北の岬 辻 邦生 [#表紙(表紙.jpg、横180×縦252)] 目 次  ランデルスにて  北の岬  風塵  円形劇場から  叢林の果て [#改ページ]   ランデルスにて  フレデリクスハーヴン、シンダル、ヒョリング、ブロンデルスレーヴ……アルボルグ……スヴェンストルプ……ホブロ……フェルプ……ランデルス……ランデルス……ランデルス……十六時四十七分……たしか十六時……もっと遅かったか……いや、雪だった。雪のせいだった、暗かったのは。私は酔ってなぞいなかった。ただ心から疲れていた。肉体の疲れというより、精神の疲れといってよかったろう。結局、この北国の旅も何ももたらしはしなかったという重苦しさ、虚《むな》しい徒労感、そしてどこも雪、雪、雪。海に降りしきる暗い雪を幾日も人気ないホテルの窓から眺《なが》めていた。雪のなかを時おり鴎《かもめ》が舞いたつ姿が見え、家々の向うに漁船のマストがゆれていた。そして私はそうした幾日かを無為にすごしたのち、フレデリクスハーヴンに渡った。乗客がわずか三人の古い渡し船で。雪はそのあいだにも降りつづけた。海は雪の下で灰緑色にゆれ、金属板のように光っていた。無数の灰を吹きあげたような雪の渦が、黒点となって、煙突のまわりに群れていた。列車に乗ったのも雪のなかだった。波止場の町は午後をすこし廻っただけなのに、夕方のようだった。駅の売店で清潔なエプロンをかけた肥《ふと》った若い女が、まっ赤な頬《ほお》をして、外を見ていた。重い、無感覚な電気機関車が、時計をにらみながら停《とま》っていた。私はオーヴァーの襟《えり》をたて、港から同じひとつづきのプラットフォームを歩いて、列車に乗りこんだ。フレデリクスハーヴン、シンダル……ヒョリング……おそらくそうやって列車は動いていったはずだ。私の耳には、そんな名前は聞えなかった。ただ車掌が、息を吸いあげるみたいに、ヒョルルル……と叫ぶ声を聞いただけだった。あとは笛が鳴り、ドアががたんとしまり、列車の動揺がゆっくりと伝わってきた。工場の見える小駅で、毛皮を着た肥った女が乗りこんできた。毛皮のうえに雪がとけかかって、銀の糸屑《いとくず》のようにきらきら光っていた。女は猛禽類《もうきんるい》のような眼をして、私を眺め、太い息をつき、車室におさまった。私は十六時四十七分に終着駅で降りた。列車の一台一台から蒸気が白くもれていた。肥った毛皮の女のほか、乗客はいなかった。雪が降りしきり、私は駅の構内を通り、小さな広場に出た。タクシーもバスも見当らなかった。広場に面した古い家は空家《あきや》のようにひっそり暗かった。町は黄昏《たそがれ》のようだった。毛皮|外套《がいとう》の襟をたてた男が、うつ向き加減に一歩一歩ゆっくり歩いていた。私は男に追いつき、話しかけた。男の顔は困惑したように歪《ゆが》んだ。私は知っている限りの言葉で話しかけた。男は顔をますます歪めた。肩をすくめた。そして車掌が叫んだのと同じような、ヒョルルルル……というような音のまじった言葉で何か言った。それがこの国の言葉であることは私にもわかった。しかしその言葉はまるでわからなかった。こんどは私が顔を左右にふる番だった。私たちは肩を並べた。どちらからという訳ではなく、こんな雪のなかに突っ立って、押し問答していたって仕方がない、という気がした。どこか手頃なバアにでもいって、誰か言葉のわかる人間を捜すほかなかった。私たちは並んで町のなかを歩いた。もう街燈がつき、そこだけ黄色くぼうっと光って、かえって夕方じみて見えた。雪は光のなかで黒ずんだ灰のように湧《わ》きたっていた。どの通りもひっそりしていた。たまに道を横切る人影が見えると、いずれも、毛皮帽を目深《まぶ》かにかぶり、下をむいて、まるで夢のなかの人のように歩いていた。とある広場に出たとき、男は正面の巨大な建物を指《さ》して何か言った。強い子音と気息音が耳についた。意味はわからなかったが、それが市庁舎か、何かの役所であることは推測できた。広場のまん中に黒い噴水があり、噴水の水盤の中央に立つ裸の女神《めがみ》の姿が、雪のなかで、孤独で、寒々と見えた。広場から折れた角に、軒の深い、太い梁《はり》をがっしり組んだ酒場があった。私たちは雪をはらって、重い木の扉を押した。なかは暖かく、清潔で、がらんとしていた。カウンタアに肥った内儀が白いエプロンをかけて、誰かと話していた。私たちが入ってゆくと、女は話をやめ、私たちのほうを驚いたような顔で眺めた。私を連れてきた男が、内儀に何か言った。ホテルのことでも訊《たず》ねたのだろう。内儀は、喋《しやべ》っていた相手の老人に何か訊ねた。老人は首をふった。すると、内儀も同じように首をふって、私を連れてきた男のほうに何か言った。すると彼は、私に向って何か言い、手をふりまわすような仕種《しぐさ》をして、内儀に何か注文した。彼女は肥った身体《からだ》を窮屈そうに動かして、棚《たな》から瓶《びん》をとり、グラスに酒をついだ。私たちは、乾杯というようにグラスをあげ、それから一息に強い酒を飲んだ。熱い香ばしさが身体の奥を走った。そのとき私は何か意味のある言葉を聞いたように思った。一瞬、私は日本語を聞いたと錯覚して、声のほうをふりむいた。私の立っているカウンタアの席と、平土間のように低くなったテーブル席との間に、飾りの木の枠組《わくぐ》みが、間仕切りになって立っていた。声の主は平土間の奥のテーブルにこちら向きに坐っていて、その上半身が、ちょうど間仕切りの枠のなかに入って見えた。そのため私は、日本語を聞いたと思い、ふりかえったとき、そこに、綺麗《きれい》な若い女の肖像画が掛っていて、声の主は、別に、どこかに坐っていると思ったのだった。しかし次の瞬間、肖像画の女はもう一度フランス語で「ホテルをお捜しですの?」と訊ねた。私はそれまで全く分らぬ言葉に取りまかれていたので、意味を理解しうる言葉が耳に聞えたとき、その意味のほうに注意が集中していて、それが何語であるか、ということには頓着《とんじやく》せず、理解できるものは母国語、というふうに感じていたのだった。で、女のフランス語を日本語ととりちがえて感じてしまったのだ。私は一瞬|狼狽《ろうばい》を感じ、危うく母国語で喋りそうになる自分を押えて、「ええ、私はホテルを捜しているのです。いまこの町に着いたところなのです。言葉がわからないので困っておりました」と言った。女は肖像画のように枠のなかに入ったままの位置で「私も、ちょうどホテルを捜しておりましたの。この先に一軒あります。私はもう予約しましたが、空室が多いから、多分お泊りになれますわ」と言った。それからこの国の言葉で、私を連れてきた男と内儀に、多分同じことを喋ったのであろう。カウンタアにいた人々は私に何か言って頭でうなずきあった。私はカウンタアにそのままとどまるべきか、平土間におりて、女のそばに行くべきか、とまどった。が、結局、そのまま残って強い酒を飲んでいた。肖像画のように見える女の、分けた栗色《くりいろ》の髪のあいだから形のいい額が現われていた。骨張った冷たい美しい顔立ちだったが、どこか憂鬱《ゆううつ》な感じが漂っていた。しかしその褐色《かつしよく》の眼は不思議に生きいきと見えた。私は酒を飲みおわると、小銭を置き、男に礼を言って、平土間におりていった。女は毛皮外套を着て立ちあがった。私は女とふたたび雪のなかに出た。外は前よりも暗くなり、街燈が明るく生気づいて見えた。女は外套の襟で頭をおおうようにして、私と並んで歩いた。「さっき、あなたを見たとき、間仕切りの枠のなかに見えたので、肖像画が掛っているのだと思いました」私は歩きながら言った。女はおどろいて私を見た。「私の肖像画を見たことがありますの?」女が訊ねた。私の言葉を聞きちがえたのだった。私はくどくどと間仕切りの説明からはじめた。女は耳をかたむけ、不思議そうに私を見、うなずき、それから笑った。しかしそれきり女は黙った。ホテルはなお通りを幾つか過ぎていった、とある市場のそばにあった。市場の鉄骨の建物は鉄シャッターがおりていた。ホテルはどの窓も鎧戸《よろいど》がしまり、空家のようだった。ただ小さなネオンが雪のなかに銀色の淡い光をにじませていた。フロントで背の高い老人が女に頭をさげた。老人の喉仏《のどぼとけ》が皺《しわ》のしたで動いた。「部屋はございます。すぐご案内いたします」エプロンをかけた娘が後のガラス戸をあけて出てきた。戸の向うは居間になっているらしく、テレビの青い画面と音楽とが、こちらに流れだしてきた。娘は先に立ち、階段をのぼった。ドアの一つに鍵《かぎ》を突っこんだ。「私は隣りの部屋ですわ」女がそう言った。女も鍵穴に鍵を突っこんで、がしゃがしゃと音をたてた。娘に小銭をわたすと、膝《ひざ》を曲げて礼を言い、食事は七時から階下の食堂でできる、と、ゆっくりフランス語で言って出ていった。部屋は暖かく、清潔で、いやな、けばけばしい飾りはなかった。古い、がっしりした衣裳戸棚《いしようとだな》と、彫刻のある木の枠のベッドと、テーブルと椅子、それに金色の浮彫りに囲まれた大きな鏡が飾り煖炉《だんろ》のうえに嵌《は》めこまれていた。カーテンが閉っていたから、部屋の位置はわからなかったが、市場の正面あたりに当っているような気がした。七時になって、私が女の部屋をノックすると、女は洋服を変え、明るい色のネックレスをつけていた。「綺麗ですね」私は思わず言った。女はまぶしそうな眼をして笑った。階下の食堂では、娘がエプロンをかけ、髪にリボンをつけて、食堂の隅《すみ》に立っていた。そして私に笑ってみせたが、女に対しては黙っていた。まるで女がそこにいないような表情をしていた。幾つか並んだテーブルのうち、真ん中の一つに皿やフォークが並んでいた。私たちは同じテーブルを挟《はさ》んで坐った。娘がスープ入れを運んできた。「この町には度々《たびたび》いらっしゃるんですか」私は女に訊ねた。「私? いいえ、旅をしているんではありませんの。私、この町に住んでいますの」女は静かにスプーンを動かしながら言った。「では、なぜホテルに?」私はぶしつけを顧みず、思わず訊ねた。女はちょっと言いよどんだ。「良人《おつと》と喧嘩《けんか》しましたの。それで家を出てきたんです」女はそう言うと、私をじっと見つめ、それから視線を落した。私は何と答えていいか、わからなかった。私は女に謝《あやま》った。ぶしつけな質問を宥《ゆる》してほしい、私はそう言った。「いいんですのよ。事実なんですから。度々こんなことがあるんです」女の顔はむしろ前よりも晴々としていた。「私ね、十七の年に結婚しましたの。若すぎたんですわ」私は女の言葉を聞くと、はっとして、まじまじと相手の顔を見た。「あなたは十七の年に結婚されたのですか」私は鸚鵡返《おうむがえ》しに言った。「ええ、私、まだほんの子供でしたの」女は憂鬱な声で言った。女は私の驚きには気づかないようだった。この北国の冬旅に出る直前、私は学校時代の友人とパリで会い、東京ではなかなか会えぬのに、こんな外国の都会で出会う不思議さを祝って、モンマルトルの酒場で酒をしたたか飲んだが、そのとき友人はこの北国に一人の恋人がいるのだという話をしたのである。友人は輸出機械のセールス・エンジニアで、前にこの北国に来たとき、さる町で、忘れ得ない女に出会ったというのだった。「はじめて女と会ったのは、今から十年も前だ。そのとき、おれは、これが本当の運命的な出会いだと思った。女もそう思ったと言った。ところがな、おれは、その一年前に、日本で結婚していたんだよ。この結婚さえしていなければ問題なんか、まるでなかった。ところが、当時、おれは、日本の妻も可哀《かわい》そうでならなかった。この女を選ぶべきか、妻を選ぶべきか、おれは迷った。女と半年ほど毎日のように午後ホテルで会った。女には亭主がいた。しかし女は十七の年にむりやり結婚させられ、亭主には憎しみを抱《いだ》きこそすれ、愛情など一度も感じたことはないと言うのだ。おれは、あの女と会ってはじめて愛するということがどういうことか解《わか》ったんだ。会えば会うほど、おれたちは離れられないのを感じた。だが、半年たって、本社から帰国命令が来た。おれは苦しんだ。あんな苦しみを、前にも後にも、味わったことがない。しかし女を日本に連れていってからの生活を考えると、おれは絶望的になった。妻のこともあったが、それ以上に、異国で、みじめに暮す女のことを考えると、おれは、やはり別れるべきだと思った。そこにエゴイズムが働いていたかも知れないが、おれの本当の気持では、女の幸福を考えてのことと思った。おれは女に事実を告げた。女は蒼《あお》ざめ、呆然《ぼうぜん》とし、それからながいこと泣いた。泣き疲れると、放心して、部屋のなかを見まわしていた。おれは女を家まで送っていった。おれが町を出るとき、女は駅まで見送りに来た。女は涙を見せなかったが、どこか放心したような表情をしていた。帰国してから、町の知人の便《たよ》りで女が町の郊外の精神病院に入ったという話を知った。おれは居ても立ってもいられなかった。後悔もした。自分をはげしくののしりもした。しかし女とおれを引きはなす距離はどうすることもできなかった。その後、女が退院したという報《しら》せを受けとった。しかしこんどは妻が神経症で病院通いをするようになり、妻との間がだんだん冷たくなっていった。妻にしてみれば、外国のどことも知れぬ町の女に恋いこがれて、食事のあいだにも、ぼんやりして口もきかぬ亭主など、とうてい正気の人間と思えなかったのだろう。子供が病気したり、転勤があったりして、妻もすっかりくたびれはてていたのだ。こうして十年すぎた。もうおれは妻には何の愛着もない。憐憫《れんびん》も感じない。むこうもまったく同じだろう。子供がいて、給料を運んで来る男がいれば、それでいいのだ。ところが、おれのほうは、そうした味気ない生活が続けば続くほど北国のあの町で会った女が痛いように思いだされてくるのだ。女のあの激しい愛撫《あいぶ》が火のように身体の中によみがえってくるのだ。そうなんだ、おれはもう一度ほんとうの愛というものを味わいたかった。ちょうど十年目に本社から海外出張を命じられた。行先はドイツだったが、仕事の合間に、おれは北国のその町を訪《たず》ねた。そして女と会ったのだ……」私は友人が泣いているのを見て、何か奇異なものを見ているような気持だった。彼の話では、女は、いますぐにでも日本にゆきたい、着のみ着のままでシベリアを歩いてでもゆきたい、と言ったというのだ。「こんどは、おれも決心がついた。日本に着いたら、すぐに呼んでやるつもりだ」友人はそう言って、酒をあおった。この友人と別れてから、私はなぜか急に心が滅入《めい》りはじめた。中年すぎの男女の不幸な恋物語を聞かされたためよりも、友人の話が、はからずも生きていることの不確かさ、曖昧《あいまい》さを暗示していたからである。彼の妻も子供も北国の女もその良人も、言わば人生の偶然の廻転木馬に乗せられて、誰一人として、自分の願わしい生を手に入れてはいなかった。友人と北国のその女とのように、運命の偶然を逆手にとって、自分の求めるものを追って火のように激しく生きる人たちは別だが……。そうだ、たとえばこの俺だ。俺はいったい、願わしい生を手に入れただろうか。あのように激しく生きてきただろうか。そう思うと、私の憂鬱は一段と濃くなって、パリで過す一日一日がまったく空《むな》しい日々に見えてきた。妻も子供も急に自分にとってはどうでもいい、見ず知らずの、通りすがりの人のように思えてきた。だが、私は南の明るい太陽の下を旅する気にはなれなかった。どこか暗い北国の海辺で、昔読んだ小説などを読みかえして、自分や自分の生き方などを考えてみたい。私はそう思った。そして雪のなかをあちらこちらと旅をしてまわり、偶然この町へ辿《たど》りついたわけだった。しかし友人が女と会った町がこの町だとは……。そしてその女に出会えたとは……。私はあらためて女を見た。女はそういう私の視線を受けると、まぶしそうな表情をして笑い、何ですの? というような顔をした。「私も、十七で結婚した女のひとを知っているんです」私は息をつめて言った。「十七で結婚する娘はいくらでもいますわ」女はそう言って、ナプキンの端を口にあてた。「でも、その女のひとは、良人を愛しておりませんでした。いいえ、良人を憎んでさえいたのです」「まあ、私に似ていますのね。でも、私は、十七の年にむりやり結婚させられなかったら……二十二にでもなって、良人と普通の方法で出会っていたら、きっと愛することができたと思いますの。その方はどうか私は知りませんけれど」「その女のひとはある男を愛しているんです」私はそう言って、女の顔を見た。女は表情をほとんど変えずに「私、その後、誰も愛することができなくなりましたの」と言った。では、このひとは、あの女ではなかったのだ、と私は思った。状況も場所もごく近似していながら、これは別人だったのだ。「それにしても、世間には境遇のよく似たひとがいるものですね」私はそう言った。そのとき女の眼が細められ、細めた眼のあいだから、きらきらした光が見えていた。私たちは食事をおわると、食堂のつづきのサロンで少し休んだ。女は、私がこの町に来るのが前からわかっていたような気がする、と言った。「そしてあなたは私が十七で結婚したことを問題にすると感じていましたの」「今になると」私が言った。「あなたに会って、そんな話をすることを、ぼくも、旅のはじめから期待していたような気がします。いいえ、本当はあなたに会うために旅に出たのかも知れません」「私もずっとあなたのような方を待っていたんですわ。この暗い退屈な町で、毎日毎日、誰か、私をここから連れ出してくれる人を、待っていたんですわ」女の眼が輝いているのはそのためだったのだろうか。サロンの窓のカーテンの間から雪が降りつづけるのが見えていた。外はもうすっかり暮れて、雪はただ街燈の光の輪のなかを黒い灰の渦のように降りつづけていた。「私ね、ホテルに泊っていたのは、その人を待っていたからなんです。私、もうこの町に我慢できないんですの。どこかへ行かなければなりません。ええ、もうとうに用意はできておりますの」食後のコニャックのせいで私はぼんやりと女の話を聞いていた。女の父がエンジニアだったこと、戦争中の話、庭に花を植える話、舟遊びの話……夜も遅くなった気配だった。私たちは離れがたい気持だった。老人の支配人がサロンの燈りを消させてほしいが、と鄭重《ていちよう》に言った。私たちは黙って階段をのぼった。私たちはドアの前で手を握った。「お休み」と私は言った。女の顔には、一種特別の悲哀に似た表情が浮んでいた。私はドアを閉め、部屋に一人になると、自分が急に空虚になるのを感じた。ひょっとしたらあの女は、自分にとって運命の出会いなのではあるまいか。友人が北国の町で女と会ったと同じように。私は酔いを感じながら、自分のなかを激しく衝《つ》きあげてくる告白の衝動に耐えていた。となりのドアを叩《たた》くだけで、一切は変る。新しい、燃えるような生涯がはじまる。ただこの一歩を踏みこえるだけで……。私はそう思いながらも、テーブルに肘《ひじ》をつき、椅子に坐ったまま動かなかった。鞄《かばん》のなかからウイスキイ瓶をとりだし、それを瓶の口からごくごくと飲んだ。激しい風のようなものが私を吹きさらってゆきそうだった。友人が言った「気の狂いそうな気持」がわかるような気がした。私は必死になってその気持に耐えていた。すると、不意に、友人の言葉を思い出した。「あの女はね、いつも部屋に入ってくるとき、豊かな胸をはだけてね。形のいい豊かな胸をあらわにしていたのだ。それが、不思議と上品な感じでね、そのくせ、その瞬間、身体が焼かれるような衝撃を感じるのだ」私は、はっとして、飛びあがった。飾り煖炉の上の鏡のなかに、さっきの女が、胸をはだけて、形のいい乳房をあらわにして、うつっているのだ。女の顔は、さっき見た悲哀の色を浮べていた。何か途方に暮れたようでもある。私は、女が部屋に入ってきたものと思った。そして鏡と反対側をふりかえった。女は見えず、ベッドの上に、ウイスキイ瓶を捜すために口を開けたままの鞄がのっているだけだった。鏡のなかの女は相変らずそこに白い胸を見せたまま立っていた。私は鏡の前にとんでいった。私の姿はそこにはうつらなかった。それは鏡ではなく、となりの部屋と私の部屋を区切るガラス仕切りなのだ、と私はとっさに考えた。私は女がそうやって私を待っているのだと思った。私はそれ以上ここで何かに抵抗して、部屋にかじりついている必要などはないのだ、と思った。私が抵抗しているのが、案外、つまらぬ世間の常識だったり、通俗道徳だったり、自分の臆病《おくびよう》さが描く幻影だったりするのかも知れぬ、と考えた。それに、女をそうやってそこに立たせておくことは、私にはできなかった。私は「すぐゆく」と叫んで、部屋をとび出した。女の部屋のドアを開けようとした。鍵がかかっていた。私はドアを叩いた。もう何もかも私のなかから流れさっていた。気が狂っている、と私を知っている人なら言ったろう。どうなってもよかった。その瞬間に燃えつきたい。炎となって、甘美な陶酔のなかで何か大きなものと目くるめく合一を味わいたい、私はそれ以外のことは考えなかった。それでもう一切は達成される。それだけでいい。そのために自分は生れたのだ。私はドアにかじりついた。ドアを叩いた。マリア、マリア、マリア、マリア。私は誰かが肩をおさえるのを感じて、後をふりかえった。老人の支配人が立っていた。背の高い老人は寝間着のうえにガウンを着ていた。「どうなさいました?」老人は暗い、物思わしげな表情をしていた。私は自分が取りみだしていたのに気がついた。私は、友人の涙を見たとき、嘲笑《ちようしよう》に似た気持を感じたのに、そのときドアの前で自分が泣いていたのに気がついた。「となりの婦人が忘れものをしたので、それを届けようと思って……」私は自分が下手《へた》な嘘《うそ》を言っているのを感じた。老人はじっと私を見て言った。「女の方ですか?」「ええ、さっき食堂で一緒だったひとです」老人は頭を左右にふった。「あの女がまた現われたんですな」「あの女って? だって、さっき、私をこのホテルへ案内してくれた女のひとですよ。この部屋のひとですよ」私たちの声を聞きつけて、娘が階段からあがってきた。髪からリボンをとり、お下げに編んでいた。「この部屋には誰もいませんのよ」娘が言った。「だって、さっき、あなたが、ぼくをここに連れてきたとき、女のひとがいたでしょう?」娘は青ざめた真剣な顔をして、首をふった。「でも、食堂で、あなたは、ぼくと女のひととに食事を出してくれたじゃありませんか」娘は大きな眼をした。「私、あなたにしか、お食事を出しませんわ」「それじゃ……ぼくがサロンにいたとき、ずっと話しこんでいたのを、あなた方は、全然気がつかなかったのですか。コニャックを二つ頼んだじゃありませんか」「ええ、たしかに二つお頼みになりました。でも、あなたはひとりでそれをお飲みになりました。そして遅くまで一人で何か喋《しやべ》っていらっしゃいました。私がお休みになるように申しあげたのは、あなたがきっとお疲れだと思ったからです」老人は物思わしげな表情で言った。「じゃ女のひとは? ぼくをここへ連れてきた女は……?」「あなたは一人でホテルへおみえになりました」「そんなばかな……だって、あの酒場で女に会って、彼女がここへぼくを連れてきたんだ。そのひとがいないなんて……。君は見たろう、最初この部屋に鞄を運んでくれたとき……」私は娘に言った。娘はおびえたように頭を激しくふった。「あの女が現われたのです」老人は言った。「あなたは女が胸をはだけるのをごらんになりはしませんでしたか。もしそうだったらその女なのです。その女はもう十年も前に死にました。ある男を愛し、その男に棄《す》てられて、気が狂って、自殺したのです。それから女は、ある種の男たちの前に必ず姿を見せるのです。そして胸をはだけて見せるのです」「どんな男たちにです?」私は身体が冷たくなるのを感じて言った。「自分をいつわっている男たちです。愛を求めているつもりで、結局は、自分のことしか考えられぬ男たちです」「どうしてそんなことがおわかりになるのです? すくなくともぼくは……」「いいえ、あなたのことではありません。私は愛というもののことを言っているんです。あなたは、女が胸をはだけて立っていたとき何をお感じになりましたか? 露出狂でしょうか。単なる肉の誘惑でしょうか? いいえ、そうではありません。私にはよくわかるんです。あれは、あの哀れな女が、自分のすべてを与えつくしてしまった姿なのです。でも、誰があの女のように、すべてを……そうです、すべてを与えつくしたでしょうか?」「やめて下さい。ぼくもすべてを与えようと思ったのです」「いいえ、そんなことはありません。そうおっしゃっても、いまに、あなただって自分というものに気づくときがあるんです」「どうしてそんなことが言えるんです?」私はかっとして叫んだ。老人は物思わしげに低い声で言った。「私にはわかりますとも。よくわかっておりますとも。だって、あれは、あの女は、私の娘でしたからな」雪が降っていた。雪が降っていたという以外に何と言ったらいいんだろう。それはランデルスのことだったろうか……フェルプ……ホブロ……アルボルグ……いや……雪、雪、雪。そして暗かった。静かだった。誰かが歩いてゆく雪のきしりだけが聞えていた。そうだった、アルボルグ……シンダル……フレデリクスハーヴン……時刻表の上をなお雪が降りつづけていた。 [#改ページ]   北の岬《みさき》 八方から荒波に打たれる 北にむいた岬のように    ——ソフォクレス「コロノスのオイディプス」  私がマリ・テレーズに会ったのは、パリからの帰り、**郵船の船がスエズ運河をこえて、暑熱の紅海《こうかい》に入ったある朝のことであった。私は午前ちゅう風のよく吹き通る食堂に行って、そこでほとんど機械的に、パリで手がけはじめていたルネサンス期のある宗教家の大部な著作の翻訳をつづけていた。そして困難な箇所にぶつかると、丸い船窓から、青くねばりつくようにうねる波をみたり、その波間から飛び出して幾つもの波の峰をこえて飛翔《ひしよう》する飛び魚を眺《なが》めたりした。それでも適当な解釈が浮ばないとき、私はそういう箇所をとばして先へ筆をすすめた。  午後になると食堂は酒保《しゆほ》にかわり、非番の船員たちも、客にまじってビールを飲んだり、トランプをしたりしていた。そういうとき私は前部甲板の日かげに寝そべって、索具に鳴る風音をきいたり、マストの向うへ盛りあがってゆく積乱雲を眺めたり、また舳先《へさき》に行って、ごうごう耳もとで鳴る風のなかに立ちはだかり、波しぶきをあげて突き進む巨大な白い船体に、何か東洋航路にまつわる伝説的な冒険航海者のようなヒロイックな幻想を感じたりしていた。  もちろん紅海からアデンを経由して印度洋《インドよう》に達するまで、太陽の直射にやられると、肌《はだ》は火傷をおこして日ぶくれのようになるので、日盛りは船室のベッドに横になって、罐入《かんい》りのビールを飲みながら、私はシムノンなどに読みふけった。  そんなふうに過していたある朝、夜風と波しぶきに濡《ぬ》れた前甲板に立って、私はコーヒーを飲みながら、チーズを挟《はさ》んだバタパンをかじっていた。海面はまだほの暗く、風も露を含んで冷え冷えとして、紅海の朝の風とは思えなかった。水平線に雲がむらがり、その辺《あた》りが紫に色づいて、日の出が間近いのを告げていた。私がパンの端を舷側《げんそく》から投げると、それはゆっくり海面にとどき、湧《わ》きたつような白い波にもまれて、みるみる船の後部へと遠ざかっていった。  私は、航海者のように、甲板の烈風のなかでコーヒーとチーズ入りパンの朝食をするのが、どこか原始的な、豪快な、荒々しい感じがして好きだった。  ふだんの朝だと、そのあと、原書とノート、万年筆、二、三冊の参考書と辞書をとりに船室に降りるのに、その朝、私は細い階段をのぼり、湿って固くなったシートで覆《おお》われた船具のあいだを通り、上甲板の奥へ歩いていった。その真上に運転士達のいる操舵室《そうだしつ》の眺望《ちようぼう》のいい船橋が張りだしていた。私はそこまで上って、朝の紅海を見晴らそうと思っていたのだ。しかし私がそうしてシートで覆われた船具の一つ——クレーンのワイヤーを巻きこんだ重いウインチのようなものだった——をまわって、階段の手すりに手をかけたとき、そのウインチのかげで、一人の修道女が、うつ伏せに坐り、両手を額にあて、その額をぴったり甲板につけているのを見かけた。私は一瞬そのまま船橋の上にのぼってゆこうと思った。しかしひょっとしたら、彼女は船酔いか何かで苦しんでいるのかもしれない。マルセーユから乗りこんでまだ四日しかたたないし、顔見知りもできず、船に身体《からだ》が慣れないということもありうるわけだ。  そう思うと私は階段にかけていた足をはずし、修道女のそばにゆくと、気持がお悪いのではありませんか、と声をかけた。その声に、修道女ははじかれたように上体を起した。私を見あげたのは、静かな、やさしい顔立ちの、若い修道女だった。彼女の顔はみるみる赤くなった。 「いいえ、私、気持がわるいんじゃありません。あの、私、実は、朝のお祈りを、しておりましたの」  彼女の言葉をきくと、こんどは、私のほうがきまりがわるかった。「これはどうも失礼いたしました」と私は狼狽《ろうばい》して言った。「お祈りの邪魔をするなんて」 「いいえ、構いません。私、あなたがそんなふうに心に掛けてくださったことが嬉《うれ》しいんです」彼女は甲板の上に正座したまま、灰青色の静かな眼をあげて言った。「日本にお帰りですのね。私も日本まで参りますの」  それから彼女の名がマリ・テレーズであること、スイス国籍であること、以前に一度日本に行ったことがあり、今度は二度目で、おそらく十年か、もっとながく滞在するだろうことなどを話した。彼女は、私が食堂で午前ちゅうせっせと物を書いていることを知っていると言い、あれは何なのか、とたずねた。私は、ルネサンス期の著作の一つを訳していることを言ってやり、そのなかに現われた自由選択の精神が、いまの自分にはひどく重要なものに思えるのだ、と答えた。  するとマリ・テレーズは今まで喋《しやべ》っていたフランス語を突然日本語にかえて、 「わたくし、こんど、日本語、を、もっと、上手《じようず》に、話すように、なります。そうしたら、あなたの、その翻訳も、きっと、読めるように、なると、思います。たのしみに、しています」と言った。  私たちはそれから二こと三こと話しあって別れた。私が船橋にのぼり、飛び魚の群が船の進行におどろいて、いっせいに飛びたち、波を幾うねりもこえて飛んでゆくのをみてから、ふたたび上部甲板におりてくると、マリ・テレーズの姿はまだそこに見えていた。彼女は前と同じく額に両手をあて、その額を甲板につけて、うつ伏せに坐っているのであった。  私はこうしてこの若い物静かな修道女と知り合うようになった。午後、今までのようにひとりで甲板に寝そべるかわりに、こんどはマリ・テレーズとすごす時間が多くなっていった。  私たちの話題は、はじめは、ごくありきたりの事柄からはじまった。互に親兄弟のことを話し、住んでいた土地、旅した土地の印象を話し、友達や仕事や好きな本の話をした。マリ・テレーズは灰色の長い尼僧服を着て、同じ灰色の布で髪を包み、それを後でしばっていた。胸に十字架をさげていたが、それと右のポケットに入れている数珠《じゆず》とが、彼女の身につけたすべてのものだった。  彼女は誰か顔見知りと話さないときは、いつも甲板の日かげに坐り、サン・グラスをかけ、本を読んでいた。それは多くラテン語の日祷書《につとうしよ》の類だったように思う。  船客たちの多くが長い船路に疲れ、賭博《とばく》に興じたり、甲板ゲームに熱中したり、怠惰にごろごろと睡《ねむ》りこけているなかで、この若い修道女の挙措は、目立たないだけにいっそう私に、何か人間の品位といったものを感じさせた。紅海をすぎ、印度洋に入っても、暑熱はいささかもおとろえなかった。 「よくこんななかで平気で本なんて読んでいられますね」  私は立ったまま罐入りビールを飲みほすと、それを波間へ遠く投げた。それは舳先から盛りあがる泡立《あわだ》つ白い波にあおられ、巻きこまれ、ゆらゆらと揺れながら、船の後へと流されていった。 「私だって、それはつらいこともありますわ」彼女はサン・グラスをはずして、ちょっと眩《まぶ》しそうな眼をした。 「でもどんなつらい場所でも、どんなつらい仕事でも、それを引き受けるのが私たちの務めですの。私たちはそういう風にして、働きのなかで、奉仕するような教団です。それが唯一の神の道だと信じていますの」  私はそれから彼女にその宗派の特殊な生活の仕方をいろいろと聞かされた。彼女の言葉によると、その小さな宗派は、この世でもっとも不幸な土地に出むき、困難な仕事を身に引きうけるのであり、そのなかにはアフリカやニューギニアの奥地で医療活動をしながらみずから病いに倒れた人々も少くないということだった。  しかし私はこうしたマリ・テレーズの話をきいても、その言葉はさして真実感をもって心に迫ってくるような気がしなかった。いかに小さな宗派とはいえ、所詮《しよせん》、世界各地に修道女を派遣しうるだけの組織である。そのなかに属して働くことは、たとえ極東や太平洋の島々にいようと、それは、いわば救い綱をつけて中央にしっかり結びつけられていることではないか。私はそんな気がした。  こうした考えを、はじめに打ちこわしたのは、船がコロンボの港に停泊しているときだった。私は町を出歩くのも面倒だったので、船室のベッドに寝そべり、罐入りビールを片手にシムノンに読みふけっていた。時おり丸窓の向うから、舷側に掛けられた縄梯子《なわばしご》を伝って上り下りしている港の労働者が、にっと笑って顔をのぞかせる。なかには果物を差しだし、「シガレット、シガレット」と叫んで、煙草と交換を申しでるものもいた。  そんなふうにして二、三時間たったころ、誰かがドアを静かにノックする音がきこえた。ドアをあけると、マリ・テレーズが立っていた。 「町にはいらっしゃいませんの?」  彼女はいつもよりは快活な眼《まな》ざしをし、灰色の布で髪を包んだその顔立ちはいきいきとして美しかった。 「前にもう見てまわったので、こんどはよそうと思っています」 「ご迷惑じゃなかったら、私たちの宗派の方がここにも居りますの。ご一緒に訪《たず》ねてみません?」  私がマリ・テレーズについて何か特殊な感情を覚えたとすれば、それは、そのときの日焼けして浅黒くなった、快活な表情を見た瞬間からだったように思う。  私たちは艀《はしけ》で港まで着くと、倉庫のかげで待っていたタクシーにのった。タクシーは港を出ると、明るい低い町並のつづきに入った。道路は広く、街路樹は鬱蒼《うつそう》として大枝をひろげ、その大枝の厚い葉ごしに強烈な香《かお》りの花が咲いていた。主要道路をはずれると、赤褐色《せきかつしよく》の乾《かわ》いた道がつづき、そんな道に車が入ってゆくと車の後から砂塵《さじん》がもうもうと巻きあがった。いたるところ常緑の樹々が満ちていた。  市場のような建物があり、大勢の人々が集り、喧騒《けんそう》を極《きわ》めていた。午前の日ざしはすでに強く、市場の前の広場をじりじりと焼いていた。その広場に、辛抱づよく露天商たちが果実や野菜や鳥や家畜を売っていた。  私たちはそうした騒がしい町の路地の一つで車をおり、さらに幾つかの小さな路地を曲った。灰色の太い幹の木々がそうした小路《こうじ》の奥にも枝をひろげていた。生垣《いけがき》が崩《くず》れていたり、下水があふれていたり、子供たちが木かげで蹲《うずくま》っていたりした。頭を青く剃《そ》った坊さんたちが、黄褐色の衣を着て、小さな寺院から列をなして出ていった。寺院の前の石の龕《がん》には、蝋《ろう》でできたような熱帯性の大きな花が、一輪横たわって強い香りをはなっていた。その花は茎も葉もつけず、ただ肉厚の花だけが石仏の微笑の前に置かれているのだった。  私が導かれていったのは、赤茶けた土塀《どべい》をめぐらした民家で、玄関からすぐ広間になっていて、その暗い室内に、外光が静かに照りかえされ、テーブルの脚《あし》や、シナ風の椅子の腕が光っていた。床はかたいスレートのようなものが敷いてあり、修道女たちのサンダルの固い踵《かかと》が、その上でこつこつと鳴った。  マリ・テレーズを出迎えた同じ灰色の服を着た修道女は、鋭い眼をした、彫りの深い顔立ちで、肌の色は浅黒かった。彼女が姿を現わしたとき、私はむろんセイロン人の修道女にちがいないと思っていた。しかし彼女がマリ・テレーズと話しはじめると、それはまがうことないフランス人のフランス語だった。彼女のフランス語をきいていると、マリ・テレーズの重苦しいスイス・ロマンドの訛《なま》りがはっきり耳につくほどだった。  セイロン人の修道女が飲物を運んできたあと、この小さな民家風の建物のなかには、物音らしい音は聞えなかった。 「あなたが日本にゆかれるというのは、私も聞きました」と浅黒い修道女が言った。「こんどは長くいらっしゃるわけね。いいお仕事を祈ってますわ」 「ええ、ありがとう。こんどは十年か、あるいはもう少し……」マリ・テレーズが言った。 「あなたは静かな落着いた方だし、それに日本語も十分にお話しになるだけ勉強もよくなさる方だから、いいお仕事が、きっとできると思います」 「あなたはもう十……?」 「ええ十五年になります」浅黒い修道女は眼を伏せて考えるような口調で言った。「十五年。私はもうほとんど自分がこの土地の人間であるような気がします。ここもずいぶん変りました。政変もありましたし、多くの人が死にもしました。何度か私たち自身危険な目に会いました。私はあなたのように落着いた気持を、はじめは持つことができなかったのです。このおそろしい暑さ、風土病、貧困、無知、こうしたものが一つ一つ私のうえに重くのしかかってくるみたいでした。そして私はそのたびに自分の無力さに打ちのめされるような気がしました。私たちは一日じゅう病院で働いたり、病人を家ごとに見舞ったり、労働を手伝ったり、子供をあずかったりしました。そして一日が終ると、私たち自身がくたくたに疲れきり、全く空虚になってしまうのでした。それは私たちの持つすべてを与えたことになるのでしょうか。おそらくそうも言えましょう。でも私は、そのうち、自分がそうした空虚なままに、操《あやつ》り人形《にんぎよう》みたいに働いているような気がしてきたのです。修道服を着た操り人形。私はその頃の自分をそんなふうに呼びました。その頃がいちばん私の苦しみの時期だったのかもしれません。でも、私はそんな空虚なままに働きつづけました。私の僅《わず》かな力が必要なところへは、どんな場所へも出かけました。操り人形は操り人形なりに、すべてを与えつづけていたのですね。そうしているうち、不思議なことに、そうした自己喪失のような働きのなかに、いつか自然と充実した自分が目覚《めざ》めているのに気がつきました。この自分はいわば確乎《かつこ》とした性格のようなもので、容易に、物事に動かされることのない種類のものでした。その頃になってようやく私は人並の落着きを取り戻しました。でもそれまでは、私は静かなクレルモンの——そこが私の故郷ですが——山々や、秋の日に照らされる古い教会や、黒ずんだ火山性の石でできた家々をどんなに懐《なつか》しんだことでしょう。夏しかないこの常緑の国。炎暑と貧困、病気と無知。そういうものに押しひしがれると、私はよく港まで歩いていったものです。港には船が浮んでいて、船のまわりに鱶《ふか》が灰桃色の肌を光らせて泳ぎまわっていました。告白しますと、私はよくそこで泣きました。あの港の倉庫のかげで、いつまでも三色旗を掲げて停泊している船に眺めいったものでした」  私はその話を聞きながら、意志の強そうな鋭い眼のこの修道女に、そのような一時期があったということが、ほとんど信じられなかった。  私はここに来る道々で出会った白い制服の女学生たちの姿や、引率の教師たちの清潔な好ましい印象について述べた。それに対して彼女は、歴史がすべてをそのように変えることは喜んでいいことです、と言った。しかしなおどのように多くの悲惨が隠されているか、土地にとどまってみなければわからないでしょう、とも言った。  私たちは一時間ほどしてその隠れ家のような涼しい小さな家を出た。帰りに私たちは仏教美術館に寄り、郊外の動物園をまわって帰ってきた。私はマリ・テレーズが鸚鵡《おうむ》や猿《さる》の前で無邪気にふざけたり、餌《えさ》をやっているのを見ると、彼女があのように厳《きび》しい戒律に服さなければならぬ修道女であるなどということが、何かおそろしく不合理な矛盾したことのように感じられた。船旅のせいで、いくらか浅黒くなった彼女の顔には、白粉気《おしろいけ》一つあるのではなかった。胸にかけられた十字架と、腰に下がっている数珠のほかに、飾りらしいものはなかった。しかし眼をかがやかして鸚鵡に向って、何か言わせようと夢中になっているマリ・テレーズの紅潮した顔は、ただの娘にすぎなかった。どのような動機が彼女をこのような厳しい道に進ませたのか知らない。裕福な両親の家をすて、遠い異国まで旅立って、そこで孤独な生活を守ろうとするからには、それ相応の、内的外的な理由があるのであろう。よしんばそうだとしても、いま私の眼の前で、一人の娘にかえって、手をうって笑っているマリ・テレーズを見ると、私は、ふと、そのような戒律が彼女をしばりあげていることが、むしょうに腹立たしいものに思えてならなかった。あの鋭い眼の修道女でさえ、あれだけの苦悩の歳月を送ったとすれば、まだ子供らしさの抜けないマリ・テレーズは今後どのような苦しみを味わわねばならないであろうか。なぜ彼女が可愛《かわい》い子供たちを持って、子供らとともに、猿に餌を投げて、笑い興じてはならないのだろうか。そのほうが、この囚人服のような灰色の修道服より、どれほど彼女に似合うことだろう。  私はそんなことを考えると、帰りのタクシーのなかでも、気やすくマリ・テレーズと話をかわす気になれなかった。彼女のほうはそんなことにお構いなく、滑稽《こつけい》だったペリカンや、色|鮮《あざ》やかな鳥たちのことを思いだして、笑ったり、感嘆してみせたりした。彼女はまたしきりと仏像について話したがった。熱帯性の香り高い花に包まれた仏像の映像は日本の仏像とはちがった趣《おもむき》をもち、異国的な華麗な幻想を私に与えていたのはたしかであった。しかしそうであればあるほど、私は花のふりそそぐしたで、若いマリ・テレーズを、一人の普通の娘として眺めたかった。彼女の落着いた挙措のなかに、私は、若い女性特有の華《はな》やかな甘美な匂《にお》いのようなものを感じた。それなのに私は彼女の踝《くるぶし》さえ見たことはないのだ。  船がシンガポールに入ったとき、私はマリ・テレーズと一緒になるのを避け、停泊と同時に町へおりてしまった。私は、甲板に額をつけて、うつ伏せに坐って長いこと祈りつづけている彼女を見ると、私の下らぬ想念が彼女の物思いを乱しているような気がしてならなかった。むろん私は、私なりの下らなさがごく自然で健康なものだとは思えたが、一方では、彼女のそうした使命感はやはり特殊なものとして、そっとして置きたい気もしたのである。シンガポールに入る少し前、ちょうど、船がマラッカ海峡に入り、スマトラ島の平坦《へいたん》なながい灰青色の姿が右舷《うげん》に見えるようになったある日、私は彼女に、なぜ修道女になったのか、を思いきって訊《たず》ねてみたことがある。  それはちょうど天職というようなことが話題になっているときで、そうした質問が自然と口をついて出たのだった。 「私は子供の頃からそれに憧《あこが》れていたんですの。そしてその気持が大きくなってからも変らなかったので、それで修道院に入りました」 「では、どうしてこの厳しい宗派にお入りになったんです? 貧困と死病のなかに労働しながら生きてゆくなんて。それはあなたたちの仕事ではなく、政府や役人の仕事じゃありませんか」  彼女は眉《まゆ》と眉を寄せ、厳しい表情をして、海峡の方へ眼をやっていた。 「それはたしかにそうですわ」しばらくしてからマリ・テレーズが答えた。「貧困や無知や病気を根絶するのは、政府の仕事かもしれません。でも、私には、そうであってもなお、私たちがそこにいって、それにたずさわることが必要だと思えるんです。それは、何というか、ただ結果から見るだけではなく、そうした生き方として必要だ、と私には思えるんです」  彼女はそう答えるあいだ、その厳しい表情を変えなかった。  そうした話のあと、私は私なりに、彼女の使命感に特殊な敬意を払うべきだという、こだわった気持を感じた。そしてそのためには、彼女を少し遠くから離れて眺め、灰色の修道服の外観のみを見ていたほうが、私には都合がよいと判断したのである。  しかしシンガポールでは適当にマリ・テレーズから離れたのに、サイゴンに近づくにつれて、奇妙に矛盾した気持から、私はふたたびマリ・テレーズと一緒に彼女の小さな宗派の人たちを訪ねたいという欲望を感じた。おそらく私は、彼女たちの心底にひそむ人間的な弱さというものを、加虐的な気持で眺めようと思ったのかもしれない。そうでなければサイゴンであのような出来事にぶつかるはずがなかったと思う。  印度洋に入ってから、暑熱という点をのぞけば、航海は平穏無事そのものだった。とくにボルネオ海から南支那海《みなみしなかい》にかけては、波はねっとりと丸味を帯びた緑青色にゆれ、白紫のくらげの大群が水中に沈む睡蓮《すいれん》か何かのようにゆらゆらと流れていった。時おり、いるかの群が滑稽な律動をえがいて、船にそって、いつまでも波から飛びあがっては沈み、飛びあがっては沈みして随《つ》いてきた。私たちは水平線におびただしいジャンクの帆が列をなしているのを眺めたり、このころになってしきりと行きかう外航船が汽笛を鳴らし合うのを面白がったりしていた。  船がさかのぼってゆくメコン河口は葦《あし》の原に氾濫《はんらん》した巨大な水流のような感じだった。河にそって時おり見られる水上家屋や、小舟をあやつる笠《かさ》をかぶった少女や、遠く拡《ひろ》がる水田などは、もはや印度でも南洋でもなく、明らかに東アジアのモンスーン圏の風土であった。  マリ・テレーズが私を迎えにきたのは、停泊した日の午後だった。彼女は外出するときに見せるあの若やいだ昂奮《こうふん》を、こんども隠すことができないように見えた。  私はサイゴンの街も以前に隈《くま》なく歩きまわったことがあり、仏領統治時代に整備された瀟洒《しようしや》な並木道や、中央の公園や、市場などが大体どの方角にあるか見当がついているつもりであった。しかしマリ・テレーズが連れていった地区は、そうした繁華な街から遥《はる》かにはなれたごみごみした一帯で、細い川が幾本も溝《みぞ》のように流れ、バラック風の家が並び、小路の奥には男たちが半裸で勝負ごとに熱中していたり、日かげに坐っていたりして、子供がいたるところに群がっていた。若い女たちが天秤棒《てんびんぼう》に水桶《みずおけ》や重い荷をかついで、そうした雑踏のなかで立ち働いていた。笠の下の女たちの顔には、汗がふき出て、それがきらきら光っていた。いらだったようなヴェトナム語が、早口に、寸づまりの音で、店からも雑踏のなかからも聞えていた。マリ・テレーズはそんな路地をぬけ、物売りの並ぶ露天市を通って、とある小路に入っていった。それは露天市の広場のすぐ裏手にあたる貧民窟《ひんみんくつ》で、閉める戸もない薄暗い小屋のなかには、痩《や》せた老人や病人がうずくまり、眼だけ虚《うつ》ろに見開いて、通ってゆく私たちを眺めていた。  マリ・テレーズが入っていった家は、小路から少し引っこんだところに立っていて、その僅《わず》かの空地《あきち》に、三本の棕櫚《しゆろ》が枝をひろげていた。家は水上家屋風に床高につくられていて、縁の下から日に照らされた庭の奥がみえていた。家にはドアがなく、壁は竹を編んでつくってあり、どこか南太平洋の島の診療所のような感じだった。  高い階段をのぼると、部屋は四つに仕切られ、一間が居間兼応接室、二間が寝室、あとの一間が居間と食堂になっていた。居間と食堂は衝立《ついたて》で仕切られ、調理室だけが裏手につき出ていた。  私たちが着いたとき、フランス人の修道女の一人はベッドに休んでいたらしく、蒼《あお》い、やつれた顔をし、眼のまわりに隈ができていて、その眼だけが熱があるようにぎらぎらしていた。私たちが休むようにすすめても、彼女はどうしても聴《き》きいれなかった。裏に、ヴェトナム人の修道女が二人ほどいて、何か仕事をしていた。彼女たちはヴェトナム訛《なま》りの、寸のつまった、しかし流暢《りゆうちよう》なフランス語で、アンドレ修道女を呼んでこようか、と私たちのために言ってくれた。マリ・テレーズは、それには及ばない、なぜなら私たちはあと二日停泊しているから、今日会えなければ、明日また来るから、と言った。  それから修道女たちはお互いの身辺の誰れかれの話をはじめ、さらにこの地区での活動状況の話に移った。ここの修道女たちは主として病院で働くのだが、現在はこの近所の金属工場に入って、時には工作機械などを扱うこともあるといっていた。ここでは、セイロンの修道女のように直接種々の苦労については何も触れられなかったが、彼女の蒼白《そうはく》な顔や、ぎらぎら光る、黒ずんだ眼を見ていると、それは何よりも不気味な重みとなって、私にも感じられるのだった。  セイロンのあの小さな家も簡素な調度しかなかったが、それはこの家でも同じだった。ただ違っていたのは、テーブル掛けか、椅子か、壁にかけてある写真か、ともかくこの室内の何かから、いかにもフランス人の住居らしい雰囲気《ふんいき》が感じられることだった。それはたしかに質素な住居だったが、フランス人にしかないある種の趣味が室内にただよっているという事実が、今しがた見てきた陰惨な薄暗い小屋のなかの様子と較《くら》べて、私に、いくらか説明のしかねるしこりを感じさせた。あるいは、こうした僻遠《へきえん》の地までその趣味を崩《くず》さずにいる彼女たちに対する羨望《せんぼう》であったのだろうか。  私たちがそこで小一時間も話したころ、階段を駈《か》けのぼってくる音がしたと思うと、いきなり「まあ、マリ・テレーズ。懐《なつか》しい」と叫んで、一人の修道女がマリ・テレーズにかけよった。二人はそうやってながいこと抱擁していた。その修道女が私に気がついたのは、それからしばらくたってからだった。私は、差し出された彼女の手に黒く油がしみ、指に包帯をして、それを指サックでとめているのに気がついた。彼女(アンドレ修道女だった)はサイゴンに来てようやく二年目ということだった。浅黒く日焼けしていたが顔色は悪く、やつれていた。彼女には修道女というより、パリの下町でよく見られる細面の綺麗《きれい》な顔立ちのお針子といった様子がまだ残っていた。そして事実、彼女が話しだすと、それはまがうことのない、早口に、しゅしゅと言うパリ訛りのフランス語だった。 「いまの工場は最低なの。労働条件がわるいなんてものじゃないの。ただ柱と屋根があるだけ。そこへ工員たちが家畜みたいにぞろぞろ入ってくるの。暑さと埃《ほこ》り。それに不衛生。能率のわるいことも大したものだわ。そしていたるところでフランスの悪口。毎日、毎日、毎日、フランスの悪口。ああ。それはとても信じられないくらいだわ。フランス文明って何? それはサイゴンの町をフランス趣味にデザインして、そしてごっそり富を搾取することなんだって。無知と病気を放置して、あらゆる財貨を運び去ることなんだって。私ね、夜中にも、誰かがそう叫ぶのを聞くような気がして、耳を押えるの。耳を押えて、枕《まくら》に頭をごつんごつんぶつけるの。それでも誰かがそう叫んでるのよ。それは最低の文明だ、無知と貧困を代償にした肥満した文明だ、って……」  それはディエンビエンフーからまだ大して歳月のたっていないころだった。町では警官も郵便局員も結構フランス語を日常語のように話していた。 「それは信じられないことだわ。片方には地獄のような生活があり、そして他方、その中へ入ってゆこうとする人間が呪《のろ》われ、敵意を持たれるなんて」  もう一人の修道女が小さく制止するようにアンドレ修道女の名前を呼んだ。彼女は不意に沈黙した。ヴェトナム人の修道女が輪切りにした果物を皿にのせて運んできた。 「マリ・テレーズ、あなた、負《ま》け戦《いくさ》って信じられる?」  しばらく果物を口に運んでからアンドレ修道女が言った。 「つまり自分の当面する戦いが負けていても、全体の戦局が勝っていると信じられるか、っていうことよ」 「信じられるわ」マリ・テレーズは皿の上に眼を落したまま言った。 「そうね。あなたはそういう方ね。私もはじめは信じられたわ。でも、ここに来てから、だんだんそれが不安になりはじめたの。**様(彼女はもう一人の修道女を指《さ》して言った)が病気になられてから、私は、何か途方もなく大きな洪水の氾濫《はんらん》の前で、やっとそれを支《ささ》えている土嚢《どのう》の一つのような気がしてくるのよ。時どき、私、どこまでそれを支えきれるか、不安になることがあるの。もちろん支えとおすと思うけれど……」  彼女は短かく鋭く笑った。おそらくマリ・テレーズは話題を変えようと思ったためであろう。私が学生でパリに住んでいたこと、思想史の勉強をしていたことなどを話した。 「私はセーヌ街で生れましたの」アンドレ修道女はしゅしゅと言いながら早口に喋った。「私の思い出はブッチの辻《つじ》、アンシァン・コメディ街。ああ、オデオン。思い出すわ、私よく鞄をかかえてダントンの銅像の下をかけていった。朝は、あの辺は大学生で賑《にぎ》やかだった。どのキャフェも満員で、私はオデオン座のそばの小学校にいっていたの。新学期になると、霧が出て、リュクサンブールの公園のマロニエは黄葉して、教室から霧の向うにソルボンヌの青い丸屋根と、パンテオンの大ドームが見えていた。それにセーヌ街の市の賑やかだったこと。買物籠《かいものかご》にいっぱい野菜や肉を盛りあげた主婦たち。物売りの叫び。ああ、それに鬚《ひげ》をつけた美術学校の学生たち」アンドレ修道女の声はいくらか上ずりはじめていた。「私って、ほんとに小さい頃から河岸《かし》が好きだった。私の家からアナトール・フランスの生れた家まで百|米《メートル》も離れていなかったの。寄宿学校に送ってやる、と母に叱《しか》られながら、向いのルーヴルをプラタナスの並木ごしに見るのが好きだった。それになんて多くの恋人たちがいたんでしょう。芸術家たち、街の手廻し風琴の音……」  アンドレ修道女は突然熱に浮かされたように叫びだした。 「ああ、マリ・テレーズ。私、私、パリが見たい。そうよ。一眼でいい。いまパリが見たい。冷たい霧や、黄葉する林の中に立ちたい。ああ、ばかげたことね。いいえ、そんなこと、いけないわ、でもパリが見たい。パリが見たい。パリが見たい」  彼女は両手で顔を覆《おお》い、軽くうめき声をあげた。マリ・テレーズは椅子から立つと、彼女の肩をやさしく抱いた。 「疲れたのね。少しベッドに横になるといいわ。さ、アンドレ、少しベッドに横になってお眠りなさいな。鎮静剤をもってきたことよ」  すると、その瞬間、信じられないようなことが起ったのだ。アンドレ修道女はマリ・テレーズの手をふりはらうと、いきなり椅子から立ちあがった。その顔からは血の気がひいて、眼が錯乱したように輝き、両手はふるえながら、何か眼の前のものを捉《とら》えようとするように差しだされた。それから突然、顔が引きつったかと思うと、彼女は右手で果物皿の上にあったフォークをとりあげ、それを右の腿《もも》へかがみこむようにして突き刺したのである。叫びとも呻《うめ》きともつかぬ声が洩《も》れ、フォークの食い入った灰色の修道服の上にみるみる赤いしみが拡がった。彼女はそのフォークの上に自分の上体の重みをかけようと蹲《うずくま》ったのだ。 「何をするの。アンドレ」  次の瞬間、そのアンドレの手を振りはらって、フォークを抜きとったのはマリ・テレーズだった。私も、病み疲れた修道女も、その騒ぎに顔をだしたヴェトナム人の修道女も、一瞬|呆然《ぼうぜん》として、その二人を眺めていた。アンドレ修道女は、血が赤く大きく拡がってゆく片膝を立てたまま、両手を顔にあてて、肩をふるわせている。マリ・テレーズは血のついたフォークを持った手を、だらりと垂《た》らしたまま、何が起ったか、わからない様子でそこに立ちはだかっている。 「何かしばる布を、早く」  思わず私はそう叫んだ。その声で、誰もが我に還《かえ》った。アンドレ修道女は呻きつづけた。いや、彼女は嗚咽《おえつ》を噛《か》みころしていたのだ。私は修道女たちがアンドレの手当をするあいだ、開いた戸口から外を見ていた。外では相変らず露天市の喧騒がつづいていた。そのなじり合うような声の響きが、家畜の悪臭や埃りや暑熱とともに、この路地の裏まで伝わってきた。三本の棕櫚の木のかげで、黒い山羊《やぎ》が草を食《は》んでいた。その短い尾がしきりと動いていた。ばりばり音が聞える程の激しい勢いで、その黒い山羊は草を食みつづけているのを、私は高い階段の上から眺めていた。  サイゴンでの出来事について、私もマリ・テレーズもなんとなく触れるのを避けていた。サイゴンを出ると、もうあと香港《ホンコン》に寄るだけで、長い帰りの船路は終るわけだった。私は私で、あと数日後に再会する祖国が、一種の重い感慨の対象として考えられたし、また事実、こうしてゆっくり物を考えられるのが船旅の時代離れした利点でもあった。おそらくマリ・テレーズにしても、はるばる極東の任地が近づいてみれば、やはり考えるべきことは多かったのであろう。そうした種々の理由から、私がマリ・テレーズと顔を合わすのは、食事のときだけで、それもなるべく別々の食卓に坐るようにしていた。  いよいよ翌日神戸に着くという船旅の最後の晩、私は、真っ暗な上甲板に仰向けになって、星空を背景に、ゆっくり揺れているマストの動きを見つめていた。綱や索具には夜風が鳴り、舷側《げんそく》の下からは、波のつぶやくような音が聞えていた。しかしそれはむろん青く光るような印度洋《インドよう》の夜でもなければ、ボルネオ海の夜風でもなく、まごうかたない祖国の、黒潮の匂《にお》いであり、黒潮の上を吹いている夜風の音であった。  私はふとそのとき、そばに人の気配を感じて身を起した。三日月のおぼろな光を背にして立っていたのは、マリ・テレーズだった。 「もう仕度《したく》はできましたか」  私は彼女の暗い顔を見上げて言った。 「ええ。終りました」彼女はそう言ってそこに横坐りになると、印度洋でよくそうして話していたように、片手を甲板につく姿勢になった。「あなたもいよいよお家に帰れて、さぞ嬉《うれ》しいでしょうね」 「自分じゃよく判《わか》らないけれど、妙に重苦しい気持になりますね。何かそう手放しでよろこべないような気持ですよ」 「帰郷ってものは、そうしたものなのね。あなたみたいに、いい帰郷の場合だって、そうですのね」 「いい帰郷でしょうか」 「それはいいにきまっているわ。多くの人があなたのお帰りを待っているし、あなたの将来だって大きく拡《ひろ》がっているんですもの」 「そうであって欲しいですね」 「そうでないはずがないわ。でも、いよいよお別れとなると、まだまだ色々のことをお話したかったって気になりますわね」 「いや、多くのことをお話しましたよ。ぼくにとって、帰りのこの航海があったと、なかったとでは、大へんな違いがあると思いますよ。この航海であなたにお目にかかれたんですからね」 「それは私にしても同じです」彼女はそう言って、しばらく言葉を切り、それから言った。「私ね、こんどの航海ほど楽しい旅ははじめてでしたの。それを私、ずいぶん心苦しく感じさえしました。でも、それがそうだったことは本当ですわ。そしてそれがあなたのお蔭《かげ》だってことも。私、そのことのお礼を申したかったんです。私たち、明日、お別れしたら、もうそれきり会うこともないと思います。でも、もし万々一あなたが何か私にできるようなことがあるとお思いでしたら、どうか、そうおっしゃって下さい。もちろん私があなたにして差しあげることは、それは僅《わず》かなことだろうと思います。形にならないほど、僅かなことだろうと思います。そんなことでも必要だったら、ぜひそうおっしゃって下さい。それから最後に一つだけ。私、あなたにお詫《わ》びしたいことがありますの。それはサイゴンで、あんな場面をお目に掛けてしまったということです。それでは、いつまでも、お元気で」  彼女はそう言うと、来たときと同じように静かに立っていった。私は彼女が去ってからもしばらく甲板に残っていた。舷側に出てみると、波の一部が月をうつして銀色に輝いているほか、海も、空も暗かった。その暗い闇《やみ》の奥から、時おり燈台の光らしいものが鋭く光った。闇の奥には日本列島が黒々と横たわっているにちがいなかった。  マリ・テレーズの言葉のように、船旅のあいだ、あれほど親しかった船客たちと、私は住所を交換したにもかかわらず、帰国すればしたで、やるべきことは多かったし、現実の生活に触れると船旅の一カ月などは、遠い夢物語のようにしか感じられず、私たちは葉書を送るどころか、日とともに、そのすべてを忘れていった。  もちろん、マリ・テレーズだけは別で、あのサイゴンのアンドレ修道女のような孤独と不安にさらさないためにも、遠くないいつか、彼女を訪《たず》ねなければならないと思っていた。しかし私のそうした気持にもかかわらず、私を彼女から引きはなしていたのは、実は、横浜でマリ・テレーズと別れた後、突然襲ってきた言いようのない寂寥感《せきりようかん》なのであった。  私は横浜で船からおりる前、彼女の部屋に寄ってみた。マリ・テレーズは部屋の奥にいて、出迎えに集っていた修道女たちに取りまかれていた。そのなかには日本人の修道女もいれば、外国人の修道女もいた。そして彼女たちはマリ・テレーズと一人一人抱擁をとりかわしていた。  私はそんな彼女の明るく輝いた顔を見ただけで、声もかけず、タラップをおりた。そしてそこに——タラップの下の人垣《ひとがき》の後に、婚約者の直子がひとり控え目に、おずおずした様子で立っているのを私は見たのである。彼女はタラップを取りかこむ人垣に取り残されて、じっと私を見つめ、片手を肩のあたりにあげ、ごく僅かにその手を振った。その顔は、ほとんど泣きだしそうに歪《ゆが》んでいた。  私は何人かの友人と挨拶《あいさつ》を交《かわ》し、ようやく直子に向って立ったとき、彼女はぼろぼろ涙をこぼしながら、無理に笑おうとした。 「おかえりなさい。お元気で、ほんとうに、何よりでした」  彼女はようやくそれだけ言ってうつ向いた。 「いつも手紙や小包、ありがとう。大へんだったろう」  私は、和服姿のせいか、二年前よりずっと落着き、老《ふ》けたように見える直子の細い肩を抱《かか》えるようにして言った。 「いいえ、お手紙だけが、私、ただ一つの生《い》き甲斐《がい》でした」  直子はそういって、こんどは、きっぱり顔をあげ、微笑を見せた。  私は大学二年のとき睡眠薬自殺をはかったことがあり、その未遂の後、しばらくある神経科の病院に入院していた。直子はそこで私の担当看護婦として勤めていたのである。私の自殺の動機は主として青年期にありがちの厭世感《えんせいかん》のためだったが、私の場合それが幾らか神経症的にこじれた形となってあらわれていた。当時主治医だったB**氏(現在は関西のある大学の医学部教授をしている)は、なぜか、その治療のために私にしきりと哲学書を読ませた。私がフランス語が第一外国語であることがわかると、ベルグソンやサルトルやメルロ=[#「=」はゴシック体]ポンチなどの原書を持ってきて、その精読を命じた。私は八カ月というもの、外出は許されず、その読書療法とでもいうべき治療を受けたのだった。  果してその結果だったのかどうか、それはわからないが、八カ月たって、主治医から完全に治癒《ちゆ》したと認定され、私はまるで監獄から出たような気持で、かつての自分の下宿に帰った。下宿の主人が、もう神経衰弱になるほど勉強をつめてやってはいかんな、と言って、尾頭《おかしら》つきの鯛《たい》を食膳《しよくぜん》にすえて、私の退院を祝ってくれたとき、さんざん猛勉を強《し》いられた後の私には、主人の言うその言葉が妙におかしかった。  直子は私が退院したあとも、よくこの下宿に訪ねてきた。B**氏の言葉をまつまでもなく、直子の献身的な看病がなければ、私の恢復《かいふく》がこれだけ早く実現したかどうか、それはわからなかった。私の奇妙な読書療法がはじまったとき、およそ哲学に何の関心もなかった彼女は、私が目を通した本を必ず丹念に読み、B**氏と私とが読後感について話しあっているあいだ、私たちのそばに立って、じっと注意深くそれを聴《き》いていた。後になって、彼女がフランス語を学ぶため、夜、講習会に通っているのを知ったとき、私は、彼女への感謝の気持が、ほとんど愛情と呼ぶべきものに変っていたのを感じた。あるいは私を真に立ち直らせたのは、B**氏の読書療法ではなく、直子へのこの愛情であったかもしれない。  こうして私たちは、ごく自然に、身体《からだ》の関係ができ、ごく自然に、遠くない将来、結婚することを決めていた。むろん外地への留学がなければ私たちはすでに結婚していたはずであった。留学が決ったとき、結婚をのばそうと言いだしたのは直子のほうだった。 「そのほうが、私、なんだか、あなたが思い切って勉強できるような気がするの。私、ただあなたが思う存分勉強して、思うようなことをして頂きたいの。私がいるために、あなたの思うことができないなんて、そう考えるだけで、私、悲しいわ」彼女はそんなふうに言った。そして直子の言葉のまま私たちは別れたのだ。しかし私は直子におとらず、二年たって私たちが再会するとき、どんなに強い愛情にみたされているだろうかと思った。ながい別離が与える懐《なつか》しさは私たちの愛情を今まで以上のものにふくらましているにちがいないと、私は真実そう思っていたのである。  しかし私が横浜の埠頭《ふとう》から直子とならんでタクシーに乗ったとき、私をみたすはずの、この愛情は、なぜか私の心に満ちてこなかった。たしかに見なれぬ和服姿の直子に、私はある種のいとおしさ、可憐《かれん》さのようなものは感じた。しかしそれは不思議と距離のある、いくらか突きはなした気持であった。むしろ直子と同じように涙のこみあげるほどの感動や愛情の奔出を、共に感じることができないのが、もどかしくさえあった。しかし同時に、直子の前でそんな感情の演出を試みようとする自分に、嫌悪《けんお》に似たものを感じたし、また、こうした感情の細かなやりとりから解放されていた外国生活が突然の懐しさで思いかえされたりした。もちろんこのような心の動きが、私の身勝手に根ざしていることはわかっていたが、しかし、それはちょうどタクシーの窓にうつる醜い貧相な祖国の町並みが、不快な違和感をもって迫ってくるのと同じく、どうすることもできない感情であった。 「なにを考えていらっしゃるの?」  どのくらいたったころであろうか、そう言う直子の言葉に、私は、物思いから我にかえった。 「いや、なんだか、いっぺんに日本の姿が飛びこんできたものだから、ついぼんやりしてしまった」  私はそんなふうに答えた。 「それならいいけれど、私、ふと、あなたが別の人になったみたいな気がして……あなたが黙っていらっしゃるものだから、私、そんな気がして、なんだか、こわかった」 「ばか言っちゃいけないよ。たかが二年しか離れていなくて、それで人が変ったら、たまらないじゃないか」 「それはそうね。でも、さっき、ほんとうに、そう思ったの。あなたは外国にいって、もう私の手の届かないような人になってしまったんじゃないかって。そう思ったら、私、眼の前が暗くなるような気がしたの」 「ばかだな、君は。相変らず昔のままだな。ぼくは少しも変っちゃいない。ぼくはこの通り君のところに帰ってきた。ほら、こうして君を抱いてあげているじゃないか」  私は直子の細い肩に手をまわし、直子の頬《ほお》に唇《くちびる》をつけた。直子は眼をつぶり、ほほえんだが、しかしどこか無理にほほえんでいるようなぎごちなさが、彼女の固くした身体のなかに感じられた。  たしかに私がいかに直子の気持に合わせてゆこうと努めていても、それはただ外見の形をなぞってゆくような感じしか残さなかった。しかもそのとき直子の言ったその「変った」という言葉によって、私は、それまで気づかなかったある感情——空虚な、寂寥感と呼んでもいいような感情にみたされているのに気がついた。それははじめこの祖国の白々とした平坦《へいたん》な埃《ほこ》りっぽい町々の外観に、私が素直にとけこんでゆけないところから起る感情であると思っていた。しかし直子の不安げな心の動きをしばらく受けとめているうち、それは、ほかでもなく、今しがた、マリ・テレーズと別れ、もう二度と会うことがないであろうという思いに陥ったことから、直接よびおこされた感情であることに気づいたのだ。  私自身、そのことに思いいたると、あまりの事の意外さに、一瞬、信じられないような気持がした。しかしひとたび心を浸したこの寂寥感は、私の意志と関係なく、刻々に満ちあふれ、私を深い孤独な思いに突きおとした。それは直子がそばにいても、どうすることもできない感情であった。私がマリ・テレーズを訪ねようと思いながら、どうしても出かける決心がつかなかったのは、彼女に対する気持が、それまで私の経験したことのない切迫したものを含んでいたからである。あるいは彼女に会うことによって、私自身、どうにも処理できぬ感情に追いこまれるのがおそろしかったためもあろう。そうなった場合の自分の苦しみはともかくとして、聖職にあるマリ・テレーズに及ぼす迷惑や、さらに、じっと耐えつづけている直子に与える心の傷を考えると、私は、容易に動くことができない気がした。どの点からみても、この感情のもたらすのは、先の見通しのないものだった。もし私がここで踏みこたえ、マリ・テレーズにさえ会わなければ、こうした思いは次第に冷却するはずだ。もし彼女に会わなければならないとしたら、その気持に整理がついてからでも遅かろうはずがない。ともかく私はここで踏みこたえねばならない。それがせめても、あのように献身的だった直子にこたえる道ではないか——私はそんなふうに考えたのである。  帰国直後のあわただしい一時期が終り、私自身もようやく祖国の生活環境になれはじめ、なんとなく直子との関係をきちんとした形にしておきたいと思うようになると、こんどは直子のほうが私の気持に同調しようとしなかった。 「私、理由ははっきりわからないんですけれど、あなたが昔のままのあなたではないみたいな気がするんです。あなたは前はそんなふうの方じゃなかった、と私は思うんです。私の思いこみかもしれないけれど、そう思えるのは本当です。こんなこと、おそろしくて、私、とてもお訊《き》きする気にはなれないんですけれど、でも結婚する前に、それだけは、はっきり知っておきたいんです。あなたは、私と離れているあいだ、誰か好きな方がいらしたんじゃない? いえ、いえ、そんなこと、答えて下さらなくていいの。私、そんなこと、ちっとも知りたかないんです。ただ私と結婚して下さる前に、もしそんな方がいらしたら、どうか心からその方のことを本当に忘れて欲しいんです。これは私の臆測《おくそく》かもしれません。邪推なのかもしれません。それだったら、それでいいんです。でも、もしそんなことがあったら、どうか私の言った通り、して下さいね」  直子は、うつむいて、涙をぽたぽた膝《ひざ》の上に置いた手のうえにこぼしながら、そう言った。私は危《あやう》くマリ・テレーズのことを口に出しそうになった。しかしそれは結局口にしなかった。そして私はただ、君は相変らずばかなことを言うね、と言って、彼女の肩を抱いてやった。直子は、人形のように素直に、涙に濡《ぬ》れている眼を閉じて、私の腕のなかに倒れてきた。  私は直子のもつ勘のたしかさに驚かされはしたが、しかしマリ・テレーズに対する気持はいささかも変らず、それはしばしば苦痛に近い鋭さで私の心を刺し、それから逃《のが》れることは私にはどうしてもできなかった。たしかに私は直子を愛してはいた。その愛情にはいささかも変ったところがあろうとは思えなかった。しかし直子に対しては、一種の負い目、一種の恩人という意識がつきまとった。私が直子に示す愛情のなかには、どこか借りをかえすといった感じがないではなかった。時には、それは愛情というよりは、いとおしさというべきものであり、心を燃え立たすというよりは、心を静かに鎮《しず》め、いたわりの気分へと誘いこむ種類のものだった。いつだったか直子は私に「あなたって、なんだか、私の父みたい。そんな感じがしますの」と言ったが、私の気持のなかには、父親の娘に対する愛情に似たものが、ひそんでいたのかもしれない。しかしそうだといっても、私はこの気持をどう変えてよいのかわからなかった。ただ直子のために、なんとかマリ・テレーズに対する気持だけは整理しておきたい、それだけは強く感じた。  こうして春がいつか夏になり、夏がたけて秋になったが、マリ・テレーズの姿は私の前から立ち去ってはくれなかった。私は彼女が住んでいるはずの代々木《よよぎ》の奥の界隈《かいわい》を、夕方、用もなく歩くことがあったが、それはあくまで偶然に彼女に会えはしまいかという期待があったからである。そうした廻り道のあと、当然彼女と会えないことがわかっていても、私は、横浜で味わったのと同じ空虚な、寂寥感を感じた。  そんなある日、私はマリ・テレーズが右の腿《もも》に鋭いフォークをつきたてる夢をみ、その夥《おびただ》しい血の色にうなされて眼をさましたのだった。それはまさしくあのサイゴンでの光景の再現であり、彼女の住むのが日本でありながら、夢のなかの彼女の住居は竹を編んだサイゴンの開けはなたれた家であった。それにアンドレ修道女は尼僧服の上からフォークをつきさしたのに、夢のなかのマリ・テレーズは白い腿をむきだしにして、血はじかにその白い肌《はだ》から噴《ふ》き出し、その肌を伝って流れていた。私は異様に肉感的な感じの残るその夢からさめながら、まだ夜明けの遠い夜半、胸に噴きあがってくるマリ・テレーズへの愛着の激しさに息がつまりそうだった。私は彼女と別れるとき、彼女だけはアンドレ修道女のような孤独と不安にはさらしたくない、と、そう思ったはずだった。彼女が別れる前の晩、どんな僅かなことでも、力が必要なとき、そう言ってくれと言い残していったのは、裏返えせば、それは私から与える力にも当てはまることではなかったであろうか。彼女がそう言ったとき、私たちはそこで一つの誓いをかわしたのではなかったろうか。そしていま彼女が夢のなかにあのような姿で現われたということは、何か彼女が私に求めているものがあるのではなかろうか。そう思うと、私には、夜の明けるのが待ち遠しかった。私はいままでマリ・テレーズを放置したままだったのを悔んだ。直子の存在はもはや私の心には何の影響もおよぼさなかった。不思議と何の感じもおこさせなかった。いや、かえって、結婚とか、家庭とか、将来とか、そういった規模の小さい、低い次元でしか物を考えさせなかった直子に対して、さらにその直子に同調していった自分に対して、腹立たしささえ感じた。マリ・テレーズ、マリ・テレーズ、と私は心の中で呼びつづけた。あなたと話しあった、より高い生活、普遍とか、精神とかいったものをぼくはすぐにも忘れた。あなたはぼくの将来がこの国で待っていると言ってくれた。しかし現実に帰ってみれば、もはや人間とか精神とか真理とかに生きるわけにゆかず、日常のぬくぬくした曖昧《あいまい》な靄《もや》のなかに引きずりこまれるほかない。ああ、マリ・テレーズ。ぼくはあなたと印度洋では、永遠とか自己犠牲とか罪とかについて話した。そしてあのときは、それこそがまさに私たちの唯一の現実的な関心だった。それなのに、いまは五十坪の小さな土地を手に入れることがぼくの現実になり、そこに家を建て、芝生《しばふ》を植え、テラスを張りださせることが、もっとも意味のある関心事となっている。こんな雰囲気《ふんいき》のなかで永遠について話したり、自己犠牲の意味を喋《しやべ》ったりすれば、それは何か青臭い、軽薄なものに感じられてくる。だが、マリ・テレーズ。ほんとうにこれでいいのだろうか。そしてまた、なぜあなたといると、永遠や自己犠牲があれほどの重さと充実感をもって迫ってくるのに、ここへ戻るやいなや、ただ土地や家庭だけが現実的なものに感じられるのか。マリ・テレーズ、マリ・テレーズ、それはいったいどういう理由からなのか……。  こうして私はまんじりともせず夜明けを待った。  その翌朝、私は、早々に、マリ・テレーズが書きのこしていったアドレスをたよりに、代々木の奥のその家を訪《たず》ねていった。もはや私をさまたげるものは何もなかった。もしそれが私の生命や、生涯や、経歴を犠牲にしなければならぬものであっても、私はマリ・テレーズに会わずにはいなかったろう。  しかしその界隈はしばしば私が歩きまわったところであったにもかかわらず、いざアドレスの示す家を訪ねるとなると、それはなかなか見つからなかった。私はそのあたりを一時間ほど探《さが》しまわった揚句、ようやくのことで、とある繁華な通りから住宅街に入り、そこからさらに幾つかの路地をまがった奥に、彼女の属する宗派の修道女たちの住む家を見つけた。  それは一方に苔《こけ》むした崖《がけ》が迫っている、湿気た、暗い路地奥で、小さな貧しげな家が並び、共同水道や、溝板《どぶいた》や、小さな植木鉢《うえきばち》などが見えていた。修道女たちの住む家はそうした家の一つで、それはどこかセイロンの家とも、サイゴンの家とも共通した特徴をもっていた。それを一口に言えば、いずれも小さな隠れ家の印象をもっていたのである。  玄関先に十字架と彼女たちの宗派を示す小さな木の標札とがかけられているほか、それは普通の家と変るところはなかった。玄関に立っても人の気配さえなかった。それはセイロンでもサイゴンでも同じだった。私はしばらくためらってから戸をあけた。マリ・テレーズに会えるという期待が喉《のど》をしめつけ、玄関に出てきた日本人の可愛《かわい》い修道女に、私は辛うじてその名を告げることができただけだった。 「テレーズ様ですか」とその可愛い修道女は中腰で答えた。「テレーズ様は八月から北海道の方へ移られました」  私は急に膝の力がぬけてゆくのを感じた。 「北海道?」 「ええ、北海道の稚内《わつかない》です」  そうだったのか。彼女がひそかに望んでいた苛酷《かこく》な条件とはこうしたことも含まれていたのか。 「その住所はわかりますか」 「ええ、わかります。ちょっとお待ち下さい」  そう言って、可愛い修道女はいったん奥へ入ると、紙片に住所を記《しる》したのを持ってきた。 「お元気でしたか」  私は可愛い修道女に言った。 「ええ、とても、お元気でした」  彼女はにこりとして答えた。  しかしそうした答があったにもかかわらず、私は彼女が病気でもしているのではないかと思った。あのサイゴンの病みつかれた修道女のように、いまごろ彼女はどこか陰気な部屋のベッドに横たわっているのではあるまいか。北の町の荒涼とした空を見ながら、ひとり望郷の思いにかられているのではあるまいか。私はそう思うと一刻もじっとしていることができなかった。  東京をたつとき、直子には簡単に葉書で、しばらく旅行に出る旨を書き送るだけにしておいた。そのときの私は、将来のことは何一つ決っていないのだ、すべてが白紙に戻されたのだ、というような気持になっていた。しかし一夜を列車で明かして、雨模様の早朝、連絡船のデッキに立っていると、私は不意に、マリ・テレーズが私のことなど頭から忘れさっているのではないか、という気がした。彼女が別れる前の晩、甲板に来て言った言葉は、誰しも経験する別離の感傷が、おのずと口にさせた単なる心情の旋律にすぎなかったのではないか。それは、別に意味ある言葉ではなく、ただ繰りかえされる「さようなら」の反響ではなかったのか。もしそうだとしたら、いま私が北海道の最北端までのこのこ出かけてゆくなどということは、滑稽《こつけい》きわまることではないのか。マリ・テレーズはただ困惑の微笑を浮かべるだけではないのか。  そう思うと、私は恥しさから脇《わき》の下を冷たい汗が流れるような気がした。東京をたつときの燃えるような激しい気持は、もやはどこを捜してもなかった。海峡に雲がおり、黒ずんだ波が渦を巻いてうねっていた。時おり鴎《かもめ》が波をかすめては、上甲板をこえて、斜に風に流されていった。  そうだ、それは滑稽きわまることだ。相手の思惑さえ考えない愚かしいことだ。ひどく無様《ぶざま》な独《ひと》り合点《がてん》と己惚《うぬぼれ》の猿芝居《さるしばい》なのだ。もうこれだけで沢山じゃないか。もうここまできて、自分の愚かさを確かめれば、それで十分じゃないか。さ、帰ろう。帰るべきだ。函館《はこだて》に着いたら、二、三日ぶらついて、帰ってこよう。それでいいのだ。それだけで旅行の意味はあったのだ。もうマリ・テレーズのことを考えずにすむ。もういいのだ。もう終ったのだ。これで彼女の幻影から解放されたのだ……私がそうした物思いにふけっていると、突然、後方で汽笛が蒸気の音とともに、激しく鳴りわたった。底ごもった響きが、二度、三度と海峡のうえにこだました。  その瞬間、私は、不意に印度洋のうえにいる感覚をよびおこされ、マリ・テレーズの存在をまざまざとそこに感じた。それは彼女がそこにいるような、異様にはっきりした感覚だったので、私は思わず声をあげそうになった。私は一瞬のあいだにマリ・テレーズの静かな灰青色の眼、快活な表情、灰色の尼僧服をそこに見たのだった。それは打ちのめされたような感覚だった。その瞬間ほどマリ・テレーズに会いたいと思ったことはなかった。滑稽も何もなかった。ただ会いたかった。無性に会いたかった。そしてただそれだけだった。それだけが私の身体の中をのたうちまわった。  その後は、私はただこの感情のなかにゆられるだけだった。列車の疲れも手伝ったのだろうが、私には、マリ・テレーズ以外の一切は何の関心もひかなかった。窓の外を走りすぎる山も谷も部落も町も私には何の意味ももたなかった。私はただ無関心な眼でそれらを眺《なが》めているにすぎなかった。そして足早に訪れる北海道の蕭条《しようじよう》とした秋の山野の果てにたえずマリ・テレーズの立っている姿を見つめていた。  旭川《あさひかわ》をすぎるころから、私の心臓は不安に高鳴りはじめ、口のなかが渇《かわ》いてゆくのが感じられた。トンネルを出ると森林の斜面がそそりたち、ケーブルが谷間にかかり、伐採場の小屋がその谷の奥に見えたりした。白樺《しらかば》が黄葉し、葉をふるわせ、その遠くに荒涼とした岩石の丘陵がつづいた。もはや田畑らしいものはどこにも見当らなかった。  こうして旭川から七時間の汽車旅のあと、私が稚内の駅前におりたったとき、東京で考えたことも、直子のことも、あれほど私につきまとっていたマリ・テレーズへの思いも、遥《はる》か昔の出来事のように感じられた。私は、何か宿命の糸のようなものに引きずられて、この長い旅をつづけてきたような気がした。それはただまっすぐマリ・テレーズのところにつづいていた。私はそのすじみちを最後まで辿《たど》ってゆくほかなかった。私は半ば自動的にタクシーに乗り、運転手にアドレスを示し、車が動きだすと、身体を後に倒して、眼をつぶった。自分がいまマリ・テレーズのそばに来たのだという実感はまるでなかった。まして数分後に彼女に会えるのだという気持などまったく起らなかった。ただ早くこの苦しい旅の終りまで行きつくしたいと思うだけだった。その結果がどうであれ、私は、旅の途中、どっちつかずでいる状態にこれ以上耐えられなかった。しかしそれも終るのだ、それも間もなく終るのだ、そう私はひとりごちた。  そのとき私の意識のなかに、マリ・テレーズの姿が浮ばなかったのは奇妙なことだが、事実、私は旅の終りが何か別の目的で占められているかのように感じていたようだった。おそらく彼女の身近かに来ているという意識が、故意に、私から、彼女の映像を排除していたのであろう。そのときの私には、マリ・テレーズのことを考えるのは、太陽をじかに見るような強烈な作用を及ぼすことになったのであろう。私はなお列車に乗っているような気がした。まだ過ぎてゆくべき駅が幾つもあるような気がした。  そのとき運転手が声をかけた。 「この辺だと思いますがね。ちょっとそこのタバコ屋できいてきましょう」  私はその声に眼をあけた。雑貨商や衣料品店や食堂や自転車屋や電気器具店の並ぶ町すじは、雲の暗く垂《た》れた空のしたに、ひっそりつづいていた。町の背面に近く山が迫り、その丘陵状の山のつづきは陰鬱《いんうつ》な空に黒ずんだ稜線《りようせん》をえがいて遠くへのびていた。 「このすぐ裏手だそうですよ。車は入らないそうですから、何でしたら、そこまででも」  運転手はそう言ったが、私はそれを断って車をおりた。運転手の教えた道をとって町の裏側に出ると、木造のアパートや小さな船工場や罐《かん》づめ工場が細い路地を挟《はさ》んで並んでいた。私はその路地の入口で遊んでいた子供の一人に、修道女たちの家をきくと、彼はしゃがみこんだまま、その路地奥を指《さ》した。  機械鋸《きかいのこぎり》の音が聞えている材木置場を通りこすと、四、五軒の家が並んでいた。そのなかの一軒は、モルタル造りで、窓が出窓になっていて、その内側に、二重の窓がついていた。その玄関に私は小さな十字架と、マリ・テレーズの宗派の標札をみとめた。そのときふと、万一マリ・テレーズがいなかったら、というような思いが閃《ひらめ》いた。それは恐怖に似たような気持を味わわせた。今となっては、彼女以外に、私のこの気持を支《ささ》えてくれるものはありえなかった。私はベルを押した。はじめは短かく、それからもう一度、願いをこめるようにして、長く押した。重い吐息がもれた。喉がしめつけられるようだった。  足音がして、鍵《かぎ》を内側ではずす音がした。私は一足玄関のドアから後退《あとずさ》るように身体を動かした。ドアがあいた。そこに姿を見せたのはマリ・テレーズだった。  心がふるえてくるのがわかった。声は言葉にならなかった。私はただ彼女の名前を呼んだにすぎなかった。  マリ・テレーズは船の上でと同じように灰色の尼僧服を着て、同じ色の布で髪を包んでいた。灰青色の静かな眼は変らなかったが、快活だった娘々した顔立ちは、前よりもいくらか厳《きび》しくなったような感じがした。彼女は一瞬、私の出現が信じられないように、呆然《ぼうぜん》とした表情で立っていたが、次の瞬間、みるみる顔が赤くなっていった。  私たちはほとんどどちらからともなく手をとり合いそうになった。喋っている言葉はうわごとのようだった。会いたかった。会いたかった。マリ・テレーズよ。会いたかった。いまここにいるのは、本当にあなたなのか。ぼくはあなたに会っているのか。ここにいるのは、いつもぼくを引きあげてくれたあなたなのか。ほんとうにそうなのか。マリ・テレーズ、マリ・テレーズ、たしかにあなただ。あなたに違いない。ぼくはあなたに会っているのだ。ぼくはあなたを抱きしめたい。あなたを口づけで覆《おお》いたい。マリ・テレーズ、ぼくはあなたに会いにきたのだ。あなただけに会いにきたのだ。ああ、なんと長い陰気な旅だったろう。気の遠くなるほどながい旅だった。あなたに会おうと思うだけで、ただひたすらにその旅はながく感じられたのだ。だが、今となっては、そんな辛《つら》さなど何であろう。ああ、マリ・テレーズ、ぼくはあなたに会えたのだ。あなたは今ぼくの前にいるのだ。そうだ、あのときのままで。あのときとそっくり同じに。そうなのだ、ぼくはそんなあなたを見にきたのだ。そういうあなただけが、いまのぼくを支えることができるのだ。ぼくはいまあなたが要るのだ。あなたがあのとき言った言葉通り、ぼくはあなたのところにきた。ぼくはあなたに会いにきたのだ。  玄関のすぐ横に、張出窓のある応接室があり、円《まる》いテーブルと固い椅子が四脚置いてあった。壁には幼児キリストを抱くマリア像がかかっているだけで、飾りらしいものはなかった。私たちはその円テーブルを挟んで向いあって坐った。最初の感動が嵐《あらし》のように過ぎさると、私はようやく自分をとりもどした。私は、もっと早く会いに来るつもりであったこと、しかしそうできなかった理由が色々あったこと、それから最後に、彼女の夢をみて居ても立ってもいられなくなったことなどを話した。 「ぼくはあなたが病気にでもなっているのじゃないかと思ったのです。船でお別れする前の晩、あなたがおっしゃったことは、またぼくからあなたへ同じようにしなければならない誓いのようなものを感じさせました」  彼女はじっと私を見つめていた。 「身体のほうは、今のところ、元気にしています。ただ、あなたがここまでいらしていただいたので気がついたんですけれど、私は本当のところ、秋のはじめごろから、何か少し不安な気分を感じていたんですの。でも、それが、そんなに敏感に、あなたのところに感じられてしまったんでしょうか」 「この町での暮しは、大へんなのですか」 「いいえ、そういう意味ではないんです。私、前に一度、日本に来たことがあると申しあげましたでしょう。あれは、実は、病気でスイスに送りかえされたんですの。私はこんどこそ、そんなことのないように、十分身体を丈夫にしてきたつもりでした。それなのに秋になると、ふっと、身体に自信がなくなるようなことがあって、それが何かとてもいやでした」 「こんどは、万一そんなことにでもなったら、決して無理をなさっちゃいけませんよ。無理なさらないって、ぼくに約束して下さい」  話しているうち、マリ・テレーズの表情に船で見たような快活さが戻ってくるようだった。彼女は、横浜で別れて以来、東京のある精神病院で働いていたこと、北海道に来る前に日光《につこう》にいったこと、北海道の気候は寒いが山国で育った彼女には決して合っていないわけではないということなどを話した。私は、そんな話をききながら、いまほどマリ・テレーズが私の手の届かない彼方《かなた》にいることを思い知らされたことはなかった。私がどんなに彼女を愛そうと、また彼女がどのように私に好意を持とうと、この二人のあいだにおかれた距離は、ほとんど絶望的といってもいいほど遠いものだった。私はマリ・テレーズに一目会いたいというただそれだけの気持に駆られて、この北の町まできたものの、いざ彼女を前にしてみると、このどうすることもできぬ距離のはるけさが、痛いほどよくわかった。私には、マリ・テレーズが肉体をそなえた一人の女性としてそこにいるのが、かえって不思議に思えた。 「ところで、どこかお宿はおとりになって?」  彼女が訊《き》いた。 「いいえ。実を言うと、そんな気持の余裕なんてなかったんです。駅につくとすぐ、ここに来たんです」  私がそう言うと、マリ・テレーズはさっきと同じようにもう一度赤くなった。しかし彼女は、「まあ、驚いた方ね」と、わざとふざけたように言って、「それじゃすぐどこかへ宿をとらなくては。だってお疲れでしょう。すぐお休みにならなくちゃいけないわ」 「休むなんて。大丈夫ですよ」私は言った。私はどうなってもいい。ただ自分の心のなかにわだかまっている気持だけは話してしまいたい。そんな気持がした。「休むなんて、考えもしなかったんです。ただお目にかかりたいだけで、ここに来たんですから。そうして、いまここで……」 「いけません」彼女は厳しく私をさえぎった。「いまは何もおっしゃらないで。いまはすぐお休みになって。まだ私たち、お話することはいくらでもあるはずでしょう。私ね、明日は、午後、外出することができるんです。ですから、そのとき、ゆっくりお話できると思います。でも、いまは、もう何もおっしゃらずにお休みになって下さい」  たしかに私の言葉のなかには妙に切迫した、ひたむきな気配が、少し前から生れていた。マリ・テレーズはそうしたものの前で、彼女自身、自分の気持をととのえることができなかったのだろうか。それに、私は何の前ぶれもなく彼女の前に現われたのだ。よしんば私が彼女に対する思いを何一つ口にしないとしても、すでにこの不意の出現だけで、十分それを彼女に伝えているはずだった。少くとも彼女は、そういう一方的なぶしつけな男の視線を、辛うじてこらえているだけで、精いっぱいだったであろう。それなのに、そのうえ、私があえて何か喋ろうとしたことは、もはや彼女の忍耐の限度をこえていたのであろうか。  私は黙った。マリ・テレーズの言うとおり、どこかで休まなければならなかった。  私は彼女が呼んでくれたタクシーで駅前に近い旅館にいった。風呂からあがると、そのまま私は夕食もとらず床のなかに倒れ、昏々《こんこん》と眠った。夢をみていたらしいが、一度も目はさまさなかった。マリ・テレーズも直子も東京も汽車旅も何もかもそこでは消えていた。あるのは深い眠りだけだった。そんなに深く眠ったことはあまりないことだった。  私が目をさましたのは翌日の昼近い時間だった。十二、三時間眠りつづけたわけになる。蒲団《ふとん》をあげに来た女中が「よほどお疲れでいらしたのですね」と笑って言った。 「修道女のかたが二度ほどいらっしゃいましたが、お起しするなとおっしゃいましたので、そのままお呼びしませんでした」  帳場の男が私に告げた。私はすぐ彼女のところへ電話した。さすがに電話の向うでもマリ・テレーズは笑っていた。 「今日、すこしお天気は悪いけれど、ちょうどあなたもいらっしゃるし、宗谷岬《そうやみさき》のほうまで散歩してみたいと思ってましたの」 「それはいい考えですね。歩いてゆけるんですか」 「いいえ、バスで一時間半ほどかかりますの。でも前から行きたいと思っていました。お昼すぎに出るバスがあるんです。それに乗れたら、乗りたいと思います」  私の気持は前の日と変って、まるで憑《つ》きものが落ちたように静かだった。よく寝たあとのせいもあって、一種の爽《さわ》やかさのようなものさえ感じられた。私はマリ・テレーズと前日のような重苦しい悲痛な気持で会うのでないことが嬉しかった。私たちは駅前のバスの乗降場で待ち合わせることにした。  私が駅前までゆくと、風の加減か、潮の匂《にお》いが強く感じられた。風は曇った空の下を低く激しく吹いていて、商店ののぼりがその風に鳴っていた。マリ・テレーズは駅前広場に入ってきたバスから、紺のマントを羽おり、灰色の尼僧服の裾《すそ》を押えながら、降りてきた。 「よくお休みになれてよかったわ」彼女は、船から下りる時、よく見せた、快活な、いきいきした表情をしていた。「昨日は、まるでげっそりして、幽霊みたいでしたもの」  季節はずれのために、宗谷ゆきのバスの乗客は、私たちをのぞけば、いずれも土地の人々だった。籠《かご》に野菜や魚や干魚を入れたのを椅子の下に置き、顔見知り同士で、近在の噂《うわさ》や、漁業組合の話や、今年の夏の景気などを話しあっていた。  私たちは、町を出てゆくバスの窓から、激しい風に吹かれる北の海と、彎曲《わんきよく》して遠くのびている海岸線を見つめた。 「晴れていると、もうこの辺《あた》りから、樺太《からふと》が見えるんですって」  マリ・テレーズはそう言って、水平線の方を指した。  海には低く雲が垂れこめ、暗澹《あんたん》とした海面に波が白く牙《きば》をむきだし、長い荒涼とした海岸線に打ちよせていた。海岸線は黒ずんだ岩が累々と重なり、波しぶきをあげ、いたるところに海藻《かいそう》が打ちあげられていた。  丘陵状にのびている岬は、かたい黒い岩に覆われ、風に吹かれた灌木《かんぼく》が岩角にこびりついていた。海がしけていたためか、海面には漁船らしいものの姿はなく、風の下で波だけがもだえ、飛沫《しぶき》をとばし、時おり鴎《かもめ》が風をついて岬の方へ飛び去っていった。  バスは途中二度ほど止っただけで、岬の先端に着いた。先端には燈台があり、燈台からすこし離れて、小さな部落が風をさけるようにかたまって見えた。  帰りのバスまでの三時間ほど、私たちは燈台を見学したり、燈台の上に備えつけられた望遠鏡をのぞいたり、部落の裏の松前藩士《まつまえはんし》の墓を見にいったりした。  部落からはずれ、本土の最北端といわれるその荒れはてた海岸に立つと、オホーツク海の波が咆哮《ほうこう》し、身もだえ、岩を噛《か》む飛沫が霧となって吹きとばされるのが見えた。風は海から真向いに激しく吹きつのり、その風の中に立っていると、息苦しいほどだった。しかし私はその岩の一つに立って、飛ぶ鳥の影さえ見えない暗澹とした海の遠くを見つめていた。  私が岩をおりると、マリ・テレーズは風をさけて、マントにうずくまるようにしてその大岩のかげに腰をおろしていた。私は同じように彼女と並んで腰をおろした。 「寒い?」 「いいえ、少しも。私、こんな海を見たことがありませんでしたの。なんだか、こわいみたい。荒涼としていて、暗くて、陰気で、なんとなく苦しんでいるみたいで……」  私たちはじっと岩角に鳴る風の音をきいていた。波は、まるで何かが激しく崩《くず》れるような音をたてて、地響きのように岩をじかに伝わってきこえた。 「私ね、実は、この海を見ながら、あなたのことを考えていたんですの」  マリ・テレーズは地面に視線を落して、低い声でそう言った。 「私、ずっと前から、いつかあなたがいらっしゃるのじゃないか、とそんな気がしてましたの。もちろん自分では、そんなこと、気もつきませんでしたけれど、昨日、あなたがいらしたとき、私は、それに気がついたんですの。私、本当は、あなたに来ていただきたかったのです」  彼女の声はとぎれた。それは風が吹きちぎっていったのかもしれなかった。彼女はしばらく喘《あえ》ぐように口を動かし、それから、ふたたびつづけた。 「私、そのことに気がついてから、夏にここに来て以来、感じていた不安が、本当は、あなたと別れている寂しさだったのだということがはじめてわかったんですの。それはおそろしい発見でしたけれど、でも、それが真実であるなら、やはり私はそれを担《にな》わなければならないと思いました。いいえ、本当は、私、それが真実であってくれて、嬉しいとさえ思いました。なぜって、私は同じ苦しむなら、あなたとのことで苦しむほうが、どれだけ仕合せかわからないからです」 「マリ・テレーズ、ぼくはあなたを苦しませるぐらいだったら……」 「いいえ、それは当然のことですもの。それに、そうだったとしても、私は、やはりあなたにお会いしたかった。お会いしたかったんです」 「それはぼくだって同じだった。ぼくも気が狂いそうに、あなたに会いたかった。訪ねれば、あなたにわらわれるかもしれない、そう思いました。しかしどうにも自分を抑えることができませんでした。昨日、あなたに会えたとき、ぼくは自分が気を失うんじゃないかと思いました。本当に、気がちがいそうに会いたかった。そして今、こうしていても、なんだか、本当にあなたがここにいるのかどうか、わからないような気になるんです。ね、マリ・テレーズ、聖職にあるあなたにこんな気持を持つのはいけないことかもしれない。自制すべきことかもしれない。でも、ぼくにはそれができなかった。どうしても、できなかったのです。ぼくはただあなたに好意を感じているだけじゃない。ぼくはあなたが好きなんだ。あなたをそっくり自分のものにしたいんです。ぼくには婚約している女があります。ぼくはその女を愛しています。その女もぼくのことをひたすら思いつづけていてくれます。だから、ぼくは、その女に対しても、あなたの聖職に対しても、二重に罪を犯しているのかもしれない。でも、マリ・テレーズ、ぼくのあなたに対する気持は、そうしたただの愛といったものじゃない。それがなければ、もう生きる勇気もなくなるような、そんな気持なんです。ぼくはそのためには自分の経歴も世評も野心も何もかも犠牲にしてかまわない。世の中のすべてととりかえたい、そんな気持なんです。マリ・テレーズ、こんな気持をあなたに対して持ってはならないことは、よくわかっているんです。でも、もうどうにもならなかった。これ以上我慢していたら、ぼくはどうにかなりそうだった」  私はマントの下にあるマリ・テレーズの手をとった。かたい岩にその背中を押えつけるようにして、私は彼女の唇《くちびる》を求めた。私たちのまわりで烈風がごうごうと吼《ほ》えたけっていた。彼女はほとんど身体を動かさなかった。腕を拒むように胸にあて、眼をとじ、そこに、じっと坐っていた。私は彼女のとじた眼から涙があふれ、頬《ほお》を伝ってゆくのを見ていた。私は、船にいたとき、ウインチのかげで、正坐し、額を地につけて、ながいこと祈りつづけていた彼女の姿を思いだした。激しい、ひたむきな祈りに、彼女が何をこめていたのか、私には知る由もなかったが、そうした彼女のなかにいま私が何か取りかえしのつかぬ影を投げかけていることだけはたしかだった。鋭い悔恨が私を刺しつらぬいた。私はそれを口にした。マリ・テレーズはかすかに首をふった。彼女は声をたてず、身動きもせず、坐ったまま泣いていた。 「アンドレのことを憶《おぼ》えています? あの人は自分の弱さを私たちの前ではっきり罰しましたわね。私、どうやって自分を罰したらいいんでしょう」  ながい沈黙のあとで、涙をぬぐうと、彼女は私のほうを見てそう言った。 「あなたが悪いんじゃない。ぼくがいけないんだ。ぼくがあなたを苦しめているんだ。一切はぼくのこの愚かしい感情がもとなんだ」  私はマリ・テレーズの誹謗者《ひぼうしや》がまわりにいるかのように激昂《げつこう》して叫んだ。 「いいえ、私もあなたを愛していたんです。私もあなたが好きでした。私はあなたを心から待っていたんです」  マリ・テレーズの顔は蒼白《そうはく》になっていた。 「私はいまも自分の身をふりすてたいほど、あなたを愛しています。私はいま〈さ、どこかへ、私を連れていって下さい〉と叫びたいくらいなんです。あなたは、きっと、私があなたと同じように愛してはいないと、お考えになっているかもしれません。いいえ、いいえ、そんなことはありません。私も気が違いそうに、あなたを愛しています。私には、この愛以上に、真実なものはありません。だから、私は、いま、それを、真に試練なのだと感じるんです。私は、いまこの風に吹きとばされそうなのと同じに、あなたへの愛に吹きとばされそうです。でも、私は、この愛がこのように激しくひたむきであればあるだけ、このなかに立っていなければならないことがわかるんです。なぜなら、それこそが、真の試練だからです。そうした真の試練のなかにだけ、人間の証《あか》しがあるからです。ああ、私が、どんなにあなたを愛しているか。私はいまにもあなたのなかに倒れてしまいそうです。それでも、どうか、もし私をそのように愛して下さるなら、私を、この試練のなかに立たして下さい。どうか私の支えになって下さい。私と一緒に、人間の証しをたてていただきたいんです」  私はマリ・テレーズの手をとった。彼女の手はふるえていた。眼から涙がまた溢《あふ》れ、それが頬を伝わっていった。彼女はそれをぬぐってから、同じように低い声で言った。 「いつか、あなたは、私たちがなぜ貧困や悲惨のなかで奉仕するのか、とお訊《き》きになりました。それからまた、そういう仕事は政府が引受けるべき仕事だともおっしゃいましたね。そしてそのとき、私は、物事をただ結果だけから見るべきじゃなくて、それをやろうとする意図からも見なければならないのではないか、という風に答えました。でも、いま、私は、そのことに、もっと、はっきりしたお答えができるように思いますの。それはいま、何かある光のようなものを感じているからなんです。それは光というより、光の予感のようなもの、夜明け前の曙光《しよこう》の先ぶれのようなもの、と言ったほうがいいかもしれません。そうなんです。それはさっき、あなたが私にふれて下さったとき、私のなかに訪れてきたものでした。私はあの瞬間生れてはじめて味わうような、精神の高みへ——目のくらむような高みへ、運び去られてゆくのを感じました。その瞬間に、私は、あなたへの愛をこえた愛を、その光をもたらす至高な存在への愛を、はっきり感じることができたのです。その光は、私の肉体も、いえ、肉体だけではなく、魂の他の部分も、知ることができなかったような、一瞬のあいだの輝きでした。でもそれは至福な光でした。その光の下では、私たちの生の永遠が信じられる、そうした至純の頂きでした。そうなんです、私は、真に永生の光を感じたように思います」  彼女の声は途切れ、また聞えてきた。 「私には、いま、心から信じられますの。私たちはみな、それぞれ、この至高の頂きにゆけば、この至純な永遠の光にふれることができるということを。私の心はまだその感動でふるえています。まだそれをうまく説明することはできません。ただその至福の感じだけがわかるんです。  おそらくそれは人間であることの唯一の意味かもしれません。私が貧困や悲惨の中に行かなかったらどうでしょう。貧困や悲惨の意味をはっきり理解しなかったとしたらどうでしょう。戦争の無残な犠牲となって死んでゆく人があるようなとき、その人たちに対して、あなたの生は無益だった。こんな死に方は犬死なのだ、運が悪いんだ、と言うほかないとしたら、どうでしょう。でも、人間の生とは、そんなものじゃありません。そんなものであってはならないんです。よしんば、今この瞬間に死ななくてはならないとしても、それだけで完全にみたされているはずです。それは私たちに、つねにあの至上の光がわけ与えられているからです。私たちのうち、誰かが持ちこたえて、誰かが今日という日のなかで、明日をたのみにしないことを証ししなければならないんです。誰かが貧窮や悲惨のなかにいって、人間の魂の豊かさが、眼に見えるものや、物質だけで支えられているのではないことを証ししなければならないんです。それは時には狂気と思われ、時には誰にも理解されず、また時には、何の役にも立たないことがあるかもしれません。でも私は信じるんです。誰かが最後の一人になるまで、そうしたものが人間の証しのために必要であり、ただ一人の人間がそれを証しすることで、すべての人間が救われるのだ、というふうに」  マリ・テレーズは立ちあがろうとして、蒼白になったまま、倒れかかった。私はマントのうえから彼女の身体を支えた。彼女はかすかに眼をあげ、ほほえもうとした。が、そのまま気を失いかけていた。  私はマリ・テレーズの名を呼んだ。彼女はすぐ意識をとり戻し、私に支えられ、岩を背に辛うじて立っていた。それから彼女は、しばらく一人になりたいと言った。  私は岩かげにマリ・テレーズを残したまま、風のなかに立った。風は白い泡《あわ》をとばして、真っこうから私を吹きとばそうとした。私はながいこと、その風に耐えて、暗い空の下で鳴りどよむ海の遠くを眺めていた。  しばらくして私が岩かげの方を振りかえったとき、マリ・テレーズはまだ岩にうつ伏せになるようにして祈りつづけていた。それは印度洋ではじめて彼女を見たときと同じ姿勢であった。違っていたのは、彼女が、波に打たれる暗澹とした岬さながらに、いま何ものかに激しく鞭《むち》打たれていることを、私が知っているということであった。 [#改ページ]   風塵《ふうじん》  私がその山の温泉宿に一人旅をこころみたのは、山岳地方の高等学校の二年目のことだったと思う。  私は学校のある町から、わざわざ遠まわりして、ローカル線の、またローカル線を小さな電機動車に乗って、その温泉場まで出かけた。季節はすでに初夏だったが、私が目ざした北の山岳地帯はまだ森の針葉樹がようやく芽をだしたばかりのころで、日がかげったりすると、山の肌《はだ》も森も谷間も暗く寒々とした風景にかわり、初夏というよりむしろ冬が残っている感じだった。  途中、古い旅籠町《はたごまち》に一泊し、翌日、また電機動車で山の奥にわけ入った。深い谷間から吹きあげる気流に頬《ほお》を冷たくさらし、林のあいだに雨戸を閉した別荘を眺《なが》め、急カーヴにそって、電機動車の車輪がきいきい悲鳴をたてるのを聞いていた。季節はずれのことでもあり、戦争直後のことでもあって、客車のなかは、土地の人たちが声高《こわだか》に話しあっているほか、客らしい客はいなかった。森の奥で郭公《かつこう》が鳴き、その澄んだ響きがいつまでも客車の窓に聞えていた。私はその窓に頭をつけ、自分の気持が不思議にやすらぐのを感じた。心の奥まで、湿って冷たく澄んだ山の空気がしみてゆき、魂がいきいきと目覚《めざ》め、蘇《よみがえ》ってくるような気がした。  目指《めざ》す温泉場は電鉄の駅からからまつ林のなかを通って、小さな尾根を一つ越した渓流沿いの窪地《くぼち》にあった。林のなかから、山を背に、渓流にのぞむ旅館の細長い、とんとん葺《ぶ》きの、石を並べた屋根が見えた。森にかこまれたその窪地には、旅館のほか、湯元らしいたえず湯気の湧《わ》き出ている小屋と、離屋《はなれ》が一軒あるだけで、森からおりてくる霧のために、旅館の屋根も並べた石も旅館の前の地面も濡《ぬ》れていた。  旅館には肥《ふと》った陽気な内儀がおり、よく喋《しやべ》る女中がいた。この女中は片目が白濁したまま動かなかったが、その分だけ陽気に振舞っているようなところがあった。 「お客さんはいないようだね」  その宿にも人の気配はなかったので女中にそう訊《たず》ねると、戦争からこちらずっと開店休業のようなものだと言った。 「戦争も何もなかったのは、離屋の先生ぐらいでっしょ」  と女中は言った。彼女の話によると、離屋には戦争初期から有名な俳人の**氏が住んでいるということだった。  私は女中が去ったあと、廊下に出て、離屋のほうをうかがった。母屋《おもや》とはちょうどL字型の方向に、二部屋か三部屋ほどの家があり、渓流に臨んでいたが、障子はしまり、ひっそりとしていて、誰か人がいるという気配ではなかった。  その晩は疲れからぐっすり眠ったが、早暁、何か鋭い、けたたましい音がして私は目をさました。あたりの静寂をやぶって、それはケーン、ケーンと叫んでいた。獣が絶叫している声であった。私ははじかれるように寝床を出、廊下に立った。  旅館の前に、肥った内儀《かみ》さんと、昨日は見なかった中年の亭主と、二、三人の男がいた。離屋から長身の着物姿の男が首を出していた。 「先生、狐《きつね》がつかまりましたよ」 「狐がつかまったのかね」  俳人は離屋の廊下まで出てきて言った。 「昨晩は鶏小屋もだいぶ騒いでましたからね、こりゃ、奴《やつこ》さん、お出《い》でになったと思っとりましたよ」 「いつもわな[#「わな」に傍点]にはまるのかね」 「いいや、滅多にかかりませんな。なにせ奴さんたち、抜け目がありませんでね。今朝のやつは、よほど腹をすかせていたと見えますな。まだ若い雌ですよ。年とったのは、絶対かかりません」  そのあいだにも雌狐の鋭い悲鳴は、窪地をこえて、森のなかにこだました。何か痛みをこらえるように声を落して早く鳴くかと思うと、狂ったように絶叫し、身も世もあらぬというふうに鳴いた。  まだ森のなかも窪地も夜明け前の薄明のなかにあり、空だけが水のように明るく晴れ、雲が一すじ二すじ赤く染っていた。外気は冷たく、しばらく廊下に立っていると、身体《からだ》がすっかり冷えるほどだった。  その日の午後、私は荷物を宿に置いたまま、林のなかをぬけ、尾根や渓谷をいくつか越えて、火山が見える原野のはずれまで出てみるつもりで、出かけた。  女中に詳しく聞き、その通り林の道をたどったつもりだったのに、林はいつになっても尽きず、火山もいっこうに見えなかった。足をとめると、遠くで渓流が音をたてており、静まりかえった林の梢《こずえ》で小鳥が鋭く鳴きかわしながら枝を渡っていた。鳥の声は澄んだ空気のなかに、こだまのように濡れて響いた。  そのうち林の梢を包むようにして霧が匐《は》いおりてきて、針葉樹の枝々に水滴が白く光りはじめた。足もとで落葉が小さく鳴り、足裏にくる地面の感触は絨緞《じゆうたん》かなにかのように柔かかった。私はレインコートの襟《えり》をたて、足を早めて、さらに幾つかの谷を渡り、幾つかの尾根をこえた。地図と磁石を宿に置いてきたことがしきりと悔まれた。近い山でも、雨にうたれ、凍死するようなことがあるという先輩の話などを、そんなときに限って、妙にはっきりと思いだした。山はそろそろ暮れはじめ、谷間や、針葉樹のつづく斜面には、暗い暮色が流れはじめていた。  私はだいぶ前から旅館へ帰る道をたどっていたはずなのに、一度通ったような場所には出なかった。道に迷ったのではあるまいか。ひょっとしたら、今夜一晩、歩きつづけて温泉場を捜さなければならないのではないか——私はそう思ったりした。こんな山のなかで、出会う人などいなかったし、方角を決める手がかりのないのも不安だった。万一自分が宿と反対の方角にむかって闇雲《やみくも》に歩いているのではないか、と、ふとそう思うことがあったが、それでも足は、立ちどまっている恐怖に耐えられず、たえず木の根をこえ、岩角を踏んでいたのだった。  私がその山荘を見つけたのは、かれこれそうやって二時間ほど歩きつづけた後であった。とある尾根をこえると、その低く傾いている斜面に、背後に岩を積んで築いた石壁をめぐらした二階建の、丸木を組んだ、がっしりした山小屋が立っていた。太い、煖炉《だんろ》用の煙突からは、かすかに煙が出ていた。助かった——と、それを見た瞬間私は思った。霧はいつしか細かい氷雨となって林を濡《ぬら》していたし、暮色はいっそう足もとを暗くしていたからである。万が一、泊めてもらえなくても、ここで道をしっかり聞いてゆけば、どうせ大した距離とも思えない温泉場までのことだ。無事帰りつくことはできるだろう。私はそう思って玄関にまわった。  玄関のドアには「**荘」と書いてあり、その彫りこんだ字には、濃い青い絵具が流しこんであった。丸木を重ねたその壁といい、軒蛇腹《のきじやばら》の金具の飾りといい、煙の出ていた煙突といい、この**荘という名前といい、写真でしか見たことのない、スイスかどこかの山荘を想像させた。  一瞬のためらいをおさえて私は二、三度、家の奥に声をかけた。  その声に応じて姿を現わしたのは、五十二、三の、痩《や》せた、長身の、半白の髪を無造作にかきあげた、画家ふうの男だった。濃緑のスエードのチョッキを着、頭には同じスエードでつくった、浅い、皿のような帽子をのせていた。その顔は柔和で、人好きのする表情をしていたが、私と顔を合わせたとき、ひどく迷惑そうな表情をし、取りみだしているといったほうがいいような狼狽《ろうばい》ぶりを示した。そのうえ妙に依怙地《いこじ》で、意地悪なところがあり、どうかした拍子に、急に柔和な顔つきが消え、不快そうな表情になり、顔をしかめ、舌うちをしたり、膝《ひざ》を貧乏ゆすりさせた。これはその夜、男とともにいてわかったことである。  しかし最初のそうした迷惑そうな表情も、私が自分の身分と、いま陥っている状況を説明すると、急速に消えていった。そして彼自ら「今夜は雨だし、それに道も暗いから、明日一番で帰るとして、今晩は泊っていったらどうですか」などとすすめてくれた。「荷物も置いてあるんだし、それにこの季節なら、一晩ぐらい帰らなくたって、宿屋じゃ別に心配することもないでしょう」  私はすすめられるままに、火の燃えている煖炉の前に腰をおろした。部屋の四隅《よすみ》には、つくりつけの長椅子があり、刺繍《ししゆう》をした明るい色のクッションが並べてあり、壁には、鹿《しか》の角や、油絵や、熊《くま》の毛皮が飾ってあった。煖炉と反対側の壁に、木箱が嵌《は》めこみになっていて、洋書や哲学書にまじって翻訳小説なども並んでいた。煖炉の前の小卓のうえに、花をさした花瓶《かびん》や時計や置物などがのっていて、そこに、若い女の写真が立てかけてあった。眼の大きな、憂鬱《ゆううつ》そうな顔をした美しいひとで、ここの娘か、それとも奥さんの若いときの姿だろうと思った。  というのは、ちょうど部屋のまん中のテーブルには、二人前の皿が並べられ、パン籠《かご》やフォークやナイフやナプキンが食事をはじめるばかりに整えられていたからだった。私は火に手をかざしながら、ここの夫人が台所からすぐ現われるだろうと思って、半ば心待ちに坐っていた。長身の主人は薪《まき》をとりに裏に出ていっていたのである。  壁には婦人用の刺繍のある胴着や、羽根をさしたチロル帽がかかり、婦人靴も二足、部屋の隅に並んでいた。  主人が薪束を腕いっぱい抱《かか》えてくると、それを床に置き、さっきとは打って変った明るい調子で、「今夜は冷えますからね、どんどん燃やしましょう。山じゃ火だけがご馳走《ちそう》ですからね」と言った。事実、ドアをあけると、そこから山の夜気が冷えて、鉱物の匂《にお》いでもしそうなほどにしっとりと重く匐いこんできた。 「身体が温まったら、そろそろ食事にかかりましょうか。ちょうど今朝|雉《きじ》がとれましてね、それで雉鍋《きじなべ》をつくったところですよ」 「でも」と私は男にうながされて立ち上ったものの、いくらかためらって言った。「でも、奥さんをお待ちしないと悪かありませんか」  長身の主人はちょっと驚いたような顔をして私を見た。 「いや、あれのことならいいんですよ。この先の別荘に出かけてましてね。ええ、そこに友達がいるんです。話しこんで、おそくなることはよくあるんです。今日は、出がけに、おそくなるなんて言い残してゆきましたしね。われわれで先にやりましょうよ。家内は、われわれがこうして食事すると、かえって喜んでくれるような女ですよ」  私たちは夫人の皿やフォークやナプキンをそのままにして、山鳥の肉を煮こんだ料理を皿に盛った。主人が焼くという丸パンを私はかじった。 「おいしいです。こんなおいしいご馳走をながいことたべたことがありません」私はそう言って、私たちの学生生活をおびやかしている食糧難について二、三の例を挙げながら話した。  食事が終っても、夫人は帰ってくる様子はなかった。さすがに主人も気になるのか、玄関の戸をあけて、しばらく戸外の気配をうかがっていた。  雨にまじって風が林の梢を鳴らし、雨戸に激しく吹きつけては通りぬけてゆく。風圧に吸いあげられて、時おり煙突の奥が鳴り、焔《ほのお》が身をよじってゆらめいた。  私は夫人のことが気になったが、すすめられるままに、早目に床につくことにした。主人が二階にいって寝床をつくっているあいだ、私は、居間の壁や隅を飾っている油絵やスケッチや熊の皮や木彫などを見てまわった。  主人に呼ばれて、急な階段をのぼってゆくと、部屋はながいこと使っていないために、かび[#「かび」に傍点]臭く、空気に古家具特有の、すえたような臭《にお》いがまじっていた。 「二階には電気がひいてないのでね、これで我慢してください。このほうが山小屋の気分が出るかな?」  主人はそう言って、古いすすけたランプを私に差しだした。赤い焔からはたえず黒い煙がゆらゆらとのぼっていた。 「一晩だけだから、シーツと蒲団《ふとん》カヴァを換えておきました。これだけで十分でしょう」 「これで十分です。もったいないくらいです」  私はランプを枕《まくら》もとに置いて答えた。  主人が階下におりてから、私はランプの火をかかげて部屋を眺めてみた。かつては寝室に使ってあったものらしく、寝台は幅も広く、頭の部分の木彫の飾りなども古めいて、手がこんでいた。ほかに鏡をはめた衣裳箪笥《いしようだんす》や、籐椅子《とういす》のセットや、そのほか箱類、ついたて、得体の知れぬがらくたなどが、部屋の隅に立っていた。私がランプの乏しい光で確かめただけでも、これらの古家具はかなりながいこと放置されていたことがわかった。たとえば寝台の木彫飾りのうえを指でこすってみると、白く埃《ほこ》りにおおわれたその部分に指のあとがくっきりつくのが、ランプの光でもわかるのだった。  もちろんシーツと蒲団カヴァが新しければただ寝るだけの私にとって何ら不都合があるわけではなかったが、それでも窓の外に吹き荒れる嵐《あらし》の音を聞いていると、なかなかランプの焔を吹き消す気にはならなかった。風は遠くの林を吹き渡っているかと思うと、雨の音をまじえて、山荘の壁面に重い風圧とともにぶつかってきた。天井の梁《はり》や階段や床がそのたびかすかに軋《きし》んだ。  私は寝台にもぐりこんでから、ながいこと眼が冴《さ》えて眠れなかった。物が倒れる音、梢がざわめく音、雨戸が軋る音が、風雨にまじって聞えた。そのうち私は主人が誰かと話している声を階下のほうに聞いた。答えているほうの声は小さくて、ほとんど聞きとれなかったが、主人が、しきりと、道は暗くなかったか、とか、**さんは元気だったか、とか訊《たず》ねる声が聞えていた。部屋を歩きまわる足音がコツコツと響き、おかしそうに笑う声も聞えたように思った。なにか主人の言う冗談に、夫人が笑っているに相違ないと思った。主人は夫人に食事を出しているらしく、皿やフォークのふれ合う音もした。私はよほど起きていって挨拶《あいさつ》しようかと思ったが、早く床に就《つ》いていながら、まだ寝ついていないことがはずかしかったし、それに夫人とは朝になってから会ったほうがいいような気がして、そのまま床のなかに横になっていた。  私は風や雨の音にまじって、なお何度か夫人がたのしそうに笑っている声を聞いたように思う。どこか、風呂にでも入っているらしく、水音がしばらく聞えていたような気もする。しかしそれらはほとんど夢うつつであり、夜半に嵐がやんでいたことも私は気づかぬほどぐっすり眠った。  目がさめたとき、雨戸の隙間《すきま》から差しこむ朝の太陽が幾すじか白い縞《しま》をつくって部屋の薄闇《うすやみ》に流れこんでいた。  ランプで見たときには気がつかなかったが、天井には梁がむきだしになっていて、屋根の勾配《こうばい》の裏側がじかに見え、その梁から梁へ蜘蛛《くも》の巣が灰色の網をかけ、その幾つかはぼろ切れのように垂《た》れさがっていた。籐椅子のセットも大部分は腰がぬけ落ちたり、背がぼろぼろになっていた。衣裳箪笥も刺繍台も、私が一晩寝たその寝台まで、光のなかでみると、埃りと蜘蛛の巣におおわれ、この部屋がながいこと閉されたままであったことは一目してわかった。  もともとこの部屋が納戸《なんど》か物置として使われていたのでないことは、たとえばむきだしの天井の梁に製材されたものが使われ、わざわざそうした山小屋風に仕立てられていたり、また窓や、いまは半ば崩れている煖炉などに丹念な飾りが加えられたりしていることから、容易に見てとれるのだった。  おそらく主人と奥さんの二人暮しでは、二階の部室まで使いきれず、ながらく放置しているうちに、空家《あきや》のような、空虚で荒廃した気分がこもってしまったのであろう。  階段をおりると、新しいテーブルクロスをかけた食卓に朝の光がさしこんでいた。窓からは近くにせまった針葉樹の林が見え、林のうえに、昨夜の嵐がうそのように思える晴れた空が青く見え、淡い雲が流れていた。  食卓には、主人と夫人と私の皿が並んでいた。昨夜おそく夫人の声をきいたように思ったが、やはり嵐をついて帰ってきたのだ。  台所で物音がしていたので、私は部屋の奥のドアを叩《たた》いた。顔をだしたのは主人だった。 「よく眠れましたか」  主人は夜よりはいくらか老《ふ》けた感じに見えた。 「ええ、嵐がやんだのも知らないくらいでした」  しかし山荘の前の渓流までおりて、顔を洗って帰ってきてみても、夫人の姿は見えなかった。私は主人にすすめられるままに食卓についたとき、訊ねた。 「奥さまは昨晩はおそく帰られたようですね。まだ嵐はやんでいませんでしたね」 「ええ、あの嵐のなかをね、帰ってきました。私が心配するといけないというのでね。おかげさまでレインコートや傘を裏に干すやら、下着まで濡れたものだから、朝から大へんでしたよ」 「お疲れでしたでしょうね」私はおそるおそるつづけた。「今朝お目にかかったら、お詫《わ》びしようと思っていました。まだお休みになってらっしゃるんですね」 「いいえ、もう散歩に出かけましたよ」主人は晴ればれした顔で言った。 「こんな上天気に寝ているような女じゃありませんよ。花を摘みにいっています。先に朝食してください。花を摘みに出ると、なかなか帰ってきませんでね」  私たちは馬鈴薯《ばれいしよ》のふかしたのをたべた。皮をむき、塩をつけ、まるごとかじった。水っぽく、なかのほうはかりかりと固かった。  朝食後、主人から宿までの道を詳しく教えてもらって、私は山荘を離れた。私が山荘を出るまでに夫人は帰ってこなかった。いつかまたお礼を言う機会があるかもしれないが、くれぐれもよろしく伝えてほしいと私は言った。すると主人は晴ればれした様子で「その辺で会うかもしれませんよ。もう帰ってくるころですから」と言った。  針葉樹の林のなかに朝の光がさしこんでいて、木の幹や、湿った落葉や、道や、下生《したば》えから蒸気がゆらゆらとあがっていた。鳥がしきりと梢で鳴きかわしていた。私は教えられた林のなかの小径《こみち》をたどりながら、ひょっとして夫人に会わないものかと周囲に注意を配っていたが、朝の山の斜面には人の気配はなく、静かな、濡れたようにつめたい空気が流れているだけだった。  ある尾根をこえると急に渓流の音が近くなり、ある岩角をまわると、突然その音が遠ざかり、消えていった。一時間ほど明るい林のなかを歩きつづけると、斜面の下に、温泉宿の石を置いた屋根と俳人の**氏の住む離屋が見えてきた。出かけたときとは、ちょうど反対側から帰ってきたことになる。私は林のなかで大きな円を描いて迷っていたに違いない。温泉宿の背後から近づきながら、わずか一晩そこを離れていたにすぎないのに、それが妙にながい時間のような気がした。事実、片目の女中に「いったいどこへ行っていたんですか。私たちは警察に電話しようと思っていたんですよ。自殺する人も多いんですからね。まさかそんな心得違いをおこしたんじゃないでしょうね」などと真面目《まじめ》な顔をして言われると、つい前日の朝、狐がつかまったなどという小さな事件が、ずっと遠い昔のことのように思えてくるのだった。  私は手短かに山荘で泊ったことを話した。 「とんでもない方角に行きましたね」  女中は私が自殺でもしそこなって、火山から帰ってきたとでも思っていたのだろう。私の話をはじめから信じていないようだった。  私はその温泉宿にさらに二泊した。山荘で聞いたような風雨の音ではなかったが、夜になると風がでて、山全体の木立が潮騒《しおさい》のように鳴っていた。  なん度か、山荘へ行って夫人に会ってみたい気がしたが、主人が私の出現を明らかに迷惑がっていたことを考えると、その考えを実行にうつす気にはなれなかった。一度だけ針葉樹の森をのぼって、火山の見える場所まで出かけた。  それは森のはずれで、火山から流れてくる硫黄《いおう》の蒸気のために、林立する木が立ち枯れていて、その灰色の幹だけがなにか木の墓場のように連なっていた。そしてその先は火山の紫の山肌《やまはだ》まで草木一つない広大な裾野《すその》がひらけていた。片目の女中は、私がこの曠野《こうや》を横切って火山に登ろうとしたと思っているのだろうか。私はそう思うと、火山のほうへ歩いてゆく勇気は出なかった。  夕食が終ると、若いその女中は碁盤を持って私の部屋に来た。彼女は碁並べしかできない癖に、そんなことをして私の気をまぎらわそうと思ったのであろう。しかし私はそれ以上女中に弁解がましいことは言わなかった。私が自殺しそこなった文学青年に見えるならそれでもいいではないか。そう思って、私は、息を殺して盤のうえを見つめている若い女中の真剣な顔を見つめた。片眼が白濁していたにもかかわらず、彼女は綺麗《きれい》な顔立ちだと私は思った。  私がこの温泉宿をふたたび訪《たず》ねたのは、あれから十五年ほどたったつい今年の初夏のことである。しばらく神経衰弱気味だった妻が山岳地方にある実家に不意に帰ってしまい、私はようやくのことで妻を連れもどし、その帰りに、一晩か、二晩、どこか静かな温泉場にでも休ませてやりたいと思い、ふとその針葉樹の林にかこまれた谷間の温泉宿を思いだしたのである。  妻が神経的に参っているのに気がついたのはかなり前だったが、一度友人の医者のところに連れていったほか、とくにこれと言った治療はしていなかった。友人もこの程度では病気といえるかどうかわからないし、むしろ神経的な疲労だろうという見解だった。それに妻も時おり頭痛や気だるさを訴えるくらいで、その日その日がなんとか暮れていたため、妻が家出をするまで、事態がそんな深刻なものだとは思ってもみなかった。  その日は雨だったが、私は夜おそくまで妻を待っていた。十二時をすぎても私はまさか妻が家を出たなどとは思ってもみなかった。家のなかはふだんのとおりだったし、夜の食事の仕度《したく》もしてあった。衣類とか身の廻りの品を動かした気配もなかった。もちろん書き置きなどがあるはずはなかった。どう見ても、夜ひとりで近所の映画館にでもいったか、親戚《しんせき》にでも話しにいったぐらいにしか思えなかった。  しかし終電の時間をすぎるころになって、私は不意に妻が家出をしたのではないかと思った。そんな考えが閃《ひらめ》かないではなかったが、考えとなるまえに、何かがそれを打ち消していた。ところが、そのときになって、不意に、そうした考えが何か間違えようのない確実さで私の心をつかんだのだった。そしてそれに捉《とら》えられると、どんなに他の考えによって打ち消してみても、そのたびに、その家出の確実さが、なまなましい感覚的な実感をともなって、私のなかで大きくなっていった。  私は連絡のできるかぎりの親戚を深夜に電話でよびおこした。もちろん妻はどこにも姿を見せていなかった。  その夜はほとんど私は一睡もしなかった。タクシーで帰ることも考えられたし、ひょっとしたら、何か事故があったのかもしれない。表に自動車の音がするたびに私は玄関まで出てみないではいられなかった。  翌朝、私は眠り足りない身体《からだ》のまま出社した。親戚の娘に留守番を頼み、なお二、三私は妻が顔を出しそうな知人の家へ電話してみた。親戚の娘から私のところへ電話があったのは、その午後のことである。 「いま**の伯父《おじ》さまから長距離があったわ。おばさまは**にいらしたんですって」  **というのは実家のある山岳地方の町で、妻の両親は戦後間もなくチフスで死んでいて、実家では祖父母に育てられ、現在の当主は長兄である。妻はかならずしも長兄と仲がよいというのではなく、祖父母が亡《な》くなってからは、**の家も自分の家のような気がしなくなったとよく言っていた。そこへ何の連絡もなしに出かけるなどということは普通なら考えられなかった。むこうでも妻から実情を聞いて、あわてて電話してよこしたのであろう。  その日の列車で**にゆくとすると、家に帰って支度している時間はなかった。私は家のことを親戚の娘に頼むと、社を早退して、駅までタクシーを飛ばした。  妻の居処《いどころ》がわかり、その突飛な行動が明らかになると、いままでの不安が急に腹立たしさに変った。社の仕事の忙しい瞬間を狙《ねら》ったようにして、なぜこんな馬鹿げた、子供じみたことをしでかしたのか、私はなさけなくもあり、腹立たしくもあった。  私は列車のなかでやるつもりで校正の仕事を鞄《かばん》のなかに入れてきたが、列車が動きだすと、前夜の不眠の疲れで正体もなく眠りこんでしまった。  山岳地方の県庁所在地についたのは夜半に近く、連絡のローカル線はすでに終車になっていた。私はそこでもタクシーを拾わなければならなかったが、ヘッドライトを白く前方に投げながら、暗い夜道をおそろしいスピードで車が走ってゆくのを疲れた身体で感じても、妻のところへ会いにゆく実感はまるでなかった。少くとも妻を迎えにゆくよろこびはなく、ただ走行メーターが音をたてるたびに、こんなつまらぬ出費をさせる妻の子供じみた行動に、あらためて腹がたった。  **の家についたとき、出迎えたのは長兄とその細君だった。長兄はしきりと自分の妹の行動を詫《わ》びていたが、その細君はむしろ私が妻につらく当ったと信じているらしかった。たしかに私にも我儘《わがまま》があり、妻の気持の細かい動きに一々たちいってやれなかったかも知れないが、彼女が想像しているらしいことは私はした覚えがなかった。  妻は私を見ると、ながいこと声をたてず、肩をふるわせて泣いていた。さすがにその姿を見ると、腹立たしさも何も消えて、子供じみたそうした行動をとらなければならなかった妻の気持が、妙に孤独なものに見えた。 「ばかだな。何かあれば、そう言えばいいじゃないか」  私はわざと乱暴な調子でそう言った。妻は泣きじゃくり、ただ頭を黙って振るだけだった。  その夜おそく妻がようやく落着いたところで、私は妻の気持を話させようとした。興奮がすぎると、妻は思ったより素直に話した。 「おとといの午後ね、あなたが急にいなくなったような気がしたの」妻は時おりしゃくりあげながら言った。「あなたが遠くに行ってしまうみたいな……もう帰ってきてくれないような……どこにもいないような……そんな気持がしたの」 「それでここへ逃げてきたのか。変じゃないか」 「あたしね、あの日に会社にいったのよ。そしたら、あなたは印刷会社に出かけていると言われたの。それでまた、印刷会社まで出かけたの」 「ばかだな。なぜ電話をしなかったのだ。電話すればすむことじゃないか」 「そんなことじゃないのよ。あなたが急にいなくなったように思ったんですもの」 「電話で声をたしかめれば、それでいいじゃないか。まさか他人が声色《こわいろ》を使うこともあるまい」 「違うのよ。ただ会いたかったの。会わないと、不安で不安で、いられなかったのよ」 「で、印刷会社でどうしたんだ」 「あなた、いないんですもの。イラストの**さんとこに行ったって、受付のひとが教えてくれた」 「**のところへ行ったのか」 「ええ」 「ばかだな。本当にばかだな。**のところ、わかりにくかったろう? 駅裏のごたごたした界隈《かいわい》だから」 「ええ」 「雨の中を行ったのか」 「ええ」 「どしゃ降りだったろう?」 「ええ」 「**のところ、わかったかい」 「ええ」 「もう少し待っていればよかったな。おれはおれで、お前が待っていると思って、**の細君が引きとめたんだが、すぐ帰ったんだ」 「そう言ってました」 「それなら、なんだってすぐ帰ってこなかったんだ」  妻は黙っていた。私は思わず声を荒くして言った。 「なぜ黙っているんだ? ひとが早く帰っていったのを知っていながら、どうしてお前は帰ろうと思わなかったのだ?」 「だって、あたし、あなたがいなくなったと思ったの。会社にもいない。印刷会社にもいない。**さんのところにもいない。家に帰っても、あなたがいるはずがない。私にはそう思えたの。なぜだかわからないの。本当にそう思えたの。あたし、こわかったの。あなたがいない家に帰るなんて、こわくて、こわくて、どうしようもなかったの。どうしようもなかったのよ」  妻はまた泣きはじめた。  むろん私にも彼女のなかにできたそうした空白感がわからないではなかった。しかし何かそうした不在感に追いつめられて、私を追いかけていたことが、たまらなかった。哀れでもあり、ばかばかしくもあり、腹立たしくもあった。そう言えば、前にもよく妻が私の手をとって「あなたって、誰なの? 本当にここにいるの? ね、あなたって誰なの?」と訊《き》くことがあった。私はむろん彼女が半ば冗談にそんなことを言って甘えているのだろう位に思っていた。しかしいま、妻がそうした不在感を妙になまなましい真剣さで考えこんでいることを知ると、それは一種の不気味な圧迫感となって私に迫ってくるような気がした。血のなかから赤子を引きだしたり、それを洗ったり、それをなめたりする獣めいた、異様な愛情が——その感触のなまなましさが私には不気味に思われたのである。  私が温泉場で一、二泊の休養を思いたったのは、そうした妻の不安がどこか私にわからぬ生活の底辺からうみだされていることに幾らか気づいたからだった。このまま家に帰れば、不安はふたたび妻の気持を捉えるかも知れない。そしてその不安に耐えきれなくなったとき、妻が、どのような手段をえらぶか——それは見えない水圧のように私の心にある重苦しさを加えた。  温泉場は十五年前と同じように針葉樹の林のなかに、石を並べたとんとん葺《ぶ》きの屋根を長くのばしていた。俳人の**氏がとまっていた離屋《はなれ》も、離屋の廊下や障子も、湯気の白く洩《も》れている湯元の小屋も、前のとおりだった。この十五年に都会は変ったし、農村でも相貌《そうぼう》を一変したところがあるのに、以前のまま、ひっそり谷間に静まりかえっているのは、いかにもこのひなびた温泉場らしかった。  私たちが玄関に入ると、低い帳場も、帳場に坐っている肥《ふと》った内儀《かみ》さんも前のままだった。そのうえ、私たちを迎えて奥から出てきたのは、あの片目の白濁した、お喋《しやべ》りの女中だった。もちろん昔とはちがって、彼女の容貌《ようぼう》や様子にも年月の痕跡《こんせき》は見てとれた。肌《はだ》には若さの艶《つや》はなく、いかにも田舎《いなか》ふうの中年の女になっていた。にもかかわらず碁盤を真剣に見つめていたあのどこか綺麗《きれい》な面ざしは残っていた。  内儀も女中も私のことは覚えていなかった。私が俳人の**氏のことや、狐《きつね》がつかまった話をすると、そうしたことは覚えていたのに、私のことは忘れていた。 「**先生もあれから間もなく東京に帰られましてね。たしか先年お亡くなりになったと聞きましたが」  内儀さんはそんなふうに話した。私は**氏が亡くなったことは知らなかった。晩年はあまり俳壇にも出ず、なにかの具合で私も新聞を読みおとしたのであろう。女中が部屋に来たとき、もう一度私は**氏のことや狐のことを話した。 「ところで、山荘の主人はどうしていますか。お元気でしょうか」と私は訊《たず》ねてみた。しかし女中はそのこともまるで忘れていた。私は妻にもわかるように、そのときの逐一を話してきかせた。 「思いださないかな。ぼくが火山を見るつもりで林に迷ったんだ。たしか変な名前の山荘だった。**荘っていったかな。変った主人がいて……」 「それじゃ尾根の向う側の、火事で焼けた別荘じゃないんですか。この辺で古くからの別荘っていうと、あそこだけだったと思います」 「火事で焼けたの?」 「ええ、もうだいぶ前のことですよ。ながいこと空家《あきや》だったから、誰か登山者でも火の不始末をしたんだろうということでした」 「空家って、主人はどうしたの?」 「亡くなりました。火事のあるずっと前です」 「じゃ奥さんはどうしたの? 東京にお宅でもあるのかな」 「奥さんって、その別荘のですか」 「そうだよ。山荘の主人は奥さんと一緒に住んでいたんだ。そのころ四十ぐらいだったかな」 「奥さんがですか?」 「ああ、奥さんがだ」 「あそこの主人が亡くなったとき、もう奥さんはいらっしゃらなかったはずですが」 「じゃ、それから後で亡くなったんだね」 「いいえ、お客さんのおっしゃるのが、本当に尾根の向うの別荘なら、それは変ですわ。あそこには奥さんはいらっしゃらなかったんです」 「いや、いたんだ。少くとも、ぼくが訪ねたころはね」 「でも、お客さんが訪ねたのは戦後でしょう? 戦後には、もうあそこの奥さんは亡くなっていたはずです」  妻が何か言いたそうにした。私は口をつぐんだ。 「あなたのいうその山荘がそこかどうか、行ってみればいいじゃないの?」妻が言った。 「それがいいですわ。お墓もその上のほうにあります。あの先は**村になっていて、お墓のあるのは、その**村のほうなんです。別荘の主人の遺言でそこにお墓がつくられたんです」  私は口で言っているほど、そのことに固執していたわけではなかった。ただ私があの数日の出来事の細部を克明に記憶しているのに、内儀さんも女中も何一つ覚えていないことが、当然のこととはいえ、私にはなんとなく不満だった。なんだか、それが全部|嘘《うそ》みたいな気がしてくる。私はそれを、妻に、というより自分に確めてみたいような気がした。  私たちが山荘跡に出かけたのは翌日の午前だった。その日は曇っていたが、風があり、新緑が病的に冴《さ》えた色に見えた。たえず林の梢《こずえ》はゆれ、尾根をこえると急に風音が耳についたり、また急に消えたりした。鳥たちだけが林の奥で鋭く鳴きかわしていた。谷の窪《くぼ》みや尾根の岩のなかにはかすかに記憶に残っている場所もあったが、おそらく記憶ではなく、記憶しているような気がしただけかもしれない。  私たちが林間の窪地に山荘の焼け跡を見つけたのは、それから二時間ほど後である。近づいてみると、焼け跡は整理されていたが、土台石や風呂場のタイルや手洗所や便所のあとは残っていて、玄関の廊下や食堂の位置や階段のあった場所は容易に示すことができた。 「やはりここだ。ここに間違いない。そうなんだ。やはり奥さんはいたんだよ。あの晩、奥さんはおそく帰ってきたんだ。ぼくは足音を聞いたし、この風呂場で身体を流しているお湯の音も聞いたんだよ。主人と話していたしね、女中はなにか勘違いしているんだ」 「その奥さまって、どんなかたでしたの?」  妻は家の広さを歩幅で計っているように、あたりを歩きながら言った。 「いや、ぼくは奥さんには会わなかったんだ。夜は早く寝てしまったしね。朝は、奥さんのほうが早く、花をつみにいったからね。ぼくは疲れて寝坊したんだ」  私たちは山荘跡から林のなかをぬけ、**村に通じる小径《こみち》をたどった。その先に主人夫妻の墓所があるはずだった。  そこまで出ると、立ち枯れた灰色の林をこえて、黒ずんだ紫の肌を雲に半ば隠された火山がよく見えた。妻は山国育ちのくせに、この火山を背面から眺めるのははじめてだった。黒い熔岩《ようがん》の流れが凝固して、山の中腹から麓《ふもと》にかけて、大小の岩塊が重なりあい、ひしめきあっていた。それを低く匐《は》って、雲が暗く風に吹きおろされていた。 「すごいところね。山も林も石も、なにもかも死に絶えたみたい」  私たちが針葉樹の森を出つくしたとき、灰色に林立する枯木の群のむこうに、火山の麓が広大にひらけているのを見て、妻は思わずそうつぶやいた。荒涼とした裾野《すその》は、一木一草もないままに黒く陰鬱《いんうつ》に地の涯《はて》へひろがって、その先を厚い雲が閉していた。火山から匐いおりてくる雲が引きちぎれ、煙の断片のようになって、強い風に送られ、その裾野を素早く横切っていった。  主人の墓はそうした火山を臨む林間にあった。十幾基の墓が集っているところを見ると、どこかその斜面の下のほうに部落があるにちがいない。私は山荘の主人の墓をさがした。墓石は低く、ずんぐりしていて、他の普通型の墓とどこか違っていた。裏側に歿年《ぼつねん》が刻まれていた。その年月日からすると、主人の亡くなったのは私が訪れてから四年後である。  私は反射的に隣りの人物の歿年を読んだ。主人の死より七年前の歿年が刻まれていた。 「これは誰だろう、この女のひとは?」 「奥さんだって、女中さんが言ったじゃありません?」  妻もそれを見て言った。激しい風のなかでネッカチーフからこぼれた髪がゆれていた。 「いや、ぼくはね、たしかに奥さんの声を聞いたんだよ。女中の言うのは間違っているんだ」 「でも、あなたね、その方と会わなかったんでしょう?」  妻は風に吹かれながら、その眼を私のほうにじっと向けていた。真剣で、こわいような眼《まな》ざしだった。それはどこか遠い昔の私を非難しているような眼だった。  そのとき、私のなかで何かが爆《は》ぜるような音がした。ポケットに入れて忘れていた鏡でも割ったような感じだった。  私はまざまざと山荘の主人の顔を思いだした。そうだった。私はあのとき単純に夫人がいると思っていた。いや、いないなどとは思ってみようともしなかった。だが、私は、妻が言うように、夫人の姿を見はしなかったのだ。ただ、夫人についてとめどなく喋る主人の言葉を聞いていた。夫人が山を歩きまわって花を集めてくること、刺繍《ししゆう》をしたり、スケッチをしたり、時には糸を染めて機《はた》を織ったりすることなどを主人は話しつづけたのだ。あのとき、私が話題をちょっとでも戦争のことや食糧難のことに移すと、主人は無理にも話題をかえ、すぐに夫人の話に戻るのだった。  そういうときの主人の話し方には、一種の執拗《しつよう》な描写力が備わっていて、彼女の性格が詳しく話されたのは当然だったが、さらにその使う刺繍道具、機、染色する布の柄、スケッチの画題、はては着物や洋服、夫人の癖や目の動かし方(たとえば笑うとき、後頭部で編んだ髪に手をやるとか、得意がるようなとき横眼でひとをちらりと見るとか)などにいたるまで、あたかも言葉の網目でそれを覆《おお》うように、綿々と語りつづけるのだった。私は、彼がそうした話題になると、果てしない雄弁になるのに気がついた。ちょうど言葉で夫人や夫人の持ち物を愛撫《あいぶ》しているように、微に入り細を穿《うが》って話しつづけるのだった。  そんなわけで、私が食事を終ったとき、テーブルのうえに皿やナプキンが並んでいるだけ、それだけいっそうその不在を強調するように感じたことを思いだしたのだった。そうだった。あのときすでに夫人について私は何一つ知らないものがないような感じがした。そしていま不意に彼女がドアから現われたら、私はむしろ彼女について知りすぎてしまったので、こちらがどぎまぎしてしまうだろうと思った。事実、食後、主人と一緒に食卓を片づけて(夫人の皿やナプキンもついでに片づけてしまった)煖炉の前でくつろぎ、主人がパイプを吸い、私が配給の巻煙草を吸っていると、部屋を夫人が軽やかな足どりで歩きまわり、髪のうしろに手をやって笑い、横眼でひとをじろりと見て、なにか得意そうな顔をしているのが、眼に見えるような気がした。あのとき、雨にまじって風が林の梢を鳴らし、雨戸に激しく吹きつけては通りぬけていった。風圧に吸いあげられて、時おり煙突の奥が鳴り、焔《ほのお》が身をよじってゆらめいた。そうだった。私は、主人にむかって、こんな嵐《あらし》めいた晩になったが、奥さんを迎えにゆかなくて大丈夫か、と訊ねたのだ。それに対して主人は、いくらか苛《い》らいらした表情で(しかし言葉はおだやかだった)、妻はこうした夜になれているので心配はないのだ、と答えたのだった……  あのとき、主人が二階にいって、寝床をつくっているあいだ、私は居間の壁や隅《すみ》を飾っている油絵やスケッチや熊《くま》の皮や浮彫りを見てまわったが、玄関に通じる隅に、私は女ものの赤いレインコートと傘《かさ》がかかっているのに気がついていた。ひょっとしたら夫人は私と同じように雨支度《あめじたく》をせずに出かけたにちがいない、と私は思った。山の気候ほど変りやすいものはなく、一度天気が崩《くず》れると、それは嘘のように早く変る——山荘生活に慣れた夫人でも時にはこうした不注意をやるのかもしれぬ、と私はその時考えたのだった。  そうだった。あの晩、横になってから、一度私は起きだして、ランプを持って、部屋の隅のがらくたの山を見にいったのだ。そしてそこに、私は暗闇《くらやみ》のなかで、うすうす予感していたもの——骨ばった楽器のような恰好《かつこう》の糸をかけたままの機や、製図台のような、傾いた刺繍台を見つけたのだ。刺繍台には針が刺しかけてあり、図案化されたばらが幾輪か絡《から》みあっていた。  それらは、主人の話によれば、夫人がいまも手がけているはずの仕事ではなかったか。もちろん古くなった機台や刺繍台を屋根裏部屋にしまいこむことはありうる。だが、果して私はそのときそう感じていただろうか。  そしてまた山荘を出るとき、裏手に、赤いレインコートや傘や靴が干されているのを見ていた。私は、一瞬、それが前の晩、玄関の廊下にかかっていたレインコートではなかったかと思った。それはかなりはっきりした驚きだったので、いまも、そのレインコートの赤い色をよく覚えているほどなのだ。  そうだった。それだけのことがわかっていたにもかかわらず、私はなぜその夫人が生き、主人のまわりを歩きまわり、笑い、得意そうに横眼で見、立ったり、坐ったりしていたと信じたのだろうか。  妻が(おそらく無意識に)非難をこめて私を見つめたとき、私のなかで割れたものは、こうした〈在ること〉への無神経な確信だったかもしれない。  そうなのだ。あのとき歩きまわっていた者が存在したとすれば、それは誰だったのか。「私でもいいわけじゃないの?」妻ならそう言いうるかもしれない。妻がおびえているのはこのことかもしれない。だが、本当に、あのとき、手を髪のうしろにあてて笑っていたのは誰だったのだ? 誰が嵐をついて帰ってきて、誰が早朝花をつみに出ていったのだ?  ちょうどそのとき林を覆うようにして霧の一団が私たちを包み、林の間を走り、梢を白くして過ぎていった。私から数歩離れただけの妻の姿も一瞬その走りさる白い霧に包まれ、淡い影となった。  そのとき私は妻が消えたと思った。  私が手をのばしたとき、妻のほうも手を差しだした。次の瞬間、霧は流れさり、林が現われ、墓石が現われ、下生《したば》えが見えた。 「霧が出てきたわね」  妻が言った。  私たちは霧のなかを歩いていった。何度か林が白くなり、その白い流れが音をたてずに斜面を走った。  私は霧のなかを歩きつづけているうち、一切がはじめからなかったもののような気がした。私は実はこの温泉宿に来たこともなかったのではあるまいか。俳人の**氏がいたのも、狐がつかまったのも、実際はなかったことではあるまいか。あの夫人もいなかったように——ひょっとしたら、何もかも、自分の立っている一切が本当は存在しないものであって、ただ仮りにあると思っているにすぎないのではあるまいか。 「**」  私は妻の名をよんだ。しかし妻は放心していたのか、私の声には答えなかった。そして霧のなかを影のように、なにかひどく重さのない感じで歩いていた。  宿に着くと私たちは霧でぐっしょり濡《ぬ》れていた。妻は家出のことなど忘れているらしかった。夕食後、彼女はしきりと碁並べをしたがった。 [#改ページ]   円形劇場から  今夜も風が出はじめた。いつも秋のはじめになると、この地方には決って同じような風すじで烈風が走る。雨を含んだ雲が峰と峰のあいだを変幻しながら動いてゆく。散歩に出る折に、よく驟雨《しゆうう》に襲われることがある。牧場の入口とか、谷を下る渓流の丸木橋のそばとか、葡萄畑《ぶどうばたけ》への上り口とかで、私は、山の斜面を匐《は》うように降りこめてくる驟雨に包まれる。草がしとど濡《ぬ》れ、道がたちまち水で溢《あふ》れて渓流に変り、驚いた牛たちが木のしたのほうへ動きはじめる。私はゴム外套《がいとう》の襟《えり》をたて、ゴム帽子の縁をつたわって流れる水滴が、背すじに落ちこまぬようにしながら、小気味のいい雨脚《あまあし》の動きを眺《なが》めている。そんなときそのまま道を歩きつづけることもあるし、雨がひどければ、番小屋や木かげに佇《たたず》むこともある。咲きはじめた初秋の花が釣鐘形の花筒をゆらせて、雨滴に銀色に飾られるのを、私は眺めつづける。たまには急に雲が切れて、午後の太陽が、教会堂のなかにでも射《さ》しこむように輝きだすことがある。草の露がいっせいにきらめき、木立は湿りを含んだ新鮮な大気のなかで、突然輝かしい表情をとりもどす。渓流には濁った水があふれて、丸木橋をこえて轟々《ごうごう》と流れている。灰色の岩山が、雲の切れ切れに薄れてゆくなかから現われ、嘘《うそ》のように青い空が稜線《りようせん》の向うにひろがる。私はそうした雨上りの午後、よく葡萄畑の上り口で爺《じい》やに出会う。爺やと呼ぶが、年齢は私とさして違わない。ただ私がもの書きを商売とし、爺やが農耕に従って太陽や風に皮膚をなめされているため、外見から言えば、爺やのほうが十歳は年長に見える。また事実、それだけの落着きと知恵にあふれている。葡萄畑にのぼってゆくゆっくりした足どりと同じように、爺やの考え方、生き方はゆっくり確実で充実している。私はたしかに知的な仕事についてはいるが、その点から見ると、知的仕事——書いたり読んだり批評したり分析したりする仕事は、爺やの足どりほど確実で充実したものを持っていない。これはいったいどういうことであろうか。爺やは若い時代に一度だけ湖畔の大都会に出たことがあるだけだという。いわば一生のすべてをこの細長い山脈と山脈の間の谷間で暮していたのだ。農耕と登山と湖の釣りをのぞけば、爺やの関心をひくものは存在しない。夜、爺やが聖書かゲーテを読むという話は聞いた。しかし彼がそれについて話したことは一度もない。それでいて、爺やの話す言葉、日々の暮し、大地に根をはやしたような態度には、私の知るどんな作家、学者よりも、重く落着いた安定した感じがある。爺やは朝が早い。そして夜明けの露を踏んで畑に出、草をむしり、土を耕やし、種をまき、肥料をやる。一日一日の時間は、爺やにとっては、空にかかる太陽の動きで計られる。爺やが時計をもって山畑に出かけたのを見たことがない。爺やは木立のかげで時間を知る。光の輝きで時の移りを計っている。午前の新鮮な疲れを知らぬ光を、爺やは「軽い光」と呼ぶ。午後の熟《う》れた、養分のたっぷりあるような光を「重い光」と呼ぶ。暮方、赤々と夕焼けた太陽の光が谷間の畑を斜めに照らすとき、爺やは「お日さまがとろけなすった」と言う。爺やは軽い光のなかではせっせと重い荷を運ぶ。重い光のなかでは種まきや植えつけや木こりをする。毎日の日課が空や大地や木々のなかに書きこまれていて、それを、そのまま実行しているような、ひどく安心した落着きがある。葡萄の熟れ具合も摘み取りも町への運び出しも、あたかも季節季節の拡《ひろ》がりのなかに、眼に見えない糸でも張ってあって、爺やはそれに触れながら、その指《さ》し示すままに動いている、といった感じだ。日焼けした肌《はだ》は木目のように皺《しわ》に刻まれ、好人物らしい陽気な眼は、いつも微笑のようなものを浮べている。そのくせどこか皮肉な感じがなくもない。いつだったか私は爺やに「生活に不安を感じたことはないか」と訊《たず》ねてみたことがある。爺やは訝《いぶか》しげに私の顔を見て答えた。「うんにゃあ、暮しが不安だったことはねえですよ。親爺《おやじ》が幸《さいわ》え葡萄畑と家を残しとってくれましたでね。わしはそのおかげで毎日毎日安気に暮してゆけますですよ。畑はそりゃ正直者だでね、働けゃ働いただけ、うめえ葡萄をつくってくれますでね。お日さまが無くならねえかって、心配《しんぺえ》しねえのと同様、暮しができなくなるつう不安は、感じたこと、ねえですよ。暖けえ家と、家をまもってくれる妻と、子供たちがおれば、この世で不安なものはねえですからね」私は爺やの言葉の重い安定した感じに打たれた。私ばかりでない。誰しもが、がっしりした石造りの家で、庭に花をつくり、果樹を植え、冬には煖炉《だんろ》の前でくつろいで話をしたり本を読んだりしたい。しかし誰が爺やのように単純に、家と妻と子供と葡萄畑だけで満足できるだろうか。誰が毎日の単調な暮しの繰り返しに耐えることができるだろうか。そうだった。爺やはそうした日々の生活を実にたのしげに全身で味わっているように暮していた。よく私は彼の家の前で、爺やが戸口から暮れてゆく谷間の空を見上げているのに出会ったことがある。爺やは、真珠色から菫色《すみれいろ》に変ってゆく雲の動きを見ながら、明日の天気は晴れるだろうとか、風が強くなるだろうとか言うのだった。もちろん爺やは興味半分にそうした天候の予想をしていたのではない。彼はそれによって翌日の、翌々日の仕事の予定を心組みしていたのだ。私の友人たちはそのほとんどがこうした自足のなかで暮していない。ある友人は芸術院の投票集めのために先輩後輩の誰かれの見境なく、ホテルのロビーで会ったり、クラブで会食したり、せかせかと訪問したりしている。先日も私のところまで刷りものの挨拶状《あいさつじよう》を送ってよこした。そのくせ彼の作品はただ空疎な言辞を連ねただけの同じ主題のむし返しで、そこには何ら読者の心をゆすぶるものがない。いつだったか、この谷間に私を訪《たず》ねてきた婦人記者が、この友人が、文芸講演旅行で飛行場につくと、歓迎場にあるマイクロフォンを先につかもうとして、同行のもう一人の文士と、眼の色を変えて争っていた、という話をしていた。別の友人、これは文学には関係ない人物だが、利潤やら計算やら社交やら政界との交際やらで心身ともに疲れきったと、先日、手紙に書いてきた。「この齢《とし》になって、自分が何のためにこうして一日一日を送っているのか、全く理解できなくなっている。ぼくの身の辺《あた》りには憂慮するものは何もない。不足なものはまずないといっていい。快適な生活を送っていると言えるかもしれない。それなのに、たとえば仕事を休んで、ゆっくり自分の生活に戻ろうとすると、かつてあったと信じていた自分というものがないのだ。どの本を開いてみても、今の自分には、少しく詳細な仕方で問題を扱っているとしか見えない。小説を読んでみようと思うが、一日二日の休みでは、どれも余り浩瀚《こうかん》にすぎる。手頃な書物はないものかと半日ほどうろうろ家の中を捜しまわる。結局日がかげりはじめ、もう一日も半分過ぎたという落着きない気持から、庭に出て土をいじってみたり、私信を書いたり、新聞を読みちらかしたりして終ってしまう。それに、仕事がなくなった自分の空虚さというものを、いままで考えたことがなかった。仕事に特別に意義を感じているというんじゃない。ただ仕事から離れていると、ひどく不安なのだ。落着きなく、中途|半端《はんぱ》で、いかにも片附いていない品物のようなのだ。ぼくには、早くから谷間の静かな生活に入った君が羨《うらやま》しい。正直言ってはじめその報《しら》せを聞いたとき、文学者という存在がいかにも気儘《きまま》で無責任なもののように感じた。何か単独で無条件降伏してしまったような、そんな感じだった。そしてそうした気儘さゆえに、文学者には、社会のほうも、それほど大きな期待も与えないし、どこか、うさん臭さを感じつづけているのだ、と、そんなふうに考えた。しかしいまになってみると、ぼくのそうした考え方がいかに間違っていたか、よくわかる。君が、君自身の生活のなかに戻り、それを唯一無二のものとして深く味わいたいと決意したことは、やはり人間として最後に目ざすべき目標であることがよくわかる。なぜなら、ぼくも仕事の合間合間にようやく死が人間にとって避けられぬものであるという実感に、逃《のが》れがたく捕えられる年齢になってしまったからだ。しかしその本来的な目標に近づくことは、なんという困難にみちていることか。いまにしてぼくは文学者がどのような存在であり、どのような仕事を担《にな》っているものであるか、よくわかる。ぼくが君に便《たよ》りをしたくなったのも、こうした気持を君にのべて、いくらか内心の負い目を軽くしたいと考えたからだ……」この友人は学校時代から真面目《まじめ》で、よく出来た人物だった。実務の世界に入ってからも彼にふさわしい地歩を築いていった。およそ結婚でも家庭生活でもこの友人ほど恵まれた人物はいないように思う。その友人からこうした老年の惑乱を述べた手紙を受けとったことは、私としても一種の感慨がないではなかった。新聞、ラジオで、内閣改造のたびに彼の名を新しい閣僚の一人に擬しているような人物が、深く生の意味を問いかえして、何一つ答えも見出《みいだ》し得ず、暮れてきて薄闇《うすやみ》の流れてくる書斎で、一人ぼんやりと坐っている——そうした情景を私は思いうかべて、心を打たれたのだ。むろん私は友人が買いかぶっているほど、この山間の生活のなかで自足した充実を見出したというのではない。爺やのような人物に会えば、私が、なおいかに迷妄《めいもう》と分裂と自己意識にとらわれて、本来の生のなかに深く沈み得ないかを感じる。ただ、友人のいうように、他の人々よりはいくらか敏感にこうした苦しみを感じ、それから脱《のが》れようとして、あちこち旅をしてまわり、最後に、この谷間に定住した。それは事実だが、だからといって、友人が考えているように、真に生の意味を理解できたとか、生の充実を日々味わい得ているとか、いうことはない。いや、時には、かつて苦しめられた錯乱以上に、私を引き裂く苦悩が襲ってくる。ついさっきも爺やが家の取り片づけを終って、お休みの挨拶をして出ていった、その後姿を見ているうち、突然、何とも言いようのない不安に襲われた。ちょうどドアが不意にあいて、冷たい夜風が顔を吹きすぎていったように、不安は、理由もなく、突然、私の心を吹きすぎ、重苦しい気持を残していった。私は、いつものように、この不安がどこからきたのか、自分の心のうえにかがみこむようにして、じっと自分を点検した。夜風が出はじめ、窓の向う側で、一夏、咲きつづけていた薔薇《ばら》がかさかさと音をたてている。たしかに私にも、爺やと同じように不思議と充実を感じ、熟れた葡萄の実のように、自分が甘美に満ち足りていると思えることもある。谷間の下方《した》の村の教会が遠く見え、重なり合う葡萄畑や山畑や牧場の草のみどりが美しく完全なものに感じられ、身体が歓喜の思いに輝くようなことがないではない。だが、それは決して永続的な状態ではない。ちょっとした躓《つまず》き、子供の泣き声、風の気配、届けられる手紙、開いた書物の一行が、突然、全く反対の気分に私を導く。どんなに抗《あらが》っても、努めても、そうした甘美な充実感ははかなく消えて、私は一種の暗い憂愁と不安のなかにとざされる。落着きなく一晩じゅうランプのまわりを飛びまわる蛾《が》のような、あわただしい、ゆれ動く、余裕のない気持が、私を、いらいらと取りかこむ。だが思えば、私が故郷の森に囲まれた暗い町を出て以来、こうした不安は、いわば私の内心を衝《つ》き動かす原動力となって、たえず私につきまとっていたのだ。この不安が私を一カ所に落着かせてくれないからこそ、私はあのように一定の職業にもつくことなく、都会から都会へさまよい歩いたのではなかったか。私はその不安をなんとか癒《いや》そうとして、図書館にこもり、長い読書をした。心理学の本を開いたり、哲学を読みあさったり、民俗学にまで手をのばしたりした。その点から言えば、こうした不安こそ——この心の奥底に黒ずんだ重い液体のようによどむ気分こそは、私を駆りたてて、思索や仕事や研究にむかわせてくれたものなのである。いま、こうやって初秋の山間を吹き荒れる風音を聞いていると、私が故郷の町を出てあの大都会にはじめて行ったころのことが鮮《あざや》かによみがえる。そうだった。あのときも、いまと同じ不安をかかえていた。雨の降りしきる冬の町角を眺めながら私の心臓は重く不安でしめつけられていた。私は故郷の町で一冊の処女詩集を自費出版したばかりだった。もちろん本屋に委託したが売れる気配もなく、新聞も取りあげてはくれなかった。ただ私の周囲の文学仲間が町のレストランの二階を借り切って、朗読会をひらいてくれて、ささやかな祝意を表してくれただけだった。私は実科高校の授業が面白くなく、一応、そこを出ると、首都の大学へ聴講生になるために、町を離れた。当座の用意に母が指輪とネックレスを売りはらってくれた。父は軍隊の年金だけで暮す退役将校だった。演習のとき、誤って地雷が爆発し、片眼は失明し、片方だけが辛《かろ》うじて用をなした。夜はほとんど眼を閉じ、母の話を聞いたり、妹が朗読する新聞記事に耳をかたむけたりしていた。父はいったいに機嫌《きげん》のわるいことが多かった。事故さえなければ将官に進みうるだけの才能と将来を持っていたのだ、と私などにもくどくど話した。生活はかつかつだったので、母は縫物や留守番や雑役によくよその家に行った。そんなとき母はいかにも甲斐甲斐《かいがい》しく楽しそうに振舞った。母にとって、そうした仕事は身分違いの務めだったし、さぞかし辛《つら》かったことも多かったろうが、愚痴のようなものは聞いたことがなかった。母がいると、父の不機嫌な苛立《いらだ》たしさで沈みがちの家のなかが、陽《ひ》が射すように明るくなった。私が両親の家にいるあいだ、不安や不平を感じたことがなかったのは、私が幼かったということもあるが、それ以上に、母のこうした明るい、均衡のとれた性格のせいだったと思う。私は首都に出るとき、この母から励ましを受けた。そして万一私が生活に行きづまったら、忘れることなく母のところに帰ってくるように、と附け加えた。しかし私は後年自分で何とか生活ができるようになるまで母のもとには戻らなかった。しかし母のこの一言はいたるところで私を支《ささ》えていたことは確かだった。私は母と言うと、つねに豊沃《ほうよく》な黒土の大地を連想したが、それは、私の母のこうした明るい、疲れを知らぬ、寛大さが心にしみついていたせいだと思う。私は詩集が売れなかったときも、新聞で批評されなかったときも、さして不安は感じなかった。いや、首都に来るまでは、逆に気負った野心と自信でふくれあがっていた。しかし汽車が首都につき、高い、暗い鉄骨の屋根の下をトランクをさげて歩いていたとき、私ははじめてみる大都会に言い知れぬ不安を覚えた。それは不安というより一種の恐怖感と言ったほうがよかったかもしれない。その日は雨がびしょびしょ降りつづけていた。冬のはじめの肌寒い夜だった。駅前広場に自動車が警笛を鳴らしながら次から次へ入ってきた。どの店にも電燈がきらきらと眩《まば》ゆく輝き、それが濡れた舗道に映っていた。町は宵の口らしく賑《にぎ》わっていた。傘《かさ》がゆらゆら揺れ、女たちの笑い声が故郷の町で聞くより数等倍|刺戟《しげき》的に聞えた。雨が街燈の光のなかをせわしく降りしきっていた。待合室では田舎出《いなかで》らしい長い外套《がいとう》の男や、籠《かご》を膝《ひざ》にかかえた女たちがじっと自分の前を見つめたまま暗い表情をしていた。そこだけは電燈まで薄暗いのではないかと思えるほどだった。通路や店の前で喋《しやべ》ったり、笑ったり、腕を組んで歩いたりしている都会の男女とは、顔つき、動作、言葉が違っていた。私は思わずそうした田舎者たちの流行遅れの帽子や、日焼けした頬《ほお》や、落着きない眼《まな》ざしから、眼をそらした。といって、私自身も、ひとが見れば、あの待合室の男と少しも違わぬのを、はっきり感じた。おれもあんなにおどおどしているのだ。おれもあんなにぎごちなく、窮屈そうにしているのだ——そう思うと、それだけで、羞恥《しゆうち》と屈辱感と自己|嫌悪《けんお》とで顔が赤くなるような感じだった。この第一印象は、私にとっては、その後、決定的な働きをした。私は大学に行っても、公園を歩いても、大通りの雑踏にまみれても、自分がいかにも他処者《よそもの》であって、その場にしっくりとけこめないのを感じた。私は大都会が嫌《きら》いではなかった。いや、むしろ夕暮時など、屋根裏部屋に燈火《あかり》がとぼり、宵闇が並木から裏の小路へ忍びこんでゆくようなとき、遠くで潮騒《しおさい》のようなどよめきを聞きながら、丘のうえから都会の拡がりを見ているのは、何か心に迫る寂寥感《せきりようかん》があって好きだった。図書館も好きだった。劇場でも天井桟敷で、ほの暗い闇に包まれて、すばらしい人間たちのドラマを眺めるのは、何よりたのしく、しばしば恍惚《こうこつ》とした幸福感を味わった。雑踏そのものでさえ、私は嫌いではなかった。毛皮の女もいれば、濃い化粧の女もいた。紳士もいれば職人もいた。あらゆる階層の男女が夜おそくまで盛り場を賑わわせていた。その賑わいが私は好きだった。花売りがアネモネの花束を売っているのも悪くなかった。カフェに行って、新聞を買い、テラスで読みふける気分も悪くなかった。しかしそれにもかかわらず私が他処者であって、この大都会のどこにも所属していないのだ、という気持は真実つらかった。私は大都会のなかに住んでいながら、実感として、この都会生活のどこにも自分の場所がなかったのだ。まだ私をお茶に呼んでくれる知り合いもできなかった。大学の二、三の友人をのぞけば、話しあう人もいなかった。私はただ部屋を出て、用ありげにあちこちの通りを歩いて、それで帰ってくるだけだった。それでも私は大学に聴講に行った。文学史や社会学や美術史など将来役に立ちそうな講義には出席し、ノートなどもとった。そして文学好きの仲間も次第に増《ふ》え、時にはカフェで文学論をするまでになった。最初の冬が終って、風が急にやわらかな肌ざわりに変り、復活祭の休みの話など学生のあいだで囁《ささや》かれるようになるころ、私は、どうにか都会の大学生らしい生活が、外見的には、身についてきた、と思った。たしかに美術館はどこ、劇場はどこ、学生の集るカフェはどこ、ということはわかるようになった。電車やバスに乗り間違えることもなくなった。しかしあの他処者の感覚、大都会のなかに入れないという感覚は消えなかった。私が夜おそく、とある町角をまがると、暗い大通りに、煌々《こうこう》と電燈を輝かしている建物があった。近づいてみると、それは新聞社で、半ば地下になった部屋が印刷所になっていて、大勢の職工が活字を拾ったり、版を組んだり、印刷機を動かしたり、紙を折ったり、数えたりしていた。誰しも真剣な表情で、せわしく動きまわっていた。モーターの音が建物の奥で重々しく響いていた。赤鉛筆を持った眼鏡の男が、紙のうえにかがみこんで、ひとりでぶつぶつ声を出して何かを読んでいた。時々籠のようなものが、天井に張ってある針金線を伝ってすべってきた。男はそのほうに眼をやらず、夢中で読みふけりながら、その籠のなかの紙をまさぐっていた。大都会の深夜に、いかにもここだけが目覚め、生き、活動していた。ここでは大都会へ流しこむ養分がつくられていた。明朝、人々はここで書かれ印刷された新聞をコーヒーとともに読むのだ。あの活版が一日の話題や仕事の方向を決めるのだ。そこには、たしかに大都会の派手な賑やかな活況を集約して物語る何ものかがあった。私はかなり長いことそこに立って放心していた。私がやがて新聞社の前を離れたとき、私の心に憧憬《どうけい》に似た気持が満ちていた。その後、折があるごとに、私は深夜に煌々と電気をつけて活動している新聞社の工場の情景を思いだした。そしてそのたびに甘く痛いような一種の憧憬の気分が私を貫くのを感じた。私はいったい何に対して憧《あこが》れを抱《いだ》いていたのだろうか。印刷所にだろうか。新聞にだろうか。職工たちにだろうか。いやいや、そうではなかった。私が憧れたのは、入ることのできないその都会の生きいきした生活だった。部屋には温い料理の湯気がみちわたり、笑い声が聞え、楽しげな団欒《だんらん》のつづくあの生活に対して、私は、ひそかな痛みを感じながら、憧れたのである。ある夕方のことだった。私は郊外線のとある駅に立って、電車を待っていた。もう夕焼けも色あせて、あたりに街燈の光がはっきり輝きだすころだった。私はぼんやりして駅前の店に人が入ったり出たりするのを眺めていた。そのとき突然、すさまじい轟音《ごうおん》とともに、都会の中央駅を出た急行電車が、駅の向う側のプラットフォームを疾走してゆくのを見た。そこは急行の停《と》まらない駅であった。人々はプラットフォームから身をさけるようにして立っていた。急行電車は一瞬のあいだに過ぎさり、あとに疾風が渦巻いて、プラットフォームのうえに新聞屑《しんぶんくず》が身をよじるようにして舞いあがった。急行電車のなかは人々でぎっしりつまっていた。電気が明るく輝いていた。それは何か高価な宝石が夥《おびただ》しく輝きながら一瞬眼の前を疾走していったような印象に似ていた。贅沢《ぜいたく》なもの、絢爛《けんらん》としたものが、夥しく浪費されているような感じだった。私は、急行電車が走りさったあとの、突然、空洞《くうどう》のように虚《うつ》ろになった闇を見つめながら、ほとんど魂のぬけた人間のようになっていた。私の眼の前を一瞬にして豪華に通過していったもの——それこそはこの大都会の生活に他《ほか》ならなかった。これこそが大都会なのだ。喜びや悲しみや愛や憎しみをはらみながら、海鳴りのようにどよめき、休みなく動きつづける大都会なのだ。その夜、私はどうやって自分の部屋に帰ってきたのか、わからなかった。私は激しい憧れと打ちひしがれた悲哀から、おそらく生れてはじめて場末の飲み屋で酒をあおるというようなことをやったのだった。私は公園のベンチで寝ていたような気がする。私をのぞきこんだ顔が浮びあがるような気がする。しかし実際は何一つ記憶になかった。街燈にもたれていたこと、妙にひんやりした芝生の感触に驚いたことが、前後の脈絡なく、頭のなかにこびりついていた。私は自分が大都会のなかにうまくとけこむことができず、どの家のドアも目の前で閉められた揚句、生活の目処《めど》もたてられぬ人間になるのではないか、という奇妙な不安に苦しめられた。よれよれの外套を着て、橋の下や公園の隅で酒瓶《さかびん》を片手にうずくまっている男たち——あれが自分の将来の姿ではないか、そう思った。そしてそう思うと、ぞっとした恐怖が私を包んだ。もうどこでもよかった。私は何とかして大都会の片隅にでももぐりこまなければならない。豪奢《ごうしや》な宝石の連なりのような、一瞬にして過ぎさったあの大都会の生活のなかに入りこまなければならないのだ。私はそう思った。そして大都会への入口を捜すべく町を歩きまわった。新聞の求人欄を見ては、天井の低い建物の暗い廻り階段をのぼった。遊戯場、商社、弁護士事務所、倉庫係、人夫、荷役、夜警、外交販売、広告取り。思いだすかぎりでも、私はこうした職業についてみた。一日でやめたものもあれば、半年近く勤めたものもある。私は、到底、詩など書く元気がなかった。文学に読みふけるということもできなかった。私は不安だったし、いらいらしていたし、何か手っ取り早く多くのことが知りたかった。どうでもいいような詩や小説など、とても悠長《ゆうちよう》に読む気がしなかった。私はとくに哲学を読んだ。実用書を読んだ。未知のことがあまりに多かった。この未知のものが私を不安にした。それは視野の或る部分が空白に欠落しているのにも似た奇妙に苛立たしい不安を呼びおこした。私は地雷でほとんど失明した父のことを思いだした。そして私が同じように大都会という化けもののために盲になろうとしているのを感じた。しかしこうした職業遍歴は私にとってはたしかに意味があったようだった。というのは、なるほどその勤め方はいささか気紛《きまぐ》れではあったけれど、大都会の生活というものが、おぼろげながら、理解されてきたからである。私は広告取りをしながら高い建物にぎっしり巣食った会社、事務所、問屋、委託販売所などが、どんなものであるか、理解していった。家庭器具の販売員になって、住宅地で都会の主婦や女中や子供がどんなふうにして暮しているか、見ることができた。私が行った家の主婦たちのなかで、私を家のなかに入れたばかりではなく、茶菓を振舞ったり、酒をすすめる女もいた。私は、彼女たちが生活に退屈しているためであろうと思ったが、あとになって必ずしもそうとばかりは限らず、もっと別の目的のためだというようなことを、先輩の販売員から聞かされた。私はその男がいまも、そうした家庭販売のあいだに結ばれた女から何がしかの金品を貰《もら》いうけているのだ、という話を聞いて、翌日、そこをやめた。私にはそれ以上あの貞淑な家庭婦人たちの顔を正視しえないと思ったからである。高い建物に巣食う会社や商社の群れだって、私はその正体を知ってゆくにつれ、いつか深夜に見た新聞社の輝かしい映像などとは、似ても似つかぬものであることを理解していった。ある出版社では、社長が一人で印刷屋から本をタクシーで自宅の事務所に運んできた。私が勤めた最初の日、茶をいれてくれたのは、髪の薄くなったこの社長だった。編集長は社長夫人の名になっていたが、夫人が事務所に来たことはほとんどなかった。そしてこの出版社に姿を見せる文士は、たいていは素寒貧《すかんぴん》で、すりきれた黒い背広を着て、社長のすすめるウイスキイをちびちび飲んでいた。私はここで何人か文学者と称する人たちと知りあったが、故郷の町で思いえがいていたような作家や詩人には一人も会わなかった。私が会った限りでは、誰もが自分のことしか話さなかった。自分の作品を語り、自分の生活を語り、それが語りつきると、自分の将来について語った。私はかつてこんな自己陶酔者の群れに出会ったことがなかった。マッチが転《ころ》がっていると、彼らは自分のマッチの話をした。シェイクスピアの話をすると、自分がそれをいつ読みはじめたかについて話すのだった。それで、とうとう私は出版社にいるあいだも、文士たちと深く交際することはなかった。また私は小さな業界新聞に勤めたが、そこの社長は黒眼鏡をかけた小男で、ちょび髭《ひげ》をはやしていた。彼はまったく文章の書けない男であった。それで私に何でもいいから記事を書け、と言った。記者といっても、新聞社には私ひとりしかいなかった。私のほかにはまだほんの小娘の、顔色の悪いのが、爪《つめ》を噛《か》み噛み坐っているだけだった。どこか孤児院から社長が連れてきて、養女にするとか、しないとかいう話だった。私は社長に言われるままに、社会衛生と季節の果物と家庭器具と玩具の将来とについて記事を書き、余分のスペースに私自身の短い詩を書いた。すると、社長は黒眼鏡をはずし、これなら素晴らしい広告がとれる、君は天才的記者だ、君と組んだら、絶対に首都新聞の筆頭に立てるだろう、などと、ひどく感激した調子で話した。「それじゃ、明日は一番で印刷所に行ってくれたまえ」と社長が言った。「わかりました。割りつけも終っていますから、すぐ組みあがると思います。で、何部ぐらい刷らせますか」私が訊《たず》ねた。社長はまた黒眼鏡をかけると、せかせかした口調で「今月は二十部ぐらい刷っておこうか」と言った。私は仰天した。故郷の町で出版した私の処女詩集でさえ三百部刷らせたのである。それでさえ少なすぎる、と友人たちは言っていた。それなのに、いやしくも首都で発行している新聞が二十部とは……。私はもちろん聞きちがえだと思った。で、私は訊《き》きかえした。社長はややおこったような調子で「君、二十部と言ったじゃないか。二十部と言ったら二十部だ」と言った。二十部で、いったい新聞といえるものだろうか、と私は憂鬱《ゆううつ》な気持で自問した。いかに私が迂濶者《うかつもの》であってもそれを認める気はしなかった。私は印刷屋に行って、二十部刷ってくれ、と言う勇気がなかった。原稿を渡したら、逃げだそう、と思っていた。すると、肥《ふと》った印刷屋の主人は、そんな手間をはぶいてくれた。「どうだね、黒眼鏡の大将は。何とかやっているかい。こんども前金だぜ。もっともあんたんところは紙代が要《い》らないがね。あんたんとこの紙代は、うちのチリ紙代より安いからね。今度も二十部かね」私は黙って頭をたてにふった。私は、この印刷屋から、黒眼鏡の社長が部数三万部と称して、建物に巣食った大小の会社から広告料をせしめている、という話を聞かされた。「ま、それにしても、黒眼鏡の大将は、ちょっと極端さね」印刷屋の親爺はそう言った。私もさすがにそれ以上黒眼鏡に義理立てする気はしなかった。それで、印刷屋の親爺の紹介で、別の印刷所に私は転職した。すでに首都に出てきてから一年半になっていた。大学の聴講はそのままになっていて、何度か聴講料を払うよう督促状が来ていた。しかしもはや大学には何の魅力も感じなかった。教室で講義していることは、すべて本のなかに書いてあった。一年かかって知りうることを、図書館で精を出せば一週間足らずで読むことができた。私はなんでわざわざ大学に出かけるのか、その了見がわからなかった。そんなことで、とうとう私は一年足らずで大学を中退した。母のくれた金はまだいくらか残っていた。まがりなりにも私は食うだけの仕事はしていたのである。私が勤めた印刷屋は、それまでの職場のなかでは、もっとも真面目で、地味で、勤勉だった。親爺さんは病身の痩《や》せこけた人で、版台のうえにかがみこんでいたために、背中がまるく曲っていた。私はそこで胸の悪い娘と知りあった。娘はどこか放心したような表情をしていたが、かなり綺麗《きれい》な顔立ちをしていた。文選工にも植字工にも**ちゃんというふうに呼ばれて可愛《かわい》がられていた。それでも朝のうち、顔色がわるく、初夏になってもセーターなどを着こんでいた。工場には巡査上りの肩幅の広い男がいて、それが工場長のような役をしていた。いつか職工仲間で昼食のとき工場長の前歴が問題になり、彼が元巡査だったことがわかると、仲間の一人が「あの後姿ね、ありゃどこかで見た格好だなと思ってたがね、まるきり見当がつかなかった。なるほど巡査ね。そうよな、ありゃ巡査の後姿以外の何者でもないやね」と言った。私は組版を糸でくくったり、校正を手伝ったり、文選の見習をしたりした。職工のなかには夫婦仲がわるく、亭主が給料を飲んでしまうので、給料日になると、工場まで顔をだす女房がいた。痩せこけた、眼の大きな女で、事務机のそばに坐って、女の事務員にくどくどと言訳をしていた。夜学に通って外国語の勉強をしている若い職工もいた。彼は文選工で、小柄な、すばしこい若者だった。流行歌を口ずさみ、仕事をさっさと片附け、夕方になると、誰よりも先に工場を出ていった。競馬に熱中している植字工もいた。眼の鋭い、浅黒い男で、二日酔か何かで工場に出てくるようなとき、酒の臭《にお》いがして、一種の凄味《すごみ》があった。私はこの男から「インテリ」と呼ばれて、よく怒鳴られた。私もこの男が好きになれなかった。職工の一人一人はよく働いたが、町工場だったせいか、給料も少なく、みんな生活は苦しそうだった。おまけに、それぞれ以前は大工場で働いていたが、ストライキに加わって工場を追われ、こうした町の印刷所を転々としている人が多かった。「おれたちだけ煽動《せんどう》しやがって、手前《てめえ》たちは政党幹部におさまりかえっていやがる」酔ったりすると、そうして追われてきた職工たちは、仲間にそう訴えて荒れていた。私は肺を病んだ娘と昼など大衆食堂に行った。近所の町工場の男女も集っていて、いつか何人かと顔見知りになっていった。小肥りの気のいい女工もいたし、売店の売り子などもいた。肺のわるい娘は私をそうした仲間に紹介した。私は小肥りの女工に一度映画に行こうと誘われ、場末の映画館に出かけたが、暗くなると、彼女はしきりと自分の脚《あし》を私のほうに押しつけてきた。それで、私は、肺のわるい娘以外とは、その後、あまりつき合わないことにした。彼女たちは生活全体にどこか水母《くらげ》のようなところがあり、暗い廊下や倉庫などに人を呼んでは、いきなり抱きついたり、口づけしたりして、きゃっきゃと笑った。私は、母や、故郷の町の女たちしか知らなかったので、大都会の裏町で生活するこうした女たちの振舞いには胆《きも》をつぶした。私は、彼女たちが青い燐光《りんこう》をはなって都会の海底深く漂う水母たちであって、私の眼、鼻、口、耳にべったり息苦しくまとわりついてくるような気がした。そのころ、白い、ぐにゃぐにゃした、女体のようなものが、身体のうえに息苦しくのしかかり、気の遠くなるような遣《や》り方《かた》で私を甘く苛《さいな》む夢をしばしばみた。しかし肺を病んだ娘はおよそそうした感じとは遠く、質素で控え目な性格だった。夜、街角で別れるとき、その後姿は何とも頼《たよ》りなげに見えた。娘はあるとき私を彼女の家に招いた。誕生日か何かそんなことだったと思う。狭い部屋に、彼女とよく似た母親が私を迎えいれてくれた。部屋はよく片づき、テーブルには蝋燭《ろうそく》などが輝いていた。しかし小さな弟妹たちが部屋の隅や破れたソファのうえに集り、眼を好奇心で輝かせて私を見ていた。隣りの部屋には、鉱山病をわずらっている父親が寝ていた。私は花と菓子を買っていったが、その花束を差す花瓶《かびん》のことで家じゅうが大騒ぎになった。それに似合う花瓶がないというのだった。小さい弟妹たちも動員されて、隣り近所に花瓶を捜してまわり、やっと手頃なのを見つけてきた。青い頸《くび》の細いその花瓶は、口のところが欠けていた。それでもその花束のおかげでテーブルが一段と引きたった。娘は嬉《うれ》しさのあまり真っ赤になり、私の首にかじりついて、頬に接吻《せつぷん》した。弟妹たちがにやにやして手をたたいた。母親が小声でその騒ぎをしずめた。娘も口に指をあてた。「父さんが寝てるものだから」娘はそう言訳した。この建物は廊下をへだてて、幾つもの小部屋に仕切られ、それぞれかなりの大家族が住んでいる様子だった。階上にも大家族が住んでいるらしく、子供たちが騒がしく階段を下りてゆく声が聞えた。娘の話だと、みないい人たちばかりだが、とても貧しいというのだった。隣家には老人を抱《かか》えた公園清掃人の一家が住んでいた。向いには区役所の書記をしている男が、ヒステリー女に怒鳴られながら暮していた。たえず物のこわれる音、女の悲鳴、子供の泣き声が聞えるということだった。一度など書記が細君に髪の毛をつかまれ、引きずられているのが、ドアの隙間《すきま》から、通りすがりに見えたというのだった。「四《よ》つん這《ば》いになって、奥さんの足もとを歩きまわっているのよ。まるで地獄の騒ぎだったわ」娘はそう言って顔をしかめた。「みんないい人たちなのに、貧乏なばかりに、冷静にものを考えることができなくなっているのね。朝から金切り声やばたばたいう足音や子供の喚《わめ》き声《ごえ》でしょう。とてもこんなアパートに暮せたものじゃないわ」娘はそう言ったものの、自分たちがここを出られないのをよく知っていた。その後、しばらくして鉱山病をわずらっていた娘の父が自殺した。ベッドの鉄枠《てつわく》にベルトを引っかけ、両脚を前へ投げだして死んでいたと娘は泣きじゃくりながら話していた。葬式の日、近所の女たちが、どこでどう借りてきたのか、喪服を着て集っていた。柩《ひつぎ》は雨のなかを墓地へ運ばれていった。娘は父の死後、前よりも夜の残業をやるようになった。背中の曲った親爺も娘の身のうえを憐《あわれ》んだのか、よく仕事を与えていた。それでも鉱山会社の保障金は打切られたので、生活はいっそう苦しくなったと言っていた。私は時おり彼女に昼食をおごったが、娘はむしろそうしたことを恥じているようだった。いちばん下の弟妹が田舎の親戚《しんせき》に預けられたと話し、食堂のテーブルが濡れるほど、そのうえに突っ伏して娘は泣いた。私自身も決して裕福などとは無縁だったが、ここでは私とは比較にならぬほど、人々は貧しかった。病気や無知や憎悪《ぞうお》や背徳が、酒の臭いや便所の臭気ですえたような薄暗い廻り階段に澱《よど》んでいた。ぼろが廊下に干してあり、毀《こわ》れた家具や盥《たらい》や自転車や鏡や古靴やその他用途のわからぬ古道具が廊下や踊り場に所狭しと乱雑に投げだされていた。埃《ほこ》りがそのうえを灰色に覆《おお》っていた。破れたガラス窓から雨や風がおかまいなしに吹きこんだ。天井は黒ずみ、蜘蛛《くも》の巣が張り、壁が剥《は》げて煉瓦《れんが》の地肌が見えていた。顔色のわるい老婆がそんななかをよたよたと歩いていった。女たちが金切り声をあげて子供を追いかけていた。乳呑児《ちのみご》をかかえた若い女が、おびえたような眼をして、階段をのろのろ上っていた。胸を病んだ娘が印刷所を休むようになったのは、それから三カ月ほどした冬のことである。風邪《かぜ》をこじらし、喀血《かつけつ》したというのだった。私が見舞いに寄ったとき、彼女は奥の、父親の寝ていたベッドに横になっていた。眼のまわりが黒ずみ、顎《あご》が急に細っそりしたような感じだった。「私ね、死ぬのはこわくないけれど、私がいなくなると、弟妹がどうやって暮してゆくのか、それが心配で死ねないわ」娘はそう言った。私は花束と花瓶を買い求めていったが、娘は前のことは忘れていた。そして「わざわざ花瓶まで買って下さるなんて。うちにも、花瓶ぐらいあったのに」と言った。私は娘をまっすぐ見ることができなかった。母親もそばで黙っていた。おそらく娘は熱のためにもはやはっきりした記憶も意識もなかったにちがいない。私は夜おそくまで残業をして、その分だけを娘の家に届けようとした。母親はそれを手にすると、涙を流し、何度も頭をさげた。しかしこんなことをしても結局何の役にも立たなかった。彼女はその翌年の春になる前に、大喀血をして、その後数日して息を引きとったからである。私は、つい一年前にその父親の柩を出した同じ部屋から、娘の柩が出てゆくのを、悪夢のなかの情景のように眺めていた。一つとして真実らしく見えるものはなかった。喪服を着て集まる近所の女も前の通りだった。泣いている老婆も、以前と同じように、踊り場の手すりにもたれて、柩が出るのを見送っていた。子供たちは集った人々のまわりを駆けぬけて、すっかり興奮して遊んでいた。私は郊外の墓地まで柩を送り、家族と別れ、ひとりで町へ帰ってきた。印刷所に働きに出る気にはなれなかった。いや、印刷所ばかりではなく、どこであろうと、私には、働きに出るという気持にはなれなかった。私はいつか公園に入り、芝生《しばふ》の前のベンチに坐っていた。かつて私がここに坐って、大都会の落伍者《らくごしや》になりはしないかと恐れた気持など、どこを捜してもなかった。浮浪者になろうが何になろうが、そんなことは、どうでもいいことだった。しかしそれ以上に私を打ちのめしたのは、あの水晶の輝きのように、一瞬私の眼の前を飛び去っていった大都会の生活、あの光りと笑いとさざめきと豊かさは、この都会のどこを捜しても見出《みいだ》すことができないということだった。そんなものは、大都会の外に立っている人間の勝手な妄想《もうそう》にすぎなかった。深夜、煌々《こうこう》と電気を輝かしていた新聞社の活動も、まったくの幻影だった。あの一人一人をつかまえれば、妻に逃げられたり、病児を抱えたり、貧困に苦しめられたりしているにちがいなかった。貧困と背徳と病気とは、黴《かび》のように、大都会の底辺の湿地帯に蔓延《まんえん》していた。あのまやかしの輝きのかげで、妬《ねた》み、憎悪、不平、不満、虚栄、虚偽、裏切り、中傷が渦を巻いているのだ。郊外の高級住宅地ですら女たちは好色と背徳のなかにのたうちまわっている。私が訪ねたある建物の一室では裕福そうな女たちが集って、賭博《とばく》をやっていた。私は女たちからからかわれ、仲間に入れと誘われた。部屋には煙草の煙がもうもうと立ちこめ、果物や生臭い人いきれや化粧香料の甘ったるい臭《にお》いがこもっていた。彼女たちはウイスキイのコップを自分のそばに置き、脂《あぶら》ぎった顔をしていた。私は中世期の魔女の宴を思いだした。彼女たちの真ん中に置かれたものが犠牲の赤子でなければ幸いだと、いまも思っているほどだ。これが大都会というものだった。あたたかな料理や、快げな笑いや、陽気さや、善意などはどこを捜しても見当らなかった。あるのは冷淡さ、とげとげしさ、投げやり、敵意、無責任、絶望感、無気力、孤独だけだった。誰ひとりとして満された顔をしていなかった。焦燥がこびりついていた。疲労が皺《しわ》を刻んでいた。高い建物に巣食った大小の会社に、ひしめいて朝出かける人々の眼は、死んだ魚のように、光がなかった。光っている眼があるとすれば、邪悪か好色か憎しみかで光っているのだった。もう私はこれ以上この大都会のなかに住みつづける気持になれなかった。眼の色をかえて、金、金、金と捜しまわる気持になれなかった。夕方になって、樺色《かばいろ》の西空に大都会の屋根が黒い影絵になって浮び、屋根から屋根に、入江に流れこむ潮のように、煙が、寒々した色で、一定の高さに漂い流れてくるころ、私はなお鳴りどよむ大都会の生命感に、何度か心を打たれ、残忍なドラマでもみるように、その巨大な傷ついた身体を黒々と横たえる町々を眺めたものだった。しかし私がへめぐってきた都会の底辺はそんなものではなかった。それは無数の醜悪なピンクの吸盤をむきだした、黒いおぞましい毛にびっしり覆われた怪獣だった。平たく、無限に蠕動《ぜんどう》しながら、拡がってゆく巨大な軟体動物に似て、男にも女にもぴったりと、その黒い毛のあるピンクの吸盤を吸いつけてくるのだった。一度その吸盤に吸われると、もうどうもがいてもそれから脱《のが》れることはできなかった。肺を病んだ娘のように痩せ衰えて死ぬか、自殺するか、貧困の中で子供を追いまわすか、場末の遊戯場で時間をつぶすか、淫売《いんばい》となるか、それ以外にどんな道も残されていなかった。水晶宮の幻影は音をたてて砕け散り、そのあとに不気味な、灰色の建物の群れが、無人の要塞島《ようさいとう》のように、たちはだかっていた。私の部屋の裏手に、どこか外交販売の店に勤めている青年が住んでいた。小鳥が好きで、朝、会社に出かける前、一時間ほど、窓のところにカナリヤ籠《かご》を出し、その甲高い囀《さえず》りに耳をかたむけていた。彼は出がけに籠を一階の管理人の部屋に預けてゆく。すると、井戸の底のような建物の中庭の下から、終日、陽気なカナリヤの声が聞えていた。ある日のこと、管理人の眼を盗んで、一匹の猫が中庭に侵入し、鳥籠を倒し、中のカナリヤを殺した。この事件を知ったときの青年の嘆きを私はいまでもはっきり思いだす。彼は蒼《あお》ざめ、茫然《ぼうぜん》とそこに立ちつくし、やがて無言のまま鳥籠をさげて階段を上っていった。私はこれほど悲しみに打ちひしがれた姿を見たことがない。彼は自分の部屋の前に来ても、すぐドアをあけるのを忘れていた。そしてドアに頭をくっつけて、じっとそこに立っていた。やがて彼の口から嗚咽《おえつ》の声が洩《も》れ、その肩は小刻みにふるえていた。何日か、空の鳥籠は前と同じ窓辺《まどべ》にかかっていた。しかし明るいカナリヤの囀りも青年の楽しげな顔もそこにはなかった。その事件のためだったか、あるいは偶然そうなったのか、それから間もなく青年はよそへ引越していった。しかし鳥籠はそのまま窓辺に残されていた。次の間借人が入ったときも、籠はそのまま窓の外に吊《つ》りさげられ、雨や風に当っていた。何カ月かして、ある風の強い日、鳥籠は吹きとばされて中庭に落ち、しばらく庭の隅《すみ》に転がっていた。細い金網に錆《さび》がでて、歪《ゆが》んでいて、かつてあんな綺麗なペンキで塗られた鳥籠とは思えなかった。私は一度それを子供たちが町の通りでサッカーのボール代りに蹴《け》って遊んでいるのを見かけた。からから地面のうえを転がってゆく鳥籠は斜めに押しつぶされ、入口の小さな金網戸はすでにとれていた。私がその鳥籠の残骸《ざんがい》を最後に見たのは、管理人部屋の裏の塵埃箱《ごみばこ》のなかだった。そのときはもう鳥籠の原型はなく、ひしゃげた金網の屑《くず》にすぎなかった。私はこの青年のことや、塵埃車で持ち去られた鳥籠のことを、あとになってもよく思いだした。そして人間を孤独と悲惨のなかに追いやる非情な大都会の歯車を想像しないわけにゆかなかった。そこでは誰も容赦してもらうことはできなかった。胸を引きさくような悲しみも絶望も、一切おかまいなしにその巨大な歯車はのみこんでゆくのだった。それは猫の形であれ、管理人の形であれ、ともかくあらゆるものの形をとって都会の住人の前に姿を現わし、いや応なく、その中にのみこんでゆくのだった。私は公園のベンチに坐って、漠然《ばくぜん》と、こうした思いにとらわれていた。芝生の向うを上品な婦人が黒塗りの、輪の大きい乳母車《うばぐるま》を押していった。若い学生たちが談笑しながら歩いていた。薄日が芝生のうえに射《さ》し、鳩がくうくう鳴いて、餌《え》をあさっていた。しかしそのすべてが幻影にすぎないことは、すでに、私には、痛いほどわかっていた。この一大悲惨劇のなかで、上品な婦人といえ例外であるはずはなかった。あのピンクの吸盤が彼女に吸いついていないとは誰も断言できなかった。私は、ほとんど恐怖に近い気持から、立ちあがった。私は大都会の光輝く門を目ざして歩いてゆき、そのなかへ入りこんだにもかかわらず、その都会に陰惨で醜悪な姿しか見出せなかった。そこにいると、みるみるうちに、正常な人間の感覚を失っていった。人の不幸を眺《なが》めても、何の感情も動かなくなった。大多数の人々は、そんなものを眺めることさえしなかった。寝苦しい夜のあとに、せわしい不機嫌《ふきげん》な朝が来て、いらいらした表情で、工場の汽笛が次ぎつぎに鳴っていた。誰も、ものを考えてはいなかった。ただ機械的に歩いていた。地下道から溢《あふ》れだし、役所の建物に殺到し、洪水のように流れていた。生活などというものではなかった。吸盤に吸われている人間は、吸盤の歯形の古い傷口のほか、血の気すらなかった。荒れ果てていた。大きな空家《あきや》に住んでいる人のように埃《ほこ》りっぽく、黴《かび》臭かった。しかし私はながい大都会の迷路のなかをさまよった揚句、いま、ぽっかりとその出口に出ていたのだった。大都会はもはや私にとっては水晶宮の幻影でもなければ、楽しい団欒《だんらん》の場でもなかった。それは芝生や、夕づいた空や、薔薇色《ばらいろ》の木立や、石や、地面が、ここに確実に存在するように、何かそうした存在の重さとなって、私のほうに差しだされていた。傾いた裏町の家々、狭いうねった道路、バス、自動車、並木、役所、会社が巣食った高い建物、盛り場の雑踏——こうしたものが、ただ物質として、疑いなく、確実に、そこに横たわっていた。それだけだった。この迷路の壁の内側はもうよくわかっていた。新しいものが加わるとしても、思いも及ばぬものが存在するはずはなかった。私はベンチから立ちあがったとき、私は、大都会の表門から入り、迷路を歩きまわって裏門から出ていたのだということを知った。私には不安はなかった。恐怖もなかった。平気で橋の下で浮浪者と寝られると思った。なぜなら私にはすでに大都会に関して、私を恐怖させるに足る未知の部分がなくなっていたからだった。恐怖や不安は、未知の前に立つときに生まれてくる。そしてそれから自由になる道は——恐怖や不安をなくす道は、ただ、この未知なものを、何らかの形で、既知にかえることしかなかった。私が、大都会の不気味な唸《うな》り声《ごえ》を遠くに聞きながら、不安を感じなくなったのは、大都会の内臓がどんなものであるか、その消化作用がどんなものであるか、ある感覚を通して知ることができたからである。しかしそれは別の言葉で言えば、私がこの大都会を通過して向う側に出て、それを、自分の視野のなかに包みこんだということだった。私は、むろんこの大都会の無数の人間、無数のドラマを知るわけにはゆかない。だが、これ以上、私が同じ態度で都会に暮していても、それは経験を増《ふ》やすことはできるだろうが、もっとも大切な事柄を新たに発見することは考えられなかった。基本の形としては、大都会は、その内部の秘密をすべて私の前にさらけだしていたのだ。私はその後しばらく大都会に住み、図書館に通っていたが、印刷所はやめてしまった。私にとって、この都会のなかに組みこまれたものとかかわり合うことは、現在では、拘束されるようで、苦痛だった。以前は、あんなにも、大都会の細胞の一つに吸収され、その小さな個室のなかで安らかに抱かれて暮したいと願った私が、その小さな個室に入れられることを、窮屈な、いまわしい、嫌悪《けんお》すべきことと感じたのだ。私は大都会のなかを歩きながら、まるで自分が透明人間であるかのように、すべてと関係を持たずに通りぬけているのを感じた。私は公園のベンチに休み、橋の下に腰をおろし、大学の構内を散歩し、書店をひやかし、デパートの屋上で射的をし、熱帯魚を眺め、役所の薄暗い廊下を徘徊《はいかい》し、最後には図書館にいった。私には母の金が残されていた。それを最小限度使うことにした。私は大都会に来てはじめて、ようやく自分が都会の呪縛《じゆばく》から解放されたのを感じた。そんなある日、公園の奥の林のなかを歩いていたとき、突然、詩が書きたくなった。それは故郷の町を出て以来、久々に襲ってきた衝動であった。私は部屋に帰るのももどかしく、机に向うと、自分が何を書こうとしているかもわからず、噴《ふ》きあげてくる内心の歌を紙に書きとめた。それは枚数にして十二、三枚の詩であった。そしてそれを書き終えたとき、私は胸のうちに重くつかえていた何か液体のようなものが、ことごとく自分の外へ吐きだされるのを感じた。私は、身体《からだ》じゅうが空《から》っぽになり、軽くなり、すがすがしくなり、どこか憂愁の思いにみたされていた。それは誰に示そうと書かれたものでもなかった。発表するために書かれたのでもなかった。ただ自然の噴泉が蒸気を噴きあげるように、私という肉体の底から、一種の熱気が突然噴出したにすぎなかった。だが、私が夕暮れに向って次第に暗くなってゆく室内で感じていたのは、かつて詩作にふけっていたときのそれとは全く異なった気持だった。そして私は、この衝動が真に詩作というものだということを、なぜか確実な直観で理解した。よしんばその作品が人に読まれず、永久に筐底《きようてい》にしまわれていようと、そんなことは全く関係はなかった。大切なのは、この噴出する何ものかを——この心情の火を、つねに自分のなかにたぎらせておくことだった。もちろんこの事実を、もっと明瞭《めいりよう》な形で理解したのは、さらに後のことだが、このころ、少なくともその萌芽《ほうが》の形で、私はそれを直観しえていたのだ。私は、この心情の噴出が、大都会の生活に対する距離をおいた姿勢から生まれるのに気がつき、そのことを短い文章に綴《つづ》った。私はそれと前後して大学で話したことのある友人と偶然町で出会った。その友人の紹介で、私は、そのころ書きためた詩数篇と、この短文とを或る詩誌に発表した。ごく狭い範囲ではあったが、私の作品が人々に知られるようになったのは、これがきっかけである。私は、詩誌の編集を担当しているボヘミアン風の幅広のネクタイの男から、詩ができたら、いつでも送ってよこすように、と言われた。私がどこか南の活気のある漁港町にでも行ってみたいと思ったのは、その幅広ネクタイの男の部屋に、そんな南国の写真が貼《は》ってあったためかもしれない。しかしその写真に暗示を受けるまでもなく、私はすでにどこか自由な空気を吸える場所に行こうと決心していた。灰色の家々が汽車の窓から消え、緑の牧草地がポプラ並木を遠景にしながら拡《ひろ》がりはじめると、私は、これで自分の一時期に区切りがついた、という気持になった。私が首都に着いてからほぼ二年半が経過していた。私は南の漁港町に着くまで、さまざまな都会におりて、寺院や史蹟《しせき》や美術館や記念物などを見てまわった。苔《こけ》むした古い泉のそばで、半日も腰をおろしていたこともある。菩提樹《ぼだいじゆ》の甘い香《かお》りが村の広場を包む静かな部落で数日を送ったこともある。私はそうした村の旅籠《はたご》で、音が絶え、夜の静寂が濃くなり、外は月光だけが青く射しこんでいるという晩など、自分が魂の底まで残酷に照らしだされる気がした。大都会と別れてきたことが、ある愛情をともなって戻ってきた。私が南の漁港町についたのは夏になりかけのころで、港にそった常設市場では魚や貝や果実や花が目白押しに並んで、胸や背の大きく刳《く》れた洋服を着た、浅黒い、綺麗な女たちで賑《にぎ》わっていた。この町に来て気づいたことは、白い上衣《うわぎ》を着て、つば広の帽子をかぶった男たちが、濃い日かげの落ちた路地やカフェや酒場のテラスに坐って、終日、怠惰無為に暮しているということだった。彼らの仕事といえば、街を通ってゆく女たちをじろじろ見たり、顔見知りの女の尻《しり》を叩《たた》いたり、ビールを瓶《びん》からじかに飲んだり、観光客の案内をしたりすることぐらいだった。私は山の手の旅籠に部屋を借り、何冊かの本を机のうえに置いた。私は詩誌の幅広ネクタイの男に散文詩風の作品を送る約束をし、その前金を受けとっていた。しかし私は怠惰な南国の気分のせいか、すぐ仕事にかかるという気にはなれなかった。私は午前ちゅうから港のほうに下り、市場の雑踏にまみれ、大きな海老《えび》や、青い肌《はだ》を輝かした魚類や、黒く艶々《つやつや》した貝や、籠《かご》いっぱいの小海老を見てまわった。港には潮の香りが満ち、日焼けした漁師や船員たちががっしりした肩を叩きあって挨拶《あいさつ》をかわしていた。女たちも豊かな胸と太い腕をしていた。そして早口に品物を呼び売りしながら陽気な黒い眼を客のほうに投げていた。どこにいっても健康と活気と生活力に満ちていた。果物の甘い香りが流れ、車に花を盛りあげた娘たちが客に声をかけていた。堤防に並んだ漁船のマストが青い空に林立し、ゆっくり揺れていた。白い船が汽笛を鳴らして港を出ていった。午前十時の連絡船が出るところだった。沖合二キロの地点に離れ島があり、そこと港を結ぶ午前午後二往復の便なのだった。昼になって日ざしが強くなりだすと、アーケードのある通りの市場をのぞいて、ほとんどが店を閉めた。じりじり太陽の照りつける午後には、濃い日かげに菫色《すみれいろ》の翳《かげ》りが感じられるほどだった。大通りの家々のテラスから赤いゼラニウムの花が燃えたつような鮮《あざや》かさで咲き乱れていた。それでも、海からの風が並木やアーケードのかげのなかを吹き、日中でも暑さはしのぎやすかった。昼食のあと、町はひっそりと静まりかえった。人々は午睡に入っていた。そのせいか、夕刻、日が傾きはじめてから活気が戻ってくると、それは夜おそくまでつづいた。レストランやカフェは色電球で飾り、どこも土地の客や観光客で賑わっていた。私は間もなく港|界隈《かいわい》の小さな酒場の娘と知り合った。浅黒い、若々しい、陽気な娘で、笑うと、きっちり並んだ白い歯が眩《まぶ》しいようだった。黒い陽気な眼はたえずきらきら光っていた。夜、酒場が終るまで残って、それから彼女の家まで送っていった。私が戸口まで行って帰ろうとすると、彼女は私の腕をつかんで放さなかった。私は言われるままに暗い階段をのぼり、屋根裏に近い娘の家に行った。薄暗い電燈の下で、小さな弟妹が眠っていた。彼女はその部屋で私に身体を委《ゆだ》ねた。その後、午睡の時間に娘は私の部屋に来るようになった。彼女は夜より午後のほうがこうした悦楽には適しているのだ、と言った。そしてこの町の人々の多くはそうする習慣があると附け加えた。鎧戸《よろいど》のあいだから、真昼の光が縞模様《しまもよう》になって、大理石の床を仄《ほの》明るくしていた。娘の豊満な肩が汗ばみ、あらわになって、やわらかい髪がその横顔にかかっていた。娘は深い眠りのなかに落ちていた。それは熟した果実のように甘く豊満で美しかった。健康で、自然で、明るかった。あの大都会の裏町の陰湿な臭《にお》いや、安ホテルのぎしぎし鳴るベッドや、髪の毛の抜け落ちている枕《まくら》カヴァなどが呼びおこす虚脱感、嫌悪感は、ここには、どこにもなかった。それは遠泳のあとの疲労のように快かった。疲労のまわりを海の匂《にお》いや微風や眩しい積乱雲が取りかこんでいた。私が眼をさましたとき、娘はいなかった。私は冷たいビールを飲み、詩など一行も書く気にならず、また海岸通りへ下りていった。夕焼けが赤く華麗に空を彩《いろど》っていた。ヨットが何|艘《そう》か沖へ出ていた。その帆が薔薇色《ばらいろ》に美しく染っていた。私はいつか自分がこの町の男たちと同じように暮しているのに気がついた。酒場で知りあった口髭《くちひげ》の男が私にこう言った。「あんたが何もしないで幸福なら、何もしなさんな。あんたが働いていて幸福なら、働くことさ。何はともあれ、人間は幸福でいる義務がありまさぁね」とすれば、私は、あの娘とともにいることが、私の義務に違いなかった。港町の食事は安く、うまかった。私たちは休みに海岸通りのレストランに出かけた。給仕たちはすべて顔馴染《かおなじ》みで、特別の葡萄酒《ぶどうしゆ》を持ってきてくれた。食後、ダンスホールにゆくこともあれば、暗い海岸におりて、砂の上に横になり、波の音を聴《き》きながら、娘の冷んやりした肩に顔をつけていることもあった。私は自分の身体がこれほどさまざまな官能に対して、素晴らしい楽器のように鳴りひびくものであることに、それまで気がつかなかった。その官能を鳴り響かすことが、あの口髭の男の言葉を借りれば「生きることの義務」であるように思えたのである。その一夏は、薔薇|垣《がき》に囲まれたレストランや、美しい娘たちや、海辺の匂いや、漁港町の賑わいで飾られていた。海の青さや岩のぬくみや鴎《かもめ》たちのしなやかな飛翔《ひしよう》を、その夏ほどしみじみと自分の肌で味わったことがなかった。私はいままで、ずっと、どこか架空の世界に気球のように漂っていて、いまようやく地上に戻ってきた人間のような気がした。ビールを瓶《びん》からじかに飲むこと、女たちの熟《う》れた身体に触れること、日かげで怠《なま》けて坐っていること——それはこの地上に生き、感じ、歩きまわることを、全感覚で、心ゆくまで、味わうことであった。たしかにこの町の男たち——白い上着をきて、つば広の帽子をかぶっている日焼けした連中は、怠惰で、無為で、無気力に見える。だが、ここでは、そうして暮すことが官能を目覚《めざ》ますことであり、官能に生きることが本当に生の表面に密着することになるのだった。私は彼らのように積極的に激しく物を見ることを知らなかった。彼らのように食事を味わい、女を愛撫《あいぶ》することを知らなかった。風や、光や、鴎の声や、町の雑踏が、これほど豊かな色彩と快感と幸福でみたされていることに気がつかなかった。思えば大都会で色|褪《あ》せた生活に喘《あえ》いでいる人々は、貧困と不安におびやかされているばかりでなく、こうした色彩や感触に盲目にされているのだ。都会にだって、空はあり、風は吹き、雨が窓を濡《ぬ》らす。だが、誰が空をゆく雲の白さを眺めようか。誰が窓を打つ雨の音に聞き入ろうか。あわただしい暮しと娯楽と不安とが、こうした色彩や感覚のうえにゆっくり立ち止まることを許さない。そうなのだ、都会でおそろしいのは、貧困や不安や多忙が人間を苛《さいな》むことではなく、こうした真の生活から切りはなされ、生活のイミテーションを生活と思って生きていることなのだ。都会ではすべてが能率的だった。人々はせかせかと生活していた。高い建物に巣食った大小の会社では、タイプが鳴り、電話がかかり、人々は出たり入ったりしていた。だが、この港町では誰もがゆっくりしていた。会社でさえ、昼すぎは長いこと戸を閉め、カーテンをおろしていた。そうだった、私自身も、この南国の港町に来たとき、都会のせかせかした生活を背負っていた。真に生の表面に肌を触れることを知らず、生活のイミテーションを生活と取り違えていた。だが、私は午後、鎧戸《よろいど》の隙間《すきま》から洩れる金色の光の縞のなかで、汗ばみながら、娘の寝息に聞き入っているとき、壁も大理石の床も白壁の家々も段々状の山手への道もゼラニウムの鉢《はち》も塀《へい》から下がる蔓草《つるくさ》も、私の感覚を目覚ませ、燃えたたせてくれるのを感じた。私がこの南国に来て、また詩作にとりかかれたのは、こうした思いに包まれるようになったからである。私は夏をうたい、海の色をうたい、朝と夕暮れと夜をうたった。心の炎が白熱したかげろうのように詩の一行一行に燃えたっていた。私は幾篇かを詩誌の編集部に送り、折りかえし幅広ネクタイの男から激励の手紙を受けとった。以前には、私は自分が大都会の手から解放されるのを感じた。しかしいまは、自分が生活のイミテーションから逃《のが》れでたのを感じていた。こうして夏はほとんど過ぎさろうとしていた。観光客や避暑客の数も日一日と目立って減っていった。海からの風が冷んやりと澄んで、雲の色に淡い翳りがあった。そんな或る晩、私は、露天市の出るアーケードの道で、酒場の娘が他の男と腕を組みながら歩いているのを見かけた。身体を絡《から》ませるようにして、何か可笑《おか》しなことを話し、二人で笑っているようだった。私は鋭いナイフを胸に突きたてられたような感じがした。ひょっとしたら、娘の兄弟かもしれない、そんな気もした。しかし娘がスカートをゆさゆさ揺らして歩く後姿を見ると、到底そんなことは考えられなかった。私の胸は煮えくりかえるようだった。すぐ後を追ってゆき、娘の横《よこ》っ面《つら》を張り、ずたずたに切り裂いてやりたかった。しかし私は辛《かろ》うじて自分をおさえた。そして娘とは反対の方角に足を向け、とある小さな酒場で、そうした苦痛から逃れるために強い酒をしたたかに呷《あお》った。翌日、私は二日酔で昼近く起きると、娘は、果物を籠にいっぱい入れて訪《たず》ねてきた。「珍しいのね。こんなおそくまで寝ているなんて」と娘が言った。彼女は私の部屋を片附け、掃除をした。私は部屋の隅に立ち、窓から見える港と、白壁の家々と、岬《みさき》と、海のほうへ眼を向けていた。「機嫌《きげん》が悪いの? 二日酔ね?」娘が私のほうを振りかえり白い、きっちり並んだ歯を見せて笑った。「機嫌を悪くさせるようなことを、誰かさんが、しなかったのかい?」私は意地の悪い口調で言った。娘の顔から笑いが消えた。「それ、どういう意味?」彼女の声にもとげ[#「とげ」に傍点]があった。「昨夜は、どこの誰と一緒だったんだ?」私は横眼で娘の様子を観察しながら言った。「おれは見たんだぜ、アーケードの下で、誰かさんと一緒のところを」私は何かきたないものを吐きだしているような気がした。そして娘が首をふって、私の言葉を強く打ち消してくれることを望んでいた。しかし娘は上唇《うわくちびる》を片方にひいて、肩をすくめた。「あたしが誰といようと、あんたの知ったことじゃないわ。亭主でもないくせに、あんたに、つべこべ言う権利があって? あたしはあたしのしたいようにやっているのよ。あんたに迷惑なんかかけないわ」「おれは、お前が他の男と一緒にいるのが我慢ならないんだ。迷惑などという問題じゃない」私はかっとなって叫んだ。娘も手にしていた箒《ほうき》を床に叩《たた》きつけて言った。「あんたがそんな口をきくなんて、あたしだって我慢できないわ。あたしが誰と一緒だろうと、それをとめる権利など、あんたには、ないのよ。あたしは、自分の好きなように愛するのよ。あんたを愛したように、その誰かさんを愛するのよ。そのどこが悪いの? で誰かさんを愛したからといって、あんたがそれだけ少なく愛されたとでもいうの? あたしは愛さないでいられない女なのよ。なにも、あんた一人だけを愛さなければならないという理由はないわ。一人だけしか愛せないなんて、そんなばかな掟《おきて》はないわ。人は誰でも愛していいはずよ。幸福になって、いったいどこが悪いの」娘は言うだけのことを言うと、果物籠を持ち、部屋から出ていった。私は茫然《ぼうぜん》として娘をひきとめることもできなかった。娘の去ったあと、強い日ざしの射しこむ部屋は空虚で、そのなかを海からの風が冷たく吹きすぎた。私はしばらくの間、なにが起ったのか、理解できなかった。娘が言うように人は誰でも愛していいわけだった。現に、この旅籠の親爺《おやじ》だって、下町の洋品店の内儀《かみ》さんと親しいし、港町のカフェやレストランで、そうした恋人たちに会うのは当り前のことだった。それに、それが幸福であるなら、誰しもそうする権利を持っているはずだった。その点は、娘が言ったとおりだった。しかし喉《のど》がかわいたとき、水でもビールでも葡萄酒でも、望みどおりに自由に選べるように、その時の気分次第で、愛の対象を変えることが、果してできるものだろうか。たしかに暑く、肉感的で、生活の豊かなこの港町では、昔から自由|放縦《ほうしよう》な関係がゆるされていた。人々もそれに従って暮し、いささかの痛痒《つうよう》も感じなかった。男も女も自由に望むだけの情人を持っていた。髪をまさぐり、眼《ま》ぶたのぴくぴくした動きに触れ、甘い熟れた肢体《したい》に溶けてゆくには——まさにそうした舌の、肌の、官能の、波立つような尖端《せんたん》の炎で甘美に生の実体に触れてゆくには、欲望の対象は、当然、一人、二人に限定することはできなかった。生きることを、こうした感覚の拡がりで把《とら》え、海水の塩辛さ、風の匂い、果物の甘さ、貝スープのうまさ、女の肌のほてり、洗いたてのシーツの心地《ここち》よさで生活を充満させるかぎり、娘が言うように、愛撫すべき相手は、ただ一人に限定することはできなかった。しかし——娘の立ち去ったあとの、音の消えたような空虚さを前にして、私は、自分が生の実体と信じたこの感覚の世界が、みるみる血の気のひくように、青ざめてゆくのを感じないわけにはゆかなかった。それは、私が、海水の塩辛さや果物のとろける甘さや薔薇垣の匂いと同じ感覚の拡がりとして娘の豊かな肉体を愛していたにもかかわらず、実は、ただ愛とはそれだけのものではなく、娘を私の部屋に閉じこめておいたり、娘の持ち物を何か特別に貴重なものと感じていたり、あるいは、彼女の働いている酒場をこの町の一角に思い描いて、それを心|愉《たの》しく思ったりすることまでを含むという証拠だった。たしかに娘のほうは、すぐりの実を味わうように、私の肉体を味わっていたのかもしれない。だが、私のほうはそうではなかった。それは娘が去ったあとの空虚さと苦痛からも明らかだった。私はただ貝スープの味や薔薇垣の匂いを失ったという意味で、この苦痛を味わっていたのではなかった。たとえ娘の浅黒い滑《なめ》らかな肌に熟した果実の甘さを味わったとしても、彼女の残した空虚さと苦痛は、私が、そうした官能以上のものに結びついていたことを示していた。ずっと後になって私は首都に帰ってから、ある場末町に住む老婦人と知り合いになったが、彼女は若いころ愛し合い、別れた男を、その後ずっと愛しつづけて、生涯を独身で通していた。私は老婦人からその男の手紙や手袋、帽子、眼鏡といった類《たぐい》の品々を見せられた。たしかに第三者である私の眼には、それらは骨董店《こつとうてん》のガラス・ケースのなかのがらくたと大差ない品々だったが、ただそこに老婦人の生涯かけた思いが託されていると思うと、やはり私は胸をつかれた。そこには、港町の娘が求めていた官能のたのしみは全くなかった。古ぼけた革財布《かわざいふ》、黄ばんだ手紙、メダイヨンの中の髪の毛、虫の食った帽子などからは、果実の甘さも薔薇垣の匂いも感じることはできなかった。しかし私は、その色あせた品々が、一人の女に、生涯にわたって、そうした甘い香りや味以上の恍惚感《こうこつかん》と浄福と高揚とを与えつづけていた事実を、はっきり見ないわけにゆかなかった。愛というものがこういうものだとすれば、それは、肉の触れ合いや官能の白熱をこえて、それらに強められつつ、肉体でない領域へ——精神の領域へ高まっていなければならなかった。とすれば、港町の一夏の愛は、季節のように色あせてゆく官能の愉悦ではあったとしても、私の知り合った老婦人が抱《いだ》いていた愛というものではなかった。たしかに港町の男たちが感覚の快楽に密着して生きているように、官能の愛というものは存在していた。あの娘が身体を焦がしていたのは、まさしくそうした放縦な愛であったが、それには、彼女を無限に焦燥させる麻薬のような作用が含まれていた。あの豊満な娘の肢体に漂っている物憂さと飢餓感はそれを物語っていなかったか。彼女はシーツを引き裂きながら官能の炎に焼かれても、なおたえまなく飢えていた。日盛りの坂道をゆさゆさ身体を揺らしておりてゆく娘の後姿には、充足と浄福から見棄てられた女の孤独な飢餓がのぞいていた。もちろんこうしたことに思い当ったのは、私が、その後幾つかの町々を旅して廻り、古い泉のそばの菩提樹が、何回か花をつけたり散らしたりするだけの年月が経過して後のことである。とまれ私はこうした一夏の生活から、大都会の生活と同じように、港町の生活もまた、たえず何ものかに追いたてられ、安息することを知らずに、日々を、あくせく過してゆく暮しだということを知ったのだった。私は湖のそばの古典的な端正な町に移り、北国の町々にも何年かずつ暮らした。私はその間ずっと自分自身があわただしく追いたてられているのを感じた。むろん私は、南国の港町ではじめた詩作をそうした日々のあいだにもつづけた。時には生活に困窮したこともあったが、私は、ふたたび会社や工場に勤める気にはなれなかった。自分の詩作をつづけるためには、そうした日々の実務の外に出て、その目的や利害や考えから自由でいなければならぬ——それは肺を病んだ娘を墓地に送った日、公園のベンチで痛いように私の心にしみてきた思いだったが、それだけはいまも変らなかった。こうして私はまるで渡り鳥のように季節によって場所をかえたが、どこにいっても異邦人のように暮すことには変りなかった。一カ所に定住したとき、それは私の思索や詩作の死を意味する——当時私はそう思った。いま思いかえしても私は実に無数の場所を渡り歩いた。私が知り合ったのは旅廻りの芸人であり、出稼《でかせ》ぎ労働者であり、場末の女たちであった。ただ彼らだけが社会の圏外を流れあるいて、そうした孤独と貧困を代償に、自由な日々を知っていた。私は北国の峡湾に近い町で、澄んだ憂愁にみちた夏を送ったこともある。熱風の吹く砂漠《さばく》の町へながい冬を避けに出かけたこともある。青い海に浮ぶ島で漁師の手伝いをしていたこともある。しかし私はつねに旅人であり異邦人だった。事実、そうした土地で多くの人から、私は、見知らぬ人と呼ばれた。それはそのころ私が真に望んでいた生活なのであった。私にはどこの都会や村落も自分の故郷だった。そしてそれは結局私に帰るべき故郷がないということだった。私は一度も母のいる故郷の町へ帰りたいと思ったことはなかった。ただ時おり地平線に雲母《きらら》のように菫色に翳《かげ》る雲が浮ぶとき、激しい郷愁を感じることがあった。破風《はふ》のつづく暗い通り、木々のそよぎ、運河にうつる雲、敷石のかたい坂などが、心の弱るおりに、私のなかによみがえっては、秋の風のように私を遠くへ誘った。私はそんなとき、自分の部屋にとじこもって、暗い宿命に耐えた男の物語や、偉大な恋人たち、悲運の王たちの物語を読んだ。私は旅に出て異邦人として通りすぎる町々にも、これと同じ物語を読むように感じた。暗い雨雲の下に黒ずんだ丸屋根や尖塔《せんとう》を並べた都会を通るとき、私は、その都会で中世期に戦死した若い皇帝のことを思いだした。森に埋れた苔《こけ》の多い町を過ぎると、そこに城砦《じようさい》を築いた年老いた王のことを考えた。この老人は息子《むすこ》に裏切られて殺され、遺骸《いがい》は城内の井戸に投げこまれたというのだった。物語や悲劇は大都会のふとした町角の石に刻まれていることもあれば、石だらけの古い街道に残されていることもあった。しかしそれはその都会や田舎の生活にのめりこんでいる人の眼には触れることのできないものだった。といって、あの南国の港町の無為な男たちにも決して読みだすことのできないものだった。なぜならこうした情熱や悲恋や野心や挫折《ざせつ》の物語は、ただ貝スープの味や薔薇垣の匂いや果実の甘さをこえた世界であるからだった。おそらくそういう世界に導き入れられるのは、黄ばんだ恋人の手紙束を持っているあの老婦人にちがいなかった。彼女にだけは、こうした世界が、会社や役所や雑踏や電光ニュースのつくるあわただしい現世の向う側に、何か永遠の原像のように、浮びあがって見えるにちがいなかった。私もいつからそうした姿が見えるようになったというのではない。あの南国の港町を出て以来、異邦人として方々を流れ歩いている間に、いつしか、そうした透視する眼が形づくられていったとしか言えない。しかしそれは私の作品に決定的な影響を及ぼしていった。私は悲運の王たちや偉大な恋人たちを透視すると、そこに、情念の雲型やアラベスクや三葉型の範型の刻印を見る思いがした。たしかに私は、それら情念|葛藤《かつとう》の範型を、かつて地平線に光る雲や、破風に鳴る湿った風や、胡桃《くるみ》の葉のざわめきを、悲傷や追憶や寂寥《せきりよう》の語彙《ごい》にしたと同じように、自分の思いを述べる語彙に転用するすべを心得ていった。私は物語詩を書き、寓話詩《ぐうわし》を書いた。それは幅広ネクタイ編集者を喜ばせたが、私自身はなお不安から救いだされないままだった。私があの港町よりさらに南国の、オリーヴや無花果《いちじく》や葡萄の繁《しげ》る国に旅したのは、こうした不安に耐えられなくなったからである。私は青い海をめぐり、レースのような波が打ちよせる大小の島に立ちよった。そして最後に、その地方の首都である都会に居を定めた。それは乾《かわ》いた、熱風の吹く、騒々しい近代都市だったが、家々のあいだに古代神殿があったり、古代市場の廃墟《はいきよ》が残っていたりした。或る日、私はそうした廃墟の一つ、古代の円形劇場《アンフイテアトル》で古い王たちの悲劇を上演するという貼紙《はりがみ》を見つけた。しかし上演の日時はすでに過ぎていた。私はしばらくその貼紙の前に立って、何気なく主演の何人かの俳優の写真を眺めていた。私はふとその中の一つに強く自分がひきつけられるのを感じた。それは若い女優の横顔で、広い、形のいい額と、端正な、美しい顔立ちをしていた。しかし私がとくにひきつけられたのはその女優の眼であった。それは明るい、柔和な眼で、その眼もとにちょっとした翳りがあって、それが一種のやさしい懐《なつか》しさを感じさせた。私はその眼を見ているうち、自分の胸に、痛みに似た強い感情が噴きあがってくるのを感じた。いつだったか、私は、どこかでこの女優に会った気がした。もちろん日附も場所も思いだせなかった。しかしこの額や眼《まな》ざし、眼もとのやさしい翳りは、はじめて見るものではなかった。どこかの舞台か、ひょっとしたら大都会の夕暮の雑踏のなかか——それはわからなかったが、その眼に一度出会っていたことは疑えなかった。それが誰であり、どこで出会ったのか、を知りたいという気持は、もちろんあったが、それ以上に、その女優にもう一度会ってみたい、という激しい欲求が、熱い渇《かわ》きのように喉をつきあげた。私がその劇団の次の公演地である首都から五十キロほどの小都市に着いたのは、翌日の午後であった。その小都市にも古代の円形劇場が残り、そこで同じ演《だ》し物《もの》をやることになっていた。私は小都市につくと、すぐ円形劇場にいった。悲劇は日没から夜にかけて、夕闇《ゆうやみ》の濃くなるなかで、篝火《かがりび》の光だけで演じられることになっていた。まだ太陽は紺青の空に輝き、埃りを巻きあげて熱風の吹く通りには、並木の影が黒く落ちているほか、人の気配もなかった。白壁の民家の戸口で老人が灰色の濁った眼をじっとこちらに向けていた。日かげでは驢馬《ろば》が耳をひくひく動かしながら草をはんでいた。アスファルトの通りから暑気がむっと匐《は》いのぼってきた。私が円形劇場についたとき、全身がぐっしょり汗になっていた。ふだんは劇場としては用いられず、単なる古代遺跡にすぎぬこの野外円形劇場は、日盛りには番人もおらず、柵《さく》もなかった。ただ夕暮から悲劇が演じられるので、照明のための篝火や二、三の小道具のようなものが、入口の隅に用意されていた。円形劇場の観客席はすり鉢状に整然とせりあがっていて、暑い日ざしのしたで、ひっそり静まりかえっていた。人っ子ひとり見当らなかった。劇場の後部の観客席から見ると、舞台は中央にまるく小さく、すり鉢の底に銀貨を一枚置いたように見えた。舞台の後方だけは客席がなく、切れていて、劇場につづく古代神域の廃墟が望まれた。私は日に照らされて暑くなった石のうえに腰をおろし、この沈黙のなかで息をのんでいるような円形劇場の整然とした観客席の並びをながめた。中央舞台から、一段一段とせりあがってゆく座席の並びが、ちょうど水面に描く波紋のように、端正な筋目の輪を重ねて拡がり、しかも一段ごとに高まっているので、それは森閑《しんかん》とした日盛りのなかにあっても、見えない叫びが、無言の響きとなり、あとからあとからと、こだましているような感じをあたえた。私は沈黙した石たちとともに、舞台中央から聞えてくる無言の叫びに耳をかたむけた。しかしそのうち、その叫びは次第にはっきりした形をとりはじめ、高く低くこだましながら、私の耳にまで響いてきた。私ははじめそれを真昼の暑さゆえの幻聴だと信じた。しかしその声の高まりが、敵方の火に焼け落ちる都城を眺めて叫ぶ悲運の女王の嘆きであるのを知ると、思わず立ちあがった。声は相変らず真夏の昼の目くらむ光のしたに聞えていた。それは幻聴などではなかった。私は、声がどこから聞えてくるのかを確かめようとした。円形劇場には、四カ所ほどの昇降口があり、暗い窖《あなぐら》のように観客席の下をぬけて外部に通じていた。声は、その反響の仕方からみて、この階下の歩廊から聞えているらしかった。私は石のアーケードになった歩廊を、盲人のように手探りで歩いていった。地面の切り石がごつごつしていて、何度か私は躓《つまず》いた。ようやく眼が慣れてくると、その観客席の下の歩廊の両側は、小さな個室になっていて、おそらく古代に、客たちが休んだり、俳優と話したり、店が出ていたりしたに違いないと思われた。ちょうどトンネルのなかを冷たい風が吹きぬけてゆくように、この暗い、土臭いにおいのする、長い歩廊にも涼しい風が流れていた。女の声は次第に大きくなり、鋭く澄んで、凜々《りり》しいほどの響きとなった。間もなく歩廊が終って、小広い部屋のような場所に出た。小さな窓から薄明かりが白く流れていて、洞窟《どうくつ》の内部のようにがらんとしていた。声の主はその部屋の真ん中に立ち、両手を高くあげて、悲運の女王の嘆きをつづけていた。なぜ神よ、あなたはこのような苛酷《かこく》な宿命を私たち一族に下し給うのか、と女王は神へその苦しみをうったえていた。家を焼かれ、良人《おつと》を殺され、子供を奪われた女たちは、いかにして生きるべきか、そしてその苦しみと悲しみに閉された生には、どのような意味があるのか、なぜこのような悲運に耐えなければならないのか——女王はそう神々に叫びつづけた。私は、何か突然の奇蹟《きせき》を眼の前にした人間のように、茫然自失して、そこに立ちつくした。そこにいることが礼を失するとか、無躾《ぶしつ》けであるとか、考えることもできなかった。私はただ女王の嘆きを聞き、炎に崩《くず》れ落ちる都城を眼で見る思いをしていたのだ。しかしやがて神々への訴えは呪詛《じゆそ》に変り、呪詛は激しい怒りとなった。女王の声は高まり、ふるえ、やがてこの世のものとも思われぬ長い絶望の叫びとなって、突然、終った。女王は身を引きちぎり、地面のうえに身を投げだした。女王の身体はそのまま動かなかった。激しく燃えていた都城は、ついに轟音《ごうおん》とともに崩れはて、一切が灰燼《かいじん》に帰したのだった。ながい沈黙が訪れた。女王の叫びが激しくあたりの壁にこだましていただけに、突然訪れた静寂は、耳のなかに、音の共鳴を残したまま、なお何かを鳴りひびかせているようだった。時間もとまり、この世にはもはや動くものは何もなかった。私は、そうやって、どれだけの長さ、そこに立っていたのか、思いだせない。突然、部屋の床から、一人の女が立ちあがり、着物の前を払い、顔をこちらにむけた。彼女はそこに私の姿を見て、おどろき、身体を引くような動きをした。私は、彼女の舞台稽古《ぶたいげいこ》を盗み見していたことを詫《わ》びた。「今夜の上演が待ちきれず、円形劇場だけ見たいと思ってやって来ましたら、あなたの声が聞えたので、思わずここまで引き寄せられてしまったのです」私は彼女を見つめて言った。彼女は、そんなことは気にしなくてもいいのだ、と言い、どこから来たのか、と訊ねた。私は北国の大都会から来たが、別にそこに住んでいるという訳ではない。今では、この町が自分の住み家なのだ、と言った。「まあ、面白い方ですのね。自分の住む場所を決めるのがお嫌《きら》いなんですの?」彼女はそう訊ねた。「いいえ、好きとか、嫌いとかではなく、一カ所にいることができないのです」「なぜですの? 誰でも一カ所に住むことを願っておりますのに」「私もできたらそうしたいと思います。でも、一カ所に住みはじめると、急に不安になるのです。他の場所に、もっと大事なことがあるような気がしてくるんです。それで、そちらに移ってゆくのです。しかしそこへ移ると、またしばらくして同じようなことが起るのです」「あなたは一つの場所をお愛しになったことはありませんの?」「あると思います。たとえば私の国の大都会とか、ある南国の港町とか……」「それならなぜそこに止《とど》まっていられなかったのでしょう?」「何かに引きつけられていたからだと思います。たえず何かを捜していたからだと思います」それから私はこうして話していて構わないか、と訊ねた。彼女は上の、劇場を見おろす場所に、冷たい飲み物を持ってきているから、そこで休んで、少し話をしましょう、と言った。私は歩廊を歩くあいだ、彼女の写真にひきつけられたこと、その顔には前に会ったような気がしたこと、などを話した。彼女は私のほうに、明るい、柔和なその眼をむけて、一瞬不思議そうな表情をした。彼女の眼もとには、眩しいような、懐しい、やさしい翳りがあった。しかし彼女は何も言わなかった。飲み物が置いてあったのは、円形劇場を見おろす後部の石垣に囲まれた場所だった。私たちは日かげに坐り、空虚な劇場を見ていた。「私ね、こうして円形劇場を見ているのが、それは好きなんです」若い女優は、広い、形のいい額のうえに垂《た》れる髪を、かきあげるような動作をしながら言った。「ここには不思議な静けさがありますのね。張りつめたような静けさというか……」「ぼくもそう思います」と私はこたえた。「誰もいないこの劇場に、たえず聞えない声がみちていて、それがかげろうのように揺れているみたいに思えますね」「そうですの。この円形劇場って、私たちが悲劇をやっても、やらなくても、そこで自然に劇が行なわれている、そんな気持にさせますわね。ここには何でもありますものね」若い女優はじっと舞台のほうを眺めていた。「ここに何でもある?」私は鸚鵡返《おうむがえ》しに訊ねた。「ええ、何でも」と彼女は言った。「この世にかつてあり、今あり、これからもあるすべてのことが……」「円形劇場にですか?」「ええ、円形劇場に」「それはどういう意味ですか」「さあ、どう説明したらいいのか……」彼女は柔和な、明るい眼を細めて、円形劇場を見おろしていた。「まわりくどい説明になりますけれど」彼女はしばらくしてそう前置きをして言った。「私ね、ずっと前に、俳優になろうか、なるまいかと迷ったとき、一度この劇場に来たことがありますの。そしてここで休んで、ぼんやり、今と同じように、空っぽの座席の並びを見ていたんです。私がはじめて悲劇を見たのはこの円形劇場でした。そのせいか、この劇場に来ると、夏休みのことをいろいろ思いだしました。私ね、そのとき、この円形劇場と夏休みは、ただ夏にここで劇を見たということだけで結びついているのではない、と気がついたんですの。夏休みって……」彼女は言いよどみ、私を見て、それから、ちょっと笑った。「夏休みって、私ね、この世にあるもののなかで、いちばん好きなものなんですの。学校から解放されて……いいえ、日常の生活から解放されて、じかに海や風や草や雲に触れて生きている生活……それに無限にある時間。それも、何から何まで自分だけに使っていい時間。たのしい本や、涼しい木かげの昼寝や、草いきれのむんむんする峠道の旅……それは、この世で考えられるもののなかで、いちばん楽しい、幸福なものに思えるんですの。私は、夏休みって言うと、日常の時間のなかで、そこだけが青い海の色に満たされた円盤になっていて、他の季節から切りはなされて、浮んでいるような気持になりますの。ちょうど花咲くデロスの島が伝説の海をただよい流れてゆくように、夏の青い円盤のような時間は、私をとりかこんで、まもりぬいてくれるように思ったのです。私が両親に連れられてはじめて悲劇を見たのは、そうした夏休みの間のことでした。私はそのときの感銘をいまも忘れることができません。私は崇高さ、高貴さ、永遠、憧《あこが》れなどという言葉を知ってはいましたけれど、そのときはじめて、そうした感じが、生きた内容をもって、この世にあり、私たちのなかに入りこみ、私たちが、その瞬間、あたかも黄金でつくられた彫像のように輝くことができるのだ、ということを知りましたの。もちろん悲劇が終って、人々が立ちさったあと、深い夜の闇が劇場を包み、いままで演じられていたのが夏の夜の幻影にすぎないのだと、夢からさめた頭にはっきり理解できても、なお私たちが黄金の彫像のように輝いた幾時間があったという事実は、何か肉体の痺《しび》れのようにいつまでも残っているのでした。私は両親にうながされるまで、放心してそこに坐っておりましたが、その短い放心のあいだに、実に多くの思いが、私の心のなかを横切っていったように思います。私は、夜の闇のなかにとけさった幻影は、ただ単に消失したと考えることができませんでした。ちょうど盃《さかずき》のなかになみなみと芳醇《ほうじゆん》なお酒が湛《たた》えられているように、空虚な円形劇場にも、音のない声や眼に見えぬ動作が、なお高貴な輝きや崇高さや甘美な憧れを満たしている、と思われてなりませんでした。それは夏休みが、海の青さや、微風や、草いきれや、木かげの昼寝を円形のなかに区切って、窮屈な日常生活からまもってくれているのと同じように思えたんですの。その後、私は円形劇場にくるたびに、嘆きや憧れや歓喜や怒りを、日常の時間から区切って、この円形のなかに湛えまもっている劇場の空間の意味を考えました。夏休みに、日常の窮屈な時間が忘れさられるように、私たちはこの円形劇場に入ると、帳簿も、算盤《そろばん》も、計算書も、書類も、売掛金も、家賃も、支払いも、何から何まで忘れます。そしてそうした日常の細々した生活から直接には知ることのできない、生きることの深い意味や、激しい感情のあらしを味わうのだ、という気がしましたの。それは、こうした日常の利害打算や目論見《もくろみ》や成功不成功を忘れさって、別個の空間のなかに入るからこそ、逆に人生興亡の姿が、くっきりした輪郭をとって立ち現われ、そこに呼びおこされる寂寥感や悠久《ゆうきゆう》の思いや歓喜や哀愁を深く味わうことができるのだ、という痛いような実感でした。この円形劇場は、夏休みと同じように、日常の生活や時間とは、別個の時間をもっている——それは日常の時間のように流れてゆく時間ではなく、決して流失しない時間、永遠に円を描く時間だ、と、そう思えたんですの。私が俳優になる決心がついたのは、こうした思いに、そのとき、身体の奥底まで貫かれたからでした。私は日常生活を棄《す》てることに未練がなくはありませんでした。でも、私たちがこの円形劇場に入るのは、決して日常生活や人生の興亡に背を向け、それを嫌悪するからではない、と思いますの。少なくとも私の場合は、そうじゃなかったと思います。私は、かえって日常の暮しに——明日の支払いや、庭に植えた花や、遠足の仕度《したく》や、仕事の段どりなどに心を労するこの日々の暮しに——愛着を感じるからこそ、それを、もっと全身から愛しうるように、その意味や本当の姿や一回きりのその生の味わいを、この円形劇場のなかで深めるのだ、と、そう思えたんですの。私が、さっき円形劇場にはすべてがあると申しあげたのも、そういう意味でした。私は、この円形劇場のなかに、あらゆる人生の興亡が——悲しみや喜びのすべての形が湛えられていると思います。私はさっき悲運の女王を演じましたけれど、あれは、実は、私が演じたのではなく、悲運の女王が私の中に現われていたのです。女王は、私の姿が消え、見えなくなるだけ、それだけ濃く、実在しはじめるのです。この円形劇場には、こうした形で実在する人物たちに満ちているのです。それを眼に見える形にするため、自分の姿を溶解させ消失させてゆくのが、私たち俳優の仕事ですの。ですから、私はここへ来ると、我身を殺す悲運の女王を現前させるために、自分の姿を溶解させることもあれば、傲《おご》り高ぶる黒人の女王を呼びだすために、霧のように消えることもあるんですの」私はながい間、黙って彼女の話に耳をかたむけていた。その声もたしかにどこかで聞いた声だったような気がした。「青空と花の香りと人生の興亡——円形劇場の区切っているものは、これだけですけれど、それで生きることのすべてが含まれているような気がいたします」私は彼女の話を聞いているうち、私が町から町へ移り住んでいたのは、この円形劇場のなかに入ることができなかったからではないか、と思えてきた。たしかに私は大都会の愛憎や苦悩や単調な反覆から身をひいてはいた。また、官能や薔薇垣《ばらがき》の匂《にお》いだけではなく、黄色くなった手紙束の意味や思い出もわかるようになってはいた。しかしこの広い、形のいい額をした若い女優のように、日常の時間に訣別《けつべつ》して、円形劇場の支《ささ》える時間のなかに入ってゆくことをしなかった。私は日常の暮しの外に出てはいたけれど、この夏の豊かな時間のなかに身を投げることをしなかった。なぜなら私には、この夏休みの涼しい木かげの午睡《まどろみ》が、現実の、あの肺を病んだ娘や、高い建物に巣食った会社や商会などからの逃亡と感じられたからであった。しかしこの女優の話をきいているうち、夏の豊かな時間があるということが、肺を病むことや、書類の埃《ほこ》りのなかを匐《は》いまわって生きることや、肌の温みを感じることの意味を、一挙に照しだし、私にそれを深く納得させたのだった。彼女はさっき、一つの場所を愛したことがあるか、と訊ねた。しかし私は、彼女とは反対に、大都会の騒音や単調な反覆の外に出たくせに、一冊の植物の本、狼《おおかみ》の本にも愛情をそそぐことができなかった。私が会社に流れこむ人々の流れの外に出たのは、そうした日々への愛着のためではなく、それを一挙につかみ、理解し、あるべきように処理するためだったことを、明るい眼をした女優の話を聞いているうち、私は納得していった。私が一冊の植物の本も狼の本も読むことをせず、哲学や心理学や社会学の迷路をさまよったのは——そしてさらに、何かもっと大切なものを求めて、町から町へと落着きなく移り住んでいったのは、日々の暮しへの愛着ではなく、むしろそうした書類に字を書くことや、朝の雑踏にまぎれることや、庭に花を植えることや、薔薇垣の匂いに囲まれて食事をすることなどを、単なる偶然の事柄、どうでもいい無意味な事柄として、何か別のものへの踏み台として、ほとんど注意も払わずに、やりすごしていたためではなかったろうか。私が不安といい、恐怖と呼んだものは、こうした何か別のものへのたえざる関心であった。その別のものが自分にとって未知である場合、それが激しく不安の形で私に迫ってきたのだ。そんなとき、どうしてその未知を探ることを怠って、狼の本に読みふけることができただろうか。この未知なものは意識の底にあって、落着きなさ、焦燥感、不安となって私を痛め苛《さいな》んでいたのだから。私が自分の感覚に忠実であろうとすれば、こうした焦燥や不安から脱《のが》れるために、別なもの、未知なものを克服しようと努めるほかない。私は港町の娘から官能の陶酔を知った。黄色く色あせた手紙束の老婦人から、感覚をこえた生の姿を学んだ。それにもかかわらず落着きなく、生を追い求めると信じて、町から町へ移り住んでいたのは、依然として、この一回きりの、誕生と死の間に虹《にじ》のようにかかる、自分の生の姿に気がつかなかったからである。一回きりの生——それは私にとっては何もむずかしいことでも、偉そうなことでもなかった。自分の手にさわってみる。冷水で顔を洗ってみる。そのときの手の感触、水の冷たさこそが、この一回きりの生の刻印だった。この感覚が現に[#「現に」に傍点]感じられることに、驚きを覚え、それを神秘的とさえ思うこと——それが、一回きりの生の内面に回転して入りこむことだった。しかしそれは南国の港町の男たちのように、ただ官能の味わいだけに密着することではなかった。それは老婦人が古い手紙束に浄福を味わったような、精神的な拡がりまで含んでいた。こうした精神的味わいまでを、地上の奇蹟《きせき》として、驚きとともに直覚すること——それが、一回きりの生を、壮麗な祝典のように、私たちのなかに呼びおこすことになるのだった。そのとき私が不安を感じていた未知の全体は、一挙に、この内面の祝典のなかに、あたかも円形劇場が町じゅうの人々を収容するように、回転して取りこまれるのである。この円形劇場に似た内面の祝典に現われては消える個々の出来事は、ちょうどここで演じられる悲劇のように、永遠に反覆される神話の儀式のように、同じ原型が、さまざまな衣裳《いしよう》を纏《まと》って現われたものと見られるのだった。そしてその際、私が注意を集中して見るのは、その個々の衣裳ではなく、その奥に透視される変らぬ原型なのだった。そのとき突然私は、自分の前に坐っている女優の明るい、柔和な眼がなぜ前に見たことがあったのか、理解した。私は、彼女その人[#「その人」に傍点]を見たのではなく、この女優の美しい顔立ちを借りて表われた私の思慕の原型を見たのであった。それは彼女と出会う以前から私に与えられている、姿の見えぬ、一個の宿命のごときものであった。私は、ながいことそれに憧れ、それを求めつづけていた。しかしその姿は、私に知られてはいるものの、それを体現した女性《ひと》にぶつからなければ、その姿を見ることはできないのだった。しかしかつて一度も見たことはなくても、それを見さえすれば、それが原型の現われであることを私たちは誤ることなく知るのである。私は思わず彼女の手をとると、性急に、こうした思いを早口に喋《しやべ》った。彼女は、いくらか前よりも潤いを帯びた黒い、やさしい眼で私を眺め、静かに、私に手をとらせたままでいた。私は黙って彼女の指を自分の唇《くちびる》に近づけた。その夏の公演のあいだ、私は劇団について、その他の小都市をまわった。こうして私は、夏の公演が終ってから後この女優と結婚したのだった。私ははじめて彼女と、さる古代遺跡を仰ぐテラスのある家に腰を落着けた。白壁に蔓草《つるくさ》が匐いのぼり、赤い美しい花をつけていた。私は彼女とともに絨毯《じゆうたん》を買ったり、友人の画家の絵を壁にかけたりして、幾年かを送った。一年の大半、彼女は首都の劇場に出ていた。しかしその後も野外の円形劇場で行なわれる夏の公演には、よく出演した。彼女は私とはじめて出会った小都市の劇場をもっとも愛していた。しかしあの窖《あなぐら》のような歩廊の奥の部屋には、どうしても足を踏みこむことをしなかった。彼女は「あの部屋に入ればきっと私は天使に抱かれて黄金の炎となって燃えつきてしまうでしょう」と言っていた。しかし彼女は、あの部屋には行かなかったけれど、私と結婚して五年目の秋の終り、突然の交通事故でこの世を去った。彼女には外傷は全くなく、死んだその姿は、端正で、ほとんど眠っている顔と変りなかった。私は、よく夜明けに目覚めては、彼女のこの顔が古代の彫刻のように私のそばに横たわっているのを、不思議なことのように眺めたものだった。しかしその広い額も、明るい、やさしい眼も、眼もとに寄せたちょっとした眩《まぶ》しそうな皺《しわ》も、いまは、もう見ることはできなかった。彼女は天使によって抱きかかえられ、炎となって見えなくなり、彼方《かなた》に連れさられたのだ。だが、彼女が言っていたように、見えなくなって、すべてのものを現前させるのが彼女の仕事だったとすれば、いまこそ、彼女は永遠に姿をかくして、そのかわり、夏の青空や、鳥たちの囀《さえず》りや、花の香《かお》りや、大都会の雑踏となって、現前しているのではなかったろうか。それは嘆きの調べにつらぬかれてはいたけれど、永遠に変らぬ歌となって、あの眼に見えぬ竪琴《たてごと》の音とともに、野や山に聞えているのではなかったか。私は彼女の死とともに、ふたたび北国の大都会にかえった。私は幾つかの長い作品を書いたが、それはつねにこの嘆きの調べが私の耳に聞えていたからである。私の眼には、彼女が残していった円形劇場に、この世にあるすべての出来事が永遠に反覆しているように思われた。そしてこの内面の円形劇場には、かつて彼女の演じた円形劇場が菫色《すみれいろ》の夏の夕暮れ空を支えていたように、花の香りに似た甘美な歌が鳴りひびいていた。私はそこに——彼女が言ったように——すべてを見た。それは人生の興亡の祝典劇であった。私が細長い谷間の静寂のなかに戻ってゆこうと思ったのは、この人生興亡の祝典劇が、あたかも全人生の規範であるように、くっきりした輪廓《りんかく》をとって見えはじめたからである……。それにもかかわらず、ついさっき爺《じい》やの後姿を見たとき、不安を感じたのは、私がなおこうした円形劇場の外に、何か未知なるものを垣間見《かいまみ》たせいだったろうか。おそらくそうだったかもしれぬ。だが、本当は、そうした未知なるものも、円形劇場の中に、一つの役割として、取込まれなければならないのだ。ともあれずっと感じていた不安は、この一と時の物思いのおかげですっかり影をひそめたようだ。秋の初めの谷間をまた明日になったら歩きはじめよう。灰褐色《はいかつしよく》に乾いた岩尾根の向うから、群青《ぐんじよう》の空を渡ってゆく淡い雲は、夏のころとほとんど変りないが、それでも雲母《きらら》色の翳《かげ》りがかすかに感じられるだろう。妻をこの谷間に連れてくることができたら、どんなにか喜んで、初秋の花々を集めてテーブルの上を飾ったことだろうと思う。しかし私にとっては、彼女がいないことは、全《すべ》ての物の中に彼女が遍在しているということに他《ほか》ならなかった。明日の朝も明るい風が吹きぬける牧草地の入口を、彼女が、若いときのままの姿で、のぼってゆくのに出会うことだろう。私は一冊の狼の本をかかえて、渓流にそって歩いてゆく。牧草地を一面に見渡せる場所で、それを開き、写真や記録や記事を読んでゆく。風が吹き、やわらかな午前の日が射《さ》し、時がゆっくり移ってゆく。そのとき狼の本は突然詩の本となり、そこに早い落葉が散りかかってくるだろう。私はその一枚をとり、しおりにして家にかえる。夜、ランプの光にその落葉をすかしてみると、赤い葉脈の描く世界のなかに、私は懐かしい人の手の指を見るだろう。それは物をすくうような格好をして、じっと何ものかを支えている。私はその中に支えられたものを、ついに見ることはできないだろうけれど、それが一夏の至福にみちた時間であることを、なぜか、はっきりと理解するのだ。私たちがこうして物語のなかに、円形劇場のなかに、そしておそらくより至高なものの掌《てのひら》のなかに、流れさることなく支えられている以上は、そして落葉が、死者たちが、見えぬ存在となって私たちにすべてを送りつけてくれ、嘆きが歌となって天空の果てまで流れている以上は……。 [#改ページ]   叢林《そうりん》の果て  ……あの情報はほんとうに確実なのだろうか? 農民のアルドのもたらした情報は? もちろんマリアナもそれを確認しているし、ほかの何人かの農民も同じような情報を伝えてきた。とすれば、敵の守備隊がこの谷間の道をのぼってくることは確実だと見なければならない。しかしもうあれから五日もたっている。おれたちはこの五日というもの、くる日もくる日も谷間の中央をおりてゆく道を、乾《かわ》いた断崖《だんがい》のうえから、じっと見まもっているだけだ。谷は狭く、ほぼ森におおわれ、おれたちが身を隠している断崖のような二、三の岩場の露出をのぞくと、材木運搬用にきりひらいた道路だけが、白く、乾いた河床のように、谷の下方にむけてのび、視野から消えるあたりに製材所の建物が見える。製材所のまわりには、廃屋を含めて、四、五軒の家が並んでいる。人影はまったくない。製材所が操業をやめたのはいつのことだろうか。マヌエルの話だと、なかの機械はさびつき、廃屋同然だという。せめて製材所が動いていてくれたら、双眼鏡で、出たり入ったりする人影を見てたのしむことができたろうに。たしかに叢林《マキ》のなかを匐《は》いのぼり、密林を山刀《マチエタ》できりひらきながら進むときの苦しさは、ときには、おれのような男をさえ、ほとんど自暴自棄の気持に追いこみ、前後の見さかいなく、ひたすらその場で眠りこみたいような狂暴なまでの欲望に駆りたてる。そんなときマヌエルがおれを蹴《け》とばそうと、カルロスが胸ぐらをつかんでゆすぶろうと、眠りのなかへ崩《くず》れてゆくおれを救いだすことはできないのだ。だが、いつ現われるかわからぬ敵を待伏せて、じっと緊張しつつ、幾日もむなしく過ごす苦痛は、はたしてそうした行軍の苦痛よりも容易に耐えられるものだろうか。彼は敵が現われた瞬間に行動にうつればいいと言う。身体《からだ》を休ませ気力を養うこともおれたちの重要な仕事だと言うのだ。おそらく彼のような男なら、それができるのかもしれぬ。だがおれたちには必ずしも誰もがそうなれるとは限らないのだ。少くともおれはこういう状況にはすぐ参ってしまう。緊張するな、身体をくつろがせろ、と自分に言いきかせても、身体のほうが言うことをきかない。全身の汗ばんだような感じ、肌《はだ》の全面がしめつけられ、ざらざらし、熱をもったような感じは、いつになってもとれないのだ。なにか気をまぎらわすものでもあればいいが、それもない。空をゆっくりと雲が流れ、その影が黒く向うの谷の斜面から、こちらの斜面へと動いてゆくだけだ。音といったら、岩を出て稜線《りようせん》までゆくと、反対側の谷から、かすかな渓流の音が伝わり、たまに鳥が羽音をばたつかせて谷から谷へ渡るくらいだ。時間が停《とま》っている、というより、この山奥の谷間には時間なんてもともと存在していないのだ。時間なんてない。時間を必要とする人間もいない。いるのは、おれたちだけ——この十数人の憐《あわ》れな、疲れはてた、すりへった人間だけだ。すりへった人間? いや、すりへってはいない。すりへってなんかいない。ゲリラは決してすりへった人間なんかじゃないんだ。いったい、おれは何を考えているのだろう。ゲリラはつねに待つことを学ばなければならないのだ。敵の挑発にものらず、ただ的確な時機をとらえるまで待ちつづけねばならないのだ。敵はかならずこの河床のような乾いた道をのぼってくる。マリアナがあんな危険をおかして手に入れてきた情報だもの。間違っているはずがない。マリアナは海辺《うみべ》の攻撃のあと、極端に危険になっている山脈周辺の町々を歩き、守備隊の駐在地となれば幾日でも幾週でもねばって情報をつかもうとする。マリアナは百姓女になるときもあれば、酒場の女に早変りすることもある。酔った守備隊の将校から何かを訊《き》きだすには、それしかないからだ。だが、そんな話をするとき、マリアナの顔になんと複雑な表情があらわれることだろう。ゲリラの任務のためには、マリアナはなんだってしなければならないし、それをこのおれが、どのような理由でとめなければならないのか。たとえ彼女が商売女の真似《まね》をしなければならないとしても、マリアナよ、おれはなにもお前に言うことはできない。おれがどんなにマリアナを愛していようとも、だ。だが、それはマリアナのために、おれたちも、ともどもその苦痛と屈辱をしのばなければならないのだ。誰が好きこのんで酔いどれの圧政者の手下に抱かれたいと思うだろう。そうだ、マリアナの情報はそうして手に入ったものなのだ。それだけ大きな代償が支払われている以上、そこらから流れてきた情報とわけが違うのだ。いまは情報を信じなければならぬ。そして攻撃の時機を誤たぬように万全の準備をしなくてはならぬ。森におおわれた谷間のひとすじの河床に似た道……。ラウルはどうしたのかしら。さっきからあたしの名前ばかり呼んでいる。あたしはここにいてよ、ラウル。しっかりしてちょうだい。あなたはまた夢にうなされているのね。こんな深い山脈のなかで、ろくな医療品も薬もなく、あなたは谷間の攻撃で受けた傷に苦しんでいるんだわ。ラウル、きっと、きっとなおってね。それにしてもなんという高い熱なのだろう。傷口の化膿《かのう》はなんとかサンタ・クララから持ってきた薬で防いでいるものの、ラウルは死ぬのを待つだけなんだわ。医者の彼もそういった。マリアナ、ラウルはあと二日ともたないよ。それだけは知っておいたほうがいい。早く知れば、それだけ早く心の準備ができるんだから。マリアナ、いま君の気持にたちいって考えてあげられない。革命は大きな要求をぼくらに課しているのだから。しかし小さな一人一人の死が、間違いなく、革命の全体を支《ささ》えている。その死なくしては、革命を支えるものはないんだよ。ぼくらはただ自分の生命を代償にしてのみ、革命の正義を支えているんだよ。それなくしては、独裁者ら一味の革命と同じく、革命という口実だけで、きたない革命に陥ってしまうのだよ。マリアナ、最後まで手をつくしてラウルの生命をまもりぬかなければならない。だが、同時に、ぼくら全体が、革命に参加した一人一人の死で支えられていることも忘れてはならないんだよ。あたしだってそう思うわ。そのくらいの覚悟はできている。でも、あたしの名を呼んでいるラウルの苦しみを見るのは、また別のことだわ。ラウル、あなたは谷間の攻撃のとき、岩角からいちばんはじめに飛びだしていったのですってね。マヌエルがそう言っていたわ。兵隊を満載したトラックが製材所の前で一時停止したとき、あなたはジョンソン自動小銃で運転台を蜂《はち》の巣にしながら、飛びだしていったのですってね。守備隊側はトラックからとびおり、谷の向う側に転《ころ》がりこんだり、製材所に逃げこんだりして、そこで激しいうち合いになったのね。あなたはそのときトラックの下に匐いこんだ男に気がつかなかった。ラウル、あなたはみんなトラックの向う側に飛びおりて、逃げたのだと思っていた。だから、あなたの掩護《えんご》射撃によって突進していたマヌエルが肩をうたれて倒れたとき、あなたは谷の向い側から狙《ねら》われたと思って、あなたはトラックにむかって接近しようとしていた。そのときトラックの下に転がっていた男があなたに弾丸をうちこんできたのだわ。あなたは身をふせる暇もなかった。弾丸は右胸をつらぬき、あなたは地面につんのめるようにして倒れた。でもラウル、戦果は大へんなものだったのよ。敵は先頭のトラック二台を放棄して逃げただけではなく、銃や弾薬を奪うこともできたし、圧政者の手下は五人戦死し、負傷者は十数人に達したのよ。もう誰も山脈のなかで革命軍が叛乱《はんらん》を組織していることを否定することはできなくなったのよ。ラウル。あなたが活躍したあの海辺の兵営の攻撃は、町でも村でも大へんな評判だった。さすがの圧政者も政府もそれを隠しおおすことはできなかったのよ。で、彼らは数日ならずしてゲリラを殲滅《せんめつ》すると放送したわ。ところがゲリラは殲滅されるどころか、逆に守備隊に手ひどい打撃をあたえたのだわ。ねえマリアナ。おれは待っているときがいちばん不安にしめつけられるんだよ。あのときも同じだった、あの海辺の兵営の攻撃のときも、あのときは夜明けとともに攻撃を開始することになっていた。おれたちは兵営のまわりの地形について詳しすぎるぐらい調べあげていた。前衛|哨舎《しようしや》の数や位置、道路や遮蔽物《しやへいぶつ》、通信線の数と位置、兵営の大きさ、間取り、大約の人員、装備等について、おれたちは農民たちや、マリアナ、きみの報告にもとづき、かなり正確な情報をつかんでいた。それにあの時期の活動はすべて海辺の兵営攻撃に集中されていたといっていい。おれたち旧グループに属する人間は、一カ月前に合流した五十名近い新しい同志に、山中のゲリラ活動に必要なABCを教えることに熱中していた。それは軍事訓練以前の訓練で、たとえば炊事の仕方、背嚢《はいのう》のからげ方、叢林《マキ》や密林のなかの行軍法など、ほとんど山脈のなかでの日常生活の訓練だった。新しい仲間は彼らの足跡を注意ぶかく隠してゆく、ということをまだ学んでいなかった。だから彼らは炊事のあとの焚火《たきび》の始末——焔《ほのお》で黒ずんだ石をすてたり、地面を草でおおっておいたり、紙、残飯を埋めたりすることを往々にして怠った。なかでも危険なのは罐詰類《かんづめるい》の放置だけれど、彼らはまだそこまで注意が及ばなかった。しかし一個の新しい罐詰の空罐が発見されることによって、ゲリラの所在が容易につきとめられ、包囲の危険を招きうるんだよ。またおれたちは農民たちとの接触に関して幾つかの重要な点を教えなければならなかったけれど、その第一は、農民たちがやがて解放される人間であることを相手に理解させ、それを信じるに足るだけの誠意と友情をしめすことであり、第二には、ゲリラの移動状況を秘密にするために、あくまで彼らに到着地、出発地は秘することであり、第三には(すでに何回となくおれたちはその被害を蒙《こうむ》ってきたけれど)素性の明らかでない農民の情報、行動には、十二分に慎重な裏づけをとるようにすること——などだった。そうした基本的な教育活動ではあったけれど、海辺の兵営の攻撃までは、新しい武器の到着などもあって、おれたちの士気はひとかたならずあがったのだ。あの教育期間ちゅうも、その後、兵営攻撃の命令がくだって、山脈の稜線からはずれ、ながい林道に沿って下っているあいだも、おれはたえず充実した緊張感に支えられていたように思う。たしかにある種の不安のようなものはあった。しかし流れに舟を乗りだすように、ある目的に向かって行動を開始したとき、おれたちは何かを行ないつづけることによって、そうした不安や危惧《きぐ》から免れることができるものだ。だからおれは攻撃目標である海辺の兵営の黒い建物と、二つ三つついている兵営の戸口の灯りを見たとき、戦意のような激しい気持がこみあげてきたが、不安感などはまるでなかったのだ。しかしそのおれが不安と焦燥に似た気持を感じたのは、攻撃態勢に入ったまま、じっと夜明けを待っていたあの数刻のあいだなんだ。兵営は海辺にあり、小さな部落のはずれにあたっていた。おれたちの出た丘の頂きからは兵営はほぼ真下に見えた。おれたちの警戒すべきなのは、兵営の周囲に置かれている前衛哨舎で、そこには四、五人の兵隊たちが常駐し、機関銃や自動小銃で装備されている。この警戒線を早く突破しないと、兵営の攻撃の主力がおびやかされることになる。背後が海だということは、おれたちにとって包囲が三方ですむので、一つの利点にはちがいなかった。ただおれたちの入念な調査にもかかわらず、闇夜《やみよ》のなかを無燈火で、しかも音をしのばせて行動するために、幾つかの作戦上の混乱がうまれた。たとえば攻撃小隊の配置がまったく左右入れかわっていて、目標哨舎をとりちがえたごときはその例なんだ。おれはマヌエルらとコーヒー畑のなかにひそみ、前方の哨舎に近づこうと試みた。夜明けにはまだ間があるものの、海面のひろがりに、ほのかに白い光が加わってきたように思えた。おれたちゲリラ活動はあくまで敵の不意をつくことと、こちらの敏速な機動性によって敵の攻撃目標を混乱させることにある。それにはおれたちの姿が確認されるような明るさが訪れる前に、攻撃を開始しなければならない。おれたちは敵を恐怖心、混乱、絶望感等の心理的な要因によって自滅へとさそいこみ、ゲリラの宿命である戦力の劣勢をおぎなわなければならないのだ。だがあのときは、あれだけの準備にもかかわらず、おれたちの戦闘態勢はもたつき、各小隊の連絡がとれず、はたして攻撃準備が完了したものかどうか、おれたちには理解できなかった。あとからの話によると、最初の銃声がとどろき、それが攻撃開始の合図となったとき、正面の前衛哨舎を攻撃するはずの小隊はまだ丘から大して前進していなかったというんだ。ラウル、苦しそうに何を喋《しやべ》っているの。いまは静かな夜なのよ。風もなく、この蚊帳《かや》のなかに月の光がさしていてよ。山脈は黒く重くねむっているわ。まるで疲れきった大男みたい。月に照らされた稜線が淡く夜空に起伏しながら東のほうに遠ざかっていて、ほの白く浮びでた支脈の幾つかが暗い谷を抱いて低くのびている。あなたが戦った谷間もいまは暗く眠っているわ。でも、みんなは目ざめ、新しい攻撃目標に向って移動している。ラウル、あなたの仲間は一刻も休まずに活動しているのよ。彼は山脈地帯の最後の目標にむかって行動するのだといっていたわ。あなたも早くなおって、仲間といっしょに活動しなければいけないわ。それなのに、あなたは苦しそうね。燃えるような熱だわ。今夜、ほんとうに無事にこえられるだろうか。今夜をこえたとしても、明日をこえることはできるのだろうか。可哀《かわい》そうなラウル。まだ何か言っているのね。言いたいことが沢山あるのね。だがね、マリアナ、あのときの敵側の反撃はほんとうにすごかった。敵ながらあっぱれだった。とくに正面の前衛哨舎は実に頑強《がんきよう》に抵抗した。敵にしてみれば、どこから攻撃をうけているのか、一瞬判断できなかったらしい。が、やがておれたちの銃火に対抗して撃ちまくってきた。おれたちにあたえられていた命令は単純だ。なるたけ部落に被害を及ぼさぬようにして、前衛哨舎を攻撃奪取し、兵営を蜂《はち》の巣にすること。しかしその哨舎の奪取がまるで進まない。おれたちはその場に釘《くぎ》づけになっていた。マヌエルが手榴弾《しゆりゆうだん》を哨舎にむかって投げたが、これは不発におわった。おれたちの武器は古かったし、充分の点検を経たものではなかったから、しばしば戦闘のさいちゅうに動かなくなったり、弾丸を発射しなくなったり、不発におわったり、照準が狂ったりした。この戦闘のさなかにもトンプソン式携帯機関銃をもって飛びだしたはいいが、それが発射してくれず、あやうく生命を落しそうになった仲間もいたんだ。しかし正面哨舎ではこれ以上おれたちの攻撃を支えきれなくなっていった。そして射撃が不意にとだえると、四人の兵隊が身体を低くして、全速力で、兵営にむかって走ってゆくのが見えた。おれはその四人目の兵隊をねらったが当らなかった。しかし前衛哨舎におどりこむと、こんどはそこから兵営にむかって自動小銃をうちこんだ。左手から二、三人の味方が突っこんでゆくのが見えた。そのうちの一人が、前へつんのめって、倒れた。おれたちの前は五十メートルほどの平坦《へいたん》な地面で、遮蔽物のない、むきだしの場所だった。右手から、材木置場に銃座をすえた機関銃が、一瞬の休みなく撃ちまくっていた。この五十メートルを突破するには、材木置場を攻撃するほかなかった。おれたちの小隊の一部がそれにむかった。激しい撃ちあいがはじまった。兵営からも、とぎれることのない銃口が火を吐きつづけ、おれたちは身動きできなかった。材木置場の機関銃が沈黙したのはそれから間もなくだった。時間の感覚はまるでなかった。急に音がやみ、おれたちの前方五十メートルが突撃可能となった。おれたちはマヌエルの分隊の掩護のもとに突進した。材木置場からは味方の銃座が兵営にむかって火を吐きだした。銃火のなかに兵営が浮びあがった。兵営に最初にとりついたのはアルメイダだった。彼は自動小銃を窓からぶちこんだ。味方は包囲をちぢめていった。兵営はいまや文字通り蜂の巣にうちまくられていた。二階の窓から白旗がふられたのは、そろそろ夜が明けるころだった。おれはあの朝の海ほど青くきれいな海をみたことがない。捕虜を営庭に並べ、武装解除しているとき、夜があけた。兵営の背後に黒くうずくまっていた海からにわかに霧が晴れ、青く輝く水の色がひろがった。おれたちは六人の味方をうしなった。負傷は十五名。それに対し敵の死傷は三十名をこえていた。捕虜は十四名だった。太陽に照らされた兵営の壁はいちめんの弾痕《だんこん》だった。窓ガラスはうちくだかれ、一瞬にして荒廃していた。いくらか静かになったようだわ。さっきより息づかいが正しくなったような気がする。薬がきいてくれたのかしら。若いラウルの身体だから、ひょっとしたら、危機をうまくこえるかもしれない。ラウル、どうか、頑張《がんば》って生きてちょうだい。お願いよ。生きて、生きつづけて……なんだか夜明けが待ち遠しいような気持。昼になればなったで、また激しい暑気が襲ってきて、ラウルの苦痛がいっそうひどくなるのはわかっているけれど、この暗い、静かな夜というものは、いまみたいなとき、妙に不安でおそろしいような気がする。サンチャゴの伯父《おじ》の家に引きとられたころ、あたしは夜になると、こんな不安を感じたわ。あのころは父と母がほとんど同時にチフスで死んだのだった。あたしはまだ十五になっていなくて、ただ両親がいないことが悲しかった。そのくせ、夜になると、悲しいというより、不安のほうが強かった。サンチャゴの町は古い地主階級の住むおくれた都市だった。植民地風の木造の鎧戸《よろいど》のついた二階家が、濃いかげをおとす棕櫚《しゆろ》や椰子《やし》の並木のつづく道にそって並んでいた。どの家もヴェランダが廻廊のようにとりまいていて、午後に、人々はヴェランダに木の揺り椅子をもちだして、葉巻をくゆらしながら、通りをゆく若い娘の陽《ひ》やけした美しい腕やふくらんだ胸を無遠慮にながめていた。道は狭くまがりくねり、石だたみを敷きつめたカテドラルの広場に通じていた。あたしは伯父の家が窮屈に感じだすと、よく本を持って、町角の小公園に出かけた。小公園には椰子の並木と噴水と花盛りの花壇があった。そしてそこの木のベンチにも、肥《ふと》った、あから顔の、口髭《くちひげ》の濃い男たちが、葉巻をくゆらし、休んでいて、無遠慮にあたしの娘らしくなった身体をながめた。あの町には、路地にすてられ腐った果物のような、甘ったるい腐敗の匂《にお》いが、重く、気だるく、濃くただよっていた。男たちは誰も働こうとはしなかった。伯父もそういう男たちの一人だった。朝から酒の臭《にお》いがした。強いラムの臭いだった。伯父の仕事といえば、農園から報告にくる執事たちを叱《しか》りつけることだけだった。足を机の上にのせ、籐椅子《とういす》をぎしぎしいわせながら、伯父はよく執事に怒鳴りつけていた。「なんだと? エフィヘニオが逃げただと。よし、つかまえるんだ。いいか。警察に頼んでつかまえさせるのだ。署長のサンチェスには十分やるだけのことはやってあるからな。いいか、草の根をわけても捜しだすのだ。捜しだしたら、すぐ農園のまん中のユーカリの大木で縛り首にするんだ。いいか。農園じゅうの人間を集めて、その見ている前でやるんだぞ。見せしめにするのだ。農園を逃げだすような奴《やつ》は、かならずこうなるということを、いいか、全員に思い知らせるのだ。そうやって幾日もぶらさげておくのだ。警察は何も言いはせん。署長のサンチェスにはやるだけのことはやってあるのだ」あたしははじめて伯父のこうした言葉をきいたとき、それが単なるおどかしだろうぐらいに思っていた。しかしあとになって執事から哀れなエフィヘニオが縛り首になったときいて、自分で自分の耳を信じることができなかった。あたしはその後なん度となく伯父の農園にいったけれど、農夫たちは農園のはずれの藁小屋《ボイオ》に住んで、食べるものといってはマランガ芋かアラビア豆ぐらい、まるで鎖につながれた家畜かなにかのように生きていた。ある夏、あたしはそうした農夫の家から一人の小さな女の子が半裸のまま出てくるのに出あった。彼女たちは満足に着るものもなかったのだ。「姉ちゃん、姉ちゃん」その子はあたしに呼びかけた。あたしは足をとめ、女の子の髪をなでてやった。「姉ちゃんはどこの人?」女の子は言った。「あたしはむこうの家に住んでいるのよ」「うそよ。むこうの家になんか住んではいないわ」「なぜ? あたしはむこうの家に住んでいるのよ。うそじゃないわ」「だって、むこうの家には、おそろしいご主人が住んでいるんだって、母ちゃんが言ったわ」あたしは返事ができなかった。女の子の腹は異様にふくらみ、手足は細く、顔も肩も痩《や》せていた。女の子は腕にぼろ[#「ぼろ」に傍点]を巻いた木ぎれを抱いていた。「それ、なあに?」あたしはきいた。「これ? 赤ちゃんよ。あたしの大事な赤ちゃんよ」女の子はぼろ[#「ぼろ」に傍点]を巻いた木ぎれを自分の頬《ほお》にあてた。いかにもいとしくて仕方がない、という仕草だった。あたしはまじまじとその女の子の動作を見つめた。それは単なる木ぎれ——薪《まき》ざっぽうにすぎないのだ。いくらぼろ[#「ぼろ」に傍点]を巻きつけても、それが可愛《かわい》い人形にかわる道理もない。にもかかわらず女の子にとって、それがどんな精巧な人形より可愛い人形と映っていたことか。だがあたしがそのとき胸をつかれたのは、ただそのことだけではない。それは家畜小屋のような住居のなかで、誰に教えられるともなく、赤ん坊を抱いていなければいられないこの女の子に、いわば女の宿命のようなものを見たからだった。それはなにかあまりに痛ましく、あまりに悲惨だった。神はあたしたち女に、大《おおい》に汝《なんじ》の懐妊《はらみ》の劬労《くるしみ》を増すべし、汝は苦しみて子を産《うま》ん、と言われたけれど、まだ何一つ罪を犯していないこの女の子が、白い蛔虫《かいちゆう》が繁殖して、そのため不気味に腹がふくらみあがるのも知らず、木の人形に頬ずりをしていることは、やはり神の不公正だと思わずにはいられなかった。こんなことはあってはいけない。もしこんなことが許されるなら、あたしは神を認めることはできない。若いあたしはそう思った。翌日、あたしはその子に人形を町から買ってきて与えたのだった。「姉ちゃん。姉ちゃん。なんて可愛いんでしょう。なんて綺麗《きれい》な着物でしょう。ほんとに天使さまだって、こんな綺麗な着物はきてないわ」女の子はそう叫んだ。狂喜していた。彼女は笑い、泣き、抱きしめ、口づけで人形をおおった。「ママ、マミータ、見てよ。見てよ」彼女は農園で働いている母親のほうへかけていった。あたしはそれで幾分自分の気持がおさまるのを感じた。あたしはあの子に幾らか幸福をあたえることができたのだわ、と愚かにもそんなふうに考えていた。しかし翌朝になって、あたしは自分のしたことが、どんなことだったかを思いしらなければならなかった。あたしが家を出て朝の散歩をしようとしていると、農園の中央のユーカリの木の下に何人かの農夫が集まって、騒いでいる様子だった。あたしが近づくと、農夫たちはこわいものでも見るようにして、後じさりした。あたしはそのユーカリの木に、昨日、女の子にやった人形が、あたかも縛り首にされたように首を紐《ひも》で吊《つ》るされているのを見いだした。そのとき最初にあたしが感じたのは、恐怖だった。それから不気味な冷笑、挑戦といったもの、そして最後に、かすかな怒りだった。それは誰にむけての怒りというより、あたしとあの子の間をさいたことに対する言いしれぬ悲哀の念のまじった怒りの感情だった。あたしは執事に言いつけて、人形をとってもらい、自分の手で焼いたが、それは、あの女の子の赤ん坊が屍体《したい》になって、それを焼いているような陰鬱《いんうつ》な気持にあたしを誘った。戦闘のあと、おれたちはずいぶん勝手なほら[#「ほら」に傍点]を飛ばして、手柄話をしたものだった。マリアナ、きみはそれを信じたふりをして、なんども感心してみせたりしたね。ほんとうはおれたちの戦闘より、きみがサンチャゴやサンタ・クララに出かけて、革命組織と連絡するほうがどんなにか危険だったのに。きみは記憶がいいから、どんなこともみんな頭のなかにしまっておく。だから敵がどこを捜したって、機密書類一つ見つからない。きみが山脈の奥の叛乱軍司令部から幾日もかかって徒歩で山をこえ谷を渡って連絡におもむくのは、いまでは、おれたちのあいだの伝説になっている。時にはきみは唖《おし》の真似をするし、時には女教師になったり、時には無知な百姓女にだってなるのだ。そういうきみの大胆さ、沈着さにくらべたら、おれが戦闘前に感じる焦燥や不安など、どういって弁解したらいいんだろう。でも、おれは実際に敵と遭遇して、ほんとうに銃火を浴びるまでは、なおこうした下劣な感情が自分にとりつこうなどとは思ってもみなかったし、また実際、そんな臆病風《おくびようかぜ》に吹かれた連中などは心から軽蔑《けいべつ》していたのだ。おれが左翼学生のロドリゲスとメキシコへ渡ったころは、老成ぶった言い方をゆるしてもらえば、おれは革命を、もっと単純な、純粋に同志的な結合による活動と感じていた。もちろんそうした考え方はメキシコでの激しい訓練のあいだに、いつの間にか消えていたけれど。あのころおれたちは市内のアパルトマンに分宿して、学生となったり、労働者となったり、勤め人を粧《よそお》ったりして住んでいたんだ。人数は百人に近かったろうか。その人員構成は前の武装|蜂起《ほうき》に失敗した革命家、左翼学生、七・二六運動のメンバー、それに国際的な職業革命家たちからできあがっていた。おれはロドリゲスと同じ部屋に住んでいた。ほかに無口な農民と背の高い七・二六のメンバーの一人が一緒だった。朝になると、おれたちはてんでんばらばらにアパルトマンを出て、道を歩くときは、向うの歩道とこちらの歩道を歩くというふうに別々の行動をとり、バスで郊外の終点まで出て、そこで幾組かが合流し、トラックで訓練場にあてられた農園までいった。おれたちは一日じゅうそこで実戦さながらの演習をやり、射撃をやった。幾日かは山に入って、崖《がけ》をよじのぼったり、急坂をかけおりたり、へとへとになるまで行軍をやった。日によると経済問題や政治情勢について講義があり、質疑応答があったり、討論が行なわれることもあった。だが、マリアナ、あのころは全員が苦しい訓練に耐えていたものの、水を一滴ものまず、二十四時間も山のなかを強行軍するようなとき、みんなすっかり参ってしまって、なかには(たとえば左翼学生のロドリゲスなどはその一人だったが)なぜこんなばかげた訓練をやるのだ、これではいたずらに体力を消耗させるだけではないか、もっと効果的な訓練だけをやったらどうか、などと言いだす者もいたんだ。おれたちの大半は都会人だったから、それでなくても、こうした肉体訓練は苦手だったのだ。しかしこの革命グループもその後|辿《たど》った試練から考えあわせてみると、なおメキシコ時代には、どこか冒険的な、ロマンティックな感情を革命に対して抱《いだ》いていたような気がする。ねえ、マリアナ、こういってはなんだけれど、おれはすでにあのころそうした夢をすてていたんだよ。いや、すてざるをえなかったんだよ。それは一つには、たしかに激しい訓練から推して、実際の革命がどんなものか、大体見当がついたからだけれど、それ以上に、その百人あまりの革命グループのなかに、実にさまざまな人間がいて、一口に革命といい、祖国の解放というけれど、その色合いは人ごとに異なるということを発見したからなんだ。たとえば同室の無口な農民のギエルモは虐殺された父と兄の復讐《ふくしゆう》のために、圧政者と地主を血祭りにあげるのだ、と眼を血走らせて低くうめいていたし、左翼学生のロドリゲスはあくまで社会主義的な展望によって革命を組織しなければならないと考え、その手段としてはあくまで都市労働者のゼネストを期待していた。彼が革命グループの軍事訓練をうけているのは、そこに組織をつくるためで、武装蜂起自体は小児病的な挑発だと考えていた。また七・二六運動の挫折派だった背の高い蒼黒《あおぐろ》い顔のゴンサレスはロドリゲスの態度を日和見《ひよりみ》として厳《きび》しく非難し、ただ武装蜂起によるクー・デ・タだけが唯一の方法であり、徹底したテロルによって革命を前進せしめなければならぬと激しく主張した。そうなんだよ、マリアナ、同室の四人でさえ、こんなに別々の考え方をもっているのだ。それが百人も集まったところを考えてみてくれたまえ。いってみれば、各人各様に革命のイメージを抱いていて、その自分の目標にむかって、勝手に進んでいるようなものだった。ただその百人が武器をとって祖国に侵入し、そこで革命ののろしをあげ、圧政者に打撃をあたえようと考えている点で一致していた。おれたちの指導者はただその点だけを強調した。おれたちはその点だけで一致している革命家の集団にすぎなかったんだ。この事実は、単純なおれを驚かした。はじめはこうしたばらばらな集団であることに我慢できず、なんどとなくロドリゲスやゴンサレスと議論し、また髯《ひげ》の濃い、ながい顔をした指導者のところへもいった。彼は長身をもてあましたように椅子にすわり、いま必要なことは、強力な軍隊をつくることだ、といった。「われわれがいまどのような立場にいるかを、きみは理解しなければいけない」と彼は澄んだ柔和な眼をおれにむけてつづけた。「われわれは圧政者に対して叛乱をおこそうとしているのだ。ということは、われわれは祖国が一握りの圧政者の手で苦しんでいるという事実を知っているということなのだ。いいかね、圧政者を排除するのは人民の権利であり、義務なのだ。きみはフランスの人権宣言を思いだすべきじゃないかね。〈政府が人民の権利を侵害するときは、叛乱は、人民の権利の最も神聖なものであり、かつ義務の最も不可欠なものである〉人権宣言はそう言っている。むろんわれわれはあらゆる面で合法的に戦う。ロドリゲスの議論もわからぬではない。しかし外的な秩序が人間の魂を腐敗させるときには、暴力をもっても、それを打ち破らなければならないのだ。それをしないのは、正しくない。しかし単に復讐を求めたり、テロルを革命の手段と見なすことは誤っている」彼は訓練のあと全員を集めて何回かあらためてこうした主旨の訓示をおこなった。その訓示にはおれたちの心を妙にしめつけるものがあった。彼の話をきいていると、おれたちの気持は不思議と動かされた。「そうじゃないかね。そうだろう。そうなんだ」彼はたたみかけるようにして身をのりだす。澄んだ柔和な眼が濃い髯のなかからおれたちを見まわす。そしてその蒼白い顔は話につれて次第に紅潮してくるのだ。そうなんだよ、マリアナ、そうやって話すときの彼はなにか予言者のようだった。ロドリゲスもゴンサレスも無口なギエルモも彼のこうした話には、ひどく動かされるらしかった。彼の話の直後は、おれたちは兄弟になったような気がしたものだ。もっとも翌日になれば、またもとの木阿弥《もくあみ》で、ゴンサレスとロドリゲスは激しく口論していたのだけれど。でも、あたしが伯父をにくみはじめたのは、農園のそうした管理の横暴さや農夫のみじめさを知ったからばかりじゃなかったのよ。いいえ、それはまだほんの上皮だけに過ぎなかったわ。あたしは間もなく伯父たちのような人間の本当の姿を知らなければならなかったし、それを知ったときは、もう伯父をゆるすことはできなかったんだわ。その事件があったのは、あたしが十六になった夏のことだった。夏の暑い午後で、町じゅうが静まりかえり、人影もなかった。天井で扇風機がけだるくまわっている音が聞えるだけだった。あたしは鎧戸《よろいど》を閉め、ベッドに横たわり、本を読んでいた。伯父も伯母《おば》も女中たちも昼寝していて、家のなかには、乾いた、甘ったるい、むれたような匂いがこもっていた。家具にぬったニスの匂いが階段をのぼって、流れているらしかった。あたしは本を投げだすと、足音をしのばせて階下の浴場にゆき、シャワーの栓《せん》をひねった。一日に何回かシャワーを浴びるのがそのころ習慣になっていたんだわ。その午後、あたしが浴場を出ると、伯父が冷蔵庫から氷のかけらをコップに入れているところにぶつかったのよ。あたしは、おや、おこしてしまったのかしら、と言った。伯父はびっくりしたようにふりかえり、灰色の眼であたしを見た。あたしは一瞬その灰色の眼が見ひらかれ、すっと光が薄れたような気がした。でも次の瞬間、伯父は、いや、なにダイキリを飲もうと思ってな、喉《のど》がからからだよ、と言った。その声ははりついたように扁平《へんぺい》に聞えた。ほんとに暑いわ、とあたしは言った。あたしはちょっと気味がわるかった。で、すぐ階段をのぼっていった。伯父の眼があたしを追ってくるのがわかった。そのあと伯父がシャワーを浴びているらしい音を聞いた。しばらくして、部屋のどこかで、かすかな音がしたような気がした。あたしは反射的にふりかえった。ドアを後ろ手に閉めて、そこに伯父が立っていた。肥って、ラムの臭いをまきちらし、赤黒く顔をふくらませて。あたしははっとしてベッドのうえに飛びおきた。異様な気配だった。たしかに伯父は笑おうとしていた。頬がひくひく動いていたのだから。口を半ばあけて、口で息を吸って、暗いなかを進むような手つきで、二、三歩ベッドのほうに近づいた。近よらないで。おじさま。近よらないで。あたしは夢中で叫んだ。あたしは階下ですでに伯父の異様な気配に気づいてはいたが、まさか、と思っていた。父にも当る人じゃないか、とつぶやいて、自分の危惧《きぐ》を打ち消しさえしたのだ。その伯父があたしの前に立っている。ひどくだらしなく、醜く、わなわな震えて……。すべてが計画通りに進んだわけじゃないんだよ、マリアナ。革命ってそんな単純なものじゃない。どんなに厳密な計画をたてたって、ばかみたいに裏切られてしまうんだ。密告者もいるし、偶然というとんでもない奴もいるんだ。たとえばおれたちがメキシコを出発しようとして、市内のアパルトマンに分散させていた武器を鞄《かばん》やトランクに入れて、郊外の農園に運んでいるとき、突然、おれたちは警官に取りかこまれたんだ。誰だって密告者のせいだと思うだろう。おれもそう思った。ロドリゲスもそう思った。だが、そうじゃなかったのだ。その日の早朝、町で銀行ギャングがあり、通路という通路はふさがれて、検問がおこなわれていたのだ。そうなんだ、マリアナ、おれたちの武器が発見されたのは、ギャングがその同じ朝にあばれたせいだった。おかげでおれたちは数日警察でしぼりあげられなければならなかった。いや、もちろん密告者によって、何度か、集めた武器が警察の手で押収されたこともある。おれたちは武器を受けとりに指定された場所までゆくと、そこにはすでに警察車が四、五台とまっていて、警官が通りかかった人間を片端から捕え、訊問《じんもん》しているのだ。おれたちはその当時も、また山脈に入ってからでも、執拗《しつよう》にこの密告者につきまとわれた。革命組織のなかにどうしてこうした密告者が入ってくる余地があるのか、おれにはわからない。メキシコ時代に委員の手で摘発された密告者のパブロは、おれたちのあいだではもっとも優秀なメンバーと見なされていたし、ロドリゲスや無口なギエルモよりは、よほど革命に対して深い理解と認識をしめしていた。おれはパブロから革命の複雑さやその本質について、また革命的な哲学者や政治家について何度も話してもらったし、こういう言い方ができるとすれば、パブロは他のどんな革命家よりも、革命家だった。いわば革命家の本質だけでできあがったような人間だった。あとで考えれば、あまり綺麗に並んだ歯がどこか義歯めいて見えるように、彼のなかには、あまりに革命家らしい要素が整いすぎて、絵にかいた革命家のようなところがあった。しかしそれはあくまで、あとになってからの話であって、当時おれたちは誰もパブロの正体を見ぬくことはできなかった。彼は二度も警察の包囲をぬけだして、無事に隠《かく》れ家《が》に帰ってきたが、そんなときでもその大胆で沈着な行動が賞讃《しようさん》されることはあっても、彼一人だけ脱出できたことに対して、誰も疑惑の眼で見る者はなかった。パブロの正体が発覚した経緯《いきさつ》については、おれたちのあいだでいろいろ推測が行われたが、真相を知るのは委員たちだけだ。おそらく彼は委員が流した偽《にせ》の情報を敵に通報し、そんなことがもとでスパイ活動を探知されたのであろう。おれ個人について忘れられないのは、マリアナ、それはこのパブロが警察に密告する前の晩、おれの部屋におそくまでいて、おれを看病してくれたことだ。学生あがりのロドリゲスも無口なギエルモも過激なゴンサレスも、おれが熱を出してうなっているのに、まるで無関心だった。部屋には男たちの体臭にまじって、熱病特有のすえた、すっぱいような臭《にお》いが澱《よど》んでいた。指導者の命令にもかかわらず、部屋は掃除されず、汚《よご》れた下着はベッドの下に押しこまれ、穴のあいた靴下は部屋の隅《すみ》にぬぎすてられ、胸のむかつくような悪臭をはなっていた。その晩パブロが訪《たず》ねてくると、不潔な衣類を洗濯し、部屋の大掃除をしてくれた。「こんな不潔な穴ぐらにいれば、治《なお》る病気も治らなくなってしまう」パブロはおれの感謝の言葉にこたえて、そんなふうに言った。ギエルモはベッドにうつぶせになり、苦しそうな息をついて眠りこけていた。ロドリゲスは頭をぼりぼり掻《か》きながら、ふけ[#「ふけ」に傍点]を開いた頁《ページ》の上に落して、社会主義の本を読んでいた。ゴンサレスは壁に投げ矢をしながら、パブロに悪態をついていた。しかし彼はそんなことにはまるで無頓着《むとんじやく》に、おれのシーツをかえ、紐《ひも》を窓から窓に渡して、それに洗濯物を干していた。「また、明日くるからな。元気を出しな」彼はそういって部屋を出ていった。そうなんだ、パブロはその足でレポーターと連絡をとり、情報を密告していたのだ。そうなんだ、マリアナ、おれにはまだよくわからないのだが、パブロがおれに親切にし、部屋を清潔にしたのは、まったく演技であり、自分がスパイであることを隠すための芝居だったのだろうか。額に冷たい手をあて、「早く熱がさがって楽になるといいな」と言っておれを見たその眼は、まったく偽りのためのものだったのだろうか。それとも人間には、はっきり区別しがたく様々の情念や思考が重なっていて、彼が密告者だったにもかかわらず、何か個人的な親切というものを、おれに示してくれたのだろうか。おれはパブロが革命委員の手で処刑されたとき、屈辱に似た苦痛がのしかかってくるのを感じた。パブロの親切そのものまで踏みにじられた雪のように汚れて見えた。熱のために短く喘《あえ》ぎながら、考えがそれに戻ると、おれは何度となくうめき声をあげた。苦痛と嫌悪《けんお》が胸もとにこみあげてきて、思わず声を吐きださずにはいられなかったのだ。革命という一つの目的のもとに結合しながら、そのことをのぞくと、おれたちは互いに無関心であり、時に侮蔑《ぶべつ》と敵意と理由のない焦慮を相手に感じた。不安が刻々に各人の胸をしめつけるために、おれたちはたえずいらいらしていなければならなかったし、自分が急に他人に対して厳しくなったり、優越感をおぼえたりするのは、ごく普通のことだった。それに加えて、こんどはざらざらした不快な砂のような不信感を、仲間の一人一人に感じなければならなかった。だがパブロ事件の結果、おれたちが行動をおこす時期はまったく秘密にされ、すべてが指導者ひとりの意図にまかされることになった。ただ行動の時期が切迫していることだけが、おれたちにわかっていただけだ……。あたしは伯父の手からどうやって脱《のが》れたか、まるで覚えていない。ひっかいたり、噛《か》みついたり、置物を投げつけたりして、あたしはバルコンへ通じるドアから外へ逃《のが》れた。もう無我夢中だった。あたしはただ逃れたい一心で、バルコンの手すりをまたいだ。階下は芝生《しばふ》と植込みになっていて、砂利道《じやりみち》が玄関のほうへ通じていた。あたしの眼にはバルコンから庭までの距離がただ一飛びのように見えた。あの道をつたって外へ出れば助かる、とその瞬間、それだけがちらっと頭にひらめいたのを憶《おぼ》えているわ。飛びおりるのは、こわくもなんともなかった。ためらいさえしなかった。でもあたしの身体《からだ》は前のめりになって落ち、地面が急にぶつかってきたような衝撃を感じた。その激しい衝撃のなかで、上下の感覚が混乱し、息をしようとしてもどうしてもできず、口を何度か開いたのをかすかに憶えているほか、すべては消えてしまった。あたしが息をふきかえしたのは階下の居間のソファの上だった。伯母の顔が間近にあり、それに近所のナバロ医師の顔もあった。伯父はさすがにそこにはいなかった。伯父の顔をみたら、あたしは叫びだしただろう。右肩と右足が鋭く痛んだ。ナバロ医師は「動かないで、お嬢さん」と言った。伯母は訳がわからず泣いていた。あたしが自殺をしようとしたと思いこんでいるらしかった。あんなところから誰が自殺するつもりで飛びおりるだろうか。痛みのせいだったかもしれないけれど、さっきの恐怖感は消えていた。ただ、たまらなく醜く、けがらわしいものが、まだ身体にべたべた残っているような気がした。自分が前のような綺麗な身体ではないような気がしたのよ。伯母がしきりとあたしの汗をぬぐってくれた。女中たちが部屋を出たり入ったりしていた。しばらくすると伯母のお喋《しやべ》り仲間がぞろぞろ入ってきて、ひとしきり、あたしがどんなふうに庭に飛びおりたか、どんなふうに落ちたか、誰があたしの姿を見つけたのか、などについて話がかわされた。女たちは交互にあたしの顔をのぞきこみ、「可哀《かわい》そうなマリアナ」といって眉《まゆ》を哀《かな》しげにひそめてみせた。その一人は花であたしを埋めるのだと言うし、別の一人は好きなお菓子を焼いてきてあげようと言うのだった。そしてあたしはその間じゅう伯父の痕跡《こんせき》を身体から拭《ぬぐ》おうとして身をよじった。激痛がそのたびに身体を走り、あたしは痛みと口惜《くや》しさから声をたてずに泣いた。伯母がその涙を丹念に拭《ふ》いた。しかし拭くたびに、涙はあふれて頬をなま温《あたた》かく流れた。女たちは枕《まくら》もとで話しあっていた。彼女たちは「可哀そうなマリアナ」をくりかえし、それを口にするたびに、快感が口のなかにとろけこんでくるらしかった。あたしには彼女たちが快感でふるえているのがわかるような気がしたわ。あたしはそのとき本当に叫んでやりたかった。「あたしは伯父に身体をよごされそうになったのよ。あの肥っちょの老いぼれが力ずくであたしの身体をよごそうとしたのよ。あんたたちの言っているような、そんなことのためじゃないのよ。もっと、もっと下劣な、醜い、破廉恥なことで、泥まみれにされているのよ」あたしは思いきり叫んでやりたかった。女たちを仰天させてやりたかった。でも、あたしはただ泣いていたのよ。痛みのためか、口惜しさのためか、わからないままに。おれたちに出発の命令が伝えられたのは、マリアナ、あの恐ろしいハリケーンがまだ去らず、海が激しく荒れている最ちゅうだった。天気予報でも、とても船を出すのは無理だといっていた。しかしおれたちは出発を強行することに決定した。船は二十人乗りの小型機帆船だった。おれたちはアパルトマンに集めていた食糧や医療品、衣類を箱につめて河口から港まで小舟に分けて運んだ。武器だけは別の委員たちの手で農園から家畜運搬車で運ばれてきた。しかしおれたちは全員で八十名をこえていた。果して小型船でこの荒天のなかを乗りだすことができるだろうか。しかも発動機は二つのうち一つは動かなかった。といって、港でぐずぐずするわけにもゆかなかった。おれたちはつぎつぎにボートから船に乗り移った。狭い船室に重なるようにしてつめこまれた。歩きまわることができないだけではない。身動きする余地もなかった。誰かが甲板でどなっていた。船は上下にゆれ、おれたちはまるでハンモックで揺られているようだなどと冗談を言った。もっとも数十分後には、この動揺のために、とんでもない騒ぎが起ったのだけれど。甲板には食糧や道具箱が積まれ、シートがかけられた。武器だけは全部船室のなかに運ばれた。夜半、黒い雲が走り、その間から、鋭くとがった月が姿を見せ、港の波が銀色に光ってゆれるなかを、機帆船は出発した。いまにも沈みそうに重くゆっくりと波をわけ、港外へ出ていった。港外にでると、船は高く波に浮かんだかと思うと、ぐんぐん下がりはじめ、弾力性のある重苦しい圧迫感が頂点に達すると、こんどは、また逆につき上げられ、上へ上へとのぼってゆく。そして一瞬、不安な停止があって、また気の遠くなるような不快な糸をひきながら、ぐんぐん下がってゆく。重い弾力性の圧迫感。そしてふたたび上へのぼってゆく。最初に嘔吐《おうと》したのはゴンサレスだった。彼は身体を海老《えび》のように曲げ、船室の外へ出ようともがいたが、身動きができないばかりか、扉まで何人もの身体を踏んでゆかなければならなかった。「帽子のなかへ吐け」誰かが叫んだ。すると別の嘔吐がおこった。その男は立ちあがるだけは立ちあがった。が、すぐよろけ、隣の男のうえに転《ころ》がった。十数分するうちに、狭い船室はいたるところ吐瀉物《としやぶつ》で汚され、すっぱい悪臭がペンキと潮の臭《にお》いにまじった。何十人の人間がもがき、嘔吐し、叫び、匐《は》いまわり、狂おしく痙攣《けいれん》した。医療箱、医療箱、と叫ぶ声がした。「船酔いどめがあるはずだ」指導者の声だった。おれが甲板へかけのぼった。風がマストに鳴り、風圧の前に思わずよろめいた。暗いなかから波が船の甲板におどりかかり、滝のようにシートの上に崩《くず》れて流れおちた。作業は危険だった。他に何人かがおれを助けて医療箱を船室に運んだ。しかし医療箱のなかには船酔いどめは入っていなかった。「二十人分買ったはずだ」指導者がどなった。医療委員が叫んだ。「忘れたんだ。忘れたんだ。畜生、ドアの上の棚《たな》に忘れたんだ。出発があまり急だったので、畜生、忘れたんだ」おれたちは一瞬|呆然《ぼうぜん》とした。こんな革命グループがあるのか。船はいまにも解体しそうだった。武器はやっと五十人分あるだけで、残りの三十人分は敵の武装を解除してからでなくては、満足な装備もえられなかった。そのうえどちらへ進んでいるのか見当もつかぬ暴風のなかを、沈みそうなまで過剰人員をのせた船で出かけたのだ。そして揚句のはては「船酔いどめを忘れた」と叫ぶ始末なのだ。さすがに指導者の眼に怒りが浮んだ。「忘れたではすまんぞ。同志のこの苦しみをどうする」だが実際にはどうすることもできなかった。全員が船室で吐きつづけた。吐くものがなくなり、黄色い苦い汁を吐きつくすと、ただ涙とよだれと鼻じるを流しながら、喉をげえげえ鳴らし、苦しさから船底をかきむしった。顔も身体も両手も誰の吐瀉物ともわからぬもので、べとべとに汚れ、その汚物のなかを転げまわった。あたしは伯父の家にいる気はなかったし、いられるはずもなかったわ。自分では、そんなつもりはなかったけれど、あたしはすっかり臆病になり、びくびくし、感じやすくなって、すぐ泣きだすようになった。どんな暑い夜でも、ドアには鍵《かぎ》をかけ、鎧戸《よろいど》は全部閉めた。それでも、夜、不意に、伯父に襲われる夢にうなされて、とびおきることがあった。そんなとき、身体は汗にまみれ、心臓が不安に鳴っていた。あたしは伯父と食事をするのを拒んだし、家で出会うのも避けていた。伯母は、はじめのうちは、それでもあたしの我儘《わがまま》をゆるしていたわ。でもそのうち、あたしの我儘は度がすぎると言って、いろいろ小言を並べるようになった。あたしは伯母にそうやって問いつめられると、時には、一切をぶちまけてやりたいような衝動にかられたわ。ラウル、そうなのよ、あたしはびくびくし、女中の黒人のコンチタにまで気を使うようになったのよ。あたしはそっとドアを開けたし、階段をおりるときも、足音をしのばせた。台所などでコンチタと会うと、あたしは急にどぎまぎしてしまって、なにか悪いことを見られたような気になった。ガルシアの家に来て夕方おそくまでお喋りする郵便局長のロメロさんや隣りのブルック老人などに声をかけられても、あたしは真っ赤になって家のなかに逃げこんでしまった。そんなとき、みんなはあたしがいよいよ年頃の娘になったと手をうって笑いこけ、なにか卑猥《ひわい》な冗談をいって、ブルック老人などは息がつまって喉がひいひい鳴るまで笑いつづけていた。あたしはこうした自分の態度にも腹がたってならなかったけれど、それ以上に、いままで親しかったロメロさんやブルック老人がなぜこんな肥《ふと》った、醜い、いやらしい人物に変ってしまったのか、いぶかしく思った。あたしは伯父に見られるのと同じように、こうした男たちに見られるのがいやだった。彼らの眼がじろじろとあたしを見つめるとき、あたしは泥だらけの手で身体をなでまわされるような気がしたのだ。伯母は、しきりと、この子は病気だよ、ふさぎの虫にとりつかれたのだよ、などと隣近所にふれまわっていたが、いずれ間もなく癒《なお》るだろうくらいに簡単に考えていることは、そのお喋りの様子からはっきりうかがえた。あたしはときどき伯母や隣近所の女たちが事の真相を何一つ知らず、また知ろうとしないのに腹が立った。郵便局長のロメロさんだって、洗濯部屋でコンチタと抱き合っているところを、あたしは見て知っていた。女たちはただがみがみと自分の亭主をどなりつけるけれど、本当は、亭主がどんな男なのか、わかってもいやしない。伯母がそのいい例じゃないか。あたしはあんな女になりたくない。亭主を小突きまわし、どなりたて、酒浸りにさせ、ぶくぶくに醜く肥らせて、自分たちはユナイテッド・フルーツ・カンパニーのさぼてんジュースが美容にいいか、わるいかしか話すことがない。慈善事業に駆けまわり、神父さんを呼び、夜会に出かけ、噂話《うわさばなし》を耳うちしてまわり、朝になると女中を叱《しか》りつける。それがあの女たちの生活なのだ。自分の亭主があたしのような生娘を襲ったと知れば、天地が崩れでもしたかのように泣きわめき、すっかり取りみだしてしまうくせに、よその亭主の醜聞は彼女たちの趣味のわるい好奇心をかきたてる。それがあの女たちだ。そのうえ、なんて澱《よど》んだ、べたべたした、暑い、退屈した町なんだろう。ヴェランダでも横町でも公園のベンチでも人々は股《また》を開き、首を前に垂《た》らして眠りこけている。日盛りの町を歩いているのは、痩《や》せた黒い野犬だけだ。棕櫚《しゆろ》も椰子《やし》もユーカリも埃《ほこ》りっぽい暑熱のなかで葉一すじ動かそうとしない。ぐったりとして湿気と暑熱が町を包み、重い靄《もや》のように垂れこめている。この暑さのなかで、人々はみんなばかになってゆくのだ。白痴になり、神経も麻痺《まひ》し、眼の色が濁って、死んだ魚のように、どろりとしてくるのだ。なんていやな町だろう。なんて不潔な、野卑な、鈍重な町だろう——そう思うと、いままで好きだった青く湾入した港も、倉庫も、県庁の建物も、棕櫚の並木も、腐った果実の臭いのする裏町も、あたしにはみすぼらしい、けちな、不快な田舎町《いなかまち》の風景にしか見えなかった。事件から三カ月ほどたったある晩、あたしはひどくいらいらしていて、食卓に坐っても、伯母のお喋りを黙って聞いているだけだった。伯父がいつものようにくちゃくちゃと口を鳴らして厚い肉片をたべていた。あたしはそのどちらにももう我慢できないような気がした。身体が冷たくなったり、熱くなったりし、ぶるぶると震えた。スープを口に運ぼうとすると、それはテーブル・クロスのうえにこぼれてしまった。あわててナプキンをはずそうとすると、こんどは赤葡萄酒《あかぶどうしゆ》の入ったコップが倒れ、赤いしみが一面に拡《ひろ》がった。伯母は肩をすくめ、眼玉だけを天井に向けるような表情で、マリアナ、もうお止《や》め、コンチタにやってお貰《もら》い、と言った。さすがの伯母も、あたしを見はなしたらしかった。あたしは涙をぽたぽた落しながら、唇《くちびる》を噛《か》んで、テーブルの端にじっと坐っていたけれど、伯母が伯父にむかって、マリアナを首府の寄宿学校にでも入れたほうがいいのじゃないか、と言い、伯父があたしのほうを見ずに、そうだ、それがいいかもしれん、と相槌《あいづち》をうつのを見て、どこか心が晴れてくるような気がしていた。この家を出、町の腐った空気から離れるのだったら、あたしは湿原地帯の労働にだって出かけたい——そう思っていた。そうなのだ、あらしは過ぎていたが、波は相変らず高かった。マリアナ、きみはおれたちのこうした無謀な遠征をどう思うね? おれはやはり革命グループのなかには、ひどく投げやりな、でまかせの、ただ英雄的であればいいという、誤まった態度をとる連中がいたことを認めなければならぬと思う。おれたちは出発|間際《まぎわ》にも混乱し、あわてふためいて、幾つか重要な医療品や器具を忘れて乗りこんでしまったし、パイロットを買って出たのは、気だけがいい、剽軽《ひようきん》な、無責任な男で、この男のおかげで、おれたちはまるまる三日も損をし、都市労働者のゼネストの時期と合わせて故国に上陸するはずだった計画をまるで台なしにしてしまった。そのうえ政府のラジオに対して、「革命グループが海上で沈没し、全員死亡した」というニュースを放送する口実をあたえた。それは革命のさまざまな動きにかなり不利な情勢をつくりあげていた。おれたち自身も、雑音の多いスピーカーから聞えてくる政府発表をいまいましい気持で聞いた。無口なギエルモなどは船酔いの苦しさもあったが、両手で壁を激しく叩《たた》きながら、動物のようなうめき声をあげていた。ギエルモは政府の軍隊に鉛の弾《たま》をぶちこみ「やつらの睾丸《きんたま》を引きぬいてやる」時期が遅れるのを口ぎたなく罵《ののし》った。罵ってから、また激しく船室の壁を叩き、うめき声をあげた。夜が明けると、おれは甲板に出て、沖をながめた。激しい風は舷側《げんそく》をかすめ、帆柱に鳴っていた。波が舳先《へさき》に砕け、白く泡立《あわだ》って甲板を洗った。甲板に出ている委員たちは太綱で、ゴムの防水服の上から胴をしばりあげ、まるで懲役人のようによろめきながら、前へいったり、後へいったりしていた。指導者は船橋《ブリツジ》の先端に頑張《がんば》って、前方をじっと見ていた。上陸地点に近づけば、沿岸監視艇が遊弋《ゆうよく》している危険があった。彼のほかにも当直が何人か配置され、周囲の警戒にあたっていた。風のうなりに引きさかれて、彼らの声はほとんど聞えなかったが、それでも時おり何かどなっている指導者の声が聞えることがあった。海面はいたるところ白い波頭が砕け、水平線には黒い雲が乱れ、暗くとざされていた。船体はエンジンの響きが単調に伝わってくるものの、甲板から波のうねりを見ていると、ただ波浪に翻弄《ほんろう》されるだけで、いっこうに前進しているようには思えなかった。指導者も委員たちも時おり焦燥を顔にあらわして大声で何か言いあっていた。そうした焦燥をあおり立てる事件がその朝に起った。それは朝食が終ってから間もなくのことで、どこからともなく「船底に浸水がはじまったぞォ」という叫びが伝わってきたのだ。そうでなくても、八十人を船室や船底につめこんだのは過重であり、港を出るときから、この古い機帆船は舷側まで沈み、ゆっくり重そうな動きで出発していた。そのうえ、一夜をあらしのなかでもみぬかれたのであれば、船体が大波をまっこうからかぶるとき、船底の壁がみしみしきしむのは仕方がないことだった。おれでさえ甲板へ匐い出したとき、ふと、これで船が沈没しても、内部で鰯《いわし》のようにおぼれ死ぬことはあるまいと考えたりしたほどだ。そうなんだ、マリアナ、みんなが、ひょっとしたら船に穴があくんじゃないか、とびくびくものだったんだ。そこへ浸水という叫びだった。船底にいたものは、われ勝ちに昇降口《ハツチ》に殺到して、おそろしい混乱がはじまった。もちろん船に乗りくんだのは、思想傾向こそ各人各様であるとしても、いずれも生命を投げだそうとしている革命家のはずだ。それが浸水という叫び一つで、このような恥知らずな騒ぎを引きおこしたのだ。指導者は昇降口《ハツチ》の扉をあけ、そこから上半身をつっこんで、静粛にするよう、命令した。いかなることがあっても任務と部署を忘れるべきでないことを、彼はほとんど怒りにふるえるような調子で譴責《けんせき》した。「しかし浸水がはじまってるんだ」後のほうで誰かが逆に、指導者を非難するように叫んだ。彼は昇降口《ハツチ》をおり、船底にもぐりこんだ。事実、人々の立っている床は水浸しだった。そして水はさらに廊下から船室に流れこんで、吐瀉物や紙や藁屑《わらくず》を浮かべ、船の動揺につれ、小さな波を刻んで船体の一方から他方に流れていた。指導者のあとから委員たちがつづいた。彼らは手分けして船底のどこが浸水口であるか調べてまわった。人々はふたたび船室の棚《たな》に戻った。みなが昇降口《ハツチ》のあたりに群がると、通路がまるでふさがってしまうからだった。そのうち誰かが船首のほうで、素《す》っ頓狂《とんきよう》な声をあげた。「ばか野郎。便所の水が流しっ放しじゃねえか」……一瞬おれたちは声をのんだ。が、次の瞬間、罵声《ばせい》と爆笑と動物めいた叫びとが一度に船内をゆすぶった。指導者もさすがにおこることもできず、髯《ひげ》のなかで顔をしかめた。委員たちは、棚にねそべって腹をかかえて笑っている連中を片っぱしから殴《なぐ》りつけていた。彼らは殴られても、なお笑いつづけ、涙をぽろぽろ流していた。浸水騒ぎは無事終ったが、船は午後になっても、夜になっても、いっこうに陸地らしいものを見なかった。夜になると、風の音が帆綱に鳴り、波が一段と激しく船体にぶつかってくるような気がした。船室では半数以上の人々が蒼《あお》い顔をしたまま、時おりこみあげてくる嘔吐に耐えていた。彼らはもはや吐くほどのものは吐きつくしていたんだ。可哀そうなラウル。ずいぶん激しい息づかいをしているのね。苦しいのね。夜が明けたら、農夫のホセの家までいって、なんとか騾馬《らば》を一頭連れだしてこよう。それで、思いきって山をおりよう。このまま山脈のなかに置いていたら、ラウルの苦しみはつづくばかりだわ。危険は百も承知だわ。でも、ラウルをこれ以上苦しめるわけにゆかないわ。ラウル、夜明けまで我慢しなさいね。夜が明けたら、きっと連れてゆくわ。それまで、あたしのことをお話ししていたんだったわね。そうだった。あたしが伯父夫婦の家から出ることができたのは、その年の終りだったのよ。いまも忘れることはできないわ。はじめて首府の停車場についたときの、あのイルミネーションの洪水。どこをみても赤、黄、青、水色、みどりの輝きの渦、光の氾濫《はんらん》だった。あたしは首府までの汽車のなかで、伯母の決めた寄宿学校にはゆくまいという決心をしていた。一つには、故郷の町の信心家の女たちを思い出すそうした雰囲気《ふんいき》がいやだったためもあるけれど、もう一つには、なんとか自活して、はやく伯父夫婦から自由になりたいという気持があったからなのよ。たしかに首府が近づくにつれて、そのまま寄宿学校に行ってしまえば、すべてはずっと楽に進行するだろうという囁《ささや》きも聞えないではなかった。でも、いま決心しなければ、永遠に自由は得られまい、という声のほうが圧倒的にあたしの心を捉《とら》えてしまったのよ。あたしは駅につくと、トランクをひきずるようにして歩いた。夜に入っていたせいか、風が涼しく、どこかに海を感じさせた。プラットフォームをぞろぞろ歩いてゆく女たちもサンチャゴとは違って、いきで、蓮《はす》っ葉《ぱ》で、胴を細くくびらせていた。青く隈《くま》どった眼がきらきら光り、挑発的で、熟《う》れた果実のような胸をふくらませていた。駅前の賑《にぎや》かさ、水晶のきらきら崩れるような噴水、青く照明された棕櫚の植込み、深々と連なる巨大なプラタナスの並木、車で埋めつくされた大通り。大型のスチュードベーカー、マーキュリー、リンカーン。車のなかには夜会服の女たち、黒い正装の紳士、毛皮、宝石、葉巻の匂い。音楽と町角の踊り。笑い声。叫び声。雑踏。そのなかをトランクをさげて、あたしは急に自分が田舎娘であることを感じたわ。右にゆこうとして突きとばされ、横に曲ろうとして、肩を押される。誰かがどなる。呼んでいるような気がする。誰かが並んで歩きだす……急にこわくなる。小走りになる。巡査の笛が鳴る。人々がげらげら笑う。あたしはやっとのことで自分の弱気に耐えていたことを思いだすわ。あたしは裏町の安ホテルを見つけると、傾いた床や、雨もりのしみのある壁にもかかわらず、その小さな部屋が、自分の運命のすべてを賭《か》けて手に入れた、ささやかな自由な空間のような気がした。あたしはその夜は窓の外に明滅するネオンの光でおそくまで眠れなかった。いつまでもその夜の不安と幸福感を覚えておこうと思った。翌日は早朝からすぐ職を捜しに町へ出た。町は祭りでもあるように雑踏していた。電車には人が鈴なりに乗っていた。馬車が走り、その間を大型のアメリカ車がすりぬけてゆく。プラタナスの大木が濃く枝を拡げて、涼しい影をつくっている並木通りには、大理石の歩道がつづき、みやげ店が並んでいた。店には葉巻、鰐皮《わにがわ》の鞄、バンド、袋物、竹細工、籐細工、事務用品、日本製カメラがひしめいていた。路地に入ると、その狭い、すりへった石だたみの道へ、左右から、前へのめるようにして、汚《きた》ない建物が迫り、建物と建物のあいだに紐《ひも》が渡され、洗濯物が道路のうえに吊《つ》りさがっていた。そんな道路にも人が雑踏し、コーヒー店の前へしゃがんだり、立ったり、フライを立食いしたりしていた。どこにいっても喧《やかま》しい音楽が鳴りひびき、人々は無意識にそれに合わせて身体をふっていた。濃いコーヒーの香《かお》りにまじって、ねばりつくようなフライの匂いが澱んでいた。大衆食堂の前では労働者たちが小銭を賭けて、サイコロをふっていた。コーヒー店でも酒場でも食堂でも音楽ががんがん鳴っていた。雑踏のなかを憲兵が歩いていた。どの店でも五セント銅貨を投げこんで、簡易賭博器《スロツト・マシン》を動かしていた。男も女もこの簡易賭博に熱中していた。宝くじ売りが町角ごとに大声をはりあげていた。フライ売りのあとから裸足《はだし》の子供たちがぞろぞろ歩いていた。フライ売りが新聞紙の袋いっぱいの小魚の揚げものを盛りあげるとき、どうかするとその幾つかが道に落ちる。それを目がけて子供たちは犬のように殺到するのだった。女乞食《おんなこじき》がよろめき歩いていた。失業者たちが道端《みちばた》に腰をおろし、影のように、いつまでも動かずにいた。いたるところで、葉巻の匂いが濃く流れていた。商売女たちがあたしの姿を見ると、あからさまに敵意をしめし、猫っかぶりとか、お引きずりとか、もっと下品な悪口を言って、無遠慮に笑った。でも、あたしは腹はたたなかった。いくらか気恥しくはあったけれど。町を歩きまわってみても、求人広告などはどこにも貼《は》りだされていなかった。職業紹介所では係員が隣りの職員とサイコロを振っていた。職はないのでしょうか、というあたしの問いに、ただ肩をすくめてみせただけだった。あたしはそこを出ると、前よりも必死になって、町を歩きまわった。夕方まで歩いてみたが何も見つからなかった。おなかがすき目がまわりそうだった。どこでもいいから休みたかった。そしてよろめくようにして入った大衆食堂はひどくこみあっていて、奥のほうに一つ席が空いているだけだった。その前に若い男が新聞を大きくひろげて、顔をかくすようにして読んでいた。あたしはそこに腰をおろした。疲れはて、緊張のあまり、すこしぼうっとして、そこにぐったり腰をおろしていた。あたしは何か食べるものを頼むことさえも忘れていた。そしてぼんやりテーブルのうえを見つめていた。ふと気がつくと、ちょうど新聞の求人欄が眼の前に見えていた。あたしはそれに食いいるように眼を走らせた。おそらく身体を前に乗りだしていたのかもしれない。そのとき不意に男が新聞紙から眼をあげた。思わずあたしたちの眼が合ってしまった。あたしは急にどぎまぎし、口で何かつぶやいた。頬《ほお》が熱くなるのがわかった。あたしがそこから逃げださなかったのは、もうそれだけの気力がなかったからだった。「お嬢さん。よろしかったら、どうぞお読みください。ぼくはもう読んでしまったから」とその若い男は言った。髪のもじゃもじゃの、柔和な眼の、顔色のわるい、痩せた青年だった。「いいですよ。ゆっくり読んでください。ぼくはこれからマカロニを一つたべますから」「あたしもマカロニをたべますわ。今朝から何もたべていないんです」「それじゃ、マカロニにハンバーグ。これがいまの流行ですよ」彼が食事をたのんでいるあいだ、あたしは求人欄を食いいるように読んだ。しかし女子の募集などはどこにもなかった。あったとしても速記かタイプライターか、時にはフランス語ができることを条件としていた。あたしは同じ案内欄を何度も何度も読みかえした。どこかに読みおとしがあるとでもいうように。「就職ですか?」若い男が言った。あたしは眼をあげて相手を見た。青年の柔和な眼が暗くなった。「いまは職がないんです。職なんて、もともとこの国にはないんですよ。ぼくらみたいに学校を出ても、誰も雇っちゃくれない。足を棒にして、靴をすりへらして、やっと臨時の職をみつけても、会社は合併して、人員整理して、それでぼくらはくびなんですよ。いや、まったく、それっきりお払い箱で、こちらが抗議しようが、懇願しようが、不安を感じようが、そんなことは、まるで問題じゃないんですよ。都合がつかん、というわけです。働きたくても、仕事をやりたくても、相手はまるで取りあってくれません。どこへ行っても、正面扉はぴったり閉っているんですよ。よそへ行ってごらん——それが彼らの最上級の親切な言葉です。ぼくたちは働きたい。この両手で、自分の仕事をやりたい。どんなことでもいい、額に汗して、十二時間でも働きたい。それなのに、よそへ行ってごらん、ですからね。みんなあぶれているんです。みんな膝《ひざ》をかかえてしゃがみこんでるんです。そして港で思わぬ積み荷などあって、懐《ふところ》があたたまると、みんなはすぐサイコロ賭博《とばく》に駆けつける。息を切らせ、眼の色をかえてね。わずか一日分のアラビア豆を買うだけの金でしかないのに、みんなはそれを十倍にも二十倍にもしようと夢みるんです。あまり強い期待のために、口をだらりとあけ、息をのんでね……。そうなんですよ、誰も彼も賭博に一《いち》か八《ばち》か賭けるのです。そしてあっという間に、その金は巻きあげられる。他愛《たわい》なく一切を失ってしまうんですよ」「あなたも?」「ぼく? ええ、ぼくも、他の誰も彼も、です」あたしは急に不安がこみあげてきた。あたしたちはしばらく黙って、マカロニとハンバーグをたべた。いったい、あと何日こうして食事ができるだろう。あたしはふとそう思った。そこで青年に、伯父の一件をのぞいて、事情を話してみようという気になった。彼は話をききおわってから言った。「急には職は見つからないし、といって、ホテルなんかで高い金を払うわけにもゆかないし……どうです、ぼくの部屋に来て住みませんか。いや、驚かなくてもいいんですよ。なにも同棲《どうせい》するというんじゃありません。ぼくの部屋は屋根裏のがらんとした古いアトリエでね、家具も何もない。物置につかっていた部屋で、だだっ広いだけが取り柄なんです。あなたさえよければ、家主には、ぼくから交渉しますよ。あなたを妹ということにしてね。部屋は一つカーテンで区切って使いましょう。どうせお互いに職をさがして歩いているんですからね、気取ってみたって仕方ないですよ。よかったらどうか住んで下さって、構いませんよ」あたしが青年の言葉を信じたのは、その印象全体に、一種の諦《あきら》めたような悲哀の調子があって、それが妙にあたしの心をひきつけたからだった……。波は荒れ狂い、船はいっこうに上陸地点を見いだせなかった。出発してから、もう一週間たっていて、革命蜂起の予定日が迫っていたのに、暗くとざされた水平線には陸地らしいものは見えなかった。そうなんだ、マリアナ、それは革命にとって大きな損失だった、おれたちの船がおくれたことは。夜になると、燈台の光が見えはしまいかと、交代でマストにのぼった。マストの上は烈風が吹き荒れ、息もできないほどだった。ある晩、ロケ(昔、こいつは戦艦に乗りくんでいたことがあるんだ)がマストにのぼっているとき、誰かがロケの絶叫を聞いた。ロケの姿は見えなかった。風のなかで海は激しく動いていた。その暗い海にロケが吹きとばされたことは明らかだった。しかしロケの救出に反対する委員もいた。彼らはもはやロケを暗い激浪のなかから捜しだすことは不可能であろうと主張するのだった。その時間だけでも前進すれば、それだけ早く接岸できるはずではないか。ロケだって、この処置を理解してくれるだろう。これに対して指導者は長身を甲板に集った人々の上に突きだし、髯をふるわせながら叫んだ。「諸君、それは間違っている。革命はただ成功すれば、他の一切が許されるというようなものではない。革命の意味は、人間が人間を取り戻すことにある。もしここで革命を外的に成功させるために、内部で人間を無視するような態度をとり、それが革命の精神に影響を及ぼしているとすれば、そうした革命は、もはや当初の人間尊重の理想を失ったため、自己矛盾に陥って頽廃《たいはい》する。革命がつねに若々しく生命に満たされるためには、革命のプロセスが人間|恢復《かいふく》と人間尊重を内包しなければならないのだ。諸君、いまロケを見すてるとしたら、それは革命が同志をみすみす見すて、人間的な行為を拒んだことになる。こういう革命は成功しても、いきいきした人間の自主性を、いつか抑圧するようになる。よしんばロケの身体が屍体《したい》でみつかったとしても、彼を見つけようとしたという行為自体が、革命そのものを浄化することになるのだ」こうしておれたちは乏しいカンテラの光を、暗い、揺れ動く海面に差し出して、どこか波の下でもがいているロケを見いだそうと努めた。船は同じ場所を何度もまわった。人々は声をかぎりに叫んだ。一時間後に、何か黒いものが波のあいだで揺れているのが発見された。近づいてみると、それはロケだった。ロケはほとんど仮死体になって引きあげられた。だが、そのときおれは指導者のこうした態度にひどく打たれた。考えてみればおれたちのなかで、おそらく一番焦慮し、絶望し、激怒しているのは彼だったろう。革命グループとはいっても、彼の眼からみると、おれたちはまったく玉石混淆《ぎよくせきこんこう》だった。まるで確たる目的もなく移動する牛の大群とも見えたろう。彼はひとりでこの大群を一定の方向へむけて移動させなければならないのだ。そしてその大群は、右を押えると、左が出っぱり、左を押えると、右がふくれる——というような、たえず流動している集団なのだ。また事実、軍事訓練の最ちゅうにも、逃亡する人間が何人かいたし、訓練のあいだ、彼はおれたちの大半に革命の意味を教育しなければならなかった。苛酷《かこく》な、現実主義的な職業的革命家たちは彼の人間尊重を批判した。彼らにはそれがブルジョア式の生ぬるいヒューマニズムに感じられたのだ。しかしそれは彼の場合、もっと人間の生き方、生に対する態度と関係していた。革命を必要とする心情は、人間でありたいという欲求に他《ほか》ならなかった。したがって人間を抑圧する敵に対しては断乎《だんこ》として戦わねばならぬし、苛酷な力と力の闘争の法則にも通暁しなければならないが、しかしその他のあらゆる人間に対しては、絶対的な愛情と信頼を恢復しなければならないのだった。彼はメキシコの岩山を強行軍させるとき、また湖で水泳訓練を行なうとき、たえずこうした革命の意味を強調していた。しかしそれが多くの急進的な委員の前で、ロケの救出という形で示されたことに、おれは深い感銘をうけたのだ。彼にあっては、究極の勝利を得ることも革命の目的だが、こうやって革命を進めていること自体もまたその目的なのかもしれぬ。彼は、革命以上に立派な学校はない、とおれに言ったことがある。その真意は、革命のさなかで、人間は自分を豊かに発見することができるということに違いない。彼はのろのろした船足に苛《い》らだち、パイロットの無能さに腹をたてているが、同時に刻々の革命の重みを味わうこともできるのだ。いや、彼だけがそれを味わい、そのなかに深く沈潜することさえできるのだ。ロケの事件の直後、真っ暗な海上でおれたちは沿岸警備隊の舟艇のエンジンの音を聞いた。おれたちは機帆船のエンジンをとめ、全員が神経をとがらせて、荒波のうえにただよっていた。やがて警備艇の音が闇《やみ》の奥に消えると、おれたちはまたエンジンを動かして前進を開始した。いよいよ海岸が迫っているのだ。そしてそれだけ警備艇と会う危険も急速に大きくなっていたのだ。おれはしかしロケの事件から妙に焦燥感がなくなったのに気がついた。それはゆっくりと進む船と密着し、船より一歩も前へ出ずに進んでいるような気持だった。夜が白みはじめ、海面の霧が渦を巻いて薄れてゆくと、黒い波浪が相変らずその霧の下でうねっているのが見えた。おれは、妙に、それを忘れがたい風物のように眺《なが》めた。霧がはれると、故国の大地が波の向うに平らにながく横たわっていた。おれたちは全員で甲板に出て、久々に見える陸地にながめいった。この距離を渡りきるまで、警備艇に発見されなければ、おれたちの革命の第一段階はまず成功と見なければならぬ。たとえゼネストと同時に上陸しえなかったとしても、だ。ところがこの最後の距離がなかなか縮まらなかった。エンジンは全廻転でうなりつづけた。船は黒ずんだ波を一つ一つ打ちくだいては進んだ。さすがにそうなるとおれの心にも一種の焦燥感がうまれた。船足ののろさが歯がゆかった。力をこめて、船を押してやりたい気持だった。岸は見えていながら、なかなか近づく気配はなかった。船は喘《あえ》ぎ、波を一つ乗りこえ、また喘いだ。そのうち、おれたちは沖に一点の黒い船影をみとめた。警備艇であることは間違いなかった。警備艇はみるみる大きくなった。すでにおれたちは発見され、無電でおれたちの進んでいる地点が報告されていると見なさなければならなかった。もうぐずぐずしているわけにはゆかなかった。しかしその最後の距離が——その千メートルがどうしても縮まらなかった。エンジンは気が狂ったように廻転していた。そして波をつぎつぎに乗りこえた。それなのに岸にはまるで近づかず、警備艇の姿だけがはっきり視界に入るようになった。どこまで逃げきれるか、皆目、見当がつかなかった。海岸にはマングローヴが並び、波打際《なみうちぎわ》に砕ける波の白さがすでに見えるようになっていた。だが、いつ飛行機が現われるか予断をゆるさなかった。海上で捕捉されれればおれたちは壊滅的な打撃をうけなければならぬ。委員たちの緊急会議が開かれ、即時脱出が決定された。おれたちは武器と弾薬をもっただけで、つぎつぎに海中に飛びこみ、陸に向って泳ぎはじめた。食糧箱も医療品も通信機もその他メキシコで貯《たくわ》え、ひそかに運んできたもの一切を、船のなかに放置しなければならなかった。脱出は緊急を要した。そしてこの判断は正しかった。おれたちが海岸に泳ぎつくかつかないうちに敵の飛行機が襲来した。低空でマングローヴの林をすれすれに飛んで、機銃で掃射していった。鋭い砂煙がそのたびに一直線におれたちのほうを狙《ねら》って走りすぎ、おれたちはまるで蝗《いなご》のように地面にとびついて転がった。飛行機が頭上を通過すると、おれたちはそのあいだにマングローヴの林めがけて駆けた。そこは巨大な沼沢地帯になっていて、靴はぶすぶすとやわらかい湿地のなかにのめりこんだ。しかしそのマングローヴの林のおかげで、おれたちは無事飛行機の攻撃からのがれることができたのだ。だが、その林のなかの湿地帯は一足ごとにおれたちの靴に吸いついてくるのだった。おれたちはマングローヴの根元に腰をおろし、しばらく息をついた。しかしすでにおれたちの上陸地点が敵に確認された以上、できるだけ速かにそこから遠ざからなければならなかった。いかにマングローヴの林に隠されているとはいえ、ここは果《はて》しない沼沢地帯だった。ここで政府軍に遭遇すれば、おれたちの勝利はおぼつかなかった。装備といっては小銃と、湿った弾薬が残されているにすぎなかった。そのうえ八日にあまる航海によって、おれたちの肉体は疲労の極に達していた。おれたちは銃を杖《つえ》にして立ちあがった。湿った沼地は八十人の軍靴《ぐんか》に踏みにじられ、こねかえされ、足を踏みあやまると、すぐにつるりと滑《すべ》った。おれは仰向けに倒れて、背嚢《はいのう》から尻《しり》にかけて、べったり泥をつけた。前にのめる者もいれば、横転する者もいた。全員がマングローヴの林づたいに、沼沢地帯を、ころがりつつ、滑りつつ、匐《は》うようにして進んだ。それはまるで泥人形の軍隊だった。その軍隊は亡霊のようにのろのろと進んでいった。あたしたちの住居は裏町の細い路地の奥にあったのよ。あたしをそこに連れていってくれたレネは、学生あがりの、おとなしい青年だった。ただ自分の貧乏をひどく恥しがっていた。あたしに、何も気取ることなんかない、と言っておきながら、自分では、こっそり隠れて、靴下の穴なんかつくろっていたんですものね。それにあたしのことを妹だと家主さんに言っただけではなく、本当にそう思いこんでいるようなところがあった。あたしが一日職をさがして帰ってくると、ときどきレネが食事をつくっておいてくれることがあった。レネは港の荷揚げに夜出かけていたのよ。そんなことをすれば身体がもたないし、昼の仕事を見つけることもできないのはわかっているのに、レネはあたしの出費を節約させようとしていたのね。三週間ほどして、あたしは新聞広告で、やっとホテル・プラドのたばこ売り子の職を見つけた。レネは最初はすこし反対した。あの人は、それは品のいい仕事じゃない、というのよ。で、あたしはおこってやった。いまはそんなこと考えているときじゃないわ。なんとかして働かなければならないのよって。レネがいやがったのは、ホテル・プラドの売り子は黒い網目のタイツをはいて、客席のあいだを廻らなければならないからだった。もちろん強がりは言ったけれど、はじめの日、ホールに出てゆくには相当の勇気がいった。故郷の町の、肥った男たちの視線を思いだし、足がすくむような気がした。ホテルには正装の紳士や婦人たちが出たり入ったりしていた。室内プールや、庭園が青く照明され、廊下には美容室やガラス張りバーや画廊が並んでいた。夜会服を着た美しい女たちがロビーに客を待ってシトロン・ジュースをのんでいた。地下の大ホールは椰子《やし》の木や喬木性羊歯《きようぼくせいしだ》の茂みがテーブルとテーブルを仕切っていた。中央に大噴水があって、美しく照明され、溢《あふ》れ落ちる水が、銀の糸になって光っていた。あたしはこのホールのなかをテーブルからテーブルへと歩きまわった。噴水のそばに楽隊席があって、小編成の楽師たちが甘ったるい曲を演奏していた。ピアノを叩いている口髭《くちひげ》の若い男が、あたしを見て笑いかけ、ウィンクしてみせた。はじめの日は大して売れなかった。ほとんど夜明け近く、あたしはくたくたに疲れて部屋に帰った。レネは起きて、あたしを待っていた。「どうだったね」彼は不安そうな表情をしていた。「思ったほどは売れなかったけれど、すぐ要領を覚えるわ。エレナの話だとね、半分が歩合だから、人気さえあれば、もの凄《すご》い収入になるんですって。エレナはね、先月スチュードベーカーを買ったんですって」「その子は自分ひとりで買ったと言ったのかい」「ええ、なぜ? そんなこと、訊《き》いてもみなかったわ」「きみには悪いけれど、エレナって子がどんなに腕があっても、たばこの売り上げだけじゃスチュードベーカーは買えないと思うね」「でも、あの人、買ったっていったわ」「そうさ、買っただろうさ。だが、その金の出所が問題なのさ」「まさか、あなたは……」「いや、そうなんだ。ぼくは言いたいんだ、いいかい、マリアナ、この都で娘がスチュードベーカーを買うにはだ、決して自分ひとりの力じゃ駄目なんだ。彼女が広い豪華なアパルトマンに住んでいるとしよう。それを支《ささ》えているのは彼女の細腕が稼《かせ》ぐ正当な報酬じゃないんだ。彼女がパリ製の浴用香水を風呂に流しこむとする。そいつが買えるのは、彼女が踵《かかと》をすりへらして駆けずりまわった結果じゃないんだ。そうなのさ。この都にはスチュードベーカーがある。毛皮がある。宝石がある。高級豪華アパルトマンがある。海岸のしゃれたヴィラがある。ヨットがある。すばらしいドレスがある。そして他方には、アラビア豆をたべている痩《や》せた、腹をすかした、若い娘がいるんだ。ねえマリアナ、こんなとき若い娘がどんなになるか想像つかないかい。ニューヨークの旅行社でもいい、パリの街頭広告でもいい、この都市のことを何んて書いているか知っているかい? 太陽と踊りの町、酒と賭博と女の町。それはつまりこういうことだよ、汝《なんじ》、地上の快楽を欲すれば、あの都会へ行きたまえ、とね。この都会は全体が巨大な淫売屋《いんばいや》なんだよ。公然と麻薬が売られ、賭博場が開かれ、堕胎が日常のこととして行なわれ、エロ映画が堂々と上演され、ゲイボーイがもてはやされている。問題はそれをこの国の政治家が黙認している——いや、奨励さえしているということだよ。ホテル・プラドは(ぼくにそう言う資格はないけれど)この一大淫売業の中心なんだ。マリアナ、ぼくの言うことがわかるかい。エレナにスチュードベーカーを買うなと言うのは間違っている。だが問題は、腹をすかせた人間の前に、いい匂《にお》いのするたべものをちらつかせて、その人間の品位を堕落させるというその仕組みにあるんだ。誰もが堕落するように仕組まれているんだよ。だが、誰かがその仕組みをこわさなければいけない。それだけは確かなんだ。マリアナ、それだけは確かなんだよ」あたしの頭はがんがんしていた。レネの言うことがわからなかったからではない。むしろ、わかりすぎていたからだった。あたしはその第一日目にホテル・プラドで見た光景を反芻《はんすう》した。個室で、二の腕に注射していた黒人の踊り子、ロビーを熱帯魚のように遊弋《ゆうよく》していた高等|娼婦《しようふ》たち、黒の正装でルーレット室に乗りこんでゆく紳士たち、口紅をぬっていた直通エレベーターのボーイたち、コールガールの電話番号表をめくっていた支配人……それがレネのいう一大淫売業の一部であることは、田舎出のあたしにも、わかりすぎるくらいわかっていた。でも、たばこ売り子のポストだって、やっと手に入れた仕事には違いない。レネだって、そう毎日は深夜の荷揚げ作業には出られまい。みんながなんとか食わなければならないのだ。ともかく、いまはそんな贅沢《ぜいたく》は言っていられない。その夜、あたしたちはそんなことがもとで、すこし言いあいをした。最後に、あたしが泣きだし、レネがあたしにあやまって、それからあたしもレネにあやまって、そしてはじめてあたしたちは抱擁した。レネの仕事はその後も不定期にしかなかったけれど、あたしたちはどうにか暮せる目処《めど》もついたので、それまでになく幸福な生活がつかめたように思った。あたしは朝おそくまでレネの腕に抱かれて、窓の下から聞えてくる町の音に耳をかたむけるのが好きだった。正午近くなると、フライ売りが窓の下を流してあるく。野菜売り、果物売りの声が、狭い通りに雑踏する群衆のざわめきにまじって聞えてくる。「|母ちゃん《ママ》、|お母ちゃん《マミータ》、オレンジ売りだよ」どこかで女の子の声がする。廊下を走ってゆく音、誰かの笑う声、ドアのしまる音。「マンゴー、ええ、マンゴー、|一キロ五個《ア・チンコ・エル・キロ》」レネ、レネ、おきなさいよ、今日のお昼は蟹《かに》と小えび、それにココのジュースを飲みましょうよ。なんてよく眠っているの、レネ。開けはなした窓から風が入り、ブラインドをゆらせ、そのたびに部屋のなかが明るんだり、暗くなったりする。アイスクリーム売りの子供の声が聞える。「タマリンド、ええ、グヤバ、ええ、マメイ」そうね。ゆうべあたしたちはマメイをたべたんだわ。物憂い、甘い、べたべたした果実の匂いがまだ身体に脂《あぶら》っこくまつわりついているみたい。二人で、あんなにたべるなんて。あたしはひとりで笑った。笑ってから、レネのねむった瞼《まぶた》のうえに口づけした。あたしの留守のあいだ寂しいといって、レネが二匹のモルモットを買ってきたのは、それから間もなくだった。休みには箱から出して、部屋のなかを走らせた。「芸も何もできないなんて、ばかみたい」あたしが言った。「いや、子供のとき、計算するモルモットを見世物で見たことがあるんだ。モルモット使いがいて、数字を言うとね、そのカードをひっぱってくるのだ」「うちのは駄目よ。ただ走りまわるだけだから」それでもレネは糞《ふん》の始末をしたり、アラビア豆を砕いてやったり、ボール箱でモルモット宮殿をつくったりした。それは下から入ると、二階の窓から首を出せるようになった宮殿で、あたしたちは二匹のモルモットをそこへ追いこんでは、二階から顔をださせた。それはいかにも迷惑そうな顔に見え、彼らが首を動かすたびに、レネもあたしも腹をかかえて笑った。しかし、マリアナ、おれたちはそのときすでに政府軍に執拗に追跡されているとは思っていなかった。沼沢地帯をぬけ、叢林や密林におおわれた山岳地帯に入れば、政府軍はおれたちを追跡することは不可能だと考えたからだ。たしかに日によると、偵察機がおれたちの頭上をかすめてゆくことはあったが、そんなとき、おれたちはマングローヴの林のなかに隠れて、彼らの眼をのがれた。おれは泥濘《でいねい》のなかを一歩一歩踏みしめて前進する長身の指導者のほうを見た。彼は重い弾薬箱をかつぎ、小銃を手にして、ゆっくりと、確実な足どりで歩いていた。彼が足をとめるのは、全員に休息を命じたり、落伍者《らくごしや》を激励するために声をかけたりするときだけだった。おれたちはこの沼地のなかの行軍のあいだ、さらに多くの装備を棄《す》てなければならなかった。医療品も、各人の背負っていた背嚢も、なにもかも投げすて、辛うじて武器をもち、身一つで匐うようにして進んだ。口をきく者なぞいなかった。誰もが黙々として、ねばりつく沼地と戦った。倒れる者がいても、誰も助けにはゆかなかった。また倒れた者も、泥人形になりながら、それを拭《ぬぐ》うでもなく、ただのろのろと立ちあがり、感覚をうしなった人のように、また、ゆっくりと歩きだすのだった。こうして昼はマングローヴの林のなかで眠り、夜になると出発するという行軍を三日ほどつづけた揚句、ようやく沼沢地帯を脱することができた。かたい地面を踏みしめたとき、あの過激派のゴンサレスまで地面に接吻《せつぷん》した。おれたちの辿《たど》りついたのは広大な砂糖農園の一|廓《かく》で、丈《たけ》の高い砂糖黍畑《さとうきびばたけ》がうまい具合におれたちの行動をかくしてくれた。途中で出会った農民は、多少おれたちの姿におびえていたものの、いずれも飲料水や食糧に関しては、おれたちに好意を示しさえした。それでおれたちも農民たちを信頼していた。むろん彼らのなかにはその後ずっと革命グループを支持する人々も少くない。だが、政府軍が来て、彼らにおれたちの行動を訊問する場合、彼らが一切を喋ってしまうことは、あらかじめ自明の前提と考えておくべきだった。彼らにしても、死をもっておどかされると、好意は抱《いだ》いていても、心ならずも、おれたちの情報を喋らざるをえないだろう。しかしおれたちが砂糖農園に入ったとき、すでに政府軍により包囲され、その輪が刻々に縮められていたのは、彼ら農民とは関係がない。それには、あとで反省したように、おれたちの側にも大きな油断と落度があった。その第一は、おれたちが渇《かわ》きと餓《う》えのため、砂糖黍にとびついたということである。おれもまた、しゃぶり放題にしゃぶり、しゃぶり滓《かす》を、火災防止の間道のうえに投げすてた。おれたちは夜のあいだ行軍したので、滓は地面に棄てられ、靴で踏みつけられたけれど、朝になって、農民がそれを見れば、何十人の男が畑を荒らしながら行進していったことは一目でわかってしまう。いや、そうして吐き散らした滓は、飛行機が低空から偵察すれば、容易に発見することのできるものなのだ。それをなぜおれたちはもっと慎重に考慮しなかったのか。第二の油断は、おれたちが泥濘地帯でいたずらに時間と装備をうしなっているあいだに、政府軍がすでにおれたちを捕捉しえたかもしれぬと考えなかったことだ。だが実際おれたちの体力も気力もほとんど限界にきていたことは事実だった。ほかのことを考える力もなかった。ただ前のグループに遅れまいとして、暗い間道をよろめきながら歩いてゆくだけで精いっぱいだった。一度休息命令が出ると、誰も彼も地面に大の字になって、倒れ大きく息をつき、すぐに鼾《いびき》をかきだすのだった。砂糖黍も口がひりひりするまでしゃぶりつづけると、その泥の臭いのまじった、なまぐさい、濃い甘味が、胸をむかつかせた。こうしてその夜の行軍はなかなか捗《はかど》らなかった。おれたちは何度となく委員に銃尾でこづかれ、励まされて、ようやく朦朧《もうろう》としたまま歩きだした。あたりが薄明るくなり、おれたちが辿っている火災防止道や畑の輪廓がようやく見わけられるようになると、もうその日の行程は、それ以上延ばすことは不可能に思えた。ちょうど砂糖黍畑のはずれまで達していたので、叢林におおわれた丘つづきの雑木林におれたちは入りこんだ。おれは木の根方に葉を集めて、その根を枕にして仰向けになった。空が明けてゆき、梢《こずえ》のあいだから青空が見え、青空の遠くを、夜明けの雲がばら色に染って動いていた。深い眠りがすぐに訪れた。おれが目ざめたのは飛行機の爆音がたえず耳についていて離れなかったからである。しかし目をさましてみると、それは夢ではなく、差しかわす梢の繁《しげ》みの上を、低空に、何台かの偵察機が旋回していた。むろんおれたちは雑木林のなかに寝ていたので発見されるはずはないと思っていたし、また、畑にいって、何本かの砂糖黍を切りとっていた連中も、飛行機が自分たちを発見していようとは、夢にも思っていなかったのである。ただ飛行機の旋回がいつもより執拗《しつよう》につづくので、多少の危惧《きぐ》は感じていた。ちょうど正午に近く、強い日ざしの下で、砂糖黍を切りとっている無口なギエルモの顔が、おれのところから真正面に見えていた。火災防止道のうえに濃い砂糖黍のかげが落ちていたが、その色は明るい紫といってもよかった。おれは配給されたばかりのビスケットの袋をやぶり、半分を、そばにいたロドリゲスに投げた。彼はそれをのろのろと齧《かじ》り、ゼネストの挫折《ざせつ》のあと、状況がどうなっているか知りたいと言っていた。「なにもかも駄目になる。この革命軍だってそうだ。やること、なすこと、失敗ばかりだ」そう言って、地面に唾《つば》を吐いた。そのとき、どこか畑のむこう側で、銃声が一発、短くとどろいた。おれもロドリゲスも反射的に小銃に手をのばして、頭をおこした。次の瞬間、突然、おれたちの周囲から、一度にどっと銃声がとどろき、赤い炎が乾《かわ》いた砂糖黍畑のあちこちで明滅した。叢林のうえから急降下してきた飛行機は、畑のなかに機銃掃射を加えた。ロドリゲスもゴンサレスも小銃を腰にあてて、撃ちながら畑のほうへ突進した。雑木林から畑の繁みのなかに、人々はとびこむようにして転《ころ》がりこんだ。砂糖黍の密生した葉が、おれたちの身体を隠す絶好の場所のように見えたが、すでに包囲され、現在位置を敵に確認されている以上、畑のなかは、かえって反撃にも後退にも不利な場所になった。一応戦闘体形にわかれて休んでいたものの、不意をつかれて攻撃されたおれたちは、ただ盲滅法に銃を発射し、どの分隊がどこに向けて前進し、また後退すべきか、まるで、見当がつかなかった。何人かが負傷し、何人かがすでに即死していた。火災防止道の一端に敵の機関銃がのぞき、畑から防止道をこえて次の畑に駆けこむ人間を狙って、一定の間隔で、火を噴《ふ》いていた。ゴンサレスが雑木林から畑にむかって駆けこむとき、この機関銃が彼を追った。おれはロドリゲスのあとから雑木林をとびだそうとして、木の根に足をとられ、前にのめって、丘の斜面をころがった。そのとき小銃をどこかに投げだしてしまった。おれは地面に伏せ、じりじり後にもどった。敵の銃火は間断なく撃ちこまれた。指導者の命令はまったく聞えなかった。委員たちまで別々の判断で戦った。そのため幾つかの小隊が畑のなかに包囲され、孤立し、殲滅《せんめつ》させられた。畑には間もなく火がかけられ、何人かの仲間が煙のなかを隣りの畑にむかって駆けていった。それを銃火が追い、捕捉し、仲間は身体をねじるようにしてその場に倒れた。胸を撃ちぬかれたゴンサレスがよろめきながら畑から出てきた。彼は状況がすでに判断できなかったのか、集中砲火のなかを、立ったまま、放心したような顔で雑木林のほうに歩きだし、五歩ほど歩いてから倒れた。ギエルモは畑の端《はず》れに折敷の姿勢で銃を構え、「睾丸をぬいてやる」と叫びながら、撃ちまくっていたが、彼も間もなく右肩を撃ちぬかれ、畑の溝《みぞ》のなかに仰向けに倒れた。誰かが「降服しろ、降服しなけりゃならん」と叫んだ。すると溝のなかのギエルモが「ばかやろう。一人残らず睾丸をぬくんだ。降服なんかするもんか」とどなりかえした。二つの小グループが戦火を突破して雑木林にとりついた。おれは指導者の率いるグループと一緒に叢林のなかを銃火に追われて、匐《は》いのぼっていった。叢林の木の肌《はだ》を、銃弾がうなって、白く鋭くえぐりとった。銃弾はびしびしと音をたてて、かたい幹のあいだを狂ったように走りぬけた。おれたちは指導者をかこんで、一群の獣のように、ただこの包囲をのがれるために、必死で斜面をのぼった。斜面がつきると叢林は低く谷へむかって傾斜している。おれたちはそこを転がるように走った。周囲の樹木にびしびし鳴っていた銃弾がいくらか間遠になった感じだった。しかし背後には黒煙が渦巻き、なお銃声が間断なくつづいていた。一定の間隔で、かわいた音をたて機関銃がかたかたと鳴っていた。味方は全滅したのだろうか。おれたちだけが助かったのだろうか。なぜみんな畑のほうへ駆けていったのだろうか。丘のほうへ早く退避すれば、完全に包囲される前に脱出路が確保できたのではないだろうか。委員たちが指導者と連絡をとっていなかったのが、あの瞬間の壊滅を決定的にしたのだ。みんなは個々ばらばらに包囲されたのも同じだった。しかし誰も口をきくものはなかった。指導者の顔にも敵襲をまともにうけ、全滅に近い打撃をうけた人の、苦痛と無念さが鋭く刻みこまれていた。なにか八十人の革命グループのうえに、容赦ない、鉄のような一撃が加えられたようだった。不意に、横面《よこつら》を叩《たた》きのめされたような感じだった。おれの眼には、乾いた火災防止道のうえに点々と落ちていたゴンサレスの血の痕《あと》が見えるような気がした。過激な彼の重い肉体がおれの肩のうえに乗っているような気がした。重く動かしえない異様なものが、おれの身体を、羽交締《はがいじ》めにしているように思えたのだ。その重いものが何だったのか、あの叢林のあいだを匐いのぼり、匐いおりしているあいだは、まるでわからなかった。ただそれが革命でもいい、生活でもいい、労働でもいい、なにかそういった実際に生きている際に、おれたちが真に感じなければならない何かであることだけは、おぼろげにわかるような気がした。だが、おれたちは革命のさなか、会社勤めのさなか、家庭生活のさなか、軍隊生活のさなかで、そうした重いものを感じることはほとんどないのだ。ちょうど人間の身体のうえに厖大《ぼうだい》な量の大気の圧力が加わっていながら、おれたちにそれが感知されないように。だが、いま、おれにはわかる——つまりこの重さに彼は耐えているのだ、彼、おれたちの指導者は。長身をかがめるようにして、銃を担《にな》い、黙々として前進している彼は、おれたちが、まだ運動選手の合宿訓練さながらに分宿していたメキシコ時代から、この重さをはっきり理解していたのだ。それは実に、いまという時間の刻々の重さなのだ。他の現実と入れかえることのできぬ、このいま[#「いま」に傍点]の、ほとんど永遠ともいいたいような現存の重さが、それなのだ……。夜がおれたちを包みはじめた。いまは、この夜の闇《やみ》だけが、おれたちをまもってくれる重いヴェールだった。闇が重さをもつなんて。マリアナ、笑ってはいけないよ。そうなんだ、夜の闇がまるで手でさわれるヴェールのように、叢林をつつみ、おれたちを深々とくるんでくれた。おれたちはもうこれ以上一歩も歩けなくなったとき、とある窪《くぼ》みの木の根もとに集った。一行は全員で八名だった。そうだった、わずか一瞬の襲撃でおれたちは十分の一に減っていた。八人——いったい、これで革命ができるのだろうか。機帆船であの河口を出るときは、それでも八十人の革命グループが現存したのだ。八十人——それはたとえいかに未熟な経験者の集りだろうと、たしかに何か手ごたえのある人員であった。だが、いま、藪蚊《やぶか》の来襲になやまされ、闇のなかで、動物のように重なって眠っているのは、ただの八人だった。しかしおれは叢林のあいだを洩《も》れてくる月の光を眺めながら、この八人の重さを感じないわけにゆかなかった。むろん失われた八十人の重さは痛いほど全身に感じられた。しかしゴンサレスやロドリゲスと議論をしていたとき、おれはこうした重さを彼らに感じることはなかった。重さを感じるところまで降りてゆくことをしなかった。おれたちは朝起き、水泳に出かけ、軍事訓練をし、農園の木かげで革命理論の講習をうけ、また町のアパルトマンに帰ってくる。毎日の日課が単調に、機械的に繰りかえされ、おれたちはその中を、まるで、パイプの中を流れる水のように、ただ流れていた。ただ日々を暮していた。だが、その瞬間瞬間にもいまと同じような重さがおれたちのうえにのしかかっていたはずだ。にもかかわらず、おれたちのうちの誰も、それに気がつかなかった。革命の重さを、というより——生の重さを誰も気がつかなかったのだ。ラウル。ひどく苦しそうね。もうすぐ夜が明けるわ。そうしたら山をおりましょう。それまで持ちこたえるのよ。あの人みたいに、あのレネみたいに弱くてはいけないことよ。髪のくしゃくしゃのレネ。やさしい眼をしていたレネ。あたしはいまでも毎朝あの人の腕にだかれて目をさましたころのことを思いだす。あの人はホテル・プラドをきらっていた。あたしが一日でも早くあんな仕事をやめればいいと思っていた。レネは本当に結婚したがっていた。働きたがっていた。外でなにがあったのか、あの人はひとことも洩さなかったけれど、愉快なことばかりじゃなかったくらいは、あたしにもよくわかっていた。あの人は二匹のモルモットを部屋に放して遊んでいた。腹這《はらば》いになって、自分の背中や脚《あし》にその二匹をのせたりして。あたしにはわかっていた——あの人は外でつらいことがあったとき、きまって夢中になってモルモットと遊んでいたことを。レネは寝台の下にもぐりこんだ二匹を追いかけて、自分も寝台の下にもぐり、四つん這いになって、彼らが逃げまわるあとを追った。そのころレネが具合よく運輸会社の発送係に採用されそうになったことがあり、あたしたち前祝いに海岸のレストランで食事をしたのだった。あたしはもちろんだったけれど、レネもいままでになく、運輸会社には期待をもっていたらしく、ひどく浮きうきしたり、日によっては、不安そうな様子で採用通知を待っていたりした。しかし二、三度試験的に働きに出かけたほか、いっこうに採用が本決まりにならなかった。レネがいらいらしているのを見るのは、つらかったし、たまらなかった。誰の眼にも、何かの事情で、それもレネのことではない別の事情で、採用取消しになったことは明らかだったけれど、彼はそれを認めたがらなかった。「冗談じゃない。主任さんがうけあってくれたんだ」あたしが少しでもそれに触れると、レネはそう言って、ひどく不機嫌《ふきげん》になった。他のことなら、あんなにもののよくわかる彼が、こうも依怙地《いこじ》に、それに触れまいとするのが、痛々しい感じだった。しかしさすがにレネもこれ以上待つことができなかったのだろう。ある日、運輸会社に出かけ、いままでの希望がまったく無駄だったことを知らされた。その夜、あたしが帰ると、レネはベッドでめずらしく酔っていた。「で、どうだった?」あたしは訊《き》かないでいい質問を彼にした。レネはベッドの上に身体をおこし、視点の定まらぬような眼であたしを見た。「おれみたいな虫けらには、働く口はないんだとさ」彼はひどく酔っていた。「みろよ。このおれを。おれみたいな虫けらを、マリアナ、どうして、そんな大事がるのだい。もうよそうじゃないか、こんな夫婦ごっこは。たまらんじゃないか。お互いに信じてもいない出まかせを言って、気休めを言って、一日のばしに、ばけの皮のはがれるのを待つなんてことは。な、マリアナ、本当のことをぶちまけろよ。お前だって、そんなこと、信じちゃいまい? おれが仕事につけるなんてことは。そうさ、おれだって信じちゃいないんだ。おれは失業者だ。そしてお前はホテル・プラドのたばこ娘ってわけさ。どう上品に構えたって、そんなとこが、おれたちの相場さ。もう、おれはいやになった。朝から晩まで、びくびくして、仕事を待って、いつかおれだって勤め人になれるんだ、なんて考えることが。もう沢山なんだ。おれは失業者でいいじゃないか。匐いつくばって、仕事を恵んでもらうのは、もううんざりしたんだ。もうおれに近づかないでくれ。おれはひとりでいたいんだ。ひとりで、失業者で、膝《ひざ》をかかえて坐っていたいんだ。もう、よしてくれ。そんな眼で見るのはよしてくれ。おれが何をしたんだ。何をしようと、おれの勝手じゃないか。おれはモルモットも殺してやった。この手で喉《のど》をしめて殺してやった。は、は、殺してやったのだ。あの二匹とも、だ。なんだ、あいつらだって、おれの喉をしめたじゃないか。おれを殺したんだ。あいつらだって、このおれを殺したんだ。おれだって、おれだって、モルモットぐらいは……モルモットぐらいは、殺せるんだ」レネは泣いていた。ばかなレネ。なぜそんなことをしたの? なぜそんなことをしなければならなかったの? いつもあたしたちが出かけるとき、レネは家主のおかみさんにモルモットの世話を頼んでいた。おかみさんが「くさいね、この鼠《ねずみ》は」というと、レネはくしゃくしゃの髪をかきあげて「おばさん、これは鼠じゃないよ、ミンクだよ」と言った。「一頭千ドルだよ。この臭《にお》いは千ドル札のにおいだよ、おばさん」おかみさんはその後レネをみるたびに言ったものだった。「あんたのミンクはどうしてるね」「ああ、おばさん、そろそろ襟巻《えりまき》ぐらいになってるよ」そんなに可愛《かわい》がっていたモルモットを、レネ、あなたはどうして殺さなければならないの? なぜあんなことをしなければならなかったの? あたしは翌日、台所のごみ箱に二匹のモルモットが死んでいるのを見つけたが、鼻から少し血を出しているだけで、見たところ、生きているときとほとんど変らなかった。二匹は重なり合い、ボール箱の巣で寝ていたような恰好《かつこう》をしていた。それから間もなく、あたしはサンチャゴで伯父《おじ》が死んだという報《しら》せを受けとり、しばらく故郷の町へ帰った。寄宿学校に入らなかったことは伯母《おば》の気にくわないらしかったが格別とりたてて苦情はきかされずにすんだ。サンチャゴから帰ってくると、留守のあいだにレネが家を出ていた。簡単な手紙が残してあっただけで、それには、あたしに迷惑をかけたくないのだ、と書いてあった。迷惑をかけていたのは、レネではなく、あたしだったが、善良な彼はそうとらなかった。レネとはそれ以来会うことがなかった。彼の名をふたたび知ったのは、それから三年後の、新聞紙上だった。彼の名は大統領を暗殺しようとして未遂に終った何人かの人物のなかに見いだされた。彼らは官邸を襲撃しようとして、その途中で発覚し、射殺された、と発表されていた。もちろん名前だけでは、そのレネが果して彼であるかどうかわからなかった。しかしおそらく彼であることに間違いないような気があたしにはした。あたしはむしろそれが彼であってくれたほうがいいように思った。くしゃくしゃの髪をかきあげながら、二匹のモルモットを抱いていたレネが、もし彼らしい仕事を見つけたとしたら、おそらく彼が辿《たど》った道以外にないような気がした。そうなのよ、ラウル。あなたが辿り、そして後に、あたしが辿ったように、彼の道もそれ以外にはありえなかったように思えるのよ。おれたちは翌朝、まだ夜が明けきらぬうちに出発した。敵が行動を開始する前に、おれたちは時間を稼《かせ》いでおかなければならなかった。腹はへっていたが、食糧といっては、ビスケットが少し残っているだけだった。おれたちはそれをかじった。ラミロの水筒の水をみんなでわけた。それから出発した。叢林のなかはまだ白く霧が流れ、それが谷間から斜面を這いのぼってゆくのが見えた。おれたちのぼろ靴もゲートルもズボンも下草の露でぐっしょり濡《ぬ》れた。ウニベルソが山刀《マチエタ》で蔓《つる》を切りはらった。午前ちゅう、とある谷間に植物におおわれた藁小屋《ボイオ》を見つけた。おれとラミロが斥候に出て、ボイオの周辺を丹念に調べた。ボイオは空小屋《あきごや》だった。しかし石を組んで炊事をした痕跡は古いものではなかった。おれたちは谷間を横切り、斜面にとりつき、正午には山塊の支脈の一つをのぼっていた。そうなんだ、マリアナ、それはシェラへ入った最初だった。おれたちはどこかで滝の音を聞いた。鳥たちが歌っていた。汗にまみれ、息を激しくつきながら、斜面をのぼってゆくと、不思議と昨日の激闘が遠いことのように思われた。おれたちは三日後に仲間の農園にたどりついた。そこで生きのこった小グループが十二、三人加わった。だが結局それだけで全部だった。無口なギエルモは戦闘のあと殺され、ロドリゲスも捕虜になり、のち自殺した。それでも、マリアナ、おれたちは叢林のなかへ出発した。そうなんだ、おれたちは休むことはゆるされなかった。山脈の露出部をおれたちは進んだ。それから密林にもぐりこみ、のぼったり、下ったりした。こうしておれたちはほぼ一カ月を山脈のなかで暮した。きみが増援の五十人と山脈のなかの陣地に到着したのは、それから三カ月あとだった。そうなんだ、おれたちはそこで会うことになったのだよ。だが、おれはすでに三度も激しい戦闘を経験していたのだ。きみはおれが栗鼠《りす》を飼っていたのですぐ親しみを示してくれた。こいつは最初の兵営攻撃のとき、兵営のなかで飼われていたのだ。二羽の鸚鵡《おうむ》が鳥籠《とりかご》のなかにいたが、二羽ともおれたちの撃ちこむ銃弾にあたって死んでいた。マリアナ、きみがそんなに栗鼠ずきだとは思わなかったが、それでも、やつのおかげで、おれたちは誰よりも最初に親しくなれた。きみはやつを肩にのせ、炊事に当ったり、医療班を引きうけていた。おれがきみのことを考えたのは、きみたちが来て最初に行なわれた、あの大規模な兵営攻撃の際だった。おれたちはあのとき製材会社がきりひらいた林道づたいに、兵営に通じるながい尾根を下っていた。星空が黒々とした繁みのあいだに仰がれた。そのとき、おれは、いつも肩につれて歩いていた栗鼠がいないのに気がつき、それをきみに預けてきたことを思いだした。おれはきみのことを考えたのだ。いくらか明るくなってきたわ、ラウル、もうしばらくしたら夜明けよ。あなたの好きなシェラの夜明けよ。さ、元気をだして。でも、なんて苦しそうに息をしているの。おれは歩いていながら、兵営攻撃に向っている革命軍の兵士だとは思えなかった。兵営は海のそばにあった。だから兵営に近づくにつれて、海の匂いがしてきた。おれはしきりと海の青さが見たかった。その青さは、それまでおれが見たこともない色であるような気がした。おれたちは兵営にむかって、暗い夜明け前の林道を歩きつづけた。そして叢林のむこうに海が見えだしたとき、おれたちは足をとめた。兵営は黒く丘の麓《ふもと》にうずくまり、終夜燈がいくつか光っていた。海はその背後に、しかし青くなく、深く眠る巨大な獣のように、黒く横たわっていた。星が夜明け前の空に淡く光り、そしてすべてがまだ眠りのなかにあった。ただおれたちだけが動き、ゆっくり丘を下っていった。黒い海を背にして、兵営は眠りこけ、終夜燈がいくつかぼんやりと赤く光っていた……そしておれたちは丘を下りつづけた……。そう、おれはこわかなかった……ふるえているのは……こわいからじゃない……寒いんだよ、マリアナ、寒いんだよ……もうこわかない……ただ……寒い……寒いだけなんだ…… この作品は昭和四十九年三月新潮文庫版が刊行された。