現代悪女伝 性の深淵 梶山季之 著   目 次 白桃女 原色の女 嘘つきの天才 鵜匠の女 こんな女に 官僚の敵 白桃女   一  ……人間、四十を過ぎてからの道楽は癒《なお》らない、とよく云いまっしゃろが。しかし、あれはほんまでんな。昔の人は、体験から出たことやろが、なかなかええこと云うてます。  早い話、この私《わい》がそうですわ。いや、この私がそうでした、の間違いや。  私みたいに風采の上がらん、野暮の権化《ごんげ》みたいな男の道楽ちゅうたら、なんやと思います? 道楽いうたら、昔から�飲む・打つ・買う�に決まったある。  私は、酒も煙草もいけまへん。大阪の北浜では、�野暮六�で名の通った私だす。  そらあ私かて、株屋の端くれやから、商売の上でのバクチはやらんことはない。そやけど仕事以外のバクチ——なんで株屋仲間ちゅうのは、あないにバクチが好きなんでっしゃろな。三人集ると、コイコイ、アトサキ、六百軒、花札がなければチンチロリン、四人になると麻雀、ゴルフに行ったかてバクチや。とにかく私は、花札、サイコロ、麻雀、自慢やないが遊びのバクチに誘われても、一度しか仲間入りしたことない。  むろん女かて、兵隊のとき、ピー屋の年増女郎に厄介になって、淋しいお土産を貰っただけ、あとは女房一筋や。米を喰うのが女房の欠点やが、まア女房はただやし、それに病気の心配もない。  まあ、考えてみれば、こんな石部金吉やったから、この幌田《ほろた》六造が、小さいながらも、なんとか北浜で生き残れたんでっしゃろな。要するに手堅い、悪く云えば、気が小さいと云うことだす。  その気の小さい野暮六が、なんと女の色香に迷うたんやから、神様も罪なお人や。  神様を引き合いに出したんは、京の車折《くるまざき》神社で、あの美代に会うたからだす。  恋は�魔物�やと云いまっけど、その魔物の憑《つ》きが突然おちてしもうた今、つくづくと振り返ってみると……いや、なにも振り返らんかてええのやけど、女からみると、よほど阿呆な男に見えましたやろなあ。  なんせ、玉のあてもないのに空売りして、さあ、実株を渡せと買方に開き直られ、毎日毎日、追証に追われつづけているような、そんな苛立《いらだた》しい感じだした。  美代の躰を抱いてるんやけど、なんやこう……魂の抜《ぬ》け殻《がら》を抱いてるようで、私が、 「好きな男が出来たんと違《ちや》うか?」  と云うと、美代は、 「そんなに疑うんでしたら、大阪へ帰らないで一緒に暮して!」  と、私を責めよる。  その美代の言葉だけを聞いとると、 〈ああ、この女は私《わい》に首ったけや!〉  と良い気持になるんやが、帰りの新幹線の中では、 〈私は、予備株やないやろか?〉  と不安になるんだすなあ。  予備株券をご存じでっしゃろ?  株券が焼失したり、紛失した時に備えて、予備に印刷して、会社に保管したある株券のことだす。ホンモノに間違いはないんやが、金庫から出して税印を捺《お》されるまでは、ホンモノやない。  つまり、ホンモノの恋のようで、その実はそうやないような、欺《だま》されているのか、欺してるのか、訳がわからんような……そんな女が美代だした。  背丈は五尺二寸ぐらいで、小柄な方なんでっけど、着痩せするちゅうんですか、着物をきるとすらりと高く見えましたなあ。  顔は、瓜実顔《うりざねがお》で美人どした。  いわば標準型の美人でっしゃろか。眉にしろ眼にしろ鼻にしろ、どれ一つとっても特長はないんやが、それが美代の顔に納まると渾然《こんぜん》一体となって、美しく光り輝くわけですねん。いや、ノロケやない。  その証拠に、私が、美代を連れて、白浜への仲間の親睦旅行に顔を出すと、みんな彼女を連れて来とるのに、美代にばかりサービスしよって、仲間の彼女たちがヒステリーを起しよった。  仲間のうち三人までが、 「幌田はん。あんたの彼女……幾ら出したら譲ってくれまんね?」  ちゅうて、真剣な顔で私に交渉しよった位の美人や。もっとも、これは白浜旅行のあとのことやが……。  肌は白うて、外人のようだした。  毛深い方でして、少し腋臭《わきが》がありよったが私には、これが耐《たま》らん刺戟でしてな。美代の腋の下に顔を埋めて、クンクン嗅いでいるうちに、どんな疲れとる時でも昂奮して来ますねん。  躯《からだ》の味も、指定銘柄のように上々だした。  私も、美代の躯を知ってから、芸者遊びを覚えたんだすが、芸者なんて、口ではその道のべテランのようなことを云うてけつかるが、さて床入りしてみるとでんな、みんな、つまらん味だすわ。  第二部で、特定扱いになりよった腐れ株みたいな味ですねん。あれは、つまりまへん。  美代は、どちらかと云うと、お汁《つゆ》の多い方だした。汲めば汲むほど湧いてくる泉みたいに、とめどがないんだすな。それに……あの方も嫌いやおまへん。  私が上京すると、店を休んで、三日でも四日でも、私に交際《つき》合《あ》いよる。私が早く終った夜なんか、拗《す》ねて拗ねて、それをなだめてなんとか寝かしつけたと思うと、真夜中に、なんやこう変な感じなんだすな。  目を覚ましてみると、美代が、せっせと口を使っているんだす。 「阿呆。止めんかいな」  と私が云うのも構わず、とにかく硬くさせると馬乗りですわ。大阪へ帰る朝が、また、大変だす。 「奥さんに上げない……」  と云うて、せめてもの貯金を、一銭残らず私に使い果させる。こっちは、逆《さか》さに振っても鼻血も出ん。……ちゅう状態で、超特急〈ひかり〉に乗るんだす。ハハ……、かないまへなんだ、美代の奴には——。  ところで、その美代だすが、交際合って半年ばかりの間は、あのとき、どうしてもブラジャーだけは外しませんねん。 「どないしたんや……」  と云うと、 「これだけは勘忍して……」  と云う。  そう云われると、なにか刺青《いれずみ》でもあるのやろか、それとも好きな男に義理立てしてんやろかと、疑いたくなるのが人情や。  ……あれは慥《たし》か、美代と湯河原へ行った時だした。  朝、目が覚めてみると、美代が珍しく、私に背中を向けて寝とる。  これ幸いと、そーっとブラジャーのホックをはずして、躰を向き直らせると同時に、ぱッと蒲団を剥《は》いで、ブラジャーを一気に引き下げてしもうた。 「あ、あッ!」  と、美代は飛び起きようとする。  それを押えつけて、朝の光にあててみると、小さなお椀を伏せたような乳房が、金色に光ったある。 〈なんやろう?〉  と、朝日に透《すか》してみると、なんや、驚いたことには、白い乳房の表面に、産毛《うぶげ》が一面に密生して光っとるんですわ。  私は、岡山のお得意さまから、毎年夏に送って貰う、白桃を思い出しましたわな。  乳房に産毛が生えて、金色に光っているところは、どう見たかて白桃だす。 「なんや、美代……ただ、乳に産毛が多いちゅうことだけで、私に隠しとったんか?」  私がそう云いますと、美代はもう観念したように、 「それもありますけど……もう少しよく見て下さい」  と、こない云いよった。  そこで、美代の下腹に顔を横に伏せて、私はもう一度、その乳房をとっくり眺めたわけだす。  そうして、二度驚きましてん。  美代の乳房には、乳首が二つあるんだす。  正規なものは、乳房の中央についとるんだすが、もう一つの乳首が、一寸五分ぐらい離れた下方——ちょっと外側寄りの位置やが、ポツンとついたある。  これには、魂消《たまげ》ましたわ。  それと気配で悟ったのか、美代は、低いが怒ったような声で、 「だから、見せたくなかったのよ……」  と云い、 「こんな変った女……もう厭になったことでしょうね」  と泣きよる。  泣かれると、男は弱いもんだす。 「阿呆。泣きいな。乳首が二つあったかて、なにも構《かめ》へんやないか……」  私は、そう云うて慰め、美代の躯を抱いたんだすが、流石にその日から、美代は私の前ではブラジャーを外しよりました。そして美代は、私に云うたもんだす。 「あたしの、この躯の秘密を知っている人間は、この地球上で、私のお母さんと、パパだけよ……。もう決して、この美代を捨てちゃア嫌よ……」  と——。  私は、この美代のセリフで、泥沼にはまり込んで行ったんでっしゃろなあ……。   二  時は昭和四十年、十二月の末つ方、ここは名にし負う関西の、京の都の嵐山、車折神社の境内にゃ、願かけ詣《もう》での男女あり、なかに眼を惹く一人の美女、これぞ東京のホステスで、その人ありと知られたる、銀座の〈蝶〉の美代子なりイ……。  まあ、浪花節調で云うたら、私と美代との出会いは、こんな工合になりまっしゃろな。  京都の車折神社ちゅうたら、それこそ願かけデパートみたいなところで、その狭い境内のなかに、ごちゃらごちゃらと地蔵さんやらお稲荷さんやら、いろいろありよる。あないぎょうさん、神さんやら仏さんやら並べて、果してご利益《りやく》があるのかいな……と疑わしゅうなったりしますねんけど、まあ、ご本尊の神社の方は、水商売には効き目がある。  お賽銭あげて、御神石を貰うて、それに願いごとを書いて供えるんやが、そらア面白い文句がおまっせ。  ——四十歳までに一千万円、必らず。  なんて云うのは、金を貯めたい……ちゅうんでっしゃろなあ。  ——今月末までに、受取手形二十七万円がきっと落ちますように。  こんなのは、手形を貰ったものの、果して落ちるか、どうかを心配してるわけだす。なかには、  ——毎月の売上げ百五十万達成、あいつと手が切れて、美《い》い男とスイート・ホームが持てますように。新婚旅行はハワイ。子供は男二人だけ、無病息災、家内安全。三十二歳、姫路、百合子。  なんて、贅沢な願いごともある。全く、女ちゅうもんは、勝手だすわ。  まあ、願かけに行って、その石に書いてある文句をみるだけでも、愉しいところだすが、私の道楽ちゅうたら、月に一回、京へ遊びに行《い》て、神社仏閣に詣でることだした。  四十年の暮……たしか十二月三十日やったと思いますわ。京へ出て、食事したあと、何気なしにタクシーを拾うて、嵐山へ行きましてん。その時、車折さんのことを思いだして、タクシーを待たせて境内へ入って行ったんだした。  私の眼の前を、ミンクのコートを着た、様子のいい女子《おなご》が、ゆっくり歩いてる。足首の細い、恰好のいい脚だした。  あれは多分、エナメルちゅうんでっしゃろが、真ッ赤なエナメルのハイヒールが、ひどく情感をそそりましてな、私……どうせ、バック・シャンやろ、思いましてん。  ところが追い抜きがてら、横眼でみると、これが色の白い、美人だっしゃろが。夕靄《ゆうもや》が迫って来よる、明日は大晦日ちゅう、遽《あわただ》しい時だす。私は、お稲荷さんが、化けて出たんかと思いましてん。五十二にもなりながら、阿呆な話やが。  御神石を貰うて、今年も無事やったお礼の文句を、筆を舐《な》め舐め書いてますと、先刻の美人が来て、 「あのウ……失礼ですけど、どうすれば良いんですか」  と云いよった。 「お賽銭あげて、この御神石を貰うて、願いごとを書いて供えるんだすわ」  と私は教えた。  女子は、間もなく私の隣りに来て、筆をとったが、その指の細くてしなやかなこと、爪の紅いマニキュアの美しいこと、思わず、どきりとしましてん。  なにがええ云うても、女子衆の指の綺麗なのは、惚れ惚れするもんだすな。  私は丹波|篠山《ささやま》の山猿育ちやさかい、指は短くて関節が太い。おまけに爪は蛤《はまぐり》爪や。人前にさらせるような指やない。  私も兵隊のころは、煙草も吸うたもんやがピー屋の女郎に、 「手袋はめて煙草吸うとるみたい」  と云われてから止めた。つまり、煙草を吸わなくなったんは、人前で不恰好な指を見せたくないから……だっしゃろな。  ところが、その女子……つまり美代だったんだすが、指が細長くて、付け根にはエクボが出来よる。私は思わず、 「お綺麗な指だんなあ」  と云うてしもうた。  美代は、私をみて含羞《はにか》んだように笑い、 「指は綺麗でも、字は汚いんですから、嫌になりますわ」  と答えよった。  私が未練たらしく、御神石を供えて、額《ぬか》ずいていると、美代はやって来て、石を山の上に投げたが……山というたかて、御神石で積み上げられた高さ三尺ぐらいの山だすが、美代の抛《ほう》った石が、コロコロと落ちて来て、私の足許あたりに転がりよった。  夕靄のなかで、透して見ると、〈美代〉という名前だけが大きく見えましてん。ははあ美代ちゅう名やな、と思っていると、美代が慌《あわ》てて、 「見ちゃア嫌!」  と云うた。  願いごとを書いたんを、私が盗み見しとると思うたんでっしゃろな。しかし、私の見てたんは、裏の名前の方でしてん。 「裏返しておいて!」  美代は、そう云いましたわな。こらア面白《おもろ》い、と裏返してみると、  ——宿がみつかりますように。  と書いたある。  びっくりしましたで。みんな贅沢三昧な願ごとかけよるのに、この女子だけは、今日の宿の心配してんのかいな、と気になって、それがまた、いじらしゅうて、女のあとを追いかけて私は云うた。 「失礼はんでっけど、お宿、まだ決まってしまへんのか」  と……。  美代は当然のことのように、 「やっぱり、読んでらしたのね。予約なしに京都で正月を迎えようと思って参りましたらどこも満員で……」  と苦笑しよったもんだすわ。  それで仕方なしに、駅前の観光案内所に宿の斡旋《あつせん》を頼んで、駅に荷物を預け、車折神社にお願いに来たんだと。いまどき珍しい娘やと思うたのが、運のつきでしてんなア。  私も、京都に四軒や五軒、知らん宿がないわけやない。 「ちょっと待ちなはれや……」  と、嵐山の近くの宿を問い合わせたら、これがパツ一《いち》や、部屋が一つだけ、あいとるとぬかしよる。  さっそくタクシーで案内して見せたら、美代は大喜びで、 「こんな京都らしい旅館で、正月を迎えてみたいと思うてましたの。車折神社に、さっそくお礼に行かなくっちゃあ……」  と云うた。  私も急ぎの用があるやなし、それで乗りかかった船やと、駅前まで荷物をとりに行き、返す車で宿まで連れて行《い》た。 「あたし、銀座の〈蝶〉というクラブで働いている、美代子と申します。見知らぬ貴方からこんな親切にして頂きまして……」  と、座敷に入るなり、きちんと挨拶するところ、なかなか育ちの良い娘やなと早呑み込みしたんやから、私もオッチョコチョイや。 「わいは、しがない株屋で、幌田六造と云う者だすわ。まあ、よろしゅう……」  お互いに名刺を交換しあって、出されたお茶を一杯飲み、心残りやが失礼しようとすると、 「社長さん、京都で是非、見ておかねばならないお寺は、どこでしょうか」  と美代が質問しよった。  幌田六造、これでも資本金一千万円の、幌田証券の社長ですねん。そこで社長はん、美人のホステスに、大晦日から正月三日までの観光プランを考えてやったもんや。女嫌いで通った私にしたら、大サービス、やはり心の隅のどこかで、魅《ひ》かれてましたんやろか。  ……ここで私が、元旦だけを女房とつきあい、あとを美代のために使こうて、そのまま躯の関係をもつ、ということになったら、そらア小説をその儘、地《じ》で行ったようなもんやけど、事実は小説より奇なり、や。  私は、美代に観光のプランなど考えたっただけで、別れるんだす。  しかし、心に残るもんやから、正月三日に紹介した宿に電話を入れてみた。すると、急用が出来たというて、元旦の午後、東京へ去《い》んだちゅうこっちゃ。  変な女子やなあ、思いましたで。しかし、考えてみれば、あれだけの美人が、東京でひとり淋しく正月を迎えるちゅう方が、どうかしとる。  二月の上旬に、東京へ出る用事が出来て、日帰りの積りやったが、探して西銀座のクラブ〈蝶〉へ行ってみた。  支配人に、 「美代子さん、居てるか?」  ちゅうと、着物をきた小粋な女が来て、 「まあ、社長さん!」  と云うた。  私は驚きましたで。ああ、驚いたわ。車折神社で会うた美代とは、別人のような感じでな。なんちゅうたらええねやろ。襟許からこぼれるような色気が漂うて、プーンと悩ましい香水の匂いがして、店の中にはぎょうさんホステスがおるけど、美代だけは擢《ぬき》ん出ている感じやった。  その美代が、 「その節はいろいろと……」  と云うて、私に寄り添うて坐りよる。誰かて嬉しいやないかい。 「私は不調法《ぶちようほう》やよって、何でも好きな飲み物を飲んでんか」  と私は云うた。  それで美代はジンフィズ、私は昆布茶ちゅう奇妙な組合わせで、一時間ばかり過したんや。   三 「そろそろ帰らにゃならん……」  と、私が立ち上ろうとすると、美代は引き留めた。その引き留め方が、また一風変ってんやなあ。普通やったら、 「まあ、よろしいじゃないですか」  ちゅうようなことやろ。ところが美代は、酔ったふりして、 「帰っちゃ嫌!」  と、拗《す》ねるように云うんやなア。あとで、あれも玄人《くろうと》の常套手段とわかった訳やが、石部金吉の私には、それがひどく新鮮なもののように響きよったんや。  なんやこう、内懐ろに飛び込まれて、グサリと肺腑《はいふ》を突き刺されたような、そんな気持がして、私は、ほほう、と思った。大して値動きもあるまい、と多寡《たか》を括《くく》っていた株が、俄かに棒上げしよった時のような、そんな感じや。〈こらあ、すぐには売られへん。もう少し粘る手や……〉  私はそう思うた。株屋ちゅうもんは、割合に勘が発達しとるもんだす。女も株も、まあ似たようなもんや。  株は、かりに百円で買《こ》うても、値上りしたり値下りしたりしよる。その売り買いの時機が問題や。谷底で買うて、天井で売れば儲かりよるが、天井で買うて谷底で売るちゅうことも少うない。まあ、それは勘の働きが悪かったちゅうことやろな。  徹底的に材料を——その会社の業績、含み資産、業界の見通しなどを、よーう調べまくって、これは絶対や……と自信を持って買いまくった株が、値下りしよる。見込み違い、ちゅう訳や。  その癖、人に奨《すす》められて、何気なく、お付合いの積りで買うた株が、無償増資、無償増資で、いつのまにか一財産になることだっておますさかいな。  配当めあてで買うと、これが無配当に転落したり、借金の抵当《かた》に取ったボロ株が、忘れているうちに芽を吹いて、二割五分の配当になったり……そらあ、女と同じで、買うてみにゃあ判らへん。ただ、その女を買うか、否かの時機や、見通しが肝腎《かんじん》でっしゃろ。いい株……いや、いい女子にぶちあたると、配当にありつけるが、ひどい女にかかると、タコ配に欺《だま》されたより酷い。  まあ、惚れた弱味で云うんやないが、美代には粉飾決算の会社みたいな、それも銀行から送り込まれた経理担当の重役が、赤字の正体を掴めんような、そんな鮮やかなところがおましたわ、ええ。  ……なんやなあ、あれも人生、これも人生やろけど、あの時、〈もう少し粘ったろ〉と思うたんが、いけんやった。それが、私の人生を、ちいとばかり変えよりましたわな。  昆布茶では粘れんさかい、私も美代の真似してジンフィズを貰うた。そのうち、新幹線のぎりぎりの時間が来た。 「これに乗らなんだら、大阪へ帰られへん」  と云うと、 「乗り遅れて帰れないって、奥さんに電話したらいいことよ。ね、そうしなさい」  と命令口調や。 「しかし、ホテル……取ってえへん」 「あら、京都の私と同じね。ちょっと待っててね」  と云うて、美代は姿を消し、レモンとマジック・インキを持って来よった。そして、レモンを懐紙でくるんで、 「さあ、宿屋を探してって、願をおかけなさい」  と云うやおまへんか。なかなかウエットのある……いや、違《ちや》うなあ、ウイットやったかな、そうそう、ウイットや。ウイットのある女子やな思うと、それがまた、胸にぐッと来よりましてん。  願をかけると、 「もしもし、失礼ですが、宿にお困りで? なんでしたら、お世話しましょうか……」  なんて、私の真似をしよる。笑うとるうちに、最終の〈ひかり号〉はパーですわ。  勘定を済ませて、六本木のなんとかいう寿司屋……名前は忘れたが、喜劇スターの森繁久弥、三木のり平、渥美清ちゅうようなお歴々が集っとる店へ連れて行かれましてん。  そのあと、ホテルへ案内するのかと思うたらなんと、彼女のアパートへ引っぱり込まれたんです。あとで判ったんやが、四谷三丁目という附近だした。  恥しい話やが、私はうろたえよった。私には子供はないが、二十三歳やという美代とは親子ほど違いがある。そんな娘のような、しかも美人のホステスのアパートへ、深夜、訪問しとるんやから、こっちの方が照れ臭い。 「あのう、此処へ私が泊るんかいな」  私は、おそるおそる云うた。美代は首を傾げ、 「お嫌《いや》かしら?」  と云い、 「あたし、淋しいんです」  と不意に泪ぐむやおまへんか。  聞いてみると、店に来るお客は、みんな美代の躰めあてで、露骨に札ビラで口説き、なかにはマダムを通じて、 「妾《めかけ》になれ」  と、交渉して来る重役もある。  目下のところ、それらの誘惑を刎《は》ねつけ、刎ねつけしているが、これから将来、どうなって行くのかと、不安で仕方がない。店には友達もおらず、マダムの云うことを聞いて、客と浮気もせんと通しているので、マダムやボーイに意地悪される。  華やかな夜の世界で商売はしとるが、アパートに帰ると、たった一人きりだし、頼ったり相談する相手とてない。だから淋しくて、夜などベッドの枕を濡らして、泣きながら寝入ることもさいさいある……と、まア、こう云う訳やな。  私は感動した。酒場女なんて、自堕落なもんやろと思うとったんやが、美代だけは違うらしい。  だが、私も北浜の野暮六や。女の口車に乗ったらあかん。思い直して、 「なぜ、私をアパートへ連れて来てん?」  と、一発かましたった。すると、美代は、 「貴方には、いやらしい所がないから……」  と、ぬかしよったもんや。なるほど、野暮六やなあ、と自分で反省したわな。  もっとも、いくら親子ぐらいの年齢の差があっても、一つベッドで寝たら、そこは男と女や。美代の悩ましいネグリジェ姿に、昂奮しよった私は、 「後悔せえへんな」 「断るなら今のうちやで」  と、何度も念を押しながら、美代のお腹の上に乗ったんや。美代は、痛がりよった。それがまた、幌田六造の感激を誘うたんやから……この人も、甘い男でんなあ。  あとで美代は、処女やないから安心して、と云うたが、翌朝、お小遣を渡そうとすると怒り出しよって、 「あたしはパンパンじゃありません!」  と云うた。つまり、金で躯を買われるちゅうような関係は厭や、と、こういう訳や。 「じゃあ、どないしたらええねん?」  と訊くと、 「東京へ来たら、必らず泊って!」  と云う。嬉しゅうおましたで、つくづく、〈この女は、純な子や……〉  そう思いましてん。  昔から、タダほど高い物はない、云いますなあ。あれ、ほんまでっせ。美代が、金を受け取らんさかいに、なんや儲け物したような色男になったような積りになったが、考えると、あれは美代の手の一つだした。ほんまにタダほど高い物はおまへんわ。   四  四谷のアパートは一間きりやよって、 「どこぞ、ええとこ借りたらどうや」  と云うたら、敷金五十万円、家賃六万円のコーポラスを借りて、 「敷金が三十五万円ほど足りないのよ」  と云いよる。不足分は、こっちが出さな、しょむないわなあ。  コーポラスへいってみると、ただ、ガランとしとる。ベッドと三面鏡と、洋服ダンスがあるきりだすわ。 「冷蔵庫や、テレビは?」  と訊くと、 「敷金をつくるために、お友達にゆずったんです」  と云いよる。 「じゃあ、これで冷蔵庫とテレビ、お買い」  と、こっちは財布を取り出さなならん。  私が上京するのは、月にせいぜい二回だす。  それまでは年に、四、五回やったんやから、そらあ女房が怪しみよりますわ。  それに着る物も、派手になる。ネクタイかて、美代は、赤い縞の入ったのを買うて、 「パパ、これを締めて下さいね」  と云うて、古い方は捨ててしまいよる。ハンケチ、靴下、みなそうですわ。これじゃあ女房が気づくのも、無理ないわな。  しかし私は、純情な美代が、私を少しでも野暮六にすまいと、必死になってるんや……と思い込み、また女房以外の女子から、そんな服装にまで気を配って貰うたことがないさかい、矢鱈《やたら》に嬉しゅうて、 「おう、済まんなア」  てなもんや。  ある日……たしか七月頃やったが、珍しく美代から、大阪の店へ電話がかかって来よった。 「なんやねん? 急用かいな?」  と云うと、 「ええ、ちょっと……」  と云い澱《よど》みよる。 「どないしたんや?」 「…………」 「病気かいな、ええ?」  いくら聞いても返事せんと、 「もう、いいの。パパのお声が、ちょっと聞きたかっただけ」  と云うて電話を切りよった。 〈変やなあ……〉  と気にはなったが、仕事がある。それで、四日後に用事をつくって、東京へ行ってみると、コーポラスには、他人の名札がぶら下っとるやおまへんか。  管理人に聞いてみると、 「近くに引越されたようです」  とは返事するが、行き先は判らへん。  夜になるのを待ち兼ねて、クラブ〈蝶〉へ行てみるとや、美代は不似合なブラウスにサンダル姿で居てた。  店が終って、 「一体、どないしたんや?」  と訊くと、 「ご免なさい。私のお客さんの会社が、連鎖倒産してしまったの……」  と、美代は泣き顔や。 「それで、どないしてん?」 「百二十万も売掛けがあったから、店からヤイノ、ヤイノと云われるし、パパにお借りしようとお電話したんだけど、切り出す勇気がなくて……」 「ふーん。じゃあ、四日前の電話が、それやったんやな?」 「そうですわ。だって、折角つかんだ私の大事なパパに、嫌われたくないもの……」 「阿呆やなア。それで金の手当は?」 「コーポラスの敷金に、着物や時計、指輪を質に入れてつくりましたの。でも、せいせいしたわ」  と、美代は泣いたあとの顔で、健気《けなげ》にも笑うてみせる。 〈なるほど、私に迷惑かけまいと、それで切り出さなんだんやな〉  幌田六造、またここで惚れ直しよった。  よっしゃ、この女子のためなら、一肌も二肌も脱いだる。顔はよし、気性はよし、あそこもええと、三拍子や。将来、店の一軒も持たしたらな、あかんわいと、私は逆に力み返りよった。やっぱり、野暮六だすな。  話は違《ちや》うが、私が美代の、白桃のような、乳首が四つもあるオッパイを、とっくり拝見したのは、この翌々日だすわ。  百二十万の金をつくるために、アパートを引き払うて、友達の家に転がり込んでるちゅうもんやさかい、そこまで押しかけて泊られへん。しょむなしに、代々木か、千駄ケ谷か知らんが、生まれてはじめて、サカサ・クラゲちゅうところへ行た。  いやア、想像してたより立派で、驚きましたでえ。あれやったら、立派なホテルや。金曜の夜は、その連れ込み宿に泊って、土曜の午後から湯河原へ行きましてん。もう、その頃は、美代も、「痛い、痛い」と云わんと、イタイのタが抜けて、「いい、いい」ちゅうようになってましたんやが、オッパイの秘密を知られた日曜日は、自分からハッスルしよって、大変だした。  売り方が値崩しにかかって、これでもか、これでもかと売り浴びせて来るように、私を攻めるんだす。また、羞恥《しゆうち》を忘れたような、そんな美代の攻撃が、いとしゅうてならん……ちゅうのやから、欺《だま》し甲斐のある男やおまへんか。  私は、着物の質受けの金を出し、ついでまた、コーポラスを借りる金を出したりましてん。全部で百五十万位だっしゃろか。まあ、自慢やないが、それ位の金は、女房の眼を誤魔化《ごまか》さんかて、なんとかなりよる。  その年の秋、白浜の旅行に、美代を大阪に呼び出して連れて行《い》た。株がちいーとも動かん時で、景気直しに誘われ、 「幌田さん、白浜芸者を世話するよってに、一緒に如何だす?」  と云われたから、こっちも男の意地や。野暮六の恋人を見したる、とばかりタンカを切って、美代を引っぱり出したんやが、この時は胸がすーっとしましたで。  狙いを定めて空売《からう》りしてる矢先、見通し違わず暴落《がら》が来た……ような気持やなア。  しかし人間、馴れんことは、するもんやない。私の旅行カバンの中から、美代の香水のついたハンケチが出て来よった。 「なアに、芸者の悪戯《いたずら》やんか」  と一度は切り抜けたが、今年になって、どうも東京へ行き過ぎるわ、持ち物が若々しくなっとるわ、で、かねがね臭いと思うとった女房が、株屋仲間にカマかけて電話して、とうとう私が東京から彼女を呼んだ……ちゅうことを突きとめよった。  お定まりのヒステリーから痴話喧嘩。更年期の女ちゅうもんは、あれ、人間だっしゃろか。冷静にものごとを考える、ちゅうことがでけんのだすなあ。  この話を美代に云うたら、 「私と奥さんと、どちらを愛してらっしゃるの? 月のうち半分、私のとこで暮して下さらなくちゃ嫌!」  なんて云いよる。阿呆かいな。子供こそないが二十年ちかく連れ添った女房や。月のうち十五日も家あけたら、それこそ夫婦別れになるやないかい。北浜の野暮六の、信用が泣くがな。  そんな訳で、女房のヒスを鎮《しず》めるため、美代を大阪へ呼んでは、月々十万ぐらいの手当を渡すちゅうような関係が、半年ぐらいつづき、また東京へ出張ちゅうことになる。  その頃になると、美代は、 「結婚して欲しい」  とダダをこねだし、こっちが慌てて、 「結婚できる訳、ないやないかい。五十三と二十四やぞ……」  とはぐらかし、すると、すかさず、 「じゃあ、この着物代、払わせるわよ?」  と、こちらの財布に凭《もた》れこむ戦法をとりはじめましてん。  結婚でけんのなら、衣裳代を支払え……ちゅうのは、全く論理性もヘチマもないが、こちらは女は可愛いい、別れたくない一心やから、とに角、相手の機嫌を損じまい、七万や八万の金のことで、その場が切り抜けられるのなら、……と、ついつい小切手帳を取り出すわけや。  しかし考えてみると、美代の方が、役者が一枚上手《うわて》やった。  結婚でけんぞ、とかねがね云うて聞かせたあるのを、逆手にとっては、金をせびり取りよったんやからなあ。また、幌田六造ちゅう人が、素直に金を出しよるから、世の中は天下泰平だす。  私は、この美代という東京妻に、満足してましてん。第一、あの閨房の声が、天下一品だす。  身も心も、とろけそうな声を出しよる。若いから、ベッドの上でも、じっとしてえへん。七転八倒ちゅうのは、こんな時を云うんやろかと、感心したくなるような脚の動かし方ですねん。そらあ、こちらも五十を過ぎて、貯金は少ないが、ああ凄い声を立てられると、汗を掻き掻き、女に応えな、しゃーない。  ……ところで、その美代が、ポックリ死んだんだす。  ええ、むろん病死やない。  今年の三月二十九日の、新聞がおます。記事を引用しまひょか。 『二十八日午後七時五十分ごろ、東京都港区麻布霞町××ノ七の〈あさかコーポラス〉七階七〇四号、クラブ・ホステス藤村美代さん(三三)方を見廻りに来た同コーポラス管理人・倉知力夫さんが、同室からガスの異臭がするのを発見、合鍵を使って部屋の中へ入ったところ、寝室に美代さんと、同年配の男性とが冷たくなっていた。  さっそく一一〇番に緊急連絡、当局で取り調べたところ、死亡した男性は〈世界石油〉常務取締役・権藤光男さん(三五)と遺品から判明した。世界石油は業績不振のため、三星石油に合併されたばかりであるが、自殺にしては遺書もなく、死因を調査中である』   五 〈あさかコーポラス・七〇四号〉ちゅうたら、私が美代に借りてやった部屋だす。新聞をみるなり、私は蒼くなって、東京へ駈けつけましてん。  死因を調査中、ということになると、どうせパトロンの私の所にも、警察から事情聴取に来よるやろ、それならいっそ、こちらから出向いて正直に云うた方が、大阪で恥をかかずに済む……と考えたわけだす。  しかし、新幹線の列車の中で、気になることが二つあった。一つは、世界石油の権藤という常務のことだす。第一、そんな男の名前、美代から聞いたこともない。もう一つは、美代の年齢だしてん。今年、美代は二十五歳の筈やのに、新聞には三十三歳とある。  まあ、後の方は新聞の誤植やろ、ぐらいに考えて麻布霞町のコーポラスへ行てみると、死体はもう棺に納められてましてん。  彼女の勤めてたクラブのマダムが、ホステス四人を従えて坐ってましたわな。そして、一人の男が、棺に取り縋《すが》って、 「阿呆! なんでん、死によっとじゃ! 美代の莫迦……美代の阿呆!」  ちゅうて泣きよる。  私はマダムを呼んで、 「あの方が、死んだ美代のお父さんかい?」  と聞いた。するとマダムが、困ったような顔をして、 「ひところ、店によく見えてた、お客さんなんですの」  と云うやおまへんか。  肉親ならとも角、棺に取り縋《すが》って、四十男が泣くなんて、ただごとやない。  私は、怒りがこみ上げて来よりました。その九州弁の男——佐々木ちゅう繊維問屋の社長だしたが、その男を掴えて、私は蒼い顔をして云うた。 「失礼でっけど、貴方と美代との関係は?」  と——。  佐々木社長は涙で濡れた顔を挙げ、 「私はパトロンですたい」  とぬかしよる。  浮気の一度や二度なら、許さんこともないが、この私を前にして、パトロン名乗りは片腹いたい。 「ほほう。パトロンでっか。そいなら、なんぞ美代のために、して呉れはりましたんかいな?」  と、私は、血相を変えて云うた。すると、 「当然ですたい。このコーポラスを借りてやったのも、店の借金を払うてやったのも、みんなこの儂《わし》ですたい」  と、佐々木社長はぬかしよる。  私は、カーッとなってしもうた。 「なに吐《ぬ》かっさらすねん。判ったぞ、おのれはなんやな、美代に金を出した、出したと嘘吐いて、ここにある美代の財産を、持ち去らそうちゅう魂胆《こんたん》やな。どっこい、そうはいくかい。このコーポを借りてやったんは、このわたしやで。その証拠に、着物の質受けに七十六万三千円、敷金に六十万、不動産屋の謝礼に五万円、家賃に八万円、しめて百四十九万三千円の小切手がある筈や!」  と、タンカを切った。考えてみりゃあ、大人《おとな》気《げ》ない話だすわ。  すると、面白いことが起きよりましてん。佐々木はんが、ポカンと口をあけて、私を見てたが、ややあって、心臓マヒでも起しそうな顔つきになりよって、 「そ、それ……、ほんとう……」  と声を顫《ふる》わせよった。  こっちは、ザまアみろ、と良い気持、胡坐《あぐら》をかいて背筋をのばし、 「嘘も本当もあるかいな。四十一年の二月から美代は、私の世話を受けてまっせ。四谷から移った時のアパートかて、敷金をちゃーんと出したある」  と、空嘯《そらうそぶ》いた。  すると佐々木はん、世にも信じられんような沈痛な顔をしよって、 「そ、そ、その金は、私も出しよりましたとたい! 三、三十五万円!」  と云うたもんや。  今度は、こっちが吃驚《びつくり》する番だす。 「な、なんやて?」  私が、腰を抜かさん許《ばか》りに問い返すと、佐々木はんは、 「このコーポを借りる時にゃんさ、着物の質受けに八十万、敷金その他に八十万、百六十万を美代にキャッシュで手渡しとりますたい!」  と云いはるやおまへんか。金額も、大体はあっている。真剣な目付きと云い、自信ある口吻と云い、嘘を云うてるんやないちゅうことは、ピーンと来よる。さらに佐々木はんはマダムを見つめて、 「つい、この間も、また客が倒産しよった、云いますもんな。やりくり算段して、七十万円送ったばかりたい。マダム、美代から受けとりよったとじゃろうが?」  と語気あらく云いよった。  するとや……マダムが仰天して、 「死んだ権藤さんの内入れ金やと、二十万円は頂きましたけれど、七十万円なんて、とても……」  と喰ってかかるやないかい!  私、佐々木はん、マダムの三人は、思わず顔を見合せよった。信じられん言葉を、聞いたような気がしたんやなア。  ……幸い、その場に、よその店に移ったがアパートが近くなんで、美代と親しゅうしとるホステスが居てて、その女の話で、なにもかもが判ったんやけどな。  結論から先に云うと、私も、佐々木はんも欺されとった訳や。  あの美代の、純情そうな顔立ち、言葉つきなどに、中年すぎのええ大人が、ころり、騙《だま》されよった。肚《はら》は立つが、こう見事にやられると、かえって気持がええわな。いや、負け惜しみやおまへんでエ。本音や、本音。  ところが、欺されたんは、私と佐々木はんだけやない。もう一人、おました。名前を黒須はん云うて、札幌で葬儀社の社長をやってはる方やった。  美代は、あの虫も殺さんような顔をして、三人を手玉にとっとった訳でんな。  三人が三人とも、自分だけがパトロンと思い込み、美代の言葉を額面通りに信じ込んでせっせと、金を貢いでたんだすわ。三人が、それぞれの存在を知らなんだんは、札幌、大阪、博多と、それぞれ遠く離れた土地に住んでおり、せいぜい月一回ぐらいしか、上京でけなんだからでっしゃろな。  美代も、うまいパトロンの探し方を、したもんだす。  美代は、私には秋田の生まれや、云うとりましたが、本当は向島《むこうじま》育ちの江戸ッ子で、芸者の娘やったそうだす。  向島、尾久《おぐ》、十二社《じゆうにそう》と渡り歩き、この間に一度、結婚して子供も一人ある。嘘か、ほんまか知らんが、二つの乳首の両方から、母乳が出たそうや。  結婚に失敗して、芸者から足を洗い、赤坂のナイトクラブのホステスになったんが、五年前だす。  それから銀座のバーへ勤め替えして、そこで〈ゴンちゃん〉こと、権藤光男と知り合うわけですねん。  権藤は、世界石油の御曹子で、美男子の上に独身だす。なかなかのプレイボーイやったんやが、どう魔がさしたのか、この権藤に美代が首ったけになりよった。世の中は、わからんもんでんなあ、なにも美男に美女が惚れんかて、ええやないかい。  権藤の方は、遊び相手の積りで、のらり、くらりやったが、会社が左前になると、美代はどこかから金を工面しては、権藤に貢ぎよった。  それでクラブ〈蝶〉のホステスたちの仲間では美代が、よう恋人の権藤に尽すと云うて、話題になっていた……というんやから、けった糞わるいやないか。  私や、黒須はんや、佐々木はんから、なんや、かやと云うては、巧いこと絞り取った金を、美代はその儘、直通で権藤に渡しよったんや。いい面の皮は、パトロン面した三人だすわなア。  美代は、世界石油が業績不振から、五百万円の不渡りを出しそうになった時、それこそほんまに着物を質に入れ、私たち三人を欺して五百万の金をつくったった。  にも拘らず、あかんものは、あかんわな。とうとう、三星石油の手に渡りよった。  その時、美代は、ホステス仲間に云うたそうやで……。 「これで、権ちゃんと結婚できるわ」  と——。  彼女にしてみたら、世界石油の御曹子と、クラブの女やったら、あまりにも身分が違いすぎる。ところが、その世界石油が潰れよってん。  もう権藤光男は、御曹子でも、重役でもない。失業者みたいなもんや。  美代には、それが嬉しかったんやろなア。  ところが権藤は、こっそり美代には隠してある石油スタンドの経営者の娘と、婚約しくさってたんやなア。  美代は怒った。自分が、どんな想いをして三人のパトロンを手玉にとり、尽《つく》して来たかは、美代が一番よう知っとるわけや。  それで彼女は、 「お別れにパーティしましょう」  と権藤をコーポラスに誘い、青酸カリの入ったウイスキー・コークを飲ませよったんやな……。  男が死んだあと、美代は睡眠薬を嚥《の》み、ガス管を寝室に持ち込んだ……と、ざっとまアこういう訳らしいで。  新聞、週刊誌などには、�事故死�という扱いになっちょったが、あれは間違いや。�無理心中�が正しい。  それにしても、悪い男も、おるもんやおまへんか。  ホステスの、献身的な気持を踏みにじり、会社が倒産すると、ぬけぬけと身の安全を図って、婚約するやなんて、ひどいやないかい。  美代も、可哀想な奴ちゃ。  しかし、その可哀想な美代に、欺されたこの幌田六造はどうなりまんね。ど可哀想な奴ちゃと思われまへんか。  美代の年齢は、新聞の報道の通り、三十三歳どしたわ。だから、痛い、痛い、云うてたのは�演技�でしてんな。そうやなかったら、後になって、あんなによがり声を出す訳がおまへん。そうでっしゃろが。  人間、四十を過ぎてから、道楽をはじめるもんやない。  まして北浜の野暮六と呼ばれるような男が、浮気したらあきまへんな。一度で、こりごりだす。  思えば、美代は岡山の白桃のような女だしたわ。一見、みずみずしゅうて、美しく光り輝いてまっけど、白い果肉の中心にある種子は、誰にも蝕《むしば》まれていることは判らへんのやから……。  今年も白桃の季節が、間もなく訪れまっけど、美代の供養のために、今年だけは白桃は口にしない積りだす。乳首の二つある、けったいな美代のオッパイを、思い出すのが辛いさかいに……。 原色の女   一  ……私が、小納戸《こなんど》丸江を知ったのは、二年前の夏のことだ。名前は丸江だが、痩せぎすの、なんとなく秋鯖《さば》の青白い肌を連想させるような、そんな女だった。  房州育ちというから、さぞ水泳も上手であろう、と考えて私は何気なく、妻の勝子に、 「なかなか良さそうじゃないか。受け答えもてきぱきしているし……」  と云ったのだった。  勝子は、姓名判断に凝っていて、 「小納戸丸江というのは、あまり良くないと先生は仰有るんだけど……」  と反駁《はんばく》したが、急に二人のお手伝いさんに辞められて、天手古舞いをしている古城《ふるしろ》家としては、急場|凌《しの》ぎにも、彼女に来て貰いたいというのが本音であった。  勝子は数日後に、中学三年生になる一人息子の令輔を連れて、葉山の別荘に出かける予定であったのだ……。これは、病弱な令輔を鍛《きた》えるための、年中行事でもあった。  申し遅れたが、私は古城英介だ。  そう云えば、何人かは、 「ああ、デザイナーの……」  と、思い出して下さる方もあろう。  私の本職は画家だが、戦後、ある薬品メーカーに頼まれて、パッケージを考案してやったことから、ポスターだの、広告デザインだのの注文が舞い込むようになり、とうとう十年前から〈古城デザイン研究所〉を設立し、いまではそっちの方が本職のようになってしまった。  むろん、絵の個展は年に二回、加盟している美術団体の春秋の展覧会にも、必らず出品している。油絵の仕事を、忘れたわけではない。  しかし、れっきとした美術記者(むろん駈け出しだが)までが、 「古城先生は、油絵の方も、なかなかの腕前ですなあ」  などというのだから、全く腹立たしい。私を根っからのデザイン屋だ……と、思い込んでしまっているのだ。  私の研究所は、鉄筋三階建で、一階を応接用と私の家族室に使い、二階にはデザイン室や小さなスタジオ、暗室などがある。  三階には、ちょっとしたホテル並の個室があって、いま七人の弟子共が、寝泊りに使っている。  昼間には、通ってくる五人のデザイナー、それにカメラマンやモデルなどが出入りするから、多い時は、三十名もの昼食をつくらねばならなくなるのだ……。  女中……いや、当今風に云うお手伝いさんは、三人いた。そのうち二人が、なにが気に入らぬのか、急に辞めてしまったのである。  そこで私は、二、三の女性週刊誌の編集長に依頼して、 『お手伝いさんを求めます。仕事は忙しいですが、家族的に優遇します』  という、求人広告を出して貰ったのだ。俗に〈告知板〉という、無料広告欄である。  すぐに、反響があった。  履歴書と写真を送れ、と付記しておいたのに、水着姿の写真だけ送ってくる者や、履歴書だけしか送って来ない者や、いろいろであった。  百通あまりの応募者を、助手が荒択《あらよ》りしてから、妻の勝子がさらにフルイにかけて、残った十名の姓名判断をして貰った。  そんな矢先、こちらがまだ、イエスとも、ノウとも云わない時点で、小納戸丸江は勝手に柳行李を送りつけて来て、 「どうか、今日から働かせて下さい……」  と、姿を現わしたのであった。  丸江は、残った十名の候補者の中には入っていたが、この急襲戦法には、聊《いささ》か、こっちの方が呆《あ》っ気《け》にとられた。  勝子などは、 「なんて図々しい!」  と憤慨したことだが、私には、これが現代で云うところのドライであると思い、 「折角来たんだから、一ヵ月の試用期間をもうけて、使ってみたらどうだ……」  と助言したのである。  今から思えば、甘い判断を下したものであるが、正直に云って、こちらも焦っていたことは慥《たし》かである。  初対面の印象は、先にも云ったように、秋鯖の肌を思わせた。  ぴちぴちと筋肉質でよく引き緊っている感じだった。若い故為《せい》もあろうが、私は、赤い頬っぺたをした、いかにも田舎者のような女中タイプは好まない。  愚鈍な感じがするからだ。  デザインという仕事は、つねに感覚的な新しい物を追い求める仕事だ。  そんな鋭角的な感覚の世界に、愚鈍な人間が、お手伝いとしてでも加わると、なにか全体が生気を喪ったような感じになる。私はそれが嫌いなのである。  ……ともあれ、多少の波乱はあったが、こうして小納戸丸江は、古城家の新しいお手伝いさんとなった。  部屋は、辞めた若い方の女性が、使っていたところが与えられた。  誰でも最初はそうだが、私の家に来た女中は、先ずもって半月は使い物にならない。  だだっ広い、近代的な台所と、食堂とに圧倒されるのだろうか。  丸江も、はじめは茶碗を床に落して壊したり、御飯の炊き方が少なかったり、七人の弟子たちの箸箱が判らなかったり、いろいろとトンチンカンなヘマばかりをやらかしていたようだ。  そのうち、もう一人、新しい女中が入り、炊事、洗濯、掃除……という基本的な仕事にも、昔通り一つのリズミカルな流れが漂うようになった。  私は、台所は覗かないが、家の中で暮しておれば、それ位のことは判る。  勝子と令輔とが、葉山の別荘から帰って来て、秋の新学期がはじまる頃には、私は朝早く起きて、寝室の横にあるプライベートな私のアトリエで画架に向かい、朝食のあとはデザインの仕事、広告代理店や、スポンサーとの打ち合わせ……といった、一年でいちばん多忙な時期を迎えていたのであった。  小納戸丸江が、ある奇妙な変化を示しはじめたのは、今にして思えば、どうやらその頃からのことだったらしい。   二  その奇妙な変化とは、たとえば弟子たちと朝食をとっているとき、なんだか熱っぽい視線を覚えて、ふッと台所をみると、丸江がパンを焼きながら、じいーっと主人である私を凝視《みつ》めている……といったような、実に些細な事柄である。  私は五十七歳で、ロマンス・グレーの髪だけは自慢だが、小柄な方だし、容貌にも自信はない。  二十二歳の若い娘が、熱を上げるには、縁遠い人物なのである。いや、謙遜ではなく、心からそう思っているのだ。  弟子の誰かが、 「丸江ちゃん、先生に気があるんと違いますか? よく、ポーッとなって、先生の顔を見てますよ?」  と冗談を云った時、私はだから、 「そいつは俺じゃアないだろう。きみ達の、誰かさ……」  と、笑い飛ばした位なのである。  まあ、十人並の顔だが、それほど美人という顔ではない。どこといって特徴のない、平凡な顔立ちであった。  強いて賞めれば、眉が濃く、歯並みが皓《しろ》いこと位だろう。  美人だったら、美しいものには眼の肥えた、七人の内弟子たちが、先ず放ったらかしにしてはおかなかっただろう。むろん、研究所としては、所内(といっても古城家の中だが)での恋愛を禁止していたが——。  間もなく年の暮がやって来た。  私の家では、正月をスキー場に近い温泉場で迎えるのが、ここ数年来のしきたりになっている。お手伝いも、二人ほどクジ引きで、連れて行く習慣だった。  その年は、古くからいる女中頭のカネさんが、自発的に留守番を申し出てくれたので、新しい女中たちが、スキーに行けることになった。  水上温泉へは、二台のハイヤーで赴《おもむ》いた。  勝子と令輔と、二人の弟子が一台に乗り、私と女中二人、それにカメラマン一人とが、別の一台に分乗した。  その車の中で、丸江がとつぜん、 「先生……あたし、モデルになりたいんですけれど」  と云いだしたのである。 「モデルって、ファッション・モデルかね」  と訊き返してみると、 「なんでも、良いんです……」  という返事である。  私は苦笑した。モデルと一口に云うが、この世界で喰って行くのは、並大抵のことではない。  女性週刊誌や、婦人雑誌のカラー・グラビアを飾っているモデル達にしたって、食えないので、銀座のホステスになっているのが、大半なのである。  一見、華やかに見える職業だが、決して現実はそうではない。  私は、丸江がそんなことを唐突に云いだしたのは、時折、私の研究所のスタジオに、ちょっと名前を知られたファッション・モデル達が、ポスターの写真を撮りに現われるのを見ているからだろうと思い、いかにモデルという職業が、労多くして収入が少ないかを語って聞かせたのであった。  ところが彼女は、 「あたし、美人じゃないから、ファッション・モデルにはなれません。でも、先生の絵のモデル位には、なれませんか?」  と云ったのだった。 「絵のモデルか……」  私は首を傾《かし》げた。 「モデル代は、安いぞ?」  と云ってみると、 「先生なら、ただでもいいんです」  との返事である。 「生憎《あいにく》と、私は裸婦は描かないんでねえ」  私は、また苦笑を洩らすよりなかった。  その夜遅く、私は一人で、大衆浴場へいった。人ッ気のない、プールのような湯槽《ゆぶね》に、ひっそりと浸っているのが、私は好きだ。 〈やれ、やれ、今年も暮れたか……〉  目を閉じて、ある種の感慨に耽《ふけ》っているとき、浴場のあく音がして、間もなく、聞き覚えのある、「先生……」という声が耳朶《じだ》に響いた。  目をあけると、小納戸丸江だった。 「先生……私の裸をみて下さい!」  彼女は云った。 「莫迦《ばか》! ここは男湯だぞ!」  私は、叱った。 「構いません。だって、先生のほかに、誰もいないでしょう?」  丹前姿の彼女は、躰《からだ》を引っ込めたかと思うと、あッという間に全裸になって、浴室の中を歩いて来たものである。  浅黒いが、均整のとれた体格だった。  しかし乳房は薄く、モデルとしての興味には乏しい。 「きみ、きみッ!」  私は制止しようとした。しかし、制止を聞かばこそ、丸江は平然と湯槽の中に入って来て、低く含み笑いしながら、肩まで湯の中に沈めたのであった……。 「先生……モデルは駄目ですか?」 「いや……まあ、そのうち、お願いするとしよう……」  私は咄嗟《とつさ》に逃げを打って、匆々《そうそう》に湯槽を飛び出したのであった。 〈近頃の娘は、大胆だな!〉  と、心の中で呟きながら……である。  幸い、この小事件は、誰にも発見されずに済んだ。  デザイナーの古城英介が、深夜、お手伝いと男湯に入っていた……ということになると、中傷好きなマスコミ雀は、なんと云って放送するか知れたものではない。  正月の三日間、私は寝酒を愉しむ。スキーに行くには、私は年を老りすぎていたし、炬燵に入って読了できなかった本に目を通し、洋酒をちびりちびり傾ける方が、私の性には合っている。 「正月だし、無礼講でよいから……」  と、内弟子にも、女中にも云ってあったが、丸江は誘われたスキーにも行かず、 「読む本を貸して下さい」  とか、 「蜜柑を食べませんか……」  などと、矢鱈《やたら》と私の部屋に、訪ねて来るのであった。  私が、〈変だな?〉と思いはじめたのは、実はこの時からである。  妻の勝子の話では、丸江は折悪しく生理になった、と云うことだった。しかし、妻たちがスキーに出掛けた昼間、湯上りで上気したような顔をしているから、 「家族風呂へでも行ったのかい?」  と訊いてみると、 「いいえ、大衆風呂です……」  という返事であった。  生理の最中に、平然と大衆風呂へ入れるのか、どうかは、男の私にはよく判らぬが、普通だったら家族風呂を利用するのではないだろうか。   三  正月が過ぎると、春の個展の準備で、私はまた忙しくなる。  朝六時に起きて、アトリエに入る。  朝食までの数時間を、私はパレット・ナイフと格闘するわけだ。  ところが、この人ッ気のないアトリエに、丸江のやつが、 「なにか用事はありませんか?」  と云って這入《はい》り込み、 「私を描いて下さい」  とか、 「お仕事を見物させて下さい」  などと云って、アトリエから動こうとしなくなったから、女中頭のカネさんが、先ず不服を云いだした。  当然、丸江の早朝の行動は、内弟子や、妻の勝子の耳にも入る。  さっそく丸江は、 「先生の仕事の邪魔をしてはいけない」  と叱責《しつせき》されたらしいが、一向に気に留めぬ風で、朝食の仕度の合い間をみては、コブ茶を運んで来たりする。  そして、アトリエに入ったが最後、二十分は動かないのであった。  私は、そんな丸江の行動を、 〈絵が好きなんだろう……〉  位に考えて気にも留めなかった。事実、絵に没頭していれば、見学者の存在など、大して苦にならないものだ。たとえ、それが惚れた異性であったとしても、である。  まして丸江は、私の雇っている女中の一人にすぎない。関心のない女性である。  私が、気にしなかった理由も、理解して頂けるだろうと思う。  だが、ある朝、アトリエから出て行った丸江が、スカートと髪の乱れを気にしながら、トイレに駈け込んでゆく姿を、息子の令輔が目撃したというので、妻の勝子がその話をきいて、逆上してしまった。 「あなた! まさか貴方は、丸江風情と変なことを……」  勝子は、私たちの寝室で、この私を責め立てた。  私は、呆れ果てて、弁解する気もしない。 「考えてもみるがいい。なぜ私が、神聖なアトリエで、そんな不仕鱈な所業を働く必要があるんだ……。丸江は絵が好きなんだ。それでアトリエに入ることを許している。ただそれだけのことじゃないか……」  私は説明した。  勝子は、それでもまだ疑うような顔つきをしていたが、その場はどうにか、誤解だったらしいと認めて貰った。  ただ、私としても釈然としないから、その日から丸江がアトリエに出入りすることを、厳しく禁じたのであった。李下《りか》の冠《かんむり》、瓜田《かでん》の履《くつ》、である。  丸江は、私からその宣告を申し渡されたとき、抗議するように、 「先生は、あたしが嫌いなんですか?」  と、見当違いの返答をしたのだった。  だが、あとで考えると、その言葉はもう少し、意味深長な台辞《せりふ》だったのである。どうやら私は、善人過ぎたようであった。  しばらくは、平穏無事な生活が続いた。  春の展覧会が済み、私の作品が新聞の批評欄でとりあげられて、  ——円熟した手法。  だとか、  ——完成期に入った古城英介。  などと賞め言葉が使われ、聊か私が面喰《めんくら》いもし、反面、良い気持にもなっている頃、またしても丸江が、 「モデルに使って下さい」  と、駄々を捏《こ》ねはじめたのだった。  あとで考えると、丸江の本心は、心の底からモデルになりたい、と云うのではなくて、モデルにさえなれば、私とアトリエという密室で、二人っきりになれる……という点にあったらしい。  つまり、二人っきりの時間——私との数時間を、他人に誇示したい一心だったらしいのである。あとで、いずれ丸江の心理は、明らかにされるが、まだ、この時分の彼女は、女中としての仕事を十二分に果していたし、妻の勝子も、彼女の働きぶりには感謝していたようである。 「モデルになりたいと、そんなに云うんだったら、僕の友人に紹介しよう」  と私は丸江に云い、郷土の後輩でもある成瀬一衛という画家に、 「うちの女中で、モデル志願者がいるんだけれど、使ってみてくれないか……」  と依頼したのであった。  こうして丸江は、日曜ごとに、成瀬君のアトリエに通うようになった。  成瀬は、 「脱ぎっぷりがよいので愕《おどろ》いた……」  と、初日の夜、電話をかけて寄越したが、何度か通わせているうちに、 「折入って話がある……」  と云って来た。  それで、成瀬の指定した上野広小路のバーへ出かけてゆくと、 「先生……あの丸江さんを、本気で愛してらっしゃるんですか?」  と、藪から棒の質問である。  私は唖然となった。 「えッ、なんだって?」  私は、思わず聞き返した。  成瀬君は声を落し、 「彼女……妊娠しているらしいですよ」  と真顔になって云うのである。 「えッ、妊娠……」  私は咄嗟に、七人の内弟子たちの顔を思い浮かべた。  だが、たしか成瀬君は、私が丸江を本気で愛しているのか、と質問して来たのである。となると、彼女を妊娠させた相手は、いかにもこの私だ……と云うことになりはしないのか。  私は狼狽しながら、 「待って呉れよ……。丸江の妊娠と、僕とは、どういう関係なんだね?」  と成瀬に云った。  すると彼は、吃驚したような顔で、 「先生……とぼけないでも、よろしいんですよ。私は、口が堅い方ですから……」  と答えたのである。  私はしばらくは、口も利けなかった。   四  ……成瀬一衛の話というのはこうである。  モデルとして通いはじめて、三回目の日曜日のこと、小納戸丸江が不意に、 「先生。妊娠したら、躰の線が崩れるって、本当なんですか?」  と、成瀬に質問して来た。  それで、 「崩れる人もあり、崩れない人もある。しかし、乳首には変化が現れるようだね」  と云うと、丸江は急に、わアーッと泣きだして、 「あたし……妊娠しちゃったんです!」  と、口走ったのだった。  それで成瀬が、訳をきいてみると、 「古城先生と愛し合うようになって、正月、スキーの宿で交渉をもった。どうやら、そのとき妊娠したらしい……」  と、途切れ途切れながら、丸江は打明けたのだという。  成瀬一衛は同情し、 「古城さんは、そのことを知っているの?」  ときいた。 「いいえ、知りません。先生の奥さんが、ヤキモチを焼いて、先生と二人きりにさせないようにするから、話すことができない……」  と、丸江は云ったのだそうだ。  また彼女は、 「大切な古城先生の子胤《こだね》だから、堕ろしたくはない。出来ることなら産んで育てたい」  とも云い、 「どうか古城先生に、私の心のうちを伝えて欲しい……」  と、成瀬一衛に頭を下げたのだと云う。  それから後は、打って変ったように朗らかになり、丸江は、 「男の子が産みたいわ……」  とか、 「あたし、父に早く死なれたから、古城先生に抱かれていると、父と一緒にいるような気持で、とっても安心するの」  とか洩らし、 「古城先生は素敵だけれど、奥さんは意地悪だから嫌い」  と口走ったのだそうな。  ……これには、私は、ただただ呆れ果てるよりなかった。  私は叫んだ、 「いい加減にしろ!」  と——。  その時の私の心境としては、そう叫ぶよりほかに、どうしようもなかったのだ……。  阿呆臭いというか、莫迦々々しいというかとに角、丸江の言動に、肚が立って仕方がなかったのを覚えている。 〈いったい、どういう気で、そんな嘘を吐いたのだろうか?〉  私は、それが判らなかった。  ……そういえば丸江が、私に、なにか特別の感情を抱いていることは、朴念仁《ぼくねんじん》ではないから、薄っすらと判らないでもない。  だが、彼女が�愛し合って、スキー宿で結ばれ、妊娠した�という当の相手の私は、本人の手すら握ったことがないのである。  いったい、触れ合いもしないで、女が妊娠するだろうか? 人工受精なら、話は別であるが……。  私は、成瀬一衛に、彼女の話は、すべて作り話だと教えた。 「とんでもない女だね。なんの積りで、そんな嘘を、根も葉もないデマを、君なんかに打明けたんだろう……。そりゃア確かに、一緒にスキーへ行き、彼女と私はスキーに行かず旅館でごろごろしていたがね。でも、そんな愛し合う機会なんて、なかったよ」  私は、つよく云った。  だが、成瀬はまだ、丸江の言葉の方を信じているらしい口吻で、 「それで……妊娠しているのは、どうしますか? 産ませるんですか?」  と云うのである。 「関係もしないのに、妊娠する訳はないじゃないか」 「でも、彼女……この頃、ブラジャーはとりませんよ? 乳首が黝《くろず》んでいるから、気にしてるんでしょう……」 「しかし、きみ……」 「この前の時なんか、洗面所で、げエげエやってました。彼女……完全な悪阻《つわり》だと思われますが」 「えッ、本当かい?」  私は、これは捨てておけぬ、と思った。  私が無関係のことは、はっきりしている。  しかし、内弟子の誰かに犯され、妊娠するということだって、あり得るのだ。  私は、目の前が、暗灰《あんかい》色に塗り潰《つぶ》されてゆくのを覚えた。それは実に嫌な、暗く澱《よど》んだ灰色である。 〈一体、だれだろう、犯人は?〉 〈悪阻なら、もう妊娠三ヵ月目に入っている筈だ……。同じ屋根の下に住んでいて、勝子や、他の女中たちは、その事実に気づかないのか?〉  暗灰色のキャンバスが、ぐるぐると私の頭の中で回転しはじめる。 〈犯され、そして妊娠した……。しかし、犯人の名は云えない。それで、この私を犯人に仕立てて、真犯人の名誉を守る……〉  私は、ふっとそんなことを考えた。  むかし、一休禅師は、不義の子を妊《みごも》った娘が、苦し紛《まぎ》れに父親は一休禅師だ……と云ったとき、平然と、 「そう云うのなら、儂《わし》の子じゃろう」  と答えて、娘の急場を救ってやったそうである。  私は、そんな講談の一節を思い浮べつつ、私がいま、丸江から救いを求められているのだろうか、と思い迷ったのでもあった。  ともあれ、私が独りで思い悩んでも徒労だから、私は丸江に直接きいてみるに如くはない、と考えた。  これは当然であろう。  私は成瀬一衛に、 「次の日曜日に、彼女が君のアトリエに訪ねて来たら、池之端の旅館に僕が待っているから、来るように云って呉れないか」  と云った。  なにも外で、二人きりで話し合う必要は覚えなかったのだが、妻の勝子は更年期障害とやらで、近年とみにヒステリックになっている。  だから、なるべく妻の知らないところで、この事件を処理しておこう……と私は考えたのだった。  でも後になってみると、この池之端での、丸江のいう�逢曳《あいび》き�が、どれだけ事態を紛糾《ふんきゆう》させたか、わからないのである。  私の善意から出た�思いやり�が、逆に私の咽喉を突く�刃�となったのだから、世の中は皮肉すぎる。   五  次の日曜日——私はゴルフへ出かけると嘘をついて、ゴルフの道具をかついで新宿まで行き、小田急駅に道具を預けて、国電で上野まで行った。  成瀬君のアトリエは、鶯谷にあるから、池之端までは僅かな距離だった。  私が指定した旅館は、不忍池の傍にあって見晴しだけはよい家である。  座敷に寝転って、弘済会の売店で買った小説を読んでいると、間もなく、成瀬君が丸江を伴ってやって来た。  成瀬君には、立会人になって貰う積りであったが、丸江は私の質問に答えず、 「先生と二人きりにして下さい。そうしたら本当のことを云いますから……」  と主張してきかない。  それで成瀬君には、 「お聞きのような次第だから……」  と帰って貰った。  そして二人きりで向かい合い、 「さあ、話してごらん……」  と優しく声をかけると、丸江は突然、 「わたし、先生が好きなんですウ……」  と、畳の上に泣き伏すではないか。  いかなる場合でも、男は女に泣かれると、弱いものである。  私は仕方なく、丸江の背中を撫でてやりながら、 「私が好きだということと、今度のことは話が違うだろう……。さ、訳を云ってごらん」  と云いさとした。  丸江は、三十分近く、泣きじゃくっていたが、不図、涙に濡れた顔を挙げると、 「先生。あたしが嫌いですか」  と、喰い入るように私を見詰めた。  私は、ためらった。  好きにも嫌いにも、関心がないのだ。なんとも答えようがない。  しかし、嫌いとも云えないから、 「嫌いじゃないよ……」  と答えた。 「あたし……先生のことばかり、毎日、毎日、想ってるんです。死にそうに、好きなんです、先生!」  丸江は、私に獅噛《しが》みついてくる。 「きみ! 人が来るよ……」  私は狼狽した。だが丸江は平気で、 「先生! たった一度で良いんです! 私を抱いて下さい! 愛して下さい!」  と、口走りつづけるのだった。  私は、近頃の若い娘が、勇敢で、そして無神経に言葉を使うものだ……ということを、思い知らされたのであるが、私たちの時代には、面と向かって異性に、「愛しています」というセリフは使わなかったものだ。  それはまるで、チューブからひねり出した絵具を、その儘、キャンバスに塗りたくるのと同じで、使うのが気恥しい言葉であったのである。しかし、最近は、そんなことはお構いないらしい。  ということは、原色の時代になったということだろうか。  私は、私の胸に顔を押しつけて、 「思い出が欲しいんです。二度とは無理を云いませんから……」  などと口走りつづける、二十二歳の小娘を聊《いささ》か持て剰《あま》し気味であった。いや、彼女に、圧倒されていたと云ってよいだろう。 「わかった、わかった……」  私はようやく陣容を建て直すと、丸江の躰を起し、 「なぜ、成瀬君に、私の子供を妊娠しただなんて、云ったんだね?」  と訊いた。  丸江は大きく一つ、しゃくり上げ、 「あたしが、こんなに先生を愛してるのに、先生は、あたしを、見向きもしてくれないからですウ……」  と肩を顫《ふる》わせる。 「見向きもしないって、きみ……僕の年を知ってるのかね?」  私は苦笑を洩らした。 「五十七歳です、先生は……」 「そうだ。きみは二十二歳。間に三十五もの隔《へだ》たりがあるんだよ?」 「知ってます! でも、構いません!」 「そっちは構わないかも知れないが、こっちは大いに構うね。親子ほども、年齢が違うんだから……」  私は、低く声を出して微笑《わら》った。 「でも、なぜだい?」 「先生が、憎らしくなったんです……」 「ほほう。見向きもしてくれないから、憎らしくなった……それで、私と関係したと、嘘をついたのかい?」 「……そうです、先生!」 「ふーん、しかし、困った嘘を吐くんだね、きみは……」 「先生が、好きなんですウ……」 「わかった、わかった、もう泣くな。それで……妊娠したというのは、本当かい?」 「怒りますか、先生……」 「別に、叱りゃしないさ。ただ、軽はずみなことをしたもんだとは、思っているよ。心配なのは、その相手だが……」 「…………」 「差し支えなかったら、相手の男の名を云って呉れないかね?」 「先生に……叱られます!」 「私が叱る?」 「は、はい……」 「すると……相手は、私の家にいる、ということかい?」 「それは……云えません……」 「云えない? 困るなあ。きみは、その子を産む気かね?」 「わかりません……」 「丸江さん。大切な一生だよ。私としても君を預った以上……」  私が説教口調になると、丸江は泣きながら馬鹿力で私に抱きついて来て、 「先生! どうなったって、良いんです! 丸江を抱いて下さい。丸江の恋人として、今日だけ、先生を下さい!」  と、私を畳の上に押し倒してしまい、自分から躰を重ねて来たのである。  ……私とて、朴念仁ではない。  若い女から、そんな積極的な行動に出られて、感じないほどの耄碌《もうろく》もしていないし、インポテンツでもなかった。  情欲が、真紅の焔となって、私の躰の芯を疼《うず》かせた。  私は不図、理性を忘れた。  畳の上での情痴。私は、女の下着の裾からむかしフランスの淫売婦を喜ばせた、薬指をそっと忍び込ませた。  丸江は、躰を震わせて、私の指の愛撫を受け容れた。  ややあって、私は自分の洋服を脱ぐべく、そっと立ち上った。そして、上衣とネクタイをとり去り、ワイシャツを脱ごうとすると、なにか茶色味がかったものが、シャツに附着するではないか……。  私は、指を嗅いだ。それは、血の匂いであった。  生理の血である。  私は仁王立ちになって、丸江の躰を見下ろしながら怒鳴った。 「帰れ! 妊娠しているというのまで、真ッ赤な大嘘じゃないか!」  と——。  だが、先に帰ったのは、私の方だった。  丸江が、不貞腐《ふてくさ》れたように、その場に泣き伏して、帰ろうともしなかったからである。私は、宿の勘定を済ませ、ワイシャツの血痕をかくすために背広の襟を立てて、赤札堂へと急いで行ったのである。   六  無視された腹癒《はらいせ》に、ありもしないことを吹聴《ふいちよう》して歩く。それは、女の世界では、ありふれたことかも知れない。  私自身も、その�妊娠のデマ�事件には、釈然としなかったが、そうかと云って、事件のすべてを勝子に打ち明けて、丸江を辞めさせるというのも、大人気ない気がした。  なにもなかった女中を、辞めさせろ、と私が命令したら、勝子の方が、 〈なにかあったのでは……〉  と勘ぐるかも知れない。  そうなると、丸江がアトリエに入り込んで来たことや、髪とスカートの乱れを直しながらトイレに入ったという証言や、スキーに行かず二人きりで旅館にいたという事実などが�意味�をもって来ることになる。  だらしのない話だが、私は、そのことの方を懼《おそ》れたのである。  お手伝いとしての働きは申し分ない。  料理も上手だし、来客の応対だって、鮮やかなものである。つまり、丸江の仕事ぶりについては、非の打ち所はないのである。  しかし、裏に廻ってみると、主人の私としては、困ることだらけなのだった。しかも、それがヒステリーの妻には、打ち明けられないことだから、なお困るのである。  私は一晩考えた挙句、デマ事件は不問に附すこととし、成瀬君にも、 「きみをかついで喜んでたらしいんだ。悪気じゃないらしいから、許してやってくれたまえ……」  と電話を入れて、彼女の立場を取り繕《つくろ》ってやったのである。  今にして思えば、この温情主義が、さらに古城家に波乱をまき起すことになるのであるが、私としても迂闊《うかつ》であった。  池之端の出来事があってからは、丸江の方も、なんとなくおどおどして、私を妖しい眼付で見詰めたりしなくなった。  私は、少しは懲りたらしい、と思い、以前と変らぬ多忙の日々を送りだした。  また夏が訪れ、令輔と勝子が、葉山の別荘で暮すことになった。そのとき、私は一も二もなく、丸江を葉山に連れて行くようにと命じた。  なるべく、危険な小娘と、一緒になる機会をつくりたくなかったのである。  これが、丸江には不服だったらしい。  彼女には、まる一ヵ月近く、勝子たちが東京を留守にするその期間こそは、彼女の云う�愛情�を得るチャンスだとでも、考えていたのだろうか。 「あたし……東京に残りたいんです」  彼女は、風呂上りの私を捉えて、二度も三度もそう云ったが、 「また妊娠すると、困るからね……」  と、私は、私たちにだけ判る皮肉を応酬して、チャンスをつくらせなかったのである。  家族が別荘へ行っている間、私の研究所で働いている者、そして出入りするデザイン関係者は、三々伍々、グループをつくって、葉山を訪れるのが例年の習慣である。  八月初旬のある土曜日、私は二人の内弟子を連れて、葉山へ行った。  その日の話題は、房州育ちの丸江が、溺れかかって、ボートを漕いでいた令輔に助けられた……という事件であった。  私は、丸江が泳げないのを不審に思った位で、さしてこの事件を気にとめなかったが、それは考えようによっては、意味深長な事件ではあったのである。  令輔は、高校一年生になっていた。  幼い頃から病弱で、ひょろひょろ型に育ったが、それでも水泳とスキーのお蔭で、近頃は見違えるほど大人っぽくなっている。  しかし、私の眼からは、まだ洟垂《はなた》れ小僧であった。一人前の大人——生理的には一人前であることを、私は忘れていたのである。  翌日、海で一泳ぎして、昼食後、午睡《ひるね》を貪っていると、妻の勝子が蒼い顔をして、 「あなた……大変だわ……」  と、私を揺り起した。 「どうしたんだね?」  と聞くと、バッグに入れておいた、翡翠《ひすい》の指環がなくなったという。  それは、私が数年前、中共から招待されて旅行したとき、北京の宝石店で買い求めて来た逸品であったのだ。  翡翠という宝石は、色が濃い緑色で、それがより深く澄んでいて、むらがなく、傷のない、肉の厚いものが極上品《ごくじようひん》とされている。  私の買った品は、その極上品の名に相応《ふさわ》しい翡翠で、銀座の宝石店主が、即座に、 「百万円なら、お引取り致しますが」  と云った位の値打ち物だった。  それを知っているから、妻もそれを大事にしている。肌身離さず、その翡翠だけは、自分の傍においていた程であった。  別荘の中で、盗難というのも変だから、私は勝子に、 「どこかに置き忘れたんだろう。よく探してみなさい」  と命じた。  二時間後、その紛失した翡翠は、やっと出て来た。  鏡台の脇の、屑カゴの中に、転がっていたのである。  勝子は、 「変だわ。たしか、バッグに納《しま》ったと思ったのに……」  と首を傾げたが、私の方は、それどころではなかった。  指環探しの過程において、私が東京から持って来たバッグの中に、女性用の派手なパンティと、コンドームとが発見されたからである。  私の、身に憶えのない品物だった。  しかもパンティは、使用中の品物で、ある部分の汚れが目立っている。 「貴方……。これは一体、どういうことなんですか? 新品の下着なら、ゴルフの賞品だと云い逃れも出来ますけれど、これでは云い逃れはできませんよ? どこの誰と、変なことをしたんです!」  指環が出てくると、勝子は元気づいて、私の首を絞め上げて来た。しかし、私には、天地神明に誓って、覚えはない。  いくら説明しても勝子は納得せず、月曜日の朝、私が東京へ帰るときに、のこのこと私に蹤《つ》いて帰って来たのであった……。  勝子は、自分が留守を幸い、私が東京で浮気を働いていると、考えたらしいのだ。  女という動物は、厄介な代物であるが、あの翡翠紛失事件は、盗むのが目的ではなく、捜査のプロセスにおいて、私のバッグから、変な品物が出て来る……というのが、狙いだったような気がする。  つまり、指環を隠したのは丸江であり、私のバッグの中に、コンドーム一函と、汚れたパンティを押し込んだのも、丸江ではないかと、私は思うのだ……。  別荘の中に、勝子と丸江としか、女性はいないのだし、妻はあんな派手なナイロン・パンティを穿かないから、犯人は小納戸丸江としか思えないのである。そして、その真意は私が妻から疑われ、夫婦喧嘩になることにあった……と想像されるのである。   七  夏休みが終って、私は一人息子の令輔が、昔のような快活さを喪って、妙に、ふさぎ込み、顔色がよくないのに気づいた。  医者に連れて行かせてみると、 「別に異常はない。夏疲れでしょう」  という診断であった。  ……ある夜、私は翌日、出品する三十号の油絵の、どうにも気になる部分があって、夜中に起き上って、アトリエに籠《こも》った。  一心に絵筆を動かしていると、廊下の板が微かに軋《きし》んだような音がした。 〈この真夜中に?〉  と思い、そっとアトリエの扉をひらき、暗い廊下の玄関あたりをみると、白い人影が、女中の寝室に吸われるところであった。  私は、内弟子たちの背恰好を思い浮べ、 〈丸江の部屋だな! 困った女だ……〉  と、軽く舌打ちした。  古城デザイン研究所では、恋愛を禁じている。仕事は仕事、恋愛は恋愛と、けじめをつけないと、研究所とは云い条、私の家の中だから、風紀のみならず、結束が乱れるのだ。  だから翌日、私は七人の内弟子を、私のアトリエに呼び、 「この中に昨夜、女中部屋に忍び込んだ者がある筈だ。誰か、名乗って貰いたい」  と、申し渡したのだった。  ところが、七人のうち誰も、 「私です」  と、申し出た者はない。  私は、憤慨した。  むこうがその気なら、いずれ現場をおさえてやる、と私は思った。  私は、迂闊《うかつ》にも、自分の子供の存在を、失念していたのである。  私が、内弟子たちに、ある宣告をしたことは、たちまち有名になったが、ある夜、私が宴会から戻ると、妻と丸江とが、応接室で気づまりそうに坐っていた。坐っているというより、対峙《たいじ》している感じだった。 「どうしたんだ?」  と聞いてみると、勝子は、 「この間の、女中部屋の犯人のことなんですけれど、丸江ちゃんに聞いてみたら、真犯人は、うちの令輔だと云うんです……」  と答えた。 「え、令輔が?」  私は考えてみて、そういえば、三階にいる内弟子たちなら、階下のトイレに行かない限り、アトリエの前の軋む廊下を通る必要がないことに気づいた。階段は、すぐ玄関の正面にあるのだ。  つまり、アトリエの前を通るのは、その奥にある私たち夫婦か、一人息子の令輔以外にいないのである。  私は、令輔の寝室のドアを敲《たた》いた。ドアを閉め、息子をベッドの傍に坐らせた私は、 「令輔。きみは、もう女を知ってるね?」  と、静かに云った。  息子は、面目なさそうに俯向《うつむ》き、 「……うん」  と答える。 「誰に、教わったね?」  私は、令輔の眼をみた。息子は、低い声だが、きっぱりと、 「丸江さん……」  と返事をする。 「いつ? どこで?」 「そのう……丸江さんを、ボートに助けたとき、寒いから抱いてくれと云って……」 「ボートの上で?」 「うん……その時は、マスターベーションをしてくれたんだ……」 「……それから?」  私の顔は、硬ばった。これは、明らかに、私に対する報復ではないのか。私の眼の前はまたもや、暗灰色に厚く塗り潰された。 「ママとパパが、東京に帰って……葉山で」 「葉山で! じゃア、続いているのか?」 「うん。だって……気持いいんだもん!」 「莫迦ッ!」  私は、思わず令輔の躰を、突き飛ばしていた。息子が憎かったわけではない。  私に対する面当てに、息子を�誘惑�した女中の小納戸丸江が、いや、その悪辣な誘惑に乗った息子が、憐れだったのである。 〈よくも一人息子を!〉  私は、逆上した。  しかし、煙草を吸い付けて、冷静さを取り戻してみると、いま、ここで事を荒立てると息子の一生涯の不愉快な想い出になる……と考え直しはじめた。  のびのびと育てたい一人息子が、なにか暗い傷を、十六、七歳で背負い、その儘《まま》生きつづけるのでは、親としてやり切れない。  私はハイヤーを呼ばせ、退職金を弾んで、すべてを私一人の胸に包み、丸江に帰郷を命じたのだった。丸江は、反抗する眼の色で、私を睨み、 「あとで、荷物はとりに来させますわ」  と云い捨てて、姿を消して行った。  ……この事件の、敏速な処置は、事件を有耶無耶《うやむや》に葬り去るには、少しは効果的だったと、私は自惚《うぬぼ》れていた。  ところが、つい最近のことである。  私が、ブラッセルの国際デザイン会議から戻ってみると、妻の勝子が、一通の分厚い封書を示して、 「一人息子に、罪を着せるだなんて、貴方も大した悪人ね。池之端の旅館のことも、ちゃーんと調べました。あんたの顔なんか、見たくもないわ!」  と、荒々しく私を突き飛ばし、寝室から出て行ったものである。封筒の中からは、生まれた許りの赤ん坊を抱いた丸江の写真と、便箋に書き込んだ手紙とが出て来た。 『前略、ご免下さいませ。奥さまには、御健勝でいらっしゃいますか。私こと、いろいろとお世話さまに相成りましたが、このたび無事、ご主人の子供を出産いたしましたから他事ながら御放念下さいませ。名前は、ブラッセルからご主人に、英丸とつけて頂きましたので、ご報告申し上げます。  私とご主人の仲が、お勤めすると同時に、はじまったように奥さまはお思いでしょうけれど、実は�告知板�をみたことにして、家に住み込めと仰有って下さったのは、英介なのでございます。私は、勤めて以来、二人の仲を奥さまに気づかれぬかと、それだけをハラハラしておりました。  私が毎日曜ごと、モデルに出ましたのも、英介のプランでございまして、たとえば、池之端の旅館では、子供を堕ろす相談をいたしましたし、令輔さまを真犯人と嘘をつきましたのも、お腹が目立ちはじめましたので……』  私は、目の前が、どす黒く澱《よど》み、無数の原色のチューブが噴出して、私の躰を押し包むような錯覚に襲われはじめた……。 嘘つきの天才   一  放送作家の矢牧が、混血児のマリーを知ったのは、三年前のことである。たしか�六本木族�の犯罪をテーマにしたテレビ・ドラマを民放局から依頼されて、深夜取材に出かけた時のことであった。  六本木から竜土《りゆうど》町へ寄った都電通りに、不良外人のよく集る〈マッハ8〉というレストランがあり、そこにも六本木族が出没するというので、矢牧はプロデューサーの田村と一緒に、午後十一時ごろから、その店へ行ってビールを飲んだ。  アメリカの下町あたりによくある、なんの変哲もないレストランだが、壁には外国映画のポスターが乱雑に貼られて、グリニッチ・ビレージにある地下バーのような、頽廃的なムードを醸《かも》しだしている。椅子やテーブルはお粗末で、テーブルには格子縞《じま》のビニール・クロスが貼られてあり、ところどころ焼け焦げ跡があった。  ミュージック・ボックスがおいてあって、少年とも青年ともつかぬ外人が、ジーパンに色物シャツというだらしない恰好で、入れ替り立ち替り、五十円玉を入れにやってくる。  客の半ばは、そんな外人ばかりであった。あとは、客待ち顔の日本人の娼婦ばかりである。 「なあんだ……六本木族なんて、居やしないじゃないか」  と矢牧が云うと、プロデューサーは頭を掻いて、 「たしか、そう聞いたんですがね。ここのオニオン・スープが美味しいそうですから、もう少し粘ってみましょう」  と答えた。  矢牧は演劇の研究のため、アメリカからヨーロッパを廻って、一年ぶりに帰国したばかりであり、聊《いささ》か気負い立ったようなところがあった当時であった。  もともと留学する以前に、彼の放送作家としての収入と地位は安定していたのだが、帰朝第一作で、しかも民放祭参加の、初の一時間三十分という大型ドラマの執筆という大役を与えられたということもあって、少しは緊張もし、興奮もしていたのだろうか。  矢牧は苛立ちながら、六本木族の出現を待ち佗《わ》び、 「オニオン・スープというのはだね……。パリあたりでは、深夜の飲み物……なんというか軽い夜食代りに好まれるんだね。餅みたいな煉りチーズが入っていてさ、モンパルナスの店で喰べたのは美味しかったなあ……」  などと、キザな食べ物の話などして、時間が経つのを、まぎらわしていたことを憶えている。その名物のオニオン・スープを啜り終っても、目指す獲物は来ず、 「一廻りして、また覗《のぞ》きますか」  と、田村が勘定のため立ち上った時、四人ばかりの一団が、ぞろぞろと入って来たのであった。  男女二人ずつのカップルで、年の頃は十八歳前後とみえたが、その中に髪の毛を長くして、きわめて背の高い、外人としか思えないような顔立ちをしたマリーが混っていたのである。  鼻梁《びりよう》が高く、小鼻の肉が薄いため、それはなんとなく尖って見えた。瞳の色は黒だが、長い睫毛《まつげ》のために、鳶《とび》色がかって愁いを含んだ瞳のようにみえる。  美貌であった。  矢牧は一瞬、スペイン女性だと思い、その彫りの深い顔立ちに心を魅かれた。 「あ、来ましたね」  と、田村プロデューサーが振り返るより早く、矢牧は立ち上って、そのグラマーな女性を追っていた。  ——失礼ですが、アメリカの方ですか。  彼は英語で声をかけた。  すると女性は吃驚《びつくり》したような顔で振り向いて、矢牧をまじまじと眺め、静かに首を横にふった。  ——スペイン人?  女性は、また首をふった。  ——何国人ですか? 私は脚本家の、矢牧と申します。  彼が丁重に挨拶すると、女性の顔に嘲りとも怒りともつかぬ色が浮かび、 「うるさいな。日本人だよッ」  という、思いもかけぬ歯切れのよい言葉がポンポンと、飛び出して来たのである。  矢牧は信じられないような顔をして、 「きみが、日本人?」  と口走っていた。  あとで知ったのだが、マリーは自分の父親であるアメリカ人(当時GIであった)を慕いながらも、あまりにも日本人離れした顔つきであるが故に、日本人になり切ろう、なり切ろうと努力しており、見知らぬ人が彼女を外国人だと�誤解�すると、腹を立てて反抗的な態度を示すような、ちょうどそんな時期にあったのである。  マリーは、矢牧の信じられないような問いかけに、ふンというように鼻を鳴らし、 「日本人で悪かったね。なにさ!」  と怒鳴った——。  ともあれ、これが矢牧敬介と、マリー・徳永との出会いであった。  その頃、マリーは東北の高校を二年で中退して、家出して来た不良少女だったのだ。  ある電機製品のメーカーと、専属モデル契約が結ばれたのを幸い、母親に黙って上京して来たものの、月二万円の専属料では衣裳も買えず、従って良い仕事を貰えないので自棄となり、若いので遊ぶ方が面白く、六本木族仲間にいつしか加わって、友人の家を転々としている……というのが、その時のマリーの生活状況だったのであった。  矢牧は、そんな彼女の混血児としての悩みとか、反撥ぶりが面白く、田村プロデューサーと相談して、六本木から舞台を横浜に移して、混血児問題をとり上げることにしたのだったが、その取材のため、一週間ばかり彼女を自分の家に寝泊りさせて、あれこれと話を聞いたり、連れ立って横浜へ出かけて行ったりしたのだ……。  彼は、ある製薬会社の宣伝部の嘱託をしており、その嘱託料が月に五万円あった。  矢牧は、マリーに云った。 「マリーちゃん。きみの顔と躰だったら、一流のモデルになれるよ。僕の余分の収入が、月に五万円あるから、向こう半年間、このお金をきみに上げよう。僕も協力するから、ひとつ頑張ってみたらどうだね?」  と——。  それは正直に云って、矢牧がマリーの美貌に心を魅かれたからでもあったが、混血児である悩みを、生のまま自分にぶつけて来てくれた、彼女に対するお礼心でもあった。それは六本木族の仲間入りをしながら、酒こそ飲むが睡眠薬遊びをするでなく、男と遊ぶが決して男とは寝ないと云う、なにか一種の芯のある生き方に、共感を覚えたことも手伝っている。  マリーは、矢牧の好意を素直に受け入れ、 「よろしくお願いします」  と云った。  矢牧の〈混血の娘たち〉は、幸い好評で、その年の芸術祭賞を受賞できた。  彼としては鼻が高かったが、矢牧敬介の名声が上がってゆくのに反して、混血のマリー・徳永の、モデルとしての評価は、一向に定まらない感じであった。   二  性格かもしらないが、矢牧は中途半端なことは嫌いであった。  彼のセリフを借りれば、マリー・徳永に、〈肩を入れる〉以上は、とことんまで面倒をみてやりたい方なのである。  矢牧は妻の初江にも話し、一度は自分の家に引き取ってやろう、と提案したこともあった。  しかし、なんせ美貌の上、背の高い彼女の姿は、狭い家の中では、どうしても目立つ存在であり、これは妻の反対で駄目になってしまったが、その代り矢牧は、ドラマのモデル料と云う意味で、敷金を払って四谷にアパートを借りてやった。  家賃は二万円たらずだから、五万円あればなんとか物価の高い東京でも、女ひとり暮してゆける。  矢牧は、駿河台のホテルを借りて、原稿書きの仕事をするのが、従来の習慣であった。  朝起きて、食事を済ますと、仕事場のホテルへ入る。昼間は原稿を書き、夕方はホテルのロビーで仕事の打合わせなど済まし、テレビ局へ行って本番前のリハーサルを覗く。それが矢牧の日課であった。  連続物を三本、帯ドラ一本を抱えた矢牧敬介は、文字通り多忙であったが、その合い間を縫って彼は、マリー・徳永を女性週刊誌の編集者に紹介し、ファッション・モデルとなるにはどこの団体がよいのか調べてやり、 「とにかく一流の品を見、一流の味を知らなければ、一流のモデルになれない」  と云って、マリーから電話がかかってくれば、時間の許す限り、銀座の一流の店を歩いて、たとえば宝石店なら、 「いいかい。メキシコ・オパールというのはなぜか日本人は珍重するが、現地では色が変るので、心変りを意味して嫌われているんだよ。だから男性から、オパールをプレゼントされたら、ハイ、さようなら、という意味になるわけで、メキシコ女性は忌み嫌ってる。オパールの値打ちは、肉が厚くて傷がなく、色が橙《だいだい》色でなく青味がかった方が良いんだ。オパールは必らず罅《ひび》われすると云われてるんだけど、メキシコの宝石商人は、そんな罅の入ったオパールを、重曹入りの微温《ぬるま》湯《ゆ》に一昼夜漬けておく。すると、どういう加減か、罅がわからなくなってしまう。それを日本人の観光客に、良い品だと云って売りつけるわけだなあ……。日本へ帰ってみると、いつのまにか罅が入っているという寸法さ」  などと、矢牧のもつ知識のすべてを披露してやり、そのあと一流のレストランで食事を共にとったのである。  かと云って、矢牧はマリー・徳永の、手ひとつ握ったことはないのであった。純真な彼女を、その儘、自分の好みに飼育してみたい……という気持が働いていたからであろう。  結果、マリー・徳永は、ファッション・モデルのグループとしては中堅どころだが、名の売れたモデルを擁した〈ひまわり・グループ〉に加入した。  そのグループには、混血女性が一人もいないし、彼女のような日本人離れした体格と、エキゾチックな美貌の持ち主は、ある意味で重宝がられると考えたからである。  マリー・徳永の欠点は、ヒップから太腿にかけて、肉がつきすぎていることだそうで、そのために減食をやり、毎朝、暗いうちに起きて四谷三丁目から神宮外苑を駈け足で運動し、暇をみてはビール瓶を横にしてこすり、贅肉《ぜいにく》一掃に努力している……という下手糞な文字の手紙が来たっきり、彼女から電話がかからなくなった。  考えてみると、丁度、半年が経っていた。  混血児で、意地っ張りの彼女は、約束の半年が来た以上、もう、駿河台の矢牧の仕事場に、月末お金を貰いに行くのが心苦しく、それで来ないのだろう……と考えはしたが、矢牧としては、それならそれも良いだろう、という積りであった。  マリー・徳永が、ホテルへ電話をかけて来ず、月末に現われないのは、たしかに彼としては心淋しいことであった。  しかし、矢牧の故郷では、  ——手紙が来ぬは無事なる証拠。  という格言がある。  人間、病気したり、金に困ったりした時には、必らず無心の手紙を書くものだが、その手紙が来ず、音信不通の時は、無事で暮している証拠だから、なにも案ずることはない、という意味であろうか。  その格言の故為《せい》でもないが、矢牧敬介は、マリー・徳永が本当に困ったら、自分のところに泣きついて来るだろう……と甘く考えていたのであった。  だから、さほど彼女のことを、心配もしなかった。  いや、心配しなかったと云えば、それは嘘になる。心の隅で、たえず心配もし、電話して呉れないのを怨んではいたが、かと云って自分の方から積極的に電話はできない状態……そんな状態で、またたく間に半年が過ぎ去っていったのであった。  彼の仕事が、忙しかった故為もある。  しかし、折をみては女性週刊誌などに眼を通し、マリーがファッション写真などに出ていないかと、気を配っていたのは事実だ。  でも彼の期待に反して、あまり彼女は活躍していない様子であった。 〈半年間の投資も、無駄だったか……〉  矢牧敬介は、そう考えて失望し、反面、 〈やはり競争の激しい世界だからなあ〉  と思い直したのだった。  マリー・徳永は、たしかに美貌であった。しかし、その美貌だけでは、ファッション・モデルになれないのである。  モデルには、衣裳の線の美しさを強調する必要から、先ず極限状況に近く躰を痩せさせることが要求される。  あの針金のように、ガリガリに痩せ細ったモデル達の体格は、実は生活を守るための、最低限の条件なのである。  ヒップから太腿にかけて、外人女性なみに贅肉のついたマリーが、いくら駈け足をやったからと云って、一朝一夕に痩せるものとは考えられない。  矢牧は、あるとき〈ひまわり・グループ〉の銀座事務所に電話をかけて、 「マリー・徳永さんをお願いします」  と云った。  すると事務所の女の子は、 「あのう……お休みですが」  と答えたのだった。 「えッ、休みというと?」 「病気らしいんですけれど——」  相手は冷たく答えた。  翌日、時間の余裕が出た時を見図って、矢牧は四谷三丁目に彼が借りてやったアパートに赴いた。  ドアをノックすると、「はあーい」という間のびした返辞があって、顔を覗かせたのはマリーとは別人の女である。矢牧敬介は眼を疑った。 「あのう……こちらはマリーさんのお宅ではありませんでしたか?」  彼がきくと、眼の大きい唇の肉感的なその女性は、 「前はそうだったんですけれど、マリーちゃん、お金に困って、私に代って呉れといったんです……」  と早口に云った。  代って呉れ、とは、つまり家賃も高いし、アパートを出れば敷金が入ってくるから、と云う意味なのであろう。 「それで、どこに?」  矢牧は云った。しかし、その女性は彼の質問には答えず、 「失礼ですが、矢牧先生でいらっしゃいますね?」  と、大きな眼を涼しく張って云った。  これが、伊藤聖子との出会いであった。   三  伊藤聖子は、マリー・徳永とおなじく、ファッション・モデルの卵であり〈ひまわり・グループ〉の一員だった。  年齢はその頃、二十一歳といっていたからマリーより三つ年上になる。  小柄な、いかにも、ジュニア雑誌向きのモデル・タイプであった。顔は、あまり美人ではないが、かと云って見直してみると、どれと云って欠点はない。いわゆる整った顔立ちをしているのだが、個性美がないのであった。  しかし伊藤聖子は、そんな自分の顔によほど自信があるらしく、 「あたし綺麗すぎるでしょう。だから先輩たちによく意地悪されるの。あたし、美人に生まれたことを恨むわ……」  などと、ぬけぬけと矢牧に云ってのけたことがある。  矢牧は冗談かと思って、聖子の顔を見返したが、その時、本人は本気で云っていたのであった……。  その伊藤聖子も、マリーと同じくモデル志望で、彼女のセリフを借りると、 「あたしの武器を最大に生かす仕事を捜したら、俳優か、モデルしかないでしょ。あたし声がわるいから、モデルを選んだの……」  ということになる。  その日、矢牧敬介は伊藤聖子を道案内にして、池袋に移ったマリー・徳永のアパートを訪ねた。  アパートと云っても、粗末な木造の建物で、ぎしぎしという階段を昇った左手の、四畳半の部屋が、マリーの新しい�城�であった。  マリーは、木綿の、掛け布もかかっていない、薄汚れた蒲団にくるまって寝ていた。  顔が黄色くむくみ、あきらかに黄疸の症状である。  矢牧は、急いで入院の手続きをとらせたが、マリーは、 「いいんです。もう直ぐ癒りますから」  と蚊の鳴くような声で云った。  矢牧の方は、手紙がないのは無事の証拠——と思い込んでいたのだが、マリーはその後収入がなく、それで矢牧が借りて呉れたアパートを、聖子に安く譲って、この池袋の権敷なしの前家賃というボロ・アパートに引き移っていたのである。  きいてみると、二十万円の敷金のうち、十二万円しか伊藤聖子に貰っておらず、それで溜った家賃、池袋の前家賃を支払うと、九千円ぽっちしか残らなかったという。 「莫迦《ばか》だなあ。なぜ僕のところに、云って来ないんだ」  矢牧は、伊藤聖子が居るのも忘れて、そう叱りつけたが、マリーは、 「でも、あれ以上、先生に甘えたくなかったんだ……」  と恥しそうに云ったのである。  彼は、マリーのそんな�根性�がひどく嬉しかった。半年だけ面倒をみてやる、と云った矢牧の言葉を、忠実に受け容れて実行している十八歳の混血の女性——。  パンと水だけで、歯を喰い縛って頑張ったというマリーの、現代人らしからぬ、古風な態度に、彼は心を打たれたのだ。  一週間の入院で、マリーは健康をとり戻して帰って来た。そして駿河台のホテルに、伊藤聖子と共に挨拶に来たのであった。 「病気したお蔭で、痩せちゃったわ。それで事務所へ行ったら、すぐ仕事を貰えたの」  マリーは嬉しそうに告白したが、矢牧敬介は、 「自由職業というのはだね、なによりも躰が資本なんだから、先ずそのことを念頭において生活しなければ駄目だよ」  と説教し、 「いつか話した日記……つけてるかい?」  と云った。  それは、彼から半年間にわたり、五万円の援助を貰うのが心苦しいと云ったマリーに、矢牧が、 「だったら、君が一日のうちに感じたこと、口惜しかったこと、嬉しかったことを、ありのまま日記につけて、私に見せて呉れたらいい。私は、その日記のために、金を出すんだから……」  と云ったことをさす。  彼女の心の負担を、少しでも軽くしてやろうという気持から、そんな提案をしたのであったが、彼女はその約束を忘れてはいない様子で、 「うん。毎日じゃないけど、ときどき……」  と答えたのだった。  この�日記の秘密�が、後に、矢牧敬介を悩ませることになるのである。 「本当に困ったら、遠慮せずにおいでよ。いいね?」  矢牧はそう云って、マリーを仕事場のホテルから帰したのであった。マリーは、少し痩せた頬の肉を両手で押さえながら、低く、 「頑張ってみます」  と云うと、ペコンとお辞儀をして、ドアからすり抜けて行った。その時、伊藤聖子が保護者気取りで、 「今後とも、よろしくお願いします……」  と挨拶したことが、なぜか強く印象に残っている……。  それからまた、半年あまりが過ぎた。  その間、マリー・徳永からは、 「あるカメラマンから、ヌードを撮らせろ、と執拗《しつこ》く云い寄られて困っている。恨まれないで撃退する方法はないものか……」  という相談の電話があっただけで、 「元気かい?」  と矢牧がきくと、 「ええ。また肥って、困ってんの」  と、彼女は朗らかに笑い声を立てた。  ところで、その年の十二月も押しつまったクリスマス前のことである。  仕事場に女の声で電話がかかって来た。  電話の主は、伊藤聖子であった。 「なにか、ご用ですか?」  矢牧敬介が、改まって聞くと、彼女は、 「あのう……マリーちゃんのことで、大切なご相談があるんですが」  と云った。 「どんなことです? 云って下さい」  と矢牧が問い返すと、伊藤聖子は、 「あのう、電話では駄目なんです。そちらへお伺いしてよろしいかしら?」  と、ひどく狎《な》れ狎れしい。  矢牧は、さほど気にも留めず、 「ああ、どうぞ——」  と答えたのであった。   四  マリー・徳永と違って、伊藤聖子は、女性週刊誌あたりのカラー・グラビアに、その個性美のない顔と肢態を、さらすようになっていた。  矢牧も、ときどき雑誌をみて、 〈ああ、マリーの友達が出ている〉  と思ったぐらいだから、彼女はある意味では売れッ子だったのであろう。  駿河台のホテルへ訪ねて来た伊藤聖子は、それこそファッション雑誌の口絵から抜け出て来たような、派手な服装をしていた。  部屋へ這入るなり、 「お紅茶いただけます?」  と云い、バッグから外国煙草をとりだして小生意気に、ポーズをとって、矢牧がマッチを擦《す》ってくれるのを待ち構えている。  矢牧は、ある映画会社の社長が、決して自分では火を点けない……という話を思いだして苦笑した。  人間には、奇妙な心理がある。  一対一で向かいあっていても、ちょっとしたことから、均衡が破れることがあるのだ。  その社長の場合は、労働組合とか、銀行とかと対決する場合、はじめは穏やかに語りだす。必ず煙草をとりだすが、マッチがテーブルの上にあるのに、決して自分からは火を点けない。  仕方なく相手がマッチをすると、 「ご苦労」  と声をかける。  また、煙草をとりだす。仕方なく、また火を点ける。 「ご苦労!」  と一服して、すぐ煙草の火を消す。また新しい煙草をとりだす……。  こんなことを三、四回くり返しているうちに、一対一で対等に向かい合っている積りの人物は、煙草の火をうやうやしく点けてやるという�作業�のために、いつしか、その対決している社長の�部下�もしくは�以下�の人間になり下がったような、そんな錯覚に陥入ってゆく。  そうした心理状況を狙って、突如、その社長は滔々《とうとう》とダミ声をはり上げて、ぶちまくりはじめる。すると相手は、意識的に後退して恐れ入ってしまう……という話である。  矢牧は、だから知らぬ顔をした。 「話というのを伺いましょう」  彼は紋切り型に云った。 「あのう、マリーちゃんのことなんですけれどね」 「ええ。彼女……どうかしましたか?」 「マリーちゃんに、先生から少し、援助してやって欲しいんですけれど」 「ほほう」  矢牧は、池袋のアパートの、粗末なマリーの夜具を思いだし、 〈そう云えば、ここ暫く連絡もないし、会っていないな〉  と思った。 「そんなに困ってるんですか?」 「ええ。昨夜のことなんですけれど、マリーちゃんたら蚊の鳴くような声で、三日間、なにも喰べてないって、伊藤ちゃんのところに電話して来ましたの」 「ほう……三日もね」 「それで、あたし吃驚して、すぐいらっしゃいと云ったんです」 「なるほど」 「ところが、タクシー代もないって云うでしょう?」  伊藤聖子は、自分の言葉の効果をためすように、矢牧の顔をのぞいた。 「タクシー代もないとはねえ……」 「それで、伊藤ちゃんがアパートの外で待っているから、タクシーを拾っていらっしゃいよ、と云ったんです。タクシー代を支払ってあげるからって……」  彼女は何故か、自分のことを�伊藤ちゃん�と呼んだ。その方が、愛くるしい印象を人に与えるからであろうか。  伊藤聖子の話によると、仕事の関係で、池袋では不便なので、銀座に近い麻布霞町の貸間にマリーは引越したのだという。 「そのために、また無理したと思うんですけれどね。とてもお金に困ってるんです。クリスマスが来るというのに……」  聖子は、ほとほとマリーの窮状に、呆れているような口吻《くちぶり》でそう云い、 「あたしが寒いのに、一時間も二時間も、マリーちゃんが乗りつけてくるタクシーを待って、道路に出ているのに、マリーちゃんたら電話かけただけで、梨の礫《つぶて》なんですよ。お蔭で伊藤ちゃん、風邪引いちゃったわ……」  と微笑してみせるのであった。  矢牧は駭《おどろ》いて、 「じゃあ彼女、来なかったんですか?」  ときいた。 「ええ、来ないの。それで先刻《さつき》、お米二升と缶詰もって、彼女のところを訪ねて来たんですけれどね……伊藤ちゃん、呆れたわ……」  彼女は、そんな思わせぶりな云い方が、得意なようであった。 「どうしたんです?」  矢牧としては、そう質問せざるを得ない。 「部屋の中に、なんの品物もないんです。センベイ布団があるだけなの」 「ふーん?」  矢牧は、また仕事にあぶれているんだなと考え、軽く眼をしばたたいた。 「その布団の中で、ジーパンにジャケットを着て、ぶるぶる震えてるんです……」 「莫迦な奴だなあ。あれだけ、遠慮せずに来いと、云ってるのに……」  思わず矢牧は云っていた。 「あんな恰好じゃア、仕事を呉れって、事務所も覗けないわ……。まるで乞食の一歩手前ですもの……」  伊藤聖子は、それから何を思いだしたのか一人で、くッくッく……と含み笑った。 「なにが可笑しいんです?」  矢牧がそうきくと、 「だってマリーちゃんたら、あたしが持って行ったお米で、鍋で御飯を炊いてやると、ガツガツと鍋一杯の御飯を、ペロリと平げてしまうんですもの……」  と、伊藤聖子は答えた。  三日間も空腹を我慢していたのなら、それ位の食欲を示すのは当然であろうが、あのノーブルな容貌をもった混血娘が、鍋から湯気のたつ御飯と取り組んでいる姿を想像すると彼とて可笑しくないこともない。  矢牧敬介は苦笑しつつ、 「なぜマリーは、そんなに困っているのに、電話一本ぐらい……」  と未練そうに云っていた。 「それで伊藤ちゃん、マリーちゃんに云ったんです。矢牧先生に、なぜ助けて貰わないのよ、って——」 「彼女……どう云ってました?」 「先生との約束は、半年だけだったんだし、病気の時に入院費も出して貰ってるから、これ以上は心苦しくて援助して貰うわけに行かない。人に甘えたくない……」  伊藤聖子は、運ばれて来た紅茶を、一口飲んで、 「それでね、先生」  と姿勢を直した。 「先生は今まで、マリーちゃんの面倒をみて来られたんでしょう?」 「と云うほどのことはない。ただ余分の収入があったので、彼女に廻してやっただけのことですよ」 「伊藤ちゃんが思うのに、マリーちゃん、先生のことを愛してるんだと思うわ……」  彼女は、意外なことを云いだした。 「僕を……愛している?」 「ええ。実は彼女に、すばらしい縁談があったのをご存じ?」  伊藤聖子は、矢牧を上眼遣いに盗み見た。 「それは、初耳だなあ」 「ハワイの二世で、銀行頭取の長男の方が、ホテルのファッション・ショーで彼女を見染めましてね、お父さんと一緒に事務所へ来て婚約したい……と云われたんです」 「なるほど」  矢牧敬介は、ちょっぴり口惜しそうな顔になる。  正直に云って、矢牧とて、マリー・徳永があれだけの美貌の持ち主でなかったら、身銭を切ってアパートを借りてやったり、半年間の援助を申し出たりはしなかったろう。つまり彼に、若干の助平心があるからこそ、彼女を応援する気になったのではなかろうか。  だから、彼の知らぬ間に、そんな縁談が降って湧いていた……という新事実は、やはり矢牧としては、ちょっぴり腹立たしく、口惜しいのであった。 「マリーちゃんの欠点はねえーえ、先生。躰が並はずれて大きい上に、ヒップの肉がつきすぎてることなの。それに足首も太すぎるし……海水着のショーとか、胸から上の写真などにしか使えないのよ……」  矢牧は、そう云えばマリーが、ブラジャーなど日本の既製品では合わず、アメリカ製品を苦心して手に入れている……と話していたことを思いだした。 「つまり仕事が少ない上に、あの躰ではモデルとして一流になれない訳よ。だから、あたし達はみんな、マリーちゃんに婚約した方がいいって奨《すす》めたの……」 「それで、彼女は?」 「他に好きな人がいるから、結婚できないって断ったの。婚約すれば、あの七キャラットのダイヤの指輪が貰えたのに……」  伊藤聖子は惜しそうな顔つきをしてから、悪戯っぽく笑い、 「マリーちゃんの好きな人って、先生じゃございません?」  と訊いたものである。  矢牧敬介は狼狽した。年甲斐もなく、顔を赧《あか》らめ、彼は云った。 「なにを云ってるんだ……証拠もないのに」 「証拠? 証拠は、ございますわ」 「ええ?」 「悪いと思ったけれど、彼女の枕許にあった日記を、伊藤ちゃん、読んでしまったのよ」 「日記を?」 「ええ。先生が、書くように、マリーちゃんに云ったんでしょ?」 「それはそうだが……」  矢牧は、口籠った。  あの混血児マリーが、矢牧に仄《ほの》かな想いを寄せていようなどとは、考えてもみなかったことなのである。  それは、想念の中では、あの美貌のグラマーの躰を、思う存分に凌辱《りようじよく》する……というシーンを何度か演じたことはある。だが、それはただ空想の世界の所産であって、現実ではなかった……。 〈マリーが、この俺を!〉  感激性の矢牧は、そう思っただけで、何故か胸がジイーンとなり、マリーに会いたくなった。 「マリーちゃん、なかなか名文家で、それに詩人ですのよ、先生。あたし、今読んできたばかりだから、よく憶えてますけれど、こんな文句があったわ。〈あたしは何故、混血ッて呼ばれるのかしら。日本人なのに、何故人は英語で話しかけるのかしら。あたしは泣きたい。あの人の胸で、思い切り泣いて、泣いて、泣いてみたい。涙の真珠の玉が、あたしの混血を洗い流して呉れないかしら……〉どう? 先生?」 「ふーん、なるほどね」  矢牧は、かるい自己満足を味わいつつ、相槌を打った。 「マリーちゃん、先生のことが好きなのよ。好きだから、援助して欲しいって、矢牧先生に直接云えないんですわ……」 「そんなものかな……」  矢牧は顎をなでた。 「ですからね、先生……」 「うん……」 「先生から直接、マリーちゃんにお金を手渡すと、彼女もいろいろと心苦しいと思うの。ですから、私が先生からお金をお預かりして、表面上は彼女に、伊藤ちゃんがお金を貸す……という形で、援助して上げたらどうかと思うんですけれど」 「なるほど」  矢牧は、伊藤聖子をみた。聖子は彼をあどけない、大きな眸《ひとみ》で見詰め返し、 「その方が、マリーちゃんも心の負担にならないし、彼女が一本立できたときに、実は……って話せばいいでしょう?」 「それもそうだね……」  彼は肯いた。 「それとも、マリーちゃんに、また先生が援助して下さるから訪ねて行くようにって、そう伝えましょうか?」 「いや、それはしない方がいい。彼女が、それだけ歯を喰い縛って、独りでなんとかやって行こうとしているのに、また甘え心を起させてはならない……」  矢牧は財布をとりに立ち上った。 「それからねえ、先生……彼女の日記、あれ本にならないもんですかしら……」 「ええ? 本に?」 「混血児マリーの手記、とか何とか云う標題で、単行本にしたら売れると思うんですけれど……」  矢牧は、低く〈あ!〉と叫んで、その場に坐り込んだ。  彼のテレビ・ドラマが、あれだけヒットしたのだから、マリー・徳永の日記が、混血娘の悲しさ、怒り、苛立たしさを叩きつけた彼女の日記が、活字になってヒットしないことはあるまい。 〈単行本が売れ……そしてテレビ化、映画化ということになって、彼女が主役を演じでもしたら!〉  矢牧敬介は、伊藤聖子の発言によって、俄かに職業意識に目覚めさせられ、その単行本|上梓《じようし》のアイデアに取り憑かれたのであった。   五  ——年末に、また矢牧は、伊藤聖子の訪問を受けた。 「先生、大変なんです……」  部屋へ這入るなり、聖子は云った。 「大変って、なにが?」  矢牧は年内の仕事が、一段落したこともあって、鷹揚《おうよう》に問い返す。 「マリーちゃんのことなんですよ。あ、忘れてたわ……はい、借用書……」 「なんだい?」  彼は、駭《おどろ》いて彼女がさし出す紙片をみつめた。便箋に、下手糞な文字で、〈借用書。一金五万円也。このお金は必らず返済します。マリー・徳永。伊藤様〉と書いてあり、〈徳永〉という三文判が捺してある。 「借用書まで取ったのかい?」  彼は呆れて云った。 「それはそうですよ。それとも、取らなくても良かったのかしら?」  矢牧は苦笑しながら、 「そんな大袈裟なことをしなくていい」  と云い、 「大変とは、マリーのことかい?」  と気になったことを訊き返した。 「そうなの。正月の五日にね、〈ひまわり・グループ〉の新年宴会があって、スポンサーを沢山、招待するんですのよ」 「ふーん」 「つまり、その新年宴会で、スポンサーがモデルの品定めをして、ランクづけしてくれるわけなの……」 「なるほど、馬市ならぬモデル市か」  彼は笑った。 「ところがマリーちゃんたら、着物は一枚もないし、洋服も質で流れちゃってるし、全然、着るものがないと来てるの……」 「この五万円は?」 「莫迦ねえ、先生……借金やら、家賃やら払ったら、五万円ぐらいすぐ飛んじゃうわよ」 「あッ、そうか……」 「ねえ、正月までに、着物を買ってあげて下さらない? 一年間、モデルとして売れるかどうかの瀬戸際なの……」 「うーん……」 「先生はマリーちゃんのこと、好きなんでしょう。ね、助けて上げて。お願い……」 「いったい幾ら位、かかるんだい?」  矢牧は云った。 「あたし、デパートへ行って、いろいろとマリーちゃんに似合う品物を、大体、見立てて来たのよ、先生……。いけなかったかしら?」 「いや、いろいろと有難う。それで、幾らかかるんだね?」 「二十七万円ぐらい……」 「え、二十七万!」  矢牧は鸚鵡《おうむ》返しに云った。それほど、着物が高いとは思わなかったからである。 「先生……それだって、ウンと安く上げた積りなのよ。マリーちゃんたら、帯も、長襦袢も、それこそ草履一つ、足袋一足だって持っていないでしょう?」 「ふーん、そうか。そんなもんか……」  矢牧敬介は、憮然たる気持で、しかし伊藤聖子の手前、あまり嫌な顔もできず、小切手帳をとりだしたのである。  ……それから月末になる度に、きまってハンコで捺したように、伊藤聖子はやって来て五万円の金を受けとり、マリー・徳永の近況を矢牧に伝えたり、彼女に日記をもとにして生い立ちの記を執筆させている状況を話したりして、ホテルから立ち去るのであった。  こんなことが、ほぼ一年近く、つづいたであろうか。  矢牧も迂闊《うかつ》といえば迂闊だが、帯ドラを二本、連ドラを六本抱えていたその頃の彼としては、毎日毎日、ホテルで原稿用紙のマス目を埋め、夜は本番に立ち会う……というスケジュールの連続であり、マリー・徳永の家を訪ねて行くとか、手紙を書く時間的な余裕もなかったことは慥《たし》かである。  ちょうどまた、クリスマスが訪れようとしていた。  矢牧が例によって、駿河台のホテルに籠って仕事をしていると、とつぜん電話があり、 「あのう……マリーですけど」  と、懐しそうな声が飛び込んで来た。 「え? マリーって、どこの?」  彼は、そんな不様《ぶざま》な返事をしていた。 「あのう、混血児《あいのこ》のマリーです」 「あ、なんだ、きみか!」  矢牧は、そう云えば、そろそろ月末だったな、と思い、 「元気でやってるかい?」  と云った。 「はい、元気です。ちょっと先生に、お届けしたい物があって……」  マリーは、元気そうに云った。 「ほう、なんだね?」  そう訊いてみると、マリーは、 「十月からオーストラリアへ行っていたんです。それで、向こうで飲んだ美味しいワインがあって、先生もお好きじゃないかと思ったもんですから……」  という返事をして来た。 〈なんだって? 十月から、オーストラリアへ行ってただと?〉矢牧は耳を疑った。  十一月末に、金を受取りに現われた伊藤聖子は、〈故郷に帰ってる〉とは云ったが、外国へ行っているなんて、一言も教えてくれなかったのである。 「オーストラリアだって?」 「はい、十月二十日に発って、一週間前に、帰って来ました……」 「故郷に帰ってると、伊藤ちゃんから聞いたんだけどね」 「伊藤ちゃん? あの娘《こ》は、私たちと関係ないわよ、先生……」  マリー・徳永は軽く云った。 「関係ないって、どういう意味だい?」  矢牧敬介は、妖しい胸騒ぎを覚えつつ、震え声で問い返した。 「先生は、ご存じなかったでしょうけど、伊藤ちゃん……一年前に私たちのクラブを辞めたんです」 「えッ、クラブを辞めた?」 「はい」 「一年前に?」 「ええ。正確には、辞めさせられたんですけれど……」 「マリーちゃん、直ぐ来て呉れないか!」  彼は、せき込んで叫んだ。 「どうかなさったの?」 「うん。ちょっと聞きたいことがあるんだ」  ……混血児のマリーが、その彼の仕事場へやって来るまでの小一時間は、彼にとって誠に苛立たしい時間であった。  ——彼の妖しい予感は適中した。  つまり、伊藤聖子が彼に話していたことはまるっきりの作り話だったのだ。矢牧敬介はおどろいた。呆れ果てて、しばらくはポカンと口をあけた儘であった。  マリー・徳永の話を綜合してみると、次のようになる。  去年の暮ごろ、マリーは髪型のモデルとして引っぱり凧であり、金に困っていたことはない。むしろ睡眠時間の不足で、困っていたほどである。  一度だけ、仕事の関係で霞町の家に帰るのが遅くなり、いくら叩いても玄関の戸があかず、仕方なく電話番号を知っている伊藤聖子のアパートに電話して、泊めて貰ったことはある。  その時、彼女から矢牧との関係を、くどくどと訊かれた記憶があるが、日記帳を彼女に見せたことはない。  モデルの新年宴会はあったが、これは仲間の親睦のためで、スポンサーや、カメラマンを招いたりするような、大がかりな宴会ではなく、服装は自由であった。  まして和服を、伊藤聖子から買い与えられたことはない。  新年宴会には、伊藤聖子は出席してない。なぜなら、十二月末で彼女は、盗癖の疑いがあるというので、モデル仲間から顰蹙《ひんしゆく》を買い、〈ひまわり・グループ〉の代表者から脱会を宣告されている。  それ以来、伊藤聖子は月に一回ぐらい、電話をかけてくるようになったが、なんでも銀座の〈ラメール〉というクラブのホステス勤めをしているということであった。  マリー・徳永の日本人ばなれした美貌に、某化粧品メーカーが目をつけ、月二十万円の専属料を支払ってくれるようになったので、彼女は春先から、母親と弟妹たちを東京に呼び寄せ、いまでは材木町に一戸を構えて暮している。  伊藤聖子から、一銭だって金を恵まれた覚えもないし、また、借用書なんか書いた記憶もない。むしろ彼女に、電気釜を貸した儘であったり、月賦の保証人となって、迷惑を蒙っている位である。  マリー・徳永の話は、大体そんな調子であった。 「すると君は……毎月五万円のお金も、二十七万円の着物も、全く知らないと……そう云うんだね?」  矢牧敬介は、唖然となって叫んだ。 「ひどい人だわ! あたし、先生に一日でも早く、立派なモデルになって、御恩返ししようと一生懸命やったんです……。それなのに伊藤ちゃんは、先生がお人好しなのを利用して……。あたし、対決するわ」  黒い髪をもった混血娘は、いかにも頭に来たという感じで、いきり立って、むきになって怒った。  マリー・徳永が、ぽんぽん歯切れよいセリフで怒るのを聞いているうちに、矢牧敬介はなぜか次第に気持が鎮まって来て、これから銀座に出て〈ラメール〉のホステスになっている伊藤聖子と対決する……という彼女を、 「まあ、いいさ。なんだ、かんだと、伊藤ちゃんに九十万円近く持って行かれた訳だが、きみの云う通り、私がお人好しだったからなんだからね……」  と押しとどめた。 「だって、人の名前を騙《かた》って、あまり酷いじゃない? 自分がお金に困ってるなら、そう先生に云えばよいものを……」 「ふふ……、あの伊藤ちゃんは、僕がマリーにぞっこん参っているのを、ちゃーんと見通していたんだなあ。それで事情を知っているのを幸い、一芝居打ったんだろうよ。しかし見事なもんだ……」  彼は自嘲まじりに云った。  マリーのためになると思って、喜んで出していた金を、伊藤聖子に使われてしまったのは惜しいが、あの見事な�嘘�には、それ位の値打ちがあるような気もして来た。 「とにかく表沙汰になると、僕の阿呆さ加減を公表するようなものだから、僕は彼女を警察沙汰にはしないよ。マリーちゃんも、忘れてくれ……」  その夜、矢牧敬介は、見違えるほど成熟したマリー・徳永と、銀座の小料理屋で食事して別れたが、どうにも腹に据えかねたマリーは深夜、伊藤聖子のアパートに怒鳴り込んで、大いに糺明《きゆうめい》したらしい。  そのことは、月末になっても、あの嘘つき女が彼の仕事場に、金をとりに現われないことでも判った。  そんな事件があってから、また半年ぐらいの歳月が流れた頃のことである。  ある日、矢牧は知人の受賞パーティが、芝公園の傍のホテルであったので、そのホテルへ出かけて行った。  少し時間が早かったので、矢牧敬介は地下のショッピング街に下りて行き、ぶらぶらと中を散歩していたが、ある洋品を売るケースの前に、黒のドレスに真珠のネックレスをつけた女性の、マダム然とした姿に見憶えがあるので立ち停った。  ——それが、伊藤聖子であった。  彼が〈この悪女め!〉と心の中に呟きながら、ショーケースの前に近づいてゆくと、流石《さすが》に面映ゆかったとみえて、伊藤聖子は眼を逸らし、くるりと彼に背中を向けた。 〈この嘘つき奴が! また、どこかのお人好しを誑《たぶら》かしたとみえる!〉  矢牧は、一瞬、怒りの白い炎が躰の周囲に立ち昇るのを覚えたが、さりげなく無視して通り過ぎ、パーティ会場へと歩いて行った。 鵜匠《うじよう》の女   一  小牧平吉がA信用金庫の理事長となったのは、朝鮮動乱ブームが去り、デフレ政策のため中小企業が、バタバタと倒産しているさなかであったから、たしか昭和三十年の初め頃である。  鳩山内閣の産みの親となった代議士のKと、遠縁関係にあたるということから、他の重役たちが無責任にも、小牧平吉を理事長に推したに過ぎないのだが、平吉にしてみたら棚からボタ餅みたいな話であった。  平吉は、もともと質屋の主人である。  明治時代から、三代も続いた質屋で、本郷ではちょっと名前が知られた老舗《しにせ》である。  子供の頃の記憶では、質屋という商売は、つくづくと嫌な商売だった。世間からは、まるで人の血を吸う鬼のように扱われるし、学校でも余り友達が出来なかった。  たえず店先でのごたごたがあったし、夜は夜で暑いのに雨戸をおろして眠らなければならない。祖父の時代に、二階から日本刀を持った強盗が押し入ったからである。  年に何回かの虫干し、棚下ろしの時には、平吉も手伝わせられたが、重く沈んだ土蔵の中の空気は、なんとなく庶民の怨《うら》みが籠っているようで、決して好きになれなかった。  旧制の商業学校を出て、平吉は区役所の経理に勤めたが、結婚して間もなく日支事変がはじまり、輜重《しちよう》兵として召集される。  脚を負傷して内地送還になるが、傷が癒《い》えるとまた前線に逆戻り……という按配で、彼は敗戦までに、三度も内地と前線とを、行ったり来たりした勘定になる。  昭和二十一年の夏に、復員してみると、父親の平蔵は空襲下の防火作業中に死亡し、焼跡に二棟の土蔵だけが残っていたのだった。  小牧平吉は不本意ながらも、質屋の家業をついだのは、その焼け残った質蔵の故為《せい》であるが、思えば随分と荒っぽい商売ができた時代であった。  その当時の質屋は、土蔵さえあれば、黙っていても儲かった。一種の倉庫業みたいなもので、闇屋の親父たちが、 「荷物を預ってくれ……」  と、衣料品だの、米だの、砂糖などを深夜に持ち込んでくる。  インフレが著しく進行している折だったから、平吉は保管料として、多額の現金を要求したものだ。相手は�禁制品�を、安全に保管して貰う手前、あまり強いことも云えないのである。その足許を見透しての、悪どい商売であった。  もともと小牧家は、本郷の地主であった。だから地代の上りだけでも生活できたのであるが、戦後はそうもゆかない。地代が、急騰するインフレと平行して上昇しないがためである。  平吉は、自分の地所に材木を工面して、簡易マーケットを建てて賃料をとった。これが大いに当たり、小牧家所有の地価は、ぐぐッと急上昇する。  そんな矢先、質屋仲間から、信用金庫をつくろう……という話が持ち上ったのだった。たしか昭和二十三年のことである。  世間では、質屋の経営者は、すべて自己資金で賄《まかな》っているように思いがちであるが、決してそうではない。自己資金なんて、財閥でもない限り、多寡《たか》が知れているのである。  質屋は、金融法によって、他人の財物を預かり、一ヵ月に付き九分の金利をとることを認められている。  実際には、早く品物を請け出したり、わずか一週間なのに今月と来月とにまたがって、二ヵ月分の金利をとられる者もあって、もっと高利率に廻るのであるが、これは矢張り特殊なケースに属するだろう。  従って質屋商売のウマ味は、質草として持ち込まれた商品の適確な値踏みと、客の肚《はら》を読んで貸す金額を思い切り叩く……というところにあるわけだ。もし、時価十万円のヒスイの指輪に、三万円しか貸さず、それが質流れとなった場合の利益は大きい。  だが、盗んだ品物——いわゆる贓品《ぞうひん》が持ち込まれた場合、たとえ贓品だと知らなかったとしても、被害者と折半という規定だから、贓品を返却した上に、貸し金の半分しか返して貰えず、質屋としては大きな損失を招くことだってあるのだった。  まア、質屋商売の内幕を語ればきりはないが、金に困って抵当となる品物を持参して、借りに来る人があるのに、貸す金が乏しいと云うのでは商売あがったりである。  逆にいうと、借りて呉れる人があるからこそ、商売繁昌なのだった。  そこで質屋の経営者は、民間の小金持あたりから、月三分四分程度で、運転資金を借りている。そして庶民に、九分で貸し付けて利益を吸い上げている訳だった。  ところが、インフレの進行中は、誰も金を貸したがらない。  かりに今日、十万円を三ヵ月後の約束手形と引き換えに貸しても、貨幣価値は下落する一方だから、手形が落ちる頃には、十万円はおろか、今日の五、六万円の値打ちしかない……ということにもなりかねない。それで貸したがらないのだった。  区内の質屋の主人たちが、信用金庫の設立を思い立ったのは、信用金庫に庶民の預金を吸収し、その大衆の金を自分たちが、安く借りて使おう……という心積りからなので、別に大衆にサービスする意志は全くなかった。  そして小牧平吉は、A信用金庫の設立に参加し、出資を行って、その重役陣に名を連ねたのである。  動乱ブームが去ると、もともと街の金融業者とか、質屋の主人が集って創立した、この街の金融機関は、危機に瀕《ひん》した。  貸し出し申込者数に較べ、預金者が少なく、市中銀行に押されるためであった。  ちょうど導入屋といった珍商売が、横行した時代でもあり、小牧平吉はその危機に遭遇した、いちばん悪い時期に、理事長にえらばれたことになる。  そして、この理事長就任の祝賀パーティが区内の料亭で行われたことから、平吉は、竜村|小夜《さよ》を知ったのだった。  彼女は、料亭〈竜村〉の養女であり、色の白く、着やせのする美人であったのだ……。  小牧平吉は、その時、四十三歳の血気|旺《さか》んな壮年であり、本業の質屋のほか、アパートを六棟、貸店舗二棟、ガソリン・スタンドを経営するという、ちょっとした資産家となっていたのである。   二  ……その夜、〈竜村〉の座敷には、白山《はくさん》下あたりから芸者衆が入っていた。  平吉は煙草はたしなむが、酒の方は至って不調法な方である。  床の間を背にした平吉は、自分の祝賀会なので、盃を受けない訳にもゆかず、ちょっと啜《すす》っては盃洗《はいせん》に落し、祝いの挨拶を受けるという動作を繰り返しているうちに、次第に酩酊して来た。  生れてはじめて、信用金庫理事長という、世間に胸を張って通用する、名刺の肩書が加わったという、その喜びも手伝っていたのであろうが、一つには座敷の隅の方に、ひっそりと坐っている和服の女に眼を奪われていたからでもある。  文句なしの美人だった。  顔は瓜実顔であるが、頬の裾あたりが、少し削がれたようになっていて、その辺りに云うに云われぬ哀調というか、寂しい翳《かげ》が漂っている。  上眼遣いに人を見るとき、長い睫毛《まつげ》がひどく印象的で、受け唇の形がまた、たまらなく男心をそそるのである。  年の頃は二十三、四であろうか。 〈芸者衆なのか?〉  彼は最初、そんな風に思った。  ところが、芸者たちが客席を移動するのに対し、その娘は客席の下手に坐ったまま、近くの客に物静かに酒を注ぐだけで、積極的にサービスする気配はない。  しかし、ときどき彼を上眼遣いに眺めやって、視線が合うと、含羞《はじらい》とも、侮辱ともつかぬ微笑を泛《うか》べて、眼を逸すのであった。  もしかしたら、小牧平吉は、その竜村小夜の、なにか意味深な目差しに、心を唆《そそ》られたのかも知れなかった。  それは、男の情欲を、桶の内側から引っ掻くように、擽《くすぐ》ったく刺戟する瞳の色であった。  甘く、訴えるようで、それでいて挑《いど》むような女の目差し。  平吉は、その女の目差しに抵抗しようとして、無理に客の盃を受けていたのかも知れない。  一通り、盃の献酬《けんしゆう》が終ったころ、その家の女将である竜村ハナが、一見して高価とわかる衣裳に身を包んで、悠然と座敷に姿を現わした。  年齢は定かではないが、まだ五十には手が届いていまいと思われる。  少しくケンのある顔立ちながら、いつも微笑を絶やさないので、人当りは柔かく見え、一種の風格があった。  彼女は、平吉の前に正座して、 「お初にお目にかかります。竜村の女将でございます。以後よろしく、お引き立ての程をお願い申します……」  と挨拶し、威儀を正して、 「このたびは、理事長にご就任、おめでとう存じます」  と丁寧にお辞儀をしたのであった。  こういう挨拶の仕方は、一朝一夕には出来るものではない。平吉は、彼女が躾《しつけ》の厳しい花柳界かなにかで、修業して来た女性だ……と判断した。  あとになって、平吉のその判断が、あまり狂っていないことが判ったが、その挨拶のあと竜村ハナは、末席にいる女性を手招きして彼の前に坐らせ、 「娘の小夜でございます……」  と紹介したのであった。  そのあと、彼女は客席を廻って、酒のない客には盃をさし、顔見知りの客には親しそうに冗談を云って、座敷をいっそう賑やかなものにしたのである。  商売とはいいながら、鮮やかな手際ではあった。  ところで、紹介された小夜は、今度は平吉の前にピタリと坐って動かず、 「理事長さん、お冷やをお持ちしましょうかしら?」  とか、 「お一つ、如何ですか……」  と、彼一人にサービスをしはじめたものである。  美人から、理事長さんと云われる気分は、満更でもなく、また酔いが廻りはじめたことも手伝って、 「お小夜さんか……。良い名前だな。顔にぴったりした名前だね」  などと、彼の方でも何時になく、自分から積極的に話しかけたことを憶えている。  恥しい話だが、小牧平吉は、めったにそうした酒席に出入りしたことはなかった。  酒が飲めないからでもあるが、空襲で死んだ父親が、三味線の音が嫌いで、 「あれは、お金が逃げて行く音なんだぞ、平吉。決して三味線の音のする所に、出入りしてはいかん!」  と、子供の頃から云い聞かせられて、育った故為《せい》であろうか。  宴の半ば、芸者たちが祝いの舞いや、鼓を披露したあと、女将の命令で、小夜は平吉のために、金屏風を背にして、鏡獅子かなにかを踊ってくれた。  なかなか上手であった。  芸者たちに聞いてみると、小夜はすでに名取りの腕前であるという。 〈ほう……今時、珍しい娘だなあ〉  彼はなんでもないことに感心したが、それも昭和三十年頃の若い女性が、ダンスには打ち興じても、日本舞踊には見向きもしなかった風潮の故為であろうか。  踊りのあと、小夜はまた平吉の傍に戻って来て、 「拙ない芸で、恥しゅう存じます」  と微笑した。  その瞳を見返したとき、小牧平吉は思わずドキリとした。  言葉には、はっきり云い現わせないが、酸いも甘いも噛みわけた年増芸者のような、色っぽい眼付きであったからである。  宴会がはねて、帰るとき、平吉の足許はやや覚束《おぼつか》なかった。 「肩にお掴まり下さいませ」  小夜は平吉にそう云い、廊下を歩きながら優しく彼を労《いたわ》ってくれた。  そしてハイヤーに乗り込んだ彼に、 「また、お近いうちに……」  と、今度は打って変った、無邪気な笑顔をみせたものである。  子供のような、あどけない笑顔。仇っぽい男心を誘う笑顔。羞恥を含んだ、それでいて挑発するような笑顔……。 〈いったい、どの笑顔が、あの小夜の本当の顔なのだろうか?〉  帰りの車の中で、小牧平吉はそんなことを考えたことだけは、どうしてだか明瞭に記憶している。   三  小牧平吉が理事長に就任以来、A信用金庫では、しばしば料亭〈竜村〉を使用することになった。  信用金庫といえども、一種の商業機関であるから、なにかと宴席を設ける必要は生じてくる。  料亭〈竜村〉は、戦後、四谷の大木戸に誕生し、発展を遂げて、文京区にも新しく進出したものらしい。  女将の竜村ハナは、大木戸と本郷とを掛け持ちで歩いており、大木戸には千代という実の娘が、そして本郷には養女の小夜が、女将代理として配置されている様子である。  何度か通ううちに、小牧平吉も、仲居たちの口から、そうした竜村の内部事情を、いろいろと聞かされたのであるが、彼の心をときめかせたのは、その本郷竜村の養女である小夜が、小牧が来る日は朝からソワソワして、彼が座敷に通ると、 「恥しい。挨拶に出られないわ……」  と仲居たちに漏らす……という裏噺であった。 「まさか! 小夜ちゃんが儂《わし》みたいな、風采の上らん四十男に、恋慕する筈がないじゃアないか……」  と彼は頭から打ち消した。  平吉の座敷には、小夜は必ず挨拶にやってくる。  しかし、初対面の時と違って、 「いらっしゃいませ……。毎度ご贔屓《ひいき》に有難う存じます……」  と客に挨拶して、盃に注いで廻り、最後に例の色っぽい視線を、ちらりと平吉に投げかけると、 「ごゆるりと、どうぞ……」  と、一|揖《ゆう》して座敷を出てゆくだけだったのである。  もし仲居たちが云うように、彼を本当に好きであるならば、もう少し平吉の座敷……少なくとも彼の傍に居そうなものなのに、小夜は全く平吉の傍はおろか、彼の座敷には居ないのであった。  それが第一に、平吉には合点がゆかない。  しかし、仲居の春江たちに云わせると、 「それが理事長さん……彼女が純情だからなんですよ。好きな人は怖いって気持、お判りにならないかしら。好きだから、傍にはいたい。でも失敗《しくじ》って、相手から嫌われるのは怖いんですよ……。本当は長く座敷にいたいんだわ。でも、好きな人の傍には、息苦しくって、なかなか粘れないものよ……」  であり、また殊更、彼にツンツンしてみせるのは、 「……それは愛情の表現の一つなんですよ。好きだから、口が利けない。だから、わざとツンツンしてみせるの。嫌いでツンツンするのと、関心がある人に、ツンツンするのとでは、同じツンツンでも、ツンツンが違いますわよ、理事長……。女の私たちには、それがよく判るんです。お小夜さんは、理事長さんに、ゾッコン参ってますわ。ただ、お女将さんに、気兼ねしてるだけですの。養女ですし、お女将さんは婿探しをしている様子ですけれどねえ……」  と云うことになる。  小牧平吉としては、年甲斐もなく仲居の春江たちに煽《あお》られた恰好で、次第に竜村の養女である小夜が、自分に気があることを、疑わなくなって行った。  戦争中、ピー屋の女は買ったが、戦後は金儲けに夢中で、妻だけで辛抱して来た平吉だった。  四十三歳の若さで、理事長となり、家業は隆盛を辿《たど》る一方……ということになれば、彼が�浮気心�を密かに燃やしはじめたのも、いわば当然であろうか。  はじめは信用金庫の宴会にしか、使わなかった竜村を、平吉は税務署員の招待とか、石油関係の宴会とかに、次第に使うようになって行く。  そして秋口には、ふらりと前触れもなく、一人で竜村の玄関の三和土《たたき》に、佇《たたず》むようになっていたのである。  酒が飲めない平吉は、竜村に来ても、一人では全く手持ち無沙汰である。  彼の相手は、たいてい仲居の春江であったが、春江は必らず小夜のことを話題にして、 「理事長さん……あまり罪つくりなことをなさらないで、思い切って小夜さんを、旅行にでも誘ったら?」  などと、けしかけるのであった。  その癖、小夜は彼が帰るというと、慌《あわ》てて出て来て、 「あのう……もうお帰りですの?」  と、怨めしそうに云うのだった。  人手が足りないので、女将代理の小夜は、どの座敷からも引っ張り凧らしい。それはよく判るのだが、平吉としては、矢張り物足りないのであった。 〈たとえ十分でも、相手をして呉れたら〉  と胸の中では思う。  とに角、二人っきりになるチャンスをつくれたら、彼女を口説き、相手の胸の内も聞いてみたい……と考えるのだが、その機会がなかなかめぐって来ないのである。  果して、小牧平吉は焦りはじめた。  十月に入ったある雨の夜である。  自宅にいると、竜村の春江から、電話がかかって来た。 「今夜は雨だし、お客も少なくて、お女将さんは大木戸ですから、チャンスですよ……」  春江は、そんな風に云った。  平吉は、自分の妻に、 「客をしていたのを忘れていた。着物を出してくれ……」  と云い、ハイヤーを呼んで、竜村へ出かけて行ったのである。  玄関へ入ると、春江は意味あり気に、 「一番奥の、四畳半がとってあります……」  とささやき、 「理事長さん……チャンスですよ!」  と、彼の太腿を抓《つね》るのだった。  部屋へ通って待っていると、小夜が怒ったような顔つきをして、ビールと肴を自分で運んで来た。これは珍しいことである。  グラスにビールを注いで貰っている時、春江が他の料理を運んで来て、 「お嬢さんは今夜はお客さまですよ。私が料理は持って参りますから、理事長さんのお相手をして下さいませ。たまには、お嬢さんもお酔いになったら……」  と、巧みに牽制《けんせい》してくれた。 「じゃあ、頂いてみるわ……」  小夜は、春江の言葉を意外に素直に聴き、また例の色っぽく、男心を唆《そそ》る瞳の色で彼を下から掬い上げるように見詰め、そっとグラスをさし出したのである……。   四  奥湯河原は、すでに紅葉の季節であった。  雨のあとの故為か、谿谷《けいこく》を流れる川音は、ひどく喧《やかま》しい。  しかし、小牧平吉には、その川音すら、むしろ爽快であった。  ……一昨日の晩、やっと小夜を口説き落して、昨日の夕方、東京駅で待ち合わせ、その奥湯河原の宿で、彼女との一夜を倶にしたのであった。  小夜は、何度も苦痛を訴えたが、ひしと彼に抱きついて、平吉の男性を受け容れ、明け方の覓《もと》めには、苦痛よりは恍惚に似た表情すら示したのである。  そのあと暫らく微睡《まどろ》み、二人して家族風呂へ行き、遅い朝食を摂ったところであった。帰りの汽車は午後三時ごろを予約してあったし、まだ十二分に時間はあった。 「小夜さん……どこか、見物にでも行ってみようか……」  平吉は、久し振りに男性的な充実感を覚えつつ、小夜に声をかける。  紅葉でも見物に出かけようか、と考えたのである。 「そうですわね……」  小夜は、なぜか腕時計を気にしながら、鏡台の前から動こうとしない。 〈むりもない! 口説いた翌日……もう、あれだもんなあ。よほど俺の口説きを、待ちかねていたとみえる……〉  小牧平吉は、彼女が鏡台の前から離れないのは、二人の恋愛の、あまりにもスピーディな情炎の形に、小夜が照れているのだと思ったのだ……。  事実、平吉自身も、思いがけなく早く、その機会が訪れたので、我ながら駭《おどろ》いているところだった。  そして矢張り彼も、少しばかり小夜と顔を合わせるのが、照れ臭かったのである。  十二時近く、やっと小夜は、紅葉見物に同意して、その腰を上げた。浴衣をぬぎ、長襦袢姿になった時、廊下の方でなにか、どやどやという跫音《あしおと》が聞えた。 〈なんだろう?〉  と思っていると、ガラリと襖があいて、血相を変えて飛び込んで来たのは、なんと〈竜村〉の女将ではないか……。 「ああッ!」  と立ち竦《すく》む小夜に、竜村ハナは飛びかかると、パン、パーンと平手打ちを喰わせ、声を震わせて、 「いったい、なんということを、してくれたの!」  と喰ってかかったのである。 「小夜! 貴女は、私が貴女のお父さま、お母さまから、お預りした大事な、大事な私の娘なんですよッ! やっと、立派なお婿さんが見つかり、先方様も乗気になって下さって、ほッとしていた矢先に、なんということをするの! 処女は、女の宝ですよ! 理事長さんには、奥さんも子供もあるからって、あれだけ注意しといたじゃないの!」  竜村ハナは、また二つばかり平手打ちを喰わせると、今度はなにを激して来たのか、 「あ……う……」  と悲痛な声をしぼり、畳の上によよ……と泣き崩れたのである。  これには、小牧平吉も、ただ呆然と眺めるだけで、なにひとつ口を挿し挟むことは出来なかった。  小夜は拗《す》ねたように、ハナに背を向けている。  廊下に群がる人々を追いちらし、襖を後手にしめて這入って来たのは、仲居の春江であった。その春江も、 「お女将さん、申し訳ございません……あたしが、気を利かしたばかりに、こんなことになってしまいまして……うう……」  と慟哭《どうこく》するのである。  小牧平吉は、冷たく背中を向けた小夜や、肩を顫《ふる》わせて泣きつづける竜村ハナと春江を眺めるだけで、一体なんと云ってよいのか判らない。  弁解するのも変だし、怒るわけにもゆかない。かと云って、二人の女性を慰めるというのも、立場上、変な話である。  ただ唖然と見やっていると、不意に泣き止んだ竜村ハナが、凄い勢いで平吉の前に正坐して、 「理事長さん」  と云った。 「ようも大事な大事な、人様からの預り物を疵物《きずもの》にしてくださいましたね。この責任は、とって頂きますよ……」  竜村ハナは、それこそ彼の向こう脛にでも噛みつきそうな表情だった。  平吉は、蒼褪《あおざ》めながら、 「責任というと……どうしたら、いいんですかな?」  と云った。我ながら不味《まず》い返答だと思うのであるが、咄嗟《とつさ》には良い文句が泛ばなかったのである。 「云っておきますけれど、理事長さん。私のお腹を痛めた千代が、こんなことになったのなら、私はあきらめます。しかし、小夜は私の娘であって、娘ではない。人様のお子さんです。その小夜を、こんな疵物にして下さったんですから、もちろん、お覚悟の上で小夜を連れ出されたんでしょうね……」  覚悟と云われても、平吉は当惑する一方である。 「小夜には、今だから申し上げますけれど、稲田産業のお坊ちゃんと、縁談が進んでいたんです。稲田社長は、一人息子の嫁のためならば、二億や三億の金は惜しくない、金は地獄へ持って行けないから……とまで、仰有って下さっていたんです……」 「…………」 「あーあ! どうしよう! 理事長さん! 小夜を元通りの娘にして、返して! 早く返して! 小夜の親御さんに私は、ああ! 顔向けできない! 死にたい……死んでしまいたい……」  竜村ハナは、また泣き崩れた。  芸者ならば、金でケリがつく。料亭の娘だって……と甘く考えていた小牧平吉は、意外なことの発展ぶりに、ただおろおろするのみである。  彼は�養女�という陥穽《かんせい》に、気づかなかったのである。そうして料亭の娘は、玄人ではなく、素人なのだということも……。  泣いたり、喚《わ》めいたり、怒ったり、死にたいと口走ったり、竜村ハナの言動は、千変万化して極まりなかったが、仲居の春江が間に入り、竜村小夜を疵物にした以上、こんごの小夜の経済的な面倒は、平吉がいっさい見ることになった。  つまり竜村小夜が、平吉の�妾�となり、彼が必要に応じて、金の面倒をみるということで、一件は落着したのである。   五  平吉ぐらいの資産をもつ男なら、妾の一人や二人あっても、世間から見れば、決して可怪《おか》しくはない。むしろあった方が、甲斐性があると見られるであろう。  だが、たった一夜の�浮気�で、小牧平吉が妾の座に据えねばならなくなった竜村小夜は、大変に欲が深い女性であった。  先ず、三百坪の敷地をもつ屋敷を、自分の家に買って呉れと一方的に云い、勝手に手付金を支払って来る。  ちょうど年末で、信用金庫も、質屋の方も幾ら金があっても足りない時期であった。  それで文句を云うと、 「本郷の土地を売れば、なんでもないじゃありませんこと? 実は、売って欲しいというお客さまがありますのよ……」  と、小夜は涼しい顔である。  仕方なく平吉は、妻に内緒で、土地を手離して、その三千八百万円の家を買い入れてやった。むろん名義は、小夜の名義であった。  信用金庫などを経営していると、よく担保流れで、競売に附せられる土地だとか、家屋などがあるものである。  それを裏から手を廻して買えば、結構よい買物ができる。平吉としては、小夜が、 「家を買って下さらない?」  と云った時から、あれこれと恰好の出物に気を配っていたのだが、どうやら気の早い小夜に先を越された形であった。  それでも、家を買い、調度を整えているとなんだ、かんだで五千万円近い金が吹っ飛んでしまっていた。  それはそうであろう。  湯殿ひとつ修理したって、総檜《ひのき》貼りということになると、数十万円の仕事である。  応接間のシャンデリア、絨毯《じゆうたん》、ソファーとテーブル、飾り棚の絵皿、壁にかける油絵……と数え立ててゆくと、たちまち百数十万円の金が必要だった。  でも、小牧平吉は満足感を味わっていた。  小夜を連れて銀座あたりを散歩すると、必らずすれ違う男性が振り返ったし、女性も羨望の目付きで彼女を見詰める。  丈夫一筋の妻と違って、小夜には、美術品のような味わいがあったのだ……。  竜村ハナは、養女の旦那だというので、平吉を�婿�扱いにして、 「平吉さん。女というものはね、贅沢をさせればさせるほど、内側から美しさが輝いてくるもんなんですよ。判ってますね。それを忘れたら、小夜に逃げられますよ……」  と顔を見るたびに云い、 「女ってものは、月に一回、なにかしら男からプレゼントされると、嬉しくて仕様がない動物なんざんす……。それも高価な品物ほど男の愛情の深さを感じるんざあますの。平吉さんは、小夜に毎月一回、プレゼントしてませんでしょ?」  などと云って、暗に宝石や、衣裳を買い与えろと奨《すす》めるのだった。  平吉は、小夜が贅沢なのには、内心駭《おどろ》いていた。  たとえば銀座に食事に出る。  彼女が好きなのは、高級フランス料理か、中華料理であり、二人で食事をすると、必らず二万円近い金が飛んだ。高価なワインや、熊の掌などを注文するからであった。  そのあと買い物に歩くのだが、小夜が関心を持つのは呉服屋、袋物屋、宝石店ぐらいでそれも三十万円の宮古上布だとか、鰐皮《わにがわ》のハンドバッグだとか、翡翠《ひすい》、エメラルド、ダイヤモンドといった類いなのである。 「これ買って、パパ……」  と、鼻声で甘えられると、決して買うまいと思っていても、平吉は渋々、小切手帳を取り出すよりないのだった。  一度、二百二十万円のダイヤの指環を、誕生祝いに買って呉れとせがむので、 「こちらの予算もあるし、他にしなさい」  と、叱りつけたことがあった。  すると、プイと店先から出て、タクシーに乗り込み、三日ばかり帰って来ない。  気を揉んでいると、奥湯河原から、 『パパ。小夜は死にます。この世の中に、誰にも甘えられる人がいないのなら、死んだ方がましです。いろいろと、有難う存じました。パパだけが、小夜の凡てでした』  という簡単な手紙が来た。  ちょうど、二人が一緒になってから、半年目のことである。  蒼くなって、奥湯河原の思い出の旅館に駈けつけると、旅館の人は申し訳のなさそうな顔をして、 「そのう……いま、病院へ、入って居られますんで……」  と云った。  病院で聴くと、睡眠薬自殺を図ったが、発見が早かったため、胃洗滌を行い、もう、すっかり元気になったという。しかし、本人はまだ自殺をあきらめてない模様なので、監視がてら、安静を命じてある……と云うことであった。  平吉は、吻《ほ》ッとしながら病室に入ると、小夜は思ったより元気そうで、顔を見るなり、 「パパの莫迦! 小夜、死んじゃうから!」  と泣くのである。 「心配したよ、小夜。ごめん、ごめん。あのダイヤは必らず買ってやるから、二度とこんな真似をするんじゃないぞ……。新聞沙汰にでもなったら、どうするんだ……」  平吉は、小夜の髪の毛を撫でてやりながらこの時ほど、彼女をいとおしく思ったことはなかった。  この自殺未遂のあと、彼は竜村ハナから、こってり油を絞《しぼ》られた。 「なんです、二百万や三百万円の金高で! 小夜には、何億円という金を、投げ出す人がいたんだと云うことを、忘れないで下さい。これから先、小夜に一軒ぐらい、料亭を出さして貰わねばならないのに、そんな不甲斐ないことで、どうするんざんす!」  ハナは、そういって彼を叱りつけ、矢庭に優しい声音になって、 「ときに理事長さん……赤坂に恰好な出物がざあますの。これから下見に参りません? いいえ、今直ぐ買うというんじゃなしに、今からいろいろと見ておいて頂くと、眼が肥えて来て、なにかの時に役立つざんしょ?」  と云ったものだ。  小牧平吉は、なんとなく不快な念に襲われ、なぜだか、 〈大丈夫かな?〉  という気がした。  それはよく判らないが、人間に危険予知の本能があるとしたら、その予知に似た感情であったかも知れない。しかし小牧平吉は、そのとき既に、蜘蛛の網にかかった蜻蛉《とんぼ》のような存在だったのである。   六  たとえ街の金融機関でも、信用金庫の理事長という職権にある者には、そこはそれで、なにかと融通の利く面があるものである。  小牧平吉は、いつしかその特権を悪用して苦しい資金繰りを、はじめるようになっていた。ちょうど景気が上向いた、昭和三十三年ごろのことである。  竜村ハナに攻められて、平吉は築地の料亭街に、〈小夜〉という割烹旅館を経営させるようになっていたが、この購入資金、改築資金の手形決済に追われ、ついつい理事長の立場を悪用するようになっていたのだ……。  折からの土地ブームで、築地、新橋といった土地は、銀座とまでは行かぬが、坪四十万を下らない値段であった。  敷地百二十坪、延坪百六十坪の物件だったから、ざっと一億円の買い物である。  これに大工、左官などの手を入れ、板前を引き抜き、仲居を探し、魚市場とコネをつけたりするのに、結構、金がかかったのだ。  平吉は、これらの買物を、すべて手形操作で行ったのである。  かりに一億円の手形をふりだす。これを落すためには、金利を含めた一億一千万円の手形をふりだして、決済する必要がある。しかし三ヵ月後には、また一億三千万円近い手形を振出さねば、それを落せないわけであった。  ……これではネズミ算式に、借金は増えてゆくばかりであるが、この頃になると、鈍感な平吉の妻も、ようやく夫に隠し女があることをつきとめ、 「妾には、あんな立派な家を買ってやって、家族にはこんなボロ家を……」  とヒステリックにわめいたりするようになった。  仕方なく、妻の機嫌をとるために、貸店舗を売り払って、隣接地を買い、増築工事にかかったので、これまた出費が嵩《かさ》む……という悪循環が重なったものだ。  小牧平吉は、沈欝な人間となり、キャデラックを乗り廻して、自宅と築地の〈小夜〉とを往復しながらも、眉根に皺を寄せてばかりいた。  来る日も来る日も、手形に追われているからである。  割烹旅館〈小夜〉は、順調であった。  売上げも毎月、少しずつだが伸び、今までのように生活費を、小夜に手渡さなくても済むようになった。  だが、呉服だの宝石は、相変らず平吉にねだる。  それも二人が、裸で抱きあって、愛の行為を営んでいるさなかに、彼女の方から切り出されるのだった。  平吉の快感が昂まり、あと数秒でクライマックスに達するという寸前を見図って、小夜は喘ぎながら、 「ね、パパ。この間の猫眼石、買って! ねえ、駄目?」  などと云うのである。  感興を削《そ》がれたくない一心で、平吉としては、 「ああ、いいよ、いいよ……」  と答えざるを得ないではないか……。  それに、彼が許可を与えたあとの小夜の、ハッスルぶりがまた凄まじいのだった。  巷間、よく閨《ねや》で泣く女があると伝えられるが、小夜はその�泣き女�で、躰をのけぞらせ、眉根を強く寄せ、喜悦の声をあげているかと思うと、次第に小鼻をぴくつかせ、 「パパ……パパ!」  と口走りながら、泣きだすのだった。  その時の泣き声は、ことが終った男性を、再び復活させてしまうほどの、なんというか男の情欲の芯を掻き立てて止まない、一種の媚薬みたいな作用すらするのだ。  平吉には、小夜のその泣き声を聞きたい一心で、彼女の高価な買い物の許可を与えていたようなところがあった。  昭和三十四年の暮のことである。  彼は珍しく、本郷の竜村で忘年会をしていた。そしてその席で、女将の竜村ハナから、新しい養女の加津を紹介されたのだ。  加津は、彼が築地〈小夜〉のパトロンであると知ると、俄かに眼を輝かせ、 「じゃあ、お小夜姉さんの……」  と云ったのだった。  忘年会のあと、数人の芸者衆と、銀座へ飲みに行くことになった。 「どうだね。加津ちゃんも来るかね?」  と誘ってみると、銀座のバーというところを、見学してみたいと云う。 「よかろう。ついてお出で」  彼は、加津を連れて銀座へ行った。  どうせ、今夜は小夜のところで泊まる積りであったし、なんだったら加津も、〈小夜〉に泊まらせたらよいと考えていたのである。  二軒ばかり飲み歩き、三軒目では平吉は加津と二人きりになった。  加津は、小夜と違って陽性な美人で、 「あたし、料亭なんか、やりたくないわ。バーをやりたいんです……」  と、あけすけに云い、 「ねえ、どこかに泊まりに行きましょうよ」  と誘ってくる。  平吉は、小夜の前科があるから、 「おい、止せよ。滅相もない」  と答えたが、 「平気、平気。あたし理事長さんみたいなタイプ、大好きなの……」  と、加津は云うのだった。  そして彼女は、 「その代り、バー一軒出させてね。そしたら竜村から逃げ出せますもの……」  と囁くのである。  アルコールの故為ばかりでもなかったが、そんなドライな若い娘の躰には、やはり新鮮な魅力があった。  年が明けてからも、加津はときどき電話して来て、昼間、二人は密かに本郷界隈の旅館で、情事を重ねるようになった。  ……誰も気づいていない、と安心していたのに、二月半ばの土曜日の午後、二人が絡みあっているところへ、襖《ふすま》を蹴破って、小夜が乗り込んで来たのであった。  小夜は、この間から挙動不審なので、尾行をつけていたと云い、二人を竜村ハナの前に連行したのである。  竜村ハナは、冷たく、 「一度ならず二度までも、恥をかかしてくれましたな。そんなに加津が欲しければ、養女の縁を切って、平吉さんに差し上げます。その代り、小夜とはきっぱり、縁を切って頂きますから、そのお積もりで……」  と宣告したのであった。  A信用金庫が、大蔵省筋の査察を受け、不当な融資の罪を背負って、小牧平吉が理事長を辞任させられたのは、それから一ヵ月も経たない頃である。   七  ——昭和四十二年の夏。  小牧平吉は、大阪天王寺近くの、安宿で暮すようになっていた。  なにやかやで、二億円ちかく不当融資を受けていた負債を、整理するために、アパートその他を売り払わねばならなかったのであるが、驚いたことに平吉は、妻や子供たちから準禁治産者の宣告を受ける……という羽目になったのであった。  彼は、憤然として家を出た。  加津に、新宿でバーを出させ、三年ぐらいは平穏に暮したが、加津が若いバーテンと同棲生活に走ったので、バーを売り払い、心機一転を求めて大阪へ出た。  だが、五十過ぎた彼に、大阪という商都は決して微笑みかけてはくれなかった。  そして今では、キャバレーのホステス相手に、呉服や、安物の宝石を、月賦で売り捌《さば》く行商人に転落してしまっている。  釜ケ崎にまで落魄《らくはく》しないのが、せめてもの慰めであったが、それにしても、小夜からせがまれ、よく店を歩き廻ったお蔭で、眼が肥えるようになった呉服と宝石とで、なんとか生き永らえているとは皮肉であった。  その日も、夕方ちかく、彼は商売用のトランクを提げて、ネオンが瞬きはじめる雑踏を歩いていた。  と——彼とすれ違った一人の女性が、 「まあ、理事長さん……」  と声をかけたものだ。  はッとなって振向くと、〈竜村〉で仲居をしていて、いつしか辞めて行った春江の姿があった。  彼が年老いた如く、春江も中年過ぎの衰えかかった容貌に、それでも白粉や紅を刷いてなんとか見られるような造りにしている。 「おウ、春江さんじゃないか!」 「まあ、お珍しい。風の便りに、お辞めになったと聞いてましたけど……」 「あんたは、何をしている?」 「男に欺されて、小料理屋の雇われマダムですの……」  十分後——二人は、ある喫茶店の片隅にいた。  二人の話題というのは、やはりどうしても限られてくる。  小牧平吉は、小夜のために手形操作に追われ、挙句の果て、加津との密通の現場をおさえられて、小夜にすべてを呉れてやり、別れたという経緯を語った。  するとその時、春江は痛ましそうな表情をつくって、 「理事長さんも、やっぱり……」  と呟いたのである。  平吉は耳を疑った。その言葉は、いくら考えても、その場に相応《ふさ》わしくない合槌の打ち方なのである。 「きみ……今、なんと云ったね?」  彼は云った。 「やっぱり理事長さんも、おなじ目に遭《あ》ったんですね、と申し上げたんですわ……」  春江は低い声で呟いた。 「なんだって? おなじ目に遭った人が、他にもあるのか?」  彼は、咽喉に竹のトゲでも、突き刺ったような声を出していた。 「大木戸の千代さんが、矢張りそうですわ」 「なに、千代が?」 「理事長さんは、ご存じないでしょうけれど千代さんも、小夜さんも、お女将さんと血縁のない養女なんです。貧しい百姓さんから、金を出して買って来た……」 「な、なんだって?」  彼は絶句した。 「あのお女将さんは、恐ろしい人……本当に恐ろしい人ですわ」  春江は、思い出すように呟いた。 「恐ろしいって、なにが?」 「美人になりそうな女の子を、買って来て、自分の思い通りに育てるんです。変な話ですけれど、お小夜さん……あの時に、泣きません?」  春江は顔を硬ばらせて訊いた。平吉は、言葉もなく肯く。 「でしょう? あれだって、お女将さんが、手をとり足をとって、教え込んだ芸なんですもの……。それこそ、どうしたら男の心を魅きつけられるか、という色眼の使い方から、ベッドのサービスまで……」 「……色眼の使い方……」  平吉は、ぎくりとしたような顔つきで、その春江の言葉を、ただ反芻《はんすう》している。 「物を効果的にねだるには、どうしたらよいか。鼻で甘える方法……拗ねてみせ方……自分が芸者時代から、覚え込んだ花柳界のあの手、この手を養女に教え込んだんです」 「そ、それは一体、なんのためだ?」  彼は吃りながら叫んだ。 「もちろん、金持の男を探して、養女の千代さん、小夜さんを、お妾さんにするためじゃありませんか……」 「妾にする? 自分の娘を?」 「ええ、竜村ハナという人は、小夜さん、千代さんを自分の娘とは思ってませんでした。金儲けの道具だと、考えてたんじゃないでしょうかねえ……」 「養女が……金儲けの道具……」  小牧平吉は、ポカンと口をあけた。 「申し訳ありませんけれど、理事長さんに白羽の矢を立てて、祝賀会をひらかせたのは、あのお女将さんなんです。そして私たちは�小夜が理事長さんに惚れてる�って噂を、ふりまくように命令されてたんです……ご免なさい……」  春江は頭を下げた。  彼は、口をパクパクさせて、 「すると、奥湯河原のあの時は、すべて予定の行動だったわけか……」  と云っていた。 「ええ、小夜さんも私も、お女将さんの云う通り、お芝居したんですの。あの家を買わせたのも、築地を買わせたのも、すべてお女将さんの差し金なんです……」 「すると、千代の方も……」 「ええ。いい加減、あの男を絞ったら、次の男に乗り換えるんだよ、なにをモタモタしてるんだいッって、よくお女将さんは、千代さんを電話で叱りつけてましたもの……」  春江は、低い声でそう云ってから、 「理事長さんは、あのお女将さんのために、とうとう裸にされたんですのね?」  と、痛ましそうに目をしばたたいた。 「そうだったのか……」  彼は腕を組んだ。そう云えば、すべてに思いあたるフシがあるのであった。 「そのお手伝いをした私は、悪の酬いで、今はこんな有様ですわ……」  春江は淋しく笑った。 〈すると、手を切るために、加津というインチキ養女を、この俺に押しつけたという訳だ……〉  小牧平吉は一瞬、シュンと鼻を鳴らした。泪が、口惜し泪が吹き出そうであった。それを紛らわすように平吉は、とつぜん大きな声で笑いはじめた。 「春江さん、こいつは大笑いだ。なんだい、俺は色男でも、なんでもねえ、財産を毒蜘蛛に狙われただけのこったい……」  平吉は、笑いながら、途切れ途切れにそう云ったが、彼の頭の中では、自分の仕込んだ数匹の鵜《う》の首に綱をつけて、鵜をあやつっている鵜匠の姿が、うす黒く浮かび上って来ていたのだった。  養女という盲点を衝いて、旦那をとらせ、家や店を買わせては別れさせる、人間鵜匠。 「こいつは、大笑いだ……」  小牧平吉は、高笑いをつづけながら、目尻から流れ出るものを、何回も拭ったのだ……。 こんな女に   一  ……いかにも私は、夫の松方末雄を、この手で絞め殺しました。人を殺すことは、いけないことです。  ですが、殺さずには居れなかったのです。  警察の方は、一点の非もない夫を、殺した私が悪いと仰有います。  それは、その通りかも知れません。  私は、悪女なのでしょうか。  夫を殺したから、悪女なのでしょうか。  でも、泥棒にも三分の理とか申します。この私にだって、理由はあるのでございます。  私が、松方末雄と結婚したのは、別に恋愛からではございません。いわば平凡な、見合結婚なのでございます。  私は、厳格な教育者の家庭に育ちました。  母親は、熱心なキリスト教の信者で、父親は物心ついた頃、大学の助教授でした。  むかしは、大学の教授というと、裕福な家庭の代表とされていたそうですが、戦後はそうではなく、父親は本箱も買えずに、ミカン箱に紙を貼り、それを積み上げて、本箱の代りにしていた位ですから、その経済力は推察いただけると存じます。  姉弟は四人おりまして、私はその長女に生まれました。  自分から申すのも何ですが、私は子供の頃から器量よしで通っておりました。勉強はあまりやりませんでしたが、学校の成績は、わりによい方でした。  高校時代、体育の女教師から、下宿に連れ込まれて、変な悪戯をされた位が、私の青春時代の想い出でございます。  ……あれは、高校二年の夏休みのことでございました。  学校に補習授業を受けに参りまして、帰ろうとしておりますと、体育の山下という、眼鏡をかけた女教師が、 「徳田さん。あなた、今日、躰あいてる?」  と私に声をかけました。 「ええ、あいてますが」  と申しますと、山下先生は、 「じゃあ、悪いけれど、私のお手伝いをして呉れないかしら?」  と云います。  相手が、男性の教師ならば、私も用心したでしょうが、女教師なので、つい安心して、のこのこ彼女の下宿へ蹤《つ》いて行ったのでございます。  山下先生は、小肥りして浅黒く、女性としては醜い方でした。  彼女は、下宿へ着くなり、命令口調で、 「論文をかくために、女子高校生の体格を調べてるの。協力して下さるわね」  と云い、私に裸になるよう命じたのです。  私は、当惑しながらも、裸になりました。すると山下先生は、私の乳房をゆっくり揉みしだきながら、 「感じない?」  と云うのです。  そのあと、いろんなことをされましたが、忘れられないのは、山下先生が私を白いシーツの布団の上に仰臥させて、恥しい部分に顔を埋めた時のことでしょう。  私は、云うに云われない、恍惚とした感情を味わい、手足を痙攣させたのでございました。  先生は、男のように、 「いいだろう? ね、いいだろ?」  と云い、 「大人にしてあげる、大人にしてあげる」  と口走りました。  私は、その日以来、山下先生を遠ざけましたが、この時の妖しい快感と、他人から悪戯されているような屈辱感とは、私の頭にこびりついて離れなくなったのです。  父は、  ——女はバカな動物だ。だから社会に出て働いても、男の仕事の邪魔になる。  というような、封建的な思想の持ち主でしたから、高校を卒業した私が、大学に進学することを好まず、家庭にいて自分の資料の整理をすることを求めました。  父の学問は、一種の統計学みたいなものでしたから、その資料の整理たるや、大変なもので私はよく母に訴えて泣きました。  あまりにも辛気臭《しんきくさ》い仕事だからです。  二年ばかり、父親の手伝いをして、私は家を飛び出しました。  喫茶店で知りあった中年男が、私の店で働かないかと、名刺を呉れたのを頼りに、家出を決心したのですから、私も考えれば無軌道な娘です。  私が訪ねた男性は、キャバレーの経営者でしかも、あとで判ったのですが、三国人でした。そして、その三国人に私は、家出したその日に強姦されてしまったのです。  彼には、四人の妾がおり、それぞれに子供を産ませて、店をやらせていました。そして私にも、子供を産めというのです。  彼は精力絶倫の方で、三日三晩、私をホテルに缶詰にして、何度となく犯しました。  私は家出したことを後悔しましたが、父の許には帰る気がせず、そうかと云って、ホテルを飛び出す訳にも行かず——三国人の彼は私の持ち物の一切を取り上げて、どこかに隠してしまったのです。パンティすらも! 私は全裸で三日間を過したのです——自暴自棄な気持になって行きました。  四日目から、彼の店で働くことになりましたが、  ——どうせ三国人に犯されたのだ。  という気持で、私はかなりヒステリックになっていたのだと思います。  逃げ出そうと思えば、いくらでも機会があるのに、不貞腐《ふてくさ》れてキャバレーの女になり切ろうとしていた私。  そんな私を、一ヵ月目に父が探しだし、家に連れ帰ったのでした。  母は私の顔を見ると泣きだし、父は妹や弟たちの手前、いろいろと問い糺《ただ》す訳にもゆかず、ただ一言、 「阿呆につける薬はない」  と申しました。  私が、見合をさせられたのは、それから間もなくでございます。  相手は、父の教え子の、高校の数学教師でした。その見合の相手が、私が絞め殺した松方末雄なのでございます。  神経質そうな、度の強い眼鏡をかけた、痩せぎすの男でございました。  学問が、三度の食事より好きで、なんでも博士論文を書くために、研究に没頭しているのだそうです。  私は一目見て、好きになれないタイプだとは思いましたが、私にはなまなましい過去の傷があることですし、陰気くさい父親の仕事の手伝いをさせられるよりはましだと考えまして、嫁ぐことを承知したのでございます。   二  見合して半年後に、松方と私とは式を挙げました。  新婚旅行は、平凡な京都と奈良のコースでございました。  ちょうど新幹線ができた頃で、私は夫と旅行するよりも、それに乗れるのが嬉しかった位です。  むりもありません。  私は当時、二十一になった許りでした。そして夫の松方は、六つ年上の二十七です。  嵐山の近くの、和風旅館が初夜を迎える舞台に撰ばれたのですが、私が床に入っても、夫はむずかしい顔をして、本を読み耽るばかりです。 〈照れ臭いんだな……〉  と私は思い、狸寝入りをしました。  すると、やっと床に入って来たのですが、私の躰に触れもしないのです。  夫が、私の躰に触れて来たのは、次の奈良の宿ででした。それも、 「京子さん……触っていいかい?」  と私の名を呼んで断り、それから恐る恐る乳房に掌をあてがってくるのでした。  母親から、 「貴女は処女だと云ってありますからね」  と、何度も釘をさされていた私は、生娘を装おうとしましたが、夫がなかなか積極的な行動に移って呉れないので、じれったくなりまして、 「もっと、下の方を触って!」  と申しました。  夫は、それでやっと決心がついたように、そろそろとパンティの中に、手をさし入れて来たのですが、次にはなんと、私の手をとって自分の物に触らせ、あっと云う間に布団を汚したのでした。 〈なんて、だらしのない人だろう!〉  と私は思いました。  私を強姦した三国人など、五十四歳だというのに、一夜に三度も四度も、私の躰を虐《さいな》んだのです。  にも拘らず、二十七歳の私の夫は、自分だけ満足すると、くるりと私に背を向け、 「京子さん、お寝み……」  と云ったのです。  お恥しい話ですが、私と夫とが、正常な夫婦の営みを持ったのは、新婚旅行から帰りまして、新居である団地に入ってからでした。  2DKの新婚用の団地ですが、私にはなにかと物珍しく、なにか久しぶりに充実した感じでした。  夫は食べ物にあまり興味がない方で、独身時代は、朝はパンに牛乳、昼はウドンか、ラーメンで、夜はカレーライス位で済ましていたと云います。  私は、そんな夫に、少しでも栄養をつけさせ、家庭的な雰囲気を味わわせようと、朝食だって、いろいろと工夫を凝らしました。  弁当だって、一ヵ月に一度もおなじお菜を持たせたことはない積りです。  むろん夫は、なに一つ不平を洩らしたことはありません。が、賞めても呉れないのでした。  女という動物は浅薄ですから、やはり、 「今日のお菜は塩辛すぎる」  とか、 「今夜のオデンはうまかった」  とか、云って貰いたいのです。  夫は、朝七時に起床して、八時には出かけて行きます。  土曜日は半ドンですが、普通の日は、きっちり六時に帰宅します。  家に帰ると、和服に着換えて、夫のいう勉強部屋に入り、私が、 「あなた。御飯にしましょう」  と外から声をかけても、 「うん、すぐ行く」  と云うだけで、なかなか出て参りません。  三度か、四度目の催促で出てくると、むっつりと夕食をとります。そして食事が済むと、テレビもみないで、その儘、また勉強部屋に閉じ籠るのです。  寝る時だって、私が声をかけねば、夫はいつまでたっても、部屋から出て来ません。  勤めがあるので、十二時頃には寝ますけれど、土曜日なんか、午後一時に帰ってくるなり、夕食に出てくるだけで、寝むるのは午前三時、四時でした。  夫が、ニコニコ顔をみせるのは日曜日で、それは高校の生徒たちが、遊びに来るからでした。  日曜日の午後は、面会日になっていたらしいのです。遅くまで前夜、研究の仕事をしているので、日曜日は正午ぐらいまで眠っています。  しかし私の方は、午後訪れてくる生徒たちのために、汁粉をつくったり、ホットケーキを焼いたり、いろいろと準備がありますのでゆっくり眠っても居られません。  あんな無口な人なのに、教え子たちには人気があるらしく、生徒たちは仲間を誘ってはわが家に遊びに来るのでした。  夫は、遊びに来た生徒たちと、実に他愛ない話をするのです。  たとえば、 「縦一|米《メートル》、横一・一|米《メートル》、深さ一・二|米《メートル》の穴から、どれだけの土が出るか」  と質問して、生徒たちが、 「一・三二立方|米《メートル》」と答えますと、夫は笑って、 「答えはゼロだよ。穴からは何も出ない」  と云うわけです。  話題は、数学を利用した話題が多く、また生徒たちも、それを望んでいるようでした。  夫は、生徒たちに、そんなパズルめいた質問をして、ニコニコと喜んでいるのです。  ですが私には、そんな夫の振舞いが、内心ではあまり嬉しくありませんでした。  なぜかと云うと、団地に住む他の家庭では日曜日になると、子供を連れたり、カメラを持って散歩や、ドライブに出かけますのに、松方は決してそんなことをしないのです。  夕方、生徒たちが帰ると、夕食までテレビを見て、食事が済むと、また勉強部屋へ入り込んでゆくのでした。  つまり松方にとっては、この妻の私は、女中のような存在でしかない訳です。  二十一歳の若い妻が、そんな結婚生活を慊《あきた》らなく思うのは当然でしょう。それとも、この私がいけないのでしょうか。  ……私だって、世間の人妻なみに、夫から可愛がって貰いたいのです。  月に一度は、映画をみて、外で食事ぐらいしたいのです。でも夫の松方末雄は、そんな私の夢を叶えてはくれませんでした。 「たまにはデイトして、映画でも見たいわ」  と私がねだりますと、 「一人で行って来たらいいでしょう」  というような夫ですもの。私がこの結婚生活に、わずか三ヵ月で失望したのも、お判り頂けると思います。  なんと申しますか……心と心との触れあいがないのです。いや、肉体すら触れあうことも月に一度か二度でした。   三  正直に申し上げますが、私はまだ女として肉体の欣《よろこ》びを知っていたとは云えません。  私を強姦して、処女を奪った三国人の李社長だって、自分が満足するだけで、私にセックスの欣びを教えてくれた訳ではないのでした。まして夫の松方が、私に欣びを与えてくれる訳はなく、私はなんとなく物足りない感じでした。  団地というのは面白いところで、共通の階段を使う家の人が、いわば隣組です。  いちばん親しいのは、ドアをへだてて向かいあっている部屋の家で、私の家の向かいは香川さんと云いました。  新婚二年目の家庭で、お互いに子供がないところから、よく行き来しました。  香川さんの旦那さんは、商事会社に勤めている、非常に気さくな方で、月賦で購入したマツダ・クーペを持っており、朝など夫と一緒になりますと、 「駅までお送りしましょう」  と云ってくれるのでした。  そして日曜日には、奥さんと二人で、どこかへ仲睦じくドライブに出かけます。  私は、そんな香川夫妻の休日が、羨しくてなりませんでした。  この香川夫人は、私より五つも年上ですけれど、よくあけすけに、自分たちの性生活のことを私に話しました。  たとえば、浮かぬ顔をしているので、 「どうなさったの?」  と訊きますと、 「昨夜、嫌だ、嫌だって云うのに、新しい体位を教わって来たからって、酔って帰って来て寝ている私を起して、いじめるのよ。あたし、そのうちに思わず、夢中になっちゃって……今朝起きたら、首がいたいったら、ありゃしないの。ねえ、奥さん。松葉崩しって体位、ご存じ?」  なんて答えるのです。  香川夫人は、夫が二十代なら週四回ぐらいは当然だと云い、 「男と女のあれって、どうして、あんなに気持がよいのかしら……」  などと、ぬけぬけと云うのでした。  そんな言葉を聞いたときの、私の気持をお察し頂けますかしら——。  それは年齢の差はありますし、結婚生活のキャリアも違うのですから、さほど僻《ひが》む必要はないとは思うのですが、やはり耳にするとなんとなく欝積《うつせき》した気持になるのです。  かと云って、夫に話したって、判って貰えるとは思えません。  また、話したって、鼻がムズ痒いような顔をして、 「ふん、そうですか……」  と云うだけに決まっています。  私は、なにも多くを要求しているわけではないのです。  ただ、世間の妻なみに、夫から可愛がって貰いたいだけなのですが、松方はそれを理解してくれない。彼はそんな人なのでした。  かと云って、私に冷たい訳ではなく、優しい人なのです。  言葉遣いだって、 「京子さん。今日は送別会がありますから、遅くなります……」  といった風に馬鹿丁寧ですし、人前では特に丁寧になります。  遊びに来た高校の生徒あたりまでが、 「先生は、奥さんにまで、そんな言葉遣いをするんですか? 恐妻家だなあ……」  と云って冷やかすほど、優しい言葉を使う人なんです。  それに礼儀だって、非常に正しい。  おなじ団地に住む人々だって、 「松方さんの旦那さんは、いつも笑顔で挨拶されますなあ……」  と云う位に、外面《そとづら》はよい人なんです。  しかし、家に帰って来ると、まるっきり研究の虫みたいなもので、私は実験室にいる助手のような錯覚を起して、思わず息苦しくなるのでした。  それは、松方と一緒に暮した人でないと、わからないと思います。  その頃——丁度、結婚して四ヵ月目ぐらいでしたか、実家に帰って母に、 「あんな人と暮すのは辛気臭い……」  と訴えたことがございます。  母は、あれこれと夫の行状を聞き、 「なにを云ってるの、京子。あなたの話をきくと松方さんは、パパに輪をかけたような真面目な人じゃないの。いまどき、そんな方がいると思いますか。一体、結婚生活をなんだと思っているの!」  と、私を叱りつけたのでした。  母親を、私の唯一の理解者だと思っていた私は、すっかり失望しました。  ——別れたい。  と云う私を、母は、  ——とんでもない。松方さんみたいに良い旦那さんは、鉦《かね》と太鼓で探してもいない。  と云うんです。  私にも、夫が良い旦那さんであることは、よく判ります。  女遊びもしなければ、酒も飲まない。  むろん、麻雀だの、花札だのという賭け事もしなければ、碁、将棋といった勝負ごともしません。  道楽と云えば、せいぜい煙草を吸うぐらいです。それも、肺癌になると云って、吸口のついた〈朝日〉の愛用者なのです。  ……世間の人の眼から見れば、松方末雄は�貞淑�な夫であり、礼儀正しい�愛妻家�であり、真面目な�教育家�でしょう。  でも、妻の私の眼からみると、�退屈�な、そして�張り合い�のない、ただ仕事熱心な�堅物�でしかないのです。  私は或る日、思い切って香川夫人に、すべてを打ち明けて、  ——どうしたら良いのだろう。  と相談しました。  すると香川夫人は、 「そりゃあ、貴女があまり旦那さんに尽しすぎるからよ……」  と申しました。彼女は、 「亭主という動物はね、�空気�のような存在の妻を、理想にしているわけよ。つまり、空気はあるのか、ないのか判らないでしょ。しかし、空気がなければ、人間は死んでしまうわけ……。だから男は、あるか、ないか、判らないけど、いなければ困る存在に、妻を仕立てようとするわけよ……。でも、その亭主の要求に添おうとしたら負けよ。男って動物にはね、ときどき空気の存在を教えてやらなきゃ駄目なのよ……」  と私に説教したのでした。  結局、彼女が云うには、私があまりにも貞淑な妻であり、百パーセント夫に満足を与えているから、そうなるのだと云うのです。 「……たとえばよ、貴女が男の人と、居間で二人っきりでいるとして御覧なさい。旦那さんだって、書斎に籠りっきりになれないじゃないの……。もしや貴女が、男の人とキッスでもしてやしないかと、気が気じゃなくて、書斎から出てくるわよ……」  香川夫人は、そんな風に云って、私に示唆を与えたのでございます。   四  別に私は、香川夫人が私をそそのかしたから、彼女が悪いのだとは申しません。私がいけないのでございます。  しかし、私のとった行動の発端——いわば�動機�が、そんなに不純なものではなかったことだけは、お判り頂きたいのです。  夫の関心を、私に魅きつける目的のために、私は、夫の教え子を誘惑したのです。  私の家に遊びに来る教え子のなかに、則武《のりたけ》正二郎という大学へ入ったばかりの男の子がおりました。  最近の若い男性は、服装だけは洗練されていますが、どことなく女性的で弱々しく、あまり魅力を覚えないのですが、則武君はなんとなく武骨な感じのする、夫とは正反対のタイプでした。  私は、この則武君に白羽の矢を立て、日曜日に遊びに来たある時に、そっと、 「お話があるから、残って夕食を喰べて行って呉れない?」  と耳打ちしたのでした。  夫は、彼が残って夕食の膳に加わったので吃驚したようでしたが、私が、 「父の仕事のことで、アルバイトをお頼みしようと思ったの……」  と申しますと、 「ああ、徳田先生の……」  と呟いて、別に何も申しませんでした。  食事中、私は殊更、則武君に世話を焼き、夫の茶碗がカラになっても、知らん顔を装ったりしました。  ところが、夫は一向に反応を示さない。  かえってニコニコして、自分の御飯をよそったりするのです。  父が、アルバイトの学生を求めているのは本当でした。  それはそれでよいのですが、夫は全く則武君の存在を、意に介さないように、食事が終ると、 「じゃあ、仕事があるから——」  と云って、すぐ�勉強部屋�へ這入り込んで行くのです。  私としては、張り合いのないこと夥《おびただ》しい。  あまり長くは引き留められないので、則武君にむかって、 「次の日曜日にも来てね」  と云って帰したのですが、帰ったあと、夫に報告に参りますと、 「玄関のドアが開いて閉まったので、則武が帰ったのは判っています。いま、むずかしい計算をしているから、邪魔しないで下さい」  と云われました。  この時の口惜しさ。  夫は、私に全然、無関心なのです。  その次の日曜日に、則武正二郎が約束通り遊びに来たとき、私はまた夕食に彼を引き留めて、夫と三人で食事をしました。  則武君は、ポーカーが上手だと聞いていましたので、夫に食事中、 「ねえ、あなた。食事が済んだら、則武君からポーカーを習わない?」  と申しますと、 「人生は長いんだ。そんなポーカーなんかは博士論文をとってからでもやれる。今夜は、きみが教わっておいて、いずれ私に伝授して下さい……」  と夫は答えました。  その夜、私は勉強部屋の夫の、関心を惹くように、わざと大きな声を張り上げて、 「いやだあ! そんなの……」  とか、 「まあ、凄い手が出来たわねえ……」  と叫び、矢鱈とキャッ、キャッと笑い声を立ててみたのですが、夫はまるっきり勉強部屋から出て来ない。いや、居間の私たちを覗こうともしないのです。  私は心中ふかく、怒りを覚えました。 〈一体、どういう神経の持ち主だろう!〉  私はそう思ったのです。  そして、夫が私の行動に、やきもきするまで、則武君を�アテ馬�に使ってやろうと決心したのでした。  アテ馬に使われた則武正二郎こそ、いい迷惑だったでしょうが……。  次の日曜日も、可哀想な夫の�教え子�はわが家に参りました。  夕食のとき、 「今夜も、ポーカーを教わるの……」  と云いますと、夫は一言、 「ほほう……」  と云っただけです。  十八歳の大学生は、たちまち私に夢中になりました。ポーカーをやっている時の、彼の眼を見たら判ります。  則武正二郎は、帰るとき、玄関の所で、 「こんどの日曜日も、伺っていいですか」  と熱っぽく云いました。  それで私は、夫を刺戟してやろうと思い、 「日曜じゃなく、土曜日の午後きて……」  と伝えました。  土曜日の午後、夫が帰って参りました。そして間もなく、則武正二郎が訪れたのです。  夫に、 「則武君が見えたわよ……」  と申しますと、 「今日は面会日じゃないから、京子さんが相手をしてやって呉れませんか」  と云います。  私の目的は、ポーカーではなく、夫が私に関心を寄せて呉れることなのですが、彼は全くそんなことには興味も示さず、教え子の男性と妻が、二人っきりで居間にいることに、一片の疑いも挿しはさまないのでした。  ……これでは妻の私が、ますます躍起になる道理です。  それに、私を更にある方向へと駈り立てたのは、則武正二郎の、若い男性にありがちな一方的に燃える熱情の故為《せい》でもあります。  三人きりの食事を終え、私は買物を口実にして、彼を駅に送りがてら外出しました。  その道すがら彼は、 「奥さん……。人の奥さんを、いや、恩師の奥さんを、好きになっては、いけないのでしょうか?」  と云い、 「奥さんのこと許り、毎日、考えてます。僕は苦しいんです……」  と告白したのでした。  私は、なにも答えられませんでした。  が、帰宅して夫に、 「則武君……あたしのことが、好きらしいのよ。どうしようかしら?」  と云っても夫は、 「男なら、誰だって君を好きになりますよ。彼は若いから、特にそうでしょう……」  と答えただけなのです。   五  私が、大学生の則武正二郎と接吻をかわしたのは、たしか、その後まもなくだったと思います。  その時だって私は夫に、 「ごめんなさい。貴方……。あたし、則武君と接吻しちゃったの」  と報告しています。  流石《さすが》に夫は、吃驚したように、計算尺から顔を離して、私をまじまじと凝視《みつ》め、 「彼は、私の教え子ですよ」  と申しました。 「教え子であろうと、なかろうと、キッスしちゃったの……」  と云いましても、松方は、 「そんな莫迦な……」  と苦笑して、とりあわないのです。  教え子なんだから、恩師の妻と、そんな不謹慎なことをする訳がない……と信じ切っている夫の態度に、私は反撥しました。  翌日、私は則武正二郎に電話して、すぐ来て欲しいと伝えたのです。  男と女と——それも若い男女が、団地のコンクリートの密室の中で、一緒にいたら、どんなことになるかは、誰しも想像がつくと思います。  でも私は、長いこと、則武には躰そのものは許しませんでした。  接吻や抱擁で、すぐ荒い息遣いになって興奮する彼を、 「いいから、いいから、大人にしてあげる」  と云って私は、夫の教え子の大学生の男性を愛撫したり、フェラチオしてやったりしましたが、決して躰は許さなかったのです。  若いだけに、彼もエヤクラチオンして一時の興奮が納まると、それ以上のことは求めなかったのですが、ある時、私に悪戯した体育の女教師のことを思いだし、 「私のに接吻して!」  と云いますと、大学生は奴隷のように献身的に、私が背中をのけぞらせる位に、サービスしてくれたのでした。  その恍惚とした感覚が、私には忘れられなくなり、三日にあげず彼と会うようになったのです。  それというのも、夫は結婚以来、ほとんど前戯らしい前戯を施してくれず、いつも申し訳程度に、簡単にお役目を果しているといった営みだったからでした。  私は則武正二郎とそんな間柄になってからも、夫に、 「ねえ、今あたしが他の男の人と、ペッティングしたら、貴方はどうなさる?」  と訊いています。  すると夫は、 「ペッティングというのは、触れるだけの行為だろう? 別に、どうってことは、ないじゃないか……」  と、あっさり答えました。 〈この人は、自分の妻が、他の男性に最も恥しい部分を触られたり、キッスされても、なんとも思わないのだろうか? そんなに冷たい人なのか?〉  と私は考え、大いに不満でした。  あまり口惜しいので、 「じゃあ、則武君にペッティングを許してもいい?」  と云ってやりましたら、夫は例によって、 「そんな莫迦な!」  と答えて取り合いません。  私はある夜、則武正二郎を夕食に招き、夫が勉強部屋に入り込んでから、帰る彼を呼びとめて浴室の中で関係しました。  ……私は、あの時の、痺れるような興奮を、忘れることが出来ません。  夫に気づかれはしまいか、というスリル。  夫を裏切ることへの背徳感。  そして童貞の、夫の教え子を自分の思いのままに凌辱することへの感激。  あれや、これやが入り混って、私を異常に興奮させたのでしょうが、その時、私の心理の底に、三国人の李社長に強姦されたことに対する、奇妙な�復讐感�めいたものが、潜んでいたのは事実です。  大学生は、それこそ、あっという間もなく落城しましたけれども、私は生まれて始めて性のエクスタシーを覚えたのでございます。  それから後は、坂道を転がり落ちる、雪ダルマのようなものでした。  私は、則武正二郎に、夫が出勤したあと、すぐに家を訪ねて来るように命じました。  電化製品のお蔭で、便利になったとは云うものの、家庭の主婦にとって、やはり忙しいのは、子供や主人を送りだしたあとの、午前中の数時間でございます。  先ず、朝食のあとを片附け、それに洗濯と掃除という仕事があります。また、その時間には、いろいろと御用聞きもやってくる。  私の家の向かいの、親しい香川夫人でさえも、午前中は滅多に私の家を覗きません。  それを計算に入れて私は、則武に夫の出勤後すぐ、訪ねて来るように命じたのでした。その時間だと、御用聞きだろうと人は思い、決して怪しまないからです。  私たちは、誰|憚《はば》かることなく、まだ夫と私の体温が残っているベッドの上で、全裸になって抱きあい、テレビの音を大きくして脚を絡ませ合ったのでした。  教え子の大学生は、生まれてはじめて知った女体の味に、すっかり虜《とりこ》になり、私が、 「躰中をキスして!」  と命じますと、お預けを喰っていた犬のように忠実に命令に従います。  変な話ですが、蹠《あしうら》だって、汚いアフトゥルだって、熱烈に愛して呉れたのでした。  ——ああ、その時の云うに云われぬ、一種の征服感!  夫は、一度だって、して呉れたことはありません。もっとも、それが故に私の恍惚感も昂められたのかも知れませんが。  私の頭の中には、 「いいだろう? ね、いいだろ?」  と云って、私の恥しい部分に顔を埋めた、山下先生の浅黒い顔が泛び、ついで、暴力で私を手ごめにした李社長の顔が、つねに交錯するのでした。  もしかしたら私は、年下の童貞だった夫の教え子を、奴隷のように扱うことに、快感を覚えていたのかも知れません……。   六  夫に�秘密�をもちはじめてから、私は前よりも一層、夫に尽す人妻になりました。  香川夫人の形容を藉《か》りるなら、より一層、�空気�の存在に近づきつつあったのかも知れません。  しかし、それと同時に、則武正二郎という大学生にも、あまり魅力を感じなくなって行ったのでした。  なにかで読んだのですが、女の味は�一盗二婢�に尽きると云います。  若い大学生は、人妻の——しかも恩師の妻の私を盗んだことに、強い感動を覚えていたのかも知れませんが、私には既に彼は、�刺戟�とはならなくなっていたのです。  私は、夫の私に対する関心を強めるために彼と接近したのであって、愛しているのでも好きでもないのです。  ただ、利用したにすぎません。  ところが彼は、私にのぼせ上って、 「先生と別れて、僕と結婚して下さい」  とか、 「大学を辞めて働くから一緒に暮そう」  などと云いだすのでした。  私は、 〈これは危険だ……〉  と思いました。  わずか一ヵ月でしたが、キャバレーで働いて、ホステスたちの男性哲学を、あれこれと耳にしたことが役立ったのでしょうか。  私は、則武正二郎を遠ざけました。  そして、�次の獲物�を選んだのです。  ……女は、なにかの拍子に、たとえば道路工事に従事している、陽焼けして筋骨逞しい労働者に抱かれてみたいとか、うす汚い風体をした浮浪者に、芝生の上で白昼、犯されてみたい……というような空想をする動物のようです。  それは何故だか判りません。  昔から、伯爵夫人が自家用の運転手と情死したり、公爵夫人が夫を捨ててアンマと再婚したりした実話が、いろいろあります。  この例をみても、女性は自分より身分の卑しい男性に、心を惹かれるものだと云うことが判りますが、もしかしたら、私の場合もそうだったのかも知れません。  私が選んだのは、執拗にやってくる化粧品や自動車のセールスマンや、保険の外交員ではなく、うす汚れた服装をしたガスの集金人でした。  この集金人に、 「コーヒーを淹《い》れましたから……」  と云い、居間に坐らせることは容易です。  しかし、そのあと、彼の獣欲を刺戟することは、なかなか大変でした。  一応、私は後顧《こうこ》の憂いがないように、彼から�犯された�という立場を、とっておかねばなりません。  自分から進んで、身を投げかけたのでは困るのです。  私は、集金人を招じ入れると、香川夫人に聞えるように、そっと玄関のドアをあけておき、 コーヒーを淹れました。  集金人は、 「奥さん、済みませんねえ……」  と、恐縮しています。  私は、相手に、 「少し昼寝をしますから、あと自由に飲んで帰って下さい……」  と云いました。  そして、わざとベッドのある部屋のドアをあけて、ベッドに仰臥したのです。  むろん、集金人の坐っている位置からは、寝ている私の躰が見られます。  私は、スリップ一つになり、手を恥しい部分にあてがって、悶えるシーンを演じてみせたのです。  こんなシーンを目撃すれば、誰だって男性ならエレクトするでしょう。  果して、集金人は跫音《あしおと》を忍ばせて、そっと寝室へ忍び込んで来ました。  そして、矢庭に私に飛びかかって来たのです。  汗臭い男の体臭。  荒々しい息遣いと行為。  私は、瞬時に陶酔しました。  男も忽ちエヤクラチオンしてしまったのですが、そこで私は、思い切り大声で、 「誰か来てーッ!」  と絶叫したのです。  これには集金人も愕いて、鞄を忘れて逃げだしたのですが、飛び込んで来た香川夫人に私は、 「いま、誰か、見なかった?」  と訊ねたものです。 「男が、お宅から飛び出して行ったけど」  彼女は答えました。  私は殊勝らしく、 「昼寝していたら、急に胸が重くなったの。主人の夢を見ていたので、主人かと思ったら変な男の人なのよ……」  と、泣きながら訴えたのです。  香川夫人は、ガスの集金人の忘れて行った鞄をみつけ、 「犯人は集金人よ……。すぐ警察に訴えてやりましょう」  と云いました。  私は、 「私が、ドアの鍵をかけ忘れたのが悪いんだし、表沙汰になると、主人の恥にもなることだから……」  と彼女を説得して、その日、夫が帰って来るなり、 「貴方……。今日、ガスの集金人に、犯されそうになったの……」  と報告しました。  誰だって妻が、他人に強姦されそうになったという話を聞けば、驚くに決まってます。  でも松方は、私の話を聞いたあとで、 「ドアの鍵を、かけ忘れた京子さんが、悪いんですよ。これに懲《こ》りて、必らず鍵をかけるようになさい……」  と云っただけでした。  集金人が、どんなことをしたのかと、肝腎のことを聞きもしないのです。  私は怒りました。 〈そんなに私に関心がないのなら、明日から乞食とだって寝てやる!〉  と思いました。  事実、私はその翌日から、新聞の勧誘員だの、放送局の視聴率調査員だの、証券会社のセールスマンだのに、狂ったように身を投げかけ、夫への復讐をはじめたのでした。  そうした浮気の事実を知って、夫が離婚してくれたら、それでもよいと云うような、自棄《やけ》っ鉢《ぱち》な気分でした。  でも変なもので、私が大胆に振舞えば、振舞うほど、そうした噂は夫の耳に入らないのです。  焦れば焦るほど、駄目なのです。  私は、電気屋の小僧さんを、テレビが故障したからと夜中に招き、居間で関係を結んだりしました。  むろん、夫が�勉強部屋�にいる時です。  私が、アクメの叫び声をわざとあげても、夫はウンでもスウでもありません。  小僧さんの帰ったあと、私は半狂乱になって、禁じられている夫の部屋へ飛び込み、 「あなた! いま、浮気したの。私と別れて頂戴!」  と叫びました。  夫は苦笑して、 「きみはどうも近頃、被害妄想にかかっているようだね。テレビの見すぎじゃないの?」  と、私を振り向きもしなかったのです。   七  ……ところで、そんな夫の松方末雄を、ストッキングで絞殺した事情について、お話し申し上げます。  私の夫が、二十代の若さでありながら、月に一回か二回の、夫婦の営みしか持たなかったことは、前に申し上げました。  インテリの、とくに頭脳労働者は、セックス方面に弱いと云います。  私も婦人雑誌でそんな記事をよみ、知識を得ていましたので、それに帰宅してからの夫の行動を知ってますので、夫はセックスに弱いのだろうと思い込んでいたのです。  ところが、現実にはそうでなく、夫はセックスには至って強いタイプなのでした。  私は、物事に無頓着な方です。  たとえば、テーブルの灰皿が、いつのまにか姿を消していても、それと云われるまでは気づかない性質《たち》なのです。  そんな無神経な私ですが、あるとき、鏡台の上の徳用コールド・クリームが、結婚して以来、めっきり減り方が激しくなったことに気づいたのです。  むかしは大瓶一箇あれば、二ヵ月はもったのに、結婚以来、一ヵ月に一箇……いや、二ヵ月に三箇ぐらいは使っている事実に、私は気づいたのでした。 〈変だな……〉  と思っていますと、どうも、私の指先とは異った、クリームの取り方をしてある変化に気がつきました。  2DKの部屋に、住んでいるのは私と夫の二人きりです。  私が使わねば、あと犯人は夫しかありません。  髭を剃るのも、億劫がる夫が、いったい何にコールド・クリームを使うのかと、注意してみていますと、風呂へ入るとき、そっと瓶の蓋をあけ、クリームを軽く指先に掬《すく》って行くのでした。  夫は、私の父親のように、道徳主義者で、夫婦と雖《いえど》も一緒に湯殿へ入ったり、全裸をみせるべきではない……と、かねがね申しており、浴室のドアには、内鍵がかかるようにしております。  私は昼間、その浴室の内鍵を壊しておき、夫がクリームを指先で掬って、浴室に消え、しばらく経ったところで、そのドアを力一杯引いたのでした。  ……すると、どういうことでしょう。  夫は、エレクトした肉体の部分に、その白いコールド・クリームを塗りたくり、自涜行為に耽っている真っ最中ではありませんか!  私は、 「あっ!」  と叫んだまま、棒立ちになりました。  その時、振り向いて私を睨んだ夫の、世にも恐ろしい顔……。  それから後のことは、申すに忍びません。  ——その夜、私は松方に詰問しました。  すると、その返答がふるっているのです。 「……僕たちの学生時代は、赤線がなくなっていて、それで仲間はみんな、トルコ風呂へ通ったんです。僕もその一人だけど、トルコ嬢から乳液や、コールド・クリームを塗られて、スペシャルをされると、実に堪らなく良い気持なんですよ、京子さん……。僕は性欲は強い方で、週に六回ぐらい排泄しないと、我慢ができないんです。京子さんのコールドを失敬したのは悪かったけれど、気持のよいものは仕方がないでしょう……」  つまり、松方末雄は赤線で�筆下ろし�の洗礼をうける代りに、トルコ風呂で�スペシャル�の洗礼を受けたというのです。  そして、それが病みつきになり、そのコールドを塗って行うオナニイ自体が、彼にとっては�セックス�の凡てになってしまったと弁解するのです。  考えれば、婦人代議士たちも、罪なことをしたものですが、私は、私という妻がありながら、その方には御無沙汰して、独りだけの快楽を湯殿で追いつづけていた、夫の心理がどうしても判りませんでした。 「ねえ、あなた。私という人間が、あなたには居るじゃありませんか。何故、そんな阿呆みたいなことを、蔭でこそこそやってらっしゃるの……」  私は、泣いて訴えました。  夫は平然と答えました。 「スペシャルの方が、きみより歴史が深いんだし、それにきみよりも気持がいいんです。京子さんには悪いけど、この方が僕としては疲れないし……」  私は愕然となりました。 「あなた。私は妻ですよ。私はあなたが、私に興味を示してくれないから——」  私は絶句しました。  まさか、だから則武正二郎を誘惑したり、集金人に強姦される芝居をしたとは、いくら私でも云えなかったのです。  夫は微笑し、優しく、 「京子さん、そうだったね。僕には、きみという女性がいたんだった。明日の晩からは、きみにスペシャルをやって貰うよ……」  と云ったのです。 〈この人は、私を妻として扱おうとはしていない!〉  私は、眩暈《めくる》めくものを覚えました。  夫は、私を�空気�どころか、女中兼トルコ嬢としてしか、価値を認めていないらしいのです。  妻にとって、こんな侮辱があるでありましょうか。  私は、夫の満足したような、寝顔を見入っているうちに、自分の犯して来た�浮気�はすべて、この松方末雄の故為なんだ……と思うと、矢も楯もたまらなくなり、強い衝動的な殺意を覚えたのです。  数分後——私はナイロン・ストッキングを首に巻きつけた儘、白眼を剥いている、痩せた夫の顔を発見したのでした。  やはり、私は�悪女�なのでございましょうか。いけない女なのでしょうか。  でも私は、こんな不貞を働く女にした、夫がいけないと思うのでございます。  妻にセックスの満足を与えず、研究、研究に没頭している反面、奇形的な自己処理法で一人だけ満足していた夫——松方末雄。  私は、夫がこんな女にしたと思って、夫を憎んでおります。悲しい現代の性風俗を、怨んでいるのでございます。 官僚の敵   一  ……農林省の課長補佐である加賀|黎吉《れいきち》が、大塚三業地の芸者衆だった、都築《つづき》駒子を知ったのは、ある偶然からだった。そして、その偶然が、彼の一生を狂わせた。  それは火曜日の午後のことだった。  通産省の分室で、関係官庁の合同会議があり、それに出席した加賀は、本省に帰るべく都電に乗ったのである。  雨上りの午後で、都電は空いていた。  加賀は、座席に腰をおろし、なんとなく、うつらうつらしていた。  車掌が停留所の名を呼ぶ声に、はッと目覚めると、彼の目の前に、透明なビニールのレインコートを着た、若い女性が立っている。  飛び抜けて美人ではないが、中肉中背の、色の白い顔立ちで、眼の脇にある大きな泣き黒子《ぼくろ》が印象的だった。  洋服の好みは野暮ったいが、その故為《せい》か、逆に肌が美しく引き立っている。  彼の視線に気づくと、女は微笑し、 「これ、落ちて濡れてましたから」  と云って農林省という大きな活字が印刷された封筒を、彼にさしだした。  膝の上に載せていたのだが、いつしか床に落ちていたとみえる。 「やあ、済みません」  彼は苦笑しながら、封筒を受けとった。  封筒は、べっとり湿っており、加賀の膝の上に、その儘おくのは、ためらわれたほどの濡れ方で、しかも乗客は、いつしか満席の状態である。 「一度、拾って乗せたんですけど、また落ちたんです。それで仕方なく私、お預りしてました……」  女は説明した。  加賀黎吉は感激した。 「お礼の申し様もありません。予算編成で、疲れていたもんで……」  その言葉は、少しオーバーだったが、疲労していたのは事実だった。  国立大学を卒業して、農林省に入り、局長になぜか気に入られて娘を妻に娶《めと》って、出世コースを驀進《ばくしん》している加賀である。  それだけに、若くして課長補佐となった彼の、足を引っぱる者も多いのだ。  とくに予算編成の時期には、他の課の上司や同僚から、いじめられていた。  そのうち都電は虎の門に着き、加賀は、その女性に再度、礼を云ってから別れた。  ところが数日後、大蔵省の関係者を、大塚に招待したとき、その座敷でぱったり、先日の女——駒子と会ったのだ。  おなじ官僚でありながら、農林省の人間がペコペコして、大蔵省の人間を招待して、裏工作する……。  変な話だと、加賀は思う。  しかも、そうした招待に使われる宴会の費用は、国民の税金なのだ。  そして、国民からとりあげる税金を、いかに各省に配分するか——という権限を、大蔵官僚は握っているに過ぎない。  ただ、それだけのことなのに、毎日のように大蔵省に日参して陳情し、夜は夜で裏工作する。これは税金の無駄な使い方だと思うのだが、それが慣習になっているらしいのである。  加賀黎吉は、そんな招待の席で、駒子と顔を合わせたのだった。  どこかで見憶えのある顔——とは思ったけれど、彼は咄嗟《とつさ》には憶い出せなかった。  ところが駒子の方は、 「先日は……」  と挨拶して来て、 「よく、お眠りでしたわ」  と笑ったのだ。 「おい、おい。よく眠っていただなんて、おだやかじゃないぞ。膝枕かね?」  と誰かが、すぐに口を挿し挟み、一座はそれをきっかけとして和気藹々《わきあいあい》となった。  その意味で、その夜の殊勲者は、加賀黎吉だったと云えるだろう。  加賀は、大塚へ来るのは二度目だった。  局次長の官舎が近く、それで次長は好んで大塚を使っていた。むろん、その待合の女将が、農林省出身の、某代議士の二号であることも、計算してからの上であろうが。  加賀は、課長補佐で、局長の娘婿とはいえ末輩だから、酒席にあれこれと気を使い、車の用意その他に心を配らねばならぬ。むろんおちおち、酒も飲めなかった。  招待は十時ごろ終り、車まで送って出た加賀は、ほっとして座敷に戻る。  忘れ物がないかを点検して、帰り仕度をしているところに、駒子がひとりで、引き返して来たのだ。 「お酒……残ってますのよ。少し、飲んでお帰りになったら?」  駒子はそう云った。 「それも、そうだね」  加賀は、なんとなく浮き浮きと、上衣をぬいだ。正確には、彼が上衣をぬいで、坐り直さなかったならば、彼の運命は、まだしも狂わなかったかも知れない。ところが、加賀は上衣をぬいだ。  駒子は寄り添って、酒を注ぐ。  よくある居残り風景である。宴会の幹事は宴のはねたあと、やっと解放されるのだ。  飲むほどに酔うほどに、加賀は駒子の泣き黒子が気になり、白い肌が眩《まぶ》しくちらついてくる。 「おい。どこかへ行って、二人だけで飲み直そうか?」  彼は云った。 「あら、酔っても知らないわよ。あたしを、介抱して下さる?」  駒子は、妖しい媚《こ》びを含んで、じいーっと彼を凝視《みつ》めた。 「ああ、いいとも!」  酔った勢いで、彼は云った。  大塚駅前で二人は飲み、そして加賀黎吉は駒子を、アパートへ送って行った。  近頃の芸者は、置屋には席だけおき、アパート住いをして通うのである。  六畳と、三畳の次の間がついた、小綺麗な部屋だった。  二人は、どちらからともなく、唇を求め合い、そして十分後には蒲団の中で、お互いを愛撫し合っていた。  これは当然の成行きであろう。  が、加賀黎吉は、自分を、駒子の体内にすべり込ませたときに、思わず、「うッ」と、低く呻いた。 「ね、いいでしょ?」  女は喘《あえ》ぎながら云った。 「うん、すばらしい」  彼は正直に云った。 「数の子天井って、云うらしいの」  女は唇を求めつづける。  ……それは、たとえようのない甘美さであった。女の躯は、濡れそぼち、尽きるところを知らない。  それでいて、烈しく、間歇《かんけつ》的に波打ち、彼の男性に喰い入ってくるのだった。そのざらざらしたものが、波打つように、彼の男性を翻弄するのである。 「ああ!」  加賀は、消え入るような声をだした。  彼は、かなり女遊びをした方である。みんな人妻や、素人娘だったが、いまだ嘗て、それほど女性の素晴しい躯に、めぐり合わせたことがなかったのだ。 「待って。加賀さん、待って!」  女は叫んだ。 「もう、待てない!」  彼は悲鳴に近い声を発した。   二  その夜から、駒子は、加賀黎吉の忘れられない女になった。  よく、女の躯に魅かれる……という台辞《せりふ》をきくが、そういうことが、実際にこの世の中にはあるのだと、彼は齢三十を越えてから、はじめて悟ったのだ。  次の夜、彼は妻の躯を抱いてみた。  駒子の味を、ビフテキに譬えるなら、妻の躯は、冷奴みたいに味気なかった。淡白で、癖がなさすぎる、と思った。  間もなく予算の分捕り合戦も終り、思いがけぬほどすらすらと、彼等の云い分を通してくれたお礼にと、再び宴会が持たれることになったとき、加賀は大塚を指定した。そして駒子を、呼んでおくことも忘れなかった。  加賀は、宴会のあと、また駒子の躯を抱きたかったのだ。  が、駒子はつれなく、 「今夜は、禿《はげ》がくるから駄目なの」  と云い、 「いつか、一人でいらして!」  と低く囁いたのだ。  禿と呼ぶからには、駒子のパトロンのことであろう。  彼は、金壺眼《かなつぼまなこ》をした貪婪《どんらん》そうな老人が、駒子の白い肌を思う存分、弄んでいる姿を想像し、胸が熱くなった。  生まれてはじめて、嫉妬というものを、覚えたのである。  駒子は、まるっきり彼の傍に寄りつかず、局長クラスのサービスばかりしている。 〈ああ、抱きたい!〉  彼はそう思った。  今夜の期待が裏切られたことが悲しく、またパトロンの存在を知ったことが口惜しい。彼は、この時ほど、苛立たしかったことはない。  ——数日後、加賀黎吉は大塚にいた。  目あての駒子は、なかなか姿をみせず、つなぎに現われた芸者は、無神経な女どもばかりである。  午後九時を過ぎても、駒子は姿をあらわさず、加賀をやきもきさせた。  中もらいがかかって、年増の芸者が帰り、止むなく接待に出た仲居に、 「おい、あの駒子って奴、ここでは古いのかい?」  と訊くと、 「さあ、二年ぐらいですかね。旦那さん、ご執心なんですか?」  と仲居は、なぜか含み笑った。 「まあな、それに少し、聞きたい用事もあるし……」  彼は、口を濁した。 「あまり、深入りしない方が、よござんすよ」  仲居は、また含み笑う。 〈いやな笑い方だな……〉  加賀はそう思いながら、先手を打つ積りで、 「駒子に、旦那がいることは、知ってる」  と云ってみた。 「おや、ご存じでしたの?」  意外そうな顔をして、仲居はまじまじと彼の眼に見入り、 「だったら、何も申しませんけど」  と眼を膝の上に落したのである。  駒子が駈けつけて来たのは、そんな、なにか座敷に一抹の、厭な沈黙が漂いはじめた頃で、加賀はほっとし、 「遅かったね」  と云った。  駒子は大袈裟に顔を顰《しか》め、 「ヤーさんに捉《つかま》っちゃったんです」  と答える。 「ヤーさんて、ヤクザ者かい?」  加賀は云った。駒子は、彼をぶつ仕種をして、 「この間、ご一緒だった人よ。大蔵省の」  と徳利をとりあげる。 「えッ、大蔵省? じゃあ矢沢課長かい?」  彼は訊いていた。 「そうよ。ヤーさんったら、今夜、浮気しようって離さないの」  加賀は、東大出の端麗な顔立ちをした矢沢貢太郎を思い泛べながら、なんとなく不愉快になる。  矢沢は、ある証券会社の常務の長男で、その父親はゆくゆくは、その会社の社長になることが約束されているという。  矢沢貢太郎が父親のあとを嗣《つ》ぐか、大蔵官僚としてのエリート・コースを歩むのかは不明だが、いずれにしろ農林省にいる彼などとは、較べ物にならない、華麗な未来への花道がすでに架設してあるのだった。  農林省でこそ、加賀も人から羨まれ、妬まれている。がしかし、それは矢沢課長が絢爛たる歌舞伎座の花道とするならば、彼の場合は浅草のストリップ小屋の花道ぐらいにしか相当しなかったのであった。 〈あの矢沢課長も、駒子に目をつけているのか!〉  彼は愕然となった。  駒子のアパートへ座敷から直行して、加賀はその云うに云われぬ恍惚とした、絖《ぬめ》のような肌と感触とを味わったが、その躯の味は、捨て難かった。 「変だな……」  行為が終ったあと、彼は云った。 「なにが変なの?」  と駒子。 「いや、同じ女性でも、君みたいな躰の持ち主と、そうでない雑駁な女がいる……ということだよ」  加賀は呟く。 「莫迦ねえ!」  駒子は嬉しそうに笑って、彼の額に自分の額を押しつけ、瞳をキラキラさせながら、 「あたしから離れられなくなったら、困るわよ」  と唇を吸うのだった。 「もう、離れられなくなってるさ」  加賀は云った。 「躯が、いいから?」 「それもあるな」 「じゃあ、他には何?」  加賀は、矢沢貢太郎がちょっかいを出しかけているからだ、とは思ったが、その言葉は口に出さず、 「雨の日に、親切だったからさ」  と逃げた。 「そう。嬉しいわ」  駒子は、烈しく唇を合わせて、 「うちの禿はね、あたしの躯の味だけで、離れられないと云うのよ……」  と囁いた。  本音を云うと、加賀だって、実感としてはそんな気持なのだった。  とにかく、素晴しいの一語に尽きる。こんな素晴しい女性の味が、世の中に存在したことに、目を瞠《みは》るような思いなのである。 「きみのパトロンって、どんな人だい?」  彼は云ってみた。 「嫌な男よ……」 「職業は?」 「……高利貸。アイス屋なの」  駒子は、にこりともせずに云って、 「でも、お金持よ……」  と煙草を吸いつけた。そして、一服して加賀の口に挿し込むのである。 「そのパトロンにも、こんな風に、親切にしてやるのかい?」  彼は少し妬ましくなって云った。 「しないわよ。あいつと寝る時は、躯を貸してやるだけ。他のことは、真ッ平よ」 「すると、金銭的だけの関係なのか」 「そう。借金してるの」  駒子は、しばらく天井を並んで見上げていたが、 「ヤーさんのお家って、お金持ですってね」  と、ポツンと云った。 「そうらしいな」  加賀は、そう答えてから、はッとなり、 「おい、まさか……」  と口ごもる。駒子は肯いて、 「ヤーさんから、お金を借りて、禿と手を切ろうかしら」  と、また、キラキラ光る黒い瞳を、加賀に据えて来た。 「本気で、そんなこと、云ってるのか?」  加賀は不機嫌な声音になる。 「だって、ヤーさん、面倒みてやるって、仰有《おつしや》って下さってるの」 「ふーん?」  加賀は、眼を光らせた。  矢沢貢太郎なら、やるかも知れない、と思った。が、さほど美人でもない彼女の、面倒をみようというからには、その駒子の味を知っているからに他ならぬ。 「おい、駒子……」  彼は煙草を捨てた。駒子は、はッとなって彼を見たが、悪びれず、 「ご免なさい。一度、酔っぱらっちゃって、ヤーさんにホテルへ連れ込まれたんです」  と云った。 「なるほど。それでか……」 「こんな商売してたら、仕方ないのよ。好きでなくたって、大事なお客さまだからと、手を合わせて拝まれたら……」 「止むを得ず、ホテルへ行ったというわけかね?」 「でも、加賀さんは違うわ。それは、判って欲しいわ」 「……判っている」 「禿ったらね、そりゃあ執拗《しつこ》いの。私を興奮させるまでは、何時間も何時間も、攻め立てるのよ……」 「それで、興奮するのか?」 「あたしだって、生身の躯ですものね。嫌な男だと思ってても、躯の方が……」 「莫迦!」  加賀黎吉は叫んだ。  彼は、しばらく考えていて、 「済まなかった、怒鳴ったりして」  と詫《わ》びた。  加賀とて大人だから、成熟し切った二十五歳の女性が、いくら愉悦に耐えようとしても我慢し切れなくなるであろうことは、想像がつく。  しかも駒子は、彼の女ではないのだ。  パトロンである人物に云わせたら、加賀の方こそ、泥棒猫呼ばわりをされなければならぬ立場である。  それなのに、駒子を莫迦と極めつけたのは、すでに彼の心が大きく彼女に傾斜していることを物語っていた。  加賀は何年ぶりで、こんな苛立たしいような感情を味わっただろう、と考えながら、優しく、 「借金……いくらあるの?」  と訊いていた。 「父が癌で、入院してるの。その手術代と、入院の費用……」 「幾ら位になってる?」 「百十万円ぐらい」 「かなり、あるね」 「父にあたし、とても可愛がって貰ったの。だから、恩返しだわ。それに父親ですもの」 「なかなか、出来んことだよ……」 「でも加賀さん……あたしが、誰かのお世話になったとしても、座敷で呼んでくださいます?」  駒子は真剣な口調になる。 「矢沢課長のことかい、その誰かとは?」 「……わかんないわ」  駒子は、そっと太腿の間に、自分の脚を割り込ませて来ながら、 「相談する人がなくって、つい、加賀さんに話してしまったの。お気をわるくなさらないでね、お願い……」  と呟いた。  加賀は、女の躯を抱き寄せながら、なにか運命の太い糸を感じたのである。   三  あとで考えれば、その太い運命の糸とは、不吉な黒い糸だったのだ。  しかし、いちばん色の強い筈の黒糸で、鳥を捕獲するカスミ網はつくられる。不思議なことに、いちばん目に入らないからだ。  もしかしたら加賀は、女の躯の味に溺れるあまり、その黒色の不吉な糸に、気づかなかったのではないだろうか?  加賀課長補佐は、いつしか百十万円の金が欲しいと思うようになった。  十万や二十万なら、才覚もつくが、そして返済の自信もあるが、百万円を越えるとなると、やはり無理であった。  ……そんな或る日、農林省に出入りしている、喜入《きいれ》という精糖業者が珍しく彼の課に姿をみせて、 「課長はいませんか?」  と彼にきいた。  課長は不在だった。首をふると、 「少し、油を売っていって、いいですか?」  と喜入社長は、加賀の脇の席に坐り、あれこれと雑談しはじめた。  雑談しながら、喜入は鉛筆をとって、彼の机上の官庁用便箋に、 『コンヤ六ジ。オオツカ。カケイ。マッテマス。イカガ?』  と書いてみせたのである。  大塚三業地の〈筧《かけい》〉という待合で、今夜六時に喜入社長が待っている、という意味であろう。もし、その三業地が、神楽坂とか、五反田だったら、加賀黎吉は即座に断っていたかも知れぬ。  しかし、招待されたのは、駒子のいる大塚であった。  加賀は、便箋をめくって、破り捨てながら、右手の拇指と人差し指とで輪をつくる。それは電波関係の人間が使う、OKのキイであった。  少し遅れて〈筧〉という店を探してゆくと喜入社長はすでに来ていて、 「実は、お宅のお父さんに、日頃ご厄介になってるので、お礼がしたかったんです」  と笑った。  そして、 「こんな二流地で、遊ぶことありますか?」  と云う。  加賀は苦笑した。その二流地の芸者のために、のぼせ上って金策を真剣に考えている、阿呆な男が目の前にいるのだと、自嘲したいような感じだったのだ。  座敷にやって来た芸者のひとりが、加賀の顔を覚えていて挨拶したために、喜入には間もなく彼が大塚で遊んでいることが、ばれてしまったが、そうなると気も楽になり、加賀は駒子を呼んで貰った。  喜入社長は遊び上手であった。  そして、不意に姿を消してしまって、座敷には彼と駒子とが、取り残されていたのだ。 「どうしたんだろう?」  と訊くと、駒子は笑って、 「あたし達のために、気を利かして下さったのよ」  と答えて、あまり気にとめる風もない。 「悪いから、きみのアパートへ行こうか」  加賀は云った。  駒子は困ったように首をふり、 「今夜は、だめ……」  と俯向く。 「どうしてだい?」 「アパートには、禿が待ってる時間よ」 「ふーん?」  苛立って加賀は鼻を鳴らした。 「それに、ヤーさんが、重大な話があるって……別の座敷で待ってるの」  駒子は、済まなさそうに云った。 「なに、矢沢課長が?」  加賀黎吉は、矢庭に徳利をつかんで、一気に中身を呷《あお》った。 「三十分で、帰って来ます。待ってて、下さるわね?」  駒子は、彼の手をとった。 「うるさい。きみは矢張り、矢沢に……」  加賀は、酔った眼で女を睨んだ。 「そんなこと、ありません。お話を聞いてくるだけよ」 「嘘をつけ。会えばやっぱり、二人で抱きあうんだろう……」  酔っていたために、かえって日頃の欝憤が堰《せき》を切って出たのかも知れぬ。 「莫迦ねえ……」  駒子は、彼の手をとって、着物の上から触らせた。彼女は、下着をつけない。 「ね、わかったでしょ」  駒子は、頬にチュッとキスして出て行きがけに、 「そうそう。今のお客さまが、これを加賀さんに渡して呉れって……」  と、角封筒を手渡したのだった。  彼女が生理日だと知って、加賀は、やや平静になり、封を切った。  便箋に、万年筆の走り書きがあった。 『先年、貴殿の岳父には、親身も及ばぬお世話になりましたが、高潔な人格者ゆえ、謝礼を受け取って貰えません。すでに時効の五年は過ぎてますし、同封の小切手に、三桁以内の数字を御記入の上、ご自由にお使い下されば幸甚です』  便箋の間からは、〈三六製糖KK・取締役社長・喜入寿〉というゴム印を捺した、一枚の小切手が出て来た。  そして、金額の欄には、なにも書き入れてない。  その文面によると、五、六年前に、なにか舅《しゆうと》が喜入社長に、便宜を図ってやった汚職事件がある模様である。  三桁の数字を記入せよということは、おそらく一〇〇から九九九までの数字であろう。  最高の数字を記入するとなると、約一千万円近い金だ。  従って舅は、一千万円の謝礼を受けとっても然るべき、汚職事件を働き、収賄五年という時効が成立したいま、謝礼を受け取らされようと、しているところなのだった。これは頭の良い方法である。 〈ふーむ。親父も、なかなかやるなあ〉  加賀は、謹厳な妻の父の顔を思い描きながら、多分、義父はその小切手を、喜入社長に突き返すだろうと考えた。  彼は、小切手を眺めながら、いま自分が、ここに〈金壱百壱拾万円也〉と、万年筆で書き入れさえすれば、駒子は自分の女になるんだ……と思った。  加賀は、怖い顔をして、小切手を睨みつける。  駒子の躯の、云うに云われぬ、天上に舞い遊ぶような快感が、じっとりと粘っこく甦えってくる。 〈いけない……〉  加賀黎吉は思った。  が、反面、駒子をあの矢沢課長に、金銭ずくで取られるのかと思うと、歯痒ゆく、情ない心境になってくる。  彼は、廊下を伝わってくる跫音《あしおと》に、あわてて小切手と手紙を内ポケットに納い込み、額に滲み出た膏汗《あぶらあせ》を拭った。 「……早かったでしょ」  駒子は、天衣無縫に加賀の背中にしなだれかかり、 「ああ、走って来たら、息が切れて……」  と云った。 「矢沢課長は?」  彼は訊いた。 「今夜は、どうしても私とケリをつけるんですって」 「ケリをつける?」 「ええ。禿と別れて、私の女になれって。アパートも物色してあるそうなの」 「えッ、アパートを?」 「なんでも、四谷なんですって」 「おい、駒子!」  彼は云った。 「なあに?」 「きみは、僕と矢沢と、どっちが好きなんだよ?」  彼は泣き笑いに似た顔をつくる。 「そりゃあ……貴方よ。でも……」 「でも、なんだ?」 「貴方に、お金の迷惑は、かけられないわ」 「もし、俺に金があったら、どうする?」 「まあ……」  駒子は、しばらく息を嚥《の》んで、彼の顔を見詰めていたが、弾けるように笑いだした。 「なにが可笑しい?」 「だって加賀さんに、何百万円もの、お金があるわけないもの」 「…………」 「もし、あったとしても、私のためなんかには、使うのは勿体ないわ」  ごくりと、課長補佐は咽喉を鳴らした。 「それが……ある」 「えッ、本当?」 「…………」  加賀は、苦しそうな息を吐く。 「駒子のために、使えるお金?」 「う、うむ」 「お役所のお金じゃないでしょうね?」 「ち、違う!」 「ねえ、加賀さん!」  駒子は、不意に抱きついてくる。 「あたしを、捨てないで!」 「捨てるもんか!」 「あたしを、あなた一人の女に、して呉れるのね?」 「むろんだ……」 「でも、あたし、贅沢よ?」 「構わん」 「禿の借金は、二度目の手術代で、百七十万円になっちゃったのよ?」 「百七十万円もか?」 「ごめんなさい。それに、アパートを借りたりしてたら、二百万円じゃ、足りないわ」  加賀黎吉は、目を閉じた。  喜入社長は、おそらく五百万円ぐらいの金額は、覚悟しているに違いない、と加賀は想像した。  あとで、舅に知られることはあるだろう。  しかし、いずれにしろ、罪にならない、過去の汚職の謝礼なのだ。  その金が、舅の手に渡らず、彼が費消してしまったことが判っていても、まさか舅は横領罪で彼を訴えはしまい。 「あたし、嬉しいわ……」  駒子が、涙声で云った。 「あたし、男運のわるい女なのよ。だから、加賀さんとのことも、本当は、あきらめていたのよ……」  加賀は女の躯を抱きしめた。  こんな可愛いい女を、そして自分を恍惚とさせてくれる女を、もう離すものか、と彼は思った。  加賀黎吉は、小切手をとりだし、駒子に万年筆を持たせた。 「ここに、参百万円也と書くんだ……」  加賀はそう命じた。  なにかの場合の用心に、裏書人の住所氏名を、駒子にしたのである。   四  加賀と駒子の愛の巣は、農林省と荻窪の自宅とを結ぶ、ほぼ中間の四谷三丁目に持たれた。  加賀は、勤めの帰り、一日おきに駒子の家に寄った。  一日おきにしたのは、駒子の父が、手術の甲斐もなく、生命危篤に陥入り、その看病のため、横浜の国立病院へ通うことになったからだ。  加賀は、一日おきに駒子の躯を愛撫し、倦《う》むところを知らなかった。  その故為か、彼は少し痩せて、覇気がなくなったようである。 「おい。顔色がよくないぞ。少し、過ぎるんじゃないか」  と冷やかされても、さほど気にしなかったのだから、今から考えると可怪しい。それほど駒子に夢中だったのだ。  ……ところで、二人の甘い蜜のような愛の巣は、一ヵ月後に破れた。  ある日の夕方、駒子の手料理で食事をしていると、ノックの音があったのだ。  駒子がドアをあけると、〈三六製糖〉の喜入社長である。  喜入社長は、ニコニコして室内を見廻して、 「なかなか、良いお住居ですな」  と云うのだった。  吃驚《びつくり》もし、恐縮もした加賀は、 「いつぞやは、父がどうも……」  と云った。 「いや、いや。そんなことはありません」  喜入はニヤリと一つすると、 「食事がお済みになりましたら、下に車を待たせてありますから……」  と、ゆっくりドアを閉めたのだ。 「あの人……いつかの人ね?」  駒子は云った。 「うむ。お前……喜入さんに、このアパートを教えたかい?」  加賀は訊いた。駒子は首をふり、 「だって、あの夜……〈筧〉でお目にかかってから、会ったことないわよ?」  と答えた。 「おかしいな……」  彼は首を傾げた。  三百万円の金を、使わせて貰った手前、逃げるわけにもゆかない。しかもアパートから通りへは、一本道で出口がないのだ。  加賀は、食事を手早く終え、 「ちょっと、出て来る」  と云った。  待っていた車に乗せられ、連れ込まれたのは、荒木町の待合の一室である。  一通り酒肴が運ばれると、喜入社長は人払いをして、坐り直し、 「加賀さん、あんたに是非、やって頂かねばならん仕事がある」  と云った。 「なんです?」  後めたさも手伝って、加賀が問うと、 「汚職ですよ」  と、喜入は微笑した。 「えッ、汚職?」 「そう。しかし、発覚しなければ大丈夫」  喜入は貧乏ゆすりをしている。 「待って下さい。あなたは一体……」  彼は絶句した。  冗談かと思ったら、相手は真剣な表情なのである。 「一体、どんな積りで、そんなことを……」 「それは、あんたの胸に聞いたら、わかるだろう」 「私の胸に?」 「そうだよ……」 「あのう……なんのことです?」 「とぼけないで貰いたいね。三百万円を、ただで貰えるとでも、思ってんのかい!」  がらりと相手の口調が変った。 「え、えッ? あれは、私の父に……」 「冗談じゃない。私は、あんたの親父さんにこれっぽっち、世話になったこたあない」 「な、なんですって?」  加賀黎吉は愕然とした。 「あんな手紙を書いておけば、そっちが使い易かろうと思って、書いてやったまでよ」 「じゃあ、あの手紙は嘘……」 「そうさ」 「だけど小切手は……」 「都築駒子という女性が、引き出してるのはちゃーんと調べ上げてありますよ、加賀さん……」 「…………」 「そして、その駒子さんとやらは、いま会って来た大塚の芸者……」 「ま、待ってくれ」 「待てですって? 証拠は揃っている。私の小切手に、金額を書いて引き出し、女のために使った……」 「知らなかったんだ。僕は貴方が父に……父に……」  加賀は蒼白となる。  思いがけぬ罠が、仕掛けられていたことに気づいたからだ。  喜入は貧乏ゆすりをつづけて、 「どこの世界に、三百万円もの大金を、目的なしに進呈する阿呆がいる。やって貰いたい仕事があるからだよ……」 「いったい、なにをしろって云うんです?」 「はっはっは。そう来なくちゃね。あんたは出世コースに乗った、エリートの筈だ」 「なにを要求するんです?」 「原糖の割当さ……」 「えッ、原糖?」 「そうだよ」 「しかし、それは……」 「わかってる。自分の仕事じゃない、と云うんだろう?」 「ええ、そうです」 「しかし、おなじ農林省の中だ。担当の係に、お前さんから手心を加えるように、話して貰いたいんだよ……」 「この僕がですか?」 「そうだ。嫌なら三百万円、いま直ぐ、耳を揃えて返して貰おう!」  相手は凄んだ。  加賀は、目の前が暗くなった。 「そんなことを云っても、原糖の割当は、通産省や大蔵省の認可が……」 「そんなことは、百も承知さ。ちゃんと手は打ってある」 「えッ、手を打ってある?」 「むろんだとも。私としても、一世一代の大バクチなんだよ。ぬかりはない」  加賀は唖然となって、喜入の顔を凝視していた。  鼓膜の底が、キーンと鳴っている。 「いやかね?」 「いやだと云ったら、どうなります?」 「それは、そっちで考えたらいいだろう。お前さんの親父は、現職の局長なんだろ?」 「…………」 「きみには、妻もあり子もある。そして可愛いい駒子さんも、な」 「…………」 「担当の係官に、金を握らせる必要があるのなら、出す用意がある」 「…………」 「なにも大手メーカーに、実績主義で、独占させるこたあないんだ……」 「喜入さん……」  喘ぐように、彼は云った。  額に、膏汗が浮いている。 「なんだね?」 「少し考えさせて下さい」 「よかろう。三日間だけ、余裕をさし上げることにする」 「…………」 「いろいろと、手はある筈だ。ゼロを間違えて二つ多く記入するとか、ね」 「喜入さん……」 「駒子さんとのことが、奥さんに知られたらどうなると思うね? きみの家庭は、目茶苦茶だ……」 「それは兎も角として、金をつくって返済したら、許して呉れますか?」 「いや。許さん。きみの出世を、あくまで妨害してやる」 「喜入さん。貴方って人は、恐ろしい悪魔だ……」  加賀黎吉は、思わず顔を手で蔽った。  父への謝礼だというトリックで、金を使わせておき、悪魔は、幾つもの切り札をもって、ニヤつきながら正体をあらわしたのである。 〈ああ! 駒子に溺れたばっかりに!〉  加賀は、忍び泣きながら、いまこそ不吉な黒い糸の存在を知ったのであった——。   五  ——それから半年後の、昭和三十三年秋のことである。  四谷三丁目のあるアパートの一室で、一人の男が、カルモチンの入った小瓶を片手に、一人の女を掻き口説いていた。  男は、加賀黎吉である。 「な、駒子……。僕は君のために、こんなことになったんじゃないか。逮捕状が出るのは日時の問題なんだ……」  加賀は、懇願するように云った。  彼は、別人のように痩せ衰えていた。  あれだけ血色のよかった顔の皮膚は、蒼白く、しかも、かさかさに乾いて、全く色艶がない。 「すでに、通産省の男は捕って、共犯者がいると自供してるんだ……。俺は今日、遺書をかいた。な、頼む。俺と一緒に死んでくれないか……」  加賀は、痩せた手をさしのべた。 「いやよ……」  駒子は、加賀にひきかえ、色艶も桜色で、いかにも溌溂と、健康そのものであった。 「いやだって?」 「ええ。あたし、自殺する気はないの」 「なんだって、貴様……」  加賀は叫んだ。 「もとを正せば、お前可愛いさに、あの小切手を受け取ったんだぞ!」 「そんなこと、あたしは知らない。汚職をしたのは、あなただもの……」 「……畜生!」  加賀は、歯軋りした。 「なあ、駒子。俺はきみのために、妻子を捨て、出世もなにもかも、棒にふったんだ。たのむ。死んでくれ……」  男は哀願する。 「ごめんだわ、悪いけど」 「そんな、つれないこと云わないで……。なあ、駒子。お前を残しては、未練が残って、死んでも死にきれないんだ……」  男は、女の形のよい脚に縋りつく。 「止してよ。鏡をみてごらんなさい。そのみっともない姿……」 「仕方ない。喜入が逮捕されてからは、一睡もしてないんだ……」 「そうらしいわね。でも、死にたいのなら、あなた一人で、どうぞ……」 「貴様って女は! よくも!」  加賀は、狂ったように、武者ぶりついた。  駒子は、 「なにするのよ!」  と一声、鋭く叫んで、男を突き飛ばす。 「そんな一睡もしないような、痩せ細った躯で、あたしに手向えると思ってるの?」  加賀は、畳の上に俯伏《うつぶ》して、号泣した。 「みっともないから、お止めなさいよ……」  駒子は、ベッドに腰をおろし、 「本気で、死ぬ積りなの?」  と云った。 「本気だ……妻の父に、合わせる顔がない」 「バカバカしい。人殺ししたんじゃあるまいし……」 「な、頼む! 死んで呉れ……」 「お断りするわ。……そうだわ。死ぬ気がなくなるような、いいことを教えてあげましょうか?」  駒子は目をキラキラ光らせる。 「いいこと?」  加賀は、泪に濡れた顔をあげた。 「喜入のパパに云わせるとね、私の躯は、相手の男の精も根も吸い尽す、貧乏於曽々というんだって……」  駒子は微笑している。 「えッ、いま何て云った?」 「貧乏於曽々……」 「そうじゃない! たしか、喜入のパパと云ったな!」 「ええ、云ったわよ。それが、どうかしたの?」  加賀は、大きく喘いだ。 「わかった! わかったぞ!」  彼がそう叫ぶと、駒子は苦笑して、 「なあんだ……。まだ、知らなかったの?」  と云い放った。 「すると貴様は、はじめから、喜入の奴と共謀して、俺を罠にかけたんだな!」  男は、女に飛びかかろうとして、もろくも突き飛ばされた。 「あなた一人じゃないわよ」  駒子は、同情する口吻《くちぶり》である。 「俺一人じゃ……ない?」 「ええ、そう」 「じゃあ、俺のほかに、誰か……」 「大蔵省の人……。ヤーさん」 「なんだって? すると、矢沢貢太郎も!」 「そうなの。あの人とのアパートも、すぐこの近くよ」 「ええッ? あの人とも?」 「そう……。矢沢課長も、私の躯に惚れ込んだのよ……」 「すると、矢沢と別れて、俺と同棲するといってたのは……」 「ご免なさい。ヤーさんと、貴方を、手玉にとってたのよ……」  加賀の顔が、苦悶に歪んだ。 「じゃあ、横浜の病院に……看病といっていたのは……」 「あれは、二人を一日おきに来て貰う、口実だったのよ。知らなかったの?」  加賀はただ、蒼白の顔を、驚駭のあまりただ震わせるだけである。 「ご免なさい。喜入のパパの命令だったの」 「畜生……。すると、癌の手術代と云って、百何十万円もとったのは……」 「あたしの手数料よ。矢沢さんからも、頂いたの……」  加賀黎吉には、一体なにが何だか、判らなくなった。 「おい、教えてくれ。いつか、都電で会ったのは偶然なのか?」 「あれは偶然よ。宴会で、農林省と大蔵省の役人に会ったと話したら、喜入のパパが考え込みだしたのよ……」 「なるほど、それで、禿だとか、手術をした親父とか云って、われわれを欺したわけなんだな……」 「パパの命令よ。文句があったら、喜入のパパに云って!」 「おい、駒子! 貴様は、よくも半年以上も俺という男を、馬鹿にしやがって……」 「なに云ってるの。加賀さんだって、愉しんでいたじゃない?」 「うるさい……」 「でも、喜入のパパが云うように、私のは本当に貧乏於曽々だわ……」 「貧乏……於曽々……」 「そう。関係した人は、みんなお役人で……みんな痩せ衰えて、死んでゆくわ……」 「……!」 「あたしだけは、金が儲かって、躯も肥って行くんだけど……」 「つまり、俺も矢沢課長も、お前の貧乏なんとかの餌食になったわけか」 「本当に、ご免なさいね。中野新橋にいたころは、区役所の土木係長が、やっぱり私に夢中になって、汚職を起したわ……」  ……加賀黎吉は、坐り直すと、 「おい、最後のお願いだ……。考え直して、死んで呉れ! 一分だけ、待つ」  と云った。 「ごめんなさい、加賀さん。あたし……まだ若いわ……」 「じゃあ、これだけ頼んでも……」 「あたし……悪い女なのかしら?」 「…………」 「あたしより、躯がいけないみたいな気がするの。みんな男は夢中になると、身を滅して行くもの……」 「うるさい!」  加賀は、掌に移したカルモチンを、ぐッと口に含むと、台所へ立った。 「あッ、いけない!」  駒子は叫んだが、そのときすでに、加賀は水で錠剤を嚥下していた。  加賀は、ゆっくり寝転った。  死は、なかなか、襲って来なかった。いや訪れるべき、苦悶もなかった。 「くッ、くッく……」  と駒子は含み笑い、 「それ、ビオフェルミンなのよ。先刻、すりかえといたの。知らなかったでしょ」  と云うと、 「じゃあ、出かけてくるわね」  戸口へ行きかけた。 「ど、どこへ行くッ!」  加賀は、躯を震わせて怒鳴った。 「決まってるじゃないの。お巡りさんを呼んでくるから自首するのよ。矢沢課長も、きっと自首してるわ……」  ——数分後。  アパートに戻った駒子は、縊死《いし》している加賀黎吉の悲しい姿を、巡査と共に発見した。 本書は一九六八年一二月、小社より単行本として刊行され、一九八四年六月に講談社文庫に収録されました。 収録作品中、今日の表現として不適当と思われるものがありますが、作者が故人であること、および、時代背景と作品の価値を考慮し、そのままとしました。