五味康祐 いろ暦四十八手 目 次  |色 欲曲輪達引《いろとよくくるわのたてひき》   遣《や》らずの雨   妻 よ 許 せ   紅《こう》  帳《ちよう》   死なしてたも  いろ暦四十八手の裡《うち》   乱 れ 牡 丹   しぼり芙蓉   横  笛   鶺《せき》  鴒《れい》   こぼれ松葉 [#改ページ]   |色 欲曲輪達引《いろとよくくるわのたてひき》  遣《や》らずの雨     一  吉原の遊女も華魁《おいらん》級となると、お客から言いかけられても返事をするのは稀《まれ》で、たいがいは顎《あご》のこっくりで返事にかえる。上下左右など見たものではなく、ただ、目をちょっと動かすだけで見たことになった。それぐらい悠然とかまえていた。  華魁のいる部屋は、上《かみ》の間と次の間の二間つづき。上座敷は十畳か八畳、次の間はたいがい六畳ときまっており、上座敷には立派な造り床《どこ》があって、季節々々の軸物がかかっている。ずいぶん凝《こ》った、風流なのを掛ける華魁もいた。床があるから花|活《い》けもある。いつも絶やさず花を挿してある。その活け方で華道の心得がわかる。ほかに碁盤、将棋盤、双六《すごろく》。文案《ふづくえ》にはいつでも間に合うように料紙が載せてあり、客の懐中物をいれる|ふみだれ《ヽヽヽヽ》や、着物をたたむ呉服台も備えてある。これらは云う迄《まで》もなく黒塗り定紋付きで、客から茶の所望《しよもう》があれば点前《てまえ》を見せねばならぬから茶道具一式も揃《そろ》っている。お琴もある。三味線はない。華魁は表芸として弾かなかった。三味線は芸者が弾くからである。でも弾き方に堪能《たんのう》せぬ華魁などはいないだろう。  ほかに、金|蒔絵《まきえ》の煙草盆に、紋散らしの銀伸べの煙管《きせる》が先ず、何処《どこ》にも見られる小道具ながら、この煙管をおいらんの口うつしに吸わせてもらえるのは余《よ》っ程《ぽど》、貢《みつ》ぎ込んだ馴染み客に限る。  さて、ここに。  粋《すい》な親父どののお伴《とも》で一両度、そういう大|見世《みせ》の高級遊女と遊んだことのある忰《せがれ》あり。名を大倉屋源二郎という、十九歳になるのが、得意先きの戻り、幼馴染《おさななじ》みで少々悪ずれのした文吉なるものと出逢《であ》い、話が妙な方向にはずんで吉原《なか》へしけこむことになった。  といって、大見世しか源二郎は知らず、其処《そこ》へあがっては親父どのに筒抜けは必定、どうしたものかと迷ったら、 「まかしときなえ。なあに、源の字がようなお大尽遊びじゃあ色の駆《か》け引きは分るめえ」  ま、大ぶねに乗った気で随《つ》いてきねえ……とて案内されたのが、吉原でも|ぐん《ヽヽ》と格の落ちる裏通り。下世話《げせわ》にいう、 『膳なしの床《とこ》廻し、ちょんの間契りの、ずい帰り』  の類《たぐい》である。  それでも文吉、ここでは結構、顔らしかった。 「オヤ文さん、とんだお久しいね」 「ナニ、迷い児よ」  仲居に二階へつれられて、 「ここに致しやしょうかえ?」 「何処《どこ》でもよしさ」 「そんなら、ここがお静かでようおざんしょう」  通されたのは見るからにウソ寒い部屋。 「何だ、見通しに何故《なぜ》しねえ」  旧友の手前、面子《メンツ》をそこねて不満顔の文吉へ、 「ホ、ホ、ホ」  仲居は手馴れたものだ。 「見通しはあんまりお寒かろうと思うてサ」  源二郎へ愛嬌《あいきよう》のこぼれる眼差《まなざし》で、笑いかけるのを忘れない。 「寒いか、それもそうだの」  仏頂《ぶつちよう》づらで矢っ張り、おのれから部屋へ入る。 「ちッと芸者衆でも、お呼びなへいますか」 「ナアニ、じきにお帰りだ……すぐに床を廻してくンねえ」  そんならと、やがて仲居は床を一つ引ずって来て、 「どうせお座敷があいておりやすから、お一人はあちらにいたしやしょうわえ」  言って床をのべ、部屋のはずれに立てかけた屏風《びようぶ》を引寄せながら、 「お客さん」  身綺麗《みぎれい》な源二郎だけを別座敷へ誘い出そうとする。 「急ぐことはあるめえ。まだ、敵娼《あいら》のかおも見ねえわな。なあ源の字、それまでここで話しねえ。いい序手《ついで》だから今の内に女郎買いの穴ア教えよう。姐《ねえ》さん、たばこ盆が来ねえぜ。それと、火鉢を早く持って来てくンねえ」  仲居がアイヨ、と出たあと、知ったかぶりに文吉は女郎買いの秘訣を講釈。源二郎はおとなしく聴いているうち、あたりは夜のとばりにつつまれ、すっかり暗くなった。まわし禿《かむろ》が障子の外で声をかけて、たばこ盆と火鉢を、廊下まわりの若者に運ばせて来る。 「そこへ置いときねえ」  文吉、歳は源二郎より三つ上の二十二。月代《さかやき》をびろうどのように生やし、痩《やせ》ぎすで、色浅黒く、まゆ毛ほそく、いっぱし情夫《まぶ》気取りながらサテその秘訣なるものは、女郎が朋輩との内輪|咄《ばなし》に「|うつ《ヽヽ》な客」と笑い捨てるたぐいのものである。(|うつ《ヽヽ》なとは、|つう《ヽヽ》の逆──つまり野暮な客を意味する。)でもそんな中で二つばかり文吉いいことを言った。 「あの牀《とこ》イ這入《へえ》って女を待つ間、寝ている所へ敵が来た時に、得手《えて》ねた振りをして、寝なンしたか寝なンしたかと肩をゆすられ、アアとろとろとした、いま何時《なんどき》だ、なんぞとやるもんだが、あれが大の野暮のする仕打ちだ。ねなんしたかと問われりゃ、どうして独りでねられるもんかと言わなきゃいけねえよ。それでこそ男だアな。女はそんな男の情にゃ弱《よえ》え。よって、随分やきもちも焼き、ひつっこくするぐれえがいい。それでうるさがるようならこれはもう早く切れてしもうが勝ってもンよ。それとな、芸者なんぞを揚げたときに、唄でも浄るりでも一心に聞く顔するは、安く見えて悪《わり》い。弾いたり語ったりするうちはわッわと騒いで直《じき》にほめず、とき過ぎて、やんわりと褒めるがコツよ。これにゃ女はかえってホダされ、初会《しよかい》でも主《ぬし》を忘れねえもンだ。おぼえときねえ」  さて程よい頃合いに、廊下をバタリ、バタリ、草履の音をひきずり、仲居を先に立て、かむろに雪洞《ぼんぼり》を掲《かか》げさせて女郎二人。 「文さん……歌さんが来なはいましたよ」  お歌は中年増で、文吉とは二度や三度の仲でないのは一目でわかる。  これにつづいて糸菊というのが、此《この》春からの突出し(女郎に出たばかり)で、年は十七ながら大|柄《がら》に見え、容色うつくしく人がら良く、あいきょう貌《かお》にこぼれて裏通りには意外の掘出し物である。文吉は、鳩《はと》が豆をくったように目をパチクリさせ、 「こりゃアお安くねえやな……愕《おどろ》いたぜ」     二  糸菊は髪はしのぶに結《ゆ》い、富沢町仕入れの緋《ひ》ぢりめんの胴着に、ひわちゃ縮緬《ちりめん》のしごきを締めた寝巻姿。源二郎は、この別座敷が隣りは|まわし《ヽヽヽ》部屋と薄々知っているから、まだ羽織を脱《と》ったきりで、あまり口をきかず五つぶとんの上に照れ臭そうに坐り、手あぶりの灰へ火箸《ひばし》のさきで、何か書いている。わきには目もあやな寝牀がのべてある。  糸菊はそんな源二郎の、色白でむっくりとして男前もよく、いかにもよい所のむすこと見える身なりの背へ、そっと、羞《は》ずかしそうに坐って、 「上著《うわぎ》をお取ンなンせんか」 「そうだな」  すなおに脱ぐが肩へかかった白い手を触《さわ》るではない。 「ぬしゃアいっそ、気がつまりいすえ」 「気がつまる?……どうして」 「だまっておんでなんすから」 「そうは言われても、わたしにはこういう処《ところ》で一体なにを言っていいのやら」 「うそをおつきなんし。アノ歌菊さんのお馴染みと連れ立っておいでなんして、よくもマアそんなことを……にくらしいの」  と抓《つめ》りそうにしたが、さすがにそこまでは|すれ《ヽヽ》ていず、間がもてずに多葉粉《たばこ》を吸いつける。しかし火は立ち消えていた。そこで手をたたく。  かぶろが来た。 「火をいれてくンなんし。よくいけてヨ」 「アイ」  とかぶろ火入れを持って去る。この時、かべごしに隣りより、ほうばい女郎が、 「おたのしみざんすね」  糸菊はきこえていたが故意《わざ》と、 「なんざんす? ちっともきこえやしないわ」  言いながら源二郎にニッコリ眼でわらいかけた。この眼には情がこもっていた。  そこへ禿が火入れの火を、ふきおこしながら持って来る。それを機《しお》に、櫛《くし》こうがいを糸菊は抜き取って、みす紙につつみ、 「これをしまっとくれ、そしてモウおやすみナ」 「アイ、そんならお休みなさりイし」  禿が去ると、枕もとへたばこ盆を引寄せ女はたばこを吸い付ける。ぱっと火のたつそのあかりで、源二郎のかおをつくづくと見て、見ぬふりをし、自分で一服のんでから、又すいつけて源二郎に渡す。 「わたしはたばこはきらいだ」 「オヤ、お上《あ》ンなんせンかえ」  仕方なく、かっこうのいい受け唇《くち》で、ちょっと一口すい、 「ぬしのおうちは、歌菊さんの客人の近所でありいすか」 「いや、違う……文吉さんとは幼馴染みだけど、今じゃやど替えをなさいましたよ」 「ぬしの家《うち》はどこざんす」 「神田の八丁堀」 「うそばっかり……よくはぐらかしなさりいす」 「ハ、ハ、ハ……なら、当ててごらん」 「かしら字を言っておきかせなんし」 「かしら字は、にの字かナ」 「待っておくンなんし、にの字ねえ……コウト……なら、日本橋かえ?」  源二郎はわらってくびをふった。  糸菊はしばらく又かんがえ、「そんなら、にかわ町とやら?……」 「ちがうな」 「じれったい、どこだろう」  本気で、考える眼になっている。それが遊女と客の戯《ざ》れ言《ごと》でない真情を、ふっと源二郎の胸内《むぬち》にたぎらせたらしい。 「じつは日本橋室町ですよ」  と言った。 「ソレ見なんし」  パッと眸《め》をかがやかせ、「嬉しい……わっちの懐《おも》いの丈《たけ》がかよいンした」 「おもいが通う? こりゃ大げさだなあ、ハ、ハ、ハ」 「でも、その室町のおうちには大かた、おかみさんがござんしょうね」 「冗談じゃありません、あたしはそんな年じゃありませんよ」 「いくつにお成りなんす?」 「十九」 「そんなら、主よりわっちゃ一つうえだわ」  廿《はたち》なわけがない。女はきまって年若く言うはずが、糸菊は目を細め、 「一つ増《まし》の女房を持つと、仕合《しあわせ》がいいと言いすから、モウモウ今宵からは」 「オヤオヤ」 「だって何処《どこ》ぞの女郎|衆《しゆ》に、おたのしみがありんしょう?」 「うちがやかましくって、こっちの方へなぞ来たことはありませんよ。去年の酉《とり》の市の帰りに、伴《つれ》があって、ほかヘ一度行ったけど」 「ほんにかえ?」 「そうあたしのことばかり攻めず、お前さんのいろを、後学のためだ、ちっとは聞かせてもらいたいな」 「どうしてそんな事がござんすものか。わっちゃ去年まで、みのわの寮に居ンして、此《こ》の春から出ンしたのよ。いろをしたくってもわっちがようなものを誰も相手には」 「何とうそがお上手だ」 「うそなものか。ほんざんす」 「しかし客の中には惚《ほ》れたくなるのがいたでしょう」 「人にほれるのは嫌い」 「こりゃ又、高《こう》風だ」 「モシヱ、うそとお思いなら、一つおねがいがござんすえ」 「どんなことだろう」 「わっちのしんそこ惚れたいお客が来なんすように」 「お前さん、今ほれるのは嫌だと言いなすった」 「真実は、たった一人ござんす」 「うらやましいことだ……どこのお人だろう」 「ぬしさん」 「いたぶりなさる」 「ほんでござんすよ。それだけれど、わたしらがようなものだから、もうこれぎりでお出《い》でにはなりンすまい?」 「勿体《もつたい》ない。お前さんのような美しいひとなら」 「アイサ、沢山《たんと》おなぶりなンし」 「うそじゃありませんよ。呼んでさえ下さるなら来ますよ」 「うそ」 「来たらどうしなさる」 「実《じつ》かえ?」 「わたしは嘘《うそ》は申しません」 「ホ、ホ、うそでも嬉しゅうざんす……なら、サ、早うこの身を抱いて、その手で寝かせておくンなせえし」 「斯《こ》うかえ?」 「おオ、お足がつめたい……」  若い男女だ、お互い照れ臭さもあり序幕は長いが、いったん火が点《つ》けば燃えるのは早い。遊里では、ふつう『ふりをつける』という。遊女が自ら喜悦した様子《ようす》を見せて客をよろこばせる手管《てくだ》で、いわゆる『床上手』な中年増女郎ともなればそれは真に迫り、実意によるとしか見えなかった。時には無論、おのが先に気をよくして『行きつく』例外もないではないが、玄人《くろうと》女としては、未熟なそれは不手際であり仲間うちで恥とされた。  腰巻も同様である。想い思われると自然に下裳の紐《ひも》が解けるというが、馴染み前に、房中で細帯は解くべからずと先輩女郎たちはおしえた。裸寝など真実、こころを許し合った情夫《まぶ》とのフキ(情交)以外には見られぬことである。  糸菊もそういう廓《くるわ》のしきたりは守ったらしい。が、何分にも若い。ましてや好もしい若旦那を相手で、曲戯を要求される道理もなく、いわば正常位の、胸と胸の肌を密着させての交わりである。若いだけに、それでも充分、情が移った。申すなら、この辺の取組みがくるわで一番つみのない遊びだろう。思わず声まであげてしまい、となり部屋の女郎までが初心《うぶ》な己れの昔日を思い出してか、いつしか『もらい床』のおまけ迄つけている。隣室の喜悦の様や『牀《とこ》騒がし』に味な気分を催すことを『もらい床』といったのである。  そのくせ、まだ糸菊の年頃では、やり手婆あや番頭女郎をこわがって、殿御にほれても心でばかり思い口には得《え》出さない。又ばんとう女郎が、今宵はあの客人に斯《こ》う斯う言うて節句をお頼みなんし、と教えるが、つい言いそびれてしまう。隣室で客をとるばんとう女郎が始終、聞き耳を立て、ア、あのはなしに取りついて言い出さっしゃればよいにと、気をもむのも度々ながら、その辺の呼吸がまだつかめない。でも末たのもしい糸菊ゆえ、やがてはそんなあどけなさの難所を越え、いっぱしの女郎に成長するだろう。  ──一方。  こっちは文吉である。粋《いき》がって寝牀にあぐらになり、みせ三味線で何か弾いている。敵娼《あいかた》の姿はない。牀の乱れぬ様子で見ればどうやら待ちん呆《ぼう》を喰わされているらしい。  折よくそこへ、 「歌さんはここかヱ? 入《い》ってもよしか」  ガラリと障子をあけ、 「オヤ文さん……独りぼっちたあ、きついお楽しみだね」 「何をぬかす。敵娼《あいら》め、人を団子にしやあがって」 「よその客かえ」 「そうよ」 「まあ、かんにしてやンなんし。歌さんはおめえに惚れていンすとサ」 「どうだか……まあそりぁアいい、折角だ、へえって、ちょっと吸い付けてもらおうか」  女はニヤッとしたが、拒《こば》まずに入って来ると、銀ながしの毛彫りのきせるを把《と》り、あんどんは魚油をとぼすので、紙へつけて吸いつける。貌《かお》はほそおもて、少し色は浅黒いが目鼻だちはよく、身のこなしに情があって、めったにお茶はひかぬ妓だ。そのゆえか、ひっつめの島田を、鹿の子にあらず文絡《ふみがら》で結っている。是《これ》はほれた客の文で髷《まげ》を結うのである。文吉は、手がふさがっているから女に持って居てもらって、三くち、四くち吸った。 「そいじゃ、後ほどお目にかかりいしょう」 「行くのか」 「アイサ」 「客はなじみか」 「初《はつ》さ」  女が去るとあと又しばらく、ポツリ、シャンと弾いてはみたが面白かろうわけはない。ジャラン、と三味線を投げ出し、牀《とこ》のうちい腹這いになって、待ちくたびれてたばこをのんだり、あんどんの落書を読んでる処へ、奥廊下から片手に草履を持ち野幇間《のだい》のなにがしが、もし知った客あらば押売りせんと座敷座敷を、ていねいに覗《のぞ》いて来て、 「オヤ、こりゃあどうだ、文吉さまではございませんか」 「何だ、きいたような声と思ったらおめえさんか、まあいい、ここへへえんな」 「ごめんなさりまし。先ずはお久ぶりでござります。度々おいでなさるんなら、ちっとはおしらせ下さりゃあようござりますのに。おうらみに存じますぜ」 「ナニ、じつはしばらく来なんだが近頃また、少しはじめたのよ。この節は親父がうるせえンでね、ハ、ハ、ハ……」 「なるほど、子の心おや知らずたあよく申したもんで、へ、へ、へ……ときに、今晩はおひとりですかい」 「うんにゃ。つれが別座敷でしんねこよ」 「コレハきつい。それでこちらの女郎衆は文吉さまを」 「まあいいやな。それより、酒でも取ろうか」 「いえ、昼ほどから奥座敷の居つづけで、大きにたべやした。やぼに飲ませる客人でしてね、大のなんじゅう羊羹《ようかん》でさ」 「そんな気のとおらぬ客は、つとめにくかろう」 「大きにさようで。ここへ参ったらのうのうといたしやした」  と口では他所《よそ》の客をそしって、肚《はら》の内で早く一分《いちぶ》くれろ、それさえ取ればじきに内へ帰り、あんま揉《も》ませながら嬶《かかあ》のかおでも見てくれようと思っている。文吉は、おれは通《つう》ゆえたいこ持ちも心やすだてに話しこむと思うから、手持ぶさたのいい相手を見つけた気分で、 「思ってみりゃ半年ぶりか、久しぶりも道理よ」  言いながら三つぶとんの間へ入れてあった財布をまさぐる。たいこは、ようよう一分くれるなとおもい、 「これは暗いあんどんでござンすねえ」  と呆《とぼ》け、横を向いて客の手もとを見ぬようにしていた。やがて文吉の取り出したのは鼻紙で、紅《べに》一遍で刷った手まえ彫りの大小を出し、 「これはなぐさみにこしらえたのよ。見てみねえ、ソレこうすると大の月だ。こうすると小の月ンなる──」  講釈しながら両三度やってみせる。幇間はあてがはずれ、あいそもこそも尽きはてた、とんだ無駄骨よと露骨に厭味《いやみ》を顔に出して、 「そうだっけ。ちょっとあの座敷に用事が」  と、はなし半分に聞き流して素気なく座を去る。  やっぱり独りぼっちになった。  一ぺん、厠《かわや》へ立つふりでそれとなく廊下を見て廻ったが、さすがにどの部屋が源二郎の座敷か分らず、敵娼《あいかた》の様子は知れず、結局、また牀へ腹這って煙草をのんだり洟《はな》をかんだり、起きたりねてみたり、あくびを十何度か。  空しく時は経った。ようよう廊下をばたりばたりと上ぞうりの音。さては今来よるなと、いそいでキセルをはたき、夜着ひっかぶって仰向けに眼ばかりギョロリとむいていたら、他の女郎とみえてむなしく向うへ去ってしまった。 「畜生メ、サテは名代《みようだい》の客があるの」  うせおったらこう言うてやろう、あア言うてやろうと、ぶつくさ独り言《ごと》に目尻を吊りあげていた。はじめは|ちょン《ヽヽヽ》の間のつもりが、源二郎の方では至極|睦《むつ》まじいとて、おつとめ(嫖価《ひようか》)をずいぶんと追加させられたのである。  どれ程かして。  又候《またぞろ》あしおとが近寄って障子がさらりと明けられた。不意のことで吃驚《びつく》りし、眼を遣《や》れば若い衆が、油をつぎに来たのである。 「おやかましゅう」  などと挨拶して出ていった。さあもう我慢がならない。文吉、はね起きて帯をしめなおし、屏風をひきあけてみると、仕着せの穢《よご》れた振袖一まいを着た新造がいつの間にやら入って来ていて、枕の抽出《ひきだ》しをまくらに鮒《ふな》の昆布巻をこかしたような恰好《かつこう》で、はぎしり噛《か》みながら他愛なく眠り込んでいるではないか。見て、文吉また腹を立てた。  きせるを掴《つか》むとその先で八ツ口のわきの下から突き下げ、 「コレ、おきてくれ……起きるんだよ」 「う、う、う、……」  新造はそれでもまた何か囈言《うわごと》をもらしていたが、 「起きねえか」  つよく突かれて朧《おぼ》ろに目を覚まし、ハッとなって、 「オヤ文さま……どこへお出《い》でなんすえ」  文吉はもう怕《こわ》い顔だ。「おれは帰る。羽織を出してくれ、羽織を」 「ばからしい……まだ八ツ(午前二時)前でおざんすよ」 「なん時でもいいやな。早く出してくれろ」 「マアお待ちなんし……帰し申すとお歌さんに叱られんすわいな」  思わず正直に言って、目をこすりこすり細帯のとけたのを引摺《ひきず》りながら廊下へ出、歌菊へしらせに急ぐ。文吉は自身たんすの抽き出しをさがしまわって羽織を取出し、身づくろいをした。そして廊下へ出るとちょうど向うから、名代《みようだい》の座敷をぬけ出た敵娼《あいかた》が慌てるどころか、平気なかおで寄って来て、 「ぬしはマアなんだえ、今じぶん」 「やかましいやい。うぬの知ったことか。太《ふて》え女郎めだ。言い分はたんとあるがおめえがようなくさった女郎にゃ言う口は持たねえ。……サ、若い者に履物《はきもの》をおろさせろ。茶屋の来るのを待っちゃいねえ、かえる。とめるな」 「それだって、今時分じゃ用心がわるうござンしょ。きつい腹立ちだねえ」 「用心もへちまもあるけえ、なにが何でも帰る。おれが足で俺が帰るに文句があるか。その手を放しゃあがれ」  宵からのむしゃくしゃ腹、とめられるほど見栄《みえ》をきりたがっている。 「マアしずかにしてくンなんし。外《ほか》のきゃく衆がやかましゅうござんす。用があんなンすなら、尋常にけえし申しンすからマアちょっと、座敷へお入りなんし」 「ホンにあア言いなんすものを、ちょっと、お戻りなンしよ」  と新造も傍《わき》から抱きつき、無理無体に座敷へひきずり込んで牀の中へ坐らせ、 「ちょっと見な、こわい顔だよ」  と見合った目を、にっこりさせて、羽織をぬがせて放り出し、「雛《ひな》さん、しまっておくれ」 「いいや、しまうこたあならねえ、どうでも帰らざあならねえんだ」  起ち上るその肩をひき据《す》え、 「マア聞きなんし、此の間じゅうもわっちゃ何と言いしたえ。おまえは客しゅとは思いンせん、つとめをはなれて逢いんすと、言いしたじゃないか」  言いながらふところのきせる・たばこ入れを取上げた。 「何もきかねえぞ。帰るといったらおら帰るんだ。そんな手にのるものけえ」 「はらの立つことがあるなら、なぜ一と通りわけを聞かせてくンなせんえ。いっそ他人がましいよ」言って又、紙入れを取上げた。 「イヤイヤ、けえしてくれ。いやじゃいやじゃ」 「名代《みようだい》の客しゅを早くかえして、ぬしとゆっくり話もあるにと思うて居た。わたしが心いきも知ンなんせんで……」と今度は文吉の帯を解きにかかる。 「いいや、帰らざあならねえんだ」 「わたしが心いきを無にしなんすか。なぜ、男はそんなに気づよいのヨオ」と上着を脱がせていた。 「イヤイヤ、どうあっても帰る帰る」  口では言うが、もう女の自由である。 「エエイきつい人じらしでありいすえ」  と歌菊はしっかりと抱きついて、そのまま牀へおし倒した。 「コレ、いやらしい事はよしゃあがれ、かえらにゃ悪《わり》い」 「それほどかえりたいかヱ。にくいよ」  抱きついた手がギュッと肩をつねる。 「痛、痛、て、て、て……べらぼうめ。サアそんなら居《い》ればどうする? サアどうする?」  新造は傍で聞いていてホッと胸なでおろし、ようやく、屏風を引きまわして、 「大びけじゃ、チョン、チョン……火の用心、さっしゃりましょう」  と夜番の声色。     三  源二郎と糸菊は幾度となく逢《お》う瀬をかさね次第に深い仲となった。  日本橋室町の織物問屋で大倉屋といえば知らぬ者のない大|店《だな》。そこの次男坊。  気性はおだやかで、品がよく、悪ずれせず、新造・かぶろにも思い遣りが行届く上に、好いたらしい男っぷりとあればモテぬわけがない。曲輪《くるわ》にこんな上客はない。年増女郎なら、それこそ腕によりをかけ、甘い汁を吸えるだけ吸いとるところが、敵娼|亦《また》うぶな年頃の糸菊とあって、色と欲の達引《たてひき》も何とはない|ままごと《ヽヽヽヽ》遊びの趣きを呈したのが、かえって魔の深淵《しんえん》であったか。  二度目に源二郎が糸菊を名ざしであがった時、番頭の五兵衛というのをつれていたが、あいにく、糸菊には先客があった。(ここらが世間の浮いた惚れたの色恋沙汰とは格のちがう、遊里の情事の酷《きび》しさでもあろう。)それでも源二郎は若いに似ずよく出来た青年で、芸者衆を揚げ、酒肴《しゆこう》の膳を並べ、弦歌のさざめきの中で柔和な表情を変えず、時を過ごした。さすがに番頭がおどろくほど、常に似ず酒盃の数を重ねたが。そうして酒呑童子《しゆてんどうじ》さながらに面《かお》を真っ赤に酔わせたころ、ようよう糸菊がやって来た。糸菊は羽織のそでを引いて源二郎を座敷へ連れ入り、 「ぬしの来なんしたことを聞きいすと、もうもう嬉しゅうてとび立つようにおもいいしたが、折わるく昼からの客人……やっとのことで去《い》んで貰《もら》いいした……ほんに、ぬしゆえ身のほそるこのような心づかい、他にしたことはおざんせん」  言う糸菊の双眸《そうぼう》はキラキラかがやき、必死に、宥《ゆる》しを乞おうと源二郎のかお色を読んでいた。苦界のつとめを果さねばならぬ我が身の遣る瀬なさを、どの程度自覚しての愬《うつた》えだったか、これはわからない。娼婦の性《さが》は当人にもわかるまい。  源二郎は、やさしく、そんな彼女をいたわるように糸菊の肩へ手をおいた。源二郎の目はわらっていた。しかしその手を糸菊が夜具の中《うち》へ誘《いざな》おうとすると、くびをふり、 「今宵は酔いすぎましたよ」  と斥《しりぞ》けた。若者の潔癖感からであったろう。  その次に会ったときに、二人はこんな遣り取りをしている。 「源さま。初会にぬしがおいでのとき、室町とおっせえしたが、ほんとうでおざんすか」 「うそはわたしは言わないと言っただろう」 「そんなら室町に、アアなんとか言いなんした……ソレ、頭《つぶり》のはげた、いっそよく咄《はなし》をしなんすおじいさまがありいすが、知っていなんすかえ?」 「ソリャ室町にも、爺《じい》さまはいくらもおいでだから」 「アノなにさ、可幸さんとか言いなんした」 「それなら知ってます」 「そしてこのあいだ、源さまは兄さまがあるとおっせえしたが、その兄さまはどんなお方でおすえ」 「いろいろなことをたずねるんだなア、それを聞いてどうなさる」 「わっちゃ心やすくして頂いたお方が、日本橋にいなんして、そのお方にもうもうぬしが似すぎていなンす。兄弟といってもちげえねえようでおすから、それでお訊《き》き申しんす」 「わたしに兄はいたけど、十七のとしに亡くなりましたよ」 「ほんに?」 「それは、あなたの色だった男?」 「そうじゃありんせん」  烈《はげ》しく首をふったが、似ているというのは実は糸菊が突出しで出たとき、最初についた客で、その後もねんごろとなり、忘れようのない男である。今は遠ざかって来ず、ひそかに恋しく思っていたら源二郎があらわれたのだ。あえぬ男をおもうあまりに、せめてもと気を移すのは人情の常だろう。 「それで、その人はどうしなすった?」 「そりゃわっちが姉妹のようにしていた朋輩衆の客人で(むろん、これはうそである)とんだ心いきの頼もしいお人でありいしたけれど、いまは田舎の方へ行きなんしたとか……わっちもお世話になったことがありいしたけど、ちょうど源さまのような可愛らしい目つきで笑いなんすときなんざア、いっそよく似ておいいすから、もうもう嬉しゅうてなりいせん」 「それはよい人に似てわたしも幸わせだ」 「モシヱ」 「何です」 「これからは見捨てずに来ておくんなし」 「こうして来てるじゃありませんか」  次にはこんな遣り取りもあった──  女郎には、『紋日』といって四季折々の衣裳替えを派手に祝うしきたりがある。むろん晴着を新調せねばならない。別に曲輪《くるわ》の年中行事もあり、そういう日には各自が定紋を染めた手拭を若い衆に贈ったり、茶屋に祝儀を届けたりで、遊女たちには大へんな物いりである。為に彼女らは金策に苦しみ、馴染《なじ》み客に頼んで仕舞ってもらうことになるが、一方、客のほうでもそこまでの援助をするからには、贔屓《ひいき》客としての面子《メンツ》もあって、別に、積《つみ》夜具ということをする。遊女へ夜具を贈るのである。  座敷持ちの華魁《おいらん》であれば、三布団《みつぶとん》といって敷布団が三枚、この三枚で約二尺(六十センチ)の高さがあり、綿も上質ゆえ体がすっぽり埋まる程だが、妓楼ではそんな客から贈られた夜具を、見世の正面に飾って誇示した。曰《いわ》く『敷初めの祝儀』である。むろん贈られた当の遊女は大いに面目をほどこすが、贔屓《ひいき》客は『紋日』への援助と併せ、二重の負担をおわされることになった。そこ迄して実《ヽ》を見せようという、いわば男の見栄による行為であろう。  遊女に入れあげるといっても、単にからだを買っているうちは男が身を滅ぼすためしは先《ま》ずない。身上《しんしよう》をつぶすのは、見栄で金をつかい始めてからと相場はきまっている。  源二郎は、糸菊と馴染んで迎えた正月の大紋日に、その仕舞日の費用を引受けてやった。さすがに積夜具は控えたが、これは費用を惜しんだ為であるよりは体面をおもんぱかってである。仲之町あたりの、家格ある妓楼の華魁《おいらん》になら、日本橋室町大倉屋の若旦那が夜具を贈るもふさわしい。でも糸菊は裏通りの、格のだいぶ落ちる家の女郎である。世間態をはばかってだから積夜具を遠慮した。糸菊はそれを、別の意味に受取ったらしい。  大紋日を仕舞ってもらった心ばかりの、お礼のしるしだといって、相着《あいぎ》をこしらえ、 「ぬしの下着に着てくんなせいし」  と差出したのだ。そしてこんなことを言った。 「いまわっちが申しいすことを、どうぞ腹を立てず聞いて下せいし。源さまこそ何ともおもっちゃいなンすめえが、わっちゃもう深いなじみの客はぬしお一人と心にきめておりいすゆえ、源さまをあなどるじゃアおざんせんが、無理な気づかいをしなさらねえよう、ただ末長うきておくンなんすようにと、そればかりを願っておりいす。とかく大通《だいつう》と言いしても、しゃれや粋な形《なり》をするを、通とは言いイせん。先きのうつわ、わが身の境遇にしたがって、実心を第一に、女郎を立てて置きなさるが、わっちゃ通かと思いイす。じゃによって、無理算段はかまえて以後はなさらないで下せいしえ」  言って、偶々《たまたま》、若い衆が火を入れにはいって来ると、 「喜助どん」  呼びとめて、小だんすより何か紙につつんだものを取出し、そっと源二郎の袖《そで》の手へにぎらせた。源二郎がたもとのうちでまさぐってみると、一分《いちぶ》である。源二郎からの心づけとして、渡してくれと言うのだ。そうすれば源二郎の人気があがるのは見えているが、たとえ一分でも身銭《みぜに》を切って男を立てようとするこの心くばりは、金に不足のない分限者《ぶげんしや》であればあるほど、いじらしいものに思える。ましてや源二郎は純情を失わぬ若者である。感動した。彼はおのれの財布から小粒をつまみ出して若い衆に手渡し、 「これはしまっておきなさい」  ひねり紙を糸菊に返した。「いくらわたしが親のすねをかじる身とて、これ程の金に不自由するくらいなら吉原へ遊びになんぞ来やしません」 「気を悪くなさりいしたか?……」 「そうじゃない」  源二郎は微笑《ほほえ》んだ。遊女は一たん廓の者となれば、身請けされるか足抜き(逃亡)でもせぬ限り、吉原の外へ出歩くことは禁止されている。利発なようでも糸菊は亀戸の百姓の娘で、十二の歳から小職《こじよく》として売られてきた。室町の大倉屋が大店とは聞いていても、蔵が幾棟並んでいるかを見たわけではないし、世間というものを知らぬことでは十二の少女と変らない。いっそそれがいじらしく源二郎には見えたのである。この時も番頭を伴っていたが、源二郎は泊った。  翌朝、小便所の下駄の音の漸《ようや》く繁《しげ》くなるころに目をさました。寝起きの味は又格別ともいい、糸菊は腰で「の」の字を書いて我から「仕落ち」ようとする。苦界に勤めの身としては異数のことで、その心|映《ば》えが源二郎を感激させたが、こればかりは糸菊の意を満足させたかどうか。  でもすむと、源二郎の膝にもたれ、一ぺんかまで茹《ゆ》でられたという顔つきで、しのぶの髷《まげ》うしろへ仰のき、まえ髪はほつれて二重の眸《め》の上にかかるのを、かんざしで掻《か》きあげ掻きあげ、ただうっとりした目つきで、 「なぜ、わっちゃアこんなになりいしたろう……」 「どうしたんです」 「もうもうなんだか、気がおかしくなって、いっそものを言う力もおざりいせん……なぜ、こんなにしなはいましたヱ?」 「無理なことを言われる。わたしに答えようがあるものか」 「ほんにそうでありいした……でも、ゆうべからの嬉しいに引きかえて、けさはお帰りなんすだろうとおもえば悲しくってなりいせん、どうしんしょうね」 「お前さんがそんなに言いなさるのなら、いっそのことに居ようか」 「ソリャほんとうでおざりいすか? 居なんしてもようすかえ?」 「いい事はないだろうけど、さいわいお父っあんは田舎へ往《い》って留守だから、きょうは流連《ながし》と決めよう」 「うれしい。……ほんに今度からは、お留め申しゃしませぬゆえきょうばかりはそうしてくンなまし。そのかわり御ちそうをいたしやしょう」 「それは有難いな。よろこんで頂くが、今日いるからには朝直しや、遣り手に何やかやお金がいるだろう、ここにいくらでもあるから、いいようにしなさるがいい」 「ほんざんすか。かたじけのうおざりいす」  手に押し戴いて、拝む。 「大層にしなさんな。ソレより、見なされ、ゆうべの一分がまだここにある」  そこへ番頭の五兵衛が敵娼《あいかた》をつれて、 「モシ若旦那さま。そろそろ引揚げの時分でございますが」 「いいえ、きょうは逗留をしなしいすヱ」 「本当でございますか」 「おいらんが御馳走をしてくれると言うもんだから」 「で、でもそれでは結句」 「にくらしいの」  と、ここで敵娼の常夏《とこなつ》というが、 「若旦那がああ言うていなンすに、ぬしが忠義立てはいっそ仇《あだ》ではござンせんか……なあ、モシ糸さん、ほんにおめえは果報者……うれしゅうござんしょうえ」  源二郎のかおをチラと見て、わらった。 「アイ。嬉しゅうおざんす」  糸菊も貌《かお》を袖でかくしてわらう。これは源二郎が以前の客によく似ているのを常夏は知っていて、言ったのである。  当の源二郎がそうと知る道理はない。このときの糸菊の身なりは、ちりめんの無垢《むく》に、紫|繻子《じゆす》に金糸と銀糸で荒磯を縫いつめた縁とりの胴を着て、壁チョロのひらぐけを締めた寝巻姿で、つい前《せん》だっての二月の初午《はつうま》に源二郎が贈ったものだった。織物問屋の商売柄、いわばお手のものだったが、それを朋輩女郎に「果報者」と冷やかされたのだと源二郎は思っていた。  大きな罠《わな》が、こうしてポッカリと彼の足もとにはあいていたのだ。     四  次に、源二郎が流連《いつづけ》をした晩のことである。  この頃にはもう、三日にあげず源二郎は通いつめていた。それを迎える糸菊の態度は情緒てんめんで、身をぶっつけるように抱きつく。悪ズレのほかの客に仕込まれた茶臼《ちやうす》となって彼のからだの上で、ぎごちなく腰を回す。色はうまれつき白く、撫《な》で肩、胸のふくらみは小ぶりであったが乳首はかっこうよく尖《とが》っていた。その胸に、しっとり汗をにじませ、元来が浅い方なので子宮にとどきすぎるのを面《かお》を上向け眉根をしかめてがまんをして、男を悦《よろこ》ばさんと腰をゆるくゆるく動かす。女郎の手くだというよりいっそ可憐な努力だ。それでいて、本心は嫌いではないらしい。腰をつかう顰《しかめ》っ面《つら》から徐々に鼻息は荒くなり、のどの奥で、嗚咽《おえつ》を怺《こら》えこきざみに全身を顫《ふる》わせた。糸菊はもはや十八になっていた。源二郎は二十。感きわまって華奢《きやしや》な女の身を折れんばかりに抱きしめるのが精々《せいぜい》の、まだ牀《とこ》下手だ。陥るのは彼の方ときまっていた。  さてそんなあとで、 「源さま……モシ、ねむりイしたかえ」 「何だ」 「わっちゃねえ、とんだばからしいお願いがござんすのサ」 「言ってごらん」 「わらいなんすなえ。アノ、夢にもぬしと夫婦《みようと》になれようとは思っちゃおりいせんけど、ひょっとぬしのような、ほれている亭主をもちいしたら、おもいきり夫婦げんかをしてみとうわす、わっちらが在所でおかみさんが吝気《りんき》深うて、よう夫婦げんかをしていなンしたお人がありいしたけど、そのあと、又いっしょに寝て仲なおりのときはサゾたのしみでおっしょうと思うたことがありいす、今だにそれがうらやましくてなりいせん、一ぺん、ぬしとそうして……」 「妙なことを考えるひとだ……そんなら、これから喧嘩をしようか」 「ホンニ、いたしいしょう」  ホ、ホ、ホ……とわらいながら源二郎の腹のあたりに手をのばすと、寝巻をまさぐって、爪でひっ掻く真似をした。意外と力がこめられていたから、 「痛い」 「ア、かんにんしておくンなンせえし」  糸菊はあわてて身を起こし、夜具を押しのけ疵《きず》あとに口を寄せると、 「ここでありいすか」  舌で、頭《こうべ》を左右に否々《いやいや》と動かしながら爪跡を舐《な》めたのである。さらに毛の繁るあたりへも顔を伏せていった。廿《はたち》の若さとて、気を遣った直後では満ち足りぬ糸菊の望むがようには勃《た》ち得ない。 「くすぐったい」  少しは照臭《てれくさ》くもあって源二郎は夜具を脱け出し、窓辺に寄った。しとしと廂《ひさし》が湿った音を立てていた。 「オヤ、雨になったらしい」  糸菊は、寝乱れた衿《えり》をかき合わせながら自分も身を起こす。それを目の隅で捉えて、源二郎はこのごろ覚えはじめた煙草を吸おうとたばこぼんのわきに戻って、ふと、ひき出しを開けたのである。中に、紙で折った蛙があった。蛙の背には『与七』と記されていた。源二郎の面色《かおいろ》が一変した。  これは、客を呼ぶまじないである。蛙を(返る)にかけ、恋しい男の名を書いて針を差し置けば、かならず馴染み客は戻って来ると信じられ、客が来れば針を抜いて蛙を水に流すのである。 「何ということだ……与七とは誰だね? まあいい。これで、お前の今まで言ってきたことはうそと知れた……こわい女だよ」  声をふるわせて、糸菊のふところに蛙をねじ込み源二郎は席を蹴立《けた》った 「ぬしは何処《どこ》へおいでなんす」 「どこへも行くものか、帰ります」 「何故《なぜ》え?(少しなみだぐんでいる)」 「帰りたくなったからさ。おのれの頓馬《とんま》加減に、わたしはホトホト愛想がつきた」 「お待ちなんし、そうして私が申しいすことを聞いて下さんし」 「こんな呪《まじな》いをされて今更なにを聞くことがある。ほかに呼びたいこんな客があるのに何故わたしのような者を」 「そりゃこの訳をお知りなさいせんから、そう思いなんすは無理じゃおざんせんが、此《こ》の客人に私が惚れているの何のと言うわけじゃおざんせん、いこう世話になりいす客でおざんすから……でも、ぬしのお気がすみいせずば、この客人とは切れやしょうから、どうぞ機嫌を直しておくンなんし」 「切れるといって、わたしがついているわけじゃなし、あてになるものか」 「ならこうして呉《く》ンなンし、こんど客人が来なンしたとき、源さまのもとへお報《しら》せ申しいすから、どうぞ来てくンなまし、そうすりゃア客人をつき出すところを、直《じき》にお目にかけいしょう」 「それは大かた、外のよいよい客を、その客だと言いなさるンだろう」 「にくらしい、モシヱ(と急に起ちあがると小だんすから、かんざしを二本とり出し)これは、その客人がもって来ておくンなんしたのでおざりいす、お見なんし、与の字と、こちらに糸の字がほりつけておざんすえ。それだからこう致しいすワ」  と、火ばちの中へいれ、かんざしの文字のところを焼き、へし折りまげて 「コリャぬしに上げ申しんしょう。きせるにでも打たせなんし」  と抛《ほう》り出した。糸菊の双眸からはボロボロ大粒の口惜《くや》し涙がこぼれていた。  涙にうそはない。源二郎もはじめて心がとけて、 「わかった。疑ってわたしが悪かった……かんにんしてくれ。為になるお人なら何もつき出さずともよいだろう……さ、涙をふいて、いつものようにわらってほしいナ。その代り簪《かんざし》はわたしが施主になろう」 「そんなことどうでもようござんす、ぬしのお心さえすみいしたら何も要《い》りいせん」  袖の端でそっと頬を拭うと、男の目を避けるようにツト連子《れんじ》窓に寄って、 「朝も晴れずに降っていてくれればいいに……いっそ、何日《いつ》々々までも──」     五  源二郎の吉原通いは、さすがの大倉屋でも目に余るようになった。  商人の廓遊びは、もともとが商談の手だてのうちで、若いあいだは申そうなら人間修行の場の一とみなされる。裏通りの女郎ぐらいに入れあげて、それで大倉屋の身上が傾くわけでもない。  でも、物事には程《ヽ》というものがあり、相手が裏店《うらだな》の女郎では、あまり通いつめては却《かえ》って大倉屋の家格が安っぽくなる。源二郎ももう身を固めておかしい年ではなく、いっそこの際、嫁を貰おうと父親の嘉左衛門が言い出した。どうしても糸菊とやらと切れぬのなら、これはこれで、身請けをしていっそ囲ったがよいと言うのである。  源二郎に異論はない。色恋と商人としての身の立ち行きを区別するくらいな分別は彼にもあったからだ。親父どのの言葉もあり、それで余程糸菊が別れを悲しむようであれば、身請けをする心づもりになっていた。  こちらは糸菊──  三味線ばんの新造が掻き鳴らす二上《にあが》りの|すががき《ヽヽヽヽ》(午後六時)を合図に、今宵も中カ座、部屋持ち、まわり、振袖新造らと夫々《それぞれ》に列を正して糸菊も格子見世へ並んでいる。まだ嫖客《ひようかく》の通行も疎《まば》らな時刻ゆえ、女郎たちは銘々に馴染みへ文を書くもあり、双紙《そうし》・浄瑠璃《じようるり》本をつまらなさそうに読んでいるのもあれば煙管《きせる》を通している者もあり、物おもい顔に、火鉢の灰へ虚《うつ》ろな字を書いては消しているのもいる。  糸菊はそんな中で、割と明るく、禿へ小倉百人一首を小声で詠《よ》んでやっていたら、振袖新造がそっと呼びに来た。ハッとかお色を変えて格子先へ寄ってゆくと、外の廂《ひさし》の蔭に、ふろ敷|頭巾《ずきん》に面を覆った男が一人── 「おれだよ」 「アッ、与七さん……」  聞き違えようのない声である。「いつ江戸へ帰りなせいした?……」声をおし殺し、そっと中《うち》から格子へ手をかけた。 「昨日よ、小金井の友《つれ》を頼って往きゃアちっとはいい算段がつくと思ったが、埓《らち》もねえ、無駄骨よ。ところで、おれに似た若旦那……今宵あたり来やしねえかい」 「わかりいせん」 「フッ、おれも世が世なら十両や二十両に困るこっちゃねえが、里の金には詰るならいとはよく言った、近ごらあとンと八方|塞《ふさ》がりでいけねえ……なあお糸、言い辛《づれ》えが五両ばかり都合してもらいてえ……それと、今日で十日にゃアなる、むしょうにお前が抱きてえのよ、段取をしてくンねえ」  かおは頭巾にかくれて見えないが、かなりドスの利いた口吻《くちぶり》で、おのずと人柄は知れる。だが糸菊は抗《あらが》いかねるらしいのだ。  オロオロ声で 「ア、アイ……いま帳場へ頼んで来イすゆえ、ここで待っていておくなんしえ」  しどろもどろの足もとで裳裾《もすそ》を曳《ひ》き奥へ消えた。  抱え主は露骨にいやな顔をした。 「あんなお人柄な若旦那のごひいきをうけながら、お前も悪い虫に取りつかれたものだ喃《のう》……わが身の甲斐性ですること、わしらの懐ろがいたむではないゆえどうしてもというなら、好きにさせようがの、よいか糸菊。わしが許すは若旦那の後《うし》ろ楯《だて》がお前にあればこそじゃぞ。ここのところをよっくわきまえて、身銭をきるなら切るがよい」 「アイ……よっく分っておりいす」 「でもな、あんな男にどうして、お前、そうまで心中立てをする? 昔なじみと言うたとてあの男がお前を名ざしで通うたは、ホンの半年あまり、それきり、一年余もぷっつり音沙汰のなかったのが、近頃|吉原《なか》へ来たのを見れば昔に変るうらぶれようじゃ、何をそんな男に、これで五度目ではないか、身銭を切って遊ばせることがあるの? なぜ追い帰さん」  糸菌はただ項垂《うなだ》れ、「じゃと言いなんしても昔のお客でありんしょう、与七さんをあんなにしたのも、みんなわっちが悪うざんす。わるどめをして居つづけにおいたり致しいしたから……」そんな言い訳にもならぬ弁解を述べると兆《にげ》るように帳場を出た。そうして朋輩女郎衆の目をさけるように与七を誘《いざな》って二階座敷へ。  それから一刻後。  ようやく客で賑わい出した廊下の奥の一間でこんな遣りとりが洩《も》れてきた。 「……そうか、若旦那では一度もまだ気がやれぬか、ふ、ふ、余《よ》っ程《ぽど》ヘタな男だのう……おめえがセツながるもソリャ無理はねえ。ヨシ、おれが存分に行かせてやるぜ。『横取り』にするか? それとも前に教えた茶臼で行くか?」 「…………」 「なに? 男のほうだと? 女のおめえがよがり泣きするほどなら、茶臼だと何だろうと結句おとこは、味なおもいに変りはねえわナ」  それから姑《しばら》くして、まだ二十《はたち》前のあの糸菊さんがと朋輩女郎が思わず立ちすくむほど、あられもない、切ないせつない生身の女の歓喜とも慟哭《どうこく》ともつかぬしのび泣きの声が、もれて来た。 「……なあ、お糸」  と、それから更に一時《いつとき》後。 「言いにくいが、いっそ十両がとこ都合しちゃくれめえかね」 「ア、アイ……(と、まだ泣いている)……よ、ようござんす」 「ふ、ふ、ふ、おめえほどの女ならナアニ、五十両が百両むしり取るにも造作はいるめえ。ホンに、お前はいい女郎よ」  これには一瞬、ヒタと泣き声はやみ、やがて身をしぼるような切ない歔欷《きよき》がしだいに声を高めていた。  ……ゴーンと此《こ》のとき、何処《どこ》かの寺の鐘が一つ。 [#改ページ]  妻 よ 許 せ     一  その客は、下座《しもざ》に坐るならいなのを知らなかった。  吉原でも、丁子屋《ちようじや》といえば廓で一、二の格式をほこる妓楼で、馴染でないと引手茶屋を通じねば登楼《あが》れないほどだから、武士の身扮《みな》りを見ずとも一応、歴とした人物なのは見当がつく。それで初会ながら妓楼では二階の引き付け部屋に通した。其処《そこ》では、客は下座にすわるのが慣《なら》いで、禿《かむろ》などが華魁《おいらん》の煙草盆を床の間の上座へ据《す》える。すると暫《しばら》くして、やおら遊女が姿をあらわし悠然と、床を背に座を占めるのである。  遊女とて華魁級ともなれば、歌舞音曲は云うに及ばず、茶道、和歌、漢文の素読ぐらいは出来た。いわば最高の教養を身につけた女性で、だからこそ昔は大名旗本の宴席に侍《はべ》って些《いささ》かも恥じることはなかったし、高尾太夫の例に見るように姫路城主や、伊達の殿様から側室にと懇望もされた。  苦界に身を沈めたとはいえ、そういう誇りは連綿《れんめん》と吉原の一流どころには遺《のこ》っている、それさえ客は知らぬ堅《かた》物だったのである。昔とちがい、今では大名が吉原で遊ぶこともなく、代りに富商が大尽《だいじん》風をふかす時世とはなったが、高い嫖価《ひようか》を支払いながら華魁をあたかも、貴人でももてなすように、叮重にあつかい、辞を低うして禿の差し出す遊女口つけの煙管《きせる》や盆を拝受した。そうしなければ野暮と冷笑されたし、単に冷笑を買うばかりではない、遊女との同衾《どうきん》の目的を果たせなかった。たとえ金で買われたに違いなくとも、それの拒否権は遊女の側にあったからだ。  厳密には、これは背任行為、詐欺とも見られる。客は元来それを望んで登楼するのだから。併《しか》し、金さえ払えば誰とでも寝るのでは如何《いか》にも情緒がない。そういう肉欲を満たすだけが目的なら、その目的にかなう下っ端女郎が同じ吉原の裏通りにはいるのである。教養のある、気位の高い女が金ではなくて客の人柄、気性、凛々《りり》しさに靡《なび》いてこそ彼女らの真実もあり、情緒もある道理で、いわばその情緒を買うのに客は大枚の金を投じたし、それは投じるに値するものという美学が吉原の上流にはあった。「女の驕慢を譏《そし》るものに美は語れない」というが、由来、美ほど高価につくものはないのである。  ──でも、華魁|染野《そめの》を名指しで登楼《あが》ったこの日の客には、まるで、そういう美学は通じないようであった。  客は三十歳前後。色白ながら血色のいい、長身の武士で、若党らしい家来を一人|随《したが》えていた  禿が、 「ア、モシ……そこは主《ぬし》さんの席ではおざりいせん……おいらんの座でありいすえ」  可愛い声で制するのへ、 「かまわぬ。身共はここがよい」  頓着《とんちやく》なしに着坐すると、 「半右衛門」 「──は」 「その方、いける口であろう。酒肴を頼むがよい」  言わずとも『台付き』と称して、かんたんな膳部が出されるのを、元より知らない。半右衛門の方は幾らか、こういう場所への経験があるらしく、かえって困惑していたが表情だけで、 「しからば某《それがし》に──」  傍《かたわ》らの、引手茶屋から付いてきている女中に目配《めくば》せをした。 「ハイ、ハイ……ようございますよ」  ふつう『台付き』は規定の揚代《あげだい》のうちに含まれている。今様で云えば高級バーのオードブルか料亭の突出しに相応する(違うのは突出しに既に酒が付いている)が、それにガツガツ手を出すのはこれ又、野暮と看做《みな》され、酒肴が欲しくば更《あらた》めて別に膳部を注文して、引手茶屋からお供の芸者や太夫衆、それに女中などにも馳走しなければならない。(客の分しか『台付き』は出されないから)この点は今様のバーで、ホステスに飲物を取るのと似ている。武士は、そういうしきたりにも疎《うと》かったから、次々、膳部が運ばれると、「身共は要らぬぞ。酒は、たしなまぬのでな」  お膳を前へ据えた妓楼の仲居へ、首をふった。吝嗇《りんしよく》のためではない、あくまで慣例への無知によるのはその悠然と構えた態度でわかるだけに、仲居は、かえって始末に困ったのだろう、 「おミツさんえ」  引手茶屋の女中をふり向き、どうしたものかと、膳を両手にかかえたままで、目を戸惑わせた。  ──その時である。  廊下ヘパタリ、パタリ、草履の音を曳《ひ》いて遊女染野が入って来た。芳紀十九歳、松の位(於職《おしよく》)は先輩女郎に張らせているが今、丁子屋で人気随一、吉原きっての美形と評判の華魁で、うしろに振袖新造、切禿《きりかむろ》、火車《やりて》が従っている。火車を除けばいずれもが目を奪う派手やかな衣裳を纏《まと》い、まるでパッと満開の花が其処《そこ》に咲いたよう。武士は一時《いつとき》、瞳を凝らし華魁の容色を見まもった。  染野の方は、自分の坐るべき場所を客が占領しているのに柳眉を顰《しか》めた。廓のしきたりを知らぬことなぞ理由にならない。客が、其処に居るため仲居は膳を据えかね迷惑している、それだけで、もう華魁の誇りは傷つけられる。これが、初会でなく馴染客であれば、武士にかわって彼女が詫びを言うところである。でも相手は見ず知らずの一現《いちげん》で、たとえ引手茶屋を通じての客にせよ、それなら引手茶屋から付いてきた女中が客の不馴れを巧みに取り仕切るべきである。それをしないのは、引手茶屋にとってもなじみのない客の証拠で、一目で染野はそれを見抜いたから、クルッと、座敷に入らず敷居ぎわで踵《きびす》を返した。 「と、との……」  若党の半右衛門がさすがに狼狽《ろうばい》し、「コレ女、……」  女中に取りなしを頼もうとしたが、既におそい。染野は座敷|着《ぎ》といって染胴抜きの中着に、裾から肩へ金と銀で紅梅の縫いをあしらった黒紋付の上着を襲《かさ》ねていたが、その紅梅のけざやかな縫いを室内の灯にキラッと映《は》えさせたと思うと、もう、静かに草履をふみ鳴らし座敷へは一顧も呉《く》れず廊下を去ってしまった。華魁がそうするので、幾分ためらいながらも新造や座敷にいた禿までが、ぞろぞろと跡に従って引揚げる。  もはや処置なし、総退場である。 「殿、……」  半右衛門はようやく怒気し、 「コリャ、女、いかにわれら主従、初会なればとて、今の、お、おいらんが致しよう──」  女中に喰ってかかったが、面白いのは武士のこの時の態度である。いっこうに、染野に黙殺されたのを憤《おこ》る様子はなく、 「あれが、染野とやら申す遊女か?」  まだお膳をかかえオロオロしている仲居へ、至極、おだやかな口吻《くちぶり》で、 「成程、うわさに違《たが》わずなかなかの美人であるな」  初会とは、ただ、容姿を瞥見《べつけん》するだけと思い込んでいたらしいのである。  あとでこれは丁子屋でも一つ咄《ばなし》になった。武士は赤木|主水正《もんどのしよう》といって、信州松代十万石・真田伊豆守の家臣で、こんど江戸留守居役を仰せつかることになり、役目柄その方面に精通するに如《し》かずと、すすめる者があって初めて遊里へ足を踏み入れたことも、あとで分った。江戸留守居役なれば世故《せこ》にたけた、もっと老獪《ろうかい》の人士が相応であろうに、あの生《き》まじめさで果して、お役がお勤めになれようかいなと、丁子屋の妓夫までが半ば危惧《きぐ》し、半ば可笑《おか》しがった。  江戸留守居役というのは、将軍秀忠の時に島津中納言が、自分の領地は遠国薩摩ゆえ、江戸で御用のあるときその連絡に数多《あまた》日数もかかり、御奉公の間《ま》に合いかねる儀もこれ有るに就《つ》いては、自分在国の間は家老どものうち二人ずつを留守居として江戸に差し置き候あいだ、万一、急の御用の節は右留守居を自分|名代《みようだい》として、何なりと仰せつけ下さるようにと申し出、これが叶《かな》えられたことに始まるという。  はじめはだから、留守居は江戸城内にも出入りし、将軍家にお目見《めみえ》を許された。これを、諸大名も倣《なら》うようになって、いわゆる定府(江戸駐在)の藩の──公使外交官ともいうべき役柄が一般化するに至った。  江戸留守居役は、帝鑑の間、柳の間、菊の間など諸侯の詰席の違いによってその慣習も幾分異るが、禄高の多いほど相互の交際も派手で、留守居役は主君の詰席と同列の藩の留守居役とのみ交わる。江戸城の普請、修築は言うに及ばず、国替えの沙汰のある時など何とかこれをのがれようと公儀上司に働きかけ、様々《さまざま》に暗躍するのも当然、外交官たる留守居役の役どころであるが、一方、藩同士の緊密な連絡、親交を保つのも亦《また》、彼等の手腕によるところ大であるから、互いに日を定めては屡々《しばしば》、宴会を開き交誼を重ねた。いわゆる江戸で料亭がさかえたのは、商人らの集いによるのではなく江戸留守居役たちの宴会の用を満たす為といわれる程で、いかにその回数の多かったかが想像できる。つまりは宴会政治のこれこそ原形である。  それだけに又、新たに留守居役を命ぜられた士は、諸藩の留守居を一順、挨拶《あいさつ》廻りするのが慣例で、当座は日々江戸中の各藩邸をまわり歩かねばならない。この時は若党一人、草履取り一人、合羽籠《かつぱかご》一人、馬の口取り一人を随《したが》えて歩いたが、別に、何処《どこ》へ往くにも柳|行李《ごうり》を紺の風呂敷に包ませ、着替えの浴衣まで入れて担がせた。時には二次会、三次会と流れて妓楼に投宿する仕儀ともなるので、今なら妓楼で出す浴衣を持参したわけであろう。  留守居役は又、先輩、後輩の区別が至って厳《きび》しく、たとえ他藩同士でも先達は大先生と称され、殆ど師弟か主従の如き威権あり、殊に新参者に対してはすこぶる横柄で、 「貴様」  と呼び捨てにして傲慢《ごうまん》無礼の振舞いが多かった。  新参者は、宴会には必ず麻|上下《かみしも》、紋付で臨んだ。他の者は羽織袴である。そして新参は宴席では、一々、先輩の前に出て盃を頂戴しなければならない。赤木主水正のように、主君真田伊豆守が『帝鑑の間』詰めであれば同列の大名が二十余あり、当然、その数の江戸留守居役がいる勘定で、主水正ひとりは麻上下で宴会場の最末席に列し、宴たけなわの頃を見計らって一人々々の前に出て、お流れを頂戴するわけになる。中には大盃を持ち出し、 「飲め」  と強要する老輩もいる。「酒をたしなまぬ」主水正は、何事もお家大事と、そういう酒盃を都合二十余杯、飲みほさねばならぬわけで、これだけでも下戸には大変な苦行というべきである。     二  丁子屋では、留守居役の宴会──といっても二次、三次会ということになるが──は、しばしば催され、妓夫、仲居にいたる迄がその扱いには馴れていた。たいがいは月例ともいうべき、料亭での会食のあとなので、かならずしも留守居役の全員が繰りこむわけではない。気心の合った、昵懇《じつこん》な(且つは遊び馴れた)者同士、何となく誘い合いほろ酔い機嫌でやって来る。  したがって多い時で登楼する数は六、七名。  それでも、留守居役の場合は必ず駕《かご》で繰りこみ、各人の草履取りが一緒に駆けて供をした。その駕も四枚肩という壮漢四人が舁《か》くものゆえ、垂《たれ》は卸《おろ》されていても四枚肩が廓に乗りつけられれば、先ず留守居役の面々と知れる。  ちょうどあの染野が初会の武士を座敷で拒否して一カ月あまり後のことであった。一目でそうとわかる武士数人が、丁子屋にくりこんで来たが、出迎えた妓夫台の男衆が驚いたのは、数人の中で一人だけ麻上下の武士はいつぞやの赤木|主水正《もんどのしよう》だったからで、それも文字通り、茹章魚《ゆでだこ》のごとく顔面まっ赤になり、足もとまでが覚束《おぼつか》なかった。  丁子屋では、たしかに江戸留守居役の遊ぶことが多い。しかし『帝鑑の間』詰めの諸侯の留守居役が来たのは久しぶりで、『帝鑑の間』は国主についで家柄のよい大名の詰席ゆえ、申すなら社用族としてもAクラスの面々である。早速に、二階大広間がその宴席に当てられ、見世を張っていた(まだ客のつかなかった)華魁《おいらん》は無論のこと、すでに客を取った者でも美貌の遊女は、楼主の吩《い》いつけで大広間にかり出され、一瞬にして其処《そこ》は絢爛《けんらん》豪華な、美女が艶を競う一大歓楽境の趣きを呈した。そしてそんな駆り出された美形の華魁の中に、あの染野もまじっていた。  留守居役の先達《せんだつ》で、丁子屋にも顔が利《き》きいわばこの夜の連中の首領格だったのは大和郡山で十五万二千石、松平甲斐守の江戸留守居をつとめる大井権太夫という者だった。権太夫は四十過ぎの赧《あか》ら顔で酒癖が至ってわるい。 「各々、われらは元より吉原《なか》の遊びに狎《な》れ昵《した》しみ、今ではいささか食傷の心地さえ致しおるが、これまでには、ずいぶんと野暮な手合いが相手もつとめて参ったものよ。何故《なにゆえ》と申して、由来『帝鑑の間』詰めが藩には田舎侍が多うござる。されば江戸留守居を仰せつかり、公用の名にてかかる宴席に坐すは初めてなれば不粋なることおびただしく、しかも、女色にはガツガツいたして手がつけられん……、いや、今日までさような手合いをこの大井権太夫、ずいぶんと守《もり》をして参ったもの……有体《ありてい》に申そうなら、チト気疲れをおぼえてござる、ハ、ハ、ハ……」  はじめは明らかに主水正への、そんな厭味を言う程度で済んでいたが、次第に盃の数が重なるうち、 「オイ、新参」  どろんと濁った酔眼を主水正へ据え、 「貴様に申し聞かせおくことがある、これへ参れ……近う。参れと言うに」  露骨に、悪《にく》しみをこめて喚《おめ》き、その酒乱の悪癖を発揮しはじめた。  自然と座は白けた。  もっとも、田舎侍が多いと権太夫の喞《かこ》ったのは本当で、文政末年のこの当時、どういうわけか『帝鑑の間』の諸侯には遠く江戸を離れた在所の領主が多かった。曰《いわ》く松平佐渡守は雲州広瀬で三万石、榊原式部大輔は越後高田、牧野備前守おなじく越後長岡。戸沢大和守は出羽の新庄。内藤備後守|日向《ひゆうが》延岡。奥平九八郎は豊前中津、有馬左衛門|佐《すけ》越前丸岡。井伊右京|亮《すけ》が越後与板、内藤紀伊守越後村上、相馬長門は奥州中村、秋田信濃守おなじく奥州三春などである。  つまり江戸や近畿の賑わいを知らぬ田舎の育ちが多く、むろん留守居役を命ぜられるからには江戸藩邸に成人もしくは江戸の事情にくわしい者に限られているものの、国許《くにもと》の慣習は案外、根強く日常に保たれていて、同役ながら権太夫のような上方育ちには、どうかすれば、付き合いにくい面もあったのである。それがつい、愚痴になる。 「大井|氏《うじ》」  下総佐倉で十一万石、堀田相模守の江戸留守居役でほぼ権太夫とは同期の天野兵部というのが、さすがに、権太夫の酒癖の悪さには馴れているか、おだやかな語声で、 「お手前の言わんと致すところ分らぬではない、いや、われらとて赤木には一言申し入れたき儀これ有れど、まあ今宵かぎりで会わぬと申す相手ではなし、あように最早《もはや》めいていも致しおる。訓戒を垂れるは再《また》の機会にしてはどうかの」  言って、すばやく己が膳部の朱盃を取り、 「いま一|献《こん》われらよりつかわそう……遠慮のう、さ、飲むがよい」  おのが傍《かたわ》らに侍《はべ》る敵娼《あいかた》に、酌をせよと目くばせした。 「かたじけのうござる」  主水正は内心、忿《いか》りに腸《はらわた》が煮えかえるばかりであったろう、そもそも酒はもう一滴だに臓腑の寄せつけぬ苦しさであったろうが、新参者のかなしさ、且つはお家の為である、嘔吐《おうと》したいものをぐっと怺《こら》え、丹田に気合をこめて脂《あぶら》汗の浮くこめかみを懐紙でそっと拭ってから、末座を起ち、広間の中央を天野兵部の前に進み出て、静かに正坐し、 「頂戴つかまつる」  兵部と権太夫の間に華魁は禿をしたがえて坐っていた。権太夫の隣りにもこれは丁子屋の於職《おしよく》で東雲《しののめ》という年増が侍っていた。この夜丁子屋に登楼したのは七名であったが、中で権太夫と兵部だけが謂《いわ》ばそれぞれの敵娼《あいかた》の馴染客、他は戸田|采女正《うねめのしよう》(美濃大垣で十万石)の留守居|某《なにがし》ともう一人が裏《うら》の客で、したがって主水正をふくめた三名は、丁子屋には初めてというわけになる。  華魁は、たとえ馴染みの兵部の目くばせでも、自身で酌などするものではない、ましてや主水正が染野を一度は指名した客なのを彼女は知っていた。ゆっくり頭《こうべ》をめぐらすと側《そば》の禿に、「ちどり……そなた、お酌を」  と、うながした。 「アイ」  ちどりはまだお河童髪の|きりかむろ《ヽヽヽヽヽ》である、ピラピラのついた簪《かんざし》のくびをかしげ、小さな手に瓶子《へいじ》を把《と》って膝で進み出ると、 「おいらんがああ言うてなます……主《ぬし》え、あちきが注ぎいす」  透《す》きとおる可愛い声を張りあげて、酌をしようとした。  その時、 「ならん」  パッとおのが手にした盃を主水正めがけ、権太夫は、投げ付けたのである。 「これは」  飛沫がもろに赤木主水正の面《かお》に懸った。裃《かみしも》の肩にも酒の余滴を浴びていた。 「な、何を致されます?」 「何をじゃと? 見る通り酒をくれてやったワ。そうであろう、貴様に一献つかわそうと先ず存じたはこの権太夫、それを知りながら汝《うぬ》め、敢《あえ》て兵部が流れを受けんと致した、直《じき》に受けたのであればよい、兵部とわれらは同輩ゆえ見のがしも致す。しかるに、あろうことか、おいらんが直にもあらで禿輩が酌を貴様、嬉々と受けんといたしたではないか。  何たる軽佻《けいちよう》……そもそも『帝鑑の間』がわれら詰席に侍るわれら留守居役はの、同じ江戸留守居として『雁の間』『柳の間』詰めが徒輩とは違う、おのずから軽重の差と申すものがある。よって、貴様が軽々に禿ごときが酌を受くるは同列のわれら一統にも恥辱と成るゆえ」  ずいぶんと理屈に合わぬ口上である。 「権さま」  見兼ねて東雲がさえぎろうとしたが、 「黙れ、その方の出る幕ではないわ」  権太夫は大喝した。このへんが酒乱の悪癖なのであろう。  主水正は、武士の面体《めんてい》に物を投げつけられ、ようやく顔色が変っていた。 「ならば只今のを、お手前さまお直の酌と心得よと申されるか」 「おお、悪いか?」 「…………」 「それとも、貴様、おいらんよりじかに酌を受けてみるか? 新造や火車《やりて》ではない、吉原きってのこの丁子屋が華魁じきじきの酌じゃぞ。受けられるとでも申すか」 「もし……受ければ何と召される?」 「なに?」 「おいらんが身共に酌をいたしてくれれば何と?」 「おオ、貴様がような石部金吉に酌する遊女がこの吉原にいるなら珍重、いかさま、新参者がわれら老輩への挨拶代りと受理いたす。ただし、誰も酌をいたさぬにおいては、その分にはせんぞ。よいか」 「屹度《きつと》でござるな? きっと、酌を受くればそれを以て挨拶がわりと」 「言うにや及ぶ。武士に二言は、ないわ」 「──然らば」  主水正はここで面にかかった飛沫を、懐紙をとり出し静かに拭くしぐさをしながら徐《おもむ》ろに広間の隅へ目をやった。  そこには染野が居た。彼女も美しい眸《め》をキラと光らせて主水正を見た。  二人の眸《ひとみ》と眼がヒタと合った。  染野は、中津藩江戸留守居役某に侍《はべ》っていたのである。  それが、無言で、スーと前結びの帯に白い手をかけ、自ら、帯を持ちあげるしぐさで座を起って素足で、花やかな座敷着の裾前をさばいて静々と主水正のそばに寄って、 「わちきが酌をいたしいす……不調法なれど受けてくンなまし」  愕《おどろ》いたのは兵部であり、権太夫であった。 「華魁、そ、そもじ何ゆえ──」  兵部が糺《ただ》そうとしたら、 「ホ、ホ、ホ……」  染野は鉄漿《かね》の歯で玉をころがすような嬌声をあげ、 「兵さまとしたことが野暮を訊《き》きなはいますわえ。ここな主さんと、あちきは、突出し以来の裏でありいす」 「な、何と?」 「ホ、ホ、ホ……」     三 「そなた、何ゆえ身共をたすけてくれた?」  その夜|更《ふ》け。  たしなまぬ酒に苦しみぬいて嘔吐《あげ》るものはあげ、ようやく常の気分を取戻した主水正《もんどのしよう》が、ふと、腹這い、枕もとの煙草盆へ腕をのばして問いかけた。  そばには緋縮緬《ひぢりめん》の長|襦袢《じゆばん》一枚になった染野が、括《くく》り枕にうなじをあずけ、夜具のうちで彼に身をすり寄せて横たわっている。季節は冬である。冷《ひ》いやりとつめたい白い足が、そっと主水正の毛脛《けずね》をまさぐり膝を割りこませて来たので、彼とて木石にあらず、寝返って股間を布団に押しつけたのである。  不思議な女である。  あれほど、初会で冷淡に主水正を拒絶しておきながら、この部屋に入ってからは吐き気に苦しむ彼の背中をさすり、含嗽《うがい》の水を用意するなど親兄弟にでも仕えるように甲斐々々しく介抱してくれた。そこには得《え》も言えぬ真情がこもっていた。  彼女は、この前とは違う裾模様の上着、中着を着ていて、部屋に入ってそれらを脱ぐと、下着はまわり黒胴抜きの地紋に布いっぱい、竹の模様を山|繭《まゆ》で織り出し、それへ金、銀、色糸で雀《すずめ》を染め縫いにした上に、雪の降る様《さま》をちらした何とも豪奢《ごうしや》な衣裳をまとっていたが、それも惜し気なく脱ぐと七子《ななこ》の襟《えり》のついた長|襦袢《じゆばん》が、撫で肩のかくれるまでに襟を返してあるので一層、臈《ろう》たけてほそい首すじに映え、何とも実にあでやかな姿であった。帯は鹿の子の半幅仕立てを締めずに長襦袢へ巻きつけている。そんな艶姿《あですがた》で主水正《もんどのしよう》の着替えを手伝い、脱ぎ捨てられたものを部屋付きの禿《かむろ》や新造の手はつけさせずに自身で、何か大切なものを扱うしぐさで、叮寧《ていねい》にたたむと乱れ籠に納めたのである。それから、ためらう主水正をうながして先ず夜具に入らせ、自身は一たん次の間にさがって美しく寝化粧をしてから、再び戻るとそっと掛布団のすその方から主水正のそばに同衾《どうきん》した。行灯《あんどん》は、自分の背後《うしろ》に染野は置いていた。こうすれば客の顔が灯に照らし出され(染野自身は逆影になる)好もしい男の風貌を熟々《つくづく》見ることが出来、いわば遊女が客をどう思っているかの、廓内での一種の符牒になっていたが、むろん主水正がそれと気づく道理もない。  彼は、なぜ自分を助けてくれたかと問うたのに、染野が睫毛《まつげ》を閉じ、眠ったふりをしていつまでも答えないので、詮方《せんかた》なく一服つけた。煙草も元来、彼はそう好きではなかった。染野の衿《えり》もとからは脂粉の香と、おそらくは長襦袢に焚《た》きこんでいるのであろう、品のよい伽羅《きやら》の薫香が匂《にお》ってくる。松代藩で六百石取りの彼の妻でさえ、到底、手に入らぬそれは高価な香木で、いかさま吉原の華魁《おいらん》と申すは豪奢な暮しをいたすものかな、と内心、舌をまいた。  しばらくして又、彼は言った。 「そなたのあの砌《みぎ》り、身共とは突出し以来とか申しておるようであったが、突出しとは一体、何のことか?」 「それをきいてどうなさりいすえ?」 「別にどうと申すわけではないが、身共も留守居を仰せつかる身、今後のこともあれば一応は知っておかいでは」 「ぬしがようなお方、くるわのしきたりなぞいっそ何もご存じないがようおざんす」 「どうしてじゃ」 「そのほうが主らしゅうて、わちきには頼もしゅうおざりいすもの……ホ、ホ、ホ」  満更、冗談を言ったとはおもえぬ情をこめた眸《め》でわらいながら染野は、はずかしそうに口のあたり迄ふとんを引っ担いで、顔をうずめるように主水正の肩に寄せた。同時に、足の冷たい指先がまた毛脛をまさぐっていた。  彼の隆《たか》い咽喉《のど》仏がゴクンと動いた。 「それがしには妻《さい》のある身なれば」  いかに遊女相手とて、めったな間違いはおこせない、本気でそう言うつもりなのであろう。 「…………」  声にならぬ微《しの》びわらいを染野はした。それから、 「寒うおざんせぬか」  掛布団をかつぐようにして主水正の背すじへ蔽《おお》いかけ、そのまま腕をうなじにおいた。彼は直ぐ寝返りして仰向けになった。その動作で、染野はうなじから手を離したが、ごく自然に、それを彼の厚い胸から腹部、さらに下へとさげていった。寝返るはずみで彼の裾前は乱れ膝がしらが出ていた。それにてのひらをあてがうと、今度は、毛深い腿《もも》に添うて寝巻の中で手を這い上らせた。そうしながら 「ぬしはどうして、あのように短慮でありいすのじゃえ?」  さりげない話し方で、新参者はどこの世界でも皆、先輩にはいじめられる、でも多少の理不尽は聞いて聞かぬふりをするのが、ご奉公ではございませぬのかと言った。  これに対して主水正は、 「いかにもその通りではあるが」  主君をはじめに呼び捨てにされたので堪忍なりかねたのであると答えた。留守居同士の言葉づかいは、彼我は「お手前様」「自分」と言い、藩主のことは「主人」「旦那」「旦那様」とつかいわける、その藩のことは「お家様」と言うのがならいであるのに、権太夫は最初の料理屋『八百膳』での宴席で、「貴様の主人伊豆は」と呼び捨てにした。それが肚《はら》にすえかねていたのであると言うのである。  人間の話しぶりには、時に語調を聴くだけで快い感じをおぼえる場合がある。そういう不思議な魅力をそなえた人士がいる。さしずめ染野にとって主水正がそうであったらしい。藩公のことをそれからもポツリ、ポツリ主水正は話した。暗い天井を見上げ、隆《たか》い鼻すじの几帳面《きちようめん》な口もとで、時折、長いまつ毛をまばたかせながら話す。その横顔を間近に眺めているだけで染野は言い知れぬ心の安らぎと、陶酔をおぼえたらしい。彼女の手はもう彼の肉体の一部をまさぐっていた。それは本能のままに逞《たくま》しく勃《た》っていたが、そうされてもいっこうに恥じるではなく、肉欲をむき出しな行動に移すでもなく、自然児の大らかさで、手ばなしでそれを染野のいじるにまかせ、シワシワ、睫毛をまばたきながら話すのである。いかにも主君を慕う家臣の真情がその語声にこもっているのも染野の耳にこころよかったに違いない。閨事の爾前《じぜん》に男の逸物に手を出すなど、遊女とて華魁《おいらん》級ならせぬものである。元来、房事に彼女らは倦《う》んでいるが、そのことすら意とせず、染野は太い男の象徴を頼もしげに手でさわっていたし、主水正は彼女の為《な》すにまかせていた。 「ぬしの問いなまンした突出しでありいすけど……」  今度は染野の方が話し出した。こんなふうに言った──  突出しというのは、吉原で初めて勤めに出ることです、でも順序を立ててわかり易く申しましょうなら、いかにもお金のため苦界に身を沈めたようながら、いちがいにそうとばかりは限りいせん。それは、親のために身を売ったには相違ござんせんけれど、吉原へ売られてくればそれで直ぐ、遊女になるというものではありません。もともと、廓へは子供の時分に買われてくるのが多うございます。そうして先ず髪の|くせ《ヽヽ》や、万一、虱《しらみ》などついている場合の用心に、頭を剃り落し坊主にされてしまいます。これが禿の名の起りでござんしょうけれど、こうして坊主になっただけの子を、廓では�小職《こじよく》�と申します。小職の間は、ただ何となく毎日遊んでいるのですが、そのうちに廓の行儀作法や、|ざます《ヽヽヽ》言葉ぐらいは覚えます。すると、程を見て、華魁から、部屋によこして……と言われ、それぞれ華魁衆にこの小職は預けられます。その時、みどり、ちどりなどと差合いのない名がつけられ、はじめて禿衆となるのです。運や器量のよい子と悪いのとでは、大変な違いで、小職からすぐ禿衆になれる子もあれば、いつまでも小職でいる子があるものでした。  さてこうして部屋に預けられた禿衆を華魁はじめ新造が、蔭になり日なたになって他所《よそ》の禿衆に劣らぬよう一所懸命に育てるのです。衣裳は言うまでもなく、季節々々にふさわしい、見て派手やかなものを華魁がえらんで着せます、簪《かんざし》はピラピラの付いているのか平打を品よく挿《さ》させ、帯は呉絽《ごろ》か繻子《しゆす》などに縫いをしたのを巻帯にしめさせ、下駄は黒塗りの木履《ぽつくり》、一目で、目のさめるような厚化粧でした。  こうして禿衆の支度ができあがりいすと、おいらんが自慢で仲ノ町のお馴染《なじみ》のお茶屋などへお手紙ぐらいは持たせて出します、廓中の禿衆が皆、こうして美しゅう着飾って、長い袖をヒラヒラさせて歩きますゆえ、紋日には五丁町から仲ノ町にかけ、往来するそんな禿衆を見るだけでも、さすが花の廓と思えます、この禿衆を廓の人々も目にとめて、ちどりさんはいい禿だ、今にきっと大したおいらんになるだろうよと、噂するのが華魁や新造衆の耳にはいりますから、預かっている禿をほかの禿に負けぬよう心がけて育てるんです。あたしも七つの歳から、そうしてこの里で育ちいした。それから十五で振袖新造になり、三年の支度ののち、突出しを張ったんです。  その模様を申しましょうか、髪はご存じの立兵庫、挿物は笄《こうがい》が後六本はいずれもコトジ形、前六本は松葉型に、立挿、べっ甲の平打二本、櫛《くし》二枚、銀かんざし一本、これら拵《こしら》えもずいぶん重いものですから、自分の頭も自由に振れやしませんでした。そしてこれに、いよいよ本仕掛けの衣裳|拵《こしら》えをして、堂島と申し高さ一尺、二三寸の黒塗りの下駄を穿《は》いて、店の若い者の肩につかまり、しゃなりしゃなりと歩くんです、俗に申す八文字でありいすけど、この八文字を踏む恰好《かつこう》が容易に形のつくものじゃありません、これなら安心というまでに、先ず三年は歩く稽古をしなきゃなりいせん。  そうして、いよいよ仲ノ町へ突出しとなるときは、姉遊女に付き添われてそれはもう大変なものでした。仕掛の模様はおいらんによって銘々好みもおざんしょうが、一番見やすいお話をしますれば、肩に丹頂の鶴、背より裾にかけて蓑《みの》亀を縫い、その亀の蓑を金糸、銀糸、色糸をとりまぜて長くこしらえさせます、その長いことは堂島を穿いた高さより地面を四、五尺も引き摺《ず》るくらい、その金、銀、色糸の蓑の尾を惜し気もなく引きずりながら五丁町を廻り、仲ノ町の突出しのお客の茶屋まで行き、いざ茶屋に上る時になって、地面を曳いていた金糸、銀糸を、裾ぎわから鋏《はさみ》でプッツリと切って往来ヘサラリと捨ててしまいます。廓に突出しがあるという噂が近所に聞こえますと、そのおいらんを見ようと集まって来る見物は大変なもの、それも若い男とは限らず老人や子供もいます、その見物の子供は、華魁がお茶屋にあがって金糸が投げ捨てられるのを今か今かと待っていて、捨てられますとわれ勝ちに拾って、自分の使い料にするのを楽しみにしていたんです。ですから、茶屋の前は大変な人だかりで、私《わちき》が突出したときは……     四  主水正《もんどのしよう》の主君真田伊豆守|幸貫《ゆきつら》は江戸白河邸に、じつは松平定信の次男として生まれた。松代藩主真田|幸専《ゆきたか》には実子が無かったので、その女《むすめ》の入婿となって松代藩を襲《つ》いだのである。  幸貫は生来聡明英知、しかも父楽翁の薫陶をうけたから治国の要道は勿論、文雅の嗜《たしな》みも深く、武術は殊に堪能《たんのう》で弓馬、柔術、剣術を究め、身丈抜群、きわめて質素な服装で江戸市中を闊歩《かつぽ》し、華美優柔な当時の旗本子弟らを瞠目《どうもく》させて賢明の聞えが高かったという。  嘗《かつ》て真田家に入輿《にゆうよ》の前に、十万石の領内を微行して窃《ひそか》にその実情を視察し、農家に宿泊したことなどもその英邁《えいまい》の一端を物語るもので、文政六年、家督をついでからは為政に方《あた》って先ず厳に華美虚飾をいましめ文教を興《おこ》し、武備を整えて以て藩風の刷新を図ったが、自ら卒先して常に木綿の衣服に小倉の袴をつけ、もっぱら華を去り実用を旨としたから、重臣以下一藩の士庶みなその風を倣《なら》うに至ったといわれる。  幸貫はまた文武の奨励に意を注ぎ、殊に藩の子弟の褒賞規程を定め、四書五経の素読ならびに講義に処せしめるかたわら、それぞれ身分に応じて書籍金銀を与え、日を定めて家老を臨席させて『御聴き』と名づける考査を受けさせ、成績優良の者には惜しみなく賞与をあたえたから家士ら一そう文武に励んだという。つまり人材の養成には千金を費すとも吝《おし》まなかったのである。  このほかにも目安箱を設けて言論発表、民意進達の機関たらしめたことなど知られた事蹟であるが、ともかくも、主水正《もんどのしよう》はそんな英君に信任され江戸留守居を仰せつかったのである。もともとが、彼もまた江戸に生れ、白河邸より主君に随って真田家に入ったので、本来なら吉原の大門を一度はくぐっていて不思議はない。それが、至って醇朴《じゆんぼく》な、おいらん染野にかえって好意をいだかせる質実さを失わなかったのはつまりは主君伊豆守の士風に昵《なじ》んでいたからであろう。  武士は、いかにその道の好き者とても外泊することはない。いつ御家に大事が起るか知れぬからである。でも江戸留守居役だけは例外とされ、そのかわり四枚肩の駕について駆けた草履取りを、妓楼を確認させてから帰邸させたという。それでも、役目がらとは言い条、妻女の嫉妬をおもう気づかいは又べつか、余程のしたたか者でない限り外泊することは先ず無かった。  その外泊を、質朴の士・赤木主水正はしたのである。何処《どこ》に泊ったかは草履取りが報告している。 「お帰りなさいまし」  宿《ふつか》酔いのどこかに残った沈鬱の面持《おももち》で、主水正が一たん藩邸に立戻ったあと、同じ邸内お長屋添いに別棟で建てられた居宅に帰ると、妻女はまだ初々《ういうい》しい丸髷姿で、淑《しとや》かに玄関に迎え出、無言で彼が腰からはずす差料を兼て用意の紫の袱紗《ふくさ》で受取り、夫に随って廊下を奥へ入った。 「変ったことはなかったか」  途中、主水正は低声《こごえ》に問いかけた。 「ございませぬ……なにも」 「さようか」  主水正の顔色は冴えない。昨夜と同じあの袴姿である。居間に入って早速それを脱ぎにかかると、足もとにひざまずいて、妻女は甲斐甲斐しく脱ぎ捨てられるものを受理した。彼女は終始無言であった。二年前、媒酌する人があって紀州藩士の実家から主水正のもとに嫁《か》して来た。眉《まゆ》の剃り跡のまだ青々とした、鉄漿《かね》よりはいっそ皓歯《こうし》の似つかわしい容貌で、年齢は二十二ながら五丁目小町(紀伊藩邸は麹町五丁目にあった)と評判の美人の故か、未《いま》だにまだ新妻のういういしさが黒眸《くろめ》のかかった目もとやその容姿には匂っていた。名を千世といった。  千世は夫の着替えを手伝ったあと、あらためて前にまわって正坐すると、三ツ指を突いて、 「お役目大儀に存じまする」  深々と低頭してから、「……あなた、白湯《さゆ》なと持参いたしましょうか」 「そうじゃな」 「────」 「あ、待て。その前に是非そもじに申しおくことがある。じつは拙者昨晩、生れて初めて吉原と申すへあがったが、単に登楼いたせしにとどまらず、遊女がねんごろな情というを、はじめて受けて参ったぞ」 (……それで?)  と言わんばかりに千世の眸は夫を見上げて笑っている。かくし事をせぬ彼の一本気な気性は、誰よりも千世が一番よく知っていた。 「そもじ、笑うておるな」  妻の視線に、さすがに主水正は眩《まぶ》しそうだが、これまた他意はない。 「いかがなものであろう、折角、まごころこもる持てなしを受けたのであれば、相手が遊女とて、礼を致さずばなるまい……どうするがよいかの?」 「────」 「思い違いをいたすな、情というは申さば遊女の心意気、拙者あやうくお役御免にもなりかねぬところを、染野と申す遊女が機転に救われたのじゃぞ」  仔細を主水正は明かしたのである。  今朝がた、夜も白々と明け初める頃であった。いつとはなく、寝物語のうちに彼が眠り込んでいたが、 「モシ、……主さん、起きなんし」  染野が肩をゆさぶり、昨夜《ゆんべ》のこともあり、今のうちから権太夫のねむる東雲さんの座敷へ行くがよいと言った。  新参者は、遊廓に泊った暁には諸先輩が敵娼と眠る部屋へ行き、廊下にかしこまって恭《うやうや》しくご機嫌伺いをする不文律があるという。これを怠ったためにずいぶんと無理難題を吹っかけられ、挙句、かんにんなり兼ね刃傷沙汰《にんじようざた》に及んだため、とうとう役目がつとまらず、割腹して詫びた新参者がいたと。  聞いてその陋習《ろうしゆう》の甚だしいのに主水正は唖然《あぜん》としたが、そう明かにされれば行かざるを得ない。早速、衣服を身につけ改めて染野の案内でおいらん東雲の部屋の前へ出向き、廊下に正坐し権太夫の起き出て来るのを待った。ずいぶんと長い、それは屈辱と忍従の時間であったが、そうと察してか室内では却って権太夫は敵娼に戯れて、女に喘《あえ》ぎ声など出させなかなか起き出ては来なかった。あまつさえ、一段落のあと、聞こえよがしに主君伊豆守の節倹を吝嗇《りんしよく》がましい行為と非難していた。この時もし染野が気づかって、自分の打掛けを手に再び姿をあらわし 「寒うはおざんせぬかえ」  そっと肩に着せかけてくれなかったら、いっそ、室内に斬り込みを懸けたか知れなんだと、主水正は言ったのである。 「遊女がうちにも心|映《ば》えに実《じつ》なるは居るものよ……のう千世、そもじそうは思わぬか?」     五  ふた月余りが過ぎた  いつか主水正も新参者ではなくなり、江戸留守居の役目にも馴れたか、水|温《ぬる》む陽気とともに一時は沈鬱《ちんうつ》だったその面《かお》色も晴れ晴れとして、以前にもまして大らかで質朴な人柄を家庭で見せるようになった。  これには主君伊豆守お直《じき》に、 「主水、つらかろうが辛抱いたせよ」  ねぎらいのお詞《ことば》を賜ったことも大いに与《あずか》って力があったが、今では公用の会合に出席はするものの、宴会が了《おわ》れば立ち所に帰宅して 「どうもな、宴席にての談話は、せいぜいが当り障《さわ》りのない世間|咄《ばなし》、けっして公用に話題の及ぶことはないゆえ、無駄遣いばかり致すようで殿に申訳がないわ」  苦笑したり、 「千世、身共には料理屋が菜より、そもじ手づくりの味が|いっち《ヽヽヽ》口に合うようじゃ、役目がら、この儀、よろこべばよいのか、嘆けばよいのかの、ハ、ハ、ハ」  楽しそうに笑う。  千世の態度は、以前も今も変らない。 「そう仰有《おつしや》って下さいますと、わたくしの方こそ、喜びましてよいのやら、どうやら……ホ、ホ、ホ」  或る晩のこと。  何事にも従順で淑《しと》やかなそんな千世が急に、夫婦のいとなみを辞退したいと言い出した。  ついぞ無かったことなので主水正はおどろいて、 「どうした? どこぞ加減でも悪いか」 「…………」 「そう言えば顔色がチト冴えんようじゃが、わるいのかどこぞ?」  千世は面を俯《ふ》せて黙っている。武家育ちのたしなみとして当然ながら、彼女はこれまで鼾《いびき》ひとつ掻いて寝たことはなかった。幼女のころから、奉書紙を口に咥《くわ》えて眠る習慣をつけさせられた。  女があんぐり口を開けて眠入るなど、あるまじきことだからである。口をつぐんで寝るなら居ぎたない鼾をかくこともない。  年頃になると又、両足を紐《ひも》で縛って眠らされたという。いかに熟睡するとも女が大の字に脚をひろげて寝るのは見苦しい。そういう不様な寝姿では夫に愛想づかしをされる、それで、千世に限らず良家の子女は脚は常に合わせ、せいぜい両膝を曲げて横臥の姿勢で眠るよう習慣づけられて育つ。  枕を取りはずして熟睡するのなぞ論外の沙汰である。  そんな、つねにあられもない姿は夫に見せぬよう躾《しつ》けられて成長したのだから、夫婦の交わりで、はしたない声をあげたことはない。どれほど、夫の愛戯に愉悦を感じようと、こきざみに身を顫《ふる》わせるか、しっとり汗ばむことで閨房の歓喜をあらわすにとどまった。それが武士の妻の虔《つま》しさであり、奥床しさと、母に教えられ、自らも心掛けて閨《ねや》に入るのである。いかに性技をほどこされ春情|兆《きざ》すとも、夫に抱きつくようなはしたない真似は武士の妻はしない。  久しくお声がかからぬからといって、我から挑んでゆくようなあられもない欲情を、無論、夫に見せる道理もない。生身《なまみ》の体ゆえ、時に淫情に悶《もだ》えるとも我慢をするのが貞女とされた。そのかわり、夫の要求があれば、嬉々とこれに応じるのも亦《また》、人妻の艶やかな風情と考えられた。  しかるに千世は、夫の要求をこばんだのである。理由はどうあれ、それは夫婦愛の拒絶と看做《みな》される。頃日《けいじつ》、たしかに顔色はすぐれないが、病いに臥せった様子はなく、ましてや月の障りのはじまるまだ期日ではない。 「なぜ黙りこんでおる、千世、わけは何じゃ」  主水正と千世は、ふだんは同じ室には眠らない。襖《ふすま》をへだてた隣室に千世は寝る。その次座敷が衣裳|箪笥《だんす》など据えた彼女の化粧部屋になっていて、主水正の声が襖越しにかかると、それが何|刻《どき》であっても、千世はパッと目を覚まし、一たん、化粧の間に消えて、寝化粧をし、髪を綺麗に撫で付け、寝巻も好《よ》い分に着替えてから、枕を携えて隣室に入り、夫の傍《わき》にそっと坐るのである。すると主水正は、夜具の中で身を横にずらして掻巻を持ち上げる。主水正の目は無言でこの時わらっている。千世も羞じらいがちな微笑を双眸に湛《たた》え、夫の誘いにみちびかれて静かに側《そば》に臥せるのである。夫婦《みようと》になって二年余、一度としてこの順序のかわることはなかったのに。 「……あなた」  ようやく、千世が愁いを含んだ眸をあげた。ふだんの通りこの夜も夫のそばに来て坐って、だが掻巻の中に入ろうとはしなかったのだ。 「わたくし、痛むのでございます」 「痛む?……どこがじゃ」 「────」 「千世、一体そなた……」  言いかけたのが熟々《しげしげ》、妻の面《かお》を見入るうちに、 「や」  咽喉仏がゴクン、と大きく動いた。 「千世、いつから痛む?……申してみよ、いつじゃ」  千世は早や眸をうるませ、怨ずるごとく夫を瞶《みつ》めるだけで、答え得ない。主水正の顔面はようやく蒼白になっていた。 「そうか……わ、わかったぞ……アレが、痛むのじゃな。千世、許せ。身共も思い当る。悪い病いに罹《かか》ったに相違ない。身共からそなたへ感染《うつ》ったに相違……」  千世は再《また》かおを俯《ふ》せ、もう二度と得《え》あげない。我知らず主水正は掻巻をはね除け猿臂《えんぴ》を伸ばして、妻の膝に置かれた手を鷲掴《わしづか》みした。冷たい手であった。小刻みにふるえていた。俯せられた面《かお》からあふれ落ちるものが主水正の手の甲に雫《しずく》した。 「こらえてくれ、のう、身共が軽率であった……もう何も申さず、怺《こら》えてくれよ。千世」  千世は微《かす》かにコックリしているが、肩で怺える嗚咽《おえつ》は少しずつ大きくなっていた。  信じられぬ罹病《りびよう》である。  ちょうど一カ月前、意を決して主水正は廓を訪ねた。急場を救われた謝礼のためである。主君じきじきに労《ねぎら》いの言葉をたまわったとき、主水正はこのことを決意したのである。  染野の喜びは傍目《はため》にも可笑《おか》しいほど、ソワソワと浮き足立って彼女は落着きがなかった。 『うらを返さぬは男の恥』  と云う嫖客の言葉があるが、そんなことを主水正は顧慮だにしていない。遊びを目的で来たのではない。薄謝として金子壱両を包んで持参したのである。華魁の揚代、一夜、ほぼ一両が相場と知ったからである。  でもそんな主水正を、妓楼の方でハイさようでございますかと、かえす道理がなかった。先ずまずはと二階座敷へあげられ、やがて心なしか瞼《まぶた》を赧《あか》らめ気味な染野が、着飾って艶姿をあらわした。彼女は心底、主水正の裏《ヽ》を喜んでいるのがありありと分った。彼女のうしろには、常のように新造、禿がぞろぞろと踉《つ》いて来ていた。  染野自身は、毛頭、主水正に負担をかけるつもりはなかったろう。むしろ喜んでこの晩の遊興費は自分が持つつもりでいたにちがいない。  遊女と客の立場を離れ、だから真心を尽くして彼女は主水正に接した。そういう時、女性の放つ美しさを見落すほど主水正は鈍感でなかったのが、悲運をまねいたことになるのであろうか。 『取りはずす』という遊里語がある。『仕落ち』ともいう。遊女は客との房事で、感きわまった風に絶頂感《アクメ》の擬態を演じるのが常であるが、時に思わず本当に気をやってしまうのを『仕落ち』といって彼女らは恥じた。しかし遊女にも好もしい相手はあり、そういう客を迎えたときは、むしろ求めて気をやりたいのが自然の情である。そんな時、『横取り』がよいと遊女らは言っていた。二つの意味がこれにはこめられていた。  遊女は、売れっ妓であれば絶え間なく客を迎え、腹にのせる。せめて自分のいとしい殿御との媾合には、そういう習性を脱し、横取りで交わりたいのが一つ。  もう一つは、この体位はからだも比較的楽であり、長く楽しむことが出来る上に、何よりも日頃は客に封じている手の動きを自在にして、おのれの妙所を存分に弄《いじ》ってもらえるから、と。  染野がそれで横取りを欲したのかどうか、主水正が知るわけはない。主水正はそういう体位で男女の交われることすら知らなかった。彼は驚いた。更に、妻とは比較にならぬ快感を染野の肉体は感じさせることを知った。  遊女の手管《てくだ》とやらを彼女が用いた故であろうと主水正は判断をした。おそろしい誘惑であった。二度と吉原へは近づくべきでないことを心に誓って彼は丁子屋を、だから、出たという。     六  赤木|主水正《もんどのしよう》が松代藩江戸留守居役を罷免されたのは、江戸近郊にチラホラ桜の咲き初める頃である。  罷免のことはその日のうちに各藩留守居役まで通達されたが、誰もその理由を知る者はなかった。他藩の士に限らない。おそらく同じ松代藩内にも、伊豆守をのぞいて真相を知る者はなかったろう。  伊豆守は委細を聴き取ると、ふびんそうに少時、主水正を見遣って、 「そちを登用いたしたは予が誤りであったようじゃ、主水、ゆるせよ」 「勿体《もつたい》のう存じまする」  主水正は畳にひたいをすりつけて平伏のまま容易に面をあげ得なかったら、 「したが、主水、浪人はならんぞ。夫婦して子の生めぬ体になったは不憫《ふびん》であるが、折角、養生をいたすがよい。不治の病いとは限るまい」  遊里ではそれは『とや』(梅毒)と呼ばれ、いっそ罹病の経験者の方が岡場所へは高く売られたという。一たん患ってしまえば二度と稼業を休む心配はないからであろう。そういう性質の病気なのであろう。  でも、染野の場合は、吉原で一流の華魁であった。客すじは十分吟味されていた。それが保菌者と知らず交わったとは不運であり、その潜伏期間中、只一度、情を交した主水正は更に不運だったと言わねばならない。千世に至っては更に更に哀れである。  ただ不幸中の倖《さいわ》いともいうべきは、千世が紀州藩士の女《むすめ》であることであった。  梅毒の治療法は、垂涎《すいえん》療法なるものが和蘭《オランダ》人によって日本に齎《もたら》され、これを会得した日本で唯一人の医家が紀州|粉河《こかわ》に住んでいた。佐野氏といった。佐野氏は代々、この療法を家伝の秘法として子孫に伝え明治に至っている。いわゆる六〇六号(サルバルサン)による治療法が世界に普及するまで、だから邦国で梅毒患者を治癒できるのは佐野氏をおいてなかったし、鼻の欠落するような患者は、紀州領内にはお蔭で一人も出なかったという。  千世はこの佐野氏の遠縁にあたったのである。梅毒菌《スピロヘータ》の恐ろしさをそれで幼少時分から聞かされ、夫の主水正よりは知っていた。 「紀州へ参りましょう」  彼女は決意を面にあらわして言った。家人に昔きいた話では、何でも佐野氏が家伝の妙法で製した線香を焚《く》べ、終日、烟《けむ》りを鼻さきにくゆらせて、けむたいから泪《なみだ》や涎《よだれ》をボロボロ流すうちに、体内の毒も流出するのだという。 「その治療を受けてみましょう。わたくし一人なら、どうなってもようございますが、あなた様は大切なお体、それに、このままでは赤木の家は絶えてしまいます。それがおそろしゅうございます」  今は恥や外聞を気にしている場合ではないとも千世は言ったのである。 「そうじゃな」  言われて、主水正に駁《ばく》すべき何程の理《ことわり》もない。彼は妻の言に従うことにした。主君に一切を言上してお暇を乞うたのであった。  ──半年後、紀州粉河の佐野家の一室に、夫婦並んで、それぞれ線香を鼻先に立て、その煙りにむせぶ姿が見られるようになった。長くはだが続かなかったという。いかに何でも夫の面前で洟水《はなみず》を垂らす無様《ぶざま》さを千世は見せるに耐えられなかったのであろう。病苦よりその精神的苦痛に苛《さいな》まれたのであろう、一夜、千世は縊死《いし》していた。主水正は遺書とその骸《なきがら》を前に、男|哭《な》きに泣いてしかも鼻先に線香を立てつづけていたという。知る者ぞ知る、これが武士である。 [#改ページ]  紅《こう》  帳《ちよう》     一 「どうしても無理なのかえ」 「当りめえよ。いくら想《おも》いの丈《たけ》を募《つの》らせたからって、廓《くるわ》を一歩も出られねえのが吉原《なか》のならいだ。身請けをされるか、年季が明けねえかぎり、遊女は天紅《てんべに》の文でも寄越《よこ》さねえことにゃ、|こち《ヽヽ》とらとは意《こころ》も通わせられねえンだ」 「その文を、宇之《うの》さんが読もうともしないんじゃねえ」 「箆棒《べらぼう》め。読みたくったってあんな御家流の字が魚屋に読めるかよ」 「そりゃそうだろうけど、斉木《さえき》先生だっていらっしゃるじゃないか、先生はご浪人だよ、遊女の字ぐらい」 「わからねえ嬶《かかあ》だ、情人《いろ》の手紙を人さまに見せに行く宇之吉かよ」 「アラ、今いろと言ったね、そいじゃ出来てたのかい?」 「知るかよ。喩《たと》えを言った迄《まで》だあな」 「そうだろうねえ……けど、痛々しいねえ……二人は、もとはあんなに」  衿《えり》もとへ片手を女房は差しいれ、いっぱし、思い入れの科《しな》だ。 「チッ」  見兼ねて亭主は仕事に飛び出した。  ここは神田八軒町の裏長屋。お旗本岡金之助のお屋敷とは五丁と離れていない。  宇之吉は、お屋敷へもと出入りした魚屋である。同じ長屋で隣り同士の浪人斉木新左衛門とともに、ふだん口かずの少ない、偏屈者で通っていた。それがお屋敷の奥女中と懇《ねんご》ろな仲と知らされたとき長屋中は大騒ぎになった。もともと、無口ではあるが苦味走って却々《なかなか》の男前で、三十近い今日まで浮いた話ひとつないのがむしろ不思議。 「宇之さんは不具《かたわ》じゃないかねえ」  井戸端で女房どもは日に一度は話題にしたものである。それだけに、 「不義密通」  と聞かされて驚倒し、でもどんな相手はお女中なんだろうと、そこは口さがない連中のことで、お屋敷に出入りの植木職人や又者《またもの》にたずね回る傍《かたわ》ら、亭主の尻を小突いて直《じか》に宇之吉からも事情を聴き取ろうとした。──結果、 「不義密通などとは飛んでもねえ、おいらただ口をきいただけだ」  口の重い宇之吉がポツリと洩らしたという。  でも、岡金之助の屋敷では、 「身分もわきまえず密通に及びし不届者」  と、以後、屋敷への出入りは差止め。相手の女中のほうも 『|やッ子《ヽヽヽ》』  にしてしまった。 『やっこ』というのは、 「いにしえ武家方にて不義などありし婦人を、いましめのためとて、五年或は三年の年期にて、この里(吉原)へ勤めに出すを言うなり」  と古書にあるが、『やっ子』には身の代《しろ》金というものはなく、無償で遊女稼業を強制される。天保末年のこの時代、官から引渡しを受けると吉原の楼主たちは、競争入札をするのが例で、美貌の女であれば四十両、五十両の値をつけた。  件《くだん》の女中は名を静《しず》といった。何と、前代未聞、百弐拾両の高値で『小文字屋』に落札されたという。  もっとも、こうした落札の金は積立てておいて、遊廓内の費用にあてるかたわら無事、満期までつとめた女には手当金として幾らかが与えられるが、いずれにせよ、『奴《やつこ》』というこの名称は幕府が刑名としてつけたもので、法令に背き売春行為をした女に、禁錮の代りとして吉原へ送り下げ、奴隷の婢として労役に服させるのを目的とした処から起っている。したがって、取締りの網にかかった淫売やら夜鷹が送られることはあるが、堅気な者の女房・娘が「恐れ乍《なが》ら」とお上《かみ》にその素行を訴え出られることは皆無にちかく、ましてや武家屋敷でそういう例が近年あったためしがない。  たいがいは、世間体を恥じ、あるいは家名をおもんじて内々に処分するか、妻なら離縁状を叩きつける。武家であれば不義は法度《はつと》ゆえお手討ちである。  静のような素人《しろうと》娘で、武家奉公に精勤していた女性が、突如、一夜にして遊女になるなら、好き者の興味を煽《あお》らぬ道理はなく、前代未聞の値がついて当然だろう。ましてや男好きのする顔立ちで、色は白く、美人で年はまだ二十一。 「百弐拾両が参百両だって安いやな」  長屋の連中は一時この話で持ち切りだったし、はじめは「不義密通」に多分の嫉妬をおぼえた女房どもも、静が|やっ子《ヽヽヽ》に落とされたと聞いて俄然、同情し、 「お武家はいやだねえ。そう迄しなくったって、いっそ宇之さんに添わせてやりゃいいじゃないか。にくいよ」  更に苦界に女を沈めた静から、天紅の文が届けられたと聞いたときには、思わず涙ぐむ者までいた。天紅の文とは、遊女が馴染みの客に出す便りで、巻紙に、いろいろ想いのたけをしたためたのを、巻きおさめ、その手紙を口紅を含《ふく》んだ唇に咥《くわ》えて、何卒《なにとぞ》これが主《ぬし》の手にとどき、読み次第きっと来なはいますようにと、二度、文に息を吹きこんで封をするという。そうすれば客はかならず来ると遊女らは信じていたそうだ。  同じ客を誘う文でも、この口紅のついたのは特別な懐《おも》いをこめたしるしで、華魁《おいらん》から天紅の文が来たとなれば、世の男は得意になって町内の床屋から、風呂屋と披露して廻り、 「見てみねえ、ただの文じゃねえ。天紅だぜ」  長屋暮らしの貧乏人に、高級遊女へ入れあげる分限《ぶげん》者がいる道理はなし、噂には聞いていてもそんな文なぞ誰も見たものはなかったのに、それが届いた。 「宇之の野郎、何て果報者だ」  事情は知りながらそう無責任に羨《うらや》むのは男のほう、 「先生、なんとかなりゃしませんのかねえ」  女房連は今ではすっかりお静に同情し、肩入れしていて、彼女のために宇之吉の煮えきらないのを口惜しむのである。 「さよう、身共とていささか不憫《ふびん》とは存じ申すが、なにぶんにも、その……」  斉木新左衛門は独り暮らし。山羊《やぎ》ひげの生えた、今ではすっかり世帯やつれして、大小さえ中身は竹光ではあるまいかと長屋の者は蔭口している。年も、どこの御家中を浪人したのかも知る者は裏長屋には誰もいない。九州|訛《なま》りがあるので、西の御仁《おひと》だろうと想像する程度。  宇之吉は、似た者同士の所為《せい》か、この傘張り内職の他に近所の忰《せがれ》共へ読み書きを教えている先生とは、割合ウマが合ったらしい。めったに笑顔も見せぬ男が時には、残り物の魚など届けて土間で立話をしていることがあった。どうかすると別れぎわの白い歯を見せたままで表へ出て来た。  もっとも、お静との一件がうわさに立ってからは誰よりも新左衛門と顔を合わすのを、宇之吉は避ける様子があったが。それも併《しか》し当座の間だけで、今では、旧《もと》通り売れ残った魚をだまって届けている。  大久保彦左衛門の昔に、一心太助という意気の好い魚屋がいたと講釈師は語るが、多分、宇之吉みたいな男だったろう。 「ね、先生、そうでござンしょう?」  魚を置いて出て来るのを横眼に見て、もう一軒向う隣りの|のり《ヽヽ》売り婆さんが、貧乏なのは同じ、偶《たま》には尾頭《おかしら》つきの生魚にあやかりたいと、|やっかみ《ヽヽヽヽ》根性まる出しの皺面で新左衛門のところにやって来る。 「さ、さようであろうな……」  新左衛門は狼狽《ろうばい》赤面して、おすそわけをするが、 「いえネ、あたしゃ何も」  口で辞退しながらもすっかり上機嫌で、にわかに饒舌《じようぜつ》になるのが老婆の癖であった。 「あたしゃこの長屋に住んで四十年になりまさアね、大家《おおや》さんにだって聞いておくンなさいまし。ですから、たいがいのことは知ってるこのあたしもネ、先生と、アノ宇之吉さんだけは、生まれは何処の何者なんだか……。ねえ先生。あんなに宇之さんは先生と近づきになってンですから、先生なら知っておいでなんでしょ、宇之さんがこの八軒町長屋へ移って来たなあたしか七年前だった。あたしゃ覚えてますとも。その翌|年《どし》にゃ先生が引っ越しておいでだったもの……。  あたしゃね、たいがいのことなら世の中の裏のうらまで知ってまさアね、宇之さんが一心太助だって、講釈じゃあるまいし今どき、お旗本のお屋敷に他所《よそ》者が出入りできるわけなんざありゃしません、ましてアノ静さんは奥女中だったてえじゃありませんか。下働きなら知らぬこと、上《かみ》女中が魚屋ふぜいに顔など合わしっこありゃしません。それが密会したてえンだから。……長屋の連中は気がつかないかも知りませんけどね、あたしゃ、これには深い仔細ありと、あのうわさが立った時からにらんでンですよ。  先生だって、お武家なんだから、同じ不審はおもちでござんしょ? お聴きになったンでしょ? 明かしておくンなさいよ。あたしゃこう見えたって口は固い女なんですからね。他言はならぬってことなら、絶対しゃべりゃしませんよ。ねえ、教えておくンなさいましな。わけは何なんですか?」     二  おはぐろ溝《みぞ》と吉原では曰《い》う。  遊女もだんだん売出して名が知れるようになると、皆オハグロを含む。この鉄漿《かね》をつける時には半挿《はんぞう》というものにうがいをするが、鉄漿をすっかりつけ終ると、含嗽《うがい》した水はかなりな量となり、その水を吉原中のどの妓楼からも流し出すから自然、溝《どぶ》の水の色もお歯黒色になった。  遊女に鉄漿を含ませるまでには、嫖客のほうはなかなかの散財で、なまやさしい金では歯を染めさせることは出来ない。金を湯水のように使ってこそ、立派な華魁《おいらん》が育つので、その金と鉄漿をかけて『おはぐろ溝』と俗にいった。  この溝は廓《くるわ》の周囲にあたかも城郭の濠《ほり》のようにめぐらされている。平生は、溝の巾《はば》半分までがハネ出し、その先半分をハネ橋にして、廓に出火などの大事でも起こらぬかぎり橋は吊り上げて、誰も出入りのできぬようになっている。つまりお歯黒溝を境に遊女は世間からへだてられ、一歩も出ることはかなわない。  お静は、小文字屋では異例の『引込み新造』にされた。引込みというのは、禿《かむろ》で特に器量のよいのが十四五歳になると、内所(帳場、主人のいるところ)でそだてられ、いわば家つき娘格で、黒桟留《くろさんとめ》の振袖に紫の麻の葉小紋の帯をしめ、金柑《きんかん》のほおずきなど口に鳴らして、禿の役をやめて引っ込み、新造女郎として客に接する。  家つき娘格だから、|おうめ《ヽヽヽ》、お松などと俗名をそのまま用いて、源氏名を呼ばないのも慣例で、このほうが同じ遊女でも何となく素人《しろうと》っぽい趣きがあり、それだけ客の淫欲をそそるのを見込んだ楼主の奸智によるものだろう。お静には、まさに打ってつけの売出し方と言わねばならないが、それでも、やっ子が『引込み新造』とは破格の待遇で、古参女郎らは一斉に不満をとなえ、反撥し、挙句の果てはお静に突慳貪《つつけんどん》に当たりちらし、ずいぶん厭味《いやみ》な意趣晴らしをする遊女もいた。これも人情であろう。  小文字屋ではだが、そんなことには頓着なく、大々的にお静を売出したから、忽《たちま》ち彼女は吉原きっての流行《はやり》っ妓になり、わずか半歳でお歯黒をつけ、留袖の身になった。部屋持ち女郎である。いわゆる|廻し《ヽヽ》を取るようなのは振袖新造といって、若いだけが取柄《とりえ》で、まだ部屋を有《も》たない。それが一人前になると振袖《ヽヽ》が留袖《ヽヽ》に変り、自分用に部屋(私室)を与えられて其処《そこ》で活花や習字の稽古もし、部屋付きの禿などもこの身分になって主人から預けられる。  お静は、いわば廓内で破格の出世をしていることになる。彼女の表情が、だが、こころから晴れたことはなかった。だれも知りはしない。  静は『相《あい》の山お兼』の娘であった。  伊勢皇大神宮のほとりに、相の山という所がある。そこに葭簀《よしず》張りで小屋掛けをして腰をかけ、三味線を弾きながら参詣人の注目を集めていた美人がいた。  静の母お兼である。  お兼はただの遊芸人ではなくて、参宮|詣《もう》での人が投げ与える銭を巧みに撥《ばち》で受け止め、或は膝に叩き落してけっして顔や躰《からだ》に当たることがなかった。  それが大変な人気を呼び、お伊勢参りをした江戸市民のあいだにも評判になって、お伊勢さんに参ることよりお兼の巧者な撥さばきを見物したくて出向く不埓《ふらち》者までいたという。  評判は評判をよんだ。武芸の心得がなくて為せる技ではないが、いかに名人のお兼でも、多数が一度に銭を投げては悉《ことごと》くを払い落せるものではない。彼女は三味線を弾きついでいるのである。  でも、見事に叩き落してくれねば今度は客の方が面白くない。せっかく、お兼の早業を楽しみにやって来た甲斐がない。そこで、誰が定めるともなく、三人以上は同時に投げないという不文律のようなものが生じた。  三人までなら、たとえ一斉に投げつけても、ことごとくをお兼は打ち払い、しかも音曲を途絶えさせないのである。  ところで三人の中に、不思議と、武士の加わることはついぞなかった。武士とて神州男児であれば伊勢参宮に詣でる。わけて致仕後、家督を忰にゆずった隠居がそうである。でも、従者をしたがえての身分あるそういう老人ほど、また武術に堪能の士ほど、遊芸人輩を相手にするのは大人《おとな》気ないと感じてか、あるいは身分をわきまえてか、ふと足を停め、お兼の妙技を見るだけで、すぐその場を去って往く。中には、女に似ぬ早業に感嘆おくあたわぬ面持で、暫《しば》し、立ち去りかねて撥を持つ手を熟視する老人もあれば、ニヤリと意味ありげな笑をうかべ、従者をうながしてあっさり見物から離れる士もいたが、なんにせよ、武士が投銭に参加した例はなかった。  したがって、妙技といっても所詮は酔狂な庶民相手のなぐさみごとで武術としてどの程度通用するものかは分らない。──もっとも、武士と一緒では投げる方も気が重くて、お兼の妙技を試す気にはならないだろう。  或る日のことである。  武士の二人連れが、従者を随えて見物に立ち混っていたが、 「伯父上」  青年のほうが、手甲の手で編笠をちょっと押し上げ、伴《つれ》をかえり見て、 「女子にしてはなかなかの呼吸ですな、ひとつ、試してみましょうか」 「おとな気ない、止せ」  老武士らしい声がたしなめたが、青年は介意せず見物を押し分けて前に出て、 「身共も加わるぞ、女、よいか」  お兼は三味線を弾いていた。葭簀張りの小屋の中に彼女ひとり。小さな牀几《しようぎ》を据えてそれに浅く腰をかけ、身扮《みなり》は鳥追に似たいでたちである。ただ、笠はかぶっていない。それどころか髪は島田に結って、花かんざしを挿し、それへ白の鉢巻をむすんでいる。それから、赤い前垂《まえだれ》を膝前に掛けている。  お兼は三味線を弾きつづけながらじっと旅装の武士をみつめた。この時すでにお兼はお静を産んでいたが、歳はまだ二十二。凄《すご》いほどの美人である。  投げていた三人は、とび入りに武士が加わったのを見て怖気《おじけ》づいたか、立ちすくみ、投げるのをやめてしまった。見物たちもざわめき、中には逃げ腰になった者さえいる。 「長七郎、やめい」  人だかりの後方で老人が叱声したからだ。  といって、見物の殆どはお伊勢参りの旅人でお兼の早業を見るのを楽しみにして来た。相手が武士とあれば、一世一代の妙技が見物できるかも知れぬ。 「お侍《さむれえ》さん、がんばっとくンなせえよ!」  半畳をいれる豪気なのもいた。お兼の前にはすでに投げられた小銭が沢山落ちている。お兼は三味線を弾きつづけた。青年は編笠は脱がなかった。ぶっ裂き羽織の大小へ、ぐい、と手をかけ、反《そり》を打たせて、 「女、参るぞ」  アッと驚く間もない、武士の片肘は虚空に二度、三度、大きな弧をえがいた。ピッ、と一度は撥《ばち》が鋭い音を発した。だが|※[#「りっしんべん+(はこがまえ<夾)」]《かな》わなかった。 「ひえーッ」  悲鳴《ひめ》いて、三味線の棹《さお》を杖がわりに地面へ突っ立て、牀几から俯伏《うつぶ》せに、前へ、ゆっくり伏していった。武士の投げたのは手裏剣だった。一本は撥を把《と》る手の甲に、一本は咽喉《のど》に刺さっていた。  お兼はその夜のうちに死んだ。     三  相の山お兼の前歴は分らない。  どこでそういう早業を身につけたか、お静が知るわけがない。当時お静は二歳であった。  孤児となったお静をあわれんで、江戸にともない帰ったのは老武士である。老人はお静を屋敷で育てた。温厚なこの人物には実子がなく、妻方の親戚の者に家督を継《つ》がせていたが、お静の十四歳の年にみまかった。そうなると、賤《いや》しい旅芸人の娘というのでしだいにお静は家族から冷遇された。それまでは、老人の孫同然に愛《め》でられ、お静のほうも慕って、老人のそばで走り使いをしたり、病臥中は必死で看病したのである。人のうわさも七十五日というが、十年もたてば相の山お兼のことなど世間はとっくに忘れていた。  一周忌がすぎるころ、お静はとうとう屋敷に居たたまれなくなって、故人には遠縁の旗本屋敷に奉公に上ることになった。すなわち岡金之助の許《もと》である。金之助が好意の手をさしのべたのだが、お兼を殺《あや》めたアノ長七郎の、金之助は実の兄であった。夢にもお静はそんなことは知らなかった。(長七郎は老人のまだ生存中に、武辺に傲《おご》ってか、路上で、さる家中の士と口論のすえに深手を負い、死んでしまっていた。)  岡金之助は二千五百石、旗本でも大身であるが、勿論《もちろん》、むかし舎弟がお静の母を手にかけたことは知っている。それで、せめてもの罪ほろぼしに、しかるべき相手へお静を縁づけてやりたいと考えていた。さいわい岡家の若党に田付与右衛門という者がいた。若党とて二刀を帯する侍で、年|恰好《かつこう》といい、いかにも似合いの夫婦《みようと》と考えられたので、一日、お静を居室に喚《よ》んでこの旨を伝えた。お静はもう十七になっていた。  しかるに、お静はことわったのである。すでに意中の人がございますと言った。 「何と?」  金之助は歳は四十過ぎ、元来が重厚な、思慮分別もある人物だったが、えてして重厚の士は性格が内攻的である。おのれの意のままにならぬと、面《かお》には出さずとも甚だしく機嫌を損じ、事を投げ遣《や》りにしてしまう。 「意中の者とは、いったい誰じゃな?」  うつ向いてはいても何やら必死の面持ちで赧《あか》らみ、畏《かしこ》まっているお静から、ぷいと目をそらし金之助は傍《わき》の脇息に両肘をのせた。氏素姓はあらそえぬものよ、そんな蔑《さげす》みが口辺の冷笑にうかんでいた。  お静は即座には答え得なかった。いよいよ白い顎《あご》を胸にうずめ必死に何かに耐えていたら、 「何故だまっておる? いつまでも明かさんのでは当方とて始末に困る。──静、予は多忙なのじゃぞ」 「アノ……」  いよいよ項垂《うなだ》れて、「……ございます」  蚊の鳴くような声で言った。 「もそっと大きな声で申せ。きこえぬワ」 「真之助さまでございます」 「な、何と!?」  さすがに驚愕して、「まことか?」  静はコックリをする。  真之助とは岡金之助の嫡男である。二十《はたち》になる。すでに朽木|周防《すおう》守の息女との縁組がきまっている。朽木周防守は、御書院番組頭を勤める金之助の直接の上司でもあり、真之助の将来には又とない良縁で、 「岡どのもなかなかのキレ者でござるテ」  同役の面々から厭味ともつかぬ祝辞をうけた。ただ周防守の女《むすめ》は|あばた《ヽヽヽ》で醜婦なのが難であったが。  お静は悧発《りはつ》な目鼻立ちのととのった美人である。もとは女芸人の娘であることはお静自身とて知っている。身分違いもはなはだしいそんな直参のお旗本の嫡子を、意中の人と告げるからには、すでに真之助の手がついたと見るべきで、このまま屋敷において若党と添わせても事は解決したことにはなるまい。 「宥《ゆる》さんぞ、売女《ばいた》」  金之助の語気はようやく激しかった。 「不憫とおもい目を懸《か》くれば申すにこと欠き、わが嫡子がよめにとか。たわけ者、身の程をわきまえい、さなくばその分には済まんぞ。退れ」  大喝して、翌日、寺社奉行に働きかけ『やっ子』の処分に布《ふ》してしまった。この手まわしの良さは当時旗本の間でも話題になった。吉原は寺社奉行の支配地で、町奉行の管轄外である。町民は町奉行所の取締りをうける。お静は武家屋敷に育っても武士の娘ではない。町方《まちかた》に放てば、したがってどんなことで奉行所に訴え出ないとも限らない。武士はいっさい、町奉行の手出しのできぬ社会であるが、後々ことが面倒になってはと『やっ子』処分にしたのである。寺社奉行阿部伊勢守が金之助とは昵懇《じつこん》の間柄だったのもこの手廻しの早さを扶《たす》けた。  もっとも、金之助にすれば、即刻お静を手討ちにしてもよかったのだ。それをしなかったのは母娘二代にわたって、兄弟で殺害する怖ろしさをふと念《おも》ったからで、世間でどう言おうと『やっ子』処分は、金之助にすればお静の一命を救ってやったのである。これも武士の解釈である。  ──何にせよ、こうして、お静は一夜明ければ思いもよらぬ遊女にさせられていた。  魚屋宇之吉との不義を理由にされたのは、まことに心外ではあったが、でも、満更いわれのないことではない。老人の屋敷で次第に冷遇されたころに、はじめは彼女をお屋敷の令嬢と思いこんでいた宇之吉は、怪訝《けげん》のおもいをした。そのうち凡《およ》その事情を知って、無口なこの男が、大いにお静に同情し、なぐさめてくれたのである。  彼はまだ二十《はたち》すぎ、お静は十代の少女であった。彼も孤児で育ったのがお静を慰めてくれる理由であった。そんなことで、岡邸に奥奉公に上ったとき、厨《くりや》の御用を仰せつかるようにとお静が斡旋《あつせん》したのである。そうして四年の歳月が経過したのだ。         ※  お静は、初めて突き出しで見世に出た宵のことを忘れない。 「かまうものか、お静、おまえは引込みだよ……とは云っても、世間さまじゃあ先刻ご存じ、そこで家つき娘の格式だけは見せようて寸法でね。遠慮はいらない、あたしに万事まかせて置きな」  主人みずからそう言って、突出しには異例の積み夜具を盛大にやった。遊女へは客からの贈り物に『積み夜具』の風俗があった。座敷持ちの華魁なら、三布団《みつぶとん》といって、敷布団が三枚、いずれも綿の上質な、それを敷き重ねたのへ身を横たえるとコッポリ全身が沈んでしまう程の、豪奢な夜具である。したがって掛布団は一枚で済む。  これを客から贈られると、妓楼では飾りつけにして敷き初めの祝いをし、贈られた当の遊女は朋輩は言うに及ばず、若い衆にもお仕着せを出したりして祝儀をはずみ、盛大に、客の愛寵の深さを誇り、且つ喜んだ。  そんな積み夜具を、お静は突出し新造だというのに楼主は行なったのである。贈り主は楼主自身である。  加えるに、衣裳は贅美のかぎりを尽くしたものながら、化粧はあまりさせなかった。  延宝の頃までは、高級遊女はかえって顔に紅粉の粧《よそお》いをほどこさず、髪に油もつけなかったという。白井権八の芝居で名の高いあの小紫でさえ、まことは洗い髪に一つ櫛《ぐし》、紅|綸子《りんず》の打掛けの下に地白を着ているのみだった。  さすがに天保期では洗い髪というわけにもゆかず、お静は黄小袖に緋繻子を重ね、三つ笄《こうがい》に二つ櫛の髪付きであったが、粧いは薄くした。そのほうが武家育ちらしいからだ。それでもこの時のお静を見物した戯作者某は、 「この宵のお静が美容たとえん方なく、目の張り涼しく唇薄く、小鼻のすじ通りて歯|並《なら》び揃い、指|尖《さき》は細く、爪は薄く、足の拇指《おやゆび》の反《そ》りあがったる物腰の美人なり」  と書きとめている。また、 「格子の内には金屏風はしらかし、煙草盆に真《ま》きざみ匂いたばこ、金銀の煙管《きせる》とりそろえ、池田炭を富士灰に埋め候て、時々は伽羅《きやら》、梅花、侍従なんぞくゆらし侍《はべ》り、迚《とて》もやっことは見え申さず」  と記している。百二十両の前評判以上に彼女は掘出し物と戯作者にも見えたのだ。  当のお静はだが、そんな見世まえの混雑に関わりのない、深いかなしみに沈んでいた。虚空のあらぬ一点を凝視《みつ》めてじっと坐っていた。  あまり評判が立ちすぎ、かえって嫖客らは彼女を名指す勇気が挫《くじ》けてか、予想以上の凛《りん》とした容色に気怯《きおく》れしてか、小文字屋の表にただ群がり寄ってその美貌を眺めるばかりで、誰も容易に彼女の客になろうとする者のなかったのが、むしろ倖《さいわ》いしたとも言える。  どれほどの間、そうして好奇と淫欲の眼に晒《さら》しものとなってお静は坐っていたろう。……ふと、格子越しに、灼《や》きつくような強い視線を頬に感じた。虫が知らせたというのか、お静はそちらに目を向けた。  格子へ手をかけ、或は前の者の肩越しに背伸びして一目《ひとめ》お静を眺めようとする、そんな素見《ひやかし》客の人群《ひとむ》れの後方に、一人、手拭で頬冠りした男が立っていた。  見世の中の明るさにくらべ、其処《そこ》は暗い場所だったがお静は瞳《ひとみ》を凝《こ》らして、注視して、 「あっ」  と声をのんだ。魚屋の宇之吉であった。言えば濡れ衣を着せられたのに、岡家の用人に喚《よ》びつけられて詰問されても一|言《こと》の言い訳もせず、敢て不義密通の誹《そし》りに彼は甘んじた。  身に覚えないことと頑強に言い張れば、もしかすればお静は『やっ子』の憂き目にあわずに済んだか知れぬ。少なくとも、真相を知らぬ宇之吉はそう思って、何か彼女に詫びるこころでやって来たのであろうか?  それとも世間の男並みな好奇心に駆られてか?  お静にはわからない。だが見世|内《うち》と戸外との、格子と群衆をへだてた一瞬《たまゆら》の凝視と凝視で、男の心にあるものは何かがお静にはわかった。 (宇之さん。)  胸内《むぬち》で呼びかけ見る見るお静の双眸はうるんでいた。嬉しかった。だが一瞬後、クルッと宇之吉は格子へ背をむけ、逃げるように嫖客のさんざめく仲之町通りを去って行った。     四  次に宇之吉を見たのはいつだったろうか?  お歯黒をまだつける前だったように想う。  もうこの時分にはお静は数多《あまた》の枕席に侍り、からだはすっかり穢《よご》れてしまっていた。文字通り売春婦であり、『江戸小|咄《ばなし》』のタネにされる女郎であった。 『江戸小咄』とは次のような笑話である。  曰く── [#この行2字下げ]「とかく売れっ妓のお静、夜昼とんと休む暇とてなかったが、『幸い今日は客もなし、少し休みなされ』と内儀にいわれてお静『そんなら、ちょっと休ませてもらいましょう』とて二階へ上りしが、それきり音沙汰がない。しばらくして内儀心配となり、そっと二階に行って覗けばお静は打伏せに寝ていしぞ。」  つまり、あまりの売れっ妓ゆえいつも腹上に客あり、たまにはうつ伏せに寝てみたかろうと皮肉った小咄という。(この項、中野栄三氏著『遊女の生活』雄山閣刊に由る。)  そんな、哀《かな》しい多忙の日夜にようやく苦界のつらさを思い知らされていた時であった。夜見世に、化粧を了《お》えて坐っていたら格子先に人影が佇《たたず》んだ。このときも虫の知らせかハッと眸をあげると、頬冠りの宇之吉が自《みずか》らハラリと手拭を脱《と》り、苦味走ったその面貌を見世の灯にさらしたのだ。  何も言わなかった。燃える眼で一時《いつとき》くい入るようにお静のかおを凝視して、すぐ、二歩、三歩と後退し、それきり道の暗がりに消えていった。でも後退の間ぎわに口もとがふと笑ったようにおもう。 (無事なんだねお静さん……おいら安心したよ)  そう白い歯は言ってくれたようにおもう。 「宇之さん、待って……」  この時ばかりは朋輩衆のいぶかるのに目もくれず、ハッキリ声に出して呼びかけて、お静は起ち上り、夢中で格子ぎわへ走った。しかし引き返して呉《く》れる男ではなかった。  その晩のことだった。 「お前さん、顔色がよくないが、どうかしたのかえ?」  突き出し以来の馴染みで、ここしばらく姿をみせなかった近江屋清右衛門が、お静の著せかける丹前に袖を通しながら言った。清右衛門は鬢《びん》のもう白い商人である。呉服物を扱うかたわら大名貸しをして、江戸で五指にかぞえられる富商といわれている。  お静は清右衛門の脱ぎ捨てたものを自身でたたみながら、 「恋しい方に会いイしたから」  と言った。部屋持ち女郎が、ふつうなら客の衣類なぞたたむものではない。振袖新造か禿にまかせる。だがお静の場合、武家育ちが売りものゆえ、楼主はすべてに武家風を踏襲させたのである。 「恋しい男に逢《お》うたと?」 「アイ」 「まさかこの白髪頭のことじゃあるまい、こりゃ穏やかではないな」 「ホ、ホ、ホ……でも、真実でありいすもの」 「お静」 「?」 「いつも言う通り、お前さんはただの華魁じゃない。廓言葉は似合いやしないよ……いいや、かえって惨めにきこえる……ほかの客は知らぬこと、あたしの前だけでもソノありいす言葉はやめてもらいたいね」 「!……」 「ハ、ハ、なにもそう深刻になることはない、わかればいいのさ」 「──申し訳ございません……」 「まだ言ってる。ハ、ハ、そう固くならずに、さ、いつもの通り一服、つけてもらおうかね」  お静は素直になった。自身で長い煙管を把《と》って、煙草盆の火を点《つ》け、吸い口を襦袢《じゆばん》の袖で拭ってから清右衛門の方にさし出す。清右衛門はすでに夜具の枕もとに坐っていた。 「ありがとうよ」  おいしそうにふた口ほど、くゆらして、 「お静」  ボン、と灰吹きに吸殻を敲《たた》くと、 「いまお前さんが言いなすった男だが……例の、魚屋かね?」 「ハイ」 「来ないか」  いちども、と静は無言に首をふった。 「なるほど……魚屋じゃ体が生臭くって廓中の嫌われもの、逢いに来ようにも、此家《ここ》じゃあがらせてもらえまい」 「────」 「ところでお静、一度は訊《き》こうと思っていたのだがね、お前さん、本当にあの魚屋と出来ていなすったのかい?」 「…………」 「いいかね、あたしも昨日や今日遊びはじめた男じゃない、突出しの日にお前さんをあたしは買った、床もつけた。文字通りお前さんにとっちゃ、あたしは初会《しよかい》の客だろうよ。やっ子処分で、廓にお前さんは出されなすったってことだが、名目はどうあれ、男と乳|繰《く》り合った体かどうか、初会に床をつけたあたしが一番《いつち》よく知ってるよ、そうじゃないかね?」 「!……」 「あたしは、あの晩ほど驚いたこたあない、それだけに、不憫がわき、情もわいて、今日まで出来るだけのことはさせてもらった……あたしが近江屋という、世間にちょっとは名を知られた者でなきゃ、とっくに、いやあの初会の晩お前さんを身請けしていたろう。  どうだね、遊女に身の上をせんさくするとは野暮の骨頂だが、わけを打明けてはくれまいか。せめてあの魚屋との経緯《いきさつ》でもいい……事としだいではこの近江屋、力にならぬでもないよ」  お静は肩をすぼめるように項垂れていた。黒びろうどの襟のかかった裏緋《うらひ》ちりめんの長襦袢へ、鹿の子の半巾帯を巻きつけ、|※[#「王+毒」]瑁《たいまい》のかんざしはまだ髪に挿していた。清右衛門の傍にのべられた夜具は、緞子《どんす》に|誂 縮緬《あつらえちりめん》の鏡蒲団。綿の厚さが八寸からあるものの二枚重ねである。  あの楼主が贈った品ではなくて近江屋からの贈り物であった。  お静はしばらく答えずに黙っていた。清右衛門のほうも急《せ》かしたりはしない。  自身で再び煙管にたばこを詰め、お静の気持の解《と》けるのを待って、ゆっくり、紫煙をくゆらせている。廊下をこの時、パタリ、パタリと草履の歩み去る音がきこえ、何処《どこ》かの座敷で芸者の掻き鳴らす賑やかな三味線が、   供《とも》せ供せ    跛《びつこ》で供せ    いざりで供せ    や、お獅子《しし》はどこだッ  太鼓をまじえたドンチャン騒ぎで、遠い潮騒《しおさい》のようにきこえていた。  お静はようやく我に返った。ありのままをかくさずに清右衛門に打明けた。  兄妹のように、はじめは宇之吉を慕ったこと。それが女の思慕に変ったこと。岡金之助の屋敷へ奉公に上った理由。自分の生い立ちのこと、金之助に若党と夫婦になれと言われたこと、それを断ったこと。心で宇之吉を懐《おも》いながら一夜、強引に岡家の嫡男に操を奪われてしまったこと。嫡男は自分の意中を知っているはずであること。それで嫡男の名さえ出せば、あるいは彼のはからいで若党ではなく宇之吉に添わせてもらえようかと思ったこと、それが逆に金之助の激怒をかい、やっ子にされてしまったこと、すべてをお静は打明けたのである。  清右衛門は終始だまって聴いていた。途中から、併し、しだいにむつかしい顔つきになり、お静が語りおわった時には、視線を虚空にはしらせ、何やら物おもいに耽《ふけ》っていた。お静のほうがいぶかしんで、 「どうなされました?」  問いかけると、 「お静」清右衛門は言った。「お前のおっ母さんの左肘に、大きな痣《あざ》があったと聞いたことはなかったかね?」     五  八軒町長屋に、お静から天紅《てんべに》の文が届いたのはちょうどこの後《あと》であった。  宇之吉は、前晩、自分が小文字屋の格子の前に立ったのを(彼としては精一杯の決断によったのであり、それだけに愧《は》じるおもいが強く)自己嫌悪の念もあって、てっきり、自分の姿を見かけた、逢いたい──そんな意味の文面であろうと、殊更《ことさら》、開封せずに長火鉢の抽出《ひきだ》しにしまい込んだ。  以来、何度、抽出しに手をかけたか知れないが、ついに披《ひら》かぬままで来た。二度ともう未練がましく様子を見になぞ往くまいと、その都度、心に決めたのである。  お静が早やお歯黒を含むようになった、そんな評判を耳にしても、だから宇之吉は知らぬふりをよそおって来た。  ところが、二日前である──お静がやっ子に出されて半歳余が過ぎている──吉原の使い屋(郵便配達夫のような者)が、再び、天紅の文を届けに来た。 「どうあってもこれは読んでおくンなさい、あれだけの華魁が、そりゃもう取り縋《すが》らんばかりに、わっちに託《ことづ》けなすったンですから。へい」  宇之吉はずいぶん躊躇《ちゆうちよ》した。 『宇之サマまいる、静より』  そう表書きされた封書をいつまでもにらんでいた。だが遂に己れに敗《やぶ》れた。宇之吉は封書をもって斉木先生をたずねたのだ。 「お仕事中でございますか」 「おオその許《もと》か……なに、暇にあぐねての賃仕事、いつ止めたとて差し構いはない」  傘の桟に刷毛《はけ》で糊を打っていたのが、下敷きの茣蓙《ござ》ごと傍へ押し遣って、 「何の用かな」  六畳に四畳半、二|間《ま》きりの狭い屋内である。宇之吉は上り框《かまち》のきわにそれでも畏《かしこ》まって、 「これを、読んで頂きてえンで」 「ほう、天紅か……成程の」  おのずと口が綻《ほころ》びるのを、あわてて一つ、咳払《せきばら》いして、おもむろに山羊ひげを撫で、 「ならば披見いたそうか」  文を受取り、ちょっと書体に注目して封を披《ひら》いた。 「なかなかの達筆であるな、読むぞ、よいか。えエ……取急ぎ、一筆したためまいらせそろ。この文かならずかならずお目にとまり候よう神仏に念じて斯《か》くは筆を執りまいらせそろ。かよう申し候は余の仔細にてはござなく、わたくしこと実の父が素姓|此《こ》の程分明つかまつり、名は──む?」 「先生、どうなさいました」 「…………」 「先生」  新左衛門の満面は真っ赤に紅潮し、らんらんと光る眼が射るごとく文字を追った。巻紙の端がクルクルと膝前に落ちていた。 「先生、な、何と一体、書いてあるんでござんす?」  ようやく只ならぬ気配に宇之吉も緊張し、思わず膝をのり出した。しかし新左衛門は一言も答えなかった。読了しても暫《しば》し、沈黙して 「宇之吉」  やがて向き直った面《かお》は別人のように厳《きび》しかった。こう言った。 「そのほう、静を心底にくからず想うのなれば、近江屋へまかり越すがよい」 「近江屋さんへ?……いってえ」 「行けば分る。じかに近江屋が明かしてくれよう」 「だって先生」  宇之吉もこうなれば頑固である。 「わけも言わずに行けとおっしゃっても、それじゃ第一、片手落ちじゃありませんか。もともとその手紙はあっし宛に届いたんだ。それを、本人に読んで聴かせもしねえで」 「宇之吉。そのほう静と夫婦《みようと》に相成るなら、身共にはさからわぬがよいぞ」 「?……」 「静が実の父は他でもない、この斉木新左であったワ」 「げっ。……」 「されば落魄《らくはく》いたさばとて静は武士の女《むすめ》、それを、遊女ごときに……」     六 「お前さんが不審がるのも無理はない。まったく、世の中ひろいようで狭いとは言うが、まさかあの斉木さんが、お前と同じ長屋に、それも隣り同士で住んでいなさるとは。……いや、今度ばかしはこの近江屋、あきれて二の句がつげないよ。  そりゃね、相の山お兼のことはあたしも耳にしないではなかったんだ、何処《どこ》かのお武家に殺されたってうわさも聞きましたよ、でもまさか、それがあのお内儀だったとは。  話をすれば長くなるけども、あたしはもと、斉木さまのお屋敷に先代からご奉公していた者の忰でね、親父のようにコキ使われるのは真っ平と、国もとをとび出した。筑前の博多です。まだ斉木さんが家督を相続なさらぬころで、でも美人で評判の家中のさるお武家の娘御と、縁組のととのったようなことは聞いてましたよ。まああたしにもいろいろな波瀾《はらん》があって、さいわい運がよかったんだろう、今じゃこれだけの身代になった、一方おやじの奉公していた斉木さまは、お役目のしくじりがあったとかで筑前を浪人なすったと、風の便りに聞いた程度、それぞれ生きる道がちがえば、人間、冷たいもんでねえ、親父が御恩をうけた主家が不遇におなりなすったからって、心を痛めるわけでもなし……まあ、そんな次第で、斉木さまが浪人後どうなすったのか、何処《どこ》でお暮しかも、別段、案じちゃいなかった……  ただね、おやじが生きていた時分に、斉木さまへ嫁いで来なすった花嫁は評判にたがわぬ器量よしながら、腕に大きな痣《あざ》のあるのを大そう御本人が気にやんでいなすったと聞いた、こんなつまらぬことをどうしておぼえていたのか……  まあそういうわけで、お静というお子さまがご夫婦にあることなぞ、むろん知るわけもなし、まさか遊芸人に身をおとしていなさろうとは考えてもみやしません。お静が吉原《なか》で突出しに出たとき、ちょうどあたしは大松葉に出向く用があって、大門をはいったら例の人だかり……あたしのような者は、やっ子ふぜいにゃ手を出す気にもならぬものを、ふと素見《ひや》かす気が起ったのは、根っからの好き者なんだろうかね、ハ、ハ、ハ、そこで、通りすがりに見たわけですよ。お前さんの前だけど、そのときのあたしは、正直、頭にカッと血がのぼった、一時はわが目を疑いました、何と言ったらいいか、この妓《こ》をほかの男に取られちゃ近江屋の名がすたる……そんな意気ごみで、多勢の目もはばからず、登楼《あが》っていたンだから、イヤ、われながらコワいようなもので。  このあとはもう、くどく話すこともありますまい。話せばお前さんもつらいだろうし、実のところ、あたしのほうだってね。ただね、これだけは言っとかなきゃならない、あの天紅の文をお前さんに最初にお静が届けたときから、あたしは、鉄漿《かね》もつけさせました、流連《いつづけ》もした、だけど、あの妓の肌には指一本ふれやしなかった、気障《きざ》なようだが、あの妓がしんじつお前さんへの懐いのたけを打明けてくれたんでねえ、近江屋も男だ、そうまで惚れこんだ相手のある女を抱けるもんじゃあないとあの妓には言いましたが、まことは身の上話を打明けられ、痣のことから斉木さまの娘に間違いないと気づいたからで。  何故といって、それ以前から、あの妓の顔を見るたびに目鼻立ちが、どうも誰ぞに似ているように思えてならなかった、しかしどうにも想い出せずにいたら、或る晩、夢に親父のうしろ姿を見て、ハッと、二十何年まえに見知ったきりだが、斉木の若様の顔立ちに瓜ふたつなのに思い当った……  そうじゃなかろうかネ宇之さん、お前さんだって聞けば斉木さんに魚をよく届けたそうだ、隣り同士の誼《よしみ》というよりは、どれほど落ちぶれなすっても目や口もとに、いとしいお静の面影を見出していなすったンじゃないのかね?  ……ほ、赤くなったところを見ると、図星か、ハ、ハ、ハ……  まあ、そんなことよりかんじんのお静──いや、今じゃお静さんだろうがね、斉木さまがあんなふうにお亡くなりになってしまって、あたしは親もとも同然の心づもりで言うんだが、どうだろう宇之さん、もしお前さんにその気があるのなら、お静と、夫婦になってやってくれないかね?  あたしの立場だ、或る意味じゃ言いづらいが、あの子は本当にいい娘さんだ、からだだってけっして穢《けが》れちゃいない、本当だ、この近江屋が言います、どうだね、実を言うとあたしは大名貸し、ずいぶんお大名にも金を貸してる、それだけに無理もきくんで、寺社奉行上席の阿部伊予守さまにお願いし、格別のお慈悲でお静にやっ子の刑免除の儀をお頼みしたら、御許可があった。今じゃお静はあたしの池の端の寮でお前さんの来てくれるのを待っているんだ。行ってやってくれないかね、あの子は、苦界に沈んだ身の垢《あか》よりは心にしみついた嫌な思い出を、これから一生かかって洗い落さねばならない、それを一緒にやってやれるのは宇之さん、お前さんしかいないんだよ。──行ってやってくれるかね、一刻も早いがいい、一刻早ければそれだけあの子の傷は早く癒《い》える。  行ってやってくれないか」         ※  半刻後──  宇之吉は池の端に在る近江屋の別邸の広い庭に佇《たたず》んでいた。  間もなく屋内からお静が転ぶように駆け出して来た。お静はヒタと宇之吉に抱きついて 「宇之さん」  歓《よろこ》びの声をあげた。宇之吉も力いっぱい彼女を抱きしめた。そうして二人は泣いた。  斉木新左衛門は、天紅の文で静が自分の娘である事実を悟ると、単身、岡金之助の屋敷におもむいた。この時彼はまだ、行方を尋ねつづけていた妻までが金之助の舎弟に殺《あや》められたことは知らなかった。ついでに言えば、新左衛門が宇之吉の隣家の住人とは、文を書いたお静もまったく知らずにいた。自分の父の素姓が分った。父は武士だった、それだけを宇之吉に知ってもらいたくて文をしたためたのである。  岡金之助の立場はだが、まったく違う。尾羽うち枯らした痩せ浪人が静の父であると名乗り来たのに先ず顰蹙《ひんしゆく》し、辟易《へきえき》した。それから、今は故人とはいえ舎弟長七郎がお兼を殺めていることに思い当って狼狽し、愕然とした。  だが、どうやら痩浪人はお静の母の件までは知らぬらしい。それならいっそ、この際、事の分明せぬうちに斬るべし、そう金之助は判断したので、 「浪人輩が直参の旗本に強談に及ぶとは無礼千万である。いかにも静は当屋敷の女中であったが、不義の過ちあればこそやっ子処分に致したのである、法に定むる所に順《したが》ったが何故わるい。そもそも汝、静が父なりと申すが、その証拠があるか。証拠なく強談にまかり越すは畢竟《ひつきよう》、強請《ゆす》らんためであろうが、旗本に脅迫がましき振舞いは笑止千万、その分にはせんぞ」  そう言って、用人ともども左右から斬りつけたのである。  新左衛門は、 「これは無体な。何をめさる」  一度はたしなめたがそこは武士の意気地、 「さようか、やむを得ん」  抜き合わせて斬り結ぶこと数合、遂に金之助主従を仆《たお》し、自らも深手のために死んだのである。  時に天保十二年秋という。 [#この行2字下げ]本篇ならびに九月号掲載「妻よ許せ」には、青蛙房刊「吉原夜話」より多くを参照したことを付記します。(作者) [#改ページ]  死なしてたも     一  遊女が客の子を孕《はら》む──  むかしは、しばしばあったという。  寛文ごろ、高尾が女児を産んで、揚屋《あげや》通いに抱かせて連れ歩いたから子持高尾と人は呼んだが、高尾のみでなく連れ回らなかっただけで、子を産んだ遊女は何人もいたそうな。『吉原袖|鑑《かがみ》』(寛文版)によると、 「対馬《つしま》は御平産にてめでたし。巴《ともえ》は過《すぎ》し秋平産し玉う。はな野も去年の初産よりちとあらび玉う、かをるは年子を孕む人にてうるさし」  とあり、二級どころまでは子供をずいぶん産んでいる。「近年、遊女のはらむ事かたの如くの間夫《まぶ》内証にありと見ゆ、いにしえはなかりし事とぞ」とも記され、遊女分娩の頻出《ひんしゆつ》したことを説いてあるが、間夫の胤《たね》でさえ、ためらわずに彼女らは産み落した。  勿論《もちろん》、相手に資力のない場合、嬰児《えいじ》のため生活苦の激増するのは世間並み以上で、遊女の苦痛は甚だしいが、何人も子を産んでいる事実は彼女らがその職業にかかわらず避妊を考えなかったことを物語るだろう。それほど、人心は、まだ質朴でのんびりしていたのである。  かをるなどの高級遊女は、だから年子を平気で産んで全盛を謳《うた》われもしたが、これには相手が大名でなくとも相応な身分の者で、太鼓腹を傍観もならず、落籍するか、落籍はせずとも子を産むに充分な手当を与えたからという。  大名の場合は、当然、その子は男児なら庶腹として藩邸に引取られ、しかるべき身分を与えられた。 「腹は借り物」  の古来の思想がこれにあずかっていたのは言う迄もないが、もともと、吉原や京島原の高級遊女は、申すなら最高の教養を身につけた女性で、歌舞音曲は言うに及ばず茶道や香《こう》合わせ、生花その他の諸芸をたしなみ、閑雅な文藻とともに手蹟《しゆせき》にも堪能で、無点の漢文を読み下すのは多勢《おおぜい》いた。松の位を張るほどの太夫は、だから大名道具とも看做《みな》され、遊女の腹からうまれた大名が、徳川時代には何人かいる。金で身を売る職業には違いなくとも、今様の娼妓のように彼女らを観《み》るのは大変な間違いである。  生まれたのが女児の場合は、大名の胤でも、そのまま廓《くるわ》で育てられ、子持ち高尾の例のように華魁《おいらん》道中にも供衆に抱かれて揚屋通いに連れ歩かれた。わが子を前にして他男と交わる女はまずいない。したがって揚屋に呼んでも、宴席に侍《はべ》るだけで男女の交わりはなさず、身綺麗に引揚げた。そういうところは今の亭主持ちのホステスより貞節であったか知れない。だからこそ男のほうも廓の達引《たてひき》に、何不自由ないよう充分な手当をあてがった。それが出来ぬなら、孕んだ時点で応分のものを与えて手を切った。  とは言え、男女の情に生きるが廓の世界である。遊女も生身の女である。子を産みながらふとした過《あやま》ちをおかすことがある。  みどりを産んだ淡路がそうであった。  みどりを身孕《みごも》ったとき、当然、西国のさる大名である相手は、果して我が子かどうかを先ず怪しんだが、家来の佐藤富左衛門なる者の取りなしで疑念は外に出さず、楼主にわが子であると認めた。生まれたのが女子のみどりだと分ったとき、富左衛門は安堵《あんど》の胸を撫でおろしていたという。女子なら金銭で万事始末はつくからである。  みどりは楼主の養女として育てられた。  長ずるにつれ、でも、目鼻立ちは大名にそっくりで、そうなれば不愍《ふびん》もかかり情の湧《わ》くのが人情である。大名は足|繁《しげ》く廓に姿を見せるようになった。  いかに高級遊女は大名道具とて、あまり屡々《しばしば》では外聞もあり、公儀の目もある。江戸家老は富左衛門に一計をさずけた。富左衛門は苦渋の面持で家老のもとを退出した。  それから二月余りして、子持ち淡路に間夫《まぶ》のある噂が、誰言うとなく廓に立つようになった。相手は間夫とはいえ一廉《ひとかど》の士で、会津藩士である。噂を耳にした大名は一日、富左衛門を召して、 「その方の才覚にまかせる。よいな」  と言った。富左衛門の妻は会津藩で物頭をつとめる者の女《むすめ》で、富左衛門から強《た》って主君に願い出て娶《めと》ったのである。  実はそれ以前、富左衛門には上司で渡辺某の一人娘が、かねてより富左衛門に懸想《けそう》していた。それを知って主君が渡辺の娘を娶《めあわ》そうとしたら、富左衛門から会津藩士の女との縁組を願い出た。会津藩主|保科正之《ほしなまさゆき》は二代将軍秀忠の末子である上に、将軍家(四代家綱)の後見で、門地といい権勢といい、当時、並ぶ者はなかった。そんな保科家から、媒妁する者があってこの縁組はすすめられていた。  富左衛門にすれば、けっして己が栄達のために娶ろうというのではない。なにぶんにも相手は上様後見役・会津二十三万石の家臣である。無下にその慫慂《しようよう》する縁談を却《しりぞ》けてはどんなことで御家に累《るい》が及ばぬともはかり難いとは考えて、口約の有る身にござればと渡辺の娘との話をお断わりした。媒妁《ばいしやく》していたのが保科家の重臣では、主君も諾《うけが》わざるを得なかったろう。  かくて富左衛門は、会津藩士の女を妻とした。そんな行きがかりがある。況《ま》してや淡路の孕《はら》んだとき、そもそも之《これ》を認知あるよう進言したのも彼である。加えるに、間夫の件も因《もと》はといえば富左衛門が家老の示唆で謀《はか》ったことであった。  間夫は富左衛門の妻には遠縁にあたっていた。  主命とあればお受けするほかはない。悲愴《ひそう》の色を面《おもて》ににじませて御前を退《さが》ろうとしたら 「待て」  大名は富左衛門を呼びとめた。 「その方、子はあるか」 「…………」 「跡目を継ぐ者はあるかと問うておる」 「いえ。いまだ子を儲けてはおりませぬ」 「さようか。ならば富左衛門、然るべき者をえらんで即刻、養子にいたせ。家督はその者に本日只今相続いたさせる。そちは最早《もはや》隠居の身じゃ。よいな」  さすがに富左衛門は其の場にガバと伏し、 「かたじけのう存じまする」  畳にひたいをすりつけんばかりに低頭した。その様子を、上段の間から痛ましそうに大名は見遣《みや》り、 「親子二代か……不憫《ふびん》であるが已《や》むを得まい。許せよ」  と洩《も》らした。  富左衛門の父は�血達磨《ちだるま》の茂兵衛�と云われた人物である。先年、江戸屋敷が大火の節に、藩主は家来二人に命じて、宝蔵に仕舞ってある達磨の一軸を持出すようにと命じた。二人はすぐ駆け込んで一軸を取り出したが、猛火につつまれ逃げることがかなわない。そこで一人が他の一人の首を切って、その胴のなかヘ一軸をさし込み、自分は腹を切って死んだ。首を打たれていたのが佐藤茂兵衛で、黒|焦《こ》げの死体を後に検《しら》べると、茂兵衛は屠腹《とふく》していたから、おそらく、自身先ず腹を切り、朋輩にわが首を刎《は》ねて胴に軸を挿し込めと促《うなが》したのであろうと見られた。  富左衛門はこの茂兵衛の嫡男であった。     二  吉原へ通うものは、当時、大門の手前にある編笠茶屋で、顔をかくすために笠をかりて廓に入り、笠は帰るときに返した。大門内には、医者のほかは絶対に駕籠《かご》を入れないのが法である。大門を入ると直ぐに番所があり、廓内一切の警察事務を取扱っている。おもに遊女や楼主の保護ならびに狼藉者《ろうぜきもの》の取締りで、客同士ならたとえ刃傷《にんじよう》沙汰に及んでも不問に付された。斬られ損であった。  もっとも、大門を入った仲の町に引手茶屋あり、高級遊女を呼ぶ者は先ず引手茶屋に入って、ここの女中の案内で揚屋に送られた。このとき客が武士なら刀を茶屋で預った。富左衛門は主命なれば万一を|慮 《おもんばか》り大小を携行した。万一というのは、間夫たる会津藩士の反撃のことである。会津藩士は高林左門といって、富左衛門とは旧知の間柄で道往く婦人が思わず振り返らずにいられないほどの美男子である。  淡路は、久しく大名の顔を見ない折とて、富左衛門の名指しに喜んで揚屋にやって来た。 「折入ってそのもとに話がござる」  言って、別室に淡路を誘い込み一刀に刺し殺した。一言《ひとこと》も説明はしなかったという。返す刃で富左衛門も自刃した。  廓は大騒ぎになったが、真相はわからず、こういうとき武士の言動を跡づける解釈は常に一つ、乱心《ヽヽ》で、富左衛門は乱心の果て狼藉に及んだものと看做《みな》され、事は了《おわ》った。以後、二度と大名は吉原へ通わなくなった。その限りでは富左衛門の苦肉の策は効を奏したといえる。おもえば大名が淡路に|うつつ《ヽヽヽ》を抜かして以来、四年がかりの諌死《かんし》であった。このことを知っているのは、おそらく江戸家老ひとりであろう。  でも、ひとつのいのちは残された。みどりは母の悲惨な死にかかわりなく成長した。歳月はその成長に別な運命を付与した。みどりも亦《また》、廓のしきたりに従って遊女になった。  母の淡路のことを、みどりはあまり憶《おぼ》えていないという。吉原で松の位を張るほどゆえ、淡路は廓でも五指にかぞえられる美貌であったそうだが、美しいその顔《かんばせ》の記憶はない。おぼえているのは、宴席をはばからず、むずかる幼女のみどりに母が乳房を含ませてくれたことぐらいだ。栄華を誇る大名道具とて、高級な遊女ほど驕慢《きようまん》で、大名に対しても怖《おそ》れず無遠慮な我《わ》が儘《まま》をした。それが却《かえ》って、殿様気分の大名に珍重され、倒錯した快感を与えたらしい。由来、女の驕慢を譏《そし》るものに美はわからない。いかな雄藩の大名にも、気に染まねば楯《たて》を突くところに高級遊女の気位《きぐらい》と誇りはあったから、諸公列座の宴会も介意せず、淡路は、おのが胸をくつろげて幼女に乳を含ませたのである。  念のために言えば、当時の遊女は紅粉の粧《よそお》いなどは施《ほどこ》さなかった。髪に油もつけなかった。平井権八との情事を戯作に書き立てられて知られるあの小紫など、洗い髪に一つ櫛《くし》、紅綸子《べにりんず》の打掛けの下に地白を着るばかりだったという。そういう時代である。素顔のかんばせと、遊芸のたしなみと教養を彼女らは誇ったのだ。顔をべったり白塗りで着飾らねば男心をそそらぬようなのは、肉欲のみの対象に過ぎぬ下級な娼妓と蔑《さげす》まれていた。乳が張ると、だから誰はばからず淡路は胸を掻きひろげ、みどりに乳首を与えた。さすがに列座の諸侯このときは森《しん》としずまり返り、いきをのんで見ていたという。桜色のきれいな乳暈《にゆううん》だったという。みどりは知らない。みどりに授乳のとき、淡路は、ほんとうに幸せそうに見えたというがみどりは知らない。  淡路が非業の死にざまを遂《と》げてから、楼主のみどりへの扱いは当然それまでとは一変した。楼主は私《ひそか》にみどりを悪《にく》んだ。目鼻立ちが大名に瓜《うり》二つだったのは、淡路の美貌をうけつがなかった謂《いい》でもあって、それも悪しみに一因したかも知れない。  みどりが八歳になった春、ふつう、楼主の養女は『引っ込み禿《かむろ》』に育てられるのに、みどりは他家に移された。あいだに女衒《ぜげん》の入っていたので見れば体よく身売りされたのだろう。淡路はまだ年季が明けずに死んだのでその代償だったか知れない。  移されたのは深川岡場所の、桔梗屋《ききようや》という妓楼である。土地では一、二といわれていたからまあ不自由ない少女時代をすごすことはできた。併《しか》し、みどりが成人する十年余に、大きく世の中は変りはじめていた。町民階級の勃興《ぼつこう》である。  大名にかわって富商が大尽遊びをするようになった。為に大名と町人との間で遊女を競ったこんな咄《はなし》がある──  松平周防守といって、石見《いわみ》浜田で五万石の城主が、吉原江戸町の対馬《つしま》に馴染んでいた。対馬はそのころ才貌双絶の上に多芸で知られた太夫だったが、この対馬を仙台の町人平三郎なる者が落籍して連れ帰ると聞いても、五万石の城主には対馬を購《あがな》うだけの金策はもうつかなかったのである。周防守はそれでも未練に絶えかねてか、浅草片町の長円寺の住持が家臣の子にあたるので、これに苦しい事情を打明けた。心得ました、愚僧が何とか致しましょうと此の坊主は資金なしで対馬を請け出すことを引受けた。彼は目明かしの五郎兵衛という者を語らって、五郎兵衛を平三郎の寝所に遣《や》り、其方は吉原の傾城《けいせい》対馬を身請けしたそうであるが、町人の分際で怪しからぬ驕奢《きようしや》である、一体、傾城の落籍は町奉行の許可を経ずにすることまかりならぬのを知らないか、昨今、驕奢のご法度《はつと》きびしく石川某、海保某ら町人が罪科に行なわれたのも目前のことだ、いよいよ其方が太夫を身請けしたのなら、早速、罪科に行なわれなければ済まぬと脅喝させたから、平三郎は仰天して、江戸の御作法をわきまえず如何《いか》にも対馬を請け出しましたが、何卒《なにとぞ》ご宥免《ゆうめん》にあずかりたいと懇願した。すると五郎兵衛は左様の次第ならば、対馬を此方《こちら》へ渡し其方早々に帰国するがよい、折角の頼みであるから、何とか取計らって進ぜようと言う。欺かれているとは知らず斯《か》くて対馬を引渡し、平三郎は仙台へ逃げ帰ったというが、これで造作なく対馬を松平周防守は物にした。長円寺坊主は多分な礼金を松平家から貰いながら五郎兵衛への分け前が尠《すくな》かったことで、悶着が起き、遂に事は露顕して貞亨二年四月、坊主は遠島に処せられたが大名は有難いもの、周防守に何の咎《とが》めもなかったという。しかしこうなれば、もう大名の権威も武門の誇りもあったものではない。別の年に、これは瀬川という遊女を松前侯の若殿が五百両で落籍された話はあるが、その前の瀬川を越後屋の手代は千五百両で身請けしている。もはや財力が問題で、大名などは虚勢を張る只の張り子の虎である。  したがって、大名道具たる高級遊女の気位や教養は却《かえ》って鼻つまみ物となり、大名向き、武士向きの代物《しろもの》よりお手軽に漁色の相手となる下級女郎が好まれる時代となった。又そういう女郎のほうが、数をこなし、金を稼いで楼主に重宝がられたと、この間の事情は三田村玄竜の著作に詳しい。(以上の文章も大半は三田村氏の著書の引用である)  何にせよ、そういう時代にみどりは吉原より嫖価の廉《やす》い、それだけ一そう数をこなす岡場所の遊女になった。廿《はたち》の声を聞くころには、彼女はもういっぱしの手管をわきまえた姐《あね》さん女郎になっていた。少なくとも朋輩女郎や、いたずらに肉色を漁《あさ》る薄情な客どもには、そう見えたのだ。     三  世が世なら大名の姫君になれた、そんな生い立ちはこの世界には通用しない。美人であるかどうか、床《とこ》上手か否かが彼女らの値打ちをきめるすべてであった。  大名に瓜ふたつの目鼻立ちは、長ずるにつれてみどりを母の俤《おもかげ》を彷彿《ほうふつ》させる女に変えていた。やはり血統の良さがどことはない気品をみどりの容色に添えていた。大事なことだが、大名のむすめだから上品だったのではない。どことなく愁《うれ》いがちで上品に見えたから、彼女はもとは由緒ある大名の落胤《らくいん》と評価されたのである。  そうなれば、賤《いや》しい育ちの多い岡場所の女郎衆の中で、おのずと異彩を放つみどりは存在となり、深川きっての売れっ妓になった。おびただしい数の男が、さまざまな性戯や体位でみどりの肉体の上を通りすぎ、去っていった。日々に六人の男と枕を交わすこともまれではなく、どうかすれば、|ちょい《ヽヽヽ》の間に二度三度と同じ相手はみどりをいじくり、自身、気をやった。とても体がもつまいねえ、朋輩女郎が多分の嫉妬《やつかみ》と、幾分の同情心で喞《かこ》ったのも無理はない。でもみどりは、別段、それで身体をいためるではなく、痩せ細りもしなかった。 「さすがは松の位に昇った太夫の娘だ。血はあらそえねえ、根っからのありゃあ遊女だわ」  楼主が目尻をさげて女房に言ったという。  数をこなすに、一々、気分を出していて身の持つ道理はない。当然しかるべき手練手管を須《もち》いねばならず、それを別に先輩女郎が口授した様子もないので見れば、生まれながらの娼婦と他人には見えたのだろう。  本当はしかし、努力でして来たことであった。  みどりも廓育ちなら、見様見真似で客のあしらいよう、紙の咥《くわ》えよう、始末のしよう、時にはよがり声の洩らしようなど、誰に教わらずとも自ずと身につけていた。申そうなら耳年増で、仕落ちせずとも(仕落ちとは、客の歓心をそそるために擬態で気をやる素振りをするはずが、情に溺れ、本当に気をやってしまうこと)みどりの体を抱けば客は満足していった。  そういう意味では彼女は確かに天性の娼婦で、更に言うなら類《たぐい》まれな味よい道具の所有者であった。彼女自身は、そんなことは露知しらず、あくまでお客を大事とつとめたのである。つとめれば客は喜び、彼女を抱いて更に喜悦したにすぎない。  これは言っておかねばならない。苦界に身を沈めて、彼女自身で、男女の媾合に悦びを味わったことは一度もなかったのだ。  そんなみどりが、二十一の秋、一人の男とめぐりあった。  相手は虚無僧《こむそう》であった。  深川の色里へは、ふつう、猪牙《ちよき》舟で客はかよう。周知のように虚無僧は人の門に立って尺八を吹き、報謝を求め歩く丐人《かいじん》の徒なので、宿屋に泊っても、渡し舟に乗ってもすべて銭は払わない。そんな虚無僧が、まして賑わいを加え初める色里の夕景に姿を見せることは、それこそお門《かど》ちがいで、滅多に見られなかったのに、多分、他国へ流浪の途次なのであろう、みどりがちょうど馴染み客の番頭を二階座敷にむかえていたら、縹渺《ひようびよう》たる尺八の音が戸口の外にきこえてきた。  めずらしいことである。  もっとも、虚無僧《こむそう》の生活は托鉢によるものだから、たとえ場違いとて、彼等が門口に立って尺八を吹くのを断われはしない。うかつに断わったりすれば却《かえ》って難題を吹っかけられ、どうかすれば尺八で撲《なぐ》り掛かられる。丐人《かいじん》の徒とはいっても彼らは半僧半俗で口に仏名を唱《とな》えはするが、元来は武士──勇士浪人の世を微《しの》ぶ仮りの姿で、百姓町人よりは上位にいるからである。又たとえ目に余る乱暴を働くのを町方が見とがめても、虚無僧は寺社奉行支配、町方は町奉行所配下で、管轄《かんかつ》がちがい手は出せなかった。虚無僧の尺八で撲られるのは、だから撲られ損で、それをよいことに稀《まれ》にはずいぶん厚かましい虚無僧もいたが、そうなれば猶更《なおさら》、さわらぬ神に祟《たた》りなしで、彼等が門づけすれば、内心、不快とおもっても何程かの報謝を人は与えた。  唯ひとつ、例外は、廓である。廓はたとえば深川門前町の謂《いい》の如く寺社奉行の支配下にあり、いかな虚無僧も廓だけは敬遠していた。そういうことから余計に、この宵の虚無僧の出現はみどりにめずらしかったのだ。  奇異のおもいは、馴染みの番頭も同じであったらしい。 「ハテ、粋狂な|ぼろんじ《ヽヽヽヽ》がいるものかいな」  番頭は日本橋のさる大店に古くからつとめ、齢《よわい》すでに六十の白髪《しらが》頭ながら一風変った気性で、町人に似ず剛腹で、もうとっくにその方は役立たぬのに、いたくみどりを気に入っていわば酒を楽しみに通っている。 「みどりや」  老人は言った。 「おもろいやないか。わての勘ではありゃ新米のぼろんじに相違ない。どや、お布施《ふせ》がわりに、お酒《みき》を進じてこまそやないか」  女中や男衆を交渉に出したのでは、かえって気分を損《そこ》ねよう、そう言って老人自身で気さくに階段を降りていった。座敷は手摺《てすり》のついた窓の下に猪牙《ちよき》舟の出入りする河岸《かし》が見おろせ、もう一方は障子をへだてた廊下の向うに軒《ひさし》を接して、隣家の女郎部屋の障子窓とその上の屋根に物干し台が突き出していた。どう話をつけたのか、やがて老人につづいて、怪訝《けげん》そうな女中に随《したが》われ虚無僧が入って来た。天蓋《てんがい》はかぶったままであった。 「さあさあ遠慮はいりまへん。むさい座敷やけど、こら|わて《ヽヽ》の敵娼《あいかた》でここらに置いとくには勿体《もつたい》ない気立てのええ妓《こ》や。遠慮のう、くつろいでもらいまひょ」  老人は上機嫌で、座布団や別に膳部を出すよう仲居に吩《い》いつけた。 「しからばお詞《ことば》に甘える」  虚無僧はすすめられるままに床の間を背に、老人と対《む》き合いに天蓋を揺らして坐った。何人《なんびと》の前でも彼らは天蓋を取らず、親兄弟に行き逢っても挨拶せず、俗に在《あ》るときの名は明かさない。粋狂な番頭がそんな虚無僧を座敷に招いたのは、どうやら尺八を聴くためと直ぐに分った。  尺八は、虚無僧にしか吹く権利は当時ゆるされていなかった。普通の者が尺八を吹こうと思えば総本寺か、目黒の虚無僧寺で許可を得なければならないし、厄介な手続きが必要なので、歌舞音曲には倦《う》むほどの大尽でも先ず、尺八の音を傍《かたわ》らに酒盃を傾けることはのぞめない。それを、老人はやってみようというらしい。  素直に虚無僧はこの要求を容《い》れた。天蓋をかぶったままなので顔はわからないが、物腰、語声で察するとそう若くもない年のようで、虚無僧になって間がないのなら、何かの事情で主家を逐《お》われ、落魄《らくはく》した四十前後の浪人者ではあるまいかと、何となくみどりは想像した。この予感はあとで的中していることがわかった。  酒肴が来ると、すすめられるままに先ず虚無僧は酒盞《しゆさん》をのみ干した。老人も意地がわるい。小さな猪口《ちよこ》では|はか《ヽヽ》が行きますまい、それでは却って失礼にあたるなどと言って、朱塗りの盞《さかずき》をもち出させたのだ。これだと天蓋をかぶっていては飲み難《にく》く、おのずと天蓋をはずし顔を見せてくれようとの魂胆であった。でも虚無僧は、そうしなかった。わずかに片手で天蓋のふちをもって、編笠の中《うち》に酒盃を隠すようにして苦もなく飲んでしまった。飲むとき露骨に老人が背を屈《かが》め、下から覗《のぞ》き込んだら、無精髭の頤《あご》のあたりは見えたという。  考えれば、ずいぶん無礼な扱いであるのに、俗事への諦念でか、いっさいを悟りすましているのか、虚無僧は程よいところでみどりの酌をことわると、酒盞を下において、やがて尺八を把《と》り、静かに一曲を吹きはじめた。  そろそろ灯《ともしび》の要る仄《ほの》暗さに四囲《あたり》はなっていた。そんな暗さに沁《し》み入るようなそれは嫋々《じようじよう》と哀れな調べで、聴く者を哀切の念《おもい》に耽《ふけ》らせずにはおかない。尺八の曲のことはみどりにはわからないが、何か空漠と果てしのない世界に誘われるようで、そのくせ言い知れぬかなしみが惻々《そくそく》と胸につたわってくる。心のいちばん深いところにしみ通ってくるしらべだった。卑猥な嬌笑をあげていた隣室までが、いつの間にか、いきをのむようにひっそり聴き耳を立てているのが気配《けはい》でわかった。賑やかなのは窓の下で猪牙舟を迎えた仲居と、船頭と、客との口説《くぜつ》の遣り取りくらいである。その賑やかささえ遠い別世界のさざめきのように聞える。  曲趣が深まると、おのずと没我の境地に入ってか、虚無僧はゆるく天蓋を揺らせて首をふっていた。その尺八を持つ手に嵌《は》めた手甲がずいぶん穢《よご》れているのにみどりは気がついた。何故とはなく、人には明かせぬ深いかなしみを胸にたたえている人に違いないと想われた。消え入るような余韻を曳《ひ》いて、気がついたらいつの間にか尺八の音は歇《や》んでいた。 「恐れ入りました。じつに見事な音色《ねいろ》で」  余程、感動したのだろう、老人は知らぬ間に正坐になっていて、深々と頭を垂れ、 「ようわてのような気随《きずい》な者《もん》の頼みを聞き入れてくだはいました。ありがと存じます。あらためてお礼を申します」  畏《かしこま》って丁寧に礼を述べ、 「何はともあれ、先ずご気分なおしに、一献」  失礼ながら、自身に洗盃したのを差し出した。虚無僧はこばまなかった。みどりが老人のわきからいざり出てその盃に酌をした。 「それにしてもいい気持のもんでございますな。近頃こんな清々《すがすが》しい気分にさせてもろたことはおまへん。ほんまに嬉しい晩や。こう申しては何でっけど、お見受けしたところ、とてもこれほど尺八にご堪能とは思えまへなんだ。余程、事情がお有りで身をやつしておいでなんでっしゃろけど、それにしても、えらい多芸なことで、いや恐れ入りました」 「…………」 「ところで梵論字《ぼろんじ》さん」  返された盃に酌をうけながら、 「ことの序手《ついで》と申しては何でっけど、もう一つお願いがござります。是非とも、これもお聞き届けをねがいたいんで」 「──何でござろう」 「ほかでもおまへん、このみどりのことで」 「?」 「いかがでっしゃろ。この妓《こ》を黙って、お受け取り願えまへんやろか? いや、身請けの何のとそんなことやおまへん。お金はいっさいわてが出さしてもらいまっけど、ただ、この妓のそばに居てやって頂きたいんで。何日間でも、ご都合のよろしいあいだはここで一緒に──」     四  何故そんなことをと問う前に、みどりの方があきれてしまった。  ポカンと、呆っ気にとられ老人のかおを見ていた。  けげんのおもいは虚無僧《こむそう》とて同様だったろう。形《かた》の如く、絹布の小袖に丸ぐけの帯をしめ、袈裟《けさ》をつけて、腰に懐剣を佩《お》びたままの正坐をくずさず、彼はしばらく膝に片手をおいて、じっと老人を見つめていた。一方の手は傍らの尺八を握っていた。ちょうどこのとき、女中が灯の入った行燈を携え来たので、にわかに室内は明るくなり、金襴の色|褪《あ》せた袈裟といい、懐剣を包む布地の摺り切れたぐあいといい、見るからに貧相で世帯|窶《やつ》れの面影を映《うつ》し出していた。 「ただ同坐いたせばよろしいのか?」  意外にも、虚無僧は拒絶せぬ口吻《こうふん》をもらした。 「そらもう一緒にさえ居てくれはりますンでしたら、どうなさろうと貴男《あん》さんのご自由でおます」 「なぜ身共に依頼なされる?」 「なんででっしゃろ。まあ一目《ひとめ》であんさんに惚れた、そういうことにして頂きまひょか。わてやおまへん、このみどりがですわ、ハ、ハ、ハ……」  もともと一風変った仁《ひと》だった。虚無僧が応《いら》えかねていると、じつは自分はもう寄る年波で役に立たず、そのくせこのみどりが愛《いと》しくて仕方がない。といって、まだ若い体ゆえ年寄の相手ばかりでは切なかろう、せめて多芸多趣味の貴方さまが慰めてやって下さるならと、お人柄を見込んで頼む次第であると言った。皺《しわ》の多いその顔は嗤《わら》っていたが、目はわらわず天蓋の面《かお》のあたりをにらんでいた。  沈黙が流れた。 「身共でよろしくば」  ぽつりと虚無僧は言ったのだ。「承知つかまつる」  当のみどりには、夢を見ているような話であった。わが身の来歴はいっさい不問に致されること、これを条件の上でならと虚無僧は言い、 「それはもう心得ておりますわいな」  老人は上機嫌で、更《あらた》めていつものように顔見知りの他の女郎衆を総揚げの散財であった。  女郎の中には、自分の客のいる部屋を脱け出て来たのもいて、いずれもが老人の祝儀はさることながら、さいぜん尺八の音に聴き惚れ、ひと目かおを見たいとやって来ているのが明らかで、そんな宴席に虚無僧をさらしものにする老人であるわけはなく、程よいところで、みどりに目くばせをしていた。虚無僧ともども彼女は別室にさがった。  奇縁というほかはない。  別室には既に夜具が敷きのべられてある。小さな本床づきの八畳座敷である。控えに四畳半の着替えの間がついている。夜具の枕もとには煙草盆。枕屏風、そのわきに炭火を埋めた火鉢が置かれ、火鉢をはさんで緋ぢりめんの厚い座布団が二つ、対《む》き合いに敷かれていた。 「かぶりものをお脱ぎなんしたら?」  座敷に入るとさすがに、敷居ぎわに突居《ついい》て動かぬ虚無僧へみどりは声をかけた。すき透って細い声だった。彼女は部屋持ち女郎だが、ここは桔梗屋でも最上客のための寝室で、鴨居《かもい》はさして高くない。長身の虚無僧の天蓋がつかえそうなのを見兼ねたのだ。 「そもじ」  虚無僧は別の意味に取ったらしかった。 「身共のかおを見てみたいか」 「アイ。早う見とうおざんす」 「見て他言はいたさぬか?」 「?……」 「この通り、刀|疵《きず》のあること、痣《あざ》のあることを」  しずかに深編笠を脱ぐと、なるほど額《ひたい》に斜めの刀創があり、左のこめかみに天文銭ほどの痣があった。四十すぎにしては老《ふ》けて見え、山羊髭《やぎひげ》の生えて頬の肉の削《そ》げた、面窶《おもやつ》れした風貌である。でも鼻すじは通って、眼に澄んだ光あり、顔立がどことない威厳をたたえている。  思ったよりはその目が柔和なのに、みどりも思わずさそわれ、微笑して、 「他言のならねえことなら、わっちゃ舌を齧《か》み切ったって言うこっちゃおざんせんよ……それにぬしの言いなはいますほど、その疵、目立つわけじゃありいせん」  ほんとうにみどりの目には凛《りん》としたその面貌と目もとの涼しさが印象的で、創や痣のことは少しも気にならなかった。父を知らぬ彼女には、まるで幻の父親に逢えたような不思議な安堵さえ感じられていた。  虚無僧は苦笑した。月代《さかやき》ののびたひたいが、さすがにわらうと疵跡を深める。 「そもじ名は何と申す」 「オヤ、ぬしはつんぼでおざんすけえ。みどりと、さいぜん」 「ハ、ハ、そうであった」  こんどは心から可笑《おか》しそうにわらう口もとの歯ならびが山羊髭のあいだで皓《しろ》く清々《すがすが》しかった。 「身共の名は空月、そう覚えていただこう」  脱いだ天蓋と手の尺八をみどりは前にまわって受取り、床の間へ置いた。やはり姿勢を正して空月は火鉢の前に端坐した。むき合ってみどりも坐った。無言で空月は火箸を把《と》り、みどりは炭火に手をかざした。 「身共が来歴はさいぜんも申したとおり、何も問わずにいただこう。その代り、そもじがことも一切問わぬ」 「ようおざんすよ」 「さようか。……あの老人、ずいぶんと変った仁じゃが」 「アイ、越後屋の重七さんと申されて、わっちゃ以前から贔屓《ひいき》にしてもろうておりやす」  そこで又、ことばが途切れた。  彼の挿《さ》した火箸を今度はみどりが持って、何とはなく面俯《おもぶ》せに灰文字を書きながら、 「寒うはおざんせぬか」 「いいや。そもじは?」  かぶりをふってチラと眸《め》をあげ、視線が合うと周章《あわ》てて又、ふせた。 「……いつまでここに居てくなはいます」 「しおどきがあれば、いつでも」 「しおどき?……」 「そうであろう、見知らぬ仁が厚意とても物事には、分と申すものがある。われらは漂泊の身、宿をたまわるはかたじけないが」 「でも、重七どのは本気でおざんしょうに」 「そもじも本気か?」  こんどは、ハッキリ眸をあげた。虚無僧はわらっていた。どこかで弦のさんざめく騒ぎが起っていた。老人の座敷ではなかった。ここは格別の寝所なのでこちらが呼ばねば、人は寄ってこない。廊下の外へも立たない。  ク、ク、……とみどりは含み笑った。何がおかしいのか自分でもわからなかった。おとがいはふっくらとくびれていて、眦《めじり》は切長で、肩をすぼめて笑うしぐさは往年の吉原を知る者なら淡路太夫に生写しと言ったかも知れない。もしかすれば重七老人は淡路の俤《おもかげ》をおぼえているのかも知れない。淡路は『傾城三国志』によれば、 「その容色ひとによりては対馬より勝《まさ》るとこそ申し侍《はべ》り、目の張り涼しく唇薄く、小鼻の筋の通った柳腰に絖肌《ぬめはだ》、歯並び揃いて、指尖《ゆびさき》の細い、爪の薄い、足の拇《おや》指反りあがって土ふまずぐいと透《す》き、髪の生え際濃からず」  と評されていた。みどりはその点、華奢《きやしや》な体つきながら腰が張り、乳房は尖《とが》り気味にふくらみ隆《たか》く、胴長で、足が小さく、頸《くび》は細い。  そのくせ着痩せする体質《たち》で裸になると肉付《ししづき》はむっちり乙女の脂肪の厚みをまだとどめている。わらうしぐさにも、だから何処《どこ》か吉原の太夫の洗煉味にはかなわぬ稚《おさ》なさがあった。でもその稚なさが、かえって男心を刺戟し淫欲を掻き立てるとは彼女自身知るわけがない。或る人が、二人の男と交わる女は淫婦だが千人と寝るのはもう聖女だと奇《く》しくも言った。そういう意味ではまさにみどりの情痴を知らぬ稚なさはまだ聖女のものと言えた。 「寒うおざんせぬか」 「いいや」 「お腹は空《す》きなはいませんか」 「そうだの」  低く、わらった。それを機《しお》にみどりは座を起ち、自身で酒肴の支度を言いに座敷を出ていった。戻ってくるついでに、そっと自分の部屋の鏡台で化粧をなおし、髪を撫でつけ長襦袢にしごき一すじの艶姿《あですがた》の胸に紙を挟《はさ》んで来た。習慣でしたことである。  ぽつねんと、空月は同じ律儀さで端坐していた。その傍にすでに膳部が据えられていた。 「重七どのが今宵はもうわっちの身を仕舞うて、帰っておしまいなへえました」  ヒタと側《そば》に身を寄せて坐り、「堪忍《かんに》してくなまンしえ、お一人なんぞでおいて……さ、熱いうちに早う──」  銚子《ちようし》を取ったら、 「身を仕舞うとは?」 「今宵はもう、ぬしお独りのわっちでありいす、ホ、ホ、」 「それで、帰ったのか?」  コックリをした。無邪気で何の疑念もいだかぬあどけない表情だった。むしろ父親のような頼り甲斐ある人物に甘える喜びさえその眸には耀《かがや》いていた。  ヒク、と刀疵のある眉が動いた。空月は目を瞑《と》じて少時《しばらく》黙り込んでいる。 「どうしなせえした?」  みどりは眉をくもらせ、「わっちがお嫌《いや》でありいすのかえ?」 「…………」 「モシ」 「いや」  ゴクンと咽喉仏を鳴らし、 「さようではない。……そもじ、いつからこの苦界に落ちた?」 「────」 「いつからじゃ」 「過ぎたことは訊《き》かぬと申しなせいしたのはぬしでありんしょう?」 「ならば今いくつになる?」 「────」 「それも言えぬか」 「二十一……」 「いつも、そのように客には親身にいたすのか?」  紅唇が「チッ」舌打ちした。俄《にわか》に投げやりな口調で、 「いやだねえ。止しとくんな。遊女に講釈とは野暮の骨頂でありいすよ」  言って瞋恚《しんい》の眼で、空月をにらみつけ、 「わかりいした、わっちがそれほどおいやなら、ほかの妓《おんな》とせいぜいお楽しみなせえしな」  にぎっていた火箸を灰に突き刺す勢いで座を蹴起《けた》った。みどりは敷居のきわまで来て、障子に手をかけ、そこで窺《うかが》うように男をふり返る。拗《す》ねてみせるのも亦《また》遊女の手管である。忠実に彼女はそんな演技を演じた迄にすぎない。そうすれば大概の客は引留めるものだ。空月はだが微動もせずに坐っていた。みどりはしばらくじっと其処《そこ》に彳《たたず》んでいた。そのうち、心細そうに眉をくもらせ、孔《あな》のあくほど彼の様子を見おろしはじめた。空月は終始、瞑目をやめなかった。次第にみどりの表情に絶望に似て深い悲しみの色がひろがってきた。彼女はうな垂れてとうとう、本当に障子を明けた。  その時。 「みどり」  空月が呼びとめた。 「身共がわるかった。許してくれ。そもじに似た年頃の娘が身共にはあった、それで」 「?……」 「まあ、さようなことはよい。せっかくの奇人が厚誼《こうぎ》無にしては済まぬ……機嫌をなおして、酌をしてくれぬか」  それから一刻後──  虚無僧と遊女は同じ衾《ふすま》に寝ていた。     五  はじめはそうではなかったのである。  父と娘が一つ夜具に就寝するおもむきがあった。絹布の小袖を脱いで寝巻に着替えるとき、裸になった空月の酔いに赤らむ肌には無数の刀疵があった。いかに凄惨《せいさん》な決闘に勝ったかをそれは物語っていた。みどりは戦慄《せんりつ》した。どんな言葉で聞くよりも虚無僧空月の来歴はそこにあるおもいがしたのだ。  それは生《なま》の男の歴史であった。武士の社会がその疵に生きていた。戦慄は、彼女の血に流れる父の系譜が呼応した故かも知れない。夥《おびただ》しい男がみどりの体を通過していった。でもそれらはすべて卑猥で、淫《みだ》らで、魂のぬけた者たちだった。空月はちがう。その差を血でみどりは感じることができる。どれほど町人が富をつかんでも、贅沢|三昧《ざんまい》で彼女らを歓ばせようとも、断じて、武士の生きる酷《きび》しく凄絶な掟《おきて》や、社会のもたらしてくる迫力にはかなわない。女の心をしびれさすあの男の勁《つよ》さは、ない。みどりは呼吸《いき》をのんで、客の背へ寝巻を着せかけることも忘れていた。  そんなみどりの手から、 「せっかくゆえ、拝借いたそうか」  わらって空月は寝巻を引取り、ハラリと背へまわし袖に腕をとおした。ようやく我に返って、みどりは彼に近寄り腹のほうから腰紐をうしろへやった。このとき体と体が触《ふ》れた。でもまだ何かに酔ったような心地で、みどりは上の空でいた。  全身の疵は、いったいどうしてなのかと尋《たず》ねたのは、至極平然と空月が夜具に身を横たえたときである。みどりはまだ火鉢のわきにいた。 「それは問わぬ約束ではないか」 「でも……」  白い腕をのばして、莨《たばこ》盆の煙管《きせる》を引寄せ、火鉢で吸いつけて差出すと、空月はかぶりをふった。それで仕方なくみどりが紫烟《しえん》を吹かせた。習慣からこの時彼女は浮世絵に描かれた|しだら《ヽヽヽ》ない遊女のように立て膝になっていた。裾の割れ目に白い脛《はぎ》が覗いていた。空月は仰臥して、見るともなく天井を見上げていた。となりに枕が一つ、みどりを待っていた。夜はまだそう更けていなかった。さざ彼の河岸にあたる微かな音が、櫓《ろ》を漕ぐ軋《きし》みの近づくにつれて次第に高く聞こえてくる。按摩のわびしい笛が何処《どこ》かの軒下を通って往《ゆ》く。その音色があの尺八を想い出させる。みどりの心のうちで拮抗していたものは漸《ようや》く一つに溶け合った。彼女は本来の娼婦に戻った。そこで、煙管を措《お》き、夜具を踏まぬように裾をまわって、緞子《どんす》の掛布団をそっと持上げ足のほうから、空月のとなりに身をすべり入らせた。  冷たい足が男の脛のあたりへ触った。空月はじっとしていた。枕に手をあてがい、頸《くび》の位置を定めて、あらためて掛布団を引っ担ぎみどりは深々と夜具の中にうずまった。 「これだけは尋ねてようおざんすか」 「────」 「ふたつありいす。ひとつは、どうしてぬしは廓で門づけをしなせいした? 初めてでありいしたか。いつものことでありんすか」  もう一つは自分と年恰好《としかつこう》の似ていたというお嬢さまは、ぬしがその疵を受けなはいました時に亡くなられたのではありいせんか、そんな気がしてならぬとみどりは言ったのである。  空月は目をとじ、ねむったふりで答えなかった。しかし第一問と二問ではあきらかに反応は異《ことな》っていた。第一の問いに対しては口辺に笑《えみ》を泛《うか》べ彼は聞き流す体《たい》に見えた。それが、二問を発せられた瞬間、眉根に苦渋の皺を寄せ、歯をくいしばる証拠に痣の浮いたこめかみはヒクヒクと動いた。どれほど娘を空月は愛《いと》しんでいたかが察せられる。しかもその娘は彼の死闘につながっている。全身に刀創をとどめても彼は生き抜いた。だが娘は死んだ。おそらく斬られて。そんなふうにみどりには思えて来た。事情はわからない。今はどれほどの痛みに彼は耐えつづけているか、それしか想像できない。  空月は目をとじてじっとしていた。武士がそこにはいた。みどりは又してもそんな空月に父性を感じた。なつかしさと憧憬《どうけい》の念が胸に湧き起ってきて、甘えたい気持になった。そのくせ何としてでもこのお人を慰めてあげられたらと思った。これ亦《また》、甘えである。そんな擬似の父性に甘える気持が手伝って、いつか、彼女の手は、慰めてあげるようにそっと空月の肩を撫で、手をにぎり合おうと腕《かいな》をつたいさがって下のほうへのびた。きわめて自然に、それは娼婦の習性で空月の股間《こかん》をさぐっていた。  空月はじっとしていた。 (お父さま、……)  心で、彼女は呼びかけたい程であった。裾を掻きわけ、じかに手を触れようと下帯をさぐった。手が当った。  空月はじっとしていた。  彼女の手も、動かなくなった。  どれほどか過ぎた。  彼女はパッチリと眸を見ひらき、しげしげ、間近かに空月のかおを覗きこんだ。空月はそのままで居た。  ようやく、彼女の身体は動いた。布団を下から持上げるように、腰を動かし、向き直ると空月の体の上に乗りかかろうとした。好《い》い客にはいつもそうしてきた。掛布団の縁《へり》が髷《わげ》にあたり、髪が崩れたが介意しなかった。跨《また》がればそのさきはわきまえている。片手で上体を支え、一たん腰を浮かして、もう一方の手で固定させているものにこちらからあてがって徐々に腰をおろせば足りる。彼女はそうしようとした。  ──すると、 「たわけはならんぞ」  半眼に目をひらいて男は嗤《わら》った。 「何故でありんす、ぬしのほうはこんなに」 「早すぎよう」 「?」 「身共がことではない。そもじよ。それでは意に満ちるまい」 「?……」 「どけ」  つよい語気でみどりは思わず竦《すく》んだら、 「早うどかんか」  空月はまた言った。ついぞ耳にせぬ荒々しく熱っぽい語声だった。みどりは驚いて自分の場所にもどったら、 「仰臥いたせ。物事には手順がある。身共が教えて進ぜる。不安がることはない、仰向けになるのじゃ」  むっくり男は上体を起した。  みどりはまだ半信半疑であった。武士でもなく父でもない中年男の眼が、みどりを睨《ね》めつけている。何かに裏切られた心地がした。でもさからえなかった。言われるままに枕を首にあてがって仰向けになった。空月はふとんを頭上にかぶると土竜《もぐら》のようにみどりの足もとに後退していった。ふとんが動き、土竜はみどりの両肢の間にうずくまって動かなくなってしまった。  それからずいぶん時間が経過した。  みどりは、神妙にはじめは目を瞬《まばた》いたり閉じたりした。目を開いたときは天井を見ていた。──不意に、 「あ」  小さな叫びをあげた。それからきゅっと眉根をしかめ、唇を噛んだ。  しばらくは、くちびるを噛みつづけて、じっと耐えていた。白いひたいに静脈が浮きはじめた。二度、三度、ふとんは動いた。もぐらではない彼女の膝の痙攣《けいれん》であった。 「……酷《しど》い」  みどりの眦《めじり》から、つるりとしずくが落ちた。 「しどいなあ」  また、みどりは声を出した。その語尾はひきつるような歔欷《すすりなき》になって、もう鼻孔でしか呼吸ができない。どうしてこんな目にあわねばならないのか。とうとう苦しそうに彼女は掛布団を下へ押しやった。いつの間にか長襦袢を掻き分けられた白い胸が、露呈した。  そのふくらみの尖端に節太《ふしぶと》い片手が載《の》っている。手先きは乳首をいじっている。  みどりは知らなかったのだ。武士には柔《やわら》の極意があった。人体には幾つかのつぼがある。そんなつぼを指圧されればどんな者も春情をもよおさずにいられない。一方でそのつぼを抑え、片手は乳首をいじくり、四十男の厚かましい舌は今一つの妙所に届いていた。  みどりはもはや抵抗し得なんだ。全身に小粒の汗が吹いていた。膝のけいれんは胴から上半身へ、肩へ、うなじへとつたわり、否々とそれでも頭をふって彼女は拒もうとして、声をあげて泣いた。枕が畳に転がり落ちた。こんな裏切りがあってよいものか。必死にみどりは敷布を両手で掴《つか》んでいた。  幾許《いくばく》かの時が、流れた。  攻撃がはじまった。真に女の深奥に届く攻撃であった。どうしようもないみどりは今こそ女になった。刀疵のある肉体がそんなみどりに重なって、緩《ゆる》く、ゆるく運動する。毛深い腿《もも》が白い腰部を圧して離れることがない。恐るべき持続力である。みどりの紅唇をほとばしり出るのはもう歓喜のみ。歓喜、歓喜。  涙は、敗惨の哀《かな》しみからでも流れていたのだ。はじめは拒もうと胸板を押しやった両手で、男の手首を握って、時折、弓なりに身を反らし運動を受けとめながらみどりは涕《な》いていたのである。こんな歓びをからだで知ってしまえば、みどりのような女のいのちは狂ってしまう。運命が狂ってしまう。その予感で泣いたのを男は知らない。つねに男は、女のかなしみなど知らない。  行為のいっさいが了《おわ》ったとき、どちらもぐったりと動かなかった。疲労の果てから、だが、男は必ず意志を取戻す。女のそばを離れると彼は黙って衣服を身につけ、虚無僧にかえった。いちばんに天蓋で顔をかくすと、意志を永久に失ったように横たわる女に一瞥《いちべつ》をくれ、無言で座敷を出た。  彼は二度と戻らなかった。  明け方になって、女は何事かを口走った。でも死んだようなその半裸を身動きもさせず眠りつづけた。 [#改ページ]   いろ暦四十八手の裡《うち》  乱 れ 牡 丹 [#この行4字下げ]座位。向背位にておんな、男の膝にまたがり後《うら》よりのさせよう、ぼたんの乱れ散るさまにも似たるをいう── 「こちらへどうぞ──」  物馴れた雇われ女中に案内されて男女がはいって来た。  男は中年の侍。月代《さかやき》ののびた蒼《あお》白いかお色でみれば、浪人のようである。黒羽二重の着流しに博多献上《はかたけんじよう》。腰に印籠《いんろう》をさげている。金紋ちらし梨子地《なしじ》の印籠ながら縁《へり》は剥《は》げ、手にした差料の黒鞘にも所々、塗りの欠けた跡が見える。下緒は摺《す》り切れている。  女は、二十五、六。眉を落した瓜実《うりざね》顔で、鼻すじ通り口もとに愛らしさはあるが、眸《め》に生活の窶《やつ》れがやどり、表情は淋しい。身につけた衣類も色あせ、年のわりには地味で、体つきは華奢《きやしや》のようである。  唐紙を半ば開けた隣室には、枕|屏風《びようぶ》の蔭にすでに夜具が敷かれ、こちらは何ひとつ調度のないガランとした八畳。畳表は日焼けし、腰障子の下でヒタヒタ漣《さざなみ》の音。片側の壁には円窓があり、まだ日の高い屋外の五月の明るさを映《うつ》している。  侍は、何となく窓ぎわに立った。女は案内されて来たときからすぐ、入口にちかい、腰障子の際《きわ》へ、そっと坐っていた。  座ぶとんがないので、この貸し座敷で男の占めるべき座が定めにくいのだろう。 「袖《そで》すりあうも他生《たしよう》の縁と申すが──」  腰からはずした差料を手にひっさげたまま、窓のそばで、 「──そなた、帰宅の門限は?」 「…………」 「よいのか?」  俯《ふ》し目に女は、うなずいて、 「ここにはよくいらっしゃるのでございますか」 「さような男に見えますか」  あわてて頭《かぶり》をふっている。面《かお》は得《え》あげないで。 「ごめん下さいな」  廊下に声がして、先程の女中が、急須《きゆうす》ごとお盆に茶を持ってはいって来た。入り口ぎわに女がいるので、 「オヤ」  一且たちどまり、 「そんな所じゃなく、どうぞ、あちらへお入りなさいまし」 「…………」 「おさむらいさん、罪ですよ。ご婦人をこんな場所に坐らせなすっちゃ」 「さ、さようだな」 「あちらに、夜具ものべてござんすからね」  と、これは女へ。  女はにわかに面をそむけた。羞《は》じらうよりは一瞬、まゆが曇っていた。 「ごゆるりと──」  言って、女中の足音が立去ったあと、しばらくは再《また》、小波《さざなみ》の音…… 「今日も降るかと朝方は存じたが……どうやら、晴天のようですな」 「……ハイ」 「せっかくの茶だ、いただき申そう」  ようやく座敷の中央に来て、坐って、 「そもじもいかゞです、一服」  女はこっくりをした。それから、 「あ、とんだ不調法を」  いそいで起《た》ってお盆のそばに寄り、 「わたくしがお淹《い》れいたしますわ」 「かたじけない」  それでも女が坐ったのは、お盆をへだて、侍と三尺余を離れてだった。  淹れる手つきを無言で男は見ていた。 「そなた、御殿奉公をなされていたか」 「は、い、いえ……」 「────」 「粗茶──と申しては失礼でございますわね。ホ、ホ、……どうぞ」 「かたじけない」  茶托ごと引きよせて、作法通りかぶせてある蓋《ふた》をとって、湯呑を手に、一口。 「不味《まず》いな」  直《す》ぐ声に出した。育った身分がおのずとその語気に出ていた。  可笑《おか》しそうに女はかおを俯せてわらった。まずい茶しか出さぬ此家へ誘ったのは男のほうなのだ。彼女はでも、両の手で湯呑をつつむようにして、しずかに飲みほす。  白湯《さゆ》しか飲めぬ境遇というものがある。町人の大半はそうだ。女の身分はまだ分らない。しかし婦人が一人歩きすることはないはずで、それをするのは零落した境遇にかぎる。 「拙者から、先《ま》ず名を明かすが順序であろうが……姓名など今はあってないようなもの……見られる通りの痩《やせ》浪人、──たゞ、あの穴八幡に雨宿りいたした時から、そもじを忘れかねていたは事実。それが今日|再《また》──」 「…………」 「縁ですかな」  まずいはずの茶をいつの間にか飲み干している。 「たずね申してよろしいか?」  しばらくして、言った。 「何をでございます?」 「そもじのこと」 「────」 「ご亭主は?」 「…………」 「やはり、武士で?」  コックリをした。そして少時、ためらってから、 「三年前にみまかりました」 「それは……」  しばらく、沈黙。 「拙者は嫁をめとったことすらござらん。この歳になるまで……三十六です。もう先は見えているようなもの、無為徒食の生涯でござった、ハ、ハ、ハ」  こんどは女がたずねた。眸をあげて。 「それは、お好きな方がおいでなされたからでございますか」 「う。いや……ま、無為徒食とて人の身にはいろいろとござろう……ハ、ハ」 「────」 「名前だけでも、明かしていたゞけまいか、……拙者、源三郎──」 「きぬでございます」 「字は、絹の字を?」 「いえ、ころもの衣《きぬ》でございます」  水音が忙《せわ》しくなり、腰障子に波の輪の光が揺れ映えた。岸に繋《つな》いだ小舟の底を打つ波音で察するに、もう一|艘《そう》寄って来たのかも知れぬ。 「かような場所にも、案外、客は多いのですかな」  言って、努めて気さくな口調で、 「寝《やす》みましょうか」  ハッと、表情を変え、やっぱり、からだを固くしたようだった。 「迷惑ですか?」 「────」 「有体《ありてい》に申そうなら、拙者、内職をいたさねばならぬ。——そう悠長に時をすごしてはおれんのです」 「…………」 「そもじ、迷惑なら、このまま立去られてもよい。拙者はひと休みいたす」 「…………」 「遠慮は無用。──どうぞ」  自由にと言われ、女はかおをあげた。心なしか瞋《おこ》ったような目つきで、男を凝視し、 「迷惑なら、はじめからご一緒には参りません」  咽喉ぼとけが、その一言へ昂《たか》ぶりを嚥《の》み、 「いま申した通り、拙者この歳に相成るまで帯妻の味わいを知らぬ……と申して、拙者とて木石にはあらず、煩悩おさえ難く悶々たる時を過ごした夜もござる、いや、さき行き見えたなどと申しながらソノ欲心は今もって!………さればそもじがこれに同伴を承諾あったとき拙者、おん身を抱けるかと」 「!……」 「お嗤《わら》いあれ。肉欲の今は禽《とりこ》にござる。されど、これだけは申しておきたい。意馬心猿《いばしんえん》とてたゞ欲心のみに奔《はし》ってではござらぬぞ。あの雨宿りの軒下で初めてそもじを見た時から、拙者──」  女はまじまじと彼を見|戌《まも》った。「……ほんとうでございますか?」 「出まかせを申せる拙者男かどうか」  女は、やつれたその顔に興奮の色を湛《たた》えて、 「わたくしの気持は申しあげましたわ……いやならご一緒には参りませぬ」  それからかおをふせ、蚊の鳴くような声で、 「ぼんのうは、わたくしにも……」  パッと男の面上に喜色が溢れた。 「きぬ、と申されたな、そもじ、では」  膝をにじり進めて女の手をつかみ、 「かたじけない。貧乏な今の拙者には何もしてあげられんが……こ、こころだけは」  力づよく女を抱き寄せた。彼女は身をすくめ、やっぱり、顔をそむけて、 「待って下さいまし……こ、こんな処《ところ》で」 「そのための座敷ですぞ」 「でも」 「きぬ殿」 「まだ、よく、存じあげもしないで……」 「────」 「待って下さいまし、な、何をなさいます……ご無体な」  意外につよく抵抗した。湯呑が畳上へ転がった。本気で、女は乱れる裾をかき合わせ男をこばんだ。 「ご無体をなさるなら、わたくし、帰ります」  凛《りん》と言い放って厚い胸を押しのけ、居ずまいをなおすと、衿《えり》もとを合わせる。髪のみだれに手をやる。その顔面は蒼白で、紅《べに》を知らぬ唇は白くかわいていた。貧しくとも誇りの高い婦人のようだった。  男のかおにふっと鼻白む冷笑が泛《うか》んだ。男は元の座へもどった。  気まずい沈黙。  女はだが去ろうとしない。彼へやや背をむけ気味に坐りなおって、かおを俯せ、頑《かたくな》に黙り通している。  戸外の舟の繋《つな》がれているあたりで人の声がした。にぎやかな笑い……女中に見送られる客らしい。船頭が岸を突く棹《さお》とともに水脈《みお》の気配が遠ざかると、あとにいっそう重苦しい沈黙が残った。  どれほどか過ぎた。  荒々しい足音が廊下を走り来て、ことわりもなく障子が開き、破落戸《ごろつき》ふうな人相の悪いのが三人立ち並んだ。見て、傍《そば》の差料を武士は把《と》った。この動作は素早かった。  闖入《ちんにゆう》者は、彼には目もくれない。驚いた表情の女の物腰を舐《な》めるように見入って、人ちがいじゃねえのか? この女《あま》、眉を剃ってやがるぜ。だけど兄貴、情夫《いろ》は士《さむれえ》って話だぜ。そうだ、化《ば》けたのかも知れねえ……そんな私語をさゝやき合った後、 「ごめんよ」  ひときわ図体の大きな、雲助あがりと見えるのが踏みこんで来て、 「おめえさん──」  女へ、 「名を言ってみねえ」 「…………」 「こちとら地廻りの者だ。新地を足ぬきしたのがいてよ、似てるんだ……え? 名を言いな」  女は紙のように青ざめて目をつりあげ、とっさに、侍のうしろへ身を寄せた。 「まさかおめえ──」  雲助の眼が尖《とが》った。その背後へ、気色《けしき》ばんで凄味を利《き》かせた野郎ふたり── 「無礼者」  源三郎が言った。 「ことわりもなく他人の座敷へ踏みこむさえあるに」 「──おさむれえ。おめえさんにゃ用はねえのよ。深川を足抜きした阿媽《あま》がいやしてね、行きずりの男を咥《くわ》えこんじゃ、こういう場所で荒稼ぎしてるって通報《しらせ》が入《へえ》ってるんだ。まさかお前さん、この女を女房とは言いなさるめえ」 「!……」 「そうれみろ。──ま、黙って引っ込んでいてもらおう」  それから視線をかえし、 「おウ、ネタはあがってるんだぜ。おとなしく観念して、ついて来てもらおうか」 「────」 「それとも痛え目をみてえかい」  女の青ざめた顔が、いよいよ目尻をつりあげて、微《かす》かに唇をふるわせ源三郎を視《み》た。縋《すが》るような、助けを求めるとも見える一途な眸《め》だった。  野郎たちはもう介意しない。 「かまうことはねえ、張り倒してでも連れて行くンだ」 「合点だ」  バラバラと乱入して女の袂《たもと》を引っ掴《つか》もうとする、その足を侍は持った刀の、なぜか鍔頭《つばがしら》で横に払った。 「な、なにをしやあがる」  もんどり打って横転して、 「野郎」  他の二人も一斉に気負い立ち、腹の合口《あいくち》を抜いた。一人は長|脇差《どす》の鞘をはらった。 「申したはずじゃ。他人の部屋にことわりもなく乱入いたすのみか不届きな所業、その分には捨ておかんぞ」 「やかましいやい。野郎、かまうことはねえ、二本差しからたゝんじまえ」  あとは乱闘である。つねに侍は女を背に庇《かば》った。どうしてか刀は抜かない。鞘ごと把《と》って白刀《しらは》を躱《かわ》し鐺《こじり》で、ゴロツキらの脾腹《ひばら》を突く。急所をつく。ひとり二人、ギャッと奇声をあげてうずくまり、黒い胸毛を見せた雲助は長脇差を敲《たた》き落され、うしろに尻居《しりい》た。  呆気《あつけ》なく、けりはついた。それでも黒羽二重の肩口が裂け、肘《ひじ》と手首に二箇所ばかり血がにじんでいた。         ※  さゞ波が、また障子に光を揺らしている。  お世辞やら詫びを喧《やかま》しく言いたてて女将《おかみ》と女中が姿を消したあと、裂け口の繕《つくろ》いを女はさせてほしいと言った。  そのためには脱がねばならない。  お針箱は女中が運んで置いてある。急須の割れたのや、茶の葉の散らかったのを拭き取った跡の、窓のきわに男は坐った。着物を脱ぐと褌《まわし》一丁だった。意外と白い皮膚をしている。脛《すね》毛は濃い。  女は、半裸なその方は見ないようにして針をうごかし、一二度、針で髪をなぞった。  縫い了《おわ》ると口に糸をくわえて、噛《か》んだ。離れた横からそれを男は注視していた。お針仕事を内職にする女かも知れぬ。そうでなくて元《もと》御殿女中が、こうは縫えるわけがない。 「寒うはございませぬか」  いそがしく針を運びながら女は声をかけてきた。目は針先を見ていた。さいぜんとは打って変って、親しみをこめた口ぶりだった。 「とんだ汗を掻《か》きましたからな」 「武辺のたしなみが、ずいぶん、お有りでございますね」 「なあに、相手が弱かったまでのこと」  声に出さずわらってから……ふと、 「恥を申すと、拙者、刀を所持いたさぬ……鞘の中《うち》は竹光です」  ハッ、と女は眸をあげた。一種言い知れぬ複雑な愁《うれ》いがその双眸に光っている。 「貧乏はしたくないもので」  自嘲気味につぶやいた。横顔に妙に実感がこもっていた。女はあわてて眸を俯せ、それから又いそがしく針を動かした。どちらももう黙っていた。しかしさいぜんとは較《くら》べようのない、それは互いへの信頼と、安穏さに満ちた無言であった。  コトリ、と針箱の蓋を閉じる音がした。男は女へ顔をむけた。折った片脚の膝を彼は抱いていた。  着物と襦袢と、別々に繕《つくろ》ったのを、袖に両手をさし入れて合わせ、女は彼のそばに寄って来た。 「お召しなさいまし」  まるでそれは夫へ着せかける妻のしぐさである。男は、窓ぎわで起《た》ちあがった。しかし背は向けずに正面から凝乎《じつ》と女の表情を見つめ、 「ゆるして頂けるか、あとで着ることを」 「!……」 「そもじそれとも……まだ?」  女はもう男の凝視をそらさなかった。燃える双眸でヒタと彼を見上げ、無言で、かぶりをふる。 「そうか」  男は肩をひき寄せた。されるままに手に持った着物をかゝえるようにして女は抱かれた。  小きざみに女はふるえていた。男の白褌が木片を包んだようになっていた。それが、あたると、やっぱり、腰を引き、 「……怖ろしゅうございます」 「身共がか?」  くびをふる。そして蚊の鳴くような低声で、 「あちらに、どうぞ」面を俯せた。えり足が羞恥《しゆうち》で真赤になっていた。  男は強く肩をおさえてから、はなした。  彼は隣室へいった。女は手の着物を一旦その場に坐って、丁寧にたたみ、四辺《あたり》に目をやった。みだれ籠《かご》のある道理がなかった。無意識に、それでもまわりを見まわして、ようやく起ちあがると、から紙の蔭に寄り、寝室の男の目を避けるように、はさんだ帯|揚《あげ》を抜きはずし、帯を解いた。  障子にはまだ日差が明るかった。輪になって帯は足もとに落ちた。素足である。質素な身なりの通り、下帯も布地のくたびれたものだった。肌襦袢も、腰巻も洗い晒《ざら》しのものとわかる。誇り高い女なら、洗い晒しの肌着と男に知られるのは耐え難い屈辱だろう。  女は躊躇《ちゆうちよ》した。目を瞑《つむ》った。それからゴクンと白い咽喉で何かをのんで、肌着を脱ぎ捨てた。  さすがに腰巻は得はずさない。一瞬、廊下との仕切り障子へ目をやったのは女性の本能であろう。きゃしゃな、脊椎の骨の目立つむき出しの肩をくぐめ、おのが肘《ひじ》で乳房をかくすようにして、隣室へ入り、いったん中腰でむき直ると下を持って唐紙を閉めた。         ※  小|競《ぜり》合いがあった。いやなのではなく、おのれの情炎への抵抗だろう。それはわかっていても男は女のこばむのを詰《なじ》った。  とうとう女はあきらめた。  夜具には括《くく》り枕が並《なら》べて双《ふた》つ。すでに一つから男は頭を抬《もた》げ、女の上におしかぶさっている。女は仰向けに、もう男のなすにまかせ罪の意識に眉をくもらせて乳を吸われていた。ほっそりした撫で肩ながら意外と乳房は肉づきが豊かだった。それを鷲掴《わしづか》みして、交互に揉《も》んでは一方の乳首を舐《な》め、そっと口にはさんで、吸う。男はまだ褌をはずさずにいる。白い両|肢《あし》をひらかせ、上に重なって逞《たくま》しい背に筋肉を漲《みなぎ》らせては乳を吸った。文字通り、むしゃぶりつく概《おもむき》があった。  罪の意識や自責の念には限度がある。限りはなくとも罪の自覚の枷《かせ》を解きほぐすのが性《さが》であろう。女は枕の上で否々《いやいや》をした。亡夫の面影、孤閨《こけい》のつらさに耐えたこと、後家の細腕ひとつで世をしのんで生きねばならなかった過去。落魄《らくはく》の原因。そんなものが脳裏を走馬燈のごとく横切ったかもしれない、或はもう何も考えずにいたかも。口をつぐみ、鼻孔で激しい呼吸をしていた女のからだが痙攣《けいれん》しはじめたのは、乳の男の手が、彼の下半身に伸びて間なしであった。ヒク、と、ひらいていた股をすくめ、それから徐々に力を加えて肢をのばした。女は泣き出した。触れるのを怖れるみたいだった細い腕で男の首すじにすがり付き、もう一方の手で敷布をつかんだ。しだいに、女は頭をもたげ身を起こそうとした。力つきて背すじから蒲団に落ちた。このとき枕がはずれた。それでも腰を左右によじってのがれようとつとめた。かなわない。太い何かが深部にとどいた。女の下半身は波を打ち、男も調子を合わせて動いた。合歓。悲嘆のどん底のような声で、女は、やがて涕泣《ていきゆう》していた。         ※ 「寒うはないか」 「いいえ」 「────」 「はずかしゅうございます……」 「何が?」 「あのように、わたくし取り乱して」 「なんの。拙者こそ餓えたように攻めた……ここ、痛うはないか」  くびをふる。でも、羞《は》ずかしそうに掛布団の中に頤《おとがい》を隠した。  枕を双《なら》べ、むき合って身を寄せている。女の髪が頬にみだれているのを、男は掻きあげてやった。 「そなたに詫びねばならん」 「?……」 「一時にもせよ、あの破落戸《ごろつき》どもの言葉を真《ま》に受けようとした……」 「わかっておりました、致し方ございませんでしょう。お逢いして、まだ、二度目ですもの」 「さようだな。先祖の墓参りなどと殊勝な気をおこしてよかったわ。よい目にあえて」 「お上手《じようず》を、ホ、ホ。でも嬉しゅうございます」 「そなた、気をわるくいたすなよ──子供を、産んだな?」 「!」 「かまうものか。たゞ、その子をどういたしておるか気になったゆえ」 「……親もとへ、預けております」 「男か」 「いいえ……おなごでございます」 「いくつになる?」 「夫と死に別れましたとき、身|孕《ごも》っておりました」 「ならば余計ふびんがかかろう──」 「ハイ、……可愛《かわゆ》うございます」  含羞《はにか》みがちにわらう眸が、まだ歓喜の潤《うるお》いを宿していた。掛布団の中で手が、互いを愛撫し合った。 「さきほど申されたこと、まことでございますか」  しばらくして女がたずねた。囁《ささや》きかける感じだった。 「なんのことだ?」 「悠長には過ごせぬと申されました……」 「まことだ、わたしには老母がいる。母ひとり、子ひとり……生計を身共の手で立てねばならん、いっそ武士を捨てるなれば別であろうが……でもな、貧乏も馴れれば、気は楽なもの。肩ひじ怒らすこともない」 「それは、あなたさまが男だからでございましょう。おなごの身には」 「そうかな」  少時して、 「そうであろうな」  また髪へ、いたわるように手をやった。女は目を閉じた。  ここでも枕の下で水音がする。ヒタヒタ波がさわぐのは近くを船が通って行くのだ。 「……そなた」  いずれの奥向きに奉公したのかと男はたずねた。女はすらすらと答えた。 「ほ、勝小吉のアレか」 「どなたか、存じ寄りの御仁がおいででございました?」 「知らん。だれも知らん……むかしの話よ」  それでも女は目を開いて、男の身の上を知りたそうにした。何やかや問いかけた。当りさわりのない返事をするうちに、いつとはなく、男は親兄弟のことを話していた。低声《こごえ》な語り口だった。聞いているうち女の眉がくもり、痛わしそうに男を瞶《みつ》めると、 「お気の毒に……」  溜め息をついて、「つろうございましたでしょう?」 「何の、浮き世よこれが」 「でも」  言いかけたのが急に、感きわまった声で、 「ふしあわせな者同士──こうして」 「そうよ。今はふしあわせなものか」  蒲団が動いた。脚が絡み合ううごきだった。男は再び枕から頭をあげ、女にむきなおると乳にかおを当てて、やがてふとんの中に身をかくしていった。うずたかく女の下半身のあたりでふとんが盛りあがり、すぐ低くなった。  女はじっとしていた。信じ難いことのようだった。男性からそういう愛撫はうけたことがないのだろう。いきをひそめ、全身にしみとおる喜悦に声をあげまいとして幾度も吁《ああ》、と口を開いた。かっこうのいい唇はその時、少女のようにあどけなかった。枕屏風に描かれた浮世絵美人が嫣然《えんぜん》とそれを見ていた。  男の潜入は頭かくして尻かくさずである。でも、しだいに呼吸が苦しくなったか、かぶっていたふとんを到頭、両手にかつぎあげ、はねのけた。白い女体があられもなく仰臥していた。腰巻はとっくに外《はず》されている。一糸まとわぬ、華奢《きやしや》ながら均斉のとれた肢体。胸からのどにかけて肌の色が薄くくすんでいる。鉛分の多いパッチリ(白粉)を御殿奉公で塗っていた名残りであろう。  男は一|時《とき》、我に返った面持《おもも》ちでそれを視《み》た。もう何もしなかった。女はまだ喜悦の火照《ほて》りに汗ばんで横たわっている。 「身共の願いをかなえてくれるか」  やがて、彼は言った。  女は薄目をあけ、しあわせそうなまだ表情で、 「何でございます?」 「むこう向きになってくれ」 「?……」 「起きるのだ。起きて向うむきにわしの膝に……わたしは嫂《あによめ》がそうしているのを見てしもうた……それが」 「さきほどのお話の……?」 「さよう」  女も我にかえったようである。枕から首をあげ、やがて起きなおって伸ばしていた両あしを斜めにもどして居坐ると、不審そうにしげしげ男のかおを見た。男は真剣だった。かれは胡坐《あぐら》でいた。股間の黒々した毛から陽鉾《ようぼう》が反りかえっていた。チラとそれを見て、 「どういたすのでございます?」 「今申した通りよ、これへ来て、後《うしろ》ざまに跨《また》がればよい」 「────」 「夫婦《みようと》同然ではないか、何をためらう」 「…………」 「いやか」  いやなわけはない。女は立ちあがるとそれでも手で前をかくして膝をかゞめ、羞ずかしそうに男を見おろして身動きしなかった。ずい、と夜具の上で男は前へ出た。 「これへ。──さ」  と言った。  女は馴れていない。向うむきになると、そろそろ、後をむいて臀《しり》を近寄せた。得|堪《たま》らず男は腰を抱いた。 「アッ」  尻餅をつく。 「うっ」  と呻《うめ》いたのは男の方である。臀をおろすとき女は膝をあわせた儘《まま》でいた。苦痛に彼はまゆを顰《しか》めた。女も固いものが臀部に閊《つか》えたのを知っていた。 「堪忍して下さいまし……」  あわてて腰をうかすと、こんどは肢《あし》をひらき、上体を前かがみに徐々に腰をおろした。途中で、その臀部を男はおさえ、手前へ引き寄せ気味に、抱いた。  ふかい手応えがあった。女はのどを詰まらせて、やっぱり、悦びの叫びをあげそうになる。腋の下からまわした手で確《しか》と胴を抱き緊《し》め、指さきで男は乳首をいじった。もう一方の手は腹をなぞりつつ下へおり、前の方をさわった。跨がっているのでいやでも開口している。茂みは濃くもうすくもなかったが毛あしは短いようであった。双方ほとんど運動しなかった。わずかに前へまわした男の手首がうごいていた。女はつかまるものがなかった。肢の震《ふる》えをとめようがない。わずかに身をねじっては背中を反《そ》らせ上体を前に屈《かが》めた。又そらせた。ヒクヒク小鼻で呼吸をした。それから怺《こら》えられなくなると、手をうしろへやり男のからだにさわろうとして、指先がさいぜん遣《つか》った懐紙の束にあたった。女はそれを口に咥《くわ》えた。歯を食いしばって奔《ふ》きあふれそうなものを現わすまいとした。男はほとんど下半身は動かさない。しかし、それで充分すぎたのである。女の背に片頬を押しつけ彼もまた面《かお》を皺《しわ》めて力のかぎり胴を抱き締めていった。何物にも勝《まさ》る歓喜。こんな歓喜が人の世にはあったのだ。この歓びのため明日、人は悲劇を知らねばならぬかも知れぬ。それが、だが人生なら何を悔むことがあろう。 「とても好《よ》うございます……あなた、あなた。……死にそうで、ございます」  もうこれ以上は、とても……女は紙を、落した。ぽかんと大きな口を開け、身をふりしぼって絶叫し、ついで吃逆《しやつくり》を数度した。横隔膜が痙攣《けいれん》していた。男は更に大きな呻きを腹の底からしぼり出すと、 「かたじけない。……かたじけない」         ※  行為がおわれば男の愛は完了する。行為が了《おわ》ったところから愛を育てるのが女である。  部屋の隅に小ぶりな鏡台があった。蓋をとって、女はかおを覗きこんだ。目のふちはまだ赤く、髪は崩れきっていた。ゆっくり腕《かいな》を挙げ、時間をかけて櫛でそれを梳《す》いた。四囲はもう仄暗かった。うす暗い隅に写った顔だけが浮きあがっていた。満足した顔だった。幸福そうにさえ見えた。  だが、貧しい後家が見すぼらしく哀れなのは本当はこの時である。これ以後であろう。  男はなかなか戻ってこなかった。女がたゝんでおいた黒羽二重を着て、座敷を出ていった。竹光という刀は置いたままだった。口には出さなかったが、裂け目のほかにそれは処々小さな継《つぎ》が当たっているのを女はもう知っていた。ほんとうは、その継を見たとき女は肌を許す気になったのだ。  厠《かわや》へ用をたしに往ったにしては帰ってくるのがおそい。彼女はでも気にとめなかった。項《うなじ》から櫛をつかい、髪の撫でつけをおわると、着くずれをもう一度、鏡に写して、立ちあがって帯を結びにかかった。  そのころ、侍は外で数人に囲まれていた。 「理不尽を申す、あれはソレ者あがりなどでないと言うが、まだ分らんか」 「しゃらくせえ。なら何者でい?」 「身共が妻にもらいうける──」 「ぷっ。笑わせやがる……いいか二本差し。ここへ引っけえして来たはその話とは別だ。さいぜんは、よくも舐《な》めた真似をしやあがったな。こんどはそうはいかねえぞ。こちとらにゃ用心棒の先生がついておいでだ。覚悟しやあがれ」  たしかに無頼漢らのやゝ後方に、人相の険《けわ》しい浪人がふところ手で彳《たたず》んでいた。刀は朱鞘の落し差し。脇差は帯びていない。 「先生、かまうことはねえ。この野郎叩っ斬っておくンなせえ」  源三郎は破落戸《ごろつき》など眼中にない。後方の夕|靄《もや》に立つ浪人の腕は、だが、その構えから見破っていた。鬼気迫る、容易ならぬ相手だった。  彼は丸腰だ。 「どなたかは知らぬが」  彼はことばをかけた。 「武士は相身互い……この者らが無体には少々迷惑をいたす。お手前、たしなめて引きとらせてもらえぬか」  浪人はゆっくり前へ出て来た。その口辺に冷笑をうかべ、 「いま妻に迎えるとか申された……本心か?」 「──いかにも」 「物好きな──」  口をゆがめ、 「士道地におちて久しいと我が身を嘆いておったが……下には下があるものよ。それに丸腰か」  ジロッと見据え、おもむろに懐《ふとこ》ろ手を出すと、 「懦弱《だじやく》なやつは拙者虫が好かぬ……死ね」  一閃、抜き討ちがはしった。目にもとまらぬ早業だった。躱《かわ》したが後《おく》れた。鼻を切られ、アッと面《かお》を蔽《おお》う頭上へ二の太刀。これはズーンと頭蓋を斬り下げていた。たまらず侍はどうと倒れた。  同じ時。  虫が知らせたか女はふっと、暗い座敷で四辺《あたり》を見まわして起ちあがると障子をあけ、厠《かわや》の方へ不安そうに歩き出していった……。 [#改ページ]  しぼり芙蓉 [#この行4字下げ]向背位。座位にて接せる女、男に引き寄せられつつ倒れる態《てい》。両脚高く広く揚げ、大輪の芙蓉はなやかに開くに似る。  はじめは将棋の話であった。 「殿がお腕前なれば──」  宏兵衛《こうべえ》は歯に衣《きぬ》きせず言った。 「しょせんはヘタの手なぐさみ。何番お指しなされようとヘボ同士で、上達あそばす道理はコレ無し」 「予がヘボじゃと?」 「さよう」 「新左をもヘボと申すか」 「──さよう」  競技のたぐいは巧者を相手に研鑚《けんさん》してこそ上達するので、何番差したから強くなるというものではない。ましてや殿の鼻息をうかがう輩《やから》を相手では、百番指そうと屁《へ》の突っ張りにもなり申さず、さようのお暇があるなれば少しは文武になりと精をお出しなさりませい、宏兵衛はそう言ったのである。  河内守の顔色が青ざめた。 「予を、ヘボと申したな。よし、ならば一番指してみるか、宏兵衛。万一、屁の突っ張りに相成っておること判明いたしたら、ただでは済まんぞ」 「飛車を落してお相手|仕《つかまつ》りましょうか」 「お、おのれ」 「そのかわり、殿」  それがしの勝った暁《あかつき》には更《あらた》めて言上いたしたき儀コレ有り、お含みおき下さりましょうな、と言った。 「よいわ、何なりと申せ。その代り、よいか。その方負けたら腹を切れい、腹じゃぞ」 「心得てござる」  近侍の者らさすがに面色《かおいろ》を変えたが、言い出したら肯《き》く殿ではない。宏兵衛でもない。  笠原宏兵衛は河内守幼少のころ傅《ふ》となった重臣|頼母《たのも》の嫡男《ちやくなん》で、やがては藩家老を約束された人物である。為人廉直《ひととなりれんちよく》、性また豪放で膂力《りよりよく》衆にすぐれ、武辺では家中に双《なら》ぶ者がない。ただこの人には他人の行為に講評を下す癖《へき》あり、さようの場合にそうしたる心底まことに天晴《あつぱ》れ、それはチト軽挙妄動の譏《そし》りはまぬかれまいぞ、などと一々講釈を述べる。  将棋の場合も同様である。自身はほとんど指さないが、余人の対局をながめて、 「そこで桂馬を跳ねるようでは心ざま卑《いや》しき将棋と相成ろう」 「その五三角成りは車夫馬丁の勝ち方である。武士なれば同じ勝つにも……」  とやる。そのくせ内藤新左衛門と香落ちで指して、宏兵衛が勝つところを見た者がない。香を引くのは宏兵衛である。新左衛門は家中一の巧者といわれるが、断じて平手で指そうとしないのである。  さて容易ならぬ主従の対局が進むにつれて、ひそかに家士たちは狼狽《ろうばい》した。あきらかに形勢は笠原宏兵衛に非であった。一家言あるヘキのことは別として、何を言っても宏兵衛は藩の柱石ともなる逸材である。この点に異をはさむ者はない。万一、勝負がつけば、その剛直の性格から、主君の烈《はげ》しい気性にかんがみても啻《ただ》では済まなくなる。私《ひそか》に児《ちご》小姓に目くばせし、いそいで御家老を呼んでくるよううながす側《そば》役さえいた。  宏兵衛はだが、平然たるものであった。身長六尺余の大男とて、座高きわめて高く、それが悠然と構え、少考ののち、空敲《からたた》きをくれてピシッ、と駒を進める。手ぶりのあざやかさは名人大家の風格あり、とても、形勢非なる局面に臨んだ仁とは見えない。かえって、おのずと背をかがめ必死に読みふける河内守が、短躯痩身《たんくそうしん》の故もあって負け将棋を指していると傍《はた》には見えた。  容赦なく時間は経過した。内藤新左衛門が現われた。チラとその方を見た河内守が口を歪《ゆが》めた。お気に入りの新左衛門の見ている前で、日頃、口うるさい宏兵衛の鼻をあかせる痛快さに思わず泛《うか》べたわらいであったろう。もともと河内守とて暗愚ではない。河内守は西国のさる雄藩の殿様である。歳は二十三である。麻布の中屋敷がたまたま名人伊藤家の道すじに在り、そんなことから将棋を嗜《たしな》むようになって、暇を見ては家来と盤をはさむが素人将棋なのはわきまえている。下手《へた》でいっこうかまわないのである。それを、たかが将棋ごときに上達は覚束《おぼつか》ぬとか、屁の突っ張りにもならぬ等と言われては我慢ならない。先ず新左衛門を貶《けな》すのが悪《にく》い。  かねて宏兵衛の講釈好きには家来たちも辟易《へきえき》している。ここは一番、その広言の鼻をあかすべしとはおもって、盤をはさんでいるのである。  むろん当初はそうではなかった。心から瞋恚《いか》った。しかし局面が好転すると、ふしぎなものでおのずと頬がゆるみ、満悦してせいぜい困らせた上にて赦《ゆる》してやろうという気になっている。ここらが暗君でない所以《ゆえん》である。  局面はすすんだ。はるかな傍《わき》から首を伸ばして観戦していた新左衛門が、アッと叫びをあげそうになった時── 「との」  宏兵衛はそれまでとかわらぬ悠揚迫らぬ態度で、膝の高い姿勢で駒台の桂を取り、 「お願いの儀お聴きとどけたまわりましょうな」  歩のアタマヘ打った。  河内守はまだ気がつかなかった。「おうよ。武士に二言はないわ」言って、即座にこの桂馬を奪《と》った。とって、少時|経《た》って、 「たはっ。宏、宏兵衛その方……」  大逆転である。宏兵衛は弛《ゆる》めなかった。 「それがし勝ち申した、されば殿──」  やおら腰をあげ、坐りなおった。         ※  宏兵衛の言う所はこうであった──将棋と同様、何事も数をこなせばよいというものにあらず。男女の交わり亦《また》しかりである。ヘタはいくらやってもヘタである。  殿には正夫人のほかに側妾両人がおわしますが、未《いま》だ世嗣《よつぎ》の生誕を見ない。畢竟《ひつきよう》するに殿の致され方が下手なのである、よって自分が男女の交わり方を伝授申上げる、強《た》ってこの儀ご許容たまわりますように── 「そちが、夫婦のいとなみを、予に見せるのか?」  さすがに河内守の目は羞恥のまばたきをした。 「御意《ぎよい》にござりまする」 「相、相手はだれじゃ。兼か?」 「——御意」  家臣は、たとえ宏兵衛ほどの士とて、十五歳を過ぎれば主君の寝所へは入れぬものである。奥番(奥向き諸役)をつとめるのは老齢の士にかぎられる。したがって寝所における河内守の媾合《まぐわい》の模様を、宏兵衛が知るわけはない。そのくせヘタと酷評するのである。なるほど、将棋に勝たねば言い出せぬ道理なりしよと、ようやくその真意を察し、河内守は失笑した。  子がないのは夫人が生来病弱なためであった。側室のうち一人は、御三家より夫人の輿《こし》入れする以前に手をつけてあった婦人で、歳は河内守より七歳年長の三十。つまり夜伽《よとぎ》は既に彼女の方で辞退すべき立場にいる。今ひとりの側室は、病弱の夫人が閨《ねや》に差し出した女であるが、これがまた至って蒲柳《ほりゆう》の生まれつきで、とうてい子を産める体ではない。  じつはさらにもう一人、ちかごろ河内守の目にとまった女中はいる。老女滝川の部屋に雇われる小間使いで、容色絶佳、からだつきも豊満で如何《いか》にも孕《はら》みやすい容姿と見えるが、何分にも目見得《めみえ》以下の低い身分で、まだ手をつけていない。  が、それにしても宏兵衛夫婦で媾合の有様を見せようとは。  兼というのは、以前河内守が食指を動かした女《むすめ》であった。それを強引に宏兵衛は娶《めと》ってしまった。河内守がにくからず想っているのを知りながら、である。三年前である。ちなみに笠原宏兵衛はいま三十二の男盛りであるが、まだ夫婦の間に子はない。自分は作れもしないくせに、殿はヘタゆえまぐわいの仔細《しさい》を披露せんと言う。 「宏兵衛」  良《やや》あって河内守は目のふちを赧《あか》らめながら言った。 「そちが伝授いたすなれば子は儲けられるのじゃな」 「御意」 「きっとじゃな」 「御念には及び申さん」 「よし」  かくて河内守は媾合の指導をつぶさに受けることになった。  その日が来た。  いかなる理由にもせよ、宏兵衛が奥向きへ立入ることは許されない。大名は外泊はせぬものである。かならず藩邸(上屋敷)に寝泊りする。したがって妻妾とも上屋敷に同居する。ふだんでも遊びのため大名は出歩いたりしない。せいぜい下屋敷の庭に、桜や梅を植え、花見と称して清遊するくらいで、その際も夜は本邸に帰った。公儀に万一、異変のあった際、藩邸を明けていて火急の間に合わねばお家|取潰《とりつぶ》しの咎《とが》めをこうむり兼ねないからである。  ──そこで、宏兵衛夫婦が媾合の秘訣を披露するのは麻布の別墅《べつしよ》と、定められた。むろん白昼で、爽《さわや》かな初秋の候でもあり、庭の芙蓉を観賞する名目で河内守は麻布に微行したのである。ことが事だけに乗物に供奉《ぐぶ》する家来は数名。もちろん、その場ではお人払いで、御刀《ぎよけい》持ちの児《ちご》小姓も現場には立入れない。  宏兵衛は時刻をはかって別墅におもむいた。武士はたとえ夫婦とても揃って外出はせぬものである。宏兵衛には草履取りの中間《ちゆうげん》が供につき、数歩うしろを、あたかも他人のごとく妻女の兼がこれも武家娘を伴《つ》れて歩いていた。娘は千世といって実家《さと》の姪である。なかなか美眸である。が、それにも況《ま》して、この日の兼は臈《ろう》たけて初々《ういうい》しい内儀ぶりだった。彼女はどうしてお殿様にお目通りに行くのかわけを知らなかったが、事情はどうあれ夫との外出が彼女に嬉しくないわけがない。みだりに武家女はおしゃべりなどしてはならぬと躾《しつ》けられている。でも往来の者らが立ち停まって美しい二人づれを見返るので、羞じらいからだろう、千世は、小声で何かと話しかけた。兼は上の空で受けこたえして、目は前方を往く偉丈夫の夫の頼もしい後ろ姿をじっと見ていた。  別墅はいっさいが略式でも、門から玄関までは砂が敷きつめられ、玄関には式台あり、式台をあがったところに河内家の家柄を偲《しの》ばせる鉄砲が飾ってある。玄関を上ると畳の寄りつき、次が書院で、今の応接間にあたる。別に玄関のわきに後へさげて中の口という所があり、仍《すなわ》ち内玄関である。兼たちはこの中の口の方からあがった。すでに河内守の到着していることは玄関前に据えられた乗物でわかっていた。  こうして兼は三年ぶりにお殿様へ拝顔の栄に浴した。あくまで夫婦揃ってのお目通りだから夫のかげへかくれるようにして、御前に出た。別棟の奥書院だった。 「ひさしぶりじゃな、息災《そくさい》か。兼、面《おもて》をあげよ」  お声を拝して、正坐の夫の稍《やや》後方で彼女ははじめて眸をあげ、久闊《きゆうかつ》のご挨拶をしながら、そこは武家育ちである、書院の有様が普通でないのに気がついた。  先ず側小姓が誰もいない。いかに別墅での寛《くつろ》ぎとて、河内守は袴もつけず鼠色無地の羽二重の着流しに腰帯ひとつ、まるで寝所の扮身《いでたち》で、床の間を背に脇息に凭《もた》れている。しかも襖《ふすま》を開け放った控え座敷にはあろうことか、金泥の屏風をめぐらして夜具が敷きのべられ、枕が雙《ふたつ》すえられてある。  けげんのおもいで彼女は夫の横顔をうかがい見た。  宏兵衛は素知らんふりで、 「しかれば殿、はじめまするぞ」 「予は、ここにおるのか?」 「当書院内なれば、いかような場所におわしまそうとご随意」  言って、 「兼、まいろうか」  腰をあげた。兼にはまだわけがわからなんだら、 「何事もご奉公じゃ。われらが夫婦の睦《むつ》み、つぶさに殿にご披露いたすぞ」  アッ、と兼は驚倒し、 「あ、あなた」  思わず上ずって夫のはかまの裾を抑えようとしたが、 「ご奉公である。参れ」  逆に手首を鷲掴《わしづか》みされ、別室へ引っ立てられた。そこで衣類を脱《ぬ》ぐように命じられた。  お兼はもう茫然《ぼうぜん》自失して、声も得《え》立てず夫の面《かお》を見|戍《まも》るばかりである。  宏兵衛は委細《いさい》かまわず、自ら先ず腰の脇差をはずして片隅の刀架に載せ、ついで上下を脱ぐ。帯をほどく。  習慣でそのあと片付けをしようとしたら、 「かまわぬ。早うそもじも脱がぬか」  叱りつけられた。いつに似ず尖《とが》った怖《こわ》い眼だった。  兼は聡明な女性である。淫《みだ》らな意図で夫がそれを望むのでないのを、察した。死ぬほど恥かしいことであったがもう観念した。  どちらかといえば、ふだんはそういう行為に淡白な夫である。物足りぬことさえある。それが人前で、それも主君の御前で交わろうというからには、深い仔細《しさい》のない道理がない。きっと、殿様の御前で妻の自分を辱しめたいのだろうとおもった。兼は、無毛症にちかかった。自分は女として、妻としても何ひとつ瑕瑾《きず》のない婦人のつもりであるが、ほとんどそこに毛のないのだけは、常々悩みの種である。でも夫はついぞそれを指摘したことはなく、無言にむしろいたわってくれていた。兼は仕合わせであった。それが今、あろうことか、殿の御前で……。  不具の身体を他人に知られるのは死にまさる苦痛である。でも夫は脱げという。彼女は覚悟した。仔細はどうあれ、夫を信じる気持だけは失わずにいられそうな予感がしたのである。それさえ失わずにいられれば、あとで不具を詫《わ》びて、死ねばいい。そう覚悟を決めると、夫以外の人に肌を見られるはずかしさもさほど気にならなくなり、彼女は脱衣にかかった。かえって宏兵衛のほうが、書院の主君の目を避けるように境の襖の蔭に入って、脱いでいた。その様子をチラと見て兼はやっぱり動悸を激しくしたのは、女の性《さが》であろうか。ふだんと異《こと》なって彼は寝巻など所持していない。当然、丸裸になり、ふんどしも脱《と》っていたが、日頃頼もしいソノ部分は早や怒脹《どちよう》していた。兼はいそいで夫に背を向け、そっと着物を肩から滑り落した。  宏兵衛は全裸で、先《ま》ず隣室の主君にむかって正坐して一礼し、 「しからばこれより始めまするぞ」  言うやクルッと肢《あし》を胡坐《あぐら》に組みなおして、 「兼、契《ちぎ》りをかわそうぞ」  兼はどうしてよいか見当もつかなかった。ふだんの体位はきまっていた。彼女が仰臥《ぎようが》し、あとすべて夫の為すにまかせている。──それで、お殿様の方は見ないでそっと夫のそばへ寄ると傍に身を横たえようとしたら、宏兵衛が言った。 「どうした、ふだんの通りいたすのじゃ、おゆるしはたまわっておる。かまわぬ。前へ参れ」 「?……」 「早うせい。──但《ただ》し」  主君に尻を向けるは非礼であればこちらを向くことは相成らん、と言う。  魂消《たまげ》んばかりに兼は愕《おどろ》いた。それでは夫《つま》たる人にこんどはお尻を向けることになる。ついぞそんなあられもない姿態《したい》を彼女は見せたためしはないのである。兼はまだ湯文字を腰にまとうていた。そのすがたで、しげしげ、穴のあくほど夫の顔を見まもった。宏兵衛も一途《いちず》に妻を見返した。その眼に光るものがあった。 「殿へ御覧に入れるのじゃ。早うせい」  この声には無限の懐《おも》いがこめられていた。 「ハイ。……」  兼はおもわずコックリをして、立ちあがり、主君の方へ向いた。  襖を開け放ったこちら側である。後《うし》ろに敷きのべられた儘《まま》の夜具がある、その後方に更に金屏風が立てまわされている。  さすがに河内守はゴクンと生唾《なまつば》をのみこむ様子だったが、面《かお》は向けてももう兼の目には何も入らなかった。彼女はどうしてよいかわからなかった。撫で肩で、裸身は意外と肉付《ししづき》がいい。双の乳房は適度のふくらみを有《も》ち、乳暈《にゆううん》は淡い桜色である。水色の湯文字の裾を宏兵衛に掴《つか》まれ、引き寄せられた。裾前がひらいて、白いすねが露《あら》われた。夢中でそれを抑え、後《あと》返ったら、 「来い」  宏兵衛の目が促《うなが》した。愛情に溢れた眼で、主君の御前さえはばからずその眼は堂々と情炎を燃やしていた。妻の悦《よろこ》びと、期待に、早や兼はしびれ、もう何も眼中になくなった。踵《かかと》でスルスルと湯文字を引っぱられるままに後退したら犇《ひし》と胴を抱き寄せられ、 「坐るのじゃ、わしの、膝に」  低い声が、露《あら》わな背すじへ熱い息を吐きかけて、言う。  本能的に両ひざを合わせて、横坐りしようとして、 「あなた」  思わず悲鳴をあげてしまった。たくましい手首が前へ伸び、ひざ小僧をつかんで肢を左右に開かせるのである。強い力で、さからいようがなかった。軽々《かるがる》と彼女は、腰ごと、夫の膝にのせられていた。 「何事も急《せ》いてはことを仕損じ申す。よろしいか、との。婦女子は先ずかように、指もて、このあたりを……さよう、ここら辺を」  前へまわした手のひらで下腹部から下をなぞるように、徐々に手をくだし、恥ずかしいふくらみを|掌 《たなごころ》でつつむようにして、やおら指さきを鋭敏な個所にあて、軽く輪を描くしぐさを繰り返した。  ながくながくそれをつづけた。腋の下よりまわされた片方の手は、やさしく乳首をいじってくれる。  生身《なまみ》の女である。常にもましてやさしい愛撫であった。殿様に見られることも今はかえって異常な刺戟となり、兼は目をとじ、こころもち後頭部を夫に靠《もた》らせ、身内《みうち》に沸《たぎ》るものに全身をまかせていた。兼は脚《あし》は太いほうであった。湯文字はまだ付けていたがわずかにその上辺の晒《さらし》の部分が腰に着いている程度、あとはぱあっと捲《まく》り分けられ太いむっちりした腿《もも》が惜し気もなく内側をあらわしている。その中央を宏兵衛の指が上下になぞっていた。  河内守は自分では女体のあつかいはわきまえたつもりであった。妻を宏兵衛が膝に抱き乗せるのを眺めて、だからニヤニヤ笑いをことさらに泛《うか》べた程である。女の急所は、病弱の夫人も兼もかわりがない。心外な個所を刺激する様子もない。──ただ、夫人や側室に人並みにある繁茂が兼にないのが意外である。俗にいうカワラケで、あたかも搗《つ》きたての餅のように、桃に似たふくらみをあらわし中ほどに小さな観音様が、鎮座まします。宏兵衛の指が詣《もう》で行き、詣で去るのがひときわクッキリとわかる。まるでお百度をふむが如くである。  そのうち、白い両あしが徐々に踏《ふ》ん張るように小|刻《きざ》みな顫《ふる》えを見せはじめてきた。かっこうのいい臍《へそ》が深呼吸に、くぼんだ。眉を剃り落した美しいひたいに竪皺《たてじわ》を寄せ、鼻すじの通った、可愛い口が、精いっぱい下くちびるを齧《か》んでいる。皓歯《こうし》のそのあいだから、微《しの》び怺《こら》えた吐息がもれる。  すこしずつ河内守は興奮せざるを得なんだ。兼は空《くう》に手を泳がせ何とか背後の夫にすがりつこうとして、そのくせ全身を彼にゆだね切っていた。嫉《ねた》ましい位それは夫婦の見事に和合しあう有様と見えた。宏兵衛はまだ何もしようとしないのである。ただ、なぞっていたあたりを押し分けようとする。  そのたびにそれも亦《また》こころよい刺戟を彼女の全身につたえてゆくようであった。けっして指は丹穴へ闖入《ちんにゆう》しようとしない。奥の院へは敢て詣《もう》でないで、再《また》、秘所周辺のお百度が繰り返される。ながいながいあいだ、それだけが続けられて止むことがない。扉の下には鎌首があたかも蝦蟇《がま》のごとく蟠《うずく》まって、機をうかがっている。 「宏兵衛、あいわかったぞ」  たまりかねて、河内守は口走った。 「それは最早《もはや》あい分った。夫婦の媾合《まぐわい》をいたせ。……早う」  その時である。河内守の焦《いら》立つ声を待ちかねたように広縁に面する障子が颯《さつ》と開いた。気配に河内守が目をやると、庭に咲く桔梗《ききよう》の花から浮かびあがった妖精のように、一人の女性が廊下に立ち現われ、老臣に背を押されて書院に入って来た。はいると忽《たちま》ち老臣は外で障子を閉め立てた。  彼女は、どうして此処《ここ》に連《つ》れられたかさっぱりわからぬ面《おも》持ちで、一|時《とき》、ぼんやり河内守を眺め遣《や》った。そのうち彼がお殿様と気がついて怖《あわ》てて正座し、平伏した。  彼女の出現に怪訝《けげん》のおもいは河内守とて同じであった。 「殿」  そのとき宏兵衛が言った。「妻《さい》の姪にござる。──千世、われらが主君であるぞ。ご挨拶を致せ」  しごく落着きはらった語調だったから、千世は平伏のまま畏《かしこ》まって、 「存ぜぬこととは申せ失礼をばつかまつりました。御家人古嶋弥平の女《むすめ》千世にござりまする」  鄭重《ていちよう》にご挨拶した。  兼の姪というのが河内守を一瞬、我に返らせた。それでもまだわけわからずにいたら、 「との」  同じ語調で宏兵衛は言った。「後学のためにござる、千世にも同席をおゆるし賜りまするよう」  それから、 「千世、男女はかようにして交わるぞ。見ておくがよい」  言って、乳房をいじっていた片手と、前にあてがった手をともに兼の膝がしらにかけ、ぐいと一そう甚だしく股間をひらかせた。宏兵衛の言葉に何気なく目を上げた千世は、失神せんばかりに驚き周章《しゆうしよう》した。  蝦蟇はまさに秘奥に潜入せんとしていた。巨根というべきであった。兼は夢遊の境地をさまようごとく、汗ばんだ頬に後《おく》れ毛をまといつかせ、髷《まげ》のくずれかかった頭を後へ倒し咽喉《のど》を反《そ》らし、胸をそらして夫の、なす儘《まま》でいる。かるがる宏兵衛は妻を臀《しり》ごと持ちあげた。それから、宝物を神前に据《す》えるよう、そうっと、我が上におろした。  全身をしぼるような愉悦の声を兼はあげた。素晴らしい涅槃《ねはん》図である。極美の世界である。これにまさる人間の結びつきが世にあろうとは思えない。蝦蟇は身長の半ばを顕《あら》わしたり匿《かく》したりして緩慢《かんまん》にその胴を動かしていた。  それが真っ正面に見えるのである。兼は白い両あしを左右いっぱいにひろげられ、われとわが乳房を羽交《はがい》締めして激しく頭をふり、意味のわからぬ囈言《うわごと》を発した。うわごとに歔欷《すすりなき》が時折まじった。宏兵衛のほうは、筋骨隆々たる腕に、彼女をかかえあげ、卸《おろ》す運動をやめなかった。爽かな秋というのに、夫婦の肩口には玉の汗が光っていた。眺めて恍惚《こうこつ》となるほど美しいそれは格闘でもあった。一敗地にまみれるのは、しょせん、後方から攻められた方であろう。  河内守は興奮のまっ只《ただ》中にいて傍《かたわ》らの千世を偸《ぬす》み見た。千世は火のようにかおを火照《ほて》らせ深々と差し俯《うつ》向いてじっとしていた。よく見るとぶるぶる肩がふるえていた。それは鷲《わし》に襲《おそ》いかかられるのを予感した小鳥のようであった。その可憐な様子が若い殿様の熱情を遂に炸裂《さくれつ》させたのである。そうなれば、あとは意馬心猿。 「千世と申したな。ゆるす、近う参れ」 「あ、アレ……何をあそばします」 「よいわ、宏兵衛の肚《はら》は読めた。予をそそのかしそもじを側室にさせよう魂胆であろう。さすれば懐妊いたすのか、乗ってやろう。よい、宏兵衛が策にのってやる、参れ」 「お、おゆるし下さいまし……わたくしには行末を契《ちぎ》ったお方が……どうぞそればかりはおゆるし下さいまし」 「二世を契った?……宏兵衛、これが申すこと、まことか?」  頭に血ののぼった凄《すさ》まじい形相で河内守が宏兵衛を睨《にら》みつけた。  夫婦は喜悦の頂上にさしかかっていた。妻の背にかくれて宏兵衛の表情は見えなかった。 「……兼、わしは満悦である、兼」 「嬉しゅうございます、あなた……これで、このままで」  かすかな悲鳴が書院でおこった。処女《おとめ》は殿様に押し倒され、必死に抵抗していた。下地はだが出来てしまっていた。千世は夫婦の名を呼んで助けを求めながら殿様の自由にされていた。         ※  長い時間が経過した。  日は暮れて四囲《あたり》はもう薄暗くなり、書院は身づくろいをした兼と宏兵衛の夫婦だけが残っていた。 「慍《おこ》っておるのか?」  しばらくして宏兵衛がいった。兼は無言でくびをふっていた。 「わしは、ああいたすほかはなかった……殿はお局《つぼね》の部屋子に目をつけておられるそうなが、身分の低いはともかく、性根のよろしくない町娘と聞いてな、殿にご翻意《ほんい》をうながそうにも他《ほか》に術《すべ》がない。それで已《や》むなく、千世を」 「あれはこの後どうなるのでございますか」 「殿のご気性じゃ、お手のついた上は親もとにも充分の手当てを賜わろう……清十郎とか申したな、あの男には気の毒じゃが……もともと、あまり気のすすまぬ縁組と申したはそなたじゃぞ」 「でも、一たん約束したことでございますもの」 「わかっておる」 「どうなさいます」 「そなたはどうする、やはり、死ぬるか?」  かすかに、白い貌《かお》があがって夫を見つめた。すぐ、もとのように彼女は差し俯向いて面《かお》をそむけていた。その科《しな》に羞じらいの色があった。 「はじめてでございますもの……」  少時して蚊の鳴くような声で、「でも、とてもようございました」 「わしとて同様よ、あれが、あように味よい体位とはの。これ迄粗略で、惜しい事をした」 「あなた」  声を合わせて夫婦は低声《こごえ》に笑った。 「これからどうする」  しばらくして宏兵衛が言った。「武士が一たん約したことじゃぞ」 「あなた様のおっしゃる通りに──」  兼はこたえた。何の未練もとめぬ澄んだ声であった。 「そうか。わしに、まかせてくれるか」 「ハイ」  それから書院は静かになった。庭で虫がすだき出した。──どれ程かたって、パアッと障子に血しぶきが散った。講釈好きと人はいうが言葉をおろそかにせぬ、いかにも笠原宏兵衛らしい潔《いさぎよ》い最期であった。 [#改ページ]  横  笛 [#この行4字下げ]亭主身を横たえて少し上向きとなり、女房を半分ほどのせかけ腰のつかい難き女房をうまくあやなして差しこみさしこみ、快美の極を味わうを何ゆえか、横笛と曰《い》う。  寝苦しい夜がつづいた。  律《りつ》は二十六の人妻である。  お清《きよ》の中臈《ちゆうろう》だった伯母に厳しく躾《しつ》けられて、成人した。  武家|女《むすめ》が鼾《いびき》をかいてはならない。  あお向けに寝てはならない。  どんな微《かす》かな物音にも耳|敏《さと》く目覚めるよう、不断に、こころの緊張を保たねばならないし、嫁《か》してはいかなる場合であれ夫の目覚めたあとも、居ぎたなく眠り込んではならない……  耳が痛くなるほどそう言いきかされて、律は育った。  習慣はおそろしいもので、今では、裏長屋の侘《わ》び住居《ずまい》であるのに、隣家の赤ん坊の泣き声にも目がさめる。どうかすれば、夜中、野良犬が路地をヒタヒタ走る音や、長屋の者が表に出て溝《どぶ》に放尿する、かすかな気配にもハッと目が覚め、耳を澄ましてしまう。それでいて、曲者《くせもの》の仕業でないとわかれば寝返りして再《また》、とろとろとまどろむのは訓練のたまものというものか。  律は、二年前にこの西神田鍋町の裏長屋に越してきた。むろん浪人者の夫と一緒であった。  引っ越した当座は、もう驚くことばかり。何よりも胆《きも》をつぶしたのは、女房たるものが夫の面《かお》を引っ掻く、左官夫婦の痴話喧嘩であった。  謡曲を騒々しいと言われたのにも、呆っ気にとられた。夫の新兵衛は謡《うた》いが好きで、余暇があると夫婦さし向いで声を合わすことがある、すると、長屋の連中は、謡曲なるものを聞いたことがないそうで、 「アリャなんだろう、トウカミエミタミ祓《はら》い、でもねえようだし……高天《たかま》ガ原じゃねえんだな」  ヒソヒソ鳩首《きゆうしゆ》のすえ、近所の家主《おおや》に聞きに行って、はじめて、婚礼の時の高砂やがアレだとなっとくしたそうである。  生い立つ身のちがいによる、こうした戸惑いは当初はかぎりなくあった。  引っ越して間なしのころに、律は隣家へ酢《す》を借りにいった。 「旦那さまが蓼酢《たでず》を喰べたいと申されますが、急場の間に合わぬゆえ少々御無心申します」  頭をさげるわけではなく、町人へ物を申しつける気持が、おのずと態度に出ていたのであろうか。隣家のよめは、もう三十をだいぶ過ぎた鋳掛《いかけ》屋の女房だったが、衿《えり》もとをはだけ、生まれたばかりの赤子《やや》に乳を呑ませながら、坐りなおらぬばかりか、かえって子を抱えなおす体《てい》で、ぷいと尻を向け、 「あいにくでござんすねえ、うちも切らしてンですよ」  突っ慳貪《けんどん》を喰ったのである。律はもどって夫に言った。 「今日ほどわたくし赤面いたしたことはございませぬ。少々の酢まで町人は物惜しみいたすのでございましょうか?……それにしても、こちらは然るべき口上を述べておりますのに、背をむけて断わるとは、まことに心外な応対に存じました」  世が世なら、いかに零落すればとて直参の旗本、鋳掛屋ふぜいに妻の体面をけがされ、夫は只でお済ましになるまいに……そう思うと律はくやしくて涙ぐんだのである。 「さようか。にべもなく断わられたか」  夫の新兵衛は意外にも苦笑すると、 「そちにも苦労をかけるな。ゆるせ」  かえって律は慰められた。気丈な以前の夫には到底考えもつかぬ気魄《きはく》のおとろえであった。  ──もっとも、引越したばかりのころ、律は長屋暮らしに馴れず、ずいぶん近所の者に迷惑をかけた。  そもそもお金の勘定を知らなかったし、水桶や洗濯板など、各戸の表に出してあるものは勝手にもってきて、我が物がおに使う。米を研《と》がせれば夫婦二人分のわずかな米を、笊《ざる》から頻《しきり》にこぼし、いったんそうして地に落ちたものを夫に食べさせるとは以ての外とおもうから、そのままうち捨てて、 「ナンテまあもったいない……これじゃ研《と》いだのより零《こぼ》した分が多いだろうよ」  あとで井戸端に女房連は集まり、あらそって拾ってはボソボソ前歯で噛んでいる。万事がそんな調子で、朝起きれば一番に髪を撫でつけ、律はふしだらな身なりをせぬようキチンと着物を着、帯をしめるが、それすら 「ふン、朝っぱらからズベラズベラしたお蚕《かいこ》物なんぞ着て、何だい」 「そうさ。お高式《こうじき》に構えてさ」  反感を買ったらしかった。律よりはいくらか世間というものを知る新兵衛には、そんな武家の妻らしくあろうとする律を悪《にく》む長屋の女房共の心情も自《おの》ずと察しはつくらしく、 「捨ておけ、気に病めばそちが惨《みじ》めになるだけであろう。──いまに皆もわかってくれる時が参る」  もっぱら気にするなの一点張り。そして自身は、むしろ気さくに左官や屑《くず》屋や、鋳掛《いかけ》職人と朝の挨拶を交している。  おかげで、近頃では長屋の連中もあまり理由のない反感は、律に示さなくなり、律の方も世|狎《な》れてきた。でも幾度、夫に知られぬよう物蔭で目頭をぬぐったか知れなかった。どうにか、笑顔で井戸端会議に律も加えられるようになったのは、ほんの此《こ》の一月ばっかり前からである。  ちょうど夫が、仕官をあてに遥々《はるばる》越後へ出立したころからであった。         ※ 「旦那はまだ帰《けえ》っておみえじゃねえんですかい」 「ありがとう存じます……あと十日もいたしましたら、帰ってくれますかと」 「それじゃもうちっとのご辛抱で」  引越した当座から、独り者のゆえもあろう比較的ざっくばらんに付き合ってくれる大工とそんな会話をして、もう半月以上も過ぎたのに夫は帰ってこない。このころからそして、寝苦しい夜がつづいた。  隣家の夫婦の睦言《むつごと》が原因なのは、気羞ずかしながら律にもわかっている。  鋳掛屋《いかけや》とは反対側の隣りである。あの大工が世帯をもったのだ。  よめに来たのはもと深川の水茶屋で働いていた女で、髪が黒く、眉の濃い、肌の浅黒くしまったいわゆる男好きのする質《たち》らしく、二人は以前から割りない仲だったという。  それがようやく新世帯をもったので、だれ憚《はばか》らず夫婦のいとなみを交せる嬉しさもあってであろう、夜毎《よごと》、床が軋《きし》み、夫婦喧嘩で女房が叱られてでもいるような啜《すす》り泣きの声をあげる。どうかすると、それがなかなか歇《や》まないで絶叫にかわり、ハッと律は枕の顔をあげることもあった。  喧嘩が嵩《こう》じるようなら、隣人の誼《よしみ》で、仲裁に入らねばと考えたのだ。でも絶叫のあとあきらかに喜悦する声で、亭主の大工の名をくりかえし女は口走り、呼応するごとく大工も犇《ひし》と女房を掻き抱くと何やら呻《うめ》いている。  信じられぬことだった。律は、わが耳を疑った。  はしたなく寝乱れてはならない、そう躾《しつ》けられ、少女のころから律は両足を紐《ひも》で括《くく》られて眠った。鼾《いびき》を掻かぬよう懐紙を啣《くわ》えて寝ることを教わった。それほどだから、夫との房事に際してもつとめて平静さを律はよそおう。  それが武士の妻のたしなみと思い込んでいる。  律とて生身の女であれば、夫に抱かれるのが嬉しくない道理はない。新枕のときは気が遠くなるほど苦痛だった。でもしだいに馴れ、媾合を決して不快と思わぬばかりか、臓腑を突かれるのが言い知れぬ快美感を味わわせてくれる時さえあってアッと呼吸《いき》をのむ。  でも、取乱しては夫にわるい、浅間しい女では疎《うと》んじられると必死に声を微《しの》び、鼻息さえ立てぬようにしたのである。  新世帯の睦みはそうではなさそうだ。互いが誘い合うように、阿吽《あうん》の呼吸というのであろうか、床の軋《きし》みとともにしだいに吐く息が荒くなって時々、 「ヒイーッ」  のど笛を吹くような嗚咽《おえつ》を女は、もらす。吾が身にかんがみてそれがけっして苦痛のためでないことは律にはもうわかっていた。指で思わずだから耳に栓をした。  眠られないのは、かえって、隣家が寝静まったあとになる。悶々ともだえる。そんなわが身のはしたなさに自責の念をおぼえるから、一そう、目は冴え、かろうじて夫の寵愛を想い泛《うか》べることでまどろみに入るのである。 「三十後家は通せぬ」  と糊《のり》売り婆さんが歯ぬけの口に卑《いや》しい笑をうかべ、井戸端で律に話しかけたことがある。夫の出立して間なしだった。何を言っているのかと、洗濯物に精を出し律はお愛想笑いで聞き流したが、今にして老婆の言わんとするところは、痛い程、わかってきた。二十六で、孤閨《こけい》がこんなにも切ないのでは、と。  ──といって、いまの律にはひたすら、夫の帰りを待つほかに為《な》すすべはない。指おりかぞえて予定より一月ちかく過ぎたころから、朝、起きると常よりは丹念に髪を梳《す》き、大事に遣《つか》っている、昔日の華やかさを偲《しの》ばす口紅を、薄く、ひくようになった。いつ夫が扉口ヘ立ち帰ってもあわてぬ為にと、自分に吩《い》いきかせながら。  本当は、夫の帰着がおそすぎるのに、もしや、非業の最期でも遂げたのではあるまいか……不吉な予感がしてならず、それを追い払うためだった。         ※  律は、三歳のとき両親に死別し、柳営《りゆうえい》(江戸城大奥)で中臈を勤めたのが自慢の伯母の手許に育ったが、十八で、小身ながら旗本の夫に嫁《か》すまで、一度も、伯母が素顔でいるのを見たことがない。どんなに夜分、むずかって起き出しても伯母は居間に盛装で正座していた。ポッチリ(白粉)の厚化粧だった。律が物心ついたとき、伯母はもう五十の媼《おうな》でそうなのだ。 「殿方に素顔を見られるほど女として、はしたないことはありませぬ」  というのが伯母の口癖だった。生涯、伯母は未婚で(多分は処女のままに)終った人であるが、おそらく肉親でも伯母の素顔を見た者はないだろう。  そんな身持ちの厳格な婦人に躾けを受けて育ったのだ。朝、どんなに早く夫の新兵衛が目覚めても、律はキチンと朝化粧をし、夫の目覚めた気配に逸《いち》早く好みの白湯《さゆ》を用意して枕頭に侍《はべ》り、 「お早うございます」  三つ指を突いて朝の挨拶を述べた。  新婚の日から、変らずこれはつづけているが、かくべつ、律が健気《けなげ》なわけではあるまい。武士の妻は皆そうなのであろう、それを証拠に、ついぞ夫はそんな律に怪訝《けげん》のまなざしをあげたことはない。寝所の唐紙をあけて律が挨拶すると、 「お早う」  かるく言葉を返し、さすがに寝床に起き直って律の差出す白湯を受け、おいしそうに一口してから、 「空模様はどうじゃ」  晴れているか、曇りかと訊《き》くのがこれ又、新婚以来、いちども変ったことがない。  鍋町裏のこの棟割長屋は、わずか二間《ふたま》、移った当座は律はどこに寝《やす》んでよいかわからなかった。武士には忌日というものがある。ご先祖の命日には本来なら斎戒沐浴《さいかいもくよく》し、不浄の女身は近づけぬものである。  奥の六畳を夫の寝所兼居室とすると、律は次の間に臥《ふせ》るほかはなかったが、そこは戸口の土間から障子一枚をへだてるだけ。  さすがに心細くて躊躇《ちゆうちよ》していたら、 「よいわ。かく落ちぶれてご先祖への物忌《ものいみ》でもあるまい。これへ床をのべなさい」  言われたとき、万事にけじめをつけてきた夫がと、はじめて、落魄の境涯に想い到り律は涙を怺《こら》えるのに精いっぱいであった。  夫に越度《おちど》があっての御役|罷免《ひめん》ではない。いわば上役の過失の責を負うたので、想い出すのも不快な話ながら、 「申すな。今さら言うては愚痴となる」  たしなめられて口はつぐんだものの、考えれば、やっぱり口惜《くちお》しかったし夫にも申し訳がなかった。  大名家に嫡子がなく、当主が亡くなると、死体は朱詰めにして秘匿し、跡目養子がきまった上で、病気の届け出を老中へ達する。すると若年寄大目付が御判元見と称して大名邸におもむき、このとき、六枚折の枕屏風が折廻してあって、藩主は生存中の体をなし、屏風のうちから用人がソッと殿様の替玉で願書を差出す。これで家督相続がはじめて成り立つが、これには裏で賄賂《わいろ》がずいぶんつかわれるのは公然の秘密である。  ところが、賄賂《わいろ》が少なかったためか、他の理由でか、 「これは奇っ怪、只今願書を出したる手は皺だらけと見うけたぞ。当主は未《いま》だ二十代の青年にてはなきか」  言い放った大目付があった。むろん厭味を言った迄で、死を暴露するほどの肚《はら》は決めていなかったろう。だが、この一言で列座の者ひとしく顔色を失い、わけて屏風の蔭にいた用人の周章狼狽《しゆうしようろうばい》は察するに余りがある。  つい見兼ねて、この時、膝を進めたのが御判元見に供奉《ぐぶ》していた高田新兵衛であった。  藩主の死が公けになってしまえば大名家は法度《はつと》に依ってお取潰し、何千という家士やその家族は禄を失い路頭に迷う。それが己《おのれ》一個ですむのである。  大名家には、律のあの伯母の実家があった。新兵衛は、 「暫《しばら》く」  大目付を制し、若年寄にむかって、 「たしかに皺多きように見受け某《それがし》大目付どのまで耳打ち仕《つかまつ》りしは、まったく以て此の身が粗忽《そこつ》、只今の手、まさしく当藩公が若々しき御手に神以て間違いはござらなんだ」  自分の失言であったと潔《いさぎよ》く陳述したという。  お蔭で、大名家はつつがなかったが以ての外の放言とて新兵衛は御役ご免、且つは大目付の悪《にく》しみもあって知行を没収され浪人になってしまった。四年前だった。  当時の新兵衛のはからいを多とし、わが藩にてぜひ仕官をと斡旋《すすめ》る用人の言葉に誘われて、大名家の国許《くにもと》へと旅立って行ったのである。  でも、それが、予定に一月以上もおくれてまだ立ちもどらぬのを見ると、もはや、後累《こうるい》を惧《おそ》れた大名家の深謀で、夫は暗殺されたのではあるまいか、そんな不吉な予感がしきりにするのである。お家の安泰のみをねがう大名ならやりそうなことで、曾《かつ》ては律の両親もそんな主家安泰のため刺し違えたのだった。  万一、夫が謀殺されていたら……そうおもうと胸がつぶれる。そうした不吉な予感を払いのけるためにも、朝、祈る念《おも》いで鏡に対《むか》い、彼女は口紅を引くのだ。そうして出来るだけ、粧いを怠らぬようにした。  世間の見る眼はちがった。かねて親密だった大工が嫁をもらうと、急に負けまいと身綺麗にしている。  きっと大工の気を惹《ひ》きたいからだろう、何とまあ武家の奥様でありながら浅間しい……そんな蔭口をまだしている女房がいると知らされた時には、いかな律も戸を閉め立て奥の部屋で泣き崩れた。いっそ死にたい想いだった。         ※  もと新兵衛の草履《ぞうり》取りをつとめ、長年奉公していた老僕がいた。  浪人後も、弥平というこの老人だけは、折々、裏長屋に姿を見せて世間馴れぬ律をずいぶん助けてくれた。  律は弥平のおかげで、どんなに浮世というものを教えられたか知れない。  その弥平が、バッタリ姿を見せなくなっていたのが、或る夕刻、ひょっこり顔を出したから律は、 「まあ弥平……ずいぶんしばらくぶりですことね」  喜んで、 「さ、おあがりなさい」  戸口に突っ立っているのへ、早速、もてなしのお茶でもと用意しようとしたら、 「奥様」  まだ戸口に立った弥平が、何とも複雑な作り笑いで、 「わっちのこの姿が、お目に入《へえ》りませんかい」  言われて初めて旅のいでたちなのに気がつき、 「オヤ、旅にお出なさいますのか?」 「いいえ」  くびをふると、 「帰って参りました」 「?……」 「越後からで」  アッ、と律は声をのみ、 「それでは、旦那さまは?……」 「ハイ、ひと足おさきに報《し》らせに走って参ったんで……追っつけ、殿様はこれへ──」  どうして履物を突っかけ外へ転《まろ》び出たか律はおぼえていない。  長屋の路地を、なるほど、夫の長身が笠を手に立ち戻ってくるのを見たときは、もう胸がいっぱいで、嬉し涙がこぼれた。出立の時とかわらぬ浪人髷だった。それが何を意味するかも律は考えるゆとりはなく、ただ、いそいで頬をぬぐい、わきあがる歓びで、 「おかえりなさいまし……」  深々と最敬礼をした。  新兵衛の眼は、出立のとき同様、なにか眩《まぶ》しそうに律をながめ、 「いま帰った……変りはなかったか」 「ハイ……あなた様も、ご無事で……」  涙がとめどなく溢《あふ》れそうだった。いや実はもうボロボロこぼれる頬で、心底、晴れやかな笑顔になって、 「おかえりくだすって、嬉しゅうございます……ほんとうに」  そんな妻の歓びを見る新兵衛の眼が、一瞬、翳《かげ》りを宿《やど》した。新兵衛はだがその場では何も言わなかった。律も何もきかずにいろいろと濯《すす》ぎの用意をし、草鞋《わらじ》を脱ぐ夫の足もとにしゃがんだ。何も聞かずとも旅が徒労だったことはもう律にはわかっていた。  その晩。  何カ月ぶりかで、夫婦さし対いに夕餉《ゆうげ》を囲んだ。貧しくともこんな嬉しい食卓に律は生まれて着《つ》いたことはないような気がしていた。  以前とかわらず夫は小食だった。  無駄口もあまりきかず、静かに箸をつかい、食しおわると、好きな白湯《さゆ》を一口して、 「そもじの淹《い》れてくれる湯加減が拙者の口に合うのかの……おいしいよ」  めずらしく褒めてくれ、 「まあ、……お褒めにあずかって恐縮に存じます」  ママゴトみたいに、一礼したら、 「律」  新兵衛は真顔になった。 「拙者、大小を捨てようとおもう……わけは、一たんこうと決めたことじゃ、今更くどく話す要もあるまいと思う」 「アノ、それは……」  あまり出しぬけで、律は胸がつぶれる懐《おも》いで、 「武士をお捨てあそばすのでございますか?」 「そういうことになろう」 「なぜでございます?……越後へ参られて何か」 「越後?」  ふっと口が歪《ゆが》んだ。 「越後のことは申さずにおこう……だがの律、有体《ありてい》に申すなら、浪人いたした日から拙者、武士は捨てておる……ただ、健気《けなげ》なそもじが不憫《ふびん》ゆえ、成ろうことなら今一度、そもじに武家の暮し向きをと思い、用人どのが厚意に甘えてみたが……いずこも同じ世智辛《せちがら》さよ。時勢であろう」 「!……」 「そもじは、武士の妻としてまことに良う行き届いてくれた……もとより長屋住居など思いもかけぬこと、機会があらば再禄《またろく》を食《は》む身にと思えばこそ、そちの苦労も見て見ぬふりをして参ったが、こうなったからはこれ以上貧乏世帯の辛酸《しんさん》をなめさせるは不憫、そなたもまだ老いる齢《とし》ではない。そなたほどの器量であれば再縁の話は幾らもあろうし、この儀は今から拙者は安堵《あんど》いたしている。よって本日、そもじを離縁いたすゆえさよう心得てくれよ」  なんということだろう、律は心外で、とっさに言葉も出なかった。 「あなた」  良《やや》あって、坐りなおり、 「わたくしは高田新兵衛に嫁いで参ったのでございます。あなたのよめでございます。浪人なされたからとて、武士の妻たる者が、お別れいたせるとお思いでございますか」 「されば申したぞ、武士は捨てると」 「なら、わたくしも武士のよめでなくなればよいのでございましょう」 「それみよ、自分の口で申しておるではないか。よって離縁を」 「あなた」  目の色が変っていた。 「あげ足をお取りなされて済むことでございますか。かりにも武家女が、嫁いで参って生涯おそばを、離れられるものかどうか──」 「ききわけのないものよ。よいか律、今そもじの申した口上、まぎれもない武家の女よ、その気性は生涯あらたまりは致すまい。じゃがの、身共はちがう、大小を捨てるのじゃ、もはや武士ではないぞ。武士でないものにそなたのようなおなごが連れ添うては」 「いやでございます」  みるみる双眸《そうぼう》に涙が溜まった。 「何と仰せられても律はあなた様の妻でございます、お別れするのはいやでございます」 「物わかりのにぶい女よ、これほどに」 「いいえ、肯《き》きませぬ。どうしてもとおっしゃるのでございましたら、この場で自害いたします」 「律」  新兵衛の眼が炯《かつ》と見ひらかれ、 「武士のよめをでは捨てられるか?」 「──ハイ」 「苦労せねばならんぞ」 「平気でございます……おそばに置いていただけますなら」 「よし。ならば申す通りにいたすな?」 「ハイ」 「では床入りをいたす。今じゃ」  吁《あつ》、と声をあげそうになった。今日は高田新兵衛の亡父の祥月《しようつき》命日なのである。それで朝から経机を縁|前《さき》に持ち出して位牌《いはい》を据え、線香を供えてきたのだ。 「どうした?」  新兵衛の眼はらんらんと光って、 「武士を捨てた者に忌日などあるわけはない……いやか? この場にて衣類を、脱ぐか?」  律は穴のあくほど夫のかおを見|戍《まも》った。新兵衛も妻を見まもった。  ……時が流れた。  律は、そっと座を起《た》つと夕餉の膳をわきに寄せ、その場で、帯を解きだした……         ※ 「……痛うはないか?」 「……はい」 「突きすぎではないんじゃな?」 「かえって、心地がようございます」 「ほう、さようか」  それから少時たって、灯の消えた六畳の暗がりで、合体していた下のほうが、 「……律、あの音は?」 「……隣りの、大工夫婦でございます」 「夫婦?」 「お留守のあいだに、あの者も嫁をもらいました……」 「道理で……やるものよのう」 「…………」 「律」 「は、はい……」 「そなたもどうじゃ、あれに負けぬ声が出せるか」 「よろしゅうございますか」 「…………」 「はしたないと、お嗤《わら》いになりませぬか?」 「よいとも。存分に、出してみよ」 「……はい」  それでも蚊の啼《な》くような低さで鼻孔が微かな喘《あえ》ぎを、もらしていた。 「それで精いっぱいか?」 「羞ずかしゅうございます、あなた」 「…………」 「あなた」 「?」 「もう少し、ゆるく……」 「──こうか?」 「…………」 「律」 「はい」 「横笛というので致そうか」 「…………」 「いちど外《はず》して、降りてみよ」 「…………」 「どうした」 「せっかく……」 「好いのか」 「ハイ、とても……今のが」 「────」 「あなた。あなた」 「…………」 「アッ、ご無体な──」はずされて口惜しそうな声をあげた 「あわてずともよい」  いったん抜きはずして女体を腹上からおろしたらしい。夫の腕力にはさからえなかった。 「いこう汗を掻いておるぞ。ふくか?」  かすかに頭《かぶり》をふっている。意識|朦朧《もうろう》の体《てい》である。  しばらくして、 「横笛でやろうか、そもじは斯《こ》う、肢《あし》を」  暗闇で再び四肢が絡んだ。ことさら律は上になりたがろうとした。それを程よく制し、再び結合が行為された。  こんどは律は思うように動けぬらしい。 「あなた」  焦《じ》れた口調で、夫の|顳※[#「需+頁」]《こめかみ》に面《かお》をかぶせるように首すじへ抱きついて 「はやく」  新兵衛とてまことは意馬心猿《いばしんえん》の体である。三月ぶりの交わりである。  越後ではいろいろなことがあった。本気で新兵衛は妻と別れてやるべきだと思い、律の身のふり方を越後の縁者にくれぐれも頼んできた。  だが、こうなってみると、手離すにはじつに惜しい妻である。ままよ夫婦は二世の縁、かくなるうえは一蓮托生なりと、妻を抱くうち新たな念《おも》いがわき起ってきた。武家育ちのたしなみを捨てつつある妻に言い知れず新鮮な女の蠱惑《こわく》すらおぼえた。  律とてこれは同様だった。夫にもこんな粗野で人間臭い一面があったのだろうか。大小を捨てるのは、つまり町民に身をおとすことで、とうていそんな現実が自分たちにおとずれようとは信じられない。武士でない夫の姿など考えもうかばない。  でも、士分のたしなみ、裃《かみしも》を脱ぐ気になればこうまで思うままに喜怒哀楽をあらわせ、しかも誰に遠慮なく生きられるとは、何と有難いことだろう。  気の向くままに振舞えるこの開放感をどうして、町人風情と蔑《さげす》んで見たのであろう。こんなに、夫婦の媾合にも深い悦びが満喫できるのに。  そう思うと律は、夫となら町民になってもちっとも構わないという気になった。むしろ、こうして存分に愛撫されるなら幸せとおもった。  こうして、夫婦は偕《とも》に、閨事にも、行く末にも喜びを見出しつつ犇《ひし》と相|擁《よう》していた。横笛は少々取りにくい組み方であったが、時がたつにつれ、しだいに愉悦は昂《たか》まって竟《つい》に律はヒイ、ヒイ、咽喉《のど》を鳴らして狂喜した……。 [#改ページ]  鶺《せき》  鴒《れい》 [#この行4字下げ]古事記にいう、鶺鴒交わるを見て人まぐわいのすべを知ると。──正常位に接し、女双脚を開き挙ぐる態。男の腰づかい鶺鴒の尾の小きざみに似たるを斯《か》くは謂《い》うか。  冷水摩擦をおえ、朝霧の中を縁|前《さき》へもどると、もう熱いお茶がお盆に載せて置かれてある。  そのくせ嫁の姿はない。  蓮葉《はすつぱ》女が十人もいる大問屋で、そんな商家の嫁なら、御寮人《ごりようにん》さんである。召使い女中だけで七人はいる。太陽はまだ霧に茫《ぼう》とにじんで見えるこの早朝、日課とはいえ、冷水摩擦を舅《しゆうと》がすませる時分を見計らって、かならず嫁てずから焙《ほう》じ茶を淹《い》れておいてくれる。嫁の幸《こう》は今が女盛りの二十四である。  縁側へ|かるさん穿《ヽヽヽヽば》きの腰をすえ、ゆっくり、両の手に茶碗をつつんで権兵ヱは口をとがらせ、おいしそうにすすりながら庭木の、一本に目をやっていた。  眺めるわけではない。考えごとをする時の、癖である。  ここは離れ座敷になっている。何処《どこ》かの廂《ひさし》でもう雀が囀《さえず》っている。  広い庭をへだてた母屋の店さきで、丁稚《でつち》どもが朝の拭《ふ》き掃除をはじめる気配。  徐々に霧が霽《は》れ、お日様は今日も暑そうな輪郭《りんかく》を土蔵の屋根の上へあらわしてきた。母屋の二階窓が、ガラッと開いて、品さがった蓮葉女の嬌声が聞えてきた……。  権兵ヱは大坂で一、二といわれる薬種問屋のあるじである。阪本屋の身代を今の大きさにしたのは彼である。五十五になる。ながねん苦楽を偕《とも》にした老妻は先年みまかり、以来|鰥夫《やもめ》ぐらし。夫婦には子がなくて、すすめる人があり養子をむかえ、養子に嫁を取らせた。  養子半次郎は商いはほったらかしで遊蕩三昧《ゆうとうざんまい》、昨今は、ほとんど店にも寄りつかない。嫁の幸はそれでも厭《いや》な顔ひとつせず権兵ヱに仕えてくれる。  ふびんである。  半次郎とて元《もと》はだらしのない男ではなかったのが、蓮葉女どもの生態に接するうちに、人が変ってしまった。だがそれも阪本屋の繁栄の犠牲ではないかと慰め顔に言った者がいる。頑《かたくな》に、権兵ヱは相手をにらみつけてやった。  蓮葉女というのは、一種の私娼である。  大坂や京都の大問屋の商家に抱えられて、全国津々浦々から商用でやって来る地方人に、枕席へ侍《はべ》って旅の無聊《ぶりよう》を慰める女である。西鶴とやらいう物書きは、この私娼のことを、 『上問屋下問屋、数を知らず、客|馳走《ちそう》のため蓮葉女という者を拵《こしら》え置きぬ。  これは飯焚《めした》き女のみめよげなるが、下に薄綿の小袖、上に紺染めの無紋に黒き大幅帯、赤前だれ、吹鬢の京こうがい伽羅《きやら》の油にかためて、細緒の雪駄《せつた》、のべの鼻紙をみせかけ、その身持ちずいぶん面《つら》の皮厚くて、人中を畏《おそ》れず、尻すえてちょこちょこ歩き、ぴらしゃらするゆえにこの名をつけぬ。物の宜《よろ》しからぬ蓮の葉ものという心なり』  と書いているそうな。別な本には、 『竹の皮なき田舎にては諸品を蓮の葉にて包み藁《わら》にてくくる。下品なるをいうなり』  とあり、「好色一代男」という不届きな題の戯作には、 『問屋方に蓮葉と申して眉目大形なるを、東西両国の客の寝所さすため抱えて、おのが心まかせの男狂い、小宿を替えて逢うこといたずらに昼夜を限らず。出歩くことも店主の手前を恥じず、妊《はら》めば苦もなくおろす。衣類は人に貰い、はした金あるにまかせて手に持たず、正月着物は春秋を知らず売りて、そばさり酒に替え、三人寄れば大笑いして云々』  と記されてあるそうな。  衣類を売って酒をくらうほど自堕落な女は、今は見当らないし、第一、そんな女どもを置くのでは店の品格にもかかわり、そもそも折角の旅商人に疎《うと》んぜられてしまう。  厚化粧などせず、常の働き者の女中と見えてこそ、夜半、客の枕もとへ微《しの》び行って情緒もあるので、けばけばしい女がよいならいっそ然るべき金子をお捻《ひね》り(祝儀)にして、遊廓で遊んでもらった方が気が利くだろう。出費も結局はその方が安く済むのである。素人《しろうと》素人した下女であってこそ、旅人は慰められる。  阪本屋ではだから、派手な女は置かなかった。それでも彼女らが娼婦である事実に変りはなくて、そんな蓮葉女を多い時は二十数人も抱えておいたのが、産地|元《もと》の商人たちを喜ばせ、阪本屋の身上《しんしよう》を大きくするのに役立った、そのかわり半次郎を堕落させてしまったと人は言うのである。  そうかも知れぬが、しかし蓮葉女を置いているのは阪本屋のみではない。この釣鐘町いったいの問屋筋では、どことも数人抱えている。何よりも、女遊びの可笑《おか》しさを蓮葉女の生態でおぼえたにせよ、嫁をほったらかしにすることはあるまい。釣鐘町から船場《せんば》へかけ、此の高麗橋《こうらいばし》周辺で幸ほど器量よしで、気立てもやさしく、よく出来た嫁は見当らんではないか。 (阿呆《すかたん》めが)  口にこそ出さね、養子を選び違えた己が迂闊《うかつ》さに舌打ちする昨今である。だが顔には出さない。半次郎に説教したこともない。何事も知らぬげに振舞って、余儀ない商談で帳場に坐る以外は、店は番頭手代にまかせ、離れ座敷に引きこもって棋譜を手に、好きな囲碁の石を並べる、夜は日記をつける。季候の寒暖。晴、曇りを記した程度のきわめて簡略な日誌であるが、わずかに 「半。不在」 「戻ラズ」  など、上欄に註の見えるのが変っていようか。  そんな註が加筆されて、もう四年になった。──その間、幸も、夫の行状は知らぬふりで、終日、笑顔をうかべ、阪本屋の御寮人さんとして甲斐がいしく家事いっさいを取り仕切ってくれる。剃《そ》り跡のまだ青い眉にくもりが翳《かげ》るのは、蓮葉女のしどけない姿が母屋の廊下のはずれを通過する時くらいである。  それと命中散を乞いに来た時。  命中散は堕胎に奇効なり、大坂では阪本屋が一手に扱っているが、お幸にはついぞ妊娠の気すらなかったのである。  ふびんである。         ※  冷水摩擦をして、焙《ほう》じ茶を喫しおわると朝食前に刀剣に打ち粉をふって拭くのも権兵ヱの日課である。  権兵ヱは士分の育ちではないが、家業が盛大になるにつれて、大名貸しを要請され、二、三の藩の蔵屋敷に出入りするうちに、丹精こめて刀剣の手入れをする武士の姿に接し、心を惹《ひ》かれた。それで利息がわりに脇差一腰を頂戴して以来、これを拭くのを日課とした。  猿真似というよりは、何か、そういうストイシズムに通う奇骨が権兵ヱにはあったのである。脇差の銘など権兵ヱにはわからない。剣術のたしなみもない。しかし、打ち粉を打って手入れをし、鞘《さや》に斂《おさ》めると何か身のひきしまる爽かな懐《おも》いがあって、それが好きで手入れをしている。  根は大坂商人だから、刀の手入れを日課とするのを伝え聞いて、「これは出物の銘刀でおます」など言って刀剣商が掘出物《ヽヽヽ》を見せにくることがあるが、初《はな》から見ようともしない。無駄遣いはごめんである。権兵ヱが好きなのは手入れをすることで、刀そのものではないのである。  さて拭き了《おわ》った刀を鞘におさめたころに、朝食の膳が離れ座敷へ運ばれる。かならずお幸が自身で運んでくる。そこで朝の挨拶を交す。 「お舅《とう》さん、お早ようさんでおます」  きちんと両手をついて言うのも権兵ヱには嬉しい。朝化粧をすませ、いきをのむほどあでやかな容姿である。  ふつうなら、台所で奉公人一同と一緒にお膳の前に並ぶのが大坂商人のならいだから、ここらにも武家の日常への模倣《もほう》が見られる。だが人はどう言おうと、半次郎が外泊した朝に奉公人らに気まずい顔を見せるのでは、陰気くさくなるばかりなので、運ばせるようにしたまでだ。運べば、御寮人さんも一緒に台所で朝食を採《と》るのだから、お幸はすぐ起《た》って行く。  それを、 「ちょっと待ちなはれ」  呼びとめたのは庭に秋の七草が咲きそめたころであった。 「あんたに一ペん聞いときたい思うてな」 「なにをですお舅《とう》さん」  お幸は目をまばたいて、また権兵ヱの傍《わき》へ裾《すそ》をきれいにさばいて、坐った。 「半次郎のことやが……どない思うてはる? あんたの気持しだいでは、こっちにも考えてることがおますのや」 「…………」 「あんたはこの阪本屋の嫁──ごりょんさんや。あんたが居てくれんことには|うち《ヽヽ》の商売も|はか《ヽヽ》がいかん……けど、半次郎は碌《ろく》でなしになりくさった……あんな男は阪本屋には要りまへん。あんたさえかまわんなら、あれは、もう縁を切ってしまお思てる」 「お舅さん!」 「よろしいか、あんたは御寮人さん、うちに居てもらわな困る。まだあんたは女の花をこれから咲かす歳……女子には男が要《い》る。陰《いん》には陽《よう》が無《の》うては世の中なり立ちまへん。あんたさえその気なら、半次郎を勘当して別の婿を貰うたらええ……あんたの考え一つや、どうや?」 「お舅さん」  お幸はすっかり狼狽《ろうばい》し、赤面して、 「あたしはこれでも人の家内です。そんなお話はお舅さんと、うちの人とで決めていただきませんと……」 「そんなら、こっちで決めてよろしいのやな?」 「でもお舅さん」  半次郎はもともと権兵ヱの亡妻の遠縁にあたった。ずいぶん亡くなった妻を権兵ヱは大事にしていて、いまだにその名残りがあるのをお幸は知っていたから、それを口にしたところ、 「あれのことは言いなはんな」  きっぱり、権兵ヱは撥《は》ねつけ、 「かんじんなンはあんたのことや。半次郎に、ではこっちで話をつけて、よろしいのやな?」 「でも……」 「何や? 未練がおますのか」  これには激しく首をふった。 「さよか」  すかさず権兵ヱは言ったのである。「では委《まか》してもらお……さ、もう行きなはれ」         ※  お幸は、いわゆるエエトコ(良家)の嬢《とう》さんではない。堀江の古着屋の娘だったのを権兵ヱが見込んで嫁にしたのである。  権兵ヱの眼に狂いはなかった。今ではどんな大家《たいけ》の御寮人さんにも引けをとらぬ堂々として、しかも臈《ろう》たけた気品をその容姿に匂わせている。  だが良家の嬢さん育ちでないのが半次郎には不満だったらしい。  旧《ふる》くからいる女中頭のお仙にそれとなくたずねさせたことがあった。 「ときどき、ああして帰っておみえですけど、夫婦の方《ほう》はどんなぐわいなんでおますごりょんさん」 「夫婦の方て?」 「閨《ねや》のこってございますがな」  するとお幸は面《かお》を顰《しか》めて目をそむけ、くびをふった。 「全然でございまっか?」 「そう……」 「わけは何でおます?」 「…………」 「大旦那さんが、一ぺん、それとなしに訊《き》いてみいおっしゃってですので、聞きにくいことたずねさしてもらいますけど……心当りは、ご寮人さんにはお有りやないんでございますか」  こっくりをした。 「いつからでおます?」 「なにが?………」 「そういうこと無《の》うなりはったんは」  お幸は一時だまっていて、 「私《うち》がお嫁に来て、二年ぐらいから……」  それならここ三年はまるで途絶えていることになる。権兵ヱが考えこんだのはこの時からである。  つぎに夏になって、天神祭りで、いかな半次郎も何処かの流連《いつづけ》から釣鐘町に帰ってきた。めずらしく二晩ほど家にいた。権兵ヱはまことに細心の注意をはらって、朝出される茶を喫したが、焙《ほう》じ加減といい、淹《い》れようといい従前とまったく違いがない。  そこで再びお仙に問わせたところ、 「これまで通りやわ」  わらいながら答えたまではいいが、 「なあお仙どん」 「何でおます?」 「うち、お暇《ひま》貰いたいわ……」  こんなふうでは、子供もできぬことで、この家には居づらいと打明け、嫁としても失格なのだから八幡筋へ帰りたいと涙ぐんだと聞いて、権兵ヱはあわてた。  いまお幸に出て行かれては本当に困るのである。阪本屋としても困るし、心情的に誰よりも権兵ヱが困る。  権兵ヱのお仙を介した糺問《きゆうもん》は露骨になった。 「ききにくいことを申しまっけど、アノ……前《ぜん》は、夫婦《みようと》のほうは旨《うま》いぐわいにいってはりましたんでございまっしゃろか?」 「──お舅さんがそんなことまで?」 「へえ」 「…………」 「アノ、言いにくいことでございますやろけど……上におなりになったんはどっちでございました?……やっぱり且那はんでしたやろか? それとも、ご寮人さんが?」  お幸は耳たぶまで赧《あか》くして、 「いややわ……うちの口から、そんな」 「言うとくれやす、大事なことですので……アノ、やっぱりご寮人さんは下におなりで?」 「…………」 「ほなら、本手でございますな?」 「いやなお仙どん」 「それとも横取りで?」 「…………」 「明かしてほしおます。これは大事なことなんでございまっせごりょんさん」  お幸はしかし、にわかに座を起《た》つと逃げ出してしまったそうだ。  けっきょく要領を得なかった。しかしお幸のその時の応対ぶりで、けっこうまだその気持のあることは想像がついた。つまり孤閨《こけい》に悶《もだ》えているかと想うと、不憫である。  権兵ヱはかくて肚《はら》を決めたのである。         ※  その気になると段取りは早かった。  新町の妾宅《しようたく》へ番頭をさし向け、半次郎を呼びつけると勘当離縁を言い渡した。  さすがに面《かお》色が変ったが、性根まで腐《くさ》りきった男は、 「さよでっか」  からからに乾いた唇に皮肉な嗤《わら》いをうかべ、心を以後は入れかえると詫びるどころか、 「お父《とう》はんもこれで本望でっしゃろ、いよいよ想いをとげなはって」 「想いを遂げる?」 「そやおまへんか。かくしはったかてあきまへん、こっちは先刻見通しや。亡うなりはったお母はんかておなじ気持でっしゃろな」 「何のこっちゃ?」 「とぼけなはんな。お母はんが死にぎわに言うてはりましたで。お父はんはえらいお幸に気イつこうてはる、まるで自分の嫁さんみたいや……ヘン、自分で気に入りはったよってにあれを阪本屋のよめにしはりましたンやろ。まあそら結構だす、けどなお父はん、お幸の婿は私でっせ。その私を差しおいて何ぞいうたらお幸あれせえ、お幸こうせえ……しょーむない、こっちは何時《いつ》かてつんぼ桟敷《さじき》や。そのことボヤいたらあれがどない言うた思いはりま? こうしてけっこうに暮らせるのもお舅《とう》さんのお蔭やおませんか……阿呆らしい! ここの身上はソラお父はんがきずきはったんは知ってます。けどね、お母はんの内助の功がなかったら、とてもやないけど有《も》ってきた家やないことも知ってますわ。それを何ぞ言うたらお父はんの顔色ばっかり見よってからに、阿呆らしい、お幸は一体だれの嫁はんや……そない思うたら胸糞わるうて……わてが極道はじめたんはそれからでっせ。そら要《い》らん金もずいぶん使わしてもらいましたやろ、けどな、お母はんの手柄のこと思うたらここの身上半分くらい食いつぶしたかて何でンねん。いやらしい女二階にごろごろさしといて儲けはったんや、体《てい》のええ女郎屋やおまへんか。その金をわてが女遊びに使うて、何で文句言われんなりまへん? そうでっしゃろお父はん、え? 違いまっか」  権兵ヱは激怒にふるえて声も出なかった。半次郎は言うだけ言うと、鼻唄まじりに座敷を出て、たまたま廊下のはずれを通りかかった蓮葉女に、卑猥《ひわい》な冗談を投げかけていた。親子の縁はこの時心底、切る気に権兵ヱはなったのである。  半次郎は帳場で相当な額の無心をしたそうだ。どない致しまひょ、離れへ番頭が相談に来た。手切金と思えばやすいものだ、言うだけ出してやンなはれ、権兵ヱは言ってむしろ清々していた。  ──たゞ、あとでお仙が言うのに、舅と夫の遣り取りを障子の蔭で一部始終、お幸は聴いていたそうである。聴いて、鼻唄まじりに立去る半次郎を涙をうかべて見送ったあと、背を向け、袂《たもと》で顔を覆ってその場に泣き伏したとか。  さすがにこれを聞いた権兵ヱは|と《ヽ》胸を突かれた。日課外の時刻であったが、刀の鞘を払って打粉をふり、刀身を凝視して心をしずめた。母屋の二階で窓を開け放ち、蒲団《ふとん》を干しながら蓮葉女どもの高声にお喋《しやべ》りしているのが、この時ばかりはいやに耳についてはなれなかった。         ※  半次郎の勘当は忽《たちま》ちに世間の知るところとなって、大方はその遅きに失したのを言挙《ことあ》げたという。お幸は気の所為《せい》か当座は何となく思案にふける様子で、動作に元気がなかったが、でも直《す》ぐ、以前と変らぬ立居振舞いにかえり、朝化粧も心なしか念を入れてするようになった。  ──そんな或る日、権兵ヱとは無類の碁敵でもある木綿問屋の五兵衛が、 「きょうは碁を打ちに来たんやおまへん」  のっけにそう断わってやって来た。離れ座敷で茶菓を出したお幸が姿を消すと、 「阪本はん、あんたの肚《はら》の中を今日はとっくり聞かしてもらお思うてな」 「何や?」 「言わんかてわかってはるやろ。お幸はんのこっちゃ。あんたの気持はどないやねン?」 「?……」 「あんたの養子はお幸はんとあんたのこと、堀江や新町でえらい言いふらしてるそうな……言われてみたらなるほどあんたも五十の声は聞いたやろけど、まだ隠居する歳やない。柄《がら》でもない。かくしなはンな。わての眼は誤魔化されへん──ついては、またお幸はんに婿取るの何のとややこしいこと言わんと、いっそ、この際、お幸はんをあんたの後添えにしたらどやろ思うてな。それで来ましたンや。世間体もあることやろけど、それこそあんたも阪本屋をここ迄にしはった人や。もう世間体より、自分の好きなように生きはったらどや? ことわっとくけど、これはわて独りの意向やおまへん、番頭の治助はじめ店の者《もん》皆の気持を汲んで、わてがまあ話の糸口切りに来たようなもんだす……どや、思い切って一緒になったら?」  権兵ヱに即答できる道理がない。  五兵衛はいそがなかった。 「まあここで直《す》ぐ返辞せえ言うのも怪態《けつたい》な話やさかい、しばらく考えはるのもええやろ……そうやなあ、五日後に高津《こうず》のアレの所《とこ》へ来てもろうて、返辞聞こか。今日のとこは、あんたもウロたえてるやろさかいコテンパンに負かしたいとこやけど……さむらいの情や。高津まで預けとこ、ハ、ハ、ハ」  言うと、ひき際も水際立ってあざやかだった。 「ほな、さいなら」  あっけにとられる権兵ヱを置き去りに帰ってしまった。  高津というのは五兵衛の妾宅のことである。  その晩、夜具の中で年甲斐もなく寝つかれぬ夜を権兵ヱは過ごした。  後添えにするも何も、肝腎のお幸の気持がどうなのかを、無視してかかれるわけがない。世間体を兎《と》や角《かく》言う以前の問題である。  もしその気にお幸がなっているなら、なにも五兵衛ごときをわずらわせることはない。いい年をして、それこそ後妻も自分でよう決められんのかと、物笑いの種である。  お幸の意中をただすが先決と斯《か》くて権兵ヱは思い至った。そう思い立つと、夜も更けているようながら一刻も凝乎《じつ》としていられぬのが権兵ヱの性分である。ふとんを蹴って権兵ヱは起きあがった。  折よいことに夜空には皓々《こうこう》と月が上っていた。  その月明りをたよりに、渡り廊下を母屋に入った。お幸の寝間はわかっている。  さすがに動悸が激しかったが、このとき権兵ヱは自分ごとき年寄にさえ後添えを承知するなら、いっそ、年恰好のしかるべき相手をえらんで早急《さつきゆう》に添わせてやろうと決めたのである。己れにそう言い訳がついたので夜中もかまわず来たのである。  お幸の寝間の障子に、行燈《あんどん》の明りが仄《ほの》かに差していた。廊下は暗かった。大声で呼ぶわけにはいかない。かといって黙って入るのも誤解をまねく。  障子の外に立つと、 「お幸……わしや……起きとくれ」  声を抑えて呼びかけた。  応《いら》えがなかった。二、三度呼んだが、なかった。  それで薄目に障子を開けてみると、なんと藻《も》抜けの殻だった。このときの落胆をどういえばいいか。  とっさに想い泛《うか》んだのは、半次郎が微《しの》んでどこぞで逢っていはせぬかという疑念である。袂でかおを蔽《おお》って泣いた様子がそれを連想させる。  権兵ヱはむつかしい顔になった。廊下に出、四周《あたり》を見まわして利き耳を立てた。この晩西国のさる卸元《おろし》が来て泊っていた。上客なので階下の座敷に寝てもらった。むろん二階から蓮葉女が夜伽《よとぎ》に来ているはずである。誰の目にも出色の娼婦ゆえ気に入ってもらえていようと、その客座敷を横目に見て権兵ヱはここへやって来た。  耳を澄ますと、その客座敷でかすかながら人の起きている気配がする。他の部屋は真っ暗である。  にわかに動悸が高まった。お幸は、客と寝ていると直観した。  かたずをのんで、跫《あし》音を微《しの》び、長い廊下を客座敷に近づくと、手前の別の部屋の障子を開け入ったのである。  声をのんだのはこの時だった。隣り座敷との境の欄間に隣りからの灯が洩れ、その下に、わずかな襖《ふすま》の隙間から暗い影が立って中を覗き見ていた。それが嫁のお幸であった。はじめは室内の涅槃《ねはん》の情景に凝視《みつ》め入り、後に舅が来たことにお幸は気づかなかったが、 「吁《あつ》」  手で口をふさいで瞳孔をひらくと棒立ちに立ちすくんだ。 「何をしてはる……」  きかずとも分かっていることだ。権兵ヱはだが客と寝ていなかったのに喜悦して側《そば》へ寄ったのである。そしてふすまの隙から、お幸と入れ替って中を覗いた。凄い光景が、展開されていた、自分で演じるより見た方がこんなのは刺戟されるものであるが、それにしても半裸で相《あい》擁し、全身を躍動させて絡《から》み合う男女の、吐く息吸う息は|※[#「韋+備のつくり」]《ふいご》さながら、まさに絶頂をきわめんとしている。見て昂奮せぬのは神のみであろう。  小きざみにお幸はふるえていた。羞恥と慚愧《ざんき》で立っておれなんだに違いない。だが、いたわりの想いで権兵ヱは肩へ手をまわし、 「行きまひょ」  襖のそばをはなれた。お幸はよろよろとしたが、素直に、付いて来た。今夜だけの偸《ぬす》み見ではなかったろう。ふびんであった。上客を階下の座敷に泊めるのはよくあることである。どうかすればお幸の居間とは廊下をへだてて目と鼻の別室に泊めたこともある。 「わたしが迂闊《うかつ》やった……可哀そうに……かんにして」 「お、お舅《とう》さん……」  嫁の部屋へ近づいた廊下で言うと手で顔をおさえ、ワッとお幸は堪えかねて嗚咽した。丸|髷《まげ》をふるわせて彼女は泣いた。権兵ヱはその肩をまだ、劬《いたわ》って抱えていた。誰が悪いのでもない。放置して去るにしのびなんだ。一緒にお幸の寝間に入った。 「あんたに話がある……もう、泣きなはんな」  権兵ヱが言ったのは、夜具の傍らに暫《しばら》くして対坐してからだ。お幸は鴇《とき》色のしごきを胸高に前結びし、恥ずかしそうにうなだれていた。  五兵衛が今日なにを告げに来たかをつつまず権兵ヱは明かした。権兵ヱのために言っておかねばならない、あくまで、若い嫁の行末を思いやる舅の口調で云ったことである。 「今夜のようなことがあるのやさかい、あんたも思いきって婿はん貰い直しなはれ。半次郎みたいな出来ぞこないやない、今度はええ男を見つけたげる」  ところが、お幸ははげしく首をふり、 「嫌です、お舅さん」 「いや?……何でや?」  答える代りに、ワッと畳に身を投げ出しお幸は涕泣《ていきゆう》した。ふびんぐらいでは片づかぬ、どんなに深い歎きを耐えて来た夜毎であったかを、その涕泣は物語っている。  権兵ヱは愕然《がくぜん》とした。人は所詮わが身のことしか考えぬものか?  襟足に白粉《おしろい》を刷《は》いたあとが残っていた。むっちり盛りあがった肩、手絡《てがら》の艶めかしい丸髷、強くしごきを締めた背中から、くびれた胴を経て、豊かにふくらみをたたえた臀部……女の性《さが》は歴然である。  眼をむいて、お幸の泣きふすそんな姿を権兵ヱは凝視した。尖った咽喉仏が、何かを嚥《の》みこんだ。寸時を措《お》かず彼は意をきめていた。  それとなく寝巻を脱いだ。褌《ふんどし》をはずした。皮膚の光沢《つや》の意外と緊《し》まって若々しい裸である。冷水摩擦の賜《たま》物か腰間の逸物も久々に怒脹していた。雁首の太いのが嘗《かつ》て亡妻を感激させた代物である。お幸は気づかずに涕《な》いていた。ゆるりと権兵ヱはそばへ寄り、肩を撫でてやった。むき出しの膝が柔らかい脾《ひ》腹にあたっていた。その裡《うち》、不意にお幸は泣くのをやめ、じっと身動きしなくなった。それを見て袖《そで》つけの八口《やつくち》の隙間へ大胆に手をさし入れ、ふくよかな乳房を、持ちあげる。声にならぬ叫びをお幸はあげた。しかし抵抗はしなかった。毛脛《けずね》の肢を坐り変え、掛蒲団を撥《は》ねのけた夜具に、彼女を抱いて仰臥させてやる。凄い力である。頸《くび》をおろすときは括《くく》り枕もあてがった。  お幸は口をつぐみ、鼻ではげしく呼吸《いき》していた。目と、口をとじることが彼女には唯一の表現であった。しごきを彼女はとられてしまった。目尻にまだ涙がにじみ残っていた。胸もとを掻きひろげられた。豊満な尖《とが》りを見せる双の乳房。雪のように肌は白い。湯文字の挟み目を舅ははずして、左、右へと裾を分け開ける。恥毛は毛深いほうである。肉付ぽってりと然も弾みを有《も》った大腿《だいたい》部。権兵ヱがまだ何もしないのに揃えた両足が痙攣《けいれん》していた。  嫁は二十四の成熟の肉体を今や舅の眼前にさらした。それだけでは何程のことも起ってはいない。だが倫理的に、どんな行為にもまさる則《のり》をそれは超えている。超えた則に比べれば其の後の行為は他愛のないものと、二人とも知っている。安心して、だから倫理の落し穴に没入できるのである。  狂おしい歓喜にとどくまでに、ずいぶん、権兵ヱは彼女に手順をつくした。「行く」境地にもさまざまあることを、権兵ヱはもう知っていた。女は、一つの頂きにのぼっても満足する、二つ目の頂上のあるのを知らぬうちは、はじめて二つ目の山をきわめた喜びは精神の随喜をも伴う。更に三つ目の天辺《てつぺん》がある。女性の歓喜は無辺際である。その底知れぬ業の深さを見抜いた時、はじめて男は女をうとんじることが出来る。女狂いをする半次郎など一つの山しか知らんのである。当然お幸も一つ目しか知らない。権兵ヱは秘術を尽くした。 「あッ、あッ」  遂にのけぞって、髪をふり乱してお幸は狂喜し、ヒイ、ヒイ悲鳴をあげ、底知れぬ女の業を体現するようにゆるく、腰をまわした。腹上に舅をのせて呼吸を合わせ、腰をつかいつづけたのである。そうしてもう死にそうですわお舅《とう》さん、うわ言《ごと》を口走り、とうとう気を失ってしまった。鶺鴒という体位であった。女の深奥部を攻めぬく体位である。権兵ヱが精をほとばしらせるまで攻められつづけて、嬉しそうに「死んだ」のである。  翌朝になった。  お幸は、やっぱりお茶を淹《い》れに来た。  姿は見当らなかった。  しばらくして、けたたましいお仙の叫び声が母屋を走り回った。お幸は縊《くび》れ死んでいた。不倫を愧《は》じたのであろう。でもその死顔は慈母観音のようにまどかであった。  葬儀は盛大に執行された。  数日後、脇差で舅は武士に倣《なら》って腹を切っていた。 [#改ページ]  こぼれ松葉 [#この行4字下げ]亭主、左を下に横臥し、女房双脚をひろげ直角にすり寄って、左脚を亭主の両腿にはさまれ、右の脚を胴に挙げる。かく接して亭主女房の細腰を抱きしむる態、称してこぼれ松葉と曰《い》う。  水面に、まるい月がうつっている。 「見なせえ。風がねえから……いい月ですぜ」  伊三吉が小障子を明けた出窓に、斜にすわると、手摺《てすり》へ肘《ひじ》をかけ、あんどんの影にいるお由《よし》へ目をやった。 「…………」  お由《よし》は、チラと面《かお》をあげたが、うつ向いてじっとしている。  ここは密会専門の舟宿の一室。 「頼んだものは持って来て下すったンでげしょうね」 「……ええ」 「どうしなすった? おめえさんに鬱《ふさ》ぎこまれちゃ、あっしまで気が滅入っちまう」  ぐいと片足を手でもちあげ、向きなおりざまに胡坐《あぐら》になって、 「あっしは見る通りしがねえ|うろうろ《ヽヽヽヽ》船の船頭でさ。でもね、これまでも言った通り、もとは角《かど》屋敷の歴《れつき》としたせがれだ、悪所通いが嵩《こう》じてこんな落ちぶれた扮《なり》はしちゃいても、跡を継いだ兄貴は病身……いつ勘当が解け、家へもどるかも知れねえ……そうなりゃお前さんにかけた迷惑のつぐないだって、あっしはするつもりでいるんだ……」 「────」 「だからね、無理算段させて済まねえと心じゃ思いながら、なあに、無心をしているんじゃねえ、ほんの一|時《とき》、立て替えてもらうだけだ、心でそう自分に吩《い》いきかせて、無理を言ってる……おまえさんとはそりゃ、こうなった仲、惚れたのはあっしの方で、今じゃおめえのほかにおいら、女は目にへえらねえ位だ……心底、惚れましたよ。心ン中じゃあっしゃたった一人の女房とも思ってる。女房なら一蓮托生《いちれんたくしよう》、少々の無理もかんべんしてもらえるだろうと……けど、言うまでもねえ、おまえさんは『煙草屋』伊勢屋のおかみさん。あっしなんぞがいくら女房と心の中でおもったって」 「一両でいいんでしたね?」  お由は急に衿《えり》もとから帯の下に挾んであった一両小判をとり出し、 「──どうぞ……」  目を俯《ふ》せて畳へおしやった。あんどんの灯の加減で、キラッと山吹色のいい反射が丸髷の手絡《てがら》の艶《つや》っぽいお由のふっくらした頤《あご》のあたりを照らす。  二十八。  世帯の苦労は知らないが、亭主と、世間の眼を偸《ぬす》んでの密会に心労してか、いくぶん、愁《うれ》いがちな面《おも》立ちの頬へ後れ毛が二すじ、三筋……。 「あっしゃねお由、さん……」  うしろ手に窓を閉めると、大胆に肩を抱きに来た。畳の小判へは目もくれない。 「本心うち明けると、おめえさんと世帯を持ちてえ。それがかなわねえならいっそ、駈落ちしたいと幾度おもったか……なぜ拒《こば》みなさる? 今更」 「はなして下さいな、あたしはもう」 「いいじゃありませんか。水臭え、二十日もあっしゃがまんして来たんだ……一両や二両の小判が欲しくて、いいですかい、こうしてやって来てるんじゃねえ」 「はなして」 「わからねえお人だ……それとも何ですかい、今までのこたあ水に流せと言いなさるのか? あっしと忘れもしねえ一年めえ、同じこの船宿で契《ちぎ》り合ったなあホンの出来心だと」 「…………」 「この乳首だ、それに、こ、この毛の生え具合《ぐええ》、湿《しめ》りよう、口じゃいやだと言いなすったってお前、ここが」 「伊三さん」  裾前に手をさし入れてくる膝を、つよく、掻き合わせ、身をよじって、 「あたしは今夜は帰るつもりなんです」 「お由、おめえ。……」 「かんにんしておくンなさい……どうしても、あたしは」  平手打ちが頬へとんだ。 「吁《あゝ》」  悲鳴をあげる髷《まげ》から瑪瑙《めのう》のかんざしが転げ落ちる。  煙草屋といっても、店売りをするのではなく、老舗《しにせ》の伊勢屋ともなれば地所家作も有《も》っていて、小僧三人のほかに若い者二人をかかえ、刻み煙草の荷を担がせて諸大名の藩邸や勤番小屋、寺社の僧房などに売りに回る。そんな伊勢屋の後添えにお由は十九で、なった。当時すでに伊勢屋長兵衛は三十八。几帳面《きちようめん》で、稼業熱心で道楽ひとつするでなく、楽しみといえば手習いを兼ね仏典の経文を写すことぐらい。  そんな無骨者ではあるが、体格衆にすぐれ、寡黙《かもく》で町人のお世辞など薬にしたくも持ち合わさぬ実直な人柄を、けっして、お由は嫌いではなかった。それどころか、望まれてではあるにせよ、後添えにと話のあったとき二つ返事で彼女は諾《うべな》った。  長兵衛には先妻との間に四歳になる娘がいたが、後添えにおさまって五年目、もう駄目とおもった子が宿ったときの長兵衛の喜びは、無口な男だけにどれほど深いかが言葉や態度のはしばしにあらわれ、お由はそんな夫を見てしあわせを感じた。 「大事におしよ。掃除など無理することはない、お松に、させるのじゃ」 「わかってますよ、おまえさん……」 「男の子であればいいがの。長吉とでも名づけようかの」  そんな満ち足りた明け暮れが、七カ月で死産という思いがけぬ事態になって、一変したのである。  まるで人が変ったように、長兵衛はお由に冷淡になった。さなくても調子のいい、女心を悦ばすことなど口にする人ではなかったから、気|難《むずか》しく黙りこんだとなると、まるで針のむしろにお由は坐らされているみたいで、日々が耐え難く切なかった。死産したのは男の子だった。その理由は、長兵衛には明かさなんだが梯子《はしご》段を降りるはずみにつまずいて、転げ落ちそうになったのに起因している。でも長兵衛はそうはおもわず、二日前の夜、大きなお腹を圧迫して夫婦の営みをした所為《せい》と思いこんでいるらしかった。  はじめはだから、真相を明かそうとどんなに努めたか知れないが、死産のことを言い出すとぷっと長兵衛は座を起《た》ってしまい、きり出す糸口さえ与えてくれない。写経《しやきよう》の折を窺《うかが》って、思い切って語ろうとしたら、 「うるさい。あたしは遊び事をしているんじゃないんだ」  喜怒哀楽を面《かお》に出さぬ人にはめずらしく、大喝《だいかつ》された。その時に、わけは別にあったのではないかと、お由は身のすくむ懐《おも》いがした。  伊勢屋の後添えになって来たとき、じつは生娘ではなかった。寄合旗本大河内|玄蕃《げんば》の奥に奉公していて、玄蕃の嫡男主税《ちやくなんちから》のお手がついていた。武家屋敷では左程めくじらを立てられることでもないだろうが、玄蕃の内室がきわめて厳《きび》しい婦人で、お暇を下され、お屋敷に出入りの伊勢屋に半ば玄蕃の口添えがあって、町名主の媒酌でお由は嫁いだのである。主税とは、わずか三度の関係だった。でももう男を知ってしまったことに変りはなかった。それを、長兵衛は今になって悟ったのかと怪《あや》しんだのだ。  そうとでも想わねば、死産以来ふっつり夫婦の交りを絶つ夫の胸のうちがわからない。夫婦の寝室は、以前とかわらず奥の八畳である。となりがお由の化粧の間になっている。  寝化粧をして、其処《そこ》から寝所に入っていっても並べた夜具の夫の方は藻抜けの殻《から》で、居室で晩《おそ》くまで写経に丹精しているか、臥《ふせ》っていてもお由が現われるとクルッと背を向けそのまま、眠り込んでしまう。  三月や半歳は、まだ、がまんも出来た。だが二年も経つと骨格たくましい背中を見せられ、枕を並べての孤閨《こけい》は、まるで生《なま》殺しにあうようで、いっそ離縁された方がとおもうくらいだった。淋しさは譬《たと》えようもなく然《しか》も火照《ほて》った性《さが》の始末がつかない。  睡眠不足がつづきお由は窶《やつ》れた。  気が狂いそうであった。そんな一日、魔がさしたとしかおもえないのだが、|うろうろ《ヽヽヽヽ》船の船頭に似合わず優男《やさおとこ》で、好いたらしい風情《ふぜい》のある伊三吉の誘惑に負け、してはならぬ過《あやま》ちを犯してしまった。  一年前であった──         ※ 「どうしなすった、え? 今更いけねえたあ言わさねえ……ここをこう、弄《いじ》られる味の好《よ》さをおぼえたなああっしのおかげじゃねえのかい」 「伊、伊三さん」 「しゃらくせえ、今ンなって嫌たあ通るめえ。伊勢屋はなるほど家作もある表筋の商人《あきんど》にゃ違えねえ。だがね、おいらの目に狂いはねえはずだ、ありゃ女にかけちゃ石頭、てめえが精をやることしか知るめえよ、そうだろう? いじくられて気分を出し、蛸壺《たこつぼ》のまわりを男根《へのこ》で掻き回されてよがり涕《な》きしたなあお由、どこの誰だっけね? うまれて初めて気がとおくなった……そ言ったのは。え?」  力ずくではしょせん男にかなわない。ましてや、優男《やさおとこ》と見えても|うろうろ《ヽヽヽヽ》船をあやつり馴れた腕っ節で、いつの間にか、畳にお由は押し倒されもうさわらせてはならぬ部分に、男の手が届いていた。  そうなれば、男は大胆になる。自分の勃起したものを褌《ふんどし》のよこから持ち出し、強引に、お由の手首をつかんで、触らせる。避けようとすれば丹穴を弄っていた指で恥毛を鷲掴《わしづか》みする。嗜虐《しぎやく》的な性癖が伊三吉にはあった。そこの毛を以前|※[#「手へん+少/毛」]《むし》りとられたこともある。  それが、苦痛で、微妙に言い得ぬ快美につながってゆくのもお由はもう教えられてしまった。  どうしようもない。  決意していたはずのものが中《うち》から音立てて崩れるのを彼女は目をとじて感じ、観念した。……今度だけ、もうこれきり……そう心につぶやいた。  いち早く伊三吉は、そんなあきらめを読み取ったらしい。 「ふ、ふ、ふ……そうこなくっちゃ。せいぜい、いい懐《おも》いをさせるぜ」  どちらかといえばお由は毛深いほうである。男に似合わず伊三吉は肌がすべすべと女のようで、脛《すね》にもそう毛が生えていない。すらりとよく伸びたその長い向う脛で、お由のむっちり白い両肢をおし開けながら乱れた裾を、いっそうかきわけ、馬乗りになるではなく、あくまで、毛深い入口より二本の指を挿入し、器用に、拇指《おやゆび》の先をまわして茂みの中のもっとも鋭敏な個所を、撫でる。手品師のようにそれは巧妙で滾々《こんこん》と性の泉を涌《わ》き出させるのだ。そうして片方の手で、ゆっくり、帯揚げの結び目を解きにかかる。  押し倒されたのでかんざしが畳に転がっている。当然、髷は崩れている。だが一番くずれてしまったのはお由の姿勢であろう、こころの姿勢であろう。素知らぬふりをよそおうと力《つと》めるその鼻孔が、ヒク、ヒク、こきざみに胸をつまらせ、閉じた目で剃《そ》りあとの青い眉を寄せ、時折、ハア……と吐くのではなく呼吸《いき》を、吸った。吸って、ゴクンと何かを嚥《の》みこんでいた。  夜具がのべられてあるのは隣室である。枕屏風のかげに括《くく》り枕が双《ふたつ》、ならんでいる。自在にいじくりまわしても、けっして伊三吉は夜具の中で営もうとはしない。いつも、帯までは解かせるが着物は脱がせない。姦通の現場を押さえられれば先ず死罪となるからその用心に、自らもふんどしは付けたままで致すのである。  一物の長いのが伊三吉は自慢だった。なまじ素っ裸でやらぬほうが具合がいいとも、仲間に吹聴していた。 「女ってものははだかにしたんじゃいっそ風情はねえもんよ。一盗二婢ってのがいい証拠だぜ。着物を身につけたまま足をひろげさせてみねえ、盗みの気分が出らあな」  うろうろ船は小伝馬船で昼のうち大川筋やら神田川、小名木川より日本橋辺、中洲、鉄砲洲などの河岸を行商する船のことで、魚、野菜、醤油、米などを商って回る。野卑な男の生業である。だが伊三吉は古町《こまち》町人の出だとお由には言って、 「見ねえ、おいらのこの肌のすべすべと綺麗なのはね、ちいせえ時分に糠《ぬか》袋で女中たちがこの体を湯殿で洗って、育ててくれたからよ」  まんざら嘘とは思えぬくらい、ほんとうに育ちの良さを偲《しの》ばせる華奢《きやしや》な体つきだったのもお由を深入りさせた一因になった。古町町人というのは、幕府創成期に地方から江戸に住みついたもので、二代将軍秀忠の時代には江戸市中に四千人ほどいたといわれる。古町町人にはいろいろな特権が与えられ、とくに角屋敷に住んでいる町人を、俗に御|目見《めみえ》屋敷ともいって、年賀、将軍宣下、将軍家の婚礼などの慶事には特に江戸城内に入って将軍家への拝顔をゆるされたのである。お由ももとは商家の娘だった。でも古町町人ではないから角屋敷と聞けば幼いころから憧憬の念で見る習慣がついていた。これが本当はふっと誘惑に負けた原因だったかも知れない。  いじくりまわして、もう千々に身も心もみだれ切ったのを見すましたところで、ゆっくり、指を抜きはずし、その指の根本まで濡れたのを湯文字の端で伊三吉は拭く。心にくい落着きようである。それから隣室へ入って、掻巻《かいまき》と、枕を一つ取ってくると、ぐったり仰向きになったお由のうなじへ枕を当てがってやって、しどけなく府を露《むき》出しにした上に、掻巻を蔽《おお》いかけてやる。それから自分は行燈《あんどん》の傍へ寄って、お由へ背を向け、出されてあった冷めた茶をおいしそうに飲むのである。時には煙管《きせる》で一服つける。それから、思い出したように投げ出されたままの山吹色の一枚を拾い、鼻で嗤《わら》ってやおら行燈の台に載せると、起ちあがってお由の横たわったそばにもどり、掻巻の端へ、そうろと肢をすべりこませ、徐々に身を横たえるのだ。  もっぱら横取りが伊三吉の特技。それも�松葉�専門である。自身は肘枕で横臥して、片手も掻巻の中にさし入れ、局所へ、挿入したあとも恥毛の辺《あた》りをそっと撫で、下腹部を撫で、おもむろに鋭敏な小突起を弄《いじ》る。興いたれば肘枕をはずしたその手を伸ばしてお由の肩をつかみ、耳のまわりを撫で、襟足をさわる、夢中で、お由の方からその手を捉えに来る。ほとんど腰はつかわないがギュッと男の手をにぎりしめるお由のほそい指さきのつよさで、歓喜の高まっている様子は文字通り手にとるようにわかっている。  船宿の仲居が、いちど、不粋にも密会の部屋の唐紙を開けたことがあった。掻巻で蔽われていて、脚《あし》の絡《から》みぐあいは目撃できなかったが掻巻のすそから出た片足が、ふんばるように爪先を内側へ曲げて畳を掻き、こんもり山に盛りあがった掻巻全体がゆるく、ゆるく、動いていた。それはお由の方で腰をまわしていて、男はふかく挿入させたまま何もしないでいるようすとわかったとき、年甲斐もなく仲居は、いちど自分も伊三吉に抱かれてみたくなったと、あとで朋輩女中に私語した。交接にあたってガサガサ動きまわる男より、そんな伊三吉みたいに奥まで届かせておいて悠然《ゆつく》り構えられているほうが、女は、頼母しく悦びの味わいも深いのを経験で知っていたのだ。 「あれじゃどこのお内儀か知らないけど、切れられるもんじゃないよね」  たしかにお由は身も狂うほどの喜悦を、この体位と、手管で、教えられてしまった。あれほど心で惚れこんだつもりの夫長兵衛からは、ついぞ味わったことのない骨の節々《ふしぶし》まで蕩《とろ》けるようなそれは快美感であり、恍惚境だった。たどりついても、たどりついても了《おわ》ることのない更なる悦びが全身のすみずみまで行きわたる。どんな声をあげているかわからない。夢中で、ただ、声をあげる恥ずかしさは知っているので、手のひらで口をおさえ、声をもらすまいと力《つと》める。すると肺腑にまで歓喜がしみ渡る。  何度目かに頂上へのぼった時、突然、 「……お由、たまらねえ」  それまで沈着だった伊三吉が、絶句し、瘧《おこり》に罹《かか》ったみたいににわかに烈しく腰を運動させるのだ。その瞬間の歓喜。ああ死んでもいいと本心、おもう。  ……おわると、伊三吉はもうなにもしなくなる。全身の力をぬき、中で蟠《わだかま》っていたものが徐々に萎《な》え、体だけは長くのびて、跡始末の紙をあてがってくれもしない。 「……参ったよお由さん」  少時《しばらく》して、ぐったり、横にのびていてつぶやくのだ。 「おいらまいった……何人となく数はこなして来たつもりだが、お前ほどいいのには逢ったことがねえ……凄え、天にも昇る心地だ……まいった」  ふしぎな女心で、そう言われるとこの男が憎めなくなる。むしろ母性本能のごときものをかき立てられ、いたわってやりたい気持になってしまう。  手さぐりで、だから彼を愛撫しようと手をのばすと本当に、はだけた衿もとの胸などに、びっしり汗を掻き、虚脱状態でいるのがわかった。人がうわさするような質《たち》のわるい、女たらし専門──ヒモを陰の本業とする実は男とは、とても思えないのだった。──これまで彼が無心を言った総額は、二十両を越えようとしている。花は霧島たばこは国分の民謡の通り、煙草は薩摩産をもって最上とする。それに肥前島原が尋《つ》ぐ。  それで、数年に一度、仕入れのことも兼ねて長兵衛は西国への旅に出るが、ちょうど、伊三吉との過ちを犯した旬日後に、夫はそんな長途の旅に出てしまった。店をまもる老番頭が、でも、お由の不身持を知らずにいるわけがない。夜中、商家の内儀がひとり歩きなど断じてするものではなく、 「お屋敷へ出かけるんですよ」  はじめはそう言って旧主大河内邸にご機嫌伺いにおもむく体《てい》をよそおったのを、 「お気をつけておいでなさいませ」  店前まで送り出た老番頭も、二度、三度とご機嫌伺いが重なるうちに疑惑の目で見るようになった。  ましてや、こっそり手|筥《ばこ》をあけ小判を持ち出している現場を番頭に見つかり、その場は言《げん》を左右して言いのがれたものの、更に一再ならず同じ行為をくり返しているのでは、いかに伊勢屋の内儀とても罪の恐ろしさに身のさいなまれるおもいがせぬ道理はない。  これが最後、もうこれが最後、いくどそう思って室町の裏木戸を出たであろう。  半月ほど前、夫はいよいよ東海道を江戸へ向かうと大坂からの飛脚があった。途中両三日、箱根あたりで湯治のうえ立ち戻ると。  今日あすにも、だから還《かえ》って来るかも知れない。そんな矢先の、伊三吉よりの誘い出しだった。  こんどこそ、これきりにと神仏に誓いお由は暮れ方、家をぬけ出して来たのだ……         ※  身づくろいをし、髪を撫でつけ、衿もともキチンと合わせ、ともかくも伊勢屋の内儀のよそおいに戻って、不倫の部屋を出たのはもう九ツに近かった。  あっしの船で送ろうと伊三吉は言った。言い出せば、ことわっても彼はその気になり、お由に先回りして船宿の粋な戸口を出る。  変に多勢で送り出さぬのがこういう場所のしきたりだろう。すっかり顔なじみになった仲居だけが、淫猥《いんわい》な目つきで暖簾《のれん》のかげに立って、 「それじゃお近いうちに、また……」  お由は顔をそむけるように、履物《はきもの》に足をかけた。さとられてはいないだろうが、湯文字の股間がびっしり濡れているのを見すかされはしまいかと、いそぎ足で月のまだ明るい戸外へ出る。  そこで、立ち竦《すく》んだ。  伊三吉が棒を呑んだように一歩も前へ出られずにいる。  驚倒の余り、お由は声が出なかった。  気儘《きまま》頭巾に面《かお》をつつんだ武士ひとり。  わきに、瞳孔をみひらいて唖然たる表情で立っているのは夫の伊勢屋長兵衛だった。それと番頭と。 「味なことをいたすものよの、由」  錆《さ》びた声は、まぎれもなく旧主大河内玄蕃だった。でも動顛《どうてん》してお由は声など耳に入らず、ひたすら、目を瞠《みは》って月明りに顔面蒼白の夫の面を見入っていた。 「あ、あっしゃ何も」  ゴクンと、空唾をのんで、 「この宿の仲居にでも聞、聞いてみておくンなせえ……あっしゃ、ただこ、こちらの伊勢屋のおかみさんにご無心を、ね、ねがっておりやしただけで……」 「盗人たけだけしいとは汝《うぬ》のことよ。この期《ご》に及んでまだ白を切るとは」 「う、うそじゃありませんお武家さま。あっしゃ」 「だまれ」  低いが、ずしんと腹にひびく威厳がこもっていた。 「由」  玄蕃の来たのは無論お由が目当てだろう。 「その方、よくも身共が名を騙《かた》ってくれたの。町方の生まれなればとて、武家屋敷に奉公いたした身なれば武士のしきたりはわきまえておる筈《はず》。あろうことか、不義密通にわれらが名をもち出すとは言語道断。その分にはせんぞ」  言って、差料に手をかけた。  お由は上の空で聞いていたが、ようやくハッと顔色を変えた。そして項垂《うなだ》れた。  姦通は確かな証拠があった場合、定法によって姦夫姦婦とも死罪である。夫婦は人倫の根本で、姦通はこの人の道を破壊する大罪とみなされたのである。現場を押さえた夫が、たとえ両人を殺してもこれは無罪とされた。  士分と、百姓町人たるを問わず、姦通事件ごときで公儀役人の手をわずらわせるのは恐れ多いゆえ、自ら始末をつけたと見たわけである。姦通罪にかぎっては、だから、百姓町人でも不義の両人を成敗してかまわなかった。  但し、姦通は畢竟《ひつきよう》、親告罪ゆえ、殺す代りに間男に首代を請求して内済にすることもある。現実にはむしろこの方が多かった。寝髪を押さえて首をとってみたところで、女房を寝盗られた男の恥を世間にさらし、物笑いになることに変りはないからだろう。そこで、 「さわり三百」  といって、あらかじめ首代銀三百匁を用意して人妻に手を出す不届者も後には出るようになった。だが同じ姦夫でも主人の妻に通じた者は獄門台にさらされる。夫のある女に強いて不義を為した者もこれに準じる。伊三吉が、けっしてお由に着物を脱がせなかったのもこの辺を勘考したからだった。  だが、武士たる大河内玄蕃みずから現われたのでは遁《のが》れる余地はない。  棒を呑んだように立ちつくし震え出したのも無理なかった。  その点、お由は観念が早かった。弁解の余地のないことはわかりきっている。 「おはずかしゅうございます……」  女中時代のことば使いになって、 「どうぞご存分に……」  神妙にうな垂れたのだ。お手討ちになるなら、いっそ、冥加《みようが》というべきだろう。 「浅はかなものよ。ならば刀の錆にいたしてくれる……念仏を、唱えい」  言って、大刀を月光にキラリとふりかざしたら、 「待、待って下さいませ」  おどり出したのは伊勢屋長兵衛であった。長兵衛はお由を後《うしろ》にかばい立つや突如《いきなり》、傍《わき》の伊三吉の肩を、 「逃げなされ、早う」  トンと押し遣った。 「たはっ、何をいたす」  玄蕃の愕《おどろ》くより早く脱兎のごとく伊三吉は河岸を走り身を躍らせて大川ヘザブン…… 「たわけ。伊勢屋、さまでにその方、由を庇《かば》うか?」 「お殿様……」  長兵衛はなみだ声であった。姦夫姦婦を始末しても罪に問われないが、万一、夫が姦通の二人を処分しようとして仕損じた場合の規定には、姦夫だけを殺したときは姦婦は公儀で死罪に処せられるが、もし姦夫を逃がしたときは、姦婦は本夫の心任せにゆだねられる。女房のお由に未練あって、わざとそれで伊三吉を長兵衛は逃がした、そう玄蕃は察したのである。 「これがお屋敷へ参上いたすなどと口実をもうけましたる非礼は、幾重にもお詫びを申上げます。どうぞお刀におかけ遊ばすことはごかんべん願いまする。もとはと言えば、手前にも越度《おちど》のあったこと、こればかりがご成敗にあうのでは不憫《ふびん》でございますので」 「伊勢屋、すりゃその方、これほどのふしだらを目前にいたして、まだ未練が断てんのか?」 「なんと仰せられましても、元はと申せばお殿様のお声がかりで迎えました家内、それをかようなふしだらに走らせました責《せめ》は手前にもあろうかと存じます。それをおもいまするとこればかりがお手討ちに相成るのは何としましても不憫……どうぞ、この場は亭主の手前にめんじて……お殿様、この通りでございます」  長兵衛は必死の形相で、飛蝗《ばつた》のように幾度も低頭した。ひごろ無口な男が不義の妻をこれほどまでに弁疏《べんそ》する……さすがの大河内玄蕃もふりあげた刀の始末に困った。  この時、  はらわたをしぼるような悲痛な嗚咽《おえつ》で、お由は、よよと泣き伏した。 「おそかったお前さん……どうして、もう少し早く……早く……」         ※  成敗はまぬがれた。  玄蕃は立ち去った。  あとに残った長兵衛は腕組みで無言にうなだれていた。うしろで声をあげお由は慟哭《どうこく》しつづけた。  お由が自害したのはこの夜から三日後である。三日間、なにを耐《た》えようとつとめたのかはわからない。  遺書があった。  長兵衛だけが遺書を読んだあと、きわめてねんごろに彼女の遺骸を葬った。  以来、前にもまして伊勢屋は無口な男になっていた。 初出誌   「|色 欲曲輪達引《いろとよくくるわのたてひき》」   (「小説現代」昭和四十七年六、九、十、四十八年一月号)   「いろ暦四十八手の裡《うち》」   (「小説現代」昭和四十九年七、九、十一、五十年一、四月号)