力一杯、パドリングを続けた。ほかのサーファー達が、涙でにじむ。水平線も、にじむ。わたしは、全力で、水をかき続けていた。 [#改ページ] [#1字下げ]14 ラスト・メール  電話が鳴った。朝の9時半だった。  わたしは、自分の部屋で、腹筋運動をやっているところだった。気持ちが落ち込んだ時、酒や男に頼るのは、あまり好きではない。気分を変えるのには、汗をかくのが、わたしの性《しよう》に合っている。  腹筋運動、15回を|1《ワン》セットにする。1セットやって、1分間休む。そして、また、1セット。3セット終わる頃には、汗がにじみ出していた。さらに1セット……。その途中で、部屋の電話が鳴ったのだ。わたしは、タオルで汗を拭《ふ》きながら、カウンターに行く。電話を取る。 「ハロー」 「麻里《マリー》だね」  その声は、プルメリア・ホテルのジムだった。 「ちょっと、ホテルに来られるか?」 「大至急?」 「いや。大至急というほどでもない」 「じゃ、1時間以内に」  わたしは言った。電話を切った。バス・ルームに入る。シャワーを浴びた。汗を流した。鏡の前で、髪を拭く。頬《ほお》の青アザは、かなり薄くなっていた。至《ツー》さんの薬が、効いているらしい。  拭いた髪を束ねる。さっと、口紅だけを塗る。新しいハワイアン・シャツ。ショートパンツ。車のキーを持つ。部屋を出た。  10時15分には、プルメリア・ホテルの前に、車を駐《と》めていた。ロビーから、2階に上がる。廊下の突き当たり。総支配人室のドアをノックした。5秒で、ドアが開いた。ジムが、顔を見せた。 「やあ、麻里《マリー》」  と言った。ジムは、半袖《はんそで》のポロシャツに、ゆったりとしたコットン・パンツをはいていた。わたしを、総支配人室に入れた。ほかには、誰もいなかった。 「朝から呼び出して悪かった。ちょっと用があってね」  とジム。 「ミスター・榊のパスポートを、警察に見せなくちゃならなくなってね。彼の部屋の金庫を開けさせてもらったんだ。日本に電話して、弟さんの了承をとってね」  わたしは、うなずいた。 「今朝、ミスター・榊の金庫を開けた。そうしたら、パスポートと一緒に、君|宛《あ》ての手紙が出てきたんだ。そこで、さっき電話したわけさ」  ジムは、言った。デスクの上に置いてあった、一通の封筒を、わたしに差し出した。  わたしは、受け取った。封筒は、ホテルの部屋にそなえつけてあるエア・メール用のものだった。薄いブルーの封筒。〈|Air Mail《エア・メール》〉と印刷されている。裏には、ホテルのロゴ・マークが入っている。封筒には、 〈沢田麻里様 万が一、私に何かあったら、この手紙を開封して下さい〉  と、角ばった几帳面《きちようめん》な字で書かれていた。わたしは、3秒間、その文字を見ていた。ジムが、ペーパー・ナイフを差し出してくれた。わたしは、封筒にペーパー・ナイフを入れた。封を切った。  封筒とセットになっている便箋《びんせん》が2枚、出てきた。エア・メール用の薄手の便箋が2枚、出てきた。万年筆で書いた文字が並んでいた。角ばった文字。縦書きの手紙だった。  『沢田麻里様 [#ここから2字下げ] ハワイに来て、はや、三日。予想していた通り、この地は、私にとって、第二の故郷だと再確認致しました。 同時に、この輝く太陽の下を歩くにつれ、自らの年齢による、体力、視力等の低下を実感せざるを得ません。 真珠づくり等という、言わば本業以外の道楽にのめり込んできた、そのツケが回ってきたのでしょう。これは、自業自得と諦《あきら》めています。 そこで、一つ、お願いがあります。 杞憂《きゆう》とは思いますが、今回のハワイ滞在中、私の身に万が一の事が、あった場合です。 もし私が死ぬような事があったら、この地で、荼毘《だび》にふして下さい。 そして、その灰の半分は、私が愛するハワイの海に撒《ま》いて欲しいのです。 残りの半分は、広島の墓に入れて下さい。それなら弟や妹も了解してくれるでしょう。 万々が一を考えての面倒なお願いですが、宜《よろ》しくお願い致します』 [#ここで字下げ終わり]  ていねいな文字で、そう書かれていた。そして最後に日付。〈榊慎一郎〉の署名がされていた。わたしは、その手紙を、2度、読み返した。顔を上げる。ジムを見た。ジムが、うなずいた。わたしも、無言でうなずいた。わたしは、手紙を、エア・メールの封筒に戻した。 「天国に旅立ったミスター・榊からの、ラスト・メール」  ジムが言った。わたしは、無言のまま、ゆっくりとうなずいた。  弟の榊|功次郎《こうじろう》は、小役人のような男だった。小太り。色白。髪は、黒い。けれど、かなり禿《は》げてしまっている。頭頂部。髪を、横になでつけている。スダレのように髪にすき間があるので、まるで、バーコードのようだった。きっちりとした黒い礼服に身をつつみ、ソファに座っていた。  隣にいる妻も、黒い喪服のツーピースを着ている。膝《ひざ》の上で、しっかりと、ハンカチを持っている。  夫婦とも、身なりが、きちんとしていた。兄の海外での急死。そんな状況にもかかわらず、すみずみまで、きちんとした礼装をしていた。急いでハワイに駆けつけるより、礼服にきっちりアイロンをかける事の方を選んだのかもしれない。  総支配人室は、適度にエアコンがきいている。けれど、榊功次郎は、ハンカチで、額《ひたい》の汗を拭いている。その表情が硬い。兄の海外での急死。その事を悲しむというより、迷惑がっているように見えた。 「そう急には会社を留守に出来なくて」  と陰気な声で言った。ハワイに来るのが1日遅れた事を言っているのだろう。ジムは、〈わかります〉という表情でうなずく。そこは、ベテランのホテルマンだ。 「弟さんには、サインをしていただきたい書類が何枚かあるのですが、まず、これをごらんください」  ジムは言った。昨日《きのう》、榊の金庫から出てきた、あの手紙を、功次郎に渡した。功次郎は、それを開く。読んだ。妻も、脇《わき》から見ている。功次郎が読み終わった。 「その撒骨《さんこつ》の件は、いかがですか?」  ジムが訊《き》いた。功次郎は、しばらく考え、うなずいた。 「本人の望みですから、この通りでいいんじゃないでしょうか。お骨にした方が、日本に持ち帰るのも楽だし」  と言った。ジムは、うなずいた。わたしは黙っていた。ジムは、功次郎のサインが必要な書類を何枚か取り出した。功次郎は、宅配便の受領証にサインをするように、無造作にサインをしていく。  やがて、サインが終わった。ジムが、わたしを見た。わたしは、口を開いた。 「ごぞんじだと思いますが、亡くなった榊さんは、真珠のネックレスを持って、このハワイに来られました。そのネックレスは、いま、わたしが預かっていて、銀行の貸し金庫に預けてあります」  わたしは言った。功次郎は、うなずいた。 「知っています。なんでも、昔、お世話になった方がハワイにいて、その方に真珠を贈りたいという話は、兄から聞いています」  と言った。その表情が硬い。功次郎は、しばらく無言でいた。何をどう話そうか、考えているようだった。やがて、硬い表情のまま、口を開いた。 「……正直に言いますと、兄の真珠について、私は無関係なんです」 「……無関係?」  わたしは、つい、訊き返していた。 「ええ。真珠の養殖は、周囲の者から見れば、兄の道楽でした。それは……弟の私から見ても、同じです。兄は、自分の好きなように真珠をつくる勉強をして、自分から苦労して、なんとか、いくつかの真珠をつくることが出来たようです。けれど、それは、私や妻や、妹達には、関係のない事です」  と功次郎。 「幸い、兄は本業の牡蠣《かき》の仕事もちゃんとやってくれた……。けれど、兄が、真珠の会社をやっている事は、私達には、決して賛成できる事ではなかったのです」 「というと?」 「兄がやっていた真珠の養殖会社は、大きな赤字こそ出さなかったものの、地元では、危なっかしい会社という目で見られていました。そんな会社も同時に経営しているという事は、何かの時、銀行から融資を受けようとした場合、不利な材料になります。それが、まずい……。たまたま、こういう事になってしまって、もう、その心配は無くなりましたが」  功次郎は言った。わたしは、むかついた。何か言おうとした。それを、ジムが手で制した。 「事情は、わかりました。では、そのネックレスは、この沢田麻里が、責任を持って、相手に届けるという事で」  と、ジムがその場をおさめた。  翌日。榊慎一郎の遺体は、火葬された。葬儀屋が、骨壺《こつつぼ》を2つ、用意しておいてくれた。骨の形が残ったものは、日本に持ち帰る壺に。そして、サラサラの灰になったものは、撒骨するための壺に入れられた。功次郎も妻も、一度も涙は見せなかった。  ロス・アンゼルスに飛ぶ便の、最終搭乗案内《フアイナル・コール》が、広いロビーに流れはじめていた。  ホノルル国際空港出発ロビー。午前10時半だ。榊功次郎の妻が、 「あ、吉川さんにも何か買っていかなくちゃ」  と言った。いくつもある土産物屋の1つに、小走りで入っていく。わたしと榊功次郎は、ロビーのすみにあるカフェテリアにいた。  榊慎一郎の荷物は、わたしがまとめて、日本に送り返す事になった。わたしに片づけをさせて、功次郎夫妻は、さっさと日本に帰る。海への撒骨も、まかせるという。荷物の片づけや撒骨の手数料として、功次郎は、100ドルを渡した。わたしは断った。けれど、面倒な事をやってもらうのだからと、功次郎は、無理やり、わたしに100ドルを押しつけたのだった。  わたしは、土産物屋に走っていく功次郎の妻の後ろ姿を見ていた。彼等にとっては、たった2泊3日のハワイだ。しかも、兄の遺体を荼毘にふして、遺骨を持ち帰るだけの滞在だ。それでも、土産物が必要なのだろうか。わたしは、不思議な思いで、そんな彼の妻の姿を見ていた。ぽつりと、功次郎が口を開いた。 「私の事を、事務的で嫌《いや》なやつだと思ってるんだろうね……」  と言った。わたしは、ふと、彼を見た。見れば、功次郎の顔が赤い。ビールを飲んでいる。ジョッキのビールが、ほとんど空になっている。 「確かに、冷たくて、嫌な男かもしれないよな……」  功次郎は言った。その顔が、相当に赤い。アルコールに弱い性《たち》らしかった。眼つきも、少しトロリとしている。わたしは、何も答えなかった。100ドルの手間賃を受け取ったぐらいで、酔っぱらいの相手をするつもりはない。  功次郎は、空になりかけたジョッキを、じっと見ていた。うつろな瞳《ひとみ》だった。やがて、 「……本当の事を言うとね……私は、兄貴が羨《うらや》ましいんだよ……」  と言った。わたしは、口に運びかけていたジンジャエールのグラスを止めた。 「私だってね……そりゃ、兄貴みたいにさ……やってみたかったよ。なんかの夢を追いかけてね……。でも……私は、生まれつき、気が小さいんだ。小心者なんだ。こんな事だって、ビールを飲まなきゃ言えないぐらいだからね」  功次郎は、つぶやくように言った。 「あれは、小学生の時だった……。兄貴と一緒に虫|採《と》りに行ったんだ……。その帰り道に、小川があってさ……。兄貴は、小川を跳《と》びこえたんだ。でも……私には、それを跳びこすのが怖かったんだ。小学生にでも、跳びこえられるような細い小川だったんだけどね……。でも、私には、それが、跳べなかった……。結局、50メートルぐらい回り道して、橋を渡ったよ……。その時、子供心にも思ったよ。自分は、なんて臆病《おくびよう》な人間なんだってね……。それは、今になっても変わっちゃいない」  やや自嘲《じちよう》的な苦笑をしながら、功次郎は言った。 「私みたいな人間は、平凡に生きるように出来ているんだろうね……。ひたすら、堅実に、平凡に……」  あい変わらず自嘲的な口調で、功次郎がそう言った時だった。功次郎達の乗る大阪行の搭乗案内がはじまった。功次郎の妻が、こっちに足早で歩いて来る。 「あなた、ほら、急いで」  と言った。功次郎は、苦笑したまま、 「堅実で、平凡で、おまけに恐妻家か……」  と言った。立ち上がった。 「……もう、会う事はないかもしれないが……とにかく、お世話さま」  トロンとした眼つきのまま、わたしに言った。それでも、遺骨の入った手提《てさ》げ袋だけは、さすがに忘れなかった。 「気をつけて」  とだけ、わたしは言った。功次郎は、うなずいた。マカデミアン・ナッツ入りチョコレートをたくさん持った妻が、きつい表情で、待っている。功次郎は、そっちに歩いていく。妻は、わたしに別れの会釈もしなかった。 「シャネルの香水が安かったんで、ついでに買《こ》うたわ」  という妻の台詞《せりふ》が聞こえた。2人は、搭乗ゲートに向かって歩いていく。わたしは、空港の出口に向かって歩きはじめた。 [#改ページ] [#1字下げ]15 あの頃、ハワイアン・ソングを歌ったわ  頭上で、ジェット機の音がした。自分の車に歩いていたわたしは、一瞬、上を見た。青空。銀色のジャンボが高度を上げていく。あれは、ロス行の|N《ノース》・|W《ウエスト》かもしれない。  わたしは、自分の車に歩いていく。ドアを開けた。サングラスをかけた。空港の駐車場から、出ていく。H1にのった。東、ワイキキの方向に向かう。アクセルを踏み込んだ。観光客を乗せたバスを追い抜く。わたしの仕事は、これからだ。クリスを探し出す。そして、真珠のネックレスを渡すという仕事は、これからだ。  20分後、H1を、24番出口でおりる。ユニバーシティ|通り《アベニユー》を、北に向かう。あの〈マノア・ヴィラ〉に向かった。  5、6分で、〈マノア・ヴィラ〉に着いた。車をおりる。階段で、2階に上がった。一番手前、201号室の前を通ると、かすかな音が聞こえた。わたしは、立ち止まった。  聴き耳をたてる。かすかに聞こえてくるのは、どうやら、ウクレレの音だった。この部屋のドアには、〈|Leni's《レニズ・》 |Ukulele《ウクレレ・》 |School《スクール》〉の看板が出してある。ウクレレの音が聞こえるのは、当然かもしれない。  とにかく、201号室の住人はいる。事情を聴く事が出来るかもしれない。悪い状況ではない。  わたしは、202号室のドアの前に立った。ノックをした。3回。何も応答なし。さらに、3回。応答なし。部屋の中から、のぞいている気配もない。やはり、クリスは留守らしい。  わたしは、201号室のドアの前に行った。まだ、中からは、かすかにウクレレを弾く音が聞こえていた。  わたしは、そのドアをノックした。3回、ノック。部屋の中のウクレレが、やんだ。ドアの方に、歩いてくる気配。たぶん、ドアののぞき穴から見ているんだろう。やがて、 「どなた?」  と声がした。女の声だった。中年のようだった。 「あの……隣の部屋のクリスさんの事で、ちょっと、おうかがいしたい事があって……」  わたしは言った。やがて、ドアが開いた。ゆっくりと、開いた。チェーンは、かかったままだ。ハワイアンと思える褐色の肌の女性が見えた。60歳はこえているように見える。彼女は、ウクレレではなく、拳銃《けんじゆう》を持っていた。銃口を、こちらに向けていた。 「どなた?」  彼女が、硬い口調で言った。 「マリ・サワダといいます。ワイキキで私立探偵をやっています。以前は、ホノルル市警察で、警官をやっていました」  わたしは言った。私立探偵のライセンスのコピー、そして、警官だった頃の身分証のコピーを、ドアのすき間から差し出した。こういう場合にそなえて、用意してあるものだ。  彼女は、2枚のコピーを左手で受け取る。しばらく見ていた。やがて、その表情から硬さが消えた。彼女は、ドアのチェーンをはずした。 「ごめんなさい。まだ、生徒が来るには早いんで、また、やつらかと思って……」  と言った。拳銃をおろした。22口径の自動拳銃《オートマチツク》だった。 「やつらって?」 「まあ……借金取りみたいなものよ。いま、ゆっくり話すわ」  彼女は言った。わたしを、部屋に入れてくれた。まだ、右手に拳銃を持ったままだ。背は、あまり高くない。160センチというところだろうか。やや太りぎみだ。ハワイアン・シャツを着ていた。俗に〈ロブスターの爪《つめ》〉と呼ばれるヘリコニアの花の絵がついたシャツを着ていた。ジーンズをはいていた。  後ろに束ねた髪は、ほとんど白髪だった。最初は、60歳ぐらいに見えた。けれど、70歳に近いかもしれない、と、わたしは自分の中で訂正していた。  けれど、その動作に、お婆《ばあ》さんくさいところは、なかった。背筋も伸びている。足どりも、テキパキとしている。 「レニさん?」 「そうよ。あなたは……マリだっけ……」 「ええ。マリ・サワダ。さっき言ったように、ワイキキに事務所を持って、私立探偵をやっているの」  レニは、わたしをしげしげと眺める。 「へえ……。あんたみたいに若い女が私立探偵ねえ……」  と言った。 「まあ、いいわ。腰かけて。コーヒーでも淹《い》れるわ」  とレニ。拳銃をぶら下げたまま、奥に入っていった。わたしは、部屋を見回した。さっぱりとした、居心地の良さそうな部屋だった。角部屋なので、窓が広く、明るい。カーテンごしに、淡い陽射《ひざ》しが入ってきていた。  窓ぎわには、蘭《らん》の鉢《はち》が置かれていた。薄紫色の蘭が、花をつけていた。6人ぐらい座れる籐《とう》のソファ・セットがある。テーブルの上には、ウクレレが1台、置かれていた。たぶん、さっきまで、レニが弾いていたものだろう。ウクレレの弦に、カーテンごしの陽射しが光っていた。ウクレレは、〈|MAUI《マウイ・》 |MUSIC《ミユージツク》〉のものだった。  やがて、レニが、コーヒー・マグを2つ、持ってきた。コナ・コーヒーらしい。いい香りがしていた。わたしは、ミルク少々、砂糖をスプーン一杯入れる。ひとくち飲んだ。そして、口を開いた。 「まず、こちらの事情を話すわ」  そして、話しはじめた。先に、こちらの手の内を見せなければ、彼女も、心を開いてくれないだろう。  わたしは、事情を、ダイジェストして話しはじめた。32年前、クリス・トクナガと榊の出会い。そこからはじまって、榊の死まで、要点をわかりやすく話した。  ただ、榊からクリスに託されたネックレスについては、〈かなり高価な真珠のネックレス〉としか説明しなかった。  レニは、コーヒーを飲みながら、黙って、わたしの話を聞いていてくれた。時どき、うなずいた。やがて、わたしは、話し終わった。レニは、うなずいた。 「どうやら、あんたの話は本当らしい……。クリスから、〈サカキ〉っていう日本人の名前は、聞いた事があるわ」 「本当に? いつ頃……」  レニは、顔を上げた。ハワイアン・プリントのカーテンを眺める。記憶をたどっているらしい。 「あれは……クリスが、ここに引っ越してきた頃だから……もう、30年も前になるかしらねえ……」  と言った。 「そんな昔から、ここに住んでるの?」  わたしは、レニに訊《き》いた。 「ええ、かれこれ、40年以上になるかしら……」 「40年……」  わたしは、つぶやいた。レニの顔を、まじまじと見た。 「そんな、不思議そうな顔をしないで。このアパートメントは、私がつくったんだから」 「あなたが?」 「そう。正確に言うと、私と、亡くなった主人がね」  レニは、微笑《ほほえ》みながら言った。 「じゃ……あなたは、ここのオーナーなの?」  レニは、かすかに微笑んだまま、うなずいた。 「管理人で、オーナーで、ごらんの通り、住人でもあるのよ」  と言った。 「なるほどね……」  わたしは、つぶやいた。それを聞けば、うなずける。レニの部屋、服装、そして動作や口調……そこには、わびしさが感じられない。年取った女性の一人暮らしという、わびしさが無い。それは、経済的にも自立しているという自信から来るものなのだろう。 「で……彼女、クリスが、ここに引っ越してきた頃の話を聞かせて」  わたしは言った。レニは、しばらく、昔をふり返る表情をしていた。やがて、ぽつり、ぽつりと話しはじめた。 「……ここに引っ越してきた頃のクリスは、まだ|20歳《はたち》を少し過ぎた頃だったと思うわ……。そう……22歳だったかしらね。歌手として、ワイキキのお店で唄《うた》いはじめたと言ってた。で、私も、人にウクレレを教えてたもので、よく、二人で歌を唄ったものよ」 「二人で?」 「そう。昼下がり、ここの庭でね……。あのジャカランダの樹の下に座ってね……。私はウクレレを弾き、クリスはギターを弾いて、二人でハワイアン・ソングを唄ったものよ。楽しかったわ……」  遠くを見る眼をして、レニは言った。 「その頃、クリスから、〈サカキ〉っていう日本人の男の名前は、聞いた事があるわね……。なんでも、パール・シティで暮らしていた頃、恋人だったとか……。でも、いまは、日本に帰ってしまったってね」 「へえ……」 「クリスは、その〈サカキ〉からの手紙を、心待ちにしていたみたい。でも、手紙が来る間隔が、だんだん長くなっていって……、クリスは悲しそうだったわ……。やがて、クリスには、新しい男友達が出来た」 「トム・ランド?」 「そう。トム。白人《ハオレ》でね。音楽プロデューサーをやっているっていう話だった。なかなかスマートな男だった。ダッヂのオープンカーに乗って、クリスを迎えに来てた」 「で……二人は、結婚した?」 「そう。あれは、クリスがここに引っ越してきて3年目ぐらいかしらねえ……。クリスは、25歳ぐらいになってたわ。仕事のパートナーでもある、そのトム・ランドと、結婚すると言ったわ。そして、トムのプロデュースで、レコード・デビューするんだとも言ってたわ」 「で……二人は、結婚した?」  レニは、うなずいた。 「クリスとトムは、本格的に音楽の活動をするために、ロス・アンゼルスに移って行ったわ」 「ロス……」 「そう。その頃、ハワイには、まだまだ本格的なレコード会社も何もなくてね……。ハワイで音楽を仕事にしている人間は、みな、観光客を相手に〈ブルー・ハワイ〉を唄ってたわ……」  レニは、苦笑しながら言った。 「クリス達が、ロスに移ってから半年ぐらいたってから、手紙が来たわ……。ラス・ベガスでの結婚式の写真が同封されてた……。それからも、時どき、手紙は来たわ……本土《メイン・ランド》のあちこちからね」 「あちこち……」 「そう。ロス。サン・フランシスコ。シカゴ。ニューヨーク。時には、ルイジアナとか、アイダホとかの小さな町からね」 「ふうん……」 「クリスは、あちこちの店で、シンガーとして仕事をしていたみたいだった……。けれど、彼女のレコードは、出なかったわ……。楽しみにしていたのにね……」 「ダンナのトムが、いんちきプロデューサーだったとか?……」 「私も、一時は、そうも思ったのよ……。でも、後から聞いた話では、そうではないみたい。トムは、本当に音楽に対して情熱を持ってたし、本気でクリスをデビューさせようとしていた。けど……やはり、音楽業界の壁は厚かったみたい」 「壁か……」 「そう。いつか、クリスが手紙で書いてたわ。本土《メイン・ランド》では、わたしと同じぐらい唄えるシンガーは、山ほどいるってね」 「そう……」 「でも、とにかく、二人は、10年以上、本土で頑張っていたみたいだった。でも、そうしているうちに、クリスも30代の後半になってしまって、もう、新人のシンガーとしてデビュー出来る年齢《とし》でもなくなってしまった……。同時に、ハワイが恋しくなったみたいで、二人は、ハワイに帰って来たわ」 「へえ。その時、会った?」  レニは、うなずいた。 「クリスもトムも、もう20代の若さはなくしていた。けれど、夢破れて帰って来たっていう、落ちぶれた感じではなかったわ。二人は、別のプランを持っていたしね」 「別のプラン?」 「そう。トムは、自分で店を持とうと考えていたわ。レストラン・バーね。そこで、クリスに唄わせる。そんな計画を持ってたのね」 「それは、実現した?」 「ええ。あれは、二人がハワイに戻って来て、2、3年たってからかしら。ベレタニア|通り《ストリート》に、開店したわ。〈シェルズ〉っていう店よ」  とレニ。〈|Shells《シエルズ》〉……。つまり、貝殻の事だろう。 「そのお店には行った?」 「ええ。開店して1ヵ月ほどたった頃にね」 「どんなだった?」 「店の感じは良かったわよ。インテリアに貝をいっぱい使ったトロピカルな雰囲気で……。ひさしぶりに聞くクリスの歌も、心地良かったし……。でも……」 「でも?」 「場所がねえ……。ベレタニア|通り《ストリート》ってのは、ちょっと不便よねえ。ワイキキに泊まってる観光客が行くには、少し遠いし……」 「じゃ、お客は、あまり入っていなかった?」 「私が行った時は、あまり入っていなかったわねえ……。でも、トムは、これから、少しずつ良くなると言ってたけどねえ……」  とレニ。その表情が、曇った。 「開店して3年ぐらいした頃だったかしら……。〈フード・ランド〉で、ばったり、クリスと会ったのよ」 〈フード・ランド〉は、スーパー・マーケットだ。 「クリスと立ち話をしたんだけど……お店の経営が、あんまりうまくいっていないって話だった。あんなに元気だったクリスも、さすがに、ちょっと疲れた顔をしていたわ。おまけに、ダンナのトムの調子が良くないって話だった」 「良くないって?」 「なんでも、心臓の調子が悪いって言ってたわ。もともと、心臓に何か持病があったらしいんだけど、お店をやりくりするそのストレスで、さらに、体調を崩してるみたいな話だったの。でも、その時は立ち話だったから、あんまりくわしくは訊かなかった。だから、驚いたわ」 「驚いた?」 「そう。トムが死んだって連絡をうけた時よ」  レニは言った。 [#改ページ] [#1字下げ]16 クリスへの伝言 「トムが……死んだ……」 「そう。心臓の発作を起こして……救急車で病院に運んだんだけど、翌日、亡くなったって……」 「それって、いつの事?」 「ええと……去年の11月末ね……。そう、〈感謝祭《サンクス・ギヴイング》〉の3日後だったから、11月の末ね」  とレニ。冷《さ》めかけたコーヒーに、口をつけた。 「クリスは、もちろん悲しんでた?」 「そりゃまあ……。でも……トムの心臓は、しばらく前から相当に悪かったみたいだから、ある程度の覚悟は出来てたみたい」 「そう……」 「で……クリスは、住んでた借り家を引き払うっていうから、また、うちのアパートメントに戻ってらっしゃいって言ったのよ。ちょうど、昔、クリスが住んでた202号室が空《あ》いてたから」 「それで……クリスは、ここへ?……」  レニは、うなずいた。 「トムが亡くなって1ヵ月ぐらいして、年末に引っ越してきたわ。たぶん、25年ぶりになるのかしら……。でも、何も変わってないんで、彼女、喜んでた。私も、時間をつくっては、クリスと一緒に過ごすようにしていたわ……」  とレニ。カーテンに映るヤシの葉影を眺めて言った。 「このアパートメントに戻ってきて、しばらく暮らすうちに、クリスの気持ちも、若返ってきたみたい。20代を過ごした所に戻ってきて、気分も、その頃に戻ったのかもしれないわね……。もう、ベレタニア|通り《ストリート》のお店はなくなってしまったけれど、どこかの店かホテルで、また唄おうかな……なんて言いはじめたの。私も、もちろん、そうしなさいよって言ったのよ。また、20代の気持ちに戻って、歌の仕事をしなさいよってね。ところが……そこへ、やつらがやって来たのよ」 「やつら……」 「そう。借金の取り立て屋よ」 「借金?」  レニは、うなずいた。 「ベレタニア|通り《ストリート》の店をやっていくための回転資金を、トムは、銀行以外からも借りてたらしいのよ。裏の世界の連中から借りていたらしいわ。しかも、クリスには内緒で。その借金の取り立てに、柄《がら》の悪いやつらが来はじめたの」 「いつ頃から?」 「そう……3ヵ月ぐらい前かしら……。そろそろ2月が終わるって頃ね。バレンタイン・デーのしばらく後だったから、間違いないわ」  レニは言った。わたしは、うなずいた。それで、疑問が解決した。ジグソー・パズルのピースがはまるように、かなり多くの疑問が解決した。  クリスは、夫の死後も、〈|Rand《ランド》〉の苗字《みようじ》を変えていなかった。だから、請求書や何かの類《たぐい》は、〈|Cris《クリス・》 |Rand《ランド》〉の宛名《あてな》で来ていたのだろう。  そして、クリスが、2ヵ月半以上、ここの部屋を留守にしている理由も、わかった。 「借金の取り立て屋は、どんなやつら?」  わたしは、訊《き》いた。レニは、顔をしかめる。 「まるで、チンピラね。あれは、本当に、そういう種類の人間達だと思うわ。ひどい脅し文句を言ってたし、大声を出したり、嫌がらせの電話も、毎日のようにかかってきてたみたい。クリスも気の毒よねえ。夫がつくった借金のために、そんな目に遭《あ》うなんて。でも、とにかく、脅しは日に日にひどくなっていったわ」 「そうか……。で、クリスは、避難した?」 「ええ。さすがに身の危険を感じてね」 「で、どこへ?……」 「友達の所を泊まり歩くって言ってたわ。私は、あえて、行き先を聞かなかった」  わたしは、うなずいた。それで、クリスの電話がストップされているのも、理由がわかった。隣の203号室の住人がおびえていた理由も……。 「クリスから、連絡は?」 「いまのところ、ないわ。ただ、ここの家賃だけは、支払ってくれてるのよ」 「家賃?」 「そう。銀行振込みで、毎月、月末にね。私としては、家賃の半年や1年、たまっちゃってもいいのよ。そんなお金があったら、自分のために使ってほしいのに……」  レニは言った。 「ところで、その借金って、いくらあるの?」 「やっかいな連中に借りてるのは、3万ドルぐらいと言ってたけど……」  3万ドル……。日本円にすると、300万円ちょいか……。 「大きい金額じゃあるけど、仕事をすれば、返せる金額でもあるわよね」  わたしは言った。レニは、うなずく。 「クリスには、歌っていうものがあるしね。ただ……あの連中が、クリスを探し回ってるから……大っぴらに歌手の仕事をするのは難しいかもしれない……」 「そうか……」  わたしがつぶやいた時だった。ドアをノックする音がした。レニは、壁の時計を見た。 「生徒ね」  と言った。ドアに歩いていく。チェーンをかけたまま、ドアを開けた。ティーンエイジャーの女の子が2人。ウクレレのケースを持っている。レニは、彼女達を、部屋に入れた。わたしは立ち上がる。 「じゃ、もしクリスから連絡があったら、わたしに電話してくれるように伝えて」  と言った。オフィスと自宅の電話番号、そして、〈|Mari Sawada《マリ・サワダ》〉と書いたメモをレニに渡した。レニは、うなずいた。わたしは、レニの電話番号も訊いた。彼女の部屋を出た。  2階から、下におりた。郵便受けの前で、立ち止まった。クリスに手紙を置いていこうと思った。  レニが言う通り、クリスは、友人の所を泊まり歩いているのかもしれない。けれど、たまには、この郵便受けを見に来ないとは限らないだろう。取り立て屋の来ない夜中、あるいは夜明け、ひそかに、ここに戻って来ないとは言い切れない。わたしは、手紙を置いていく事にした。  クリスの郵便受けを開ける。あい変わらず、いろんな物が入っている。わたしは、それをつかみ出した。どうでもいいチラシとDMを、近くのゴミ缶に放り込んだ。郵便受けの中身は、四分の一ほどになった。残っているのは、電気や水道の計算書や通知だけだ。  わたしは、すぐ近くに駐《と》めてある自分の車に行った。ドアを開ける。リア・シートに置いてあるフォルダーから、封筒と便箋《びんせん》をとり出した。車のエンジン・フードの上。ボールペンで、手紙を書きはじめた。  簡潔に書いた。昔、あなたの友達だった榊慎一郎。彼からあなたへ、高価な真珠のネックレスをことづかっている。ぜひ、会って渡したい。わたしは、ミスター・榊から、その事を依頼されている私立探偵である。もし、わたしの事を確かめたければ、アパートメントのオーナーのレニに訊いてみてくれ。連絡を待っている。  そんな内容を、便箋2枚に書いた。わたしの名刺と一緒に、封筒に入れた。封筒の端をなめ、封を閉じた。封筒の表。宛名は、どうしよう……。一瞬、考えた。クリスは、まだ、〈クリス・ランド〉の名前を使っている。けれど、その苗字に心が残って使っているのかどうか、わからなかった。わたしは、ただ、〈To |Cris《クリス》〉とだけ、封筒に書こうと思った。  書いていると、封筒の上に、花びらが散ってきた。青い花びらが散ってきた。見上げる。ジャカランダの枝が、風に揺れている。その薄いブルーの花びらが、シャワーのように、わたしの上に降り注いでいた。わたしは、眼を細め、その光景を見ていた。  クリスがまだ22歳の娘だった頃から、数えると28年ぐらい……。このジャカランダの樹は、毎年、こうして、変わる事なく、青い花を咲かせてきたのだ。そんな感慨がほんの一瞬、胸の中をよぎった。  わたしは、封筒に視線を戻す。その表に、〈To Cris〉と書いた。封筒を、郵便受けに入れた。  もし、クリスがこれを見てくれたら、たぶん、連絡してくるだろうと思えた。借金の取り立て屋の罠《わな》とは思わないだろう。取り立てのやつらが、〈榊慎一郎〉などという名前を知っている可能性は低い。  わたしは、郵便受けの蓋《ふた》を閉めた。車に戻る。エンジンをかける。走り出す。ミラーの中で、ジャカランダの樹が小さくなっていく。 〈あの野郎……〉  わたしは、胸の中でつぶやいていた。自分のオフィスに戻ってきたところだった。道路から、建物のわきの駐車スペースに車を入れようとした。  すぐ近くに路上駐車している車が見えた。グレイの|MAZDA《マツダ》。4ドア・セダン。見覚えのある車だった。そのドアが開いた。ナス型のレイバンをかけた男が、おりてきた。元私立探偵のロイ・サカモトだった。  こりもしないで……。わたしは、心の中でつぶやきながら、車を駐めた。エンジンを切った。ロイ・サカモトが、早足で歩いてくるのが、ミラーに映っていた。  わたしは、車をおりる。同時に、ヒップ・ポケットから拳銃《けんじゆう》を引き抜いていた。やつに向けた。 「おいおい、待てよ」  とロイ。 「俺《おれ》は、話しに来たんだ。危ない物なんか、何も持っちゃいないよ」  と言った。上着の前を開いて見せた。ひと回りする。確かに、ショルダー・ホルスターも、つけていない。ヒップ・ホルスターも、つけていない。わたしは、銃口を下に向ける。 「で? なんの用? 保険の勧誘員にでもなったの?」  と訊いてやった。 「そんなんじゃないよ。新聞で見たぜ。あの、サカキっていう男、事故で死んだんだってな」  ロイは言った。確かに。榊の事故死は、翌日、小さな記事として新聞に載《の》っていた。 「へえ……あんたでも新聞読むんだ」 「ちゃかさないでくれよ。俺は、まっとうな儲《もう》け話をしに来たんだから」 「まっとうな儲け話ねえ……」  わたしは、かすかに苦笑した。 「で? その話って? 30秒以内でして。忙しいんだから」 「ま……そう言わずに、俺の話を聞けよ。あのネックレス、まだ、あんたが預かってるんだろう?」 「答える必要ないわ」 「そうか。まあ、もし、あんたがまだ、あのネックレスを預かってるとしたら、あんたにとっていい話を持ってきたんだ」 「いい話って?」 「あれだけのネックレスになると、どうやら、普通のルートじゃ売れないらしい。それなりの人間が、オークションにかけて売るしかないんだとさ。で……その、それなりの人物を、俺が紹介してやろうってわけさ」  ロイは言った。 「ネックレスを売る……」 「ああ、そうさ。だって、持ち主のサカキが死んじまったんだから、そいつをどうしようと勝手じゃないか。こんなうまい話、めったにあるものじゃない。あんただって、実は、その気なんだろう?」  とロイ。 「あのねえ……」  わたしは、やつを睨《にら》みつけた。殴る。蹴《け》る。無視して回れ右。どれにしようか、考えた。考えていると、ふと、ある事が頭に浮かんだ。 「……そうねえ……」  わたしは、つぶやいた。 「もし……あのネックレスを売る必要が出てきたら、誰か、それなりの人間に依頼する必要があるわね……」  と言った。 「な、そう思うだろう?」 「……それは、そうねえ……」  わたしは、つぶやいた。ロイが、わたしの顔を、じっと見ている。わたしは、顔を上げた。 「オーケイ。じゃ、とりあえず、あんたが言う、それなりの人物を紹介してもらうわ。で、その人物は何者?」 「彼は、ジャン・ミレールといって、いわば、大物の美術商だな」  ロイは言った。その名前からすると、フランス系だろう。 「美術商っていうと?」 「そう……。絵とか彫刻とか宝石とかを扱う仕事さ。ミレールは、その世界では大物なんだ。情報やネットワークもすごい」  わたしは、うなずいた。そのミレールという人物が、常にホノルルの税関からの情報を入手しているのだろう。そして、榊が入国する時に申告した〈ダイアナ・パール〉に目をつけた。そういう事なのだろう。 「さっそく、これからミレールの所へ行こうぜ」 「場所はどこ?」 「カハラさ。30分もあれば行けるさ」  ロイが言った。 [#改ページ] [#1字下げ]17 ゴッホになれなかった男  ロイの車は、ブレーキ・ランプの片方が切れていた。信号で止まる時も、左側がつかない。わたしは、ロイの車を先に行かせて、カハラに向かっていた。  そのミレールという美術商に会ってみる気になった理由は一つだ。  クリスを探し出す事が出来たと仮定する。さらに、〈ダイアナ・パール〉をクリスが受け取ったと仮定する。クリスは、いま、借金の取り立てに追われている。もしかしたら、〈ダイアナ・パール〉を売ろうと考えるかもしれない。贈られた〈ダイアナ・パール〉をどうするかは、全く、本人の自由なのだから。  クリスが、〈ダイアナ・パール〉を売ろうと考えた場合、とても、自分で売る事は出来ないだろう。確かに、そういうものは、それなりのルートでオークションにかけて、売買されるものに違いない。  となると、実際に、それを売買する人物が必要になる。その時に、ミレールという美術商が、役に立つかもしれない。知っておいて無駄ではないだろう。  車は、カハラの住宅地に近づいていた。ホノルルのビバリー・ヒルズと呼ばれる地区だ。道幅が広くなる。一軒の家の敷地が広くなる。道路を走っている車は、ピックアップ・トラックが減り、ヨーロッパ車が多くなる。  やがて、ロイの車が右側のウインカーを点滅させた。わたしも、右のウインカーを点滅させる。  低い門柱の間に、ロイの車は入っていく。少し入った所に、高い鉄の門があった。ロイの車は、その前に駐《と》まった。わたしも、その後ろにつけた。鉄の門は、柵《さく》に蔦《つた》がからんだような模様になっている。中が見えた。夾竹桃《オレアンダー》の向こうに、白っぽい屋敷が見えた。門の両側は、白く高い門柱になっている。その上には、監視カメラがあった。  ロイは、門柱のところに行く。インタフォンのスイッチを押している。何か、やり取りがあり、鉄の門が、電動でゆっくりと内側に開いた。わたし達の車は、入っていく。  屋敷は、アメリカ風の典型だった。玄関の両側に、白い柱が2つある。玄関は、マホガニー色で高さがある。あたりで、小鳥がさえずっているのが聞こえた。  わたしとロイは、玄関の前に車を駐めた。おりる。玄関に歩いていく。5段ほど上がると、玄関だった。ロイが、玄関わきのスイッチを押した。5、6秒で、玄関のドアが開いた。メイドらしいハワイアンのおばさんが、無表情で、ドアを開けた。  ロイ、そしてわたしは入っていく。  外観がアメリカ様式なのに、インテリアは完全にヨーロッパ調だった。シャンデリア。壁の絵。そして家具。すべて、ヨーロッパ調だ。それも、モダンな最近のイタリアン・テイストではない。どちらかというとロココ調に近いようだった。  さすがに、壁にかかっている絵や、あちこちに置いてある彫像は、高価なものが多そうだった。けれど、わたしは、きょろきょろとはしなかった。金持ちの屋敷には慣れている。警官だった頃、さんざん、この手の屋敷には入った事がある。たいていは、窃盗の捜査だった。  メイドに案内されて、わたしとロイは、庭に出た。ヤシの樹に囲まれた広い庭。楕円形《だえんけい》のプール。青いプールの水面には、遅い午後の陽射《ひざ》しが揺れていた。庭のすみには、淡いピンクのアンセリウムが咲いていた。  一人の男が、プールサイドで絵を描《か》いていた。中年の白人男だった。痩《や》せている。白髪混じりのダーク・ブロンドの髪は、後ろになでつけている。はやしている口ヒゲにも、白いものが混ざっている。シルクと思えるヴィンテージ・シャツを着ていた。カヌーの絵のハワイアン・シャツだった。白いスラックスをはいている。  男は、椅子《いす》に座り、油絵を描いていた。新聞1ページぐらいのカンバスが、イーゼルにたてかけてある。前にあるテーブルには、花瓶があった。花瓶には、〈|青しょうが《ブルー・ジンジヤー》〉の花が入っていた。青紫色のブルー・ジンジャーが、3本、花瓶にいけられていた。男は、それを描いていた。絵は、完成しかかっているように見えた。  ロイが、男のそばに行く。 「ミレールさん」  と声をかけた。男は、絵から顔を上げた。ロイを見た。ロイは、男の耳もとで、何か囁《ささや》いている。男は、うなずきながら聞いている。一瞬、ちらりとわたしを見た。また、絵のカンバスに視線を戻す。やがて、ロイが話し終わった。男は、また、絵筆を動かしはじめた。ふと、 「この絵、どう見えるかね」  と、はっきりとした声で言った。どうやら、わたしに訊《き》いているらしい。わたしは、 「ゴッホの真似《まね》をした素人《しろうと》の絵」  とだけ言った。その瞬間、絵筆を動かしていた男の手が、ピタリと止まった。止まったまま、 「……なぜ、君に、そんな事がわかるんだ……」  と言った。 「誰にでもわかるわよ、そんな事」  わたしは言った。男は、絵筆を止めたままでいた。30秒ほど、そうしていただろうか。やがて、その肩が、動いた。小刻みに動いた。男が、苦笑しているのだと、わかった。男の削《そ》げた頬《ほお》も、引き攣《つ》るように苦笑していた。全身で苦笑していた。やがて、男は、つぶやいた。 「……そりゃ、そうだよな……。誰が見ても、わかるよな……」  と言った。そして、動いた。持っていた絵筆を、かたわらのパレットの上に、放った。男は、座ったまま、ゆっくりと、こっちを見た。 「いちおう、自己紹介しよう。私は、ジャン・ミレール。ハワイでは、最も、高価なものに目がきく美術商といわれているらしい」  ミレールは言った。この豪勢な屋敷を見れば、〈ハワイで最も目がきく〉というのも、まんざら嘘《うそ》ではなさそうだ。 「マリ・サワダ。私立探偵」  わたしは言った。わたしとミレールは、握手はしなかった。ミレールは、両手の指を組む。誰に向かってでもなく、つぶやいた。 「……天は人に二物を与えず、とは、よく言ったものだ……」  そして、わたしを見た。 「そうは思わんか?……」 「それは、あなたが、ハワイで一番の美術商でありながら、ハワイで一番へたっぴいな絵描《えか》きだという事?」  ミレールは、また、苦笑した。 「嫌な事を言うね、お嬢ちゃん」 「いまのあなたの台詞《せりふ》には、2つ、間違いがあるわ。〈嫌な事〉じゃなくて、〈本当の事〉。そして、わたしはもう、〈お嬢ちゃん〉と呼ばれる年齢《とし》ではないわ」  微笑しながら、わたしは言った。ミレールは、表情を変えない。何か言うかわりに、わきのテーブルから、鈴を取り、3回鳴らした。やがて、メイドが、お盆にのせたグラスを持ってきた。縦に細長いフリュート・グラスが3つ。中には、シャンパンが入っているらしい。  ミレールは、グラスに唇をつけ、ちびりと飲む。ロイは、グラスを取る。がぶっと、ひと息で、グラスの半分ぐらいを飲んでしまった。わたしは、グラスを取らなかった。 「商売の話をしましょう」  ミレールに言った。 「いいだろう……。君がいま持っている真珠のネックレスの事だな。それを売ってくれるのか?」  わたしは首を横に振った。 「わたしは売らないわ。そのネックレスは、ある女性に贈るように、依頼されている。仕事よ」 「……仕事か……。君は、その仕事をして、いくら、もらえるんだ?」 「あなたに言う必要は無いわ」  わたしは言った。ミレールは、また、苦笑した。わたしを見た。 「驚いたな……。私は、確かに、ハワイで一番へたな絵描きかもしれないが、言わせてもらえば、君は、ハワイで一番の馬鹿者だな。あのネックレスが、いったい、どれほどの金額のものだと思ってるんだい」 「金額なんて、わたしには関係ないわ。仕事は仕事よ」  わたしは言った。ミレールは、微苦笑したまま、じっと、わたしを見ていた。やがて、皮肉を込めた口調で、 「たぶん、金より大切なものがあるなどと、考えているんだろうね……。しかし、私の年になると、やっと、わかるのさ。世の中、すべて、金だとね」  と言った。ちびりと、シャンパンを飲んだ。わたしは微笑した。 「そんなふうに年齢《とし》を取ってしまったあなたに、同情するわ」  とだけ言った。ミレールは、しばらく黙っていた。やがて、苦々しい表情になった。 「もう、いい。で、ネックレスは、どうなるんだ。私の手に入るのか?」 「ネックレスを受け取るクリスという日系人の女性が、もし、それを売りたくなったら、あなたに連絡する事にするわ。念のために訊《き》いておきたいんだけど、いくらで買うつもり?」  ミレールは、5秒ほど考えていた。 「もし、それが本物の〈ダイアナ・パール〉だったら、300万ドルで買う。しかも現金で払おう」  と言った。300万ドル。日本円だと、3億円を超す金額だ。わたしは、うなずいた。 「あなたの電話番号を教えて」  わたしは言った。ミレールは、黒の油絵具を、たっぷりと、パレットに出した。絵筆につける。描《か》いた絵の上に、電話番号をなぐり書きした。カンバスをつかむ。わたしに差し出した。しかたない。わたしは、それを受け取った。回れ右。プールサイドから歩き去った。  ワイキキに戻ろうと、走りはじめた。車の中に、油絵用のテレピン・オイルと絵具の臭《にお》いが充満していた。わたしは、通りがかったビーチ・パークに車を駐めた。ミレールの電話番号を、手帳に書き移した。カンバスを、ビーチ・パークのゴミ箱に放り込んだ。また、ワイキキに車を向けた。  翌日。榊の遺灰は、ハワイの海に散った。  夕方の5時半。トローリングの仕事を終えたタケシの船で、沖に出た。乗っているのは、船長《キヤプテン》のタケシ、わたし、それにプルメリア・ホテルのジムだ。その日、タケシの船では、150ポンド(約67キロ)の|AHI《アヒ》、つまり、キハダ・マグロが釣れたという。その日、大物を釣ったという印に、マグロの絵がついた|AHI《アヒ》フラッグが、船のアウトリガーで揺れていた。  ホノルルの沖、約5海里《マイル》。タケシは、船を止めた。上を向いているアウトリガー。そこにはためているAHIフラッグを半旗にした。ジムが、蘭《らん》の花で編んだレイを、海に、そっと落とした。わたしは、小さな白い壺《つぼ》から、榊の遺灰を海に撒《ま》いた。サラサラの細かい灰が、夕陽をうけて、砂金のように輝いていた。タケシが、船の汽笛《ホーン》を鳴らした。長音を4回、鳴らした。タケシの船〈モーレア〉の弔鐘なのだった。頭上で、海鳥の鳴き声が聞こえていた。わたし達は、みな無言だった。半旗が、海を渡る微風に揺れていた。  その夜、わたしはタケシの部屋に泊まった。明け方、ふと、目が覚めた。遠くで、船のホーンを聞いたような気がした。たぶん、気のせいだ。わたしは、隣に寝ているタケシの肩に、頬を寄せた。また、眠りに落ちていった。  電話がきたのは、午後2時過ぎだった。  わたしは、オフィスにいた。きょうの昼は、1階の至《ツー》さんに、ごちそうになった。至さんがつくった中華|麺《めん》を、一緒に食べた。上に香菜《シヤンツアイ》をふりかけた塩味の麺だった。おいしかった。しばらく、至さんと雑談をして、自分のオフィスに戻った。ひと息ついた。その時、電話が鳴った。とる。 「ハロー」 「そちら、マリ・サワダさん?」  女の声だった。英語。中年と思われる声だった。 「そうですけど」 「あの……私……クリス・ランドです」 [#改ページ] [#1字下げ]18 銃声は、たそがれに響く  わたしは、受話器を握りなおした。 「クリス……本人?」 「そうよ。あなたの手紙を見て、電話してるの……」  あわただしい話し方だった。 「わかった。とにかく、会いたいんだけど」 「……わかったわ。でも、私、明日はマウイへ飛んじゃうんで……きょうでよければ……」 「オーケイ。いいわよ。何時頃、どこで会う?」 「私……その……借金の取り立て屋に追われているんで……出来れば、あまりひと気《け》のない所の方が……」  と彼女。ココヘッドの近くのビーチ・パークの名を言った。確かに、そこは、人の少ないビーチ・パークだった。 「わかったわ。じゃ、そこで何時?」 「そう……5時頃がいいわ」 「了解。わたしは、チェロキー・スポーツに乗っているわ。あなたの車は?」 「たぶん……友達のヴァンに乗せてもらって行くと思う。シボレーのヴァン」 「オーケイ」 「それで……あの手紙に書いてあった、真珠のネックレスなんだけど……」 「ああ。たぶん、会う時に持っていくわ」 「ありがとう……。じゃ、後で」  電話は切れた。わたしは、しばらく、電話を見つめていた。考えていた。〈ダイアナ・パール〉を持っていくかどうか、考えていた。10分考え、やめにした。これから会う彼女が、本物のクリスかどうか、すぐに判断がつくか、はっきりしないからだ。  わたしが見たクリスの写真は、30年以上前のものだ。18歳から19歳のクリス。そして、いま、50歳のクリス。当然、変わっているだろう。見分けられるかどうか、わからない。そこで気づいた。〈マノア・ヴィラ〉のレニなら、比較的最近の写真を持っているかもしれない。  それに、クリスがわたしの手紙を読んだとしたら、そこに書いてあるように、レニに連絡を取っている可能性が高い。  わたしは、電話を取った。レニの番号をプッシュした。コール音2回。留守番電話のメッセージが流れてきた。あらかじめ電話機にセットされている応答メッセージだ。わたしは、〈こちらに電話して欲しい〉とメッセージを残した。最後に、自分の名前と電話番号を入れた。  待った。けれど、レニからの電話はなかった。4時15分前。わたしは、オフィスを出た。ここから目的のビーチ・パークまで、道路がすいていれば、40分ほどで着くだろう。けれど、夕方の渋滞が気になった。かなり早目に出た。  ワイキキから東へ。ルート72を走る。渋滞は、それ程ではなかった。約30分でハワイ・カイまで来た。ここから先は、まず、渋滞がない。時間に余裕がある。  わたしは、通りがかりのショッピング・センターに車を入れた。たりなくなっていた食料品や調味料を買った。車に積む。また、走り出した。  ルート72を、さらに東へ。ハナウマ湾《ベイ》を過ぎる。サンディ・ビーチを過ぎる。やがて、オアフ島の東端であるマカプ|ー岬《ポイント》を回り込む。ルート72は、北東から北西に向きを変える。  マカプ|ー岬《ポイント》から15分ほど走ったところに、そのビーチ・パークはあった。わたしは、その広い駐車場に、ゆっくりと車を入れた。  もともと人の少ないビーチ・パークだ。夕方なので、さらに、ひと気は少ない。いま、オレンジ色のライフ・ガード・タワーから、ライフ・ガードの男が、おりてきた。ライフ・ガードの仕事は終わり。オフ・デューティーという事だろう。彼は、駐《と》めてあるピックアップ・トラックに乗り込む。ビーチ・パークを出ていく。  残っている車は、あと1台。|TOYOTA《トヨタ》のワゴンだけだ。ボディ・ボーダーの女の子が2人、駐車場の端にあるシャワー・ルームから出てきた。シャワーと着替えを終えたところらしい。彼女達は、ワゴンに、ボディ・ボードや|足ひれ《フイン》を積み込む。駐車場を出て行った。  ガランと広い駐車場。駐まっているのは、わたしの車だけだった。海は、夕陽の色に染まっている。わたしは、腕のダイバーズ・ウォッチを見た。5時6分前だった。  太陽は、背後にある丘に沈もうとしていた。海と駐車場に、きょう最後の陽射しがさしていた。砂浜にも、ひと気は無い。斜めにさす陽射しが、砂浜に細かい陰影をつけている。カー・ラジオは、FMのKRTRにチューニングしてある。わたしが好きなFM局だ。いまは、イーグルスの〈|Tequila《テキーラ・》 |Sunrise《サンライズ》〉が流れていた。  風が吹いた。一瞬、ブロウが吹いた。コンクリートのだだっ広い駐車場。コンクリートの上に、砂がのっている。その砂が、風に舞った。わたしは、車の窓ガラスを全開にしていた。車の中に、海風を通していた。けれど、風に飛ばされた砂が、入ってきてしまう。運転席の窓ガラスを、半分上げた。イーグルスを聴きながら、待った。  5時4分過ぎ。車のエンジン音が聞こえた。わたしは、カー・ラジオのボリュームを少し絞った。  1台のワゴンが、駐車場に入って来るのが見えた。沈む夕陽の逆光なので、車種は、判断できない。  こっちに向かって、ゆっくりと走って来る。どうやら、シボレーだという事は、わかった。クリスが乗っている車だろう。ヴァンには、スモーク・ガラスが使われていた。おまけに逆光だ。乗っている人間の顔までは、わからない。  ヴァンは近づいてくる。斜め前方から、ゆっくりと近づいてくる。お互いの距離が約10メートルまで近づいた時だった。ヴァンの屋根の上に、人影が見えた。ヴァンのサンルーフを開けて、誰かが上半身を出している。男だった。やつが持っている物が、一瞬、見えた。ライフル銃だった。そのシルエットが、逆光の中で見えた。こっちに狙《ねら》いをさだめていた。  わたしは、とっさに上半身を伏せる。  同時に、銃声。乾いた銃声がした。ガラスの破片が、頭の上に散ってきた。  わたしは、顔を上げた。フロント・ガラスが、クモの巣のようにヒビ割れていた。その中心に、穴が開いていた。その部分のガラスの破片が、降ってきたのだろう。  さらに、首をねじる。運転席のシート。その右肩のあたりに、被弾した穴が開いていた。  相手は、わたしの右肩あたりを狙って、撃ってきたらしかった。  右肩を撃ち抜けば、相手の戦闘能力を奪う事は出来る。もし、内側にはずしても、心臓は左側だから、当たらない。心臓を撃たなければ、即死する事はない。  たぶん、そのつもりで、相手は、撃ってきたに違いない。  そして、ちらっと見たライフルの型と銃声からすると、相手が使っているのは、M16ライフルだ。単発でも撃てる。連射も出来る。米軍のジャングル戦で主に使っている銃。認めたくはないが、接近戦だと、かなり有利なライフルだ。  わたしは、そっと、顔を上げてみた。10メートルぐらい離れて、ヴァンが駐まっていた。拳銃《けんじゆう》を持った男が1人。いつでも身を隠せるように、ヴァンのわきに立っている。屋根の上から、上半身を出している男も、見えた。ライフルをかまえている。  わたしが伏せるのと、銃声が聞こえたのが同時だった。2発。連射。運転席のサイド・ウインドウに被弾した。半分上げてある、ウインドウのガラス。そこを2発貫通した。また、ガラスの破片が、車内に飛び散る。窓ガラスに、クモの巣のようなヒビ割れが走った。やはり、使っているライフルはM16だ。  冷静になれ。わたしは、自分に言いきかせた。  事態は、単純だった。さっき、かかってきた電話のクリスは、ニセ物だったのだ。クリスを装って、かけてきた。そして、わたしを、ひと気のないビーチ・パークにおびき出した。  やつら取り立て屋は、わたしがクリスに宛《あ》てた手紙を読んだのだ。そして、そこに書いておいた〈高価な真珠のネックレス〉に目をとめた。それを奪おうとして、わたしをおびき寄せたのだろう。  さっきのニセ物の電話にあった、〈明日、マウイに飛ぶから、きょうなら会える〉も、そのためだろう。わたしに、出来るだけ時間を与えたくなかったのだ。  わたしは、す早く頭を回転させていた。やつらが、あの手紙を読んだ。という事は、やつらは、わたしが私立探偵だという事を知っている。  女だとはいえ、私立探偵……。という事は、拳銃ぐらいは持っている可能性がある。やつらは、それを考えているだろう。だから、先制攻撃で、わたしに手傷を負わせようとした。そして、いま、すぐには急いで近づいてこない。威嚇射撃をして様子を見ているのも、そのせいだ。やつらには、わたしが、武器を持っているのか、そして、どの程度の傷を負ったのかが、正確にわからないのだろう。  それにしても、M16ライフルが相手というのは、あまり愉快ではない。25口径の拳銃とでは、威力が違い過ぎる。  す早くエンジンをかけて逃げ出す事を考えた。駄目だろう。10メートル先で、ライフルをかまえているのだ。頭を狙撃《そげき》されてジ・エンドだ。  さて、どうする……。その時、声が響いた。 「出てこい! 金めのブツを渡せば、殺さない! 渡さなきゃ、ぶっ殺す」  男の野太い声が言った。ちっくしょう。わたしは、首を起こしかけた。その時、頭に、何かが触れた。頭を回して見る。ここへ来る前に、ショッピング・センターで買った食料品だった。助手席に置いた紙袋から、食料品や調味料がこぼれて散らばっていた。  その中に、ケチャップがあった。ひらめいた。もしかしたら、カモフラージュに使えるかもしれない。  わたしは、ケチャップの包装を破った。キャップを開けた。左手に持つ。着ている青いTシャツの右肩あたりに、ケチャップをかけた。ケチャップを、ベったりと、しみ込ませた。右の腕にも、少し、かけた。悪くない。この黄昏時《たそがれどき》なら、出血したように見えるだろう。 「出てこい! 逃げられやしないんだ」  男の声が、また叫んだ。わたしは、わざと弱々しい声で、 「……出ていくわ……撃たないと約束するなら……」  と言った。 「言う事をききゃ、撃たねえよ。……どうした、弾が当たったか?」 「……肩に……当たった……」 「そりゃ、お気の毒さま。とにかく、さっさと出てこい!」  と男の声。オーケイ。わたしは、深呼吸。ゆっくりと、体を起こした。そっと、運転席のドアを開けた。そろり、そろりと、車をおりる。わざと、少しふらついた足どりで、車をおりた。  右腕は、だらりと下にたらしている。左手で、右の肩を押さえている。右肩のあたりは、ケチャップでべとべとする。わたしは、後部《リア》のドアにもたれるようにして、立った。立っているのがやっとという動作で……。  男達は、3人いた。  M16を握っているのは、大柄なハワイアンだった。あと2人は、白人《ハオレ》だった。1人は、痩《や》せている。拳銃を持っている。薄い色のサングラスをかけている。  もう1人の白人が、運転席からおりてきた。中年。太っている。黒い髪。メキシコ人のようなヒゲをはやしている。スーツを着ている。こいつが、一番兄貴分のようだった。見たところ、銃は持っていない。  M16を握っているハワイアンが、車からおりてきた。痩せた男も、ヴァンのそばからはなれた。3人、横に並んだ。わたしは怪我《けが》をしている。そして、手に武器を持っていない。やつらは、安心している。 「さて、そのネックレスとやらを、渡してもらおうかな」  とメキシコ・ヒゲが言った。武器を持っている2人に、〈行け〉というように顎《あご》で合図をした。  ハワイアンは、M16の銃口を下に向ける。痩せたサングラスの白人も、拳銃を、ショルダー・ホルスターにしまいながら、こっちに歩きはじめた。  わたしは、下にたらした右手を、す早く動かした。ヒップ・ポケットから、ベレッタを抜く。親指で安全装置《サム・セフテイ》をはずしながら、相手に向けた。両足を開く。かすかに体重を下げる。左手で、銃床をホールドする。M16を持ったハワイアンの太ももを撃った。  太ももの外側に着弾した。  ハワイアンの体が、感電したように痙攣《けいれん》した。連射音が響いた。弾をくらったそのショックで、やつの指が痙攣して下に向けたM16の引き金をひいたのだ。  機関銃のような連射音。コンクリートの地面に、弾丸が当たる。蒼白《あおじろ》い火花が散る。やつの体は、M16を連射したまま、崩れ落ちる。  その右。痩せた白人が、ショルダー・ホルスターにしまった拳銃を、あわてて引き抜いた。けれど、わたしはもう、狙いをさだめていた。  やつの右肩に、1発。撃った。右肩を突き飛ばされたように、やつの体は半転した。よろけて、ヴァンに体をぶつけた。手から拳銃が落ちた。 [#改ページ] [#1字下げ]19 とどめは左フック  わたしが拳銃《けんじゆう》を抜いてから、5秒しかたっていないだろう。形勢は逆転していた。ハワイアンは、M16を握ったまま、地面に倒れていた。もう、引き金はひかない。そのジーンズの太ももが、赤黒く濡《ぬ》れてきている。  痩《や》せた白人は、ヴァンにもたれかかって、尻《しり》もちをついている。白っぽいジャンパーの右肩にも、血が滲《にじ》みはじめている。薄い色のサングラスはヒビ割れ、半ば、鼻からずり落ちている。ガランとした駐車場。砂が風に舞っている。  残る1人。メキシコ・ヒゲのでぶ。動かなかった。正確に言うと、動けなかったのかもしれない。唖然《あぜん》とした表情を浮かべている。口が半開きになっている。  わたしは、拳銃をかまえたまま、ゆっくりと歩きはじめた。メキシコ・ヒゲの方に歩きはじめた。やつは、後ずさりした。けれど、2歩で、ヴァンのドアに背中がぶつかった。  わたしは、やつの前に立った。メキシコ・ヒゲのぶよぶよとした顔が、細かく引き攣《つ》っている。脂汗《あぶらあせ》をかいている。わたしは、やつの腹に銃口を向けていた。 「……俺を撃つのか?」 「あんたしだいね。免許証は、どこ?」 「上着の内ポケットだ」 「オーケイ。上着の前を開いて、ちょっとでも変なまねをしたら、容赦なく撃つわ」 「わ、わかったよ。俺は、ハジキなんか持っちゃいない」  と、やつ。ゆっくりと、上着《ジヤケツト》の前を開いた。確かに、ホルスターは吊《つ》っていなかった。わたしは、拳銃をやつの腹に押しつける。左手で、上着の内ポケットをさぐった。黒い革のカード入れが出てきた。免許証が入っている。 「オーケイ。こいつは、預かるわ。警察で、あんた達の身元を徹底的に調べてあげる。楽しみにしてて」  わたしは言った。1歩、下がった。 「これだけは言っておくわ。クリス・ランドに、また強引な借金の取り立てをしたら、あんた達は、病院に入るか、ブタ箱に入るか、棺桶《かんおけ》に入る事になる。わかった?」  メキシコ・ヒゲは無言。わたしは、その両足の間の地面に、1発撃った。やつの体が、びくっと震えた。 「わかったの?」 「あ、ああ……わかった……。3万かそこいらの金で、やばい目には遭《あ》いたくないからな……」  やつは言った。わたしは、微笑《ほほえ》む。やつに、また1歩、近づいた。 「わかればいいのよ。忘れない事ね」  わたしは言った。左フック。やつの腹に、叩《たた》き込んだ。ぶよぶよの腹に、手首まで埋まった。くぐもったうめき声。やつが、体を前に折った。わたしは、拳銃をかまえたまま、後退していく。自分の車に乗り込んだ。やつらは動かなかった。わたしは、エンジンをかけ、走り去った。  洗濯をしていた。  カピオラニ通《ブルヴアード》りにある自分の部屋。バス・ルーム。洗面器に、ケチャップのしみついたTシャツを入れた。ぬるま湯を出す。洗剤の|TIDE《タイド》を、小カップ1杯入れた。Tシャツをもみ洗いしはじめた。アメリカの洗濯機は、おおむね、オーバー・パワーだ。へたなものを入れると、ボロボロになってしまう。  このTシャツは、〈|Strong Current《ストロング・カレント》〉で買った、お気に入りのものだ。わたしは、ていねいに、Tシャツをもみ洗いしはじめた。ケチャップのしみは、だいたい落ちそうだった。さらに、もみ洗いし続ける。  電話が鳴った。わたしは、手についた洗剤の泡をさっと流す。タオルで手を拭《ふ》きながら、バス・ルームを出た。電話を取った。 「ハロー」 「マリ? 私、〈マノア・ヴィラ〉のレニよ」 「ああ」  わたしは、受話器を握りなおした。その声は、間違いなく〈マノア・ヴィラ〉のオーナー、レニだった。 「いまね、クリスから電話があったのよ」 「クリスから?」 「そう。本人から。今月の家賃を銀行に振り込むのが少し遅れるっていう電話だったの。それで、あなたの事を話したのよ。あなたに聞いた話を、ざっと話したの」 「そしたら?」 「そりゃ、最初、クリスは驚いてたわ。でも、マリってのは、信用できる人だし、その話も本当に違いないって言ってあげたの」 「ありがとう。それで?……」 「クリスはいま、どこか、友人の家に泊まってるらしいの。で、あなたのこの番号を教えておいたから、1時間以内には電話があると思うわ。だから、待ってて」 「わかったわ。待ってる。ありがとう」 「じゃ、とりあえず電話を切るわね」  とレニ。わたし達は、電話を切った。  わたしは、1分間ほど、受話器を眺めていた。レニの口調に、不自然なところは無かった。どちらかというと、明るく、弾んでいた。いまの話は、真実なのだろう。  わたしは、バス・ルームに行った。Tシャツは、しばらく、洗剤につけておく事にした。少し、お湯と洗剤を足した。空腹を感じていた。そろそろ昼が近い。  キッチン&ダイニングに行く。冷蔵庫を開ける。パパイヤが1個、食べ頃になっていた。少し前にフード・ランドで買ったものだ。  パパイヤを半分に切る。お皿にのせる。レモンとスプーンものせる。ガラス扉を開けて、ラナイへ出た。ホノルルは、きょうも晴れていた。12階のラナイからは、アラ・モアナの海が見渡せる。淡いグリーンから濃いブルーへ、海は、グラデーションを見せていた。米粒のように小さく、浮かんでいるサーファー達が見えた。  わたしは、そんな風景を眺めながら、パパイヤをゆっくりと食べた。食べ終わる。パパイヤ半分で、かえって食欲が増した。わたしは、キッチンに行く。  マウイ・オニオンを取り出した。みじん切りにする。フライパンでいためる。オニオン入りのオムレツをつくった。ハワイアン・サンのレモン・ティーを飲みながら、ゆっくりと食べた。  ブランチを食べ終わり、食器を洗っていると、電話が鳴った。手を拭いた。電話を取った。 「ハロー、マリ・サワダよ」 「あの……わたし、クリス。クリス・ランド……」  少し遠慮がちな声だった。 「電話待ってたわ」 「あの……レニから聞いたんだけど……」  とクリス。 「いま、その話を詳しくするから、聞いてくれる?」  わたしは言った。そして、話しはじめた。32年前の出会い。そして、榊との恋。別れ……。榊本人から聞かなければ、絶対にわからない事まで、細かく話した。レニにも話してない事が多い。クリスは、最後まで聞いていてくれた。 「これで信用してくれる?」 「ええ……。信じるわ」 「榊さんは、不幸にも亡くなってしまったけれど、わたしは、榊さんからあなたへ贈る真珠のネックレスを預かっているの。それを渡したいんだけど……。会えない?」  わたしは言った。 「……それが……」  とクリス。言葉を呑《の》み込む。 「借金の取り立て屋の事が気になるのね。それなら、きのう、少し痛い目に遭《あ》わせてやっといたから、当分は大丈夫よ。だから、どこかで会いましょう。貴重品を渡すんだから、どこか、人目のない所がいいわ」 「……それなら……いま、泊まってる所がいいかしら……」 「そこは、どこ?」 「カイルア。友人の家なの。いまは誰もいないわ」 「オーケイ。じゃ、そっちへ行くわ」  わたしは言った。住所を訊《き》いた。電話を切った。  銀行の貸し金庫から、〈ダイアナ・パール〉を出した。カイルアに向かった。ルート61、|PALI《パリ》ハイウェイを使って、カイルアに向かった。尾行されている気配はない。  いつも通り、コーラウ山脈のあたりで小雨に降られた。車の幌《ほろ》から、少し雨が漏《も》った。わたしのチェロキーは、昨夜のうちに、修理屋のエドに預けてある。被弾した窓ガラスの修理だ。エドは、そんな傷でも、理由を訊《き》かずに修理をしてくれるのだ。  ところが、エドが貸してくれた代車は、ボロボロのワーゲン|かぶと虫《ビートル》だった。しかも、オープン。破れかけた幌がついている。わたしは、雨漏《あまも》りで左腕を濡らしながら、コーラウ山脈を抜けた。カイルアの街に入ると、雨は上がっていた。二重《ダブル》の虹《にじ》が、かかっていた。  午後2時。カイルアの街。その海岸沿いに向かった。住所を見ながら、ゆっくりと走る。静かな住宅地を走っていく。  20分ほど走って、めざす家を見つけた。その家は、海沿いにあった。長く続いているカイルアの砂浜に面した家並みの一軒だった。わたしは、その家の前に路上駐車した。エンジンを切り、おりた。ガランと静かな通りに、陽射《ひざ》しが降り注いでいた。金髪の若い女が、ジョギング・スタイルで走り過ぎた。  わたしは、家に入っていった。  家の前には、車が3、4台|駐《と》められるスペースがある。いまは、|HONDA《ホンダ》の小型車が1台だけ、駐まっている。家は、白いペンキを塗られた平屋だ。周囲に、ヤシの樹が何本か、ある。ヤシの葉影が、家の白い壁に揺れている。玄関のわきには、オレンジ系のブーゲンビレアが咲いていた。  ハワイとしては、中流の家だろう。ただし、砂浜に面しているだけ贅沢《ぜいたく》だ。  わたしは、玄関のわきにあるベルを押した。中でベルが鳴っているのが聞こえた。15秒ほど待った。聞こえるのは、鳥の声だけだった。やがて、玄関のドアが、細く開いた。チェーンをかけたまま、20センチほど開いた。 「マリ・サワダよ」  わたしは言った。彼女は、うなずく。チェーンをはずした。わたしを入れてくれた。 「クリス。クリス・ランド。その……昔は、クリス・トクナガ」  と言った。わたし達は、握手をした。  クリスは、髪をショートカットにしていた。黒い髪を、短かめにカットしていた。けれど、本人に間違いない。わたしは、そう確信した。写真で見た、娘時代の面影が、はっきりと残っている。  クリスは、白いトレーナーを着て、デニムのスリム・ジーンズをはいていた。|N《ニユー》・バランスのスニーカーを履いている。目立たない程度に、化粧をしていた。小さな金のピアスをしていた。  わたしは、少し、ほっとしていた。  クリスの様子に、すさんだ感じがなかったからだ。彼女は、身長160センチというところだろうか。髪も、きちんと手入れされている。肌は、かすかに陽灼《ひや》けしている。化粧は薄い。中年女の厚化粧という感じはしない。眼にも光がある。歩き方も、テキパキとしている。眼尻に少しある小皺《こじわ》だけが、50歳という年齢を感じさせるものだった。  クリスは、わたしを、リビング・ルームに案内した。ハワイの家らしく、広々としたリビングだった。海側のガラス扉も、広々としている。ガラスの外は芝生の庭。その向こうには、カイルアの海が拡がっていた。  クリスは、アイス・ティーを出してくれた。わたしは礼を言った。籐《とう》のソファ・セットに腰かけた。 「この家は、お友達の?」 「ええ。幼なじみの女友達の家なの。彼女は離婚して、息子と、この家で暮らしていたの。でも、息子はいま、マサチューセッツの工科大学に通ってるわ。学生寮《ドミトリー》で暮らして」 「じゃ、彼女は一人暮らし?」 「まあ、そうね。昼間はホノルルへ仕事をしに行ってるし……。だからわたし、留守番もかねて泊めてもらってるの」  かすかに微笑んで、クリスは言った。わたしは、うなずいた。そして、話しはじめた。さっき、電話で話した事を、さらに詳細に話した。そして、榊が死んだ事も、淡々と話した。話し終わった。 「それで、これが、〈ダイアナ・パール〉」  わたしは言った。真珠のネックレスの入ったケースをテーブルに置いた。そのケースを開いた。クリスは、それを見る。さすがに驚いた表情をしている。  わたしは、その横に、アルバムを置いた。32年前の二人が写っている写真……。クリスは、それを開き、じっと見ている。 「そして、これが、榊さんの遺品よ」  わたしは、〈S. Sakaki〉と文字の刻まれたバーバリーのボールペンを、そっとテーブルに置いた。日本に送った榊の荷物から、残しておいたものだ。クリスは、それを手に取る。 「彼……本当に死んでしまったのね……」  と、つぶやいた。じっと、見つめている。それから何分ぐらいたっただろうか。クリスは、 「ああ……」  と言った。日本語の〈ああ〉と、英語の〈OH〉が、まざったようだった。感きわまったのだろう。クリスは、両手で顔を覆《おお》う。泣きはじめた。指の間から、涙があふれる……。  わたしは、 「庭を散歩してくるわ」  と言った。リビングから、庭に出た。 [#改ページ] [#1字下げ]20 もう一度、人生を……  庭は、テニスコートぐらいの広さがあった。砂浜に向かって開けていた。芝生が、きれいに刈《か》り揃《そろ》えられていた。芝生の上で、ヤシの葉の影が揺れていた。  両側には、何種類かの木々が植えられていた。わりと背の高い夾竹桃《オレアンダー》が、薄ピンクの花をつけている。黄色いハイビスカスも咲いている。〈天使《エンジエルズ》のトランペット〉と呼ばれている樹も、独特の白い花をつけていた。  芝生の庭と砂浜の境い目は、ビーチ・ナウパカという灌木《かんぼく》だ。膝《ひざ》ぐらいの高さのナウパカの葉が、庭と砂浜をへだてている。  その向こうには、カイルアの海が拡がっていた。カイルアの海は、オアフ島で一番おだやかな海かもしれない。全体に遠浅で、海面は、グリーンがかった青色をしている。波も、ほとんど無い。だから、サーフィンには向かない。けれど、ビギナーのウインド・サーファーやシー・カヤックをやる人達にはいい海だった。いまも、1艘《そう》のシー・カヤックが、50メートルほど沖を、ゆっくりと動いていく。茶色い大きな犬とハイティーンの娘《こ》が、のんびりと、砂浜を歩いていく。少女が、棒きれを投げると、犬が、ダッシュして、それをくわえに行く。  わたしは、庭のすみに立ち、そんなカイルアの砂浜を眺めていた。  どのぐらい時間がたっただろう。  人が歩いてくる気配がした。クリスが、隣に立った。わたしは、ちょっと首を回して彼女を見た。もう、涙は乾いていた。化粧もなおしてきたようだった。落ち着いた表情をしていた。 「……ごめんなさい。取り乱しちゃって。……あまり、突然の事だったんで……」  わたしは、うなずいた。 「気にしないで。誰だって、こんな場合は、取り乱すと思うわ」  と言った。 「そう言ってくれると、助かるわ」  クリスが言った。わたしは、また、うなずく。そして話しはじめた。さっきは話していなかった事。主に、〈ダイアナ・パール〉に関する事だ。〈ダイアナ・パール〉は、クリスに贈られたものだから、それをどうするかは、すべて彼女の自由。 「もし売却したい場合は、この男に連絡すればいいわ。美術商よ」  わたしは、胸ポケットから、メモ用紙を取り出した。ジャン・ミレールの名前と電話番号が書いてある。クリスは、無言で、それを受け取った。わたしは、ミレールが、〈ダイアナ・パール〉を300万ドルで買うという事も話した。 「300万ドル……」  さすがに、クリスも眼を丸くしている。 「そう。しかも、現金で払うそうよ。あの男なら、払えると思う」  わたしは言った。クリスは、しばらく黙って海を見ていた。 「なんか……現実感がないわ……」 「……そうでしょうね」 「あの……あなた、まだ、時間、ある?」  クリスが訊《き》いた。わたしは、うなずいた。クリスに、〈ダイアナ・パール〉を渡した。これで、わたしの仕事は完了した。 「あの……もしよかったら、夕食を食べていってくれない? もっとゆっくり、話を聞きたいし、それに、今夜は、友達が帰ってくるのも遅くなるはずだから……」  クリスが言った。わたしは、5秒考え、うなずいた。すでに、午後の4時を過ぎている。砂浜に、ヤシの影が長くのびていた。 「こんなものしか用意出来なくて、ごめんなさいね」  クリスが言った。夕方の5時半。わたし達は、夕食をはじめようとしていた。テーブルの上にあるのは、テイクアウトのピッツァとサラダだ。さっき、2人で近くのショッピング・センターに行き、買ってきたものだった。  ポッチギー・ソーセージ、つまりポルトガル風ソーセージをのせたピッツァ。シュリンプやイカをのせたピッツァ。それに、|AKU《アク》《カツオ》のポキだ。クリスは、プラスチックのケースに入ったポキを、ちゃんとした皿に移した。それでも、ピッツァは、紙ケースのままだ。それを、ガラスのテーブルに拡げた。 「粗末な夕食で、本当にごめんなさい」  ピッツァをテーブルに拡げながら、また、クリスは言った。わたしは微笑《ほほえ》みながら、首を横に振った。〈いいのよ〉という表情で、首を振った。 「キッチンが自由に使えれば、もっと、まともなものがつくれるんだけど……いくら友達の家でも、なかなか、自分の思い通りには使えなくてね。やっぱり、遠慮しちゃうから……」  とクリス。 「大変ね……」  わたしは、つぶやいた。 「でも、いま、いい話があってね……」 「いい話?」 「そう。あの、サンセット・クルーズの〈スターシップ〉って知ってるでしょう?」  とクリス。わたしは、うなずいた。〈スターシップ〉は、タケシのトローリング船《ボート》と同じケワロ港《ベイスン》を、母港にしている。いわゆる、サンセット・クルーズの客船だ。夕方、お客を乗せて、ホノルルの沖へ出る。そして、夕陽を見ながらカクテルや食事を出す。陽が沈んだ後も、ハワイアン・ショーをお客に見せるらしい。もっとも、地元のわたしは、乗った事がないのだけれど。 「あの〈スターシップ〉が、改装して、イメージ・チェンジするんですって」 「へえ……」  わたしは、つぶやいた。確かに、このところ、〈スターシップ〉がケワロ港を出て行くのを見かけない。クリスが言うように、改装しているのだろう。 「で、〈スターシップ〉は、船内を改装するだけじゃなくて、ショーの中身も変える予定なんですって」 「変えるって?」 「ええと……いままでは、ハワイアン・ショーって感じで、いかにも観光客向けのハワイアン・バンドとフラ・ダンスのショーだったのね。でも、それじゃ、もう、観光客も退屈するらしくて、お客が減りはじめたんですって」 「そうでしょうねえ」  わたしは言った。それは、わたしにも、うなずける。ハワイの観光客も、2度目、3度目のリピーターがふえてきた。いつまでも、〈いかにも〉のハワイアン・バンドと、ポリネシアン・ダンスやフラ・ダンスでは、お客も飽《あ》きてしまうだろう。 「そこで、〈スターシップ〉のオーナーは、ショーの内容を変える事に決めたらしいの。つまり、ハワイアン・ソングも唄《うた》えるジャズシンガーの曲を聞かせる内容にね」 「なるほど。ハワイアン・ソングをジャズっぽくね……」  クリスは、うなずいた。 「しっとりと大人っぽい雰囲気のディナー・ショーにするつもりらしいの。たぶん、観光客だけではなく、こっちに住んでる人間も来たくなるようにしたいのだと思うわ。……そこで、そのステージで唄うシンガーのオーディションがあるの」 「オーディション?……いつ?」 「明後日《あさつて》よ」 「そう。あなたも、そのオーディションに?」  クリスは、うなずいた。 「もし、〈スターシップ〉で唄えるようになれば、人並みの生活は出来るわ。もう一度、人生をやりなおせるかもしれない……」  と言った。わたしは、微笑み、 「じゃ、オーディションにうかるように、景気づけの乾杯をしましょう」  と言った。買ってきたビールの|6缶《シツクス》パックから、2缶、取った。クリスと乾杯した。  その夕方から夜。わたしとクリスは、さまざまな話をした。冷《さ》めたピッツァを温めなおして食べながら、話をした。クリスは、主に、榊慎一郎が再びハワイにやって来てからの事を聞きたがっていた。当然だろう。わたしは、覚えている限りの事を、くわしく話した。クリスは、真剣な表情で、聞いている。時には微笑み、時には声を上げて笑い、榊の事故死についてわたしが話すと、また、泣いた。わたしは、彼女の肩を抱いて、なぐさめた。クリスは、わたしが想像していた通り、優しく、思いやりがあり、ハートの温度が高い人だった。わたしとクリスは、お互いの年齢をこえ、昔からの親友のように話し込んだ。さらりと軽いハワイの風が、リビング・ルームを吹き抜けていく。わたし達の話は、つきなかった。  1週間後。クリスから電話がきた。明るい声が、受話器から響いた。 「オーディションに、うかったのよ、〈スターシップ〉の」  とクリス。わたしは、心からのおめでとうを言った。10日後、関係者を招いてのオープニング・パーティー・クルーズがあるから、ぜひ来て欲しいと、クリスは言った。よかったら、友達も一緒に連れて来てくれという。わたしは、壁のカレンダーを見た。10日後は土曜日だった。 「友達を3人ほど連れて行ってもいい?」  と、わたしが訊くと、〈もちろん〉とクリスは答えた。わたしには、考えがあった。その日、至《ツー》さんの家族が、香港から遊びに来るという。至さんの実の娘が、その一人娘、つまり至さんの孫を連れて、ハワイに遊びに来ると聞いていた。至さん、それに香港から来る娘、そして孫、その3人もサンセット・クルーズに乗せてあげれば、喜ぶだろうと思ったのだ。  クリスとの電話を切ると、わたしはオフィスを出た。1階へ。至さんの部屋に行った。至さんは、洗濯をしていた。白いTシャツを、手もみ洗いしていた。わたしは、サンセット・クルーズの話をした。至さんは、嬉《うれ》しそうな顔をした。 「お孫さんて、いま、いくつ?」 「ええと……3年前、私が香港を出て来た時、14歳だったから、もう17歳になると思います」  その表情と口調から、孫娘への愛情が感じられた。 「その年齢《とし》なら、サンセット・クルーズは楽しめると思うわ」  わたしは言った。至さんは、嬉しそうな表情で、何回も何回も頭を下げた。  10日後。土曜日。午後2時。  わたしと至さんは、ホノルル空港にいた。至さんの娘と孫を出迎えるためだ。空港の到着ロビー。それを出た所で、2人を待っていた。香港からの便は、午後1時45分に着陸しているはずだった。2人がロビーを出て来るのは、2時15分ぐらいになるだろう。  至さんは、やけに糊《のり》のきいた白いYシャツに、ネクタイをしめている。夏物のスーツを着て、革靴を履いている。スーツは、いかにも着慣《きな》れていない感じだった。ビニール袋に入ったレイを持っていた。さっき、近くのレイ・スタンドで買ってきたプルメリアのレイだ。二人分のレイを透明なビニール袋に入れて、至さんは持っていた。  わたしも、さすがに、ショートパンツ姿ではない。白い麻のスラックスにローファー。渋い色調のハワイアン・シャツ。その上に、青い麻のジャケットを着ている。シャツの上に、ショルダー・ホルスターをつけ、そこに拳銃《けんじゆう》を吊《つ》っていた。ベレッタは薄べったいので、上着《ジヤケツト》に隠れて目立たない。ただ、ひさしぶりにショルダー・ホルスターをつけたので、ちょっと違和感がある。それでも、撃たれて死ぬよりはいい。  至さんは、あきらかに緊張していた。仕方ないだろう。3年ぶりに、孫娘と会うのだから……。わたしは、至さんの緊張をやわらげるために、いろいろと話しかけてみた。けれど、至さんの硬い表情に変わりはない。じっと、到着ロビーの出入口を見ている。  ロビーの自動扉が開き、次つぎに、到着した人間が出てくる。たいてい、スーツケースを押しているか、引っぱっている。香港からの便が着いたところなので、チャイニーズの到着客が多い。やはり何年ぶりの再会なのか、強く抱き合っている人達もいる。至さんの娘と孫は、なかなか出て来ない。 [#改ページ] [#1字下げ]21 ホノルルの灯《ひ》がにじむ 「おかしいわねえ……」  わたしは、腕時計を見て言った。もう、3時近くになっていた。香港から到着した乗客達は、もう、殆《ほとん》ど、出て来ていた。けれど、至《ツー》さんの娘と孫は、到着ロビーから出て来ない。さらに、15分待った。3時15分。 「何か、あったのかしら……」  というわたしに、 「コレクト・コールで、香港の娘のところにかけてみます」  と至さんが言った。わたし達は、すぐ近くにある電話に歩いていった。至さんが、コレクト・コールを申し込んでいる。30秒ほどで、香港が出たらしい。至さんは、中国語で何か話している。時おり早口になる。まくしたてる。また、おだやかな口調になる。やがて、電話を切った。 「どうしたの?」 「予定が変わったそうです。娘が言うには、孫娘の家庭教師の予定が変わったので、ハワイに来るのは中止にしたそうです」 「家庭教師……たかが、家庭教師の……」  と、わたし。至さんは、うなずいた。力なく、うなずいた。そして、 「……そんなものです……」  と言った。その〈そんなものです〉の言葉には、さまざまな思いが込められているようだった。香港にいる娘達にとっての自分は〈そんなものです〉と言っているようにも、とれる。さらに、〈人生とは、そんなものです〉という諦《あきら》めの言葉にも、とれた。いろいろな苦労を経験してきた至さんは、いつも、〈人生、そんなものです〉と、心の中でつぶやきながら、生きてきたのかもしれなかった。もう、渡す相手のなくなったレイを持って佇《たたず》んでいる至さんは、ひと回り、小さくなったように見えた。 「とにかく、忘れましょう。忘れちゃって、一緒にサンセット・クルーズに行きましょう」  わたしは言った。ビニール袋から、2つのレイを出す。1つを、至さんの首にかけた。もう1つを、自分の首にかけた。空港の駐車場に向かって歩きはじめた。 〈スターシップ〉は、堂々とした船体を、岸壁に横づけしていた。以前は、ただ〈スターシップ〉だったのが、〈スターシップ㈼〉つまり〈スターシップ㈼世号〉と、船名表示も変わっている。  岸壁では、もう、受け付けがはじまっていた。午後4時。そろそろ、お客達が来はじめていた。受け付の所には、〈スターシップ㈼・記念サンセット・クルーズ〉と、看板が立っている。その下に〈演奏・クリス・トクナガとスターシップ・カルテット〉と描《か》かれていた。わたしは、〈|Cris Tokunaga《クリス・トクナガ》〉の文字を、じっと見つめていた。彼女は、苗字《みようじ》を、〈トクナガ〉に戻したのだ……。けれど、その意味は、深く考えない事にした。わたしも、至さんを連れて、受け付けに行った。名前を言うと、 「どうぞ、ご乗船ください」  と笑顔で言われた。肩に金モールをつけた係員が案内する。わたし達は、手すりのついた短い鉄階段を上がって、船に乗り込む。手すりには、ブルーと白のテープが巻かれていた。オープニング・パーティーらしく、あちこちに花が飾られていた。わたしは、接客係の1人をつかまえる。 「シンガーのクリス・ランドは、どこ? 友達なの」  と言った。接客係は、ニコリとして、 「上のメイン・ラウンジでリハーサル中です。もうそろそろ、終わる頃です」  と言った。わたしは、うなずく。螺旋《らせん》階段を上っていく。船内は、どこもかしこも、ま新しかった。マホガニーと真鍮《しんちゆう》が、磨き込まれて光っていた。観光用サンセット・クルーズの船というより、豪華客船といった雰囲気だった。螺旋《らせん》階段を上っていくと、音が聞こえた。演奏をしている音だ。ナ・レオのヒット曲〈|North Shore Serenade《ノース・シヨア・セレナーデ》〉。それを、アレンジしたものらしい。その曲が終わろうとしていた。  階段を上がりきると、広いメイン・ラウンジだった。壁はなく、真鍮の手すりで囲まれている。外の風景が見える。海風が吹き抜ける。遅い午後の陽射《ひざ》しが、磨き込まれた手すりに光っていた。  ラウンジの奥に、ステージがあった。そこに、クリスがいた。深いブルーのカクテル・ドレスを着ている。美しくメイクしている。バンドのメンバーも、みな、正装をしていた。ピアノ、ギター、ベース、ドラムスの4人だ。オーディションで選ばれたメンバーなのだろう。みなタキシードを着ている。ちょうど、リハーサルが終わったところらしかった。進行係のようなスタッフが、ステージに行く。 「出港は5時ジャスト。5時半から、|第1《フアースト》ステージです」  と言った。クリスもバンドのメンバーも、うなずく。低いステージをおりる。クリスが、わたしを見つけた。笑顔で、こっちにやってきた。クリスは、とても50歳には見えなかった。メイクも上手にしている。それにもまして、シンガーとしてステージに立っている、本来の自分の場所に立っているという自信が、彼女を輝かせているように見えた。 「待ってたわ、麻里《マリー》」  とクリス。わたしは、至さんをクリスに紹介した。至さんは、微笑しながら、ていねいにおじぎをした。 「いい船ね……」  と、わたし。クリスは、うなずく。 「きょうは夕陽もきれいだと思うわ」  と言った。そろそろ、お客が、ラウンジに入って来はじめた。ウェイター達が、オードヴルをテーブルに並べはじめた。その時だった。わたしは、思わず、右手を上着《ジヤケツト》の下に滑り込ませた。男が2人、歩いてくる。取り立てのやつらだった。メキシコ・ヒゲのでぶ、そして痩《や》せた白人。白人の方は、右腕を包帯で吊《つ》っている。わたしに撃たれた傷が、まだ治っていないのだろう。わたしは、身がまえた。ショルダー・ホルスターの拳銃《けんじゆう》を握った。  クリスが、 「待って」  と、わたしを手で制した。やつらは、3メートルぐらい離れた所で止まった。クリスは、やつらを見る。 「こっちへ」  と言った。どうやら、楽屋で相手をするらしい。 「大丈夫?」  と、わたし。 「大丈夫よ」  とクリス。はっきりとした声で言った。その表情に余裕がある。やつらを連れて、奥の楽屋に入っていった。  3分ほどで、やつらは出てきた。階段の方に歩いていく。メキシコ・ヒゲが、一瞬、わたしを見た。眼をそらす。無表情で、階段をおりていった。姿を消した。どうやら、トラブルにはならなかったらしい。そういえば、クリスは、〈ダイアナ・パール〉をつけていなかった。処分して、借金の返済にあてたという事なのだろう。  船は、ゆっくりと、岸壁を離れていく。夕陽を浴びながら、ケワロ港《ベイスン》を出ていく。ラウンジには、300人ぐらいのお客がいるだろう。  ケワロ港を出ると、すぐ近くが、波乗りのポイントだ。10人ぐらいのサーファーが、夕陽の中で波待ちをしている。そんな光景を横目に、〈スターシップ㈼世号〉は、ゆっくりと沖に向かう。中央のテーブルには、オードヴルが並び、シャンパンのサーヴィスもはじまった。わたしは、ウェイターからフリュート型のグラスに入ったシャンパンを2杯うけ取った。1つを至さんに渡す。軽く、グラスを合わせる。ひとくち飲む。 「おいしいです。これは何ですか?」  と至さん。 「シャンパンよ」 「……これが……シャンパンですか……」  と至さん。しみじみとした表情で、グラスに口をつける……。  やがて、5時30分。船は、ホノルルの沖、2海里《マイル》ぐらいに着いた。太陽は、かなり水平線に近づいていた。人々の顔も、白いシャツも、みな、パイナップルの色に染まっている。グラスや食器に、淡い夕陽が照り返している。タキシード姿の司会者らしい男が、低いステージに上がった。ハンサムな中年男だった。この仕事のプロだろう。 「皆さん、お楽しみいただいているでしょうか。それでは、いまからステージで演奏をはじめさせていただきます。ご紹介いたします。シンガー、クリス・トクナガ。そして、精鋭ぞろいのバックバンド、スターシップ・カルテット!」  司会者が言った。客達の拍手。そして、クリスとバンドの連中が登場した。その時、グラスを口に運ぼうとした、わたしの手が、ぴたりと止まった。  クリスの胸もと。真珠のネックレスが輝いていた。ひと目で〈ダイアナ・パール〉だとわかった。  バンドが、滑るように曲のイントロをはじめた。〈|Red Sail ln The Sunset《レツド・セイル・イン・ザ・サンセツト》〉。夕陽に赤い帆。そのイントロを演奏しはじめた。やがて、クリスが唄《うた》いはじめた。しっとりと、情感を込めて唄いはじめた。その歌声は、上質なシルクのようになめらかで、品があった。同時に、ハートがこもっていた。彼女が、このオーディションで選ばれた理由が、わたしにはわかった。クリスの胸もとで、真珠のネックレスが夕陽をうけて輝いていた。 「売らなかったのね、パール」  わたしは、手すりにもたれてクリスに言った。1回目と2回目のステージの間の休憩だった。 「売ろうかと思った事もあったけど……結局、売れなかったわ……」  とクリス。 「でも、どうやって、あの取り立て屋の連中を追い払ったの?」 「この船のオーナーが、前払いをしてくれたのよ。1週間分のギャラを前払いしてくれたの。それを借金の一部として、やつらに返したわ。やつらとしては、少しずつでも、戻ってきた方がいいわけだから、それで納得したわ」 「……なるほどね……」  わたしは、つぶやいた。わたしとクリスは、船の手すりにもたれ、風景を見ていた。もう、太陽は沈んでいる。空には、かすかな青さが残っている。ホノルルの街も、夕景から夜景に変わりはじめている。黄昏《たそがれ》の淡いブルー。その中で、ホテルの灯《あか》りが、またたきはじめていた。  ポチャリと音がした。船の近くで、マヒマヒか何かが跳《と》んだらしい。わたしとクリスが見ると、静かな海面に、波紋だけが拡がっていた。わたしは、 「いまの、きっと、榊さんよ」  と言った。 「そうね……」  クリスも、つぶやいた。亡くなった人の骨を海に帰すと、その人は魚に生まれ変わる。そんな言い伝えが、ハワイにはある。クリスは、じっと、海を眺めていた。  やがて、進行係がやって来た。 「そろそろ次のステージです」  とクリスに言った。クリスは、うなずいた。そっと、胸もとのパールに触れた。 「私が、このパールにふさわしい人間かどうか……それは、私にはわからないけれど……このネックレスをつけていると、何か、安心するの。いつも、彼が、シンイチロウが、私をはげましてくれているようで……」 「きっと、はげましてくれてるのよ……」 「……そうね。……じゃ、彼の分まで、頑張ってくるわ」  クリスは笑顔で言った。ステージの方に歩いていった。そして、2回目の演奏がはじまった。ピアノのイントロを聞いて、わたしは、〈おやっ〉と思った。それは、ハワイのローカル・ヒット曲〈|Honolulu City Lights《ホノルル・シテイ・ライツ》〉だった。現地では、あまりに有名な曲だ。クリスは、その歌詞を自分なりにアレンジして唄いはじめた。   もしもあなたの夢が   ワイキキ・ビーチにつくった   砂の城のように   もろく崩れさっても   悲しまないで   いつだって、ホノルル・シティ・ライツが   あなたを見守っていてくれる   ホノルル……みんなの故郷   もしもあなたの恋が   アラ・モアナ公園に咲く   ブーゲンビレアのように   はかなく散ってしまっても   悲しまないで   いつだって、ホノルル・シティ・ライツが   あなたを見守っていてくれる   ホノルル……みんなの故郷  クリスは、淡々と、けれど心をこめて唄っていた。わたしは、そばにいる至さんに声をかけようとして、彼の横顔を見た。至さんは、両ひじを、船の手すりにもたせかけて、はるか彼方《かなた》を見ていた。ホノルルの街灯りをじっと見ていた。その右手が、頬《ほお》をぬぐった。指先で、そっと頬をぬぐうのが見えた。わたしは、至さんに声をかけるのをやめた。ゆっくりと、シャンパンのグラスに口をつけた。  クリスの歌が、流れつづける。   もしも、いま、あなたが一人ぼっちでも   淋《さび》しさに負けないで   だって、この街では   誰もが友達……誰もが仲間……   ホノルル……みんなの故郷           永遠の故郷……  至さんは、じっと、彼方の夜景を見つめていた。わたしも、手すりに両ひじをつく。海面に映るホテルの灯りを見つめていた。二人とも、無言だった。少し涼しくなってきた海風が、わたしのピアスを、かすかに揺らせて過ぎた。クリスの歌声が、海面を流れていく。また、どこかで、ポチャリと魚の跳《と》ぶ音がした。空に、三日月が出ていた。 [#改ページ] [#1字下げ]あとがき 「ねえ、この子を預かってくれない?」  シンディに、そう言われた時は、さすがに少し驚いた。  あれは、もう、7、8年前になるだろうか……。僕が、ハワイにしばらく滞在していた時の出来事だ。  シンディは、ハワイにいる友人の妹だった。確か19歳。ハワイ大学に通っていた。陽気でよく食べるローカル・ガールだった。  シンディが、〈この子、預かってくれない〉と言ってポンと叩いたのは、1台の車だった。黄色いカルマン・ギア。|AT車《オートマテイツク》ではなく、マニュアルのスポーツ車だった。  シンディは、女の子のサッカー・チームに入っている。(ハワイでは、女子サッカーは、とても盛んだ)  つい昨日《きのう》の試合で、シンディは、左足を痛めてしまったという。足首に包帯を巻いていた。左足を痛めていては、車のクラッチ・ペダルが踏めない。当然、マニュアル車は運転できない。  逆に、僕は、オートマティックのレンタカーを借りていた。シンディは、しばらくの間、彼女のカルマン・ギアと僕のレンタカーを交換してくれないかと言ったのだ。  僕は、気軽にOKした。その場で、お互いの車を交換した。  僕にとっては、ひさびさに運転するマニュアル車だった。けれど、ものの3分で、勘《かん》をとり戻していた。体が覚えているものだ。カルマン・ギアは、軽快に小気味よく走った。僕は、いつしか、シフト・レバーでギア・チェンジしながら走る事を愉《たの》しみはじめていた。  翌日。カルマン・ギアを駆って、ノース・ショアに向かった。友人の家に行く約束になっていたのだ。  パイナップル畑の中のルート99。北へ走る。後部《リア》にある空冷エンジンが、軽快な音をたてている。オープンにしてあるので、頬をなでる風の中にパイナップルの匂いがする。  |1速《ロー》から、|2速《セカンド》へ。|2速《セカンド》から、|3速《サード》へ。ギアをシフト・アップする。そのたびに、ぐいと加速する。  今回の小説を書きはじめた時、ふと思い浮かべたのは、その日の事だった。ギアをシフト・アップしながら、ハワイの風の中を突っ走った、その時の事だ。  なぜ、小説を書きながら、そんな事を思い浮かべたのか……。その理由は、わかっている。僕自身の小説の書き方が、シフト・アップしたのだと思う。ギア1速分、はっきりとシフト・アップしたようだ。  すでに小説を読み終えた方には、わかると思う。今回の作品は、これまでの僕の小説とは、あきらかな違いがある。  具体的には、こうだ。  まず、すべての描写を、きめ細かくした。人物。その行動。その人生。さらに、ハワイの風景……。たとえれば、これまで鉛筆がきのサラリとしたスケッチだったところに、水彩絵具で色を塗ったというところだろうか。その分、物語の陰影と深みがましたと思う。  といっても、けして重い小説になったわけではない。ページの間からは、さらりと乾いたハワイの風が吹いていると信じている。  もうひとつ、この新シリーズを書くにあたって、意図した事がある。それは、〈女性の私立探偵〉を主人公にしたシリーズを書いてみたいという事だ。  私立探偵をリアルに描こうとする場合、日本が舞台だと、かなり難しい。しかし、舞台が海外なら、どうか。特にアメリカでは、女性の私立探偵を主人公にしたシリーズが何本もある。それぞれ、人気を得ている。  いうまでもなく、ハワイはアメリカの州のひとつだ。そして、ホノルルは、いまや、犯罪多発都市になってしまった。そんな街に生まれ育った日系五世の沢田麻里。ホノルル市警の女性警官をへて、ホテルのセキュリティ・ガード。(早い話、ホテル探偵)  となれば、いずれ、独立して私立探偵になるという人生の展開は、自然のなりゆきといえるかもしれない。  実際、この小説を書いていて、とても自然にペンが動いたのに驚いている。僕にとって、このシリーズは、いつか書く事が約束されていた物語なのかもしれない。  さまざまな人生の光と影が交錯するホノルル。危険や孤独をおそれず、誇り高く事件に立ち向かう沢田麻里の活躍が、たとえひと時でも、読者を楽しませ、元気づけられれば、作者としては嬉しい。  さて、問合せがとぎれない僕のファン・クラブですが、このあとがきの最後に、お知らせしようと思います。(大切なお知らせもあります。ぜひ読んでください)  僕の近況は、もちろん海です。来月からは、J.G.F.A.(ジャパン・ゲームフィッシュ協会)の年間トーナメントがはじまります。さて、今年は何匹のカジキと出会う事ができるのでしょうか。スポーツ・フィッシングに興味がある人には、ぜひJ.G.F.A.の会員になる事をおすすめします。決して硬苦しくない、釣り好きの集まりです。  年間を通じて開催される大会やイベントで、あなたと出会えるのを楽しみにしています。 (J.G.F.A. 問合せ——TEL 03・5423・6022 FAX 03・5423・6023)  僕の艇《ふね》の母港《ホーム・ポート》である葉山マリーナの皆さん、サービスセンター葉山の皆さん、いつもお世話さまです。  第二の仕事場である逗子マリーナ・スポーツサロンの皆さん、いつもありがとう。  角川書店の三浦玲香さん、今回もお疲れさまでした。  最後に、この本を手にしてくれたすべての読者の方々へ、心からありがとう。また会える時まで、少しだけグッドバイです。 [#5字下げ]桜咲きはじめた葉山で [#地付き]喜 多 嶋 隆    P・S㈰ このシリーズの次回作は、秋を予定しています。それまで待てない熱心な読者の方は、7月10日頃に発売予定の光文社文庫〈湘南探偵物語シリーズ〉を、どうぞ。  P・S㈪ 7月25日頃には、中央公論社からハードカバーで出た〈天使のリール〉が、文庫化して発売されます(もちろん中公文庫)。潮風たっぷりの、しっとりとした青春小説であり恋愛小説でもあります。ハードカバーを買いそこねた方は、手にとってみてください。  P・S㈫ インターネットの僕のホーム・ページも、かなり多くの人が遊びに来てくれているようですね。初めて来る方は、〈YAHOO!〉で検索してみてください。(正確な漢字の≪喜多嶋隆≫で検索するか、ジャンルの〈小説〉、〈作家別〉で調べてもOKです)   〈喜多嶋隆ファン・クラブ案内〉  かなり照れながらはじめたファン・クラブですが、はじめてみたら好評で、会員も増え続けています。熱心な読者の人が多いんだなと、あらためて感謝しつつ、気持ちをひきしめています。  入会すると毎月送られてくるもの。  ㈰カセット・テープ『ココナッツ・クラブ』という30分番組の収録テープです。  これは、僕の書きおろし小説を、プロのナレーターの方に朗読してもらうというのがベースです。小説のバックには、雰囲気にあったBGMが流れます。  そして、物語のラストには、僕がいまやっているバンド〈キー・ウエスト・ポイント〉の演奏が流れます。  まあ、湘南の海辺にあるバーで、小粋《こいき》なラブストーリーを耳にして、バーの専属バンドの演奏を聴いて……というような洒落《しやれ》た番組になっています。(僕の撮ったトロピカル写真でつくった美しいカセット・ラベルがついて送られてきます)  ㈪会報僕の手|描《が》きの会報《カラー》が、毎月送られてきます。ここには、僕の近況、新刊情報などが山盛りで入っています。(へただけど味があるといわれている僕のカラー・イラストも入っています)  右の㈰と㈪が、毎月必ず送られてくるものです。そして、  ★もちろん、僕の撮ったトロピカル写真でつくった会員証があります。  ★会員の誕生日には、僕からのバースデイ・カードが届きます。  ★新刊が出るたびに、サイン本プレゼントがあります。  ★もう、書店では手に入らなくなった僕の本を、出版社から直接買える方法を案内しています。  ★〈キー・ウエスト・ポイント〉のCDが年に1、2枚出ますが、そのCDを安く、確実に手に入れられます。  ★僕の本の表紙や口絵に使われたトロピカル写真を、大きくプリントして、会員限定でお分けしています。  ★年に1、2回は、ファン・クラブのパーティーをやります。  さらに、新企画! はじまります。 〈喜多嶋隆と湘南デート〉  1組2名の会員を、おなじみの葉山のレストラン「ビストロ・メナージュ」にご招待。僕と一緒にディナーを楽しんでもらいます。  その夜は、海の見える高級ホテル(鎌倉プリンスか、葉山・音羽の森)に泊まってもらえます。  これは、年に何回か、やるつもりの企画です。おそらく、希望者の中から抽選になるとは思いますが。  そのほか、僕と読者の架け橋になるような楽しい企画を考えている最中です。そこで、入会方法ですが、  事務局が独立しました。  会員が増えたため、これまでの鎌倉FMが、スペース的に手ぜまになってしまったので、事務局が独立しました。(4月末日) 〈新・事務局〉  住所 〒249−0007 神奈川県逗子市新宿3の1の7〈喜多嶋隆FC〉  FAX 0468・72・0846  Eメールでのアクセスも出来るようになりました。  メールアドレス coconuts@jeans.ocn.ne.jp  入会希望の方は、右のあて先へ、郵便かFAXで、〈喜多嶋隆ファン・クラブ入会希望〉と書いて送ってください。入会案内が送られてきます。(あなたの郵便番号と住所・氏名を忘れずに) 〈現会員の方へ〉事務局の住所とFAXは、5月1日から、前記のように変わりました。(銀行と郵便局の口座は変わりません) 〈会費〉  入会金・3000円、月会費・1500円です。 (海外からの入会も、まったく問題ありません) 角川文庫『天国からのメール』平成12年4月25日初版発行