咲村 観 上杉謙信 地の巻 目 次  第八章 混濁《こんだく》  第九章 覇者の舞い  第十章 登竜《とうりゆう》  第十一章 あかき夏  第十二章 波紋  第十三章 豪雪 [#改ページ]   第八章 混濁《こんだく》  松籟《しようらい》の音《ね》が、聞こえてくる。  ごう然と鳴るそのひびきに、景虎は不吉な予感を覚えた。室内は、暗さを増してくる。  山本勘介の入れ知恵により、信玄が、越後侵攻の火蓋を切ったように感じられてならなかった。  昨年、信玄は鉾先を南信に転じ、木曾義仲の後裔である木曾義昌を攻めて、八月、糧道を絶ち、屈服せしめている。  三年前の天文二十二年には、下伊那郡松尾の鈴岡城を攻めて、小笠原信貞を追い、一昨年八月には知久郷を焼いて、手中に収めている。  諏訪、小笠原、村上、木曾の諸族を平らげたいま、南信に敵はない。この安堵感が、信玄に越後攻めに主力をそそぐ気持をおこさせていた。  眉間にしわを寄せて思いに耽っていると、うめが茶をもって入ってきた。  面長の美しい顔は、輝きを放っているかに見える。  だが、うちに秘めた激しい気性を、景虎は好まなかった。女人は顔ではなく、心だというのが、成人して以来の信念であった。 「うっとうしい空模様でございますが、ご気分の方はいかがでございますか」  うめの言葉に、景虎は笑みを浮かべた。 「よくも悪くもない」 「ところで、また合戦の気配とか。殿様も大変でございますね。なにか心に懸ることがあれば、いつでもわたくしめに、お打ち明け下されたく。  お力になってあげられるやも知れませぬゆえ」  聞きながら景虎は、女人の性《さが》を感じた。  女中達に対する振舞いには、普段から心を配っている。しかし、男女のことだけは、如何ともなし難い。 「そなたの気持は有難い。しかし、心遣いは無用じゃ。それがしの病は、もう癒えているゆえ」 「それを聞いて、うめも安心致しました。  今後とも、お体は大切になされますよう。  わたくしはそればかりを、近頃、案じております」  話し合っていると、徳が姿を見せた。  女二人は、一瞬、しっとの火花を散らした。  だが、お互いそれを口にはしなかった。 「では、わたくしはこれで」  うめは思わせ振りな口調で、そう告げると、部屋から去っていった。 「なんの用件だ?」  不快の面持ちを見せて、突っ立っている徳に、景虎は笑みを浮かべて語りかけた。 「只今、越中へ忍び入っていた使僧の方が、武者溜りへ見えたとか。中条様からの依頼で、それを注進にまいりました」  景虎は予感の適中を覚えた。 「越中からだと」とつぶやくと、席を立っていた。  武者溜りは騒然とした雰囲気におおわれ、中条藤資以下の部将が、深刻な表情をして、使僧からの報告に、耳を傾けていた。 「どうしたのだ」  なかへ入ると、景虎はそう言葉をかけた。 「大熊朝秀が、山内舜通の援護を受け、その配下の小田切安芸守とともに、越後攻めの兵をおこしたとの由にございます」  藤資の言葉に、景虎は気持が動転するのを覚えた。 「御内」の一人であり、段銭方を勤めていた朝秀が、一転して主家に弓をひく。  戦国の乱世とはいえ、あまりの無道振りに、言葉もでなかった。 「して、その狙いは?」  間を置いて、景虎は、聞いた。 「武田信玄の挙兵に応じて、越軍を挟撃するためでございます。大熊らは、三ヵ月持ちこたえられれば、北上する武田方の大軍が、労せずして越後の国内に入ることができると、豪語致しております」 「朝秀がそのような、たわけたことを……」 「左様でございます。その噂で、国内は持ちきりでございます。  気の早い者は、家を捨て、家財をまとめて安全の地に引っ越す始末。  朝秀が流した流言のせいであることは、申すまでもございません」 「朝秀は、出奔したそれがしに見切りをつけて、信玄に鞍替えし、あまつさえ、それがしの無力を、住民達に知らしめて、国内を不安におとしいれようとしている。  許せぬことだ。しかし、それがまことのことか否かは、やがてわかる」  腹立ちの気持を抑えて、景虎はつぶやいた。  越後へ侵入する以前に、朝秀の軍を完膚なきまでに、たたかねばならぬとの気持であった。  使僧を混じえて、その場で軍議が開かれた。  机のうえに、地図がひろげられ、囲りに部将達が席を占める。  越中の地形から、朝秀が西頸城郡親不知の海岸から、越後へ侵攻してくることは、容易に想像された。 「この付近を、決戦の場と定めよう。出陣は、家成、そなたが指揮をとれ」  景虎は軍扇で、合戦の場所を示し、敵方の侵入経路を説明しながら、上野家成に言葉をかけた。  自分が指揮をとらなくても、切れ者の家成に委せば、朝秀の軍は打ち破れると判断したからである。 「承知致しました」  家成は答えて、表情を引き締めた。  敵軍が国境に迫っている現在、一刻の猶予もならない。  軍議が終わると、部将達は、慌しく部屋を去っていった。  出陣の準備を指示する武者達の怒鳴り声が聞こえてくる。  景虎は武者溜りを出ると、毘沙門堂へ入っていった。  これからは、信玄との死闘がはじまる。  いずれが勝つかは、予断が許されない。  それだけに景虎の気持は、昂っていた。  弘治二年(一五五六)八月二十一日、上野家成は、二千の兵を率いて、親不知へ向かった。  景虎が予想したとおり、朝秀はここへ兵を進め、一挙に越後国内を蹂躪しようと企てていた。  両軍のにらみ合いのなかで、二日が経過したが、二十三日の駒帰《こまがえり》の激戦で、勝敗が決まった。  上野家成の知恵が、兵力において勝る越中勢を上回ったのである。  朝秀はわずかの兵に守られて、命からがら甲斐へ落ちのびていった。  この報せが、景虎のもとにとどいたのは、その日の夕刻であった。 「これで越後の国内は安泰になった。  あとは、信玄の軍と、川中島で渡り合うだけだ」  軍師、山本勘介の奇怪とも言える風貌を思い浮かべながら、景虎はつぶやいた。  信玄との決戦は、同時に勘介との知恵くらべであった。 「左様でございますな。八陣の構えと神出鬼没の騎馬隊に、いかに対処するかによって、勝敗が分かれると思われます」  実綱が答えてくる。 「今後は受け身の戦いをやめて、信玄や勘介を討ち取るつもりで、それがしは戦いを進めてゆく」  内部攪乱戦術を使う信玄に対する腹立ちの気持が、景虎にこのような言葉を吐かせていた。 「殿らしいお考え、結構とは存じますが、お命だけは、くれぐれも大切になされますよう。  もし戦死されるようなことになりましたら、住民達は勿論、城内の女達も悲しみますゆえ」 「ばかなことを申すではない。それがしは、女人には興味はない」 「しかし、徳は別でございましょう」 「…………」  さすがに答えることができなかった。  二人は、顔を見合わせて笑った。  大熊朝秀の反乱によって、甲越の和約は、破綻を生じた。  九月以降、春日山城内は、緊迫した空気に包まれ、毎日のように出陣の打ち合わせが行われた。  年明けを期して、景虎は、北信へ侵攻の兵を進めるつもりであった。  近頃は、心の不安を覚えない。  剣や馬術の修業を積み、家臣と、狩りなどに出かけると、気分が晴れてくるのである。  徳が折りにふれて、その点を気遣ってくれることが、景虎には有難かった。  そのため、この年末年始は、充実した気分で送ることができた。  女中達と語らい、家臣と酒を酌み交わして英気を養った景虎は、正月三日、信濃の更級《さらしな》郡へ、兵を率いて発った。  八幡社に詣で、信濃平定を祈願するためである。  城下を南へ向かう一千の兵に、庶民は戦乱の気配を感じ、おののきの表情を見せた。 「また甲斐勢と合戦とか?」 「そのようでござるな。しかし、殿様が采配を振られる限り、越後は安泰じゃ」 「それはそうだが……」  出立《しゆつたつ》を見送る群衆のなかから、ささやき声が洩れてくる。  緋おどしの鎧をまとい、顔を白布でおおった景虎の姿は、庶民の間で、評判になっている。  駒を進めながら景虎は、武田信玄との攻防の経緯を振り返った。  労多くして、功は少なかったように思えてならない。  いずれは雌雄を決しなければならない運命に、二人は置かれている。  考え方、生き方その他、すべての面で違う信玄は、景虎にとり不倶戴天の敵であった。  それゆえにこそ、過去から全力を傾けて、戦い続けてきた。  今後もそれは続く。  天下平定を進める過程での試練とはいえ、その負担は、景虎にとり、たとえようもなく大きかった。  甲斐に落ちのびた朝秀は、信玄にとりたてられ、旗本足軽大将に任ぜられて、躑躅《つつじ》ケ崎城の守りを委せられている。  越後での地位には比ぶべくもない、低い身分であるが、朝秀はそれで満足なのであろう。  積雪におおわれた野山の風景が、わびしさを誘う。  天下平定への道が、遠く険しいことを、思わずにはおられなかった。  国境を越えて、更級郡に入ったのは、二日後であった。  冬枯れにおおわれた眺めのなかに、巨大な社《やしろ》が、建っている。  馬から降りると、境内に歩を進めた。  将兵達も、武装姿のまま、あとに従う。  参詣者が、驚きの表情を見せるなかを、景虎は本殿へ進み、拝所に立った。  神仏に戦勝を祈願するのは、武将の慣らいである。  武田信玄や今川義元なども、出陣に当たり、同じことを行っている。  将兵達が居並ぶなかで、祈願の儀式が行われる。  神主が祝詞《のりと》を奏上し、続いて浄払《きよはら》えの儀が行われた。  それが終わると、景虎は神殿の前へ進み出で、用意した願文を読みあげた。  ——それがしは、隣州《りんしゆう》之国主なるがゆえに、後代のためにも、また北信諸士との友好関係からも、信濃を助け、国の安全のため、軍功を励してきた。神は非礼を受けず。信玄は、国務を奪わんがため、故なく罪なき諸家を乱した。  伏して冀《こいねが》わくは、この精誠の旨趣《ししゆ》、照鑑を垂れ給い、景虎一団扇を以て、当国、本意の如く静謐《せいひつ》せしめ、天下に家名を発《おこ》さん——という内容のものであった。  兵達は、首《こうべ》を垂れて、景虎の言葉に聞き入っていた。  読み終わると、巻き紙をもとへ戻して、神殿に奉納した。  約半刻かけて、祈願の儀式は終わった。  直会《なおらい》が行われ、全員に酒が配られる。  景虎の頬は紅潮し、眼は輝きを放っていた。  美酒に酔いながら景虎は、兇徒討伐の綸旨《りんじ》を受けたときの、京都御所の壮大な風景を思い浮かべていた。  一月末までは、何事もなく経過した。  だが、二月を迎えると、甲越両軍の戦端が切って落とされた。  甲斐勢が大挙して、上水内《かみみのち》郡(長野市の北方)の葛山《かつらやま》城を攻め、落合《おちあい》備中守の激しい抵抗にかかわらず、力でそれを殲滅《せんめつ》したからである。  それに恐れをなして、長沼城の島津規久も大倉に退き守勢に立つに至った。  景虎は、先年の今川義元の調停の趣旨を重んじて、援兵を送ることを控えたが、ここに至って是非に及ばずと、出陣の覚悟を決めた。  二月十六日には、色部勝長に書状を送り、「雪中大儀であるが、信州の味方が滅亡すれば、越後の防備も不安であるゆえ、夜を以《もつ》て日に継《つ》ぎ、一廉《ひとかど》の人数以下、相嗜《あいたしな》まれ、御稼此時《おんかせぎこのとき》に候」と述べて、合戦の準備と出陣を促した。  不穏な形勢が続くなかで、一ヵ月が経過した。  季節は移ろい、越後にも春の気配が見られはじめた。  景虎が廊下に佇んで、庭の風景を眺めていると、高梨政頼の使者が、本庄|実仍《さねとみ》とともにやってきた。  表情には只ならぬ気配が、走っている。 「武田勢が鉾先を、飯山《いいやま》城(長野県飯山市)に転じてまいりました……」  実仍の言葉に、景虎は色を失った。  飯山城は、高梨政頼の拠城であるからである。  北信の味方のなかでも、政頼は長尾家とゆかりが深い。  信玄の再三の侵攻にかかわらず、善光寺平がいまだにその手中に落ちないのは、政頼と景虎が連繋を密にして、付近の諸領主や住民に、越後に対する信頼感を植えつけているせいであった。  信玄は、それを知っている。  そのゆえに、北信経略のガンである政頼の拠城を攻める作戦に、出てきたのである。 「ここ数日、武田勢は飯山城付近に間者を放って、動静を探り、兵力を確かめております。  加えて、城内への糧道を断つため、小部隊を派遣して、その経路をふさぐ手術《てだ》てに出てきております。  この状況では、やがて城攻めが開始されるは必定。  殿(政頼)はその点を憂慮致し、八方手を尽くしておりますが、武田勢の騎馬隊に、さまたげられて、目的を果たすことができませぬ。  このまま経過せんか、城内の兵糧は、あと二ヵ月で尽きてしまいます……」  使者は悲痛な面持ちをみせて、そう、訴えてきた。  飯山城が落ちれば、これまでの苦労は、水泡に帰してしまう。  驚きの気持は、たとえようもなかった。 「わかった。直ちに信濃へ進撃を開始する。  出陣は、二十四日前後になろう。  ただ信越国境には、現在、武田勢が勢力を張っている。  そのため、越境して信濃に入ること自体が、至難な業ゆえ、場合により、飯山城到着は、一ヵ月後になるやも知れぬ。その点も含んで、攻防にあたるよう、政頼に伝えてもらいたい」  景虎は決意を秘めた口調で、言葉を返した。  使者は了承して、館から去っていった。 「いよいよ、信玄との決戦でございますな」 「左様、今回も前回に匹敵する長期戦となろう。だが、部将達のまとまりがみられる現在、たとえそうなっても、士気が阻喪《そそう》する恐れはあるまい」 「そのとおりでございます。昨年の殿の出奔は、その意味では、よい結果をもたらしたと言えます」 「戦さは、人の和が得られなければ勝てぬ。  地の利と兵力が互角である甲斐勢との戦いにおいては、特にそれが言える」 「いや全く。今度は信玄の息の根を止めねばと、わたくしも考えております」 「それがしも、そのつもりだ」  武田勢を制圧できる自信はない。  しかし、死力を尽くしてでも、信玄の北信経略は阻まなければならぬと、景虎は考えていた。  三月二十四日、景虎は八千の兵を率いて、春日山城を発った。  野山は緑の装いをとり戻し、吹き寄せる風に、木々の葉がそよいでいる。  兵団は、野を渡り、小山を越えて、北信への道をたどっていった。  風林火山の兵法に対する恐れの気持はない。  山本勘介がいかに知恵をしぼり、策をろうしようとも、その裏をかく手術《てだ》ては、究《きわ》めている。  一戦一戦を慎重に闘えば、武田勢を打ち破ることができる、これがここ一ヵ月思案した末の結論の考えであった。  四月十日、国境付近に布陣を完了した。  信玄は、兵站線《へいたんせん》がのびることを慮《おもんぱか》って、国境の山を越えたことがない。  高原に陣地を構えて、相対峙した両軍は、お互いに相手の出方をうかがったまま、動かなかった。  騎馬隊の小ぜり合いが、時折みられただけで、合戦らしい合戦もしないまま日時が経過していった。  敵方へ放った間者からの報告により、武田勢の兵力と布陣の状況を把んだ景虎は、四月十七日夕刻、部将達を本陣に集めて、明日未明を期して、国境を越えることを達した。 「敵方の作戦には、山本勘介の判断が働いている。今回の散兵方式の布陣がそれだ。  従来は、神出鬼没のこの用兵方法に、われわれは悩まされた。だが、同じ手はいつまでも通用しない。  信玄は、勘介の智略を信ずるあまり、その点に気づいておらぬ。  合戦に勝つ秘訣は、そこにある……」  景虎はそう述べて、敵陣を突破する詳細な方法を、部将達に伝授した。  風林火山の兵法に対するには、兵力を集中して臨むほかはない。これがここ数日、思案した末の考えであった。  扇子で、地図を指し示しながら語る景虎の口調には、迷いはみられない。  緋おどしの鎧が、幕間《まくま》から洩れる夕陽を浴びて、輝いて見える。  部将達は息を呑んで、景虎の表情を、見守っていた。  翌十八日、払暁、越軍は、騎馬隊を先頭に、国境の高原を越えた。  陽はまだ昇っていない。朝もやのなかを、八千の兵団は、黒い塊となって、山を下っていった。  蹄の音は殺されている。  丘陵のうねりのなかを、蟻の群れのように進む兵達の姿には、何者の抵抗も許さない気迫が秘められていた。  越軍の進撃を知った武田勢は、ほら貝の音を鳴らして、迎撃態勢を整えたが、破竹の勢いで進む越後勢の進路を、阻むことはできなかった。  騎馬隊の襲撃に、おののきの表情を見せ、叫び声をあげて逃げ惑う敵兵の姿が、視野をかすめてゆく。  陽が東の空に昇る頃には、国境付近に布陣していた三千の武田勢は、善光寺平へ向かって撤退作戦を展開していた。  景虎の決断により、越軍は労せずして、北信の地へ、足を踏み入れることに成功したのである。  陽ざしが、緑一色におおわれた善光寺平を浮き彫りにする。  犀川と千曲川のあざやかな姿が、眼に沁みるように映る。  武田勢を駆逐した越軍は、午の刻(午前十二時)前には、善光寺を指呼の間に望む地に、布陣を完了した。  翌日から、武田勢は、陣形を立て直して反撃に出てきたが、越軍が応戦の兵を進めると、退却して戦おうとはしなかった。  信玄独特の遊撃作戦に、景虎はほぞを噛んだ。今回の合戦では、信玄の本陣を攻め、その首級をあげるつもりでいる。  しかし、武田勢が正面衝突を避け、本陣の位置を、そのときどきの状況に応じて移すとなれば、その実現は不可能になる。 「なぜ、このような作戦を……」  敵陣をにらみながら、景虎は吐き捨てるようにつぶやいた。 「殿、焦ってはなりませぬぞ」  実綱の言葉に、景虎は息を呑んだ。 「わかっておる。緒戦は勝利に終わったと思っていたが、そうではなかったのかも知れぬ」  そう答えて、溜め息を洩らした。  山本勘介の思慮の深さが感じられてならなかった。  翌日も、その次の日も、武田勢は小ぜり合いの作戦に徹し、主力部隊による戦闘を回避した。  そのため、越軍は、山麓の陣地を払って追撃に移り、四月二十一日には、�善光寺�に進出して陣を張った。  しかし、景虎は、ここを本陣と定めるつもりはなかった。  武田勢を討つには、相手方のやり方にならって、そのときどきに陣地を移動し、自在の形で対処しなければならぬからである。  里栗田家の好意により、三日間、同寺に滞在した越軍は、山田および福島の合戦において退却した武田勢を追って、二十五日早朝には、南へ向かって移動を開始していた。  そして陣地数ヵ所、根小屋以下を焼き、そのまま旧旭山城に進出して、要害を再興し、そこに本陣を置いた。  一昨年の講和で破却させた要害を、自らの手で再興する運命の皮肉を、景虎は思い浮かべた。  あのときの合戦では、知恵をしぼり、秘術を尽くしても、この砦を攻め落とすことができなかった。  その苦い経験を、景虎は今回の合戦において、いち早く生かしたのである。 「われわれが旭の要害に拠ると聞いて、信玄は、さぞくやしがっていることであろう」 「いや、全く。  戦国の乱世ゆえにこそ、このような皮肉な現象がみられるのでございましょう」  景虎は実仍と、言葉を交わして笑った。  この要害に拠る限り、山本勘介が、知恵をしぼって城攻めを敢行しても、落ちることはない。  その自信が、二人の心に安らぎをあたえていた。  飯山《いいやま》城も、越軍の信濃進出を機に、安泰の状態に置かれている。  今回の合戦は、その意味では、前回以上の成果を収めようとしていた。  ただ信玄のこと、いかなる策略をめぐらせているかも知れず、その点だけが、景虎にとっては気懸りであった。  小部隊による攻防戦が、繰り返されるなかで、六日が経過した。  旭の要害は、日毎に様相を変え、現在では何千の武田勢が攻め寄せてきても、微動だにしない堅固さを誇っていた。  そのようななかで、甲斐勢は、この城砦の攻略に執念を燃やし、毎日のように総攻撃をかけてきた。  だが、かつての越軍同様、兵の疲労だけがつのって、はかばかしい成果はあげられなかった。  加えて、各地で転戦している越軍は、戦いの都度、勝利を収め、善光寺平から武田勢を駆逐している。  この状況に信玄は焦慮し、五月はじめ、山本勘介を、景虎のもとへ遣わしてきた。  武者からの注進に、景虎は驚いた。  合戦の常識を破ることであったからである。 「取り敢えず、本陣へ通せ。列席者は、実仍以下五名の部将だけに限ることとする」と答えると、席を立って、広場にしつらえられた幕間へ入っていった。  武装姿のまま、床几《しようぎ》に腰を下ろして待っていると、実仍、実綱、藤資ほかの部将とともに、勘介が、若武者二人を伴って、姿を見せた。  一昨年会ったときより、勘介はふけてみえた。  年齢は六十歳を越えていると、その後伝え聞いたが、景虎にはそうはみえなかった。  両者は挨拶を交わし、向かい合って座った。  勘介の左眼《さがん》はつぶれ、見るも無残な状態を呈している。  しかし、右眼《うがん》は大きく見開かれ、眼ばたきもせず、景虎を凝視していた。  広い肩幅、盛りあがった背中、短い足、角ばった顔、眼に映るすべてが、異様であり、奇怪であった。  その個性のある風貌に、部将達は、息を呑んで、言葉すら発しなかった。 「今回の合戦の儀、双方とも兵は疲労|困憊《こんぱい》の極に達し、このまま、戦いを継続せんか、とも倒れになるは必定と考えられます。  主君、晴信においては、この点を憂慮致し、しばらく休戦をしてはとの発案をなされました。細部は書状にしたためてありますが、取り敢えず、二十日間、合戦を停止するというのが、当方の考えにございます」  勘介は口元に笑みを浮かべて、そう語ると、持参した書状を差し出した。  景虎は受け取ると、開封して読んだ。  想像以上に達筆であり、文章も整っている。  さすがは天下を狙う器量人だと、景虎は思った。  だが、内容は、自軍に都合のよいことを、臆面もなく述べ、二十日の休戦が必要な理由が、作出されて書かれてあった。 「要は兵の疲労を癒やし、兵糧と武器を補給するのが、武田方の目的のようでござるな」  景虎は勘介を見据えて、そう言葉を返した。 「いや、そうではござらぬ。さきほども述べたように……」  勘介は不敵な笑みを浮かべて、反論を展開しはじめた。だが、景虎はそれを許さなかった。 「理屈はいくらでもたとう。  しかし、それを聞いても、はじまらぬのが、合戦というもの。とにかく、二十日間は、長すぎる。甲斐勢には、その日数が必要なのかも知れぬが、当方には関わりなきこと。  率直に言って、五月十日までの休戦ならば、認めよう。  それ以上は無意味じゃ」  休戦の申し出には応じてもよい。  しかし、武田勢に都合のよいことばかりは認められぬというのが、景虎の考えであった。 「殿の言われるとおりだ。  合戦を一時休止すること自体が、世の慣らいに反する。  武田勢は、そのような手術《てだ》てをよく使われるが、われわれには、笑止なこと。  軍師のそなたなら、そのことわりは、わかっておろう」  実仍が、怒りの表情を浮かべてまくし立てる。先年の講和の際、勘介の策に翻弄《ほんろう》された腹いせの気持が、口振りにあらわれていた。 「なにを申される。それがしが礼を尽くして、申しているのに、それを無視する口上を述べられるとは不届至極……」  勘介は実仍に向かって、そう言い放った。 「不届とは、なんたる無礼な。貴殿のような人物とは、問答無用じゃ。  即刻この場から、立ち去れい!」  激しい声が、あたりの空気を震わせる。勘介は眉を逆立てた。  だが、それより早く、景虎は、静止の言葉をかけていた。  安堵の溜め息が、部将達の間に洩れる。  勘介は眼を閉じて、思案に耽った。  景虎の提案を受けるか、否かを判断しているのである。  風に幕間が、はためいて揺れる。 「わかりました。五月十日までの休戦の件、しかと承ってござる。ご配慮に対し、厚くお礼申し上げる」  間を置いて、勘介はそう言葉を返してきた。  景虎は、うなずいた。  勘介は席を立つと、供の武者を従えて、幕間から去っていった。 「信玄はかわった武将よのう。しきたりに違《たが》う行為を平然となす。  そのような人物ゆえ、父を駿河へ追放し、敵方の女人を側室に迎えることができるのであろう」 「そのとおりだ」  藤資と実仍の会話に、一同は、声をあげて笑った。  七日間の休戦を、兵達は喜んだ。  善光寺平には、夏草が生い繁り、照りつける陽光に、野山は輝きを放っている。  かや葺の農家が、うらぶれた姿を見せ、かげろうにゆらめいて、眼に映る。  陣地には、人影が見られない。  はためく軍旗が、合戦の空しさを感じさせた。  眺めながら、故国へ思いを馳せていると、高梨政頼がやってきた。飯山《いいやま》城の危急が去ったせいか、表情には、豊かさがかえっている。 「休戦明けは、あと二日と迫っておりますが、小管山、元隆寺での戦勝祈願は、いかがなされます」 「五月十日がよいと思うが、九日でもかまわぬ。先方の都合次第だ」  景虎は、さり気なく答えた。  武田勢の存在は、意識から遠のいていた。 「十日は、休戦の最後の日でございますし、三百の兵を率いての参詣となれば、翌日以降の合戦に、影響をおよぼすと思われますが」 「戦いは長期にわたるゆえ、甲斐勢も休戦明けを期して、攻め寄せてくることは考えられぬ。それゆえ、心を使うにはおよばぬ」  信玄は、今回の合戦の不利に気づいている。  越軍に乾坤一擲の戦いをいどむなど、到底考えられぬというのが、景虎の判断であった。 「じゃ、そうしますか」  政頼は答えて、陣地へ去っていった。  当日、景虎は、騎馬武者を従えて、下高井郡(飯山市の東)の元隆寺に向かった。  休戦中の行動に、武田勢は、ほら貝を鳴らして、迎撃態勢を整えたが、発した使者の説明に了承して、ことなきを得た。  明日以降は、上郡に兵を進めて、武田勢を打ち破るつもりである。  儀式が終わると、寺の応接間で、住持と語らい、庭園の風景を眺めて、過ごした。  束の間の安らぎとはいえ、合戦に明け暮れてきた景虎には、英気を養うこよなき機会となった。  翌日、越軍は武田勢の勢力圏の�香坂�(小諸市の南東)へ向かって、兵を進めた。  住民達は安全の地へ引っ越したのか、村落には人影がみられない。  行軍に、土煙がもうもうとあがり、ぎらつく太陽も、霞んでいるかに見える。  森の彼方には、風林火山の軍旗が、はためいている。  太鼓の音がひびき渡り、喊声があがったと思うと、抜刀し、槍を構えた敵兵が、蟻の群れのように、攻め寄せてきた。  行軍の疲れをいやすいとまもなく、越軍は応戦の火蓋を切らなければならなかった。  凄絶な白兵戦が、高原で展開される。絶叫が天にとどろき、双方のおびただしい血が、一瞬のうちに流された。  死体を踏みにじって進む兵達の表情は、蒼ざめている。  景虎の眉は逆立ち、眼は血走っていた。  払った刀を斜めに構え、顔の白布をなびかせながら進む姿は、修羅そのものであった。  武田家の家紋を染め抜いた幕間が、形を大きくして迫ってくる。 「焼け!」  景虎は、敵兵と刃を交じえながら叫んだ。  本陣のなかにいるかも知れない信玄を、おびきだしたい気持であった。  松明《たいまつ》を手に持った騎馬武者が、疾風のように、横を駆け抜けたと見る間に、敵陣は、猛火に包まれていた。 「引け!」  敵将の叫び声が、鼓膜を震わせる。  五千の武田勢は、隊列を乱し、土煙をあげて、敗走しはじめた。  あたりは、火の海と化している。 �香坂�は両軍の激突のなかで、跡かたもなく、姿を消してしまったのである。  景虎は、馬に跨がったまま、顔の白布をとった。  さわやかな気持であった。  信玄の姿は、遂にみることができなかった。それだけが、景虎にとって、心残りであった。  翌日、越軍は、小県《ちいさがた》郡へ兵を進め、坂本、岩鼻(虚空山城)に拠る武田勢を、激しい合戦の末、撃破した。  その後も、景虎は信玄の所在を求めて、執拗に甲斐勢の本隊を襲ったが、八陣の構えの陣地が見えるに拘らず、信玄の姿はどこにも見当たらなかった。  影武者をたて、仮の本陣を各所に設ける信玄の戦術は、景虎も知っている。しかし、甲斐勢とこれほど刃を交じえながら、敵将の姿に一度も接しないことは、合戦の常識を破るものである。 「殿が、執拗に信玄を追うものだから、敵方の部将が恐れをなして、総大将を隠したのかも知れませぬな」  実仍が言ってくる。 「いや、そうではなかろう。武田信玄という武将は、本来、このような振舞いを好む人物なのだ」 「と申しますと、総大将自身の発心で?」 「左様。しかし、いつかは、それがしの手で、首級をあげてみせる」  景虎の口調には、気迫がこもっていた。  合戦は、その後も毎日のように続いた。  だが、両軍とも、決定的な打撃を相手方に与えることなく、本格的な夏を迎えた。  北信の争奪をめぐる甲越の決戦は、長期化の様相を呈し、士気の衰えから、双方とも守りの態勢を固めるだけで、積極的な攻撃には殆どでなくなった。  この状況に、景虎は、�信玄撃滅�の悲願が、今回も達成が困難になってきたことを感じた。  しかし、なんらかの脅威を敵方に与えずして、越後へ引きあげる気持にはなれなかった。  風が、あけられた戸口から、舞い込んでくる。  幕間の外の気配が慌しくなったと思うと、中条藤資が、息せき切って入ってきた。 「甲斐勢が上野原に、全軍を集結して、われわれに決戦をいどむ構えを見せております」 「なに、信玄が……」  景虎は床几から立ち上がると、思わず叫んでいた。 「左様でございます。兵力は八千、うち騎馬武者は二千との情報が、すでに入っております」  藤資の言葉に景虎は、信玄が合戦に結着をつける気持になったことを感じた。 「わかった。いよいよ最後の合戦だ。  これに勝てば、当分善光寺平には平和がよみがえる」  予感のような気持であった。  出陣の準備を、藤資に指示すると、鎧を身につけ、太刀を佩いた。闘志が湧いてくる。  敵陣を蹂躪し、信玄の首級をあげねば、おさまらぬ気持であった。  ほら貝の音がひびき渡る。  景虎は幕間の外へ出て、馬に跨がった。  八千の兵は、出陣の準備を整えていた。  行先は、上水内《かみみのち》郡(長野市北方)岩槻村であった。  軍配をかざすと、出発の下知を下した。 「手明《てあけ》」を先頭に、兵団は、長蛇の列をなして、北へ向かった。  八月を迎えたせいか、あたりの風景には、秋の気配がただよっている。  澄みきった空がうえをおおい、残夏の名残りの積乱雲が浮かんでいる。  春日山城を発って以来、五ヵ月近くの月日が経過したことを、景虎は思い浮かべていた。  上野原に着いたときには、陽は西に傾いていた。  焼けつくような陽ざしが、顔に照りつけてくる。  風はなく、むせ返るような暑さに、あたりはおおわれていた。  馬を止めると、額の汗をぬぐった。  彼方の高台には、武田勢の陣地が見える。  八千の兵を集結している限り、信玄も勘介も、本陣のなかに居るはずである。  陣地の構築が、直ちに開始される。  小山を背景にして、半円型の竹矢来が、みるみるつくられてゆく。  夜を迎えても、篝火《かがりび》が焚かれるなかで、陣地の構築が続けられた。  景虎はあたりを散策した。  星が満天にきらめき、月光が森や林の黒い影を浮き彫りにする。 �明日は待機戦法に出よう。そうすれば、信玄や勘介が或いは、平原に姿をあらわすかも知れぬ�と歩きながら考えた。  やがて兵達は、眠りに就いた。  景虎も、岩場のかげに腰を下ろし、武装姿のまま眼を閉じた。  翌朝、景虎は全軍に下知を下して、武田勢を迎え撃つ態勢を整えさせた。  だが、予想に反して、敵軍は攻め寄せてはこなかった。  一呼吸置く作戦に、信玄が転じたことを、景虎は悟った。  部将達を集めると、「日中は恐らく攻撃をかけてはこまい。問題は今夜だ」と注意を促した。 「夜襲にでてくるというわけですか」  実綱が聞いてくる。 「左様。近頃は空が高く、月光もさえている。  それに今夜は満月じゃ。夜襲をかける絶好の機会と、勘介は判断しているに違いない」 「なるほど」  奇襲に備えての態勢は、すぐ整えられた。  午《ひる》以降、兵達は交代で仮眠し、夜の帳《とばり》が降りる頃には、全員戦闘配置についていた。  松明の火は消されている。  景虎は馬に跨がったまま敵陣を凝視した。  篝火がちらつき、人馬がうごめく気配が感じられる。  出陣の態勢を整えていることが、勘でわかった。その旨を見張りの兵に伝えると、「殿にはわかっても、わたくしには、察しがつきませぬ」との答えがかえってきた。  景虎の勘は、人一倍すぐれている。  過去の合戦においても、それによって危機を脱したことが、しばしばあった。  武田勢の状況は、伝令によって、全員に知らされた。  緊迫感が、兵達の間にみなぎってくる。  昨夜と同じく、空には星がきらめき、さえた月光が、漆黒の大地を照らしていた。  敵陣のあかりが、闇のなかに浮かびあがってくる。夜は更けていた。  犬の遠吠えが、聴覚をかすめてゆく。  武田勢の陣地は、静まりかえっている。 「徐《しず》かなること林の如しか」眺めながら、景虎はつぶやいた。  地鳴りのような音が、ひびいてくる。  景虎の胸は高鳴った。 「敵襲だ!」  激しい声が、口をついて出る。  陣地のなかは、騒然とした気配に、おおわれてきた。  馬上武者の声が、夜空にこだまする。  兵達は抜刀し、固唾を飲んで、武田勢の襲来を待ち受けた。  馬のいななきが聞こえてくる。  敵の騎馬武者が、近づいてきたことを景虎は悟った。  黒々とした人馬の群れが、月光のなかに、姿をあらわしてくる。  隔たりは、百間ほどしかない。  ほら貝の音がひびき渡る。  それを合図に、敵軍は一斉に総攻撃に出てきた。  喊声が山野にこだまし、襲ってくる騎馬武者の姿が、視界をかすめてゆく。 「撃て!」  景虎は刀をかざして絶叫した。  鉄砲の発射音がとどろき、弓矢の射かけが開始される。  だが、武田勢は、それにはひるまなかった。  八千の兵団は、太鼓の連打を合図に、越軍の陣地になだれ込んできたのである。  一万六千の兵が、月明かりのなかで死闘を演じはじめる。  絶叫があがり、刀と刀がつばぜり合う音が、耳をつんざくように聞こえてくる。  地獄絵そのものの、凄惨な光景であった。  景虎は眼を据えて、出撃の機をうかがった。  下知を下す敵方の部将の姿が、網膜をかすめてゆく。  広い肩幅、せむしのようにかがんだ背中、鎧、胄に身を固め、軽々と馬を御《ぎよ》す姿は、正しく山本勘介であった。  越軍の予想外の反撃に、武田勢はたじろいだ。  激突の後、勘介の下知に応じて、闘いながら退却しはじめたのである。 「追え!」  景虎は声を限りに叫ぶと、抜刀したまま、馬を駆った。  眼は、落ちのびる山本勘介の後姿に、注がれていた。  追撃する八千の兵のときの声が、夜空にこだまする。  勝利が確定したことを、景虎は感じた。  馬を鞭打つと、慌てふためいて逃げる武田勢の背後に迫っていった。  騎馬武者を刃にかけながら進むうち、景虎は山本勘介の姿を見失った。  眼をそらせた隙に、かき消すように闇に没していたのである。 �今回は生かしておこう。だが、次の機会には……�胸のうちで、そうつぶやくと、馬の速度をゆるめた。  越軍は、半刻ほど甲斐勢を追ったのち、陣地に引きかえした。  兵達は、疲れていた。  明日以降の戦いに備えて、人馬の点検を行ったのち、景虎は眠りについた。  月光が闇を照らし、兵達の黒々とした姿を映し出す。  破壊された竹矢来の無残な姿が、合戦のすさまじさを思い起こさせた。  荒野が南へ向かって無限のひろがりを見せ、点在する森や林の佇まいが、眼にわびしく映る。  さきほどまでの合戦がうそのように、陣地内は静まりかえっていた。  野犬の遠吠えが聞こえてくる。  雲を渡る月を眺めながら、景虎は春日山城で、自分の帰りを待ち佗びている徳の姿を、思い浮かべていた。  上野原での激戦のあと、武田勢は陣地を南に移して、戦力の立て直しをはかった。  しかし、越軍の士気に圧倒されてか、その後は合戦をしかけてこなかった。  双方の対陣が続くなかで、九月を迎えた。  この時点で、景虎は兵を引くことを決め、九月七日、陣地を払って善光寺平をあとにした。  川中島をめぐる戦いは、今後も続く。この見透しが、景虎や部将達に、合戦にけじめをつける決断を下させていた。  鳥が群れをなして、空を飛んでゆく。  青空を突き切って、南へ向かうと見る間に、弧を描いて北へ去ってゆく。  一糸乱れぬ見事な飛翔である。  眺めながら景虎は、現在の越軍の姿を、そのなかにみたように思った。  今回のような統制がみられる限り、武田勢に敗れることはない。  父為景が果たし得なかった国内統一が、ここにきてようやくなし遂げられたことを、景虎は感じた。 �今後は信玄の北上を制しながら、念願の関東への侵攻を開始しよう�夕陽に映える国境の山々を眺めながら、そう胸のうちでつぶやいていた。  庭に雪が降っている。  景虎は、窓をあけて、その眺めに見とれていた。  越後の冬は早い。  十月も半ばを過ぎると、降雪の季節を迎えるのである。  あたりは静まりかえって、物音一つ聞こえてこない。 �初雪か……�  胸のうちで、そうつぶやいた。  焼けつくような陽ざしのなかで、戦った五ヵ月間が夢のように感じられる。  諸国の状勢は、その後混迷の度を増していた。  織田信長と今川義元の対決、北条氏康の関東蹂躪と、関東管領上杉憲政の孤立などの情報が、毎日のように、景虎の耳に入ってきた。  応仁の乱以降の戦乱の世は、ここにきて、天下を狙う諸将の激突という形で、結着をみようとしていた。  思いをめぐらせていると、長尾政景が襖《ふすま》をあけて入ってきた。  手持ち無沙汰なのであろう。  用件もないまま、政景は下げてきた徳利《とくり》を無造作に、床《ゆか》のうえに置いた。 「どうです。気晴らしに一杯やりませんか」  そう語って、あぐらをかいた。  表情には豊かさがかえっている。  二人は酒を飲みながら、雑談を交わした。 「川中島の合戦に勝って、越後の安泰は保障されましたが、甲斐の武田殿は、いま諸方の敵と戦って、大へんなようでございますな」 「信玄は欲が深すぎるのだ。北信を執念のように狙って、今年は善光寺平へ兵を進める一方、北|安曇《あずみ》郡の小谷城を攻略して、糸魚川《いといがわ》に通ずる要衝を確保した。  将来の越後攻めの布石かも知れぬが、全く笑止なことだ」  景虎は語って、笑みを浮かべた。 「いや全く。ところで、武田殿が、三国同盟の旨趣を重んじて、関東の西|上野《こうずけ》へ兵を進め、武蔵大里郡の市田茂竹庵が、それを援けているとの噂が流れておりますが、ほんとうのことでございましょうか」 「まことだ。この状況だと、安房の里見、常陸の佐竹両氏の援護を受けても、上杉憲政殿は苦しかろう。  川中島をめぐる国境紛争が、発端になって、三国同盟ができ、それが越後と関東管領勢力を結ぶ同盟との全面的対決に発展していったが、今後は信玄以外に、北条氏康を敵に回し、さらに越中の一向一揆とも対戦しなければならなくなる」  景虎の言葉に、政景は驚きの表情を見せた。 「北条殿との対決はわかりますが、越中の一揆と刃を交じえるとは……。  上洛の際の本願寺との盟約もあり、そのようなことはあり得ぬと、わたくしは考えておりましたが」 「その辺の微妙な点は確かにある。しかし、盟約があっても、利害相反してくれば、役に立たなくなるのが、乱世の慣らい。  加えて、信玄と本願寺とは、姻戚関係にある。それがしが信玄と戦うとなれば、本願寺は武田方に味方しよう」  景虎は眼を据えて語った。  越後をめぐる諸状勢は、今後ますます厳しくなる。  これが国主の地位に就いて以来の、景虎の変わらざる考えであった。 「なるほど」  政景は答えて、溜め息を洩らした。  話し合っているところへ、中条藤資が入ってきた。 「只今、京都から帰った脚力《かくりき》(飛脚)の報せによれば、将軍足利義輝殿は、三好長慶、松永久秀等に追われ、近江の、朽木谷に逃がれておられるとか……」 「それはまことか」 「まことでございます。足利殿はいま京都を回復する力をもった武将を求めておられるとか。やがて殿のところへも、書状がまいるものと思われます」  京都が現在、下剋上の気配におおわれていることは、景虎も知っている。  しかし、先年会った義輝が、家臣の手によって、将軍の地位を追われようとは、想像もおよばぬことであった。  雪は激しさを増してきた。  築山の松が、それに霞み、人形のような姿を浮き彫りにする。 �天下の形勢は、今後さらに混沌としてくる。それがしも信玄との合戦のことばかりを考えてはおれぬ�眺めながら、景虎はそう考えていた。  将軍義輝からの親書は、数日後、使者によってもたらされた。  館の広間でそれを受け取った景虎は、部将達が居並ぶなかで、開封して読んだ。  ——国内で覇を唱える両雄(信玄と景虎)の争いを、それがしは密かに憂えている。  信玄には、すでに書状を発して、そなたとの和睦を説いているが、再三の下知にかかわらず、応ずる気配はない。  本願寺とのつながりをたのみ、それがしを軽視している結果と判断されるが、理をつくして説けば、了解は得られるものと思う。  今後も、両人の調停には、意を用いる所存であるが、現在、それがしは、三好長慶らの謀反により、近江に追われてそのいとまがない。  帰洛すれば、改めて両人を呼びたいと考えているが、問題は戦乱におおわれた京都の町の治安回復である。それがしはそなたの力量に期待をかけている。  兵を率いて一日も早く、上洛されることを望む——というのが、その内容であった。  景虎は書状をもとに戻すと、使者に次のように語った。 「上洛の件については、足利殿が、京へ復帰された時点で、必ず実現する。  ただし、それがしは、天下のことに、望みはござらぬ。  それゆえに、京都の町の治安が回復されれば、即刻、兵を引く。  この条件に異存がなければ、お約束申し上げると、足利殿に伝えてもらいたい」  景虎の言葉に、使者はうなずいた。  兵を率いての上洛は、自らの念願であり、万難を排してでも実現したいと思う。  しかし、現在の諸国の状勢のなかで、将軍の招聘《しようへい》を利用して、天下をとる気持には、景虎はなれなかった。  道理をはずし、権謀だけで、天下を取っても、やがてくつがえされる。これが歴史の掟であることを知っていたからである。  硯と和紙をもってこさせると、その場で、同一趣旨の返書をしたためて、使者に手渡した。  会見はそれまでであった。  席を立つと、部屋を出て、毘沙門堂へ向かった。  庭の風景が眼に風雅に映る。 �それがしは力で天下を取る。足利将軍など問題ではない�  眺めながら、景虎はそう胸のうちで、つぶやいていた。  戦乱の気配におおわれたなかで、年が明けた。  駿河、遠江、三河を制した今川義元は、武田信玄、北条氏康との同盟を背景に、西上の構えを見せていた。  尾張を制し、武勇とみにあがってきた織田信長とは、いずれ対決しなければならない運命にあるのである。  三河の松平元信(後の徳川家康)は、いまは、今川義元の一部将に過ぎない。  だが、その智略と統率力には、信玄や信長も一目置いている。  使僧からもたらされる情報を分析しながら景虎は、天下の風雲が、急を告げてきたことを感じた。  近頃は、平井城の上杉憲政から、ひんぱんに救援依頼の書状が届く。  それに応じて、出兵に踏み切りたいとは思う。  しかし、豪雪の三国峠を越えることは、容易ではない。  この気持が、景虎に大軍を率いての関東侵攻を、思い止まらせていた。  長い冬は、合戦に備えて英気を養うのに適している。  三月の雪解けまで、城内でのんびり過ごした景虎は、四月を迎えると、再び天下取りに向かって行動を開始しはじめた。  正親町《おおぎまち》天皇が即位して、今年は年号が永禄と改まり、他方、足利義輝と三好長慶の和睦折衝も進んで、政治の中心地、京都は変貌する気配を見せている。  諸国の武将が、それに眼を向けぬはずはない。  上洛を急ぐ気配が見られ、それがさらに熾烈な合戦へと、彼等を駆りたてていった。  そのようななかで、五月はじめ、北条氏康に攻められた上杉憲政が、平井城を捨てて、再び越後へ落ちのびてきた。  好季節のため、前回ほどのやつれは見られなかったが、落胆の気配だけはかくせなかった。  景虎は憲政を快く迎え入れ、館を与えて、丁重に遇した。 「景虎殿、それがしには、そなただけが頼みじゃ。  関東を離れて、越後へ入国すると、ほっとした気持になる。  なぜだか、自分でもわからぬ。それがしには、もう関東管領の職務は務まらぬ。  かねて申してあったように、この際、そなたに職位を譲り、上杉家の系譜も、重宝も、併せて引き継ぎたいと考えている。  それがしには世継ぎがいない。それゆえ、景虎殿が、上杉家を相続しても、道理にははずれぬはず。  どうであろう、それがしの意を受けては下さらぬか」  健康を回復して、昔の面影を取り戻した憲政は、或る日、景虎にそう語った。 「上杉家は関東の名門、長尾家とは格式が違います。  それに、関東管領の地位は、上杉家の象徴でございます。それがしごとき、一介の国主が、氏を継ぎ、職位を継承することは、世間が認めますまい」  景虎の答えは変わらなかった。  好意は有難いが、武人として受けるわけにはいかぬというのが、率直な気持であった。  加えて、中世的な権威にあこがれるほど、景虎は愚かではなかった。  欲しければ、力でとる、これが本心であった。 「関東管領をそなたにゆずることについては、先年、足利義輝殿に意を通じて、許しを得ている。それゆえ、その点の問題はないと思うが……」 「しかし、それがしには、やはり受けることはできませぬ」  たとえ、将軍義輝から説得されても同じだと、心で思っていた。  憲政は、それ以上言わなかった。 「いずれまたわかってもらえるときがくるであろう」と述べただけで話題を打ち切った。  その後、国内には、平和がつづいた。  城下町はさらに賑わいを見せ、鉄、青苧《あおそ》、茶、薬を扱う伝馬問屋や船問屋、麹屋、酒屋などが軒を連ね、舟宿、馬役、紙問屋、塩|四十物《あいもの》、鍋、小間物を扱う新規の店も、見られるようになった。  近頃は、餌指《えさし》、細工師、鍛冶、馬喰、紺屋などが集結する春日山城下より、府内の方が、人口がふえている。  年月の経過とともに、町が北へのびているのである。  弘治元年、景虎が、善光寺大御堂の本尊を携えて帰り、城下に御堂を建てて祀って以来、付近には、信州からの移住者が、店を構えて門前町の様相を呈し、春日神社前と同じような町区を形成しつつある。  景虎は、他国からの移住者や商人を厚遇し、臨時或いは新規の課役を免除したり、他国船を招致して、港の繁栄を計ったりした。  町の美観にも意を用い、建物を板屋に統一する指示も発している。  乱世とはいえ、越後は恵まれた国柄から、さらに発展する気配を見せていた。  霜月の或る日、京都へ遣わしていた使僧から、将軍義輝と、幕府の実権を握っている三好長慶との間に、和解が成立し、義輝は再び京都に帰ったとの報がもたらされた。 「それはよかった。これで一つ、道がひらけることになった」と景虎はそのとき、言葉を洩らした。  現在、足利幕府は、ゆれ動いている。  将軍の後嗣者問題に端を発した細川、山名両氏の争いが、応仁の乱を巻きおこし、天下の諸将が二手《ふたて》にわかれて、十一年間争ったことを契機に、将軍の威光は地に落ちた。  実権は管領の細川氏に移り、その細川氏も家臣の三好長慶に、管領の地位を奪われ、下剋上の風潮が支配するなかで、足利家は山城《やましろ》一国しか領有できない状況に立ち至った。  義輝は、それに焦慮し、諸国の武将に書状を発して、援護を求め、地位の回復を策している。  信玄と景虎との調停に乗り出してきたのも、このような下心があってのことであった。  だが、権威が失せたとはいえ、将軍は将軍であり、諸国の武将も、それへの接近をはかることによって、天下制覇の野望を遂げようとしていた。景虎も同じ考えであった。  加えて、将軍義輝とは、上洛の約束を交わしている。  最近の政情をみるにつけ、景虎は兵を率いて、京へのぼる時期が訪れたことを感ぜずにはおられなかった。  使僧が去ると、自室にこもって思いに耽った。  信濃口が小康状態を呈しているとはいえ、五千の兵を率いて上洛するとなれば、信玄は、その虚をついてくる。  そのことと、具体的にどのような経路を経て、京都へのぼるかが問題であった。  前者については、過去の合戦の経験から、信玄の甲斐|出立《しゆつたつ》の情報さえ得れば、また兵力を国内に常備しておきさえすれば、善光寺平への武田勢の侵攻は、食い止めることができる。  しかし、後者については、馬、武器、兵糧の輸送を伴うだけに、先年の上洛のような方法をとることはできない。  思案した末、景虎は海路によることを前提に、越後の水軍の持ち船と、他国からの回航船の賃借によって、輸送に必要な船腹を確保し、不足する分は、民間の漁船を調達することによって、充当しようと考えた。  やはり、一向一揆が勢力を張る越中、加賀を通過する方法は、とりたくなかった。  問題は敦賀から、京都までの陸路であるが、友好関係にある朝倉義景の了解さえ得られれば、危害を受けずに通過することができる。  現在の諸国の状勢のなかで、五千の兵を率いての上洛は、至難に近い。  信玄や信長でも、このような発想は、思いも及ばぬに違いない。  しかし、常人離れした実現力をもっている景虎には、さほど難しいこととは、考えられなかった。  合戦に臨んで、敵陣を突破する方法を編み出すのと、それは似ていた。 �朝倉義景ならば、必ずそれがしの申し出を聞いてくれるに違いない�毘沙門天の像を脳裏に描きながら、景虎はそんな思いをめぐらせていた。 [#改ページ]   第九章 覇者の舞い  翌、永禄二年(一五五九)一月、将軍義輝から、再び上洛懇請の書状が届いた。  しかし、景虎はすぐには応じなかった。  信越国境が、不穏な状況を呈しはじめたからである。  武田勢は、昨年夏の激戦後、一旦兵を引いたが、態勢を立て直すと、再び善光寺平へ兵を進め、各要衝の制圧に乗り出しはじめた。  信玄の執拗なやり方に、景虎はほぞを噛んだが、いずれ時期をみて、完膚なきまでにたたこうと思い直して、成り行きに委せることにした。  その後も、義輝からの書状は相ついだが、降雪の時期でもあって、景虎は四月まで延期してもらいたいと申し出た。  一方、この頃から越軍は、上洛のための準備を、周到な計画のもとに、進めていた。  将軍の要請と聞いて、国内の諸領主は、争って上洛の兵のなかに加わることを申し出てきたが、景虎は品位、素行において劣る者は、人選からはずした。  京都で悪業が行われれば、将来の天下取りにも影響を及ぼすと判断したからである。  越前の朝倉義景と近江の六角氏には、四月下旬、敦賀に上陸する旨を、書面で伝えて了承を得た。 「この乱世に、五千の兵、しかも天下取りを実現するかも知れない越軍に、無条件に領内通行を認める武将は、どこにもいない。それにしても、よく承諾が得られたものだ」 「この件には、殿は随分と心を遣われた。  黄金、銅、鉄砲ほかを大量に送って、機嫌をとり、しかも、直筆の書状を何回となく送られたのだから驚きだ」  藤資と実仍の会話に、景虎は笑みを浮かべた。 「そのとおりだが、これには理由がある。  将来の天下取りに当たって、われわれの最終の敵は、尾張の織田信長だ。  彼はそれがしより、四歳若い。それでいて豪胆不敵。智略にすぐれ、合戦に臨んでも、常に少数の兵で、大敵を破っている。このような人物は、政治の能力においてもすぐれている。  いずれは、群雄を制して、京へのぼるであろう。  戦国の乱世は、現在、大詰めの段階にきており、十年後が一つの節目になる。  この観点からみた場合、信玄はいささか、齢《とし》をとりすぎている。駿河の今川義元も然り。安芸の毛利元就には、天下取りの意志がみられぬ。  そうなれば、地の利においてすぐれ、年齢も若い織田信長が最有力となる。  ところが、信長が天下を平定するに当たって、討たねばならぬ武将が一人いる。  それは朝倉義景だ。  彼は、越前という京都を背後からうかがう要衝の地に、領国を構え、近江の浅井長政とも意を通じている。  天下を狙う信長にとり、これほど不気味な存在はない。しかも義景は、武田信玄や松平元信と違って、信長と手を結ぶつもりがない。謂わば、両人は不倶戴天の敵同士なのだ。  その義景が、どういう風の吹き回しか、それがしには提携の手を差しのべてきている。  信長への対抗心のあらわれと思うが、それがしにとっては、得難い好運だ。  一向一揆を牽制する意味でも、また、関東攻めを、後顧の憂いなく行うためにも、義景との同盟は、進めなければならぬ。  こうしてみると、ゆくゆく織田信長とそれがしは、信長の越前攻めをめぐって、戦わなければならぬ運命に置かれる。  われわれが天下をとれるか否かは、そのときに決まるであろう。  義景に誠意をこめた書状を送り、金品を添えることは、瑣細なことかも知れぬ。  しかし、それによって、兵を率いての上洛がかない、ひいては天下取りへの道が開けるならば、ゆるがせにはできぬ。人の運は、このようなありふれたことを重ねることによってひらけてゆく。  修身、斉家、治国、平天下と孔子が説かれた趣旨もそこにある」  景虎の言葉を、部将達は、うなずきながら、聞いていた。  上洛の準備は、予定より早く整えられた。  帆船の調達が最も困難を極めたが、他国船の寄港を奨めてきたこともあって、思いのほか、多数の船舶が確保できた。  四月中旬の吉日を期して、五千の兵団は、春日山城下を発った。  庶民は、府内へ向かう越軍を見て、歓呼の声をあげ、何百隻の帆船が浮かぶ海岸は、見物客であふれた。  国内の諸領主も、馬を駆って府内に集まり、越後はじまって以来の兵団の船出を見送った。  水軍の総指揮者、直江新五郎の下知によって、人馬は波打ち際に並ぶ大小の帆船に、陸続と乗り込んだ。  半刻かけてそれが終わると、船団は、初夏の陽ざしに輝く海面を、滑るように西へ向かって進んだ。  今回の出陣には、生死を賭しての合戦は、先ずあり得ない。  荒廃した京都の町の鎮撫、それだけが目的だからである。  景虎は、舳先に突っ立って、遠ざかる越後の山々を眺めた。  壮大な夢がひろがる思いであった。  しかし、先年、同じ経路をたどって、延暦寺へ赴いた悲しい思い出が、景虎にはある。  あのときは、人生に絶望を感じ、すべてをなげうって、僧侶への道を歩もうとしていた。  心の不安にさいなまれ、越後を去るときは、逃げるような心境だった。  当時のわびしさは、いまも忘れることができない。  移りかわる風景を眺めながら景虎は、自らの転変の運命を、思い浮かべた。  行手に能登《のと》の雄大な山容が、浮かんでくる。  山膚は、荒涼たる佇まいを見せ、冬の気配すらただよわせている。  北国《きたぐに》、能登は、まだ春先の気候であった。  陽が西に沈む頃、船団は、能登半島の先端に接近した。  薄暮があたりをおおいはじめ、船内に灯がともされる。  兵達は、それを囲んで、食事をとった。  風がでてきたのか、船が軋み音を鳴らしてゆれる。昼間の賑やかさが影をひそめ、静まりかえった雰囲気のなかで、夜は更けていった。  翌日の夕刻、船団は三国に着いた。  予《あらかじ》め書状を発してあったため、朝倉義景の家臣が馬に乗って、出迎えてくれていた。  ものものしい警戒のなかを、帆船は、相ついで岸辺に着いた。  夕陽が、空を染めはじめる。  海面が輝きを放ち、打ち寄せる波が、白い絵模様を描く。  かや葺の漁師の住家《すみか》が、眼にわびしく映る。  越後と違う風土と、生活の厳しさを景虎は感じた。  係りの武者が馬を駆り、海岸を疾駆しながら、下船の要領を伝達して回る。  五千の兵は、次々に波打ち際に降り立った。  鎧、冑を船内に残し、筒袖の衣類に、太刀を佩いた武者の群れは、異様とも言える光景であった。  巨大な黒い集団、それ以外に表現の言葉を見出すことができなかった。浜風が、頬を撫でて吹いてゆく。  馬上武者の下知に応じて、兵隊は野営の準備をはじめた。  景虎は出迎えた役人と挨拶を交わし、しつらえられた幕間のなかへ入って憩った。  波の音が、聴覚をかすめてゆく。  床几に腰を下ろすと、戸口から見える海の風景を眺めた。  残照が消え、海面は暗さを増している。  松明《たいまつ》の灯がともされ、その明かりのなかに浮かぶ兵達の姿が、川中島での夜戦の光景を思い起こさせた。 �信玄はそれがしの上洛を知っているだろうか�北信侵攻の好機と感じて、ほくそ笑んでいるその姿が、景虎には眼に見えるようであった。  夕食は、賑やかな雰囲気のなかでとられた。  酒を飲み、魚を食らいながら談笑する光景があちこちでみられ、それは夜の更けるまで続いた。  誰もが、京へのぼる喜びを噛みしめていた。  一夜を海岸で明かした兵団は、翌朝、敦賀へ向かって船出した。  船は矢のように海面を突っ走った。  敦賀へ着いたのは、未の刻(午後二時)前であった。  三国におけるより、さらに多くの馬上武者が、海岸に列をなして、出迎えてくれた。  接岸する巨船の姿に、彼等は、驚きの表情を見せ、越軍の壮挙に、感嘆の言葉を放っていた。  人馬がつぎつぎに、岸辺に降り立ってゆく。  景虎は下船すると、すぐ馬に跨がった。  兵達の上陸状況を見守り、それが終わると、京へ向かって移動を開始した。  出陣さながらの行軍がはじまる。  沿道は、見物客であふれていた。  そのなかを、兵団は、軍旗をつらねて、南へ向かって進んだ。  野山の風景は、夏の気配である。  山の多い地形が、貧困の国、越前を感じさせた。  おびただしい武器や兵糧、荷物を運ぶ人馬の群れを眺めていると、不安な気持になってくる。  上洛が無意味に終わらぬよう、景虎は心のなかで念じた。  いくばくの行進を経ずして、陽は西に沈んだ。  五千の兵の動きが停止し、野営の準備がはじめられる。  翌日も、兵団は、山間の僻地で、夜を明かした。  途中、野武士の一団を見かけたこともあるが、彼等の方から、恐れをなして遠のいていった。  近江の六角氏の所領を通過し、琵琶湖の北端の地に着いたのは、四月二十五日の午《ひる》過ぎであった。  藍色の湖が、足下に無限のひろがりを見せ、岸辺では白鷺が餌をついばんでいる。  平和そのものののどかな眺めに、景虎は気持が安らぐのを覚えた。  船着場には、神余《かまり》親綱が手配した帆船が数十隻、繋がれている。  騎馬武者は、湖岸を大津へ向かい、徒歩の兵は、帆船で湖を渡るというのが、当初からの計画である。  半刻の休憩をとったのち、兵団はその行動に移った。  景虎は、部将達と明朝一番の舟便で、発つ手筈になっている。 「では、旅籠《はたご》へまいりましょうか」  直江実綱が言ってくる。 「そうしようか」  景虎は答えて、警護の武者とともに、丘陵を下っていった。  親綱の事前のふれもあって、旅籠には、旅人は泊まっていなかった。  風呂を浴び、夕刻、部将達と、酒宴を張ったときには、旅の疲れは癒えていた。 「予定どおり、二十七日には、京へ入れそうですな」  藤資が言ってくる。 「左様。しかし、問題はそれ以降だ」  三好長慶と松永久秀が支配している京都の町を思い浮かべながら、景虎は答えた。  彼等とのあつれきは避けられぬというのが、偽らざる気持であった。 「ところで殿、これを機会に、京都を一思いに制圧されてはいかがです」 「ばかなことを申すではない。京都を手中にした代りに、越後が信玄の手に落ちたのでは、なんにもならぬではないか。  織田信長や今川義元ならば、京へ攻めのぼって、そこから自国ににらみをきかすことも可能であろう。だが、われわれの場合は、そうはまいらぬ。  北条|氏《うじ》を討って関東を制し、それを背景に、西進の軍を進める構想を、それがしが抱いてきたのはそのためだ」 「なるほど、やはり、関東攻めが先になりますか」  藤資は答えて、思案に耽った。 「将来、越中、能登を手中に収め、越前の朝倉、近江の浅井を討って、織田信長と対決する方法もある。しかし、上杉憲政殿の上野《こうずけ》回復を援護して、関東に攻め入るのが、やはり常道であろう」  景虎の言葉に、藤資はうなずいた。  今回の上洛には、二つの狙いがある。  一つは朝廷、幕府と意を通じ、将来の天下取りをあつれきなく進める布石を行うこと、いま一つは、上洛と京都鎮撫を諸将に先がけて行って、動かし難い事績をつくり、たとえ、信長や信玄が上洛して、天下に覇を唱えても、それをくつがえし得る素地をつくっておくことである。  景虎の頭のなかには、この構想が、先年の上洛のときから固まっていた。  新保孫六に、「今度は五千の兵を率いて上洛してみせる」と語った真意も、そこにあった。  酒を飲んで、解放感に浸ったのち、一同は眠りについた。  翌朝、景虎は、部将達とともに舟に乗った。  数十隻の帆船は、武装した兵をのせ、荷物を積み込むと、次々に岸を離れた。  陽はまだ昇っていない。  静まりかえった水面を、船は滑るように進んでいった。  午《ひる》まえに、予定どおり、大津に着いた。  兵達が上陸すると、船はすぐ湖上へ去った。  岸辺には、三千の兵が、野営の準備を整えて憩っていた。  景虎は武装姿のまま、幕間へ入っていった。  今日は、ここで夜を明かし、明朝、隊列を整えて、京都へ入る予定である。  上洛の感慨は、湧いてこない。  緊張感すら覚えない自分が、不思議であった。  京都の町は、景虎にはすでに、�都�ではなくなっているのである。  手持ち無沙汰のまま、昼食後は、岸辺で釣に興じた。  将軍義輝と三好長慶の対立のことも、京都の町の治安が、どのような状況になっているかも、いまは念頭になかった。  すべては、上洛を果たしてからのことと、景虎は考えていた。  最後の兵団が上陸したのは、夕刻であった。  その夜、兵達は酒を飲み歌をうたって遠征の疲れをいやし、戌の刻(午後八時)を回る頃、全員眠りについた。  打ち寄せる波の音が、聞こえてくる。  耳を傾けながら景虎は、明日以降の予定に、思いをめぐらせていた。  翌朝、兵団は、隊列を整えて、京都へ向かった。  兵達の表情には、緊迫感がみなぎっている。  起伏に富んだ道を、越軍は軍旗をつらねて行進した。  兵糧、武器を運ぶ荷馬隊が、そのあとに続く。  景虎は馬に跨がり、騎馬武者に、前後を囲まれて進んだ。  緋おどしの鎧をまとい、顔を白布でおおったその姿に、道ゆく人々は驚きの表情をみせた。 「どこの国の武将だろう」 「さあ」  沿道の人垣から、ささやき声が洩れてくる。  兵団が、京都の町に入ったのは、巳の刻(午前十時)頃であった。  越軍のものものしい行進に、庶民はおののきの表情をみせ、散り散りになって、道をあけた。  行先は、北山の足利義輝の館であった。  見覚えのある屋敷町の風景が、眼に入ってくる。  沿道は、見物人であふれていた。  兵団が町に入って以来、それは蜿々と続いている。  館が、山の中腹に姿を見せてくる。  緑一色の風景のなかに、一際《ひときわ》高く聳え立つ姿には、言われぬ風格がただよっている。  しかし、応仁の乱以降、幕府の権威は、地に落ちている。  眺めながら景虎は、戦乱の八十年を経て、天下が大きく移り変わろうとしていることを感じた。 �足利幕府の寿命は、あと幾ばくもあるまい。乱世を制するのは、誰であろうか�胸のうちを思いがかすめてゆく。  蹄の音がとどろき、群衆が叫び声をあげて散ったと見る間に、数十騎の武者が、土煙をあげて近づいてきた。 「越後の長尾景虎殿とお見受け申したが、誰の示達《じたつ》を受けて、上洛なされた?」  先頭の武者が、馬をとめて立ちはだかり、激しい声で、聞いてきた。 「如何にも長尾景虎だが、そなたは何者だ。名を名乗られい」  刺すような眼ざしが、相手の顔に注がれる。  無礼は許せぬとの気持であった。 「それがしは、いまをときめく松永久秀の家臣、佐々木為長と申す見回り役の者、お見知り置き下されたく」  相手は、威丈高の姿勢を見せて、そう答えた。  年齢は四十歳前後であろう。浅黒い顔には、高慢さをあらわすように、口ひげがたくわえられている。 「それがしは、将軍足利義輝殿の書状を受けて、上洛してまいった。あやしい者ではござらぬ」  景虎は平然と答えた。 「して上洛の目的は?」 「それは申されぬ。必要とあらば、主君松永殿に聞かれるがよかろう」  凜とした声が、あたりにひびき渡る。 「それがしに対して、なんたる無礼な。  言わぬとあらば、主君の面目にかけても、言わせて見せる」  馬を御《ぎよ》しながら、相手はわめき声をあげた。 「京の見回り役ともあろう人物が、そのような姿勢では、町の治安も保たれまい」  景虎は語って笑った。 「越後の田舎武者が、それがしにたてつくとは……許せぬ」  相手は、刀の柄に手をかけて叫んだ。  庶民を眼の前にして、侮辱されたと感じた気配であった。 「われわれは先を急いでいる。そなたと問答を繰り返しているいとまはない」  景虎は答えて、馬を進めた。  兵達も、それにならう。 「無礼者!」  絶叫があたりの空気を震わせたと思うと、相手は刀の鞘を払った。  ただならぬ気配に、見物人のなかに、ざわめきの声があがる。  景虎は鞭を一せんさせた。  刀が武者の手を放れて、虚空に舞ったのは、それと同時であった。  見事な手並みに、群衆のなかに、溜め息が洩れる。  恐怖にゆがむ為長の顔が、網膜をよぎるのを覚えながら、景虎はその場を離れた。  兵達の表情には、笑みが浮かんでいる。  兵団が館の広場に入ったのは、午の刻(午前十二時)であった。  景虎は馬から降りると、出迎えの武者のあとについて、なかへ入っていった。  あたりの眺めは、先年上洛したときと、変わるところはない。  中庭の木々の緑が、眼に沁みるように映る。  季節は夏の気配を濃くしていた。  応接間に通されて、待機していると、将軍義輝が、供の武者数名を従えて入ってきた。  四年余の歳月の経過が、その相貌を変えていた。 「大儀であった。厚く礼を言う」  義輝はそう述べ、向かい合って座った。  声は沈み、表情には、憂いの影がただよっている。  三好長慶との確執が、権威の失せた将軍を奈落へ突き落としつつある予感を景虎は覚えた。  二人は茶を飲みながら、雑談を交わした。 「京都の町は、応仁の乱以降、さびれる一方じゃ。しかし、やがてなんらかの収まりがつくだろう。ただ、そのときには、それがしはこの世にいないかも知れぬ」  義輝は、庭の風景を眺めながら、ポツリと洩らした。  足利幕府の末路を、予感しているのである。 「そのような滅相なことを。三好|氏《うじ》も常識人、今回の和睦に見られるように、上様をたてる腹づもりは失っておりませぬゆえ、心配するにはおよびませぬ」 「長慶はまだしも、問題はその家臣の松永久秀だ。無道な性格は、諸国の武将のなかでも最たるものであろう。  戦国の乱世は、彼のような人物には住みやすいかも知れぬが、それがしには、心痛の種だ。十四代将軍とは名ばかり、職位に就いて以来、片時も心の休まるひまがなかった。  こうして、そなたが、兵を率いて上洛されて、やっと人心地ついた思いだ。  やはり、当世は武力がものをいう。  本願寺や延暦寺のように、兵力があればと思うが、幕府の実権を長慶が握っている現状では、如何ともなし難い。  あわれなものだ」  義輝はしんみりした口調で語って、うつ向いた。  昼食をともにしたのち、二人は席を立った。  義輝は、館の奥の自室へ、景虎は武者の案内で、別棟の部屋へ通された。  在京中の居室として、自由に使ってよいというのが、武者の言葉であった。  一休みしたのち、景虎は、部将達を呼んで、今後の対策を協議した。  町の治安を回復するには、力をもってするほかはないとの結論が、そのなかで出され、特に松永久秀の軍勢を制圧することが、当面の目標として定められた。 「今朝の京都見回り役の姿勢からして、しばらくは彼等との紛糾が絶えぬであろう。しかし、やがておとなしくなる」  中条藤資の表情に、不敵な笑みが浮かぶ。  管領の手勢など、一ひねりだと言わぬばかりの口振りであった。  越軍は、兵力を二分して、一部は嵯峨の神余《かまり》親綱の館を中心に屯《たむろ》し、あとは、ここに陣を張り、反逆軍の鎮撫に当たることが決められた。  軍議が終わると、部将達は席を立って部屋を出、兵達に移動と、野営の準備を指示した。  京都滞在は、義輝の意向をそのまま受け入れれば、長期にわたる可能性がある。  だが、景虎には、そのつもりはなかった。  将軍家の安泰より、自国を守り、領国の範囲をひろげることが、将来の天下取りに当たって必要だと考えられたからである。  野鳥の鳴き声が聞こえてくる。鎧をとると、畳のうえに仰向けになった。  先年延暦寺を訪れたときと、同じ心境になっている自分を、景虎は感じていた。  夕刻、景虎は、裏木戸をあけて、館の広場へ出た。  兵達の数は、半数に減っている。  寝泊まりは、御堂その他を利用するため、不便はなく、兵達はむしろそれを楽しみにしている気配であった。  堂内のあちこちに、車座になって語り合う光景に、それが感じられる。  景虎は、笑みを浮かべた。  合戦に、生死を賭してきた彼等のこと、たまには羽をのばさせてやらなければなるまいと心で思った。  広場を横切ると、門の外へでた。  付近の林のなかには、幕間、板葺小屋がしつらえられ、木々に繋留された馬の姿が、その眺めのなかに、浮かんでくる。  周辺の孟宗竹の繁みが、敵兵の襲撃に対して、自然の備えになっている。  眺めながら景虎は、これで当分、京都の町に駐屯し、治安の維持にあたることができると思った。  翌日から、兵達は、二十名単位に分かれて、町を見回った。  そして、その経験から、町の主要箇所に屯所を設け、或いは寺院や公卿の屋敷などに屯《たむろ》して、町全体の警備にあたる方針が打ち出された。  おののきの気配を見せていた商人や住民達も、越軍のこの姿勢に、安堵の表情をみせ、その庇護による生活の安泰を求めはじめた。  しかし、上洛二日後から、松永久秀の配下の武者が、早くも本性をあらわしてきた。  越軍を白昼攻撃したり、北山の将軍の館付近を、騎馬武者の集団が、示威行進したり、時に、弓矢や鉄砲で脅《おど》して、挑発行為に出てきはじめたのである。  入京時と打って変わった町の状況に、景虎は義輝が書状で訴えてきたことが、ほんとうであることを悟った。 「久秀もここ二日間は、様子をみていたのであろう。  しかし、悪人はすぐ本性をあらわしてくる。  最近の情勢を見ていると、それがしの命《いのち》さえ、狙いかねない有様だ」  四月三十日の午後、義輝は景虎の部屋へやってきて、そう語った。 「なるほど。しかし、その点についてはご安心下さいませ。足利殿の身体には、指一本ふれさせはしませぬから」  景虎は笑みを浮かべて答えた。 「その点はよろしく頼む。  ところで、昨日、宮中からそれがしのところへ使者が届いた。ちょうど、景虎殿が、京極方面へ見回りに出かけられたあとのこととて、引見はかなわなかったが、明日、五月一日、巳の刻(午前十時)に、御所へ参内下されたくとのことであった」  義輝の言葉に、景虎は驚いた。  上洛すれば、いずれ宮中へ伺候しなければならぬとは考えていた。  しかし、その日がこれほど早く訪れようとは、予想さえしていなかった。 「朝廷から使者とは……それはまた異《い》なことでございますな」と思わずつぶやいていた。 「実は、それがしの義兄、関白|近衛前嗣《このえさきつぐ》を通じ、かねて朝廷へ意を通じてあったのだ」 「そうですか」  義輝の心のうちが、景虎には読めたように思えた。  三好長慶、松永久秀に対抗する人物に、自分を仕立てようとしているのである。  悪意はみられない。だが、政略の匂いを秘めたそのやり口が、心にささった。  義輝が去ると、畳のうえに仰向けになって、思いに耽った。  後ろめたさを覚えたが、正親町天皇からの使者を立てての指示とあれば、受けなければならなかった。 �まあよい。朝廷と接触するのも、上洛の目的の一つゆえ。たとえ義輝が、どのような策をめぐらせようと、間合いを置いて付き合いさえすれば、わが身を誤ることはあるまい�と思った。  翌日は、中条藤資を連れて北山の館を出、馬を駆って京都御所に赴いた。  先年の上洛の際のような、感慨は覚えない。  ともかく、朝廷と意を通じておきさえすれば、……ただそれだけの気持であった。  御所に着くと、役人の出迎えを受けてなかへ入り、控え室で束帯の衣装に着替えて、時刻の到来を待った。  四年余の歳月の経過にかかわらず、京都御所は変わらぬ佇まいであった。  築山の彼方に、建物の群れが、連なりを見せてひしめいている。  越後を離れて上洛している自分が、不思議に感じられてならなかった。  思いに耽っていると、髪を後ろに束ね、絹の衣装をまとった女官があらわれて、儀式の開始を告げてきた。  部屋を出ると、あとについて、廊下を歩いた。  藤資は、はじめての参内のせいか、緊張した面持ちを見せている。  廊下を曲がり、連なる建物のなかを歩いているうちに、式場とおぼしき広間に着いた。  後奈良天皇から、綸旨《りんじ》を受けた場所とは、違っている。  正面に神棚が祀られ、その手前の高座《たかくら》は、御簾《みす》にさえぎられて、なかの様子をうかがうことができない。  場内には、コの字型に床几が並べられ、束帯の衣装をまとった役人が、数十名、腰を下ろして待機していた。  景虎と藤資は、案内されるまま、中央の席へ行って座った。  室内は静まりかえって、物音一つ聞こえてこない。  衣ずれの音が、聴覚をよぎったと思うと、あけられた襖から、正親町天皇が、烏帽子をいただいた姿であらわれた。  そのまま正面の高座へ行って座る。  御簾があげられ、天皇の若々しい姿が、浮き彫りにされてくる。 「それでは、只今より天盃、御劔下賜の儀式をとり行うこととする」  司会の役人の声が、広間にこだまする。  一同は、席を立った。  景虎は階段をあがり、天皇の前へ進み出た。 「平《たいら》の景虎、五千の兵を率い、はるばる越後より上洛せしこと、かねて関白、近衛前嗣《このえさきつぐ》より聞き及んでおった。  京都の治安を回復し、一日も早く、天下に太平をもたらすことを、冀《こいねが》っている。  ついてはその印《しるし》として、盃一対、劔一振りをとらすこととする。  わが意を体して、一層励みあらんことを、望む次第である」  天皇は落ち着いた口調で、そう語ると、天盃を、続いて劔を景虎に手渡した。  儀式は、それで滞りなく終わった。  閉会の言葉が宣せられ、やがて天皇は役人に案内されて、退席していった。  景虎は式場を出た。  晴れやかな気持であった。  廊下に佇むと、あたりの風景を眺め渡した。 「これで二度、朝廷から信任されましたな。  殿の将来のためには、よいことだと考えますが」  藤資が言ってくる。  景虎はだまってうなずいた。  朝廷や幕府という象徴的な権威に、あこがれる気持はさらにない。だが、これらと意を通じておくことは、なにかの役に立つ。  景虎は、そう思っていた。  二人は、道を引き返した。  控え室に帰って着替えを行い、御所の門を出たときには、陽ざしが真上から照りつけていた。  都大路には、人影は見られない。  乱世のなかで、荒廃の一途をたどっている京都の町を、景虎は思わずにはおられなかった。  馬に跨がると、鞭をくれた。  板葺の住家の連なりが、後ろへ飛んでゆく。 �戦乱の世は、まだ続く�北山に向かって馬を駆りながら、景虎は、そう心で思っていた。  翌日は雨であった。  自室にこもって書物に読み耽っていると、直江実綱が姿を見せた。  今日は兵達も、見回りを休止して、憩っている。 「こう町なかが、不穏な状勢では、女子供は、外出もままなりませぬな」 「左様、乱世をよいことに、最近は、辻斬りや野盗の類いがふえている。  松永久秀の配下の武者の狼藉も、問題だ。ゆすり、たかり、脅しは、茶飯事のことだからな」 「そうでございますな。都とは名ばかりで、秩序の失せた町そのままの姿ですからね」 「全くだ。今後は昼間だけでなく、夜間の取り締まりにも、意を用いなければならぬ」 「言われるとおりにございます」  二人は語り合って、溜め息を洩らした。  昨夜は、越軍の兵士三人が何者かに襲われ、身ぐるみはがれたうえ、刺殺されている。  一昨日も、見回りの武者が、物かげから矢を射かけられて傷ついている。  今後もこのようなことは、繰り返されるに違いない。  二人はそのことを憂えていた。 「今夜あたり、事件が発生した現場を徘徊してみるか」 「左様でございますな」  二人の口調は沈んでいた。  雨だれの音が、聞こえてくる。  京都の治安回復が容易でないことを、二人は感じていた。  夕刻、食事を済ませると、二人は黒装束に身なりを替え、頭巾で顔をおおって、館を出た。  武家屋敷の佇まいが、木陰のなかに、見え隠れする。  二人は馬を御しながら、そのなかを抜けていった。  松永久秀の家臣は、この付近にも住まっている。そのため、夜ともなれば、警戒を払わなければならない。  半刻ほど、馬を駆った頃、兵士が刺殺された現場についた。  広い通りが、一直線に東へのびている。  両側には、商家が立ち並び、そのなかに明かりをともした女郎屋や飲み屋が、賑わいを見せている。  巨大な寺院が、その並びのなかに、二つ三つ黒い影を、月光にさらしている。  景虎は不吉な予感を覚えた。  このような界隈で、夜遊びをしていたのでは、殺《や》られるはずである。  馬を付近の柳の幹につなぐと、物かげにひそんで、様子をうかがった。  蹄の音が、かすかに聞こえてくる。  それは北山を発って以来、続いている。  月光が、せせらぎの水の面を照らし、付近の住家は、ひっそりと静まりかえっている。  犬の遠吠えに、二人は耳をそばだてた。  騎馬武者の数は、数人の模様である。  人声が聞こえたと思うと、飲み屋から、武士らしい男が二人、肩を組み合ってあらわれた。  酔っ払っている気配が、話し声からうかがえる。  彼等はふらつきながら、町並みを歩いた。  月あかりが、その姿を不気味に映し出す。  橋のほとりにさしかかったとき、闇のなかから、黒い影があらわれて、二人に斬りかかった。  一瞬の出来事であった。  酔っ払いは、うめき声をあげ、身をのけぞらせて、その場に崩れ伏した。  三人の男が、それを無表情に見下ろす。やがて身ぐるみはいで、死体を川へ投げ捨てた。  太刀さばきと、すばやい処置に、景虎はわれを忘れて、見入っていた。  京都の治安の状況を、見せられた思いであった。 「越後の兵士は、あの手でやられたのかも知れぬ」 「左様でございますな」  二人は言葉を交わしながら、三人のあとをつけた。 �無道者の息の根は、止めなければならぬ�そんな思いがよぎってゆく。  男達の姿は、すぐ闇のなかに消えた。  しかし、景虎には、行先はわかっていた。  寺院の潜り戸をあけて、なかへ入る姿が、網膜をかすめたからである。  二人は抜刀して、寺の表門をかけ抜け、なかへ入った。  彼等が境内へ姿をあらわすのを、待ち受けるつもりであった。  近づく蹄の音も気になったが、いまはそれどころではなかった。  二人は庭園を横切ると、月明かりの影になっている本堂の廊下へかけあがった。  だが、そのときには、三人の刺客の黒い影が、左右から迫ってきていた。  景虎の胸は高鳴った。 「許せぬ」  低いうめき声が洩れたと思うと、一人が襲いかかってきた。  景虎は、欄干に飛びあがりざま、刀を水平に払った。  胴体を離れた首が、庭先に不気味な音をたてて落下する。  返す刀で景虎は、もう一人の男の肩を、斜めに切り裂いていた。  恐れをなした一人が、ひるむ隙に、直江実綱が斬り込む。  二つの人影は、激しくもみ合った。  景虎は欄干から飛び降りると、のけぞった武者の首を、眼にも止まらぬ速さで、刃にかけた。  悲鳴をあげるいとまもなく、相手の首は虚空に舞い、手前の池に、水しぶきをあげて、落ちていた。  二人は血ぬられた刀をさげたまま、波紋を描く水の面を眺めた。 「なに者でしょう」 「さあ」  すぐには、判断がつかなかった。離れの居室に、灯がともる。  人声があがる気配に、二人は、表門へ走った。  川沿いの道を抜け、馬を繋いである場所へ行くうち、二人は何者かによって、矢を射かけられた。  一瞬の判断で、身を伏せたが、相手の所在はつかめなかった。  二人は再び走り出した。 「京都の町が、これほど物騒だとは、想像もおよばぬことだ」 「いや全く」  二人は語り合って笑った。  蹄の音が、聞こえてくる。  しかも、それは激しい勢いで、近づいてきていた。  二人は馬に跨がると、鞭をくれた。  六騎の武者が、抜刀して迫ってくる。  すさまじさに、景虎は息を呑んだ。  駿馬を駆って、逃げのびる方法もある。  しかし、いまはその気持にはなれなかった。  二人は、手綱をしごきながら、刀を抜いた。  人影が、背後から迫ってくる。  景虎は、身を沈めると、刀を払った。  手応えを手首に感じた瞬間、絶叫をあげて、先頭の武者が、鞍からころげ落ちた。  合戦さながらの光景に、景虎の血は、たぎった。  襲ってくる三騎の武者を、瞬く間に切り伏せた。  実綱を追った武者も、くつわを並べて鞍から落ち、主を失った馬のいななきの声だけが、夜空にひびき渡った。  二人は、空を仰いだ。  さわやかな気持であった。  満天に星がきらめき、北山の漆黒の山容が、浮かぶように、眼の前に迫っていた。  翌日、景虎は、昨夜斬った武者の身元を、家臣を遣わして調べさせた。  その結果、いずれも、松永久秀の配下の者であることがわかった。 「これで、町の治安を回復させる目処《めど》が立った」  武者からの報告に、景虎はそう語った。  その後も、京都の町は、不穏な形勢に包まれていた。  将軍義輝の軍勢と、三好長慶のそれとの確執が続き、武家屋敷や民家が焼き払われ、毎日のように血が流された。  長慶の狙いは、将軍の地位の奪取にあった。  いやがらせや脅《おど》しは、越軍が町の支配権を握って以降も高まりを見せ、かつて義輝が語ったように、その生命を奪う方向へ、じりじりと焦点が縮められていった。  将軍を恐怖に陥れるだけでは、彼等は満足しなくなったのである。  下剋上の風潮が、武者の間に浸透し、野望に燃える彼等は、権威を蔑視《べつし》し、それを踏みにじることに、誇りさえ感じていた。  その代表的な人物が、三好長慶の家老、松永久秀であった。  その残虐振りは、京都の庶民の間にも知れ渡っている。  久秀の家臣の者があらわれると、商人は、無道を承知で、彼等にこび、金品を贈って、危難を逃がれた。  義輝も、近頃は、身の危険を感じて、館から出ようとしない。  景虎が説いても、おびえの気配を見せて、首を横に振り、沈鬱な表情を見せるのである。 「こんな状況では、足利幕府の命運も、永くはあるまい」  廊下に佇んで、あたりの風景を眺めながら、景虎はつぶやいた。  五千の兵を率いて上洛した背景には、それなりの狙いがある。  中条藤資が語ったように、京都の政情をみて、将軍や管領の地位を奪い得る名目がたてば、それを実行する腹づもりも、正直言ってなくはない。  だが、いまの景虎には、そのつもりはなかった。  庶民から、�逆臣�の汚名を冠せられることを、なによりも恐れていたのである。  これは、権威の否定を身上とする信長や信玄でも、同じに違いない。  戦国の乱世とはいえ、日本人には、古くから培われた正義の観念が、根づよく息づいている。  それを捨てて、自己の利益を優先させることは、松永久秀のような人物でなければできない。  加えて、景虎は、現在の年齢で、天下取りを実現しようとは、考えていなかった。  四十歳を過ぎてからでも、遅くはないというのが正直な気持である。 �今回の上洛は、将軍の招命によるとの建前を、やはり通すことにしよう�  思案した末、景虎はそう判断を下した。  兵を率いての上洛となれば、つい欲心が出てくる。  だが、その考えは、やはり捨てなければならなかった。  木々の緑が、眼に沁みるように映る。上洛して以来、はや二十日が経過したことを、景虎は思い浮かべていた。  その後も、京都の町では、毎日のように、火の手があがった。  義輝の軍勢に加担して、町の治安回復にあたる越軍に、松永久秀が業をにやして、挑戦ののろしを、あげはじめたのである。  ここにきて、景虎は、武力による制圧の手術《てだ》てに出ることを決意した。  部将達を集めて協議すると、その日から合戦の態勢を整え、久秀の軍の狼藉を、容赦なく掣肘《せいちゆう》していった。  歴戦の強者《つわもの》によって編成されている越軍が、敗れるはずはない。  久秀の軍は、各所で敗戦を重ね、行動の範囲を、急速にせばめていった。  そんな或る日、久秀の使者と名乗る武者が、白昼、馬を駆って、中条藤資のところへやってきた。  手には、久秀直筆の書状が握られている。  藤資は、受け取ると、その場で開封して読んだ。 �六月二日、未《ひつじ》の刻(午後二時)に、東山にある管領の執務所まで、景虎自ら出頭せよ�と記してあった。  命令口調のその文言に、藤資は激怒した。 「われわれは将軍の命により、上洛したもの。松永殿の示達などきく耳もたぬわ」  と、使者を見据えて言い放った。  隣室で書物を読んでいた景虎は、耳をそばだてた。 「なんという不遜なことをお主《ぬし》は言われる。  主君、久秀は三好殿の片腕、いや将来は、それに代わって、天下を取る器量人。そのような人物の命令を、一国主の長尾殿が聞かれぬとあれば、由々しき大事じゃ」  相手のふてぶてしさを秘めた言葉が、あざけるように返される。 「松永殿が、どのような人物なのか、わしは知らぬ。  関わりがないからだ。殿に所用があるのであれば、松永殿の方から出向いて来られるのが、筋でござろう。  不遜な態度を改めぬなら、われわれにも所存がある」 「田舎武者の分際で、よくもそのようなことを。  主君久秀の威光になびかぬとは、あきれた御仁じゃ。容赦せぬと言いたいのは、こちらの方だ」  相手は、激昂の気配を見せてきた。 「越後勢をあなどると、ただでは済まぬぞ。  つべこべ理屈を並べずに、いま述べた返事を、久秀に伝えろ。  いかに下剋上の世とはいえ、お主達《ぬしたち》の高慢さは眼に余る」 「言わせておけば、たわいのないことを。いまの言葉は、われわれに対する侮蔑にほかならぬ。  許せぬ!」 「許せぬのは、こちらの方だ!」  二人のやりとりの声が、耳元をかすめてゆく。  景虎は席を立った。  襖をあけると、興奮した面持ちを見せてにらみ合う二人の前に座り、久秀からの書状に眼を通した。 「松永殿がそれがしに所用とは……。  これは異《い》なことを承る。それがしは、将軍、足利義輝殿の依頼により、はるばる越後から兵を率いて上洛してまいった。目的は、兵火が絶えぬ京都の町を鎮撫し、人心を安らげるためだ。  それ以外に目的はない。  そのゆえにこそ、今日まで兵を屯《たむろ》させ、武者達の狼藉を取り締まってきた。  松永殿が所用とあらば、執務所へ足を運びもしよう。  しかし、その目的が、越軍に退去を命じ、或いは、われわれを威嚇するものであれば、聞くわけにはまいらぬ。  この点を、心得置きさえ下されば、承知してもよいと考えるが、いかがでござろう」  景虎は、相手を見据えて、語った。 「結構に存じます。とにかく、長尾殿の承諾さえいただければ、それがしの使命は果たせたわけでございますから」  景虎の気迫に、おびえの気持を覚えたのか、使者はそう答えると、床に両手をついた。  屈強な外見に似合わず、小心者であることが、その態度にあらわれていた。  景虎は笑みを浮かべた。 「では、そのような条件のもとに、六月二日、東山の執務所へ赴くこととする」  そう相手に告げると、席を立っていた。  使者は額の汗をぬぐいながら、早々に部屋から去っていった。  二人は顔を見合わせた。 「口ほどにもない腰抜けじゃ。  三好長慶や松永久秀も、あの類いであろう」  二人は声をあげて笑った。  当日の朝、景虎は、義輝の見送りを受けて、館の玄関を出た。 「久秀は、油断のならぬ人物。くれぐれも気をつけなされ。  万一の場合を慮って、執務所勤めの家臣には、それがしの意を達してあるゆえ」  義輝は、景虎にそう語った。 「懸念なされるにはおよびませぬ。  長慶や久秀如き不埒者に、気を遣っていたのでは、越後勢の沽券にかかわります」  景虎の顔には笑みが浮かんでいた。  まつりごとに携わる者は、とかく知恵を回し過ぎる。  保身の術《すべ》とはいえ、都人《みやこびと》のそのような姿勢が、景虎には嫌味《いやみ》に感じられていた。  義輝は、だまってうなずいた。  今日は、中条藤資と神余親綱の二人を、供に従えている。  平服に太刀を佩いた姿で、久秀の支配地に乗り込む景虎を、見送りの武者達は、驚きの眼ざしをして眺めていた。  三人は馬に跨がると、警備の武者で固められた館の門を出た。  管領勢力に対する恐れの気持はない。  談合が紛糾すれば、五千の兵によって、彼等の拠点を、攻め落とすつもりであった。  その手筈は、直江実綱らによって、整えられている。  一行は馬を駆った。  樹林や孟宗竹の繁みが、回るように展開する。  京都は人口三十万人を越えているとはいえ、ひなびた風景が、まだ残っている。  起伏の多い森や林を突き切り、土煙をあげて疾駆しているうちに、かつてみた東山一帯の地形が、眼に入ってきた。敵地に乗り込む緊迫感をおぼえるのであろう、藤資と親綱の表情は、引き締まっていた。  山地がとだえると、武家屋敷の並びが、眼に入ってきた。  それに連なって、人家が密集する町が展《ひら》けてくる。  大路を往き来する牛車や人の群れ、商家の並びなどが、かつて栄えた�将軍の町�を思い起こさせた。  三人は、馬の速度をゆるめた。  管領の執務所は、町並みを奥へ入った山手にある。  樹林に囲まれているため、その規模はさだかではない。  しかし、見え隠れする建物の並びから、その様は察しがつく。  さすがは、東山文化が栄えた町である。 「殿、これを機会に、三好長慶らを一挙に討ちませぬか」  藤資が言ってくる。 「いまはその時期ではない」  景虎はさり気なく答えた。だが、心のなかはゆらいでいた。  一行は、町並みを抜けて、山手へ馬を進めた。  松林がひろがりを見せ、そのなかに、庭園や池、築山の風景が、見え隠れする。  風格のある建物が、各所に散在し、警備の武者が、監視の眼を光らせて、あたりを徘徊していた。  ものものしい光景に、景虎は戦国の乱世を感じた。  三好長慶や松永久秀のような人物でも、安泰な気持で日々は過ごしていないのである。  行手に壮大な建物が、姿をあらわしてくる。  緑の山を背景に、松林のなかに聳え立つその眺めは、美しい絵であった。  白砂が敷き詰められた庭園のなかの道を、一行は門をめざして進んだ。  人声が聴覚をよぎったと思うと、武装した騎馬武者が数騎、蹄の音を鳴らして近づいてきた。 「長尾景虎殿でござるか」  馬を止めると、先頭の武者がそう聞いてきた。  鋭い眼ざしが、威圧するように景虎の顔に注がれる。 「左様でござる」  藤資が代わって答える。  双方は一瞬、にらみ合った。 「では、こちらへ。案内《あない》申し上げる」  相手はそう告げると、馬首をめぐらせた。  いかめしい門を潜り、庭園のなかの道を通って、一行は玄関に着いた。  馬から降りると、出迎えの武者が並ぶなかを、なかへ入った。  高い天井、華麗な壁画、飾られた彫像などが、幕府の権威を象徴するように、眼に入ってくる。  三人は武者のあとについて、廊下を歩いた。  すれ違う役人が、不審な面持ちを見せて振り返る。  やがて、広間に案内された。  三人は、指示されるまま、座ぶとんのうえにあぐらをかいた。  明けられた障子戸からは、風が舞い込んでくる。  乱世がうそのような、邸内の佇まいに、景虎は驚きを覚えた。  壁画に無心に見入っていると、廊下に人声が聞こえ、三好長慶と松永久秀が、佐々木為長以下の武者を従えてあらわれた。  そのまま、正面の席へ行って座る。  長慶は、予想していた以上に、高齢であった。  頭髪は白味を帯び、額にはしわが刻まれている。 �将軍義輝から、幕府の実権を奪ったものの、余命はあといくばくもあるまい�  眺めながら、そう思った。  松永久秀は、噂に違わぬ悪人の相をしていた。  残忍性をあらわすかのように、眼は吊りあがり、顔には無気味な笑みが浮かんでいる。  隣の佐々木為長の相貌と似たものが感じられるのが、景虎には不思議であった。  両者は挨拶を交わしたのち、用件を語り合った。 「本日来訪を願ったのは、ほかでもない。そなたの公儀を恐れぬ行為に対し、われわれ、かねてから肚を据えかねておった。  なぜ、京都の町を、わがもの顔に支配しようとするのだ。そのいわれから先ず聞かせてもらおう」  景虎を弱輩とあなどってか、久秀は威嚇の姿勢を見せて言ってきた。  悪人に特有の辛辣《しんらつ》なものの言い方に、景虎は腹が立った。 「公儀を恐れぬ行為と言われても、それがしには合点がまいらぬ。  それがしは、足利義輝公の命を受けて、上洛してまいったもの。  目的は、京都の町から無頼の徒を追放し、治安を回復することにある。それが気に召さぬとあれば、是非もない。  処世の術《すべ》の相違とあきらめてもらうほかはなかろう」  気迫のこもった言葉が、室内にひびき渡る。  久秀は表情をこわばらせた。  四十九歳の年齢を思わせるように、額ははげあがり、こめかみには青筋がたっている。 「国主の分際で、なんという不遜な態度をそなたはとる。  それがしを、松永久秀と知っての言葉か」  怒鳴り声が、鼓膜を震わせるように、聞こえてくる。 「左様。そなたのような無道な人物は、京都から姿を消してもらわねば、庶民は枕を高くして、寝ることもできぬ」  景虎は敢えて言い切った。  気迫と気迫の闘いだと、心で思っていた。 「そなたは、武田信玄と川中島で互角の戦いを演じたことをたのんで、それがしにたてついているのかも知れぬが、ここをどこだと心得ておる。  身のほど知らぬ言葉を吐けば、どうなるか、わからぬそなたではあるまい」 「それを承知のうえで、申しておる。  そなたや三好殿が、狼藉の姿勢を改めぬ限り、それがしは、京都の町から兵を引かぬ。  今後のそなた達の態度の如何によっては、成敗することもあるべしということを、この際はっきりと申し上げておく」 「なんというたわけたことを。  それがしの本意を言おう。  越軍は即刻、京都から兵を引け。  さもなくば、そなたの命《いのち》は、ないものと思え」 「貴殿はそのような言葉を吐いて、これまで将軍義輝公を脅しつづけてきた。  武力をたのんでのことかも知れぬが、われわれには、その台詞《せりふ》は通用せぬ。  それがしの首が欲しければ、とるがよかろう」  景虎は、昂然と応酬の言葉を放った。  三好長慶の顔に、不敵な笑みが浮かぶ。 「貴様という奴は……」  久秀は吐き捨てるようにつぶやいて、景虎を凝視した。  眉は逆立ち、顔は朱味《あかみ》を帯びている。  景虎は言葉を返さなかった。 「不埒者は、この場で成敗してくれるわ」  叫びざま、久秀は刀の鞘を払った。  二尺三寸の抜身が、光を放って眼の前に迫ってくる。  だが、景虎は動じなかった。  中条藤資が、血相を変えて立ち上がる。 「無礼者! 殿に一指でも触れれば、そなたの首は、すっ飛ぶものと思え」  激しい言葉が、久秀に向けて発せられる。 「無礼なのは、お主《ぬし》達の方だ!」  叫びながら佐々木為長が、抜刀して席を立つ。 「近づけば切る。そなた達のような無道者は、生かしておくわけにはまいらぬゆえ」  景虎は二人を見据えて、言葉を返した。 「おのれの命《いのち》が、風前の灯火《ともしび》なのも、かえりみず、よくもそのような壮語を」  久秀は勝ち誇ったような声をあげた。 「貴殿にそれがしが斬れるか。  刃を振るえば、そなたの体は、このような様《さま》になる」  景虎は答えながら、刀を払って、眼の前の茶碗を真二つに切り裂いた。  音をたてて、かけらが床に散る。  久秀の顔は、蒼白になった。 「越軍には、強者《つわもの》が揃っている。そなた達の軍勢を破り、館を攻め落とすことは、一刻もあればなし遂げられる。  しかし、それがしは、そのようなことはしたくない。三好殿や松永殿の地位を奪う気持など、もっておらぬからだ」  おびえの気配を見せる久秀達を見て、景虎は静かな口調で語った。  野鳥の鳴き声が聞こえてくる。  三好長慶が、威儀を正した。 「長尾殿の胆力には、敬服仕った。  さすがは、武勇を天下に轟かせた名将だけのことはある。  それはともかく、現在、それがしは足利殿とは和睦を結び、聊《いささ》かのわだかまりもない。  それゆえ、越軍と、合戦を交じえなければならぬ理由はない。  これまでの数々の紛糾は、お互いが相手を理解せぬことから起こっている。  今後は、かかることのなきよう、意を払う所存ゆえ、本日のことは何卒、水に流して下されたく」  長慶は、そう語って、頭を下げた。  殺気をはらんだ光景が、うそのように、室内は静まりかえってきた。  久秀も為長も、いまは正座して、視線を伏せている。 「松永殿の軍勢が、狼藉を働かなければ、われわれは、武力による町の支配など、行ったりはせぬ。  貴殿は、これまでの紛糾は、相互の理解不足が原因と見立てられたが、実態はそうではない。その辺を含んだ所見でなければ、われわれは首肯するわけにはまいらぬ」  景虎は敢えて反論を試みた。  ごまかしは、許せぬと、感じたからである。  長慶は、思案したのち、次のように答えた。 「今後は、兵達の無道を粛正するは勿論、市内の鎮撫にあたる越軍とも紛糾を起こさぬよう、全軍に示達するゆえ、それで了解下さらぬか」  幕府の実権を握る人物にふさわしく、長慶の言葉には、粗忽《そこつ》さが見られなかった。  心のうちは、読めている。  だが、相手が妥協の姿勢を示せば、さらに追及する必要は景虎にはなかった。 「そのような考えならば、納得できる。  では今日はこれで」  そう言葉を返すと、早々に席を立った。  長慶は、玄関まで景虎を見送った。  打って変わったその態度に、景虎は、権謀術数を駆使して、天下取りを策する信玄の姿を連想した。  似ているように、思えてならなかった。  三人は馬に跨がった。  松並木の風景が、眼にさわやかに映る。 「これで上洛の目的は、半ば達した」眺めながら、景虎はそうつぶやいていた。  長慶が約束したとおり、翌日から久秀の部下の狼藉は、影をひそめた。  しかし、景虎は安心する気持にはなれなかった。  戦乱で荒れ果てた京都の町には、野盗や辻斬りの類いが、いまだに横行しているからである。  いましばらくは、厳しい警戒態勢を敷かなければならぬ、これが偽らざる気持であった。  幸いに長尾家は、財力にめぐまれている。  五千の兵の滞在費がかさんでも、聊かの影響も受けないことが、景虎に政治の中心地にとどまる決意を固めさせていた。  平穏ななかで、二ヵ月が経過した。  景虎は、その後、居を嵯峨の神余親綱の館に移した。  その方が気楽に振舞えるからである。  近頃は、留守居の長尾政景から、ひんぱんに書状が届く。  信越国境が、上洛を契機に、再び不穏な状況を呈してきたというのが、その内容であった。  将軍義輝に、その旨を伝えると、両人のなかを調停したいとの返事がかえってきた。 「取り敢えず、書状を、武田殿宛に送ろう。  二人は、足利幕府の権威回復を実現できる両輪とも言える人物、いずれを欠いても、まつりごとの安定は得られぬ。  そなたは、若年のゆえもあって素直だが、武田殿はしたたかだ。  今回の件は、明らかに武田殿に非が認められる。それゆえ、それがしは、『景虎意見を加《くわ》うべき段《だん》、肝要《かんよう》に候《そうろう》』と書き送るつもりである……」  管領勢力との融和がはかられたせいか、義輝は昔の覇気を取り戻していた。  言葉つきや判断にそれがあらわれている。 「では、よろしく」 「承知仕った」  二人は言葉を交わして、話題を打ち切った。  政景からの書状では、信玄は、山城理性院、戸隠権現、松原明神、生島足島《いくしまたるしま》神社、諏訪神社、甲斐の諸寺に、信濃統一、景虎撃滅を祈願させ、越後に対する積極的な攻撃を準備しているという。  戦国の武将の常とはいえ、これほど広範囲に、己れの戦勝祈願をするのは、異例のこと。  その心根《こころね》を、景虎ははかりかねていた。 「武田殿も、そなたの川中島への侵攻に対しては、怒り心頭に発している様子。  それゆえに、これほどまでに、神仏に願をかけるのであろう。  いやはや、武将達の国盗り病には、恐れ入る」  信玄の狂奔振りを、思い起こしているのであろう、義輝の顔には、笑みが浮かんでいた。 「いや全く。これでは、それがしは病にかかって、死ななければなりますまい」  景虎は冗談で返して笑った。 「それがしが今年、武田殿を信濃守護職に補任し、且つ嫡男の太郎義信に、三管領に準ずる待遇を与えたことがかえって悪かったのかも知れぬ」  義輝は、庭の風景に眼をやりながら、そう洩らした。  表情には、依然笑みが浮かんでいる。  自分と信玄を天秤にかけて、勢力争いをさせ、その中心に己れが座ることによって、権威を回復しようと企図している顔であった。 �その手に乗るわけにはまいらぬ。  信玄も同じ考えであろう�頭のなかを思いがかすめてゆく。 「言われるとおりに存じます。これでは、武田殿に、北信を経略せよというも同じ。  足利殿から書状を送られても、武田殿は恐らく信濃守護職のゆえをもって、突っぱねられるものと思われます。それでは、両国和睦に関する殿の苦労も、水泡に帰するというもの」  景虎はさり気なく、言葉を返した。 「武田殿のこと、或いはその方便に出られるやも知れぬ。  しかし、それがしは、将軍として、両人の争いを看過するわけにはまいらぬでのう」 「なるほど」  景虎は、相づちを打った。 「ところで長尾殿。かねて上杉憲政から上申のあった関東管領の譲位の件だが、受けては下さらぬか。  そなたならば、上杉氏にかわって、関東一円を治め得ると判断されるゆえ」  義輝は話題をかえてそう言ってきた。 「その件については、先年もご返事申し上げましたとおり、固くおことわり申し上げます。  関東管領の地位に、それがしが就くいわれがないことと、北条氏が実権を握っているなかで、譲位を受けても、空しきことと、思われるからです」 「なるほど、無に等しいものは、いらぬと申されるのか」 「左様でございます」 「しかし、関東を北条氏康の蹂躪《じゆうりん》に委せば、まつりごとの示しがつかぬ。  そなたが関東管領の地位に就かぬとなれば、ほかの者を考えなければなるまい」  義輝は語って、眉間にしわを寄せた。  景虎は答えなかった。  自分には関わりのないことだと考えたからである。 「やはり、関東のことはゆるがせにできぬ。  北条氏康を牽制《けんせい》する意味からも、憲政を補佐する者を立てなければならぬ。どうであろう。義兄の関白近衛|前嗣《さきつぐ》を、北条方に内応する古河公方、足利義氏の対抗にたてたいと存ずるのだが……」  ややあって、義輝はそう持ちかけてきた。 「北条殿は古河公方を擁して、上杉憲政公に、長年叛旗をひるがえしております。  これでは、治安は、永久に得られませぬ。  関東の状勢には、それがしうとうございますが、殿の意向がそうであれば、近衛公を奉じて、関東平定の兵をおこしてもよいとは考えますが」  景虎は、思案した末、そう答えた。  近衛前嗣がどのような人物なのか、わからぬだけに、不安は残ったが、正親町天皇への拝謁の労をとってもらった義理もあり、ことわることができなかった。 「では、そういうことにして、いずれ手続きを進めることに致そう」  義輝は語って、安堵の表情を浮かべた。  木々の緑が、眼に焼きつくように映る。  眺めながら景虎は、関東経略を開始する時期が到来したことを感じた。  北条氏康を討つことは、至難に近い。  しかし、今川義元を中心とする三国同盟の一角を崩さなければ、天下平定への道は開けない。  信玄や氏康という名だたる勇将を、敵に回すことは、危険であるが、上杉憲政の治政をめぐる状況が、急を告げてきた現在、この機を逃がせば、関東への進出は、不可能になる。  景虎は、いまそのことを考えていた。  義輝を援けて、京都の治安回復にあたるのも、ほどほどにしなければならないと、心のなかで思い直していた。  義輝は、そのような景虎を知る由もなく、政治向きの自慢話を、とりとめもなくした。  越軍の上洛により、足利幕府の権威を回復する時期が訪れたと感じているのである。  だが、景虎には、満足の笑みを浮かべて語る義輝が、なにか、影の薄い存在のように思えてならなかった。  やがて、三好長慶や松永久秀に、寝首をかかれる。  これが偽らざる気持であった。  雑談に耽り、酒を酌み交わしたのち、景虎は、将軍の館を辞した。  夕陽が西の空を染め、残照を浴びた北山一帯の佇まいが、眼にさわやかに映る。 「はや三ヵ月半が経ったのか」  紅葉におおわれたあたりの風景を眺めながら、景虎は、つぶやいていた。  九月を迎えると、京都の町には落ち着きがかえった。  兵達も近頃は交代で、都見物を楽しんでいる。  将軍義輝と管領勢力との融和により、東山一帯からは、これまでのような殺伐な空気は影をひそめた。  そのようななかで、景虎は連日、寺院詣りや名所見物に耽った。  最近は、義輝の館に、公卿、文人、役人などを招待して、よく酒宴を張る。  彼等と交わっていると、朝廷や幕府、諸国の情勢などが、手に取るようにわかる。  多額の金を消尽し、無駄な労力を使ったことに対する悔恨の気持はない。  五千の兵に、政治の中心地の雰囲気を味わわせただけでも、将来の天下取りに役に立つと、景虎は考えていた。  季節は晩秋へ向かって、移ろう気配を見せている。  十月一ぱいを京都で過ごしたのち、帰途につく、これが現在の景虎の方針であった。  そんな或る日、嵯峨の館に、将軍義輝が、供の武者数名を従えてやってきた。  表情には、只ならぬ気配が走っている。  景虎は一行を、奥座敷に招じ入れて、懇談した。 「貴殿が管領勢力を抑えてくれたおかげで、それがしの威光は、ようやく幕府内に行き渡るようになった。  あと一息だというのが、正直な気持だ。  ところで、どうであろう。これを機会に、一挙に三好長慶と松永久秀を討っては……」  義輝は、決意を秘めた口調で、そう語った。  景虎は胸をつかれた。  義輝がそこまで思いをめぐらせていようとは、想像すらしていなかったからである。 �やはり、義輝は策士だ�と心で思った。  景虎の考えと、将軍のそれとの間には、基本的な隔たりがある。  義輝が越軍を、管領勢力を打ち破る戦力とみているのに対し、景虎は将来の天下取りの布石としてしか、今回の上洛のことを考えていなかった。 「殿の胸中は、それがしにはよくわかります。  足利家にとって、幕府の実権を奪った三好長慶らを、なきものにすることは、当然のことでございます。しかし、われわれにとっては、そうではございませぬ。  それがしが、五千の兵を率いて上洛したのは、将軍の命により、京都の町を鎮撫すること、ただそれだけの目的からです。  越前の朝倉義景殿や近江の六角氏にも、その旨を伝えて、領内通行の許可を得ております。  その筋目をはずして、管領勢力を打ち破り、京都で覇をとなえれば、非道のそしりを受けるばかりか、越後への帰国も、不可能になります。  ご存じのように、信越国境は険悪の度を増しております。  そのようななかで、越後の国主のそれがしが、自国の防衛を放棄して、京都で合戦にうつつをぬかすとなれば、撞着も甚しく、諸国の武将のもの笑いの種にもなりましょう。  その辺の事情を、お考えいただきたい。  天下取りは、地の利、時の運、人の和が得られなければ、なし遂げられませぬ。  足利殿にとり、管領勢力の殲滅《せんめつ》は、焦眉の急のことかも知れませぬが、これとて、時期をはからねば、成るものではございませぬ。  いましばらくお待ちなされ。そのうちに、必ず機が熟してくると思われますゆえ」  景虎は落ち着いた口調で、言葉を返した。  足利幕府の内紛にかかわってはおれぬというのが、本心であった。  義輝は、うなだれた。 「やはり長尾殿の気持は、そうであったか」  とつぶやいたきり、言葉も発しなかった。  義輝には、十四代将軍の地位が、心の重荷になっている。  気の毒だとは思ったが、いまの景虎にはなす術がなかった。 「もうすぐ十月だな」  間を置いて、義輝は、ポツリと洩らした。 「そうですな」  景虎は、静かな口調で、相づちを打った。 「先年の上洛の際、約束した鉄砲の製造方法の研究が、ようやくまとまった。  機会を見て、そなたに伝授することに致そう。  織田信長の兵を破るには、これなくしては不可能ゆえ」  あきらめの心境に達したのか、義輝は普段の表情にかえって、そう言ってきた。 「それは有難き幸せ。これで上洛の成果が一つふえたというものでございます」  義輝は、国攻めに猛威を振るいはじめた織田信長を嫌ってる。  狂暴さが、その行為から感じられるからである。  信長と今川義元の激突は、すでに不可避の状態になっており、京都でも、その噂が立っている。  両雄のいずれかが消える、これが幕府の役人や公卿達の一致した見解であった。  義輝は、そのことを思い浮かべているのであろう。眼は、据えられたまま動かなかった。  武将達に頼って、地位の安泰をはかるしか術《すべ》が見出せないその心のうちが、景虎にはあわれであった。  十月を迎えると、諸国の状勢が、慌しくなってきた。  今川義元が上洛の兵を起こしたとの噂が流れ、京都の庶民は、戦乱の恐怖におののいた。  なかには、家財をまとめて安全の地に、引っ越す者さえいる。 「将軍様や三好様の天下も、これで終わりであろうか」 「さあ、しかし、こう合戦が続いては、やりきれんよ」  こんなささやき声が、巷の各所で聞かれるようになった。  一方、信越国境は、この時期を境に、緊迫の度を加えていった。  信玄が善光寺平を制圧するため、海津城を築く構えを見せ、越中の神保良春が、越後を攻める準備を進めているとの報せが、毎日のように嵯峨の館にもたらされた。  景虎は、急遽、部将達を集めて協議し、直ちに帰国する決意を固めた。 「神保良春が、信玄の善光寺平への進出に呼応して、越後を背後から脅かそうと企てていることは、由々しき大事じゃ。  今後、信玄は加越の一向宗徒をも味方につけて、越後を包囲する作戦に出てくるに違いない。  加えて、先般帰国された上杉憲政公の身辺も、慌しくなっている。  北条氏康の最近の無道振りをみれば、兵を率いての関東出陣は、避けられぬ状勢にある。  今後は、合戦に明け暮れる毎日を覚悟しなければならぬであろう。  ただ、これは諸国に共通のことであり、戦乱の世が、統一へ向かって動きはじめた証拠でもある。  あと十年が節目だが、それ以降も、天下取りへ向かって諸将の激突は、相次ごう。  われわれは今後とも力を合わせ、不退転の決意をもって、天下平定への道を歩まなければならぬ。  苦しみに彩られた苛酷な道だが、それに耐えてこそ、明日が開かれる。  われわれはこのことを、忘れてはならぬ。  越後への出立《しゆつたつ》にあたり、士気を新たにするため、一言《ひとこと》達しておく」  景虎は厳しい口調でそう語って、軍議を締めくくった。  午後、景虎は、直江実綱と中条藤資を従えて、将軍義輝の館を訪れ、明日京都を発ちたい旨を伝えた。  突然のことに、義輝は色を失った。 「せめて正月まではと思っていたのだが……」  とつぶやいて、絶句した。  景虎は、越後を取り巻く状勢が、厳しくなった事情を説明して、ようやく了承を得た。 「今後はいつ会えるかわからぬが、お互い意を通じて、天下平定のために力を尽くそう」  と義輝は寂しそうな表情を浮かべて語った。  三好長慶や松永久秀の巻き返しに遭うことが眼に見えているだけに、景虎は、後髪が引かれる思いがした。  別れ際に、義輝は、 「鉄放薬《てつほうやく》の調合次第《ちようごうしだい》ほかについては、後日、使者を遣わして届けることにするゆえ」と語った。  景虎は、礼を述べて、館から去った。  翌朝、越軍は、京都をあとにした。  佐々木為長以下の武者が、見送りに駆けつけてきたが、彼等の表情には、昔のふてぶてしさがよみがえっていた。  越軍が去れば、自分達の天下が訪れると考えているのである。  大津に着くと、帆船を調達して、その日のうちに琵琶湖を渡った。  騎馬隊も湖岸を疾駆して、夕刻には、本隊と合流していた。  前日、脚力《かくりき》に、敦賀への到着日を伝えてあるため、越後から船団は回送されてくるはずである。だが、諸国の状勢が緊迫の度を加えている折とて、安心はできなかった。  特に越中の神保良春の領地を脚力が馬を駆って通らなければならないことが、景虎の心を暗くした。  近江の六角氏の領内に入ると、兵団は野営の陣を張った。  上洛のことは、脳裏から消えている。  いまの景虎には、信濃攻めと関東蹂躪のことしか、念頭になかった。  翌日、近江の坂本に差しかかったとき、将軍義輝の使者が、馬を駆ってやってきた。  手には、一巻の書物が握られている。 「出立が急なため、詳伝したものを届けることができず、恐縮に存じます。この書は、大友宗麟から、足利将軍へ献上されたもの。謂わば鉄砲製造の秘伝書にございます」  使者はそう語って、「鉄放薬之方并調合次第」と記した書物を、景虎に手渡した。 「遠路大儀であった。厚く礼を言う」  景虎は丁重に言葉を返したのち、なかを開いて読んだ。  硝煙、硫黄の調薬法が詳説され、鉄砲の鋳造方法も図解で示されている。  秀《すぐ》れた内容に、景虎は驚きを覚えた。  自分に天下をとらせようとしている義輝の執念が、革表紙のこの書物に凝縮されているように、感じられてならなかった。  使者が去ると、兵団は、再び行進を開始した。  野山の風景には晩秋の気配がただよっている。  空で舞うとびの姿を、景虎は無心の気持で眺めていた。 [#改ページ]   第十章 登竜《とうりゆう》  帰国後、七日が経った。  信濃へ潜入させた使僧からは、その後不穏な状勢を伝える報せが、もたらされてくる。  信玄が越後侵攻の構えをあらわにし、善光寺平へ兵力を集結しているというのが、その内容であった。  この状勢に、本庄実仍や直江実綱は、出陣を説き、その準備をはじめたが、景虎はすぐには御輿《みこし》をあげなかった。  上杉憲政や佐竹義昭の軍が、北条勢に圧迫されて窮地にたち、援兵を求めてくる気配にあることと、噂どおり越中の神保良春が、椎名康胤の拠城の富山城を攻め、勢いに乗じて越後を脅かそうとしはじめたからである。 「良春め、とうとう信玄に内応しよったか」  間者の武者からの報告に、景虎はほぞを噛んだ。  善光寺平が、武田勢の手中に落ちることを手をこまねいて眺めるつもりはない。  しかし、越中の雄、神保良春の挙兵を無視し、或いは、兵力を二分して両面作戦を展開する気持には、さすがになれなかった。 �已むを得ぬ。先ず良春を討とう�思案した末、景虎はそう結論を下した。  この方針は、十月二十八日、国内の諸将が、越軍の上洛とその無事帰還を祝して開いた、酒宴の席で承認された。  領主達は、上洛による国名の昂揚を喜び、相はかって景虎のために太刀を献じた。  直太刀之衆の長尾景信(古志)、桃井有馬助、山本寺定長ら一門の大身の者は、「金覆輪」を、披露太刀之衆と呼ばれる宿将や属将は「糸巻」を贈った。  このなかには、中条藤資、長尾政景、色部長景、柿崎景家、毛利高広などの国衆も含まれていた。  こうして、国をあげての祝賀気分のなかで、景虎は来年早々から越中攻めを、続いて関東経略を開始することを明らかにした。  居並ぶ部将達は、景虎の発言に襟を正して、今後の忠誠を誓った。 「五千の兵を率いて上洛し、朝廷や将軍家とちぎりを密にされたかと思うと、忽然と帰国され、今度は越中攻めと関東攻略を進められる。  いや、立派な武将振りと、われわれ一同、感じ入ってございます。  この分だと、武田殿や今川義元、中国の毛利氏、尾張の織田信長などの諸将にさきがけて、天下をとられるは必定。  今回の儀を契機に、われわれ家臣、心を新たにして、殿のために砕身、勤める所存にございますゆえ、何卒、ご安堵下されたく」  長尾景信は、席上諸将を代表して、そう述べた。  上洛を祝う気分は、そのまま景虎を擁しての天下取りへと、部将達の夢をふくらませていったのである。  十一月初めには、「信濃大名衆」と称せられる村上義清や高梨政頼からも、太刀が献じられる予定になっており、関東衆の佐竹義昭や「八ケ国之衆」の和田、三浦、佐野、宇都宮、結城、真壁の諸士も、越軍の壮挙を祝して太刀を献じ、同盟を固くする意思を固めている。  権謀術数をろうし、諸将と虚々実々の外交戦を展開して、自国の安全と勢力の拡張をはかる信玄の行き方と、人の和と正義を重んずる自分の姿勢のいずれが勝ちを制するかは、予断が許されない。  信玄の老獪さに、或いはやられるかも知れぬというのが、偽らざる気持であるが、国内がまとまりを見せ、部将達が天下取りへ向かって動く気配を示しはじめたことは、景虎自身にとっては何よりの心の安らぎになった。  酒宴は夕刻まで続いてなおやまなかった。  女中や家臣達がついでくれる酒に、景虎は酔った。  顔は紅潮し、眼は光を放っている。  天守閣の広間は、領主達で埋まり、酔った勢いで、歌をうたい、踊り、舞う者さえいる。  徳やうめもいまは、彼等の接待に余念がない。  灯明の明かりに映える越後上布の衣装が、眼にきらびやかに映る。  女盛りの年齢にありながら、婚期を逸してゆく二人が景虎にはあわれであった。 �徳はまだしも、うめは……�胸のうちを思いがかすめてゆく。  その夜、領主達は館に分宿して、夜を徹して飲み明かした。  だが、翌日の午の刻(午前十二時)以降は、殆どの者が帰国して、城内は普段の雰囲気にかえっていた。  自室にこもって徳と語り合いながら、景虎は、冬の季節がやってきたことを感じた。 「来年は殿様も三十一歳でございますな」 「左様、国主の地位に就いて以来、はや十年が経った。  しかし、ほんとうの苦しみはこれからだ。  そなたには今後とも苦労をかけるが、末長く面倒を見てくれ」  延暦寺へ自分を迎えにきたときの徳の姿を思い浮かべながら、景虎は言葉をかえした。  長尾政景の諫言もさることながら、あのとき自分を武将の地位に呼び戻したのは、徳の誠心のなせる業であった。  運命の糸にあやつられて、天下取りへの道を歩む自分を、景虎は思わずにはおられなかった。  陽ざしが、縁側に差し込んでくる。  徳は立ち上がって、障子戸をあけた。  例年より暖かいせいか、まだ雪は積もる気配はない。 「あとしばらくで、お正月でございますね」 「左様、季節の移り変わりは早いものだ」  焼けつくような陽ざしのなかで過ごした京都での生活が、いまは昔のことのように思われる。  二人は言葉を交わしながら、庭の風景を眺めていた。  合戦の気配におおわれたなかで年が明け、永禄三年(一五六〇)を迎えた。  今川義元は、噂どおり、駿河、遠江、三河の大軍二万五千を率いて、西上を開始した。  天下取りへ向かっての諸将の動きは、現実の形をとってあらわれてきたのである。景虎はさすがに動揺の気配を抑えることができなかった。  一説では、四万と称される大軍が、京都をめざして進撃を開始すれば、勇猛をもって鳴る織田信長とて、勝ち目はない。  加えて義元の軍勢のなかには、三河の智将、松平元信(後の徳川家康)も加わっている。  天下取りは、先ず間違いないというのが、部将達の一致した見解であった。 「大へんな事態になりましたな」  中条藤資が、血相を変えて言ってくる。  武者溜りは、騒然とした雰囲気におおわれていた。  景虎はだまってうなずいた。  他国のこととはいえ、大軍を率いての西上となれば、ゆるがせにできない。焦りが心をおおってゆく。  池の面には氷が張り、雪をいただいた石灯籠の姿が、眼に風雅に映る。 「しかし、今川殿では、天下は取れぬかも知れぬ」  間を置いて、景虎はさり気なく洩らした。 「それはまた如何なる理由で……?」 「ただ、なんとなく……」  景虎は答えて、思案に耽った。  織田信長は、自分と同じ、一国主にすぎないが、今川義元が対決の姿勢をあらわにすれば、その胆力と英知のほどから、駿河勢を打ち破る捨て身の作戦を考えるに違いない。  そこに波乱の余地があるというのが、景虎の判断であった。 「しかし……」  藤資はつぶやいて、眉間にしわを寄せた。  落胆の気持を覚えているのであろう。  表情には、普段の覇気がみられなかった。 「他国のこともさることながら、いまは、ふりかかる火の粉を払うのが先決。まず良春を討たねばならぬと、わたくしは考えますが……」  実仍が言ってくる。 「左様、腹背に敵を受けていたのでは、信玄と雌雄を決することはできぬゆえ」  気持を取り直すと、景虎はそう答えた。 「今川義元が動き出した現在、われわれが討たなければならぬ敵は、信玄をおいてほかにはございませぬ。  信玄さえ倒せば、関東の北条氏のごとき、赤子の手をねじるも同然。そうなれば、強大な勢力を擁して、一気に京へ攻めのぼることも可能になりましょう」  実仍らしい考えに、景虎は笑みを浮かべた。 「言うとおりじゃ。信越国境さえ、信玄が侵さなければ、それがしは直ちに、関東へ兵を進め、北条氏康を討って、上洛の軍を進めよう。  しかし、世のなかは、なかなか思うに委せぬもの。  信玄も、それがしが善光寺平の制圧をめざさなければ、今川殿より早く、京へ進撃を開始したであろう。  その意味では、いまの信玄の胸中は、それがしと同じに違いない」  今川義元の挙兵に、切歯扼腕している信玄の姿が、景虎には眼に見えるようであった。 「いずれにしても、武田殿とは早晩結着をつけなければなりませぬ。その時期は、早いほうがよいと、わたくしは考えますが」  実仍の眼は据わっていた。  天下平定へ向かって行動を起こす時期が、到来したことを、感じているのである。 「そなたの判断は、間違ってはいない。  しかし、人間焦ってはならぬ。  何れ、信玄とは、興亡の一戦を遂げなければならなくなる。  だが、いまはその時期ではない」  景虎は、諭すように語った。  越中の神保良春を討ち、然るのち鉾先を関東に転ずる、これが主従の一致した見解であった。  不穏な形勢がつづくなかで、二ヵ月が経過した。  野山の風景には、春の気配がただよっている。  冬が去り、生命の息吹きの季節が到来したことを、景虎は感じた。  だが、その表情は、憂いに満ちていた。  越中にありながら、景虎に臣従する椎名康胤の拠城が雪解けとともに、神保良春の軍の猛攻を受け、危殆にひんしているとの報せが、心を暗くするのである。  庭園を散策しながら、景虎は溜め息を洩らした。  なぜ、隣国の雄が甲斐になびき、越後に叛旗をひるがえすのか、理由がわからなかった。 �とにかく、数日中に越中へ出陣し、富山城と増山城から、敵兵を追わなければならぬ�思案した末、そう決意した。  風景を眺めていると、うめがやってきた。もえ黄色の越後上布の衣装が、すんなりした体つきに似合っている。 「なにを思案しておられます?」  相変わらずの歯に衣きせぬものの言い方に、景虎は苦笑した。 「合戦のことでございましょう」 「そのとおりだが」 「結構に存じますが、あまり心を患わすと、気の病にかかられますよ」 「わかっておる」  答えながら景虎は、うめが自分に心を寄せていることを感じた。  気性の激しい女人は、好みではない。  しかし、うめには、その裏に潜む、ひたむきなものがある。  それが三十一歳を迎えた景虎の心を打つのである。 �うめは不出来な女人だ。しかし、真心はある�と心で思った。 「殿様は、なぜ奥方を迎えられませぬ。わたくし共の間では、それが、評判になっておりますが」  うめは笑みを浮かべて、そう聞いてきた。 「そのようなことは、どうでもよいではないか。それより、そなたこそ、家中の適当な者を見つけて、輿入れしたらどうだ」 「わたくしには、そのような気持はございませぬ。  殿方のわがままには、へきえき致しておりますゆえ」 「ほう、珍しいことを聞くものだ。  すると、家中の誰かと、恋仲にでもなったことがあると見えるな」  景虎は冗談で返した。 「家中の方ではございませぬ。  お城勤めをする以前のことでございます」 「なるほど」 「それより、殿様が、奥方をもらわれぬゆえをお聞かせ下さいませ」 「それがしは、女人はきらいじゃ。それだけのことだ」  景虎は、さり気なく答えた。 「でも、徳は愛していらっしゃいましょう。  わたくしには、隠しだてをしてもわかるのです」 「そなたがそうみるのなら、それでよいではないか」  景虎はさからわなかった。  うめは池の面に眼を移して、思案に耽った。  その心がわかるだけに、景虎は婚期を逸したうめがあわれであった。  ややあって、うめは面をあげた。 「徳は、殿の御子を生むことができませぬが、わたくしにはできます……」  消え入るような声であった。  さすがに恥じらいの気持を覚えたのか、頬は染まり、胸は波打っていた。  景虎は、答えることができなかった。  廊下を人が渡ってくる気配に、うめは館へ去っていった。 「殿、出陣はいつに致しましょう?」  中条藤資の声であった。 「十日でどうであろう。大安のようだから」と景虎は答えた。  その夜、うめが寝所に忍んできた。  寝つかれぬまま、景虎が月明かりに映える天井を見詰めて、思案に耽っているときであった。  襖があく音に、徳ではないかと思ったが、そうではなかった。  灯明が消された部屋のなかに浮かぶ姿は、まぎれもなくうめであった。  薄着のまま、女中部屋を抜け出してきた気配に、景虎は驚きを覚えた。  恥をかかせてはならぬとの思いから、景虎は、うめを迎え入れて犯した。  昼間語っていたとおり、うめは、処女ではなかった。  女の喜びを味わう術も知っていた。 「そなたは、どう思っているのか知らぬが、それがしには、子供は生まれぬ」  行為が終わったあと、景虎は静かな口調で語った。  うめは息を呑んだが、 「やはりそうでございましたか。でも、わたくしには、関わりなきこと、こうして願いがかなっただけでも、幸せでございます」と答えてきた。  身づくろいをすると、うめは部屋から去っていった。  そのものおじせぬ態度に、景虎は不安を覚えた。  今夜の交わりを契機に、年下の徳をいためるのではとの予感に襲われたのである。 �そのようなことにならなければよいが�悔恨の気持とともに、思いがかすめてゆく。  余儀なきこととは言え、心は暗かった。  潮風が海から吹いてくる。  三千の兵団は、国境の山を越えて、富山城に向かっていた。  冬枯れにおおわれたあたりの佇まいが、わびしさを誘う。  越中は、春とはいえ、まだ積雪が深い。  兵達はそのなかを、黙々と歩を進めた。  樹林を飛び立つ野鳥の姿に、馬がいななきの声をあげる。  原始林のなかの道は険しかった。  夕陽が西の空を染める頃、兵団は、山麓の荒野に降り立った。  明日早朝、富山城を囲む予定のため、兵達の表情には緊迫感がみなぎっている。  幕間がしつらえられると、景虎はなかへ入って憩った。  今夜は、本庄実仍以下の部将とも、居をともにする。  松明のあかりがともされるなかで、車座になり、酒を飲んだ。  部将達の顔には、覇気がみなぎっている。 「越中勢など一ひねりにしてくれるわ。彼等には合戦の経験がないからのう」 「そのとおり。それゆえに、椎名|氏《うじ》が守りを固める富山城や増山城を攻めあぐねているのであろう」  陽気な会話に、一同が沸く。  兵達も、食事を喫しながら、和やかに語り合っていた。  冷気が膚をさしてくる。だが、雪国の生活に慣れている越軍の兵士には、問題ではなかった。  一刻が経つ頃、見張りの武者を残して、全員眠りについた。  月が中天にかかり、淡い光を投げかけてくる。  景虎は幕間の外へ出て、あたりの風景を眺め渡した。  荒野が、闇のなかにひろがりを見せ、森や林の黒ずんだ姿が、不気味に眼に映る。  物音一つしない静けさに、景虎は、不吉な予感を覚えた。  誰かが陣地の様子をうかがっているのではと感じられたのである。  あたりに神経を配りながら、徘徊していると、大気の震える音が、耳底をよぎっていった。  景虎は身を沈めた。  矢が幕間に突きささる鈍い音が、聞こえてくる。 「弓をもってまいれ!」  激しい声で怒鳴ると、矢が飛んできた方向を凝視した。  騎馬武者が一人、馬を御しながら、木陰に佇んでいる。  眼にはさだかでないが、景虎には勘でわかる。  騒然とした陣地内の気配に、恐れをなしたのであろう。  武者は馬を鞭打つと、樹林を抜けて、野を疾駆しはじめた。  景虎は弓を受け取ると、矢をつがえて射た。  声を発するいとまもなく、黒い影は鞍からころげ落ちた。 「これで、明日の合戦の結着がついた」  景虎はそう語って、笑った。  翌朝、兵団は、夜明け前に富山城へ向かって発った。  間者を射殺《いころ》されたためか、神保良春は、越軍の侵攻を知らなかった。  空が白みはじめる頃、怒濤のような進撃を受けた越中勢は、富山城を囲む布陣を解いて、西南の方向へ落ちのびていった。  戦いが終わるのに、半刻とはかからなかった。  朝日が野山の風景を映し出す。 「噂ほどにもない腰抜け武者め。これでは増山城から敵兵を追っ払うのは、なんの造作もなかろう」  藤資の言葉に、笑い声があがる。 「しかし、問題は越中の一揆だ。命を失うことを恐れぬ彼等のこと、その制圧には、藤資も手を焼くことであろう」  額の汗をぬぐいながら、景虎は冗談でかえした。  神保良春の軍は敗れても、蓆旗《むしろばた》をかかげ、竹槍、刀、農具などで武装した一揆の攻撃をかわすことは、容易ではない。  幼少の頃、父から聞いたこの事実を、景虎は思い起こしていた。  翌日、越軍は富山を発って、増山城へ向かった。  神保良春は、ここを最後の合戦の場と定めているのか闘志をみなぎらせて、攻勢にでてきたが、武装、兵力において勝る越軍の敵ではなかった。  一刻の攻防戦ののち、二千の軍勢は、良春を擁して西方に敗走していた。  敵兵の姿を眺めながら、景虎は笑みを浮かべた。  これで、心置きなく関東へ兵を進めることができると思った。  休戦を知らせるほら貝の音が、ひびき渡る。  照りつける陽光に、野山が、あざやかな姿を浮き彫りにする。  父為景が執念のように狙いながら、果たし得なかった越中侵攻が、これほど短時日になし遂げられようとは、思いもおよばぬことであった。  顔の白布をとると、空を仰いだ。  とびが二羽、増山城の上空を舞っている。  さきほどまでの合戦がうそのような、のどかな眺めに景虎は心が安らぐのを覚えた。 �越後へ帰れば、直ちに関東出兵の準備を進めよう�  眺めながらそう胸のうちでつぶやいていた。  春日山城へ帰り着いたのは、三日後であった。  その日から景虎は、関東経略のための軍議を開き、連日、部将達と意見をたたかわせた。  近頃は、北信の諸侯を除き、殆どの部将が城下の館、または城内に居住している。  そのため、合戦の打ち合わせは、ときに夜を徹して行われることもある。  加えて、景虎はこのような雰囲気が好きであった。  本庄実仍以下の直臣《じきしん》と語り合っていると、心が開けてくるのである。  四月を迎えると、天下の形勢は、緊迫の度を加えてきた。  今川義元が織田信長を討つ意思を明らかにし、部将の松平元信(徳川家康)をして、鷲津《わしづ》、丸根《まるね》の信長方二城を攻めさせたことが、その発端になっていた。  戦況は、使僧によって春日山城へ伝えられ、一進一退の攻防戦が、部将達の血を沸かした。 「松平殿も知恵者じゃが、織田殿はそれに勝る勇将、いずれが勝つかは予断が許されぬ。  それにしても、若武者同士の合戦は、手に汗握らせるよのう」  藤資が豪放な性格そのままに、軍議の席で冗談を飛ばす。 「それがしは、この合戦、織田殿に一日の長ありとみる。  松平殿は才子だが、年が若い。そこにひけ目ありと見るのだが」 「なんのなんの。わしは松平殿が押し切るとみる。今川殿の四万の軍勢が、あとに控えているとなれば、いかな織田殿とはいえ、勝ち目はあるまい」  毎日、このような会話が、部将達の間で交わされた。  いまは誰もが、天下平定へ向かっての景虎の出陣を待ち望んでいた。  一方、関東の状勢も、今川義元の西進を契機に、慌しくなった。  北条氏康が、関東制圧に、本格的に乗り出しはじめたからである。  そのため、上杉憲政や景虎と手を結ぶ佐竹義昭、里見義堯《さとみよしたか》らは、北条勢に攻め込まれて苦境に立った。  そのようななかで、四月半ば、憲政と義輝から、関東出陣を促す書状が、景虎のところへもたらされた。  使者を引見した景虎は、次のように答えた。 「関東への出兵については、それがし、かねてから決意しておった。  だが、遠路のこと、武器、兵糧、軍馬などを整えねば長期の合戦は行えぬ。  現在、その準備を、夜を日に継いで進めているが、まだ充分ではない。せいては事を仕損ずるの譬《たとえ》もあり、いましばらく様子をみたいというのが、偽らざる気持だ。  しかし、あと数ヵ月内には、必ず大軍を率いて、三国峠を越える」  景虎の言葉に、使者はうなずいた。  いまは、今川、織田両勢の激突に、関心を寄せている場合ではなかった。  使者が去ると、室内は騒然とした気配におおわれ、出席者はそれぞれの役目に応じて、兵力の整備について、打ち合わせをはじめた。  景虎は腕組みして、思いに耽った。  大軍を率いての関東攻めには、懸念の気持を覚える。  だが、この機を逃がしては、天下取りへの道は展けない。 �信玄と北条氏康だけは、万難を排してでも、討たなければならぬ�  車座をつくって語り合う部将達を眺めながら、景虎はそう決意していた。  五月を迎えると、今川義元と織田信長の抗争は、頂点に達した。  鷲津、丸根の攻防戦が続くなかで、義元が本隊を率いて、田楽狭間《でんがくはざま》に到着したとの情報が入ったのは、二日前のことであったが、その五日後には、大軍に擁せられた義元が、二千の兵を率いる信長に、本陣を攻められ、首級をあげられたとの報せが、春日山城へもたらされた。  武者からの報告に、景虎は予感の適中を覚えた。 「やはり、織田信長は只者ではない。  最大の敵は、信玄でも氏康でもない」  と眼を据えて語っていた。 「して、どのような手術《てだ》てで、織田殿は今川殿を討ち滅ぼしたのだ」  間を置いて、景虎は静かな口調で、武者に聞いた。 「くわしくはわかりませぬが、巷の噂では、織田殿は駿河勢の来襲に、起死回生の策をめぐらせ、直接、今川殿の本陣を攻め、その首級をあげることを決意したもようでございます。  そして、二千の軍勢を率い、桶狭間の東北、太子《たいし》が根《ね》に陣を張り、時機の到来を待った由。折しも、沛然《はいぜん》たる豪雨が、あたりを襲い、視界はきかなくなってしまいました。  その機を、織田殿は捉え、雨のあがるのを待って、一気に駿河勢の本陣に斬り入り、兵達が右往左往するなかで、総大将を刃にかけたとか……」  武者の言葉に、景虎は息を呑んだ。  常識を破る信長の作戦が、おののきの気持を誘った。 「わずか二千の兵で今川殿を滅ぼしたとは……」とつぶやいたきり、言葉も出なかった。  部将達も、溜め息を洩らして、武者の説明に聞き入っていた。 「合戦には、このようなことがある。だから、小敵といえどもあなどれぬのだ。  師の光育も、�一瞬の油断、不測の大事を生ず�と戒められている。とにかくいまの話は、それがしにとって参考になった」  気持を取り直した景虎は、そう語って笑った。 「参考になるとは?」  藤資が不審な面持ちを見せて、聞いてくる。 「いまは言えぬ。だが、やがてわかる」  景虎は言葉を濁した。  今川義元の敗北は、天下の諸将を驚かせた。  景虎にとっても、義元の死は、駿、甲、相三国同盟の崩壊を意味し、今後の関東経略に、有利な状勢をもたらすこととなった。  南に展ける国境の山々を眺めながら、�これで信玄と互角に渡り合うことができる�と景虎は考えていた。  陽ざしが、館の庭に注いでいる。  八月を迎えて、関東の状勢は、さらに緊迫の度を加えてきた。  現在では、上杉憲政や佐竹義昭だけでなく、里見義堯も、拠城の上総、久留里城を、北条氏康に攻められている。  昨年、十月、上洛から帰った際、館林城主長尾顕長に、関東出兵の意思を伝えてから、早九ヵ月が経っている。しかし、諸般の事情にまぎれて、いまだに出陣に踏み切ることができない。焦りの気持を、景虎は感じていた。  武器、兵糧はようやく確保できたが、三国峠越えに必要な軍馬は、まだ調達が終わっていない。  それさえ整えばというのが、偽らざる気持であるが、八千の兵を率いての関東入りとなれば、慎重にならざるを得ない。  加えて、国攻めを行うには、名目が必要である。  思案した末、景虎は、条件が整うのを、辛抱強く待つことにした。  そのような或る日、刈羽郡の北条《きたじよう》高広が豪雨をついて春日山城に馬を駆ってやってきた。 「いかが致した。そのようなずぶ濡れの姿で……」  武者溜りへ、武装姿のままあらわれた高広に、景虎はそう言葉をかけた。  髪は乱れ、額からは雫がしたたり落ちている。 「上総の里見殿から、至急、援兵を送って欲しいとの密使が届き、事の重大さに、それがし自ら、手勢十騎を率いて国を発ち、夜を日に継いで、報せに参った次第。  このまま放置すれば、上野はもとより、武蔵、上総ほかの地域も、北条勢に席巻されてしまいます」  高広は震える声で、景虎にそう語った。 「そのような状態にまで……」 「左様でございます。  関東の状勢は、混迷の度を増しております。  古河公方、足利|晴氏《はるうじ》が、今年五月、下総関宿の地を退くと、北条氏康は、簗田政信の娘と晴氏の間にできた藤氏《ふじうじ》を廃嫡し、わが子、氏綱の娘が生んだ第四子|義氏《よしうじ》を奉じて、藤氏方の里見義堯を、上総の久留里城に攻めたのです。  ところが、北条勢は何分にも強力。ために里見殿は苦戦を強いられております。  直ちに援兵を送らねば、一ヵ月を経ずして、城は敵の手中におちるものと思われます」 「わかった。直ちに関東へ兵を進める」  全貌を把んだ景虎は、即座にそう答えを返した。  迷いの気持はなかった。  関東管領、上杉憲政の入国に供奉《ぐぶ》する名目が、これで全部揃ったと、心で思っていた。  高広が去ると、その場で、軍議が開かれた。  その結果、八月二十九日に越後を発ち、関東へ出陣することが決まった。 「それがしが兵を率いて三国峠を越えるのは、今回がはじめてのこと。  北条勢との合戦が、楽しみになってきた」  関東攻略の野望が、胸のうちをよぎるのを覚えながら、景虎はつぶやいた。  留守居役も、長尾政景以下の部将が決められ、後顧の憂いはない。  その気持が、景虎にこのような言葉を吐かせていた。  二十九日の朝、景虎は、八千の精鋭を率いて、春日山城を発った。  空は晴れ、秋の陽ざしが、あたり一面にふり注いでいる。  つづら折りの道を下って、城下へ出ると、沿道を埋める庶民に見送られて、道を南東へ取った。  越軍が全兵力を投入して、関東攻めを行うのは、はじめてのことだけに、さまざまな噂が乱れ飛んだ。  今川義元と織田信長の決戦に次ぐ戦いとの評判が、京都でも立っている。  だが、景虎は、それを知る由もない。  兵団は長蛇の列をなして、野をよぎり、林を抜けて、国境の山脈をめざした。  紅葉におおわれたあたりの風景が、眼に風雅に映る。  平和そのものの、のどかな眺めに、景虎は気持が安らぐのを覚えた。  夕陽が西の空を染める頃、兵団の動きが停止した。  今回は、兵糧を運ぶ荷役馬の数が、並みはずれて多い。  半年分の食糧が、出陣に備えて、準備され、今後も三国峠を越えて、関東へ送られてくる。  長期の関東滞在を、景虎や部将達は考えていた。  雁《かり》が啼き声をあげながら空を飛んでゆく。  景虎は無心にその眺めにみとれた。  八千の軍勢は、高原地帯に隊列のうねりを見せて、鳴りをひそめた。  野営の下知が下され、人馬が蟻の群れのように散りはじめる。  景虎は馬から降りると、その場に腰を下した。  南方には六千尺を越える山並みが、無限の連なりを見せている。  三国峠は、その真っ只中の高地にある。  眺めながら景虎は、関東への侵攻が、至難であることを感じた。 「あと二日はかかりますな」  本庄実仍が言ってくる。 「左様、峠までは道が険しいからのう」  炊飯の煙が、各所にあがりはじめる。  今回の出陣には、地下鑓、足軽を加え、大荷駄、小荷駄の兵や祐筆、医者、算勘、出家、鍛冶、具足師、研師、槍細工、革屋、弓細工、金《かな》掘りなども含まれている。  夕食が終わると、松明の灯のなかで語らい、やがて全員眠りについた。  さえた月が、荒涼たるあたりの眺めを映し出す。  景虎は、具足姿のまま、草原に仰向けになった。  翌日は、日の出とともに行軍を開始し、次第に険しさを増す山岳地帯の道を踏みしめた。  原始林が無限のひろがりを見せ、視界は殆どきかない。  昼なお暗い、あたりの佇まいに、山脈の奥深く入ってきたことを、景虎は感じた。  野鳥が羽音をたてて飛び立ち、獣の遠吠えが耳をかすめてゆく。  休憩を繰り返しながら兵団は、夕刻には、三千尺の高所に達していた。  昨日と同じような野営がはじめられる。  酒を飲み、陽気に語り合う兵達の姿には、合戦に臨む人間とは思えぬ、落ち着きが感じられる。 「明日はいよいよ越山(三国峠越え)ですな」 「そうだな」  篝火で暖をとりながら、実仍と景虎は言葉を交わした。  翌朝から峠越えの強行軍がはじまった。  兵達は、軽装に姿を変え、汗を流しながら、つづら折りの道を登った。  馬を鞭打つ荷駄兵の声が、樹林にこだまする。  山また山のこの地域は、無気味な雰囲気をたたえている。  聞こえてくるのは、馬のいななきと、野鳥の鳴き声だけである。  高さ七千尺の白砂山が、西方に見え隠れする。  白雪をいただき、天に聳え立つその姿には、名状しがたい気品があふれている。  馬を御しながら、景虎はその眺めにみとれた。  行手に三国峠が見えてくる。  うっそうと繁る樹林に囲まれ、どこに関東へ通ずる道が展けているのか、見当がつかない。  八千の兵は、長蛇の列をなして、黙々と山頂をめざして進んだ。  顔からは汗がしたたり、吐息が激しくなってくる。  陽は西に傾いていた。  半刻後に、峠の入り口に着いた。  兵達の間に、安堵の溜め息が洩れ、到着を喜ぶ声が、あちこちから聞こえてくる。  あたりの原始林を眺めながら、景虎は、無事�越山�をなし遂げることができたと思った。  道端に並ぶ地蔵仏の石像を眺めながら、平坦になった峠道を渡る。  切りたった両側の崖が、無気味感を誘う。  緊張感を覚えながら進むうち、視界が開けてきた。  連山の彼方に、関東の高原が無限のひろがりを見せてくる。  晴れ渡った空には、鳶が弧を描いて舞っている。  休憩をとったのち、兵団は再び行進を開始した。  下り道のため、人馬の足どりは軽い。  夕闇が迫る頃には、平野が一望のもとに見渡せる高地に着いていた。  だが、この頃から、兵達の表情は緊張してきた。  北条勢が警戒の目を光らせている地域に、すでに入ったためである。  組頭や馬上武者の下知の声が、ひびき渡る。  兵団の動きが停止し、野営の準備がはじめられた。  今夜は、篝火や松明の灯をともすことは、禁じられている。  握り飯の夜食をとると、兵達は見張りの武者を残して眠りに就いた。 「明日からが正念場でございますな」 「左様。しかし、武田勢に比べれば、北条勢など、ものの数ではない」 「いや全く」  雲を渡る月を眺めながら、景虎は部将達と語り合って笑った。  夜風が頬を撫でて吹いてゆく。  野犬の遠吠えを耳に感じながら、景虎はいつしか、深い眠りに落ちていた。  野山の風景が回るように、視界をかすめてゆく。  三千の兵団は、土煙をあげて、北関の荒野を疾駆していた。 �明間�(群馬県)の砦は、眼の前である。  のぼり旗のような北条勢の軍旗が、山頂の陣地のなかに見え隠れする。  太鼓の連打を合図に、城を打って出る人馬の蟻の群れのような姿が、視野をよぎってゆく。  景虎は総攻撃の下知を下した。  喊声が天にとどろき、兵達は刀をかざし、槍を構えて立木のなかを突っ走った。  騎馬隊が、土煙をあげて、城門へ殺到してゆく。  両軍は、山麓で激突し、じりじりと頂上へ向かって移動していった。  白兵戦が各所で演じられる。  春日槍をたずさえた騎馬隊は、半刻を経ずして、山頂の砦を陥れていた。  北条勢の軍旗にかわって、越軍の旗が、敵陣にひるがえる。  景虎は、笑みを浮かべた。  緋おどしの鎧が、陽光にきらめき、顔の白布を、秋風がなびかせてゆく。  合戦らしい合戦を経ずして、北条勢の砦の一つは、落ちたのである。山頂に着くと、石垣のうえに立って、平野の風景を眺め渡した。  敗走する北条勢の姿が、遥かに見える。  土煙をあげ、慌てふためきながら移動するその黒いかげは、野獣の群れさながらの光景であった。 「緒戦は勝利に終わりましたな」  藤資が笑みを浮かべて言ってくる。 「左様。あとは岩下、沼田ほかの要衝を陥れ、白井、総社、箕輪などにたてこもる上杉家の旧臣や宇都宮、那須、成田の諸氏を味方にひき入れて、氏康に対抗するまでだ」  景虎の胸のなかには、関東平定の構想が、すでに固まっていた。  越軍は兵を二手にわけ、先発隊の五千は、本庄実仍の指揮のもとに、諸城を陥れながら、相模に向かっている。  北条氏康の拠城、小田原城を攻めるのが、今回の出陣の狙いなのだ。 「来年の正月は、厩橋《うまやばし》(前橋)で送ることになるやも知れませぬな」 「そのつもりだが」  二人は語り合って笑った。  兵達が続々と、陣地に帰ってくる。  誰もが、戦勝に酔っていた。  寝ぐらにかえる鳥が、鳴き声をあげながら、上空を飛んでゆく。  その夜、景虎は部将達と酒を呑んで明かした。 �岩下�の砦へ向かうまで、数日の余裕があることが、その気持にさせていた。  九月二十日、越軍は�岩下�へ向かって、陣地を発った。  季節は、晩秋の気配を濃くしている。  高原のうねりが果てしないひろがりを見せ、森や林の風景が、絵に描いたような佇まいを見せて、眼に入ってくる。  うらぶれた農家が集落をなし、畠仕事にいそしむ農夫の姿が、乱世を生きる人間のはかなさを感じさせた。  馬の背にゆられながら景虎は、やがて三十二歳の年齢を迎えようとしている自分を思い浮かべた。  徒労の連続のうちに、空しく歳月が経過したように思えてならない。  紅葉におおわれた野山が、秋の深まりを感じさせる。  北条勢の拠点、�沼田�を陥れれば、�厩橋�までは一気に進出することができる。  年末までに、そこへ到着し、正月を安らぎの気持のなかで迎えたい、これが景虎や部将達の願いであった。  翌日、越軍は、高原の砦�岩下�を攻めた。  城を囲み、風上から火を放つと、一刻を経ずして、敵陣は灰燼《かいじん》に帰していた。  越軍は逃げ惑う敵兵には、殺戮《さつりく》の刃を振るわなかった。  囲みの一角を解くと、追い立てるようにして、南へ敗走せしめたのである。  空にあがる黒煙を眺めながら、景虎は、関東経略が、着実に実現へ向かっていることを意識した。  陽は西に傾きかけている。  高原をあまねく照らす陽光が、春日山城から眺めた越後の秋を想い起こさせた。 �徳は元気だろうか�ふと思いがかすめてゆく。  三千の兵は、固唾を呑んで砦が焼け落ちる光景を眺めていた。  二日後、越軍は沼田盆地に入り、北条勢の拠点、沼田城を攻めるべく、陣地の構築を開始した。  石垣や土塁が山麓に築かれ、竹矢来や矢狭間なども設けられた。  越軍は、そこに待機して、城攻めを敢行する時機をうかがった。  彼方には、沼田城が姿を見せ、白壁の城壁のなかには、天守閣が聳え立っている。 �ここを落とせば、厩橋までは一瀉千里だ�と思った。  景虎や藤資の期待にかかわらず、城攻めを行う時機は、容易に訪れなかった。  野山の風景は、冬へ向かって移ろう気配を見せている。  焦りの気持を景虎は覚えた。  小規模の合戦は、毎日のように繰りひろげられている。だが、敵軍の戦力をそぐほどの効果は、まだあげ得ていない。 「殿、このままでは、らちがあきませぬ。  明日払暁を期して、総攻撃をかけては、いかがでございましょう」  空模様を眺めながら、藤資が言ってくる。 「明日は名物の空っ風が、吹きそうだ。その機をとらえて攻め落とすか」  景虎は笑みを浮かべて答えていた。  その夜は眠れなかった。  幕間をゆする風の音が神経をそばだて、不吉な予感を誘うのである。  寝返りを打っているうちに、うとうととなる。  強風のうなりに混じって、蹄の音が聞こえてくる。  それはかすかな音であったが、確実に越軍の陣地へ向かっていた。  北条勢が荒天を利用して、討ってでてきたことを、景虎は直感で悟った。  布とんをはねのけて起きあがると、部将達をおこした。  本陣のなかが騒然となってくる。  見張りの武者がかけ寄ってきた。 「直ちに応戦の準備を致せ」  景虎は気迫のこもった言葉で、下知を下すと、鎧、冑を身につけて外へ出た。  沼田城を攻め落とす絶好の機会が、訪れてきたのを膚で感じていた。  月明かりがほの暗くあたりを照らしている。  敵軍の退路を断ち、一挙に沼田城を攻め落とす作戦を景虎は考えていた。  その旨を藤資に伝えると、二千余の兵を陣地に残し、自ら騎馬武者七百騎を率いて、東へ移動した。  敵軍から遠ざかりながら、迂回して沼田城に攻め込むつもりであった。  風は激しさを増してくる。  景虎は背をかがめて、手綱をしごいた。  北条勢の喊声が、聞こえてくる。  景虎は、馬首を沼田城の方向へめぐらせた。  城内の明かりが、闇のなかに浮かんでくる。  七百騎の武者は、蹄の音を鳴らして、山道を駈けあがった。城門が眼の前に迫ってくる。  景虎は刀の鞘を払った。  陣鉦《じんがね》の連打が、聴覚をかすめてゆく。  城内は騒然とした気配におおわれていた。  右往左往する敵兵の姿が、網膜をかすめてゆく。  景虎は、刀を天にかざして、攻撃の下知を下した。  七百騎の武者が一団となって、城門を駈け抜けてゆく。  弓矢や鉄砲は、射かけられてくる気配はない。  味方の騎馬隊は、間道を天守閣へ向かって進んだ。  敵兵がわめき声をあげ、刀をかざして襲ってくる。  だが、そのことごとくが、春日槍の餌食になった。  絶叫があたりの闇をつんざき、返り血が顔に飛び散ってくる。  駒を進めながら、景虎は、遭遇する敵兵を確実に刃にかけた。  天守閣は眼の前である。  あたりは、森閑として物音一つ聞こえてこない。  城壁を乗り越えた兵が、中側から門をあける。  一団の武者は、警戒の眼を光らせながら、庭園のなかへ馬を乗り入れた。  木々の佇まいが、眼に無気味に映る。  馬から降りると、館のなかに踏み込み、天守閣への階段を昇っていった。  人のうごめく気配が感じられる。  あたりは漆黒の闇であった。  廊下へ足を踏み入れたとき、二十数名の武者が襲ってきた。  景虎は身を沈めると、無意識に刀を払った。  絶叫が闇にこだまする。  刀と刀がふれ合う音が、鼓膜を震わせ、激しい火花が散る。  闘いが終わるのに、半刻とはかからなかった。  城内が静まりかえってくる。  奇襲が効を奏したことを、景虎は感じた。  回廊に佇むと、足下に展ける風景を眺めた。  東の空が白みはじめる。  それとともに、越軍の陣地の状況が、浮き彫りにされてきた。  合戦の気配は、跡かたもなく消え、白地の越軍の軍旗が、吹き寄せる風になびいている。  伝令の武者がやってきて、北条勢が敗走したと告げてきた。  風は収まりの気配を見せている。  展けゆく野山の風景を、景虎は無心の気持で眺め渡していた。  北条勢の抵抗を排除しながら、越軍が、厩橋に入ったのは、十二月のはじめであった。  その頃、本庄実仍の率いる兵団は、相模に達していた。  破竹の勢いで、越軍は、関東を蹂躪していったのである。  沼田城を失って以降の北条勢は、戦意を喪失し、厩橋城をあっけなく渡して、相模への途をたどっていた。  天守閣から、関東の平野を眺めながら、景虎は天下平定の夢が湧くのを覚えた。 「予定どおり、永禄四年(一五六一)の正月を厩橋で迎えることができましたな」 「左様。これほど順調に、ことが運ぶとは、それがしも思っていなかった」  景虎と藤資は言葉を交わして、安堵の表情を浮かべた。  元旦は天守閣の広間で、部将達と酒を酌み交わし、そのあと連れだって、付近の神社に詣でた。  厩橋の町は、活気がある。  乱世とは思えぬ賑わいに、景虎は驚きを覚えた。  沿道の屋台店では、諸国の土産物を売っている。  藤資と語りながら、本殿へ歩を進めた。 「古河公方、足利義氏は、古河を捨てて小田原に赴いた由。この状態だと、相模攻めは、早期に行わなければならぬな」 「左様でございますな。  直江殿が、二月に兵を率いて、関東入りを果たした時点で、行いますか」 「そうしよう。今回の戦いで、氏康との結着がつくか否かはわからぬ。しかし、城攻めだけは全力をあげて行わなければならぬ」  景虎は、決意を秘めた口調で語った。  歴戦の部将、直江実綱は、春日山城で、信越国境を防衛する策に腐心している。  それが一段落すれば、兵を率いて小田原にやってくる。  景虎は、その深謀遠慮と、狂いのない作戦計画に期待をかけていた。  二人はのどかな気分に浸りながら、参詣客の流れに、身をまかせた。  商人達の威勢のよい声が、初春《はつはる》の喜びをよみがえらせてくれる。  合戦に明け暮れた四ヵ月間を、景虎は忘れていた。  お詣りを済ませると、付近の飯屋へ入って、食事をとった。  このようなことが、景虎は好きであった。  上洛して以来のことである。  地酒を注文して呑み、語り合ったのち、二人はほろ酔い加減で店を出た。  往来は着飾った人達で、あふれている。  城への道をたどるうち、景虎は数名の武者が、あとをつけてきていることを知った。 「敵の間者のようですが、斬りますか」 「いや、捨て置こう。正月早々、縁起でもないからな」  景虎は答えて笑った。  平服に、朱塗りの太刀、これが今日の服装である。  大身の武士には見えても、越軍の総大将とは、人眼に映らない。  だが、敵方の間者となれば、景虎の特徴を知っている。  武者達は、景虎の剣のさばきを恐れてか、容易に近づいてはこなかった。 �腰抜けめ�胸のうちでそうつぶやくと、雑踏にまぎれて、路地に身を潜めた。  人波をかきわける武者の姿が、視界をかすめてゆく。  二人は顔を見合わせた。  うまく撒けたと、心で思っていた。  城へ帰り着いたのは、午の刻(午前十二時)前であった。  兵達は、武者溜りなどで、雑談しながら憩っている。  二人は館の一室へ入って、酒をのみ直した。  合戦のさなかで、平和な正月を迎えられたことを幸せだと思う。  半刻ほど経った頃、武者溜りの状況が、慌しくなった。  二人は立ちあがった。  部屋を出たところで、部将の山吉豊守《やまよしとよもり》と鉢合わせした。  豊守は、中郡三条の旧族で、三条長尾家の地盤を継いでいる直臣の一人である。  年齢は景虎と殆ど変わらず、智将を思わせる風貌は、家臣達のなかでも評判になっている。 「どうしたのだ」  景虎は、廊下に佇んだまま言葉をかけた。 「只今、春日山城からもたらされた報せでは、武田信玄は使者を大坂本願寺の顕如に遣わし、加賀、越中の一向宗門徒に、殿が不在の越後を攻めさせようと画策しているとのことです」  豊守の眉は、逆だっていた。 「なに、信玄が……」 「左様でございます。  甲斐と相模が、同盟を結んでいることが、その理由のようです」 「……しかし、今川殿の陣没後は、三国同盟に亀裂が入っているはずだが」  疑念の気持を、景虎はぬぐえなかった。  ただ、冷静に考えてみると、信玄が長尾家と不倶戴天の関係にある一向一揆を挑発し、越後攻めに駆りたてたとしても、なんら不思議ではない。  加えて信玄は、本願寺と姻戚関係にある。  かねて危惧していたことが、現実の形をとってあらわれてきたことに、景虎は落胆の気持を覚えた。 「なお、北条氏康は、本願寺に対し、北条家は一向宗を禁じてはいるが、越後攻めに越中、加賀の一揆が加担すれば、国内に寺塔を建立して保護すると約束したとのことです」 「なるほど。しかし、氏康は、信玄同様の策士だからな。  祖法を破って、一向宗の国内|流布《るふ》を許すとは、到底考えられぬ」  勘のような気持であった。  虚々実々の外交戦術、これが戦国の慣らいであることを、景虎は改めて思い浮かべた。 「しかし、それは確かなようです。ただ、一揆が越後に攻め寄せてくることは、あり得ぬと、それがしは考えるのですが」  豊守の言葉に、景虎は考え込んだ。  一向一揆が、越後に攻め寄せてくれば、防戦は容易ではない。  その危惧の念が、心を暗くした。  初春《はつはる》を気候のよい厩橋で迎え得た喜びの気持は消えていた。  三人は庭の風景を眺めた。  常緑樹におおわれた築山が、陽ざしを浴びて、眼にさわやかに映る。  甲、相、越、三国の形勢が、越軍の小田原攻めを機に緊迫の度を増してきたことを、景虎は感じていた。  一月十日、越軍は厩橋を発って、相模に向かった。  途中、北条勢の執拗な抵抗を受けたが、装備において勝る越軍は、それを撃破して進んだ。  三千の兵は、旬日を経ずして、小田原城を指呼の間に望む地に到着し、五千の兵と合流していた。 �はやきこと風の如き�武田勢を凌ぐ快進撃に、諸国ではさまざまな噂が乱れ飛んだ。  天下を平定するのは、信長か景虎のいずれかであろうとの憶測が流れ、それをめぐる画策が活発になってきたのである。  将軍義輝が、景虎への傾斜を深めたのは、言うまでもない。  昨年は、景虎と信玄の仲を調停すべく、使僧西堂を甲府と越後につかわし、和睦をはかったが、双方の反発を受けて、実現を見なかった。  だが、あきらめる気配はない。  両雄を傘下におさめての幕政復活の運動は、越軍の小田原攻めを契機に、高まりを見せてきていた。  このような情勢のなかで、景虎は連日、部将達を集めて、小田原城を攻める手術《てだ》てを練っていた。  同城は難攻不落を誇る名城、その攻略は、城攻めを得意とする景虎とて容易ではない。  加えて、北条氏康は、各地での敗戦の経験に鑑《かんが》み、ここに全兵力を集中して、越軍との長期戦を目論んでいる。  景虎には、そのことはわかっていた。そのため、かねて考えていた白井、総社、箕輪などの上杉の旧臣や宇都宮、那須、成田の諸氏との連携を進め、彼等の兵力を利用しての城攻めを、一方で構想していた。  その成果は、日増しにあがる気配を見せ、越軍の小田原城包囲が噂となって、ひろまるにつれ、他の諸将も、越軍の傘下に馳せ参ずる気配を見せてきた。  しかし、まだ充分とは言えない。  そこに景虎や本庄実仍の悩みがあった。  直江実綱には、使者を発して、三月はじめまでに小田原へ来るよう、命じてある。  その時期を期して、城攻めを行うことに、軍議では決まっているが、問題は、それまでに関東の諸将の承諾と、派兵が得られるかである。 「小田原城を落とそうとすれば、まず四万の大軍が必要だ。  或いは、それだけの兵力で総攻撃をかけても、敵方の防戦の如何によっては、城は落ちぬかも知れぬ。  兵糧攻めの作戦をとることもできるが、これには長期戦を覚悟しなければならない。  加えて小田原は、北条勢の拠点、いかなる手違いや破綻が、その間に生ずるやもしれぬ。  それゆえ、われわれがとり得る作戦は、短期決戦しかない。  その辺を、皆の者は心得ておいてもらいたい。  関東滞在は、せいぜい七月まで。それ以上は無理であろう」  景虎は、軍議の席で、部将達にそう語った。 「言われるとおりにございます。  そのゆえに、わたくしは、早期の総攻撃開始を説いているのです。  具体的には、三月半ばを期して行う。それで落城しなければ、兵を引くほかはございませぬ」  実仍が神妙な口調で、言葉を返してくる。 「でき得れば、四月一杯で結着をつけたいと、それがしは考えている。  だが、氏康も智恵者のこと、そう簡単にはいかぬかも知れぬが」 「とにかく、その方針に従って、関東の諸将の派兵を可能な限り求めてみます。  四万は不可能にしても、三万は動員できると、わたくしは考えております」  山吉豊守が意見を述べる。 「関東の諸将は、利にさとい。  北条勢の勢力が強くなれば、それになびき、管領勢力が盛り返しの気配をみせれば、それに寝返る。  乱世のこととて、当然と言えば言えるが、節度のなさには、あきれかえる。  ただ、現在、彼等は越軍の勝利に、北条氏康を見限る気配を示している。この風潮を利用すれば、四万を超える兵の動員も可能かも知れぬ」  藤資が、強気の姿勢を見せて、所見を述べる。 「関東の諸将はあてにならぬからのう。  やはり、城攻めはわれわれが主力になって行わなければなるまい。このことを忘れぬようにな」  景虎はそう結論の考えを述べて、軍議を締めくくった。  不安の気持は消えていた。  全力を尽くして戦い、成果が得られなければ兵を引く、この方針で今後に臨もうと、心で決意していた。  幕間からでると、あたりの風景を眺め渡した。  峻険な山が三方をおおい、南には小田原城が巨大な姿を、空に浮かべている。  春日山城を上回るその規模に、景虎は北条家の歴史と勢力を感じた。  武田勢同様、容易に抜き難い相手、これが偽らざる気持であった。  ただ、大軍を率いて城を囲んだ以上、一挙に雌雄を決しなければならない。  冬空を仰ぎながら、景虎は、小田原城を攻める方法に思いをめぐらせていた。  二月はじめ、直江実綱が手勢を率いて、陣地に到着した。  越軍切っての勇将を迎えて、景虎は安堵した。  二人は本陣の幕間で酒を呑みながら、その後の越後を取り巻く状勢について語り合った。  信玄は噂どおり、海津城(長野県松代)の構築を終わり、善光寺平に兵を進めて、それを手中に収めたという。  ゆくゆくは、信越国境を越えて、越後に攻め入る気配でもあると実綱は語っていた。  景虎は溜め息を洩らした。  甲斐勢の牽制《けんせい》作戦さえなければ、との思いは強かったが、これだけは考えても仕方がなかった。 「まあよい。北条攻めをほどほどにし、鉾先を北信に転ずるのが筋ゆえ、そのつもりで今後に処してゆこう。  ところで、加賀、越中の一揆の動静は、その後、どのような状況になっている?」  景虎には、むしろその方が気懸りであった。 「信玄の画策に拘らず、いまのところ一揆は御輿をあげる気配はございませぬ。  しかし、北条氏康を救うため、信玄が信濃に討ってでるときには、呼応して兵を挙げるものと思われます」 「なるほど」  景虎はうなずいて思案に耽った。  直江実綱の小田原到着により、越軍の士気はあがった。  城攻めのための行動が開始され、八千の兵は、大井の陣地を払って、酒匂《さかわ》川を渡り小田原城に向かった。  合戦の気配に、家を立ち退き、家財をまとめて、近郊に移住する住民の群れが、沿道にひしめいている。  景虎は下知を下して、庶民への狼藉を禁じた。  彼等の越軍に対する評価が、関東経略の成否を占う要《かなめ》の事項になることを知っていたからである。  市内に近づくにつれ、北条勢の抵抗が増し、騎馬隊の激しい迎撃を受けた。だが、越軍は、それを破砕して進んだ。  そして二日後には、小田原城を囲む形で布陣を完了し、総攻撃をかける態勢を整えていた。  顔を白布でおおい、黒鹿毛《くろかげ》の馬に跨がった景虎の姿は、猛将恐るべしの印象を、北条方に与えた。  それほど景虎の戦場での活躍は、目立っていた。  一方、山吉豊守が作成した回文《まわしぶみ》に応じて、この頃から関東の諸将が兵を率いて、越軍の陣地に馳せ参じてきた。  ただ、景虎自身にはこの時期を境に、生来の精神不安が頭をもたげてきた。  気持の苛ら立ちが、その主なものであるが、最近は遠征の疲れからか、それが顕著になってきた。  そのため、本陣の幕間で座禅を行い、心を静めることもある。  合戦の場に臨んでの恐怖心は、景虎の場合自然の思考に委せば、普通人以上に強くなる。  それを毘沙門天の像を脳裏に描くことにより�勇気�へ転化させていたのである。  子種のない事とともに、わが身につきまとう宿命の悩みであったが、景虎はそれを仏道修行に打ち込むことにより、克服してきた。  しかし、先年の隠退宣言同様、なにかのきっかけで、持病が再発しないとも限らない。  外ではしとしとと、雨が降っている。  今日も景虎は、不安を鎮めるために、本陣の幕間に入って座禅を行っていた。  精神の昂りがおさまり、気持が落ち着いてくる。  脳裏にあるのは、毘沙門天の姿だけであった。 「殿」  実綱の声が聞こえてくる。  景虎は眼をあけて振り返った。 「関東の諸将からの援軍は、現在の時点で七万を越えております」 「七万とは、……それはまことか」  さすがに驚きを禁じ得なかった。 「まことでございます。  つい三日前までは、三万五千でございましたが、それが瞬く間に……」 「なるほど。しかし、彼等は大部分が尻馬に乗る要領居士ゆえ、あてにはできぬ。  それにしても、七万とはよく集まったものだ。  これを機に総攻撃をかけ、一挙に結着をつけるか」  景虎の口調には、気迫がこもっていた。  最近は士気のたるみが見られる。  それを打破するには、城攻めを行うほかはない。  いまがその好機と、景虎は判断していた。 「そうしましょう。  諸将の来援が頂点に達する三月十日過ぎがよいと思われますが」 「なるほど」  二人の意見は一致した。  景虎は外へでると、陣地の状況を眺め渡した。本陣を軸にして、半円型に人馬の群れがひしめいている。  色とりどりの軍旗が、雨に煙り、その果てがどこなのか、見当がつかない。  堅城、小田原城は、その威圧をはねかえすように、巨大な天守閣を、天に聳えさせていた。  翌、三月八日、将軍義輝の使者が本陣へやってきた。  突然の来訪に、景虎は驚いた。  幕間へ招じ入れると、たずさえてきた書状を受けとって読んだ。  上杉憲政からの重ねての奏請と、その病気のゆえをもって、景虎を上杉家の相続者と認め、関東管領に任命すると、記してあった。  読み終わると、溜め息を洩らした。  どう返事すべきか、判断がつかなかった。  固辞し続けたことでもあり、その意思を通したかったが、将軍の命とあれば受けなければならなかった。  思案に耽っていると、中条藤資が言葉を添えてきた。 「殿、お受けなされ。関東の諸将が兵を率いて馳せ参じたいまが、その好機と考えられますゆえ。  就任式は小田原攻めの落着後、鎌倉幕府ゆかりの鶴ケ岡八幡宮で、諸将列席のもとにとり行うが、適当と考えられます」  本庄実仍や直江実綱も、同様な意見を述べてきた。 「関東管領の地位に、それがし欲心はない。あれば、昔に就任を承諾していたであろう。  だが、この期に及んで、ことわることも頑なに過ぎる。  そなた達の意向もしんしゃくして、憲政殿の病気が平癒されるまでという条件で、承諾することに致そう」  思案した末、そう答えた。  使者は安堵の表情を浮かべた。  景虎は山吉豊守に命じて、その場で将軍宛の返事をしたためさせ、署名して使者に手渡した。  なお、義輝からの書状には、自らの一字を与えるゆえ爾今、�輝虎�と呼称せられたくと付記してあった。  慰労の宴が終わると、使者は供の武者を従えて、京へ発っていった。 �輝虎か、なかなかよい名前じゃ。しかし、いつまで呼称できるかが、問題だ�  使者の姿を見送りながら、景虎はそう胸のうちでつぶやいていた。  諸将を集めての軍議の結果、総攻撃の開始は、三月十三日未明と決められた。  現在では、来援の兵の数は、八万を越えている。  関東管領を救うための義兵の徴募が、これほど効果をもたらそうとは、想像も及ばぬことであった。  十万の軍勢が、小田原城を囲んだ光景は、壮観であった。  だが、関東勢の大多数は、積極的に城攻めを行う意思はない。  越軍に加担することによって、自国の安泰をはかる、ただそれだけの目的で、合戦に参加しているのである。  そのため、陣地内には談笑の声が絶えず、緊迫した空気は、かげをひそめていた。  諸将は己れの財力を誇示して、連日、酒盛りを陣地内で催した。  城をうって出る北条勢の姿も、時折見かけられたが、鉄砲と弓矢の応酬だけで、白兵戦は演じられず、双方のにらみ合いが続くなかで、十二日の夜を迎えた。  越軍の陣地には、緊迫感がみなぎっている。  松明の明かりのなかに、人馬の群れがひしめき、景虎の下知を、兵達は緊張の面持ちを見せて待っていた。  北条勢は、総攻撃の気配を察したのか、要所に兵を配し、ものものしい警戒振りのなかで、夜を迎えていた。  風が頬を撫でて吹いてゆく。  あたりは漆黒の闇におおわれていた。  亥の刻(午後十時)を回る頃、景虎は本陣の床几から立ちあがった。  顔を白布でおおい、緋おどしの鎧をまとったその姿には、気迫があふれている。  本庄実仍以下の部将も、席を立った。  足許には、盃がわりの茶碗が、無造作に打ち捨てられている。 「さあ、行こうか」  景虎は落ち着いた口調で、言葉をかけた。  一同は揃って、本陣を出た。  月光が淡い光を投げかけてくる。  景虎は馬に跨がった。  部将達は、部署に散って、いない。  八千の兵は、松明の火が消されたなかで、鳴りをひそめていた。  景虎は軍配をかざした。  ほら貝の音が、ひびき渡る。  それを合図に、越軍は行進を開始した。  長蛇の列が、月明かりのなかに浮かんでくる。  半刻を過ぎた頃、小田原城の黒い影が、行手に迫ってきた。  景虎は駒をとめた。  兵団の動きが、それにつれて停止する。  関東の諸将の動静は、さだかではない。  越軍は攻撃開始の機をうかがった。  雲が出はじめたのか、月光がかげってくる。  一陣の風が、荒野を吹き抜けていった。  北条勢が、至近距離に迫ってきたことを、景虎は知っていた。  松明の火がともされる。  あたりは明るさを増し、人家の並びが、闇のなかに浮かびあがってくる。  北条勢は、そのなかに潜み、越軍を両面から攻撃する作戦を考えているのだ。  景虎は刀を払った。  眼は城の天守閣にそそがれていた。 「かかれ!」  絶叫が闇を震わせる。  八千の兵は、喊声をあげて、突進しはじめた。  騎馬武者が火を放ちながら、人家の並びのなかを駆け抜けてゆく。  鉄砲の発射音が耳をつんざき、矢が激しく射かけられてくる。  越軍の怒濤のような進撃と、燃えさかる炎にさえぎられて、北条勢は抵抗を試みるいとまもなく、敗退しはじめた。  沿道は、火の海と化していた。  炎が天に沖し、その連なりが、異様な光景となって眼に映じてくる。  兵達は、そのなかを抜刀し、槍を構えて突き進んだ。  城の外堀は、眼の前である。  ときの声が、四方からあがる。  十万の大軍は、囲みの輪を縮めて、小田原城へ殺到しはじめていた。  松明の明かりが、城の威容を浮き彫りにする。  広大な石垣、蜿々と連なる城壁、そのなかの樹林、想像を絶する規模の大きさに、景虎は眼を見張った。  直江実綱の下知の声が聞こえてくる。  越軍は、城門のなかへ消える北条勢を追って、総攻撃を開始した。  だが、城内から射かけられてくる弓矢や鉄砲に阻まれて、行き足がとまった。  景虎の頬は紅潮し、額からは滝のように汗が流れ落ちた。  北条勢の守りの固さを思わずにはおられなかった。  関東の兵の突撃の声が、闇を震わせて聞こえてくる。  小田原城は、十万の大軍の集中攻撃を浴びて、危殆にひんしていた。  越軍の攻撃に拘らず、城は落ちなかった。  鉄砲と弓矢の犠牲になる兵達の数がふえてくる。  砂利敷きの道は、彼等の血で、どす黒く染まった。  景虎の眉は逆立ち、表情は蒼白になっていた。  北条勢の餌食にされ、釘づけにされたまま進むことができない味方の兵の不甲斐なさが、苛立ちの気持を誘う。 「氏康め、眼にもの見せてくれるわ」吐き捨てるようにつぶやくと、刀を天にかざした。  突撃の下知を下し、自ら先頭に立って馬を駆った。  ほら貝の音がひびき渡り、騎馬武者の一団が、黒い塊となって、進んでゆく。 「手明《てあけ》」が、喊声をあげながら、蟻の群れのように、城門へ迫る。  半刻余の攻防戦は、最後の山場にさしかかっていた。  城門が開かれ、鉄砲隊と騎馬隊が姿をあらわしてくる。  越軍の接近を許せば、一挙に押し切られてしまうことを、彼等は知っているのである。  両軍は、橋のうえで激突した。  地鳴りのような音が轟いたと思うと、あたりは修羅場と化していた。  絶叫があがり、斬殺された兵の死骸が、累々と重なってゆく。  景虎はガムシャラに、刀を振るった。  無我夢中の気持であった。  もつれ合ったまま、欄干を越えて、外堀に落下する人馬の姿も見られる。  はじめて経験する凄絶な闘いに、景虎はおののきの気持を覚えた。  だが、たじろいではおられない。  この機を逃がせば、城門を突破する機会は、失われるのである。  額からは、汗がしたたり、鎧は返り血を浴びて、濡れている。  敵兵をなぎ倒しながら景虎は屍を踏んで進んだ。  騎馬隊が開いた道を、「手明」が突き進んでゆく。  気迫と気迫の闘いであった。  やがて、北条勢は、退却しはじめた。  景虎は突撃の下知を下すと、敵兵を斬り立てて進んだ。  城門が眼の前に迫ってくる。 「引け!」  敵方の部将の悲痛な叫び声があがったと思うと、北条勢は、なだれをなして、城内へ敗退していった。 「手明」と騎馬武者があとを追う。  一刻を経て、城門は越軍の手中に落ちた。  城内に駒を進めると、闇に姿を消す北条勢を眺めた。  石垣や城壁が、無限の連なりを見せて、眼に入ってくる。  城を抜くことが至難であることを、景虎は感じていた。  東の空が白みはじめる。  合戦の気配は、跡かたもなく消えていた。  馬に跨がったまま、曙光のなかに姿をあらわす、蓮池の佇まいを眺めた。  勝利感も、安堵感もなかった。  味方に多数の戦死者がでたことが、心を暗くした。  部将達の下知に応じて、陣地の構築が開始される。  庭園風のこの広場は、城内への入り口にすぎない。  城門の突破をもって、城攻めが可能になったとはまだ考えられないのである。  思いをめぐらせていると、直江実綱がやってきた。 「北条勢の底力もさることながら、城の堅固さは、格別でございますな」 「そのとおりだ。これでは多大の犠牲を覚悟せぬ限り、城を抜くことはできぬ」  景虎の眉間には、しわが寄っていた。  実綱は、だまってうなずいた。  池の面を眺めながら、信越国境のことに、思いを馳せた。  やはり、焦眉の急の問題のように、感じられてならなかった。  翌日もその次の日も、激戦が繰り返された。  景虎は、蓮池のほとりに佇んで、その指揮に当たった。そこは城内から鉄砲を撃ちかけられる距離内にあるため、部将達は立ち退くことをすすめたが、景虎は承知しなかった。  食事もその場で食べ、城内から鳥銃《ちようじゆう》の連射を受けて、射向《しやこう》の袖鎧《そでよろい》に玉が当たっても動ぜず、茶を喫したのち、従卒とともに立ち去った。  その光景に、関東の諸将は驚きの眼を見張った。  景虎には、禅修行によって会得した死生観がある。 �生きれば生き、死すれば死す�がそれである。  その境地にある限り、合戦に対する恐れは覚えない。  三日間の総攻撃に拘らず、小田原城は落ちなかった。  越軍は、兵を大磯に引いて、包囲作戦に転ずることを決め、その日のうちに、陣地を払った。  十万の大軍は、北条勢が見下ろすなかを、軍旗を連ねて東へ向かった。  季節は、初夏の気配を濃くしている。  青空がうえをおおい、若葉の緑が、眼に沁みるように映る。  長尾家の発祥の地、相模の国を訪れた喜びを、景虎は噛みしめていた。  関東経略に執念を燃やすのも、この父祖の地を、永住の場所と決めたいためであった。  大磯に着くと、海岸に本陣を構えて、包囲作戦を敢行した。  長期戦による北条勢の疲弊と、その威光の低下を、景虎は狙ったのである。  だが、戦いの結着は、容易につかなかった。  一進一退の状況を繰り返しているうちに、一ヵ月が経過した。  部将達は、長期戦の不利を説き、兵を引くことを勧めたが、景虎は認めなかった。  ところが、それから半月ほど経った頃、北信の状況が慌しくなってきた。  武者からの報告では、信玄は、善光寺平へ出陣する意思を明らかにし、加賀、越中の一揆も、本願寺の指令に応じて、動き出す気配を見せているという。 �信玄め、とうとう小田原攻めの邪魔をしはじめたか�  苛立ちが胸のうちをよぎってゆく。  兵を引くほかないと、景虎はその時点で決意した。  三日後、十万の兵は、城の囲みを解いて、鎌倉に向かった。  中条藤資の発案を入れて、鶴ケ岡八幡宮で、関東管領の就任式を行うことにしたのである。  景虎の胸中は、おだやかではなかった。  北条攻めが中途半端に終わり、そのために関東の諸将のなかに、越軍に対するあなどりの気配が見られはじめたことと、信玄の北信侵攻の噂が、北条氏康の盛り返しを予測させ、若い景虎に対する信頼感を失わせたことが、その原因であった。 �坂東武者は、これだから始末におえぬ。  しかし、それがしと信玄、氏康の何れが勝ちを制するかは、やがてわかる�  馬の背にゆられながら、景虎は吐き捨てるようにつぶやいた。  策をろうして、神経をゆさぶる信玄の作戦が、腹立たしく感じられてならない。  眼光は鋭さを増し、白皙の面は引き締まっている。  甲斐勢と興亡の一戦を遂げねば、おさまらぬ気持であった。  行手に鎌倉の町が、ひらけてくる。  屹立《きつりつ》する寺塔の風景を眺めながら、景虎は九ヵ月間に及ぶ、関東出陣の空しさを噛みしめていた。  庭に陽ざしが注いでいる。  景虎は廊下に佇んで、その眺めに見とれていた。  合戦から遠ざかって、早、五日が経つ。  鎌倉に入ってからは、連戦の疲れを癒すため、部将達と酒宴を張ったり、神社、仏閣、市内見物に明け暮れている。  信玄の信濃侵攻も心にかかるが、いまは気候のよいこの地で、骨休めを行いたい気持であった。  海岸へ出て、南にひらける海を眺めていると、心が安らいでくる。  信玄の老獪な作戦に対するには、焦りの気持を捨てなければならない。  関東管領の就任式が終われば、心を新たにして、信越国境の問題に対処しようと、景虎は考えていた。  座敷のなかが、ざわめいてくる。  明日、閏《うるう》三月十六日の就任式に備えて、部将達が、関東の諸将と打ち合わせを行っているのである。  将軍義輝から、関東管領に任命された景虎を、諸将は畏敬の眼ざしで眺める反面、威光地に落ちた権威に対するさげすみの気持も抱いていた。  古河公方に足利|藤氏《ふじうじ》をたてることを懇請する簗田政信の声が聞こえてくる。  昨年、関白近衛|前嗣《さきつぐ》が、義輝と景虎の約束に基づいて、越後へ下向したため、景虎は合戦の合間をみて、これを厩橋に迎え、越後公方として、将軍家の権威回復の一助としてたてた。  しかし、前嗣は見識のない人物のゆえに、諸将から嫌忌され、古河公方の擁立を望む声が、高まってきている。  関東管領への就任に当たり、景虎は先ずこの問題を片づけなければならないと考えていた。 �面識のない前嗣を奉ずると約束したことが、そもそもの誤りだった�  頭のなかを思いがかすめてゆく。  北条氏康がたてる足利|義氏《よしうじ》は、なんとしてでも、古河公方の地位から、排斥しなければならない。  そのために、簗田政信がたてる藤氏《ふじうじ》を、公方の地位に据えることについて、関東の諸将と談合を行い、了解は得られたが、問題は、前嗣の処置であった。 �やはり、古河公方一本とし、それには藤氏を擁し、古河に前嗣、藤氏、上杉憲政公の三人を置いて、簗田政信の子息、晴助に守らせて、関東一円を鎮撫させるのが、最も当を得ていよう�  思案した末、そう結論を下した。  古河公方などという旧い権威は、どうなってもよい。  ただ、関東の諸将が、それに拘泥する以上、その統制のためにも、公方を誰にするかについては、明確な方針を示さなければならない。  北条氏康が、義氏《よしうじ》をたてるのも、それによって、自らが関東を制覇する名目がたつからである。  戦国の乱世とはいえ、天下の諸将は、皆、これと同じ考えのもとに、旧来の権威との結びつきを画策している。  思いに耽っていると、政信が部屋からでてきた。 「就任式が終わり次第、藤氏に古河公方を相続させる起請文《きしようもん》を与えることにする。それでよいな」  話の中味を聞いた景虎は、そう言葉をかけた。 「ははあ……」  政信は恐縮して、了承の返事を返してきた。  翌、閏三月十六日、鶴ケ岡八幡宮で、関東管領の就任式が行われた。  予め発せられた回文《まわしぶみ》により、関東の諸将は、巳の刻(午前十時)までに兵を率いて、沿道に待機していた。  景虎は、将軍から許された網代《あじろ》の輿《こし》に乗り、朱柄《しゆえ》の傘《かさ》、梨地《なしじ》の持槍《もちやり》、毛氈《もうせん》の鞍覆《くらおおい》の引馬とともに、参道を行進した。  本庄実仍以下の部将や「手明」があとに続く。  関東の将兵は、古式にのっとり、道の両側に土下座《どげざ》して、行列を見送った。  束帯の衣装をまとい、烏帽子をいただいた諸将が、ひれ伏す姿は、壮観であった。  今日は、上杉憲政や将軍の名代も、儀式に参列している。  そのため、景虎は部将達に非礼にわたらぬよう、特に注意を与えた。  礼儀を重んずること、これは幼少の頃より、師から戒められた処世観であったからである。  行列は、ゆっくりと歩を進め、やがて、階段に差しかかった。  銀杏の古木が、両側に聳え立っている。  景虎は首《こうベ》を垂れる関東の諸将を眺め渡した。  ざわめきが、かすかに聞こえてくる。  頭を下げたまま、話し合っている気配に、景虎は不快の念に襲われた。  彼等の心のうちは読めている。  いまは越軍の力の前に、追随の姿勢を見せていても、北条勢が盛り返せば、寝返る肚なのだ。  坂東武者のその心根《こころね》が、景虎には許し難かった。  土下座は、日本古来の礼儀である。  それを知りつつ、ひそひそ話を交わすふてぶてしさを、彼等の一部の者はもっている。  眉間にしわを寄せて、その光景を眺めていると、最前列の武者が、面をあげて、景虎をみた。  忍《おし》(埼玉県行田市)の城主、成田下総守長康《なりたしもうさのかみながやす》であった。  あまりの粗忽さに、景虎の神経はわなないた。 「礼儀をわきまえぬ、無礼者!」と思わず叫ぶと、手に持った扇子で長康の頭を打ち据えた。  あたりが騒然となってくる。  不穏な空気を包んだまま、行列は、最後の階段にさしかかった。  景虎は眼を閉じて、自らの行為を恥じた。  如何に気持が苛立っていたとはいえ、一軍の将たる者が、このような振舞いに出ることは許されない。  人の道がなんであるかが、わかるだけに、悔恨の気持は、たとえようもなかった。 �生来の心の不安が、頭をもたげたのだ�  胸のうちを思いがかすめてゆく。  この病ゆえに、景虎は幼少の頃から、苦しんだ。  仏道に帰依し、禅修行に打ち込み、毘沙門天を信仰するのも、天下取りを狙う武将として、致命的な欠陥であるこの性格を、なおしたいためであった。  それは精進により、九分どおり成し遂げられたかに見える。  だが、まだ完全ではない。  そこに、景虎の人に語れぬ悩みがあった。  輿は、いつの間にか、本殿の前に着いていた。  景虎は、気持をとり直すと、外へ降り立った。  陽ざしが、式典を寿ぐかのように、さんさんと降り注いでいる。  はじめてみる八幡宮の壮大な眺めに、景虎は気持が晴れるのを覚えた。  参列者と挨拶を交わしたのち、本殿の階段をあがり、堂内にしつらえられた席に着いた。  部将達が、威儀を正して入ってくる。  全員が揃うと、司会の武者によって、儀式の開始が告げられた。  白衣をまとった奏者の一団により、笙《しよう》、篳篥《ひちりき》が奏《かな》でられる。  その荘厳な音色を、景虎は眼を閉じて聞いていた。  神主により祝詞《のりと》が奏上される。  浄払《きよはら》え、玉串の奉奠が終わると、上杉憲政によって、関東管領の譲位の文章が読みあげられた。  続いて、将軍義輝からの任命の辞が、名代によって宣せられ、景虎がそれを受けて、式は滞りなく終わった。  直会《なおらい》の宴が別室でもたれ、参列した関東の諸将から、景虎は誓詞の提出を受けた。  爾今、関東管領たる景虎に臣従するというのが、その内容であった。  景虎は返礼の言葉を述べ、併せて今後、上杉氏を称し、呼び名を政虎《まさとら》と改めることを明らかにした。(また後に輝虎と改めるが、本書では景虎で通すことにする)  そのあと簗田政信に足利|藤氏《ふじうじ》を古河公方として迎える旨の起請文《きしようもん》を与えた。  こうして、一刻半を費やして、就任式は幕を閉じた。  景虎は、輿に乗って鶴ケ岡八幡宮をあとにした。  関東管領の地位と、名門上杉家を継ぐ幸運を得たことは、たとえようもない喜びであった。  しかし、そのゆえに、今後の国攻めが思うにまかせぬことになったことを、景虎は感じていた。  行列は、いつの間にか、市内に入っていた。  関東の将兵の姿は、跡かたもなく消えている。輿から降りると、馬に跨がり、鞭を一せんして、海岸の館へ向かった。  騎馬武者の一団があとに続く。  吹き寄せる風に、髪を乱しながら、景虎は、将来の天下平定に思いを馳せていた。  古河に、藤氏、前嗣、憲政の三人を置き、簗田政信の子息、晴助に守らせて、関東を鎮撫する手術《てだ》てを打ったのち、景虎は、八千の兵を率いて、鎌倉をあとにした。  陽ざしが、顔に照りつけてくる。  野をよぎり、山を越えて、越軍は三国峠への最短路を進んだ。  兵達の表情には、疲労の気配がただよっている。  遠征の成果は、はかばかしくなかった。  特に、小田原城を十万の軍勢で囲みながら、陥れることができなかったことが、心を暗くした。  ただ、今回の出陣により、北条勢に越軍恐るべしとの印象を与えたことは、今後の関東経略に、明るい見透しを与えることになった。 「まあ、よしとしなければなるまい」 「そうでございますな。なにごとも、一度で成ることはありませぬゆえ」  駒を進めながら、景虎は実仍と言葉を交わした。  行手に、三国峠が見えてくる。  八千の兵は、長蛇の列をなして、高原の坂道をのぼった。  北条勢の残党であろう。騎馬武者の一団が、荷駄隊が運ぶ兵糧を狙って、見え隠れしながら、追ってくる。 「討ちますか?」  実綱が聞いてくる。 「捨て置け。飢えた狼を誅しても、腹の足しにはならぬからのう」 「それもそうでございますな」  二人は笑った。  青空に浮かぶ積乱雲が、眼にさわやかに映った。  翌日以降、山頂へ向かっての苦しい行軍がはじまった。  汗が滝のように流れ、道の険しさに、兵達は喘いだ。  つづら折りの道をたどっているうちに、景色がひらけてきた。  兵達の表情に生気がよみがえる。  山頂を吹く松風の音を耳にし、峠道の両側に並ぶ地蔵仏を発見したとき、景虎は越後へ帰ってきた実感を味わった。  休憩を告げるほら貝の音がひびき渡る。兵達は歓声をあげて、北へ向かって走った。  景虎もあとを追った。  樹林が切れ、視界が展けてくる。  兵達は霞の彼方を眺めていた。  平野が無限のひろがりを見せて、眼に入ってくる。  眺めはさだかではない。  だが、兵達も景虎も、それが故国であることを知っていた。  松籟の音に耳を傾けながら景虎は、足下にひらける野や山や森の風景を、無心の気持で眺め渡していた。 [#改ページ]   第十一章 あかき夏  陽ざしが、庭の木々に注いでいる。  景虎は、廊下に佇んで、その眺めに見入っていた。  その後の使僧からの報せでは、信玄は構築がなった海津城への進出をめざして、着々と軍備を整えているという。  甲、越の決戦は、季節の移り変わりとともに、刻一刻と迫ってきているのである。  うめが、離れ座敷から、姿をあらわしてくる。細身の体に、練絹の衣装が似合っている。面長の顔は、女盛りの齢を迎えて、さらに輝きを放っていた。  近頃景虎は、徳以外に、うめとも肉体交渉を持つ。  徳は、それを知りつつ、いまだかつて、ぐちをこぼしたことがない。女中の身で、そのようなことにはふれるべきでないと、心得ているのである。  しかし、うめはそうではない。  関東から帰ってきた際も、徳を愛する景虎をみて、しっとの炎を燃やした。  二人の確執が表沙汰にならないのは、徳がうめのわがままに耐えているせいであった。 「眉間にしわを寄せたりして、なにを考えていらっしゃいます?」  うめの言葉に、景虎は笑みを浮かべた。 「そなたには、かかわりなきこと、それより、明日の蛍狩りは、どのような段取りになっている?」 「本庄様ほかの主だった方も、揃ってご参加とか。女中部屋ではいま、その噂でもちきりでございます」 「なるほど、それはよいことだ。気晴らしも、ときにせねば、戦さには勝てぬからのう」 「殿様は天下を取られる器量人、やはり眼のつけどころが、皆の衆とは違っておられます」 「ばかなことを申すではない。それがしには、そのような望みはない」  心と違う言葉を吐く自分が、景虎には不思議であった。  徳が廊下の彼方から、女中とともに、姿を見せる。だが、二人の立ち話を聞いてはならぬと感じたのか、素知らぬ振りをして、手前の廊下を折れていった。  近頃の城内は、慌しい空気に包まれている。  天守閣の広間や、武者溜りでは、連日、合戦の打ち合わせが行われ、甲斐勢を迎え討つ準備が進められている。  信玄が、二万の兵を北信に送り込む計画をたてていると聞いて、部将達は、色を失った。  武田勢と対等に戦うには、それとほぼ同数の兵を調達しなければならない。  だが、越軍が即座に動かし得る兵力は、八千が限界であり、それ以上となれば、国内の地下鑓を含めたうえに、農民のなかから、屈強な若者を、新たに戦力に組み込まなければならない。  景虎の命により、その手術《てだ》ては進められている。  しかし、かつてない規模のものだけに、確保は容易ではなかった。  二人は、雑談を交わしながら、庭の風景を眺めた。  最近はうめにも愛着を覚える。  自分を慕って、一生、独り身を通そうとしている一途さが、心を打つのである。 「殿様がもし合戦で亡くなられたら、うめは自害をして果てるつもり。近頃はそのようなことを、考えるときがございます」  ややあって、うめはしんみりした口調で語った。  合戦の気配は、女心にわびしさを誘うのであろう。  景虎は、うめの横顔を眺めた。  運命の糸にあやつられて生きる女人のはかなさが感じられてならなかった。  信越国境の状勢が、緊迫の度を加えてくるにつれて、さまざまな噂が、諸国に流れた。  なかでも八月に、越軍が再び小田原に来攻するとの風評がたったことが、北条氏康や足利義氏を恐怖に陥れた。  そのゆえか、義氏は加賀松任の本誓寺に働きかけて、本願寺門徒に越後を侵させるよう、指示を発している。  関東の巨刹《きよさつ》で、親鸞の直弟、善性の遺跡である磯部勝願寺が、その役目を仰せつかり、北条方のために奔走の労をとっていると聞いて、景虎は驚いた。 「笠原本誓寺といい、勝願寺といい、よくもこのような手術《てだ》てにでられるものだ。  越後攪乱の手助けをすれば、一向宗禁制の北条氏が、祖法を捨てて、同宗の流布《るふ》を認めるとでも、思っているのだろうか。全く笑止なことだ」  軍議の席で、景虎はそう語って笑った。  宗教勢力ですら、権謀をろうする世相が、空しく感じられた。 「殿、それはいささか、うがった考えではござらぬか。  今回の義氏等の動きは、越軍の関東侵攻の激しさに、北条勢がおののいている証拠に、ほかなりませぬ。  さもなくば、敵同士の本願寺一派に、声などかけますまい」  藤資が言葉を返してくる。  部将達は、軍議を中止して、二人の会話に耳を傾けた。 「それもそうだが、しかし、氏康も信玄に劣らぬしたたかな人物。われわれが、善光寺平へ兵を進めれば、その機に乗じて、関東の諸城の回復に乗り出してくるに違いない」 「言われるとおりにございます。  困ったことですが、こればかりは……」  藤資は答えて、眉間にしわを寄せた。 「まあよい。今後は、善光寺平と関東の両方に、交互に兵を進めなければならなくなるだろう。天下取りを遅らせるもとになると思われるが、致し方がない」  自らの不運を噛みしめながら、景虎はつぶやいた。  信玄さえいなければとの気持であった。 「やはり、先ず、甲斐勢を撃破しなければなりませぬ。  総大将の信玄と、軍師の山本勘介さえ亡き者にすれば、勇猛をもってなる騎馬隊も、烏合の衆同然となりましょうから」 「そのとおりだ。それゆえにこそ、それがしは今度の合戦に、生死を賭している。信玄も同じ気持であろうが、負けるわけにはまいらぬ」  景虎の口調には、気迫がこもっていた。  八月を迎えると、秋の気配が濃くなってきた。  残暑は厳しかったが、空は澄み、野をわたる風には、さわやかさが匂っている。  天守閣の回廊に立って、あたりの風景を眺めながら景虎は、甲斐勢との決戦の時期が迫ってきたことを感じた。  兵力はようやく、一万八千に達し、武器や兵糧、軍馬も、部将達の努力で、目標の数量に達している。  あとは、二万の兵を率いて、和田峠を越えてくる信玄を迎え撃つだけである。  善光寺平をめぐる戦いが、今回ほど高まりを見せたことはない。  それは、桶狭間の戦いを契機に、諸将の間に、天下取りを急ぐ気配がみられはじめたことと、軌を一にしていた。  景虎を討たねば、上洛の兵を進めることができぬと、信玄は考え、景虎も同じ思いであったことが、両雄に雌雄を決する時期を早めさせたのである。  表面上は、同盟にもとづく北条氏康救援作戦の展開であったが、信玄の心のうちが、関東攻めに疲れた越軍を、一挙に撃滅することにあることを、景虎は知っていた。  そうでなければ、二万の大軍を発するはずがない。  その後、使僧からもたらされた情報では、信玄は、甲府を出立する構えをみせているという。  四十一歳の年齢を迎えたその胸中が、景虎には、痛いようにわかる。  いずれは、興亡を賭けて戦わなければならない宿命に、二人は置かれているのである。  廊下の気配が、慌しくなる。  甲府へ送り込んだ間者の武者が、帰着したことを景虎は感じた。  気持を取り直して、広間へ引き返しはじめたとき、直江実綱と鉢合わせした。 「信玄は八月半ば過ぎ、出陣の予定とか」 「なるほど」  景虎の心は落ち着いていた。  予想されたことであったからである。  二人は、広間へ入って、軍議の席に列した。  間者の武者からの報告では、信玄は、二万の兵とともに甲府を発ち、諏訪を経て、和田峠を越える予定と言う。 「海津城に駐屯している兵と合流する心算《つもり》だな」 「そのようでございます」  いつ善光寺平へ、一万八千の兵を進めるか、それだけが当面の問題であった。  そのための打ち合わせが、一刻半かけて行われた。  佐竹義昭とつながる会津芦名、庄内大宝寺等の諸氏の来援を期し、斎藤朝信等に越中を押さえさせ、長尾政景ほかを、府内の留守居役として、八月十四日に信濃へ全兵力を率いて、出陣することが、そのなかで決まった。 「信玄と刃を交じえるときが、とうとうやってきましたな」 「左様、今度は逃がしはせぬ。山本勘介も同じだ」  景虎の表情は、引き締まっていた。  十年余におよぶ遺恨を、一気に晴らしたい気持であった。  翌日から、城内は緊迫した空気に包まれてきた。  一万八千の兵の編成と、その指揮命令系統の確立、武器、兵糧、軍馬の調達などについて、部将達は、連日協議をこらし、決定した事項を、実施に移していった。  その状況を見守りながら、景虎は、毘沙門堂にこもって、禅修行を行い、傍ら家臣の若者を相手に、剣の練磨に努めた。  二ヵ月間、合戦から遠ざかったことによる心身のゆるみを、ただすためであったが、その根底には、今回の戦いで、信玄や勘介と刃を交じえ、その首級をあげる心算が秘められていた。  近頃、城内は、武者達であふれている。  鉄砲や弓矢、槍、剣の修練に励む者が、各所で見られ、かつてない張り詰めた空気におおわれていた。  城下の荒野でも、馬上武者の指揮のもとに、合戦の演習が行われ、そのなかで新参の兵が鍛えられた。  景虎は、毎日馬に乗ってこれらの光景を見て回った。  そして、鍛冶屋町における武器の製造や修理の状況をも視察したのち、春日山城に帰ってくる。  午後からは徳と語りながら、庭を散策したりして、心の緊張をほぐした。  生来の神経の鋭敏さは、出陣の時期が迫ってくるに従って、昂まりを見せてくる。  それを景虎は、このような日課を課すことによって、まぎらわしていた。 「あと三日で、ご出立とか?」 「左様、今回は武田殿も、二万の兵を率いて、自ら出陣する様子、その並み並みならぬ気迫に、それがしも油断がならぬものを感じている。しかし、越軍は敗れはせぬ」 「殿様のこと、戦さに負けるとは考えられませぬが、お体だけは、大切になされますよう」  兵達の先頭に立って闘う景虎の気性を、徳は知っている。  それだけに、空前の激戦と噂される今回の出陣のことが、心に懸るのである。 「戦さはおののいていては、かえって身を危くする。生死の境地を越えて闘えば、不思議と安泰が得られる。  だが、今回だけは、それがしにも、自信がもてぬ。或いは、敵兵の刃にかかって果てるやも知れぬ。  そのときには、遺骸を林泉寺の先祖の墓地に葬るとともに、遺髪を、城内の毘沙門堂に納めて供養してくれ。そなたのことは、実仍や実綱に依頼してあるゆえ、案ずるにはおよばぬ」  景虎は、静かな口調で語った。  万一の場合に備えての、遺言のつもりであった。  徳はうなずいた。  景虎が出陣を前にして、このような言葉を吐くことは、滅多にない。  それだけに、徳は神妙な面持ちをして、耳を傾けていた。  東の空が白みはじめる。  明かり障子の気配からそれを察した景虎は、眼をあけて天井を見詰めた。  心は落ち着いていた。  隣のふとんでは、徳が安らかな寝息をたてている。  景虎は、身を起こした。  その気配に、徳も眼をさました。  二人は、顔を見合わせたが、言葉は交わさなかった。  徳は起きあがると、寝床を片づけ、身なりを整えて、部屋から出ていった。  景虎は、寝巻姿のまま、障子戸をあけて、庭の風景を眺めた。  御影石の石灯籠が、眼に風雅に映る。  空には雲一つ見られない。  冷え冷えとした大気が、秋の到来を想わせた。  服装を整えると、毘沙門堂に入って、座禅を行った。  心身ともに、充実した気分であった。  法棒をもって、へいげいする毘沙門天の像を眺めていると、心が落ち着いてくる。  その気迫に似たものが、我が身に乗り移るように思えるのである。  毘沙門天を脳裏に描きながら突き進む限り、弓矢も鉄砲も、槍も、自分の身を傷つけることはできない、景虎はそう信じていた。  それは暗示的とも言えるほどの確信の気持であった。  食後、景虎は徳に手伝わせて、出陣の身なりに変えた。  緋おどしの鎧をまとい、顔を練絹でおおい、小豆長光の長刀を腰に佩いた。  徳に後事を託すると、部屋を出て、玄関へ行った。  見送りの武者や女中達で、あたりはざわめいている。  そのなかを通り、馬に跨がって、景虎は道を下っていった。  ほら貝の音が、朝もやをついて、ひびき渡る。  二千の兵は、すでに広場に集まっていた。  軍旗が、風にはためき、馬のいななきが、合戦の気配を盛りあげる。  誰もが、甲斐勢との死闘を覚悟していた。  景虎は、出発の下知を下すと、自ら先頭に立って、城門をくぐった。  春日山城とは、これでお別れになるかも知れぬと、胸のうちで思った。  山麓の陣地で、一万の兵と合流すると、そのまま南へ向かって行進を開始した。  信濃衆の兵、六千とは、国境を越えたところで、合流する手筈になっている。  一万八千の軍勢は、越軍がこれまでに調達し得た最大の兵力であった。  陽ざしが、真上から照りつけてくる。土煙をあげ、長蛇の列をなして、人馬の群れは高原の荒野をよぎっていった。  あたりはまだ夏の気配におおわれている。  灌木の林や立木の風景を、景虎は無心に眺めた。  いまは緑一色におおわれている。  だが、やがて落葉の季節を迎え、荒涼たる眺めに一変して、冬の季節に入るのである。  草木《そうもく》の生い茂る原野が、地形のうねりとともに、ひろがりを見せてくる。  高地のためか、暑さは感じられない。  吹き寄せる風に、白布をなびかせながら、景虎は馬の進むに身をまかせた。  国境へのこの道は、過去に何度か往復した。  四季折り折りに風景が変わるため、目新しい感覚に、その都度襲われる。  しかし、はかなさとわびしさをたたえた佇まいだけは、変わらぬように思われる。  甲斐勢と戦って、一度も戦勝の気分を味わったことがないことが、そのような気持を誘うのかも知れなかった。  ほら貝の音がひびき渡る。  兵団の動きが停止し、ざわめきがあたりをおおいはじめる。  明日、十四日には、善光寺に陣を構える予定である。  急流の犀川以北は、越軍の勢力範囲に属し、緩流の千曲川以南は、甲斐勢の支配下にある。  この事実が、景虎に、善光寺への布陣を考えさせていた。  半刻の休憩ののち、兵団は、再び国境の山をめざして進んだ。  陽は西に傾き、ぎらつくような陽光が、顔に照りつけてくる。  あたりの風景は、山岳地帯のそれに変わっていた。  兵達の表情に、緊迫感がみなぎってくる。  残照が空を染める頃、兵団は動きを停止して、野営の陣を張った。  篝火が焚かれ、その連なりが、眼にあざやかに映る。  あたりは漆黒の闇におおわれていた。  野犬の遠吠えが聞こえてくる。  哀しさを秘めたそのひびきが、不吉な予感を誘った。 �甲斐勢との決戦に勝てるだろうか�ふと思いがかすめてゆく。  幕間に入って、思案に耽っていると、部将達が入ってきた。  車座になって、武田勢の動向などを話し合う。 「信玄はまだ、われわれの出陣を知らぬ様子。  だが、明日になれば、のろし火でそれは甲府に伝えられる。その間のわずかの日数を利用して、海津城を囲もう」  席上、景虎はそう提案した。  敵軍の前進基地を攻撃すれば、信玄は兵を率いて、北信に入ってくる。  そのときが、決戦をいどむ好機だと、景虎は考えていた。 「そうしますか。とにかく、二万の甲斐勢と、川中島で対決すれば、双方におびただしい犠牲者がでます。  従来と違って、信玄が越軍を撃滅する姿勢を見せているだけに、それは不可避と思われますが」  実綱が言ってくる。 「そのとおりだ。しかし、今度だけは已むを得ぬ。  一挙に決着をつけなければ、越後の平和は得られぬゆえ」  景虎の眉間には、しわが寄っていた。  犠牲者の発生は、可能な限り避けたい。しかし、この期に及んで、その考えは捨てなければならなかった。 「言われるとおりでございます。今回は、それがしも妻子と水盃を交わして、出陣してまいりました。兵達も同じ気持でございます」  実仍が、言葉をはさむ。  中条藤資や山吉豊守も、相づちを打った。  いまは誰もが、死を覚悟していた。 「明日は信濃入りだ。  秋の名月は、もう見られぬかも知れぬゆえ、今宵は、酒を飲みながら観月を楽しむことと致そう」  藤資が、冗談を飛ばしてくる。  景虎は、笑みを浮かべた。 「それはよい考え。信玄も同じ月を、甲府の館で観ていることであろう」  そう言葉を返して、席を立った。  部将達も立ち上がる。  一同は、打ち揃って、幕間の外へ出、光を放ちはじめた満月を眺めた。  手には、酒をついだ盃が握られている。  夜風を頬に感じながら、景虎は、和田峠を越える甲斐勢の長蛇の列を思い浮かべていた。  翌朝は、夜明けとともに陣地を発って、国境の山を越えた。  下りのため、兵達の歩みは早い。  信濃はすでに、秋の気配におおわれていた。陽ざしが、緑の山野にふり注ぎ、樹間では小鳥がさえずっている。  そのなかの自然の道をたどって、兵団は、山麓に降り立ち、そこで六千の兵と合流した。  村上義清と高梨政頼が、変わらぬ姿を見せて、迎えてくれたことが、景虎には嬉しかった。 「此度《こたび》は、先年の苦杯の報復を遂げるこよなき機会、殿の下知に応じて、砕身務める所存ゆえ、安堵下されたく」  義清はかつての勇将の面影を見せて、そう言葉をかけてきた。  景虎は労をねぎらい、くつわを並べて、兵団の先頭に立った。  一万八千の兵が、荒野をわたる光景は、壮観であった。 「手明」のあとに、春日槍をたずさえた「馬上」が続き、そのあとに鉄砲隊、荷駄隊、その他の雑兵が続く。  地下鑓の緊張した姿も見られる。  土煙が緑一色の平原にあがり、馬のいななきが、合戦の気配を盛りあげる。  うらぶれた人家の佇まいが、戦乱の世のはかなさを思い起こさせた。  善光寺に着いたのは、夕刻であった。  大軍の到着に、参詣客はおののきの表情を見せ、門前町も日が暮れる頃には、死に絶えたような、状況に変わっていた。  聞こえてくるのは、蜩《ひぐらし》の声だけである。 「静かだな、甲斐勢との合戦が、うそのようだ」  景虎は、廊下に佇んで、言葉を洩らした。 「いや全く。しかし、明日からは海津城を囲む予定ゆえ、それ以降は風流を楽しむ余裕もございますまい。  お互い、因果な身に生まれたものでございますな」  藤資が言葉を返してくる。 「それがしも、林泉寺にとどまって居さえすれば、安らかな一生を送れたものを、そなた達が、合戦に駆り立てるものだから、このような様になった」  境内の眺めに、幼少の頃を思い浮かべながら、景虎は答えた。 「守護代の家に生まれた殿の宿命でございましょう。こればかりは、あきらめていただくほかはございませぬ」  二人は、語り合って笑った。  階段を降りて、あたりを散策する。  残照が空を染め、ねぐらに帰る鳥が鳴き声をあげながら、空を飛んでゆく。  巨大な建物が、いらかを連ね、その佇まいが、夕陽を浴びて、絵巻物のように眼に映る。  境内には、人影は見られない。  白砂を敷きつめた参道の彼方には、山門がいかめしい姿を、空に浮かべている。 「善光寺にとどまるのも、今回で最後になるかも知れぬな」 「そうでございますな」  語りながら、二人は夕映えにおおわれた空を、眺めていた。  翌日、景虎は、大荷駄と五千の兵を、善光寺に残し、自ら一万三千の兵と、小荷駄を率いて、海津城の攻略に向かった。  空は晴れ、樹間では小鳥がさえずっている。  草原の彼方には、犀川の堤防が、ひろがりを見せて、東西にのびている。  森や林の風景のなかを越軍は、黙々と進んだ。  土煙がたなびき、風に乗って東へ流れてゆく。  景虎の頬は紅潮し、額からは汗がしたたり落ちた。  秋とはいえ、日中の陽ざしは夏の気配である。  甲、越の決戦の場となって久しいこの地域の田畑は、荒れ果てていた。  犬の鳴き声が、聴覚をかすめてゆく。  犀川の堤防は、眼の前に迫っていた。  偵察隊が、渡河の安全を知らせてくる。  景虎は、堤防に駒を進めると、そのまま急流の川を渡った。  一万三千の兵が、あとに続く。  激流と深みに、馬がいななきの声をあげる。  川幅は、予想以上に広く、雄大な流れが眼にあざやかに映る。  甲斐勢と死闘を演ずる緊迫感に、景虎の胸は高鳴った。  浅瀬に達すると、鞭を一閃して、対岸へかけあがった。  茶臼山の要害が、西の山に姿を見せてくる。  南東の海津城とともに、川中島を両面から扼《やく》する武田勢の拠点である。 「信玄の本隊は、塩崎を経て、真直ぐあの砦に向かうに違いない。われわれが妻女山に陣を構えて、東の海津城を攻めれば、それを挟撃するためにも、西の茶臼山は絶好の拠点となる」  堤防に駒をとめ、あたりの地形を眺めながら、実綱に語った。 「なるほど。そうすると、両軍の決戦の場は、犀川と千曲川に囲まれた真っ只中の地あたりになるやも知れませぬな」 「左様、八幡原あたりが、激突の場所となろう」  二人は言葉を交わしたのち、堤防を下った。  半刻の休憩がとられ、兵達は、その場で昼食をとった。  食後は、平野を南下して、妻女山に向かった。  そこで海津城の武田勢と相対峙する作戦を、景虎は脳裏に描いていた。  えんえんと続く人馬の列や、林立する越軍の軍旗は、武田勢の要害からは、手に取るようにわかるに違いない。  敵将の慌てふためく姿が、景虎には眼に見えるようであった。  雲をいただいた巨峯が、南東に峨々《がが》たる連なりを見せて迫ってくる。  久し振りに見る雄大な眺めである。  甲斐勢に対する恐れの気持はない。  いつ襲撃を受けてもよい心境に、景虎はなっていた。  やがて、兵団は千曲川の堤防に着いた。  妻女山は眼の前である。  吹く風が、膚に心地よい。  堤防に駒をとめて、あたりの風景を眺め渡した。  東方には、海津城が指呼の間に望まれる。  山並みを背景にし、高所に聳え立つその姿には、威圧感があふれている。  真新しい石垣、めぐらされた土塀、おびただしい城内の建物、普通の城郭とは違うその佇まいには、北信を手中に収めんとする信玄の執念が、込められていた。  二万の兵が、この砦に拠れば、攻め落とすことは、容易ではない。  景虎は、眼を北西に転じた。  茶臼山の要害が、山の連なりのなかに、あざやかな姿を見せている。  甲斐勢の力を誇示するように、無数の軍旗がはためき、喊声が、風に乗って聞こえてくる。  千曲川のほとりに集結する越軍に、挑戦ののろしをあげはじめたのだ。  北方には、旭山城が天嶮を誇って、空に聳えている。  ここには、小柴見宮内が、二千の兵を擁してたてこもり、越軍に応じている。  妻女山に越軍が陣を構えれば、双方が相手を挟撃する陣形に自然になる。  甲、越の決戦は、これらの城砦が、半円型に囲む平地、川中島で乾坤一擲の火蓋が切られようとしていた。  鳥が鳴き声をあげながら、水面を飛んでゆく。  陽光に清流がきらめき、うねるような曲がりを見せる川の佇まいが、眼にさわやかに映る。  緩流、千曲川は、せせらぎの音を鳴らしながら、北東方向へ向かって、えんえんとのびていた。  言われぬ抒情が、胸のうちをよぎってゆく。  熾烈な合戦を控えていることを、景虎は忘れていた。  兵達も堤防に佇んで、川の流れに見入っている。 「渡りますか」  実綱の言葉に、景虎はわれにかえった。  手綱をしごくと、砂地に馬を乗り入れた。  浅瀬が多いせいか、渡河の困難はなかった。  対岸にあがると、そのまま、妻女山の麓に向かった。  原始林が、眼の前に迫ってくる。  兵団は、そのなかを通って、黙々と急坂を登った。  暗いあたりの佇まいが、無気味感を誘う。  半刻ほど登ると、平地が開けてきた。  陣場平《じんばだいら》である。  越軍は、そこに陣を張ることを決め、休むいとまもなく、陣地の構築を開始した。  景虎は、山頂に駒を進めて、付近の風景を眺め渡した。  東方には、海津城が手に取るように、望見される。  善光寺平が、北にひろがりを見せ、千曲川と犀川が、白銀色《しろがねいろ》の線を描いて、霞の彼方へのびている。  信玄が執念のように、この地を狙うはずだと、心で思った。  茶臼山の砦が、同じ高さの位置に見える。  この要害さえなければ、甲軍の行動は著しく制約される。北方の旭山城の兵力を増し、挟撃作戦をとらなければならぬと景虎は考えた。  陣地は、みるみる築かれてゆく。  一万三千の兵に加えて、軍馬の稼動が、不可能と思われる工事を可能にした。  巨木が倒されて城壁がわりに築かれ、竹矢来や矢狭間もつくられる。  そのなかを、荷駄隊が、兵糧や武器を運び込んでくる。板囲いの小屋や幕間もしつらえられた。  野営の経験が豊富な越軍にとっては、すべてが、茶飯事のことであった。  夕陽が西の空を染め、さわやかな風が、木々の葉をゆらして吹いてゆく。  やがて、夜の帳が降りてきた。  海津城の灯が、闇のなかに浮き出してくる。  越軍の陣地でも、篝火が焚かれた。  賑やかな笑い声が洩れ、兵達は交代で食事をとった。  景虎は、本陣の幕間へ入って、部将達と酒を酌み交わした。 「信玄め、今度は逃がさぬ」  中条藤資が、眉をつりあげる。 「全くだ。山本勘介ともども、息の根をとめてくれるわ」  応酬に、出席者が沸く。  いまは誰もが、同じことを考えていた。  松明の明かりに映える部将達の顔には、すさまじささえ、ただよっている。  盃を傾けながら景虎は、武田勢を打ち破る方法を、頭のなかでめぐらせていた。  数日が何事もなく経過した。  陣地の構築も終わり、越軍は海津城の甲斐勢と対峙しながら、攻撃の機をうかがった。  旭山城の軍備も充実され、茶臼山に到着するであろう、甲斐勢の本隊を挟撃する態勢も整えられた。  軍議の合い間に、景虎は山の頂に登って、敵陣の動静をうかがった。  海津城と茶臼山の砦は、のろしをあげて、連絡をとり合っている。  秋風が頬を撫でて吹き抜け、松籟《しようらい》の音《ね》が、わびしく耳に伝わってくる。  季節は移ろう気配を見せていた。  あと一ヵ月も経てば、信濃は晩秋を迎え、やがて積雪におおわれてゆく。  信玄もいまが、決戦の好機と感じているに違いない。  陣場平の高地は、人馬で埋まっていた。  野鳥が鳴き声をあげて、樹林を飛び立ってゆく。  無気味さと緊迫感を秘めたなかで、戦機は熟していった。  昼食を終えると、景虎は本陣の幕間に入って憩った。  伝令の武者が、馬から降りて駈け込んでくる。 「武田信玄が二万の兵を率いて、八月十八日に甲府を発ち、諏訪を経て、和田峠に差しかかっております」  報告に、景虎は緊張した。  部将達も、表情を変えて立ち上がる。 「きたか」  決意を秘めたつぶやきが、洩れる。 「武田勢は、葛尾を経て、明後日には茶臼山の砦に入る予定。そこより、川中島を縦断して、高坂昌信が守る海津城に入るものと思われます」 「なるほど。御苦労であった」  景虎は、それ以上、尋ねなかった。  すべて予想されたことであったからである。  武者が去ると、本陣のなかは、慌しい空気に包まれてきた。  軍議が開かれ、作戦が協議される。  一刻をかけてそれが終わると、部将達は部署へ散っていった。  ほら貝の音がひびき渡る。  陣地内は、合戦の気配におおわれてきた。  旭山城と、善光寺に布陣する味方の兵団に、危急を知らせるのろしがあげられる。  それに呼応する煙が、間を置いて、彼方の空にあがった。  海津城と茶臼山の要害の間でも、連絡がとられている。  陽は暮れかかっていた。  落陽が、善光寺平の森や林の風景を映し出す。  眺めながら、今日も無事暮れたと景虎は思った。  二日後、信玄の率いる二万の軍勢が、西方の高原を、軍旗を連ね、長蛇の列をなして、茶臼山の要害に向かった。  越軍の側面攻撃を警戒して、行軍の困難な山道を敢えて選んだのである。  その光景を眺めながら景虎は、信玄が決戦の決意を固めていることを悟った。  甲斐勢は、騎馬隊をふやし、装備も充実させている。  行軍の状況をみただけで、景虎にはそれがわかった。  未《ひつじ》の刻(午後二時)を回った頃、二万の軍勢は、要害に姿を消した。  太鼓とほら貝と陣鉦の音が、ひびき渡るなかでの、ものものしい行動であった。  信玄は海津城と連繋をとり、越軍の退路を断つ作戦を考えていた。  そのための行動が直ちに開始され、妻女山の越軍との間に、小ぜり合いが演じられはじめた。  荷駄隊が、善光寺平をよぎると、甲斐勢は茶臼山の要害から兵を繰り出して、それを側面から襲うのである。 「信玄はわれわれを包囲する心算かも知れぬが、逆に妻女山と善光寺の両面から、われわれに挟撃されていることを知らぬ様子。たわけたことだ」  直江実綱が、言葉を洩らす。 「全くだ。それに気づかぬとなれば信玄は愚将と言わなければなるまい」  本庄実仍が答える。  景虎は笑みを浮かべた。  三日後、武田勢は、白昼、海津城へ向かって移動を開始した。  その光景を眺めて、部将達は、敵軍を側面から攻撃することを提案してきたが、景虎は認めなかった。  信玄の率いる本隊を襲えば、海津城の敵兵が、背後から挟撃作戦に出てくることが、眼に見えているからである。 「さすがは信玄。茶臼山に本陣を構えれば、南北からわれわれに攻められることに気づいたようだ。  それに、善光寺平を白昼よぎるについては、それなりの成算が、甲斐勢にはあるはず。  二万の本隊に、海津城の五千の兵を加えれば、当方の軍勢の約二倍になり、しかもわれわれは両面から、敵軍の猛攻を受けることになる。  これでは、勝ち目はない。  信玄の胸中には、この察しがすでについているのであろう」  風林火山の軍旗を連ねて、海津城に向かう武田勢を眺めながら、景虎は語った。  好機を逃がしたくはなかったが、いまはなす術がなかった。  変幻の戦術を使う信玄の知恵に勝つには、�動かざること山の如き�甲斐勢の戦法を逆用するほかはない。  二万の軍勢の移動は、壮観とも言える眺めであった。  徒歩の兵を先行させ、長槍をたずさえた騎馬隊があとに続き、越軍の戦意をそそるように、時折りほら貝の音が、ひびき渡る。  土煙があがり、それが善光寺平の緑の風景と対照をなして、眼に焼きつくように映る。 「信玄め、やがて思い知るときが来るであろう」苛立ちを抑えて、景虎はつぶやいた。  陽が西に傾く頃、甲斐勢は、視界から姿を消した。  それを機に、越軍は警戒の鉾先を、海津城に向けた。  二万五千の甲軍と一万三千の越軍の対峙は、その後しばらく続いた。  だが、双方とも相手の出方をうかがって、合戦の火蓋は切らなかった。  数において劣勢な越軍が、甲軍に勝つには、相手の虚をつく作戦に出るしかない。  海津城を眺めながら景虎は、桶狭間の戦いで、今川義元の首級をあげた織田信長の果敢な戦法を思い浮かべた。 �あの方法しか、信玄や山本勘介の知恵に勝つ術はない�と考えた。  夜風が頬を撫でて吹いてゆく。  冷え冷えとしたその気配に、景虎は秋の深まりを感じた。  直江実綱がやってくる。 「明日あたり、信玄は、行動を開始するかも知れませぬな」 「そうなってくれればよいが……」  景虎は答えて、思案に耽った。 �耐えることが、戦いに勝つことだ�と胸のうちで思っていた。  九月九日になって、武田勢は動き出す気配を見せはじめた。  海津城と茶臼山の要害の間に、のろしによる連絡がとられ出したことから、景虎は、それを感じた。  しかし、間者の武者を遣わし、敵軍の様子をさぐらせた結果では、とりたてて変化は見られなかった。  景虎は眉をひそめた。  武者が去ると、直江実綱とともに、山頂へ駒を進めて、海津城の光景を眺めた。  軍旗の数が減り、しかも場所が変わっている。  加えて、ざわめきに似た音が、風に乗って聞こえてくるのである。  只ならぬ気配に、景虎は耳をそばだてた。  さだかではないが、異変が起きたことが感じられた。  そのことを実綱に伝えると、 「わたくしも同感です。それに、今夜は月夜の筈、武田勢が行動をおこすことは、容易に考えられます」との答えが返ってきた。  二人は、茶臼山の要害に、眼を転じた。  海津城と似た変化が、明らかにあらわれている。  しかし、隔たりが大きいため、城内の様子をうかがうことはできなかった。 「とにかく、出陣の準備を整えよう」 「そうしましょう。敵は、妻女山の陣地を背後から襲い、われわれが川中島へ移動するのをはかって、本隊を先回りさせ、迎撃する戦法をとるに相違ありませぬ」 「なるほど、俗に言う啄木《きつつき》の戦法か」 「左様でございます。われわれが川中島へ撃って出れば、待機している本隊と茶臼山の兵団、それに追ってくる海津城の軍勢が、三方からわれわれを挟撃する形になります。  そうなれば、勝敗の帰趨《きすう》は明らかであります」  実綱の説明に、景虎はうなずいた。  甲斐勢の挟撃を避けるには、川中島へ進出するであろう、敵方の本隊を、先制攻撃をかけて、撃破するほかはない。 「取り敢えず、敵軍の動静をさぐり、信玄の率いる本隊に狙いを定めて、軍勢の移動を考えることと致そう」 「そうでございますな」  二人は語らいながら、陣地に帰ってきた。  部将達を集めて、軍議が開かれ、景虎の提案は異議なく承認された。  出陣を知らせる陣鉦の音が、ひびき渡ったのは、それから間もなくのことであった。  兵達の表情に緊迫感がみなぎってくる。  兵糧、武器の移動態勢が整えられ、馬上武者の下知に応じて、合戦の準備が急がれた。 「いよいよ、決戦か?」 「そうだな、戦いは激甚を極めるであろう。或いは生きて帰れぬかも知れぬ」  地下鑓のささやき声が洩れてくる。  夕闇が迫る頃、越軍は出陣の態勢を整えた。  妻女山に、五千の兵を残し、千曲川を渡った東の東福寺に、後衛の兵二千を置き、景虎は六千の精鋭を率いて、武田勢の本隊を追うというのが、軍議で決まった作戦であった。  実際にこのような形の合戦になるかどうかはわからない。  そのために間者の武者を、武者勢の陣地に派遣して、様子を探らせている。  刻々もたらされる彼等からの情報では、海津城にも、茶臼山の要害にも、異変が起きているという。  問題は、日没以降の敵軍の行動であった。  残照が西の空を染めている。  茶臼山の砦は、すでに視界から消えていた。  善光寺平もいまは、薄暮におおわれ、千曲川も犀川も、形さえない。  景虎は、緋おどしの鎧をまとい、腰に伊豆長光の長刀を佩いた。  三尺のこの太刀を身につけたのは、信玄の首級を、自らの手であげたいためであった。  合戦に終止符を打つには、これしか術がないと、景虎は秘かに考え続けてきたのである。  夜風が木々の葉をゆらして吹いてゆく。 �勝つことができるだろうか�空を仰ぎながら、胸のうちでつぶやいた。  兵力において劣ることが、やはり不安であった。月が、東の空にのぼりはじめる。  洞然として、いまだ光はない。  海津城の篝火が、形を大きくして、迫ってくる。  景虎は、眼を据えて、その光景に見入った。  ざわめきが、かすかに聞こえてくる。  昼間感じた以上に、それは殺気をはらんでいた。 �高坂昌信は、今夜必ずこの砦を襲ってくるに違いない�眺めながらそう思った。  高梨政頼と中条藤資が中心になって、妻女山の陣地を、守る態勢は整えられている。  しかし、もし一万を越える甲斐勢に、背後から攻められれば、防戦は容易ではない。  景虎には、そのことが気懸りであった。  思案に耽りながら、敵陣の様子をうかがっていると、味方の陣地の気配が慌しくなってきた。  景虎は、すぐ本陣にとって返した。 「信玄が八千の兵を率いて、只今、海津城を発ち、千曲川沿いに、北東へ迂回しはじめております……」  本庄実仍の注進に、景虎は色を失った。 「やはり……行先は、八幡原だ。茶臼山からの移動に際しても、甲斐勢はそこを通っている。今夜も、そのときの道を逆行して、千曲川を渡るに違いない」  信玄の作戦は、読めているとの確信の気持が、景虎に、このような言葉を吐かせていた。  直ちに軍議が開かれ、亥《い》の刻(午後十時)を期して、山を下り、千曲川を渡ることが決められた。  馬のいななきが、静けさを破って、聞こえてくる。  景虎は、部将達と別れの盃を交わした。  今回の合戦だけは、その規模から、死を覚悟して臨まなければならぬと、お互いが感じていた。  北信の夜は、更けていった。  出陣する兵も、残留する兵も、これから開始される決戦に、自らの命運をかけていた。  戦死した場合の遺言を、交わし合う者さえいる。  別れの宴が終わると、部将達は幕間から去っていった。  亥の刻(午後十時)は、あとわずかの時間に迫っていた。  景虎は、床几から立ちあがると、外へ出た。  篝火はともされたままである。  陣地内は、死に絶えたような、静寂におおわれていた。  武田勢に発覚せぬよう、すべてを隠密裏に運ぶのが、作戦の基本方針であった。  景虎は馬に跨がった。  黒々とした兵団の姿が、視界に入ってくる。  ざわめきが洩れるだけで、あとは物音一つ聞こえてこない。  冷気が肌に沁みてくる。  景虎は軍配をかざした。  八千の兵が動きを開始する。  月明かりだけが頼りの手探りのような行進であった。  木々の連なりが、両側に果てしなく続く。  人馬の気配に、野鳥がけたたましい鳴き声をあげて、飛び立ってゆく。  兵団は、黙々と、踏みならされた道を、山麓へ向かった。  視界がひらけ、明るさが増してくる。  妻女山を下るのに、半刻とはかからなかった。  平原に降り立つと、千曲川へ向かって進んだ。  森や林の不気味な佇まいが、月光のなかに浮かんでくる。  景虎は、先頭に立って、堤防にあがった。広大な川幅が、北東方向へ、大蛇のような姿を見せて、うねっている。水の面をきらめかせて流れが岩を噛む光景は、美しい絵であった。  景虎は、馬を川へ乗り入れた。  八千の兵は、鞭の音を殺して、浅瀬をわたった。  夜風が頬を撫でて吹いてゆく。  決戦のときが迫ってきたことを、お互いが感じていた。  山の連なりが、東に見える。  信玄の率いる兵も、いま頃は川下を渡っているに違いない。  対岸にあがると、道を北へとり、やがて馬首を、北東へめぐらせた。  荒野が、月明かりのなかに、ひろがりを見せてくる。  刻々、八幡原へ近づいている自分を、景虎は知っていた。  妻女山の陣地を発って以来、一刻半が、経とうとしている。  東福寺に近づいた頃、兵団は動きを停止し、後尾の二千の兵が分離された。  その姿が、闇に消えるのを見届けてから、景虎は駒を進めた。  兵達の歩行の速度が、速まってくる。  武田勢は、越軍の移動を知る由もなく、休憩を繰り返しながら、進んでいた。  刻々もたらされる情報では、甲斐勢は、その後、進路を西に転じて、千曲川を渡ったという。  その位置からして、目指す先が、八幡原であることは、間違いなかった。  静寂を破って、蹄の音がひびいてくる。 「申し上げます。高坂昌信、飯富《おぶ》兵部、馬場民部等が率いる一万二千の武田勢が、夜半、背後から妻女山の陣地に奇襲をかけてまいりました……」  武者は、駒をとめると、そう告げてきた。 「なに、一万二千の兵だと」  景虎は言葉もでなかった。 「左様でございます。只今、味方の兵と激しい攻防戦を演じておりますが、人馬の損傷、数知れず、形勢は不利な状況にございます」  景虎は色を失った。  予想していたこととはいえ、心は暗かった。 「とにかく、全力を尽くして、時をかせぐよう藤資に伝えてくれ。  信玄の率いる兵は、われわれの手で必ず破る。それまでの辛抱だ」  悲壮感を噛みしめながら、そう指示を下した。  武者は了承して、すぐ馬首をめぐらせた。  景虎の顔は蒼白であった。 「信玄め、よくもこのような戦法を。勝ちを制したと思って、ほくそ笑んでいるのかも知らぬが、そうはさせぬ」  激しい口調でつぶやくと、月明かりのなかに姿をあらわしてきた八幡原に眼を据えた。  武田勢は、まだ到着していない。  心を静めると、森や林でおおわれた地へ駒を進めた。  聞こえてくるのは、馬のいななきの声だけである。  六千の兵は、黒い塊となって、荒野をよぎり、木々の繁みのなかを抜けていった。  半刻を経ずして、予定の場所に着いた。  休むいとまもなく、陣地の構築が開始される。  野戦が主体になるこの地での戦いには、強固な防備は必要ではない。  白兵戦を如何に演ずるかによって、勝敗の結着がつく。  そのため、竹矢来が設けられ、土嚢《どのう》が積みあげられただけで、布陣は終わった。  兵達は、定められた陣形を整え、その場に待機して、食事をとった。  月光が、はためく軍旗を不気味に映し出す。  景虎は馬に跨がったまま、黒々とした佇まいを見せる八幡原を凝視した。  立木におおわれた平坦な地形が、北東方向へ向かって、ひろがりを見せ、背丈を越える夏草が、夜風にゆれている。  野犬の遠吠えが、聴覚をかすめる以外、耳目をそばだてるものはない。  兵が運んできた握り飯を食べると、本庄実仍と直江実綱を呼んで、合戦の打ち合わせを行った。そのなかで景虎は、自ら手勢を率いて、信玄の本陣を攻めることを宣した。 「しかし、殿。そのようなことをされて、もしお命を落とされでもしたら……」  実仍が眉間にしわを寄せて、言ってくる。 「死ぬか生きるかは時の運。しかし、それがしは死なぬ」  景虎は語って、笑みを浮かべた。 「殿が信玄を狙われるなら、わたくしは、山本勘介に的をしぼります。  総大将と軍師がいなくなれば、勇猛を誇る武田勢も、烏合の衆同然となりましょうから」  実綱が言ってくる。 「では、そういうことにして、敵の本隊の到着を待ち受けるか」  景虎の言葉で、打ち合わせは幕となった。  二人が去ると、景虎は馬に跨がった。  夜はまだ明けていない。  地鳴りの音が、ひびいてくる。  信玄の率いる兵が、八幡原に入ったことを、景虎は悟った。  間者の武者が、馬を駆って、やってくる。 「武田方は、われわれを迎え撃つつもりで、一里余を隔てた地に、陣を張る模様にございます」 「なるほど」  景虎は答えて、視線を東に向けた。  武田勢は、越軍の到着に、まだ気づいていない。  陣地の構築を丹念に行っている敵兵の姿が、景虎には眼に見えるようであった。 「風林火山の兵法も、それがしには通じまい」  風に白布をなびかせながら、静かな口調でつぶやいた。  心は落ち着いていた。  妻女山では、依然激戦が展開されている。  勝敗は予断を許せぬが、兵力において劣る味方の不利は、明らかであった。  それだけに、景虎は、これから展開される野戦に、自らの興亡をかけていた。  時刻は寅の刻(午前四時)を回り、卯の刻(午前六時)に近づきつつある。  月光が失せてくるにつれて、陣地内には、緊迫感がみなぎってきた。  いまは、軍旗も伏せられ、兵達は、夏草の繁みに身を潜めて、敵陣をうかがっていた。  抜刀し、槍を構えて待機するその姿には、悲壮感がただよっている。  敵兵を倒さねば、自らが命《いのち》を失うことを、彼等は知っているのである。  東の空が白みはじめる。  月はいつの間にか、光を失っていた。  景虎は、腰の刀を払った。  眼は形をあらわにしてきた風林火山の軍旗に据えられていた。  それが林立する場所に、甲斐勢の本陣は、しつらえられている。  もやにさえぎられて、その眺めはさだかではない。  だが、そこに信玄がいることを、景虎は確信していた。  闘志が全身にみなぎってくる。  この機を逃がせば、信玄と刃を交じえる機会は、永久に失われるのである。  もやが晴れ、立木の黒々とした姿が、浮かんでくる。  景虎は、太刀を天にかざした。 「撃て!」  激しい下知の声が、口をついて出る。  ほら貝の音がひびき渡り、六千の兵は、喊声をあげて、平原を突っ走った。  騎馬隊が、蹄の音を鳴らし、地ひびきをたてて、横を駆け抜けてゆく。  実綱や実仍の絶叫が聞こえてくる。  景虎は、二百騎の手勢を率いて、敵陣に向かった。  眼は血走り、表情は引き締まっている。  刀をかざし、槍を構えて、蟻の群れのように突っ走る兵達の姿が、視野をかすめてゆく。  越軍の予期せぬ総攻撃に、武田勢は陣形を乱した。  右往左往する人馬の姿が、手に取るように望見される。  太鼓の連打を合図に、甲斐勢は、陣地から打って出てきた。  長槍をたずさえた騎馬隊が、疾風のように迫ってくる。  双方の距離は、みるみる縮まり、明け方の八幡原は、無数とも思える人馬で埋まった。  喊声が山野にこだまし、鉄砲の発射音が、耳をつんざいて聞こえてくる。  土煙がもうもうとあがり、敵、味方の区別さえ、さだかでない。  八千と六千の兵は、荒野の真っ只中で、激突した。  絶叫をあげ、全身を朱《あけ》に染めて崩れ伏す兵達の姿が、網膜をかすめてゆく。  騎馬隊が、襲ってくる敵兵をなぎ倒し、その屍を踏んで敵陣に殺到してゆく。  馬がいななきの声をあげ、人馬もろとも転倒して、息たえる光景が、各所で見られはじめた。  はじめて経験する凄絶な闘いであった。  いまは、戦死者のことに、思いを馳せている余裕はなかった。  襲ってくる騎馬武者を刃にかけながら、景虎は甲斐勢の本陣を目指して、ガムシャラに突き進んだ。  鎧、冑は、敵兵の血で、染まっている。  馬を駆りながら、武田家の家紋を染め抜いた本陣の幕間を凝視した。  変幻の術《すべ》を使う信玄のこと、敵をあざむく手術《てだ》てに出ているかも知れない。  疑念が一瞬、脳裏をよぎったが、景虎はそれを心で打ち消した。  両軍は一進一退の状況を繰り返しながらも、あとにはひかなかった。  つばぜり合いは、延々と続き、八幡原は、双方の兵士の血で染まった。  半刻を経ずして、戦死者の数は、数千に達した。  朝もやのなかに、ひろがるその眺めは、地獄絵を思わせた。  甲斐勢の騎馬隊に、一兵残らず殲滅《せんめつ》せられるのではとの錯覚さえ、よぎってゆく。  景虎は気力をふりしぼって、突撃の下知を下した。  太鼓と陣鉦と、ほら貝の音が、ひびき渡る。  兵達は、喊声をあげ、弓矢と鉄砲の射かけのなかを突っ走った。  凄絶な白兵戦が、演じられる。景虎はガムシャラに馬を駆った。ここで退けば、北信は永久に、甲斐勢の支配下におちるのである。  顔の白布は、敵兵の血で染まっている。  伊豆長光の長刀をかざすと、敵の本陣めがけて、疾風のように突き進んだ。  敵の騎馬隊が馬首をめぐらせてくる。  激しく前足をかく馬の連なりが、眼に映じた瞬間、あたりは、修羅場と化していた。  汗が滝のように流れ落ちる。  絶叫がとどろき、刀と刀がつばぜり合う激しい音が、ひびいてくる。  景虎は、渾身の力を込めて、太刀を振るった。  敵兵の胴体が、鎧もろとも切り裂かれ、血しぶきをあげる。  返す刀で、景虎は、側面から襲ってくる騎馬武者の首を、虚空に舞わせていた。  無我夢中の気持であった。  うしおのように、押し寄せてくる敵兵を、そのときどきの判断で切り伏せた。  だが、甲斐勢は、怯《ひる》む気配を見せなかった。  総大将を護衛し、その馬前で死ぬことを、誇りと考えているのである。  執拗な反撃に、味方の騎馬武者は、みるみるその数を減じていった。  景虎の胸は高鳴り、心は恐怖におののいた。  殺《や》られるかも知れぬとの思いが、かすめたとき、騎馬隊を指揮する敵将の声に、景虎はわれにかえった。  二十数|間《けん》先に見える馬上武者は、山本勘介であった。  顔色は蒼白になり、射るような眼ざしが景虎に注がれている。  ずんぐりした肩、角張《かくば》った顔、つぶれた左眼、奇怪とも思えるその相貌に、景虎は息を呑んだ。  馬首をたて直すと、流れる汗を払いながら、長刀を水平に構えた。  斬らなければならぬ相手だと、胸のうちで思った。  だが、ふと、心にかげがさした。  悲壮感のただよう勘介の表情を眺めていると、あわれを覚えるのである。  六十九歳の年齢と、伝え聞いていたことも、はやる気持を押えさせた。  直江実綱が率いる騎馬隊が、近づいてくる。  その気配に、勘介の表情が引き締まった。  軍配をかざすと、親衛隊に、迎撃の下知を下した。  しかし、そのときには、三百騎の直江勢は、蹄の音を鳴らし、土煙をあげて、乱戦の真っ只中に突入していた。  勘介の姿は、視界から消えている。  景虎はわが眼を疑った。  戦いは、一瞬の激突で、片がついていたのである。  武田勢は、おびただしい犠牲者を残して、本陣へ引きあげていった。  両軍の攻防戦は、一刻を経て、なお結着がつかなかった。  景虎は馬をとめて、八幡原を眺め渡した。  白兵戦は依然続いている。  だが、八千の武田勢は、半数以下に減り、味方の軍勢も、三千名を割っている。  夏草の生い繁る荒野は、武装兵の死体で埋まり、眼をおおうばかりの惨状を呈していた。  硝煙が、風に流されて空に舞い、間断なくあがる土煙に、視界さえきかない。  景虎は、武田勢の本陣に、眼を据えた。  騎馬武者の数は、眼に見えて減り、八陣の構えには、破綻が生じている。  吹き寄せる風に、幕間がはためいてゆれ、開けられた出入口から、なかの様子さえ、うかがうことができる。  信玄はまだ戦場には、姿を見せていない。  景虎には、それが不思議であった。  太刀を払ったまま、攻撃の機をうかがった。  手勢を率いて突入すれば、警護の武者の迎撃に遭う。  それでは、無駄な犠牲を払うばかりである。  思案した末、単騎、敵の本陣を襲うことを決意した。  待つうち、思わぬ破綻が、甲斐勢の陣地にあらわれた。  越軍の側面攻撃に、騎馬武者の一団が、本陣の護衛を放置して、急遽、迎撃に発っていったのである。  この一瞬の機会を、景虎は逃がさなかった。  馬の腹を激しく蹴ると、身をかがめ、刀を構えて、疾風のように、敵陣を目指して、突き進んだ。  周りの武者が、制止するいとまもなかった。  気づいたときには、駿馬に跨がった景虎の姿は、すすきの原に姿を消していたのである。  風林火山の軍旗が、眼の前に迫ってくる。 �生きれば生き、死せば死せ�景虎は、心のなかで叫んだ。  毘沙門天の像が、脳裏に浮かんでくる。  不安も、おびえも覚えなかった。  眼を敵陣に据えると、矢のように疾駆した。  顔の白布は、朱に染まり、緋おどしの鎧は、汚れている。  敵陣に迫るその姿には、鬼気迫るすさまじささえ、ただよっていた。  家臣の荒川伊豆守|長実《ながざね》が、景虎の身を案じて、後を追ってくる。  だが、景虎は、それを知る由もない。  武田家の家紋が、形を大きくして迫ってくる。  馬の吐息が胸に伝わり、緊迫感に顔色は蒼白になっていた。  手綱をしごきなから、太刀を握りしめた。  信玄の影像が、脳裏をかすめていく。  十年におよぶ甲斐勢との合戦は、これで結着がつくと思った。  幕間の入口が、眼に映じた瞬間、景虎の姿は、馬もろとも、武田勢の本陣のなかに消えていた。  武者のうごめきが、視界をかすめてゆく。  景虎の胸は、鼓動で波打った。  眼を見開くと、薄暗い広間のなかを凝視した。  馬が棒立ちになって、いななきの声をあげる。  正面に緋おどしの鎧をまとい、剃髪した武者が、床几に腰をおろして憩っていた。  恰幅のよい体つき、角張った顔、かつて遠望した信玄の影像そのままであった。  景虎は伊豆長光の刀を、馬上から振り下ろした。  居合わせた武者が、槍を構えて、突進してくる。  信玄は、景虎の太刀を、軍配で受けとめた。  金属と金属がふれ合う激しい音が鳴り、火花が散る。  信玄の額からは、血が流れていた。  そのすさまじい形相が、心に焼きつくのを覚えながら、景虎は二の太刀を見舞った。  鎧もろとも、信玄の体を切り裂くつもりであった。  だが、それも、かざした軍配によって受けとめられ、肩先をかすったにすぎなかった。  景虎は渾身の力を込めて、三度目の太刀を振り下ろした。  信玄は、床几から身を崩し、土間によろけながらも、それを受け止めた。  とどめをさす好機が訪れたことを景虎は感じた。  太刀の切っ先を真下に向けると、仰向けになった信玄の喉元を突き刺した。  いや、そうなったと思った瞬間、激しい馬のいななきとともに景虎の体勢は大きく崩れていた。  襲ってきた武者(原|大隅《おおすみ》)の槍先が損じて、馬の臀部をついたのが、原因であった。  馬は棒立ちになり、景虎を乗せたまま脱兎のように、出入口から飛び出していった。  弓矢が背後から射かけられてくる。  景虎の頬は紅潮し、額からは滝のように、汗が流れ落ちた。�無念だが、致し方がない�思いが、胸のうちをかすめてゆく。  陣地に帰り着くと、一息入れた。  われながらよく、敵陣に斬り込めたものだと思う。  信玄の負傷を契機に、武田勢は浮き足立った。  巳の刻(午前十時)を回る頃には、三千の兵をおさめて、八幡原から撤退していったのである。  景虎は、追撃の下知を下し、移動する甲斐勢を斬り立てながら、杵淵、水沢方面へ、圧迫した。午前《ひるまえ》、景虎は本陣に帰ってきた。  激闘に、越軍は遂に勝利をおさめた。  だが、兵達の表情は暗かった。半数以上の仲間を、わずか二刻の戦いで、失ってしまったからである。  景虎も、同じ思いであった。  信玄を執念のように追いながら、とどめをさす瞬間に、逃げられたことが、悔いを残すとともに、三千を越える味方の兵の戦死が、気持を滅入らせた。  八幡原を、景虎は悲しみの気持で眺めた。  すすきが秋風にゆれ、生い繁る夏草のなかには、兵達の死体が、重なっている。敵、味方の区別はつかない。  七千名を越える人命が、甲、越両軍の激突のなかで、消えていったのである。  兵達は、疲れ果てていた。全身が敵兵の血で染まったその姿は、正視に耐えなかった。  直江実綱がやってくる。 「ご無事でなによりに存じます。それにしても、単騎、敵の本陣に駒を乗り入れられるとは……」 「いまはそのことは考えまい。それより、山本勘介はいかが致した。信玄といっしょに、落ちのびたとも思われぬが」  景虎には、そのことの方が、気懸りであった。 「山本殿は、われわれに作戦の裏をかかれた責任を感じて、陣頭指揮に乗り出され、午前の激戦の際、果てられました」  景虎は胸をつかれた。 「そうであったか。惜しい人物を失ったものだ。  信玄もさぞ、落胆していることであろう。それにしても、六十九歳の年齢で、合戦の場に臨むとは……」 「左様でございますな……」 「ところで、この合戦で、信玄の弟、武田|信繁《のぶしげ》や諸角昌清《もろずみまさきよ》、初鹿野《はじかの》源五郎、三枝《さえぐさ》新十郎などの武田勢の部将も戦死して、屍を野にさらしております」 「そうか。深手を受けたのは、われわればかりでは、なかったわけだ」  景虎はつぶやいて、わびしい気持に襲われた。  二人は、敵将の死体を、確認して回った。  山本勘介は、胸を春日槍でつかれ、おびただしい血を吐いて、仰向けに倒れていた。  武田信繁は、信玄と同じ鎧をまとい、肩先を斜めに切り裂かれて、果てていた。  どす黒い血が、まだ流れている様が、景虎のあわれを誘った。  二人は合掌して、血の海におおわれた戦場を去った。  甲、越の戦いは、今後も続く。  条理をはずし、人情を殺しても、合戦には勝たなければならない。  それが乱世の定めだと、景虎は観念していた。 「ここが片付いたとしても、問題は妻女山だ。昼餉《ひるげ》を終えれば、直ちに援護に向かわなければなるまい」 「そうでございますな」  二人は言葉を交わして、気持を引き締めた。  半刻の休憩ののち、越軍は、陣容を立て直して、妻女山に向かった。  だが、いくばくも進まぬうちに、高坂昌信以下の部将に率いられた甲軍が、越軍の陣地をおとし入れたとの報せに接した。  景虎は息を呑んだ。  八幡原での死闘に勝ちながら、戦局は再び越軍に不利に傾こうとしているのである。 「してそのゆえは」  景虎は、眼を据えて、伝令の武者に聞いた。 「戦いは、辰の刻(午前八時)までは、互角の形勢を、保っておりましたが、その後、敵方の小山田勢が、激しい側面攻撃をかけ、茶臼山の兵も、われわれの退路を断つ戦法に転じてきたため、遂に陣地を放棄するの已むなきに至りました。  ただ、わが軍は、この合戦において、千余の死者を出しながら、三千近くの敵兵を、殺戮《さつりく》致しております」 「なるほど、藤資以下が寡兵の不利をこらえて、善戦したわけだな」  景虎は答えて、思案に耽った。  一先ず、犀川以北に兵を引き、善光寺に待機する五千の兵と、旭山城に拠る兵を合わせて、陣容をたて直し、甲斐勢と再度戦う以外に、術はなかった。  景虎の率いる本隊は、妻女山から落ちのびてきた軍勢と、やがて合流し、北へ向かった。  甲軍は、杵淵、水沢方面に退いた本隊と、別動隊が合流し、撤退する越軍を追撃する作戦に転じてきた。  景虎は、合戦を避ける方針を達し、兵達もそれを守ったが、犀川という越軍にとっての安全地帯へ差しかかったとき、予期せぬ悲劇がおこった。  合戦は追う方が強い。この原理が、奇しくも渡河中の越軍にあてはまり、甚大な被害となって、あらわれてきたのである。  犀川の流れは、深く早い。  馬上武者にとっては、さほど困難な渡渉ではないが、徒歩の兵には、苛酷な負担となる。  そこを、武田勢の騎馬隊が、長槍を構えて襲ったのである。  景虎は、防戦に力を尽くしたが、流れによろめく無力な兵達を、救うことができなかった。  激流の犀川は、人馬であふれ、武田勢の餌食になる地下鑓の悲痛な叫び声が、天にとどろいた。  清流は血で染まり、息絶えた兵達が、群れをなして川下へ流されていった。  景虎は全身ずぶ濡れになり、涙を流しながら、その光景を見送った。救われぬ気持であった。  武田勢も、この戦いで、おびただしい犠牲者を出した。  文字どおり、血で血を洗う激戦のなかで、九月十日は暮れようとしているのである。  武田勢は、総数八千の兵を失い、越軍また数千の死者を、今回の合戦で出した。  ともに、興亡の一戦を遂げようとしたがゆえに、傷つき、疲れ果てたのだ。  夕陽が西の空を染める頃、越軍の渡河は終わった。  最後の犠牲者の発生は、景虎の心に応えたが、今後の合戦に、貴重な教訓を残した。  一万を越える武田勢は、堤防のうえに佇んだまま、動こうとはしなかった。  犀川を渡れば、さきほどの越軍と同じ運命に見舞われる。  加えて、善光寺と旭山城に待機する越軍七千が、迎撃態勢を整えていることも、武田勢にとっては、脅威であった。  八千の兵を一日の戦いで失った彼等に、それらを打ち破れる力があるはずがない。  信玄が如何に野望を燃やそうとも、犀川以北の地だけは、抜くことができないのである。  川を挟んでの両軍のにらみ合いは、しばし続いた。  残照が、川面を金色《こんじき》に染める。  眺めながら景虎は、今日の合戦の激しさを思い浮かべた。  信玄の首級をあげることができなかったことが、無念でならないが、いつかその機会は訪れる。  そう信じて、今後に処するほかはなかった。  ほら貝の音が、ひびき渡る。  信玄の鎧が、夕陽にきらめいたと思うと、軍配が高々とあげられた。  それを合図に、武田勢は、越軍に背を向けて、堤防を下っていった。  薄暮が、その光景を視界から消してゆく。 「どうやら、あきらめた気配でございますな」  実仍が言ってくる。 「左様、直弟や軍師の山本勘介ほか多数の将兵を失った信玄の胸中は、それがしにもよくわかる。  だが、年が改まれば、また北信制覇に乗り出してくるに違いない。  武田信玄という武将は、そのような男なのだ」  将軍義輝の権威を無視し、織田信長との合戦を目論んでいる信玄のしたたかさは、常識では測り難い。  その先入観が、景虎にこのような言葉を吐かせていた。  二千の兵を呑んだ犀川は、やがて闇に姿を没した。  聞こえてくるのは、岩を噛む激流の音だけであった。  その夜、越軍は、本取《もとどり》山(水内郡若槻村髻山)の麓に、野営の陣を張り、翌朝、善光寺に駐屯する五千の兵を収容して、甲斐勢の動静をうかがった。  その際、今回の合戦による犠牲者の確認が行われ、物故者の霊を弔う法要が、陣地内で営まれた。  六千の戦死者の発生は、越軍はじまって以来のことだけに、関係者が受けた衝撃は大きかった。  読経の声に耳を傾けながら景虎は、この怨みは終生かけても晴らさなければならぬと思った。  木かげにしつらえられた祭壇には、秋の陽ざしが注いでいる。  晴れ渡った空には、鳶が弧を描いて舞い、樹間では、小鳥がさえずっている。  陣地の気配が、慌しくなってきた。  色部勝長からの注進に、景虎は席を立った。 「只今はいった武者からの報せでは、甲斐勢は八幡原に帰陣し、戦勝を祝う傍ら、甲斐へ帰る準備をはじめているとか。早ければ明日にでも発つとのことでございます」  勝長の言葉に、景虎は信玄の心中をみたように思った。 「いまの甲斐勢に、われわれを打ち破る力はない。  これは越軍についても、言えることだ。  犀川以北は守れても、甲斐勢を追撃する戦力は、われわれにはない。  ここは、敵方にならって、一先ず兵を引くのが、筋かも知れぬ」  景虎は静かな口調で語った。  これは八幡原での激戦後、自然に芽生えてきた心の変化であった。  法要が終わると、景虎は、部将達を集めて協議し、越後へ帰ることを決めた。  戦史を飾る甲、越両軍の最大の合戦は、こうして波乱に満ちた幕を閉じたのである。  翌日、越軍は本取山の陣地を発った。  国境の高原には、はや初冬の気配がただよっている。  落葉が風に舞い、赤茶けた野山の風景には、わびしさがただよっている。  灰色の空に舞う鳶の姿を、景虎は空しさを噛みしめながら、眺めていた。  翌、九月十三日、景虎は、諸将を城内の広間に集めて、慰労の宴を張った。  多数の配下を失い、自らも生命の危難にさらされながら戦った彼等に、何らかの報いをしなければとの気持からであった。  席上、景虎は、戦功の著しかった色部勝長ほかの部将に、感状と知行増加の恩賞を与えた。  司会の武者によって、表彰者の名が告げられる。  先ず勝長が席を立ち、高座の景虎の前へ進み出る。 「去る十日、信州、河中島に於て、武田晴信に対し、一戦を遂《と》ぐるの刻《きざみ》、粉骨《ふんこつ》比類|無《な》く候《そうろう》。  殊に、親類、被官《ひかん》(家臣)等、手飼《てがい》の者、余多《あまた》これを討《う》たせ、稼《かせ》ぎを励《はげ》まさるるに依《よ》り、兇徒《きようと》数千騎|討《う》ち捕《と》り、大利《たいり》を得候事《えそうろうこと》、年来《ねんらい》の本望《ほんもう》を達し、また面々《めんめん》の名誉《めいよ》、此《こ》の忠功《ちゆうこう》、政虎一世中《まさとらいつせいちゆう》、忘失《ぼうしつ》すべからず候《そうろう》。いよいよ相嗜《あいはげ》まれ、忠節を抽《ぬき》んでらるること、簡要《かんよう》に候《そうろう》。  謹言  九月十三日    政虎  色部修理進殿      」  景虎は、自らしたためた感状を読みあげて、勝長に手渡した。  かつて、叛旗をひるがえした揚北《あがきた》衆の一人も、いまは臣従し、花々しい戦功をあげるまでになっている。  この事実が、景虎には嬉しかった。  続いて次の者の氏名が読みあげられる。  こうして、慰労の宴は、和気あいあいたる雰囲気のなかで終わった。  だが、景虎の心は晴れなかった。  多数の兵土を、合戦で失ったことが、心に応えていたのである。  館に帰ると、毘沙門堂にこもって、戦死者の冥福を祈った。  興亡をかけて戦いながら、甲斐勢を打ち破ることができなかったことが、情なかった。 [#改ページ]   第十二章 波紋  川中島の合戦以降、景虎の心は休まるいとまがなかった。  甲、越両軍の激戦を機に、北条氏康が勢力を盛り返して武蔵の松山城を攻め、信玄もまた上野、武蔵の上杉方属城を攻撃したからである。  一方、かつて臣従していた成田長康や佐野昌綱も北条方に応じ、古河城の近衛|前嗣《さきつぐ》と上杉憲政、足利藤氏の間にも、波風が立っていた。  越後を取り巻く諸状勢で、楽観の許せるものは、なに一つなくなっているのである。 「信玄に加えて、北条氏康か……」  庭の風景を眺めながら、景虎は吐き捨てるようにつぶやいた。  武将の宿命とはいえ、両雄を相手に戦うことは、至難に近い。  憂鬱な思いを噛みしめていると徳が、襖をあけて入ってきた。 「相変わらず御心労が絶えぬ様子。陰ながら案じておりますが」  向かいに座りながら、徳はそう語って、景虎の表情を見詰めた。  二十七歳の年齢にふさわしく、その立居振舞いには、落ち着きがみられる。 「いやいや、これしきのことでまいっていたのでは、国主は勤まらぬ。  それがしは、五年前の出奔以来、心を改めた。苦しみこそが、人間の生き甲斐だとな。  とは言え、そこまで達するには遠い道程《みちのり》だったが……」  景虎は答えて、自嘲の笑みを浮かべた。 「同感に存じます。お城勤めをして、わたくしも十二年になりますが、その間、朋輩との間に、いろんなことがございました。でも、それがわたくしの心を鍛えてくれたと、この齢になって思えるようになりました。  これも殿様が、自らの欠点を、禅修行と仏道への帰依によって、矯正されている姿をみて、発心したこと。ありがたきしあわせだと、存じております」 「それがしはそなたの感化を受けた。女人は仏道修行や仕事には、さまたげになると、観念しておったが、そうではなかった。  やはり、神仏は、人間をうまくつくってある」 「そうでございますね」  二人は語り合って笑った。  女嫌いの噂がたっている自分が、なぜこのような心境になるのか、景虎自身にもわからなかった。 「そろそろ冬の入りでございますな」 「左様、季節の移り変わりは早いものだ」  甲斐勢と血みどろの戦いを演じたことが、いまは遠い昔のことのように思われる。  二人は小春日和の気配におおわれた庭園の風景を、無心に眺めていた。  川中島の合戦を契機にして、北信の高井郡、水内郡にあった真宗の寺院が、相ついで越後に移転した。  合戦の難を避けてのものであったが、景虎は、それらを受け入れて、好遇した。  笠原本誓寺や長沼浄興寺などの巨刹も、そのなかに含まれ、現存する北信の松代本誓寺、飯山真宗寺、須坂勝善寺なども、当時は、戦乱を逃がれるために、越後に移転していた。  一向宗禁制を祖法とする長尾家を知りながら、このような措置に、諸寺が踏み切ったところに、戦国武将としての景虎の人格をうかがうことができる。 「殿は筋目を重んじ、無道な行為に出ぬがゆえに、こうして、諸寺や商人、農民などが、越後へ集まるのでございましょう。  おかげで、城下は近来にない賑わいを呈しております」  実仍の言葉に、景虎は笑みを浮かべた。 「しかし、それがしは、武力に訴える一揆は、許さぬつもり。布教と合戦のけじめは、つけなければならぬからのう。ゆくゆく、それがしは、越中、加賀の一揆を討つつもりでいるゆえ、左様心得ておいてもらいたい」  景虎が、このような考えを明らかにするのは、はじめてだけに、実仍は驚きの表情を見せた。 「一揆を討ち、しかるのち、能登、越前、近江へと、制覇の兵を進めるとの意でございますか」 「左様、関東を経略し、鉾先を西へ転ずるのが、天下制覇の常道。氏康や信玄、織田信長、松平元康などは、領国の立地条件もあって、無意識にその道を歩んでいる。  しかし、諸将がめざす方向は、常道なるがゆえに、それをめぐる戦いは熾烈を極める。  今川義元と織田信長の興亡をかけた合戦が、その好例だ。  勝てばよい。だが、負ければ、再び立ち直ることは、できぬ。そのような道を選ぶか、越中から越前、近江、京都という謂わば、裏街道を歩むかは、そのときどきの状勢を勘案しなければならぬが、覇権を狙う武将として、最低二つの道は、考えておかなければならん。  天下取りには、地の利、人の和、時の運が必要だが、これら以外に、機に臨み、変に応ずる自在性や、危機を乗り切る叡智、時代の流れに対する洞察力、敵方の動静の把握など、諸々の能力が併行して伴わねば、苦労も水泡に帰してしまう。  最近になり、それがしは、そのことがわかるようになった。  川中島での甲斐勢との死闘、これは、それがしと信玄にとっては、謂わば宿命とも言える道であるが、双方が、これほどの犠牲を払って戦ったのでは、とも倒れになりかねん。氏康や織田信長、松平元康などは、甲、越の激戦を聞いて、ほくそ笑んでいるに違いない。  今後はこのような愚は、避けなければならぬ。それと己の所信を貫く頑迷さを捨て、融通無碍《ゆうずうむげ》に対処することも、必要となる。  これまで、それがしは若かった。そのゆえに、徒労を繰り返した憾みが、常に残った。いやはや、天下取りとは難しいものだ。  宿敵、信玄も同じ思いであろう」  景虎は語って、寂しそうに笑った。  甲斐勢との戦いで、多数の部下を失ったことが、いまだに心に重荷となって残っていた。  十一月を迎えると、越後は、冬の気配におおわれてきた。  近頃は、関東の諸将の使者が、景虎に救援を求めて、ひんぱんに春日山城へやってくる。  上杉憲政からも、近衛前嗣のわがままを訴える書状が、十日に一度の割でもたらされる。  心の広い憲政も、公卿育ちの前嗣の横柄さには、肚を据えかねている様子である。  切々と胸中を語り、処置を要望するその内容に、景虎は心を痛めた。降雪の時期を迎えて、関東出兵には、踏み切りたくない。  しかし、北条氏康や武田信玄に攻められて窮地に立っている関東の諸将を見殺しにしたり、憲政の苦衷を放置して過ごすことは、景虎にはできなかった。 「今年は、まだ積雪を見ていない。  この機を利用して、関東出兵に踏み切ってみるか」  館へやってきた直江実綱に、景虎はそう持ちかけた。 「左様でございますな。関東管領である殿の立場も考えなければなりませぬゆえ」 「では、そういうことにして、午後《ひる》からの軍議にかけることに致そう」  話し合っているところへ、中条藤資が、脚力《かくりき》がもたらした書状をたずさえて入ってきた。  景虎は、それをその場で、開封して読んだ。  将軍、足利義輝からであった。  今年、閏《うるう》三月十六日、鶴ケ岡八幡宮で行われた関東管領の就任式を認め、�関東管領に補任し、輝虎と呼称することを認める�との意味のことが書いてあった。  これまで非公式に承認されていたものを、正式の文書で追認したにとどまり、それ以外のことには、なにもふれていなかった。 「それがしにはさして関わりなきこと。だが、これで関東経略の名目が、立つことになった。  政虎と改名して、一年を経ずして、輝虎と改めることに、いや味は残るが、将軍の命とあれば已むを得まい。長いものに巻かれるのも、世渡りの術《すべ》ゆえ」  読み終わると、景虎は、そう語った。 「足利殿は、殿とのつながりを、自らの一字を許すことによって、誇張したいのでございましょう。  それにしても、威光地に落ちた将軍様は、苦労されますな」  藤資の言葉に、三人は笑った。  午後からの軍議には、城内に常駐する部将全員が出席し、関東出兵の件は、異議なく承認された。  越後の国柄から、合議による事態の決定は、父祖以来の慣らわしになっている。  国主の地位について久しい景虎には、それを踏襲する必要はなかったが、自らの判断の欠陥を補う方法として、敢えて今日まで残してきた。  その方が、すべてに好都合の結果が得られるからである。  部将達の序列も、上命下服を、徹底しなければ、全体の統一が得られぬことを慮《おもんぱか》り、景虎は特に厳しく定めてある。  越軍が、合戦に強い原因は、その辺にあった。  軍議が終わると、直ちに、出陣の準備が進められた。  最近は、戦いに明け暮れているせいか、関東出兵と聞いても、兵達は驚きの表情を見せない。  加えて、戦功を樹てることにより、知行がふえ、栄達が得られることに、彼等は自らの望みをかけていた。  十一月初旬、景虎は五千の兵を率いて、春日山城を発った。  小田原攻め後、半年を経ずして、再び三国峠を越える自分を振り返って、戦乱の世に生きる武将の空しさを、感ぜずにはおられなかった。  しかし、越後の国主であり、名目だけとは言え、関東管領の地位にある以上、その責務は果たさなければならない。  兵団は、冬枯れにおおわれた野山の風景のなかを、三国峠へ向かって進んだ。 �天下取りをなし遂げれば、もう一度、僧侶への道を考えよう�  馬の背にゆられながら、景虎はそのような思いを、頭のなかでめぐらせていた。  三国峠を越えて、越軍が、関東の高原に姿をあらわしたのは、四日後のことであった。  八千の甲斐勢を殺戮したその勇猛振りは、諸国に知れ渡っている。  なかでも、信玄の本陣に斬り込み、その首級をおびやかした景虎の果敢さは、桶狭間の戦いに勝った織田信長とともに、天下の諸将を畏怖させていた。  そのため、越軍が、進撃を開始すると、北条勢はおののきの表情を見せ、戦わずして南へ落ちのびていった。  こうして、越軍は、忽ち北関東を制し、厩橋城まで達することができた。 「口ほどにもない北条勢、これでは、関東を制したも、同然でございますな」  藤資が、言ってくる。 「ばかを申せ、北条勢の拠点は、小田原じゃ。  そこから、関東に触手をのばし、西方の信玄や信長ににらみをきかしている。これが氏康のやり方だ。  関東を越後の支配下に置くことは難しい。  北信とともに、諸将が争奪を繰り返す戦場に、今後はなるであろう」 「そうでございましょうか」  二人は語り合いながら、駒を進めた。  厩橋城は、中規模ながら、整った城である。  天守閣が天に聳え、館や庭園も広い。 「今年は正月をここで迎えたが、来年もどうやら同じことになりそうだ」 「そうでございますな。でも、他国の城で越年するのも、風流なもの。わたくしは、このようなことが、好きでございます」 「それがしも同じだ。年中、春日山城に閉じこもっていたのでは、息がつまりそうになる。  やはり、それがしは、国攻めが好きなのかも知れぬ」  生涯における合戦、百余回と言われる父、為景の影像を思い浮かべながら、景虎はつぶやいた。  血は争えぬとつくづく思う。  天下取りへの道を歩むのも、この宿命のなせる業だと、最近は思うようになった。  厩橋城に入った景虎は、南東の佐野城をにらみながら、当面の攻撃目標を、館林城に置いた。  そのため、早々に小泉城主の富岡主税助重朝に書状を送って、城攻めに参加することを勧誘した。  重朝は、越軍の威光になびいて、すぐ応諾の返事をかえしてきた。 「これで、上州の北条勢は、駆逐できたも同然、あとは佐野昌綱が守りを固める佐野城だけだ。  これを落とせば、古河城に赴いて、近衛前嗣と上杉憲政公を、越後へ迎えることにしよう。そうすれば、公方の足利藤氏との間にも波風がたたなくなる。  問題は前嗣だが、それがしの監督下におけば、少しは公卿気質を改めて、おとなしくなるであろう」  軍議の席で、景虎はそう語った。 「殿らしいご名案、まさにそのとおりでございます」  中条藤資が答える。  今回の関東出陣には、前回のような悲壮感はない。  兵達の表情にも、緊張感はみられず、前回、この地で正月を迎えたとき以上の、のんびりした雰囲気に、城内はおおわれていた。 「川中島での死闘の疲れを、厩橋でいやそうとは、それがしも考えてもいなかった」 「いや全く」 「二月に入ってから、行動を開始しよう。両城さえ落とせば、上野、武蔵一帯は、当方の軍の勢力下に入ったも同然ゆえ」  景虎の言葉に、部将達はうなずいた。  軍議が終わると、酒宴が開かれた。  国を治め、合戦を行い、その合い間に、部将達と酒を飲んで気分を晴らす、これが、国主の地位に就いて以来の景虎の慣らわしであった。  大晦日の日は、城内で餅つき行事を行い、元旦は、部将達を集めて、盛大に新年を祝った。  甲、相両軍の動静に神経を使っていた二ヵ月前の自分が、いまはうそのように思われる。  永禄五年(一五六二)の正月を、陣中で迎えた越軍は、一月半ばが過ぎると、館林城を攻める準備をはじめた。  しばらく、合戦から遠ざかっていただけに、兵達の表情には、緊迫感がみなぎっている。  城内の御堂に屯して、鎧、具足をつくろい、剣や槍を研ぐ姿が、各所で見られはじめた。  なかには、出陣に同行してきた研師《とぎし》や細工師にそれを依頼する者もいる。広場には、鍛冶場や吹子施設が設けられ、絶え間なく、煙があがっていた。  その光景は、間者によって、北条勢の諸城に伝えられ、厩橋の町自体も、合戦の気配におおわれてきた。  そのようななかで、二月初旬、景虎は富岡重朝の手勢を含めた全軍を率いて、館林城へ向かった。  この地域に特有のうねるような平原が、南東へ向かって、無限のひろがりを見せている。  春先を迎えたとは言え、上州の気候は厳しかった。  空《から》っ風が、音を鳴らして荒野を吹き抜け、ゆらぐ立木の風景が、眼にわびしく映る。  六千の兵団は、「手明」を先頭に、土煙をあげて、北条勢の北の拠点に向かって進んでいった。  夕刻、越軍は、館林城を包囲した形で、野営の陣を張った。  景虎は、しつらえられた本陣の幕間に入って、戸口から見える城の姿を眺めた。  二日もあれば、攻め落とせるというのが、偽らざる気持であった。 「たかが、二千余の北条勢、わしの軍勢で、一ひねりにしてくれるわ」  藤資が酒気を顔にみなぎらせて、壮語する。  部将達は、声をあげて笑った。  夕映えが西の空をおおい、風はおさまりの気配を見せていた。 「明日、火を放って、一挙に攻め落とすほうが、得策かも知れぬな」 「左様でございますな」  直江実綱が、相づちを打つ。  残照が消え、薄暮が迫ってくる。  次第に形を鮮明にする城の灯を、景虎は盃を傾けながら、眺めていた。  翌日は、払暁を期して、城門を攻撃し、それを突破すると、建物の一部に、火を放った。  北条勢は、一刻ほど抵抗を試みたが、やがて、城を放棄し、裏門からなだれをなして、敗走していった。  景虎は安堵の笑みを浮かべた。  城内に駒を進めると、あたりの風景を眺め渡した。  歴史を秘めた城だけに、さすがに風格がある。  しかし、城主は転々としている。  変わらぬのは、巨大な石垣と、庭園の佇まいだけであった。 「あっけない城攻めでございましたな」  色部勝長が言ってくる。 「左様。今度は、北の佐野城へ向かう」  景虎の口調には、覇気がみなぎっていた。  二日間を館林城で過ごした越軍は、守りの兵、一千を残して、佐野城(栃木県佐野市)へ向かった。  厩橋から館林へは、三日の日数を要したが、佐野へは一日もあれば到着できる。  北条勢の牙城の一つを陥れたいま、景虎の胸中に不安はなかった。  足尾の壮大な高原を、左手に眺めながら、兵団は、起伏のある山野を縫って、北東へ向かって進んだ。  風は冷たかったが、この地域には、積雪が見られない。  五千の兵は、佐野城を仰ぎながら、歩みを止めた。  陽は西に傾いている。  城の造形的な美しさが、その光のなかに浮かんでくる。  かつて、自分に臣従していた佐野昌綱の顔を、景虎は思い浮かべた。  乱世のさだめとは言え、時に応じて味方になり敵になる坂東武者の心根《こころね》は、許し難い。  馬に跨がったまま、城壁の間に見え隠れする軍旗を眺めた。  兵力のほどは、さだかでない。  しかし、相当の決意を秘めて、越軍を迎え撃つ構えであることは、洩れてくる喊声で察せられる。 「館林城のようには、まいらぬかも知れませぬな」 「左様、城兵の士気が高いだけに、攻め落とすことは困難を極めよう」  景虎の眉間には、しわが寄っていた。  昌綱は、北関東の雄であるだけに、でき得れば味方につけたい。  だが、いまはそのような情けは禁物であった。  越軍は、城が東に見える位置に陣を張り、城内の動静をうかがった。  三日間が瞬く間に過ぎたが、北条勢は撃って出てくる気配を示さなかった。  空はどんよりと曇り、毎日のように強い北風が吹いている。 「今夜あたり夜襲をかけて、城を焼きますか」  実綱が聞いてくる。 「いや、この城は、将来役に立つときがくる。むげに荒らしたのでは、修復が大へんであろう」  佐野昌綱が味方につけば、北条勢にとって脅威となる。  そのことを二人は考えていた。  翌日から越軍は、城攻めを開始した。  騎馬武者による陽動作戦を東から展開し、「手明」を中心にした武装兵が、北から城門を攻撃した。  三方から挟撃を受けて、敵兵はたじろいだ。  城攻めが得意な越軍の名は、天下にとどろいている。  館林城が一日で落ちたとの噂も、城兵の心を動揺させていた。  日毎に激しさを増す越軍の攻撃に、北条勢はおののきの気配を見せ、次第に戦意を喪失《そうしつ》していった。  聞きしに勝る勇猛さを、彼等はここ数日の戦いで、味わわされたのだ。  ときの声が、風に乗って聞こえてくる。  直江実綱の率いる軍が、北門を突破したことを、景虎は感じた。  ほら貝の音が流れてくる。  景虎は、軍配をかざして、総攻撃の下知を下した。  二千の兵が、城門へ殺到してゆく。  守りが手薄になった正門の突破は、困難ではなかった。  撃って出てきた敵兵と「手明」が激突を演じたと思うと、越軍の主力部隊は、なだれをなして、城内に突入していた。  戦いが終わるのに、半刻とはかからなかった。  昌綱が率いる軍勢は南門をあけ、慌てふためきながら、城外へ落ちのびていった。  景虎は笑みを浮かべた。  口ほどにもない北条勢と、中条藤資があざけった言葉が、脳裏に浮かんでくる。  館林、佐野の両城を支配下に置いた越軍は、数日の休息ののち、南東の古河に向かった。  関東平野は、すでに春の気配におおわれている。  野山は、緑の装いを取り戻し、荒涼たる佇まいは、跡形もなく消えていた。  郷愁が、胸のうちをかすめてゆく。  兵達も同じ思いなのか、黙々と歩を進めていた。  古河城に着くと、兵団は、付近に野営の陣を張って、連戦の疲れをいやした。  景虎は、武装を解くと、平服に着替えて、城内に入った。  上杉憲政や足利藤氏が、館の玄関まで出迎えてくれる。  三人は廊下を歩き、女達が往き来するなかを、中枢の建物のなかへ入っていった。  古河公方ゆかりの城であるせいか、城内には、京都御所の気配がただよっている。  眺めながら景虎は、関東管領である自分の地位を思い浮かべた。  実感は伴わなかったが、それでも晴れやかな気分に変わりはなかった。  応接間に入ると、三人は近況を語り合った。  上杉憲政は、ふけようが目立った。  藤氏は、由緒ある家の出にふさわしく、振舞いには鷹揚さが見られる。  年齢も三十歳前後と若い。  二人は、近衛前嗣の非を鳴らした。  足利義輝の威光をかさにきて、藤氏や憲政の存在を無視した行為にしばしば出るというのである。 「困ったことだが、いまさら追放するわけにはまいらぬ。ここはそれがしに処置を委せていただきたい」  事情を聞いたのち、景虎はそう答えた。 �越後公方は、やはり廃止しなければならぬ。  しかし、前嗣がそれを承知するか、否かが問題だ�と胸のうちで思った。  語り合っているところへ、前嗣が、束帯の衣装を着用して入ってきた。  年齢は、二十四、五歳と若い。  そのせいか、立居振舞いにも、粗忽さが見られる。  かつて、関白の地位に就いていた人物とは思えぬ落ち着きのなさなのだ。  景虎は溜め息を洩らした。 「殿、なぜ、わたくしに関東出陣のことを知らせて下さらなかったのでござるか」  座るなり、前嗣は吐き捨てるように言ってきた。  眼は血走り、声は震えている。  直情径行型の性格が、一目で看取された。 「そなたには関わりなきゆえ、敢えて書状を書かなかった。  今回の出陣は、一つはそれがし自身のため、いま一つは、上杉様からの要望が発端になっている。  従って、そなたは、心を患わさずともよい」  景虎は、多くを語らなかった。語る必要がないと判断したからである。  前嗣は、眉を逆立てた。 「わたくしは、将軍の命を受けて、はるばる関東へ下向してまいったもの。  関わりなきこととは、無礼でござろう」  激しい言葉が、口をついて出る。  景虎は、前嗣を見据えた。 「それがしの言葉が不満なら、早々に京へ帰られるがよい。  そなたのような人物は、虎の威を借る狐と評されても、不足は言えぬもの。  現在、天下の形勢が、どのような方向へ向いているかを、とくと考えるがよい。足利将軍の威光など地におちたも同然、それがわからぬそなたではあるまい」  気迫のこもった言葉が、室内にひびき渡る。  問答は、それまでであった。  前嗣は、視線を落としてうなだれた。  景虎に逆らえば、一刀のもとに処断される、そう感じている気配であった。  藤氏の顔に笑みが浮かぶ。  越後公方は、これで廃止されると感じているのであろう。  表情には、勝者のおごりがあらわれていた。 「景虎殿の意向に従っておれば、万事丸くおさまる。  それを信じて、お互い、まつりごとに精進仕ろう。われわれ為政者が生きのびる道は、それしかない。  乱世の定めとは、そういうものなのだ」  憲政は、諭すように語って、庭の風景に眼を移した。  戦乱の世に生を受けた不運を噛みしめるように、表情には、憂いのかげがただよっていた。  その日から、景虎は、部将達とともに、古河城で日を過ごした。  畠には菜の花が咲き誇り、平野の彼方ではかげろうが舞っている。  合戦に明け暮れているうちに、季節は移り変わったのである。  足下に展ける風景を眺めながら景虎は、越後へ帰国する日が、近づいたことを感じた。  今回の出陣により、関東は越軍の支配下に落ちた。  だが、兵を引けば、北条氏康は、再び制圧の触手をのばしてくる。  それが眼に見えているだけに、景虎の心は暗かった。 �いたちごっこか。しかし、関東を北条勢の蹂躪にまかすわけにはまいらぬ�館の回廊に佇んで、あたりの風景を眺めながら、景虎は胸のうちでつぶやいていた。  三月末、越軍は、前嗣と上杉憲政を伴って、帰国の途についた。  三国峠への道は遠かった。  五千の兵団は、野を渡り、小山を越えて、国境への最短路を進んだ。  のぼり道のため、兵達の歩みは遅い。  加えて帰国を急ぐ必要がないことが、彼等の行動をにぶらせていた。  高原は果てしないひろがりを見せ、緑一色の風景には、変化が見られない。  関東の広大さを、景虎は改めて感じた。これほどの国土を確保できれば、天下取りは先ずなし遂げられる。しかし、その達成は容易ではない。  当初考えていた構想が、至難の道であることを、景虎は思わずにはおられなかった。  越軍が、三国峠を越えたときには、季節は初夏の気配を濃くしていた。  山頂を吹く風は冷たかったが、つづら折りの道を下るにつれて、暑さが膚に沁みてきた。  兵達の表情には、生気がよみがえっている。  春日山城への道をたどりながら景虎は、これで一先ず関東に平和がよみがえったと思った。  庭で鳴く、蝉の声が聞こえてくる。  景虎は書物から眼をはなして、それに耳を傾けた。  例年より早い盛夏の訪れが、奇異に感じられる。 �この分だと、今年の冬は、豪雪に見舞われるかも知れぬ�とふと思った。  関東の状勢は、その後、平穏裏に推移している。  束の間のこととは言え、景虎には心の安らぎになった。  近頃は、毘沙門堂にこもって座禅を行い、傍ら自室にこもって読書に耽る毎日が続いている。  そうすることによって、使僧からもたらされる情報により昂まった神経を、景虎は休めていたのである。 「部屋にこもってばかりでは、体に毒でございますよ。  中条様のように、家臣の方を連れられて、狩りにでも出かけられたらいかがです」  うめがそう言って、たしなめてきた。景虎は笑みを浮かべた。 「なるほど、よい考えだ。しかし、そなたはなぜ徳のように、それがしのなすがままに委せておく気持になれんのだ」 「殿様は、なにかと言うと、わたくしと徳を比較なされます。  確かに徳は、心が広く、女中達にも人望がございます。  それにひきかえ、わたくしはごらんのとおりの短慮者。お気に召さぬことは百も承知しております。しかし、これも殿様の病同様、生来のもの。容易に改まりは致しませぬ」  二十九歳の年齢のせいか、昔の気性の激しさは、かげをひそめている。  だが、その水々しい容貌と同じく、まだそれは、本来の姿を変えるまでには、至っていない。 「なるほど。お互い、一生が修養と言うわけか」 「左様でございます」  二人は語り合って笑った。  徳が姿を見せる。  女二人は、改まった表情を見せたが、気心の知れたいまは、意識する素振りは見せなかった。 「直江様が至急のご要件とか」  徳は、床《ゆか》に手をついた姿でそう言ってきた。 「なんのことであろう?」  景虎は、眉をひそめた。 「関東の足利藤氏様の使者が、只今、武者溜りへ見えたようでございます」  景虎はうなずくと、席を立った。  武者溜りでは、使者を囲んで、部将達が深刻な表情をつくっていた。 「いかが致した?」  なかへ入ると、景虎は使者に、そう尋ねた。 「越後勢の帰国後、古河城が、北条氏照の率いる兵、五千に囲まれ、ために主君、足利藤氏は、城を捨てて、里見殿の拠城に身を寄せるの已むなきに至りました……」 「して、それはいつのことだ?」 「三日前の夕刻にございます」  三国峠を夜を日についで、越えたのであろう、使者の顔には、やつれが目立った。 「なるほど」  景虎はつぶやいて、暗澹《あんたん》とした気持に襲われた。  予想されたこととはいえ、これほど早い時期に、北条勢が、関東を回復しようとは、想いも及ばぬことであった。 「関東へは、いずれ兵を進める。しかし、いますぐ救援に向かうわけにはまいらぬ。  兵達の疲労回復や、武器、人馬の補給も、考えなければならぬゆえ」  景虎の言葉に、使者は溜め息を洩らした。  武者溜りを出ると、廊下に佇んで、庭の風景を眺めた。  越後公方を廃し、古河公方をたてた努力が、これで水泡に帰したのである。  公方は、無力とはいえ、関東の諸将にとり、象徴的存在であることに変わりはない。  それを失えば、越軍が関東を経略する名目も失せてくる。  憂鬱な気持に、景虎は襲われた。  思いに耽っていると、本庄実仍がやってきた。 「殿、やはり関東出兵には、踏み切らなければなりませぬな」 「それがしも、いまそのことを考えていた。  しかし、三国峠越えは、兵力の損耗を伴うだけに……」  景虎自身にも、すぐには、判断がつかなかった。  五日後、景虎は、中条藤資らの誘いを入れて、府内の南西の山へ、狩りにでかけた。  この行事には、上杉憲政や近衛前嗣、小笠原長時、村上義清など、越後に滞在中の諸氏も参加し、その接待のため、女中達も同行することになった。  勢揃いした百数十人の一行は、華やいだ雰囲気のなかで、山を下り、城下町を通って、道を西にとった。  鞍には、弓矢や鉄砲が装備され、生け捕りにした鳥獣を入れる籠も、準備されている。服装もさまざまで、深編笠をかぶった姿だけが、同じであった。  時ならぬ武者や女人の行進に、庶民は驚きの表情を見せ、沿道には黒山の人だかりができていた。 「合戦が終わったせいだろうか」 「いや、そうではあるまい」  男たちのささやき声が、洩れてくる。  景虎は顔を白布でおおい、黒装束の衣装を身につけていた。 「忙中閑ありとは、このようなことを申すのであろう」 「いや、全く」  景虎は実綱と語り合って、晴れやかな気分になった。  前嗣は、公卿《くげ》出身であることを誇るように、目立つ服装をして、先頭を進んでいた。  越後に帰着してからも、その態度は、改まる気配がない。  景虎や上杉憲政、本庄実仍のとりなしにより、なんとか部将達との確執は避けられているが、放置しておけば、城内に波乱を巻きおこしかねない。  しかし、他人に寛容な景虎は、さほど意に介しなかった。  都人《みやこびと》には、風変わりな人物もいる、その程度の気持でしか、受けとめていなかった。 「殿や上杉様に先んじて、駒を進めるとは、礼儀をわきまえぬ不届者。  なぜ、殿は苦言を呈せられませぬ」  藤資が気色ばんだ表情を見せて言ってくる。 「捨て置け。今日は、楽しい道行きではないか」 「しかし、公卿育ちとはいえ、あのような態度は目にあまります……」 「足利将軍の威光が地におちたことを、前嗣は、虚勢を張ることによって、まぎらわしているのであろう。  考えてみれば、あわれな人物だ」 「言われる意味はわかりますが、それにしても……」藤資はなお不満の気配であった。  女中達は、越後上布の衣装を着用し、脚絆《きやはん》をつけ、編笠をかぶった姿で、行列の最後尾につけていた。  しかし、賑々しい話し声は、風に乗って、景虎の耳にも聞こえてくる。 「女はこれだから困るのだ」 「しかし、女中達が同行してくれればこそ、行事に花が咲くというもの。殿もこれくらいのことを容認できねば、天下は取れませぬぞ」  実仍が、たしなめてくる。 「わかっておる。それにしても、女子《おなご》はよくしゃべるものじゃ。  これでは猪も恐れをなして、山から降りてくるまい」 「それは反対でございます。  殿のような命《いのち》を狙う荒武者より、餌《えさ》をくれる女人を、獣達《けものたち》は好むものでございます」 「あほぬかせ」  景虎は、上洛して憶えた上方弁で答えて笑った。  晴れやかな気持であった。  松林の彼方には、海が紺碧の色を見せて、夏の陽ざしに輝いている。  少年の頃、馬を駆って遠出した府内の海岸は、歳月の経過にかかわらず、変化を見せていなかった。  陽が西に傾く頃、山麓に着き、野営のための幕間がしつらえられた。  その夜、一行は月明かりのなかで酒宴を催し、女中達の踊りに手拍子を打って、夜の更けるのを忘れた。  上杉憲政や近衛前嗣も、うめや徳のもてなしに、満足の笑みを浮かべて、酒に酔っていた。  久し振りに味わう和やかな雰囲気に、景虎は、気持が安らぐのを覚えた。  近頃は、甲斐勢の不穏な動きもあって、神経の休まるひまがない。  自然、憂鬱な気分に襲われ、心も滅入りがちになる。  それをうめや徳が救ってくれたように、景虎には思われた。  翌日は夜明けとともに起きて、狩の準備を整え、二十数名単位で、山入りを開始した。  この地域は、木々が深く、人里離れているせいもあって、鳥獣の恰好の棲息場所になっている。  景虎は、弓矢をたずさえ、原始林のなかを縫いながら、予め打ち合わせた要領により、猪を追う行動を開始した。  のぼるにつれて、道は嶮しく、茂みは深くなった。  静寂があたりをおおい、時折、野鳥の鳴き声が聞こえている。  景虎は空を見上げた。  木々の葉がうえをおおい、視界はきかない。  だが、巨木の枝が天を貫く先に、得体の知れぬ鳥が佇む姿が、はっきりと認められる。  景虎は、矢つぼから矢を抜き取ると、つがえて弓をひきしぼった。  風を切る鋭い音が、聴覚をかすめてゆく。  猟犬が鳴き声をあげ、黒い塊が落下する地点を追って走っていった。 「なんの鳥でございましょう」 「さあ」  景虎にも判断がつかなかった。  一行はさらに奥へ進んでいった。  昼なお暗いあたりの佇まいが、緊張感を誘う。  切りたった崖下までくると、景虎は歩みをとめた。  流れ落ちる水の音が聞こえてくる。  暑さが消え、冷え冷えとした雰囲気にあたりは、おおわれていた。  岩場に腰を下すと、額の汗をぬぐった。  合戦のことは、脳裏から消えている。  こうして、片時とは言え、心の安らぐ場をもてることを、幸せだと思った。  松籟の音に耳を傾けながら、景虎は、五千の兵を率いて上洛したときの情景を思い起こした。  あのとき、三好長慶の軍勢を破り、京都の町を制しておれば、天下の形勢は、変わっていたかも知れない。  将軍義輝の意を受けて行動を行ったとなれば、諸将への名目も立つ。  それなのになぜ、逡巡したのであろう。  いまにして思えば、近き道を捨てて、遠い道を選んでいるような憾みさえ残る。 �まあ、よしとしなければなるまいか。  天下取りは、慎重に事を運ぶことが肝要ゆえ�景虎は思い直して、視線を水の流れ落ちる崖下に据えた。  そこには、小さな沢があり、樹林の切れ目を縫って差し込む陽ざしが、周辺に明るさを添えている。  午《ひる》まえの山中は、静まり返っていた。  野鳥の鳴き声に混じって、枯れ葉を踏む音が聞こえてくる。  猪の群れが近づいたことを、景虎は感じた。 「数頭はいるであろう」 「左様でございますな」  供の武者と言葉を交わすと、耳をそばだてた。  二、三頭ずつ沢をめざして、近づいてくる気配に、二十数名の待機者が緊張する。  そのなかを、三十貫を超えると思われる猪が二頭、悠然と姿をあらわし、続いて一頭の子供の猪が、鼻を鳴らしながら、樹林から出てきた。  景虎は固唾を呑んだ。  三頭の猪は、沢のほとりに佇むと、並んで水を飲みはじめた。  間を置いて、別の二頭が、流れの下手《しもて》にあらわれる。  武者達は、鳴りを潜めて、猪を追い出す機をうかがった。  獣道《けものみち》を通って、猪がこの沢にやってくることは、調べがついている。  あとは、それを麓の荒野へ、おびき出すだけである。  景虎の指示に応じて、武者達が進みはじめる。  猪はまだ気づいてはいない。  至近距離に近づいたとき、一人の武者が、かぶら矢を放った。  樹林にこだまするその音に、五頭の猪は、水しぶきをあげて、対岸に駆けあがり、木々の幹の連なりのなかを、走りはじめた。  武者達が散開してあとを追う。  瞬く間に、山の中腹にさしかかり、左右に待機していた武者の一団が、猪の進路をせばめていった。  半円型の囲みをつくって進む追い手の姿が、視界をかすめてゆく。  山麓に近づくにつれて、山を下る猪の姿が、手に取るように望見された。  陽ざしが真上に差しかかった頃、追い手は、木々の繁みのなかを抜けた。  景虎は、歩みをとめると、駿馬に跨がった。  眼は、夏草をゆらしながら、野を駆ける猪の姿に注がれていた。  騎馬武者が十数騎、行手にあらわれる。  皆、弓に矢をつがえている。  そのなかには、近衛前嗣の姿も見られる。  景虎は、笑みを浮かべた。  手並みのほどを拝見したい気持であった。  彼方では、女中達が、これから展開される猪狩りを、固唾を飲んで見守っていた。  陣鉦の音が、静けさを破ってひびき渡る。  五頭の猪の動きが、とまった。  囲みを脱出する機をうかがうように、夏草のなかに、身を沈めて精悍な眼を光らせた。  景虎は、弓に矢をつがえると、最も大きい猪に狙いをつけた。  だが、それより早く、近衛前嗣が放った矢が、草むらに射込まれていた。  猪が散り散りになって走りはじめる。  景虎は、思わず舌を打った。  馬首をめぐらせると、猪の群れを追った。  草むらをかき分ける褐色の巨体が、視野をかすめてゆく。  手綱を放すと、渾身の力を込めて、弓をひきしぼった。  一頭の猪が、牙をむき、前足を激しくかいて、襲ってくる。  景虎は胸をつかれた。  このようなことは、はじめての経験であったからである。 �窮鼠猫をかむの類いか�と胸のうちでつぶやくと、気持を静めて狙いをつけた。  馬がいななきの声をあげて立ち上がる。  しかし、いまは、それに心を奪われている余裕はなかった。  土煙をあげ、すさまじい勢いで迫ってくる猪の巨体を、景虎は眼ばたきもせず凝視した。  射損ずれば、乗馬は牙にかけられる。  頭のなかを思いがかすめたとき、至近距離に近づいた猪が、激しく跳躍した。  馬ではなく景虎自身を狙ってきたのである。  褐色の巨体が空に浮き、のばした前足と鋭い牙が網膜をよぎった瞬間、景虎は弦から手を離していた。  矢音が聴覚をかすめ、猪の巨体が虚空に舞う。  闘いはそれまでであった。  腹部を斜めに射抜かれた猪は、おびただしい血を流して、草叢に横たわっていた。  他の猪を追う部将達の姿が、眼に入ってくる。  土煙がもうもうとあがり、彼方ではかげろうが舞っている。  風に吹かれながら景虎は、緑の高原で展開される猪狩りを、眺めていた。  陽が西に沈む頃、一行は馬を連ねて、幕間に帰った。  酒宴が催され、あかあかとともるかがり火のなかで、武者達は、自慢話に耽った。  猪鍋に舌つづみを打つ彼等の表情は輝いている。  近衛前嗣や上杉憲政も、満足の笑みを浮かべて、顔をあからめていた。  猪を軽率に射た前嗣の振る舞いが、話題になる。 「近衛殿、あなたは、狩りの経験がござらぬのか」  藤資が、笑みを浮かべて問いかける。前嗣はむっとした表情を見せた。 「なぜ、そのような愚問を発せられる。  蹴まり、やぶさめなどと合わせて、狩りは都人《みやこびと》の慣らいじゃ。  京とて越後と同じく、山を分け入れば、熊や猪はおるわ」  近頃、前嗣はことごとに、藤資や色部勝長など気性の荒い揚北衆と対立している。  肌が合わぬことが原因であったが、将軍義輝との関係もあり、景虎は秘かに頭を痛めていた。 「なるほど。それにしては、今日の戦果はいただけぬのう。  とりわけ、殿が射殺そうとされていた頭《かしら》の猪を先に射て打ち損じたとは、弓矢の心得ある者の所為とも思えぬ。  おかげで、われわれは、あとの四頭を仕止めるのに、苦労したわ」  藤資の言葉に、揚北衆がどっとくる。 「いや全く。これでは狩りのさまたげをしたも同然。今後は心すべきことと思う。  どうであろう。明日からは、幕間にとどまり、女中達を相手に、色恋《いろこい》の話でもなされたら。その方が、都人には、似つかわしいと存ずるが」  色部勝長が、言葉をはさむ。  前嗣は、険しい表情をつくり、手に持った盃を投げて、席を立った。 「それがしに対して、なんたる無礼な……」  激しい言葉が、あたりの空気を震わせる。 「それがしは、ありのままを述べたまでのこと。それになにか不足がござるか」 「言わせておけば、たわいのないことを。  そなたのような人物は、足利将軍の名において、成敗してくれるわ」  叫びざま、前嗣は腰の刀を払った。 「ほほう、そなたにそれがしが斬れるか」  歴戦の部将の勝長は、動ずる気配を見せなかった。  景虎は姿勢を正した。 「二人ともつまらぬことで、いさかうではない。  藤資達も、若輩の前嗣をからかってなんになる」  景虎の言葉に、部将達は、おとなしくなった。  だが、前嗣の怒りはおさまらなかった。 「風流を解《かい》せぬ野武士共とは、つき合えぬ。景虎殿の考えにも、異存がある。  あなたは、国攻めを行い、天下を取ることしか念頭にござらぬ。そのような人物のもとで、無為に歳月を過ごすなど、真ッ平じゃ」  前嗣は、吐き捨てるようにつぶやくと、足音を鳴らして隣りの幕間へ去っていった。  景虎は、上杉憲政と顔を見合わせた。 �どうにもならぬ短慮者�そんな思いがかすめてゆく。  幕間のなかには、和やかさがよみがえってきた。  女中達の踊りに合わせて手拍子が入り、歌がうたわれ、それは夜の更けるまで続いた。  翌日もその次の日も、一行は狩りに明け暮れた。  そのなかで、お互いの繋がりを固くし、親密の度を深めていった。  しかし、近衛前嗣だけは、二日間をともにしただけで、景虎の引き止めるのもきかずに、春日山城へ帰っていった。 「困ったものだ。あのような虎の威を借る類いは、いつの世にもいるものだが、これでは足利幕府の先も知れている」 「言われるとおりにございます」  景虎は、上杉憲政と言葉を交わして笑った。  五日間を、充実した気分で送った一行は、捕獲した鳥獣を馬に積んで、翌日、帰路に着いた。  景虎は、越後の覇者の地位に就いて以来の出来事を思い浮かべた。  信玄との確執さえなければ、天下取りの構想は、より早く実現をみたかも知れない。  事実、そのような好条件に置かれていた。  少なくとも、今年二十九歳の年齢を迎え、名実ともに天下の覇者としての貫禄を備えてきた織田信長より、上洛して諸将に号令する機会に恵まれていた。  それをなぜ、実を結ばせるまでに至らしめなかったのか。自分でも不思議でならない。  人馬の一団は、いつの間にか府内へ入っていた。  景虎が、このような行事を催すのは稀なせいか、生け捕られたおびただしい鳥獣を、庶民は列をなして眺めていた。  乱世にかかわらず、越後の国内では、商工業が栄え、府内の港は、出船《でふね》、入船《いりふね》で賑わっている。  商人の数も諸国の比ではない。  このような豊かな国、越後を、景虎も部将達も誇りに思っていた。  春日山城に帰り着いた翌日、近衛前嗣が館へやってきて、京へ帰りたいと申し出てきた。さすがに景虎は驚いた。 「なにゆえに、そのように急に出立《しゆつたつ》される」  半ば怒りの気持を覚えながら、前嗣を見て問い糺した。 「越後の衆にも、上杉憲政殿にも愛想が尽きたゆえ、それがしには、やはり京都の町が合っております。  理由はただ、それだけでございます」  決意を固めているのか、前嗣は平然と言ってのけた。  景虎は溜め息を洩らした。  関白を務めた人物が、これほど軽薄だとは、思ってもいなかった。  やはり、人は地位や身分だけでは、器量ははかりがたい。  それにしても、権勢だけで、政事《まつりごと》の枢要な地位に就く人物がいかに多いことか、思い知らされた気がしてならなかった。 「それがしの本意ではないが、そなたがその気持ならば、已むを得ぬ。足利殿には、よろしくお伝え願いたい」  いまさらひき止めても、仕方がないと、景虎は心で思っていた。  二日後、前嗣は、供の武者数名を従えて、春日山城を発っていった。  陸路をとり、越前、近江を経て京へ帰るという。  威光地に墜ちたとはいえ、足利幕府の権威はまだ諸国に浸透している。  それを見越して、前嗣は敢えてこのような道を選んだのである。  戦国の世は、この時期においてもなお、中世的な権威の尊重と、その否定との相剋のなかで、整理と統合が進められていた。  前嗣が去ると、部将達の表情には明るさがかえった。  今後は、なに憚ることもなく、国攻めに猛威を振るえる、そう彼等は考えているのである。 [#改ページ]   第十三章 豪雪  九月を迎えると、甲斐勢の動きが活発になってきた。  北信ではなく、今度は、関東の上野《こうずけ》(群馬県)へ、制圧の兵を進めはじめたのである。  北条氏康と呼応しての、越後勢撃滅作戦の展開であることは言うまでもない。  使僧からもたらされる情報でそれを知った景虎は、さすがに動揺の気持を抑えることができなかった。 「信玄め、とうとう、それがしの関東経略にまで、妨害の触手をのばしはじめたか」とつぶやいて、唇を噛んだ。  再度の関東遠征に備えて、準備は着々と進められている。  昨年の死闘以後、甲、越両軍は、北信での正面衝突を避ける傾向をあらわにしてきた。しかし、その反面、舞台を関東に転じて、国攻めにしのぎを削っている。  管領勢力と三国同盟軍との対決が、新たな局面を迎えたことを、景虎は感ぜずにはおられなかった。 「信玄が氏康と手を結んで、箕輪ほかの諸城の攻略に乗り出してくれば、防戦は容易ではない。  このまま推移せんか、関東一円はことごとく、敵方の手中に落ちるであろう」  焦りの気持のなかで、景虎はつぶやいた。  四面楚歌に囲まれた心境であった。  九月半ばを過ぎると、箕輪、総社、白井など西関東の上杉方属城は、甲斐、北条両軍の猛攻を受けて、次々に落城していった。  二回にわたる遠征により確保した関東の拠点は、わずかの日数で、その一部を失ったのである。  毎日もたらされる敗戦の報に、春日山城内は、暗い空気に包まれた。 「やはり、早目に出陣に踏み切るべきだろうか」 「さあ、降雪の時期を控えているだけに、糧道が断たれるおそれもあり、簡単には決断できまい」  このような会話が、軍議の席でもささやかれるようになった。  いまは誰もが、北条、武田の連合軍に脅威を感じていた。加えて、越軍には、兵站線がのびるという不利がつきまとう。  景虎は、腕組みし黙したまま、語らなかった。  兵糧、武器などの調達が、未了の現在、たとえ連合軍が、関東一円を蹂躪しようと、出兵に踏み切るわけにはいかない。これが偽らざる気持であった。  戦いに勝つには、それだけの条件の充足が必要である。  しかし、関東の現状は、それを許さぬところまできている。  焦りの気持を、景虎は感じていた。 「これまでの戦いでは、まだ当方の支配力が失せてしまうところまでは至っていない。  しかし、太田|資正《すけまさ》が守る武蔵の松山城が攻められれば、関東でのわが軍の威光は地に墜ちてしまう。  そのときには、豪雪をついてでも、三国峠を越えなければなるまい。おのおの方も、そのつもりで、出陣の準備を怠ることなく、進めておいてもらいたい」  論議が尽きた室内の雰囲気のなかで、景虎はそう結論の考えを述べた。  部将達は、視線を落として聞き入っていた。  軍議が終わると、景虎は、天守閣の回廊に佇んで、あたりの風景を眺め渡した。  南東には、雪をいただいた山々が峨々たる連なりを見せている。  そのなかの四千尺の高所に三国峠はある。  今年は、夏の到来が早く、季節のずれから、十一月を迎えれば、この地域は豪雪に見舞われる。  武田信玄は、それを見越して、関東出兵に踏み切っているのかも知れなかった。 「これも、風林火山の兵法の一つだろうか」信玄のふてぶてしい影像を思い浮かべながら、景虎はつぶやいていた。  不穏な形勢が続くなかで、一ヵ月が経過した。  予想したとおりこの頃から、越後は降雪の季節に入った。  吹き寄せる風に雪が舞い、城内も城下も、背丈を越える積雪に、銀世界の様相を呈した。  例年であれば、晩秋の気配のなかで、冬ごもりの準備をはじめる時期であるが、今年はそうではない。  西関東の諸城をおとし入れた甲斐勢が、余勢を駆って、武蔵の国に侵入したとの情報が心を暗くした。 �この状態では、松山城は風前の灯火だ�焦りとともに、想いがかすめてゆく。  天下取りへの道が、遠く険しいことを、思わずにはおられなかった。  十一月はじめに、甲斐勢が松山城を囲んだとの正式の報せが入った。  この時点で、景虎は関東出兵を決意した。  部将達を天守閣の広間に集めてその旨を達すると、即日、出立の準備にかからせた。  平穏な日々が続いていただけに、家臣達の表情は緊張し、軍議が終わったあとの城内は、騒然とした雰囲気におおわれていた。  部下を館の一室に集めて、人馬の調達方法を打ち合わせる者、積雪の三国峠を越えるための装備に頭を悩ます者など、それぞれの任務遂行に知恵をしぼる姿が、あちこちでみられた。  戦功をたてれば、知行がふえ、席順があがる。彼等はそれを狙って、はじめての冬期出陣に意欲を燃やしていた。  二の丸、三の丸、武者溜りでも、同じような光景が見られた。  部将達がこれほどまとまりを見せれば、戦いに敗れることはない。  ただ、この状態にまで彼等をもってくるには、長年の月日を要した。  命《めい》に叛く者を成敗したり、昇進に緩急をつけてお互いを競わせる仕組みも、一方で考えた。  だが、越軍が精鋭化した根源は、景虎の人格と、率先垂範の気性がもたらす統率力にあった。  それによって、人の和と事をなすに当たっての一体性が得られた。  城の櫓から、足下に展ける風景を眺めながら景虎は、三十三歳の年齢を迎えて、ようやく国主としての地位が、不動のものになったことを感じた。  それは越軍が天下取りへ向かって、本格的な行動を開始する�胎動�の時期でもあった。 「冬期の越山(三国峠越え)には、わたくしも危惧の念を抱いておりましたが、城内のこの状況ではまず問題はありますまい」 「左様、なにごとも、人の心が一致することが肝要だ。越後はこれまで他国に比べて統制がとれず、それが合戦を苦戦に追い込む因になっていた。だが、これからは違う」 「言われるとおりにございます」  実綱は答えて、積雪におおわれた上越国境に眼を向けた。  初旬を過ぎる頃、出陣の準備が整った。  景虎は、部将達を館の広間に集めて、酒宴を催し、その席で「今年関東、是非《ぜひ》を付《つ》くべき儀《ぎ》に定める」旨を表明し、甲、相両軍と決戦を交じえる覚悟を披瀝した。  そして、翌日払暁、八千の兵を率いて、春日山城を発った。  つづら折りの道を下りながら景虎は、今回の出陣が、越軍にかつてない試練をもたらすことを予感した。  部将達の表情にも、それがあらわれている。 �越山を無事なし遂げさえすれば……�いまはこのことしか、念頭になかった。  鎧、冑に身を固め、厚着をしていても、冷たい風は容赦なく膚をさしてくる。  雪を頂いた松林の連なりが、冬の厳しさを感じさせる。  山麓に達すると、道を南東にとった。  兵達の歩みは遅い。  雪沓《ゆきぐつ》をはいているものの、それ以上の深みに、足がのめり込むのである。  先頭を進む騎馬武者が、馬を御しながら、道を開いてゆく。  白銀《しろがね》色の風景が、無限のひろがりを見せ、その果てがどこなのか見当がつかない。  軍馬の足取りも重い。  荷駄兵に鞭打たれる度によろける姿が、痛ましく眼に映る。  長蛇の列をなした兵団は、やがて山地にさしかかった。  三国峠への道は遠い。  直線距離にして、二十里の道程も、野を渡り、山を越え、踏みならされた自然の道をたどれば、三十五、六里にもなる。  特に妻有《つまり》庄、上田庄など魚沼(郡)の積雪地帯を通過しなければならないことが、越軍の行動を大きく制約した。  だが、武蔵の松山城は、盟友、太田資正の拠城であり、北条攻めにあたっての前進基地でもあるだけに、救援は、急を要する。  思案した末、景虎は、夜を日に継いで、三国峠を越えることを決意した。 �越山�さえ遂げれば、沼田口(群馬県沼田市)までは、一日の道程だからである。  中里《なかさと》(村)、湯沢《ゆざわ》(町)を無事通過できても、それ以降の七谷切、三俣、元橋、浅見、三国峠に至る約八里の山道の克服が、景虎には、至難のように思われた。  いくばくも進まぬうちに、陽は西に傾いた。  雪原をあまねく照らす淡い光を、景虎は無心に仰いだ。  今日は晴れていても、明日は吹雪かも知れないのである。  加えて、これからは峻嶮な山道が控えている。  ほら貝の音がひびき渡り、八千の兵の歩みがとまった。  誰一人言葉を発する者はいない。  深雪のため、その場に憩うこともならず、立ち止まったまま、ぼう然と雪景色に見とれていた。  休憩ののち、兵団は再び行軍を開始した。  夕陽が、人馬の長い影を雪上に映し出す。  森や林のうらぶれた姿が、冬の厳しさを感じさせる。松之山《まつのやま》(町)までには、まだ五里以上の隔たりがある。  陽が沈む頃、兵団は野営の陣を張った。  薄暮があたりをおおってゆく。  景虎は幕間に入り、床几に腰を下ろして憩った。  さすがに疲れていた。  食後は、具足をつけたままの姿で横になった。  かがり火が、あたりをほの暗く照らしている。  野犬の遠吠えを耳に感じながら、景虎はいつしか深い眠りに落ちていた。  翌日は、夜明けとともに行軍を開始し、険しさを増した山道を踏みしめた。  積雪は減る気配がない。騎馬隊が踏みならした道を、兵達は喘ぎながらたどった。  原始林が果てしなく続き、視界はほとんどきかない。  空模様が怪しくなってくる。 「雪か」 「そのようでございます」  景虎は、実綱と語って、空を仰いだ。  暗雲が早い速度で西へ流れてゆく。  一陣の風が樹間を吹き抜け、積雪が舞ったと思うと、激しい吹雪になってきた。  あたりは暗さを増してくる。  兵達は顔を伏せ、黙々と歩みを進めた。  二千尺の高所に達した頃、日が暮れた。  雪はまだ降り続いている。  兵達は、その場で食事をとり、横になった。  寝袋にくるまり、蓑を頭からかぶって、ごろ寝する姿は、正視に耐えなかった。  雪国での暮らしの経験から、凍死に対する備えは整えられている。  景虎は、兵達と同じ姿で眠りに就いた。  合戦のことは、脳裏から消えている。  如何にして越山をなしとげるかしか、意識の底に残るものはなかった。  翌朝、眼をさますと、深雪のなかに体がすっぽりとはまり込んでいた。  寒さは不思議に覚えない。  荷駄兵が、食事を配りはじめる。  炊飯が不可能なため、油で妙めた米や干魚が、主体になる。  兵達は、それをむさぼるように食べ、雪をかじった。  昨日と同じような行軍がはじまる。しかし、雪の深まりのため、その日は三千尺の高所に達するのが、やっとの状態であった。  三日間の強行軍に、兵達の表情には、疲労の気配が濃くなっている。  かがり火をたいて暖をとったが、気温の低下による寒さから逃がれることはできなかった。  湯沢はすでに過ぎていた。  風が松明の炎をゆらし、積雪を空に舞いあげる。 「明日も雪だろうか」  兵達の蒼ざめた顔が、脳裏をよぎるのを覚えながら、直江実綱に語りかけた。 「そのように判断されますが」  二人は空を仰いだ。  八木尾山(一五〇〇メートル)やその南西の赤倉山(一九三八メートル)は、形さえない。  明日の三国峠越えが正念場だと、二人は思っていた。  翌日は、午の刻(午前十二時)頃まで、天気が続いたが、それ以降は吹雪になった。  兵達は寒さに震え、鎧のうえにまとった蓑は、激しい風のため、用をなさなくなった。  組頭の絶叫が、原始林にこだまする。  松籟の音《ね》が、それをかき消すように、聴覚をまひさせてゆく。人も馬も、最後の力をふりしぼって、三国峠への道をめざしていた。  豪雪はやむ気配を見せず、八千の兵の姿を視界から消した。  吹雪との闘いのなかで、一刻が経過した。  三国峠はまだ姿をあらわす気配はない。  兵達の疲労は、極限に達していた。  雪のなかに倒れ、そのまま息を引き取る者もあらわれはじめる。  誰もが、死の恐怖におののいていた。  兵団の歩みは、さらに遅くなった。  このまま、峠道に達することができなければ、八千の精鋭は雪中に姿を消してしまう。  景虎の胸は高鳴った。  全力をふりしぼって、山を登り切る以外に、術はなかった。手探りのなかでの行軍は蜿々と続いた。  兵達の犠牲がどの程度のものか、いまは予測すらたたない。  気力をふりしぼり、唇を噛みしめて、景虎は馬を御した。見覚えのある風景が、視野をかすめてゆく。  先頭を進む騎馬隊のなかから、ざわめきの声があがった。それは瞬く間に、後続の兵達に伝わり、巨大な歓声となって、全山にひびき渡った。  景虎は安堵の笑みを浮かべた。  九死に一生を得た思いであった。  道がなだらかになってくる。  八千の兵は、よろめきながら、峠道へあがっていった。  翌朝、越軍は晴れ間を利用して、一気に山を下った。  関東平野が一望のもとに見渡せる高原に達したときには、荒涼たる風景が、あたりをおおっていた。  野営の陣が張られ、兵達は五日振りに、雪のない荒野で星空を仰ぎながら眠りに就いた。  景虎は、本陣の幕間に、祐筆の武者を呼び、那須修理大夫宛に次のような書状をしたためさせた。 「深雪《しんせつ》に候《そうろう》と雖《いえど》も、越山《えつざん》を遂《と》げ候《そうろう》。関東の安危此時《あんきこのとき》に極《きわ》まり候条《そうろうじよう》、出陣《しゆつじん》あり御稼《おんかせぎ》、興亡《こうぼう》に付《ふ》せらるべく候《そうろう》」  語り終わると、眼をつむって思いに耽った。  三国峠越えをなし遂げたとはいえ、今回の出陣には、難問が山積している。  その最たるものは、魚沼(郡)の豪雪を踏んで、兵糧や武器を関東へ補給しなければならないことである。  加えて、越山には、想像を絶する苦難がつきまとう。  無理はできぬというのが、その後の実綱や実仍の判断であった。 「先ず、関東の諸将に檄《げき》を飛ばして、箕輪ほかの諸城を回復することにしよう。  松山城への救援は、それゆえに、年が明けてからになろう」  思案した末、景虎はそう方針を変更した。  甲斐勢の武蔵への侵攻は、心にかかる。だが、いまは、背に腹はかえられなかった。  翌日から、越軍は軍事行動を開始し、西関東の諸城を次々に回復していった。  沼田城は、すでに越軍の支配下にある。  問題は、その南西の諸城であった。  兵団を二分すると、先ず至近距離の白井城を攻め、守りを固める北条勢を、一日の戦いで駆逐した。  春日槍をたずさえた騎馬隊が、土煙をあげて猛攻を開始すると、敵兵は浮き足立ち、なす術もなく敗退してゆくのである。  別動隊は、すでに厩橋(前橋市)の西の箕輪城に向かっている。  ここは、上杉方の属城でありながら、南西の平井城とともに、北条氏康が、関東での覇権確立を目指して、執念のように狙っている。  上杉憲政の越後への下向が、その発端になっていた。  近くの総社城を含めたこの地域一帯が、北条勢の支配下に落ちれば、越軍の関東への脅威は除かれる。  氏康が執拗に制圧の兵を進めるのには、それなりの理由があったのである。  十日後、箕輪城が、続いて平井城、総社城も、八日間の戦いののち落ちた。  景虎は、安堵した。  今回の戦いには、甲斐勢の一部も加わっている。  それだけに心が許せなかったが、城攻めが終わってみれば、あっけない幕切れの感は、否めなかった。 「これはまたいかが相成ったものであろう。信玄や氏康のやり方とも思われぬが……」  本陣の幕間で、酒を酌み交わしながら中条藤資が語って笑った。  一ヵ月にわたる合戦のため、顔は日焼けし、眼光は鋭さを増している。 「いやいや、これこそ信玄や氏康の作戦であろう。われわれが関東へ侵攻すれば、兵を引き、越後へ帰れば、失地回復にすかさず乗り出してくる。  過去から見られた常套手段ではないか」  景虎の顔には笑みが浮かんでいた。 「敵方らしい考え方。しかし、こういたちごっこが続いたのでは、我が軍は奔命に疲れ果ててしまいます」 「そのとおりだが、関東を制するには長年の月日を要する。  信玄が執拗に北信を狙うのと同じく、われわれも当面の目標を関東に定めて、ねばり強く平定の兵を進めなければならぬ。  そのなかで、諸将や庶民の信頼が得られ、支配が定着してくる。  ともあれ、甲、相の連合軍はあなどれぬ」  景虎は諭すように語った。 「殿の言われるとおりだ。  現在、北条勢の攻撃目標は、松山城に置かれている。太田資正は必死の防戦に努めているが、われわれが救援に向かうまでに、或いは城は落ちているやも知れぬ。  連合軍は西関東をわれわれの蹂躪にまかせたが、今後はそうはまいらぬ。  越軍が南下の兵を進めるにつれて、彼等の抵抗は強くなるであろう」  直江実綱が言葉をはさむ。  藤資はうなずいた。  景虎や実綱の考えには誤りがない。この事実が、荒武者揃いの揚北《あがきた》衆を心服せしめていた。  松明の火が、部将達の精悍な顔を映し出す。  日中は連合軍と兵火を交じえ、夜は本陣の幕間に屯して酒を飲む毎日が、近頃は続いている。  国攻めに人生の夢を追い、天下を取ることに、戦国の武者としての生き甲斐を見出す。皆このような考えで、合戦に臨んでいた。  語らいは、夜が更けるまで続いた。  寒風にかがり火が、音を鳴らす。  盃を傾けながら景虎は、明日以降、松山城へ向かって、兵を進めようと考えていた。  十二月下旬を迎えると、寒さは厳しくなった。  越軍は、各所で北条勢を撃破し、武蔵へ迫っていったが、実綱が語ったとおり、連合軍の抵抗は日増しに募り、松山城を指呼の間に望む地で、越軍は進撃をとめられた。  彼方には、武田勢の軍旗がはためいている。  越軍の進路を阻むように林立するその眺めに景虎は、信玄の心のうちを見抜いた。 「信玄め、どこまで、それがしの邪魔をすれば、気が済むのだ」  高台のはずれに駒を進めて、敵陣をにらみながら、景虎は吐き捨てるようにつぶやいた。 「この状態では、松山城は落ちるかも知れませぬな」  実綱が眉間にしわを寄せて言っている。 「残念だが、そうなるかも知れぬ。  しかし、奪回だけは果たさなければならん」  景虎の口調には、決意が込められていた。  小規模の攻防戦を繰り返しているうちに、年が明け、永禄六年(一五六三)を迎えた。  景虎は三十四歳に、信玄は四十三歳になっていた。  元旦は本陣の幕間で、部将達と酒を酌み交わして新年を祝った以外、特別の行事は行わなかった。  両軍とも、兵力の損耗を慮って、大規模な合戦は、これまで行っていない。  松山城の救援のことが、景虎には気懸りであったが、現在の状況では、攻撃を仕かけることは、越軍にとって不利であった。  形勢をにらみながら対峙するうちに、二十日が経った。  松山城はその後も連合軍の攻撃を受けている。  太田資正からは、救援を求める使者が相次ぐが、武田勢が行く手を阻む術に出ている以上、景虎にはどうすることもできなかった。  強行突破の方針は、軍議でも何度か討議された。  しかし、その都度、否決されて現在に至っている。  いまは、連合軍の布陣の乱れを待つほかはなかった。  焦りのなかで二月を迎えた。  初旬に、松山城は敵軍の手中に落ちた。  その報に接したとき、景虎は総攻撃開始の決意を固めた。意表をついた決断に、部将達は色を失った。 「なぜ、急に……」と本庄実仍は、不審の面持ちを見せて聞いてきた。 「松山城を落として信玄も氏康も、安堵していることであろう。  その虚をつけば、城の奪回はなし遂げられる……」  景虎の顔には、笑みが浮かんでいた。  実仍は息を呑んだ。  合戦に対する景虎の判断は、常人離れしている。  しかし、過去の例では、それはことごとく的を射ている。そのことを、実仍は思い起こした。 「わかりました。して、出立《しゆつたつ》は?」 「今夜半を期して総攻撃をかける」  景虎は、松山城を眺めながら即答した。  ほら貝の音が、ひびきわたる。  陣地内は、騒然とした気配に包まれてきた。  景虎は、馬に跨がったまま、敵陣の状況をうかがった。  軍旗の数が、眼に見えて減っている。  城攻めのために、相当の兵力が割かれていることが、勘でわかった。  荒野が、東へ向かって、無限のひろがりを見せている。  武蔵野は、まだ春先の気候であった。  陽が西の山に沈む頃、越軍は陣地を発った。  兵達の表情には、覇気がみなぎっている。  景虎は、兵団の先頭に立って、駒を進めた。  甲、相両軍を完膚なきまでに、たたかねばおさまらぬ気持であった。  残照が、八千の兵の黒い影を映し出す。  景虎の眼は、敵陣に注がれたままであった。  松明の火が、闇のなかに浮かんでくる。  甲斐勢は、越軍の移動を、知らぬ気配であった。  あかあかと燃えるかがり火が、眼の前に迫ったとき、景虎は軍配をかざした。 「手明」に続いて、騎馬隊が突撃を開始する。  八千の兵は、黒い塊となって、武田勢の陣地に殺到していった。  馬のいななきが聴覚をかすめてゆく。  陣鉦の音がとどろいた。  喊声が、夜空にこだまする。  戦いは一瞬の激突で、かたがついた。  奇襲を受けた武田勢は、おびただしい兵糧、武器を残し、慌てふためきながら、南へ落ちのびていった。  景虎は、その光景を、高所から眺めた。  寒風が顔の白布をなびかせて吹いてゆく。  あたりは闇におおわれていた。  彼方に松山城の灯が見える。  八千の兵は、陣地で、夜食を喫しながら憩った。  あかりは消され、月光だけが、その姿を映し出していた。  時刻は亥の刻(午後十時)を、回りかけている。  直江実綱の下知に応じて、兵団は再び動き出した。  あたりに人の住まう気配は見られない。  三ヵ月余の合戦のため、住民達は難を避けて去ってしまったのである。  静寂のなかを、兵達は城へ迫っていった。表情は緊張し、歩みが遅くなる。  誰もが、武田勢との激突を、脳裏に描いていた。  松山城の巨大な姿が、浮かんでくる。  夜空をこがすかがり火が、戦勝に酔っている連合軍の士気を感じさせた。 「信玄め……」馬を御しながら、景虎は無意識につぶやいた。  散開して、城を三方から囲む形に陣形を整えた。  あとは、総攻撃をかける機をうかがうだけである。  外濠のほとりへ駒を進めると、景虎は天守閣を仰いだ。  松明の明かりのなかに、白壁の建物が、くっきりと浮き出している。  周囲の樹林とそれが対照をなして、眼に不気味に映る。  城内は静まりかえって、物音一つ聞こえてこない。  景虎はわが耳を疑った。  人の気配が感じられないのが、不思議であった。  一陣の風が、音を鳴らして吹いてゆく。  兵達は、鳴りをひそめて、景虎の下知を待っていた。 「城に灯は点いているものの、城門を固めている様子は見られず、不審でなりませぬ」  実綱が言ってくる。 「それがしも、いま、そのことを考えていた。  しかし、落城させた城を放棄するなど、常識では考えられぬことだからのう」 「そのとおりでございます」  話し合っているところへ、伝令の武者が、蹄の音を鳴らしてやってきた。 「信玄と氏康が率いる六千の兵が、月明かりのなかを、南下致しております……」 「なに」  報告に、景虎は驚いた。  陣地のなかがざわめいてくる。  緊迫感がとけ、口々に語り合う声が、燎原の火のように、兵達のなかに伝わっていった。  連合軍は、越軍の来襲を察知して、いち早く撤兵してしまったのである。 「信玄らしいやり方。かなわぬとみて、尻尾を巻いたに違いない」 「そのとおり。北条勢など、われわれの敵ではないわ」  部将達は、語り合って笑った。  太鼓の連打が、連合軍に追い討ちをかけるようにひびき渡る。  その夜、城内は戦勝の酒盛りで沸き立った。  景虎は、部将達と酒を酌み交わして、夜を明かした。  信玄や氏康ともあろう人物が、犠牲を払って攻め落とした城を放棄するなど、想像もおよばぬことであった。  連合軍の松山城放棄を機に、越軍の士気はあがった。  景虎は余勢を駆って、五日後には武蔵の騎西城を攻め落とし、三月には下野に兵を進めて、小山城を手中に収めた。  そして、四月には、氏康に応じた佐野城(下野)を攻めて、北条勢を駆逐した。  その勇猛振りは、関東の諸将を震えあがらせ、この時点で多数の武将が、景虎に臣従を誓った。  だが、景虎は彼等を信用していなかった。 「われわれが越後へひきあげれば、そなた達はまた北条勢に寝返る肚であろう」  諸将を佐野城に集めて、顔合わせの宴を張った際、景虎はそう語って笑った。 「滅相もございませぬ。上杉殿はれっきとした関東管領、その威令にひれ伏すは、臣下として当然のことでございます。何卒、われわれを北条勢の圧政からお守り下さいませ」  武将達は、声を揃えて、そう言葉を返してきた。  百畳を越える板敷は、人であふれている。  女達が、そのなかをしゃくをして回る。  景虎は、たずさえてきた金、銀をおしみなく使って、彼等を歓待した。  なかには恩賞の下賜を狙って、はるばる馳せ参じた者もいる。  坂東武者のその心根を、中条藤資以下の部将は嫌ったが、景虎は意に介しなかった。  乱世ともなれば、そのような心理になるのもやむを得ぬと、最近は考えるようになったのである。 「れっきとした関東管領とは、面白いことをうけたまわる。そのとおりだが、関東は古来、公方が実権を握って国を治めている。  それがしは、そなた達の意を入れて、古河公方をたてたが、北条殿にはそれが気に召さぬ様子。しかし、公方は公方として尊ぶのが、武人の慣らい。ゆめ忘れぬよう、この席で改めて達しておく」  景虎が武将達を集めた本心は、この言葉にあった。  北条氏康は、足利藤氏を追放して、その地位をうばった。それを回復し、古河公方の名において関東を治めさせるのが、今回の出陣のいま一つの狙いなのだ。  酒宴は夕刻まで続いてなお終わらなかった。  景虎は、武将達の間を回って語らい、親交を深めた。  灯明の火が、各所にともされる。  酔いが回るにつれて、武将達の言葉は荒くなった。  一国一城の主《あるじ》の本性《ほんしよう》を、あらわしてきたのである。  しゃくをする女の手をとって口説く者、普段の横柄な態度をよみがえらせて、高慢な言葉を吐く者など、各人各様の姿が見られはじめた。  中条藤資や色部勝長などが、それをじっと見据える。  だが、彼等は襟を正す気配を見せなかった。  なかには、些細《ささい》なことから口論をはじめる者さえいる。  景虎は高座に座って、それを笑みを浮かべて眺めていた。  武将の一人が、席を立ってやってくる。 「殿、今夜は、いい女をお世話致しましょう」  酒を進めながら、そう小声で言ってきた。  顔色は朱に染まり、眼は光を放っている。  こうかつさを絵に画《か》いたようなその風貌に、景虎は、関東の諸将の本心を見たように思った。 「それがしは、女犯を好まぬ。そのようなことで、精力を費やしていたのでは、戦さには勝てぬからのう」とさり気なく語って笑った。 「左様でございますか。ではいずれまた……」  武将は言葉を返して、自席に下がっていった。  夜が更けるにつれて、彼等の態度は乱れてきた。  女人に支えられ、わめき声をあげながら退席する者、卑猥《ひわい》な言葉で女をからかう者など、昼間勢揃いしたときとは打って変わった室内の雰囲気に、景虎は人間の本性を見せられた思いがした。  席を立つと、廊下に佇んで、酔いをさました。  木々が、黒々とした佇まいを見せて、眼に入ってくる。  中天にかかる月を眺めながら景虎は、豪雪の三国峠を越えて以来、はや六ヵ月余の月日が経過したことを思い浮かべていた。  六月初旬、景虎は八千の兵を率いて、古河城に赴いた。そして北条勢の支配を解くと、足利藤氏を呼び戻して、公方の地位につけた。 「これで関東は、ほぼわが軍の威令に服した。  しばらく当地にとどまって、天下の形勢を観望致すこととするか」  藤氏の復任披露宴を催した日、景虎は自室に本庄実仍を呼んで、そう言葉を洩らした。 「結構でございますな。これで殿は名実ともに、関東管領として、東国に君臨することとなりましょう」  実仍は答えて、満足の笑みを浮かべた。  十四歳の景虎を擁して、栃尾城に自立して以来、二十年にして天下制覇の望みがでてきたことを、喜んでいる気配であった。  十日間が、平穏裏に経過した。  兵達は、城内に駐屯して、合戦の疲れをいやし、日増しに生気を取り戻していった。  景虎も、藤氏の治政上の相談に乗る傍ら、付近の神社、仏閣に詣でて、毎日を過ごした。  いまは心に懸るものはない。  北条、甲斐の連合軍を、犠牲を払うことなく、関東から駆逐できたことが、自信となって、天下制覇の野望を燃やさせていた。  部将達も、次の攻撃目標を小田原城に置いて、攻略方法の検討に明け暮れている。  だが、平穏な生活は、長くは続かなかった。  月の半ばを過ぎると、春日山城の留守を預かる長尾政景から、武田信玄が信濃へ出陣する気配を見せているとの情報を得たからである。  そのとき、景虎ははじめて信玄と氏康の智略に謀られたことを感じた。 「やはり、二人は只者ではない。  わが軍が関東を制しても、甲斐勢が北信へ兵を進めれば、その防衛のために、兵を引かねばならぬ。  それを見越して、二人はこれまでの行動を行っていたに違いない」  景虎は吐き捨てるようにつぶやいた。 �関東は、まだ制覇できたとは言い難い�胸のうちを思いがかすめてゆく。  悔恨の気持は、たとえようもなかった。  直ちに軍議が開かれ、即日、帰国することが決められた。  和やかであった城内は、騒然とした気配におおわれてきた。 「われわれが、武蔵、下野の城を攻めている間に、甲斐勢が、北信へ出陣する手配を整えていようとは……」 「全くだ。これこそ寝耳に水というものだ」  落胆の気配が感じられる会話が、あちこちから聞こえてくる。  景虎は唇を噛みしめた。  迂闊さが、反省されてならなかった。  館に帰ると、文机の前に座って、関東の勇将、富岡重朝宛に後事を託する書状をしたため、そのなかで、苦衷を次のように披瀝した。 「……そもそも、東国の鉾楯《ほこたて》、際限無《さいげんな》き事《こと》、且《かつ》は、味方中《みかたちゆう》、兵《へい》を労《ろう》すると言《い》い、且《か》つは、万民安堵《ばんみんあんど》の思《おも》い無しと言い……」と一気にしたためて、最後に、関東の禍根は断たねばならぬと言葉を結んだ。  灯明のあかりに映える表情には、鬼気迫るすさまじささえ、ただよっている。  顔色は蒼白になり、眼は引き吊っていた。  巻き紙を戻して、封書に納めると、床の間へ行き、鎧、冑を身につけ、太刀を佩いた。  心が引き締まる思いであった。  供の武者を呼ぶと、連れ立って館を出、そのまま馬に跨がった。  あたりは薄暮におおわれている。  城門を出ると、待機している八千の兵の先頭に立って、古河をあとにした。  松明の火をともし、長蛇の列をなして、越軍は三国峠への道を歩んでいった。 本書は一九八三年三月、読売新聞社より刊行されました。 底本 講談社文庫版(一九八六年三月刊)。