騎豹女侠《きひょうじょきょう》 (出典:運命の覇者) 田中 芳樹・著      ㈵  唐の憲宗《けんそう》皇帝の御宇《みよ》である。安禄山《あんろくざん》の大乱より五十年を経て、朝廷の権威は衰え、諸方の軍隊が半ば自立して横暴をきわめていた。これら割拠《かっきょ》した軍隊を藩鎮《はんちん》といい、憲宗の治世は外なる藩鎮と内なる宦官《かんがん》との戦いに終始《しゅうし》したのである。  元和《げんな》元年(西暦八〇六年)のこと。この前年はまことにあわただしい年で、一月に徳宗《とくそう》皇帝が死去して順宗《じゅんそう》皇帝が即位した。ところが順宗皇帝は風疾《ふうしつ》(脳出血による全身|不随《ふずい》)で病床にあり、その間に重臣と宦官が朝廷で抗争をくりひろげた。八月に至って順宗は退位し、太上皇《たいじょうこう》となる。長子が立って憲宗皇帝となり、このとき年号が貞元《ていげん》から永貞《えいてい》へとあらたまった。二十八歳の青年皇帝は鋭意《えいい》、朝廷の粛正《しゅくせい》に乗り出し、奸臣《かんしん》たちを一掃する。年があけて年号を元和とし、ようやく朝廷内はおさまった。だがまだおさまっていないどころか、まさにこれから乱れようとする土地があった。蜀《しょく》、または剣南《けんなん》と呼ばれる地方で、後世の四川《しせん》省一帯である。  一月、剣南|西川節度使《せいせんせつどし》の職にある劉闢《りゅうへき》という男が兵をあげて朝廷に背《そむ》いた。「蜀は劉姓の者が支配することになっているのだ」と広言したのは、自分が三国時代の劉備《りゅうび》の再来だといいたかったらしい。もともと謀反気《むほんぎ》のある男であると知られていたので、唐の京師《みやこ》長安《ちょうあん》に上ったとき、いっそ斬ってしまえ、という声も朝廷にはあった。だが反対する者もおり、意見がまとまらないでいるうちに、劉闢《りゅうへき》は長安を脱出して蜀の成都《せいと》へと逃げ帰り、そこではじめて公然と叛旗をひるがえしたのである。  ここに至って憲宗《けんそう》皇帝も決断し、劉闢を斬ることに反対した高官たちを更迭《こうてつ》した上で、討伐《とうばつ》の官軍を派遣することにした。それより双方の攻防や交渉があって、九月となり、官軍は成都の北方にせまっている。  二十代で科挙《かきょ》に合格し、四十代で節度使となった男だけに、劉闢は優秀な官僚ではあった。だが、「どことなく薄気味《うすきみ》悪いお人だ」と、成都を中心とする蜀の民には思われている。麾下《きか》の将兵はともかく、民は喜んで彼にしたがっているわけではなかった。だが公然と反抗することもできず、内心、一日も早く官軍が来て劉闢をとらえてくれるよう願っている。朝廷の徳を慕っているわけではないが、劉闢よりはましだろう、というのであった。 「酉陽雑俎《ゆうようざっそ》」によれば、このころ、劉闢の本拠地である蜀の成都に、姓は陳《ちん》、名は昭《しょう》という男がいた。年齢は三十代半ば、職は成都府の孔目典《こうもくてん》、つまり文書担当官であった。劉闢の部下ではあっても家臣ではないから、叛乱に荷担して生死をともにしようとは思わない。毎日、土地や租税《そぜい》や訴訟《そしょう》に関する書類を整理しながら、暴風がすぎるのを、首をすくめて待っていた。  ある日、勤務をすませて宿舎に帰ろうとすると、上司に呼びとめられた。その日のうちに決裁《けっさい》が必要な書類があるので、節度使の内衙《ないが》(一家の住居)へ行って署名をもらってこい、というのであった。すでに夜になりかけた時刻で、むろん陳昭にとってはありがたいことではなかった。そもそも今日のようなご時世で、節度使の署名などもらって有効なのかどうか。そう思っても拒絶はできず、陳昭はしぶしぶ書類を持って劉闢の内衙へと向かった。  このところ奇妙な噂《うわさ》が成都城内を飛びかっている。世情《せじょう》の混乱と人心の動揺を反映しているのであろうが、豹《ひょう》に騎《の》った女が夜道を駆けぬけていったとか、劉闢の内衙を訪れたまま帰らぬ客が十人以上いるとか、陳昭にとっては気味の悪い噂ばかりであった。ようやく目的地に着き、ためらったあげく門前で案内を乞《こ》う。先客《せんきゃく》があるとのことで、長い曲がりくねった回廊《かいろう》を先導され、竹林をひかえて独立した書院へと導かれた。案内の兵士が去ると、陳昭は扉を敲《たた》こうとしてやめ、横あいの円窓《まるまど》をそっと覗《のぞ》いた。客人らしい男が、劉闢と対座《たいざ》しているのが見えた。灯火がゆらゆらとふたりの影を床に落としている。  奇妙な予感がはたらいて、陳昭は左手で口をおさえた。声をあげるようなことがあってはまずい、と思ったのだ。そのまま息をころして室内の光景を窃《ぬす》み視《み》ていると、客人が身体を揺らしながら座から立ちあがった。その視線は劉闢の顔から離れない。劉闢の両眼が客の両眼を吸いつけているようであった。客は身体を前方に倒し、床に両手をついた。客は声をあげた。市場に曳《ひ》かれていく羊を思わせる声であった。  その奇怪な姿勢のまま、客は劉闢《りゅうへき》の前へと進んでいく。左手で口をおさえたまま、陳昭《ちんしょう》は右手で眼をこすった。劉闢の口が上下にひろがった。顎《あご》が下へ下へとさがり、腰のあたりにまでとどいたのだ。その口へ、客の頭がはいっていく。頭が消え、頚《くび》が消え、腕が消え、客はまるまる劉闢の口にのみこまれていった。大蛇が兎《うさぎ》をのみこむように、劉闢は人ひとりのみこんでしまうと、妊婦《にんぷ》のように膨《ふく》らんだ腹をなで、顎を閉ざした。満足の吐息《といき》がやみ、劉闢の顔がゆっくりと動いて、正面から陳昭を見すえた。 「見たな!」  劉闢がほんとうにそういったのかどうかはわからない。勢いよく口が開閉されただけかもしれない。だが雷のような声を、陳昭は聴《き》いたと思った。彼の勇気と忍耐力とは、一瞬で霧消《むしょう》した。自分のものとも思えぬ悲鳴を放って、陳昭は逃げ出した。  こけつまろびつ回廊を走る陳昭に、立哨《りっしょう》の兵士が不審と奇異《きい》の目を向ける。陳昭の背後で書院の扉が開き、劉闢が姿をあらわした。その腹部はすでにわずかな膨らみしか示していない。餌食《えじき》を消化し終えたのであろうか。 「あの者を逃がすな! 糾問《きゅうもん》の必要はないゆえ殺してしまえ」  劉闢の命令を受けた兵士たちが、弾《はじ》かれたように動き出す。戈《ほこ》が灯火を受けて青く光り、怒声《どせい》が陳昭《ちんしょう》の背中をたたいた。とまれ、という声に、むろん陳昭はしたがわない。回廊を走りつづける。その前方に、戈《ほこ》をかまえた兵士が数名、躍《おど》り出た。つんのめるように停止し、陳昭は身をひるがえす。追ってきた兵士たちがすでに肉薄《にくはく》している。夢中で欄干《らんかん》を乗りこえ、回廊から夜の庭へところげ出た。  大小の岩石に樹木が配され、泉水《せんすい》もある。暗闇にまぎれて逃がすのを恐れたのであろう。松明《たいまつ》を持ってくるよう指示する声が聞こえた。いつか両手両足で這《は》っていた陳昭は、岩の蔭《かげ》から樹の蔭へと移動しながら、建物から塀《へい》のほうへ進んだ。あとは塀さえこえれば何とか逃げのびることができるかもしれない。そう思いかけたとき、眼前に二本の肢《あし》がそびえたった。唾《つば》をのみこみ、そっと見あげる眼に映ったのは、まさに戈を突きおろそうとする兵士の姿である。陳昭は首をすくめ、眼を閉じた。未経験の激痛が落ちかかってくる一瞬を待つ。すさまじい叫びがおこり、ふたたび見あげる陳昭の視線の先で、顎の下に短剣を突き刺して兵士が大きくのぞけっていた。地ひびきをたてて兵士が倒れる。  うろたえて陳昭が半ば立ちあがる。いくつもの松明が揺れ、怒声と沓音《くつおと》が殺到してきた。ちがう、殺したのはおれじゃない。そう喚《わめ》きかけた陳昭めがけて、数本の戈が同時に突き出された。かわいた刃音《はおと》が連鎖《れんさ》し、へし折られた戈の刃が夜空に乱舞《らんぶ》する。  地上ではひとつの影が舞っていた。剣を持った人影だ。剣光《けんこう》が地上の流星さながらにひらめくつど、戈が折れ、松明が斬り飛ばされ、苦痛の叫びがあがる。血の臭《にお》いが陳昭の鼻をついて、彼はふたたび地にへたりこんだ。不意にその襟元《えりもと》をつかまれて、陳昭は必死でもがこうとしたが手も足も思いどおりに動かない。 「こちらへ! あまり世話をやかせるな」  低く声をころした叱咤《しった》とともに、陳昭は引きずられた。ただひとりの侵入者に斬り散らされて、兵士たちは応援を求めるために走り去っている。その隙《すき》に侵入者は陳昭を引きずり、塀にかかった縄《なわ》を伝って脱出させたのであった。      ㈼  内衙《ないが》から二里ほどへだてた竹林のなかで、ようやく陳昭は彼を救ってくれた人物の姿をまともに見ることができた。 「怯《おび》えずともよい、無辜《むこ》の者に害は加えぬ」  若い女の声であった。  必死で呼吸をととのえながら、陳昭は声の主を見た。たしかに若い女だ。しかも、冬の月さながらに冴《さ》えわたる硬質《こうしつ》の美貌であった。二十歳ほどであろうか、男の陳昭と同じほど背が高い。頭部を布でつつみ、男装して、頚《くび》に領巾《スカーフ》を巻いていた。長剣を背負《せお》い、弾弓《だんきゅう》もたずさえている。半月の下でそれらを確認すると、陳昭《ちんしょう》はあらたな当惑をおぼえた。この女は何者で、なぜ彼を救ったのか。ただただ平穏が望みであったのに、とんでもないことに巻きこまれた。そう思いつつ、陳昭はとりあえず自分の姓名を名乗り、相手のそれを問うてみた。 「姓は聶《じょう》、名は隠《いん》」  そう答えた女の声には、自分の姓名を誇りに思っているひびきがあった。ただ、蜀《しょく》に生まれ育った陳昭には、やや聞きとりづらい訛《なま》りがある。どこか北方の産だろう、と、陳昭は思った。 「生命を救っていただいてありがたいが、いったい何でまたこのようなところにいらしたのか」 「劉闢《りゅうへき》を殺しにきた」 「りゅ、劉使君《しくん》を!?」  使君とは節度使に対する敬称だが、聶隠と名乗った女は冷淡に指摘した。 「叛逆と同時に、劉闢はあらゆる官位を剥奪《はくだつ》されたはず。使君などと呼ぶ必要はあるまい」 「何にしても殺すなど……」 「おや、お前が殺されたほうがよかったのか。お前がどう考えているかは知らぬが、劉闢のほうでは生きているかぎりお前を見逃《みのが》しはせぬぞ」  陳昭はむなしく口を開閉させた。  もはや宿舎へは帰れない。帰ればまちがいなく殺される。不幸中の幸いであるのは、陳昭の妻子が漢州《かんしゅう》という土地におり、劉闢の手がすぐにはおよばぬことであった。 「これからどうしたらよかろうか」 「どうにかしたいのか?」 「も、もちろん」 「では、わたしのいうとおりにするか」  女はいう。劉闢ひとり殺しても、その麾下《きか》にある大軍を放置しておけば、いずれまた不逞《ふてい》の野心家があらわれて事をおこしかねない。無用な戦火によって害されるのは民であるから、この際、劉闢ともどもその軍をたたきつぶす必要がある。よければそれを手伝《てつだ》ってほしい……。  おそるおそる陳昭は問いかけた。 「あなたは朝廷のお味方なのか」 「朝廷の味方ではない。劉闢の敵だ」  女の口調は厳格で、異論《いろん》を許す余地がない。それでも陳昭はべつの疑問を口にずにいられなかった。劉闢のように大軍に守られた実力者を殺すことは容易ではあるまい。 「昨年には韋皐《いこう》を殺したぞ」  あっさり答えられて、陳昭は息をのんだ。韋皐は劉闢の前任者で、二十一年の長きにわたって蜀を統治し、すぐれた用兵によって吐藩《チベット》の侵攻をふせぎつづけた。その功績によって南康《なんこう》王に封ぜられ、朝廷に重んじられたが、その統治は苛政《かせい》といってよかった。部下の将兵に贅沢《ぜいたく》をさせるため重税を課《か》して民衆を苦しめたので、彼が急死したとき、ひそかに喜び祝う者が多かったといわれている。なお韋皐《いこう》が死んだのは、この前年のことである。六十一歳であった。死因は公表されていない。 「な、南康王を殺した……朝廷の重臣を」  陳昭《ちんしょう》は身体の慄《ふる》えがとまらなかった。 「王だろうと公だろうと民を害する者は生かしてはおかぬ。あの老人は殺されるだけのことをしたのだ」 「だ、誰の許しをえてそんな所業《まね》を」 「韋皐は誰の許しをえて民を苦しめたのだ、朝廷か?」  女の声は痛烈《つうれつ》なひびきをおびた。 「だとしたら朝廷は民を害する賊だ。存在する意義などない」  いかに下っぱでも陳昭は官吏《かんり》である。この聶隠《じょういん》という女のほうが、劉闢《りゅうへき》よりよほど危険な謀叛《むほん》人であるように思われた。むろんそんな感想を口には出さない。 「わたくしは韋皐を苦しませず一刀で地下《あのよ》へ送りこんでやったぞ。感謝されてもよいくらいだ。だが、こうなるとは思わなかった。後任があのような人妖《ばけもの》とはな」  女の声に苦々《にがにが》しさが加わった。陳昭は先刻の記憶をあらたにして、されに慄えだした。あの巨大な口に頭からのみこまれ、腹中《ふくちゅう》におさまっていたかもしれない。聶隠という女がいかに朝廷に対して不逞《ふてい》な言を吐こうとも、陳昭にとってはまちがいなく生命の恩人であった。とはいえ、うかつに手伝ったりすれば、後日どんなことに巻きこまれるか知れたものではない。 「も、もし劉使君《しくん》が官軍に勝ったら?」  陳昭が疑念《ぎねん》を呈《てい》すると、聶隠はこともなげに一笑した。 「古来《こらい》、妖術《ようじゅつ》によって国が滅びたことはあっても、国が興《おこ》った例はない。そもそも劉闢は創業の大道を歩んでおらぬ。一時の勝利を得ても永続《えいぞく》するはずがあろうか」 「…………」 「で、どうする? わたくしを手伝うか」 「いや……それは……あの……」 「そうか、ではしかたない」  女の声にも表情にも、べつに変化はなかった。 「わたくしはこれで別れる。後はお前のかってにするがよい」  女が二本の指を淡紅《たんこう》色の唇にあてて鋭く吹き鳴らすと、風のかたまりが一陣、夜を裂《さ》いたかに思われた。何か人体よりひとまわり大きなものが、聶隠《じょういん》と陳昭《ちんしょう》との間に躍りこんできたのだ。黄金色の毛皮に黒い斑点《はんてん》。それが豹《ひょう》であることを知って、この夜何度めのことであろう、陳昭は腰をぬかした。成都の城市《まち》を流れていた噂は正しかった。豹に騎《の》って駆ける女とは聶隠のことであったのだ。むろん劉闢《りゅうへき》をつけねらっていたのであろう。  まるで羽毛《うもう》が舞うような軽やかさで、聶隠は豹の背中に飛び騎った。もはや陳昭に一瞥《いちべつ》もくれず、まさに走り出そうとする寸前、陳昭は悲鳴を発した。 「待ってくれ、私を見放すのか!?」  豹の背で、聶隠は陳昭をかえりみた。 「わたくしはすでに一度お前を助けてやったではないか。それなのに、お前はわたくしの手伝いをせぬという。これ以上なぜ、お前を助けてやらねばならぬ?」  意地悪《いじわる》でいっているのではない、心から不思議《ふしぎ》そうに女は問うのであった。陳昭は返答に窮《きゅう》した。たしかに聶隠には陳昭を助ける義務などない。無力な幼児や病人でもないのに、何ひとつ彼女の役に立たず、助けてくれだの守ってほしいだのいうのは、あつかましいことではないか。 「わかった、いわれたとおりにする」 「本心だろうな」 「信じてくれ、こうなったら私も必死だ」  そういう陳昭《ちんしょう》の顔を凝視すると、聶隠《じょういん》は微笑してうなずいた。おりから馬蹄《ばてい》のひびきが近づいて、ふたりは竹林に身をひそめた。甲冑《かっちゅう》をまとった黒髯《こくぜん》の牙将《がしょう》(士官)が劉闢《りゅうへき》の内衙《ないが》へと向かっている。その牙将が李燕《りえん》という名であることを陳昭から聞くと、聶隠はつぶやいた。 「ふむ、あの男がよさそうだな、たいして大男というでもなし」      ㈽  劉闢を討伐するために長安を発した二万の官軍は、南下して秦嶺《しんれい》山脈をこえた。そこは古来、漢中《かんちゅう》と呼ばれている地域で、この時代、東川節度使《とうせんせつどし》の支配下にあった。もともと朝廷から東川節度使に任命されていたのは李康《りこう》という人であったが、劉闢の軍に敗れて捕虜となっていた。東川に攻めこんだ官軍は、劉闢の腹心である盧文若《ろぶんじゃく》を撃破した。盧文若は成都《せいと》へ逃げて劉闢と合流した。李康は救出されたが、気の毒なことに、敗戦の罪を問われて味方の手で斬られてしまった。  このとき官軍を指揮していたのは高崇文《こうすうぶん》という人物で、官名は神策行営《しんさくこうえい》節度使である。副将は李元奕《りげんえき》で、このふたりが二万の軍をひきいて、いよいよ蜀《しょく》に侵攻《しんこう》してきたのであったが、迎撃する劉闢は傲然《ごうぜん》として恐れる色もなかった。 「わが軍は三万、しかも地理に精通《せいつう》しておるし、南康《なんこう》王以来の厚遇に恩を感じて善戦するであろう」  たしかに南康王|韋皐《いこう》は将兵を厚遇してきた。兵士が結婚するときも死亡したときも、多くの金銀や絹や錦《にしき》を与え、酒や肉をふるまった。それらすべては蜀の民から収奪《しゅうだつ》したものである。韋皐のもとで、蜀の官軍は彼の私兵《しへい》と化し、民を貪《むさぼ》る寄生虫となった。蜀軍を見送る民衆の眼には、「負けてしまえばいい、負けてしまえ」という期待があらわだった。  官軍は北方の山間部をぬけて平野部にはいっていた。蜀の盆地は、野に立って四方を見わたしても山影など見えぬほどに広い。土壌《どじょう》は肥え、水は豊かに、一国を成立させしめるほどの沃野である。官軍は小規模ながらすでに四度にわたって劉闢の蜀軍を破り、六つの塁《とりで》を陥《おと》し、意気さかんに成都へとせまった。そこへ、官吏《かんり》の服を埃《ほこり》まみれにさせた男があらわれたのである。 「卑職《わたくし》は成都府の孔目典にて陳昭と申しまする。叛賊《はんぞく》劉闢について節度使閣下に申しあげたきことこれあり、何とぞ謁見《えっけん》をお許しくだされますよう」  かなり長い間待たされたあげく、陳昭はようやく高崇文に面会できた。高崇文は最初から期待などしていなかったようすであったが。劉闢の内衙で目撃したことを陳昭が語りはじめると、舌打ちして彼の話をさえぎった。 「何と、狂人であったか。古来、喫人《ひとくい》の話はさまざまに聞くが、ひとくちで大の男をのみこむなど、幻想か虚言《きょげん》か、いずれにしても信じるにたりぬ。斬ってしまえ」  敗戦の罪によって李康《りこう》を処刑してしまったほどの男だから、高崇文《こうすうぶん》には苛烈なところがある。座《ざ》を立って怒号するのを、副将の李元奕《りげんえき》がなだめて、ひとまず陳昭《ちんしょう》は後陣にとどめおかれた。  かくして成都の東北方約五十里の平野で、官軍二万と蜀軍三万とが対峙《たいじ》した。太陽が中天にある時刻だが、厚い雲が全天をおおっている。両軍|布陣《ふじん》していよいよ開戦というまさにそのとき、蜀軍の陣頭で奇妙な動きが生じた。  劉闢《りゅうへき》が左右の兵士に命じると、巨大な竹篭《たけかご》が十ほど持ち出されてきた。いずれも白く丸いものが溢《あふ》れるほどに詰《つ》めこんである。兵士たちがそれを篭から取りだし、つぎつぎと地に並べはじめた。事情《わけ》もわからずその光景を眺《なが》めていた官軍の兵士たちが、やがて恐怖と嫌悪《けんお》の呻《うめ》き声をあげた。白く丸いものの正体が分かったのだ。それは人間の頭蓋骨《ずがいこつ》であった。  高崇文も李元奕も、兵を叱咤《しった》しようとして声が出ず、馬上で呆然《ぼうぜん》と見守るばかりである。やがて蜀軍は地上に頭蓋骨を並べ終えた。その数は九の九倍の九倍、すなわち七百二十九個あった。  おりしも空中では雲が薄れて太陽があらわれた。だが完全に晴れあがることはなく、まるで空一色を灰白《かいはく》色の紗《しゃ》がおおいつくしたかに見える。中天《ちゅうてん》の太陽は白銀色に鈍く円《まる》く光って、満月のようであった。雲や霧の多い蜀では、このような光景は珍しくないが、長安から来た官軍の将兵にとっては異様で不気味なものに思われた。  その太陽の下で、馬に騎《の》った劉闢が冑《かぶと》を地に放りすて、右手を上下左右に動かしながら呪文《じゅもん》をとなえる。と、どうであろう。地に並べられた七百二十九個の頭蓋骨が音もなく浮きあがりはじめた。浮きあがる頭蓋骨は、下に何かを引きずっていた。頚骨《けいこつ》があらわれ、胸骨《きょうこつ》があらわれ、ついに全身の骨格が地上にあらわれた。しかもその手には、矛《ほこ》や剣といったさまざまな武器が握《にぎ》られていた。  劉闢が髪を風にはためかせて絶叫一声《ぜっきょういっせい》すると、七百二十九体の白骨は武器をふるい、官軍めがけて駆け寄ってきた。官軍の将兵はことごとく麻痺《まひ》したように立ちすくんでいたが、誰かが悲鳴をあげて逃げだすと、全員がそれに倣《なら》った。高崇文《こうすうぶん》や李元奕《りげんえき》はかろうじて声を発し、逃げるな、戦え、と叫んだが効果はなかった。  白骨の後から蜀軍三万が槍先《やりさき》をそろえて突進する。一方的な追撃戦となって、官軍は日没までに五十里も敗走した。蜀軍が勝ち誇って帰陣《きじん》した後、高崇文と李元奕は馬で駆けまわって残兵《ざんぺい》をかき集めた。夜半までかかって一万五千が集まってきた。戦死者は二千人ほどであったが、戦場からそのまま逃げ出して帰営《きえい》しない者がかなりいたのだ。 「明日、同じことをくりかえしたら、全軍|四散《しさん》して、再建はできまいぞ。どうするか」  高崇文と李元奕は相談したが、用兵でどうにかなるという問題ではない。良案《りょうあん》も浮かばぬまま、ついに陳昭を呼びつけた。 「其方《そのほう》には失礼なことをした。あの妖術を破る方策《ほうさく》があるなら教えてくれぬか」  いまや高崇文と李元奕は、陳昭にとりすがらんばかりである。このとき陳昭は、功績を自分のものにしようと思えばそうできたのだが、愚直《ぐちょく》な男だったので、正直に、これは他人から授《さず》けられた策だ、と述べた。高崇文と李元奕は、もともと無能ではない。陳昭から聞いた策の正しさを認め、採用したのである。 「よく申してくれた。叛賊《はんぞく》を誅滅《ちゅうめつ》したあかつきには、其方を長安へ呼んで厚く酬《むく》いようぞ」 「いえ、とんでもございませぬ。卑職《わたくし》は故郷で妻子と平穏に生活できればよろしいので」  なまじ出世して政争や叛乱に巻きこまれてはたまらない。陳昭が心からそういっているのを知ると、高崇文と李元奕はうなずいた。つまり功績を自分のものにできるわけだから、彼らにとってまことにつごうがよいのであった。  劉闢《りゅうへき》のもとへ、李燕《りえん》という牙将《がしょう》から報告がもたらされた。官軍は先日の惨敗のために内部分裂を生じている。半数は、もはや勝算《しょうさん》がないから撤退して長安へ帰還しよう、と主張している。残る半数は、撤退などもってのほか、至急、長安へ使者を出して援軍を求め、その間は陣にこもって持久《じきゅう》すべきである、と唱えている。両者の対立は激しく、混乱が生じているが、持久派は近日中にも長安へ使者を送る気らしい……。  成都城内でその話を聞いた劉闢は、腹心の盧文若《ろぶんじゃく》を見て、口の両端を吊《つ》りあげるような笑いかたをしたといわれる。彼はひそかに兵を派遣して官軍の陣営を監視させた。一夜、一騎の影が陣営を出て、北方、長安の方角へ向かった。平野から山岳部へはいるあたりで、十騎ほどの騎影《きえい》が追いすがり、白刃をきらめかせておそいかかる。 「劉使君《りゅうしくん》の牙将、李燕《りえん》である。密書をよこせ」  その叫びに、仰天《ぎょうてん》した官軍の使者は馬腹《ばふく》を蹴《け》ってさらに奔《はし》った。李燕を先頭として、蜀軍の騎兵が追いすがる。月下の山道を、使者は逃げまわったが、ついにあきらめたか、懐中の文書をつかんで崖下《がけした》へ放りだした。そして自分はなお馬を奔らせる。 「おぬしらは密書を探せ。おれは奴を追う、生かしてはおけぬ」  部下にそう命じて、李燕は自分ひとり使者を追っていった。一刻ほどが経過し、ようやく官軍の密書を見つけて兵士たちが喜んでいると、李燕がもどってきた。使者を斬り殺し、屍体《したい》を谷に棄《す》ててきた、という。こうして密書は劉闢《りゅうへき》のもとにとどけられた。一読して劉闢は舌打ちした。 「なに、あらたな官軍がすでに梁州《りょうしゅう》まで進出しておったのか。五日もかからぬ距離ではないか。合流されれば危ういところであったが、これで策《て》がうてるというものだ」  その場で劉闢は筆をとり、書信《てがみ》を書きあげた。梁州に進出してきた官軍の主将をよそおい、高崇文に宛《あ》てたもので、九月二十五日に合流する予定だからそれまでけっして動くな、という内容である。その書信を、先ほどの密書を奪いとってきた李燕に持たせ、官軍の使者をよそおって高崇文のもとへ届けさせた。戻ってきた李燕は、たしかに届けた旨《むね》を報告し、劉闢は満足そうにうなずいた。  そして九月二十四日の夜、劉闢は全軍をこぞって成都《せいと》城を出た。翌日の合流を期して寝静まっている官軍に夜襲をかけようというのだ。例の白骨《はっこつ》部隊を先頭に立て、全軍、喊声《かんせい》をあげて陣に突入する。だが陣は空《から》であった。うろたえるところに、突然、四方が松明《たいまつ》の海となった。官軍は陣の外にひそみ、蜀軍を包囲網の中に誘いこんだのである。  白骨部隊も狼狽《ろうばい》して立ちさわいだ。官軍の将兵がよく見ると、それは白骨の絵を描いた服を着こんだ蜀軍の兵士たちであるにすぎなかった。劉闢の妖術はただ官軍を幻視《げんし》させるのみで、本物の白骨をあやつることなどできなかったのである。あまりのばかばかしさに哄笑《こうしょう》した官軍の将兵は、それをおさめると、だまされていた怒りをこめて、たけだけしく蜀軍におそいかかっていった。      ㈿ 「おのれ、謀《はか》りおったな」  絶叫する劉闢の左右で血煙があがり、怒号と刃鳴《はな》りがひびく。戦闘はたちまち一方的な殺戮《さつりく》となり、蜀軍は地に薙《な》ぎ倒された。  韋皐《いこう》に甘やかされ、暖衣飽食《だんいほうしょく》してきた蜀の兵士たちに、生命を捨てて戦う気力などなかった。武器を棄《す》て、甲冑まで脱《ぬ》ぎ棄てて身軽になり、八方へ逃げ散っていく。  蜀軍三万のうち、戦死は五千、投稿者は一万五千、他は逃亡し、劉闢《りゅうへき》のもとに残ったのは、腹心の盧文若《ろぶんじゃく》ら千名ほどにすぎなかった。とりあえず成都城へ逃げこもうと馬を走らせたが、官軍の追撃は急であった。四度にわたって追いつかれ、そのつど討ち減らされて、成都の城門前にたどりついたときには、わずかに五十余騎となっていた。まだ夜が明けていないので、城門はかたく閉ざされている。大声で開門を叫んでいると、後方に馬蹄《ばてい》のとどろきが湧《わ》きおこって、官軍の尖兵《せんぺい》が肉薄《にくはく》してきた。やむおえず入城を断念して門前から駆け去る。城門が開くと、そのまま官軍は成都城内へなだれこんだ。一滴の血も流すことなく、成都は官軍に占領されてしまった。  成都に入城できず、劉闢は西へ奔《はし》った。彼はまだ抗戦の意志をすててはいない。 「三城《さんじょう》のいずれかへ逃げこみさえすれば」  三城とは、成都の西方にある松城《しょうじょう》・維城《いじょう》・堡城《ほじょう》の三城塞である。吐藩《チベット》との境界に位置し、蜀の辺境を防衛する要害であった。この三城のいずれかにたてこもって他の二城と連係《れんけい》し、吐藩と同盟すれば、充分に官軍と対抗できる。劉闢はそう考えた。必要とあらば吐藩へ降《くだ》って臣《しん》と称し、その東方総督になればよいのである。勝負はこれからだ。  陰暦《いんれき》九月のことで、秋はすでに深い。成都の西、吐藩へとつづく山嶺《さんれい》は白く雪をいただいている。かつて杜甫《とほ》が「西山《せいざん》、白雪、三城の戍《まもり》」と謳《うた》った光景である。  夜が明け放たれ、人馬ともに白く息を吐きながら駆けていったが、洋潅田という地まで来たとき、突然、一騎の士官が叫喚《きょうかん》をあげてのぞけった。宙に血をまきながら落馬する。騎手《きしゅ》を失った馬はそのまま他の馬とともに駆けつづけた。さらに一騎が血煙とともに斬り落とされた。血ぬられた剣を手に、牙将《がしょう》の李燕《りえん》が盧文若《ろぶんじゃく》めがけて馬を躍らせる。 「やっ、何をするか」  大声をあげた盧文若は、剣の平《ひら》でしたたかに頚《くび》を打たれて目がくらみ、馬上から転落してしまった。その光景を目撃した劉闢は、すさまじい形相で喚《わめ》いた。 「李燕、わが恩を忘れたか!」 「汝《なんじ》に恩などない」  答える李燕の声が一変している。若い女の声であった。右手に剣を持ったまま、髭《ひげ》と眉《まゆ》をむしりとると、不敵な表情をたたえる美しい女の顔があらわれた。 「ほんものの李燕はすでに地下《あのよ》に行って汝が来るのを待ち受けておるぞ。あまり長く待たせるな」 「おのれ、官軍の細作《しのび》か」 「ちがう、死すとも官の粟《ぞく》など喰《くら》わぬ。わが姓名は聶隠《じょういん》。先年、韋皐《いこう》に誅罰《ちゅうばつ》の一刀を与えしは我ぞ」  いうなり聶隠は馬の鞍《くら》を蹴って宙に飛んだ。馬を躍らせて斬りつけた劉闢の一刀は空を裂いただけである。兵士たちがどよめいたのは、聶隠が地に落下する寸前、一転して、何かの背にまたがったからであった。冑《かぶと》が飛び、黒髪を揺らす聶隠《じょういん》が騎《の》っているのは豹《ひょう》である。何処《いずこ》から出現したのか、烈《はげ》しい咆哮《ほうこう》で馬たちをすくませると、豹は聶隠を騎せたまま劉闢《りゅうへき》めがけて駆け寄った。  馬のほうが豹より体高がある。鞍上《あんじょう》で劉闢は女を見おろし、剣をふるって斬りおろした。女の剣がそれを受ける。三合、四合、青く赤く火花が散乱《さんらん》した。上から斬りおろすほうが剣勢からいって有利なのだが、女が手首をひるがえすと、劉闢の剣は所有者の手を離れて宙を飛んだ。  白手《すで》となった劉闢は、かっ[#「かっ」に傍点]と口を開いた。人間の限界をこえて開かれた口が、聶隠を頭からのみこもうとする。兵士たちが恐怖の叫びを発して馬首をめぐらした。聶隠は左手を懐《ふところ》に突っこむと、長さ一尺ほどの鉄の棒を取りだし、せまる口に左手を突き出した。棒は極限まで開いた劉闢の上顎《うわあご》と下顎《したあご》との間に、柱となって立っていた。  半刻後、追いついた官軍の一隊が見たものは、地上で背中あわせに縛《しば》りあげられた劉闢と盧文若《ろぶんじゃく》の姿であった。劉闢は鉄棒のために口を閉じることができず、口から涎《よだれ》を垂《た》れ流していた。兵士たちは逃げ散ったのかひとりも見あたらない。いぶかしく思いながらも、官兵たちは大きな獲物に喜んで、ふたりの叛賊をひったてた。近くの崖の上から、豹に騎った女がじっと見ていることに、誰も気がつかなかった。  劉闢と盧文若は檻車《かんしゃ》に乗せられて長安へ送られ、そこで斬首《ざんしゅ》された。「劉闢の乱」は一年に満ずして終熄《しゅうそく》し、蜀はひとまず平穏を回復する。高崇文《こうすうぶん》と李元奕《きげんえき》は厚く賞された。とくに高崇文は、叛乱まで劉闢が所持していた官位のすべてが与えられ、郡王《ぐんのう》に封《ほう》ぜられた。  その後、陳昭《ちんしょう》はとくに出世もしなかったが、蜀の地で平穏に生涯を終えた。一度、酒に酔って、豹に騎った美しい女侠《じょきょう》のことを語ったが、酔いが醒《さ》めた後その件について問われると、頭と両手を同時に振って否定したのであった。  劉闢が妖術を用い、人を喰った話は奇怪きわまるが、「旧唐書《くとうじょ》」巻百四十、「新唐書《しんとうじょ》」巻百五十八の双方に銘記《めいき》されている。有名な話であったらしい。また聶隠という女侠についての伝説は、この時代、唐の各地に残されており、「太平広記《たいへいこうき》」にもおさめられている。民を害する権門《けんもん》の者が数多く彼女の手にかかったといわれているが、事蹟《じせき》のすべてが史実であるとは断言できない。  聶隠《じょういん》というキャラクターは、私が創造したものではありません。「聶隠娘《じょういんじょう》」というタイトルの唐代伝奇に登場するスーパーヒロインで、中国では清《しん》の十三妹《シーサンメイ》と並び女侠の代表とされます。剣と魔術をあやつって天下を駆けめぐり、奸悪な高官たちをつぎつぎと葬って、民衆の拍手をあびました。彼女のキャラクターと時代背景を借りて、この一篇を書きあげたのですが、じつは彼女は私のお気に入りで他に「黒道兇日《こくどうきょうじつ》の女」(徳間書店『チャイナ・ドリーム3』収録)という作品もあります。読者の方が彼女を気に入ってくださったら、そちらにもお目を通していただければうれしく思います。 ●田中芳樹《たなかよしき》 一九五二年、熊本県生まれ。学習院大学国文学科大学院修了。一九七八年、「緑の草原に…」で第3回幻影城新人賞を受賞。主な作品に、『アルスラーン戦記』『マヴァール年代記』『自転地球儀世界シリーズ』(いずれも角川書店)、『銀河英雄伝説』(徳間書店)、『創竜伝』(講談社)など。最新刊に『中国武将列伝(上、下)』(中央公論者)がある。