TITLE : 肉体の門・肉体の悪魔 肉体の門・肉体の悪魔   田村泰次郎 肉体の門・肉体の悪魔   目次 肉体の悪魔 女盗記 霧 「街の天使」系譜 男禁制 鳩の街草話 肉体の門 肉体の悪魔    張玉芝に贈る  君をはじめて私が見たのは、大行《たいこう》山脈のなかの、〓河《しようが》に沿うた或る部落の、夏の或る日の赤い夕映《ば》えのなかだった。  晋冀予《しんきよ》省境作戦と後になって名づけられた、昭和十七年の山西《さんせい》、河北《かほく》、河南《かなん》にまたがる大規模な軍事行動のために、私たちの兵団は、山西を出発してより毎日大行山脈の、あの重畳とした嶮《けわ》しい山また山を登り降りして、次の行動のために、明日はいよいよ河南の平野に降るという日の黄昏《たそがれ》のことである。宿営のためにはいった部落で、私は先着の者たちが「おい、女の俘虜《ふりよ》がいるというぜ」と騒いでいるのを聞いた。私は仲間たちと見に行った。ある家の中庭に大勢の俘虜たちが休んでいたが、その隅《すみ》の方の柘榴《ざくろ》の実の見事に生《な》っている枝かげに、同じように八路《はちろ》軍の萌黄《もえぎ》色の軍服を身に着けているのでちょっとわからないが、断髪が帽子のうしろから垂れているのでそれとわかる娘たちが、五名ほど腰を降していた。みんな汗と黄土の埃《ほこり》とでまだらになった顔をしていたが、そのなかに一人、よく光る大きな眼をし、彫りの深い顔立の、そして十分に発達した陽《ひ》に焼けた四肢《しし》を持った娘がいるのを、私は見た。その娘は見るからに気位の高そうなつんとした顔つきをしていて、日本軍に対して骨の髄から憎悪に燃えているような冷やかさを全身に見せていた。その娘だけが、あまりに他の娘たちと駆け離れた反抗的態度を、——他の娘たちにもそれぞれに反抗的態度は見られたが、そのなかに特別に眼立って、そういう態度を見せていたので、私の眼をひいた、——それが君だったのだ。  河南の平野に降りると、こんどは私たちは中央軍と戦わねばならなかった。林県《りんけん》附近の暫編三師との戦闘もひどかったが、それよりも、林県から二十四集団軍司令部のあった合澗鎮《ごうかんちん》にはいるまでの何とも形容を絶したような凄《すご》い死闘の一夜、——そこで私自身も、左の向脛《むこうずね》に迫撃砲弾の破片を受けたのであるが、——日本軍の数知れぬ負傷者が足の踏み場もないほど路上に並べられて、いずれも苦痛にたえきれず打ち呻《うめ》いていたあの夜明けの合澗鎮の大通り、——ああ、私はあの凄惨《せいさん》な場面をどうして忘れられよう、——丁度そのとき、行李《こうり》が到着して、糧秣《りようまつ》が分けられるというので、傷《きずつ》いた兵隊たちの間を縫いながら、行李のある場所を探して駆けまわっていた私は、またばったりと君たちの一隊とぶつかった。私はそれが君たちだとわかると、すぐと君の姿をそのなかに求めた。そういう私の気持はどういうのだったろうか、いまになってそのことをいくら考えても、自分でいい現わせないのであるが、もうそのときに、私の心は君に強くひきつけられていたとしか思えない。君たちの仲間のなかに、君はいた、——わずか数日の間に君の身に着けている服は一層よごれ、君の眼のつめたい光は一層鋭くなっていた。路上いっぱいに横たわって呻いているおびただしい日本軍の負傷者、血と黄土とで練り固められたその軍衣、あたりに立ちこめているむっとするような生臭い血の匂い、——それらを眺《なが》める君の眼の光や、そのすこし分厚い唇《くちびる》のあたりには、意識的な皮肉なつめたさが漂っているように思えた。けれども、そのときふと私はこんなことを考えた。本当は君は何にも考えずに、むしろあまりの凄惨な場面にぼんやり気抜けがしてたたずんでいるのかも知れない。君の中につめたさの存在することを想像するのは、実は私自身の勝手な期待であり、君を一つの理想的な人格に考えることによって、私は自分の内部のどこかにある、戦争そのものの根元的な罪悪に対する人間らしい否定を、外部に具体化して私自身とむかいあわせてみたいのではないだろうか。長い月日、私は戦場で兵隊として生きながらも、——いや、兵隊として生きて来たがために、戦争そのものを否定する一つの原型的な人間像を空想し、それを渇《かつ》え求めていたことは事実である。そういう架空の、けれどもそうあらねばならぬと信じられる人格と、実際に自分の内部にあって戦争という現実を生きている行動人とを、仮借なく対決させてみたい欲望に、私は憑《つ》かれていた。それが、その前夜の戦闘で、私自身かろうじて生き抜けたとはいえ、多くの仲間の生命が一夜のうちに消えてしまったことの衝撃が生々《なまなま》しいときだけに、よけいにそう思えたのかも知れないが、——君の眼の光や唇のあたりに見えたと思われる皮肉なつめたさは、本当は君自身の内部のものではなくて、ひょっとすると、そういう私自身の内部の投影を、私はそこに見たのかも知れなかった。  君についてのこの疑問を解く機会は、まもなく来た。  合澗鎮より私たちは三たび反転、中央軍二十七軍を追うて再び大行山脈の峻嶮《しゆんけん》に分け入り、また毎日難行軍がつづいたが、そういう幾日かの後、私たちは南部大行のある大きな地隙《ちげき》、——三百メートルもある真直ぐな絶壁で両側を囲まれた谿間《たにま》で、逆に優勢な敵に包囲せられたのである。夜となく昼となく、懸崖《けんがい》より射ち降す砲弾と手榴弾《てりゆうだん》とに曝《さら》されて、白味を帯びた肉片とどす黒い血に塗りつぶされた岩と岩との間の死角に蛙《かえる》のように身をへばりつけて、食糧の補給を絶たれた私たちは飢えと死の恐怖に打ちひしがれながら、そこで三日間を過ごした。またおびただしい死傷者が出た。敵の攻撃の合間を狙《ねら》っては私たちはそこらの磧《かわら》に散らばっている死んだ仲間の死体をかき集め、岩かげの水気のある石ころの多い砂地を円匙《えんぴ》で掘って、彼等を埋めていた。将軍も、参謀も、もうどうしていいのかわからないかのように、呆然《ぼうぜん》とそれを見ているだけだった。そういう私たちを眼がけて、狙撃弾《そげきだん》がぴしっと来て、岩に当って高い音を立てるのだ。 「俘虜なんかどうだっていいじゃないか、俺たちだって三日も喰わないんだぜ」 「騒がれる前に殺してしまった方がいいんだ」  ふと、そんな話し声が耳にはいった。  私はどういう気だったろう、——無論、君を意識に置いてたにちがいなかったが、——その話し声を聞くと一緒に、敵眼に暴露している三十米《メートル》ほどの磧を走って、君たちのところへ駆けて行った。はるかな懸崖を掠《かす》めてさし込んで来る、ぎらぎらとした真昼の陽射しが、この飢えと、死と、血糊《ちのり》とでこねまわされたむごたらしい谿間を照らしていた。大きな屏風岩《びようぶいわ》のかげに、足首までも水の浸しているところに、君たちの仲間はかたまってうずくまっていた。或る者は流弾で新しい血にまみれてい、また或る者は俘虜となって数日前の戦闘のときに受けた傷が化膿《かのう》して、蠅《はえ》を、——こんな谿間にも蠅がいた、——一ぱいたからせて苦痛で呻いていた。そんな疲労と空腹と恐怖とでぐったりとなっていたが、私を見ると、口々にかぼそい声で飢えを訴えるのだった。私は君たちの仲間から素早く君を見つけると、水に濡れた雑嚢《ざつのう》から乾パンを一握りつかんで、君のいるあたりへ、——直接君に与えることは、私には照れくさかったので、君の拾ってくれることを期待して、——「給《ケ》、——」といって、ほうりだした。君の仲間たちは争うてそれを拾って、口に入れた。ところが君は、そんな仲間をじっとつめたい眼で見ているだけで、君の手は乾パンに伸びようとしなかった。私は恥かしさと、憎らしさで、さっと顔の赤らむのを覚えた。そのとき、私は見た、——君の眼を、——君の眼が軽蔑《けいべつ》と敵意とで、妖《あや》しくかがやいているのを。そして、私ははっきりと知った。長い戦場の生活を通して、私が求めているものが、そこにあり、私がこれまで何故に君に惹《ひ》かれていたかという、そのまぎれのない理由を。  その瞬間、私は自分の全身に、それはまるで何か運命のような厳粛な衝撃を覚えた。それは戦慄《せんりつ》といってもいい。私はぼんやりと立っていた。胸がかあっと熱くなって、眼には涙さえたまった。けれども、すぐと私は、こんな自分の考え方が単にひとりよがりの甘い空想に過ぎなくて、すくなくも、いまの君と私との間にはいくつかの絶望的な客観的条件が存在していることに気づいた。第一は、いま私たちのいるここがどんなところかということだ。昨日も、一昨日も、夜が来ると、私たちの決死隊は断崖をよじ登って、要点を占領するために突撃を敢行したのであるが失敗におわっているような現在の環境で、私たちは無事に血路をひらいて脱出することが、果して出来るだろうか。恐らくそれは至難のことに属するにちがいない。第二の条件は、かりにこの死地を奇蹟《きせき》的に脱《のが》れ得たとしても、私は軍規という不自由な規則で縛られている下級の兵隊の一人に過ぎない。日本の軍隊では将校とちがって、兵隊には、人間であるという最小限度のどんな行動の自由もない。そういう私に何が出来るだろうか。第三の条件は、——そして、これが最も決定的な条件なのだが、——君が中国人、私が日本兵士であるということだった。この二つのものは、単に民族のちがいというようなことでは片づけられない、水と油とのように絶対に相容《い》れぬ、——すくなくとも、中国人の方では死んでも妥協することを承知しないような、そういう宿命的な関係にあった。日本軍が中国でやったことを知っていて、その表情にごまかされずに、中国人の心の底をみつめようとする者にとっては、この諦観《ていかん》は極《きわ》めて常識的のことではあったが。中国の女性が日本人を愛するということが、低俗な映画や小説の世界では安易にくりひろげられるとしても、現実ではそんなもののヒントになるような事実のかけらさえも落ちてはいないにちがいない。中国の四億の人間のうちの果して幾人の女が、かつて日本の男を愛したろうかとさえいえるかも知れない。殊に、私たちの場合、君は中国の共産党員であり、——君を一眼見たとき、すでに私にはそう信じられた、——私は、君たちの憎しみと呪《のろ》いの対象である「日本鬼子《リイベンクイズ》」の一人ではないか。ところが、これらの絶望的条件は、私の君に対する熱情を弱めるどころか、絶望であればあるほど、かえってその絶望は一層私自身の執着を狂おしいものにするのみであった。  私たち兵隊が後に「地獄谷」と名づけてよんだその南部大行〓底《こうてい》附近の苦境を脱して、二箇月にわたる作戦行動が終りを告げ、私たちが石太《せきたい》沿線の山西の駐屯地《ちゆうとんち》に帰って来たときは、高原の町にはすでに秋風が立ちはじめていた。 「おい、この間の女の俘虜たちを、福星劇団でつかえというんだがね、まるっきり素人《しろうと》ではどうかと思うんだよ」  或る日、私と同じ工作班の猿江《さるえ》上等兵がいった。福星劇団というのは、その前の年の春、中共側の大行山劇団第二分団という民衆宣伝のための劇団を、前線の部隊が襲って捕えたのを、編成し直して、その後日本軍の宣伝劇団として活動させているものだった。猿江はその指導にあたっていた。猿江は内地にいるときは、素人芝居などを手がけたことがあり、絵も巧みで、器用な男だったが、何よりも熱心で凝り屋なために、むずかしい劇団の指導と運営には適任だった。すこし日本人特有の独善的なところがないではなかったが、それがときには複雑多岐にわたる個人生活を持つ劇団員を一つの方向にたばねる上には効果を見せることもあった。猿江から君たちが福星劇団に入れられることを聞いて、私は軍隊生活では滅多に感ずることのないほのぼのとした胸の温まりを覚えた。劇団は私の係ではないにしても、私の身近に君が現われ私は君といつでも逢うことが出来るようになるということに。 「それゃいいじゃないか、素人だってすこし練習すればやれるようになるよ、いまの劇団の女連中だって、素人に毛の生《は》えたようなものじゃないか」 「うん、——あの女の俘虜たちは、みんな看護婦だというんだよ、八路軍の病院の看護婦だって、——」 「看護婦だって、——彼女たちがかい」  私は聞きとがめないではいられなかった。私には、他の女たちはともかく、——彼女たちだってそうでないにはきまっているが、——すくなくとも、君だけは看護婦なんてものではないという確信があった。方面軍から出ている「剿共《そうきよう》指針」という書類のなかにあった「共産党員識別法」という文章を、私は思いだした。そのなかには、女の共産党員の特徴として、俘虜となっても、気位が高く、男の共産党員よりも反抗的態度が露骨に表面に現われるという項目があったのを覚えていたが、君は正にそれに該当した。けれども、共産党員はどんな烈《はげ》しい追求を受けても、自分が共産党員であることを自白することはまれであるとも記されていた。何故ならば、共産党員であることを自認することは、日本軍の手中に於いては、自分から自分を殺してくれというに等しいと信じられていたからである。それ故に、君が看護婦であると自分でいっていることで、余計に私は、君が正真正銘の共産党員であるという最初の自分の直観についての自信を深めたわけである。「彼女たちがどうしても看護婦であるといい張るなら、患者の繃帯《ほうたい》を巻かせてみたらいいでしょうと、俺はいま小野田中尉にそういって来たんだよ」と猿江はいった。小野田中尉は私たちの班長なのだ。 「八路地区の女は、軍隊慰問などやらされているから、みんな繃帯ぐらい巻くさ、そんなことじゃわかりゃしないよ、けれど、彼女たちに白状させて見たって仕方がないよ、それよりもこちらで用心してつかえばいいじゃないか」 「それゃ共産党員であろうと何だろうと、女は女だ、そんなことはちっともかまやしないが、何よりも彼女たちのしぶとい根性が癪《しやく》にさわるんだよ、うまいこと日本軍をだましおおせたと、あの連中は腹の中で考えるにちがいないと思うと、日本軍としてたまらないじゃないか、小野田中尉もそういうんだ」  猿江は自分が日本軍を代表しているようにいきまいた。 「そんなに潔癖にならんでもいいじゃないか、日本軍の体面ということにこだわると、かえって対手を窮地に陥れて、お互いに虻蜂《あぶはち》とらずということになるぜ、こんなときは名よりも実をとった方がいいと思うな」  私はかなりに本気になっていっていた。猿江の考え方を通して、また小野田中尉の考え方を通して、そこに日本軍の思いあがった考え方を、絶えず私たち兵隊をいためつけて、私たちの自由をしばりつけている日本軍特有のあの救い難い頑迷固陋《がんめいころう》な考え方を、中国の人々をして腹の中ではみんなそっぽをむかしめている日本軍のあの独善的で傲慢《ごうまん》な考え方を、私は見た。それがために私は、自分がこんなにむきになっていっているのだと思おうとした。けれども、果してそれだけのためだったろうか。私は知っている、——私は恐れたのだ、——君が日本軍に共産党員であることを告白したときに、日本軍が君をどうするかを、——また、もしかしたら君自身、日本軍に自分が共産党員であると看《み》破られたと思ったときに、われを忘れて君は君自身をどんな破局にみちびかないでもないということについて、私は恐れたのだ。私はまだ君について何にも知らないのに、君ならそういうことをやりかねないと、まるで君のすべてを知りつくしているように、私は信じたのだ。けれども、私が本当に恐れたのは君の破局ではない、——君の破局によって、君を対象として私自身の胸の中に、もう築かれてある夢の設計がくずれることを、私は恐れたのだ。人間の愛情というものは、——そういって悪ければ、すくなくも私という人間の愛情は、何と勝手で、利己的なのだろう。君とまだ一言も口さえもきかないのに、もう私は君を対象として一つの夢をつくりあげ、その夢の実現のためにのみ、私は君を必要とするのだ。 「うん、それはそれでもいいが、それにしても、劇団にはあんなに大勢も要《い》らないぜ」 「一体、幾人いるんだ」 「五名いるんだ。俺はあの中の一人、——ちょっとエキゾチックな顔立の、背丈《せたけ》も高い女がいるんだが、あの女だけでいいと思うんだ、——これが、連中の履歴なんだが」と、猿江は私の眼の前で陸軍罫紙《けいし》に綴《と》じた調書をぱらぱらとめくった。  私は呼吸がつまりそうになった。エキゾチックな顔立をした上背《うわぜい》のある女とは、君以外にない筈《はず》ではないか。私は君が私たちの間で、私の知らないところで、もう問題になっているということで、私はあわてた。猿江が私よりも君をより多く知っているということが、私にはとり返しのつかないことに思われた。猿江は自分の仕事のことで、おおっぴらに君のことがいえるのに対して、私は君のことをいう、何の理由もないということが私の心をみじめなものにした。私には、私が君に対してあまりにも大きな関心を持っているために、すこしも関心を持っていないような態度しか出来ないのだ。私は何気なさそうに調書を覗《のぞ》き込みながら訊《たず》ねた。 「背丈の高い女って、どれだい」 「これだ、——ほら、張沢民《ちようたくみん》、河北省清豊県《せいほうけん》の出身、年歳二十三歳、百二十九師三百八十五旅衛生部の看護婦だそうだ、あいつは拾いものだぜ、あんなすばらしい身体《からだ》つきの女は珍しいぜ、君はまだ知らないかい」  猿江の言葉に私はとっさには答えられなかった。 「うん、そうすると、——あの女かな」と、私はあいまいにうなずいた。 「知らないかな、とにかく、眼立つ女なんだがな、あの女たちの中では一眼でわかるよ」  このときの私の憂鬱《ゆううつ》が、君にはわかるだろうか。張沢民、——ああ、これが君の名だ、その憂鬱のなかでも、君の名を胸のなかに刻《きざ》んで、私はほのかなよろこびを味《あじわ》った。君の名を知ったというだけで、君は一層自分に近い存在になったような気がしたからである。  君は福星劇団の一員となった。猿江は君を早くも舞台に出そうと熱を入れた。君自身はそれに対して舞台に出るとも出ないとも、自分からはっきりとした態度は見せなかったが、どうせ俘虜であるという諦観のためか、とにかく毎日稽古《けいこ》はつづけていた。猿江に演技をつけて貰《もら》っている間も、君の身体中には倦怠《けんたい》と自棄とが漲《みなぎ》っているのが、見ている者にもはっきりとわかった。猿江はそんな君に根気よく倦《う》まずに立ちむかった。どっちかというと気短かなところのある猿江が、君の場合に限って、そんなに根気よく熱心にかかりつづけているのは、君の魅力に憑《つ》かれているからであることはいうまでもない。ところで、私はというと、君が私たちの身近に来て、いつでも君に逢えるような環境になったとはいうものの、予期に反して、私は君に近寄れなかった。それは君が福星劇団にはいってからだが、私がはじめて君を見たとき、君が私に対して見せたあのひやりとする氷のような冷やかな態度が、——実際、それはとりつきようもないというようなひどいものだったため、私はてっきり君があの地獄谷での私のしぐさを覚えていて、そんな態度に出るのだと判断し、——それはそうであったことは、あとになってわかったが、——すっかり私を腐らせると共に、自尊心をも傷《きずつ》けられてしまったのだ。出ばなをくじかれて、私はすっかり元気をなくしたが、その一方で、私の自尊心が黙ってはいなかった。私は何とかして、君をそれほどの女でないと思い込もうとした。自分で自分にいいきかすために、自分の力だけでは駄目《だめ》なので、私は外部にむかってそれを言葉で出して、その反応をたしかめることによって、私の考え方の正鵠《せいこく》の裏書きを得ようとした。 「あの女は意地っ張りだし、陰気だね」  私は猿江にむかって、また他の仲間にむかって、こんなことを放言した。 「色が黒いし、大柄だし、顔だって、よく見るとそれほどでもないぜ」そうもいった。 「あいつは反抗心が強いよ、いまでも日本軍に対して絶対に屈服していないね」  私は君の容姿や性質についてのこんな言葉がみんなの共鳴を得ることが出来ないとなると、それが表だてば潔癖な日本軍の立場として絶対にそういう存在をそのままにして置かぬにちがいないこんなことまでいって君を否定した。こういう私のやり方は、君に傷けられた男の自尊心がさせる業だったにちがいないが、果してそれだけの理由からだったろうか。いや、その実は、私は猿江が君に熱中しているのが怖《こわ》かったのだ。何とかして猿江の熱を下げたいために、君がそれほどのものでないということを強調したのだ。猿江もまた彼自身の自尊心を、君によって傷けられていた一人であったから。それと同時に彼は安心した、——私が、君の悪口をいうのを聞いて私が君を愛していないという確証を得たもののように感違いしたのである。そのときまで、彼は恋する者の敏感さで、私が君を愛しているのではないかしらと、ひそかに気づかっていたのだが——それ故《ゆえ》、彼は私のいう君の悪口に強く同意することによって、私の君に対する評価を一層私自身に確信させようと、本能的に考えたのにちがいない。彼は私よりも一層強く、口汚なく君をこき下した。けれども、猿江は、どうして私が、それほど君と仕事の上で直接のつながりのない私が、君をそんなに悪くいうのか、いわねばならないのか、そこまでは気づかなかった。気づいたならば、猿江はきっとあわてたにちがいないのだが。いま一つ、このときの私のやり方は、のちになって予期しない効果を発揮した。それは私が君を悪くいったことを覚えている猿江を含めてのみんなは、私が君を愛することになるなどとは、夢にも思わなかったからだ。  ところで、私の内心はというと、そんなような表面のしぐさにかかわらず、君が身近に来たことによって、——そしてそれによって、君が私に決して好意を持たないことがたしかめられたことによって、かえってそのために、ますます私の情熱はたかまって来ていた。自分の恋の前途が発展性のない絶望にとざされていることがわかって、いよいよ私の思いは燃えあがって来たのだ。  或る日、私は劇団に行くと、君が稽古場の真中に俯伏《うつぷ》しているのを見た。君の倒れているそばには、猿江が昂奮《こうふん》した顔で突立っていて、もう一人そばにいる通訳をも介さずに、何かしきりに君にむかって叫んでいた。君の肉づきのいい肩は慄《ふる》え、口からはかすかな啜《すす》り泣きの声が洩《も》れている。 「どうしたんだい、何かあったのかい」  私は猿江に訊《たず》ねた。猿江は私の顔を見ると、丁度、いい判定者が現われたというように、せき込んで話しはじめた。 「この女がいまになって舞台に出ないというんだよ、もう公演の日取りまで決っているのに、いまさら代役も出来ないのに、駄々をこねるんだ、——こんな強情で、わからない女があるもんか」 「うん、——それで、——」 「殴《なぐ》ったんだ、——俺はどうしても、この女を舞台に出させて見せる、絶対に出させて見せる」  彼のそういういい方には何か不自然な強がりが見えた。そのとき私ははっきりと知った、猿江が君を殴ったのは、君を愛するのあまり、その熱情に駆られて、前後を忘れたためではないことを、——それならば、まだ純粋なものがあったが——彼は計算して殴ったのだ、女は強い者にかえって惹《ひ》きつけられるという習性があると確信して、——それは安っぽい映画や通俗小説から得た彼流の確信ではあったが、——そんな芝居を打ったのだ。彼はその芝居が予期に反して失敗に終りそうなのを知ると、急にあわてだしていた。その弱身を見せまいとして、かえって強く出ていた。それは一つの間違いを犯したものが、その間違いをごまかすためにその上に更にもう一つの間違いを積み重ねようとするように。猿江は殆《ほとん》ど半狂乱の態《てい》であった。自分の恋が根こそぎ覆《くつがえ》ったことに、——すくなくも、そうなりそうな状態に、どうしていいか自分自身をさえ見失い、ほとんど兇暴《きようぼう》になっていた。 「待て、——俺が話して見てやる」  私がこういって出たので、猿江はほっとした。彼はこの場の収拾をつけるには、このままでは結局彼自身が折れるよりほかなく、折れるにはあまりに君に対して圧倒的に出過ぎてしまっている状態にあったので、私の申し出に一も二もなく取りついて来たのだった。 「こんな女に話したってわかるもんか、——とにかく、こんどの公演には絶対に出すからそう思っていろ」  そういう捨ぜりふを残して、猿江は通訳を促して、荒々しく稽古場から出て行った。猿江たちが立ち去るのを見定めて、私は君のそばの、いままで猿江が威丈高にどなっていたところにかがみ込んだ。私は遠慮勝ちに、——本当に君と話すことはある恐怖をさえ私に与えた、——君の肩に、豊かな肉づきの肩に、手をかけて、君の耳もとに口を寄せた。 「起き給え、——」そして私は下手くそな中国語でつづけた。「起きて、君の気持を、僕に聞かせてくれないか」  私は自分のそんないい方に自信がなかった。君がいまにも、私のそんな親切めいた言葉に反撥《はんぱつ》して、噛《か》みつくように私に対して、日本軍のやり方を罵《ののし》り返すのではないかとひやひやした。ところが、君は何の反応も見せずに俯伏したまま動かなかった。それを見ると、私はすこし自信を強めた。私はつづいて同じようなことを、君の耳もとにいった。そうしながらも、最後の瞬間に於て、私は君が猛然と私の馴《な》れ馴れしさを撥《はじ》き返すのではあるまいかと、それを怖《おそ》れつつ、それでも私はやっと決心して、君の肩に置いた手をぐっと前の方へまわして、「さあ、起きて、事務室へ行こう、——」と、君の身体を起しかけた。すると、どうだろう、君は私のする通りに、むっくりと上体を起して来たではないか、——あああのときの私の夢中さ、それは突然、奇蹟が現われたように思えた。あのときの君の魂が、いいようもない烈《はげ》しい孤独に啜り泣いていたことを、——そして、そのために、ちょっとした親切でも君が素直に受け入れる気持になっていたことを、そのときはまだ私はわからないで、私は急に思いがけず演ずるようになった自分の役割に、夢の中にいるような気持だった。  私は君を事務室へつれて行った。私たちはうす汚れた卓を隔てて、むかいあった。君と二人だけで話してみたいとは私が長い間ひそかに望んでいたことだったが、その機会は突然眼の前に来た。けれども、その機会があんまり突然来たために、私は戸惑ってしまって、何を話していいのか判断がつかなかった。晩秋の黄昏《たそがれ》のひやっこい空気が窓ガラスのむこうで慄《ふる》えている、そして、遠く夕方特有の街のざわめきの潮騒《しおさい》のように聞えるその室の中で、私たちは長いことむきあっていた。私は何を君に話し、君は何を私に訴えたろうか、そのときでさえも、私ははっきりとそれを記憶していない。それほど私は夢中だった。ただ私は、君が私が想像していたよりはずっと烈しい怒りに昂奮していたことを覚えている。けれども君の昂奮は憑かれたような態度で、きれぎれな断片の言葉を無暗と吐き散らすというのではなく、それは白熱した焔《ほのお》のつめたいたたずまいといったものであった。 「私は、——日本軍に捕われぬ以前から信じてたわ、私たちと日本帝国主義とは絶対に相容《い》れぬということを、——それで、私は俘虜になって以来、こんな日の来ることは当然覚悟していたわ、その日が来たのに過ぎない」君の暗愁にとざされた眼には、憎悪と自棄の感情がまるで暗いなかで光る火花のようにきらめいていた。 「日本人は中国人を殴る、中国人は黙る、——けれども、中国人の腹のなかでは、日本人は一層悪者になる、——そして日本人はますます中国人を殴らねばならぬし、中国人はますます日本人を憎まねばならないの」  君の論理は白熱した冷静さで繰りひろげられたのであるが、私は君の言葉をそんなようにきれぎれにしか覚えていない。何故《な ぜ》なら私は、君の吐く言葉の意味が、そして、その意味を通して見られる君の内部が、あまりに絶望と憎悪と呪咀《じゆそ》とに満たされているのに圧倒されて、——いや、それらの底に横たわっている真実に圧倒されて、——君の民族の置かれている不当な立場に私はうしろめたい気持を覚え、この場だけでも、それをどうして君の前にとりつくろったらいいか、そんな愚かなことばかりに気をとられていたからだった。  私は君と話してみて、こんな状態では二つの民族が絶対に相容れぬことがますますよくわかったのであるが、それと同時に君が私に一層近い存在になったことは事実だと思った。すくなくとも二つの民族のそういう関係にもかかわらず、君がある程度私という者の存在をみとめてくれているということは事実だ。この事実に、私ははかない、けれども私にとっては十分満足せねばならぬ幸福を覚えた。だから、私の恋は絶望の度合を増すにつれて、幸福の度合を増して行ったといいたいところであるが、本当は自分の恋の行手が絶望的であることがたしかめられて来たがために、ますます物狂おしくなったというのが実状だったにちがいない。  その日のことは小野田中尉の耳にも入り、それが直接の動機となって、小野田中尉は君の処置について考えはじめたようだった。私は早速小野田中尉に意見を述べて、君をしばらく私たちの仕事の方へまわして貰《もら》えないかと頼んだ。猿江が君を持てあまし気味のことを知っている小野田中尉は思ったより簡単にそれを許した。そして、君は、私たちのところへ来たのだ。その日から君は私たちの住んでいる宿舎の一部に起居するようになった。ああ、今日からは君を毎日見ることも出来る、君と自由に話すことも出来る、——そう思うと私は天にも昇る心地がした。私はよく覚えている、君の来た日私は幾度も宿舎の上の露台にあがって行ったのを。露台の上から見る澄んだ高い秋空も、いつも宿舎の隣りの胡同《フートン》の入口に休んでいる洋車《ヤンチヨ》の幌《ほろ》に晩秋の陽差《ひざ》しが静かに照っているのも、私の頭の上を肢《あし》に笛をつけた鳩が金属的な音色を宙にひいて舞うのも、何もかもが気持よかった。すべてが私を祝福していてくれるように思われた。そして、ときどき私は、眼の下の院子《ユワンズ》の一廓《かく》にある君の部屋の扉がひっそりとしまっているのを見て、あの中に君がいるのだと思って、心を躍《おど》らせたのだ。 「佐田先生、張さんが来てから急に変ったようよ」と、或る日、陸緑英《りくりよくえい》さんが私にいった。  陸さんはやはり半年程以前に、石太《せきたい》線北方地区の作戦で俘虜となった盂県《うけん》第二区の女区長で、齢《とし》は二十六歳、南京《ナンキン》の生れで、共産党員であることは間違いなかったが、これもその点はぼかしたままで、もう三箇月も前から私たちと一緒に仕事をしていた。その陸さんが君の出現に対して、女同士の感情を働かせているのはわからないでもなかったが、そう私にいったときはさすがにどきんとした。昼間は君も私も、陸さんやその他の男の工作員と一緒に仕事をしているのであるが、仲間の兵隊も十名あまりもいることではあるし、私は君に対して特別の態度をとったことはなかったつもりなのに、ひょっとすると私の君を見る眼つきや、君に対する言葉つきに陸さんの女らしい敏感な神経に、それと感じられるものがあったのかも知れない。  陸さんにしても、君にしても、日本軍に使われているからといって、決して君たち自身が積極的に協力していないことはよくわかっていた。日本軍の唱える中日親善に、君たちが何の共鳴も抱《いだ》いていないことはわかりきっていた。私たちの仲間のなかにはそれを飽き足らなく思う者も多かったが、私は、それは寂しいことにはちがいなくても、でも仕方がないことと諦《あきら》めてもいた。いきりたっても、急にどうなることでもない。君や陸さんたちはどうにかお茶を濁して日を過ごしてくれれば、それでいいのだと私は思っていた。私のそういう考え方が君のかたくなに張りつめた心の氷をとかして行ったのか、冬にはいった頃、君と私とはもうかなりに仲良くなった。毎日の仕事が終えると、私たちはよく退庁後の誰もいない事務室や、君の部屋で打とけて、昼間仕事をしている際は話せないような事柄を話しあった。私たちのそんな話に交るのは、李《り》さんと、もう一人、私と同じ仕事をしている前山という若い上等兵だけだった。前山は大阪商大出身のマルキストなので、どちらかというと中共びいきで、私よりもずっと君たちの同情者だった。私たちはいろんなことを、飽かずに話しあった。  君が八路軍の看護婦ではなくて、晋冀魯予《しんきろよ》辺区政府教育庁にはたらいていたことも、君自身の口から自然に聞くことが出来た。君が河北省清豊県の女子師範の学生だったとき、蘆溝橋《ろこうきよう》事件が勃発《ぼつぱつ》し、日本軍が君たちの郷里まで進出して来たので、民族的憤激に燃えた君たちは、急進的な教師につれられて大行山中に分け入り、八路軍に参加した。兵士と共に山河を越え、抗日歌を歌いながら、山西省のあちらこちらを歩きまわった。十五年夏の百団大戦のときは蟠竜鎮《ばんりゆうちん》まで来ていたそうだが、私の中隊は楡社《ゆしや》というそこから間近い最前線で、中隊長以下ほとんど全滅したのである。その頃のことを語る君は何か楽しそうで、当時君たち女学生は後に山東省に移った朱瑞《しゆずい》という中共の幹部に特に親切にしてもらったと、何度も君はそのことを語った。  君の口から語られる大行山脈のなかの君たちの生活は、すべて生々しく、興味深かった。君たちが総司令部《ツオンスリンブ》と呼ぶ八路軍の野戦司令部や、晋冀魯予辺区政府や、中共北方局が渉県《しようけん》を中心とする附近の部落に駐屯していて、どんな日常を過ごしているか、それを聞くことは私たちに面白かった。〓河《しようが》に沿うた大行山中は私たちも作戦で歩きまわった地域であり、渉県こそ知らないが、君の話を聞きながら、あの〓河の清らかな流れ、崖下《がけした》の道、白壁の部落、部落をとりまく棗《なつめ》の木のことなどをなつかしく思いだした。  君はまた朱徳《しゆとく》の細君の康克清《こうこくせい》に可愛がられたといって、よく彼女のことを話した。康克清は色の黒い男のような大柄の女で、拳銃を腰につけて、馬に乗って、部落をまわったりするとき、よくお供を仰せつかったというようなことを話してくれた。北方局の揚尚崑《ようしようこん》はまだ若い美男で、女性党員に人気があるが、彼の細君の李伯劉《りはくりゆう》も天才的な頭を持った幹部だとか、——そうかと思うと、大行軍区の主力兵団である百二十九師の師長劉伯承《りゆうはくしよう》は戦傷で隻眼のため、いつも黒い眼鏡をかけているとか、〓小平《とうしようへい》は顎《あご》のところを弾丸が抜けたために、歯がみんな抜けてしまって、発音がはっきりしないので、彼がしゃべるときは聴きとりにくくて、誰も困っているとか、——そんな大行地区の中共幹部の風貌まで話してくれた。前山と私とは熱心に君の話に耳をかたむけた。また民衆に対する啓蒙運動、殊《こと》にその演劇運動についての君の話は、私たちをひきつけた。魯迅《ろじん》芸術学院には実験劇団があって、その団長はかつての上海《シヤンハイ》映画でのスタアであった呂班《りよはん》であること、百二十九師には先鋒《せんぽう》劇団があること、それから辺区政府直属の劇団として大行山劇団総団があり、その下に第一より第五までの分団があって、——その第二分団はこちらに捕まって、現在の福星劇団に改編させられたのであるが、——専員公署に属していることなど、——それに対して、陸さんは陸さんで、晋察冀《しんさつき》辺区の演劇運動を、——火線劇団や、日本人反戦同盟晋察冀支部の劇団や、女流作家丁玲《ていれい》の主宰する西北戦地服務団の活躍状況を話しだす。根拠地に於ける五月祭の有様から部隊内にある倶楽部《ク ラ ブ》の雰囲気《ふんいき》まで話をする。どれ一つとして私たちの幻想を刺戟《しげき》する話題でないものはなかった。八路軍のなかでの合唱のさかんなこと、朝のまだ暗いうちから抗日歌や革命歌を合唱する兵士たちの歌声が、〓河に沿うた川霧に閉ざされたあちらこちらの部落から、また峰々から湧《わ》きおこり、それぞれが反響しあって、大行山という大自然を舞台とした一大交響楽のように聞かれる、それが大行軍区の朝の挨拶《あいさつ》であるという話など、生活力に溢《あふ》れた自由な軍隊の雰囲気が感じられ、日本軍の窮屈な軍規というものに縛られている私たちには、まるで別の世界のように思われた。 「私たちは午後になると、仕事を終え、みんな屋外に出て、籠球《ろうきゆう》をして遊ぶのよ、朱徳もよく出て来て、若い連中の仲間入りをするんだけど、下手くそなので、しくじる度《たび》に私たちははやしたてる、すると朱徳も軽口を飛ばしてそれにむくいる、——まるで兄弟か親子のような雰囲気なの、朱徳の靴下はいつも穴があいているので、私たちの間では総司令《ツオンスリン》の襪子《ワアズ》といえば有名なのよ」  こんな話を君がすると、前山はきまって昂奮した。——「ああ、逃げだしたいなあ、——こんな軍隊にいるよりは、どんなに生甲斐《いきがい》があるか知れやしない。どうせ、日本軍にいれば生きては帰れない」——そういって、冗談めいて頭をふるのであったが、私には前山が本当にそれを考えて苦しんでいることがわかっていた。君たちの前でこそいわなかったが、私と二人きりのときには、前山は日本は太平洋に於て必ず負けるといっていた。  私には、まだ日本の景気のいい時分だったので、そんなことがあるとは思えなかった。私には前山の考えがひねくれているように思えて仕方がなかった。そのことでよく私たちは議論した。けれども、苦しんでいるのは私も同じことだった。前山よりも長く戦場にあって、まだいつ帰れるともあてのない自分の身を考えると、本当に狂おしい気持になった。私には日本に帰ってどうしても愛さねばならぬ女はなかったが、民族を離れるということを、そして、それによって、故郷にある老いた母や身内のものが置かれる立場を考えると、どうしてもそんなことは考えられなかった。ところが、前山は前山で、「前山は弱いから駄目ですが、誰か無理矢理八路軍の方へつれて行ってくれると、案外行けるんじゃないかと思うんですよ、張沢民でも手をひっぱって行ってくれないかなあ」といったりした。そんな言葉で前山も相当に君を愛していることが私にはわかるように思ったが、それと同時に、私も君と一緒なら行ける決心がつくかも知れないと思った。それほど君の存在は私にとって魅力そのものであった。  新しい春聯《しゆんれん》が家々の軒毎に貼《は》られ、それがやがて北風に吹きめくられて、霙《みぞれ》まじりの雪の日の胡同《フートン》の泥にまみれてしまう季節が来ていた。君に対する私の思いはいまでは君自身十分感じとってくれていたし、君があきらかに私に好意を持っていてくれていることは、私にもわかっていた。二人だけでいるとき、ときには、君は君自身の情熱に堪《た》えられぬようにほっと呼吸《い き》をもらすことさえあった。けれども小心で見栄坊な私には、それだけではまだ君の情熱のあかしと思うことが出来ずに、そのままぶすぶすと煙のくすぶるような胸苦しい日を過ごしていた。そのくせ私は、もうその苦しみに堪えていることが出来なくなった。君の顔をおとなしく見ていることが、私には苦痛だった。そして、君の私に対するもっとはっきりとした情熱のあかしを得ようとして、私は意地悪な方法を考えた。私は君の存在を眼中にないもののように休日が来ると、洗いたての軍衣袴《ぐんいこ》を身につけ、軍靴《ぐんか》を磨《みが》いて、いそいそと出かけた。私は街の飯店で白酒《パイチユー》を飲み、つめたい風の吹きまくる街をさまよい、中国や朝鮮の娘たちのいる家を片っ端から覗《のぞ》いて歩き、ひっぱり込まれるままにそんな場所で時間を過ごした。ブリキ罐《かん》を改造してつくったあやしげな煖炉のそばで、女たちと凍えた柿や南京《ナンキン》豆を食いちらして、馬鹿みたいにふざけあった。私はそんな汚れた女の床の上でも、君のことを考えた。じっとそういう私をみつめている君の瞳《ひとみ》を思い描いた。私は惨虐《ざんぎやく》な快感を感じた。どうだ、君がいつまでもぐずぐずしていると、私は駄目になってしまうぞ、——私は心のなかで君に力んでみる。君は私の意地悪さに泣きだしそうに眼を伏せる。すると、私は利己的なひねくれた自分の態度が悲しくなる。また泥のように酔う。そして、醒《さ》めてはその度に砂利を噛《か》むような白々しい気持を味《あじわ》うのだった。そんな気持を忘れるために、私はまた同じことをくり返すのだ。  はじめは君をじらすためであったのが、やがては自分を虐《いじ》めて、自分の苦痛を忘れるために、私は休日が来ると、それが規律のように酔っぱらって、汚れた床を転々とした。そんな私を、いつも君は悲しそうにじっと見つめていた。  黄塵《こうじん》の季節にはまだ間があったが、寒さがゆるんで来ると、また年中行事の春の大きな作戦が近づいていた。今年はどこだろう、北か、南か、どっちにしてもまた百日ばかり銃火の生活がつづくのだ。そして、私たちのうちの幾割かが死んだり、傷いたりするのだ。作戦が近づくと、古い兵隊たちの気持はきまってすこしばかり憂鬱になり、荒《すさ》みはじめる。これが最後の外出日だといいあって、街にはどっと兵隊の姿が溢《あふ》れ、酒保や、飯店や、女たちのいる家では、酔ってつかみあいがはじまる。私もそんな兵隊のなかの一人だった。  四月、私たちを満載した軍用貨車は、京漢《けいかん》線を南下した。兵団はいくつもの梯団《ていだん》にわかれて、続々と邯鄲《かんたん》地区に到着し、集結が完了すると、河北平野に一せいに行動を開始しだした。昨年の春の作戦の仕あげのような、二十四集団軍の掃滅を終えると、つづいて予期していたように反転して大行山脈にわけ入った。毎日、君にはその苦しさのよくわかっている、山から山へのあの難行軍がつづいた。一年ぶりに見る、まるで日本の風景のような砂の白い、樹の多い、水の清らかな〓河に沿うて進撃した。私たちは渉県にもはいった。麻田鎮《までんちん》にもはいった。大行山中のこういう場所が、どんなに私の眼になつかしく映ったことだろう、——初夏の風に揺れる棗《なつめ》の葉の眩《まぶ》しいきらめき、河岸の断崖の黄土の縞《しま》の色、人一人いない部落の壁に書かれた抗日文字、——そういった風物の前に、私は君の姿を立たせているのだった。大行山中のどんなところにも、君の幻はいた。棗の葉を揺《ゆ》する微風の中に、麦の穂波の中に君の笑い声が聞えた。——けれども、一人の兵隊のそんな甘ったれた感傷など、戦闘の仮借のないきびしさの中では何になろう、味方の死傷がふえると共にいよいよ血に狂ったような日本軍の行動は私たちをひきずりまわし、私たちは心身共に疲れ果てた。作戦が終りに近づいた頃、みんなと同じように私も瘠《や》せ衰え、ひょろひょろになったが、君の面影だけは一段と頭の中に冴《さ》え返った。衰弱した私の心のなかで君はすっかり理想化され、私自身のこれまで君に対してとって来た行動が悔まれた。生きて帰ったらこんどこそ素直に私は、君の前に自分の心を打ちあけて、二人の心のままにどういうようにでもなってしまおうと、自分にいい聞かせた。  兵団は三箇月目に沿線の駐屯地に帰って来た。私たちの軍衣は汗と黄土に煮しめたようによごれて鉤裂《かぎざ》きとなり、靴のかかとはすり減ったが、私たちの頬《ほお》もげっそりと肉が落ち、くぼんだ眼ばかりぎらぎらと光っていた。誰の顔にも髯《ひげ》がのびていた。久しぶりに見る沿線の風景には夏の光線が眩しいほど溢れ、そのなかを行く街の人々はみんな夏服に衣がえしていた。銃火のなかからやっと帰って来たばかりの私たちは、自分の生命が身体じゅうに一ぱいもりあがってぴちぴちと躍動しているのを覚えた。  宿舎の院子《ユワンズ》は夾竹桃《きようちくとう》が満開だった。火の噴水が噴きあがっているようなその花のために、しんとした院子のなかの空気までが赤い色で染まったようだった。背嚢《はいのう》を降すと、私は上半身を裸体となって、洗面器に汲《く》んで来た水で、身体を拭《ふ》いていた。洗面器の水まで赤かった。私はふと誰か背後に人が立っている気配を覚えた。何か予感があった。私はふり返った。——そこにいたのはやはり君だった。ああ、あのときの君の眼の光を、私は忘れない。それは何と情熱に輝く、燃えるような眼差《まなざ》しだったろう、私ははっきりと見た、君の眼の光の中には、私を待ち焦《こが》れた熱情と、私が無事に帰って来たことの安心とが宿っているのを、私は愛されている、——本能的に私は感じた。三箇月の互いに見ない間に、君は私に対する愛情を一途に育《はぐく》んだのだ、——私が君に対する愛情を育んだよりも、もっと強く、深く。焔のような花を背景に立った君の肢体《したい》自身が、火焔《かえん》のようだった。私はこの三箇月間の別れが自分にかえって幸福をもたらしたことがわかると、あんなに苦しんだ山の中での苦労がその瞬間のうちに消え去るのを覚えた。 「張先生《チヤンセンシヨン》、元気でしたか」と、私は訊《たず》ねた。 「謝々《シエシエ》、佐田先生こそ大変御苦労さんでした、——随分、お顔、陽に焼けましたわ」  君はぼうっと耳まで紅潮させながら、やっとこれだけをいった。君には日向《ひなた》で見る私の上半身が眩しいのか、それとも教養ある娘は男のそんな場面を見るのを恥じるのか、すぐと自分の部屋の方へひっ返して行った。山のなかの行動に荒れた私の嗅覚《きゆうかく》に、君の裾《すそ》長い衣裳《いしよう》の香料が烈しく匂った。 「張先生、あとで渉県や、譚音村《たんおんそん》の様子を聞かせてあげるよ、——」  私は君のうしろ姿に叫んだ。君はふり返って、にっこりとうれしそうに笑った。  午後、私や前山は君たちに私たちが見た最近の大行地区の有様を語った。工作員たちは熱心に私たちの話に耳をかたむけていた。けれども、私にはわかった、——君だけがそんな話に上の空でいることを。君の眼は絶えず私をみつめていた。君の眼は思いきり大きくみひらかれ、まだ私が、ここにいるのが信じられぬかのように、そして実際に私がここにいるのをたしかめてほっとするかのように、不安と安心との光を交互にまたたかせ、私をみつめていた。私は君があんまりそうするので、他の者にへんに思われやしないかと心配したくらいに。私は幸福で、夢を見ているようだった。そのうちに私自身、現実に私たちが、他の私たちに関係のない連中のなかにいることさえも忘れてしまっていた。それでなかったら、私はあんなにいいにくいことを、あんなに大胆に君にいうことが、どうして出来たろうか、——それは酔っぱらっている者でなければ到底いえないような大胆な言葉なのだ。作戦から帰ったばかりの私の全身には、火線に身を曝《さら》した直後のみ知るあの生命の躍動がまだそのままつづいていて、私自身を行動的にしていたことも争えない。  私はその場で君と別れ際《ぎわ》に、君の耳もとに囁《ささや》いた。 「今夜、——」  君ははっとしたように私をみつめ、すぐと恥かしそうにその眼をそらせた。けれども、それだけで私には、君の気持を知るには十分であった。  その夜、みんなが寝静まるのが何と長く感じられたことだろう、宿舎じゅうがしんと眠りにつくのを待って、私は隣りに寝ている仲間の寝息を気にしながら、そっと自分の床を脱けだした。君たちの宿舎は私たちの宿舎の裏にあたっていた。二つの院子を過ぎて、私は君の部屋の前に立った。扉に手をかけて、そっと押してみると、音もなく中にひらいた。私はうれしかった、——君はわざと戸締りをしないのだ、——私は部屋のなかへはいって、ふたたび扉を閉めた。そのまま、しばらく私は暗い中に立っていた。眼が次第に暗さに馴れると、床の上に横たわっている君の身体の輪郭が仄《ほの》白く見えて来た。君は起きているのだろうか、けれども君はじっと動かなかった。私には君が私が忍んで来たことを知っていて、わざとそうしているように思えた。私は君の顔に、私の顔を近づけた、——まだ君は眼をひらかない、——私は自分の唇を、君の唇に、——それはもう何の決意も要らない、私にとってまったく自然な動作であったが、——静かに押しつけた。君はまだ何の反応も示さなかった。私は強く君の唇を吸った。私はどれだけそうしていたろう、やがて君は君の唇をひらいて、私の誘いにあきらかな反応を示しだした。それと同時に、君の全身は緩《ゆる》やかに、まるで眠りから醒めるときのようにすこしずつはっきりとうねりはじめた。私はそれで君がはじめから眠っていたのではないことを知ったが、君はしばらく無言のまま、けれども次第に四肢に力を入れて、丁度、大蛇が獲物を捉《つかま》えたときのように、いつ締めるともなくだんだんと私の身体を締めて来た。私は自由がきかなくなった。 「待ったわ、——百日も待ったわ、——苦しかったわ」——突然、君は私の耳もとで喘《あえ》ぐように囁いた。君は馬鹿のように何べんも同じことを繰り返した。君の吐く熱い呼吸《い き》で私の耳たぶは火照《ほて》った。その言葉が、どんなに私を幸福で気違いのようにさせてしまったか、そして、私の全身を情熱の焔のように燃えあがらせてしまったろうか。 「〓呀《アイヤ》、——」と、君は口の中でつぶやいて、「幹甚麼《カンシエンモ》?」——あら、——どうするの、——中国語にくわしくない私には、その言葉が強い拒絶のように聞えたので、はっとして瞬間、私は君の身体から離れた。けれども、君は私を離さなかった。暗がりで君は身をくねらせて、両手で私を求めた。私の首を呼吸がとまるほど抱き締めると、君の胸をぶっつけて来た、——「幹甚麼《カンシエンモ》?」——「幹甚麼《カンシエンモ》?」と、君は私に追求した。私にはわかった、——君の心が、——君の官能の求めるものが。「〓呀《アイヤ》、——」それは幸福に堪えかねたような肉体の叫びだった、——「〓呀《アイヤ》、——〓呀《アイヤ》、——」八路軍の兵士と共に、大行山脈の峻嶮《しゆんけん》を日に十里の行軍をすることが出来るという君の逞《たくま》しい肉体、筋肉の十分に発達してひき締った四肢が慾情にわなないて、のた打ちまわるのには、私はこんな君を想像もしなかっただけにびっくりした。けれども、そのおどろきが一段と私を幸福に逆上させ、私ももう一頭の猛獣のようになって君と組打つよりほかになかった。  隣室の陸さんにはわかっていたと思うのだ、——けれども、翌朝になると、陸さんはいつものように何喰《く》わぬ顔をして私に挨拶した。私は恥かしかった。恥かしかったといえば、君の顔を見るのも恥じられた。君もそうだったらしく、その朝は遅くまで事務室に顔を見せなかった。昼近くなって出て来た君と明るいところで顔を合せて見ると、ちょっとその瞬間は照れおうたものの、こんどはもう離れられぬ存在として互いに意識しあうのだった。陸さんだけが気になったが、仲間の連中は誰も知らないと思うと、その秘密であることが私たちの胸の幸福の度合をいよいよ色濃くした。 「今朝ね、張沢民《ちようたくみん》の机の上に、ノートが出してあるので、のぞいて見たんですが、彼女は大分悩んでいるらしいですよ、現在の自分の生き方というか、環境というか、そういうことを、——」  ある日、前山が私にそっと囁いた。 「悩んでいるって?」と、思わず私は訊《き》きかえした。君が私のことを手帳にでも書いているのを、前山が見てしまったのではないかと思ったからだ。 「つまり、いまの自分の立場は、落伍《らくご》者だと考えているらしいんです、どこまで自分は堕落して行くのだろうというような文句が、到るところに見られるんですよ」 「そのノートはどこにある」  私は是非それを読みたいと思った。 「それがね、前山が読んでいるとき、彼女が這入《はい》って来て、読まれていることをさとると、いきなりひったくって持って行ってしまったんですよ」と、前山はそれがいかにも残念そうに話した。私にはそのときの君の態度が見えるようだった。  前山の話ぶりでは、私たちのことはまったく気づいていないらしいので一応安心はしたものの、君の苦悩も生やさしいものではないことがわかって、私もすこし憂鬱になった。 「日本軍に協力していることが、そんなに苦しいんでしょうかね——」何も知らぬ前山は、君の苦悩が、仕事の上だけでの君の立場から来ていると考えているようだった。無論、それもあったにちがいないにしても、君の苦悩は私たちの問題から来ていることが、私にはわかっていた。 「うっかりすると、いまは中共の組織につながっていないにしても、そのうち機会があれば連絡をつけるかも知れないですね」 「いや、せいぜいこの辺なら区党委あたりからの連絡だろうが、それでは、彼女のように中共にいた者には虚栄心がゆるさないと思うね」と、私は答えた。 「けれども、うちの兵団は山西の半分近くも警備地域を持ち、石太《せきたい》、同蒲《どうほ》の両線を押えているんだから、その司令部は敵としては重要な工作目標であることはたしかですよ、辺区から直接潜《もぐ》り込んでいる工作員だってきっといますよ」  前山はそんな考え方をするのがたのしいらしかった。彼にはそういうことが日本軍としてゆるせないことではなくて、彼自身がそれを知らないことが問題なのであり、自分がそういうことを全部知っていることがたのしみなのであった。 「それゃわからんがね、そんなことを心配すれゃ、彼女たちがいつも遊びに行く県公署や新民会あたりにも中共の党団があるかも知れないさ」  君たちのことについて、前山と私との間には、ほかの者にいっては面白くないような暗黙の約束みたいなものがあった。君たちが未《いま》だに「転向」せずにいるという事実は、上官や、その上官にうまいことばかりを聞かされている参謀にはびっくりする事柄だったからだ。それは前山以外の他の兵隊たちも同じだった。彼らは人間の思想というものが、ちょっとした環境の相違で、一ぺんにひっくり返るものと簡単に考えているのである。それ故、将校たちにもし本当のことをいったら、彼らはそんな危険人物をどうして司令部に置いて置くのかとどなって、立ちどころに君たちを憲兵隊にひき渡すにきまっているのだった。そんな話は私と前山との間ではざっくばらんにとり交《かわ》していても、ほかの者には何も知らせてはなかった。前山の報告は私にとってまったく意外というのではなかったが、考えさせられるものがあった。  その頃、私たちは、こんどの作戦で、兵団で鹵獲《ろかく》した大行軍区第五軍区司令部の機密文件の整理を命ぜられていた。君はこの仕事に、——どの仕事もそうだったが、——やはりあまり積極的ではなく、事務室では何となく元気がなかった。その原因が何であるかは、大体私には見当がついていたとはいうものの、前山の話より考えてみると、君の苦悩は、私の見当をつけていたよりもはるかに深刻なものであることがわかった。中国の人々が漢奸《かんかん》といわれることをどんなに嫌《いや》がるか、それは私たち日本人が国賊という言葉をきらう以上のものがあることは、私も心得ていた。それ故にこういう環境のなかで、私が君に好意を見せるということは、君の心のなかに一人の日本人の姿を灼《や》きつけようとすることであり、その結果を考えてみるときみずからかえりみて、自分の心に責めるものがないではなかった。けれども私は私という一個の男を、君のような美しい女の心に灼きつけようとする努力を思いとどまることは出来なかった。よし、その結果が、君をどういう立場に置こうとも。——そして、そういう私の熱情を知ってくれて、君は私を愛してくれた筈《はず》であった。従って、君が私のものとなってからは、私はそのことを利用して自分の仕事の上の成績をあげようなどと考えてはならないと自分をいましめて来た。事実ほかの連中が訊《たず》ねてもいい加減にごまかしているような大行地区の事情も、私が訊ねると君は怒ったように、投げつけるような口調で正確に答えてくれる。そういうときの君の胸の中に、どんな苦闘が行われているか、私にはよく判った。君は不機嫌《ふきげん》になり、自棄《や け》くその気持になるのだ。すると私は、君のそういう内部の闘いが、私に対する愛のあかしとして、たまらなくうれしく、一層いろんなことを君に訊ねて、君を苦しめたくなる衝動を覚えるのだ。——男にとっては、自分のために女が苦しんでいるのを見るのは、気持がいいものなのだ、——これは、女にとっても同じかも知れないが、——殊に、君のような高い知性を持っていると自負している気位の高い共産党員が、その主義と喰《く》いちがった悩みを悩んでいるのは、人間の真実をそこに見るようにさえ思えて。そういうわけで、前山の報告によって、君が私の想像していたよりもはるかに深くはげしく苦悩に身を悶《もだ》えさせている事実を知ったことは、すこしばかり私の良心を刺戟《しげき》はしたが、それよりもずっと強く私をいい気持にさせた。  君には私の肉体が、ときに憎むべき悪魔のような存在に思えることもあったにちがいない、それと同時にそういう悪魔に自分のすべてをゆだねなければならぬような自分自身の心の動きを、自分自身の肉体を、君はどんなに憎悪しつづけたことであろう。ところが、ああ、そんな君を思うとき、私の心のなかでは君が一層美しく、可憐《かれん》な女となり、私の肉体はもうどうにもならぬ情熱に喘《あえ》ぎつつ、がむしゃらに君の肉体を求めるのだ。そういう私をやっとひきとめるのは、仲間たちの眼であり、また私たち兵隊の心身を縛る軍規という眼に見えぬ観念だったが、そのほかに私自身の魂の奥底にある君に対する民族的なひけ目、——それは普通の人々は優位として考えられるものであるが、——そのひけ目のためであった。君と私とがそういう仲となってからの、ときに君が見せるあの内心の深い憂悶《ゆうもん》を押えたような表情、——底知れぬ不安を湛《たた》えたような大きな眼、血の気を沈めた滑《なめ》らかな皮膚の額に垂れかかる前髪のふるえ、——それを見ると、私は恥じないではいられなかった。どうせそんなことが無駄であるとはわかっていても、私は何とかして君を避けねばならないと、一応はつとめて見ようと思うのだ。そして、出来れば君の方が、私を避けてくれるといいのだがと、そんな虫のいいことを思ったりするのだが、——ところが、君は、自分の苦悩を私を避けることによって遠ざけようとするかわりに、私の腕に抱かれることによって、それを忘れようとした。集団生活のなかでの私たちの抱擁《ほうよう》はうす暗い君の部屋のアンペラ敷の坑《カン》の上で、いつもあわただしく繰りひろげられた。君の大きな黒瞳《くろめ》がちの眼は爛々《らんらん》と光り、君のすこし分厚い唇はいつも濡《ぬ》れて赤かった。官能の陶酔をとおして、すべてを忘れようとする君の態度は、祭壇の炎に自分の肉体を燃えあがらせて、自分の内部の邪悪なものを焼き亡ぼそうとする印度《インド》のある宗教の修道者のような厳しさと必死さがあった。ああ、そんなときの君の眼は、唇は、全身は、何と悩ましく、美しく、燦爛《さんらん》と光り、のた打ったことだろう。  私ははっきりといいきることが出来る、——君の肉体や感情は古い封建の中にあり、君の知性は現代にあったことを。君の内部にはそういう大きな断層があった。それは君だけのものではなく、中国の若い女性の、すくなくとも自分に誠実に生きんとする若い女性のすべてが、自分の内部の問題として苦しまねばならぬ宿命的な断層にちがいない。君の官能への執着の烈しさだけを見て、そんな君の苦悩は、君もやっぱり肉体を持った女だと、世間の気障《きざ》な女たらしが世間の女に対して抱くような、そんな安易な考え方で、ともすれば割りきってしまいそうになる私を恥じさせるに十分だった。君が自分の内部の肉体と知性の断層をどんなに生き抜こうと悩んでいるかという君の誠実さは、男の不逞《ふてい》な思いあがりを叩《たた》きのめした。けれども、それと同時に、そういう君の知性を、君自身の肉体に負けさせるということに、私は男としての勝利のよろこびを感じないではいられなかった。君を下界へひきずり降すたびに、私の心のなかの男は凱歌《がいか》をあげたのだ。  君はかつて私の前で、理路整然と中国に於ける女性の解放を論じた。毛沢東《もうたくとう》の階級的恋愛を論じた。そうかと思うと、軍隊出の老幹部たちの無骨な、けれどもそれだけに微笑《ほほえ》ましい素朴な恋愛を論じた。中共では結婚は同じ政治意識の水準にある党員同志でないとゆるされぬそうであるが、政治意識の低い水準にある軍隊出の老幹部たちは若い恋人と結婚するために、その恋人からマルクス理論の手ほどきを受けようとする、——それを意識的に利用して老幹部の政治水準を高める恋人役の若い女性の革命的役割を論じた。また、若い党員同志の自由な、何の束縛も受けぬ自主的恋愛を論じた。これらをみんな君は私の前で論じたのだ、——けれども、あの日以後の実際の君の態度はどうだろう、君の愛の表現は、日本の最もつつましい女に見られる臆病さで、そして、その臆病な女のみの持つ無鉄砲な大胆さでなされているではないか。あきらかに私は共産主義者ではない。私たちの恋愛には、君の理論である階級的恋愛は成り立たない。君は一夜にして革命的闘士から裏切り者に顛落《てんらく》した。侵略軍の一兵士と抗戦愛国の一少女との肉体が、互いに求めあって、結ばれてしまったのだ。何というひどい皮肉だろうか、——ひとりのとき、君は、君の魂を噛《か》むデカダンスにのた打ちまわり、君の魂はどんなに号泣したことであろうか。 「——私は知っていたわ、——あの血と死体とで埋まった谿間《たにま》で、あなたが食物を私たちに投げてよこしたときから、私はあなたを覚えていたわ、——日本軍が憎くて、憎くてたまらなかった、あなたはその憎い日本軍の権化に見えたから、私は覚えていたのよ、——死んでも、舌を噛みきっても、だまされないぞと誓ったのに、——」  ある夜、君は、こんな告白をした。 「いまは?」 「いまでも、日本軍に対する私の憎悪は変らない、日本帝国主義は永遠に中国民族の敵だわ、——あなた、こんなことをいって、私をどうする?」 「俺《おれ》も日本軍の一員じゃないか」 「そうよ、あなたも敵だわ、——だから、私を殺せばいいのよ」 「殺してやろう」と、私は君の上へのりかかった。  仰向いて横たわっている君の身体の上へ乗りかかって、私はがっくりと口をあけ、君の適度に脂肪の乗った、ひやっこい、肉の締まった咽喉《の ど》頸《くび》へ噛みつく真似をした。 「狼《おおかみ》、——頑固〓子《ワンクフエンズ》の狼、——」  君はくすぐったそうにくすりと笑い、けれども、こんな二人だけのたわむれに幸福に堪えぬようにかすかに呼吸を吐いて喘いだ。数日前、前線の分遣隊で捕えた狼の子が司令部に送られて来たのだったが、猫ほどの大きさので、太って無邪気な顔つきをしているが、すでに眼の光や身体つきには猛々《たけだけ》しいところがあり、馬鹿に力が強い。私たちはそれを一緒に見た、——「頑固〓子ね、——あなたのような」と、君は私を見ていたずらっぽく微笑んだ。それがあったので、私は君のいうことがすぐとわかった。  あの夜を境として、私には君の情熱が純粋で完全なものであり、私の情熱が不純で不完全なものであることを、はっきりと自認するに至ったのである。ところが、私は自分の情熱が不完全であることを自認しているくせに、いつまでも君の完全な情熱を自分のものとして置きたい執着からは逃れることが出来ないのだ。そのために、私は君に、私たちの恋愛がどんなに人間的で、美しいものであるかという意見を機会がある毎に述べた。  お互いに傷つかずに愛を完成することがどれほどの意味があるというのか、階級的な恋愛、理知的な恋愛、そういうものが何と空虚でそらぞらしいことだろう、——お互いを人間的に悩ましあい、人間的に高めるもの、それは安全な恋愛より、むしろ絶望をともなう恋愛、破局をともなう恋愛の方が、どれだけ人間的であるか知れない。  けれども、そんな私の利己的な言葉で、君の苦悶が解決するものではなかった。君は私の利己的な言葉に接すれば接するほど、孤独な魂の苦悩を深めて行ったのだ。それを忘れようと、君が官能の麻痺《まひ》を求めるとき、私は君の苦しみがそんな深いところに根ざしているとは知らずに、——いや、それを一応は知っているくせに、君のあまりの情熱のはげしさに、いつのまにかまた私は君を簡単に考えて、あつかっていた。私は自分の物尺《ものさし》の短かさを、君の深さとばかり思いちがいをしていたのだ。君にとっては懸崖《けんがい》から身を躍《おど》らすような悲壮な決意が要ることが、私にはちょっとした生理的な問題で解決がついたのだ。私が君をあれほども熱望していながら、君が完全に自分のものとなると、熱が冷めたというわけではないが、軍規と人眼のなかでこっそりともうこれ以上問題を大きくしないで置こうとするような態度をはっきりと見せたことは、君を失望させたにちがいない。君にしてみれば私を、君と共にならば、大行地区であろうと、延安《えんあん》であろうと一緒に行こうというような前後もわからぬ情熱に燃えあがらせないことが、どんなに君の自尊心を傷《きずつ》けたことであろう。君の全身が血だらけになっているのに、私が血も流さずに、自分の幸福だけをぬけぬけとした顔つきで保ちつづけようとするような態度、——最もすくない犠牲で、最も大きな幸福を保ちつづけようとするような小ずるい私の態度を、君はどれほど憎んだことだろう。そして、そういう私から離れられぬ君自身を、君はどれほど憎み呪《のろ》ったことであろう。いまにして、私は思うのだ。あのとき、どうして私はそんな姑息《こそく》な小策を弄《ろう》するより、君の完璧《かんぺき》な情熱に応《こた》えるに私自身、自分の情熱を完璧なものにすることに努力しなかったのだろうかと。 「ねえ、〓河の夏の日の話、まだしなかったかしら」  むし暑い夜だった。君は突然思いだしたようにこんなことをいいだした。私はまだというように首を横にふった。君は話しだした。——毎日、午後になると、恋人と一緒に〓河で水浴をする話。土曜日の晩は恋人同士が林の中にはいって甘い蜜のような抱擁の時を過ごす話、——そして君自身も恋人とそういう時間を持ったというのだ。君がどうしてそんな話をするのか、すぐと私にはわかった。君は君のかつての恋物語を私に聞かせることによって、私の嫉妬《しつと》心をひき起そうとしたのだ。この君の計略は私にわかっているために、それほど効果はないものと私はたかをくくった。まして、君の対手は中共地区にいる男だ。それは別の世界にいる人間のようなもので、私にとってはあの世にいるような男であり、格別私の嫉妬の対象とはならないと思い込んでいた。私がたかをくくっていることを知ると、君は話の内容をこれでもか、これでもかというように生々《なまなま》しくして行った。そしてとうとう、ある土曜日の晩、林のなかで君は恋人に君自身をはじめて与えてしまったときのことを話しだした。聞いているうちに私の頭のなかには、知っている〓河べりの風景が浮かんで来て、話は現実味を増した。突然、むらむらと私の心には嫉妬心が湧いて来た。 「恋人というのは、何て名前? どんな機関にいたんだい」  私は胸苦しくなって叫んだ。 「それはいえないわ」と、君は勝誇ったように微笑んだ。 「どこの学校を出たんだい」 「河南《かなん》大学よ、開封《かいふう》の、——」 「ふうん」私は唸《うな》った。何か胸もとが熱く、むず掻《が》ゆくなった。  君はそういう私を見ると、もうすっかり有頂天になって、待ち構《かま》えていたように、どさりと私の方へ自分の身体を投げかけて来た。私はすこし、つむじをまげたように、君を押し返した。すると君はもう駄々っ子が母の胸もとでもさぐるように強引に私の胸へぶつかって来た。私がぐっと抱き締めると、君ははや幸福に堪《た》えかねる歯ぎしりを鳴らしつづけるのだった。そこをぐっとこらえて、もう一段私をひきずりまわすというような手管《てくだ》を知らないのだ。君は善良な娘だった。 「ばか、もうあんなことをいうんじゃないよ」  君はおとなしくうなずいた。私は私で、そうしていると、私の逢ったこともない、名も知らぬ、そしてここにはいない河南大学を出た男のことなんか忘れられそうに思えた。そんなことがあって以来、私は君に関するかぎり、私の感じる嫉妬心が私の君への情熱を活溌なものにさせる刺戟的役割以上に、それが私の苦悩にまで高まることがあり得ないと、改めてたかをくくることが出来た。それは君の善良な性格を信じられたからである。ところが、しばらくたって、その私の油断が、ふてぶてしい安心が、突然破れるような事件が起ったのだ。  夏の盛りの或る日、大行地区の何かの機関にいたという陳《ちん》という若い男が、私たちの宿舎へ訪ねて来ていると、工作員の一人が告げに来た。私たちの工作に傭《やと》ってくれというのだった。その男は一年ほど以前に大行地区から日本軍占領地区に脱出して来て、前線の日本軍憲兵隊の密偵をしていたというのだ。そんなことを職業としている者に信用出来なかったし、中共地区から来た男というので、何か考えがあって、日本軍に近づこうとしているのではないかとの懸念もあったが、とにかく会ってみようと、私はその男の待っている事務室へ出て行った。陳は日盛りの街《まち》を歩いて来たらしく、白い衣服に汗がにじみ出ていた。どことなく不良じみた二十四、五歳ぐらいの若者で、話しているうちに、日本軍に傭われてうまい汁を吸おうとする底意が見えていた。陳と話しているとき、一度君がはいって来たことがあった。君は自分の机の前にしばらくいたようだったが、まもなく出て行った。すると、陳は私に声をひそめて囁《ささや》いた。 「いまの女は、あれゃ何ですか」  私が工作員だと答えると、彼はちょっと頭をかしげていたが、 「あの女は、要心した方がいいですよ」と私に忠告した。 「何かしたのかい」と私は訊ねた。 「さっき、この部屋にはいって来たとき、口笛で合図しましたぜ」  陳の説明によると、君は彼に、「黄河大合唱」の一節を口笛で歌って合図をしたというのだ。私はへんに思った。「黄河大合唱」というのは中共地区で流行している同名の劇の主題歌であることは、私は知っていたが、それはどういう内容の一節だと問いただした。彼は鉛筆と紙をくれといって、すぐと書いて示した。 〓《ニー》 家《チア》 在《ツアイ》 那《ナー》 裡《リ》 〓《ニー》 打《ター》 那《ナー》 児《ル》 来《ライ》  あんたの家はどこ? あんたはどこから来たの? ——彼は、そしてそのところを得意そうに軽やかに口笛で吹いてみせた。 「君は、その合図にどう答えた」 「何も答えるもんですか」  ところが私は、そういえば、さっき君が口笛を吹いていたとき、彼も口笛を吹いていたことを、次第にはっきりと思いだした。陳はすでに密偵独特のいわゆる両面工作をはじめているのだった。するとまた、彼はこんなことをいいだした。 「どうもどっかで見た女だと思ったんですが、あの女はたしか、大行山劇団の総団の女優ですよ、私は二十九年の七・七記念大会に麻田鎮《までんちん》で、あの女を芝居で見ましたよ、——『魔穴』という題の劇で、売笑婦になったあの女優にちがいない」  民国二十九年即ち昭和十五年の七・七記念日に大行地区麻田鎮に於てひらかれた民衆大会には、晋冀魯予《しんきろよ》辺区の軍隊や行政機関や学校に属しているあらゆる劇団が参加して、辺区はじまって以来といわれる盛大な演劇競争が催されたことは私も君から聞いて知っていたが、大行山劇団総団は辺区政府教育庁の管轄する劇団であるから、君がその中にいたことはあり得ることだと私は思った。それならば、どうしていままで君はそのことを私に打明けないのだろうか。そしてまた、どうして君はその男にそんな合図をしたのだろうか、私にはわからなかった。そのことが私には何か君が私を裏切ったように思えて、いても立ってもいられないほど苦しかった。君のちょっとした不信も、私にこんなひどい衝撃をあたえるものだとは知らなかった。私は君が共産党員であることを前から知っており、また君が私と特別の関係になったとしても、君の思想的な自由までこちらの思うようにしようとは思ったこともなかったが、——本当は共産党員である君をして、理論的矛盾を生きさせていることに、男としての私の満足感があったのだが、——その反面、私はいまでは、君が私に対してどんなことでも秘密を持つことをゆるさない気持になっていた。私は君のあらゆることを知っていなければ満足しなかった。その君が私の面前で、私をごまかして、私以外の人間と何らかの意志を通じあおうとしたことがゆるせないことだったのだ。私は君に対して不満だった。私は自分のこの不満を、最も効果的な方法で君に示したいと考えた。そして、君がいくら私にかくそうとしたところで、私はどんなことでも知っているということを君に知らせて、私の眼をごまかそうとした君自身を恥じさせ、結局無条件に私の前に身を投げだすことによって、君自身にいつものような敗北の快感を味《あじわ》わせ、私に対してはいつも絶対服従していることが一番君自身の幸福であることを知らしめようとした。私はこんな虫のいい計略を仕遂げるために、陳から「黄河大合唱」のそこのところの一節を懸命に習った。陳は数日間、私たちの宿舎にいた。その間じゅう、君は陳をひどく嫌《きら》っているように見えた。或る日、陳が私のそばへ秘密っぽく寄って来た。また何かいうのかと、私は彼の態度から直感した。「ねえ、あの張《チヤン》さんですねえ、どうもあの人のいい男らしいのが、むこうにいるらしいですぜ、この間からうるさくある男のことを、私にたずねるんですよ」案の定、陳はこんなことをいった。 「その男を、君は知っているのか」 「いや、知りません、だけど、あの女は私が知っていると思っているんですよ」  私には何だか陳が君のその恋人を知っているくせに、私にはわざとそういっているように思えた。自分を雇ってくれたら、何でも話してやろうと、それを交換条件にしようとするような様子が見えた。  そういう陳も不愉快だったが、そんなことよりも、私にはそんなことをたずねる君が不愉快でたまらなかった。これが嫉妬というものだろう、——君が私の嫉妬心をかきたてようと試みたことは、何も私を苦しめないで、私にかくれて君がしたことが、私をそんなにも苦しめた。陳は私にもいいようにしている反面で、君とも適当にしているのではないだろうか、そんなことも疑えば疑えたが、結局そういったのち兵隊の彼に対する警戒心を彼の方で察知したのか、しばらくすると黙って姿を消してしまった。  夏の終りに近い頃、兵団命令によって、私たちは石太線南方地区の最前線、陽泉《ようせん》の南方三十五里のところにある遼県《りようけん》に進出、実態調査をはじめることになった。遼県は海抜三千米《メートル》、大行山脈中にある古い大きな県城だった。麻田鎮までは十里、渉県とは十五里あまりという中共の指揮中枢とは眼と鼻の間にある占領地域の末端だった。県城をとりまくまわりの山の頂上には喇嘛塔《らまとう》、南山、北斗台、夕陽台《せきようだい》などの分遣隊陣地があり、これらの陣地は絶えず敵襲に曝《さら》されていた。私たちが到着した日、南山が襲撃され、三日して喇嘛塔がまた襲撃されて、数名の死傷者さえ出ていた。そんな地形と治安状態の中を、私たちは便衣で毎日のように城外に出て、附近の村落調査をつづけていた。  陳のことがあって以来、そのことについては私は君に何にもいわなかったが、私の君に対する態度は急に濃厚になった。私は君を安全に所有していることを自分にたしかめるためには、どんな機会をも逃さずに君を追うていなければ安心出来なかった。私はまるで気でもふれたように、君に対し熱烈になり、惨酷にさえなった。君ははじめそういう私の急激な変化をいぶかるようだったが、私が本気なのを知ると、どういうわけで私がそうなったかを探るよりも、その状態に満足して、君自身も一層必死になって、私に応対した。すると私は私で、君のそういうわれを忘れたような態度は私をごまかす見せかけだと疑って、かえって苦しむのだった。そのくせ私は君の前に、陳の告げたことを持ちだして、正面から君のいい分を聞こうとするような思いきった一か八かの態度に出るような決断も容易につかず、いつか効果的に君を制《おさ》えることの出来る機会を待って、じっとひとりで悩んでいたに過ぎなかった。いまから思えば、何と私は意気地がなかったのだろう。こんな私のぐずぐずした意気地なさは内部に溜《たま》って、とんでもないときにいきなり破局的な爆発をするのではないかと、どうかするとそんな不安を自分でも覚えないではなかった。——ところが、本当にそのときが来たのだ。  その日は私たちは七里屯《しちりとん》という山裾《やますそ》の部落に調査に出ていた。私たちは村公所にはいって、住民から必要な事項をたずねたりしていた。そのうちに私は君の姿がふと見えないのに気づいた。何か直感があった。私は表に飛びだしてみた。君の姿は見えなかった。 「張先生《チヤンセンシヨン》、——」  私は大声で叫んだ。私は裏口へまわってみた。私ははっとしてそこに立ちどまった。君が裏山を登って行くうしろ姿が見えた。そのとき、私は君が恋人のところへ帰って行くのだと思った。私はもう一度君の名を呼ぼうとして、やめてしまった。君は私を捨てて行く、——ああ、私は捨てられる、いま、捨てられるのだ——私はかっとなった。君に裏切られたという意識だけが私の頭のなかに溢れだして来た。足もとがぐらぐらとゆれるように思えた。私はめまいがした。  私は、何故そうしたのか、そのときも、いまもわかっている、——私は装填《そうてん》した拳銃をとりだすと、安全装置をはずした。三十米ある。私はあたりをすばやく見まわして、手ごろな岩角を見つけると、駆け寄って、銃身をそこにあてて照準した。発射による銃身の振動を避けようとしたのだ。四十米——私は引金をひこうとした。——そのとき、君はくるりとこちらへむきをかえると、じっと私の手もとを見ているようだったが、まもなく駆け降りて来た。私は呆然《ぼうぜん》として君を見ていた。君は物凄《すご》いいきおいで私の方へ飛び込んで来た。そして、いきなり泣きはじめた。さっき私が君の名を呼んだので、みんなが出て来たが、君が泣いているのを見て、へんな顔をしていた。それまでに私は拳銃をしまっていたからよかったが、そうでなかったらちょっとその場の説明は出来なかったにちがいない。  兵団は近く駐屯地を去って、どこかへ移動するという噂《うわさ》がひろがりはじめた。南方へ行くという者もあれば、満洲へ行くという者もあった。行先はわからないが、噂は事実である証拠には荷物は梱包《こんぽう》され、部隊にいた中国人は全部解雇するようにと、そんな命令が次々と出た。兵団は大騒ぎとなった。  君と別れねばならぬときが来た。山西特有の寒い空っ風の吹く日、私たちは君を城外にある駅まで送って行った。  汽車が来たがそれには乗客がデッキといわず、窓といわず、屋根にいたるまで、鈴なりになってぶらさがったり、とまったりしていた。まるで蟻《あり》が芋虫にでもたかるようにたかっていた。私には何か君の民族の執拗《しつよう》な情熱を見るように思えた。  私は君を機関車の石炭の上に乗せた。君は普段着の藍《あい》色の衣服を着ていた。石炭の上に、ほかの住民たちに交って、ちょこなんと坐った君の姿は、極《きわ》めて普通の娘だった。こんな娘がどこにあんな烈しい情熱をひめているのだろうと不思議だった。昨夜の最後の一夜に於ける君は、いままでにもこんな君は見たことがないほどの、まるで血に飢えた悪鬼羅刹《らせつ》のようでさえあった。凍《い》てついた地平の果に、君の乗った汽車がだんだん小さくなって行くのを見送りながら、君が昨夜、私にいったいろんな言葉が、きれぎれに、けれどもつぎつぎと、まるで稲妻《いなずま》のように私の頭のなかに閃《ひらめ》いた。——「あの日私は、あなたの弾丸に当って死ぬつもりだったのよ、ああすれば、あなたが私を射つことがわかっていたわ、——何故、死のうとしたかって? あなたが私を憎んでいることを私は知っていたのよ、だけど、あなたの弾丸にあたって死ねば、あなたは私を可哀そうに思ってくれるにちがいないと思ったの、——そんな夢を見たかったのよ、——だけど、あなたのあんまり真剣な顔を見たので、私はまた急に生きていたくなったの、死んでしまったら、あなたのこんな顔見られないと思って」——「どうして、あなたを最初好きになったかって? それはあなたが中国人を馬鹿にしないからだわ、私が来た頃、あなたが老百姓と何かのことで話しているのを見ていて、とても感じよく思ったことがあったのを覚えているわ」——「いまのあなた? いまのあなたも魅力があるわよ、何故って、あなたはもうすぐ太平洋で砲灰となるか、水鬼となる可哀そうな生命なんですもの、——可憐《かれん》な生命のはかない美しさ」——「日本をどう思うかって? 日本帝国主義は私たちの永遠の敵にきまってるじゃないの、——永遠の敵、——」  昭和十九年春、兵団は河南作戦に参加し、洛陽《らくよう》を攻撃し、作戦が終ると、沖縄に転進した。小野田中尉も、猿江も、前山も、君の知っている私たちの仲間は、君のいうように全部砲灰と化し水鬼に化してしまった。兵団は全滅してしまった。奇妙に私だけが君の予想に反して、大陸に残され、生きながらえた。  八月、日本は降服した。  焦土となった故国に送り帰され、いま亡国の関頭にあって、私はようやくにあの頃の君の心の苦悩がわかりかけている。私たちを近づけたものは、私たちを別れさせたものは、何だろう。けれども、すくなくも、君だけはそういう運命に挑《いど》みかかった。——  今日、私は敗戦の街を歩く。虫けらのような娘たちが戯れている姿が眼にうつる。これは戦争のあとの埃《ほこり》だ。  崩《くず》れた街角で立ちどまり、私は夏空を見あげる。君の肉体が、青空のなかで燦爛《さんらん》とうねり泳ぐのが見える。私は君に呼びかける、陳にならった「黄河大合唱」の節まわしで。—— 〓《ニー》 家《チア》 在《ツアイ》 那《ナー》 裡《リ》 〓《ニー》 上《シヤン》 那《ナー》 児《ル》 去《チユ》 女盗記  小田雄三とあたしとの関係を、そもそもから聞きたいんだって?  関係って、一体なによ。刑事さんは、小田さんがあたしと一緒にあげられたので、あのひとまであたしたちの仲間だと疑ってるんじゃない? それともあたしの情夫とでも思ってるの? 昨夜、アパートのあたしの部屋へ、あんたたちが踏みこんだとき、同じ床のなかで寝ている現場を見られたんだから、そうとられても弁解は出来ないわね。  いいわよ、どうせ、こうなりゃもうなんでも吐いちまうわ、刑事さん。いっそ、その方が小田さんのためでもあるわ。第一、お上品らしく澄ましているのは、ナイチンお三枝の柄じゃないわよ。あたしはこんな世のなかに、見栄なんて考えてはいないんだから。  実は、小田さんとは、今日あのときから四時間前に逢《あ》ったばかりよ。ええ、広小路の闇市《やみいち》で逢ったの。あのガード下のトンカツ屋で、一ぱいやっているのを、のれんのあいだから見つけて、よく似ていると思ってはいってみるとやっぱりそうだったの。小田さんはおどろいたわ。だって、五年目に逢ったんだもの。そんな場所で逢ったことは、奇遇だったわ。あたしも、小田さん以上に驚いたの。小田さんていったら、うすよごれた復員服に、兵隊靴という、おきまりの背負《しよ》い闇屋の服装なんだもの、どうしていらっしゃるのと訊《き》くだけ野暮とは思ったけど、やっぱり気になって訊《たず》ねたわ。そしたら、埼玉、茨城の米を運んでるんだって、いったわ。  そこで、あたしも、小田さんの飲んでいるどぶを飲んだの。おしまいにはかすとり焼酎《しようちゆう》まで飲んだわ。 「あなたは、沖縄から復員なすったんじゃないんですの?」  あたしは小田さんに訊ねたの。小田さんの属していた石部隊が、大陸から沖縄へ転進したことを、あたしは聞いていたからよ。 「ええ、沖縄からです」小田さんは、なにか重苦しそうに答えたわ。 「随分、ひどかったんですってねえ」 「全滅です」 「そうですってねえ。でもよく生きてお帰りになれましたわね」 「勇敢な奴は、みんな死んだんですよ。僕は、勇気がなかったから、死ねなかったんだ」  小田さんは自嘲《じちよう》するように、唇の端をゆがめて、声を立てずに笑ったわ。小田さんが無事で復員したことを祝うつもりでいったことが、とても小田さんの気持にさわったらしいの。  それからは、あたしはもう沖縄のことはいわずに、ぐんぐん飲んでは、昔のことを話したわ。  え? 昔のことって、なんだというの? そうだ、そいつを話さなくてはわからないわね。  じゃ、そのことからいうわ、——  刑事さん、仲間のあいだで、あたしはナイチンお三枝と呼ばれるほかに、もう一つ、復員お三枝とも呼ばれていること、ご存じ? あたしも、こうみえても、復員者よ。そういうと、ご大層にひびくけど、北支で従軍看護婦としてはたらいていたのさ。  十九歳のときから終戦までいたんだから、足かけ五年も白衣生活を送ったことになるわ。その前に内地の病院で、一年間教育を受けたんだから、終戦前頃は、現地の女学校を徴用したの、速成の多かった看護婦のなかじゃ、まず一応通る顔だったわ。あたしの父は亀沢町の鋳物《いもの》工場にかよって、家は母と弟と四人ぐらしだったわ。祖父の代から本所に住んでいたの。戦時景気で父の収入はわるくなかったので、あたしが看護婦を志願したときも、両親は反対しなかったの。どうして看護婦になりたかったんだって? あこがれよ。娘時代の単純な感傷で、不幸な人々のためにつくす生き方が美しく思えたのよ。白衣も魅力があったわ。下町娘が看護婦志願って、おかしいと思われるか知らないが、あたしは小学校の学芸会で病院船の劇で、看護婦の役になってから、ほんとに自分がそうなってみたいと思ったの。学校を出ると、その夢がだんだん強くなってきたの。戦争は大きくなる一方だし、傷病兵がふえるのを見ると、もうたまらなくなったの、おかしいでしょ? 天津《テンシン》お三枝にもそんな純情時代があったのさ。  その頃、北京《ペキン》の郊外にあった清華大学跡の、北京陸病の特別分院にはたらいてたのよ。その病院は北京市内にあった本院や、第一分院のように内科系統の病院じゃなくて入院患者は、戦傷患者ばかりだったわ。それも銃創や、地雷、迫撃砲弾による骨折患者が多くて、その骨の折れた人達ばかりの病棟がいくつもあったわ。あたしはその中の骨傷第五病棟、——略して「骨五」につとめていたの。やられた骨の部位によって、病棟がちがっていて、骨五は足首の骨の悪い患者たちばかり収容していたのでほかの病棟の患者たちは「ちんば部隊」なんて悪口をいったりしたけど、そのとおりで、たとい癒《なお》ったとしても満足に歩けるようになる人はめずらしいのよ。それでも、骨二や骨三のように膝関節や大腿骨《だいたいこつ》をやられた患者とちがって、癒ったとなれば松葉杖の必要はなくなるものの、歩き方はどうしてももとにはかえられないわね。  自分でいうのは可笑《お か》しいけど、あたしは、それゃ職務に熱心だったわ。いまのあたしがそんなことをいったって、刑事さんには信じてもらえないにきまってるが、あたしはその頃、看護婦という仕事に心から生甲斐《いきがい》を感じていたのよ。「白衣の天使」という言葉に、それこそ自分で酔っていたのよ。前線から傷《きずつ》いて後送されてくる兵隊たちの、その一人一人を区別せずに、いちようにやさしくいたわってやることに、毎日、あたしの若い心は感激ではずんでいたの。あの気持を、なんていいあらわしたらいいか、いまのわたしにはとても出来ないわ。気持も、なにも、こんなにかわり果ててしまった自分からみれば、あれがほんとに自分だったかとうたがわれるほど純情だったあの頃のあたし、——あたしでさえも、そう思うくらいだもの、他人の眼からみればてんで信じられぬにちがいないわ。あの頃のあたしを思い浮かべると、ただもうなつかしい、泣きたい、かなしい気持で胸がいっぱいになってしまうの。  刑事さん。笑わないで、信じて頂戴よ。日本のナイチンゲエルのつもりで、——これがあたしのいまの名になってるけど、——自分を忘れて、ひたむきに傷兵看護に生きた、野毛三枝子という純情可憐《かれん》の処女のあったことを。そうよ、まだあたしは立派に処女だったわ。婦長さんは、あたしを可愛がってくれたし、同僚も親切にしてくれたし、あたしは未来の婦長をめざして、婦長試験を受ける勉強にも身を入れたの。夜、同僚が寝てしまってからでも、あたしは二時三時まで起きていたわ。  その頃よ、あたしが小田さんを知ったのは。小田さんは「骨八」の患者さんだったわ。「骨八」は腕をやられたひとばかりの病棟だったけど、小田さんもやっぱり左上膊《じようはく》骨折貫通だったの。なんでも、その年の春から夏にかけて山西、河北、河南の省境地帯で、行われた大作戦で、負傷したとかいってたわ。五付の看護婦であるあたしが、どうして病棟の違う患者さんを知ったかというと、小田さんの戦友のひとで、富川さんというのが、やっぱり同じ作戦で脚《あし》をやられて、あたしの病棟にいたの。小田さんはその富川さんのところへよくあらわれたからよ。小田さんは、その頃たしか二十三歳とかいっていて、兵長だったわ。現役のぱりぱりだったのね。 「うわあっ、ここはいいぞ。看護婦さんがいて」と小田さんは骨五にくるたびに、大きな声でいうのよ。小田さんのいる骨八は足や身体が元気な人たちばかりなので、病棟付の看護婦がいなかったの。どうしてだろうと、ある衛生兵のひとに訊ねたら身体の元気な兵隊は女になにをするかわからんからだといったわ。あたしたちは小田さんのそういう嘆声を聞くと、いつもみんな笑いあうのよ。前線の陽《ひ》に焼けた顔の、明るいぴちぴちとした感じの青年だったわ。小田さんたちの部隊は石部隊といって、山西省の方にいる部隊だったけど、その作戦で一番活躍したとかで、ひどい死傷者が出たらしく、特設分院も、どの病棟の病室にも、石部隊という患者の名札のかかっていないところがないくらいだったので、ひと頃病院内は石部隊のひとたちで、大した騒ぎだったわ。小田さんはそんななかで、いつも石部隊の患者さんたちの中心だったの。あとで考えたんだが、あたしは小田さんを一眼見たときから第一印象で、好きになってしまったらしいの。なんとなく虫が好くというのがあるでしょ? あれね、きっと。ところが、小田さんははじめのうちこそ、ほがらかにふるまっていたが、そのうちに、あたしが小田さんを好いていることを感じたのか、小田さん自身も、へんにぎごちなくなってきたの。あたしの前では、急に澄まして、おとなしくなるかと思うと、友だちと話すときは、不自然に快活になったりするの。あたしには、直感出来たわ、——小田さんも、あたしが好きなことが。  けれど、お互いに胸のなかを打ち明けあえないのよ。あたしには、とてもそんなことは出来なかったわ。刑事さん、何故笑うの? いまのあたしじゃないっていうのに。あたしは、小田さんが気持を打ち明けるのを心待ちにしていたの。どうかして廊下なんかで出逢ったとき、あたしはじっと小田さんの眼をみつめたわ。それだのに、小田さんたら、あたしの顔をみると、固くなって、——それがあたしには、気取っているようにみえて、あたしはいらいらしたわ。あたしは、小田さんの意気地なしを恨んだわ。一度、あたしは外出のとき北京の王府井《ワンフーチン》で蒙古《もうこ》の牛乳でつくったケーキを買ってきて、それを小田さんにあげようと、小田さんのいる骨八の病棟のまわりをうろついたことがあったわ。部屋へ直接訪ねるのはほかの患者の眼があるし、困ってしまって、一時間もそこをうろうろしたわ。ようやく出てきた小田さんをつかまえて、「これあげる」って、ケーキの包みをだすと、小田さんは中身がなにか訊《き》きかえしもせず、まるで前からもらうことを約束していたように、黙ってつかみ、無雑作に白衣のふところへ押しこんで、「有難う」と怒ったようにいって、くるりとこっちに背を見せて帰っていったわ。それが、まるで、あたしから逃げるみたいなのよ。あたしはその後姿をみつめながら、「卑怯者《ひきようもの》」と思わず口のなかでつぶやいたわ。とてもかなしかったのを、覚えているわ。  小田さんとのあいだがそんなふうだったあの夜。あたしは非番だったので、いつものように、事務室で勉強していたの、勉強にも、飽いて、ぼんやりとしていたときなの。もう十時もまわっていたし、事務室はあたしひとりだけだったわ。大陸の秋の夜は、九月の末になると、もう寒いほどだったの。止血法のなかでどうしても繃帯《ほうたい》のむずかしい部位があるのを思いだしたの。たとえば、肩胛骨《けんこうこつ》の下、肺尖《はいせん》部の貫通銃創の場合など、どうしたらいいか、勉強の疲れを休めるつもりで、なかば遊びの気持で、あたしは自分でやってみていたの。あたしは小田さんの負傷部位が上膊であることから、これがもうすこし位置をかえていたら、どうだったろうと、そんなことから聯想《れんそう》したのかも知れない。そのとき、不意にうしろで、ひとの気配がしたの。いま頃、誰かしらと思って、ふりかえると、久保軍医が立っているのよ。 「なんだ、野毛君か、まだ寝ないのか」  久保軍医は同じ骨五の病棟付の軍医中尉だったのよ。あたしはいたずらをみつかった子供みたいにちょっと照れたけど、丁度、いいところだったので、 「中尉殿、ちょっとわからないところがあるのですが、教えていただけません?」  と、訊《たず》ねたの。久保軍医はまだ医大を出て、二、三年しかならない若いひとだったの。青白いのっぺりした顔のひとで、背丈《せたけ》は割合にすらりとして、身だしなみのいい、まあ、好青年だったので、同僚たちのあいだでは騒がれていたようだけど、そんなことにまだあまり興味を持っていない私は、——そのくせ、小田さんを好きだったのはへんなようだけど、——別に好きとも嫌《きら》いともはっきりした感情があったわけでないのに、なんとなく虫が好かなかったの。前線からつぎつぎと後送されてくる若者たちの傷いた肉体に、なんともいえぬ神聖さと、かなしさを感じていた私だったんだから、——小田さんは、そういう若いひとたちの象徴のように思えたの、——久保軍医のような、後方で、おしゃれをしているような若いひとにはどうしても馴染めなかったのかも知れないわね。  久保軍医はあたしの肩を説明台にして、止血のための圧迫を加える部位を説明してくれたわ。久保軍医の手に肩の上を押えつけられていると、そのうちになんだかあたしは気味わるくなってきたの。だって、もう患者も、同僚も寝静まって、病棟全体がしんとしているなかで、事務室でこんなに近々と二人きりでいるなんて、へんじゃないの。 「中尉殿、わかりました。お世話かけました」と、あたしはいったわ。 「まだわからないだろ。いいから、もっと聞いてみなさい」 「もう、わかりましたわ」と、あたしはすこし強くいったの。なにか、予感があったからよ。そしたら、久保軍医は部屋の入口へ歩いていって、電燈のスイッチをひねったので、部屋のなかは真暗になったの。あたしは恐怖ですくみあがって、声も出なかったわ。きっと、まっ青な顔になっていたにちがいないわ。男の手があたしの肩をがっしりとつかんで、あたしはいきなりひき寄せられたの。 「いけませんわ、中尉殿」  あたしは、夢中で抵抗したの。相手の胸を、両手をつっぱって押しのけようと、必死だったわ。男はそうされまいと、あたしの肩をつかんだ手をはなさないで一層力を入れるの。あたしの肩は、男の力で砕けそうに痛かったわ。しばらく、久保軍医とあたしとは、そうやって、無言でまっ暗ななかであらそっていたわ。 「野毛君、——野毛君ったら」と、久保軍医は、はあはあと呼吸を弾《はず》ませて、口走るのよ。声の調子には哀れっぽい感じがあるんだけど、腕の力は相変らず乱暴な力で、圧倒的にぐんぐん迫ってくるの。  時間にして十分間もたったろうか、あたしは本能的に防いでいたんだけど、そのうち腕も、気力も、ぐったりと疲れてきたの。十分間も人間が一生懸命に身体を緊張させつづけていれば、誰だってそうなるわ。自分が全力をあげて抵抗したということで、あたしの気持は一応ケリがついたように思えたの。もうこれだけ敢闘したんだから、降服しても、自分の気がすむように思えたの。これが女の弱さなのね。 「いけませんわ。——あら、駄目よ、中尉殿、——」  そういいながら、あたしの腕から、身体から、みるみる力がぬけていくのが、自分でもわかったわ。あたしの両肩は久保軍医の腕のなかにしっかりとかかえこまれていた。あたしは男の腕にだかれながら、自分の敢闘をしみじみといたわってやりたいようなかなしさと——そればかりでなく、満足をさえ覚えていたわ。瞼《まぶた》が熱くなり、涙がたまったわ。男のうすい唇《くちびる》が、あたしの顔の上にかぶさるのがわかったわ。わたしは眼を閉じて、つかまった小鳥のように身体をすくめたままもう動かなかったわ。男の唇のなまぬるい感触に、自分の胸のみぞおちのあたりが熱くうずくのを、じっと堪《た》え忍んでいたわ。 「以前から好きだったんだよ。君がここへきたときはじめて見たときから、好きになって、苦しかったんだ」  そんな言葉が、あたしの耳たぶのところで、熱い呼吸と一緒に聞えたの。あたしはなにかはかり知れないような偉大な権利が、あたしを支配しようとしているのを感じたわ。「好きだった」ということを、絶対の強味のようにして、相手は私をねじ伏せようとするの。ところが、あたしはあたしで、その言葉を聞くと、もう駄目だと思ったの。このひとはあたしを領有する権利があるんだという気がした。決して、いま、この部屋へはいってきて、自分を見て、急に思いついたというような気まぐれでなく、長いこと時間的に自分を愛しつづけていたということに、なぜ女はこうも無力になるのかしら。それは道徳とか、社会的秩序とかいうものを飛び超えて、一人の男が一人の女を愛しているという事実に、当の女はもう抵抗出来ない宿命的なものを感じるの。好きだった、——無法であろうと、なんであろうと、この言葉の前に崩折《くずお》れるのは、それは女の宿命かも知れないわね。  そんなふうに、あたしは処女でなくなったの。簡単ね。まるで、三十分さきまで、なんにも考えていなかった相手に、あっという暇に奪われてしまったの、皮肉じゃないの。これが女の宿命かねえ。ナイチンお三枝、処女をうしなうの図、——刑事さん、おつきあいに、なにもそんなむずかしい顔つき、しなくったって、いいのよ。いまのあたしは平気さ、茶番劇にも思っていないんだから。  けれど、さすがに、その夜、あたしは自殺しようと思ったの。薬品ならお手のもので、事実、アダリンを一ビン薬のうのなかに持っていたわ。どうせ、眠れないにきまっているし、うんと飲んでやれと思ったの。けれど、人間ってなかなか死ねないものね。はじめ、自分の寝台に帰って横になったとき、あたしは小田さんの顔を思いだしたの。小田さんがじっと、あたしをみつめているの。あたしは、小田さんとなにも約束しないのに、小田さんがあたしをとがめているの。小田さんのことを思い浮かべると、急に死ねなくなってしまったわ。小田さんに一言わけをいって死ななければ、死んだって死にきれないと思えたの。死ねないとなると、急にあたしは涙があふれてきたわ。あたしは寝台に顔を埋めて、ながいこと泣いていたの。夜直の同僚がまわってきたときだけ、あたしは歯を食いしばって声が口から洩《も》れるのを我慢していたわ。あたしの寝台の両側には四名の同僚の寝台が並んでいたわ。みんな昼間の疲れで、熟睡しているの。無心に眠っている同僚の寝顔を眺《なが》めると、自分がいま、処女をうしなったばかりだということが、すこしずつうすらいでいくの。なにか自分の幻覚ではないかと思えたわ。すると、久保軍医の男くさい体臭や、痩《や》せぎすの腕の筋肉が、なにかなつかしく、あたしの肉体の感覚を火照《ほて》らせるように思えてきたの。そんな筈《はず》はないと思うのに、私の全身は久保軍医をちっとも憎んでいないことが、だんだんわかってきたの。  その夜以来、あたしは久保軍医の秘密の情婦になったの。あたしは久保軍医にいわれて、病院の西北角にある気象観測塔の下でいつも逢ったわ。そこは患者の散歩区域外になっていて、鉄条網が張られていたが、手入れをしないので、地面は雑草が人間の背丈ほど茂っていたわ。そんな場所なので、逢曳《あいびき》には持ってこいで、これまでも患者や衛生兵と、看護婦とが、どうしたとかいうような、とかくの風評の起きる場所なのよ。ときには、あたしが久保軍医を誘うことさえあったわ。それは、久保軍医がほかの看護婦といやに仲よくしているのを、見たりするときなの。久保軍医には、噂《うわさ》のひとが、あたしのほかに、数人あったのよ。嫉妬《しつと》なのね。女の本能って、へんねえ。おどろいた? あたしもおどろいたわ。だって、あたしには、そんな自分の豹変《ひようへん》がわからなかったんだもの。  そのように一度久保軍医を知ってしまった上は、あたしはすっかり欲望の強い女になってしまったの。だけど、さすがに、いくら気をつよく持ったとしても小田さんの顔は、まともには見られなかったわ。小田さんが骨五の病棟に遊びにくる姿を見ると、あたしはすぐとあたしたちの控室にはいって、出ていけないの。偶然、そとでばったり顔をあわせたりすると、あたしは伏眼になってすうっと横をすりぬけるのよ。小田さんには、そんなあたしのはげしい変化がわからなかったにちがいないのも無理はないわ。小田さんはあたしが、小田さんを急に嫌いになったと思ったらしいのよ。それが証拠に、小田さんの戦友の富川さんに、 「野毛さんは、冷淡だなあ、小田はしょげてるぜ」って、いわれたので、あたしは、 「あら、どうして?」 「小田は、野毛さんに嫌われた、別になんにも野毛さんの機嫌損じることしないのにっていうんだよ」  そういう富川さんの言葉を聞かされて、あたしの方が、悲しかったわ。あたしは小田さんに、とてもすまないと思ったの。だけど、あたしとしては、もう自分の身体は久保軍医のものになっているのに、しゃあしゃあとして小田さんに好意を持っているような態度を見せていることに、自分の気持がたえられなかったのよ。そんなことは、あたしには出来なかったわ。まだ純情が残っていたのね。  けれども、あたし、小田さんは好きは好きだったの、あたし、自分の身体は、もう純潔をうしなってしまったんだから、いまさら小田さんを好きになることは恐ろしかったけど、あたしの身体がよごれればよごれる程、小田さんはあたしにとって、かけがえのない存在になってきたの。ほとんど神聖にさえ思えたわ。いまでこそ、前線にはきっと慰安所というものがあることがわかり、小田さんだって、前線ではなにをしていたかわからないと思うのだが、当時のあたしは自分から推《お》しはかって、小田さんを神聖化していたのね。そんなわけで、自分が純潔でなくなると、途端に、小田さんはあたしには、手をふれてはいけない禁断の園の木の実のようにさえ思えたの。その一方で、相変らず、あたしは久保軍医と身体の交渉を持ちつづけたのよ。その瞬間はその瞬間で、肉体のよろこびを感じていてその方にも相当にひかれるのだったが、そのあとで、なにか罪を犯したような精神的な虚脱感に落ちこむことからのがれられないの。これは、あたしが久保軍医を愛してもいないくせに、肉体の欲望だけで、久保軍医とそんな関係にすすんでいく気持が、なにか自分でも不道徳に思えたからにちがいないわ。それだからってあたしは久保軍医を憎くはなかったわ。逢えばひとりでに久保軍医の腕のなかへ、自分から身体を投げだすくせに、決して久保軍医を愛しているような気はしなかったわ。こういうと、ひどく矛盾した気持に悩んでいたけれど、そんな気持をあたしは、それほど持ちあつかいかねていたというわけでもないの。一種の習慣になっていたの。習慣には大した苦痛がともなわないでしょ? あたしのようなのを淫婦《いんぷ》っていうの? こんな気持は、刑事さんにわからない?  ある日、富川さんが、 「野毛さん、小田は昨日、湯山《とうざん》へいったよ」  っていうのよ。あたしははっと思ったわ。あたしに一言もいわずに、いってしまうなんて、ひどいと思ったわ。湯山は北京郊外二里ほどのところにある、いわれのある温泉で、その頃は日本軍が接収して、療養所にあてていたところなの。治療期にはいった患者が、病院からそこへうつるようになっていたの。小田さんも創《きず》がなおりかけていたのよ。  それから一箇月ほどしたある日、あたしは独歩患者について万寿山《まんじゆざん》にいったの。  病院では独歩患者だけ、体力を増させる目的のために、ときどき万寿山行軍をやらせたの。万寿山は病院から一里ほどの距離だったわ。凄《すご》いほど晴れた大陸の早春の空の色、その空を映している昆明湖《こんめいこ》の水の面、そのあいだにきらきらと色どり美しい屋根瓦を陽に反射させている沢山の大きな建物、朱色の柱、石でつくった船、そういうものが、またみんな水に映っていて、——そりゃ、万寿山ってすばらしいところよ。その湖畔《こはん》の一角の洞窟のような場所に、兵隊のための休憩所が出来ていて、可愛い娘が海苔《の り》巻やおはぎを売っていたわ。万寿山へいくと、いつもあたしたちはそこへいくのだけど、その日も、あたしは同僚と一緒にそこへはいっていったの。そしたら、そこでばったり白い作業衣を着て、銃を持った小田さんに出逢ったのよ。あたしはそういう小田さんの姿を見て、すぐと小田さんが湯山から訓練隊にきていることがわかったわ。訓練隊というのは、あたしたちのいた清華大学から半里ほどの場所にある燕京《えんけい》大学にある退院患者の錬成隊で、原隊へ復帰する前に、ここで三週間ほど訓練されるのよ。  小田さんはあたしを見ると、びっくりしたように立ちあがったわ。その頬がぽっと紅らむのが見えたわ。すっかりもとの身体になった小田さんの若さが、顔にも、身体にもあふれているのよ。 「あら、もう湯山から帰っていらっしたの」  あたしはこんなところで小田さんに逢おうとは夢にも想像していなかったので、不意のためにうまい言葉が見つからず、平凡なことをいったの。けれど、しばらくぶりなので、気持が軽くなっていたのか、あたしは以前のようなあかるい調子が出たの。 「もう、すっかり全快なすったの?」 「よくなったって、本当にもとのようにはなりませんよ」と、小田さんは、こだわりなく話したわ。 「帰ったら、すぐと作戦にひっぱりだされるんじゃない? なんだか、一軍管下の部隊の患者は出来るだけ早く退院させるようにって、通牒《つうちよう》がきてるって話よ」  あたしは病院での噂を話したの。 「春が近いからなあ。また作戦の季節になったですね。死んだって、いいさ、——別に、死ぬことをなんとも思ってませんよ」水の明りに頬を染めて、小田さんは笑ったわ。小田さんの笑い声を聞くのが、あたしにはつらかったわ。それと一緒に、あたしは小田さんの冷酷さに、——そんなことをいえば、あたしが苦しむのをわかっていて、そうする、——そんな小田さんのつめたさに、あたしは泣きたいほどだったわ。湖の面をみつめながら、あたしは小田さんはなんてひどいひとだろうと、怨《うら》めしく思えたわ。それというのが、あたしが小田さんを好きで好きで堪《たま》らないのを、小田さんは知っていて、そうするのよ。あたしたちはそうして、お互いを虐《いじ》めあって、それは、結局自分を虐めることだったのだけど、——それで愛していることを見せあったの。それは小田さんや、あたしの意志とは別個に、あたしたちの上に「愛」というものの意志があって、それがあたしたちを虐めぬいているようでさえあったわ。刑事さん、こんな気どったいい方をして、ご免なさい。だって、このへんが、ナイチンお三枝青春物語の、さわりなのよ。  それっきり、小田さんとは逢わずに、小田さんは山西の山のなかの原隊へ復帰したらしいわ。  あたしはその後も、久保軍医と関係をつづけていたわ。そのうちに、だんだんあたしたちのことが噂にのぼるようになり、診療主任の耳にもはいって、あたしは河南省の彰徳の野戦病院へ転勤を命ぜられたの。男はそのままにして、まるであたしが誘惑したみたいに女だけを追いだすなんて、癪《しやく》にさわったけど、それほど相手を愛しているわけでもなし、案外平気で出発したわ。だけど、久保軍医と別れるときは、習慣って恐ろしいものね、さすがに胸がつまったわ。それよりもどうせ追いやられるなら、小田さんのいる山西へどうしてやってくれないのかと思ったわ。  彰徳の野戦病院は北京ほど設備は完備してないけど河南省だけあって、気候が暖く、湿気もあり、丁度内地のような気候なので、気分もほがらかになって、あたしは愉快にはたらいたわ。  これで、ナイチンお三枝の純情時代は幕を降し、これからいよいよ乱行時代へはいるんだけど、あんまり気をつめて話したので疲れたわ。煙草《たばこ》を一ぷく頂戴よ。  小田雄三はどの部屋にいるの? あたしのことで、取調べを受けてるんだろうけど、可哀そうだわ。人権尊重だから、殴《なぐ》ったりはしないだろうね? ほんとにあのひとは、なんにも知らないんだからね。  彰徳野病では、あたしは、三人の男に、身体をゆるしたわ。  あたしはそんなひとたちを、決して愛してはいなかったのよ。どうして愛してもいないひとたちに身を任せたのか。やっぱり衝動のようなものだったのね。けれども、戦争が深刻になるにつれて、大陸と日本との連絡がとぎれ、もう日本へは飛行機か潜水艦でないと帰れないというような噂が出てきて、あたしたちの気持も、だんだんやけくそになっていったことも原因してると思うの。どうせもう生きて帰れないばかりか、その頃騒がれた米軍の大陸接岸作戦とやらが実現すれば、——それはもう間近く迫っていると、将校患者たちがいってるのを聞いたわ、——そうなったら、いずれははかないいのちだというので、あたしたち同僚のあいだにも、そんな空気が次第にたかまってきたのよ。誰さんが、どの患者と、夜、酒保の裏で抱きあっているのを見たとか、誰さんが、衛生下士官の誰さんと日曜日の外出に街の飯店の奥で、同じ卓にむかいあっていたとか、そんな噂がいろいろに渦巻いていたの。女の気持って、そんなときは男よりも敏感なのね、あたしたちは内心では競争のように、男を欲しがったわ。あたし達の肉体のなかに鬱屈《うつくつ》していたもやもやが、にわかに堰《せき》をきったように、そとへ出てきたの。女ばかりの世界で、これまで聞いたこともないような露骨な言葉さえ出るようになったわ。誰もそれに対して、眉《まゆ》をひそめないの、そんなことが公然となってきたの。そうでもしないことには、刺戟《しげき》を感じなくなってしまったの。  そんな雰囲気《ふんいき》のなかで、あたしも熱に浮かされたように、三人の男を知ったの。軍医と衛生下士官と、患者とは、ほんのはずみで出来てしまったの。けれどもこれは、軍医は内地へ転属してしまったし、患者は退院したので、期間は短かかったけど、衛生下士官とは終戦で別れるまで八箇月もつづいたの。村松渡という二十七歳の軍曹で、静岡の男だったわ。ちょっと苦み走った浅黒い顔つきの、身体の小柄な青年で、あたしは前から好意を持っていたの。それというのが、村松渡のからっとしたものにこだわらない性質が、——顔つきも、そうだったが、——小田さんに似ていたからだと思うの。ちょっと好きだと思うくらいで、あたしは気軽に村松渡に身を任せてしまったの。北京の頃のような貞操に対するきびしい考え方も、もうあたしのなかになかったわ。いまもいったように、まわりの雰囲気だったのよ。  村松は人前でもあからさまに、あたしに接近したり意味あり気な視線を投げかけてきたりするんだけど、全体がそういうふうなので、あたしたちの仲なんか、大して問題化しはしなかったわ。婦長なんかうすうす感づいていても、そんなことをあばきたてれば、どこまでひろがるか知れないし、内地からは補充がこないので、現地の女学校出の娘たちを軍徴用でひっぱって、にわか仕込みで、白衣を着せてみたことはみたんだがものの役にはたたないし、結局、経験に富んだ看護婦にはどうすることも出来ないの。終戦間近くなるにつれて、どんどん太平洋方面へひきぬかれる兵力のために、華北の警備は手うすになり、それに反して八路《はちろ》軍の方では、いよいよ日本の敗北が近づいたというので攻勢に出はじめ、治安は一日一日とひどくなり、野戦病院へ送られてくる戦傷者の数はぴんとはねあがったわ。衛生兵たちは創口の治療につかうオキシフルとリバノールの消耗がめだってきたというし、あたしたちはあたしたちで、毎日、繃帯の洗濯にとられる時間が生活の大きな部分を占めてきたの。ずらりと並んで、繃帯を洗いながら、みんな、てんでに自分の惚気《のろけ》をしゃべり、ひとの艶聞《えんぶん》をひやかしたあの頃が、忘れられないわ。道徳的な気持とか、反省とかいうもののまるでなかったあの頃の空気、——まるであたしたちは一疋の獣みたいだったわ。女だけじゃなくて、衛生兵たちも、患者たちも、みんな獣じみていたわ。米軍が上陸してくれば、日本軍はこの大陸を舞台に、八路軍と国府軍と、民衆との包囲のなかを、流動部隊となって半永久的な機動戦法にうつるのだと聞かされ、そうなると、日本軍は一種の匪賊《ひぞく》化し、あたしたちはその日本軍について、看護婦だけの任務ですまなくなり、慰安婦にされてしまうのではないかというものもいたの。そんな噂が出ても、あたしたちは別にあわてる者もいなかったようね。 「いいじゃないの。面白いめをすれば、それだけ得じゃないの。どうせ、長くは生きてはいられないだろうしさ」という者もあれば、「かまやしないわ。和製モロッコで、驢馬《ろば》のお尻でも追って、山のなかを歩けばいいんでしょう。内地にかえって、空襲でびくびくしてるより、どれだけましか知れないわ」——もう、やけ気味で、こんなことをいったりするのよ。あの頃の気持、いまから考えても、それゃへんだったわねえ。石部隊が沖縄へ転進したことを聞いたのも、その頃なの。  そんな空気のなかで、八月十五日を迎えたの。  あの日、ラジオを聞きながら、——ガアガアいう雑音でほとんど聞えなかったが、なんだか負けたことを直感したの、——さすがにあたしたちは茫然《ぼうぜん》となってしまったわ。患者たちも、あたしたち衛生部員も、まったく力がぬけてしまって、ぼんやりとしてしまったわ。あたしたちは、抱きあって泣いたわ。夜まで泣いたわ。不思議ねえ、こんな悲しい日に、——いや、悲しかったからこそよけいに、——欲望が身うちにうずいて、どうにも仕方がなくなったの。あたしは村松渡を探したわ。探しあてると、男の胸に顔をあて、すぐと泣きだしたの。  村松はあたしの背へ手をまわして、しっかりと抱きながら、 「心配するな、——絶対に心配しなくっていいよ。もう戦争はすんだから、俺たちは内地へかえれるんだよ」とか「帰ったら、結婚しよう。いいな、結婚するんだよ」って、耳もとでくりかえしていたわ。  黄河南方地区にあった国府軍が、終戦となって華北に北上するのを邪魔するために、八路軍が京漢線の開封《かいふう》と保定《ほてい》とのあいだを破壊しようとしているという情報があるので、傷病兵だけをあたしたちがまもって出発したの。終戦の翌々日だったわ。あたしたちの汽車がおしまいで、まもなく鉄道が滅茶苦茶に破壊され、国府側の北上軍は、邯鄲《かんたん》附近で、八路軍と血戦をはじめたということを、あたしたちは天津についてから聞いたわ。天津や、北京も山岳地帯から降りてきた八路軍の大兵力に包囲され、城内は城内で、人心はこれまで圧迫されたことに対する復讐《ふくしゆう》に燃えあがっているし、いつどんな運命がふりかかってくるか、あたしたちは不安で、びくびくとしていたわ。そのとき、とても村松渡のことを思ったわ。村松とは彰徳で別れたのだけど、あとの連絡で追及してくる筈だったのに鉄道が破壊されたため、いつまでたってもこなかったわ。けれども、そんなにあたしは、村松を恋しくもなかったわ。別れてみると、それほど好きだったと思えないの。そのあいだに、米軍の上陸用舟艇《しゆうてい》で、どんどん送還がはじまったの。傷病兵が一番さきということになり、あたしたちはその附添いとして、比較的早く乗船出きたわ。  五日目に、佐世保《させぼ》へ着いたわ。  佐世保の引揚者用の宿舎で一晩泊って、翌日東京行の臨時列車が出るというので、それに乗ったんだけど広島あたりで、夜眠っているあいだに、虎の子のリュックを盗まれたの。大勢ひとが混みあっていて、人目があるのに、——本当は、それだから盗みやすいことが、まだそのときはわからなかったわ——いつのまに盗んだものだろうと、その手早さにおどろいたわ。あたしはがっかりしてしまったの。リュックをなくしたらもう着のみ着のままなんだもの。  夜が明けると、どこもかしこも焼跡ばかりの景色がこわれた窓ガラスをとおして見え、あたしは予想はしていたけど、日本がこんなにまでやられたとは思っていなかったので、だんだん憂鬱になってきたの。身体一つだけど、家へ帰れば母と兄とがいると思うとそれだけがあたしのたった一つの希望だったの。荷物を盗まれたことも、日本が焦土になったことも、日本人が道徳も、気位も、なにもかもなくなったことも、母と兄とのことを考えると、胸がほのぼのと温まったわ。あたしは本所へ帰ってきたわ。あたしはまたそこで、茫然としてしまったの。あたしの家のあったところは焼野原になっているの。もう焼野原は眼に馴れていたけど、自分の家が消えているのは、しばらく信じられなかったわ。場所をまちがえたのかと思ったわ。近所に焼けトタンをあつめて、バラックを建てて住んでいる顔見知りのひとに訊ねると、母は焼け死んだというの。兄は終戦前海軍にとられて、呉《くれ》で爆死したっていうの。  あたしはふらふらと隅田《すみだ》公園の方へ歩いていって、そこのコンクリーのベンチに腰かけ、ながいこと川の面をみつめていたわ。こんな場面をいくらセンチにいったって、気ざっぽいだけだから、端折《はしよ》るけど、そのときのあたしの気持、刑事さん、察してよ。  あたしはお腹がすいていたわ。考えてみると、朝からなんにも食べてないの。佐世保でもらった三日分の外食券も、わずかな退職金も、もう途中でつかっていたの。  あたしは言問《こととい》橋をわたって、浅草へはいっていったわ。子供のときからよくきた場所もすっかり様子が変っているのでかなしかったわ。あたしは闇市のなかをうろつき、怪しげな代用食に咽喉《の ど》が鳴るのを我慢してぼんやり上野駅の前にきたの。そこにはひとが大勢いたわ。あたしは、はだしの垢《あか》によごれた浮浪児たちが七、八人、路の上に腰を降して、石ころでなにかばくちをやっているのを見ていると、 「あの、すみませんが、これ、ちょっと見ていてくれませんか。小便してくるんですから」  中年の女が大きな風呂敷包みを背から降して、あたしのそばへ置いたの。衣類かなにかのはいった包みらしいのよ。あたしは黙ってうなずいたわ。その女は、用を足すために路地へはいっていったわ。あたりはもううす暗くなりかけていて、ひとびとの頭の上に、バラックの上に、夕映えに映えて、土埃《つちぼこり》がきらきら舞っていたのを覚えているわ。  突然、あたしは子供たちの一人が、あたしの横へ置いた包みに手をかけると、それをかついで駈《か》けだすのを見たの。はじめは、ちょっと判断出来なかったけれど、すぐ掻っぱらいだということがわかったので、あたしも大声で呼びながら駈けだしたの。そしたら、そばの子供たちが一せいにあたしにつかみかかって、「姉さん、待ちなよ、——待てったら」とか、「俺がとりかえしてやるから、待っていなよ」とか、いうのよ。あたしはてっきりこいつらもぐるだと思ったのでかまわずかけだしたの。すると子供たちも、あたしのまわりを駈けながら、あたしを邪魔するのよ。けれども相手は荷物を持っているので、どうしても遅れがちで、——一度、途中で子供がかわったが、——そのうちにあたしは、ある路地の奥まで、包みをかついだ子供を追い込んだの。あたしがその子供の肩の包みに手をかけると、子供たちがみんなであたしをとり巻いて、なかには嚇《おど》すようなことをいったり、哀れを乞うようなことをいったりする者もあったが、一人が、 「どうだい姉さん、こいつを山わけにしようや、お前だって、金ねえんだろ」  っていったの。あたしは、 「なにいってんの。あたしは泥棒じゃないわよ。早く返しなさい」  って、強くいったの。だけど、子供たちはみんなでその荷物をつかんで、どうしても離さないのよ。あたしは夢中で近所のひとを呼んだわ。すると、子供たちは、すぐあとから、 「なんでもねえんだ。邪魔する家は、火をつけてやるぞ」  って、口々にいうので、窓から覗いているひとたちも、積極的に出ないのよ。あたしはもうすっかり精も根もつきてしまって、しばらく、その荷物の上に腰かけたわ。あたしはがっくりとして、気が遠くなるように覚えたの。  刑事さん、これがあたしのばいにん(玄人《くろうと》)の口あけよ。それからは人間ががらりと一変したの。仁義の一つもきれるようになると、ばいにんが板についてきて子供たちは姐御《あねご》、姐御って、たててくれるし、仲間にも顔が出きるというわけで、面白くなったわ。どうせこんな世のなかに、なにをして暮したって同じだと思うと、良心もほとんど消えてしまったの。  下駄屋の亮太《りようた》と知りあったのは浅草よ。亮太をご存じでしょ? ほら、ひの場(盛り場専門のスリ)の、——そうよ、豆長さんの子分だという。平家蟹《がに》みたいな中年男よ、——しみったれで、けちんぼだが、あたしも相手が相手だから、気がつまらなくて、暢気《のんき》なので、あたしの幕切り(助手)につけていたの。亮太と組んでからは、あたしは、つつもたせを数回やったわ。だけどあたしは絶対に見知らぬ男に身体を任せるのはいやだから、亮太にふくめて、ちょうどいいときに、奴さんに飛びこんでもらうことになっていたの。ところが、亮太の奴、自分があたしに惚《ほ》れているもんだから、それこそ一生懸命で、間一髪というときに、うまい呼吸であらわれるの。そりゃ恐いほど、たしかなの。因果はめぐるで、お蔭で、今夜は、小田さんと、あわやという楽しいところを、あんたたちに踏みこまれたわ。これも、だました男の執念の報いかも知れないわね。亮太の奴が、たれこんだ(訴えた)にちがいないと睨んでるんだが、刑事さん、どう? あたしのがん(眼のつけどころ)は図星じゃない?  日本へ帰ってから、一度も男を知らないかって? はい。男の身体には一度もふれたことはございませんと、いいたいところだが、どういたしまして、——口惜《く や》しいけど、そうはいえないわ。本当をいうと、あたしは復員船の上で誓ったの。日本へ帰ってからは、小田さんとめぐり逢うまでは、絶対に潔白を護りぬこうと心に誓ったのよ。小田さんのいる石部隊が沖縄へ移動したことを聞いていたので、小田さんが果して生きているか死んでいるかは、わからないんだけど、日本へ帰ったのを機会に、あたしは真面目《ま じ め》な女に返りたかったのね。きっと。そのくせ、女どろぼうなんかになって、皮肉だけれど、身体だけは潔癖だったわ。一年三箇月というもの、たしかにあたしは身体だけは綺麗に生きたわ。だけど、小田さんが生きているものやら死んだものやら、かいもく見当がつかないたよりなさから、——いや、大方はもう死んだものとあきらめている心のむなしさからやっぱりそんなときにすき間風が忍びこむようにあやまちが忍びこむんだわね、相手って? それがお話にならないのさ。いっちまおうかなあ、——あんまり似つかないので、誰だって信じないの。刑事さん、いい? 笑っちゃいやよ。実はね。それがね、いまいった下駄屋の亮太さ。  へっ、ナイチンお三枝だとか、復員お三枝だとかいわれる姐御が、だらしがないったらありゃしない。あんな奴につい身体をゆるしちまったんだからねえ、刑事さん。男とちがって、女の身体は、そういつも、金城鉄壁というわけにはいかないわね。なんしろ、あたしだって男を知った二十五歳の生き身なんだから、たまには胸のあたりや腰のあたりが、虫でも這《は》うようにむずむずうずくことがあるだろうさ。アルコールがはいっていたのがいけなかったのよ。あの日は仕事がうまくいかないので、むしゃくしゃして、亮太をお伴に新橋の闇市で、鰻《うなぎ》の蒲焼《かばやき》をさかなにいっぱいひっかけたのがいけなかったの。北京の頃を思いだしたり、なんだかいやにセンチになり、酔ってるためもあって、むしょうにさみしくなり、ついふらふらとあいつを、自分の部屋にひっぱりこんでしまったのさ。仲間のあいだでは、男ぎらいの気っぷの荒さでとおった復員お三枝の、あられもない口説《くどき》に、あんまりいい男でもない亮太は、鳩が豆鉄砲でもくらったように、眼をぱちくりさせて、そんな信じられない顔つきのまま、極楽浄土に一足飛び、——あたしとそうなってしまってからでも、まだきょとんとして、首をかしげているのよ、あたしはそれを見ると急に情なくなったわ。自分の身体を見まわしたわ。どうしてこんな男にゆるしたんだろ、あたしはつくづく自分の身体が呪《のろ》わしかったわ。こんな薄野呂《のろ》野郎にゆるすために、あたしは男ぎらいをとおしてきたんじゃない。これで、あたし復員以来の一年三箇月の潔白も、泥にまみれてしまったと思うと、亮太が憎くて、憎くて、たまらないのよ。 「なにをまごまごしてるのさ。いつまでも未練たらしくくっついてると、蹴《け》とばすよ」  まるで飛びきりの牛肉を喰《く》わせられた犬が、まだもらえるかと、主人のまわりを離れないように、いつまでもぐずぐずとくっついているのが、癇《かん》にさわって、あたしはどなりつけてしまったの。  だけど、その後も、三回ほど、ゆるしたわ。そのたび、あとには癪《しやく》だけれど、尾をふる犬が、可愛く思えるときだって、あるものよ。だから、今夜、あたしと小田さんとの再会を嫉《や》いて、奴さんたれこんだにちがいないのさ。刑事さん、かくしたって、わかるわよ。  ところで、小田さんとの出逢いは、どこまで話したかしら、——そうだわ、ガード下のトンカツ屋で、一緒に酔っぱらっているところまでだったわね。  あたしも酔ったけど、小田さんの酔い方ったらないのよ。おしまいには強いかすとりを三ばいも立てつづけにひっかけたわ。 「そんなに、召しあがって大丈夫? 小田さん」  あたしは殊勝気にそういって、小田さんの顔を覗《のぞ》きこんだの。そのあたしの肩へ、小田さんはひょいと手を置いたの。「野毛さん。酔っぱらわないと、いえないことがあるんですよ。ゆるして下さいよ。酔って、僕は、野毛さんにいいたいことがあるんだ」 「あたしにいいたいことって、なあに? 小田さんのいうことなら、なんでも聞いてよ」  あたしもすっかり、北京時代の純情にかえったような気持だったわ。自分が泥棒であることさえ忘れたわ。 「本当かなあ。野毛さんはつめたいからなあ」と、小田さんは溜息《ためいき》をついたわ。 「どうしてあたしがつめたいの? そんなことないわ。小田さん、なにか誤解してらっしゃるんだわ。北京のことでしょ? あのときは、わけがあったのよ」 「いや、野毛さんはつめたい、——つめたい」 「小田さん」  そのとき、 「三枝ちゃん」  っていう声がうしろでしたの。ふりかえると、亮太の奴がのれんのあいだから首をつっこんでるじゃないの。なにか、用事がありそうに、あのすっとん狂な眼玉をぐりぐりさせて、知らせているの。 「いま、ちょっと話があるのよ。あとにしてよ」 「でも、ちょいと、顔を、——」 「うるさいわね。あとっていったら、あとにしてよ」  あたしはかっとなっていってしまったの。亮太の奴はびっくりしたような顔つきで、そのくせへんに凄《すご》んだ眼つきをして、小田さんの横顔へ一べつをくれ、それでもどうやらかえっていったわ。あたしはこんな言葉のやりとりが、小田さんをおどろかせないかと心配して、小田さんを見ると、果して恐い顔をしているの。 「誰だい、あれは」  そういうの。なにか、そのいい方がぎごちなく、凄んだ感じなの。ちょっと、あたしもへんに思ったけど、そのまま、 「なんでもないわ、あたしの友だちよ」  そういったわ。けれど、あんまりこんなところにながくいて、また亮太の奴に覗かれても面白くないので、小田さんをうながして、そとへ出たの。  まだ黄昏《たそがれ》だったわ。闇市のなかは、油をあげる匂いや、魚を焼く匂いが、春の夕暮らしいよどんだ厚い大気にまじり、ひとびとがごったがえしていたわ。あたしたちはそのあいだを縫うて、湯島に出たわ。あたしは小田さんを、湯島の焼跡に焼け残ったあたしのアパアトへ案内したの。  部屋へはいったときは、小田さんはひどく酔っていて、立っていることが出来ず、どんと崩《くず》れるように腰を降し、壁にもたれたわ。 「水をお飲みにならない?」  あたしはコップに水を満たして、小田さんの口へ持っていったの。小田さんはぐっとそれを飲んだわ。あたしは小田さんがあんまり正体なく酔って、そのまま前後不覚に眠りこまれるのは物足りなかったが、そうかといって、すぐに酔いがさめて、正気にかえり、あたしを置いてさっさと帰ってしまわれることも恐れたの。適当に半分酔わし、半分さめた状態にして置いて、十分に二人だけで楽しみたかったの。 「小田さん、あなた、さっき、あたしにいいたいことがあるって、おっしゃったわね。一体、なんですの?」  あたしは小田さんの膝に手を置いていったの。 「野毛さん、もういわないよ。いって、恥をかくより、いわない方がいいからなあ」 「いってよ。恥をかくって、ここは二人だけで、ほかに誰もいるわけじゃないし、いいじゃありませんの」 「うん、——」  小田さんは生返辞をしていたが、そのうち、決心したようにきっと顔をあげて、あたしの眼をみつめるのよ。 「じゃ、いおう。僕は、——野毛さんを、好きだったんだ」  あたしは、身体中の血管のなかの血がいちどきに燃えあがるような気がしたわ。ああ、とうとう、いわせてしまった、——この一言を聞きたいばっかりに、あたしは、この四年間を生きぬいてきたような気がしたの。声も出なかったの。涙が出るのがわかったわ。  あたしは夢中で、小田さんの胸に身体を投げかけながら、「あたしもよ、そうなの、あたしもそうだったの」と、かすかにいったように覚えてるわ。それとも口にだしていわずに胸のなかでそういいながら、言葉よりもはげしく身体に語らせていたのかも知れないわ。あたしたちはしっかりと抱きあって、接吻したわ、ながいこと唇をあわせていたわ。 「野毛さんも、苦労したんだろ?」 「ええ、苦労したわ」  そのとき、あたしは彰徳で、三人の男に身を任せたことも、日本へ帰って亮太にときどきゆるしていることも、みんな小田さんに逢うための苦労のような気がしたのよ。 「僕も、沖縄から生きて帰れたのは、野毛さん、あなたのことを考えていたからだよ」  あたしは本当に幸福だったわ。生れてはじめて味う気分だったわ。まもなく、あたしたちは仲よく一つ床に入ったの。好きな男と寝ることは、どうしてこんなに死ぬような楽しさなの? いのちも、世界もなんにも要《い》らない。ただ、この瞬間だけがつづいてくれればいいと思うの。  ところが、あたしたちはなんて運が悪いんだろうね。あんたたちに踏みこまれたときは、あたしと小田雄三さんとは一つ床に寝てはいても、まだ綺麗な仲だったわ。だって、床へはいって、一時間もたつかたたないうちだったんだもの。けど、五分さきはわからないところまでいっていたのに、ちぇ、思いだしても、残念だわ。四年間も惚れぬいた男と、やっと一つ床に寝られて、これからしっぽり濡《ぬ》れようというやさきを刑事さんたちも不粋《ぶすい》じゃないの。うふ、この怨《うら》みは忘れはしないわよ。  おや、別の刑事さんがはいってきたわね。そうだわ、あんたも宵の口、あたしの部屋へ踏みこんできたひとだわね。あら、あんたが、小田さんを調べているんだって? そう、ご苦労さまね、で、——なにか、あがった? え? あのひとがたたき(強盗)だって? 嘘《うそ》、嘘よ。絶対に嘘だわ。なにいってるのよ。あんたたちに強迫されて、そんなでたらめをいうんだわ、あたしは、小田さんの気質をよく知ってるわ。あんな真面目なひとが、——そんなこと、絶対にないわ。  なんですって? あのひとが、自分で白状したって? 深川の材木商を襲った三人組の一人だって? 白虎の雄三って、仲間でも、恐ろしがられている男だって? 嘘だわ。あたしには信じられないわ。あのひとには、そんな大胆なこと出来ないわよ。さっき、あたしと一緒に床のなかへはいったときだって、慄《ふる》えていたのよ。思いきって、しかけてこずに、ぐずついているもんだから、あんたたちに踏みこまれてしまったんじゃないの、それほどうぶなのよ。  え? あのひとこそ、あたしがスリで、びっくりしたって? それゃ、そうかも知れないわ。あたしは、あのひとの前で昔のあたしのように澄ましていたのよ、そうすると、——あのひとも、やっぱりあたしみたいに、澄ましていたのかしら? 惚れた相手の前ではやっぱり、純情でいたいのかも知れないね。あたしが小田さんを捨てたから小田さんはぐれはじめたんだって? 戦闘でなんども戦死しようとしたけれども、弾《たま》があたらなかったんだって? 復員したら、一家が戦災で、食うや食わずにいるので、悪心を起したんだって?  あたしの方こそ、小田さんにいいたいわ、小田さんだけが、あたしの再生の希望だったんだもの。なにも一緒になろうとか、そんな気持はないんだけど、小田さんとの純情な思い出を抱き締めて、あたしは比較的綺麗に、——笑わないでよ、そうじゃないの、——身体を保ってこられたのよ。そのあたしの守本尊が、たたきだなんて、泣きたくなるわ。あたしは小田さんを恨むわ、なぜ強盗なんかになったの?  だけど、やっぱり、あたしは信じないわ。万寿山《まんじゆざん》で、昆明湖《こんめいこ》の青い水に映った白い作業衣姿の小田さんしか信じないわ。あたしは惚れてるの。たとえ、小田さんがたたきであろうと、なんだろうと、あたしは惚れてるの。小田さんがたたきなら、あたしはスリ、——もう、そうなら、五分と五分じゃないの? 鬼の女房に夜叉《やしや》ってことがあるわね、いいわ、どっちがさきに、しゃばの風にあたるか知らないけれど、こんどこそ逃がさないから、こうなったら、あたしは、どうしても初一念を貫かないことには、死んでも死にきれないわ。  ねえ刑事さん、あのひとにそういってよ。野毛三枝子が小田雄三さんにでなく、ナイチンお三枝が、白虎の雄ちゃんに首ったけだって、こんど、しゃばへ出るときは、どんな世のなかになっているか知らないが——覚悟して、出てくれって。 霧  一眼見て、曽根平吉は瀬田光子の美貌に心ひかれた。  瀬田光子と逢ったのは、こんなわけだった。——  その日は、復員後はじめての上京の最後の日だった。  一週間ほど東京に滞在していた曽根は、その日帰郷しようと思って、宿を出たのだが、まだ時間があったので、西銀座の牟田《むた》丹吾の勤先を訪ねたのだった。  牟田丹吾は彼よりも四つほど齢《とし》下の友だちであるが、十二、三年ほど前に一度恋愛結婚をし、男の子供をひとりもうけて、細君と別れていた。その後は独身でいたが、曽根は自分の応召中の七年間に当然彼が再婚しているものとばかり思っていた。ところが復員して、こんど上京してみると、彼が依然として独身であることを知って奇異の感じに打たれた。別に独身主義者というわけではないのに、どうしてそんなに長いあいだ、独身生活をつづけてきたのだろう。牟田の子供はすでに十歳あまりになっていた。戦場で、長いあいだ、いろんな肉体的、精神的の自由をしばられていたために、未だに独身でいる彼としては、人間が自分の思うままに生きるということほど幸福なことはないと信じられた。自由であることを貴く思う気持は、まったく言葉ではいいあらわせないものがあった。戦場に釘《くぎ》づけにされていたためにむなしく失われた、自分の七年間という時間を口惜《く や》しく思うのと同じ意味で、牟田丹吾が、彼の場合は自由であったにもかかわらず、それだけの歳月を無為にすごしたということが、他人事ながらもったいないと思われた。  そんな思いは同時に、自分の身の上にもかよった。お互いに失われた時間を惜しみあう気持もはたらいて、曽根はこんどのわずかの東京滞在期間中、しばしば牟田丹吾を訪ねた。同病相憐《あわ》れむというか、独身者同士の気心の置けなさは、長い野戦生活でざらざらになっている曽根の神経に、うまくあうものがあった。ほかの友人たちは、いずれも戦争と生活の疲れを見せて浮かぬ顔をしているか、数名の子供にとりかこまれて、満足していた。なかにはめっきりと頭に白髪をまじえている者もあった。その当時、そういう友人たちとは、曽根の気持はなにかもう一つうまく調子をあわせて行けないものがあった。なにをしゃべっても戦場の空気を感じさせるがさつで、粗暴なものがあったようだ。  その日は、朝から小雨が降っていた。風があるためか、春雨《はるさめ》にしては、ときどき雨脚《あまあし》が太くなった。 「これから、牟田丹吾さんに、すばらしい美人を紹介するんだけど、よかったら、曽根さんもいらっしゃらない」曽根を見ると、牟田丹吾と机をむかいあわせている津雲なみ子が、そんなことをいった。 「なんだか、怪しいけど、紹介するというから、ついて行くんだよ。行かないかね」牟田丹吾がそばから苦笑しながら、いいわけをした。 「じゃ、一つ、お願いするかな。美人というものを、七年間、俺は見てないからな」と、曽根は答えた。「実は、今日これから帰ろうと思って、——まだすこし時間はあるんだけど」 「そうか。じゃ、ちょっとつきあえよ。俺ひとりで逢うのも照れるからね」  曽根は牟田丹吾と一緒に、津雲なみ子についてその出版社を出て、そこから一丁とへだたっていない同じ通りの街角まできた。 「ここで、ちょっと待っていてね。あたし呼んでくるから」津雲なみ子はその街角にそびえるビルを仰いでいった。「あそこの五階にいるのよ。とっても気取り屋さんだから、そのつもりでね」  そこで数分間、曽根たちはそのビルに消えた津雲なみ子が、ひっ返してくるのを待っていた。 「あそこの新聞社にいるんだよ。颯爽《さつそう》たる女記者だってよ」牟田丹吾は、雨のなかに煙草をくわえて、火をつけた。  五階の窓には、その地方新聞の名が大きく横書に書かれている。風が吹いてくるたびに、斜めになった雨脚が、ときどき、そのビルの横腹に吹きつけた。  そのたびに曽根たちも、レインコートの衿《えり》を深く立てて、雨が顔にあたるのをさけた。曽根はリュックを背負っていた。東京滞在中の米を入れてきたのだが、一週間のあいだにほとんど食いつくして、リュックの腹はだらりとしぼんで、背中に乗っていた。そのリュックは大陸から彼が復員の際、収容所のなかで古天幕を縫いあわせて、こしらえたものであった。  ビルの入口へ津雲なみ子の姿が見えた。彼女のそばには、彼女となにか話しながら、折目のきちんとついたズボンをはいた若い女がいた。 「お待ちどおさま」と、近づくと津雲なみ子がいった。「こちら、瀬田光子さんよ」、と、彼女を曽根たちに紹介した。  身体には七分ほどの黄いろい絹のレインコートを着て、同じ布地の三角の帽子をうしろからかむっていた。その帽子の蔭から、けんのある切れ長の特長のある眼が光っていた。青白いほどのすきとおった皮膚だった。  曽根たちは若い男たちが、こんな場合に誰でも見せる、いかにも明朗そうな態度で、彼女に応対した。  お茶を飲もうというので、近くの喫茶店にはいった。小さな卓をあいだにむかいあうと、曽根は瀬田光子の美しさに、内心圧迫を感じた。中肉中背の均斉のとれた姿態に、ズボン姿がよく似あって、いかにも俊敏なジアナリストらしいスポルティフな感じだった。  その喫茶店にいるあいだに、瀬田光子と曽根とは、なんでもないことを二言、三言話をしたが、その話のなかでも、彼女は曽根が、彼女の美しさに気圧《けお》されて固くなっているのも知らないらしく、ほとんど彼を問題にしていないようであった。  そとへ出ると、 「じゃ、こんどいつ出てくる?」  牟田丹吾が訊《たず》ねるのに、 「うん、そのうちにまた。——」  答えながら、曽根は、瀬田光子のような美しい女のいるこの東京へ、自分も早く出てこなければ嘘《うそ》だという気がした。  すると、津雲なみ子が、 「お気をつけてね。早く出てらっしゃいよ。曽根さんなんか、東京にいなきゃ、いいものが書けないんじゃない? ねええ」  最後の「ねええ」は、かたわらの瀬田光子の方をふりむいていった。それに対して、光子は眼にはなんの表情も浮かべないで、ちょっと唇の端をゆがめて、うなずくような笑い方をした。いかにも洗煉された、わざと不良少女めかした、陰のある笑い方である。 「曽根さんの戦争に行く前、お書きになったもの、読んでいないけど、聞いて知ってますわ。田舎では成長しないひとだと思うの」と、津雲なみ子はいった。  曽根平吉はそれを聞いて、ちょっと顔が赤らむのを覚えた。恐らく、牟田丹吾が話したのにちがいない。七年以上も前に書いたものをひっぱりだされて評判されるのは、自身の幼い姿をひと前に曝《さら》して批判されるようで恥かしかった。長らくそんな世界から遠ざかっていただけに、まるで初心の者のように照れた。 「凄《すご》いんですってねえ、曽根さん」津雲なみ子は、瀬田光子と顔を見あわせた。 「なにが? 誰が、そんなことを、——」  応召前、彼は新宿裏に住んでいて、泥沼のような暗い、放恣《ほうし》な生活にひたっていた。そこで幾人かの女を知った。あの頃のことをいっているのだとは、すぐと気づいたが、当時の気持を戦争中に育った若い娘たちにどう説明したらわかるか、見当もつかないままに、要領を得ない笑いにまぎらして、ぼそっとした別れ方をした。  それが瀬田光子との最初の出会であった。  曽根平吉は、古びたリュックを背負って、また田舎へ帰ってきた。  戦後の混乱と無秩序を極めた東京を見て、曽根は失望と不安を感じたが、そのすぐあとから、なにくそ、どんな苦労でもなめてきた自分が、こんなものに負けてたまるかというふてぶてしい闘志も湧《わ》いた。東京へいま出て行って、果して食えるという、自信はなかったが、そのくせ、なにをしてでも食ってみせるという気魄《きはく》もあった。とにかく、この混沌《こんとん》とした現実に自分の肉体をもって体当りしなければ、自分の新しい出発はないのだということだけはわかっていた。そのために、食えるか食えないかは二のつぎにして、まず上京することだと思った。  田舎にいれば、食うことだけは兄の家にいて、不自由することはなかったが、それをふりきって、なるべく早く上京しようと、そのための腹案を練った。兵隊時代の貯金通帳からは一定額しか引出せなかったが、それを退職金と一緒にして、上京の費用にあてようとした。城北に住んでいる友人の細君の実家に、間借りすることを、手紙でとりきめる交渉もすすめた。  曽根がそれほど上京をあせるのは、一つには瀬田光子や牟田丹吾と一緒にはたらいている津雲なみ子やほかの若い知的な女たちに逢いたいためであった。一日も早く東京へ出て、彼女たちの雰囲気《ふんいき》に接したかった。それでなければ、折角、戦場から生きて帰ってきた甲斐《かい》がないように思った。 「そんなことをいったって、お前、食べないではしょうがないやないか。毎日の新聞を見ても、それこそ、いまの東京はこわいとこやっていうぞ」と、母は彼の上京を気づかった。「なにをいうのや。どんなとこやって、俺《おれ》、こわいものはない。お母さんなんか、俺がどんな苦労をしてきたか知らんから、そんなことをいうんや。七年も戦地で闘ってきた俺に、こわいものがあるか」そういって、曽根はいいあらそった。「ふらふらした気持で、出て行くと、ひどい眼に逢うぞ。平吉の知っとる戦争前と、世のなかはすっかりちがっとるからな」と、兄も注意した。 「うん、けれど、いつまで田舎にいても、俺はすることないからな」と、彼はそれに対して答える。  いいあらそいにくさると、曽根は海岸へ出た。故郷は海辺の町であった。砂浜に寝転んで、空を眺《なが》めた。初夏のあかるい空の色だった。彼の知っている大陸の深い、研《と》ぎ澄まされたような空とちがい、黒潮の流れる国土の空らしいやわらかさがあった。  昼顔の花が、頬《ほお》にすれすれにひらいている。  波の音はまだ夏らしい溌剌《はつらつ》とした活動にはいる前の眠りをむさぼっているように、のんびりとしていた。  空を見ていると、どういうわけか、瀬田光子の偽悪的な顔の表情が、あのつめたい血の色を見せた皮膚の感じと一緒に、よく眼のさきに浮かんだ。  瀬田光子の眼に、リュックを背負って、半のびの髪の毛を、田舎者らしく手入れもせずに不精に生やした曽根の姿が、どう映ったかは、考えるまでもないことであった。曽根はそんな自分を彼女の前に曝したことを恥かしいと思った。彼女に自分は軽んじられたにちがいないと考えると、侮辱された気持で、いいようのない胸苦しさを覚えた。軍隊生活で他人の侮辱に対しては、ある程度感じなくなっているのであるが、女に侮辱される場合は別であった。  大陸のある町に駐屯しているとき、彼は小隊長につれられて日本料亭へ行ったことがあった。その家へは将校だけしかはいれない規則があって、そこには日本の芸妓《げいぎ》たちが幾人かいた。そこには小隊長の馴染《なじみ》の花千代という生意気な芸妓がいた。曽根たち兵隊をまるで犬か猫かのように無視して、彼の面前で小隊長とふざけ散らし、しまいに暴れまわって、曽根を足で蹴飛《けと》ばした。さすがにそのときは、それまで卑屈に相手になっていた曽根もかっとなって、いきなり、女の頬を平手でひっぱたき、その将校に、「酔っている者を、殴《なぐ》るとはなにごとだ。帰れ、——」と、叱りとばされたことがあった。そのときの屈辱感はいま思いだしても胸が焼けただれるようである。——ところが終戦後、部隊が集結し、日本軍御用の慰安婦たちも営内に収容することになって、花千代もやってきた。そのときはすでに軍紀も相当にゆるんで、軍隊の飯の数を多く食った曽根たち古参下士官の地位は、営内ではむしろ皮肉にも向上していて、これまでは将校専門であった慰安婦たちも、曽根たちの機嫌《きげん》をとらないことには、給食にまでさしつかえるようになった。花千代は曽根の前に、身体を投げだしてきた。曽根はざまを見ろという残忍な満足感を覚えながら、思うさま彼女の肉体を辱《はず》かしめた。  いまの場合は、はっきりと瀬田光子が、彼を軽蔑《けいべつ》しているわけではなかった。けれども、自尊心の強い彼には、そんな彼女の無関心さえもが心に応《こた》えた。一つには、戦場生活で美しい女に飢えている彼の前に現われた瀬田光子に対して、彼があまりに心をひかれすぎたことがいけないのかも知れない。そのために彼女から無関心の態度を示されたということが、彼にとっては堪《た》えられぬ痛手だったのにちがいない。  曽根はたしかに、美しい女たちに飢えていた。  曽根は復員して、以前の友人たちに逢ったとき、「俺は女に対して、七年間の貸がある。これからうんと取立てるんだ」といって、友人たちを失笑させたが、自分の気持としては、ある程度それは真剣であった。七年間という時間に、戦争に征《い》かない男たちは女たちとどれだけたのしんだことだろうと思うと、自分だけが不当な運命を押しつけられたように思われてくる。彼はそれがくやしくて、考えただけでも胸がいらだったのだ。  この上は、美しい女を獲得して、その埋めあわせをしなくては、割があわない。その気持もあった。きたない肉体はもうげっぷが出るほど、食い飽きてきた。とにかく美しい女を抱きしめたかった。彼が生きて帰ってきたのも、銀座や新宿にいる美しい女を、ふたたび見られるということだけが、張りあいであった。  そういう彼の胸に宿ったのが、瀬田光子の美貌であった。  曽根がふたたび上京したのは、それから一箇月してからである。けれども、まだ本格的な上京ではなかった。もう一度、東京の形勢を見るのだと、家の者にはいって出てきたのだが、彼自身の気持のなかでは瀬田光子に逢いたい思いが強かった。  彼は早速牟田丹吾を訪ねて、瀬田光子の消息を知ろうとした。牟田は曽根に対して、 「それが面白いんだ。須森がね、いま彼女に夢中なんだ。例の須森一流のねちねち型でつきまとうので、瀬田光子の方じゃ馬鹿にしてるんだよ。彼女は俺を好きなんだ。今夜、彼女の間借りしている部屋へこいというんだよ。津雲なみ子が田舎へ買いだしに行っているそうだから、絶好のチャンスさ」  といって、にやりとした。津雲なみ子と瀬田光子とは、最近中野に一間を借りて、同居しているということだった。牟田の言葉は曽根の心臓を、本当に射し貫いたような感じがした。顔から自分でもはっきりとわかるくらいに、さっと血の気がひいた。  曽根はその牟田の言葉を疑いはしなかった。古い倫理を平素から軽蔑し、素早いところのある牟田としては、それくらいのことはやりかねないように思えた。彼が独身であることも、強味であるにちがいない。一見、自尊心の強そうな感じに見えるが、瀬田光子はそういう方面では、案外ルウズな考えを持っているのかも知れない。  その夜、曽根は泊めてもらっている友人の家の二階で、いま頃は牟田丹吾と瀬田光子とがどんな奔放な時間を生きているかと思うと、嫉妬《しつと》で、呼吸がつまりそうであった。もう遅い、すべてはおしまいだ。自分の恋人をひとに奪われてしまったような気持になった。  曽根はほとんど眠らなかった。翌朝、睡眠不足のために青い顔をして、ふらつきながら、彼は銀座へ出て、牟田を訪ねた。牟田は出勤していなかった。それを知ると、彼の不安はいよいよ決定的になった。  翌日、また曽根は牟田を訪ねた。牟田は痺《しび》れたように、だらしない姿勢で、椅子に腰かけていた。曽根はそっと牟田のそばへ近寄って、まるで彼自身が悪いことでもしているように、牟田の耳もとへ口を寄せて、 「どうだった? 彼女」  と、囁《ささや》いた。 「なに?」  牟田は曽根の顔を見て、すぐと彼の訊《き》こうとする意味を察したらしく、急に声をひそめた。 「あ、無論、望みは達せられたさ」  曽根はその翌日、田舎から買ってきた往復切符の期限が切れるので、また田舎に帰った。  それから約二箇月、もの狂おしい気持で、曽根は田舎で日を送った。瀬田光子がそのような女ならば、なにもそれほど美しく考える必要はないのだ。戦場で知った娼婦《しようふ》たちと区別しなくてもいい。自分が彼女から裏切られたような気持になって、こんど上京したら、なんとかして瀬田光子を一度だけでも自分のものにしてみたいと思った。  そのあいだに、彼は戦場のことに取材して、八十枚の小説を一篇書きあげた。この作品を持って、六月のはじめ、こんどは本当に東京に住むために上京した。  ある日、曽根が須森新治と二人で銀座の喫茶店にいると、牟田丹吾が瀬田光子と津雲なみ子をつれてきた。牟田はこれから彼女たちの家へ遊びに行くのだから、一緒に行かないかと、曽根たちを誘った。曽根たちは彼らに合流して、五人で中野の彼女たちの間借りしている家に行った。  中野駅前の闇市で、曽根は酒を一本買い、須森はメロンを買って、それをさげて行った。  彼女たちの家は、両側を生垣《いけがき》にはさまれた小路をはいったところにあった。玄関をはいるとき、一番遅れて歩いていた曽根のところへ、牟田丹吾が戻ってきて、「曽根、ちょっと」と、曽根を呼びとめた。 「実はな、俺、津雲なみ子と関係があるんだ。この前、瀬田光子とそんなようにいったのは、カモフラアジュだよ。瀬田光子は須森をとても嫌っているんだ。問題にしてないんだ。お前を好きだといってるぜ。本当なんだ」そして、牟田はつけ加えた。「お前がまちがえて、津雲なみ子の方へ手をだすといかんと思って、それだけいっとくよ。俺も、瀬田光子の方がいいと思ってるんだが、仕方がない」  そんなことを聞いても、すでに曽根の心には、最初の頃の熱情はなかった。牟田のことだから、そんなことだったかも知れない。いまさら瀬田光子が牟田と関係がないと知っても、それまでにもう彼女を批判的に見る眼が出来あがっていた。それが急に、そうだからといって、変化するものではない。ただ彼女から与えられたその幻滅感を、なにかの形で彼女にむくい返そうとする気持だけである。曽根たちは酒を飲んだ。瀬田光子はとって置きの罐詰《かんづめ》をあけたりして、男たちをもてなした。 「あたしも飲ませて」  瀬田光子は盃をねだった。飲みっぷりがあざやかなので、相当いけるのかと思ったら、すぐと額の皮膚には脂《あぶら》が浮き、青白い顔になった。眼がすわってきた。 「瀬田さん、酔ったじゃないの? 大丈夫かしら」と、津雲なみ子が心配した。 「大丈夫だよ、なみっぺ。酔ったって、あんたに迷惑はかけないからね」 「女はすこしくらい、酒でもいけるひとが、魅力がありますねえ、男の気持って、案外そんなところですよ」須森がとりなした。 「ああ酔ったわ。あたしって女がこんなに酔って、男のひとの前に醜態をさらすなんて、恥かしいわ。あたしはこんな女じゃないのよ。いつも満艦飾に着飾って、歌舞伎座の前に自動車を横づけにするような女だわ。そのへんのしみったれ女と、ちがうわよ」  卓に肘《ひじ》をよりかからせて、ひとりごとのようにしゃべる。  部屋は白けてしまった。こんなことを彼女が何故いうのか、そのときはわからなかったが、あとから考えてみると、彼女は自分という女がどんなに豪華な魂を持っているかを、曽根たちに印象づけようとあせったのではないかと思うのである。それには、これもあとからわかったのだが、牟田丹吾と津雲なみ子の接近を感づいて、彼女の自尊心がおさまらず、一層曽根に近寄ろうとすると同時に、津雲なみ子と自分との相異を、曽根たちに印象させようとしたのだ。「そのへんのしみったれ女」というのは、あきらかに津雲なみ子を指していたのだった。すこし鈍感なところのある津雲なみ子にはそれを感じられずに、またいつもの瀬田光子の高慢の虫がうごきだしたと、にやにやしていた。  曽根は曽根で、彼女が自分に対して関心を持っているかどうかを考えるよりも、こんな近代的なセンスを誇る娘の頭のなかで、満艦飾で歌舞伎座へ車を横づけにすることが、女の最高の理想的生活と考えられているのかと思うと、そのことが奇妙な気がした。それと同時にそういう高慢な女に対して、一つなんとかしてうんと痛い目を見せてやることは正義であると思った。自分のこれから彼女に対して動きだそうとする気持を、自分の気持のなかで、すでに正当化しようと試みるのである。これは偶然にそんなことがあって、そう考えたのではなく、そう考えようとする気持が、彼女に対して能動的な気持がうごきはじめると同時にあって、それが、その自分の能動的な気持を倫理化するためのなにかのきっかけをとらえようと、虎視眈々《こしたんたん》と狙《ねら》っていたのだ。  現代の三十代の知識人というものは、どこまで倫理的な生物なのだろうか。一人の女をものにしようとするためには、その女をものにすることが正しいことであるという考え方を、まず自分の内部につくらねばならない。曽根のような戦場で、本能と衝動のままに、いわば超倫理の生活を生きてこなければならなかった男でも、娑婆《しやば》に帰ってくると、やはりこの三十年代のワクのなかから抜け出ることは出来ないのである。  瀬田光子の放言で、一度白けた座も、みんなが酔っているために、またもとに戻った。曽根は酔って、うしろへ身を横にした。頭のところは、床の間にあたっていて、そこには本が二十冊ほど積んであった。そのうちの一冊を何気なく、彼はとりあげて繰ってみた。日記帳だった。女文字であるところをみると瀬田光子のものか、津雲なみ子のものか、どちらかであるにちがいない。興味を覚えたが、酔っているので、ぎっしりとつめて書いた文字の意味を読みとることはむずかしかった。ところどころに、歌らしいものが挿入してある。それをとびとびに読んでいると、ふとこんな歌が眼にはいった。 わがために若きいのちを狂う君 あわれや神の苑《その》に遊びつ  技巧的にはまずさが眼だつにしても、なにかその内容が意味ありげなので、前後の模様をもっとよく見ようと、文章を読みかけていると、 「あら、なに見てらっしゃるの? 駄目よ」  と、不意に声がした。ふり返ると、卓のむこうから、瀬田光子が睨《にら》んでいる。 「見たわね」と、ひどく重大な秘密を見られたような表情である。そのくせ、寄ってきて日記帳を、曽根の手から奪い返そうとするでもない。 「そんなに大切なんですか、これ」曽根は訊ねた。 「あたしの秘密よ。あたしって女は、とても罪深いの。男たちから愛されても、愛し返されないの。そのひとも、あたしを愛して、気ちがいになってしまったのよ。建築家で、陸軍の技術将校だったの。いまも世田ヶ谷の精神病院にいるわ。あたし、ときどき、へんな、呼吸《い き》ぐるしい気分になるときがあるのよ。きっとそういう男たちの、妄執《もうしゆう》のためだと思ってるの」  彼女は自分がそういう女であることを空想して、たのしんでいるらしい。そういう女を、「罪深い」と口でいいながら、それを女の理想型と本能的に思いこんでいるようだ。曽根はいかにも彼女の美しさを無条件にみとめる男のひとりのように、彼女にむかって、深くうなずきながら、心のなかで、また一つ彼女をものにしようとする自分の立場を正当化する理由を発見したと思った。こんな不逞《ふてい》な女には当然男の立場から制裁が加えられねばならない。  そんなことがあってから、瀬田光子は毎日のように、牟田丹吾の勤先へ現われるようになった。牟田はそういう彼女を、彼と津雲なみ子との仲を嫉《や》いて、彼女が牟田を自分の方へ惚《ほ》れさせようとデモを試みるのであると考えたようだ。たしかに瀬田光子の自尊心は、彼女の眼の前で、牟田丹吾がほかの女を愛していることをみとめることを拒んだにちがいない。牟田丹吾にかぎらず、どんな男でも、彼女を置いて、ほかの女に惚れることは、彼女の自尊心がゆるさない。ところが、牟田としては、瀬田光子がそんな傲慢《ごうまん》な魂を持った女であることをこわがって、まず安全な津雲なみ子を撰んだのだ。津雲なみ子と出来ると、こんどは瀬田光子が承知しないで邪魔をするので、そのときになって、ようやくこれはひょっとすると、瀬田光子をも、ものにすることが出来るかも知れないと思った。そのつもりで毎日、瀬田光子の訪問を迎えていた。津雲なみ子はそんな点は感じが鈍くて、それほどこだわらなかったが、編輯《へんしゆう》室にはほかに三名ほど女記者たちがいたが、彼女たちがおさまらない。そこへ編輯長の出崎も一枚加わって、そこで複雑微妙な茶番劇の一幕が見られた。  毎日午後になると、牟田たちの編輯室へ現われる瀬田光子は服装と、髪の形には、いつも気をつけているらしく、ほとんど三日と同じものをつづけない。服装は大体六種くらい持っているらしくて、それがかわりばんこに半月位で一まわりする。三名の女記者たちは一致して瀬田光子の訪問を、暗黙のうちに拒んだ。「瀬田さんて、失礼ねえ。津雲さんのところへきても、あたしたちには挨拶《あいさつ》もしないんだから、——随分ぶってるわよ」そういって、彼女たちの一人が憤慨しているのを、曽根は聞いた。編輯長の出崎はそういう空気を感じてはいたが、彼は彼で、瀬田光子を狙っているので、そんな女たちの泣言など、しばらくのあいだは問題にしなかった。ところが、光子がしげしげと通うようになってから、一箇月ほどしたとき、突然、出崎は瀬田光子に対して、「これからもうこの編輯室へこないで下さい。私の方からお断りしますからね」といったということだ。これは出崎が瀬田光子を誘って、蹴られたからだと、牟田丹吾はもっぱらいいふらした。けれども、出崎は、「女の連中がやかましいのでね。ちょっと、瀬田君に僕の方から遠慮してもらったのさ」といった。いずれにしても瀬田光子が、その後は牟田丹吾たちの編輯部に姿を見せないことはたしかだった。  瀬田光子がその編輯室へ毎日のように顔をだしていたとき、曽根平吉も毎日そこへ現われた。彼の気持では、彼女を直接訪ねるのは気がひけるのを、そこへ行けば自然な態度で、彼女と顔をあわせることが出来るということを予想してであった。ところが、まもなく曽根は、瀬田光子がそこへくるのは、彼女も彼を当にしてくるのではないかと思える節がみえることに気づいた。それは彼女が現われたとき、曽根がさきに椅子に坐っているのを見ても、素知らぬ顔して、津雲なみ子のところへ行って、二、三分しゃべり、それから表情を変えず、曽根のところへきて、「どう? お仕事、はかどる?」といった工合に、いきなり話しかけることがある。彼には、彼女がそんな態度をとるのは、照れたり、とり乱さないことを、淑女の威厳のように思いこんでいるからであるにちがいないと思った。彼にさりげなく話しかけるそぶりで、彼は彼女が自分に烈《はげ》しい関心を寄せていることを感じた。  そのあいだに、牟田丹吾と、津雲なみ子との仲は、いよいよ深まって行くようだった。 「曽根、俺たちは結婚したいと思うんだけど、世帯を持ったからって、彼女が勤めをやめちゃ、食えないからね。結婚してからはたらかせるのは、いやだがね」と、牟田丹吾は曽根にいうようになった。 「津雲さんの方は、なんていうの」 「共稼ぎは、覚悟の上だっていうんだよ。子供の世話もやるというんだ、——」 「それゃ、願ったりじゃないか。結婚しろよ、俺もなんとか、身を固めたいんだ。復員してからもう半年以上にもなるからな」 「瀬田光子じゃ駄目だろ?」 「あの女は駄目だ。あれは結婚して、家庭を持つ女じゃないよ。ところが、彼女自身は家庭を持てると考えているかも知れないな。つまり、良人《おつと》が女房に奉仕する家庭というものが、成立すると信じているかも知れないけど、——」 「いやだなあ」 「そんな男もいるかも知れないが、俺はいやだな」  牟田丹吾、津雲なみ子、瀬田光子と、この三人は、いつも逢っていた。曽根もときどき、その仲間に加わって、お茶を飲んだりした。  その頃、曽根平吉の復員後の最初の小説が、雑誌に出た。意外に評判を呼んだ。けれども、曽根自身は、まだつづいて、小説を書いて行くだけの気持も、あまりなかった。なにをするという当もはっきりとなく、すべてはぼんやりとした五里霧中の精神状態のなかにあった。  あるとき、牟田丹吾が曽根に、 「瀬田光子の奴、俺に、津雲なみ子と一緒になったら、邪魔してやるというんだよ。俺は津雲との仲を、俺はお前以外には、誰にもいわないんだけど、津雲が自分の口から、瀬田光子にみんな告白したらしいんだ、女って、へんだね。つまり、俺を瀬田光子が口説かないように、もうあたしが売約済だってことを宣言しておきたいんだと思うんだ」  そうかと思うと、別のとき、こんなこともいった。 「瀬田光子って、まったくいやな女だなあ。津雲なみ子に、牟田さんなんか、いつでもあんたから奪って見せるっていったんだって、可哀そうに、津雲なみ子は泣いているんだよ」  曽根は瀬田光子の自尊心の異常な烈しさに、内心舌を巻いた。瀬田光子にとって、彼女の美貌に惚れない男は、仇敵《きゆうてき》のようなものであった。そういう男は、彼女にとって呪《のろ》い殺しても飽き足りないくらいなのだ。その男を、相手の女からひき離すためには、彼女は恐らくあらゆることを、そのために必要ならば、自分の身体さえも投げだすにちがいない。  瀬田光子がこんなにも、牟田丹吾と津雲なみ子の恋愛を問題にするのは、それが彼女の面前で行われた事件であり、津雲なみ子の方からそれを瀬田光子にむかって、先取特権を主張するように告げたからであるにちがいない。それらのことはみんな瀬田光子の自尊心を傷《きずつ》けないものはなかった。  ある夕方、銀座裏の喫茶店に、曽根がはいって行くと、隅《すみ》の卓に牟田丹吾と津雲なみ子とが仲よく肩を並べて腰かけているのが見えた。 「よう……」といって、曽根がはいって行くと、隣りの卓からさっと立ちあがった女があった。瀬田光子だった。 「出ない? 曽根さん」  彼女は曽根の返辞も聞かずに、彼の腕を抱えて、呆然《ぼうぜん》として見ている牟田たちを残して、そとへ出た。 「どうしたの? 牟田さんたちと、どうして別にいたんです?」  彼女はそれには答えず曽根の腕を抱えたまま、どんどん歩いた。有楽町の大通りへ出た。そんな恰好《かつこう》はそのへんに多い夜の女たちでさえ、容易に見せまいと思われる気障《きざ》っぽい感じのものだった。曽根はてれて、そっと腕をほどこうとした。 「——ねえ、曽根さん、あたしと結婚してくんない?」  曽根は自分の耳を疑った。彼女の顔を見た。硬い表情には、なんの羞恥《しゆうち》も、ためらいも、現われてはいない。むしろ、怒っているような顔つきだ。自信に満ちたけんのある眼が、真正面から彼をみつめている。  曽根の胸はかすかにうずいた。けれども、またなんとなく不愉快であった。彼女の表情からは、自尊心の烈しさのみが感じられて、味気ない思いがした。 「弱い男は、あたし大きらい、——弱い男をみると、うんと虐《いじ》めてやりたい気持になるの。須森さんみたいな男には、徹底的につめたくしてやるの。昨日、探訪することが二箇所ほどあったんだけど、須森さんをつれてまわったの。だって、あのひと自分からよろこんでついてくるんだもの、まるで犬みたいなの。最後に、荻窪《おぎくぼ》の邸《やしき》町で、あたしに気持を打ち明けたわ。あたし、はっきりと断ってやった、——」  男を軽蔑《けいべつ》し、奴隷視する女、——曽根はまた一つ彼の行動を正当化する理由がみつかったと思った。 「こんど一緒に、どっか郊外へでも行きませんか」  しばらく歩いてから、曽根はいった。 「ええ、行くわ」 「どこがいいかな」 「どっかいいとこ、考えて置きましょう」  それから三日後に、曽根は瀬田光子と新宿駅で逢う約束をした。  約束の日二人は逢った。 「伊豆《いず》ヶ岳《だけ》が、とてもいいわよ。阿野から行くの」光子はすでにそこを予定しているように、主張した。 「行ったことあるの?」  なにかそんな匂いがした。 「ないけど、いいところらしいわ」  池袋から武蔵野線に乗った。混んでいたので開閉扉にもたれた。 「戦時中、ここへ特攻隊員を激励にきたことあるわよ。婦人航空文学会のメンバアだったの」飛行場跡が見えると、瀬田光子がいった。「馬鹿なひとたちね、いまから考えると」  曽根は、つい数日前、彼女が東京裁判を傍聴に行ったと、得意気に話していたことを思いだした。その前は、夜の女の生態をさぐるために、自分がそんな服装をして有楽町附近に一週間もふらついたことも話した。彼女のような女は、いつもすたれるときがない。つねに満艦飾で生きている。自分をしばるものが、自分の内部に存在しない人間ほど、幸福な人間はない。  電車を降りると、バスで、伊豆ヶ岳ヒュッテまできた。山腹に山小屋風の家が立っていた。玄関をはいると、土間に炉が切ってあり、火が燃えていた。番人らしい中年の男が、そとで薪を割っていた。夏から秋にかけて、ハイキングにきて、一泊して行く者が多いのだろうが、季節はずれのいまは、ほかに泊り客もなさそうであった。  曽根たちは宿泊を頼んで置いて、またおもてへ出た。  前面に伊豆ヶ岳の頂上が、夕陽を受けて、赤黒く山肌を光らせていた。  山路《みち》はまるで一人の人間にも出逢わなかった。バスの通りであるが、死の世界のように静寂そのものである。右手は崖《がけ》、左手は深い谷になっていて、樹々は紅葉しつくしていた。白い気流が脚《あし》もとから吹きあがってくると、その紅葉の色がうすれはじめた。山気とでもいった湿っぽさが、皮膚に感じられた。  伊豆ヶ岳の頂上も、いつのまにか見えなくなってしまった。 「日本の山はいいですね。僕は大陸で、山岳地帯にばかりいたものだから、こうしていても、いつどこから弾丸を打ってくるか、わからない気がするんですよ。樹こそないが、やっぱりこういう断崖絶壁のあいだの路を歩きまわっていたんです。とても地形が似てるんだ」 「随分、馬鹿な目をみたわけね。七年間も女のひととの交渉がなかったんですの」 「いや、女とはうんと遊びましたよ。戦場では女と遊ぶというより、女との闘いですよ。軍隊には公認の慰安婦というのがいるでしょ? 彼女たちと、兵隊の交渉は、それはまるで戦闘のようなものです」  曽根はこんな男を小馬鹿にしているような女が、兵隊に女がつきものであることを知らないのが、青くさく思えた。その程度の認識で男を見ているのは、しゃらくさい。彼女の前に、人間のどぎつさをさらけだして、彼女のちゃちな観念的な人間認識をふみにじってやりたい衝動に駆られた。 「兵隊はみんな女に飢えていた、——倫理とか、道徳とか、そんなものは、明日死ぬかも知れぬ者にとっては、なんの役に立ちますか」  曽根もその一人であった。慰安所の女たちや、住民の娼婦たちの肉体を、休みの日は勿論《もちろん》、そうでない日も、兵舎を脱けだして追い求めた。兵隊たちは、その女たちの肉体を追い求めることに、そして、それをしっかりと抱きしめたときに、なんともいいようのない深い満足を覚えた。もうつぎの瞬間、弾丸にあたって斃《たお》れてもかまわないという気になる。討伐に出発する三十分間前に、出発準備のごたごたにまぎれて、近くの女のところへ行ってきて「へっ、腰が軽くなったぜ、これでせいせいした。——」と、背嚢《はいのう》をにないながら、晴れ晴れと笑う兵隊さえ珍しくない。生きて帰ることのむずかしさを感じるようになればなるほど、兵隊たちは現在に生きようとする衝動が強まった。今日、戦死するかも知れない。兵隊たちの頭のなかには明日というものは存在しなかった。今日が、そして、いまの瞬間だけが、実在である。昨日までのことは忘却のむこうに消え去っていたし、また明日からのことは、一番不確かなことである。この瞬間を生きることだけが、生きているということの自覚を得るときである。  曽根は自分自身が生きていることをたしかめるために、食い、飲み、眠った。それと同じ意味で、敵とも闘い、女体をも追った。ぴしっと、まるで竹でしばくような音を立てて弾《たま》が耳もとをかすめる瞬間と、荒くれた若者たちを相手に獣に還ったような女たちの肉体に接しる瞬間とが曽根にとっては一番生き甲斐があった。「ああ、俺は生きているぞ」という痛烈な感じが胸を焼いた。その痛烈な感じを味《あじわ》うために、彼は戦闘を好み、幽鬼みたいに女体を追った。そうして自分が、生きていることの陶酔を味った。  そのくせ、彼の心の底には、その官能の陶酔のなかでも、まだどこかむなしさが滓《おり》のように残っていた。どうしても燃えきれないものが、まるで硬い石みたいなものが沈んでいた。  それは一体、なんだったろう。曽根はそれが、そんな火のように本能の燃えるままの生活をしていることに対する、倫理的なもののためらいだったとは思わない。まるで飯を食ったり、小便をしたりするように、無雑作に女体に接していた自分に、そんなものがあったとは、いまでも思わない。貞操とか、肉体の倫理とか、それは誰がつくったものかは知らないが、まるで意味のないものに思えた。戦場の経験を持つまでに多少とも身につけていると、自分で考えていたそれらの観念が、一個の人間が必死に生きようとする場合、実に他愛もない無気味さを暴露したことは、自分ながら不思議だった。それは彼自身の人間性が、もともと倫理的に脆弱《ぜいじやく》な面を持っていたからであろうか。それもあるかも知れない。曽根には、自分が倫理的に強いという自信は決してない。けれどもそれだけではなさそうだ。  復員後は、たとい混乱はしていても、どこかに以前と同じところのある社会秩序のなかへ住むようになり、瀬田光子一人をものにしようと思うだけでも、倫理的な抑制がはたらくのを、どうすることも出来ない。瀬田光子を反社会的な、この世には有害な人間のように考えなければ、彼女に対して積極的に動きだせない。自分は一体、なんなのか、曽根にはわからない。自分が倫理的な人間だと思うには、あまりに戦場で、彼は超倫理的でありすぎたようである。そうかといって、倫理に正面から敢然と反対するほどの勇気があるとは思えない。つまり、倫理的という観念にかくれて、それに便乗しようとする人間ではないか。  まるでわからない。この霧のなかを歩くように、見通しがきかない、そうかといって立っているわけにはいかない。歩くだけは歩かなければ、行くところへ行けないのだ。 「じゃ、曽根さんの身体のなかには、淫売婦の血が流れているのね」  瀬田光子は横眼で睨《にら》んだ。彼女独特のねばっこい視線である、彼には、彼女が嫉妬しているのだとわかった。  右手の崖に、炭焼きが通るような小路があった。そこをはいって、雑木林のなかに、腰を降した。霧は樹肌《きはだ》を濡らし、入りくんだ枝のあいだを流れるときはかすかに音をたてていた。  曽根は瀬田光子の肩へ手をまわした。彼女の身体にふれた最初だった。彼女は怒ったように、こわい顔をしている。感情が白熱しているのだ。彼は彼女の後頭部へ手をやって、首を自分の方へひき寄せようとした。その途端、彼女は彼の力のはいる方向とは反対の、うしろの方へ、ぐっと首を反《そ》らせた。 「ねえ、あたしと結婚すると約束する? あたしは処女だから——」と、不意に問いかけた。 「いい? うそいったら、書くから」  そうだ、彼女は新聞記者だったのだ。もし、そのとき、曽根が結婚すると約束しても、恐らく瀬田の方でその約束を履行しはしないにちがいない。彼女はただ、彼が、結婚するほど自分に惚れているかどうかを、自分の自尊心のためにたしかめたかっただけである。  ところが、曽根は返辞をしなかった。返辞のかわりに、後頭部にまわした手に力が籠《こも》った。 「ねえ、いいわね? きっとよ、——きっとよ」  曽根はもう自分を意識しなかった。霧が二人の欲情を大胆不敵にした。瀬田光子の青白い腿《もも》が、二疋《ひき》の白蛇のように落葉の上をうねった。この女は処女でないと曽根は直感した。……  やがて、不意に、近くの茂みのなかから、大きな羽音がしてなにかが飛び立った。霧のなかに、一瞬、ちらっと美しい羽根の色が見えた気がした。 「雉《きじ》じゃない?」  起きあがって、スカアトの裾《すそ》を直しながら、瀬田光子がいった。髪に小さな露の玉が光り、紅い落葉が一枚くっついていた。 「街の天使」系譜 「血桜組」検挙の記事が新聞に出ている。  上野を中心に浅草、銀座に縄張りをひろげている不良少女の一団で、毎日午後三時に上野駅の地下食堂に集合し、そこで各自その日の仕事の分担区分をきめ、それから行動にうつっていた。娘たちは普通売り組とたかり組の二組に分れて行動していた。売り組は読んで字の如しだが、たかり組は縄張り内を見まわって、「血桜組」の者でない娘たちが客をひっぱっている現場を見つけると、脅迫して金品をゆするのである。これのみいりが馬鹿にならぬようだ。そのほかに、これは組員全部の役目だそうだが、あらゆる機会を利用して、組の拡大強化をめざして、新しい組員の獲得につとめていたという。首領は何という名の女か記事には出てなかったが、当日検挙された娘は三十数名で、いずれも十七、八歳から二十歳をいくらも出ていない連中だ。  女だけの秘密結社だ。恐らく、今日の東京にはこんなのはまだほかにもいくつかあるにちがいない。  齢《とし》頃の娘を持った親たちで、あの記事を読んだ者は、こんな秘密組織の存在するということに、ぎくりとし、それが絶えず自分の娘を狙《ねら》っているのではないかという不安を覚えないわけには行かないにちがいない。教育家はこれを読んで、敗戦国に於ける教育の途《みち》の平坦ならざるを痛感するであろうし、古い官僚はこんなところから案外、「封建日本」再建の最後の地盤として温存されねばならぬ、三千年の「美風」を有するわが国独特の家族制度が崩《くず》れて来るのではあるまいかと、気をもんでいるにちがいない。  私もこの記事を読んでしまって、ふと憂鬱《ゆううつ》を覚えた。  ところが、私の憂鬱は同じ憂鬱にしても、そういう「立派」な道徳的な立場から来た憂鬱ではない。決してそんなものではない。では、どんな憂鬱かいってみよといわれれば、すぐにははっきりといい現わせないような、そんな種類の甚《はなは》だ以てぼんやりとした憂鬱だ。——けれども、この記事を見て、まず私の頭に浮かんで来たのは、今日この都会の公園に鋪道《ほどう》に、省線電車の駅に見かけるあの「街《まち》のお嬢さん」たちだ。アッパッパまがいの服を着た、靴下を履《は》かぬ素足に木の底の代用サンダルをつっかけた、腫物《はれもの》のあとのぴかぴか光った脛《すね》を丸だしで、ひどくいきおいのいい「街のお嬢さん」方だ。私はまだ不幸にして、「血桜組」の娘さんたちとは近づきを願ったことがないので、果して彼女たちが、どんな風な娘さんであるかは知らないが、その記事を見たときに、私はすぐとこの「街のお嬢さん」たちを思いだしたのだ。 「血桜組」という名前も何か素直に胸に来ない。そこには、特攻隊から集団強盗につながっている何かそれらに共通する非常時的な重苦しいものがある。「八紘《はつこう》隊」や「若桜隊」に見られる、あの戦争時代の無理矢理に人間性を圧《お》しつぶした独裁政治の観念性が見られる。恐らく集団強盗の一味も、彼らなりに、そんなようないかめしい名前を自称しているかも知れない。  以前には、娘愚連隊でも、例えば、手近なところでは昭和六、七年頃の新宿の「小鳥組」にしても、その名前にまでいかにも思春期の少女のあつまりらしい夢が匂っていた。同じように自分の肉体を奔放にあつかうにしても、そこにははたちの娘らしい夢のストーリイがなければならなかった。それにくらべて、何となく、いまの街のチンピラ諸娘《しよじよう》の魂はひからびて、かさかさに思えて仕方がない。街を歩いていると、不意に風が吹いて、そこここの焼跡から、灰だか、土埃《つちぼこり》だか何だかわからないざらざらしたものが、濛々《もうもう》と立ちこめて、口にはいったり、首筋にくっついて、まったく気味がわるいことがある。それは鋪道の焼けて罅《ひび》割れた、甃石《しきいし》のすき間にも、バラックの喫茶店の窓ガラスにも、街燈の赤錆《あかさび》てひん曲った鉄の柱にも、遠慮会釈もなくまとわりつく。ずうずうしくて、汚ならしい、——「街のお嬢さん」たちのことを考えると、私には、すぐとこのざらざらの風が思われる。  いずれも、戦争のあとの埃だ。  私には単に、若い女たちが性的に放縦になったということが憂鬱の種ではない。長い間、封建的な考え方で無理におさえられていた人間の本能が、そのおさえがとり除かれて、堰《せき》を切ったように迸《ほとばし》り出るのは自然の理でなければならない。まして食糧危機の今日、生きんがために人肉のバアゲン・セールに立ちまじる娘たちを、一体誰がとがめられるか。——そうだ、私が憂鬱なのは、若い女たちの人肉大安売りではなく、そんな大安売りの市に立ちまじる彼女たちの心に何の感傷も見いだされない、——すくなくも、そういうように思われることだ。 「人間」がまったくスポイルされていることだ。  戦争の惨禍の一つを、——民族の歴史の横っ腹に、ざっくりと傷口をあけたその巨大な爪の跡を、私はこんなところに見る。戦争の本当の惨禍は、到るところに、いよいよこれから現われて来るにちがいない。  この頃漠然《ばくぜん》と感じているそんな憂鬱が、「血桜組」の記事で、一段と頭をもたげてきたのだ。  一体、「街の天使」という言葉が、私たちの間にいわれるようになったのはいつ頃からだろうか。  昭和のはじめ頃見た映画のなかに、それはチャアレス・ファレル扮《ふん》するところの街の靴磨《くつみが》き(或は自動車の運転手だったかも知れない)とジャネット・ゲイナア扮するところの街の女(そうだったと思うのだが)とが猛烈な恋をする内容のものがあって、ゲイナアが何かの事故で失明したファレルの首を抱きながら、「いいわ、今日からは私があなたの眼になってあげますもの、——」という台辞《せりふ》をいうラスト・シインだけを、私はへんにはっきりと覚えているのであるが、どうも、あの映画の中にスツリイト・エンジェルという言葉があったような気がする。いや、それはたしか「第七天国」とかいう題名の映画で、それとは別にジャネット・ゲイナア主演の「街の天使」という映画があったようにも思う。私はそれとこれとを混同しているようにも思う。何しろ記憶があいまいだ。  とにかく私たちの学生時代には、もう「街の天使」なる言葉は存在した。その頃、銀ブラのお相手から遠く箱根のドライブまでも御同伴しますというステッキ・ガアルなるものが出現した。銀座にはその事務所が出来たということだった。白塗りのお人形のような無表情の女優ばかりを並べていた日本映画にも、砂田駒《こま》子(これはちょっと以前のような気がする)や、柏《かしわ》美枝や、滝田静枝や、ミネ・ギンこと峰吟子といった、いわゆるフラッパア女優が現われて、それぞれの肉感をスクリインにまき散らした。マキネン倶楽部《ク ラ ブ》が結成されて、駒井玲子《こまいれいこ》さんなどが活躍したのもこの頃だ。それは時代の感覚だった。私はまだその頃学生で、ステッキ・ガアルなるものの本質を自分でたしかめるような立場にはいなかったが、何だかステッキが時と場合とではエンジェルになるような、そんな感じを抱《いだ》いていた。ステッキといい、エンジェルというも、要するにそれは楯《たて》の両面で、中身は似たり寄ったりのものにちがいないという気がしていた。こんなことをいうと往年のステッキ・ガアル組合の御婦人連から抗議されるかも知れないが、——どちらも、五分間前はまったく未知だった男と女とが、たちまち腕を組んで、さも恋人同士らしく散歩したり、または本当の恋人のようにホテルに消えてしまうところが、何か若い私たちの冒険好きなロマンチシズムをそそったのである。——知らない者同士がたちまちくっつくのがそれほどロマンチックなら公娼《こうしよう》は一番ロマンチックではないかという者があるかも知れぬが、公娼は女の自由意志ではない。私たちのロマンチシズムを感じる条件には、女の自由意志が必要だ、解放された女は感情の振幅が大きいにちがいない。  それ故、公娼よりも私娼が、私娼のなかでも街娼が魅力的だ、新宿よりも玉の井がよかったし、玉の井よりももっといいのは恐らく昭和の辻君、「街の天使」だ。新宿の女にしても、玉の井の女にしても、そこへ行けばきっと逢えるという安心を男に与える点で平凡だが、「街の天使」はその点流れのなかの魚のようで、一度別れたらもうこんどはいつ逢えるかわからないということで、一層ロマンチックにちがいない。 「街の天使」の魂は自由だ。  彼女たちの肉体は、流れのなかの鮎《あゆ》のようにぴちぴちとしている。  愛慾の味《あじわ》いも、背徳の人間的意味も、みんな彼女たちは心得ている。  学生だった私は、戸塚の学生街の下宿屋の古びてあか黒くなった破れ畳の上で、そんなように「街の天使」を想像し、そのくせ金のない身ではどうすることも出来ず、むなしく青春の日を過ごしていた。  その頃、銀座などという場所へはまったく出なかった私には、果して「街の天使」なるものが実在するものであるかどうか、わからなかった。いろんな猟奇的な噂《うわさ》は見たり聞いたりはしたが、実際に自分が体験したことがなかった故《ゆえ》に、それの実在の有無を判断する根拠がなかったわけだ。  ところが後年、——私が学校を出た頃だから昭和九年頃だと思うけれど——私は、偶然の機会から本物の「街の天使」を見た。偶然の機会というのは、——実にへんなときにへんなところで見かけたので、そういうよりほかに仕方がないのだが、——そのIという私の親友が住んでいた大森のアパアトへ、或る日私は遊びに行ったのだが、Iの二階の部屋の張出《はりだし》窓の窓際《ぎわ》に腰かけて、私たちが話しているときだった。丁度その二階の部屋から見降せる位置にある一軒の文化住宅風の家の庭があった。庭といっても、樹も何もない郊外の住宅地特有の赤土の露出したせまい空地だったが、その空地で、一人の女が三歳くらいの子供の相手になっているのが見えた。「あれだ、——あれですよ、——ほら、あれが上海《シヤンハイ》お寅《とら》ですよ」と、突然Iが叫ぶようにいった。そのいい方には、人間が自分だけの知っている有名な人物を人に紹介するときのあのひそかな優越感があるようにさえ見えた。 「上海お寅って?」  私は思わず訊《き》き返した。そんな名前を聞くのははじめてだった。 「上海お寅は有名な街の女ですよ、——満洲お寅ともいうんですが、やっぱり大陸で鳴らした女なんでしょうね、もう幾つになるかな、三十五、六か、いや、もっといっているかも知れないな。変っているのは、いつもあんな黒っぽいドレスを着ていることですよ、よくよく黒の好きな女なんですな、——」  Iの語るところによると、彼女はそのとき丁度、その文化住宅風の家の主人は某撮影所の映画監督で、——そうだ、その監督はその頃「百万人の歌声」という映画を撮っていた、——その監督はその名打ての女と同棲《どうせい》しているのだそうだ。いまも、私たちの眼の前で彼女の遊ばしている子供はその監督の前の細君の子供だそうだが、女は毎日よく子供の面倒から、監督の身の廻りを世話して、なかなかの世話女房ぶりだと、二階からこの文化住宅風の家の朝から夜中までの生態を見降しているIはいうのである。私が眼が近いので、彼女の容貌《ようぼう》や、こまかい部分まではよくわからなかったが、とにかく遠眼に見た彼女は普通の家庭の中年の奥様といった慈味に満ちた感じだけは、たしかに覚えた。その黒っぽい衣裳《いしよう》も何かモダンな良家の中年夫人の感じを強めていた。  その後、私は何度も上海お寅を街で見かけた。新宿の伊勢丹の前のバスの停留所や、銀座の服部《はつとり》の電車の停留所や、それから鋪道で、彼女を見かけた。Iのいったようにきまって、いつも黒ずくめの服装、——まったく、それは帽子から靴下まで、黒一色の服装をしていた。近くで見ると、帽子を眼が隠れるほど深くかむってはいるが、容貌はひどい年齢の衰えを見せていた。鼻の短い女は荒淫《こういん》だというが、彼女の鼻はそれだった。白粉《おしろい》をこってりと塗って、唇はどぎつい紅だった。その顔が背丈《せたけ》の低い身体の上にのっかっているのは、何か娼婦の末路といったフランスあたりの絵でも見るような寒々とした哀れさに、滑稽《こつけい》な感じさえ伴った。例の監督とも別れてしまったのか、客を漁《あさ》る貪婪《どんらん》な眼つきだけが燃えて見えた。  昭和十年頃だったか、或るとき銀座で、武田麟太郎《りんたろう》さんにぱったり逢うと、いきなり、「ねえ、君、満洲お寅って女、知ってる?」と、いきおい込んで訊《たず》ねて来たことがあった。恐らく前夜にでも、どっかの酒場で、誰かに聞いたらしい。私が知っていると答えると、ちょっと私の話を聞きだしにかかったが、すぐと興味なさそうな顔つきになったので、私は話を中途でやめてしまった。「銀座八丁」の作者の面子《メンツ》にかかわると考えたのにちがいない。その後、同氏が果して上海お寅を知ったかどうか、私は知らない。  昭和十五年に私は戦争に行き、今年二月帰るまで、東京にいなかったから、お寅姐御《あねご》が、その後どうしているか、私は知らない。生きているなら、もう五十歳だろう。案外、いま頃は、どっかで、くしゃみをしているかも知れない。 「血桜組」の姐御諸君。  蒼《あお》ざめた日本帝国議事堂のついた紙きれ五枚でOKのパンパン嬢諸君。  白いチョウクの剥《は》げかかった木靴の「街の天使」諸君。  諸君は、諸君の大先輩で、昭和街娼史の大物たる上海お寅姐御の名前ぐらい覚えて置くのが仁義というものではあるまいか。  けれども、私がここで語りたいのは、お寅のことではなく、そのお寅姐御にも関係したことではあるが、まったく別の或る娘の話のことだ。——  その頃、——まだあの運命的な七月七日前のこと、——私たちは新宿の茶房「フランス屋敷」によくあつまった。あかるい店の感じと、武蔵《むさし》野《の》館前の四辻にあるのとで、私たちの感覚にマッチしたその店には、ムウラン・ルウジュの役者たちや、帝都ホールのダンサアや、その他新宿の与太がかった仲間がいつもたむろしていた。  雪の日だった。かんばん近く店を出た私の眼に、そこの電柱の蔭に、雪を避けて仄《ほの》白い女の顔が浮かんでいるのがうつった。凄《すご》い美人だ、——瞬間の直感があった。私はさきにもいったように近眼なのに、どうしてそんな暗いところに佇《たたず》んでいる女が美人だと予感したのかわからないが、近寄ると、予感どおり端麗な顔だった。 「いかがです、花は?」と、女がいった。ぱっと花束が、眼の前へ、——そこは茶房のあかりが流れていたが、その光のなかへさしだされた。この娘は花売りなのだな、——私は光のなかに、雪が蛾《が》のように散る光のなかに、濡《ぬ》れて咲いている花を見ながらさとった。 「きれいな花だな、いくらだい」と、私は財布をだしながら訊ねた。 「五十銭よ」 「一つくれよ」と、私は五十銭をだした。 「いいわ、あと二つ残るけど、みんなあげるわよ。今夜、もう帰るわ」  女は手にあるだけの花を私にさしだした。私はちょっとびっくりしたけれど、この女のそんな思いきりいい仕草が決して不自然でないのがわかった。 「どこへ帰るの」 「三光町《さんこうちよう》よ」 「俺は太宗寺《たいそうじ》だが、一緒に帰ろうか」 「そうねえ、じゃ、帰りましょう」  女はもう歩き出していた。私たちは新宿の電車通りを二丁目の方へ歩きながら、私はこの女がまだ二十歳になるかならぬぐらいの年齢だと思った。むらさきの事務着のようなものを、和服の上に着ているのもはじめて見た。 「君は、新宿であんまり見かけないけど、前からいるの?」 「一昨日からよ、その前は銀座の方にいたの、——」 「ふうん、君の花は、ほかの花売りのとはちがうね」  私は自分の手にしている花が、新宿のこんな場所で子供たちの売りに来る近在から来たばかりの野花じみたものではないのを不思議に思った。 「それは銀座のジョニイの店から買って来るのよ。あすこ、あたし、知ってるのよ、——だけど、あんたもそれを見分けるところはただの鼠じゃないわね」 「それゃわかるよ、これは温室咲きの上等だよ」 「あたし、三光町のほらあの角の乾物屋さんを右にはいって、最初の左側の路地をはいった突き当りの家にいるの、——ううん、間借り、こんど、来ない?」 「ああ、行くよ、いつ行こう」 「ねえ、いっそ、今夜来ない? ちょっと寄らない? それとも、誰か待ってる人いるの」 「いればいいんだけど、——」 「じゃ、いいじゃないの」  そんなことをいいながら、いつのまにか私たちは、彼女の間借りしている家に近づいていた。路地奥のどぶ板を渡って、屋根も傾きかかったような見すぼらしい平家の裏口へまわった。 「ここよ、お爺《じい》さんとお婆さんがいるきりなのだから、遠慮ないのよ、さ、あがんなさい」といって、彼女は戸をがたがたいわせて台所口からはいった。  四畳半のあかりの下に、どちらも六十歳ぐらいの夫婦らしい老人が二人むかいあって坐って、何か夜なべをしていた。そのまわりには何だかわからないが、いろどりのきれいな玩具《おもちや》らしいものが積まれている。あとでわかったが、老夫婦はそれが仕事らしく、木屑《きくず》と布とで熊だの、兎だの、鯛《たい》だのといった玩具をつくっていたのだ。私がはいって来るのを見ても、ほとんど無関心の様子なので、私も気がらくになった。 「ねえ、これがあたしのお部屋よ」  その部屋というのは老人たちの部屋と襖《ふすま》で仕切った、まるで雨漏りがしそうな物置のような三畳で、そのまんなかに、これも綿のはみ出しそうになった煎餅蒲団《せんべいぶとん》が敷きっぱなしになっていて、そのほかにはこれといって荷物らしいものも見えない、恐ろしく簡便な生活様式だ。ところがおどろいたのは、その蒲団の上に、そのまわりの狐色をした畳の上に、そこらじゅうに一面におびただしい花が撒《ま》き散らされていることだ。恐らく毎晩売れ残ったのを持ち帰って、投げだすのだろうが、まだいきいきと色鮮《あざ》やかなのや、もう枯れかかったのや、さまざまの花が散らばっている。蒲団のなかにもちぎれた薔薇《ば ら》の首が転がっている。一足部屋へはいったとき、それらの花のむっとするような甘酸っぱい匂いが、鼻についてはっとしたほどだ。女は蒲団の上に坐り、私は壁際《ぎわ》にもたれた。そうはいっても何しろ部屋がせまいので、私たちの膝はほとんどくっつくほどだった。電燈の下で見る彼女は案外に若々しく、大柄なので齢とって見えたけれど、まだ十八ぐらいではなかろうかとさえ思った。彫りの深い顔はクロオデット・コルベエルにそっくりの顔つきである。 「火鉢がないので寒いわね、あたし、こんな部屋にいるのですっかり風邪引いちゃった」  女はときどき部屋の隅《すみ》に置いてある、多分花束を包むためのものらしいパラフィン紙をとりあげて、無雑作に鼻をかんだ。その度《たび》に、青白い色をした鼻汁はパラフィン紙にくるまれて、花の間へ投げられる。電燈のあかりで、それがゼリイか何かのように透きとおって、いいようもなく美しいのだ。  彼女が私を誘ったとき、私には或る期待が来た。稼業《しようばい》人《にん》かと思った。けれども、私はどうもすこし勝手がちがうようにも思えて来た。第一、これほどの女が、それならば花売りなどしなくてもいい筈《はず》ではないか。こんな部屋にいる必要もない。ちょっと見当がつきかねて、私は手持無沙汰《ぶさた》な恰好《かつこう》でいた。 「明日はあんたのアパアトへ行くわ、場所を教えてよ」  私は宿の場所を教えて、それをきっかけに帰った。何だかなぶられたような気がしたけれど、彼女はまるで無邪気そうにも思えた。  ドアをノックする音に私は眼をさました。その叩《たた》き方には秘密っぽい感じがあった。  雪はやんで、朝の光が廊下をあかるく照らしているなかに、彼女は立っていた。彼女は部屋のなかに誰か別の女でもいるのではないかと疑うように、私のうしろをきらりと眼を光らせてうかがってから、やっと身体をドアのうちへ入れた。そのしぐさにはやはり馴《な》れた狡《ずる》さが見えた。 「おお、寒い、——」  彼女を部屋へあげて、私はガスストーブに火をつけた。ガスがごおっと唸《うな》って燃えはじめた。女の手が、その青い焔《ほのお》をかこんだ。皮膚のうすい、血の気の見える、けれども肉の締まった感じの指が、焔の色で透けて見えた。手も、——それから顔も、身体も、明るい朝の空気のなかで見ると、いっそう若々しく、弾《はず》んで見えた。 「あら、あんた、小説書いてるの?」  彼女は机の上にひろげた原稿に眼をとめていった。改めてじろじろと大きな眼で私を見直す風である。私は苦笑した。 「あたしはね、音楽、大好きなのよ、もう女学校時代から、——」  その日彼女は昼過ぎまで遊んで行った。私たちはそば屋から天丼《てんどん》をとって、昼飯をすました。私と話している間に、彼女は自分の身の上をあかした。彼女の名前は富士子といった。滋賀県の琵琶《びわ》湖に臨んだ土地の生れで、父は早く亡くなり母と二人暮しだったが、女学校時代から母は自分の方の親戚に当る男で、満鉄にいる男と婚約せよとすすめ、彼女には無断で先方と話をきめてしまった。学校を出ると、やいやいと話をせくので、たまらなくなって家を飛びだして上京し、もう一年になるという。その間に、銀座の喫茶店や小料理屋にいたというのだ。 「その満洲の彼氏を嫌《きら》いなの?」 「いいえ、嫌いっていうんじゃないのよ、でも、親同士できめたことに反撥《はんぱつ》もしないような男、何だかもの足りないのよ」 「それで、いまはどうして花なんか売ってるのだい、銀座にいればいいのに」 「ええ、ちょっとね、銀座にいちゃいけないことが起きたのよ、——」 「男の問題?」  彼女は黙って笑っていた。私は彼女の感じに秘密の匂いがあるように思えた。  それから三日ほど、つづけて富士子は遊びに来た。大きなカアネエションの花束を持って来てくれたりした。私たちは急速度に親しくなり、恋愛やもっと露骨な愛慾の問題について話すようになった。そんな話のなかで、私をおどろかせたのは、彼女が上海お寅をよく知っているということだった。彼女はその原因はいわなかったが、戸塚警察署に留置されたことがあって、その留置場でお寅と一緒になったのだといった。そこを出てから、お寅と交渉があったらしく、お寅を中心とする街の女の組織などを、こちらがびっくりするほどくわしく知っていた。お寅が料理の名人で、殊《こと》にオムレツをつくらしたら玄人《くろうと》のコックも及ばない腕前だということなどを話した。銀座の天国の隣りの路地にあった文福という小料理屋にもいたことがあるともいった。ここもそういう筋の店だと、私は誰かに聞いたように思っている。私はてっきり富士子自身も街の非合法の娼婦の一人にちがいないと睨《にら》んだ。きっと何か銀座にいられないことがあって、身体だけ新宿へ逃げて来て、しばらくもぐっているのだろうと見当をつけた。私には、にわかに彼女の豊満という感じの、若々しい肉体が気安く思えて来た。  三日目、富士子は私の部屋に泊った。アパアトの押入れになる場所が寝台になっていて、藁《わら》蒲団が置いてあり、カアテンまでかかっていたが、寝台をきらって私はいつも畳の上に寝ていた。けれども、その夜は、彼女と寝台に寝た。——私にはもう彼女が自分のもののように思われた。泊って行くぐらいなのだから、そう考える私の気持に無理はなかった。  私は彼女と唇を接した。  ところが、それ以上になると両手で膝を抱きしめ、海老《え び》のように身体を曲げてしまうのだ。私には腑《ふ》に落ちなかった。馬鹿にされているような気がした。私は自尊心を傷《きずつ》けられたみたいで不愉快になった。すると、そんな私を気にかかるのか、彼女は口を吸いに来た。 「よせ、——」と、私はごろりと寝返りを打って、反対側をむいた。 「いや、——いや」と彼女はしつこくまとわりついた。私にはわからなかった。 「君は処女なのかい」 「そう見えない?」 「ふうん、——」私は返辞ともつかない返辞をした。 「絶対に処女だわ、誓うわよ」 「ははん、それで、いうことをきかないのかい」 「ちがうわ、あんたはあたしを愛してないからよ」 「そんなこと、どうしてきめるんだい、現にいまこうして、君と二人きりでいるじゃないか、好きでもない女とこんなにしていられるか」 「いいえ、男は女の身体だけ欲しいのよ、みんなそうだわ、あんたもやっぱりそうだわ」  私は面倒くさくなった。何も彼女だけが私のところへ来る女というわけではなし、もう勝手にさせて置けという気がした。  翌日、私はIと街で逢った。私は富士子の奇妙な、——あとで、考えるとそんなに奇妙ではないのだが、——態度について語った。Iはそれは彼女が私を愛しているのだといった。私はそこまで自惚《うぬぼ》れて考えるわけに行かなかったので、まだよくわからなかった。  その夜、Iは私のアパアトで泊った。彼女は昨日あんなへんな状態で帰ったので、まさか今夜は来ないだろうと思った。ひょっとすると、私の本心は彼女が来ない寂しさをまぎらすために、Iをひきとめて、わざわざ泊めたのかも知れない。  私たちが寝ついたのは十二時をまわっていたと思うが、寝ついてまもなく、私はドアをノックする音に眼をさまさせられた。私は直感した。起きて、ドアをあけると、富士子が立っていた。 「どうしてこんなに遅く来るんだい、今夜は友だちが来ているから駄目だよ、帰りなよ」と、私はすげなくいった。昨夜の腹癒《はらい》せのつもりが多分にあった。彼女は怨《うら》めしそうな顔をした。 「女の方?」 「誰だっていいじゃないか」  そのときIが、——彼もさっきから起きていたらしく、部屋のなかから声をかけた。 「どうぞ、おはいりなさい」——そして、私にむかって、「ねえ、僕はこれから帰るよ、車があるだろうから」といった。私はIのこの言葉を聞いて、彼がそんな余計のことを横合からいう必要はないという気がして、面白くなかった。Iの言葉で、助けを得たように彼女は部屋にあがって来た。私はぷんとしていた。 「もう遅いからすぐに寝ろよ、——その寝台で」私は空いている寝台に彼女を押しやった。Iと私とは下の畳で寝ていた。  私たちはすぐ黙って寝たが、しばらくすると、寝台から忍び泣きが聞えた。泣くがいいんだ、——私は何だか勝ち誇ったような気持で愉快でたまらなかった。恐らく彼女は今夜こそ決心をしてやって来たのにちがいない。そうは問屋が卸さないのだ。男をなぶった女には、これくらいの打撃は与えていいのだ。そんなことを考えているうちに、私が眠ったと思ったのか、Iがそっと彼女に声をかけた。 「ねえ、——明日、僕からよくT君に話しますから安心していらっしゃいよ」  Iはそれから同じようなことを二、三いった。すると彼女はしばらくして泣きやんだ。 「いいえ、私は駄目なの、私はこの人に愛して貰える資格のない女なのよ、もう、いいわ、——何にもいわないで」  そんな捨《すて》台辞《ぜりふ》をくどくどといっていた。私はよっぽど喧《やかま》しいから明日にしろといってやろうかと思ったが、そうなるとかえって彼女を興奮させるだけだと思い、やっぱり黙っていた。 「ねえ、私をあなたのところへつれて行って下さんない?」と、突然彼女がいった。  Iは待ちうけていたように彼女の態度が変化して来たのを見定めて、いよいよ自信を得たように、——私には、いつもの彼のやり口がわかっていた。——けれども、表面は、さも困惑したように口籠《くちごも》っていた。 「僕はいいですが、T君に悪いですよ」 「いいの、Tさんはどうせあたしを好きじゃないんですから、——あたしと、Tさんとは何でもないのよ」 「でも、——」 「じゃ、Tさんには、明日、あたしからいうわ、そうすればいいでしょ」  私は彼女が私に反撥して、こんなことをいうのだということがわかっていた。彼女は恐らく私が眼をつむっていても、めざめていて自分たちの話を聞いているにちがいないと考えていて、そんなことをいっているのにちがいなかった。そう思うと私は意地にも眠った風を装っていねばならなかった。  ごそごそ動く気配で眼をさました、彼女が身支度をしていた。Iもネクタイを締めていた。まだ夜明けだった。彼女は私が眼をさましたのに気づくと、 「ねえ、これからあたし、Iさんのところへ行くわ」  といった。彼女としては精いっぱいの反抗だった。 「そうかい、行ったらいいだろう」  いいながら私は、こんなことをいう以上、もう富士子はIのところへ行ってしまうがいいのか、と自分に問うたのだがほかの言葉が出なかった。彼女はまだ私の口から、ひきとめる言葉を期待していたのか、それを聞くと、にわかに絶望的な態度になり、いっそう反撥的になった。 「本当にいいの?」とIが私にいった。 「うん、いいさ」と私は笑った。何か引き吊《つ》ったような、それを無理に隠そうとする笑い方だった。 「じゃ、今晩逢わない? 銀座で、——」  Iは私たちのいつも行く喫茶店の名をいった。  二人はつれだって、アパアトの階段を降りて行った。まだこのアパアトの住人たちはみんな眠っている、そのひっそりとした夜明けのしじまのなかに、私はまた床の上に横たわった。Iたちは表で車をつかまえたらしく、車のドアを閉める音がし、つづいて、エンジンの音がひびいて来た。鈍い、けれども重々しいそのエンジンの音が、次第に遠ざかるにつれて私のなかにふっとある空虚な感じが湧《わ》いた。私ははっとして身体を硬直させてしまった。もう取りかえしがつかぬことになってしまった、——いまからすぐ彼らのあとを追いかけて、Iのアパアトに行けば、まだ富士子をとり戻すことが出来る。けれども、そんなことが出来るものか、——今日のうちに、彼らは何とかなってしまうだろうか、——Iならひょっとすると、いやきっと、何とかなってしまうだろう、それでもいいのか、——そんなことを、いらいらと考えるばかりで、何とも出来なかった。  時間が過ぎるということが、そんなに重苦しい感じで私を圧迫したことはなかった。時間はほとんど何か憂鬱な生きもののように、私を苦しめた。  夜が来た。私はもうまるで罪の宣告を受ける囚人のような心持で、——それでも一刻も早く、どっちかにきめて貰わねば気持のおさまりがつかぬ心持で、身支度を調えると、銀座へ出て行った。その身支度も、私はいつもよりネクタイの柄を選んだり、ズボンの折目を気にしたりした。ちょっとでも富士子の気を惹《ひ》こうとしたのにちがいない。  銀座へのバスのなかで、私はまだ何かにすがろうとする気持からぬけきれなかった。バスのなかに乗りあわせている人々を、——自分の前に腰かけている人たちや、吊革《つりかわ》につかまっている人たちの顔を眺《なが》めるともなく眺めているうちに、私はひとつのことに気づいた。ここにいる誰の顔をみても、みんなそんな情慾というようなものから遠い顔つきをしているではないか、——これが本当の人間の顔で、私のように、そんなことばかりを、二六時中考えている者はどうかしているのではないか。さっきIたちと別れてからまだ十二時間ほどしかたっていない。はじめてあった同士の彼らが、それだけの時間に何が一体出来るというのだ。思い過ごしだ。思い過ごしだ。それはもう「人間」に対する祈りに近かった。何と「人間」が、そのときだけ、自分に都合のいいように考えられたことだろう。  もう街は暗かった。バスを降りると、私は約束の茶房へまっすぐに歩いて行った。ドアを押してはいると、私はすばやく内部を見まわした、——と、右の隅っこのボックスに、私はIと富士子とがむかいあって腰かけているのを見た。小さな卓の上にはうす絹のみどり色をした笠をかむったスタンド・ランプがともって、彼らの顔をほのかに照らしてその光のなかに浮きだしていた、彼らの背後、——つまり、私からいって反対側は大きな窓ガラスがはめこまれていて、そとが暗いために、彼らのあかるい姿がそこにうつっているのを、私は見た。そんな雰囲気《ふんいき》のなかに、じっとむかいあっている彼らの落ちついた姿を一眼見たとき、私は、ああ、もうみんなおしまいだ、——そういう直観を覚えた。私の知らない十二時間のあいだの彼らの生活が、まるでそこに見るように、私にはまざまざと見えるような気がした。 「ああ、——」と、挨拶《あいさつ》とも、溜息《ためいき》とも、得体の知れぬつぶやきを発して、私は彼らのそばに腰を降した。  そのときIが、私を見て、「やあ、昨夜はどうも、——」と、すまなそうな、気弱そうな、顔つきでいった。富士子は——そのとき、富士子は、私に挨拶もせずに、そんな私の何となく気まりの悪いような落ち着かぬ態度をちらりと見て、すぐとIを眺め、その大きなひとを惹き入れるような黒い眼で、じっとIを眺めて、何か彼らだけにわかるようなことについて、Iの同意を待つような態度を見せた。私はすっかりみじめな気持で、ああ、もうおしまいだ、——そんなことをしつこく考えつづけていた。  富士子のことは、Iはのちに、——私の出征中に、「男女」という小説に書いて、発表している。  Iの話では、富士子の肉体が、——それはあとにいうように、或る種の条件つきではあったが、その日のうちに彼のものになったのだが、それには、彼は私の失敗を研究し、前者の轍《てつ》をくり返さぬように細心の注意を払ったのだ。Iはアパアトへ彼女を伴うとともに、まめまめしく彼女のために食事を用意し、お茶をすすめ、大いに実意のあるところを見せたのだそうだ。食事がすんで、しばらくして、Iは彼女に、疲れているだろうから、どうか自分の寝台でやすんでくれといった。彼女は有難うといって、彼の寝台にはいって寝た。その間、Iはおとなしくひとり起きて、ガスストーブの前の椅子に腰を降していた。富士子は二時間ほど眠ると、眼をさました。彼女の眼にIのしょんぼりと、ひとりストーブにあたっている姿が眼にうつった。人情に飢えていた彼女の心に、Iの実意の籠《こも》った、——これがIの計算された行為とは知らず、彼女にはそう見えたのだ、——そんな態度が、しんみりとしみて来た。彼女はIに、一緒にここへはいりなさいといった。二人の肉体がつながった。  ——ところが、富士子が失踪《しつそう》してから、Iがひそかに私に話したところによると、富士子はIに対して、その最初のときから、「衛生器具」の使用を要求し、最後までこれだけは頑張《がんば》りとおしたそうだ。Iの話ではたしかに富士子は「街の天使」であり、Iと一緒になってからでも、彼女の濫費《らんぴ》で、たちまちIが経済的に困りだしたのだが、そんなとき彼女はひょいと出て行き夜遅く帰って来て、「友だちに借りて来たわ」と札ビラを見せて、けろりとしているときが、何度もあったという。明らかに、一と商売して来たのだ。けれども、ここでも彼女は「衛生器具」に頼りつづけたにちがいない。いつか私が「君は処女かい」と訊《たず》ねたら、即座に「絶対に処女よ」と力強くいいきったのは、よほど自分の「処女」に自信があったにちがいない。ここに、彼女独特の貞操観があった。  Iと富士子とは一箇月ほど一緒にいた。その間にIたちは浜松町のアパアトから、新宿の私のアパアトと一町とへだっていないアパアトへ引越して来た。  突然、彼女が失踪した。  失踪の原因の一つは、Iが彼女を真面目《ま じ め》に熱愛しだしたために、彼女の娼婦性をため直そうと、彼女にうるさく忠告しだしたからにちがいない。彼女にはそれが自分の自由をおさえつけるように思えたのだ。彼女にして見れば、それほど愛してもいない男に、そんなに自由を縛られるのがたまらなかったのだ。  ところが、彼女のために、私はひどい目に会った。というのは、彼女の失踪後、三日ほどした或る日、警官が突然私のアパアトへ現われて、ちょっと訊ねたいことがあるから来いといって、三光町の交番までつれられて行った。交番へ行くと、Iがさきにつれられて来ていた。富士子が新宿二丁目の洋服屋でオーバアを注文し、それが出来あがるとIのアパアトへ取りに来いといって、代金を払わずに、着て行ってしまったのだそうだ。洋服屋はIのところへ来たけれど、埒《らち》があかぬので、交番に届け、Iは交番へひっぱられて、富士子との関係を訊ねられるままに、私のことを話したのだ。私にはわかった、——警官は私が富士子を蔭で操っている間夫《まぶ》のように考え、Iを美人局《つつもたせ》の被害者のように考えているのだ。Iが私のことをどういったのか、私には見当がつかなかったが、根掘り葉掘り訊かれて、さんざん油をしぼられた。まったく、ひどい目に会った。  そのためでもあるまいが、Iはのちによく、富士子に「衛生器具」放棄を決心させることが出来たのは、恐らく私以外になかったといった。  私は彼女を街の女としか考えなかった。ところが彼女の方では私との間は取引ではなかった。私は彼女の肉体を簡単に考えていた。彼女は私に対して、彼女を愛する心理的過程を私が経《へ》ることを期待した。私が彼女を本当に好きになったということがわかったら、恐らく、彼女ははじめて私にその肉体をゆるしたにちがいない。そのときは「器具」も不要だったろう。つまり彼女は「処女」をささげる男として、私を考えていたのにちがいない。ところが、男が一人の女を愛するということの愛情の成り立ちは、その女をどこまで愛することが出来るかどうかわからないままで、もう愛の具体的行為に入り、その行為を通して、自分の愛をたしかめて行くという過程を辿《たど》るものであることを、——すくなくとも、私という男の場合はそうなのだ、——それを、富士子は知らなかったのだ、娼婦でありながら、愛情を知らなかった、——いや愛情を知らずに娼婦になった彼女にはそんな男女の愛情の機微がわからなかったのだ。いつまでも女学生趣味の「処女」にとらわれていたのだ。けれども、そういう彼女の特殊な心理を、——そのとき、洞察出来なかった私よりも、それを洞察して、彼女の肉体を、——それはゴム張りの肉体ではあったが、——自由にしたIは、作家として必要な心理洞察の素質がすぐれていたといえる。ところが、私にいわせればそれは、私の洞察力よりも肉体の問題だといいたいのだ。私はあわててはかえって、しくじるということがわかっていながら、——たしかにそれはわかっていたのだ、——若さではち切れそうな富士子の肉体を前にしては、そんなまだるっこいことをしていることに、私の若い肉体が辛抱出来なかったのだ。  昭和十九年十月初旬、私は蒙疆《もうきよう》から河北省へ輸送される軍用貨車のなかにあった。  私たちはその春、黄河《こうが》を渡って、洛陽《らくよう》攻撃に参加し、三月目にそれが終ると、部隊は沖縄に転進を命ぜられ、私たち野戦に長くいた一部の兵隊だけが召集解除だというので大陸に残されたのだが、また命令が変って、ひきつづき戦地にあって勤務するためによその隊に転属させられ、蒙疆へやられ、新しい部隊と共に蒙疆から河北へと、うんざりしながら、移動していたのだ。うす暗い、寒い貨車のなかで、私は誰かが持ち込んだ雑誌を、何気なくばらばらとひらいていると、Iの写真が眼についた。Iが朝日航空文学賞を貰《もら》っているのだ。私はなつかしさで、その記事を読んで行くと、「略歴」というところに昭和十八年九月十七日病死と出ているのを見て、まったく茫然《ぼうぜん》とした。Iは一年前に死んでいるのだ。  Iは小説のなかで、富士子はIと一緒になってからでも、私を愛していたように書いてくれている。多分、戦争に行っている私に、Iはある程度の遠慮をしたのではないかと思われる。  けれども、富士子がIと一緒になってからでも、一度、——それはただ一度だが、こんなことがあった。このことは私は、そののちもIに話さなかったし、Iは永久に知らずに終ったわけなのだが。  富士子がIと一緒に私の近いアパアトに引越して来てからのことであるが、或る夜、——それは午前一時か二時頃だったと思うが、私は私の部屋をノックする音に眼がさめた。その夜、私の部屋には、私の恋人ではないが、恋人よりも気楽な女が来て泊っていた。K子というその女は蕨《わらび》のホールのダンサアだが、客と東京で逢曳《あいびき》して、映画へ行ったり、御馳走を食べたりするときは、その日はゆっくり朝寝が出来ないので、前日のうちに、つまり、ホールがはねてからすぐと私のアパアトへ来て泊ることになっているのだった。何にも知らぬ客こそいい面《つら》の皮だが、K子は別にその客に対して、道徳的なひけ目を感じないらしかった。  ドアをあけると、富士子が立っているのにちょっとびっくりした。 「どうしたの、いま頃」 「あたし、もうIのところへは帰らないわ、Iったら、あたしの考え方、すること、みんな稼業《しようばい》人《にん》のやり方だって、いじめるのよ」  Iが富士子を真面目《ま じ め》に愛するのあまり、彼女のなかにある娼婦的なものが、——それは彼が彼女を遊びの相手として考えているときには、彼女の魅力に見えた、そんなコケットリイや、浪費ぐせや、ものごとに対するルウズな考え方なのだが、それが、いまは一つ一つ重苦しく彼にのしかかって、彼をいらいらさせていることを、私は知っていた。富士子はそんなことをいって泣きだした、私はそれはIと富士子の間の問題だと思った。 「それは君とI君との間の問題だよ、第三者の口出しすることじゃないさ」と、私は皮肉にいった。 「意地悪、——とにかく、あたしはもう帰らない、今夜はここで泊めてね」——そういいながら、私が何もいわぬさきに、富士子は部屋にはいろうとした。 「駄目、駄目」と、私はあわててそれをとめた。どうして駄目だといわぬばかりに、富士子が私を睨んだ。私は黙っていた。何か感じがあったらしく、富士子は私の足もとを見た。廊下のあかりが、半畳の靴脱ぎ場に脱いであるハイヒイルを、かすかに照らしていた。富士子はそれを見ると、はっとしたように私を見た。私は彼女の眼の光に凄《すご》い嫉妬《しつと》が閃《ひら》めいたのを見た。  富士子は何にもいわず、ぐい、ぐいと強い力で、私を階段口までひっぱって行った。階段まで来ると、彼女はいきなり私の首を両腕で巻いて、私にぶらさがるようにした。私は彼女の体重で首筋の痛さにたえられなくて、首を下げた。あっというまもなく、彼女の唇が、私の唇を下から狙って来た。 「ひどいひと、——怨《うら》むわ、怨むわ」  富士子はまるで逆上したみたいに、幾度も唇をもって来た。眼がぎらぎらと燃えていた。  そとから誰かはいって来る足音がして、階段をのぼって来た。私は彼女をひき離した。その足音の主は、富士子のいなくなったのを心配して、——はじめは意地でほったらかしていたのが、とうとう我を折って、やって来たIだったのだ。——  筆を起してからここまで書いて来る間に、筆を休めていたらまた本所《ほんじよ》で、或は王子附近で、「闇《やみ》の花一斉検挙」とか、「夜の女狩りつづく」というような見出しで、頻々《ひんぴん》として彼女たちが検挙せられた記事が出ている。  すこし可哀そうだ。  街の売春という行為が、公娼のような中間搾取者をのけた売り手と買い手の直結した最も合理的な商取引であることを考えるとき、本当に解放された女性の自主的行為であるとするならば、どうしてそれを頭から否定出来よう。  まして、それが今日の現実から生れたものである以上、その病根をえぐりとらず、いくら検挙しても無駄であろう。——ただ、彼女たちの媒介する病菌だけは民族優生学上ちょっと困るが。  富士子のことを書いているうちに、私はいつのまにか回顧的になっているようだ。  私は気づいている、——私は長い戦地の生活で、すこし憩いの場が欲しかったのだ。それで、柄にもなく回顧にふけったのだ。——もうやめよう。現代の辻君《つじぎみ》諸君にこそ、本当の自由な魂があるのかも知れない。  私は新たな熱意で、彼女たちにぶっつかって行こう。  彼女たちと裸で組打ちしなくて、どうして、「人間」が探究出来よう。  もう小賢《こざか》しい道徳とか、秩序とか、おためごかしの親切顔した、封建の「美徳」はおさらばだ。私たちの薄っぺらな、鹿爪《しかつめ》らしい根性は、十年後にまた戦争をぼっ初めて、また敗けようというのだろう。私たちの人間性を底から叩き直すのだ。人間の解放だ。本能の解放だ。そして、無武装の平和的強国をつくるのだ。 「街の天使」諸君万歳。 「血桜組」の姐御《あねご》諸君万歳。  人間解放万歳。  ——富士子の話について、余話がある。  彼女の失踪《しつそう》後、半年ほど、——いや、二年も、三年も、Iは彼女を捜していたのではないかと思う。私には、そのことを遠慮していわなかったが。何故なら、彼はほとんど毎日街に出ていたから。  或るとき、私と二人で銀座を歩いていたIが、突然、私を置いてけぼりにして、すうっと歩度を速めて、あっと思うまに三十米《メートル》ほども行ってしまった。へんだなと思って見ていると、彼はその地点から電車道を横ぎって、むこう側の鋪道《ほどう》に出、そこからこんどは逆に普通の足どりで、その鋪道を下って来るのである。こちらの鋪道で待っていると、まもなく彼は帰って来た。——彼はあきらかに誰かの後姿をむこう側の鋪道に見つけて、それをたしかめに、けれども、その人物とは偶然散歩の途上に出食わしたという風に相手に思わせるために、そんなことをしたのだ。 「人ちがいだったのか」  私が訊ねると、彼は苦笑した。その苦笑を見るといきなり、私は気がついた、——そうだ、Iの探すのは富士子なのだ。  恐らく、Iは富士子のなかに私の知らぬ何かを知って、それに惹《ひ》かれているのにちがいない。私にはわからぬ「実在」が、Iをとらえているのだ。  この考え方は、私に衝撃を与えた、女を真に語り得るのは、その女の肉体を知っている男だけだ。Iの前で、富士子を——そのときまで「私たちの天使」と考えていた富士子を、もう私は語ることは出来なかった。—— 男禁制  銭湯から帰って、三階の部屋まであがったとき、店の電話が鳴っているのが聞えた。二丁目のカフェ街の一廓《かく》ではあるが、両隣りは十時閉店の早じまいの商店なので、階下の電話の音はびっくりするほど高く夜の空気に冴《さ》えてひびく。裏口にいる店主のドオベルマンが太い声で吠《ほ》えはじめた。交配期が近づき気がたっていて、ほかの犬と喧嘩《けんか》して困るので、店主の自宅から店の方へ来ているのである。降りて行くと、勝手口の戸のすりガラスに、裏のカフェのネオンに照らされ、野獣のような影を映して、小牛ほども目方のある身体をぶっつけているのだった。  スイッチを入れると、店の中はぱっとあかるくなり、闇《やみ》の中にあったマシンやドライヤアが一せいに蛇のようにうねった銀色の肌《はだ》を生き生きとかがやかせた。江坂多美はその間をとおり、電話口に行って、受話器をとりあげた。電話の主は例によって花柳栄二郎である。武蔵《むさし》野《の》館の筋むこうの喫茶店にいるから来てほしいというのだ。 「今夜はもう疲れたから、寝ようと思うのよ」  からかうつもりで多美が不愛想にいうのを、相手はすぐと女のように甘えて拗《す》ねだすのである。 「あら、しどいわ、しどいわ、昨夜あんなに約束しといたのに、——」  むこうの電話口で身体をしなしなとしなわせて、かき口説《くど》いている花柳栄二郎の姿が見えるようだった。 「ねえ、いらして下さんない」  甘酸っぱいものが多美の胸もとをくすぐるようである。 「じゃ、うかがうわ、だけど、ほんのちょっとよ」  微笑《ほほえ》んで多美は電話をきった。女に口説かれる男の気持って、こんなものだろうと思うのだが、まだ多美の気持はそんなことに馴《な》れているわけではなかった。ただそんな男の気持を味うことに奇妙な刺戟《しげき》を覚えるだけなのではあるが、男禁制ときめた若い女の生活は、そんな刺戟でもなければやって行けそうにないのだった。  冬もおわりに近いこの頃、どこかにほのぼのとしたぬくもりのある春の気配の籠《こも》って来ているしんとした空気の中に、ひとりで寝ていると、江坂多美はその二十三歳のはりきった肉体を持てあます夜がめずらしくない。男を知っている若い女のひとり身が、この季節にこんなにまで持てあつかいにくいものであるとは、ホールの足を洗って、この職業につくにあたり、ひそかに男禁制を誓ったとき予期したところよりははるか以上のものだった。  多美は去年の七月この新宿のモデルン美容室に助手見習いとしてはいるまで、足かけ四年ダンサアをしていた。生れは神戸《こうべ》で、元町のソシアルをふりだしに、まもなく国道にかわり、三年前上京して、溜池《ためいけ》、和泉《いずみ》橋《ばし》と転々し、よすときは川口だった。彼女たちがホールをかわるのはほとんど男出入りが、原因しているのだが、多美もその生活を四年もしてみると、その眼だつ派手な顔立のためでもあるが、いつのまにかダンサア仲間ではいい顔だった。彼女たちの仲間は、生れるときからダンサアであるように運命づけられてでもいるかのような女が多く、一度結婚してひいても、また一年もするとどっかのホールに現われるというのは日常のことである。関東と関西とはまるで隣り同士のようで、彼女たちはその両方のホールを、ちょっといづらいようなことがあると、転々とかわるのだった。この頃は内地のホールの取締りがきびしくて、収入に関係して来るためもあり、外地へ出て行く仲間も相当にあって、大連《だいれん》とか新京《しんきよう》とか上海《シヤンハイ》とかいう都会はまるで身近な感じで、彼女たちの生活とじかにつながっている。  ところが彼女たちの間では、何年もダンサアをしているという者は、まず大抵は男禁制の気持が強い。ホールの生活を長くしている者ほど、その気持が強いというのは、自分だけではなく、仲間の経験も見て来ていて、男出入りは決して自分たちに幸福をもたらさないという事実を知っているためでもあり、またもう一つは自分の齢《とし》の関係もあるからなのだ。いつまでも同じようなことをくりかえしているうちに、齢とってうごきのつかぬようになってしまうという気持が、彼女たちをいらだたせるのだった。事変が起きてからは殊《こと》に、ホール閉鎖の声なども世間に聞え、自分たちの食って行く足場さえも不安なものになって来ているので、彼女たちのこの気持のいらだちはひどい。みんな何とかしっかりとした生活の足場をほしがっている。自分たちの過ぎて来た途《みち》をふりかえって見ると、誰でも男と好いたとか好かれたとかで夢中になっていた時期がみんな無駄になっているのだった。男出入りは彼女たちに何一つもたらさなかったといっていい。  いろんな自分の環境はあるにしても、思いきって大陸のホールへ渡って行くものは別として、彼女たちの中にも何とか新しい地道な職業につこうとするものがふえて来ている。昼間男とお茶を飲んだり、映画へ出かけたりするかわりに、洋裁学校へかよったり、タイプを習いに行くダンサアたちが、だんだんふえて来ているのだ。彼女たちが、そういうしっかりとした生活の足場を持とうとしているのは、当分結婚などということを考えないでいようとしているためであるのはいうまでもなかった。ダンサアとしての状態での結婚が決してうまく行くものではないことを知っていて、何はともあれまず自分自身の齢とってからでも出来る生活の独立を考えようとするのだった。  多美がホールの足を洗い、月手当十円の美容師の卵として、この美容室へ住みこんではたらくようになったのも、そういう気持からである。そのために、彼女もまた新しい職業の見習いにつくと同時に、男禁制の悲願を立てているのである。  美容室の三階に寝泊りしているのは、江坂多美と、多美よりは三つ若い八木まさの二人だけで、あとの娘たちは店から三丁と離れていない三光町《さんこうちよう》の店主の自宅に住みこんでいた。いわば二人は留守番の立場に置かれているのだ。が、それだけに自由にふるまえるので暢気《のんき》ともいえたが、この半月ほどまさが遊びに出て毎夜帰りが遅く、そんなとき多美はひとり身の身体のやり場に困るのだった。  ここ幾日かは、まさの帰りがまた一層遅くなっていた。店がすんで、あと片づけをし、みんなが店主の家へひきあげるのは九時頃になるのであるが、まさはそれから出かけ、十二時をまわらなければ帰らない。相手は店と関係のある化粧品会社の若い宣伝部員だった。多美はその男と社用で店へ来るときに応対することがあるが、彼女のそんなわずかな接触の範囲での感じでは、どこか矢島喜一の性格に似ているところがあるように思えた。青白い皮膚の色や、ねっとりした言葉つきなどからも、二人の顔が多美には似かよっているように見えてしようがない。矢島は多美には、大原徹と別れるようになった原因のホールでの最後の男だった。丸の内の会社員だったが、大原の通信社に関係しているとはいいながら、りゃく屋のような生活をしてぶらぶらと暮している動物的な感じのはげしさに呼吸《い き》づまる思いのときだったので、多美には矢島の地味な勤め人らしい殊勝さにとびついて行ったものの、そんな仲になってみると、ひつっこい性格や、頼りないところが眼だって、まもなく興醒《きようざ》めしてしまい、惰性のつながりだけがつづいていたのを、それも半年前にダンサア稼業《かぎよう》と一緒に清算していた。矢島はその半年根気よく彼女に復縁を迫っているのだが、年が明けてからは少し下火になっているとはいえ、ひつっこい男のいやらしさをこんどというこんどは骨身にこたえて覚えたので、多美にはまさの相手の感じが何だか矢島に似ているというのが、一層気になるのだった。二十歳のまさに男禁制の自分の考えをいって聞かせても無駄とわからない多美ではないが、その男だけは何だか心がゆるせないように思えた。自分の偏見といわれれば答えようはないが、多美はそれとなくまさのことを案じている。いつもこの新宿のどっかの喫茶店で逢い、かんばんまで語りあうらしく、はじめの頃はまさは帰るとたのしげにその日の話をくわしく多美に報告していたのを、この四五日はあんまり話さない。ところが、その男がこの頃太宗寺近くのアパアトを借りてうつって来たことは、店へ来るその会社の同僚からひそかに聞いて、多美は知っている。多美はそういう生き方をして来たものの敏感さで、そのまさのだんまりの内容を嗅《か》ぎとっているのである。  そんな心づかいの一方で、多美はふと自分の知らないそういうまさの夜の生活を想像すると、にわかに身うちの血がたぎりたって来るときがあるのだ。まさを待って、じっと三階で寝ていると、窓にネオンが風にふるえているのが見え、地つづきになっている二丁目のカフェ街からは奇妙な気ちがい景気のざわめきがひびいて来て、いても立ってもいられなくなる。そんなときは不思議に大原徹の分厚い胸や、逞《たくま》しい腕がまざまざと目のさきに浮かびだすのだ。胸もとが焼けるように疼《うず》きだすと、彼女は窓をあけ、「モデルン美容室」と赤くともったネオンの近くに頭をつきだし、長いことじっと寒風に吹かれてひやす。  多美は店をしまうと、東海横丁の屋台通りにある銭湯に行くのだが、もう随分とまさと一緒に行く機会はなかった。そんな土地の真中にある風呂なので、ごたごたとしたせまっ苦しい風呂であるが、その時刻は宵のうちの混雑もやっと一段落つき、女給たちがかんばんすぎてどっとおしよせて来るまでにはまだちょっと間があるというところで、気味の悪いほどがらんとしている。  湯気がもうもうとたちこめている中に、湯をつかう音がへんにまのびして聞える。彼女はそこで白い鰐《わに》になる。ジャングル映画のあの鰐だ。五尺三寸の大きな身体で、彼女は熱い湯をかきまわす、脂肪の乗った筋肉で、湯玉が、はじきとぶのだ。  湯からあがると、全身は染めたような桜色になっている。鏡の前に立たせて、もう半年も綺麗な生活をとおしている自分の身体をまぶしげに眺《なが》めながら、自分はもしかするとそういう欲望が人一倍強いのではないかと思ったりするのだった。花柳栄二郎と友だちになったのも、そんな気持のごまかし場所を見つける意味である。行きつけの三越裏のおしるこ屋で、よく顔をあわすまるで女形《おやま》のような若い男がいると思っていたが、それが栄二郎であった。花柳栄二郎は荒木町にいる日本舞踊の師匠だったが、多美の少女歌劇の男役のように整った顔立と、はきはきとした身体のうごきに魅せられて話しかけ、友だちとなったのだ。花柳栄二郎は男ではあるが、多美にとっては大原徹や矢島喜一のように男として自分に近づいて来たのではない。栄二郎の多美に対する態度は女が男に対するのと同じだった。男禁制の誓いも栄二郎と遊んでいるかぎり破れる気づかいはないので、いらだつ生活の一つのはけ口をその男との遊びに見つけているのだった。  賑《にぎ》やかな大通りをつっきって、多美は約束の喫茶店へはいって行った。  花柳栄二郎は奥のボックスに、入口に背をむけるようにして腰かけていた。栄二郎の横にはもう一人、よく似た感じの細面の男がならんで腰かけていた。栄二郎は多美を見ると、立ちあがって媚《こ》びをたたえた眼つきで睨《にら》んだ。 「遅かったわね」  多美は二人の男にむかいあって腰を下しながら、女の子を呼んでレモン・ティを註文《ちゆうもん》した。 「だって、さっきお風呂から帰ったばかりだったのよ。あんなに返辞したものの、疲れてるんで、もう寝ちゃおうかなと思ったんだけど」  多美は唇のはしにうす笑いを浮かべた。 「意地悪」  栄二郎はそういって「ねえ」と同意を求めるように、そばの男の顔をふりむいた。すると、その男は恥かしそうにちらっと多美の顔へ眼をやってうつむいた。女のように華奢《きやしや》な耳のあたりが、ぽうっとうす赤くなっているのである。 「あら、江坂さん、この人紹介するわよ。新派の若手女形で売りだしの蝶助《ちようすけ》さん、——ほら、この間あたし、江坂さんと歌舞伎へお伴したときに話した人いたでしょ。あの人よ。あたしの妹分なの、どうぞよろしく。この人、あのときあなたに一眼でぽうっと来たんですって、——どうしても紹介してくれってあれから大変なの」  栄二郎の言葉に、こんどは蝶助が「意地悪」というように栄二郎を横眼で睨んだ。そういえば、この前の日曜日、栄二郎と歌舞伎座を見に行ったとき、幕間に二階の食堂で、栄二郎とひそひそ何か話していた男のいたことを、多美は思いだした。 「あたし、江坂多美ですわ。どうぞよろしく」  多美の落ちついた挨拶《あいさつ》にひきかえ、蝶助は小娘のようにおどおどしながらやっと挨拶するのだった。新派の若い女形としての蝶助の名は多美も聞き知っていたが、舞台度胸とこんなときの度胸とはまるで別なのかしらと、彼女は自分の魅力に自信のあるものの余裕のある気持で、そんなことを考えながら、ハンドバッグから錫《すず》の煙草《たばこ》のケースをとりだした。 「あんた、何とかおっしゃいよ、恥かしいの、それとも嬉しいの」 「まあ」  また蝶助が栄二郎を怨《うら》めしげに見た。  多美は胸もとがむずがゆく覚えた。チェリイを口にくわえると、そっと蝶助がマッチをつけて、彼女の前にさしだした。その火に顔を寄せると、多美は蝶助の色の白いしなやかな、けれどさすがにあらそわれぬ男特有の骨太なところのある指の爪にエナメルが塗ってあるのを見た。それは貝のうち側のように、うすあかるい店の照明に映《は》えて光るのだ。 「あたし、クンパルシイタが聞きたいわ、時間かしら」  栄二郎が店の女の子をとらえて訊《たず》ねた。 「もうレコードはお時間ですけど」  女の子はすまなそうに答えた。 「またお姉さんのクンパルシイタがはじまった。レコードなら、お姉さん、マダムのところへ行けばいいじゃないの。奥で音を小さくして聞けばいいわよ」 「そうねえ、マダムのところへ行こうかしら、しばらく行かないし、どう、江坂さん」  栄二郎はそういって多美の気持をうかがうのだった。マダムのところというのは、花園神社の横丁にあるカフェ一梅のことである。このカフェは新宿のカフェ街からすこしはずれているので、一般の人たちはほとんど知らない店なのだが、主人は古い歌舞伎の女形あがりとかいうことである。多美も三四度栄二郎につれられて行ったことがあるが、主人というのはもう四十もなかばを過ぎているだろうと見える男なのだが、言葉つきから身のこなしまですっかり女になりきっていて、どうかすると、多美などよりはずっと女らしいかも知れない。一度暮れの頃、漢口《かんこう》陥落一周年記念日というので、女装して、店を出て、客の応対をしたことがあった。多美はそのとき栄二郎と一緒に行って、びっくりした。その店には、栄二郎のような男たちがいつも出入りするらしく、多美は主人と栄二郎とが仲間噂《うわさ》などをとりかわしあっているのを聞いてもいるし、また事実そんなような男が来ていて、スタンドの中にいる主人と話しているのを見て知っている。 「ねえ、いらっしゃいません」  蝶助も情を籠《こ》めた眼で、多美を誘った。  多美も知っているその店の刺戟の強い場面を頭に描いた。いまの自分の気持には、そういう場面がぴったり来るように思えるのだ。カフェ一梅へ行くために、三人はその喫茶店を出た。  場末のカフェによく見る色ガラスの模様のはまった一梅の入口から内部へはいると、まもなく多美ははっとして、身体がひきしまるのを覚えた。大原徹の声がしたからである。スタンドに向うむきになってもたれかかり、主人と話している男のがっしりと肉のもりあがった肩が多美の眼にはいった。 「今晩は、マダム」  栄二郎の声に、その男がこちらをふりむいた。大原の眼と多美の眼とが出逢った。多美はそのとき、大原の眼がきらりと匕首《あいくち》のように光るのを見た。 「よう、——」  低いけれど思いがけぬところで逢うおどろきをふくんだ声の調子である。 「しばらく」  おどろいたのは多美も同じであるが、つぎの瞬間彼女はもうこれは別れた男なのだという感じが来て、無理におさえたような挨拶になった。とっさに多美は、大原の誘いこむような調子に乗れば、そのままずるずるむこうへたぐりこまれるかも知れない自分の心のうごきを忘れたのだったが、相手は彼女のそんな態度をどういうふうにとったのか、顔の色がかわった。多美はびくりとした。その男の顔色から、彼のかっとなったときの兇暴さをはっきりと思い浮かべたからである。矢島と二人でいるところを見つけられたときは、大原は矢島をアパアトの廊下中追いかけ、鼻血をだしてふらふらになるまで殴《なぐ》り、しまいには二階の階段から履き古してすりきれた草履のように蹴落《けおと》したのである。別れてからわずか一年足らずしかならないのに、別れた男の気持のこんな場合のうごき方にぼんやりしていた自分にあわて、多美の顔色もかわった。 「あら、おーさん、江坂さんご存じなの」  蝶助が二人を見くらべながらいった。栄二郎もそばから、 「なあんだ、ちっとも知らなかったわ」  と、びっくりしたようにいって、 「ねえ、江坂さん、そいじゃご一緒に飲みましょうよ」  と、多美をひっぱるようにして、スタンドのそばへつれて行った。 「元気かい」  身だしなみのいい大原のきちんとした背広姿にひさしぶりに接して、多美は胸のあたりが、ちくちくとするように感じた。一度かわった顔色も、多美が素直に寄って行ったのでもとにかえっていた。 「聞いたぜ。この間銀座で牧っぺに逢ってね、君が商売がえしたことを」 「あら」 「新生活の建設というわけかい、大したはりきり方だっていうじゃないか」 「いつまでダンサアしていても、さきの見込みがないんだもの、——お婆さんにはなるし」 「牧っぺはバアではたらいているんだってね、すっかり感心してたぜ、お前のかわり方に」 「あら、あの子だって昼間洋裁の学校へ行っている筈《はず》だのに、じゃ、やめたのかしら」  滝牧江は多美と一緒にホールをやめた仲間で、これから一所懸命に新しい生活をきずきあげるのだと誓いあって、夜は酒場にはたらきながら昼間は洋裁学院へかよっている筈なのに、やっぱりまたこれまでの怠け癖が出たのだろうか、多美は落伍《らくご》する仲間の話を聞くたびに、はげしい流れの中を横ぎっているような自分をいつも感じる。自分だって盲滅法にいまこそ生きてはいるが、いつ何どき急流に足をさらわれて、流されてしまうかわかりはしないと思うのである。それにしても多美は、大原は自分と別れてから彼の関係している内報屋の仕事で関西方面へやられたと聞いていたのだった。そんなためもあって、多美は男禁制と自分自身に誓ったときは、矢島喜一だけがその一番の対象で、大原徹へはそれほどはっきりとした気構えを持たなかったのであるが、それが大原の思いがけぬ出現で、必要以上に彼女をうろたえさせているわけでもあった。  大原にすすめられて、多美はハイボオルを何杯か飲んだ。多美は酔った。すると胸が灼《や》けるように苦しくなった。それは多美には、上等のご馳走を食べたことのあるものが、その匂いを嗅《か》いだだけでいてもたってもいられなくなるようなものだ。彼女は胸もとが苦しくなって来た。彼女を一層いらいらさせるのは、栄二郎や蝶助の大原に対する態度であった。栄二郎たちはこの店へくると同時に、多美をそのままにして置いて、二人ともあらそって大原の機嫌《きげん》をとろうとつとめているのだ。彼らは大原の一言一睨《にら》みにもはらはらして、大原をサアヴィスしているのであるが、それにひきかえ大原自身は男たちの心をつかんでいるもののくそ落ちつきで、栄二郎たちをあつかっている。そのずばずばという遠慮のない言葉や、凄味《すごみ》のきいた身のこなしが、栄二郎たちにはたまらないらしく、いままで多美の前でおとなしくすましていた蝶助までが、酔ったためもあろうがいきなり気ちがいのような声をたてて大原にすがりついたりする。男についての感覚では、ある意味で女たちよりも鋭いこの男たちのそんな態度を、動物的でいやらしいと思いながら、大原がそういう男たちをにやにやして相手にしているのを見ると、多美はいらだたしい気持を覚えるのだ。嫉妬かも知れないと思うのであるが、どうするわけにも行かない。洗面所に立ったときだ。  そこを出ようとするとぬっと大原の身体がはいって来た。大原は、彼女の腕をつかんだ。ちぎれるような痛さだ。真正面から、大原の顔が迫って来た。爛々《らんらん》とした眼である。  熱い男の呼吸が、頬にかかった。 「おい、これから俺と、一緒に行こう」  大原の態度に、さっきからしばらく忘れていたひとりで強く生きようとする生活への意欲が、多美の全身にたぎりたって来た。 「あたしは、男の人とはもうつきあわないのよ」 「馬鹿、体裁のいいこといやあがって、あの化けものたちは何だ。あんなものとつきあうのが、ずっと堕落じゃないか」 「あんただってこの店へ来るんじゃないの」 「何を」  大原の酒に燃えた眼が、多美を見すえた。 「おれはお前に別れたからだよ」 「放して、——」  多美は本能的に身をひいて、洗面所を飛びだした。 「馬鹿だなあ」  大原は笑いながら、男たちの中へ戻って来た。  その夜、多美は眠られなかった。  八木まさはどうしたのか、一時が過ぎても帰らなかった。自分の頸《くび》にまきつけた大原の逞《たくま》しい腕の感じが、まだ頸筋に残っているようで、多美はそっとそこに手をやって撫《な》でてみたりした。耳もとで聞えた熱い呼吸《い き》づかいを思いだすと、胸がどきどきと鳴ってうずくのだった。多美は床の上をのた打つのであるが、肉づきのいい大柄な身をどすんどすんと乱暴にあつかうので、窓ガラスがそのたびに鳴った。  八木まさが帰って来たのは、夜が明けてからだった。  肩をすぼめて帰って来たまさを見る多美の眼は眠らないので充血していた。多美にはまさの前にひらけている運命がわかっているのだが、いま自分がどんなことをいって忠告しても、まさの行動をとめることは出来ないこともわかっていた。まさが多美のような気持になるまでには、どうしてもそこをとおらなければならない。三年はかかると、多美はまさの若々しい肌の色を眺めながら思った。もう三年もすれば、まさは男を絶とうと自分から決心するにちがいない。それまでは、はたから誰が何といっても、どうにもならないのだ。 「ねえ、お願い。誰にもいわないで、——」  陽《ひ》あたりのいい窓のところで、多美がシェルストンのマシンをあつかっていると、まさがそっと寄って来て囁《ささや》いた。朝から何度も聞く言葉なので、そんなに気にしているのだろうかと、多美はまさが可憐《かれん》に思え、にっこり微笑《ほほえ》んでうなずいた。まさは有難うというように、多美の手をぎゅっと握るのだ。店の仲間は、そんな二人に誰も気づいていないようだった。  昼の休みにまさは三福で、ビフテキ用の牛肉を買って来ている。店がすむとそれを持って、男のいる太宗寺のアパアトへ出かけて行った。  出かけるとき、その一きれを多美の機嫌とりのために、 「ねえ、江坂さんも、ビフテキでも喰《た》べて、うんと元気をつけなさいな」  と残して行った。この上元気をつけてどうなるのだと、多美は心で苦笑した。  多美も、もう大原徹が新宿駅の待合室で待っている時刻だった。いま出かけていったら、半年間の自分の誓いも、大原には負けてしまいそうな気がする。そうすると、自分の強く生きようとする希望も、駄目になってしまうことはたしかである。けれども、その時刻になると、多美の身体は熱くなって、痙攣《けいれん》して来た。じっとしていられなくて、店へ降りたり、二階へあがったりしていたが、やがて三階の部屋にあがると、床の上に横たわり、両膝を折りまげてぎゅうと抱き、眼をとじて死んだようになった。逞しい男の姿が眼さきにちらつく。そうしてしばらくいたが、じっとしていられない気持はいよいよ身うちにむずがゆく燃えさかって来る。  裏口では、ドオベルマンが、今夜も宵の口から吠《ほ》えたてている。  ふだんとちがう野性を帯びたその吠え声が、不気味に夜風の音をひき裂くようにして聞える。  突然、多美は起きあがると、駆けるように階段を降り、勝手口に吊ってある調教用の革の鞭《むち》をとって、そとへ出た。犬は尾をふりながら、後肢《あとあし》で立ち、彼女の胸もとへ跳《と》びかかる。  多美はきちきちと鞭を鳴らして、表通りへ出た。  灯を消している大通りのくらがりに、鞭がぴしりとひどい鳴り方をした。犬は弾《はじ》かれたように跳びあがって駆けて行ったと思うと、また砲弾のように風をきって戻って来た。また鞭が鳴ると、泡を食ったように犬はふたたび駆けだす。犬を追って、多美は鞭をふりつづけた。過ぎて行く自動車のヘッド・ライトの中に跳びあがる犬の影は、豹《ひよう》に見えた。多美は呼吸苦しく、腕がしまいに痺《しび》れて来るのを覚えた。けれど多美はまるで憑《つ》きものでもしたように、新宿の大通りを駆けまわるのだ。  店に帰ったときはぐったりとなり、腕は感覚のない棒のようだった。スエターの下はじっとりと湯のような汗で濡《ぬ》れていた。多美はまさの置いて行った牛肉をとりだすと、犬を呼んで店に入れ、それを投げてやった。あかるい電燈の光にどす赤く照らしだされている牛肉の塊を、犬は前肢でおさえて噛《か》じりはじめた。  いまの多美の鞭でやられたのだろう、犬の耳たぶのつけ根に、血がにじんでいる。犬は首をうごかしては、懸命になって血の塊のような肉を噛じっている。赤い肉は犬の口からすべっては、椅子やマシンの銀色の真鍮《しんちゆう》のパイプの間を転げまわるのだ。  しんとした近い夜の静けさの中に、あかるい電燈の下で、犬の肉を食う音だけが休みなくしている。  なまなましい光景は、いまの多美の気持とどこか照らしあうものがあった。犬の肉を噛じる音を聞きながら、女の建設はこの血みどろの道を踏み越えて生きるところにあるのだと、多美は自分にいい聞かせた。 鳩の街草話  都電向島《むこうじま》終点で降りると、すぐ左側の小路に、「鳩の街入口」とガラスの看板が出ていた。江東《こうとう》でも、このへんの一劃《かく》は焼け残っていたが、それだけにかえって長い戦争の疲れを、下町独特のごたごた立てこんだ家並のいたるところに浮きださせている。二丁ほどはいると、右手にアパアトのある小路の角まできた。  昨日は、ここから右へ折れたのだ。——昨日は浅草から吾妻《あずま》橋をわたり、隅田《すみだ》公園を抜けて、ぶらぶら歩いて反対側からこの街へはいってきたので、ちょっと見当がつきかねていたのだが、ここまでくれば、もうわかった。小路の左側には、店にソファを置いたり、形式だけのサイダー瓶《びん》などを棚に並べたりした、それらしい家が並んでいた。古いしもた屋へ店の部分をくっつけたり、二階を建増したりして、改造した家がほとんどだが、その安っぽい松材の柱が、商売柄それなりに磨《みが》かれて、表には水が打ってある。まだ夕方には間があったが、昼間の客をあてこんでか、もう厚化粧した女たちの姿が店の土間に見えた。 「まだ暑いなあ。九月も中旬になろうというのに、一向涼しくならねえ。今年は季節まで狂ってやがるのか」  小倉時男は、肩を並べて歩いている登代の棒縞《ぼうじま》の明石《あかし》の背中に、汗がにじんでいるのを見た。その黒く見える汗の斑点《はんてん》と、埃《ほこり》っぽい残暑の陽《ひ》ざしに照らされている、世帯やつれの見える衿足《えりあし》の皮膚の色との組みあわせが、奇妙に性慾的である。  七年も連れ添ってよく知っている筈《はず》の女の肉体に、ふと胸の底のうずくような、へんな悩ましさを覚えた。  生活の苦労に血色こそ冴《さ》えないが、小肥りの筋肉のよく動く、汗っかきの肉体である。この肉体にも、もう当分のあいだ接しられないと思うと、昨夜、あれほどしっぽりと惜しんだ別れに、まだ未練が残っているように思えた。 「雨がないので、蚊《か》が多いわね。ほら、このへんの蚊は歩いていたって、寄ってくるんだね、……」  どぶの多い土地柄らしく、あたりの空気は湿気くさくて、日陰の路地を左へ折れると、蚊がうなって、脛《すね》や首筋の血を吸いとりにきた。  裏二階の軒の乾竿《ほしざお》には、濃い桃色や赤い腰巻がだらりと鈍い陽を弾《はじ》き返している家がある。そのどぎつい色が、いかにもしぶとい人間の欲望を安直に満足させる場所らしい、痴呆《ちほう》な感じを発散している。  日照りつづきで乾いて、そり返っているどぶ板を踏んで、「つた梅」の路地を、登代をさきに立ててはいった。昨日きたから登代の足は、ためらわない。彼女のくせの、思いきりいきおいよく左右へ腰をふる歩き方が、今日はたまらなく色っぽく見えた。  しまった、——俺はとり返しのつかぬことを仕出かしたのではないか。不意に、そういう疑惑が、胸をつきあげてきた。——  小倉時男が仕事の上の仲間との共有金二万円をつかいこんで、内妻の登代を、こんな土地へ沈めようと決心するまでには、彼としても一とおりためらったことは事実だ。けれども、結局、そのためらいは、登代をほかの男の手にふれさせたくないという気持よりも、——それもあるにはあったが、——どういうように登代に、そのことを納得させたものかということであった。なんにしても七年も連れ添うた妻である。もっとも、あいだ三年五箇月は応召していて、留守ではあったが、芝浦の製鋼会社の工員であった小倉が応召中も、自分で働いて立派に留守を守りとおしたのである。  人がよくて、小倉にすっかりたよりきっているので、そのために小倉の方でも安心しきってつい気にかけないでいる。人間は自分を絶対に馬鹿にする心配のない相手を、馬鹿にするものである。小倉の場合がそれで、相手から安心させられているために、相手を馬鹿にしているのだ。  登代は小倉時男と一緒になる前に、池袋の飲み屋にいた。十九のときである。太平洋戦のはじまる前で、そんなしょうばいが時局にあわないものとしてそろそろ取締りを受けだし、面白くないため、登代は十六のとき飛びだしてきた群馬の郷里の家へ四年ぶりで帰ろうと思っている際、小倉時男と共鳴して、同棲《どうせい》した。登代は小倉以前にもう数名の男を知っていた。そんな勤め口をいくつか転々としたので、そのあいだに行くさきざきで、男が出来たのだ。  色は黒かったが、上州女らしいちんまりと眼鼻立の整った顔をしていて、小柄な体格の、肉もよく締まり、スタイルもいい方だった。小倉も珍しいあいだは猫可愛がりに可愛がってくれたが、二年もすると、もう世間の良人《おつと》よりも関心を持たなくなった。熱中癖の、あきっぽい小倉の性格が、そこにも出た。復員してからは、それが一段とひどくなった。  通常ならば長い期間、妻と離れていたのだから、新鮮な気分でまた新婚生活のやり直しをするくらいの仲のよさを見せるのに、小倉時男の場合はそれとは反対で、留守中の登代の苦労をねぎらうのは精々三日間だった。四日目からは、もう以前に帰って、面白くなさそうな顔つきをした。登代の方でもそんな小倉の態度を別に薄情とも思わず、それが通常のように思った。夫婦のあいだとはそんなものだと思い、食わしてくれさえすれば文句はなかった。  小倉は帰ってからは、「職になんかついたら、かえって食えねえよ」といって、定職を持たず、仲間と連絡をとり、ブローカアの下ばたらきのようなことをはじめた。一時は結構それが、生活の方途になった。そんな生き方はなにも小倉一人ではなく、世間には大勢いたし、どんな人間でも、多かれすくなかれ、ヤミをしなければ生きて行けない世のなかだから、登代も小倉の腕に頼もしさこそ感じても、それ以外のことは考えもしなかった。  ここへ身を沈める話は、五日前に小倉から切りだしたのだ。「どうだい、すまねえが、しばらく辛抱してくれる気はねえか、——うんといってくれると、恩に着るんだがなあ、……」と、小倉はいいにくそうにいった。「ほんのしばらくでいいんだ。早けれゃ半月で、ひきとりに行けるんだぜ。いま銚子《ちようし》の網元へ紹介している豊橋のマニラ・ロープがものになりさえすれゃ、——そいつがはずれても、ほかにも当てはあるんだから——」  小倉が仲間との共有金を二万円も使いこんだとは、そのときに小倉の口からいわれるまで知らなかった。小倉が復員してから、一年二箇月になるが、今日までこんな不安定な時代に二人が生きてこられたのも、彼のはたらきのあるところだとのみ思いこんでいたのである。  小倉は仲間の永見や島と六箇月ほど前、自動車の部分品をあつかって二万円もうけたのだが、その金ですぐとセメントを買付けて、彼の知っている倉庫に預けてあることになっていた。それが最近、セメントの買手を見つけたといって、永見から現物をだすように催促されているのだ。どうしても数日のうちに解決せねばならない。セメントは無論なかった。が、それは倉庫番がごまかして勝手に処分してしまったとでも、なんとでもいって、とにかく現金の耳をそろえてさしだせば、なんとか解決はつかないでもあるまいが、そうでないことにはこの場の収拾がつかないのである。二万円という金額は、仕事の上ではこれまでだって手がけないではないが、しょっちゅう手もとにあるわけではなく、ないとなると、かつぎ闇屋に毛の生えたみたいな小ブローカアには、おいそれとは簡単にまとめられない金額だ。  その金が自分たちの生活費についやされたことは、登代にもわかっている。登代は小倉を可哀そうに思った。小倉のためならば、どんなことでもしてやりたいような気がした。小倉が自分をそんな境遇に堕《おと》そうとするのを、すこしも恨まず、むしろそんなことで小倉の窮境が救える自分に幸福を感じた。  いよいよ明日は行くという前日、小倉は「浅草へ映画見に行こう、二人で見るのも、当分駄目かも知れない」と登代を誘い、浅草へ行った。映画を見ると、「明日行く家だがなあ、——行く前に、どんなとこか、そとから一度見て置く気はないか、その方がよけいの気をつかわずにすむんじゃないか」といった。 「吾妻橋を渡って、ちょっと歩けばすぐなんだ。あの辺は焼け残っているからいいところだぜ」  橋をわたって、公園の河岸を上流の方へかなり歩いて、それから右に折れた。焼跡を通って、ごたごたとした一劃にはいった。「このへんだよ」といわれて見ると、家のつくりがみんな変っていて、店のようなところが喫茶店や小料理のようになっている家がつづいている。そういう店に、濃い化粧をして派手な着物を着た女たちの姿が見えた。 「この家だよ。ちょっと、寄ってみよう、折角きたんだから。おかみさんに逢って行こう」と小倉がいいだしたときは、もうそのうちの前にきていた。軒に「つた梅」と書いた看板が出ているのを、ちらっと見て、その横手の路地を小倉についてはいった。  裏口はあいていて、すぐと三畳の茶の間になっていた。隣りの家が邪魔して、あかりがとれないので、昼間でも電燈がついたその部屋の、長火鉢の前に五十がらみの男があぐらを掻《か》いていて、その前に四十ぐらいの、夏の着物に黒帯を締めた女がむかいあって坐っていた。それがおかみだった。男はこの家の主人らしい。 「大丈夫だよ。なにも心配するこたあないよ、民主主義だからね。昔とちがって、自由なんだから。家へ帰りたかったら、いつ帰ってもいいんだよ。うちはその点、ほかよりも、出方《でかた》さんの自由にさせてるんだよ」と、おかみは登代にいった。「うちはいま三人いるんだけど、みんな暢気《のんき》にやってるよ」  おかみは小肥りの、皮膚もいい血色をしていた。男も頭がすこしうすくなっていたが、顔の色艶《いろつや》もてかてかしていた。畳もとりかえたばかりらしく、青っぽい匂いがした。そんなことに、登代にはなにかしら、たっぷりとした豊かな感じを覚えた。  二十分ばかりいるあいだに、ここにいる若い女が、つぎつぎと現われた。  玄関からすぐとついている階段を降りて、茶の間へ顔をだし、「けちけちしてやがるのさ、かあさん。口あけだからまけてやったわ」と、金をおかみに手渡して、また二階へあがって行く。それはまぶたの膨《は》れぼったい、肩幅の張った色白の女であった。 「いまどきの学生って、なんにも知らないね。あがり花って、なんだなんていうのよ」と、すこし齢《とし》をとった背の高い女がいった。若いときから水商売の世界で過ごしてきたような身ごなしの女だ。 「ただいま」と、そとから帰ってきた洋装の二十くらいの娘が、赤い短靴を登代の足もとへ無雑作に脱いで、上へあがると、「ああ、疲れちゃった」と、べったりおかみのそばへ坐った。 「面白かったかい?」 「今日の上原は殿下だなんて、へんな役やってるからいやんなっちゃった。損しちゃった」  娘が二階の自分の部屋へ着換えに行くと、「あの子は、上原っていうと夢中でね。上原に似た客ばかり選《え》り好みして、困るんだよ。女学生みたいな気でいるんだね」と、おかみは自分の子のことでも話すようにぞんざいにいって笑った。「目黒の女学校へ三年まで通ったというんだがね、——埼玉に疎開してたんだけど、この節だから困って、父親が、先月つれて頼みにきたんですよ」  その日、帰ると、小倉は、「今日は実は、お前を目見得《めみえ》につれて行ったのさ。おかみの気に入ったと見えて、帰り際《ぎわ》に俺の背中をこづいて、眼でうなずいてたぜ。明日はもっと吹っかけてやろう」といった。 「そうならそうと、はじめからいえばいいのに、水くさいわね、あたしもそのつもりで、もっと澄ましたのに」  登代にはこんなときに及んでの小倉の他人行儀が、気持にぴったりこなかった。こんな世界に身を落すことは、いくら登代が、これまでに数人の男を知っているからって、相当の決心が要るのである。その決心を彼女は惚《ほ》れた男のために犠牲になるという感傷で、ぬりつぶしてしまおうとするのに、そういう彼女の感傷を小倉は考えてくれない。小倉がみとめてくれないで誰のための心中立てだろう。 「なにも好きで、あんなとこへ行くんじゃないあたしの気持、あんたもわかってくれてるんじゃないの? あんたがそんな気持なら、あたし行く元気がくじけるわ」  身体を多くの男の前に投げだそうとする女には、普通の女よりも一層愛情のよりどころが必要なのだ。その一本の杭《くい》にしっかりとしがみついて、身体を流れのなかに、水のもてあそぶままにまかせようとするのである。その杭がぐらぐらと不安定では、自分は河のなかへ流されてしまう。  その夜、登代の身体は小倉の身体に一晩じゅうしがみついて離れなかった。この男とこの夜を最後に、明日からは別の男の肉体と接して行かねばならないかと思うと、女の本能はそれをいやがった。不安であった。小倉時男と同棲する前にも、数名の男を知ってはいたが、それはほんの娘の頃であり、まだそれだけで男の肉体を知りつくしたという安心はなかった。どんな知らない、恐ろしい男の肉体があるのか、それが不安の種である。登代はその不安を、率直に小倉に告白した。すると小倉はしばらく黙っていた。  小倉は自分の肉体に十分な自信がないのだ。登代が新しい生活にはいることによって、これまで小倉や、それ以前の男から見せられなかった新しい未知の世界へはいりこむことが、彼には不安だった。その不安は登代をそんなしょうばいに沈めさせようと、決心したときはなんでもなかったのだが、そんな不安を彼女から聞かされると、急に彼自身も不安になった。——自分の女に、自分よりすぐれた男の肉体の存在することを知られることは、男には本能的な恐怖である。女の頭のなかにどっかとあぐらをかいている自分の像が、その男の像とすりかえられるにちがいない。その結果、彼の彼女に対する威厳は急速にくずれ去るにちがいないからだ。本当の嫉妬《しつと》というのは、相手の男が自分より金があったり、美貌であったりすることよりも、相手の男の肉体が自分より女をよろこばせる上にすぐれていることに対する恐怖である。もし、相手の男が自分より金持であり、美貌であっても、肉体的に劣弱であったならば、彼は胸の焼け爛《ただ》れるような奥深い、どうにもならぬ絶対的な嫉妬を感じる必要はないにちがいない。 「男のなかには、キング・コングみてえな奴がいるからな。一種のかたわだよ。そんな奴に出会わすと、身体がこわれてしまうから、よっぽど注意しないといけないよ、——ほら、よくあるじゃないか、おかみさんをもらっても、もらっても、死んでしまうというのが、——それなんか、みんなそんな口だよ。子宮がやられるんだ」  登代が男の肉体を本能的に恐れているのをさいわいに、小倉の男の本能は、その恐怖をもっとあおりたてようとやっきになった。 「そんな男に逢ったら、あたし、いやだわ。どうしたらいいのよ」  登代の恐れるのは、そんな男の肉体よりも、その肉体に反応する自分の肉体であった。もし自分の肉体が小倉の肉体よりも、他の男の肉体を、いいように感じたら、どうなるだろう、——そのときは、小倉に対するいまの自分の愛情にも変化があるのではないか、年増《としま》女の本能はそれを不安に感じている。そこまでは、小倉はわからなかった。—— 「ラジオじゃ、暴風警報が出ているけど、ちっと降ってくれた方がいいんだよ。百姓もよろこぶよ」と、おかみは茶を淹《い》れながらいった。  主人は火鉢をへだてて、小倉とむかいあって坐り、筆をにぎっていた。罫紙《けいし》に借用証書の文面を書いているのだ。  茶の間の火鉢の前に坐らされて、愛想のいいおかみから、熱い茶をさされながら、小倉はさっき感じた疑惑が、どんどん胸のなかにひろがって、胸が押しつぶされそうになるのを感じた。いまならば、まだ間にあうのだが、——ぼんやりとした眼つきで、小倉は主人の筆のうごきをみつめていた。 「じゃ、ここへ判子を押して下さいよ」  主人は借用証書を書きおわって、それと一緒にうしろの小さな金庫から札束をとりだし、畳の上に置いた。  思わずためらう気配が出て、小倉はちょっとのま、落着かぬ様子を見せた。 「早くすまさないの? あんた」  と、登代が横からいった。小倉はあわてて、内ポケットから財布をだし、そのなかにしまってある印鑑をとりだして、借用証書に捺印《なついん》した。今日から自分以外の男の腕に抱かれる登代の肉体が、にわかにたまらなく愛惜された。よく締まった身体つきや、皮膚のなめらかさや、夢中のときの彼女の世迷い言やそんなときの誰も知らないしぐさが、つぎつぎと熱い頭に浮かんでくる。——小倉はへんに咽喉《の ど》が乾いて、胸が苦しくなった。 「かあさん、あのひとたち、まだ帰らないかしら? お客さんだけど」  と、昨日、上原謙のファンだといった若い女がはいってきた。 「四時には帰るっていったんだがねえ。困ったね。お馴染《なじみ》かい」 「フリの客よ、——帰すわ」  女が出て行こうとするとき、 「あたしじゃ、いけないかしら、——」  登代はおかみにいった。いまどきのことだから、きた日か翌日から客をとることぐらいのことは、生娘でもない彼女には覚悟は出来ていたが、それがきた日もきた日、まだ小倉のいる眼の前で、何故自分からそんな行動に出るのか、彼女自身よくわからなかった。突然、そういわずにはいられない衝動が身うちから彼女をつきうごかした。けれども、登代は小倉の眼の前だからこそ、そうせずにはいられなかったのだ。  小倉はびっくりした表情をして、彼女をみつめた。 「あたしが出ちゃ、いけない? まだ駄目?」 「駄目って、わけじゃないけど、——」とおかみは、小倉の方をちらっと見た。「いま、きたばかりで、——そんなにしなくてもいいんだよ」  小倉に気をかねて、そういうのを、 「どうせ、すぐにもお店へ出るんだから、いいわよ。——このひとだって、あたしが立派に勤めることが出来るのを見て帰った方がいいのよ」  わざと小倉を無視していった。小倉の弱々しい視線が、自分の左の頬《ほお》に灼《や》きついているのを感じていたが、その部分の皮膚がひりひりとして、かえって快かった。  金を受取っている以上、小倉には一言もいうことが出来なかった。 「そうかねえ、——いいかねえ」 「いいわよ、かあさん」  昨日ほかの女が呼ぶのを聞いて、そんな呼び方をするのかと思っていた「かあさん」という言葉が、自然に口から出た。それがまたしょうばい女らしい感じを、小倉に与えるのを、登代は感じた。そんなことが、小倉を苦しめているのが気持よかった。 「それじゃ、部屋へ案内するからね」  おかみに案内されて、二階へあがりしなに、 「じゃ、あんた、いいわね。行ってくるからね」  小倉の顔をみつめると、小倉は片頬をひき吊《つ》らせるようにみにくく歪《ゆが》めて、うなずいた。泣き笑いの表情である。あきらかに、彼女をひとにくれることを悔いている眼である。もうとり返しのつかない、このどたん場に追いこまれ、にわかに狼狽《ろうばい》して、もがいている眼である。  七年間の小倉から無視された生活は、この一瞬間のために、黙々と忍んできたような気がした。その瞬間、登代は小倉時男に、はっきりと憎悪を感じた。小倉のしつこくすがってくる哀願的な視線を、気づかぬようにはずして、おかみのあとから、二階の階段をあがる彼女の胸は満足でふくらんでいた。 「なんとかって、むずかしい名前の颱風《たいふう》があるっていうけど、大したことなきゃいいがね。すこし、雨でも降ってくれないと、いつまでも暑くてねえ。それに、——蚊が減らなくて困る」——主人は団扇《うちわ》で、ばたばたとはだけた胸をはたいた。  二階の気配にひとりでに全身の神経があつまって、聞き入る姿勢になる小倉の耳に、部屋のなかを飛んでいる蚊の唸《うな》り声が聞えた。血の気のひいた額に、じっとり脂汗《あぶらあせ》が浮いた。 肉体の門  小政《こまさ》のせんと自分で名のる浅田せんは、裸になると、まだ乳房も十分にもりあがってはいない。十九歳にしては皮膚に艶《つや》がなく、筋肉に脂肪の乗りがうすかった。身体の青白さは、すこし病的のようだった。  せんは一日置きに朝のあいだ、矢の倉の刺青《いれずみ》師彫留《ほりとめ》のもとへかよっている。まだ四十に間はあるが彫留は、戦前からやくざのあいだではかなりに知られた彫師で、戦時中旋盤をあつかわされていた徴用帰りの腕にも変りなく、針の目の綺麗さと、仕あげの派手さで、いま、売りだしだった。浅草のある親分のおもい者で、もと柳橋に出ていた女の背に彫った、彫留の牡丹《ぼたん》は蝶《ちよう》が来てとまるといわれ、水もしたたるとまで噂《うわさ》のある、終戦後彫物界第一等の傑作といわれている。 「親方の牡丹は、屋根熊さん以上だと、年寄り連中はいってますぜ」客が愛想をいうと、「なあにあっしのはいたずらでさあ」と、口ではへりくだったが、屋根熊の絢爛《けんらん》さは勿論《もちろん》、彫友、彫金、宇之などといったかつての名手たちの手法まで、ひそかにとり入れていることは、まちがいなかった。そんなように芸の上ではひたむきなところがあったが、いわゆる名人肌《はだ》といった気むずかしさがなく、客当りはごく気さくなために、家には客がたてこんでいる。横浜や水戸からかよってくるのもあった。  焼跡に建った六畳に四畳半のバラックである。四畳半を仕事場に、六畳は客の控えの部屋にあてていたが六畳間は朝から晩まで客でいっぱいなので、彫留のかみさんは、赤ん坊を抱きながら、お茶の接待に追われきりである。客は博奕《ばくち》打ちやテキ屋ばかりでなく、復員の闇屋《やみや》からチンピラまでいた。せんのようなしょうばい娘もいた。一体に、玄人《くろうと》と素人《しろうと》との区別が、今の世間でもあいまいなように、ここでもそうだった。主人が客に小言をいわないのをいいことに、闇屋やチンピラたちは、勝手なことをしゃべり散らしている。ガソリンをいくらで買って、いくらで売りとばしたとか、いかさまズルチンでいくら儲《もう》けたとか、そう思うと、チンピラたちは「かつ(恐喝《きようかつ》)でまきあげるにゃまんじゅう(時計)が、てっとり早えが、足がつくのも早えからな」なんていって威張っている。博奕打ちやテキ屋はどっちかというと無口だった。今の世間の例にもれず、ここでも素人が玄人を圧倒していた。彫るのは、一日一寸角の大きさときまっていたが、客が多いので下働きが二名いる。どの客もよく金を都合して、根気よくかよっている。きちんときまってかよっていたのが、急に顔を見せなくなるのがあった。検挙されるか、身体があぶなくなってずらかるかするのにちがいない。 「関東小政」と一字二寸角の勘亭《かんてい》流で、せんは左の上膊《じようはく》に彫ってもらっていた。一字三百円で、すでに三十日あまりかよい、まだ「政」の字だけが筋彫りのまま残っている。彫りあげると、千二百円をつぎこんだことになるのだった。街のしょうばい娘であるせんにとって、千二百円は安い金額ではない。ただせんはなにがなんでも、自分の肌に刺青がして見たいのだ。身体を売っても、まるっきり肉体のよろこびをまだ感じない彼女は、すこし早くひらき過ぎた花が匂いのうすいように、身体も、精神もどっかまともでないかもしれない。せんは人間の皮膚に、さまざまの絵や字が刻《きざ》まれることが珍しいのだ。そういえば、彫留へ来る男たちは、みんなそうなのにちがいない。丁度、原始人が、自分の身体を刺青で飾るように、それが智能の低い子供のような単純なよろこびだった。それとともにまた、原始人が虎や、鰐《わに》や、熊と闘《たたか》うには、人間以上の能力をそなえたなにものかに化けなければならないのと同じように、せんのその日その日が闘いである生き方には、自分よりももっと強い、逞《たくま》しい神秘な力を本能的に欲しがった。自分たちの縄張りを荒らす、山の手あたりのお嬢さん面《づら》したパンパン娘を、路地にひきずりこんで、ぱっと左の腕をまくりあげ、「関東小政」の四字が月の光か、ネオンのあかりに映《は》えるのを眼にしたときの、相手の毒気を抜かれた表情を想像すると、闘志で胸もとがうずくのだ。 「お前さん、お見それでないよ、あたしゃこういうものさ」と、凄味《すごみ》を利《き》かせてやんわりと出るか、それとも、「見損《そこな》うねえ、へん、あっちにもこっちにもあるお姐《あね》えさんと、お姐えさんがちがうんだよ」そう頭からかむせてやろうか——三つ束ねの墨を含んだ絹針が、ぷつ、ぷつと皮膚を噛《か》む痛さを、歯を喰《く》いしばってたえながら、ひそかに口のなかでつぶやいていると、いつか痛さも忘れてたのしくなるのである。「ちぇっ、強情なあまだなあ」襖《ふすま》をへだてて、しんとした気配に、チンピラどもは眼を見あわせて舌打ちをする。  小政のせんはまるで少年のような筋肉だけの肉体を持っているが、その魂はまた、気に入らぬものには、なんにでも噛みつこうとする気魄《きはく》にあふれている。せんにはどんな怖《こわ》いものもない。いや、せんだけでなく、彼女の仲間は、二十三歳の菊間町子をのぞけば、ボルネオ・マヤこと菅マヤでも、ふうてんお六こと安井花江でも、ジープのお美乃こと乾美乃《いぬいみの》でも、みんな人間の少女というよりも、獣めいている。それも山猫か、豹《ひよう》のような小柄で、すばしっこい猛獣である。そういう猛獣たちが獲物を狙《ねら》って、夜のジャングルをさまようのとかわらない、必死な生存欲に憑《つ》かれて、彼女たちは宵闇の街《まち》をうろつくのだ。背広のサラリイマンであろうと、復員服の闇屋であろうと、闇肥りの年輩者の工場主であろうと、みんなこの猛獣たちの獲物である。  彼女たちのしょうばいは、女衒《ぜげん》や桂庵《けいあん》みたいな、あいだにはいって儲ける手合いがいない。街の都指定の鮮魚直売所には新聞紙に下手な字で、「生産場と消費者との直結」とうたってあるが、彼女たちのしょうばいのやり方こそ、それにあたる。自分で客を見つけ、自分を売る。これ以上の合理的な直売法は、どんなやり手の商人でも考えだしたことはない。銀河や星のきらめいている夜空のもとで、あるいは蒸し暑い雨雲の垂れこめた下で、焼けビルのなか、立ちかけのマアケットのなかで、埋め残されたじめじめした防空壕《ごう》のなかで、彼女たちは雑作もなく、仰向いてたおれる。そうして、野天の取引はおこなわれる。客の眼は、彼女たちの瞳《ひとみ》が意外に綺麗に澄んでいるのを見て、とまどうときがある。まだ情慾の神秘を知らぬ彼女たちは、まったく生きんがための必死なしょうばいにだけ打ちこんでいるのだ。客はちょっとひるむ。彼女たちには、何故客がびくつくのかわからない。彼女たちは不安がり、客の眼がもとの好奇の光をとり戻すまで、じっと客を抱いて放さない。それが彼女たちの闘い、——生きんがための闘いだ。  法律も、世間のひとのいう道徳もない。そんなものは、日本がまだ敗《ま》けないとき、彼女たちが軍需工場のなかで汗と機械油にまみれているときを最後に、爆弾と一緒に——そして彼女たちの家や肉親と一緒に、どっかへふっとんでしまった。なんにもなくなって、彼女たちは獣にかえったのだ。まったく、彼女たちは廃都の獣である。彼女たちは地下の洞窟《どうくつ》で眠り、喰らい、野天でまじわる。そのまだ青い巴旦杏《はたんきよう》のような肉体は、なにものをも恐れない。むごたらしく、強い闘いの意欲だけがあふれている。爆弾で粉砕され、焼きはらわれた都会は、夜になると、原始に還る。彼女たちの血に飢えた、凄惨《せいさん》な狩りがはじまる。狩りは旺盛な意欲をもって、機敏におこなわれる。ある夜は、逆に彼女たちが狩られることがある。省線電車の駅で、高架線の下で、十字路で、彼女たちをつかまえようとする縄が幾重にも張りめぐらされる。だらしがなくて、ぼんくらな有閑娘たちが、それにひっかかって、泣きべそをかいているあいだに、彼女たちはすばしっこく巣にひきあげて、笑いあうのだ。  けれども、彼女たちにも掟《おきて》がある。それは自由を確保するための掟である。原始人のタブウのような、あるいは獣の世界にある「群」の意識のような、自衛と、生存のための連帯の秩序である。たとえば、彼女たちの縄張りである有楽町から勝鬨《かちどき》橋までの区域で、知らない娘が男をひっぱっているのを見つければ、協同でそういう外部の敵に襲いかかる。そういうときのためや、彼女たちがさつ(警察)にあげられたときに、亭主だとか兄貴だとかになって貰《もら》いさげに来てくれる男の仲間がいた。けれども、そんな若者たちは、決して彼女たちのいろでもなんでもない。ただの生活協同者にすぎない。外部に対してはそういう掟のようなものがあるが、仲間同士のあいだでも、「群」の掟がある。たとえば、正当な代価をもらわずに、自分の肉体を相手にあたえる者が一人でもあれば、それは自分たちの協同生活体の破壊者である。何故ならそんな行為は自分たちのしょうばいを脅やかすことになるからだった。そんな者に対する制裁は、惨酷《ざんこく》で、仮借なくおこなわれる。三箇月も彼女たちの仲間だった一人の娘は、有楽町の高架線の下で宝籤《たからくじ》を売っていた学生と恋に落ち、「群」の掟を破ったがため、兵隊のように頭を丸刈りにされて、仲間から追いだされた。  腐った泥の匂いのする掘割にのぞんだ焼けビルの地下室が、彼女たちの巣だった。こんな地下の洞窟のような場所に、彼女たちが棲《す》んでいるとは、誰も、——そとで組んで仕事をする男たちも知らない。恐らく、ビルの持主さえ知らないにちがいない。浮浪児と、ルンペンとが、ときどき何かいい貰いものでもあるかと覗《のぞ》きに来た。彼女たちはそれを見ると、噛みつくようにがなりたてて、追っぱらった。ここは客をつれこんでくるところではない。ここは彼女たちだけの安息所だ。闘いに疲れた獣の眠り、食う場所だ。  洞窟の入口には断ち切れた水道管が、蛇のように鎌首《かまくび》をもたげていて、そこから朝も晩も水が噴きあげている。水はコンクリーの傾斜のうえを流れて、掘割にそそいでいる。この水で、米をとぎ、横文字のはいったバターの二ポンド入り空罐《あきかん》を飯盒《はんごう》がわりに、飯を炊《た》くと、素的滅法界な銀しゃりが炊ける。  壁の崩れた箇所のすぐ前を、糞尿《ふんによう》船や、砂利船がとおった。近くの岸に平べったい船がとまり、よくしなう板を船と岸とのあいだにかけ、焼跡からこわれた煉瓦《れんが》や鉄屑《てつくず》をいっぱいに積んでいることもある。朝まだ暗いうちに、しこたま荷を積んでいるらしく、この掘割へ吃水《きつすい》深く、ひっそりとはいって来る船がある。 「小父さん、ここはお関所よ。ただとはいわないから、安くして、すこし置いてきなよ。なんだったら、身体ととっかえてもいいわ」  米の闇船をからかうのだ。木更津《きさらづ》あたりから夜出てくる船である。  ビルの岸に、半分水びたしになった、ほとんどもう沈みかかっている小蒸気船があった。蒸し暑くて、寝苦しい夜は、しごとから帰った彼女たちは、水垢《みずあか》の匂う船室に寝そべり、ペンキの剥《は》げた舷《ふなばた》に腰かけて、「長崎物語」や「婦系図《おんなけいず》」を歌う。銀河が水面にうつって、さざ波にゆれるのを眺《なが》めて歌う彼女たちの頭には、いまし方すましてきた男たちとの抱擁《ほうよう》なんか、遠い世界の出来事としか思えない。 「あたいの母さんは、弟と河の中で死んだのよ。代地河岸《だいちがし》でさ。弟って七つだもの、逃げられないわ」小政のせんは、そんなとき生々《なまなま》しく自分の運命を思いだす。せんの家は本所《ほんじよ》横網町で、駄菓子を売っていた。母親と弟は橋を渡って、柳橋まで逃げたのだった。 「あんたは、そんとき、どうしていたの」と、ジープのお美乃が訊《たず》ねた。 「あたいは、大崎の工場にいたので助かったんだよ。大川へ飛び込んだり、船に乗ったひとたち、みんな死んだわ。舷につかまっていて、死んでいたお角力《すもう》さんもいたってよ。水の上に出ている手首だけが真黒に焦げたって。水が燃える、——呼吸が出来ないのよ」「もう、そんな話はよしなよ」とボルネオ・マヤがいった。「あたいたちは、みんな戦争でやられた仲間にきまってるじゃないの」マヤはボルネオへ行ったことはない。マヤの兄がボルネオで戦死した。それ以来彼女はボルネオのことばかり話すので、こんな名前がついた。眼が大きく、小肥りで色が浅黒いことも、この名前をひきたてた。けれども、ふだんは誰も、あんまりお互いの過去をいいあわない。そんな感傷をわけあっている気持のゆとりがないのだ。まず食わねばならないのである。そのためには、まず呪《のろ》うことだと思っている。なんでもかんでも、自分たち以外のものは、みんな呪うのだ。浮浪児も、ルンペンも、赤ん坊も、労働者も、人妻も、みんな呪うのだ。親も、もっと偉いひとも呪うのだ。ビルも、電車も、トラックも、みんな呪うのだ。誰も自分たちをかばってはくれないことをはっきりさせ、自分の気持にくぎりをつけるのだ。そこで、団結は一層強められる。その団結は誰が強《し》いるのでもなく、誰が教えるのでもない。どうしても生きて行こうとする本能が、ひとりでにそうさせるのだ。  街にはお嬢さんくさいあいまい娘たちが、大勢いる。そんな娘たちの組もあるだろう。けれども、そんな娘たちの仲間は、ただ肉体の興味だけで、だらしなくひきずられている、はっきりとした徒党というのではない。その日その日の吹く風につれて、鋪道《ほどう》にこぼれあつまっては、また散ってゆく柳の葉っぱのように、顔をあわせて、一緒に遊んでは、つぎの日はまた知らぬ顔の、そんなものとはちがっている。マヤたちのはあきらかに一つの組である。一つの党である。戦火が、ひとりでに廃都の焼跡に生んだ自然発生の党である。何党というのだろう。名前も、七面倒な綱領もないが、飢えと孤独にさいなまれた娘たちだけの、土から生《は》えた根強い団結と、闘争力とを持っている秘密の党である。 「魂消《たまげ》たね、浅草の芸者で、太腿《ふともも》に蜘蛛《く も》を彫ってるのがいるそうよ。白粉《おしろい》彫りでさ。酒を飲んだり、いきむと、白い蜘蛛が浮きあがるのだって、——魔除けになるんだってさ」彫留の家で聞いて来た噂を、せんが披露《ひろう》した。「いやらしいったら、ありゃしない」彼女たちは肌の手入れもしないし、幾日も風呂へ行かない。闇市で買った一瓶《びん》八円のいんちき香水を、思い出したように胸にふりかける。白粉のまだらに剥《は》げ残った顔に、またパフをはたく、髪は酸っぱい汗の匂いがした。それらが体臭とまじって、彼女たちの身体からは動物園の獣の檻《おり》の前へ行くとする、あの獣特有の青くさい、小便くさい、生活的な匂いが発散する。彼女たちがいつも肌身から離さない身体にくらべて大きすぎる買いもの袋や、手下げ籠《かご》のなかには、赤いセルロイドの石鹸《せつけん》箱がはいっているが、なかはべとべとに濡《ぬ》れて、乾くときがない。肉体の取引がすむと、彼女たちはごしごしと、部分だけを偏執狂のように熱心に洗った。妊娠と、病気にかかるのを怖れる、これは自衛の本能からだった。  人妻のよく手入れした肌や、お体裁ぶったつつましさを見ると、へどが出そうに憎悪した。なんともいえない不潔感で、胸がわるくなる。不倶戴天《ふぐたいてん》の仇敵《きゆうてき》のように、唾でも吐きかねない。菊間町子を、仲間にはいってきたときから、彼女たちが毛嫌《けぎら》いするのは、そのためだった。町子だけが二十三歳の人妻である。硫黄島《いおうじま》で良人《おつと》を失った未亡人だというのだが、二月前から彼女たちの仲間にはいっていた。土橋のところで客をひっぱっている現場を、小政のせんがみつけて、おどかすと、しまいには泣きだして境遇を訴えるので、つれてかえったのだ。ところがいまでは町子の人妻らしい女臭さが、彼女たちの憎しみの的になっていた。彼女たちには町子の襟《えり》の抜き加減から内輪の歩き方まで、癇《かん》にさわるのだ。 「お町さんたら、へんだよ、この頃、——ちっとも寄りつかないし、たまに帰ってくると、いやにそわそわと尻が落ちつかないじゃないか。男でも出来たんじゃないの」小政のせんが町子の挙動に敏感になっている。「ねえ、マヤ、あんた、そう思わない? たしかに普通じゃないよ、いんばいならいんばいでいいじゃないか。なにさ、あの澄ました顔つきは」彼女たちは世間がなんと見ようと、こわいものはなかったが、町子には世間の眼が気になった。中身はいんばいであろうと、よそ眼には素人の奥さんに見られたいのであった。うわべだけとりつくろおうとするそんな分別《ふんべつ》が、彼女たちにはなにかいまわしく、不純に思えるのだ。  蒸し暑い夜で、じっとしていても、額や、胸に汗の玉が湧《わ》いた。町子は例によってまだ帰らなかった。マヤたちは、岸に涼んでいた。今日は、せんの刺青《いれずみ》が仕あがったので、彼女は心が浮き浮きしていた。濡れタオルを左腕にまいて、針痕《あと》の腫《は》れをひやしていた。「あしたからは、小政の姐御《あねご》って、山の手のお嬢さんたちにお辞儀をさせてやるから」刺青をそっと右手でいたわるように押えるとせんは、全身に闘志がみなぎるのを感じた。突然足音がして、ひとのはいってくる気配がした。一足一足が用心深い歩き方をしていた。「誰?」とせんが呼んだ。人影は彼女たちのうしろに立っているのであるが、返辞をしないのだ。「誰なのさ、一体。警察のひとじゃあない?」「お前たちはなんだ。ここはなにするとこだい」「ここは、あたいたちのおかん場よ。警察のひとなの」すると、ふうん、とひとりでうなずき、その男は寄ってきて、彼女たちのあいだに割りこんだ。暗いなかで、よくはわからないが、まだ二十四、五の若者だった。すこし、びっこをひいているのを、せんが眼ざとくみつけて、とがめた。「うん、いまお巡《まわ》りに追われて、一発喰《く》らったんだよ。擦過傷さ、たいしたことないよ。ちょっと、やすませてもらうぜ。お巡りがきたら、うまくいってくれよ」「ここはこないよ、誰も」  男は安心したようにしばらくじっとして、彼女たちのなかに腰を降していた。「畜生、ちくちくしやがる」と、傷の痛みにうめいた。「——誰か焼酎《しようちゆう》買ってきてくれねえかなあ、表の屋台で。どんなのだって、かまわねえ」「あたいが買ってきたげる」マヤが立ちあがると、男はズボンのポケットから革の財布をとりだしてわたした、マヤはビール瓶を持って出て行った。マヤが出かけると、夜の夕立がきた。水面は夜目にも白いしぶきをあげた。せんたちは、男をさそって、奥にはいった。蝋燭《ろうそく》をつけると、待ちかまえていたように彼女たちは男の顔を見た。肉の締まった精悍《せいかん》な顔が、さっきから暗いなかで勝手に想像していたのと、寸分もちがわないのに、みんなはかえってとまどうた。そのくせ、なぜか、ああ、よかったという気がした。雨がやんで、マヤが帰ってきた。「あんたは、運がいいわよ。地面に落ちた血が、いまの雨で流れたといって、表でお巡りたちが騒いでるわ」彼女たちはこの男の悪運の強さに、なにか神秘なものさえ感じた。男はさっきからあんまり口をきかなかったが、眼だけは機敏に動かしていた。そんなしぐさにも、この男の旺盛《おうせい》で、すばしっこい自衛本能のひらめきを感じとって、みんなの眼は小気味よげに、飽かずに彼をみつめていた。  こうして、伊吹《いぶき》新太郎は、当分のあいだ、このうす暗い地下室で、彼女たちと起居をともにすることになった。拳銃の弾丸傷は、かすり傷ではあるが、右の腿《もも》の肉を鋭利なナイフかなにかでざくりとえぐりとったようになっていた。けれども、大陸の戦場で、胸に一回と、右上膊《じようはく》に一回貫通銃創を受けている彼には、そんな傷など屁《へ》でもなかった。二十日もじっと寝ていればひとりでに肉がもりあがってきて、ほとんどよくなるにちがいない。前線の患者収容所の土壁の家の土間に、じっと動かずに寝ていたことの経験によって、彼はある期間そうしていさえすれば、人間の身体は自然に治癒《ちゆ》するものであることを信じて疑わない。この経験が、自分の肉体のねばり強さについての自信を、ほとんど彼の信念のようにさせている。経験からきた信念というものは、なまやさしいものではない。伊吹には、自分の肉体のなかに存在する逞《たくま》しい生命力が、はっきりと自覚出来た。彼には絶望がなかった。絶えず、自分の内部から発する生命の息吹のままに、衝動のままに生きていた。こんな明るくて、楽天的な男はめずらしい。マヤたちは、伊吹のしょうばいが何であるかについて議論した。せんはたたき(強盗)だろうというし、花江たちはのび(忍びこみ)にきまっているといった。最近流行《は や》っているはいくる(自転車窃盗)だろうともいう者がある。あるとき、遠慮のないせんがそれを訊ねると、「なんでもやるさ、臨機応変だよ」と笑った。笑うとえくぼがあらわれて、子供っぽい顔になった。マヤには伊吹が、強盗であるように思われた、——というよりも、強盗であってほしかった。伊吹の肉の締まって、俊敏な身体つきが、闇成金《やみなりきん》や有閑夫人をおどかす場面を考えると、なんとなく溜飲《りゆういん》がさがるような気がした。生きるということを目的にあつまっている彼女たちのような仲間では、その生きるための闘争力をありあまるほど備えている伊吹新太郎のような男は、なんとなく頼りになるような存在だった。みんなは畏敬《いけい》の眼で、彼を眺《なが》めた。原始人の社会とすこしもちがいがなかった。一番強い者がそこでは酋長《しゆうちよう》になるように、彼女たちのなかでは、伊吹がいつのまにか、中心の位置に置かれかかっていた。  伊吹は毎日、洞窟のなかで、退屈していた。傷の癒《なお》り方まで、獣のように快調だった。まだ歩くと痛んだが、もうじっと寝ているのにたえられなかった。彼はいらいらとして、不機嫌《ふきげん》になった。ときどき、娘たちをどなりつけることがある。どっちが居候《いそうろう》かわからないようになってきた。けれども、娘たちは、彼にどなられても、しょげはしないし、別に怒りもしない。小政のせんなどは、彼がぷんぷんすると、からかったりした。つまり、みんなは兄のような親近感と、遠慮なさを、伊吹に対して覚えるようになったのだ。ところが、伊吹の方では、本当にむきになって怒っているときがあった。まず伊吹には、彼女たちの得意げにつかう玄人《くろうと》めいた隠語が、気にくわなかった。彼女たちがことさら自分たちを、特別の人間のように考えたがるのが、不逞《ふてい》に思える。十八、九の小娘のくせに、いっぱし世間の裏表を知ったような口のきき方が、人間の殺しあう修羅場《しゆらじよう》に何年と生き抜いてきた彼には、小賢しい振舞いに思える。生きているということにふざけているのだ。伊吹は自分が特別の人間とは思っていない。強盗も、掻《か》っぱらいも、そんなに悪いことには思えないのだ。彼にとっては、それは極《きわ》めて自然な無理のない生き方だった。特にもっともらしく隠語などつかう必要はなかった。動物の世界に於ける弱肉強食の観念が、なんの抵抗もなく、伊吹の頭のなかには棲《す》んでいた。自分の身体の危険に対しては、彼女たちが舌をまくほど敏感なところがあったが、これは戦地から持って帰った習性で、動物の本能だったが、彼女たちの生き方はそれとちがって、なにかふざけて、面白がっているようなところが、癪《しやく》にさわった。伊吹新太郎が、こんなに彼女たちの生き方に憎悪をいだきながら、この地下室から出て仲間のところへ帰って行かないのは、傷がまだ十分に癒らないためだった。肉体がもとの強健さをとり戻さないことには、そこに彼を待ちかまえている危険に立ちむかうのに不利だからである。  菊間町子が仲間の掟を破って、ある中年者と、毎日のように烏森《からすもり》の簡易ホテルで逢っているくせに、金をとらないということを聞きだしてきたのは、花江と美乃だった。花江がふうてんお六と名乗るのは、自分の名前がやさしすぎるのを気にしてである。ジープのお美乃とはよく気があった。この二人はいつも組んで歩いていた。二人分の嗅覚《きゆうかく》を一つにして、街のいろんなことをかぎだしてくるのに妙を得ていた。二人は仲間のアンテナであり、触手でもあった。花江と美乃の得てきた情報を判断するのは、せんとマヤである。小政のせんはむこう意気が強くて、すぐと感情的になるが、ボルネオ・マヤは一番冷静でじっと考えこむくせがあった。心臓と脳髄の立場にあった。マヤは十八歳で、せんより一つ歳下だが、そんなために自然と仲間のなかでの知覚と運動の中枢であった。  町子の相手の中年者は、電気製作会社の勤め人ということだった。「あたいは、せんからもうお町の奴が、裏切ってること感づいていたよ。そんなに証拠があがれば、有無はいわせないよ」小政のせんはまっさきにいきりたった。「マヤ、いよいよ、お町の奴にやきを入れるときがきたわね。あんたも、賛成だろ」「みんなで、うんといためつけてやるがいいわ」マヤたちがいま、町子に思いきった制裁を加えようという気持が一致するのは、自分たちの団結を強めねばならないとみんな丁度思っているときだったからだ。何故なら、この頃、なにかしらその団結がゆるんでいくような気配を、みんなは感じているのだった。それは伊吹新太郎がきてから、いつのまにか、出来てしまったある雰囲気《ふんいき》、——彼女たち自身、はっきりそれとは感じていないが、伊吹を中心に眼には見えない、一つの雰囲気がつくられてきていることを、漠然《ばくぜん》と誰も感じているからだった。このままでは、誰かが団結を破るにちがいない。団結が破れることは、自分たちの生存の問題に関係する。裏切りがどんなに恐ろしい制裁を受けるものかを、この際他にも知らせると一緒に、自分にも知らせる必要があった。そのとき、町子のことがあがったのだ。町子は絶好の犠牲だった。そのほかに、もう一つお互いの気持の底には、自分以外の誰もが伊吹にさわらないようにするために、男に手を出すことの恐ろしさを、自分以外の者に知らせるためにも、町子は絶好の犠牲だった。町子を犠牲にして、自分たちを護ると同時に、自分の都合をよくしようとして、誰もその点で、暗黙のうちに、ぴったりと気持が一致したのだ。  菊間町子はおそく帰ってきた。いま、男と別れてきたばかりのようにいそいそとした気配が見えた。「お町姐さん、着物をお脱ぎ。やきを入れてあげるから」と、小政のせんが落ちついていった。町子の顔は見るまに青ざめてしまった。 「なんだい、あたし、なにも、——」と、口ごもるのへ、おっかぶせて、 「お黙り、つべこべいわずに、早く脱がないと、痛い眼を見るだけよ」せんの言葉と、一緒に、マヤと花江と美乃は、町子が逃げないように彼女のまわりをとりかこんだ。  やがて町子は仕方なしに、帯をとき、着物を脱いで、全裸となった。町子の裸体は、彼女のしごきや帯締めで、広間のコンクリーの柱にくくりつけられた。まだ子供のない人妻らしく、白い脂肪の適度に乗った町子の全身が、みんなの前に現われると、誰も一瞬間だまってしまった。マヤは戦慄《せんりつ》が自分の背筋を走るのを覚えた。ほのあかりで、いま男と別れてきたばかりの官能の火照《ほて》りが、全身を蛍《ほたる》の火のように鋭くかがやかせていた。この肉体が、自分たちのまだ知らない不思議な生活を生きている。原始人が自分の理解の限界を超えるものに対する、恐怖と崇拝とのいりまじった複雑な気持をいだくのと同じように、ボルネオ・マヤには菊間町子の肉体が神秘にさえ思える。それは恐ろしい神秘である。「まあ、けがらわしい。畜生、死んだってかまやしない、ぶちまわそう」小政のせんが憎々しさに歯ぎしりしてささやいた。町子の爛熟《らんじゆく》した肉体を眺めていることさえもが、もうせんには苦痛であり、圧迫なのだ。焼跡から拾って来た箒《ほうき》の竹の柄が、洗濯竿《ざお》につかってあった。せんはそれをはずして、左手につかむと、ブラウスを二の腕までまくりあげた。彼女の腕は左利《き》きだった。「関東小政」の刺青《いれずみ》をひけらかして、うむむと見得をきり、ぴしりっと菊間町子の太腿《ふともも》をぶった。「駄目だよ、尻をぶたなきゃ、いい音がしないよ」と、ふうてんお六の花江がいまいましげにいった。「お町、そんなに男がだきたいなら、これでもだいてな、さ、これなら、しっかりしてるだろ」紐《ひも》をすこしゆるめて、町子をむこうむかせ、コンクリーの柱をだかせた。肉のもりあがった、逞しい尻が、彼女たちの前に現われた。貪婪《どんらん》な感じの尻である。せんは眼を吊《つ》りあげ、まっ青な顔をして、その尻をぶった。ぶたれた部分は赤絵具でも塗ったようにはっきりと筋がつき、みるみる腫れあがった。町子は悲鳴をあげて、ぶたれるたびに、身体にそりを打たせる。尻を前後左右にくねりまわして、縛られた紐のなかで、竿を避けようとあせる。一面にぶたれるために、赤い筋は消え、尻全体が赤くなって、原型よりも腫《は》れて幾割か大きな尻になった。尻が酔っぱらった酒呑童子《しゆてんどうじ》の顔のように見えた。ぶつたびに、町子の尻の筋肉からは、眼に見えないが、なにか火花のようなぱちぱちしたものが、弾《はじ》けるようだ。そして、その火花に、彼女たちはめまいを覚える。「あたいにも、貸して」ボルネオ・マヤは突然、せんの竿をひったくって、つづけさまに五、六度ぶった。腕が疲れてきた。それでも夢中で、彼女はぶった。彼女ははっきりといま、自分がこの尻を憎悪していることを感じた。それは不潔なものに対する憎悪というよりも、自分よりも幸福なものに対する嫉妬《しつと》からくる憎悪であることを、すこしずつはっきりとボルネオ・マヤは感じていた。「お町、あんたは死んだご主人のことを考えたことあるの。硫黄島で死んだご主人のことを考えたら、どうして、あんた、そんないやなこと出来るの」と、小政のせんがつめよるのを、マヤは灼《や》けるような頭で聞いていた。官能の感覚を知らない彼女たちには、ただ肉体を売るということは、罪ではない。一つの取引にすぎない。罪は金をとらず肉体の秘密のよろこびにひたることにある。そんなことは未亡人として、だらしのない不貞なことなのだ。菊間町子がいまにも呼吸の絶えるような苦痛の叫びをあげて、髪をふりみだし、蝉《せみ》のように柱にしがみついているのを、伊吹新太郎は、立って歩くと腿の傷のまだすこし痛むのをこらえながら、さっきから壁にもたれて、それを見ていた。苦痛に死にそうに狂っている町子の肉体のあやしさは、彼の眼をみはらせた。畜生、——いい身体してやがる、——彼は口のなかでつぶやいた。ああ、早くこの傷が癒らねえかなあ、——彼の胸はいらだちでいっぱいになった。 「みんな、ちょいと待ちなよ。ほら、これであたいが細工してやるよ」せんが奥から、剃刀《かみそり》を持ちだしてきた。安全剃刀の刃を二つに割ってブリキに挟んだ簡便剃刀だ。「なにするのさ」「まあ見ててご覧よ」小政のせんがなにをしようとするのか、すぐとマヤたちにはわかった。町子のそんな身体を想像することは滑稽《こつけい》だった。彼女たちは腹の底からおかしくなって、歓声をあげた。町子はまたこちらむきに縛りなおされた。せんの手にある剃刀を見ると、町子は身慄《ぶる》いをした。「あんたたちは、なにをするの。気でもちがったんじゃないの」と町子は半狂乱で叫んだ。そんな身体の状態を思い浮かべるだけで、もう町子は恥かしさで、死にそうだった。彼女は肉体の意味を知っているからこそ、羞恥《しゆうち》があった。子供ならば、そんな羞恥はないのである。そんな辱《はず》かしめを受けるのなら、むしろ死んだ方がどれだけましか知れない。「そんなことでもしたら、あたしは死んで、化けてやるから」町子は必死だった。彼女たちは町子の剣幕にちょっとたじたじとした。そんなにまで強く、町子が拒むとは意外だった。そのことで、それが町子の急所であることを知った彼女たちは、それを強《し》いてやりとげることに惨虐《ざんぎやく》な快感さえ覚えた。小政のせんはどうしてもやるといきまいた。「おい、馬鹿だなあ、お前たち、もうそんなつまらないことはよして、いい加減に放してやれよ」横合いから、伊吹がいった。彼はこの人間を馬鹿にしたような、性《しよう》の悪いふざけた小娘どものいたずらに、また例によって、本能的な反撥を覚え、そういわずにいられなかった。それよりも、第一に菊間町子の肉体の魅力を殺《そ》ぐようなことは、させたくなかった。伊吹の口調には、根強い憎悪感がふくまれていた。それが、彼女たちのたけりたつ心をくじいた。  日が暮れると、伊吹はときどき街へ出るようになった。暗い路《みち》で、大きな鞄《かばん》をさげた闇ブローカアらしい男や、実直な人間を小馬鹿にしたような顔つきの、新興成金の女房らしい着飾った女をつかまえて、脅迫し、財布や時計を奪った。腿の傷はまだ癒《なお》りきってはいなかったが、剽悍《ひようかん》な気質がよみがえるのは、傷の癒るのを待ってはいなかった。傷ついた猛獣が、その当座は洞窟の奥深く、じっと隠れて、傷の癒るのを待っているのだが、すこしよくなると、その世界に出て、自由で兇暴な生活にかえりたくなるのと同じようなものだった。半月の休養で、伊吹の官能はそとの世界の雰囲気に飢えてむずむずしていた。彼には、菊間町子のあのまだすっかり玄人じみない、それでいてマヤたちのような娘っぽさのない、肉体の道の面白さにふみ迷って、いま夢中になっているという感じのする、花ならばぐんぐんひらきつつある牡丹《ぼたん》のような感じがたまらなかった。街をうろつくのも、本当は町子に逢いたいためでもあった。マヤたちの話から、最近の町子の動静はわかっていた。新橋の中華料理店「美雅」が彼女の溜《たま》り場であることを知っている伊吹は、夕方からその店にねばっていた。三日目に、菊間町子が、中年の男とはいってきた。町子はすぐと、伊吹を見つけて、ぎょっとして立ちすくんだ。伊吹は無邪気に笑いかけた。伊吹の特徴のある子供っぽい笑顔をみて、相手が自分に危害を加えようとする者でないことを、弱い動物独特の本能でさとった町子は、にっこりと笑顔をかえした、伊吹が炒丸子《チヤワンズ》を肴《さかな》にビールを飲んでいると、まもなく彼女はやってきた。「皆さん元気ですの」町子は素人の奥様風に話しかけた。「あのチンピラどもは二十日鼠《はつかねずみ》とおんなじで、暗いなかで食って寝るだけさ。くそ面白くもねえ」伊吹の口調には怒気さえまじっていた。意識的に町子におもねるのではなかったが、町子の官能のみずみずしさを見ると、ふだんマヤたちに感じている、肉体の意味さえ知りもしないくせに、一人前面《づら》している彼女たちへの小面憎さが、ひとりでにおもてに出るのだ。伊吹の口調に、彼女たちへの根深い憎悪が籠《こも》っているのを感じて、町子は眼をみはるような顔になった。「でも、あなたはあの人たちの味方じゃないんですの」「あいつらを憎んでるのは、俺が一番じゃないか。嘴《くちばし》の黄いろい奴らの心得たような顔つきをみると、へどが出るよ。締め殺してやりてえくれえだ」町子はそんな伊吹の熱っぽい言葉が、自分の皮膚に快くひびくのに、うっとりとひたっていた。男の情熱が乱暴に自分の胸に手をつっこんでくるのを感じた。「町ちゃん、今夜どっかで逢えるかい」町子はしばらく考えていたが、「八時に、またここで、どう」「よかろう、それまで、お前はおたのしみと」「あら、ちがうわ、そんなんじゃないのよ」けれども、そのとき、伊吹が立ちあがって、勘定台の方へ寄って行ったので、町子は口をつぐんだ。伊吹の荒々しい欲情が、シャワアのように彼女の心を爽快《そうかい》に洗った。料理を前に所在なげなつれの男の卓へ、町子は澄ました顔して帰った。伊吹はすぐと消えた。 「ちょいと、あんたたち、新ちゃんとお町とが、つながってるのを、あたいたちはいま見てきたよ。土橋の手前の喫茶店へはいっていくのを見かけたのさ。お町の奴、まるでいろみたいに、新ちゃんに寄り添って、澄ました顔でいやがるのさ。癪にさわるったら、ありゃしない」美乃と花江の二人組が、そとから帰ってくると、いきなり口惜《く や》しそうにいった。 「なにっ、本当かい」と、小政のせんは思わず声を高くした。「いいじゃないの、お町はもう仲間じゃないんだもの」そういうボルネオ・マヤの額は青白くなっていた。衝撃があんまりひどいので、彼女はかえって、落ちついているように見えた。「だって、あんまりじゃないの。それじゃ、あたいたちに面当てしてるようなもんだわ。マヤ、お前、それでもなんとも思わないの」「思ったって、仕方がないじゃないの。もう一ぺん、お町にやきを入れるというわけにもいかないしさ。勝手にさせて置くさ」「お町の奴、まるで、さかりのついた犬みたい、——いやらしいったらないわねえ」と、せんは、眼の前にお町がいるみたいに顔をしかめて、ぺっと唾《つば》を吐いた。そのくせ、誰も伊吹新太郎のことには、触れようとしないのだ。伊吹のことを悪くいう者は、そのことでもう、伊吹をめぐって暗黙のうちに形づくられている、眼に見えない生活秩序から、自分で自分をのぞくことである。言葉に出して、お互いにいわないでも、絶えず自分を主張していなければ、ちょっとしたきっかけで蹴落《けおと》されてしまう危険があるのだ。この場合、町子を憎み呪《のろ》うことの一番烈《はげ》しい者が、その生活秩序を一番愛し、そして伊吹を一番愛していることを、みんなに示すことになるのだった。独占権をにぎる闘いである。町子のやり方に対する反抗は、表面では、みんなの共通の敵に対する協同の闘いとしての形をとりながら、本当はそういう内部の闘いなのであった。そんななかで、マヤがそのことに無関心を示すようなことを口走ったのは、ほかの者をびっくりさせた。マヤが競争圏内から自分で身をひくようなことを口走るのが、意外なのだった。ところが、マヤ自身はそういって、ほかの者を安心させ、自分に対するほかの者の監視をゆるめさせ、自由な行動をとろうとするのではなかった。マヤは自分の心の内部で、あまりに大きくなってきた伊吹の像と、闘っているのだった。菊間町子が伊吹新太郎につきまとっているという事実は、町子の肉体をけがらわしいと呪う一方で、年増《としま》の町子の肉体をそんなによろこばせる伊吹の肉体に対する本能的な興味と、信用とは、もの凄《すご》いいきおいで、——それは恐怖をさえともなって、ボルネオ・マヤの胸のなかで、ふくれあがりつつあった。何故なら、菊間町子の肉体は彼女には獣のように、悪魔のようにみえるという、それだけに彼女には一つの邪神に対する信仰のようなものになっていたからである。そんな邪神をひれ伏させる伊吹新太郎という男の肉体は、不思議な霊力を持つ全能者としか思えないのである。ボルネオ・マヤは、その自分の内部でふくれあがる伊吹新太郎の肉体の像に打ち負かされそうになるのを、必死にそれと闘うために、自分からそんな心にもないことをいって、自分自身をいやおうなしに伊吹から遠ざけようとするのだった。こんなことはなにも彼女が考えた上でのやり方ではなかった。ほとんど本能のあがきである。  いまや、伊吹新太郎は、彼女たちのなかでは太陽であった。地球や月のような太陽系の天体が、太陽を中心に眼には見えないがある秩序をもって、規則正しく運行しているように、いつのまにか、彼女たちは伊吹を中心に動いていた。伊吹の考えが、伊吹自身それを欲していないのに、みんなを支配していた。伊吹が喜んだり、悲しんだり、怒ったり、笑ったりすることが、彼女たちの考え方をきめ、行動をきめさせた。彼女たちは、自分の心がどうして伊吹にひかれているかを考えようとはしなかったが、いつのまにか、自分が伊吹の意をむかえようとつとめる気になっていることを、ほかの者にはいわなかった。男に惚《ほ》れることは禁制だった。けれども、お互いに口にだしていわないだけで、伊吹を中心に行動していることはみんな認めあっていた。それは暗黙のうちに公認されたものだった。お互いがお互いを牽制《けんせい》しあって、そこに一つの生活の秩序がつくられているのだった。丁度、一疋《いつぴき》の牡犬《おすいぬ》をまんなかにして、四疋の牝犬《めすいぬ》がお互いに睨《にら》みあっているような、そんな緊張した状態なのである。誰もそんな秩序のあることを口にだしていわないというそのことが、一層はっきりとそういう秩序の存在することを、——そして、その秩序のきびしさを示していた。  鈍重な、ねばっこい、頭にひびく音に、彼女たちは眼をさました。いまの音が、なんだったか、とっさには、誰もわからなかった。あたりはまだうす暗い。広間の方で、なにか重量のあるものが、壁にぶつかるような、どすんどすんという地ひびきがする。「なによ」とボルネオ・マヤが首をかしげた。「——へんねえ」みんなはじっと耳を澄ます顔つきになった。そのとき、伊吹の誰かに話している声が聞えた。「伊吹さあん、どうしたのよ」マヤが叫んだ。返辞はなかった。しばらくすると、また伊吹のなにかいっている声がした。マヤは起きて、広間の方へ出て行った。ひやっこい夏の夜明けの空気が澱《よど》んでいるうす闇を、ゆっくりとみだしながら、真黒な大きな図体のものが床の上に立って動いている。マヤはおどろいて叫んだ。 「まあ、牛じゃないの」 「そとのポストにつないであったから、つれてきたんだ」伊吹は、牛の鼻に通した金輪の縄をつかんで、壁のコンクリーの剥《は》げ落ちてむきだしになっている鉄骨に、それをくくりつけようとしていたが、相手が後肢《あとあし》をつっぱって、なかなか前へ出てこないのである。「こらっ、畜生、もっと前へ出んか。こいつ、もう用心してやがる。牛は豚より馬鹿だと思ったが、やっぱり、すこしは智慧《ちえ》を持ってやがるな、豚はこんなときは、人見知りをしやがって、殴《なぐ》っても、叩《たた》いても、金輪際動かねえ」 「どうするのさ、これ、あんた」 「食うんだよ。うめえぞ。俺あ、戦地で、牛や豚はうんと料理してきたから、料理は手に入ったもんだ。こいつは牡で、ひねてやがるから、ちょっと肉は堅いかも知れないが、餌《えさ》がいいと見えて、肥《ふと》ってやがる。たまにはたっぷり栄養を補給しねえと、お前たちは葱《ねぎ》みてえになってしまうぜ」  せんや花江や美乃も起きてきた。「まあ、凄《すご》い。おいしそうねえ」せんの言葉に、どっとみんなは笑った。 「肉は堅いぜ。だけど、お前たちのような、そんな山猫みたいな歯を持ってるなら、気遣《きづか》いねえよ。俺が天下一品のビフテキをつくってやるから、待っていな。そうだ。顋《あご》の落ちねえ用心に、お前たちのかむっているその風呂敷みてえな、色布《き》れをさかさにして、しっかり顋をつつんで置くがいいぜ」伊吹はひとりで愉快がって、口笛を吹きながら、「さあ、どいた、どいた、そんなところにぼっ立ってられると、邪魔っけだ、しごとが出来ねえ」と牛のまわりを、さも忙しげに動きまわっている。いたずら小僧がいたずらの種を見つけたように、小鼻がびくついている。全身の筋肉が歓喜でぴちぴちと鳴っている。牛の鼻にとおした麻縄を切って、二つの輪をつくり、牛の右側へまわり、左側へまわって、前肢と後肢にその輪をはめてしまった。けれども、牛は無感動な、ものやわらかな眼で、じっと彼女たちをみているだけである。 「さ、準備完了、——ほい、出刃《でば》を持ってきな」「出刃?」「いいから、早く持ってきな。ぐずぐずしてると、こいつが暴《あば》れだしたら、手がつけられねえぞ」「お美乃、持ってきてよ」とマヤが、美乃にいった。庖丁《ほうちよう》をつかむと、伊吹はすぐと、「せんちゃんと、お六さんは、この縄を持っていて、俺がよしといったらひっぱるんだ。いいか。こいつをひっぱると、四つ肢が一つに束ねられるから、立ってられねえで、奴はひっくり返るんだ。そんとき、絶対に放しちゃいけねえぞ。それからマヤさんにお美乃さんは、奴がひっくり返ったら、すぐと角をつかんで、起きあがろうとするのを、おさえつけているんだ。馬鹿力があるから、油断するな。みんな、俺がもういいというまで、放しちゃいけねえよ。じゃ、いいな」  伊吹の合図で、せんと花江とが力まかせに縄をひっぱると、牛の前肢と後肢は、どういう仕掛けに結んであるのか、ぐぐっと一つに寄って束ねられ、たちまち大きな牛の身体はどさっと音をたてて、コンクリーの床に横倒しになった。「そらっ」と伊吹がいった。マヤと美乃とは、その声によって、飼主にけしかけられた猟犬のように、夢中に牛の首に飛びかかって、一本ずつ角をつかんだ。牛は自分の陥った状態にはじめて気づいたように、眼を剥《む》き、鼻の穴を思いきりひろげ、首を立てようとしてもがいた。太い首の筋肉の皺《しわ》が煽《あお》るようにゆれて、必死の力が角をにぎっているマヤの腕に伝わってくる。 「いいか、放すなっ、絶対に放すな」と、伊吹は叫びながら、だぶついて波打っている牛の咽喉《の ど》頸《くび》へ庖丁をあてると、鋸《のこぎり》でもひくみたいにごしごしとこすりだした。「ほい、用心しろよ、血が飛ぶぜ」といい終らぬうちに、ぴゅうと二筋ほど血が三尺ばかりの高さに噴きだした。「ちぇっ、ひっかけやがった」伊吹の顔は、血しぶきをまともに受けて、まっ紅になった。途端に、牛が満身の力をふり絞《しぼ》るように暴れようとした。彼女たちは腕がしびれそうに思えた。牛は首も、肢も、自由を奪われているので、全身を、心臓になったように脈打たせている。ぐっとむきだした怨《うら》めしそうな白眼を見ると、彼女たちはぞっとした。一層、手に力がはいった。惨虐な快感のようなものがあった。伊吹は懸命に、咽喉頸にあてがった刃を動かしている。ごぼっ、ごぼっと音をたてて、血とも、泡ともつかない生暖い桃色のものが斬口から溢《あふ》れでる。その桃色の泡みたいなものは、ビールの泡のようにじゅうじゅうと音をたてて醗酵《はつこう》している。最後の痙攣《けいれん》がきて、かなり長いあいだ、牛の身体じゅうに怖ろしいほどの力がみなぎっているのがわかったが、やがて、急にそれが抜けていった。 「畜生、手間どらせやがった」伊吹は立ちあがって、血みどろの顔で笑った。眼と、皓《しろ》い歯が光って、いつもの子供っぽい顔が赤鬼のようになっていた。マヤはふと、横網の国民学校の三年生のとき、学芸会で、鬼ヶ島の鬼になった男生徒のことを思い出した。桃太郎になった子供は角力《すもう》の行司の子で、色の生白い、ととのった顔立だったが、その子よりも鬼になった桶《おけ》つくり職人の子の方が好きだった。色の浅黒い、いつも朗らかなちんまりした顔の額に、紙でつくった赤鬼の仮面をつけたのであったが、マヤにはその面と、その子の顔とがぴったりとよく似合って見えた。どっかが兄に似ていた。桃太郎に扮した子のつんと澄ました顔つきや甘ったるい間延びのした声を、なんとなく虫が好かなかった。その子の扮した赤鬼が、悪者であっても、こんな鬼ならば、食われてしまってもいいと思った。そして、その子の気に入られようとして、その子が扮装するのを、そばに離れずにいて、手つだったりした。その子を、マヤははじめから好いていたのかも知れなかった。四年生になったとき、その子の一家は十条へ越していった。マヤは胸が苦しくなって、一週間ほど飯がおいしくなかった。「あんた、血をふくといいわ」いまもマヤは、なんでもいいから伊吹のためになることがしたかった。 「まだこれから、外套《がいとう》を脱がせて、肉をばらさにゃいけねえ、よごれついでだから、このままでいいんだ」伊吹はひっくり返った牛の咽喉笛に庖丁を突込んで、そこから腹へむかって裂きはじめた。オーバアでも脱がすように背中から皮だけすっぽりと脱がせるのだ。「お美乃、お前、表へあがって、ちょっと、しけてんを切ってなよ」マヤは美乃にいった。なにか伊吹のために気をつかわずにいられなかった。「あいよ、えんたを一本おくれよ」と、マヤのケースから煙草《たばこ》を一本抜いて、美乃は気軽にあがっていった。「なんだい、そのしけてんを切るってなあ」伊吹は、どうもこの娘たちが、自分のわからない言葉をつかって、いっぱし玄人がっているのが、いつも片腹痛いのだ。なにもそれほど大それた悪事をはたらいているというわけじゃあるまいし、すこしこの小娘どもは、自分たち自身をえらく思いすぎていやがるんじゃないか。そいつに、自分たちで酔ってやがるんだ。伊吹には世間と、自分とが別のものには思えない。そんなに自分の考えたり、したりすることから、とび離れた世間とは思えない。なんの飾りも、えらぶりも要《い》らず、世間のなかへ溶けこんでいると思っている。「見張ってといったのよ」「何でえ、立哨《りつしよう》することかい。おどかすなよ」  路上では野菜を積んできた葛飾《かつしか》の牛が、突然消えてしまったので、大騒ぎが起きていた。百姓や、マアケットの者たちが、路地という路地を、駈足《かけあし》になってのぞきまわっていた。交番から巡査がきていた。焼跡は露に濡《ぬ》れていた。河面《かわも》が日の出を映して、音のない炎を流していた。ジープのお美乃は道路のわきの焼跡の倉庫の上に腰かけると、さっきマヤから一本せしめてきた匂いのいい煙草のけむりを吐いた。朝の雑沓《ざつとう》がはじまっていた。三十米《メートル》の距離に牛のない車があった。どうしても離れずに、車を検べれば牛が現われるように、車の下をのぞいたり、うしろへまわってみたりしていた。みんな木偶《で く》の坊に見えた。「ふん、ざまあ見やがれ」と、美乃は小さい声でつぶやいた。被害現場を中心に、横の捜索が朝の街にぐんぐんひろがっているのがわかった。ところが、この足の下で、もう牛は肉になっている。美乃には、世間の意表に出た自分たちのすばやさが小気味がいいのだ。ひとりでに、歌が口にのぼってきた。脂《あぶら》のこってりと乗ったビフテキを想像すると、口のなかに唾がたまってくる。咽喉仏がきゅうと鳴る。この頃の東京の馬や牛はみんな栄養失調で骨と皮だけなのに、道理で、あの牛は百姓の牛だから、肥ってんだ、——その発見が、美乃の胸を新鮮にした。怖ろしいものなんかなんにもない。朝陽にむかって、胸をふくらませ、ぷうっとけむりを吐いた。三十分もすぎた頃、ふうてんお六の花江があがって来て、「歩哨交代よ」と美乃の腰かけている倉庫の上へ、背中あわせに、ひょいと腰かけた。 「今夜はスキヤキで、宴会をやるんだってさ。みんな、今夜は早くしごとをきりあげて、葱や、しらたきを買って来るように分担をきめたんだよ」「へええ、凄《すげ》えや」ジープのお美乃はうれしいときにする癖の、ちぇっという舌打ちをした。「あたいはなにを買ってくれゃいいのよ?」「あんたは、豆腐だよ。ね、新ちゃんが焼酎《しようちゆう》をおごるんだってさ」「あたい、酔っぱらうわよ、今夜」  日が暮れると、地下の饗宴《きようえん》がはじまった。石油罐《かん》の底を半分に切ってつくった鍋《なべ》で、血のしたたるような肉がぐらぐらと湯気をたてだすと、わあっと歓声があがった。 「メチルかも知れねえが、飲みたい者は飲めよ。俺は飲むが」——伊吹新太郎がコップについだ焼酎を飲んだ。「あたいも飲むわ」ボルネオ・マヤは伊吹の手からコップをうばいとって、ぐっと一口あおった。「死んだって、知らないよ」伊吹が笑った。「死んだら、新ちゃんのところへ化けて出てやるから」「だって、お前が死ぬなら、俺だって死ぬにきまってるよ、俺が一番飲むんだから」「死んだって、いいわ」マヤはまた一口飲んだ。「あたいも飲む」小政のせんが眼をひからせて、マヤの肩へ頬を寄せてきた。「そらよ」せんの汗くさい髪の毛の匂いが鼻をくすぐる。焼酎のなかに蝋燭《ろうそく》のあかりがうつって、水晶をくだいたような金色のきらきらとした粉がいっぱいゆれている。花江も、美乃も飲んだ。牛肉を食っては飲み、飲んでは食った。「こんな牛肉は四十円じゃ、買えねえな」と、伊吹がいった。「牛肉が百匁四十円、あたいたちの身体も四十円、おんなじ値段だね」せんが面白いことを発見したというようにいいだした。「人間の身体が牛肉とおんなじとはおかしいね、お前たち、おかしくない? 四十円の牛肉を食って、四十円で身体を売るとどういうことになるのさ。食うために、売るのか。売るために食うのか。そうすると生きていることは、どういう意味になるの」「理窟をいうな、こうして生きていれゃこそこんなうめえものが食えるじゃねえか、それでいいじゃねえか」伊吹がこういって笑った。「だけど、新ちゃん、上り口のよくあんな狭い階段を、大きな図体の奴をひっぱりこめたわね」と、マヤが感心した。「それゃ、お前、俺あ、北支にいるとき、崖《がけ》の路や、岩だらけの谷底を、驢馬《ろば》をつれて歩いたからね。中隊長は驢馬監視といえば俺にやらせたんだ。俺は驢馬監視の名人さ」「苦労したんだろ」「お前たちにわかるもんか。同情はしてもらいたくねえよ。畜生、戦友たちはどうしやがったかなあ、——いまじゃ、みんな散り散りだけど、一緒に苦労した仲間はなつかしいなあ」伊吹は立ってうたいだした。 友を背負いて路なき路を、 行けば戦野は夜の雨、——  みんなは手をたたいた。マヤはボルネオで戦死した兄のことが浮かんだ。兵隊の苦労と、その生命のあわれさが身にしみた。小政のせんが立って、「婦系図《おんなけいず》」をうたった。つぎに、美乃が得意の「ジープは走る」をうたうとほかの者は茶碗をたたき、皿をたたき、石油罐をたたいた。伊吹が黄河《こうが》の渡河だといって、服を脱いで、パンツ一つになり、怪しげな手ぶりと腰つきで、水のなかを泳ぐまねをしだした。そのかげが壁にうつって、何か奇妙な爬虫《はちゆう》が這《は》うようにみえた。伊吹が裸になったとき、娘たちは一瞬しんと静まり返ったが、すぐとこんどは一段と気ちがいじみた騒ぎとなった。どの娘も、ぎらぎらと熱っぽく燃えている。マヤの瞳《ひとみ》にも、伊吹の胸と腕と太腿とに弾痕のある、よく発達した肉体が眩《まぶ》しくみえ、いつも何気なくみていた兄の肉体が思い浮かんできて、なつかしく、やるせなかった。伊吹の逞しい浅黒い筋肉の一つ一つが、ぴくっぴくっと動くたびに、マヤは唾を飲んだ。この筋肉の上に、菊間町子の肉体をからみあわせた。すると、酔ったためもあったが、めまいがした。嫉妬《しつと》で頭が馬鹿のように知覚をうしなった。身体が電気のかかったように痺《しび》れ、何ともいえない悩ましさで、腰のあたりが疼《うず》いた。こんな感覚は、マヤにははじめてであった。客に肉体を提供しているときも、どうかすると、へんな感じを自分の肉体の奥深いところに覚えたことが、これまでにも三、四度はないではなかったが、いまは別に伊吹の肉体に接しているわけではないのに、腰のあたりがもぞもぞとしてじっと坐っていられない気がした。彼女は自分の腰に、自分の意志ではどうにもならぬ、なにか蛇のような爬虫の群が棲《す》んでいて、それがお互いに身体をすりあわせて蠢《うごめ》いているような気がした。マヤはそれが怖ろしかった。身体のなかの爬虫も酔わせてしまわねばならないと思った。そして、また焼酎を飲んだ。身体が火がついたように火照《ほて》って、熱かった。  伊吹新太郎が裸体のまま床に倒れているのがみえた。せんも、花江も、正体なく酔って横たわって、唸っていた。美乃が何かくどくどと、せんの耳もとに口を寄せてかきくどいていた。ボルネオ・マヤはふらつく足で伊吹新太郎のそばへ寄っていった。マヤにはどうして自分がそうするのか、はっきりとはわからなかったが、伊吹の脇の下に手を入れてひき起した。今朝持った牛肉のきれよりずっと重かった。ぐったりとなった伊吹を抱《かか》えてそのままひきずるようにして、広間を出た。熊は馬を襲うときは、大きな手で殴りつけて、半殺しにし、前肢を背に負うて、後肢は馬に歩かせ、自分の巣につれてかえるということであるが、ボルネオ・マヤが伊吹新太郎に肩を貸してつれだすのも、まったくそれに似た恰好《かつこう》だった。マヤは顔を真紅《まつか》にして力んだ。  広間から石垣の崩《くず》れた箇所まで、運んできた。夜の掘割の水が、ネオンのあかりをうつして、光りながらゆれている。あげ潮とみえて、水面を芥《あくた》が黒々とかたまって、ゆっくりと逆流している。そこに、なかば沈んだ船があった。その船のなかへ、マヤは伊吹を運びこんだ。暗い船室に、マヤは男の裸体を寝かせた。まだ昼間の泥くさい熱気が船室に籠《こも》って、呼吸《い き》ぐるしいほどだった。マヤは自分が、なにをしようとしているのか、まだわからなかった。自分の肉体ががたがたと戦慄《せんりつ》するのを覚えた。腰に棲む爬虫の群がお互いに上になり、下になって、組んずほぐれつ争うのがわかった。マヤは伊吹の肩に噛《か》みついた。「うむむ、痛いっ」と、伊吹が起きあがろうとした。マヤの顎《あご》はがっくりと男の肩を噛みついたまま、離さない。「おい、なにするんだ」「あんたを殺して、あたいも死ぬのよ」伊吹は暗いなかに、燐《りん》のように鈍い色できらめく二つの瞳を見た。「新ちゃん、死んで。あたいと一緒に死んで」マヤは男の上に乗りかかって、男の首を締めた。もう、自分は気がちがったのにちがいないと思った。恥かしさも、ためらいも、なにもなかった。「畜生っ」と歯ぎしりをして、男の身体に喰いついた。伊吹は突然襲いかかってきたマヤの不逞《ふてい》な態度に、腹の底から怒りがこみあげてきた。酔うた頭に、憎悪と、情慾とがかっと燃えた。「馬鹿野郎っ」と叫びながらマヤをはね飛ばして、起きあがった。マヤの身体はごろりと船室の隅《すみ》っこに仰向けにひっくり返った。船がぐらりとゆれてしぶきが窓にあたった。両肢をひろげたその恰好が蛙《かえる》を叩きつけたように、滑稽《こつけい》にみえた。それを見ると、伊吹は、一段と残忍な本能の渇《かわ》きを覚えた。いきなりボルネオ・マヤの両肢をつかんで、押しひろげ、蛙を裂くようにその肢をひき裂こうとした。マヤの幸福そうなうめきを聞くと、一層、彼はいらいらした。伊吹はこの生意気な小娘を責めて、責めて、ぐうの音もでないまでに責めさいなまなければ、自分の憎悪はおさまらないと直感した。あの火線で機関銃を操作しているときの、闘志と本能的恐怖とで、気の遠くなるような生命の充実感と同じ感覚をいま彼は感じた。マヤの肉体の喜悦のうめきは、伊吹の火に油をそそぐのだ。ボルネオ・マヤは完全な一匹の白い獣であった。肉体の哀しいまでのあやしさ、たのしさ、くるしさに、のた打ちまわり、うめき、哮《ほ》えた。腰のあたりが、蝋のように燃えて、溶けて、流れるのを感じた。生れてはじめての充実した感覚、——いや、マヤはいま自分がはじめて、この世に誕生するのを感じた。  惨劇は終った。伊吹はよろめきながら立ちあがって、そとへ出ていこうとした。マヤの肉体はまだ痺《しび》れて横たわっていた。「どこへいくの」マヤの声は弱々しかった。「牛肉をさばいてくるんだ。俺たちだけじゃ、あんなに食いきれねえだろ。夏場は腐るのが早えから、手っとり早く始末しなけれゃ」「明日でいいんだろ」「昼間、あんなのを持って歩けるけえ。俺の知っている中華へちょいとはいってくらあ」五分前の世界からもうけろりと、なに食わぬ顔して出ていかれる男の神経に、恐怖を感じ、身ぶるいした。ボルネオ・マヤはこんなにも、伊吹新太郎を恋しく思ったことはなかった。  男が出ていったあと、しばらくボルネオ・マヤは船室に横たわって、自分の肉体のまだ燃えている感覚を味っていた。潮がぐんぐん満ちてくるらしく、ゆっくりと船がゆれ、舷側《げんそく》にぶっつかる水の音が聞える。夢の世界のようだった。心いくまで官能を満たした者の安らかな状態にあった。マヤは立って、はじめて、服をさがした。「マヤッ」不意に叫び声がした。びっくりしてふりかえると、石垣から船室を覗《のぞ》きこんでいるせんの顔が見えた。マヤは思わず、窓のかげに身をかくした。「マヤ、あんた、——裏切ったね」「うそ、うそよ、なにさ」「なにいってんの、その裸が証拠じゃないの、さっき、新ちゃんが出てくるのを、あたいは見たんだよ。早くあがってきなよ」もう駄目だと、マヤは思った。「せんちゃん、あたい、なにも」「いいから、さっさとあがってきなったら。服を着ちゃいけないよ。畜生、お前は悪魔だよ」小政のせんは嫉妬に逆上していた。せんは花江と美乃を起した。酒のために自分をうしなっている彼女たちは、ちょっとした刺戟《しげき》にも、すぐ激情的な反応を示した。みんな、蒸し暑い夜の、酔いを発した肉体を、なんとなく持てあましていた。マヤの裏切りを聞くと、花江も、美乃も、床を蹴ってくやしがった。彼女たちは、マヤが仲間を裏切ったから憎むのだと思ったが、本当はマヤの肉体が、彼女たちをほうって置いて、自分ひとりだけ、彼女たちのまだ経験しない、けれども本能的に感じとっている秘密なよろこびを味ったという事実を、嫉妬しているのだった。 「町子と同じに、やきを入れて、叩きだそうじゃないの、図々しいったら、ありゃしない」「新ちゃんにも出てってもらおうじゃないの。あんな男がいるから、まちがいが起るんだわ。どこへいったんだい」「牛肉を売りに出かけたらしいわ。あたいは見てたけど、新ちゃんよりも、マヤの奴が悪いんだよ。マヤが誘惑したんだよ」と、小政のせんがいった。彼女たちは伊吹新太郎に対しては、それほど憎しみを感じなかった。マヤの肉体に対して、嫉妬と憎悪とを感じるのだ。伊吹に対する処置はあとまわしにして、とにかく、マヤに制裁を加えることについては三人の意志はすばやく一致した。マヤは裸のまま、牛の肢《あし》をくくった麻縄で手首をくくられた。浸みこんだ牛の血が乾いて、縄が固くなっているので、手首の肉に食いこみ痛かった。くくりおわると、せんたちは麻縄を広間の天井から覗いている鉄骨にとおし、端をにぎって、「よいそらっ、よいそらっ」と声をあわせてひきだした。マヤの両腕は垂直にひきあげられ、やがて身体もそれについて真直ぐにひきあげられ、そして、両足さきが床から離れた。宙吊りである。マヤの身体が、へちまのように空間にぶらさがると、「O・K、一服しようよ」と、せんたちは床に腰を降した。  まもなく、マヤは手首と脇腹に、焼き鏝《ごて》をあてるような激痛を覚えた。自分の身体の重さを彼女は自分の手首ではじめて知った。いままで、こんなに自分の身体が重いものだとは気がつかなかった。暗いところから蚊《か》がいっせいに寄ってきて、胸や、腹や、腿《もも》から血を吸いはじめた。歯をくいしばって、彼女はじっと苦痛にたえていた。気を失うほどの苦痛の時間が、どれだけつづいたろうか。苦痛もまたあんまりつづくと、それに馴《な》れるものである。それほどにも感じなくなった。マヤは脱落者であることの幸福を感じていた。ただ、こんな真裸のぶざまな恰好《かつこう》を、いま伊吹が帰ってきて、見られるのが恥かしいと思った。「マヤ、いまにいい眼をみせてやるから、もうしばらく辛抱していな」せんたちは残りの酒をあおり、手をたたいたりしてはやしたてた。彼女たちの様子は、これから磔刑《たつけい》を執行する獄卒のように意地悪げに見えた。マヤは泣きたいような顔つきで、強いて微笑した。筋をひいたように、涙が頬をつたい、もりあがった乳房をつたい、むこう岸のネオンの色にかすかに光りながら、腹部をつたい、脚をつたって、暗い床に落ちる。ジャズのかきたてるような音が、河岸のキャバレからひびいてくる。水の上をゆくものうい船の蒸汽の音が、それにまじって聞える。マヤはたとい地獄へ堕《お》ちても、はじめて知ったこの肉体のよろこびを離すまいと、心に誓った。だんだんうすれていく意識のなかで、マヤはいま自分の新生がはじまりつつあるのを感じている。  地下の闇に、宙吊りのボルネオ・マヤの肉体は ほの白い光の暈《かさ》につつまれて、十字架の上の予言者のように荘厳だった。 この作品は昭和二十三年九月新潮文庫版が刊行された。 Shincho Online Books for T-Time    肉体の門・肉体の悪魔 発行  2003年2月7日 著者  田村泰次郎 発行者 佐藤隆信 発行所 株式会社新潮社     〒162-8711 東京都新宿区矢来町71     e-mail: old-info@shinchosha.co.jp     URL: http://www.webshincho.com ISBN4-10-861252-3 C0893 (C)Miyoshi Tamura 1948, Coded in Japan