田中康夫 恋愛自由自在 目 次    はじめに  第1章 恋はよそ行き顔で   義兄との恋もなかなか素敵です   恋愛そのものを目的にしましょう   恋愛チャートを作っていますか   ブティック恋愛がおススメです  第2章 ボクのLOVEキャリア   失恋は勲章、ボクの胸は勲章だらけ   『平凡』読んでキスのお勉強   デートの目印は日本経済新聞だった   高校・予備校は長い谷間の時代   共通の知り合いがいるのも良し悪し   「一橋」はブランドでなかった   初体験はだれがやってもぎこちない   押すだけ少年は恋の墓穴を掘る   女のコはやっぱり身勝手でしょうか   時には強力パンチを出したりする  第3章 恋愛チャート10精選   チャート1 はじめに「行動」ありき   チャート2 構えすぎは禁物です   チャート3 相手に合わせた会話法   チャート4 恋愛ランキングを作る   チャート5 見せない部分が恋を育む   チャート6 もの惜しみはバカをみる   チャート7 セックスの翌日は必ず会う   チャート8 恋愛はサービスと見つけたり   チャート9 ジェラシーは反・省エネです   チャート10 別れの現実を素直に見つめる  第4章 恋はシティーホテルで   シティーホテルを恋の舞台にします   ホテルの上手な使い方も覚えましょう   男のコは率先してナイト役に徹しよう   プリンスホテルはおススメできません   キャピトル東急などはナカナカです   部屋の指定は遠慮なくいたしましょう   ベッドではサービス精神を忘れずに   キャピトル東急を小説で使ってみました   デートコースを選ぶセンスが大切です   半日ぐらいのコースを考えてみました   一日コースは素敵な庭から始めます   ワンパターンのコースはあきがくる  第5章 タイプ別女のコ行動学   女のコは四つのタイプに分けられます   四タイプの特徴をまとめてみました   デニーズ八幡山店にサーファー派集合   サーファーの青山派と自由ケ丘派   サーファーの多数派は断然新宿派   ニュートラ派は三派系から成ってます   モルタル・セーターは渋谷派の印です   渋谷派を待ちうける恋の甘い落とし穴   BMW少年のすごいベッドテクニック   彼ってズルいと思ったときはもう遅い   ニュートラ銀座派の期待過多の悲劇   カヨコちゃんは不倫の恋の道を一直線   新宿派は歌舞伎町の甘い生活へ転落〓   ミカちゃんは生涯一ソープランド嬢を目指す〓   エレガンス派はマイナー・グループ   ボリューム派こそ女のコの主流派〓  第6章 さよならシンデレラ   世の中はなんクリ的世界へ進化する   恋愛は現代人の心のオアシスです   形而上的恋愛なんてフィクションです   現実に即した恋愛パターン その㈰   現実に即した恋愛パターン その㈪   恋も人生もトライ・アンド・エラー  あとがき  はじめに  楽しいことや、うれしいことがあったときに、大好きな人が一緒にいてくれると、その喜びは二倍になります。悲しいことや、つらいことがあったときに、大好きな人が一緒にいてくれると、その悲しみは、二分の一になります。  大好きな人が、いつでも、そばにいてほしいなあ、と思っているのに、でも、いつだって、長続きしないうちに、お別れしなくちゃいけないことになってしまうあなたにとっては、どうしたら、いつまでも仲の良いカップルでいられるのかしら、ってことが、学校でのお勉強や会社のお仕事よりも大事な関心事のはずです。  ちょびっとだっていいわよ、男のコとおつき合いできるなんて、私なんか、デートをしたことだって、片手の指で数えられるほどしかないんだものと、ブーたれているあなたにとっては、どうしたら、片思いを両思いにまでもっていくことができるかってことが、大事な関心事のはずです。  どちらのあなたも、この本を、最初から最後まで、ちゃあんと読めば、恋愛のスーパースターになることができます。保証しちゃいます。なんてったって、恋愛の神様のボクがいうのですから、間違いありません。  英語や数学だって、いくつかの文法とか法則があって、それを守らないと、どんなにがんばっても、正解にならないでしょ。恋愛も同じことです。もちろん、学校では、だあれも教えてくれないけれど、恋愛だってお勉強なのです。  この本には、どうしたら、相手の男のコに気に入ってもらえるようになれるのか、どうやったら、いつまでも彼の気持ちを引きつけておけるのか、ってヒミツのテクニックが、ギッシリと詰まっています。何回も読み返してください。デートをする前にもした後にも、恋愛の文法や法則を暗記しちゃうくらい、何回もです。なぜって、学校のお勉強同様に、恋愛にも予習や復習が必要なんですから。  第1章 恋はよそ行き顔で   義兄との恋もなかなか素敵です   恋愛そのものを目的にしましょう   恋愛チャートを作っていますか   ブティック恋愛がおススメです   義兄との恋もなかなか素敵です 〔恋愛臨床学 カルテ㈰〕  患者は一七歳の高校三年生、相手は四一歳の義兄。 「私、いま、恋してるんです。それも、いけない恋なのです、きっと……。相手は姉の夫、つまり私は、義兄の愛人みたいなもの。つらいけどね。自分でもびっくりしてるの。姉夫婦は結婚して一〇年で、まだ子供がいないの。だから義兄は私のこと、すごくかわいがってくれるの。いろんな面で義兄に、私が恋をしたのは中学一年のころ。義兄のくちびるを見て思わず�キスしてみたい�なんて思ったようになったのがきっかけかな。  高二の冬休みに、姉夫婦の家に遊びに行って、四日目の夜に�お兄ちゃんと一緒に寝るか�といわれて、親子みたいな関係だし、義兄は四一歳だから何の抵抗もなくて、布団にひょこっとはいって、それで三〇分くらいたったころかな、義兄が腕まくらをしてくれて、手が私の胸にきたのは。私は気のせいだと思って動かないでいたら、急にモミだして、逃げようとしたら抱きとめられて、熱いキスをくれました。そのうちにヘビー級のBまでいって、Cをセマられたけど、私は受け入れませんでした。できるだけバージンと思われたかったから。  連休の日にまた泊りに行って、初めてラブホテルにつれて行ってもらって、義兄との初めてのCが終わり、よけいに義兄はやさしくなりました。私も甘えちゃうし、姉なんか、もう無視って感じ。  義兄に、私と結婚したい、といわれたけど、いくらなんでも、そこまでは私にはできないから……さみしいです。義兄は四一歳のわりに息子《むすこ》さんが元気で、テクニックもうまいから、私を喜ばせてくれてしあわせです。  だけど、こんなことばかりしていてはいけないと思うのですけど、私はもう義兄から離れられない体になってしまったみたいです」 〔恋愛分析医 ドクター康夫の診断〕  別に、全然、問題はありません。万事、きわめて良好ですよ。心配いりません。  あなたが義兄《にい》さんとそういう関係になっていることで、義兄さんとお姉さんの間のセックスは、つねに新鮮さを保っていることと思われますから、あなたはむしろ、お姉さん夫婦の家庭を崩壊させるのではなく、いつまでも蜜月状態におくことに、貢献しているのです。  ただ、唯一《ゆいいつ》、あなたの不幸は、一七歳というあなたの年齢、つまり、セックスの経験や精神的な面での成長が、十分に熟していない時点で、義兄さんのように非常にセックスの上手な人とめぐりあってしまったことでしょうね。あなたはもう、若々しい少年とはつき合うことが不可能なのですよ。  一番いい方法は、あなたと同じくらいの年齢で、お金をいっぱい持ってて、しかも遊びなれている、セックスの上手な、それでいて精神年齢が高い、大学生の少年、みたいな人を見つけてつき合うことですね。  だからといって、義兄さんと別れる必要はまったくありません。一般のカウンセラーなら「一刻も早く別れなさい」というかもしれませんが、ボクはいいません。若い男のコとつき合っても、義兄さんともつき合ったほうがいいです。  いまのあなたの周囲にいる男のコたちは、義兄さんに比べたら、全然とるに足らないコばかりですから、義兄さんとの関係を保ちながら、めちゃくちゃに遊んで、だれとでもつき合ってみることが必要だと思います。  義兄さんだけとつき合っていて、しかも、あなただけ悩んで、自分の内側に落ち込んでいくと、本当に不幸になってしまいます。めちゃくちゃに遊んでいれば、そんな相手のなかに、遊び慣れたお金持ちの大学生が見つかって、恋愛関係へと進むことができるかもしれないですしね。そのとき、あなたは非常に楽な気持ちで、義兄さんとも、大学生の彼とも同様につき合えることになるんです。  また、義兄さんとの関係が、お姉さんに発覚しても、何の心配もいりませんよ。もしお姉さんが、あなたをなじったり、義兄さんを難詰したりしたら、ちゃんと教えてあげなさい。 「何よ、姉さんたら、あなたの夫の悩みを、私がきいてあげてたんじゃないの。私がいるから、夫婦関係がうまくいってるんじゃない。あなたこそ、演技してでも感じているようなセックスをお義兄さんとの間にもって、もっと盛り上げるような努力をするべきじゃないの」  ここまでいわれれば、お姉さんだってギャフンです。   恋愛そのものを目的にしましょう  男と女がつき合うことに対する考え方、つまり恋愛観や結婚観は、時代とともに変化するものです。かつてはトンデモナイ、と思われていたものが、いまではスバラシイと評価される、なんてことは、恋愛観に限らず、どんな世界でもよくあることですね。  要するに、あらゆるものの価値は、社会の風潮によっていくらでも、それに従って変わっていくものなわけです。不倫とされていたものが常識となり、淫乱《いんらん》と呼ばれていたものが当たりまえの感覚となっていたりもするんですよね。  あなたの恋愛観は、まだ、ずいぶん窮屈なものではないですか?  もちろん、恋愛に胸ときめかせるのは、ほかならぬあなたです。ボクがよけいな口出しをすることはありません。でも、いま、現在、こんな「恋愛の形」があるのだ、ということを知っておいても、損はないと思うんです。恋愛を楽しみ、恋愛を重ねることで、あなたの人生はいままでよりも、何倍も何十倍も豊かになるはず。そのための「恋愛術」をアドバイスしよう、というわけです。  恋愛をすること自体、心の充足を得ることになるわけですから、恋愛そのものが目的なわけです。もちろん、恋愛を手段として用いて、セックスや結婚という目的に到達する、という形態もあるでしょう。しかし、それは恋愛の楽しみを、十分に堪能《たんのう》するやり方ではないような気がします。  そこで、恋愛という現象において、どういうことが表面に現れてくるか、という傾向を探ってみましょう。そこを事前に研究しておけば、実際の恋愛経験を体験する際に、その現象をうまくコントロールするヒントになるはずです。恋愛を十分に楽しむためには、このハンドリング技術が、必要になるからです。  恋愛は、男女間で行われますから、恋愛現象の特性は、当然、男女別々に現れます。  その男女の違いは、最も顕著なケースとしては、浪人時代の恋愛にみることができます。浪人中に男女がつき合っていると、男のコはたいてい、受験に失敗します。第一志望校にね。一方、女のコは合格する。女のコにとって、恋愛は苦しい受験生生活のリフレッシュメントになっているわけです。恋愛は、受験勉強のレクリエーション、というわけです。  ところが、男のコの場合、もうだめです。予備校に通っていて、彼女と月に何度かはセックスができるとしても、受験勉強よりもセックスにのめり込んでしまいます。セックスできない場合は、もっと暗く、机に向かっても、やりたさがつのってきてしまって手におえない。ウジウジ考え込むばかり。  女のコは、デートのときにキスだけして帰ってきても、勉強、がんばれます。男のコの場合は、セックスして帰ってくると、かえって、ムラムラの気分のままです。しようがなくて『スコラ』や『GORO』のヌードを見てオナニーするから、勉強はかどらないよね。で、オナニーすると、やっぱり、疲れます。だもんですから、グーグーぐっすり眠っちゃいます。ますます勉強はかどらない。ガバッと起きて、机に向かったところで、またまたモヤモヤとやりたさが衝《つ》きあげてくる。  どうにもなりません。  受験生でなくても、恋愛において、男女にかかるプレッシャーは、かなり違いますね。特に、童貞を失うまでの性的なことに対するプレッシャーは、男女では比較になりません。女のコの場合、処女を失うときも、別に、横になってればいいわけです。痛かったら「痛ァい」といえばいいだけです。一刻も早くバージンにさよならしたい、と思えば、イヤじゃないな、と思える範囲で、男のコを選べばいいわけですし。  男のコは、ものすごいプレッシャーを感じるものなんです。キスひとつにしても、まだ経験していない場合は「鼻が当たるんじゃないか」とか「歯が当たったらどうしよう」なんてことを、すごくマジメに心配します。「ホントに立つのかなあ」とか「実際にコレが入るもんだろうか」なんていう不安は、男のコにとっては、ものすごく真剣に悩まされる問題なんです。  また、男のコにとって、恋愛の対象に「母親」を求める部分がある、ということも大きな特性のひとつです。ですから、女のコは、恋愛において、母親役を演じる、ということが特性にならざるをえません。  たとえば、女のコがダスティン・ホフマンの映画を観《み》るとしましょう。ダスティン・ホフマンは、レストランで相手の女性に対し、椅子《いす》も引いてくれる、メニューもとってくれる、ドアも開けてくれる。「ワァ、いいなァ」と思うわけです。  ところが、いまつき合っている彼は、椅子も引いてくれないし、オシボリもとってくれたことがないし、むしろ私がしてあげないと怒っちゃう。「ああ、ヤダなァ」と思ってしまうわけです。映画のなかでのようになれればいいのに、と思いますよね。  学生のカップルが、レストランで食事。割り勘なわけです。 「きょうは寒いから、オレ、先に行って車のエンジンかけとくからサ」  といって、男のコは、キーをジャラジャラいわせながら、サッサと行こうとします。 「まったく、もう」  女のコは、そう思いながら、レジのところで急いでお金を払い、彼を追うようにお店を出ようとします。 「ねェ、待って待って」  そのとき、自動ドアじゃなかったので、彼が先に開けたドアが、ポーンと戻ってきて、彼女の低い鼻は、よけいに低くなってしまいました。  彼女はその瞬間、「まったく……」と思います。思うんだけれども、同時に「こういう男のコなんだから、自分は彼のことを全部|把握《はあく》しているんだわ」と思える部分もあるのじゃないでしょうか。  理想像は、もちろんありますね。ダスティン・ホフマンだって、そのひとつでしょう。でも、実際につき合う相手が、まったく理想像そのままだったら、不安なわけですよ。やっぱり「自分はこのヒトを把握している」という部分が欲しい。つまり、恋愛において、女のコの側にも、無意識的に「母親」的になっている面がある、ということです。  男のコの側から考えると、最初のうちは椅子を引いてあげてても、そのうちにだんだんいばりだす。相手に母親を求めるのと同時に、その裏返しとして「自分は男なんだ」という威厳を保ちたいがために、わざとそうしている、というところもあるわけです。  もうひとつ、恋愛前・恋愛中の意識の恋化について、知っておくべきことがあります。特に、肉体関係後の意識変化のことですが、男のコは、一回セックスすると、相手の女のコを「自分のもの」だという感覚ができてしまうのですね。逆に、女のコは女のコで「これで私は彼のもの」という感覚が芽生えたりもする。  どちら側にも、相手を征服したい、独占していたい、という感情はあるわけで、その気持ちを持続させることが、恋愛をつねに新鮮にする基本ですが、これはかなりハイレベルのテクニックを要します。どちらかが急に立ち止まって、しなだれかかってくる感じになると、すごく重荷に思えてくる。これが「重たい」という感覚ですが、この現象は、肉体関係のあとで「自分のもの」と考えてしまう意識変化と、どこかでつながっているものです。恋愛の初心者には、すごくありがちなことですし、そうした意識変化は、かなり自然な人間感情の動きからきています。それだけに、これをコントロールするのは、相当にむずかしく思えることでしょう。  そこで、恋愛の�前奏部分�いわばオードブルとスープの部分を、ある程度長くとる、というやり方を勉強することにしましょう。   恋愛チャートを作っていますか  よく、結婚は束縛だ、なんていう人がおりますね。たしかにそういう面もあるでしょう。そして、それがいい、ということだってあるんです。結婚して何年も一緒に暮らしていれば、お互いに全部丸見えになっちゃって、ますます大好きになるかもしれないし、逆に嫌いになるかもしれません。結婚とは、そういうものなわけです。  でも、恋愛は、そう何もかも丸見えにする必要は、ありませんよね。恋愛にしたって、お互いを束縛し合う部分が、ないわけじゃありませんが、一日のうちに、せいぜい四、五時間くらい会ってるっていう恋愛ならば、その間は、お互いの一番いいところだけを見たいと思いません? 最終的にものすごく好きになってしまうのだとしても、最初に好きになるのは、相手の一番いい部分からだと思うでしょう? ならば、逆にあなたのほうも、自分の一番いい部分をずっと、相手に見せ続けていくのが、恋愛のテクニックだ、と思うわけです。  よそ行き顔の恋愛、というわけ。  そうして、そのよそ行き顔の出し方を、自分の恋愛体験のなかから、ひとつひとつ、学習していくことが、大切です。どういう段階で、どうやって出すか——これは、ある意味で「チャート式数学」だと思うわけね。  チャート式恋愛においては、失恋は�勲章�になるといえますね。好きになった相手とうまくいかなくなっちゃった、というのは、失敗であると同時に、一個の勲章であって、誇ってもいいんです。ただし、失敗の原因をきちんと究明して、その復習を怠らなければ、の話ですけど。  どこで、どう、間違えたのか? 答案が返ってきたら、ミスした問題を復習するのと同じです。それはたとえば、自分の性格かもしれないし、あるいは相手にいったことばかもしれない。もしかすると、贈ったプレゼントに問題があったのかも……それを復習しておけば、次回の恋愛からは、同じ失敗を犯さないように「チャート」として頭のなかに叩《たた》き込んでおけます。そうすれば、もっといいよそ行き顔ができるはずです。失敗を恐れることはありません。その経験を「チャート」として活《い》かすようにすれば、次はもっといい形の、長続きする恋愛にめぐりあえるはずです。  女子大生や、若いOLが、中年のオジサンにまいってしまうのは、どうしてでしょうか? 強い必然があるようです。  家庭を持っているオジサンには、男の、恋愛対象に母親を求める部分、の処理役として女房といわれる人を持っています。家へ帰れば、オジサンたちは「オイ、お茶」とか「着もの」とかいって、女房に甘えることができるわけ。だから、外でOLと四時間つき合うときには、まったく生活を切り離した部分、よそ行きの部分のみでやれるわけです。  それはもちろん、女のコがトイレへ入ってるスキに、レストランの支払いをすませて領収証をもらっておき、あとで経費で落とす、なんていう生活の部分はあったりもしますけど、少なくとも相手の女のコには、それを見せないでおくことができますよね。  それに、オジサンの場合だと、トシの功があるから、そのコと同じ年齢あたりの若い男のコよりは「チャート」の数が多いわけですよ。押したり引いたりが、うまくできる。よそ行き顔の作り方が、うまいわけです。  こうなると、女のコは、同い年の押すだけしか能のない男のコより、オジサンのほうに憧《あこが》れちゃいます。かといって、オジサンたちも押し方は心得ています。若い女のコにも「母親になってあげたい願望」はありますから、オジサンは、 「ウチの息子は、英語がからっきしダメなんだ」  とか、 「住宅ローンが大変でね」  などといって、女のコに母親的感情を持たせ、その願望を刺激してやるわけです。なかなかのやり手です。  だから、若い男のコと会っているよりも楽しい。女房がいる、なんてデメリットに目をつぶってでも、オジサンとつき合いたいと思っちゃうわけですね。  中年のオジサンがモテちゃうのは、「よそ行き顔でつき合うノウハウ」を持っている、という強みです。楽しく、長続きする恋愛を成功させるためには、よそ行き顔をするのが一番だと思うんです。   ブティック恋愛がおススメです  恋愛は、生身の人間がやるわけですから、永遠によそ行き顔で通す、ということはできません。結婚してしまえば、よそ行き顔は成立しなくなりますからね。  若いOLと中年のオジサンの恋愛にしても、最初のうちは「すごく楽しい」とか「セックスがうまい」とか思ったりしてうまくいっていても、やはり徐々にのめり込んでいく可能性は高いわけです。  すると当然、相手に束縛を求めるようになってきますね。意識の変化が起きてくる。もう、よそ行き顔の恋愛が、できなくなってきちゃうんです。  いずれにせよ、いつかはよそ行き顔ができなくなるときはくるでしょう。結婚すれば、そうなるわけですしね。でも、「早いところ結婚したい」と思ってるわけでもなく、「いまは楽しい恋愛のほうがいい」と思っているのなら、なるべく、よそ行き顔を続けるほうがいいわけです。  このむずかしい状態をうまく避けるために、ボクが提案したいのは「ブティック恋愛(並行恋愛)」なんです。  男でも女でも、深みにはまってくると、どうしても相手に束縛を求めたくなってきますよね。そうならないように、ほかにもその気持ちを分散できるようにしておけばいいわけです。並行して同時に四人とか五人とか、恋愛の対象が分散していれば、ひとりひとりに対する束縛を求める気持ちの量は減る、という寸法ですね。周りから見ると、それぞれの恋愛には、まったく束縛がないように感じられる。それが、よそ行き顔の恋愛を可能にするんですね。  いま、デパートのなかもショップになっているでしょ。セーターはここ、靴はここ、下着はここって、買いに行く人はデパートのなかでも、お店を決めてるわけでしょう。化粧品だって、ファンデーションはクリニーク、マニキュアはレブロン、口紅はディオールとかって、決めてるわけで、みんなブティックになってるわけですよ。  恋愛にしても、対象を選ぶ場合、それぞれにはいくつかの条件というものがあるわけですね。背は高いほうがいい。お金はたくさんあるほうがいい。将来性はあるほうがいい。顔はいいほうがいい。頭はいいほうがいい。いい会社のほうがいい。車は持ってるほうがいい……。  しかし、これだけの条件を、全部満たしてる男というのは、これはそういない。いるわけない。だけど、たったひとりとしかつき合っていないと、ないものねだりみたいに、あらゆる条件の要素を、彼ひとりに求めてしまうんですね。これは、お互いに求め合い、その結果、よそ行き顔ができなくなってしまうわけです。  条件のひとつひとつを、ブティックに見立てて、この人背が高いから、この人車持ってるから、この人いい会社に勤めているからと、かりに三人とつき合ってるとしましょうか。この三人で、本来ひとりの人間に求めてたはずの条件が、三人持ち寄りで八五パーセントから九〇パーセントくらい満たされるかもしれない。条件の質は落ちたとしても、とりあえず、条件の量は九〇くらいいくかもしれないわけです。  そうすれば、束縛はそれぞれに分散できるし、逆に条件は合併できる。それぞれ違うタイプの自分をよそ行き顔にして、恋愛を楽しむことができるから、満足もできます。  ブティック恋愛は、決して悪いことだとは思いません。恋愛というのは、結局、最後に一番いい人を見つければいい、と思うわけですよ。そのために、いろんな人を見ていく、というのはすごくいいことだと思うな。  三人の男性と同時並行してつき合うということは、そのなかからひとりを選ぶ、ということとは違うと思うわけ。将来、お互いに一生愛し合い続けられるような人にめぐりあうため、また、そういう人にずーっと気に入ってもらえるような、いい自分というものを作り上げるための「トレーニング」として、そういう認識で、ブティック恋愛をおススメしたい。そうすれば、ブティック恋愛は、決して後ろめたい考えではない、と思うわけです。  かつての特権階級は、それこそブティック恋愛をやっていたわけです。奥さんとは別に銀座で、ひとりいい女を見つけると、通い詰めて、看板まで粘って、そのあと焼き肉屋に連れてって、とにかく口説き続ける。ま、いまでも盛んにやっておられるようだけど、そういう形でないブティック恋愛が、あっていいと思うわけですよ。  昔は超エリート階級でなければ、手も出せなかった着ものや食べものが、もう大衆のものになってるんだから、恋愛パターンだって、大衆化するべきでしょう。  ブティック恋愛——恋愛を楽しむための、恋愛のハイテクノロジー。これを学んでから、楽しい恋愛を捜しにお出かけしちゃいましょう。  第2章 ボクのLOVEキャリア   失恋は勲章、ボクの胸は勲章だらけ   『平凡』読んでキスのお勉強   デートの目印は日本経済新聞だった   高校・予備校は長い谷間の時代   共通の知り合いがいるのも良し悪し   「一橋」はブランドでなかった   初体験はだれがやってもぎこちない   押すだけ少年は恋の墓穴を掘る   女のコはやっぱり身勝手でしょうか   時には強力パンチを出したりする   失恋は勲章、ボクの胸は勲章だらけ  男と女が、お互いに好きになって、つき合いが始まって、ますます好きになり合って、恋愛が進行していくわけです。  そこには、別々の二人の人間がいるのですから、同じひとつの恋愛関係を持っているとはいっても、それぞれの思惑は違うわけなんですね。考えていることは、違う。二人で同時に体験したことの感じ方も、違うんです。  まず、そういう「違う」ということを、しっかり認識してくださいね。  二人はやっぱり、違う人間なのだから、恋愛をうまく進行していくためには、それなりの努力が必要なんです。そりゃ、自然な感情のおもむくままに、二人の気持ちが同じように盛り上がっていって、うまくいくケースもあるでしょう。  でも、無策で失敗するケース、恋愛という形にまで進まずに終わってしまうケースが多いことは、いうまでもありません。  だからといって、変にがんばっちゃって、策をろうしすぎて破綻《はたん》を生じてしまうケースだってあります。オトコジュンジョーは押しの一手だ、と思っている人は、すぐに改心してほしいですね。そういうことを考えてる限り、一〇〇パーセント、女のコにはモテませんね。  押したり、引いたり。恋愛というのは、だましっこなんだと思うんですよ。恋愛はゲームなわけ。相手の反応を見て、押すがトクか、引くが有利か、戦略的に恋愛作戦を進めていくわけですから、自分のなかに、それまでに経験してきた「恋愛チャート」が豊富にあればあるほど、変愛戦線はうまく盛り上げられるわけなんですね。  実際の話、ボクだって、こうした「チャート作り」の苦闘の連続だったわけです。やっぱり、ボクだって、最初のうちは恋愛ポット少年だったのです。押すだけ。  押しっぱなしで、相手の女のコの反応や思惑に目が向けられなかった。それで失敗したケースが、たくさんあります。  しかし、失恋は、前にも書いたとおり、恋愛の勲章なんです。失恋を恐れていてチャートは増やせないんです。ボクは、度重なる失恋体験のなかから、現在の恋愛チャートを完成させてきたわけです。失恋を怖がってはいけませんね。(ボクの涙と汗の結晶である貴重な恋愛チャートについては、次の章でくわしく伝授することになっています。すぐにチャートを学びたい人は、飛ばし読みしてもいいですよ。)  そこで、みなさんに、ボクの恋愛歴をご紹介することにしました。康夫ちゃんて、どんな恋愛をしてきたんだろう? さぞ変わった恋愛をしてたんだろうな。そんな風に思っている方も、おありでしょうが、答えはNO。実に当たり前の恋愛であります。  当たり前の恋愛を繰り返し、ありふれた失恋を重ねることによって、恋愛チャートが生まれるんです。  そして、また新しい恋愛に飛び込んでいけるわけです。  つまり、ボクの恋愛遍歴は、みなさんのこれからの恋愛のための参考書、というわけです。康夫ちゃんの失敗や成功の体験を、物語として楽しんで、今後の恋愛作戦に役立ててほしい、と思い、こうして洗いざらい、紹介しちゃおうというわけです。   『平凡』読んでキスのお勉強  中学生のころのボクは、ちょっと神経質ぽくて、カンが強すぎる、という印象を与えていたようですね。それに大人っぽかった。  他の男のコは「ヒトシ君」「マサシ君」とかって呼ばれるのに、ボクだけ、女のコたちからは「田中君」「田中氏」っていわれていたもん。そういう意味で、注目されていた存在ではありましたね。  初めての恋愛らしい恋愛は、中学二年生のときの同級生だったです。やせていて、胸のないコだったなあ。 「胸のないコ」の趣味は、いまでも一貫していて、どうも胸が大きいコは、なんとなく母親的になっちゃって。心理的に「胸のない」コンプレックスがあるみたいですね。教育したい、指導したい、という気持ちがあるようで、それがどうやら「胸のないコ」のほうに向かうらしいんですよね。  とにかく、そのコは結構、人気のあるコでしたね。前からつき合っている男が、いるみたいでした。で、ボクも以前から「いいな」なんて思っていたわけ。  二年生になって、そのコとクラスが同じになったんだけど、どうも彼女は、前の男とうまくいってないようすでした。やっぱり、つき合ってる相手がいる、っていう状態のときは、なかなか入り込めないですよ。ちょうどそのコが、彼とケンカしている時期に、スルッと入り込むしかない。  それで、帰る方向が同じだったのを利用して、わざと道化師っぽく「一緒に帰ろッ」とかいって、なんとなく入り込んでいっちゃったわけです。  何度かそうしてるうちに、向こうも、前の男のコとうまくないから、ボクのことを好きになってくる。それで、ボクはわざと、 「ねえっ、好きだっていってよ」  かなんかいうわけですよ。正面切って、口に出していわせちゃう。相手に確認させちゃうわけですね。  で、かなりマメにやりましたね。わかんないところを教えてあげるとか、デートのコースは、いつもボクが決めましたしね。押しの一手、です。  映画なんか、一緒に観に行くでしょう。東京生まれのボクも、小学校の途中から高校までは長野県で過ごしました。信州の松本ですから、行く映画館なんて決まってるわけです。それに、そういうとこ行くときも制服着て行かなくちゃいけなかったんですよね。だから、すぐに見つかっちゃう。  あっちのほうは、ロードショーでも二本立てですから、間の休憩時間に、場内が明るくなると、ポッと友だちに会っちゃったりするんですよね。  そうすると、もう学校じゅうに広まっちゃう。次の日に。  前の男のコは、それを知って怒ったりなんかしてね。その日は、絶対に彼女と一緒に帰らなくちゃいけない、と思いましたね。 「絶対にキミのこと好きなんだからね」  ってことを確認させるわけです。  そんなこともあって、ボクたちは公然カップルになりました。もともとコケットな感じで人気のある彼女と、なんとなく大人っぽくて一目置かれてる感じのボク。 「あの二人がデキちゃったんだったらしかたがない」  みたいな感じだったですね。  ボクは、わりと独占欲も強かったですから、放課後の掃除の時間なんかでも、彼女が他の男のコとふざけてしゃべってるのを見ると、 「おー、何であいつとしゃべるんだよー」  とかって怒る。 「だってお掃除のことなんだもん」  て彼女がいっても、怒る。結構、そういうとこありましたね、ボクは。  そんなケンカは何度もやりました。だけど、すぐに仲直りしちゃう。 「ごめんね」  とかいって、すぐに甘えたふりをしましたね。 「ホントに好きだから、カッときちゃったんだよ」  なんていって甘える。そうすると、彼女もすぐ納得しちゃうわけですよ。  でも、うちの親は大反対してました。 「中学生が恋愛だなんて、そんなことしちゃダメだ」  というわけですよ。かなり本気で反対していて、 「一緒に帰ったりするの、やめてくれない」  とかって、彼女にいい渡したりもしましたね。そうすると、ボクは、親の前ではコソコソ陰にまわったりね。でも、そのコには、 「ごめんね。でも、ボクは絶対にキミが好きだから、つき合うんだ」  なんていってたの。しかし女っていうのは冷静ですからね。彼女のほうから別れるっていい出しましたけれど。  最初にキスをしたのは、そのコとですね。  キスっていっても、どうやっていいかわからないから、すごく不安なわけですよ。鼻がつっかかったり、歯が当たっちゃうかもわからない。  だから、そのころは『平凡』かなんかに載っている「キスのしかた」なんていうのを研究しましたね。で、そういう記事を、彼女にも何気なく見せる。デートしてるときなんかに。  それから「これがフレンチキスだ」みたいな記事を、そこんところだけ切り取って、彼女のロッカーに入れておいたりとか、ね。いろいろ試してみたもんです。  面白かった。それは、いまするセックスよりも、そのときのフレンチキスのほうが、はるかに胸ときめいていたわけで、本当に不思議なもんですね。  親の反対もあったし、彼女のほうから別れましょうというのもあったけど、結局は中学の卒業と同時に、完全に終わっちゃいましたね。そのコは進学する高校が違いましたから、これは決定的でしたね。   デートの目印は日本経済新聞だった  高校時代というのは、これはまったく、モテませんでした。全然モテなかった。  まあ、同じ中学から行ったコがいて、このコとは何回かデートするくらいで、ね。まあ、キスくらいはしましたけども。  だから、そのコは前につき合ってた女のコのことを知ってるわけですね。同じ中学だったから。 「前の彼女に悪い」  って感じで、すごく気にするわけ。そこはボクはズルいから、 「前のコとはもう完全に関係ない。キミだけだよ。キミしか好きじゃないよ」  ていうわけです。  でも、そのコが硬式庭球部かなんかに入部して、帰る時間が違ってきちゃうと、なんだか自然消滅していったな。  本当に、高校時代の三年間というのは、陽の当たらない期間だったですね。全然。  松本っていうところは、三大不美人地帯ですしね。秋田とか札幌っていう、もっと開放的なところですごせば、ボクの高校時代もよかったと思うんですよね。松本は変にマジメなところだったから、ボクなんか、不当に「遊んでいる」っていう風に見られていたようです。  それにしても、高校生になると、キス程度では満足できずに、セックスというものが頭にある。だから、モテないというのが、かなり激しくプレッシャーになるわけですね。  なんとかしようとしますね。  友だちにやたらとモテるやつがいて、おまけに彼は下宿してましたから、他の学校の、だれとでもOKよ、みたいな女のコを、自分の部屋へ連れ込んだりしていました。それで、彼にそのへんの女のコを世話してもらいまして、紹介されたんです。 「じゃ会おうよ」 「いいわよ」 「じゃあさ、目印になるように、何か雑誌持って待ち合わせしない?」  なんていう話をつけたわけです、電話で。松本駅の改札で、そのコは『男子専科』を持ってきた。ボクはというと、もっとカッコつけて、持っていったのが『日本経済新聞』。 「なに、それ?」  とかいって、そのコ、私帰るっていい出しちゃった。  要するに、お互いに背伸びをしてるわけですよね。女のコは精一杯背伸びをして『男子専科』だとかっていうのに、ボクは『日経』だって。なぜかそのころ、とても『日経』に入れあげていたわけなんだけれど、バカですね。やっぱり、相手に合わせた背伸びのしかたをしないと、ダメなわけですね。   高校・予備校は長い谷間の時代  大学に入ったら遊ぶしかない。ボクはそう思ってましたから、大学は東大に行こうと思いました。東京の地図帳を開くと、東大のキャンパスがある駒場と本郷というのは、ほぼ中央にあるわけですよ。  つまり、下宿も都心に捜すことになる。そうすれば、六本木・青山・原宿に通うのがすごく便利でしょ。東大は遊ぶのにとてもいいポジションなんです。これっきゃない! って感じでした。なにしろ高校のときから六本木に行きたい、なんて考えてたから、高二のときに夏期講習とかで代々木ゼミなんかに行くと、あちこち探険するようにしてましたね。東京の宿泊はうちの母親の同級生だかの関係で水道橋にあるグリーンホテル。で、代々木から総武線一本で水道橋まで帰ればいいものを、地下鉄を覚えようと思って、原宿まで行ったら千代田線に乗り換えて日比谷、そこから都営六号線で水道橋まで帰ってくる、なんていろいろやってましたね。  ところが、現役のときは東大を一次試験で落っこっちゃって、結局、駿台《すんだい》予備校に�入学�したわけです。予備校行ってるうちは、女のコとつき合うと、また入試に落ちると思ったから、つき合わなかった。  でも、ちょっといいな、と思ったコはいましたね。  ボクの席の二つ前くらいに座ってるコで、なかなかかわいくて、コケティッシュな感じ。アグネス・ラムに似ていて、みんなから「ラムちゃん」て呼ばれてて、当然、ボクも好きだったんですよ。  そのコがかぜで休んだ日に、ボクが代わりにノートをとってやろうと思ってね。  で、予備校帰りに、みんなで渋谷に行ったときに、わざわざ紀伊国《きのくに》屋でノート買って、 「このノート、彼女のために書いてるノートだから」  なんていったら、 「あいつにはちゃんと男いるんだよ。現役で東大受かったやつが」  という情報が入ってきちゃった。ガクッ。  それを知っちゃうと、もう話しかけられなくなっちゃったりしてね。いままでは、休み時間にしゃべってたりしたのに、なんかぎこちなくなっちゃって、気まずいんですよ。変なもんですね。相手は全然、気にしてないのにね。  というわけで、高校時代も予備校時代も、まったくダメだったんですね。だから、高校時代のボクを知ってるやつは、 「すごくマジメな少年だったのにねー」  なんて、いまごろいってるらしいです。  こういう状態は、すごく長い間続きましたね。中学三年の恋愛から、谷間の時代が、ほとんど永遠に続くかと思ったくらい。長かった。大学に入ってからも、最初のうちはダメで、あのころは車も持ってないから、一番苦しかった。ツラい時代でした。なあんてね。   共通の知り合いがいるのも良し悪し  ボクにとっては、一橋大学に入ったということが、かなり影響が大きかったと思われるので、少しばかり、この学校のことについて書いておきましょうか。  だいたい、どうして一橋を受けようか、と考えたか? 予備校の模試やなんかで偏差値をみると、まあ一橋は入れる範囲にあった、という点がひとつ。  それから、旺文社の大学案内なんかを見ると、一橋はカリキュラムが少なくて、単位の取り方もラク、就職もかなり、いい。  なんとなく、みんな余裕を持って遊んでいるし、スマートな感じがしたんですね。「国立《こくりつ》の慶応」って思い込んじゃった。  それで入学願書をもらいに行ってみると、芝生のなかにレンガ造りの図書館とか講堂が立ってるわけですね。 「これはスゲエ」  ってことで、もう一橋受けよう、この学校にしよう、と。  ところが試験受けに行くと違うのね。  受験に来てるやつが、なんか暗いわけだよね。目つきが違う。腐ったようなダッフルコートやらカメラマンコートやら着て来てる。 「それでも入学する連中は違うだろう」  そう思って、受かってから学校行ってみたら、やっぱりそうだったわけですよ。変なのばっかりで、ボクは気ィ狂いそうになりましたね。  一橋大学には、春に戸田のボート場でクラス対抗のボートレースをやる伝統があるんです。そのときに、ボクは変な色のシャツを着て、短パンをはいて、赤い線が入っててアメリカ国旗みたいに星が並んでるという柄の靴下をはいて、サンバイザーにバンダナを首に巻いてといういでたちで行ったんですよ。入学したてのころですからね。このときのイメージが、かなり強烈に焼きついてしまったようなんですね。  三年生になって、ゼミが一緒になった女のコが、 「もしかして、ボート大会のときに変な靴下はいてた人じゃない?」  なんてね。そういう風に、キャンパスでは目立つだけは目立ちましたね。  目立つけど、モテるわけじゃないのね。一橋の女のコにとっては、ボクのような男のコって、魅力的じゃないみたい。ボクから見たら汚いジーンズをはいた、大したことない男が、人気あったりするわけです。  コンパなんかでも、変に面白いというだけで、ダメなの。だから、ボクが気に入ってもみんなボツになるんです。東京女子大の女のコと、コンパに行って知り合って、結構話も合ったから、 「よーし盛り上がろう」  と思うんだけど、相手はボクとつき合うつもりは、ないっていうんですね。ボツです。  でも、その女のコが友だちを紹介してくれるというんで、一回会った女のコがいました。青山学院の短大に行ったコで、父親は伊藤忠の商社マン、大船に住んでるコでしたね。  で、紹介するっていうんで、渋谷のレストランで、三人で会ったわけです。一応、顔合わせだけやって、途中で二人になった。 「どこか行く? パルコでも見に行く?」  ってきくと、 「ううん、いい。ここでお話してるほうがいいの」  っていうんですね。ボクとしては、食事して、あちこち歩いて、なんて、いろいろ考えてたんですけどね。 「いつもどんなとこに遊びに行くの?」 「スーパーコックス、とか」 「ふーん。うちの門限ってあんの?」 「八時なの。遅れるとママに叱《しか》られちゃうのよね」 「ふーん。だれと行くの?」 「先輩と行くの」 「どうしようか、パルコとか、お店見てみようか?」 「ううん、きょう気分悪いから帰る。全然このところ体がおかしくて、三日くらい何も食べてないの」  とか、ウソばかりいってるんですよ。だいたい、コックスというのは七時くらいから始まる当時あったディスコ。門限八時のコが、遊びに行けるわけがないんです。 「電話番号、教えてくれる」 「ううん、彼女にきいて。紹介してくれた彼女に悪いから」  なんていってね。だいじょうぶかな、と思ったけど、そういうものかと思って帰ったわけです。まあ、それでも一応会ったわけだから、つき合うつもりなんだろうと思って、その東京女子大の女のコに電話したんです。 「電話番号教えてくれなかったけど、教えてくれるのかな?」 「なんか、聞いてみたけど、彼女、やっぱりいま好きな人がいるんだって」  とかなんとか、例の手できちゃって、ダメでした。この失敗には、原因があったと思うんですよ。話をしてるときに、彼女の弟の話題が出たんですね。 「弟の家庭教師の人が、一橋なの」 「どんな人?」 「神村さんっていうの」 「エーッ、知ってるよ。ボクの入ってるクラブの先輩だよ」  なんていっちゃったんですよ。これは逆効果になっちゃったんですね。  そのコは、ボクとつき合おうか、どうしようか、という段階にいるわけですよね。  なのに、弟を介して、神村っていう先輩が自分とボクとを両方知っている、という関係になっちゃうのは、いい気分じゃないわけですよ。しかも、今後もデートしていくことになれば、ボクとつき合っているということが、神村さんを通じて、母親に知れる心配もある。  共通の知り合いというのは、それで盛り上げるのは、良し悪しですね。まだ、つき合うとも決めていない相手に対して、そういうことは知らん顔をしているほうがいい場合も多い、ということです。   「一橋」はブランドでなかった  それにしても、ボクにとって、一橋に入ってしまった、ということが、恋愛活動を妨げたひとつのガンになってますね。  慶応とかに行っていれば、ボクはもっと変わっていたかもしれない。慶応には、塾高あがりの連中で、東京女学館や森村とか聖心なんかの女のコたちと遊んでいるグループがありますから、このグループにうまく潜り込めば、紹介してもらえちゃう。  ところが、一橋の場合は、男たちのひとりひとりが、まず自分のことで精一杯。自分にも、そういう女のコがひとりもいないんだから、当然なんだけど、キリストと違って隣人に愛の手をさしのべることが、できない。つまり、他人に女の世話なんか、できっこない状況にあるわけです。  だから、ひとりで行動するしかない。  そりゃ、一橋の男のコのなかにも、モテる連中がまったくいないわけではありません。でも、合コンのときにモテた男のコでも、女のコを送っていったときにも、いま一歩踏み出せない精神構造をしているんですね。女のコのほうがむしろ、 「送ってくれるんだったら、一緒に朝まで過ごしてもいいや。高校のときにも、何回かそうなったことあるし」  みたいに思っていても、一橋の男のコは、そういう部分に乗っかっていかない場合が、往々にしてあるんです。  そういうメンタリティーの男たちからすれば、いまのボクなんて「許せない」行動をしてるわけですよ。国賊扱いですね。 「あいつは一橋の恥だ!」  ということになっているらしいです。一橋というのは、卒業してメーカーとか銀行とかなんかに就職できてうれしがっていても、国内営業担当、経理担当の重役までいけるのが何人かいるだけで、社長にはなれない。いまいち、平衡感覚に欠けているところが、そうさせるんでしょう。  一橋の合コンのレベルでは、つまるところそこまでと見切るわけで、あとは慶応のやってるディスコパーティーとか、そういうところへ、友だちに誘ってもらって出入りすることになります。  これは、合コンの世界とは違う女のコたちがいる。いま、ボクがつき合っているような世界の女のコなわけです。  ところが、当時のボクは一橋大学の一年生なわけで、要するにアカ抜けていない。恋愛チャートもごくわずかしかなくて、押したり引いたりのノウハウもない。彼女たちにとっては、基本的に物足りないわけですから、こういう技術がないのは、うまくないですよね。  一橋っていっても、知らないんです。ワセダとかリッキョーとかっていう、大学ブランドにはならないわけだから、なにか物足りないんですね。イメージがわかない。 「どこの学校なの?」 「慶応」 「エーッ。岡村君なんて知ってる?」 「知ってるよ。あいつ、語学のクラスが一緒でさあ」 「ホントに? 私の友だちのミカってコが、昔、つき合ったのよう」 「見たことあるよ。一度、日吉《ひよし》に連れてきたことあるもの」 「エーッ、ウッソー」 「結構かわいかったけどね。でも、あいつフラれちゃってサ」 「そう、そう、そう、そう、そうなんだー」  なんていって話になるわけですね。早稲田とか立教とかでも、まあ話にはなる。東大っていうと、ちょっと理屈っぽくなっちゃって、知性が話の邪魔をするわけですが、それでもまだ、なんとかチャンスはあるんです。  で、一橋はどうかというと、これが反応がまったくない。 「どこなの?」 「一橋」 「ヘーエ、一橋予備校なの」  クリスマス近くにあったパーティーで、やたらと信じられない顔付きしている女のコに、そういわれたこともあるんですよ。どうして一橋予備校の浪人が、一二月のディスコパーティーに来てるんですか。ふざけんじゃねー。 「じゃ、まさか、一橋スクール・オブ・ビジネスじゃないでしょうね。もしかして」  ま、こんな程度だったですね。学校が国立《くにたち》にあることを知っているのも少ないし、小平《こだいら》に教養課程がある、なんてことを知っているのは皆無《かいむ》です。つまり、一橋ブランドっていうのは、存在しないわけですね。だから、ひとり、単独でやっていくしかなかったです。   初体験はだれがやってもぎこちない  ってなわけで、ボクはそういう谷間の期間が、非常に長かったのです。やっと、陽が当たるようになったのは、入学してから、だいぶたってのことです。  一橋のヨット部には、仲の良い友だちが何人かいました。どこかの大学のヨット部もそうなんですけれど、彼らは、クラブの運営資金稼ぎに、夏休みになると、ヨット講習会を開催するのです。一橋のヨット部も、毎年、千葉のほうの海で、四泊五日くらいの日程の講習会を開いてました。  慶応大学の医学部とか、日本医大のヨット部の講習会なんていうと、もう、大変。ヨットを習おうなんて目的よりは、とにかく、医学部の男のコと知り合いになりたい女のコが殺到しちゃうのです。それに比べると、一橋のヨット部が主催するヨット講習会は地味め。とはいっても、普段の合コンのときにやってくる、とても信じられないようなファッションした女のコたちよりは、ずうっとずうっとキラメイてる女のコたちが、集まってました。  ボクは、そこで、真奈美って名まえの山脇学園の短大の女のコと知り合いになりました。木場《きば》の材木商の娘かなんかで、『Fine』あたりに出てきそうなタイプの女のコ。最近では、『Fine』に出ているコというと、いまだにロッキー・アメリカンしてるクサい女のコ、みたいなイメージになっちゃってますけれど、当時は、サーファー全盛の時代ですから、なかなかのもんでした。  彼女のお兄さんが開成高校から慶応大学へ行ってたんですね。その開成時代の友だちが一橋のヨット部にいて、その関係で彼女がやってきたわけ。  講習会には真奈美が友だちを連れて、山脇の短大の女のコ三人でやってきてました。ボクはというと、ちょうど、そのころ、カーキ色っぽい服が、ニコルとかビギとか出ていて、その辺のラインでまとめたファッションをしていました。ま、いってみれば、野性の証明というか、小野田元少尉というか、ま、そんなところ。軍隊帽っぽいやつをかぶってね。  女のコの参加者は、結構、レベルが高いとはいうものの、対する、男のコの参加者はというと、これが、いわゆる、そのお、一橋一橋した男のコばっかりなんですから、アンバランスなんてものじゃ、すみません。そうしたなかで、ニコルやビギのカーキ色でしょ。こりゃ、目立たないほうがおかしい。当然、人気者。  真奈美のほうから、ボクのこと、気に入り出しました。こっちだって、ハデ目な真奈美のことは、つき合ってみたいタイプ。東京へ帰ってから、会おうね、ってことになりました。  何日か経つと、ボクのところへ電話がかかってきました。 「夏休み明けに、英文学の試験があるから教えてくれない?」 「いいよ、じゃあ、会おうか」  単なる口実なんですよね。ボクには彼女が中学生くらいのときから、かなり遊びまくっていたという情報が入ってました。もちろん、何人もの男のコとセックスしちゃってます。  それで、 「ねえ、抱きたいよ」  みたいなことをいったわけです。グッと押しちゃう。 「私もいいわよ」 「どういうところがいい?」 「そうねえ」 「ホテル、とっちゃったりする?」  まったく、もう、お金もないのに、こんな一人前の口をきいちゃって、何のノウハウもないから、とにかく一直線。 「エーッ、私、渋谷の『ガラスの城』って行ったことないから、あそこがいいな」 「ふーん。でも『ガラスの城』って、そんなによくないらしいよ」 「でも、行ってみたいなあ」 「そおう?」  とかいってね。それで話はまとまったわけだけれども、「ガラスの城」は行ったこと、なかったんですよ。「これは、イカン」と思って、会う前日に下見に出かけたりしました。カップルばかり歩いてるところを、ボクひとりでウロついたりして。  さて、当日です。ところが、その日の朝から、どうも、風邪っぽい。元気がないんですよ。渋谷で待ち合わせをして、食事をすませてから、二人で「ガラスの城」のほうに歩いてると、真奈美が、 「やっぱり、『サンパルコ』のほうがいいな」  といい出しました。こっちは下見してたのに、全然、意味ないんですよ。でも、「サンパルコ」といえば、当時は、かなり評判よかったホテル。 「じゃあ、そうしようか」  ということで、「サンパルコ」に入って、オバサンからキーを受け取ったところが、彼女ったら、 「アーア、三〇七号室がいいのになあ」 「どうしたの?」  って尋ねたら、 「あのお部屋が一番、いいんだもの」  というお答え。  彼女みたいな女のコ、いったい、どうしてるんでしょうね、今ごろ。たぶん、結婚してるんじゃないかとは思いますけれどね。  えっ、で、結局、その日はどうだったのかですって。一応、ボクとしては、経験豊富なテクニシャンだ、みたいなことを彼女に空威張りしていたから、この発言を聞いたら、ビビリ出しちゃってね。 「たいしたことないのね」  ホテルを出るなり、そういわれちゃいました。  とにかく、まだまだ、押したり引いたりという、恋愛ゲームの駆け引きがわかっていなかったんですよね。   押すだけ少年は恋の墓穴を掘る  横浜にあるフェリス女子大に入ったばっかりの女のコを見て、すごくいいな、と思ったこともありました。  ボクは二年生だったかな。寮に入って、洗礼も受けてるマジメなタイプ。でも、向こうもボクのことを気に入ってくれたようでした。それで、デートが始まりました。  まず、一回目——ボクは家庭教師をやって稼いだお金を用意して、フランス料理を予約して食べに行ったんです。六本木のドンクの地下にある、イル・ド・フランス。今では、何軒もビストロ風なフランス料理屋さんが六本木にもできましたけれど、当時は、このお店が六本木では一番。そういうお店のほうが喜ぶ、と思ったわけですね。  ところが、そういうとこって、料理がどのくらいの値段か、初めてのコだってだいたいわかるわけですよね。女のコは、そんなお店に連れてこられて、うれしいっていうより、逆に考え込んじゃうわけです。 「学生なのに、こんなに高いお店に連れてきてくれて、すごく悪い」  みたいに思い込んじゃう。  デートから帰って、寮の電話で、札幌のお家に電話して、お母さんに相談するわけですよ。 「きょう、こんなお店に連れて行ってもらっちゃったのよ、お母さあん」 「まあ! そんなところへ連れてってもらうのは悪いから、やめなさい」  なんていわれちゃうわけですね。  で、二回目のときは、ごく普通のお店へごはんを食べに行きました。つまり、ここで、 「最初から相手がシュリンクしちゃうような高いお店には、連れて行かないほうがいい」  というチャートが、できる。ところが、そんな�教訓�に気がつくのは、ずっと後になってからです。押すだけ少年には、そういった、恋愛の周囲のことがまるで見えないものなんですよ。ボクもそうでした。  話を続けます。  彼女が寮にいるせいで、電話で話すというのが、なかなかうまくいきません。それで、何度目かのデートのときに、 「カセットテープに、それぞれの話したいことを録音して、お互いに交換する」  いま考えれば、なんとオロカでガキっぽいと思うようなことが提案されたわけです。でも、かわいいことに、セッセとこれを実際に実行するんですね。確かに、押すだけ少年はジュンジョーなのですから。 「とにかくボクはキミのことが好きだ。すごく好きだ。好きなんだから、キミはボクのことだけをずっと見ていてくれればいいんだ」  という調子でテープを録音するわけです。ある日、何度目かの�返信�が戻ってきました。すぐに聞いてみると、 「あなたが私のことを好きで、私もあなたのことが好きかもしれない。でも、私があなたのことだけをずっと見続けていればいい、というのはどういうこと? 私だけが、あなたのことを見ていても、あなたは私のことだけを見ていないの? あなたが私のことを見ないようになっても、私はあなたを見ていなくちゃいけないみたいだわ」  エッ! と思いました。 「そんなこという人は、私、信じられない」  怒ってるわけですよ。  ボクとしては、ただ単に、好きで好きで、だから押せ押せで、そういう風にいったまでなんだけど、彼女には違うニュアンスで伝わってしまっちゃったみたい。  少し、二人の間には気まずい雰囲気が漂い始めました。  で、夏休みになって、彼女は札幌に帰省することになりました。ボクとしては、まだ彼女に去られたくはないですから、東京から、彼女の心をつなぎとめようと思って、札幌にまで電話を入れるわけです。  電話をかけて、ボクはキミのことが好きなんだ、と押し続けることが大切だと思っていたわけですね。しかし、ここでも反応は、裏目に出てしまいました。 「東京から、しかも昼間に、札幌まで電話をかけてくるなんて、どういう人?」  入学したばっかりです。ご両親は心配して彼女にそういいます。そりゃ、昼間にたいした用もないのに、東京から長距離電話をかけるやつは珍しいでしょう。不思議に思うでしょう。だから、 「そんな人とつき合うの、やめなさい」  みたいなことになってしまう。  向こうの気持ちが、フッと離れかかっているときに、無理に追いかけていっても逆効果になる、ということですね。こうしてまたひとつ、チャートができるわけです。   女のコはやっぱり身勝手でしょうか  浪人時代は「女のコとつき合うと大学に落ちる」と思っていたんだけど、すごく好きになったコはいたんですよね。水道橋にある桜蔭《おういん》高校の出身で、同じ駿台予備校の午前部文科㈵類に通っていた。  中野に住んでいて、四人兄弟の末っ娘《こ》。でも、こっちは浪人だから、控えていたわけです。まあ、たまに話をする程度。  大学に入ってから、友人を介して彼女に会うことになりました。彼女は、なんと東大の文㈽、ぼくのほうは、一橋の法学部。でも二人とも大学に入ったのだから、晴れてつき合えるというわけですね。  渋谷で会って、それから青山のほうへ行って、ブティックを見たりしてから、じゃ、そろそろ帰ろうか、って感じのときに、ボクから切り出しました。 「また会ってね」 「エーッ」  彼女は、あわてて予定表かなんかをバッグから取り出して「いつにしよう?」なんていっているんですよ。 「クラブあったりするから、結構いろいろと忙しいんだァ」 「でも、少しくらい会えるでしょう」 「うん……いま、一応おつき合いしてる人がいるから……」  とかなんとかいうんです。その男というのは、麻布《あざぶ》高校出身で、実は、なんと、予備校入ったときから彼女とつき合っているんですね。彼のほうは東大には落っこちて、じゃあ、まあね、ってことで早稲田に行ってるっていうタイプ。  でも、押しまくったせいか、それから彼女はボクと、一週間に一度くらいのペースで、デートするようになったんです。それだけボクと会うわけだから、結構気があると思ってしまうのも、無理はないでしょ。  かといって、キスもしないし、別に盛り上がる気配もない。何か月か経っても、彼女にその気もなさそうなので、ボクからある日、「ねえ、やっぱり別れようか」って話をしました。  で、そうなっちゃった。  でも、それからまた何か月か経って、ボクにはまだ彼女のことが気になるんですね。別に、嫌いになって別れたわけじゃないですし。 「やっぱりキミのこと、好きなんだ。また会いたい」  なんていう手紙を書いちゃいました。延々と。  そうして会って話をしてみたら、ビックリ。 「あなたから別れようか、なんていわれて、すごくショックだったわ」  そういうんですよ。  要するに、当時、彼女は早稲田の男のコのことが好きだったんだけれど、ボクともつき合っていたわけですよね。でも、ボクは早稲田の男のコとは違って、六本木とか、そういう、いろいろなとこへ彼女を連れてまわっていたから、そこらへんが面白かった、ということらしいんだな。早稲田の普通の男のコは好きだけれど、でもボクと会ってあちこち連れて行かれるのも楽しい、と。捨てがたいわけね、ボクのことが。 「だから、あなたに、もう会わないようにしよう、っていわれたときは、ショックだったの」  女のコなんて、かなり身勝手なものですよね。勝手に向こうでボクのこと、ナンバー2にしておいて、そのくせ、ボクから別れようというと、ショック受けちゃうなんて。   時には強力パンチを出したりする  こんなことを繰り返していくうちに、恋愛における押しと引き、マメでやさしくする部分と、相手に甘えたり無理をいう部分の出し方、みたいのが身についてきたんです。  いまでもそうですが、たとえば、夜中に女のコと電話でお話をしているとするでしょう。 「私、さびしい」 「オーケー、これから迎えに行くから、会おう」  ちゃんと行ってあげちゃうんです。このマメマメしさは必要ですね。だから、他の男のコとは違って、 「ヤスオって、すごくやさしい」  という評価を受けるわけです。  そうかと思うと、グッと突きを入れる場合も、あるんですね。  そのコは、お姉さんと一緒に、マンションに住んでたんですが、ある日、彼女の高校時代の彼から久しぶりに電話があった。 「昔の彼と会うんだけど?」 「ふーん。もし、なんだったら、雰囲気で、その男のコと、どうにかなっちゃったりしてね」  なんて冗談をいっていたんですよ。ところが、その当日になって、夕方、彼女のマンションに行ってみると、お姉さんが「まだ帰ってない」っていうでしょう。「それじゃあ」っていって、ボクは電車に乗って、途中まで帰りかけたんですが、なんか急に頭にきちゃいましてね。  またマンションの前まで戻って、近くの電話ボックスのとこで待ち構えていたんです。帰るのを見落とさないように、そこから三〇分ごとに電話かけてね。  一一時半ごろに、彼女が帰ってきました。タクシーから降りると、パタパタ走って、マンションの入り口から入っていこうとしています。そこでボクは出ていっていいました。 「何してたんだよ」  しばらく、沈黙があって、彼女が泣き出したんですね。どうやら、その、高校時代の彼のお部屋まで行ってしまったみたいなんです。結局ね。 「きょうは部屋に帰るなよ」  そういいながら引っぱって、京王プラザだったかに連れてっちゃいました。  それで、さらに突くんですね。 「髪の毛に男の匂《にお》いがする」  なんて、いい加減なこといって。それでまた彼女は、 「エーン」  とか泣きだしちゃって、バーッと髪を洗ってきちゃったりとか。もう、彼女は完全に舞い上がっちゃうわけですね。  もともと、ボクはセックスでも、どう女のコに奉仕すれば、どんな反応があるか、という「観察者」だったですから、こういうことも、相手の反応を見るための行動なんですよね。なにも、ただ単に嫉妬《しつと》に狂って、無茶をいうってだけのことではないんです。  そういう「観察する眼」があるから、次にそのチャートが役立てられるんだ、と思うんです。  並行恋愛をすべきだ、と考えるようになったのも、何人かの女のコとつき合っていくうちにですね。  もともと、ボクはつき合っている相手に束縛を求めちゃうタイプだったし、相手の女のコが、 「他の男のコとつき合う」  っていったら、 「いいよ」  なんていいながら、実は許していないっていうところも、自分で感じられて、 「これはいかん」  と思ったわけです。自分も、ひとりだけとじゃあ満足していないし、それでいて、相手に対する束縛の度合いは少なくしなくちゃいけない。そのためには、ボクも複数の女のコと並行恋愛でいけば、それぞれの女のコたちも、自由になれる。束縛が少なければ少ないほど、お互いがいい状態になれる。そう考え始めました。  よそ行き顔を長く続けて、いつまでも、お互いが新鮮な気持ちのまま、恋愛をしていくことができるためにも、並行恋愛——ブティック恋愛は、必要不可欠なものだといえるかもしれません。  第3章 恋愛チャート10精選   チャート1 はじめに「行動」ありき   チャート2 構えすぎは禁物です   チャート3 相手に合わせた会話法   チャート4 恋愛ランキングを作る   チャート5 見せない部分が恋を育む   チャート6 もの惜しみはバカをみる   チャート7 セックスの翌日は必ず会う   チャート8 恋愛はサービスと見つけたり   チャート9 ジェラシーは反・省エネです   チャート10 別れの現実を素直に見つめる   チャート1 はじめに「行動」ありき  特に、まったく恋愛経験のない女のコに、よくいるんですが、 「いつか、白い馬に乗った王子様が私のことを迎えに来てくれる」  と思い込んでる人がいますね。  こう思い込んでいて、いいことは何にもありません。最初から理想的な人が現れる可能性はごくわずかですし、第一、自分の理想の相手がどんな人物か、わかっていないケースが多いからです。これは、女のコも男のコも同じといえます。  こういう考えは、あらかじめつき合う相手に、いろいろな意味で「期待過多」の状態を作ってしまい、うまくいくものもぶち壊すことさえあります。  恋愛というのは、知り合うタイミング、というのもあるんですね。お互いに年をとるとともに成長していくわけです。ボクの場合にも、高校くらいのときに「いいな」と思っていた女のコが、いまから考えると「なんであんなのがいいと思ったのか、わからない」ということもあるわけですし、逆に、当時はちっともいいと思わなかったのに、ついこの間、会ってみると、「エーッ、こんなステキな女のコになるんだったら、昔からつき合っておけばよかったなあ」と思ったりする場合とかね。  いろいろな条件なり、期待なりを、厳しく相手にあてはめてみようとせずに、とにかくつき合ってみるべきだ、ということです。失敗を恐れてはいけません。条件とか、期待とかを厳密に、一点で限定してしまうのではなく、「円」でとらえてみましょう。つまり、その条件そのものではないにしても、うなずける範囲の半径で「円」を描いてみるわけです。  条件にピッタシ、というわけでもないけど、でも、その許容範囲には入ってる、という相手なら、結構、あちこちに見つかるはずだと思うんですね。「円」内にいる相手からまず、つき合ってみる。実際に「行動」を起こす、ということが大事なんですよ。 「イヤではない。つき合ってもいいと思える範囲内の人」であれば、とりあえず実際につき合ってみることです。  つき合ってみれば、自分がイヤだな、と思っていた相手の部分が、次第に変わってきて、イヤじゃなくなることもあるんですから。「よそ行き顔」の恋愛をすることによって、お互いが、いい方向に成長する、ということは、実によくあることです。 「白馬の王子様」を期待してやまない人というのは、自分からは努力をしないでおいて、向こうから自然にやってくる、と勝手に信じ込んでいる人です。だから、自分のすぐ周りにいる人たちのことを、冷静に見ることができません。すぐそばに、つき合うべき人がいるかもしれないのに、そのチャンスをみすみす見逃しているわけです。  白馬の王子様を見つけるためにも、周囲の人間のなかから、自分で捜し出していかなくちゃいけないんだ、ということを覚えておいてほしいんですよね。  そのためには、自分がつき合う相手に求めたい、いろいろな条件や要求や期待を、一度に全部、満たしてもらおうとしないほうがいいでしょう。   チャート2 構えすぎは禁物です  相手に多大な期待をかけない、ということは、裏返せば、自分もまた、相手にとって完璧《かんぺき》な存在ではない、ということの認識でもあります。  したがって、初めてのデートのときに、あまりあれもこれもと、繕《つくろ》わないことです。具体的にいえば、最初のデートのときに、自分のことをよく見せようとがんばりすぎちゃって、洋服なんかでも考えすぎて、失敗するといったケースが、考えられるわけです。  何度かつき合って会ってみないことには、相手のコが喜ぶかどうか、なんてことはわからないんですから、初めから構えすぎると、必要以上に良くない印象を与えてしまうことがあるんですね。  相手のコがこうだから、結構ちゃんとした服を着てったほうがいい、とか、こういうコだから、さりげない格好のほうがいい、とか。こういうことを見分けるには、かなりのキャリアが必要なんですが、まず第一に避けなきゃならないのは、自分を繕いすぎて理由もなく嫌われる事態ですね。  いろんな雑誌に載っているような服装や、お化粧なんかにとらわれすぎると、構えすぎ、ととられて、 「このコ、かわいいけど、なんとなくつき合いにくいな」  と思われる危険があるわけです。  努力は認めますが、努力しすぎると逆効果になるんですよ。あるいは、相手が遊び慣れていたりなんかすると、 「こいつ、結構、なんか期待して来ているんじゃないの」  と思われて、モテアソバれることすら考えられます。また、マジメな少年でも、 「こんなに気ばられると重ったるい」  ってことで、敬遠されるかもしれません。  あまり、いいところばかり見せようとしては、逆に損をするということなんですね。ボクがいっている「よそ行き顔」というのは、もちろん心のなかには持っていなければいけませんし、ある程度、外にも出さなければダメですが、最初から、つまり、相手が自分のことを第一印象でとらえようとしているときから、強くこれを意識していると、逆にぎこちなさを、相手に感じさせてしまうわけです。  おしゃべりや、ひとつひとつの仕草のなかに、「よそ行き顔」が出ていればいいのであって、外見だけに固執すると、うまくいかないことが多いみたいです。   チャート3 相手に合わせた会話法  つき合い始めのころの会話というのは、外見と同じ程度に、相手に与えるインパクトは大きいと思います。外見とおしゃべりだけで、ほとんどファースト・インプレッションというのは決まってしまうと思うわけです。  だからといって、これも、あれもと話題を用意していって、次から次へとしゃべりまくったとしてもいい印象になるわけがありません。会話のコツは、相手に合わせてあげる、ということでしょうね。  しかし、初めから共通の話題というのは、なかなか見つけにくいものです。しかも、男のコと女のコと、それぞれの環境やレベルが違うんですから、なおさらです。  こういうときには、女のコのほうが、男のコを見る目を養っておいてほしいと思います。相手の男のコが、どの程度のランクにいるコなのかを、すばやく察知して、そのランクに応じて対処したほうがいいんです。  学生でも、会社員でも、あらゆるジャンルにおいて、男のコのほうが、どちらかといえば女のコよりも交際範囲が広かったり、知識が豊富だったり、行ったことのあるお店の数が多かったりと、まあ勝っている場合が多いわけです。それを踏まえたうえで、女のコが、どのへんのランクにいる男のコかを判断するべきですね。  たとえば、車の話になったときに、もし、相手の男のコが車を持ってないのだったら、車に関連した話題はなるべく避けるか、あるいは、早めに切り上げるように、うまく話を持っていく、ということは、女のコがやったほうがいいですね。  話をしているときは、つねに相手の顔を見るようにして、話題と表情との関係から、「当たり」をつけ、ランキングをつけていくわけです。知的レベルのランク、遊びのランク、使えるお金による経済的ランク、いろいろなランクがありますね。  全般的には男のコが、会話をリードしたほうがいいと思いますが、女のコも、無神経ではいけません。男のコは、とりあえず、相手をホメる、ということを忘れてはいけません。 「髪形がすごくいいね」  こういったときに、 「そんなことないもん、きょう、全然ひどいの」  なんて返ってきても、 「どうして? そうでもないよ、きれいだよ」  と、悪びれずにいうことが大切です。  あるいは、何かコロンのようなものをつけていたら、 「それ、すごくいい匂《にお》いだね。何なの?」  などときいてあげることです。お洋服をホメ、身につけているアクセサリーをホメ、 「どこで買ったの?」  とかいって、話題を広げるように努力することですね。  ただし、ここで注意しなければならないのは、女のコには、つねに何かモノを買うときに決まったお店で買うタイプと、そうでないタイプがいる、ということですね。  高校生だったら、キャビン、クリスチーヌ、大学生だったら、アルファ・キュービックとかノーマ・カマリ、こういう風に見に行くブティックを決めていて、そこで選んで買うというコと、まったく決めてないコがいるわけです。パルコの地下を見ていて、「あ、これいい」といって買ってくる女のコは結構いる、ということです。 「どこで買ったの?」 「ウン、109で買ったの」  と答えた場合、それ以上突っ込んで、 「109のどこ?」  とはきかないほうがいいみたい。109へ行って、パッと目についたものを買ってくる女の子というのは、109の地下一階か二階かで買ったのは覚えていても、どこのお店だったかは覚えていないんですよね。そこで「どこ?」ときかれると、ことばに詰まってしまうわけなんです。せっかく、着ているお洋服をほめてあげたのに、相手の女のコにショックを与えてしまうことになります。これは失敗。  こうしたことは、つねに相手の反応を見ながら、話題を開拓していく、というチャートとして理解しておいてほしいわけなんですね。女のコにしても、相手のランクを外れた突っ込みをすると、失敗しちゃいます。  車の話をしていて、男のコが、 「ソアラに乗ってるんだ」  といったとします。このとき、このセリフが、 「自信満々で�ソアラ�といった」  のか、 「一応、�ソアラ�に乗ってる」  という意味なのかを、表情なり、口調なりから感じ取ってほしいわけです。そこを考えずに、たまたま、女のコが知っているソアラのなかでも、上級なクラスの車種の名前をいったりすると、逆に男のコのほうが、それよりレベルが下だったりして、気まずくなることもあるわけ。むずかしいもんです。     ● 〔恋愛臨床学 カルテ㈪〕  患者は二〇歳のOL。彼は二四歳のサラリーマン。 「同じ会社に勤めていますが、彼は違う部に所属しています。社員食堂で横に座ったり、時々口をきいたりはします。好意は感じていますが、部が違うので話をすることはほとんどありません。私のほうからおつき合いしてほしいとはなかなかいい出せないで迷っています。彼は青学卒でなかなかやり手という評判です。どうしたらいいでしょうか。社内恋愛で失敗すると会社に私がいられなくなるような気がするんです。恋愛経験二回あり」  あなたの部署にいる、あなたと一番仲のいい女のコひとりだけに打ちあけて、そのコに協力してもらう、という方法がオーソドックスでしょうね。  あなたが、どうしても自分ひとりで、彼に直接打ちあけられない、という場合は、それが方法としては、一般的でしょう。  ところが、このやり方にも、注意すべき点はありますね。協力して、力を貸してもらう女のコに、いま彼がいるんであれば、さほど問題はありませんが、そのコにつき合っている彼がいない場合。これは、あなたとその女のコの友情にヒビが入ってしまう危険性があるわけです。いままでは、お互いに「男のコなんて、いらないわよ。どうして、私たちのまわりには、ロクな男しかいないの」なんていい合っていたのにあなたが彼に思いを打ちあけるということのために、女のコとの友情が崩れてしまう可能性があるんです。このあたりは、十分な注意が必要です。  また、ヘタをすると、力を貸してもらうはずの女のコが、そんなことを頼んだばっかりに、あなたの好きな男性とうまくいってしまうことだって、ないとはいえません。そうなったら、恥をかくのはあなたひとりです。やっぱり、ひとりで勇気を出して、彼に当たるしかないでしょうね。  たまたま社員食堂で、席が並んだら、もちろん自分でそういう状況を作るわけですが、そのときに、彼の茶わんにお茶を注いであげるとか、食後のデザートのプリンを、あなたが彼に御馳走《ごちそう》してあげるとか、さりげない形で、話をする場を作っていかなければいけません。  エレベーターのなか、食堂、そういったところで一緒になったとき、たとえば帰る方向が同じであれば、 「今度、一緒に帰りましょう」  とかって、話しかけたり。彼が残業が早く終わったときには、あとからあなたがついていって、 「夜遅いから、一緒の電車でもいいですか」  なんていって近づいていくのも、ひとつのテでしょう。  基本的に、自分から、単独で切り開いていく、ということが大切です。よくあることなんですが、妊娠しちゃったりすると、すぐに女のコに相談するコがいるでしょ。これは絶対に避けなくてはいけません。 「内緒にしてね」  といってても、必ず、バレてしまうからです。  そのコが、お見合いしてはたからみると、とても幸せそうな、いい縁談がまとまって結婚することになったときに、結婚式の会場で、そのときの妊娠話がヒソヒソ声でいわれたりすることになっちゃうわけです。  だから、妊娠しちゃったら、相談するのなら自分の親にだけすべきです。それがいやだったら、だれにもいわない。中絶の費用が苦しくても、人に助けを求めてはいけません。自分だけで捻出《ねんしゆつ》するように。  サラ金から一〇万円借りて処理する。あるいは、ホテトルで土曜、日曜だけ働いてでも一〇万円は工面すると、このくらいの意気ごみで、まったく自分ひとりだけの力で処理するように心がけてください。  恋愛にしろ、その結果としての妊娠も、そもそも、お互いの自由意志による行動なわけですから、他人を巻き込んで、何かいいことがある、とは考えないようにしましょう。   チャート4 恋愛ランキングを作る  一般に、女のコは恋愛によってどんどん変わっていくことができる、とボクは思っています。男のコの場合は、もちろん、恋愛で変わっていくこともありますけど、むしろ、仕事で変わっていく。  つまり、男のコのほうは恋愛でなくても、仕事の関係やなにかで、大きく成長していけるんですね。しかし、通常の場合、女のコは、そのままでは、いろんな意味で大きくなれないケースが多い、と思うんです。  それが、恋愛で男とつき合うことによって、変えられることがある。いい男とつき合えば、いくらでもいい女になることができるわけなんです。  ただし、いきなり、まったくレベルの違う相手とつき合うのではなく、少し手を伸ばせば届く、くらいの差でつき合ったほうがいい。それを繰り返し、何人もの男たちとつき合っていけば、女のコはすごく、レベルアップされていくこともできますね。  男は、だれでも、つき合っている女を「教育したい」と考えてる部分があるわけです。たとえば、ボクの場合でも、そうです。このコは、どこまでいい女になる潜在的な能力があるのかな、なんて興味を持ちながら、つき合ってたりするわけです。  六本木のはずれに、キャンティというイタリアっぽいカフェがあります。芸能関係やマスコミ関係の人たち、それに遊び慣れている人たちがきているお店です。  ある女のコなんか、最初のうちは、 「キャンティなんて絶対にイヤよ」  なんていっていたのに、いつの間にか、その店へひとりでも出入りするようになって、しまいには、メニューに載っていないものまで平気で注文するようになっちゃいました。どんどんと、グレードが上がっていっちゃうわけです。  ですが、それはつき合っているうちに、だんだんと上がってくるものなわけですから、いきなり、は無理なんですね。女のコには「少し伸ばせば手が届く」程度のレベルの男のコとつき合うべきだ、といいましたけど、これは男のコの側から見たら、そのレベルに合わせてあげるべきだ、ということになります。  仮に、目黒女子商業高校に行っているとってもかわいい女のコとつき合うとします。とってもかわいいから、いい気分にさせてあげたいと思う。当然ですよね。だから「キャピトル東急ホテル」のコーヒーハウス、オリガミで待ち合わせをする——というのではいけません。  それではオビエてしまうからなんです。 「いい気分」にさせようとして、結果的には逆にオビエさせてしまうわけです。  それだったら、逆に、渋谷の「チャールストン・カフェ」で待ち合わせして、一〇〇〇円のハンバーガーでも御馳走してあげたほうが、よっぽど彼女には「いい気分」になってもらえるんですね。  そのレベルから始めて、徐々に上げていくようにすればいいわけです。  ところが、まったくその逆の場合だってあるんですね。つまり、男のコよりも女のコのほうが、圧倒的に遊び慣れている場合。  男のコの側から見ると、女のコが、自分の行ったことのないお店で、すごく場慣れしているのを見ると、何か男のコの自尊心が傷つけられたように感じるものなんですね。ずいぶん勝手なものですが、男のコってそういうとこがあるみたい。  だから、こういうときは、実際は女のコのほうが一歩も二歩も、男のコより上をいっていても、男のコよりも一歩か二歩遅れているフリをするのがいいですね。少し腰を落としてみるわけです。  自分がよく知ってて、行きたい、と思うお店へ誘うときも、 「学校のお友だちが行って、とってもいいっていってたから、私も行ってみたい」  という形で、持っていくわけですね。  男のコが「デニーズ」しか知らないようであれば、 「この近くに、この間、雑誌で見たお店があるんだけど、行ってみない?」  という形を作って誘い、男のコの乏しいお店リストに、新しく加えられるようにしむけてあげるわけですね。  つまり、男のコを立ててあげながら、男のコのレベルを押し上げてあげる。これがポイントになります。  恋愛は、不毛な「不純異性交遊」などではなく、生産的で前向きな行為です。お互いが成長するものでありたいですね。   チャート5 見せない部分が恋を育む  恋愛ビギナーの男のコの、最も陥りやすい失敗は、やたらに「押しまくる」ことだと思います。これは、ボク自身、過去にこの失敗を繰り返して実証ずみです。  突っ走ってしまうんですね、男のコってのは。  同い年だったら、精神的には女のコのほうがオトナだ、なんてことをいいますね。実際そのとおりだと思います。ところが、男のコというのは、女のコとつき合い始めると、すぐに、 「オレについてこい!」  という感じになっちゃう。これでは相手をすごく束縛することになり、女のコは窮屈な感じを持ち、逆についてこなくなります。  つまり、男のコの側からいえば、つねに女のコを泳がせておく、ということが肝心なんですね。自由に遊泳させるゆとりを与えておかないと、ついてこれなくなってしまうわけです。二人の間が、あまりにも緊密になってしまうと、余裕がなくなり、「よそ行き顔」をするだけの余地がなくなってくるんです。  いつも、多少、不安な部分、見えない部分、こういうものが、二人の間に介在していたほうが、かえって関係は新鮮度を失わずにすむものです。  女のコのタイプによって、その度合いは、微妙に違いますが、全然「見せない」部分がない、というのは危険です。それは、相手ベッタリ、ということであり、必ず大きな束縛につながってしまうからです。  遊び慣れている女のコが相手の場合、この�ナゾの部分�は、かなり余裕を持ってとっておいていいでしょう。そうでない女のコの場合だったら、 「全部をさらけ出しているようなフリ」  をしながら、実は見せていない部分をとっておく、というのがいいでしょうね。 「自分の生活のなにからなにまで、ボクはキミが大好きだから、すべてキミのために割いてるんだ」  といっておき、別の女のコと会う時間は、 「仕事が忙しい」  ということにしておくべきです。すべてを尽くしている、という風にしておいたほうがいいですね。  遊び慣れてる女のコの場合は、逆に、 「見せられてもいない、見せてもいない」  という部分があったほうが、楽なわけですよね、お互いに。束縛されることが、一番避けなきゃならないことですからね。  まったく距離をおかずに、ドーッと一辺倒になれば、相手は重苦しくなります。自由な恋愛感情は、かったるさに変わってしまいますから、適当な距離をとって運転する、というのが、基本的な方法です。     ● 〔恋愛臨床学 カルテ㈫〕  患者は一六歳、高校二年生。相手の男のコは一七歳で、同じ高校二年生。 「私のヒトシ君は暴走族に入ったんだけども、とうとう事故《じこ》っちゃったんです。彼の突っ張った一直線な生き方が好きだったんだけども、私は族《ぞく》には反対してました。それに、私は大学に行くつもりで勉強してますが、ヒトシ君は高卒で就職するといってます。事故ってもバイクはやめそうにないし、結局私のいうことを少しも聞いてくれないわけ。昔はそんなヒトシ君の性格がいいと思っていましたが、私の気持ちがぐらつき始めています。よきアドバイスをお願いします」  はっきりいって、ぐらついたら別れるしかないですね。  基本的に、あなたが大学に行って、彼が就職するとなれば、お互いの社会的な環境が違ってくるわけです。自由になる時間帯も違えば、それぞれの周囲にいる人間も大きく変わり、会ってみても、話題もかみ合わなくなって、どうしようもなくなってきちゃいます。環境の違いがすごく開いてしまうのですから、しようがありません。そのような状況では、遅かれ早かれ、あなた方が別れるというのは、自明の理なんですね。  ところが、最近は、正直いって何が起こるかわからない時代になってきました。  明らかに環境が違いすぎるくらい違う、お茶の水女子大の女のコが、名前を聞いたこともないような大学の男のコと駆けおちしてみたり、なんていったことが実際に起きてしまうような時代なんですね。  そこで、考え方によっては、つき合い続けるというのも一案としてあります。どうせ大学にいっても、周りには恋愛し慣れていない男のコばっかりなわけですから、そういう環境のなかで勉強しながら、一方では、族に入ってギラついてる少年とつき合うというのも、なかなか刺激的で、毎日の生活にハリが出てくるという期待も持てるでしょう。  つまり、当然のことなんですが「つき合いたければつき合う」ということしか、いえないわけですよ。やはり、問題は、あなたと相手の男のコ次第だ、ということです。     ● 〔恋愛臨床学 カルテ㈬〕  患者は二〇歳、短大二年生。相手の男のコは二〇歳の大学生と二六歳のサラリーマン。 「去年の一二月、シスコに語学研修に行き、留学している彼と出会いました。向こうにいる一か月間は夢のような日々で、帰ってきてから文通が続いています。でも、じつは日本には一年ほど前からつき合っている彼がいたのです。今年になって我慢しきれなくなって、日本の彼にシスコでの彼のことを告白しちゃったんです。以来、日本の彼は電話はしてくれるんですが、デートはしてくれません。私、身勝手ですが、少し寂しいんです。シスコの彼は帰るのはまだ半年先だし、二六歳の日本の彼とまたつき合おうとするのはひどい女でしょうか。アドバイスをお願いします」  うーん、これは典型的な失敗例ですねー。  だからといって、そういう状況を作ってしまったあなたが「ひどい女」だということではありません。  今回の場合、そのことを相手に正直に「いってしまったこと」が、日本にいる彼との間をギクシャクしたものにさせてしまっているわけです。つまり、実際にあなたがとった、シスコでの行動と、いまの状況との関係は、なんにも因果関係がないということをよく認識してください。  しかも、もし、その男のコに「そんなこと関係ないじゃないか」というやさしさが備わっていれば、何の問題にもならなかった、ということも、考えるべきでしょうね。  ただ、今回、軽率にも本当のことを「いってしまったこと」で、彼との間がダメになってしまうとすれば、次回からはいわないようにする、ということを学んでほしいのです。  昔から、浮気している現場に踏みこまれたとしても、 「まだ、してない」 「裸になっているけど、まだ最後まではしてない」  といい張ることが、見つけられた側のやり方なわけです。いくら相手に疑われても、そういい続けることは、相手にも救いの手を差しのべることにもなるからです。 「絶対に信じられない。おまえはあのコと肉体関係をもってしまったんだ」  と、頭では思っていても、男にしろ女にしろ、心のどこかでは「そうじゃない」と信じたがっている部分があるものなんです。そこを「はい、そのとおり、やってしまいました」といってしまうのは、良策とはいえません。無理を承知で、否定し続ける一手なわけなんです。  わかっていても、シラを切る——これは、ボクのいう「よそ行き顔」の理論に通じる部分なんですね。それで、今回のケースですが、いったんそういう風になってしまったわけですから、修復はむずかしいでしょうね。しかし「どうしても」という場合は、強引にやり直す方法が、ないわけではありません。  あなたの友だちのなかでド淫乱《いんらん》な女のコを意識的に、彼に近づける、というやり方ですね。つまり、ロシアの女スパイが、西側の外交官に近づいて、情報活動を展開する、といった方法です。ド淫乱な友だちががんばってくれれば、彼にもあなただけを責められない負い目ができるわけですから、そこでお互いの行為を「御破算」にして、新しくもう一度、やり直すことができるかもしれません。   チャート6 もの惜しみはバカをみる  もちろん、セックスする、しない、はある程度、重要なポイントです。女のコは、ある程度、男のコをジラすべきです。ジラすことも必要ですが、 「エーッ、すぐしちゃうと、私が遊び人みたいに思われるからいやよ。遊びでするんだったらイヤだなあ」  という考え方は、完全に間違っています。 「遊びなら、しない」  ということばは、いわないほうがいいですね、絶対に。  それは、遊びじゃなく、男のコは好きになったら、もう、すぐ、早くそうなってしまいたい、と思う動物だからです。好きになったから「抱きたい」とか「征服したい」と思うように、神様が生理的にお作りになっておられるのですぞ。  そういうときに、多少、ジラすということは必要だとは思います。「抱きたい」という気持ちを、最大限にまで高め、その爆発力をアップさせ、セックスをより劇的なものに演出する効果があるからです。 「まだ、心の準備ができていないの」  くらいのジラし方はいいでしょう。  しかし、 「遊ばれるのは、イヤ」  というのは、いけません。  なぜなら、遊んでいる男のコが、遊びでつき合おうと思っているのにもかかわらず、そんなことをいわれたら、変に意地を張って、 「そっちがその気なら」  と、単なる遊びの気持ちだったのが、ますます遊びの方向へとエスカレートしてしまい、 「抱くだけ抱いてやろう」  という意識になる場合があるからです。  こうなってしまうと、何度も口説いて攻め落とし、二、三回セックスを楽しんだら、それっきり、ということになりかねません。  この男のコの心理を追ってみると、好きになったからセックスしたい、と思ったのに、 「遊びじゃ、イヤ」  といわれて、 「バカヤロー、うるせえな」  なんて、ついつい、カッとしてしまい、本当に「遊びだけ」で抱くことを目標にしてしまうわけなんですね。  もともと、好きになったから「抱きたい」と思うわけです。遊びでも何でも、二回、三回とセックスを重ねていくうちに、本当に好きになって、恋愛感情を持つようになるものなんです。 「遊びじゃ、イヤ」  のひと言をいわなければ、もう一回、もう一回と、セックスの回数と同時に、恋愛関係が発展していくわけですね。だれだって、情というものが出てくるのです。 「エーッ、きょうは、ちょっとね。だから今度ね」  とかいって、一回目は切り抜けましょう。どんな男のコだって、一回くらい待ってくれますよ。 「一回目は、すごくいい思い出にしたいから、ちゃんとしたホテルだったら、いいな」 「きょうは、髪がボサボサだし、きのう髪洗ってないからイヤ」  なんてあたりが、気のきいたジラし策でしょう。  バージンだったとしても、状況は変わりません。ロスト・バージンとか、童貞を喪失するとか、こうした問題は、いまどき、ほとんど大きな意味を持たなくなりましたから、さっさと終えてしまうことです。ワインと違って、大事にしておけばおくほど、価値が出るというものではなくなってしまいました。とはいっても、女のコのほうからは、いいにくいでしょうから、 「きょうはお家に帰りたくないの」  とか、常套句《じようとうく》ですが、男のコのほうから、 「抱きたい」  ということばを引き出すように持っていけばいいでしょう。  ただし、非常に昔風の一部の男のコは、現在では特に、どうしても体育会カンケーに多いようですが、遊びのつもりでつき合ってる女のコには手が早いのに、惚《ほ》れた女のコには手も触れない、というタイプがいます。  運悪く、こういう男のコが相手の場合には、彼が、女のコの機先を制して、 「今夜は、帰る」  といってしまわないうちに、セックスをするしかない状況にまで持っていかないといけませんね。こういうタイプの男のコは、いったん口に出していってしまうと、それを覆すわけにはいかない、と考えるタイプでもあるからです。   チャート7 セックスの翌日は必ず会う  セックスのアフターケアについても書いておきましょう。セックスをしたら、その相手とは、短い時間しかおかずに、次に会う日を設定しておく、ということが必要です。  セックスを初めてした相手と、ずいぶん時間が経っちゃってから会うと、セックスをしたことについて、あなたのほうに迷いがあるか、物足りないと思ったか、そのどちらかだ、と受けとられる可能性が高いからです。わざと、そう思わせたかったら別ですが、そうでなきゃ、セックスをした次の日は、どんなに自分のスケジュールが詰まっていても、万難を排して会うようにするべきですね。  早目に、いっぱいセックスをして、情に訴える。男のコの情を移させて、別れられなくさせる、というテもあるのですからね。     ● 〔恋愛臨床学 カルテ㈭〕  患者は一七歳、高校三年生。相手は二六歳、妻子ありのサラリーマン。 「すごく悩んじゃってます。バイト先で好きな人ができちゃったんです。彼のほうから声をかけてきて、食事しようって。三回目のデートのときにキスされてしまいました。うわさでは彼は二六歳で妻子ありなんだけども、一緒にいるとすごく安心して頼れるから私にはピッタリという感じです。相談なんですが、次のデートのときにきっとCまで求められるというような予感がしてます。私はどうしたらいいのですか。もちろん私はいまどきまだバージンの女のコです」  結論から先にいいましょう。  もう、これはCまでやるしかありません。  ボクが一貫していっているように、まず経験してみなければ、何も始まらない、というのが、基本原則です。  いま、「気分の時代」といわれているのは、実際に手にとって触れられるもの、感覚で確かめられるものこそが素晴らしい、という時代だからなんですね。少しむずかしくいえば、形而下《けいじか》的なものにこそ価値がある、という時代です。  物質的、感覚的なものが価値ある時代なんですから、純文学的な、形而上学的なものに価値があると思い込んでいる作家センセイたちの考え方は、あなたみたいな昭和四〇年代生まれの人たちが、崩していかなければいけません。  こういうセンセイたちは、いまだに焼き肉屋さんまで銀座の女のコを連れていって口説いて、それでもダメならタクシーのなかでも口説き続けて、それからやらせてもらおう、などと考えているような人たちなんです。それでいて、口先だけは、青春文学のみずみずしさについて語っちゃったりしちゃいます。こういう思い違い、時代錯誤は、あなたのような人たちが、まず、実践によってつき崩していくべきですね。  相手が妻子持ちでも、いっこうに差しつかえありません。いまのあなたは、別に、結婚のことなんか考えなくていいからです。  むしろ、あなたのように、恋愛経験がほとんどない場合は、妻子持ちの相手が、上手にリードしてくれたほうが、あなたが恋愛において磨かれる可能性が高い、とさえいえます。  逆に、同い年くらいの男のコとつき合った場合、あなたとは関係なく、相手の男のコのほうが、えらい真剣になってきてしまい、あなたが今後、他の男の人とつき合って、並行恋愛を進めていきたいと思うようになったときに、その男のコがあまりに嫉妬《しつと》して支障をきたす、ということもありうるわけです。  また、あなたも含めて、二人ともが燃えあがってしまい、お互いに、他の人との恋愛を経験することなく、そのままゴールインにまで突っ走るというケースもありえます。これは、将来、お互いの愛が移ろい始めたときに、大きな悔いを残すことにもなるんです。  中年の人との最初の恋愛はひとつの理想。進んでCまでいくべきです。     ● 〔恋愛臨床学 カルテ㈮〕  患者は一七歳の高校二年生。相手は大学二年生、一九歳。 「とうとう彼に旅行に誘われてしまいました。つき合いだして六か月。彼はけっこうベテランという評判ですが、まだキスしかしてません。私を大切に扱ってくれるんだと思ってうれしく思っていました。『次の連休に伊豆に行こう』って彼がいうんです。きっとCをすることになると思います。家のほうは、友だちと行くといえばなんとかごまかせますが、やっぱり高二の私が彼と旅行するのはちょっと心配です。どうしたらいいでしょうか」  全然、心配なんかいりませんよ。  六か月もつき合っていて、キスしかしていないというのは、ちょっと遅すぎますね、むしろ。あなたの彼には、「本当に好きになったら、指一本触れられない」というような、体育会系学生的体質が感じられますね。  こういう体質傾向の男のコは、「いったんセックスをしてしまうと亭主関白ヅラをしがちである」ということを、ご存じでしょうか? ですから、半年も何もしないでいるのより、一か月でそこまでいってしまうような男のコのほうが、「遊びで終わってしまう可能性も五〇パーセントある一方、大切にしてくれる可能性も五〇パーセントある」といえます。もちろん、ここで重要なことは、あなたが、この点に関して彼はどうであるのかを、見極める必要がある、ということですね。  別に、ロスト・バージンといったって、失うものは何もないわけです。それどころか、いまや、一刻も早くバージンを捨てたほうが、それだけ�勲章�になるわけですし、あなたのように、「伊豆のペンション」でそういう風になれるのだとしたら、それは「清里《きよさと》高原」や「ホテル・センチュリー・ハイアット」でそうなるのと同じ。あなたは完璧《かんぺき》に英雄視されます。  そこで留意したいのは、避妊具の携行です。彼が持ってこない可能性もあるわけですから、やっぱり、あなたが持っていったほうがいい。  けれども、初体験なのにコンドームなんか、女のコのほうから差し出すと�ベテラン�ぽく思われる危険がないとはいえませんから、 「怖いから、これ、して。お友だちからもらったの」  というとよいかもしれません。これを、さらに印象よくするために、コンドームをかわいらしい包装紙にくるんで、あるいは、その上にリボンまでつけるといったバカバカしさを出したほうがいいでしょう。  それから、コンドームとはいっても、これを装着するのが若い少年であったりすると、初めにつけないでインサートして、あとからつけようと思ってはいても、思わずちょびっと、二、三滴ばかり、お漏らしする場合がありますから、とにかくまず、装着してもらってからベッドに入ることですね。でも、彼がつけずにインサートしようとしたときに、 「つけてなきゃ、イヤ」  なんて大きな声でいうと、急に彼が小さくなってしまうこともありえます。こういうことは、シャワーを浴びているときに、あらかじめ伝えておいたほうがいいです。  コンドームだけでは心配という人には「マイルーラー」という避妊薬もあります。ですから、安心してセックスするためにはどちらか一方だけではなく、両方を併用するのが一番いいのかもしれません。マイルーラーが、スムーズに使えるように、あなたは事前に「予習」しておいたほうが正解です。     ● 〔恋愛臨床学 カルテ㈯〕  患者は一九歳、短大生。相手は二一歳の大学三年生。 「遅れているかもしれませんが、いよいよサヨナラ・バージンを迎えそうなんです。いつかな、いつかな、だれかな、だれかな、と思い続けて一九年。とうとうその日が目前に迫ってきました。相手は二一歳の大学生、私と同じで、ほとんど性体験はなさそうなんです。私としてはハッピーな初体験にしたいと思っているんですが、彼のテクニックには、ちょっと不安なんです。ホントいうと、初体験の相手は彼でなくてもいいと思ってるんです。バージン時代に、とにかく早くお別れを告げたいというのが本心かも。コーフンしてるのかなあ。で、初体験をハッピーにするための、細かいアドバイスをお願いします。私にだけじゃなく、彼のほうにもお願いします」  まあ、場所でいえば、ラブホテルじゃないほうがいいでしょうね。初めてだと特に、時間に追われるような気がして、彼が不能になっちゃうという例もあるようですし。  別に、彼の部屋でもいいんじゃないでしょうか。お金がたくさんあれば、シティーホテルでもいいですが、これも逆効果で、気おくれしちゃうケースもありえますからね。無理をしないことです。  それから、あなたは初めてなんですから、最初から性的に満足する、なんて期待は持っちゃいけません。一回目から感じる人なんていないですよ。多分、いや、絶対、痛いだけなんじゃないでしょうか。  ですからせめて、あなたの愛液が十分にうるおうまで、彼には愛撫《あいぶ》を続けてもらうことでしょう。ただ、慣れない少年は、クリトリスにしても、ただやたらめっぽう押しまくるだけという場合もありますから、なるべく、首スジとか胸へのキスを長い時間かけてもらうようにしたほうが無難ですね。  それから、処女のコの場合ですと、 「あ、濡れてるな」  と思っても、もう少しなんて思って、男のコが別のところで遊んでいて、 「さて」  と入ろうとすると、その間に乾いちゃってた、なんてことがよくあるようです。そうなると、今度また濡れるまでに、エライ時間がかかったりするみたいですから、男のコは、 「一番濡れた」  と思ったら、その機を逃さずにいくべきだと思います。  また、男のコへの忠告ですけど、よく『週刊プレイボーイ』やなんかに、 「童貞はソーロー気味なので、事前に一発出しておくべし」  などと書いてありますが、こんなの、信用しないほうがいいです。いや、確かにソーロー気味かもしれません。しかし、アセッてお風呂場で自家発電しちゃったのはいいけど、イザというときになって回復しない少年も結構多いんですよね。  ソーローのほうが、立たないよりはいいですよね。第一、女のコだって初めてなんだから、ソーローでなくったって感じるわけないんですから。  処女のコは、なるべくなら、ベテランで上手な人にやってもらったほうがいいのかもしれません。最初のときが、相手がヘタで、めちゃめちゃに痛かったりすると、やっぱり困りますもんね。ただし、最初にしてもらった中年のオジサンと、一〇回も二〇回もは経験しないほうがいいとは思いますね。そこまでしちゃうと、もう、若い普通の男のコとそういう風になっても、つまんなくなってしまいますからね。  セックスのうえでの基本的なパターンとしては、一八か一九くらいまでは、同い年とか少し上くらいの若い男のコとつき合って、五人くらい経験してから、とっても上手な人とつき合うというのがいいでしょうね。  女のコもある程度、体のほうが性的に開発されないと、とっても上手な人としても、真価が発揮されないことがあるからです。   チャート8 恋愛はサービスと見つけたり  突然ですが、ボクの持論を紹介させてもらいます。  人間っていうのは、結局、能力と運と、努力とでできてる、と思うわけです。  能力がもともとなければ、運もない。能力がある人には、運もついてくると思うんですよね。そういう人が、ちょっとばかり努力すると、素晴らしいことができる、と。  つまり、もともと能力のない人が、どんなに努力してもダメなわけですよ。  だから、ボクは決して江川にはなれない。だれでも努力すればいい、なんていうのはナンセンスですね。努力したからって、できっこないことは、いっぱいある。でも、それだけに、努力するってことが、面白いということもいえるわけです。  努力しちゃいけない、といっているんじゃないんです。努力してもできない、要するに、人間にはそれぞれ限界がある、ということを認識したうえで、それでもなおかつ、そこへ向かって努力をするっていうところに楽しみがあると思うんですね。 「努力すれば何だってできる」と思い込んでやっていると、努力してもできなかったときに、挫折《ざせつ》する。メゲる。みんな「積木くずし」しちゃうわけですよね。  それではいけません。  人間は、みんな違うし、いろんな職業や生活があるのは、それぞれの能力が違っていて、したがってそれぞれの限界もある、というところから出てきているわけでしょう。  恋愛の場合にも、何でもできる、っていう風な「努力」のしかたをしなければいいと思うんですよ。限界突破を目指して、毎日汗流してるような、そういう「努力してます」みたいなのはよしましょう。余裕を持って、努力すればいいのです。  そうすると、楽しいわけです。  相手を喜ばすということを楽しむ。自分を喜ばそうとするんじゃなく、相手を喜ばそうとすることで、自分に楽しさが返ってくる、というメカニズムですよね。  これは、相手を喜ばせてあげたい、というサービス、ですね。  ちょっぴり教養をひけらかしてしまうと、「サービス」というのは、もともと、神様の名のもとにおいて、人に仕える、という意味があるんです。サービスということばには、こういう本来の意味が、全然入っていないから、わからなくなってしまうわけですよ。  だから、日本でいうサービスというのは、 「お金をもらう分だけのサービスしかしない」  ということになる。そのサービスを受けるお客の側も、 「お金を払ってるんだから、このサービスをされるのは当たり前だ」  と思っちゃってるわけです。  そうじゃありません。  恋愛についても、そんな風に考えている人が多いですよね。愛してやるから、愛されるのは当然だ、という感じです。  そうじゃない。  好きになった相手に、神様の名のもとにおいて、徹底的に尽くすわけです。それが「サービス」なんです。  それが、ひいては自分の喜びにつながってくる。だから、そういう意味において「努力」する。「サービス」の喜びを享受するんですね。その「努力」は、高校野球に励んでいる少年たちの「努力」とは、違う。汗水流しての努力とは違うわけですね。  また、恋愛の場合にも、努力してもかなわないことが出てきます。ムダな努力、というやつです。  このときには、ダメだ、限界だという部分が見えてきたら、諦《あきら》めざるをえません。しかし、それまでとは別の切り口に、方向を転換して努力してみる価値は、あるかもしれません。甲子園と違って、恋愛の対象は生身の人間ですから、一回戦で負けても、まだ完全に望みを捨てるのは早いかもしれないのです。  あるいは、恋愛の対象そのものを別のほうへ向けるテもあるわけです。つまり、他の人間とつき合う、ということですよ。  恋愛は、ある特定の人間とだけしか成り立たないことではありませんからね。要は、自分の「サービス」を向けるだけの価値ある人間を見つけられるか、ということなわけですよ。  ただし、恋愛というものは、お互いの相関関係によるもののわりには、自分から奉仕するという能動的な面ばかりが、強く自分で意識されることがあって、副作用として、相手に幻想を抱いてしまうケースもあります。自分の相手を思う気持ちに、自分が押し潰《つぶ》されちゃうこともあるんですよね。  これが、恋は盲目、といわれる現象です。ここまでくると、相手も困ってしまいますし、何もいいことはありません。  ですから、「サービス」する対象は、ひとつではなく、何か所かに分散したほうが安全なんですね。これが並行恋愛という形になってくるわけです。     ● 〔恋愛臨床学 カルテ㉀〕  患者は一九歳の専門学校生。つき合っている男のコは二一歳、大学三年生。 「私の彼って意外と香りにうるさいんです。ちょっと強めのコロンをしてほしいといつも口やかましくいうほうです。私はいいんだけども、家に帰ってから母親が変な顔をしたりして困ることがあります。私くらいの女のコに適した、香水の使い方、場所に応じた種類などを教えてください」  たぶん、その彼はあまり、鼻が敏感じゃないんでしょう。  というのは、強めのコロンなどを大量につけている女のコ、それも、肌に直接つけている女のコが相手の場合、首スジを舌先でスーッと舐《な》めただけで、男のコのほうは舌の先がヒリヒリしたりするからなんですね。  舌がヒリヒリ、ノドがおかしくなったり、次の日は鼻がグシュグシュしたりするものですよ。  あなたの彼が、もっと強いコロンを要求するというのは、どういう了見なのかわかりませんね。ボクにいわせると、あなたに対する愛撫で、結構手を抜いてるとしか思えません。  それでも、というんでしたら「アトマイザー」を使って、洋服の裏あたりにつけるといいでしょう。皮膚にはなるべくジカにはつけないほうがいいんじゃないですかね。洋服でも、なるべく白系統のものにはつけないほうがいいです。体にジカにつけると、日本の化粧品のなかには、カブレちゃったりする例も報告を受けていますから、避けたほうがいいと思います。  また、お母さんが変な顔をするということですが、これは、 「友だちもみんなつけてるのよ」  とでもいって納得させるのがいいんじゃないでしょうか。変に隠そうとするのはよくないと思いますよ。  それでも納得しそうにない場合は、少々時間がかかりますが、持久戦法もありますね。  毎日毎日、努力して、あなたは「フライドチキン」ばかりを食べ続けます。こう脂っこいものばかりを食べていれば、イヤでも体臭が強くなりますから、あなたのお母さんは、あなたの洗濯物を洗うときに、 「ウチの娘は、戦後生まれの戦後育ちだけあって、体臭が強いコになってしまった。だから強い香水をつけるしかないんだわ」  と思って、納得してくれる日がくるかもしれません。     ● 〔恋愛臨床学 カルテ㈷〕  患者は一八歳、大学に入ったばかり。相手の男性は二人いて、片方は三六歳の大学職員、離婚経験もある男性で、もう一方は立教大四年の大学生。 「私、ダブル恋愛をしています。一人は立教の四年生。もう一人は日大の職員で三六歳の離婚経験者です。ほんとの気持ちは三六歳の彼に向いていますが、立教の彼とは惰性でつき合っているような感じです。でも、もし家族が三六歳の彼のことを知ったら絶対に許してくれないだろうし、私としても長くつき合うことはできないと思っています。でも、彼のやさしさとベッドでのことを思うと別れられません。田中さん、私はいけない恋をしているのでしょうか」  全然、別に、いけなくはないです。  むしろ、理想的といわなければいけないくらいですね。三六歳の男性のほうは、離婚もしているわけですから、問題らしい問題は何ひとつありません。  恋愛というのは「いまが楽しい」ものであればいいわけです。あまりにも先のことを考えていると、ついつい繕《つくろ》ってしまう部分が多くなってきて、正直な気持ちが出しにくくなってくるものです。  ですから、三六歳で、セックスも上手で忘れられないのであれば、彼と会っているときには、それを最大限、楽しめばいいわけです。全然、いけなくないです。  大学生の彼と会うんでしたら、きっと彼にも何か、あなたが惹《ひ》かれるものがあるんでしょうから、そのときは、それを十分に楽しめばいいわけです。  あなたにはただひと言、「がんばってほしい」としか、いいようがないですね。  まあ、あなたは、「自分のなかにある�女の性�が人より激しい」ということを自覚して、より認識できるように瀬戸内寂聴でも読むといいですね。まあ、半分冗談ですけど。   チャート9 ジェラシーは反・省エネです  ところで、恋愛関係のなかで、嫉妬《しつと》ほど、非生産的なことはないですね。そんなことしているヒマがあったら、他のどんなバカげたことでもしていたほうがお利口さんです。  ジェラシーなんていう、まったくムダなところにエネルギーを使っているんだったら、どうして新しい女のコなり、男のコなりを見つけるほうにエネルギーを使わないのか、ということなんですよ。  いかに自分をよく見せるか、きれいに見せるか、よりアトラクティブな人間にできるか、ということに、エネルギーを燃焼させるべきなんです。ジェラシーなんていうのは、もうすでに終わってしまったことに対する思いでしょう?  過去完了形のことを、いまだに追っかけていってることなわけです。そういう、純文学小説が描くような世界をやっていては、ダメです。  ジェラシーのメカニズムは、結局、 「自分を悲劇中の人物に仕立て上げる」  という、単なるナルシシズムにすぎませんから、そのようなことに精を出していると、やがてギリシャ文学を作り出していたころのギリシャのように滅びます。  また、ジェラシーの背景には、必ず、その対象を偶像視していた、という自分本位の「思い込み」ないしは「自己同一化」のパターンがあります。ですから、それ以前の恋愛が、すでにして「よそ行き顔」では行われていなかった、という証拠ですね。  そういうことではいけません。  それは結局、 「私はこの人に、ここまでサービスしていたのに」  という意識のうえに成り立っているわけですから、ボクのいう「サービス」とは、向きが逆になっているわけですよね。サービスの見返りを、直接、相手から得ようとする、さもしいサービスです。これは、非生産的な恋愛といわざるをえません。  もし、自分がジェラシーを相手に感じていることに気がついたら、いいチャンスですから、即刻、その相手のことを忘れて、違う相手を捜し始めるべきだと思います。  よく新聞を賑《にぎ》わす「痴情の果ての刃傷《にんじよう》」なんていうの、ありますね。たいていはとてもマジメな人たちが当事者なんです。結局、ああいうことになるわけですから、嫉妬というものが、いかにバカバカしいか、わかってもらいたいものです。  恋愛に失敗した場合、ジェラシーへエネルギーをまわしてしまわずに、まず、 「どこがまずかったか」  に集中してほしいんです。  そして、自分の備えている「チャート」を復習することです。嫉妬に目がくらんだ状態では、冷静にチェックすることもできなくなってしまいますね。復習は、その場で確実にやってほしいものです。  そして、チャートのチェックが終わったら、失敗の原因を割り出し、それを新たな「チャート」として、自分のひきだしのなかへ収納し、次の恋愛を求めるスタートを切らなければいけません。  チェックし終わったあとまで、ウジウジと考え込んでいると、それがまた、ジェラシーにつながってしまうからです。     ● 〔恋愛臨床学 カルテ㉂〕  患者は一九歳の短大二年生。相手の彼は逃亡中。 「三か月前、失恋——古いかな、失恋をしちゃいました。高校二年のときから三年近くつき合ってた彼だったんですが、私のほかに好きな人ができてしまったのが原因でした。以来、私は根暗《ねくら》の女になってしまいました。初めは彼の裏切りが憎くて憎くてたまりませんでした。それ以上に彼の新しい恋人を強く憎みました。でも最近はくやしさの感情よりも、人間に対する——男に対するかな、不信感でいっぱいです。彼も私も初体験同士でした。もう私なんか恋ができないのかななんて思って、よけいに落ち込んでいるこのごろです」  何もかもうまくいく解決法が、ひとつ、あります。  あなたは、つまりは男に対する復讐《ふくしゆう》を遂げることによって、いまの状態から脱却できるわけです。現代のような「金こそすべて」という資本主義の大衆消費社会において、男に対して効果的に復讐するには、意外にも簡単な方法があります。  ホテトルに勤めることです。  これは、ソープランドと違って、男に奉仕する必要もありません。泡踊りをしてやることもないわけで、強いていえばフェラチオくらいです。男が勝手に、あなたの若い肉体を相手に、 「おお、かわいい。おお、きれいなオッパイだ。おお、おお!」  などといいながら感激しているのを一時間だけガマンすると、男どもはあなたに金を払ってくれます。インサートされるとはいっても、オジサンたちの場合は、ものの三分間くらいですから、十分にガマンできると思います。  男から金を巻きあげて、男に復讐する——この方法のいい点は、他にもいい特典が得られるということです。  このように「だれとでもセックスができる」という体質へと、あなたの体が変革されるでしょうから、ホテトルを一か月でやめたあと、ディスコへ行っても、ちょっとカッコいい男のコが目につくと、あなたのほうから積極的に近づいていけるようになるわけです。  一か月間のホテトル勤めで、当然、あなたはお金持ちになっています。ディスコを出たあとで、ちょっとカッコいい男のコを誘ってカフェバーに行ったら、あなたは札ビラを切って、その男をびっくりさせ、 「ヘヘーッ!!」  と、服従させることもできます。そして、そこを出てからラブホテルまでの道のりも、歩かずに、タクシーで行くことさえできるのです。  ちょっとカッコいい男のコなんか、他にもたくさんいるのですから、ポイッと捨てることも勝手ですしね。悪いことは、何もない。やっぱりホテトルで働くしかないようですね。   チャート10 別れの現実を素直に見つめる  俗に、きれいに別れる、という表現がありますが、これはケースが限定されると思います。  まず、お互いに他に好きな人が、たまたま同時にできた場合。それぞれの気持ちが、自然に薄らいでいって、消滅する。  そうでなければ、そもそもあんまりたいしたつき合いでもなくて、二、三回デートしたくらいで、二か月くらいが経っちゃった。気がついたら、もう、気持ちのときめきもなかった、というケース。  あっさり、スッキリと別れられるのは、こうしたケースの場合だけだと思います。  そうではなく、しっかりつき合っていた場合は、きれいに別れるなんていうことは、ほぼ、絶対に無理でしょうね。  ですから、初めから「きれいに別れる」なんてことは、あまり考えないほうがよろしい。 「きれいに切れよう」などと思っていると、よけいに、あとで恨みばっかり出てくるもんだと心得ておいて間違いありません。  別れるときははっきりと、 「他に好きな人ができた」  と、いったほうがいいです。 「他に好きな人ができた」  というのが一番、それはそれで相手としても諦めがつくわけです。だって、しようがないでしょう? 自分よりも、もっと好きな人が、相手にできちゃったんだから。これは、他人のことであって、自分のことではない。  どうすることもできないんですよね、神様だって。  ところが、そういわずに、なんとかコトを荒立てまいとする人もいます。 「なんとなく趣味が合わない」 「性格が違いすぎる」  とかいって切り抜けようとする人もいますが、こういうのは、無意味に相手を悩ませるだけです。自分のことをいわれたら、 「自分が努力すれば、なんとかできるかもしれない」  という�余地�を残してしまうからです。  ここはやはり、ニベもなく、 「他に好きな人ができた」  の一点張りでいったほうが、絶対にいいと思いますね。  こういって別れたほうが、もちろん、その瞬間はなかなか大変でしょうが、のちのちになって、街のなかで偶然会ったときにも、声をかけやすいんじゃないかと思いますよ。  そうしてこの際、別れ話を持ち出された側は、往生際よく、スッパリ諦めるほうが、自分のためでもあります。  たとえば、別れよう、といわれたときに、相手にとりすがって泣いたりして、あまつさえ、 「捨てないで!!」  なんてクサイことをいうと、相手は必要以上に別れたくなります。頭が痛くなります。  一番最初にいったように、恋愛は、どちらか一方が立ち止まり、しなだれかかってくると、それだけで、 「重苦しい」  と感じるわけですから、すがりつかれたりすれば、むしり取って捨てたくなるのは、無理もありませんね。  別れようといわれたら——実際には、ある程度事前に、それらしい徴候があったはずですから、覚悟はしているはず——そのときはすがりつきたくても、気持ちのうえで一歩踏み下がり 「そう、終わりなのね」  とかいってみるといいです。  あんまりあっさりと、こう反応されると、相手は疑問を抱き、 「もうちょっと続けてみようかな」  などと、気持ちもグラつく場合だってあります。  いずれにせよ、相手に好きな人ができてしまった場合、こちら側は、どうあがいてもしかたがありませんから、もう、そうなったら、ジタバタしない、という手しかありません。  むしろ、「もうオシマイ」という厳しい現実を、素直に直視したほうが、少し時間が経てば、また相手が戻ってくるということもあるんです。  女のコのほうから別れ話を持ち出してきたら、男のコは、たとえやせがまんでも、 「そうか……いい恋愛をしろよな。そいつを大切にしてやれよ、な」  などといっておくと、しばらく経ってから、またもう一回、おこぼれにあずかれる、ということも、十分考えられます。  別れはしようがないとしても、 「自分はまだ好きである」  ということを伝えるのは、別れたしばらく後がいいでしょう。別れる際には、このことばは逆効果で、相手はよけい、頑《かたく》なになってしまうものです。別れようとしているのに、好きよ、なんて追い撃ちをかけられてしまったら、非常に面倒臭く感じるわけですね。  ですから、別れが一応完成して、事態が鎮静化したときに、 「私はいまでも、好きよ」  なんていうと、意外な効果を発揮したりもしますね。これを�別れ未練の時間差攻撃�といいます。     ● 〔恋愛臨床学 カルテ㉃〕  患者は二〇歳のOL。彼は二三歳の会社員。 「友だちに紹介されて知り合った彼です。つき合い始めて六か月。二か月目にセックスしていますが、最近『結婚、どう思っている?』と彼が口にするようになってきました。私はまだその気はありませんし、彼の気持ちが先走りするような感じで不安です。二四、五歳が結婚の適齢期かなと私は思っていますが、彼の熱意に気持ちが動かないではありません。  どうしたらいいでしょうか」  愛情というのは、こういう時代にあっては「はじめに金ありき」という一大原則を忘れてはいけません。  二三歳と二〇歳で結婚してしまうと、まず、経済的に無理が出てきます。第一、結婚する前のデートのときでも、いつも割り勘で、しかも、五円とかそのくらいの単位までを計算して割り勘にしなければならないカップルというのは、いずれツブれてしまうわけです。  客観的に考えて、現代においては、愛情があって結婚があって、そしてセックスがあるというパターンは、ほぼ、ありませんね。まず先に、セックスがある。そこから愛情が生まれ、結婚につながっていく、というケースが多いわけです。だから、努力とか忍耐という美徳は、現代には馴染《なじ》まないわけです。  お金がない、ということは忍耐を強いられることになりますから、現代の恋愛には馴染みません。ですからまず、はっきりいえることは、あなたの年齢で結婚してはいけない、ということですね。 「よおし!」ということで、彼が脱サラして、たとえば「餃子《ぎようざ》の王将チェーン」かなんかの店員になって、よっぽど精を出して、月給四〇万円とかの収入をあげるようになれば、それは短期的には幸せな人生を送ることもできるでしょう。  しかし、いつまでも「王将チェーン」に勤めてるわけにもいかないし、彼が二八歳になっても、まだ月収は四〇万円のまま、ということもありえるわけですしね。 「二八歳で月収四〇万円ならいい」という向きもあるでしょうが、考えてもみてください。普通のサラリーマンよりは、その年齢だと収入は多いかもしれませんが、将来、子供ができたときのことを考えれば、問題は収入以外にもあるでしょう?  あなたが子供の学校へPTAかなにかで出かけて行ったときに、家庭の職業を書き込むところへ、「王将チェーン店長」と書けるのか、どうか。  あなたはあなたなりに、短大をちゃんと卒業して一流会社へ就職したわけでしょう。あなたのプライドが「王将チェーン店長」を許さないと思うんですよ。  ですから、いまのところは、彼とつき合っていればいいと思いますが、これから先、彼が、あまりにも「結婚、結婚」というようであれば、すぐにも他の新しい男のコをこさえてしまう、というのがベストだという風に思いますね。     ● 〔恋愛臨床学 カルテ㈹〕  患者は二一歳の大学三年生。彼は二二歳。 「私は二一歳の大学三年生です。彼は二二歳。一浪して大学三年です。彼ってほんとは呼びたくないんですけども、合コンで知り合った彼なんです。映画と食事のデート二回しただけで私はもうおつき合いをしたくなくなりました。理由は彼の食事の仕方、食べ方がなんとなくイヤだったんです。以来、デートはお断りしているんですが、すごくしつこいんです。このまえなんかは、『デートしてくれなければ自殺する』って電話でいうんで、怖くなってしまいました。それからは居留守をつかって電話を断っていますが、怖くて、怖くて。彼に諦めてもらう方法を教えてください」  最も古典的なお断りの方法は、「他に好きな人がいる」ということを、直接、相手に伝えることですね。そして、「私とあなたは合っていない」ということをはっきりといって、その現実を直視させることです。 「これから自殺します」  なんていう電話をかけてくる人というのは、まだ自殺するふん切りのついていない人なんですから、まったく恐るるに足りません。 「なんだって、おい、やめなさい、やめるんだ!」  といってもらいたいばっかりに電話してきてるわけですから、高い煙突のてっぺんまで登っちゃって、下のほうからスピーカーかなんかで、 「早く降りてきなさい!」  って呼びかけると、よけいに意地張って、 「イヤだ! 降りたくない! オレは死ぬんだ!」  というのと同じです。そういうわりには、いっこうに飛び降りないんですけどね。  この程度の男のコが、自殺するはずがありませんから、あなたは自信を持って、 「あなたはキライです。私には他に好きな人がいるんです」  といって電話を切るべきですね。そこで、変に同情したり、慈悲を持ったりして、その上で好きな人がいることを伝えても、ワカラナイ相手が、 「どーしてなんだよ?」  なんてきき返したときに、無口になってしまって、通話を一〇分間も続けているようでは、その男がいよいよノボセあがるばかりです。心を鬼にして、キッチリいいたいことだけいったら、電話はすぐに切りましょう。  万が一、その男が、何をカン違いしたか、ホントーに自殺したとしても、別に、あなたと結婚する約束になっていたわけでもなければ、何の拘束もないんですから、まったく関係ありませんね。あなたは無名の人ですから、週刊誌を賑《にぎ》わすこともないでしょうし、相手が愚かだったと、憐《あわ》れんであげるくらいでいいでしょう。もっとも、もうちょっと年をとってから、このようなことがあると、『週刊新潮』の「黒い報告書」にとりあげられる可能性もありますが、まあ、いまのところはだいじょうぶだと思います。  第4章 恋はシティーホテルで   シティーホテルを恋の舞台にします   ホテルの上手な使い方も覚えましょう   男のコは率先してナイト役に徹しよう   プリンスホテルはおススメできません   キャピトル東急などはナカナカです   部屋の指定は遠慮なくいたしましょう   ベッドではサービス精神を忘れずに   キャピトル東急を小説で使ってみました   デートコースを選ぶセンスが大切です   半日ぐらいのコースを考えてみました   一日コースは素敵な庭から始めます   ワンパターンのコースはあきがくる   シティーホテルを恋の舞台にします  さて、これまでお勉強してきたみなさんには、ボクのいう「よそ行き顔した恋愛」の輪郭が、見えてきたことと思います。  でも、頭でわかっていても、実行に移さなければ、知識なんて、何の役にも立ちませんね。おおいに恋をし、恋愛を楽しみましょう。  よそ行き顔、ということは、普段とは違う、ということでもありますね。いつも彼の部屋、彼女の部屋でしか、セックスをしないようでは、すぐにマンネリ化します。とても、よそ行き顔、というわけにはいきませんね。  だからといって、ラブホテルを使うのも、芸がないですね。あそこは第一、陽が当たらない。暗い。 「どうせ夜だもん」なんていわないで。窓を開けても隣のビルの壁しか見えなかったり、見えても、隣のホテルのネオンのチカチカだったり。まったく夢がない。  おまけに、部屋の天井や、ベッドのまわりが鏡張りになってたり、ビデオが備えつけになってたり。あるいは、電動ベッド、透明プラスチック浴槽《よくそう》とか。いかにも見え見えでセックスを楽しもうとするための小道具たちも、いただけないですね。  それが好きで好きでしようがない、という人は、そういうのが、実に刺激的なのかもしれませんね。でも、ボクは、そんな、自分たち以外のものの力を借りて楽しもうとは思いませんね。  セックスは、基本的に、二人の人間の営みなわけですよね。特に、男のコが女のコに奉仕し、女のコの反応を確かめて男のコが楽しみ、女のコも楽しむ、という風に考えているボクには、明るくて、清潔な部屋が、ふさわしいと思うんです。  それに、たとえ数時間にせよ、ホテルを単なるベッドハウスとしてではなく、ホテルという場所を楽しむ、ということで使える場所であるほうが、豊か気分ですよね。  セックスだけが目的じゃなく、ホテルを楽しむ。上手に使う。これが「よそ行き顔した恋愛」のエッセンス・パターンだと思うんです。それには、ラブホテルでもなく、ビジネスホテルでもなく、一般にシティーホテルと呼ばれるところがベストです。  ラブホテルだと、いったん部屋に入ってしまうと、そのあとの出入りがむずかしいでしょ。入っちゃうともう、セックスをして「おやすみなさい」になっちゃうケースが圧倒的。恋愛行動が、非常に窮屈になっちゃいます。  その点、普通のホテルであれば、午後二時チェックイン、翌日の正午くらいまでリザーブで、丸々一日分、その空間を利用できます。二人の行動にはとても柔軟な幅ができるんですね。その間、何回でも出入りがきくわけですから。  どこかの安酒場でお酒飲んで、酔っぱらって、 「さぁ、行こうかァ!」  って感じでラブホテルへ行っても、もう本当にセックスだけ、という感じで、面白くもなんともないし、セックスも短い、つまらないものになりがちですね。  ラブホテルだって、いまは高い所だと泊まって一万五〇〇〇円くらいするわけですから、それだったら、たとえば、センチュリー・ハイアットのダブルに泊まって朝ごはんもとったって二万五〇〇〇円くらいで収まるわけです、このほうがずっとステキですよね。  セックス、というものを、あんまり「暗がりで行うもの」「夜のおつとめ」みたいに決めつけてしまわずに、もっと明るい感じでとらえたほうが、いいと思うんです。そうしたら、昼間の三時ごろにチェックインして、ベッドの上で運動してから、夕ごはんを二人で一緒に食べに出かけられるし、夜になってお酒を飲んで帰ってきて、また仲良くしちゃうことだってできるわけ。気が向けば、それからまたドライブに出ることだってできちゃうでしょ。  シティーホテルを使うってことは、非常に楽しみの幅が広がるってことなんですよね。   ホテルの上手な使い方も覚えましょう  有意義に、よそ行き顔して恋愛を楽しむために、ここで少しばかり「実践編」に入ってみようと思います。つまり「よそ行き顔して楽しむ恋愛のためのガイド」——みんなのお役に立てるかな?  それじゃまず、ホテルの上手な使い方、からいってみましょう。  意外に気がつかないことなんだけど、ホテルの備品は、要求すれば何度でも取り替えてくれます。 「シーツが汚れたから替えてください」 「タオルが汚れたから取り替えて」 「セッケンがチビッたから持ってきてほしいなあ」  何度でも、OK。電話一本で、すぐにベッドメーキングしてくれるし、代わりを持ってきてくれるんです。そういうことは、その部屋に泊まる料金内で、サービスしてくれることになっているわけです。  ボクと同じ二八歳なのに、大学生のころから西麻布《にしあざぶ》でケーキ屋をやったり、メンズ・ブティックをやったりしてる仲の良い男のコがいます。もちろん、最初は、お父さんからお金を借りてお店を始めたのですが、いまでは、ベンツの500SELとBMWの633CSiの二台を乗りまわして、元麻布にあるステキなマンションにひとりで住んでいる、いわゆる、青年実業家です。  フェース的にも、なかなかのレベルに達している彼のまわりには、いつでも、ハデ目な女子大生やモデル、そして、大学を出た後、ビジネスショーとかモーターショーのコンパニオンをやったりしてる女のコたちがいます。  忙しい合間に、丸一日、ポッカリとお休みの日がとれたりすると、この彼は、電話さえすれば、シーツでもタオルでも替えてもらえるという、シティーホテルならではの特典をフルに利用しています。  お昼に、まず、一人目の女のコとお食事をします。代官山《だいかんやま》にあるフランス料理のお店、「マダム・トキ」あたりへ行ったら、ホテルでお昼寝。夕方に、その女のコとお別れすると、今度は、二人目の女のコとデート。夕ごはんを食べて、ドライブをしたり、ディスコへ行ったり、で、もちろん、次の朝まで、ホテルのお部屋で彼女と過ごしています。  エッ、どこで、特典を利用しているのかですって。  もちろん、夕ごはんを食べている間に、ベッドメーキングやバスルームのお掃除をしてもらっているのです。ディスコへ行った後、もう一度、今度は二番目の女のコと一緒に戻ってくると、歯ブラシや彼女のためのバスキャップも新しいものが用意されていて、お部屋のなかはきれいサッパリ。なかなかに鋭い男のコだと思いません?  昼と夜とで、別々の女のコとデートできるなんて、ウラヤマシイの三乗×10というところです。もちろん、こうした充実したお休みの日の過ごし方ができる男のコは、ごくわずかでしょうけれど、一応、こうしたことを知っておくと、たとえば、ベッドのところで、二人、シャンパンやビールを飲みながら、ふざけあっているうちに、ついつい、グラスをひっくり返してしまって、シーツがグチャグチャ、なんてことになった場合でも、ルームサービス係に電話をするだけで、OKになるでしょ。  遅いお昼ごはんをワインと一緒に、二人でとると、体がだるくなりますね。ウイスキーの水割りと違って、ワインというのは、人間の思考を鈍くします。かつてローマ帝国を滅ぼしてしまった勢いで、二人の思考をボロボロにしてしまう。で、二人でお部屋に上がっていって、ベッドへ着く、寝る、それから今度は本当に昼寝する。そして夕方に起きると、お目々もパッチリ。外出して遊んで、晩ごはんを食べてもいいし、帰ってきたら、ベッドはまたきれいにメークされている——ホテルをフルに利用した楽しみ方といえるでしょうね。   男のコは率先してナイト役に徹しよう  ペンションなんかでもそうなんですが、電話でお部屋を予約してくるのは、なぜか女性が多いんです。それで、下心ありありの男どもが、予約状況を知って、 「このペンションは女のコばっかりだから、期待できそう!」  とかいってやってくると、意外にも、その女のコたちが、みんなカップルで来てた、なんてことが起こります。  どうして、日本の男のコは、自分で電話をして、お部屋を予約しようとはしないのでしょうか。  レストランのメニューにしても、男女のカップルが席に着いた場合、女性のほうに渡されるメニューには各品の値段は記入されていないのが、正統です。  つまり、男はつねに、女に対してナイトでなければいけないからです。椅子《いす》を引いて腰かけさせてあげる。メニューをとってあげる。会計も、彼の役目。ホテルの予約だって、男のコがやってあげなくちゃいけないと思うんです。  ルームサービスにしてもそうです。女のコに自分で注文させるようなことは、絶対に避けたいですね。夜だと、まあ飲みものくらい。朝食は、やはりお部屋でとりたいでしょ。だから、その注文の仕方くらい、男のコは覚えておいてもらいたいものです。  朝、起きる時間が決まっている場合は、備え付けの用紙に注文を書いて、ドアの外にかけておけばいいし、電話で頼む場合も、面倒臭いときはアメリカン・ブレックファストか、コンティネンタル・ブレックファストかのセットで注文してしまえば、簡単ですね。ジュースの種類や、卵料理の好みくらいは、しっかり自分で選んで。もっとバラエティーに富んだ朝食を、と考えているのだったら、パンケーキやオムレツを、数ある種類からチョイスしてみるのもいいでしょう。  とにかく、せっかくホテルにいるんです。  普段とは違う、日常の生活から切り離された場面なんだから、男のコはすべからくナイトたるべし、で、女のコはお姫様、という設定をとりましょう。ホテルから戻ってくれば、また普通の生活が始まるわけでしょう? だから、ふだんの生活からポッと切り離されたホテルの非日常生活空間があり、そこだけがメルヘンになっている、ということなんですね。  ホテル側だって、ラブアフェアのために使われたから、といって眉《まゆ》をひそめることもありません。ホテルの考えてることは、部屋の稼動率《かどうりつ》、回転率、といったことだけですからね。  むしろ、二人だけで部屋に入って、よけいなことに精を出さない、ラブアフェア客のほうが、なにかとホテル側に対してリアクションの多い、団体客などよりも好感を持って迎えられるはずなんです。部屋の回転率のことから考えても、たとえば昼の三時にチェックインして、夜の一〇時にはチェックアウトしちゃうと、ホテルからすれば、もう一回転できるわけですよね、その部屋が。万々歳というわけです。  その日のうちに入って、出て。何も恥ずかしがることなんてありません。男のコが率先してナイトぶりを発揮、堂々と明るい時間のホテルライフを楽しみたいもんですね。   プリンスホテルはおススメできません  それじゃ、実際に使うホテルは、どこがいいのでしょう?  都内のシティーホテルを、いくつか検討してみましょう。ただし、「どのホテルがどうだった」ってことだって、チャートのひとつになるんです。労を惜しまず、使ってみて、実体験をしてチャートに加えたほうが、もちろん確実ですね。以下は、ボクの知識からみたほんの一例、として読んでください。  まず、泊まるためには空室がなければ、話になりません。比較的、いつも空いているホテルを挙げれば、都ホテル、新|高輪《たかなわ》プリンス、パシフィック、といったあたりでしょう。  パシフィックというのは、メディタレイニアンというエアフランスのやっているホテルチェーンの系列で、国際線が羽田から成田に移ってしまって以来、いまいち稼動率が低下しています。したがって部屋は空いていることが多いみたいです。  客層はというと、多少ダサい、日本人客だとノーキョー的雰囲気の人が多いですから、そういう色彩の人には手ごろですね。けれども、海側の部屋であれば、景色が抜群です。シーサイドルームを、と予約電話でいっておけば、OKです。  新高輪プリンスの場合も、いつでも空いています。ここは、非常にメルヘンチックですから、そういう好みの女のコには喜ばれますね。ただし、ボクにいわせると、設備のわりに値段が高すぎるかもしれません。  白金台《しろかねだい》にある都ホテルも、女のコっぽい雰囲気で、庭もきれいです。ただし、近鉄系のホテルなので、もうひとつ、サービスが親切でないという欠点があります。  銀座東急の場合は、赤坂東急でもそうですけど、デイ・ユース・サービスというのがありますね。一一時から五時くらいまでですから、料金が安いわけです。一万円ちょっとだと思いますが、ただし、ツインルームだけです。  こういうところは、第一ホテルのチェーンと同じで、ホテルの格としては、まあ、一・五流というところです。トップクラスから、少し落ちるくらいのレベルの人たちが、昼間の情事に使うホテルといえるでしょう。  あと、千鳥《ちどり》ヶ淵《ふち》にフェアモントホテルというのがありますが、これはもう、夜のご商売の方とつき合う文化人が、おっかない奥さんの目を盗んでセックスに使うホテルです。それと、広告代理店の人たち、特に電通の人たちは、お昼間セックスには丸ノ内ホテルを、こよなくご愛用してらっしゃいますね。そういう意味で、丸ノ内ホテルを使うというのは、かなりシブいかもしれないですね。  赤坂東急、ニューオータニ、京王《けいおう》プラザあたりも、いまいちです。  赤坂東急は、有名な個性派男優|御用達《ごようたし》ということでもわかるように、ここはホモの使うホテルですね。ホモの他には、吉本《よしもと》興業の芸人たちくらいしか泊まってないみたいです。桂文珍さんと明石家さんまちゃんなどは「隠れホモ」ではないか、という真っ赤なウソすら、業界内では流され始めています。ここは避けたい。  ニューオータニは、今や、大衆ホテルとなったようですし、京王プラザにしても、冷蔵庫のないお部屋が大部分ですし、隣室で行われているスワッピングパーティーの模様を盗み聞きしたい場合を除いて、あんまりおススメできません。  さて、食事の面からいって、全般的にプリンスホテル系列はすべておススメできません。  もちろん、チェーンとはいっても、場所によってプリンスの格付けは違います。第一王子からボロキレ王子までいるわけですね。一端を紹介すれば、新宿プリンスは純然たるラブホテル、サンシャインプリンスは東南アジアから、薬品と電機製品を日本へ買い付けに来た人たちのためのホテル(サンシャインプリンスの登場で、池袋|界隈《かいわい》には実際に、薬局が激増しました)ですし、品川プリンスは全室シングルの完璧《かんぺき》なビジネスホテルですから、ちょっとお小遣いの足りない学生の人は品川プリンスに泊まって、エキストラベッドを入れてもらっちゃうテもありますけどね。  高輪プリンスと東京プリンス、この二つは一応最上位にランクされています。  東京プリンスは、一流作家先生とか政治家先生が、クラブのホステスや売れない女優たちとの情事に使うホテルです。特に、同伴出勤用に使うことが多いですから、夕方、ここのロビーで、じーっとしていると、意外な人が女の人と銀座方面へお出かけする姿を目撃することができます。  同じプリンス系列でも、これだけの違いがあるわけですが、まったく同じ部分もやっぱり、あります。  食事のまずさ、ですね。  カレーライスにしてからが、神田の三省堂書店の近所にある学生相手の食堂で出てくる、お皿に盛り上がっちゃったボールのような代物《しろもの》ですし、ミルクティーったって、ミルクを温めて持ってくることは決してありません。おまけになんと、リプトンやトワイニングのティーバッグを持ってきて、お好きなのをどうぞ、っていうのですから最悪です。  とにかく、何を食べてもおいしくない。食事が最高にまずいわけです。これには、業界ではほぼ公然といわれる理由があるということです。  プリンス系列の天皇・堤義明氏は、なぜか、 「ウチは外人客が多い。特に、アメリカ人が多い」  と思い込んでいるらしく、うまいものを出すことはない、と思っているのだそうです。  天皇はそれだけにとどまらず、 「ウチに来る客なんていうのは、まずいコーヒーのほうが好きなんだ」  と信じており、わざわざまずいコーヒーを出すように命じ、そのためにゾーキンを絞ったようなアメリカンコーヒーを作ることのできる機械を、何千万円もかけて、本場・アメリカから買って導入したというのです。これは、かなりの線で本当のことらしいです。  まあ、あまり悪口ばかり書くと悪いので、今度オープンする六本木プリンスの宣伝をしておくことにします。六本木にいよいよプリンスホテル・チェーンが進出することになったわけですが、ここもホテル・アイビスと同様、ラブホテル化することになりそうです。  チェーンホテルのなかでは、東急系のホテルについてもふれておきましょう。東急ホテル系列と東急インというのがありますが、両者はまったくの別もので、東急インというのは、東急ホテルチェーンの経営ではなく、東急電鉄の経営なんですね。  ですから、東急電鉄に入った幹部候補生が、ある日突然、マネージャーとして酒田東急インとか、盛岡東急インとかに飛ばされたりするわけです。ムードは推して知るべし、です。  東急ホテルチェーンの従業員は、まったく別採用ですが、ここもやはり、第一ホテル・チェーンと同様、東南アジアからの観光客が客層のメーンといっていいでしょう。  チェーンのホテルで、異彩を放っているのは、なんといっても東京プリンス。あとは高輪プリンスです。普通はチェーンというと、どこも同ランクに見られがちですが、東プリや高プリのコーヒーハウスには、なぜか慶応の塾高上がりの連中あたりが、女のコを連れてお茶している姿が、見受けられる点が、きわめて珍しいといわねばなりません。  同じ系列に、あのサンシャインや新宿プリンスがあるのに、どういうわけか、東京プリンスや高輪プリンスのコーヒーハウスに、慶応や立教の内部進学者が女のコと談笑している風景が見える。しかも、そこでは「ポットに入った紅茶」がないにもかかわらず、です。  これは、ホテル界の七不思議のひとつだと断言できるでしょうね。   キャピトル東急などはナカナカです  ホテルを選ぶファクターとして、全体のムード、部屋の調度、サービス、食事、客層などが挙げられますが、女のコと二人でラブアフェア用に使う場合、チェックイン、チェックアウトのカウンターが、どうなっているか、というのもポイントになります。  どういう配置になっていようと、無神経な人たちにとっては、まったく問題にはなりません。しかし、女のコと二人でホテルへ入ってきたとき、女のコをロビーに待たせておいてチェックインをすませ、また二人で部屋へ上がっていく——という一連の動きは、女のコに心理的なプレッシャーを与えます。いかにもラブアフェア、ということが、チェックイン・カウンター周辺の人たちには丸見えだからですね。  ここでも「プリンスは使えない」という評価になってしまうのは、プリンス系列では地下に駐車場のあるところがないので、女のコを車に待たせておいて、自分だけガレージからフロントにあがってチェックインする、ということができません。どこのプリンスでも、ホテルの正面から入っていかざるをえないわけです。ロビーはフロントの真ん前にあるので、従業員の視線を、彼女は一身に浴びてしまうことになります。最悪です。  その点、センチュリー・ハイアットであれば、地下駐車場へ車を入れて、チェックインをすませてから、もう一度、車の中で待っていた彼女のところへ戻ることもできますし、あるいは、女のコを「ブーローニュ」という喫茶店に待たせておいて、自分だけひとつ上の階のエレベーターで先に上がったら、コーヒーハウスに電話して、彼女に部屋番号を教えてあげるということもできます。  キャピトル東急では、チェックインとチェックアウトのカウンターが、エレベーターをはさんで両サイドに振り分けられています。  そういう点で最もいいのは、ホテル・オークラなんです。ここは本館でチェックインしても別館でチェックアウトできますし、もちろん、その逆もできます。チェックインのときも、アウトのときも、まったく別の棟のコーヒーハウスとか、駐車場に女のコを待たせておくことができるわけです。  ただし、フロントの連中が外人客には腰が低く、日本人客には高飛車だ、という傾向があります。この点が、まるで昔の東南アジアの植民地にあったホテルのような不愉快な気分を味わわせてくれます。  帝国ホテルは、というと、ムードは悪くありません。タワーのほうがおススメです。ところが、チェックイン、チェックアウトは、本館のほうでしかできないシステムになっていて、これが非常に不便ですね。  タワーの地下で食事しても、そのまま上へいくエレベーターがないんです。本館のほうへ戻ったら、二階へ上がってタワーへの連絡通路を通っていかなくちゃいけないんですね。  フロントの対応が生意気なオークラと同様、コーヒーハウスやレストランの従業員のサービスがなってないので、不愉快になるということでは、オークラとかなり争います。   部屋の指定は遠慮なくいたしましょう  ここで、ついでに予約とチェックインのことで注意事項を書いておきましょう。  いつの場合でも、フロントに電話を入れて予約をしておいたほうがいいのは当然のことです。予約なしで入ってチェックインすることをホテル業界用語で「ウォークイン」といいますが、お泊まりする予定はなかったのに、なんとなくその気分になっちゃって、夜なんかにいきなりフロントに行く場合、デポジット(預け金)を取られることになります。  つまり、夕方七時ごろにウォークインするとすると、それから食事をする可能性があるわけですよね。そうすると、二万円くらいの部屋だったら四万円くらい、チェックインの段階で置いておかなくちゃいけない場合があるわけです。九時以降だと三万円くらい、とか。なにしろ、予約なしの�夜の訪問者�なわけですから、信用度がいまいちってことなわけです。  だから、クレジットカードじゃない人の場合だと、部屋の料金プラス税金・サービス料金だけと思って行くと、デポジットがサイフの中身じゃ足りなくて赤っ恥をかくというケースも考えられるわけです。クレジットカードは、丸井のカード以外に、何でもいいから一枚でも持っていたほうがいいですね。  予約する場合は、特にいい方法なんて別にありません。ただ、部屋が満室で予約できないとき、親しくしている旅行代理店がもしあれば、そこから手をまわしてもらう、という方法がありますね。旅行代理店の営業マンが仲良くしているホテル側の営業マンがつねに押えている部屋数って、必ずあるものなんですよね。  それから、女のコの「声が大きい」場合などは「角の部屋」と指定したほうがいいかもしれません。こういうことは、ちゃんというべきでしょうね。  それから、シングル、ツイン、ダブルの使い分け。もちろん、二人で泊まるのならダブルが一番いいでしょう。シングルを取って、二人で泊まっちゃえ、というセコい手に出ても、往々にしてバレます。若い男がチェックインすると、ホテル側では、 「これはラブアフェア使用じゃないか」  という疑いの目を、まず向けて見るものですから、ロビーに女のコを待たせておいて、一緒にエレベーターに乗ったりすると、即バレます。  ダブルを借りるお金がどうしても足りない、という場合は、ツインルームのシングルユースという手がありますが、これもバレないようにやらないといけません。シングルは部屋数が少ないので、外国からのビジネスマンが、一人で泊まる場合に、ツインルームを提供するということがよくあります。これだと、シングルとツインの間くらいのレベルの料金になりますが、たとえ、うまく部屋に二人で入れたとしても、ルームサービスを二人分受けることがむずかしくなります。  たしかに、一泊二万円ちょっとというのは、安くはありませんが、でも、ホテル恋愛を楽しんでみたいですね。前にも書いたように、ホテル空間というのは、生活から切り離されている、ということが大きな意義なわけですから、金の心配をするくらいなら、もう少し余裕ができるときまで待ったほうがいいでしょう。  月に一回でもいい。三か月に一回でもいい。ホテルに女のコと二人で行って、昼間から夜、深夜、翌朝から正午くらいまで、生活感を払拭《ふつしよく》した形で、ゴージャスに遊ぶ、というのが理想形ですね。  こういう遊び方ができると、普段は別に、二人で一〇〇〇円のごはんでも、まったく気にならないんですよね。ボクも学生時代はそうだったし、いまだって霞《かすみ》町あたりの定食屋みたいなところで、お腹一杯になって千円未満のごはん食べてますよ。別に恥ずかしいことないわけです。安いものを食べても、惨《みじ》めったらしくならないですむ。  それは、自分に余裕がある、と思い込んでるからです、自分自身でね。  ホテルへ行って、生活切り離して遊ぶっていうことが、普段の生活のリフレッシュになってるわけです。心豊かに、十分に余裕がある、という状態でなければ、恋愛を楽しもうというムードには、なれっこありません。ホテル恋愛は、その恋愛自体だけではなく、その次の恋愛の「芽」を育てるためにも、非常に有効だ、ということができるわけです。   ベッドではサービス精神を忘れずに  ホテルを最大限に利用してラブアフェアを楽しむには、なによりも「よそ行き顔」をすることがポイントです。渋谷のラブホテルへ行って、セックスだけをする楽しみ方とは、ひと味もふた味も違った心構えで取り組んでほしいものです。  たとえば、セックスそのものについても、それは単に、お互いの性欲を解消し合うといったものではなく、生理的、精神的、つまり性的な喜びを、互いに高め合うこと、という考えに立ってほしい、と思います。  ボクは、精神的な結びつきも、肉体的な結びつきも、どちらかが上位でもう一方が下位にある、というようなものではない、と思っています。精神的な高まりも、肉体的な高まりも、どちらも同じように価値がある、ということですね。  ただし、「高め合う行為」とはいっても、それは、あくまでも「楽しさ」を伴ったものでなければなりません。「汗水を流して必死になって」高め合うのでは、せっかくの楽しみが、シンキ臭くなりますね。もちろん、「よそ行き顔」どころではなくなります。  こうした「純文学的」「ラブホテル」「六畳一間」的な状況を、回避するための注意事項を考えてみましょう。  基本的に、セックスは、男のコが女のコに奉仕してこそ成功する、ということを念頭においてください。恋愛においては、男のコはみんな、ナイトでなければならない、ということ同様、この鉄則を守ってほしいですね。男性の生理的機能という事情で、セックスは「男のコが最後までいってしまうこと」によって、とりあえずの終結を迎える営みなわけですから、その区切りをコントロールできる立場にいる男のコの側が、二人の営みそのものをコントロールし、進行したほうがいいのは、当然です。  女のコが主導権を握り、徹底的に男のコに奉仕する形でのセックスも、ありえないわけではないでしょうが、これでは、女性はふいに終結を迎えるようになり、二人のリズムはうまく合わせられません。それに、なんだかソープランド嬢とお客さんの関係みたいにも、なっちゃいます。  男のコがビギナーの場合も、二人のリズムをうまく合わせられないケースはあります。キャリア不足が、引き起こす悲しい事態ですが、「研修期間」にはありがちなこと。しばらくは、しようがないでしょうね。  でも、男のコが女のコに奉仕する、というのは表面的な、便宜上のことというよりも、むしろ性愛構造上の原則なのですよ。男のコは、自分を律しながら、女のコに仕え、女のコの反応を観察し、それが自分自身の喜びになってフィードバックしてきて、おまけにそうすることで、二人のセックスそのものをコントロールすることもできるからです。  次に挙げる点は、お互いに、事前に、自分の体を清潔にしておく、ということです。  爪は短く切っておく。男はヒゲを剃《そ》っておく。体は全身くまなく洗う。足の指の間だって、もしかしたら、ペロペロちゃんするかもしれないんだから、忘れずに洗う。もちろん、お互いの一番微妙な部分は特に、念入りに磨いておく。  でも、まれには例外もあります。男のコのなかには、 「彼女の腋《わき》の下の匂《にお》いがたまらん!」  という人もいるでしょうし、さらには、 「匂いのある部分が好きだなあ」  とかっていう人もいるようです。それに、女のコのなかにも、 「汗の匂いのする彼に抱かれると、ボーッとなっちゃうんです」  というタイプもいるみたいですからね。  こういう場合は、お互いに情報交換しておいて、適宜対応すべきでございましょう。  要は、一緒に寝るとき、気持ちいいように配慮するということですね。ボクはやっぱり、シャワーを使い、耳の中もお掃除して、歯も磨いたあとで、ペロペロちゃんやグリグリちゃんをしたほうが、いい気分になれると思いますね。 「いい気分」の演出として、忘れがちなことに、室内での男・女のやるべきサービスがあります。これは、ある程度、男女で「分業」したほうがいいのかもしれません。  お風呂《ふろ》に入るのは、女のコを先にしたほうがいい、と思いますね。ちょっとした理由があるんです。  女のコが先にバスを使っている間に、男のコのほうがベッドのカバーを取っておけるからですね。やはり、セックスをリードするのは、あくまでも男のコですから、ベッドカバーを取るというスタートは、彼の仕事だからです。また、あとから彼がバスルームから出てきたときに、女のコが先にベッドに入っていると、実際以上に、彼の目からはあなたのことがかわいく見えたりする利点もあります。首だけをチョコンと出して、白い毛布にくるまれている女のコって、白クマちゃんのようで、思わず、ドキッとしちゃうでしょう。  また、男はベッドカバーを取るほかに、バスルームのドアのところに、女のコのためにスリッパを出しておいてあげるとか、洗面所のところにバスローブを用意しておいてあげるとか、そのくらいのマナーを守るといいかもしれません。  一方、女のコのほうも、何もしないのはいただけませんね。あとから入ってくる男のコのために、自分が使ったバスタブのお湯を抜いて、きれいにしたら、新しいお湯を入れてあげておいてください。でも、こういうことが、できてない女のコって、意外と多いんですよね。  さらに、男のコがバスルームに消えたら、二人の脱いだ衣類を、ハンガーにかけてクローゼットに収納するとか、細かいことにも目を配ってほしいものです。  バージンではない、ということは、一応、彼としてもわかっているのですから、必要以上に恥ずかしがられると、かえって興醒《きようざ》めします。女のコは、初めから大股を開いて、マグロのように横たわってさえいなければ、むしろ明るく振るまったほうがいいでしょうね。とにかく、ごく自然にやったほうがいい。  それと、男のコの技術にかなりの難があったとしても、それに合わせてあげる、ということも、女のコには必要です。 「もっと深く入れて」 「もっと激しくできないのォ?」  などといって、立ち直れない男のコを作る愚は避けましょう。だれしも、最初から上手な男はいないんです。稚拙である、ということは、その男のコが初々《ういうい》しいということだ、と無理にでも思って、そういうことばが口をついて出そうになるのを、理性でおしとどめてください。男がヘタであればあるほど、あなたには理性が十分、残っているはずです。なぜって、あんまり、感じ始めていないのですから。  男のコにいっておきたいのは、 「基本的には、荒々しいセックスは、上手なセックスではない」  ということです。 「インサートする前に、一時間くらい、ゆっくりと愛撫《あいぶ》するようなセックス」  こそが、女のコの喜べるセックスだと心がけることが必要なのかもしれません。それも、汗ベトベトな感じではなく、あくまでも、ゆっくりゆっくり、たんねんに、ガラス細工を扱うような感じで愛撫するのです。中に入ってからも、 「激しいピストン運動が大好き」  という女のコは、性的に開発途上の場合がほとんどでしょう。本来は、 「ていねいなグリグリちゃん」  とかですね、 「カレが当たる中の壁面が、微妙に変わるようにする」  とか、こういうことのほうが、なによりも大切です。  女のコのほうも、 「ステキだわ」  と思ったら、感じたことを素直に、声に出していうべきです。 「ああ、いいわァ」  ただし、あんまりヒーヒーと大声を出してしまうのも考えものです。男のコによっては、声の大きい女のコなんてイヤ、という人もいますから十分にケアしてください。  さてさて、このように、セックスの渦中《かちゆう》にあっても、男のコと女のコは、かくなる駆け引きをやっているわけです。実に複雑で、素晴らしいゲームじゃないですか。  シティーホテルを舞台に演じられる「よそ行き顔した恋愛」——これは、いまのあなたの生活に強烈なアクセントをつけ、恋愛を、人生をリフレッシュするに違いありません。   キャピトル東急を小説で使ってみました  それではここで、ホテル恋愛の現場をちょっぴりノゾいてみることにしましょう。次に長々と引用したのは、ボクの短編集『葉山海岸通り』に収められている小説『ヒルトン・ホテル』から、抜粋したものです。去年の暮れまでヒルトン・ホテルだったこの場所は、今年から、キャピトル東急ホテルと名前が変わった、ボクのお気に入りのホテルです。     ●  ≪ヒルトン・ホテルの客室は、障子窓《しようじまど》になっていた。近くのビルの上に取り付けられた赤や黄色のネオン・サインの光が、デフォルメされた色合いで、部屋の中へと射し込んでくる。その薄明りの中に、二人掛けのソファーと小さなテーブル、そして、壁際に作り付けになった、アメリカン・スタイルのライティング・デスクが見えた。  それは、私のボーイ・フレンドの耕一がアルバイトでためたお金を使って連れていってくれた、四谷や西新宿にある高層ホテルの客室とは、まるで違った雰囲気だった≫  ≪振り返ると、私の後ろから部屋の中に入った湯浅君は、廊下側のドア・ノブに "Don't Disturb" の札を掛けていた。ドア・ロックをしながら、チェーンも一緒に掛けると、今度は彼が私の方へと振り向いた≫  ≪入口に立っていた時には、バス・ルームの壁の陰になって見えなかったベッドには、苔色《こけいろ》をしたベッド・カバーが、掛かったままになっていた。ピローの上の壁は、クリーム色をした他の部分の壁と違って、日本的な模様の壁紙が貼《は》ってあった。  鈍い銀鼠色《ぎんねずみいろ》をしたその壁紙には、ところどころ、乳白色をした、まあるい円型の模様がある。小さな頃に食べたことのある蝦煎餠《えびせんべい》を、少しだけ大きくしたくらいの模様。  ——どこかで見たことあるわ、この模様——  彼は、私の鎖骨に沿って、舌の先を動かす。背骨のあたりに、ジワーンとした感じが襲ってくる≫  ≪「このホテル、使ったの、はじめて?」  バス・ルームから服を着て出て来た彼は、両手を首の後ろにまわして、ブレスレットと同じデザインのネックレスのホックを留めながら言った。麻のパンツの上には、細いピン・タックの入ったワイド・スプレッド・カラーのシャツを着ている。 「下の和食堂で、食事をしたことはあるけれど」≫  ≪ライティング・デスクの前にあったイスの向きを反対にすると、彼はそこにすわった。そうして、なめし革でできた、多分、イタリアのラリオあたりの上等な靴をはいたまま、足をベッドの上に投げ出した。  ——信じられないわ。こんなお行儀の悪いことを、初めて会った女の子の前でするなんて—— 「いつでも、このホテルを使ってるんだ、このごろ。知ってる人に会う確率が少ないからね」  ビールを飲みながら、彼は話し始めた。 「外人客と永田町界わいのおじさんが多いじゃない。あんまり若い人って、来ないからさ。夕方に会社帰りのOLなんかが、ケーキを食べに来るくらいで。だから、芸能人でも、お忍びで使う連中って多いんだよ、このホテル。たとえばね、……」と、すぐに何人かの芸能人の名まえを挙げた。その中には、清純なイメージで売っている若手歌手の女の子もいたから、私はびっくりした。 「それにさ、このホテルって、障子窓じゃない。カーテンよりいいんだよね。昼間でも真っ暗になるから」  別に、私が聞きもしないのに、彼は一人でしゃべっている。 「障子ともう一枚、和紙が貼ってある板で出来た戸が付いているからね。明るいとイヤだなんていう子と来ても、平気だし」  ——一体、どういうつもりなんだろう——≫  ≪振り向くと、彼は、さっきと同じように足を投げ出したまま、ビールを飲んでいた。  ——やっぱり、湯浅君と私は、付き合っていけそうもない。いくら、いい車に乗っていても、素敵なレストランに連れていってくれても、そして、将来性があるとしても。性格や感覚が合わなくちゃ、仕方ないもの。それは、ブレスレットをつけて明美と一緒に私のところへやって来た時から、わかり切っていたことだったのに。なのに、こうしてヒルトンの部屋までついて来てしまった。別に、耕一に対して、何か不満があったわけでもないのに——≫  ≪街灯もないホテルの下の通り沿いには、国会議事堂前駅の入り口がある。残業帰りのサラリーマンやOLたちが、地下の改札口へと続く階段を降りていく。蛍光灯で明るく照らされたそこだけが、タイム・トンネルの入り口のように見えた。  振り返ると、ビールを飲み終えた彼が、部屋に入った時にしたように、肩をすくめながら、笑っている。  ——帰りは、タクシーで帰ることにしよう——  そう思いながら、私は、そっと、障子を閉めた≫     ●  物語は、男女共学の大学に通っている二年生の主人公が、高校の同級生だった女子大生・明美に誘われてディスコパーティーへ行き、医科大生の湯浅君に誘われるまま、BMW633CSiで、ヒルトン・ホテルの一室にきてしまった、というものです。  彼女は、かなり真面目《まじめ》なほうなのですが、主人公には耕一という恋人がいます。彼はどうやら、湯浅君とは経済レベルが違う普通の大学生のようだけど、別にケンカしてるわけでもなければ、嫌いになったわけでもないのです。  明日の授業では、何ごともなかったように耕一と顔を合わせ、一緒に昼食を食べることになるのだけれど、なぜか、今、彼女は、湯浅君とヒルトン・ホテルの一室で、ベッドの上の行為までしてしまっているのです。  ここにはホテル恋愛のステレオタイプがありますね。と、いうことはつまり「よそ行き顔した恋愛」がある。それと同時に、主人公は、いまや「並行恋愛」、もしくは「ブティック恋愛」に目覚めようとしています。ワンステップを踏み出そうとしている女のコの姿が、そこには見てとれます。ここまでの「おさらい」として、もう一度、じっくり読んでみてください。もちろん、短編集に載っている本編のほうを、ですよ!   デートコースを選ぶセンスが大切です  ホテル恋愛は、ボクの理想とする恋愛パターンの、エッセンスみたいな形になってるわけですが、通常、女のコとデートするとき、いつもいつもセンチュリー・ハイアットに泊まるわけにもいきませんよね。日常を離れたところに存在したはずの「ホテル恋愛」それ自体が、マンネリ化するのが怖いし、それに、そうそう長時間会うこともできない、何度も外泊はできない、というケースも多いと思います。  会ったときはいつもホテルを使う必要もないわけで、朝に会って夜までとか、昼間の四、五時間とかのデートも、十分に楽しめるはずです。  というわけで、ボクの好きなデートコースを、註釈《ちゆうしやく》をつけながら、いくつか紹介しましょう。  かなり洗練されたデートコースですが、だからといって、みんなで大挙して押すな押すなのコースにしてもらっても、ちょっぴり困ってしまいます。  つまり、都内の有名デートコース案内、として見ずに、「デートコースは、こういう考え方で作る」というサンプルとして受けとってほしいわけです。  なんにせよ、絶対にコレしか似合わないというのが決まってしまうと、非常に窮屈なものでしょ? 自分のデートコースは、自分で考える——これも、自由に恋愛を楽しむポイントなんじゃないでしょうか。  でも、まあ、ボクの推薦するコースを、全部なぞるんじゃなくて、参考にしながらアレンジを加える、というのはいいですよ。発展的です。みんなも、創意工夫に富んだ「デートコース・マップ」作りに励んでみてはどうでしょうか。  ボクのデートコース上にあるお店や場所は、ちょくちょくボクの書く小説のなかにも登場してきますので、その部分の引用をつけてみました。もう、『なんとなく、クリスタル』や『ブリリアントな午後』や『葉山海岸通り』あるいは、最新刊の『たまらなく、アーベイン』を読んでしまっているという立派な読者は、飛ばし読みして、次の章から読み出してもいいですよ。でも、まだ読んだことのない人は、この章の残りを丹念に読めば、ぼくの小説世界が早わかりできます。とっても便利なのです。  まず、昼間の三、四時間をフルに楽しむデートコースを紹介します。  山手線の目黒駅、権之助《ごんのすけ》坂の上り一方通行の途中のところにある「ウエスト」という喫茶店で待ち合わせをします。ここはワンフロアのわりとゆったりとしたお店で、まずはここで落ち合って、お茶をしてから出発します。  そこから白金《しろかね》方面に向かって歩いて行きますと、都立の「庭園美術園」があります。庭とか建物がいいんですね。それからそこの横の「自然教育園」へ入りましょう。ここには一定の人数以上は入れませんから、静かですし、なかには木がいっぱいあって、晴れた日なんかは、かなり、いい気分にひたれます。  白金から天現寺に向かってゆっくり歩いて行き、天現寺を右へ行けば、広尾《ひろお》に出ます。広尾では「フローイン・ドリーヴ」というパン屋さんがあるので、ここでおみやげのパンを買うといいですね。  このパン屋さんはドイツ系のパン屋さんでして、その昔、総理大臣だった吉田茂さんが大好きで、神戸にある本店から毎日取り寄せていたそうです。そのころは、このパン屋さんは神戸にしかありませんでしたから、なかなか大変だったようですね。  広尾の有栖川《ありすがわ》公園の手前にある、「クレルモン・フェラン」か「エバンタイユ」というケーキ屋さんに入って、ひと休み。それから「有栖川公園」をグルッとひとまわりしてもいいし、近くの「ナショナル麻布ストア」というマーケットで買い物をしてもいいです。外人客が八割以上を占めるここは、見るだけでも楽しいマーケットです。  それから有栖川公園の上のほうから出て、仙台坂上から暗闇《くらやみ》坂方向へ歩いて行きますと、左側に「西町インターナショナルスクール」があります。平日だと、外人の子どもたちが髪の毛をキラキラ光らせながら楽しく遊んでいるので、見物しながら、うっそうとした感じの暗闇坂を下ります。  下りたところが「麻布十番商店街」になってます。「鯛焼《たいや》き屋さん」とかがありますから、ちょっとノゾくなり、買って食べてみるなりして、十番から鳥居坂を上って六本木へ向かいましょう。  六本木に着いたところまでで、休憩時間も入れて約三時間の行程です。ずいぶん歩いたから、多分、お腹も空いてることでしょう。ごはんを食べて帰るわけです。時にはこんな感じのごはんのメニューはどうでしょうか。  ≪たまには大衆食堂へも入ってみる。  六本木食堂は、夕方出かけてみるといい。防衛庁から退庁してきたばかりのオジさんや、これから仕事に入るウエイターの人たちが、黙々と食べている雰囲気がたまらない。マカロニ・サラダ、さば味噌煮《みそに》、メンチカツ、冷奴と、各種並んだカウンターから取ってきて食べる。学校のカフェテリアで、どれにしようかと選ぶ時とはまた違ったスルドさがある≫(『なんとなく、クリスタル』)  それからもうひとつは、千代田線の千駄木《せんだぎ》で降りて、千駄木から首振り坂という坂を上って行くコースですね。  谷中《やなか》のほうに向かって行きますと、「いせ辰《たつ》」という千代紙屋さんがあります。実に、このあたりの気分でしょ。もうちょっと行くと、駄菓子屋さんが結構あって、一〇円のラムネとか、そういうのが、いっぱい売られています。  坂の途中、右側には「大名時計博物館」というのもありますから、ちょっぴり見学してみましょう。ほかにも「朝倉彫刻館」というのも、近くにあります。おまけに、あたりにはお寺が多くて、夕暮れ時に歩くと山田|耕筰《こうさく》の世界にひたれそうです。  そうして行きますと、日暮里《につぽり》の商店街に出るわけです。日暮里駅のそばには「羽二重《はぶたえ》団子」という名物がありますし、上野の東京芸大の横まで足を伸ばせば「桃林堂《とうりんどう》」というお茶菓子屋さんがありますので、お茶をするのもいいでしょう。  そこから、上野の美術館めぐりをやってもいいし、夕方になっていれば、食事をします。  上野だったら「ポンタ」のトンカツ。浅草だったら「大黒屋」の天ぷらという手もありますが、おススメは河金《かわきん》です。このお店では、「百|匁《め》トンカツ」とか「二百匁トンカツ」というバカデカいトンカツを食べさせてもらえます。  このお店は昔の浅草国際劇場の裏あたりに位置していまして、踊り子さんなどもよく食べに来たとか。江利チエミさんなんかは、生前、好きだったそうで、よくいらっしゃったみたいですね。  トンカツだけでなく、ここのポテトコロッケというのも人気で、丸いやつなんですが、箱に入れておみやげにすることもできます。キャベツの千切りとソースもついてくる、という豪華版のおみやげになります。  口直しは、浅草だったら「アンジェラス」かなんかで、ケーキを食べておしまい。そこから帰るわけです。これも三、四時間のコースでしょうね。ボクの小説でいえば、こんなふうになります。  ≪浅草は、何度行ってもあきない所だ。大黒屋の天ぷらは、衣が薄黒いのがなんともいえないし、花屋敷のジェット・コースターは、これぞ昔のジェット・コースターというクラシックさが、なんともまぶしい。  千駄木から谷中、日暮里にかけてのあたりも、なんともいえない良さがある。鴎外記念図書館のある団子坂を、まず歩いてみる。次には、不忍《しのばず》通りを横切って谷中へと、歩いて行くのがいい。いせ辰で、ブック・カバー用にと江戸千代紙を買ってみる。谷中せんべいをほおばりながら、お寺めぐりもしてしまう≫(『なんとなく、クリスタル』)   半日ぐらいのコースを考えてみました  夕方からのデートであれば、南青山の「ヨックモック」あたりで待ち合わせて、近くの「ダイニーズ・テーブル」まで歩いて行って中華料理の晩ごはんを食べるとか、それから六本木のディスコへ繰り出しても、いい。  六本木のディスコだったら「レヴェ・ジャポネスク」か、麻布十番の「マハラジャ」、軽く飲みたければ「バー・アンド・カンパニー」が南青山のフロム・ファーストビルの地下にあるし、乃木《のぎ》坂にある「ベラ・ブルー」、六本木まで行かなくても、高樹《たかぎ》町「ダイニーズ・テーブル」の向かい側に、「デアクランツ」というお店もあります。これまた、ボクの小説でいうとこんな風になるのです。  ≪それから、私たちは高樹町にあるチャイニーズ・レストラン、ダイニーズ・テーブルで夕ご飯を食べることになった。  中華料理というと、朱塗りの丸いテーブルにぐるりとみんなですわって、という感じが多いのだけれど、このダイニーズ・テーブルは、常磐色《ときわいろ》をしたテーブル・クロスの上に、柑子《こうじ》色のガーベラの花を浮かべたグラスが置かれた、とても、中華料理店とは思えない雰囲気をしている≫(『ブリリアントな午後』)  ≪防衛庁前のT字路を青山墓地下の方へ向かうと、途中に米軍の新聞、ザ・パシフィック・スターズ・アンド・ストライプスの編集部の建物がある。それで、スターズ・アンド・ストライプス通りと、近頃では呼ばれている。ミント・バーは、その通り沿いのビルの地下にあった≫  ≪ミント・バーは、その名の通り、ミント・リキュウルを使ったカクテルが、数多くメニューに載っていた。脚の長いイスが幾つも置かれたカウンターの他にも、立ち飲みをする場所が、反対側の壁際にある。流れている音楽は、五〇年代のヒット曲ばかり。カウンターの端にあるテレビでは、古い白黒映画をいつでもやっていた≫(『首都高速』)  ≪ハッシュド・ビーフが少し辛すぎたので、口直しにケーキが食べたかった。でも、彼は甘い物がそんなに好きじゃないらしくて、防衛庁の向かい側にある、キャッシュ・オン・ディリバリー・スタイルの店、ハリーズ・バーへ行こうと言った。  細長いテーブルに二人で横に並んで、バックギャモンを始めた。西海岸のグループ、アンブロージアの「ビゲスト・パート・オブ・ミー」が、かかっている。黄昏時《たそがれどき》に夕陽の沈む方向へと、ハイウェイを車で飛ばしながら聴いたら、ピッタリなグループだ≫(『なんとなく、クリスタル』)  渋谷がいい、という向きには、待ち合わせ場所は「チャールストン・カフェ」か「リンリーズ」。それから「シスコ」のレコード屋さんを見たり「東急ハンズ」をのぞいてみたりしたあと、代官山までお出かけです。 「ヒルサイド・テラス」の中にある、ビギが経営している「ラ・ポム・ヴェール」でケーキを食べて、食事は代官山駅近くの「フラッグス」でとりましょう。  このお店は、二人でいくら食べても八〇〇〇円くらいのフランス料理屋さんだから、かなりのおススメ、ですね。  ≪チャールストン・クラブには、チャールストン&サンと、チャールストン・カフェという、二つの姉妹店があった。それぞれ、六本木のロア・ビル裏手あたりと、渋谷の東急ハンズ向い側にあるカフェ・バーだ。高校生や大学生の間で知らない子は、もう、それだけで、かなり遅れていると思われてしまうくらいに有名だった≫(『六本木チャールストン・クラブ』)  ≪たまには、フュージョンに強い原宿のメロディ・ハウスや、渋谷のシスコでロックものをのぞいてみる。音楽好きの淳一は、高田馬場《たかだのばば》のオパス・ワンでマイナー・レーベルものを捜したり、なんと井《い》の頭《かしら》線に乗って吉祥寺《きちじようじ》は芽瑠璃堂《めるりどう》まで、カット盤を求めて出かけることもしている≫(『なんとなく、クリスタル』)  もっと時間を使った半日コースだと、やっぱり、車が欲しいですね。それで湘南《しようなん》方面にゴールデンデートといきましょう。  車で、東名から横浜横須賀道路を通って、逗子インターで降りたら浦賀、三浦海岸のほうへ抜けます。そうすると、東京電力の火力発電所があって、それがなぜか『2001年宇宙の旅』的なシロモノみたいに見えて、面白い。三崎口のほうへ行く道との分かれ道が出てきますが、そっちへ行かずに三浦海岸沿いの道をずっと進んで行きますと、剣崎《けんざき》という、三浦半島の南端に到着します。  そこから、今度は、三浦半島の反対側、つまり西側を戻ってきますと、途中に「三戸浜《みとはま》」というところがあるんです。ここは、非常にいいんですね。岩場がゴニョゴニョッとありまして、すごい、ノルマンディー的な感じの海岸なんです。ここで、持ってきたお弁当といきたいですね。  で、帰りには葉山の「ラ・マレ」で夕食をとって、さっききた横浜横須賀道路で戻りましょう。「ラ・マレ」というのは、「日陰茶屋」という料亭がやっているフランス料理のお店です。経営してるのは、マリ・クリスチーヌの旦那《だんな》さんです。海沿いにあって、夕暮れ時に、遠くを走るヨットを見ながら食事をしていると、最高の気分になれます。  それで東京に帰ってきたら、首都高速の用賀《ようが》出口を降りて、世田谷区は代沢《だいざわ》の国立小児病院のそばにある「〓」という一軒家スタイルのバーに寄って、お開きにしましょう。   一日コースは素敵な庭から始めます  丸一日コースですと、ボクだったら、まず、「畠山記念館」とか「原美術館」とかいうあたりから始めますね。  原美術館は庭もいいし、アール・デコ調の建物もステキです。白金台にある畠山記念館のほうは、荏原《えばら》製作所が作ったもので、お茶の道具なんかが飾ってあります。隣には、般若苑《はんにやえん》という料亭っぽいお店もあって、おまけに庭がすごくきれいなんですよね。  で、そこらを見て、車で「キャピトル東急」まで行って、そこの「欅《けやき》グリル」かなんかで、お昼にします。昼食どきはサラリーマンなんかでいっぱいですが、一時半ごろになると、もう、ガラーンとしちゃいます。  それから、どこへ行きましょうか。  あとは車で、荒川の土手のほうに行きたいですね。エーッ、荒川の土手だって? なんてバカにしちゃいけません。豊島五丁目団地を左側に見ながら、赤羽の岩淵《いわぶち》水門のあたりまで行くんです。ここらは、荒川河川敷ゴルフ場があったりするんですけど、岩淵水門のとこに、小さなほこらみたいな神社があるんですね。そこは、もう、昼間でも、完全に時間が止まったようなところなんです。のんびりとしてね。  それから都心まで帰ってくるとか、あるいは、王子のあたりで古河庭園とか、駒込《こまごめ》の六義園《りくぎえん》に寄ってみるとか、ね。晩ごはんは、まあ、どこでもいいでしょう。このあたりのコースについては、こんな風に小説のなかで書いています。  ≪車は、御殿山交差点を左へ折れた。五十年代から六十年代にかけての現代美術の作品を展示した原美術館は、道路沿いに続くユーゴスラビア大使館の白い塀がとぎれたところにあった。  門を入った左手に車を停めて外に出ると、プーンと、甘い軽やかな匂いがした。見ると、駐車スペースのはずれに、何本もの金木犀《きんもくせい》の木がある。私はそばに寄って、そっと、手で枝をつかむと、少し赤みがかった黄色をした花の匂いをかいでみた≫  ≪狸穴坂《まみあなざか》のマンションを出る時には、かなり降っていた雨が、古川橋、清正公前を通って高輪台の交差点に近づくにつれ、小降りになってきた。ゆるやかな上り坂になった交差点を、手前右に曲がると、住宅街の中の細い道になる。左右にくねったその細い道をしばらく行くと、真ん中に大きな櫟《くぬぎ》の木の植わった、美術館の駐車場があった。  ニューヨークから帰ってきて初めて、完全に仕事がオフになった木曜日の昼すぎ、私は畠山美術館を見に行くことにした。白金台にあるこの美術館へは、学生時代にも一度、同じクラスだった女の子と一緒に来たことがある≫  ≪公園脇にある水門のところで、車を降りた。水門には、岩淵水門と書かれたプレートがついている。ちょうど、この水門を境にして、荒川から別れた隅田川が始まっているみたいだ。私たちが通ってきた土手は、ここでとぎれて、道は水門の上を通って、向こう岸の赤羽へと通じている。(中略)  フーッと息を吹きかけて、細かな砂をベンチの上から吹き飛ばしてしまうと、私たちは二人並んで腰を掛けた。 「いいところね、静かだし、それに、のんびりとして、牧歌的な感じもするわ」 「ね、穴場でしょ。みんな知らないから、このあたりは」≫(『ブリリアントな午後』)  夜に横浜あたりへお出かけすると、車で出かけて、中華街でごはんを食べてから、本牧《ほんもく》のほうにある「リキシャ・ルーム」というバーへ行くか、あるいは、山下公園の近所にある「スカンディア」にしてみる。 「スカンディア」は、名前のとおり、スカンジナビアのお料理とバーになってます。  昼間のうちに横浜に行っちゃってた場合は、山下公園の向かい側にあるシックなホテル「ニューグランド・ホテル」でお茶してから、本牧、元競馬場のあたりにある米軍の住宅のあるあたりとかを、グルグルまわってみるのもいいです。芝生が一面に生えている中に点在する米軍住宅を見ていると、なんだか日本の中の異国へきてしまったような気持ちにさせられます。  ≪外の白い壁に、ブルーのネオン管で大きな人力車が描かれて、その横に、同じ色のネオン管で、Ricksha Room という文字が書かれたリキシャ・ルームは、本牧|埠頭《ふとう》のそばの小港《こみなと》町にあった。  タイプライターが載った木製のデスクと書類戸棚、それに、ゴムの木の鉢植えが中に置かれて、横文字でインシュアランスと書かれたガラス張りの、ちょうど、アメリカの田舎町のメイン・ストリートによくある感じの保険代理店の事務所が、横に並んでいる。道路をはさんだ反対側には、米軍基地の金網が続いている。ネオン管の青白い光りに照らされただけの、街灯もないひっそりとした通り沿いに車を停めると、藍鼠色《あいねずみいろ》に塗られた重いドアーを押して、中へ入った。  最初は、何もわからないくらいに薄暗かった店の中が、目が慣れるにつれて、しだいにはっきりと見えてきた。奥の方には、古いテーブルがいくつかあって、二組ほどのお客が食事をしている。私は、その横にある、バー・カウンターの椅子に腰掛けると、ビールを頼む。その昔は、米軍兵や船員たちで、ごった返していたに違いないバー・カウンターには、私の他には誰もいなかった≫(『ブリリアントな午後』)  たとえば、そうですね、青山はキラー通りにある「ラ・パタータ」って地中海料理屋さんあたりとかで食べて、それから横浜へ行こう、ということになったら、首都高速の横羽線をずーっと行って、東神奈川ランプで降りれば、左に曲がってしばらく行ったところに「スターダスト」というバーがあります。  それから、少し東京寄りには「大黒埠頭」という自動車輸出用の埠頭があるんですが、そこへ行く途中にある橋が、釣鐘形の感じで、彼の車で走っていくと、なんだか、ジェットコースターみたいな気分も味わえて面白いです。で、大黒埠頭のなかをグルグルしてきて、帰るというのもいいでしょう。  一泊旅行で、ということなら、渋く、箱根なんてどうでしょう。  箱根には、「富士屋ホテル」という日本最古のホテルがあります。また、富士屋ホテルの反対側にある「奈良屋旅館」もいいでしょう。奈良屋のほうが、庭が広くてきれいだから捨て難いスポットです。  軽井沢にお出かけする場合、普通「プリンスホテル」になるんでしょうけど、ボクはホテル「鹿島の森」をおススメしちゃいます。あんまり人のいないほうが、軽井沢の本当の良さが、わかるかもしれません。雨上がりの軽井沢や紅葉の軽井沢は、オセンチな気分を増大させてくれます。  まあ、箱根にしても、軽井沢にしても、車で行く一泊旅行として、ということですが、新幹線で行くつもりなら、京都あたりもいいかもしれません。「湯豆腐」のおいしい「俵屋旅館」という、これまた由緒ある旅館があります。ボクの短編に俵屋旅館を書いたものがありますから、ちょっと見てみましょう。  ≪——楽しい二日間になりそうだわ、と思っていたのに、これじゃ、先が思いやられるわ。  そう思いながら、一人、タクシーに乗って俵屋に着いた。勝久は、机に向かって原稿を書いていた≫  ≪「檜《ひのき》のお風呂だから、気持いいよ。一緒に入っておいで、広いから」  原稿が一段落したらしくて、浴衣《ゆかた》を手に持って、次の間の横にあるお風呂へ入りに行った彼が、一人きりになった客間で所在なげに、両手の指を組んだり外したりしていた私に声をかけた。  タオルで体を隠しながら浴室に入ると、 「檜のお風呂ってね、お湯が冷めにくいんだよ。ふたをしておけば、次の朝まで、温ったかいままなんだ」  そう言いながら、まだ、桶《おけ》にすくったお湯も浴びていない私の体にキスをしようとした。 「ダメよ」≫  ≪彼は、和食を食べたいみたいだ。私はといえば、今は、あまり、天ぷらを食べる気が起きなかった。朝食に、湯豆腐が出たからだった。特別に作られた木の桶に湯豆腐が入っていて、それが珍しかったせいもあってか、いつもは、オレンジ・ジュースを飲むだけの私は、ご飯と一緒に湯豆腐を全部、食べてしまった。まだ、それほど、お腹が空いていない≫(『京都俵屋旅館』)   ワンパターンのコースはあきがくる  どうです? ここまで見てきて、デートコースがあなたなりに、イメージできたでしょうか?  すでにお気づきだと思うんですが、デートコースや、二人で行く旅行で訪ねるところは、名所旧跡ってわけじゃありませんし、立ち寄るお店は、必ずしも権威があって、しかも値段の高いところばかりではありません。旅の楽しみ方でいえば、大急ぎで名勝、景勝をグルッとまわって帰ってくるやり方、じゃなくて、わりとゆったりした感じのいいホテルがあって、そこでのんびりとする。近くにはあなたの目を楽しませてくれるような庭があって、そこらあたりを彼と一緒にブラブラする、という楽しみ方なわけですね。  デートの場合も同じ考え方なんですよ。要は、「いい気分になれる場所」を二人で訪ねて歩くわけですから。  デートコースを考案しようとするときのために、男のコ諸君にアドバイスしておきますが、一番、心にとめておいてほしいことは「ワンパターンではあきがくる」ということです。女のコたちは、何も毎回毎回、高級で華やかな場所ばかりに行きたがっているわけではないんですね。そんな女のコの気分は、ボクの小説でいえば、こんな感じなわけです。  ≪これまた外観に似合わず、日本料理が大好きな彼は、半年ほど前に買い換えたばかりのフィアット・パンダに私を乗せて、人形町とか神楽坂《かぐらざか》の小割烹《しようかつぽう》へ行く。誰に教えてもらったのか、石畳の路地を入って行ったところにあるお店で、はものお刺身や、帆立貝のすり身で作ったシュウマイ、目板ガレイを三枚に下ろして唐揚げにしたお料理などを、食べる。六本木や西麻布あたりの、グルメ雑誌ではお馴染《なじ》みなものの、ウエイターの態度が尊大で、味の方も今イチなフランス料理やイタリア料理のお店へ連れて行ってくれては、「ねっ、おいしいだろ」みたいなことを言う遊び人の大学生の男の子より、魅力的だ≫(『晴海国際貿易センター』)  わかりますか? ですから、根本にある「気分」を大事にしてほしいわけです。その「気分」さえ踏みはずさなければ、デートコースなんて無限に作れるわけです。二人でいつも、新鮮なデートを楽しめちゃうはずです。  ≪千駄木まで一枚の千代紙を買いに行く。その気力を大切にしたかった。  クレージュの夏物セーターを、クレージュのマークのついた紙袋に入れてもらう。そのスノッバリーを大切にしたかった。  甘いケーキにならエスプレッソもいいけど、たまにはフランス流に白ワインで食べてみる。そのきどりを大切にしたかった。  クラブのある日には、朝からフィラのテニス・ウェアを学校に着ていってしまう。普段はハマトラやスポーティでも、パーティーにはグレースなワンピースを着て出てみる。その遊びを大切にしてみたかった。  高輪へ行ったら東禅寺を訪れてみる。南麻布へ行ったら光林寺を訪れてみる。その余裕を大切にしたかった。(中略)  こうしたバランス感覚をもったうえで、私は生活を楽しんでみたかった。(中略)  無意識のうちに、なんとなく気分のいい方を選んでみると、今の私の生活になっていた≫(『なんとなく、クリスタル』)  どうです、『なんクリ』の主人公、由利のこのことばの「生活」ってところを「恋愛」に置き換えてごらんなさい。そのまま、ボクが理想とする「恋愛」の形になるとは思いませんか?  第5章 タイプ別女のコ行動学   女のコは四つのタイプに分けられます   四タイプの特徴をまとめてみました   デニーズ八幡山店にサーファー派集合   サーファーの青山派と自由ケ丘派   サーファーの多数派は断然新宿派   ニュートラ派は三派系から成ってます   モルタル・セーターは渋谷派の印です   渋谷派を待ちうける恋の甘い落とし穴   BMW少年のすごいベッドテクニック   彼ってズルいと思ったときはもう遅い   ニュートラ銀座派の期待過多の悲劇   カヨコちゃんは不倫の恋の道を一直線   新宿派は歌舞伎町の甘い生活へ転落〓   ミカちゃんは生涯一ソープランド嬢を目指す〓   エレガンス派はマイナー・グループ   ボリューム派こそ女のコの主流派〓   女のコは四つのタイプに分けられます  いつのまにか、女子大生というのは、人類の新人種のように考えられるようになりました。彼女たちだって、まったくふつうの市民なのにもかかわらず、 「女子大生でいる何年間」  だけは、他のどの時期とも違う感覚と、行動パターンを持っているように、考えられているみたい。  しかし、そこには、当然のように、それが登場してくる「背景」がありましたし、最近では、女子大生でいる何年間かを中心に、そのパターンは前後に広がっているんですね。 �異人種《エイリアン》�ととらえられていた彼女たちのような女のコが、勢いを増し、女子高校生やOLのなかにも、「女子大生」の性向を持った人たちが出てきた、ともいえます。  ボクは、「女子大生」を主とした大きな都市の女のコ層をいくつかの類型に分けて、いろいろと考察を続けてきたわけです。  それは、男のコが、彼女たちとつき合っていくためのガイドにもなると思います。この章では、そうした女のコたちの傾向、感覚、恋愛における典型的行動パターンを紹介して、ボクのいう「よそ行き顔した恋愛」とか「ブティック恋愛」の理想型との関係を、ひとつひとつ見ていくことにします。  彼女たちの生活から、ボクの抽出したそれぞれのパターンは、これを読む女のコ読者にとっては、身に覚えのあることもあるでしょう、あるいは、そうした女のコと、 「どうしてもつき合ってみたい」  と熱望してやまない少年読者には、心強い参考資料になることもあるでしょう。  まず、最初に示しておきたいのは、ボクなりに分類した、女のコの四タイプです。あるタイプから別のタイプへ、ふとしたキッカケで移行してしまうこともありますが、この典型的な四類型に従って、話を進めていきたいと思います。  サーファー派  ニュートラ派  エレガンス派  ボリューム派  女子高校生、女子大生、二〇歳前後のOLと、男のコが一番「つき合いたい」と思っている女のコたちは、すべてこの四タイプに分類することができます。  ただし、説明をわかりやすくするため、また、サンプルとなる学校名などは、全部、東京近辺に位置しているものからとりあげています。  ですから、文中に登場してくるお店の固有名詞や、ファッション・ブランド名、それに学校名から当然思い浮かぶであろうイメージについて、どうしてもわからない、という人は、お便りにしろ、実地面談にしろ、康夫ちゃんが個人的にレクチャーするとして、強引に話を進めることにします。悪しからず。   四タイプの特徴をまとめてみました  さて、先に挙げた四タイプを、ザッと概括して説明しておきましょう。  サーファー派というのは、ご存じのとおり、主として、 「自分でもサーフィンをやってしまう」  という女のコのタイプです。量的には、それほど多くはありませんね。  人数が少ないのに、典型的タイプとしてとりあげるのには、もちろん、それなりの理由があります。  数年前までは、サーファー風の格好をしている、というだけで、六本木あたりではモテまくったという史実がありますし、逆に、いまとなっては、そんな格好をしていると、六本木では石をぶつけられそうなくらい、短時間に、その評価は振幅《しんぷく》しました。それだけ両極端な評価になる、というのは、それなりに一種、影響力が強い、ということができます。  また、 「一見サーファーの雰囲気を漂わせてはいるものの、サーフィンなどやったこともやる気もなく、ディスコへ行ったときにモテるようにと、外観だけ、サーファー、サーファーする」  というタイプをも生み出した功績は、やはりサーファー派のものでしょう。しかし、こういった�陸《おか》サーファー�たちは、この次のニュートラ派、もしくはエレガンス派の一部に近い行動パターンを示しますから、純粋なサーファー派からは除外されます。  それとは逆に、エレガンス派と思われる一派のなかでも、イタリアン・カジュアル、ボクは勝手にこれを�イタカジ�と命名していますが、イタカジのファッションに身を包んでいるのは、サーファー派ときわめて近い行動パターンをとることがありますね。  特に、どちらかというと�フラカジ�(フレンチ・カジュアルのこと、ね)に近いイタカジをしている女のコは、ほとんどサーファー派に含めて考えていいと思います。  それでもやっぱり、サーファー派の数は、圧倒的に少ないのです。ところが、ニュートラ派などの女のコにかなりの人気がある、サーファー少年たちは、真剣恋愛をする場合には、どうしても「同趣味」のサーファー派のなかからピックアップすることが多いわけです。  それだけに、サーファー派の女のコの存在は、無視できない、と思うのですね。     ●  その次のニュートラ派は、層としては最も厚いといえます。  その座右の書は、いわずと知れた、光文社発行の『JJ』であります。この雑誌は、美容院や病院の待合室に行くと必ずおいてある『女性自身』の編集部で村八分にされていた、その昔は実家が練馬で大根を作っていたのではないか、と疑ってしまうくらい立派な赤ら顔をした社員の人たちが、 「チクショー!! いつの日か、オレだって」  と思いながら創刊した雑誌です。  そのせいか、誌面には、作っている人たちとは対極にいるような、いかにもニュートラ、ニュートラした女子大生やOLが、読者モデルとして登場していますね。  そもそも、ニュートラというのは、ご存じのように、基本的には、「原色のお洋服ファッション」といえます。たとえば、サンローランのウェッジソール・シューズに、オックスフォードの緑色をしたスカート、それから、パリスの真っ黄黄シャツ。で、バッグはルイ・ヴィトン。これが、基本パターンなんですね。  きのうまでセーラー服とネグリジェしか着たことのなかった人でも、容易に組み合わせることができる、という意味において、このニュートラ・ファッションは、ファッション感覚ゼロの女のコたちにとって、最も「安心して楽しめ、しかも通用する」ファッションであった、ということができます。  したがって、当然のように、ニュートラ・ファッションは、メジャーになりえたわけであります。  このファッションに代表されるニュートラ派の女のコたちは、さらに細かく、渋谷派のニュートラ、銀座派、新宿派のそれと、もう三分類されますが、それぞれについては、後で詳しく述べることにしましょう。  一般に、ニュートラ派についていえることは、 「つき合う男に恵まれずに、あまりいい目をみない」  ということでしょうか。今や、流行遅れになりつつあるニュートラをしている彼女たちの恋愛パターンについては、後で詳しく書きますので、ここでは、この程度にとどめておきます。     ●  エレガンス派は、ボクの最も得意とするジャンルで、ボクの提唱する恋愛パターンを、実際に行っている人たちの所属する一派だといえます。  精神的には、ニュートラ派を卒業し、髪の毛も、ニュートラ派がいまだにレイヤードカットが主流なのに対して、ワンレッグスかトニックヘア。お洋服もオトナっぽくしています。  大学生であるか、大学を卒業していても、就職しているということはなく、おおむね「家事手伝い」を専業とし、副業に「月に一週間くらい勤めればいい」モーターショーやビジネスショーの際のコンパニオン稼業《かぎよう》、というのが一般的ですね。  他のどの一派よりも現実的で、恋愛においては、逆にどの派閥の女のコよりも奔放、というか、自由な考えを持っているようです。     ●  最後になったボリューム派は、数えてみたことはありませんが、おそらくは、最も数が多いのかもしれません。実に、いろんなタイプの人がいて、「どこがどうだからボリューム派」ということは、ありません。  むしろ、どうでもいいから、ボリューム派なんですね。  もともと、「ボリューム」といういい方は、ファッション業界の専門用語からつけたものでして、 「性格づけがハッキリしてなくて、種類はたくさんあり、ブランドになってなく、安価ということでたくさん売れる」  という商品グループのことを指しています。  たとえば、デパートへ行ってみるとわかりやすいのですが、ブティック形式の売り場にあるブランド商品ではなく、二階婦人服売り場にまとめておいてある「ヤング・カジュアル」とか、そういったジャンル分けで売られている商品グループのことを、「ボリューム・ゾーン」と呼んでいるんですね。  そこから命名された(もちろん、ボクが命名したんですけれども)女のコたちですから、ひと言でいってしまえば、 「この地球上にいてもいなくても、どっちでもいい」  というタイプの女のコということができます。  ところが、バラエティーの豊富さと、量的パワーは、�ボリューム�というくらいで、かなり怖いものがありますから、決してあなどることもできません。  本文では、彼女たちの典型的なタイプが、「ツボにはまったとき」の怖さを、赤裸々《せきらら》に描き出すことになると思います。  こうして分類された四タイプの女のコが、恋愛、デート、セックスの各シーン、各場面で、何を考え、どう行動するか——この考察は、女のコたち自身にとっても、彼女たちとつき合う男のコたちにとっても、非常に意義深いものになるはずです。   デニーズ八幡山店にサーファー派集合  サーファー派の行動原則は、なんといっても、サーフィンをやる、というところから出発するわけですから、男のコとつき合うときも、デートするときも「サーフィンをしながら」ということになります。  この場合、男のコとの待ち合わせ場所は、世田谷《せたがや》にある「デニーズ八幡山《はちまんやま》店」になります。  金曜日や土曜日の夜になると、「デニーズ八幡山店」には、三々五々、サーファー少女やサーファー少年たちが、集結してきます。  サーファーは、たとえば六本木や渋谷でデートするときにも、男二対女二、あるいは、男五対女二、といったバランスで、グループで遊びに行くケースが多いんですね。海に行く、なんていうときは、平気で、男女あわせて総勢一〇人にもなっちゃいます。  これは、サーファー派の女のコが、 「恋愛に関して淡泊なつき合い方を好む」  という傾向から発している現象と考えられます。 「彼と二人っきりでベタベタする」  なんていうのよりは、みんなでガヤガヤ、ワイワイやっているほうがいい、と思っているらしいのですね。  ハタから見ると、サーファーのコなんて、 「どうせ湘南海岸公園のパーキングに車を停めて、夕方からルンルンしてるんでしょう」  とか思い込んでいるようですが、これは間違った認識です。サーファー派は、好みとしてはどちらかというとショーユ味よりは塩味、サウザン・アイランドよりはフレンチ・ドレッシング、といった気分を好むものなんです。  セックスにしても、田中康夫の小説に出てくるような、 「高圧電流が体の下部にビビーンと走って、エレベーターが急降下して行くみたい」  なものとは違って、片岡義男の世界みたいな、 「二、三分で終わっちゃう、ベッドのなかの出来事」  ですませられたらいい、と思っているんですよね。  で、なぜ「デニーズ八幡山店」か、というと、環八沿いにあって車の便のいい利点だけではなく、同じ世田谷の「ロイヤルホスト馬事公苑《ぱじこうえん》店」とか目黒通り沿いの「デニーズ碑文谷《ひもんや》店」と違って、リラックス気分になれるからです。  このテのお店ですと、すぐ近くの世田谷区や目黒区に住んでいながら、なぜかアカ抜けない風な少年少女が、サーファーたちの横っちょのテーブルに陣取ってしまい、そうした人たちは、ホントは自分たちも「サーファーとつき合いたい」と思ってはいるけど、自分たちに自信がなくて、モーションをかけられない、あるいは、 「自分もサーファーになったらモテるだろうなァ」  と、心のなかでは思いながらも、それぞれの運動神経に「いま三」くらい不安があってなれないでいる、といった人たちなので、大声でサーフィンのポイントの話をしているサーファーたちに、ジェラシーの視線をビシバシ当てるわけです。  これでは、せっかくのサーフィンが、スタートから暗いものになってしまうんですね。  みんなで海へ行くときに集合するのが「デニーズ八幡山店」なら、帰りは「デニーズ葉山店」です。サーフボードやウエットスーツにはお金をかけても、洋服や食べ物にはチープシックなのが、サーファー精神ですから、サーフィンの帰りに寄るのは、やっぱり「デニーズ」。まかり間違っても「ラ・マレ」には入りません。こうした値段のはるお店は、BMWに乗って東京からやって来た日本医大のマールボロ少年と日本女子大のレノマ少女にまかせるのが、サーファーの心意気です。   サーファーの青山派と自由ケ丘派  ところで、サーファー派が、都心でデートをするときには、どんなところで遊んでいるのでしょうか。サーファー少年が、好んで活躍する場所から、そのタイプを三つに分けてみるのが、サーファーの心意気です。  ひとつは、青山派です。学校でいいますと、青山学院大、成城大あたり。ここらあたりのサーフィンフリークたちは、ファッションとしてサーフィンを始めた人たちですから、実際にサーフィンするときでも、 「近くにシャワーを浴びられる場所がないと、ちょっとね」  みたいな感覚の人たちね。当然、都心の遊び場もファッショナブルでなければ、いけませんわけです。  そこで注目されるのが、青学の西側にあることから「サンセット・ストリート」と呼ばれる通り。この通りには「ブルー・アイランド」というサーフショップがつい最近までありました。彼らは、ここを見てから「ローン」のチーズケーキを食べ、「ダックス」でサンドイッチをつまみ、そして最後は「ポールズ・バー」。ブラコン、ダンコン(男根ではありません。ダンス・コンテンポラリーのことです!)がビシバシかかっている、このお店でドリンクなどするのが、青山派の基本コースです。  さすがに、青山派のサーファー少年たちは、いまどき、サーファーの格好をして六本木のディスコへお出かけすると、 「遅れてるのね」  と、バカにされるのを、知っていますから、そういうところへ行くときは、シッカリ、イタカジ格好をしてお出かけします。  青山派が、サーフィンタイム以外はファッショナブルに、とする人たちだとすれば、自由ケ丘派は、陸《おか》にいるときもサーフィン気分のまま、という完璧《かんぺき》サーファーと、一応青山派にいたんだけど、ああいうのは疲れちゃった、ということで自由ケ丘派に移行してきた二タイプがいます。  この人たちの行きつけのサーフショップは、目黒通り沿いにある「タウン&カントリー」で、一昔前までは、このお店のロゴの入ったシールは、貼《は》っているだけで「やったね」の世界だったのですが、いまではもう、茨城あたりのポイントまで行かないと、その効果が発揮されなくなりました。  もっとも、旗《はた》の台《だい》にある香蘭《こうらん》、高輪台《たかなわだい》にある頌栄《しようえい》といった、校則の厳しい女子高生は、「タウン&カントリー」のシールを通学カバンに貼れたらなァ、と常日頃から思っているので、「このシール、あげるよ」なんて自由ケ丘派の男のコにいわれると、コロリとまいってしまう傾向もあります。  自由ケ丘派の人たちは、サーファーはメジャーになってはいけない、テニスやゴルフの連中とは一線を画さねばならない、と考えているので、デートの場合も、自由ケ丘の「バター・フィールド」とか「イングランド・ヒル」とかいった、常連ばっかりのお店へ行きます。 「アン・ミラ」や「カスタネット」といった、日曜日に大宮や熊谷《くまがや》から「キャンプ・ビートル」を見にきたカップルが、帰りに寄るような店のことは、 「オレたちのシマを荒らしやがって」  とニガニガしく思っているので、絶対に入りませんね。   サーファーの多数派は断然新宿派  さて、最後になりましたが、実は、これが最もポピュラーなんではないか、という新宿派サーファー少年。大学でいうと、大東文化大、千葉商科大、城西大学といった、東京でも北部、そして千葉・埼玉にキャンパスのある大学にあって、サーファーしてる、キャンパスではなかなかに目立っている少年たちです。  あろうことか、このテの学校はいまだにジーンズに黒の革靴をはいてウジャウジャ歩きまわっている学生たちのいる大学ですから、サーファー格好をしているだけで、もう、彼らは女のコたちからは、エラく尊敬の眼差《まなざ》しで見られています。  けれども、いかんせん、こういう大学にいる女のコは、薄水色のハイソックスに、千鳥格子のスカート、それにイラスト付きのトレーナーを着て、手には『non・no』を持って歩いてるようなボリューム派が、圧倒的に多いので、当の新宿派サーファーたちは、 「こんな女!」  とかいって、彼女たちを心底、バカにし切っているのです。  そして、自分たちは、 「もっと都会的なサーファー少女や、ニュートラ少女にモテたい!」  と思っているわけですが、いまイチ、通っている大学がマイナー系統なので、気張って六本木のディスコ「ウィズ」へお出かけしても、山脇や川村の女子高生に、 「そんな大学、知らない」  なんていわれてしまい、エラくメゲたりもします。それでも、わざわざ六本木まで来たのですから、 「ナンパして帰らないと故郷に錦が飾れない。乗りつけた習志野《ならしの》ナンバーの車が泣く」  と思い直して、ナンパの名所として知られる「スタジオ・ワン」にも行きますが、目白学園の女子高生や、大妻、跡見といったブランド指向の強い短大生からも、 「私たち、せめて成城とか玉川大学に行ってる男のコでないとつき合えないわ」  というシビアなことをいわれ、さらにメゲてしまいます。  新宿派サーファーの場合、サーフボードにしても、江戸川区の京葉《けいよう》道路沿いにあるディスカウントショップで買っているくらいですから、青山派に比べて、金銭的余裕もありません。ですから、六本木でのナンパにはあまり馴染《なじ》みません。  代わって、カメラの「サクラヤ」とか新宿西口「ヨドバシカメラ」でお馴染みのディスカウントショップのネオンきらめく、新宿の街に親近感がでてきます。  で、新宿のディスコに行くと、大塚の十文字学園や、葛飾《かつしか》区にある都立|葛飾野《かつしかの》高校の女子生徒が、ワンサと来ています。この女のコたちは、普段、ポマードの世界の男のコたちとしかつき合いがないので、たとえ新宿派でも、サーファー格好の大学生が新鮮に見えるわけですね。  ですから、サーファーに憧《あこが》れていて、でも、青山派や自由ケ丘派のような都会派サーファーとは、自分の容姿に自信がなくてつき合えない、という女のコは、即刻、新宿のディスコへお出かけして、新宿派サーファー少年を見つけて、それで手を打ってください。   ニュートラ派は三派系から成ってます  ニュートラ・ファッションが、安易に可能であることは、さっきも書きました。ファッション感覚が、ゼロでも、ピンクのセーターと紺のスカートを「パルコ」のなかにある「オックスフォード」で買ってくれば、だれだってニュートラ少女に変身できるわけです。  まったくセンスのない女のコに、生きる望みを与えたニュートラは、日本の戦後服飾史にサン然と輝くホームラン王といえるでしょう。  そうした理由からなのか、大衆レベルでは、このニュートラという代物は、いまだに根強い人気を誇っています。が、さすがにファッション感度の高い女のコの多い、白百合女子大や東京女学館短大あたりでは、 「エーッ、ニュートラなんて恥ずかしくて、もう私、そんなカッコ、できなーい!」  というコが増えています。  とにかく、原色のスカートとブラウス、シャツの組み合わせなわけですから、実は、ファッション業界では、 「アメリカの農協オバサン格好」  と定義されています。  もちろん、アメリカに農協があるわけないんですけど、アメリカの田舎町に住んでる人たちというのは、花柄のパンツに真っ赤なシャツで、「ランバン」やら「セリーヌ」のスカーフをするのが「とってもオシャレ」と思っているところがあるんですよね。  こうした、ワイオミング州やケンタッキー州の畑のなかの一軒家に住む�農協オバサン�たちは「アンナ・ミラーズ」で売っているようなパンプキン・パイを、キッチンにあるオーブンで作っています。  ま、そんなことはまず置くとして、渋谷派、銀座派、新宿派の�三派系�で成り立っているニュートラ派とは、具体的にはどこの女のコが支えているのでしょうか? 思いつくままに、イメージをまとめてみましょう。  まずタイプ㈵として、偏差値の高い都立富士高、西高、もしくは定時制にはスーパーかわいいモデルのコがいるのに、全日制はごくフツーな駒場、青山あたりから青山学院大学、立教大学に入りました、のコたち。  タイプ㈼としては、バス停から学校までがエラく遠い都立府中西、桜のきれいな並木道沿いにある都立深沢、自転車通学がやたらと多い都立|千歳《ちとせ》高なんぞから明治学院大、成城大に入りましたって、女のコたち。  タイプ㈽は、広尾にあって、なかにはかなりかわいいコもいることで知られる順心女子、横浜の花月園競輪場のすぐそばという、きわめていい環境の法政大学付属女子高などから、東横学園短大、もしくは成城の短大に入りました、というコたち。  タイプ㈿はですね、豊島園の北のほうの田園地帯、春日《かすが》町にある都立練馬、大竹しのぶも出た都立小岩、あるいはサンシャインシティのふもとにある豊島岡《としまがおか》女子、比較的おとなしいコが多く、駒込の古河庭園のそばにある女子聖学院、なんていうところから青短(青山学院女子短大)、赤短(山脇学園短大のことですが、赤坂にあるので、こう呼ばれます)に入った女のコたち。  タイプ㈸として、あの松本伊代も途中まで通った東京のはずれにある森村、山脇、そして、東京女学館の中三くらいのころから慶応や立教の大学生とルンルンしてた東京女学館の女のコ、結構張り合って遊んでいたコも多い目白の川村学園、といったところから、それぞれ、やはりそのまま上の短大へ行った女のコたち。  とまあ、以上の五タイプが考えられます。とはいっても、これはイメージ上、こういう人たちです、という参考のために列挙しただけで、タイプ別に、はっきりとした違いがあるわけでもありません。一応、念のため。  髪の毛は渋谷の公園通りにある「クロード・モネ」でレイヤードカットにしてもらい、「オックスフォード」の一万二〇〇〇円のサマースカート、「クリスチーヌ」で買った六七〇〇円の、モルタルの壁の表面みたいな編み方になっているサマーセーターを身につけ、いまだに「サンローラン」や「エマニュエル・ウンガロ」のウェッジソールか横浜「ミハマ」のシューズをはいて、持っているショルダーバッグは、あいかわらずのブランドもの。  こういうニュートラの基本パターンは、決してオシャレな女のコが、競い合ってするファッションではなくなりましたね。そして、当のニュートラ派のコだって、ちゃんと知っているんですよ。  ですから、たとえば『JJ』なんかの読者モデルとして登場したときに、 「大好きなお洋服は、アルファ・キュービックです。お休みの日に、彼のBMWに乗って南青山のフロム・ファーストへ行って、アルファ・キュービックを見て歩くのが楽しみです」  なんてコメントしています。  しかし、そういうことをいっているニュートラ派は、実は、四万円の「アルファ・キュービック」のサマードレスを、一着だけ、ママにおねだりして買ってもらって持っている、というのがほとんどです。  バッグにしても、「ルイ・ヴィトン」はまだ許せるとしても、「デイォール」「フェンディ」「クレージュ」のマーク入りをブラ下げて歩くことは、エレガンス派からすれば、 「ダサい」  とされています。「ラ・バガジェリー」や「マルベーリ」「ゲラルディーニ」あたりのポシェットを、肩から斜めに下げるほうがススンでいるのです。  もちろん、ニュートラ派でも、そんなことは承知のうえです。承知してはいるんですが、そうしたポシェットを持つとなると、今度はお洋服のほうまでエレガンス派に近いものへと衣替えしなくちゃならなくなるわけですね。  ポシェット一個のために、ニュートラからエレガンス派へ、全面転換を余儀なくされちゃうわけです。しかし、それは予算の関係上、無理がある。それで仕方なしに、ニュートラにとどまっているんです。  つまり、ニュートラ派の心理的な基盤を解説するなら、 「ファッションには目覚めているのだが、いまイチ、自分の経済力、センス、容姿ともどもに自信がなく、かといってお金を大量に稼ぐためにマントルやホテトルに勤める勇気もない」  というところでしょうか。  最もメジャーな層であるニュートラ派の女のコたちは、意外や意外、結構お金に関してはシビアな状況にある、ということがいえるわけですね。   モルタル・セーターは渋谷派の印です  ニュートラ派のなかの分派、渋谷派は、学生を中心とした集団とみることができます。  渋谷派に属す女のコたちは、学校の帰りに公園通りをお散歩するのが楽しみで、午後の授業が休講になったりすると、 「ねェ! 109とパルコへ行こうよ」  とかいって、みんなでお出かけします。  ところが、おうちからもらっている月々のお小遣いは二万円、週二日、三軒茶屋の「マクドナルド」でアルバイトして得る収入も二万円。ですから、パルコ・パート㈼に入っている「レノマ」で二万八〇〇〇円するサマーセーターを買ったり「ブティック・オーサキ」の二万三〇〇〇円するベージュのパンプスを買ったりとかなんてこと、おいそれとはできないのです。 「ワー、いいわね、こういうのー」  といいながら、パルコ・パート㈼を出たら、もう少し価格帯の安い商品をおいてある109の地下へ場所を移し、四八〇〇円のセーターを買います。このテのサマーセーターは、モルタルの壁みたいな編み方をした、ザラザラな感じのもので、別名�モルタル・セーター�とも呼ばれているものです。  さて、サマーセーターを買ったあとは、お友だちと一緒に、お茶をします。  男のコと一緒のときは「トップ・ドッグ」とか「チャールストン・カフェ」とかへ行ったりしますが、女のコ同士だと「イタリアン・トマト」あたりへ行くことが多いようです。あの�ゾーキン絞り�のコーヒーが、 「けっこう、おいしい」  と思っているのが、渋谷派の彼女たちたるユエンですから、四八〇〇円のサマーセーターを買ったあとでは、 「ちょっぴり節約しないとね」  なんて考えて、二人で一個、生クリームのたっぷり入ったショートケーキを分け合って食べたりします。  男のコとデートするときでも、夕ごはんは「五右衛門」のラーメンや和風スパゲッティを食べるだけでオシマイ、という人たちなのですから、ましてや、女のコ同士でお金を余分に使うなんて、とんでもないゼータクだ、と考えます。  そこで、サマーセーターを買った日は、「イタトマ」で二時間、おしゃべりをしていても、決して一一〇〇円のスパッゲッティをとったりはしません。セーターを買わなかった女のコのほうが、 「ねー、簡単に夕ごはん、食べていかない?」  と、なにげなくいっても、 「エッ、きょうは、パパが久しぶりに会社から早く帰ってくる日だから、一緒にごはん、食べてあげなくっちゃ、おこられちゃうのよね」  とか、シラジラしくウソついて、どうやっても一一〇〇円の出費を防ごうとします。  渋谷派だからといって、渋谷だけでしかお買い物やデートをしないのか、というと、そんなことはないわけで、東横学園や東京女学館に通っている女のコの場合は、自由ケ丘のことを、芸能人ぽく「オカジュー」などと呼びつつ、お出かけすることもあります。 「ねー、なにげでオカジューへお茶して行こうよー」  この場合の�なにげで�というのは、 「はっきりした意志や目的なしに、なんかやろうよ」  といった感じの意味を指しますが、その語源は「なにげなく」であると思われます。  で、なにげでオカジューへ行くとしますと、「アフターヌーン・ティー」あたりで、これといった目的もなく、お茶をするわけです。そいでもって、お茶し終えると、今度はその隣にある「トゥモローランド」かなんかへ行って、コットンでできたシア・サッカー地の夏物のワンピースを眺めたりするんです。 「ワーッ、こういうの、欲しい」  とか思ったりもするわけですが、渋谷派としては、一日に五〇〇〇円以上の出費は許されない、という条例があるので、一万八〇〇〇円するワンピースは、とうてい買えないわけです。 「今度、ママと一緒に来たときにおねだりしよーっと」  の世界になります。  オカジューの場合と同様、渋谷派が六本木へお出かけした場合も、かなり金銭的にシビアな面が、色濃く出ます。たとえば、ディスコへ行くときでも、エレガンス派が、 「彼の車に乗ってピューンと乗りつけないとサマにならない」  と思い込んでいる「ネオ・ジャポネスク」のようなところへは、渋谷派は行きません。外人モデルのコとか、ハーフチックな男のコ、それにダブルのブレザーに「ジョルジォ・アルマーニ」風のストライプのネクタイして、手には「カルチェ」のサントスがキラリ、といったなにして生活しているのか得体《えたい》の知れないオジサンが来ている、こうしたディスコは、地下鉄の駅から遠いんですね。  ですから、駅から徒歩二、三分というところにある「ナバーナ」やら「マジック」とか「ウィズ」なんていうディスコへお出かけすることになります。 「ネオ・ジャポネスク」では、 「一本一万二〇〇〇円するフランスのシャンペンを、ボンボン開ける人たち」  がいっぱいいますが、「ナバーナ」や「マジック」は、 「二〇〇〇円くらいの入場料を払ったら、あとはフリー・ドリンク、フリー・フード」  の世界になっています。渋谷派のコたちは、ちゃっかり、 「これで夕食代が浮くもんね」  と、頭のなかで計算しているのです。先ほど紹介した「イタトマ」でスパゲッティの出費を抑えるという構造が、ここにも生きているわけですね、シブトく。  しかし、さすがに、「六本木スクウェアビル」のなかにあるディスコ「スタジオ・ワン」とかへは行かなくなっています。このあたりは、その昔は上野や新宿で気勢をあげていた人たちが、 「ちょっくら、六本木まで行って、マブいスケをナンパしてくらァ」  とかいいながら、出入りするようになっているからです。コワいことだといわざるをえない事態ですね、ジッサイ。   渋谷派を待ちうける恋の甘い落とし穴  ところで、渋谷派の行動範囲はその程度のもので、「ネオ・ジャポネスク」には、まったく足を踏み入れたことがないのか、というと、それも大きな誤解です。  こういうディスコで開催される、慶応や日本医大のパーティーの際には、少なくとも一度や二度は、シッカリ参加しているのが、渋谷派のしたたかさなんですね。  しかし、そのしたたかさが、結果的にはアダとなって、実によくあるパターンの悲劇を誕生させることにもなっているのです。ここでは、渋谷派の女のコが、日本医大ヨット部の主催するディスコパーティーへお出かけして始まる悲劇を、順を追って解説していきましょう。  まず、渋谷派の女のコが、どういう心理背景で、こうしたパーティーへ来ているかを説明しますと、彼女たちが、これまでつき合ってきた男のコたちに対する、いわれのない不満をそこに見いだすことができますね。  そういう男のコたちは、三タイプに大別することができます。タイプ㈵は、中学、高校からの知り合い。タイプ㈼は短大に入ってから「合コン」で知り合った男のコ。同じく、短大に入ってから、バイト先でつき合いのある男のコ、というのはタイプ㈽です。  タイプ㈵の男のコは、彼女のおウチの近所に住んでいます。ゆくゆくは家業の町工場を継ぐ予定になっているのですが、「まあ大学くらいは出とかないと」くらいの感じで、千葉商科大か東洋大、あるいは中央工学院あたりに、「セリカ」とか「ガゼール」といった車で通っているケースが多いようですね。  うちが近すぎることもあり、渋谷派の女のコが、短大の女のコ同士でディスコへ行って来たきのうの晩のことも情報をキャッチし、 「よー、きのう、どこ行ってたんだよ?」  などとききますから、 「まったく、あんまり束縛しないでよー」  という不満をつのらせています。  タイプ㈼のケースは、地方の県立高校から浪人をして早稲田に入った、なんていうのがほとんどじゃないでしょうか。それも、第一志望は「政経」だったんだけど、落ちたので仕方なく「商学部」に行っているという場合が多いですね。  西武線沿線にアパート住まいをしていて、車はもちろんのこと、運転免許証すら持っていません。  こうした男のコとつき合っている彼女のほうは、 「たまにはレンタカーでもいいから、大井|埠頭《ふとう》の横にある京浜《けいひん》島へ連れてってもらって、カーセックスくらいさせてほしいもんだわ」  と、いつもいつも、汚い彼のアパートでセックスをしていることに対して、不満を持っています。 「お友だちも行ったことあるっていう、東名横浜インター横の『ホテルファッション』や第三京浜港北インター横の『HOPS』へも行ってみたいわ」  とかいう潜在願望が、その不満の温床になっているわけですね。  そして、タイプ㈽。吉祥寺の「マクドナルド」でアルバイトしていて知り合った彼は、明星《めいせい》大か亜細亜《あじあ》大に通う男のコで、結構、女性経験も豊富みたいです。セックスも、ある程度、数だけはコナしているようすで、それはそれでいいのですが、友だちから、 「どこの大学の男のコとつき合ってるの?」  ときかれたときに、いまイチ、胸を張って学校名をいえない、という�いわれなき劣等感�が植えつけられています。当然そのことが、漠然とした不満につながっているわけです。  ですから、このような条件下で、渋谷派が日本医大主催のディスコパーティーへお出かけして、いままでとは違ったタイプの男のコと出会った場合、すぐに「ゴロニャン」しちゃうことになります。  かつては、恋愛があり、結婚があって、最後にセックスに至るという、順序に従っていた歴史もありましたが、いまはもう、ありません。昔は、結婚したのだから、 「彼の食事のときにクチャクチャたてる音はイヤだけど、でも、好きで一緒になったんだから少しくらいはガマンしなくちゃいけないわ」  という、忍耐の歴史もあったわけですけど、これさえもいまはありません。  現在は、この三つの要素のうちで、最も楽しいセックスが、結婚はおろか、恋愛よりも先に、なんのとまどいもなく、訪れてしまう世の中です。新しいタイプの男のコが、目の前に登場すれば、ためらいのかけらもなく、一気に「ペロペロちゃんやグリグリちゃん」に向かうのは、きわめて自然のなりゆきと見るべきでしょうね。   BMW少年のすごいベッドテクニック  こうして、パパに買ってもらったBMW318iを乗りまわす、日本医大生とパーティー会場で「運命的な出会い」をしてしまった渋谷派少女の、その後の経過は、いかなるものでしょうか? BMW少年にしてみれば、渋谷派の女のコと仲良くなったら、当然の助動詞�べし�という感じで、 「知り合ったその日のうちに、最後までいかなきゃつまんないよ」  と思っています。そこで、パーティーのあとに、渋谷派が「一度は行ってみたい」と思っている六本木のレストラン「スパゴ」あたりへと食事に誘って、その後はいよいよBMWでドライブにお出かけです。 「じゃあ、横浜まで行ってみようか? でも、山下公園なんて、キミも行ったことあるだろう? 他の男とのデートのことを思い出されちゃ、ボク、つらいもの」  とかいいながら、左ハンドルですから、右手はちゃっかり、彼女のレイヤードヘアをさわっています。女のコは、入学当初に二か月だけつき合った男のコに、夜、山下公園に連れて行かれて、無理やりにキスされ、胸をギューッとつかまれたイヤな思い出があったことを、一瞬、考えるだけですみました。  そうこうするうちに、BMWは「本牧埠頭《ほんもくふとう》」に到着して、日本医大少年は、早くも彼女の耳の裏側に、フーッと息を吹きかけます。いままでのタイプの男のコみたいに、イキナリくちびるを求めてきたりは、しないところが、ミソです。 「キミと一緒にいると、好きになっちゃいそうなんだ」  こんな甘いことばに、渋谷派は、思わずシンデレラに変身してしまいます。  BMW少年の愛撫《あいぶ》は、たんねんで、慌てず急がず、耳たぶ、首スジ、そして鎖骨の上を往復して、またノドから耳の裏へ帰還するという念の入れようで、いままで、聖心女子大や白百合女子大、東京女学館の短大生とつき合ってくるなかで体得したテクニックを、いかんなく発揮します。  左手の指先は、レイヤードヘアのなかに入っていて、軽く髪を梳《す》いています。右手は遊んでいずに背中のほうへまわし、背骨の節目をひとつ、ひとつ、キュッと押していったりもしています。  渋谷派シンデレラは、そうして押されるたびに、ゾクゾクした感覚に襲われ、 「あー、どうしよう」  的な世界になっちゃってます。もーやめられない、止まらない。渋谷派の頭のなかでは、歓喜の悲鳴と一緒に、ジレンマが訪れています。 「ねェ、イヤよ、こんなところで」  といいたいのと同時に、 「このまま、車のなかでフイニッシュまで、一気に進んでほしい」  という体の叫びが、沸《わ》きあがってくるわけです。このあたりを敏感に感じとると、BMW少年は、くちびるにキスしながら、 「もっとほかの場所で愛してあげたいな」  と、ささやくようにいうと、車をスタートさせてしまいます。この間、一度もシートを倒さなかったことに注目すべきだと思います。BMW少年は、 「本牧埠頭は、このところノゾキが多く、リクライニングを倒すと、ヘンなのが周りに集まってきてタイヘン」  であることを、計算に入れつつ、すぐに発車できる態勢をとっているわけです。  さて、横浜というところは、いいホテルがありそうに思えて、その実はない場所なのですが、しいていえば、「ホテル・ニュー・グランド」「横浜プリンスホテル」「ホリデー・イン横浜」そして「ザ・ホテル・ヨコハマ」あたりが、それなりのホテルです。  磯子《いそご》にある「横プリ」は、地理的にいまイチですし、中華街にある「ホリデー・イン」も、ニュートラ派女のコにはそのアメリカ的な良さはわからないでしょう。最も歴史を誇る「ニュー・グランド」もいいですが、BMW少年としては、クラシックなダブルベッドが、あまりにもギシギシと鳴るのは困る、と思ってますから、「ニュー・グランド」と同じように山下公園が見える「ザ・ホテル・ヨコハマ」にチェックインしてしまいます。  このホテルは、ダブルでも一泊二万円以下なので、BMW少年は、 「『センチュリー・ハイアット』や『赤坂プリンスホテル』に比べたら、安いもんだ」  と思っています。一方、いつもは彼のアパートの一室だったり、渋谷の「東急デパート本店」裏手あたりに散在する「ホテル・サンパルコ」とか「ファンタジー」はたまた「ホテル・カサ・デ・ドゥエ」とかのラブホテルでセックスをしている渋谷派としては、もう、夢の世界なわけです。  部屋に入ったら、BMW少年は、まずはもう一度、立ったまま、キスをします。そのとき、彼女の体から、かすかに立ちのぼる「ディオリッシモ」の香りを、彼の鼻が正確にとらえて、内心ニヤつきます。 「まったくよー、医大のパーティーだからって無理しちゃって」  と、スルドく見抜いてしまうわけです。渋谷派少女が、 「もっとステキな男性にめぐりあいたい」  と望んでやまない部分を、文字どおり、嗅《か》ぎとってしまう。ここにも、彼女が夢の世界に漂っている間に「渋谷派の悲劇」が、着々と進行中であることが、見てとれます。  少年の言葉に従って、女のコが先にシャワーを使っている間に、彼のほうはおもむろに「トラサルディ」のバッグから、常備してあるコンドームを引き出して、サイドテーブルの上にある電話の下へ忍ばせます。  入れ替わりにバスルームへ消えたBMW少年を待ちながら、渋谷少女は、もう一度、洋服を付けたままで、ベッドにチョコンと腰掛けています。ところが、少年は、ドアを開けると「超ビキニの水色のブリーフ」をつけて出てきます。  いままでつき合った男のコたちは、シャワーのあとにも、三年前に買った「ボブソン」のジーンズと安手のダンガリーシャツを着てあたふたと出てくると、ぎこちなくキスをしてくるタイプだったので、渋谷派少女は、思わず、目を両手でおおって、 「エーッ」  と声をあげてしまいます。しかし、声をあげながらも、指と指の間から、BMW少年のブリーフの前の「港の見える丘公園」みたいになっている部分を、シゲシゲと見てもいるわけです。このあたりが渋谷派少女の恐ろしさともいえましょう。  そこから先は、少年の腕の見せどころ。とにかくいままでは、 「ただやりさえすればいい」  というタイプの少年とのセックスしか経験がないので、やさしく指先でさわられること、舌の先でペロペロと舐《な》められること、すべてが新鮮で、愛撫されているうちに、 「もう、濡《ぬ》れてきちゃうから、パンティーも脱ぎたいの」  なんて、大胆なことばが、彼女の口から出てきてしまいますね。  少年は内心、 「やったね」  と思いながら、ポーカーフェースで、さらにしばらく愛撫を続けます。三〇分以上も愛撫を続けてから、いよいよドッキングです。けれども、インサートした後も、単純な往復運動のみならず、バリエーションは豊かです。しばしも休まず、両手で胸や背中への愛撫を続行し、舌とくちびるでもあちこちを刺激しながら、頑張っちゃうので、渋谷派少女は、快楽の波間に漂いつつ、頭のなかは、 「カラッポ」  ってなことになっちゃいます。  こうして、BMW少年の徹底的献身的なサービスで盛り上がった、「ザ・ホテル・ヨコハマ」の一夜は、彼のフィニッシュで終了となります。彼にしてみれば、 「別に大好きってわけでもないコとのセックス」  が終わったわけで、当然、渋谷派少女のことも、 「もう、いいや」  と思うことになります。逆に、彼女は、いままで知らなかった、とてつもなくキモチのいい経験を果たし、それが忘れられなくなっちゃっています。 「ねェ、また会ってほしい」  と、スリ寄っていくわけです。   彼ってズルいと思ったときはもう遅い  渋谷派の女のコと、日本医大のBMW少年との出会いのとき、すでにきざしていた「悲劇の誕生」は、この段階から、具体的に形となって出現し始めます。  次の月曜日に学校へ行くと、一緒にディスコパーティーへお出かけした女のコから、論理学の授業中に、ヒソヒソ声で話しかけられますね。 「ねぇ、ねぇ、パーティーのあと、あれからどうなったの?」 「ウック」とか思わず詰まりながらも、一応なにげで、 「エー、別に、お茶してから、お家に帰っただけー」  などとお返事して、ノートをとり続けるんですが、スルドく追及されてしまいます。 「ウソだね。シッカリ、お肉のカンケー、してきたんでしょ」  ここまでいわれると、ついつい、 「うん……ペロペロちゃんが上手《うま》いのよね、彼。もう、すうごく感じちゃったの。目の前が、チカチカしちゃったのヨ」  とかなんとか、セキを切ったように告白しちゃうことになります。  すると、いままでは「自分のほうがモテる」と思い込んでいたフシのある彼女から、 「いいなあ。私にも、彼と同じ医大の男のコ、紹介してって、今度会ったら話しといてよ」  などと頼まれたりします。こうなると、もう、 「やったね。さすが医大とつき合えるようになると、みんなの私を見る目もソンケーに変わってきちゃうもの!」  という「自己陶酔」の世界にひたり切ってしまいます。  そして、その日から朝な夕な、 「今度のデートはどこへ連れて行ってくれるのかしら?」 「セックスする前のお食事は、何を食べるのかしら?」 「ホテルはどこへ行くのかしら?」  とか、それしか頭にないようになってしまいます。  ところが、いつまでたっても、彼からの電話はかかってきません。 「きっと人体解剖の実習が、毎晩遅くまであるからだワ」  と、思い込もうとはするのですが、かなりの無理があります。この状態が一週間も続きますと、「もしかして、私は彼の単なるアソビ相手だったんじゃないか」と思うようになりますね。それでも「マサカ、そんな」と思いながら、彼の家へ電話をしてみます。 「ごめん、ごめん。もう、実習とレポートがメチャ忙しくて、電話をかけるヒマもなかったくらいなんだ」  なんて声が返ってくると、すぐにまたウキウキ気分。またデートすると、BMWでドライブ、お食事、ペロペロちゃん、グリグリちゃんと、お定まりのフルコース。またまたシンデレラになるんですが、何度会っても、会えば必ずセックスをすること、彼のほうからは決して電話してこないこと、などを考え合わせて、ようやく、彼は他の女のコたちとも、平気でデートしてセックスをしているらしいことがわかってきます。 「BMWの彼って、ズルい!」  渋谷派の彼女は、自分が「ボブソン」のジーンズ少年に不満を持って、内緒でディスコパーティーへお出かけしたこともきれいサッパリ忘れて、こう叫んでしまうんですね。  それじゃあ、と、元のサヤに収まって、ジーンズ少年とデートして、懐かしの彼のアパートでセックスしても、BMW少年のサービスを知ったあとでは、 「ジーンズ少年の、あまりの稚拙さに、ボーゼン」  となってしまいます。そこでつい、 「そこで先っぽをグリグリしちゃってネ」  なんていった、過激な発言も飛び出します。  ジーンズ少年だって、 「これは、オカシイ。そういえば、このところ、感じてるときの声が、ヤケに大きくなった。もしかしたら他のオトコと……」  と、「疑惑」を呼んで、結局、BMW少年もジーンズ少年も、彼女は両方とも失うことになってしまうわけです。  なまじ、パーティーで医大生の男のコと知り合ったばっかりに踏み出してしまった「不幸な青春」。渋谷派少女の典型的悲劇なのでした。   ニュートラ銀座派の期待過多の悲劇  ニュートラ銀座派というのは「銀座派」というネーミングから想像できるように、丸の内界わいの会社に勤めるOLのおネエサマがたが、コアをなしている集団です。  短大時代はニュートラ渋谷派だった女のコたちが、卒業してニュートラ銀座派(略してニュー銀)を襲名した、というケースとして理解していただいてけっこうです。  銀座派の典型的な悲惨パターンは、その前段階としての、渋谷派だった短大時代に、遠因があるので、ここは、たまたまボクが知っている、実在するカヨコちゃんの例を挙げて、詳しく説明しちゃいましょう。  このパターンというのは、短大時代に遊びに徹することができず、クラーイ二年間をすごしてしまったために、 「ビシバシ仕事のできるイイ男のいる一流企業に就職して、バッカバッカ遊びまくってみせるわ」  と、過大な期待に、大きくもない胸をふくらませてしまったことに、すべての過ちの出発点があるわけです。  どんな場合にも、何かに、必要以上の期待を抱くのは、失敗の始まりですね。  そして、「期待過多」の状態が続いていた時期が、長ければ長いほど、結果の悲惨さは、救いようのないものへと、そのひどさを増してしまうものなのです。 「絶望は愚か者の結論である」  ということばがありますが、ここではむしろ逆で、 「いたずらに希望を抱くのは、結論として愚か者である」  ということができますね。  これから書こうと思っているカヨコちゃんは、短大時代を通して「期待過多」だったうえに、その前の高校時代から、その状態に突入する「助走期間」があったのですから、その末路が、どうしようもなく暗く、愚かしいものであることは、容易に想像できるわけであります。  カヨコちゃんは、高校まで、東急|目蒲《めかま》線の沿線にある、洗足《せんぞく》学園に通っておりました。この学校には大学も短大もあるんです。どこの大学にでもある、国文科と英文科の他に、音楽科もあるという学校。大学と短大には、例のフジテレビ「オールナイトフジ」に出演してきてしまうような女のコも何人かはいますけれど、その大部分はジミな女のコの多いスクールカラーなわけです。  ですから、カヨコちゃんは、 「なんとかもうちょっと、メジャーめな短大に行きたい」  と、高校へ通いながら、つねづね思っていました。だまっていたら、そのまま上の短大へ入って、一生ジミな生活をすることになる、と考えてた。  スカートは長いし、モクはやるし、マッポにはお世話になるしの問題児が、ある日突然、学校に顔を見せなくなったと思ったら、いつのまにか結婚していた、なんてことがしばしば起きる反面、目蒲線洗足駅の脇にある「ケンタッキー・フライドチキン」と「ミスター・ドーナツ」に、三年間に一度も足を踏み入れたことがない、というコもいる、という両極端な校風なわけですから、カヨコちゃんが、 「ぜひとも、ハデめの短大に行きたい」  と思ったとしても、当然のことです。  で、カヨコちゃんが目をつけたのは、東京女学館なのでした。この学校は、高校までは広尾の高台にあって、遊び慣れている男のコの多い麻布、慶応、学習院、立教といった私立高では、 「館(ヤカタ)」  と呼ばれている、注目校であります。  リボンのついたセーラー服も、かわいらしくて人気もあって、ヤカタのコとつき合うのは、慶応や立教の男のコの間でも「勲章」もの、それ以外の高校に通う男のコたちの間では「あこがれ」とさえ思われています。  たとえば、一一月に行われるヤカタの文化祭は、チケットを持ってないと、校門をくぐれない、というチェックのシビアさもあって、 「ことしこそはヤカタの女のコとお知り合いになりたい」  と祈ってやまない武蔵工業大学付属高校や明治大学付属中野高校の男子生徒が、文化祭のとき、校門の前で、 「一枚、どうか一枚、だれかチケットを譲ってください。五〇〇〇円でどうです!」  といって頭を下げている光景が見受けられちゃいます。  ヤカタは、短大となると、渋谷から一時間以上もかかる田園都市線の南町田という駅から、さらに歩くこと一五分の畑のなかに移るわけですが、カヨコちゃんは、このヤカタを目指すしかない、と燃えてがんばったんですね。ヤカタの短大は、そのまま下からエスカレーター式に上がってきた女のコたちが、かなり慣れた感じで遊びまわっているところですから、なんとかヤカタに入って、こうした遊び人たちのグループにモグリ込んでしまおう、というのが、カヨコちゃんの考えだったわけです。  一生懸命やりました。高校へ通いながらも、心はすでに、山のあなたのヤカタのもとへ。目蒲線の電車のなかで、 「今度の日曜日、映画を観に行きませんか」  とかいうクラーイ誘いをかけてくる、都立小山台《こやまだい》高校や田園調布《でんえんちようふ》高校、はたまた南高校の、どうしようもなく大したことない男のコたちなど、「完全無視」していました。  そうしたニキビ少年たちにはシカトしながら、カヨコちゃんは、心のなかで、こう叫んでいたのです。 「フン!! ヤカタの短大へ入りさえすれば、慶応も立教も、よりどりみどりなんだもんね。こんな、ザコと、いまつき合ってるヒマなんかないもーん!!」  ところが、カヨコちゃんは東京女学館、山脇、玉川学園と、それぞれ短大を受験して、受かったのは玉川だけでした。玉川は、カヨコちゃんの住んでいるところから、非常に行きづらく、遠いので、ヤダナー、と思いましたが、他に受かったトコがありませんでしたので、しようがありません。  最初は、ヤカタの夢が破れて、ガックリきていたカヨコちゃんも、玉川の、丘陵地帯に広がるキャンパス、それに外国の大学かと錯覚してしまうような雰囲気に、 「まあ、なんてステキな環境なんでしょ」  と、次第に玉川ッコに変身。しかも、 「男女共学の四年生の大学も、同じキャンパスにあるから、男のコもワンサで、もしかしたら、楽しいこともあルンルンじゃないかしらン」  と考えてしまい、めでたく入学しました。けれども高校時代をジミな女子校ですごした人特有の、まちがった考え方なのですね、これは。  この際、はっきりいっておきますが、 「男のコにモテたい」  と真剣に考えるならば、 「共学の大学、あるいは共学の大学が併設されている短大へ行ってはイケナイ」  のであります。モテるのは、そういうところに通っている女のコではなく、 「女子大か女子短大に行ってるコ」  なのです。モテたいのに、共学の大学へ行くなんていうのは、自殺行為に等しいです。  どうしてでしょうか?  答えは簡単です。共学の大学へ入ると、そこの学校の男のコとしか、仲良くなれないのですね。ごくまれに、どんな大学に通っているかには関係なく、どういうわけか、やたらと他の学校の男のコに顔が広い女のコもいたりしますが、フツーは、まず、その大学内にいる男のコ選びの範囲が、限定されてしまいます。  クラブも学内のメンバーだけだし、女子大なら他の学校との合同クラブが豊富にある。このことだけを考えても、まったく不公平です。おまけに、運命を共にしなければならない学内の男のコたちが、思い切りダサいのばかりだと、そーとー悲劇的です。  また、医学部や慶応のテニス同好会とかの主催するディスコパーティーのチケットも、女子大で大量に出まわり、共学の大学へは届きません。共学併設の短大にしても然《しか》り、です。なかには、卒業するまで、世の中に、そんなパーティーが存在していることさえ知らずにすごしてしまう、生きた化石、はたまた、シーラカンスのような人もいます。  この現象を、 「女子高ウッ屈性共学大学パラドックス」  といいます。最近は、この現象の深刻化がとみに問題視され、女子高時代にハデに遊ばせるしかないのではないか、いや、それでは従来の需要と供給のバランスが崩れる、などと、識者の間では議論が盛んです。  つまり、 「もう、女子校なんてイヤ、男のコにモテたい!」  と思って、セッセとお勉強をして、立教や学習院、上智といった共学の大学へ入学しても、期待に反して、知り合いになれるのは、同じ学内の大したことない男のコたちだけなのに、彼女たちよりも模擬テストの点が悪かったものだから、もっとミーハーな女子大に入っちゃった女のコのほうが、やたらといろんな大学の男のコから誘いがくる、という逆説的現象が起きるわけです。  共学大学に併設されている短大の場合は、わずかに、青短や学習院の短大など、ごくごく少数の「メジャー短大」ならば、チャンスは残されていますが、カヨコちゃんの通った玉川あたりだと、 「慶応のパーティーチケットはまわってこない、学内の男のコたちはインポ少年」  といった状況になっちゃいます。こうして、カヨコちゃんの期待は、 「高校から短大へ、短大から就職へ」  とまあ、夢は枯野をかけめぐっちゃうのでした。   カヨコちゃんは不倫の恋の道を一直線  しかし、そうはいっても、二年間というもの、まったく男のコとつき合わない、というわけにもいかず、やっぱり、学内の男のコとつき合っていたわけです。なぜか「デンマーク体操部」というクラブに入ってしまい、そこで知り合った少年。  ところが、この男のコが、なんと髪の毛が刈り上げ体質で、ニューウェーブ気分たっぷりの逆噴射少年。おまけにナント、中学までは慶応普通部に通っていた、というカワリダネ中の変わり種だったんです。成績が悪くて、慶応の高等部へあがれそうもないから、玉川にきたのが真相なのですが、それでも、カヨコちゃん、 「玉川行っても、ネは慶応」  なんてのを捜し出すあたりは、執念というか、サスガです。  彼は一年先輩なんだけれども、カヨコちゃんは二年で卒業、もともと、 「不本意ながらもおつき合い」  という彼との関係でしたから、大手町にある「三井物産」に就職が内定すると、 「今度こそイイ男を見つけよう」  という大志を抱くようになりました。さて、さて、四月になっても、彼はまだ、玉川大の四年生をやってらっしゃるわけですが、カヨコちゃんは、いまや、玉川とは違う「ブランド大学」を出た男の人がいっぱいいるはずの「一流企業」に入ったのですから、闘志はメラメラ、もう逆噴射少年の影がうすーくなってくるわけですよ。  ところが、ここでもまた、「期待過多」の天罰が下っちゃいます。結局、若い男のコなんて、みーんな他の部署に派遣されちゃってて、本社にいるのはオジサンとか、たまに若いのがいても優秀でもなんでもない、インポ系の男のコたちばかりなんですね。ここで、すでにガックリきちゃう。  あいかわらずの玉川大四年生とセックスして失意をまぎらわせる日々が、しばらく続くわけですね。で、そうしてるうちに、オタフク風邪にかかったように、職場の上司、三五歳、妻子持ち、田園都市線沿線に3LDKのマンションあり、というオジサンと深い関係になってしまいました。 「三井物産」には、チーム・リーダー制というのがありまして、ま、「主任」くらいの意味なんですが、女のコの上司に、このリーダーがあたるわけです。リーダーですから、残業やなんかもやって、そんなことしてるうちに、だんだん仲良くなっちゃって、ある日、 「仕事が長びいちゃったね。遅くなったから、どこかへ食事に行こうか」  とかいって、カヨコちゃんが連れて行かれたのが、赤坂だったのであります。これは、感動、なわけですよ。いまだに「クリスチーヌ」の洋服を着て、「ミハマ」の靴をはいて、 「ボーナスが入る一か月前くらいに、UCカードの�ボーナス一括払い�で、銀座の『シップス・レディース』のお洋服を二着くらい買おう」  と考えているニュー銀としては、感激なわけです。もっとも、チーム・リーダーのほうは、それなりに、カヨコちゃんがトイレへ行ってるスキに会計をすませて、 「領収証、ください」  とかいって、社用の経費でオトそう、なんて考えてるわけなんですけども。  それはともかく、カヨコちゃんは、オジサンに連れてってもらった赤坂でお食事、という夢に大コーフンしちゃって、思わず、そのまま、ホテル「シャンティ赤坂」へ直行してしまいました。で、確かにセックスしてみると、いつもの玉川四年少年が一〇分しかかからないところが、そこはソレ、オジサンですから、 「インサート後三五分間持続」  という芸当を見せつけられて、いい、すごい、と、喜んじゃうことになります。もちろん、オジサンらしくグリグリちゃんも忘れません。  次の日、会社に行くと、彼は、ちゃんと、ナニゴトもなかったような顔をしてお仕事をしている。カヨコちゃんは、そういう姿を見て、よけいに、 「イケナイ、イケナイ」  と思いながらも、のめり込んでいき、そのプロセスで、玉川四年少年はどっかにうっちゃってしまいます。  もう、カヨコちゃんの勢いは、とどまるところを知らないですね。こういうパワーというのは、えてして、短大時代、高校時代に、大したこともなくすごしてきちゃった、というコに、ありがちなんですね。  それからもどんどん進行していって、とうとう来るべきときがやってきます。あるとき、リーダーが、海外出張に出かけることになり、出発の前日から、リーダーは成田へ行くために会社の近くにホテルをとります。  カヨコちゃんは、リーダーを見送るために、出発日はお休みをとって、前の晩は、リーダーと一緒に「パレスホテル」の一室ですごすわけですね。翌日、リーダーとカヨコちゃんは、会社のまわしたハイヤーに乗って成田まで行くんですが、リーダーが、 「ハイヤーでそのまま家へお帰んなさい」  と、ウカツにもいってしまうんですよ。一週間くらいたって、そのハイヤーの伝票が、経理部のハイミスのところへまわってきます。チェックしてみると、当然のことながら、送り迎えした住所が、リーダーの住んでるところとくい違ってるわけですよ。 「これはどーゆーことなの」  とハイミスおばさんがハイヤーの運転手さんにきいたりして、チーム・リーダーとカヨコちゃんのつき合いが明るみに出ちゃいます。 「あんなにマジメなコが、エーッ!」  てな具合で、これはもう、カヨコちゃんは非常に会社に居づらくなってしまいます。リーダーはリーダーで、ポーン、と福岡支店に飛ばされますし、カヨコちゃんはカヨコちゃんで、会社を辞めるしかなくなっちゃうわけなんです。 「ハデに遊びたい、モテたい」  と思っていた素朴な乙女心も、女子高、短大、会社と進む数年間のうちに、ウッ屈したエネルギーになり、それが爆発したのが、単なる、「オフィスラブ、不倫の恋」という寂しい形だった、というのが情けないですね。そのときになったら、もういつかの玉川四年少年も、どこ行ったかわからないし、頼みのチーム・リーダーも九州に飛んでっちゃった。会社は辞めなくちゃならなくなって、どうしようもない。ニュー銀は、オフィスラブに、細心の注意を払わないと、こういう悲惨な結果をまねきます。   新宿派は歌舞伎町の甘い生活へ転落〓  ニュートラ新宿派は、最も素朴なケースといえますね。このテの女のコは、どこにでもいます。「〇〇女子商業高校」とか、普通科の高校でも進学クラスじゃなくて「就職クラス」に行ってるような女のコたちですね。  まあ、テキトーに遊んでたりするんですけど、行ってるお店は、やっぱり、新宿が中心になりますね。GBラビッツとかB&Bに通いつめて、どう転んだって、せいぜい、「ラジオ・シティ」くらいです。そういうコは、高校卒業、あるいは短大を出てから就職しても、初めのうちは、同じようなお店へ行って遊んでいます。  ニュートラ渋谷派が主として大学生、ニュートラ銀座派が主にOLだとすると、これに対して、ニュートラ新宿派というのは、大学生とOLの混合集団だということができます。  どこにでもいそうな女のコのグループなんですが、それだけに、その「転落」の道筋は、ハタで見ていて背スジが寒くなるような思いがします。ここでは、「都立池袋商業高校」を卒業して、新宿にある「伊勢丹《いせたん》デパート」に入ったミカちゃんのケースを、追ってみることにしましょう。 「伊勢丹」は水曜日の定休の他に、もう一日、両方で週に二回のお休みがあります。結構、自分の自由になる時間がとれるんですよ。  それに、残業もそれほどないですから、平日で毎日、六時半過ぎにはお勤めから解放されることになります。  新宿という「地の利」を十分に生かし、あいかわらず「ラジオ・シティ」あたりへお出かけして、そのへんにいる、ちょっと年上、くらいの男のコと遊んだりしています。  ところが、デパートガール全体についていえることですが、現場の販売員をやっていると、ずっと立ちっぱなしですから、休憩時間とか、お昼休みとかっていうと、どうしても、外のお店へ行ってお茶をしたくなるわけです。社員食堂はまずいし、控え室でちょっとタバコを一服、と思っても、すごく狭いんですよね。だから、毎日デパートから出て、近くの喫茶店にお出かけすることになっちゃうんです。  お昼ごはんもまあ、新宿ですから、一回に一〇〇〇円近くはかかる。それと、休憩時間に、サ店でお茶するのも三〇〇円はかかりますよね。毎日毎日なんですから、これが結構バカにならない出費になるわけです。  たとえば、お給料が一〇万円として、社内預金とか財形貯畜とか、あらかじめ引かれるスタイルのやつがあるでしょ、それが一万五〇〇〇円とか二万円。それに、こういう女のコの家庭というのは、兄弟が三人とか四人とか、いっぱいいる場合が多いですし、お父さんの稼ぎも、あんまり大したことないケースが多いですから、おうちに三万円くらいは、最低、入れなきゃいけません。で、毎日の出費が一三〇〇円として、一か月二〇日間で、二万六〇〇〇円が、自動的に出ていってしまうんですよ。差し引きするといくらですか? 七万円以上が最初からないみたいなもんですよ。これは大変ですね。  お金がなくなってくると、お洋服が買えないし、ディスコへ行ってパァッとやることもできないわけですね。  年上の男の人とつき合って、全部払わせる方法もあるにはあるんですが、デパートのフロア主任とかっていうと、新入りの女のコとか、化粧品やファッションメーカーからの派遣店員の女のコを専門に、 「ひと月にひとり、新しいコとやる」  という人間ですよね。ミカちゃんの周りにいる男っていうと、そんなのしかいないわけですから、とてもステディーとして、ずうっとつき合うっていうタイプはいないんですね。  と、ある日、先輩の女子社員が話しかけてくるわけです。 「お金が足りないわねぇ、あなたも大変でしょう? ねぇ、あなたも、どお? こーゆーのは」  とかいって、紹介されたのは、「地の利」を生かした「歌舞伎町」にある「早朝ソープランド」や「マッサージ・パーラー」でした。先輩も、自分だけやってる、という後ろめたさから解放されようと思って、しきりと人に勧めるわけです。  ミカちゃんは、もともとそういう素質があったらしく、なんのためらいもなく、この先輩の引きで、早朝ソープランドに勤めることになりました。  デパートは開店が一〇時、朝は九時四五分までに入ればいいから、七時半からやっている早朝ソープランドで毎朝「ひと汗かいて」そのうえ、「アワだらけになって」きれいになり、髪の毛もそこでブロウしてから出勤できる。一石二鳥だ。なんていう風に計算するんですよ。 「夜、ディスコで遊んで疲れて帰って、そのまま寝ちゃっても、早朝ソープランドの勤め先で、ちゃんとシャワーを浴びて、身仕度《みじたく》をして出勤できるから便利だわ」  とかいうことまで、考えに入っているわけなんです。  で、週に三日くらい、早朝ソープランドをやり始めるんですが、これがもう、バカスカもうかるんですよね。「こりゃモッタイナイ」ということで、週に二日は、夜のマッサージ・パーラーのアルバイトまで始めちゃうんです。  そうすると、デパートのお給料の七、八倍の収入が、お給料とは別に入ってくるようになっちゃいますから、 「もう、デパートの店員なんて、バカバカしくてやってらんないわ」  ってことになります。ミカちゃんは、クリスマスのボーナスをもらった時点で、めでたく「伊勢丹」を退職しちゃったわけです。  今度は、本チャンで、そういった「夜のお仕事」に就くことになったわけですが、当のミカちゃんには、それが�本チャン�の仕事だという意識がありません。事実、その他に何もやってないんですから、本チャンでやってるとしかいいようがないはずなのに、 「職業は、なに?」 「エー、私、アルバイトぉ」  とか答えますね。まるで「本チャン意識」がない。子供を育てるため、とかの理由で、スッポリとソープランドにひたってる人なんかだと、結構ソープランド嬢という職業にプライド持ってたりもするんですが、ミカちゃんみたいな場合は、ほとんどなにげでソープランド勤めしてるわけだから、やってることはプロでも、頭のなかはズブのアマチュアなんです。  ところが、そのわりには、めちゃくちゃお金が入ってくるんですよね。月に百万円くらいは、ゆうに稼いでしまうんです。  ここまでくると、新宿のディスコへ繰り出しても、何かもの足りないわけです。いまイチ、「ラジオ・シティ」のムードには乗り切れなくなってるんです。体のほうが。  そのとき、またしても先輩ソープランド嬢が、誘ってくれるんですね。 「どお? あなたも行ってみる?」  つって連れて行かれたのが、「レディース・クラブ愛」なわけですね。このお店は、新宿でナンバーワンの「ホストクラブ」として有名です。  こーゆーお店では「一本四〇万円」なんていうボトルが、平気で置いてある。夜の一二時に開店して、朝までやってるから、ミカちゃんのスケジュールにもピッタリですし、「角川博」みたいな顔をしたホストがいっぱいいて、なかなかに華やいだその雰囲気も、気に入ってしまいます。   ミカちゃんは生涯一ソープランド嬢を目指す〓  夜のお仕事を始めてからというもの、いつもの「ラジオ・シティ」で知り合った若手サラリーマンとつき合いを始めても、まったく金銭感覚が違ってしまい、うまくいかなくなってたわけです。 「それじゃ、ホテルへ行こうか」  ってことになったとき、タクシーを降りる際に、彼のサイフの中身がパッと見えちゃうんですね。万札が二枚くらいしかないわけですよ。二人でディスコへ行って八〇〇〇円、タクシー払って一五〇〇円、残り一万とんで五〇〇円で、 「それでダイジョーブなの?」  なんて心配しちゃうわけですね。一万とんで五〇〇円で、ホテルをやりくりしなくちゃならないサラリーマン君を見ていると、アワレっぽいし、ショボいし、もうイヤんなってくるわけですよね。 「アタシが出したげよか?」  といいそうになっている自分に気づいて、 「これではイケナイ」  と思いとどまって、思わず、意味のないことを口走ってしまったりもします。  で、実際にホテルに行っても、ミカちゃんの場合は、一泊一万五〇〇〇円くらいのレベルのラブホテルがいいのに、サラリーマン君は、七五〇〇円あたりの部屋で我慢しちゃうもんだから、どうしても不満が残るわけです。  セックスも、こういった若手の場合は、朝までかかって、回数だけは多く、四回くらいするんですね。ところが、当然のように、自分だけ気持ちよくなってしまうセックスですから、数ばっかりコナしても、ミカちゃんは感じないまま、結局、何もかも盛り上がらないままに、夜が白々と明けてくるんです。  そういう状態だったわけですから、「レディース・クラブ愛」は、ミカちゃんにとって、夢の殿堂に思えてしまうんですね。  ワイシャツの袖のカラーが一五センチくらいもあって、それで叩《たた》くと、顔なんかパックリ切れてしまいそうなやつを着てる「角川博」が、裏地に「虎」の絵が入ってるようなスーツを着て、エラくやさしくしてくれるんですもんね。ミカちゃんはコーフンしてしまうわけですね。 「これこそ、私が求めていた男性だ!」  で、よせばいいのに、二〇万円くらいするボトルをとって、三日とあけずに通い始めることになります。月に百万の収入があるのに、ここのお店の払いが、一か月で七〇万くらいになってしまいます。住んでるマンションの家賃が一〇万円ですから、ホストクラブへ通う他には、もう、なーんにもできない生活になるんですよね。それでも、やっぱりお洋服とかも買っちゃいますから、せっかく貯めていた貯金も、残高がドンドン、なくなっていくことになります。  しかも、一般にホスト業界は、高卒社会なんですけど、たまたま「青学を中退」なんていうのが混じっていると、もう、ミカちゃんは、 「彼は大卒だわ」  と思い込んでしまい、イレあげてしまうんですね。  その中退少年には、結構、銀座のホステスねえさんなんかのお客がついていて、まあまあ成長株のホストなんだけれども、イレあげられると、多少トウの立ってきてる銀座のねえさんよりは、まだ若くてピチピチしたデパートガールあがりのミカちゃんのほうに、目がくらんでついつい、本チャンのおつき合いになったりします。  こうなると、完璧なドロ泥で、ミカちゃんがホストクラブへ通って「一本二〇万」のペースでお金を使い、中退少年がソープランドへ通ってチップをはずむ、という「経済のサイクル」ができあがっちゃいます。これを「性産業の食物連鎖」と呼びます。  ソープランド嬢とホストのカップルですから、だれがどう考えたって、 「金の切れ目が縁の切れ目」  なわけなんですから、二人が末長く幸せに暮らすなんてことは、ほとんど不可能なんですね。ホストなんて、長いことできるわけありませんし、ミカちゃんも、 「生涯一ソープランド嬢」  とかできませんから、遠からず破局は訪れちゃうんですね。この場合、ただの恋愛関係の終局、というだけではなくて、「経済の破綻《はたん》」という側面もありまして、うっかりすると、人生においても「再起不能」になる場合も少なくないので、とても悲惨です。   エレガンス派はマイナー・グループ  残る二つのグループ、エレガンス派とボリューム派については、まとめて書いてみようと思います。エレガンス派の女のコというのは、ボクの書く小説のなかに出てくる女のコと、非常に近い存在ですから、多くを語る必要はないでしょう。これに対して、ボリューム派の女のコたちは、別にいてもいなくてもいいので、あまり多くを語る気がしません。  エレガンス派のコが、大学を卒業して就職しても、毎朝早く起きて通勤するのはつらいので、しばらくしたら退職しちゃいます。それで「アーバン」とか「フラッシュ」といった人材派遣会社に登録して、「コンパニオン」をやったりするのがパターンとなります。  とはいっても、月のうち半分以上は仕事をしていませんから、とてもエレガントです。もともとお金持ちの家のコですので、何につけ「アクセクする」といった感じが欠落しています。  よく晴海《はるみ》で行われる「〇〇見本市」とか「〇〇ビジネス・ショー」とかのコンパニオンをやっていると、出品している企業の広報担当者や、その企業を担当している電通、博報堂などの広告代理店の営業マンたちと知り合うことができます。  だいたい、メーカーの担当マンはフェース的にダサいです。代理店の男の人も、大したことないですが、「電通」というブランドで、エレガンス派にモテたりもします。  でも、エレガンス派にとって、真のブランドとして通用するのは、なかなかに厳しいチェックをかいくぐってこられるごく少数の男のコだけです。ですから、もともと家のいい電通マンはいいんですが、単なる早大や明大の「広告研究会」あがりのサラリーマンだと、いくら電通の社員だとしても、すぐに捨てられます。  こういう遊びで男のコとつき合うことで、数多いエレガンス派の女のコは、いざ、結婚となると結構、「お見合い」で決まったりします。彼女たちの場合、結婚の対象を選ぶ基準は、容姿なんて別に関係ありません。男の職業、家柄、収入、これから先の見通し、といったもので判断します。そうすると、「お見合い」で、客観的に、それぞれの条件をチェックしたほうがいい、ということになります。  結婚してからも、経済的にラクラクの生活ができるように、というのが、結婚の目標ですから、夫は多少フェースが悪くてもいいのです。  エレガンス派を多く輩出する大学としては、学習院、白百合、聖心、立教といったところですが、これらの大学の中学、高校を経てきた純粋培養エスカレーター組のなかにしか、エレガンス派は見いだせません。  外部受験の女のコたちは、下からあがってきた女のコと違って、どうしても「受験勉強」をしてきた、というクサさがあります。この極致をいくのが、付属高校を持たない大学の女のコたち。エスカレーターのない上智大学の女のコなんていうと、イメージとは裏腹にそーとーにダサいわけです。  もっとも、突如として、発作性遊び人を作り出すこともあります。上智大学はミッション系ですから、わりと小さいころから厳しくしつけられてきた女のコが、一生懸命に受験勉強を繰り広げたうえで、狭き門をクリアしてきてるわけです。入学したトタンに、これまでの何重にもなっていたタガが、一気にハズレて、道もハズレてしまうケースがあるんです。たまりにたまっていたものがあったんでしょうね。ですから上智の女のコには、ごくたまにですけど、ド淫乱《いんらん》なコがいたりもします。  ま、話はハズレましたけど、エレガンス派の女のコの神髄は「モラトリアム」にあります。中学、高校、大学ときて、学校を卒業したらモラトリアム期間が、同時に終了して、実社会とかシビアな人間関係とか、あるいは自分で生計をたてていくとかいった「シリアスな場面」に直面するのが通常のケースなんですが、彼女たちは、そういうシーンが、あまり好きくないので、会社にいっても辞めてしまいますし、結婚したって、いままでと同じような生活を続けてしまいます。  そういうわけで、エレガンス派の女のコたちは、一生モラトリアムしています。  どこまでもモラトリアムするには、経済的基盤が、まず何よりも必要になりますから、つき合う男のコも、それに見合ったレベルにいなければ、すぐに相手にされなくなるし、ましてや結婚の相手ともなると、経済力のない男性は「書類選考」の段階で、ゴミ箱へ直行しちゃいます。  つまり、エレガンス派は、お金持ちとでないと恋愛や結婚が成立しない人たちなんですね。そういう意味でいうと、社会的には「マイナー・グループ」であるといえるでしょう。  しかし、恋愛行動における彼女たちの考え方は、実に自由で、しなやかです。エレガンス派である、ということで恋愛経験がたくさん蓄積されるのか、逆に、恋愛のやり方がとても上手だから、男のコといっぱいつき合うチャンスが多くなるのか、これは「ニワトリとタマゴ」でしょうが、エレガンス派の恋愛術は、ボクの力説する「よそ行き顔してつき合う恋愛」や「並行・ブティック恋愛」のエッセンスを含んでいるので、とても楽しそうです。  問題は、だれもが恋愛をいい気分で楽しみたい、と考えていることですから、 「ビンボー少女だからエレガンス派にはなれない」  と悲観してはいけません。エレガンス派にはなりにくいかもしれませんが、彼女たちの自由な恋愛術を見て、それを参考にして、各自それぞれのレベルの恋愛を、フルに楽しもう、ということが大事です。エレガンス派は「恋愛標本」ということもできます。   ボリューム派こそ女のコの主流派〓  ボリューム派は、エレガンス派と対極をなすグループですが、その層の厚さでは、エレガンス派の比ではありません。まさにボリュームたっぷりで、実にいろんなタイプの人たちがいます。ひと言でいうと、ニュートラ新宿派になり切れないジミな人たち、と定義づけられるかもしれません。  要するに、ごくごくフツー、の女のコなんですよね。『non・no』の特集「この夏、あなたはこれで湘南を征服できる! 完全保存版」なんていうのを読んでるコです。読んだからといって、征服なんてトンデモナイわけであって、カッコいい男のコにめぐりあえることもなく、女のコ同士で江の電に乗って、数年前に、ジミめな女のコの間で流行《はや》った山口県の萩《はぎ》、津和野《つわの》ツアーの世界を、「鎌倉」で追体験しているだけです。  さだまさし、アリス、オフコースといった人たちのコンサートへ行きたがり、小田和正が、あの声やメロディーとはウラハラに、どれだけ女好きか、といったことは、まったく知りません。 「小田さんは、あのジミめな顔をした奥さんと、きっときっと、幸せな家庭を築いているに違いない」  と信じきっている、まさに純粋な女のコでもあります。  自分にも、いつの日か「白馬に乗った王子様」がお迎えに来てくれる、と本気で思っているのですが、ほんのささいなキッカケで、「夜のお仕事」にはまり込んでしまったりするコも出てきます。つまり、ボリューム派から、ニュートラ新宿派の極端な部分へのワープ現象も、起こりうる、ということなんです。  ああしたい、こうしたい、こうでなきゃいけない、とか、あんまり考えないタイプですから、たまたま自分の近くに、激しい「新宿派」がいたりすると、即、これに感染してワープします。  そうなった場合、もともとネが純情にできていますから、先輩の新宿派なんぞよりもスジガネの入った「新宿派のなかの新宿派」として大成しちゃったりもするわけです。  ワープしないボリューム派は、あいかわらず「マクドナルド」とか「ダンキン・ドーナツ」とかでアルバイトをしていて、結局は地元へ帰って、村役場や農協の少年と結婚する、というのが末路になりますね。長い人生のうちの短大の二年間、あるいは大学の四年間というのが、唯一《ゆいいつ》、華々しい時期なのですが、こんな世の中になっても、 「六本木のディスコっていうところは、怖いところ」  みたいに信じ込んでいるために、みすみす華々しさを殺してしまう傾向にあります。  男のコとつき合うチャンスが、ないわけではありませんけど、これはもう、完璧な「合同コンバ」「合同ハイキング」の世界に限られるわけですから、大した男のコは見つかりません。ボリューム派の場合、恋愛においては、きわめて薄幸な人生を歩む、ということがいえそうです。  それでも、知り合った少年が「童貞」だったりして、二人とも真剣につき合ってしまうこともあります。そういう人は、男性経験はいまの彼だけなのに、セックスの回数だけは、やたらと多かったりする場合もあります。たいしたデートもしないで、ただただ、お互いのアパートで、セックスの回数だけは自慢できるほど多かったりするんですが、そこからの発展がない。無理矢理に発展するとすれば、相手の男のコが、どうしようもない遊び人だったときで、そのときには、「新宿派へのワープ」という形で発展しちゃうんです。  役場の出納《すいとう》係タイプの童貞少年と、真剣恋愛に陥ってしまうと、ボリューム派の場合は、限りなくその路線を進んでいっちゃいますね。それはそれでいいのかもしれません。ボクが口を出すスジアイではないですね。人それぞれの人生ですから。  第6章 さよならシンデレラ   世の中はなんクリ的世界へ進化する   恋愛は現代人の心のオアシスです   形而上的恋愛なんてフィクションです   現実に即した恋愛パターン その㈰   現実に即した恋愛パターン その㈪   恋も人生もトライ・アンド・エラー   世の中はなんクリ的世界へ進化する  ≪男の子に会う前には、シャワーを浴びてから出かける方がいい、と私は思っている。女の子と会う時には、構わないのかといわれてしまうと、そういう訳でもない。  ただ、シャワーを浴びてから出かける方が、気分が誠にウキウキしてくるという、単純きわまりない理由に過ぎない。  そして、この単純きわまりない点が、実は大変に重要なところなのだ。  髪の形が思うようにいかない日は、一日中、気分がムシャクシャしてしまう。それと同じで、シャワーを浴びていかないと、なんとも気分が乗ってこない。  結局、私は�なんとなくの気分�で生きているらしい。  そんな退廃的で、主体性のない生き方なんて、けしからん、と言われてしまいそうだけれど、昭和三十四年に生まれた、この私は�気分�が行動のメジャーになってしまっている≫  これは、四年前にボクが書いた小説『なんとなく、クリスタル』の主人公、由利の独白を引用したものです。 �気分の時代�といわれる現代、まさに、由利の独白は、「いま」を生きている女のコを代弁しているといえます。昭和三四年生まれの由利も、ことしで二五歳。三〇年代後半、四〇年代生まれの女のコたちが、ディスコへ遊びに出かけるようになってきて、いよいよ�気分の時代�に拍車がかかってきています。 『なんクリ』を書いたとき、さまざまな受けとられ方をしましたが、作中に登場するブランド名やお店の名前が、やたらに多いことから、 「これはカタログ小説だ」  という批判もありました。  しかし、考えてもみてください。カタログであるなら、純然たるカタログのほうがわかりやすいわけでしょう。この小説をカタログとして「使用」しようとすれば、すごく「読み」にくいのは、わかり切っています。  だとすれば、あれは何だったのか?  要するに、�気分の時代� と呼ばれている現代をコンパクトに映した鏡だったわけなんです。カタログ雑誌のようなものが、圧倒的多数に受けいれられ、好んで読まれ、細分化されたあらゆる商品群が、一般ユーザーに選んでもらおうと待ち構えている——そんな時代の、恋愛が、どんな形をしているのか。それを映した世界だったんですね。  いつもいい気分でいたい、いい気分の恋愛を楽しみたい。いま、だれもがそう思っていると思います。「なんクリ」ということばは、流行語にもなりましたが、実際は、ブームなどではなくて、現に進行している若い人たちのライフスタイルそのものといってもいいでしょう。そして、そのライフスタイルのなかでこそ、ボクの提唱する「よそ行き顔の恋愛」や「ブティック恋愛」が生きてくるわけなんです。 『なんクリ』や『ブリ午後』に展開された�気分の恋愛�とは、これまでボクが書いてきた「エレガンス派のよそ行き顔した恋愛」にほかなりません。つまり、小説のなかの恋愛パターンが、事実、さかんに行われている、ということなんです。  それは驚くべきことでもなんでもなくて、世の中がどんどん、「なんクリ的世界」になっていっている、ということです。これからも、ますます恋愛の形は、ボクの提唱するようなパターンになっていくでしょうね。 「エー、ウソー」  とかいう人のために、もう少し詳しく説明しましょうか。「なんクリ的」になっていく背景は、ちゃんとあるんです。少々ややこしいけど、この際だから、キッチリ説明しちゃいましょう。   恋愛は現代人の心のオアシスです  お洋服はいっぱいあるし、食べるものだってたくさんある。お金も、アルバイトをすれば、比較的ラクに稼げる世の中になっています。親はとっても子供にやさしいし、世の中みんな豊か。何でもしてくれる、っていう時代なんですよね。  だけど、それだからこそ、不安とか怒り、渇いた、満足しきっていない、という気持ちがあるわけです。  たとえば、洋服なんかでも、大昔はハダカだと危険だからってことで服を着てたわけだけれども、いまは全然、服を着ることの意味が違ってきています。ボートハウスに行列してまで買ったトレーナーが洋服ダンスのなかに詰まったまんまになってる。いまではもう恥ずかしくて着られないわけだから、みんなパジャマ代わりにしてお部屋で着て、それで長電話なんかしてるわけでしょう。  洋服を着るということが、一番最初の、第一義の目的であったところを離れたところ、つまり、肌ざわりがいい、とか、見てカッコいいデザインね、とか、だれが作った、とか、そういう本来の目的を離れたところに価値をおくようになっちゃってるわけです。  食べものを考えてもそうですよね。本来は何か食べないと生きてけない、というところで食べものが存在していたわけだけれど、いまはマクドナルドや吉野家が、どこにでも氾濫《はんらん》している。そうかと思うと、犬のポチだって、ゆうべのスキヤキの残りのお肉と牛乳を混ぜて食べさせてもらえる時代になっちゃっているわけです。人間も犬も、ただ単に食物を摂取するという意味で考えると、すごく行き渡ってるんですね。そうなると、どこのお店の何を食べるか、に価値を見いだそうということになっちゃう。  それがブランド信仰だったわけです。  人生のスタイリング化現象といってもいいですね。  ところが、そんなものでは根本的な充足感は得られないわけです。これはいいデザインだ、と思っていても、一年たったら、もう、古いものになってしまうんだから。一瞬の充足でしかありませんね。袖を通したときの満足度、というのは永遠には続きません。  そうすると、その充足感が、少しでも長く続くように、と、モノに対するコダワリ方がえらくエスカレートしていくわけです。どんどん激しくなっていく。そして、そのコダワリを正面切って口にするのは「中身がない」と思われそうだと心配して、そこで、ウンチクでもって味つけします。『BRUTUS』でやっているような、アレです。要するに、本音から逃げている感じがしないでもありません。  こういう現象が、どうして表面に出てくるか、というと、人間がみんな同じようになってしまっている、ということに起因していると思われます。  飛騨《ひだ》の山奥の、五〇人くらいの村に住んでいれば、日常生活でも、だれとだれがどういう位置関係にあるか、がわかる。つまり、自分が、その五〇人の人間関係のなかで、どう位置づけられるか、ということが確認できるわけですよね。  ところが、都会にいると、そうはいきません。電車のなかで、お尻をさわってきたオジサンが、どこのどういう人なのか、わからないわけです。強いて判別しようとすれば、どこの会社のバッジをつけてたか、どんな色でどんなデザインのスーツを着ていたか、メガネはどこのものだったか、そういうことでしか判別できない。表面的なことでしか、人間をどこのランキングにいるのか、という判断ができないわけです。  結局、みんな同じように黄色い顔をして、同じような生活レベルで、同じように生きてるわけで、これだと、自分がどこにランクされているのか、非常にわかりにくい、ということになります。  それでも自己確認を成し遂げたい。で、洋服とか、食べものといった�一瞬のモノ�ででも、自己確認していたい、と思うわけです。血の通わない、そんなものででも。  本当は、血の通った、ちゃんとした「人間」で確認したいはずです。  そこに、恋愛の大きな意義がある、と思うわけです。結局、恋愛というのは、ある意味で最も「確認」のできるものだと思うからです。  もともと、だれにでも生理的に、異性とつき合いたい、という願望があるわけですよね。都会生活で、洋服や食べものなんかで、何とかかんとか、瞬間の繕《つくろ》いをしている心のヒダを埋めてくれるものとして、恋愛はモノ以上に大きな可能性を秘めています。  不安、怒り、渇き、といったものを、充足に導いていくものとしては、恋愛は現代において、とても大切なものだ、という認識をするべきでしょう。  恋愛をすれば、自分ひとりの楽しみが二倍になるわけですよね。悲しいときは、それが二分の一になれる。相手はしゃべってくれるし、いろいろな反応もしてくれる。しかも、肉体的な結びつきも、できる。  恋愛をする、ということは、とてもいいことなわけです。  そして、その恋愛を楽しむのなら、なるべくいい気分で、しかも豊富に楽しみたい。とすると当然、「よそ行き顔」で、「ブティック恋愛」をするのが正解、ということになるんですよね。   形而上的恋愛なんてフィクションです  新しいお洋服を買っても、いいレストランに入ってお食事をしても、心の充足というのは、ただその瞬間だけで終わってしまいます。そういう断片的充足を繰り返し、エスカレートしていっても、結局、虚しい。  で、その虚しさをなんとか埋めようと、恋愛に走るわけです。  恋愛に代わって、その虚しさを埋めてくれるものは、もはや見いだせない時代ともいえます。そうなるとつねに、肉体的にも精神的にも、抱き合っているほうが安心できるわけです。もちろん、それにしたって、その瞬間、その瞬間の充足感、でしかないことは、確かです。でも、だからこそ、 「いっぱい恋愛したい」  という衝動は、うしろめたいものではなくなるのです。そんな風に思う必要はないんです。そう思い込んで、恋愛することに尻ごみしてはダメです。もちろん、失敗も恐れてはいけませんね。  確かに、従来、文学や映画などに描かれてきた、恋愛は「魂の交歓」であり、恋とは相手の生を生きることであり、愛とは耐えることだった、という、古典的な恋愛のパターンからは、かけ離れているかもしれません。  しかし、ドラマ化された「恋愛」は、えてして、そういう考え方を美化して印象づけるために、都合の悪い部分を省いてあったりもするもんです。  たとえば、『小さな恋のメロディ』って映画がありましたよね。あのラストシーンは、愛しあってる少年と少女が、親からのがれて、二人でトロッコを動かして、地平線の向こうまで続いてるレールの上を走り去っていくんですよね。  あのシーンを見て、だれもが、 「ああ、いいな」  と思うかもしれません。ボクだって感激しました。でも、物語はそこで終わってるんですね。地平線の果てに小さくなって消えちゃって、その先のドラマは描かれないわけです。  ところが、ボクたちは、そのラストシーンを観たら、映画館を出て、ちゃんと暮らしていかなくちゃならないわけですよね。ボクらには、具体的な人生がある。なんとかして生きてかなくちゃならないわけでしょう。小説や映画のなかの主人公たちは、別に、本当に生きてるわけじゃないから、ただ観客の心をモテアソブだけでいいんですね。  ボクらだと、トロッコを片づけないといけないし、寝るとこを確保したり、毎日の食事をどうするか、マジメに考えなくちゃならなくなるわけです。  かつては、そういう都合のいい恋愛なんていうのを、小説や映画のなかで、ドラマとして疑似体験して楽しんでいたんですが、もう、いまやそれもかなわなくなってきてる。そうでしょう。子供ならまだしも、オトナがいまどき『小さな恋のメロディ』を観《み》て、シラケずにすむもんでしょうか?  それと同時に、恋とは、愛とは、っていう形而上学《けいじじようがく》的なものの考え方が、どう考えても「ウソっぽい」と思うようにもなってきたのです。だって、現実の世界は、当然のように形而下的に展開してるわけだし、哲学者のいうようないいまわしは、それこそ、本のなかにしか実在しないんですから、リアリティーが感じられないわけです。  もちろん、声高に、あいもかわらずそういうことを叫ぶ人たちもいます。だれだって物語のなかで暮らすことはできないんだけど、躍起になって「文学的」な恋愛至上主義をまかり通らせようとする人たちがいますね。  崇高な愛と、それを断ち切ろうとする現実社会、その板ばさみになって苦悩する主人公たち……といった古典的恋愛パターンが、依然として「現実的」だと思っている「文芸評論家」の諸先生がたなどが、その代表選手です。  ところが、その実、そういう先生がた自身は、というと、これがまことにもって「非文学的」恋愛を得意としていたりするんですね。プラトニックなものよりも、肉欲的なもののほうを、一段下にランクしてます、みたいなことをいいながら、実地には、まったく逆の行動パターンをとっていたりするんですよ。 「田中康夫の小説は中身がない」  とか、 「女子大生が銀座で酌《しやく》をして働くなんて、けしからん」  なんて書いていたりする文芸評論家のオジサンなどは、前にも書きましたけれど実際に銀座のクラブへ行くと、 「お、このオンナいいなー。今晩ホテルに行きてェなー」  とか思って、しきりと焼き肉屋に誘おうとするわけですよね。 「青春小説におけるみずみずしさとは何か?」  みたいなことをいったりしてる人も、結局、一番関心あることは、銀座のおネエサンを焼き肉屋に連れてったあとで、セックスにまで持っていく、ということなわけですよ。  つまり、形而下の問題が、最も人間らしいことなのに、口ではそうはいわないんですね。でも、体は正直だから、ちゃんとやりたいように行動しちゃってるんです。  ですから、そういう従来の恋愛論っていうのは、本来、「裸の王様」なんですよね。ただ、崇高な文学的恋愛論をぶって王座についているというだけのことなんです。しかし、恋愛小説にしろ恋愛映画にしろ、毎日を実際に、現実的に暮らしている人たちから見たら、「絵空事」以外のなにものでもないことになる。「裸の王様」が、本当はやっぱりムキ出しだ、ということが見えるようになってきているんですよね。これから先も、その傾向は、ますます強くなると思います。  恋愛についていえば、だれでも、 「結局、肉体的なヨロコビにまさるものはないんじゃないの?」  という風に思い始めているわけです。そうです。みんな敢えて、声に出してはいわないけれども、表立っていないにせよ、だれもがそう思い始めてるんです。この「だれもが」ということが、大切ですね。  この傾向は、日々の日常生活を、「感性」という「女の理論」で生き抜いている女性のほうに、色濃く反映されつつあります。「論理」でものごとに決着をつけようとする男性は、どうしても保守的になりがちで、いまだに古色|蒼然《そうぜん》たる変愛論の幻想を抱いているような、純情少年や鈍感オジサンたちが、ワンサカ大勢いますね。 �気分の時代�をとらえるには、女の理論である感性をもってしたほうが、ピッタシくるのは当然で、いままでの古いパターンの恋愛を、刷新していくのは、女のコたちが中心となっていくことになるでしょうね。  女のコの場合、はっきりいって、キスされるときも、ただ目をつむっていても、できるわけですよ。もっといえば、バージンを捨てるときでも、自分が「イヤじゃない」と思える許容範囲内にいる男のコならだれでも、自由にチョイスできますし、目をとじて横になっていればいいんです。  そして、キスにしろセックスにしろ、 「この人、ヘタね」  と思えば、もう、その男のコとつき合わなきゃいいわけですね。恋愛において、いろんな面で技術的に劣る男のコたちは、どんどん、女のコによってハネられていく。これからの、いや、いまももうすでに始まっていますが、「恋愛は、積極的な女のコ主導型になっている」ということをはっきり断言できるでしょうね。   現実に即した恋愛パターン その㈰  女のコというのは、いつの時代も「現実的」だったのかもしれません。女のコが貞淑であった時代、女のコが主張した時代、そして女のコが率先して恋をする時代——。女のコは、いま、こんな風に行動し、こんなことを考えているんです。     ● ≪私、二〇歳の短大生。そろそろ来年の就職のことを考えなければいけなくなりました。それと、BFも、大学生の彼をやめて、ちゃんとした大人のお相手に、なんて考えております。欲張りかもしれませんが、仕事と男の人の、両方の面で、私をもっと磨きたい、磨かれるようなチャンスにしたい、と思っているんです。某女子短大の英文科、成績はかなりいいほうです。どんな仕事を選んで、どんな男性にアタックしたらいいのでしょう?≫  現実に即して考えていますね。短大を卒業して就職して、自分はOLになるのに、いまつき合っている彼は、いまだに大学生をやっているわけですね。釣り合いがとれない、という基本的な判断があるわけです。  まず、仕事の選び方ですけど、とにかく、ヘタに「仕事に生きよう」などと考えないことです。別に、一生仕事をするわけじゃないんですから、「やりがいのある仕事を」なんてバカなことを考えないほうがいいのです。  給料がよくて、休みが多くて、カッコいい男がたくさんいる会社、という基準で選ぶべきでしょうね。それと、注意しなくてはならないのは、勤務場所です。大きな会社に入ると、新宿に行くことになるのか、丸ノ内になるのか、わからない場合がありますからね。勤務地が希望できるのかどうか、希望したところに確実に行けるのかどうか、そういうことをあらかじめチェックして選んだほうがいいでしょう。  あとは会社の福利厚生施設が完備しているかどうか、とかありますけど、女のコ同士で箱根の社員寮へは行けても、彼と一緒にはお出かけできませんから、この点はあんまり考慮に入れることはないんじゃないですかね。ああいう場所は、彼のできない会社のコと「キズをなめあう」ために行く場所なんですよね。  男性社員の状況は、重要な点ですが、メーカーの場合は、男子の大卒新入社員などは、最初は地方の工場勤務ということがあったりしますから、要注意です。若くてハンサムな少年は、みんな地方で、本社にいるのはオジサンばっかり、という可能性もありますね。  会社名だけで選んだりすると、これまた、失敗します。たとえば「東京海上」だなんていっても、国立《くにたち》にある「事務センター」とかに配属されると、男が三人の部署に女が四〇人、なんてことになりますね。しかも、男三人のうち独身はひとりで、残りは妻子持ちでくたびれた「窓際」のオジサンだったりもします。  また、社内恋愛に対してルーズな会社を選ぶべきだと思います。「日本航空」みたいに、 「警察ザタにさえならなければ、なんぼでも社内恋愛してくれてケッコー」  と人事部の採用担当者がいってるような会社が、タイプでしょうね。マジメな会社ですと、マジメな男が入ってきますしね。そんなとこに入ってしまうと、この先、「津田沼《つだぬま》」かどこかの社宅で、同期入社で、同様に社内結婚した女のコと毎日、顔をつき合わせなくてはいけない悲惨な生活になっちゃいます。  それに、女子社員についても考慮は必要ですね。事前に、女子新入社員の出身校別リストを入手して、検討するべきです。どのへんの短大の女のコが入社してきているのか——地味目な短大や高校のコが多いと、当然、真面目《まじめ》なコばっかりということが予想されます。そうすると、社内でグループ交際をするときに、あなただけ抜けがけすると、女子社員の世界で村八分にされることになります。  さらに、レベルの違いは、話題、お洋服を買うお店、食事しに行くお店、等々、何から何までが食い違ってきてしまい、あなただけが、女子社員のなかで孤立する、という状態にまでなってしまいます。入社後の職場に、あなたと同じような感覚でつき合えるコが、どの程度いるか、ということも、よく調べておいたほうがいいと思います。   現実に即した恋愛パターン その㈪ ≪OLをしながらお金を貯めて、アメリカへ一年間の留学をするのが夢の私です。私は二〇歳。ほどほどのつき合いの彼もいるんですが、いま、ちょっと悩んでるんですよね。実は、私の友だちの友だちに、マッサージ・パーラーで働いて、一か月で百万円の貯金をした人がいるんです。私にしてみれば、夢みたいな話。私も、って思っても、不思議じゃないですよねー。彼には黙っていたほうが、いいと思うんですけど、ナイショでマッサージ・パーラーに勤めるのはどんなものでしょうか? ちょっとは社会勉強、男勉強かな、にもなると思うし……二、三か月働けば、と思うんだけど。いかがなもんでしょうか。ずっと前から、英語が話せたらなあ、って憧れてきたんです。なんとか、留学を実現したいと思ってるんですよね≫  マッサージ・パーラーに勤める、ということはともかくとして、そうやって「お金を貯める」ということと「彼に内緒にして」ということについて考えてみましょう。  まず、その友だちの友だちという人が、仮にその人は貯められたとしても、よほどあなたの決意が固くなければ、一か月で百万円貯める、なんてことはできませんね。  お金は当然、日銭で入ってくるわけですから、その日に使ってしまうんですね。洋服は買う、ホストクラブには行く、ディスコで大盤振る舞いはやる。いままではホワイトの水割り一杯だけ飲んでいたのが、一本一万二〇〇〇円もするモエ・エ・シャンドンのシャンパンを飲むようになってしまったりするわけですね。そこまでいくと、これはもうドロ沼で、「一か月で百万」どころか、やめられなくなります。  ですから、もし本当にお金を貯めたいんだったら、日払いではなく、月払いにしてもらう、という方法が有効でしょう。  ただし、この場合、途中で警察の手入れがあったりすると、いままで働いた分がすべてチャラになる恐れがありますから、「あまりマスコミでは有名になっていない店」とか、「かなりヤクザでもトップクラスの人がやっている店」とかを選ぶのもいい。警察の手入れを受けにくい店を吟味するというところに十分留意したほうがいいですね。 「彼に内緒で」ということですが、まあ、通常はバレないですむと思いますね。しかし、相手に気づかせないでおこうという努力が必要です。  とにかく、お金の使い方からしゃべり方、化粧のしかたが、絶対、微妙に変わりますから、気付かれないための十分な留意が大切です。  彼とデートしているときでも、金銭感覚が変わってしまったところは、ついつい出てしまうものです。それに、気をつけてはいても、彼とのつつましやかなデートを続けることが、苦痛になってくるはずです。よほどの自己規制がないと、つい、彼の分の勘定も払ってしまいがちですね。  いままでは「デニーズ」へ行ったとき、デザートは単なる「パパイヤ」だったのに、それが自然に「上にアイスクリームがのっかっている三五〇円のパパイヤ」を頼んでしまっている——心のゆるみが、そういうささいなところに顔を出すのです。  あなたの彼が、こういった変化に気づくような少年とは思われませんが、もし間違って彼が「現代国語的要素」の非常にある少年であるなら、危険です。バレます。この点を事前に確認しておくことも、転ばぬ先の杖となるでしょう。  それから、最も基本的なことなんですが、あなたが「留学することで、一体何を得ようとしているのか」ということを、もう一度見極めておくことが大切です。  単に、ファッションとして留学したいんであれば、マッサージ・パーラーで働いてまでして、お金を貯めて行くことはないと思いますね。それだったら、そんなことじゃなくて、「マクドナルド」あたりでアルバイトして、一か月一〇万円くらい稼いだら、そのお金でディスコに行っていっぱい遊んでたほうが、よっぽどいいですね。  六本木のディスコへ行けば、アメリカの黒人兵と仲良くなれるお店だってあるわけですから。そこで、黒人兵との恋愛が始まれば留学しなくともボディーランゲージの勉強はできちゃうわけです。それに、留学して、あなたが英語をしゃべれるようになっても、たいしたことのないレベルの会話力しか、身にはつかないような気がするんですが、どうでしょうか。  英語をどうしても覚えたい、というのであれば、留学しなくても、NHKの「英語会話」を聞いて英語ペラペラになる人はいるわけです。  いずれにせよ、ソープランド嬢だってなかなかお金は貯金できないものだ、ということを知っておいてください。お金が入ってくると、金銭感覚がガラッと変わって、お金はドッと出ていきます。  あるいは、貯金できるようなコは、ソープランドでもトップになれない、という面もあるかもしれませんね。お金はやっぱり、天下のまわりもので、いっぱい使えばその分、ちゃんとそれがコヤシになっていく、というところもありますからね。   恋も人生もトライ・アンド・エラー 「就職するから、つき合っている男のコはやめて、サラリーマンを相手にしたい」 「留学するから、ボーイフレンドに内緒でマッサージ・パーラーで稼ぎたい」  いずれも、自分を中心にしっかりと据えて、かかわりのある男のコのことは、わりとどうでもいい、という考え方をしていますね。女のコは、このくらいツワモノです。  たとえ、いまそうでなくても、女のコは小さなきっかけで変身するものです。ボリューム派の少女が、イキナリ、ぎんぎらぎんの新宿派にワープするように。男のコは、そんな女のコを十分に観察し、研究して、自分自身のチャートを築いていかなければ、ダメです。女のコも、「これでいい」などと思わずに、自分の見えない翼を広げて、自由に泳ぎまわることです。  この本のなかで、ボクはボクの理想とする恋愛の形を書いてきました。もちろん、そのパターンが、実際に、たくさんの人たちによって実行されています。でも、なるべく多くの人に、「よそ行き顔の恋愛」を楽しんてほしい、というのが、ボクの切なる願いです。恋をすることに引っこみ思案でいることが、一番、歯がゆいことなんです。  恋愛は、いいことです。恋愛は、お互いを刺激し、それぞれが相手を変身させるパワーを持っています。しかし、そのためには、まず、だれもが、 「いっぱい恋愛をしたい」  と思うことが大切だと思うんです。  男のコは、つき合っている女のコが成長し、変わっていくのを観察したがるものだ、と思います。確かに、ボクも、これまでの恋愛経験のなかで、つき合った女のコをリードし、その変化を観察して楽しんできたと思うんです。 「これからどうしようか?」 「ううん、わかんない」  といっていた女のコが、ふと気がついてみると、 「少し走ってリキシャ・ルームへ寄ってみたいわ」  とかいうようになっていることに気づきます。その変化にニンマリとしながら、実はボクも、どこかが成長させられたのだと思うわけですね。恋愛は、面白いものです。  恋愛の芽は、どこにでも転がっているんです。何年先、何十年先、あるいはいつまでたっても現れないかもしれない「白馬の王子様」を待っているよりも、あなたのすぐそばにいる、あの男のコが、あなたとつき合うことで「王子様」になるかもしれないのですよ。失敗を恐れずに、トライしてみてください。  恋愛は「トライ・アンド・エラー」の連続です。エラーの数が多いほど、あなたは「恋愛上手」になっていくんです。なくした恋の数が、新しい恋をより完璧なものに育てるはず。さあ、この本を閉じたら、すぐにでも、「よそ行き顔」で恋の探険にお出かけしてください。  あとがき  本来、私たちは形而上の思考をするよりも先に、まず感覚的な形而下の意識を持つことを、神様から許されてこの地上で暮らしてきたはずです。アルキメデスだって、体をきれいにしたほうがサッパリするな、と思って公衆浴場に行ったから、後世に残る大発見をしたのですし、ゲーテだって、「多くの女性にモテたい」と思い続けたから、あの数々の形而上の著作をモノにすることができたのかもしれません。  このように、感性という代物は、芸術のみならず、すべての学術を進歩させる原動力であるはずなのに、いまだに、世の中には、ひとつひとつの行動にもっともらしい理由がくっついていないと安心できない、カワイソーな人たちが大勢、棲息しています。  銀座の文壇バーへ編集者と一緒にお出かけしたところが、テーブルについた女のコのフェースがなかなかで、「ウッ、いい女だ。お店がはねた後、西麻布の焼き肉屋へ誘って、それからホテルへ行ってしまいたい」と、形而下では思ってしまっていても、何食わぬ顔して、青春文学におけるみずみずしさについて、形而上の語り合いをしてしまうセンセーたちは、その最たる例かもしれません。  こうした生理に反した行動をすることが、人間は考えるアシである、何よりの証明だと信じて疑わない人たちにとっては、どんなつき合いでもいいから、まず恋愛をしてみることです、と主張している本書は、実に目障りな本かもしれません。けれども多くの若い男のコや女のコたちは、生理として、異性とつき合いたいと、いつでも思っているのです。そうしたコたちに、旧来の恋愛論を説くことなぞ、一体、何の意味を持ち得ましょう。形而下の感覚も、形而上の思考も、すべての事象が等価値になった今の時代を、素直に捉えるべきだと思います。人間という動物の生理に素直に従って、人間主義的に行動することが、結果的には私たちの歴史を、より一層、進んだものにさせるのだということを、そろそろ、認めなくてはいけないのではないでしょうか。 昭和59年飛鳥新社より刊行された「康夫ちゃんのれんあい自由自在」を改題 角川文庫『恋愛自由自在』昭和60年6月10日初版刊行 〓(不明の外字)が10カ所ほどあります。(行末のは「!?」か?) どなたか補完を。