TITLE : 堕天使達のレクイエム 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載することを禁止します。また、本作品の内容を無断で改変、改ざん等を行うことも禁止します。 本作品購入時にご承諾いただいた規約により、有償・無償にかかわらず本作品を第三者に譲渡することはできません。 堕天使達のレクイエム—— 目次   堕天使達のレクイエム   遊 離   もうすぐ君に会えるから   Aのブルースプログレッション   清らかに、安らかに   祈 り   誕 生   永遠の胸   新しく生まれくる者よ    堕天使達のレクイエム  繁華街の中にあるホテルの小さなツインルームは、まるで密室の様だ。冷たいベッドと地味な模様のカーテン以外、目につくものは何もありはしない。二人は暗闇の中に渦巻く、部屋の隅に備えつけられた小さな金庫の様な冷蔵庫のノイズの中に息をひそめながら、いつもの様に密会の扉を開けた。  言葉が喉に詰まる様で、思ったことが言えない。ドアを閉めると僕は強引にそんなためらいの気持ちを押し殺すように接吻をする。 「貴子……」  彼女は僕から視線をそらし顔を横に向けたまま黙って頷いてみせる。彼女のその表情にははかないわだかまりがうかがえた……。  僕はもう一度彼女を強く抱き寄せる。けれど彼女は僕の腕をすっとすり抜け、そっと小さな背中を向けた。  二人の密会にはためらいと理性の弱さへの諦めが溢れている。 「何か飲むかい」 「うぅん、いいわ。もうさっきのお店で飲み過ぎちゃったから……」  彼女は気だるく答えながら、高価な黒光りするミンクのコートを、ホテルの小さなソファーにたたんで投げかけ、そしてその毛皮のコートの横に深々と腰掛けた。  そしてメンソール煙草に火を点け、吸い込んだ煙を上目遣いの目線の先に飛ばすように吐き出し、体の力を少し抜いて肩を落とし、彼女は冷静になろうとしている様だ。まだ苛つきが止まらないのだろう。 「もう僕ら、こんな関係を半年も続けてる」僕は冷蔵庫からビールを取り出しながら、彼女の方に少しだけ視線を投げ掛けそう話しかけた。 「こんな関係ねぇ……」そう言ってから彼女は宙を見つめたまま、その視線の先に深く吸い込んだ煙草の煙を吐き出し、無言になった。  最近の彼女は僕といても、自分のことを考えてばかりいる。そこには彼女の旦那の気配もあれば、そうでない彼女の別の男性の気配も漂っていて、いつも自分を探している。  だから彼女はあまりものを喋らない。それは自分というものを表現する手段を知らないことと一緒だと思う。それとももう僕に興味が無くなったのかもしれない。  僕の知っている貴子……。  彼女は結婚していたが、子供はまだいなかった。結婚してはいるのだが、あまりそれを感じさせない女だった。旦那のことを愛しているという気配も無かった。ただ漠然とした寂しさにひたっているのが好きだという表情をしていた。抱き合ってもそんな気がしてならない。  僕は、そんなこの頃の彼女の表情に機嫌を伺いながらビールを飲み干し、もう一度話しかけてみた。 「最近何かあったかい」 「えっ、別に何もないわ」  彼女はようやく気付いたかのように僕に視線を向け、そう答えた。 「忙しいのかい」 「別に何もすることはないから忙しくないわ」 「そう……」  彼女は他のことを考えている素振りだった。考えているのではない。考えさせられているような強迫観念にとらわれて、無口になっている様だ。    僕と出会った当時彼女は雑誌のモデルをやっていた。テレビのコマーシャルにも何本か出ていた。  その頃彼女には別のステディな彼がいて半同棲の様にしていた。それが今の旦那だ。  彼女の旦那は雑誌社で編集の仕事をやっていて、その頃からかなりやり手だった。今では次期編集長とまでいわれている。  その彼の女性関係もかなりのものだった。誰が聞いても呆れるほどだが、男としての魅力がある奴には違いなかった。  彼女もそんなところに惚れたのかもしれない。が、呆れてもいた。  彼は同棲中の彼女に対して浮気もあけすけだったし、彼女を独占するような態度をとってみせることもありはしない。  常に自由に振る舞っているようだったが、彼もまた寂しがりやなのだという気がする。  だからなのか彼女と僕との深い交際が続いていても何事も起こらなかった。勿論二人の関係に彼は気が付いてはいたようだったけれど……。  彼女がその男と結婚することになったのが一年前のことで、二人はニューヨークの教会で結婚式をひっそりと挙げたらしい。その事実と成り行きは、当然と言えば当然のことだ……。  しかし僕らの交際は終わらなかった。そして結婚という倫理に縛られてから僕と彼女の交際は不倫へと変わってしまった。  今時たかが不倫くらいどう騒がれることでもないのかもしれないが、彼女が結婚することによって事態はかなり変わったことが多かった。  周りの目がうるさくなった。だから二人とも恋愛がめんどくさくなることもあれば、馬鹿馬鹿しく思えて以前よりはとても冷めた付き合いになった。  だけどそれが楽だと思えることもあったのだと思う。結婚が面倒だと、彼女はそう言っていたし、そう言いながら結婚に安定を感じ僕に変な依存心が無くなった。  だから僕もさっさと縁を切れなかった。  それにしつこくつきまとってきたのは意外にも彼女の方からだったんだ。  彼女は結婚してから半年後に僕に電話してきてこう言った。 「ねぇ元気」 「えっ、貴子か。平気なのかい、僕のところになんか電話して」その時は僕の方が変に気をまわしてしまった。 「うん、治ちゃん仕事だもん。帰り遅いしさぁ。ねぇ元気」  オサム チャン カ。そうだよな。彼女も、もう奥さんだもんな。 「あぁ、元気だよ。そっちは」 「えっ、うんっ。結婚って結構退屈なのよねぇ。ねぇ、今度どっか御飯食べに行きましょうよ。そういえばクマさん元気にしてる」 「あっ、あぁ……。最近会ってないけど元気なんじゃないの」  クマっていうのは僕の友達で、彼女の友達とそちらも愛人関係。クマは僕より五つ年上で、結構金持ちだ。そして彼女の友達の洋子っていう女の子を愛人にしていた。けれどもクマには学生結婚した女房と、三歳と五歳になる二人の子供までいる。 「洋子元気かなぁ。電話してもいないんだもん」 「そういえばちょっと前に仕事でパリに行くって言ってたなぁ」 「じゃあ、洋子も一緒ってわけか……」 「多分そうだろうね。海外の生活の方が長いからな、クマって……」 「ねえ、食事に連れてってよ。退屈だし、つまんない」 「あぁ……。でも本当にいいのかい、旦那さんのこと……」 「気にしなくたって平気よ。あの人、仕事ばっかりで忙しいし、それに……。まあっ、いいじゃない。あの人はあの人。私はワ・タ・シ」  けれどあの時、彼女の誘いを真に受けたのは間違いだったのだろうか。その後僕らはすぐに会って食事をし、酔いにまかせるように裸でベッドにもぐり込んだ。  が、ベッドの中で、人妻になった彼女はやはり別人のようだった。僕に抱かれる時の仕種もどこかぎこちなく感じた。それでも彼女は以前にも増して異常なほどあえぎ続けた。  その頃はまだ彼女に僕と浮気する余裕があったのだし、まだ結婚したという実感がわいていないようだった。  食事をしている時彼女は、旦那の仕事が以前より忙しくなって自分は一人ぼっちで寂しい、そうぽつりと僕にこぼした。そしてその彼女の言葉は僕と会う都度に重みを増してゆくようだった。  寂しいわ。疲れたわ。馬鹿らしいわ。何でこうなっちゃったのかしら、嫌になるわ。  僕に会う度に彼女は助けを求めるようにそうこぼし続ける。そして時には涙さえ見せるようになり、彼女は自分の殻の中に閉じこもっていってしまった。  そうして半年の不倫関係が続いた今日……。 「最近旦那とは上手くいっているのかい」 「さあ……。分からないわ。そのうち、別れるんじゃないかしら」 「そうなの……。僕らのことが原因なの、それともそんなに旦那が冷たいのかい」 「分からない……。どうでもいいじゃない。ねぇ、早く抱いて」その時の彼女の目線は僕にではなく、遠く思い出の中を見つめているようだった。  だが、彼女の体は冷え切っていた。女性特有の温もりすら失いかけているように感じられる。抱かれていても、彼女の体は何の反応も示さない。心も無かった。彼女は人形の様だった。半年の間にこうも人は変わってしまうものかと思えるほど、彼女は寂しい女になっていたんだ。一人ぼっちの結婚生活に縛られた苦しみが彼女をそうさせたのだろう……。  それでも彼女の心の寂しさは僕を激しい程に求めていた。いいやそうではない。僕でもなく他の誰かでもなければ、彼女の旦那でもない。彼女は無くした自分の心を探しているのだろう。  心はたくさんの夢に育まれて存在する。夢がひとつ消える度に心もまたひとつ無くなってしまう。  たったひとつの逃げ道に、彼女は昔の思い出を選んだ。それが僕だった。けれどそれは矛盾していた。心が思い描いていた夢は、愛し愛されることだったのだから……。昔の彼女はとても無邪気だった。今はもう愛される術も愛する術も無くしている。  そして彼女と僕は別々に果てた……。  もうわずかに薄暗い朝日がカーテンの隙間から洩れている。僕はベッドの脇のサイドテーブルに埋め込まれたデジタル時計を見つめた。午前六時五十五分を示している。  この部屋に入って、三時間虚しさと闘うようにして二人は無言のまま汗だくになって抱き合った。 「もう七時になるよ。帰ろうか……。俺仕事だし」 「そうね……」  僕はすこし慌てて服を身に着けた。彼女はまだシーツを体に巻いたままソファーに腰掛け、また煙草に火を点け物思いにふけっている。 「ねぇ、まだ結婚して一年だろ。別れるには早すぎるんじゃないの」 「そうねぇ……。そうかなぁ……」  僕は彼女をじっと見つめた。彼女は遠くに置き去りにされた自分の心を見つめていた。 「ねえ、君は彼のこと愛しているのかい」 「愛ねぇ……」彼女は煙草を灰皿に置いて、冷蔵庫からウーロン茶を取り出し、ひとくち口にして呟くようにゆっくりとこう答えた。 「愛なんて最初からなかったんじゃないかしら」 「じゃあ、愛していないのに結婚したっていうのかい」  彼女はしばらく無言になった。 「そうねぇ……。じゃあ、あなたと私って一体何だと思う」 「えっ、僕は……」僕は言葉に詰まった。 「あなたには私のことは何も分からないのよ」 「そうかな……。そうかもしれないね」 「だって私、あなたには本当のことなんか何にも話していないもの」 「僕じゃ不足ってことかな……」 「そうじゃないわ。もう、誰にも私の本当のことなんて分かってもらえないのよ。私にはもう私がいないの……」 「それは、結婚のせいなのかい」 「そうねぇ……。私が女だからじゃないかなぁ……」 「何だか君にとって今の暮らしの全てが無意味なんだね」僕はネクタイを締め直し、背広を羽織りながら彼女から視線をそらした。  彼女は短くなった煙草をもみ消し、もうひとくちウーロン茶を飲み、僕に微笑んだ。  僕はドアを開けながら振り向き、彼女を見つめ小声で呟いた。扉の向こうから薄暗い朝の光が密室を照らし出している。 「もう僕ら、会うの止めよう」僕は彼女にそう切り出した。 「そうね。何もないものね私達……。でも……、離婚はするわ」 「そう……」 「だって結婚には夢があるもの。作り上げなくちゃならないものがあるのよ。それが壊れちゃったから……」彼女は一筋の涙を流してみせていた。  現実の生活を照らす光は彼女にいくつもの影を落としていた。そのどれが彼女なのだろう。全ての影がそうなのだろうか。 「僕に君の悲しみが拭えなくてごめん」 「えっ。私達らしくない言葉だわ。だって何もないのよ」彼女は涙を流しながら笑っていた。 「そうだね……。じゃあ、僕は先に行くよ」僕は彼女に背を向け扉を大きく開いた。 「あっ、待って。また会いましょ……」 「えっ……」 「だって私達には何もないのよ……」  朝の光の中で彼女は心貧しく佇んでいた。 「それが君のさよならの言葉なのかい……」 「そうよ……」彼女は乱れた髪をいじりながら子供のように微笑んで答えた。 「さよなら」 「うんっ」彼女はうつむき、心を閉ざしかけながら、それでもまた最後にもう一度だけ僕を追い掛けるように問い掛けてきた。 「ねぇ……。私達って本当に一体何だったの……」 「えっ、さぁ……。僕らには何も無くて失ってばかりだった」 「そうよね。じゃあいいの」彼女は上手な作り笑いを浮かべて僕に手を振った。その時の彼女は、まるで昔の様に無邪気そうに僕の目に映った。  僕と彼女との間に愛と呼べるものは初めから無かった。あるものはただ失うことだけ。失って全てを白紙に戻してしまうために僕らの関係は続いていたのだろう。そして今全てが別れという現実にさらされ白紙になる。戯れに見え隠れしていたほのかな安らぎと、打ちのめし合うような偽りによって、今全ては消え去ってしまうんだ。 「ねぇ、愛って何」その言葉に答えなどあるはずもなく、ただそれは彼女が体に巻き付けたうす汚れたシーツにこぼれ落ちて光をも弾いて闇を生み出していた。 「幸せになることじゃないのかな」 「そっか……。そっか……。ごめんね。あなたまで巻き込んじゃって」 「構わないさ」  そのために僕らは存在していたんだ。失うことの正直さだけが僕らの本当の姿だった……。  僕はそう思ったことを口にはしなかった。  愛欲は悲しみの中に意味を無くし消滅してゆく。  羽があると思っていた。自由に羽ばたける翼があるのだと思っていた。僕らは飛び疲れたのだろうか。いいや、そうじゃない。悲しみをひとつ消す度に翼の羽をひとつひとつ取り去っていた。そうして片方の翼がなくなると、僕らは抱き締め合ってひとつになり、片翼ずつで地上に舞い降りた。それしかなかった。そうすることが一番いいことだった。全てはこうして別れるための戯れだった。  愛を失った堕天使の翼は愛欲の暗闇にしか飛ぶことも出来ず、陽のあたる場所を探すことさえも出来ない。だからもう一度地上に立ち全ての空を仰いで、夢という翼で大空に舞い上がるんだ。本物の愛のために。  僕は表情を変えずに黙って部屋を出て扉を閉めた。  密室の中からは彼女の涙と溜め息と、そして堕天使達のレクイエムが聞こえる。    遊  離  ニューヨークから一年ぶりに日本に帰ってきた時に、二カ月くらい新宿のホテルを泊り歩いた。東京の街並みを一望する。でかい街だ。ゴミや塵のような建物が遺跡の残骸のように並び、街じゅうを埋め尽くしている。  僕は一年間マンハッタンで暮らしたんだ。ミッドタウンに一カ月、ダウンタウンに三カ月、後の残りはアップタウンでね。ダウンタウンで暮らした時が最悪だったな。ホテルも環境も最悪だった。ホテルはシングルベッドがひとつに小さな机がひとつ、バスユニットにもシャワーしか付いていないんだ。夜になると、薬でハイになった若者たちが夜通し奇声をあげ続けるからうるさいし、エアコンも調子が悪くて寝苦しい夜だったな。それにルームサービスなんて気の利いたものもないから、夕食はデリカテッセンで買った菓子パンかポテトチップスだった。冷蔵庫なんてものもないから、いつも生温かいコーラを飲むわけさ。あぁ、思い出すだけであの時の切なさと情けなさで気がめげるよ。それに出不精になったのにもわけがあるんだ。ダウンタウンは夜の七時以降に外出するもんじゃない。はじめのうちはわけも分からなかったからよく出かけたけどさ、外食しようとしたり、真夜中に飲み物を買いにいこうとすると、必ず薬《ヤク》の売人かゲイの爺さんにしつこく声をかけられるんだ。三十人には絶対に声をかけられる。薬の売人らはたいがいナイフをぶらさげてるんだけどさ、ゲイの中には拳銃まで持ってる奴がいるんだぜ。いくら命があってももたないだろ。僕が助かったのは空手を十五年もやっていたからさ。親父が先生でさ。別に強くはないけど、僕は関東大会で優勝したこともあるんだ。まぁせいぜいそれが一番の自慢話だと思ってくれよ。拳闘の類をたしなんだ奴なら分かると思うけれど、ナイフぐらいだったら間合いをとれば相手の様子が手に取るように分かるんだ。でもいくら空手をやっていたからといっても拳銃で脅かされた時はそのゲイの爺さんに調子を合わせてさ、誘われるままに人気のない暗がりについてゆくしかないだろ。でもゲイってのは基本的に気が弱いからね、優しく話しかけてやるととっても喜ぶし、逆にすぐに調子にのるんだ。話し合っているうちに僕が同性愛に興味がないことを分かってくれる奴もいるけど、中にはしつこい奴もいたな。そういう奴は暗がりに着くとすぐズボンとパンツを下ろしやがるんだぜ。ナイフしか持っていないしつこい野郎はその場でぶん殴ってやった。もちろん急所しか狙わないよ。数えれば何人の鼻の骨を砕いてやったかな。でも空手をやっていたからといって拳銃で脅かす奴にはかなわなかったな。とにかく相手との間合いを計ってさ、ズボンとパンツを脱いだ瞬間にその目を盗んで一目散に慌てて逃げるしかないんだ。まぁ撃ち殺されてもともとさ。その後はいつもなんだか惨めな気分になるけど、しょうがないんだ。そういう街なんだから、ダウンタウンてところは……。そのうち僕も必ずナイフを持って歩くようになったよ。ナイフを持って歩くと、不思議なことに、逆にそういう連中が寄ってこなくなった。向こうが僕を殺すっていうんなら、その前に一撃で相手をしとめてやる。そう決めていたんだ。それが向こうにも分かるんだろうな。ガキの喧嘩じゃないんだ。殺し合いなんだからね。そして僕は素早くナイフを構える練習をして何度も指先を切っていたっけな。  アップタウンに移る頃にはニューヨーク生活にもけっこう慣れてきていたし、部屋もけっこういいところが見つかったんだ。2LDKもあって広くてさ、ベッドもふたつあるんだぜ。その近くにはコオリャンが経営する二十四時間のデリカテッセンがあるんだよ。そこにインスタントラーメンが売ってるんだ。なんていったってニューヨークのラーメン屋の味は最低なんだぜ。あんなのラーメンじゃないよ。日本人がつくっている店ならそれなりだけど、アルバイトのアメリカ野郎がつくったラーメンは細く切った新聞紙みたいな味がするよ。アメリカに行ったら試してごらん。大体アメリカって街はジャンク・フードの街さ。お寿司だって、イタリア料理だって、タイ料理だって、中華料理だって、どんな料理だって基本的にはピザかハンバーガーみたいに食べられてるんだ。健康を気にするアメリカ人たちのなかには神戸牛肉なら食べるけど、アメリカ産の牛肉は食べない人もいる。牛肉も豚肉も鳥肉も全部同じ値段さ。牛肉なんて五ドルさ。日本で食べたら五十ドルはするようなどでかいやつがだぜ。分かるかい……。だからね、たかだかインスタントラーメンなんだけど、それでも自分で作ったほうがまだましなんだよ。懐かしいしさ……。ただ、味が塩味とオリエンタルっていうのしかないんだ。塩味は塩味なんだけど、オリエンタルっていうのが味噌をブイヨンで溶かしたような味なんだ。慣れるまでには時間と決意が要ったな。  そして毎日毎日散文を書き続けた。走り書きでも一晩中書き続けた。ただいくら書いても自分の思うものが書けないんだよ。多分何も理解出来ていないからだと思った。部屋に閉じこもって徹夜で書き続けてさ、朝方寝てお昼に目を覚ます。そんな生活がしばらく続いた。夕方、食べ物でも買いにいこうと思ってフロントの前を通る時には、きまってそのアパートのオーナーがかたづけものをやってるんだ。アイリッシュ系の気の良さそうな小父さんなんだけどね。その小父さんが言うんだ、おまえはいつもこんな時間まで寝ているが、それじゃおまえさんは人生の半分を寝て過ごしてることになるじゃないか、ってね。まったくそのとおりだ。僕は自分の人生の半分を寝て過ごしていたんだ。それから、せめて何かを始めようってことになってさ、とりあえずまた空手を習い始めたよ。そのお陰でけっこう健康的な生活になったよな。それで初段までやったんだぜ。  でも何を書くべきかはいっこうに見つからなかった。だからやがてこんなふうに思い始めたんだ。ニューヨーク、ニューヨークとはいうが、僕にとっては何にもないとこなんじゃないかって。マンハッタンに集まる人種は余りにも多い。その時の僕には別に気にはならなかったけどね。フロントにはロシアから亡命してきた、僕より一つ年下の奴が働いていた。体が僕の三倍はある奴でさ、でも本当に優しい奴なんだ。僕がアメリカのいんちきタクシーに金をぼられそうになった時、そいつったらヤクザみたいな連中二人の胸ぐらをつかんで金を全部取り返してくれたんだぜ。でさ、そいつに、アメリカとロシアとじゃどっちがいいのかって聞くと、そりゃもちろんアメリカさ、だって自由じゃないかって答えてくれた。でも、もっと別の理由があるような気がした。なんだか家族のことを考えているみたいだったな。中国から亡命してきた小父さんも同じ様なこと言ってたな。そういえばそのアパートには共産圏から移住してきた人が多かった。いつの日だったか夏も終わりを迎えようとしている時だったっけな、心地よい風が吹いていてさ、僕が空手の練習から帰ってくると皆がアパートの前に集まって話し合ってたんだ。僕はその頃マルクスの資本論なんかを読んでいたもんだから、コミュニズムとキャピタリズムについて夢中になって話し始めたんだよ。マルクスは資本論を書いている途中で死んでしまったんだ、だからその後に訴えられなければならないものが必ずあるんだって具合にさ……。そしたら皆しらけた顔してこう僕に聞くんだ。皆は僕が日本の音楽家だってことを識っていてね。なぁもし君が音楽家を無理やりやめさせられて農家で一生働けと国に言われたら、そのとおりにするのかって……。僕は答えられなかった。僕が音楽をやめて農業者になることのどこに社会的平和を意味するものがあるのか、あまりにも漠然としてよく分からなかったんだ。でも、共産圏ってとこはそれくらい個人的なものが無視されてるところなんだろうなって気がした。だからその時に聞いてみたんだよ、家族はどうしたのって。そしたらやっぱり離れ離れなんだってさ……。それ以上は何も聞けなかった。ある南の島から移住してきた女の子と友達になってさ、あっ、別に恋人なんかじゃなかったんだよ。ただその子はそのアパートのフロントのアルバイトを土曜日だけやっているんで、話す機会も多かったんだよ。いつの日だったか彼女と話していた。彼女の生まれた国のことだとかさ。海がとっても綺麗なんだってさ。その子はグリーンカードを申請している最中だったんだ。申請が下りたらその海を見に故郷に帰りたいって言ってたよ。彼女の自慢話は、彼女が昔モデルの仕事をやっていた時に何かのコンテストで優勝したことだったな。からかう時にその話をすると嫌がったふりをするけど、まんざらでもないみたいだったな。それにその話は彼女と僕だけの二人の内緒話だったんだ。その子がある日こう言った。 「あなたはニューヨーク以外のアメリカにはどこか行ったの」  僕はないと答えた。 「そう。アメリカにはもっと田舎で何もないところもあるのよ。私が初めてアメリカに移住してきた時はそんな所で暮らしていたのよ。でもここよりはもっと綺麗な景色がたくさんあったわ。西海岸のほうなんてニューヨークとは全然違うのよ。ねぇ、ニューヨークはアメリカだけどアメリカじゃないのよ」  僕が黙り込むと彼女は僕を元気づけるようにこう言った。 「あなた車の免許持っているの」 「あぁ国際免許もちゃんと持っているよ」 「だったら、こんどレンタカーでドライブにでも行ってきなさいよ。綺麗な景色を見てくるといいわよ」 「君も一緒に行くかい」僕が彼女をそう誘うと、 「ごめんね。仕事が忙しいから、まだ分からないわ」簡単に断られた。  それで僕はレンタカーを借りてニューヨーク郊外へのドライブに出かけたんだ。初めて走る道。驚いたことに、ニューヨーク郊外は全くの田舎だった。店ひとつない。僕は空腹をチョコレートでしのぎながら、彼女が前に行ったことのあるという場所へ向かった。道なりに真っ直ぐ進めば辿《たど》り着くという単純な理由だったのだが……。けっこう必死だった。雑然と生い茂る木々に包まれた道を走り続けながら時折僕は東名高速を思い出した。僕はその頃からようやく、早く日本に帰りたいななんて思い始めていたんだろうな。ちょうどクリスマスの一カ月くらい前の日のことだったかな……。異国の地での全く独りきりの生活は疲れるよ。もう半年以上も独りきりだ。何かが足りない。一体何が足りないのだろう。何のためにこんな孤独の中で暮らしているのだろう。分からない。彼女が言っていたモーテルに着くのには、彼女の言っていた時間よりも四時間はオーバーしたと思う。モーテルにチェックインしてから、僕は持ってきたギターを弾き続けた。本当に独りきりなんだ。フレーズも静まり返った部屋の空間に取り残されるだけだった。アメリカの田舎の風景は彼女の言うように綺麗だったが、僕には何もない空虚なものだった。僕はその田舎に一週間滞在しあちこちを見て回った。映画で見るような綺麗な住宅街もあったし、お城のような大きな屋敷もあった。さびれたダウンタウンもね。どこの街にも生活水準の違いはあるものだ。そして毎夜、二十四時間開いているさびれたレストランで、嫌気がさすほど独りきりの食事をとった。  マンハッタンのアパートに帰って来た時の街はクリスマスで賑わっていたが、僕は独りきりだった。マジソン・スクエアにビッグアップルが吊るされ、たくさんの若者が集まっていたが、僕は一目それを見ただけで飽き飽きした。そしてクリスマスの夜も独りきりだった。わずかなボキャブラリーで暮らすアメリカの生活は、僕から何かを奪ってゆくようだ。仕事もない。作品をつくるという意思にもとづいて仕事をしてはいるのだが、何かが足りなかった。僕は日本で何が流行っているのかも何も分からなくなっていたし、興味もなかった。それはある種ホームレス感覚からくるものだったのだろう。英和の辞書を片手に日本語訳のないレコードを聴いていた。まして僕には人の心が分からなくなっていた。  ニューイヤーズデイも独りで過ごした。ただ空手道場での新年会があったのでそれに顔を出した。行く道々に耳がちぎれてしまいそうなほどとてつもなく冷たい風が吹いていたことだけを覚えている。僕はウォークマンを聴きながら凍てつく街を歩き続け、もしかしたら僕はただ独りになるためだけにこの街に来たのだと思った。風の匂いも冷たさもどこか違ったが、自然という名のもとにだけ僕は独りじゃないかもしれない。新年を迎えた街はとても静かに静まり返っていた。教会の壁に寄り添って暮らしていた浮浪者も、街のあまりの冷たさに住みかを変えたようだ。  ホームレス感覚はますますつのる一方だった。もう帰る場所がない。転がり続けているようだった。何度か親から国際電話をもらったが、帰る気にはならなかった。日本に帰るためにはまだ時間がかかったんだ。それが何故なのか分からない。分からないから帰れない、というどうどうめぐりだった。僕が感じている孤独は国民性の違いからくるものではないと思っていた。言葉が通じないということだけとも違うような気がしていた。分かっていたことはどこにも行き場がないということだけだった。それから僕は毎日毎日同じ孤独に苛まれて暮らした。  街角で声をかけられて奴と友達になった。たまに会う時間をつくって食事をおごってやったりした。笑顔の素敵な奴で、ちょっとおっちょこちょいでさ、僕を見つけるといつも駆け足で近づいてくるんだ。一度それですっ転んだことがあったんだ。だから僕はそいつにチャップリンってあだ名をつけた。そいつは僕のことをチーノって呼んでいたけどね……。それからいつの間にかそいつのアパートで暮らすようになったんだ。そこには奥さんと子供がいた。奥さんも働いていて、いつもレトルト食品の食生活だったけれど、僕を温かく迎えてくれたことで僕は満たされていたよ。昼の間は三歳の子供のおもりをしていればよかった。薄々は気がついていたけれど、そいつの仕事は薬の売人だった。それもちょっとやそっとの量じゃない。新聞沙汰になれば一面を大きく飾るだろう。二週間ぐらいしてからだったな、なんだか様子がおかしくなってきたんだ。ある日起きてみると部屋には子供も誰もいなかった。それに僕の持っていたお金と貴金属が全部盗まれていたんだ。どうやら奴はしくじったらしい……。それでとんずらしたんだ。  奴のアパートはブルックリンの外れにあった。僕はすっからかんになった。どうやって帰ろうか迷った。昔、渋谷から埼玉まで夜通し歩いたことがあってね、しょうがないから道を聞きながら歩いて自分のアパートに帰ろうと決めたんだ。遠くにワールド・トレイド・センターが小指くらいの大きさで見えたんですこし安心して、それに向かって歩いたが、歩いているうちにやがてそれも見えなくなってしまった。三月の風がまだ冷たかった。僕はポケットに手を突っ込んで立ち尽くしていた。そしたら紙切れみたいなものがポケットの中にあったんだ。どうせレシートかなんかだと思って取り出してみたら十ドル札だったんだよ。アメリカの電車はどこまで乗っても十ドルだからね、ほっとしたよ。そういえば煙草を買おうと思ってポケットに突っ込んだままだったんだ……。  僕は地下鉄に二時間も乗って自分のアパートに帰った。仮住いの場所だけれど、自分の部屋があることがこんなにも大切だと思ったことはニューヨークに来てから初めてのことだったな。それから僕はこれまでに一体何があったのかしばらく頭の中で整理しながら、また散文を書き始めた。イデオロギーの違いや、性的な欲求と不安、人々の生活手段に到るまで、僕は書き続けていた。曲も端々だけをつくりテープレコーダーに録音した。もう帰る時かもしれないな……。そう感じていた。  形にならないものをひとつひとつ記録してゆくことだけを毎日続けた。もう孤独の幻想に悩むことはなかった。ただ真夜中にふと目を覚ます時、何ひとつ形にならないことに寂しさを感じた。僕はこのままずっと独りきりで生きてゆくのだろうか……。真夜中に祈り続けたこともあった。それから何度か死んでしまおうかと思った。そして護身用に買ったナイフを手首にあててみた。その時思い返してみたんだ。僕に拳銃を突きつけたゲイの連中は寂しさに打ちひしがれていたんだろう。薬の売人はせっぱつまった生活に追い立てられる孤独に苛まれていたのだろう。何もかも、誰も皆、孤独の中にいる。それを確かめ、知ることがこの旅の目的であり行方だったんだ。僕は最後の言葉を書いた。    昨夜眠れずに失望と戦った 昨夜眠れずに欲望と戦った 人は皆孤独と戦っている    そして帰国の準備をした。  日本に帰ってからしばらくはホテルで暮らした。  一年ぶりに東京という街で酒を飲んだ。一年前と違うのは独りきりでいたことだった。  朝目覚めると、ホテルの窓に東京という大都市が広がっている。散乱しているものが集約されて出来上がった街なのだろう。全てのものが計算された中で出来上がっている。人がもし一度は何もかも棄てて遊離する時があるならば、それは孤独との戦いであり、孤独を愛するに到ることであると僕は思う。所詮人間は寂しいんだ。あまりの寂しさのせいで、目の前に広がる東京の風景に時には目《め》眩《まい》すら感じるんだ。  そして僕はこの雑然としたゴミや塵のような建物がちらばる東京の風景の奥に、たくさんのすれ違いから生まれてくるような、個体としての祈りを感じているんだ。    もうすぐ君に会えるから ずいぶんの間、誰にも会わずにいたから、今の僕には、あたり前のことがとても新鮮に思えるよ。 尾 崎 豊   もうすぐ君に会えるから、その時になったら、今までのことを色々と聞いてもらいたいな。上手に話したり歌えるかどうか分からない。でも精一杯やるさ。  今じゃその日の気分や調子によって煙草も止めるし、疲れて酒なんか飲まなくたって、翌朝起きれないほど深く眠ってしまう。そして目覚めると酷い頭痛がして。  あらゆる神経をすり減らしてここまで来た。それも何もかも、僕が本当に君に会いたかったからなんだ。分かってくれるか。  いい加減で、自分勝手だったが辛かった。まるで歌の文句みたいさ。本当にね……。  昨日までのことを忘れるために生きてきた訳でもなければ、明日を夢見るためだけに生きてきた訳じゃない。今日っていう日を精一杯生きることが全てなんだ。  重々しい暮らしの思いを蹴飛ばしながら、僕はやっていくんだろう。  それは君も一緒だろうが、分け合うことが難しいと分かっているなら、それ以上は語るまい。  ケンケンっていう編集長が、親愛なる君達に聞いてもらおうと作っているレコーディングの状況を話しておくと良いっていうんで、すこしだけ話すけど、順調だよ。  こんな感じの手紙を書き続けることは不可能に近いから、ケンケンのことを少しだけ書くことにしよう。  お酒に詳しくて、東京大学が学生によって占拠され、入学試験が惜しくも受けられなかったと悔やみ、慶應大学を卒業した、信念の強い人だ。  僕が驚いてしまうような色々な人を紹介してくれるし、僕の知らないことを惜しみなく教えようと限り無く努力してくれる頼りがいのある人だよ。  僕の尊敬にあたいする数少ない大人の一人なんだ。実際そうであってほしいよ。  そのケンケンがレコードの発売日について書いてみたらっていうんで、僕のイメージらしくもなく書くとすれば……。  シングルが10月、ダブル・アルバムが11月の中旬にでるからね。    親愛なる僕の心の友よ、もうすぐ君に会えるから……。    尾 崎 豊より    Aのブルースプログレッション  その日の夕暮れ、俺はぐったりした自分の体をベッドから這い上がらせるのにひと苦労だったんだ。何がどうのというワケじゃない。ただその時俺は、人間がこだわる理由っていうものから逃れたかった。人間って奴は、そんな理由とか訳とかいうものにこだわり続けると、いつの間にかパターン化して逃れられなくなるものなのさ。  たくさんの夢にうなされて、最後に見た夢の中で、諦めちまった様に目覚めた。目を覚ましても、まだ夢にうなされている俺が自分にのしかかっている。嫌な気分だ。激しい動悸がする。真っ黒に染められた不安な気持ちで俺は息をきらせてもがいていた。  何も変わっちゃいなかった……。客も俺もたいして変わっちゃいなかった。  ただ随分と時間だけが費やされた。そして誰もそれを否定なんか出来やしねぇだろぅ。てめえが俺の立場になればどんなに辛いか分かるだろう。分からねぇ奴は、俺にしてみれば人間のクズだ。つまり俺はクズ共にコキ使われてたってことになるんだけどね……。  十年の時間が流れた。ろくでもねぇ十代の代弁者は自分の十代の時間を大人達にことごとく騙され、いいように弄ばれた。二十歳を過ぎた落ち目のロック歌手は覚醒剤所持使用で逮捕。どん底だった。拾われる様にして仕事を始めた。だから結局『誕生』っていうアルバムはまだ権利を争っているっていう始末さ。  ビジネスでリスクを背負ってくれる奴なんていないさ。ただ時と運を待って努力するしかないんだ。でなきゃ這い上がれもしない。  そんな事を考えながら俺はまだベッドの上でもがいていた。夢にうなされた自分が俺にのしかかっているんだ。鞭打たれている様だ。激痛が体をかきむしる。多分これは薬の後遺症か何かだろう。  俺は洗面所で、胃の中の胃液の一滴まで吐いてからまたベッドにもぐりこんだ。今度は体中がチクチク痛む。自律神経失調症も併発しているのだろう。俺は気が狂い出しそうになりながらもがき続けた。一時間か、二時間か、それとももっと長い間か……。そして体はもがきに疲れ果てた。  頭の中が真っ白になって意識がもうろうとしている。だが、まだ体は痛んでいた。体が疲れている分だけ痛みは和らぎ、俺は絶望的な気分でベッドから転がり落ちてソファーまで這っていった。  夜だった。  窓ガラスに夜が映っている。ソファーの横に俺の弾き慣れたテレキャスターが転がっている。  俺はそれを拾い上げ、しばらくそいつを鳴らした。ブルーノート、フォークブルース、ベースラン。アドリブは次々に生まれ、止まなかった。Aコードのドミナント・モーションEセブンスを数え、弾き終えると、俺は何かにつまずいたかの様に、ほんの一言だけ歌った。 〓“俺は これから 一体どれだけの人の心の中を行くのか……〓”  すると体の痛みがふっと消えた。  音楽ってやつがここにある。  俺の大切なもの。それでいい……。それだけで充分だ。そんな気がした。  だが、どこまで行くのか。どこまで行けるのか。そしていつまで続くのか……。  ただ俺の見たものがそこにある。  だから俺は歌うのさ。  俺は今、また歌い始めただけのこと。    アルバム『誕生』全曲解説    清らかに、安らかに  自然の摂理に身を委ねる。目に見えない怯えや説明のつかないものに対して、人は常に戸惑いを持っている。歩みは安らぎを禁じる。こわばった心は凍り付いている。心は盲目であり、また何も聞こえなかった。閉ざされた心は卑しめられ鞭打たれていた。しかしそれは福音の成就に到る道であると信じるが故に恐れるには足らないものだった……。 LOVE WAY     工場地帯は鉄を切り裂く金属音で溢れ、一日が始まる。路上の朝は一斉に吐き出されている排気ガスに彩られ、情報社会は一人一人にわずかな情報を記録する。管理社会は誰一人にすらその行方を与えない。胸に抱えた幾つものためらいを一秒一秒の時間の隙間に隠している。満員電車が揺れるたび、やるせない思いに叫び出したくなるのは何故だろう。化粧品の臭いにむせかえる車内。頭がおかしくなりそうだ。敗北と勝利。規則と期限。朝の歩調の一歩一歩はタイムカードを押すようだ。言葉を用意して勇気を出し、陽気さを装い、切り札を胸に隠してはいるが裏も表もありはしない。記念品のように積まれた役たたずの書類。五分おきには紙切れの上に新しい仕事がすぐに生まれ、一分後にはゴミ屑になっている。鞄の中には主張と折り合いが包まれている。カーソールを動かしてハード画面に似顔絵でも描いてみようか。煙草の煙にまみれ耳障りな会話が続く。不倫の彼女のために偽名の口座を作ったが、終《しま》いにはお互いがお互いを食い尽くしてノイローゼになる。何かが狂っている。どこにも加えてほしくない。一人になりたい。認めてもらいたいのさ。それが全てなのさ。ヘッドライトに目を奪われ、放浪者のように家路を辿《たど》るんだ。アルコールを飲み喋り続けていると、いつの間にか自己嫌悪に陥るぜ。背広なんてただの作業着さ。励ましておくれ。明日への希望を……。今日も働いたぜ。さぁ、キスしておくれ。 KISS      無口な小鳥。小さな光。五十七番街。街角の大道芸人達は思い思いのフレーズに涙をこぼす。小さな空がビルの合間に見える。散歩する恋人達。青空の下ではしゃぐ子供達。ローラースケートを履いて踊る若者達。その中の一人がコメディアンの誰かに似ているんだって言いながら君は笑う。アイスクリームを食べながら公園を歩き、僕は煙草に火をつけた。埃っぽい風に吹かれて街を歩くとやがて夜が訪れ、僕らはホテルの小さな部屋の中で言葉を探している。そして互いの胸の内も分からぬままベッドにもぐり込んで、白く冷たいシーツにくるまって君を見つめている。僕らは生きているんだよね。泣き声が聞こえるけど君じゃないよね。いつになれば互いの胸の内が分かりあえるの……。見つめていて……。僕だけのこと……。 黄昏ゆく街で      離れ離れになったけれどいつかまた会えるさ。二人の始まりはもう遠い昔のこと。心の傷みすら打ち明けられないまま過ごした日々もあった。でもハドソン河の辺で夢を打ち明け合った時のこと覚えているかい。君の好きなベースボール・チームが優勝して、そういえばあの時の勝利投手は結婚したばかりの奴だったよね。人生ってさ、なんだろう。二人はそんなことを夜通し眠らずにずっと考えこんだ。それがいつの間にか別れを迎えてしまったんだ。わけも分からぬまま……。愛について話し合ったこともあったけれど、二人の愛は悲しみのうちに汚れていった。手紙は河に流してしまったよ。夢もわすれることにしてね……。思い出す時間なんて勝手だった二人には辛すぎるから。二人ともとくべつ変わったわけじゃないさ。新しい暮らしの中で、互いが互いのままでいられればいい。 ロザーナ      いつもの店に駆けつけてさ、ダンスに明け暮れ、そこらじゅうの客にシャンパンをおごってやるのさ。さぁ乾杯だ。色々なパーティーガールを口説いてやるさ。笑い声が酔いの中に響きわたる。どうにかしてくれ。俺の儲《もう》けた金は湯水のごとくあるわけじゃないが、景気がいいんだ、好きにやらしてくれ。あぁ、俺はなんて馬鹿げた酔っぱらいなんだ。朝日が眩しい。通勤や通学で賑わう朝ってのはさ、あれは絶対俺を馬鹿にしているぜ。路地裏の壁にもたれて意識を殺してるうちに、俺は街の風の中で眠っちまいそうだ。部屋まで這いつくばってベッドに寝ころがって、さぁもうそろそろ旅にでも出よう……。  儲け合った奴ともおさらばさ。思い出なんて呼べるほど綺麗なものはねぇしさ。よくやってこれたぜ。まぁこれからも用心することだな。お互いに信用もなくしちまったってのによ。傷みなんて分け合えるわけねぇだろ……。金儲けさ、何もかもすべて……。おいっ、おまえにはもう借りはねぇよな。いまさらうるせぇぜ。あぁそういえば俺の貸しがまだあったな。そいつは返してくれねぇか。なぁ若さなんてよ、弱みみたいなもんさ。上手いこと言われるのは最初のうちだけさ。悔しかったらおまえも人生ってやつをよくよく考えてみるんだな。ひとつだけ教えてやるよ。成功ってのは運じゃない。だからといってひがんだってしょうがねぇだろ。上手くやるのさ。おまえの将来なんて俺には手に取るほどよく分かる。精一杯生きるってことは時にはみじめなもんさ。それが笑い飛ばせるうちは、まだまだ尻の青いガキだ。まぁ俺もどこに行くのかは分からないし、そんなこと今夜の酒しだい。次のゲームが待ってるんだ。  Love my Rock'n, roll RED SHOES STORY      一生を決めるものが何なのかなんて、人には分からない。留置所で出会った少年ヤクザは散弾銃を抱えて敵の組に殴り込んで捕まった。罪だと知りながらも会社の命令で裏金をさばいて捕まった奴もいる。環境が人の運命を決める。やむにやまれず罪を犯す哀れな人々は、涙を呑むように自分の運命を受け止めている。テレビのニュースで金《キム》賢《ヒヨン》姫《ヒ》が猿ぐつわで連行される姿を見た。舌を噛み切って死ぬことすら出来ない。幼い頃にさらわれテロリストに育てられた彼女は、世間のさらしものにされ獄中で暮らし拷問を受けている。自分の本当の親さえ知らないと彼女は言う。彼女にはそれしか言うことが許されないのだから……。一体誰に責任があるんだ。なぁ、死ぬまで運命を恨み続け、わけも分からぬまま言われたとおりに生きてゆけとゆうのか。運命のなすがままに生き、罪を背負う哀れな人々が救われればいいのだが……。 銃声の証明      君の囁く声のようなファルセットボイスが流れている。涙は輝き。君を見つめていると虚しい笑顔に吸い込まれてしまいそうだ。約束さえ確かじゃないけれど、今夜また君に会えるだろ。小さな嘘なら胸の奥に山ほどあるよね。でもいいのさ……。二人で雨音に包まれて夢見ようよ。夜の街並みを見つめながら君はグラスをなめている。君は神様の話が好きで、明日を夢見るのがもっと好きだった。街灯の明かりに照らされながら僕らはながいあいだ接吻を交わした。信じられるものなんてとても少ないものだから……。疲れたのかい。僕の胸の中で眠っておくれ。柔らかな君の温もりを抱きしめていたい。大切な君の心を……。雨音に歌わせて。安らかに夢見ていたんだ。 LONELY ROSE      帰り道は寂しい。すべてのものが夕暮れの影の中に揺れている。目に見えるものすべてに僕は感じるものがあった。そんな気持ちを言葉にして君に伝えたかった……。思い出はアスファルトの亀裂に染み込んでしまったままだ。君はそんな僕の思いなど知りもしなかったに違いない。探していたもの、それは一体何だったんだろう。君を壊すほど抱きしめた。僕が心を閉ざして歩くと君は優しい笑顔で微笑んでくれた。言葉などいらなかったんだ。僕らはすれ違いながら、そして愛し合ったよね。もう帰らぬ日々。君が幸せでいるように……。僕は愛に跪《ひざまず》く。 置き去りの愛      仕事を抱えて街を歩く。下世話な広告から飛び出してきたような日常への憧れが、街中に散乱している。何を気取っているんだい。生きてゆくために必要なものの何を持っているというんだい。マスコミは人の心をもてあそぶようなことを報道して喜び、本当に目を向けなければならないものからは目をそらさせている。そんな無責任な大人達によって作られてきたこの社会に僕は首をかしげてしまう。思い返せば僕達は大人に従ったり、反発しながら生きてきた。そして僕ももう大人になったんだよ。もう責任逃れする大人を許せないじゃないか。子供を騙して金を儲けてるだけの大人達を。でもまだ答えは出されてはいない。僕は明日を信じたい。だからハニー、美味しいクッキーを焼いておくれ。美味しいミルクを飲ませておくれ。愛しているから、たったそれだけでいいんだよ。君を愛しているから。 COOKIE      一人きり生きる君。背負うものは限り無い。孤独や迷いは賢者が持つ宿命である。汚れなく生きることを望むがよい。それが一番正しいだろうから。僕はたくさんの過ちを犯してきたが、君がその状況に陥る前に伝えたいんだ。よく聞いておくれ。一人で生きることの大切な意味を……。出会いや触れ合いや人とのつながりは財産だ。本当の自分を見つける手だてにもなれば、嵐から身を隠すシェルターにもなる。ちっぽけな自分と見失ってしまいそうな君。幸福を知るために犠牲にしてきたものはあるが、君を失いたくはない。  すべての思い出が与えてくれたものを決して忘れないように……。それは知識であり正義であり糧だからだ。欲望によって裏切られても、信じていたいじゃないか。ただ人は時にあまりに嘘つきなんだ。そして誰もが心に掟を持っている。いつだって幸せを抱きしめていたいさ。信じていたいさ。すべてを捧げるもの。それが欲望。それが愛。その相反する二面性を持ったものこそが真実なのだから……。そしていつか何故生まれてきたのか知ることが出来たならばいいのにと僕は思う。夜空に落ちてゆきそうな気持ちになった時に、この空の果てにもっと確かな幸せがあるのかもしれないと思ったんだ。僕は今この世界で生きている。生まれたことに意味があるなら、僕を求めるものがあるならば、この世界で覚えた戦いと幸せを伝えたい。君と生きてゆくことすらも分け合えたらいいのに。ごらん人の心にはたくさんの他の人の気持ちが宿っている。僕は君のためにそれを受け止めたいんだ。この場所からずっと……。君のためにも僕はここにいるから……。 永遠の胸      風が吠えている。凍てついた街のネオンをすり抜け、俺はエンジンをふかし向かい風に突き進む。風が吠えている。体がワイルドに震えている。クレイジーな夜の流星のようだ。  サーベルはすべてのものを突き刺す。俺の革のジャンパーは安物だが暖かいから、優しく君の肩にかけてあげよう。走り続け見つめる夜空は、明日の正義と夢を映し出すスクリーンのようだ。女はしたたかだが安らかだ。子供達は清らかに微笑む。男は誰も皆生まれながらにして兵士なんだ。わけもなく流れ落ちる涙のような小さな暮らしを守ろう。  おかしな奴。最低な男。自然の流れを抱きしめながら歌っている。何が一番大切なのか知っているんだ。抱きしめておくれ。 FIRE      個体から流れ出す三つのメロディー。暗闇の中に渦巻く小さな光の粒はまるで僕のようだ。それは欲望なのか。君を失いたくはないんだ。僕は強く祈り続けた。あてもない夢に彷徨い、激しい風の中に答えを求めると、愛が呟く。平和がいつも足りないと……。君の愛に育まれてきた。君はどこへ行くのか。君の愛の意味は幻の声。偽りと彷徨。心を温めておくれ。まどろむ愛が生み出す真実。いつしか君と分け合おう。それはアガペーの限り無い中庸。 レガリテート      雨に濡れた街並みを見つめながら僕は君を待っているんだ。ねぇ、この冷たい雨に濡れて閉ざされた僕の心を開いておくれ。雨はなんて冷たいものなんだろう。街はなんて寂しいものなんだろう。君を思う心だけが温かい。上手く嘘なんかつけなくたって、上手に笑顔を作れなくたっていいのに……。なのに人は誰も皆そんな悲しみにくれている。今日も雨があがるのを待っている。君の面影はみずたまりに映った虹のように綺麗だ……。 虹      ジャンキーの皆さんよ。よく聞いてくれ。あんたははみ出している。とてつもないクレイジーさだぜ。快楽と現実からの逃避。どちらでもいいがそれは孤独なシステムなのさ。  お陰で俺の友達は精神病院に送られちまった。ベッドに縛りつけられながら、毎日、何もかも神の仕組んだ罠なんだと吠え続けている。いつの日だったかそいつの腕が注射針の跡で埋め尽くされているのを見たよ。よだれをだらだらと垂らしていたが、そいつにはもうおかまいなしのことだった。逃げ出したくてもどこへ行けばいいのか分からないらしい。心の醜さなら日常には溢れているぜ。さぁ現実を見きわめるんだ。いいか、よく聞いてくれ。この逃げ出したくなるような現実を見きわめるんだ。獲物を追い続けるのはかまわないけれど、注意しないと足元をすくわれちまうぜ。気をつけろ。その先は崖だ。 禁猟区      薄暗くじめついた牢獄。俺はそこで二カ月も過ごすはめになった。自分の不運を嘆いているわけじゃないが、何故あそこはあんなにも寂しい所なのだろう。水や食料もしけたものだったが、天からの恵みであるはずの太陽の光すらもわずかにしか与えられないんだ。それが償いなのだろう……。俺は壁を叩きながら奴隷の音楽を奏でる。護送バスから見える渋滞した街並み。向こう側とこちら側は確かに何かが違う。久し振りに見る太陽さえ痩せている。さぁ裁判という名の懺悔の時が始まる。なぁその調書には少しだけ間違いがあるぜ。あんたがたの読むものはまるで学芸会の台本のようだ。ねぇひとつだけ言わせてもらえませんか。俺達罪人が牢獄で深く眠れないのは、罪を抱いた街が叫ぶからなんだ。赤く燃えた街の眩《まぶ》しさのせいで深く眠れないんだ。牢獄の中は寒く冷たいところだが安全だろうよ。だけれどあんたがたの言う法律の名のもとに作り出された街は欲望に渦巻いている。それをあんたがたよりもっと知っている俺達罪人は怯え切っているんだ。凶暴でいんちきな街に何を夢見ろというのだ……。やり直せるものならそうしたいが、それはもう一度今度こそ暖かな太陽の恵みに近づこうと、立ち向かうことなんだから。 COLD JAIL NIGHT      君と初めて出会った時のこと。君は不思議そうに僕を見つめていた。まるで夜空を見つめる瞳のように……。僕はその瞳の奥に君の幻を抱きしめていた。君が通り過ぎてきた日々の一つ一つを包んであげられるかな。僕らは一晩中言葉も交わさずに抱き合う。  微笑むのは忘れられない心の傷みのせいなんだね。振り返る君が僕に甘える。そして一つ一つの思い出をまた数えている君。まるで部屋明かりに照らされ小さなテーブルをかこみながら、愛を語り接吻を交わすような暮らし。時は悪《いた》戯《ずら》に過ぎてゆく。通り過ぎてゆく日々に優しさだけを残せるなら……。寂しさは色あせる。光と影。二人の心は一つ……。 音のない部屋      教会の階段に腰掛けて人波を見つめていました。流れてゆく白い雲。眩しい光。たった一人の私のために生まれては消えてゆくものがあるんだという気がします。悲しみは喜びの糧なのでしょう。祈りの言葉に明日が見えるわけじゃないから、今日という日は昨日のくりかえしかもしれないのだと思ってしまいます。何を探しているのと聞かれても上手く答えられません。どこかにあるのですか、人の心の安らぎは。振り返る時には笑顔を作れるのでしょうか。愛に何を誓うの。信じてもいいのですか、その言葉のあるがままを……。きっと何も忘れられないでしょう。でも、今夜ほんの一時の安らぎに包まれてみたいんです。河の上に光る星々を見つめ、夢と戯れながら、真実を求めやがて眠りにつくのです。 風の迷路      街の流れを見つめていると僕の心もすこしずつ街に慣れてゆくようだ。時の流れに取り残されて暮らした今までの日々はとても辛いものだった。とても個人的なことなんだけれど、僕は誕生日をあまり祝ってもらえなくてね。だから誕生日なんてたいしたものじゃないとずっと思っていたんだ。でもね、君のことが好きになって少しだけ分かったことがある。僕にとって君が生まれてきたことは喜びなのだと……。  人は皆色々な悩みを抱えているもの。でも今は、君がどんなにたくさんの悩みを抱えている時でも、いつも僕が君を見守っていることを忘れないでね。時の流れはいつしかきっと君に答えを与えてくれるんだよ。ほら、二人で一緒にブランコを漕いだ時のような、あの軽快で愉快な笑顔を忘れないでね。それが本当の君の姿なんだよ。君の笑顔はすべてのものと繋《つな》がりながら優しく輝き存在している。そしてそれが君の生まれてきたことの意味。君が生まれてきた喜びに包まれるように、心から祈るよ。それが僕からのプレゼント。君が大好きさ。誕生日おめでとう。 きっと忘れない    これ以上二人が離れ離れでいる必要もないだろう。辛い思いもたくさんあった。でもようやく明日のことすら話し合えるようになってきた。お互いの愛の深さを知ることは時間のかかるものなのかな。ねぇ、僕らは二人いつも泣いてばかりいたような気がするよ。まわりの友達もまさか僕達が結婚するとは思わなかっただろうし、二人はいつも愛の終わりだけを待っているようにさえ思えた。君の親にもずいぶん反対されたし……。一体これからどうなってゆくのかしら……。それが君のいつもの口癖だった。君には教えられてきた戒律があってさ、それを破ることは出来ないの、と言って僕から離れてゆこうとしたこともあった。でも君は君自身の戒律を破らなかったんだよ。だって君が選んでくれた僕がここにいる。この先ずっと君と一緒さ。君が話してくれた、死んでからも一緒にいようねって。僕もそう願っているよ。終わりのない愛の姿は償いから始まるんだ。  I wanna marry you  We will be together after we die  愛している……。 MARRIAGE      時計の針が二十四時間をまわると一日が終わり新しい日を迎える。二十四歳の誕生日を迎えた時、僕は一人きりでそんなふうに考えていた。あぁ、祝ってもらうにはあまりにも色々なことがありすぎて、僕はまた一人きりの誕生日を迎えていたんだ。けれど今が新たな出発の時だとするならば、これまで覚えてきたすべてを糧に、もう一度勇気をこめて生きてゆこうと思う。生まれてくるすべてのものよ、その意味が分かるだろうか……。 誕生      尾 崎 豊より       スピリチュアル・メッセージ    祈  り 「勧善懲悪」というんですか、そういった意識にとらわれている部分のある子供でしたね。そういうことを示唆する人たちがまわりには非常に多かった。人間としてそうやって生きていかなくてはいけないんだろうという気持ちが、幼年期の心の内にあったという感じがします。 「仮面ライダー」は勧善懲悪。でも「バロームワン」っていうのが好きだった。二人の子役がいて、彼らが「バロームワン」て言いながら腕を組むと合体して、大きな大人の、ウルトラマンみたいになっちゃうんです。だけどたまたまその二人がケンカなんかしてると、「バロームワン」って言ってもメーターが上がらない(笑)。友情メーターが足りないとかいって、変身できないっていう。そういう面白いのがあったな。  それを見ていて、自分も友情を求めていくんだけど、どうしてもいじめっ子だとかいじめられっ子だとか、平気で他人をからかったりすることをしてしまう。自分もからかわれたり。子供の頃ってわけもなく突然——例えば、ぼくを除いた五人の友達が内緒話始めて、ぼくをからかう手段を考えて、いきなり上履きを隠したり砂をかけたり突き飛ばしてみたりとかっていう——イタズラをする、そういう行為があるでしょ。そうされるたびに、なんでそうなるのかなっていう。ぼくも同じようなことをしたし。何も悪いことをしていない人間に対して、非常に傷つけるようなことをしてしまう。もちろんその人と仲が良かったからだっていう部分も反面ではあるんだけど。傷つけたくもないし、傷つきたくもないっていう気持ちが、勧善懲悪っていう幼児体験の中にはあったんじゃないかって気がします。そういうことを考える分だけ、自分はそれほど強い人間ではない、ある意味では弱さを持った人間だということは自覚してました。  ただ、それとまったく逆に、正義に向かって何かをしたいというような、自分の中のアイデンティティーやポリシーがある限りは、自分の考えは決して間違った方向に進まないだろうという気持ちもありました。  シリアスな子供だったかもしれません。幸せっていうわけでもなかったけど、わりと地味に、自分の中で創作していくっていうか、自分ひとりで楽しめるスペースが心の中にあったような気がします。たとえば深夜放送のラジオを聴いたり。その頃にぼくは井上陽水を聴き始めた。小四のときです。『氷の世界』を初めて聴いたとき、そのLPがあまりにも衝撃的だった。  ぼくは歌謡曲がすごく嫌いだった。フィンガー5とかアグネス・チャンとかのブロマイドを友達はみんな持ってたけど、ぼくは興味がなくて、歌としてもそんなに面白いものじゃなかった。で、小四のときに、まだ自分の中に逃避するとかいったものも何もないとき井上陽水を聴いた瞬間、非常にイメージの広がるものだと思った。歌謡曲じゃないジャンルの歌っていうのはこれほどまでに想像力を豊かに膨らませてくれる、すごく楽しいものなんだって感じて、それ以来陽水さんをよく聴くようになったんです。  うちの親父は短歌をやってるんですよ。同人雑誌に出てたりした。応募作品は〓“天・地・人〓”に分けられて、いちばんいいのが天。親父が一回、天を取ったことがあったわけです。子供心に、親父は短歌がうまいんだなと信じた。たとえば「道の辺の草深百合の花笑みに笑まししかばに妹といふべしや」っていう相聞歌を教えられていたりした。そういう文学的な教育をされてきたところはありました。自分もすごく惹かれるものがありましたよ。ぼくが最初に作った短歌を〓“小学四年コース〓”かなんかに送ったら掲載されて嬉しかった。でも賞品が届くっていって届かなかったんで、非常に頭にきてるっていうのはあるんですけどね(笑)。  その頃は幸せとか不幸せとかを明確に考えなかった。親がいて、自分で自分の夢を創作して、夢の中で生きて、それに近づきたいと思っているだけで。でもそれが実生活に、現実にはね返ってくることは別になくて。ただそれがもどかしいっていう時期なんだろうなっていう気はしますね。今ぼくはもう二十五歳になるから、ある意味で十七、八歳の人たちを見ていると、たぶんそういうもどかしさを彼らは持っているのかなっていう気がします。夢になれないからもどかしくて、なろうとしても時間があって、それにたどり着くまでにはどれくらいの努力をしなければならないっていう自分の目測があって、たぶんそういうふうに人生の設計を立てていくんだろうなっていう気がする。だから若ければ若いほど、メッセージソングだとか他人の自己主張に耳を貸さない人のほうが多いんじゃないかな。ぼくは、手を広げて生きている人と、逆に隅っこに隠れて生きている人と、自分の中にもその二つのタイプの人間がいると思うから、どっちの心にも通じるものを言葉にできたらいいなと思う。  小五の二学期に東京の郊外に転校した。親父は昔、材木屋に勤めてて、東京に出てきていろんな国家試験を受けて、自衛隊に勤めた。それで財産を子供のために残そうと考えて分譲住宅を買ったわけです。ぼくはそれまで学校では目立つ存在ではなかったんだけど、転校して〓“転校生〓”〓“東京〓”っていうブランドによって女の子たちの間でいきなり人気が出た。学級委員になってしまった。すごい変化だったですね。別に好きでもない女の子から想われてるんだから自分には関係ないと思っている、でも、その裏側では、他の男の子たちが妬《ねた》んでいたり。そういうところに、小学校の苦難の時期っていうんですか(笑)。親に「一週間でやめるって言っちゃダメよ」と言われましたが、一カ月ぐらいでだんだんダメになっていった。  ぼくが突然中心的な人物になってしまったから、それまでその学校にあった友達同士が内部分裂を起こしてしまった。尾崎に取られたとか言われた時期があったような気がします。いろんないざこざに巻き込まれていくのが嫌で、とりあえず学校まで行くんだけども、やっぱり帰ろうって。じゃ、どこに行こうか、街に出かけたわけなんです。うちは共働きだから、おやつのお金しか持っていない。そのお金で電車で行って戻ってこれるところまでってことをしてる間に、小学校で生活しているのとまったく別の大人の世界があるんだっていうことに、その頃非常に興味を持った。  つまり、働いている人ですよね。働いてる人たちを見ると、恐《こわ》かった。  秋葉原に行って街を歩いてると、電気の品物がバーッといっぱいあって。小さな商店街には売れてるのか売れてないのかわからないような部品、抵抗とか半導体とかわけのわからないものがいっぱい並べてあった。小学校の世界しか知らない人間がその街を見たとき、香港とかああいう感じがしましたね。異質な文化というか、秋葉原カルチャーショックみたいなのがあった。切なさもありましたね、やがてはこういうところで自分も働くようになるんだなって。  ぼくは二十歳のときに初めて香港に行ったんですけど、そのときに秋葉原の情景とすごくよく似てたって今さらながら思う。香港の食べ物屋さんの前に腸《はらわた》だけ取り出した豚が三匹、並べてあった。それを見たときに閃《ひらめ》いたのは、秋葉原でいくつもの段ボールの積まれたものがボンボンボンボーン! と店の前に置いてあった光景でした。人間が電気製品を食べるわけじゃないけど、次から次へとそういったことが繰り返されていく目まぐるしさを感じた。恐いっていうか、とめどもないという。ついていけるかなと思った。  働いてる人っていうことでいえば、それについていけるかっていうより、親父を見てて、父の姿は「父のあと追ひつつくだる山道の」なんですけど、父の背中を見て育ったときに、やっぱり父は公務員であったし、何十年も勤務していたわけだから、人生の嫌なところ、裏表もあっただろうと。遠くに転勤させられても我慢して、毎朝始発に乗って通っていた姿を見ていると、いくら疲れても子供や生活していくために自分を酷使していかなくちゃいけないんだという思いが強くありました。  父がぼくに書いてくれた「吾子よひきてやすきに行くなかれ 思ひ定めし道険しとも」という短歌がある。人生ってやっぱり大変なんだなぁって。母親も遅くまで働いているし、朝御飯を作ってあげられない。ぼくがたまたま朝トイレに起きて、親父がひとりで味噌汁ぶっかけて御飯食ってたりすると、「あ、行ってらっしゃい」とか言うけど、その辛さっていうのはね。その生活を親父は三年くらい続けてましたからね。仕事をするという面で純粋なところを見せてくれたという意味で、今は親父にすごく感謝してますね。  中学校は前の地元に戻れることになった。小学校の苦労は二度と起こらないだろうと思ってました。今度は地味に生きていこうって。  が、どういう因果か、また目立ってしまった。ぼくはフォークソング・クラブに入ったんですよ。一年の二学期の文化祭で、体育館で全校生徒の前で歌ったら大ウケしちゃって、一年で生徒会の副会長になってしまった。それと、非常にいい先生に出会った。数学の先生なんですけど、授業の半分は彼が涙を流しながら「人生とは」って語り始める、みたいなね。「君たちにはこれからがある!」って言って、三無主義って言われてる若者たちに向けて、それを打ち壊したいという信念を持った人だったんだろうと思います。その先生と出会い、ともに暮らした生活が、また新たなぼくの人格を形成したところがあった。「尾崎と友達になれ」って先生に言われた番長と友達になって、ぼくもいろんな責任を負わされたりしました。  中三のときは必死に勉強して、偏差値がちょうどという理由だけで青山学院を選んで受かりました。今度こそ地味に暮らそうと思っていたら、中学のときに歌ってたぼくの評判をきいて三日目ぐらいに先輩たちがクラスに見にきた。「あいつだよ」って指さされて、「何、ガンつけてんだよ」って机蹴《け》ったら、みんなが驚きまくって、それからまた派手になっちゃった(笑)。初めて作ったのは「ダンスホール」と「街の風景」。国語の時間に必死で書きあげた。それで、高二のときに中学の番長に久し振りに会ったんです。彼は高校に行かずに調理師学校に一年行って、ちょうど就職した時期だった。「お前は音楽やりたいって言ってるけど、音楽で金を稼いだりしてないじゃないか」という言葉にカチンと来るものがあって、オーディションに応募することにした。まさかぼくのレベルで受かるわけないと思っていたら、CBSソニーに受かったんです。  月に一度か二度、曲を作って持っていくんですけど、なかなかオーケーが出なかった。半年ぐらいして、「やっぱり君、田舎に帰ったら?」という世界になって、そこまで言うんだったら今思ってることをすべてぶちまけて作ろうと作った歌が「愛の消えた街」と「15の夜」だった。 「これだよ」って言われて、レコーディングに入ろうということになったんです。  曲を作っている最中に、学校でバレーボール大会があったんです。そんなたいした行事じゃないだろうと思って十時ぐらいに行ったら、うちのクラスが最初だったらしくて「尾崎が来ないから負けた」ってみんなに言われた。そのときたまたま運悪く、剣道部の部室で「やってらんねえよ」って煙草喫ってるのが見つかって停学になっちゃった。「停学になっちゃったよ。しょうがねえな」って飲みに行ったら、帰りにケンカになっちゃって、それで無期停学。雪だるま式だったんです。  無期停になって、学校生活から離れているときにレコーディングが始まった。青学というのはモデルや俳優の仕事をしている生徒が多くて、仕事に関してはまあいいということで。外出禁止令は出てたんですけど、レコーディングはいい。それが唯一の救いで外出できるという感じだったですね。  自分の作る歌に自信があるとかないとかという問題は、案外なかったです。実はうちの親父は尺八の先生で、一般に邦楽ってリズムはその人が好き勝手にやりますからね。つまり、芸術のよし悪しというのは、よい人にはよいと思えるし、悪い人には悪いとしか映らないというような、そんな観念があったから、それが良かろうが悪かろうが、ひとつの作品として生まれたことへの喜びだけがあって、うまい下手というのはあまり関係ないと思ってた。ただ、それが高校の試験とかと同じレベルで、試験に通るか通らないかという意味では、通らないと思ってるぐらいでした。  言いたいことがすごくいっぱいあった。たぶん自分に言いたかったんじゃないかという気がするんだけれども、中学校のときの友達に捧げたい歌だったのかもしれないな。逃げ込むことのできない大人たちが、若者の目には見えるのだろうかというようなね。  逆かもしれない。自分が友達と話しているレベルのなかで、その友達が大人を見る目が一体どういう目なのか分からない。ぼくは大人というのは非常に苦労しながら生きている人間たちだと思う。その人間たちに対して、ぼくら子供はどういう目で見ているのかを言わなくちゃいけない。そんな気持ちがあったのかもしれないな。感覚としてはニューヨークのストリートで、帽子を前に置いて歌っている吟遊詩人。だから、この曲を聴いて誰かに人生を変えてほしいなんていう願いは、その頃はそんなにはなかった。ただ、生活していくこととか、人生の本当の意味みたいなものを、ひとつひとつ確かめていくスタンスには立てたような気がします。  レコードを発売するのに何のためらいもなかった。ぼくのまわりで生きている人間たちにとってはこの言葉やメッセージが必要なんだという気持ちで歌を作っていたと思うから、それを作り上げるのに何のためらいもなかった。  ただ、レコードが出てから、自分の純粋な気持ちを表現したという満足感はあったけれども、聴き手と歌い手のギャップがあるということに気付いた。ある種、何かの代弁者としてとらえる人々の心の中で、尾崎豊はこういう人間でなくてはならないという固定観念が生まれてくるというようなところで、どうしたらいいんだろうという戸惑いがだんだん出てきました。  たとえば大人たちへのメッセージということだけじゃなくて、もっと広い意味で自分が考えて悩んでいることを歌いたかったということになるのかな。そして、世の中がなぜもっといい方向に進んでいかないんだろう、なぜもっと平和だな、幸せだなという、平穏無事な生活を送れないのかなと、そんなことばかり考えていましたね。  発売したとき、ちょうど停学の期限が切れたんです。驚きましたよ。同い歳のぼくの友達がみんなぼくの曲をウォークマンで聴きながら歩いていた。「俺にはお前の言いたいことがわかるよ」って奴が多かった。何か手応えがありましたね。  だけど学校には戻ったんだけど、馴染めなかった。毎日、提出物や日記を出すように言われて出しても、「反省してると思えません」と言われて。罪を償うことは必要かもしれないけども、個性を無視して芽を摘んでしまうような教育の仕方には耐えられなかった。それが結局、やめる原因になったんですね。  音楽をやっていくんだと決めて、すごく期待がありましたね。ただ最初に〓“ルイード〓”でやったとき、いつも学校でそうだったんだけど、挙手して「先生はどういう教育理念を持って授業をしているのか」ときくと、先生とぼくの間ではカチンとくるものがあるんだけど、まわりの生徒は「どうでもいいんじゃないかな」っていう雰囲気でスーッとすれ違っちゃう。自分が言ってることが他の人に届かない、通り過ぎちゃうみたいな感じが最初のコンサートではありましたね。目の前にいる人たちは、ぼくの言葉をある部分で聞き流しながら対抗意識を燃やしてる、みたいな。とにかく和気あいあいとするよりも、反発し合うほうが強かった。  初めて日本青年館でコンサートをやったとき、「お前らの視線が俺を孤独にするんだ」って言ったら、「バーカ」って言った人がいた。あれなんか、その気持ちが非常によくわかる分だけ、バカと言った人間のほうが寂しいんじゃないかなっていう気がした。理解できるよっていう共通点があると、その気持ちを受けとめることができない自分がとても寂しいと思うんです。客席から「バカ」ときこえてきた瞬間はそういうふうに思いました。何かおかしかったから、ぼくも思わずほくそえんだんです。お前がそういう気持ちになったときは、お前もバカだよって。  セカンド・アルバムを作り終わった段階でだんだんコンサートのキャパシティーも増えて、マスメディアに出る回数も増えれば増えるほど、どんどんある種の虚像が出てきた。  自分の中でも、ある種そういうカリスマ性に依存していく自分と、それを否定する自分がいた。ある部分はうまい具合に行ったんだろうけど、でもやっぱり最後にぼくのコンサートに来てくれたお客さんたちが、ステージが終わって気持ちがだんだん日常生活に戻っていく瞬間を頭で思い描いていくと、「あっ、自分が歌ってきたことが完結していない」という切羽詰まった気持ちになった。それで、やっぱりまだ先があるんだと思うようになりました。  三枚目のアルバムで、二十歳になるという意味合いをこめて、何もかもゼロに戻して考え直してみたいと思った。そういう気持ちから「路上のルール」っていう曲ができた。たぶん十代を過ぎたら、ぼくは新しい意識に目覚めて生活していかなくちゃいけないだろうし、そういった歌を歌わなくちゃいけないと思ってた。それにしても「卒業」や「路上のルール」を作った心の変遷はある意味で正しかったと思うんだけど、そこでもっとリスナーに違うものを与えてあげないと危ないなという危惧をおぼえましたね。  代々木オリンピック・プールのコンサートのときも、早くにしてずいぶん大きなところでできるようになったなという驚きと、ビジネスライクになり過ぎてもよくないし、アマチュアリズムばっかりでもよくない。そこらへんが大きなネックになってたのかもしれない。  自分の中での混乱はなきにしもあらずで、その中でできることは、やっぱり体を正常に整えておくことが大事だと。体を作り上げる前に精神的な部分で、自分の弱さなり欠点なりを見つめ返すことはずいぶんしました。  そしてニューヨークに行った。音楽を作るという意識の中では常に前向きでいたいと思っていたし、たとえばぼくはニューヨークにいて本当に精神的にも金銭的にもスッカラカンになってしまったんだけれども、そこまで使い切ってもいいから自分のできる限りのことをして、もう一度新たに第一歩を始めたいと思っていた。  ニューヨークという場所を選んだのは、十八歳のときに一カ月だけ住んだことがあって、もうちょっと暮らして知るべきことが多いかなと思っていた。もちろんニューヨークはツーンと鼻につく、あまりクリーンな街じゃないから、いろいろ探していくにも手探りして、ガラスの破片とか空きカンとかがあって、傷だらけになって探すところだと。すごくいい街だなと思うのは、人種がとても雑多でしょ。だから誰がいいのか悪いのかっていうのはきっちりとしていて、いい意味で自分が強くなくちゃいけない。だから言葉遣いが乱暴だったりするけど、優しさを込めた乱暴さというかアメリカ人の素直さが好きになった。 「ノー・ペイン・ノー・ゲイン」、痛みがなくちゃ何も手に入らない。そういう気持ちで生きていったなかで、いまだ答が出ていない。その答っていうのはたぶんこれからの仕事に出ていくんだと思うんです。たとえばニューヨークの倒錯した解放感、人間がもってしまうある種のものに対する依存度とか。それが間違いになる人もいれば、本当に自由になれる人もいるのかもしれない。よく理解できないんだけど、いつか自分がそのことに気付くことができるだろうと思っていた。ただ、とりあえず自分はいつでも何かと闘い続けた。自分自身の弱さに向かって闘い続けたっていうことは、自分に言える。  ぼくの沈黙はやはりニューヨークに行ったあたりから始まったんじゃないかなという気がするんですね。  帰ってきて、答が出ないままに仕事になってしまって、ぼくのスタンスの中では最悪の状態だったなと思います。ニューヨークに逃げたわけではなく、新しい自分を探しに行った。ただ、つまらない話で、仕事の状況が自分を置いて勝手に変わっちゃった。せっかく自分がいいスタンスに立ってやろうと思っていたことが全部できなくなった。それがいちばん辛かった。  基本的にスタッフとの折り合いが良くなかった。今まで自分がいいと思っていたところを引き伸ばしていってもらえる状況は何もなかった。だからといって何もかもぼくの思いどおりにやらせてくれるのかといったら、そうでもない。何かをやろうとしたら、それは君のやることじゃないと言う。お互いをすかし合うつまらない関係になっていった。作りたい気持ちは十分あったし、言いたいことも混沌とした心の中で整理しきれないものがいっぱいあった。だけど、本当にいいリレーションシップのなかでは必ずいい作品が生まれるという、そういう仕事上の関係というのはきっとあると思うんです。ぼくは仕事をしていく上で、お互いがいつもどっちのせいだと言い合って悪い方向に進んでいくなんていうことは、生きてる間にそんなに何度もあっちゃいけないことだと思う。  九九・九%はいい環境がなくて、〇・一%は自分で頑張るしかないと思った。ひとつだけわかったことは、会社はただ金を儲けたかったということだけだもの。だったら最後の一枚だけ、ぼくひとりになって作ったものを出して、コンサートを一本やって、そして金儲けさせてあげれば、あとは好きなようにさせてくださいということだった。  ニューヨークから帰ってきてすぐレコーディングを始めて、「やめたいんですけど」と言うと、「お前の好きなディレクターを金で雇うから、それならできるか」みたいな話になる。そんな話じゃない。たとえば「太陽の破片」のフレーズはニューヨークにいるときに作っていたんだけれども、それをうまく引き出そうという環境を見出せなかった。このLPだけ出してやめようと思ったら、今度はツアーがある。悪循環が始まって。精神的に悩みながら、一枚レコードを出して、ある種頽《たい》廃《はい》的なものに依存していくようになって、その依存から立ち直りたいと思い続けた。  沈黙というけど、瞑想に近いかな。沈黙してた間にいろんな人の言葉が耳に入ってきて、言葉っ面《つら》だけじゃなくて、その本当の意味を考えていた。だからぼくがどこを見ていたのかもわからなかったと思う。瞑想の中で一体何が生まれていくのか、たぶんうまく説明していくのはこれからだと思ってます。  アーティストが活動を停止しているとき、沈黙している状態がみすぼらしく見えてしまう場合もあると思うんです。でもぼくはその中でも着々とひとつひとつを丹念に練り上げていく作業のうちのひとつだと思ってきた。あせってもしょうがない。その中で小説を書ける状況を作れたのはすごく嬉しかった。日本に帰ってきてずっと沈黙している間に何か小説にしたいものがあって、まず第一作目に『黄昏ゆく街で』を書き上げてみたい気持ちがフツフツとわき上がってきた。ほんの一瞬の出来事なんだけれども、自分が見た黄昏の中に伝えたいものが山ほどあるような気がしたんです。  小説はこれからもどんどん書き続けていきたいもののひとつなので、今ではレコードと同じくらいのスタンスでいい作品を作りたい。小説の、尾崎豊という作家でもありたい。それはひとつの希望としてありますね。書くことは苦しくないです。書き始めると五分間くらいは少し苦しいというか、息苦しいというか、水の中にジャボンと飛び込んで、浮かび上がってきて泳ぎ始めるまでの瞬間というのが苦しいだけで、書いているときはちょっと幸せになります。自分が持っているわだかまりみたいなものを表現していく分野としてすごくいいと思う。小説って心に残っていくものだと思うから。  沈黙の間に結婚した。創作活動に従事している女《ひ》性《と》じゃないから、そういった意味ではまったく別のスタンスで、家庭みたいなものをつくりあげたいなって思った。あんまり多感な人でも困るし、あんまり鈍感な人でも困る。妊娠を知ったときはなんか複雑な心境でしたね。いちばん嬉しかったのは、生まれた瞬間。出産には立ち会えなかったんですが、ぼくは家で丈夫な子供を生んでくれよ、丈夫で五体満足で生まれてくれれば、あとはちょっとぐらい自分が苦労するのは覚悟するから授けてくださいって。なかなか電話がかかってこないから、七時頃かけたら、「あと一時間ぐらいしたら生まれます。生まれたらこちらからお電話します」って言われた。電話を切って三十分間くらい祈ってたら、オギャーってどっかからきこえてきたんですよ。えっ、でも一時間て言ったから、まだ三十分ある。ネコでも鳴いてるのかなと思っていたら三十分後にかかってきて、「七時三十五分に生まれました」。つまり、その声がきこえたときに生まれたんですね。はっきりきこえました。その声は憶えてます。それからけっこう変わりました。二人じゃなくて、三人になったし、自分が今まで見ていた親父という存在とある意味で同じ見られ方をする。しゃべり始めたときには、きっとそういうふうに言葉を覚えて、ぼくのことをそういう言葉で呼ぶだろうっていうことでいえば、切実としたものを感じた。前に思ったんだけど、自分が父親になったときには自分が悩んでいたことを悩ませないように……いや、自分と同じように悩んだとしても、ぼくはそのことをうまく説明して子供に理解させてあげようと決めていた。そういう気持ちは結局ぼくのなかに『十七歳の地図』を作り始めたときからずっとあったと思うんです。それがいま現実になったことで、よりエキサイティングだし、ある意味では安らぎっていうものもそこに含まれるのかもしれない。  誰が教えたわけでもないのに、はいはいしたり立ったりしますでしょう。驚きをおぼえますね。誰が教えたわけでもないのに。でもいつか、誰かの言葉が必要になる。実際、もう性格ができてきて、人がそばにいないと寂しく思ったりとかする。そのときに手を貸してあげるのが親なんだろうなと思います。ぼくの中にはストーリーがたぶん二つあって、ひとつは自分だけのために生きていく自分と、それから二人、三人で一緒に生きていく自分がある。もちろん作品を作って、それに付随して生活していくという部分もあるし、逆に生活していく喜びの中から歌が生まれるってこともあるし。  今度のアルバムではそういう歌をうたいたいなと思う。ほとんど十代の頃のぼくを感じさせるような歌はないけれど、やっぱりある種、みんなが虚像を抱きながら現実のぼくにムチを振りおろしてた、それとまったく変わらなくてひとつ大人になったぼくというか、ひとつ大人になったメッセージのある曲を歌っていけるんじゃないかなと思う。  今までは自分は若者っていう部類に属してたけど、今度は大人っていう部類に属するようになって、ぼくは大人になったばっかりの新入生みたいな感じです。学生とはまったく異質のスタンスに立っている。子供って純粋な部分もあれば投げやりな部分もあって、直情的だしね。そういう意味では、大人になった自分ていうのがそこにあるような気がするし、そういうふうに子供たちを見てしまう。それが正しいのか間違っているのかは説明できないけれど、自分は大人になるべくしてなったという感じで、嬉しくも悲しくもないですね。  変わったというか、やっぱりひとりじゃないですから、まったく相反するものがあってもその人と協調性を持っていかなくちゃいけないと思う自分と、また逆に自分が協調できなかった仕事での失望の間で、どんなふうに闘っていこうかと思っています。  今回はいろんな人に協力していただいて新しく始まった。歌をうたい始めた時期から、何年かのブランクをおいてまったく違うことを歌い始めるだろうというプランは自分の中に立っていたと思います。それを待てる人と待てない人がいるというだけで、たぶんみんなそうなんじゃないかと思う。自分が「卒業」を歌ったときに、子供の代弁者と受けとられた。じゃ、わかりました、今度は大人の立場になって、子供に何か伝えられるような、子供と一緒に共同して作っていけるような歌を作りましょうって心に決めていた。  たとえば、いろんな雑誌でぼくは書かれたけれども、そんなの全部、子供たちのために大人がある種のアマチュアリズムを利用したっていうのかな、本質的なものではない、流れだけを追っていくところで作り出されてしまった自分の虚像に対して、ぼくは新たに歌い直さなくちゃいけないんだという気持ちはあったですね。それが何年かかるかはわからないし、ゴダールやピカソやモーツァルトやベートーベンや、たとえその人が生涯一曲しかいい曲が書けなかったとしても、本当にいい作品だったと言われるものを作るためだったら、やっぱり一生かけてもかまわないと思うのが芸術家の発想だし、ぼくはそういったものの中で生きていきたいと思っている。  沈黙は前進だったと思う。歪曲されて、つまらない状況に追い込まれてしまわないようなところで歌わなければ意味がない。中途はんぱにやり始めるような感じじゃないです。こういうことが伝えたいって明確にあるから、ぼくはこれからかなりいいものを見せられると思う。そこまで言うのは少してらいがありますが(笑)、でもそれぐらいのことをやるがために努力してきたわけだし、そういった意味では逃避はなかったですね。歌をとおして初めて、今回活動していくなかで、一体何を考えてああいう過ちを犯して、何のために沈黙を守り続けていたのか、こういったことに気づいたことを自分たちに伝えたかったんだなと理解してもらえる、そういうスタンスに立ちたいです。  プレッシャーはほとんどないです。たとえばプレッシャーがものすごく多かった時代に作った「太陽の破片」とか「街路樹」とか、そういう歌をうたうたびに、きっとあのときの情景を思い出してしまうから、何となく歌いきれない切なさがあるんだけど、でもそれも今度の活動の中で解消したいし、それにぼくには小説っていう新しい分野ができたことによって自分の中で空回りしていたものがきっと明確に伝えられると思う。「太陽の破片」も「街路樹」も、きっとまた歌えると思う。  あの頃ぼくはただ悩みだけを歌っていたかもしれないけれども、今度はそれを理解して、その悩みを超えた部分で、自分の本当に伝えたいことを、その気持ちを込めてもっと力強く歌うことができるんじゃないか、そういう気がしています。    スピリチュアル・メッセージ    誕  生  作品を作らなければならないという使命感がずっとあった。それは、今まで自分が活動してきた生活のなかでの過ち、あるイメージだけを残して自分が過ごしてしまった頃というのがいけないような気がしてならなかった。  十代の代弁者と言われることにぼくはなんの抵抗もなくそれを受け止めながら、それでもきっとわかる人はわかってくれるだろうと思って歌い続けた。だけど結局、最終的に残ったものは何かっていうと、コマーシャリズムにのったレッテルだけだった。そしてそれが、ある種悪く作用した。なぜ悪く作用してたかというと、ぼくはそれでもわかってくれるだろうと思って生活していくなかで、もしかしたらいけないんじゃないかと思うことまで受け止めて、勘違いされるに決まっていることまで受け止めてやってきたことが、結局わかってもらえないことにつながった。それが最終的に自分の何になったかというと、結局自分の欲望の姿でしかありえなかった。  あまりにも野放図にしていた自分の姿の残像は、非常にぼくを苦しめた。違うかもしれないと思うことを飲み込めば飲み込むほど、自分自身のスタンスは見えなくなっていったけど、リスナーにとっては受け入れやすくなった。非常に扱いやすいものに変わっていってしまった。自分としては変わり続けていくんだけれども、それに追いついてこれる人間がいなかったということかもしれない。だからいつまでたっても「卒業」だとか「十七歳の地図」にぼくの視点が集約されてしまう。「次があるんだよ。努力していかなくちゃだめなんだよ。愛というのは追求していくことの中庸で、本当にそぎ取っていくものはそぎ取って、どんどん自分を磨いていくことなんだよ」、そう、磨いていく姿をぼくは歌いたかったんだけれども、狂気の姿だけに終わってしまった。  ぼくの唯一の誤算というのは、リスナーたちがそれだけのことしか理解しえなかったことだと思う。誠実さより、ファッション的な感覚のほうが強く残っていった。もちろんぼく自身もファッション的なもののなかで活動していくことを享受はしていたけれども、そこまで強く残るものだとは思っていなかった。そして最後にたどり着いたところというのは、腹を決めて立った代々木オリンピック・プールだった。  ラスト・ティーンエイジ・アピアランス。最後ではなかったんだけれど、自分の意識のなかでは二十歳を超えて次のステップに踏み出すとき、「おまえらどうしてわかってくれなかったんだろう」と考えたときに、ぼくはいつか必ずこの自分というものの概念や価値観をゼロにしてでもいいから、もう一度君たちと対等に話がしたいと思った。そのためにすべてを捨てたんだと思う。  ぼくはオリンピック・プールで、ある種とてもカリスマ的な言動をファンに対してメッセージとして残してる。つまり今まで持ってきた既成概念を捨てて、自分はゼロからやり始めてみる。信じる奴はついてこい、と。ぼくはその間にもしかしたら命を落としてしまうかもしれない——それはいろんな意味でね。だけどぼくは一生懸命やっていくつもりだときちんと意思表明だけはしてから、新たなぼくというものを自分自身が見つけていきたかった。ぼくの音楽生活のなかの沈黙の期間はそういうことだった。そして今回のアルバム『誕生』に至るわけなんだけれども。  休んでいる間に音楽のルーツを考えたり、音楽の変遷を見ていたんだ。バンド・ブームだとかそういったものが、ぼくのやってきたこと、またぼくの言い尽くせなかったことを、次に出てくる人が言ってくれるかとずっと期待はしていたし、言ってくれたら嬉しいなと思っていたけれど、結局、誰も言わなかった。すごく残念だった。というより、ぼくは納得できなかった。  ぼくが休んでいる間にも、みんなを励ますような歌はたくさんあったと思うし、みんなを感動させるような歌はたくさん生まれたと思う。だけどロックという言葉とかファッション的なものははやったんだけど、本質的なものはまた一《いち》に戻ったみたいな感じがした。たとえばセックス、ドラッグ、ロックンロールの次に、もっとセンシティブなミュージシャンたち、ビリー・ジョエルやジャクソン・ブラウンとかが出てきたわけでしょう。アメリカやイギリスの音楽の変遷を見ていると、常にそういった誠実なミュージシャンが社会的なものを訴えかける。人の心の変容も含めてね。いつもそういうふうに繰り返し繰り返し歌い続けて進歩していってると思うけど、日本ではある種のレベルまでくるとラヴソングとかニューミュージックぽいものに戻って安心してしまうところがある。それも音楽の変遷のなかのひとつのけじめなのかもしれないけれど。  ある種の同じ着眼点を持っている人間が、ぼくのことなんて語らなくていいんだけど、その人が自分自身にとっての次の自分を見つけて、その過程を歌にしてくれて、次の世代に、次のミュージック・シーンに伝えていってくれるものだったらよかった。そうはならなかったなとぼくはずっと感じてきて、はがゆい思いだった。なんとかしたい、なんとかして自分自身を浄化させるためにも、やっぱり自分で作らなければだめなんだと思った。  音楽はとても好きだし、だけど大変だし、やらなければならないし。ある作品を作り終えて、この作品で満足してしまったらもうそれ以上作らなくてもいいと思えるような作品を作りたい。でもその根底にあるのは何かというと、今まで自分がやってきたこともすべて含めて心が浄化されるようなものを自分が作っていくことですね。『誕生』にしても、やっぱり歪曲されて聴かれる部分が無きにしもあらずだと思うし、だからもっと次に自分がやらなければならないという使命感とか責任感は確かにあるんですよ。よく、一度スポットライトを浴びるともう二度とステージから下りられないといいますよね。あれって深く追求していくと、やっぱり責任感とかそういったものだと思う。自分の美的感覚が受け入れられてしまったら、もっといいものを作ってみせてあげようというような優しさとか抱擁する気持ちとか人間愛に近いものです。  結婚したことも、それから子供が生まれたことも、自分が仕事をしていく上で覚えた人間関係を含めて、大切なものとか醜いこととかを自分の中で消化して歌にしていきたいという気持ちです。たとえばひとつひとつの迷いに対して、きちんと答えを出したものを歌っていけたらいい。それはそんなに明確な答えでもないし、もしそれが人生のことを語り尽くしてしまうようなものになれば、もちろん最高だし。そこまで神がかったものになればそれは幸いだけれど、まさしく人間の限界や能力の限界みたいなもの、そのあたりがひとつの課題になっていますよね。  佐野元春さんが〓“ザッツ・ザ・ミーニング・オブ・ライフ〓”って歌うでしょ。本当に生きている意味が知りたいんだという気持ちの表われだと思う。ぼくの場合はそのまま〓“生きてる意味が知りたいんだ〓”って歌うけど——それはただの表現の違いだと思うんだけど——その年代年代の感じたいもの、求めてるもの、求めなくてはいけないものとかが、きっと生きてる意味という言葉に集約されたんじゃないかなと思う。 『誕生』はぼくのなかでの充実度が高い。いいスタッフに恵まれて、自分の思い通りの音楽に近づいてきたなという実感のなかで作れた。  前に『街路樹』というアルバムで、混沌としすぎたものをまとめようとしてこぢんまりしていくという要素がぼくのなかにあった。すごくナーバスな気持ちだった。それよりもっと生きる意味を知るということに近づいていった。自分が歌いたいことって言ったほうがいいのかな、自分自身のためにも、それからオリンピック・プールで約束した意味に対しても、近づくことができた。  混沌としているものが、作業していくなかでどんどん凝縮されて、余分なものが省かれて完成形に近いものになった。ミュージシャンはロスとニューヨークの人たちで、今までぼくが出会ったことがないようなすごく個性的な人たちだった。みんな人柄もよくて協力的で。なかには協力的でない人もいたけれど(笑)。何でもすべて順調に進んだわけではなくて、いったんはレコーディングをやめてしまおうかと思ったときもあったけど、本当にそれを乗り越えて作ったという充実感がある。ひとつの作品はいろいろな人に携わってもらってできているということをつくづく感じた仕事だった。これこそが新たなスタンスかなと思えるような感じがした。  十代の頃のぼくは、何もかもが手探りだったでしょう。あの頃のぼくを非常によく支えてくれた須藤さんという人が今回はディレクターで、ぼくがプロデュースをした。「すべてを決めるのは君だよ」と、すごく愛情のある突き放し方をしてくれた。人間をまとめていくことを含めてね。だから、仕事とかそういった観念をより深くぼくに理解させるに至った気がする。ひとつの作品を作るにはこれだけたくさんの人たちの気持ちが揺れ動いてできるものなんだなという。揺れ動きながら、それがひとつの作品になって、でもなおかつ揺れ動いていなければいけない。自分を磨いていくことでまわりを触発したり触発されたりできるようになっていくべきなんだろうし、そうならなくてはいい作品は絶対生まれないと思った。レコーディングの作業のなかで、それから自分が生活していくなかで、常に聞く耳を持ち正確な判断をし、できればそれを善意で返してあげたいし、また善意で返してもらえるような状況というのが本当にいいなと思い始めている。ぼくより人生経験のある人の意見を聞き、ぼくとはまた違う価値観の同世代の人の意見を聞き、いろんなことを聞いていくなかで生きていかなくちゃいけない、仕事をしていかなくちゃいけないという気持ちになった。  そうして、自分が残してきた軌跡を振り返ってみると、今のバンド・ブームとかそういったものを推し量っていくと、ぼくが残してきたのは狂気に至るセンシティブな部分だけのような気がした。自分と同じようなテンションを感じる人が何人かいる。でも、それはもう音楽じゃなかったりする。もちろん彼らはすごく純粋だからこそそうするんだろうけれど、どうしたらいいのかわからなかったりしてる。ぼくもそうだったから、きっとぼくはいまだにそうだろうけれども、まずは自分の信じるものの模倣から始まるでしょう。その模倣がひとつの流行だったり、その部分だけで商売している人もたくさんいるし、そうすると悪循環になっていく気がした。けれどそれを音楽という形態にできたときに、初めて人との接点が生まれてわかりあえる状況になるだろうと思う。そしてそのときに昇華される何かが感じられる。大切なのはそのことで、ビジネス化することじゃない。ビジネス化すると、もう反体制的なことだけを歌い続けなきゃならなくなったり、宿命がそこで決まってしまう。ぼくが十代の代弁者と言われてきたつらさや背負ってきたものを、彼らも繰り返してしまうんじゃないかという危惧を感じた。だから何かのきっかけで、彼らが音楽的に目覚めてくれるのを見守っていた部分もあったんだけど。そんなおこがましいことを言えるような人間でもないかもしれないけど、でも、音楽を好きな者同士としてね、音楽を好きになってくれてありがとうという意味も含めて、そんな気持ちだった。  ぼくは「永遠の胸」という曲の中で〓“この身も心も捧げよう それが愛それが欲望それが全てを司るものの真実なのだから〓”と歌った。つまり「君のためになんでもしてあげるから」って言われたら、それはもうすべてを言い尽くしている。ある意味では神様しか言えないような献身的な言葉に対して誠実に応えたいって思ったら、それが行きすぎれば欲望に変わるし、それがうまくいけば愛に変わるし、そのはざまに揺れ動くものが真実だっていう。  ぼくは欲望だと思わなかったけれども、誰かにとって欲望を与えさせてしまうものになっちゃっている自分がいたり。お金儲けとかね。自分自身も気づかぬうちに、なんのためにこんなにみんなに曲をわかってもらおうと思っていたんだ、自分はそんなことをわかってもらおうと思って歌っていたんじゃないということに気づいたんだと思う。直観的に、本能的に。で、そのとき、もう十代の尾崎は終わるね、十代の尾崎じゃなくなるねって言われたときに初めて気づいた。  ぼくはいろんなところからものを見たい。いろんなドアを開けてみたい。ときには「開けるな!」と書いてあるドアもちょっとだけ開けて、ワーッと吸い込まれたり。なんとかそのドアをもう一度閉め直して、いつの間にか抱えてきたものをごしごし磨いて、何かなこれはと見ていたりする。だいたい嵐に巻き込まれた状況の中ではわからない。嵐の中に飛び込んでいって、助かりたいっていう気持ちしかないけれども、帰ってきたときに初めて「だから嵐のときに出航したら危ないと言われるんだな」ということが実感できる。ぼくは今回、それをすごく感じたし、そのひとつが今回のアルバムのぼくの一介の優しさだと思う。そういうものになりえていればいいと思う。  いろんな曲を作りながら、本当に認識していくということはなんだろうなあと思う。十代は自分にかかわってくる問題がもっと単純だったと思う。だから余計ピュアになれた。だけどあるとき大人の人に「あなたのピュアさが私を傷つけるの」と言われて、すごく悩んだ。「卒業」は石を投げろってアジテートしているわけじゃなくて、石を投げたっていう事実を認識することによってそういう気持ちになったときぼくはどうすればいいのかって考えたんだと思う。投げてしまった自分はどうするべきだろうかと。やっぱり投げたときも嵐だと思う。  自己矛盾との闘いと、自分と社会との折り合いをつける葛藤のなかで、常に葛藤を続けていくことがいちばんの要素になっている。ぼくの住んでいるまわりには工場が多くて、そこで働いている人たちの汗とか、鉄骨の音とか、カーンカーンという鉄のぶつかる音がいつも聞こえてくる。その鉄骨の響きのなかに思い浮かべる人間像というか、自分もその人たちも共に働いているんだ、みんなこの社会の中で歯をくいしばって生きているっていうふうに感じる。だから時には心の折り合いのつかないものがあっても、そこには勇気があるだろう、それは勇気から生まれるものかもしれないし、その勇気が間違った方向に行かなければいいという気持ちも生まれる。こう言いながらも自己矛盾は感じるんだけれども、どうしたら本当に幸せな姿というものが見つけられるだろうかというのは最大のテーマだし。大きく言うと昔のアルバムも全部含めて人間はなぜ幸せになろうとするのかということがぼくのテーマだと思う。 『誕生』は二枚組になった。いろいろな問題を抱えたところで作った『ラスト・ティーンエイジ・アピアランス』も二枚組だったし、沈黙を破ったところで作った今回も二枚組というのはある種の偶然も作用しているんだけれども、作りたい形ではあった。最終的に曲順を考えていったときに、曲の意味あいだけではなくて、その曲を作ったときのテンションだったり状況だったり、本当に作っているみんなの気持ちが順を追って並んでいるという感じがある。  最後の曲は「誕生」だった。作ったときにこの曲が最後になるんじゃないかなと予想は立てていたんだけど、一度録《と》ってあった。でもその歌ではどうしても発表したくなくて、最後にもう一回書き直した。それが最後の歌録りになって、ミックス・ダウンも最後だった。偶然と言えば偶然。仕事の流れも本当にこれが最後だった。  このアルバムを作っていた三カ月の間、ずっと心の底に流れていたもの、それはね、個人的なレベルで言うといちばん最初に話したことに戻っちゃうんだけれども、ぼくが最後に代々木オリンピック・プールで「命を落としてしまうことにもなりかねないことだ」と言ったことです。自分でも、いろんなことが起こる予感がしていた。なぜそんなことを言ったかというと、ぼくがコマーシャリズムに折り合いをつけずにやってきたことでみんなが勘違いしていた。それがおもしろくて発展的な勘違いだったら良かったんだけど、そうじゃなくて全然的《まと》を射ないような、本当にお金しか生まないようなものとか、欲望にしか変わりえないものだった。そのことが主流になってしまったと感じていたことと、それからぼくの作品、たとえば「卒業」とかその歌だけで集約されていることには意味があるけれども、その歌を聴いてもらうのはすごく嬉しいけども、その次を考えることに意味があるんだよって歌い続けてて、ぼくはどんどん変わろうとしていたんだけれども誰もついてこれなかった。ぼくはあのコンサートでそれを歌じゃなくて言葉で表現した。「ぼくは君たちのために命を賭けて次のアルバムを作る。そのときには罪を犯してしまうこともあるだろう」って。本当に罪を犯した(笑)。罪を犯したっていうのは、本当に自分の心の中の戒律を冒《おか》してしまう部分にも踏み入ったということもある。本当に弱さを感じ、そこから這い上がる強さも感じ、なおかつそれが次のひとつの作品になっていく。個人的なレベルでは、それを次の仕事の中で受けとっていくことが多かった。『誕生』をプロデュースしていく上でいろんな人の感情の起伏を感じながら最終的に自分に言いきかせていたのは、「いい作品を作ろうよ」ということだった。言葉をかえていえば、いかに自分が作品に対して責任をとらなければいけないかということだった。  とにかく逃げなかった。『誕生』を聴いて、わかってくれる人とわかってくれない人が分かれるべきだと思ったこともあった。人間を深く理解していく上で、ずっと自分にも戒律を作ってきたときもあったし、その戒律がどんどん崩れていったときもあったし、でも常に逃げないでやっていく気持ちがあった。ある意味では今までのことを私小説的に言い尽くしている部分があるわけだけど、だからといってここですべてが終わってしまっているとは、だからこそ余計に思わない。常に遠くへ遠くへ放り投げていたものを、最終的に拾い集めていったような気がする。  一生懸命、ひとつひとつ集める度に背負っていくものは重くなっていく。でもそれをここまで持ってきてあげないと。確かに途中でレコーディングをやめようとしたこともあったけど、もっといろんなものを拾ってぼくは次に進んでいくことになるだろうと思っていた。抱えていたものをそこまで持っていったからといってそれで終わりというわけにはいかない。大切な部分だけを削り取り、それをダイアモンドのように大切に光らせる。そして次のアルバムのためにも、もう一度原石を拾い集めていく作業をずっと続けていくんじゃないかな。  自分が犯した過ちや、いろいろな人たちのリアクションによってぼくは今の言葉を認識できた。認識できたおかげで、自分がしていることを常に自覚しながら、今はもうぼくの意識は次のステップのところに来てる。それでも、完璧になることはすごく難しいことだと思う。  毎日がお天気じゃない。今日よりも明日のほうが楽しくて、楽しさだけしかなくなっちゃうかというと、人生ってそうじゃなくて、毎日違った種類の種を植えつけられるかのごとく、いろんな困難や違った苦難や喜びを植えつけられていく宿命も背負っているような気がする。  まさしく十七歳のときよりもそれは増えているし、増えているからこそ逆に自分がポジティブにならなければいけない。まだまだ拾っていかなくてはいけない原石がたくさんあるし、開けなくてはいけないドアもたくさんあると思う。全部拾うことができるとは思っていないけれど、拾っている最中に前のめりになって死んでいればいいんじゃないかな、その重みと輝きだけをしっかりと手に持ちながら。    スピリチュアル・メッセージ    永遠の胸  今日、ぼくはここに電車で来た。レコード制作しているときはホテル暮らしだったり、移動は必ずタクシーでしたり、今までだったら、電車に乗っているときに自分が尾崎豊だということがバレるんじゃないかといったような、ちょっと自意識過剰になっていた部分があったんだけど、今日はまるっきりそれがなかったんです。昔は、十代の頃というのは、気づいてほしいなという気も半分あって、気づかないと淋しいなという気持ちと気づかれたら嫌だなという気持ちと半々だったんだけども、その気持ちがなくなった、今日は。ぼくは歌を作っていくという仕事を持って、この世の中に帰属している人間なんだろうなと思って電車に乗っていた。だから怖さもなかったし、誰もぼくのことを気づかないだろうな、と。  アルバムを出してみて、ごく少数の、十人に満たないような少年たちの意見は聞いたことがあって。基本的な部分で若干、ぼくが変わったということは認められているみたいなのね。十代のスタンスから抜け出したという意味合いにおいては、すごく理解されている。でも、どう変わったのかというのは、うまく説明できないかもしれないけれど。  人間としての本能に対して歌っているというスタンスがぼくのなかにある。たとえば「LOVE WAY」とか、もっと難しくなると「レガリテート」という歌があるんだけれど、個体として持っている潜在意識が根底にありながら、それを音楽として成立させているところで理解されているというようなね。つまり、「KISS」とか具体的でわかりやすい歌もあるし。これはぼくの一意見なんだけども、「永遠の胸」というのがその中間をいっている曲だという気がする。「卒業」というのは学校というシチュエーションを作って曲を歌っているわけでしょう。あれに近い。人間の心の動き、心の変容を具体的な例で話しているのが「永遠の胸」だと思う。「誕生」とどっちをアルバムのメインテーマにしようか迷ったぐらいだから。 「永遠の胸」をある友人に聴かせたら、「この曲は同志のために作ったような曲に聞こえる」と言われた。その意見は、的をはずしているようでいてぼくにはいちばん近いというか、ぼくが歌おうとしていることとリスナーとの間の距離の中に当てはめられる言葉としてはいちばん近い言葉かもしれないと思う。 「卒業」はある意味で同じ境遇にいる人たちに対しての共感を呼びかける歌だったりするわけでしょう。逆に、同じ境遇にいない人に対してもメッセージとして投げかけられる。「永遠の胸」というのもそんな気持ちが強い曲なんだろうなという気がする。 「誕生」は、ほとんど私小説的になる。ぼく個人の話になってくるところがすごく多いでしょう。だからといって個人的なことが全体の真理になり得ないかというと、それはたぶんなり得ることもあると思うんですよね。つまり、ひとりの人物の私小説が人々に共感を呼ぶというようなことがあるとすれば、ぼくが経験してきたことをそのまま歌うことによってひとつの真理を歌いあげられていればいいなと思う。ただ「誕生」はそういった意味では子供のためだったりとか、本当に新しく生まれてくるものすべてに対してのメッセージだったりする。自分の具体的な経験が、いつ、誰に訪れるかわからないでしょう。それを踏まえた上で歌っているつもりではいるし、もしそうなったら強く生きるということを、強く生きるというのは優しさを含んでいたりいろいろなつらさや苦しみを経てこそ得られるものなんだということを示唆したかった。ぼくとしては起承転結の結になるものなんですよね。あのアルバムの全体の流れとしてはそうだった。  今、聴いてくれている人たちがどう感じているのかというのは、非常に興味があります。  それから、こんなことを言ってはアルバムを聴いてくれている人には申し訳ないけれども、ぼくにとってはこのアルバムを作り上げたスタンスというものが、作品を超えているんじゃないかという気がする。自分が憶えてきたこと、二度と同じ失敗をしてはいけないと自分を戒めていくこと、その制作過程のなかでの苦しみともがきが如実にサウンドやジャケットやすべてのことに表われていると思う。そのスタンスが、ぼくとしては唯一満足しているところだと思っている。  尾崎豊というアーティストを抱えている一人間としての自分が、どれくらいの苦しみを抱えていたのかを測ることはできないんだけれども、その苦しみというのは生まれて初めて体験するようなものもあった。 「LOVE WAY」は〓“ひどく煙たい朝に目覚めると俺は何時しか何かに心が殺されそうだ〓”で始まるでしょう。シチュエーションとしてはすごく個人的なことで始まっているけれども、言葉の組み立て自体も個人的な体験からしか絶対に作り出せないんじゃないかと思うんですよ。たとえば〓“共同条理の原理の嘘〓”という言葉はまさしくそれだと思う。共同体という、社会に生きているすべての人間を見つめていくなかで、個人的に感じるものでしょう。ぼくはそれがきっとすべての人間が潜在意識の中に持っているものなんだろうと判断した。でも日常会話の中で「実はぼくはいつも共同条理の原理の嘘に悩んでいるんだよね」とか「失恋したけど、やっぱりこれは共同条理の原理の嘘のせいよね」と言うことはないでしょう(笑)。もっと真面目に言うと、日常会話に出てこないことをぼくが歌っていることに対して、みんなが「それはわかります」と言うと、ぼくはすごく危《き》惧《ぐ》感をおぼえる。みんながそういう必要はない。ただ潜在意識の中にみんな絶対あると思う。校舎の窓ガラスに石を投げつける行為と、共同条理の原理の嘘を感じてしまう行為とが、ぼくのなかでは一緒なんですよ。暴走族だった人間が、どこに発散したらいいかわからないから、とりあえずバイクを乗り回して旗を振って自分の存在を確認しようとしていた行為と同じレベルで、ぼくは考えている。  十代だった頃、やっぱり少年って答を求めるでしょう。先生だとか親だとかは、教育という場を設けてそこに帰属しなさいという風潮が社会にはある。だったらそのことに対しての答を出してよという気持ちがあったんだと思う。ぼくが受験戦争に巻き込まれて学校に入ったのも、そういう意味がある。だから教えられることに期待していたような気がする。でも結局ぼくが知りたかったことというのは、人間はなぜ生まれてきたのか、なぜぼくは生まれてきたのかということだった。学校から出て働き始めて、十代じゃなくなって、だんだん自分がいろんなスタンスに立っていろいろなことを覚えていくなかで、その答はやっぱり自分で出していくしかないと思った。それがひとつ、ぼくの歌いたいことだったし、基本的には哲学的なことだったりする。いわゆる欲望とは何か、存在意義とは何か、共同条理とは何か。みんなが持ち得ているそういう疑問をひとつの言語としてまず表わしてみたかった。  レコード制作に入るまでは究極的に孤独でしたからね。自分の人間としての存在意義を見いだすためにいろいろな哲学書をパラパラとめくっていたんですよ。ニーチェだったりアインシュタインが言っているんだと思うんだけども、そのことを自分で体験して自分で知るしかなかったのね。でも、ぼくは自分がやっぱり路上の不良だということをひとつだけ感じるのは、ぼくはそれを音楽にしているということだと思う。ぼくは街角から生まれたという感じがする。街角には音楽が必要で、哲学書や聖書やそういったものは必要じゃないんだというような気がしてる。だから音楽という媒体を通してぼくは歌い続けていると。  今日、家からここまで来たときに、そこには共同条理の原理の嘘という言葉はなかった。でも、すごく感じたのは、新宿の駅とか立ち食いそばとか、あるじゃないですか。もちろんツアーの最中にはぼくもよく食べるんだけど、このところ食べなくなっていっちゃったんですよ。でもそういう人たちの姿を見ているときに、ほほえましいながらも非常にうらやましいというのかな。「COOKIE」という曲を作ったあのときのイメージがあった。詰め込むだけのサンドウィッチとかホットドッグとか、ぼくもまだ食べられるなと思った。食べられるなと思った意識のなかには、食べていなかったときの自分がいるの。そのふたつの自分がいて、でも、そのスタンスをはっきり自分のなかで認識している。  昨日、沢木耕太郎さんとの対談が終わって少しだけ話したときに、沢木さんから「SCRAMBLING ROCK'N'ROLL」という曲の中の〓“心を閉ざしてさみしがるかハードワーカー〓”というハードワーカーと、今回のアルバムで使っているハードワーカーと意味合いが違うんじゃないかときかれた。そのとおりだと思う。前のは、閉鎖された鉄骨の街にいる、ぼくとはまったく別種の人間としてのハードワーカー。でも今回は、自分自身だったりするという意味合いで歌ってるのね。ある意味ではユーモアをこめて、ぼくは一生懸命働いている、でも陽気なハードワーカーでいようぜ、と。  アルバム制作が終わった後、独立して自分の事務所をつくった。音楽を作る良い環境を作りたいということを望んでいたから。ロックがビジネスなのは今のルールではあっても、でもいつかはもっと高尚なものにしていかなきゃいけないし。  ロックという音楽が持つ文学的な良さというか、芸術的な素晴らしさが確立されるようなシステムと理念を持った会社を作っていきたいと思っている。本当にいいものを作った上で、それがいつまでも語り継がれていくような、そして物々交換ではない音楽を作っていくことに意味があるんじゃないかという気がする。そういうものにしたいと思っている。もちろんそのバランスというのは、アーティスト本人が考えなくちゃいけないことだと思う。  ひとつには、ロックバンド・ブームというのが始まったときに、化粧して髪の毛染めて歌って表現するなかで、ファッションじゃない部分を持っているバンドだったら、それは良かったんだと思う。でもそれがどんどん分岐していくところで、逆の方向に進んでいった気がする。つまりそういう格好さえすればいいということが先に来てしまった。バンド・ブームによってロックを始めた人たちの、自分たちでやろうとしている音楽が全然、的を射なくなってしまったような気がしたの。すごく純粋な部分を出そうとしているというふうにも受け取れるんだけれども……。  音楽を芸術というふうにとらえるならば、そういう格好をして歌うにしても、ひとつのコミュニケーションであると考えなくちゃいけないと思う。それがバンド・ブームが進んでいくなかでなくなっていったような気がした。自己主張と自慰的行為に集約されていったような気がするわけ。  ぼくはロックは自己主張とコミュニケーションだと思っていたから、わかりにくいことをやることが彼らにとってのひとつのコミュニケーションだと勘違いしているような気がした。つまり彼らは、自慰的行為がコミュニケーションだという錯覚にとらわれているような気がした。だから彼らはバンドを結成することで恍惚感を持ってしまう。でもロックを始めた時点、音楽を始めた時点、芸術を始めた時点から、苦痛と苦悩と問題意識を抱えること——自己が背負わなければならない責任に気づかなければいけないと、ぼくは感じた。それが「LOVE WAY」を作るきっかけになった。ロックバンドを結成して、カッコいいんだぜということだけで満足してしまっている若者たちに、君たちがカッコいいと思っていることの意味合い、自己主張をしようとして髪を染めたり訳のわからないことをやってみせたりするという、その訳のわからないことの本当の難しさはこうなんだよというのが彼らへのぼくのメッセージだった。訳のわからないことを行動してみせるよりも、理解した上で言葉にして表現することが、ぼくが彼らに伝えたかったことだった。「共同条理の原理の嘘」だったり、「生きる為に与えられてきたもの全ては戦い 争い 奪って愛し合う」だったり、「人間なんて愛に跪《ひざまずく》く」であるとか、それを理解した上で訳のわからないことをやったらもっとすごいんだ、もっと芸術なんだ、もっとロックなんだ、ということをぼくは彼らに訴えたかった。  十代の「ラスト・ティーンエイジ・アピアランス」から、ぼくは約束を果たすために歌おうと思ってきたし、これからもその約束を果たすために歌っていくつもりでいるんだけれども、彼らがロックというものを見つめていくときに、その約束のひとつとしてぼくのなかにはそういう気持ちがあった。  ロックバンドを結成するのは、大体が十代の若者たちが多いわけでしょう。二十歳になったばかりとか、まだ学生だったりとか。やっぱり彼らのなかにあるのは、社会の責任とかよりも漠然とした自己矛盾との闘いだったりするから、きっとわからないんだろうな、わからないがゆえに訳のわからない行動をするんだろうなと思った。だったら、そのわからないことに対して一生懸命追求していくことなんだよ、ということを示唆したかった。  いちばん最初にシングルで「LOVE WAY」を出したことには、そういった意味合いもあったんです。  最初の話に戻るんだけれども、十代の頃から抱えている問題意識を解き明かしていかなきゃいけないと思ってずっと生活し続けてきた結果、こういう言葉が存在していることにぼくはめぐり逢った。そのことに気づいてほしいという気持ちがある。だから実は、バンドを作っている若者たちに、ぼくも心を動かされたんだと思う。  アマチュア・バンドのオーディション番組を見ていて、この人たちはわからないことに対して何とか一生懸命理解しようとしているんだろうなと思った。でもそこで、ロックという音楽と、訳のわからないことをやってみせることで逃げてしまおうとしているというふうに感じたの。それがぼくにはとてつもなく悲しかったし、でも彼らの気持ちもすごくよくわかった。「静寂の中の響きに体休み無く 心の傷みを蹴飛ばしながら暮らしている」というのはどういうことかというと、最終的には人間には愛が必要なんだよというのを「愛に跪く」と歌っている。そういうわかりにくさとわかりやすさをきちんと踏まえて、理解した上でなくては作品としては成立できないものだと、ぼくは思うんです。ぼくの場合はそうなんです。それを非常に伝えたかったというのがある。  このままの状態でロックというものが進んでいくと、たぶんロックという文化はなくなるだろうなという気がする。追求していくものではなくなっていくという気がしてならない。たとえば昔からロック・バンドをやっている友達がいるんですが、彼らには音楽をやっていく上でのポリシーをすごく感じたのね。それに今やっているロック・バンドのやつらとも、たまに飲んだりするのね。そいつらを最初にTVで見たときにはぼくには理解できなかったけど、彼らに訴えたいものがあるならば、自己表現とコミュニケーションを貫こうとするならば、別にぼくが理解できないことも関係ないと思い知らされた部分もあった。その人の持っている個性——たとえばどういう思いやりを持っているかとか、まさしく音楽をやる人間もそうだろうなって、ぼくは今でも思っている。  コンサート・ツアーをやりたいと思っている気持ちはものすごく強い。コミュニケーションをとるということを含めて、ツアーをやっていくと時代というものがもっとはっきりと見えてくる。自分は『誕生』というアルバムを出した。チケットを買って見に来る人たちというのは、今の世界に生きている人がそのまま来るということでしょう。彼らは、たとえば学校で国語の時間があります、じゃあ国語の教科書を持っていきましょうとかっていうのと違って、全部の教科書を持って登校していく感じで、自分なりのものを持って来る。たとえ尾崎豊のコンサートを見に来ようと、誰のコンサートを見に行こうと、今背負っているものを持って見に来る。その彼らに対して、今の自分がいかに、どんなものを表現して伝えてあげられるかというのがぼくのやりたいことでもあるし、しなければいけないことだと思う。  コンサートはだいたい四月ぐらいから始められると思う。ぼくだって結構うずうずしているからね。    ツアー・メッセージ    新しく生まれくる者よ 『誕生』を作ってから、いまこうしてコンサートに向けてのリハーサルが始まった。ギターを持った時は、うれしかったよ。音を出した時はそれ以上だったな。音楽を通して表現するっていうのは、僕からはぬぐい去れないものなんだと、つくづく実感した。もちろん人前で歌うことの辛さもいまではよく知っているよ。ガムシャラにやればよかったと思っていた時もあった。ツアーが始まってから迎えるだろういろいろな問題も見えるんだけど、それに向かって前進していくことも楽しみに思える。やっぱり考えてるだけじゃなくて、音を出して何かを乗り越えることなんだよな。つまらないこと言うようだけど、レコードを作ってからもいろんな問題があったんだ。そしていま、ここにきてようやくひとつのメドが立った。自分のあるべきスタンスのアレンジはできた。でも、解決していかなくちゃならない問題はまだあるさ。当然そのひとつの目標ができた。それがすごくいまの僕を充実させているんだ。  だからこのツアーが始まり、オーディエンスの前に出て歌う時までの、空白にしか見えない期間は何の無駄もなかったということがそこで明確にされると思う。音を出した瞬間にきっと明確になる。  ツアーバンドの連中は最高さ。前から知っている人もいる。ピアノの西本さんとドラムの滝本さんは初期の三枚のアルバムを一緒に作ってきた人だから、気心も知れているしやりやすいよ。パーカッションの里村さんも顔見知りだった。実際、どんなミュージシャンと出会って音を出しても、全て主張し合うコラボレーションなんだ。音楽的な面というのはセンスの問題だから、そのセンスをどれくらい互いが高め合えるか、引き出し合えるかというのがみんなの目的だ。互いに期待することなんだ。  初対面で会ったときはすごくみんな緊張して、打ちとけ合うという感じではなかったけど、ただ僕に興味を持ってくれてる連中だった。それで集まったんだ。それはひとつの始まりとしてはすごく良かった。  最初にみんなで音出しして弾いたのは、コード〓“E〓”のブルージィなロックだった。その曲でまずサウンド・チェックしたんだ。「ワン・ツー・スリー・フォー」とカウントを出したらジャーンと始まった。サウンド・チェックしている間にだんだんみんなテンションが高まっていって、僕は「Is this LOVE, better I'm feeling」そう歌ったんだ。連中は本当に音になりきっていたよ。イントロ、歌、全然まとまりはないんだけれども、譜面を見て確認していたわけではないし、本当に一発目の音出しの瞬間っていうのはテンションが高かったし、あのテンションの高さは象徴的だった。何か始まったという感じがした。阿《あ》吽《うん》の呼吸というのかな、自分の表現とバックの連中の表現が一体化するんだ。 「あ、いける」と思った。  いい音楽を作る、いい活動をするというひとつの目標はいろいろな経験を背負わしてきたからね。  スタッフにもエゴがある。アーティストにもエゴがあるから、それを共存させていくというのはすごく難しい。表現するというのはエゴのぶつかり合いだ。どっちを優先させるかジャッジしていくというのは難しいけどね。本能が理性を兼ね備えていればいいんだ。パーフェクトなものを作ろうとすれば、余分なものは何もいらなくなる。たとえば僕が個人的に小説を書く意味は、日常生活にとって大切な悩みを浄化させることだし、それはすごくプラスになったりする。アーティスティックな部分を優先させていくことはおもしろいよ。だって音楽とか芸術とかを表現することのなかで、何か自分が我慢しながら表現するというのは嘘だと思う。それは何も間違ってないんだと思う。  音楽はマネージメントする奴の踏み台になっている。それは僕にはバカげて思える。でも踏み台には大切な力があるんだし、だけどそれを受け止めてやっているビジネスなんていままで聞いたことがないよ。新しい次元でいままで自分がやりたかったことをやるために全てが必要なんだ。スタッフの立場、ミュージシャンの考え方、それを自分で呼吸するんだ。スタッフの呼吸、ミュージシャンの呼吸、スタッフとミュージシャンとの間に挟まれたところの阿吽の呼吸をどうアレンジしていくかというのはすごく大切だし、面白いところだと思う。  ツアーは四年ぶりぐらいかな。いろんな経験もしたし(笑)。この雑誌(月刊カドカワ)に書き始めた頃からいまに至るまで本当にいろんなことがあったし、この雑誌との出会いがあってから自分がだんだん変わっていくのが如実に実感できた。ここまでくる間のひとつひとつの物事の密度が濃くて、ものすごく時間がかかった。ようやくここまで来たという感じだな。そう思うのは、まだまだこれからやっていかなくちゃならないことがたくさんあるからだと思う。自分が存在していることを証明する意義、その存在証明みたいなものが根底にある。この前、風邪をひいてふらふらになりながら音楽のヴィデオを観ていたら、熱なんか吹っ飛んじゃうわけ。音楽に触れてるだけで、ものすごく幸せな気分になれたのね。すごく高揚して、すごく幸せに満ちた気持ちになった。何でこんなに幸せな気持ちになれるんだろう。よっぽど自分は音楽が好きなんだなという確認と、音楽の持ってる素晴らしさはこれなんだと新たに認識した。これから、ツアーをやるんだったらそういうものを表現したい。うんざりしている気持ちが全部吹き飛んじゃうようなものが音楽にはあるんだから。デビューして九年目にして自分のパワーをツアーを観に来る全ての人たちが喜んでくれればいい。僕は自己恍惚のなかに苦悩を抱えている人間だしね。  ロックって最大のパフォーマンスだよ。 「いい音楽を聴かせてくれ」という叫びに応えるんだ。そう叫ぶ人たちはみな感動することの喜びを知っているんだと思う。それを求める人がいるのならば、それが僕であるならば、僕は精一杯やるんだ。  僕のコンサートは僕も予想がつかないし、想像して目算をたててる暇もないよ。僕はそれ以上のものにしたいなという気持ちがすごくあるし、想像できないとこまでやるのが好きなんだ。音を出している瞬間に次に自分がどういうテンションになるだろうかなんて分からない。まだ自分のテンションが想像できない。でも、次に出している音、次に出していく言葉というのは、自分の分まで想像してきたものをはるかに超えている瞬間があって、自分でも歓喜に満たされる思いになる。どこまでそれが続いてゆくのか、またすればいいのかなんてものは考えたくもないし、考える必要もないと思う。とにかくやれるところ、走れるところを、走り続けられるところまで走るということ以外は必要ないと思ってる。  初日の日何も言わないかもしれないし、何か言うかもしれないし、それはまだわからない。代々木の〓“ラスト・ティーンエイジ・アピアランス〓”で最後に「約束を果たしたい」と言ったことと、それから東京ドームで最後に「またどこかで会おうね」と言った言葉があるんだけど、今回それは言葉じゃないかもしれないからさ……。でも、何か言ってしまうだろうな。僕は吠えちまうだろうな。  どこの場所でやるにしてもまだ想像がつかないんだ。音が鳴った瞬間にその空間がどこであろうが関係なくなるし、そういうのがいちばんいいコンサートだと思う。何人の人間が集まっている所であろうと、どんな空間であろうと、自己表現の、自己恍惚と自己矛盾と苦悩と歓喜を全て表現できれば何の問題もない。たったひとりの、尾崎豊という人間の人生にしかすぎないものだし、それを何か定義づけてしまうことはある意味ではとても虚しい。ただ僕が、歌うことに意味を感じる人、聴くことに意味を感じる人は本当に大切な関係だと思う。  四国とか九州とか北海道とか、東京から離れていけばいくほど、けっこう寂しい気持ちになる。やっぱり東京で生まれたからかな。でもどこに行っても僕は変わらない。別に憐れみなんて拾わなくていいんだ。聴きに来た人は、それでも音を楽しめるのなら、それでいいんだ。ある意味ではデビュー・コンサートに近いくらいの意気込みがあるよ。僕の名前を知らない人も多いんだから、それでいいのさ。今までの曲で全ての僕が完結していた訳じゃないんだ。ライヴ・アルバム『ラスト・ティーンエイジ・アピアランス』のキャッチ・コピーに〓“きみの十代はここに完璧に収録された〓”とかって書いてあるけど、僕の歌いたい言葉は何ひとつ完結していない。表現者が本当に表現できるものというのはひとつしかないけどね。時間を経るにしたがっていろいろ形を変えてゆくんだ。ねん土で形を変えながら作り上げていくみたいにね。表現しなければいてもたってもいられないのが表現者たるゆえんなんだ。それ以上でもなければそれ以下でもない。  なぜここまできて歌を歌っているか、後戻りはしたくないなという気持ちがすごくある。いま苦悩している問題というのは僕のなかに山ほどある。その問題を本当に解決してこそ僕の考えていることの真実が表現される。前進していくにはいちばん大切なことさ。  いま次のアルバムのことも、もう考えているんだ。ツアー中に演奏してみたい気分だね。そしてツアーが終わったら、そのアルバムを出したい。  ツアーをやるというのは、それはもう自分のなかでは発見の連続だと思う。いままでずっとためてきたもの、自分が抱え込んできた汚物を浄化して、彼らに勇気や夢を与えること。それはその瞬間でしかないのかもしれないけれども、でもその瞬間があったおかげできっと次のステップに行けるだろう。それも音楽の大切な要素なんだ。自分では、成長していくことはいちばん大切なことさ。色々な人が色々な思いで音楽を聴く。そして新しいものが生まれくるんだ。  本書は1993年4月、小社より単行本として刊行されたものです。 堕《だ》天《てん》使《し》達《たち》のレクイエム 尾《お》崎《ざき》 豊《ゆたか》 ------------------------------------------------------------------------------- 平成13年4月13日 発行 発行者  角川歴彦 発行所  株式会社  角川書店 〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3 shoseki@kadokawa.co.jp Yutaka OZAKI 2001 本電子書籍は下記にもとづいて制作しました 角川文庫『堕天使達のレクイエム』平成8年3月25日初版発行