石川達三 充たされた生活     1  二月二日——  昨夜、吉岡は帰らなかった。一昨日の夜も帰らなかった。  こういう立場に置かれた女は、仕事が手につかなくなり、火鉢のそばに坐って、じっと動かずに凝固しているものではないかと思う。私は自分がそうなることに抵抗する。朝から洗濯《せんたく》をして掃除をして、自分の服にアイロンをかけ、靴をみがき、せい一杯に動きまわる。それは帰って来ない男のことを忘れるためであったらしい。虚《むな》しい努力だ。私は自分にむかって、忘れたような顔をして見せる。自分をごま化そうとする。しかしどんな事をして見たって、忘れられるものではない。  私は彼に、何の期待をももってはいない。期待しないのは、私の正当防衛だ。しかし私は不安定で、いらいらして居る。彼がなぜ帰って来ないのか、大抵の見当はつく。私は嫉妬《しつと》する気はない。嫉妬という感情は男女関係を悪化させるだけで、決してプラスには作用しない。昔の女にとっては嫉妬が美徳の一つであったかも知れないが、今では悪徳のうちの一つだ。男女平等の社会では、嫉妬という感情は意味がうすれて来たらしい。  彼の気持が私からはなれたのと、私の気持が冷たくなったのと、どちらが先だったか、私には解らない。だから、二人の関係がだめになって来たのも、どっちの責任ともはっきりしない。もしかしたら私が悪かったかも知れない。私はだまされたとも、捨てられたとも、裏切られたとも思ってはいない。女が純粋に受身であったならば、そういう言い分も成り立つだろうが、私だって或る時期にはもっと積極的であった。だめになって来たのは、要するに二人の罪だ。  私は吉岡に何の期待をももたないと言いながら、やはり吉岡を待っている。いやな気持だ。もしかしたら私のいら立たしさは、彼を待っている為ではなくて、男という生活の足場を失った、自分の不安定さから来たものかも知れない。舟の底に穴があいて、水がはいって来たような気持だ。習慣だけで、私は彼を待っている。本能かも知れない。帰って来たら嫌なことが一杯おこるにきまっている。自分のあさましい姿を私は見たくない。  午後一時半、私は街に出る。アパートの扉に鍵《かぎ》をかけて、その鍵を事務所にあずけ、いそぎ足で街に出る。街に、何の目的もない。ただ、私たちの部屋に居たくなかったのだ。もうそろそろ吉岡が帰って来そうな気がしたから、彼と顔をあわせないためだった。彼に何の期待ももってはいないが、やはり彼は存在している。男と別れるということは、容易なものではないらしい。街に出てゆくことに、私は抵抗を感じていた。文字通り、(うしろ髪を引かれる)気持があった。彼が帰ってくれば、私は彼の魅力に負けてしまいそうな気がする。その魅力の正体は、四年にわたる同棲《どうせい》生活で、私にはすっかりわかっている。わかって居るくせに、やはり負けそうになる。負けたい気持が私にあるからだ。私が街に出たのは、彼から逃げることでもあった。あの男の魅力があの男のわざわいの元でもある。私だけではなく、多分どんな女も、彼を(独占)することは出来ないだろう。  風がつめたくて、歩道は凍っていた。そのつめたさが、快適だった。私の心の内も外も、みんな冬だった。ほんの時おり、粉雪がちらちらと降った。粉雪のやんだあとは、風ばかりだった。私は石黒先生をたずねて見ようかと思っていた。中途半端な気持だった。たずねてみて、居なければ居なくてもいい。ぜひ会いたいとまでは思っていなかった。身上相談というものは、馬鹿な女のすることだ。石黒さんは私を軽蔑《けいべつ》するだろう。それがわかっていたから、私は余計なまわり道をする。問い詰められたら返事に困るようなものが、私の気持のなかにたくさん残っていた。私はまだはっきりと、離婚の決心をきめた訳ではなかった。何遍も決心はしたけれども、その直後にまたあと戻りするのだった。今度もあともどりするかも知れない。あるいは、決心がきまらないままで別れてしまうのかも知れない。  風に吹かれながら、私はショウ・ウインドウをのぞいて歩く。無駄な時間つぶし。うちへ帰ろうにも帰れない女がひとり、街をさまようて居るのだ。どうせいつかはアパートへ帰るだろう。そのときどんな事になるか、私は知らない。この街を支配しているのは、男たちだ。男の作った社会が、がっしりとした構造をもって、私の周囲を支配している。男の気に入った女だけが、この世界では幅を利かしている。男の許可がなければ、女の生活はみじめになる。そのことに女は気がついていない。男は何喰わぬ顔をして、女を油断させておく。だから、大部分のショウ・ウインドウは女のために飾られてある。男たちの、上手な策略だ。その策略が、今日はしきりに眼につく。私は意地わるになって居たらしい。他国の街を歩いているような、そらぞらしい気持で、ひややかな眼つきで、私はウインドウをのぞいて歩く。手袋、花、ハンカチ、オルゴールのついた宝石|函《ばこ》。私はその手に乗らない。  一杯のコーヒー。隣の席で若い娘が男と話をしている。たのしそうな、無駄な会話。無駄な会話がつづいているうちに、女は身売りの約束をしてしまうのだ。 ほんとかい? ええ、本当よ。全然ひどいの。わたし逃げ出したいわ。 逃げ出してどこへ行くんだ。 どこへでも行くわ。生活を新しくするの。 新しくするって、どうするんだ。 どうすればいいかしら。教えて……。あなたの言う通りにするわ。  私は腹立たしくなる。どうして若い女たちはこんなにも男が好きなのか。独身の女の不安定さが私には痛いほどよくわかる。私もかつては吉岡に対して、あんな風だったかも知れない。私もあんな風にして、自分で身売りしたのかも知れない。自己嫌悪。  私はコーヒーの上に象牙色《ぞうげいろ》をした生クリームを浮べる。クリームの上に昼のシャンデリヤが輝く。私は充たされない。どこかに穴があいたような空虚を感ずる。コーヒーの苦さが、苦すぎる。けれども私は負けはしない。夫婦関係、あるいは男女関係が、まずくなった場合、なにもそれが悲劇である必要はない。まずくなったものは、処置をつければいいのだ。私と吉岡との関係は、もう永続きはしないだろう。私はやはり石黒さんのところへ行って見ることにした。  街の十字路のわきに大きな穴があいている。穴の中の階段を降りて、私は地下鉄に乗る。  地下鉄のなかで、乗客は不思議にじっとしている。いま地面の下をくぐっているのだというかすかな恐怖が彼等を静かにさせているのかも知れない。自分勝手に地上に出ることは出来ない。その意味では留置場とおなじだ。自由も人権も停止されている。目的の駅についたとき、その人だけは、釈放されたような楽な姿勢になって、明るい足音をたてて、地上への階段をあがってゆく。他の乗客は、まだ留置場に残されている不安な気持で、からだを凝固させている。文明というものは非常識で、むちゃくちゃだ。水の底をくぐり、空を飛び、地下をもぐる。一つ一つがみな命にかかわることだ。そんな事までしなくてはならないほど、人間社会はせっぱ詰っている。私はそのことに、かすかな疲労を感ずる。  地下鉄のなかで制服の大学生がひとり、吊革《つりかわ》につかまったままじっと私を見ていた。青年の新鮮な好奇心が私の皮膚を刺戟《しげき》する。わるい気持ではない。私はわざと眼をつぶって、ほしいままに彼の好奇心を満足させてやる。私のどこがこの学生の気に入ったのだろうか。こういう年下の青年を魅惑するようなものが私のどこかに有るのだろうか。私の赤っ毛。私の肌の白さ。服装の色の調和。私は濃緑にチェックのはいったオーヴァー。くすんだオレンジ色のマフラで頭を包み、緑の靴をはいている。手袋はすこし赤すぎて、調和が良いとは思えないが、今は買える身の上でない。青年は眼をはなさずに私を見ている。まちがってはいけない、私は既婚者だ。既婚者だから魅力があるのか。そんな魅力を知っているとすれば、油断のならない青年だ。油断がならないということは、女にとっては、それだけ楽しいという事でもある。見られている気持の軽い緊張。無責任な緊張。ゆきずりの、こんな年下の青年にさえも、こうした無駄な緊張を感ずるというのは、下品なことだろうか。下品であるにしても、すこしばかり楽しい。  学生は五尺九寸もありそうだ。外套《がいとう》が短かすぎる。背丈《せたけ》が伸びすぎたのだろう。黒い革の手袋。表情に苦味があって、東京の子ではない。地方から出てきた青年の土臭さがある。その土臭さがいかにも新鮮だ。私は吉岡を思い出す。吉岡が最初のころ私を魅惑した何とも言えない新鮮さを思い出す。しかしあの新鮮さは結局、彼のわがままの或るときの変貌《へんぼう》にすぎなかったのではないだろうか。青年の顎《あご》の横に茶色のほくろが一つ。あのほくろを覚えておこう。未知の運命とたわむれる気持。誰にも知られない、ひとりきりのたわむれ。それが少しばかり私の気持を明るくしてくれた。  電車通りの、三等郵便局の横の電柱に、小さな看板を私は見つける。なつかしい看板だ。白地に黒で、ただ〈白鳥座〉と書いて、下に矢じるし。裏も表も同じだ。矢じるしは露路の奥に向いている。一年九カ月ぶりに私は露路にはいって行く。ずっと前、夜更けて、星空を仰ぎながら、稽古のつづきの台詞《せりふ》をつぶやきながら、五、六人の仲間といっしょにこの露路を出て、みんな空腹で、すぐに近処のそば屋にはいり込んだりしたものだった。二年も三年もまえのことだった。  あの頃の仲間はいま、ラジオやテレビに出たり、映画に出たり、もちろん年二回の公演にも出て、いっぱしの俳優になってしまった。脱落したのは私と星野さんだ。早川、小杉、藤岡、紺野、宇田、細井。みんな良い人たちだった。気障《きざ》で、青臭くて、感傷的で、慾がなくて、どんな遊びよりも芝居の好きな連中だった。 「おい、朝倉ちゃん、じゅん子ちゃん、本当に劇団をやめるのかい。馬鹿だなあ。家庭にはいるのはかまわないけどさ、どうして芝居をやめる気になったんだい。芝居より面白いことなんか、世の中に有りゃしないよ。それゃ君、一時の迷いじゃないのかい。……まあいいさ。芝居やりたくなったら、また戻っておいでね」  私が白鳥座をやめるとき、宇田さんがそう言った。私は涙が出た。忘れられない言葉だ。彼はいまでも貧乏で、一人の子供のお父さんだというのに、いまだに芝居をやっている。死ぬまで芝居をやって行く人だ。  稽古場の建物は、要するにバラックだ。田舎の小学校のようなペンキ塗りの安普請で、ペンキの色ももう古い。玄関の扉を押すと、昔の雰囲気《ふんいき》がそのままそこにあった。寒くて、ほこりっぽくて、乱雑で、芝居のためにすべてを捧《ささ》げてしまったあとのようだった。  私の勘は当った。やっぱり石黒先生は来ていた。来月の末に定期公演があるので、その稽古だった。地声が大きくて、無遠慮に大きな声を出すから、どこに居てもすぐわかる。台本を持って、ストーヴのそばのこわれかかった椅子に坐って、立稽古の演技をつけている最中だった。私はオーヴァーを着たままではいって行った。 「おやおや、何だ、幽霊かい」と石黒さんは言った。「まさか昼間っから、幽霊じゃあるまいな。足は有るかい。何しに来た。また芝居をさせて下さいなんて言ったって、そうは行かねえよ。不景気な顔をしてるじゃないか。誰に用があるんだい」 「先生に用があるんです」 「俺はだめだよ。御覧の通り、いそがしいんだからね。お前なんかと遊んでる暇はねえよ」  こんにちはでもなければ久しぶりでもない。いきなり機関銃のようにまくし立ててくる。その荒っぽい言葉が、芝居者の口調だった。乱暴な叩きつけるような言葉のなかに、なぜか不思議なあたたかみがある。それがこの人の人柄だった。何と言われたって私はおどろきはしない。 「稽古がすむまで待っています」 「一時間かかるよ」 「かまいません。どうぞお続けになって……」 「何のはなしだ。吉岡のことか。吉岡のことなら俺は知らねえよ」 「先生のお顔を見たくなったんです」 「うそをつけ。……まあいいや。その辺で待って居な」  石黒さんは真黒な丸首のスェーターを着て、パイプをくわえている。粋《いき》な姿。すこしばかり|やくざ《ヽヽヽ》っぽくて、それが彼には似合っていた。肩幅があって、背丈はかなり高いのだけれど、全体にどすんと重い感じで、エネルギッシュで、だから浮気もするんだろうけれど、不潔な感じはどこにもない。頭なんか丸坊主にちかいような坊っちゃん刈りで、ヘヤトニックも油も要らないから、世話がなくていいだろうと思う。この人とも永いおつきあいだ。亡くなった兄貴のクラスメートだったから、もう十年にもなる。多分兄貴と同年だから、亥歳《いどし》の三十七か。いかにもイノシシらしい。迷いというものを知らないのではないかと思う。自分のしていることを、あれくらい信ずることが出来たら仕合せだ。あの人には自殺なんかできないだろう。もしかしたらそれは、芝居をやる人たちに共通な性格であるかも知れない。芝居をやる人に、迷いは禁物だ。名優の名演技というものは、迷いがないからやれるのだ。  稽古場の一番すみに坐って、私はみんなの立稽古を見る。みんな巧くなった。昔の仲間も後輩も、みんな巧くなった。すこし悪達者になったのではないかとさえ思う。テレビや映画に出ることが多くなって、演技が要領よくなったらしい。つまり(売れる演技)を覚えたのだ。そこからマンネリズムがはじまる、と言っては生意気だろうか。  見ていると、私も芝居をしたくなる。私ならあそこはこうやりたい、と思う。演技の方法は無数にある。文章を書くのに、どんな風にでも書けると同じように、演技もまたどんな風にでもやれる。しかしその中に、自分の人柄に合った演技というものがある。人柄に合わない演技は、どんなに苦心しても、その役の味が出ない。配役のむつかしさはそこにある。私にはイプセンのノラはやれてもオフェリヤの役は出来ないだろう。それだけの幅は無い。  なぜ芝居が面白いのか。心理学者はいろんなことを言うだろう。演技本能だとか何だとか。学問的なことはわからないが、自分の人生からはなれて、ちょっとの間だけでも、他人の人生を経験するということは面白い。しかも、芝居が終れば、また元の自分の人生に帰れるのだから、そこが有難い。怒りも悲しみも恋も死も、それを自分で経験しながら、同時に客観している。こんな豊富な人生はほかには無い。観客は、俳優の演技で泣かされて、泣いたことを楽しみながら帰って行く。俳優は幕がおりると再び自分の人生に立ちかえって、自分を新鮮に感じながら、いそいそと自分の生活にもどって行く。うまく出来ている。芝居を終ったあとの爽快《そうかい》な気持というものは、一種特別なものだ。だから宇田さんが言ったように、(芝居より面白いことなんか、世の中に有りゃしないよ)という感想が出てくる。私はまた稽古をして見たい気がしてきた。  立稽古が終り、明日の打ち合せをすませて、石黒さんはオーヴァーを着る。 「お待ちどおさん。今から一時間ひまがある。それ以上はつきあえないが、いいかい。珈琲《コーヒー》でも御馳走しようか」 「珈琲はさっき飲みました」 「ひとりでかい」 「そうです」 「ふむ。この寒空に、街に出て、若い女がひとりきりで珈琲を飲んだとすれば、あまり仕合せじゃないらしいな」  石黒さんの言葉は生きがよくて、勘が早くて、ぴんぴんひびいて来るようで、爽快な気がする。 「お察しの通りです。身上相談に来たんです。先生に軽蔑されることはわかっていますけど……」 「いやだな。俺はそんな相談には乗らないよ。そんな義理は無いからな。女の身上相談なんて、聞かなくても大抵はわかってるよ。聞きたくないね。馬鹿野郎……」  私はちっとも腹が立たない。言いたいだけの悪態をつきながら、ちゃんと話を聞いてくれる人なのだ。それから助言を与えたり指示をあたえたり、文句をならべながら、どんな世話でもしてくれる。兄貴の生きていた頃からそういう人だった。私は石黒さんに罵倒《ばとう》されながら、何となく心が充ちてくる。ひとりきりでウインドウをのぞいて歩いていたさっきと比べて、空虚だった心があたたかく充たされてくる。吉岡にはこういうものが無い。彼の魅力は、何かしら胡魔化《ごまか》されたような不安を私の心に残す。  喫茶店の二階の片隅で、私は石黒さんと向いあって坐る。少女が注文を聞きに来る。 「お前はアイスクリームだろう」と先生は言った。  憎らしい人だ。先まわりして、何でも解ってしまう人だ。私はすこしがっかりする。 「ねえ先生、別れようと思うの」 「そんな事だろうと思った。駄目だよ。俺は不賛成だよ。どんな事情があったか知らねえが、事情なんてたいてい似たり寄ったりなもんだ。聞いても聞かなくても同じだよ。亭主が二、三日帰って来ないとか、生活費をくれないとか、性格が合わないとか、ぶんなぐられたとか、その程度のはなしだ。自分の悪かったことは棚に上げて亭主の悪口ばかり並べ立てたら、どんな夫婦だって三月《みつき》とは持たねえよ。お前なんか何も特別に取り柄があるわけじゃなし、少々美人だぐらいの事で己惚《うぬぼ》れていたって、そんな事じゃ亭主は満足しませんよ。何日かえって来なかったんだ」 「ふた晩よ」 「うむ。そんな事だろう。それですぐに別れる気になったり、俺のところへ身上相談に来たり、そんな量見だから亭主は帰って来ねえんだ。駄目だよ。別れちゃいけないよ。どこまでも亭主の首にぶら下って居な。この世で一番大事なものは亭主だけだと信じて、ぶら下って居な。どんな男だって、女房の眼で見れば文句があるもんだ。吉岡が特別に悪いわけじゃあるまい。あれくらいのところは、まあまあ一番あたり前な亭主だ。それで我慢ができないのは、じゅん子の我儘《わがまま》だ。お帰り。かえりに牛肉でも買って行って、酒の五合も買って、二人ですき焼きでもして、うまい晩飯をたべて見な。また仕合せがやって来るよ。夫婦なんてそんなもんだ。吉岡と別れたりしたら、俺はもうお前とつきあわねえぞ。いいか。馬鹿野郎」 「先生は知りもしないで、私ばかり悪いみたいに言うのね」 「ああ、それで沢山だよ。夫婦|喧嘩《げんか》なんてものは、女房の方を叱っておけばたいてい|かた《ヽヽ》が付くもんだ。俺がじゅん子の味方をしたら、別れ話に賛成しなくちゃならんだろう。それで本当に別れたりしたら、あとが面倒だからな」 「どうして面倒なの?」 「別れたあとの、お前の身のふり方をつけてやらなくちゃならないじゃないか。独りでぶらぶらしている訳にも行くまいし、飯の心配からしなきゃならんだろう、ほんとにさ。別れる別れるって偉そうなことを言って、別れたらどうやって暮して行くんだい。貯金なんか、百も有りゃしないだろう」  石黒さんは私の告白を、ひとことも聞こうとはしなかった。それは彼の悧巧《りこう》さかも知れない。面倒な事件に深入りしたくなかったのだろう。しかし結果は逆になったようにも思われる。石黒さんに洗いざらい聞いてもらう事ができれば、私はそのことに心の安らぎをとり戻して、あの人が言ったように、牛肉と酒とを買って帰ったかも知れない。何も聞いてもらえなかった為に、私の不満は内攻して、吉岡と別れる決心を一層つよくしてしまったような気もするのだ。しかし石黒さんが、(別れたりしたら、おれはもうお前とつき合わんぞ)と言った、その言葉のきびしさが、いつまでも冷たく心にひびいていて、私は一層孤独な思いだった。石黒さんもやっぱり他人だという気がした。  二月三日—— (柳田里子さま。おめでとう。心からお祝いするわ。三年越しの恋がみのって華燭《かしよく》の式をあげる今宵、あなたの幸福な脈搏《みやくはく》が私の胸にまできこえてくるような気がします。お招きを頂いてほんとに有難う。何とかして参列したいと思い、いろいろ算段してみたけれど、どうしても駄目。ゲルピンよ。すごく貧乏なの。汽車賃も宿賃もございません。小さなプレゼントを送ります。これでごかんべんを願います。あなたはきっと素敵な奥様になって、素敵な家庭をおつくりになることでしょうね。あなたの御主人は仕合せだわ。それに引きかえ、私の家庭はいまピンチに立っています。もしかしたら近いうちに、元の木阿弥《もくあみ》になりそうです。目下わたしはどん底なの。こんなおはなし、聞かせては悪いわね。……)  柳田里子は京都で式をあげている。からだじゅうが幸福にしびれてピンク色になっていることだろう。私は羨《うらや》ましくも何ともない。式に参列したい気持は嘘ではないが、祝ってあげたいと云うよりは、ひやかしの気持の方が多いような気がする。三年越しの恋がみのったと云えば体裁はいいが、相手の男が愛人と手を切るのにひまがかかったというだけの話だ。私はみんな知っている。  私がゲルピンで汽車賃もなくて、家庭はピンチに立っているというのは本当だが、お祝いの手紙にこんな事を書く必要はない。私はわざとそれを書いてやった。柳田里子は私と引きくらべて、自分の幸福を一層うれしく思うに違いない。私の貧しさや不幸が、彼女にはすこしばかりうれしくて、優越を感ずることができるだろう。優越感などというものは、たいていそんな風なあさはかなものであるらしい。柳田さんに言うことは出来ないが、私は私でひそかな優越を感じているのだ。  彼女の結婚の相手は、四年もまえに私に求婚したことがある。柳田さんは何も知らない。彼はおかねがあって学歴があって、親の事業をついで行く人だ。客観的な条件はそろっていたが、私には何の興味もなかった。ぱさぱさした、味のない男だった。単なるあいさつではなく、求愛の意味の握手をされたことは何度もある。半年ぐらい続けて、手紙が来た。私はほったらかして置いた。私が選ばなかったその男と、柳田里子がよろこんで結婚している。私はすこしばかりおかしい。それでも多少は横取りされたような気がする。自分が損にならなくても、そねみという心は有るらしい。あの男から来た手紙の文章は、作文教科書の中の模範手紙文とまるでそっくりだった。しかもかね持ちづらをして、嫌な男だった。  その新妻にも秘密な経歴がある。私は知っている。二十三の夏、外房州の海岸で柳田さんは恋をした。たった三週間のあいだに彼女は恋愛の全過程を体験した。その夏の終りに、相手の青年はヨットから落ちて行方不明になり、彼女の恋愛は断絶した。今になって見れば、相手が死んだということは彼女にとって有難いだろう。あの事件の証拠はどこにもないのだ。過ぎ去ったことはすべて無いことにして、二人は京都で幸福な式をあげている。  夫婦というものはおおかたそんなものかも知れない。夫婦はお互いに、相手の全部を知っていると思っている。ところが実は、何も知りはしないのだ。私にして見たところが、吉岡が何を考え何をやっているのか、てんで解らない。私の方でも、良人《おつと》に言ったことよりも、言わなかった事の方が何十倍も多い。私はひとりで感じ、考え、迷い、悩み、ひとりで始末をつけている。お互いに、他人同志よりはほんの少しばかり、多く知っているというだけのことだ。多く知っている、その部分は、知らなくてもいいようなことではないだろうか。  二月五日——  扉をたたく音で眼がさめた。かなり永いあいだ叩いていたような気がする。(おい、じゅん子、じゅん子……)吉岡の声だ。部屋のなかは真暗だ。こんな夜中に帰ってきたということに、私は腹立たしくなる。不意を襲われた気持だ。私は決心して電燈をつける。五時五分まえだった。寝間着の上に裾のすり切れたナイトガウンを羽織ってから、扉をあけてやる。アパートの人たちに体裁がわるいから、大きな声で喧嘩もできない。吉岡は見馴れない手提鞄《てさげかばん》を持っていた。 「おう、ただいま。なにも変りは無かったかい?」  いつもの低い声で、ぬけぬけとした御挨拶だ。こういう台詞は、もっと当りまえな良人が、当りまえな旅行でもして来たときの言葉だ。妻に無断で五日も六日も行方不明になっていた男には、もっと別の言い方がありそうなものだ。ところが吉岡はいつもこうした言い方をするのだ。 「変りはございましたよ」と私は冷静に言ってやる。 「ふむ。どうしたんだ」 「私はもう、別れていただく事に決心しましたからね」 「どうしてだい」 「理由はあなたが御存じでしょう」 「俺が何か悪いことをしたのかい。おい、お前は何か誤解しているね。ばかだなあ」  そこで彼はにっこりと笑う。この笑い顔がなぜこんなに美しいのだろう。心臓をくすぐられるような気がする。そして彼は、自分は悪くないと思っている。信じているのだ。だから弁解する言葉には力があり、確信があり、むしろやさしくさえあるのだ。私は何遍このやり方でごま化されて来たか知れない。ごま化されたと解って居りながら、変な具合にうれしくなってしまうのだ。しかし、もうこれ以上ごま化されている訳にはいかない。 「おい、じゅん子、俺はこの五、六日、どこへ行っていたと思う?」 「私にわかる筈がないでしょう」 「俺は大阪へ行っていたんだぞ。これを見ろ」  鞄の金具のところに、丸い紙がさがっていた。吉岡はそれを引きちぎって私に示す。大阪のホテルの名札だった。大阪へ行ったことは何の弁明にもなりはしない。しかし彼は優越的な表情を見せ、私の冷たい態度を非難しようとする。彼は戸棚の奥からウイスキイの瓶《びん》をとり出し、コップに半分ほど注ぎ、ベッドに腰をかけてひとくち飲む。 「お前は何も知らないから勝手に怒ってるんだ。寒いから電気ストーヴをつけてくれ。いいか、大阪へ行った訳を教えてやるから聞いていろ。俺は大阪なんかに何の魅力も感じてはいないが、お前を少しでも仕合せにしてやれることならば、どんなことでもしようと思ったんだ。わかるかい?  大阪に田中善市というブルジョアがいてな。聞いてるかい、じゅん子。百万長者だよ。今の言葉で言えば億万長者だ。鉄の商売をやってる人でね。……」  吉岡は胸のポケットから二十枚ばかりの名刺をとり出し、その中から一枚を探し出す。大きな活字で田中善市と印刷してある。物的証拠は充分で、うたがう余地は無い。 「この人が今度あたらしく写真機会社の重役を兼ねることになったんだよ。そこで彼は、会社の宣伝をも兼ねて、日本でも一番高級なカメラ雑誌を出そうという計画を立てた。それがだよ、じゅん子も知っていると思うが秋山征二を通して、俺に話がきた。その話というのがひどく急なことでね、四月に創刊号を出すと云うんだ。とにかく田中さんに会ってくれという事になってさ、そのまま東京駅へかけつけて夜の急行に乗ったというわけさ。わかるかい?  それからな、じゅん子、喜んでくれ。もう今までのような貧乏はさせないよ。もちろんしばらくは大阪住居だが、月給はさし当り五万円だ。そのほかに家族手当とか交際費とかがある。家は向うで探してくれるんだ。だから、俺もようやくお前に楽な暮しをさせられることになったよ。な! 当分は忙しいぞ。眼が廻るようだ。編集室はあるんだが、俺の部下の編集記者をこれから集めなくちゃならん。優秀なカメラマンを四、五人雇い入れて、もちろん編集長には車を一台つけてくれるんだ。どうだ、気に入ったかい、じゅん子」  嬉しそうな眼の輝き、元気よくしゃべる唇のほほえみ。青年のような若々しい希望に充ちた言葉つき。そして、この優しさ。いろいろな仕事を手がけてきて、今までは何ひとつうまく行かなかったが、今度こそ良い運が向いてきたというような、あふれるばかりの喜びの表情。……私はこの一年あまりのちぐはぐな生活のことも、この数日の絶望的な気持も、みんな一度に忘れてしまいそうになる。吉岡の魅力の一番高潮した時だった。私の心がこの男の胸の中に吸い込まれて行くような気がする。私が結婚を決意したのもこのためだった。その後四回も五回も別れようと思いながら、その都度《つど》わたしが立ちすくんでしまったのも、この魅力のせいだった。  けれども、今の私はもっと悧巧になっている。吉岡が居なかった五、六日のあいだに、私は彼の魅力の正体をことごとく研究し、その秘密を見破ってしまった。彼の居ないあいだに、妻は彼を裏切る手段を見つけ出したのだ。彼の忍術はもう役に立たない。  私が吉岡を知ってから、たった四年たらずのあいだに、彼はいくつ仕事を変えて来たか。  農村青年のための演劇運動。小さな劇団を組織して地方農村をまわり、青年たちを演劇によって啓蒙《けいもう》して行こうというまじめな仕事。自分で脚本を書き演出をやり、自分で地方をまわり、あふれるばかりの抱負と希望にもえて、東奔西走したものだった。それは吉岡弦一の最も魅力に満ちた一時期だった。私は食うや食わずの貧乏をしながら、彼を激励し、彼といっしょに農村へ出かけたりしたものだった。半年でその劇団はつぶれてしまった。農村の青年たちはそんな高踏的な演劇を求めてはいなかった。吉岡の夢はからまわりしていたのだった。  その次は、自動車ブームに乗って自動車雑誌を出そうという話。三番目は組立家屋の普及宣伝による小住宅生活の改善運動。四番目は日本中の登山者やスキーヤーの為の正確な案内地図の作製出版。どの一つもうまく行かなかった。彼は資本のひとかけらも持ってはいない。事業家の計画を聞くとすぐ有頂天になって、自分の夢を無限に拡大し、採算の取れないところまで膨張させてしまう。吉岡の魅力はその夢を追うている男の魅力だった。採算のとれない夢は結局はおとぎばなしだった。彼の魅力は少年的なロマンティシズムに過ぎなかった。若々しく、溌溂《はつらつ》として、彼の胸のなかはロマンで一杯になっていた。私は軽率にもそれに惹《ひ》かれたのだった。彼の華やかな求愛に、曳《ひ》きずり込まれるように傾いて行ったのだった。 「田中善市というやつはな、まだ五十そこそこで、油絵のコレクションをやったりして、とても話のわかるやつなんだ。俺と意気投合してな、二日目の晩なんか、宝塚温泉まで出かけて、夜通し二人で飲んだ。新しい仕事のプランを練りながらね。俺の考えでは、写真は絵と同じことで、言葉を必要としない。外人にだって直接にわかるものなんだから、外国にも出せるような雑誌にしたい。アメリカの〈ライフ〉の写真はニュースに重点をおいているが、俺はもっと写真の芸術性に重点をおいて行きたい。そういう事を主張したわけだ。ところが田中善市は俺の手を握ってな、大賛成だ、一切を君にまかせるから思う存分にやってくれ。毎月百万円の赤字が出てもかまわない。宣伝費と思えば安いもんだ……そう言うんだよ。え、じゅん子、面白いじゃないか」  仕合せな人だ。この人は自分の不幸というものを感ずる能力をもたないのではないかと私は思う。彼はいま新しい事業について彼の抱負を語っている。その話し方はまるで新しい恋愛について語っているのと同じだった。恋愛が、豊富な夢を産み出すものであるのと同じように、彼は事業について厖大《ぼうだい》な夢をえがいている。恋愛が足場のない一つの幻想であると同じように、彼の事業への意慾も一つの幻想になってしまう。彼には事業と恋愛との区別がつかない。農村演劇運動もそれだった。小住宅生活改善運動もそれだった。  吉岡弦一の夢は永続きしない。次から次へと崩れてゆく。前の夢がこわれたとき、彼はもう次の夢を追いかけている。これは不屈の魂というべきものだろうか。少年のような若さと移り気。彼は小児型の男性であるらしい。小児型の女性がしばしば不妊であると同じように、吉岡には子供がなかった。私のせいではない。  結局わたしは、夢を追いつづける彼の生活にはついて行けない。彼はいくつもの豊かな夢をえがいているので、現実の貧しさなどはすこしも苦にならない。彼は常に豊富であり、希望にみち、よろこび勇んでいる。彼は蜃気楼《しんきろう》をえがいているはかない芸術家だ。そういう彼の在り方は私にとって無限に魅力的だった。しかし彼の魅力は生活と結びつくものではなかった。彼の性格は、もともと根のないもの、切り花の薔薇《ばら》のようなものだった。愛情についても全く移り気で、無責任だった。責任ということを考えたことのない男だった。  私と同棲して二カ月後に、彼は新しい愛人をもった。その事を私にかくしはしなかった。そういう正直な男だった。私が詰問しても彼はたじろぎはしなかった。(お互いに束縛しないことにしよう。ね、その方が幅のひろい楽しい生活ができるからな。)  要するに、吉岡には理想がないのだ。夢は無数にある。しかしその夢には根拠がなくて、ばらばらだった。空想はあるが、理想はないのだ。彼はもう私を魅惑することは出来ない。(強烈に希望を追い求める炎のような魂……)と私が信じあこがれた吉岡の正体は、こういうものだった。いま残っているものは、彼の魅力にみちた笑顔だけしかない。  夜があけて来た。彼はまだウイスキイを飲んでいる。私はひとりで眠る。彼は、もう私に貧乏暮しはさせないと云う。お前を少しでも仕合せにするために、どんな事でもすると云う。手遅れだ。私の気持はつめたくなっている。いまはまだ、二人は同じ道を歩いているように見える。しかし間もなく、手のとどかない所まで別れて行くだろう。二人を結びつけていた肉体のきずなは、もう断たれている。たとい今から後、以前と同じような夜のいとなみがあったにしても、そんなものは何でもない。却《かえ》って別離の時を早める力になるばかりだ。  私は彼に背をむけたままで言う。 「大阪から、まっすぐにうちへ帰ったんじゃないでしょう。こんな時間に着く汽車は無いわ。あの人のところへ寄って来たのね」  いまさら嫉妬する必要はない。ただ私の決心を固めるための手がかりにすぎない。すると吉岡は、馬鹿正直で、嘘をつくことが出来ない。 「うむ、行くときに金を借りたからな。ちょっと返しに行って来た。それだけだ。悪いかい。わるくないだろう?」  私には解っている。彼は自分の人生に理想がないと同じように、女にも理想がないのだ。彼の人生が夢を追う生活であるように、彼の恋愛もまたその日その日の夢を追っているだけのことだ。彼は自分というものを、どこにも定着させることが出来ない。だから、いかなる女性も吉岡弦一を独占することはできないのだ。彼は本当の恋愛を知らない。彼の愛情には根がないのだ。彼に愛されることは、彼に瞞《だま》されることと同じだ。私は心をみだされることなしに、眠りをむさぼる。  二月七日—— (北山真平さんの手紙) 拝啓、きのう久しぶりに白鳥座へ顔を出したら、前の日に君がきて、立稽古を見て帰ったという話を聞いた。僕は思わず心に叫んだのだ。(万歳! また小鳥が帰ってきた。)僕がどんなに深く君を愛しているか、君は知っている筈だ。君の良人よりももっと君を愛している。君がまだ演劇に関心をもっている事を知って、天にも昇る思いだ。君が居なくなった二年あまりの間は、白鳥座もさびしかった。劇団としては前よりも景気はいいが、僕は満足していない。その事について一度ゆっくり君と懇談したい。二人で熱海へ行こうか、伊香保へ行こうか、それともパリへ行こうか。 僕は貪慾《どんよく》に君を愛する。女優としてのじゅん子を、僕の愛人としてのじゅん子を、僕のマリヤとしてのじゅん子を。……僕は放蕩者《ほうとうもの》で酔っぱらいだ。しかしその事と、君に対する真実な心とは何の関係もない。信じてくれ給え。酔っぱらいであることと、僕が真実な愛情をもつこととは、すこしも矛盾してはいない。次の金曜日の午後六時半に、帝国ホテルのロビイで僕は君を待つことにします。フランス風な牡蠣《かき》の料理などをたべながら劇団の将来について御相談したい。君の幸福を祈る。  私は手紙を読み終って、心のなかでにやにやする。そして北山真平さんの風貌《ふうぼう》をまぶたに思いうかべる。あの人は多分私の二倍ぐらいの年齢だ。会社員ならば停年をすぎている。京橋の方に地所をもち貸しビルを持っているので、大変におかねもちだ。だから放蕩して、遊んで暮している。彼の道楽は白鳥座の非常な後援者であることで、劇団の赤字を七年にわたって一人で背負って来た。その事を交換条件のようにして、劇団の女優たちを次から次へと口説いてまわる。しかし被害はゼロだ。だれひとり北山さんの言うことを聞いた者は無い。だから劇団のなかでは、彼はアルコホル中毒の不能者であるらしいという事になっている。十五年まえに彼は女房に逃げられた。その事も噂《うわさ》に根拠をあたえることになった。ひとり娘は結婚して、孫がある。しかし彼は相変らず、新しいマリヤと酒とを追い求めている。金曜日の夜、彼はまぶたのたるんだ表情をして、肥ったからだを腕椅子に沈めて、ホテルのロビイで私を待っているに違いない。うしろから近づいて行けば、先《ま》ず何よりもさきに、つむじのあたりの禿《は》げかかった、|ごろん《ヽヽヽ》とした頭が眼につくことであろう。  吉岡はベッドの中で煙草をすいながら、私に声をかける。 「おい、それは誰の手紙だ。北山だろう」 「そうよ」 「俺に見せろ」 「女に来た手紙なんか、見たがるもんじゃないわ」 「見せろったら見せろ」 「あなたには用の無い手紙よ」  そういう返事が一層男をいら立たせることを、私は知っている。いら立たせてみたい気持が私にある。それは私自身のいら立たしさであるかも知れない。 「いいから見せろ」と吉岡は叫ぶ。青臭い言い方だ。この人ももっと大人にならなくてはいけない。一生大人になり切れない人であるようにも思われる。私は尊敬できない。  私は黙って手紙をわたす。すると私の心は空虚になる。心の秘密をすっかり見られてしまったようなむなしさを感ずる。女にきた手紙を見たがる男のけち臭さ、自信のなさ。女に嫉妬する男のみっともなさ。ぎらぎらした眼つきで手紙を読んでいる吉岡の姿に、私は唾を吐きかけたくなる。天駆けるが如き夢と希望とを失ったときの吉岡弦一は、みじめなけち臭い男にすぎない。  吉岡は手紙を投げてよこす。 「お前は北山と何かしてるのか」  私は自分の内臓が、肺も心臓もみな、きたなくされてしまったような不快さを感ずる。 「お前は北山みたいなやつの愛人か。二人で熱海へ行ったことがあるのか。あいつが金持だからお前は惚《ほ》れてるのか」  私は逃げ出したくなる。妻をもつ良人というものは、どんなせっぱ詰った時にも、こういう言い方をしてはいけない。かつては私もこの人に有頂天になっていたのかと思うと、やり切れない後悔がわいてくる。 「おい、北山とわかれろ。いいか」 「別れられないわ」と、私はひややかに答える。この答えがどんなに吉岡を怒らせるか、私はちゃんと計算している。この闘いは私の勝ちにきまっているのだ。吉岡の眼はらんらんと輝き、唇が怒りにぬれている。私は笑いだす。そして逆手に出る。 「あなたと別れることは、出来ますよ。でも、北山さんと別れることは、出来ないわ。もともと赤の他人でしょう。他人同志が、どうやって別れるの?……わたし、もしかしたら、白鳥座へもどろうかと思っているのよ。そうなったら北山さんは、大事な人ですからね。おつきあいぐらいは仕方がないでしょう?」  こういう言い方をするようになったら、夫婦もおしまいだ。わざと相手に水をぶっかけるような、憎らしい言い方を私はしていた。吉岡はすこしばかりとまどう。美しい横顔が苦悩の色を見せている。ほんとうに魅力のある横顔だ。他人として見ている方が美しい。 「それじゃお前は、大阪へ行くのは嫌なのか。本気で劇団へかえるつもりなのか」 「本気です。だって、あなたなんか当てになりませんからね。大阪だって、うまく行くかどうか、わからないでしょう。そんな気がするの。話がうま過ぎるから……」 「そうか。お前はそういう気持なのか。それじゃ、本気で俺と別れるつもりなんだな」  吉岡は私を見つめながらそう言った。この、女をまっすぐに見つめる自分の眼に、吉岡は自信をもっているらしい。男の魔力のようなものを信じているのだ。私もその魔力を知っていた。胸がしびれてくるような快美な魔力だった。しかしそれも昔のことだ。私は思い切って、結論をあたえてやる。 「わたしの代りに、あの人を大阪へ連れて行ってあげなさい。きっと喜ぶわ」  これは別れの言葉だった。吉岡は顔をそむけ、何も言わずに、新しい煙草に火をつけた。実は、私は知っている。|あの人《ヽヽヽ》を大阪へ連れて行くわけには行かない。|あの人《ヽヽヽ》は良人のある人なのだ。私は、自分の意地のわるい言葉の、その意地のわるさに、ふと嬉しくなる。  夜、吉岡は私を求める。拒むのは容易なことだ。しかし私は抵抗しない。抵抗するだけの意慾がなかった。すてばちな気持だった。犬に餌《えさ》をあたえるように、私は私自身を彼にあたえる。肉体と精神の分裂。私の肉体は私のものではなかった。抜け殻だった。彼は抜け殻を喰べる犬だった。これは、拒絶よりももっと手きびしい拒絶だった。私は計画的にそうしたわけではない。結びつきを求める感情がないときには、性はむなしいものだった。私は充足しない。そしてますます傍観的となり、批判的になる。  男という存在は、女が彼を求めている時だけ、存在の意義がある。求める心が私に無くなったとき、男はむなしい。私は性を通して男の世界とつながり、社会とつながる。そのことによって私は充足する。しかしそれは瞬時にして消えてゆき、やがてまたあたらしい充足をもとめる。くり返すことによって維持される充足感。けれどもそこから先の発展はない。子供を目的にしない、ただそれだけの性の世界は、行き詰りであり袋小路であるようだ。充足と思われたものは本当の充足ではなくて、愛情がうしなわれると同時に、充足感は空虚感に変る。  私は空虚な心のなかで、この人を熱愛した三年まえのことを思いうかべる。私はまちがっていたようだ。吉岡弦一はいつも華麗な夢をえがき、自分の描いた夢に興奮し、自分勝手な希望に心をわき立たせている男だった。そのことの空《むな》しさに私はいまになって気がついた。しかし私自身も、吉岡という男を手がかりにして美しい恋の夢をえがいていたような気がする。最も男性的な男性、最も発展性に富み活動力にみち、計画性と実行力とに富み、無限のエネルギーを持ち、闘志にあふれた、力強くたのもしい男だと思い込んでいた。そんな男との結びつきを得たことに、私のからだは髪の毛の一筋までも喜びにみち、彼のために私を焼きつくしても悔いなかった。だからこそ私は白鳥座をしりぞき、何もかもふりすてて、吉岡と同居したのだった。私はまちがっていた。彼の本質は、女を愛することを知らない男なのだ。  私の眼から涙が流れていた。後悔というよりは、私の期待したものが、メーテルリンクの芝居の中の青い鳥のように変色してしまったことを悲しむ涙だった。  吉岡は私の涙に気がつき、私から離れた。そして、私たちの関係がもう本当にだめになってしまったことを、彼もようやく理解したようだった。多分彼は、肉体をとおして心の結びつきを取戻すことが出来ると思っていたのであろう。そういう時期もあったに違いない。私はそれを否定しない。しかし私の心臓はカンフルの注射でももう動かなくなっていた。医師は臨終を宣告するより仕方がない。何もかも手遅れだった。 「ごめんなさいね」と私は言った。「わたし、駄目になったのよ。あなたが大阪で仕事を見つけて下さったこと、感謝しなくてはならないんだけど、もう、ついて行けないわ。あなたは野獣みたいな人なんだから、そういう生き方をするのが良いんだわ。無理に私なんかを引っぱって行こうとしない方が、あなたの為にもきっと良いのよ。わたしは自分で、何とかします。もう一度はじめから、やり直して見ます。  私は今だって、あなたをすっかり嫌いになったという訳じゃないの。あなたは良いところを一杯持った人だと思う。野心的で、天才的で、とても面白いと思うわ。でも、あなたといっしょに生活することに、私は疲れてしまったの。あなたには私を疲れさせるような何かが有るのね。仕方がないわ。私も悪かったと思うけど、どうしていいか解らないの。ごめんなさいね。これから先、いっしょに暮しても、巧く行かないように思うのよ。本当は、とても好きなんだけど……」  こういう言い方は、私の本心でもあり、私の計算でもあった。本心を吐露する場合にも計算は有り得るのだ。私はもう、彼を好きだか嫌いだか解らなくなっている。どっちとも言えるのだ。嫌いだから別れたいと言えば、男の面目はまるつぶれだ。彼は意地になっても別れまいとするだろう。好きだけど別れたいという言い方は、男の面目を立ててやる言い方だ。好かれているという誇りが彼を安心させる。吉岡は私を強く抱きしめた。抜け殻であった私のからだには、精神がもどっていた。 「いままであなたと一緒に暮したことを、後悔しないわ」と私は言った。「ずいぶん楽しいことが沢山あったのよ。お別れしても、良い思い出をいっぱい持っているわ。あなたは子供みたいにまっ直ぐで、馬鹿みたいに正直で、なんにもかくすことが出来なくて、やんちゃで、野心的で、本当に良い人なのよ。これ以上いっしょに生きて行くことはむつかしいけど、別れたあとはきっと、良い印象ばかり残ってると思うわ。……わたし、きれいにお別れしたい。心残りなほどきれいに、お別れしたいの。……賛成して下さる?」  彼は私を抱きしめ、私の胸に顔をうずめ、悲しみに慄《ふる》えながら、 「我儘ばかり言って、俺はわるかったなあ」と言った。「かんべんしてくれ。ほんとうは、じゅん子を幸福にしてやりたくって、あせって居たんだ。いくらあせっても、巧く行かなかったんだ。俺が悪かったんだよ。憎まないでくれよな」  散々浮気をして、私を悲しませたことなど、この男はすっかり忘れているらしかった。そういう風に善良で、頼りない男だった。  これで、ともかくも、別れの協議は終った。円満に、かつ、みっともない痴情沙汰にはならずに。……こういう解決にみちびいたのは、私が巧くやったからだった。私は終始イニシアティヴを取り、けだものを罠《わな》に追い込むように、怒らせずに静かに、彼を追い込んだ。私の方が悪辣《あくらつ》だったと言ってもよい。悪辣さが必要であったのだ。そうしなくては、私は逃れることができなかった。女の智慧《ちえ》、弱者の智慧だ。  二月九日——  朝の急行で吉岡は大阪へ出発した。私は東京駅まで見送る。最後のエチケットだ。実は、エチケットにかこつけて、どさくさまぎれに、話をつけて置きたい事があったのだ。つまり、別れるための協定は成立しているが、それは原則的協定にすぎないものであって、いつ、どんな風にして実行するかという細目の協定はまだ出来ていなかった。吉岡は四日間の予定で大阪へ行く。その間に私は一切の始末をつけてしまいたい。  山手線の電車はこみあっていた。私たちは吊革《つりかわ》を持って立っていた。こんな場所で落着いた話が出来る筈はない。いわんや別れ話などをするべき場所ではない。私はわざとそういう機会をとらえる。私は彼の胸に寄りそうて、ささやく。 「あなたのお留守のあいだに、わたし、引越してもいいかしら」  吉岡はきれいな眼で私の顔を見つめた。わずか二十センチの距離から私を見つめ、悲しい表情をした。 「どこへ引越すんだい?」 「これから探すのよ」 「家賃だの、敷金だの、何も無いじゃないか」 「何とかなるわ。売ったり、質屋へ入れたり……」 「かわいそうだなあ」と彼は言った。「今度かえる時に、いくらかかねを都合して来るから、それまで待てよ」  私はふと、涙ぐんで見せる。そしてオーヴァーの上から彼の腕につかまる。 「有難う。でも、あなたが居ないうちに引越したいの。あなたの顔を見ていると、わたしはまた、駄目になってしまうから。……居ないうちに、ひとりで引越すわ。あんまりお酒飲んだら、駄目よ。あなたは調子に乗るとすぐに無茶苦茶をするんだから。……解った?」  彼は小さくうなずく。これでいい。これだけの事さえ言っておけば、あとは私が勝手に何でもやれるのだ。つまりこれは私の方からの、一方的な宣言であった。電車のなかのどさくさまぎれに、極く軽い調子で、引越しの話をつけて置いたわけだった。  吉岡は案外あっさりしていた。彼はどこにも、どの女にも、彼自身を定着させることができない。私に対しても定着してはいなかったのだ。だから彼自身を私から引き剥《は》がすのに、格別な苦労はなかったらしい。女と別れることの苦痛が、彼は骨身にこたえないのだ。こうした男が、子供をもっていなかったということは彼にとって幸いだった。その分だけ悲劇がすくなくて済むわけだった。女との別れはしばしば喜劇であるけれども、子供との別れは百パーセント悲劇だ。男女関係というものは、親子関係にくらべれば、まことにはかないものであるらしい。  駅につくと、ホームに汽車が来ていた。彼は窓から顔を出した。明るい表情になっていた。彼はあっさりと私を清算してしまったらしかった。他人の眼から見て、私たち二人が、この時かぎりで別れるのだとは信じられなかったに違いない。彼は手をさしのべて私の手を握った。 「じゅん子よ、お前にあげるものが何もなくて、悪かったなあ。まあ一つ、元気でやってくれ。白鳥座で芝居をやる時には見に行くよ。……これからもときどき会おうじゃないか。ねえ、どうだ、年に一度、クリスマスに会おうじゃないか。二人で七面鳥を食べてさ……」 「いいわね」と私は言った。  私たちは笑顔を向けていた。それは作り笑いではなかった。この男と別れることが、私は嬉しかった。そしてまた、年に一度クリスマスに会おうという吉岡の空想が、おかしかった。彼はそういう空想の美しさに曳《ひ》きずられる男なのだ。しかし決して実行はしない男だった。そういう彼の手口を、私はもうことごとく知っていた。悪気というものはまるきり無い。しかし無責任で嘘つきで、嘘つきというのが、出来もしないことを、実行する気もないことを、その時だけは本気になって、約束してしまう男だった。  汽車が動きだした。 「さようなら、じゅん子……」と彼が言った。 「さようなら、あなたのこと、忘れないわ」と私は言い、彼の手を握った。  その握手は、すぐに切りはなされた。汽車はぐんぐん速くなり、吉岡のきれいな横顔がみるみる遠ざかって行った。私はせき上げるようにして泣いた。泣く筈ではなかったのに、嗚咽《おえつ》がこみ上げてきた。そしてこの悲しみは、何かしら快適だった。足かけ四年にわたる二人の過去が一度に思い出され、心臓がしびれるほどなつかしかった。彼の肌を、彼の情熱を、そして幾度かくり返した彼とのいさかいを、私は痛いほど思い出していた。別れというものは、たといその男がどんなに嫌いな人であっても、やはり女の心は血まみれになるものらしかった。その血が、一切を洗いながしてくれるだろう。私は一分とは泣いていなかった。そのあいだに汽車の末端は蜜柑《みかん》箱ほどの大きさになって居り、プラットフォームは|がらんどう《ヽヽヽヽヽ》になり、レールの枕木の上に二、三羽の鳩が舞い降りていた。  私はひとりで街に出る。いまから何をしていいか解らない。下宿を探すこと、就職のこと、おかねのこと、問題はたくさん有るのだが、何もする気がない。私は腑抜《ふぬ》けのようになっていたようだった。時間が全部、私の自由だった。私の行動もすべて私の自由だった。それはほとんど空《むな》しいこと、無意味なことだった。自由とは名ばかりで、私が何とかしなくてはならないのだ。時間を消費するについて、自分で予定を立て、自分の行動について自分で計画を立てなくてはならない。  私は捨子になったような気持だった。街のすべてが、私に対する迫害者のように見えた。私は自分で身を守らなくてはならない。それから、衣食住の方法を見つけ、生きて行く足場をつくらなくてはならない。男から解放された私のこれから先の日常は、すっきりとすがすがしくて、きっと良い気持だろうと思う。それは何とも言えない楽しさであったけれども、私は自分を持てあましていた。何をしてもかまわない、全く自由な自分などというものは、どうにも仕様のない、始末のわるいものだった。まるで、いま別れたばかりの吉岡がまだ私の眼の前に立っていて、私の邪魔をしているようだった。つまり、私はまだ本当に吉岡から別れ切って居なかったのだ。私は自由だと思っていたが、自由な身分になっただけで、心の自由はまだ取戻してはいなかった。男というものはそれだけ深く、女の中に根をおろして居るものらしかった。  喫茶店にはいり、白鳥座に電話をかけてみる。石黒先生は来ていなかった。仕方がないから先生の自宅に電話をかける。やっぱり奥さんが出てきた。私は理由もなく、この人がきらいだった。前の奥さんは私とは仲が良かったが、今度の奥さんになってから私は一度も会ったことがない。会いたくないのだ。会えば前の奥さんの事を思い出すにきまっている。今度の人は未亡人で、石黒さんよりも年上だという話だった。そんな人のために前の奥さんを離縁した石黒さんの気持がわからない。 「朝倉ですけど、先生はいらっしゃいますかしら」 「どちらの朝倉さんですか」  どちらの……と云われて私は返事に困る。 「あの、ずっと前からのお知りあいなんですけど……」 「どんな御用でいらっしゃいますか」 「ちょっと、急にお会いして、お願いしたい事があるんですけど……」 「ああそうですか。でも、どんな御用なんでしょうか」  意地わるめ! と私は思う。いやな女だ。私の事を嫉妬《しつと》しているらしい。 「電話では申し上げ兼ねますので、今からお訪ねしたいと思うんですけど……」 「ただいま外出して居りますの」  私は舌打ちした。何という嫌な女だろうと思う。私は前の奥さんの味方になって、今度の奥さんを本能的に憎んでいたようだった。 「どちらへお出かけになったんでしょうか」 「さあ。何も聞いて居りませんが……」  知っているくせに、私に知らせたくないのだ。妻というものの嫌らしさ。良人に近づく女を全部敵視して、自分ひとりの安全を守ろうとする本能的な嫉妬心。嫉妬ではないような体裁をととのえて、鄭重《ていちよう》に、いんぎんに、意地わるをやってのけるエゴイズム。今度石黒さんに会ったら奥さんの悪口を言ってやろうと私は思う。  大体、石黒さんが再婚したという事が私は気に入らない。再婚なんて不潔だ。前の結婚か二度目の結婚か、どちらかが不純なものだったに違いない。今度の奥さんは先生より年上だというから、もう四十になる頃だ。一昨年結婚したときだって三十八ぐらいだ。そんな年になって、自分より若い男と結婚する女が、まじめな女だとは私には思えない。そんな人と性関係を結んでいる石黒さんは、すこし堕落したんじゃないかと私は思う。  昼まえ、アパートに帰る。吉岡が五日も帰らなくても、私は何とも思わなかったのに、別れるときまってみると、この部屋の表情がまるで変っていた。私たちが別れるよりも前に、この部屋が生気をうしない、死んでいた。部屋の中の家具も衣類も世帯道具も、みんな血が通わなくなっていた。何もかもが、持主の無いがらくた道具に見えた。売るものや質に入れるものを探してみたが、何も無い。こんな部屋に世帯を持って、今日まで暮してきたのかと、自分に呆《あき》れる思いだった。  夜、ひとりで寝る。よその家に寝ているような気持。馴れたベッドさえも寝心地がわるい。ひとりで寝ることがこわい。あんなにうとましく思った彼を、私は求めていた。もしかして帰って来てはくれないかと思ったりしていた。吉岡という特定の人を求めていたのか、ただ一般的な伴侶《はんりよ》を求めていたのか、わからない。寝つかれず、夜半に起きてウイスキイを飲む。自分のだらしなさに、失望する気持。たくさんの思い出が次から次へと浮んでくる。思い出に悩まされるあいだは私は駄目だ。自分がからっぽになった感じ。なぜこれがからっぽであるのか。何によって今日まで充たされていたのか。今日までの生活だって、私は充たされては居なかった。しかしこの空虚さは耐え難い。仕事をもたなくてはならない。仕事が私を充足させてくれるだろう。しきりに、芝居をしてみたくなった。  二月十日—— (北山真平さんからの速達) 金曜日、僕はホテルで八時まで君を待っていた。僕は孤独なピエロだった。じゅん子にあげる予定だったプレゼントはまだ僕のポケットにはいっている。この重みが僕をさびしくさせる。火曜日の六時半、もう一度ホテルのロビイで待っています。今度はきっと来てくれたまえ。たとい一分でもいいから。僕のかわいいマリヤに。……  午前九時にこの速達がきた。気の利かないラブレターだ。恋の手紙は夕方になって先方にとどくように送るべきだと思う。私はまた、ひとりでにやにやする。五十六、七になって、こんな幼稚なラブレターを書く北山さんを、私は悪い人だとは思わない。彼はただ放蕩者《ほうとうもの》で飲んだくれであるだけで、性は善良だ。善良だからこそ白鳥座の借金を背負ってくれたのだ。善良だから、みんなが馬鹿にする。もっと悪党だったら、もっと尊敬されたかも知れない。  多分北山さんは、お金がたくさん有ることによって、我儘《わがまま》でお人好しになってしまった。放蕩も飲んだくれも彼の財産に原因している。つまり北山真平という人の人格は、彼の財産によって形成されたものであるらしい。財産を失うことがあったら、彼の人格も破産するのではないだろうか。  もしかしたら北山さんは、そういう自分の不安定さを知っているのかも知れない。あの人がしきりに女性を求めるのは、女性によって彼の孤独を救われたいという願いによるものであるかも知れない。しかし彼は、どんな女性によって孤独を支えてもらうことが出来るか、その事の見当がついていないらしい。だから手当り次第に相手をもとめ、私までも彼のマリヤにされてしまった。北山さんは自分の求めているものの姿をよく知らないのではないかと思う。私は、人が嫌うほどひどく、彼が嫌いではない。火曜日は今日だ。  午後、白鳥座に電話をかける。三度目にようやく石黒さんをつかまえた。 「先生、すみませんけど、今日のうちにちょっと会って下さいません?」 「何でそんなに急ぐんだ。お前さんがそんな勝手なことを言ったって、俺の都合はそうは行かないよ。忙しいんだから……」 「どうしてそんなに、先生は意地わるなの。人が困っているときに……」 「お前が困ったって、俺の知ったことじゃないよ。何を困ってるんだ。このあいだはどうしたい。牛肉と酒と買って帰ったか」 「いいえ」 「それでどうした。巧く行ったか」 「別れました」 「なに、別れた?……別れちゃいけないって言ったじゃないか。なぜ言うことを聞かないんだ」 「私が吉岡と別れたら、もうつきあってやらないって、先生は言ったでしょう」 「ああ言ったよ。それがどうした」 「本当につきあって下さらないの?」 「馬鹿野郎、なにを愚図々々言ってるんだ。俺に見放されたらお前は行くとこなんか無いじゃないか」 「だから会って下さいって言ってるんじゃないの。きのうだって一日先生を探していたのに、どこに居るかわからなかったのよ。お宅の奥さんは教えて下さらないし……」 「うちへ電話かけたのか」 「そうよ」 「何だ、お前、泣いてるのか」 「泣いてるわよ」 「泣くぐらいなら何で別れた。お前はまだ、離婚なんていう洒落《しや》れたことをやるような柄じゃないんだ」 「先生なら離婚してもいいの?」 「そうさ」 「わたし、先生の離婚に反対よ。再婚にも反対だわ」 「偉そうな事を言うな。お前と何の関係があるんだ」 「先生のうちへ行きたいけど、行かれないじゃないの」 「ああそうか。それゃ気の毒だったな。お前が嫌う気持、わかるよ」 「あら、わかって下さるの?」 「解るさ。俺も困ってるんだ」 「あら、本当?……うれしい。先生、別れなさい」 「馬鹿野郎。ひとのことを言うより、お前はどうする気なんだ」 「だから相談に乗って下さいって言ってるんじゃないの」 「五時に白鳥座へおいで。待っててやるから」 「はい。済みません」 「五時かっきりだよ」 「はい、参ります」  電話を切ると、(何て乱暴な会話だろう)と私は思った。相手が悪いのだ。石黒さんの話というのはいつだって、急行列車が田舎の駅をすっ飛ばして行くようで、話の本筋ばかりを真一文字に突っぱしる。ぐずぐずしたことが大嫌いで、解りが早くて、結論ばかり急いでいるみたいだ。あの調子で離婚された奥さんは、未練が残っただろう。石黒さんは年じゅう浮気をしているらしい。財産などちっとも有りはしないのに、次から次へと愛人が出来るという話だ。女の側で見れば、考えているひまもなく、激流に押し流されるようにして何とかなってしまうのではないだろうか。  吉岡の自信は裏付けがなくて、危ない気がするから、こちらはついて行けないが、石黒さんの自信は実行力が伴う。すごい自信だ。(俺に見放されたらお前は行くとこなんか無いじゃないか)と先生は言った。ずいぶん馬鹿にしている。しかし悪い気持じゃない。私は助かったと思った。私は引越し代や当分の生活費などの借金を申し込むつもりだった。断わられたら路頭に迷うところだった。死んだ兄貴に感謝したい。  五時きっかり、白鳥座へ行く。先生は稽古を終って、別室で原稿を書いていた。 「何のはなしだ。|かね《ヽヽ》だろう」と、いきなり言う。  私は思わず溜息《ためいき》をついた。こういう人を良人に持ったら、奥さんは気持の休まる時があるまいと思う。 「ずいぶんお察しがいいのね」 「ほかに用がある訳はないじゃないか」 「もう一つあるわ」 「何だ」 「白鳥座に戻らせて下さい」 「それは俺の役目じゃないね。奥田君に頼めよ」 「先生も口添えして下さい」 「口添えぐらいはしてやるが、本気でやるつもりかい」 「本気でやらなくては生きて行けません。北山さんには今日、これから会って頼みます」 「北山なんかに会わなくってもいいよ」 「向うから会いたいって言うんです。けさ速達を下さいました」 「そいつは危ないな。気をつけろ」 「大丈夫です」 「かねはいくら要るんだ。三万円か」 「そのくらいお願いしたいの」 「あした取りに来い。言っておくが、やるんじゃないよ。お前だって貰えば引け目になるからな。何年たってもいいから必ず返せ。返せば今まで通り対等だからな。俺はそんな事でお前に恩を売りたくないんだ」  私は手も足も出なかった。これが北山さんならば、私が返すと言っても、只で呉れてしまうだろう。その事で自分の優位を保とうとするだろう。そうしなくては優位が保てないような気持。それだけ自信がないのだ。財産があれだけ有るくせに、自信が持てないということは、悲しい事だ。財産なんて、大したものではないらしい。  用談が終ると石黒さんは煙草に火をつけて、 「よく、別れる決心がついたな」と言った。 「だって、仕方がなかったんです」 「本当を言うと、去年あたりから、きっと駄目になると俺は思っていたんだ。吉岡の魅力なんて、うわべだけのものだから、それに気がついたらお前はきっと、何かやりだすだろうと思っていたよ。馬鹿な女なら一生気がつかないが、お前は悧巧《りこう》だから、三年で気がついたわけだ。まあいいや。新しく出直せ」 「はい」 「辛かったろうな」  そのひとことで、私はしゃくり上げて泣いてしまった。死んだ兄貴の代りに、この人が私を慰めてくれたような気がした。この人の気持は、まるで肉親のようにぶっきらぼうで、肉親のように底ふかい温かみがあった。  そのあとで劇団の奥田理事に会う。ねちねちと嫌味を言われる。 「生活に困るから劇団にはいりたいというんじゃ、こっちはちょっと困るんだよ。ねえ、生活が楽になったらまたやめたくなるだろうしさ。……それからね、結婚するとすぐ芝居をやめたくなるというのも困りものでね。つまり腰かけみたいな気持では女優さんは困るんだよ。ねえ、こっちとしては……。まあ当分は収入をあてにされても駄目だと思うね。しばらく勉強をやり直さなくてはね」  この人は、こういう言葉で、私をやり込めることによって、一種の優越をたのしんだり、自信をつけたりしたがっているらしい。劇作家にもなれず俳優にもなれなかった五十男は、そういうやり方でもって、失った自信をわずかに支えようと試みる。しかしその結果は反対に、けちな男だと思われるだけなのだ。かわいそうな人。きっと自宅では女房に冷たくあしらわれて居るに違いないと思ったら、すこしおかしかった。女から見て、滑稽に見えるような男は、どうにもならない。ユーモアは心のひろさや豊かさを示す。心のせまいけち臭い男は、滑稽に見える。似たようで、大ちがいだ。  ホテルに着いたのは七時をすぎていた。北山さんはずんぐりした躰《からだ》をロビイの腕椅子に沈めて、煙草をすっていた。吸口が彼の唾液で汚ならしく崩れていた。酒でたるんだ皮膚、ぶらさがった二重|顎《あご》、下唇が垂れさがって、金歯が見えている。男もこれだけ弛緩《しかん》してしまっては、もう魅力はない。私がちかづいてお辞儀をすると、彼はうすく笑って、 「今日もすっぽかされるのかと思っていたよ」と言った。「吉岡君に何て言って出て来たの?」 「黙って来ました」 「ふむ。あとで痴話|喧嘩《げんか》になったりしない?」 「そんなこと、ありません」 「じゃ、今日はゆっくりしていいんだね」 「いいえ、いろいろ用があるんです。すぐ失礼します」 「そんなに忙しいの?」 「はい」  彼は立って、ホテルのバーへ私を連れて行き、コニャックを二つ注文した。 「わたし、お酒なんか飲めないんです」 「まあいいよ。今日はね……」彼は内ポケットから白い角封筒をとり出し、にやっと笑った。「五十万円あるんだ。何でもおごるよ」  こういう言葉が、私にとって魅力だと彼は思っているらしい。ところがそれは彼の下等さを示すばかりなのだ。かねの力は北山さんの力になっていない。私は五十万円に反撥を感じただけだった。彼は角封筒を元のポケットにおさめ、別のポケットから赤いリボンのかかった小さなものを取り出した。それを私の手の中に押しこむ。北山さんの手は厚ぼったくて、汗ばんでべとべとしていた。私は拒む。彼は苦い顔をして私の手に押しこむ。仕方なく私は貰うことにした。中身は知らない。気の毒に、この人は、この品物を損したのだ。彼は私に一歩ちかづいたつもりかも知れない。その分だけ私は遠ざかっている。男というものはしばしば、こういう無駄な損失をやっているのではないだろうか。彼は女への贈物に、心を託する。女は贈物だけを受取って、心は受取らない。両方のエゴイズムが、喰いちがっているのだ。しかし私は、だから女の方が有利だとは思わない。案外、たのしんでいるのは男の方かも知れない。 「さっき、奥田さんにお会いして、白鳥座にまた入れてもらうことにしました」 「そう。それゃよかったね。だけど、吉岡君も賛成してくれたのかい」 「いいえ」 「反対を押し切ってはいるのか」 「いいえ。別れたんです」  私はなにもこの人にむかって、離婚の報告をする必要はないのだ。それをわざわざ、私はしゃべってしまった。離婚ということが心に重くて、ひとりでは耐え難かったから、他人に言ってしまいたい。そんな風な気持もあった。離婚ということに自分だけの奇妙なヒロイズムを感じていたようでもあった。しかしそのほかに、北山さんに一種のショックを与えてみたい気持もあった。離婚の報告は彼を刺戟《しげき》する。彼は一層しつこく私をもとめて来るだろう。私は彼から巧く逃げるだけの自信はある。そうやってスリルを楽しんでみたい、娼婦的な気持が、私のなかに有ったかも知れない。彼によって何かを利益しようという計算は、なかった。私にはそんな物慾はない。男ごころを刺戟してみたい女の本能にすぎなかった。ちっとも好きでない男からでも、関心をもたれていることは良い気持だ。女は、誰かから求められているという自覚によって、生きて行く自信を支えられる。だからこれは、必要なホルモン剤のようなものである。私は、あまり良いことだとは思わないが、別にはずかしいことだとも思わない。  北山さんの反応は、私の考えていたよりはずっと鈍かった。 「そう。別れたの。……それなら今夜はゆっくりして行ってもいいじゃないか」  そういう風にこの人は、ひとの心のわからない人だった。自分の都合だけしか考えていない、エゴイストだった。沢山の財産があるということが、却って彼をエゴイストにしてしまったのであろうか。  私は、今後とも宜しく頼みますとあいさつして、匆々《そうそう》にホテルを出た。そのうちきっと、良い役をつけてあげるよと彼は言って、べとべとした手で私の手を握った。握られた手を私は大急ぎで、スカアトで拭った。  いまから下宿を探さなくてはならない。引越しがすまないうちは、本当にひとりの気持にはなれないのだ。 [#改ページ]     2  六月七日——  街で、和田夫人に会う。この夫人の身辺には性の匂いが無い。凍るような美しさ。アイスクリームを御馳走になる。うちへ遊びに来いとしきりに言われるが、私は言葉を濁す。遊びに行っても楽しくないのだ。贅沢《ぜいたく》な住居のなかで、夫人は人形のように淋しく暮している。良人《おつと》は妾宅《しようたく》に入りびたりだ。七、八年まえに、ひとり息子がジフテリヤで死んだ。それ以来彼女の子宮は萎縮して、子供を受けつけなくなってしまった。精神的ショックが彼女を不妊症にしたのだ。 「今日は、お買物ですか」と私は問う。  夫人はかすかにほほえんで、頭を振った。 「パチンコをして、遊んでいたの」  私は襟《えり》もとが寒くなるような気持だった。ダイヤの指環をはめ、とかげのハンドバッグを持って、この美貌の夫人はパチンコという愚劣な遊びにふけっていたのだ。何とも言えないむなしい姿だ。美貌も財産も、彼女を充足させることはできない。美人であるということは、それだけでは、私たちがあこがれるほど、女を幸福にするものではないようだ。彼女は絶世の美貌をもったまま、(生ける屍《しかばね》)になっている。  もうひとり、私は知っている。これは男で、仁田さんという六十ちかい勤め人だ。去年の冬の夜、七時すぎ、郊外の方の小さなさかり場で、彼が一心にパチンコの玉をはじいているのを私は見た。彼の家までは歩いて七分の距離。七時すぎは家庭の夕食の時間だった。しかも彼は会社の帰りに、こんな店にはいり込んで、外套《がいとう》と襟巻とをつけたまま、懸命に玉をはじいているのだった。何とも言いようのない孤独な、気の毒な姿だった。彼の家庭は子供がなくて、仲の良い二人だけの暮しだった。そんなに仲の良い夫婦のあいだにも、このような空虚があるのだった。  私はまだ二十七だ。いま、私の生活のなかに空虚があるにしても、それは仁田さんのような深刻なものではない。自分の時間をもてあましている姿はあの和田夫人と似ているけれども、この時間は私の沈滞ではなくて私の可能性を意味する。この空虚な時間のなかで、私は過去三年以上にわたる吉岡弦一との生活を反省し、結婚とは何であり、女とは何であり、性とは何であり、生活とはどのようなものであるべきかという事について、結論的なものを見出さなくてはならないと思う。  要するに、充たされた生活とは何か。それを発見することなのだ。充足の条件は、男と女とでは違うかも知れない。性格により、立場により、教養の差によって、充足の条件は一つではあるまい。しかし基本的な条件は、さほど多種多様ではないと思う。つまるところ、(私は何によって充たされるか。)それを見出すこと。そしてその為に準備すること。  いま、私の生活には多くの空虚がある。芝居の稽古以外には、全く空虚だ。この空虚は、吉岡という刺戟《しげき》的な男性からはなれ去った直後の、虚脱感であるかも知れない。虚脱感はむしろ自然な経過であり、恢復《かいふく》期であると考えてもよい。私の暮しはまことに貧しいが、誰から侵害されることもなく、誰から干渉されることもなく、自由で清潔だ。辛うじて生きて行けるだけの収入もできたから、その方の不安もいまは無い。物慾がすくなければ、さし当っての不幸は感じなくて済む。私の心を充足せしめるほどの幸福な条件はないが、この空虚は、空虚であるが故に充たされている。空虚がいつまでも楽しいとは思わないが、しばらくはこの空虚な生活を味わって行きたい。それは恢復期の病人が、一日々々の安静と無為とをたのしみながら、全快する日を気永に待っているゆたかな空虚に似ている。  連続四回のラジオ・ドラマに出ることがきまり、きょう午後一時から放送局で本読み。三時二十分に終る。建部さんから、自動車の運転を習いに行こうとさそわれたが、断わって帰る。そんな経済的ゆとりも無いが、自家用車というものに私は反感をもっている。自家用車のエゴイズム。他人に対する愛情のない、つめたく孤立した心。こういう心は純日本的ではなくて、輸入されたものらしい。舶来のエゴイズム。  六月十二日——  旧姓は里村春美。短期大学で私と同級だった。四年ほど前に結婚して長谷川春美。クラスでも一番の美人だった。私はひまだったから、デパートの中のいろいろな売場をひやかして歩いているところを、向うから声をかけられた。悧巧《りこう》そうな男の子の手を曳いていた。七階の食堂にさそったのは、私の方だった。彼女は去年の春、良人をうしなった筈だ。若い若い未亡人……。そのことに私は興味があった。友達が未亡人になったという事は、なかなか刺戟的で、もっと正直に言うならば、芝居を見るよりも魅力がある。それが悲劇的なはなしであればあるほど、聞く方にとっては一層おもしろいのだ。彼女の孤独は多分、わたしの孤独とは質がちがっているはずだ。その孤独が、どんな風に彼女に苛酷であるか。精神的孤独と性の孤独。未来に対する希望と失望との割りあい。……  もちろん私は、決して面白いような顔はしない。充分に同情の意を表する。しかし、同情という感情をもつことだけならば、かなり良い気持でもあるし、私にとっては何の損失もなく、労力も要らない。相手は同情されたことで私に感謝するかも知れないが、私の方はただ手ぶらで同情しているだけなのだ。そういう気持は不道徳であるだろうか。もしかしたら嫉妬《しつと》のような、復讐《ふくしゆう》のような気持であるかも知れない。美人に対する復讐。美しい友達に対する一種の敵意のようなものを、私は前からもって居たかも知れない。彼女が素敵な結婚をしたということに対する反感もまじっていたように思う。反感と羨望《せんぼう》とは、まざり合ってどっちがどうだかよくわからない。  春美さんの御主人は化粧品会社につとめていた。その父親が社長であったから、彼女も行く行くは社長夫人になる筈だった。御主人はスポーツマンで美男子で、素敵な人だった。(結婚したら一年か一年半のうちに、海外の業界視察をかねて、二人で外国旅行に行く)ということが、春美さんに与えられた結婚の条件であった。  多分それは春美さんの気を引くために、長谷川氏の方から言い出した話であっただろう。男がよく使う常套《じようとう》的な手段だ。春美さんはその話に乗った。挙式の前ごろ、彼女はその事を誇らしげにしゃべりまくっていた。 「長谷川が約束を実行しなかったら、わたし別れてやるわ」  思い上った女の気持から、彼女はそういうまちがいを犯したに違いない。もともと外国旅行と結婚とは何の関係もありはしない。結婚の条件になり得ないものを、二人は条件にしていた。それはただ、結婚を一層たのしいものに幻想させるのに役立っただけだった。  結婚ののち半歳たって、彼女は妊娠した。それは一つの事故でもあり、あたり前なことでもあった。約束の実行は当分不可能になり、長谷川氏はひとりで海外旅行に行ってきた。まもなく男の子がうまれ、一年もたたないうちに第二の事故がおこった。長谷川氏は冬山で遭難し、行方不明になってしまった。外国旅行の約束は永久に破棄され、残されたものは子供だけだった。  三歳にもならない男の子はおぼつかない手つきでメロンを食べていた。眼と眼のあいだの広いところが母親によく似ていた。母親と私とは珈琲《コーヒー》を飲んでいた。 「ほんとにわたし、馬鹿を見ちゃったわ。主人は長男だったでしょう。だからこの子を連れて実家へ帰るわけに行かないのよ。子供が無ければもう、さっさと帰ってしまうんだけど、帰るに帰れないの……。これ、まずい珈琲ね」 「だって、子供が居るんだから、いいじゃないの。あなたはひとりきりじゃないわ」 「冗談言わないで。子供の犠牲になることなんか、まっぴらだわ。まだ若いんですからね」 「どうしてそれを犠牲だと考えるの?」 「だって、犠牲にきまってるわ。子供に縛られて居たら何もできやしないわ」 「何もできないって、……何をしたいの?」と私は意地わるく問い詰めた。 「それゃ、いろいろよ」 「いろいろって、何なの? はっきり言えば、再婚したいの?」 「再婚するかも知れないわ」 「再婚して、どうするの。どんな良いことがあるの。その人がまた冬山で遭難したら、あなたはまた再婚するの?……そんな不安定な結婚に望みをかけるよりも、自分の子供に望みをかけたらどうかしら。あなたは経済的にめぐまれて居るんだから、子供と二人で充分に生きて行けるじゃないの」 「そうは行かないわ。……子供だけが人生じゃないもの。あなたは御主人が居るからそんな口が利けるのよ」 「居ないわ」 「あら、居ないの?」 「別れたわ。この二月……」 「どうして?」 「夢がさめたのね」と私は言った。 「わたしはさかさまだわ。もっと夢が見たいのよ。いっしょに暮したのは一年とちょっとぐらいでしょう。夢を見ている最中に叩きおこされたみたいだわ。結婚生活って、もっと良いことがたくさん有るに違いないと思うのよ。だから、あきらめられないわ。いまの生活はまるっきり夢がないの。|舅と姑《しゆうとしゆうとめ》と子供と、三人に縛られて、身動きもできない」  私は自分がいま空虚だと思っていた。空虚であることを少しばかり恥ずかしいように思っていた。ところが里村春美は空虚ですらもなかった。私の空虚はただのからっぽだが、里村春美の場合は、良人が死んだあとの空虚に余計なものが一杯つまっていて、それが、火事で焼けつくしたあとに立っている曲った鉄骨のように、却《かえ》って始末がわるいのだった。 「あのね、ほら、|のちぞえ《ヽヽヽヽ》って云うのかしら、つまり、あなたの所へ婿養子をもらったら巧く行くんじゃないの?」と私は言った。私とは関係のないことだから、私は何でも言える。智慧《ちえ》を貸しているように見えて、実はからかって居るみたいだった。 「だめよ。長谷川には弟が居るの。だから長谷川家としては養子をする必要はないわ。私が淋しいなんていう事は問題じゃないのよ。財産を分けるだけ損ですからね。本当を言うと、私というものがもう要らない人間なのよ。わかる?」 「それなら子供を置いて実家へ帰ったら?」 「子供のない人はそんな事を平気で言うのね。子供を置いて帰れるもんじゃないわ」 「だったら子供に生涯をささげるのよ。それも出来なかったらどうすればいいの? どこかで始末をつけなくちゃ駄目でしょう」 「わたし、浮気をしてやろうかと思うの」と春美さんはきつい口調で言った。  私はびっくりした。そんな事の言える女ではなかったのだ。それは彼女にあたえられた運命に対する、やけくそな挑戦のようであった。なるほど、と私は思った。そういう解決方法もあるかも知れない。このままで居たら彼女はきっと浮気をすることになるだろう。誘惑に対して一番弱い状態にある。弱いというよりは、誘惑を求めているのだ。  しかし、浮気とは何か。彼女がいま空想している浮気とは、要するに心の空虚を埋めてくれる男性がほしいということだ。心の空虚を埋めるものが、なぜ男でなくてはならないのか。心の空虚とは、からだの空虚とおなじものであるのか。音楽を習うことや絵を描くことや社会事業に協力することや花を作ることや、そういうことでは彼女の空虚を埋めることは出来ないのか。女の空虚を埋めてくれるものは男だけしか無いのだろうか。  要するにそれはセックスだけの問題であろうか。子供によって空虚を充たされることはできないのだろうか。……私は自分から求めて吉岡弦一と別れた。私は自分の意志で性生活からはなれて来た。里村春美とは逆の道をあるいているわけだ。私はいつまでも独身を通すつもりではない。しかし私は性生活が生活の全部だとも思わないし、絶対なものでもないと信じている。 「浮気なんて、およしなさい。つまらないわ」と私は言った。「その場限りの享楽だわ。喉《のど》がかわいたからちょっと水を飲むというくらいのことよ」 「あら、違うわ」と春美さんは声をひそめて言った。「喉がかわいた時は、水を飲むよりほかに方法は無いじゃないの。パンや肉や、そんなものは食べたくない。水でなくては喉のかわきを癒《いや》すことは出来ないわ。あなたは解っていないのよ」  私は背筋がさむくなるような気がした。肉体のかわき。それをいけないとは言えない。たとい一時的にもせよ、浮気という行為が彼女の心を充たしてくれるものであるならば、和田夫人のように、パチンコをして遊ぶよりは良いことかも知れない。私は里村春美の悲劇を面白がって、ひやかし半分に聞いていたが、彼女がここまで思い切った言い方をすると、却って私は本当に同情してしまうのだった。外国旅行を条件に結婚するというのは軽率なはなしだったが、軽率であろうとなかろうと、やはり彼女は生涯をかけて結婚したに違いない。その相手の男が、ひとりの子供を彼女に与えただけで消えてしまった。この裏切に対しては、彼女は抗議する権利がある。しかし抗議をしてみても、結果はおなじことだ。要するに今後の生活を、どうやって充たして行くか。それだけが問題だ。何によって充たすか。その選択によって、彼女の今後の運命がきまる。——春美さんは再婚するのが一番いいらしい。どうやって再婚するか。そのための条件を早くととのえることだ。  芝居の切符を一枚あげて、別れる。良い芝居は、彼女の心を充たしてくれるか、または心に鬱積したものを放散してくれるか、どちらかの効果はあるだろう。私たちの長ばなしのあいだに、子供はすこしねむたくなっていた。父の無い子のさびしさを知っているのか、おとなしい子供だった。  六月十六日——  この貧乏アパートは養鶏場のようなバラックの三階建てで、四十の部屋には鶏の代りにぎっしりと人間がつまっている。高貴な精神をもった人間の住むべき場所ではない。四畳半と六畳の部屋が廊下の片側にずらりと並んで居り、壁一重をへだてて、お互いに他人である。その小さな部屋のなかで人々は、飯を食い、貯金をし、相抱いて眠り、子供を産み、また子供を産む。人間の理想も社会の理想も、このアパートとは何の関係もないようだ。私の芝居とも関係はない。だから私はみんなから、白い眼で見られる。  夜八時半、扉をノックする音。私は脚本を読んでいるところだった。来客に対しては本能的に警戒する気持がある。ひとり暮しの女の、条件反射みたいな反射神経である。何を警戒するのか。掠奪《りやくだつ》されることと、暴行を受けること。それから、そうした事件にともなう不名誉や悪評。……そこまで考えていた訳ではない。警戒心はほとんど本能的だ。  扉の外には学生が立っていた。紺のズボンに白い開襟《かいきん》シャツ。黒く太い眉。眼鼻立ちの悧巧そうな青年だ。ときどき廊下で見かけたことがある。紺絣《こんがすり》の木綿の着物をきせたらしゃっきりとして、よく似合うだろう。 「夜分にすみません。お隣の部屋の辛島です」と、すこししゃがれたような低い声で言う。そして意味もなく咳《せき》をした。女づきあいに馴れていない男らしい。  まともに私の顔が見られないらしく、眼のやり場に困っている。それがいかにもういういしい。私は何となく好感をもつ。直感的に、この青年はまだ童貞だな、という気がした。こんな直感はどうでもいいことだ。しかし童貞に好感をもつというのは、娘の感情ではない。これは性的経験をもった女だけの感覚であるらしい。一種の優越感でもある。同時に未経験な青年の新鮮さと清潔さとに対する、あこがれ、愛憐《あいれん》の気持、などであるかも知れない。未経験の者にそれを経験させてやりたい誘惑のようなものを感ずる。私のためではなく、彼のために。……しかしそれも余計なことだ。 「あの、よろしいですか」と辛島君は意味のわからないことを言った。 「何でしょうか」  彼は私の許しも得ないで、扉のなかに一歩踏み込んできた。私は眉をひそめ、一歩後退する。愛憐の気持などは消え去って、最初の警戒心だけが強くはたらく。そして急激に不機嫌になる。学生は左手に重そうな風呂敷包みをぶら下げていた。厳重に紐《ひも》がかけてある。鼠色によごれた、汚ない紐だ。 「ちょっとお願いしたいんですけど……」 「はあ、どんな事でしょう」 「これを、しばらく預かってくれませんか。お願いします」 「何ですの、それ……」 「いえ、何でもないんです。ただ、本と書類なんです」 「どうしてそれを、私にあずけるんですか」 「僕の部屋にあると、ちょっと拙《まず》いんです。あの……警察が来るかも知れないんです」 「共産党の書類ですか」と私は言った。 「違います。ただ、僕たちの仲間の運動に関するもので、何でもないんです。御迷惑をかけることは有りません」  全学連だな、と私は思った。私は共産党にも全学連にも同情的ではない。徒党を組んで大さわぎをすることは、何によらず全部きらいだ。私は足もとに置かれた風呂敷包みを冷たい眼で見おろしていた。私は素足だった。学生は黙って私の素足を見ている。いやな気持だ。 「わたし、お断わりしたいわ」と私は言った。  迷惑はかけないと言っているが、気分的にも迷惑であることは間違いない。こんな、どこの馬の骨だかわからない学生とかかりあいになることは、御免をこうむりたい。警察に見つかれば私も共犯になることは確かだ。  学生はしばらく黙っていた。私も黙っていた。二人とも沈黙のまま対立していると、だんだん私の方が気押されるような気がした。私より五つ六つも若いような学生であるが、もう大人だった。男の圧力のようなものが私を圧倒して来るようだった。それは動物的な気魄《きはく》のようなものだった。こういう時に私は本能的に、男には叶《かな》わないという気がする。吉岡にもそれがあった。石黒先生にはもっと強いそれがある。年齢とはあまり関係が無いらしい。男には叶わないという感覚はあまり悪いものではない。相手が敵でない限り、その感覚は不愉快ではない。相手が愛人や良人であるならば、却って幸福ですらもあるだろう。 「朝倉さんは、白鳥座におつとめですね」と彼は言った。私の名を知っているのだ。「おとといでしたか、ラジオ・ドラマを聞きました。すばらしかったです。僕は聞きながら、涙が出ました。ほんとに素晴らしかったと思います」  狡《ずる》いな、と私は思った。私が拒否の態度を見せたので、急に話を変えて、お世辞なんか言っているのだ。見えすいたお世辞だ。しかし辛島君の表情は大変にまじめで、兵卒のように姿勢を正しくしている。 「僕も高校のときは演劇部に居ました」と彼はまた言った。「大学を卒業したら、どこかの劇団にはいって戯曲の勉強をしたいと思うんですが、どの劇団がいいかわからないんです。僕は石黒市太郎の戯曲なんか、好きです」  巧いことを言っている。私はその手に乗らない。しかし精一杯に私の気を引こうとしている彼の努力だけはわかる。彼にして見ればそうするより仕方がないのかも知れない。 「全学連って、面白いですか」と、私は馬鹿な質問をしてみた。 「いや。……面白いというたちのものではないんです。ただ、じっとして居られない気持なんです。よく、先輩や知りあいの人から、学生は勉強さえすればいいんだと言われます。僕もその通りだとは思いますが、やがて、二、三年ののちには僕たちが直面しなくてはならない問題なんです。その事について、責任を持ってくれる者は誰もありません。自分で責任をもち、自分で局面を打開するよりほかに、僕たちの道は無いんです。その点、解ってもらえないかも知れませんが、僕たちで見れば……」  お説はわかりました。悪いのは社会であり政治であり資本主義経済である、ということらしい。珍しい理窟《りくつ》ではない。私の浅い知識によれば、歴代の学生たちは二十年も三十年も前から、おなじような文句をならべ、同じような闘争をくり返して来たらしい。青年というものは何かしら本能的に、政治に抵抗したい素質をもったもののようだ。まじめな態度だけは認めるが、御説教はもうたくさんだ。 「それで、つまり、これをただおあずかりすればいいんですね」と私はせっかちに言った。「私はかかりあいになるのは嫌ですから、中身は何だか知らないことにしてお預かりしますよ。警察がきてたずねられたら、こんなものを預かって居るって、出して見せますよ。それでもよろしかったらお預かりしますけど……」 「はあ。それで結構です」と辛島君は言った。「三、四日のうちに、僕は友達のアパートに引越す予定ですから、それまで一つお願いします。どうも、済みません」  学生は行ってしまった。私は立ったまま、気味がわるいから足の先で、風呂敷をつついて見る。ずしんと重たくて、中からお化けでも出て来そうだ。こんな物を警察がねらって居るとは思えない。子供だましだ。あの学生は、自分たちがひどく危険な運動をやっているのだと己惚《うぬぼ》れて、そうした悲壮感や英雄主義的な陶酔感をたのしんで居るのではないだろうか。自分ひとりでは面白味がすくないので、私をかかりあいにして、私をびっくりさせたりこわがらせたりして、一層たのしんでいるのかも知れない。つまり私に対する自己宣伝をやったのではないのか。風呂敷の中身は、多分ばかげたものだろうと思う。  しかし、この書類が大したものではないにしても、あの学生が大まじめになって何かの(運動)をやっているのは事実だろう。その事によって彼は充実した時間を過し、精神も肉体も快適な緊張を持続しているのではないだろうか。彼等は多分、自分たちの青春を不幸だと信じ、已《や》むに已まれず、こんなにも困難な闘争をやっているのだという気持から、自分自身を、いら立たしく悲しいものに意識していることだろう。しかもその事によって彼等は充足している。  充足するということは、幸不幸とは別のことであるようだ。不幸のなかで充足した感情をもつことも出来る。幸福な生活のなかで空虚を感ずることもある。充足感はあるときには緊張感であり、危機感であり、あるときには幸福感でもある。……  一時間もたってから、私はふと、変なことを思いついた。さっきのあの学生は、あの包みを持ってきて、私を共犯者にし、のっぴきならない立場にさそい込み、それを手がかりにして私を共産党の仲間にしようという策略ではなかったか。……そんな甘い手に私は乗らない。  もう一つは、あの辛島という学生が、隣室に住んでいる若い女優と何とかして近づきになりたい為に、あんな冒険的な手段を考えだしたのではないかということ。女友達をもたない孤独な学生が、ロマンティックな夢をみて、小さな策略を思いつき、全学連というこけおどしの仮面をかぶって、私をおどかしにやって来たのかも知れない。  そう考えるのが私にとっては一番たのしい。童貞の青年と仲良くなって、ときどき|すき《ヽヽ》焼きを御馳走してやったり、肩を叩かせたり、弟分みたいにして|こき《ヽヽ》使いながら、私の方は威張っていて、時には女性の心理だとか、女に好かれる秘訣《ひけつ》だとか、そんな事をちょっと教えてやることの刺戟的な面白さ。それは私にとってかなり誘惑的な面白さだった。私は危険を感じ、あの風呂敷包みが気がかりになってきた。  六月十九日——  朝のうち美容院へゆく。冷房があって涼しい。ドライヤーで髪をかわかしながら、美容とは何だろうかと考えた。常識的に言って美容には二種類あるようだ。一つは見馴れたかたちの美しさ。つまりみんながやっている流行のよそおい。もう一つは見馴れないかたちの美しさ。あまり人がやっていない珍しいよそおい。  流行にも愚劣なものがある。大部分は愚劣かも知れない。愚劣であっても、流行のすがたをして居さえすれば、多少の安心感がある。美には一定のかたちは無いらしい。見馴れた姿のなかから美が出来てくる。最初は愚劣に見えた流行も、眼に馴れてくれば美しく見えるようになる。  私は丸い顔で眼がきついから、髪をうしろへやって|おでこ《ヽヽヽ》を大きくむき出しにする。これは私の独特なやり方だ。白いおでこを大きく出すことによって、顔がいくらか長く見え、眼のきつさが柔らげられる。口も大きいから、ルージュは眼立たないダーク・レッドを少しだけ使う。ブラウスは首の下から胸を大き目にあける。ここに青い珠のネックレースが無いのが残念だが、胸のゆたかさには自信がある。吉岡との結婚生活は私に一つの痕跡《こんせき》をのこした。胸が大きくなったことだ。女の性生活はからだの表面にまで、かたちになって現われて来るものらしい。恥ずかしいけれども、いやな気持ではない。別れてから、私はいくらか痩《や》せた。しなびたのかも知れない。  鏡にうつる私の姿は、貧乏な身なりをしている。ポプリンのブラウス、化繊のスカアト、木綿のソックス、ビニールレザーの平たい靴。見た眼はけちな女優さんだが、ひとり立ちで生きているという事にかすかな誇りがある。負け惜しみかも知れない。良人を持ち、いい家庭をもっている女は、その事に誇りを感ずる。しかしひとり立ちで生きている女も、それを誇りに思う。これは矛盾しているようだが、それが生活感情というものの複雑さであろうか。私は背丈があるから、安物の服でもわりあいに似合う。しかし独り暮しになってから、赤いものが着られなくなった。何かしら気恥ずかしい。なぜ男が居るときにはそれが平気で着られたのか。いまの私は赤という色に、感覚的につまずくものがある。なぜだかわからない。四十を過ぎても赤いものを着たがる人は、良人に満足している女ではないかという気がする。  午後一時白鳥座。一時半から稽古。汗だくになる。四時半終了。四、五人で街へ出て、カレーライスを食べ、六時から民衆劇場の「どん底」を見に行く。二幕目のまくあいに廊下で石黒さんに会う。  劇場で見る石黒さんは他の観客とは全然ちがった雰囲気《ふんいき》をもっている。自分のうちの中を歩いているように気楽な姿勢をしているのだ。ネクタイは結ばず、グレイの軽い上着に白ズボン、白靴。なかなか清潔なおしゃれだ。今度の奥さんがこんな趣味をもっているのかと思うと、すこし憎らしい。きっと、よほど先生に惚れているのだろうと思う。惚れる気持はわかる。男らしいし、思いやりはたっぷりあるし、物わかりが良くて、活動的で、すこしばかり気が短い。気の短いのは演劇人の共通性みたいでもあるが、歯切れがよく、小気味のいいところが魅力だ。  新劇を見にくる人たちの半分くらいは石黒さんと顔見知りであるらしく、先生は四方八方から挨拶される。私は近づかない方がいいような気がしたから、遠くの方から見ていた。男ざかりという気がする。軽っぽくなくて、厚味があって、たのもしい感じ。人なかに置いてみると印象の強い人だ。男というものが何かしら羨《うらや》ましい。二人連れの和服の女があいさつして行った。どこかの映画女優らしい。先生は|ふっ《ヽヽ》と笑顔を見せただけだった。  開幕のベルが鳴る。突然、石黒さんは私の方へ歩いてきた。私が居ることを知っていたのだ。 「しばらくだな」と彼は言う。「ラジオ、聞いたよ。悪くないよ」 「あら、悪くないという程度ですか」 「うむ。まだ褒《ほ》める所までは行かんがね。ところでじゅん子は、しまいまで居るかい」 「どうしてですか」 「おれはまだ晩飯をたべて居ないんだ。つきあえよ」 「わたしは済みました。カレーライスをたべて来たの」 「もう一ぺん食べろ」 「無理を言うのね」 「次の幕がすんだら出よう。玄関で待ってるからな」  人波の動きが私たちを置き去りにしていた。私はいそいで席にもどる。幕があがってもしばらくのあいだ、芝居のなかに没入して行くことが出来なかった。私は石黒さんなんか何とも思ってはいない。しかし夜の街に二人ではいって行くことは、やはり刺戟的だった。あの人は浮気者だけれど、私を悲しませるようなことは絶対にしない人だ。その点は信じていた。男というものを信じ過ぎてはいけない。男の中には一匹ずつけだものが棲《す》んでいる。それがこわいのだ。しかし、けだものが棲んで居ないような男が居たら、その人には何の魅力もない。  その幕が終ると、私は仲間に言いわけを言って、正直に言うわけには行かないから、すこしばかり当りさわりの無い嘘をついて、逃げ出した。石黒先生と夜の街へ出るのだと正直に言えば、彼等は私を嫉妬する。石黒先生に|ごま《ヽヽ》をすったとか、媚態《びたい》を見せているとか言うだろう。もっと悪い噂《うわさ》だって立てるかも知れない。彼が私のパトロンだとか、スポンサーだとか。彼等だって石黒さんに眼をかけてもらいたいし、特別にごひいきにして貰いたい。だから、私が彼と特別に親しいという事は、白鳥座のなかで、もう夙《と》っくに、嫉妬の的にされているのだ。白鳥座の女王とも云うべき大女優の田辺元子ですらも、私を嫉妬している。来月からはじまるNK社の映画出演者のなかに、私がえらばれなかったのも、多分田辺元子の小さな嫉妬の現われだろうと私は思っている。私よりもかけ出しの、私よりももっと演技力のない細井まり子が選ばれているのだから、誰が見たっておかしい。石黒さんは座員ではないから、この問題とは関係がない。  田辺元子はもう四十四になる。白鳥座の創立以来の主演女優で、文字通り押しも押されもしない。私が石黒さんから眼をかけてもらったからと言って、私が彼女の地位を侵すなどということは、出来ることでもないし、第一、お客が承知しない。そういう動かし難い事実があるにかかわらず、やはり彼女は私を嫉妬する。女ごころは不思議なものであり、理窟の通らないところがある。  いや、案外理窟が通っているのかも知れない。田辺元子は十年も前に離婚して、それからいままでずっと独り暮しだ。彼女が石黒さんを愛しているという証拠はないが、愛していないという証拠もない。もしかしたら私は彼女にとって、生涯の最後の恋を邪魔している悪魔であるかも知れない。こわい事だ。 「先生……」と私は言った。「田辺さんは先生のことで、私に嫉妬しているわね。御存じ?……わたしはときどき意地|わる《ヽヽ》をされるらしいわ。あのひと、よっぽど先生が好きなんでしょうね。先生と話しているとき、顔色が違うわ」 「ふん、苛《いじ》められてるのか。それゃ気の毒だね」と石黒さんは言った。「なにしろクイーンだからな」 「あら狡い。私の事より、先生はどうなんですか、あのひとと……」 「馬鹿野郎、あんな古狸《ふるだぬき》を、いまさらどうすればいいんだい。女優以外に使い道はないじゃないか。世界中の女がみな死んで田辺元子がひとりだけ生き残ったら、それゃ俺だって何を仕出かすかわからんが、それまではまあ願い下げだな。あの年になってあの色気!……あんなのに可愛がられたらお前、生命の危機だぜ、ほんとに。気をつけろ」  そう言いながら石黒さんはにやにや笑っていた。悪口の限りを尽しているが、悪い気持ではないらしい。 「しかし田辺元子の演技力は大したもんだ」と石黒さんは、料理ができるのを待ちながら言った。私たちは裏街の小さなレストオランに坐っていた。眼のまえで二人のコックが料理をこしらえている。フライパンの中で油のはぜる音が、私たちの会話の伴奏になっていた。「あの女は生涯亭主は持てないね。前の亭主と別れたのも、まあ当然だな。自分の私生活と芝居と、区別がつかなくなったらしい。夜なかに亭主をたたき起して稽古の相手をさせるんだ。亭主を相手に泣いたり、しゃべったり、走りまわったり、二時間ぐらいやり続けたと云うんだ。亭主は警視庁の警部でね、静かに持ち物をかたづけて、置手紙をして出て行ったそうだ。その手紙には、夫婦というものは愛情だけではだめだ、職業的なつながりということも必要であるらしい、どうか女優としての成功を祈る、そう書いてあった。なかなか良いじゃないか。いま彼女は、夜なかの稽古の相手がなくて困ってるだろう」 「でも……」と私は言った。「それだけ一つの事に夢中になれたら、仕合せね。先生は悪口を言ってらっしゃるけど、田辺さんで見れば充たされた生活だわ」 「そうかな。逆じゃないのかい。充たされないもの、欠けたものがあって、それが何であるかはよく解らんが、その充たされない所を補うための、必死な努力じゃないのかな。だって、あの女の芝居に対する執念は少し非常識だよ。充たされた生活ではなくて、充たさんが為に悪戦苦闘している生活みたいだな」  私は耳で先生の話を聞きながら、眼はコックたちの動きを追うていた。熟練というものは恐ろしいものだ。肉も卵も葱《ねぎ》も、彼等の手にかかると生き生きとして、跳ねまわっている。肉は焼かれることを喜んで歌をうたい、卵は殻から出してもらったことをうれしがって手足を伸ばしている。フライパンの中に、コックはひと握りの塩を投げこむ。一メートルもはなれたところからばらばらと投げつける。必要なだけの塩はフライパンに飛びこむが、過剰な塩はちゃんと外に散らばって、料理にはちょうどいい加減の塩味がつくのだった。見ていると、だんだん腹がへって来る。これも条件反射みたいなものだ。  私は財布から千円紙幣を二枚ぬき出す。 「先生、いまこれだけお返しするわ。ほんとに有難う存じました」  石黒さんは眉をしかめて私の顔を見た。何のことだか解らなかったらしい。それからやっと思い出し、ぷいと向うを向いた。 「まだ早い。もっと先でいい」 「だって先生は必ず返せって言ったでしょう。返せば対等だって。私は早く対等になりたいの」 「なまいき言うな。お前みたいな貧乏女優からかねが取れるかい。貯金はいくら有るんだ。有りゃしないだろう。ひとり暮しの女世帯で、頼りになるのはかねだけだ。そのかねは貯金して置け。五万円もたまったら受け取ってやるよ。それまではおあずけだ。汚ないアパートに居るんだろう。え? 風呂はまいにち入ってるのか」 「ひどい事を言うのね。今日はパーマだってかけて来たのよ。おかね借りてるの、嫌だわ。先生が他人みたいに思えて、つまんないの。だから、これだけでも受け取って下さい」 「そうかい。よし解った」と先生はあっさり言って、紙幣を二つ折りにしてズボンのポケットに突っこんだ。それから、「田辺元子のことなんか、気にするな」と言った。「要するにお前が女優として立派になりさえすればいいんだ。お前の実力さえ出来れば嫉妬なんか役に立たなくなるんだ。だから勉強しろ」 「はい」  私はまだコックたちの動きに見とれていた。熟練した身のこなしや手つきは、踊りに似ていると思った。俳優の演技とは違うかも知れない。しかし俳優にもこのくらいの熟練は必要だ。彼等は身ぶりや手つきを意識してはいない。意識はフライパンの中に集中されている。手つきのことは忘れている。その手つきが踊りになっている。最高の技術と熟練とが、おのずから踊りのような美をつくり出したのだ。無駄な動きはひとつもなくて、必要な動作は完全におこなわれている。 「何を見てるんだ」と先生が言った。 「感心してるのよ」と私はうつろに答えた。  フライパンに意識が集中され、身ぶりや手つきが意識から消えているとき、つまり仕事に没入しているとき、このコックたちの心は充たされているに違いない。逆に、からっぽであるのかも知れない。からっぽであることによって充たされていると言うべきだろうか。とにかく何かを超越している。コックの仕事は収入のための労働だ。その労働から超越している。家庭も生活も、自分自身をも忘れている。幸不幸の感情をも忘れている。  彼等は客のために注文された料理をつくる。どこの馬の骨だかわかりもしない客のために料理をつくっているのだが、料理に心を集中することによって、客という相手からも超越する。家庭の婦人が家族のために料理をつくるとき、これだけの充実した心境を味わっているだろうか。……私だって吉岡のために、そんな気持になったことが、一度や二度はあったような気がする。私の場合には、愛情が行為を深めていた。コックの場合には、熟練が行為を高めていた。……  食事を終って外に出ると、すこし風があった。むき出しになった私の腕にふれて行く夜風が涼しくて、快適だった。私たちは銀座の裏通りをぶらぶら歩いた。私にとって石黒さんは、ちっとも危険ではなかった。 「どこかで一杯のむか」と石黒さんは言った。 「だって、お食事がすんだところでしょう」 「だからさ」と彼は微笑した。「日本人は食後に酒を飲む習慣をもたない。酒は食前か食中だと思っている。ところがウイスキイやコニャックは食後の酒だよ。消化を助ける酒だ。腹の中のもたもたしたものが、あれで以《もつ》て|すっきり《ヽヽヽヽ》するんだよ。レヴィユーを見ているとフィナーレの時には音楽を一ぱい使って、ライトを全部ともして、歌をうたって、うんと賑《にぎ》やかにして、劇の中の失恋も殺人もみんな吹っ飛ばして、そこでめでたく幕をおろす、あれと同じだね。つまりお客の胃袋に詰めこんだものを、軽くしてやってから帰らせるというわけだ。おい、ちょっと待て。ここで待ってろ」  洋品店のショウ・ウインドウの前だった。石黒さんは大きな幅のある肩を見せて、ひとりで店にはいって行った。私はウインドウの中のコンパクトや香水やブローチなどを眺める。たいしてほしいとも思わない。生活にゆとりが出来ればほしくなるだろう。それまでは他人のものだ。中身がからっぽな時に、外だけ飾って見てもうれしくはならない。  店の中をのぞいて見ると、石黒さんは黒いエナメルのハンドバッグを包ませていた。へえ……と私は思った。あの人が奥さんにあんな物を買って帰って喜ばせるのかと思うと、なんだ、当りまえな亭主じゃないかという気がした。店員が包んでいる間に、先生は白いレースの手袋をえらんでいた。私は馬鹿くさい気がした。吉岡は一度だって私にあんな物を買って来てくれはしなかった。そんな事を私は望んでもいなかった。おめかけさんじゃあるまいし、つまらないことだ。石黒さんは浮気ものだから、あんな事をして、奥さんの機嫌をとっているに違いない。やっぱり男なんてその程度のものかしらと思ったら、私は淋しくなった。  石黒さんが店から出てきたとき、私は|つん《ヽヽ》と横を向いた。 「わたしもう、帰ります」 「うん、帰るか」と先生はあっさりした言い方をした。「よし、そんならこれを持って行け」 「え?」と私はびっくりして、しりごみした。 「いいから持って行け。お前だって女優のはしくれだ。そのへんのおかみさんとは訳が違うんだからな。すこしは人眼につく身なりをしろ」 「だって、それじゃ、私がせっかくお返ししたおかねが、ゼロじゃないの」 「文句言うな。俺のかねを俺がどう使おうと勝手じゃないか。俺の方がお前よりはかね持ちなんだ。女の物なんか買ったことがないから、でたらめだよ。いやだったらその店へ行って、好きなのと取りかえてもらえ」  私は喉が詰って、物が言えなかった。小鼻のところをたらたらと涙がながれ落ちた。とてもこの人には勝てないという気がした。手も足も出ない感じだった。 「わたし、奥さんにおみやげを買っていらっしゃるのかと思ったのよ」 「ふん……」と先生は言った。「奥さんなんか、居ないよ」 「居ないって、どうしたんですか」 「別れたよ」 「え?」と私はとび上るほど驚いて叫んだ。 「ひと月まえに別れたよ」  私はまた先生と並んで歩いていた。 「ほんとですか、先生」 「ほんとだよ」 「どうして別れたんですか」 「お前の知ったことじゃない。別れる理由があったから別れたんだ」 「だって……ああ、わたし、先生みたいな人、きらいだわ。吉岡と同じことなのね。ひとりの女と、本当に結びついて、その人と生涯いっしょに生きて行くという事ができないんだわ。前の奥さんなんか、あんなに良い人だったのに、先生が移り気だから飽きてしまったんでしょう。二度別れた人は三度でも、四度でも別れるわ。先生は生涯、本当の奥さんにめぐり会うことなんか無いわ。先生はきっと不感症なのね。女の愛情を感じる能力が足りないのよ。浮浪者みたい……」 「ふん!」と先生は言った。「浮浪者がなぜ浮浪しているかという事は、他人にはわからないもんだ」 「誠実さが足りないのよ」と私はきびしく言った。「離婚なんて、誠実な男のすることじゃないわ」  私は離婚ということについて神経質になっていた。私は黙って耐えて来たけれど、別れたあとの孤独には忍びがたいものがあった。男にはそれが解らないのだ。 「生意気なことを言うんじゃない」と先生は固い口調で言った。「誰が道楽や酔狂で女房と別れるかい。一度離婚をして、嫌な気持をさんざん味わった者が、もう一度離婚をしようというのは、それだけの覚悟と理由があってのことだ。吉岡なんかと一緒にされては困るね」  しかし私は思う。離婚ということは、男にとっては妻を失い、家庭を失うことであるけれども、それだけのことだ。それが女にとっては、人生を失うことなのだ。そこから新しく生きる道を探さなくてはならない。生活の足場も基盤もなくなってしまって、人生がそこで断絶するのだ。離婚には愛情がない。妻を殺して自殺する男には、愛情がある。離婚されるくらいなら、殺される方が女はうれしいかも知れないのだ。 「とにかくわたし、離婚するひと嫌いです。先生は私に親切みたいだったけど、本当は女に冷たいのね。解ったわ。先生はほかにも女のひとが何人も居るから、平気なんでしょう」 「一人も居ないよ。前には居たこともある。今はもうやめた。一人も居ない。これからは清潔な孤独をまもることにしたんだ」 「それでは空虚ね。私と同じだわ」 「空虚にもいろいろ有るよ」と先生は言った。「大切なものが無くなった空虚もあるし、嫌なものを捨て去ったあとの空虚もある。空虚だから悪いという訳じゃない。いまの俺は、空虚がありがたい」 「先生、まえの奥さんを戻してあげなさい」と私は言った。願いを罩《こ》めて言った。 「再婚するらしい、近いうちに……」と石黒さんは低い声で答えた。  ああ、かわいそうに、と私は思う。連れ子をして再婚する女は決して幸福ではない。再婚そのものが、不幸のなかに身を沈めることなのだ。それでも女は連れ子をして、再婚をしたがる。一度失った人生をとり戻そうとして、あせって居るのだ。子供があるということだけでは、女は生きて行けないものらしい。里村春美も良人に死なれたあと、男の子の手を曳《ひ》いたままで、生きる方途に迷っていた。(喉がかわいた時は、水を飲むよりほかに方法がない)と彼女はわたしに言い切ったのだ。女にそういう思いをさせることは、男の罪悪だ。 「わたし、先生きらいになりました」と私は言った。「当分、お会いしたくないわ」 「そうかい」 「おかねは少しずつお送りします。それまで待って下さい」 「いつでもいいよ」と先生は淡々とした口調で言った。 「わたし、先生を信じて居ましたから、残念ですわ。とにかく、平気で離婚する男なんて、とても好きになれないんです」 「そうかい。解ってくれなきゃ、仕方がない。じゃ、さよなら」 「だって、先生は何も訳を言わないんですから、わたしに解るわけはないんです」 「なるほど……」と先生は言った。「俺はいろいろ浮気をしてきたから、大きな口を利けないことはわかって居るが、それでもね、女房の不貞はやっぱり許せないんだ。仕方ないよ。……じゃ、さよなら」  先生は右手をちょっと上げて、夜の舗道にまっ白い靴を浮き出させながら、ためらう様子もなく私からはなれて行った。  私は置き去りにされて、街路樹のやなぎの下に立ったまま、ああ、ああ! と思った。心臓がどきどきして、破れそうな気がした。遠ざかって行く石黒さんのまっ白いズボンをはいた、重味のあるうしろ姿が、かわいそうでかわいそうで、見ていられない思いだった。私は追っかけて行ってお詫《わ》びを言いたかったが、お詫びを言うのがこわかった。何を言っても言い過ぎになるのではないかという気がして、自分がこころもとなかった。  それからあと、離別された奥さんという人に対して、猛烈に腹がたち、恥ずかしさにからだが慄《ふる》えた。その次には、そんな事件があったというのに、おくびにも出さずに、いつもと同じ態度で生きている石黒さんを、やっぱり男だな、と思った。妻に裏切られたということは、本当は、男としては、歯をぎりぎり言わせるほどの口惜《くや》しいことに違いない。あの人は黙って耐えているのだ。(いまの俺は、空虚がありがたい)と先生は言った。空虚を有難がる男のいたましさが、私は胸に沁《し》みた。 [#改ページ]     3  六月二十四日——  白鳥座で、田辺元子につかまった。この人はちかごろ少し肥ってきた。中年ぶとりだと皆がかげ口を利く。彼女は白鳥座を自分のものだと思っている。一座の俳優たちを、自分で雇っているような気持らしい。そういう大きな自信が、ひとり暮しの田辺元子を支えている。それも石黒さんの説にしたがえば、無理矢理に自信を持とうと努力しているのだと云うことになる。しかし、彼女の自信を支えるものは、彼女の演技力であり、白鳥座の経済をささえる大黒柱だという事実でもある。 「朝倉さん、ちょっと……」と女王さまは小さな声で私に呼びかける。「あなたは綺麗《きれい》だから、いろいろ誘惑があるらしいわね。気をつけなけれゃいけないわよ。男出入りが多くなると、女優はみんな駄目になるわ。  あなたは一度結婚したわね。結婚を経験したことは良いことよ。芝居は人間の世の中をえがいたものなんだし、人間の世の中は男と女との世の中だから、男がわからなかったら女優はつとまらないのよ。だから一度は結婚してみなけれゃ駄目ですよ。だけど、いつまでも男とぐずぐずして居たんじゃ、女はふやけてしまうのよ。  そうしたらあなたは離婚したでしょう。そしてまた白鳥座へ戻ってきたでしょう。何て悧巧《りこう》な人だろうと思って、わたし驚いたわ。そのくらいの性根がなかったら、本当の女優にはなれないのよ。NK映画の鎌田鈴子をごらん。あの人は男好きだから三度も結婚したけれど、みんな別れて今はひとりでしょう。結婚生活と女優生活とは両立しないのが本当よ。両立させている人はすくなくないけど、あれは両方ともいい加減にしているのね。  私も離婚の経験があるけど、あんな立派な男はなかったと今でも思ってるわ。私は好きだったの。でも、仕方がなかったのね」 「あの、夜なかに御主人を相手にして、二時間も芝居の稽古をなさったって、本当ですか」 「毎晩二時ごろまでね。それ以上はやらなかったわ。主人はお勤めがあったしね。……いまでも会いたいと、ときどき思う。でも、別れたことは後悔していないわ。男って、いろいろな意味で有害だからね。わたしは良いところで別れたと思うの」 「つまりそれは、個人生活を犠牲にしたということなんですか」と私は言った。 「犠牲という考え方は、どうかしら? どんな生活だって、何かを犠牲にしているわ。あれもこれもという訳には行かないのよ。どれか一つを取って、ほかの事は捨てなくてはならないでしょう。山登りと海水浴をいっしょには出来ないわ。私は家庭生活はもたないけれど、その代り女優という仕事で満足しているわ。犠牲ではなくて、当りまえだと思うのよ。つまり男よりも芝居が好きなのよ。解る?」  こういう考え方によって、田辺元子は心を充たされている。彼女自身はそれでいいかも知れない。しかし私には疑問がある。芝居というものは観客が相手だ。観客を相手にして、自分の心が充たされるというのはどういう事だろうか。観客というものをそこまで信じていいのか。信じなければ芝居はやれない。しかし信ずることは一種の過信ではないかしら。観客は幕が降りたときに拍手してくれるだけだ。観客は俳優の心にははいって来ない。心のなかにあるのは俳優の自己満足だけだ。つまり俳優というものは、自己満足をつくり上げるために、何十回も稽古をして、観客を集めて、舞台で汗をながしているのではないだろうか。要するに田辺元子という女は、妻となって良人《おつと》から愛されることによって充足する女ではなくて、みずから努力し、自主的に行動し、自分の行為によって自分を充足せしめることを喜ぶ、そういう性格の女であるらしい。だから彼女の結婚の相手は、年上の立派な紳士などではなくて、年下の青年、すこし怠け者で不良じみた、そういう男と結婚して思う存分に可愛がってやる、そうした結びつきの方が彼女の性に合っているのではないかと私は思った。 「朝倉さん、あなたはね……」と彼女は言う。「NK映画の出演者にえらばれなかったこと、不満に思ってるでしょう。そうだと思うわ。あの人選は私がやったのよ。細井まり子を入れてあなたを抜かしたのよ。つまりね、細井まり子はあれだけの人なの。あの人には俳優の素質は無いと思う。気の毒だけどあれだけしかやれない、あれで終りよ。だから時には映画の端役にでも出て、うれしがって居ればいいの。仕方がないわ。  あなたはあの人とは違うの。あなたはその気になりさえすれば相当の役をこなして行けると私は思う。だから映画なんかで有名になろうなどと思ってはいけない。きちんと舞台の勉強をつみかさねて行くことよ。映画の仕事なんて、小間切れだからね。あんなもの、何でもありゃしない。映画に出たがっては駄目ですよ。なまじっか有名になると、芸が崩れてくるからね。演技が映画くさくなったら、舞台では使えないわ。  あなたの演技はまだかたちからはいろうとしているらしい。もっと心からはいる方がいいわ。外形からはいろうとすると、動きに無駄が多くなる。かたちはどんなかたちだって出来るからね。心からはいって行けば、却《かえ》って動きはすくなくなるけど、芯《しん》が通ってくるわ。だから動きは少なくても、お客にはぴんと響くのよ。芝居というのは生活のひとこまを真似ているわけだけど、実際の生活のなかでは人はあまり動くもんじゃないのよ。でも、指の動き一つでも、生きているからね。かたちの事は誰も、考えて動いてはいないけど、心はいっぱいなんだから、だからそうなるのよ。  生活のなかでの動きというものは、誰だってあまり意識してはいない。それを俳優は意識して動くわね。意識しない動きを、意識しながら真似て行くわけよ。ところが生活の通りの動きをやって居たんでは芝居にはならない。つまり演技ではないのよ。実際の生活のなかの動きよりも、もっと意味ふかい動きを見つけなくてはならない。一つの気持を表現するための演技なんて、何百でもあるわ。解るわね。その中から一つだけを選んで俳優は舞台の上で演技する。その選び方が、結局はその人の俳優としての素質だと私は思う。つまり、芸術的感覚って云うのかねえ、それが無い人は、そこのところで駄目なのよ。いくら言われたって解らない人は解らない。細井まり子なんか、よく演出者から怒鳴られているでしょう。あれなのよ」  大女優の訓誡《くんかい》、身にしみてありがたく、拝聴した。しかし、なぜあのひとが私に懇切な訓誡を垂れる気になったのか。なぜ細井まり子と比較して私をうれしがらせるような話をしてくれたのか。  勘ぐった考え方をすれば、田辺元子にはちゃんとした計算があったのかも知れない。NK映画に出してくれなかった事について、私に弁明をしたかったこと。彼女に対する私の反感を押えて置きたかったこと。私を敵にまわすことは石黒さんの気持をわるくさせるかも知れないこと。彼女は石黒市太郎との関係を悪くしたくないから、それとなく私の感情をやわらげ、私と仲良くしておく必要があること。本当は私に対して嫉妬《しつと》を感じているのだが、私と争うよりも私と仲良くすることによって、石黒さんとの関係をもっと深めることが出来るという計算。私などには負けやしないという彼女のひそかな自信。  何だかわからない。とにかく私は何とも思っては居ないのに、田辺元子がひとり芝居をやって居たらしい。なぜひとり芝居をやる必要があったのか。石黒先生の解釈が当っているかも知れない。つまり彼女の生き方は、(充たされた生活ではなくて、充たさんがために悪戦苦闘している生活みたいだね)……こういう解釈が当っているとすれば、ひとり芝居は苦しい芝居だった。あれほどの大女優でも、(男って、いろいろな意味で有害だからね)などと口では言いながら、やはり女優であることだけでは充足し得ないものが有るのだろうか。何だかわからない。  六月二十九日——  午後一時、土砂降りの雨。地ひびきがするほど降る。雨のなかを歩きたくなり、身支度をして銭湯へゆく。途中でかみなり。こんな時をえらんで外を歩きたがるというのは、私の生活が空虚なためではないかと思う。自分に変化をあたえるために、自分を賑《にぎ》やかにしてやるために、わざと馬鹿なことをするのだ。ゴムの長靴をはき、水たまりの深いところを選んで歩く。小学生のころを思い出す。単純な、幼稚な遊びだ。私は感情が退化したらしい。ひとり暮しを続けていると、日常生活のなかでの感情の対立や抵抗がないから、進歩がとまって、退化してゆくような気がする。その意味では、家族というものは感情の刺戟《しげき》剤である。お互いに刺戟しながら発達してゆくのだ。良い刺戟をあたえてくれる人が良い家族だということになる。  女風呂はからっぽだった。番台の上で少年が煎餅《せんべい》をかじりながら本を読んでいた。男風呂では子供がさわいでいる。流し場のタイルは白く乾いている。大きな湯ぶねにひとりきりで身を沈め、屋根をたたく物凄《ものすご》い雨の音を聞いていると、心のなかが空っぽになって行くようだった。それから少し泳ぐ。湯ぶね一ぱいにからだを伸ばして、自分のからだに見とれる。  私は自分のからだに満足している。皮膚の白さ、肩の丸み、胸のゆたかさ。それからやや細い腹部のなめらかな平たさ。可愛い臍《へそ》。ふくらみのある曲線をもった魅力的な腰。明るくてまるまるとした二つの腿《もも》と、そのあいだにかくされた小さな秘密っぽい窪地《くぼち》。乳房が浮いて、ゆらゆらと揺れる。湯のなかでからだの線がゆがんで見え、あたためられて桜色になっている。わたしはからだに自信がある。  自信があるというのはどういう事だろうか。自分のからだを美しいと信ずることらしい。美しいことがなぜ自信になるのか。美しいことは魅力だ。誰にとって魅力であるのか。自分にとって。……自分だけではないらしい。誰かに見られたい慾望、同時にかくそうとする衝動。要するに、自分のからだに魅力があると信ずることなのだ。その魅力とは、男性を魅惑する力ということだ。男性を対象において自分のからだを評価し、男性から高く評価されるに違いないと信ずることが、(からだに自信がある)ということであるらしい。だから私が自分のからだを見て居て、たのしいと感ずることは、このからだが男性によって貴重に扱われ、男性を心からよろこばせるであろうことを期待し、その事を私がたのしいと感ずることなのだ。して見れば、女のからだというものは男のために有るのか。男の評価や愛撫《あいぶ》を期待しなければこの躰《からだ》は無意味であるのか。つまり肉体は愛情の行為のためだけに存在するものなのか。  しかし田辺元子は離婚した。私も吉岡弦一と別れた。別れたあとに肉体の空虚があり心の空虚がある。それでもなお私は離婚をもとめたのだ。性関係だけが肉体を充足せしめるものではなかった。それとは逆に、性関係があることによって肉体が一層空虚であったこともあるのだ。  充たされているものが、何によって充ちているのか、その内容も考えて見なくてはならない。醜いものによって充たされたとき、それは苦痛になる。美しいものによって充たされたときだけ、本当の充足感がうまれてくる。この肉体を充たすものは、美しいものでなくてはならない。醜いものを許してはならない。美しい愛情だけが美しい肉体にふさわしい。それまではからっぽにして置かなくてはならない。  六月三十日——  外から帰ってくると、私の部屋の前に隣の部屋の辛島君が立っていた。今日は紺地のゆかたを着ている。そのゆかたが糊《のり》がきいていて、袖が突っ張っていて、いかにも学生らしくういういしい。童貞のういういしさだ。そのくせ全学連の闘争に参加しているというのだから、闘争そのものもきっとういういしいものに違いない。 「ああ済みません。あのお荷物でしょう。すぐ出します」と私は言って、ドアの鍵《かぎ》をあけた。 「いいえ、その事じゃないんです」と学生は吃《ども》りながら言う。吃るのは、女と話をする時の気おくれの為である。背丈が私より大きいだけに、もじもじしている様子が、可愛い。 「あら、では、何の御用?」 「ちょっと、お願いなんです」  廊下の立ち話は、隣近処の耳がうるさい。辛島君は扉の内側まではいって来た。私は電燈をつける。 「あの、実は僕……」と彼は言った。「もうすこし経つと、夏休みになるんです」 「ええ、それで?」 「それで、あの、二カ月以上も部屋をあけておくことになるんです」 「ええ……」 「そのあいだの部屋代が勿体《もつたい》ないと思うんです」 「ああ、なるほど。それで?……」私はだんだんいらいらしてくる。 「それで僕は、一度部屋を返してしまって、秋になって出て来たとき、また借りようかと思うんです」 「そのときに部屋が空いていなかったら、どうするんですか」 「それはまたどこか探さなくてはならないと思いますが……」 「そうね。それで、私に御用とおっしゃるのは、何ですの?」 「ええ。それでですね、夏休みのあいだだけ、僕の荷物をあずかって頂けないですか。あの、あんまり無いんです。机と本と、ふとんと、それだけです」  私は呆《あき》れて学生の顔を見た。相手はまじめに相談しているつもりらしい。よく見るとなかなか良い顔立ちをしている。ふと、こういう役者が白鳥座に一人ぐらい居てもいいなと思う。 「とても駄目ですね」と私ははっきりと言った。「ごらんの通りの四畳半ですからね。私は二カ月間、あなたの荷物のあいだで暮さなくてはならないわ」 「はあ。駄目ですか」 「そうね。駄目にきまっているわね」 「それでは、机と本だけならいいですか」  私は絶望的な気分になって、首を振った。 「だってねえ、辛島さん。私はあなたのお荷物をおあずかりしなけれゃならないような義理はないのよ。そうでしょう。あなたとは偶然となり同志に住んで居るというだけのことですよ。いまだって、失礼だけど赤の他人なのよ。荷物をあずかるなんて、そんな迷惑なことを私に頼んではいけないわ。おあずかりしたら私は責任を負わなくてはならない。もしも私がそのあいだに引越すような事になったり、ここが火事になったりしたら、どうするんですか。学生さんは単純にものごとを考えるらしいけど、そんなわけに行かないわ。この前の荷物も、もう持って帰ってちょうだいな」  辛島君はぽかんと、腑抜《ふぬ》けのようなうつろな表情になって、私の顔を見つめていた。恍惚《こうこつ》となっていたらしい。それから、|ほっ《ヽヽ》と溜息《ためいき》をついて、 「赤の他人ですか」とつぶやいた。  私は危険を感ずる。いまのところは彼の気持は愛情であるのだろうが、その愛情はあまりにも一方的で、突発的で、筋道が通らない。私が拒否すれば彼は強硬手段を考えるかも知れない。私にしてみれば、降って湧《わ》いたような災難だが、うまくおだやかに彼を遠ざける方法を考えるより仕方がない。怒らせたら厄介なことになる。男のこわさだ。  辛島君はすこしぐったりした姿勢になって、扉にもたれかかった。紺地のゆかたの裾から二本の毛脛《けずね》が出ている。案外に白い脛だ。 「朝倉さん、聞いて下さい」と彼は低い声で言った。「僕は三人兄弟の長男です。弟と妹と居るんですが、姉はないんです。僕は子供のときから、姉さんがほしくてほしくてたまらなかったんです。姉というものが、僕には神様のように美しく思えるんです。人間のなかの理想の姿みたいな気がするんです。それは僕の錯覚かも知れないんです。けれどもこれは理窟《りくつ》じゃなく、僕の感覚にとっては絶対に真実なんです。しかし僕は正確な意味で姉を持つことは、生涯不可能なんです。僕が生れたその時から、不可能だということが運命的にきまって居たんです。ですから僕は、姉に代るべきものを他で探さなくてはならない、そういう気持になって来たんです。……」  聞いているうちに私は背筋がぞくぞくと寒くなって来た。この学生は何だか精神病者のような気味わるいものを持っている。この人に覘《ねら》われたら大変なことになるという予感がした。彼はさらに独白をつづける。 「僕は、わすれもしない四月一日の、エープリル・フールの日に、この廊下で朝倉さんを見かけました。その瞬間に、まるで神の啓示をうけたような気持で、(この人こそ僕の姉だ)……そう思ったんです。それは朝倉さんにして見れば、何の関係もないことです。僕が、僕ひとりだけの直感によって、そう感じ、そう信じたんです。御迷惑は絶対にかけません。ただ僕はひとりで、あなたを僕の本当の姉なんだと信じて居たいんです。……よろしいでしょうか」  こんな無茶苦茶な人類に出会ったのは、はじめてだった。私がいくら迷惑だと言って見ても、向うは勝手に信じている。その事をやめさせる力は私には無い。だからこの災難は天災のように、防ぎ得ない。  不意に辛島君はドアを開けて廊下へとび出して行った。天才的な人間はその行動も飛躍的で、私などには理解し難いところがある。一分もたたないうちに彼は引返してきた。手には一枚の葉書と万年筆とをもっている。 「すみません、ここに、朝倉さんのサインをしてくれませんか。僕の|たから《ヽヽヽ》物にして置きたいんです」と言う。  私は一歩々々、着実に、追いつめられて行く気持だった。万年筆は細くて緑色の、女持ちだった。それを見たときに、私はこの青年の秘密を見たような気がした。案外これは女性的な男だなと私は思った。この青年のしつこさ、押しの太さ、図々しさ、手前勝手は、男性的な強さのあらわれではなくて、女性的な甘えや弱さなどの表現であるに違いない。そして、男性的なものならば強くても筋道が立っていて、始末のいいところがあるけれども、女性的な男というものは女よりも始末がわるいものなのだ。  だが、そこまで解って来たら私は気が楽になった。私は葉書の裏にサインをしてやりながら、すこしおかしくなってきた。こんなに私の事で有頂天になっている学生を、もっと有頂天にさせてやったらどうなるだろうかと思った。私がこの人に身をまかせてやったら、彼は発狂するかも知れない。そういう想像は悪い気持ではなかった。ひとりの青年を発狂させることが出来れば、それは私の肉体の勝利だ。男に対する女の絶対の勝利だ。そして、その勝利のときこそ、肉体の完全な充足のときではないだろうか。しかしそれも、その時だけのことだ。 「朝倉さん、それから……」と彼は言った。「夏休みのあいだじゅう、あなたにお会い出来ないのが、少し淋しいんです。二カ月ですから……」  私は黙っていた。余計な口をきくと、また付け込まれるかも知れない。 「途中で一度ぐらい上京したいと思うんですけど、どうなるかちょっと解らないんで、申し兼ねますけど、何か、あなたの思い出の品を、いただけないですか。鉛筆の短いのでも、穴のあいた手袋でも、ハンカチでも、何でもいいんです。あなたが使い古したようなものを……」  いやだなあ、と私は思う。悧巧な良い顔をして、背丈があって、ういういしい良い青年でありながら、考えていることが何と女性的であることか。この人が何をまちがって全学連などにはいって居るのか。それとも学生運動そのものに何か女性的な性格がまざって居るのか。 「そうね。何かまた、考えて置くわ」と私は投げやりな言い方をした。すこし面倒くさくなって居た。そして、もうこの青年をちっとも恐れては居なかった。「それよりわたし、今から御飯をたいて夕飯なのよ。すみませんがまた今度にしてちょうだい」 「あ、今から夕飯ですか」と彼は嬉しそうに叫んだ。「それではちょっと外へ出ませんか。中華食堂でとても良いところがあるんです。僕が御馳走します。安いんです。すぐ近いところですから……」  それから散々押し問答をした。辛島君はしつこくて、私が何と言っても聞かない。とうとう根負けして、彼について行くことになった。のちのちの為に良くないことは解って居ても、現在の煩わしさを逃れるためには、彼の申し出を受けいれるより仕方がなかった。 「僕、これから、姉さんと呼んでもいいですか」  それだけはやめてちょうだいと、私は懇願した。足の裏に付いた御飯粒みたいに、ねばっこくて嫌な男だ。彼のういういしさは、本当かどうかわからない。  七月四日——  石黒さんが毎夜のように酒を飲み歩いているという噂を聞く。噂だけではないらしい。 「わたしもそうなのよ」と田辺元子が言った。「四日ほど前だけど、二時ごろまでつきあわされて、こっちはグロッキーになったわ。タクシーを探して、先生のおうちまで送ったんだけど、酔っていて自分のうちが解らないの。困るわねえ。でも、あれじゃ躰をこわすわ」  私は黙って聞いていた。田辺元子は私に聞かせたかったのかも知れない。話の仕方が何となく浮き浮きしていた。これもまた彼女の一人芝居だ。私は何ともない。  しかし石黒さんがなぜそんなに乱酔するようになったのか。誰もその事には触れていない。もしかしたら、知っているのは私だけではなかろうか。妻に裏切られたという事は、男にとってはこの上もない精神的打撃であろうと思う。先生は黙って耐えている。耐えている苦しさが酒を求めるのだ。田辺元子にはわかって居ない。彼女はむしろ石黒さんの隙を見つけたようなつもりで、よろこんで、その隙に乗じて、接近しようと試みているらしい。結果はどうなりまするか、私は知らない。  二つの結果が考えられる。一つは、石黒さんが心の痛みに耐えかねて、その痛みを忘れるために、手当り次第に近づいてくる女性を求めるという場合。有りそうな話だが、あまり賢明な行動ではない。通俗な結末であって、めでたくも何ともない。もう一つの場合。それは、……いまの石黒さんの気持では、女と名のつく者はすべていとわしく腹立たしく不潔に見えて、あたらしい結合などは思いも及ばない、ということもあるかも知れない。もしも後者であるとすれば、田辺元子はかわいそうなことになる。しかしその事が彼女のためには仕合せであるかも知れない。彼女は私に説明してこう言った。(結婚生活と女優生活とは両立しないのが本当よ。……いつまでも男とぐずぐずして居たんじゃ、女はふやけてしまうのよ)……彼女のために幸いあれ。あの人が石黒先生の奥さんになるのでは、私はすこし嫌だ。  七月八日——  きのう、たなばた祭り。  宇田さんの奥さんが亡くなった。心臓病だった。  白鳥座に電話がかかってきて、私は理事の奥田さんと細井さんと三人で、車に乗って駆けつけて行った。宇田さんの家は団地のアパートだ。アパートはひまわりの花のように、太陽にむかって、無数の窓をひらく。個性のない、四角な窓だ。四角のひとつひとつに、牡《おす》と牝《めす》とが住んでいる。その南向きの窓という窓が、七夕祭りの五色のいろ紙と笹とで賑やかに飾られていた。まるで何百世帯の団地家族がことごとく、宇田さんの奥さんのために葬式の飾りをつけて居るように見えた。  私は途中の車のなかで、三年まえの、忘れ得ない宇田さんの言葉を何度も何度も思い出していた。(おい、じゅん子ちゃん、本当に劇団をやめるのかい。馬鹿だなあ。家庭にはいるのはかまわないけどさ、芝居より面白いことなんか、世の中に有りゃしないよ。それゃ君、一時の迷いじゃないのかい?)……  忠告してくれた宇田貞吉さんはいつまで経っても貧乏だった。いくら貧しくても、彼の心は充足して居たに違いない。芝居というものが心のなかに一杯になっていて、憂いも苦労も入りこむ余地がなかったのだろうと思う。しかしその貧しさは、わずらい勝ちな夫人の心臓を一層わるくする結果にはならなかっただろうか。彼女はみごもっていた。もう五カ月だった。そして脚気だった。そのために心臓が負担に耐えなかったのだろうと医者は言っていた。妊娠という、ひとりの人間を産みいだす作用が、逆にその母の命をうばい、胎児の命をも奪い去った。宇田さんとその妻との、静かな愛のいとなみが、彼女の命をちぢめる結果になった。宇田さんで見れば、どれほどのずたずたな思いに悩まされていることであろうか。妻に対する愛の行為が妻を殺す結果になったとすれば、良人は一体その罪をどうやって背負ったらいいのだろうか。この矛盾に、宇田さんはどんな結論をつけたらいいのか。……私は気の毒で、彼の顔が見られなかった。いつもの色の白い、おっとりとした表情の宇田さんは、眼の焦点が一つところに止ったまま、動かなくなっていた。心が悲しみにしびれて居たに違いない。私はそういう男の人の顔を見ただけで、涙がこぼれて耐え切れなかった。  昼間は弔問の客が来たり坊さんが来たり、葬儀屋が来たり納棺があったり、二室しかないアパートはごった返した。そのあいだにときおり、四つになる女の子が発作的に泣きわめいた。あの子は行ってしまった母を呼び返そうとして必死に叫んでいたのだ。あの子は本能的に、この巨大な悲劇の意味を知っていたに違いない。私は御飯をたいたり、お精進だからがんもどきを煮たり、お客に茶を出したり、酒を買いに走ったり、無茶苦茶だった。  人の死んだあとの夜というものは、しんしんと淋しいものだ。通夜の客は、部屋がせまいので遠慮して早目に帰ってしまい、名古屋からかけつけて来た宇田さんの弟と私とだけが残った。もう帰って下さいと宇田さんは言ったが、私は帰るに帰れなかった。お嬢さんは父親から離されることを嫌って泣くので、宇田さんは子供を膝《ひざ》に抱いたままで眠らせていた。弟という人も、十一時には隣の部屋で寝てしまった。私は棺の上の、奥さんの写真ばかり見ていた。浴衣をきて草の上に坐っている、小さな可愛らしい写真だった。 「死なれて見ると、いろんな事がわかるもんだなあ」と宇田さんは消え入るような低い調子で言った。「一心同体なんて、気障《きざ》な言葉だと思っていたんだが、……居なくなってみると、ほんとに手足をもがれたような気がするよ。そんなに深く愛していたのかと言われると、それどころか、ずいぶんいい加減な夫婦だったと思うんだが、そんないい加減な夫婦でも、どこか本質的な結びつきだけは有ったんだろうね。本質的というのは、ただ肉体的なつながりなどという事じゃないんだな。それだけの事なら、夫婦でなくても有り得る。それとは何かしら別のことなんだね」  子供かしら、と私は思った。幼い娘は父の膝で、疲れ切って、くたくたになって眠っている。そのくせ寝牀《ねどこ》におろそうとすると忽《たちま》ち泣き叫ぶ。眠っていても悲しみを忘れてはいないのだ。小さなおかっぱの頭。あの奥さんがこの子をみごもり、この子を産んだ、その歴史と事実とが、二人の(本質的な結びつき)であるのだろうか。私は自分から希望して吉岡と別れた。ずいぶんあっさりした別れ方だった。私たちの間には本質的な結びつきが無かったものらしい。石黒さんも二度目の奥さんと別れた。しかし最初の奥さんには一人の子供があった。それでも別れている。本質的な結びつきとは、子供とも違うものであるらしい。そんなものが有るだろうことは肯定するが、それが何であるのか、はっきり解らない。 「家内は演劇とは何のかかわりもない女だったが、僕が役者であることを、どう思っていたのかなあ」と宇田さんは呟《つぶや》くように言った。アパートの外の草むらでコオロギの声がしきりに聞えていた。七夕祭りの笹や|いろ《ヽヽ》紙が夜風にさらさらと鳴っていた。空にはきれいに銀河がかかり、銀河の両側には七夕星と彦星とが見えている。この美しい夜に、宇田さんの奥さんは柩《ひつぎ》におさめられているのだった。 「僕は芝居のことばかりに没頭していて、女房のこともこの子のことも、まるで考えてやったことは無いんだ。女房が東京へ出てきたのは五年ほど前なんだが、いっぺん動物園を見たいって、子供みたいなことを言って居たのに、とうとう僕は見せてやらなかった。不幸な女だったなあ。……役者なんて、家庭をもたない方がいいのかも知れないなあ」  はからずも宇田さんが、田辺元子と同じようなことを言った。私はそれよりも、動物園を見たがっていた奥さんの小さな願いを知って、心が和んだ。可愛い人だと思った。 「わたしはそうじゃないと思うわ。奥さんはきっと仕合せだったと思うの」と私は言った。「良人から親切にされたとか、街へ連れて行ってもらったとか、そんなことは女にとって、大したことじゃないわ。それよりも何よりも、自分の良人が仕事が好きで、仕事に没頭していてくれる、その事の方がよっぽど嬉しいのよ。良人が仕事に満足し、仕事によって心が充たされている、そういう姿を見ることで、女は自分も充たされてくるんです。それが何よりも一番大きなよろこびよ。もしも逆に、良人が仕事をいやがったり、張りあいのない顔をしていたり、要するに心がぱさぱさして、まとまりのつかないような生き方をしていたら、いくらおかねがあっても、女はさびしい気がするのよ。あなたは何よりも芝居が好きで、あんなに没頭して来たんだし、世間の評判だってぐんぐん良くなって来たんだから、奥さんは満足していらしたと思うわ。あなたはさっき、手足をもがれたような気がするとおっしゃったわね。それは、奥さんがとても幸福だった証拠よ。不幸な奥さんだったら、あなたはそんな気持にはなれないと思うの」 「ありがとう。そうだと良いが……」と宇田さんは言った。「しかし、本当にそうだとすれば、僕は余計に、死なせたくなかった!」  膝で眠っている子供の、おかっぱの頭の上に、たたたた、と涙が落ちた。私は|じん《ヽヽ》となるほど心を打たれた。男のひとの涙はかなしくて、見ていられない。しかし私にはいま、どうして上げることも出来ない。  今日は十一時から葬式。私は朝のうちに一度帰って、黒のスーツにアイロンをかけて、あわててとび出す。ささやかな、きれいな葬儀。北山真平さんがモーニングを着て、とりすました顔で弔辞を読んだ。宇田さんのお嬢さんが、宇田さんの弟さんに抱かれて、始めからしまいまで、無茶苦茶におとなしかった。これから先、あの子と二人で、宇田さんはどうするつもりなのか。私は気になるけれど、気の毒で訊《き》けなかった。  七月九日——  夜、辛島君がやってきて、写真をとらせて下さいと云う。友人から写真機を借りてきたから、私の写真をとって、肌身はなさずに持っているつもりだと言った。いやだと云うのに、構わずぱちぱち撮る。 「もう休暇でしょう。郷里へはいつ帰るの?」と、追っ払うようなつもりで私は訊く。 「いま、アルバイトの口を探して居ます。仕事があったら僕はずっと東京に居られるから具合がいいです。郷里なんか、三日も帰ってやれば上等です」と彼は言った。 「夏休みぐらいは帰って、親孝行をした方がいいわよ」 「ええ。しかし東京にも用があるんです。この夏のあいだにアンポトウソウがありますから……」 「アンポ……何ですか、それは」 「安保です」と彼は言った。「つまり、日米安全保障条約改定反対闘争です」 「へえ。むつかしいのね」と私は言った。何の事だか私は知らない。新聞に出ていたけれども、読んだことはない。  辛島君は全学連らしく、安保改定のねらいだとか財界の陰謀だとか、いろいろな事をしゃべった。こういう話をさせると若々しく熱があって、感じの良い青年だったが、私は聞いていなかった。聞いていないのに気がついたとみえて、彼は話を転じた。 「僕はきのう、易者に手相を見てもらいました」 「あなたでも、手相なんか信じるんですか」 「ふっと信じてみたい気がしたんです。易者の話では、僕は一、二年のうちに結婚することになる。それは年上の女性で、芸能関係の仕事をしている人だと云うんです」  私は腋《わき》の下をくすぐられるような気がした。 「何だかそのひと、私みたいね」 「そうなんです。僕はうれしかったですね。朝倉さん、僕、求婚してもいいですか」 「馬鹿なことを言うもんじゃないわ」と私は頭からはねつけた。しかし悪い気持ではなかった。  私は知っている、私が何となく、彼に対する警戒心をゆるめていることを。私はなかば彼を軽蔑《けいべつ》している。青二才のしなしなした学生だと見くびっている。彼はそういう扱いをされることに甘んじて、逆にそれを利用して、巧みに私に接近してくる。私は気味わるく思い、いやがり、うるさがりながら、一寸二寸と彼の接近をゆるしている。こんな男だから安全だと私は思っている。思いたがっている。実は底の方に危険なものがあることも知って居る。いざという時になったら、年齢の差などは問題にならないという事も知っている。知って居りながら、まさかこんな学生に負けたりしやしないと思っている。だから安全なのだと、自分に釈明している。必要なときにはいつでも身をかわしてやろうと考えている。つまり主導権は私の方にあり、相手の意志なんか問題ではないと思っている。だからもっともっと接近させたって平気だと思っている。そんな事を思いながら、ひそかに危険をたのしんでいるのだ。  石黒先生と話をしているとき、私は少女っぽい気持になる。彼の気に入られたくなり、従順になる。辛島君と話をしているときはずっと大人っぽい気持になり、歯痒《はがゆ》くなり、彼を曳きまわしたり、いろいろ教えてやったりしたくなる。そして田辺元子と話をしているときは、表面は従順をよそおいながら、心の内部には強い抵抗力がおこっている。これは心理的な条件反射みたいなものだ。相手によって私はいろいろに変る。変りながら身の安全をはかっている。カメレオンのようなものだ。  七月十二日——  宇田さんがちょっと劇団にあいさつに来た。座員一同に会葬のお礼を言い、あした遺骨を納めに郷里へ帰るから、もう五日ばかり休みたいという話だった。通夜のときから見るとずっと元気をとり戻して居たようだが、どこかしらぎごちなくて、傷ついた心は、ちょっと触っても血が吹きだすのではないかという気がした。だから、子供をどうするつもりなのか、私はききたかったけれども、気の毒で訊けなかった。それを、森下けい子がむきつけに言ってしまった。 「お嬢ちゃんはどうなさるの。あなたと二人きりじゃ、格好がつかないわね」  この女はそういう風に神経の荒っぽい女だった。宇田さんはすこし首をかしげるようにして、とにかく当分は郷里の母にあずかって貰うつもりだと言った。それは仕方のないことだった。しかし幼い娘は母と父と、両方から一度に離れてしまわなくてはならない。森下けい子は、「早く再婚するのね」と、ひとりごとみたいな言い方をした。いたわりということをまるで知らない女だった。彼女はそれがいたわりだと思っていたのかも知れない。みんなが少しだけ笑った。  稽古場のとなりに劇団の食堂がある。八畳ぐらいの板張りで、食堂兼休憩室兼小会議室である。宇田さんが帰ったあと、私は食堂へいって、ざるそばを頼んでもらった。夏になると私はそばばかり食べている。吉岡が居たときはそうでもなかった。食慾があって、夏でもカツレツを食べていた。ひとり暮しになるとからだが半分しか活動していないような感じだった。中性的な部分だけが活動していて、女性である部分はねむっている。その分だけ食物の量がすくない。  森下けい子がはいってきて、私の向う側に坐った。 「わたしも何か食べよう」と彼女は言った。ひとり暮しのくせに、食慾のありそうな女だった。  髪を赤く染め、アイ・シャドウをぬり、爪を長く尖《とが》らせ、外を歩くときは黒い眼鏡をかけ、黒いスラックスをはき、胸も尻もはち切れるように大きくて、疲れを知らぬ女だった。肩までむきだしになったブラウスを着ているので、太い腕も腋の下もまる見えだった。 「おさけ飲みたいなあ。今日はちょっと二日酔いなのよ、わたし」と彼女は言った。「ああつまんない。ゆうべは北山真平さんにさそわれて、ホテルのバーから始まって、街の飲み屋を五、六軒まわったのよ。あんな人と飲んだってつまらないけどね、でもおかねが有るからね」  森下けい子は二十九。私より二つ上。まえに愛人が居た。(わたしは悪いくせでね、奥さんの居る人でないと好きになれないの)……そういう自分の癖を承知のうえで、その人を好きになった。小さな実業家だった。どうせ結末はもめごとになる。彼女は十万だか二十万だか貰ってその人と手を切った。そのはなしは誰でも知っていた。かねを受取ったという非難について、彼女は単純な結論を出していた。(本当の奥さんだって、離婚のときには慰謝料だか生活費だかもらって別れるじゃないの。わたしが少々もらったって別に愛情が不純だとか何とか云うこと無いわ。あと腐れがないだけいいじゃないの。)  彼女はひとりきりでは生きて行けない女だった。豊満な彼女のからだが、消耗と疲労とをもとめていた。それが彼女の口からは、(さびしくてたまらないのよ)という言葉になって出てくるのだった。女の慾望は、さびしいというかたちを取って表現される。淋しいから髪を赤く染め、スラックスをはき、酒をのむ。淋しいからルージュを真赤にぬり、アイ・シャドウをつけ、重たいほど大きな陶器のイヤリングをぶら下げる。もしかしたら、芝居をするのも淋しいからかも知れなかった。舞台ではお婆さんの役が多かった。動きに重味があって、舞台の床にべったりくっついているような感じで、声が太くて、自分勝手な無遠慮なところがあって、なかなか立派なお婆さんだった。舞台の姿と日常生活の姿とが、こんなに違う役者はすくなかった。 「朝倉さん、おかね貸してくれない?」と彼女は言った。「わたしいま恋愛してるのよ。おかねがかかって仕様がないわ。知ってるでしょう、文芸劇場の青山圭一郎。彼はおかねが有るんだ。家柄がいいからね。わたしおかねのある男に弱いのよ。本当は白鳥座をやめて、文芸劇場で彼といっしょに働きたいんだけど……」 「だって……」と私は昂奮《こうふん》して言った。青山圭一郎の夫人は山岸美代という、文芸劇場の主演女優だった。 「そうなのよ。だから向うに入れてもらう訳に行かないのよ。悪いくせだね、わたし。だって仕方がないわ。ああいう人でないと好きになれないんだもの。わたしはロマンティックな恋愛なんて軽蔑してるの。向うに奥さんがいて、その奥さんと張りあうのが好きなのよ。嫉妬ぶかいのかしら。悪いわね。でも、生き甲斐《がい》があるわ。男なんて、世間態だとか行きがかりだとかで、なかなか本妻とは別れないけどね。でも、ぎりぎりのところ、どっちを本当に愛しているのか、その証拠をつかみたいのよ。結婚なんかどうでもいいの。確実に自分のものにすればそれでいいのよ。口先だけで、愛してるとか、信じてるとか、そんなのは意味ないわ。そんな文学みたいな恋愛は全然興味ないの。恋愛って生活だわ。生きて行くために必要なのよ。そう思わない?……だからさ、おかね貸してよ」  森下けい子と話をしていると、私はため息が出る。私とこんなにも違う女がいて、こんなにも無遠慮に、すき勝手なことを考えて生きているのかと思うと、私は気が楽になるようでもあるし、何かしら悲しくもある。  いかにも彼女が言うように、恋愛ばかりでなく、男女関係にはいつも二種類あるかも知れない。文学的関係と生活的関係と。辛島君の私に対する気持は文学的で、田辺元子が先夫とわかれたのは生活的だ。石黒市太郎の最初の離婚は文学的で、二度目の離婚は生活的ではなかったろうか。若きウェルテルの恋は文学的であったが、チャタレー夫人の恋は生きてゆくために必要な恋愛だった。そして私と吉岡との結婚は文学的で、離婚は生活的だったような気がする。  森下けい子は文学的な男女関係には興味をもたないという。生活のために必要な関係を求めるのだと言う。彼女の強靱《きようじん》な肉体は生活のために対象を必要とするかも知れない。しかしそれならば、安定した結婚生活をすることによって最もよく目的を達する筈である。(結婚なんかどうでもいい)という考え方は、現実的なようで却ってロマンティックなものではなかろうか。それとも彼女は特定の対象では充足し得ない多情な女であるのか。  多情というのは一体何だろう。それは習慣であるのか、性癖であるのか、それとも生理であるのか。ひとりの対象によって充足することが出来なくて、複数の対象をもとめるということは、平面的な性生活が立体化することでもあるだろう。私はその事の意味を否定しない。ひとりだけしか知らないということは、透きとおったガラスのような知識にすぎない。複数の対象を知ることは知識が不透明になることであり、秘密な裏側を発見することであり、心のなかに闇を作ることであり、無限の地獄を知ることだ。しかし、ひとりの対象によって充足されなかった意慾が、複数の対象を知ることによって充足されるだろうか。私はそうは思わない。おそらく彼女は永遠に充足をもとめて放浪するばかりであろう。肉体の充足は、肉体によって得られるものではなくて、精神の充足が肉体を充足させてゆくもののように私には思われる。そして森下けい子は、彼女の充足を肉体にのみ求めているようだ。彼女は多情のなかに青い鳥をさがしているが、そこには青い鳥は居ないのだと私は思う。彼女は探しあぐねて、他人の充足を嫉妬し、他人の充足をぶちこわすことによってみずから充足しようと試みているらしい。しかしそこにも青い鳥は居ない。彼女はますますアイ・シャドウを濃く塗り、ますます異様な色に髪を染めるだろう。それが悲劇的であることに彼女は気がついていない。みずから幸福な女は、妻のある男を誘惑しようとは思わないのだ。 「おかねのことだったら、私に相談されたってどうにもならないわ」と私は言った。「借金があるだけで、お貸しできるものは何もないの。北山真平さんに頼んでみたの?」  森下けい子は斜めに私を見て、うすく笑った。 「あの人にはもう借りているの。返せる|あて《ヽヽ》は永遠に無さそうよ」 「じゃ、どうするの?」 「いつか棒引きにしてくれるでしょう」と彼女は言った。  棒引きにするには、何か条件があるかも知れない。北山さんは無駄金をつかっているように見えるが、その捨石をいつかは生かそうと考えている。私はそれがこわいのだが、森下けい子はそれが怕《こわ》くないらしい。彼女の自由が、彼女への迫害にならなければいいがと私は思う。  七月十六日——  宇田貞吉さんからの手紙。  朝倉じゅん子様。……きのう、子供をつれてこちらに帰り、今日は朝から寺で法要をいとなみ、午後埋葬をすませました。これで、僕は妻の骨にすらも別れを告げたのでした。さむざむとした、とりとめもない、どこに坐っていいかわからないような、居心地のわるい気持です。ひとりの女の、人生が終りました。終ること自体は平凡なことですが、それを見とどけていた私は、良人という立場であっただけに、辛い思いをしました。あしたは雑用をかたづけて、あさって上京したいと思っています。上京すれば、また役者暮し。それより他には使い道のない僕です。  しかし、身辺の者の死をつぶさに経験したいま、僕は舞台の上で扱ってきた死というものが、まことに単純であさはかなものであったことに気がつきました。死ばかりでなく、愛情も憎悪も、舞台の上のことはすべて単純な、軽薄なもの、いわゆるお芝居にすぎないもののように思われ、従って芝居というもの自体に疑いを持つような気持です。現実の人生はもっと辻褄《つじつま》のあわないもの、もっと複雑で、矛盾にみち、筋道の立たないもののようです。そしてその中に真剣な人生があるらしい。僕はいまさらのように、実際の人生というものの重みを味わい、生きてゆくことの重苦しさを感じました。そして、この重苦しさに耐えて生きて行くためには、やはり配偶者というものが居なくてはならないような気がするのです。配偶者は、或るときには却って重荷ですらもある。しかしその重荷があるために、人生という重荷をも背負うことができる。……こういう変な論理を、拙《つたな》い表現だけれど、あなたは解って下さると思います。  今度のことでは、あなたにどうしてあれほどお世話になったのか、僕は理解に苦しむのです。あなたと僕との関係は、単なる座員というだけのことでした。なぜあなただけが一睡もせずに通夜をつとめて下さったのか。なぜあなただけが葬儀万端、子供のことまで面倒を見て下さったのか、僕にはわからない。ただ、有難うとだけ申します。あの通夜のとき、あなたが居てくれたことで僕はどのくらい慰められたか解りません。あなたは亡妻のことをいろいろと訊いて下さった。僕はそのために、忘れていた沢山のことを思い出した。思い出すことは辛かったけれど、それをあなたに聞いて貰えることが嬉しかった。それが亡妻への供養のような気持だった。供養……僕は思わずこんな言葉を使いました。いままで一度も使ったことのない言葉が、なぜか極く自然に使えてしまったのです。僕はよほど大きなショックを受けているらしい。  子供は郷里の母があずかってくれることになりました。預かると言っても、将来の約束はありません。僕がひとり暮しを続ける限り、父と子ははなればなれに暮すことになるでしょう。縁のうすい親子です。結局、妻というものが、僕と、僕の周辺の社会との、つなぎ目であったようです。妻が居なくなると同時に、僕の世界はばらばらになってしまった。全く平凡な女であった妻が、そんな重要な役目をはたして居たことを、僕は今になって知らされました。子供さえも僕から奪い去られてしまう。男というものは何という無能な存在であろうかと思いました。  こんな事を、あなたに書き送るのは筋ちがいのような気がします。あなたとは関係のない事です。それを承知のうえで書いているのは、僕の気持が弱くなっているからかも知れません。誰かに聞いてもらいたい、誰かに訴えたい、そんな風な甘えた気持です。……  私は手紙の封を切るまえから、胸がどきどきしていた。それは宇田さんの悲劇に対する同情からであった。同情がなにかしらスリルのような味わいを含んでいた。私は宇田さんに対して気持が甘くなっていた。葬式の前後、私がなぜ宇田さんに対してあれほど親切であったか、私にもわからない。夜通しの通夜をつとめたのは誰からの命令でもない、私の勝手な気持からだった。  もしかしたら私は、妻をうしなった男の、なまなましい悲しみの姿を、心ゆくまで味わいたかったのかも知れない。それは新鮮な魅力だった。私は男というものの生きた姿、苦悩する姿、のたうつような悲しみの姿を、その胸の鼓動までも、じかに感ずることが出来た。その、何とも言えない刺戟的な魅力を、見すてて帰るわけには行かなかった。私は夜通し宇田さんと二人きりで、対坐していて、はじめからしまいまで心臓がどきどきしていた。それは或る意味では夫婦の生活をじかにのぞき見するような、体温でなまぬるくなった風が鼻を打ってくるような感覚でもあった。芝居では見ることのできない真実なものだった。棺の上に飾られた奥さんの写真は、蝋燭《ろうそく》の火のゆらぐたびに輪郭がゆれ動いて、まるで生きているようだった。私はこの夫婦の、誰にも見せない秘密な生活まで、のこる隈《くま》なく知り得たような気がした。私は親切であったというよりは、好奇心でいっぱいだった。  そしていま、宇田さんからの手紙を読みながら、私は溜息が出るのだった。森下けい子は妻のある男だけに魅力を感ずると言ったが、私にもそうした傾向があるのかも知れない。私はそんな感覚を実行にうつす勇気はないが、妻に死なれたばかりの男には強い魅力を感ずる。私は宇田さんのことが気にかかってならないし、抛《ほう》って置けない気がするし、何とかしてあげたいいら立たしさを感ずる。この気持は、もしかしたら宇田さんの個性や人格とは関係なく、宇田さんの現在の立場だけについて私が心ひかれているのかも知れない。個性的な魅力ではなくてドラマチカルな魅力というのであろうか。もしそうだとすれば、つまらない一時的な感情だ。  芝居の観客は、悲劇が好きだ。私も悲劇が好きなのかも知れない。すくなくとも喜劇よりも悲劇の方が刺戟的で感動的だ。そして悲劇は心を重く充たしてくれる。それは明るい幸福な充足感ではないが、不幸な気持とは違っている。通夜のときの宇田さんは、妻に死なれた悲しみとは別に、一種の充実した感覚をもっていたに違いない。それは生命の充実感と云おうか、生きて居る自分を新鮮に感ずる気持だ。空虚な感覚とはまるで別なものだ。空虚な感覚は人間を無力にして行くようだが、充実感は、たといそれが不幸に起因したものであっても、人間を飛躍させたり、深めたり、美しくしたりしてくれるようだ。私はやはり宇田さんに心ひかれる。  七月二十日——  ひどい暑さがつづく。朝食は牛乳一合。新聞をとってきて、素っ裸になって、牀の上に腹ばいになって読む。このだらしなさは独り者だけがすることだ。吉岡が居たときには決してこんな姿はしなかった。男の存在が女を緊張させていたのか。男の眼にうつる自分を美しくしたいと思っていたのか。女は男によって崩れるということもある。男が居ないことによって崩れるということもある。私の私生活はいまのところ緊張を失っているらしい。白鳥座の仕事はたのしいが、アパートの生活はからっぽだ。それは仕方がない。隣の部屋の辛島君はなにかと用事をこしらえてはやってくる。写真ができたとか、目薬をお持ちじゃありませんかとか。しかし彼の存在は私を緊張させるほどではない。彼はアルバイトが案外いそがしいらしく、それで私は助かっている。  九時半、郵便がきた。たった一通だけ。表書きは「朝倉じゅん子様気付、長谷川春美様」とあって、差出人は小寺益雄と書いてある。私は何だか嫌な気持になる。小寺益雄が何者であるか、私は知らない。彼は長谷川さんの住所を知らないのか、知っていて私の方へよこしたのか。長谷川さんと小寺とはどういう知りあいなのか。……考えて見たって解るわけはない。しかしいずれにしても、何かしら秘密な関係であることだけは間違いない。  私はアパートの事務所で電話をかりる。私は少しばかり腹を立てていた。迷惑だという気持に、嫉妬もまざっていたかも知れない。 「里村さん?……あなたに手紙が来たわよ。小寺という男のひと。何なの、あれ……。どうして私のところへよこしたりするの」  長谷川春美はしどろもどろだった。私は彼女をいじめていることに快感をおほえた。姑《しゆうとめ》が居るので、彼女は電話口で詳しい説明をすることができない。夕方早目に白鳥座へ行くから、そこで手紙を受取りたいということになった。私は不潔な気がした。他人の情事は不潔に見える。私だってそのくらいの事はやるかも知れない。自分の行為は自分でゆるしたい。そのくせ他人の弁明は聞きたくない。道徳心というものは身勝手なものだ。  四時まえに、里村春美は子供をつれて白鳥座へやってきた。私は近処の喫茶店にさそい、手紙をわたしてやる。 「長谷川さん、お見それしたわ。あなたはずいぶん大胆なのね」 「そうじゃないのよ。ひどいことを言うのねえ」と彼女は怨めしげな言い方をしたが、それは口先ばかりだった。男から手紙がきたことで、彼女はわくわくして居るのだった。  このまえ春美さんに会ったのは百貨店だった。あのとき彼女は持って行き場のない自分の苦しい立場を説明してから、(わたし、浮気をしてやろうかと思うの)と言った。どきんとするような鋭い言い方だった。今から思えば、あのとき彼女はもう小寺益雄とのあいだに、或る程度の交渉をもっていたに違いない。 「わたしの所には長谷川の父も母も居るでしょう。とても喧《やかま》しいのよ」と彼女は言った。「外へ出るときには必ず、この子を連れて行けって母が言うの。子供の守をさせられるのは嫌だよ、あんたの責任だからねって言うのよ。私を疑ってるのね」 「そう。……子供連れじゃ、浮気もできないわね」と私は皮肉な言い方をした。  春美さんは静かに笑って、子供をあずかってくれる所があると言った。それがどんな所かは、言わなかった。眼のよく動く、むしろあどけないと言ってもいいような可愛い顔をして居ながら、彼女はそんな事をしているのだった。可愛い顔をした女には、ときおり本質的に不道徳な人があるように私は思う。道徳的に未発達であることが、顔の表情にまで、何か子供っぽい未熟さになって現われて、それが可愛いという印象をあたえるのではなかろうか。白昼、子供をどこかにあずけて置いて、その短い時間に男と媾曳《あいび》きをするひとりの母親の大胆さが、私をおどろかした。 「保険会社にいる人なの。とてもハンサム」と言って、彼女はくすくすと笑った。笑い方に性的な匂いがあった。  ああこれはいけない、と私は思った。彼女はこの浮気沙汰をたのしんでいる。私にひけらかしたいような気持をもっている。つまり無反省なのだ。彼女は危険を忘れている。私は道徳家ではないから彼女を責めるつもりは無いが、しきりにあぶないような気がした。 「私はあなたの浮気の片棒をかつぐの、嫌だわ」と私は言った。「手紙のお取り次ぎも、ちょっと困るわね」 「済みません。わざわざ今日みたいにするのも面倒だから、別の封筒に入れて、じゅん子さんの名前で送ってちょうだい。すこし遅くなるけど、それでいいわ。お願い……」  彼女は赤くなって笑いながら、私にむかって手を合わせた。私は腹立たしい気持になった。それは嫉妬であったかも知れない。道徳的に乱れている女の、その自由さを羨望《せんぼう》する気持もあった。私はそれだけ自由にはなれない。私が道徳的であるというよりは、臆病なのだと思う。そういう臆病さは悪いことではない。学校で論語を習ったことがあるけれども、孔子の教えだってずいぶん臆病だ。臆病を要心ぶかく実行したのが偉いのかも知れない。 「それであなた、これから先、どうするつもりなの」と私は言った。「その人と結婚できるの?……向うの人だって家庭があるんでしょう。あなたには子供があるんだし、長谷川の家から出ることが出来るの?」 「どうにもならないわ」  それ見ろ、と私は思った。私は刑事みたいな口調で春美さんを問いつめた。婚家を出ることは出来ない、子供と別れることも出来ない、婿養子をもらうことも出来ない、そういう八方ふさがりの立場に在りながら、……そういう立場にあるからこそ、苦しがって彼女は恋愛をしているのだ。やぶれかぶれの恋愛だった。破綻《はたん》は眼のまえに見えているではないかというのが私の理窟だった。私には関係のない事件だから、私は威張っていられたのだ。里村春美にしてみれば、そんな理窟はわかり切ったことだった。 「知ってるわ。どうにもならないのよ」と彼女はくり返して言った。顔色は平静で、落着きはらっていた。「だから、どうすればいいの? そんな不健全な恋愛なんかやめろって、あなたは言うんでしょう。やめたら何が残るの? 私に何ができるの? 何も有りゃしないじゃないの。子供を育てることに集中することができたら、あなたは褒めてくれるかも知れないわね。それで満足できる人ならそれでもいいわ。私はできない。子供を育てるだけでは満足できない。私の人生は子供とは別だわ。子供をそだてることは母親の義務よ。私だって立派に育てようと思うわ。そのほかに私の人生が無くてはならない。慾張りかも知れないけど、私はそう思う。  小寺さんとの事に、私は希望をもっていないわ。希望なんか無い。その場限りの享楽よ。希望どころか、絶望だわ。絶望にむかって恋愛をしているの。今日終るか、明日終るかわからない、終ったらそれっ切りで、なんにも残らない、そんな気持。それだけでも今の私にとっては何よりも貴重なの。これが終ったら私の人生も終るような気がする。あなたなんかには解らないのよ。あなたは離婚したって、再婚の望みを胸一ぱいに持っているわ。独身なら独身の生き甲斐も張りあいも持ってるわ。だからあなたは私を叱るようなことが言えるのよ。私は叱られたって平気。絶対やめる気はないの。仕方がないわね」  仕方がないと言い切って、彼女はほのかに笑った。絶望的な、白っぽい笑い方だった。私はもう何も言えなかった。  絶望にむかっての恋愛。……そのことによってたまゆらの充足をもとめて行く女の姿を、私は凄いものを見る気持で見つめていた。もしかしたら彼女の恋愛こそ最も純粋なものであるかも知れない。森下けい子の恋愛には計画だの意地だの虚栄心だのがまざっている。吉岡弦一の恋愛はいつも自分でえがいた蜃気楼《しんきろう》を追いもとめている。結婚のための恋愛は多かれ少なかれ相手の経歴や資産や健康状態などを計算し、それによって自分の将来の幸福を測定しようとしている。それに比べて里村春美の恋愛は、将来の幸福を抛棄《ほうき》したところから始まっている。したがって彼女の恋愛は計算によって歪《ゆが》められていない。相手に責任を負わせたり保証を求めたり誓いを立てたりする不純さから、完全に自由である。多分、そのように純粋な恋愛は、純粋であるために却って、当然の結果として、真一文字に肉体的な享楽をもとめ、そしてそこが行き止りであろうと思う。そこから先は何も無いのだ。だから彼女は子供をどこかに預けておいて、小寺との媾曳きに命を燃やして行くのだ。しかしそれが、いつまで続くことだろう。純粋な恋愛は、命がみじかい。不純なものが却って長つづきする。何だか矛盾したはなしだ。  世間的な常識から言えば、彼女は幸福な人たちの中に数えられるだろう。生活はゆたかで、健康で、若くて、婚家は上流家庭である。立派な子供もいる。彼女はたったひとつ、良人を失っただけであって、生活に必要なその他のものは全部そろっているのだ。良人が居ないという、それだけの事が彼女の致命傷になっている。しかし他人は同情してくれないだろう。宇田さんは先日の私への手紙のなかで、亡くなった妻が生活の一切のつなぎ目になって居たと書いているが、里村春美の場合で言うと、亡くなった良人が彼女の生活のつなぎ目になって居たのではないだろうか。つまり、良人は妻を介して生活とつながり、妻は良人を介して生活とつながって居るという事であろうか。宇田さんは子供があっても彼の将来には再婚の自由もあるし、幸福への期待もある。里村春美は同じ立場でありながら、女であるということだけで、絶望的になっている。なぜこうまで違わなくてはならないのか。彼女が思い切って子供と別れることが出来れば、ふたたび道は開けて行く。それは解り切ったことだ。それが出来ないところに彼女の絶望の原因がある。子供と別れ得ないというのは、やはり子供によって充足するものがあるからであろう。つまり彼女は、自分で考えているほど不幸ではないのだと私は思う。 「あなたは我儘《わがまま》よ」と私は言った。  結婚のときにも、二人で外国旅行に行くことを条件にするような、わがままなところがあった。いま、その我儘な気持が彼女を不幸にしているようだ。 「何とでも言ってちょうだい。いまはあなたには頭があがらないわ」と春美さんは笑った。子供はアイスクリームを食べ終って、退屈していた。  私はそのとき森下けい子の言葉を思い出していた。(恋愛って生活だわ。生きてゆくために必要なのよ。そう思わない?)……里村春美の場合はあたかもその、生きてゆくために必要な恋愛であるようだった。生きて行くために本当に必要なものであるならば、それが良いとか悪いとか、批判することは私には出来ない。私に頭があがらないと彼女は言っていたが、本心では、私の忠告などは歯牙《しが》にもかけていないような、ふてぶてしく腹を据えたものがあった。彼女の方が私より、ずっと大人になってしまったような、手のとどかない感じだった。 [#改ページ]     4  七月二十六日——  きのうの夕方、割烹着《かつぽうぎ》をつけて、私は炊事にとりかかろうとしていた。ドアをノックする音。出てみると、吉岡が鞄《かばん》を下げて立っていた。大きく私のまえに、立ちふさがったという感じだった。にこにこと、崩れるようなやさしい笑顔を見せて、(よう、久しぶりだなあ。どうだ、元気かい)と言う。私はぬれた手を宙に浮かしたままで立ち竦《すく》んだ。  彼が訪ねてくれたことが、嬉しくなくはない。私はやはり嬉しいのだ。そのくせ私は立ちすくんでしまう。嬉しいけれども、それでは困るのだ。吉岡弦一のことならば私は裏も表もみんな知っている。そんな男は世界中に、この人だけしか居やしない。そして彼は、私のことを何でも知っている。からだじゅうのほくろの数まで知っている。しかし私たちは別れたのだ。別れた男というものは、もう完全な他人でなくてはならない。通り過ぎた駅のように、またそっちへ戻るわけには行かないのだ。そのくせ、戻す気になったら今日からでも戻ってしまう。だからお互いに、見ないようにしていなくてはならないのだ。  私はからだじゅうの皮膚が泡立《あわだ》つような感じを受ける。それは恐怖かも知れない。恐怖ではなくて、忘れていた性の感覚であったかも知れない。私の理性とはかかわりなしに、私の皮膚が、それから、もっと深いところにある感受性が、あの頃のことを覚えていて、不意に緊張してくるような、寒いような感覚だった。吉岡はしゃれた格好をしていた。コンビネーションの靴、白いズボン、灰色にこまかいチェックの軽い上着。笑っている顔は、心が曳きこまれて行くような美しさだった。あの頃とちっとも変ってはいない。あの頃よりもずっとおしゃれで、かね廻りのよさそうな様子をしている。こういうときに、この人は危ないのだ。すぐに羽目をはずしてしまう男なのだ。 「どうなさったの?」と私は突っ立ったままで言う。それは歓迎の言葉ではなくて、逡巡《しゆんじゆん》しているときの言葉だった。 「どうもしやしない。東京へ来たからな、ちょっと会いたくなって来て見たんだ。やっぱりじゅん子がなつかしいよ。上ってもいいかい」  私はどうしていいか解らない。彼が一歩この家のなかにはいってしまえば、私は弱くなってしまう。私は抵抗できなくなる。そしてあの時と同じように、血の吹き出すような思いをしなくては、別れられなくなる。吉岡は敏感に、私の逡巡している様子を察したらしかった。 「晩飯をこしらえるのかい。今から?……俺も腹がへっているんだ。その辺まで出て見ないか。何かうまい物をたべよう。何でも御馳走するよ。え? ちょっと出ないか」  調子の良い誘い方だった。私はそれで助かったと思った。この部屋にはいられなくて済む。外で話をして別れれば、何事もなくてすむと思った。だから大急ぎでワンピースに着かえて外に出た。しかし私は迂濶《うかつ》だった。吉岡は鞄を私の部屋に投げこんでいた。食事のあとで、取りに戻らなくてはならなかった。  食事はたのしかった。吉岡は刺身や枝豆や鮎《あゆ》の塩焼きを注文し、酒をのみながら、大阪の話をしてくれた。カメラ雑誌は景気がよくて、彼は三室あるアパートのひとり住居で、月給以外に収入があって、部下が七人居るという話を、たのしそうにしゃべって聞かせた。 「来年は二月ごろから外国旅行だ。三カ月ぐらいの予定でね。どうしたって一度外国を廻ってみなくては駄目だね。向うの写真を研究する必要があるよ。良い作家が居るからね」  私は、妻であったときの気持になって、彼の話を聞いていた。多分、外国旅行はお流れになるだろう。写真雑誌は半年か一年でつぶれるだろう。雑誌が巧く行ったにしても、吉岡は資本主と喧嘩《けんか》をしてしまうだろう。そして東京へ戻ってくるだろう。……私には先の先までわかるのだった。私にわかることが、吉岡自身にはわからない。わからないから毎日をたのしんで居られるのだ。  私は吉岡がかわいそうになってきた。この人が悪いのではない。この人は本当に純真なお人好しなのだ。だから却って何もかも巧く行かないのだ。私自身もまた彼にとっては不貞の妻、彼に対する迫害者のひとりであったかも知れない。そう思うと私は冷酷な態度がとれなくなった。かわいそうな、お人好しの吉岡。……外へ出てから私は、警戒するつもりで言った。 「今日は、どこの宿へとまるの?」 「宿なんかない。じゅん子のところへ泊めてくれ。いいだろう、な」と彼は言った。「それとも、恋人かなんかあって、俺がとまると具合のわるいことでもあるんだったら、よそへ行ってもいいけどさ」 「そんなもの、無いわ」と私は強く言った。別れた良人《おつと》に対してすらも、妻は純潔を誓いたい気持になるらしかった。純潔の責任は解除されているのに、まだ純潔の旗じるしを見せたがっていた。つまり、貞節でありさえすれば、女は威張っていられるのだ。  アパートにもどって、彼が靴をぬいで私の部屋にはいって来るのを、私は拒むことができなかった。拒めば純潔を疑われるだろうという気持があった。それは私の言いのがれかも知れなかった。私はいまさら吉岡の愛情をもとめてはいない。しかし愛の行為を求めていない訳ではなかった。私はそれを自分から求めるわけには行かなかった。それは男がすることであって、私は被害者の立場にいる方が具合がいいのだ。  彼は上着をぬぎシャツをぬぎ、肉づきの良い上半身を裸にして、水でからだを拭いた。それから畳の上に仰向けに寝そべって、 「ああ、良い気持だ」と言った。「俺は月に一度はきっと東京へ出てくるんだ。たいていはホテル泊りだが、ホテルなんか殺風景でつまらん。これからはここへ泊めてくれよ」  私は彼の裸から眼をそらしながら、 「だめよ、そんなこと」と言った。「わたしは宿屋じゃないの」 「宿賃は高く払うがね」 「たくさんだわ。あなたみたいなお客はおことわりよ」 「どうしてさ」 「だって、客用の寝具なんかございませんし、お客の部屋もないの。ねえ、悪いけど今からホテルへ行ってくれない?」  吉岡は起きあがって、私の顔をまともに見つめていた。それから煙草一本をすい終るまで物を言わなかった。そのあいだに私の気持は硬化していた。負けてはならないという気になっていた。 「よし、わかった」と彼は言った。歯切れのいい口調だった。「じゅん子の言うことも尤《もつと》もだ。これからはもう決して訪ねて来ないからな。いいかい。約束するよ。決して訪ねて来ない。だから、今日だけ泊めてくれ。今夜かぎりで、本当の赤の他人になろう。……それでもいやか」  それを聞くと、私は急に気が変った。本当に今日かぎりで赤の他人になってしまうのならば、嫌ではない。私は二度も三度も念を押して、それから承知することにした。私はいまでも吉岡が好きなのだ。好ききらいを越えた、数々の生活の歴史がある。その歴史は生涯消えることはない。手を触れれば何時《いつ》でも体温がよみがえって来るほど、新鮮な歴史なのだ。ただ一つこの男の欠点は、生活的であるよりも文学的であることだった。生活を伴《とも》にすることは耐えられないものがあるけれども、生活をはなれれば楽しい男だった。だから恋愛時代にはこれほど魅力のある男はなかったが、結婚すると私は駄目にされてしまったのだ。森下けい子とは逆に、文学的恋愛だけで生きて行くべき男だった。  私は一つしか無い牀《とこ》を敷いた。吉岡は黙って見ていた。私は恥ずかしくて恥ずかしくて、首筋まで真赤になる思いだった。五カ月もひとりでいると、こんな事がこれほど新鮮になるものか。私は、自分がこんなにも色情的であるのかと思った。私は手先がふるえ、立居ふるまいがしどろもどろになり、口をあけて息をしていた。私は何もかも知っているのだ。いまからのち、彼がどんな表情をして、どんな事をして、どんな風にささやきかけて来るか。そして私がそれに対してどんな風に応じて行くか。みんな知っているのだ。それは何百回もくり返された二人の行為であり、二人の習慣だった。或る、別な理由で、そのくり返しは断絶されてきたが、もう一度だけくり返すのは、二人がその気になりさえすれば、何でもない事だった。そのくせ私は恥ずかしさで、動悸《どうき》の一つ一つが、心臓の上に石を落すような音をたてていた。そしてからだじゅうで汗をかいていた。  私は流しへ行って顔を洗った。胸と腕と、腋《わき》の下まで、冷たい手拭でふいた。私はそのとき不意に、吉岡を拒否しようと決心した。別れたからにはきっちりときまりを付けるべきだ。むかしどんな事があったにしろ、今は他人ではないか。絶対に拒否すべきだ。そうすれば吉岡はつまらないから、二度とやって来なくなるだろう。私は宇田貞吉さんの地味なおだやかな人柄を愛している。宇田さんはもしかしたら、近い将来において、正式に私を求めてくるかも知れない。私はその事に多少の期待をもっている。吉岡をちかづけてはいけない。  決心をすると慄《ふる》えが止った。私は入口のドアに鍵《かぎ》をかけ、部屋の隅の鏡台のまえに坐った。顔にクリームをぬり、ガーゼで拭きとる。私の皮膚はまだ若く、首筋は白くてなめらかだ。眉のかたちは少し気に入らないが、眉墨で描くのはいやだ。吉岡が立ってきた。私のうしろにかがんで私の肩を抱いた。鏡には二人の顔がうつった。こうしたやり方を、私はさんざん知っている。 「うるさいわね。おやすみなさい」と私は言った。「わたしにさわったら嫌よ。わたしはそんなつもりは有りませんからね」  吉岡は鏡の中で笑った。自信にみちた笑い顔だった。そして私の首のうしろを優しく噛《か》んだ。私はからだじゅうがしびれてくる。脈搏《みやくはく》が早くなり、呼吸が荒くなる。こんな感覚をながいあいだ私は忘れていた。彼はブラウスのあいだがら手を入れて私の乳房を押えた。私は乳房が凝固する痛みを感じた。私は手足が自由にならなくなり、彼の腕のなかに崩れ落ちた。私の決心は何の役にもたたなかった。そのことを私は後悔していなかった。  吉岡は浮気ものであったが、どこの誰とのあいだにも子供はなかった。その事だけを除けば、人間の牡《おす》として彼は完璧《かんぺき》だった。私は彼によって充たされ、気持がやさしくなった。私は弱り果てて、なにもかも、どうでもいいという気になっていた。吉岡が毎月一度ずつ上京したら、泊めてやってもいいではないか。元の生活に戻りさえしなければ、かまわないではないかと思った。浮気の楽しさというのはきっとこんなものだろうという気がした。しかもこれは誰の迷惑にもならない、誰から非難されることもない、安全な浮気だった。里村春美の浮気はかわいそうだ。相手の小寺とかいう男には妻子がある。その男にむかって彼女は救いを求めているのだ。与えられる筈のない救いを求めている。私は吉岡になにも求めてはいない。私はかんたんに充足を感ずることができるが、春美さんは絶えず充たされない気持でいる。だから一層強烈なものを求める。あの人の浮気は自殺にひとしい。  けさになって吉岡は、鞄のなかから大阪の名物、昆布のつくだ煮を出して、おみやげだよと言って私にくれた。 「ひとり暮しには都合のいい食糧だよ」  このつくだ煮は塩からいから、十日も二十日も私の食卓にあることだろう。食事のたびごとに私は吉岡のこと、昨夜の浮気のことを思い出すだろう。吉岡で見れば巧みな自己宣伝だ。ときとして私は、朝の食事の箸《はし》をとりながら、彼をなつかしく思い出し、心がくずれることがあるかも知れない。しかし私はもう決心していた。もう二度と彼をこの部屋に迎えることはあるまい。  彼が身支度をととのえて出てゆくとき、私は入口まで見送って、はっきりと宣言した。 「ねえ、約束して。もう私のところへ来ちゃ駄目よ。ゆうべそう言ったでしょう。わかってるわね」 「本気かい、お前……」と彼は言って、きれいな微笑を見せた。「本当に、もう嫌いになったのかい」 「いいえ、今は好きよ。だけど、今度来たら絶対に嫌いです。わたしはどんな事があってもおことわりしますからね。約束してちょうだい」 「そうか。わかったよ。じゃ、さよなら。元気でな」と彼はあっさりした言い方をした。  要するに彼はどっちだっていいのだ。彼は本質的に、女に執着する心を持たないのだ。はかない男。……女は彼のどこを信頼して行けばいいのだろう。だから女たちは次々と、みんな彼からはなれて行ってしまう。彼は百日紅《さるすべり》の幹のようにつるつるで、どこにも手がかりが無いのだ。  扉をとざして、階段を降りてゆく彼の足音を、私はしばらく聞いていた。それから扉に鍵をかけて、窓に行ってみた。窓からは外の道路が見える。吉岡は洒落《しや》れた姿で大股《おおまた》にあるきながら、ふりかえって手を振った。こぼれるようなきれいな笑顔だった。それが、青桐の葉の青い茂みの向うにかくれて行った。あんな美しい男の笑い顔を私は二度と見ることはあるまい。たのしそうな別れだった。まるで、朝の勤めに出てゆく幸福な良人と、それを見送る若い妻のようだった。それは、昨夜の二人のたわむれの続きのようであった。そして、今夜のたわむれを約束しているようでもあった。私は不幸ではなかった。……  一分もたたないうちに、扉をたたく音がきこえた。隣室の辛島君だった。白いトレーニングパンツをはき、ランニングシャツを着ている。袖がないので、男の腋毛が腕の下からはみ出していた。彼は何とも言えない哀れな表情を見せて、戸口の柱にもたれかかった。それから精根をつかい果したようなかなしい声で、 「朝倉さあん……」と、語尾を長く曳く言い方をした。「ゆうべ、お客さんでしたね。僕は、あなたを誤解していました」 「それがどうしたの?」と私ははねつけるように言った。 「とてもスマートな紳士でしたねえ。さっき、あなたに手を振りながら出て行くところを、僕は見ました」  青年は人差し指の爪で柱を引っ掻《か》いていた。私に文句をつけに来たのだ。 「あなたに関係のないことよ。あまり私に干渉しないでちょうだい」 「そうでしょうか。僕はあなたの事について何も発言する資格がないんでしょうか」 「そうよ。何も資格なんか無いわ」 「僕は悲しいんですよ。僕はもっと、朝倉さんを、清潔な女性だと信じて、あこがれて居たんです。僕はあなたの自由を拘束するだけの力もないし、資格もないんだが、あなたが世間にありふれた女優たちみたいな、不潔な生き方をするのだけは、見たくないんです。それは、僕の美しい偶像がけがされることなんです」  私は彼のねちねちした女性的な物言いに腹を立てていた。というよりも、私と吉岡との私的な行為を、こんな男からとやかく批判されることに、屈辱的なものを感じていた。 「知りもしないで、余計な口出しはやめてちょうだい。あの人と私とは四年もまえに結婚したのよ。それがどうしたって言うの? うるさい人ね。帰ってちょうだい」 「はあ……あの人が、別れた御主人ですか」と辛島君はつぶやいた。そんな事まで彼は知っていたのだ。  私は物も言わずに、彼の鼻のまえに扉をとざした。私は腹を立てていたが、すぐにおかしくなってしまった。私の浮気は誰にも関係のない、誰にも被害をあたえないものだと思っていたが、ひとりだけ被害者が居たわけだった。悲しんでいる彼を、私はすこしばかり、可愛いと思った。  私は辛島君に、浮気の証拠をつかまれたわけだった。そのことが恥ずかしかったから、私は彼に手きびしい仕打ちをした。しかし私の行為が不道徳なものだとは思われないので、私は平気だった。むしろ少しばかり、彼に対して優越感のようなものを感じていた。こういう優越感は、動物的かも知れないが、自然なものだろうと私は思う。鶏小舎《とりごや》のなかで、たびたび牡鶏《おんどり》に挑まれている牝鶏《めんどり》は、他の牝鶏に対して威張っている。結婚している女は、独身の友達に対して優越を感じている。不道徳な性生活をもつことは劣等意識をまねくけれども、道徳的な性生活をもつことは、人間の牝《めす》の誇りであるらしい。私はひそかに満足していた。辛島君は、もう私に手がとどかなくなった。彼の青春は傷つけられた。多分、大した傷ではない。  八月九日——  引越しをしようかと思って、さんざん考えた。理由はいろいろある。アパートが汚なくて近処の部屋がうるさい事。隣室の辛島君と縁を切りたいこと。吉岡弦一と本当に別れたいこと。西陽があたって暑いこと。多少経済的にゆとりが出来たこと。  しかし石黒先生に借金を返す方が先だ。いま白鳥座では石黒さんの芝居の予定がないので、しばらくお会いして居ない。三千円は返せる。秋になると洋服を作らなくてはならない。今のうちに返しておこう。送ろうか持って行こうかと迷ったが、ちょっとあの人に会いたい気になった。意地わるで、そのくせ人のいいおじさまだ。電話をかけてみる。女中さんが出てきて、先生は御入院ですと言った。病気ですかとたずねると、胃|かいよう《ヽヽヽヽ》ですと云う。三日まえに入院して、切るか切らないか、いま様子を見ているところだが、多分切らなくてもすむでしょう。そういう話だった。  私は病院の場所を開いて、大急ぎで飛び出した。私は先生ひとりを頼りにしているのだ。私の身の上にどんな事がおこっても、あの人さえ居て下されば安心だと思っている。そのくせ御ぶさたをして、平気で居る。信頼できるのは先生だけだと、私は心から思っているのだ。先生は二度目の奥さんと別れてから、乱酔しているという話は聞いていた。奥さんにどんな不倫があったのか、私は知らない。先生に訊《き》くわけにも行かない。妻の不倫に対して、男はきびしいものらしい。妻にきびしいばかりでなく、自分に対してもきびしいようだ。しかし、不倫とは何だろう。(倫)などというものは、もともと無かったのではなかろうか。性はもっと自由勝手なものであったと思う。要するに倫とか不倫とかいうのは、所有関係、占有関係だろうと思う。所有本能が道徳になったものだろう。妻の不倫というのは、自分の持ちものが盗まれたということだ。盗難の一種だ。先生がその盗難のために乱酔し、胃|かいよう《ヽヽヽヽ》になったとすれば、二重の損害だ。しかし先生で見れば、損害を計算しているわけには行かなかったに違いない。ほかの所有品がぬすまれても先生は乱酔はしない。やはり妻という所有品は、いかなる物よりも貴重な所有品であったのだ。所有品をぬすまれた空虚な感覚が、酒をのむことによって充足させられるものかどうか。私にはよくわからない。充足ではなくて、忘却かも知れない。しかし、酒をのんで、かんたんに忘却できるくらいなら、酒を飲む必要もない。忘却はできないのだ。だから酒を飲むのかも知れない。私は吉岡が浮気沙汰をおこしても、酒を飲みはしなかった。  私はタクシーに乗る。自動車という乗りもののエゴイズム。この車にのって走っていると、道路にあるすべての物が邪魔ものに見えてくる。通行人も犬も赤と青の信号も、ほかの車も、交通巡査も、正面からまぶしく照りつけてくる太陽まで邪魔だ。曲り角さえが私の邪魔をしているように思われる。おそらく、永年タクシーの運転手をして来た男は、女房に対してもエゴイストであるだろう。百三十円支払う。たったそれだけのおかねで、あれほどのエゴイズムを味わうことか出来たのだ。まるで王様のような、いら立たしい気持だった。  病院はきたなくて大きな建物だった。三百ぐらいも並んだ窓のなかに、全部病人がつめ込まれているのかと思うと、寒気がした。癌《がん》、結核、肝臓、心臓、腸|捻転《ねんてん》、交通事故、子宮後屈、自殺未遂、中耳炎、脳軟化症、とてもたまらない。私はいまのところ何も無い。私はなにひとつ良いことなんかして居ないのだから、神様は不公平だ。  受付の女は小窓のなかに居る。お互いに顔は見えない。来客の顔を見ないで用事だけをすませるというのは、人道的かも知れない。石黒先生の部屋をきくと、二百四十二号だと答えた。  長い廊下に患者がうようよと居る。診察室がずらりと並んでいて、その入口にペンキぬりの札が一つずつ突き出ている。耳鼻科、泌尿器科、レントゲン室、皮膚科、小児科、神経科。……その札の下にその患者が、自発的にあつまっている。病気によって人間が分類されている。どれを見ても碌な人間はいない。青ざめて、しおたれて、よれよれだ。私は患者どもをかき分けて歩く。一種の優越感がわいてくる。通りがかりの看護婦に二百四十二号室をきくと、(二階です)と言いすてて行ってしまった。看護婦などという女は年じゅう患者をうるさがっているのではなかろうか。どんな女よりも一番つめたい感じのする女だった。月給が安いせいかも知れない。いつか新聞で、七十何歳の老看護婦がナイチンゲール勲章をもらったという記事を読んだことがある。そんな年まで看護婦をしていたというのは、よくよく不仕合せな女だ。  大きなエレベーターに乗る。四畳半ほどもありそうだ。すると、(頼みます)というかけ声と共に、患者をねせた運搬車が、車ごと押しこまれてきた。患者は四十ばかりの男。いま手術をされたところらしく、荒い息をして喘《あえ》いでいた。唇が白く乾いている。患者といっしょに二階にあがる。病院というのは人間の修理工場だ。鼻を切る医者はまいにち鼻ばかり切っている。  二四二号の扉をたたくと、初老ぐらいの品のわるい女が顔を出した。付き添いの女だった。小さな病室だ。病室というよりは独房みたいだった。石黒先生は腹の上に大きなタオルをかけただけで、鉄のベッドに寝ていた。彼は私を見て、苦っぽく笑った。左の鼻の穴から細いゴム管がぶら下っていて、先の方が一つ結びこぶになっていた。見られた姿ではない。 「あら先生、何て格好をしてるの。見っともないわね」と私は言った。「きっと日ごろの心懸けが悪かったのね。髭《ひげ》は伸びるし髪はみだれるし。十年の恋もさめそうよ。あんまりおしゃべりしてはいけないのかしら。どうなんですか胃ぶくろは。……」  先生は鼻に飴色《あめいろ》のゴム管がはいっているために、鼻声だった。 「俺が病気になって、お前はよろこんで居るんだろう」 「ああ、そんな憎まれ口が利ける位なら、まだ大丈夫ね。わたし本当は、先生が死んだらいっしょに死のうかと思っていたの」 「病人だと思って、からかって居やがる」 「違うわ。タクシーに乗って飛んで来たのよ」  石黒さんは黙って片手をさしのべた。私は握手をした。すると、不覚にも涙が出て、唇がふるえた。 「ねえ、本当はどうなの。治る?」 「治るさ」 「そう。そんならいいけど、そのゴム管、いやな感じね。何をするの」 「胃液をとって検査するんだ」 「胃|かいよう《ヽヽヽヽ》って、痛いの?」 「痛いこともある」 「血が出るんでしょう」 「まっ黒な、コールタールみたいな|うんこ《ヽヽヽ》が出た」  私は溜息《ためいき》をついた。 「おかねを返そうと思って、お宅へ電話をかけたのよ」 「感心だね」 「それまで何も知らなかったの。白鳥座の人たち、知らないのかしら」 「田辺元子がきのう、見舞にきてくれた」 「あら、じゃ、私に黙っていたのね。あのひと、先生が好きなのよ。知ってるわ」 「そういうデマを飛ばすんじゃないよ。馬鹿だなあ」 「先生あのひとと結婚しないでね。わたし絶対反対よ。ほかの人なら誰でもいいけど……」  先生はやつれたきたない頬に笑いをうかべた。 「まあ、大丈夫だろうな。警視庁の警部でも逃げだしたんだからね。俺なんか十日と持たない」  石黒さんは笑うとき、唇だけで笑った。胃にひびかないように笑っているのだ。 「これから毎日、俺の看病に来ないか。日当を千円ずつ出す。それでお前の借金をへらして行くんだ。どうだい、名案だろう」 「来ようかしら」と私は言った。「だけど、誤解されたら困るわ。田辺さんが焼きもちを焼いたら、私は白鳥座に居られなくなる」 「うむ、そうか。とにかくじゅん子は、早く借金を返すように考えろ。いつでもいいって言ったけど、早い方がいいぞ」 「先生、おかねに困るの?」 「困りゃしない。お前に貸してるのがいやなんだ。棒引きにするのも不潔だし、貸していると、言いたい事が言えない」 「言ったらいいじゃないの。何が言いたいんですか。ずいぶん言いがかりを言うのね」 「そうじゃない。お前には解らないんだ。俺はもっと我儘《わがまま》を言いたいんだよ。貸してるあいだは言えないじゃないか。……大きな声をするとまた血が出る。もういいから帰れ。俺は絶対安静なんだ」  私はだまって部屋の中を見まわす。窓に細引きをかけて手拭や浴衣が乾してある。お見舞の花とメロン。小型のラジオ。窓の下をオートバイが騒音の尾を曳いて走って行く。居心地のわるい部屋だ。 「夜なんか、さみしくありません?」 「さみしいよ」 「そんなとき、どうなさるの?」 「芝居を考えてる」 「いつごろ退院?」 「二週間か三週間」 「退院したら、今度はおとなしくするのね。お酒は当分だめでしょう」 「うむ」 「間がもてないわね」 「うむ……」 「どうするの?」 「そうだね。俳句でもつくるか」 「俳句。……さみしいわね」と私は言った。  胃|かいよう《ヽヽヽヽ》という病人は、見舞人にとって手のつけられない病人だ。飲めない、食えない、動かせない。見舞人はただ見ているだけだ。それから十分ほどして、私は帰ることにした。付添人に私のアパートの電話を教え、用事があったらいつでも呼んでくれるようにと言って置く。  帰り道で、私は考える。石黒さんがなぜ、早く借金を返せと言ったのか。(言いたい事が言えない。もっと我儘を言いたい)……我儘とは何だろう。何を言いたがっているのか。本当はやはりおかねに困っているのだが、そうは言えないから、見栄を張ってあんな事を言ったのではないかと思う。誰かから借金して、早く返しに行く方がいいらしい。  病院の夜はきっと淋しいだろうと思う。そんな時こそ、妻がそばに居るべきだ。あるいは娘などが付き添ってやるべきだ。石黒さんは孤独だ。妻も娘もいない。それはあの人が浮気ものであったことの酬いかも知れない。吉岡弦一の孤独もそれと同じだ。浮気沙汰は男を孤独にする。良いことばかりは無い。  しかし、そんな事とは別に、活動力も気力もうしなって、すっかり弱り果てた男の姿というものは、魅力がある。それは私だけの変な感覚だろうか。女に挑むだけの力も失った男の姿は、あわれで歯痒《はがゆ》くて、いら立たしい。私はすこしばかり優越を感じ、相手をばかにして、からかったり突っついたりして、刺戟《しげき》してやりたい。安全な遊びだ。本当は、相手を刺戟することによって、自分を刺戟しているのだ。病院から帰る道で、私は多少、自己満足みたいなものを感じていた。  八月十日——  ひと鉢のベゴニヤを買う。赤い濃艶な花。せい一杯に努力してやっとこれだけ咲いたような花。花をえらんで、おかねを払えば、それがその場で自分のものになる。花を買うよろこびは清潔で純粋だ。衣類を買うよろこびには他人の眼を意識したり、他人と競争したりする気持がつきまとう。食糧を買うよろこびは、食べ終るまでの短い時間を計算に入れている。花は生きて居り、つぼみは明日もあさっても次々と咲いてくる。その期待がうれしさを倍加する。  花の鉢をかかえて、夜八時、病院をたずねる。石黒先生は黙って天井をながめていた。鼻の穴にはゴム管がはいっている。美人の看護婦がはいって来て、先生の肩の肉をつまみ上げて、注射をする。男の肌に針をさすことに、いささかの躊躇《ちゆうちよ》もしない。彼女は自分が女であることを忘れているのだ。止血剤。 「きょうは朝までついて居てあげます」 「ばか野郎。お通夜とまちがえて居やがる。まだ仏にはなりたくないよ」 「あんな事を言ってるわ。先生がさびしいと思うから、居てあげるのよ。お邪魔だったら帰ります」 「じゅん子がそばに居たら、夜通し眠れないよ」 「あら、どういう意味?」 「あんまり魅力があり過ぎて、病気にさわるよ」と先生は言った。  どうせ口から出まかせを言っているのだ。石黒さんの弁舌は棘《とげ》だらけで、ちくちく刺さるところが面白さだ。弁舌を弄《もてあそ》んでいる。中身はあたたかいのだ。そのあたたかさに女たちは心ひかれる。その事が結局先生を孤独にして居るらしい。宇田さんのように地味な人は、地味な奥さんと静かに暮して行くことができるのだ。  私は付き添いの小母さんを帰らせて、石黒さんと二人きりになる。こんなことはこれまでに一度もなかった。相手が絶対安静だから私は安心している。私は先生の体温をはかってあげる。手と足とを冷たいタオルで拭いてあげる。若い医者が来て鼻のゴム管から先生の胃液を吸い取り、終るとまたゴム管の先に結びこぶを一つこしらえて、帰ってゆく。先生はされるがままになって居る。こんな人ではなかったという気がする。 「先生、先生が死んだら、誰に知らせればいいの?」 「誰にも知らせんでいい。死体は道端に埋めて、椿《つばき》の花を生けて、水は雨水をためておいてくれ」 「なに言ってるの。それは五ツ木の子守唄じゃないの」 「そうさ」 「先生もそんな淋しい気持になることがあるのね。先生って本当は気が弱いのかしら」  石黒さんは右手をさし伸ばした。私は両手で握ってやる。 「ああ、よほど弱ってるらしいなあ」 「どうして解るの」 「じゅん子の体温が、何だか|じん《ヽヽ》とからだに沁《し》みるよ」 「貧血してるんでしょう。手がつめたいわ」 「お前の兄貴のはなしをしよう」 「それより私の話をしてちょうだい」 「うむ。……じゅん子は独り暮しで、満足してるかい」 「満足したりしなかったり……」 「当りまえな事を言うな。いつまで独身でいるつもりだい」 「あんまりしゃべると、また血が出るわ」 「いいから返事をしろ」 「いい人を見つけたらいつでも結婚します。いい人を見つけてちょうだい。先生にお仲人《なこうど》を頼むわ」 「どんな人がいいんだ」 「宇田貞吉さんみたいな人」  私は半分本当で、半分うそを言う。うそのうそは言えないし、本当の本当も言えない。結局、人間同志の会話などというものは、大ていは半分本当で半分うそだ。 「宇田貞吉か。じゅん子の好みも渋くなったな」と先生は言った。「吉岡弦一とは対照的だ。吉岡に対する反動として宇田のような男を考えるのは、一応は常識的だが、じゅん子は宇田貞吉では満足できまい。あいつは良い男だが、じゅん子の心を充たしてはくれまい。百パーセントは誰の場合でも不可能だが、せめて七十パーセントまで女の心を充たしてくれなくては駄目だね。ところが宇田は四十パーセントしか充たしてはくれない。じゅん子はまた離婚したくなる。  もともとお前は慾のふかい女で、すこしばかり美貌を鼻にかけている。どちらかと言うと美男子に弱い癖があるが、男に負けることが嫌いだ。惚《ほ》れられて言いなりになる女ではなくて、自分で男をえらぶ方が好きだ。そういうところがちょっと生意気で、だから白鳥座の男優たちにはあまり評判がよくない。しかしじゅん子の悪口を言っている男優が、腹のなかではこっそりじゅん子を恋して居るかも知れない。要するにお前は、男の心を刺戟しすぎるところがある。意識的にやるのではないらしいが、とにかく男の眼に眼立つ女だ。だから白鳥座の女王であるところの田辺元子は少々おもしろくない。  そういうお前の女性的魅力は、女優としては問題がある。……女優に二つのタイプがある。一つは女性的魅力で以《もつ》てもてはやされる女。文芸劇場の、青山圭一郎の女房、ええと、ほら、……山岸美代などがその代表的なものだ。そういう女優は派手に騒がれるわりに命はみじかい。山岸もそろそろ四十ちかい。もう終りだね。  もう一つのタイプは顔などではなくて、演技力で立っている女優。代表的なものは田辺元子だ。田辺はまだまだ女優として長い命をもつだろうし、むしろ人気もじりじりと上って行く。ところがそういうタイプの女優は、山岸美代のようなタイプの女優に対して、強い劣等感をもち、強い競争意識をもつ。田辺元子の芸に対する熱意はそれなんだ。ところが彼女はどんな立派な演技をしても、なおみずから充たされないものがある。自分よりも山岸美代の方が美人だという事だ。これは客観的事実であって、彼女のいかなる努力を以てしても克服できない。それが田辺の悲劇であり、生涯充たされない空洞だ。  ところが山岸美代の方は、田辺元子を意識していない。競争する気持などさらに無い。演技に対する努力も熱意もすくないし、人気は落ち目になっているが、彼女の気持はちゃんと充たされて居り、安らかに生きている。自分の美しさに満足しているからだ。その事が山岸の女優としての命を短くする。……二人とも、かなしいね。  朝倉じゅん子はどちらかと言えば、山岸美代の運命にちかい。しかし今のところ俳優としても未知数だし、生活的には独身だ。これをどう生かして行くか。結婚するときには宇田貞吉よりも、もっと|あく《ヽヽ》の強い、抵抗の強い、じゅん子の思うようにならない男をえらぶ方がいいかも知れない。古来、名女優といわれた女に美人はほとんど無い。松井須磨子しかり、アラ・ナジモヴァしかり、マルレーネ・デートリッヒ、グレタ・ガルボ、みな然りだ。役者は顔じゃない」  私は石黒さんの右手を両手のなかに包んであたためながら、ぼんやりした気持で聞いていた。石黒さんの手はがっしりと骨太で、肉が厚くて、そのくせ手のひらは柔らかくて、良い気持だった。愛情のふかそうな手だった。手というものは、何をするかわからない。この手でからだをさわられたり撫《な》でられたりしたら、たまらなくなりそうな気がして、私は少しこわかった。そういう事をすぐに想像するというのは、そういう事を私が求めていたからかも知れない。私が何を考えているかを知らないので、先生は勝手なことをしゃべっていた。静かな夜の病室で、静かな先生の独白だった。遠くの方で、病気の子供の泣きさけぶ声がきこえていた。頭の芯《しん》につきささるような泣き声だった。私は父からやさしく叱られているような、甘えた、ふっくらと充たされた気持で、じっとしていた。  私のことをいろいろ批判されたところは、何だかおかしかった。笑いたいのを私は我慢していた。私に魅力があるから女優として危険だというのは、私に対する嫌がらせだ。だからどうしろと云うのか。先生はもしかしたら、私の魅力を意識して、嫉妬《しつと》しているのだろう。良いきびだ。先生の批判は、当っているところもあるが、そうかんたんに割り切られては困る。ひとりの女はもっと複雑だ。一番おもしろかったのは、(結婚するときには|あく《ヽヽ》の強い、抵抗の強い、思うようにならない男を選べ)という台詞《せりふ》だった。私はもう少しで吹き出すところだった。その男というのは、先生自身のことなのだ。男というものはそういうやり方で、女の気持を誘導しようとする。女はその言葉の意味の、先の先まで直感して、うまく身をかわして行く。両方とも無傷で、安全だ。私は先まわりして、巧みに先生の秘められたる意図を封じてやる。 「わたし、これから先、どんな人と結婚するか解らないけど、いつでも先生がうしろから見て居て下さると思って、それで安心しているの。とても有難いわ。いつまでも私の後見人になって居て下さいね。お願いしますね」  私は鼻声になって、やさしく曇った言い方をする。それがつまり、嫌だとは言わせない話術だった。石黒さんはしばらく黙っていたが、やがて溜息みたいな返事をした。 「俺はどうも、そういう運命らしいな。つまらん役割りだよ」  良いきびだ。わたしの勝ち。私はひとりでにやにやする。 「あんまりしゃべると、また血が出るわ」 「寝ろ」と言って先生は手をはなした。  私はソファの上に毛布をしき、靴をぬぎ、靴下をぬぐ。はだしのまま、電燈を小さくし、そっと先生にちかづいて、鼻のゴム管にさわらないように、髭の伸びた頬を撫でてあげる。 「おやすみなさい。早く治ってね。先生と二人きりの夜なんて、始めてだわ」  死んだライオンの、牙《きば》にさわって見るような気持だった。生きて居たら、命は無い。私はソファに戻って、着のみ着のままで横になる。  八月十九日——  ラジオ出演きまる。四回連続。宇田さんといっしょ。きょうスタジオで本読み。終ってから宇田さんにそばを御馳走になる。 「ようやく独り暮しが板について来たよ。僕はいまから第二の青春だ」と彼は言う。 「第二の青春って、何をするの?」と私は意地わるく質問する。 「よく学び、よく遊ぶんだ。一生懸命に芝居をやって……」 「それから誰と遊ぶの?」 「君さ。遊ぼうね」と宇田さんは言った。いつにない明るい言い方。  そこから先の会話はあぶないから、私は話をはぐらかした。男の言葉というものはいつでも熊手のように、女の心を引っかけよう引っかけようとしている。その手には乗らない。  夜、月賦のテレビを買おうかと思って、電気屋をのぞく。勉強のために一台ほしいのだが、まだちょっと無理だ。あきらめる。  八月二十四日——  小寺益雄という人から、また長谷川春美さんに宛てた手紙が来た。仕方がない。別の封筒に押し込んで、速達で出してやる。速達にしたのは、一分でも早く見たいだろうという私の思いやりだ。何となく、馬鹿にされたような、うつろな気持。  八月二十八日——  石黒先生退院。  白鳥座の帰りに、コスモスの花をどっさり買ってお見舞に行く。先生はベッドで本を読んでいた。痩《や》せたけれどもすっきりとして、顔色もよく、前よりも魅力的になった。これまでで九千円返したからあと二万一千円の借金。 「じゅん子を主役にして、一幕の芝居を書いてやろう。来年のはじめにやれるようなつもりでな。だから一生懸命に勉強しろ」と言ってくれた。  私は勉強の方法について迷っている。そのことを相談すると、先生はからかうような調子でこう言った。 「自分の愛人のことなら、夜の眼も寝ずに考えて、相手を深く理解しようと思うだろう。そして自分と相手とが一体になれるように、うまく結びつけるように、あらゆる努力を払うだろう。自分の扮《ふん》する役にもそれだけの努力をしたらいいじゃないか。メークアップやセリフや動きは、それからあとだ」 「役を理解するためには、どうしたらいいんですか」 「本を読むんだな」 「どんな本?」 「人間のことを書いた本。つまり小説。それから歴史」  言うは易くして行うは難し。……  九月四日——  白鳥座に電話がかかってきた。秋の公演の稽古中だった。私も端役で出ることになっている。出番がすんだところだったから廊下の電話に出る。 「朝倉さん?……わたしよ。わかる?」と言う。  柳田里子だった。彼女は今年の二月に京都で伊藤義尚と結婚した。それからのち何の消息もなかった。新婚の妻に二種類ある。むやみと友達に手紙を書いて自分の幸福をひけらかす女と、まるで月世界にでも行ってしまったように消息の絶える女と。柳田里子は後者だった。私は彼女のことを忘れていたし、彼女も私のことを忘れていたに違いない。むかしの同級生などというものはその程度のつきあいでいいらしい。同じクラスに入ったという事は単なる偶然である。それを神の引きあわせみたいに考えるのは行き過ぎだ。結婚の配偶者だって偶然かも知れない。|くじ《ヽヽ》が当るかはずれるか。そんなような事だ。  私は電話の声をきいたとたんに、離婚したのかな?……という気がした。この直感は早すぎる。しかし理由のない直感ではない。彼女はまえに恋人があった。外房州の夏の浜で、彼女は無茶苦茶な恋をした。たった三週間の恋だった。相手はヨットの事故で死んで、彼女の恋愛は朝顔の花のようにはかなく凋《しぼ》んでしまった。そういう秘密がある。伊藤義尚は私にたびたびいやな手紙をよこした男だ。そのほかにも彼は恋愛をしている。二人が離婚しても不思議ではない。 「どうしたの? 何しに東京へ来たの?」 「ちょっと遊びに来たのよ。会いたいわ」 「旦那さまと御いっしょ?」 「いいえ。ひとりよ」  やった! と私は思った。ちょっと笑いたくなる。里村春美のような若い未亡人に興味があると同じように、離婚したばかりの友達にも私は興味がある。どんないきさつで、どんな条件で、どんなに悲劇的な離婚をしたか。それが知りたい。離婚というものは男と女との、ぎりぎり一杯の戦いだ。戦いのなかにセックスがからむ。だから戦いはいよいよ複雑になり、裏と表との区別がつかなくなり、第三者にとっては尽きない興味がある。イプセンの(人形の家)が芝居として大成功したのは、そういう一般的興味に合致したからだ。  しかし、柳田里子がいきなり私に電話をかけて来たのは、彼女の方でも私の離婚に興味をもったためかも知れない。それ以外に、私に用がある筈はない。おかしな話だ。離婚という形式は同じだが、内容は一つ一つの夫婦において全部違っているだろう。その二人の経験者が落ちあって、離婚の体験を語りあうというのは、深刻なようでもあり滑稽なようでもある。私は早く会って見たくて、そわそわしていた。私の直感が当るかはずれるか。  午後六時半、私は彼女のとまっているホテルを訪ねる。豪華なホテル。長い廊下。床にはぎっしりと絨毯《じゆうたん》が敷きつめてある。柳田里子は二室つづきの大きな部屋にいた。トイレも風呂も専用のが付いていて、皮張りの洋家具が置いてある。部屋代だけで一日六千二百円だという。それだけ有れば私はひと月食べて行ける。なぜ彼女はこんな浪費をするのか。私にはわかる。きっと、夫婦喧嘩をして飛び出してきたのだ。良人への腹いせにわざと浪費をしているのだ。本当に離婚してしまったら、こんな浪費はしない筈だ。  大きなダイヤの指環、ダイヤのイヤリング、そして真珠のネックレース。私は彼女の財産に圧倒される。そして瞬間的に反感をもつ。反感はおもてに現わさないで、私はにこにこ笑いながら、久しぶりのあいさつを交わす。 「まあ、嬉しいわ。一年ぶりね。どう? 結婚したらきれいになったじゃないの。何だか素敵だわ。街で出会ったら|ぎょっ《ヽヽヽ》とするみたい。変ったわ。幸福そうねえ。あなたの結婚式に行かれなくて御免なさい。それどころじゃなかったの。わたし汚なくなったでしょう。よれよれだわ。貧乏してるの。みっともなくて、あなたの傍へなんか寄れないわ」  私は嫉妬と反感とを腹いっぱいに持ちながら、調子のいいことを言って里子をよろこばしてやる。よろこばせて置いて、だんだんに真相を追及して行くつもりだ。そのために私の不幸を誇張して聞かせてやる。私は素早く相手の服装や顔色や感情を読み取る。彼女はちっとも素敵ではない。顔立ちはととのっているが、色は黒く、肌は荒く、どこかしらだらしがない。爪を赤く染めて、黄色の半袖のブラウスに黒の細いスラックスをはいている。スラックスにダイヤに真珠という取り合せは無茶苦茶で、悪趣味というよりも無智にちかい。この人は前からそういう女だった。 「それで、どうしたの? 東京へ何しに来たの?」 「遊びに来たのよ。あしたは鎌倉の海へ游《およ》ぎに行くの」 「あら、いいわね。私も行きたいけど、芝居の稽古だわ。貧乏女優なんてみじめよ。で、あさっては?」 「夜は歌舞伎の切符を取ったの。午後は映画を見るわ」 「ふむむ、羨《うらや》ましい。そして、その次の日は?」 「北海道。飛行機の切符をとったの」 「北海道へ、何しに?」 「遊びに行くの。四、五日のつもりだけど、気に入ったら十日か二週間居ようと思う。札幌と大雪山と洞爺《とうや》湖と登別《のぼりべつ》と、それから、……とにかく北海道はもう秋でしょう。とてもいいんだって」 「そう。素敵だなあ。私を鞄持ちに連れて行ってよ。でも、そのあいだ、伊藤さんはおとなしく待っているの?」と、私はさぐりを入れてみる。 「伊藤は大丈夫よ」 「そう。……伊藤さんて、やさしい?」 「とっても。あんまり親切にされて、辛いぐらいよ。幸福だわ」 「幸福ねえ。でも、あなたをよく一人で出してくれたわね。傑《えら》いわ」 「少し離れていた方がいいのよ」 「あら、どうして?」 「また感じが新鮮になるからね。はははは」  うそつき、と私は思う。幸福でたまらない新婚の妻が、ひとりきりで当てもなく北海道をうろつき廻る筈がない。わざわざ京都から東京まできて、一人きりで海水浴に行くはずがない。私は羨望《せんぼう》の表情をつくり、にこにこしながら里子を見ている。指環のダイヤの大きさをほめたり、ネックレースの真珠をほめたりしてやる。それくらいの演技は何でもない。私も女優のはしくれだ。 「それはそうと、じゅん子の御主人はどうしたの? あのときの手紙ではピンチだなんて言っていたけど……」 「別れたわ」 「ほんと!」 「ほんとよ。でも、ときどき会ってるの。楽しいわよ。別れてからの方が楽しいくらい」 「そう。……だけど、そんな事をして居て、将来はどうなるの」 「もう近いうち、本当に別れるの。別に候補者が出来たから……」 「まあ。でも、そんな巧い具合に行くかしら」 「大丈夫。でも、もうちょっと待たなくてはならないの。奥さんが亡くなって四カ月にしかならないからね。素敵な人よ。そのうちあなたに見せるわ」 「ふむむ……何してる人?」 「ブルジョアよ。箱根にホテルを持ってるの。子供が一人あるんだけど、まだ小さいから大丈夫だと思うの。いけなかったら里子に出しちゃうつもり。先妻の子なんか、育てる義務無いものね」  私も対抗上、出まかせの嘘を言う。本当とうそとをつきまぜた出まかせだ。嘘だという証拠はどこにも無い。彼女は私を疑るかも知れない。私は自信をもってにやにや笑って見せる。これが私の虚栄心だった。柳田里子のダイヤや真珠に対する反感が、私の虚栄心をそそる。二人して、嘘くらべのような会話を交わしているのだった。こちらが嘘をついているときには、相手のうそがよく解る。そのうそを、お互いに割引きしながら、結局一番本当のところを嗅《か》ぎ出してしまうのだ。 「あなた、赤ちゃんまだなの?」と私は問う。 「いいえ、私は産まないの。きたなくって、うるさくって、あんなもの、大嫌いよ」 「へえ。……だって、御主人がほしがるでしょう」 「ほしがったって、言うことなんか聞いてやらないもの」 「そう。威張ってるのね。……御主人はいつも忙しいの?」 「忙しいもんですか。ぶらぶらしてるわ」 「日曜日なんかゴルフに行ったりして……」 「いいえ。そんな道楽なんて何も無いらしいわね。年じゅう私のそばにへばりついてるの。馬鹿みたいよ」 「あら、羨ましい。でも時には喧嘩をするんでしょう」 「全然。そんな甲斐性《かいしよう》はないのね。猫みたいにおとなしいの。結婚する前のことで、私に対して弱味があるのよ。だからひとことも文句は言えないの」 「そう。だから十日も二十日も家をあけて遊んで居られるのね」 「退屈だから、遊んでるだけよ」と彼女は言った。  やっぱりそうだ。そんな事だろうと私は思っていたのだ。とうとう本当のことをしゃべらせてやった。(離婚)と直感したのは私のまちがいだったが、離婚の二、三歩手前までは来ているらしい。本当は、彼女の腹のなかには、良人に対する不満、結婚生活に対する不満がどろどろと渦巻いているに違いない。彼女が告白したのはそのうちのほんの一端にすぎない。  何も道楽のない良人。年じゅうぶらぶらして居て、女房のそばにへばり着いていて、女房の言いなりになっている良人。やさしくておとなしくて、女房に子供を産ませるだけの権威もない男。(退屈だから遊んでるだけよ)と柳田里子は言ったが、その退屈はおそらく巨大なものであるに違いない。目的もなく家をとび出し、東京のホテルに泊って、海へ行き芝居を見、北海道までうろついて見ようという女の心境は、遣《や》り場もない退屈の泥沼だ。こういう悲劇もあるのだ。他人にはわからない悲劇。外部的な幸福の条件はすべてそろっているのに、むしろそろい過ぎているくせに、たった一つ、どうにもならない空虚にさいなまれているのだ。その空虚を充たすための非常手段として、彼女は北海道へ行く。北海道に何が有るだろう。秋風と、砂礫《されき》の曠野《こうや》と、冷たい感じの山々と、孤独とがあるばかりではないか。  私はもはや、彼女の真珠もダイヤも羨ましくはなかった。そのきらびやかな装身具は、充たされざる彼女の空虚の象徴にすぎない。彼女は爪を赤く染め、スラックスをはいている。それは森下けい子が孤独をもてあまして爪を染めアイ・シャドウをつけスラックスをはいて居るのと、全く同じだった。私は心のなかでひそかにほくそ笑む。私が伊藤義尚を拒んだのは賢明だった。私には何かしら彼のそうしたつまらなさが解っていたのだ。私の捨てたものを柳田里子がよろこんで拾った。あの男がハンサムだから。かねが有るから。親切だったから。……そしてもっと大事なものが欠けて居ることに彼女は気がつかなかった。その欠けているものを直感するアンテナを持たなかったのだ。  もっと大事なもの。……私は病院で聞かされた石黒市太郎の言葉を思い出す。(結婚するときには宇田貞吉よりも、もっと|あく《ヽヽ》の強い、抵抗の強い、じゅん子の思うようにならない男をえらべ。)……|あく《ヽヽ》の強い、抵抗のつよい、思うようにならない男。……それが(男)というものだ。そういう男が、女の心を充たしてくれるものらしい。吉岡にはそれがあった。吉岡と私とがだめになったのはもっとほかの理由だった。  そこまで考えて、私はふと不安になる。宇田さんのことは、やめた方がいいだろうか。 [#改ページ]     5  九月九日——  昨夜九時半ごろ、隣室の辛島君がやってきた。私は彼を部屋にあがらせない。あがらせないのは私自身、多少の危険を感ずるからでもある。彼はどこかしら、ひよわな弟のように私の心をひく。彼は扉口に立ってパンフレットを差し出した。 「これ、さしあげます」と、意外にきりりとした口調で言った。 「何なの?」 「安保改定問題の解説です」 「そう。わたし、あんまり興味ないわ」 「わかって居ます。だけど一度読んでみて下さい。きのうはこの問題で総評の統一行動がおこなわれました」 「ああ。何だか今朝の新聞に写真が出ていたわね」 「全国で百五十万人が参加しています」  辛島君は百五十万人に感激しているらしい。私は何ともない。 「あなたも何かやったの?」 「僕ですか。僕はプラカードを持って、学連の仲間といっしょに神宮広場に集まって、それから日比谷までデモ行進です。足が痛くなりました」 「弱いのね」  彼は急に悲しそうな表情になった。男の子は女から弱いと言われることが、この上もない屈辱であるらしい。それが男の弱点であり、男の虚栄心でもある。悧巧《りこう》な女はこういう男の虚栄心を利用すべきだ。強い者はたいてい弱い者よりも単純に出来ている。強い者はその強さにたよるから、それ以外の智慧《ちえ》は要らない。弱い者はその弱さを智慧によって補わなくてはならない。男は力、女は智慧。別々の武器でたたかうのだ。  私はもらったパンフレットを茶箪笥《ちやだんす》の上にほうり出した。政治問題に興味はない。興味をもってみたにしても、何の役にも立たないのは解っている。辛島君がデモ行進をやったりしても、結局役に立たないのだから、危険な道楽にすぎない。  ところが今日、白鳥座で特別講話があった。稽古をすこし早目に切りあげて、全員があつまって、何とか大学の助教授の何とかいう人から、安保改定問題についての講釈を聞かされた。はじめに理事の藤岡さんが立って、これは重大問題であるから我々も関心をもたざるを得ない、憲法第九条がどうのこうのと云うあいさつをした。藤岡さんはいつも温厚で、俳優としても古いし、劇団の中では非常に人望があるから、田辺元子といえども頭が上らない。政治のことなど口にしたことのない人であるが、今日のあいさつは少々過激だった。  そのあとで何とか助教授の話を聞かされた。話の中身はよく解らない。ただ私の感じたことは、どうしてこの人はこんなに疑り深いのだろうということだった。疑ってかかれば何だって悪く思われる。国民がみんな疑り深くなったら政治なんか成り立たない。お互いに信じあう方が気が楽だ。  講話がすんだあと、廊下で宇田さんが、 「朝倉さん、わかったかい」と言った。 「わからないわ。宇田さん解ったの?」 「すこしは解ったが、俺は少々|怕《こわ》くなったな」 「何がこわいの?」 「だってさ、人間なんて、進歩しないんだな」と宇田さんは言った。  どういう意味か、私はよく解らなかった。  アパートに帰ってみると、また小寺益雄という人から里村春美さん宛の手紙がきていた。私は腹を立てて、私の手紙も同封して春美さんに送ってやる。 (里村春美さま。——あなた宛の貴重なお手紙を同封します。私にこんな気苦労をさせておいて、何の報酬もないというのはうなずけません。事件が大っぴらになれば私も共犯です。共犯には割り前があるのが普通です。割り前がないと共犯者は裏切り者になるかも知れません。……冗談はさておき、もうこの位で恋の仲立ち役はおゆるし下さい。明るい楽しい恋愛ならともかくも、あなたの場合は少々むずかしい事になっているらしいので、私は手を引かして貰います。小寺氏に左様お伝えおき下さい。私も人並みの野次馬ですから、あなたたちの事がどうなるのか、どんな結末になるのか、少なからず関心を持って居りますけれど、野次馬は第三者の立場に在ってこそよろしいので、事件に巻きこまれてとばっりちりを受けたりしては、腹も立てられません。どうぞ悪しからず、〈一路平安〉を祈ります。)  九月十八日——  森下けい子がいきなり私の腕をつかまえて、「ちょっと。話があるのよ」と言った。  凄《すご》い顔をして、笑っている。笑いながら、唇がふるえていた。よほど昂奮《こうふん》しているらしい。私は心臓がどきどきした。 「何のはなし?……わたし、あなたに何かしたの?」 「そうじゃないの。怕かったわよ。山岸美代が怒鳴り込んで来たの」  ああ、とうとうそこまで行ったのかと私は思った。森下けい子は私を食堂の隅につれて行き、息をはずませて事件のいきさつを話してくれた。私とは何の関係もないことだが、彼女はただ誰かに聞かせたかったに違いない。彼女はどなり込まれたという事件を、いくらかは誇りに思っているらしい。ゆうべ映画を見て十時ごろアパートに帰ったら、山岸美代が森下けい子の部屋のなかに坐っていたというのだ。管理人から合鍵《あいかぎ》をかりて、敵の本拠に乗りこんで、二時間以上も待っていたらしい。待っていたあいだの山岸美代は、ひとりきりで、どれほどはげしい空虚感、欠乏感になやまされていたであろうか。吉岡が帰って来なかった夜、私もいくたびかその欠乏感にのたうつような気持を味わったものだった。私はどなり込んでは行かないで、別れることにきめた。別れの欠乏感の方が私には耐え易かったのだ。 「はじめは凄く高飛車で、私のことを人でなしだとか売笑婦だとか、さんざん悪口を言うの。そうなったら私は負けやしないからね、三十分ぐらいは口喧嘩。そしたらそのうち泣き出して、頼むから青山と別れてくれって云うの。みっともない格好よ。嫌になっちゃった」 「では、あなたはもう、別れるとか別れないとかいう関係にまで、行って居たわけね」 「それゃ、だって、愛してるもの」と森下けい子は言った。  真赤にぬった唇に、やや得意そうな微笑がうかぶ。眼のふちを、朝っぱらから青く染めて、赤い爪を尖《とが》らせて、今日も黒のスラックス。青山圭一郎の方でもこの人を愛しているのかしらと、私はふと疑いたくなった。男の好みは季節によって変るという話だ。松茸《まつたけ》の季節にはこういう女が好かれるのかも知れない。私の眼から見て、これが日本の女性とは思われない。大江山あたりから出て来たのではないかという気がする。しかしともかくも、青山との関係は(別れる別れない)ということが問題になるところまで行ったのだ。私の頭のなかを猥《わい》|せつ《ヽヽ》な想像がかすめて行く。そのとき森下けい子はどんな姿をして、どんな表情をしていただろうか。彼女は多分、男の腕のなかで、慾情に陶酔していたのではなくて、この男を奪い取ったという勝利感に陶酔していたのではないかと思う。それは一種の自己陶酔であって、愛情の歓喜とは少しばかり違ったものではなかったろうか。最初はたしかに青山に対する恋愛であったのだろう。それが次第に闘いの色をふかめ、しまいには闘いだけに意義を感ずるような風に変って行ったのではないかという気がする。 「あなたは悪い人ね」と私は言った。「どうしてそんな大騒ぎをやるの? 山岸さんがかわいそうだわ」 「だって仕様がないじゃないの。青山は山岸さんより私の方を余計に愛しているんだもの。どうにもならないわ」  彼女は愛情の量を計算している。私の方が余計に愛されているのだという。それは何によって量ったものかと云えば、男の言葉だ。男が彼女にそう言ったのだ。しかしその男は山岸美代にむかって、誰よりも深くお前を愛していると言わなかっただろうか。山岸美代は十年も連れ添うてきた彼の妻だ。(馬鹿なことを言うな。森下なんていう女に、俺が本気でうつつを抜かす筈がないじゃないか。余計な心配はやめて、もっと自信をもったらどうだ。いまさらお前と俺とが別れられる筈がないじゃないか。)……  夫婦というものが、どんなかたちで結びついて居るか、他人には解りやしない。森下けい子はあさはかだ。青山圭一郎の甘い言葉をそのまま信じている。それ以外に信じる材料がないのだ。山岸美代の方にはたくさんの材料がある。十幾年にわたる生活の歴史、現に二人の生活があるという事実、二人で努力して子供を育ててきたという事実。愛の証拠は無数にあるのだ。彼女が森下けい子のアパートに怒鳴りこんで行ったのは、その不潔さに耐えられなかったからだ。ところが森下けい子の方は、不潔さを何とも思っていない。闘いは一見、山岸美代にとって不利なように見える。しかし闘いの基盤がまるで違っている。泣いているのは山岸美代だ。森下けい子はあざ笑っている。しかし本当の悲劇は森下けい子の側にあるのではないだろうか。(愛しているんだから、どうにもならない)と彼女は言う。しかし愛しているという事は、ほかの何よりも優先するような絶対的な条件だろうか。愛していれば、他人の家庭をこわしても、他人の幸福を犠牲にしても、それが当然なことだと言えるだろうか。私は道徳家ではないが、そういう利己的な愛情にはあまり賛成できない。不幸を招くような愛情は、自分でコントロールして行く必要がある。 「そもそもの始めはね……」と彼女は小さな声で私に言った。「今年の三月、あれは何だったかしら、新劇合同のパアティがあったでしょう、上野で。……中国の演劇代表を迎えたときかしら。あのとき青山と山岸と二人で来ていたの。仲のよさそうな様子をしてさ。それを見たときわたし、どういう訳か、|ぐっ《ヽヽ》と来たのよ。どうしてもあの女から青山を取っやろうと決心したの。そういう訳よ。人生は競争だものね。負けた者は引っこむのが当りまえだわ」  森下けい子の恋愛は、嫉妬《しつと》から出発したものらしい。はじめから破壊的な性質をもった恋愛である。それが、勝利ののちには平和的な、温和な愛情に変質し得るものだろうか。彼女は男を愛するというよりは、闘いを愛しているもののように思われる。負けた者は引っこむのが当然だと彼女は言う。しかし本当に負けた者は誰か、まだきまった訳ではない。現にいま、青山と山岸とは同居して居り、法律的にも現実的にも夫婦である。私はあぶない気がした。 「それで、どうなの?」と私は問う。「結局のところ、あなたは青山さんと結婚するつもりなの」 「夫婦なんてものはねえ……」と森下けい子は気負った調子で言った。「なにも固定的なものじゃないと思うの。カトリック信者なんかは別としてさ。だからねえ、いまは甲と結婚しているけど、乙と結婚した方がいろいろ都合がいいという時は、そうするべきよ。その方が合理的だわ。わたしだって青山圭一郎の女房ということになれば、女優としてもうんと有利だし、演劇界ではいい顔になれるわ」 「何だ、そんなことなの」と私はむきつけに言った。「それではあなたの恋愛は、ずいぶん打算的なのね」 「あたりまえだわ。恋愛だって生活の一部よ。生活からはなれた文学みたいな恋愛なんて、全然つまらないし、打算のない生活なんて、有り得ないと思うわ」  そうだろうか、と私は考える。恋愛も人間生活の一部であるに違いない。しかし恋愛が打算をともなうもの、利害を打算されたものであるのならば、そんな恋愛は私の心を充たしてくれはしない。森下けい子の考え方はさかさまではないかと私は思う。女にとっては、まず恋愛が有って、それからその上に生活が築かれるのが当然であって、もっと生活の都合をよくする為に恋愛を探すというようなものではないのだ。森下けい子の考え方からすれば、恋愛ということが、まるで、先の見込みのありそうな株を買うのと同じことになってしまう。  私の想像では、いまは青山夫妻にとって重大な危機のように見えるけれども、案外これは重大ではないらしい。もしも森下けい子が打算を忘れた命がけの恋愛をしているのであれば、事は重大だ。本当に破壊力があるのは、彼女の云う文学的な、非生活的な恋愛であって、打算がはいれば力は弱くなる。森下けい子はまたこの前と同じように、男から十万円か二十万円かを貰って手を切ることになるのではないだろうか。私には彼女がいま、恋愛の勝利によって心を充たされているとは思えない。彼女の胸のなかはやはり空虚だ。みずから空虚の痛みを感じているからこそ、私をつかまえてこんな打明けばなしを聞かせたがるのだ。  九月二十五日——  稽古休み。白鳥座の幹部俳優はみんなテレビに出る。私はテレビを持たないので、美容院へ行き、パーマネントをやって貰いながらドラマを見る。田辺元子は憎いほどうまい。藤岡さんも凄い。演技をやっているという感じがまるで無い。どうすればあんなに楽々と役をこなして行けるのか。せりふなども、暗記したせりふとは思えない。まるで日常の会話のように、つかえたり言い直したりしながら、それが如何《いか》にも自然に流れる。私は溜息《ためいき》が出る。  帰りにミモザへ廻ってスーツの仮縫い。この秋の流行を知らないわけではないが、服だけ流行のものを作っても、コート、靴、ハンドバッグまでは手がまわらないから、スーツはわざと流行からはずれた型にする。  今日は一日じゅう変な気持だった。朝起きて、歯磨のチューブのふたをとるとき、(ねじる)という動作が、ふと気になった。人間はずいぶん物をねじるようだ。どのくらいねじるだろうかと考えたら、それが事ごとに気にかかってならない。神経衰弱みたいに、夜までその事にこだわって居た。  水道の栓なら一日に三十回もねじる。電燈のスイッチをねじる。化粧水の瓶《びん》のふた、クリームのふた、口紅、ジャムの瓶のふた、万年筆のふた、時計のねじ、ラジオのスイッチ、薬瓶のふた。扉のノブをまわすのは一日に五十回もやるのではないだろうか。醤油瓶のふた、砂糖壺のふた、ガスの栓、かぞえ立てたらきりが無い。ねじるという動作を忘れたら日常生活は成り立たないようだ。そして、人間以外の動物はこんなことをしない。文化程度の高い生活ほど、ねじるという動作が多くなる。だから誇張して言えば、(人間とはねじる動物である。)何だか変な気持。  九月三十日——  連続四回のラジオ・ドラマ、今日で完結。宇田貞吉さんと二人で打ち上げ祝いをやる。放送局に、聴取者から二十通ばかりの投書がきていた。大体好評で、うれしい。なかに一通、柳田里子からの絵葉書がまざっていた。北海道洞爺湖畔のホテルから、第一回目のラジオ・ドラマを聞いたというだけのたよりだった。そのあとにたった一行、(北海道は退屈です)と書いてある。私の推察は当ったようだ。かわいそうに彼女は、充たされない心を抱いて北海道を放浪していたのだ。しかしもう京都へ帰った頃だろう。京都に待っているものも退屈だけしか無いとすれば、もう行き場はない。職業につけばいいかも知れないと私は思うが、財産があるからそれも出来ないらしい。子供を産めば、彼女は救われる。産まなければ、離婚は時間の問題だ。  宇田さんは上機嫌だった。二人で銀座に出て、小さなしゃれたレストオランにはいる。コックは私たちの眼のまえで料理をこさえてくれる。私はイタリー風マカロニ。それからロシヤ・サラダ。宇田さんは大きなビフテキ。男はビフテキが好きだ。男の方がカロリーの消耗がはげしいらしい。不経済なけだものだ。二人でビールを飲む。(おめでとう)と宇田さんが言った。私ばかりが祝われているみたいだった。フライパンの中で肉が焼けて、脂のはぜる音が絶えずきこえていて、豊かな気持になる。放送局からもらった出演料があるので、すこし気が大きい。 「また二人で何かやりたいな」と彼は言う。「本当を言うとね、じゅん子があんな役をあれだけこなせるとは僕は思っていなかったんだ、失敬だけどね。声だけの芝居であれだけ表現できれば大したもんだよ」  私はうれしくて心がはずむ。宇田さんは私をじゅん子と呼び捨てにする。前にはじゅんちゃんと言っていた。いつから敬称や愛称を切りすてたのか、私は気がつかなかった。あまり悪い気持ではない。  食事のあとで、宇田さんに引っぱられてスタンド・バーにはいる。酒場の隅に向いあって坐る。 「お嬢ちゃんに会いたいでしょう」と私は言った。 「会いたいね」 「親子が別々に暮すなんて不自然だわ。再婚なさることね」  これは余計なおせっかいだ。こういう言い方が、女の狡《ずる》さだということは自分で知っている。私は自分では意志を表現しないで、相手の表現を待っている。相手にそのチャンスを与えてどんな出方をするかを見まもっているのだ。そして、私自身は言質を与えようとしない。いつでも退却できるような姿勢で様子を見ている。再婚という問題を提出すれば、当然その相手の女性が問題になる。私は女性のことを忘れたような顔をして、再婚をすすめている。私とは関係がないような顔をして、実は私との関係を探ろうとしている。こういう狡さを、私は悪いとは思わない。これは女に許された生活の智慧なのだ。男は自分の意志で、自分勝手に生きてゆく。女はいつも相手の出方を見ながら、寄り添うたり身をかわしたりしながら、安全な生き方を探している。  宇田さんは何か言いたい事があったらしい。それを言い出す機会を待っていた。私が上手にその機会をあたえてやったのだ。宇田さんはすぐにしゃべりだした。氷のはいったウイスキイのグラスを眼の前に持ってきて、光る氷を見つめながら、言葉をさがすような慎重な口調で言うのだった。 「再婚しなけれゃいけないと、僕も思っているんだよ。だけどね、最初の結婚とはすこし事情がちがうんだよ。ね。つまりさ、最初の結婚は自分の意志だけ、自分の気持だけで、配偶者を求めればいいんだが、今度は子供のことを考えなくてはならんからね。そうすると、どんな人が子供の幸福のために適当かという問題が出てきて、問題が二つになるんだよ。二つになるということは、困難が二倍になる事じゃなくて、二掛ける二の、四倍になるんだ。四倍の困難を冒して僕のところへ来てくれる女性があるかと云うと、僕はまず、無いと思うね」  宇田さんが諦《あきら》めてしまっては、話にならない。それは私自身も可能性を失うということだ。私は消えかかった火を燃え上らせるように、風を送る。 「それは違うと思うわ。困難は四倍かも知れないけど、宇田さんが好きだという人にとっては、その位の困難は何でもないことですよ。要するに愛情の問題ね」 「愛情の問題ということになると、僕はますます自信をうしなうんだ。それほどの困難を冒して僕を愛してくれる女性なんか、居ないよ。僕はなまけ者だし、貧乏だし、新劇なんかやって居ては一生貧乏から抜けられやしない。それに子供があって、一向に見栄えのしない亭主だからね」 「宇田さんは素敵よ」と私は言った。「みんなそう言ってるわ。うちの女優さんたちはみんな宇田さんが好きよ。細井まり子さんなんか、あなたの稽古を見ながら溜息をついてるわ」 「僕はね……」と彼は沈んだ声で言った。「僕は細井まり子のことなんか、一度も考えたことはないよ。僕は再婚するんだったら、失礼かも知れないけど、じゅん子を望むね。本当は僕は、こんな事を言ってはいけないんだ。だから、君は何も聞かなかったことにして置いてくれたまえ。しかし、ひとりごとを言ってもよければ、僕はじゅん子を望んでいるんだと言うね」  私はだまってうつ向く。心臓がどきどきしている。私はうれしくてたまらない。一瞬のうちに、私の心は充たされ、はち切れるほどの充実感を味わう。私は自分が狡猾《こうかつ》であったことを知っている。宇田さんをそそのかして、とうとう求愛の告白をさせてしまったのだ。それは、私が愛の告白をして、ひとりの男の心を捕えたのと、効果においては同じことだ。そして、もっと狡いことには、私はまだ何の意志表示をもしてはいない。私は今から、イエスと云うこともノーと云うことも自由だ。そして私は、ノーと言うつもりで居る。男の求愛を拒否することに、私は生き甲斐《がい》を感ずる。私は頭の上に大きな石をのせられたような圧力を感じ、その圧力に喘《あえ》ぐ。私は全身の感覚を耳に集めて、宇田さんの言葉を聞く。耳の奥の方が充血してくる。 「……僕はじゅん子に向って、僕の子供の母親になってくれとは言えない。家内が死んで、まだ八十日にしかならないのに、君に求愛することなんか、出来ない。貧乏な僕の家庭の主婦になってくれとは言えない。君はもっと条件の良い結婚をするだろう。君はどんな良い条件の結婚でもできるし、それが当然だと僕は思う。……ああ、もうやめよう。君を幸福にする男は宇田貞吉ではないんだ。それは、よく解っている。……僕は何だかうれしくなって、余計なことをしゃべったね」  宇田さんは私の顔をのぞきこみ、静かな微笑を見せた。きれいな、すっきりとした微笑。それは吉岡弦一の笑顔とはちがう。吉岡の笑った顔は、女の心をとろかすような煽情《せんじよう》的な笑顔だ。宇田さんの微笑は私の心を静かに充たしてくれる上品なやさしい微笑だ。吉岡に対して、私はむきつけに拒否の態度をとることが出来る。しかし宇田さんに対して私は、礼儀正しい態度をとるより仕方がない。 「亡くなられた奥さんに対しても、私はいま、そういう問題についてお話は出来ないわ。でも、その事とは別に、私も結婚のことは考えて居ます。私はなにも良い条件の結婚を望んでいる訳ではないんですけど、ただ、どんな人がいいかという事だけは考えてみたんです。或る人が私に忠告してくれたんですけど、私みたいな女は、少し|あく《ヽヽ》の強い、抵抗の強い、私の思うようになってくれない、手を焼くような男の人が良いんだそうです。わたしはそれを聞いて、何だかがっかりしたんだけど、でも、本当かも知れないという気もするの」 「なるほど。そうかも知れないな」と宇田さんは言った。  ずいぶんあっさりした言い方だった。私はすこし呆《あき》れて、彼の顔を見た。淡い笑いのなかに、孤独なさびしい男の心が揺れうごいていた。彼は求婚と思われるような言葉を吐いておきながら、あっけないほどさっぱりと後退して行くのだった。私はもっと強い抵抗をひそかに期待していた。しかしそういう抵抗は、宇田さんの性格には無いことだった。そして、(なるほど、そうかも知れないな)と、静かに後退して行く彼の性格の、弱さと、清潔さと、穏和さとが、きれいな魅力であり、物足りなさであった。  十一時ちかくなって、私たちは別れた。別れぎわに、 「またあしたね」と彼は言った。  そんな単純な平凡な言葉ですらも、宇田さんの口から出るときには、意味のふかい言葉になって居るのだった。私は心がかたむいて行くような気持だった。すると、孤独を感じ、かなしいような思いに充たされてくるのだった。私は亡くなった宇田さんの奥さんに、嫉妬を感じた。  私は石黒先生から聞かされた、予言のような言葉に抵抗してみたくなった。もしも私が結婚後も家庭にはいってしまわないで、女優の生活をつづけるとすれば、あくの強い、もてあますような良人よりも、宇田さんのような人の方が、巧く行くかも知れない。あの人ならば女優の仕事に理解もあるし、妻を家庭のなかに閉じこめるような我儘《わがまま》も言わないだろう。二人で働けば家計も豊かになり、人を雇うこともできる。私は家庭のなかだけに満足をもとめるよりも、仕事によって充たされて行くことを求めた方がいいような気がする。そういう生活の設計を立てる方が、まちがいが少ないのではなかろうか。家庭の妻は、全部の生活を良人に賭《か》ける。一つまちがったら逃れる道はない。柳田里子がその一例だ。良人に百パーセントを求めるよりも、良人に五十パーセントを求め、仕事に五十パーセントを賭ける方が、安全率が高いように思う。しかし、二兎を追う者は一兎をも得ずという。私は迷いつづけている。そしてこの迷いを、少しばかり楽しんでいる。  十月二十一日——  風邪をひいて、二日寝る。  十八日夜、宇田さんに誘われて映画を見た。帰ってから発熱。十九日は終日熱に苦しみ、水を飲んだだけで夜まで過した。風邪ぐらいだからこれでも済むが、もっとひどい病気にかかったら、私は人の知らないうちにこの部屋で息を引きとり、死骸になってから発見されることになる。夜九時ごろ、心ぼそくなって起きあがり、壁を伝うようにして隣室の扉をたたく。辛島君は私の顔を見るなり、あっと叫んだ。私の方から彼の部屋を叩いたのはこれがはじめてだった。  彼は私を連れ帰り、かなしそうな声で容態をきいた。電話をかけて医者を呼んでくれた。それから近処の店からあたたかいうどんを取ってくれた。湯をわかして番茶を飲ませてくれた。彼は甲斐々々しく、私の部屋のなかを歩きまわり、身のまわりの世話をしてくれた。人間というものはやはり、ひとりきりで生きるようには造られていない。人間がそばに居てくれなくては淋しいのだ。  辛島君はうれしそうだった。アパートの事務所から体温計を借りて来たり、ゴムの水枕を買いに走ったりしてくれた。夜通し居てくれるというのを、私は無理に帰ってもらう。  昨日の朝はやく、彼はまたやって来た。そして粥《かゆ》を煮たり鰹節《かつおぶし》をけずったりしてくれた。熱はすこし引いて、私は安静になっていた。辛島君は九時すぎに出て行った。 「すみません。どうしても行かなくてはならない用があるんです。済んだら直ぐ帰って来ますから勘弁して下さい。自分の私用ならやめるんですが、ちょっと公的な意味をもった集りがあるんで、申し訳ありません」と彼は言った。  まるで悪い事をして私にあやまって居るような言い方だった。その大げさな表現がおさなくて、却って可愛かった。男の子というものは、からだと智慧と感情との発育が、ずいぶんばらばらなものらしい。辛島君はからだは立派に大人になって居るのに、智慧の方はまだ学生だ。学生は学生らしく、なまかじりの学問をふりまわす。学問の点では私などとてもかなわない。しかし感情の方はまるでまだ子供だ。小学生からいくらも進歩してはいないようだ。その点では私の方がずっと大人だ。辛島君と私とのつきあいは、学問の方ではなくて感情だけだから、私はずっと優位に立っている。私の前に出ると、彼は手も足も出ない。私は女王の位置に在って、我儘を言うことができる。それが、ちょっとばかり楽しい。  午後二時まで安眠。熱はほとんど引き、気持がすっきりと良くなる。空腹を感じ、辛島君が買っておいてくれた蜜柑《みかん》をたべる。寝間着が汗になったので、そっと起きて着かえる。彼が帰ってきたときに、あまり汗くさい姿をして居たくなかったからだ。これは異性に対する女のエチケットだ。  私は淋しくて、こころもとなくて、何となく彼の帰りを待ちわびていた。帰ってきたら、彼にはお礼に鰻丼《うなどん》を御馳走し、私には鍋焼きうどんでも取ってもらおうと、そんな事を考えていた。  五時半、彼は足音を忍ばせて私の部屋にはいって来た。私の眼をさまさせないように。もう一つには、隣近処の人たちに知られないように。まるで媾曳《あいび》きだった。彼はアイスクリームを買ってきてくれた。よく気のつく男だ。そういう所が女性的である。私は牀《とこ》の上に腹ばいになって食べる。今日は安保反対運動の第七次統一行動に行ってきたのだと彼は言う。 「統一行動って何をするの?」 「それゃ、参加団体が一斉に行動するんですよ。つまり今日は総評|傘下《さんか》の各単産や学連や婦人団体なんかが同時に行動を起したんですよ」 「単産て、何なの」 「一つ一つの産業部門の組合です」 「じゃ、労働者なのね」 「労働者です。そのほかに官庁なんかのサラリマンも居るし教師も居るし、学者だって居るんです。学者は労働組合ではないけど、今度の運動には同一歩調をとって居るんです」 「そんな事をして騒いで見ても何にもならないでしょう」 「どうしてですか」 「私はそんなように思うの。政治は政治家が好きなようにやるんでしょう。強い政党を弱い政党が負かすことは出来ないし、結局はあなたがたの負けよ」 「朝倉さんは敗北主義だな」  敗北主義とはどういうことか私にはわからない。どうせ私とは関係のないことだ。 「白鳥座でもちかごろ、安保改定問題研究会なんて、やってるわ。いっぺん聞いたけど、何もわからなかった」 「そうかなあ。このあいだのパンフレットは読みましたか」 「読まないわ。面白くないもの」  辛島君はかなしそうな表情をした。 「安保改定問題はぜひ研究して下さい」と彼は教師みたいな口調で言った。「これは、つまり、国民的自覚を高めるためにぜひとも必要です。政治を政治家だけにまかせて置くわけには行かないんです。政治は人民のものであり、人民の為のものですからね。政治家や財界人だけの利益のために人民大衆を犠牲にされてたまるもんですか。……」 「すみませんけどね……」と私は寝たままで言った。「お湯をすこし沸かして下さいません?」 「飲むんですか」 「いいえ、手や足を拭きたいの。首の方なんかも。汗をかいたからべとべとして嫌なのよ」  彼は立って台所へ行った。学生の青臭い政治論などを聞かされても、私の人生の足しにはならない、湯がわくのを待ちながら、彼はお説教をつづける。女性的なねちねちした口調のなかに、帝国主義だとか植民地主義だとかいう堅い単語がまじる。私はうるさくなって眼を閉じる。洗面器のなかでお湯がわいてくる。  手拭を湯でしぼってもらい、私は顔と首筋をふく。またしぼってもらい、ふとんの中で胸と腕とをふく。 「足をふいてあげましょう」と辛島君が言った。  私は黙っている。彼は手拭をしぼって私の夜具のすそに坐る。 「足をお出しなさい」  私は左の足をすこしだけ夜具から出す。悪い遊びだ。こうすることによって、未熟な若い青年がどんなに強いショックを受けるか、私は知っている。彼は表情を硬くして、きわめて事務的に、わざと多少乱暴な手つきで、私の足をふいてくれる。多分、女の足にこんなにはっきりと触れたことは、彼にとって始めての経験であろうと思う。彼のこめかみに青い静脈の筋がうかんでいる。彼の心臓は破れそうになっているに違いない。男というものは脆《もろ》いけだものだ。女の足にさわっただけで、もう死にそうになっている。彼は必死に衝動をこらえている。それを私は寝たままで静かに観察し、たのしんでいる。私の足だけでも彼にとってそれほど魅力的であるのだ、私が着物を脱いだら、彼は息の根がとまるだろう。私は女である自分を誇らかに思い、私の感覚は充たされる。彼の眼は一点を凝視したままである。彼は私の足の指を一本々々ていねいに拭き、指の股《また》をふき、かかととくるぶしとを拭き、脛《すね》を拭き、喘ぐように口をあけたまま台所へ立って行った。手拭をゆすいでから、今度は私の右側にもどって来る。私は右足をそっと出してやる。飼犬に手を出して、手をなめさせてやる時の、あの気持だった。私は奴隷に対する女王の気持だった。  しかし私は危険を感じていた。女王の感ずる危険だった。危険を感じながらわざとやって居たのだ。普通の常識では危険なことが、私に限って危険でないというところに、危険な遊びのよろこびがあるのだった。私は男にさせてはならない事をさせていた。しかし私は自分の安全を信じていた。こんな男に負けるものかという自信があった。つまり私は彼を刺戟《しげき》し、彼を苦しめて、それをゆったりと観察するという残酷な遊びをやっていたわけだ。彼は、罠《わな》にちかづいた獣だった。  彼は私の右足を、丹念に拭いてくれる。手拭の温度が私の皮膚にしみる。それが男の手の体温といっしょになって、私の皮膚は戦慄《せんりつ》する。からだじゅうが総毛立ち、私は全身の皮膚で異性を感ずる。これ以上は私の方があぶない。私は足を引こうとした。すると不意に、彼は裸にされた私の右足のうえに倒れかかり、私の足を両腕のなかにかかえこみ、私の膝《ひざ》がしらに頬ずりし、唇を押しつけて、けだもののような唸《うな》り声をあげた。私は狼狽《ろうばい》し、半身を牀の上に起して、彼の肩をなぐり、髪の毛を引きむしり、彼の顔を私の足から引きはがし、彼を蹴《け》とばし、突きとばした。 「何をするの、失礼な。そんな事をするんだったら、絶交よ。学生のくせに。……もういいからお帰んなさい」  私は息を切らして叫んだ。心臓が破れるほどどきどきしていた。辛島君は引きむしられた髪を指でかき上げ、台所へ行って手拭の始末をし、湯をすてた。それから私の枕もとにもどって来て、畳に両手をついた。 「すみませんでした。勘弁して下さい。だって、朝倉さんは、あんまり魅力的なんで、たまらなかったんです。朝倉さんだって、悪いんです。すみません」  私は腹の底からおかしくなる。そのおかしさは、私が安全であったからだった。私は完全に征服者であり、辛島君はみじめな奴隷だった。 「もういいから、お帰んなさい。ろいろお世話をかけたこと、お礼を云うわ」  彼はぎごちない腰つきで立ちあがり、悄然《しようぜん》として帰って行った。彼の若いセックスは欠乏感に悩まされていたに違いない。私はふとんの中に顔をかくして、ひとりでくすくすと笑う。いつまでもいつまでも笑いが湧《わ》きあがって来て、腹の皮が痛くなるようだった。その笑いは、もしかしたら性的衝動の一種であったかも知れない。笑いながら、私は自分に満足し、自分が女性であることを祝福していた。  今日は風邪全快。牀をあげ、自分で炊事をする。辛島君は姿を見せない。多分、自己嫌悪にくるしんでいることだろう。私は明るい気持。しきりに何かうまい物がたべたい。  十月二十八日——  私はこんな事をしていて、いいのだろうか。怠惰な日々。秋風の窓に頬杖《ほおづえ》をついて、孤独な夜をながめている。私はいま何かに欠乏し、何かに空虚を感じている。私の日常生活は平凡で愚劣だ。私はけちな女優だ。ラジオ・ドラマの小さな成功などは、よろこぶ程のものではない。私の生活は停頓《ていとん》し、動かない水のように濁りはじめている。私は女優であることに生き甲斐を感じ、女優であることに生涯を賭けるほど、自分にうぬぼれては居ない。生きて行く手段として、或る日は商家のおかみさんに扮し、或る日はひねくれた小娘に扮する。私は与えられた役柄に扮するだけであって、その事によって私の人生に加えられるものは、一つも無い。芝居が終れば、私は元のままの私だ。宇田貞吉さんは、芝居より面白いものはないと言っていたが、考えようによっては、芝居ほどはかないものも無い。芝居に没頭している人たちは、心の底に何かしらの不幸を抱いている人々ではないだろうか。田辺元子は、男に愛されない自分の孤独を芝居によって慰めようとして居る。森下けい子は性格的に何かしらの劣等感をもって居り、それが逆に彼女の闘志となって、演劇への情熱となったり青山圭一郎との恋愛事件となったりするのだ。宇田貞吉は(芝居をするよりほかに使い道のない)自分を自覚しているから、芝居一筋にやって行ける。私はまだそこまでは悟り切れない。私はいま宙ぶらりんの姿である。  隣室の学生が私に恋をもとめて、ちかづいて来る。彼の気持は純真で、きまじめな恋愛であるらしい。しかしかわいそうなことに、彼はその恋愛の対象をまちがっている。彼にはまだ、結婚の経験をもった年上の女をつかまえるだけの力はない。彼と私とは生活の次元がちがうのだ。私は彼を可愛いと思う。しかし結婚の対象ではない。私はときおり、彼に隙を見せたり、誘惑したりする。しかし私は油断しない。油断したらどうなるのか。私は彼に捕えられる。捕えられたい気持が私のなかにあるのだ。一度きりの浮気をするつもりなら、いつでもそれは可能だ。雌蕊《めしべ》が花粉をつけるだけのことだ。  私の道徳はその程度で、それ以上ではない。しかし私の道徳は私のためのもので、その他の誰のためでもない。私の道徳は、私が不幸にならないためのものであり、私を仕合せにするためのものだ。けれども、あの学生との情事は私を充足させてはくれない。それは一時の空腹をみたすひとかたまりのパンに過ぎない。数時間ののちに、再び空腹がやってくる。その、はかない充足のために、私は彼をうけ容れるつもりは無い。わずか数年ののちに、彼は立派な大人になり、立派な社会人になる。たっぷりと女性を経験し、その経験によって自信をつちかい、男性として完成してゆく。その時が来たら、もう私は太刀打ちできなくなるだろう。それは解っているが、しかし現在の二人の不均衡はどうすることも出来ない。彼の恋愛の対象は、私よりももっと年下の娘だ。その娘にむかって、哲学だの社会観だの共産主義理論だの、抽象的な議論をたくさん聞かせてやるがいい。若くて、経験がとぼしくて、人生に対する不安や愕《おどろ》きを一ぱい持っているような生娘は、彼の抽象的な議論に最大の敬意をはらってくれるだろう。そして、二人で道をきり拓いて行くのだ。そのとき彼は娘のリーダーになる。私はもはや彼にリードされる訳には行かない。私はいろいろ、人生の事を知っている。彼は私に裏切られたと思うかも知れない。しかしこれは裏切りではない。二つの蛤《はまぐり》の、違った二つの殻を一つに合わせようとしても、どうしたって合うことはない、あれと同じことだ。私たちはお互いに、相手を充たすことの出来ない二人なのだ。  私は何によって自分を充たして行ったらいいのか。なぜ私はいま宙ぶらりんであるのか。私は奇妙な不安定を感じている。私の足が地についていない気持なのだ。宙ぶらりんという不安定な感じは、私と社会とのあいだに何のつながりも無いという感じだ。私はこの社会のなかで暮してはいるが、社会と私とのあいだには何の関係もない。私は芝居をやり、ラジオ・ドラマに出演するが、そんな事は私が居なくても誰かがやるだろう。私はひとりきりで、野原の中の小さな石ころのように人から忘れられている。私は自分の命を自分だけで大切にまもっているが、この命は社会のなかで何の価値もない。私は心の欠乏を感じ、孤独に耐え難くなり、石黒先生に会いたくなる。あの人だけが遠くから私を見まもっていてくれる。  何によって私は自分の生活を充たして行ったらいいのか。……いくつかの条件が考えられる。瑣末《さまつ》な問題は切りすてて考えよう。人間の生活を充足せしめる外的な条件は、安定した経済的基礎を得ること、生き甲斐のある職業につくこと、安定した性生活をもつこと、子供をもつこと。基本的な条件としてはその程度で足りる。私はいま、それらのうちのどの条件からも遠いところで暮している。しかしそれには理由がある。  伊藤義尚と結婚した柳田里子は、安定した経済生活をもち安定した性生活をもっている。しかも彼女は欠乏感になやみ自分をもてあまし、ひとりきりで北海道への放浪の旅に出た。彼女は私よりももっと空虚で私よりももっと孤独なのだ。結婚も経済的安定も、それだけでは女の生活を内面的に充足せしめるものにはならない。  里村春美は長谷川家に嫁して未亡人になったが、安定した経済生活をもち可愛い子供をもっている。しかも彼女は生活の行きづまりを感じ、小寺某との情事にふけってわずかにたまゆらの慰めを求めている。彼女もまた私以上に不安定であり宙ぶらりんである。  田辺元子には良人もなく子供もない。彼女は幾つかの本質的な不幸を背負っているが、しかし彼女の精神はどこかで安定し、どこかで充足している。彼女は女優であることに専念し、女優であることのために闘っている。その真剣さが彼女を充足させている。田辺元子は宙ぶらりんではない。彼女は良人も子供もないけれども、芝居を通じて社会とつながり、芝居によって孤独から救われている。  吉岡弦一との結婚生活のなかで、私は心を充たされていた。経済的安定もなく、子供もない生活であった。私は感覚的に充たされていただけのことだった。その充足感は、建設的なものではなくて、消耗的なものだった。感覚的な充足感はつねに新しいくり返しをもとめ、くり返すことによってますます消耗する。男性は消耗することによってみずから充たされるもののようだ。男性の終ったところから女性の活動がはじまる。女性はみごもり、産み、育てる。その事によって女性は完全に充たされる。恋愛は女にとって、一つの過程であり、一つの手段である。したがって恋愛は、男性から奪うための闘いであり、策略である。  それは本能的な、あるいは動物的な充足感であるけれども、同時に本質的なものでもある。その事を軽蔑《けいべつ》すべきではない。しかし里村春美は子を産みそだてて居りながら、欠乏感に悩まされている。彼女は子供を育てることに心を打ちこんで居ないからだ。懸命に心を打ちこんで行って始めて、その心は充たされる。充たす力は、結局自分自身の努力であるらしい。里村春美の生き方には努力がない。不幸を克服する力がないのだ。田辺元子は女優としての努力によってみずから充たされている。  私はやはり結婚する方がいいように思う。女優として特別な素質をもたない私は、舞台の仕事に田辺元子のような努力をはらうことができない。才能があれば努力にも張りあいがある。才能が乏しければ努力は滑稽なものになる。  結婚生活にも問題はすくなくない。離婚の経験をもつ私は、男性に対する一種の不信感をもっている。結婚する人のうちの八十パーセントは失敗ではないだろうか。しかし結婚が完全な成功でなくても、八十パーセントまで成功であれば、女の生きる場所をそこに築くことは出来る。私は子供をうみ、子供を育ててみたい。私はそのことに生き甲斐を感じ、そのことによって社会とのつながりを感じ、そのことによって自分の存在に自信をもつことが出来るだろう。たまゆらにして消えて行く感覚的な充足感ではなく、十年も二十年も続く、生涯を通して続いて行く、充たされた生活が有り得るように思う。……  夜が更けて、風が冷たい。私は宇田貞吉さんのことを考える。良人としては物足りない人であるかも知れない。しかし、物足りないというのは何が足りないのだろう。あの人の人柄を私は尊敬することができる。けれども、夫婦|喧嘩《げんか》をしたときは私が勝ちそうな気がする。私は勝ちたくはない。良人に勝つことは、淋しいことだ。吉岡弦一には私は勝てなかった。八岐《やまた》の大蛇《おろち》のように、どこに中心があるのか解らないような、手に負えない男だった。彼は自分でも、どこに中心があるのか解らなかったらしい。それが彼の弱点だった。宇田貞吉さんの人格は単純で温和で、いくらかは女性的だ。彼は多分、心をこめて私を愛してくれるだろう。しかし私は退屈するかも知れない。私が悪いのだ。彼がもしも、強力に私を盗み奪ってくれるならば、私は黙って従って行くだろう。私はいま、そんな気がしている。一時的な気の弱さであろうか。私も遠からず三十になるのだ。  十一月四日——  稽古場の食堂で、昼食のあとのしぶい番茶をのんでいるところへ、奥田理事がはいって来た。突っ立ったままで、 「三人ばかり、手を貸してもらいたいんだがな」と言った。「からだの空いてる人、誰だい」 「みんな空いています」と木戸君が言った。 「よし。じゃ、木戸君と、望月さんと、朝倉さんと、三人頼もうか」 「何ですか」 「労働会館へ行ってもらいたい、いまから。……午後二時半から安保問題をどうするかというんで、集会がある。椅子をならべたり、受付をやったり、連絡とか、印刷物の配布とか、要するに雑用だが、四時半ごろまで手伝ってくれという話なんだ。ひとつ頼む。交通費は木戸君にわたしておくから、ひと休みしたら出かけてくれないか」 「要するに労働だわね」と望月さんが言った。「日当は出るのかしら」 「馬鹿なことを言うなよ」と木戸君がやっつけた。「あんたは安保問題でもうけるつもりかい。風上にも置けねえなあ」  私たちは三人で、おしゃべりをしながら出かけて行った。労働会館というのは何だか知らないが、四階に三百人もはいれそうな小講堂があった。ほかの劇団からも若い俳優さんたちが手伝いに来ていた。白鳥座からは藤岡理事が来ていた。二時すぎになって文芸劇場の青山圭一郎もやってきた。舞台で見るよりも素顔の立派な男だ。この人を見ていると私は、かわいそうだが森下けい子は駄目だという気がした。人間の格がちがい過ぎる。青山が本気になって森下けい子を愛しているとは思われない。恋愛にはおのずから均《つ》りあいということがある。ところがこの二人のあいだには全く均りあいというものがないのだ。森下けい子は一生懸命であるだろうが、青山圭一郎は遊んでいるのだろうと私は思う。たとい二人のあいだに、(別れる、別れない)という程の問題があったにしても、永つづきする関係ではなさそうだ。山岸美代が森下けい子のアパートを訪ねて行ったのは、一期の不覚だった。  会がはじまるまぎわになって、石黒市太郎がぶらりと入って来た。軽いギャバジンのコートの前をひらいて、紺色のベレ帽をかぶり、両手をコートのポケットに突っこんで、エレベーターの扉からのっそりと現われた。私は受付の机に坐っていた。 「おう。ひさしぶりだな。今日はお手伝いかい」と先生は言った。胃潰瘍《いかいよう》が治って、先生はすこし肥ったように見えた。 「そうなの。先生は何ですか」 「何ですかって、馬鹿野郎、この会に来たんじゃないか」 「あら、先生と安保問題と、関係があるのかしら。先生は政治なんかきらいでしょう」 「大きらいだ。きらいだから来たんだよ」と石黒さんは訳のわからないことを言ってから、「それはそうと、この前おまえに、一幕ものを書いてやるって約束をしただろう。あれは少し延期だぞ」 「あら、どうしてですか」 「この、安保問題がかたづくまでは駄目だ。まあ、来年の夏だな。それまでゆっくり勉強しておけよ」 「遠いはなしね。それまでわたし、生きて居られるかしら」  石黒さんは顔がひろい。新劇界のおもだった人たちはみんな友達だった。今日の会合は、いろいろな新劇関係の劇団から代表者があつまって、今後の安保反対運動の足なみを揃《そろ》えて行こうというようなものらしかった。私は、新劇の人たちがこんな問題について、これほどまでに熱意をもっていることに驚かされた。新劇と安保問題とどういう関係があるのかしら。……だが、日本の新劇の人たちは大正の末ごろから、常に尖鋭《せんえい》であり急進的であった。あるときは左翼運動の陣頭に立ったこともあった。そういうきびしい血液は、いまもこの人たちの中に流れているらしい。大沢栄二、滝村修一、木野重三郎、梅原秋子、山下八重、藤岡賢二、みな新劇人としては押しも押されもしない名優ぞろいだ。それに劇作家の石黒市太郎、原民雄、演出家の神田元雄、舞台装置の進藤八郎。田辺元子もやって来た。舞台よりほかの事は考えたこともないような、この人すらもやって来たのだった。  私は少しばかり考えさせられた。安保改定問題とは一体何だろう。これだけの新劇人たちが、忙しい時間をさいてわざわざ集会をひらき、それで何をしようというのだろう。安全保障条約というのは外交条約だ。政府と政府とが相談してとりきめる事だ。それが役者たちと何の関係があるのだろう。  会がはじまると、見知らない人が演壇にあがって、安保条約改定草案の内容について説明をはじめた。頭の良さそうな、素敵な人だった。冷静で、するどくて、よく整理された話しぶりで、清潔な気持の良い男だった。 「あれ、だれ?」と私は木戸君にきいてみた。 「知らねえのか。東大の助教授でさ、海田光隆という先生だよ。若手の中じゃ一流だね」  海田光隆……海田光隆……と私は口のなかで繰りかえし、暗記した。細い縞の服をきちんと着て、ちっとも|けれん《ヽヽヽ》のない紳士の姿だった。私はこの人にすこし魅せられたようだった。見ているだけで私には手も足も出ないような気がした。 「第三条で問題になるのは、自国の憲法の規定の範囲内において、単独で又は協力して、自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するための能力を、維持しかつ発展させる……というところです。これは言い替えれば、日本は自国だけで又は米国と協同して、対外的な軍事行動がとれるような体制を作り上げておくべきことを義務づけたものです。その結果は当然、軍備拡張が必要になってまいります。そして、(憲法の規定の範囲内において……)と云うのは、いまただちに憲法改正は出来ないので、こういう言いのがれの文章をつけてあるわけで、要するに日本国民をごま化すための苦心の作であるわけです。憲法の解釈は御承知の通り、政府与党が自分に都合のいいような拡大解釈をしている訳ですから、(憲法の規定の範囲)という言葉で私たちは安心するわけには行かないのであります。そしてこれは直ちに第五条前段の条文と関連して来ますから、日本が武力戦争にまき込まれる危険が増大するというのは、当然考えられるわけです。……」  ああ大変だ、と私は思った。しかし私は別に海田先生が云う通りの危険は感じない。戦争なんて、起るかも知れないし起らないかも知れない。一旦戦争がおこったら、もう無茶苦茶だ。私はあの戦争のとき、母と弟と三人で朝鮮から逃げかえって来た。父はとうとう帰って来なかった。それから間もなく母は栄養失調で亡くなり、弟は発疹《はつしん》チフスで死んだ。私は小学校五年生だった。私はその時から、東京の大学に行っていた兄と二人きりだったし、兄が三十二のとしで亡くなってからは、完全に孤独だ。戦争がまた起ったにしても、失うものは何も無い。平和運動などというものは、平和のときだけしか役には立たない。私は人間をあまり信用していないし、政府も政治も信用してはいない。私のような孤独な人間は、いつでも何かしら欠乏感をもっている。それは父母や兄弟が無いことから来る感覚であるかも知れない。こんな気持はきっと、肉親をもつことによって充たされるだろう。今から肉親をもつためのたった一つの方法は、子供を産むことだ。……  会議は四時すぎまでつづいた。各劇団から連絡委員を出して連絡会議をつくること。劇団に所属していない個人の中からも三人の委員を出すこと。運動資金をあつめること。他の労組や文化人たちの反対運動と連絡をとって、強力な安保改定反対闘争をもり上げること。ラジオ、テレビ、映画などの分野にも呼びかけること。そういう相談が大体まとめられて行った。石黒先生はよくしゃべっていた。芝居の演出をやるような調子で、この反対運動の組織や運営をぴしぴしときめて行った。そして彼は劇団に所属しない個人のなかからの委員に選出された。  私は石黒さんの新しい一面を見たような気がした。酒飲みで、冗談が好きで、大きな声を立てて笑ってばかり居るこの人が、こんな問題についてこれほどの熱情をもっているとは私は思っていなかったのだ。多勢のなかで見る石黒市太郎は、体格が良くて声が大きくて無遠慮な発言をするので、一座を圧して見えた。新劇界の顔役という感じだった。そのくせどこの劇団にも所属しないフリーな立場で、好き勝手な仕事をして居るのだった。何となく、(われひとり往く)といった風な、自信にみちた孤独な男の姿だった。私はすこしばかり憎い気がした。石黒さんが浮気なのは、こういう所が女たちに好かれるのかも知れない。私はあまり好きでない。宇田貞吉さんのつつましやかな在りかたの方が、しっとりしていて良いと思った。  会が終って帰り支度をしていると、石黒さんが私の方にちかづいて来た。 「おい、今から俺につきあわんか」と言う。 「どこへつきあうんですか」 「七時から舞台稽古があるんだ。それまで空いてるからな。何か御馳走してやるよ」 「うれしいな。なにか高いものを御馳走して下さい」と私は言った。 「あれだからな。女はあさましいよ。御馳走の種類でなくて、金額で注文をつけやがる。間《はざま》貫一が失恋したのは当然だな。貧乏人は女に好かれないよ」 「先生はおかね持ちだから、大丈夫よ」 「何を言ってやがる」と石黒さんは言った。  私はなにも、金額で注文をつけたわけではない。高いものは同時にうまいものでもある。そして私にはなかなか食べられないものなのだ。高いたべものへのあこがれは慢性的な欠乏感となって、私の心の底にいつでも坐っているのだ。何がたべたいという特定のものではない。要するに高級料理ということだ。安くてうまい物ならば、石黒さんを煩わさなくても、自分で食べられる。結局おちつくところは、(高いもの)ということになる。それを女のあさましさと言ってしまうのは、少し違う。むしろ貧乏人のあさましさと云うべきだろう。女は|けち《ヽヽ》だけれども、それほどあさましくはない。 「私の行きたい所へ行ってもいいですか」と私は言った。 「うむ。いいよ。どこへでも連れて行け。うんと高いところへな」 「意地わるね。そんな高い所じゃないんです。中くらいの、小さなお店。遠慮しておきます。先生に借金があるから……」 「あといくら有るんだ」 「一万五千円ぐらい」 「もう、棒引きにしようか」 「だめ。きっとお返しします」  このまえ、宇田さんと二人で行った小さなレストオランへ、私はだまって先生を連れて行った。そして、このまえ二人で坐った席に、私は先生とならんで坐った。私は、あの晩に宇田さんが食べたビフテキを注文した。 「何だ、じゅん子の高い御馳走というのは、要するにビフテキかい」と石黒さんは言った。 「いいの。これでいいの」と私はわくわくしながら小さな声で言った。  石黒さんには解らない、私ひとりの秘密だった。これは石黒さんに対する私の裏切りだった。相手に知られない限り、裏切りは裏切りにならない。だから私は平気だった。平気だったと云うよりも、裏切りをたのしむ気持だった。石黒さんはビールを注文し、私にも一杯ついでくれた。この前の宇田さんの時と同じだった。私はコップを上げて、いま多分彼のアパートに居るであろう宇田さんのために、ひそかに健康を祝した。あの晩、宇田さんは私に求婚した。求婚と解釈してもいいような言葉を、遠慮ぶかく告白した。私は回答を避けて、うやむやにしておいた。問題は終ったのではなくて、保留になっているのだ。保留になっていることが、私はたのしかった。石黒さんが芝居のことをはなしかけて来る。私はうわの空だった。ビフテキを食べながら、あの晩、宇田さんもこの味をあじわったのだと思っていた。 「じゅん子の独身生活も……」と石黒さんが言った。「もうそろそろ十カ月になるね」 「そうよ。自由にして希望に充ちています」 「あんまり偉そうなことを言うもんじゃない。結婚の相手は見つかったかい」 「ええ。……無くもありません」 「誰だ」 「わたし、ひとりで考えて居るんです」 「だから誰だ」 「宇田さんです」と私は正直に言った。私は冷静だった。 「うむ。この前もそんなことを言っていたな。宇田貞吉はじゅん子には向かないって言っておいただろう」 「覚えています」 「お前は天《あま》の邪鬼《じやく》だから、俺がよせと言えば行きたくなるんだろう」 「行けと言われたら、行きます」 「馬鹿野郎……」と先生は言った。「いいか、よく聞いておけ。冗談で言ってるんじゃないんだ。お前と宇田貞吉とは性格的に合うはずが無い。宇田貞吉は友達としては良い男だ。味のある男で、もの静かで、紳士だ。しかしじゅん子はあの男の女房にはなれない。ひと月と持たないんだ。第一、二人で夫婦喧嘩をしたら、お前が勝つだろう」  私は思わず笑ってしまった。 「わたしが一番心配しているのは、そのことなんです。でも、その時になったら、何とかして負けますわ」 「そんな訳には行かねえよ。負けて居られるようならば、そんなものは喧嘩じゃないよ」 「そうね。……じゃ、どうすればいいんですか」 「宇田貞吉はやめろ。誰かもっと良いやつを探してやるから……」 「先生は宇田さんが、よっぽど嫌いなのね」 「誰がそんなことを言った?」 「じゃ、焼きもちを焼いてるの?」  ちえッ、と石黒さんは舌打ちした。それから溜息をついた。 「勝手にしやがれ」  私は先生を手こずらせたことで、良い気持だった。それは私が先生に甘えていたことかも知れなかった。石黒さんはぶっきらぼうで、私を乱暴に扱っているみたいだが、本当はこまかく気を配っているのだ。私にはそれがよくわかる。そのせいか、私は石黒さんに会うと、変に子供みたいになって、甘えてしまう。先生だって、私を馬鹿野郎呼ばわりしながら、私に甘えられることが好きなんだと、私は思っていた。要するに八百長みたいなものだった。 「今日の会で、条約文の解説をしていらした東大の先生、海田先生って言うんですか。あのひと素敵。わたし見とれて居たの」 「馬鹿野郎……」とまた先生は言った。「あんまり見当ちがいな事を言うもんじゃないよ。じゅん子なんかに手の届く相手じゃない」 「だって、恋に上下のへだては無いのよ」 「ふん、やって見な」と先生は言った。「成功したらおごってやるよ。但し独身じゃないよ。相手が男でお前が女である限り、可能性がゼロという事はない。やって見な」 「いいえ、やめます。怕いわ」と私は言った。 「そうか。こわい事がわかれば宜しい。白鳥座の森下けい子なんてやつは、青山圭一郎のこわさが解らないんだ。へたくそな猛獣使いみたいなもんで、そのうち大怪我をするよ。亭主なんてものは、自分にちょうどよさそうなやつを探した方がいいんだ」 「だから私には宇田さんがいいのよ」 「宇田貞吉は近づき易い。危険を感じないでお前は近づいて行ける。おとなしい犬だ。しかし男というものは、おとなしいから良いという訳のものじゃない」 「ああ、もう沢山。当分わたし独りで居ます。このままお婆さんになったら、先生の責任よ」と、私は投げ出すような言い方をした。  先生はうすく笑って、 「じゅん子の亭主にしたいようなやつは、みんな女房があるなあ」と言った。 「わたし亭主よりも、子供がほしいわ。何だか近ごろ急に、子供がほしくなったの」 「ふん。……まあ、いそぐな」と先生は言った。「物には順序ということがあるからな」  食事を終って、おいしいコーヒーを飲んで、その店の前で私は石黒さんと別れた。別れたあと、私は宇田さんの事など何とも思ってはいなかった。石黒さんが反対したからそういう気になったのか、それとももともと、それほど本気ではなかったのか、どっちとも解らなかった。宇田さんは良い人だけど物足りない。物足りないというのは一種の欠乏感だ。良人というものが女にとって、充足よりも欠乏を感じさせるものであったら、私はやり切れなくなるだろう。妻がおとなしい犬であることはかまわないが、良人がおとなしい犬であることには、問題がある。  私は石黒さんの忠告にしたがうことにした。それよりも何よりも、私はやみくもに子供がほしい気がするのだった。ふた子でも三つ子でも構わないから、たくさんほしかった。私はすこし神経衰弱になっているのかも知れない。 [#改ページ]     6  十一月八日——  午後三時すぎ、白鳥座に電話がかかってきた。相手は女の声で、畑中病院でございますと言う。心当りのない名前だ。朝倉ですが何の御用ですかと問うと、長谷川春美さんの代理ですが、長谷川さんがあなたにお会いしたいと言っていらっしゃいますので、こちらへおいで頂けますでしょうか、と言う。長谷川さんがそちらへ入院しているのかと問うと、そうですと答える。病気ですかと問うと、はいそうですという返事だ。病気は何ですかと更に問うと、くわしい事はこちらへおいで下さればお話し申しますと言う。  何だか様子がおかしい。私は病院の場所を聞き、七時半ならば行かれるがそれでもいいかと問うと、それで結構ですという返事だった。して見れば一刻を争うような病気でもないらしい。私は四時半から放送局でラジオ・ドラマの本読み。それが二時間ほどで終り、どこかで軽く夕食をたべて、それから畑中病院へ行くという手順だった。  病院へゆく途中で、きっと里村春美は妊娠中絶をやったのだろうと私は思った。電話に出た看護婦が説明をさけたのもそのためだ。未亡人の妊娠中絶だから、大っぴらにする訳には行かない。長谷川家がその事にどういう態度をとるかわからないが、とにかく春美さんの立場は困難になったと、私は推察した。  畑中病院は中くらいの大きさの、小ぎれいな建物だった。私は案内に出てきた看護婦にむかって、春美さんの病気の様子をきいてみた。すると、 「あの、……薬をお飲みになったんです」という返事だった。 「薬って、何ですの」 「睡眠薬です」 「それは、どうなんですか。ただ眠るためですか、自殺のためですか」 「だいぶん、沢山お飲みになったらしいですから、自殺なさろうとしたんでしょうねえ」  私は看護婦のうしろからつめたい廊下を歩き、階段をあがった。私は里村春美をあわれな女だと思った。むかしむかしから、何万何十万の女たちが、耐え難い欠乏感にせまられて浮気沙汰をおこし、そのために身のふり方がつかなくなって自殺して行ったのだ。馬鹿なことだ.中途半端な気持で浮気沙汰をやるから収拾がつかなくなる。恋をするにも浮気をするにも、過去の生活をすべて振りすてるだけの覚悟があれば、生きて行く道はあるのだ。里村春美は婚家をすてる気もなく、子供と別れる気もなく、あれもこれも、過去の生活の殻を身につけたままで、小寺某氏との浮気沙汰をやった。死ななければ清算されないところまで自分を追いつめて行ったのだ。女は自殺を決行したが、男はどうして居るのだろうか。私はふと、その男に会ってみたい気がした。悪くすると森下けい子も睡眠薬を飲むようなことになり兼ねない。女の命は恋に脆《もろ》い。たまゆらの充足をもとめて、永遠のむなしさに陥ってしまう。私はため息が出るような気持だった。  里村春美はもう元気になっていた。事件から四日経っていた。一日半ぐらいは昏睡《こんすい》だったという。彼女は私を見ると蒼白《あおじろ》い顔にはずかしそうな笑みをうかべた。 「ごめんなさい。わたし誰にも会いたくないんだけど、あなただけに会いたかったの」と彼女は言った。変に声がかすれていて、顔の皮膚はつやがなく、かさかさしていた。  付き添いの派出看護婦がいるだけで、婚家の人も実家の人も来ていなかった。みんなが彼女につめたい眼を向けているに違いない。彼女は孤独のなかで、他人の手によって看病されている。その他人と彼女とのあいだには、金銭関係だけしかない。そして、こんな危急の場合だというのに、肉親の関係よりも金銭関係の方がたのみになるのだった。私は肉親というものの冷たさを感じた。私はそのことを言わずに居られなかった。 「誰も来てくれないの?……長谷川さんの方からもあなたのうちの方からも……」 「いいのよ」と春美さんは冷静に言った。「誰も来てくれやしないわ。つまり、私の仕合せとか、私の幸福とか、そんな事を本当に考えてくれた人は誰も居ないの。ようやくそれが解ったわ。みんな体裁のいいようなことだけ言ってるのよ。私が変なことを仕出かしたら、もう誰も寄りつきゃしない。もっと早くそれが解ればよかったのね」  艶のない、かさかさした春美さんの顔は、それとは別に沈静な落ちつきを見せていた。それは今までの彼女にはなかった、別の美しさだった。いわば大人の美しさだった。彼女は自殺に失敗して、あたらしく人生を見る眼がひらけたとでもいうようであった。 「あなたから、小寺の手紙の取り次ぎをことわられたでしょう。仕方がないから、小寺は女名前を使って、直接に手紙をよこして居たのよ。それを長谷川のお母さんに怪しまれて、私が小寺に会いに行った留守に、開封されてしまったの」 「それじゃ、私にも責任があるのね」 「関係はあるけど責任はないわ。とにかくあなたが長谷川のうちで憎まれてることは確かよ。ごめんなさいね」 「それで、それからどうしたの?」 「問答無用よ。今日のうちに、黙って荷物を持って実家へ帰れって、申し渡されたの」 「子供さんは?」 「子供なんか呉れやしないわ。私が産んだからって、私の子ではないらしいのね。まあ、それならそれでもいいわ。死のうと思ったときは、子供とも別れるつもりだったから、同じことよ」 「それで、退院したらどこへ行くの?」 「一応はうちに帰るわ。だけど、親のうちでも永くは居られないからね。アパートでも借りて、おつとめを探して、ひとり暮しよ。どうなるかわからないけど、どんな事をしてだって、生きて行くわ」それから彼女はかすかに笑って、「もう、怕《こわ》いものなんか、無いもの」と言った。  いままでは怕いものだらけだった。婚家もこわかった。未亡人という自分の立場も薄氷を踏むこわさだった。子供もこわかったし、恋をすることも怕かった。自分の生れた実家にかえることすらもこわかった。良人が死んだという、たったそれだけのことで、彼女の立場は文字通り八方|塞《ふさ》がりになっていた。彼女の危険な火遊びは、火遊びというよりは噴火だった。脱出口をもとめて噴火した彼女の情熱だった。それが、彼女をとりかこむ壁を破るための努力だった。命がけの犠牲をはらって、彼女ははじめて自由を得たらしい。絶望に向っての恋愛と私が見ていたものは、絶望への挑戦であったようだ。里村春美は婚家をうしない、子供をうしない、あるいは実家をさえも失うかも知れない。一切をうしなったあとに、始めて彼女は自由な生命を獲得したのだ。よくやった、と私は思った。ひとにすすめることは出来ないが、ともかくも彼女はよくやったと思う。 「くすりを飲むとき、どんな気持だった?」と私はきいてみた。これは同情というよりは、私の好奇心というべきものであった。あるいは野次馬的な気持、はしたない他人の気持だった。 「何だかわからない。とにかくからっぽになったような気持だったわね。大事に大事にしていたものが、何もかも一度にだめになったみたいだったわ」  それは私にも解るような気もする。彼女にあたえられた(不倫)という汚名によって、長谷川家の中に於ける彼女の立場も、地位も、何もかもが一度に奪い去られた。母という立場すらも奪われた。彼女の生きて行くための足場はすべて崩れ落ちて、宙に浮いたようにからっぽだった。その空虚な感覚が、彼女に死を決意させた。しかし、不倫とは何だろう。不倫という汚名は死に価するほど巨大なものであろうか。不倫という言葉さえ無ければ、きわめて平凡な男女関係にすぎないような気がする。もしも小寺氏が独身者だったら、二人の関係は美しき恋愛と言うことも出来たかも知れない。私は(不倫)という言葉の使い方に、少しばかり疑問をもつ。 「小寺さんはどうして居るの?」と私は遠慮しながら聞いてみた。「あなたのこと、知っているの?」 「知らないでしょう」春美さんは青白い頬に多少の笑いをうかべて、そう言った。「誰も知らせてはやらなかったと思うの」 「じゃ、ここへお見舞にも来なかったのね」 「来ないわ。本当を言うと、きのうの午後、或るところで会う約束をしていたのよ。私が行かなかったから、怒っているかも知れないわ」  私は腹が立ってきた。 「電話をかけてあげるわ。番号をおぼえている?」 「いいえ、もういいの」と春美さんは冷静に答えた。「わたし、何だかすこしおかしいのよ。自分でもよくわからないんだけど、子供にも大して会いたいと思わないし、長谷川のうちにも二度と帰りたいと思わないし、あの、何て言ったっけ、……記憶喪失、あれみたいなの。頭のなかがからっぽになって、すうすう風が吹きぬけて行って、冷たくなったみたいなの。ほんとにからっぽで、この病院で気がついてからも、ただぽかんと横になって居ただけなのよ。薬の|せい《ヽヽ》かしら。  小寺のことも考えてみたんだけど、全然会いたいという気が起らないの。あの人をとても好きだったという、その事さえ、遠い昔のことみたいで、ちっとも実感がないのね。狐つきの狐が落ちた、って言うでしょう。あんな風なの。みんな嘘だったみたいな気持。……」  私にはよく解らない。死を通過した心境というものはそういうものかも知れない。多量の睡眠薬をのむときには、彼女は子供にも小寺にも親たちにも、すべてに別れを告げていたのだ。一度別れてしまったものは、二度と帰っては来ないのだろうか。……しかし私はまた、私の勝手な解釈もしてみたい気がする。里村春美は小寺某に手を貸してもらって、彼とのあいだの愛情を手がかりにして、脱け出ることの出来ない窮地から……(それは一種の窮地だった)……その窮地から脱出した。人間らしい女らしい生活を奪い去られた環境から、自分ひとりの力では脱出できなかったので、小寺をたよりにして、二人の愛情を手がかりにして、ようやく脱出した。脱出は最後に強硬手段を必要としたが、そうして脱出を終ったいまとなっては、もはや小寺の力は必要ではない。彼の魅力はもう失われたのだ。恋愛にはそのような、不思議な副作用もあるだろうと私は思う。いや、彼女の場合には、副作用を求めて恋愛が成立したというべきかも知れない。  そして今から後は、彼女は自分ひとりで、自分の生きる道をきり拓《ひら》いて行くだろう。その生活の伴侶《はんりよ》として、やがて異性が必要になる時もあるだろう。しかしその時の伴侶は、もはや小寺氏ではなくて、他の男だ。小寺氏の使命は終った。彼は無事にその妻のもとに帰るべきなのだ。  不思議な一つの恋が終った。こういう終り方もあるのだ。崖《がけ》から落ちたような、突然な終り方た。しかし終ったのは、里村春美の一方的な終りであるかも知れない。小寺氏は何も知らずに居て、女の裏切りに腹を立てているかもわからない。恋に取り残された男は、喜劇的な存在だ。誰も彼に同情はしないだろう。  彼女のつめたい手を握って、明後日また見舞にくる約束をして、私は病院を出た。それから寒い風のなかを、私はながいあいだ歩いていた。私は里村春美を見舞ってきたのであるが、事実はかえって私の方が、彼女に圧倒されていた。私は彼女の前にいて、自分の見すぼらしさを感じていた。彼女は不始末をしでかし、婚家を追われ、子を失い、精神的にはどん底であった。彼女に残されたものは、彼女の命ひとつだけだった。そして、心の中を(すうすう風が吹きぬけて)行くほどからっぽになっていた。その純粋さと単純さとは、もはや私などに批判の余地のないものだった。彼女はからっぽだと言っていたが、私はそれも一種の充たされた感覚ではないかという気がした。おそらく彼女は、どうにもならないほどの孤独を感じていることだろう。しかしその孤独のなかで、今ほどはっきりと自分の命ひとつを見つめていたことは無かったに違いない。そして、命というものの貴重さをしみじみと感じていたに違いない。一切の雑事からはなれて、自分で自分の命ひとつを手さぐりして見る心境。……それはからっぽであると同時に充実した感覚ではないかと思う。私たちには容易に近づけない、澄み切った心境だ。(もう怕いものなんか、無いもの……)と言った彼女の気持に、私はおどろく。彼女は子供さえも捨てて来たのだ。その意味から言えば、彼女は自殺に失敗したけれども、精神的には自殺してしまったのだ。今から後の彼女は、別の女だ。その別の女が、どんな生き方をして行くか。……私は彼女のためにアパートを探してやらなくてはならない。  十一月十日——  晩秋の、ひとり寝の、つめたい牀《とこ》のなかで、(死ぬ)という事について私は考えふける。今日また里村春美を病院に見舞ってきた。それ以来、私が死んだらどうなるだろうかという疑問が、頭からはなれない。  いま私が死んだら、なにものも残らない。私の骨を灰にして、土に埋めたら、かつて私が生きていたという証拠は何ひとつ残りはしない。それを思うと淋しくて、死ねない。私は来世を信じない。神の救いも天国も信じない。現在の世の中だけが人生だと思う。死んだあと、何も残らなくてももともとではないか。しかしそれでは淋しすぎる。あまりに虚《むな》しい。  私はやはり子供を産まなくてはならないと思う。それは生涯にわたって私の心を充たしてくれる。一人が二人になることによって、私の人生は地上に定着する。私は宙ぶらりんの気持から安定した気持に定着する。子供を産むことによって、女の命は永遠に消えないものになる。たとい私の骨は灰となり土に埋められようとも、私の命は消えないものとなり、私の魂は充たされる。  誰の子を産むのか。配偶者をえらぶということは、子供の父をえらぶという事だ。子供には父が居なくてはならない。女ひとりが、医者の手によって人工妊娠することは、子供に対する冒涜《ぼうとく》だと思う。母と子との関係は、母と子とだけで成立するものではない。母の感覚のなかには、子供の出生の以前に、一つの愛情があったという記憶がなくてはならない。その愛情の記憶が、子に対する母の愛情となって再生する。男は、女を通じて、女のからだと心とを通じて、その子に愛情を贈る。女は、男の愛情と自分の愛情と、二つのものをその子に与えるのだ。  女は、男だけによって充たされるものではない。その男の子供によって充たされる。女にとって、男は過程であり、手段である。女は男から、その子を奪い取る。それは愛情などというなまぬるいものではない。女が生きるための、命がけの闘いだ。……  この考えがもしも間違っていないとすれば、私は自分が良い子を産むために、一生懸命になって、良き配偶者をさがすべきだ。  宇田さんのことを思う。私の子供の父として、彼は少しばかり物足りない。子供の父に関して、私は贅沢《ぜいたく》に相手をえらびたい。  宇田さんがなぜ物足りないのか。あの人は良いひとだ。やさしくて温和で、もの静かで、人柄としては申し分ないような気がする。しかしあの人は俳優としてはすぐれているが、俳優であることに終始して居り、俳優以外の何ものでもない。あの人は芝居よりほかのことには一切興味をもたない。スポーツもやらない、絵も描かない、俳句もつくらない、左翼運動もやらない。碁将棋もしないし麻雀《マージヤン》もしない。したがって道楽に身をもち崩したりまちがいを起したりする危険はちっとも無いが、ちっとも危険がないという所にあの人の物足りなさがある。石黒さんはあのひとを、(おとなしい犬だ)と非難し、(夫婦|喧嘩《げんか》をしたらお前が勝つだろう)と言った。私はやはり、喧嘩をしても歯が立たないような男の子供をうみたい。宇田さんでもない。辛島君でもない。そう思ってみると青山圭一郎はさすがに立派だ。森下けい子のあせりが解るような気もする。吉岡弦一がもうすこし骨のしっかりした男だったら、私は別れるのではなかった。うまくやって居るかしらと、ときどき思う。  十一月二十八日——  昨夜九時すぎ、辛島君がやって来た。よれよれの短いコートを着て、右手に包帯をまいていた。コートには点々と血がついていた。 「あら、どうしたの。喧嘩をしたのね」  彼はほっと大きな吐息をついて、いいえ、違います、と言った。靴をぬいで私の部屋にはいると、崩れるように坐って窓にもたれかかり、 「すみませんが、水をくれませんか」と言う。 「またデモか何か有ったのね。どこで怪我をしたの?」 「わからないんです。鉄条網みたいなものが有ったらしいんです」 「どこなの、場所は……」 「国会です。とにかく正門のまえに警察がトラックを並べてバリケエドにしているんです。それを全部乗り越えて、国会の正門の扉を押しあけて、玄関の入口を占領しました。しかし、僕はさびしいんだ。デモを終って、病院で手当をしてもらって、街に出てきたら、街はいつもとちっとも変って居ないんですよ。酔っぱらいは歌をうたっている。アベックは腕をくんで歩いている。さわいで居るのは僕たちだけじゃないか。……嫌な気持だ。一体日本人は安保条約を承認しているのか居ないのか。安保改定をやりたいのかやりたくないのか。どこに本当の意志があるんだ。……僕はいやな気持だ」  かなり興奮しているような様子だった。私は急になぐさめてやることも出来ない。この青年はデモのあとの淋しさを訴えたくて私のところを訪ねて来たのか、それとも、デモに参加して暴れてきた自分自身を誇示したくて訪ねてきたのか。私はほめてやればいいのかなだめてやったらいいのか。見当がつかない。彼は深刻な表情で、じっと顔を伏せていた。そうやって居ると、憂いにみちた、良い顔だった。男らしい苦味があって、魅力的だった。私の足を拭いてくれながら取り乱した姿を見せた、あんな時とは全く違ったたのもしい様子だった。  けさの新聞には昨日の事件が大きな写真入りで報道されていた。安保改定反対第八次全国統一行動。全国で五十万人参加。東京では労働者四万人学生七万人が国会へ請願デモに押しかけ、そのうち一万人の学生が国会構内に乱入した。辛島君もその一万人のなかの一人であったのだ。逮捕された者数十人、負傷者三百人。……  私は悄然《しようぜん》としてうなだれている辛島君の若い姿を見ながら、男の世界のきびしさを感じていた。下宿の部屋で静かに勉強をしていた学生もいる。血を流しながら叫んでいた学生もいる。見たところねちねちした女みたいなこの学生が、何を望んで、どのような熱情に駆られて、デモ隊に参加して行ったのか。不思議な気がする。しかし、国会の門扉《もんぴ》を乗り越えて、安保反対を叫びながら構内に乱入して行くとき、彼の魂ははちきれるほど充実していたに違いないと思う。彼の魂を充実せしめたものは、若さと、正義感と、行動するものの誇りと、危険を乗り越えてゆく緊張感と、そういう幾つかの要素であっただろう。安保条約がどんなものであるか、私は知らない。知りたいという興味もない。しかし辛島君のような若い学生たち七万人が、自分たちの意志によって結集し、危険を冒して大きなデモを敢行したという、その事実に私は胸を打たれる。この七万人の学生が、全部まちがった考えを持っていたとは私には思われない。(衆目の見るところ、十指のゆびさすところ……)という諺《ことわざ》がある。七万人の学生の自由な意志が一つに結集されたということは、衆目の見るところであり、十指のゆびさすところではないだろうか。私は安保問題の内容は知らないけれど、七万人の学生の意志を信じたい。学生は自分たちの利害によって動いているのではないと思う。純真な正義感だけが、学生たちを結束させる。  けさ、辛島君は包帯と膏薬《こうやく》とをもって、また私の部屋へやってきた。 「すみません、片手では出来ないんです」と言う。  傷は並行した二本の線になっていて、白い肉が裂けていた。私は薬をとりかえ、包帯を巻いてやる。 「あまり危ないことはしないで置きなさい。お父さんやお母さんが泣きますよ」  すると彼は、 「大丈夫です」と言った。「父は二十年の六月に、空襲で死んだんです。父は耳鼻科の医者で、完全な非戦闘員でした。今度の反対運動を、僕は父の遺志だと思ってやっているんです。母だって、僕のやってることを止めはしないと思うんです」  私はなにも言えなかった。安保反対運動はいま急におこったものではなくて、敗戦以来十五年の歴史がその下に根を張っているらしい。辛島君は意外にも、腹を据えてこの運動をやっているのだった。そして七万の学生、四万の労働者が、みな彼と同じように腹をすえて反対を叫んで居るのだとすれば、この問題は容易なことではかたづかないだろう。  十二月十二日——  街々にクリスマスの飾り。キリストの居ないクリスマスだ。軽薄な、慾張った商人の心ばかりが露出して見える。こんな軽薄な飾りで商売をしようというのは、客を馬鹿にしたやり方だ。客はサンタクロースを横眼で見ながら、素通りしてゆく。あさはかな街の風景。……  私は小杉久雄という青年俳優に、これまで一度も心を向けたことはなかった。稽古のとき以外には碌《ろく》に口をきいたこともなかった。彼は今日、稽古揚で、火掻《ひか》き棒でストーヴの中の石炭をかきまわしながら、 「朝倉さん、クリスマスにはどうするの」と言った。「誰かと約束でもあるの?」  彼は私より一つ下、二十六歳。私立大学芸術科の出身。演技は個性的だが、すこし個性的すぎて、役の幅がせまい。ボヘミヤンと言うのか放埒《ほうらつ》なと言うのか、酒が好きで、酒をのむと自宅に帰りたくない性癖がある。友達のうちへ泊るか、駅の待合室で寝るか、街の女といっしょに怪しげな室にとまるか、とにかく夜が明けるまではアパートに帰らないという定説がある。 「約束なんか無いわ」と私はぶっきら棒に答える。 「そんなら僕と遊ばないか」 「何をして遊ぶの」 「酒をのんだりダンスをしたり、(聖《きよ》しこの夜)をうたったり、とにかく楽しく遊ぶのさ」 「二人っきりで、楽しいかしら」 「二人っきりだから楽しいんだよ」 「わたしを誘惑するつもりなの?」 「あんたもひとりだし、僕もひとりだし、少しぐらい誘惑したっていいじゃないか。悪い意味ではなくさ」  彼は華奢《きやしや》な細面で、髭《ひげ》の濃い男。背丈は一メートル七十五センチもあって、スポーツマンのようにしなやかな躰《からだ》をしている。歌をうたわせると|ぞっ《ヽヽ》とするほど良い声をしているが、彼のはなしはどこまでが本気なのか見当がつかない。吉岡弦一は出来もしないことを一生懸命になって約束する男だった。その時はまじめなのだ。小杉久雄は口から出まかせを言うらしい。自分の言葉に一切責任をもたない。しかし何かのはずみで瓢箪《ひようたん》から駒が出るかも知れない。彼はおしゃべりをしながら、出てくる駒を待っている。何も出て来なければ、おしゃべりを楽しんだだけのことだ。 「クリスマスなんて、沢山だわ。七面鳥の料理なんかまずいし、第一わたしは信仰がないの」 「ふん。なるほどね。お正月はどうするの?」 「どうもしないわ。洗濯《せんたく》をしたりアイロンをかけたり編物をしたり……」 「テレビの約束なんか、無いの?」 「七日の晩にあるじゃないの。あなたと一緒よ」 「元日二日は?」 「何もないわ」 「旅行しようよ。大みそかの晩から。雪の中へ」 「二人っきりで?」 「そうさ」 「あなた、責任が持てるの?」 「何の責任?……おかねのことか」 「女と二人で旅行したら、男は一生責任を持たなくてはならないわ」 「そんなの、平気だ」  私はからかわれているのだった。からかわれるように、私も仕向けたかも知れない。そういう冗談はちょっとばかり楽しいものだった。女が女であることを意識し、男が男であることを誇張しながら、言葉と言葉とをからみあって遊んでいるのだった。しかしそれが、恋愛の場合ならば、訥々《とつとつ》とした話のなかでも心の充ちてくるものがある。たとい会話がとぎれても、心はいっぱいに充たされてくる筈だ。ところが小杉君との会話は、かえって私の心のなかに空虚を感じさせるのだった。私はこの青年から誘惑されるような隙だらけな女に見えるのだろうか。私はそんな風にすぐにも男の膝《ひざ》に崩れてゆくような女に見えるのだろうか。…… 「朝倉さんまだ再婚しないの?」 「するかも知れないわ。だけどあなたとは関係のないことよ」 「ああそう。もうきまってるの。つまりそれは宇田貞吉さんだというわけ……」 「誰がそんなことを言ったの?」 「みんなそう言ってる」 「みんなって、誰なの」 「誰だか知らない。とにかくそれは本当でしょう」 「宇田さんと私と何の関係があるの?……赤の他人だわ」 「ずっと赤の他人?」 「もちろんよ」 「ああよかった。それじゃ、僕と結婚しない?」 「わたしをからかっているのね」 「いいえ。全然本気。僕は本当のことしか言わないよ。殊に女性に対してはね。信じてほしいな。僕はあなたを幸福にする自信がある。今はすこし貧乏だけど、もう四、五年たったらあなたをおかね持ちにしてあげる。そのために僕は役者なんかやめて小説を書く。スリラー小説を書くつもりなんだ。あなたが白鳥座にもどって来てから、僕はずっとその事ばかりを考えつづけて来たんですよ。あなたは魅力的だからなあ。僕ははじめは諦《あきら》めて居たんだけど、恋愛は勇敢でなくてはならんと思ってね。いままでどうしても言えなかったことを、今日は決心して、ようやく告白したんだ。……聞いて居るの?」 「聞いて居なかったわ」 「とにかく大みそかから旅行に行こうよ。それだけは実行しよう」 「もうすこし待ってちょうだい。考えてみるわ」 「うむ。どのくらい待てばいいの?」 「五十年ぐらい……」  彼はストーヴの鉄の火掻き棒を握ったまま、しばらく私の顔を見ていた。それから小さな声で、 「殺すよ、ほんとに…」と言った。  こういう男と私とのあいだには、多分永久に恋愛は成立しないだろう。何かがから廻りしてしまうのだ。心の中に蓄積されて行くものがなくて、彼の言う一つの言葉は前の言葉を破壊し、一つのイメージは前のイメージを拭き消し、結局私の心に残るものは彼を警戒する気持だけしかない。多分彼は才気のすぐれた青年であり、人間的には幅もあり奥ゆきもあり、友だちとしては面白い人であるだろうと思う。しかし彼は絶対に私の良人になるべき人ではない。彼は女に対して誠実でもないし、道徳的にも安定していない。彼は街の女とどこへでも泊りこむように、妻に対しても不貞を感じない人であるだろう。彼のような性格の男は生涯独身のままで、手に入れやすい多勢の女たちとのあいだの、浅い関係だけをわたり歩いて行けばいいのではないかと思う。私は、こういう人の子供を産みたくない。  十二月二十六日——  田辺元子が自動車を買った。中くらいの大きさで、紺色の国産車で、新しいからぴかぴかしている。いつも白鳥座の玄関まえに置いてあって、二十六、七の気の利かない顔をした運転手が、週刊雑誌を読みながら彼女を待っている。車を買って以来、田辺元子はとても機嫌がいい。ますます大女優の貫禄がそなわって来たようだ。  石黒先生はマドロス・パイプをくゆらしながら、小さな声で言う。 「新劇の女優が、車を持てるようになったんだからな。全く時代も変ったよ。昔の新劇役者なんか、みんな食うや食わずでやって居たんだからな。映画とテレビのおかげだよ。しかし偉いもんじゃないか。腕一本|脛《すね》一本、どこの男の世話にもならずに、白鳥座を背負って立っているんだからね。かげで悪口を言うやつが居たって、そんなものは問題にならん。とにかく田辺元子には実績があるからな。北山真平が気に入らなくても、怒らせないように適当にあしらい、劇評家たちとも上手につきあい、新聞記者ににこにこし、劇団の若い俳優たちにはちゃんと睨《にら》みを利かし、男どもを頤《あご》で使っているんだからね。立派なもんだ。じゅん子なんかあと十五年も経ったら、あれだけの女優になれるかい。とても駄目だな」 「私はちかごろ、女優としての自分の才能に疑いを持っているんです」 「何を言ってるんだ。とことんまでやって見もしないで、ほんの入口のあたりで疑いを持ったりしたって、そんなものは道楽だよ。もっとお前さんは、なりふり構わずにやらなきゃ駄目だよ」 「端役ばかりでは、そこまで一生懸命になれませんわ」 「生意気言うな。お前を主役にしたらお客は誰も来やしない。白鳥座がつぶれるよ」 「ひどいことを仰言《おつしや》るのね。それほど私が大根なら、もうやめます」 「うむ、やめてどこかの奥さんに行きな」 「先生はだんだん私に辛く当るのね。私はどうしていいか解らないわ」  石黒さんの毒舌は前からよく知っている。しかしあまり手きびしいことを言われると、私は淋しい気持になる。やっぱり先生も他人だと思う。石黒さんを他人だと感じるときは、そのほかの全部の人間をも他人だと感じる。私はやりきれないほどの孤独に沈む。孤独は私だけではない。宇田さんも孤独、田辺元子も孤独、石黒先生も孤独、里村春美も孤独。人間なんてみんな孤独だ。みんなそれぞれの孤独に耐えている。  一月十六日——  うそ寒い日。午後三時、小雨のなかを木戸さんといっしょに放送局へ行く。ラジオ・ドラマのリハーサル。日比谷公園のあたりは歩けないほどの人波だった。 「何かあったのかしら。これ、何なの?」と私は木戸さんに訊《き》いてみる。 「何かあった?……呆《とぼ》けちゃいけないよ」と木戸さんは厳しい口調で言った。  けさ、岸総理大臣と藤山外務大臣とが羽田から、安保改定条約に調印するためにアメリカに出発した。民衆はそれに抗議するために集会をひらき、雨のなかをデモ行進して来たのだった。私はすぐに辛島君のことを思いだした。 「全学連も、この中に居るかしら」 「君はなにも知らないんだなあ。女って、どうしてこう世間のことに無関心なんだろう。ラジオを聞かなかったのかい?……全学連はけさの夜明けから羽田空港へ押しかけて、全権団の出発を止めようとしたんだ。まあ、無理なはなしだがね。それで警官隊とやりあって、七、八十人も捕まったらしい。大さわぎだよ。怪我人もかなり出たようだね」  また辛島君も怪我をしたのではないかと私は思った。小雨のなかを、鉢巻をした青年たちの大群が、傘もささずに、舗道の上で渦をまいていた。わっしょ、わっしょ、安保、反対! みんな声が涸《か》れている。この群れのなかに女も居るのだった。よく見ると、たくさんの女が居た。若い娘たち、女工さんみたいな娘、事務員のような娘。それから、五十にもなりそうなお婆さん。……私は傘をさして、棒杭《ぼうぐい》のように突っ立ったままその人たちを見つめていた。私はこの人たちが恐ろしかった。彼等の怒りが燃えあがった時には、私ひとりぐらいは踏みつぶされてしまうだろう。私は巡査派出所の横に立っていた。ここならば安全だろうという気がした。しかし派出所のなかの巡査は彫像のように無表情になって、小さな椅子に坐っていた。わっしょ、わっしょ、安保、反対! 遠く日比谷の方から、また田村町の方から、霞ヶ関の方から、この四ツ角にむかって、無数の人波が押しよせてくる。ゴー・ストップの信号は意味もなく赤と青とに変っている。電車も自動車も通れない。これがすべて、政治に反対する民衆の流れだった。辛島君はこのまえ、議会前庭に乱入したとき、街の民衆が全く無関心で、さわいでいるのは僕たちだけだったと言って嘆いていたが、さわいで居るのは今では学生だけではないようだ。労働者、サラリマン、そして女たち。……私は女たちの姿に胸を打たれた。女も反抗しているのだ。事件はそこまで発展しているのだ。  私は自分が置き去りにされているのを感ずる。私も民衆のひとりだ。しかも私は民衆から離れている。私は孤独な自分をささえようとする。私には私の仕事がある。私は芝居をするのだ。私は政治的行動をしなくてもいい。そんな事は私の義務でもないし、責任でもない。政治のことは私には解らない。専門の政治家にまかせて置けばいい。私は芝居をするのだ。……  木戸さんが私の耳元で、群衆の叫びに消されないように声を張りあげて言う。 「新劇も劇団の連絡協議会ができたからね、ちかいうちに抗議集会があるそうだ。映画、音楽、文壇関係なんかも合流するんじゃないかな」  私はだまってうなずく。たくさんのプラカードが私の眼のまえを揺れながら過ぎてゆく。  再軍備絶対反対。打倒アメリカ帝国主義。  安保をつぶせ。保守党内閣退陣せよ。  瞞《だま》されるな。岸を、倒せ。……  一体どうしたんだろう、と私は思う。総理大臣や外務大臣の乗った飛行機は、もう太平洋の上を、ミッドウエーの近処まで飛んで行った。十九日にはアメリカのどことかで調印式がおこなわれる。ところが東京ではこの騒ぎだ。ちぐはぐな気持。政治と民衆とがばらばらだ。どうしてこんなことになったのだろう。  夜七時すぎ、アパートに帰る。辛島君の部屋には灯がついていない。私はひとりで食事をする。朝の御飯を蒸して、買って来たコロッケと奈良漬。それから安保問題を解説したパンフレットを探し出し、読んでみる。  正直に言って、私はよく解らない。こういう理屈だらけの本は読んだことがないので、とても読み辛い。しかしおよそのことは見当がつく。要するにアメリカはソ連や中共が出て来ないように、その力を押えて置きたい。その為には日本を味方につけて、日本の軍備を強力にして、日本とソ連中共とを闘わせるような方法をとりたいらしい。日本の工業生産力を味方につけることも大切だ。だから安保条約を改定して、いざという時は日米両国が一緒に戦争がやれるようにしようというものらしい。つまり日本をアメリカの手先にしようという事だ。そんな事を、なぜ日本の政府が承認して調印式に行ったのか。その辺がよくわからないが、誰かしら儲《もう》かる人が居るらしい。実業家か政治家か誰かが儲かるのだ。そして、日本の憲法は絶対に戦争をやらないときめているのに、安保改定をすれば、また戦争になるかも知れないという。みんなが怒る意味がすこし解った。私もやっぱり反対しなくてはならないような気がする。  十時、辛島君の部屋をうかがって見る。灯はついていない。扉をノックする。彼の部屋をノックしたのはこれが二度目だ。すこし気が咎《とが》める。返事はない。彼も羽田でつかまったのかも知れない。あんな優しい青年が、どうしてこんな激しい行動をするのか、不思議な気がする。少しばかり彼のことが気にかかる。  一月十七日——  朝刊を見ると昨日のことが詳しく書いてある。羽田空港において逮捕された学生たち七十七人。雨のなかを、まっさおな顔をして、トラックに乗せられ、警視庁に送られたということだ。警察は厳罰主義でやると言い、検察庁は厳しい処分をすると言っている。  私は隣の部屋をノックしてみる。辛島君は居ない。やはり昨夜は帰らなかったらしい。彼も厳罰を受けることになるのかも知れない。私はすこしずつ腹立たしくなってくる。こまかい事はわからないが、どうも政府の方が悪いようだ。学生は個人的な利害で動いているのではない。あれほど多数の青年たちが正義と信じていることは、やはり正義だろうと私は思う。  稽古場へ行く途中、まわり道して警視庁へ行って見る。二百人ぐらいの学生が玄関に群れて騒いでいるので、とても近寄れなかった。  夜八時、辛島君はまだ帰っていない。  一月十九日——  ラジオもテレビも新聞も、今日アメリカで行われている新安保条約調印について、書き立て、しゃべり立てている。何だか東京じゅうが騒然となった感じ。  白鳥座の事務所で木戸さんが謄写版を刷っている。抗議集会の通知状だ。細井まり子は封筒の宛名を書いている。私も手伝わされる。理事の奥田さんと小杉久雄君とは反対運動のための寄付金をあつめる段取りを相談している。文芸劇場の事務所から打合せの電話がかかってくる。  日比谷のあたり、国会のあたり、お濠《ほり》ばたのあたりは、いつ通って見てもデモ行進の人波がうごいている。私は不安な気持になる。革命がおこるのか、内乱がおこるのか、そんなことは解らないが、とにかくこれは東京からすこし離れた方が安全だと思う。しかし私には行くところが無い。日本中に、自分の場所といっては、アパートの四畳半だけしかない。  夜九時半、辛島君が帰ってきた。私の部屋をノックして、 「いま帰りました」と言う。  案外に明るい表情だった。彼は頭に白い包帯を巻いていた。警官の警棒でなぐられたらしいと言った。彼はその包帯を、むしろ自慢にしているようだった。昔風の言葉でいえば名誉の負傷というようなつもりかも知れない。 「留置場というところを、はじめて経験しました」と彼は微笑をふくんだおだやかな表情で言った。「人間の誇りも、自由も、権威も、なんにも無い、けだものの檻《おり》とおなじです。つまり、人間に対する侮辱です。あのくらい侮辱をうけると、却って自分というものを反省します」  彼のはなしの仕方は、このまえ会ったときとはまるで違っていた。どこかしら堂々として、落ちつき払っていた。派手な怒りや嘆きの表現はなくて、表現の全部が沈静だった。そのためか、急に大人になったような印象を私にあたえた。こういう辛島君を私は一度も見ていなかった。留置場が彼を大人にしたのかも知れない。 「取調べはありましたが、僕たちは全部、黙秘権を行使しました。何もしゃべらないんです。……留置場のなかに坐っていると、不思議な気持になります。自分が英雄的なものに思われたり、この上もなくみじめなものに思われたり、……そういう風に気持が乱れるというのは、人間が出来ていない証拠ですな。僕は自分の弱さというか、人間の弱さというか、そういう一種の、心の中の穽《おと》し穴みたいなものを、つくづく感じました」  私は感心して彼のはなしを聞いていた。未知の国のものがたり、アフリカ探検隊のみやげばなしを聞くような気持だった。そして、やはりこの人は男だと思った。彼のなかに眠っていた男らしいもの、行動的なもの、意志的なものが、安保闘争によって眼ざめさせられ、留置場によって鍛えられたのではないかと思われた。いつも見馴れている辛島君の、ねちねちした女臭いものが、どこかに消えていた。  私は留置場を知らない。見たこともない。しかしこの青年がその檻のなかで、ある時は自分を英雄的に感じ、ある時はこの上もなくみじめなものに感じたりしたという、その心境は察することが出来るような気がした。それは檻のなかの孤独に居て、あるときは空虚に耐えかねて苦しみ、あるときはみずから心を充たされて信念によみがえる、そうした心境の動揺を言っているのだろうと思う。空虚といい充足といい、この場合には、外的な条件とは関係なしに、自分ひとりの心の動きによってどちらにでもなり得るものであったらしい。  しかし私はその事にも疑いをもつ。自分の心を充たしてくれるものが自分の(気の持ちよう)だけであるとは思われない。外的な条件と、その条件に対処する自分の心の姿と、その二つの関係によって、空虚が感じられたり充足が感じられたりするのではないだろうか。辛島君の場合には、外的条件は檻である。留置場という拘束物である。それが彼の心に反射する。反射の受け取り方は一定していない。空虚を感じさせ、充足をも感じさせる。それを整理するものが彼の理性でなくてはならない。理性の整理がなければ反射は反射だけで終り、人間は外的条件の反射に負けたことになる。  彼はしきりに咳《せき》をした。 「風邪を引いたのね。早く帰って寝なさい」 「いや、今から銭湯へ行ってきます」 「お風呂はいけないわ」 「とにかく躰を温めたいんです。何だか骨の中まで冷えたような気がするんです。冷えるというのは辛いもんですね。夜なかにからだが冷えてくると、血が流れなくなったような気持ですよ」  そう言って彼は笑った。彼はこの数日の苛酷な体験に、負けてはいなかった。彼は遠からず、全学連のなかの幹部になるだろう。学校を卒業したら共産党員になって活躍するかも知れない。私はそんな気がする。私は共産党は好きでない。大きらいだと言ってもいい。しかし警察とアメリカとが、彼を共産党員に育ててしまうのではないかと思われる。  二月七日——  白鳥座の春の定期公演は坂本英次郎作「売られた土地」と決定。配役もきまった。私は出戻り娘千枝子という意地のわるい女の役。  新劇の連絡協議会が作った安保闘争のスケデュールがたくさんあるので、白鳥座の稽古の予定がたびたび狂ってくる。どちらに重点をおいたらいいのかよく解らない。私は安保闘争にはあまり興味がないから、稽古に身を入れてやりたいと思うのだが、藤岡さんをはじめとして木戸さんも坪井さんも、男の人たちは安保の方に一生懸命だ。北山真平さんが藤岡さんに、白鳥座は安保問題などに気をとられないで、芝居ひと筋にやってもらいたいという手紙をよこした。それで木戸さんをはじめ若い俳優がかんかんに怒っている。白鳥座はもう一本立ちできるし、一昨年から黒字になって居るんだから、北山真平と手を切ろうじゃないかという、強硬意見も出ている。私にとってはどっちでもいい。田辺元子の決断ひとつできまることだろう。  しかし安保問題でこんなにいつまでも世間が騒いでいては、定期公演をやっても切符が売れないのではないだろうか。この方は私たちの収入に関係する。赤字を出せば、北山真平さんの発言権が強くなる。変なはなしだ。  森下けい子の様子がおかしい。あまりおしゃべりをしなくなった。スラックスをはくのをやめて、ときどき和服を着て来たりする。ときおり、煙草をすいながら、はッと口を押えることがある。嘔吐《おうと》をもよおすらしい。私はひまな時、窓べりの日向《ひなた》ぼっこをしながら言ってみた。 「あなた、躰が悪いみたいね。どうかしたの?」  彼女はアイ・シャドウをつけた眼でじっと私の顔を見た。それから、挑戦するような微笑をうかべた。 「妊娠よ」と、投げやりな言い方をする。 「そうじゃないかと思ったわ。絶体絶命ね。どうするつもりなの?」 「産むつもりよ。はじめからそのつもりだもの」 「青山さんも承知なの?」  彼女は返事をしようとして、また嘔吐の発作をおこし、袖で口を押える。いやな姿だ。 「承知するもしないも無いわ。青山が煮えきらないからわたし、妊娠してやったのよ」 「定期公演はどうするの?」 「もちろん駄目よ。あしたあたりそう言って、配役を変えてもらうつもり。しばらく休業だわ」  私は何だか変な気持になる。森下けい子の考え方はどこか狂っているようだ。どこかに計算のまちがいがありはしないだろうか。青山圭一郎の彼女に対する態度がはっきりしなかった、それをはっきりさせる為に、つまり青山を逃がさない為に、彼女はわざと妊娠したというのだ。彼女は、子供がほしいから産むのでもなく、二人の愛情の自然な結実として子供を産むのでもない。彼女は策略として産むのだ。たとい彼女が期待した通りに青山圭一郎と結婚することができたとしても、その家庭は策略によって結ばれたものであり、その子供は策略が成長したものだ。そういう良人とそういう子供とが、彼女の心を充たしてくれるだろうか。  恋愛というものは、相手を捕まえさえすればそれで成功したというものではない。逃げ道を封じておいて、相手を監禁するようなかたちで結婚しても、愛情の充足も生活の充足もそこから育って来るとは思われない。結婚は、二人が同じようにそれを希望し、同じような喜びをもって結びつくのでなくてはならない筈だ。ところが森下けい子はすこしばかり誇らかな表情を見せて、こう言うのだった。 「何だか|あっち《ヽヽヽ》ではね、山岸美代が別居するとかしないとか言って騒いでるらしいの。とにかくわたし勝ったわ。完全な勝ちよ」  ああ……と私は思う。妻子のある男と恋愛をしたときには、女はもっとつつましやかであってほしい。ひとりの人妻を不幸にしているのだという反省を、すこしぐらいは持っていてほしい。森下けい子はまるで違っている。彼女は勝ち誇っている。しかし私は思う。彼女の青山圭一郎に対する気持は恋愛ではない。それはただ意地であり、勝負をつけようとしているだけのことだ。意地ずくの行為にも、勝負をつけようという闘いにも、それはそれなりの生き甲斐《がい》があり、心の緊張があるに違いない。しかしそれは本当に彼女の心を充たしてくれるような美しく、豊かなものではない。花が咲いたような楽しいものではないのだ。たのしさのない緊張、美しさのない生き甲斐。要するにそれは闘争することの生き甲斐だ。足もとがいつ崩れるかわからない、敵がいつ襲いかかって来るかわからない、そういう危険ななかで、危険なままで、一時的な勝ちを楽しんでいるだけのことだ。  私は山岸美代に忠告したかった。いま、別居をするという法はない。それでは彼女の全面的な敗北になってしまう。たとい森下けい子が青山の子を産んだにしても、山岸美代だって青山の子供を産んでいる。山岸は法律的にも社会的にも公認された青山の妻であり、十何年の結婚生活の歴史がある。どう比べて見ても森下けい子が勝ちだという計算は出て来ない。ただ、山岸美代が良人の不貞に我慢できなくなり、別居してしまう事によってのみ、森下けい子は勝てるのだ。  妻というものは気が短い。そして妻には妻の誇りがあり、わがままがある。彼女は自分のわがままに足をすくわれ、自分の誇りのためにつまずく。……私にはそれがよく解る。私はいくたびとなくそういう危機を経験した。だから私は山岸美代に忠告したい。本当に良人を愛しているのならば、わがままであってはいけない。短気であってはいけない。自分の誇りを守ることが、誇りを捨てることになってしまうのだ。わがままを捨てて、じっと自分の立場を守って行くことが大切だ。そして以前にも増して良人を愛することだ。彼女の立場は強く、安定している。森下けい子がどんなに騒いでも、私生児を産んでも、それは森下けい子の立場を一層わるくするだけのことだ。世間の人たちはこういう問題については道徳好きだから、ことごとく山岸美代に同情するだろう。森下けい子は(完全な勝ちよ)と言っているが、まだ勝負はきまってはいない。青山圭一郎がどう動くか。それは山岸美代がどう動くかによってきまることだ。 [#改ページ]     7  四月二十六日——  定期公演は社会不安の情勢が静まるのを待つために、六月まで延期と決定。きょうは稽古がない。午後はやく銭湯にゆく。隣室の辛島君は、この一週間ばかり姿を見せない。泊りこみで安保闘争をやっているらしい。そんな事をしたってどうせ駄目だと私は思っている。  石黒さんから電話。引越したから遊びに来ないかと言う。最近流行の、巨大なアパートのなかの部屋を借りたらしい。ひとり者が一軒立ちの家に住んでいるのは不便でもあり不自由でもあるという。私は石黒さんに最後の借金を返そうと思っていたところだ。五時に訪問の約束をする。  三万円の借金を返すのに一年かかった。吉岡は別れるときに、財産の分配はおろか、百円のかねもよこしはしなかった。そのくせ、毎年一度ずつクリスマスに会おうなどと言った。彼は女ひとりを街頭に放り出したことに、何の責任をも感じてはいなかった。そういう男だった。彼は|けち《ヽヽ》ではない。ただ彼の頭の中には経済という観念がまるで無いのだ。その点では原始人とおなじだった。彼に財産があれば、全部でも私にくれたかも知れない。それは他人から見れば彼の善良さであり、妻の立場から見れば彼の無能力さであった。  石黒市太郎はまるで違う印象だった。彼は気軽にかねを貸してくれた。そしてそれと同時に、(必ず返せよ)と念を押した。冷たい印象をあたえる言葉だった。しかし彼はそのあとで、(返せば今まで通り対等だからな。俺はそんなことでお前に恩を売りたくないんだ)と言った。男というものは何かにつけて女に恩を売りたがる。女に親切にしたがる。石黒さんはさかさまだった。私の困っている時、一番恩を売り易いときに、恩を売るのを嫌がる人だった。私は手も足も出なかった。石黒さんが女たちに好かれるのはそういう所かも知れない。彼は女と男とを区別しないような所がある。気がみじかくて、面倒くさい事はきらいなのだ。永年いっしょに暮してきた女房でも、別れるとなったら忽《たちま》ち別れてしまう。その点は吉岡と似ているが、石黒さんは執着を断ち切る、吉岡ははじめから執着をもたない。石黒さんも本当はつめたい男かも知れない。  四時二十分にアパートを出る。三十分もあれば先生の新しいアパートまで行ける予定だった。それが私の誤算だった。日比谷、銀座、新橋、虎ノ門、霞ヶ関、そのあたり一帯はほとんど交通がとまっていた。バスも電車もタクシーも、みんな止っていた。街という街はデモ行進の人々で埋めつくされていた。ひろい鋪装道路が見えないほどの人波だった。その大群衆が赤旗をなびかせ、プラカードを押し立てて叫ぶ。安保、反対、岸を、倒せ。……  女ばかりの集団もいた。エプロンをかけた小母さんたちだった。うちわ太鼓をたたいている坊さんの一団もあった。白髪の老人もいた。それから大学生と労働組合の青年たち、学校の先生たち、お役所の役人たち。ああ、これは大変だ、と私は思った。革命がおこりそうだ。岸内閣は明日にも総辞職するにちがいない。日本じゅうが反対しているではないか。東京じゅうが沸き立っているではないか。民衆の反抗、民衆の憤り。……  革命などというものはフランスかキューバかアルゼンチンか、とにかく遠いはるかなところで起るものだという風に私は思っていた。日本人がこんなに一斉に蜂起《ほうき》することがあろうとは考えても見なかった。私はあたらしく、日本人という人種を見直すような気持だった。たのもしくもあるし、恐ろしい気もする。  石黒先生のアパートは九階建ての巨大なビルで、先生の部屋は八階だった。窓をひらけば東京湾が見え、房総半島までも見えるような部屋だった。人間の住居というよりは鳥の住むところみたいだった。 「こんなところに永いあいだ暮していたら、先生はきっと神経がおかしくなるわ」と私は言った。  人間の背丈は五尺から六尺のあいだだ。しかしこの窓から下界を見おろすと、人間は平たくて海星《ヒトデ》のようなかたちをしている。エレベーターに乗って下界に降りたとき、ああ人間はこんなに背丈が高かったのかと、きっとそう思うだろう。高いところに居れば何でも見えると思うのはまちがいだ。高く上れば見えなくなるものも有る。私は、いくら房総半島がながめられても、ビルの八階などに住みたいとは思わない。  石黒さんの部屋は、応接室兼書斎、兼居間という十畳ばかりの部屋と、六畳のベッド・ルームと、バス・ルームと台所と、それだけだった。必要なものは全部そろっている。しかしどこもここも、女の眼から見れば、(何とか間にあう)というだけのものだった。楽しい場所というものはどこにも無い。 「どうだ。簡単で、さっぱりして居て、いいだろう。まあ坐れ」と先生は言った。「家財道具をたたき売って、やっとこれだけに整理した。有るものは机と本と寝牀《ねどこ》だけだ。人間はすべからく簡素に暮すべきだね」 「いつまで続くかしら」と私はつぶやいた。「私はコンクリートという物がきらいなんです。木と紙で出来た安っぽい家の方が性に合うわ。三十分も遅刻してごめんなさい。新橋も田村町もデモの人で一杯なんです。先生は今日は行かなくていいんですか」 「新劇はあさってだよ。じゅん子も参加するだろう」 「あら、私まで行くんですか。私なんか見物人だわ」 「まだそんな事を言っているのか。新劇関係の五十四の団体が結集して、新劇人会議というものが出来た。俺も主唱者のひとりだ。あさっては新劇団体全部が動員されるんだ。お前はいやなら参加しなくてもいい。しかし言っておくが、新劇は新派や歌舞伎とはちがうんだ。革新的な意慾、庶民的な抵抗の意識が無くなったら、新劇人としては落第だよ。おもしろい芝居をやってお客に見せるだけが能ではないんだ。民衆に何を訴えるか、何を考えさせるか。それが新劇の命なんだ」 「はい。私も参ります」と私は言った。私はすこし先生がこわかった。いつも冗談ばかり言っている人だが、こんな話になると先生は、まるで胸元に短刀をつきつけるような言い方をするのだった。私は突きとばされたような気がした。  安保反対の問題になると、石黒さんは眼の色が変った。この人が、こんな事に、これほどの熱情を示すということに私はおどろくのだった。そういう熱情が、劇作家としての石黒さんを今日まで支えて来たものであろうか。私はこの人の、こんなに男らしい姿を見るのははじめてだった。舞台稽古の演出をやっているとき、先生はほの暗い客席のまんなかに陣取って、大道具、小道具、照明から効果、俳優たちに至るまで、大きな声で叱りとばし、やり直しをさせ、気むずかしく叱言《こごと》をいい、さて最後には嬉しそうに、(よし、よく出来た。これで行きましょう。御苦労さん。この芝居はおもしろいぞ。とても面白い。うん!)と、みんなに声をかける。散々叱られた道具方や俳優たちまで、先生の声をきくとみんな嬉しくなってしまう。あのときの先生の態度に見られる一種の充実感。うらやましいほどの充実感。そして男らしさ。  しかし安保問題についての先生の態度はすこし違う。演出のときには気むずかしいけれども、先生はたのしい。安保問題にはひとかけらの楽しさも無い。先生は熱情をかたむけているように見えるが、心を充たしてくれるものは全く無いのだ。だから政治問題というものはつまらない。  私はハンドバッグから用意してきた四千円をとり出して、机の上に置く。 「ながいあいだ有難うございました。これ、お返しします。おかげで助かりました」 「これで全部か。おしまいか」と石黒さんは念を押すように言った。 「はい。おしまいです。利息はついて居ませんけど……」 「うむ。これでさっぱりした。お前にかねを貸してると、言いたい事も言えないからな」 「また、どうしてそんなことばかり言うんですか」と私はすこし腹を立てて言った。「言いたい事も言えないなんて、変だわ。何を私に言いたいんですか」  先生はマドロス・パイプに火をつけてから、まともに私の顔を見た。 「言いたい事が一つだけある。どうだ、俺の奥さんにならないか」 「冗談言わないで下さい」 「本気で言ってるんだ」 「うそです。先生は先生よ。私は先生のことなんか、一度も考えたこと有りません」 「そんなら今から考えたらいいじゃないか」 「先生なんか嫌いです。先生は愛人がたくさん有るんだし、奥さんを二度も離婚したりして、……二度あることは三度あるわ。私の兄が生きて居たら先生はそんなことを言わなかったと思います」 「じゅん子の兄貴が生きていたら、兄貴は賛成してくれるよ」 「うそです。……私は出戻りだから先生の奥さんなんかになれないんです。なっても、それが引け目だから小さくなって居なくてはならないんです。そんなこと、嫌ですわ」 「じゅん子がそんな風に断乎《だんこ》として拒絶するのは、借金が無くなったからだろう。俺はそれを待っていたんだ」 「借金が有ってもおことわりします」  私はなぜか息を切らしていた。心臓が破れそうな音をたてていた。 「そうか。どうしても嫌か」 「いやです」 「それじゃ仕方がない。俺は去年の夏の病気以来、素行をつつしみ、ひたすら斎戒|沐浴《もくよく》して身を清めて来たんだが、それはじゅん子を奥さんに迎える日のためだった。お前は何も知るまいがね。お前は知る必要もないし、知ったからと言って何の責任がある訳でもない。断わるのはじゅん子の自由だ」  先生は椅子を立ち、台所の入口にある電気冷蔵庫をひらいて、ビールを取り出した。 「チーズを食べるか、それともオイル・サージンがいいか。そのほかに有るものはバナナだけだ。じゅん子の好きそうな物は何も無いな」  淡々として、何のこだわりもない口調で先生はそう言った。それを聞くと、どういう訳か知らないが、私は胸元が|じん《ヽヽ》と苦しくなって、涙がうかんで来た。先生はビールを腋《わき》の下にかかえて、二つのコップを持ってテーブルに戻ってきた。 「さあ、安保反対運動の成功のために……という口実で、一杯やろう。ビールの季節だ」  先生は私のコップにも注いでくれて、私の眼のまえに差し出した。私は泣きそうになっていたので、コップが受け取れなかった。 「おい、どうしたんだ……泣いてるのか」  私の眼から涙がしたたり落ちた。私はわめくようにして言った。 「先生はどうして、私が吉岡と結婚する前に、そう言ってくれなかったんですか。いまになって、そんな事を言ったって、もう遅いわ」  先生はビールをテーブルに置き、私のうしろに廻って来て、私の肩を抱いてくれた。 「悪かったね。余計なことを言ったようだ。俺はいかにも放蕩《ほうとう》無頼で、じゅん子に求婚する資格はないかも知れん。まあ、一つ、あっさりと取り消そう。それでいいかい」 「わたし帰ります」 「うむ。……コップのビールだけ飲んで行け。じゅん子の健康を祝そう」  二つのコップをかちんとぶつけて、私は半分ほど飲んだ。そして直ぐに部屋を出た。先生はエレベーターまで送ってくれた。  外は日が暮れていて、青葉の風がやわらかく吹いていた。私はアパートのはずれの、コンクリートの高い塀《へい》にもたれて、少女のような姿で、しばらく泣いていた。私は不幸ではなかった。しかしどうしていいか解らなかった。石黒先生が私にあんなことを言う筈はなかったのだ。あの人と私との間には、何事も有り得ない、何事もおこり得ない筈だった。私はすこし腹立たしかった。私はもっとあの人を信じていたのに、裏切られたような気持だった。先生もやっぱり只の男だったのかという気がした。けれども私の心は甘く充たされていた。私は先生の提案を受け容れる気は毛頭なかった。これからは警戒して、なるべく近寄らないようにしなくてはいけないと思っていた。  先生は去年の夏ごろから、おかねを貸していると言いたい事も言えないと、たびたび言っていた。いまようやくその意味がわかった。先生は半年もまえから私に求婚する気があったのだ。しかしその事を今日まで、ひとことも言わなかった。私はすこし気の毒な気がした。(素行をつつしみ、斎戒沐浴して)私を奥さんに迎える日を待っていたというのは、先生の|でたらめ《ヽヽヽヽ》な|せりふ《ヽヽヽ》に違いない。私はそんな言葉を信じはしない。しかし先生の言葉が全部うそだったとは思わない。そうは思いたくなかった。私は先生の奥さんになる気は少しも無かったが、先生の気持だけは信じたかった。……私は支離滅裂だった。  田村町、日比谷、新橋のあたりは、夜になってもまだデモ行進の人波がながれていた。  アパートに帰ると、八時にもならないのに、私はすぐに牀を敷いて横になった。眠たいわけではなかったが、何だかくたくたになっていた。牀にはいって、何ものにも邪魔されないようにして、今日のあのショックをもう一度味わってみたかった。私はとにかく、当分のあいだ絶対に石黒先生に会わないという決心をした。あのひとは二度も離婚をした。私は三度目の妻になって三度目の離婚の相手にされることだけは、絶対おことわりしたい。良人の情事には、私は吉岡のことで散々いやな経験をしている。またもう一度、そういう放埒《ほうらつ》な良人をもつ気にはなれない。とにかく、もうこれ以上考える必要はない。先生は最後に、(あっさり取り消そう)と言った。話は終っているのだ。……  しかし私はそれと同時に、一つの不安を感じていた。石黒さんの提案を拒絶することが、二人のあいだの絶交状態をみちびくことにならないか。これまで何かにつけて私を庇護《ひご》してくれた、後見人であり相談役であった大事な人を、今日かぎりで失うことになるのではなかろうか。もしそうであっても、それは仕方のないことだと私は思った。私は孤独であり、孤独であるのが当然であった。私は、もし宇田さんから正式に求婚されても、やはり断わろうと思った。石黒先生をさえも断わったのだから、宇田さんを断わるのは当然だと思った。宇田さんはその後、何の意志表示をもして来ない。そういうはっきりしない所が、あの人らしいと私は思っていた。  四月二十八日——  はじめてデモ行進に参加した。政府に対して直接に反対する行動をとったのはこれがはじめてだった。みんなと一緒に歩いていると、気持がはずんでくる。しかし正直に言って、こういう事は私はあまり好きではない。  国会議事堂の面会所で、反対の請願書に署名する。何だか悪いことをしているようで、気が咎《とが》めた。  石黒先生は凄《すご》い演説をした。たった十分くらいだったが、堂々としていて立派だった。私は遠くから見ていて、何だか変な気持だった。私と二人のときにあんなことを言った人と、いまのこの人とが、二重人格みたいに思われて、おかしかった。人間なんて本当は全部、二重人格かも知れない。  行進する四列縦隊のなかで、青山圭一郎と山岸美代とがちゃんと並んで歩いているのを見た。私は胸を打たれたような気持だった。十年を経た夫婦というものは、もはや他人でもないし、もはや二人でもない。(二人は一体になって)いるのだ。森下けい子が少しぐらいじたばたしても、また青山圭一郎がふとその方に感情をひかれることがあったにしても、それ位のことで彼等の結びつきの糸が切れるわけではないのだ。森下けい子の負けだ、と私は思った。彼女はもう半月以上も白鳥座には顔を見せていない。入院したという噂《うわさ》も聞いた。女の恋はむつかしい。すこしでも非常識な道を行こうとすると、大変な犠牲をはらわなくてはならない事になる。里村春美の恋も命がけの犠牲をはらった。女は恋愛の主動者ではなくて、受動者だ。したがって、常識的な安全な恋愛からはずれたものは、大きなあやまちになり易い。女の自由も女の平等も、どこかそのあたりに限界があるような気がする。  五月一日——  日曜日とメーデーがいっしょになった。東京で六十万人、全国で五百万人が参加したという。私はメーデーなどに関心をもったことは一度もなかった。今日も参加はしない。安保批准反対運動のため、白鳥座の食堂で謄写版をすり、講演会の入場券に印を捺《お》す。日米安全保障条約改定に反対する意味がすこしずつ解ってきた。反対する人たちの考え方もわかるが、賛成している人も相当ある。反対運動をするのもいいが、それより先に、賛成している人たちと協議して、話を一つにまとめる事はできないのだろうか。  夕方、望月さん、木戸さん、笠原さんと銀座へお茶を飲みに出る。銀座通りはふだんの日の三倍の人出。みんな旗やプラカードを持っている。この人波のなかで、私は吉岡弦一を見かけた。デパートの玄関から出てきたところだった。若い女がいっしょだった。私はまずその女がどんな女であるかという事を見定めるのに、神経を集中した。言うまでもなく、それは私の嫉妬《しつと》だった。吉岡と私はいま何の関係もない。それでも私は嫉妬する。理屈ではない、本能的な嫉妬だった。私は凄い顔をしていたかも知れない。その女の正体を見定める方法は、遠くから観察することだけだ。髪のかたち、化粧の仕方、洋服の好みと価額。装身具の好みとその値段。ハンドバッグ。靴。歩き方。連れの男に対する態度、眼の配り方、物の言い方。……観察によって解らないことは一つもない。  背丈は中くらい。撫《な》で肩で胴長。痩《や》せていて、色は黒い。色の黒い女は、きっと化粧を濃くしている。髪を赤く染めているのは水商売の女だ。音楽喫茶かキャバレーか酒場の女。デパートの店員ではない。装身具は下等。真珠はイミテーション。指環もおなじ。ネックレースはもっとひどい。ハンドバッグはエナメルの安物。スカアトが短かすぎる。ハイヒールはサンダル型で、ヒールが高すぎる。総体的に言って貧弱な女。飾りが多すぎるのは教養の低さを示している。収入は月に二万円かせいぜい二万五千円まで。吉岡との関係は、他人同志ではない。すくなくとも他人同志でなくなってから一カ月は経っている。性質は……何と言おうか、唯の牝《めす》だ。どうせ永続きする関係ではない。吉岡はもう誰かほかの女に気をひかれていることだろう。吉岡は本当は、痩せた女は好きではないのだ。  吉岡自身は、まずまずという服装だった。コンビネーションの靴、赤い縞のネクタイ、グリーンの上着にグレイのズボン。私はあの上着を知っている。カメラ雑誌も何とかうまく行っているらしい。女に対する態度は事務的で、すこし退屈そうだった。いつもの癖だ。  十秒か十五秒で、彼等は人ごみの中に消えて行った。それを見送って、私はいま本当に吉岡と別れた気になった。今日かぎり、文字通り赤の他人という気がした。過去において沢山のいきさつが有ったという、その事さえも消えて無くなったような気がした。クリスマスに会うことは勿論《もちろん》、街で出会っても、挨拶をかわす必要もなくなったという気持だった。一種の欠乏感。……しかしそれは悪い気持ではなかった。心の中の古いごみを、さっぱりと大掃除したような感じでもあった。  喫茶店でみんなとお茶をのみながら、私はしきりにおしゃべりだった。それは、さっき吉岡を見かけたという事実を、早く忘れてしまいたいからであった。  五月四日——  夜十時すぎ、電報が来た。電報配達人は、返信料つきのウナ電だから、すぐに返信を書いてくれという。 (サトコソチラニイツタカ、ヨウスシラセ」イトウヨシヒサ)  私は何も知らない。柳田里子は去年の秋のはじめ、北海道まで放浪の旅に行ったことは知っているが、その後は消息不明だった。京都で無事に暮しているものと思っていたが、電文で見ると家出をしたような様子だ。家出の理由は知らないが、彼女がどうにもならない退屈に苦しんでいたことだけは察していた。その退屈を、去年の秋からいままで、八カ月もほったらかして居たものとすれば、それは良人の怠慢だ。家出をした柳田里子は、どれほどの激しい欠乏感に悩んだことであろうか。独身の女は退屈してもかまわない。将来の結婚を考えることによって救われる道がある。結婚した女の退屈には救われる道がない。結婚生活を破壊して出直すより仕方がないのだ。  返電を書いて配達人にわたす。 (サトコサンコナイ、ヨウス一サイワカラヌ」アサクラジ ユンコ)  五月八日——(母の日)  石黒さんからの手紙。……  前略、その後はいかが、君のような傍観的な人物にとっては馬鹿騒ぎに見えるかも知れないが、小生は目下万事を抛擲《ほうてき》して安保闘争をやっている。手伝ってくれとは言わないが、見物している心境もあまり良いものではあるまいと思う。多分、安保は国会を通るだろう。だからと言って抵抗をやめるような悧巧《りこう》さは、僕には無い。  ところで、今日は一つ君に御相談だが、君もたしか今年は二十八か。もうそろそろ再婚のことをまじめに考えて宜しい時かと思う。女優として大成するための努力、もとより結構であるが、だからといって独身を主張する必要もあるまい。結婚にはそれ相当の犠牲もあるに違いないが、女優としての公的生活のほかに、個人的生活の幸福をもとめて悪いという法はない。  あまり正直な口を利くと却って恨まれることもあるかも知れないが、それを承知の上で正直な忠告をしてくれる人は、まず世間には無いものだ。殊に君は親も兄弟もない身の上であって見れば、肉親に代って敢えて苦言を呈するものが、一人くらいは君のために必要だと思う。失礼ながらそれを言える人物は、僕だけではなかろうか。その意味において僕は責任を感じ、君の反撥を予想しながら苦言を呈したいと思う。  要するに、君は女優として或る程度の才能をもっていることは僕も認める。努力次第によっては更に世評を高めて行くことも不可能とは思わない。しかしながら君は大女優の風格を生れつきにして備えているという訳ではない。鎌田鈴子のごとき、又は田辺元子のごとき大女優はきわめて稀《まれ》に現われる才能であって、その他はまず五十歩百歩、兄《けい》たり難く弟《てい》たり難い程度のもの。時に人気が出たり、また人気が衰えたり、不安定な役者暮しをやっているだけのものであろうと思う。  そして、その程度の女優の仕事のために、個人的生活や私生活一切を犠牲にささげるのは、少しばかり犠牲が大きすぎる。私生活を犠牲にすれば女優として大成するかの如くに考えるのは、一種の幻想であると言わねばならないでしょう。  そこで、君に再婚をすすめます。  思うに君は、家庭の人として、妻として、あるいは母として、充分に才能ある人であるようです。家庭人であることと俳優であることとを、どうやって両立させるか。それは生活技術の問題であって、君は自分の賢明さによって、それを解決する道を発見し得ることでしょう。僕は特に、君が人間の母となることをすすめたい。母となることによって君は、女性として完成するであろうし、同時に女優としても大きな進歩をするに違いないことを信じている。田辺元子はあれほどの大女優であるが、彼女の唯一の欠点は子供をもったことがないという事から来た気の強さです。母親は、母親であるということから来る、巨大な弱点をもっている。その弱点が女性を劇的なものにするのだと僕は思う。君は結婚という、やや劇的な経験をもっているけれども、より複雑で本質的な母という体験をもっていない。母になるということは、性生活などという軽薄な言葉では表現し切れない、もっと大きな、人類的な生活であると僕は思う。  君の配偶者にふさわしい、すぐれた人物を紹介したい。  橋本幹雄君。……名前だけは君も知っているだろうと思う。三十七歳。K大学講師。仏文学者。殊にフランスの戯曲の翻訳で知られている。僕とは十年来の友人。一昨年夫人が病死して、その後ずっと独身。子供はない。青森県の出身。したがって言葉には多少の東北なまりが有る。特に財産というほどのものは無いが、一応は安定した経済生活をもっている。  君は、いわゆる見合結婚など、いくらすすめたってやる女でないことは知っている。だから僕はただ、君と橋本とが知りあいになる機会を与えたいと思っているだけだ。あとは二人が勝手にきめるがいい。橋本は日にやけてはいるが東北系の色の白い美男子で、柔道三段。夏のあいだは日本アルプスに登ったきり、降りて来ないような男だ。登山家というやつは一種の孤独癖をもっているのではないかと僕は思う。  死んだ女房とはうまく行かなかったらしい。その事が彼を登山家にしてしまったのかも知れない。じゅん子が彼の妻になったら、彼の登山熱がさめるという事もあり得るだろう。だが彼は、じゅん子の言いなり放題になるような男ではない。その点、宇田貞吉とはすこし違う。前に僕が忠告した通り、いささかあくの強い、女房が手を焼くようなところも持っている男だ。若いときは一升酒を飲んだ。いまは自重しているらしい。身長五尺六寸ぐらい。  僕が彼をすすめる理由は、彼が誠実な男だということ。僕は誠実さのない男とはつきあわないことにしている。女は少々不誠実でも僕はそれなりにつきあって行けるが、不誠実な男は|ひび《ヽヽ》の入ったガラス瓶みたいに、使いものにならないと思っている。殊に女から見て、不誠実な男は配偶者たるの資格がない。橋本は東北人的な、いささか鈍重な誠実さをもっている。しかも戯曲の訳者としての芸術的感覚はまことに豊富だ。君があいつの女房になるということを考えると、僕はほほえましい気がするのだ。…… 石黒先生へのお返事。(速達)……  御親切なお手紙、まことに有難う存じました。御好意のほど、身にしみて感謝しなくてはならない事かと存じます。でも、先生はどうしてこんなにも御親切なのですか。私が頼みもしないのに、まことに理想的な紳士を世話して下さるというのは、並々ならぬ御好意と、心に銘じて居ります。  橋本幹雄さまに、どうぞお伝え下さいませ。(御縁があったら、あの世でお眼にかかりとう存じます)と。……私の生きている限りは、決してお会いすまいと、私は決心致して居ります。先生は、お前も二十八だから再婚を考えろとおっしゃって下さいますが、いまのところそういう考えは毛頭ございません。女優という公的生活のために私生活を犠牲にしようなどとは、考えたこともありませんが、結婚生活をもつことによって、更に母となることによって、女優として大成するかも知れないようなお言葉は、先生らしくもない変なおはなしではないでしょうか。母になるのは、母となるためになるのであって、女優として大成するために子供を手段に使うような考え方は、いかがなものでございましょうか。私は、母になりたい時に勝手になります。その時は女優の仕事など、棄て去ってもかまわないと思って居ります。  先生がそれとなく言っていらっしゃる通り、私には大女優の素質などはございません。一生かかっても凡くら女優でございます。したがって、良き配偶者を得て母となる日がまいりましたならば、みずから糠《ぬか》みそ女房に転落することをも厭《いと》いません。何で私が、子供を産んでまで大女優たらんことを心がける必要があるのでしょうか。  橋本幹雄さんは大変に誠実なお方でいらせられます由、結構なことと存じます。私の知っている範囲では、宇田貞吉さんも大変に誠実な人でいらっしゃいます。誠実が男性として第一の美徳であるのならば、なぜ先生は私と宇田さんとのことについて、あれほど強硬な反対をなさったのでしょうか。  御懇切なお手紙、失礼ではございますが、私はこなごなに引き裂いて、紙屑《かみくず》かごのなかに叩き込んでしまいました。先生は許して下さらないかも知れませんが、私は正直に御報告申し上げます。一体どういうおつもりで、私に縁談を世話しようなどとお思いになったのですか。  先生は、何だか私のことを、誤解していらっしゃるように思われます。二重三重に誤解していらっしゃるようです。もしそれが誤解でないとおっしゃるならば、このお返事が同時に、縁切り状だと思って下さい。  この前、先生の新しいアパートで、先生は突然、思いもかけないことを私におっしゃいました。私はびっくりして、まるで少女みたいに、しどろもどろになってしまい、辻つまの合わないことを申し上げて、お部屋から逃げ出してしまいましたが……エレベーターで下へ降りると、コンクリートの塀にもたれて、しばらく泣いて居りました。何かしら無茶苦茶に口惜《くや》しく、悲しい気持でした。先生に腹を立てていたのではなくて、自分に腹を立てていたのでした。これまで過してきた二十幾年の生涯を、あのときほど激しく後悔したことはありませんでした。吉岡弦一に裏切られた不幸のさなかでも、私は死を考えたことはなかったのに、先生からあんなお話を聞かされたとき、私は生れてはじめて、死にたいと思いました。  あの日から今日まで、私は冷静さをとり戻そうと努力してまいりました。結局わたしは自分ひとりの孤独な生涯を、何とか上手に築いて行かねばなるまいと、思いさだめて居たところでした。そこへ今日の先生からのお手紙でした。あのとき私が、先生の御言葉を拒絶したことを、先生は一体どういう意味に考えていらっしゃるのでしょうか。(俺はいかにも放蕩無頼で、じゅん子に求婚する資格はないかも知れん。あっさり取り消そう)……私はあのお言葉をおぼえて居ます。私がそのために先生を拒んだのだと、先生は本気で思っていらっしゃるのでしょうか。そして今日は橋本幹雄氏を紹介して下さいました。石黒先生よりももっと条件の良い男性を私が探していたとでもお考えなのでしょうか。私は口惜しくて、涙が出ました。  私ははっきり申し上げて置きます。どうぞ今後、どれほど立派な男性が現われて来ても、たとい王子さまのような、英雄のような、神のような男性が現われて来ようとも、私との縁談は一切おことわり申します。私は自分を知って居ります。高望みなぞは致して居りません。橋本幹雄さんよりはいろいろ条件は悪いけれども、私には宇田貞吉さんの方が似合いの配偶者だろうと思っております。しかしその宇田さんとも、いまのところ結婚する気持はございません。当分わたしはひとりで生きて参ります。その位の自信はございますから。……  私は何度も涙をふきながら手紙を書いたのだった。石黒先生がこれを読んだらびっくりして、本当に縁切りになるかも知れないという気がした。私は腹をたてていたから、縁が切れてもかまわないと思っていた。誤解されたのが口惜しかった。男なんて、馬鹿ものだと私は思っていた。考えようによっては滑稽でもあった。橋本幹雄なんて、どこの馬の骨だか私は知らない。そんな男をまじめくさって紹介してよこす石黒さんの馬鹿正直さが、腹立たしくてたまらないのだけれど、しかし嫌いではなかった。あの人は狡《ずる》くはないのだ。  手紙を書き終って、そのまま郵便局へ走って行って、窓口に投げこむようにして速達をたのんで、その帰り道はひどく孤独な気持だった。アパートに帰りつくと、扉に鍵《かぎ》をかけて、私は畳の上にどたんと仰向けに横たわった。なにもかも、おしまいになったような気持だった。  私の胸のなかには一つの空洞がある。永いあいだ、そっと大切に、触れないように要心していた空洞だった。このあいだ先生のアパートで、あんな事を言われてから、その空洞が痛み出して、どうすることも出来ない。先生は浮気もので、あまり多勢の女たちに人気があり過ぎる。仕事の上ではあまりに偉すぎる。私とは縁のない人。私はきらいだ。しかしその嫌いな所をのぞけば、好きでたまらないのだ。私とは縁の無い人で、赤の他人であるという事を前提にすれば、好きでたまらない。しかしあの人を良人にする気はない。私は吉岡に裏切られた。石黒さんはまた私を裏切るだろう。吉岡の裏切りは私を殺しはしなかった。彼から受けた傷は致命傷ではなかった。けれども石黒さんに裏切られたとき私は生きては居られない。私にはそれが解る。吉岡の裏切りは、私の夢が破れたことだった。石黒さんの裏切りは、私の生活が破れることだ。私はそれだけのものを、あの人に賭《か》けないでは居られない。だから、あの人に近づいてはいけない。  森下けい子は彼女の人生を、青山圭一郎に賭けてしまった。そして見事に失敗した。彼女はもう二度と立ちあがることが出来ないだろう。里村春美は小寺という男に、彼女の人生を賭けた。そしてたちまち失敗し、自殺をはかった。彼女もまた二度と立ちあがることは出来ないだろう。いつの時代でも、どこの世界でも、女たちは激烈な恋にあこがれて来た。命がけの恋に心を燃やし、その事によって生命の充足を感じてきたのだった。  しかしながら、激烈な恋は女を生かすものではなくて、多くの場合は女をほろぼすものだった。激烈な恋は同時に危険な恋だった。女をほろぼす恋だった。そういう恋に命を賭けてはいけない。石黒さんは私をほろぼそうとしている。(一瞬のうちに、無限の快楽を発見する者にとって、永遠の刑罰が、そも何であろう)……こういう美しい言葉の誘惑に負けてはいけない。永遠の刑罰に、私は耐え得ないのだ。  たくさんの事が思い出される。去年の二月、私が吉岡と別れようとしたとき、あの人は私を叱りつけたのだった。(吉岡と別れたりしたら、俺はもうお前とつきあわねえぞ。いいか、馬鹿野郎)……あの冷淡な言葉の意味が、いまようやく、私に解るような気がする。あんな冷淡なことを言って置きながら、私が本当に別れたときには、黙っておかねを貸してくれたのだった。あの頃からあの人は、私を愛していたのかも知れない。それを、まるで逆なやり方で表現していたようだった。  私には解る、あの人はそういう人なのだ。少しでも狡猾《こうかつ》な、策略をもちいたような事をしたがらない、それを毛ぎらいする人なのだ。おかねの事だってそうだった。(必ず返せ。返せばいままで通り対等だからな。)……そう言って貸してくれた。それから後は、(お前にかねを貸していると、言いたい事も言えない)と、何度くり返したか知れないのだ。  普通の常識からいえば、さかさまだ。借りている側が、言いたい事も言えない。あの人は逆だった。貸したおかねの力で女を口説き落すなどという下劣なことを、何よりも嫌がる人だった。あの人のあの清潔さに、私は抵抗できない。  私があの人の申し出をことわったとき、(そんなに断乎として拒絶するのは、借金がなくなったからだろう。俺はそれを待っていたんだ)……あの人は眼に笑いを見せてそう言った。私の拒絶を予想して、存分に拒絶させて、それであの人は満足していたのだ。何という男だろう。そして、何のこだわりもなく、ビールとチーズとを冷蔵庫から取り出して来たのだった。  吉岡と別れることに反対したのも、実はそういう考慮があったかも知れない。私の離婚に賛成したとすれば、あの人はもう私に求婚することは出来ないのだ。(別れさせておいて、求婚する)という事の不潔さに、あの人は耐え得ないのだ。……神経質なひとだ。大ざっぱなようで、どこか投げやりなようで、実はおどろくほど細かい神経をもっている人なのだ。私は何だか、この一年あまりかかって、徐々に徐々に、あの人が仕掛けた罠《わな》にかけられて来たような気がする。いまではもう、私はあの人から離れられないのではないだろうか。しかし、或る一定の距離は保っておかなくてはならない。  五月十一日——  北山真平氏|急逝《きゆうせい》。脳出血。  かわいそうな人だったと思う。結局、あの人はさびしかったのだ。それは私たちにも解っていたけれども、あの人の希望を充たしてあげるわけには行かなかった。あの人は白鳥座の女優たちを次から次へと誘惑しようと試みたが、だれひとり応ずる者はなかった。おかねは沢山あったが、まるで魅力のない人だった。そういう自分の欠乏感を、女を手に入れることで充たそうと試みていたのかも知れない。しかし多分、誰かを手に入れたところで、あの人の心の空虚は充たされはしなかったろうと私は思う。  奪い取ることによって、心は充たされない。むしろ与えることによって、犠牲をはらうことによって、充たされることの方が多いのではないだろうか。あの人は何年かにわたって白鳥座の借金を背負ってくれた。そのことによってあの人は自信をもち、満足していた。それだけで満足していればあの人は立派だった。みんなが尊敬するはずだった。  北山さんは去年の六月ごろ、細井まり子を誘惑した。二十万円を添えて、きれいなアパートの一室を彼女に提供したいという申し出だった。細井まり子は私にむかって訴えた。(ねえ、わたし怕《こわ》いわ。どうすればいいかしら……)いつでもそういう具合だった。北山さんの考え出した好意にみちたような提案が、女たちをこわがらせるのだった。あの人は女の心を捕える方法をまるで知らない人だった。あの人は本当は悪い人ではなかったかも知れない。女たちに贈物をしたり、御馳走したりしたことは無数にあったけれども、危害を加えたことは一度もなかった。そのくせ女たちから徹底的にきらわれ、軽蔑《けいべつ》され、悪い人のように思われていた。その意味では悲劇的な人だった。あの人の、どこが悪かったのだろう。  多分あの人は、もっとおかねが無い方が好かれたのではないだろうか。かねが有るという自負が、あの人の人格をいやらしいものにして居た。変な言い方をすれば、かねがあの人の心を充たしていた。女ははいり込む余地がなかった。味気ない人だった。  田辺元子と藤岡理事とが弔問に行った。二人とも、あの人が亡くなって、肩の荷がおりた思いだったに違いない。田辺元子の車に二人で乗って、出かけて行った。彼女は黒の紋服を着ると冴《さ》え冴えとして、舞台よりも美しかった。何かしら、(鍛えられた女)という印象だった。  五月二十日——  午前九時に放送局からアパートに電話がきて、午後八時に予定されていたラジオ・ドラマ「驢馬《ろば》に乗った男」の放送が、突然とりやめになった。どうしたんですかと問うと、安保問題が重大になってきたからだと言う。  安保問題もとうとう私の生活に影響するようになってきた。白鳥座の定期公演も延期されている。あれやこれやで私の収入は二万円も減っているのではないだろうか。政府がわるいのか民衆が悪いのか、私は知らない。しかしこの数日、国会のまわりはデモ行進の人波で埋まっているらしい。この人たちが全部まちがった考えをもって居るとは言えないだろう。石黒先生からは何の音沙汰もない。あのひとも安保問題でとびまわっているのだ。私の手紙に返事を書くひまもないのか。女の気持なぞは無視しているのか。それともあれっきりで縁が切れてしまったのか。もしも私のことなど顧みる暇がないのだとすれば、それも安保問題の影響だ。民衆の大きな渦巻きが、無関係な私までも押しながして行く。  夜は予定されていた時間があいたから、映画を見に行く。街という街は、旗やプラカードをかついだ人たちで一杯だった。小雨が降りつづき、行列する人たちは頭から肩から、しずくが流れ、湯気をあげていた。この人たちは、どうしてこんな事に、こんなにも熱心なのだろうかと、不思議な気がする。  映画館にはいってみたが、私はおちついて映画が見られなかった。いま見て来たばかりの、ずぶぬれの大群衆が眼にうかび、気持がさわいでいた。アメリカ映画の派手なラブ・シーンなどが馬鹿くさく見えて、何の共感もなかった。私はやはり日本人であり、日本の民衆のひとりだった。民衆の憤りが、いつの間にか私の心にも火をつけていたようだった。私はまだ燃えてはいない。しかし、冷静さを失っていた。  三十分あまりは我慢して映画を見ていたが、こうして坐っている自分がおろかしく思われてならなかった。私は暗いなかを足さぐりしながら、外に出た。  時計は八時ちかかった。映画館の外の通りは、相変らずあふれるほどの群衆だった。ここはもうデモ行進を終って、解散した人たちの通り道であるらしかった。しかし彼等はまだ肩を組み、腕を組み、シュプレヒコールを合唱していた。(岸を、倒せ、安保、つぶせ……)  私は自分で、この群衆のなかにはいり込んだ。私は傘をさすことが出来なかったので、レインコートを頭からかぶった。若い女が、私の顔も見ずに私の腕に腕をからんだ。どこかの女工みたいな女だった。彼女の白いゴムの雨靴が、すこし破れていて、歩くたびにごぼごぼと音をたてていた。(安保、反対、岸を、倒せ……)彼女はもう声が涸《か》れていた。  群衆の流れは大通りへ出た。私もまた押しながされるようにして大通りへ出た。たちまち私は水たまりに左足を踏みこんで、靴のなかは水びたしになった。私はすこし後悔していた。電車もバスもタクシーも、四つ角の赤と青の信号すらも、私たちを黙って通してくれた。このデモ行進は無届けだった。許可されていない道を行進していたのだが、巡査は黙って見ていた。どこへ行くという当てもない群衆が、ただ憤りにまかせて街を練り歩いていた。(岸を、殺せ、岸を、殺せ!)  三十分あまりも揉《も》まれながら歩いて行って、私はすっと群衆の中から抜け出した。私は汗をながし、息を切らしていた。それから暗い横丁をぬけ、みじめな気持になって、傘で顔をかくすようにして歩いた。私は国会の方へ行ってみようかと思った。行けば、石黒さんに会えるかも知れない。しかしあの人は私のことなど、もう全く考えて居てはくれないかも知れないのだ。  私はバスに乗って、アパートに帰り、それからぬれた服を着かえて銭湯へ行った。銭湯のなかは全く平和で、安保問題の片鱗《へんりん》もなかった。裸の女たち、腹の皮のたるんだ中年の女たちが、子供のはなしばかりしていた。私は冷えたからだを充分にあたためてから、孤独な気持になってアパートに帰った。私の耳の底にはまだあの群衆の合唱がいんいんとひびいていた。(岸を、殺せ、岸を、殺せ……)その、(殺せ)という言葉のおそろしさが、刃物のように私の気持に突きささっていた。私は本当に、胸のあたりが痛かった。  私の部屋のドアが叩かれたのは十一時まえだった。辛島君がずぶぬれの学生服を着て立っていた。 「窓に灯がついていたから叩いてみたんです」と彼は言った。  私は急には声が出なかった。私はこの青年から、こんなに男らしい印象をうけたのは始めてだった。彼は見るかげもないほどよれよれになって居り、顔色は青ざめて、表情はとげとげしく、痩《や》せていた。扉にもたれかかって喘《あえ》ぐような息をしながら、弱々しく微笑して、 「もう、帰って寝ます」と彼は言った。「自分でも、よく続くなあと思いました。……ゆうべは徹夜です」  私は眼を据えて彼を見た。安保反対運動が良いか悪いか、それは別として、ともかくもこの男は精根をつくして闘って来たのだ。そしてくたくたになって戻ってきたのだ。疲労し切った男のすがたには、一種のなまぐさいほどの魅力があった。私は彼を放っておけなかった。 「着かえていらっしゃい。風邪をひくわ。おなか、空いていないの?」 「昼から何も食べていないんです」と言って、彼は自嘲《じちよう》するような笑顔を見せた。 「駄目だなあ、そんな事をして。あなた、馬鹿ね」と私は言った。「早く着かえていらっしゃい。何かあたたかい物をこさえて上げるわ」  私はいそいで台所へ行った。三尺に六尺しかない小さな台所だ。私は頭のなかで即席の食べものを考えた。つめたい御飯が残っている。ハムと玉ねぎとを小さく切っで、御飯といっしょにバタでいためよう。それから熱いおつゆ。|かきたま《ヽヽヽヽ》ならばすぐに出来る。私はガスに火をつけ、フライパンをのせ、ハムを刻む。私は涙が出そうになっていた。辛島君をはげましてやらなくてはならない。疲れ切っているあの男を元気づけてやらなくてはならない。明日もまた、彼は出かけて行くことだろう。彼ばかりではない、何万という学生たちが出かけて行くのだ。やがて、彼等の力によって社会が動かされる。日本の社会が、彼等の力によって変えられて行く。どう変って行くのか、私は知らない。しかしともかくも、別の、新しい日本が育てられて行くだろう。私は反対しない。反対しないだけではなく、私はその時が来ることを期待しよう。……二時間あまり前に、ずぶぬれの群衆にまじってデモ行進をした、あのときの興奮が私の心によみがえってきた。群衆の叫びが新しく私の耳の奥からひびいて来るようだった。(安保、反対、岸を、倒せ)……  吸物の鍋《なべ》が煮えるあいだに、私は小さな鏡台の前へ行き、急いで化粧をし、口紅をぬる。この夜更けに、私はひとりの学生のために化粧をするのだった。そのことに、私は何となく心を充たされていた。そして、小さな幸福を感じていた。辛島君は絣《かすり》の着物の袖から白いシャツを見せて、すこしさっぱりした姿になって戻って来た。それから畳の上に|どたん《ヽヽヽ》とあぐらをかいて、背を丸め、溜息《ためいき》をつき、煙草をすった。私は出来たばかりの食べものを食卓に並べてやる。 「今日は何をして来たの?」 「今日じゃないんです。きのうからです」と彼は言って、箸《はし》をとった。  私は眼をすえて彼を見つめていた。どうしてこんなに男っぽくなったのか、不思議だった。自信ができて、どこか安定して、図太くなって、女など見向きもしないような、ふてぶてしい感じがした。何かしらが、彼を充たしている。彼はくたくたに疲れて居りながら、自分で満足しているものがあるようだった。私はすこし口惜しかった。  彼の話によると、昨日の夜から今日の朝にかけて、政府与党は国会内で、多数の力によって無茶苦茶なことをやったらしい。辛島君の説明は私にはよく解らないが、五百人の警官を国会の中に入れ、反対党の力をおさえておいて、単独採決だとか会期延長だとか、勝手にやってしまったらしい。  夜通し、学生たちは国会のあたりに坐りこんで居た。そして今日の午後、とうとう彼等は首相官邸の通用門をこわし、三百人ばかりの集団が官邸の庭まで押しこんだ。そのもみあいで、警官にも三十人ぐらい、学生にも二十五、六人の負傷者を生じ、官邸の庭を血に染めたのだという。 「あなたも中にはいったの」 「ええ」と彼は短く答える。 「それじゃとにかく、安保条約は議会を通ったのね。騒いでみたけど、役に立たなかったというわけね」と私は言った。 「ちがいます。今からですよ。こんどは参議院ですからね。必ずぶちこわして見せます」と彼は言った。  そんなに簡単には行くまいと私は思ったが、黙っていた。食事がすむのを待って、(疲れたでしょう、早く帰って寝なさい)と言って、私は彼を追い立てた。十一時半だった。  彼は扉口まで行って、サンダルをはいてからふりかえり、 「朝倉さん、握手して下さい」と小さな声で言った。 「何の握手?」 「おやすみなさいですよ」 「ああそう。おやすみ」  私は握手をしてやった。彼は元気づいて、嬉しそうにして帰って行った。女がちょっと手を触れてやると、男はすぐに活気づく。単純で、鋭敏なけだものだ。吉岡もそうだった。宇田さんは反応が遅いけれども、遅いだけで、同じことだ。石黒先生はすこし違う。あの人は反応がわからない。馴れっこになって居るのかも知れない。女の技巧などを馬鹿にしているようなところがある。私はあの人には勝てない。だから私はあの人に会うと、甘えてしまうのかも知れない。正面から行っては勝てないから、甘えることによって相手の姿勢を崩そうとする。意識してそうした訳ではなかった。女の本能的な智慧《ちえ》だ。石黒さんもまた、私にそうされることが好きなのではないかと思う。そういう二人の姿勢が、二人の関係として一番自然なのだ。辛島君は私に甘えかかる。そのとき私は姉のようになって、彼に対して支配力をもつ。その場合には、そういう姿勢が一番自然であるらしい。宇田貞吉さんは私に対する態度がはっきりしていない。だから私もまたどんな姿勢をとっていいのか、はっきりしない。したがって二人の関係は、いつまで経ってもまとまりがつかない。そういう不確実な在り方は、私を退屈させる。私は好きでない。  五月二十九日——  里村春美の手紙。……  朝倉じゅん子様。あれっきり半年も、何の音沙汰もなしで、あなたは怒っているかも知れないわね。御免なさい。いろいろな訳があって、いまはお会いするのも辛いような気持なのよ。でもようやく、何とか生きて行く道を見出すことができたから、もう一度、あたらしい幸福を求めて、努力してみようと思っているの。  現在は、表記のアパートに居ます。ここへ引越すまでには何度親たちと喧嘩《けんか》をしたか知れないわ。親たちは世間態ばかり大事にして、とにかくどこか行ってくれ、仕送りはしてやるからアパートでもどこでも行ってくれと言って、私を追い出してしまったのです。親でさえも頼みにならないということ、よく解ったわ。  子供は長谷川の家に置いて来たっきり、一度も会っていないの。ときどき発作的に、気が狂うほど会いたくなるけれど、本当は、縁がなかったものとあきらめています。いまは毎日お料理と日本舞踊と生花の勉強です。九月か、遅くとも十月には結婚するつもり。結婚と言っても、あんな事があった後だから、こっそり、内証で式をあげるだけなの。あなたには報告しておく義務があると思って、このお手紙を書いているのです。いろいろ御迷惑をかけて、小寺も、あなたにお会いしたことは無いけれど、何かお礼をしなくてはと、申して居ます。  小寺は今年の二月、前の奥さんと別れて、いまはひとり者。別れたというよりは、正直言って、奥さんに愛想をつかされたというところなんだけれど、それが私にとっては救いの神になった訳なの。だから二人とも再出発というわけね。いまは週に一回ずつ会うことにして居ます。長谷川のうちと違って、小寺は地味なサラリマンで、これからは私も貧乏ぐらしをしなくてはならないのが少し辛いけれど、その代りとても親切でよく気のつく人です。好いた同志ならば手鍋下げても、きっと幸福にやって行けると思っているわ。祝って下さいね。それから、お礼のつもりで、今度はあなたに、良縁をさがして上げたいと思って、考えています。……  私は腹を立てて、終りまで読まないで、この手紙を裂きすてた。里村春美の自殺未遂にいたるまでの事については、私は同情的だった。彼女を病院に見舞ったときにも、この人はこの事件によって身辺が整理され、すっきりした新しい人生を歩みはじめるだろうことを期待していた。小寺益雄との事件は、彼女がその厄介な環境から脱出するために必要な、一つの契機にすぎないものと考えていた。それ以上に重要な価値も意義もあるものとは思われなかった。  ところがこの手紙によると、里村春美はその相手の小寺と結婚するというのだ。これでは、結果から言えば、彼女は小寺と結婚するために子供を捨てたことになる。そして、時折は気が狂うほど子供に会いたくなるのだと言う。つまり彼女の身辺は、自殺未遂事件によってすこしも整理されなかったのだ。何のためにあんな事件をおこしたのか。ただ長谷川家から逃げだすためにすぎなかった。こうなってみると、私はあの自殺未遂事件というものの意義をさえも疑わなくてはならない。  この手紙の内容ははなはだしく低劣で、無反省だ。小寺の妻が良人と別れたことが、自分にとっては救いの神であったという言い方も、なにかしら不潔だ。その不潔さが彼女には解っていない。(好いた同志が手鍋下げても)云々《うんぬん》に至っては、情痴とか痴情とかいう言葉があてはまるような、下等な心境ではないだろうか。男女関係は、つきつめれば性関係であるにちがいない。しかしそれを、けだもののような性関係として生活するか、もっと精神的な美しさを加えて生活するか。それがその人たちの(生活態度)というものだろうと私は思う。  彼女が子供をどこかへあずけて置いて小寺との短い媾曳《あいび》きをたのしんでいた事実、私を仲介にして小寺の手紙を受けとる算段をしていた事実などを思いあわせて見ると、里村春美とは元来その程度の、低俗な女であったらしい。ひまにまかせて舞踊や生花を習ってみたところで、それもまた何ひとつ彼女に加えるものはあるまい。しかし、それはそれでもいいのかも知れない。彼女は彼女なりに、そういう低俗なところで安易な充足をもとめ、安易な幸福を感じているのだ。それ以上のものを彼女に求めることは出来ないらしい。  私はさびしくなり、裏切られた気持になる。私は返事を出さないことにする。  六月四日——  今日はゼネ・スト。朝のうちは汽車も電車も、バスでさえも、大かたは止っていた。安保反対運動と何の関係もない人までが、巻き添えになって、つとめにも行かれない、買物にも出られない。日本じゅうのストライキだ。船も動かない、炭坑も動かない。みんな男たちの意地の張りあいから来たはなしではないかと思う。  十一時、白鳥座へゆく。一時間二十分かかってようやく着いた。誰も来ていない。稽古場の隅の椅子で宇田さんがひとり雑誌を読んでいた。ゆっくりと顔を上げて私を見、うっすらと笑いかけてくる。外はゼネ・ストで大さわぎだというのに、この人は冷静をうしなっては居ない。 「あら、ずいぶん閑静ね」 「全くね」と彼は答えて、ポケットの煙草をさがす。「みんな来られないんだよ。足がとまってるからね。稽古はおひるからだね」 「おひるから、またデモに行くんじゃないの」 「さあ、どうだかな」 「しかし、一体どうなるの。こんな事ばかりやっていて……」 「さあ。どうなんだろうね」と彼は言う。  宇田さんの冷静さに私は反対しないけれども、日本じゅうに嵐が吹き荒れているときに、全く無関心でいることが良いか悪いか。まだ若いのに、そこまで精神が安定してしまっていいものだろうか。それが安定でなくて、弛緩《しかん》であったらどうだろう。 「どうだね一つ……」と彼はやさしい笑顔をむけた。「ひまつぶしにお茶を飲みに行こうじゃないかね。僕が御馳走するよ。じゅんちゃんの好きなものをね」  私は変なことを考える。喫茶店で(お茶を飲む)ということにどんな意味があるのだろうか。明治時代の日本には喫茶店も多分なかったろうし、珈琲《コーヒー》を飲む習慣もなかった。したがって男と女とが街で出会って、お茶を飲みながら話をするという事も有り得なかった。異性と会って、さしむかいで話をし、お茶を飲むという、少しばかり刺戟《しげき》的な消耗が、私たちにとっては適度なレクリエーションであり、慾望の緩慢なはけ口にもなっているかも知れない。  私たちはいろいろな人とお茶を飲む。二日に一度は男たちとお茶をのむ。私の職業はそういう機会が他の職業より多いかも知れない。私はお茶をのみながら、男たちの種類を嗅《か》ぎ分ける。つめたく孤立した石のような男。女の気に入られようとしていらいらしている男。慢性的に女に腹を立てている男。女に侵略されることをこわがっている男。ひとりひとりがみな一つずつの(女に対する姿勢)をもっている。しかしどの男もすべて、いろいろな具合に女が好きだ。女に腹を立てている男すらも、女が好きだ。それに気がついて、私はひそかににやにやする。  しかしそれは原則だけのことだ。男の女をえらぶ態度は意外にきびしい。お茶をのみながら、男はどうかすると、ふっと黙ってしまうことがある。それから眉をしかめて静かに煙草に火をつける。女に対する野心をうしなったとき、男は急速に退屈する。そのときの男は気がみじかくて、我儘《わがまま》だ。私は珈琲をのみながら、そうした男の心の変化を読むことに熱中する。飽きることのない遊びだ。半分くらいは解るような気がする。  宇田さんとは何十遍もいっしょにお茶をのんだ。二人きりの時はあまり無かった。今日は二人きりだった。宇田さんは濃い珈琲を一日に三杯も四杯も飲む。そのために胃がすこし悪くて、すこし痩《や》せている。珈琲をのみ過ぎる人は概して動作がにぶく、口の利き方がゆっくりしているのではないかと私は思う。  彼は珈琲のカップに先《ま》ず砂糖を入れる。丹念な手つきで、分量をはかりながら入れる。大型の角砂糖のときは一個と三分の二を入れる。二個入れては甘すぎるらしい。それからよくかきまわし、匙《さじ》ですくって味を見る。気に入った味になっていると、今度は匙を水面に浮かせた位置に支え、そのなかに生クリームを静かに注ぎこむ。こうすると白いクリームは沈まないで、水面を掩《おお》うて厚くひろがる。宇田貞吉はそっとカップを持ちあげて、にっこりする。 「このね、浮いているクリームの味が素敵にうまいんだよ。混ぜちゃいけないんだ」  私も彼の真似をする。そして、宇田さんという人が意外にも神経質で、気むずかしい男であることを発見する。それが彼の、俳優であることの素質の何割かを支えているのかも知れない。水面に浮いた生クリームはやや冷たくて、その下の珈琲とすこしまざって、鼻の奥に何とも言えない良い香りが沁《し》みこむ。 「あら、おいしいわね」  喫茶店の若いマダムがテレビをつけてくれた。すると今日のゼネ・ストの模様が次々とうつし出されてきた。品川駅では学生や労組員がレールの上に坐りこんでいた。田端や尾久の方では鉄道従業員の職場大会。東京駅前の中央郵便局では局をとりかこんで凡《およ》そ二千名の坐りこみ。それから電電公社でも女子従業員の職場大会、国会のまわりでは全学連の学生たちの津波にも似た蛇行デモ。  珈琲のカップを大事そうに机の上に置いて、宇田さんはひとりごとのような言い方をした。 「あれから、もう一年になるねえ」  私にはすぐに解った。(あれから)というのは宇田さんの奥さんの葬式のことなのだ。私は直感的に、警戒する気持になった。(一年になるねえ)ということは、(一年が経つのを待っていた)という意味かも知れないのだ。私にはそう解釈することに、根拠があった。そして、その直感はやはりまちがいではなかった。 「一年になりますかねえ」と私は言った。  宇田さんの顔にはかすかな笑いがうかんでいた。それは亡妻をなつかしむ表情だった。なつかしいとは言うものの、もはや彼はその妻から自由であり、妻に束縛されてはいない。自分が越えて来た山の姿をふりかえって見るような、遠くはなれたなつかしさに過ぎないのだ。 「お嬢ちゃん、大きくなったでしょう」 「ああ……」と彼は溜息《ためいき》のような言い方をした。「子供って、本当に大きくなるもんだねえ。僕はひと月に一度ぐらいずつ、子供に会いに郷里へ行くんだけど、行くたびごとに大きくなって居るんだよ。だんだん生意気なことを言うようになって……」 「そうでしょうね」 「おばあちゃんに甘やかされて、一応は仕合せに育って居るんだけれど、やはり子供にして見ればいつも漠然とした不満を感じているらしい。そういう姿は僕だけに見せるのかも知れないが、僕が会いに行くと、物も言わずに武者ぶりついて来るんだよ。かわいそうでね。……そのくせ、僕がさよならを言って東京へ帰ろうとする時には、見向きもしないで、庭で土いじりなんかして居るんだね。(さよなら、また来るからね)って言うのに、聞えないふりをして居る。そういうやり方で子供は、自分の悲しみに耐えているんだね。やり切れない程の孤独に耐えるために、一層自分を孤独にして置きたいんだよ。子供だから解らないだろうなんて思うのはまちがいだ。子供は全部わかっている。ただ表現の方法を知らないだけなんだよ」  私は聞いているうちに涙が出そうになった。宇田さんの顔には相かわらず、うすい笑いが浮んでいる。それが宇田貞吉の柔らかな愛の表情であった。この人が一番うつくしく見える表情だった。去年のお通夜のとき、私がふかく心をひかれたのも、この人のこの静かな優しい表情であった。私はまたしても心を惹《ひ》かれそうになっていた。こんなに優しく美しい性格をもった男は、めったに居るものではないという気がした。石黒市太郎は宇田さんのことを、おとなしい犬だと言った。(しかし男というものは、おとなしいから良いという訳のものじゃない。)……宇田さんにくらべれば、石黒さんは怕《こわ》い犬だった。ふだんは優しいけれども、決して油断のできない犬だった。 「子供を引きとってやりたいんだけどね……」と宇田さんは呟《つぶや》くような言い方をした。「子供はやはり、親といっしょに暮さなくてはならないんだ。そうしてやるのが僕の責任なんだ」  私は黙っていた。どんな言い方をしても、私の腹の底が見すかされそうな気がして、危なかった。黙っているのが一番|狡《ずる》いのだということも、解っていた。宇田さんもそれから先は言わなかった。そして二人分のおかねを払ってくれた。  外に出て、郵便局の角をまがる。頭の上の電柱に白鳥座の小さな白い看板が出ている。そこからは細い露路だった。二人で並んでゆっくり歩いているとき、宇田さんは歩いてゆく自分の爪先を見るような姿勢で、とうとう言ってしまった。よほど決心してから言ったにちがいないのだ。 「じゅんちゃん、僕のところへ来てくれないかなあ。……こんな事を言うのは失礼だと思うんだ。僕は君を、仕合せにして上げる自信なんか、あまり無いからねえ。ただ、子供のために、僕はそんなことを考えるんだよ」  そういう正直な、謙虚な言い方は、いかにも宇田さんの性格だった。吉岡弦一の押しつけがましい要求とは、正反対のものだった。私は|じん《ヽヽ》と胸がしびれてくるような気がした。小杉久雄のいい加減な求婚の言葉などとはちがって、この人の言葉は全部が真実だった。あまりに正直なので、却って気の毒になるほどだった。亡くなった奥さんは仕合せだったろうと私は思う。あの人は自分の良人の一番正確な輪廓を、一番真実な心を、まちがいなくちゃんと掴《つか》んで居ることが出来たに違いないのだ。  しかし私は納得できなかった。私はもしいまから結婚するのならば、自分のために結婚する。あるいは、相手の男のために結婚する。しかし、(相手の男の先妻の子供)のために結婚する気はない。その事によって、男は仕合せになったり好都合であったりするかも知れない。私はどうなるのだ。愛する良人のためならば喜んで私の残りの人生をささげてもよい。しかしそれは飽くまでも、直接に、良人のためという事に限られる。良人の先妻の子供というような間接な関係の人のために、自分を捧《ささ》げる気にはなれない。 「私はだめよ」と、私はいくらかきっぱりした言い方をした。「私には子供さんは育てられないわ。私はもっと我儘なの。とても出来ないわ」  そういう我儘を、私は自分に許したかった。私は一度、結婚に失敗しているのだ。この次の結婚については、すこしばかり我儘を言いたい。それが許されないのならば、独身のままで居りたい。眼をつぶって、やみくもに結婚したがるほど、私は男をほしがっては居ないのだ。宇田さんは良い人だ。しかし宇田さんの今日の求婚の言葉は、すこしばかり虫がよくて、卑怯《ひきよう》だと思う。子供の問題を前面に押し出して、子供の幸福のために自分と結婚してくれというのは、私にして見れば嬉しくない。なぜ堂々と、お前が好きだから結婚したいと言わないのか。結婚の結果として、先妻の子を養わなくてはならなくなったとしても、それは再婚の妻として当然な負担であるだろう。宇田さんの話は順序が逆だ。私は腹立たしくなってくる。  多分、宇田さんにして見れば、彼らしい気の弱さから、愛の告白などというかたちを取りたくなかったのだろう。それは解る。解るけれども、私はたのしくない。私はまた石黒さんの言葉を思いだす。(しかし男というものは、おとなしいから良いという訳のものじゃない。)……私がもし宇田さんと結婚したら、この人のおとなしさや気の弱さに、年じゅういらいらして暮すことになりそうだ。私の、すこし手きびしい返事に、宇田さんは何も答えなかった。しかしもう、この話はこれで終りになるだろう。私はまた、一人の男を卒業した。  稽古場には十人ばかりの座員があつまっていた。今日のゼネ・ストのことが賑《にぎ》やかな話題になっていた。  六月十日——  ラジオ・ドラマのリハーサル。木戸さん、細井さん、坪井さん、望月さんたちと一緒に放送局へ行く。脚本は石黒先生が二、三年まえに書いた「海猫」一幕。私は漁師の母親という老け役。本来ならば森下けい子がやるべき役だった。老け役をやるような年になったのかと思う。石黒さんに会えるのかと思って多少期待していたが、会えなかった。彼はいま演出の仕事で大阪へ行っているというはなし。あの人と、手紙で喧嘩をしたようなかたちになって居ることが、気にかかる。  きょうの夕方、羽田飛行場で凄《すご》いさわぎがあったらしい。米国政府から派遣されてきたハガチーという男が、全学連や労組の人たちに包囲され、米軍のヘリコプターでようやく脱出したという事件。いま日本へやってくるというのは、アメリカも勘が悪いと思う。隣室の辛島君は何の音沙汰もない。ずっと帰って来ないらしい。きようも羽田へ行ったのか。それともまた留置場へいれられているかも知れない。安保反対闘争が青年たちを鍛えてゆく。間接的には、保守政党が革新的な青年たちを鍛えあげてゆく結果になっている。一つの(歴史)が動いて行きつつある。  六月十四日——  白鳥座の事務室の入口の壁に、小さな掲示板がある。きょうは二つの掲示が出ていた。  一、安保反対請願デモ。—六月十五日。参加者は午後三時までに当所に集合。  一、退団届—森下けい子。  私は|はっ《ヽヽ》と胸を突かれたような気がした。赤く染めた爪、黒いスラックス、青いアイ・シャドウ。田辺元子がひどく嫌っていた極彩色の女がひとり、私たちの仲間から脱落して行った。入院したという話を聞いたのは、もう二カ月も前だったろうか。私の質問に対して、必ず産むと言い張っていたあの胎児を処分し、自分自身までも処分しなくてはならなくなったのだ。細井まり子がもうすこし詳しい話を知っていた。森下けい子は、東京の劇団ではたらくのは嫌だから、大阪の放送劇団にはいるつもりで関西へ行ったということだった。  いまになって私の心に残るものは、あの女のあわれさだけだった。我儘で、強気で、男を見くだすような高慢さをもっていた彼女も、本当はただの女ではなかったかと私は思う。青山圭一郎との恋愛事件も、案外に内容の乏しいものであって、彼女の強気でもって作り上げた一つの蜃気楼《しんきろう》ではなかっただろうか。彼女は私にむかって勝利の宣言をしたものだった。(私の勝ちよ。向うはいま別居するとか何とか言って騒いでるわ)……しかし勝敗は逆転した。  私は青山圭一郎という人物に対して疑問をもつ。結局彼は森下けい子をもてあそんだ事になるのだ。彼がけい子に対して何十万円の手切金をわたしたか、私は知らない。それがどれ程の金額であろうと、それだけのことで|けり《ヽヽ》がついたのだ。青山圭一郎と山岸美代とは元のままの夫婦である。彼等は口を拭って、知らん顔をしていることが出来る。もしかしたら、こんどの事件が契機となって、前よりももっと強い二人の結びつきができるかも知れない。被害者は森下けい子ひとりだけだ。そして山岸美代は、こういう結果をもたらした事については、青山圭一郎の共犯者であった。夫婦というものの独善性、夫婦というものの排他性、そして夫婦のエゴイズム。……一番狡いのは青山圭一郎ではないだろうか。彼は何ものをも失ってはいないのだ。  夫婦にちかづいてはいけない。彼等は毒蛇《どくへび》のように危険だ。夫婦というものは、たとえば|やまあらし《ヽヽヽヽヽヽ》のように、外に向かって棘《とげ》だらけな姿勢をしている。彼等のうちの一方にちかづいた者は、刺され、傷つけられる。そしてさらに、深刻な恨みと憎しみとを受けなくてはならない。森下けい子は妻のある男に恋愛をしたがる悪癖をもっていた。それは彼女が嫉妬《しつと》ぶかい女であったからかも知れない。そして、毒蛇の毒にあてられてしまった。  白鳥座は、すぐれた老女《ふけ》役をひとり失った。私にはあの人の役は出来ない。  六月十五日——  きょうは第何回目かのゼネ・スト。電車やバスもおおかた止っていたらしい。私は午前中どこへも出ないで読書。ひるちかく、ひどい雨。  白鳥座も午後三時ごろから、他の劇団といっしょに請願デモに行く予定だが、私はラジオ・ドラマがあるから行かない。おそい昼食のあと、ひとりきりの部屋で、せりふの勉強。石黒さんの脚本は、言葉が素直で、せりふが言いやすい。南田勉氏の脚本は言いにくいせりふが多くて、みんなが嫌がる。田辺元子ぐらいになると、(先生これ、言いにくいわ。こうしてちょうだいよ)と言って、自分でせりふを直す。私たちにはそんな生意気なことは言えない。だから、下手な女優が一層下手にきこえる。どんな社会でも、ある地位までのぼると、生き方が楽になる。下積みのあいだは、八方ふさがりの壁だらけだ。  午後五時、雨ほとんど止む。放送局へ出かける。新橋から虎ノ門にかけて、交通は完全にとまり、デモ隊の大群衆が大きな流れとなって歩いてゆく。群衆は殺気立っている。もうここまで来たら、政府は変らなくてはならない。数カ月にわたってこれだけの大混乱をひきおこした責任を取らなくてはならない。デモ隊の流れを突っ切るのに、私は十分も電柱のかげに立って待っていた。そのあいだに、ほかの場所で、どんな事がおこっていたか、私はなにも知らなかった。……  六時から最後のリハーサル。細井さん、木戸さん、望月さん、坪井さん、みんな白鳥座の人たちだから、調子がいい。七時、本番。すんだあとで木戸さんに大変ほめてもらった。放送局の担当者もほめてくれた。 「朝倉さん、|ふけ《ヽヽ》役なんかやったこと、あるのかい。始めて?……良い調子じゃないか。間《ヽ》がいいよ。途中でちょっと咳をしたりしてね。凝ったもんだ。いまに還暦ぐらいの爺さんからラブレターが来るよ。森下君がやめて、ふけ役に困ると思っていたんだが、これからは君の役だな」  私はうれしくなって、今からみんなでどこかで食事をすることを提案し、みんな賛成する。放送局を出るとき、ドラマの係の馬越さんが、きょうの夕方、請願デモの隊列に右翼の暴力団がなぐり込みをかけ、デモ行進をしていた街の主婦たちや劇団関係の人たちのあいだに、かなりの怪我人が出たらしいというニュースを知らせてくれた。  私たちはびっくりした。しかしデモ隊で怪我人が出るのは毎日のことだった。劇団は五十幾つも参加しているのだから、そのうちのどれだかわからない。まあ、大したことは無いだろうという、怠惰な気持で、私たちは食事に出かけて行った。  夜の街は騒然としていた。八時半だというのに、デモ隊の行列はひきも切らず、どこもここも赤旗をかざした人々で一杯だった。一体どうなるのか。あと四日ばかり経てば、安保条約は国会で自然成立するのだと云う。この群衆が武器をもったら、革命は一夜にして成るだろう。民衆の怒りはそこまでたかまっている。しかし彼等は武器をとろうとはしない。おとなしい民衆だ。きょう私が見たデモ隊の数は、十万や二十万ではない。  私たちは何度か行ったことのある小さな中華料理屋にたどりつき、二階にあがる。男の人はビールを飲み、私たちは鳥の旨煮《うまに》や鮑《あわび》や海老《えび》などの御馳走をたべる。坪井さんがすこし酔って、劇団のみんなの|せりふ《ヽヽヽ》の口まねをする。田辺元子のせりふはサシスセソのSの音が強くひびく。細井まり子がちかごろその真似をしているらしいが、あれは感心しない。……そういう話をして、みんなを笑わせる。  十時ごろになって、店のおかみさんがガラス器にバナナを盛って、あがって来た。 「あら、わたしもうバナナ、食べられないわ」と細井まり子が言った。  四十すぎの、色の白い、まるまると肥ったおかみさんはそれには答えずに、 「今夜は何ですか、大変だったそうですね」と言った。 「何が大変だったの?……デモ隊?」 「さっきテレビが言って居たんですけど、女の大学生がひとり、死んだそうですよ」 「どこで……」 「国会のあたりらしいですよ」  死んだ!……と私たちは呟いた。死んだ。……死んだ。……とうとう死人が出たのだ。デモ隊がいくら騒いでも、それだけならば只の示威運動だ。死人が出たら、もはや事件は別のものになって来たのだ。それは革命寸前の状態だ。 「行って見ようか」と木戸さんが言った。緊張した表情だった。 「よし」と坪井さんが短く応じた。  一瞬、私たち五人の心に一種の決意のようなものが動いた。多少の危険があるかも知れない。しかし行って見よう。国会周辺がどうなっているか。そこで民衆が何をしているか。……  外に出るとすぐに、 「女の人は帰ってもらおうか」と坪井さんが言った。 「大丈夫よ」と私はすぐに答えた。「とにかく行って見るわ」  夜更けの街はまだざわめいていた。タクシーはどこにも居なかった。私たちは急ぎ足で、ぬれた鋪道を歩いて行った。国会までは十二、三分かかった。もはや十時半をすこし過ぎる頃だった。  議事堂の高い塔が雨もよいの暗い空に不気味に突っ立っていた。議事堂をとりかこむ道路はほとんど灯が消えて、隊列を組んでいないばらばらな人影が、それでも数百人、あるいは千人も、静かに歩いたり、じっと佇《たたず》んだりしていた。騒ぎはもうおさまったあとのようだった。  私たちが、国会南門にちかづいてみると、鋪道の敷瓦がたくさん剥《は》ぎ取られていた。それは武器をもたない学生たちがこわして、警官隊に投げつけたあとだった。国会の門はこわされて、あけっ放しになっていた。そこには人影がなかった。私たちは十歩ばかり構内にはいってみた。足もとは水びたしで、消火ホースが暗い中庭にのたくっていた。警官隊が学生たちにホースの水を浴びせた跡だった。敷瓦の破片が無数にちらばっていた。ここは、ついいましがた、ひとりの女子学生が殺された、その現場だった。それはまるで戦争のあとだった。何もかもが砕かれ、踏みしだかれていた。そして、闇をすかして見ると、中庭のずっと奥の方、議事堂の建物にくっついて、何百人かわからない警官隊が、鉄かぶとをかぶり、列をととのえて、まるで黒い垣根のように並んで立っていた。鉄かぶとがときおり|ぎらっ《ヽヽヽ》と光るので、ようやくそこに彼等が居ることがわかるのだった。つめたい殺気が、私たちの胸にせまってくるようであった。  門のすぐ内側に、守衛の小舎《こや》が建っていた。窓ガラスはことごとく破られて、内部はがらん洞《どう》だった。その床の上に、泥まみれの靴が……男の靴、女の靴、運動靴が、何百足となく投げこまれていた。デモ隊と警官隊との揉《も》みあいのあいだに脱げてしまったのだ。その何百人の学生や労働者は、はだしで帰って行った筈だ。木戸さんが私の耳もとで、押し殺した声で、言った。 「朝倉さん、よく見て置けよ。政治が、民衆の心をはなれたとき、こういう悲惨な事件がおこるんだ。人権もない、自由もない、人間の尊厳もない、けだもののような泥仕合だ。こんな政治があるか。……」  私は息がつまるような思いで、暗い中庭にじっと立っていた。頭の中がじんじんとしびれてくるような気持だった。この場所で、ひとりの女子学生が殺された。安保条約改定は、すくなくとも一人の若い女の命を犠牲にして、そのふくよかな屍《しかばね》の上に成立することになるだろう。  私たちは南門の外に出て、暗い道をゆっくりと歩いた。私はみんなのうしろにいて、涙をながしながら歩いていた。私はもっと早く、何かをしなくてはいけなかった。何か、もっと役に立つ活動をしなくてはいけなかった。私は大体において傍観者だった。しかし女子学生が殺されるという、こんな事態をすらも傍観するわけには行かないのだ。  国会のひくい柵に添うてすこし左にまがると、百メートルばかり向うの道路の上で真赤な火が燃えていた。黒いほど赤い炎だった。はじめ、それはデモ隊が焚火《たきび》をしているのだろうと私たちは思った。ところが近づいて見ると、警視庁の大きなトラックだった。トラックが五台も六台も、道路の上に横倒しにされ、こぼれた油に放火されていたのだった。火が消えそうになると付近にいた学生が新聞紙を投げこんで、更に火勢を強める。  それは革命を思わせる、黒い不気味な炎だった。群集は遠巻きにして、燃えあがるトラックを見つめて立って居り、警官はひとりも居なかった。これは明らかに一種の暴動だった。群衆は暴徒だった。政治が、彼等を暴徒にまで追いやってしまった。  私たちはみんな物を言わなくなり、重い重い石のような心を抱いて、夜更けの坂道を降って行った。坂の下で短い別れの言葉をかわして、私はみんなと別れた。食事をともにした時のたのしさは跡形もなく消えていた。私は今夜、ひとつの歴史を見てきた。無力な民衆が強権に抵抗した流血の歴史、人民の悲劇の歴史だった。一体、わたしたちの日本というのはどういう国なのか。わずか十五年まえには、百万を越える若ものたちを海外の戦場に送り、餓死させ、野垂れ死させてしまったではないか。その男たちの母や妻や子供たちが、いまになってもまだ生活を建てなおすことが出来ないで、極度にまずしい暮しをしているではないか。しかも物価はその時にくらべて三百倍四百倍に騰貴し、善良な庶民の生きる道は閉ざされてしまったではないか。その揚句の果てに、ひとりの女子学生を踏み殺してまでも、アメリカの防衛線の一翼に加わって、安保条約改定をやろうというのだ。日本というのは一体、どういう国なのか。誰のための国家であり、誰のための政治がおこなわれて居るのか。……  私はくたくたに疲れていた。体のつかれよりも精神的な疲労であった。アパートの階段をあがり、鍵穴《かぎあな》をさがして扉をひらくと、足もとに紙きれが落ちていた。電灯をともしてみると、紙きれは管理人からの伝言であった。 (白鳥座の田辺元子さんという人から電話がありました。九時二十五分。)  夜になって、田辺元子が自分から電話をかけて来たというのは、よほど何か特別なことだった。急に芝居の代役でも言いつけられるのかも知れない。今は十一時四十五分。先方はおそくて御迷惑かとは思ったが、私は電話をかけて見ることにした。  田辺元子はすぐに電話口に出てきた。 「朝倉さんね。あなた、石黒先生が怪我をなさったこと、知ってる?」 「え……」と言ったまま私は声が出なかった。 「知らなかったの?……あなたは石黒さんにいろいろお世話になってるでしょう。だから知らせて上げようと思ったのよ。とにかく一度お見舞に行ったらどう?……今日の請願デモのとき右翼のなぐり込みでやられたの。とにかく無茶苦茶よ。北野さんも紺野さんもやられたわ。その方は大したこと無いけどね。文芸劇場の山岸美代さんも棍棒《こんぼう》で肩をなぐられて、肩が脹《は》れあがってる」 「石黒先生は、どんな怪我なんですか」 「わたしさっき、お見舞に行ってきたところなんだけど、腿《もも》の骨が折れてるのよ。トラックをぶつけられたんだって。さっきレントゲンを撮って、あしたの朝手術をするらしいの。右足よ。それから右腕の内出血。……」  私は病院の場所を教えてもらい、田辺元子に礼を言い、いちど部屋に帰ると、有りったけのおかねをハンドバッグに入れて、外へ飛びだした。そして、夜更けの街を走ってタクシーを探した。そのとき私の心を充たしていた重苦しい感情は、狼狽《ろうばい》と、後悔とであった。私が何を後悔しなければならないのか。理由ははっきり解らない。ただ私は、大きな失敗をしてしまったような気持で一杯だった。石黒さんに向って、腹立ちまぎれに、無茶苦茶な手紙を書き送って、それっきり縁が切れたようなことになっていた。私はその事であわてていたようであった。  ようやく車を見つけて乗ると、私はからだを堅くして座席にうずくまった。私は慄《ふる》えていた。そして、右足の太腿のあたりが、じんじんと痛んでいた。私は両手で太腿を押えて痛みをこらえていた。石黒さんは多分、そのあたりの骨が砕けているのだろうと思った。冷汗が額を流れていた。  六月十六日——  病院についたのは午前零時半。宿直の看護婦に部屋をおしえてもらい、私は二階にあがり、廊下をかぎの手に曲った。どこかの部屋で、ひよわな声で子供が泣いていた。死期がちかづいているような陰気な泣き声だった。  二二九号室の扉を、私はノックしないで、そっと押しあけた。病室のなかはうす暗くて、付き添いの小母さんがソファの上で丸くなって寝ているのが見えた。私は足音を殺して部屋にはいった。白い壁の下の、ベッドの枕もとに、小さなスタンドランプがついていた。患者が頭をうごかして私の方を見た。先生は眼をさましていた。  私は雨コートを着たまま黙ってちかづいて行った。逆光線になって、先生の表情は暗かった。髪がひどく乱れていた。彼は打撲を受けて内出血している右手を、重そうに、そっと私の方にさし出した。私は立ったままで、両手でその手を握った。石黒さんはまだ、泥まみれのワイシャツを着ていた。その手は熱をもっているようだった。私は心臓の動悸《どうき》がみだれて、物が言えなかった。私たちはそうして、手を握りあったまま、永いあいだひとことも言わなかった。私の心ははげしい後悔に充たされ、後悔の底に沈んで、からだじゅうの力が脱けてゆくような気がした。私はベッドのそばの椅子に坐り、先生の胸の上に私の頭をのせた。それは私の、彼に対する詫《わ》びのしるしだった。この詫びたい気持を、彼はわかってくれるだろうと思った。先生は両手で私の頭をかかえ、私の髪のなかに指を入れて静かに掻きまわした。そのとき私は、この人を失ってはいけないと思った。どんな事があってもこの人を失ってはいけない。……なぜかしら私は、永いあいだ先生に抵抗していたようだった。抵抗していなければ、私自身が崩れてしまいそうな危険を感じていた。彼がこんな大きな怪我をしたために、そして彼が無力になってしまった為に、却って私の方が抵抗する力を失って行くような気持だった。  それは私自身の崩れてゆく感覚だった。自分が無力になってゆくような感覚だった。私はその、すこしばかり快美な感覚のなかで、崩れてゆく自分をそのままにしていた。私は自分の危機を感じていた。しかし、いつかきっとこのような崩壊がやってくることを、ずっと前から予期していたかも知れなかった。  私は患者がかけているうすい蒲団の下に手を入れてみた。蒲団が患部を圧迫しないように、患者のからだの上に枠《わく》が取りつけてあった。先生の右足は病的に慄えていた。そして熱をもっていた。骨太な、固い、しっかりした脚だった。患部にはなにか沢山に巻きつけてあって、どうなっているのか解らなかった。 「この足、治るの?」と私はきいた。私の声はふるえていた。 「うむ」 「元の通りに、治るの?」 「うむ」と先生は顎《あご》だけで答えた。  すると私の眼から涙がながれてきた。 「治らなくってもいいわ」と私は言った。「ちんばになってもいいわ。ちんばになっても、大丈夫よ」  そのときはじめて、私は決心がついたのだった。この人を失ってはいけない。もう、無意味な抵抗はやめて、素直な気持になって、私の心が私をみちびくままに、どこへでも行ってみよう。幸福になるか不幸になるか、そんな事はどうでもいいではないか。たとい不幸になる時があったにしても、私はこの人によって充たされ、この人によって燃やされ、……燃え尽きたときは、灰になって行くだけのことだ。  付き添いの小母さんが眼をさまし、静かに病室を出て行った。私たちは二人きりだった。私はコップに水を入れ、一服の鎮痛剤を彼にのませてやった。彼は眼を閉じて、足の痛みに耐えていた。それからきれぎれな口調で、あの時の模様をはなしてくれるのだった。 「……国会の右側の柵に沿うた道だよ。四列か五列ぐらいで、劇団の連中がゆっくり歩いていたんだ。こっちは無防備だよ。女優さんたちも大勢いたし、僕たちのうしろの方には、キリスト教関係の女の人たちが、居たらしい。  そこへいきなり、黒シャツを着た連中だよ。鍬《くわ》の柄みたいな棒をふりまわして、なぐりこんで来た。僕は、女たちが危ないからと思って、とび出して行こうとしたら、そこへトラックが突っこんで来たんだ。連中が乗ってきたトラックだよ。よけるひまも何もあったもんじゃない。……」  私は聞いていなかった。過ぎ去ったことなど、どうだっていい。私にはたくさん、しなければならない事があった。私はいまから、ずっとここに寝泊りして、先生の看病をすることを約束した。彼は乱闘の現場から救急車でここへ連れて来られたのだった。着かえの衣類はもちろん、洗面具もタオル一枚も無かった。私は先生からアパートの鍵をうけ取った。夜が明けたらアパートの部屋へ行って、衣類やその他の品々を取って来なくてはならなかった。私の存在が、いまは石黒さんにとって必要だった。私は不幸ではなかった。私以外の誰も、先生の身辺を世話してやれる者は居なかった。私は生き甲斐《がい》を感じ、彼のために働けることの喜びを感じていた。彼の不運が、私にとっては幸運みたいだった。その意味で私はエゴイストだった。私は自分がすこしばかり狡猾であるように思われ、気がとがめた。 「傷がなおって、退院しても、きっと永いあいだ、松葉|杖《づえ》をついて歩くようになるのね」と私は言った。 「そうかも知れんな」  私は溜息《ためいき》をついた。 「あんなアパートの八階なんかで……ひとりきりでは暮して行けないわ」 「ちんばを曳きながら自炊するさ」 「この前、わたしに、いやなお手紙を下さったわね。縁談なんか。……あれ、取り消して下さい」 「ああ、あんなもの、何でもない」  私は患者の胸の上に顔を伏せた。そして荒い息をしていた。 「わたしがアパートに行ったときのこと、覚えていますか」と私は言った。 「覚えてるよ」 「わたし、ことわったでしょう」 「手きびしくね」 「もう一遍言って下さいません?」  彼はしばらく黙っていた。そして両手で私の頭を愛撫《あいぶ》していた。 「もう一遍言えば、今度は承知するかい?」  私は頭だけでうなずいた。 「お前も強情っ張りだからな」と先生は言った。  先生は私の頭をもちあげ、引き寄せて、小さな接吻をした。私は息がつまり、眼がくらんだ。私の頭のなかを、吉岡の幻影が走り過ぎて行った。  夜が明けると、私はまず自分のアパートに帰った。これからの病院の寝泊りのために、自分の身のまわりの物を持って行かなくってはならなかった。  私は大急ぎで朝の食事をした。それからひとりで部屋のなかに坐ったまま、あたりを見まわしていた。多分このみすばらしい部屋に住むことも、あまり永いあいだではあるまい。私は嵐のなかに坐っているような、おちつかない気持だった。私はあの人の、三度目の妻になるのだ。三度目の妻と呼ばれることは私の不名誉であるかも知れない。女としては恥辱であるかも知れない。私はそれでもいいのだ。私は今日という日のために、ずっと永いあいだ準備をして来たような気がするのだった。私は今日からでも、彼のところへ行けるのだ。  石黒市太郎に関して、私はたくさんのことを知っている。彼と結婚することは、私の幸福を約束するものではないかも知れない。私はそれでもいいと思っていた。愛と幸福とは別だ。愛情がわたしに苦難をもたらすことも有り得るだろう。苦難をもとめる愛もあり、献身の苦しみのなかに生き甲斐を見出すこともある。私は幸福を求めようとは思わない。しかし何か、もっと別のものがあるはずだ。他の何ものにも替え難いもの、一つの生命感、充足感……肉体の充足感のような消耗的な、一時的なものでなく、もっと建設的なもの。生涯にわたって心を充たしてくれるもの。……  石黒市太郎は情事の多い男だった。これから先もやはりそうかも知れない。彼は私を裏切るだろう。彼は二人の妻を離婚したように、三度目の妻をも離婚するかも知れない。しかし彼が私を裏切るまでに、たまゆらの、みじかい、平和な日々があるだろう。私は森下けい子を笑うわけに行かない。里村春美をも笑うわけに行かない。私はいまから、愚かな結婚をしようとしているのだ。  男は、女だけによって充足を得られる。女は男だけによって充足するものではない。愛は、男にとっては終局であり、女にとっては出発点である。彼が私を裏切っても、それはただ表面的な現象にすぎない。私は彼の子を産むことが出来る。それこそ女の勝利だ。男は、そこから先はもはや女を裏切ることが出来ない。愛などという生ぬるいものではない。生きるための闘いだ。私は彼の子を産み、私の生涯をその生命によって充たす。私は後悔しない。いまから、新しい闘いの人生がはじまる。……  手術は順調にすんだ。骨折は単純で、恢復《かいふく》は早い筈だった。見舞客が次々とたずねてきて、私はいそがしかった。私自身をどういう位置に置いて客を応接したらいいのか。その手加減に私はすこしばかりまごついた。彼の病室にいる私を、客は疑いの眼で見ている。私の立場は中途半端で、弁明するわけにも行かないのだった。  樺《かんば》美智子という大学生の死について、彼はながいあいだ考えていた。彼の表情は苦しそうだった。夕方、青山圭一郎が見舞にきたとき、 「あれは、俺たちがみんなで殺したようなもんだ」と彼は言った。  私は、そこまで考えなくてもいいのではないかと思った。  六月二十日——  今朝の午前零時、安保条約改定は自然成立となる。日本中をあげての反対運動も政府を動かすまでには至らなかった。  午前十一時、私は付き添いの小母さんにあとを頼んで、外に出る。街はまだ安保反対デモの人々で、渦まくような騒ぎだった。いそいでアパートに帰り、四日ぶりに銭湯に行く。私はいそがしかった。私の日常生活の規準は根柢《こんてい》から破壊され、破壊されたことを私はうれしがっていた。久しく眠っていた私のからだのあらゆる機能が、一度に身ぶるいして眼をさまして来たような、爽快《そうかい》な気持だった。私はそのことに、自分のエゴイズムを感じていた。しかしそれは自分でどうするわけにも行かない、本能のようなものだった。  夕方四時までには、また病院へ行く約束になっていた。短いひまを見て、私は自分の持ち物を整理してみようと思った。彼が退院するまでにはまだ一カ月以上もある。退院したら、私はどうしても彼のアパートへ行って、松葉杖をついたあの大きな男を助けてやらなくてはならない。  本当にこのアパートを引き払うのは、それから先でもいいのだ。私は何もかも振り捨てて行く。隣室の辛島君が誰よりもひどく悲しむかも知れない。しかし彼は今度の大きな闘争を経験して、立派な大人になって行くことだろう。私はまだ当分は白鳥座の半端な女優として、脇役をつとめたり、ラジオに出演したりするだろう。しかしその事も、いつやめてもいいのだ。私は何もかも振りすてて行く。私たちにとっては、結婚式も披露宴も必要ではない。先生は三度目で、私は二度目の結婚だ。結婚式はごく簡単に、誰にも知らせずに、二人だけで静かにおこなわれることだろう。しかしそれだけで、私の心は充たされ、はち切れるほどに充実させられることだろう。この部屋のなかの貧しい、安っぽい、家具や衣類に、私は何の執着もない。持って行けるような道具は一つも有りはしない。あの人が手をあげて呼んでくれさえすれば、恥も外聞もなにもない。私は仔猫《こねこ》のように、手ぶらで貰われて行く。…… 昭和五十五年五月新潮文庫版が刊行された。