[#表紙(表紙.jpg)] 藤沢周平 玄  鳥 目 次  玄《げん》  鳥《ちよう》  三 月 の 鮠《はや》  闇 討 ち  鷦《みそ》  鷯《さざい》  浦  島 [#改ページ]     玄《げん》  鳥《ちよう》      一 「つばめが巣づくりをはじめたと、杢平《もくへい》が申しております。いかがいたしましょうか」  路は夫の背に回って裃《かみしも》を着せかけながら、つとめて軽い調子で話しかけた。 「つばめ?」  夫は前を向いたままで問い返した。長身だが肉のうすい背である。 「あれは追いはらったはずではないか」 「また、もどって来たそうです」 「場所は同じところか」 「はい。門の軒下です」 「巣はこわせ」  夫はにべもなく言った。はっきりと不機嫌な声になっていた。夫は袴の紐をしめ終り、路がさし出した白扇を受け取ると、畳に坐っている路を見下ろして念を押した。 「杢平がもどったら、捨てさせろ」  わかりましたと路は言った。予想していた返事だったのでさほど落胆はしなかったが、それでも路は、このとき昨日見た二羽のつばめが嬉嬉として鳴きかわす声が、鋭く頭の中にひびきわたったような気がした。下男の杢平は茄子《なす》の苗を買うために朝早く近くの村まで出かけたが、それでは杢平がもどったらつばめの巣をこわすように言わなければならないだろう。  刀をささげ持って玄関に出る途中で、路はまた夫の背に話しかけた。 「昨日おねがいしましたけれども、今日は昼すぎから守谷の叔母の見舞いにやらせて頂きます。おつねを連れて行きます」 「………」 「見舞いには小鯛を焼いて持って行こうと思いますが……」 「それでよかろう。叔母御のぐあいはどうだ?」 「床に起き上がれるほどになったそうですから、全快も間近いかと思われます」 「わしからもよろしくと伝えてくれ」 「おそれいりまする。そのように申し伝えます」  玄関には二人の婢《はしため》と娘の百合が見送りに出ていた。夫が門をくぐって姿を消すところまで見とどけてから、路は二人の婢に食事を済ませるように言い、百合の手をひいて庭に出た。  路の家は代代|物頭《ものがしら》を勤め、藩から二百石を頂く家柄なので、屋敷は五百坪ほどもあって門は長屋門だった。屋敷の中は樹木が多く、場所によってはうす暗いほどに枝葉が茂っているのだが、いまは新葉の季節だった。隣家との塀ぎわにならぶ杉やさわらの常緑樹をのぞくほかの木木は、多少の遅速は見えるものの大方はいっせいに新葉をつけはじめたところで、その明るさは眼にまぶしいほどである。ことに前庭から門に行く途中にある欅《けやき》の大木は、朝の日をあびて中空まで柔毛《にこげ》を光らせて立っていた。  二歳になる百合は、突然に走り出してころぶことがあるので、路は手をひいたままで門まで行った。門の壁に沿って、一列の躑躅《つつじ》の植込みがあり、躑躅は赤と白の小さなつぼみをつけていた。つぼみを落とさないように気をつけながら、狭い隙間を門のはずれまで歩いて行くと、昨日杢平に言われて見に来たつばめの巣が見えた。  巣といっても、軒下に見えているのは短い藁《わら》しべがまじるほんのわずかの赤茶けた泥の盛り上がりにすぎない。まだ巣の体をなしていなかった。しかしそれでいて、巣はただの泥のかたまりではなく、そこで何事かが進行しつつある感じを濃密にただよわせながら板壁に貼りついていた。つばめの姿は見えなかった。 「むかしはつばめの赤ちゃんが沢山生まれて、それはそれはにぎやかだったものだけれど」  路は二歳の子供に話しかけた。百合よりはもう少し齢が上だったろうと思われる自分が、ひとりでいま立っているあたりに来て、小つばめが鳴きさわぐ巣を見上げたことを路は思い出していた。 「でも、おとうさまがいけないとおっしゃるから、仕方ありませんね。つばめの赤ちゃんの巣は捨てましょう」  路が言うと、しっかりと手をにぎっている百合が、母を見上げてまだ十分に回らない舌でつばめの赤ちゃんと言った。しかしそれは何かがわかってそう言ったわけではなく、母親の口真似にすぎなかったようである。百合はまだつばめの子を見たことがなかった。  百合の興味はすぐに、ふわふわとそばを飛びすぎた白い蝶に移り、ちょうちょうさんと連呼しながら母の手をひっぱった。意外に強い子供の手の力にひかれて、路は植込みの間を蝶が飛んで行った隣家との塀境いの方に歩いて行った。  つばめがいつごろから来るようになったのかを路は知らないが、物頭を勤めた亡父の三左衛門をはじめ、末次家の者は誰一人として門のつばめを気にしなかった。したいようにさせていた。それでつばめは、毎年同じところにやって来て門に巣を懸け、子を生み育ててどこかに去って行ったのである。  つばめのおとずれは季節の風物詩だった。そして長くつめたい冬のあとに来る春が、野山にいっぱい花を咲かせながらまだどこかに油断のならない寒さをひきずっていたのとは違い、つばめのおとずれは、少しの曖昧さもなく夏の到来を告げる出来事でもあった。  しかし三左衛門が病死して、御奏者《ごそうじや》の矢野家から婿入りした路の夫仲次郎が跡目をつぐと、つばめの巣は門から取りはらわれた。家の門は城からの使者もくぐれば上役がくぐることもある場所である。つばめなどを住まわせるべきではないというのが、仲次郎の言い分だった。御奏者という家柄のせいか、それとも三百五十石の上士の家の作法は物頭の家とまた異るのか、仲次郎はこの種の些末《さまつ》なことに異常にこまかく神経を遣う人間だった。  むろん末次家の新しい当主は仲次郎で、その仲次郎はとりあえずは近習組に出仕しているものの、いずれは三左衛門を名乗って物頭を勤めるひとである。言うことにしたがうのは当然だったが、仲次郎がそう言い出したとき、折柄門のつばめが子を育てていたので、路は巣を取りはらうのに少なからず心を痛めたのだった。  巣の始末は杢平が一人でした。路は見るにしのびなくて外にも出なかったが、杢平が子の入った巣を門からはずし、外に捨てに出て行くまでの間、鳴きかわしながら屋敷の上を飛び回る親つばめの声は、耳をふさぎたいほどに切なく聞こえたのをおぼえている。  隣家の杉浦家との境いのあたりは、杉のほかに朴《ほお》の木、李《すもも》、えごの木などが寄りあつまって鬱蒼《うつそう》とした木立になっている。白い蝶は小暗い木陰に入りこみ、やがて姿が見えなくなった。塀を越えて隣家に行ったのかも知れなかった。  つばめのことが、まだ心を去らなかった。  ──もどって来なければよかったのに……。  と路は思い、巣を取りのぞかなければならないことを考えて心を痛めた。百合をうながして、路は木立の下を抜けると門に出る道までもどった。召使いの女たちに、今日一日の仕事を言いつけなければならなかった。  道に出ると同時に、空につばめの声がした。ふり仰ぐと、二羽のつばめが前後して欅の梢をかすめ、そこから逆落としに門の方に飛び去った。三年前に巣を取りこわされたつばめがもどって来ているような、あり得ない考えにとらわれながら、路がおもわず見送っていると、折しも杢平が帰って来たのがみえた。白髪の杢平は、背に茄子の苗をいれた籠《かご》を背負っている。買って来た苗は、裏庭の菜園にもう出来上がっている茄子畑に植えるのである。  杢平も空をかすめたつばめを見たらしい。首をねじって巣の方を眺めたが、すぐに路に近づいて来てただいまもどりましたと言った。そして声をひそめた。 「旦那さまは、いかがおっしゃいましたか」 「やっぱり捨てろということですよ」  杢平は父の代からの下男である。子供だった路がつばめの子を見て喜んだのも、仲次郎の代になって巣をすてることになったいきさつも残らず見て来た。 「さようですか」  杢平は眼を伏せた。すると眉毛まで白くなっている顔に苦渋のいろがうかんだ。気持はわかるが、杢平がそういう顔をすることを許しておくわけにはいかない。 「不平に思ってはなりませんよ、杢平」 「いやはや、もちろん」  杢平はあわてふためき、顔の前でうちわのように大きな手を振った。 「めっそうもござりません。どうして不平など思いましょうか。じじのつらがそのように見えましたら、どうぞお許しねがいまする」      二  叔母の茂登をたずねるたびに、路はこの叔母がしあわせなのか不しあわせなのか、はかりかねるという気持になる。  物頭の家の末娘に生まれた茂登は、一度は良縁を得て同じ二百石の御徒頭《おかちがしら》石塚家に嫁いだが、一年とたたぬ間に夫の石塚が急死したので実家にもどされた。そこで歓迎されない出戻りとして二年余も実家にくすぶったあとで、いまの夫守谷喜兵衛に再嫁した。  喜兵衛も妻を病気で失い、女の子を一人かかえた男やもめだったので似合いの縁とも言えたが、喜兵衛本人はわずか四十石の普請組勤めだった。そのことで路は、いまだにこの叔母を気の毒に思うことがある。  だが叔母は、守谷家に嫁ぐとたちまち三男一女に恵まれた。いまどきの四十石は内職をしなければとうてい喰うことがむつかしく、親戚の中には叔母の多産ぶりを貧乏人の子沢山とあざける向きもあったが、叔母はあのおとなしいお人好しのどこにそんな根性が隠れていたかと、長兄である路の父がおどろいたほど、家事と内職の両方をきりきりとこなして、先妻が残した娘をふくむ三男二女を一人も欠けることなく育てあげた。  出来よく育った子供たちは、すでに長女と二人の男子がのぞまれてしかるべき家に片付き、長男は算勘の才をみとめられ、勘定方見習いの名目で藩から江戸遊学を命ぜられて、いまは江戸にいる。のこる末娘の多加の縁組が決まれば、叔母夫婦は間もなく子育てのわずらいからまったく解き放たれることになる。  何不自由のない路の家でさえ、母ははやく病死し、また学問も剣もよく出来た兄の森之助が急死して、その跡つぎの死が父の三左衛門の病いの種になったことを考えると、叔母は格別に家のしあわせにめぐまれたひとというべきかも知れなかった。  その証拠に、路は守谷の家に来ると、いつも家の狭さと同時に、その狭い家にただよっているひとが沢山いたあたたかみのようなものを感じ取って心うたれるのだった。そのにぎやかなあたたかみこそしあわせと呼ぶものの実態であり、末次の家から次第に欠けて行ったものであることを路は承知していた。  一時は歩行もかなわないほどの腰痛で寝こんだのは事実だが、たずねると叔母はもう起き上がって立ち働いていた。だが夫に、叔母は床に起き上がるほどになったと告げたとき、路は叔母がいま見るように元気になっていることを予想していたのである。叔母を見舞いに来た理由はべつにあった。  従妹の多加は、町隣りの寺にある茶の稽古所に行っていて留守だった。連れて来たおつねに命じて茶をいれさせ、路は叔母と二人きりになった。 「小鯛はまだ高かったでしょうに」  叔母は路が持って来た見舞いの魚のことを言い、守谷のような貧乏所帯では小鯛などめったに喰えないと笑った。  城下には、朝のうちに漁師の女房たちが魚を売りに来る。海辺から二里半の道を、舟から上がったばかりの魚を大いそぎではこんで来るので、女たちが売る魚は新鮮だった。路は数尾の小鯛を買いもとめて、手ばやく焼かせて持って来たのである。  小鯛は季節の魚で、これから梅雨にかけて味は最上のものになる。二人はしばらく、浜の女たちが担いで来る魚の話をした。それから路は本題に入った。 「叔母さま、その後上意討ちの旅に行かれた方方の消息を聞かれましたか」  と路は言った。  叔母の茂登は、路のその質問を予期していたようだった。それがあなた、と叔母は姪《めい》を見返しながら声をひそめた。 「どうやら不首尾に終った様子ですよ」 「不首尾ですって」  路は仰天した。 「逃げられたのですか」  領内の山のあちこちにまだ雪が残っていた二月ほど前に、一人の藩士が城下から逐電した。御兵具役の宇佐甚九郎である。宇佐はその夕刻、下城する上役一人を町の路地に待ちうけて斬り伏せ、家に駆けもどると日ごろ気が合わず口論ばかりしていた妻も刺殺し、そのまま城下から姿を消したのである。斬りつけた上役との仲違いが、この凶行の原因だと思われた。  宇佐に斬られた上役は、深手を負ったものの命を取りとめた。しかし宇佐は脱藩した上に、行きがけの駄賃とばかり妻を刺殺している。緊急の重職会議のあとで、藩は慣例にしたがい宇佐に上意討ちの討手《うつて》を放った。討手にえらばれたのは馬廻組《うままわりぐみ》の瀬田源八郎、普請組の加治彦作、同じ普請組の曾根兵六の三人である。そして曾根兵六が、無外流の剣士としても高名だった路の父、末次三左衛門の秘蔵弟子だった。このことは茂登も知っている。 「逃げられただけならまだよい」  と茂登は言った。 「相手に斬りこまれて討手側の一人は死に、一人は手傷を負っていま一人無傷でいた者の介抱をうけ、ようやく江戸屋敷にたどりついたのだそうですよ」  宇佐甚九郎の行方について、藩では心あたりがあった。遠州掛川の城下に、甚九郎の縁者にあたる富裕な商人が住んでいた。甚九郎はそこに立ち寄って資金をととのえ、そのあと上方に直行するのではないかという意見が、大目付を加えた重職会議で出された。  甚九郎は家督をついだばかりのころ、数年大坂の藩蔵屋敷に勤めたことがあり、上方の地理にも人情にも明るかった。掛川の縁者から暮らしの金を仕入れ、上方にいけば数年ひとに知られずに隠れ住むことはむつかしいことではない。  わき目もふらず掛川にいそげ、と上意討ちを下命した月番家老は討手をはげました。指図にしたがって、二百八十余人の藩士の中からえらばれた三名の討手は、夜を日についで東海道掛川の宿にむかっていそいだはずである。  そこまでは家中の誰もが知っていた。路も夫からその話を聞いている。しかし逃亡した宇佐甚九郎も、追って行った三人もその後ふっつりと消息が絶えて二月近くたったのだが、その消息がいまはじめて知れたのである。  やはり路の思惑どおり、二人まで討手を出した普請組の方が、消息をつかむのにはやかったようである。それとも叔母が言ったようなことはもう家中に知れわたっていて、自分の耳に入らなかっただけだろうかと思いながら、路は胸の動悸がはげしく高ぶるのを感じた。 「亡くなられたのはどなたでしょうか」 「馬廻りの瀬田さまだという話ですよ。うわさだから確かではありませんけれども」 「怪我をされた方は?」 「それはまだ聞いていませんね」 「曾根兵六どのではありませんか」  叔母は黙って首を振った。わからないという身ぶりだった。路は失望したが、手傷を負ったのがかりに兵六だとしても、その男は江戸屋敷までもどっていることに思いあたった。曾根兵六はいずれにしろ生きてはいるのだ、むろん無傷の一人である可能性もあると思うと、固くなっていた胸が安堵《あんど》にゆるんだ。路は呼吸が楽になるのを感じた。  名前を呼ばれて顔を上げると、あやしむように自分を見ている叔母の眼にぶつかった。 「はい?」 「川向うの曾根のことを、ずいぶん気にかけておいでのようだね」 「それは……」  と路は言った。普請組は市中を流れる馬洗川をはさんで二カ所に組屋敷があり、曾根の家は川向うにあった。 「曾根兵六どのは、叔母さまもご存じのとおり父の秘蔵のお弟子でしたから。それに兄とも大そう仲がよかったのです」 「それだけでしょうね」  それだけだと路は言った。末次の家と曾根兵六との間には兵法の上のことでいまだに切れないつながりがあり、その鍵は路がにぎっているのだが、その真相は叔母に言うべきことではなかった。  そして叔母もむろん、そんなことを疑ったわけではないことは路にはわかっていた。叔母は単純に、路の曾根兵六に対する肩入れが尋常でないことに不審を持ったのだろう。      三  ──無傷の一人こそ……。  兵六どのに違いあるまいと、おつねを連れて叔母の家からもどる道すがら、路はやがてその確信に達した。  三人もの、それも家中に名を知られた剣の遣い手が、ただ一人の宇佐甚九郎に敗れた事情はわからなかった。だがその中に無傷の者がいるとするなら、それが曾根兵六であるのは自明のことだと思われて来たのである。そう言っても路のその確信は神がかりといったものではなく、多少の根拠にささえられていた。  曾根兵六がはじめて路の家に現われたのは、兄の森之助がまだ病気知らずに元気だったころである。兵六は城下の鳥井町にある一刀流の道場で森之助と知り合い、森之助にすすめられて父の三左衛門に弟子入りして来た。  そのころ路の父は、物頭を勤めるかたわら数人の兵法の弟子を取って、末次の家に伝わる無外流を指南していた。道場というものはなく、稽古は土を踏み固めた前庭でしていた。  曾根兵六は色が浅黒く丸顔で、狸を思わせる顔をしていた。そして路の見るところなかなかの粗忽《そこつ》者だった。ある秋、路と妹の節が庭隅の柿の実を取るのに苦心していると、見かけた兵六が寄って来て、それがしが|※[#「手へん+宛」、unicode6365]《も》いで進ぜましょうと言った。  兵六は二人が持っている竹竿が、柿を※[#「手へん+宛」、unicode6365]ぐのに何の役にも立たないものであることがわかると、二人に刀を預け袴《はかま》の股立《ももだ》ちをとってするすると木にのぼって行った。少し小太りの身体に似合わない、目ざましい身軽さだった。兵六は目ざす梢から熟れた柿を※[#「手へん+宛」、unicode6365]ぎとると、また軽軽と枝から枝に移りながら降りて来たが、おしまいに女たちにいいところを見せようとしたようである。  猿のように最後の下枝《しずえ》に飛びついて、そのまま地面に飛び降りようとした。その下枝が、兵六が飛びつくのを待ちうけたようにぽっきりと折れて、兵六は枝をにぎったまま地面に落ちて尻を打ち、路たちの介抱をうけなければ立ち上がれないほどの目にあったのである。介抱しながら路と節は笑いこけたが、あとにも先にもあんなにはしたなく笑ったのはあのときだけだろうと路は後のちまで思い出したものである。  またある年の梅雨のころ、路の家の門と玄関の間の道に、大きな水たまりが出来た。その日門をはいって来た兵六は、その水たまりを見るとやすやすと飛びこえた。とたんに泥に足をとられて、さしていた傘を片手に尻餅をついた恰好で、兵六が三尺も地面をすべるのを、たまたま壺にいける花菖蒲を切りに出ていた路が目撃した。  立ち上がった兵六は路には気づかず、べっとりと泥に濡れた尻を手でさわりながら思案に暮れている。その姿を見ながら、路は笑うに笑えず、こみ上げる笑いを噛み殺すのに苦労したのであった。  しかし曾根兵六の粗忽は、ごく少数の者がぼんやりと感づいている程度のもので、大方は素朴な風貌に覆われていた。現に路は兵六をきわめつきの粗忽者と思っているのに、父や兄はそのことに気づいているようには見えなかった。そして一方の人柄である兵六の素朴さは、風采も立居も垢抜けて万事ソツがない森之助の友人の中ではきわめて異色で、森之助も兵六を弟子にした三左衛門も、その人柄を珍重した。兵六もまたその優遇にこたえて、無外流の稽古では非凡の剣才を示したのである。  路の父末次三左衛門が、弟子を取って無外流を教える気になったとき、胸の中にひとつのもくろみを持っていたのを、のちに路は父の口から聞く。三左衛門は家に伝わる無外流の研鑽《けんさん》につとめるうちに、たまたま新しい一つの型を工夫した。そして数年工夫を重ねているうちに、やがて新しいその型が不敗の剣であることを確信するに至ったのである。数人の弟子を取ったとき、三左衛門は編み出した秘伝の型を弟子の中のもっとも技倆すぐれた者に伝えようと考えたのであった。  そのもっともすぐれた弟子が、つぎに末次家をつぐことになる森之助であれば、それはそれでよいと思っていたのだが、森之助はふとした風邪がもとの病いで急死した。そのために、三左衛門はつぎにはためらいなく曾根兵六を後継者にえらび、ひそかに風籟《ふうらい》と名づけた型を伝えようとしたのである。  秘伝の型の伝授が行なわれたころの緊張した日日を、路はいまも思い出すことが出来る。伝授は外ではなく、末次家の奥の間で行なわれた。深夜はげしい気合いが立てつづけに聞こえ、つぎの日の未明に、疲れはてた男二人が足はこびもおぼつかなく蹌踉《そうろう》と外井戸まで歩き、そこで獣のように地面に這って水をむさぼり飲むのを路は物陰から目撃している。あとで見た奥の間の襖《ふすま》は、斬られてささらのようになっていた。  だが伝授は結局行なわれなかった。三左衛門が突然に中断したのである。その理由を、三左衛門は自分が病いの床に臥すようになったころに、はじめて路に明かした。曾根兵六は粗忽者だと、三左衛門は言った。秘伝を伝えても、かえって無外流の名を汚すおそれがあるために思いとどまったとも言った。秘伝を伝えるというきびしいところに来て、三左衛門の眼にはじめて曾根兵六の中にある奇妙な虚《うろ》の部分が見えたのであったろうか。  その言葉を裏書きするような事件が、三左衛門の死後に起きた。  藩内に抗争があって、一方の重職が失脚した。そして失脚のもととなった書類をひそかに反対派に売りわたした男は、失脚した側の派閥の怨嗟《えんさ》の的になった。刺客が放たれるだろうといううわさが流れ、裏切った男は家に閉じこもり、警護の者がつけられた。その警護人が曾根兵六だった。  結論を言えば、派閥を売って立身した男は、刺客に斬殺された。そして警護人である兵六は刺客が乗りこんで裏切り者を始末する間、わずか数軒先にある裏通りのそば屋で昼飯のそばを喰っていたのである。警護すべき男の許しを得ていたという兵六の弁明は聞きいれられず、兵六は減石の処分を受けて家禄を五石減らした。  そのときの刺客は江戸からくだって来た刺客で、諸家に雇われて暗殺を仕事とする男だったといううわさが後で立った。襲って来たのがそういう男であれば、兵六の腕をもってしても防ぎ得たかどうかはわからない。しかしそういうこととはべつに、依頼人が死闘しているときに、ほんのわずかはなれたところでそばを喰っていた兵六の姿には、救いようのない滑稽な感じがつきまとっている。そして路は、話を聞いたときに直感的にその滑稽さが兵六の粗忽とつながっていることを悟ったのであった。  家にもどる道すがら、路が考えたのはそういうことだった。同僚が一人は死に、一人は深手を負った中で手傷ひとつ負わず、さりとて敵を仕とめたわけでもない男がいるとすれば、それはやはり悲惨な滑稽というものではないだろうか。叔母が言う無傷の男こそ兵六に違いないと路は思ったのである。      四  それから半月ほどして、曾根兵六が帰国した。はたして兵六はかすり傷ひとつ負っていなかった。宇佐と斬り合って深手を負ったのは加治彦作で、加治は江戸屋敷にとどまって怪我の手当てを受けているということだった。  宇佐甚九郎を討ち取るどころか、一人は落命し、一人は深手を負うという失策をみやげに帰国した生き残りの討手に対して、藩内にはあざけりと非難の声がわき起こった。藩ではとりあえず曾根兵六に謹慎の処分をくだした。  こういう事情を、路は夫の仲次郎から聞いたのである。上意討ちの無残な失敗は城内の恰好の話題になったらしく、仲次郎は兵六をむかえた重職たちが、急遽《きゆうきよ》行なった聞き取りの結果まで耳にいれていた。それによれば、上意討ちが失敗に終ったいきさつはつぎのようなものだったのである。  三人の討手の指揮を取ったのは瀬田源八郎である。瀬田は禄高も多い上に、三人の中の一番の年嵩《としかさ》だったので、出発するときからその役目を振りあてられていた。  さて三人の討手は、月番家老から言いふくめられたとおりに東海道をひたいそぎにいそいで、城下を出発しておよそ二十日後には掛川の宿に着いた。 「これで、甚九郎には遅れていまい」  宿はずれにひっそりと宿を取ったあと、つぶれた肉刺《まめ》にほてる足を、濯《すす》ぎ盥《たらい》の水に漬けながら瀬田が言った。それには兵六も加治彦作も同感だった。甚九郎の足跡をつぶさに調べながら来たわけではない。だがたとえば兵六には、旅のどこかで宇佐甚九郎を追い越してしまった感覚があった。  三人はその日、掛川の宿に入るとはばきも取らずに連雀町に直行して、そこに雁金《かりがね》屋という目ざす葛布《くずふ》の卸問屋があるのをたしかめた。そのひときわ目立つ店構えの家が、宇佐甚九郎の縁者だった。三人はついでに手わけして近所の商い店をあたり、雁金屋に甚九郎らしい武士が逗留していないかどうかを聞き回った。そして聞き回ったかぎりでは、それらしい武家姿の男が葛布問屋に入るのを見た者は一人もいないことをたしかめてから、もう一度宿はずれの仁藤までもどり、そこで宿を取ったのである。  すでに日は傾いていた。 「今夜は見張りはなしじゃ」  と酒好きの瀬田が言った。 「一杯やって旅の疲れを取ることが肝心じゃ」  瀬田の言葉に、あとの二人も異存はなかった。三人は旅の汗と埃《ほこり》にまみれて異臭をはなつ身体はそのままに、浴びるほど酒を飲み、その夜ばかりは枕を高くして寝た。しかし翌日は早起きして、交代で雁金屋の見張りについた。  だが数日たっても、宇佐甚九郎は姿を現わさなかった。甚九郎が現われない理由について、三人はたびたび意見をかわした。考えられるのは、江戸に立ち寄ってそのままとどまっているか、あるいは最初から江戸にも掛川にもむかわず、まったくべつの方角に行ったかということだった。後の場合なら、掛川に網を張っていてもまったくの無駄骨折りである。 「しかし、いずれは資金が尽きる」  と瀬田は言った。宇佐がどこに行こうと、いずれは暮らしの金に詰まって雁金屋に現われるに違いないから、こちらは路銀のつづく限り、葛布問屋を見張る。路銀が尽きたら、一人は江戸屋敷までもどって、その後の指示を仰げばよい。  瀬田の意見は明快だった。あとの二人もその意見にしたがったが、事情がそういうふうに変って来ると、今日か明日かと斬り合いにそなえたはじめのころの緊張感は失われた。昼夜をわかたず見張りを立てることこそ怠らなかったものの、三人は宿の風呂にも入り、一再ならず夜は酒を飲んだ。そして見張りの一人が連雀町に出かけている間、残る二人は宿の借着のままで白河夜船どころか、いぎたなく昼寝までした。  だが宇佐甚九郎は、討手の緊張がそこまでゆるむのを待っていたように襲いかかって来たのである。瀬田源八郎は即死し、加治彦作は深手を負った。折柄雁金屋の見張りについていた兵六は、交代のために宿にもどってこの始末を知ったが後の祭りだった。もはや甚九郎を追うどころではなく、事後の処置を手落ちなく済ませることで精一杯だったのである。 「その後、後始末のために掛川まで行った江戸屋敷の者が調べたところによると、宇佐は掛川の手前の日坂《につさか》の宿に半月も滞在して、討手の様子をさぐっていたらしい。むこうが一枚上手だったということだ」  路の夫仲次郎はそう言うと、あざけるようにひややかな笑いを顔にうかべた。 「曾根兵六は舅《しゆうと》どのの高弟と聞いておったが、何の役にも立たぬ男じゃな」  路はつつましく沈黙した。しかし学問は出来ても兵法には縁のなかった夫が、兵六だけでなく死んだ父まで軽んじるような言葉を吐くのを、いささか腹に据えかねる思いで聞いた。 「曾根は以前も、護衛についた男が斬られる間そばを喰っていたそうだが、今度も朋輩二人が斬り伏せられているときに、無用の見張りにはげんでいたらしい。どうも滑稽な男じゃな」  夫の憎まれ口は癇《かん》にさわるものだったが、言っていることには路も同感だった。何という滑稽なひとだろうと、路は兵六を思った。 「それで……」  路は顔を上げて夫を見た。波立った気持は押さえ切った。 「曾根さまの処分は、どのようなことになるのでしょうね」 「軽くはなかろう」  夫はひややかに言った。そしてそれが当然だろうとつけ加えると、身体を回して書見にもどった。      五  謹慎していた曾根兵六に対する藩の正式の処分が決まったのは、暑い夏がすぎて城下に秋風が吹きはじめたころである。その知らせは叔母の茂登が持って来た。 「加治の家は代替りしました」  と叔母はまず、同じ組屋敷の加治家の話を路に聞かせた。  叔母はこの秋の法事のことで菩提寺に行った帰りに、ひさしぶりに実家である路の家に立ち寄ったのだが、太りすぎているせいか、それとも馴れない遠歩きに疲れてか、しきりに汗を拭くので、路は婢を呼んでつめたい濡れ手拭いと一度は片づけた団扇《うちわ》を出させた。 「六つの子供が跡目をついだのです」  加治彦作は、応急の手当てのあと掛川から江戸屋敷まで駕籠《かご》ではこばれた。傷はかなりの深手だったが、江戸屋敷では近ごろ腕のいい蘭方医を抱えていたので、手厚い治療を受けることが出来た。そして彦作は一時は床に起き上がれるほどに回復したのだが、傷から入った菌がもとで突然に高熱を発し、弱った身体がその熱に耐え切れずに夏の終りに江戸屋敷の長屋で死亡した。藩では加治家が上げた跡目相続の願いを受理し、当年六歳の子供が家をつぐことを許して、掛川宿の失策を咎《とが》めなかった。  藩では、彦作が不意を襲われて手傷を負いながら、よく応戦して宇佐甚九郎をしりぞけたことをみとめたのだろうと、普請組では話していると叔母は言った。 「曾根の方は無傷でもどっただけに、お咎めなしでは済まなかったようですよ。減石の上に大坂の蔵屋敷に役替えが決まったそうです」 「まあ、大坂に……」 「まず数年はもどれますまい。もっぱらそういう評判ですよ」  叔母はようやく汗がひいたらしく、団扇を下に置いて茶をすすった。それから路が皮をむいて出した梨を噛んで、おや、これはなつかしい味だこと、屋敷の梨ですね、と言った。末次の屋敷には柿もあれば、梨も栗もあり、秋には競って実をつける。 「曾根の減石はいかほどに?」 「三ガ二。残りは十石少々ということです」 「おや、それは手きびしい御沙汰ですこと」 「前のこともありますからね。これは家のおやじさまが外で聞いて来た話ですけれども、御中老の中鉢多聞さまが、曾根のことをこれほど物の役に立たぬ男もめずらしいと申されたそうですよ」  叔母は何気なく言ったようだったが、路は中鉢の言葉の中に、重職たちが兵六に対して抱くいら立ちと憎しみを嗅ぎつけた気がして心が冷えた。叔母の言うとおり前の一件が絡んで、重職の間で兵六の心証はきわめてよくないのだと思った。  しかし重職の気持もわからぬではないが、中老の言い方は少少酷ではないかと路は思うのだった。前の警護役の場合も今度の討手役の場合も、兵六は武運つたなくその場に居合わせなかっただけのことである。その場に居合わせさえしたら、兵六は必ず身についた無外流の腕を示しただろう。中老の言ったことは、夫の言いぐさ同様、兵六のみならず父の三左衛門まではずかしめるものではないだろうか。  路は考えこんでいたので、曾根兵六の上方出発は五日後になるらしいという叔母の言葉を、うっかり聞きのがすところだった。叔母はそれで、さきに腰痛に苦しんだひとには見えない軽い身ごなしで帰って行ったのだが、兵六が明日は出発するという前日、城からさがって来た夫から路が聞いたことは、叔母がした話とは異っていた。 「ほかに洩らすでないぞ」  一本釘をさしたあとで、夫の仲次郎はいつもの取り澄ました顔に、わずかに興奮のいろをのぞかせながら言った。 「例の曾根のことだが、守谷の叔母どのが言った大坂への左遷は事実の半分でしかない」 「半分?」 「今日確かな筋から耳にしたのだ。曾根には討手が放たれる」 「討手ですと……」  路は呆然《ぼうぜん》と夫を見た。思いもかけなかった展開である。 「なぜにわかに、そのようなきびしいことに?」 「瀬田の本家が動いたのだ。瀬田は当主を失った上に、家禄を二十石削られた。それが業腹で、たった一人の生き残りである曾根もともに地獄にひきずりこもうというわけだろう」  討手の指揮をとるべき立場にいながら、瀬田源八郎は宿の借着を着たまま、一合も斬りむすぶひまもなく宇佐に斬殺された。武道不覚悟と藩上層部にはきわめて評判がわるく、二十石減石の沙汰になったのである。 「源八郎が武道不覚悟なら、無傷でもどった兵六は何だということで、瀬田の本家が直接に江戸の殿にむけて、兵六の無能ぶりを糾弾したらしい。だから討手を放つことには殿のご意向が入っている」  瀬田源八郎の家の本家は浅井という組頭《くみがしら》で、姓は異るが瀬田家の本家である。むざむざと男ざかりの当主を失った上に、禄まで削られた瀬田家の気持はわかるが、その憤懣のはけ口を兵六にもとめるのは筋違いだと路は思った。  筋違いだが、今度の一件で兵六は藩の重職たちの目の敵にされている。江戸からとどいた討手の沙汰に、ひそかに溜飲を下げた重職もいたのではないかという気がした。そして路は、遠方に役替えを命じて追い討ちをかけるのは、藩のお家芸であることを思い出していた。 「あわれだが、曾根兵六もおしまいだな。しかし自業自得という気がせぬでもないが」  食後の茶を喫し終った仲次郎は、つめたく言って膝を立てると、謡の稽古に行って来ると言った。謡の師匠は同じ屋敷町にある御使番多田家の隠居である。仲次郎はさらに言った。 「舅どのの無外流も、これでおしまいかの」  いいえと路は思った。夫に羽織を着せかけるために立ちながら、路はやはりそのときが来たと思った。父はこのことを見通していたのだろうかと思い、眼がくらむような興奮に襲われていた。      六  路は供の杢平を上がり框《かまち》に残すと、一人で曾根の家に上がった。兵六が茶の間にみちびこうとしたのを制して、自分から奥の客間に参りましょうと言った。兵六の家は狭く、客間は茶の間につづくひと間だけである。  兵六が行燈《あんどん》を持ち、二人は客間に入った。 「ほかにひとがおらぬので、何のおもてなしも出来ません」  向かい合って坐ると、兵六がそう言った。もてなしはいらないと路は言った。 「ご新造とお子は?」 「妻の実家に」 「なぜですか」 「家を明けわたすようにと、藩に言われたもので……」  ぼそぼそと兵六は言い、旅に日焼けしていっそう狸のように黒くなった顔に、ちらとにが笑いをうかべた。 「数年は帰国出来ぬということで、やむを得ませぬ」 「兵六どの。これから私が申すことを聞いてもおどろかれぬように」  兵六は顔を上げた。訝《いぶか》しげに路を見た。 「上方への出発は明日ですね」 「はあ、明けの七ツ半(午前五時)にたちます」 「藩が家を明けわたせと申されたのは、あなたさまが数年帰国出来ぬせいではありません。藩では、あなたさまに討手をさしむけるつもりです」  兵六の眼がまぶしいものでも見たように細くなった。しかしそれだけで、兵六は問い返しもしなければ顔色も変えなかった。黙然と路を見ている。 「藩では、はじめは減石と蔵屋敷への役替えを決めて、それで済ませるおつもりでした。ところがある向きから苦情が持ちこまれ、処分が変ったのです」 「ある向きとは?」  重苦しく兵六が問い返した。 「瀬田さまのご一族の方からです」  兵六は小さくほうとつぶやいた。 「おそらく、あなたさまが無傷でもどられたのを快からず思われたのでしょう。兵六どのには何の落度もございませんのに」 「………」 「納得が行きましたか」 「多少は。瀬田さまのお気持もわからぬではありません」 「ご一族は、江戸の殿を動かされたのです。討手を放たれるのは殿のご意志です」  兵六の顔が、突然に真赤になった。兵六は腕を高くさし上げてうんと伸びをした。そしてその腕をゆっくりおろすと、ご無礼をいたしましたと詫びた。燃え上がろうとした憤怒を、辛うじて体内に閉じこめたように見えた。  兵六は低い声でつづけた。 「それでは、もはやのがれる道はありませんな」 「いいえ」  路ははげしく首を振った。兵六に膝がくっつくほど前にすすんだ。 「藩命とは申せ、あまりに理不尽ななされ方とは思われませんか。私は兵六どのに逃げのびて頂きたいと思って、こうしてたずねて来たのです」 「しかし討手をのがれることは容易ではありますまい」 「斬り抜けるのです。宇佐甚九郎どのでさえ、斬り抜けてどこぞかに姿を消したではありませんか。そのために私は、風籟の型を伝えに来ました」 「風籟の型……」  兵六は眼をみはった。真実おどろいたことが顔に出ている。 「およそ四ガ三まで来たところで、父はその型を伝えるのを中止したそうですね」 「さようです。それがしの心底に未熟なものがあると申されました。不徳の致すところです」 「ところが父は、亡くなる前に残る四ガ一を口伝えに私に残しました。兵六どののことを気遣っていたようです。もしあなたさまに、絶体絶命のときがおとずれたときに伝えるようにと言い残されました」 「………」 「残るところは口伝で十分に会得出来るはずだと父は申しましたが、そうでしょうか」 「そのとおりです」  兵六はしばらく呆然と路を見つめたが、やがてすばやく部屋を出て行った。そして水屋の方で含嗽《がんそう》の声がした。部屋にもどって来ると、兵六は深々と一礼して形を正すと、おねがいいたしますると言った。 「では、申し上げますよ」 「はい」 「一ノ太刀青眼ヨリ左足ヲ踏ミコミ、右腕ヲ斜メニ打チ下ゲルトキ、二ノ太刀ハ下ヨリ撥《ハ》ネテ一ノ太刀ニ合シ、転ジテ八草ニ引キ上グル形ナリ。右足ハ浅ク引キ、左足ハ浅ク踏ミ越シ、ソノトキ二ノ太刀ノ位ハ星宿ニアリ、一ノ太刀ノ位ハ……」  口伝が終り、刀をつかんだ兵六が庭に降りるのを見とどけてから、路は杢平をうながして組屋敷を出た。  組屋敷や小禄の藩士の家がかたまっている町は、灯のいろも稀で、暗い塀の内にも外にも虫が鳴いていた。そして河岸の道に出ると、今度は馬洗川のせせらぎの音が高く聞こえて来た。橋をわたっているとき、路は不意に眼が涙にうるんでいるのを感じた。すべてが終ったという気持が、にわかに胸にあふれて来たのである。  終ったのは、長い間心の重荷だった父の遺言を兵六に伝えたということだけではなかった。父がいて兄の森之助がいて、妹がいて、屋敷にはしじゅう父の兵法の弟子が出入りし、門の軒にはつばめが巣をつくり、曾根兵六が水たまりを飛びそこねて袴を泥だらけにした。終ったのはそういうものだった。そのころの末次家の屋敷を照らしていた日の光、吹きすぎる風の匂い、そういうものでもあった。 「私、兵六さんのお嫁になりたい」  と妹の節が言った。 「どうして?」 「だって、あのひとおもしろいから」 「だめ。身分が違うでしょ」  路は叱ったが、路自身も粗忽でおもしろい兵六の嫁になりたかったのである。路は十五で、節は十三だった。そういう時は終って、巣をこわされたつばめは、もう来年は来ないだろう。すべてが変ったのだった。  路は杢平が持つ提灯の光を避けて、そっと指で涙を押しぬぐった。むかしを懐しんで涙ぐむとは不覚なことである。 「杢平、来年はつばめは来ないでしょうね」 「へい、今度は来ますまい」  曾根兵六も、だしぬけに巣を取り上げられたつばめのようだと路は思った。生死いずれにしろ、兵六にはもはや二度と会うことがないだろうとも思った。 [#改ページ]     三 月 の 鮠《はや》      一  窪井信次郎は、ぼんやりと垂れた釣糸の先を見ている。  雪解けがまだ終っていないので川水は濁り、水嵩《みずかさ》も多かった。もっとも川は、ひところのように濁り水が波打って流れくだるというふうではなく、水面はなめらかで岸を打つ水の音も小さかった。  濁った水面に、昼過ぎの日が映っている。日はほとんど静止して見える水の上にまるくうかんだかと思うと、つぎの瞬間には小さな渦に形を掻き乱されて、四方に光をちらしてしまう。しかし渦が下流に移ると、たちまちにまた、まるく眩《まぶ》しい光の玉になって元の場所にもどって来る。水に映る日は、休みなくそういう動きを繰り返していて、信次郎の目は、どうかすると釣糸や浮子《うき》の動きよりもそっちの方に奪われがちになる。  もともと信次郎は、それほど熱心に魚を釣ろうと思っているわけではなかった。藩では非番の家中と家中の子弟に、鳥刺しと釣りを奨励する。釣りは海釣りでも川釣りでもよい。つまり山野を歩いて足腰を鍛えろというわけだろう。しかし信次郎は、足腰を鍛えるために釣りに来ているのでもなかった。  ただ、家にいたくないから仕方なく釣竿を持って外に出て来ただけである。窪井信次郎は胸に簡単には消えない鬱屈をかかえていた。そのために、時には家の者と顔を合わせるのもいやになることがある。だからぶらりと出かけて来たのだが、すれ違う村の者はともかく、釣竿さえかついでいれば家中の者はただの道楽とは見做《みな》さない。気楽だった。  信次郎が釣糸を垂れているのは、岸辺に新しい葉をのばしはじめている葦《あし》原のはずれで、川はその場所で、ゆるく曲って目の前に小さな淀みをつくっている。  濁った頭の中に、不意に女の低い声がひびいたように思った。新しい婢《はしため》おもとの声である。おもとは今朝、物置小屋の前で釣りの支度をしている信次郎を見ると、足音も立てずに近寄って来た。そしてわざとのようにひそめた声で若旦那さまと言った。沢山お釣りになることはございませんよ、川魚は生臭くていけません。  お前に喰わせるために釣るわけじゃない、とどなってやればよかったのだ、と信次郎はぼんやりと思っている。淀みの水は静かだが、それでも水の底には上からは見えない流れがあるとみえて、浮子はほんの少しずつ位置を移して、流れの速い方に近づいて行く。  ──どなるかわりに……。  おれは襟元からのぞいているおもとの胸を見ていたのだ。ちょうど浮子がああして抗《あらが》いようもなく流れに引っぱられて行くようにだ、と信次郎はひそかに自嘲した。  正月過ぎに、買物に出た雪の道で婢のおとらばあさんがころび、腰を打って動けなくなった。おとらはもう三十年以上も窪井家に奉公している台所の主なので、信次郎の母は医者にみせたあとおとらを湯治にやった。ふた月ほどして痛みは消え、おとらは一度もどって来たが、大事をとった母の言いつけで、その後も市中に住むたった一人の身寄りである姪の家に身を寄せて休養している。  おもとは、そのおとらがもどって来るまでという約束で雇い入れた婢だった。若いころから家中屋敷で働いて来たというのに、そういう経歴には不似合いな色気を感じさせる女だった。信次郎は、母がおもとにむかって、襟元をきつく合わせるようにときびしく叱っているのを聞いたことがある。  おもとは若くはなく、二十半ばかと思われた。肌が白くて無口な女だった。そして怠け者というわけではなく、ほかの婢に負けずに立ち働いていることは、信次郎のような若い男の目で見てもわかった。  しかしおもとは、着物の上からもそれとわかるほどに豊かな胸と腰を持つ、立ち姿のきれいな女でもあった。顔は頬骨が出て口が大きく、器量がいいとは言えなかったが、その姿で胸元をゆるやかに着つけ、白い胸をちらつかせていると、おもとは何となく淫蕩《いんとう》な感じがした。  信次郎の母がおもとの着つけを叱ったのも、着つけそのものよりも、武家の婢にあるまじき淫蕩の気配を感じ取っていましめたのだったかも知れない。  そして窪井家の主婦のその不安はあたって、窪井家の男たちは、当主の外記は論外として、ほかは多かれ少なかれ、色っぽいおもとから目を逸らせなくなっているようだった。  信次郎は厩《うまや》の前にいる若党の戸田兼七と厩係りの下男の石蔵が、使いに出るおもとを身動きもせず見送っていたのを見ているし、べつの日には、六十を過ぎた老僕の弥吉が、門ぎわのすれ違いざまに、見かけによらないすばやい身ごなしでおもとの臀《しり》を打ったのも目にした。信次郎は不快だったが、そういう自分自身が、気がつくと跪《ひざまず》いて式台を拭いているおもとを遠くからじっと見つめていたりする。  ──おれがこういう男になったのは……。  あの日からだと信次郎は思った。三日に一度はおとずれて来る自己嫌悪をともなう屈辱の回想の中に落ちこんでいた。      二  あの日というのは、去年の秋に藩主の前で行なわれた、紅白試合の日のことである。そのときの最終試合で、信次郎は柘植《つげ》道場を代表して藩随一の遣い手と言われる岩上勝之進と立ち合った。勝之進は秋の紅白試合で、三年不敗の成績を残していた。しかし今度は窪井信次郎が勝つだろうという前評判が立っていた。信次郎は道場主柘植七郎右衛門が手塩にかけて育てた秘蔵の弟子で、二十になったばかりのさっそうとした青年剣士だった。  道場の者や信次郎の父はもちろん、当日の試合を見るために二ノ丸の桟敷席に足をはこんだ重職の大部分、ひょっとしたら藩主までが信次郎の勝ちを期待したかも知れない。勝之進はともかく、勝之進の父である家老岩上勘左衛門は、傲慢《ごうまん》な人柄と人柄にふさわしい独断専行の藩政経営のために、家中の人人に憎まれていた。そして、憎まれながらも隠然たる藩政の実力者だった。  だが、反岩上派の期待を一身にあつめたその試合で、信次郎は無残に負けた。目を覆うとでも言うか、ほとんど一方的な試合だった。藩主とお相伴の重職たちは鼻白んだ顔で早早に席を立ったし、ほかの者は遠慮のない私語をかわし、嘲笑の目を信次郎に投げかけた。その試合では、信次郎だけでなく柘植道場も面目を失ったのである。  ──あれで……。  おれはおかしくなった。人間としての誇りは、失せ物をしたようにどこかに掻き消えてしまったし、それまで知らなかったおどおどした卑屈な心情だけが残った、といまも信次郎は、古い傷口を嘗《な》めるように考えている。  人に会ったり、話したりすることが、極端にいやになった。道場の者ともまじわりを断ち、信次郎は家の中でもなるべく、父母や奉公人と顔を合わせないようにしていた。この春から近習組に召し出されるという話は、どうやら立ち消えになったらしいと父から聞いたときも、落胆はせずむしろほっとした。そのあとにつづいた父の叱責はあまりこたえなかった。  日常のことすべてにわたって、まず投げやりな気分が動き、頭は大方濁っていて、中に詰まっているのは屈辱感だけのように思う日が多かった。  ──いまのおれが……。  気をそそられるものがあるとすれば、おもとの白い胸ぐらいのものだ、と信次郎は自嘲気味に思った。実際に、あの思わせぶりなゆるい襟の下には、どんな魅惑に満ちたものが隠されているのだろうか。  信次郎は濁った頭にふさわしいことを考えつづけたが、不意に、今朝のおもとのあの無礼なささやきは、こういうおれの卑しい心情をとっくにお見通しの上でやったことに違いないと思いあたった。要するになめられたのだ。その考えは、頭の中に詰まっている屈辱感を刺戟して、信次郎の身体をかっと熱くした。  ──引き揚げよう。  信次郎は乱暴に竿を上げた。するとその竿にぐいと重い手ごたえが伝わって来て、水から上げた糸の先に魚が跳ねた。手につかんでみると七寸ほどの鮠《はや》である。  針をはずして、信次郎は鮠を水に投げ返した。竿を巻いてから、水に漬けてある魚籃《びく》をのぞいた。中には鮠のほかに山女《やまめ》、岩魚《いわな》など、数匹の魚が動いている。山女や岩魚は谷川の魚だが、雪解けの増水で川まで出て来たのだろう。  信次郎は、川にむけて一度魚籃の口をかたむけかけたが、思い直して蓋をし、紐を腰にむすんだ。蛇を踏まないように気をつけながら、川岸の青草を踏んで下流にむかった。  川の左右は田圃《たんぼ》で、そこでは村の人人が鍬《くわ》をふるって、田を起こしていた。しかし城下の西を流れる平田川の上流になるこのあたりは、いかにも地形が狭く、田圃は帯のように川に沿ってひらけているだけだった。歩いて行く右手では田圃はゆるやかにせり上がって、その先は雑木林の丘になる。小楢《こなら》やえごの木の新葉が光っている雑木林の奥には、伐りひらかれた畑地が見えた。  対岸にひろがる田圃も幅は狭くその先はすぐに山だった。新葉を日に光らせている木木の斜面はかなり急で、傾斜の先は眩しい光が澱《よど》む空に消えている。しかし麓《ふもと》のあたり一帯は黒っぽい杉林が多く、その間に、今朝通り過ぎて来た村が見えた。宗岡新田という村である。  信次郎は橋をわたった。すると、にわかに腹がすいているのに気づいた。空腹は当然で、時刻は八ツ(午後二時)を過ぎているだろう。しかし日射しはますます暑くなって、日に照らされて川岸で飯を喰うのは気がすすまなかった。  信次郎は村に着くと、さっきは素通りして来た村はずれの道から、奥の方へ入って行った。山ぎわの静かな木陰のあたりで、持参したにぎり飯を喰うつもりだった。  村の中の道はわずかにのぼり坂になっていて、道わきには小流れが走っていた。家家は無人のようにひっそりしていたが、人がいないわけではなく、通りすがりにのぞいた庭の奥に、子供を背負った老婆が物を干しているのが見えた。  小流れは絶えず、人がつぶやくような小さな水音を立て、歩いて行く道は、生け垣の内からさしかける新葉の欅の大木に日を遮られて小暗くなったり、急に木陰も家もなくなって、真夏の道のように白く輝いたりした。村は意外に懐がひろく、信次郎は家並みの尽きたところでまた日射しの強い畑の前に出た。  だがその畑はさほど広くはなく、その先に鬱蒼としげる森が見え、その森のうしろは山だった。森の中に建物らしいものが見えた。  ──あそこまで行ってみるか。  と思いながら、信次郎は暑い日射しを浴びながら畑の中の道を歩いて行った。  森に着いてみると、そこは社《やしろ》だった。村の鎮守に違いない。村の中を流れる小流れの本流と思われる浅い谷川をわたり、苔《こけ》がはえている石段をのぼると、目の前に広場と古びてはいるが思いがけなく大きな社殿が現われた。山王社という額がかかっている。  社前の、砂まじりの広場は塵《ちり》ひとつなく掃き清められていて、杉の巨木に取りかこまれた神域は少し暗く、すがすがしい空気に満たされていた。社殿のうしろの方で、一カ所だけ杉の間を洩れる日射しが、光の束になって地面を照らしているのが見え、そのあたりで何の鳥か、絶え間なく小鳥が鳴いている。  信次郎は、社にむかって軽く手を合わせてから、社殿の横にある長床の縁側に腰をかけ、にぎり飯の包みをひろげた。海苔《のり》を巻き、中に梅干を入れたにぎり飯がうまかった。にぎり飯はおもとではなく、おさだという中年の婢がつくってくれたものである。 「あの、もし」  しばらくして女の声に呼ばれた。  顔を上げると、神域の広場とその先に屋根が見える平べったい建物の間を区切る生け垣のそばに、若い娘が立っていた。紺の絣《かすり》を着た娘だった。気づかなかったが、娘がいる場所には柱だけの粗末な門が立っていて、青い槇《まき》の生け垣の精のような娘はそこから出て来たらしい。  若い娘は、少しも臆したところのない澄んだ目を、じっと信次郎にむけながら言った。 「別当が、よろしかったらお茶をさし上げたいと申しておりますが……」 「誰が?」 「この社の別当です」  信次郎は黙って娘を見た。にぎり飯どころではなく、突然現われた清楚《せいそ》でうつくしい娘から目がはなせなくなっていた。娘を見ながら、信次郎は身体の中に、何かしら名状しがたい清らかなものがひと筋ふた筋、流れこんで来るような不思議な気分に襲われている。 「いただこうか」  われに返っていそいでにぎり飯を片づけると、信次郎は娘のあとから細い藁しべでつくったしめ縄の下をくぐり、神域の外に出た。すると、茅葺《かやぶ》きの平屋の縁側に立ってこちらを見ている中年男の姿が目に入った。  鼻下とあごの下に漆黒のひげをたくわえた、目つきの鋭いその男が、娘が言う神社の別当に違いなかった。 「やあ、ご城下からまいられたか」  と、男は横柄な口調で言った。山伏特有のダミ声にはおどろかなかったが、男の視線の険しさは信次郎をおどろかせた。  頭は濁っていても、信次郎は剣士である。男の目のいろがほんの少しの親しみも含まない、警戒心あふれるものであるのを見破るのに手間はかからなかった。      三  登城する父親が、いったん表口にむかったのにまた引き返して来た気配を覚って、信次郎はいそいで茶碗を置くと、板の間に坐り直した。すると、ほとんど同時に台所の戸があいた。 「またこんなところで、朝飯を喰っておるな」  父親の外記は、立ったままにがにがしげに言った。家人を避けて、台所で飯を喰っているのを咎《とが》めたのである。 「は、遅くなりましたので、遠慮しました」 「いい加減に、きちんとせぬか」  父親は、信次郎とそばで給仕をしているおもとの双方を睨《ね》めつけながら、鋭い声で叱ったが、しかし信次郎にはその種の叱責は何の効き目もなかったのを思い出したらしく、疲れたような声にもどって言った。 「また、今日も釣りか」 「はい」 「度が過ぎると、人が言っておるぞ」 「………」 「まだ道場に行く気は起きんのか」 「行っても、無駄かと存じます」 「情ない男だ」  父親はまた激した声になりかけたが、辛抱強い口調にもどって言った。 「そうではないと言う者もいる。この間城中で浅見彦十郎に会ったが、そなたが道場にもどるなら、一度稽古台になってもいいと言ってくれたぞ」  浅見彦十郎は番頭《ばんがしら》の要職を勤めていて、もういい齢だが、若いころは柘植道場で剣名をほしいままにした人物でもあった。 「彦十郎は、去年の秋の試合を納得しておらんそうだ。必ずわけがある。一度稽古の相手をしてそのあたりを見きわめたいと申した。有難い話ではないか」 「道場には、そのうちに参ります。ご心配なく」 「ご心配なくだと?」  外記はかえって疑わしそうに、息子の顔をにらんだ。 「いい加減なことを申すなよ」 「決して」 「信次郎、わしもな……」  外記の目は信次郎とおもとの上を通り越して、ひらいている台所の小窓の方を見た。すると、放心の表情をうかべた外記の顔に、窓の外の青葉の照り返しがとどくのが見えた。 「あの岩上の倅《せがれ》を、そなたが叩き伏せるのを見たいのだ」  岩上勘左衛門は、外記の生涯の政敵ともいうべき男だった。組頭である外記には、三十半ばを過ぎたころから、何度か中老、あるいは家老に昇進する機会があったのだが、勘左衛門はことごとくその芽を摘んで来た。家中なら、誰でも知っている事実である。  窪井とは政策の根本を異にする、ともに藩政を議するわけにはいかぬと勘左衛門は言うが、事実は識見にすぐれる外記が藩中に持つ、ひろい人望を恐れているだけだとみる人の方が多かった。  わしはあきらめんぞ、そのことをおぼえておくことだと言って外記は行きかけたが、また引き返して台所に顔を突っこんで来た。 「龍村との縁談のことで、かかさまが話があると言っておるぞ」 「あの話はもう、終ったことだと思っていましたが……」 「そうもいくまい。田代の立場もあることだ。ともかく出かける前に話を聞いておけ」  しかし信次郎は、母親がいる居間には顔を出さず、おもとをせかしてにぎり飯をつくらせた。そして裏口から忍び出ると、釣竿と魚籃だけを持って屋敷を出た。  ──龍村の話などを……。  何でいまごろ蒸し返すのか。登城の藩士に出会わないように、裏道から裏道へとたどって市外にむかいながら、信次郎は思った。  龍村の家は当主の左門が御小姓頭を勤め、世にときめいてはいるものの、家柄も禄高も窪井にくらべれば格下である。それはともかくとして、去年の秋の試合で信次郎が岩上勝之進に敗れると、龍村では時をおかずにいますすめている両家の縁談を取りやめにしたいと申し入れて来た。  その試合で信次郎が男を下げたことはたしかだが、それにしても龍村のやり方はいかにも情がなく、露骨なものだった。道化者に娘はやれぬと言わんばかりだったのだ。そのときのことを思い出すと、信次郎の胸の中にいまも熱い屈辱感が疼《うず》く。  龍村のそのやり方は、窪井家だけでなく仲人役の田代甚兵衛も怒らせて、縁談はそのまま立ち消えになっていたのだが、その話が出て来たところをみると、田代がまた仲人役で動いているのだろうか。  それにしても、去年の怒りを忘れたように、易易としてその話に乗りかけているかのような父と母の気持が、信次郎には解せなかった。父はまだ執政の座にのぼるのぞみを捨て切れず、羽振りのいい龍村左門や元の中老田代甚兵衛を、ぜひとも味方にして置きたいと考えているのだろうか。  ──だが、おれにも……。  おれの考えがある、と信次郎は思った。去年の龍村の一方的な通告を、簡単に忘れることは出来なかった。それに、龍村の娘多幾からは、もう気持がはなれている、とも思った。  といっても、信次郎は多幾を知っているわけではなかった。会ったことはなかった。ただ柘植道場に龍村の親戚になる男がいて、縁談が持ち上がったころに、龍村の娘は顔はまずくないが、滅法気が強いぞと笑いながら言ったのをおぼえているだけである。  縁談が順調にすすんでいたころは、西尾という男が言ったそういうことも、ほとんど気にならなかった。やがてはわが妻になるかも知れない若い女に対する、花やぐように落ちつかない思いが胸にあるばかりだった。だがいまは、むかしそう聞いたこともいやになっていた。  気持のその変化が奈辺から来ているかは、信次郎にもおよその見当はついている。出会ってからふた月近くもなるのに、まだ名前も教えてもらえない、どこか秘密めいた雰囲気を持つ、例の村の社の巫女《みこ》のせいに違いない。会ったことがなくとも、信次郎には龍村多幾の人柄は、社の娘の対極にあるもののように思われる。  五月の空は一面に曇っていたが、信次郎が平野を抜けて、社のある山麓の村に着くまで雨は降らなかった。しかし麓に着いてみると、切れこんだ谷の奥には昨夜の雨の名残りと思われる霧が湧き、山の斜面の緑の上を、切れ切れの霧のかたまりが這うように動いているのが見えた。  はじめて来たころは、まだ田起こしにかかっていた田には苗が植えつけられ、田の間を流れくだる川は濁って増水していた。村はずれの四辻で、信次郎は村の中に入る道に曲ろうとした。  そのとき、それまで気づかなかった川岸の人影が目に入った。その男は村人ではなく、藍《あい》いろの釣り着を着た武家だった。笠で面体を隠し、腰に小刀を帯び、釣竿を手にしていた。橋むこうの葦原よりももっと上流にいるので、男の齢のころなどはわからなかった。  ──めずらしいな。  信次郎は立ちどまって、男を見た。城下からいま信次郎が入って行こうとしている村、宗岡新田まではざっと二里(八キロ)、川岸を辿って来ると二里半近い距離になる。家中にも川釣り好きの者はいるが、平田川をここまで遡《さかのぼ》って来る者は稀だろう。  事実信次郎は、これまでこの界隈《かいわい》で家中の人間を見かけたことはなかった。それで足をとめたのだが、遠くに見える男は間違いなく釣り人だった。信次郎の方は見向きもせず、大きく竿を振ったのが見えた。  村を通り抜け、社の石段をのぼると、いつもの巫女が社前の広場を掃いていた。      四  信次郎は広場に入ると、隅にある低い石垣に腰をおろした。巫女は信次郎を見ると軽く会釈をしたが、口はきかずに地面を掃いている。今日は祈祷《きとう》があって神楽でも舞ったのか、白衣に緋の袴をつけていた。  巫女はほっそりしているが骨ばった感じではなく、目に見えないところに丸味を隠しているような身体つきをしている。いわゆる齢ごろにさしかかっているのだろう。齢は十六か七かと信次郎は思った。神楽巫女は十七までで、その齢を過ぎると楽人になったりすると聞いたおぼえがある。  巫女の軽やかな仕事の動きを見ていると、信次郎は気持がほのぼのと明るくなるような気がした。むこうは妙な男だと思っているかも知れないが、どう思われようと構わぬという気持だった。  信次郎は立って長床の戸をあけると、入口から長箒《ながぼうき》を引っぱり出して、自分も反対側から勝手に地面を掃きはじめた。娘はちらと信次郎を見たが、何も言わなかった。  まだ日はひと筋も射さず、神域はほの暗くてひえびえとした雨気が身体を包んで来る。しばらくは地面を掃く箒の音だけがひびいたが、いくらか娘に近づいたところで、信次郎は言った。 「寒くはないのか」 「いいえ」 「まだ、そなたの名前を聞いておらんな」 「………」 「そろそろ教えてもいいだろう。出会ってからふた月にもなることだし」  娘は黙って首を振った。 「覚浄別当が、すごい見幕で名を名乗れ、何しに来たと言うから、こっちは名前も身分も全部申した。それなのに、そっちは名前ひとつ明かさないというのは不公平ではないのか」  巫女の娘が手をとめて、くすっと笑った。 「名は照日乙女と申します」 「あ、笑ったな」  信次郎は思わず叫んだ。娘の笑顔をはじめて見たのである。一瞬、目の前に明るい花がひらいたような印象が残った。 「しかし照日乙女と言うのは、巫女の名前で本名ではあるまい」  信次郎は塵取りを持って来るために、長床の入口の方に引き返した。その途中で、急にひらめいたことがあった。振りむいて、鋭く娘を見た。 「そなた、武家の娘ではないのか」 「………」  娘は首を振った。表情が急に暗くなったように見えた。  二人はそれからしばらく、神社の裏手にある塵捨ての穴に、掃き寄せた塵を捨てる仕事に熱中した。見様見まねでやっているものの、そんなことをするのは、信次郎にははじめてのことだった。  仕事が一段落したところで、信次郎は言った。 「別当どのは、わしのことを何か言っておらんか」 「………」 「いや、言わなくとも、腹の中では妙な男だと思っているに決まっている。そなたもな」  娘は首を振ったが、信次郎はいいんだ、いたわってくれなくともと言った。 「そういう目で人に見られるのには馴れている」 「………」  うつむいていた娘が、顔を上げて信次郎を見た。その目に信次郎はうなずいてみせた。 「去年の秋に、藩公の御前で藩中一の剣士を決める試合があった。勝てば大変な名誉だ。わかるかな」 「ええ」  と娘が言った。 「みんなはおれが勝つものだと思っていた。相手は強敵だったが、おれにもその自信はあった。だが、三本勝負の試合でおれは一本も取れずに負けた。最初の一本を負けて、あとはがたがたと崩れた。相手は岩上勝之進という男だ」  そのとき、娘の表情を夜叉《やしや》のようなものが駆け抜けて行ったが、それは瞬《まばた》きするほどの間だったので、信次郎は見のがした。しかし目は何かを捉えたような気がして、思わず娘の顔を見直したもののそこにはもう変った気色は何もうかんでいなかった。 「なぜ負けたか、いまだにわからぬ。多分気迫が足りなかったんじゃないかな。というよりも、もともとおれがそれだけの男だったのだろう。自分で考えていたよりも、駄目な人間だったらしい」  いまでは、みんながそう言っていると、信次郎は自嘲の笑いをうかべた。 「ここへはじめて来たころもそんな気持でな。気分はどん底だった。ところがふらふらとここに迷いこんで、この神域と……」  信次郎は手をいっぱいにひろげて、四囲を見回した。 「そなたを見た」 「………」 「気持のいい場所で気持のいい娘に出会ったと思った。心が洗われるようだった。それで、ちょくちょくここに来るようになったのだ。ひょっとしたら、そなたに会えるかも知れぬと思ってな。むろん、たまには本気で魚も釣るが……」 「いまは、いかがですか」 「いま? ああ……」  信次郎は空を仰いで笑った。老杉の梢の先に見える空が、さっきよりはいくぶん明るくなっている。 「はじめて来たころにくらべれば、気分はずっと軽くなったな。出口がそろそろ見えて来たように思うこともある」 「それは、ようござりました」  娘は大人びた口調で言った。尋常な応対だった。 「こんなにしゃべったのは久しぶりだ」  と信次郎は言った。 「女子と、こんなに長く話したのもはじめてだな。いや、迷惑したろう。済まなかった」  いいえと娘が言ったとき、槇の間の門のそばに別当の覚浄が姿を見せた。 「窪井さま」  覚浄はダミ声で言った。 「ちとお話ししたいことがござるによって、おいそぎでなければこっちへ寄ってくださらんか」  覚浄は屈託ありげなむっつりした顔をしていた。照日乙女を相手に長話をしていたのを怒られるのかと思ったが、信次郎を奥座敷に招き入れて切り出した覚浄の話は意外なものだった。      五 「三年前の、いまより少し後のことになりますが……」  覚浄は、年寄った婢がはこんで来た茶を信次郎にすすめてから、自慢のダミ声をひそめた。 「古堀町の元の御番頭土屋さまのお屋敷で、一家滅亡の惨事があったのをおぼえておいででしょうか」 「むろん、おぼえておる」  と信次郎は言った。土屋家の惨事というのは、当主の土屋弥七郎か、嫡男の寅之介か、どちらかはわからないが、一夜白刃をふるって一家の者を惨殺してしまったという事件で、その記憶はまだ、人々の脳裏に新しい。  事件より三月ほど前に、土屋弥七郎は城下の富商から少なからぬ賄賂《わいろ》を取り、またひそかに彼らと豪遊していたという疑いをうけて番頭の職を辞し、その後取りあえず屋敷に謹慎しながら大目付の取調べを受けていた。  賄賂は藩の買物を周旋した見返りだったと言われ、それは御番頭という職能にてらして腑に落ちぬ疑いではないかと、首をかしげる向きもあったが、大目付の取調べは少しずつすすみ、土屋がうけた賄賂は、腑に落ちぬどころかおどろくべき多額にのぼることが明らかになりつつあった。惨劇はそういう時期に起きたのである。  では、と覚浄は言った。 「土屋さまが、御家老の岩上派の方だということはご存じでしたかな」 「そう聞いたようにも思うが、くわしくは知らぬ」 「岩上派の重鎮でした」  覚浄は言って、しばらく沈黙した。そしてまたつづけた。 「この事件には裏があると、そもそもの賄賂が発覚した当時から言われておりました。岩上家老が絡んでいるのではないかと、いうことです」  土屋家の暮らしは質素なものだった。そして同時に調べをうけた富商たちが申し立てた、多額の賄賂の行方はわからなかった。土屋はただの代理人に過ぎず、金は派閥の頭である岩上に流れたのではないかとは、誰しも考えるところである。  大目付と背後に控える藩の監察は色めき立った。岩上勘左衛門のひと目をはばからない奢《おご》った暮らしぶりは、かねてから家中の疑惑の的で、大目付は今度こそ岩上の首根っこを押さえられるのではないかと思ったのである。しかしその追及は、土屋家の惨事で頓挫した。土屋弥七郎か、嫡子の寅之介かは、調べが岩上に波及するのを恐れて、一家自裁の道に走ったものと判断された。 「しかし、金額の多寡は知らぬが……」  と信次郎は言った。 「商人から賄賂を取ったぐらいで、一家自裁まで行くものかな」 「さあて」 「何人死んだのだったか」 「奉公人をいれて、七人だそうです」  と言ってから、覚浄は信次郎を見た。 「じつは監察の中にも、いま窪井さまがおっしゃったようなことを言う方がおられて、大目付さまは、賄賂には調べられては困る別の深い仔細があるのではないかとさらに探索されたそうですが、これといった事実は現われず、調べも立ち消えになったそうです」 「どうもうさんくさい話だ」  信次郎が言うと、覚浄はうなずいてから、また鋭い目で信次郎をじっと見た。 「窪井さま、この話にはじつはもうひとつ、人には言えぬ裏がありましてな」  覚浄は急に落ちつきを失ったように、戸をあけたままにしてある縁側の方をきょろきょろと見た。 「聞いていただきたいのは、そっちの話です」 「………」 「よろしゅうござりますかな」 「よし、聞こう」 「土屋家では、奉公人をいれて七人が死んだと申しましたが、じつは人はそれで全部ではありませんでした。葉津《はつ》という土屋さまの娘がいまして、事件のあとで行方知れずになったのです」  土屋家の惨劇のあとは、調べに入った者が目をそむけるようなものだった。土屋父子は刀をにぎったまま家の中で息絶え、台所には中年の婢が倒れていた。庭先には若い婢と、白刃をにぎった若党が死んでいて、若党の身体には無数の傷痕が残っていた。若い婢をかばって、狂気の主人とかなわぬまでも斬り合ったものと断定された。  ところで少し奇異に思われたのは、弥七郎の妻女と金平という老僕の死骸が、屋敷内ではなく町の外で発見されたことである。もっとも古堀町は城下の坤《ひつじさる》(南西)のはずれを占める町なので、町の外と言ってもそんなに遠い場所ではなく、土屋家からせいぜい六、七町(約七百メートル)ほどのところだったろう。  二人はそこで斬り倒されていた。二人は町を出てどこかへ向かおうとしたのかが議論の的になった。古堀町から真西に向かうその道は、丸山という関所に通じている。領外に逃げるつもりだったのではないかという説も出たが、しかしなお調べているうちに、老僕の金平の実家が、方角は少しずれるもののやはり城下の西にあることがわかり、二人は難を避けてそこへ向かったものとされた。  弥七郎か寅之介かは、惨劇の途中で二人が逃げ出したのに気づいて跡を追いかけて斬り、引き返してさらに凶刃をふるったものとみられた。凶刃の主も犠牲者も、調べの者が屋敷に入ったときは悉《ことごと》く息絶えていて、手傷を負いながら生きのびた者は一人もいなかった。  そういう状況だったが、もうひとつ不思議なことは、土屋家の最後の一人、その年十四になっていた娘葉津の生死が知れないことだった。屋敷内、妻女と金平の死骸があったあたりを念入りに捜したが葉津の姿は見あたらず、また市内の土屋家の縁故やつき合いの濃かった商家を残らずあたったが、葉津はそこにも来ていなかった。  大目付は所属の足軽組を動かし、丸山の関所、海岸の手前にある金平の実家がある遠い村、平田川の流域一帯などをくまなく捜したが、葉津は見つからず、杳《よう》として行方を絶ってしまったのである。 「ここまで言えば、もうおわかりでしょう」  と覚浄が言った。 「巫女の照日は、土屋家の葉津さまでござる」 「なるほど」  これで一切が読めた、と信次郎は思った。娘の臆するところのない応対、時どき顔を覆う暗いいろ。 「土屋家の奥さまと金平が目ざしたのは、関所でも金平の実家でもなく、神室《かむろ》山でした。神室山の修験と土屋家は、歴代深いかかわり合いがありまして、奥さまはそこに逃げこもうとなされたのです」  神室山は、丸山の関所の北方にひろがる懐の深い山地で、この地方の山岳修験の聖地だった。峰峰、谷谷に建つ寺社はひと口に六大寺十八院と呼ばれ、ひろく人人の信仰をあつめている。  自分もこの山で修行した末派山伏で、神室山の本社から派遣されて、この社の別当をしているのだと覚浄は言った。 「屋敷から逃げ出したときは葉津さまを加えた三人でしたが、町を出てしばらくして追手に追いつかれ……」 「追手だと?」  信次郎は鋭く覚浄を見た。おどろきなさるな、と覚浄は言った。はじめのきょろきょろした印象は消えて、覚浄の面上には険しい怒りのいろが現われている。 「屋敷内の私闘ではなくて、一家は外から来た男たちに惨殺されたのだと、葉津さまは申します。男は五人で、顔を布で隠していましたが、はじめから一家みな殺しのつもりだったらしく、はばかりなく名を呼び合い、指揮をした男は、あとで頭巾まで取ったそうです。その男を、ほかの者は勝之進と呼んだそうです」 「岩上勝之進かな」  信次郎は強い緊張に捉えられながら言った。それが事実なら、岩上が土屋弥七郎の口をふさいだのだ。岩上勘左衛門は、何を恐れたのだろうかと思った。 「間違いありません」  と覚浄は言った。  追いつめられたとき、この社を頼るようにと葉津に教えたのは、弥七郎のお供で何度か山王社に祈祷にきたことがある金平で、葉津は草に隠れて男たちをやり過ごしたあと、二里の夜道を歩いてここまで来た。身体は泥だらけで、足からは血が流れていたと覚浄は言った。 「こうしてお話を申し上げたのには、わけがあります」 「………」 「窪井さま、どうかわれわれにお力を貸して頂きたい」  覚浄は言った。目尻が上がった鋭い目に、また濃い不安のいろがうかんだ。 「じつはここ数日、得体が知れないお武家が、このあたりを徘徊《はいかい》しているようなのです。葉津さまのことが心配でなりません」  信次郎は背筋が冷たくなった。川向うに見えた、黒黒としたいで立ちの釣り人を思い出していた。      六  音もなく信次郎が踏みこみ、気合いとともに横山庄蔵の頭上一寸のところにすっと木剣を詰めたのを見て、浅見彦十郎はそれまでと言った。 「こんなところですか、先生」 「こんなものだろうて」 「これで去年、あんな負け方をしたとは信じられません」 「まわりの期待が重すぎて潰《つぶ》れたということだろう。しかしまわりに罪はない。本人が未熟だったのだ」  浅見と白髪の柘植七郎右衛門が話しているのをよそに、床に膝をついた横山ははげしく喘《あえ》ぎつづけた。顔からも手足からも、汗が滴って床を濡らしている。  信次郎は横山に手をのばした。 「疲れたか」 「いや、大丈夫」  横山は信次郎の手を拒んで、自分で立ち上がった。足もとがふらついている。 「よし、一服しよう。横山も来い」  恰幅がよく声が大きい浅見は、自分の家のように先に立って、道場から棟つづきの柘植家の母家にむかった。移動する四人に、武者窓からその日はじめての朝の日の光が射しかけて来た。 「今年の秋は、若殿が墓参のために帰国される由で、紅白試合は若殿を迎えて行なうと決まったそうです」  柘植の妻女がいれた茶を一服すると、浅見彦十郎はすぐに言った。 「やはり窪井を出しますか。技はまったく問題がないと思いますが……」 「本人の気持次第だ」  柘植がきびしい口調で言った。 「技など、はじめから問題はありはせん」 「先生」  汗を拭き終った横山庄蔵が、座に加わって言った。 「窪井を出すべきです。やはり、こいつは天才ですよ。ご覧になったでしょう。まるで岩に押さえられたようで、手も足も出ませんでした。柘植道場三席のおれがですよ」 「………」 「それに、田丸さんは病気持ちだし、誰も出せないとなると、道場の沽券《こけん》にかかわりますぞ」  横山はずけずけと言った。横山は小姓頭の横山庄兵衛の嫡男で、本人も近習組に勤めている。剣が出来、気性も明るい男で、信次郎が心を許す友人の一人だった。田丸というのは、師範代の田丸駿吉のことである。 「だから本人次第だと言っておる」  柘植がはじめて笑顔を見せた。 「窪井が自分から勝負したいという気持になれば、試合は九分通り勝てるだろう」 「ま、いそがずに考えてみたらいい」  浅見は言ってから、横山を振りむいた。 「昨日の夕方、むこうに新しい動きがあったそうだな」 「岩上の一件か」  と柘植が言った。 「そうです」  と横山は言ってから、浅見に顔をむけた。 「月番家老に呼ばれて、今日の夕刻にひそかに監察会議をひらくように手配すること、その決定は大目付との会談の結果であると、頭取《かしらとり》の河野さまに伝えるように言われました。昨日はそれがしが表係りだったもので」 「これはおもしろい。いよいよはじまるか」  浅見は言ってから、柘植にむかって火元はどうやら窪井のおやじどのらしいとささやいた。 「昨日の朝、登城したおやじどのが、月番家老の松村どのと密談した。これがざっと一刻ほどで、じつに長かった。何の密談だと、あとで松村どのに聞いたら、岩上だとひとこと申した」 「ほほう」 「そのあと、月番家老はすっかり落ちつきを失って、城の外に使いを出したり、人に会ったりしたところをみると、窪井のおやじどのは、岩上に関してよほど何か重大なことをつかんだのだ。そうだな、信次郎」 「さあ、それがしはよく聞いておりませんが……」 「大いにやるべし」  と柘植が言った。柘植は道場をひらく前は藩の物頭《ものがしら》を勤め、硬骨漢として知られた人物だった。 「岩上家老は藩の要所要所をひそかに金で押さえていると言われる。誰がみてもうさんくさい男だ。それに、わしも歴代の執政を見て来たが、かの男ほど人徳に欠ける人間もめずらしい。うわさのごとく、裏でよほどいやしい隠しごとを働いておるものとみえる。今度こそ、手加減せずに調べたらよかろうて」  柘植道場を出ると、信次郎は足どりも軽く市外にむかった。時刻はまだ早く、路上には早出の職人や登城の足軽の姿がぽつりぽつりと見えているだけだった。  昨日はいかにも梅雨模様の、音を立てないじっとりした雨が終日降りつづいたが、今朝は一転して、空は隅隅まで晴れていた。青い空から降りそそぐ日射しが眩しい。  足どりが軽いのは、むろん心に喜びがあるからである。そのひとつはたったいま終った横山庄蔵との試合のことだった。  昨夜浅見彦十郎から使いが来て、明朝稽古をみてやるゆえ明け六ツ(午前六時)までに道場に来いという手紙を持って来たときには、正直なところ迷惑な気がした。岩上勝之進に敗れてからざっと半年、その間ろくに木剣も振っていなかった。技も錆《さ》びついたろうと思ったのだ。  しかし浅見が同行して来た横山庄蔵と立ち合った結果は、望外なものだった。信次郎は自分でも意外に思ったほどに身体が軽く動き、技もすこぶる切れるのを感じた。横山の動きもよく読めて、稽古を怠けている間に、何かしら一段の進歩があったようなぐあいだったのである。あるいは宗岡新田まで歩きに歩いたのが、心身の鍛練になっているのかも知れなかった。  むろんそれで安心したわけではないが、今日の一勝で稽古への意欲を掻き立てられたことは確かだった。身体が稽古を再開したくてむずむずしているのを信次郎は感じる。  ひそかな喜びのもうひとつは、葉津のことだった。昨夜信次郎は両親を説いて、葉津を屋敷にかくまうことを承諾させた。葉津の身の上に危険な影が差していることを話し、岩上一族に対する内偵がすすんで、覚浄が言ったようなことが事実として浮かび上がって来たときは、葉津は貴重な生き証人となるはずですと説くと、岩上を生涯の敵と見做す父親は、思ったよりも簡単に承知した。  理屈はそのとおりだが、真実は少し異ったところにあって、正直なことを言えば信次郎は葉津とひとつ屋根の下に住めることがうれしかった。しかし葉津も、そしてむろん覚浄も、この提案に反対はすまい。  田にも畑にも、働く村人の姿が点点と見え、遠くに見える丘のあたりからかすかに筒鳥の声が聞こえて来る。丘は少しずつ傾斜を高めて、信次郎がむかっている方角にそそり立つ山につながっていた。歩いているうちに暑くなったが、信次郎は二里の道を苦にせず歩き通し、やがて谷間の入口にあるいつもの村が見えるところまで来た。  しかし、ちょうどそのあたりで、信次郎は二人連れの人間とすれ違った。二人は武家だったが、釣り人でも鳥刺しでもなかった。脚絆《きやくはん》、草鞋《わらじ》に身を固めた郷方の役人だった。二人の役人は、信次郎が行こうとしている村から出て来たように見えた。代官所の役人か郡《こおり》奉行の配下かと思われた。  信次郎を、身分ある家中と見たか、二人はすれ違うときに会釈を残して行ったが、信次郎がふと振りむくと、二人ともに道に立ちどまってじっとこちらを見送っていた。その姿から信次郎は不吉な感じを受けた。  ──朝早くから……。  何の見回りか、と思った。思わずいそぎ足になった。  不吉な予感はあたった。村に入ると、村人があちらに駆けこちらに走りしており、別当の家の庭には村の老若男女が、黒山になって詰めかけていた。 「何があったのだ」  さわぐ胸を押さえて信次郎が一人に問いかけると、村役人かと思われる、羽織を着た中年のその男は夜盗ですと言った。 「家の中はめちゃくちゃで、人が殺されました」 「人が死んだと?」  信次郎は鋭い声を出した。 「誰のことだ」 「別当さまと平助です。ご存じでしょうか、平助は召使いのじいさんで」 「巫女がいたろう」  信次郎は用心ぶかくあたりを見回してから、低い声で問いただした。その名前を出すときに、胸が苦しいほど波立った。 「照日どのはどうなったな?」 「あの子は行方知れずです。朝からさがしておりますが、姿が見あたりません。みんな心配しております」  信次郎は思案した。胸はまだ騒いでいたが、もう一人の年寄の顔が浮かんで来た。 「台所ばあさんはどうした」 「ああ、おたねですか。あれは命拾いしました。昨夜は早く家に帰ったそうでして」  信次郎が、その男におたねばあさんの家を聞いていると、別当の住居から出て来た郡奉行の配下と思われる役人が、長人《おとな》の六左衛門どのはみえているかと言い、声に応じて信次郎と話していた男が前に出て行った。  信次郎はもう一度、何気ないそぶりで人垣を見回した。すると、人人のうしろにあの男が立っていた。藍の裁着《たつつ》け袴に同じ濃い藍無地の短か着、足には蛇除けの黒足袋と脚絆をつけ、草鞋を履いている。黒黒とした立ち姿はまるで鳥だが、それは武家の釣り姿で、武家である証拠に男は魚籃をくくりつけた腰に、短刀を帯びていた。  男は村人のうしろからじっと別当の家の方を見ていたが、顔の表情は半ば笠に隠れて見えなかった。  信次郎は男に気を配りながらそろそろと人垣をはなれ、神域の森を抜け出した。村にもどって四辻を右に折れ、しばらくして路地をひとつ曲った。曲ると同時に、ぴたりと生け垣に身を寄せて待った。  すると軽やかな足音がして、やがてさっきの藍ずくめの男がぬっと角を曲って来た。信次郎は足を出し、つまずいてよろめく男の胸をつかんだ。すると男が思いがけない力で信次郎の手を振りはらい、逃げようとした。信次郎が追いすがって格闘になったが、信次郎の技が勝って、腰をいれて地面に相手を投げ落とした。胸を押さえつけると、男は観念したように手むかうのをやめた。 「岩上の手先か」 「………」 「昨夜の夜盗は、貴様らの仕業だな」 「何のことかわかりませんが……」  と、男は胸を押さえられたまま言った。あきらかに信次郎の身分を知っているようだった。笠が飛んだときに傷つけたらしく、額から血が流れていた。色の黒い四十過ぎの男である。 「巫女をどこにやった? 言え」  信次郎はふと狂暴な怒りに襲われて、男の頸《くび》をしめたが、男はひややかな目で信次郎を見返しているだけだった。信次郎は手をはなすと、もういい、行けと言った。  壊れた笠と釣竿を拾った男が立ち去るのを見送ってから、信次郎は四辻までもどり、長人の六左衛門に聞いたおたねの家をたずねた。おたねは死人騒ぎを聞いて気分が悪くなり、朝から寝こんでいるということで、板敷きに菰《こも》を敷いた部屋の隅に、襤褸《ぼろ》につつまれて寝ていた。  信次郎の顔は見わけたが、事件の話を持ち出すとおたねは身を顫《ふる》わせて泣き出し、葉津の行方も知らなかった。私は何にも知らないと繰り返すだけだった。  暗い気持を抱いて、信次郎はおたねの家を出た。覚浄と平助を殺したのは、岩上の一味に違いなかった。狙いはむろん葉津であろう。覚浄が恐れていたことが起きたのだ。  ──対応が甘かった。  もっとすばやく手を打たねばならなかったのだ、と信次郎は悔恨に責められた。葉津は殺され、死骸をどこかにはこばれたのだろうかと考えると、ぎりぎりと胸が圧迫されるようで、信次郎は立ちどまって小さく喘《あえ》いだ。水面に踊り上がった三月の鮠のように、若若しく凜《りん》としていた葉津の姿が目に浮かんでいた。  ──しかし、のぞみが……。  まったく消えたわけではない、と信次郎は思い直した。葉津は覚浄から、神室山のことをくわしく聞いていたはずである。あるいは首尾よく魔手をのがれて、神室山まで逃げのびたかも知れなかった。その一縷《いちる》ののぞみを、信次郎は信じたかった。  しかし、葉津の消息をたずねて山に行くのは危険だと思った。藍ずくめの男のことが胸にもどって来た。もし葉津が生きていれば、岩上一族は今後寸時もおれから目をはなすまい。おれは徹底的に見張られるぞ、と思った。  ただ、もし葉津が生きていれば、いつかはむこうから何かの便りがあるかも知れなかった。待つしかなさそうだと、信次郎は思った。  しかし、葉津からは何のおとずれもなく、生死も定かでないまま日は速く過ぎた。岩上の調べはつづいていたものの、決定的な証拠をにぎるまでに至らず、季節は夏を経て秋に移った。信次郎の岩上勝之進に対する憎しみだけが、日日肥え太って行くようだった。      七  見物の目には相撃ちと見えたかも知れないが、振りむいて打ち合ったときには、信次郎の竹刀がわずかに速く、その一瞬の遅速が勝敗を分けた。  勝之進は額を強く打たれて、よろめきながらうしろにさがった。鉢巻の下から血がひと筋流れ落ちるのを見ながら、信次郎も静かに足を引いた。  信次郎は行司役の鳥飼式部の宣告を聞き洩らした。しかし波のような見物のざわめきは耳に入って来た。三本勝負は、これで一対一になったのである。  自分の席にもどってあたえられた床几《しようぎ》に掛け、汗を拭いていると、うしろから道場の師範代田丸駿吉が声をかけて来た。 「勝之進は、このつぎは力で来るぞ。気をつけろ」  信次郎は無言でうなずいた。すると今度は、横山の声が疲れは大丈夫かと言った。信次郎は、それにも振りむかずに答えた。 「心配するな」  勝之進はまだ額の手当てをしていた。顔を回すと、桟敷にいる若殿の志摩守の姿が見えた。その右に小姓組の者たちと月番家老の太田権之助が控え、左側に並ぶ十人ほどの重職の末席には、父の外記の顔も見える。  そのあたりは二ノ丸の大杉の影がかぶさっていて、人人の顔は判然としない。桟敷席を正面に、三方にしつらえられた席にいる見物人は、武道奨励の建前から足軽も見物を許されているので、家中と合わせて七百人近い人数がいるだろう。盛況だった。  鳥飼式部が三本目の勝負を宣し、白扇で二人を広場の中央に招き寄せた。鳥飼は御奏者という優雅な役職を勤める人物だが、不伝流の名手でもある。  日は西に傾きつつあったが、広場を照らしているのは白日の光だった。信次郎と岩上勝之進が歩み寄ると、地面に濃い影が動いた。二人は竹刀を合わせ、鳥飼のはじめの声でするすると後にさがった。  勝之進のさがりが大きく、距離はあっという間に六、七間ほどにひらいた。信次郎はじっと相手を凝視した。湧き上がる闘争心をむしろ静めて、無心の境地を保とうとした。  不意に勝之進の五体が鳥のように膨らんだ。と思う間もなく、勝之進は足音も立てずに走って来た。竹刀は高く右肩に上がり、腰はぴたりと据わって、それでいて風のように速い見事な走りだった。  信次郎は目を大きく瞠《みは》って待った。そして殺到して来た勝之進の竹刀を、一歩だけ強く踏みこんで迎え撃った。  からからと竹刀が鳴った。二ノ丸の広場にひびくその音を、人人は身動きもせず聞いている。二人は目まぐるしく身体を入れ替え、離れるかと思うとまた身体を寄せ合い、寸時の休みもなく動き回っていた。その間にも、二本の竹刀は吸いついたようにはなれず、時折り革の中の割竹がからからと乾いた音を立てた。信次郎が、天風と呼ぶ柘植道場の得意技に相手を嵌《は》めたのである。  背丈では信次郎がわずかに勝るが、勝之進は胸が厚く多毛の質だった。膂力《りよりよく》でははるかに信次郎に勝るとみられている。その勝之進が、満身汗にまみれてのた打ち回っていた。竹刀はいくら力を入れてもはなれず、一瞬でも気を抜けば相手に巻き取られそうになっている。  大声を発して勝之進は信次郎を押した。信次郎がしなやかに退く。わずかに竹刀がはなれた。のがれ得たと思ったかも知れない。勝之進は引き足を使った。だが、その一瞬、目にとまらず動いた信次郎の竹刀が、勝之進の肩にはげしい音を立てて決まった。鳥飼がさっと白扇を上げて、それまでと言った。  どよめきの中を、信次郎は床几にもどって鉢巻を取り、汗を拭いた。身じまいをなおして、これから志摩守のお言葉を受けるのである。今日出場した十二人の剣士が一緒に、桟敷の前まで行くことになる。 「おい、あれを見ろ」  うしろから横山が言った。勝之進の席がただごとでなく騒然としているのが見えた。いま、知らせがとどいたのだ、と横山が言った。  試合前に、信次郎は遅れて来た横山庄蔵に意外なことを聞いた。たったいま、大目付と監察の三井多次郎が岩上の屋敷に入った。岩上が京都屋敷勤務の上方役を買収して、長年にわたって沖出し(輸出)禁止の雑穀類、和紙等を上方に売り捌《さば》き、巨利を得て富商らと利益を折半していたのが露見した。監察は動かぬ証拠をにぎったらしい、岩上も今度はおしまいだなと横山は言ったのである。  監察は元大目付、元中老、元家老といった要職の経験者から成る非常の監察機関で、大目付所属の足軽目付と足軽の一隊を探索の用に使うことが出来る。三井は元の家老で監察の指揮者だった。その話を聞いた心の動揺から、信次郎は勝負の一本目を失ったのである。信次郎は、勝之進に背をむけて、はずした鉢巻と襷《たすき》を畳み、床几の上に置いた。さらに襟をただし、袴の埃をはらっていると、不意に広場に叫喚の声が湧き起こった。  振りむくと白刃を手にした勝之進が、自分の席から走り出すところだった。勝之進はまっすぐに桟敷席の方に走って行く。狙いは岩上の審問を下命した月番家老の太田権之助か、それとも火つけ役の父の外記かと思ったとき、信次郎は自分もどよめきの中を走り出していた。 「窪井!」  という声がして、振りむくと横山が刀を投げた。つかみ止めて鞘《さや》を捨てると、信次郎は広場を斜めに走った。桟敷の五間ほど手前で、信次郎は走り寄る勝之進を迎え討つことが出来た。双方から踏みこみ、二人はただ一合斬りむすんだ。静まり返った広場の、にわかに濃さを増して来た日射しの中で、やがて勝之進の身体が少しずつよろめき揺れて信次郎からはなれ、ついに腰からくだけて地面に倒れた。濃い影がその身体に重なった。広場はまだ、ひっそりと静まったままだった。  その日、信次郎が疲労で這うようにして屋敷にもどると、客が来ていた。宗岡新田のおたねばあさんだった。  神室山はいったん深い谷間に降りて、そこから峰峰にのぼる不思議な山だった。遠い見かけとは違い、踏みこむといかにも山相の険しい山でもあった。  だが麓の宿坊で聞いた宝善院に行く道は、暗く険しい杉林の坂をのぼり切ると、小楢に樫《かし》や櫟《くぬぎ》、欅の大木などがまじる明るい雑木林の中をたどる、なだらかなのぼり道になった。山の秋は早く、歩いて行くと信次郎の肩をしきりに落葉が打ち、林の中にある楓《かえで》や漆《うるし》の目のさめるような紅葉が目についた。  昨日、おたねばあさんが持って来たのは、葉津の便りだった。神室山の宝善院から突然に人がたずねて来て、そこにいることを窪井信次郎に知らせてほしいという、葉津の伝言を持ってきたのだという。ついに待ちのぞんだ便りがとどいたのである。  おたねばあさんは、その便りに詫びをひとつつけ加えた。葉津が神室山に旅立ったのは、惨劇が起きる前日のことで、おたねはむろんそのことを知っていたが、覚浄に固く口止めされたので誰にも言わなかったのである。もっとも、宝善院という寺の名前までは聞いていなかったと、おたねは言いわけした。  おたねばあさんのことで、ほほえましいことがひとつあった。用を終えたころには日はすっかり傾いて、村への帰り道は、とっぷりと暮れて夜道になることはあきらかだった。おたねの顔におびえのいろがうかんだのを見て、信次郎は誰かに送らせようと言ったが、その役を思いがけなく婢のおもとが自分から買って出たのである。  おたねばあさんが死んだ母親に似ているなどと言い、おもとは甲斐甲斐しく身支度をするとおたねを送って行った。窪井家の男の使用人たちはそれをみて、あきらかに難をのがれたという顔つきだったので、信次郎は色っぽさだけ目立つおもとが隠し持っていた素朴な人情味を徳としたが、しかしむろん、近ごろはむかしのようにおもとの白い胸を盗み見て心みだれるということはなくなっている。  道はまた少しきついのぼりになり、粗い石段が現われた。喘ぎながらのぼると、不意に広い境内に出て、そこが宝善院だった。  信次郎が石畳の上に立ちどまって、松や樫の木に囲まれた、簡素な造りながら大きな寺院を眺めていると、横の住居の方から小桶を手にさげた若い巫女が出て来た。葉津だった。  葉津は本堂の前を通り抜けようとして、信次郎に気づいた。白衣に緋の袴がひときわ清楚に見える。信次郎は、やあと言った。葉津は小桶を下に置くと、信次郎に向き直った。その肩にも降って来た落葉があたった。  身じろぎもせず、葉津は信次郎を見ている。その姿は紅葉する木木の中で、春先に見た鮠のようにりりしく見えたが、信次郎が近づくと、その目に盛り上がる涙が見えた。 [#改ページ]     闇 討 ち      一  むじな屋の柱行燈は、油がわるい上に紙が煤《すす》けていて灯が暗い。そこに奥の方から、魚を焼く煙が濛濛《もうもう》と流れて来るので、店の中はうす暗くて、飲み客の顔もしかとは見さだめがたいほどである。しかし酔いの回った客は、そんなことにはおかまいなくオダを上げていた。  もっとも、ろれつの回らない舌で大声をあげているのは土間の腰掛けにいる百姓、町人で、店の一方の壁にそって細長く作られている上げ床の席はひっそりしていた。そこは武家の席で、いまも粗末な衝立《ついたて》で仕切られた席に十人足らずの武士が散らばって上がりこんでいる。時折り低い笑い声がすることもあるが、武家の男たちは概《おおむ》ね静かに酒を飲んでいた。すぐそばの喧騒には馴れているとみえて、気にする様子は見えない。  上げ床の一番隅の席にいる三人の武士も、同様だった。ほとんど声も出さずに、黙黙と酒を酌みかわしている。もの静かなその一角をことさらに振りむく者はいなかったが、仮に振りむいて、うす暗い光にうかぶ面体をたしかめようとする人間がいたら、そこにいずれ劣らぬ悪党づらの男たちを発見してぎょっとしたかも知れない。  しかし、なお仔細に男たちを眺めるなら、男たちの悪相が、じつは並はずれた鋭い眼光のせいであることにも気づくはずである。白髪まじりの髪と、顔に刻まれた深い皺《しわ》がその感じを助長しているのも知れて来るだろう。男たちは五十半ばを過ぎていた。半白の髪と顔の皺が、そのことを物語っている。  にもかかわらず、男たちは精気に溢れて見えた。そのちぐはぐさが、何となく悪党めいた印象をまわりにまき散らしていると言ってよいかも知れない。  三人の武士の名は興津三左衛門、清成権兵衛、植田与十郎で、三人ともに隠居の身分である。そのことは席の隅、植田与十郎のうしろの壁に立てかけてある三本の刀が、いずれも小脇差であることでも知れる。 「やっと来たぞ」  土間のすぐそばの席にいて、それまで鋭い目で店の奥の料理場のあたりを見ていた清成権兵衛がそう言った。権兵衛は満足そうに、向かい合う興津三左衛門、横にいる植田与十郎を見て微笑したが、それは長年の友人である興津と植田だから、満足の笑いとわかるので、普通の人が見れば野盗の頭《かしら》が獲物を見つけてほくそ笑んだと見えるかも知れない。  清成権兵衛は全体としては丸顔なのに、出額で頬骨が張り、肉の厚い顎もやや前に張り出して目はひっこんでいるという、出来損ないの唐梨《からなし》のような顔をした男である。 「やっと来よった」  権兵衛がもう一度満足そうにつぶやいたとき、盆を捧げた婢が酒の肴をはこんで来た。盆に乗っているのは、焼き上げたばかりの鰊《にしん》の切身と大根の古漬けである。  鰊は一本の魚体を三つに切り分けたとおぼしく、また大根の古漬けは、こまかに刻んで小皿に取りわけ、上からちょっぴり醤油を垂らしてある。 「どう配りましょうか」  と婢が言ったのは、三つに切り分けてあるものの、数の子で腹がふくらんでいる部分と、尻尾の部分では切身に差がある。そのことを言ったのである。 「わしは尻尾をもらおう」  と興津三左衛門が言った。興津の眼光も尋常でない光を宿しているが、面長の顔は色白で、興津は三人の中では一番品よく見える。  それもそのはずで、興津の家は二百三十石、興津自身は隠居するつい二年前までは近習頭取を勤めていた。ついでに言えば清成権兵衛は四十五石の普請組勤め、植田は百石取りで代代郷目付を勤める家の、それぞれ隠居である。植田の顔も手も真黒なのは、長年にわたるその勤めのせいだった。  興津がそう言ったので、婢は数の子の入った切身を清成と植田のこの土地で言うヘゲ(足なしの角盆、ヘギ)に配った。そして大根の古漬けの小皿も配ってから、婢が言った。 「清成の旦那は、この古漬けが好物だもんねえ」  婢は清成ににっこり笑いかけると、どうぞごゆっくりと言って去って行った。齢は三十過ぎ、色白で太った女である。うす暗い光の中を、巨大な臀が遠ざかるのを眺めながら、清成権兵衛が言った。 「いまの女子《おなご》はな、わしに気があるのだ」  権兵衛はとくい気に二人を見たが、興津も植田も黙黙と鰊をむしって口にはこんでいる。鰊はいまがシュンで、もっともうまい時期を迎えている。 「ああやって、わしに謎をかけておるのよ」  二人の無視が不満らしく、清成権兵衛はもうひとつ突っこんだ見解を披露したが、興津も植田も見向きもしなかった。黙って鰊を喰い、手酌で盃を口にはこんでいる。  仕方なく清成も鰊に喰らいついた。権兵衛の家では、今年まだ鰊を喰っていない。シュンの魚は美味だった。 「ところで、今夜の相談事というのは何だ」  権兵衛があらまし魚を喰い終って、盃に手をのばしたところで興津三左衛門が言った。 「まあ、待て。あわてるな」  権兵衛は手を上げて二人を制すると、うまそうに盃の酒を飲み干した。興津と植田の二人がその様子をじっと見つめていると、清成権兵衛は盃を置き、少し芝居がかった身ぶりでじろりとまわりを見回した。  それから手で二人を招くようにして言った。 「ちょっと顔を貸せ」  二人が躙《にじ》りよると、権兵衛は声をひそめて言った。 「じつは、闇討ちを頼まれた」 「誰に?」  興津はおどろいて言い、植田はあっけにとられた顔で、箸をひかえると権兵衛を見た。しかし植田与十郎は、すぐに目尻の上がった細く鋭い目ですばやく店の中をさぐり見た。郷目付の目になっている。だが聞き耳を立てている者はいなかった。  長身の興津、巨躯の清成権兵衛にくらべると、植田与十郎はもっとも均整のとれた身体つきをしている。中肉中背のその見かけは、いまも若い時分とさほど変りがなく、腹が出て体型が一変した清成権兵衛とは雲泥の差である。  体型だけでなく、与十郎は顔にも美男子の評判をとった若いころの面影を残していた。といっても顔には齢に相応した皺が出て、鬢《びん》の毛ははや真白に変っているが、それがむしろ人に精悍《せいかん》な印象をあたえるのは、やはり与十郎の異様に鋭い眼光のせいだろう。その目を、植田与十郎は黙って権兵衛にもどした。 「頼み主の名は言えぬ」  と権兵衛は言い、おどろいて酒肴に手もつかぬ二人をさておいて、本人はうまそうに盃をあけた。  ふむ、とうなって興津は腕をこまねき、しばらく口をつぐんで清成権兵衛を凝視した。いまの複雑な藩内情勢を頭に思いうかべている表情である。  窮迫している藩財政の打開策をめぐって、執政府が真二つに割れてから久しいと言われている。荒蕪《こうぶ》地を拓いて田地をふやし、余力が出たら積極的な米の沖出し(輸出)をはかって財政を回復すべきだという開墾派と、そんな悠長なやり方では間に合わぬ、借財を恐れずに江戸、上方から資金を導入して、藩がすでに手がけている織物、紙、油などの諸産業を軌道に乗せるのが先だという産業派が、一歩も譲らずにぶつかり合っているのが現状で、しかも二つの主張の裏には、それぞれに利権が絡んでいて、問題を複雑にしているのだとも言われている。  当然、対立する両派の間には、腕に物言わせようとする動きもあって、しばしば繰り返される暗闘の中でもう何人かの死者と怪我人が出ている。清成権兵衛は、どうやらその、執政府を二分する暗闘に巻きこまれかかっている様子だった。 「で……」  腕組みを解いて興津三左衛門が言った。 「当然ことわったろうな」 「いいや」  権兵衛は首を振った。興津と植田は顔を見合わせた。 「なぜことわらん。そんな話は即刻……」  興津は大声を出し、それに気づいてまわりを見回すと、場所がわるい、何でこんなところにおれたちを呼びつけたのだと、権兵衛に文句を言った。 「なあに、ここが一番よい。聞いている者もおらんし、武家がひそひそ話をしても、ここでは誰も怪しまぬ」  権兵衛はそう言い、おれがことわらなかったわけを言おうかと言った。 「おれが勤めをしくじって、家禄を三ガ一に減らされたのは、おぬしらも承知だ。おれは倅に家督を譲るまで、せめて家禄をむかしの半分までもどしたいものだと思って、懸命に働いたが願いは叶《かな》わなんだ」  おぬしらにはわからぬ苦しみだ、と清成権兵衛は言った。権兵衛の家は元来は百三十石取りで、普請組勤めに替る前の権兵衛は御供頭を勤めていたのである。 「隠居はしたが、おれは肩身せまく暮らしておる。ところが、だ。頼み主は首尾よく仕遂げれば、家禄を元にもどしてやると言われた。おぬしらがおれの立場なら、さて、どうするな」 「それは罠《わな》だ、権兵衛」  ニベもなく、興津が断定した。 「貴様の心情がわからんわけじゃないが、そんないかがわしい話に乗ってはいかん。うまい話には裏がある。その男は貴様を使って誰かを闇討ちさせ、あとで貴様を消そうという算段に相違ない」 「それは、おれも考えた」  権兵衛は自分の前の銚子が空になったのに気づいて、与十郎のそばにある銚子をつかむと、与十郎と自分の盃に酒をついだ。そして、例のほくそ笑むような無気味な笑顔を見せた。 「そういうつもりかも知れぬが、そうは問屋がおろさん。罠などはずしてやる。そして家禄がもどるまでは、ぴったりと喰らいついてやるつもりだ。頼み主はそれだけの力がある人間だから、おれも話に乗ったわけよ」 「元気は買うが、身体はむかしのようには動かんぞ」  それまで一語も発しなかった植田与十郎が、はじめて口をはさんだ。与十郎は無口な男だが、権兵衛の言い分があまりに楽天的なので、聞き過ごし出来なくなったらしい。少し怒気をふくんだ口調でつづけた。 「無謀なことはやめろ。家禄などは打っちゃっておけばいいことだ。もはや隠居の出る幕ではあるまい」 「はッ、はぁー」  清成権兵衛は大口をあけて笑うと、じろりと与十郎を見た。そして、同じ隠居でもおれはおぬしらとは違うと言った。 「おれはいまも、毎朝木刀を振っておる。いつかはこういう日もあろうかと、鍛えを欠かさなかったのだ」 「………」 「もう調べはつけた。狙う相手は夜も提灯《ちようちん》持ち一人、家士一人、供はこの二人だけで他出する。何とかなる」  興津三左衛門と植田与十郎は、また顔を見合わせた。      二  城下の鳥飼町に、いまはなくなったが大迫《おおさこ》という雲弘流の剣術道場があった。道場主は大迫智伝で、当時は城下の武術道場は衰微して少なく、新しく出来た藩校附属の武芸教授所興武館の全盛時代だったのだが、大迫智伝の指南する雲弘流道場だけは断然強く、時折り行なわれる興武館との稽古試合でも、終始相手を圧倒した。  興津三左衛門、清成権兵衛、植田与十郎は、そのころの大迫道場を背負って立っていた剣士で、大迫道場の三羽烏といえば、当時は敵する者がいなかったものである。  三人が、いまも身分を越えてお前、おれの親密なつき合いをしているのはそのためだが、清成権兵衛に闇討ちの話を持ちこんだ人物は、当然大迫道場時代の権兵衛の剣名、さらにはその後の不遇ぶりにくわしい人間だろう。それが誰かは、権兵衛に言う気がないかぎりわからないことだが、たとえその人物が何者であれ、とても容認出来る話ではないと、三左衛門も思い、与十郎も思っている。  失敗すれば、むろん元も子もないが、たとえ成功しても藩には司直というものがある。事があらわれれば家禄三ガ一どころか、清成の家が断絶に追いこまれるのは、まず免れ得ないところである。どっちみち剣の刃わたりである。  その道理がわからないというのは、権兵衛はその相手から、よほどうまい話を吹きこまれているとみるほかはなかった。 「いったい、誰をやろうというのだ」  顔をもどした興津が言ったが、権兵衛はうす笑いして首を振っただけだった。 「いまにわかる。この月のうちには仕掛けるつもりだからな。あ、それから、相手は貴公らのマキ(親戚関係)ではないから、心配はいらぬ」 「そこまで心を決めているなら、われわれを呼ぶこともあるまい」  酒もさめ果てたという顔色で、興津は言った。面長の上品な顔を白くしたまま、射抜くような目で権兵衛を見た。 「それとも、後詰をしろという相談ならべつだ」 「いや、いや、いや」  権兵衛は顔の前でいそがしく手を動かした。 「おぬしらに迷惑をかけるつもりはない。これはおれの仕事だ。さっき申したように、成算はある。手助けはいらぬ」 「………」 「ただ、三左が言うとおり、この話には罠が仕掛けられているかも知れん。おれはそれも切り抜けるつもりだが、万一ということがある。そこで頼みだが……」  権兵衛は悪党づらを興津にむけ、植田にむけた。 「そのときは、骨を拾ってくれまいか」  しばらくして興津はよしと言い、植田与十郎は無言でうなずいた。権兵衛の顔に、また野盗の頭がほくそ笑むような笑いがうかんだ。 「いや、ありがたい。やはり持つべきものは友だちだ」 「手は出さぬが、決行の日取りと場所ぐらいは、われわれに言わんか」  興津が言ったが、権兵衛は笑顔のまま首を振った。 「そうか、ではもう止めぬ。しかしもう一度言っておくが、貴様のその話を持ちかけた男は悪人だ。油断するな」 「わかっておる。うまくやるさ」  権兵衛はうなずくと、空になった銚子をかかげて振りながら、熱いので飲み直そうと言った。権兵衛は権兵衛で、その闇討ちに賭《か》けている気配が窺《うかが》われた。  しかし清成権兵衛は、結局賭けに失敗したのである。  若い家士もかなりの遣い手だったが、ただの提灯持ちとみていた中間《ちゆうげん》、小太りでぼんやりした顔つきの中年男が、予想もしなかった達者な剣を遣う男だった。主人に提灯を預けると、身をひるがえして立ちむかって来たその男に、権兵衛は次第に斬り立てられた。  必死に斬りむすんで、若い家士の方は斬り倒したものの、軽軽と脇差を扱う中間には、一指も染めることが出来ない。一対一の斬り合いになった末に、権兵衛は逆に斬りこまれて右足に深手を負ってしまった。息が切れて来た。  もう、当の相手である主人の方に斬りかかるどころではない。権兵衛は防ぐ一方となり、辛うじて闇の中に逃げこんだ。相手は追って来なかった。足を引きずり、喘ぐ息をこらえて逃げながら、清成権兵衛は自分自身が不思議でならなかった。大迫道場の三羽烏と言われた男が、提灯持ちにしてやられるとは何事だと思っていた。  権兵衛が闇の中に逃げこみ、権兵衛に斬られた家士を背負った中間と主人が立ち去ると、上士屋敷がならぶ町の一角は、また深い闇につつまれた。時刻はおよそ四ツ半(午後十一時)、声も立てない闇の中の争闘に気づいた者はいなかったらしく、町は眠りに沈んだままだった。  しかしそう見えたのは束の間で、争闘の場所が闇に返り、すべての物音が絶えるのを待っていたように、やがてその中に動き出した者がいた。斬り合いが行なわれた場所から、少しはなれた路地の角で、火打ち金に石を打ちつけている人間がいる。  その人間は、火口《ほくち》を吹き、やがて提灯に灯をいれた。いそぐ様子もなく一連の仕事を終えると、その人間は提灯を持ってのっそりと立ち上がった。明かりにうかび上がったのは、顔を黒い布で覆い隠した大柄な男である。腰に刀を二本さしている武士だった。  男は足音も立てずに斬り合いがあった場所まで出ると、提灯の明かりで地面にこぼれている血の跡を入念に調べた。そして逃げた清成権兵衛がこぼして行った血の跡を見つけると、やはりいそぐ様子もなく、その後をたどりはじめた。  血痕《けつこん》は点点とつづいていて、提灯の光でも難なく見つけることが出来る。大柄な男は、血の跡を追って上士屋敷の間を抜けると、やがて河岸に出た。すると、そこにぶちまけたような血だまりが見つかった。  提灯を持つ男は、片膝をついて血だまりとその周辺の地面をじっくりと見た。そしてそこに、刺客の権兵衛が転んだ跡があるのを見つけた。男はうなずいて立ち上がると、また辛抱づよく血痕を追って行った。そして血痕が、河岸の中ほどにある古びた魚市場の建物の前で消えているのを見ると、立ちどまって刀を抜いた。  提灯の光が、建物の横に片膝をついて、斬られた足の傷を縛っている権兵衛のうしろ姿を照らし出した。提灯を投げ捨てると、男は足音もなく権兵衛のうしろに走り寄った。そして振りむいた権兵衛の肩に、すばやく斬りつけた。  その一撃を受けながら、権兵衛もこのとき、往年の大迫道場の三羽烏の一人らしい、俊敏な技を放った。片膝をついたままで、振りむきざまに斬り上げた権兵衛の刀は、蛇のようにのびて男の腿《もも》を斬り裂いた。だが、提灯の光が燃えつきる直前に、男のつぎの一撃が間に合った。清成権兵衛の顔はざくろのように割れて、つぎの瞬間には暗闇に沈んだ。      三  外に出ると霧のような雨が降っていたが、その用意をしていたので、興津三左衛門と植田与十郎はすぐに傘をさして歩き出した。 「さて、われわれもどこかで精進落としをするか」 「それがよかろう」 「むじな屋か。まだ少し早いかな」  興津は傘をかたむけて、暗い空を仰いだ。梅雨の雨ではや日暮かと思うほど天も地もうす暗いが、まだそんな時刻ではないはずである。いや、そろそろよかろうてと与十郎が答えた。 「しかし、倅はなかなかしっかりした男ではないか」  興津は、いま出て来た清成の家を振りむいてそう言った。今日は死んだ清成権兵衛の満中陰、すなわち四十九日で、二人は招きをうけて法事につらなって来たところである。 「われわれにも気を遣って、法事に招くなどは、なかなか物のわかった男だと思うがな。女房どのもあの嘆きようだし、肩身狭く暮らしているなどとは、どういうことかわからん」 「さようさ」  と植田与十郎が言い、二人はそのあと黙りこくって道をいそいだ。  はたしてむじな屋は店をあけたばかりで、中に入ってみると二人が一番手の客だった。この間の太って色白の婢が迎えて、酒の注文を聞いた。 「精進明けだから、魚を喰ってもかまわんわけだ」  興津はそう言って、小鯛が入っているかと聞いた。あるという返事を聞いてからしばらく考え、結局一尾だけ焼いて半分に切って持って来るようにと言った。諸事倹約という、長年の藩の方針が身についている。ほかに山菜料理を一品と権兵衛が好んだ大根の古漬けを注文した。 「さてと」  興津は向き直って、植田与十郎を見た。 「その後、何かわかったか」 「少しわかった」  と植田が言った。 「大目付は、権兵衛を斬ったのは迫間《はざま》家老ではないと断定したそうだ」 「ほう」  興津は、いつもの射るような目で植田を見た。  清成権兵衛の斬殺体は、翌朝早く魚市場の戸をあけに来た市場の若い者に発見され、家中をゆるがす事件となった。その様子を見て捨ておきがたいと思ったのか、大目付に昨夜清成らしい男に襲われたと届け出て来た者がいた。開墾派の頭ともいうべき家老迫間甚之助である。  大目付の三宅九蔵は、ただちに徒《かち》目付を同道して迫間家老の屋敷をたずね、事情を聞いたのだが、家老は襲われたことはすすんで認めたが、権兵衛を斬殺したことは否定した。  手傷を負わせて撃退したが、相手を河岸の魚市場などというところまで追いつめて殺したりはしていない、と家老は言った。こちらも、命こそ取りとめたものの家士の堀内が重傷を負い、その怪我人をはこぶのに手一杯で、とても犯人を追うどころではなかったというのが弁明だった。  家老と同じことを、迫間家の家士と中間も言った。三人は一様に、襲って来たのは大男で、黒い布で頬かぶりをし、鋭い剣を遣ったと言い、また喜平という中間は、相手が逃げたので後は追わず、堀内を背負って早早に引き揚げた、斬り合いのとき相手の右足に深手をあたえたはずだと証言した。  権兵衛の死体は右足に傷を負い、その傷を黒い布で縛っていた。ほぼ迫間家で聞いた話を裏付ける状況だった。この段階で、迫間家老が襲われたのはほぼ事実で、襲ったのは清成権兵衛という見当はついたのだが、大目付の三宅は、迫間家の関係者の話を鵜呑《うの》みに信じたわけではなかった。  疑問の余地を残した。第三者の証言が皆無だからである。仮に家老と権兵衛の間に斬り合いがあったとしても、両者の間にどのような事情があったかは測り知れない、と三宅は思っていた。  そしてまた、迫間家老の話が真実だとしても、では誰が権兵衛を斬ったかということになると、これまた皆目見当もつかなかった。三宅がそう言うと、迫間家老は「知れたことさ、あの男の仕業だ」とある人物の名前を挙げ、その人物が権兵衛を使って、邪魔なわしを除こうとしたに違いないと断言した。そこで三宅は、なお迫間の身辺や当日の動きなどを調べる一方、迫間家老が名前を挙げた人物についても調べをすすめている。  以上のようなことを、植田与十郎は、むかし自分の下で働いていた徒目付樋口伊平次から聞いていた。 「問題は提灯だ」  と、植田が言ったとき、さっきの婢が酒肴をはこんで来た。婢は大きな膝頭をみせて、土間から上げ床の席に躙《にじ》り上がると、二人の前に酒肴を配った。  そして笑顔で言った。 「今日は、お二人さんだけですか。清成さまはご都合でもわるかったのかしら」  興津と植田は、顔を見合わせた。そして興津がぎこちなく咳ばらいをひとつして言った。 「権兵衛は病気だ。当分は来られぬ」 「おやまあ、お気の毒に」  と婢は言って眉をひそめた。心底心配そうな顔をした。 「権兵衛も、まんざらホラを吹いていたわけでもなかったか」  興津が言い、二人は低く笑い合った。そして、しばらく無言で酒を飲んだ。その間に、ぼつぼつと客が入って来たが、眼光鋭い二人の顔つきを見て恐れをなすのか、近くに寄って来る者はいなかった。 「提灯がどうした」  やがて興津が、中断した話の先を催促した。それで小鯛の骨を取りわけていた植田が、あきらめたように箸を置き、盃を干した。 「権兵衛が斬られた場所に、提灯の燃え殻が残っていた。提灯の底と握りの柄が半分ほどだそうだ。当然、権兵衛の持ち物ではない。権兵衛を襲った者が、斬りかかる際に捨てたものと見られている」 「ふむ、それで」 「迫間家老がその夜たずねたのは、同じ開墾派の組頭田所惣兵衛の屋敷だ。そこで樋口は、大目付の命令で田所の家にその提灯の燃え殻を持ちこんだというのだな。その夜、迫間家老の中間が持って来た提灯に灯を入れて渡したのは田所の家の者だから、鑑定を頼んだわけだ。その者がまったく違うと証明したという」 「おもしろいな」 「落ちていた提灯の柄には黒漆が塗ってあったが、迫間家の提灯は、柄に塗りがなくて、底がもっと大きい提灯だったらしい」  もう少し飲もうかと言って、植田与十郎は興津の盃に酒をついだ。二人はしばらく無言で、小鯛の肉をむしっては口に入れ、いそがしく盃をあけた。  山菜の|こごみ《ヽヽヽ》の味噌和えは美味だったが、大根の古漬けはそばに権兵衛がいないとさほどうまいものではなく、二人ともほんの少し手をつけただけだった。 「もうひとつ、大目付が配下にも他言を禁じていることがある。おどろくなよ」  と言って、植田は興津を見た。興津三左衛門は無言で植田を見返している。その顔にひとつうなずいてみせてから、植田与十郎は言った。 「権兵衛の亡骸《なきがら》には止めが刺してあったのだ」 「なんだと」  興津三左衛門は大きな声を出した。その声で、いつの間にかふえていた飲み客の何人かが、おしゃべりをやめて二人を見た。  興津は男たちにじろりと険悪なひとにらみをくれてから、声をひそめた。 「それで決まったな。権兵衛を殺害したのは頼み手だ。生きていられては困るから始末したのだ」 「罠だ」  と、植田も短く言った。  権兵衛に罠が仕掛けられるかも知れないということは、二人はもちろん、権兵衛自身も予想していたことである。  にもかかわらず、二人が権兵衛の死を罠と断定せずに、まだるっこしい大目付の調べの推移を見まもっていたのは、権兵衛を斃《たお》したのが依頼主ではなく、争闘相手の迫間家老である可能性も否定し切れなかったからだった。  権兵衛は骨を拾ってくれと言ったが、それはもちろん、罠にはまった場合を想定した頼みである。返り討ちに遭ったのでは骨の拾いようもないのだ。そのあたりは慎重に見きわめる必要があった。  しかし植田のいまのひとことは、これまでのそういう疑問を一掃するものだった。襲われた迫間家老の側が、生かして捕らえようとすることはあっても、刺客に止めを刺すことはあり得ない。  清成権兵衛がこぼした血は、大目付の調べがはじまったときもまだ、争闘があった四辻から河岸の魚市場の建物の横まで、点点とつづいていたという。興津三左衛門の脳裏には、提灯の光で血痕を照らしながら、逃走する権兵衛を追って行く討手の姿が思い描かれている。不意に建物の横を照らした提灯の明かりを、そこに這いこんでいた権兵衛は驚愕して振りむいたのだろうか。 「なかなか念の入った頼み手ではないか」  興津は植田に笑顔をむけた。面長で品のいい顔をしているが、目が異様に鋭いので、興津の笑いには権兵衛とはまた異る凄味がある。植田は無表情に、そういうことだと言って酒をあおった。  正直のところ二人は、闇討ちを仕遂げた場合に口封じの討手が現われるかも知れないとは予感したものの、不首尾のときの口封じには思い到らなかったと言ってよい。闇討ちをしくじった権兵衛自身が、そのことを口外するはずはないし、仮に迫間家老から届けが出ても、大目付の調べも成功と不首尾では力の入れ方が違うだろう。  これまでの例をみても、大体は闇から闇にうやむやになるべき事件と思うところだが、その依頼主はそうは思わなかったらしい。傷ついた権兵衛を追いつめて、止めを刺したのだ。よほど慎重な性格なのか、それとも事が洩れるのを恐れたかのどちらかだろう。 「それで、寺内の方の調べはすすんでいるのかな」  と興津が言った。寺内又左衛門は迫間家老が名指しした相手で、反対派を束ねる家老である。 「寺内家老は真っ向から否定したそうだ。いま大目付は寺内の家の者からまわりの者まで、その夜疑わしい動きをした者がいないかどうかを調べておるらしい」  植田が答え、二人はまた酒にもどった。小鯛も山菜も喰ってしまって、二人は言い合わせたように大根の古漬けに手を出している。店の中はいつの間にか飲み客で一杯で、わんわんという喧騒になっているが、興津の耳も植田の耳も、ほとんどそのざわめきを聞いていなかった。  不意に興津が顔を上げた。 「権兵衛の骨を拾わにゃならんだろうな」 「むろんだ」 「与十郎はどう思う」  興津はさぐるように、植田を見た。 「最後のところで、権兵衛はおそらく不意討を喰ったのだ。反撃の余地はなかったかな」  植田与十郎はすぐに答えなかった。その場を思い描くようにしばらく沈黙してから言った。 「それでもひと太刀は返したろうさ」      四  清成権兵衛の百ヶ日の法要が過ぎ、暑い夏も終って、城下を秋風が吹き抜けるようになったころに、興津の屋敷を突然に植田与十郎がたずねて来た。  興津の跡取り三之助の妻加弥が、余人にまかせず与十郎を奥の興津の部屋に案内し、茶菓の支度をした。 「こちらの嫁女は……」  植田はめずらしく、茶菓をすすめて退いて行った加弥のことを話題にした。 「いつ見ても若若しいの。二人の子持ちとは思えん」 「なに、そうでもあるまい」 「それに、貴公を心底うやまっている気配が見えて心地よい」  植田は、家の中のことで何か心に屈託があるのか、いつもに似ず長長としゃべったが、興津はそれには答えなかった。  植田を見て、ちょうどいいところに来たと言った。 「じつはこちらでも、その後少しわかったことがあって、おぬしをたずねようかと思っていたところだ」 「ほう、どんなことだ」 「いや、それより客人の話を先に聞こう」 「例の、われわれが見込んだ怪我人の件だ」  と植田は言った。  大目付の調べは遅遅としてすすまず、したがって清成家の処分も宙に浮いたままになっていたが、植田は興津と相談の上で大目付とは違う調べをすすめていた。  清成権兵衛は自分に止めを刺した男に必ず手傷をあたえているはずだという見込みで、その夜か翌日あたりに、城下に金瘡《きんそう》の手当てをした医者はいないかをさがし回ったのである。現に権兵衛に襲われた迫間家老の家では、その夜のうちに市内日吉町の外科医田原道順を呼んで、手厚く家士の傷の手当てをさせている。  しかし刺客らしい男を手当てした医者は、なかなか見つからなかったが、植田は隠居である。ゆっくりとさがし回った。駄目でもともとだと思っていた。ところがついに、それらしい医者が見つかったのである。  医者は城下のはずれ、薬師町に住む岩井貢という男で、元来は山伏くずれで少しは医の修業も積んだという経歴の持主だった。岩井は内科もみれば金瘡も手当てし、客によってはむかし取った杵柄《きねづか》で、頭痛の客に祈祷をほどこしたりして世を渡っていた。  世の中が梅雨に入る前のある深夜、岩井は金瘡の薬をもとめに来た年寄に、日ごろ金瘡によく効くと宣伝している、自分で調合した薬を渡したが、そのとき年寄がどうやら武家勤めらしい身なり、言葉遣いなのに心をとめた。  しかしその年寄は一度来たきりで、またその夜斬り合いがあり、馬洗川の河岸で武家が死んだことも耳に入らなかったので、薬を売った記憶は次第にうすれた。  ところがひと月ほど前に、岩井は偶然にそのときの年寄と顔を合わせた。買物があって市中に出かけ、その帰りに近道をするつもりで武家町を通ると、ある屋敷の門前に年寄がいて、外を掃いていたのである。岩井はそこが予想もしなかった大きな屋敷なのでおどろいたが、元来が気さくなたちなので、怪我人の傷はなおったかねと声をかけた。 「すると老人は、ひどくうろたえた顔をしたそうだ。その話を聞いたのが、ざっと半月前……」  植田はそこでがぶりとお茶を飲んだ。無口な男が長長としゃべったので、口が乾いたというふうだった。それから時時その屋敷を見張りに出かけた、と植田は言った。 「それで今日、ついに動かぬ証拠というか、それらしい男を見つけた。夕方、裏口でつかまえた婢にただすと、男はその家の家士で山崎沖蔵というそうだ。山崎はまだ、左足を軽く引きずって歩く。その屋敷は……」 「ちょっと待った」  と興津が言った。 「わしが先に言おう。そこは御中老の牧野源右衛門どのの屋敷ではないのか」 「これはおどろいた」  と植田は言った。口をひきしめて興津を見た。 「いや、さっき少しわかったことがあると言ったのはそのことだ」  興津は興津で、植田とはまたべつに、主として面識のある上士屋敷を回って今度の事件についての風聞を拾いあつめていた。茶飲み話の間さりげなくその話を持ち出すと、両派に属する者もそうでない者も、一様に興味を示してあれこれと憶測を述べた。  開墾派のある者は、当然寺内家老の仕業に違いないと断じ、ただちに証拠をあげられない大目付の無能ぶりを罵《ののし》ったし、産業派の者は産業派の者で、迫間家老は私怨が原因の私闘を、反対派弾圧の道具に使おうとしているのだと息まいた。そして派閥に属さず、概ね中間の立場を保っている人人の見方は、迫間家老暗殺の未遂事件を、開墾派、産業派両派の確執がたまたま表面化したものとみることで一致していた。  ところがそうしているうちに、調べの本筋とはまったく関係のない奇妙なうわさが、興津の耳に入って来た。  開墾派の中に裏切り者がいて、派の会合の模様が相手側に筒抜けになっているらしいというのである。不確かなことだぞ、と前置きして興津にその話をしたのは、ある中間派の上士だった。上士自身は、そのうわさを城下の米問屋敦賀屋から聞いたという。ただし裏切り者が誰かということまでは知らなかった。  敦賀屋とはまったく面識がないので、興津は顔見知りのもう一人の米問屋田島屋をたずねてうわさの真偽をただした。田島屋は藩が公認している五人の米問屋の一人で、藩に多額の金を貸し、また献金もし、もとめられれば藩財政について助言もする政商といった格の商人である。当然、藩上層部の内情に通じていた。  田島屋は、はじめは興津の質問をとぼけた返事でかわそうとしたが、やがて興津の眼光に追いつめられたというふうなにが笑いをうかべて、そのことなら米問屋はみな知っていることですと言った。  藩の改革方針がどちらに転ぶかは、米問屋としても目が離せない重大事だった。もし方針が開墾、米作田拡張に決まれば、現在の富に将来さらに富を重ねることが約束されるようなものである。どうせ藩は、田島屋たちの富商に、資金の投下を要請して来るだろうが、かなり長期にわたって資金の面倒をみても、お釣りは十分に来ると米商人たちはみていた。  しかし仮に反対派が勝って、諸産業推進が改革の目玉になれば、城下の油屋、木綿問屋などの中から、新興の特権商人が出て来て藩上層部とむすびつき、相対的に米問屋たちの地位低下は免れなくなるだろう。  そういう見通しに立って、米問屋たちはこれまで少なからぬ資金を、開墾派の領袖と言われている人人に注ぎこんで来た。趣旨はそういうことだが、形は個人に対する献金だからその金は賄賂の性質を帯びている。  ところがあるときの米問屋の会合で、おかしなことがあると言い出した者がいた。献金は反対派の側でも行なわれ、油商人、木綿商人、紙問屋などが活発な献金を行なっている。ところがそういう状況の中で、開墾派の領袖の一人が反対側の献金を受けていることが判明したというのである。  酔った席でそのことを打明けた油商人は、だからそちらの様子は筒抜けに知れている、と豪語したが、翌朝になると色青ざめて先に言ったことを取り消しに来たという。  米問屋の会合の席は、その話を聞いていっとき静まり返ったが、二股かけて賄賂を取っている人物の名前が出ると、口口に口外無用を言い合わせた。その人物は、開墾派の中では迫間家老に次ぐほどの実力者だったのである。 「口外無用の申し合わせがありますので、いくら興津さまににらまれても、その方のお名前は申し上げられません」  田島屋はそう言い、さらにつけ加えた。 「以前に、ご家老の迫間さまが夜道で襲われるという事件がございましたな。お役人衆は反対派の寺内さまをお調べのようでしたが、あたしら米問屋は、闇討ちを仕かけたのはお話したその方ではないかと思いましたよ」 「なにか、証拠でも……」 「証拠はございませんが、例の裏切りの話は迫間さまのお耳にもうすうすとどいたとみえて、私どもにも聞きに参られたのです。それが、事件が起きるひと月ほど前のことでした」  だからその名前はいずれ知れるだろう、と田島屋は言ったが、興津が家にもどって、田島屋が帰りにくれた菓子箱をひらいてみると、中に人の名前を記した紙片が入っていた。話の席に出た菓子に興津が手をつけなかったので、田島屋は、これはおみやげにいたしますのでお持ち帰りくださいと言い、ちょっとの間席をはずした。その間に名前を記した紙を菓子箱にしのばせたものとみえた。 「それが牧野中老の名前だったのだな」  植田が言うと、興津はちょっと待てと言って、部屋の隅に行くと手文庫をあけた。そして中から取り出した紙片を植田に渡した。達筆の字で牧野源右衛門さまと書いてある。 「これで間違いないな。迫間家老がうわさの糾明に動き出したとみて、牧野が先手を打ったに違いない」 「九分通りはな」  と興津は慎重な口調で言った。 「一抹の不安がないではないが……」 「それは中老ご本人に聞こうじゃないか」  なめらかに植田が言った。植田の顔はやや赤味を帯び、目は鋭く興津を見た。 「段取りはおれがつける。いいな」  植田を見送って奥の隠居部屋にもどると、興津三左衛門は半開きにしてあった障子をあけはなして、狭い縁側に出た。目の前に半分は蔬菜《そさい》畑になっている広い裏庭がひろがっていて、濃淡二つの光が地面をわけていた。日が傾いて、建物の影が庭の半ばまでのびているのである。  日に照らされている場所はまぶしくかがやき、建物の影に覆われた部分には、ひやりとした空気が淀んでいるかに見える。その光と影のきわ立った対照が、秋の到来を示していた。  興津が縁側にしゃがんで、畑の隅に咲いているややすがれた感じの立葵《たちあおい》の花を眺めていると、嫁の加弥が部屋に入って来て、茶器を片づけはじめた。 「お寒くはございませんか、そんなところにお出になって」 「いや」 「植田さまとは、だいぶ長いお話でしたこと」 「………」 「また清成さまのことですか」  振りむくと、加弥は膝に手を重ねて三左衛門を見ていた。加弥は微笑している。 「旦那さまが、おやじどのは清成権兵衛が変死してから、心ここにあらずという様子に見える。そのうち、何かとんでもないことをおやりになるのではないかと申しておりました」 「例によって自分では言えず、そなたに言わせたわけか」 「いいえ」  加弥はゆっくり首を振った。 「言えとは申されませんでした」 「同じことだ」  と興津は言った。跡取りの三之助は武士にしては気の弱い男で、それだけが興津の気がかりだった。 「そなたも心配かな」 「いいえ、わたくしは心配はしておりません」 「何かやらかすかも知れんぞ。まあ、そなたらには迷惑をかけぬよう心掛けるが」 「それは、おとうさまのお気の済むようになさってはいかがですか」  興津が振りむくと、加弥はつつむような微笑で興津を見ていた。部屋の中はややうす暗くて、外を眺めた目で見ると、加弥の顔は白い花のように見えた。加弥はさらに言った。 「清成さまとの昵懇《じつこん》のおつき合いは承知しております。家に代えてもつらぬきたい一念というものもございましょうから」  嫁が出て行くと、興津はまた目を庭にもどした。かがやく光が目を刺して来た。  加弥は興津が見込んでもらった嫁で、御書院目付赤石源三郎の娘である。賢くてうつくしい娘だった。わずかに勝気なところも、三之助にはむしろ似合いかと思われた。  しかし五年前に病死した興津の妻は、この嫁を気にいらなかったようである。ちらちらと見える勝気なところを嫌ったのかも知れない。格式好きの亡妻は、相手が高百石の御書院目付の家の子だということも気に喰わなかったらしい。妻の叱責を見かねて、興津が二、三度取りなしたことがある。  ──いい嫁ではないか。  と興津本人は思っている。加弥は姑《しゆうとめ》が亡くなると余人にまかせず三左衛門の世話をやき、痒《かゆ》いところに手がとどくような扱いをした。その扱いがなければ、晩年の寂寥《せきりよう》はとめどがなかったろう、と三左衛門は思うことがある。  突然に、興津は今日の明け方に見た夢を思い出していた。興津は誰か知らぬ、ほんの五つか六つの少女の身体を抱きしめていた。少女は興津の首に手を巻き、頬に頬をすり寄せた。少女のやわらかな肉とか細い骨の感触、そして血のあたたかみにつつまれて、興津は陶然としていた。まざまざと皮膚にまつわる快い感触があった。それは艶夢だった。  年寄ると、あんな夢も見るものかなと思ったとき、興津の胸は突然に波立った。少女の顔が嫁の加弥の顔だったのを、いまになってありありと思い出したのである。  興津は首を振った。なぜそんな夢を見たのかわからなかった。目の前の建物の影の部分がさっきよりだいぶ大きくなったようだった。      五  二人は手早く身支度をすすめた。植田は持って来た風呂敷包みをあけると、肌着から取り換えた。包みの中には襷《たすき》も草鞋も、頬かむりする布も入っていた。 「昨夜、この支度を調えておると、女房と倅が何の支度かと、えらい見幕でな、往生した」 「そりゃ、誰でも不審に思うだろうて」  興津は自分でも手を動かしながらうす笑った。 「それでどうしたな」 「文句を申すな、と一喝してやったが……」  植田は顔を上げて、三左衛門を見た。 「そっちは文句を言わんのか」 「支度を見れば倅は苦情を言うだろうが、今夜は宿直だ。嫁はうすうす感づいておるようだが、止めだてする気はなさそうだ。気の済むようにしたらよい、とこの間も申した」 「ふむ」  植田はちらと興津を見た。 「出来た嫁女だ」  二人は隠居部屋の灯を吹き消して、出口にむかうとそこで草鞋をつけて、厳重に足もとを固めた。加弥は、多分その方がいいと判断したのだろう、顔を出さなかった。二人は足音をしのばせて興津家の門を出た。  空に三日月がかかっていて、わずかな光を地上に投げかけていた。二人はいそぎ足に武家町を通り過ぎ、まだ人通りがあるかも知れない商人町を避けて、遠回りして橋をひとつ渡ると、河岸の道に出た。 「おい、こっちだ」  植田与十郎が声をかけて、先に立ってまた武家町に入りこんだ。城の三ノ丸の石垣下を、走るようにして抜けると、植田は武家町の通りにただ一軒はさまっている寺の門の下に、興津を引っぱりこんだ。 「息は切れておらんか」 「なに、大丈夫だ」  二人はささやき合い、そのまま待った。下見をした植田の話によると、四ツ(午後十時)前には、会合を終った牧野源右衛門がこの通りに姿を現わすはずだという。牧野中老はこのところ、毎夜のように派閥の会合に出ていた。 「そろそろ来るぞ」  植田が言い、二人は襷で袖をしぼると、黒い布で頬かむりして顔を隠した。またしばらくして、今度は興津が植田をつついた。四辻を曲って提灯が現われたのである。  近づくにしたがって、来るのは二人の武士だとわかった。片方が提灯を持っている。夜目にも大きな身体とわかる男だった。 「あれが山崎という男かな」 「待て、もう少し近づいたところで面体を確かめよう」  二人がささやいているうちに、提灯が近づいて、歩いて来る二人の顔も見えて来た。提灯を持っている大柄な武士は三十前後かと思われる男で、植田が言ったように軽く左足を引きずっている。  そして斜めうしろにつづくのは、半白の髪をした背が低く太った男だった。牧野中老である。 「よし、行くぞ」  ひと声残すと、植田が矢のように寺門から走り出た。若若しい身ごなしだった。暗闇から走り出た人間を見て二人は驚愕したようだったが、提灯持ちの山崎は、いちはやく事態を察知したらしい。主人に、ご油断なくとひと声かけると、提灯を投げ捨てて迎え撃った。  だが植田与十郎の八双の太刀さばきは、まだ往年の速さと激しさを失っていなかった。迎え撃ったときには山崎は、もう浅く肩を斬られていた。反撃をかわして植田は軽やかに退く。と思う間もなく、ふたたび八双からの打ち込みが山崎の頭上に襲いかかる。山崎も大柄な身体に似合わず軽妙な太刀を合わせたが、植田の剣をかわし切れなくて次第に防戦一方になった。  その様子を見て、山崎を援護するつもりだったろう、牧野源右衛門がはじめて刀を抜いた。その前に今度は興津が立ち塞《ふさ》がった。興津が構える剣は牧野が右に動けば右の退路を断ち、左に動けばすばやく左の退路を断って、とうとう牧野を狭い路地に追いこんだ。  その背後で、植田の鋭い気合いの声がひびいたと思うと、どさりと人が倒れる音がした。その直後に路地に走りこんで来た植田が、対峙する興津と牧野の横を、すり抜けるようにして前に走って行った。 「退路を断ったか」 「よし。いいぞ」  興津と植田が呼びかわすと、牧野中老がはじめて声を出した。 「貴様ら、何者だ」  その声が上ずった。かすかな月明かりでは表情までは読めないが、牧野の顔には恐怖のいろがうかんでいるはずだった。 「迫間の回し者か」 「御中老、清成権兵衛を罠にかけたのは感心出来ませんでしたな」  興津のその言葉を聞くと、牧野源右衛門は猛然と斬りかけて来た。たったいまの失言と捨て身の反撃が、権兵衛を罠にはめた証拠だった。  興津はわずかに足を送ってかわすと、ずいと身体を寄せて牧野の腕をつかんだ。急所をつかまれて、中老は動けなくなっている。握っている刀を落とした。中老の目に自分の目を近づけると、闇討ちは、と興津はささやいた。 「かような具合にやるとよろしゅうござる」  興津は刀を持ち変えた。あばれる牧野中老の胸をすばやく刺し通した。  十日ほど経って、迫間家老から興津三左衛門と植田与十郎に呼び出しが来た。 「二人とも、首を洗って来たろうな」  二人を居間に通すと、迫間はのっけからそう浴びせた。迫間は白髪で面長、おまけに首が長くて鶴のような相貌の老人である。 「何のことかわかりかねますが……」  興津がとぼけた返事をし、植田は無表情に家老を見ている。証拠は何ひとつ残さなかったはずである。 「横着なやつらだ」  迫間は二人をにらんだが、にらめっこではとても二人にかなわない。機嫌よく笑い出した。 「いやいや、二人とも隠居するにはもったいない気力、体力ではないか」 「………」 「三宅も、最近になってようやく、わしの事件の黒幕が誰であるかつかんでいたのだ」  三宅は、事件の前に清成権兵衛が夜分数度にわたって牧野の屋敷に出入りしていたことをつかんだ。さらに権兵衛が横死した現場に落ちていた提灯の燃え殻から、今年の春に牧野の屋敷に十張の提灯を納めた提灯屋を割り出した。竹の柄を黒漆で塗った提灯は、ほかの武家屋敷には納めていなかったのである。 「田島屋の話を聞くと、三左衛門、貴様らも牧野のことをいろいろと調べたようだが、あの男の旧悪は相当のものだ。商人からの献金は派閥にさし出して私せずと申し合わせたにもかかわらず、すべてわが懐にいれて贅沢三味、市中に若い妾まで囲っておった」  迫間家老はちょっぴりうらやましそうな顔をしたが、すぐに顔色をひきしめた。 「二股かけて賄賂をむさぼり、おまけにわしに気づかれたと知ると刺客をむけて来よった。生きて罪に服したとしても、とても閉門では追いつかぬ。いずれは切腹、軽くても領外追放を免れなかったろうて」 「………」 「三宅は権兵衛と貴様ら二人の交わりを知っておるからして、牧野の事件ではぴんと来たらしい。しかし牧野の事件はいま申したとおり、まだ証拠は何もない。今回に限り不問に付してはどうかという意見だ。由緒ある牧野の家は残そうということだな」  わしは賛成した、と迫間は言った。いま少し日にちが経ってから、わしが執政会議で証拠ととのわずという報告をして、わしの事件、牧野の事件をともに闇に葬ることになるだろうとつけ加えた。 「そういうわけでな」  迫間はやわらかい目になって二人を見た。 「わしの気持としては二人に褒美を出したいぐらいだが、それが出来ん。ただし、事件を一切不問に付すということで、権兵衛の家の家禄も減らさぬ。どうだ、そのへんで我慢するか」 「有難いお言葉にござります。権兵衛がさぞ喜びましょう」  興津が重重しく礼を述べ、二人はうしろにさがってうやうやしく頭を下げた。  興津と植田は迫間家老の屋敷を出た。晴れ上がった空から降りそそぐ日射しが、たちまち二人をつつんだ。人通りの少ない屋敷町を歩いて行くと、どこからか強く菊の香が匂って来た。いま生きていることを、ふとしあわせに感じるような午後だった。 「ちくと一杯やって、権兵衛をしのぶとするか」  めずらしく植田の方から誘った。 「むじな屋か」 「そうだ」 「何かうまいものがあるかな。大根の古漬けはもうわしは喰わんぞ」 「おれも喰わん」  と植田も言った。いい日和だったが、二人とも背のあたりに、こういうときにいるべきもう一人が欠けている寂寥を感じていた。口少なにむじな屋を目ざして歩いて行った。 [#改ページ]     鷦《みそ》  鷯《さざい》      一  窓の外にちっちっと鳥の声がした。横山新左衛門は内職の手をとめて顔を上げた。ほんの二声、三声だったが、澄んだ鳴き声は鷦鷯《みそさざい》に違いなかった。  父親が手を休めて聞き耳を立てているのに気づいたらしく、うしろから娘の品が声をかけて来た。 「鷦鷯でしょう」  少し間を置いてから、そろそろ季節ですからと品はつけ加えた。  今日は一日中薄ぐもりで、昼過ぎからはほんの少し日射しがちらついたりしているが、昨日、一昨日の二日間は、時雨が降ってはやみ降ってはやみする陰鬱な空模様で、ことに昨日は、日暮になるとそれまで降っていた雨がとうとう霰《あられ》から霙《みぞれ》に変った。背中のあたりがいやに冷えると思いながら板戸を閉めに立つと、薄暗い地面を打ち叩いているのは霰まじりの雨だったのである。  二日つづいたつめたい雨は、領国の境いにある山山ではおそらく雪になっていて、頂きを白い冬の姿に変えたに違いなかった。雲が晴れればそれがわかるだろう。しかし雨こそやんだものの、空はまだ灰色の雲に覆われ、庭には昨日までの底冷えする空気が残ったままだった。その片隅で、また鷦鷯が鳴いた。  鷦鷯の鳴き声は、新左衛門にある特別の感慨をはこんで来るものだった。新左衛門は五年前に妻を失ったが、秋口に倒れた妻の病いが、回復不能の死病であることを医師に告げられたのがこの季節だったのである。  門の外まで送って出た新左衛門にそう告げて去る医師を、しばらく見送ってから庭にもどると、夕やみがせまる庭のどこかで鷦鷯が鳴いていたのを、新左衛門はいまもこの季節になると思い出す。鳥の声は、医師の言葉を聞いて無限のわびしさに鷲《わし》づかみにされた思いでいる新左衛門の胸に、釘を打つような痛みをはこんで来た。  澄んだ、つぶやくような鳴き声は、もはやこの世から飛び去った妻の魂が、彼《あ》の世から何ごとかをささやきかけているかのような、一瞬の幻覚をもたらしたようだった。新左衛門はそのあと、すぐには家に入りかねて、しばらく夕やみにつつまれて立っていたものである。  ──死なれたときよりも……。  あのときの方が胸にこたえたな、と新左衛門は思い返している。死なれたときには、ある程度の覚悟が出来ていた。  うしろから、また品が声をかけて来た。 「お疲れではありませんか。もうそろそろ、しまいにされてはいかがですか」  新左衛門が振りむくと、煮炊きが出来る大きな炉のそばから、品がこちらを見ていた。品も火にかけた鍋の煮物のぐあいをみながら内職の縫物に精出していて、その手を休めながら父親を見ていた。新左衛門がいつまでもじっとしているので、仕事に疲れたと思ったらしい。  手もとが薄暗くなった分だけ炉の火が赤くなり、火明かりが品の半面を染めていた。その顔が亡妻に似ているので、新左衛門はどきりとする。近ごろ時どきこういうことがある。  だが、品が死んだ母親に似て来たのは、齢を喰ったからである。主婦も婢《はしため》もいない家で主婦代りを勤めているうちに、品は嫁に行きおくれてしまった。もはや二十である。貝殻町の組屋敷には、二十になってまだ親の家にいる娘は、品のほかにはいない。  新左衛門の一瞬のおどろきは、いつものようにすぐに慙愧《ざんき》の気持に変る。十七、八のころはことわり切れないほどにあった品の縁談は二十の声を聞くとぱたりと絶えて、あとはそのままである。家事をする娘がいる便利さに寄りかかって、縁談に興味を示さなかった親の責任であることは明白だった。  正月が来ると、品は二十一になる。 「疲れはせぬが、少し暗くなって来たかな」 「では、火に寄られたらいかがですか。そこは冷えましょう」  手もとが薄暗くなって来たといっても、外には空の明かりが残っていて、行燈《あんどん》や燭台に灯をともすほどではない。  新左衛門は窓の下に敷いた薄縁《うすべり》をめくって炉のそばに移し、やりかけの団扇《うちわ》の内職の材料もそばに移した。  団扇の内職といっても、新左衛門がやっているのは団扇の骨組みだけである。割り竹の柄のところに弓と呼ぶ弧形の竹を差しこみ、茜《あかね》いろに染めてある絹糸で割り竹を編んで弓に固定するのが仕事である。地紙を貼る仕事は、またべつの者がやるらしい。  それだけの仕事なので手も汚れず、馴れればはかも行って、台所の隅には仕上げた仕事が山と積んであるが、女子供にも出来る内職だからだろう、手間賃は安かった。朝から夜おそくまでやっても、新左衛門が属する普請組でいそがしいときに使う日雇いの手間賃の半分になるかならずといったところである。  それでも、安いからといってこの内職をやめるわけにはいかなかった。内職で得た手間賃は蓄えておいて借金の利息払いにあて、残れば家計の足しにする。そのために新左衛門は、今日のように非番の日は朝から内職に没頭して、かつては非番の日のたのしみにしていた魚釣り、鳥刺しにも久しく出かけていなかった。  炉のそばに座を移してみてはじめて、新左衛門は身体が冷え切っているのに気づいた。窓にむけていた胸のあたりや膝頭などがすっかり冷たくなっている。もっとも冷えたのは窓のそばにいただけでなく、台所が板張りのままで、隙間だらけの床から冷たい外気が這い上がって来るせいでもあるだろう。薄縁を敷いたぐらいでは、外気の防ぎにはならない。  しかし火のそばに寄れば、身体はすぐにあたたまって来るはずだった。新左衛門は身体をゆったりと火にむけた。 「源之丞どのの就学のお祝いのことですが……」  父親が火にくつろぐのを待っていたように、品が言った。 「進物は何にいたしたらよろしいでしょうか」 「するめというわけにはいかんのか」  と新左衛門は言った。どうせむこうはこっちの貧乏を承知していることだし、と言い足したが、すぐにそれは無理な言い分だとわかった。祝いに呼ばれているのは新左衛門ではなく、品である。進物がするめでは、持参する品が肩身狭かろうと新左衛門は思った。  源之丞というのは亡妻の兄重松喜兵衛の次男で、品の従兄である。源之丞は子供のころから頭脳明敏で、藩の学問所に入るとたちまち頭角をあらわした。藩の学問所に学ぶ家中の子弟はざっと二百人ぐらいのものだが、そこから学業の幾段階かを踏んで舎生と呼ぶ最終課程にすすむ者はせいぜいひとにぎり、十人前後に過ぎない。源之丞は成績もっとも卓抜なこの舎生にすすんだ。  舎生は学問所の建物の中にひと部屋をあたえられ、藩から食事を給される上に、もし舎生が一家の戸主や嫡男である場合は、登城そのほかの公務一切を免ぜられる。そのように学問に専念する態勢がととのったところで、各人がそれぞれもっとも好む学問上の課題をえらんで、日夜研鑽の生活に入るのである。  その上で三年毎に学問所の幹部教官による考課が行なわれ、考課三度、通算九年間の舎生生活を経て、学問上著しい成果を示したものを藩では「学|就《な》る」と称し、それぞれ官に登用するのを慣例としていた。  学就った者が家中の次、三男である場合は、まず扶持をあたえ、しかるのちに藩役人に登用する。源之丞は今年の末には学業秀抜の折紙をつけられて九年の舎生生活を終えることになっていて、扶持をいただいたあとの登用先も内定していた。一族にとっても、稀な名誉である。そこで重松の家では、源之丞の就学を待って親族をあつめ、内祝いをすることになっていた。 「ほかの家ではどんなぐあいかな」 「小関の叔母さまのお話では……」  品はちょっと言い淀んでからつづけた。 「反物とか、お書物とかが多いようですけれども……」 「………」  新左衛門は、内職の手をとめて娘を見た。 「そんなりっぱなことは出来んな。魚にしたらどうだ、でなければ山芋とか」 「山芋でございますか」  ふだんは感情をあまり表に出さない品が、めずらしく不服そうな顔をした。父親の非常識に閉口しているというふうに見えたが、その表情は、主婦役を勤めているとはいえ、品がまだ若い娘であることを示してもいた。  しかし品にしても、自分の家の家計の有様を知らないわけではない。すぐにあきらめた顔いろにもどった。 「それではお魚にいたしましょうか。小鯛でもあればりっぱな進物になりましょうから」 「小鯛は高かろう。さようさ、いまの季節ならば……」  新左衛門は、台所の煤けた天井をにらんだ。  重松の祝いごとに大金を使う気持は毛頭なかった。借金暮らしだから費《つい》えを惜しむのは当然だが、それだけではない。重松喜兵衛は、妹である新左衛門の妻が病死すると、にわかに横山家に対する態度がつめたくなった男である。まるで、これまでは妹がいたから貧しい横山家とも我慢してつき合って来たのだと言わんばかりだった。 「|※[#「魚+雷」、unicode9c69]《はたはた》がよい。祝いのころには脂が乗って喰いごろになるはずだ。値も、いまよりはもそっとさがろう」  吝《しわ》いことを言っている間に、新左衛門は自分も※[#「魚+雷」、unicode9c69]の湯上げや田楽焼きを喰いたくなって来た。湯上げは※[#「魚+雷」、unicode9c69]をさっと茹《ゆ》で上げ、身を酢醤油につけて食する喰べ方である。 「魚甚に申せば、椹《さわら》の葉などあしらって、体裁よく進物の籠をこしらえるだろう。心配はいらん」 「値はいかほどのものを……」  品が言いかけたとき、入口に人の訪《おとな》う声がした。男の声である。品がすぐに立って行った。 「石塚さまでございますが……」  もどって来た品はそう言ったが、父親の浮かない顔を見て声をひそめた。 「また例のご催促かと思いますけれども、上がっていただきますか、それとも……」 「会わぬわけにはいくまい。それに会わぬと言ってもそうかと帰るようなご仁ではない。上がってもらえ」  新左衛門は重い口調で言った。      二  茶を出して引きさがる品を見ていた石塚平助が、いつも思うことだがと前置きして言った。 「いい娘御だ。見目かたちもよろしいが、この家の躾《しつけ》がよいとみえて、礼儀正しく人あたりがまことに穏当だ」  これがほかの者の口から出た言葉だったら、新左衛門ももっと喜んだかも知れないが、相手が金貸しの悪名が藩中に高い石塚では、あまりうれしそうな顔も出来ない。そっけなく、いやと言った。 「ところで今日は、利息払いのご催促ですかな」 「利息だけと言わず、元金もと言ってもらいたいものだ」 「元金などとはとんでもござらん」  新左衛門は強く言い返した。 「藩は上米《あげまい》三割をゆるめるどころか、近ごろは隙を窺って上積みもしかねない有様、ということを裕福な石塚どのといえどもご承知ないわけではござるまい。われらのような薄給の者は、このあたりの事情が何とかならぬ限りは暮らすのに手一杯。とても元金返済までは手が回りかねる」 「みんながそう申して、藩のせいにしよる」 「いやいや、だからと申して返済に努めぬわけではござりませんぞ。今日なども、朝から手を休めず内職にはげんでおるのは、お借りしたものが念頭にあればこそ……」 「それもみんなが言いよるのだて。もうちょっと変った言いわけを聞きたいものだ」 「さような次第ゆえ……」  委細かまわずに新左衛門は言った。 「元金返済の方は、いましばらくお待ちいただかねばなりません」  石塚平助から借りた金は、つごう八両。財政困難を理由に藩が家中から借りている上米が三割となったいまは、大金と言わねばならない。正直のところ、利息払いはともかく元金返済はいつになることやらと新左衛門は思っている。少しずつ返すにしても、元金に手をつけるまでになるのは容易なことではなく、当分は強弁の言いわけで切り抜けるほかはない。  そういう新左衛門の胸の内を見すかしたように、石塚は無い袖は振れぬかと言いながら腕組みを解いた。そして新左衛門をじっと見た。値踏みしているような目のいろだった。石塚は小柄なのに、金貸しの駆け引きで鍛えた目は、どことなく不気味な圧迫感を宿している。  さあ、いつもの嫌味がはじまるぞ、と新左衛門が腹に力を入れたとき、石塚は思いがけないことを言い出した。 「こちらはたしか、跡取りの男がおったはずだな」 「跡取り? 新之助のことですかな」 「そうそう、その新之助」  と石塚は言った。 「いまは召し出されて、大坂の蔵屋敷に行っておるそうではないか」 「いかにも」  と言ったが、新左衛門にはそのときには石塚の肚が読めたような気がした。いそいで言い直した。 「いや、それが、召し出されたと申しても無給の見習い身分。家計の足しになるどころか、支度に金がかかって持ち出しになっているような始末で、あれをあてにしてもらっては困る」  品より一歳下の新之助に、新しく出来た大坂蔵屋敷行きの藩命があったのは一年前である。上方むけの産米、青苧《あおそ》の沖出し(輸出)に力を入れるために、蔵屋敷を京都から大坂に移して規模をひろげたものの、藩は財政困難の折柄、蔵屋敷の業務にかかる費用を最小限に押さえたい。そこで家中の子弟を選抜して、無給の見習いとし、雀の涙ほどの支度金を支給して大坂に派遣したのは藩の苦肉の策だった。新左衛門が言ったことは事実である。  倅の大坂行きを嗅ぎつけて、借金取り立ての口実に使おうというつもりなら、認識不足も甚だしいと新左衛門が思っていると、石塚はいやいや違うと言って手を振った。 「そういう話ではない」 「………」 「跡つぎがいるなら、さっきの娘御を嫁にくれぬかという話だ」 「どちらへ?」 「むろん、わしが家だ」  石塚は新左衛門をのぞきこむようにしていた姿勢を改めて背をのばすと、にたにた笑った。いいことを思いついたと言わんばかりの、うれしそうな顔をしている。 「わしの倅の孫四郎を知っておるかな」 「名前はうかがっておるが、会ったことはありませんな」 「それがな、新左、聞いてくれ」  石塚はひと息ついてから、急に渋面をつくった。 「倅が家を継いで城に出仕するようになってから五年になるが、いまだ嫁がおらん」 「………」 「心がけて探しておるのだが、いずれも帯にみじかし襷《たすき》に長しで、話はなかなかまとまらんのだて」  そうではあるまい、と新左衛門は思った。石塚の家は代代右筆方勤めで役持ち、家禄は百石である。四十五石の普請組勤めである新左衛門からみれば、家格も勤め向きも一段格上だった。それに加えて石塚の家は、時世に不似合いな裕福な暮らしぶりだといううわさも聞く。  それなのに嫁の来手がないとすれば、理由はひとつしかない。石塚の金貸しが疎《うと》まれているのだ、と新左衛門は思った。  石塚がまわりに小金を貸しはじめたのは、十数年前、石塚がまだ右筆方に在職中のことだったという。それが石塚に蓄財の才があったのか、それともたまたま家中の暮らしの窮乏と時期が一致したためか、はじめは内緒だった金貸しは有卦《うけ》に入って次第に大がかりなものになり、やがては上司まで夜分石塚の家の門を叩くようになった。  石塚平助が五十になるやならずで家督を譲り、隠居したのは、半ば公然化した金貸しを耳にした重役たちに忌まれたためと言われるが、新左衛門のように金銭に厳格な人間でさえ借りているのだから、他は推して知るべし、現在石塚に金を借りている家中はかなりの人数にのぼるはずだった。  新左衛門の借金の中身は、亡妻の薬代と葬式の費用に五両、新之助を大坂にやるについて、藩からもらった金では間に合わない旅支度の補いと、親心で持たせてやった金が、締めて三両である。しかし、葬式の費用は、ふだん貧を侮られている親族の手前、少しみえを張った気味があって、それがいまはひそかな後悔の種になっていた。  ──何も、借金をしてまでも……。  みえを張ることはなかったのだ、といまになれば思うものの、そのときはそうは思わなかったのだ。その後悔は、利息だ、元金の返済だとひんぱんに姿をみせる石塚と結びついて、顔を見ればまず疎ましさが先立つ。  石塚に金を借りている者はもちろん、借りないまでも金貸しのうわさを耳にしている者は、石塚の家に娘をやる気持にはならないだろう、と新左衛門は思った。 「正月が来ると……」  と、石塚が言っている。 「孫四郎は二十八になる。なんと、まごまごしていると三十になるわ。これは、親としてはたまらんぞ」 「そうですか」 「そうですかとはつめたい言い方だ」  石塚はぼやいた。 「そこで新左、物は相談だが、さっきの娘御な、あれを孫四郎の嫁にくれぬか」 「おことわりいたす」 「どうしてだ?」  と石塚は言った。 「身内の自慢をするわけではないが、倅はそうみっともない男でもないぞ。うむ、家の勤めとはいえ、わしに言わせれば右筆などで使うにはもったいないようなものだ」 「ほほう」  と言ったものの、新左衛門にはただの息子自慢としか聞こえなかった。 「ところで、娘御はいくつになる? 見うけたところ、もはや若くはないようだが」 「余計なお世話でござろう」 「いやいや、怒ってもらっては困る」  と石塚は言った。 「どうせ近近に、どちらかに嫁に出さねばならぬ娘御なら、ぜひわが家に申しうけたいものだと思ってな。年配りも、孫四郎にぴったりのようだ」 「もちろん、近く嫁にやらねばならぬ娘。しかし、わけあってそちらさまにはさし上げるわけには参りません。この話は、悪しからず……」 「言うな、みなまで申すな」  と石塚は、壁を塗るような手つきで、新左衛門の言葉をさえぎった。身体にくらべて、新左衛門にむけた石塚の手のひらは大きく、生白かった。 「わかっておる。金貸しのことだろう」  石塚はため息をひとつついた。 「じつは倅にも言われておる。その内職をやめぬ限りは、わが家に嫁の来手はあるまいとな。金を借りるときはな、新左、おぬしも身におぼえがあろうが、みんな有難くて三拝九拝してみせる。だが、借りたあとの、わしを見る目のつめたさはどうだ。人間と申すものはだ、とかく勝手なものだ」 「………」 「まあ、よい。それはよしとしよう。そのかわりにわしも多少は金を儲けさせてもらったからの。しかし、そろそろ潮どきかとは思っておった。他人はともかく、倅に嫌われてはどうしようもない」 「………」 「どうかな。新左。こちらの娘御をくれるなら、わしはこの際、きっぱりと金貸しを廃業しよう。それならよかろう」 「金貸しをやめる、つづけるはそちらさまの勝手、娘の嫁入りとは何のかかわり合いもござりません」 「これはまた、つれない言い方ではないか」  石塚は機嫌をとるような笑顔で、新左衛門を見た。 「わしはな、新左。打明けた話が、これまで心がけて家中の娘をあまた見て来たつもりだ。借金の督促は、そういうことにも役立つ。しかしそうして見て来たが、こちらの娘御ほどの者は正直二人とはおらなんだ」 「………」 「つまり、見込んでこう申しておる。わしの気持も汲んでもらいたいものだ」 「………」 「では、こういたそう」  石塚は、顔をぐっと新左衛門に近づけた。顔にはまだ阿《おもね》るようなうす笑いがうかんでいる。 「娘をくれるなら、この家の借金を棒引きにしようではないか。え、それでどうだ」 「おことわり申す」  新左衛門はどなった。 「貧したりといえども、横山新左衛門、娘を金で売りはせん。お帰りねがいましょうか」 「ふん」  石塚は鼻を鳴らした。掻き消したように笑いが消えて、かわりに石塚の顔を無表情が覆い隠した。二つの目だけが、刺すように新左衛門にむけられている。 「なかなかりっぱな心掛けだな、新左。ではその話はあきらめて、また利息をもらいに来よう。この月の晦日には少しもらえるかの」 「いや、大晦日までは来ても無駄でござる。それまでに内職にはげんで、何とか利息払いの方は恰好がつくようにいたしましょう」 「ふむ、断りの方もなかなか老獪《ろうかい》になって来よったな、新左」  と石塚は言った。 「恰好つけるのは今年の利息と、去年払い切れなんだ未払い分をまとめての話だろうな」 「いやいや、お支払い出来るのはせいぜい今年の分。その以前の未払い分は、年を越してからぼつぼつお返しすることといたそう」 「それでは、埒《らち》あかんだろう」  石塚はひややかに言った。 「そういう口約束が信用出来たためしはないとしたものだ。ま、こっちはほかにやることもない隠居、また来よう」      三 「それがさ」  三村庄兵衛は、新左衛門に身体を寄せると声をひそめた。 「治るどころか、様子がぐっと悪くなって、一時は親族の間で座敷牢にでも入れるかという相談があったそうだ」 「それは知らなかったな」  と新左衛門は言った。  二人が話しているのは、小頭《こがしら》の畑谷甚太夫のことである。普請組には、奉行のほかに助役《すけやく》一人、小頭四人の役持ちがいて、奉行をのぞく五人は川向うの松根町にある、やはり組屋敷と呼ばれる一角に住んでいる。もっともこちらの組屋敷の家は、新左衛門たちが住む組屋敷とはくらべものにならないほどに広い。  その一人小頭の畑谷甚太夫に、異常な行動、物言いが現われるようになったのは、ざっと半年ほど前のことである。畑谷の家の者、親族代表に藩から注意があって、甚太夫は町医者に見てもらったあと、病気の届けを出して勤めを休んだ。  しかし二月ほど前に、甚太夫は病気が快癒したと称して、勤めに出て来たことがある。甚太夫の病気は気鬱の病いという見立てだと聞いていたが、ひさしぶりに勤めに出て来たときは顔いろもよく、むしろ以前よりも性格は快活に変ったように見えた。休み明けの甚太夫は、ただちに五間川の支流の木橋架け替えを指揮したが、工事には何の落度もなかったという。  しかし半月ほど出仕しただけで、畑谷甚太夫は再び病気の届けを出して家に閉じこもってしまった。新左衛門は、それ以来甚太夫には会っていない。その後の消息を聞くのは、今日がはじめてだった。 「しかし座敷牢に入れても……」  と新左衛門が言いかけたとき、三村が小さな水たまりを飛び越えた。新左衛門は飛ばずに、慎重に水たまりの端を迂回した。  水たまりは、さっき通り過ぎた氷雨の名残りである。二人が歩いて行く道の正面に、厚い雲の下からようやく顔を出した夕日が見えていて、光は濡れた道と、ところどころに残っている水たまりを照らしている。だが頭上には一面に黒い雲がひろがっていて、町はその下で濡れそぼったまま静まり返っていた。人の姿もほとんど見えず、寒寒とした光景だった。  新左衛門は言い直した。 「座敷牢に入れても、小頭の家は人手が少ない。扱いにひと苦労するだろう」 「それだて」  と三村は言った。 「結局、あばれて人に怪我させるような病人でもなし、そっとしておくのがよかろうというので、座敷牢の一件は沙汰やみになったらしいな」  畑谷甚太夫の家は、病身の老父と畑谷の妻、それに十四、五になる女子が二人いるだけだった。これに二年ほど前までは、畑谷の末弟が同居していたのだが、その弟はいま江戸で測量術を修業しているはずだった。藩命だと聞いている。 「ふうむ、よくないのか」  と新左衛門はつぶやいた。二月前に出仕して来たときの甚太夫を思い出していた。病み上がりにしては快活に過ぎるような気はしたが、見たところ格別人に異るところは見えなかったように思う。  痛ましい話を聞いたと思った。甚太夫は新左衛門よりは三つ四つ若く、まだ働きざかりである。  では、これでという声に顔を上げると、そこは三村の家の前だった。会釈を返して、新左衛門は同じ並びだがもっと先にある自分の家の方に歩いて行った。門扉《もんぴ》もない、二本の丸木だけの門がならぶ普請組の家家は、生け垣にしている木槿《むくげ》の葉も枯れ落ちて、ところどころで隙間から庭の内がのぞける。  わびしい景色だが、ただ花どきになると、長い木槿の垣根は一斉に白や赤紫の花をつけて、武家の町には似合わないなかなか華やかな風情に変る。道の反対側は、普請道具をおさめた三棟の細長い納屋と、樹皮を剥いだ長木や丸太、杭などを積み上げた空地になっている。  ──おや?  家の前まで来たときに、新左衛門は木槿の生け垣の隙間から見える家の戸が開いているのに気づいた。いまごろ物売りでもあるまいし、近所の女房でも来ているのかと思った。  しかし門を入って入口まで歩く間に、客の様子が知れた。こちらに背をむけているが、土間に見えるのは羽織を着た男である。そして羽織の裾から刀の鐺《こじり》がのぞいているので、客は武家だとわかった。  誰か、と思ったとき、その男が何か言い、つづいて品の笑い声がした。新左衛門は足をとめたが、つぎの瞬間、怒りで頭が熱くなるのを感じた。  ──不謹慎な!  と思ったのだ。女一人の家に来て軽口でも叩いているらしく見える男も男だが、調子を合わせて笑っている品も品だと思った。  新左衛門は大股に入口に近づいた。信じがたいことだが、品はその足音に気づかなかったらしい。 「あ、お帰りなさいませ」  と言ったのは、新左衛門がぬっと入口に立ちふさがったあとである。しかも品の声はあきらかに狼狽《ろうばい》していて、新左衛門の不快感をいっそう募《つの》らせた。 「こちらは?」  新左衛門は、にがり切った顔を土間にいる男にむけながら言った。客は背の高い、若い男だった。 「や、申しおくれました」  品が口をひらくより先に、男が言った。 「それがしは石塚孫四郎。金貸しの石塚の倅です」  男はほがらかな口調で言うと、にやにや笑った。しまりのない男である。それに、新左衛門より首ひとつ高い男のうす笑いは、見おろされているようで不愉快だった。 「なるほど、今日は晦日か」  と新左衛門は言った。利息払いの催促かと思うと、益ます不愉快になった。 「おやじどのはどうなされた?」 「それが風邪をひきまして、えらい高い熱を出して寝こんでおります。鬼の霍乱《かくらん》のたぐいでしょう」 「それは大事にいたしたがよい。で、代理で借金の催促に来られたわけですかな」  新左衛門はぶっちょうづらのまま、若者を見上げた。 「しかし生憎《あいにく》と、お返しする金の用意はござらん。それはこの前もおやじどのに申してあるゆえ、帰ってそう申されればおわかり頂けよう。大晦日になれば、今年の利息はお払いいたす」 「あ、それはかまわんのです」  と孫四郎は言って、また笑顔になった。少しうす暗くなって来たせいか、歯の白さがきわ立って見えた。  不必要に白い歯を見せる男だ、と新左衛門は思っている。 「ま、行って来たと言えば、それで納得するでしょうから。いくら債鬼で名前を売ったおやじでも、まさかそれがしがうまく利息を頂いてもどるとまでは思っておらんでしょう、は、は」  では失礼いたす、と言うと、孫四郎は新左衛門の横をすり抜け、尻下がりに外へ出た。そしてもう一度軽い会釈を残して、あっという間に庭を出て行った。背丈のある身体に似合わず、しなやかな身のこなしに見えた。  少し見送ってから振りむくと、品があわてたようにお刀をと言った。品も石塚孫四郎のうしろ姿を見送っていたらしい。おさまりかけていた怒気が、また胸の中でぶり返した。 「いつ来たのだ、あの男は」 「つい、さきほどでございますよ」 「石塚の倅だけあって、よくへらへらと笑う男だ」  と新左衛門は言った。 「いったい、何を話しておったのだ」 「さあ」  品はあいまいな微笑をみせた。語るほどのことではないという意味だろう。しかし品は、もういつものつつましい娘にもどっていた。  品が部屋を出て行くのを待って、新左衛門は着換えにかかった。むかしは亡妻が時どき手伝ってくれたものだが、死なれたあとは一人で着換える習慣が身についた。  狭い家なので、品が台所で米をとぎにかかった音が聞こえる。その音を聞きながら、新左衛門はふと、さっきの品の笑い声が、機嫌のいいときの亡妻の声によく似ていたこと、子供のころの品がよく笑いこけてたしなめられている娘だったことなどを思い出したが、それで胸の中がすっきりしたわけではなかった。  不快感はまだ残っていた。それはさっきの笑い声に、明るいだけではない、品らしからぬ艶めいたひびきがあったと思うせいかも知れなかった。それも石塚の倅などを相手に、と思うとよけいに腹立たしくて、新左衛門はすっかり暗くなって来た部屋の中で、一人で顔をしかめた。      四  外で、男がわめいていると思う間もなく、その声は家の前まで来た。 「新左、出合え。たったいま、小頭が家人を殺害したぞ」  そういう声は三村庄兵衛だった。新左衛門は筆を投げ捨てて立ち上がると、心得たと叫び返した。大坂にいる新之助に手紙を書いていたのだが、それどころではない。  品が部屋に駆けこんで来た。 「何事でござりますか」 「川向うの畑谷どのが、気がふれて家の者を殺害したらしい」 「まあ」 「襷と鉢巻」  袴をはいて、手ばやく腰に小刀を帯びながら、新左衛門は言った。 「ほかには?」 「草鞋《わらじ》がいるが、よい、自分で出す」  と新左衛門は言い捨てて、入口にいそいだ。草履をつっかけて家の横の物置に走り、吊してある草鞋をはずすと、入口にもどって足に草鞋をつけた。  その間にも、遠くに庄兵衛の触れ声がひびき、組屋敷の前の道が騒然として来た。今日は組屋敷の半数が非番で、中には外出した者もいるに違いないが、ことは普請組の凶事である。家にいた者は残らず松根町に駈けつけるはずだった。  新左衛門は、品が渡した襷、鉢巻にすべき布を懐にねじこみ、太刀を腰に帯びた。品が戸口の外まで送って出て来た。 「お気をつけなさりませ」  門にむかう新左衛門の背に、品が鋭く張りつめた声を投げて来た。  門を出ると、それぞれに身支度をした普請組の男たちが、小走りに川の方にむかって駈けはじめていた。触れを終ってもどって来た庄兵衛が、新左衛門を見つけて手を上げた。新左衛門も走りはじめた。  門の前まで女房が出て来て、走り去る男たちを心配そうに見つめている家もあった。 「心配していたことが起きた」  と庄兵衛が言った。 「殺害とは、誰を殺害したのだ」 「老父と妻女だ。子供二人は逃れて無事だったらしい」 「小頭はどうした」 「まだ、家の中におる。抜き身を持っているので、誰も踏みこめぬと言っている」  喘ぎながら、庄兵衛は言った。 「何ということだ。あと十日もすれば、正月が来るというのに」  普請組の男たちは、細長い一団となって五間川に架かる橋を渡った。渡り切れば、その先の河岸町の裏が松根町である。  最後尾を走っている新左衛門に、庄兵衛が身体を寄せて来た。 「組で始末をつけねばならんときは、新左……」  と言って、庄兵衛は声を呑みこむとはげしく喘いだ。 「貴様とおれが踏みこむことに、なるかも知れんぞ。でなければ、貴様と丹羽茂助か」 「………」 「用意はいいか」  新左衛門はちらと川に目を投げた。身体に吹きつけるつめたい川風が橋の下にも吹いていると見えて、橋の下から上流にかけて川面にそそけ立つような皺が走るのが見えた。空はうす曇りで、川上の方角に八ツ半(午後三時)過ぎの日が、光を失ったままぽっかりと浮かんでいる。  用意は出来ているとも、と新左衛門は思った。  新左衛門と三村庄兵衛は、城下の栗山道場で直心影流を学び、ともに高弟だった。ことに新左衛門は、道場を代表する剣客として剣名が高かった。ただし二十年ほども前のことである。道場に足をむけなくなってから、もはや久しい。丹羽茂助は江戸詰の間に小野派一刀流を修業して帰り、これも名手と言われた。  この三人が、普請組の中では剣名を知られた人間だが、一番若い丹羽にしてももう四十に近く、新左衛門と三村庄兵衛は四十半ばを過ぎている。きわめて危険な狂人と化した畑谷を手捕りにするにしろ、斬り伏せるにしろ、いささか心もとない話だった。しかし命令があれば踏みこまねばなるまい、と新左衛門は思った。  河岸にも十数人の町人が出ていて、駈け抜ける普請組の男たちを好奇の目で見送ったが、一歩裏の道に入ると、そこには人がごった返していた。弥次馬とそれを押し返す足軽の一隊だった。足軽は大目付附属の足軽組らしく、それぞれ手に棒を持って、押されて前に出ようとする弥次馬を阻んでいる。  それでも何人かの弥次馬は、足軽の棒の下をすり抜けて町家の裏庭に入りこみ、そこから首をのばして組屋敷の方を見つめている。新左衛門たちは、人を掻きわけて道をすすみ、ようやく畑谷家の前に出た。そこにも襷、鉢巻で棒を持った足軽が、畑谷の家を取り囲む形で警固していた。  すると、新左衛門たちが到着するのを待っていたように畑谷家の門が開き、中から奉行助役の服部守右衛門と目つきの鋭い男二人が出て来た。襷、鉢巻で尋常でない目つきをした二人は、大目付配下の徒《かち》目付か足軽目付らしかった。 「奉行が病いで臥せっているゆえ、この場の指揮はわしが取る」  太って赤ら顔の服部はそう言い、きびきびと名前を呼んで、普請組を表門警備と裏口一帯の警備にわけた。 「町に走り出られては庶民の迷惑。足軽組とともにそれだけは何としても防げ」  服部はきびしく言って組の者を散らせると、名前を呼ばれなかった新左衛門ら五名を指し招いて、門内に入った。門内に入れられたのは新左衛門と庄兵衛、丹羽茂助に、やはり普請組の宮原と飯田という若い男二人である。  小頭の畑谷甚太夫の家の前庭は、新左衛門たちが住む組屋敷にくらべて格段に広かった。家はその先にあって、この時刻にしては不自然なほどに静まり返っている。  その家を遠く取り囲むようにして、庭の植込みや木立の陰に、襷、鉢巻の足軽たちが隠れていた。中には抜刀している者もいるところをみると、もし甚太夫が外に出て来たら斬り伏せろという命令が出ているのかも知れなかった。白刃を抱いているのは、足軽の中から選ばれた遣い手だろう。 「悪いことが重なった」  新左衛門たちを門わきの塀の内側に寄せると、服部が低い声で言った。 「土屋が説得に入ったまま、出て来ない」  新左衛門と庄兵衛は顔を見合わせた。土屋伝蔵は隣家に住む小頭である。  庄兵衛が聞いた。 「で、その後の様子は?」 「一度斬り合いの音と叫び声がして、それっきりだ」  服部は太いため息をついた。 「そのまま出て来ないところをみると、伝蔵は斬られたとみるほかはない」  あぶないからやめろと止めたのだが、伝蔵め、聞かなんだと服部はつけ加えた。 「では……」  と新左衛門が言った。事態は猶予ならないところに差しかかったようである。初冬の日は短い。このまま夜を迎えれば、状況は益ます悪化するだろう。 「われわれが踏みこみますか」 「いや」  口をはさんだのは、いつの間にか足音もなくそばに来てつき添っていた徒目付だった。色が黒く、目の鋭いその男が言った。 「間もなくお城から討手が来ます。大目付が同道して来るはずです」 「討手が着いたら、おぬしら五人は後詰めに回る。いいな」  と奉行助役が言った。      五  大目付の布施惣六郎と一緒に門を入って来た若い男を見て、新左衛門は目を剥《む》いた。男は石塚の倅孫四郎である。  徒目付が走って行って二人を迎え、手ぶりをまじえて状況の説明をはじめた。そのように見える。うなずきながら孫四郎は、袂から布を出し、襷をかけ、鉢巻をしめた。ゆっくりとした動作だったが、その間にも目はじっと家の方を凝視している。  奉行助役の服部が大目付の方に寄って行くのを見送りながら、新左衛門は庄兵衛にささやいた。 「あの男が討手らしいが、一人で大丈夫なのか」 「若僧だな」  あらわな反感を見せながら、庄兵衛が言った。 「いったい何者だ、あの男は」 「金貸しの石塚平助を知っておるだろう。おれも少々借りているがな」  と新左衛門は言った。 「あれは石塚の倅だ」 「ふん、筆より重い物を持ったことがない右筆組か。どうせ、われわれのお守りがいるだろうて」 「いや、お守りはいらんはずです」  にが笑いしながら丹羽茂助が言った。 「石塚孫四郎は杉谷道場の俊才で、家中の若手の中ではいま一番の遣い手でござろう。討手に孫四郎を選んだのは誰か知らんが、なかなか当を得た人選と思われますな」  新左衛門と庄兵衛は顔を見合わせた。  青物町の杉谷道場は、建物が古くて小さい上に、道場主の杉谷蘭平が偏屈な男なので門人は少ないが、数年ごとに思いがけない逸材を生み出すことで知られている。すると石塚孫四郎は、その貧乏道場から出たひさしぶりの逸材ということだろう。流派は無眼流である。 「杉谷も石塚から金を借りたかな」 「利息がわりに、倅どのに剣を習わせたに相違ない」  新左衛門と庄兵衛は、少し悪意の籠った冗談口をかわしたが、丹羽の話を聞いてほっとしたことは否めなかった。石塚孫四郎がそんな遣い手なら、老骨が出しゃばることはないのだ。それにしても、若い連中の消息に疎くなったな、と新左衛門は思った。こういうことでは、いまに世の中に取り残されよう。  孫四郎を見ると、大目付の布施と助役の服部と、三人で額をあつめて徒目付がひろげた図面のようなものをのぞきこんでいる。時どき孫四郎が指をのばして紙をつつくところを見ると、図面は小頭屋敷の間取りの見取り図らしかった。  ──なかなか……。  用意周到ではないかと新左衛門は思った。少し孫四郎を見直した気分になっている。しかし、そうして熱心に間取りを確かめているかに見える孫四郎を見ているうちに、新左衛門は胸の中に何か、ひどく気がかりなものがうかび上がって来るのを感じた。  それは緊急を要することのように思われるが、胸の中途にひっかかって、形を成さない。ただ、狂って家の中で白刃をにぎっている畑谷甚太夫にかかわる、何かであることは間違いがなかった。  庄兵衛、と新左衛門は三村を呼んだ。 「小頭は剣の方はどうだったかな」 「さて」  庄兵衛は長いあごを指で掻いた。 「あまり聞いたことがないなあ」 「茂助はどうだ? 何か聞いておらんか」 「ええーと、小頭はたしか……」  丹羽は夕方になって髭が濃くなって来た丸顔をうつむけた。慎重な言い方をした。 「若いころは藩の稽古所に通ったはずです。しかしこれといった剣名を耳にしたことはありませんな」 「やはり、そうか」  と新左衛門は言った。じゃ、心配はないのだ。しかし、それならこの胸さわぎのようなものはいったい何だ、と新左衛門は思った。  打ち合わせが終ったらしく、徒目付が図面をたたんでいる。孫四郎はもう一度襷のぐあいを確かめ、それから新左衛門を見てにたにた笑った。いるのに気づいていたらしい。しかし、孫四郎はすぐに顔いろを引きしめて歩き出した。そのまま無造作に建物に近づいて行く。  そのとき三村庄兵衛がつぶやいた。 「そういえば一度、小頭が足軽に無礼打ちを喰わせるのを見たことがあったな」 「それだ、庄兵衛」  新左衛門は大声で言い捨てると、孫四郎の後を追った。  十年ほども前になるだろう。季節が秋に移りかけたころに領内に大雨が降って、城下の東を流れる大曲川が溢れ、橋が流された。その橋は交通の要所にあったので、普請組はまだ十分に水が退《ひ》かないうちに、常備人足を繰り出して仮橋を架ける工事に取りかかった。危険な工事だったが、さいわいに怪我人も出さず、仮橋は八分通り出来上がって、その日は早番だった小頭の畑谷甚太夫、新左衛門、庄兵衛の三人は、まだ日があるうちに城下に帰って来たのである。  そして人通りの多い樽屋町に入って来たときに、思いがけない事件が起きた。樽屋町は小体《こてい》な商い店がならぶ町で、その人ごみの中で、前から来た数人の足軽と新左衛門たちが、すれ違いざまに身体をぶつけてしまったのである。  意図的なものではなく、人ごみを避けて歩いているうちに起きたことだった。それでも新左衛門にぶつかった男はいそいで詫びを言った。道で家中の歴歴の者に出会った場合は、履物をぬいで挨拶しなければならない、という定めがあるように、藩では家中と足軽の間に歴然とした身分差を設けている。ぶつかった足軽が詫びを言ったのは当然だった。  だが小頭の畑谷にぶつかった男は詫びなかった。足をとめて振りむいた畑谷を平然と見返している。それだけでなく顔にうす笑いをうかべた。その足軽は二十半ばの大柄な男だった。相対すると、中背で痩《や》せている小頭を見おろす形になる。  新左衛門たち三人は、粗末な仕事着を着て、その仕事着には日に乾いた泥がくっついている。人夫に立ちまじって朝から働いたので、顔には疲れのいろもうかんでいたろう。そういう三人を見て、身体の大きい足軽は、家中は家中でもごく身分の軽い者とみたかも知れなかった。いずれにしても不遜な態度だった。  近年、藩中の礼儀作法の乱れが上の方で云云《うんぬん》され、二度ほど短い達しが出されていた。そういう時期でもあり、畑谷もこのままでは済まされないと考えたようである。試すような目つきで自分を見ている男に、強い口調で訓戒を垂れた。 「かようなときはすぐに詫びを言うものだ。以後気をつけよ」  そう言って畑谷は背をむけた。新左衛門と庄兵衛もそれに倣《なら》った。それを見て、こちらをみくびったのかも知れない。背中に男の嘲る声が聞こえた。 「もっとおえらい人なら詫びもしましょうが、おまえさまには詫びますまい」  歩き出しかけた小頭の足がとまった。そこから振りむいて、抜き打ちの刀をふるったのがはやかった。気配を察知したか、身構えようとした男は一瞬のうちに肩から胸のあたりを斬り割られて、大きくうしろに倒れ飛んだ。畑谷の一撃は、腰の入った見事な刀法に見えた。  足軽の不敵な嘲りと泥だらけの新左衛門たちを見くらべて、失笑を洩らした群集は、刀の光を見ると恐怖の声を上げて逃げ散った。ぽっかりと空いた道の上に、ぴくりとも動かず血を流しつづける男の身体が横たわり、そこから少しはなれたところに、同僚の足軽たちが逃げることも出来ず青ざめて立っている。  新左衛門がそばに跪《ひざまず》いて確かめると、男はもう事切れていた。立ち上がって、死んでいますと言うと小頭はうなずいた。そして青ざめたままこちらを見てかたまっている足軽たちに声をかけた。 「嘲りを受けたゆえ、やむ得ず無礼打ちにした。わしはこれから大目付に届けて出るが、そなたらにもいずれ呼び出しが行くだろう。そのときは見たままを話してもらいたい。よろしいか」  無礼打ちは、十分な理由が認められなければ、逆に家中の方が処分を受ける。また無礼打ちを仕掛けて仕損じ、逃げられたり、逆に手傷を負わされたりした場合は、武家の名誉を傷つけたとして、切腹あるいは永のお暇といったさらにきびしい処罰が待っているのが例だった。  無礼打ちの刀を抜くときは、抜く家中も自分の命運を賭けるのである。とっさの判断と……。  ──それに腕に自信がなければ、刀は抜けぬ。  と新左衛門は思った。  玄関の三間ほど手前で、孫四郎をつかまえると、新左衛門はそばの植込みの陰にひっぱりこんだ。 「甚太夫は居合を使うぞ」  と新左衛門はささやいた。 「とくにうしろから近づかぬことだ。気をつけろ」  孫四郎は、いまの警告を噛みくだいて飲みこむように、しばらく新左衛門を見つめたがひとつうなずいてから言った。 「見たことがござるのですな」 「見た」 「かたじけない」  と孫四郎は言った。それから急に馴れ馴れしい顔つきになってささやき返した。 「品どのは、お変りありませんか」 「………」 「じつは白状しますと、この前おじゃましたのは、おやじに言われて品どのをのぞきに参ったようなわけでして。あのおやじが、風邪なんかひくものですか」 「………」 「大晦日にまた代理で参ります。品どのによろしく」 「そのふやけた顔をひきしめろ」  新左衛門は声をひそめて叱咤《しつた》した。 「油断せずに行け」  孫四郎は畑谷の家に入って行った。そのまま、何の物音もせず小半刻(三十分)ほどが過ぎた。  あたりが少しうす暗くなり、門の内側に立つ大目付や奉行助役が、気を揉《も》んで再三空を見上げはじめたとき、家の中ですさまじい気合いの声がひびき、つづいてはげしく剣を打ち合う音が聞こえて来た。どしどしと足音もひびいて、畑谷の家は突然に家鳴り震動をはじめたかと思われた。  しかしその物音は急に、ぴたりと静まった。新左衛門は手に汗をにぎった。庄兵衛と丹羽を見ると、二人とも刀の柄に手をかけている。  だが間もなく、うす暗い入口に人影が動き、殺害されたものと思っていた土屋伝蔵を肩にかけた孫四郎が庭に出て来た。物陰に待機していた足軽隊が一斉に立ち上がって、声を上げた。 「鷦鷯のことだがな、庄兵衛」  橋をわたって組屋敷の方にもどりながら、新左衛門が言った。 「鷦鷯? 鷦鷯がどうした」 「だいぶ前に、山へ一緒に鳥刺しに入ったとき、鳴き声を聞いてあれは鷦鷯だと申したことがあったな」 「そうだったかな」 「なかなかいい声だった。あれは間違いなく鷦鷯だったのだろうな」 「わしがそう言ったのなら、間違いはないさ」  と庄兵衛は言った。  新左衛門はどちらかといえば鳥刺しよりも魚釣りの方が好みだが、三村庄兵衛は鳥刺しひと筋である。非番であれば冬と言わず、夏と言わず山に入る。時にはめずらしい鳥が手に入ることがあって、しかるべきところに持って行けば高値で売れるとも聞いた。  庄兵衛のいわばそれが内職で、非番の遊びは実益を兼ねているのである。 「鷦鷯は、いまごろは家の回りにいるが、青葉の季節になると山にもどって巣をつくり、卵を生む。それで声もきれいになるのよ」  新左衛門は、孫四郎が来たときに聞いた、品の笑い声を思い出していた。  品にも遅まきながらその時期が訪れたのだろうか、と思った。それとも……。  ──あのがさつな孫四郎めが……。  いい声で鳴きながら、品を誘惑しにかかっているのだろうか。そう思ったが、この前のような不快感はうかんで来なかった。むしろ、少し滑稽な気持さえする。  孫四郎は腕と頬に手傷を負っていた。はじめは畑谷甚太夫を手捕りにしようと考えたそうである。しかし狂って、甚太夫の腕はむしろ冴えを増したかのようで、最後には斬り伏せるのがやっとだった。  いや、ご警告のとおりでしたと孫四郎は、新左衛門に言った。甚太夫は、孫四郎を近づけるだけ近づけてから、すさまじい居合い技を使ったという。 「聞いていなければ、えらい目にあうところでした」  孫四郎はそう言って頭を下げたが、孫四郎の腕なら新左衛門の警告がなくとも、何とか出来たろう。あいつめ、年寄を持ち上げることも知っているらしい、と思ったが、気分は悪くなかった。  橋を渡り切って振りむくと、対岸の町に何事もなかったように灯がともりはじめたところだった。大晦日に、孫四郎が利息を取りに来ることを、品に言ったものかどうかと思いながら、新左衛門は庄兵衛に歩調を合わせてゆっくり歩いた。 [#改ページ]     浦  島  城内三ノ丸の隅に、普請組の小屋がある。御手洗《みたらい》孫六は、登城する日は概《おおむ》ねその小屋に詰めることにしていた。  普請組の小屋はもう一カ所、寺前町にある藩お抱えの常雇い人夫の長屋わきにもあるが、そこはただの道具小屋である。鍬、鎌、畚《ふご》に大量の荒縄、麻縄、筵《むしろ》。さらに工事に使う長丸太や杭、掛矢、二台の大八車といった物が所狭しとしまいこまれている。  三ノ丸の小屋も、ほかに測量の道具と大工道具が常備されていることをのぞけば、あとは寺前町の小屋と変りない土木工事用の道具を納めてある小屋だが、違うところはその中に畳敷きの小部屋があって、そこで簡単な帳付けぐらいは出来るようになっていることだった。  御手洗孫六はこの小屋をこの上なく気に入っていた。小屋の中は、畳の部屋に火桶が置いてあり、土間にはがんがん火を燃やすので、寒中といえども寒さ知らずだった。小屋に詰めるのは普請組の者一名、組に附属する足軽が毎日交代で二名ずつという決まりになっているが、詰めて格別の仕事があるわけではない。  一応は規矩元器とか根発《コンパス》、分度矩《ぶんどのかね》など測量道具をおさめた箱を見張るとか、鍬、鎌などに錆《さび》がつかないよう、たまに手入れするとかが仕事になっているけれども、いくら貴重品だからといって、使い道もしかとは知れない根発や分度矩を盗みに、小屋に押入る者がいるはずはなかった。  ごく稀に、城内の修繕を命ぜられた御用大工の頭梁長次郎が、弟子を二、三人連れて大工道具を借りに来るほかは、上司も覗《のぞ》きに来ることはない。別天地だと孫六は思っていた。  外仕事のない冬の間に整理すべき古い書類がある、というわけで、三ノ丸の会所の中にある普請組の詰め部屋には、染みで汚れたり虫が喰ったりしている黄ばんだ書類が山と積んである。しかし帳付け役はともかく、ふだんはめったに筆をにぎることもない外働きの者には、書類の整理などという仕事は不向きである。さっぱりはかが行かなかった。  結局雪が消えるころになると、虫喰い書類はまたぞろ厳重に結わえられて書類蔵にもどることになるのだが、上司もそのあたりのことは心得ていて、あまりやかましいことは言わなかった。要するにほかの部屋の手前もあり、出番の者をただ遊ばせておくわけにはいかないということらしかった。  孫六も神妙に、古い書類のひと束を道具小屋に持ちこんでいた。整理すべき要点もわかっているが、部屋に上がって机にむかうことはめったにない。土間の焚火《たきび》のまわりに据えてある腰掛けがわりの木の根に腰をおろし、大股をひろげて暖まりながら出番の足軽と世間話をする。安い茶ながらお茶は飲み放題だし、詰所にいるときのようにまわりに気兼ねすることもいらない。  ──城内にこんな穴場があったとはな。  と、事情を知らなかった孫六は感嘆することがある。足軽の中には女好きの者もいて、その男の口から市中の尻軽女の話などを聞いたりしていると、勘定方に勤めていたころにくらべて、おれも品下ったと思わないわけではなかったが、気楽は気楽だった。  そんな日を送っていても、道具小屋勤めの足軽に侮《あなど》られることはなく、孫六はむしろ附属の足軽たちにひそかに敬われていた。それというのも御手洗孫六は、むかし弓師町にあった鵜飼という無眼流の道場で、多少は人に名を知られた剣客だった。  いまは道場は潰《つぶ》れて、空家になったその家を藩が買い上げて織物会所にしているし、孫六も酒の上の失策がもとで勘定方から普請組に勤め替えを命ぜられてからは、気力が萎えて木刀を振ることもなくなっていたが、足軽の中に孫六の若いころの剣名をおぼえている者がいた。そしてこの者が稽古を頼んで来た。いまから数年前のことだったろう。  その時分には孫六も普請組勤めに馴れ、まだ身体も動いたので、頼まれるままに道具小屋の裏で稽古をつけてやった。それがこのごろのように、小屋に入りびたるそもそものきっかけになったのである。  無眼流の稽古そのものは、はじめは四、五人もいた希望者がつぎつぎと脱落して、いまもつづいているのは兵頭政太という若い足軽一人だけになったが、そういうことがあって孫六は足軽たちに親しまれているのだった。  挨拶もなく、いきなり小屋の板戸を引きあけた者がいる。 「孫六はいるか」  外から顔を突っこんでそう言ったのは、組の小頭《こがしら》坂口権内だった。火のそばの三人はおどろいて立ち上がったが、三ノ丸広場の雪の中を歩いて来た坂口は、小屋がうす暗くてすぐには三人の見わけがつかないらしい。  しばらくきょろきょろと小屋の中を見回してから、ようやく孫六に視線を定めた。 「お頭がお呼びだ。一緒に来い」  坂口はそう言ったが、目が馴れて来たところでやっと焚火のそばにある大量の薪や、三人が腰をおろしていた大きな木の根っこに気づいたようだった。叱言を言った。 「薪炭の無駄使いはならんぞ。城中節約の触れを知らぬわけでもあるまいが、ん?」  坂口はそう言ったが、三人が仕事もせずに火にあたっていたことは咎めなかった。会所の中の詰め部屋にしても、似たような有様だからであろう。普請組の者が人夫ともども、文字通り真黒になって働くのは雪が消えてからである。  孫六は、坂口につづいて小屋から雪の中に出た。するとたちまち、孫六は三ノ丸広場を覆い包んでいる雪の反射光に包まれた。時刻はそろそろ七ツ(午後四時)にかかるころで、日は二ノ丸の石垣の上にならぶ松の幹の間に見えている。日射しは力強く、三ノ丸の雪の原は湧き立つようにその光を照り返していた。  城内にはまだ二尺に余る雪が残っているものの、冬は峠を越えて、春の到来がそんなに遠くはないことを示す光景だった。  雪の道は真直に、会所や郡代屋敷、藩校などがある大手門前にむかっている。坂口のうしろから、榾火《ほたぐ》の煙で赤くなった目をしょぼつかせて歩きながら、孫六は次第に、胸の中に不安がこみ上げて来るのを感じた。小頭同道で城中に来いなどという命令は、ろくなことではあるまい。  小頭、と孫六は言った。 「お頭のご用は何でござろうか」  お頭というのは、むろん普請奉行の石岡吉兵衛のことである。 「気になるか」  坂口は孫六を振りむいた。坂口は丸顔で髭の濃い男である。朝剃った髭が、もう口の回りから頤《おとがい》にかけてうす黒くのびている。その顔で坂口はちらと笑顔を見せた。 「心配なことはあるまい。ご用の中身はわしも聞いておらぬが、使いの口上はいたってのんびりしたものだったぞ」  坂口にそう言われても、御手洗孫六の胸に入りこんで来た不安は消えなかった。孫六はうつむいて坂口のうしろから二ノ丸の濠《ほり》にかかる橋を渡って門をくぐり、二ノ丸の広場を横切ってもう一度本丸の橋を渡り門をくぐって本丸御殿に入った。  普請奉行の城中の席次は大目付に次ぎ、物頭《ものがしら》の上である。城中に詰め部屋をあたえられていた。  坂口と孫六が入って行くと、奉行の石岡は火桶から身体を起こし、持っていた書物を閉じると小机にもどした。奉行もひまで、書物を読んでいたらしい。  奉行は一人ではなく、部屋の隅にもう一人の人間がいた。色が黒く、目つきが尋常でなく鋭いその男は、二人が部屋に入ると軽く目礼を送って来たが、孫六は見かけたことのない男だった。 「おお、来たか」  白髪の石岡は鷹揚《おうよう》に坂口と孫六の挨拶を受けてから、隅にいる男の方に顎をしゃくった。 「これは大目付どのの配下の金森だ。孫六に吉報を持って来たので、さっそく呼びにやったのだ」  と石岡は言った。  会所にもどる坂口と別れて、孫六はまた雪の道を道具小屋に引き返した。寒くて、しきりに胴ぶるいがこみ上げて来る。  小屋を出て奉行の話を聞き、大手門前に引き返すまで、せいぜい小半時ほどしかかからなかったろうと思われるのに、三ノ丸の雪の広場の光景は一変していた。日は本丸の森のはずれに沈みかけているとみえて、さっき雪の原を覆っていた日射しは、二ノ丸の石垣の上にほんのわずかな明るさを残すだけとなり、広場はうす青いたそがれいろに包まれはじめていた。  二ノ丸の濠ぎわに、藩主家の一族の屋敷が並んでいる。石垣の上に残る日射しは、広場を通り越して、その屋根に淡い夕映えのいろをとどめていた。  しかし胴ぶるいがするほどに寒いのは、景色が変ったためだけとも思われなかった。普請奉行が言ったひとことが、御手洗孫六の頭の中で鳴りひびいているせいのようでもあった。孫六はまだ度を失っていた。 「疑いが晴れたな、孫六。めでたいことだ」  普請奉行はそう言ったのである。  いまから十八年前のことだから、三十四のときに、御手洗孫六はさきにも述べたように酒がからんだ失策を犯し、勘定方から普請組に役替えを命ぜられた上に、大切な家禄を五石削られた。失策の中身は、ざっと記せばつぎのようなものだった。  その以前から藩財政のやりくりに苦しんでいた藩は、孫六が事件を起こしたころには参覲《さんきん》交代の費用の大半を、城下の富商から掻きあつめた献金で賄うという方法を取るようになり、その方法は慣例化していまにつづいている。  献金といっても中身は誰がみてもわかるように、半強制的な費用負担のことだが、富者たちは内心はともかく、表向きはにこやかにそのぐらいの負担は何ともありませんという顔で金を差し出す。もちろん商人であるからには転んでもただは起きず、献金の見返りは何かの形で城から受け取っているのだが、その年はあつまった金が、金あつめの采配を振る勘定奉行の腹づもりに満たなかった。  そういう事情で奉行は、献金商人のうちから主だった何人かを選んで再度寄附の上積みを募るべく、配下を市中に走らせたのである。  その際に奉行が、それぞれの店に多少のつながりがある配下をさしむけたのは、献金といい寄附といっても、中身は藩の無心である以上当然の配慮というものであった。藩はこの種の献金とはべつに、商人たちから多額の金を借りていて、半強制的といってもこわもてで寄附を命じた時代はとっくに終っている。一面識もない者が行くよりは、先方と何らかのつき合いがある者を使いにやる方が、先方も金を出しやすかろうというのが奉行の算段だった。  御手洗孫六は金助町の美濃屋善兵衛の店に行った。懇意というほどではないが、数年前に孫六は美濃屋の危急を救ったことがある。藩に提出すべき書類数通を調《ととの》えてやったのだが、美濃屋はそのとき、事にまぎれて迂闊《うかつ》にも遅れてはならない書類提出の期限を誤り、それに気づいて番頭ともども大あわてで孫六を頼って来たのだった。  美濃屋では、まだその書類の作成に手もつけていなかったので、孫六はその夜、二人が持ちこんだ山のような元帳を整理しながら算盤《そろばん》をいれ、明け方までかかって書類を調えてやった。そして二人を店に返して登城すると、まだ奉行助役の手もとにあったほかの店提出の書類の下に、真新しい美濃屋の書類を忍びこませてしまったので、事件は未発に終り、美濃屋は危うく藩のお咎めを免れたのである。  孫六はそのとき、美濃屋がさし出した礼物を受けとらなかった。ただ二度ほど、城下を挙げてにぎわう熊野神社の夏の祭礼のときに、招かれて美濃屋の馳走になったことがあるが、それものちに藩から禁令が出て、無礼講が建前の祭りとはいえ、藩士が商家の供応を受けるのは好ましくないと決まったのでそれっきりになった。  しかしその後も、美濃屋の方では孫六に助けられたことを徳として、会所をたずねて来るときは必ず勘定方詰所に顔を出して孫六に挨拶し、ひまなときは机のそばに来て雑談までして行く。美濃屋善兵衛は、そういうことでは孫六が内心恐縮するほどに、律儀な男だった。  日ごろ何となくその様子を見ている勘定方の上役が、中身は不明なものの、孫六と美濃屋の間に何らかの親しいつながりがあるものと踏んだのは当然で、事実その人選はなかなか当を得たものだった。孫六の願いごとを聞いた美濃屋は、一言の問い質しもなく笑顔で承知したからである。美濃屋は奥から三十両の金を持って来ると、孫六の目の前で袱紗《ふくさ》に包んで渡した。  孫六は丁重に礼を述べ、用意して来た勘定奉行、月番家老連署の受取りをさし出した。上上の首尾である。役目はそれで終り、孫六はそこで席を立って帰るべきだったのである。ところがそのあとで美濃屋が酒をすすめた。こちらにみえられたのはおひさしぶり、お茶代りに一杯いかがですかなと言った軽い気分のひと言が、その後の孫六の躓《つまず》きのもとになったのである。  むろん、孫六はきっぱりと固辞した。城のご用の途中で酒のもてなしを受けるなどということは、言語道断の話である。せっかくの仰せだがご辞退つかまつる、と孫六は言った。 「それがし、頂いた大事の金子《きんす》を持って城に帰らねばなりませんのでな。いや、ご好意だけはありがたく頂戴いたす」  問題は、声は大きく態度は厳然としているにもかかわらず、孫六の腰が少しも上がらないことだった。御手洗孫六は無類の酒好きである。美濃屋はそのことを知っているから一杯すすめるのだが、美濃屋のひと声は、猫の近くに不用意に山から伐って来たまたたびの束を置いたようなものだった。  その日御手洗孫六の帰城は遅く、下城触れの太鼓が鳴り終るころになって、ようやくそそくさと三ノ丸の門を潜った。大手門に通じる広い道には、もう下城する藩士の姿が見えていて、その数は孫六が会所にたどりつくころには、道いっぱいになるほどにふえた。その人の流れを掻きわけるようにして、孫六は会所に入った。勘定方の詰所に行くとそこもがらんとしていたが、まだ四、五人は居残りがいて、うす暗くなりかけた光の中で算盤を入れたり帳付けの筆を動かしたりしている。 「まだ、おられるか」  孫六は手近な一人に親指を立ててみせた。奉行助役の佐治銀左衛門のことである。聞かれた同僚は、いると答えた。  孫六は安堵の息をついた。間に合ったと思ったのである。だが懸念がひとつあった。孫六は大酒家で、酒で乱れるということはまずない。舌がもつれることもなく、足に来ることもなかった。顔にも色が出ない方である。酔ってろれつが回らなくなった人間を見ると、孫六はいつも笑止だと思う。今日もかなり飲んだが、その点は大丈夫だ。心配ない。  ──だが、息は隠せぬだろうて。  と孫六は思った。佐治銀左衛門は白髪|痩身《そうしん》のやかまし屋で知られる老人である。一杯やって帰城が遅れたなどということが知れれば、ただでは済むまい、と思うほどの分別は、まだ十分に残っていた。  ──さて……。  懐から出した袱紗包みを自分の机にのせて、孫六はひと思案したが、すぐに立って会所の賄い所に行った。そこには火も水もあり、住み込みの留守番夫婦がいて、お茶はもちろん簡単な酒肴の支度ぐらいは出来るようになっていた。孫六は、会所の奥にあるうす暗い賄い所に入りこみ、音を立てないようにしながら嗽《うがい》した。  だが苦心の工作も、つぎに起きた事件の前には何の役にも立たなかったのである。  詰所の隣りにある奉行助役の部屋には、もう燭台がともっていた。佐治は孫六を見ると、不機嫌な顔で遅かったなと言った。 「用事は調ったか」 「は、何とか」  孫六は息をつめて膝行《しつこう》し、佐治の机に袱紗包みをのせた。しりぞいて見まもっていると、佐治はひろげてある帳簿に一筆書きこんだ。つぎにおもむろに包みを引き寄せたところをみると、机の上の帳簿は募金の名簿で、美濃屋の項に入金とでも記したのであろうか。 「おや、二十両か」  佐治銀左衛門の声がした。孫六がはっと目を上げると、佐治が机の上の小判を指さしていた。 「美濃屋は二十両しか出さなかったのか」 「いえ」 「いえとはどういう意味だ。そばに来て数えてみるか」 「しかし……」  孫六は狼狽していた。事態の意味がつかめなかった。 「たしかに三十両頂いて参ったはずですが……」 「そうだろうな。均一に三十両ずつ出してもらえということで、各自その受取りを持参して行ったはずだ。受取りは置いて来たか」 「はい」 「しかし袱紗には二十両しか入っておらん。これはどうしたわけだ」  孫六は真青になった。身体の奥に心地よく醗酵《はつこう》をつづけていた酔いなど、一瞬にして雲を霞と逃げ失せてしまったようである。 「助役、何とぞいま一度たしかめて頂けませんか」 「おまえが自分で数えろ。遠慮はいらん」  険しい口調で佐治が言ったが、孫六は前に出て行かなかった。すると佐治が、急に何か怪しからぬ気配を嗅ぎつけたというふうに、眉をひそめて天井をにらんだ。佐治はいそがしく鼻を鳴らし、おかしいなとつぶやいた。 「酒が匂わぬか」 「いえ、いっこうに」 「いや、たしかに酒だ」  佐治は目をほそめて、じっと孫六を見た。孫六、前に来いと言った。そしてすぐに顔をそむけた。 「やあ、これはひどい。待て待て。これはただごとでは済まんぞ」  佐治は立って襖をあけると、誰かいるかと居残りに声をかけ、寄って来た男に何事か小声で言いつけた。そして机にもどると、袴をさばいてさてと坐り直した。 「酒を喰らい酔って、帰り道で十両落としてきたかな。有り得ることだ」 「いえ、金子は懐深くおさめて参りましたので、途中で落としたとは思えませぬ」 「懐深く、と。なるほど」  佐治は孫六をにらんだ。 「酔ってはいたが、落としはせなんだ、か。ふむ。では、なぜ十両足りぬか、そのわけを聞かせてもらわねばならんな」 「………」 「なに、いそぐことはない。いま、人を呼びにやった。その男が来るまで、ゆっくり思い出してみることだ」  綿密な調べが行なわれたにもかかわらず、金はどこからも出て来なかった。藩は疑いを残しながらも、孫六が公金を私したと断定は出来ぬという結論を出したが、事件の決着の曖昧さにいらだったように、審理の中で孫六の酒を咎める声がきびしかった。そのときに孫六がしたたかに酒に酔っていたことは、金の紛失に劣らず上の者の心証を害したようである。寄付金の紛失、飲酒をひっくるめて、公務中あるまじき失態とされた。  孫六は半月の謹慎のあとで、家禄のうちから有無を言わせず五石を削られ、普請組に役替えとなった。そして十八年の歳月が過ぎたのである。  ──殿村半助か。  雪の道を道具小屋にむかって歩きながら、孫六は金森という徒《かち》目付の口から出た、むかしの同僚の顔を思い出そうとしていた。  役替え後はめったに会うこともなくなったが、身体が小さく、鼠のような顔つきの半助の風采は、十八年前とさほど変ってはいまいという気がした。半助は事件のときに詰所に居残っていた一人で、出来ごころで孫六の金包みから十両の金を抜き取った。十八年経って、同じ詰所の中でもう一度よく似た盗みを働いたが、今度はたちまちに露見してつかまり、十八年前の旧悪まで白状したという。  だがそう聞いても、孫六はそれほど半助を憎む気持にはなれなかった。おれの運命を変えた憎いやつと思ってもよさそうなものだが、怒りは湧いて来なかった。十八年経って、半助のやったことも自分の不運も、もはや他人事のように淡い景色にしか見えないということもあるだろうが、要するにいまの境涯に馴れてしまったのだと孫六は思わざるを得ない。  役替えにあたって上役たちは、御手洗を帳付けで使うことは相成らんという一項をわざわざつけ加えたという。普請組にも帳付けがいて、詰所は勘定方とひとつ屋根の会所の中にある。孫六の算勘の才を生かすにはもってこいの部署だが、そこは普請組としては一番楽な勤め場所でもあった。上役の達しは孫六に楽をさせることは罷《まか》りならん、炎天の普請場にほうり出せということだったろう。孫六には酷な達しだが、役替えが懲罰の意味をふくむ以上、上役の意向にも一理があったといえる。  孫六は新しい境遇を受け入れた。十両の金が詰所まで来て消え失せ、どこからも出て来ないというのは納得いかなかったが、自分の失態は、上役に指摘されるまでもなくよくわかっていた。普請組に移って、孫六は懸命に働いたといってもよい。さいわいに、むかし弓師町の道場で鍛えた体力が役立った。  その働きぶりを見て、はじめの間孫六を、公金を猫ばばした疑いを持たれている油断のならぬ男、あるいは酒で勤めをしくじったしまりのない男という目で見ていた組の者が、次第に親しみをみせるようになった。そして、そこまで漕ぎつければ、普請組勤めは満更でもなかったのである。  たしかに日に焼かれ、雨に打たれるつらい日もあったが、野に一斉に花が咲き、普請場の川土堤に腰をおろして休んでいると、対岸の雑木林からうつくしい鳥の声が聞こえて来るときもあった。そういう季節には、孫六は会所勤めのころには知らなかった快い解放感に浸ることが出来た。そして年月が経つ間に、孫六も少しは楽をすることをおぼえ、普請組勤めに馴れた。組の人間になったと言ってもよい。  そしてそのむかしにかけられた理不尽な疑いも、すっかり忘れてしまうことはないにしろ、思い出して心を痛めるということは次第に少なくなった。それは年月にうすめられて、毒でも薬でもない、目に見えないただの気配のようなものに変って、やわらかく孫六を覆い包んでいるだけだった。  そういう状態の中に、孫六はかなり居心地よく坐りこんでいたと言ってもいいだろう。むかし多少のわけありで、しかしいまは普請組の御手洗孫六で、仕事がひまな雪の季節は道具小屋に逃げこむこともおぼえて、それで別段の不満もなく孫六は暮らしていた。本人が半ば忘れているぐらいだから、十八年前の失態を持ち出して孫六を嘲笑う者もいない。  普請奉行の突然の呼び出しは、その孫六の平穏無事を一撃で打ちくだいたようでもあった。寒くてしきりに胴ぶるいがするのは、長い年月をかけてつくり上げた居心地のいい巣が突然に消え失せた気がするからだろう。  藩では、減らした五石を返し、孫六を勘定方にもどす方針だという。事件が起きたときは不届きな飲み助め、と思ったに違いないが、十八年経って真相が知れてみると、事件の眼目が公金の紛失にあったことは、上役たちも認めざるを得なかったということだろう。孫六の疑いは晴れたのである。  そして酒の上の失態は、長い普請組勤めで一応帳消しになったと、上役たちは考えたかも知れない。有難い仰せだと、孫六は思っている。五石がもどれば、御手洗家の一年の喰い扶持があらまし賄えることになるだろう。そう思ってみるものの、喜びはいまひとつ湧いて来なかった。  ──ちと遅過ぎたわな。  などと、上役に聞こえたらただでは済みそうもない贅沢な感想も胸にうかんで来て、孫六はまだ気持の始末をつけかねていた。  三ノ丸の雪の原っぱを横切るわずかな間に、日はすとんと暮れてしまって、孫六が小屋につくころには四方からたそがれ色が押し寄せて来た。  戸をあけると、足軽二人が火を燃やしながら待っていた。二人は孫六を見ると立ち上がって迎え、口口に何のご用でしたかと言った。突然の呼び出しを心配したらしい。 「うむ、まず火にあたらせてくれ。外は寒くてかなわん」  孫六は言い、使い込んで樹皮が剥げて来た愛用の木の根に腰をおろすと、脚をひろげて焚火に手をかざした。胴ぶるいはまだつづいていたが、火の気はすぐにあたたかく孫六を包んで来た。  権助町は、城下の盛り場から遠い場所にある陰気くさい町である。職人町と微禄の武家の組屋敷、足軽長屋がいりまじり、武家の家家からは暗くなったこの時刻にも、まだ機を織る音が聞こえて来る。近ごろは藩の経済がいよいよ逼迫《ひつぱく》して、そのしわよせは真先に微禄の家家に及び、どこの家でも内職をしなければ暮らしては行けない。  御手洗孫六の胸に喜びがふくれ上がって来たのは、貧しい町にもどって、前方にわが家の灯が見えて来たころだった。雪はあってもこのあたりは人通りが多いので、道の真中は黒黒と地面が露出している。歩くのに何の苦労もなかった。  しかし道のつきあたりに見える組屋敷のまわりは厚く雪が積もり、家家から洩れる灯明かりがまわりの雪に映えている。暗い夜空の下で、その一角は何かしらなつかしげな夜景になっていた。今日の首尾を話してやったら女房、娘がさぞ喜ぼうと思いながら、孫六は柱だけの粗末な門を入り、勢いよく表の戸をあけた。  組屋敷の家は狭くて、孫六は着換えも食事も同じ居間でする。着換えを手伝う妻女に、孫六はさっそく普請奉行の話を聞かせた。 「正式の言い渡しは二、三日後になるそうだ。そのときはお奉行の屋敷に呼び出されて、ご沙汰を頂くことになる。月番家老の細井さまが来られるかも知れんが、代理もあり得るという話だ。大目付さまが立ち会われる」 「それは思いもかけないお話で。おめでとうございます」 「これでどうにか、ご先祖の名を汚さずに済むというものだ。ひとつ仏壇をおがもうか」 「そうなさいませ」 「どうした」  手をとめて孫六は妻女の顔を見た。色白だが、丸顔で平凡な顔立ちの妻女は、何となく浮かない顔をしている。 「うれしくないのか。ここよりは広い家に住めるぞ。それに五石の禄がもどれば、そうがむしゃらに内職に精出すこともあるまい」  孫六はそう言ったが、あまり自信はなかった。経済の逼迫に悩む藩は、十年前から上米《あげまい》の制度を採用し、藩士から百石につき二十俵の米を借り入れて、藩債の補填《ほてん》にあてることにした。名目は借入れだが、形は命令であり実質的な減石にほかならなかった。  家中藩士の間にきわめて評判の悪い上米はいまもつづいていて、孫六のような微禄の家の台所まで脅している。二十五石の家禄が、五石もどって三十石となったところで、いまのような経済の有り様の中では、さほどの助けにはならないのかも知れなかった。 「いいえ、うれしゅうございますよ。家とお禄米はもちろん、長い疑いが晴れたのですもの。でも……」  着換えの手伝いを終った妻女は、そのまま畳に坐った。孫六を見上げて声をひそめた。 「庄三郎どののことは大丈夫ですか」 「稲垣がどうした」  孫六も坐った。  孫六は晩婚だったので、子供が生まれたのは三十を過ぎてからである。子供は一人しか出来なかった。それが娘の多美である。多美は二十になった。婚姻が遅れているけれども、家があまりに狭いので様子をみているといったところで、婿に迎えるべき人物は決まっていた。同じ普請組勤めの稲垣省助の三男、庄三郎である。 「こっちが勘定方にもどるから釣合わぬということはあるまい」  と孫六は言った。  稲垣の家は御手洗よりさらに小禄の十五石だが、同じ普請組同士でこの縁組みはよく釣合っていた。御手洗の家が勘定方勤めにもどり、禄高も三十石に変ると少し差がつくようだが、両家の婚姻はもう藩の許可を得ている。藩では破格の縁組を嫌うけれども、まさか三十石と十五石に目くじら立てることはあるまいと孫六は言ったのである。 「でも、先さまが……」 「何だ、はっきり言え」 「庄三郎どのは、測量術とやらをお習いだと聞いておりますが、お勘定方にもどるとせっかくのお勉強も無駄になりますなあ」 「おお、そのことか」  孫六は妻女と顔を見合わせた。  城下に久米平太夫という算学家がいて、算学と一緒に測天量地の術を指南している。稲垣庄三郎は久米について測量術を学び、成績優秀だと言われていた。普請組には富田という町見家がいるが、富田のやり方は古い、そこへ行くと庄三郎が習っているのは紅毛《おらんだ》流という由緒あるもので、と父親の省助が自慢したことがある。  いずれにしろ、庄三郎が測量の術を習っているのは、御手洗の婿になった暁には、習いおぼえた測量術を勤めに役立てようという、殊勝な心がけだと思われた。その修業が無駄になり、馴れぬ算盤や帳付けをやらされるということになると、先方がどう思うかという妻女の心配ももっともだと思われた。  孫六は台所の物音に耳を澄ます表情になった。台所からは、かたことと物の触れ合う音が聞こえて来る。何も知らない多美が、夜食の支度をしているのである。  その、ナニだと孫六は口ごもった。 「稲垣にはよくわけを話して、わかってもらうしかなかろう」 「せっかく組の人たちとも、気ごころが知れて仲よくなりましたのに……」  妻女はまだ懸念がありそうに、小さなため息をひとつついた。 「勘定方に出もどったら、むこうの方方はどう思うでしょうか」  うーむと孫六はうなった。妻女の懸念を、あながち取越苦労と片づけることは出来ないように思えた。要するに妻女は、今度のご沙汰をさほどに喜んでいないのである。家に入る前の喜びはみるみるしぼんで、その中に突如としてうかんで来た手を打ちたくなるような思いつきも、あえなく消え去ろうとしていた。未練たっぷりに、孫六はその思いつきを口に出してみた。 「するとナニだ、ここで何はともあれ祝盃というわけにもいかんようだな」 「祝盃? 何のことでしょうか」  にわかに、妻女はひややかな声を出した。 「あのときに、お酒はきっぱりと断ったはずでございましょ。この家にはいま、一滴のお酒もありませんよ」  三月に孫六は勘定方に復帰した。そして半年余が過ぎた。  その日御手洗孫六は、下城すると家には帰らず、ゆっくりと河鹿橋を渡って白粉《おしろい》小路にむかった。飲み屋が軒をならべ、白首を兼ねる酌女たちが袖を引く町に藩士たちが出入りするのを藩は喜ばず、たびたび禁令を出して取締ったが、こっそりと飲みに行く者は跡を断たなかった。  近ごろその禁令は少しゆるんで、町人と同席するのを避ければ大目にみるということになっているらしい。藩も上米と倹約令で締めつけるだけでは、いずれ家中の不満を押さえられなくなるとみて、多少の息抜きを許す気になったのかも知れなかった。  白粉小路につくと、孫六は道の左右にならぶ店を一軒一軒のぞくようにして歩いた。十八年ぶりに来た町は少し様変りして、思いがけなく小ぎれいな小料理屋が出来ていたりしたが、むかしと変りない低い軒に煤けた行燈をぶらさげている店もあった。  目ざす店が見つかると、孫六は馴れた手つきで縄のれんをわけ、中に入った。そして壁ぎわにある武家が坐る上げ床の席に坐った。その店はむかしからそういう造りで、うなぎの寝床のように細長く、暗い店だった。 「おかみはいるか」  孫六は酒を注文してから酌女に言った。 「はい、おりますけど」 「ひさしぶりに参ったので挨拶をしたい。あとで顔を見せるように言ってくれんか」 「はい、はい、かしこまりました」  今夜は存分に飲んでやるぞ、と孫六は思った。  藩の温情でもどしてもらった勘定方勤めなので、むろん不平は言えないが、孫六はそこで日日憂鬱な月日を過ごして来た。  勘定方では出もどりの孫六を歓迎しなかった。それは仕方ないとして、詰所で仕事をもらうと予想もしないことが起きた。長い留守の間に帳付けの方法も変ってしまって、孫六はいちいち辞を低くして同僚にたずねないと一歩も仕事がすすまない始末である。  そして、むかしは得意だった算盤も、力仕事のために芋虫のように太くなった指にはなかなか馴染まず、たどたどしい指のはこびは詰所の笑いものになった。  親しかった者が残っていたら、もう少し事情は違ったろうが、むかしの同僚が三人残ってはいるものの、彼らは孫六と親しくつき合った人間ではなかった。そしてあとはほとんどが代替わりして、若い顔触れに変っていた。あのやかまし屋の佐治銀左衛門は病死し、勘定奉行も奉行助役も、孫六が名前を聞いたこともない人物だった。  詰所の中のつめたい視線にさらされながら、太い指を動かして算盤を入れていると、孫六は自分をとんでもない場違いなところにもどって来た浦島太郎のように思うことがあった。しかしそれだけなら我慢すれば済むことだった。やがて昔取った杵柄で、執務の勘ももどって来るだろう。  孫六はそう思っていたが、問題は若い男たちだった。  男たちははじめ、髪は半ば白く顔は真黒で、農夫のような太い指を持つ孫六を、どこから来たおやじかと訝《いぶか》しんだようである。だがすぐに孫六の正体は割れて、孫六がかつて酒で勤めをしくじり、追放されて十八年の間普請組にいた歓迎されざる先輩であることを知ったらしい。  男たちはわざと孫六の近くで、時どきむかしのことを当てこするようなおしゃべりをした。孫六はすぐに気づいたが、そ知らぬふりをした。相手にするのも大人げないと思ったのである。  すると、無視された彼らは、今度は年寄をからかいはじめた。彼らは孫六が立った隙に、机の上から書類を隠したり、大事な受取り書をちり籠に捨て、あとでそれを取り出して見せたりした。あるときは帳簿の表紙と中身が取り換えられていたこともある。  児戯に類するいたずらだった。しかしそのたびに孫六はうろたえて走り回らなければならない。すると彼らは符丁めいた目くばせや言葉を投げ合い、笑いをこらえるために孫六にむけた背をひくひくと動かすのだった。  あるとき、やられたことの悪質さに腹に据えかねてこれはどなたのいたずらかと咎めたことがある。すると相手にしてもらった彼らは喜んで言った。 「誰か、いたずらをしたか」 「いいや」 「そうだろうな。御手洗どのは何か勘違いをしておられるようだ。ひょっとしたら今日は、出がけに一杯聞こし召してござったかな」  すると、待っていたように詰所に笑いがまき起こる、というようなことが、始終ではないにしろ、ずっとつづいて来たのである。  ──軽薄なやつらだ。  腹を立てる値打ちもない、と孫六は思う。しかし不愉快は不愉快だった。 「いらっしゃいませ。お待ちどおさまでした」  きれいな声がした。振りむくと、三十前後の孫六から見ればまだ若い女が、酒と肴をささげ持って立っていた。おかみのまきでございます、と女は言った。 「や、およしはどうした」 「母なら数年前に亡くなりましたけれども」 「そうか」  孫六は呆然とした。店にも長い年月が経っていた。 「いや、むかしずいぶんとおよしに世話になった者だが、しばらく来ておらぬもので。知らなかった」 「どうぞ、母がいなくともこれからごひいきにねがいます」  およしよりずっときれいなおかみが、孫六の名前を聞き、笑顔で酌をして去ると、孫六はひさしぶりの酒をゆっくりと味わいながら盃をあけた。酒が身体の隅隅まで沁みわたるようだった。ほうら、少し飲み過ぎですよ、大丈夫ですかというおよしの声が聞こえたようだった。およしは孫六より二つ三つ齢上だったろう。よく客が帰ってしまった上げ床に上がりこんで、孫六の酒の相手をした。そして時どきは酔った孫六に肩を貸して、表まで送り出してくれたものだ。  孫六はいつの間にか、早い手つきで盃をあけていた。快調にむかしの調子を取りもどしていた。注文したので鰯《いわし》の塩焼きと大根の煮つけがはこばれて来ているが、酒が入ると孫六は一切そういうものを口にしない。ひたすらに酒を飲む。飲めば飲むほど、酒は旨味を増し、その旨味が喉をすべり落ちる感触に、孫六はほとんど陶然としている。孫六は銚子のお代わりを取った。  ──喰わなきゃいけませんよと、およしが言ったな。  と孫六は新しい盃をあけながら思っている。喰わないと、酒は身体に毒ですよ。そう言って重い孫六を肩に担いで表に送り出した。やわらかい肩だった。少ししめっぽい汗の匂いもしたようである。それがうれしくて、時にはわざと酔いつぶれたふりをして肩を借りたものだが、およしは気づいていたか、どうか。  その声と笑いに気づいたのは、いつごろだったろう。店の中はいっぱいの客でにぎわっているのに、そのひそめた声と笑いは、孫六の耳に突きささって来た。 「見たか、おい。おやじが本性を現わして飲んでいるぞ」 「見たとも、まるでうわばみだ」  くすくすと笑う声がする。 「やっぱり、がまん出来なかったのだな」 「それはそうだ。根が好きなものを、やめられるわけがない。おれはいつかはじめるだろうと見ておった。いいな、おれの勝ちだ」 「大丈夫かな。飲みっぷりがよすぎるぞ」 「自分の金で飲んでいるのだ。ほっておけ」 「賭けに負けて、こいつ気が荒くなったぞ」  男たちはどうやら、孫六の酒を賭けの種にしていたらしい。孫六は前の衝立《ついたて》をにらんだ。するとその上にひょいと男の顔がのぞき、あわてたように隠れた。  孫六は静かに土間に降りた。両刀を腰にもどすと、酌女を呼んで金を払った。出口にむかって歩き出すとよろめいた。ひさしぶりに飲んだので、わずかな酒が足に来たようである。すかさず衝立の裏から笑い声があがったが、孫六は無視した。大丈夫だ、頭はしっかりしている、と思った。  外に出ると、孫六は羽織を脱ぎ捨てた。刀の鯉口を切ると、店の入口にむかってよろめく足を踏みしめ、大声を張り上げた。 「そこにいる勘定方の若僧めら。山岸、仙場、小泉、おまえらのことだ、表に出ろ」  道を歩いていた者が、一斉に逃げた。目の前の店は静まり返ってしまった。 「貴様ら、日ごろこの御手洗孫六を見くびってくれているが、その礼に今夜は取っておきの無眼流の腕を拝ませてやろう。さあ、出て来い」  酒がとくとくと音を立てて身体を駆け回っていた。孫六は愉快だった。こんないい気分になったのはひさしぶりである。 「出て来て勝負せんか、腰抜けめ」  普請場で鍛えた孫六の胴間声は、町の隅隅までひびきわたった。いったん逃げた通行人は、遠巻きにして軒行燈にうかぶ孫六の姿を見つめている。店は静まり返ったままだった。  孫六はわめいた。気分は愉快を通り越して、だんだん凶暴なものに変るようでもある。 「出て来ぬとあれば、踏みこむぞ。覚悟はいいか」 「御手洗さま」  うしろから腕をつかんだ者がいる。振りむくと、足軽の兵頭政太だった。おやめになった方がいいと、政太は必死の口調で言った。 「こんなところで刀を抜いたら、今度こそおしまいですぞ」 「何がおしまいだ、引っこんでいろ、兵頭」 「しかし足がふらついているじゃありませんか、お齢を考えずに飲まれるからです」 「なにがお齢だ、生意気を言うな」  でも、これじゃ斬り合ったら負けてしまいます、と政太が懸命にささやきかけたが、孫六はその腕を振りはらった。そしてむかしの鍛練をしのばせるすばやい身ごなしで刀を抜くと、一歩前に踏み出した。見物の通行人がどよめいて、逃げ腰になった。政太も逃げた。  すると政太ではないべつのいかめしい声が、刀をおさめろ、孫六と言い、孫六は突然にうしろから強い力で利き腕をつかまれた。ぎくりとなって振りむくと、目の前に供をつれた勘定奉行が立っていた。 「大そうな元気ではないか、孫六」  あわてて刀を鞘にもどし羽織を拾う孫六を見ながら、にがにがしそうに勘定奉行は言った。 「うわさは聞いていたが、大した飲み助だ。よし、あとは明日のことにしよう。明日わしの部屋に来い。登城したらただちにだ。遅れることはゆるさん」  冬になって城の二ノ丸も三ノ丸も雪に埋まった。大手門前の会所のあるあたりから、三ノ丸の隅にある普請組の道具小屋までは、長い一本の雪の道がついた。  道具小屋の中では、御手洗孫六が当番の足軽と一緒に脚をひらいて火にあたっていた。秋の白粉小路の一件で、孫六はふたたび処分をうけて普請組に逆もどりしたのである。さいわいなことに家禄はそのままだった。  孫六は春には隠居して、婿の庄三郎に家督を譲ることにしていた。普請組にもどったといっても、冬の間足軽の世間話を聞いて、焚火にあたって、それで勤めは終りになる。もう日に照りつけられて、力を出すことはない。突然どどっと地鳴りのような物音がして、小屋が少し揺れた。三ノ丸の北の濠ぎわ、小屋に近いところにある杉の大木に積もっていた雪が落ちたのである。 「それが御手洗さま、変な女でして……」  話しているのは女好きの足軽である。色仕掛けで自分をだましにかかった狐町のさる妾の話をしていた。  にこにこ笑いながら孫六は耳を傾け、おれも結局普請組勤めでかなり品下ったと思っていた。しかしそういう孫六自身、足軽の話にそそられたようにひさしく触れていない妻女の柔肌を思い出し、今夜あたりは、冬の夜のつれづれに手をのばしてみようかと、怪しからぬことを考えている。  単行本 平成三年二月 文藝春秋刊 〈底 本〉文春文庫 平成六年三月十日刊