黒道兇日《こくどうきょうじつ》の女 (出典:チャイナ・ドリーム3 中国夢幻譚) 田中 芳樹・著  唐《とう》の李愬《りそ》は字《あざな》を元直《げんちょく》といい、李晟《りせい》の息子である。父子ともに唐王朝に忠誠をつくした名将として知られるが、父が偉大であるため、「旧唐書」においても「新唐書」においても子は独立した伝をたてられず、父の伝に付記された形となっている。  元直は幼いころ生母と死別し、口数のすくない少年として育った。父親の李晟は吐蕃《チベット》の大軍と戦ってこれを撃破し、国内の叛乱をいくつも平定するなど武勲かず知れず、西平郡王《せいへいぐんのう》に封じられた。この時代、父親が栄達すれば子も出世するものだが、元直は任官すらしなかった。李晟は潔癖な人で、重臣の子が何の功績もないのに父親の名声によって出世する、ということを嫌ったのである。朝廷のほうで気を使い、元直に銀青光禄大夫《ぎんせいこうろくたいふ》という地位を与えた。  元直が二十一歳のときに父が死去した。このころ彼はしばしば長安の都を離れて各地を旅している。それがいずれも藩鎮《はんちん》の所在地である。藩鎮というのは、朝廷が各地においた軍団司令部であるが、強大な兵力を擁して朝廷の命令をきかず、しばしば民衆に虐政をもってのぞみ、叛乱をおこして天下を騒がせた。半独立の、地方的な軍事独裁政権といえばわかりやすいだろう。藩鎮の勢力をおさえるために李晟は力をつくしたが、あるいは息子に命じて各地の藩鎮のようすを探らせたという想像をしてもよさそうである。  徳宗《とくそう》皇帝の貞元《ていげん》十七年(西暦八〇一年)のこと。二十九歳の元直は黄河下流の北岸を騎行していた。西に青く山脈がかすむだけで、他にさえぎるものもない平原地帯は、魏博《ぎはく》の藩鎮の支配地である。名高い安禄山《あんろくさん》の叛乱から五十年近くを経て、この一帯は朝廷の威令がおよばぬままに、無法地帯となりはてていた。  魏博の藩鎮は七万という大兵力を擁しており、勢力はひときわ強い。朝廷がこれを討伐するには最低でも十万の兵力を必要とした。兵力は何とか集まるにしても、それを指揮する人材がいない。天下の藩鎮に畏《おそ》れられていた名将李晟はすでに世を去り、以後、官軍には将器が不在とされていた。  河岸に楊柳の広大な林があり、元直はそこで馬を休めようとした。だが馬を林にいれた瞬間、休息と無縁の光景に出あった。十人ほどの兵士が林間の空地に群らがっている。藩鎮に所属し、法を守らず、民を害することで「驕兵《きょうへい》」と呼ばれている者たちであることが、見ただけでわかった。  ひとりの少女が驕兵に包囲されていた。年齢は十五、六歳であろうか、旅装をしており、左手に何やら丸い大きな包みをさげている。驕兵たちは気まぐれに旅の少女を襲い、よからぬ目的をとげようとしているものと見られた。  元直は父ゆずりの義侠の人である。弱者や女性の危難を見すごしてはおけなかった。十対一でも戦う覚悟をして近づこうとしたとき、野獣の咆哮が林のなかにひびきわたった。虎ほどの力感はないが、鋭い威圧的な声は、驕兵たちを一瞬すくませるに充分だった。元直も、いきなり背後から襲われてはたまらないので、周囲を見わたした。まったくためらいなく動いたのは少女だった。白い繊手《せんしゅ》が襟もとに走る。  少女の手に短剣があった。それが白く閃光を描いたと見ると、賊のひとりが絶叫をあげて倒れた。宙に血の花びらが散り、それを少女は軽々と避けて後方へ跳《と》んでいる。少女をのぞく全員が凝然として立ちすくんだが、我に返ると驕兵たちは怒声を発して少女に躍りかかった。ふたたび短剣がひらめいて血が飛散する。少女の身体が今度は上方へ跳ぶ。樹の枝に両手をかけ、一回転して枝の上に立つ。猿《ましら》もおよばぬほどの軽捷さだった。  驕兵たちは憤怒と狼狽にはさみうたれながら、弓をとり、樹上へ矢を放とうとした。元直は馬に飛び乗った。もはや見物している余裕はない。  元直は騎射の達人でもあった。馬を走らせつつ、弓をとり、矢をつがえ、引きしぼって射放すと、弦のひびきに応じて男のひとりが倒れた。少女も驕兵たちも、斉《ひと》しく、矢の飛来した方角へと視線を向けた。その間にも元直は馬を駆り、あらたな矢をつがえ、またしてもひとり射倒した。突然、樹々の枝や葉に視界をさえぎられながらの妙技であった。  驕兵たちは怯《ひる》んだ。少女一人でももてあましていたものを、さらに強力な助勢があらわれては、怯まざるをえない。それでもなお決断がつかずにいたようだが、突然、樹々の間を縫って躍り出てきた一匹の豹《ひょう》が兵士のひとりを引きずり倒すと、ついに悲鳴をあげて逃げ出した。  元直も豹も彼らの後を追わなかった。少女が上った樹の下で、人と野獣は睨《にら》みあう形になる。元直が第三矢をつがえ、豹が跳躍の姿勢をとったとき、樹上から叱咤《しった》の声が降ってきた。豹が緊張を解いて地にすわりこむと、ふわりと鳥が舞うように少女がその傍に降り立った。  弓をおろした元直があらためて見ると、少女は美しかった。唐代は豊麗な女性がもてはやされ、楊貴妃がその代表とされるが、この少女はむしろすらりとした繊細な美しさで、いわば六朝《りくちょう》型の佳人であった。眉や鼻の輪郭がくっきりして、両眼は光彩に満ちている。自分のほうが年長であるのに、元直は何やら圧倒された。いささかは豹のことを気にしながら、自分の姓名と官位を名乗り、少女の姓名と身分を尋ねた。一礼して少女はきびきびと答える。 「わたくしは姓を聶《じょう》、名を隠《いん》と申します。父の姓名は聶鋒と申しまして、魏博の都知兵馬使《とちへいばし》をつとめておりました」  都知兵馬使といえば藩鎮でも最高級の武官で、数千人から数万人の兵力を指揮する身である。内心、警戒しながら、元直は問わずにいられなかった。そのように有力な士人《しじん》の家の娘が、従者もつれず、こんな場所で何をしているのか。 「家に帰ります、五年ぶりに」  奇妙な話というしかない。元直は好奇心を禁じえず、少女に話をうながす形となった。豹がうずくまる傍で、少女は語りはじめた。聶隠は地方の大官である父の家で生まれ育ち、たいせつにあつかわれて、おだやかで平凡な幼少期をすごした。  聶隠が十歳のとき、ひとりの年老いた尼《あま》が邸第《やしき》を訪れた。埃《ほこり》にまみれた貧しげな服装の尼で、父親の聶鋒は当惑しつつも、いくばくかの銀子《かね》を与えて立ち去らせようとした。ところが尼は老顔に奇妙な微笑をたたえて、銀子は不要である、という。 「では何か食物か衣類でも進ぜよう」 「せっかくですが、ほしいものは他にございます」 「それはいったい何かな」 「お宅のお嬢さまです。すぐれた資質がおありで、ぜひとも手もとにおいて育てたく思いましてね」  聶鋒はおどろき、ついで激怒した。家僕《かぼく》を呼んで尼を邸第から追い出させたが、翌朝になってみると少女の姿は消えていた。夜間に拐《さら》われたものと思われ、大さわぎして探し求めたが、ついに見つからなかった。聶隠は尼に手をとられ、風と雲のなかを走って、尼の住居につれていかれたのである。 「どこか山の奥でした。半年ほどは、旅人や猟師の姿さえ見ませんでした」  そう聶隠はいう。松や蔦《つた》が生《お》い茂った山中に谷川が流れ、大きな石の洞窟があって、尼はそこに住んでいた。人の姿はなく、猿や鹿を見かけるだけであった。尼は隠嬢にさまざまな秘薬を服《の》ませ、武芸を教え、さらに仙術を修めさせた。聶隠は逃げようとは思わなかった。修行は厳しかったが、それ以上に楽しかったのだ。秘薬の効果か、一日ごとに身が軽くなり、猿《ましら》より迅《はや》く樹に登り、枝から枝へと苦もなく飛びうつれるようになった。短剣は、手に持って揮《ふる》っても、投げても、一撃で虎や熊の急所を刺して斃《たお》せるようになった。豹《ひょう》や隼《はやぶさ》と語りあい、意志を通じあえるようにもなった。薬草や毒物もあつかえるし、仙術を駆使して、人の眼前を横切りながら姿に気づかれないようにもなった。  四年が過ぎると、尼は彼女に向かっていった。 「もうお前に教えることは何もない。じつはお前に武芸をしこんだのは、虎や熊より有害な猛獣を討たせるためだったのだよ」 「虎や熊より有害な猛獣と申しますと?」 「人の皮をかぶって冠を着けた奴らだよ」  尼は彼女に命じ、清河《せいが》郡に住むある大官の名を告げた。公金を横領し、民を苦しめて栄耀栄華《えいようえいが》をほしいままにしているその男の首を取っておいで、と命じたのである。聶隠は清河郡におもむき、その大官がたしかに民を苦しめているのを確認した上で、邸第《やしき》に忍びこんで、一刀で首を打ち落とした。邸第を守る三百人の私兵は、彼女を妨《さまた》げることも擒《とら》えることもできなかった。  聶隠が持ち帰った首級を確認すると、尼はうなずいて「合格だよ」といい、彼女に珠玉で飾った宝剣を渡し、家に帰るように命じた。ただ、帰る前にもうひとり民を害する大官の首を取ること。成功すれば世が騒ぐから報告の必要はないこと。もはや聶隠に他の生きる方途《みち》はないから、これからは人の皮をかぶった猛獣どもを討ち、彼らが不正に奪った財貨の一部を生活の資とすること。それらを告げて、尼は彼女を人里へ送り出した。聶隠は、尼の命令を受けてその大官を殺し、いま故郷への道をたどっているのだという……。 「ではあなたは刺客《しかく》となったのか」  信じられぬ思いで元直が問うと、隠嬢は黙然とうなずいて、豹を顧みた。豹はいったん歩み去り、ほどなくもどってくると、くわえてきた布の包みを地に落とした。聶隠は、丸いものを包んだ布の端を持つと、勢いよく振った。転がり出たのは人間の生首であった。半白の髪が乱れ、充血した眼を見開き、口もとを引きつらせた男の首であったのだ。 「淮西《わいせい》節度使呉少誠《ごしょうせい》の首」 「……何と」  元直は息をのんだ。呉少誠といえば先年、公然と朝廷に叛旗をひるがえし、武力を恃《たの》んで横暴のかぎりをつくしてきた男だ。つい数日前、彼の陣営で何やら異様な騒ぎがおこり、その後あわてて軍が本拠地の蔡州《さいしゅう》城へ引き返したといわれている。事情が判明した。呉少誠は陣中でこの少女によって殺害されたのだ。 「あなたは朝廷に大功を立てたのだ。よければ私とともに長安の都へ赴《ゆ》かぬか。きっと恩賞を下されよう」 「興味がございません」  口調はやわらかいが、いっていることは辛辣で容赦がなかった。 「森のなかにおりますと、朝廷のことなど、吹き去った風よりも遠いものとしか思えませぬ。まして藩鎮や驕兵が横暴のかぎりをつくし、民を害しているときに、朝廷は何をしておられるのでしょう。世に悪がはびこるのは、結局は朝廷の罪ではないのですか」 「それは……」  元直は返答に窮した。朝廷の臣としては聶隠の放言に怒るべきだが、正論と認めざるをえなかった。 「朝廷も手をつかねているわけではない。いずれ将を育て兵を養って、藩鎮を抑制なさるだろう。すこし時間をもらいたい」 「ではそれまで、わたくしたちがすこしでも人の世の猛獣を取り除くしかございませんね」  少女はそういい、元直の顔をまっすぐ見つめた。表情が木漏陽《こもれび》をあびて甘くやわらいだ。 「師母《しぼ》にいわれました。家に帰るまでに好もしい男に出会ったら逃《のが》してはならぬ、と。永くつれそうことはかなわぬからこそ出会いをたいせつにせよ、と。わたくしを受けいれていただけますか」  大胆で唐突な求愛だった。しかも女から男へ。幾重にも儒教の礼法に背《そむ》いている。だが最初から元直はこの不思議な少女に惹《ひ》かれていた。少女が差し伸べた手を取って、彼は我ながら滑稽《こっけい》な台詞《せりふ》を口にした。 「馬が豹に食べられるようなことはないかな」  少女は笑い出した。明るい笑声が大輪の牡丹《ぼたん》のようにひろがって元直をつつんだ……。  翌朝、めざめてみると少女の姿はすでになかった。豹もいない。あるていど予期してはいたので驚きはしなかったが、一陣の風によって夢をさまされたような、おぼつかない気分が元直をとらえた。ふたたび会うことはあるまい、と思いつつ、元直は馬に乗り、長安への道をたどっていった。  十六年が経過した。憲宗《けんそう》皇帝の元和十二年(西暦八一七年)、元直は四十五歳の壮年となっていた。官職は左散騎常侍《ささんきじょうじ》、州《とうしゅう》刺史、朝廷の高官であると同時に、最前線の指令官であった。  元直は淮西《わいせい》節度使|呉元済《ごげんせい》の討伐にきていた。淮西とは、黄河の南で長江の北、淮河の上流を占《し》める一帯で、東都洛陽にも近い。呉元済もその父親も、朝廷から許可を受けずに節度使を自称し、強大な軍隊を持ってかってにふるまっていた。何しろ三十年にわたって官軍は淮西の地を踏むことができずにいるのである。呉元済は民衆から税を取りたててそれを着服し、地方から長安へ送られる物資を強奪し、四方に兵を出して土地を併合し、略奪や殺人をほしいままにする。呉元済の討伐を決定した宰相の武元衡《ぶげんこう》は、呉元済の盟友である李師道《りしどう》の放った刺客によって暗殺されてしまった。自分の邸第《やしき》を出て皇宮へ参上する途中で、毒矢を射こまれたのである。  こうなると朝廷としては呉元済を放置しておけない。放置しておけば呉元済や李師道はさらに増長する。これまで比較的、朝廷に従順であった他の藩鎮も、朝廷をないがしろにするようになるであろう。妥協も譲歩も、もはやありえない。大唐帝国の瓦解《がかい》を防ぐため、呉元済を討つしかなかった。かくして元直が勅命を受けるに至ったのである。  元直のおもな部下は、李佑《りゆう》、李忠義《りちゅうぎ》、丁士良《ていしりょう》、呉秀琳《ごしゅうりん》、田進誠《でんしんせい》、牛元翼《ぎゅうげんよく》などである。このうち李佑、李忠義、丁士良、呉秀琳はもともと叛乱軍の部将であったが、元直の奇略によって生擒《いけどり》にされた。彼らは死を覚悟したが、元直は彼らの罪を赦しただけでなく、武器を返し、兵を与え、部将として遇した。彼らは感激し、元直に忠誠を誓ったのである。  元直は彼らと相談し、着々と呉元済を討つ準備をすすめていた。だが呉元済の兵力は元直の十倍、しかも彼らの居城蔡州《さいしゅう》城は天下の堅城《けんじょう》である。これを陥落させることは容易ではなかった。  元直が最前線に着任したのは、この年一月。すでに十月となっていた。旧暦であるから冬にはいっている。しかもこの年、ことのほか寒気が厳しかった。連日、雪が鉛色の空から降りしきり、沼や池は凍結し、戦争などできる状態ではなくなりつつある。 「このまま年を越すわけにいかぬ。年内に呉元済を討つつもりで準備を進めていたのに……」  十ヶ月にわたる苦労を、元直は想いおこした。いくつかの戦闘に勝ち、有能な敵将を幾人も捕えて味方にし、なおかつ呉元済に油断させる。奇術めいたことだが、元直はそれをやらなくてはならなかった。 「李愬《りそ》という男は無能者で、亡父李晟の名声によって出世しただけだ。たまたま戦いに勝ったのも運がよかっただけだ。将兵の主力は投降した者たちで戦意はなく、呉元済が陣頭に立てば恐れて逃げ散るだろう。官軍など恐るるにたりず」  そのような噂を流し、戦略的に意味のない戦闘では敗走もしてみせた。何より重要なのは民衆を味方につけることだった。呉元済は武力に驕る無慈悲な男で、民衆を支配と搾取《さくしゅ》の対象としてしか考えていなかったから、民衆は官軍の勝利を望んでいた。呉元済の部下の兵士たちすら酷使と虐待に耐えかねているという。それらの点ではすでに戦機は到来しているのだが、天候は呉元済に味方するようであった。攻撃が春まで延《の》びれば、その間、蔡州城の守りはますます堅くなるであろう。呉元済に味方する他の藩鎮、たとえば李師道などは図に乗って何か企《たくら》むかもしれぬ。朝廷の命運は、元直が呉元済に勝利をおさめうるか否か、その一点にかかっているとさえいえた。元直としても胃が痛くなる思いである。  半日、自室にこもって地図を睨んでいた元直は、寒気をおぼえて首をすくめた。窓が開いて雪まじりの風が吹きこんで来たのだ。立ちあがって窓を閉めようとした元直の歩みがとまった。窓際に女が立っている。足もとに豹がうずくまり、黄金色の瞳で元直を見あげていた。名を問う必要はなかった。  聶隠《じょういん》は三十一歳になっているはずだが、二十五歳以上には見えなかった。六朝《りくちょう》様式でつくられた象牙の彫刻さながら、繊細で優雅で、微笑はあでやかだった。傍にいる豹は、十六年前に彼女とともにいた豹であるかどうか、元直には判断できなかった。 「久しくお会いしませんでしたな」  ようやく元直がそれだけいうと、聶隠はうやうやしく礼をほどこした。 「李将軍には、このたび官軍をひきいて淮西の呉元済を討伐なさるとか。それをうかがって、招かれもせずに馳せ参じました。お役に立てればと思いまして」  思いもかけぬ聶隠の言葉だった。 「十六年前、わたくしは呉少誠を討ちとりましたが、結果として彼の地位は弟たる呉少陽《ごしょうよう》に引きつがれました。呉元済は呉少陽の子。今日、呉元済が暴威をふるうに至った原因の一半はわたくしにございます」 「志《こころざし》はありがたいが、これは官軍がなすべきこと。あなたは朝廷のために功を立てることはなさらぬはずだと思ったが、お考えを変えられたのか」 「以前も申しあげましたが、わたくしは朝廷に対してとくに忠誠の念はありませぬ。官軍の旗を立てていようとも、民を害する者たちには刃を向けて、逆賊となりましょう」  事もなげにいわれて、元直は返答できぬ。聶隠はさらに語をつづけた。 「あなたさまは仁将《じんしょう》というお噂です。民衆に食料を与え、傷病兵にはご自分で薬をつくって治療をほどこされるとか。感服いたしております」 「それは過大な評価だ」  ようやく応《こた》えた元直の声に苦《にが》みがある。 「負傷や病気が癒《い》えた兵を、どうせ私は戦場につれていって死なせることになるのだ。かえって罪深いかもしれぬ。兵の家族らは私を恨むだろう」  聶隠が声もなく笑ったようであった。 「お言葉ですが、それはちがいましょう。どうせ死ぬのだから無慈悲にあつかってよい、ということになれば、人の世に善政も仁慈も必要ないということになります」 「それはそうだが……」 「それとも、あなたさまは聖人になりたいとお思いなのですか、武将ではなく?」  聶隠の口調が少女の頃と変わらぬので、元直は不快ではなく、中断された夢のつづきを見るような幻妙な気分を味わった。彼はひとつ頭を振った。兵の家族に恨まれることを恐れるようで、将軍の職がつとまるはずはなかった。彼は表情をあらため、この不思議な女に事情を説明し、軍事上の相談を持ちかけた。 「あらゆる策《て》を打ってきた。あとは一挙に蔡州城を衝《つ》くのみだ。だが今年の冬の早さはどうだ。雪が溶けるのを待っていては、攻撃は百日も将来《さき》のことになってしまう」 「呉元済もそう思っておりましょうね、きっと」  と胸を突かれたように、元直は聶隠を見なおした。彼女が示唆《しさ》したのは、誰も予想しないこの時期に、思いきって奇襲を断行せよ、ということではないか。 「そうだ、しかも今日は黒道兇日《こくどうきょうじつ》だった」  黒道兇日とは黄道吉日《こうどうきちじつ》の反対で、最悪の厄日《やくび》である。息をひそめて一日が終わるのを待つべき日とされていた。それはまさしく敵の意表をついて行動するに値する日ではなかろうか。元直は降りしきる雪を眺め、大きくうなずいた。振り向いたとき、音も気配もなく、聶隠の姿は豹とともに消えている。もはや時を浪費するつもりは元直にはなかった。彼は声をあげて部将たちを呼び、駆けつけた彼らに、兵士たちを武装させ集合させるように指示した。部将たちは驚いた。 「ですが今日は黒道兇日でございますぞ」  元直より千年後の人々ですら、日の吉兇《きっきょう》を気にする。ましてこの時代、兇日に事を起こすなどあってはならぬことであった。だが元直は意に介せず、ただちに全軍の出動を命じた。十月十五日のことである。  官軍の総兵力は九千。これを元直は前・中・後の三軍に分けた。前軍三千の主将は李佑《りゆう》、副将は李忠義《りちゅうぎ》。後軍三千の主将は田進誠《でんしんせい》、副将は牛元翼《ぎゅうげんよく》。中軍三千は元直が自身で指揮し、副将は丁士良《ていしりょう》、そして全軍の参謀は呉秀琳《ごしゅうりん》。充分に防寒着を着用させ、身体を温めるために酒も持たせた。いったいどちらの方面へ進軍するのか、不審そうな将兵に向かって元直はただこう告げた。 「東へ進むのだ」  元直はこれまで十ヶ月のわたって将兵との信頼関係を築きあげて来た。何か考えがあるのだろう、あるいは他の官軍と合流するのかもしれぬ。将兵はそう思い、降りしきる雪のなかを黙々と進軍した。一糸みだれぬ行軍ぶりで、夕刻、第一の目的地に到着する。  そこは張柴村《ちょうさいそん》と呼ばれる土地であった。もとはありふれた農村であったが、官軍が蔡州城を攻撃するときにはかならず通過する場所だというので、住民は追い出され、呉元済の部隊が柵《さく》と狼煙《のろし》台を築いて守備している。彼らに気づかれることなく、官軍は雪のなかを至近距離に迫った。 「一兵も逃すな」  非情ともいえる命令を、元直は下した。敵兵をひとりでも逃がせば、蔡州城に急報がもたらされ、奇襲は失敗する。官軍は完全に村を包囲し、李佑が先頭に立って突入した。まずは狼煙台を襲い、そこを守る敵兵をことごとく殺した。雪が血に解けて泥濘《でいねい》となるほど惨烈な闘いとなり、そこから離脱しようとする者はすべて包囲網にかかって斬られた。元直の命令は完全に遂行され、逃れた敵兵はひとりもなかった。闘いが終わると、元直は将兵に休息と食事の時間を与え、夜になったら進発してさらに東へ向かう旨を告げた。  李佑、李忠義、田進誠、丁士良らはたがいに低声で語りあっていたが、ついに全員がそろって元直の前に行き、目的地を明らかにするよう願った。元直ははじめて答えた。 「このまま蔡州城を直撃し、叛将呉元済を生擒《いけど》る」  元直の一言で、「諸将、色を失う」と「旧唐書」にある。勇猛な彼らさえ、主将がそれほど大胆なことを考えているとは思わなかったのだ。色を失った彼らは、だが、すぐに覚悟を決めた。この吹雪のなか、もはや引き返すのは不可能である。それに元直によって救われた自分たちの命ではないか。 「呉元済を討つべし!」  李佑が叫ぶと、諸将もそれに和した。さらに雪と風が強まり、音をたてて荒れ狂うなかを、九千の官軍はふたたび前進した。官軍がこれほど決死の覚悟で行動するのは、信望あつい名将李晟の死後はじめてのことであった。  田進誠は古くからの元直の部下である。雪中行軍をはじめたとき、もしや李佑が呉元済の間者として官軍を無謀な行動に誘い出したのではないか、と疑った。そのように後年、述懐している。これはむしろ自然な疑惑であったろう。だがその田進誠も元直と生死を共にする覚悟を決めており、兵を励《はげ》まして前進する。  ほどなく不思議なことがおこった。幻覚かと思えたが、官軍の前方に、豹に乗った女の姿があらわれ、しきりにさし招くのである。前軍を指揮する李佑は判断に苦しみ、使いの兵士を中軍に走らせて元直の指示をあおいだ。 「その女性《にょしょう》についていけ。かならず蔡州城に着く」  元直の指示を疑う余裕はない。李佑や李忠義は、豹に乗った美女をめがけて馬を進めた。全軍がそれにしたがい、雪を踏んで進む。何かに憑《つ》かれたかのような進軍は、夜を徹してつづいた。「新唐書」によれば、「凛風《りんぷう》は旗を偃《ふ》せ肌を裂く」というありさまで、軍旗を立てることもできぬほどの強風が雪を舞い狂わせる。馬が倒れ、人も倒れ、それを助ける余裕もなく、ひたすら部隊は進んだ。全軍の一割から二割が脱落し、そのほぼ全員が凍死したものと思われる。行軍の苛烈さもさることながら、将も兵もついに不満を口にせず、総帥を怨むこともなかったという事実は、元直が統率者として成功したことを証明するであろう。  官軍のすさまじい執念は、ついに報われた。風が弱まり、雪もやみ、夜も明けかけたころ、前方に蔡州城の城壁が姿をあらわしたのである。凍りついた睫毛《まつげ》を溶かすように、将兵の眼から涙があふれた。自分たちが戦史に類のない行軍を成功させたのだ、と思うと、疲労は陽光を受けた薄氷のように消え去り、戦意はいちじるしく昴揚した。元直は呉秀琳と丁士良をともない、湖水とみまごうほどの広大な濠《ほり》に岸に立って城を偵察した。  濠は何らかの理由で水温が高く、凍結していなかった。その水面は黒々とした影におおわれている。その影が、眠りこんでいる鴨《かも》の群だということに気づくまで、いくばくかの時間を必要とした。おそらく数万羽にのぼるであろう。丁士良や呉秀琳は危惧した。ひそかに攻撃せねば奇襲は成功しがたいのに、この鴨たちが騒ぎだせば敵に気づかれるのではないか、と。だがむしろ元直は喜んだ。奇策を思いついたのである。 「鴨たちには気の毒だが、濠に石を投げこめ。いっせいに舞いたたせるのだ」  命令は即座に実行された。兵士の手から、石や雪玉が濠へ投げこまれる。最初はわずかな水音がたつだけだったが、眠りをさまされた鴨が動きはじめると、数瞬のうちに状況は激変した。形容しがたい音が炸裂して、百羽、千羽、一万羽と鴨の群が宙へ舞いあがる。白と灰色だけの世界に、無数の黒い斑点が乱舞し、それが渦を巻いて人間たちの視界をおおいつくしていった。  数万の鴨の羽ばたきと鳴声は天地の間にもとどろきわたり、城壁を守る兵士たちは耳をおおった。馬蹄のひびきも甲冑の音も聴《きこ》えようはずがない。耳をおおいながら、視線は、乱舞する鴨の群に向けられたままで、突堤上を殺到する官軍の姿にはなかなか気づかなかった。気づいたときには、数十の梯子《はしご》が城壁にかけられ、官兵たちが決死の形相で躍りこんで来ている。茫然自失のうちに乱刃をあびて、城兵たちは雪と氷の上に斬り倒されていった。 「敵だ、官軍だ!」  城兵の叫び声もまた鴨の羽ばたきにかき消される。狼狽しつつ剣をとって立ちむかおうとするが、準備にも戦意にも大差があった。雪をとかし、氷を彩《いろど》るのは、ほとんどが城兵の血であった。暴風にまさる羽ばたきの音で、城内の住民たちもとび起きた。最初は不安に駆られていた彼らも、事情を知ると、官軍に呼応した。暴君である呉元済を倒すべき日が来たのだ。彼らは城兵に石や雪玉を投げつけ、官軍に道を教えた。血と雪を蹴りたて、官軍は呉元済の居館へと殺到する。  呉元済は三十五歳、勇猛で覇気もあったが、粗雑な男でもあった。官軍に急襲されるなど想像もせず、暖かな閨房《けいぼう》で女たちを相手に歓楽に耽《ふけ》っていた。ここへ駆けこんできた部将との会話が「新唐書」に記録されているが、記述者は舞台劇的な効果をねらっているようにも感じられる。 「閣下、敵が攻めてまいりました」 「ばかなことをいうな。敵がこの雪中を来られるわけがない。住民どもが喧嘩《けんか》でもしているのだろう。朝になったら見せしめに幾人か首を斬ってやる」 「閣下、敵が城内に侵入いたしました」 「うるさいな。おおかた新参の兵士どもが酒や毛皮を支給しろとでもいって騒いでいるのだろう。放っておけ」  酒瓶を投げつけられて、部将は逃げ出した。主君に殉じる気はなく、いずこかに行方を昏《くら》ましたようである。呉元済は帳《とばり》のなかでなお甘美な夢をむさぼろうとしたが、不意にその帳が斬って落とされた。寒気が吹きこんで来て、酒色に濁った呉元済の脳を冷《さ》ます。彼が帳の外に見出したのは、北方の胡人《こじん》のように防寒用の戎衣《じゅうい》を着こんだ女の姿だった。後方に一匹の豹がしたがっている。女の美しさが呉元済の目を奪った。だが紅唇《こうしん》から走り出た声に柔媚《じゅうび》さはなく、鋭い厳しい言葉が呉元済を鞭うった。 「朝廷に背《そむ》くのはかまわないけど、お前が権勢をにぎったら民の災禍はさらに大きくなるだろう。この三年、ほしいままに甘美な夢を見て来たお前だ。そろそろ牀《ねどこ》から起きる刻《とき》が来たとお思い」 「ほざくな! 舌の長い女め」  怒号すると、呉元済は枕頭《まくらもと》に置かれた大剣をつかみ、鞘《さや》を払った。ここ数日、酒色におぼれていても、危地に立って闘志を失いはしなかった。帳から躍り出し、半裸の女たちが泣き騒ぐのを無視して、戎衣の女に斬りつけた。女の姿が消え、大剣は空を斬り裂いた。影のようなものが呉元済の身をかすめる。にわかに左足が激痛を発し、彼は床に横転した。  女の短剣は、呉元済の左踵《かかと》の腱《けん》を一閃に断ち切っていた。床に倒れた呉元済は起《た》ちあがることもできず、苦痛と屈辱にまみれて転げまわる。ひややかに女は呉元済を見おろし、短剣を鞘におさめた。 「どうせ死罪となる身、ここで殺したほうが後のめんどうがなくてよいけれど、正式な裁判を、と、お望みの方がおいでだからね」  女の声に、青い煙がかさなってきた。ものの焦《こ》げる臭いが流れこんでくる。居館に火が放たれたのだ。  この火は田進誠が放ったものであることを、史書は明記している。いつまでも呉元済が居館から出てこないものだから、燻《いぶ》しだそうとしたのである。そのままでいれば呉元済は焼け死ぬところであったが、女が彼の襟首をつかんで閨房の外に放り出したので、その姿を発見した田進誠が兵士たちとともに駆け寄って縛りあげた。そのときすでに女の姿はない。  三十年にわたり、朝廷を無視して横暴のかぎりをつくしてきた淮西《わいせい》の藩鎮、呉一族はここに滅亡したのである。元直の作戦行動は、いくつもの点で中世の軍事常識を破った。黒道兇日に事をおこしたこと、夜間の雪中行軍を強行したこと、奇襲に際して積極的に大きな音をたてたこと。この劇的な勝利をもって、元直は奇略の人として史上に名を残すことになったが、「あれは一度きりのこと」と語り、その後ついに奇襲戦法を用いることはなかった。  蔡州城外にはなお呉元済の軍二万がいたが、官軍の武威を恐れ、戦わずして降伏した。呉元済をのぞく全員に、元直は寛大な処置をもってのぞんだ。呉元済をとらえて以後、ひとりの敵兵も殺さなかった、ということが「旧唐書」に特筆されている。すべての戦後処理を終えた彼が、蔡州城を去る直前、ひとりで城内を見てまわり、「今度こそもう会えぬだろうな」とつぶやいたことは、忠実な部将たちの誰も知らぬことであった。 「淮西の呉元済、滅亡す」  その報は天下にひろまり、驕りたかぶっていた各地の藩鎮に冷水をあびせた。朝廷の決意と官軍の強さを思い知らされたのである。さらに元直が兵をひきいて平盧《へいろ》の藩鎮李師道《りしどう》を滅ぼし、暗殺された宰相武元衡《ぶげんこう》の仇を討つと、各地の藩鎮は反抗をあきらめた。生命がけで朝廷と戦う気骨などなく、武力を恃《たの》んで朝廷にさからい、民衆から搾取《さくしゅ》していただけの無法者たちである。つぎつぎと朝廷に降伏を申しこみ、一時的ではあったが朝廷の威信は回復された。  元直は唐王朝の中興の名将として絶賛され、出世して同中書門下平章事《どうちゅうしょもんかへいしょうじ》となった。宰相である。  宰相となっても元直の生活は以前と変わらなかった。質素で読書を好み、外出するときはひとりで随従《とも》もつれなかった。書斎も飾りけのないものであったが、ただ東の壁に、宮廷画家の手をわずらわせたという一幅《いっぷく》の大きな絵がかかっていた。それは豹に乗り、短剣を手にした美女の絵で、人目を惹《ひ》くのに充分であった。何者の絵か、と問われても元直は答えなかったが、かさねて問われると、黒道兇日を絵にしたものだ、と答えた。問うた人は呆《あき》れて、それは不吉である、と意見した。  人々が何をいおうと、元直は笑って取りあわなかった。豹に乗った美女の絵は、元直の死に至るまで書斎に飾られていた。彼が死去した翌日、家人が書斎にはいってみると、絵から美女の姿が消えていた、とも伝えられているが、最後の挿話《そうわ》はいささか蛇足のようである。 田中 芳樹〔たなか よしき〕  一九五二年熊本生まれ。学習院大学文学部博士課程修了。一九七八年処女作「寒泉亭の殺人」(「チャイナ・ドリーム」所収)で学習院大学第四回輔仁雑誌賞入選。一九七八年第三回幻影城新人賞、一九八八年「銀河英雄伝説」で星雲賞を受賞して圧倒的人気を誇る。「風よ、万里を翔けよ」「紅塵」を発表して中国歴史小説の分野に取り組む。処女作が中国を舞台にした作品だったことは象徴的だ。