丸谷 才一 日本語のために [#表紙(表紙.jpg)] [#裏表紙(表紙2.jpg)] 目 次  ㈵  国語教科書批判   1 子供に詩を作らせるな   2 よい詩を読ませよう   3 中学生に恋愛詩を   4 文体を大事にしよう   5 子供の文章はのせるな   6 小学生にも文語文を   7 中学で漢文の初歩を   8 敬語は普遍的なもの   9 文学づくのはよさう   10 文部省にへつらふな  ㈼  未来の日本語のために  現在の日本語のために  ㈽  当節言葉づかひ   1 総理大臣の散文   2 娘たち   3 片仮名とローマ字で   4 江戸明渡し   5 敬語はむづかしい   6 電話の日本語   7 泣虫新聞   8 テレビとラジオ   9 最初の文体   10 タブーと言霊《ことだま》   11 字体の問題   12 日本語への関心      あとがき      わたしの表記法   解 説          大野 晋 [#改ページ]     ㈵ [#小見出し]  国語教科書批判 [#小見出し]    1 子供に詩を作らせるな[#「1 子供に詩を作らせるな」はゴシック体]  一体どうして、子供に詩を作らせることにこんなに熱心なのだらう。これではまるで詩学教科書ではないか。  小学校の教科書に目を通して、まづさう思つた。これはおそらくわたし一人の感想ではあるまい。誰だつて怪訝《けげん》に思ふくらゐ、異様な熱中ぶりを示してゐるのである。もつとも、詩学教科書と言つたのはほんのお世辞にすぎないので、あからさまに言へば、詩でも何でもないまことに詰らぬものを子供に書かせようとして必死になつてゐるのが、国語教科書の現状なのだ。  たとへば東京書籍の『新しい国語』五上に「四 詩を書く」といふ単元があつて、小学生が、 [#ここから1字下げ]  牛が水を飲んでいる。  大きな顔をバケツの中につっこんで、ごくごくごく、がぶがぶ、でっかいはらを波打たせて、ひと息に飲んでしまった。 [#ここで字下げ終わり]  と書いたのを、次のやうに直すといふ実例をあげてゐる。「書こうとすることがらを、いっそうきわだたせるためには、このように、改行のしかたや句とう点の打ち方など、書き表わし方のくふうをすることがたいせつである」   牛が水を飲んでいる。   大きな顔を   バケツの中につっこんで、   ごくごくごく、   がぶがぶ、   でっかいはらを波打たせて、   ひと息に飲んでしまった。 『牛』といふ「詩」がこれでよくなつたつもりらしいが、果してさうなのか。わたしの見たところでは、改作前も改作後もどちらも詩ではないし、単なる文章としては(別にどうと言ふことはない代物《しろもの》だけれど)、手を入れないうちのほうが数等すぐれてゐる。詩でなんかちつともないスケッチをいい加減に改行して、詩らしく見せかけようといふ卑しい魂胆のないところが、まだしも清潔なのだ。  かういふ「詩」の作り方の実演(本当は虚《ヽ》演なのだらうけれど)はほかの教科書にもあつて、教育出版の『標準国語』五年下では、「えん筆でざくろをつぶすと、/ピンク色のしるが飛んで出た」といふ二行を、「えん筆で/ざくろをプチュとつぶす。/ピンクのしるの水鉄ぽう」といふ三行に改め、「どんなところをうまくくふうしているか、前に作ったものと比べてみましょう」などと指図してゐる。どちらも詩ではない点でも、改作後のほうが悪くなつてゐる点でも、前の場合とまつたく同様なことは言ふまでもない。かういふ馬鹿げた教材を扱はなければならない教師たち、かういふ下らない勉強に頭を悩ましてゐる児童たちに、わたしは同情を禁じ得なかつた。  第一、不思議でならないのだが、なぜ子供に無理やり詩を作らせるのか。そんな特殊な勉強がどうして必要なのか。いくら考へても合点がゆかないのである。  もちろん、作文の練習といふのは大事だらう。これにはじゆうぶん時間をかけて、丁寧な指導を受けることが望ましい。字も覚えるし、言葉や言ひまはしの意味もはつきりするし、筋道を立てた表現のし方も身について、いいことづくめだからである。しかしこれとても、上手になるに越したことはないが、何もみんなをいはゆる名文家に仕立てようと骨を折ることはない。誤字脱字がなくて、語法の正しい、達意の文章が書ければ、それでいちおう上出来なのだ。しかし、散文の場合ならば達意の文章といふことはある。詩の場合には達意の詩なんてものはない。  詩は言葉の魔法である。「力をも入れずして天つちを動かす」技術である。さういふ玄妙なものを書ける子供が滅多にゐるはずがないのは、明らかではないか。それなのに詩を書けとあらゆる子供に強制するとは、幼児虐待もいいところではないか。そして彼らがやむを得ず書いた、本当は詩でも何でもないものを詩として扱ふのは、詩についての間違つた概念を教へこみ叩きこむ、まさに犯罪的行為ではないか。わたしはこのことを日本の教育のために悲しみ、日本の詩のために憂へる者である。  子供たちに詩の作り方など教へる必要はない。もちろん、文章がきちんと書ける子供なら、優れた詩をたくさん読ませれば、ごく自然に、詩の眞似ごとのやうなものを書くことはあり得る。それはそれで結構である。そのなかには本ものの詩を書く子供もごくまれに出るかもしれない。まことに結構な話だ。しかし百万人に一人の天才を得るために、日本中のあらゆる子供に対し、インチキきはまる詩の作り方を教へねばならぬ道理があらうか。わたしにはこれが、時間と労力のまつたくの無駄づかひのやうにしか思へない。これを礼儀正しく言へば、今の日本の国語教育は文学趣味に毒されてゐるといふことにならうか。文学的、あまりに文学的といふことにならうか。  しかし、国語教育と文学との結びつきは、本来こんなところにあるのではない。それは国語の正しい習得に役立つといふ一点において、文学に資することができるのである。三文の値打ちもない文学趣味はさつさとよすがよからう。まさかヘツポコ詩人の卵を作ることが国語教育の目的ではないはずだ。 [#改ページ] [#小見出し]    2 よい詩を読ませよう[#「2 よい詩を読ませよう」はゴシック体]  子供に詩を書かせることは無用であるとわたしは言つた。しかし、詩を読ませることはすこぶる有意義だらう。詩において言葉は最も魅惑的に用ゐられてゐるはずだからである。  ここで一言ことわつておけば、詩が情操を養ひ、心の優しさを育てるといふことにわたしは反対しない。それはたしかに詩の大きな功徳である。しかし国語教育における教材としての詩の重要性は、まづ何よりも、日本語がこれほど力強く、鋭く、匂やかで、豊かで、一言にして言へば美しい言葉であることを、意識的、無意識的に感知させるといふ点にあらう。日本語の美しさについて、子供相手にながながと演説するなどは愚劣の極である。こむづかしい長広舌よりも一編の詩のほうが、そのことを遙《はる》かによく教へるだらう。もちろんそのためには、眞の詩を与へなければならないけれども。  ところが小学校の教科書に採録されてゐる詩について言へば、小首をかしげたくなるものが大部分だし、中学教科書でもその手のものはかなり見受けられた。これではむしろ逆効果ではないか。あるいはすくなくとも、効果がはなはだ乏しいことになりはしないか。  典型的な例を一つあげよう。東京書籍の『新しい国語』六上に出てゐる『港』である。   港には、きょうも、   魚群探知機のついた   新造船が一せき   うかび始めた。   島を空でつなぐ、美しい鉄の橋。   その下をかけ回る、高速モーターボート。   港は、日に日に、   新しいよそおいをまとっていく。      けれども、   波だけは、むかしのままの子もり歌を、   きょうも、歌いつづけている。   ザブラン、ザブラン。   ザブラン、ザブラン。   ああ、   かもめが、ほら、   ゆりかごをゆすっている。  構成は弱くて脆《もろ》く、イメージはぼやけて濁つてゐる。音の響きは不快だし、言葉づかひはいちいち適切を欠く。まつたく箸《はし》にも棒にもかからぬ駄作で、こんな代物にこれ以上つきあつてゐる暇はわたしにはない。さきを急ぐことにする。  日本書籍の『小学国語』6下の巻頭に、どうやらこの巻全体の序詩といふ趣で、山之口貘《やまのぐちばく》の『天』が載つてゐる。   草にねころんでいると   眼下には天が深い      風   雲   太陽   有名なものたちの住んでいる世界   天は青く深いのだ   見おろしていると   からだが落っこちそうになってこわいのだ   ぼくは草木の根のように   土の中へもぐりこみたくなってしまうのだ  これはたしかに詩である。まがひものではない。だからその点、文句はないのだが、気にかかることが一つある。教科書の「詩」と言へば、普通、道徳的な内容の、むやみに健全なものが選ばれるのに、かういふ劣等感と敗北感を歌つた作品が採用されたのは編者たちの誤解のせいではないかといふ疑惑を押へることができないのだ。念のため前年版の学習指導書を取寄せてみると、わたしの推測はやはり正しいやうである。それには、「二連目などは四行あるうちの三行までが一単語ずつ」とか「天と地を一八〇度回転した位置から天を見ている」とか書いてあるだけで、挫折《ざせつ》の詩だといふことには一言も触れてゐない。今の国語教科書の編者たちが、詩が大好きなくせにあまり詩を読めないといふ事情を、この教材はじつによく示してゐると言へよう。  ここで話がすこしむづかしくなるけれども、一体に教科書の詩の選び方は(特に小学校の場合)、口語自由詩が中心になつてゐる。しかし詩の入門としては、これはむしろ逆ではないか。文語の詩を最初に読ませろとまでは言はぬにしても、言葉の魅力、形式の整ひ、音の楽しさを味ははせるためには、定型詩、ないしそれに近いものを当てがふほうがよいのではないか。自由詩といふのは、もつと程度の高い、すれつからしの読者のためのものだらう。  さいはひ童謡にはかういふ狙ひにふさはしいものがかなりあると思ふが、国語教科書ではすこぶる嫌はれてゐる。たとへば都築益世《つづきますよ》の、「草の 一本橋/あお空 高い/太鼓 たたいて/てんとうむし 渡れ」といふ絶唱がどの本にも見えないことは、わたしをはなはだ寂しがらせた。  ついでに言ひ添へておけば、小学校の教科書の詩で最も優れてゐると思つたのは、日本書籍『小学国語』5下の島木赤彦『つらら』であつた。それは「草屋 のきばに、/つららがさがる」とはじまり、「つらら つらつら、/日が出て光る」を経て、「やってきたのは、/ゆう便くばり」「頭かしげて、/つららをくぐる」と終る童謡だが、子供に読ませる詩として間然するところがない。 [#改ページ] [#小見出し]    3 中学生に恋愛詩を[#「3 中学生に恋愛詩を」はゴシック体]  中学教科書に採られてゐる詩は、小学校のほうとくらべて大分ましなやうに見受けられる。これは言ふまでもなく、生徒の書いたものやそれに毛が生えたやうな、あるいは三本毛が足りないやうな代物が大幅にへり、主として専門の詩人の作品が収められてゐるからだ。もつともなかには、日本書籍の『中学国語』1のやうに、中学生にも詩を作らせようとして、「カラマツに向かって、/手を上げた。/夕日。/指の中まで光る」などと馬鹿げた手本を押しつける教科書もあるけれど、さいはひこれは珍しい例外にすぎない(なほ、同じ教科書に出てゐる『暑い日』といふ「詩」の「すいこう」ぶりは、お笑ひ草として絶好のもの)。  しかし、ましになつてるからと言つて、文句をつけたいふしがないわけではない。ここではとりあへず二つの点をあげておかう。  第一に、定型詩ないしそれに近いものが依然として足りない。なるほど教育出版の『新訂中学国語』3は島崎藤村の「わきてながるる/やほじほの/……」と上田|敏《びん》訳の『山のあなた』、光村図書の『中等新国語』三は藤村の『椰子《やし》の実』と上田敏訳の『落葉』、そして日本書籍の『中学国語』3は藤村の『小諸《こもろ》なる古城のほとり』を採つてゐる。わたしはかういふ選択に大賛成だけれども、もし編者たちが、定型詩は中学三年になつてやうやく味はへるものと決めこんでゐるとすれば、途方もない間違ひと言ふしかない。話はまつたく逆で、定型詩的な整ひと華やかさ、韻律の喜びのほうが、ずつと楽にはいつてゆけるものなのだ。一般に国語教科書の編者たちは、大正以来の口語自由詩に漫然と義理を立てて、新しがつてゐるのではないか。  その点、筑摩書房の『国語』2が室生犀星《むろうさいせい》の『寂しき春』(前半だけをあげれば——「したたりやまぬ日のひかり/うつうつまわる水ぐるま/あおぞらに/越後の山も見ゆるぞ/さびしいぞ」)を収め、東京書籍の『新しい国語』二が中原中也の『月夜の浜べ』を選んでゐる態度はまことに正しい。一つこの調子で、萩原朔太郎の「ふらんすへ行きたしと思へども」や「しづかにきしれ四輪馬車」を採る教科書は現れないものか。  かう言へば、子供にはむづかしすぎると反駁《はんばく》する人もゐるかもしれぬ。実際、定型詩的なものがむづかしいといふのは苦労の種のやうで、そのことは三好達治の『雪』が、教育出版の『新訂中学国語』1でも、東京書籍の『新しい国語』二でも、そして日本書籍の『中学国語』2でも、独立した作品としてではなく詩論のなかの例として、いはば解説つきの形で採られてゐることでも察しがつかう。このうち『中学国語』の山本健吉の文章は、わたしじしん教へられるところの多い見事な鑑賞、精緻《せいち》な分析だが、たとへかういふ上等のものでも中学生には詩論はいらない。ただ詩を読ませればいい。   太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。   次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。  といふ二行の、典雅で緊張した世界とぢかにぶつかることの重要性にくらべれば、他の一切に何の意味があらう。詩で大事なのは理解することではなく陶酔することであり、教材としての詩の最大の意味は、言語の働きの極限のすがたをまのあたりに示すことなのである。  第二に、これも編者たちの趣味が大正から昭和にかけての詩の風潮に支配されてゐるせいだらうか、それとも妙に「教育的」でありたいと願ふせいなのか、何となく倫理的な感じの生活詩がむやみに多い。これではお説教めいたことをスカした口調で言ふのが詩だと受取られる恐れがある。わたしはその手のものを一から十までしりぞけはしないけれど、もつとほかの種類の詩もぜひ入れてもらひたいとは要望しておかう。  わたしの見たところでは、教科書にぜつたい選ばれない二種類の詩がある。一つは言葉遊びの詩で、これは堀口大學の『数へうた』や岩田宏の諸作品はあるにせよ、一体に明治以後の詩人が不得手なものだから仕方がないかもしれぬ。しかし、教科書に決して載らないもう一つの詩、恋愛詩となると話は違ふ。恋を歌はなかつた詩人は、蚤取《のみと》りまなこで探しても見つからないくらゐではないか。  わたしは穏健な思想の持主だから、小学生に恋愛詩を当てがへとは主張しない。また、堀口大學の艶笑詩や、吉岡実のエロチック極まる作品を中学生に読ませるべきだとも言はない。だが、年少の読者にすすめるにふさはしい、恋を歌つた佳什《かじゆう》は、何も今さら改めて例をあげるまでもなく、すこぶる多いはずである。どうしてさういふものを教科書に採つてはいけないのか。恋愛詩こそは詩の花であるのに。言葉はそこにおいて最も甘美に最も匂やかに用ゐられてゐるのに。  いつたい国語教科書では、「恋」とか「恋愛」とか「恋人」とかいふ言葉は、断じて登場してはならないものとされているやうだが、愚の骨頂と言ふしかない。性教育が眞面目に取沙汰される御時勢に、これは何といふ間抜けな(あるいは臆病な)態度だらうか。もちろん文部官僚は石頭で「恋」といふ字を見ただけでも震へあがるだらう。しかし学習指導要領には、恋愛に関係のある教材はいけないとは書いてないのである。「国語の特質を理解させ、言語感覚を豊かに」するのが国語教育の目的の一つにあげられてゐるのである。それならば、日本文学の歴史における恋歌の重要性を、石頭にも判るやうに説いて聞かせて、ぜひ恋愛詩を採録すべきだらう。もし役人が横車を押したら、裁判で争へばよい。そのとき、恋歌があれほど多い『百人一首』を子女の教材として用ゐつづけてきた日本文化の伝統は、まさか被告側に味方するはずはないのである。 [#改ページ] [#小見出し]    4 文体を大事にしよう[#「4 文体を大事にしよう」はゴシック体]  いつまでも詩の話をしてゐるわけにはゆかない。散文のほうに移るとしよう。  国語教科書の散文でいちばん問題なのは、文体が劣悪なことである。わづかばかりの例外を別にすれば、ほとんどすべて、がらくた同然の文章なのだ。わたしは何も最高の基準を振りかざしてゐるのではない。妙に粋《いき》がつた趣味をひけらかして通ぶつてゐるのでもない。虚心に教科書を読めばたいていの人が認めざるを得ないことを指摘してゐるだけである。  光村図書の『小学新国語』六年上に、『科学的態度』といふ三ページちよつとの無署名の文章が載つてゐる。「説明文」の例としてあげてあるのだが、ひどく歯切れの悪い、もたもたした調子のもので、明晰《めいせき》さが足りないし、前へ前へと進んでゆくといふ散文の基本的な美徳を欠いてゐる。もつたいぶることに手間取りすぎて、分量の割りに内容が乏しく、はなはだ空疎な印象を与へることも言ひ添へておかう。同じことを寺田寅彦や坪井忠二のやうな科学ばたけの文章家が書いたなら、一ページか一ページ半で、しかも子供にもつとよくのみこめるやう、すつきりと仕上げたにちがひない。(教育出版『新訂中学国語』2の『科学随想』にしろ、筑摩書房『国語(中学校用)』1の『十秒ゼロ』にしろ、坪井の文章は平明で論理的で神経のゆきとどいた、見事なものである。)  さすがに『科学的態度』のやうな駄文は極端な例で、しよつちゆう、ぶつかるわけではない。しかしこれは程度の違ひを律義《りちぎ》に見分けての話なので、五十歩も百歩も似たやうなものといふ大ざつぱな立場に立てば、この手の代物が目白押しに並んでゐるのが国語教科書だ、といふ認識に到達することにならう。残念なことにこの判断はちつとも間違つてゐない。つまり名文は至つてすくないのである。  教科書は規範である。そして国語教科書の文体は、一国民の文体意識の規範となる性格のものである。劣悪な文章で国語を学んだ国民は、文体についての感覚を失ふにちがひないし、そのことは必然的に精神の衰弱をもたらすだらう。大げさなおどしをかけるなと叱られるかもしれないが、文化と文体とはもともとさういふ密接な関係にあるものなのだ。文体は思考の姿かたちだからである。それゆゑ国語教科書は名文を収めなければならず、決して駄文を含んではならない。  それなのに教科書の編者たちには、文体が大事だといふ気持がさつぱりないらしい。彼らの眼中、内容《ヽヽ》のみあつて、形式《ヽヽ》などは末の末と鼻のさきで軽くあしらつてゐるやうに見受けられる。しかし、内容と形式とは分ちがたく結びついてゐるといふことこそ、文章論のイロハなのである。  実際、彼らが文体を軽んじてゐるのは恐ろしいくらゐで、そのことはいはゆる文藝作品への手の入れ方で歴然としてゐる。分量その他のせいで、多少の手直しはたしかにやむを得ないことだらう。わたしはさういふ事情も斟酌《しんしやく》しないほどの偏屈者ではないが、しかしそれにしても、もうすこし細心な処置は取れないものだらうか。もうすこし上手に改めることはできないものだらうか。  たとへば東京書籍の『新しい国語』六下に、新美南吉の『おじいさんのランプ』が載つてゐるが、これが見るも無残なくらゐ改悪されてゐるのだ。大事な伏線を省いたり、段取りのつけ方が無器用になつたりしてゐることについてはここでは触れない。しかしたとへば、 [#ここから1字下げ]  巳之助《みのすけ》は駄賃の十五銭をもらうと、人力車とも別れてしまってお酒にでもよったように、波の音のたえまないこの海岸の町を、めずらしい商店をのぞき、美しく明るいランプに見とれて、さまよっていた。 [#ここで字下げ終わり]  といふくだりが「巳之助は、賃金の十五銭をもらうと、人力車とも別れて、めずらしい商店をのぞき、美しく明るいランプに見とれて、町をさまよっていた」に変つているのを見ると、酒のイメージと海のイメージがあつさり除かれたせいで、少年の陶酔がいつこう伝はらなくなつたことを惜しまざるを得ないのである。切れない鋏《はさみ》を粗雑に使つた結果、新美の文章の魅力は色あせ、生気は消え失せてしまつたのだ。  いや、この種のものはやはり元がいいから、あれこれといぢられても結局、程度が高いやうだ。全部が全部さうだといふわけではないけれど、概してそんな傾向があると言つても差支《さしつか》へなからう。手に負へないのはいはゆる別記著作者(編者)たちの書いた無署名のもので、しかも教科書はたいてい彼らの文章で成立つてゐるから始末が悪い。  教育出版の『標準国語』は編者たちの文体がわりあひましなほうなのだが(反対にいちばん文体の悪いのは学校図書の『小学校国語』だらうか)、しかしこの『標準国語』六年下で、おや、これは珍しく文章が生きてゐて言葉が光つてゐる、などと感心しながら読んでゆくと、『野ばら』のおしまひには小川未明と署名があり、『白い風船』のおしまひには遠藤周作とあるのだ。それは何か溜息《ためいき》が出るくらゐはつきりした違ひであつた。  さういふ物語形式でなら文体も映えるなどと、へらず口を叩く人もゐるかもしれない。それなら日本書籍の『小学国語』6上のなかの『本の読み方』と『読みの速さ』とをくらべてみようか。前者は清水幾太郎、後者は無署名だが、清水の文章の明快さ、正確さ、鋭利さと、『読みの速さ』のどんよりと濁つた文体とは、まつたく雲泥の差と言ふしかない。  こんなことならいつそ、編者たちは純粋に編集にたづさはることにして、自分では何も書かないほうがよいのではないか。美しい文体の文章を提供することが国語教育に対する彼らの義務であり、その反対の作業は日本語の伝統への反逆にほかならないからである。 [#改ページ] [#小見出し]    5 子供の文章はのせるな[#「5 子供の文章はのせるな」はゴシック体]  紫式部だらうがギボンだらうが、子供のころは大人の書いた名文を手本にして文章の書き方を学んだ。当り前の話だと誰でも言ふだらう。ところが今の日本の国語教科書は、かういふ判りきつたことも判つてゐない人々によつて作られてゐるらしい。子供の書いた駄文が文章の模範としてたくさん載つてゐるからである。  たとへば学校図書『小学校国語』六年下に、『あの日の印象』といふ短文が五つ並んでゐる。「六年間の中でいちばん印象に残ること」を書かせたものだが、ここには最初の二つを引いてみる。 [#ここから1字下げ]  赤いくつが、キュッキュッと鳴っていた。  入学式の日、母の手にぶらさがるようにして校門をくぐった。さくらが満開だった。  わたしたちの担任の大月先生が、笑いながら、胸に青の記章をつけて立っておられた。  四対三。一点差。ランナー二るい三るい。最後のバッターはぼくだ。ソフトボール大会の六年一組との決勝戦。第一球——思いきってふった。手ごたえがあった! 逆転優勝のあの感げきの一しゅん。 [#ここで字下げ終わり]  一読して明らかなやうに、どちらもじつに下らない文章である。前者についていへば、「赤いくつが、キュッキュッ」とか、「母の手にぶらさがるようにして」とか、「さくらが満開」とか、担任の先生が「笑いながら」とか、陳腐な道具立て、手垢《てあか》のついた言ひまはしを、よくもかう恥しらずに勢ぞろひさせたものだとあきれてしまふ。かういふ文章を選ぶ編者は、よほど嘘つ八が好きな人に相違ない。そして後者については、こんなことならいつそ、三流スポーツ新聞の記事を教科書に採るほうがましだと言つておかう。  とにかく、かういふ品位のかけらもない粗悪な文章が教科書に載つてゐるのは由々しいことで、これでは日本人の精神と感受性は無残に荒れ果ててしまふ。これから察するに、文部省の検定とやらは、平和をたたへたり戦争の悪口を言つたりさへしなければ、どんな愚劣な文章が収めてあつても差支へないといふ方針と見受けられる。つまり文体についての関心のない人々が、編纂《へんさん》したり、監修したり、あるいはさらに検定したりしてゐるのが、国語教科書の現状なのだらう。  それなら彼らが関心を持つてゐるものは何か。倫理である。あるいはお説教である。しかしここに重大な問題が一つあつて、それは、だらしのない文体で倫理について書けばたちまち偽善的な感じになつてしまふといふ困つた事情である。あまり多いのでいちいち例はあげないけれど、教科書に採つてある子供の作文はほとんどこの手のものだと言つて差支へない。  わたしは、社会の存続のためにはある程度の偽善が不可欠だと考へてゐる者である。しかし、どうせ子供に偽善を教へるのなら、もうすこし上等な洗練されたものを手本として与へるほうがいいのではないか。それが文明といふものではないか。  一体、作文教育の原理といふのは至つて簡単である。一流の名文をたくさん当てがへばそれでいい。優れた文章に数多く接すれば、おのづから文章の骨法が呑みこめるのだ。ところが今の日本の国語教育では、名文を読ませるのは二の次、三の次にして、子供の書いた大したことのない文章、およびそれに誰かが手を入れていつそう悪くした文章を読ませる。これでは文体の感覚が鈍磨するのは火を見るよりも明らかだらう。子供の文章などといふものは、すこしくらゐ出来がよくたつて、何も教科書に入れて規範とする必要はない。そんなものはガリ版刷りの学級文集に収めればいいのである。  また、国語教科書でもつともらしく、文章の組立てなどといふことを講義するのもよくない。そんなことぐらゐ、名文を熟読すれば自然に判つてくる。いきなり分析を聞かせてしまつては、文章それ自体と丁寧につきあふことの邪魔にしかなるまい。  第一、腹が立つのは、文章の組立てを教へるための実例に選ばれてゐるのが、煮ても焼いても食へないまづい文章だといふことである。前にもあげた光村図書『小学新国語』六年上の『科学的態度』などその最たるものだが、文章には序論、本論、結論があるといふことを示さうといふ気持以外には何の意欲もなしに書いたらしく、その結果、まつたく不要の序論、まつたく無用の結論がついてゐる。打割つたところを言へば、本論も削つてかまはないとわたしは見た。  文章の添削の例を上下二段に分けて示したり(光村図書『小学新国語』六年下の『登校』)、「何をうったえようとしているのか、わからないことはないが(中略)読み手にどれだけ理解され共鳴してもらえるか、心もとない」と編者じしん批評するものを出してあれこれ注文をつけたり(日本書籍『小学国語』6下の『児童遊園での遊びについて』)してゐる本もあるが、こんなくだくだしい細工は筋違ひである。本来なら教師用参考書のための工夫であるはずのものを、教科書のほうにもぐりこませられては子供が迷惑する。小学生がそれを読んで直し方のコツを会得し、自分がいつたん書きあげたものを改めるなんて、そんなややこしいことができるものか。可能なのはただ『登校』なり『児童遊園での遊びについて』なりの、元の文章の悪影響を受けることだけであらう。 [#改ページ] [#小見出し]    6 小学生にも文語文を[#「6 小学生にも文語文を」はゴシック体]  学校図書『小学校国語』六年下に『宇治川の戦い』がある。『平家物語』巻第九『宇治川先陣』、 [#ここから1字下げ]  比《ころ》は睦月《むつき》廿日《はつか》あまりの事なれば、比良《ひら》の高嶺《たかね》、志賀の山、むかしながらの雪もきえ、谷々の氷うちとけて、水は折ふしまさりたり。白浪《しらなみ》おびたゝしうみなぎりおち、瀬まくら大きに瀧鳴つてさかまく水もはやかりけり。 [#ここで字下げ終わり]  とはじまるくだりを「現代のことばに直したもの」で、この課のはじめには「古典に親しみ 朗読をくふうする」と狙ひを説明してゐる。わたしにはこれがさつぱり合点がゆかない。  いま引用した原文をそのままかかげるのなら、なるほど古典を読むことにもならう。朗読に工夫する甲斐《かひ》もあらう。しかし、 [#ここから1字下げ]  時は旧暦一月二十日すぎ、比良のみねみねの雪も消え、谷の氷もとけて水かさを増した宇治川は、川一面に白波をたて、浅せにくだけるひびきはたきのよう。さかまく水は、矢のように流れ下る。 [#ここで字下げ終わり]  などといふ間の抜けた訳文に、声張りあげて読むだけの値打ちがあるものか。そんな藝当に苦労させる暇があつたら、「瀬」とか「滝」とか、一字でも多く漢字を教へるほうが気がきいてゐるではないか。いや、何よりもまづ、こんなものにいくらつきあつても、古典を読んだなんて大層なことになるのかしらと、わたしは疑惑を禁じ得ないのである。一体、言語教育をおろそかにして文学教育に耽《ふけ》りがちなのは今の国語教科書の通弊だが、この『宇治川の戦い』の「古典に親しみ」うんぬんは、そのやうな形勢の最も滑稽な戯画になつてゐるやうだ。  小学生に古典の匂ひなど嗅《か》がせる必要はあるまい。それはせいぜい中学生になつてはじめてぶつかる資格の生じる、大関、横綱なのである。それまではむしろ基礎的な体力をつけることが肝腎《かんじん》だらう。  基礎的な体力とは何か。文語文を読む素養である。『源氏物語』も『徒然草《つれづれぐさ》』も『歎異抄《たんにしよう》』も『北越雪譜《ほくえつせつぷ》』も、古典はみなそれで書いてあるではないか。いや、『文明論之概略』も『即興詩人』も『赤光《しやくこう》』も『断腸亭日乗』もみなさうではないか。その文語文をちつとも読ませず、口語文ばかり当てがつておくのでは、いつまで経つても古典が読めるはずはないのだ。  人はあまりに過激であまりに時代おくれな意見として鼻白むかもしれないが、小学校の高学年では文語文をかなり与へるのがよからうとわたしは信じてゐる。わづかばかりの短歌・俳句を別にすれば言文一致一点ばりの現状は正しくない。文語文に慣れることは、第一に、将来、古典を読むのに役立つだらう。これについての詳しい説明はまさかいらないはずである。そして第二には、口語文の理解と発達に資するところ大なのだが……これはちよつと注釈を要するかもしれない。  口をついて出るおしやべりをそのまま書き写せば口語体になると、世間では漠然と考へてゐるらしいが、これはまつたく間違つてゐる。口語体とは口語の文体の意である。それは常に文体としての形と整ひを要求されるし、その形と整ひの規範は、実質的にも歴史的にも文語体にあるのだ。すなはち、口語文とはあくまでも文語文のくづれ、ないし変奏にほかならないのである。このことは、現代において最も口語的な文体を駆使すると言はれる作家、野坂昭如のよりどころが、実は八文字屋本の文体であることを見れば、わりあひすんなり呑みこめるのではないか。  彼だけではない。森鴎外は『春秋左氏伝』によつてその文体を作つた。谷崎潤一郎は後に谷崎松子となる人の恋文に触発されて、王朝の文体を今日によみがへらせることに気がついた。そして佐藤春夫における和漢|混淆《こんこう》文の影響については、今さらわたしが述べるまでもなからう。巧拙の度合はともかく、そして意識してゐるかはともかく、ほぼこれに類したことを、ひとかどの文章を書く現代人はみなおこなつてゐるのである。つまり口語文には、文語文といふ骨格が一本とほつてゐる。とすれば、子供に文語文を読ませることの重要性は至つて明らかな話にならう。それが日本語の文体をすこやかにし、美しく保つための、基本的な手段なのである。国語は常に古典主義によつて養はれてゐなければならない。  それに、すこし仔細《しさい》に眺めるなら、いはゆる口語文のなかに文語調の言ひまはしがおびただしいことは容易に見て取れるはずである。新聞の見出しや広告の文句など、むしろそれで持ちきりではないか。文明はそのことを欲してゐるし、そのやうな工夫による文体の凝縮と華麗とを社会は求めてゐるのである。教科書の編者たちは、もつともらしい顔ででれりとした文章を書く合間に、かういふ要求に耳かたむけるべきではないか。聞き耳を立てたあげく、せめて明治の文語文のなかの平易なものを採用すべきではないか。  言ふまでもないことだが、口語文すらまともに書けない人たちが文語文を手がけてはいけない。末代までの恥さらしになる。自分では書くのをよして、さいはひここに坪内|逍遙《しようよう》編の教科書があるから、適宜、拾つてみてはどうだらうか。見本として、高等小学校用巻四、今で言へば小学六年下に収める短文を示さう。 [#ここから1字下げ]  和蘭《オランダ》人某、始メテ、濠洲ニ渡リ、何クレト見アルキテ、一々、手帳ニ留《トド》メケルガ、タマ/\、形、鼠ニ似テ、腹膨レ、大キサ、犬ホドノ獣ヲ見タリケレバ、「コレハ何ゾ」ト和蘭語ニテ尋ネケルニ、土人「かんがるー」ト答フ。ヤガテ、図マデ添ヘテ、本国ニ報ジヤリシカバ、かんがるートイフ獣ノ名、全世界ニ広マリヌ。近年ノ調ベニヨレバ、かんがるートハ、土語ニテ「御言葉ノ意味ガ分ラヌ」トイフコトナリケリ。 [#ここで字下げ終わり] [#改ページ] [#小見出し]    7 中学で漢文の初歩を[#「7 中学で漢文の初歩を」はゴシック体]  文部省の『小学校学習指導要領』に、「第四学年において、ローマ字による日常ふれる程度の簡単な単語の読み書きを指導するものとする」と定めてあるが、これは一体どういふ了見なのか。気はたしかなのかと怪しまざるを得ない。  国語審議会が認めてゐるやうに、「わが国では明治以来、漢字とかなとを交えて文章を書くのが一般的」なのである。日本語のローマ字書きなどは、単純な能率性や軽い洒落《しやれ》つ気が取柄なだけのものにすぎない。日本語の表記がゆくゆくはローマ字書きになると考へてゐるのは、一握りのローマ字論者だけであらう。分ち書きがむづかしくて漢語がかなりの部分をしめる日本語では、読むにも書くにも不自由千万だからである。  あんなものは中学一年で英語その他の手ほどきを受けたついでに、ちよいと教はればそれですむ。それなのに小学四年生に早教育を授けようといふのは、もの好きもここに極まつたと言ふしかあるまい。個人の道楽なら、庭石に凝るのも小唄を唸《うな》るのも勝手だが、一国文化の根本にかかはることで監督官庁に趣味に耽られてはとんだ迷惑である。  第一、わたしにはどうしても納得がゆかないのだが、小学生にローマ字など習はせる暇があつたら、なぜもつと漢字を教へないのか。たとへば光村図書『小学新国語』四年上の『飛びばこ』では「じゅんび体そう」といふ幼稚珍妙な書き方がしてある。そのくせ同じ本の巻末では "tais・" と書くことを教へてゐるのだ。これは国語審議会のいはゆる「一般的」な表記を退けて、特殊も特殊、その極致とも言ふべき代物を覚えさせようといふ、本末転倒を絵に描いたやうな態度であらう。  ローマ字教育など、英語その他の外国語教師に任せればそれでよろしい(さうすればアルファベットの発音も正しく教へてもらへる)。「体操」あるひはさらに「準備体操」ときちんと書けるやうに仕込むことこそ、国語教育の本筋ではないか。こんなことぐらゐで子供の負担など決して重くならないし、もし万一、重くなるとしても、今まで教はつた字とまつたく系統の違ふ蟹行《かいこう》の文字を覚えることにくらべればものの数でもないはずである。  一体に今の国語教育では漢字を恐れすぎてゐる。これはあの戦後日本最大の愚行、国語改革と不可分の関係にあるものだが、ここでは話をそこまで溯《さかのぼ》るつもりはない。ただ国語教科書が、まづ「たいそう」と教へ、次に「体そう」と教へ、そして最後に「体操」と教へる(その合間には "taiso[#oは^付き]" まではいるわけだが)といふ二度手間、三度手間のやり方をしてゐるのはじつにをかしいとだけは言つておかう。最初からすんなり「体操」と教へればそれで万事すむではないか。棒高跳でバーをすこしづつあげてゆくやうな面倒な仕掛けは、文字の習得には適さないのである。  それにこんなことを言ふと血相を変へる頓珍漢《とんちんかん》な連中もたまにはゐるかもしれないが、「体操」は「体」といふ漢字と「操」といふ漢字を組合はせて出来た言葉で、さういふ意識を底に有してゐなければこの言葉は雲散霧消してしまふ。だから「体そう」などといふ奇怪な表記でもいいのならば、「準備体操」はいつそ「準備大層」でも「純美大葬」でも差支へないといふ話になつてしまふだらう。つまり漢字なんかどうでもよくて……日本語の体系はめでたく崩壊するわけである。さういふ国語の終焉《しゆうえん》を、文部大臣から教科書調査官に至るまでが待ち望んでゐるとは、わたしは信じたくないのだけれども。  日本語にとつて漢字と漢語は欠くべからざるものである。奈良朝以前から、それによりかかり、それを利用し、それを吸収して、国語は出来あがつたのだ。そして中国文の翻訳の技術——漢文によつて日本語の文体の重要な部分が形づくられたことは、改めて確認するまでもあるまい。とすれば、小学生にはともかく中学生には漢文の初歩を一通り手ほどきすることがどうしても必要なはずなのに、小学四年生にローマ字を教へたがるほど国語教育の幅をひろげることに熱心な文部省が中学の漢文に至つて冷淡なのは、けだし天下の奇観とでも称すべきであらうか。  たとへば三省堂『現代の国語』新版3に『中国の心』と題する課があつて、唐詩(七絶)四編と、『論語』からすこしばかり抜粋した、書き下しと返り点送り仮名つきの原文とに注釈を添へてゐるが、『現代の国語』三巻の漢文教育はたつたこれだけでおしまひで、しかも『中学校学習指導要領』によればこれで充分なのである。(東京書籍『新しい国語』は李白《りはく》と杜甫《とほ》一編づつと頼山陽の「雲か山か呉か越か」だけ。)  わたしは漢文を日本の古典としてとらへてゐる文部省の態度に賛成である。しかし、そこまで話が判つてゐるのなら、どうしてこんな程度のことでお茶を濁してゐられるのか。『唐詩選』の横を駆足で通り過ぎればそれで一応の手ほどきがすんだと安心できるほど、古典とやらは平易簡単なものとはわたしには思へない。  日本文化は漢文によつて培はれた。この、大人なら誰でも知つてゐる当り前のことを認める以上、義務教育における漢文の教材はもつとふやさなければなるまいし、殊に簡黙|雄勁《ゆうけい》な論説文を読ませることによつて、現代日本人のともすればふやけがちな文体感覚を鍛へることはむしろ急を要すると見受けられる。それはヨーロッパにおけるラテン語教育のやうな作用をするだらう。  そんな高級なことは高等学校でやればいい、と笑つて答へる人もゐるかもしれぬ。しかしそれは、日本文化の伝統と大衆とを切離さうとする、あるいは、その両者が結びつく可能性を失はせようとする考へ方であらう。わたしはそこに愚民政策の匂ひを嗅《か》ぎ取らぬわけにはゆかない。そして文部省が、漢字教育をこれだけせつせと切詰めながら、そのくせ他愛もないローマ字を子供に押しつけて嬉しがつてゐるのを見るとき、わたしの疑惑はいよいよ深まるのである。 [#改ページ] [#小見出し]    8 敬語は普遍的なもの[#「8 敬語は普遍的なもの」はゴシック体] [#ここから1字下げ]  敬語は、日本語の特色の一つです。それは、世界のほかの言語には、あまり見られないことだからです。もちろん、英語にも相手を敬って言う言い方はありますが、日本語のような複雑なものではありません。 [#ここで字下げ終わり]  教育出版『標準国語』六年下『日本のことば』からの引用である。これも教科書型駄文の見本帳に収めて差支へないもので、何を言ひたいのやら要領を得ないが、じつくり読み返して見当をつけたところで言へば、途方もない浅見が記してあると断定するしかない。  相手その他を敬ふ礼儀正しい言ひまはしは、文明がある程度以上に達すればかならず現れる。英独仏いづれを取つてもそれがあるのは、このことのささやかな證《あか》しにすぎないだらう。当り前の話だ。丁寧できれいな言葉づかひが耳に快いのは、人情の自然だからである。つまり大事なのは日本語の特性としての敬語ではなく、未開野蛮でない言語の特性としての敬語なのである。  ところが『標準国語』の編者たちには、普遍的なものとして敬語をとらへる用意がまつたくない。「|もちろん《ヽヽヽヽ》、英語にも……」と書いたあたり、うつすらと気がついてはゐるのかもしれないが、この副詞はどうやら論理のためにではなく口調のために使はれた気配が濃いやうである。彼らは、すくなくとも心の表面では一種の排外思想、一種の他国語|蔑視《べつし》によりかかつて、日本語の敬語を顕彰しようとしてゐるやうに見受けられる。この浅はかさは、議論の方向こそ違へ、イデオロギー論的な敬語否定の愚劣さとよく似てゐる。(進歩的な立場から敬語を攻撃する人々もまた、西洋の言葉には敬語などないとそそつかしく勘ちがひしてゐるやうだ。)  しかし、敬語といふ高級な語法を子供に教へたいのならば、何もわざわざ敬語論など一席ぶつ必要はなからう。かういふ言葉づかひがいかにもきれいで感じがいいと、子供ごころにおのづと感じ取れるやうな教材を示せばそれで充分なのである。小学生たちはきつと眞似をするにちがひない。さういふ実物教育の労を嫌つて、藪《やぶ》から棒に国粋主義的な言語論の講義などしたつて、何の役に立つものか。  その点、光村図書『小学新国語』五年下『敬語の使い方』の前半はなかなか優れてゐる。これは、校長先生を訪ねて来た客に小学五年生が敬語をきれいに使つて応対するといふ話である。これで後半の、「敬語は大きく分けて、『ていねい語』『尊敬語』『けんじょう語』の三つの使い方があります」などといふ解説がなければもつとよかつたらう。こんなものの代りに、自分の家族のことを他人に話すときは「お父さん」「お母さん」などとは言はないし、敬語もつけないのが正しい、といふことを具体的に教へる教材を入れるべきであつた。  ところでその『敬語の使い方』の前半に、 [#ここから1字下げ]  ぼくなど、ていねいなことばづかいをしなくてはと思えば思うほど、きん張してことばが口から出てこないのに、青木さんはなんの苦もなく、じょうずに敬語を使って、すらすらと話ができる。校長先生が行ってしまわれたあとで、みんなが青木さんの応対のしかたに感心すると、(下略) [#ここで字下げ終わり]  といふ件《くだ》りがあるが、わたしは、「校長先生が行ってしまわれたあとで」にいささかこだはつた。もちろん「行ってしまう」に敬譲の「れる」をつければ「行ってしまわれる」だらう。一応のところ咎《とが》めるわけにはゆかないけれど、これではどうももたつくし、文章として落ちるのである。ここはやはり「校長先生が行ってしまってから」と敬語をはづすのが文体上の工夫なのだ。会話のなかでではなく、地の文で敬語を使ひこなすのはなかなかむづかしい。  このことは明治以後の文学史と重大な関連があらう。いはゆる口語体は小説家によつて作られた。二葉亭四迷にせよ、森鴎外にせよ、武者小路実篤にせよ、口語体の発達に大きく寄与した人人の仕事の中心部には常に小説があつた。いや、明治三十年代以降、あらゆる小説家は力をあはせ、いはば共同の事業として口語体といふ新文体を完成したと見るべきであらう。ところが、言ふまでもないことだが、普通、作家は作中人物に対し敬語を用ゐる必要がない。そのため現代日本語の文章では、敬語の使ひ方は文体としてさほど磨かれてゐないのである。もし近代日本文学において、書簡といふ形式の位置が小説くらゐ高かつたなら、事情はずいぶん違つてゐたかもしれないのだが。  それゆゑ、書き言葉での敬語を子供に教へるのは、不可能ではないにしてもなかなかむづかしいはずだ。が、これはさほど嘆くには当るまい。もともと敬語が最も魅力を発揮するのは、そして最も必要なのも、話言葉の場合だからである。そこでわたしは、この語法を巧みに使つた戯曲を教科書に採用すればすこぶる効果的ではないかと考へてみるのだ。  しかし残念なことに、教科書に採られてゐる戯曲はみな学校劇の台本といふ性格のもので、たとへば教育出版『標準国語』五年上、加藤道夫の『まねしこぞう』など、まことに水際立つた出来ばえだがわたしの狙ひにはふさはしくない。またたとへば、日本書籍『小学国語』6上の、木下順二『木龍うるし』もそれなりにおもしろいけれど、方言をあやつつての民話劇では、そもそも標準語の確立に邪魔立てすることにならう。編者たちはもつと広い範囲で戯曲を漁《あさ》つてみてはどうか。  なほ国語教科書にはもう一種類、戯曲仕立てのものがよく載つてゐる。学級会運営の手引きのつもりらしいが、対話の拙劣なこと、思はず目を覆ひたくなるほどだ。これはやはり編者たちが書くのはよして、ちやんとした劇作家に頼んではどうだらうか。もつともああいふものは、社会科の本にまはすのが本筋だけれども。 [#改ページ] [#小見出し]    9 文学づくのはよさう[#「9 文学づくのはよさう」はゴシック体]  国語教科書に伝記ものの教材が多いことは怪しむに当らない。人間は人間にとつて最も関心の深い存在だし、相手が偉人となればなほさらだからである。しかしそれにもかかはらず、わたしは教科書の伝記ものにずいぶん疑惑をいだいた。取上げられた人物の職業があまりにもかたよつてゐるのだ。  小学四年から中学三年までのあらゆる教科書で数へてみると、延べで勘定して、第一位は文学者の七、第二位は科学者の六、以下、教育家の五、冒険家の四、作曲家の三とつづいて、実業家および政治家は一人も出て来ない(日本書籍『小学国語』4上のサーカス王ハーゲンベックを実業家、同じく6上の小林捨三郎と東京書籍『新しい国語』二の坂本龍馬を政治家に入れれば、話はちよつと違ふけれども)。とにかく大変な文化偏重で、経済や政治は社会においてあまり価値はないといふ錯覚に陥りかねない。これは日本の将来のため、あまり喜ぶべきことではなからう。(ついでに言つておけば、大内兵衛の『偉大なる財界人——大原孫三郎は何を残したか』など、どこかの中学校用教科書にぜひ収めてはどうか。もつとも、暢達《ちようたつ》な名文であることはわたしが請合ふが、検定係の役人は筆者名を見ただけで色を失ふかもしれぬ。)  こんな具合に文学者の伝記がしきりにもてはやされるのは、例の文化国家といふ合言葉の名残りだとか、政治経済に話が及べばいろいろ差障りが多いとかいふことよりも、かうなつたら何度でもくりかへすけれど、今の国語教科書が奇妙に文学づいてゐることの反映にほかならない。しかし、文学は言葉で作るものなのだ。国語そのものをしつかり教へようともしないで、何が文学か。本末転倒もはなはだしい。  かういふ傾向は至るところに見て取れるもので、たとへば日本書籍の『中学国語』3に、 [#ここから1字下げ]  日本の文学作品が、あまり外国に進出しない。それには、いろいろの原因があります。そこに描かれている生活があまりにも特殊すぎる、などということもありましょう。が、大きな原因の一つとして、日本語の会話が訳しにくいということもあるにちがいない。そうだとすると、日本語の多彩性は、日本文学の海外進出を妨げているわけです。  日本の文学者のためにも、日本語はもっと淡彩なものになることが望ましい、ということになります。 [#ここで字下げ終わり]  などといふ、まことに瞠目《どうもく》すべき、そして縦から見ても横から見ても無茶苦茶な日本文学輸出策が載るのも(英語の会話は訳しやすいだらうか、フランス語は多彩でないだらうか)、今の国語教科書の編者の浅薄な文学好きのあらはれだらう。編者および筆者は、日本の小説家の商売のことなど気にかけるよりもさきに、日本の中学生の国語教育のことを心配すべきであつた。たとへば具体的に今の文章で言へば、「多彩」の反対語は果して「淡彩」であらうか。  ところで今の国語教科書はたいてい、文章にいちいち肩書をつけて分類してある。たとへば光村図書『小学新国語』六年上で言へば、[物語]『三太郎おじさん』、[生活文]『高見さん』、[会議]『学校新聞をもっと活用しよう』とはじまり、以下、[説明文]、[生活文]、[短歌・俳句]、[脚本]、[伝記]、[詩]、[発表]、[物語]、[手紙]、[説明文]とつづくのだ。わたしは浅学にして生活文とはどういふものかを知らないが、実物から推測するに、どうやら他愛もない作文のことを近頃はかう呼ぶらしい。おかげで一つ学問をした。が、それはともかく、こんな分類に何の意味があるのかとわたしは不思議でたまらない。それはただ子供がテクストそれ自体に直面することを妨げるだけであらうし、いろいろな文章形式を収めたといふ編者の自己満足に役立つだけであらう。だが文章そのものさへしつかりしてゐれば、まさか手紙を詩と間違へるはずはないのである。問題は、まるで説明文のやうな、そしてまた生活文とやらのやうな詩を選んでゐることにあらう。黒四ダムを見物した子供からの叔父さんあての手紙について言へば、要するに説明文を形ばかりの書簡体で書いただけで、詰らぬ雑知識の受売りが多く、情愛は乏しく、用件は何もなく、模範書簡文には程遠い。むしろその反対のものであらう。わたしは谷崎潤一郎の『蓼《たで》喰ふ虫』のなかの、関係は逆だけれど大人から子供への手紙を思ひ浮べ、しみじみと懐しむことになつたのだ。  つまりこの[手紙]は申しわけに手紙の型を見せただけ、[説明文]は、[詩]は、[会議]は、申しわけにそれぞれの恰好をつけただけの代物《しろもの》にすぎない。わたしが文学趣味と呼び、自己満足と呼ぶゆゑんである。これでは国語教育にとつて三文のたしにもならない。これならむしろ、『蓼喰ふ虫』のなかの手紙をじつくり教へるほうが国語教育には遙《はる》かに有益であらう。それは何もあらかじめ[手紙]などとこけおどしの肩書をつけなくてもちやんと通用する、本物の手紙だからである。  いや、そんなことを言つてゐる段階ではないのかもしれぬ。たとへば教育出版の『標準国語』六年下はアポロ11号到着の新聞記事を載せてゐるが、アームストロング船長の例の言葉は、「ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとってはきょ大な飛やくである」といふことになるのだ。ああ、「きょ大な飛やく」! 新聞で使ふごくありふれた漢字もろくすつぽ教へないうちに新聞を読ませようとするこの態度に、わたしのいはゆる浅薄な文学趣味は集約されてゐる。字も教へずに何が文学なものか。 [#改ページ] [#小見出し]    10 文部省にへつらふな[#「10 文部省にへつらふな」はゴシック体]  中学校用の教科書のなかでは、筑摩書房『国語』が、内容、体裁ともに一頭地を抜いてゐるとわたしは見た。掃き溜《だ》めの鶴とまではゆかないにしても、鷺《さぎ》くらゐの貫禄はありさうな気がする。(小学校用で一つ選ぶとすれば、『国語』よりはずいぶん格が落ちるけれど、教育出版の『標準国語』だらうか。)ところが、日本出版労働組合協議会のパンフレットで昭和四十四年度の採択冊数を見ると、わたしが段ちがひに優れてゐると思ふその『国語』はわづか七万八〇〇〇冊で最下位であり、最上位の光村図書『中等新国語』(これはわたしが最も劣ると判断する数種のうちの一つである)二二七万五〇〇〇冊の約三十分の一にすぎない。これではまるで、世の中は闇みたいな話ではないか。  だが、この鷺とても実はだいぶ病み衰へ、傷ついてゐる。最大の欠点をあげれば、まだまだ反骨の乏しい編纂《へんさん》ぶりだといふことである。わたしにはこのことがすこぶる気にくはないのだが、かう書けば人はおそらく、検定制度がある以上、当然ではないかとたしなめるにちがひない。それなら具体的に例をあげて説明しよう。  今の国語教科書はみな、小学校用も中学校用も、外国人名の表記のとき中グロ(・)を用ゐない。たとへば「ヘレン・ケラー」、「ユーリ・ガガーリン」のやうな世間普通の書き方はしないで、「ヘレン=[#底本では短い「=」]ケラー」、「ユーリ=[#底本では短い「=」]ガガーリン」といふ具合に、ひどくスカした、きはめて革命的な、そして至つて読みにくい符号を使ふ。新聞だつて百科事典だつて中グロなのに、国語教科書はなぜ現代日本の慣行に異を立てるのか。しかも一社の脱落もないのはどういふわけか。  あまり不思議なので文部省に問合はせてもらつたところ、まことに驚くべき事実が判明した。昭和二十年代に定められた文部省内だけの書類の書き方に、二語以上つづく外国人名では=[#底本では短い「=」]を、二語以上つづく外国地名では‐をあひだにはさむといふきまりがあるため、教科書調査官は一言も強要しないのに、教科書会社ではみなこの規定に従つてゐる。文部省の内規にそれを是としてゐる以上、調査官がいちいち駄目を出すのもをかしいのではふつてある、といふのだ。もしこれが役人の二枚舌でないならば、編者側の呆《あき》れ返つた自主規制ぶりに眉をひそめるしかない。もし調査官が中グロはいけないと言ひ出して、トマスとエジソンのあひだ、ナポレオンとボナパルトのあひだに二本棒を入れろと命じたら、世論の援護の下にいくらでも闘へるではないか。どうしてそれだけの気概がないのか。それとも国語教育の目的は日本中の子供を文部官僚に仕立てることだとでも心得てゐるのかしらん。  そしてわたしは、ほかの出版社ならばいざ知らず、翻訳ものの全集中、最も優れたものの一つである『世界文学大系』の版元が、たかが一官庁の書式を眞似たことを心から悲しむ。筑摩書房の代表的な翻訳者、たとへば手塚富雄、中野好夫、渡辺一夫は、こんな面妖《めんよう》な表記をしてゐたらうか。珍無類なことは百も承知の上で、しかもみづから進んで監督官庁の書きぐせを教科書に取り込むあたり、阿諛追従《あゆついしよう》のそしりを免れないだらう。そしてこのことに最もあらはな反骨の乏しさは、『国語』三巻のほうぼうで垣間《かいま》見ることができるのである。  ところで反骨といふ抵抗の精神は、教科書の大部分を占める口語文そのものと重大な関係があるだらう。前にもちよつと触れたけれども、口語文とは明治以後の小説家が創始し、そして育てた文体である。日本の社会はそれを絶えず小説家から学ぶといふ形で身につけ、器用に使ひこなしてきたのだが、ひよつとするとこの口語文こそは、近代日本の文明に対する近代日本文学の最大の寄与かもしれない。とにかくそれが大変な発明であり、非常な貢献であつたことは確かである。  しかし、全体としてはあまり学を誇るわけにはゆかない東京の文士が、まつたく新しい一文体の創始者となり、一文明を率ゐることができたのはなぜだらうか。それは究極のところ、反骨の故ではないかとわたしは考へてゐる。周知のやうに、自由と反抗こそは無頼な文士の最大の美徳(あるいは悪徳)であつたが、彼らが口語文を、他の職業の者とくらべて格段に巧みにあやつることのできる理由の、すくなくとも一斑《いつぱん》は、この自由と反抗にほかならない。大ざつぱに言へば、前者は文章の精細さに役立ち、後者は文体の力強さと凝縮に資するだらう。口語体の場合は、文語体と違つて伝統の規正が薄いだけに、めいめいが厳しい内的緊張を自分に課さなければならないのだ。  話がここまで進めば、わたしが国語教科書の編者たちに反骨を持てとそそのかす理由の一つはすでに明らかだらう。反骨は度胸を養ふ。そして、及び腰をやめ、度胸を決めてかかれば、彼らの文章とていくら何でももうすこし上等なものになるだらうと考へるからである。このことは日本の子供の文体感覚にとつて、積極的な幸福とまではゆかなくても、不幸の度合をずいぶん減じるのに役立つだらう。  だが、もう一まはり大きい理由が残つてゐる。文部省の国語観が今のやうに軽薄で、無定見をきはめてゐるとき、眞の国語教科書の編者は、これと執念深く闘ひつづけるしかないといふ事情がそれである。もちろん検定制度といふものはある。しかし彼はこれに対して、いはば烈々たる面従腹背の心意気で臨まなければならない。文部省の内規になど色目を使ふやうでは、国語に対する裏切り者と罵《ののし》られても仕方がなからう。そして彼の闘ひにおいては、苛酷な検閲制度の下で書きつづけた日本の文士の、官憲に対する反抗と敵意が、一つの手本となるやうな気がする。 [#地付き](朝日新聞社刊『私の教科書批判』)   [#改ページ]     ㈼ [#小見出し]  未来の日本語のために [#小見出し]    1[#「1」はゴシック体]  昭和の知識人は明治の知識人にくらべて遙《はる》かに文章が下手になつてゐる。いや、上手下手の問題ではなくて、文章を書く力が無残に低下してゐる。ぼくにはさう思はれてならない。そして、もしさうならば、これはじつに重大なことだらう。なぜなら、それは日本の文化の低下を意味するのだから。あるいは、日本の知識人の精神と感覚がわづか百年たらずのうちに急激に貧しくなつたことを示すのだから。  このことは国語問題と深い関係がある。あるいは、むしろ、このことは国語問題に新しい照明を投げる。しかし、おほむねの場合、このやうな事情とその原因が無視されて、単なる便、不便、単なる能率の問題として国語問題が論じられて来たことは、ぼくにははなはだ異様なことのやうに感じられる。  だが、こんなふうに話をはじめても判りにくいかもしれない。具体的に例をあげて、しかもできるだけ具体的に論ずることにしよう。 [#ここから1字下げ] (1) 空の鳥を見よ、播《ま》かず、刈らず、倉に収めず、然るに天の父は、これを養ひたまふ。汝《なんぢ》らは之《これ》よりも遙かに優《すぐ》るる者ならずや。汝らの中《うち》たれか思ひ煩《わづら》ひて身《*》の長《たけ》一尺を加へ得んや。又なにゆゑ衣《ころも》のことを思ひ煩ふや。野《**》の百合は如何《いか》にして育つかを思へ、労せず、紡がざるなり。然《さ》れど我なんぢらに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その服装《よそほひ》この花の一つにも如《し》かざりき。今日ありて明日、炉に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装ひ給へば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ。さらば何を食《くら》ひ、何を飲み、何を着んとて思ひ煩ふな。 [#この行4字下げ]*或は「その生命を寸陰も延べ得んや」と訳す。**或は「野の花」と訳す。 (2) 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 [#ここで字下げ終わり]  マタイ伝福音書の第六章、二十六節から三十一節までの新旧二つの翻訳を並べて見た。この部分を選んだのは、人々に最も親しまれてゐる箇所といふ気持からであつて、他意はない。(1)は大正六年の聖書協会文語訳で、これは明治十三年の訳に手を入れたものである。(2)は昭和二十九年の聖書協会口語訳である。  一読して気がつくのは(2)の口語訳が極めて劣悪だといふことである。第一にそれは、読む者の心にイメージを思ひ浮ばせる力がない。「空の鳥」の話のときは、とつぜん「まくことも」と言はれても、何を「まく」のか読者には見当もつかない。布をまく? 舌をまく? それとも? 読者は途方に暮れるだらう。なぜならば、当然、「巻く」とクを高く発音するアクセントで読んでしまふからである。その読み方が間違つてゐたのではないかといふ疑惑は「刈ることも」のへんでやうやく生じ、「倉に取りいれることも」に至つて誤りは明らかになる。そこでもういちど「空の鳥」に引返して読み直すわけなのだが、いつたん濁つてしまつたイメージはなかなか鮮やかなものになりにくい。読者の読解力に対するこのやうな過重な負担を避けるためには、(1)のやうに「播かず」と漢字で書くか、「種を」と目的語を補ふか、あるいはさらに思ひ切つて「種まき」といふ言葉を使ふか、たぶんこの三つの解決策のうちの一つを選ぶべきであつたらう。そしてかういふイメージを喚起する力の不足は、単に「まくことも」の箇所だけに見られるものではない。それはいま引用した(2)の全文について、さらに口語訳聖書全体について言ひ得ることなのである。  もちろんこのことと深く関連しながらだが、第二に、(2)の訳文は論理的な明確さを欠いてゐる。たとへば、「彼ら」が「空の鳥」を受ける代名詞としてふさはしいかどうかは、かなり論議の余地があるだらう。普通の読者ならば、「彼ら」とはいつたい誰なのかと、しばらくの間きよろきよろ探さねばなるまいし、それが「空の鳥」を指すに相違ないとすばやく推測することができるのは、翻訳ものの探偵小説やノン・フィクションの悪訳に日頃ずいぶん親しんでゐる人々だけであらう。解決策としては「空の鳥」を「空の鳥たち」と複数形に改めるか、もしこの「鳥たち」といふ言葉が翻訳調に過ぎ、日本語として熟してゐない嫌ひがあるならば(1)と同様「これ」で受けるか、あるいは代名詞を用ゐることをあきらめて「空の鳥」ないし「鳥」をもういちど繰返すか、この三つのうちの一つを採るしかあるまい。また、「あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか」の箇所は、どうも文意が明らかでない。これは句読点の打ち方を改めて、「あなたがたのうち、だれが、思いわずらったからとて自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか」とすれば、それだけでもかなり意味の通じやすい文章になるはずである。  第三に(2)は(1)にくらべて格段に冗長である。口語体が文語体ほどに簡潔であり得ないのは、いはば宿命的な欠陥だらうが、しかしそれにしても度が過ぎる。(2)の翻訳者たちはおそらく、口語体のそのやうな弱点を一度も意識したことのない呑気《のんき》な人々なのであらう。なぜならここには、文章の凝縮度を高めようといふ努力の影さへも見られないからである。たとへば「あなたがたの天の父」の「あなたがたの」は除いていつこう差支《さしつか》へない。「養っていて下さる」は「養って下さる」ないし「養ってくれる」にするほうがよい。「自分の寿命」は「自分の」を取つて単に「寿命」あるいは「命」としたほうがすつきりする。このやうな配慮の方法を知らず、また、配慮の必要を感じなかつた人々が聖書翻訳の仕事にいそしむとき、イエスの言葉は、「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか」といふやうな、イエスの口から断じて出るはずがない、平板で力点がなくて、たるみにたるんでゐる駄文と化してしまふのである。  第四に、これまで述べたことと密接に関連しながらだが、(2)の訳文は気品の高さをまつたく欠いてゐて、文学的な力と香気が決定的に乏しい。たとへば「それだのに」といふ一句ははなはだ耳ざはりで、不快である。「それなのに」といふ耳にこころよい言ひまはしを訳者たちは知らないのであらうか? また、「しかしあなたがたに言うが」といふ語句は、二つの鼻濁音の「が」があまりに近い位置にあつて口調が悪いし、そのことはなんとか我慢するとしても、この鋭い語句が効果的な力強さを失つてしまつてゐることはとうてい耐へられない。この箇所はむしろ「あなたがたに」を除き(一体に口語訳聖書は、「あなたがた」といふ二人称複数の人称代名詞をむやみに使ひ過ぎる傾向がある)、たとへば次のやうにでも改めるべきであらう。「しかしわたしは言おう。栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかったのだ、と」  あげるべき欠点はまだ数多いし、朱を入れるべき箇所は引用した全文がさうなのだが、煩にわたることを恐れてこれくらゐにとどめる。とにかく大変な悪訳であり悪文である。先程ぼくは、探偵小説やノン・フィクションのなかの悪訳のものになぞらへたけれども、これはいささか当を失してゐるかもしれない。これほどの悪文で書かれた原稿を受取つたとき、編集者たちは必ずそれを突き返すに相違ないからである。世界の文明国のなかで、新教徒が、これほど馬鹿ばかしい文体で書かれた聖書を読ませられてゐる国が、さういくつもあるとはぼくには思へない。  だが、ぼくはこの文章を、口語訳聖書の悪口を言ふために書いてゐるのではない。それはただ、ぼくたちの時代における文体の衰弱の、極端な(しかしそれにしても極端すぎる!)一例としてあげられてゐるに過ぎないのである。ましてぼくは、聖書の口語訳など不必要であつたなどと言はうとしてゐるのでは決してない。おのおのの時代は、おのおのの時代の文体による翻訳聖書を欲する。当然のことだ。それが翻訳を待ちかまへてゐる宿命なのである。かつて『ハムレット』が坪内逍遙を必要としたやうに、今その戯曲は福田|恆存《つねあり》を必要とする。明治において『復活』が内田|魯庵《ろあん》を必要としたやうに、大正においてその長篇小説は中村白葉を、そして昭和において原卓也を必要とする。あるいは、むしろ、それぞれの文体を必要とする。当然のことだ。まして明治以後の日本のキリスト教の最大の苦悩が、単に知識階級の宗教であるにとどまつて庶民へとまで至り得ないといふ事情であつてみれば、聖書の口語訳はいはば必至の事業だつたと言ひ得るだらう。問題は、その光栄ある事業が、なぜこのやうにみすぼらしく、貧しく、力弱い文体によつて酬《むく》いられねばならなかつたかといふことにあるだらう。  しかし、翻訳はひつきよう翻訳に過ぎない、自分じしんの文章ではない、それを二つ比較して日本の知識人の文章力が落ちたと断ずるのは軽率である、と考へる人もゐるかもしれない。そのやうな意見に対しては、この雑誌「中央公論」の昭和三十八年七月号、八四ページから八九ページまでと、昭和三十九年二月号、一四八ページから一六四ページまでを読んでもらひたいと答へることにしよう。前者は、代議士であり内閣官房長官である人の名によつて発表されたものである。そして後者は元駐仏大使によつて書かれた。いづれも代表的な知識人である人のはずだが、その文章の拙劣さは形容に苦しむほどのものである。官房長官の文章は中野重治その他によつて咎《とが》められたと記憶するけれども、元駐仏大使の文章はおそらく無視されるだらう。なぜなら、論ずる気力など失せてしまふやうな代物なのだから。  彼らの文章を『蹇々《けんけん》録』や『原敬日記』と比較するのは、陸奥《むつ》宗光や原敬が大物に過ぎて滑稽かもしれない。そして残念なことに明治大正史に詳しくないぼくは、彼らにほぼ相当するほどの政治家や外交官の著書を読んだことがないのである。しかし、そんな面倒な手つづきはどうでもいいだらう。ぼくはただ、たとへば小松原英太郎の『自叙経歴一斑』や前島|密《ひそか》の『自叙伝』の堂堂たる文体を思ひ浮べて、浮かぬ顔になるだけだ。 [#小見出し]    2[#「2」はゴシック体]  文語訳聖書が優れたものとなつた理由は、一応のところじつに簡単である。文語体で書かれてゐるからだ。翻訳者たちは既成の型によりかかり、それを応用したり、発展させたりして、書くことができた。つまり文語体は文体として確立してゐたのである。ところが、口語体は文体として確立してゐない。それはよりかかるべき既成の型を作り出してゐない。それ故に、牧師たちが集つて聖書を改訳すれば、あのやうな悲惨なことになつてしまふのである。  では、口語体は文体としてなぜ確立されなかつたのか? 奇妙なことを言ふやうだが、第一に、「口語体」といふ名称に罪があつた。もし「現代文体」とでも命名されてゐたならば、事情はいささか違つてゐたかもしれぬとぼくは空想する。本来、「口語体」とは、「文語体」が文章語による文体といふ意味であるのに対して、口頭語による文体といふ気持で名づけられたものであつたらう。つまり、それはあくまでも文体《ヽヽ》の一種であつたのだ。(「口語文」といふ名称の場合にも、事情はまつたく変らない。)だが、口語体の宣伝家たちは、それが文語体と異ることを力説するあまり、話し言葉をそのまま書き写せば文章になるといふふうに語つて、それが文体でなければならぬといふ面を強調しなかつたらしい。あるいは、すくなくとも宣伝される側ではさう受取つたらしい。もちろん、新製品が誇大広告じみた商品名で売出されるのはありがちなことだらう。たとへば、かつては「万年筆」がさうだつたし、今は「アンチ・ロマン」がさうだと言はねばならぬ。そして、あらゆるスローガンが勇ましく粗雑なのはある程度やむを得ぬことだとぼくも認めるけれども、それにしても「口語体」といふ商品名は誇大広告に過ぎたし、「言文一致」といふスローガンはあまりにも勇ましくあまりにも粗雑であつた。それらはやはり、現代文体が文体として成熟し完成することを大きく妨げたに相違ないのである。  かうして人々は、おしやべりをするときと同じ調子でだらだらと書くやうになつた。(ぼくは今、佐藤春夫の有名な「しやべるやうに書け」といふ説を非難してゐるのではない。佐藤はもつとずつと高級な文章技術について語つたのである。)しかし、人々がどんなにだらしない文章を書かうと、彼らが漠然と理解した口語体のたてまへから言へば、会話は文章の規範であり基準であるのだから、それでいつこう差支へないわけであつた。むしろそれは、極めて正しいことであつたとさへ言ひ得るかもしれない。  だが、このことはまた逆に会話の言葉に重大な影響を及ぼしたやうである。つまり、文章の言葉は会話の言葉を、規正も醇化《じゆんか》もしなかつた。本来ならば、会話は文章に荒ら荒らしい生命力を与へ、文章は会話に秩序と優雅とを贈るべきはずのものであらう。ちようど、地方と首都との関係のやうに。あるいはまた、生活と芸術との関係のやうに。だが、そのやうな相互的な、あるいは可逆的な関係は、現代日本文明には存在しなかつた。現代の日本語は話言葉による専制的な支配の政体である。そこでは文章が会話に服従し屈伏してゐる。  ここまで来れば、口語訳聖書がなぜあのやうに情ない文体で書かれねばならなかつたかといふ、第二の、しかしもつと根柢《こんてい》的な、敢へて言へば眞の理由を述べることも可能であらう。それは、現代日本文明が、型ないし形を軽蔑《けいべつ》し無視する文明であつたといふことである。さう、そのやうなものがもし文明の名に価するものならば。  現代の日本をそれ以前の日本と分つものがヨーロッパ文明の摂取であることは、すでによく言はれてゐる。また、ぼくたちのヨーロッパ文明の摂取が皮相であつたことも、よく言はれてゐる。しかし、これはあまり指摘されてゐないことのやうな気がするけれども、本当の災厄は、ヨーロッパ文明における型や形のととのひを無視してひたすら実質(と言ふよりもむしろ、人々が実質であると考へたもの)だけを学び取らうとしたことなのである。(今日の乱雑きはまる東京の街は、その間の事情を象徴的に示してゐる。)もちろんそれはある程度やむを得ないことだつたらう。とにかく日本は鉄道を敷かねばならなかつた。汽船を走らせねばならなかつた。数多くの師団を、軍艦を、そしてまた飛行機を持たねばならなかつた。一言にして言へば富国強兵が現代日本の最大の要請であつた。そのためには、ヨーロッパ文明の性急な移入もいちおう仕方のないことだらう。だが、悲しいことにそれはまた、古い日本の全面的な破壊をもたらし、同時に、古い日本が持つてゐた秩序と均斉と優雅との感覚に対する破壊をもたらしたのである。(ここでもまた、今日の東京の街の眺めは巨大な象徴となり得るだらう。)  つまり現代日本文明には古典主義が欠如してゐる。西洋ふうの古典主義がないだけではなく、かつての日本がたしかに持つてゐた、古典主義的ともいふべき精神と感覚をもまたぼくたちは失つたのである。(古典主義が正面を向いたときの顔が伝統の尊重であるとするならば、その横顔は型や形への意志であらう。)日本文学がヨーロッパ文学を学ぶに当つて、浪曼《ろうまん》主義とその庶子である自然主義から影響を受けはじめたため、古典主義を摂取しそこねたといふことはたびたび指摘されてゐる。しかし、文学の性格の問題の底には文明の性格の問題がある。文体についても、このことはほぼ同じやうに言ひ得るであらう。  だが、たとへば永井荷風の場合が好例であるやうに、浪曼主義と自然主義の圧倒的な影響の下に身を置きながらでも、古典主義的なものを学び取ることは可能である。これはむしろ当然のことであつて、なぜならばヨーロッパの文学史には古典主義的な骨格が太く通つてゐるからだ。つまり荷風はそこまで深くヨーロッパを学んだのである。あるいは、荷風が身につけてゐた旧日本の美意識が、ヨーロッパをその骨格まで学ばせたのである。一方、たとへば自然主義者たちは、自然主義が在来の文学への反抗であることを強調するための宣伝文句やマニフェストにひつかかつて、それにもかかはらず自然主義がどれだけ古典主義的な文学であるかといふ面を見のがしてしまつた。日本の自然主義者たちのこの誤解は、日本語の問題について考へるばあひ重要だらう。口語体は彼らの小説とともに広まつたとも言ひ得るのだから。そして彼らの小説は、現代日本文学の主流であつたし、今日でもその根柢を支へてゐるのだから。  日本の自然主義者たちは形式を排除し、実質を重んじた。そのことは彼らの、芸術への蔑視と実生活への偏執に対応するものである。ここから私小説が生れ、詩と戯曲の貧困が生れ、生活綴方が生れ、さらには伝記的批評といふ、作品そのものの検討をなほざりにして転向や女でいりを仔細《しさい》に研究する奇怪な批評の方法が生れた。あるいはまた、体あたり主義を奨励し、すつ裸になることを褒めちぎり、血まみれ、泥まみれを礼讃《らいさん》し、総じて言へば、暗くて厭《いや》らしくてじめじめしてゐて人を不愉快な気持にさせるものはみな深刻であり眞面目であると考へて喝采《かつさい》する、日本「純文学」の風土が生れた。  日本「純文学」は市民であることを放棄した隠者のものである。すくなくともそのやうにして発生し、そのやうにして育つたものである。だが、虚《むな》しく深刻で虚しく眞面目な「純文学」の趣味と嗜好《しこう》を、隔絶した存在として考へるのはやはり誤りだらう。それは市民社会からの逃避者たちの文学であるだけになほさらいつそう、極めて誇張した形で、極めて歪《ゆが》んだ形で、市民たちの精神と感覚とを反映してゐる。ぼくは「純文学」が人生論を好み、教訓を好み、政治小説や問題小説を好むのを見るたびに、ヨーロッパに追ひつかうとして焦躁《しようそう》したこの百年間の日本の市民の、勤勉な実利主義が、画面いつぱいに大写しにされてゐるやうな気がするのである。 [#小見出し]    3[#「3」はゴシック体]  それならば、未来の日本語のためには一体どうすればよいのか。その具体的な方法は何か。  第一に、文学者が文体の確立のために努力すべきである。そのためにはまづ、現代日本には文体が失はれてゐるといふ現実を確認することからはじめねばならぬ。あるいはまた、文体といふ意識を持つことからはじめねばならぬ。さらに、東西の古典に親しむことが必要だらうし、その際、東西の古典に見られる言ひまはしを安直に文章に応用するのではなくて、いはば古典の文体を感じとり、学び、そして新しい文体を作りあげることが重要なのは言ふまでもあるまい。かういふことはみな当り前すぎて、言ふだけかへつてをかしいかもしれない。また、ぼくのやうな者がこんなことを言ふと、さも自分が古典に親しんでゐるやうな口ぶりに聞え、なほさら滑稽に響くかもしれぬ。しかしそれにもかかはらず、ぼくはこのことを言はねばならない。おほむねの文学者たちはすこぶる無抵抗に口語体の文章を書いてゐるし(その典型的なものは新聞小説の文体である)、一方それと反対に、生命力を失つた文章が模範的な名文として無条件に讃美されてゐるのが現状だからである。(ここでぼくの文章の好みを明らかにしておくことは、読者の理解を何程か助けるかもしれない。ぼくは、現存する日本の名文家としては、さしあたり、佐藤春夫と石川淳の二人をあげようと思ふ。)また、日本自然主義と私小説とは、無教養を恥とせずにかへつて誇るやうな奇怪な文学風土を作りあげたのだが、これは現代文学と古典主義との関係をますます薄くさせたし、現代文体をますます放恣《ほうし》なものにする大きな一因となつてゐるからである。本来、平話俗談を正すのは詩人の任務であるはずなのに、現代日本文学はそのやうな考へを、リアリズムといふ至高の目的に反する有害なものとして排斥してゐるやうに感じられる。だが、この場合リアリズムとは、文学者が文体を創造してゆく仕事を怠り、話言葉の速記者となることを意味するのだ。  そのことが最も露骨にあらはれてゐるのは、現代日本文学における方言の氾濫《はんらん》である。明治以来、日本語は標準語を求めて努力してきた。日本の文学者たちがそのことにかなり大きく貢献してきたことはやはり認めなければなるまい。しかし、戦後、リアリズムの名のもとに、あるいは一種の土俗趣味的な風潮の流行とともに、方言が不当に大きな位置を占めてきてゐるのは残念なことである。このことは文学の技法上の問題とからみあふので、一概には言へないけれども、しかしたとへば野間宏の小説の会話があまりにも方言によりかかり過ぎてゐるのは、彼の文学の魅力にもかかはらず責められねばならないし、その魅力をむしろ減じてゐるとぼくには感じられる。野間に並べてここにあげるのは唐突すぎるかもしれないが、たとへば石坂洋次郎の小説のなかの会話には、その点で慎重な工夫がなされてゐるやうである。  しかし、小説の場合はまだしもいい。地の文といふものが大きな比重を占めてゐて、それはもちろん標準語で書かれてゐる。しかも小説のなかの会話は、普通、黙読されて享受されるのである。それが方言で書かれてゐるかぎり、標準語の確立に貢献することができないのは言ふまでもないが、標準語を毒する力がさほど大きいとは思へない。だが、戯曲の場合には、ト書きを除けば会話がすべてである。しかもその台詞《せりふ》は、普通、俳優の肉声によつて伝へられ、享受されるのだ。この故にこそ劇場は美しい国語の具体的な創造と教育の場所として最も有力なのだが、劇場のこのやうな機能を現代日本演劇はとかく軽んじがちであつたし、戦後はそれが特にはなはだしくなつた。  最近、日本の劇作家たちのなかの大半は、方言によつて台詞を書いてゐる。たとへば田中|千禾夫《ちかお》の長崎弁がさうである。小山|祐士《ゆうし》の広島弁がさうである。そしてまた彼ら二人と並べるのはこれもいささか唐突の嫌ひがあるかもしれないが、菊田一夫と花登|筐《こばこ》の大阪弁がさうである。方言による台詞が日本演劇を制圧してゐるやうにさへ感じられる位なのだ。ぼくは彼らの態度を一概に咎めはしない。そこには、代議士がお国なまりを売物にして票を集めるのとは、だいぶ違つた要素が作用してゐるだらう。いはゆるリアリズムの問題を一応ぬきにしても、歴史の浅い、なかば人工的な言葉である標準語には、風俗と結びついた厚みがやはり乏しいのである。あるいはまた、日本人の情感をすみずみまで表現するだけの力がまだ備はつてゐないのである。その点で、ぼくは劇作家たちに同情する。だが、彼らが方言にこれほどよりかかるのは、それにもかかはらずやはり馬鹿げたことだと考へる。それは作劇術の問題から言へば、地方生活の一面だけを強調して、もつと普遍的な一面を切り捨てがちな態度である。(俳優が標準語の音韻体系で眞似る方言がどんなに滑稽で不自然かといふことは、ここでは論じない。)また、国語の問題から言へば、劇作家と俳優の努力を未来の日本語のために役立てないのみならず、むしろそれに対して積極的に妨害する態度である。劇作家たちはすべからく、かういふ邪道、かういふ意義の乏しい作業に耽《ふけ》るのをやめて、たとへば福田恆存のやうに、あるいは三島由紀夫のやうに、きちんとした標準語で書いてもらひたい。(仮名づかひや漢字の問題についての福田の功績は大きい。しかし、劇作家としての彼が終始、標準語で戯曲を書いてゐることは、それにも劣らぬほど高く評価すべきことだらう。)現在の標準語で書くことにはなるほど多くの制約があらうが、方言で書くことにはもつと大きな障害があるはずだ。そのことを彼らは身をもつて感じてゐるに相違ないのである。ぼくは、たとへば木下順二のやうな美しい台詞を書ける劇作家が、方言の戯曲を数多く試みてゐるのを見ると、深い悲しみを覚えずにはゐられない。それは、日本文学にとつてだけではなく、また日本語にとつても、あまりにも大きな才能の浪費であらう。  しかし言ふまでもなく、未来の日本語は文学者だけの力によつても、知識人だけの力によつても、できあがるものではない。それは国民全体が作るものである。そこで問題はおのづから国語教育へと移ることになるのだが、ここではたとへば演劇(テレビ、ラジオ)のやうな、いはば社会教育に属する部分ははぶき、学校教育だけに話を限ることにしよう。  ぼくの知る限りでは、現在の国語教育はいくつかの恐しい誤りを犯してゐる。第一に、そこには古典主義的な考へ方がない。新仮名づかひを教へ、当用漢字しか教へないといふ点だけで言つてゐるのではない。(この問題が国語問題のすべてであるやうな最近のジャーナリズムの傾向にぼくは不満なのだが、しかしこのことに触れないのはかへつて誤解を招くだらう。ぼくの考へを簡単に記して置けば、仮名づかひについては時枝誠記《ときえだもとき》の漸進的な改訂案をほぼ支持する。教育漢字はもつとふやす必要がある。そして音訓表はまつたく不必要だし、くだくだしい新送り仮名は醜悪で滑稽で非能率的である。)たとへば、文語文教育が軽視され、といふよりもほとんど無視されてゐるのは、古典主義的な意識の欠如の最大のあらはれだらう。現代文体の確立のためには、やはりまづ過去の日本の文体が手がかりとなる。それによつて、文体の洗練がどういふものなのかといふことを全国民がおぼろげなりと感じとることが必要なのである。それは、たとへ教材として読んだ当座は感じとれなくとも、後年かならず実を結ぶに相違ないものだ。ところがさういふ基本的な感覚の訓練を現在の国語教育が心がけてゐないのは、それが安直な実用主義教育だからであり、過去から未来へと新しい生命を得ながらつづいてゆく連続体として国語をとらへてゐないからであり、さらには、単純な反古典主義の文学であつた日本自然主義の影響をじつに深く受けてゐるからである。生活綴方ふうのリアリズムの考へ方は、戦後の国語教育の支配的な潮流になつてゐるやうに感じられる。  しかし、そのやうな時間的な余裕はないし、生徒に対するそのやうな過重な負担は困るといふ反駁《はんばく》が必ず出るにちがひない。それに対しては、時間的な余裕はあるし、負担は過重でないと答へよう。第一に現在の国語教育は、あまりにも文学的に過ぎて、国語そのものを教へることを怠つてゐるのだから、重点を文学についての雑知識から国語それ自体へと移すならば、小学生にもかなりの量の文語文を読ませることは可能になるはずだ。まして今は昔と違つて、教育勅語の暗誦《あんしよう》だの筆写だのといふ馬鹿げたことに時間を費さなくてすむのである。第二に、これはあまりにも奇怪なことだが、現在の小学生は四年生のときにローマ字を習はせられてゐる。これを廃止すれば、かなりの時間的な余裕が生ずるに相違ない。ローマ字などといふものは、外国人が初歩の日本語を学ぶときの便宜的な記号に過ぎない。そして、文部省はまさか、外国人に Kon-ni-chi-wa とか Ari-ga-to とかを教へる人間を大量生産するために義務教育をおこなつてゐるのではなからう。それに、日本語はその特性から言つて分ち書きができないし、漢字を離れては意味が理解できないから、将来、日本語がローマ字書きになることは絶対あり得ない。(漢字を廃止して仮名書きにすることも、同じ理由から不可能である。)それに日本語のローマ字書きは、現在も過去も、実験室での試みや軽い洒落《しやれ》つ気(たとへば背広のネーム)や単純に実用的な便宜(たとへば和英辞典の見出し)の場合はともかく、具体的な生きた文明のなかではおこなはれなかつたものである。にもかかはらずローマ字を小学生に課することは、国語教育の名のもとに、言語と文字の本質について途方もない間違ひを教へることになるのではないかとぼくは恐れる。さらに、ローマ字教育が外国語教育に先立つことは、外国語教育をはなはだしく困難にするといふ不利をも伴ふであらう。日本語のローマ字書きなどは、外国語教育の初歩を一通りすませてから、その外国語の発音と綴り字の規則に従ふ書き方を教へればそれでよいのである。  このローマ字教育の件は、日本語の現在と未来について、極めて多くのことを暗示してゐるだらう。なぜなら、現代の日本語の混乱は、主として、浅薄なヨーロッパ心酔から生れたやうな気がするからである。たとへば戦後の国語改革は、ヨーロッパの言語の合理性と能率性とをただちに日本語にもたらしたいといふ、切実で性急な願望によつてなされた。その願望にはたしかに同情の余地はあるけれども、言語の問題をあまりにも表面的にしかとらへなかつたといふ点で、国語改革論者の誤謬《ごびゆう》はやはり痛烈に責められねばなるまい。ヨーロッパに学ぶことはぼくも賛成である。しかし、もしもヨーロッパに学ぶのならば、ローマ字を借りて来て日本語を写すといふやうな浅い部分でではなく、もつと深く、徹底的に、言葉と文章に対する古典主義的な態度をこそ学び取るべきであらう。そしてそれは、ぼくたちの祖先もまた持つてゐたものなのである。 [#地付き](晶文社刊『梨のつぶて』)   [#改ページ] [#小見出し]  現在の日本語のために [#小見出し]    1[#「1」はゴシック体] 『人が生きるのは二度だけ』は007ものとしても一流品ではないし、日本風俗のあつかひにもをかしな箇所がときどきある。しかし、人間がむやみにぞろぞろ歩いてゐる日本の街の感じを出してゐたのは、さすがイアン・フレミングと言ふべきだらう。この人口|稠密《ちゆうみつ》な趣を捉《とら》へるのは日本の作家にもなかなかむづかしいことで、これに成功した人はあまりゐないやうな気がするからだ。ただ、フレミングが折角あれだけの眼と腕を持ちながら、もう一つの特徴をのがしてゐるのはすこぶる残念なことであつた。現代日本の街には人間だけではなく文字もまたあふれてゐるのに。  たとへば銀座でも鍋屋《なべや》横丁でもいい、人は佇《たたず》んで見渡すとき、空の下を埋めつくすおびただしい文字を認めてその多きに驚くことにならう。まづ建物にはその建物の名がでかでかと記してあるし、窓や日おほひにはたいてい入居してゐる店の名が大書してある。横に延びてゐる看板あり、縦に出つ張つてゐる看板あり。電柱の広告あり、自動車の横腹の広告あり。店の名やら、商品名やら、営業種目やら、効能書やら、電話番号やらが、さまざまの書体で色とりどりに書きこまれ、千紫万紅、乱雑の限りをつくしてゐる。わたしは当節には珍しくほとんど国外に出たことのない無精者だが、その乏しい経験に徴しても、ものの本を見ても、それから人の話を聞いても、これが万国に冠たる現象であることは間違ひないらしい。  ここで急いで断つておけば、今の日本の都市における文字の氾濫《はんらん》はわたしの好むところではない。それはやはりあまりにも審美的な抑制を欠いたものとして感じられるのである。歌舞伎や浮世絵から察すれば江戸の街は今の東京よりももつと慎しやかに、そして効果的に、つまり余白の美を生かす形で文字をあしらつてゐたのではないかしら。「さけ」とか「呉服」とか、そんな文字がさりげなく書いてあるひつそりした街を、たとへば澀江抽斎《しぶえちゆうさい》は、八百屋お七は、歩いたのだらうと推測される。どうやらわれわれの趣味はこの百年ばかりのうちに急速に下落したやうに思はれてならない。だが、わたしはさう嘆きながらもなほ、この現象の指し示すものに別の意味で関心を持つてゐる。それはいはゆる国語問題について論じるための、一つの手がかりになりさうな気がするのである。  おそらく世界一と言つてもいいくらゐ日本の都市に文字が充満してゐるのは、第一に識字率の高さと関係があるにちがひない。いくらせつせと字を書いても読める人がすくなければ無駄な話だし、何よりもさきに書くほうが読めなければそんなことに励むはずはない。これはやはり基本的には、文盲がすくない国にしてはじめて起る現象であらう。  もちろん、日本人の異様なほどの商売熱心や、狭い島に大勢ひしめいてゐるせいでの生存競争の激しさも、考慮に入れるほうがよからう。さういふ一種の熱気がかもし出す自己顕示欲の作用も考へられる。都市美への無感覚といふ要因もあつて、何しろ街それ自体がきたないのだから、その汚れた紙にならいくら落書してもかまはないといふ気持もあるだらう。つまりこのことから公共道徳の欠如を責めてもいいわけで、事実、かうにぎやかに文字が並んでゐては交通関係の標示などすこぶる読み取りにくくなる。  しかしさういふ要素はすべて認めた上で言ふのだが、そのほかにもう一つ、われわれ日本人が文字に対して非常な愛着を持つてゐるといふ条件もまたあるのではないか。それは現代日本の都市に対し意外に大きな影響を及ぼしてゐるのではないか。わたしは一つの文化的パターンの際立つたあらはれ方としてこれを捉へたいのである。  伝統的な日本家屋の内部を考へることにしよう。そこでは文字だけの額が鴨居《かもゐ》にかかげられ、文字だけの掛軸が床の間にかけられ、文字だけの屏風《びようぶ》がめぐらされ、文字だけの襖《ふすま》があけたてされる。落款《らくかん》はもちろん文字だし、その下に朱いろで押された印もまた文字である。額、掛軸、屏風、襖が絵である場合にしても、賛といふ形でかなり多くの文字が加はる。その室内にある什器《じゆうき》にも文字はまたあしらはれる。たとへば皿に、たとへば花瓶《かびん》に。たとへば七言の対句を染付けた茶碗、たとへば『赤壁賦《せきへきのふ》』の冒頭を彫つた急須といふ具合に。扇や団扇《うちは》のことは言ふまでもないし、ここまで来れば風呂敷のことはとうに思ひ出されてゐるにちがひない。そしてかういふ傾向はつひに衣服にまで及び、女たちはあるいは帯に「雪月花」と染めさせ、あるいは着物に『古今集』の歌をちらし書きするのである。印半纏《しるしばんてん》のことはあへて贅《ぜい》するまでもなからう。そしてこんなふうに考へをたどるならば、背広の裏のネームといふ異様なものの発祥も見当がつく。おそらく明治の人々はこのやうな文字への執着を舶載の衣裳《いしよう》にも当てはめて、表ではやはりをかしいから裏側に自分の姓を縫ひとりさせ、のちにはそれがいささか洋化されて、ローマ字の縫ひとりも出て来たのであらう。  文字に対するこの手の愛着と嗜好《しこう》は西洋の近代ではほとんど見られない。現代絵画のごく一部(たとへばミロ)を除いては、画家の署名以外の文字は絵のなかに書きこまれない。四行詩を刷りこんだティー・セットなどといふものも一般にないし、尊敬する人物の自分あての書簡を額に入れて部屋に飾ることはあつても、それは彼と自分との関係をなつかしんだり、誇示したりするためにすぎず、筆蹟それ自体への関心のせいではないやうである。たしかにcalligraphy(書道)といふ言葉は西方にあるけれど、「ただ東洋においてのみカリグラフィは美術として持続的におこなはれてきた」。(コロンビア百科事典)  もちろんわれわれの文化のかういふパターンは日本固有のものではなく、中国文化の影響によつて形づくられた。しかし移入されたものとは言ひながら、もはや今日では(今日でもなほ)この好尚は血肉と化してゐるやうに見受けられる。日本文化は、文字、殊に漢字に対する愛着と嗜好とをその基本的な性格の一つとしてゐるのである。おそらくこのさきもずいぶん長いあひだ、われわれは字の飾つてある部屋で、字の書いてある茶碗を用ゐ、茶を喫するのではなからうか。裏に字の縫ひとりがつけてある背広を着て、字に埋れたやうな街を歩むのではなからうか。一国民の好尚はたやすく変るものではないからだ。  四半世紀前にはじまるいはゆる国語改革は、能率とか機能とかはいちおう考慮したかもしれない。すくなくともそれを提唱した人々はもつぱらその点に力を入れて説いてゐた。その際、意識的無意識的に基準とされ、理想とされてゐるのはヨーロッパの文字のあり方で、この前提はむしろ当然のこととして見なされてゐたやうである。だが、果してヨーロッパ的な文字のあり方は万国の文字にとつての理想なのであらうか。もしわれわれの文化体系が文字に対し、ヨーロッパ文化と違ふ態度で臨んでゐるとすれば、彼の価値を採つてただちに我の価値とすることはすこぶる危険なことではないだらうか。つまり国語改革はわれわれの文化全体を死滅させることになりはしないだらうか。わたしはさういふ疑惑を禁じ得ないのである。  と言へば、人はわたしの心配性を慰めようとして、額の文字はともかく街頭の看板はたいてい当用漢字に新仮名で行つてゐるからいいぢやないかと述べるかもしれない。しかしわたしが言ひたいのはさういふことではない。ヨーロッパと日本とでは文化が異り、言語が異る。とすれば文字が違ひ表記の仕方が違ふのはむしろ当然のことなのに、その原理をヨーロッパふうのものに改めようとするのは無茶な話だといふことなのである。その、彼我の文化と言語と文字との、ほとんど対蹠《たいせき》的な相違をまことに端的に示すものとして、わたしは東京の街の文字のことを例にあげたにすぎない。  つまり話をもうすこし大きくすれば、ヨーロッパ的な価値は唯一の価値だらうかといふ問を、言語と文字に当てはめることになるであらう。例の構造主義をはじめとして、非ヨーロッパ的な価値の存在を認めようとする立場は最近のヨーロッパでもかなり有力になつてゐるのだが、この構造主義がしきりに輸入される今日このごろ、国語改革への手なほしが試みられるのはまことに興味深い話である。  もつとも、今までわたしは話の都合上、単にヨーロッパとのみ言つてゐたけれども、これはもつと細かく限定をつけて十九世紀ヨーロッパと呼ぶほうが正しいかもしれない。ヨーロッパ的価値しか認めまいとする傾向はそれ以前のヨーロッパにもあつたが、十九世紀において頂点に達した。それ以前のヨーロッパはもうすこし謙虚だつたのに、「進歩」を合言葉とする十九世紀ヨーロッパは、彼らの生きてゐる当時のヨーロッパこそこれまでの人類史の最高の段階だと自負してゐたのである。そして、ヨーロッパ的価値へのこの心酔を、日本語を知らない紅毛人ならばいざ知らず、日本人が日本語へと単純に当てはめたのがいはゆる国語改革であつた。もちろん、今世紀のヨーロッパはむしろかういふ傾向への反省の時期である。構造主義にその一つのあらはれといふ側面があることは言ふまでもないが、それだけではなく、事は文明のあらゆる部門に及ぶ。たとへばミロは画面のなかに署名以外の文字を好んで書き入れてゐて、ビュトールはそれをたいそうおもしろがつた。 [#小見出し]    2[#「2」はゴシック体]  国語改革への今度の修正をわたしは必ずしも喜ばないわけではない。これでも在来よりいくらかましになつたといふことはやはり認めなければならないだらう。その点、国語審議会で修正のため努力した人々には感謝してもいい。しかしそれが最上の処置ではなかつたことは、ここではつきりと言つておかなければならない。わたしの言ふ最上の処置とは国語改革を廃棄することなのである。あんなものはどういぢつたとて仕方がないのだ。さつさとやめてしまふのが一番である。もちろん、歴史を元に戻すことは不可能だから、ここで国語改革の廃止を宣言したとて、四半世紀にわたる愚行の傷痕《きずあと》は残る。しかし多少の傷痕はともかく、傷そのものはおのづから治つてゆくにちがひない。日本語にはもともとそれだけの力が備はつてゐるはずなのである。  一体、国語改革といふ軽挙|妄動《もうどう》は戦争直後のドサクサまぎれにおこなはれたものだが、このことからも察しられるやうに、戦争のあふりで変なことになつたといふ面がすこぶる強かつた。第一に、戦争中、軍人その他の世迷言《よまひごと》めいた大言壮語をさんざん聞かせられてすつかり厭《いや》になつたものだから、ああいふ馬鹿げた台詞《せりふ》がまかり通るのはみんな日本語が悪いのだといふ判断が生じたのである。これは漢字を制限しようといふ動きにかなり役立つた。しかし、わたしに言はせればこれは漢字が悪いのではなく、漢字をいい加減に使ふのが間違ひなのである。英語を使つてでも、下らぬことはいくらでも書くことができる。  第二に、科学技術の遅れのせいで日本は敗《ま》けたといふ、当時はやりの意見があつて、この点で追ひつくためにはむづかしい漢字や面倒くさい仮名づかひをやめ、その学習に要する時間を理科系の勉強に振り向ければいいといふ説がなされた。しかし実際は国語改革の結果、日本語の体系が乱れて覚えにくくなり、国語能力は下つてしまつたし、ひいてはそのことが理科系の学科の学習にも悪影響を及ぼしたと言はれる。当然のことである。  第三に、敗けたとはいへあれだけ大がかりな戦争をやつたあとなので、国家の力に対する過信があつたのではないかしら。いくつもの大国を相手にまはして戦争ができたくらゐだから、たかが国語改革くらゐ楽な話だといふ気持があつたらうし、それにこれにはアメリカまでが力を添へてくれるといふので、いつそう心強い思ひだつたに相違ない。一片の法令で国語改革を押しつけられたわれわれのほうにしても、戦争中の心理が尾を引いてゐて、国で決めた以上もう仕方がないと諦《あきら》めた気配があつたやうに思はれる。しかし言語と文字はもともと社会に属するものである。国家に属するものではない。それなのに国家が勝手にいぢりまはすのは、土台、無理な話であつた。四半世紀を経過しても日本語がいつこう日本国の言ひなりにならず、ために国の側でしぶしぶ手をゆるめることになつたのは当然のことなのである。日本語はあくまでも日本の社会に任せておけば、それは時代と共にゆるやかに移り変つて、もちろん多少の混乱は生じながらも、次第に整理され醇化されて行つたにちがひないのだ。  この点に関してわたしが残念に思ふのは新聞社の態度である。かつて日本の新聞社は国権に媚《こ》びへつらつて戦争を礼讃した。そして戦争に敗けるとそのことの非を悟つたと公言した。ところがその舌の根も乾かぬうちに、自分たちの商売道具である言語と文字について、国家の命令をあつさりと受入れたのは一体どういふわけなのか。正気の沙汰とも思へない。あれは日本新聞史における最大の汚点の一つであつた。あんな内閣告示などはことごとく無視して差支へなかつたのである。もしあのとき、各新聞社が国権による国語改革を拒否してゐれば、新仮名づかひも当用漢字もつぶれてしまつたにちがひないし、日本語を大事にする気風は澎湃《ほうはい》として起つたに相違ない。それなのに唯々諾々として文部省国語課に盲従したあたり、社会の木鐸《ぼくたく》たる権利をみづから放棄したものと言つてもよからう。新聞を作つてゆく上で、在来の表記法を改めることがもし必要だつたならば、どうして各社がめいめい新しい書き方の規準をこしらへなかつたのか。各社てんでんばらばらの新しい表記法のうち、もし優れた部分があればそれは自然に社会に取り入れられ、国語を正す一助となつたはずなのである。さういふ着実な努力を惜しみ、粗雑きはまる統制にあつさりと従ふほど、日本の新聞は言語と文字について無知であり、全体主義を好んでゐるのであらうか。  そして、国語審議会の今度の答申に関するある代表的な新聞の社説は、明らかにこの手直しに不服を述べたもので、四半世紀前の国家的大愚行をいまだに支持する言論であつた。どうやら日本の新聞は相変らず日本語の問題がよく判つてゐないらしいのである。「日本語の根本問題を忘れるな」といふその社説には、見当ちがひの詰らぬ意見がまことにいい加減な順序でいろいろ記してあるが、なかでもひどいのは、 [#ここから1字下げ]  答申は、「わかち書き」を論外としているが、その可能性についても考えるべきだ。そうすれば、当用漢字の数を制限することができ、外国人も、今日よりはるかに容易に日本語を学習することができよう。 [#ここで字下げ終わり]  といふくだりであつた。一体どこの世界に、外国人の都合を考へて自国語を改める頓馬《とんま》な国があるものか。そんな愚論を堂々と社説欄にかかげる大新聞社があるものか。日本語は日本人のためにある。まづ、日本人のためにある。そして日本人にとつて具合のいい、筋の通つた体系であるならば、同じ人間である以上、それは外国人にとつても学びやすいのである。もちろん外国語の習得といふのは、殊にそれがまつたく系統の違ふ言語である場合、多大の努力を要するけれども、こんなことは最初から判りきつた話である。それに、筋の通つた体系といふ点から言へば、新仮名よりは歴史的仮名づかひのほうが遙《はる》かに整然と論理的に出来てゐるし、また、当用漢字の枠《わく》のなかに機械的に押し込めようとする態度はまつたく無茶な話と言ふしかない。そして分ち書きについて一言しておけば、これは膠着語《こうちやくご》である日本語の特性のせいで、まづ不可能に決つてゐる。嘘だと思つたら、かういふ社説をかかげた責任を取つて、月に一日だけでいい、いや、朝刊だけでいい、はじめから終りまで分ち書きで書いた新聞をこしらへてみることだ。わたしはこれを必ずしも厭がらせのために言ふのではない。新聞社に限らず、めいめいが自分の方針で(官憲によつて強制されてではなく)日本語の表記のあり方を探求するのはすこぶる貴重なことだと信じてゐるからである。 [#小見出し]    3[#「3」はゴシック体]  前にも述べたやうに、妙な具合に戦争のあふりを受けて、ヨーロッパの言語の仕組を浅薄に日本語に当てはめようといふのが国語改革の試みであつた。その点、外国人の日本語学習の便をはかつて分ち書きにするほうがいいし、当用漢字もへらすべきだといふ某紙の社説は、まことに典型的にこの手の思考の正体を示してゐるだらう。その社説が、「さらに、敗戦直後、熱心に論じられた、かな文字化、ローマ字化についても再検討してみるべきであろう」とつづけてゐることは、この種の論者の西洋崇拝の激しさをいよいよ露骨に見せてくれるものと言はねばならぬ。要するに、まづ分ち書きにして、次に仮名書きにし、おしまひにはローマ字で日本語を書くようにしたいといふのが彼らの願ひなのである。そして、なぜそんな途方もないことに憧《あこが》れるのかと言へば、つきつめたところ、そのほうが何となくヨーロッパ的だからといふことになるのではないか。  だが、一口にヨーロッパ的と言つても、見せかけのものと本質的なものとがある。一言語の体系を無視し、さらにはその言語の背景でありながらしかもその言語によつて絶えず育てられてゐた一文化を無視して、西洋ふうの表記法に近づけようとするのは、見せかけだけのヨーロッパ的態度と言ふしかない。本質的にヨーロッパ的な態度とは、これとまつたく違つて、一言語の体系を重視し、その言語の属する一文化を尊重することであらう。そして、最近のヨーロッパに自己の文化以外の文化を積極的に認めようとする動向があることについてはすでに記したとほりである。  かつてわたしは『未来の日本語のために』といふ一文を草したことがある。そのわたしが約十年後、現在の日本語のために論じるのはいささか変な感じがしないでもない。すくなくとも、昔は現在を語り、今は未来を論ずるといふ具合にゆくほうが、時間の順序としては呑みこみやすいやうである。しかし、かつてのわたしはもうすこし事態を楽観視してゐた。国語改革がいつまで経つても廃棄されず、それが実情にふさはしいやうほんの僅かばかり手加減されると今度は代表的な新聞が幼稚な表音主義の立場に立つ社説をかかげ、そして世情がこんなことなら当り前の話だけれど日本語が日に日に蕪雑《ぶざつ》なものに成り下つてゆく今日このごろ、わたしの見とほしはずいぶん暗いものになつてきた。その憂鬱のせいでの差し迫つた気持を、この文章の題はおそらく示してゐると思ふ。 [#改ページ]     ㈽ [#小見出し]  当節言葉づかひ [#小見出し]    1 総理大臣の散文[#「1 総理大臣の散文」はゴシック体]  一九七二年の日本でいちばん評判になつた詩は、たぶん総理大臣が北京《ペキン》で作つた七言絶句、 「国交途絶幾星霜。修交再開秋将到。隣人眼温吾人迎。北京空晴秋気深」  だらうと思ふ。漢学の素養が乏しいせいか、わたしがこの詩を見てまづ思ひ出したのは、李白《りはく》でも杜甫《とほ》でも、蘇東坡《そとうば》でも陸放翁《りくほうおう》でも、頼山陽でも柏木如亭でもなく、新聞広告の「美邸瓦水日当良」といふ類《たぐひ》の文句だつたが、しかしまあ、それだけ平易明快で現代的だと褒めることもできないわけぢやない。むやみに故実を踏まへた、わけの判らぬ詩など作らぬあたり、ザツクバランな人柄が嬉しいと喜ぶこともできよう。  もちろん、たとへば伊藤博文の漢詩なんかとくらべて、時代が下れば総理大臣の漢詩もかういふことになるかなどと慨嘆する手もあるけれど、伊藤|春畝《しゆんぽ》公の場合には一代の詩宗、森|槐南《かいなん》といふ家庭教師がついてゐた。それなのに田中越山公(いや、本当は公ではない)はまつたくの独力で一詩を賦した。すくなくとも、さうとしか考へやうがないくらゐの出来ばえである。とすれば、われわれはむしろ彼の健気《けなげ》な努力をたたへるべきであらう。  それにこの七言絶句には、もともと、上手下手なんかいくら論じてもはじまらないやうな性格がある。言ふだけ野暮な話だが、文学的価値など最初から眼中になく、狙ひはひたすら政治的効用のほうにあつて、しかもその点ではずいぶん効果をあげてゐる……らしいのである。どうもわたしはそんな気がしてならない。  第一に(これは陳舜臣氏が指摘してゐたことだが)中国人が喜ぶ。外国の首相が来訪して、自分の国の詩形をまねて詩を作つてくれれば、これは満足するのが当り前で、なんのかのとケチをつける奴がゐたらよほどのヘソ曲りである。そしてヘソ曲りといふのはそんなに大勢ゐないものだから、無視して差支《さしつか》へない。まして、あの隣国でいちばん偉い人は、誰でも知つてる通り、詩を作るのがたいへん得意な人だから、これはみんなが大喜びするにちがひないのだ。  第二に、日本人が何となく漠然と尊敬する。何しろ漢詩文といふのは日本文化の一部分になつてゐるくらゐわれわれに親しいし、それに、和歌や発句よりも格が上なやうな伝統がある。必然的に、これを弄《もてあそ》ぶ人は偉いといふ感じがわれわれの意識にちらついてゐるから、巧拙などは物の数でなくなる。選挙区などでは、かういふ気持はいつそうはなはだしいにちがひない。  この二つはまあ、誰でも思ひつくことだが、重要なのはこの次である。それは中国向けでも国内向けでもない、いはば全世界的な意味なのだ。  つまり第三に、あれははたから見れば、日本の首相が中国へ行つて中国語の詩を作り、それを中国人が賞玩《しようがん》したといふ事件だつたに相違ない。これは文明論的に言へば、同じ文明圏に属する二つの大国があるといふことの誇示になるし、国際政治的に言へば、黄色人種の二大国がいざとなればどのくらゐツーカーの仲かといふことの證明にならう。とすれば、米ソはもとより、英独仏の諸国だつて、一方では、われわれ現代人のラテン語の学力はすつかり衰へたからかうはゆかないと嘆いたり(ラテン語は西洋の漢文である)、他方では黄禍論《こうかろん》を思ひ出して気味わるがつたりするのぢやないかしら。あんまりこはがらせては逆効果だけれど、とにかくいづれの場合にしても、政治家がたやすく詩を作るといふ東洋文明の深遠な伝統と、その現代における底力に対し、紅毛|碧眼《へきがん》の徒は一目おくことになるわけだ。かうなれば、何かアメリカの大統領にはやれないことをしたいといふ程度の気持からはじまつたのかもしれない漢詩づくりも、一石三鳥の大成功を収めたことになる。すなはち、まるでコンピューターのやうな頭のよさだと感心しても、あながち溢美《いつび》の言とはならないであらう。  がしかし、総理大臣にとつて詩よりももつと大事なのは散文である。自分の意見や見とほしや感想を着実に述べるときには、現代人はみなこの形式を使ふからだ。そこでこれから彼の散文を点検するわけだが……困りましたねえ、彼の新著『日本列島改造論』は果して彼の散文なのかしら。わたしにはどうも、ここにはむしろ田中角栄以外の人の文章があるやうな気がして仕方がないのだ。  国会における彼のいはゆる所信表明などは、役人の書いた文章を読み上げるだけなのでどうも味が出ない。持ち味が出るのは一問一答といふのか、質疑応答といふのか、とにかくそのときだとよく言はれるけれど、今度『日本列島改造論』を読んで見て、わたしは同じやうな感想をいだかざるを得なかつた。つまり、誰かほかの人の書いた文章を読みあげてゐるやうな、そんな調子なのである。  もちろん、かういふ箇所はある。 [#ここから1字下げ]  ある学者の計算によると、三十九年十月から四十六年三月までの東海道新幹線の乗客は三億六千三百万人であり、これらの人たちは在来線を利用した場合にくらべると総計八億三千五百万時間を節約した勘定になる。これを生産にあてはめると五千五百億円に相当する効果があり、労働時間に換算すると三十五万人のホワイトカラーを生みだしたことになるという。三十五万人の労働力というのは神戸市クラスの労働力にあたる。このように新幹線鉄道は人間の移動を効率化し、経済の生産性を高めているのである。 [#ここで字下げ終わり]  数学に強い田中角栄といふ定評どほりの話の運びだが、似てゐるのは論法だけで、文章そのものには個性がない。これはわたしの買ひかぶりかもしれないが、一国の首相になるくらゐの大物なら、上手下手はともかくもうすこし人柄がにじみ出る文章を書きさうな気がする。引用した文章には、世にいはゆる角栄調はあつても、田中角栄その人の個性と魅力と貫禄が感じられないのである。これがもし直筆なら、数字の魔力にものを言はせて一気にまくし立てながら、しかしそれにもかかはらず間の取り方がもうすこし何とかなつてゐるのぢやなからうかといふ気がする。この散文では、宰相の文体としてはひどくせせこましい感じで、正直なところ、かなりの小物の文章といふ印象を受けるのだ。経済大国の首相の代筆者といふのは、所詮《しよせん》この程度の文体の持主なのだらうか。  ここでちよつと余談。数字でまくし立てる角栄調の論法を聞くたびに、わたしはきつと旧日本軍の兵隊であつたころのことを思ひ出す。何年たつても一等兵といふ、これだけ聞けばレジスタンスの精神にみちてゐるやうだが、しかし実はわれわれ初年兵をむやみにぶん殴る奴がゐて、この男は平生、演習になんかちつとも出ないでゴロゴロ寝ころんでゐた。もちろん班長も小隊長も見て見ないふりをするのである。しかもさういふ場合、たいてい、人間のペニスをいくつつなげれば東京ワシントン間の距離を埋め得るかといふやうな計算をして閑をつぶしてゐた。これがわたしにはすこぶる印象が深かつたね。戦後、椎名麟三《しいなりんぞう》の小説のなかに、東京大空襲の翌朝、燃えさかる火を眺めながら、「これだけの火があれば何万人分の飯が焚《た》けるだらう?」と考へる男が出て来て、わたしはこれに手を打つて喜び、さすが椎名麟三は庶民の心理をじつによく知つてゐると感嘆したけれども、この文学的感想の裏づけとしては、あの兵営における体験があつたのである。そして、椎名麟三から田中角栄に戻れば、新幹線のせいで神戸市と同じだけの労働力がもう一つ出現したなどといふ話は、どうもわたしには、東京ワシントン間をペニスでつなぐ計算と同じくらゐ空《むな》しいもののやうに思はれてならない。  ところで、『日本列島改造論』のはじめのほうに、 [#ここから1字下げ]  明治百年は、わが国においてちょうど都市集中のメリットとデメリットがこの年を中心に交差したフシ目であった。大都市では過密、公害、物価上昇などが人びとの暮しを脅かす一方、地方では過疎による荒廃がすすんだ。都市と農村、表日本と裏日本の発展のアンバランスは、いまや頂点に達しつつある。こうした現状を思い切って改めなければならない。都市と農村の人たちがともに住みよく、生きがいのある生活環境のもとで、豊かな暮しができる日本社会の建設こそ、私が二十五年間の政治生活をつうじ一貫して追求してきたテーマであった。 [#ここで字下げ終わり]  といふくだりがあるが、わたしにはこの一節の最初の文章がすこぶる気にくはない。そもそも「メリットとデメリット」とは何であるか。こんな片仮名ことばなんか使はないで、「長所と短所」とか、「美点と欠点」とか、「利害得失」とか、誰にだつて判る普通の日本語がいくらでもあるではないか。洋裁学校の出してる雑誌や百貨店のチラシならばいざしらず、大政治家が全国民に向つて政見を訴へようといふ際に、何でこんな言葉づかひをするのだらう。英語まがひのほうがハイカラでカツコいいと思つてるのかしら。わたしにはかういふ量見がさつぱり合点がゆかないのである。  いや、すぐあとにもつとひどいのがある。「この年を中心に交差したフシ目であった」とは一体なんのこつた。「伏目」なのか「節目」なのか、字を当てることさへむづかしいくらゐだが、慎重熟慮の末、これはどうやら「節目」のほうらしいといふ気がしてはくるものの、それもあまり自信は持てないし、もしそれが正しいとしても、節目で何か二つのものが交差するものなのか、植物学に詳しくないわたしとしてはさつぱり判らない。そして、この本の読者である普通の日本人は、大体わたしと同じくらゐしか植物学の知識を持ち合せてゐないはずだ。 『大日本国語辞典』で「節目」を引くと、「節のある所」と出てくる。それではと「節」を引くと、語義の二番目に、「樹幹に枝の出でたる痕」とある。つまりこれを参考にしてじつと考へると、幹と枝とが「交差」して節を作るといふわけかもしれないが、とにかく、世間一般の人間にはチンプンカンプンの比喩《ひゆ》と言ふしかない。こんな厄介な言ひまはしはよして、もつとすんなりと呑み込める、判りやすい言葉づかひはできないものか。文章で気取るのは大いに結構だけれど、もうすこし趣味のいい気取り方を工夫するほうがいいし、それに第一、凝つたあげく意味が判らなくなつては散文の基本的な役割を果さないのである。  とにかく『日本列島改造論』といふのは、かういふ言葉づかひが大好きなやうな、軽薄な役人、ないし軽薄な御用学者にふさはしい文体で書いてある本であつた。一見もつともらしく(無個性なだけなほさらもつともらしく)しかもそのくせ空疎にして浅はかな名調子(?)の連続は、とても総理大臣の本とは思へないのである。何よりも、一流の人物の文章ならあるに決つてゐる生気がまつたくない。  そこでわたしはちよいと心配する。かういふ下らない散文で書かれた本が飛ぶやうに売れたのでは、これはきつと日本人全体の精神と感覚に影響をおよぼし、つひには日本列島の住民たちの心の内部を目茶苦茶にしてしまふのではなからうか、と。もつとも、売れただけで読まれちやゐないのなら、別に案ずる必要もないけれど。 [#改ページ] [#小見出し]    2 娘たち[#「2 娘たち」はゴシック体]  娘ことばといふものがある。昔はこれが小説家の藝の見せどころだつたが、近頃の小説は挫折《ざせつ》だの原点だのを書くのが主になつてしまつて、若い娘の話しぶりなんかには誰もあまり熱中しなくなつた。古来の美風に忠実なのはせいぜい舟橋聖一氏あたりではなからうか。舟橋さんの書く娘ことばはいささか古風なのが玉にキズだが、それでも(あるいはそれゆゑに)すこぶる色気があつてみづみづしく、わたしはいつも愛読してゐる。永井荷風がこれに長じてゐるのは定評のあるところで、たとへば『踊子』の、 [#ここから1字下げ] 「さうかな。おれよりもお前の方が利口だよ。田村の事なんぞ、おれは言はれるまで気がつかなかつた。」 「誰がさう言つて。」と千代美は目をひからせました。 「彼自身さ。お前が赤ちやんの事をさう言つたんで、彼、困つて白状したんだよ。」 「さうなの。」 「怒《おこ》つちやいけない。田村と兄さんと、どつちが先だ。かうなつたら皆聞いて置きたい。」 「そんな事……忘れちやつたわ。」 「僕なら忘れない。自分のことは忘れないな。みんな覚えてゐる。蒸暑くツて眠られない晩だつた。そのあくる日。僕が冗談にからかつたら、おこつてお前、泣いたぢやないか。」  千代美は大きな目を半《なかば》ふさぎながら流し目にわたしの顔を見てゐましたが、火鉢にかざした手を伸して、突然わたしの手を取り、 「兄さん、ゆつくり、しみ/″\会ひたいわ。ねえ。兄さん、もう、いや。」 [#ここで字下げ終わり]  といふあたりなど、さすがは名匠と感嘆するしかない。話ことばの切れ目の長短を句読点でいちいち的確に指定する芸の細かさなぞ、荷風の耳がどんなによかつたかをはつきりと示してゐる。  かういふ、若い娘の話ことばに対する風俗的関心は為永春水《ためながしゆんすい》の『梅ごよみ』にはじまつたもので、ちようどこの小説の挿絵《さしえ》が当時の女の髪型や衣裳《いしよう》の最も新しい流行を世にひろめたと同じやうに、彼の書きつづる会話は、若い女は今どのやうな口のきき方をするかといふことを、当時の読者に教へてくれたのである。それを読んで、おそらく男の読者は、かういふ話し方をする女の子とちよつと遊んでみたいと心中ひそかに思つたことだらうし、若い女の読者は会話のはしはしにさういふ言葉づかひを取り入れたのではなからうか。 『梅ごよみ』の、丹次郎とお長《ちよう》の鰻屋《うなぎや》での逢びきのくだりを、現代小説ふうに改行しながら、参考までに引用してみよう。 [#ここから1字下げ] 長「そしてお宅《うち》じやアだれがお飯《まんま》や何かの世話をしますエ」 丹「長屋の婆さんがしてくれるよ」 長「わちきが行つて用をたしてあげたいねえ」 丹「ナニおめえだつても仕つけねえ事ができるものか。そして独り者の宅《うち》へ娘が来るとわるくいはれるからわりい」 長「それじやあ私《わちき》がいつちやアわりいかねえ」 丹「ナニわりいといふわけもねえが」 長「わけもねえならば明日《あした》は直《じき》にまゐるヨ」 丹「あしたは留守だ」 長「留守でもよいわね。私《わちき》の行くのをまつておいでヨ。折角たのしみに思つていまはアネ。ヨヨ、兄さん宅《うち》においでよ」 丹「留守でもいいから宅《うち》にゐろ、よつぽどよく出来たおかしい子だ。サアサアさめねえうち、たんと食べな」 長「わちきはもう腹中《おなか》がいつぱいになりましたヨ」 丹「ナニまだねつからたべもしないで。サアお茶をかけて、もうちつとたべな」 長「兄《にい》さんもたんとおあがりな。そしてネ兄さんどうぞこれからかわいがつておくんなはいヨ」 [#ここで字下げ終わり]  こんなにリアリスティックな会話は春水以前にはなかつたし、春水はまた自分が若い娘の言葉づかひにかけては当代随一といふ自負をいだいて、至つて念入りに、ほとんど舌なめずりしながら書いてゐる。念のために言ひ添へておけば、「わちき」といふ一人称の代名詞は花魁《おいらん》ことばで、これはお長が一時、事情があつて、別に身を沈めたわけではないけれど吉原の大まがきに世話になつてゐた際、習ひ覚えた言葉なのかもしれない。そしてわたしとしては、当時の若い女の読者は、かういふ言葉に一層の魅惑を感じ、それをちよいと使つてみたのではないかといふ気がする。堅気《かたぎ》の娘といふのは、昔も今も得てしてかういふ具合に、たとへ娼婦の言葉とまではゆかなくても崩れたものの言ひ方をすばやく身につけるものなのではなからうか。おそらく彼女らはそれによつて、一方では未知の世界に対する憧《あこが》れを表現し、他方では男に媚《こ》びるための技術を無意識のうちに学ぶのであらう。  ただし、さつきはあんなふうに言つたけれども、現代作家が娘ことばをさほど書きたがらず、すくなくともそれを藝の見せどころとしないのには、同情すべき事情がある。今の娘ことばがどうも殺風景で風情がないからである。(そこで舟橋さんのやうに娘ことばに色気を求める作家は、その現代娘を戦前の、しかも藝者に極めて近いやうな女の子にわざわざ仕立てて、その工夫によつて様式美を確立する。)  たとへば『梅ごよみ』のお長は、別れるとき、 「ハイさやうなら」  と言ふ。ところが今の女の子はこれを、 「ぢやあね」  と言ふのである。これだつてもちろん、何しろ相手が若い娘だから、鼻の下を長くして聞いてゐれば決して悪い気持はしないであらうが、所詮あれは耳で聞いてこそ楽しい台詞《せりふ》であつて、かうして字で書いてみると何とも趣がないことおびただしい。小説家のほうとしては、あくまでも字面《じづら》で勝負しなければならず、ここで彼女はこれこれしかじかの抑揚で、しかも甘い声で、につこりと笑ひながら「ぢやあね」と言つた、などといちいち書いてゐるわけにゆかない以上、とかく、   二人は駅で別れた。  などと無愛想な書き方をしてしまひがちなのだ。  もちろんかういふ場合、いくら挫折と原点が専門の作家だつて、若い娘の別れの挨拶を書き込みたいのはやまやまのはずだけれど、それと同時に、あの「ぢやあね」を入れたら調子つぱづれになるといふこともよく判つてゐる。そこで彼は泪《なみだ》を呑んで、会話なんか何も書かないことになるのではなからうか。一体に小説といふのは、小説家が属してゐる文明の程度から逃れられない度合が、ほかの文学形式にくらべて非常に強いものだが、そのことを最もよく示してゐるのが会話である。つまり、いくらきれいな会話を書いても、その会話が現代の話ことばとして生きてゐなければうまくないといふ厄介な事情があるのだ。そこで、話ことばが洗練を欠き、成熟してゐない時代に生きる小説家は、とかく会話を避けるやうになる。現代の小説家が会話を嫌ひがちなのはこのせいだし、そして娘ことばとなるとほとんどお手あげの形勢なのは、何のことはない、現代の娘ことばがあまり上等な代物《しろもの》ではないからなのだ。  かういふことになつたのは、一つにはテレビやラジオに出る若い女の藝人のせいもある。彼女らは、どういふわけか判らないが(あれはたぶんアメリカ英語の発音の仕方を至つて我流に、といふよりも勝手放題に、日本語に適用したのではないかと思ふけれど)口をあまりあけないで日本語をしやべる。これではよく発音できないのは必然的な結果で、当然、何を言つてゐるのかさつぱり判らない場合が多いが、このしやべり方はいま大変な流行らしく、たとへば大野晋教授のやうな偉い国語学者が、このままでゆけば日本語はまもなく母音だけの言語になると心配するやうにさへなつてしまつた。これはあながち杞憂《きゆう》とは言へないと思ふけれど、例の「ぢやあね」といふ感嘆詞は、短くて濁つてゐるせいで、同じ別れの挨拶にしても「さやうなら」よりもずつと、この、口をあけない現代的発音に向いてゐるのだ。つまりこれを逆に言ふと、若い娘たちは自分たちの発音法に向いてゐる別れの挨拶を求めて、「さやうなら」といふ古来の言葉を捨て、「ぢやあね」を創造したのではなからうか。  さう言へば、「ありがたう」が「どうも」に変つたのにしても、より濁つたかどうかはともかく、より短くなつたことは確実で、このほうが当節はやりの、口のあけ方を節約する無精つたらしいものの言ひ方に向いてゐるだらう。  この「ぢやあね」や「どうも」とよく似てゐるものとして、「ほーんと」といふのがある(厳密に言へば「ほんと」と「ほーんと」の中間くらゐの感じである)。これは相手が何か言つたとき、相づちを打つのに使ふ言葉で、文法的に言へばやはり感嘆詞といふことになるけれど、意味は極めて軽く、「嘘をつけ」とそしる気持など毛頭ない。おそらく以前の、「さうなの」くらゐに当る言葉ではなからうか。そして、「さうなの」よりは「ほーんと」のほうがより短いことは言ふまでもないし、それに大事なのは、この「ほーんと」を妙に濁つた具合に発音するといふことである。その淀《よど》んだ音の響きは、もちろん、口をほとんどあけないせいで生じる独得の効果であるが、この場合もまた、彼女らはむしろ、その発音の仕方に好都合な感嘆詞を、無意識のうちに探したのではなからうか。  ところでこの「ほーんと」の語源については、わたしに一つの臆測がある。英語で相づちを打つときに使ふ "really" を直訳したものではないかといふ気がして仕方がないのだ。まあ、東西|揆《き》を一《いつ》にするだけのことと言へばそれだけの話で、別にそれ以上、我を張るつもりはないけれど。  そして "really" のことを書いたついでに書きつけておけば、最近アメリカから帰つた若い作家兼批評家、野口武彦の言ふところによれば、彼がアメリカに着いたばかりのころ、パーティで会つた若い娘は、こちらが何か言ふと、いちいち、  "Really." とうなづいてゐたのに、半年くらゐたつと、さういふ場合は、  "Beautiful." とうなづくのが流行になつたし、帰る直前のころには、  "Dynamite."  とうなづくのがはやつてゐたといふ。野口の体験としては、こちらが別に衝撃的でなんかちつともない、ごく平凡なことを言ふのに、いちいち丁寧に、 「ダイナマイト」  と受けられるのはどうも気持が落ちつかなかつたといふことだが、わたしはこれを聞いて、日本の娘ことばもこのくらゐ洒落《しやれ》つ気があるといいんだがなと思つてゐた。  ところで、先日わたしは辻邦生と話をしてゐて、わたしが何か言ふたびに彼が、 「あ、ほんと」  とつぶやくのに気がつき、 「おや、君は若い女の子の言葉を使ふんだね」  とからかつた。しかし『背教者ユリアヌス』の作家はきよとんとしてゐる。やむを得ず、今回記したことを説明すると、文壇随一(?)の美男として知られる辻はまじめな顔で言つた。 「さうかな。ぼくの癖が日本中の女の子のあひだではやつてるんぢやないかしら」  まーさか。 [#改ページ] [#小見出し]    3 片仮名とローマ字で[#「3 片仮名とローマ字で」はゴシック体]  日本語の問題といふのはみんなを興奮させるやうだ。何しろ、誰だつて毎日、使つてるわけだから、つまり専門家なわけで、専門家である以上、いはゆる専門家(国語学者とか、詩人とか)に遠慮する必要なんかちつともない。これではどうしても一家言あることになつてしまふ。そして、日本語といふのはもともと複雑に出来てゐるし、歴史が長いしするから、問題点には事欠かない。そこで論争がはじまり、つい力こぶがはいつて、大論争になるといふわけだ。  先日も新聞の投書欄で、読者が二手に分れてやりあつてゐた。「ナウなセンスのフィーリング」といつた言葉づかひはいいか悪いかといふ議論で、新聞の上だから礼節を守つた論じ方だつたけれど、もし賛成派の人と反対派の人がどこかで出会つて論じ合つたら、かなり雲行きが怪しくなるのぢやないかと思はれるくらゐ激しく対立してゐた。  わたしは反対派のほうで、つまり「ナウなセンスのフィーリング」といつた言ひまはしは好きぢやない。もつとはつきり言へば嫌ひである。そして、ごく大ざつぱに見て、詩人や小説家や批評家でかういふ言葉づかひが好きな人はむしろ例外に属するのに対し、広告文案の作者とか洋裁雑誌の編集者とかはこの手の片仮名日本語を好む、といふことになるらしい。つまり片仮名日本語は、刺戟《しげき》が強くて手つ取り早い反面、落ちつきがないから、これをしきりに使ひながら長い文章を書くわけにはゆかないのである。「吾輩は猫である。名前はまだない」といふふうに書かれてゐる長篇小説なら、読むことができる。しかし、「アイはキャットである。ネームはまだナッシング」なんて調子で書いた長篇小説を一冊読みつづけることは不可能であらう。何か浮足立つた感じで、思ひがこもらなくて、困つてしまふのだ。かういふ外来語ぎらひがもうすこし徹底してくると、庄野潤三氏のやうになる。彼のある小説では、家族がしきりに音楽を聞くのだが、使はれる片仮名言葉は「レコード」だけで、「ステレオ」も「プレイヤー」も「LP」も決して現れなかつた。  かういふ意見に対して、賛成派のほうはきつと、しかしステレオもプレイヤーもLPも現実に存在する以上、仕方がないではないか、さういふものを漢語で言はうとすれば滑稽になるし、大和ことばで言ひ表はせばもつとをかしくなるし、第一、長くて手のつけやうがない、と答へるだらう。たしかに「長時間演奏音盤」も「ながきときのおとのまるいた」も不便である。庄野氏だつて小説のなかだからこそあんなに慎重に、片仮名言葉を避けることができるので、実際の生活ではとてもああはゆかないはずだ。  そして賛成派のほうは、こちらがちよいとひるむ隙に乗じて、鎌倉・室町のころの漢語の進出ぶりは大変なもので、とても今の片仮名言葉どころの騒ぎではなかつた、あれだつて現実にさういふ言葉が必要だつたから使はれたので、さういふふうにして日本語の語彙《ごい》はふえてきたのだ、それゆゑ将来の日本語は今日の片仮名言葉によつていつそう豊かなものになるにちがひないと、楽天的な口調で論じるだらう。  しかしここが問題なので、鎌倉・室町のころのいはゆる国語の乱れは、漢語によるものだつたし、意識の表面か底かは判らないが心のどこかで漢字を使つてのものだつた。ところが今の状況は、ヨーロッパの言葉(主として英語)のせいなのである。似たやうなものぢやないかと言はれさうだが、これがずいぶん違ふ。  漢字といふのは一字一字が意味概念を持つてゐるから、その組合せによる新語と出会つても類推がきく。類推がきくから、それをあてにして造語をおこなふことができる。ところがヨーロッパ語といふのは当然のことながら性格が異るし、われわれは語原まで覚えるほどヨーロッパ語に詳しいわけではない。そこで、一つ一つの言葉をまるごと覚えるしかなくなり、しかもその言葉はその意味に固定されて、つまりせつかく取入れても応用がきかないのである。  具体的に例をあげる。  近頃「スクランブル交差点」といふ言葉に出会ふ。信号が緑になると、縦横ななめ、どの方角に歩いて行つてもいいといふ交差点で、わたしとしてはいつそ「八方交差点」とするほうがいいやうな気がするが、現代日本といふ西洋かぶれの風土においてはそんな言葉づかひはしない。このスクランブルは英語のscrambleで、自動詞としては「1.這(は)ひ登る、よぢ登る。2.奪ひ合ふ、争奪する」。他動詞としては「1.撒《ま》く。2.かき集める。3.(トランプの札を)かきまぜる。4.(卵を)かきまぜながら煮る」といふ意味である。八方にごちやまぜになつて歩く様子がまさしくスクランブルだからスクランブル交差点なわけで、これはきつと「スクランブリング・クロス」とか何とかいふ英語の直訳なのだらう。  このスクランブルといふ言葉は、わざわざ政府公認で輸入されたにもかかはらず、この特殊な交差点の場合以外には決して使はれないに決つてゐる。英語で「スクランブルド・エッグズ」と言へば、いり卵のことだが、テレビの料理の先生がどんなに気取つたつて、「スクランブル卵」なんて言ひ方はしないだらう(まあこれは「いり卵」といふ言葉がすでにある以上、当然なわけだが)。デパートの特売といふのは、まさに奪ひ合ひらしいけれど、デパートの特売の広告に「スクランブル・フェア」なんて出ることはまさかあるまい。節分の豆まきが……いや、馬鹿ばかしいからこのへんで打切るけれど、とにかくこの「スクランブル」は、「交差点」と結びついた形でしか現れず、しかもそのためだけに、全日本人はこの言葉を覚えなければならない。まことに恐しい負担ではないか。若い者ならかういふ負担にまだしも堪へられるかもしれないけれど、年を取つてくたびれてからでは大変な話だ。その点「八方交差点」ならば「八方」といふ言葉はすでに知つてゐるし、たとへ知つてゐなくてもこの機会に覚えれば、今後あれこれと応用がきくのである。たとへば「四方八方」とか、「八方ふさがり」とか、「八方美人」とか。  かういふ具合にすこぶる便利なものなのに、新しい言葉を作る場合、どうしても漢字は嫌はれ、片仮名が喜ばれる。これにはいろいろ理由があるだらうが、まづ思ひ当るのは、戦争中、旧日本軍がむやみやたらに漢字を使つたせいで、日本人がすつかり漢字嫌ひになつたといふことである。  旧日本軍では、普通の靴のことは「編上靴」(これを編み上げ靴とは言はず、ヘンジョーカと言ふ)、それの古いやつを改造したスリッパのことをたしか「上靴《じようか》」、ズボンのことを「袴」(コと読む)、ズボン下のことを「袴下」(コシタ)といふ調子で、まことに珍妙な日本語をせつせとこしらへたし、この言葉づかひにはすこぶるうるさかつた。  ズボンを「ズボン」と呼んだ兵隊が、上等兵にこつぴどく叱られ、 「いいか、軍隊では外国語は使はないんだ」  と教へられて、 「ラツパは何語でありますか?」  と問ひ返し、 「馬鹿、ラツパは日本語だ」  といよいよ叱られたといふ話があるくらゐだ。(ここでちよつと余談になるが、この話はどうも怪しい。第一に、旧日本軍といふ野蛮なところで、上等兵に向つてこんな具合に反論したらひどい目に会つたらう。第二に、ラツパは漢語で、ここで言つてゐるやうな意味での外来語ではない。サンスクリットから出たといふ説はあるけれど。)  とにかく旧日本軍といふのは漢字が大好きで、それはまあいいけれども、一般社会の慣行と違ふ漢語を、ビンタといふおどしをかけながら兵隊に強要したし、それがさらに度が昂《こう》じると、例の「轟沈《ごうちん》」とか「転進」とか「終戦」とか、目茶苦茶な新造語を国民全体に押しつける態度になつた。何しろ無教養で語感の悪い連中が、暴力を頼みに国語いぢりをするのだから、たまつたものではない。それは現今の文部官僚やデパートの宣伝係以上に、国語に対して罪を犯したのである。  かういふ軍人漢語に我慢してゐた反動として、戦後、日本人が片仮名ことばに飛びついたといふ事情はたしかにあつた。しかしそれだけではなく、片仮名であらはすしかないもの(たとへばテレビ)が急にふえたといふこともある。もちろん西洋かぶれ、アメリカかぶれの気風もあづかつて力あるにちがひない。しかし最大の原因としては、いはゆる国語改革なるものが進められ、漢字が大幅に制限され、さらに漢字教育がなほざりにされたことをあげなければならない。このせいで日本人は漢語を使へなくなり、漢字による造語力を失ひ、やむを得ず片仮名ことばにおもむいたのだ。「ナウなセンスのフィーリング」といふやうな軽薄な語法は、かういふ形勢一般のささやかな戯画にすぎない。  いや、「ナウなセンスのフィーリング」よりももつとひどい現象もある。それはさつきの「LP」でもさうだけれど、ローマ字ことばと呼ぶべき現象である。「GNP」とか「IQ」とか「ON」とか、片仮名ことばよりももつと風情《ふぜい》がないし、もつと応用がきかない。字でも言葉でもなく、単なる符牒《ふちよう》なのだから、当り前だけれど。大体、漢字といふのは、もともとそれから仮名が生れたわけだから、仮名とわりあひ調和するやうに出来てゐるけれど、ローマ字はまつたく異質の文字だから、平仮名、片仮名、漢字のどれとも調和しないはずなのに、戦後の日本人は平気でどんどん取入れ、その結果、文字の視覚的な美に対するわれわれの感覚はすつかり駄目になつてしまつた。このことは、街頭の看板を見ても判るはずである。文化文政とまでさかのぼらなくても、明治や大正でもいい、とにかく昔の日本の街の看板はもつと美しかつたはずだ。  このことに重大な責任があるのはまたしても文部省で、もし小学校の四年生にローマ字を教へるのなら、もつとちやんと、徹底的に、英習字(ローマ字習字)の基本から教へる義務がある。ところが現行の小学校用国語教科書のローマ字教材の、あの醜悪な字体はいつたい何であるか。あれでは子供たちは、ローマ字に対して美的意識を持たなくなるのは当然だし、ひいてはその結果、文字一般の美に対して鈍感になるであらう。もつとも、ローマ字と仮名その他の調和といふ件は、たとへローマ字教材の字体をましなものに変へたつて、しよせん無理なことだけれど。  ついでに八つ当りをもうすこしつづければ、テレビの機械についてゐる表示が、どれもこれも、「CONTRAST」とか「BRIGHT」とか「PULL-ON」とか「VOLUME」とか、英語で書いてあるのはどういふわけか。アメリカ向けの輸出を狙つた表示とすれば、われわれアメリカ人でない人間としてははなはだ迷惑な話と言はなければならない。わたしはまあ、これでもすこしは英語をかぢつたから「PULL-ON」くらゐは何とか見当がつくけれど、見当がつかない日本人は大勢ゐるはずだし、また、ゐたからと言つて咎《とが》めるのは筋ちがひである。ああいふ表示を漢字や仮名で書いたのでは粋《いき》に見えなくて困るといふのなら、それは(ここでやむを得ず片仮名ことばを使ふけれど)デザイナーの研究不足といふことになる。 [#改ページ] [#小見出し]    4 江戸明渡し[#「4 江戸明渡し」はゴシック体]  伊藤正雄といふ国文学の先生の著書に『国語の姿勢——ある大学教師の�国語白書�』といふ好著がある。この先生、東京生れの東京育ちでありながら、ずつと関西の大学にお勤めだつたせいで、上方ことばと関東ことばといふ問題にたいそう敏感になつたらしい。たとへばこんな調子である。 [#ここから1字下げ] 「……してほしい」といふ言葉づかひは、今は全く標準語となつたが、これまた元来は関西弁であらう。私どもの若い時代までは、「……してほしいワ」などといふのは、関西女性の専用だつたと記憶する。近ごろ幕末維新を舞台にしたテレビ・ドラマで、勝海舟が、「その方は京都に行つてほしい」などと言ふのを聞いたが、江戸つ子の海舟がこんな生ぬるいセリフを言ふわけはない。「京都に行つてもらひたい」と言はなければ、御直参《ごじきさん》勝|安房守《あはのかみ》の腰が締まらぬ感じである。 [#ここで字下げ終わり]  まことにもつともな指摘であつて、たしかにこれでは江戸明渡しと『細雪《ささめゆき》』とがいつしよになつたやうで具合が悪い。明治生れの学者がテレビを見物しながら当惑してゐる様子はほほゑましいし、「勝安房守の腰が締まらぬ」といふのはまことに簡にして要を得た名評と感嘆せざるを得ないが……、この「……してほしい」がなぜ戦後こんなにはやつてゐるのかといふ問題は、ちよつと分析に価する。  これは一つには、「……してもらひたい」では、何となく命令してゐるやうな、威張つてゐるやうな感じで困るといふ意識が働いてゐると思ふ。かと言つて、これをもうすこし丁寧に「……していただきたい」ではまたあまり丁寧すぎる。そこで中間的な言ひまはしを探したところ、「……してほしい」があつたので、これをいはば英語の "want" の代用のやうな気持で使つたのではないか。  詳しく言へば、この語法は、  ㈰「……せよ」  ㈪「……してもらひたい」  ㈫「……してもらへないだらうか」  ㈬「……していただきたい」  ㈭「……していただけないだらうか」  といふやうに、順次、敬語的な色彩を強めてゆくわけだが、この系列の言葉は、近ごろはみんな「……してほしい」に取つて代られたやうである。これも民主主義の風潮のせいかもしれない。  民主主義的といへば、伊藤正雄先生はさつきあげた本のなかで、「お供しませう」といふ言葉が封建的に響くせいなのか「御一緒しませう」といふ言ひ方が出て来たのはまあかまはないけれど、乃木《のぎ》大将のテレビ・ドラマで、大将といつしよに自刃する静子夫人が「どうか私も御一緒させて下さい」と述べたのはをかしい、ここはどうしても「お供させて下さい」と申し出るべきだと文句をつけてゐた。伊藤説によると、「御一緒させて」では、殉死ではなくて情死になつてしまふさうである。ごもつとも。   乃木大将はともかく勝海舟のほうに移ると、わたしはあの「……してほしい」といふ語法にはどうもなじめない。わたしの語感では、中間的ではなく、むしろ何か押しつけがましい感じがして仕方がないのである。これは案外、上方ことばへの反撥が、東北生れのわたしにもあるのかもしれない。事実、この語法の流行には、戦後の日本語における関西語の進出に乗つたといふ一面がたしかにあるのだ。つまり「……してほしい」は一群の藝人や作家のせいで大いにひろまつたやうな気がする。  関西語のせいで東京語が押しのけられた最大の例は、誰も言ふことだが、「ドまん中」と「まんまん中」である。なかには「わたしは銀座のドまん中で生れた江戸つ子でして……」などと自己紹介する男も現れたりして、言語地理学的見地から見るとまつたく不思議な話になつて来たが、とにかくあの「ドまん中」はすごい勢ひで全国を制覇《せいは》した。あれは野球の解説者がたいてい関西出身なので(あるいは関西出身でなくても関西人の多い野球選手のなかでもまれてゐるうちにどうしてもそれに近くなつて)しきりに使つたせいかもしれない。たしかに、「ドまん中に投げる」ならサマになるけれど、「まんまん中に投げる」では凄味《すごみ》がなくていけないかもしれない。いや、待てよ、「投げる」ぢやなくて「はふる」、「はふる」ぢやなくて「ほる」なのかな?  あの「ドまん中」といふのはわたしの嫌ひな言葉の一つで、「ド」といふ接頭語がきたなくてやりきれない。「ド阿呆」、「ドけち」、「ド助平」、「ド根性」……みんなあまり上品な言葉ではないし、その証拠には『細雪』のなかの美女たちは一ぺんも使つてゐない。あれは谷崎潤一郎ではなくて、今東光の世界に属する語彙のやうな気がする。  このドつき言葉(といふのはもちろんわたしの命名だが)は、どうやら上方でも下層のものらしく、見当をつけて言ふと、関西語のなかでも上のほうの語彙はあまり関東へ進出することがないのではないかと思はれる。言葉も野性のあるほうが外界へ出てゆく力があるのだらうか。しかしわたしの趣味から言ふと、洗練されてゐてしかも生命力のある言葉が尊いのだ。  ドつき言葉ほどではないが、「えげつない」とか「がめつい」とかいふのもあまり好きぢやない。「えげつない」は「あくどい」のほうがいいし、「がめつい」は……ここで困つてしまふのだが、この「がめつい」に当る関東の言葉はどうも思ひ当らない。「強欲な」かしら。言語は世態人情の忠実な反映であるから、つまり何のことはない、日本中が全般にがめつくなつたゆゑ、「がめつい」が猛威をふるつてゐるのかもしれない。実を言ふとわたしもこの「がめつい」はときどき使ふことがあるし、「えげつない」だつてぜつたい使はないとは言ひ切れない。もつとも「いぢましい」(けちくさい、の意)といふやつはあまりはやらないせいもあつて、口にしないやうである。何しろ言葉といふのは他人の影響を受けやすいものだし、それに文章のなかなら消すことができるのに、話ことばとなるとさうゆかないから、自分の趣味で統一できないのだ。それだけに、厭《いや》な言葉をつい口に出したときの後味は非常に悪い。  伊藤教授の本には、このほか、「唐なす」が「かぼちや」になつたのも、「油虫」が「ゴキブリ」になつたのも、昔の東京ことばがすたれたのだといふ指摘があつたが、このへんになるとわたしには純粋に国語学的知識で、つまり、あまりピンと来ない。もつとも、思ひ出してみると、最初「ゴキブリ」といふ言葉を聞いたとき、なぜ「油虫」と言はないのだらうと不思議に思つた記憶はたしかにある。そのときのわたしの結論(も大げさだが)は、これは油虫とは違ふ種類の虫なのだらうといふことで、何しろ昔から理科系のことは不得手なたちだから仕方がない。それにもう一つ打明ければ、実は、「ゴキブリ」といふ言葉が世にひろまつてずいぶん経つてから、やうやくあの怪異な虫を見たので、それまでは油虫もゴキブリもどつちも(といふ表現はをかしいが)見たことがなかつた。 「唐なす」に至つては、完全な死語だらうといふ感じで、江戸時代には使はれたが明治にはいつてからは東京者もちよいとハイカラなら口にしなかつたのではなからうか。これはわたしの知りあひに、明治十年に神田で生れたといふ年寄りがゐて、今なほすこぶる元気だから、そのうち遊びに行つて訊《き》いてみよう。もちろんその年寄りも、今は「かぼちや」と「唐なす」の両方を使つてゐるやうである。西洋文明の侵入の結果、唐といふ概念が亡んだだけではなく、かぼちやをもつて外国のものと見る気持がなくなれば、「唐なす」が廃語になるのは当然のことだらう。わたしはいくら東京語びいきとはいへ、かういふ言葉の場合にはやはりなくなつても仕方がないと思つてゐる。  東京山の手の言葉をもつて標準語とするといふ明治政府の方針は、最近むやみに評判が悪いけれど、あれはあれなりになかなか意味があつた。しかし、その標準語の不備や未成熟を補ふ必要があるのは当り前の話で、その場合、古語や方言から言葉を持つて来るのはたいへん結構なことである。「唐なす」を「かぼちや」としたのなんか、その結構な場合の好例ではないかと思ふ。  伊藤教授の本に、「ガラスを破る」「窓を破る」といふのが関西的表現で、昔の東京では破るのは「紙」か「障子」くらゐ、ほかのは「割る」か「こはす」だつたといふのが出て来るが、これもまあ新聞の見出しやなんかならばわたしは別に気にかけない。しかし普段の会話のなかで、「お隣りのガラス窓が破られたんですつて」なんて言ふのを聞いたら、まるで新聞記者みたいな口をきく女だと思つてむかむかするのぢやなからうか。が、むかむかはするものの、しかしその一方、この表現に、一種直訳ふうのおもしろさ、明確さ、機能主義があることもまた認めなければならない。一体、関西ことばといふのは、単純に昔の日本の言葉といふふうに割切つてとらへられがちだけれど、実はあれでなかなか、近代的、現代的、未来社会的な要素が強く、と言ふよりもむしろ現代日本人の目に映じてゐる西欧的なものに極めて近い性格を持つてゐて、その点、妙な具合に西欧化されてゐる時代に生きてゐるわれわれの生活に都合がよく出来てゐる。だからこそ、みんながこんなに使ひたがるのかもしれない。そして、わたしを含めてある種の人間が、関西語から移入された新しい言ひまはしを厭がるのは、実のところ東京びいきのせいではなく、その未来学的な浅薄な合理主義、能率主義が癇《かん》にさはるせいかもしれない。  そしてこの合理主義、能率主義がいちばんよく集約されてゐる関西伝来の語法は、東京(以前の東京)でなら「……ではないでせうか」ないし「……ぢやあないでせうか」と訊《たず》ねるところを、「……とちがひますか」とやる近頃流行の言ひまはしである。どちらにしても、否定と修辞的疑問とを結びつけてゐるわけで、似たやうなものと言へば言へるけれど、後者のほうが、その否定にしてもいつそう濃厚で、その修辞的疑問にしてもいつそう直接的である。その結果あらはれるのは極めて露骨、ないし鮮明な感じで、わたしなどはあれがやりきれなくて困るけれど、また、あれがこたへられないといふ人もゐるらしい。あれはたぶん、「……とちがひますか」のなかに、西洋的、現代的、未来的な冷酷な小気味よさを感じ取つていい気持になるのであらう。つまり、この形勢でゆくと、今後、上方ことばはいよいよ隆盛を極めるよね。  そして、もうぢきテレビの勝海舟は(何しろあの人はなかなかの近代主義者だから)、 「出処進退は自分の勝手とちがひますか」  などと述べる。するとかう開き直られた福沢諭吉はまた福沢諭吉で(何しろあの人もまた近代主義者だ)、 「さういふド根性がそもそも間違つてゐる」  なんて憤慨するのだらう。 [#改ページ] [#小見出し]    5 敬語はむづかしい[#「5 敬語はむづかしい」はゴシック体]  敬語といふのはむづかしい。大変むづかしい。  どんなにむづかしいかは、このことについて講演のなかでちよつと触れてみるとよく判る。途端に舌がもつれさうになるのだ。敬語といふのはいいものだし、必要なものだ、などとしやべつてゐる人間が敬語を使ひそこねたらをかしいだらうな、と思ふからである。そこで、敬語ぬきの、しかし決して失礼にはならない、中間的なものの言ひ方ですませる。あるいは、 「ええ、大体わたしはあまり礼儀をわきまへない、粗雑な人間でありまして、敬語なんてものは実際は非常に不得手なんです。しかし……」  などと開き直つて、つまり、純粋に理論のほうだけを論ずる。  とにかくあれはむづかしいものだ。使ふべきときに使はないのはじつに奇怪なものだし、だが、使ひすぎたり、使ひそこねたりすると、それもまた非常に奇怪な印象を与へるのである。  使ふべきときには使ふほうがいい、いや、断じて使はなければならない、といふほうの話は、今日はしないことにしよう。ついこのあひだまでは、敬語といふものがあるのは世界中で日本語だけで、日本を民主化するためにはこいつを絶滅しなければならぬ、といふ意見が幅をきかせてゐたけれど、かういふ、よく言へば調子のいい、悪く言へば乱暴な意見は、近頃はあまり見かけなくなつた。これは、敬語否定論者が現在、おそまきながら世界中の言語を勉強(大変なことですよ)してゐるため、論陣を張つてるヒマなんかない、のではなくて、今の日本の社会的形勢にいささか圧迫されてゐるためらしい。わが国では最近むやみに敬語がはやつてゐる感じなのである。どうもそんな気がする。さういふ動向を彼らはいち早く感知して、どうも敬語否定論ははやらないらしいなんて考へて、商売を手びかへてゐるのではなからうか。  しかし本当のことを言へば、近頃の日本の敬語といふのは(わたしのやうな、日常生活で敬語をあまり上手に使へない人間が言ふのはをかしいけれど)本式のものではないのである。あれはたいへん崩れた、いい加減なもので、いはば申しわけにひよいとくつつけるだけの代物にすぎない。  たとへば、 「駅で待つてますと何々さんが来られまして……」  などと言ふ。これなんかはやはり、「お見えになつて……」とか「いらつしやつて……」とか言つてもらひたい。またたとへば、 「何々さんがかう言はれました」  なんて言ふ。これも、「おつしやいました」だらう。どうも最近の敬語は、あれはサラリーマン敬語といふのださうだけれど、万事「れる」「られる」ですます傾向があつて、耳に快くなく、風情がない。しかしわたしに言はせれば、耳に快くつて風情があるといふことこそ敬語本来の目的なので、何も目上目下といふやうな人間関係をむきだしにして見せるのが敬語のねらひではないのである。  これを歴史的に考へれば、「れる」「られる」で一切をすますといふ最近の傾向は、戦後、敬語といふものが評判が悪くなつて、それこそ絶滅しかけてゐたのが、また息を吹き返してみたものの、本式のところが判らなくなつて、やむを得ず間に合せに発明したものなのかもしれない。もちろん敬語の助動詞「れる」「られる」は昔からあるけれど、昔はたとへば「御覧になる」と言つたところを、今は「見られる」などと、まるで受身か可能の助動詞みたいに用ゐるのが大流行なのである。「おでかけになる」が「ゆかれる」、「召上る」が「食べられる」、「おつしやる」が「話される」といふ調子で、事務的、能率的にひよいとくつつける。便利と言へばたしかに便利だが、どうもあれは本当の日本語ではなくて、何となく欧文直訳体といふ趣があるね。わたしは敬語尊重論者ではあるけれど、あのサラリーマン敬語よりはむしろ敬語ぬきのほうをよしとしたくなるくらゐ、あれがどうも気にくはない。あんなに「れる」「られる」ばかりやつてゐると、舌の具合が変にならないものかなんて余計な心配をするほどである。  さう言へば、最近の会社員はむしろ敬語過剰なやうで、これはわたしのやうな局外者ではない、いはば現場にゐる人の眼から見てもさうらしい。鈴木喬雄氏といふ、さる会社の重役が経営関係の雑誌でこのことを書いてゐる。 [#ここから1字下げ]  ともあれ、敬語の過剰はビジネスの能率からみても好ましくない。上司に対する報告などで、始めから終りまで敬語調をくずさない人があるが、敬語ははじめと終りのしめくくりだけにとどめ、報告の中味は脱敬語にするほうが賢明である、聞くほうもそのほうが助かるのである。(中略)  なお、敬語の過剰と乱用については、多くの教材がふれているが、お・ご・御の乱用をいましめる程度の注意しかしていないのは物足りない。 [#ここで字下げ終わり]  これではつまり、事務的・能率的ですらないわけだが、鈴木氏のあげてゐる実例を読むと、たしかにこれでは困るといふ感じがする。 [#ここから1字下げ]  具体例(1) 部長と課長が社長に呼ばれ、三人で話し合っている。三者が同席して話す一番普通の場合である。  社長 山田商会の件はどうですか。  部長 難航しております。貸倒れが予想以上にありまして。  課長 (A)部長も言われました通り、当初3億とみたのが5億もございました。     (B)部長も申しました通り、当初3億とみたのが5億もございました。  社長 しかし常務からは、額はむしろ減ると聞いていたが。  部長 (A)はい、常務もはじめは、そのようにおっしゃっておられました。     (B)はい、常務もはじめは、そのように言っていました。 [#ここで字下げ終わり]  これは言ふまでもなく(B)のほうがいいので、(A)のほうでゆくと、まづ第一に、課長は部長に対する、そして部長は常務に対する、自分の敬意を社長に押しつけることになつて、つまりその分だけ社長に対し失礼になるし、第二に、この敬語関係が(敬語の使ひ方が間違つてゐるせいももちろん大きいけれど)話の運びの明晰《めいせき》さをそこなふ。  そして、これにちなんでもうすこし付け加へると、会社関係の人たちと話をしてゐて不思議に思ふのは、「社長は……」とか、「部長は……」とか言ふ人がかなりゐることで、あれはやはり、「松下は……」とか、「部長の田中が……」とか呼び捨てにするのが正しいだらう。もちろん、さういふふうにちやんとした口のきき方をする人もゐるけれど。  つまりこれは、鈴木氏がその文章のなかで「三角関係の敬語」と呼んでゐるものに関係があるのだが、身内の者のことをしやべるとき、身内に対して敬語をつけるのは変なのである。あるいは、敬語をつけないほうが、社会的な感覚が発達してゐるのである。身内に対して用ゐる敬語をそのまま外部に対してまで延長する語法のことは、言語学的には絶対敬語といふさうだが、これは今でも秋田県の一部では用ゐられてゐるさうだし、アイヌ語は全部この調子だといふ。すなはち「うちのお母さんがかうおつしやいました」といふ調子のやつで、幼稚の感をまぬかれない。  敬語としては、相対敬語のほうが社会的感覚が発達してゐるわけで、わたしが聞いたアイヌ語の敬語法の話が間違つてゐないとすれば、アイヌ語といふのは大昔の、社会関係が非常に単純な状態のまま固定した言語といふことになるかもしれない。  もつとも、現代日本語だつてあまり大きな顔ができないことは、今あげた社長と部長と課長のやりとりの例でも判るし、これ以上にひどいのは、先年、中学校と小学校の国語教科書をずらりと並べて読んでゐたとき、はじめから終りまで全部、絶対敬語を使って家族のことを叙した文章に出会つて驚いたことがある。ああいふのはやはり、教育上よくないのぢやなからうか。  鈴木氏は具体例(4)として、 [#ここから1字下げ]  アナウンサー (A)次は美空ひばりさんがお歌いになります。         (B)次は美空ひばりが歌います。 [#ここで字下げ終わり]  といふのをあげてゐるが、これだつてやはり(A)が絶対敬語で、社会的感覚が落ちてゐる。  鈴木氏は言語感覚が非常に優れてゐる人らしく、この手の具体例を七つあげて、それがみな間違ひがないだけではなく、優れた例になつてゐるが、殊に感心したのは、今の日本の学者が随筆で自分の先生のことを書くとき、敬語が多すぎて、先生に対する自分の敬意を読者にまで無理じひする形になり、どうも読みづらいといふ箇所であつた。あれはわたしもまた日ごろ痛感してゐることなのである。鈴木氏は別にそこまでは書いてないけれども、わたしの見たところ、あの言葉づかひは殊に民俗学の関係者に多いやうで、もちろん少数の例外はあるけれどもあの学派の人たちはみな先生に対し土下座してひれ伏してゐる。あの学問とあの語法とは何かインネンがあるのだらうかといふ気さへするくらゐだ。あれは何か先生におもねつてゐる感じで、不愉快なのである。ああいふときは、敬語尊重論者のわたしも、敬語の封建性といふことをつい感じてしまふ。つまり、このことから考へてみると、日本語の敬語法でいけないのは絶対敬語なので、敬語反対論者たちは絶対敬語に的をしぼることをせずに、敬語全般を攻撃するといふあやまちを戦後四半世紀にわたつて犯してゐるのかもしれない。そしてひよつとすると、かういふことを明らかにしたのもまた、日本民俗学の功績の一つかもしれないね。  これに関して思ひ出すことが一つある。いつだつたか東大の国文科を出た人の論文を読んでゐて(以下の引用はうろ覚えでおこなふのだが)、 [#ここから1字下げ]  この問題に関し、これこれしかじかといふのは京都大学のなにがし教授の御説である。これこれしかじかといふのは東北大学のなにがし教授の御説である。また、国学院大学のなにがし教授のこれこれしかじかといふ御説は早くからよく知られてゐて、最近特に注目されてゐるし、九州大学のなにがし教授は数年前、これこれしかじかといふ趣旨のことを新たに主張せられた。しかるにわが師、なんのなにがしはかう言つてゐる。 [#ここで字下げ終わり]  自分の先生だけは呼びすてで敬語抜きなのである。敬語法の本来の趣旨から言へば、まさにかうならなくてはいけないわけで、その筆者も偉いし、筆者をここまで仕込んだ先生はもつと偉いとわたしは感嘆したことを忘れない。諸事かういふさはやかな調子でゆくことができれば、日本語の敬語が保守反動で封建なんて愚論は、あまりはびこらなくてすんだのではないか。  しかし、ここでひるがへつて考へてみるに、この筆者は、論文だからこそかういふ調子で書けたので、情感的なものがいりまじるし、また、まじらなければをかしい随筆では、とてもかう思ひきりよくはゆかないにちがひない。たとへばわたしにしても、自分の教はつた先生のことを随筆に書くときには、ついところどころ、絶対敬語をまぜてしまふのである。  敬語はむづかしい。大変むづかしい。 [#改ページ] [#小見出し]    6 電話の日本語[#「6 電話の日本語」はゴシック体]  日本で電話がはじまつたのは明治二十三年で、このとき政府は熱心に宣伝したけれど、どこも電話をつけようとしないので困つたらしい。東京では二百軒くらいしか取り付けなかつたさうである。これが日清戦争のもたらした経済好況のせいで、飛躍的に数がふえるわけだが、わたしがこの電話事始について最も感心してゐるのは、「もしもし」といふ日本語を発明した男の頭のよさである。あれはひよつとすると、電話を発明するくらゐの天才かもしれないね。  その天才は、飯沢|匡《ただす》氏のお父さんだつたかお爺さんだつたかであると、これは飯沢氏の随筆で読んだやうな気がするけれども、とにかく恐るべき頭の冴《さ》えで、ただ脱帽するしかない。  英語の「ハロー」を訳して「もしもし」にしたのはもちろんだが、何しろこれは、「ベイス・ボール」を訳して「野球」とするやうな類と違つて、ほとんどゼロから出発するに等しいのである。よほどの語感の持主でなければ、できることではない。  もつとも英語の「ハロー」だつて、人の注意を引いたり何かするときに使ふ言葉を転用したわけで、そのへんのところは「もしもし」もまた、江戸時代の、 「もしもし、ちよつとお伺ひしますが……」  などといふ「もしもし」と同じ呼吸だが、しかし在来の平談俗語のなかからこの感嘆詞を探し出してきて、あの文明の利器を使ふ場合の言葉に応用したのは、やはり普通の人間ではできないことだ。かういふ言語的天才の血筋だからこそ、ああいふ偉い劇作家が生れるのだと言つてもいいかもしれない。たとへば『二号』なんて、大変な傑作ですよ。文学座の分裂騒ぎのせいで、ああいふおもしろい芝居をもう見られないのは寂しいことだ。何しろあの人は典型的な座付作者だから、はめて書いた劇団がなくなつてしまふと、もうその芝居が上演不可能になつてしまふのである。ああいふのもよしあしだと言はなければならない。  話が横道にそれたけれど、その「もしもし」が近ごろどうも、あまり使はれないやうな気がする。在来の型で言ふと、 「もしもし、田中さんですか?」 「はいはい、田中です」 「こちらは美濃部と申す者ですが、御主人はおいででせうか?」  といふ具合にゆくのだけれど、現代のわれわれはいきなり、 「田中さん?」 「違ひます」  なんて調子でやつてゐるのぢやなからうか。もちろん違つてゐれば「違ひます」は仕方がないけれど、「もしもし」抜きといふのはどうも風情がなくていけないね。明治の発明者に対しても申しわけないではないか。あれはぜひとも復活させたい言葉づかひである。近頃「もしもし」を使ふのは、相手が長いあひだ黙りこんでゐて、故障のやうな気がするときだけで、ここから推測するに、電話の機能に対する科学技術的信頼度が増してくると、「もしもし」は使はなくなるのかもしれない。たしかに戦前の長距離電話なんてのはひどかつたから、明治時代は普通の市内電話でもなかなかうまくゆかなかつたはずで、 「もしもし」 「もしもし」  をしきりに取りかはす必要があつたとも考へられるが、しかしわたしの言つてゐるのは、さういふのとは違ふ、電話会話の冒頭の「もしもし」である。あれはいかにも、さあこれから電話がはじまるぞといふ心の用意をさせるにふさはしい、非常に具合のいいものであつた。  もつともわたしが今でも判らないのは、その「もしもし」の次に、まづ先方の名前をたしかめるべきか、それともこちらの名前を告げるべきかといふことである。向うが居留守を使つたり何かする都合を考へると、こちらがまづ名乗るのが正しいやうな気がするし、英語の電話のかけ方もさうなつてゐるやうに思ふが(これは記憶が怪しい)、しかし世には間違ひ電話といふものも多いから、その点を考慮に入れると、どうしても最初に先方を確めたくなる。  ここでまた話が横道にそれるが、あの間違ひ電話といふのがひどいね。人をヂリヂリと叩き起したくせに、いきなり、 「あんた誰?」  なんて言ふ奴がゐる。三分の一は眠いせい、三分の一は憤慨、そして残る三分の一は呆《あき》れ返つて黙つてゐると、 「ハナちやん?」  なんて言ひやがつて、こつちが男の声で、 「違ひます」  と答へると、興ざめしたやうな声で、 「ふーむ」  とつぶやいて、何も言はずに電話を切る。一言、おわびくらゐ言つたつていいぢやないか。  それで思ひ出したが、間違ひ電話のなかには、 「おれだよ、おれ」  ともつぱら一人称単数でしやべる奴もゐて、あれもすこぶる不都合である。間違ひと判るまでに手間がかかる。わたしの友人の、艶福《えんぷく》をもつて知られた男(特に名を秘す)は、女といふものはどうして電話で名を名のらず、 「ねえあたしよ。判る?」  と言ひたがるのかと嘆いてゐたが、ぼくとしてはそんな男の苦労に同情する筋合はまつたくないけれど、これだつてやはり言語学的には不都合なことに変りはない。言語といふのは何と言つても伝達を最初の機能としてゐるし、そんなむづかしい理屈はともかく、電話では顔は見えないのである。  この、顔が見えないといふのが電話会話のむづかしいところで、まづ最初に、先方が電話の相手をするにふさはしい状態かどうかを確めなくちやならない。これは短くてすむ用件の場合なら、何もわざわざ問ひ訊《ただ》さなくてもいいけれど(第一、声の出し方でも判る)、すこしこみいつた話になつたら、念を押してからはじめるほうがよからう。何しろ電話といふのは、便所にはいつてゐるときでさへもかかつてくる、ほとんど暴力的な仕掛けなのだからかなはない。わたしの友人のなにがしといふ男は(これも特に名を秘す)、家《うち》が火事になつて、金庫(あまり大きくない)を持つて逃げ出さうとするとき、ヂリヂリと電話がかかつてきて、ついうつかり、金庫を置いて受話器を取り上げようとしたため、細君に叱られたさうである。  つまり電話といふのは、相手の都合を無視した、失礼なものなのであるから、そのことをよくわきまへるべきで、まづ秘書に電話をかけさせて先方を呼び出し、次にその秘書がのんびりと、 「しばらくお待ち下さい」  なんて言つて、おもむろに偉い人が電話口に出てゆくなんて、ああいふことは絶対いけない。ただしこれは礼儀作法の話であつて、言葉づかひとはちよつと違ふけれど。  かういふ事態が生じるのは、電話といふ機械を使ふ場合、これが機械であるといふ意識に慣れてしまつて、相手に対しても機械的になるからだ。言葉づかひの問題にこれを当てはめれば、切り口上になることだらう。森鴎外は機械をいぢることが大の苦手で、電話が嫌ひだつたさうだけれど、その症状をすこし薄めれば、親しい友達に対しても電話口ではいつこう打ちとけないといふ、ある種の性格が出現するだらう。もつとも近頃の若い者は、カセット・テープだのステレオだののせいでむやみに機械に強くなつて、つまり鴎外先生の逆のタイプになつてしまひ、電話のときは臆面なしにものを言へるといふ傾向もあるやうだ。あれは、顔を見られないせいで図う図うしくなるのかしら。  その近頃の話だが、最近は「もしもし」の代りに「どうも」とはじめることが多い。挨拶の語の音綴《おんてつ》が短くなるのは、何も日本語だけではなく世界的に言へることで、言葉に関してあれほど昔かたぎなフランスでも挨拶語が短くはしよられてゐるさうだが、さうしてみると日本語もその世界的動向に順応してゐるのかもしれない。  しかしわたしは、あの「どうも」ではじまる電話はあまり好きぢやないね。せせつこましくて、あわただしく、ゆとりがない。電話はやはり、「もしもし」ではじまらなくちやいけない。などと言ひながら、わたしもときどきは「どうも」ではじめる電話をかけてゐるけれども。第一、向うが、 「やあ、どうも」  なんて呼びかけると、ついこつちも、 「どうも」  なんて声を発してしまふ。あれは、言葉といふものが、人間が社会的動物であることの證拠である以上、やはりやむを得ないのではなからうか。言語は模倣を強制する。人間は模倣することによつて、他者に対する親愛感を表明する。その最も簡単なものが音声の模倣にほかならない。  この「どうも」といふのは最近の日本語の最大特徴の一つである。先年わたしはハワイにおいて、「アロハ」といふのは抑揚ひとつで、「今日は」にも、「さよなら」にも、「ありがたう」にも、それからもう一つ、「わたしはあなたを愛します」にも使へるといふ言語学的知識を得たけれど、われわれの「どうも」もまた、何となくこの「アロハ」に近いやうな具合になつてきた。もちろん現代日本語においては、いくら「どうも、どうも」と連呼しても、「わたしはあなたを愛します」といふ意味にはならないが、これだつてもう十年もすれば、さうならないとは限らない。 「どうも」はまた、「さやうなら」の意味にも用ゐられるやうで、その場合は大体、「どうも、どうも」と重ねられるやうな傾向が強い。あれは言語の省略といふ点から見ると、「どうも有難うございました」とか、「どうもすみませんでした」とかの短縮形と見るべきなのだらうが、何となく無精つたらしくていけないね。  なかにはその無精つたらしい、礼を失した感じを何とかして補はうといふ気持なのだらう、 「どうもでした」  と最後に述べる奴もゐないではない。しかし、この言葉づかひの滑稽なことは、落ちついて考へさへすれば誰にだつて判る。  わたしに言はせれば、電話のおしまひはやはり、きちんと、 「では、ごめん下さい」  とか、 「さやうなら」  とか言つて終るべきなので、それは手紙がすべて、「敬具」とか「不一」とか「あらあらかしこ」とかで終るべきなのとおんなしなのである。「どうも」と向うが言ひ、こつちも「どうもどうも」と言ひ、それでガチヤリでは感じが出ないよね。  もつとも、その「さやうなら」の代りに最近普及してゐる言葉が一つある。女言葉の、 「ぢやあね」  である。エロティシズムの権威、澁澤龍彦氏は、若い女の子と別れるときにこの「ぢやあね」を使はれると、何となくゲンナリしてしまふと記してゐたが、澁澤さんがどう言はうと、電話の場合、わたしはあの簡略形はちよいと気に入つてゐる。もちろん、自分は使はないけれど。  ぢやあね。 [#改ページ] [#小見出し]    7 泣虫新聞[#「7 泣虫新聞」はゴシック体]  新聞といふものが子供のころから気に入らなかつたね。言葉づかひが粗雑で大げさで低級で、癇《かん》にさはつて仕方がなかつたのだ。もちろんわたしの子供の時分といふのは戦前のことで、満州事変やシナ事変の時代である。太平洋戦争がはじまつたのは、たしか中学三年のときだ。そして具合の悪いことに、わたしは至つて小さいうちから戦争と軍隊が大嫌ひなたちであつた。とすれば、「東亜新秩序」だの、「暴支|膺懲《ようちよう》」だの、「勝つて来るぞと勇ましく」だの、そしてもつとあとになると、「轟沈《ごうちん》」だの、「鬼畜米英」だの、「一億玉砕」だのが、わたしにとつて快い字面であつたはずがないのだが、当時わたしは、自分の軍隊嫌ひや戦争嫌ひのほうばかり意識してゐて、自分がまた、日本の新聞特有の、ナニハブシ的な記事の書き方や見出しのつけ方をも嫌つてゐるのだといふことのほうには気がつかなかつた。つまり、戦争の時代が終れば日本の新聞の文体は変ると、漠然と思つてゐたらしい。|漠然と《ヽヽヽ》といふのは変な言ひ方だが、何しろ戦争が終つたときに生き残つてゐるといふあてはあまりなかつたのだからやむを得ない。  だから、本来なら、戦後の日本の新聞を読んだとき愕然《がくぜん》とすべきであつたかもしれない。そこには、戦争讃美の代りにその反対のことが、しかし以前とまつたく同じ、無内容で騒々しくて煽情《せんじよう》的な口調で、ぎつしり並んでゐたからである。だがわたしは、もうしばらくすればましになるだらうとか、何しろ日本の新聞はクォリティ・ペイパー(高級紙)ではなくてクォンティティ・ペイパー(大衆紙)だからなとか考へて、我慢しながら、毎日を過してきた。ところが最近になると、年のせいでこらへ性《しよう》がなくなったのかしら、新聞を見るのがまつたく辛くなつたのである。  わたしがいちばん当惑するのは情緒の押しつけである。新聞はまづ事実を報道すべきものなのに、事実はあまり書いてなくて、すこぶる一方的な意見と、それを塗りたくる多量の泪《なみだ》が今の日本の新聞の文体なのだ。  具体的に例をあげれば、今日(昭和四十八年五月十四日)のある大新聞朝刊の社会面。  絵画暴落[#「絵画暴落」はゴシック体]と白抜きで横に流し、それから、泣くのは庶民 画商、夜逃げや閉店も 主婦の利殖、幻と消える[#「泣くのは庶民 画商、夜逃げや閉店も 主婦の利殖、幻と消える」はゴシック体] とつづく見出しだが、要するに、一時、投資の対象として買ひあふられた絵画が、一流画家の作品のほかは三分の一から五分の一に暴落したといふ話である。しかしわたしに言はせれば、楽しみのためにではなく金儲《かねまう》けのために、二流三流の画家の作品を買ふのは、庶民ではなくて白痴である。詰らぬ売り絵を買つて、来年になれば倍に値上りするなんてあてにする主婦ならば、亭主の身のまはりの世話も、子供のしつけも、できるはずはない。そんな利殖は最初から幻だつたにすぎない。この記事は、新聞一面の「ニュース抄録」とやらにも出てゐるが、その題は また泣いた庶民[#「また泣いた庶民」はゴシック体]。これはもつと普通に、絵の暴落はじまる[#「絵の暴落はじまる」はゴシック体] とするほうが、正確に事実を伝へるだらう。どうも日本の新聞は泣くことがむやみに好きなやうである。「ニュース抄録」の次の見出しは 悲しみの一周忌[#「悲しみの一周忌」はゴシック体] とあつて、これは大阪・千日ビルの火災の一周忌のことだが、一周忌といふのは大体悲しいはずで、喜びの一周忌なんてもともとあり得ない。つまりかういふ具合に、空疎なことを感傷的に記した、歌謡曲、ないしナニハブシの下手な眞似が、日本の新聞の基本的な言葉づかひなのである。歌謡曲、ナニハブシでなければアジビラの類と言はうか。いづれにしても、格調が低くて下品だよね。  といふやうな意見の持主であるわたしにとつて、「諸君!」六月号に載つた加瀬英明氏の「ステキなステキな英字新聞」といふ文章は、近来まれな好論と感じられた(もつともこの題は気に入りません)。加瀬氏は、日本で出てゐる英字新聞の文体が、日本語新聞にくらべてどんなに正確で趣味がいいかといふことを、具体的に、かつ詳細に指摘してゐるのである。一つだけ例を引く。  さつき言つたのとは別の大新聞だが、大相撲訪中団けさ出発[#「大相撲訪中団けさ出発」はゴシック体] と大見出しをつけて、その下に友好背負って力士ら109人[#「友好背負って力士ら109人」はゴシック体] といふ小見出し。記事には「平均体重118キロの大男たちは日中友好の使命感に燃える一方、遠足前夜の小学生のようにちょっぴり心をはずませている」とあつて、「……翼に�日中友好�を乗せて飛びたつ」と結ぶ、まるで百九人の心のなかを全部調べたやうなことが書いてあるが、これが、その新聞社から出てゐる英字新聞になると、「小見出しも、カツコ内で引用した部分もでてこない。ただ、sumo delegation が goodwill tour of China にでかけた、つまり、相撲団が、中国に親善旅行に出発したのだ」  今の日本語新聞のにぎやかな言葉づかひに慣れた目から見ると、かういふものの言ひ方はあまり素気なくて寂しく感じられるかもしれない。しかし、あのにぎやかな文面は、実は虚飾と空騒ぎにすぎないのである。そして新聞の使命は、一杯機嫌で浮かれることではなくて、冷静着実に事実を伝へることなのである。読者がその記事を読んで何らかの感慨に耽《ふけ》るのは勝手だが、しかしその内容は読者個人の自由に委《ゆだ》ねられるべきものであつて、新聞社の整理係から強制的に押しつけられるべきものではない。  ここでついでに言つておけば、一体、日本の新聞の整理といふのはのべつ幕なしに駄《だ》洒落《じやれ》を連発してゐる感じで、自分ではそれが気がきいてゐるつもりだから困る。昔、早慶戦の日に颱風《たいふう》がそれたのを 颱風はアウト・カーブ[#「颱風はアウト・カーブ」はゴシック体] と見出しをつけた整理係がゐて、当時の朝日新聞社のお偉方、杉村|楚人冠《そじんかん》が手を打つて喜び、金一封を渡したといふ逸話があるけれど、この楚人冠の気前のよさが今の新聞の軽薄な色調を作つたとも考へられる。しかし、昔の新聞の見出しでかういふ具合に浮かれるのは夕刊の社会面に限られてゐたが、今は朝つぱらから朝刊でやつてるし、さらに三面記事に限つたことではない。これは週刊誌の影響だらうか。それともテレビの司会者やラジオのディスク・ジョッキーの影響だらうか。いづれにしても言葉の使ひ方に気品がないことおびただしい。  この、気品がなくなるといふのは、今の日本の新聞が流行語や|決り文句《クリツシエ》をむやみやたらに使ひたがるといふこととも関係がある。もちろん決り文句は一概に排斥すべきものではなくて、そこにはむしろ古い昔からの一民族の知慧《ちえ》の結集が見られるのが普通なのだが、新聞が使ひたがるのはむしろ、ほとんど新聞専用の決り文句なのである。それはたとへば外国人の話となれば決つて「青い目」と書くやうな類《たぐひ》のもので、手早く効果があがることを狙ふあまり不正確であり、無責任であり、趣味が悪い。この趣味の悪さは、流行語の場合も同様である。わたしは何も、流行語を一から十まで排撃するつもりはないけれど、「小学生」と書けばすむところを必ず「チビっ子」と書くやうな傾向を見ると、日本の新聞が流行語の趣味のよしあしについて敏感だとはとても思へないのだ。  つまり日本の新聞は概して言葉に対して無神経である。すくなくとも紙やインクに対するほどは、言葉に対して丁寧なあつかひをしてゐない。  ここで、日本の大新聞は高級紙ではなく、大衆紙であるといふ問題がまた出て来る。そして、念のために言つておけば、日本の大新聞は、あれだけ部数が多いのに、すくなくとも西洋の大衆紙に比較して、たとへば学藝欄などずいぶん程度が高いといふ面もあるらしいのだが、社会面の言葉づかひに関する限り、どうやら西洋の大衆紙よりももつと低いらしい。わたしは西洋のいはゆる大衆紙なるものは手に取つたことがないけれど、友人たちの意見を綜合《そうごう》すると大体こんなことになるやうだ。とすれば、日本の大新聞のあの特徴的な騒々しい文体は、何のことはない、現代日本人の民度の低さの正当な反映であり、そして、これを逆に言へば、あのにぎやかで浮かれた文体によく現れてゐる国民的エネルギーによつて、われわれは明治維新以来百年、かうして生きて来たので、もしこの新聞の文体がなければ今日のいはゆる繁栄とやらもなかつたのだといふことになつて、問題は雲散霧消してしまふけれど、しかしわたしの率直な意見としては、どうも今の新聞の書き方はいくら何でも上つ調子にすぎる。もうすこし落ちついた、静かな口のきき方をするのが、人間のたしなみではなからうか。第一、新聞は現代の日本人にとつての最大、最新の国語教科書なのである。  この、国語教育の教材としての新聞といふことを考へてみると、今の新聞はすこぶる欠陥が多い。文章が悪いといふことは前にも言つたが、たとへば記事の書き方で、「——なのかも……。」と止めたり、「——なのだが……。」と止めたりする思はせぶりな口調は、今日の新聞記事の常套《じようとう》手段になつてゐる。あれは明確に言ひ切つて責任を取らうとしない、あるいは、責任を取れないことまで言はうとする、卑怯《ひきよう》な言ひまはしであつて、あんな語法を国民全体が眞似るやうになつては大変である。見出しだけの読者は非常に数が多いから、見出しといふのは記事以上に大事なわけだが、これがまた、活字の大きさに気を使つて、字数のことばかり注意するため、語法が目茶苦茶になり、たとへば 中学生に酒飲ます[#「中学生に酒飲ます」はゴシック体] とか 外相も自重進言[#「外相も自重進言」はゴシック体] などといふ、テニヲハを抜いた言ひまはしが横行してゐる。これはやはり「中学生に酒を飲ます」「外相も自重を進言」としなければ正しくない。日本の新聞の見出しを読んでゐてとかく気持がせはしなくなるのは、一つには、かういふ、まるで川崎長太郎の小説みたいな文体(「押入れから茶色の綿毛布ひつぱり出し、畳んで下にしき、両膝|揃《そろ》えて坐つた」)で書いてあるせいなのだ。  それからまた、「網ら」、「こん虫」、「あ然」などといふ、漢字と仮名のまぜ書きもをかしい。あれはみな、どうしてもその言葉を使はなければいけないから使つてゐるわけで、「網羅」は「全部集めて」ではいけないし、「唖然《あぜん》」は「あきれ返って」では感じが出ないし、まして「昆虫」は「虫」では不正確なわけだが、重要なのは、かういふ言葉がみな、漢字を意識に置いてはじめて了解し得る言葉だといふことである。つまり、これらの言葉が国民生活に必要ならば、これらの漢字もまた、国民生活に欠くべからざるものなのだ。さうと決つた以上、教育に不熱心な文部省ならばともかく、教育に熱心な新聞社としては、ぜひとも、その漢字を国民に教へることが義務であらう。まして、教へる相手は子供ではなくて、大人なのである。何の遠慮が要るものか。文部省の役人がでつちあげた、漢字制限の規則なんかにこだはる必要はちつともないのだ。  もしその漢字がちよつとむづかしいと判断された場合には、見出しだらうと記事だらうと、振仮名をつければそれでいい。昔の新聞は仮名がついてゐたから勉強になつてよかつたとはよく言はれることだが、これはわたしの経験から見てもたしかにさうだつた。振仮名は目によくないなんて論ずる人もゐるけれども、目が悪くなるのと頭が悪くなるのとどつちを採るかと言へば、わたしは視力を多少いためるほうを選ぶ。たかが漢字を知らないくらゐで頭が悪くなるも大げさだと笑ふ人もゐるかもしれないが、日本文化の伝統においては、ある程度の漢字を知らなければ、教養の基礎は得られないのである。そして大新聞の使命は国民に教養と識見を与へることで、国民をめそめそと泣かせることではない。 [#改ページ] [#小見出し]    8 テレビとラジオ[#「8 テレビとラジオ」はゴシック体]  新聞の日本語はどうも気にくはないけれど、新聞そのものはせつせと読む。何しろ活字中毒だから、これはどうにも仕方がないのだ。ところが、テレビやラジオは、そのもの自体がまづ気に入らない。せいぜいテレビで、野球見物をするくらゐぢやないかしら。  もつとも、その野球見物にしたつて、全部につきあつてゐれば大変なことになるし、そのほか何のかのと、もののはづみでぼんやり見てゐることもある。ラジオにしたつて、タクシーのなかでけつこう聞いてゐる。  タクシーのラジオで判るのは、ディスク・ジョッキーといふのか何と言ふのか、とにかく、しやべるのが専門の人の日本語が至つて粗末なことで、要するに無意味なことを早口に、のつぺらぼうに、息もつがずに(これを「息もつかずに」と言ふのは間違ひ)まくし立てれば商売になるらしい。深夜放送とやらではもつとひどいらしくて、みんなああいふ、ふはふはした、口さきだけのしやべり方をするのださうな。わたしがオーウェルの向うを張つて暗澹《あんたん》たる未来小説を書くとすれば、登場人物には全員、ああいふへらへらした上つ調子な口のきき方をさせるね。ラジオ・ドラマがいいかもしれない。  野球放送の話に戻れば、わたしはなるべくテレビの音を消して見る。中野好夫先生はアナウンサーと解説者が余計なことを言ふのが厭《いや》さに、音は消しつぱなしで見るのださうだが、わたしはああいふ大変な野球通とは違ふから、テレビの画面とラジオの音とを併用して野球を楽しむ。これは一つには、わたしの家がみんな、野球解説の関根潤三さんと豊田泰光さんがひいきだからである。あの二人はどちらも、声がいいし、それにきれいな日本語をしやべる。別所毅彦さんもよろしい。ただしこの人は、「見れる」「来れる」といふ類の言ひ方をするのが唯一の欠点だけれど。言ふまでもなく、「見られる」「来られる」が正しいのである。  三人のうち最もすばらしいのは関根さんで、声にすこぶる色気がある。ときたま「ウーン」なんて軽く考へ込んだりすると、まるで三亀松《みきまつ》みたいで、かういふ調子で口説かれたら女の子はぞくぞくするにちがひない。もつとも、今どきの娘はああいふ口調には何も感じないかしら。年増《としま》むきかもしれない。豊田さんは、じつにさつぱりとした、明快な、それでゐて気品の高い話し方で、これだけ上品に明晰に話をする人は大学教授にもすくないだらう。知識人の話しつぷりである。  関根さんはたしか東京の生れのはずだが、いはゆる東京方言には決してならないで、しかももちろんきちんとした標準語を聞かせてくれるのが嬉しい。テレビやラジオに出て話をする以上、これは当然のことだが、この当然のことをやつてゐる人が極めて稀《まれ》なのである。豊田さんはたしか茨城のはずだが、この人も正しい標準語をしやべる。その点では神戸生れの別所さんも同じで、上方言葉を決して使はないのは立派である。  と言へば、おそらく、一体どうしてテレビやラジオで方言を使つてしやべつてはいけないのかといふ反問が出るに相違ない。近頃は方言といふやつがむやみに評判がいいし、また、標準語といふやつが変に旗色が悪いのである。かういふ傾向は、わたしの見たところ、木下順二さんの『夕鶴』の大当りのころから生じた。あの民話劇の名作に力を得て、進歩的な人々が大勢わいわいと騒ぎ立て、そもそも標準語といふのは明治藩閥政府がでつちあげ、人民に押しつけたものだから、これに対して果敢に抵抗することはとりも直さず明治藩閥政府の流れをくむ自民党政権に対し一矢をむくいることになる、なんて、勇ましい論法さへ生じたのだ。  これはまるで、大風が吹けば桶屋《おけや》が儲かるといふ例の変痴気《へんちき》論の、逆のやうなものである。藩といふものが消滅して、よかれあしかれ近代的国家が生れた以上、国内のゆききは盛んになつて、維新前のやうに藩の言葉づかひだけでは差支《さしつか》へることになつた。これは、維新前でも同じことで、国許《くにもと》に残つてゐる侍ならともかく、江戸詰の侍は、例の「さやうしからば御免」とか、「——でござる」とかいふ共通の言葉を考へ出して、これでしやべることで意志を通じあつてゐたのだ。もちろんなかには、伝説中の西郷隆盛のやうに方言で押し通す奴もゐたらうが、ああいふのは例外にすぎなかつた。この手の侍言葉は、何のことはない幕府|瓦解《がかい》以前の標準語にほかならないわけだが、何分にも侍言葉といふ印象が非常に強いから、これをそのまま生かして、明治時代の普通の人間が使ふわけにはゆかない。そこで、東京は山の手の家庭の言葉にいろいろ細工を施して作りあげたなかば人工的な言葉がいはゆる標準語なわけで、もしこの発明がなかつたら、東北の人間は薩摩《さつま》の人間と、四国の人間は関東の人間と、つひに話しあふことが不可能になり、日本といふ国家はそもそも成立たなかつたらう。あれは、藩といふ単位を取払つた以上ぜつたい不可欠な、文明のための仕掛けであつた。  もちろん今日の標準語そのものに、あれこれと文句をつけることはできる。自然に出来あがつたものでないので味はひが乏しいし、出来てからまだあまり時代が経つてゐないので成熟してゐないことは、わたしもまた認めるしかない。しかし、だからと言つて、それではめいめい自分の生れ故郷の方言でしやべることにしようといふのは、どういふものかしら。そんなことをしたのでは、たいていの会議はできなくなつてしまふではないか。わたしとしては、完全なものではないことを知りながらも標準語を使つてゆくしかないし、またさうすることが標準語を育てることになると考へてゐるのだ。  それに、現在この問題を論ずる人は、標準語か方言かといふ二者択一の形でつかまへてゐるやうで、標準語が大事だと言へば、これはすなはち方言を全否定する立場と受取られてゐるらしい。しかし、わたしに言はせれば、信州なら信州の人が、信州の人に向つて、信州方言でしやべつたとて、何も咎《とが》めることはないのである。困るのは、たとへば信州の人が土佐の人に信州方言でしやべることだ。これでは話はちつとも通じない。かういふ場合は、信州の人も土佐の人も、お互ひが共通に知つてゐる言葉で話すしかないわけで、それがおほよそ首都の言葉に近いものになるのは当り前の話ではないか。まさか二人がこの機会に備へて、せつせと東北方言を勉強するなんてことはあり得ないのである。そして、信州の人間が首都の言葉に近いもの、つまり標準語を使つて話してゐるのに、土佐の人間がお構ひなしに土佐の言葉で押し通さうとすれば、これはやはり無礼なことである。  そして、方言といふものと訛《なま》りといふものとは、どうも区別されずに論じられてゐる傾向があるけれども、方言で押し通すのは無礼だが、訛りが残つてゐるのは別に礼儀に反するわけではない。それはただ、音声の面での言語的能力が低いといふことにすぎないのである。これを軽蔑《けいべつ》して笑ひものにするのは、たとへば顔がまづいのを面と向つて馬鹿にするやうなもので、立派な人間のすることではない。  だが、これは普通の人のことで、テレビやラジオに出演する、たとへば野球放送の解説者となると、当然、訛りが取れてゐることが要求される。これはもちろん、上方漫才とか大阪落語とか、うんと特殊な藝人の場合は除いての話なのだが、野球の解説だらうと、レコードとレコードのあひだの無駄話だらうと、それから芝居だらうと、国語教育の一翼をになふものなのだから、当り前の話である。しかし、この至つて常識的なことが世間ではよく判つてゐないやうで、たとへば鼻濁音ぬきの発音で翻訳劇を演ずる新劇役者とか、ヒとシを入れ違へてお公卿《くげ》さんの役を演ずる歌舞伎役者とか、いろんな連中がいつぱし玄人《くろうと》として通つてゐるのだ。  だが、ここでひるがへつて考へてみれば、実はかういふことこそ、標準語の未成熟のしるしにほかならないのである。標準語がきちんと確立してゐれば、それをまともに話せなければ役者として通用しない。つまり明治維新以後の日本は、せつかく標準語を決めながら、話言葉としてはそれを完全に定着することはできなかつたのだ。これは、標準語の文章がいちおう何とか定着してゐることと、あざやかな対照を形づくるだらう。もつともその標準語による文章にしても、今のやうな形で恰好がついたのは、文部省の力といふよりはむしろ文士たちの力で、口語体といふものが出来あがつたせいである。あれが文部省の役人任せにしてゐたら、口語文はとても、現在のやうな、たいていのことが表現できる力を持たなかつたことだらう。  つまり日本語の教育のうち、話言葉の教育は、ちつとも手がつけてないわけだが、これを演劇のほうに頼まうと考へるのは無分別な話である。近頃の新劇は方言が全盛で、翻訳劇以外の場合はたいてい、どこの方言なのか得体の知れない方言を標準語の音韻体系でしやべるといふ奇怪な仕組になつてゐるからだ。それに第一、劇場といふのは、今の日本では文明の中心に位置を占めてゐなくて、あまり強力な媒体ではないらしい。  その点では、文句なしにテレビが強い。しかし今のテレビで話されてゐる日本語、あれはいつたい何であるか。NHKニュースのアナウンサーと言ひ、NHKおよび民間放送のテレビ・ドラマの役者の日本語と言ひ、あれよりもつとひどい日本語を聞かうとしたら、ラジオのディスク・ジョッキーでも聞くしかないやうなものではないか。ニュースのアナウンナーと言ひ、テレビ・ドラマの役者と言ひ、早口で、ぺらぺらと、勿体《もつたい》ぶつてしやべるだけで、心がちつともこもつてゐない。あれでは地方の人が、標準語といふのは恐しく厭らしいもので、冷たくて馬鹿ばかしい無価値なものといふ具合に考へたとて、何の不思議もなからう。  だから、テレビを使ふ国語教育と言つても、ああいふ番組に頼つてゐては駄目なので、もつと普通の、ちやんとした日本語を話す知識人を連れて来て、日本語講座を設けるのがよからう。  ここで不思議なのは、NHKの教育テレビには、英語、フランス語、ドイツ語、中国語、スペイン語などと、外国語の講座はいろいろあるくせに、日本語の講座はつひにないといふことである。標準語がそれほど普及してゐるとでも思つてるのかしら。それとも、日本語教育なんか大したことではないと思つてるのかしら。わたしに言はせれば、馬鹿でかいホールを建ててパイプオルガンか何か買ふよりも、まづきちんとした標準語講座を開くことがNHKの使命なのである。  そこではたとへば、電話のかけ方を教へる。訪問の際の言葉づかひを教へる。食べもの屋へ行つたときの様子を寸劇に仕組む。かういふ調子で具体的に標準語を教へることこそ、現在の日本語教育の急務であつて、これで標準語を身につければ、地方出身の人も、都会に出ていつこう引け目を感じなくてすむにちがひない。日本語の標準語は教へてくれないで、フランス語や中国語は教へるなんて、どう考へてみても滑稽な話ではないか。そして、かういふ標準語講座が設けられれば、日本語を習ひたい外国人にとつてもすこぶる有益な話だらう。  ここで趣向を一つ。この番組にはときどき、きれいな日本語を話すゲストを招くのもいいだらう。たとへば、食べもの屋における日本語では荻昌弘さんといふやうに。本屋での日本語なら福永武彦さん。将棋をさしながらの日本語は、もちろん、山口瞳さん。そして、バーにおける日本語は田辺茂一さん。ただし田辺さんには、駄洒落をすこし控へ目にしてもらはなければなるまい。 [#改ページ] [#小見出し]    9 最初の文体[#「9 最初の文体」はゴシック体]  人生最初の文章は読んでもらふ文章である。これは誰の場合だつてさうだらう。つまり、たいていの場合、両親(殊に母親)に読んでもらふ絵本の文体が、最初の文体といふことになるはずだ。そして絵本といふのは、くりかへしくりかへし読んでもらふものだから、絵本の文体が人間の意識に与へる影響は恐しいくらゐだらう。  ところが普通の本屋で売つてゐる絵本の場合、絵のほうもひどいけれど、文章もまた負けず劣らず大変な代物《しろもの》である。たとへばさつき近所の本屋で買つてきた、『どうぶつえん』といふ絵本の書きだしはこんな調子になつてゐる。 [#ここから1字下げ] どうぶつえんは どうぶつの くに。 いろんな どうぶつが たくさん います。 「わあ |ライオン《らいおん》だ」 「うおーっ がおーっ うおーっ」 とうさんライオンが かおの まわりの ながい かみ ゆさゆさ ゆすって ほえました。 かあさんライオンは ぼうやの おもり。三とう そろって なかよく ころころ むくむく  ライオンのこは かわいいな。 [#ここで字下げ終わり]  最初の二つのセンテンスに「どうぶつ」といふ言葉が三回も出てくるのは、まあいいとしよう。ライオンの吠え声が奇怪で、そのくせあまり面白味がないのも勘弁するとしよう。しかし、「とうさんライオンが かおの まわりの ながい かみ ゆさゆさ ゆすって ほえました」といふ文章はひどいよね。無理やりに七五調にしようとしてゐたり、説明と描写とがまじつてすつきりしない言ひまはしになつてゐたり、変なところで不必要なオノマトピーア(擬態語)を入れて子供つぽくしようとしたり、とにかく、絵本の悪しき文体の見本のやうなものである。ライオンの仔《こ》を「三とう」と数えるのもをかしい。これではまるで大人のライオンみたいである。ライオンの仔はやはり「三びき」のほうがいいのぢやないかしら。そして「三とう そろって なかよく ころころ むくむく ライオンのこは かわいいな」に至つては、三匹の子供ライオンがあまりかはいらしく描けてないので(そのうち寝ころんでゐる一匹などは茶いろい雑巾《ぞうきん》のやうに見える)、困つたあげく、文章で、さあ、どうです、かはいいでせうと押売りしてゐるやうな文章である。  かういふ文章を何度も何度も読ませられる若い父や母に対しては、わたしはあまり同情しない。第一、こんな絵本を買つて来た、選択眼の欠如がいけないのだし(あるいは、文体に対する選択眼のない相手と結婚したことが悪いのだし)、それに、育児の忙しさや、子供が生れた喜びのせいで、悪文を朗読する苦しみはかなり軽減されることだらう。しかし、子供のほうはかはいさうである。人生の出発に当つてこんな駄文をくりかへし読んで聞かせられれば、これが文体だと思ひ込むのは当然だらう。それはちようど、まづいミルクで育てられれば、かういふ味がミルクだと思ひ込み、味覚がすつかり駄目になるやうなもので、文体感覚は決定的にをかしくなるのだ。幼いころこんな絵本をさんざん聞かせられたあげく、長じてのち、優れた文学作品に接してその感覚を是正することのなかつた人間が、結婚して子供が生れれば、かういふ絵本を子供にあてがふことになるのかもしれないし、いや、それよりもまづ、この手の絵本の文章を書く連中はきつと、この手の絵本で育つたのだらうね。  もつとも、日本の絵本だつてまんざら捨てたものではない。たとへば福音館の「こどものとも」絵本などは、全部が全部ではないけれど、なかにはじつにいい文体で書いてあるものもある。実を言ふと、わたしは先日、「絵本」といふ雑誌の八月号を読んでゐて、と言ふよりもむしろめくつてゐて、記憶のある絵が二つ(一つは黄褐色の地に黒い線の絵でこれは大きく、もう一つは黄緑色の地に黒い線でこれはその下に小さく)並んでゐるのに愕然《がくぜん》としたのだ。説明を見ると、瀬田貞二訳、井上洋介絵の『おだんごぱん』とあつて、福音館の月刊絵本「こどものとも」の一九六〇年二月号である。そしてこれは、うちの長男のためにわたしが選んでやつた絵本のうち、子供も、そしてわたしたちも、特に気に入つてゐた傑作であつた。これはたしか、韋編《いへん》三絶といふくらゐ読んでやつたため、新しくもう一冊、買ひ直したはずだ。あのころわたしは、子供に絵本を買つてやると、文章のあまりひどいところは直してから読んでやつてゐたのだが、この一冊だけは朱を入れる必要がまつたくなかつたのである。  黄緑色の絵(井上洋介の絵もまたすばらしい)の横には、文章が添へてあるから、拡大鏡で読みながら、引用してみる。 [#ここから1字下げ] こんどは、くまに あいました。 くまが、ぱんに いいました。 「おだんごさん、おだんごさん。 おまえを、ぱくっと たべてあげよう。」 「そりゃ、だめさ。たべようたって、できないよ。」 そういって、ぱんは うたを うたいだしました。 「ぼくは、てんかのおだんごぱん。 ぼくは、こなばこ ごしごし かいて、あつめて とって、それに クリーム たっぷりまぜて、バターで あげて、それから まどで、ひやされた。けれども ぼくは、おじいさんからも、おばあさんからも、うさぎさんからも、おおかみさんからも、にげだしたのさ。おまえなんかに つかまるかい。さよなら、くまさん。」  そして、ころころ ころがって、 [#ここで字下げ終わり]  どうです、いい文章でせう。力がこもつてゐて、言葉がいちいち生きてゐる。もたもたした余計な言葉はちつともないし、すつきりと歯切れがいい。お団子パンの歌ふ短い自叙伝が、委曲をつくしてゐるくせに頭によくはいり、じつに威勢がいいけれど、いかにもこの子供(?)の子供つぽさをうまい具合にとらへてゐるあたりを味はつて下さい。かういふ文体の快さは在来のいはゆる児童文学には滅多にないものだつた。  そのへんの事情を判つてもらふためには、同じ「絵本」八月号にそつくり再録されてゐる「こどものとも」創刊号の『ビップとちょうちょう』の文体とくらべてみるとよく判る。これは創刊号にふさはしく、児童文学の既成の大家の筆になるものだが、 [#ここから1字下げ]  さらさらさら かわが ながれて いきます。さらさらさら うたって いくのは、かわのなかの みずの ぼうやたちでした。どこから きたの。やまの ほうから。どこへ いくの。まちの ほうへ。さらさらさら。  かわっぷちの つくしの ぼうやたちも、いっしょに なって うたいます。  ビップぼうやが やって きます。 「ちょうちょーさん、みなかった?」 みずの ぼうやに たずねます。「ちょうちょーさんなら あっちです。さらさらさらさら あっちです。」 [#ここで字下げ終わり]  といふ調子の、別に悪口を言ふ必要はないけれど、しかしただ甘つたるいだけの文章なのである。この種の抒情《じよじよう》的、感傷的な子供向き文学をもうすこし粗雑にすれば、たちまち、さつきの『どうぶつえん』が出現するのぢやないかしら。両者は、自分の文体で書かうとしないで、頭のなかにある観念的な子供に合せていい加減に文章をでつちあげてゐる点で、まことによく似てゐるのだ。そこには緊張した文体がない。  いや、誤解しないでもらひたいが、わたしは何もあらゆる絵本の文章が名文でなければならぬと言つてゐるのではない。もちろん名文であるに越したことはないけれど、さういふ結構なものは世間にさうたくさんあるはずはない。「絵本」八月号には「こどものとも」の今まで二百号の全目録が載つてゐて、それを丁寧に読んでみると、記憶のあるものもかなりあるけれど、ぼくが唸《うな》つたのは『おだんごぱん』一冊だけであつたことからも、そのへんのことは判ると思ふ。  しかし、名文でなくてもいいが、文章が生きてゐる必要はある。死んでゐる文章、どんよりした、影の薄い文章では困るのだ。わたしに言はせれば、文体論でいちばん大事なのはこのことなのである。もちろん、生きてゐる文章といふものこそ、何のことはない、名文なのだといふ考へ方も成立するわけだけれど。そしてわたしは、子供に与へる文章といふのはぜつたい、上手下手はともかくとして、生きのいい、生気にみちた、文章でなければならないと思つてゐる。それは子供に、人間の精神と文体との関係を教へるのである。  このへんのことは、判る人には簡単に判つてもらへるが、判らない人にはいつまでも決して判つてもらへないだらう。そのことは観念してゐる。といふのは、世に横行する翻訳論に、文体が生きてゐなければならないといふ主張が絶えて見られないからだ。いはゆる翻訳論でいつも言はれるのは、誤訳のある翻訳は困るといふ、ただそのことばかりなのである。しかしわたしは、誤訳なんかすこしくらゐあつたつてかまはないと思ふ。  もちろん、誤訳はないほうがいい。それは、誤植がないほうがいいと同じくらゐいい。しかし、わたしもちよつとばかり翻訳をしたことがあるけれど、そしてわたしの語学力は至つて貧弱で、これでは誤訳が生じるのは当り前だけれど、そのことを棚にあげて言ふならば、長篇小説一冊を訳して誤訳が一つもない翻訳がもしあつたらお目にかかりたいね。森鴎外だらうが、二葉亭四迷だらうが、きつとやるにちがひないと思ふ。あれだけの長丁場を、間違ひ一つやらないで通り抜けるなんて、そんな大変な藝当がどうしてできるものか。この、誤訳なしでゆくことが不可能だといふことを證明する例としては、いつぞや、なにがしといふ外国人の神父が、誤訳指摘の本を書いて大当りを取つたけれど、そのなかで摘発されてゐる「誤訳」のなかには、英語ものに関する限り、いつこう誤訳ではない代物がかなりあつたといふ事実をあげればいいかもしれない。つまりなにがしといふ神父は正訳を誤訳とみなし、しかも世人は、この神父さんはヨーロッパ人だから、日本人である翻訳者よりはヨーロッパの言葉がよく出来るに決つてゐると思つたのだ。考へてもごらん、日本人だからと言つて、たとへば樋口一葉を一字一句、正しく読めるものか。  大事なのは、たとへばその樋口一葉の文体の呼吸を正しく伝へることである。あるいは、一葉の写しでなくてもいいから、一葉の小説を翻訳したものが、英語なら英語、フランス語ならフランス語として、生きてゐる文章になつてゐることである。誤訳は一ケ所もないが、しかし文体はでれりと淀《よど》んで死んでゐるものと、誤訳はいくらかあるけれど文章は生きがいいものとをくらべるならば、どちらがいいかは至つて明白だらう。  そして大事なのは、かういふ事情は、何も小説や詩や戯曲に限つたことではないといふことである。評論でも、学術論文でも、話は変らないし、それに第一、文章が生きてゐれば、誤訳はおのづからすくなくならざるを得ないのだ。精神のリズムの正しさによつて、文義のあやまちが正されるのである。  絵本の話から、つい脱線したやうに見えるかもしれない。しかし、ここで居直つて言ふならば、『おだんごぱん』は翻訳である。あれは瀬田貞二の名訳であつた。 [#改ページ] [#小見出し]    10 タブーと言霊《ことだま》[#「10 タブーと言霊《ことだま》」はゴシック体]  例のペルリ来航の折、水夫として日本に来た、ゴーブルといふアメリカ人がゐた。この人はのちに、バプチスト派の牧師として日本で活躍し、最初の和訳聖書を刊行したので有名だが、宣教を日本風俗と一致させようといふのが彼の基本方針であつた。三味線を教会音楽に使はうとして苦心したり、ほかの日本人信徒はみな英語で "Oh! our Lord in Heaven!" と祈つてゐるのに、大声で「おう、わたしの旦那さん!」とやつたりする、とにかく自分の主義主張に熱心な人だつたらしい。それくらゐだから、彼が明治四年に出したマタイ伝は全部平仮名だつたといふ。  このゴーブルの場合は極端な例だが、聖書協会訳の明治訳の際、外人宣教師はみな、和訳聖書の文体は通俗平明でなければならぬと言ひ張り、翻訳に協力する日本人を困らせたらしい。聖書である以上、意味さへ通ればそれでいいといふものではなく、格調の高さが必要だといふのが日本人側の判断だつた。もちろんこの考へ方は正しいけれど、何しろ当時は、漢文以外はみな俗で低級だと思はれてゐたから、両者のあひだで折合ひをつけるのは大変だつた。解決策としては、おほよそ、貝原益軒の文体を模範とし、中国語訳の漢語をかなり取入れて、それに振仮名をつけるといふ、足して二で割るやうな話になつた。かうして出来あがつたのが、たとへば、 [#ここから1字下げ]  こゝにおいて方伯の兵卒《つはもの》耶蘇を公庁《こうてう》にひきつれて組中《くみぢう》をかれによびよせ、その衣《ころも》をはぎてむらさきのうは着をきせ、棘《いばら》のかむりものをあみてその首《かうべ》にかむらしめ、また葦《よし》を右の手にもたせ、且そのまへにひざまづき嘲弄していひけるは、ユダヤ人《びと》の王やすかれよ。 [#ここで字下げ終わり]  といふ調子の訳文だつたが、この聖書は平仮名が多すぎるといふので評判が悪く、ただちに改訳されることになつた。 [#ここから1字下げ]  方伯《つかさ》の兵卒イエスを携《たづさ》へ公庁《やくしよ》に至り、全党《くみぢゆう》を其もとに集め、彼《かれ》の衣を褫《はぎ》て絳色《あかいろ》の袍《うはぎ》を着せ、棘《いばら》にて冕《かんむり》を編《あみ》その首《かうべ》に冠《かむら》しめ、又|葦《よし》を右手《みぎのて》に持せ、且その前に跪《ひざま》づき嘲弄《てうろう》して曰けるは、ユダヤ人《びと》の王安かれ。 [#ここで字下げ終わり]  この振仮名の具合を見てゐると、ついこのあひだまで、病院の掲示に「投薬《くすりをもらふ》」などと書いてあつたのに似てゐるし、さらには馬琴の読本のなかの、 [#ここから1字下げ]  ……君命重《くんめいおも》く、弥高《いやたか》き、彼楼閣《かのろうかく》は三層《さんぢゆう》なり。その二層《にぢゆう》なる檐《のき》の上《うへ》まで、身《み》を霞《かすま》せて登《のぼ》りて見れば、足下遠《あしもととほ》く、雲近《くもちか》く、照《て》る日烈《ひはげ》しく堪《たへ》がたき、|※[#「山/亠/日」、unicode5cd5]《ころ》は六月《みなつき》廿一日、きのふもけふも乾蒸《からむし》の、|※[#「啗のつくり+炎」、unicode71c4]熱《ほてり》をわたる敷瓦《しきかはら》は、凹凸隙《うねりひま》なく、波濤《なみ》に似《に》て下《した》には大河滔々《だいかたうたう》たる、こゝ生死《いきしに》の海《うみ》に朝《い》る、溯《ながれ》は名《な》に負《お》ふ坂東太郎《ばんどうたらう》。水際《みぎは》の小舟楫《をぶねかぢ》を絶《たえ》て、進退既《しんたいすで》に谷《きはま》りし、敵《てき》にしあればいかでわれ、繋留《つなぎとめ》ん、と|※[#「鼠+吾」、unicode9f2f]《むさゝび》の、樹伝《こつた》ふ如《ごと》くさら/\と、登果《のぼりはて》たる三層《さんぢゆう》の、屋背《やね》には目柴翳《まぶしさす》よしもなく、迭《かたみ》に透《すき》を窺《うかゞ》ひつゝ、疾視《にらまへ》あふて立《たつ》たる形勢《ありさま》、浮図《ふと》の上《うへ》なる鸛《かう》の巣《す》を、巨蛇《おろち》の|※[#「穴/鬼」]《ねら》ふに似《に》たりけり。 [#ここで字下げ終わり]  などといふ調子を思ひ出す。あれは意味を通じさせてしかも威厳を示したいといふ、苦心の発明だつたわけである。  ところが、明治初年にこの第二期の和訳聖書が出来て約三十年たつと、この文体が奇怪なものに感じられてきた。そこで、明治四十二年には改訳事業がはじめられ、大正六年に完成する。同じ箇所をあげれば、 [#ここから1字下げ]  こゝに総督の兵卒どもイエスを官邸につれゆき、全隊を御許《みもと》に集め、その衣をはぎて緋色の上衣をきせ、茨《いばら》の冠冕《かんむり》を編みてその首に冠らせ、葦を右の手にもたせ、且その前に跪き嘲弄して言ふ、『ユダヤ人の王安かれ』。 [#ここで字下げ終わり]  興味ふかいのは、この大正六年(つまり一九一七年)の約三十年後に、例の悪名高い口語訳聖書が出来あがつてゐることである。実を言へばあんなひどい文体を写したくはないけれど、読者としてはやはり同じ箇所を見たいだらう。仕方がない、引用することにしよう。 [#ここから1字下げ]  それから総督の兵士たちは、イエスを官邸に連れて行って、全部隊をイエスのまわりに集めた。そしてその上着をぬがせて、赤い外套を着せ、また、いばらで冠を編んでその頭にかぶらせ、右の手には葦の棒を持たせ、それからその前にひざまずき、嘲弄して、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。 [#ここで字下げ終わり]  この例を見ても、近代日本では三、四十年たてば翻訳が普通の読者に馴染《なじ》みにくいものになるといふことがよく判るが、聖書でもかうなのだから、文藝書の翻訳などはもつと命が短くて、次次に新訳が出ることになる。森鴎外訳の『ファウスト』が出たのは大正二年(一九一三年)で、これがそののち阿部次郎訳その他、いろいろ新訳は出たもののずいぶん寿命が長く、昭和四十五年に手塚富雄訳のものに取つて代られるまで広く読まれてゐたのは、稀有《けう》の例外と言ふしかない。そしてついでに記しておけば、米川正夫が、どんな翻訳の場合でもかならず、版が改まるたびに訳に手を入れたといふのは、もちろん一つには誤訳やこなれない訳を直す必要からであらうが、さらに、かうしなければたちまち訳文が古びてしまふのをよく知つてゐたせいであらう。かういふ熱心さがあればこそ、あれだけ長いあひだロシアものの翻訳の大将株でゐられたのである。そして、翻訳といふのは若い者が好んで読むものだから、読者である青年子女は、ほんのすこしでも古めかしい文体に我慢がならず、そのため、翻訳者はせつせと旧訳に手を入れることが要求されるのだらう。  その点、たとへばバーネットの英訳したロシア小説や、アーチャー訳のイプセンの寿命の長さなどから考へると(あれも最近はとうとうペンギン版その他の翻訳に取つて代られる形勢だが)、イギリスの言葉の移り変りはわが国とくらべて遙《はる》かにゆるやかなやうな気がする。万事につけて保守的な国柄だから、これは当然のことだらう。つまり日本語が、文体も語彙《ごい》もこれだけあわただしく変るのは、一つには、日本が忙しい国だからなのだ。言つてみればこれだつて近代化の必然で、生活の変化の激しさにつれて意識が改まり、それに応じて言葉が変るしかなかつたわけである。すなはち、われわれは言葉を捨てつづけてきたからこそ、よかれあしかれ、今日かうして生きてゐられるのかもしれない。おびただしい廃語は、まるで蛇のぬけがらのやうなものだつたと見ることも可能なのである。  ここで思ひ出すのは永井荷風のことで、彼はいはゆる新語をむやみやたらに嫌つて、殊に日記『断腸亭日乗』では、江戸期、明治期の言葉をわざわざ使ひ、独特の効果をあげてゐる。あれは達人の藝だから、ただただ感嘆するしかないし、まして咎《とが》め立てなど決してできないのだが、しかし世間一般があの調子で昔の言葉を使つてゐたのでは、社会の運行が止つてしまふこともまた明らかだらう。  と、新語の必要をいちおう認めた上で、話はここから本論にはいる。実を言ふと、かねがねわたしは、日本語がこんなに急速に改まるのは、実用主義のはやる現代日本には古典主義的な傾向がすこぶる乏しいからだと考へてきた。そのことは必ずしも間違つてゐるとは思はない。さういふ局面はたしかにあると依然として考へてゐる。しかし、先日わたしは鈴木孝夫氏の『ことばと文化』といふ新書本を読み、文体はともかく語彙について言へば、もうすこし別の要素もこの問題にからんでゐるのではないかと考へ直した。  鈴木氏は、日本語の人称代名詞に自分や相手を直接に指し示す言葉がないこと、いつも間接的なまはりくどい表現を使ふこと、そして歴史的に見れば目まぐるしく交替してきたこと、などから、タブー的な性格が強いと述べてゐる。わたしは何しろ言語社会学に関してはまつたくの素人《しろうと》だから、素人の独断で言ふしかないのだが、人称代名詞の問題に限らず、日本人は言語に関してタブー意識がとりわけ強いのではなからうか。そのせいで、古い言葉のなかで嫌はれるものが多く、つまり、廃語が多くなり、新語がふえるのではなからうか。よく言はれる、「按摩」が「マッサージ」になり、「女給」が「ホステス」になり、「家政婦」が「ホーム・ヘルパー」になり、「角力《すまう》とり」が「力士」になり、「将棋さし」が「棋士」になり、「文士」が「作家」になり……といふ類の場合にも、かういふ心理が微妙に響いてゐると思はれるのである。かういふ古代心理的なものを想定しない限り、つまり、ただわれわれの近代日本がせつかちで埃《ほこり》つぽくてあわただしいといふだけでは、「女事務員」が「オフィス・ガール」になり、「オフィス・ガール」が「BG」になり、「BG」が「OL」になり、「OL」が……これはまだ「OL」といふ厭《いや》な言葉のままだけれどもそのうちきつと何かになるにちがひない、といふ変転常なき歴史は、つひに理解できないであらう。  それに、言語のタブー性などと言ふから耳新しい感じで、どうもぴんと来ないかもしれないけれど、これを忌言葉《いみことば》と言へば、誰だつてある程度は判つたやうな気持になるに相違ない。「梨」を「ありの実」、「猿」を「えて」と呼ぶ類である。わが日本国は古来、言霊《ことだま》のさきはふ国で、このことが高級なほうに出て来れば、言語の精妙な働きがみんなに信じられてゐて、詩歌俳諧の栄える国といふことになるわけだが、それが低級……と言ふよりもむしろ基本的・日常的な方向において作用するとき、変な具合に言葉にこだはることになりがちなのだ。何しろ、ものごとそれ自体にこだはることは等閑に付して、むしろ言葉のほうにせい一杯こだはらうといふのだから、あれはかなり、古代的、呪術《じゆじゆつ》的な心理のやうな気がする。  さう言へば、「後進国」が「低開発国」になり、次いで「開発途上国」になつたといふ事件があつて、さういふ国々の国民の心根はいかにも哀れ深いけれど、かういふ言ひかへ遊びはどう見ても滑稽だつたが、ああいふ言ひかへを躍起になつて主張したアジア・アフリカの国々においても、言霊あるいは言語のタブー主義はさきはつてゐるのであらう。これは半分は冗談として言ふのだが(つまり、半分は眞面目で言ふのだが)、ひよつとすると東南アジアやアフリカの国々では、日本同様、いろいろの商売の名はくるくる変つてゐるのではなからうか。  そして、実体よりも体面に重きを置く、かういふ態度は、言葉にとつても社会条件にとつても、あまり好結果をもたらさないのではないかとわたしは憂へてゐる。それは第一、実体そのものを変革しようといふ熱意を失はせ、言葉さへいぢつてゐればそれで変革ができあがつたやうな錯覚を生じさせるであらう。たとへば国鉄は、「一等車」「二等車」といふ別を廃して、普通の何といふ特別の名もない車輛と、それからもう一つ「グリーン車」なるものをこしらへ、これをもつて平等といふことに熱意を示してゐると見せかけようとした。「グリーン車」といふ片仮名まじりの言葉づかひの下等で低級で醜悪なことはもちろん厭《いと》ふべきだが、それにもまして厭らしいのは、金のかからない言葉いぢりだけで、いつぱし何かをしたやうな顔をしてゐる精神である。これなら昔の「一等車」「二等車」のほうがずつといいではないか。「一等車」を「グリーン車」などと言ひ直して、民主主義に添つたと思つてゐるのは、「後進国」を「開発途上国」に言ひ直させて、しかし実体は相変らず元のままでゐるのとよく似てゐる、とわたしは感じるのである。 [#改ページ] [#小見出し]    11 字体の問題[#「11 字体の問題」はゴシック体]  藤堂明保氏の『漢語と日本語』はなかなかの好著である。われわれがしよつちゆう使つてゐる漢字といふものについて、これほど広い、これほどしつかりした見通しで書かれた本はほかにないやうな気がする。もつとも、実を言ふと、わたしは国語政策については藤堂氏と意見を異にするところが極めて多い。たとへば、 [#ここから1字下げ]  現場の実状から考えて、音訓を整理することが漢字教育のための大切なポイントであることがおわかりになろう。音訓整理には、「一字、一音、一訓」を原則とすべきことは、すでに識者によって指摘されている。  たとえば、「小」の音はショウ、訓は小(チイ)さい。その他はすべて「こ山」「お川」のようにカナで書く。 [#ここで字下げ終わり]  などと提案されると、おや、識者といふのはずいぶん無分別なものだな、一つの国語の重大問題が小学生の都合(それがすなはち「現場」である)で決められてたまるものか、第一「お川」ぢやあ「オガワ」ではなく「オカワ」としか読めないぢやないか、などと反論したくなる。以下、かういふ例はいくつもあるのだが、まあそれはともかく、この本には著者の鬱然たる学殖のもちろん一端が、たいそう判りやすい形で示されてゐて、われわれ無学な者には非常にありがたいのだ。  たとへば、動物の名は馬 ma[#aはピンインのv付き] をはじめとして漢語系のものが多いのに、魚の名となると漢語系のものはほとんどない(ただし「乞魚《コツヲ》」と「鮒《フナ》」は漢語系かもしれぬ。乞魚は「コツ+ヲ」、鮒は「フ+ナ」かもしれない)といふ指摘など、なかなかおもしろいではないか。つまり日本人はそれほど、昔から魚と縁が深いのである、と藤堂氏は説明したあとで、ちよいと脱線して、中国人である友人の話をしてくれる。「私の友人のある中国人は、日本に来て、魚屋の店頭で『初めてイカやタコの現物を見て驚いた』と語っている。」なるほど。また、コンブを「昆布」と書くのはまつたくの当て字で、中国人が昆布といふ海藻の名を知つてゐるわけではなく、これはアイヌ語 kompo からの借用であるなどといふ雑学も楽しい。  その『漢語と日本語』のなかで、藤堂氏は今の漢字教育における字体偏重を非難してゐる。当用漢字の字体は、文部省があくまでも一応の見本として示したものなのに、今の小学校教師はそれに窮屈にこだはつてゐてよろしくないといふのである。  昭和二十四年四月の「当用漢字字体表・使用上の注意事項」には、「これを筆写(かい書)の標準とするさいには、点画の長短・方向・曲直・つけるかはなすか、とめるかはねる又ははらう等について、必ずしも拘束しないものがある」としてゐた。具体的に言へば、たとへば「言」の字の上の部分は[#底本では短い「」]でも短い横棒でもよく、「木」の字の下は、はねても止めてもよかつたのである。古い教科書活字では、「言」の上部は[#底本では短い「」]であり、「木」の下ははねてゐた。ところが、新しい教科書の活字の母型を書く書家はこれを踏襲しなかつたし、教員たちは書家の好みないし書き癖による教科書活字の新字体に杓子《しやくし》定規にとらはれて、「木」の下をはねたら×といふやうな教育をおこなつたのだ。この調子であらゆる木ヘンの字が×にされたら大変なことになるよね。  この件で思ひ出す話がある。作家の古山高麗雄さんに聞いた話だけれど、古山さんは以前、教科書会社に勤めてゐたとき、地方へ講習会の講師になつて出かけ、国語科の講習会で講演すると、出席してゐる教員がいちばん熱心に質問するのは、どの字の下ははねるのか止めるのか、どの字の横棒の眞中を長くしては間違ひか、といつた調子のことだつたさうである。さういふ種類のことに気を取られる必要はまつたくない、「大事なのは、『木』と『本』との違ひ、『心』と『必』との違ひといふやうなことなんです」と答へたといふが、果して判つてもらへたかどうか。  かういふことになるのは、そもそも文部省の国語改革がいけないからである。あの気ちがひ沙汰のせいで、話がすつかりをかしくなつたのだ。  言葉と文字とは、本来、文明の伝統に属してゐる。だから歴史の厚みを存分に受けとめたかたちで、自在に伸びちぢみしながら、今日の実用に役立つことができるのである。ところが一片の法令で漢字と仮名づかひがたちどころに改変されるのを見れば、教員も父兄もすつかり自信を失ひ、言葉と文字の約束事を文明の伝統そのものに訊《たず》ねることができなくなつてしまつたとしても、あながち咎めるわけにはゆかないだらう。すくなくとも、ちよつと同情できるふしはあるだらう。が、困るのは、彼らがこのとき一切の規範としてよりすがつたのは、たかが一書工の書いた字体だつたといふことである。  これが昔ならば、教科書活字の字体で、下のところがはねてゐようと、止めてゐようと、横棒が縦棒にくつついてゐようと、離れてゐようと、そんなことはどつちでもいいのだ、と教員が子供に平気で教へることができた。いや、父親だつて母親だつて教へることができた。自分たちがそれで今まですませてきたからである。ところが、今度お上で新式の規則を作り、日本語の仕組が万事あらたまつたとなると、これはやはり戦々|兢々《きようきよう》たらざるを得ない。教科書と首つぴきで、「言」といふ字の上のところは短いチョンではいけない、短い横棒にしなくてはならないと考へ込んでしまふのである。つまり国語改革のもたらした劃一主義、官僚主義は、小心翼々たる自己規制によるものだつたと言はなければならない。  それにまた、かういふことも考へられる。戦前のやうに、文字と言葉の規範が文明そのものにあつた時代には、その規範が、確実には存在しながらしかも極めてゆるやかであつて(もしさうでなければ種々の差支へを生ずる)、いろいろの自由が認められてゐた。漢字の字体にしても、いろいろの字体がいづれも正しいといふ、いはば複数的な正しさが認められてゐた。クサカンムリは、十を二つ並べて書いてもよかつたし、チョンチョンと打つて、その下に一を引いてもよかつた。さらには、漢字で書けば「頬」といふことになる言葉は「ほほ」と書いて、これを「ホホ」と読んでも「ホオ」と読んでも、どちらも正しいといふことになつてゐた(これを近頃はどうやら「ホオ」でなければならないとしてゐるらしい)。こんな窮屈なことになつたのは、日本語が官僚統制の対象となつたせいにほかならない。つまり、眞実はたつた一通りしかないことになつたのである。しかし言葉とか文字とかいふ複雑なものの場合(殊に日本語のやうに、長くてこみ入つた歴史を背景として持つものの場合)、さうゆかないことがしよつちゆうあるのは当然だらう。  言語の問題については、この複数的な正しさといふことはずいぶん重要で、これをいちいち、鉄幹《てつかん》是なれば子規《しき》非なり、子規是なれば鉄幹非なりといふ具合に、二者択一で臨んだのでは話がをかしくなる。ああいふ種類の極端な状況ではない場合が意外に多いのである。アクセントの置き方などには、むしろ非常に多いのではないかしら。たとへば「美人」にしても「|ビ《ヽ》ジン」と「ビ|ジ《ヽ》ン」のどちらでもいいのかもしれない。さう言へば、英語の標準的な発音辞典であるジョーンズの辞書に、いくつもの発音が書いてある語彙があることを思ひ出す。たとへば Europe といふ言葉には※[#発音記号4種(fig1.jpg)]と四通りも正しい発音があるのだ。もつと変化が極端な、そして数が多い語彙もあるにちがひない。数多くの人間が長いあひだ、そしてほうぼうで使つてゐれば、むしろかうなるのは当然のことで、それを無理やり統一しようなどとは、言霊のさきはふ国の文部省の役人ならばいざ知らず、ジョーンズほどの学者になると、夢にも考へなかつた。  字体のことに話を戻す。考へてみれば、教科書活字といふのはまことに変なもので、あれは西洋風に活字体と筆記体とを分けて言へば、そのどちらでもない、いはば足して二で割るやうな代物である。従つて、書工でもイラストレイターでもない普通人ではとても書けないやうな具合になつてゐるのに、筆写体の模範にされてゐて、しかもこのことを誰も疑はない。けれども、もし日本で字の書き方をしつかり教へようといふのなら、活字に近づけようと精いつぱい努力してゐる、いはゆる教科書活字ではなくて、普通の習字の手本を模範とするしかないやうな気がするのだ。大体、人間が活字のやうに字を書かうとしてあれこれ骨を折るのは馬鹿げた話だし、それに、活字がなまじつか、筆写体らしく見せかけようとするのも奇怪で非能率的なことだらう。  と、ここまで書いて来て、ぜひ一つ言つておかなければならないことに気がついた。これはかねがね考へてゐることなのだが、当用漢字の字体には、どう見ても醜悪な、気色の悪くなるものがかなりあるといふことである。あれは何しろ大急ぎででつちあげた字体で、たとへば「国」といふ字など、はじめは四角のなかに王の字を入れるはずだつたのに、それでは民主主義の時代にふさはしくないといふ横槍がはいつたため、発表の寸前に、その王の字に点を一つ打つてごまかすことにしたのださうな。大本《おほもと》のところがこんな調子だから、他は推して知るべしで、縦横のバランスにしても、大きさの度合にしても、点の打ち方にしても、洗練からは程遠い。(中国の新字体がやはり「国」なのは、日本の新漢字の影響だらうか。)  最も極端なのは、これはわたしの好みのせいかもしれないが、「尽」といふ字である。尺の下にチョンチョンがある、この二つの関係が不安定で、とても我慢できない。あれなら昔のままの「盡」といふ字のほうがずつといいのぢやなからうか。あれなら、尺が今にもずり落ちさうな、危険な感じがなくてすむからである。これは冗談ではないので、わたしはいつも、あのガタピシしてゐる「尽」の字を見るたびに、来るべき大地震の場合にはどうすれば生きのびられるかといふことを一瞬ちらりと考へるのだ。  地震とはまつたく無縁な一文字が与へる、かういふ恐怖の情をなからしめるためには、本当はこの新字体を廃止するのがいちばんいいが、どうしてもそれが無理なら、活字の母型を書く書工にあれこれと工夫してもらふしかない。彼の工夫で及ばないのなら、専門の書家が造型的に趣向を凝らして、どうすればチョンチョンの上で尺がしつかりと落ちついてゐられるかの模範を示すしかない(さう言へば「昼」の字も落ちつきが悪いね)。一体、書家といふ藝術家たちは、展覧会などには正字ばかり書いて出品してゐるやうだし、その気持も判らぬでもないけれど、ときには当用漢字などといふ俗なものとまじはる形で文明に貢献するのも有意義なことではなからうか。  もつとも、かういふ形勢は漢字の本場の中国でも変らないやうで、中国の略字体を見ると、王羲之《おうぎし》や顔眞卿《がんしんけい》の子孫がこんなみつともない字体でよくも新聞雑誌を読めるものだと不思議な気持になる。ここで例をあげたつて、活字はないわけだから具体的には言はないけれど、とにかく本朝の新字体とどつこいどつこいなのである。当世の唐土においても、書家はもつぱら正字を書くだけで、実用の新字体に優雅と洗練とをもたらすことには関心がないのであらう。 [#改ページ] [#小見出し]    12 日本語への関心[#「12 日本語への関心」はゴシック体] 『時計じかけのオレンジ』といふ長篇小説で有名なアントニー・バージェスはたいへん多作な作家で、毎年、二つも三つも長篇小説を書いたり(これは日本ではともかく、イギリスでは異例のことである)、そのほかにも文学史や評論集や長篇評論を出したり、とにかくよく本を作る人だが、彼に一冊、『ランゲッジ・メイド・プレイン』(判り易い言語学、とでも訳せばいいかしら)といふ言語論の本がある。バージェスはもともとジョイスの流れを汲《く》む作家で、言葉が大好きなたちだし、それに外国語がむやみによく出来る人なので、かういふ本をものするには持つて来いの文学者なのだ。  この『ランゲッジ・メイド・プレイン』のはじめのほうに、バージェスのよく知つてゐる家族が、言葉の問題のせいで十五年の長きにわたつて不和になつてゐるといふ話があつた。家族のなかのある派は、二シリング六ペンス(これはまあ百五十円ぐらゐに相当する金額の硬貨と思へばよからう)は「トゥー・アンド・スィックス・ペンス」と呼ぶべきだと主張し、もう一派は「ハーフ・ア・クラウン」が正しいと言ひ張り、喧嘩《けんか》がつづいてゐるといふ恐しい話なのだ。が、いちばん恐しいのは、そんなことはどつちでもいいぢやないかと言つた一人の男が、双方からひどくとつちめられて、口をきいてもらへなくなつたといふ点であつた。  これはどう見ても、いささかゆきすぎのやうな気がするけれど、人間の社会生活には言葉は不可欠であり、文明がある程度発達すれば、当然、言葉に対する趣味が生ずる以上、言葉づかひその他についての対立が起るのは必然的なことである。とすれば、この三十年間のわが国のやうに国語問題で国内が二派に分れて争つてゐるのは、われわれの文明がいかに高度なものであるかをよく示してゐる、と自慢していいかもしれない。わたしの経験でも、これはかなり深刻な性格のもので、西洋のパーティの心得としてよく言はれる、政治と宗教の話は慎めといふことのほかに、今の日本ではもう一つ、国語問題を論じるのも遠慮するほうがいいやうな塩梅《あんばい》なのだ。そして考へやうによつては、食卓で取上げてはいけない話題が数多いほうが、その社会の文化程度は高い、とも言ひ得るのである。  それゆゑ、とつづけると話はいささかをかしくなつて、まるでわれわれの社会の高級さを示すために無理やり国語論をやり、そのときに無理やり相手と衝突することをすすめるみたいな話になるけれども、とにかくわれわれは国語問題に大いに関心を持つて、それについて大いに論じることが望ましい。その結果、新仮名と旧仮名のことで対立して離婚する夫婦が出るやうになれば、これは大したものである。あるいは、漢字制限是か非かで対立して、婚約解消なんて例が生じるやうになれば、邦家のためまことに喜ばしい。もつともかういふ場合は、折角の論争が色じかけで解決されるおそれ、なしとしないけれど。  などと甲論|乙駁《おつばく》をそそのかすのは、われわれはたしかに国語問題について関心はいだいてゐるけれども、そしてごくまれにその関心を表明するけれども、おほむねの場合、それは線香花火みたいに終つてしまふ傾向があるからだ。これは一体に日本人のよくない癖だが、国語問題についてはそれがいつそうはなはだしい。おそらく、日本語のことは結局、文部省に、つまり政府に任せてあるといふ気持が大きいのではなからうか。しかし文部省の役人たちがその日本語についてどのやうに浅薄なことしか考へてゐないかといふことは、国語改革を見ても判る。あるいは、現在の国語教科書を一ページ見ただけで判る。念のため言つておけば、文部省の悪口を言ふからと言つて、わたしは日教組の肩を持つわけではなくて、あれも文部省とまつたく同じくらゐ、あるいはそれに輪をかけたくらゐ下らないことを日本語問題について考へてゐるやうだ。そしてついでにもうすこし悪口雑言をつづけるならば、駄目なのは何も小学校・中学校の教員だけではなくて、もつと上の学校の国語の教員もまた、おほむねじつに手のつけやうのない、低俗な国語観を持つてゐるやうだ。わたしには、日本中の日本古典文学の学者たちが文部省の国語政策に反対してのストライキをなぜぶたないのか、不思議で仕方がないよ。文部省の命令一つで仮名づかひや漢字の使ひ方をすつかり改められ、それで平気でゐる連中が、自分たちの書いたものをせつせと研究してゐるなんて聞いたら、紫式部や清少納言や和泉《いづみ》式部や式子《しよくし》内親王は一体どう思ふかしら。  八つ当りはこのへんで打切つて元の論旨に戻れば、とにかくわれわれ日本人は日本語を国家に任せてのほほんとしてゐる現状を反省しなければならない。めいめいの生活の基本的な道具である国語を、めいめいの手で洗練させなければならない。あれはやはり、専門家なんてゐない問題なので、つまり日本人ひとりひとりがもつと熱心に考へ、その全体の意見をまとめる形で、表記その他の取り決めがなされなければならないのである。  いはゆる専門家が信用できないことを手つ取り早く示す例としては、志賀直哉の国語論がある。昭和二十一年四月号の「改造」(といふ雑誌が昔あつた)に短い文章を寄せて、途方もない暴論を述べてゐるのだ。ちよつと引用してみようか。 [#ここから1字下げ]  吾々は子供から今の国語に慣らされ、それ程に感じてはゐないが、日本の国語程、不完全で不便なものはないと思ふ。その結果、如何《いか》に文化の進展が阻害されてゐたかを考へると、これは是非とも此《この》機会に解決しなければならぬ大きな問題である。此事なくしては将来の日本が本統の文化国になれる希望はないと云つても誇張ではない。  日本の国語が如何に不完全であり、不便であるかをここで具体的に例證する事は煩はし過ぎて私には出来ないが、四十年近い自身の文筆生活で、この事は常に痛感して来た。  それなら、どうしたらいいか。(中略)  私は六十年前、森有礼が英語を国語に採用しようとした事を此戦争中、度々想起した。若《も》しそれが実現してゐたら、どうであつたらうと考へた。日本の文化が今よりも遙かに進んでゐたであらう事は想像できる。(中略)  そこで私は此際、日本は思ひ切つて世界中で一番いい言語、一番美しい言語をとつて、その儘《まま》、国語に採用してはどうかと考へてゐる。それにはフランス語が最もいいのではないかと思ふ。(中略)  外国語に不案内な私はフランス語採用を自信を以《も》つていふ程、具体的に分つてゐるわけではないが、フランス語を想つたのは、フランスは文化の進んだ国であり、小説を読んで見ても何か日本人と通ずるものがあると思はれるし、フランスの詩には和歌俳句等の境地と共通するものがあると云はれてゐるし、文人達によつて或る時、整理された言葉だともいふし、さういふ意味で、フランス語が一番よささうな気がするのである。 [#ここで字下げ終わり]  まつたく無茶苦茶な議論で、馬鹿につける薬はないとどなりつけたくなるが、そこを我慢して批判をおこなへば、たとへ日本語にいろいろ欠点があるとしても、日本語自体を捨ててしまつたのでは元も子もないではないか。第一、捨てることなど現実的に不可能なのである。日本語が曖昧《あいまい》だつたり非論理的だつたりすることも、よく指摘されるけれど、さういふ面はたしかにあるにしても、われわれがその点を反省して、精神を緊張させ、自分の思考それ自体を明晰にすれば、欠点はずいぶん防げるのだ。この場合の思考といふのはかなり広い範囲を意味してゐて、何も理屈を理屈つぽく述べるときのことだけを言つてゐるのではない。たとへば人間関係の認識、景色の眺望なども指す気持で言ふのである。  引用した志賀の文章自体がいかにごたごたしてゐて、力がないかは、一読ただちに見て取れると思ふ。それはどこかの温泉場で虫が死ぬのを見てゐる文章や、どこかの山の夜明けの描写とは段違ひの下らなさである。筆者がものをはつきりとらへないで、無責任な態度で、ただ偉さうに構へたい一心で書いてゐるからかうなるので、こんな調子で書けば、たとへ「世界中で一番いい言語、一番美しい言語」であると志賀が考へる(しかも「不案内」であり、「フランス語採用を自信を以つていふ程、具体的に分つてゐるわけではない」のに考へる)そのフランス語で書いたつて、ろくな文章はできるはずがないのだ。  志賀は引用した部分につづけて、「国語の切換へに就いて、技術的な面の事は私にはよく分らないが、それ程困難はないと思つてゐる。教員の養成が出来た時に小学一年から、それに切換へればいいと思ふ。朝鮮語を日本語に切換へた時はどうしたのだらう」などと呑気《のんき》なことを言つてゐるが、このとき彼の心中には、一民族が母国語を奪はれることへの同情もなければ、国語は学校が教へるものではなく社会全体、文明全体が教へるものだといふ視点も欠落してゐる。前者については、何しろ明治時代の人だからやむを得ないとすることができるとしても、後者についてはどのやうな弁護論も成立しないだらう。それはあつけらかんとした無知にすぎない。  そして、志賀が日本語で書く代表的な文学者であつたといふ要素を考へに入れるとき、われわれは近代日本文学の貧しさと程度の低さに恥ぢ入りたい気持になる。本来、一文明にとつて、その国語の最上の教師は文学者であるはずなのだ。かういふことは、藤原|定家《ていか》にとつても、芭蕉にとつても、森鴎外にとつても自明のことだつたらう。しかし志賀に至つて、文学者は国語の教師であることをやめ、さらには日本語をフランス語にかへようなどと、自分の生存の根拠を否定する説を吐くことになつたのである。彼を悼む文章のなかでこのことに一言半句でも触れたもののあることをわたしは知らないが、人はあまりの悲惨に眼を覆ひたい一心で、志賀のこの醜態を論じないのだらう。いや、さうではないかもしれない。なぜわれわれが一般に志賀のこの愚論を忘れようと努めてゐるのかと言へば、本当はもつと深く、あれこそは近代日本文学の本質を示す事件だつたせいではなからうか。つまり、近代日本文学は言葉を重んじない文学(!)だつたのである。  志賀は、世界でいちばんいいのはフランス語で、その次は何かこれもヨーロッパの言葉で、三番目は……といふやうな番付を、すこぶる手前勝手に、しかもさういふすばらしい外国語の勉強もしないで、こしらへてゐたらしい。だが、そんな番付なんて成立ちつこない。世界中のどの国の人間にとつても、自分たちが毎日使つてゐる国語がいちばんいい国語であり、しかもそれだからと言つて、何も国語愛に燃え立つて外国語の悪口を言ふ必要なんか決してない、さういふ態度が、国語と外国語に対する正しい関係なのである。われわれはあくまでも自分自身の精神と感覚のための貴重な道具として、日本語を大事にしなければならない。その際、役人だの、学者だの、教員だの、文士だのに任せつぱなしにしないで、めいめい自分で日本語について考へなければならないといふ事情は、今の志賀直哉の例一つを見ても明らかなはずである。 [#改ページ] [#小見出し]    あ と が き 1[#「1」はゴシック体] 硬い評論と軟い随筆が同居してゐる風変りな本が出来あがつた。友達の使ふ娘ことばについての他愛のないゴシップがあるかと思ふと、国語教科書が国語教育に役立たないことを弾劾《だんがい》する言ひたい放題がある。国語政策の是非を正面切つて論じてるかと思ふと、上方ことばについて与太を飛ばす。国語改革の手直しについての新聞の社説に執念深くからむかと思ふと、毒にも薬にもならない国語学的雑学を楽しむ。日本語の現状を憂へてるかと思ふと……いつまでも憂へつぱなしでほとんどノイローゼ気味になる。まことに雑然とした本で、われながら呆《あき》れるくらゐだが、しかし日本語に対するわたしの関心をまるごと差出さうとすれば、どうしてもかうなるしかなかつた。わたしと日本語との関係は、これほど複雑で幅が広いのである。さういふ実状をわたしは偽らうとしなかつた。 2[#「2」はゴシック体] 日本語はわたしの商売道具だから、大事なのは当り前である。と言つただけで、この本を書いた理由は明らかかもしれない。しかしこれは一応の話で、本当のところ事情はもうすこし入り組んでゐるだらう。たとへば、ものを書いて暮しを立ててゐながら、言葉なんかどうだつていいぢやないかといふ人も大勢ゐるやうだが、わたしは幸か不幸か、さういふ呑気な性分ではなかつた。当然、あれやこれやと言葉にこだはることになる。これが第二の理由。そして第三に……これを判つてもらふためには、わたしの文学的立場をちよつと説明する必要がある。  以前からその傾向はあつたけれど、わたしは近頃ますます、文学作品をその基盤から切り離して孤独で抽象的な状態に置く考へ方に厭気がさしてきた。もちろん、個々の作品がそれ自体、完結した一世界だといふのは当然のことだが、しかしそのことを漠然と強調するあまり(あるいはまた一種の浪曼《ろうまん》主義のあふりで)、文学が文明に属するといふ局面をわれわれはとかく忘れがちだつたのではないか。そのせいで文学は痩《や》せ、貧弱なものになり、しかもその結果、文明を高めるどころではなく、むしろ低劣にするのに役立つてきたのではないか。近代日本文学に対するさういふ反省は、小説を書くときでも、批評を書くときでも、わたしを強く動かす力の一つになつてゐるやうな気がする。そして、文学と文明とを最も直接的に結びつけるものは、言ふまでもなく言葉にほかならない。そこでわたしは極めて自然に、あるいは口語体についての考察をおこなひ、あるいは電話のかけ方についての閑談に耽《ふけ》り、そしてあるいは絵本の文章についての思ひ出話に熱中することになつたのだらう。すなはち『日本語のために』は、言葉の問題を手がかりにしての、文明批評の試みなのである。 3[#「3」はゴシック体] この本の表記について一言。  以前はわたしもまた、何となく大勢に抗しがたいやうな気がして、新仮名づかひで書いてゐた。歴史的仮名づかひが正しいと信じながら、さうしてゐたのである。しかし先年、評論『後鳥羽院』を書いてゐる最中に、引用は旧仮名(定家仮名づかひだけれど)で自分の書く文章は新仮名といふわづらはしさに我慢できなくなり、思ひ切つて歴史的仮名づかひで書くことにしたところ、非常に具合がいいのである。第一に論理的に矛盾してゐない表記である点で、第二には日本文学の伝統にのつとつて書いてゐる気がするせいで、すこぶる楽しかつた。この快さを捨てる気にはとてもなれないから、以後、雑誌その他には、|なるべく《ヽヽヽヽ》このままで発表してくれと言ひ添へて、歴史的仮名づかひの原稿を渡してゐるのだ。  ただし、字音仮名づかひはおほむねのところ新仮名づかひに従ふ。大和ことばの場合と違つて、これで差支《さしつか》へないと判断するからである。以下詳しいことは別に添へる「わたしの表記法」を参看せられたい。 4[#「4」はゴシック体] 無学なわたしのことだから、いろいろ誤りがあるのではないかと恐れる。肴《さかな》にして下さつていつこう差支へないが、しかしついでに一言、御教示ねがへればたいへん有難い。 [#地付き](一九七四年五月)   [#改ページ] [#小見出し]    わたしの表記法 [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] a1 漢字は当用漢字とか音訓表とかにこだはらないで使ふ。  2 字体は原則として新字。ただし新字のうちひどく気に入らないもののときは正字。例。昼→晝。尽→盡。蔵→藏。芸→藝。証→證。 b1 仮名づかひは歴史的仮名づかひ。例。会ふ。をかしい。あぢさゐ。  2 従つて促音・拗音は小さくしない。例。あつさり。キヤツキヤツ。  3 ただし片仮名の外来語の場合は促音・拗音を小さくする。例。ヨーロッパ。カチューシャ。  4 歴史的仮名づかひのうち、特に誤りやすいもの。「あるいは」(アルヒハとしない)。 c1 ただし字音の仮名づかひは、原則として現代仮名づかひに従ふ。例。怪鳥(カイチヨウ←クワイテウ)。草稿(ソウコウ←サウカウ)。  2 しかし「嬉しさう」などの「さう」(相)、「花のやう」などの「やう」(様)は、字音ではあるが、もはや大和ことばも同然と考へて、「さう」「やう」と書く。(「相似」はソウジ、「模様」はモヨウ。)  3 熟語のせいでの促音は漢字の原音を尊ぶ。例。学校(ガクコウ←ガツコウ)。牧歌(ボクカ←ボツカ)。  4 チヂ、ツヅの清濁両音のある漢字の場合、ヂヅを認める。例。地獄(ヂゴク←ジゴク)。連中(レンヂユウ←レンジユウ)。僧都(ソウヅ←ソウズ)。従つて微塵(ミジン←ミヂン)。  5 字音の仮名づかひのうち、特に誤りやすいもの。「——のせい」(セヰとしない。「所為」の字音ソイの転だから)。 d1 送り仮名は送りすぎないやうにする。例。当ル←当タル。受付←受け付け。 [#ここで字下げ終わり] [#改ページ] [#小見出し]    解  説 [#地付き]大野 晋    戦後の国士改革の主導的な力はアメリカ占領軍の手にあった。日本人の無謀な戦争の仕方を見てアメリカ人は、日本人が漢字などという「悪魔の文字」を使っている結果、日本では織字人口が少なく、軍部や財閥だけが情報を左右して、誤った知識を民衆に与えていたのだろうと判断した。そこで、民主主義を日本に広めるためには、日本の複雑な文字組織を解体して、ローマ字かカナ文字のような平易な文字を普及させるという行政方針を立てた。  その意向を知った山本有三参議院議員は、外国人に日本の文字を改革されるのは耐えられないから、その線に添った改革は、自分たちの手でさせてもらいたいとC・I・Eに申し入れ、早急に国字改革に乗り出し、敗戦の翌年には「当用漢字表」「現代かなづかい」を内閣訓令として公布した。これを手始めに、「当用漢字音訓表」「教育漢字」「送り仮名法」など続々と手が打たれた。  この国字改革をささえた基本的な思想は、日本人が漢字を使っているから、その学習に多くの時間を要し、二十六字のヨーロッパの技術に追いつかないのだということ、また、言語、文字は単なる道具にすぎないという言語観であった。山本有三氏は眼が悪かったので、漢字の振仮名が有害だという信念を持っていた。これらによって、漠宇使用の制限、発音式の仮名遣の実行、振仮名の全廃という路線が敷かれた。  それは新聞社の同調を得て広く行われ、教科書をこれに従わせて若者の教育をおさえた。この改革の終極の目標はそれに加わったローマ字論者、カナモジ論者によって日本語のローマ字化、またはカナモジ化とされた。  しかし、アメリカ軍は、日本人の読み書き能力を、社会調査の推計学的手法によって全国にわたって行なった。その結果、日本人の識字人口は驚くべく多く、その比率はヨーロッパの先進国に劣らないと知って、アメリカ側は日本の国字改革から手をひいてしまった。  それにもかかわらず、ローマ字論者、カナモジ論者によって多数を占められていた国語審議会は、依然として国字改革の路線を進めようとした。それが昭和三十六年の福田恆存氏たちの活動によって方向の転換を余儀なくされ、現在は戦後の施策の再検討へと動きつつある。戦後の国字変革のおよその筋道はこのようなものであった。  しかし、戦後の教育の結果、漢字認識は混乱し、漢字に対する不信、漢字の造語力の低下と語彙《ごい》の貧化が目立って来た。予想通りカタカナ語は増加し、文章全般の混濁が目立って来た。  この混乱の状況を、一種の活力のあふれと見る見方もあるが、拠《よ》るべき規範の喪失によって、言語全体が、言い知れず不確かなものと感じられるようになって来た。それはとりもなおさず、世界|把握《はあく》そのものの不安につらなることが、むしろ、新しい教育を受けた人々の間に隠微な形で浸潤し、底知れない不安がかもし出される状況になりつつある。  この四、五年の間の「言語」に対する評論家たちの深い関心だけでなく「言語」をめぐる数々の論議に相当数の人々の興味が引きつけられているのは、そうした、「言語」に対する一般人の深い不安のあらわれである。  こうした状況の中で、本書が刊行されたわけであるが、私はこの書を一読しながら、「文学者の復権」という語を思い浮べた。元来、何処《どこ》の国でも、言葉の問題に関しては文学者と、学者と、広く言えば文筆家と——発音に関しては国によっては役者と——が発言権を持っていた。文学者は、言葉を単なる意味の伝達のための道具と見ていない。文学者は日夜この既成の言語の体系と格闘し、その体系の持つ表現力の可能性を開拓して、表現の間隙や欠落を埋め、単語の美しく新しい組合せを求めてやまない。言語はこれらの人々にとって生存・生命そのものである。また、学者は言語作品の一字一句、一点一画の正解を求め、一語一字の由来を尋ねてやまない。  この人々が言語に関して世人の信頼を受け、用法の正邪新古に関する判断の根拠を人々に提供していた。しかし、敗戦後は、この人々の大部分は、保守・反動の合言葉でしりぞけられた。世は滔々《とうとう》として新時代の簡便主義へと従って来た。  しかし、言語を単なる道具と見る見方は浅薄である。道具であるとしても、——例えば庖丁《ほうちょう》一つとってみよう。東京日本橋の木屋という金物屋へ行ってみるがよい。一口に庖丁といっても、さしみ庖丁だけでも十数種類が並んでいる。魚の骨を切るための出刃庖丁もまた何種類も並んでいる。美しく磨《と》ぎすまされたそれら何十種にも及ぶ庖丁を、専門家——板前の人たちが操って作るところに、到底、素人《しろうと》料理の及びもつかない、見て美しく、食べておいしい料理が出来る。道具にすぎないなどと、もし道具を軽んじ、庖丁の制限をするならば、素人はともかく、整って美味な料理のあるはずがない。  それと同じく言語を、|伝わればよい《ヽヽヽヽヽヽ》と考えるところに、すでに精神の荒廃がある。言葉は単に道具ではない。言葉によって精神が成立するのであるから、言葉をおろそかにするところでは、精神がおろそかになる。  それは今日では人々の目に耳に確かになっている。能率の増進によってヨーロッパに追いつき、追い越した工業日本に何があるか。空気と水と食品との汚染と害毒がある。便利主義、能率主義を推進して駆けぬけた先には、人間とこころとの荒廃が待っていたではないか。  丸谷氏は、これを「国語教科書批判」「未来の日本語のために」「現在の日本語のために」という三章で、氏一流の歯ぎれがよく、明快で説得的な文章で説いている。氏は小説家として当然ながら、子供にむやみに詩を作らせるな、よい立派な詩を子供に与えよ、中学生に恋愛詩を読ませよと提言する。そして、国語教科書の編集者が「文体」に無感覚であることを例示して子供の文章などを教科書に載せるなという。日本語の散文の骨格を形成した文語文を小学生に与える必要を述べ、中学の段階で漢文を教えよという。『ユリシーズ』の翻訳にあたって、古事記から明治時代に至る種々の文体のパロディを生み出すことに、みずから苦心された丸谷氏の文体論は、日本語の歴史のおよその筋を正しく把握している強みがあって説得的である。  丸谷氏は方言を使う戯曲に賛意を表さず、国語改革に関する大新聞の態度に厳しい批判を与えている。もとより文部省に対する批評は極めて適切である。  また「当節言葉づかひ」という小文の集まりは、思わず失笑せざるを得ないユーモアを持つ。これは氏の小説の手法を想起させる。  丸谷氏はこの書をみずから一つの文明批評といわれているが「言語」が単なる道具でなく、精神の具現であるとすれば、精神の具現とはつまり文明そのものである。従って言語の批評は、当然文明批評となる。丸谷氏は文明を粗末に考えて扱うことに対して広い角度から批評を加えた。私はこの書を読んで、氏と会話する楽しさに似た愉快さを味わった。 [#地付き](昭和五十三年八月)  ★この作品は昭和四十九年八月新潮社より刊行され、 昭和五十三年十月新潮文庫版が刊行された。