[#表紙(image/ノムE-809-001.jpg)] [#裏表紙(image/ノムE-809-002.jpg)] 日曜日の沈黙 石崎幸二 単行本(ソフトカバー): 212ページ 出版社: 講談社 (2000/12) ISBN-10: 406182161X ISBN-13: 978-4061821613 発売日: 2000/12 著者のことば 『ミステリィの館』の扉が開きました。あなたも「究極のトリック」を見つけてください。条件は、皆同じです。文系の知識も理系のセンスも必要ありません。  それでは、「究極のトリック」を見つけたあなたを、驚愕と笑いが包みますように……。よくばりですね、この著者は。笑いまで期待するなんて。   『ミステリィの館』へようこそ。もともと当ホテルは密室で死んだ作家・来木《らいき》来人《らいと》の館。これから行われるイベントでは、彼が遺したという「お金では買えない究極のトリック」を探っていただきます。まずは趣向をこらした連続殺人劇をどうぞ。そして興奮の推理合戦、メフィスト賞ならではの醍醐味をご堪能下さい。  石崎幸二(いしざき こうじ) 1963年生まれ 埼玉県出身 東京理科大学理学部 現在、某化学メーカー勤務 独身 血液型O型 ※作者と登場人物は別人格とか [#改ページ] [#地付き]ブックデザイン=熊谷博人 [#地付き]カバーデザイン=辰巳四郎 [#改ページ] [#ここから3字下げ] 目次    プロローグ 第一章 館からの招待 第二章 殺人(?)イベント 第三章 事件の意味するもの 第四章 本当の意味 第五章 お金では買えない  エピローグ [#ここで字下げ終わり] [#改ページ] 登場人物(『ミステリィの館』イベント開始時点)   来木《らいき》来人《らいと》…………人気ミステリィ作家、碧北大学ミステリィ研究会出身、故人 黒田《くろだ》支配人《しはいにん》………美和第一高原ホテル支配人 田中《たなか》裕一《ゆういち》…………碧北大生、碧北大ミステリィ研究会所属 仲井《なかい》武雄《たけお》…………碧北大生、碧北大ミステリィ研究会所属 矢部《やべ》 勇《いさむ》…………城東大生、城東大ミステリィ研究会所属 大北《おおきた》秀男《ひでお》…………城東大生、城東大ミステリィ研究会所属 森《もり》みゆき…………来木来人ファンクラブ会員、OL 金井《かない》奈々《なな》…………来木来人ファンクラブ会員、OL 斉藤《さいとう》 瞳《ひとみ》…………公務員、飯野まさみの友人 飯野《いいの》まさみ………会社員、斉藤瞳の友人 美宮《よしみや》さくら………無職 須藤《すどう》真奈美《まなみ》………会社員 秋野《あきの》 徹《とおる》…………フリーター 高田《たかだ》伸子《のぶこ》…………社会評論家 那賀《なが》良和《よしかず》…………ミステリィ作家、碧北大学ミステリィ研究会出身、来木来人の友人 石崎《いしざき》幸二《こうじ》…………旭重科学工業社員、探偵役? 御薗《みその》ミリア………櫻藍女子学院高校ミステリィ部所属、相川ユリの親友、探偵役? 相川《あいかわ》ユリ…………櫻藍女子学院高校ミステリィ部所属、御薗ミリアの親友、探偵役? [#ここで字下げ終わり] [#改ページ]    プロローグ   「究極のトリックを見つけたんだ。お金では買えないくらいのね」 「本当ですか? いったいどんなトリックなのですか?」 「今は教えられない」 「どうしてですか?」 「このトリックには時間がかかるんだよ。だから今は教えられない。でも危ないところだった。もう少し気づくのが遅かったら駄目だった」 「駄目だったって、どういうことですか?」 「トリックが完璧じゃなくなるということさ。せっかくの究極のトリックだからね。完璧にしたいんだ……」 [#改ページ]   第一章 館からの招待      招待状(見本)    ミステリィの館《やかた》へようこそ  ミステリィを知り尽くしたあなた  既存のミステリィでは満足できないあなた  新たな刺激を求めているあなたを  ミステリィの館へご招待致します  ミステリィの館は、きっとあなたを満足させます  お金では買えない究極のトリックをあなたへ……    パンフレット(見本)    美和《みわ》ホテルグループ  美和第一高原ホテル「ミステリィの館」  所在地 N県K市K高原  企画原案 来木《らいき》来人《らいと》氏   「ミステリィの館」施設内容  ミステリィ図書室(来木来人氏寄贈の国内外のミステリィ所蔵)  ミステリィ映像室(ミステリィ映像の上映)  イベントホール(各種イベント、演劇上演)  娯楽施設  宿泊施設  その他 [#改ページ] 拝啓  時下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。  平素は、美和ホテルグループに格別のご高配を賜《たまわ》り、厚く御礼申し上げます。  皆様ご存知の通り、美和ホテルグループは、東京、大阪、名古屋、札幌、福岡、京都等、都市圏を中心に業務を行ってまいりました。私ども、美和ホテルグループは、日本のホテル業界をリードしてきたと自負しております。  さて、美和ホテルグループは、更なる発展を目指し、此《こ》の度《たび》新規事業として、『ミステリィの館』を開設することとなりました。単なる宿泊施設としてのホテルではなく、レジャー施設としてのホテル、知的好奇心を満たすホテルを目指し、より皆様のお役に立ちたいという、当社新経営計画の実現の一部でございます。  ご参考のために、『ミステリィの館』の招待状見本とパンフレット見本を同封いたしました。  つきましては、『ミステリィの館』開館前に、ぜひモニターとして皆様のご意見をお聞かせいただきたく、ご招待申しあげます。  失礼ながら、旅行券を同封させていただきました。交通費としてお使いください。ご都合のつかない場合も、こちらの判断で、このようなお手紙を差し上げた迷惑料としてお受け取りください。 [#地付き]敬具   追伸 『ミステリィの館』には、来木来人氏の未発表資料も所蔵されております。当資料に関しましては、特に皆様にご意見をお伺いいたしたく……。 [#改ページ]    バスが山道に入ってからだいぶ時間がたった。何人か乗っていた乗客も一人降り二人降り、ほとんどいなくなった。  暖かな春先の気候のせいか、石崎《いしざき》幸二《こうじ》は窓に寄りかかりながら居眠りを始めた。 「お・じ・さ・んっ!」石崎は激しく肩を揺すられて目を醒《さ》ました。隣りの座席に髪の長い少女が座っている。白と黒を基調にした制服を着た少女だ。 「おじさん、美和第一高原ホテルへ行くんでしょ」 「うっ、うん?」石崎はまだ状況を把握《はあく》できない。 「ちょっと、寝ぼけないでよ」石崎は、肩をつかまれて前後に揺すられた。隣りの少女と同じ制服を着た少女が、後ろの座席から身を乗り出し、石崎の肩をつかんでいる。 「くそっ! 背後とサイドを取られたか」 「なに、訳のわからないことを言ってるのよ。ちゃんと質問に答えてよ。おじさん、美和第一高原ホテルに行くんでしょ」隣りの少女が質問する。 「半分正解だな」 「なによ半分って?」 「行き先は当たっているが、俺はおじさんじゃない。まだ三十だし、独身だぞ」 「御薗《みその》ミリア」隣りの少女が怒ったような口調で言った。 「なんだ、急に」 「名前がわからなかったら、呼びようがないじゃない」 「そうよっ! わたしは相川《あいかわ》ユリ。おじさん、自分でおじさんだと思っているから気にしちゃうんじゃないの」後ろの、やや髪の短い少女が石崎の肩を揺すりながら名乗った。 「ははは、悪かったな。石崎だ」石崎が笑いながら名乗る。 「ちょっと、ここじゃ狭いから、一番後ろに行きましょうよ」ミリアの手に引っ張られ、石崎は引きずられるようにバスの最後部へ向かった。既に、石崎たちの他に客は一人も乗っていない。  ぽんっとはずむように座ると、ミリアがすぐに質問する。 「それで、石崎おじさんっ! ホテルへ何しにいくの?」 「パスは三回までOKだよな」 「もうっ、わかったわよ。石崎さん、ホテルへは何をしにいくの?」 「仕事かな」 「かなって、なによ。かなって」ミリアが少し頬《ほお》を膨《ふく》らませる。 「まあ、いいじゃないか、細かいことは……。ところで、ミリア君とユリ君も美和第一高原ホテルへ行くのかい?」 「きゃはははは」二人が急に笑い出す。 「ミリアくん[#「くん」に傍点]だって!」 「ユリくん[#「くん」に傍点]だって!」 「おいおい、何か面白いことでも言ったか?」 「きゃはは、ごめんごめん。そんなミリア君だなんて呼ばれたことないから、なんかおかしくって」 「じゃあ、なんて呼べばいいんだよ」 「ミリアでいいわよ。呼び捨てで。えーっと、それでなんだっけ? そうそう、わたしたちも石崎さんと同じく、美和第一高原ホテルへ行くのよ」 「そうか、じゃあ二人は旅行か?」 「合宿よ」二人が声を合わせて答える。 「がっしゅく?」 「そう、この制服姿を見ればわかるでしょ」ユリが石崎に向かって、制服がよく見えるように胸を張る。「課外授業といえども……」 「合宿といえども……」ミリアが声を合わせる。 「『学外でも授業と同じです。制服を着用して、気を引き締め、いついかなる時にも櫻藍《おうらん》女子学院の生徒としての自覚を忘れずに……』って言う先生がいらっしゃいますもので」 「全然、似てないわよ、それ。おばさんの真似でしょ」ミリアがユリの腕をこづく。  そう言ってふざけているミリアとユリの制服姿は、入学案内のパンフレットから抜け出てきたくらい様《さま》になっていた。 「そのおばさんと呼ばれている先生とは友達になれそうだよ。それで、合宿というからには、何かの部活動か? 二人は何部なんだ」 「秘密なのよ」ミリアが口に指を当てて、声をひそめて答える。 「秘密?」 「そう。わたしたちの所属しているのは秘密の地下組織なのよ」ユリも声をひそめる。 「高校の部活動じゃないのか?」石崎まで二人に合わせて声をひそめて尋ねる。 「いいえ、部活よ。校舎の地下に空き部屋があったのよね」ミリアがユリに確認する。 「そこを、先生たちにはないしょで、勝手に部室にしちゃったのよね」 「ねえーっ」二人が顔を見合わせて頷《うなず》いている。 「それで、秘密の地下組織というわけか。その、地下組織の活動内容は何なんだ?」 「基本的には、授業をこっそり抜け出して、部室でお菓子を食べることかな」ミリアが首を少し傾《かし》げながら答える。 「あとはゲームよね。視聴覚室から、こっそりテレビを持ってきちゃったのよ。重かったけど」ユリがにっこり笑う。 「これで、電話線さえ引き込めれば、インターネットやりほうだいなんだけど」ミリアが難しい顔をする。 「そう、問題はそこよね」二人が腕を組んで考えている。 「その非合法な組織である君たちが、なぜ合宿などに?」 「学校から部費がでるのよ」当然という顔をしてミリアが答えた。 「なんで、非合法な組織なのに、部費が出るんだ?」石崎が真面目《まじめ》な顔をしてきく。 「部費って、生徒会が管理して、それぞれの部に分配するのよ。だから学校が認めていなくても平気なのよ」ユリが説明する。 「でもそれじゃ、誰でも適当に部を作って、部費を申請するだろ」 「ああ、それは駄目よ。存在しない部なのに申請してたら、ただのバカよ。バ・カ」石崎の顔を見つめてバカのバにアクセントをつけてユリが答えた。 「君たちの部だってそうなんじゃないのか?」 「えへへ」ミリアが照れ笑いした。「生徒会室に忍びこんで、書類を盗み見たのよ。そして、現在は部員がいなくて活動をしていないけれど、書類上は存在している部の名前を騙《かた》ったわけ」 「賢いな。学生にしておくのはもったいない。それで、書類上は何部になったんだ?」 「ミステリィ部。いい? ミステリィ部よ」ユリが真剣な顔つきで答えた。 「そうよ。サークルじゃないわよ。部よ部」ミリアも繰り返す。 「そうか……。今時、部活動だなんて言うからおかしいと思ったよ。でも、ミステリィサークルなら合宿先は麦畑でよかったのにな」そう言って石崎が笑った。 「わたしたちに、一晩かけて、麦を踏み潰《つぶ》せっていうのっ!」二人が立ち上がり石崎に食ってかかる。 「ははは、ごめんごめん。しかし、ミステリィサークル……」ミリアが石崎を睨《にら》み付ける。「じゃなかった。え」と、ミステリィ部なのに、合宿なんかするのか?」石崎がミリアにきいた。 「部の予算って、ある程度用途が決まってるのよ。物品費とか遠征費とかね」 「物品費はパソコンを買ったのよね。それで合宿費もあったから、それを使わないと」 「さすがに、領収書の偽造とかは出来ないし、まあ旅行のつもりでいればいいわけでしょ」 「しかし、予算がいくら出たか知らないが、ちょっと、美和第一高原ホテルは女子高生には似合わないだろう。高原といっても、ただ標高が高いだけで何もない場所という意味だし、ホテルといっても、おそらく日本語に訳すと、温泉旅館だろうし」 「ふふふ、ただだからよ」そう言うと、ミリアがひらひらと紙切れを振ってみせた。 「『ミステリィの館』へご招待か……」石崎が呟《つぶや》いた。 「あれっ、なんで石崎さん知ってるの?」驚いたようにミリアが石崎を見る。 「ほら」石崎がスーツのポケットからしわくちゃのチケットを出した。 「なあんだ。そんな格好《かっこう》してるから、てっきり仕事か何かだと思ったのに、石崎さんも、ただで遊びにきたんだ」ユリが石崎の肩をぽんぽんと二、三度叩いた。 「いや、仕事だよ、さっきも言っただろ。美和ホテルグループは、去年、真宮《まみや》グループが買収したんだ。名前は同じだが、経営陣は全取っ替えだ」 「じゃあ、石崎さんは、そのグループの人ってわけね」ミリアが確認する。 「いや、その取り引き先に勤めているだけだ。なんでもそのホテルの再建にいろいろイベントを考えていて、まだ、企画途中で、今回もモニターだとかなんとか言っていたが……」 「仕事だって言ってるくせに、いまいちはっきりしないわね。自分が何をしにいくか、ちゃんと聞いてこなかったの? わかったっ! 石崎さんいわゆる窓際《まどぎわ》ってやつ?」 「違うわよ、ミリア。今はリストラって言うのよ。リ・ス・ト・ラ。リストラ要員って言うのよ」 「すごいわ。実物を見るのは初めてだわ」ミリアが目を大きく見開いて石崎を見つめる。 「ふふふ、どうだすごいだろう」石崎が胸を張る。 「なに、威張ってるのよ。少しは気にしなさいよ」ミリアが石崎の背中を叩く。 「ははは、でもミリアたちもモニターなんだろ。なら大したことないな。まじめにやらなくても平気だな。こりゃ楽でいいや」 「ふーんだ。ちょっと聞き捨てならないけど、まっいいか。わたしたちだって、モニターなんか、まじめにやる気なんかないもん。おいしいもの食べてのんびりして帰りましょ。ねえ、ユリ」 「そうよ、どうせ、ミステリィツアーとか、ミステリィナイトだなんて、子供|騙《だま》しでしょ。客が来ない暇《ひま》な時に、設備の運転費や人件費ぐらい稼《かせ》げればいいと思ってやるもんでしょ」 「やれるもんなら、盆と正月にやってみろっていうんだ!」ミリアが立ち上がり、手を突き上げて叫ぶ。 「そうだあ! どうして、ゴールデンウィークとお正月の時だけ、円安になるんだあ!」ユリも立ち上がり手を突き上げて叫ぶ。 「日本人をなめるなあ!」二人が叫ぶ。 「おいおい、今日いくところは外国じゃないだろ」 「そうだったわ」二人とも何事もなかったように座席に座り直した。 「でも、なかなかおもしろそうなことが書いてあるじゃないか」そう言って石崎が招待状を読み始めた。   ミステリィの館へようこそ ミステリィを知り尽くしたあなた 既存のミステリィでは満足できないあなた 新たな刺激を求めているあなたを ミステリィの館へご招待致します ミステリィの館は、きっとあなたを満足させます お金では買えない究極のトリックをあなたへ……   「お金では買えないって、料金取るくせに何を言っているんだか」ミリアが招待状を覗《のぞ》き込みながら言った。 「そうそう」ユリが大きく頷く。「そんなコピーに騙されちゃだめよ。どうせ三流の広告代理店に踊らされてるのよ。そこのホテル」 「代理店もバブルがはじけちゃって大変なのよ。それで適当な企画でっち上げて、人のいい田舎者を騙してお金をふんだくろうとしてるだけよ」 「そうだあ! 田舎者をなめるなあ!」ユリが手を突き上げて叫ぶ。 「でも、ここに書いてある『企画原案、来木来人』って有名なミステリィ作家だぜ」 「なに、そのライムライトって? スナックの名前?」ミリアが質問する。 「『ら・い・き・ら・い・と』、おまえら、ミステリィ部だろ」 「さっき説明したでしょ。名前だけだもん」ユリが胸を張って答える。 「まったく……、来木来人っていうのはな。碧北《へきほく》大ミステリィ研究会の出身でな」 「あっ、わたしたちと同じミステリィ部なんだ」ミリアが嬉しそうに声を上げる。 「でも、研究会って言うみたいよ」ユリが指摘する。 「そっちのほうがいいわね。部っていうと、なんか朝練とかしそうだもんね」 「これからわたしたちも研究会って言いましょうよ」 「ミステリィ研究会か……。なんかかっこいいわね。研究するのよ研究!」 「きゃあ、かっこいい」二人で騒いでいる。 「そ、それでだ。その来木来人はだな。大門寺《だいもんじ》豪《たけし》に見出されてだな」 「誰それ?」ミリアが首を傾げる。 「大門寺豪も知らないのか? 『降霊術殺人事件』知らないのか?」 「しらなあい」二人が声を合わせて答える。 「かあっー! なんにも知らないんだな」石崎があきれたように首を左右に何度も振る。 「石崎さんこそ、変なこと知っているわね。もしかしてオタクなの?」ミリアが石崎を疑わしげに見つめる。 「案外、今回のモニター楽しみに来たんじゃないの?」ユリが石崎の顔を覗きこむ。 「そ、そんなことないぞ。俺は仕事だから仕方なく来たんだ。と、とにかくその来木来人っていうのは新進気鋭の人気ミステリィ作家だったんだ」 「人気作家だったんだって、もう落ち目なの?」ユリが質問する。 「違うっ! 二年前に死んだ」 「へえー?」 「当時はかなり騒がれたんだがな。ミステリィ作家が殺人事件の被害者になったって。テレビのワイドショーとかでもかなり騒いでいたぞ」 「ふーん、そうなんだ」ミリアが頷いた。「それでその犯人は捕まったの?」 「いや、結局、自殺ってことで落ち着いたらしいな」 「なんで、すぐに自殺だってわからなかったのよ」ミリアが怒ったようにきく。 「警察が、あまり詳《くわ》しいことは発表しなかったんだ。有名人だし、世間に注目されていたから、警察も下手なことを発表して、もし間違っていたら格好悪いからな」 「じゃあ、自殺ってことで落ち着いたのはどうしてなの」ユリが質問する。 「遺書が見つかったらしいんだ。自宅のワープロのフロッピーに入っていたようだ」 「ふーん。それで、自殺の原因は?」 「遺書には特に書いてなかったようだが、執筆活動に行き詰まっていたとか、病気を苦にしていたとか、自分で自分の考えたトリックを試したとか、噂《うわさ》だけはたくさんあるよ。そのころ一年程、新作の発表が途絶《とだ》えていたことも、数多くの噂を生み出した一因かな」 「なるほどね」ミリアが頷く。「でもその遺書って当てにならないわね。ミステリィ作家なら、作品の中で遺書ぐらい書くでしょ。自殺に見せかけたかった犯人が、作品中の他の文章を消して、その遺書の部分だけ使えばいいわけだし」 「でも、ワープロによっては、その文章を何度改訂したかって出るやつがあるじゃない。第何版とか。作品の文章なんて書き進むうちに何度も改訂してるから、この遺書は作品中のものだってばれちゃうんじゃないの?」ユリが反論する。 「そんなの、その部分だけ新しいフロッピーに記憶すれば、何回改訂したかって履歴《りれき》は残らないんじゃないかな。それにワープロなんだから、機種さえわかっていれば、他人が遺書を作ってきて、そのフロッピーを、そのライムライトの部屋に置いてくればすむだけじゃない。作家だからその人独自の文体みたいなものがあるかもしれないけどね」 「おまえら、なかなか鋭いな」石崎が二人の顔を見る。 「へ? なにが?」 「何がって、おまえらの推理がだよ」  ミリアとユリは一度、顔を見合わせ、やがて大声で笑い出した。 「きゃははははは」 「な、なんだよ急に?」 「こんなの、推理でもなんでもないじゃない。あたりまえのことでしょ」ユリが石崎の顔を覗き込む。 「もしかして、石崎さんの言っているミステリィってこの程度のものなの? まさか、その遺書を記憶した日付が、死んだ日より後だったから、これは被害者が書いたものじゃないとか、その程度のレベルじゃないでしょうね」   「警部っ! ワープロの文書には、その文書を作った日付が履歴として残るんです!!」突然ミリアが男の声色《こわいろ》を使って話し始めた。 「いまさら何を言っている。この遺書には始めの部分に、ちゃんと自殺した日付が書いてあるだろう」ユリも声音《こわね》を変えて、それに答える。 「いいえ、文章の中ではなくて、その記憶保存されている文書の情報として、保存をした日付が、文書の保存名などと一緒に残っているのです」 「な、なんだとっ!」 「ほら、見てください!」 「なにっ! この日付は、被害者が死んだ日より後じゃないか。ということは……」 「そうです。警部っ!」 「よし、行くぞっ!」   「きゃはははは」二人が大声で笑い出す。 「そんなこと、普通気づくって」ユリが突っ込みを入れる。 「案外、警察が自分たちで、その文書を閉じる時に、更新して終わるってやっちゃって、上書き保存されて、日付が死んだ後になっちゃう場合もあるわよね」ミリアが笑いながら指摘する。 「それじゃ、被害者も浮かばれないわよ」 「ははは、おっしゃるとおり、こんなのミステリィでもなんでもないな。前言撤回《ぜんげんてっかい》するよ。いや、二人がワープロのこととか良く知っていたから。ちょっと意外だったんだ」 「だって、部費で購入したもんね」ミリアが胸を張って答える。 「ごまかして手に入れた部費を有効に使っているわけか」  ミリアとユリが石崎を睨む。 「まっ、と、とにかく結論としては、自殺するときは、ワープロで遺書は書かないことだな」 「結論は自殺しないことだ、でしょ」ミリアが石崎の肩を叩く。 「殺されないようにする、もあるでしょ」ユリも続く。 「そ、そうだな」 「あれえ?」ミリアが首を傾げる。「でもそのライムライトって死んじゃったんでしょ。なんでそれなのに、今回の、『ミステリィの館』の企画原案が出来るのよ」 「そういや、そうだな」 「石崎さん、そんなことも気がつかないで来たの? しっかりしてよ。石崎さんの頭の中のほうが、よっぽどミステリィよ」そう言う二人に強く背中を叩かれ石崎は咳《せ》き込《こ》んだ。    三人で騒いでいると、バスが停車し、運転手が声をかけてきた。 「お客さんたち、ここで降りるんだろ」  石崎があたりを見回すと、舗装《ほそう》されていない空き地に車が数台止まっているのが見えたが、ホテルらしきものは見当たらない。 「あれえ? 運転手さん、わたしたち美和第一高原ホテルまでいくんだけど、ここでいいの?」ミリアが不思議そうに辺《あた》りを見回している。 「ああ、ここだよ。ここから先は車じゃ行けないんだ」 「ええー! だって一応ホテルでしょ。車が通れる道ぐらいないの?」 「少し先にあるんだが、この前|土砂崩《どしゃくず》れがあって、道がふさがっちまって、まだ工事中なんだよ。工事が終わるまでは、ここの細い道が唯一の道だよ。そこの空き地に止まってる車の連中も、おそらくここから歩いて行ったんだろ。なあに十五分も歩けば着くよ」    石崎たちが降りると、バスは土煙と排ガスを巻き上げながら走り去っていった。 「まいったな」石崎が辺りを見回すと、バスが走って来た道の右手に細い山道が続いているのが見えた。 「ほんとにこんな細い道しか通じてないのか? 嵐の山荘ってやつか……」 「なにそれ?」ミリアが首を傾げる。 「絶海の孤島というのもあるな」 「なにそれ?」ユリが首を傾げる。 「嵐や吹雪《ふぶき》で、外部から孤立した場所で殺人事件が起きるんだよ。犯人がわからないうちに次々と関係者が殺されていく。まあミステリィの一つのジャンルといってもいいかもな」 「なんでそれがミステリィになるの?」ミリアがもう一度、首を傾げる。「だって、山荘や孤島に閉じ込められた人って、そんなに何人もいるわけじゃないでしょ。普通、誰が犯人かなんて、すぐわかるでしょ。確率からいっても余裕じゃない」 「いや、そういうわけでもないんだよ」 「ええー? どういうわけなのよ……。わかったっ! 一気に、みんな殺されるんでしょ。考える暇もなく。ほら、大量殺人で、血とか、ばあーって飛び散るやつ。なんて言ったっけ? ええーと、す・す……」 「す・と・りっ・ぱ・あ?」ユリが答える。 「そう、その、すとりっぱあ。そういうのが好きな人がいるのよ。まあ人それぞれだから、わたしは別にとやかく言わないけど。そっか、石崎さんって、すとりっぱあが好きなんだ。ふーん……」ミリアが感慨深げに何度も頷いている。 「ち・が・うっ! ストリッパーでも、スプラッターでもない!」 「じゃあ、なんなのよ。それとも登場人物が全部馬鹿なの? わたし、たとえ架空《かくう》の人物でも、他人のことを、馬鹿だなんて言いたくないんだけど」 「馬鹿かどうかわからないが、まあ、山荘ものや孤島ものが人気があるのは、時代のせいかな」 「うわあいやだ。そうやってなんでも世の中のせいだとか、時代のせいだとかにしちゃうのって」ミリアが顔をしかめる。   「どうして、殺人などやったんだ」ユリが男の声で話し始めた。 「お、俺が悪いんじゃない! みんな世の中が悪いんだ!」ミリアも声色を変えて叫ぶ。 「たーーらーーらららーー、とかってここでBGMが入ったりするのよ」   「うわあ、くさあ。石崎さんこんなのが好きなの?」ユリが石崎の顔をいやそうに見る。 「ち・が・うっ! 時代のせいというのはそういうことじゃない。科学が進歩したってことだよ。今の日本で、指紋や血液型のことを知らない人はほとんどいないだろう。指紋一つ残せばすぐに犯人が特定される」 「ああ、それ知ってる。それに最近では、DNA鑑定とかってのもあるんでしょ」ミリアが嬉しそうに声を上げる。 「よく知ってるな。そのとおり。まあ髪の毛一本、といっても毛根細胞がないとだめなのだけど、そのDNA鑑定で、個人がある程度の確率で確定できる」 「毛根細胞って、はげになるとかならないとか、そういうことよね」ユリが真面目な顔をしてきく。 「はげは関係ない。つまり現代では、警察が来て捜査すれば、科学捜査で、すぐに事件は解決してしまう。それじゃお話にならないだろ。小説とはいえ、ある程度リアリティが必要だから、警察が来られないような、外部から孤立した場所での事件がミステリィになるんだよ」 「逆じゃない?」ミリアが少し首を傾げる。 「何?」 「関係者の数が少ないのだから、逆に嵐が治まって、警察が来たら一発じゃない。関係者の指紋取られたり、DNA鑑定されてそれで解決じゃないの?」 「指紋とか、そういう証拠は残さないんだよ」 「だったら、わざわざ嵐の山荘で、人を殺さなくてもいいじゃない。東京のど真ん中で人を殺せば、たとえ指紋を残しても大丈夫じゃない。警察が東京都民全員の指紋のデータを持っているわけじゃないし、ばれないわよ」 「たしかにそうだが……」 「ねえ、ミリア。その嵐の山荘とかで、殺人を犯す人って、きっと捕まってもいいと思ってるんじゃないの?」 「ふーん、なるほど……、っていうか、捕まるとかそういうことも考えていないんじゃないかな。後先《あとさき》考えずに、ただ人を殺せればいいっていうだけよ。やっぱ、それ、すとりっぱあよ」 「じゃっ結論も出たことだし、その閉ざされたすとりっぱあの館へ行きましょうよ」 「はあ……」石崎がため息をつく。 「あら、石崎さん。元気ないわね。元気だしていきましょうよ」ミリアが石崎の背中を叩く。 「そうだな。よし出発だ。行くぞ」石崎が声をかけて歩き出す。 「おいっ、どうした二人とも」ミリアとユリがその場から動かない。  二人とも黙って笑っている。 「どうしたんだよ。なに、にこにこしてるんだ。早く行こうぜ」 「うふふふ」  二人の足元には大きなバッグが置かれている。 「おまえら………」   「うっ」ミリアがうめいて、急にその場にしゃがみこみ胸を押さえた。 「どうなさいました。ミリア姫」ユリもしゃがんでミリアに声をかける。 「持病の癪《しゃく》が……」   「何やってるんだよ。まったく」石崎は二人の側《そば》に近づいた。 「石崎さん、お願いね」そう言って二人は、素速く石崎の手に自分たちのバッグを握らせる。 「おい、こらっ、うわっ、お、重いっ! なんだこれ? おまえらなに入ってるんだ。この中」 「失礼なこときかないのっ!」ユリが石崎を睨む。 「そっ、さあ行くわよおー。だあーっしゅっ」ミリアが掛け声をかけて、すばやく走りだした。長い髪が背中で揺れている。 「もたもたしてると置いていくわよ」ユリも一緒に走り出す。 「くそーっ、走る元気があるなら、自分の荷物くらい持てよ。はあーっ……」山道を駆け上がる二人を見ながら、石崎は大きく息を吐いた。    二十分程山道を歩くと辺りが開け、大型バスが何台も停車できるほどの大きさの駐車場の一角に出た。左側には、閉鎖されているという幹線道路に続くと思われる道が続き、右手には地上五階建てのホテルの建物があった。さらにホテルの左奥に、木々に隠れて、建物の一部が見えた。  石崎はホテルの方に向かった。ホテルの前に人だかりが見える。その中から、石崎の姿を見つけたミリアとユリが駆け寄ってきた。 「石崎さん、ありがと」二人はにっこり笑いながら石崎から自分たちの荷物を受け取る。 「はあー、文句を言う気力もないよ。なんか冷たいものでも飲みたいな。早く中に入ろうぜ」 「それが、駄目なのよ。鍵がかかってるのよ」少し頬を膨らませてミリアが答えた。 「鍵だあ?」 「だから、みんなあそこで騒いでいるんでしょ」ユリがホテルの前の人だかりを指差した。  石崎は人だかりのしているホテルの玄関に向かった。  ホテルの入り口は、重厚そうな木製の両開きの扉だった。中央に金属製のノブとその下に鍵穴が見える。扉の横の壁面には、美和第一高原ホテルと刻まれた金属製のプレートが埋め込まれている。その周りに十人程の人が集まっていた。 「確かに、ここが美和第一高原ホテルのようだが……。中には誰もいないのですか?」石崎が誰にともなく声をかける。 「いや、明かりも点《つ》いているし、人影も見える。それなのに扉を叩いても、まったくこちらを無視しているんだ」ジャケット姿の髭《ひげ》を生やした男が答えた。 「いったいどういうことなの。モニターをしてくれって、呼び出しておいて」眼鏡をかけた背の高い女性が甲高《かんだか》い声で言った。  石崎は、扉に手をかけてノブを回してみたが、やはり中から鍵がかかっているようだった。がちゃがちゃノブをいじっていると後ろの方がざわめきだした。 「石崎さんっ! どいた、どいた」ミリアとユリが、どこから拾ってきたのか、大きな丸太を脇にかかえて、扉に向かって突進してくるところだった。 「うわっつ!」石崎が声をあげて脇によける。  鈍《にぶ》い音をたてて丸太が扉にぶつかる。 「うーん、駄目か? ほら石崎さん、男でしょ。ぼやっとしてないで手伝って」ミリアが石崎に丸太の先端を差し出す。 「あ、ああ」石崎もとまどいながら、一緒に丸太を抱えた。一周りの人間はあっけにとられて三人を見ている。 「おい、ミリア。ちょっとまずいんじゃないか?」勢いをつけるために後ろに下がりながら、石崎がミリアに声をかける。 「なにが? わたしたちを待たせるなんて、ふざけてるわ。重い荷物持ってはるばるこんなところまでやってきたのよ。中の奴等、こっちに気づいているんだから、早く開けろっていうのよ。開けないつもりなら、強行突入して、文句言ってとっとと帰るのよ」そう言うと、ミリアが石崎の後ろで駆け出した。その勢いにつられて石崎も駆け出し、勢いよく丸太を扉にぶち当てた。  ミシッと音がして、木の扉にひびが入ったようだ。 「よおおおーし、もうちょっとだあ。もう一回いくわよおお」ミリアが掛け声をかけ、再度助走をつけようと、後ろに下がり、走り出そうとすると、ガチャガチャと鍵の開く音がした。 「おおっと、危ないところだったわね。これがコントだったら、わたしたちが突っ込んだ拍子に扉が開いて、こけるとこだったわ」鍵の音に気づいたミリアが足を止めた。  やがて扉が開かれ、ホテルの中から、黒い服を着た初老の男が外に出て来た。 「これは、これは、大変失礼致しました。みなさん、お怪我はありませんか? 私、当ホテルの支配人の黒田《くろだ》と申します」そう言って男が深く頭を下げる。 「どうして、すぐに開けないんだ。俺たちが外で待っているのはわかっていただろう」髭の男が食ってかかる。 「まさか、何かの手違いで、モニターは中止っていうんじゃないでしょうね」眼鏡の女もさらに声のトーンを上げている。  ミリアとユリは手に持っていた丸太を放り出して、素知《そし》らぬ振《ふ》りをして、石崎の後ろに身を隠している。 「いえいえ、もちろん『ミステリィの館』のイベントは行います。そのために、時間になるまでは扉を開けなかったのです。参加者の皆さんに公平を期すために」 「確か、集合は十時だろう、もう十時十五分だぞ」Tシャツとジーンズの若い男が腕時計を見ながら言った。 「それでは、こちらへ。まずは前庭にありますテラスのほうで簡単な説明を致します」支配人の黒田は若い男の言ったことは聞こえなかったように、さっさと歩き出した。 「ちえっ」若い男は舌打ちすると、両手をポケットに突っ込み、バッグを脇にはさんだまま歩き始めた。 「おしかったわね。もう少しで扉を破壊できたのに。まあいいわ。とにかく説明とやらを聞きましょ」ミリアが、ユリと一緒に支配人の後についていく。 「お、おい荷物を……」石崎が声をかけたが二人とも聞こえない振りをして歩いて行く。 「くそーっ、さっきは丸太持って暴れてたくせに」三人分の荷物を持って石崎は歩き出した。  他の客たちも荷物を持って支配人の後をついていく。 「ひとつお持ちしましょうか」白い服の若い女性が、石崎の横に並び声をかけてきた。 「えっ?」驚いて女性の顔を見る。 「わたくし、これだけですから、両手も空《あ》いていますし……」女性は肩から小ぶりなバッグを一つ下げているだけだった。 「いや、平気ですよ。そんな、あなたのような若い女性にこんな荷物を持たせる訳にはいきません」 「そうですか……。でも、不親切なホテルですね。ポーターとかいないのかしら? お客に荷物を持たせたまま移動させたりして……」    テラスには、白いテーブルと椅子が設置されていた。テラスに到着すると、支配人は椅子に座るように促《うなが》した。 「石崎さん、ああいう人が好みなの?」ミリアが石崎の横に座る。石崎が白い服の女性と話していたのを見ていたようだ。 「な、なんだ、ちょっと話していただけだろ」 「どうだか?」ユリが石崎の肩を突つく。 「他にも若い女性がたくさんいるわよ」ミリアが周りを見回す。 「ほら、あの人なんて、どう?」ユリが指差す先には、この季節にしては、少し肌の露出度の高い女性が一人で座っている。  石崎が二人にからかわれているうちに、全員が席につき、支配人の黒田が説明を始めた。 「皆さん席につかれたようですね。それでは今回のイベント、『ミステリィの館』についてご説明致します」 「ちょっと、お茶ぐらい出ないの?」眼鏡の女が声をかける。 「これは失礼致しました。高田《たかだ》様。今、届くと思いますので」支配人が頭を下げる。 「ほら、あの人、評論家の……」石崎たちの隣りのテーブルの、OLらしき二人組が高田と呼ばれた女性を指差している。 「石崎さん、誰よ? あのおばさん。有名なの?」  ミリアが石崎に尋ねる。 「高田|伸子《のぶこ》。評論家だ。テレビにも時々でている」 「ああ、ワイドショーとかで、適当なこと言う仕事ね」 「難しい顔して、ふんぞり返っていればいいのよね。あれ」  ミリアたちの方を高田が睨んだ。 「おいっ、声がでかい」石崎が慌《あわ》てて二人を制する。  やがて、紅茶とクッキー、それに、かごの中にパンが入れられて、それぞれのテーブルに配られた。 「お腹のお空《す》きのかたは、パンもどうぞ」黒田が皆に勧める。「もちろん昼食はホテルの中で召し上がっていただきますので、食べ過ぎませんように」 「む、むぐ★☆★、な、なんですって?」ミリアとユリが既《すで》に、口の中をいっぱいにしている。 「食べ過ぎるなってよ」 「では皆さん、そのままで聴いてください。説明を致します。さて今回、皆様には『ミステリィの館』のモニターをお願い致しましたわけですが、この『ミステリィの館』は、美和グループがホテル業界に参入……」 「わかった、わかった、それはわかっているから具体的な説明をしてくれ」髭の男が話を遮《さえぎ》った。 「これは、これは、失礼致しました。那賀《なが》先生」 「きゃあ、やっぱり那賀|良和《よしかず》よ!」石崎たちの隣りのテーブルの女性二人がそう言って叫ぶと、足元に置いたカバンを開け、中から本を取り出し、那賀のテーブルに駆け寄った。 「サインしてください。ファンなんです」 「ははは、おいおい、君たち。今、説明の途中じゃないか、後で書いてあげるから」那賀は、断りながらも嬉しそうな顔をしている。 「じゃ、後できっとお願いしますね」と言うと、二人ははしゃぎながら自分の席に戻った。 「むぐむぐ、なにあれ?」ミリアがクッキーをほおばりながら横目で見ている。 「なに? 先生って? どこの学校の先生?」ユリが質問する。 「那賀良和、ミステリィ作家だ」石崎が答える。 「ふーん……。それでサインくれって言ってたんだ。でもあの人たち、バッグの中、本がいっぱい入っているわよ。馬鹿じゃないの」ミリアが隣りのテーブルの二人のバッグの中を覗きこむ。 「なになに」ユリが、隣りのテーブルの上に置かれた、サインを貰《もら》おうとしていた本を見ている。「『月曜日毒物連続殺人事件』……?」 「なにそれ?」ミリアが興味なさそうにきいた。 「那賀良和の作品だよ。曜日殺人シリーズと呼ばれているものだ」 「ふーん」二人が興味なさそうに頷いた。 「ええー、よろしいですかな。説明を続けたいのですが……」黒田がざわめき始めた座を静める。  ミリアとユリは、チョコレートの付いたクッキーがおいしいと言い出して、チョコ付きのものを狙って食べ始めた。那賀良和には全く興味がないらしい。 「では、形式的なことは省きまして、『ミステリィの館』の説明を致します。ここ美和第一高原ホテルの裏手に、ここからでも少し建物が見えますが……」黒田が指差す先に、木造の二階建ての大きな建物が見える。 「あれが『ミステリィの館』です」黒田の言葉に、皆、立ち上がり、良く見えるところまで移動して館を見ている。  ミリアとユリはチョコ付きのクッキーを食べきってしまい、隣りのテーブルのクッキーに狙いを定めている。 「あれは……」那賀が声を上げる。 「さすが那賀先生、気づかれましたか」 「まさか……」 「ははは、そのまさかです。来木《らいき》来人《らいと》邸です」黒田の声がひときわ大きくなる。 「しかし、来人の家がここにあるわけない」 「運びました。そのまま」 「解体して運んだのか?」那賀が呟《つぶや》く。 「いいえ、言葉の通りそのまま運びました。欧米では、引越しする時、家をそのまま動かすなどということは、別に不思議ではないようですよ」 「しかし、家といってもかなりの大きさだぞ。確か十部屋以上あっただろう」 「はい、確かに大変でございました。費用もかかりました。しかし、『ミステリィの館』と致しましてはこだわりがございますので……」 「トリックか……」石崎が呟いた。 「はい。動かないと思う家が動く、動かせる。『ミステリィの館』はトリックにこだわっておりますので」 「なんのこと? 石崎さん」ミリアが尋ねる。 「家を動かしたり、持ち上げたりするトリックがあるんだよ」 「ふーん……。あっ、これ食べないのですか?」ミリアが隣りのOLたちのクッキーにまで手を出し始める。 「つまり、とことんこだわっているということか」那賀が言った。 「はい。可能なかぎり」 「それで、館の中はどうなっているの?」高田が質問する。 「中は少し改造させていただきました。来人氏の書斎はそのままの形で残っていますが、その他は、先生の書庫をミステリィ図書室に、広間をイベントホールに、リビングを映像室に改造致しました。客間は、そのまま宿泊もできます。皆様には、そこに宿泊していただきます」  一同から感嘆の声があがった。 「そ、それで我々は何をすればいいんだ」那賀が興奮気味に質問する。 「はい、施設やイベントなど、なんでもご意見をお聞かせください」 「それだけか?」 「いいえ。これから、この館の中で次々と事件が起こります。それを解決していただきます」 「それがイベントってわけね」高田が言う。 「解決しなくちゃいけないの?」隣りのテーブルのクッキーも食べ尽くしたミリアが立ち上がって質問した。 「はっ? といいますと」黒田が聞き返す。 「そんな、つまらなそうなことしないで、のんびりしてちゃいけないのかって、きいてるのよ」 「ああ、それはかまいません。『ミステリィの館』へ、一時《ひととき》の憩《いこ》いを求めて来る方もいらっしゃいますでしょう。そういう方には、当館にあります古今東西《ここんとうざい》のミステリィをのんびりとお読みになっていただくのもよろしいかと思います」 「そういう意味じゃないんだけどな……」ミリアは呟いたが、周りのテーブルの上を見回して、クッキーの残り具合を確認したらしく、座るついでに、前の方のテーブルのクッキーとパンを両手一杯につかんできた。 「来木来人の未発表資料があると聞いたのですが」大学生くらいの、少し暗そうな男が質問した。 「俺もそれを知りたい。本当にあるのか」那賀が黒田を真剣に見つめる。 「はい、ございます」  一同にざわめきが走る。 「そ、それを見せてくれ」那賀が立ち上がった。 「謎を解明できましたら……」 「何っ?」 「ですから謎を」 「ここで起こる事件の犯人を当てろってこと?」高田が質問した。 「さて、どうでしょうか……」 「はっきりしなさいよ」 「皆さん。あなたたちは、モニターでここに来ているとはいえ、ミステリィが好きなのでしょう。中にはそれを御商売にしている方もいらっしゃる。何が課題で、何を解決したらいいかくらいは自分でお考えになってください」黒田がきっぱりと言いきると、皆が黙り込んだ。 「しかし……」那賀が何か言いかける。 「しょうがないですね。ではヒントをあげましょう。来木来人氏に関する謎です」 「来人の……。もしその課題の謎を解いたら、その未発表資料を見せてくれるんだな」 「はい」 「そんなもの見てどうするのよ」今度はユリが立ち上がった。話しながら周りのテーブルの上を物色しているようだ。「どうせ、そのうち一般公開するんでしょ。すぐに世間のみんなが知ることになるんじゃないの」 「でも、他人より先に見られるんだぜ。ミステリィファンにはたまらない名誉だぜ」大学生風の男が言った。 「たまらないのはあんたの頭の中よ。わたしたちより先に、このおっさんが見てるでしょ。それともこのおっさんとあんたは他人じゃないの?」ユリに突っ込まれて男は口ごもる。 「おっさんと呼ばれるのはあまり嬉しくありませんが、確かに私は見ていますので、他人より先に見られるというのは、正確ではありません。ただし、それは、来木来人氏の未発表資料の隠し場所を示した文書なのです。私には、それを見てもなんのことかまったくわかりませんでした。ですから、それを見てその文書の謎を解ける人間でないと、あまり意味はないかもしれません。それにその文書が、すぐに世間に知れ渡るということはありません」黒田がきっぱりと言いきった。 「あんたたちホテルの人間は黙ってるだろうが、それを見た外部の人間は黙っていないだろう」那賀が怒ったように言う。 「いいえ、誓約書を書いてもらうことになっております」黒田が目で合図すると、従業員がA4サイズの紙を配りはじめた。   誓約書    私、     は、この館で見た、聴いた、感じた、来木来人の資料、原稿、アイディア、遺品など、いかなる作品、文章、物、思想、精神についても、過去、現在、未来において、知人、友人、家族、親族、他人、いかなる人物に対しても、公表しないことを誓います。もしこの誓いを破った場合には、いかなるペナルティを受けることになろうとも異議ありません。    皆、配られた誓約書の内容を読み始めたが、ミリアとユリは誓約書を配りにきた従業員に、クッキーをもっとくれと頼んでいた。 「なんだ、これは……」一同から呟きがもれる。 「来木来人氏の未発表資料に興味のないかたは、誓約書にサインしていただかなくて結構です。それでも、この館では楽しんでいただけます」 「家族や友人に話すぐらいならいいでしょう?」 「そうだ。言論の自由、報道の自由だろう」 「高田様、那賀先生、本当に、言論や報道に自由などあると思っていらっしゃるのですか?」黒田が二人の顔を覗き込む。「まっ、ここで、そのような不毛な議論をしてもしようがありません。誓約書を書くのがいやな方は、来木来人氏の資料を見る権利を失うということです」 「欲しいものを得るためには、自由を失わなければならない……か」石崎が呟いた。 「少し整理していいですか」大学生風の男が立ち上がった。 「どうぞ」 「この館には、来木来人氏の未発表資料の隠し場所を示す文書がある。そしてそれを見ることができるのは、謎を解いた者だけである。しかも、誓約書にサインしなければ謎を解いても見ることはできない。そしてその謎は不明だが、来木来人氏に関するものである。ということですか」 「そのとおりです。さすが碧北《へきほく》大ミステリィ研ですな。呑《の》み込みが速い」 「そんなもの見たくないって人はどうするのよ」ユリが質問する。 「そうよ。別にそんな誓約書のサインなんかいくらでもするし、そのなぞなぞだって解いてやってもいいけど。そのライムライトの資料なんか見たくないわよ」ミリアが続ける。 「はい。来木来人氏の未発表資料を見たくないという方には、代わりの賞品がございます」 「無料宿泊券じゃないでしょうね」  二人ともあらかたクッキーを食べ尽くして口が暇になったらしく、やけにからむ。 「いいえ。少ないかもしれませんが、現金で百万円程」  金額を聞いて皆が少しざわついた。 「ふーん、まあまあね」ミリアとユリは涼《すず》しい顔をしている。 「もちろん、メインは来木来人氏の資料です。これはお金で買えるようなものではございませんから、できればそちらを選んで欲しいのですが。せっかくですので……」 「まさか……、究極のトリックか!」先ほど碧北大ミステリィ研と言われた男が叫んだ。 「そうか、やっぱりあるんだな!」那賀も叫んだ。 「さて? どんな資料かも謎ですから」黒田がにやりと笑った。  今までで一番、皆がざわつきはじめた。それぞれのテーブルでなにやら仲間どうし話し合っている。石崎のテーブルを除いて。 「なにをみんな騒いでるの?」ミリアとユリが周りを不思議そうに見ている。 「『究極のトリック』——来木来人が生前よく語っていたそうだ。『究極のトリックを見つけた、お金では買えないくらいの』って」 「ふーん。石崎さん、ほんとにくだらないこと知ってるわね」ミリアがあきれたように石崎の顔を見る。 「それを騒いでいる、ここの人たちにも驚きだわ」ユリが周りを見回す。 「まあ、人の趣味にはとやかく言わない主義だからかまわないけど、とにかく、くれるって言うんだから百万円だけ貰って帰りましょ」ミリアが当然のように言った。 「そうね。なぞなぞ解けばいいだけでしょ。わたしなぞなぞ得意なんだ」ユリが嬉しそうに続ける。 「お金貰ったら、石崎さんにも分けてあげるからね」二人して石崎に微笑《ほほえ》んだ。 「そうか、すまないな」石崎が苦笑する。 「では、よろしいですかな。異議のない人は誓約書にサインをしてください。書くものがない方はいらっしゃいませんか?」黒田がポケットから何本かペンを取り出す。  ミリアとユリが手を挙げて、ペンを借りてサインをしている。石崎もカバンを開けるのが面倒なので二人が書き終わるのを待っていたが、二人はサインを終えたら、ペンを自分のポケットに挿《さ》して澄《す》ました顔をしている。 「おいミリア、俺にも貸してくれ」 「石崎さん、自分で持ってないの? しょうがないわね。ちゃんと返してよ」 「あ、ああ」石崎がサインしてミリアにペンを返すと、彼女はペンを、当然のように自分のポケットに挿した。 「皆さんサインしたようですね」黒田が確認する。 「ちょっと質問していいかな?」 「なんでしょうか? 那賀先生」 「ここに集められたメンバーはどういう基準で選ばれたのかな」 「一応、ミステリィにお詳しい方を中心に声をかけました。手紙を出しましたが、手紙だけでは信用してもらえない場合もありますから、手紙とともに、直接声をかけることも致しました。その他に、特にミステリィに詳しくない一般の方の意見も参考になると思いましたので、そのような方には、親会社の方からいろいろ声をかけていただきました」黒田が説明した。「それでは皆さんを『ミステリィの館』へ案内する前に、それぞれ自己紹介していただきましょう。これから共に謎を解くライバルですが、仲良く、楽しくやっていただきましょう。ではそちらから」   『ミステリィの館』イベント参加者自己紹介   田中《たなか》裕一《ゆういち》 「碧北大ミステリィ研究会の田中です。来木来人先輩の未発表資料は、我々碧北大ミステリィ研究会が見せていただきます」 仲井《なかい》武雄《たけお》 「同じく碧北大ミステリィ研の仲井です。よろしく」   森《もり》みゆき 「来木来人ファンクラブの森です。このイベントをすごく楽しみにしていました。よろしく」 金井《かない》奈々《なな》 「同じく来木来人ファンクラブの金井です。きっとわたしには、謎は解けないと思うけど、楽しみたいと思います」   斉藤《さいとう》瞳《ひとみ》 「斉藤瞳です。公務員です。私はミステリィは良くわからないのですけど、よろしく」 飯野《いいの》まさみ 「瞳の友人の飯野です。のんびりできたらいいなと思います」   矢部《やべ》勇《いさむ》 「城東《じょうとう》大ミステリィ研の矢部です。よろしく」 大北《おおきた》秀男《ひでお》 「同じく大北です」   高田伸子 「社会評論家の高田伸子です。みなさんお手柔らかに」   那賀良和 「作家の那賀です。まさか来人が、そんな資料を残しているとは思わなかった。来人の友人として、謎は俺が解く」   須藤《すどう》真奈美《まなみ》 「須藤です。会社員です。よろしく」   美宮《よしみや》さくら 「美宮です。今日は一人でまいりました。どうぞよろしく」   秋野《あきの》徹《とおる》 「秋野です。フリーターです。よろしく」   御薗ミリア 「御薗ミリアです」 相川ユリ 「相川ユリです」 石崎幸二 「旭《あさひ》重科学工業、特許情報部の石崎です」   「それでは、皆さん自己紹介も終わりましたので館へまいりましょうか」  一同が立ち上がりかけたその時だった。 「ぐっ、うえっ」須藤真奈美が突然苦しみ出した。 「どうしました? 須藤様」黒田が駆け寄る。須藤が苦しそうに口を押さえながら、テーブルの上を指差している。  その先には、食べかけのパンがあった。  突然の事態に、皆があっけにとられているうちに、須藤は、テラスのタイル状の床の上に倒れ、苦しそうに身体を震わせてうめいている。 「ど、どうしたんだ」 「救急車を早く」我《われ》に返って、皆が口々に叫ぶ。  やがて須藤は、大きく痙攣《けいれん》した後、動かなくなった。 「とにかく中へ」ホテルから担架《たんか》を持った従業員がやって来たので黒田が指示を出した。  須藤は担架に乗せられたが、ぴくりとも動かない。この季節にはまだ早いであろう、肌を露出した服装が痛々しかった。須藤はそのままホテルの中に運ばれていった。彼女のテーブルにはパンだけが残った。 「いったいどうしたんだ」那賀が誰にともなく尋ねる。 「毒じゃないかしら? 彼女、パンを指差していたもの」高田がテーブルの上を指差した。  テーブルの上には、半分ほど食べた跡のあるクロワッサンが残っている。  ミリアが石崎の腕を引っ張った。 「ほら、石崎さん。そんな茶番ほっといて行きましょうよ。こんな日向《ひなた》にいたらほんとに倒れちゃうわよ」 「どうして、わかった?」石崎が小声でミリアに尋ねる。 「さっきこっそり、あの人のテーブルの上の、クッキーとパンを頂いたのよ。そしたら、ほら」ミリアが二つに割ったクロワッサンを見せる。中には、『毒』と書かれた紙が入っていた。 「直球だな」 「ど真ん中でしょ……。これから、こんなことの相手すると思うと頭痛いわ」ミリアが小さく首を左右に振った。   「皆さんよろしいですか」黒田が声をかけた。 「何がよろしいですか、だ。救急車はまだなのか」那賀が怒ったように黒田を睨んだ。 「そうよ、あのパンなんなの。まさか毒じゃ。警察も呼ばなきゃ」高田も声が荒い。 「それでよろしいのですか?」 「なにを言ってるんだ、あんた」那賀が声を荒らげる。 「呼ばなくていい」城東大ミステリィ研の二人、矢部と大北が言った。 「なんだと」那賀が振り返る。 「ゲームは始まっている。そうですね、黒田さん」 「そのとおり。さすがは名高い城東大ミステリィ研ですな」黒田が嬉しそうに答える。 「捜査は僕たちがするということか……」碧北大の田中も気づいた。 「そうです。もちろん須藤さんは死んでおりません。彼女はこちらのスタッフです。これから先、このような事件が次々と起こっていきます」 「そうか、その事件の謎を解いていく訳だな」那賀も納得したようだ。 「それも結構」 「なに?」 「先ほど言いましたでしょう、那賀先生。謎がなにかは謎だと」  黒田の言葉に皆が黙り込んだ。 「まあいい、とにかく今の事件を調べるぞ」城東大の矢部と大北がテーブルの上に残ったパンを調べ始め、中に入っていた『毒』と書かれた紙を発見して歓声を上げた。 「遅れるな、僕たちも調査だ」碧北大の田中たちも残ったパンを調べ始めた。 「皆さんやる気が出たようですね。被害者の遺体はホテルのロビーにあります。そちらも調べてください。ただし、本当は生きているからといって、死人から証言を取ったりしないでください」黒田がにやりと笑った。それを聞いて何人かがロビーへ向かった。 「皆さんの荷物はこちらで館へ運んでおきますので、ご心配なく。ただし昼食の都合がございますので、十二時には館の食堂へ集合してください。食堂や皆さんの部屋の場所は、従業員に聞いてください。もちろん、事件について従業員に聞き込みをしてもかまいません」説明する黒田の側に、瀬口《せぐち》という名札をつけた従業員が立っていた。彼女がパンを運んできた従業員だと気づいた森と金井が、さっそく聞き込みを始めた。 「那賀先生、よいのですか。調査しなくて」黒田が那賀の顔を覗きこむ。 「そ、そうだな」那賀はあわてて現場を調べている人の輪の中に入っていった。   「あほらし、早くのんびりしましょ」ミリアとユリがさっさと館へ向かって歩いていく。 「そうだな」石崎も歩き出した。 「ミリアさん、ユリさん、それに石崎さんは、事件を調べないのですか?」イベントの説明の前にも石崎に話しかけてきた美宮さくらがまた声をかけてきた。その少し後ろを二人の女性、斉藤瞳と飯野まさみが歩いている。 「ええと、美宮さん、それに斉藤さんと飯野さん、あなたたちこそ」石崎が逆に質問する。 「わたくしは、あまり興味がありませんので……、今回のモニターも代理ですし」美宮さくらが答える。 「わたしたちも、のんびり休暇にきただけですから」斉藤と飯野が答える。 「じゃあ、みんなでのんびりしましょ」ミリアとユリがうれしそうに声をそろえた。   『ミステリィの館』、つまり元、来木来人の館は、個人の館とは思えない広さだった。館は二階建て、長方形をしており、一階二階共に、長方形の長い辺と平行に館の中央を廊下が貫《つらぬ》き、その両側に部屋があった。一階には、入り口を入って左側に、イベントホール、映像室、娯楽室が、右側に、食堂、浴場、従業員室、図書室があった。入り口横の階段を上がった二階には、ツインの客室が左側に六つ、右側に六つあった。左側、階段から奥に向かって、一号室から六号室、右側手前から七号室から十二号室となっていた。さらに、左側奥に、この館の元主、来木来人の寝室が、右側奥に書斎が、彼が死亡した当時そのままの形で残っていた。  石崎、ミリア、ユリ、美宮、斉藤、飯野の六人は、奔走《ほんそう》する他の参加者を尻目に、館に入って客室に案内された。それぞれの客室はツインタイプで、ミリアとユリ、斉藤と飯野の二人が同室となり、美宮と石崎はそれぞれ、一人で部屋を使うことになった。部屋割りは、部屋数の関係から、高校生と大学生は二人で一部屋とのことだった。もちろん斉藤と飯野は、二人一緒がよいと希望したので二人で一部屋となったわけで、別に一部屋ずつでも問題ないとのことであった。  石崎は四号室に通された。ホテルで四号室があるのは、『ミステリィの館』のこだわりかと思い苦笑した。部屋の中には、左側奥にベッドが二つ、右側奥に書き物机、手前にテーブルと椅子四脚があった。入って左側のドアを開けると洗面所、その奥に浴室があった。  石崎は、荷物を机の上に載せると、ネクタイを外して、ベッドの上に寝転んだが、石崎が一息つくまもなく、すぐに、扉を叩く音がした。起き上がり、扉を開けると同時に、喧噪《けんそう》が外からやってきた。 「なんだ、ここもわたしたちの部屋とおんなじだ」 「ほんと、ほんと」ミリアとユリは、ずかずかと部屋の中まで入り込みベッドの上に腰を下ろして辺りを見回している。 「あった、あった。石崎さんこれ頂戴《ちょうだい》ね」ミリアがテーブルの上においてあるお菓子に目をつけた。 「なんだ、犯行の動機はそれか。お菓子目当ての犯行か」 「いいじゃない。どうせ食べないでしょ」 「勝手に決めるな。さっきみたいに毒が入っているかもしれないぞ」 「茶菓子で茶番だなんて、お笑いだわ。それに、絶対に、このお菓子に毒、もちろん『毒』と書いた紙もよ、それが入っていることはないわ」ミリアが自信を持って言い切った。 「どうしてだい?」 「この場に三人しかいないからよ。最初に黒田のおっさんが言ってたじゃない。みんなに公平を期すためにホテルの扉を開けなかったって。ここで新たな殺人が起きて、つまり毒入りのお菓子を食べてわたしとユリが死んだら、今大騒ぎして捜査してるお馬鹿さんたちより、石崎さんが有利になるわけでしょ。だからそれはないわ。それに、さっき毒殺された須藤さんて、このホテルの人でしょ。わたしとユリはこのホテルの人間じゃないから、殺される演技もしないし、殺される役が回ってくることもないということよ」 「そうそう。それに二人目の被害者も毒殺じゃ芸がないわよ」ユリが大きく頷く。 「連続毒物殺人かもしれないぜ」 「そりゃ一回目は、パンに『毒』って書いた紙が入っていたぐらいでも、あのお調子者たちも喜んで捜査するかもしれないけど、二人目も『毒』って紙じゃ、どんなお馬鹿さんでもしらけるでしょ」ミリアが説明する。 「案外、本物のタバスコとか、辛子《からし》とか入れたりしてね」 「それじゃ、テレビのB級番組だわ」 「お笑いの館になっちゃうわね」 「つまりミリアは、次は毒殺じゃない。そしてみんながいる時に事件が起きると言いたいわけか」石崎が確認する。 「そうよ。そしてわたしとユリはホテルの回し者じゃないから、この先死ぬことはないわ」 「ははは、俺も回し者じゃないよ」 「あっ、それで思い出した。石崎さんさっき、特殊|諜報部《ちょうほうぶ》所属って言ってたけど、石崎さんスパイなの?」ミリアが疑わしそうに石崎の顔を見る。 「なに?」石崎が不思議な顔をする。 「ねえミリア、はあどぼいるどって言うんじゃないの。それ?」 「ち・が・うっ! スパイでもハードボイルドでもない。特許情報部」 「なにそれ?」二人が首を傾げる。 「特許って知ってるだろ」 「とおきょおとっきょきょきゃきょきゅ」ミリアが早口で言う。 「そう、それだ。ただし、とおきょおとっきょきょきゃきょきゅは実際には存在しない」 「存在しないのになんであるのよ」ミリアが石崎を睨む。 「特許を扱うのは特許庁。そして、企業でその特許を管理したり出願したりするのが俺の部署だ」 「じゃあ諜報っていうのは?」ユリが尋ねる。 「諜報じゃなくて情報っ! 特許っていうのは、早いもの勝ちなんだ。だから人より先に、人のやっていない発明を特許にしなければならない。そのためには世間の科学技術のレベルを、常に把握《はあく》していなければならない。つまり情報が重要なわけだ。まあ世間では、特許課とか言わずに知的財産部とか言うところが多いけどな」 「ふうん」ミリアが頷いた。「そこで石崎さんはリストラ要員なのね」 「ああ、そうだ……って、俺に変なことを言わせるな」 「でも、その石崎さんの勤めてる、なんとか重科学工業って、なんかすごいことやってそうじゃない」そう言って、ユリが身を乗り出す。 「そうね、れえざあ光線とか、こうしりょくばりあとか、がんだむとか研究してるんじゃないの? 石崎さんはずっとその特殊諜報部なの? 研究しなかったの?」質問しながらミリアが石崎の顔を覗き込む。 「いや……、ちょっと失敗してね。研究所から異動になったんだよ。ははは」石崎が力なく笑った。 「やっぱり……、ほんとに、リストラ要員なんだ」ミリアが心配そうな顔をして石崎の顔を見つめた。 「ははは、まあ首にはならないだろ。なったらなったで気楽でいいよ。どうせ独り者だしな」 「覇気《はき》がないわねえ。それで失敗って何やったの?」ユリが質問する。 「開発中の新兵器のビームを撃ち込んで、山を一つ消したとか、でなければ、汎用《はんよう》人型決戦兵器を暴走させたとか……」ミリアが答える。 「そんなことするか」 「じゃあ、トルエンを横流しして、新宿で売りさばいたとか」ユリが答える。 「一気にレベルを下げるな」 「じゃあ、あれしかないじゃない」ミリアとユリが石崎から脅《おび》えるようにして離れた。 「なんだよあれって?」 「セクハラね。セクハラしたんでしょ。きゃーっ!」ミリアとユリが笑いながら、走って出ていった。    ミリアたちが出ていくとすぐに、また扉がノックされた。  石崎がドアを開けると、斉藤瞳が立っていた。 「今、この部屋から女性の悲鳴が聞こえたのですが……」斉藤が石崎の背中越しに中を覗き込む。 「い、いや、なんでもないですよ。あれはミリアとユリがふざけていただけです」 「あなた、あの娘たちとどういう関係なのですか?」斉藤の目つきが鋭くなる。 「どういう関係といわれても、今日知り合ったばかりですが……」 「今日知り合ったばかりで部屋に連れ込んだのですか」 「いや、そういうわけではなくて」 「どういうわけなのです」斉藤の表情が厳《きび》しくなる。  その時、向かいの部屋から、お菓子を両手いっぱいに抱えたミリアとユリが出て来た。他の部屋からもお菓子を回収してきたようだ。石崎を見て二人が叫んだ。 「あっ、セクハラ男だ!」 「あなたやっぱり。ちょっと来なさい」石崎は襟《えり》をつかまれて部屋から引きずりだされた。 「うっ、うわっ、違うって。おいミリア、ユリ、笑ってないでちゃんと説明しろ」その姿を見てミリアとユリが笑いころげている。  しばらく笑った後で、二人が斉藤に事情を説明した。 「石崎さん、きちんと説明してくだされば良かったのに……」斉藤が申し訳なさそうに頭を下げる。  石崎が自分の首をさすっている。「だから、違うって言ったじゃないですか」 「石崎さんが、いやらしそうな目をしてるから、斉藤さんに疑われちゃったのよ」ユリが無責任に石崎の背中を叩く。 「本当にすみません。セクハラとかそういうの、うちの職場でもよく話題になるもので」 「まあまあ、斉藤さんそんなに気にすることないわよ」ミリアが自分たちの事を棚に上げて斉藤をなだめる。「それより、お昼までまだ一時間以上あるから、みんなで館の中を見学してみましょうよ」 「そうね。いいわね。まさみにも声をかけるわ」 「そうだな」 「じゃあ、美宮さんも誘いましょうよ」ユリの提案で美宮の部屋に向かった。  扉をノックすると、美宮はジーンズとシャツに着替えていた。 「今、楽な格好に着替えたんで、ちょうど良かったですわ。行きましょうか」石崎たちの誘いに美宮は笑顔で答えた。 「おしかったわね、石崎さん。もう少し早かったら着替え中だったのに」ミリアが石崎の横腹を突つく。 「これ以上誤解を招くような発言はよせ」石崎がミリアを睨んだ。  六人で連れ立って一階に降り、まずイベントホールを覗いた。イベントホールの扉は重厚な木で出来ており、古めかしい金属製のノブがつけられている。重い扉を押して開けると扉のちょうど反対側に、扉の方に向かってビデオカメラと、マイクが向けられていた。 「なに、この部屋?」ミリアとユリが部屋に入って、ビデオカメラに近づき、レンズを覗き込んでいる。  部屋の左手には暖炉《だんろ》が、右手には書棚が置かれている。さらにカメラの視界を遮らないように部屋の両端に木製の椅子が十脚ほど置かれている。カメラの横にあるマイクの下にはリール式の大きな音声レコーダーが床の上に直接置いてある。 「石崎さん、これ動いてるよ」ユリがテープレコーダーを指差した。 「こっちもよ」ミリアがビデオカメラを指差す。 「どうしてこれが、イベントホールなのかしら」斉藤が首を傾げた。 「『降霊術殺人事件』だ」石崎が呟く。 「大門寺《だいもんじ》豪《たけし》ね」美宮が答えた。 「ああ、そうだわ……」飯野が部屋の中を見まわしている。 「なにそれ? そういえば朝そんなこと言ってたような……」ミリアとユリが石崎の顔を見る。 「気づきましたかな」声に振り返ると入り口に黒田が立っていた。 「くろだのおっさん!」ミリアとユリが叫んだ。 「おっさんはやめてください」 「わたしたちは、『くろだのおっさん!』って叫ぶことで、あなたの、登場シーンを劇的にしてあげてるのよ」 「そんなことより、説明してくださらない?」斉藤が黒田に言う。 「はい、石崎さんと美宮さんは気づかれたようですが、この部屋は、ミステリィ作家大門寺豪の代表作、『降霊術殺人事件』の一場面を再現しているのです。」 「一場面って、その小説の中の?」ユリがきいた。 「そうだ、この場面は密室状態で降霊会を行い、その様子をビデオカメラと音声レコーダーを使って監視する場面だ」石崎がカメラの方を指しながら答えた。 「ビデオにも、テープレコーダーにも何も記録されていなかったのに、霊媒師以外全員が殺されたのでしたわね」美宮が言った。 「その通りです。このイベントホールは、そのような古今東西の有名ミステリィの名場面を再現する場所なのです」黒田が説明する。 「ふーん」ミリアとユリはもう興味がなくなったようで、部屋の中をつまらなそうに見回している。 「カメラとテープレコーダーは常に動かしているのですか?」石崎が質問した。 「はい、時間がくればテープ交換を致しますが、新しいテープを入れてすぐに撮影と録音を再開します。もっともテープのストックは一週間分しかありませんから、最長でも一週間前の録画と録音しかありませんが」 「石崎さん、次、行くよ」ミリアとユリが黒田の説明を無視して部屋を出て行く。 「ああ」石崎も後に続いた。  次の部屋は映像室だった。扉はイベントホールと同じ造りだったが、内部はまったく違っている。部屋の左手に映写室が仕切られており、仕切りのやや中央上の開口部位から映写機のレンズが見えた。部屋の右手には巻き取り式のスクリーンがある。さらに、部屋の隅に、ビデオプロジェクターなど最新の一映像機器が設置されている。 「ここは映像室です。8ミリフィルムから、DVDまであらゆる映像を上映できます。映像ソフトもミステリィに関するものなら、かなりの数が保管されております。毎晩映写会を行いますので、リクエストがございましたら、ホテルの者におっしゃってください」 「土曜ワイドミステリィ劇場。不倫の果てに旅に出た人妻を襲った血の惨劇の結末は……不倫心中連続殺人事件」 「うわっミリア、くさあ。それはひどすぎるわよ」 「でもこういうのが受けるみたいよ。不倫と旅と連続殺人、この三つ入れとけば、いいのよ。いわゆる二時間ドラマの法則ね。あとはタイアップした田舎のホテル行って適当に撮影やりながら、ただで飲み食いしてればいいのよ」 「今の俺たちに似てないか? それ」石崎が囁《ささや》いた。 「なにか言った?」ミリアが石崎を睨む。 「じゃ、隣り行こう、隣り」石崎がすぐに部屋を出る。  隣りは娯楽室だった。部屋の中には、ビリヤード台、スタンドバー、ピンボール、麻雀卓などが置いてある。 「おお、これは」石崎が入り口近くのテーブルに近づいていく。 「トランプですね」美宮が言う。テーブルの上にカードが、今までゲームをやっていたかのように置かれている。 「例のやつですか……」石崎が呟く。 「そのようですね」美宮が頷いた。 「なにを、二人でこそこそ話してるのよ。あなたたち怪しいわよ」ミリアとユリが二人の間に割って入る。 「そうですよ。石崎さんだけならまだしも、美宮さんまで」斉藤も同意する。 「カードをやって、それで犯人を当てるというミステリィがあるんだ」石崎が説明する。 「何ですの、それ?」斉藤がきいた。 「ブリッジとか、ポーカーとかやって犯人を見つけるんですよ」   「ふふふ、皆さん、わたしには犯人がわかりました」ミリアが男の声色で話し始めた。 「な、なんですと、ミリア探偵——そ、それで犯人はいったい誰なのです?」ユリも声色を変えて話す。 「犯人は……」ミリアがユリの手元からカードを抜く動作をした。 「おまえだあっ! なぜなら、おまえの手元に残ったカードが、ばばだからだあっ!」   「しかし、ばば抜きで犯人を決めちゃうなんて、ミステリィおそるべし」 「そうね、わたしたちもすこし勉強したほうがいいかもね」ユリが頷く。 「それより、ばば抜きの練習よ。ばばが残ったら犯人にされちゃうのよ」 「そうよね。はっ……」ユリが周りを見回す。 「そして二人だけになった」ミリアが言った。あきれて、皆が部屋を出ていったようだ。    石崎たちが、図書室を見学していると、すぐにミリアとユリの二人が入ってきた。  図書室の中は、壁一面本で埋まっている。 「うわあ、すごい本の数ね」何事もなかったようにミリアが壁一面の本を見て声を上げる。 「これが全部ミステリィなの?」ユリが黒田に尋ねた。 「はい、来木来人氏のコレクションを基に、更に買い足しました」 「これ、全部読んだ人いるの?」 「もっとコレクションしている人もいらっしゃるでしょうね」 「わたしには考えられないわ。題名見るだけで、半日ぐらいかかりそうだわ」ユリがあきれたように本棚を見上げた。 「しかし、想像していた以上に力が入っていますね、この館」石崎が感心したように図書室内を見回している。 「そう言っていただけると光栄です」 「それはそうと、黒田のおっさん。わたしたちの相手ばかりしていていいの? 外のお馬鹿さんたちのこと、ほっといていいの? わたしたちにばかり説明してたら不公平だって言われちゃうわよ」ミリアが意地悪《いじわる》そうに黒田の顔を覗き込む。 「ははは、ミリアさんは厳しいことを言いますね。もちろん他の方たちにも、各部屋の説明は致します。全員一緒に説明しなければならないことは、きちんと全員集めて説明致します」 「そう。じゃ次は昼食の時か……」 「そうなりますかな」 「じゃ、ちゃんと食べ終わってからにしてよ」ミリアが黒田を睨む。 「そうよ。食後のコーヒーとデザートが終わってからよ」ユリも睨む。 「なんのことですかな」 「次の殺人に決まってるじゃない」ミリアとユリが声をそろえる。 「ミリアとユリは、殺人は、全員のいる場所で、あるいは全員にとって公平な時間と場所で起きると言ってるんですよ」石崎が説明した。 「これは困りましたな」黒田が少し顔をしかめた。 「まさか……、わたしたちが楽しみにしている食事中に起こす予定なのね」 「いえ、コーヒーは出るのですが、デザートは昼食には付かないのです」 [#改ページ]   第二章 殺人(?)イベント      昼食は、第一の殺人(?)を捜査していたメンバーが集合に遅れたため、予定より三十分遅れて始まった。ミリアとユリは当然のように先に食べ始め、食べ終わると、捜査中のメンバーが来る前に席を立つといって黒田を困らせ、結局、顔が隠れるくらいのチョコレートパフェで黙らせられた。 「さて、みなさん。お食事はお済みのようですね」黒田が立ち上がる。 「ちょっと待ってよ。わたしもチョコパフェ食べたいわ」高田伸子がミリアたちの方を見て言った。 「申し訳ありませんが、コーヒーか紅茶だけで我慢を」 「じゃあ、どうしてあの子たちは食べてるのよ」 「おりこうさんだからよ」ミリアとユリが声をそろえて言った。 「なんですって?」高田が立ち上がりかけた。 「まあまあいいじゃないか。あんた、ここに飯食いに来た訳じゃないんだろ。コーヒーで我慢しなよ」秋野徹が高田を制した。  メンバーの中で一番|粗野《そや》な感じのするフリーターの秋野に大人の発言をされて、さすがに高田も黙り込んだ。 「あれ、もうコーヒーがないや」秋野がポットを軽く振ってみせた。 「これは、これは、気がつきませんで、おい瀬口《せぐち》君……」黒田が厨房《ちゅうぼう》の方へ声をかけたが、返事がない。 「ああ、いいよ。俺が自分で取ってくるよ。行けばわかるだろ」 「はい、申し訳ありません。瀬口君がいたはずなのですが……。おそらく彼女がいなくても、誰か近くにいると思いますので」 「いいってことよ」秋野が食堂を出て行く。 「まったく、サービスがなってないわ」高田が聞こえるように文句を言った。 「ええ、皆さん。先ほどの殺人事件、便宜《べんぎ》上これからは第一の殺人と呼ばさせていただきますが、そちらの捜査状況はどうでしたかな?」  黒田が話しはじめた時だった。厨房から大きな悲鳴が聞こえた。 「ほら来た」ミリアとユリが顔を見合わせる。  すぐにメンバーの大部分が立ち上がり、厨房に走る。 「ほら、二人とも立て、俺たちも見に行こうぜ。少しは黒田さんのことも考えてやれ」石崎が二人を促《うなが》す。 「しょうがないなあ。チョコパフェ分動くか」ミリアとユリが立ち上がると、美宮さくらと斉藤瞳、飯野まさみも苦笑しながら後に続いた。    厨房では秋野が全身を炎に包まれていた。 「お、おいっ、は、はやく消火器をっ」 「火を消さないとっ」口々に皆が叫ぶ。  黒田が消火器を持ち出してきて秋野に吹きかける。白い粉末が炎を消し去り、辺りに焦げたにおいが立ち込める。消火器の粉に覆われた、真っ白な身体の秋野がコンクリートの床の上に倒れている。服のところどころに黒く焦げた跡が見える。  誰も一言も発しなかった。  呆然とする参加者を尻目に、ホテルの従業員が秋野を担架《たんか》に乗せて運んでいった。 「こ、これはいったい」誰ともなく呟いた。 「第二の事件のようですね」黒田が普段と変わらぬ表情で言った。 「あ、あれも事件なのか」碧北大ミステリィ研の田中が呟く。 「と、とにかく調査だ」城東大の矢部が行動を開始する。 「そ、そうだな」那賀も恐々《こわごわ》と厨房の中に入っていく。  危険がなさそうだとわかると、他の参加者も厨房に入っていった。 「もういいかな?」ミリアが黒田の方を見る。 「御自由に」 「行こうユリ。良い子はごはん食べたら、お昼寝しましょ」 「そうね」  ミリアとユリが厨房を出て行く。石崎と美宮が続く。その後を斉藤、飯野もついてきた。 「ちょっと、ミリアさん。あれも演出なんだろうけど、あなた、全然驚いてないわね」斉藤がミリアに声をかけた。 「だって、厨房って火を使うところでしょ。床なんてコンクリートだから、焼け焦げついたって水流して洗えばいいわけだし。天井もコンクリートの打ちっぱなし、燃えようがないわ。しかも排気ダクトの下よ、あの場所。わざわざ、火を燃やしても支障のないところで火をつけられてもね」 「それはそうだけど、でもこれだけのことをやったら、しばらく厨房が使えないじゃない。消火器の粉だってすごかったわよ」 「あそこ、最初から使ってないわよ。普通、昼食を作ったら、食器とか食材とか置いてあるでしょ。でもあそこには何もなかったわ。昼食はホテルの方から運んできたのよ。器材は全部ステンレスなんだから、部屋ごと水かけて流して清掃完了よ」 「じゃあここの厨房では、最初から料理を作らないつもりなのかしら」 「一応設備は本物のようだから、やろうと思えばできるでしょう。もっとも、冷蔵庫は死体を入れておくためかもしれませんが」石崎が真面目な顔をして答えた。 「なるほどねえ」斉藤が頷く。「でも私、ミリアさんたちに、前もって、事件が昼食の時に起きるって聞いてなかったら、本当に驚いてたわよ」 「でも、いくら演出とはいえ、秋野さん大丈夫なのかしら」美宮が心配そうな顔をする。 「平気だと思います。おそらく彼はスタントマンでしょう。今思えば炎も小さかったし、服が焦げている部分もありましたが、実際は消火器の粉でほとんど見えませんでした。本来なら、厨房内を汚さないために、二酸化炭素消火器を使いたかったのでしょうが、それだと泡や粉で身体を隠すことが出来ませんからね。服があまり焦げてなかったらさすがにインパクトが弱いですからね。ただ、二酸化炭素消火器を人体に使っていいかどうかわからないけど」 「石崎さん、教育テレビのおじさんみたいな解説してないでいきましょ。まさか石崎さん、その程度の知識で何かトリック考えてるんじゃないでしょうね」ミリアが石崎の顔を覗き込む。 「駄目か?」 「駄目でしょうね。最近、理科系の作家多いじゃないですか」飯野が言った。 「へえー、ミステリィ作家にも理科系とかあるんだ」ユリが不思議そうな顔をする。 「体育会系が、はあどぼいるどだから、理科系もあるのよ、きっと。でも石崎さん、研究所追い出されたんでしょ。理科系崩れじゃ、やっぱり駄目ね」ミリアが石崎の肩を叩く。    昼食後、ミリアたちは、ホテルの方へ遊びに行ったようだった。ホテルは、『ミステリィの館』のモニターが終わるまでは、他の客は宿泊させないとのことであったが、施設は通常時と同様に営業しているとのことだった。  石崎が図書室で本を読んでいると、ミリアとユリがホテルから戻ってきた。 「石崎さん、なにやってるのよ」少し機嫌悪そうにミリアが石崎の手元を覗き込む。 「おお、黒田さんは見つかったか?」本から一瞬顔を上げて、石崎が二人にきいた。 「なんでわたしたちが、黒田のおっさんを探してるのがわかったのよ」ユリが怒ったようにきく。 「三時のお茶はスケジュールには入ってないって、言ってくれと頼まれたよ」 「くっそおー、あのおっさん、逃げたなあ」二人が拳《こぶし》を握りしめる。 「でもまあ、いいか。後で仕返しすれば。ところで、美宮さんと斉藤さんたちは?」ミリアが部屋の中を見回した。 「ああ、みんな部屋じゃないか。ここから本を借りていったから、部屋で読んでるんだろ」 「うんうん」ユリが納得したように大きく頷く。「セクハラ男がそばで本読んでたら、それこそ落ち着いて読めないものね」 「悪かったな、ほっといてくれ」 「ねえねえ、石崎さん」ミリアとユリが石崎の向かい側の椅子に腰掛けた。 「なんだ?」石崎が本から顔も上げずに返事をした。 「少し疑問なんだけど、他の参加者の人たちって何をやっているの?」ユリが質問する。 「事件の捜査をしているんだろ」 「だって捜査っていったってねえ」ミリアとユリが顔を見合わせる。 「何を捜査してるの?」さらにミリアが質問する。 「証拠を探しているんじゃないかな」 「証拠も何もないでしょう。だって二つの事件とも、黒田のおっさんたちの考えたイベントでしょ。どんな証拠かわからないけど、見つかったとしても、シナリオ通りの証拠なのか、シナリオにミスがあって偶然でてきてしまった証拠かわからないじゃない」 「それに、被害者は二人ともホテルで雇った人でしょ。証拠も何もないでしょう」 「まあ、科学捜査もできないしな」石崎が顔を上げた。 「そうでしょ、いったいこのイベントはなんなの?」ミリアが石崎の顔を見つめる。 「どうしたんだよ、二人とも。まじめにイベントに参加することにしたのか?」石崎が読んでいた本を閉じる。 「違うわよ。誰よりも早く真相を見つけて、黒田のおっさんを脅すのよ。みんなにばらされてイベントを台無しにされたくなければ、チョコパフェを出せって」 「動機が不純だが、早く解決されるようじゃ、結局向こうが悪いのだから、まあいいか」 「そうでしょ。結局黒田のおっさんのためなのよ」 「そうだな。じゃあ俺の考えを言うよ」 「うんうん」ミリアとユリが身を乗り出す。 「まず、動き回ることに意味はない」 「捜査だと言って、従業員に聞き込みをしたり、犯行現場をうろうろしたりすることね」ユリが確認する。 「そう。さっきミリアが言ったように、その証拠が用意されたものか、偶然か、証拠たり得るのかわからない。それに極端なことを言えば、所詮《しょせん》、全部お芝居なんだ」 「そうよね。黒田のおっさんに、『犯人はお前だあ』って言ってもねえ」ミリアが首を傾げる。 「『全部お芝居ですよ』って、急にあいつ冷静になっちゃったりして」 「案外、お芝居して、断崖絶壁まで追いつめられて、飛び降りるかもしれないわよ」 「うわあ、それもいいわね」二人で盛り上がっている。 「いいかな。次へ進んで」 「ああ、そうだったわね」ミリアが石崎の方に向き直る。「そういえば、黒田のおっさんは謎を解けって言ってたわよね」 「たしか来木来人に関するものだって言ってたわ」 「そう。そして、おそらく今起こってる事件は、その謎を解くための鍵でしかないということだな」 「鍵なら一つで扉は開くわよ。なんで殺人が何件も起こるのよ。どうせ、今まで起きた二つで終わる訳ないんでしょ」ミリアが少し頬を膨らませた。 「厳しいな。じゃあ言い換えよう、パズルのワンピースかな」 「具体的に言ってよね」さらにミリアが頬を膨らませる。 「うーん、そうだな……。この事件の共通性とか特異性とか、そういうものが、謎を解くヒント、あるいは謎が何かって、わかるための手がかりだと思うんだよ。もっとも、さっき言ったように、誰が犯人かなんて証明することは意味ないから、まあ事件の共通点とか、事件に一貫して流れる意志とか、それに意味があると思うな」 「じゃあ、その事件の意味が謎なの」ユリがきいた。 「今のところは、それが謎だけど、その先に何があるかわからない」 「ふーん。一貫性ということは、やっぱりまだまだ事件は起こるわけね」 「そうだね。一貫性だから、連続殺人(?)事件だろうね」 「それで、その事件から導き出される意味はなんなのよ」怒ったようにミリアが質問する。 「わからないな。まだ……」 「なんでわからないのよ」ミリアがすごむ。 「いや、そう言われても」 「石崎さん、ここであなたが謎を解かないでどうするのよ」ユリが身を乗り出す。 「あなた、このままじゃ駄目よ」ミリアが言いきった。 「な、何がだ?」 「会社では、リストラ要員。しかもセクハラ男と嫌われているのでしょ。ここでいいところを見せないでいつやるの」 「いつやるのと言われてもなあ」 「まったく。覇気《はき》がないわねえ」ミリアがあきれたように言う。 「まさか、もう謎はわかってるのに内緒にしてるんじゃないでしょうね」ユリが石崎を睨む。 「そうそう、よくいるわよね。私には最初から犯人はわかっていましたっていう探偵」 「だったら始めに言えよ」ユリが突っ込む。 「ああ、それもいいわね。世界一短いミステリィ。犯人の名前だけ一行だけ書いてあるの」 「それじゃなんだかわからないわよ。『犯人はお前だあ』って書いてあるのがいいんじゃない。頁を開けるとそれだけ書いてあるのよ。読者は驚くわよ。本当の犯罪者なんかびびっちゃうわよ。題名は『世界一短い犯人への手紙』とかしてさ」 「でもそれじゃ売れないわよ」ミリアが突っ込みを入れる。 「何百頁もある本にしちゃってさ。文章は一行だけ。ばれないように袋とじにしとけば、ばっちりよ。みんな騙されて買うわよ」 「それじゃ、読者は怒るわよ。買ってみたら一行だけしか書いてないんじゃ。余白の部分はメモにお使いくださいって書いておかないと。そこの本棚の本くらいあったら泣くに泣けないわよ。おべんと箱くらいあるもの」ミリアが指差す本の著者名には『京極《きょうごく》夏彦《なつひこ》』と書いてある。 「それ、いいなあ。『犯人はお前だぁ』って一行だけ書いてあるの」石崎が言った。 「なんでよ? わたしたちふざけて言ってるのよ」二人が石崎に食ってかかる。 「犯人役だよ。探偵が犯人とか、刑事が犯人だと意外性があるだろ。さらに書き手が犯人という有名な作品もある。あとは読者が犯人というのが考えられるわけだ」 「なにそれ?」ミリアが首をひねる。「小説読んでいて、読者が、『この事件の犯人は俺だぁ!』だなんて言い出しちゃうわけ? それじゃお馬鹿さんのレベルを超えて、ただの危ない人じゃない。石崎さんしっかりしてよ」 「おまえらだろう。へんな話を始めたのは」 「石崎さんが謎を解かないからでしょ」 「しょうがないな。考えといてやるよ」 「じゃあ、今まで考えてなかったの?」ミリアとユリが石崎を睨み付けた。 「わかった。わかった。ほらこれで、アイスキャンデーでも買って食え」石崎が財布から千円出してミリアに渡した。 「わあーい……、って喜ぶわけないでしょ。子供じゃないんだから」 「でも、とにかくホテルの売店に行きましょ」二人はまんざらでもなさそうな顔をして出ていった。  石崎は、また本を読み始めたが、なんとなく気が乗らなくなった。せっかく来木来人の館に来ているのだからと思い、来人の著作をすべて持ち出してきて、机の上に広げた。   「石崎さん、アイスキャンデー買ってきたよ」ミリアとユリが勢いよく入ってきた。 「なんだ、おまえら、自分たちの分だけ買ってくればよかったのに」 「おごってもらったら、普通おごった人の分も買ってくるでしょ」ミリアが石崎にキャンデーを渡す。 「おまえらの方が大きいな。それ」石崎がミリアたちの食べているアイスキャンデーを指差した。 「黙って食べる。文句いわないの」ユリが石崎を睨む。 「ふぁああーい」キャンデーを咥《くわ》えたまま石崎が返事した。 「なあんだ、本読んでいるかと思ったら、本を広げて眺めてるだけじゃない」ミリアがキャンデーを食べながら机の上の本を見ている。 「せっかくだから、来木来人の本を読もうと思ったのだけど、迷っちゃってね」 「みんなつまらないから?」 「違う。どれもおもしろいからだ」 「へえー、そうなんだ。どれどれ」ミリアが一冊手に取った。 「『遠い日のさよなら』K談社ノベルス、850円か……」 「ええと、こっちは『あなたへの特別な犯罪』760円ね。こっちの方が少し厚いのに、安いわね」ユリがカバー裏の価格を確かめている。 「おまえら、値段のことばかり気にするなよ」 「ねえ石崎さん。この人って、このサイズの本しかないの?」ミリアが質問した。 「これノベルスっていうのよね」ユリが確認する。 「ああ。ミリアが言いたいのは文庫がないのか? ということだな。そうなんだ。来木来人は自分の著作を文庫にするのをひどく嫌っていたようなんだ。普通の作家ならば、出版された時期からいって、半分以上の著作が文庫化されていてもおかしくないんだ。噂によると、彼は断固として、文庫化を拒否していたようだよ」 「来人って、ケチだったの? だってこのノベルスって、文庫より高いじゃない。その分作家は儲《もう》かるの? でも、お金のない学生なんか、文庫じゃなきゃ買わない人もいるでしょ」 「そうなんだよな。読者からも文庫化はかなり強い要望が出てるらしいんだ。来木来人も亡くなって二年もたつし、そろそろ文庫化されるんじゃないかな。さすがに死んでしまったら来木来人も拒否できないからね」 「文庫もないけど、はあどかばあっていうやつだっけ。あれもないわね」ユリが気づいた。 「そうね。あの寝っころがって読むと腕の痛くなるやつね」 「そういえばないな。来木来人くらいなら二、三冊あってもおかしくないのにな。言われてみれば変だな」 「もしかして、出版社の方針なんじゃないの。文庫は、儲からないし、はあどかばあは、紙代と輸送代がかかるとかさ。なんかこのK談社って怪しそうだもん」ユリがうさんくさそうに本の奥付を見ている。 「K談社が怪しいのは認めるにしても、他の出版社から出てる二冊も、ノベルス判だからね。やっぱり来木来人の意向なんだろうな。まあ、そういうわがままが通るのも来木来人だからこそだけどね」 「なるほどね」ミリアが机の上の本を眺めている。「この題、どれもそれらしくないわね」 「そうね。普通、何とかの殺人とか、なんとかの館とかそういうのじゃないの?」ユリが首を傾げる。 「そういえば、来人の題名ってミステリィらしくないものが多いね。中身は全部、ばりばりの本格ミステリィだけどね」 「ふーん、本格ねえ。そうだ! そのばりばりの来木来人の書斎に行ってみましょうよ」ミリアが立ち上がった。 「二階にあるって言ってたわね」ユリも立ち上がる。 「昼食の後、行ってみたけど鍵がかかっていたよ」 「おーおー、やっぱり石崎さんミステリィオタクなのね。いてもたってもいられなかったってわけか」ミリアが石崎をからかう。 「そんなことはないよ。ちょっと興味があったから」 「ミリア、油断したらだめよ。本当は女性の部屋に入り込もうとしていたのかもしれないわ」 「そうね」ミリアが頷く。「さっき見たら、客室の扉に各自の名前を書いた紙が貼ってあったもの。きっと石崎さんが間違えた振りして女性の部屋に侵入できないようにという処置だわ」 「そうでしょ。なんか、安っぽい温泉旅館みたいだけど、セクハラには替えられないものね。黒田のおっさんもつらいところだわ」 「でも、石崎さんなら、名前が書いてあろうがなかろうが侵入するかもよ」 「そんなわけないだろ」 「まあ、いいわ、許してあげる。ここでアイスの棒くわえててもしょうがないから、その来人の部屋、こう言うとほんとにスナックみたいに聞こえるわね。そこに行きましょうよ。鍵なんか黒田のおっさんに言って開けさせればいいのよ」そう言って、ミリアが立ち上がった。  何を許してもらえるのか、よくわからなかったが石崎も二人の後に続いた。  従業員の控え室にいた黒田を捕まえて、石崎たちは、来木来人の書斎と寝室を見学させてもらうことにした。ミリアとユリが美宮と斉藤、飯野を誘いに行き戻ってきた。 「すぐ来るって」ミリアが報告する。 「では、せっかくですから、扉を開けずにここで待ちましょう」黒田が言った。 「なんで、鍵なんかかけてるのよ。貴重品があるの?」ユリが黒田に尋ねる。 「確かに貴重品はございます。まあ貴重品といったら、この館内すべてのものが貴重品ですが……。図書室には貴重な本もたくさんありますし。しかし、鍵をかけておりますのはそういう理由ではなくて、再現をしているわけです」 「なにを?」ユリがきく。 「来木来人氏の死の状況を」 「やっぱり密室だったのですか?」石崎が質問した。 「ええ、そのようです。信頼のおける方からの情報ですから間違いないと思います」 「でも、自殺だったんじゃないの? 石崎さん、今朝《けさ》そんなこと言ってたわよね」ミリアが石崎を見る。 「そう、自殺って言われているわね」いつのまにか美宮がきていた。後ろに斉藤、飯野もいる。 「美宮さん、ミステリィのこと詳《くわ》しいんだ」ミリアが美宮さくらの顔を見る。 「いいえ、本当は、女性週刊誌で見たのよ」美宮が微笑んだ。 「さて、皆さん集まりましたね。それではお開けしましょう」  黒田が、ダンジョンに落ちているような鍵を差し込み、来木来人の書斎の扉を開けた。  書斎は、石崎たちの客室二部屋分くらいの大きさだった。扉と反対側に、外側に開く形の、幅一メートル五十センチほどの窓があり、窓の右側に、ワープロの載った、大きな木製の書き物机があった。窓の左側の壁面の大部分は、ほとんど書棚で占められている。  扉を入ってすぐ右手には、テーブルと椅子が四脚あった。テーブルの上にはグラスとワインが置いてある。 「なあんだ。普通の部屋じゃない」ミリアががっかりしたような声を出した。 「でも、ちょっとわたしの部屋より狭いかな」ユリが部屋の中を見回している。 「そうね。この部屋、家具とか少ないからあまり感じないけど、ちょっと狭いかもね」ミリアが頷く。 「おまえら、どういう家に住んでるんだよ。俺なんか、バス、トイレ、キッチン合わせてもこの部屋の三分の一くらいだぞ」石崎が文句を言った。 「ねえ、ところで、来木来人が亡くなったのはどうしてなの? 自殺だとか、部屋が密室だったとか言ってるけど、話が断片的でよくわからないんだけど」ミリアが石崎の愚痴《ぐち》を無視して質問した。 「私が、説明致しましょう」黒田が口を開いた。   「来木来人氏が亡くなられたのは、二年前の夏でした。場所はこの部屋です。もちろん当時は、この高原に館はありませんでしたが。来人氏は、そこの机に突っ伏した形で亡くなっていたそうです。死因は青酸《せいさん》中毒です。青酸化合物は、テーブルの上にあったワインの中から検出されました」黒田がテーブルの上のワインの瓶《びん》を掴んだ。 「テーブルの上には、ここにあるように、中身が半分ほど入ったワインの瓶一本と、グラスが二つありました。グラスの片方はほんの少しだけ、もう一方は、ほぼいっぱいにワインが残っていました。毒は残量の少ない方のワイングラス内のワインのみから検出されたそうです」 「誰か、その場所にいたのですか?」石崎が質問した。 「瓶にもグラスにも指紋はありませんでした」石崎の問いには答えず、黒田は指紋の有無だけを述べた。 「来木来人の指紋もついていなかったのですか」かまわず石崎が質問する。 「はい。そして、部屋の扉は鍵がかかっておりました。扉の鍵は、スペアーともども机の引き出しに入っておりました。この部屋の扉は来人氏の特別注文でして、ですから合鍵が作られていたということはないとのことでした。来人氏は一人暮らしでしたので、普段は書斎の鍵をかけることはなかったそうです。それと、たった一つある窓も内側から鍵がかかっておりました」黒田が窓を指差す。 「密室内で、毒を飲んだ……、あるいは飲まされたということですね」美宮が確認した。 「あらかじめ、カプセルか何かに毒を入れたものを飲まされて、カプセルが胃の中で溶け出した時に、偶然書斎に鍵をかけていたということはないですか」石崎が問いかける。 「偶然、その時ワインを飲んでいたわけ?」ミリアが首を傾げた。 「カプセルの痕跡は、胃の中にも、また部屋の中にもなかったそうです」黒田が説明する。 「そうよね」ミリアが頷く。「カプセルは胃で完全に溶けちゃってわからなくなったとしても、残りのカプセルやそれを入れてた瓶が他にあるわよね。カプセル一個だけ持っている人はいないわよ。ウルトラセブンだってカプセル三個か四個持ってたわ。誰かが残ったカプセルを持ち去ったらわからないけど、死ぬ時にその場にいてカプセルを持ち去れるくらいなら、その場で毒を盛るわね」 「ウルトラセブンがカプセルを何個持っていたか? という重要な問題は別にして、来人が飲んだ毒は、ワイングラスの中のワインに入っていたもの、あるいは入れられたもの、ということで間違いないだろう」石崎がワイングラスを手に取った。 「よろしいですかな」黒田が確認した。「説明を続けます。部屋の中は争ったような跡はありませんでした。それと、部屋の中には、現金や貴金属などが残っていました。来人氏は家族がおりませんでしたから、もし何か紛失していたとしてもわからなかったでしょうが……」 「それで、来木来人が亡くなっているのを発見したのは?」石崎が質問した。 「出版社の方だそうです」 「当時来木来人は、一年以上、短編も含めてまったく新作を発表していませんでしたよね」 「はい、そのとおりでございます。来木来人はもう終わったなどと言っていた口の悪い者もいたそうですが、一部の編集者の間では、来人氏は大作の執筆をしているという噂《うわさ》がありまして、頻繁《ひんぱん》に訪問していた編集者も何人かいらっしゃったそうです」黒田が机を指差す。「扉の正面に、来人氏の机がありますでしょう。出版社の方が扉の鍵穴から覗くと、来人氏が倒れているのが見えたそうです」 「状況はわかりました。それで、捜査の方はどうなったのですか」石崎が尋ねた。 「はい。当時かなりマスコミにも騒がれましたから、皆さんある程度、ご存知かもしれませんが……」 「全然知らないわ」ミリアとユリが不満そうに言った。 「警察内部のことですから、私の知っていることが正確かどうかわかりませんが、説明致します。この事件は、有名なミステリィ作家が、密室内で、密室ということも警察の不注意でマスコミに漏《も》れたのですが、その密室内で殺されたということで、注目を集めました。マスコミの報道合戦はすさまじいものだったと聞きます。当然警察もあせります。現場検証や検視が完全に終わる前から、警察からマスコミに、非公式に、不確かな情報が流れ始めました。おそらく、捜査の遅れや不備を指摘されるのが恐かったのでしょうな。それで、情報を小出しにマスコミに流して、恩を売ったつもりだったのでしょう。さらにミステリィファンなどが、インターネット上で、それぞれの推理を披露《ひろう》し始めました。中には自分が犯人だ、などという輩《やから》も現れたそうです」 「いつの世もお馬鹿さんがいるのね」ミリアが仕方なさそうに首を左右に振る。 「結局捜査は噂に引きずられるように、混乱していったそうです。来木来人氏の友人や編集者、ちょっとした知り合いまで、かなりの人が噂に上って、取り調べを受けたそうです。那賀先生も、かなり調べられたのではないでしょうか」 「あの人、来木来人とどういう関係なの? 確かミステリィ研とか」ユリがきいた。 「碧北大ミステリィ研究会の同窓生だと聞いております。その碧北大ミステリィ研出身の方々はかなり調べられたそうです。なにしろこの部屋が密室でしたから……。彼らはいわゆるこの道の専門家ですから」 「じゃあ、ミステリィ研の人たち、みなさん大変だったんですね」石崎が言った。 「それが、そうではないのです。いいですか、いくらミステリィ作家とはいえ、実際に事件で警察に関わった人は少ないでしょう。それが向こうからやってきて、取り調べをされたり、現場検証に付き合わされたりするわけです。これは自分の創作にプラスになるでしょう。彼らは非常に喜んでいたそうです。中には警察関係者と仲良くなって、いまだに付き合っている者もいるそうです」 「へえー、疑われて喜んでいるなんて、変わり者ね」ユリが不思議そうな顔をする。 「それ以外にも、自分の本の宣伝になりますでしょう。特に密室ものは売れていました。本に書いてあるトリックが使われたんじゃないかと思った読者が多かったようです。ですから、自分の本の宣伝のために彼らが殺したのだろうと、また言い出す者も出てくる始末でした」 「お馬鹿さんたちが、大勢で大騒ぎしていたということね」ミリアが鼻で笑った。 「さようで」 「でも結局、自殺だったという噂ですが、確か遺書のようなものが見つかったと」石崎がきいた。 「はい、私もそう聞いております。来人氏の別荘……、こちらは本宅で、別荘は東京にあるのですが、普通と逆ですが来人氏がそう言っていたそうですので、ここでは別荘と言いますが、そちらに遺書の記憶されたフロッピーが残っていたそうです。遺書、といっても、自殺の動機などは書かれてなくて、ただ自殺したことをほのめかすような事だけ書かれているらしいのですが」 「だったら、なんですぐ自殺だってわからなかったのよ」ミリアが怒ったように言う。 「はい、確かに警察は、捜査初期に、そのフロッピーは見つけていたようなのです。しかし先ほども言いましたように、マスコミや世間の噂に流されたようです。これは他殺だ。警察の威信《いしん》のためにも、素人《しろうと》たちのにわか探偵に先をこされるな。犯人を挙げろと。まあこういうわけです。皆が熱病に浮かされていたようなものです。しかし捜査を続けていくと他殺の線は見当たらない。しかもこの部屋は完全な密室だった。とてもこの密室を崩せそうな考えは浮かばない。出入りできなければ自殺しかない。やがて世間の興味も薄れたところで、順当に自殺に落ち着いたということらしいです」 「税金の無駄遣いか……」石崎が呟いた。 「でも、たくさんのお馬鹿さんな日本国民が探偵気分を味わったのだから、田舎の村に一億円ばらまいたり、子供と年寄りに小遣い配って、でかい顔するよりいいんじゃない」ミリアが言った。 「おい、ミリア。それは比べるレベルが低すぎるだろう。せめて年度末の道路工事くらいにしとけ」 「ねえねえ、そのワインの瓶やグラスに指紋がなかったって言ってたわよね。それは誰かが拭き取ったんじゃないの? 自殺ってことは来木来人が拭き取ったの?」ユリが首を傾げる。 「はい、それに関してははっきりした答えはでていないようです」 「自殺と決まったのならば、来人が拭いたのだろうが、けれど拭いた理由はわからないということですか……。室内でも、いつも手袋をしていたわけじゃないしな」石崎が呟いた。 「指紋が残っていなかったのも変だけど、グラスが二つあったって言わなかったっけ?」ミリアがきいた。 「ええ、そうです。それについても、明確な解答はでていないようです」 「事件の本質には関係ない理由で、あるいは偶然に、グラスを二つ出すこともあるってことにしちゃったの?」 「はい、そのようです」 「わかったわ、ミリア。ほら、日本酒とかでさ、木の枡《ます》の中にグラス立てて、日本酒を一杯に入れて、こぼれた分は枡で受ける注ぎ方あるじゃない」 「おい、ユリ。この部屋より広い自分の部屋を持っているお嬢さんは、普通そんなこと知らないぞ。来木来人はそれをワインでやっていたというわけか」 「それじゃ、ワイングラスとかシャンパングラスとかピラミッドみたく積んで上から注ぐのがあるじゃない。それやってたんじゃないの。あとほら、神棚とか、仏壇とかにお酒を上げたりするでしょ。それじゃないの。もう一つは神様とか、仏《ほとけ》様の分よ」 「それで、自分がホトケ様になっちゃったの? しゃれにもならないわね」ミリアが鼻で笑った。 「まあそれはないと思うけど、理由はいろいろ考えられるということだよ、ただ何気にグラスを二つ出してしまったとかね」石崎が言う。 「でも、それを言ったらおしまいよね。都合の悪いところは目をつぶるのよね」ミリアが眉をひそめる。 「それが大人というものだよ」石崎が言った。  一同が沈黙した。 「きゃはははは、石崎さん真面目な顔してそんなこと言わないで。そのセリフ、石崎さんには似合わないわ」ミリアが笑いながら石崎を叩く。 「どうも今朝から笑いすぎて、腹筋が痛いわ」ユリがお腹をさすっている。 「いいだろ。俺がそれぐらいのこと言ったって」 「わかったわよ。おもしろいから許す」ユリが石崎の肩を叩く。「でも結局、死んだ人のことはわからないということよね。あれこれ推理するのは失礼というものね。ついさっきわたしも推理しちゃったけど。少しこの館へ来て毒されちゃったかな。ウオッカは良港を駆逐するか」 「種《しゅ》が交われば亜科になるってことよ」ミリアが続ける。 「推理したっていっても、グラスのピラミッドと神棚の推理は、レベルが高すぎて俺にはついていけない」石崎が呟いた。  黒田が説明を続ける。一応自殺で落ち着きましたけれど、一部のミステリィファンの間では、かなりの人間が自殺じゃないと考えているようです。時々同人誌などに、『来木来人事件の密室の謎』などという記事が載っております」 「それで、その来木来人って、家族がいなかったって言ってたけど、天涯孤独《てんがいこどく》なの?」ミリアがきいた。「天涯孤独なんて熟語わたし初めて会話に使うけど」 「ミリア、それは、身寄りがないのか? でいいのよ」ユリがフォローした。 「遠縁の方は居《お》られたようです。この館もその方にお願いして譲ってもらいました」 「ふーん。それで、外のお馬鹿さんたちも騒いでいたけど、究極のトリックって何よ?」ユリが質問した。 「来木来人氏が生前よく口にしていたそうです。お金では買えないくらいの究極のトリックを見つけたと」 「その内容はわからないの?」ユリが首を傾げてきく。 「はい、私にはわかりません。才能の尽きた来人が、口からでまかせを言っているのだという者もいたそうです」 「その究極のトリックが、この館にある未発表資料ということなのよね」ミリアがきいた。 「さて、どうでしょうか……」黒田がとぼける。 「くそお、ひっかからなかったか」ミリアが悔しそうに指をならす。 「謎が解けたら、見せてさしあげます」 「謎は、来木来人に関することよね」 「はい、それは間違いありません」 「けち、もっと教えてよ」ミリアが黒田の腕を突つく。 「これ以上は駄目です。それよりミリアさん。この部屋を調べてみたらどうですか? もしかしたら来木来人氏が自殺じゃない新たな証拠が見つかるかもしれませんよ。特に密室のトリックを解明できるかもしれません。どうですか、そこの扉でも調べてみましたら」黒田が部屋の扉を指差した。 「べーだ! そんなもの調べたって意味ないでしょ」 「どうしてですかな」黒田が微笑んだ。 「この部屋、密室で、鍵は他になかったって言ったじゃない。だったらこの部屋に入った時は、扉を壊したのでしょ。つまり今の扉は後からつけたもの。そんなの調べても意味ないわよ」 「おっしゃる通りです。扉は斧《おの》で壊して入ったそうです。ただし今の扉の複製は完璧です」 「ふんだ! 本物だって調べたりしないわよ。それより今、わたしを試そうとしたわね。罰として、チョコパフェだからね。三時のおやつにちょうどいいわ」 「ははは、まいりましたな。ではホテルの方へ連絡しておきますので」 「ここにいる全員分だからね。それと殺人もなしよ。それは他の人たちと勝手にやってね」    夕食はフランス料理のフルコースだった。  美宮、斉藤、飯野、そしてユリとミリア、石崎は同じテーブルで食事をした。 「おりこうさんチームはここでなかよく食事しましょ」ユリが嬉しそうに宣言する。 「石崎さん、あいかわらずだらけきった格好ね」ミリアが石崎の格好を見て、どうしようもないという表情で首を左右に振る。 「いいだろ、ここは服装自由だろ。自分だって制服じゃないか。美宮さんたちを見ろ」  美宮さくらはジーンズからドレスに着替えていた。斉藤、飯野も同様である。 「人のことはいいの。わたしたちは、制服がフォーマルなの。それに石崎さん、少しは服装くらい気にかけないと、もてないわよ」 「もてようと思ってない」 「だめねえ、せっかくのチャンスじゃない。美宮さんたちみんな、彼氏いないって言ってたわよ」ミリアが石崎に囁く。 「何がチャンスなんだよ」 「ええーっ、じゃあ石崎さん彼女たちが嫌いなの?」 「おいおい」 「どうしたのよ。ミリア」ユリがきく。 「石崎さんが、美宮さんたち三人のこと嫌いなんだって」 「あら」 「まあ」三人が食事の手を止める。 「ち、ちがう。そんなことは言っていないですから。おいミリア、変なこと言うな」石崎がミリアを睨む。 「じゃあ好きなんだ」 「どうして両極端にいくんだよ」 「ははあん。じゃあ嫌いだと言って油断させておいて今夜|夜這《よば》いをかけるつもりね」ユリが言った。 「油断とかそういう問題じゃないだろ」 「石崎さん、私のところへ来たら蹴り殺しますからね」斉藤が石崎を睨みつける。 「わたくしも、困ります」さくらもきっぱりと言いきった。 「だから、そんなことしませんよ」 「どうだか」ミリアが石崎を横目で見ながら言う。 「わかった、なっ、ミリア、ユリ、ほら俺のデザートのアイスクリームやるから、ほら食えっ」 「いただきまあす」二人が嬉しそうに石崎のデザートにスプーンを突き立てた。 「石崎さん、苦労しておりますな」 「くろだのおっさん!」ミリアとユリが叫ぶ。  皆が黒田を注目する。緊張感が走る。また殺人(?)事件が起きるのではと警戒しているようだ。 「皆さん、ディナーはいかがでしたかな」 「まあまあね」ミリアがスプーンについたアイスクリームをなめながら答えた。 「それはそれは。さて食後に、そうですね一時間後に、イベントホールにお集まりいただきたいのですが……」黒田が皆を見回して言った。 「い・や・だ!」ミリアとユリが声をそろえて答える。  黒田が指を鳴らして合図をすると、新たにデザートがミリアとユリの前に運ばれて来た。 「えー、イベントホールでは、皆さんの意見を聞かせていただきたいと思います。事件のことでも、この施設のことでもかまいません。それでは一時間後に……」    一時間後、全員がイベントホールへ集合した。既にイベントホールの装飾が、『降霊術殺人事件』を再現しているということは聞いていたので、中に入って騒ぐものはいなかった。  黒田が入室してくると部屋の中に緊張感が走った。 「本当に、『降霊術殺人事件』の場面みたいだな」碧北大の田中が仲井に嬉しそうに呟く。 「それじゃ俺たち全員死ぬぜ」城東大の矢部が言った。 「さて、みなさん」黒田が説明を始めた。「今日一日、イベント『ミステリィの館』に参加していかがでしたでしょうか。『ミステリィの館』では、毎晩この場所で皆さんにディスカッションしていただきます」 「謎の解明についてか」那賀がきいた。 「そのとおりですが、別に他の話題でもかまいません。施設の不満やサービスの不満でもかまいません。みなさん一応モニターなのですから」 「わたしたち、那賀先生の話が聞きたいな」森みゆきと金井奈々が那賀の方を見つめた。 「それいいなあ。ミステリィ作家の話なんて、聞く機会あまりないからな」城東大の矢部も頷く。 「ちょっとあなたたち、せっかく参加しているのだから、今回の事件や謎について話しましょうよ。先生の話は後でいいじゃないの」高田伸子が言った。 「そうだよ。ディスカッションが終わってから俺の話をしよう。だから今はイベントの話をしようじゃないか」那賀が言うと、矢部たちは声を上げて喜んだ。 「こちらとしても、できれば、ここでは謎について話していただけるのがうれしいです。一応整理しておきますと、謎が存在する。謎は何かは言えないが、来木来人氏に関するものです。よろしいですかな」黒田が皆を見回した。 「わかってるよ」那賀が頷く。 「ああ、それともう一つ。この部屋での会話は全て録音しております。それと内部の様子も録画されております。カメラと音声レコーダーは常に動いております。ここは『降霊術殺人事件』の部屋ですので」黒田が部屋の壁際に置かれているレコーダーとカメラを指差した。 「一日中動かしているっていうことよね」高田が言った。 「こりゃあ、下手な推理なんか披露したら後で恥かいちゃうな」碧北大の仲井が頭をかく。 「おまえはいつもぼけ役だろ。俺がばっちり推理してやる」田中が仲井の肩を叩く。 「なかなか、いいですな。その調子です。それでは碧北大の田中さん。ひとつ意見を聞かせてください」黒田がうれしそうに言った。 「そうだなあ。第一の殺人は毒殺だった。この場合、誰が、いつ、パンに毒を入れたかが問題だよね」 「パン屋さんが焼く時でしょ」ミリアが囁く。 「次の殺人は焼死だった。このときは関係者、つまり僕たち参加者と黒田さんだけど、みんな食堂にいた。だから、どうやって離れた場所から彼に火をつけたかが問題だよね」 「ちょっと待てよ」城東大の矢部が割って入った。 「なんだよ」田中は話を途中で遮られて不愉快な顔をした。 「今の話し方だと、犯人は俺たちか黒田さんということになるじゃないか」 「そうだろ。他にいないじゃないか」 「きゃあ、わたしたちも容疑者なんだ」森と金井のOLコンビが嬉しそうにはしゃいでいる。矢部が二人に一瞥《いちべつ》をくれて話し出す。 「黒田さん以外にも従業員の人はたくさんいるだろう。とくに第一の事件も第二の事件も、お茶や食事の最中だ。我々の給仕をしていた従業員たちに注意を払うのは当然だろう」 「やっぱり犯人はパン屋さんみたいよ」ユリが囁く。 「ちょっと待ってよ。犯人が誰かはもちろん問題だわ」高田が発言した。 「他に何か注意することがありますか?」矢部が高田に尋ねる。 「被害者よ。次の被害者は誰かということよ」 「そうか。事件が続くなら被害者がいるということか」 「我々の中にいるのか、被害者が……」那賀が呟く。 「きゃあ、わたしたちも殺されるの?」OLコンビがはしゃぐ。 「ホテルの回し者がいるのよ。被害者役と加害者役が」高田が全員の顔を見回す。 「しかし、もういないかもしれませんよ。この後殺されるのは、それこそ従業員だけかもしれない」矢部が言った。 「君は従業員にこだわるな」田中が矢部にからむ。 「あくまでも、ここで容疑者を我々に限定する必要はないということだよ。それとも何か? 君は使用人を犯人にしてはいけないというのか。古いやつだな」 「そんなことは言っていない」 「まあまて、君たち」那賀が二人を止める。 「誰が犯人かは、それぞれ皆が意見を持っているだろう。それは自由だ。ところで、その犯人が、来木来人に関する謎を知っているのだろうか?」そう言って那賀が皆を見回した。 「そうか、そうですね、那賀先生。犯人を指摘すれば、おそらくその犯人が、来木来人に関する謎を知っているのでしょう」矢部が興奮している。 「きっとそうだわ。やっぱり謎って、究極のトリックってこと」高田がうれしそうに言った。 「よおし、やる気が出て来たぞお」 「究極のトリックかあ」碧北大と城東大ミステリィ研の連中が盛り上がっている。 「そうだな。その究極のトリックが、黒田さんの言っている来木来人の未発表資料だろう。つまり、事件の謎を解くことで来木来人の謎が解けるというわけだ。黒田さんが謎が何かはっきり言えないと言った意味もこれならわかる。我々は来木来人の残した究極のトリックの謎が解けるんだよ」那賀が興奮して言った。 「究極のトリックって、そんなに大層なものなの?」ミリアが興味なさそうに言った。 「そうよ。なんでそんなに騒いでいるのよ」ユリが不思議そうに言った。 「何を言っているんだ君たちは、来木来人が残したトリックだぞ」那賀がミリアを睨む。 「そうよ。あなたたち、だいたいやる気あるの? 昼間からぶらぶらしてるだけじゃない」高田もミリアとユリを睨んでいる。 「そうだ、少しは考えたらどうなんだ。もしもミステリィがわからないのなら、勉強のために俺の本を読んでみたらどうだい」那賀が言った。 「先生。先生の本は、素人には難し過ぎますよ」矢部が言う。 「そうですよ。この子たちには、『ミステリィ幼稚園』とか、『子供のミステリィ』とか、そんなのがいいんじゃないかな」田中の発言で部屋の中に笑いが起こった。  ミリアとユリはうつむいている。髪が顔にかかってその表情は見えないが、身体が小刻みに震えている。 「ちょっと君たち、それは言い過ぎだろう」石崎が立ち上がり、那賀たちを睨んだ。 「何が言い過ぎですか? ここは『ミステリィの館』だ。ミステリィの話の出来ない者に大きな顔をされては困る」那賀も立ち上がった。 「でも、何をしても自由だって、黒田さんは言ったわよ」斉藤が黒田の方を振り返りながら言う。 「それは、ミステリィに関してだろう」矢部が口を尖らせて言う。  ホールの中にいやな雰囲気が漂《ただよ》い始める。 「いやいや、白熱しておりますな。しかしそろそろお時間ですので、ディスカッションはこのへんでお開きにさせていただきます。もちろんもっと議論していただいても結構ですが、イベントとしてのディスカッションは今夜はここまででおしまいです」黒田が間に割って入った。 「先生、場所を変えて事件について考えてみましょうよ」矢部が言った。 「そうだな。素人がいると、無駄な時間が多くなるからな。俺の部屋でいいかな」 「ええ、もちろんです」矢部が嬉しそうに答える。 「わたしたちも行っていいですか」OLコンビが言った。 「もちろんだよ。そうだ、サインがまだだったね。サインしてあげよう、本を持ってきなさい」 「うわっ、俺もいいですか」仲井も続く。 「ああ、みんな部屋にきなさい。黒田さん、部屋に飲み物を運んでくれ」 「かしこまりました」黒田が頭を下げる。  那賀を中心に、一同が、がやがやと騒ぎながらホールを出ていった。  ミリアとユリの二人はまだ、下を向いて小刻みに震えている。 「おい、ミリア。あんな奴等の言うことなんか気にするな。俺が奴等の鼻をあかしてやるよ」石崎が震えているミリアの肩に手を置く。 「くっ、くはあ。きゃはははは」ミリアとユリが顔を上げて大声で笑い出した。 「うおっ、どうした二人とも」石崎が驚いて飛び退く。 「きゃはははは。もうおかしくって! あの人たち。あんまりおかしいんで笑いをこらえるのが大変だったわ」そう言うと、ミリアが那賀の真似をした。「『ミステリィがわからないのなら、勉強のために俺の本を読んでみたらどうだい』って言われてもねえ。なに? ミステリィの勉強って?」 「いやあね、日本人って。すぐに勉強とか修行とか言い出すのよね」ユリが眉をひそめる。 「そうそう、他人にすぐ自分の好みを強制するしね」ミリアが頷く。 「『素人には難し過ぎますよ』って言われた時は、危なかったもの。おまえは玄人《くろうと》なのかって、突っ込みそうになったわ」 「『俺の部屋でいいかな』」ミリアが真面目な顔で言った。 「うわっ、駄目。ミリア、やめてよ。お腹が痛い。これ以上笑わさないで」ユリがお腹を抱えて笑う。  笑いころげる二人を石崎があきれて見ている。 「おいお前ら、人が心配していれば……」 「心配してくれるのはありがたいけど、あの程度の人たちに何か言われて泣くわけないじゃない」ミリアが舌を出す。 「しかし究極のトリックって、本当に、あんなふうに、いい大人がお馬鹿さんになるくらいのものなの?」ユリが首を傾げる。 「違う違う。お馬鹿さんが大人になっただけなのよ」 「ほら、ミリアもういいだろ。行こう。この部屋全部録音されているんだろ」石崎がミリアの腕を引っ張る。 「関係ないわよ、別に。あっ、そうそう、石崎さん謎を解いてくれるんでしょ」 「なんだよそれ?」 「さっき、奴等の鼻をあかしてやるって言ったじゃない。ちゃんと録音されてるわよ」ミリアがレコーダーを指差した。    イベントホールを出て、石崎が部屋に戻るとすぐにドアがノックされた。ドアを開けるとミリアとユリが立っていた。 「石崎さん、お風呂行こう」二人とも浴衣《ゆかた》を着ている。 「な、なんだ、おまえら。俺はいま謎を解こうと思ってだな」 「それで、エッチなビデオでも見ようとしてたわけか」ミリアが部屋の中を覗き込む。 「だれが、エッチなビデオを見るんだよ。こういうホテルにはそういうのはないの。そういうのがあるのはビジネスホテル。まったく、さっき謎を解いてくれるんでしょ、とか言ってたから、考えてたんだぞ」 「わかったわよ。でもそんなのまじめにやんなくていいわよ。早く行こうよ。ホテルの方に大浴場があるって。ライオンとかの口からお湯が出たりするやつよ。わたしシンガポールに行って以来だわ」ミリアが目を輝かせる。 「それはお風呂じゃないだろ」 「とにかく行きましょ。美宮さんたち、先に行ったわよ」ユリが石崎の手を引っ張る。 「そ、そうか。彼女たちも行ったのか。早くそれを言ってくれ。混浴だろうな。よし行くぞ」 「言ったとおりでしょ」ユリがドアの後ろに向かって声をかけると、浴衣姿の美宮、斉藤、飯野が出てきた。 「混浴ではないようですよ」斉藤が石崎を上目遣いに見る。 「うわっ、そ、そういう意味ではなくてですね」 「どういう意味なんですか」斉藤が追及する。 「意味と言われても」石崎が口ごもる。 「とにかく、石崎さんが、謎について考えているのじゃなくて、エッチなことを考えているということもわかったわけだし、行きましょうよ。お風呂へ」ユリが斉藤の浴衣の袖《そで》を引っ張る。 「そうね、行きましょ。石崎さんは置いていきましょ」美宮たちが口をそろえて言った。 「ま、まってくれ、俺も行くから、ご、誤解だからな」石崎が浴衣に着替えるために急いで部屋の中に戻る。 「石崎さん、お風呂でたら卓球やるからね。卓球場で待っててよ」ミリアが笑いながら部屋の中に声をかけた。    混浴ではなかったのが、石崎には残念だったが、ホテルというよりは、温泉旅館だということを再認識させてくれるいいお湯だった。さらに温泉旅館らしく、入浴の後で、お約束の卓球が始まった。 「必殺っ、ミリアスマッシュ!」 「うわっ★☆★」 「よっしゃあ! これでわたしたちの勝ちだわ」ミリアとユリがガッツポーズをしている。 「ま、まいったよ」 「まいりましたわ」石崎と美宮が降参する。 「じゃあ、約束通りフルーツ牛乳おごりだからね」ミリアが石崎に言った。 「わかったよ」石崎が売店へ走り牛乳を買ってきた。  ミリアとユリが手を腰にあてて戦利品の牛乳を飲んでいる。「ああ、おいしかった。やっぱり温泉に来たらこれよね。フルーツ牛乳なんて、都会では絶滅してるわよ」ミリアが一気にフルーツ牛乳を飲み干した。 「なんのフルーツの味かっていうのは永遠の謎よね」ユリが嬉しそうに言う。 「しかし、ここもホテルなんて名乗っているけど、温泉旅館以外の何物でもないな」石崎がいちご牛乳を飲みながら呟いた。 「やっぱり、しょうがないのでしょうね。お客を呼ぶためには、温泉っていうのは必須《ひっす》条件ですものね」美宮がりんごジュースを飲みながら答えた。 「そうですね」石崎が頷く。「鉱泉の沸かし湯とか、温泉じゃなくても温泉だっていいますしね」 「ええ。わざわざ温泉を掘り当てるために、お金をかけてボーリングしている企業や自治体がありますものね」斉藤はコーヒー牛乳を飲んでいる。 「それでいて、温泉旅館○○荘なんて名前よりも、○○ホテルっていう方がお客は入るんですよね。ホテルっていうより旅館のほうがのんびりできそうなのに」石崎が言う。 「そうですね。ところで石崎さんは、今回はお仕事だとか」飯野がきいた。 「まあ、半分休暇みたいなものですけどね。みなさんはお仕事は? それとも学生でしたっけ?」 「わたくしは、ちょっと外国に留学していまして、帰ってきたら日本はすごい不況じゃないですか。いまだ就職もできないんです。ですから時々、父の仕事を手伝うくらいですわ」美宮が苦笑しながら答えた。 「私とまさみは働いてます。私は不況に強い公務員だけどまさみはたいへんよね」斉藤が横に座っている飯野の方を見る。 「でも、今の会社も仕事も、結構気に入ってるから……」飯野まさみが斉藤の方は見ずに、正面を向いたまま答えた。 「そうね。でも若い人たちはそれでもいいけど、歳をとったら、収入の面が問題でしょう」斉藤が言う。 「そうよね。石崎さんなんて、リストラ要員ですものね」ミリアが口を挟む。 「俺だって若い」石崎が胸を張る。 「しかし、黙って聞いていれば、若い女性相手に暗い話ね。さあ明るくいきましょ。次はゲーセンよ。地下のゲーセンにゼビウスがあるの見つけたのよ。あとクレーンゲームもやらなきゃ」ユリが立ち上がった。 「そして、その後は、マッサージ機でリフレッシュよ」ミリアも立ち上がる。二人が浴衣のすそを翻《ひるがえ》しながら駆けていく。    美宮さくらたち三人は部屋に戻るというので、石崎だけミリアとユリにつきあった。  ミリアとユリの二人はクレーンゲームを始めた。クレーンのような器械で、中に入っている物を吊り上げるゲームだ。吊り上げた物は賞品としてもらえる。UFOキャッチャーの方が一般的な名称かもしれない。  ミリアが真剣な目つきでゲーム機内のぬいぐるみを睨んで、狙いを定めている。 「くっ、駄目か。石崎さん、両替っ!」ミリアが千円札を石崎に差し出す。 「了解」石崎が両替機に走る。 「ほら、やってきたぞ」石崎が百円硬貨を十枚、ゲーム機の上に積み重ねた。  ミリアがそれを見る。「駄目よ、石崎さん。百円硬貨に両替してどうするの。よく見て」ミリアがゲーム機の硬貨投入口を指差して説明する。「いい。百円で一回だけど、五百円硬貨だと六回できるのよ。人間って弱い生き物なのよ」 「なんで人間の弱さがここで出てくるんだよ」 「わかってないわね。一回でやめようと思っていても、結局、何回もやっちゃうのよ。もう一回もう一回って、言い訳しながら百円ずつ入れて、千円も二千円も使っちゃうのよ。だったら最初から五百円玉入れて、六回やった方がいいでしょ。一回いくらになるの?」 「ええと」石崎が考え込む。 「もうっ、八十三円ちょっとでしょ。石崎さん鈍いわね。ほら、もたもたしないで五百円玉」ミリアは、そう言うと百円硬貨をしまいこんだ。 「おまえ計算速いな。西之園《にしのその》萌絵《もえ》か」 「また、訳のわからないこと言わないの。早く両替」 「わかったよ」石崎は、自分の千円札を出して五百円玉に両替してきた。ミリアはゲーム機内を睨んだまま、それを受け取ると投入した。 「ユリ、そっちはどう? 隙間《すきま》開いてる?」反対側に回ったユリに声をかける。 「うん、手前のやつがじゃまだから、一回そいつをどかしてからやれば、この熊とれるよ」 「よおーし」ミリアが浴衣の袖をまくって気合を入れた。  結局ミリアとユリは数十分の時間と石崎の出した三千円と引き換えに、ぬいぐるみを四つ手に入れた。    石崎たちが館へ戻ると、館内がざわついていた。  一階通路の奥の方から、那賀や仲井たちが興奮した様子で歩いてきた。 「おや、君たち、今ごろどうしたんだい。もう捜査は終わったよ」那賀が馬鹿にしたように言った。 「また事件だったのですか?」石崎がきいた。 「そうさ、従業員が殺されたんだ。第一、第二の事件の時に、給仕をしていた女性だよ。きっと口封じだろうね」 「くちふうじ?」ミリアが不思議そうに聞き返す。 「ははは、君たちが遊んでいる間に、どんどん事件は進展していくんだ」 「もう浴場に行っても死体はないよ」仲井が言った。 「ははははは」笑いながら一同は二階へ上がっていった。 「うわっ、すごいわ。笑い声のドップラー効果よ」ユリが二階を見上げる。 「口封じだって。おめでたいわね」ミリアが馬鹿にしたように笑った。 「浴場で死んだのか」そう言って石崎が考え込む。 「黒田のおっさんにきいてみようか」ユリが言うと、ちょうど黒田が浴場から出てくるところだった。 「黒田さん、何が起きたのですか?」石崎がきいた。 「ああ、皆さんホテルの方へ行かれていたようですね。実はこちらの館の方の浴場で、うちの従業員の瀬口が死んでいるのが見つかりまして」 「うわあ、顔色一つ変えずによく言うわ」ユリが黒田の腕を突つく。 「それで、死因は?」石崎がきいた。 「水死、いや失礼、溺死《できし》です」 「浴場でですか?」 「はい」 「どうやってそんな溺死にみせる演出したのよ。口の中に金魚でも入れといたの?」ミリアがきく。 「いや、さすがにそこまでは……。お風呂に金魚はいませんし。洗い場で水浸しで倒れていただけです」 「そうですよね。金魚はまずいですよね。黒田さん」石崎が黒田を見つめる。 「は? なんのことですかな」 「石崎さん、金魚食べたらまずいに決まってるでしょ」ユリが石崎を突つく。 「ははは、そうだな。金魚[#「金魚」に傍点]はね」石崎が笑う。 「さて、じゃあ、わたしたちは、お風呂入ったし、卓球やったし、ゲームもしたし、後はのんびりビデオでも見ましょうよ」そう言ってミリアが大きく伸びをした。 「おい、ミリア。浴場に行かなくていいのか?」石崎がきく。 「そんな必要ないわよ。わたしたちがいない間に事件が起きたということは、もうそれぞれの事件現場や、現場に残った証拠(?)などには、まったく意味がないということの証明でしょ。大切なのは、今黒田のおっさんが言ったこと、従業員が浴場で溺死だか水死だか、そんな死に方をしたということだけよ」そう言ってミリアは二階に上がっていった。 [#改ページ]   第三章 事件の意味するもの      ミリアとユリは先に部屋に戻っていた美宮たちを誘って、ビデオを見るといって映像室に行った。美宮ら三人も、浴場での第三の殺人(?)事件にはまにあわず、黒田から説明を受けただけだった。  石崎は考えたいことがあったので、図書室へ行った。しばらく一人で考えていると、ミリアがやってきた。 「石崎さん、なんかわかったんでしょ」ミリアが微笑んだ。 「うーん」石崎が肯定とも否定ともつかないような唸りをあげる。 「はっきりしないわねえ」 「うーん」 「男らしくないわね。言いなさいよ」ミリアが石崎に詰め寄る。 「おい、ミリア。明日ピクニックに行くか」 「はあ? なにそれ?」 「ピクニックだよ。行こうぜ。美宮さんや、斉藤さんと飯野さんも誘ってくれよ」 「ははあん、色気づいたか。ちょっと気に入らないけど、まあいいわ、誘ってくるわ」ミリアはふてくされたように身体と両手を大きくふりながら出ていった。    しばらくするとミリアが戻ってきた。 「石崎さん、誘ってきたわよ」何故か機嫌が悪い。 「石崎さん、色気づいたんだって」ユリも一緒に図書室に入ってくる。 「で、どうだった?」 「OKに決まってるでしょ」ミリアが答えた。「館で茶番に付き合うよりいいって。石崎さんに好意を持っているわけじゃないから勘違いしないように」 「そうか」石崎はそう言ったきり黙り込んだ。  ドゴオッ。鈍い音とともに石崎は頭を抱えこんだ。 「なに、かっこつけてるのよ。なんかわかったんでしょ。もったいぶっちゃって。後から、実はわかっていたって、いうのは嫌いだって言ったでしょ」ミリアがハードカバーの分厚い本を両手で持っている。 「いたたたたた、おまえ、今、角《かど》の所で叩いただろ。少しは手加減しろよな」石崎が頭をさする。 「お話に出てくる名探偵じゃないんだから、もったいぶらないの!」もう一度ミリアが本を頭上に持ち上げる。 「わ、わかったよ。じゃあ今わかってることを言うよ」 「最初からそう言えばいいのよ」 「わかったよ」石崎が頷く。「まず、明日死ぬのは、森さんと金井さんだな」 「ええー? あのOLコンビ?」二人が声を上げる。 「そう。死因は撲殺と刺殺かな」 「な、なんでわかるのよ」ユリが石崎を疑わしげに見る。 「いいかげんなこと言ってたら、また殴るわよ」ミリアが本をつかむ。 「ま、待て。この事件は、一貫しているって言っただろ」 「うん。共通性を見つけることが大切だって言ってたわね」 「それを見つけたのね」ユリが目を輝かす。 「ああ、見つけた。いいかい説明するぞ」 「うん」二人が大きく頷いた。 「まず第一の事件は、須藤さんが、パンに入っていた毒、実際は『毒』と書いてあった紙だけど、便宜上毒とするぞ。その毒で死んだ。実際はもちろん死んでいないけど、『ミステリィの館』のイベント上は死んだことになっているから、死んだことにするぞ。第二、第三の事件でも同じように考えるからな」 「うん、わかってる」二人が頷く。 「よし。第二の事件は、秋野君が焼死した」 「そして、第三の事件は従業員の瀬口さんが溺死したって言ってたわ」ミリアが言った。 「この三つからなにか共通性を見つけたの?」ユリがきいた。 「わかりやすくするために、名前をならべてみようか」  石崎が、図書室のすみにある複写機のトレーを開けて中から紙を持ってきた。そこに被害者の名前を書いていく。   〈ミステリィの館イベント被害者氏名〉 名前 須藤真奈美 秋野徹 瀬口さん   「さらに、俺が予想している今後の被害者の名前をここに並べると……」石崎が一度言葉を切った。 「実際の殺人事件で、こんなふうに次の被害者を予想して偉そうに説明してるやつなんか、最低のやつだからな」石崎が顔を上げてミリアとユリを見つめた。  ミリアとユリは黙って頷く。 「それでだ、名前を書いてみるぞおー」石崎は急に明るい声で話し始めた。   〈被害者氏名〉 名前 須藤真奈美 秋野徹 瀬口さん 森みゆき? 金井奈々?   「どうだわかったかな?」 「女が四人に男が一人……、わかった! 全部女なのよ」ユリがひらめいた。 「ユリ、秋野さんはどうすんのよ」ミリアが突っ込みを入れる。 「秋野さんは、本当は女なのよ。おかまじゃなくて、その反対のおなべだっけ」 「違う、違う。おなべでもおこげでもない。いいか、こんどは死因というか殺害方法を書き加えるぞ」   〈被害者氏名、死因〉 名前       死因 須藤真奈美    毒殺 秋野徹      焼死 瀬口さん     溺死 森みゆき?    撲殺? 金井奈々?    刺殺?   「こうやって殺害方法なんか、並べると、嘘だとわかっていてもいやな感じね」ミリアが眉をひそめる。 「それが正常な感覚だよ。それがわかっていれば、ミステリィも楽しめるよ。じゃあ、この並びから何かわかるかな?」 「うーん、死因が全部違うわね」ユリが答えた。 「でもそれだけじゃあねえ」ミリアが首をひねる。 「じゃあ、もう一つ書き加えるぞ。次は凶器だ」   〈被害者氏名、死因、凶器〉 名前       死因   凶器 須藤真奈美    毒殺   毒 秋野徹      焼死   火 瀬口さん     溺死   水 森みゆき?    撲殺?  丸太? 金井奈々?    刺殺?  刃物?   「凶器も全部違うわね」 「でも石崎さん。次の被害者ばかりか、凶器まで予想して、それ本当にあってるの?」ユリが石崎の顔を見る。 「凶器の種類は違っているかもしれないけど、その材質は間違いないと思うよ」 「材質?」 「いいかい?」さらに石崎が書き加える。   〈被害者氏名、死因、凶器、材質〉 名前       死因    凶器    材質 須藤真奈美    毒殺    毒     パン 秋野徹      焼死    火     火 瀬口さん     溺死    水     水 森みゆき?    撲殺?   丸太?   木 金井奈々?    刺殺?   刃物?   金属   「曜日だわ!」ミリアが叫んだ。 「でもミリア、月曜日がパンよ」 「ほら、須藤さんが食べたのは……」 「クロワッサン! 三日月だあ! そっか、クロワッサンは三日月の形のパンだものね」 「そう、つまり」石崎がさらに書き加える。   〈被害者氏名、死因、凶器、材質、曜日〉 名前       死因  凶器  材質     曜日 須藤真奈美    毒殺  毒   クロワッサン 月 秋野徹      焼死  火   火      火 瀬口さん     溺死  水   水      水 森みゆき?    撲殺? 丸太? 木      木 金井奈々?    刺殺? 刃物? 金属     金   「なるほどね。曜日が共通点か……」再確認するように、ミリアが紙面を眺めている。 「でも、凶器はそれでわかるけど……。あっ、そっか。名前にも曜日が隠れているんだ」ユリが氏名の部分を指した。 「そうだ。各自の部屋の扉に名前の書かれた紙が貼られただろ。あれはヒントのつもりなんだろうな」そう言って石崎が書き出した。   須藤真奈美——藤に月 秋野徹————秋に火 瀬口さん———瀬には水を意味するさんずい 森みゆき———森に木 金井奈々———金   「なるほど、それで森さんと金井さんが次の被害者か」ユリが納得した。 「じゃあ、あのOLコンビもホテル側の人間だったんだ」ミリアが嬉しそうに石崎を見る。 「そうだね」石崎が軽く答えた。 「うわあ、笑っちゃうわね。那賀のやつ、きゃあきゃあ言われて、鼻の下伸ばしていたのにね。それがホテルの人間じゃ、ハンバーガー屋の店員の笑顔に喜んでいるのと同じじゃない」ユリが馬鹿にしたように笑う。 「曜日か……」ミリアが少し考えた。「それで石崎さん、瀬口さんの事件のことを黒田のおっさんと話していた時に、金魚はまずいって言ったのね」 「そうだよ。食べるとまずいかどうかは、食べたことないからわからないけど、瀬口さんの事件で、金魚がでてくるのがまずいことはわかったからね。水曜日を示す瀬口さんの事件で、金曜日を示すようなアイテムが出てきたらまずいからね」 「なるほどね。それで石崎さん、続きは?」ミリアが先を促した。 「そこが問題なんだ」 「土曜日と日曜日ね」ユリが石崎に確認する。 「土曜日は黒田さんだと思う。黒の字の中に土という字が隠されているだろ。飯野さんの野の中にも土があるけど、こっちじゃないと思うんだ」 「ふうん、まあ、黒の中の土の方がいいのかな? 形もゆがんでないし」ミリアが呟いた。 「あれっ? 斉藤さんは?」ユリが気づいた。「斉藤さんは瞳って名前でしょ。瞳の右側の童って、下の方に土があるわよ」 「ああ。確かにそうだけど、斉藤さんは、名字に藤があるからね。月とダブってしまうから違うと思うよ」石崎が答える。 「ちょっと、待ってよ」ミリアが割ってはいる。「石崎さんは? 石崎さんって、幸二って名前でしょ。本人からは、ちっとも幸せが感じられないけど、幸の字にも土が含まれてるわよ」ミリアが石崎を上目遣いに睨みつける。「まさか石崎さん、ホテルの回し者じゃないでしょうね」 「違うよ」石崎があっさり答える。 「本当でしょうね。もしもわたしたちを騙していたら、ただじゃおかないわよ」ミリアが握りこぶしを石崎に見せる。 「騙してないよ。それに今までの被害者の人たちは、全員名字に曜日が含まれてただろ。その点からも俺は違うよ」 「ああ、そうか」ミリアがこぶしを引っ込める。「じゃあ、やっぱり土曜日の役は黒田さんか……。それでどうやって死ぬの? 黒田のおっさん」 「死因は墜落死かな」 「地面にぶち当たって死んじゃうんだ」ミリアが微笑む。 「たいへんだわ。あのおっさんも」ユリも微笑んだ。 「黒田のおっさんの演技が楽しみね」ミリアが嬉しそうに言う。 「死んだ振りしてたら、くすぐっちゃいましょうよ」 「うふふ、そうね。じゃあ石崎さん日曜日は?」ミリアがきいた。 「わからない。もしかしたら美宮さんかなとも思うのだけど」 「美宮さんが?……」 「あの人もホテル側の人なの? でも名前に日がないじゃない」ユリが首をひねる。 「いや、名前じゃないんだ。ええと、須藤さん、それから秋野君、それにOLの森さん、金井さん。それと美宮さん。この五人は共通点があったんだよ」 「なにそれ? 瀬口さんは入ってないの?」ミリアがきいた。 「ああ、入っていない。その共通点があるから、美宮さんはホテル側の人間じゃないかと思ったんだけど」 「もったいぶらないで言いなさいよ」ミリアが本を手にとる。 「わ、わかったよ、彼女たちは、荷物が少なかった」 「荷物?」 「そうだ。とても三泊も宿泊するための荷物の量ではなかった。男の秋野君はまだしも、他の女性たちの荷物は宿泊するには少なすぎる」 「ホテルの前に集まった時に、バッグの大きさとか数を見てたんだ」ミリアが言った。 「ああ。俺は大荷物を持たされていたから、うらやましそうに他の人の荷物を見ていたんだよ」 「わたしたちに感謝してもらわないと」ユリが胸を張る。 「はは」石崎が力なく笑った。「そして荷物の少なかった、須藤さんと秋野君はすぐに殺された。須藤さんも秋野君も昼間のうちに帰ったのだと思うよ。特に秋野君はスタントマンだろうから、ここのホテルの人じゃないのは確実だろう。役目が終わったら帰ればいいのだから宿泊の準備はいらない」 「そうか。そういえば、OL二人組のバッグには本しか入っていなかったわ」ミリアが思い出した。 「そう、後で話すけど、その本に意味があるのかもしれないけど、彼女たちも、とても若い女性が何泊も宿泊する準備をしてきたようには見えなかった」 「そのことからも、次に彼女たちが殺されるということなのね」ミリアが確認する。 「そうだ。そして、残るは美宮さんだ」 「あれ?」ユリが首をひねる。「でも彼女、ドレスに着替えたり、ジーンズ穿《は》いたり、いっぱい服持ってるわよ」 「そう。つまり前もってここにいたということだろうね」 「宅配便で届けたのかもしれないじゃない」ミリアが言った。 「俺たち、ここに来る時、道が塞がっているからって山道を歩かされたろ。あれは、このイベントのルールでは、このホテルに、車は入れないことになっているということだと思うんだ。それに、ホテルの方のフロントにきいたんだよ。宅配便で俺の荷物を送らせたのだけど来てないかって。来てないっていうから、そんなはずないって食い下がったら、ここ一週間、荷物は何も届いてないってさ」 「ふーん。じゃあ美宮さんも何かの役割があるのかなあ」ミリアが首をひねる。 「そうなんだ。それで、殺される役なら、明日ピクニックに行こうって誘っても来ないだろうと思って、ミリアに誘ってもらったんだ。まあ明日は森、金井のOLコンビの番だから、関係ないとも思ったけど、関係者なら、不測の事態に備えて、ピクニックなんかで館を離れないだろうと思ったんだけどね」 「そうかあ」ミリアが頷く。「でもピクニックの誘いにはのってきた。あの人の役割って、被害者とか、加害者とかじゃないのかもね。あの人、わたしたちと同じくらいイベントへの参加意識がないもの」 「そうなんだ。おまえたち二人は別にしても、美宮さん、それに斉藤さんと飯野さんたちって、イベントへの興味がなさすぎるような気がするんだ。次に何が起こるかわかっているような冷静さが感じられるんだ。考えようによっては、関係者だからこそ、俺たちの誘ったピクニックに参加するということもあるよな。次に何が起こるかわかっているのなら、館にいる必要はないからな」 「そうね」ミリアが頷く。「セクハラ男の誘いにのってくるにはそれなりの理由がいるわね」 「なんだよ。でも案外、ホテルのお得意さんで、無理にお願いされてイベントに参加しているだけなのかもしれないけどな。ただ、さくらっていう名前が、ホテル側の人間、つまりさくら[#「さくら」に傍点]だという暗示かと思ったんだけどね」 「もともと、曜日を表した殺人っていうのもギャグみたいだけど、さくら[#「さくら」に傍点]とさくら[#「さくら」に傍点]じゃねえ……。くだらなさすぎるわ」ミリアが切り捨てる。 「そうよね。今の曜日の説明を聞けばなるほどと思うけど、だからどうしたのって言われそうよね」 「そうなんだよ。美宮さんのことは、まあ置いとくとして、こんな曜日殺人なんて、謎じゃないだろ」 「うーん……。そうよね。これで『ミステリィの館』だなんて言ったら笑われちゃうわね……」ミリアが考え込む。「つまりこの曜日殺人が、さらに何かを暗示していると言うわけね」 「そうだ。ただしその答えもある程度考えられる」 「早く言ってよ。わかっているなら」ユリが口を尖らせる。 「何が暗示されるのよ」ミリアが機嫌悪そうにせかす。 「那賀良和」石崎が答えた。 「あいつがあ?」ミリアとユリが不満そうな声をあげた。 「そう、那賀良和の代表作、曜日殺人シリーズ」 「ようびさつじんしりいず?」  ちょっと待ってろ。石崎は立ち上がると書棚へ向かい、本を何冊か抱えて戻ってきて、机の上に並べた。   那賀良和著 曜日殺人シリーズ 『月曜日毒物連続殺人事件』 『火曜日炎の連続殺人事件』 『水曜日に沈む殺人者』 『木曜日に森に消える殺人者』 『金曜日の切裂き殺人』 『土曜日に空に消えた殺人者』   「なにこれ?」二人が石崎の顔を見る。 「彼の出世作だ。それぞれ、決まった曜日に、同一の殺害方法の連続殺人が起きる。ちなみに殺害方法は今回のイベントと同じだ。月曜日は毒殺、火曜日は放火殺人」 「連続した話なの?」ユリがきいた。 「いや、それぞれの話は、すべて完結している。犯人も別だ。ただ、話の内容が、連続殺人ということは共通してる。それと、解決役、いわゆる主役が同じで、貧乏探偵とお金持ちのお嬢さんのコンビが探偵なんだ。いわゆるシリーズものだな」 「じゃあ石崎さん。今回の『ミステリィの館』のイベントって、その那賀の小説が基になっているっていうの? でも、そういうのって、著作権っていうのがあって勝手にやっちゃいけないんでしょ」ミリアがきいた。 「同じものならね。今回の場合、曜日が関連している殺人ということは同じだけど、こちらのイベントはトリックなどないようだから、トリック的には違うものだな。もちろんストーリーも違う。このイベントにはストーリーなどなくて、ただ人が死んでいくだけだからね」 「じゃあさあ、那賀のやつはこのことを知らないってこと?」ユリがきいた。 「そうでしょ。あいつ気づいてないわよ。頭悪そうだもん」 「じゃあ、ミリア。那賀はホテル側の人間でもないし、今のところ曜日に関連した事件だってことも気づいていないということよね」 「そうなんだよな。それでなければ、今回の事件から導き出されるのは『曜日』、そしてそこから『那賀良和』が導き出される。つまり、那賀が来木来人の謎、いわゆる究極のトリックの秘密を知っている、という流れが導き出されるんだけどね」 「そうか、最後の謎は来木来人だったっけ。そこまで持っていかなきゃいけないんだ」ユリが難しい顔をする。 「そうよ。でもあいつ、一番来木来人の究極のトリックのことで騒いでいるもの。とてもあいつが知ってるように見えないわ。演技とも思えないし……」 「ただ本人が気づいていないだけで、彼がこのイベントの謎に関連しているのかなと思う点もあるんだよ。OLたちが持っていた本、那賀の曜日殺人シリーズだったろ」 「そうだったわ」二人が考え込む。「でも、那賀もきっと、この曜日殺人について気づくでしょうね」 「そうだろうな。さすがに明日、森、金井のOLコンビが殺されたら気づくだろうな」 「あいつどうするのかな」ユリが言った。 「きっとね、謎がとけたぁって大騒ぎするわよ。そして、犯人は自分だぁって。このイベントは自分の曜日殺人シリーズを暗示している。つまりこの一連の事件の犯人は自分、那賀良和だぁって」ミリアが答えた。 「うわあ、それじゃめちゃくちゃじゃない。自分でやってないのに、自分だって言うの? しかも今まで散々捜査してきたわけでしょ」 「これって、もしかして探偵が犯人ってやつ?」ミリアがきいた。 「そうだよな。それじゃ謎でもなんでもないよな」石崎が首をひねる。  しばらく三人が黙って考える。 「あれ? 石崎さん。この、あいつの曜日殺人シリーズってこれだけなの? 日曜日がないじゃない」ミリアが那賀の本を指差す。 「ああそうだ。まだ発表されていない」 「ふーん。じゃあ、こっちの事件も日曜日の事件はないかもね。該当する名前の人もいないようだし」 「そうなると、ますます那賀が重要視されてくるよなあ。日曜日がないんじゃ、完全に那賀の曜日殺人シリーズと一致しちゃうよなあ……。那賀が来木来人の謎にからんでいるのかな。本人も気づかないうちに」 「だいたいあいつと、その来木来人って同窓生とか言ってたわね」ミリアが確認する。 「碧北大ミステリィ研の同期だ。在学中から一部では注目を集めていたよ。デビューも売れるのも来木来人の方が早かったけどな。那賀が一般に知られるようになったのは、来木来人が死んでからだな」 「ふーん。なんか怪しいわね」ミリアが言う。「実は、那賀が来木来人を妬《ねた》んで殺したとか。そういうことが、来木来人の隠された謎なんじゃないかな」 「でも、もしも那賀が来木来人殺害の犯人だったってことが謎だとしても、それが正解だってことは那賀以外、誰も証明できないわよね」ユリが言った。 「そうだ。でなければ、ホテル側が、那賀が犯人だということを証明する強固な証拠を持っているかだが、それもないだろう。もしそうならば、こんなイベントなどせずに警察に届けるだろうし。やっぱり、来木来人の死は自殺ということになったのだから、その死に関しては、那賀は直接は関係ないだろう」 「間接的にはあるってこと?」ユリがきいた。 「ああ。那賀が、来木来人の自殺の原因に関わっているのかもしれない」 「でも、来木来人の遺書には、那賀のことなんか書いてなかったんでしょ」ユリが反論する。 「ああ、そうだったな。ただ、警察が見つけた以外に遺書があって、それに書いてある可能性も否定できないぞ」 「でも、たとえ遺書に書いてあったとしても、それは道義的な問題でしょ」 「道義的な問題だからこそ、警察には言えずにこんなイベントをしてるとか……」ミリアが呟く。 「ホテルぐるみでやってるのか。しかし、これだけの事をやるにはかなりの費用がかかってるぞ」 「でも、どちらにしても那賀のやつ怒るんじゃないかしら」 「そうだな。まず、自分の作品と同じような設定がイベントに使われている」 「曜日殺人シリーズね」ミリアが確認する。 「次に、イベントの謎が、那賀を暗示しているとしたら、来木来人の謎に那賀が関連していることになる。その謎が来木来人の死の原因だとしたら、那賀が殺害したとか、自殺の原因だったとか、そのようなことを示しかねない」 「さすがに、それは那賀も怒る」ユリが言う。 「そして、もしそれが本当にこのイベントの解答ならば、那賀は解答しにくいだろうね。犯罪に関係なかったとしても、自分に関することだからね」 「それって、謎を解くためには、那賀にとって、不利だか有利だかわからないわね」ミリアが鼻で笑った。 「黒田のおっさんは、謎については公平にするって言ってたわけだから、やっぱり那賀に偏《かたよ》りすぎているのはおかしいのじゃないかしら」ユリが首をひねる。 「確かに黒田さんが言う通り、皆に公平に、ということを大前提とした場合、曜日に注目するのは間違っているのかもしれないな。ただしこのイベントが、那賀をなんらかの形で糾弾《きゅうだん》するためのものじゃないとしてだけどな」 「もしそうだとしたら、わたしたちだって、利用されてることになるわけじゃない。チョコパフェぐらいじゃ許せないわね」ユリが拳を握りしめる。 「その時は怒って、なにかお土産《みやげ》でも要求しましょうよ。だから、那賀が関連していない場合、つまり、曜日殺人以外の解答を見つけましょうよ。曜日の方が正解だとしても、なんかいやじゃない。あいつと同じ解答するのもいやだし。あのお馬鹿さんが、謎の答えだなんていやでしょ」ミリアが顔をしかめる。「それに別にみつけた答えが、もし違っていても、適当な理由つけて無理矢理正解にしちゃえばいいんだし。だいたい正解の用意されたものなんて謎でもなんでもないじゃない」 「謎じゃない……か」石崎が考えこんだ。  ミリアとユリが石崎を見ている。 「そうかっ!」石崎が立ち上がった。 「ひらめいたのね。一体さん」ミリアが石崎を見上げる。 「ああ、わかったよ。謎の解答をもう一つ考えた」 「本当?」 「ああ、もしかしたらこちらが正解かもしれない。このイベントで起きた事件の解決も出来るし、公平ということも問題ない。そう、それに来木来人の事件の解決にもつながっている」 「早く教えてよ」二人が石崎をせかす。  石崎は先ほどの紙に書いたものを訂正し、ミリアとユリに説明した。   「なるほど、これならいけるかもしれないわね」ミリアが微笑んだ。 「問題は、明日の一番目の事件ね」ユリが確認する。 「ああ、それが俺が最初に予想したように、単なる撲殺だと、こちらの説の説得力は弱くなる」 「まあ、その時は、あえてこの表を書かなければいいだけじゃない。こんなことしなくても、今度の説は説得力あるわよ」ミリアが自信ありげに言う。 「どちらにしても、明日になればわかるわね」 「それで石崎さん。明日何時出発?」ミリアがきいた。 「なにがだ?」 「ピクニック行くんでしょ」 「いいのか? 事件の進みぐあいを確かめないで」 「そんなの、見ててもつまんないでしょ。あくまでもわたしたちの目的は、のんびりして楽しむことなのよ。お馬鹿さんたちと一緒にしないでよ」 「そうだったな。スケジュールは美宮さんたちと相談して決めていいよ」 「じゃ、朝、起こしにいくわよ。黒田のおっさん脅して、お昼のお弁当用意させるから」 「じゃ、あしたね」ミリアとユリが嬉しそうに部屋を出ていった。    翌朝、石崎たちが館の玄関ホールに集合した時には、館内がざわついていた。森みゆきが紐《ひも》で首を絞められ、図書室で殺されていたためだった。 「石崎さん、早くも答えが出たじゃない」ユリが石崎に囁く。 「そうだな」 「さあ、これで安心していけるじゃない。もともと心配してないけど。じゃ石崎さん、お弁当を持ってきましょ」ミリアが石崎を食堂に引っ張っていく。  食堂には、ミリアとユリが黒田を脅したらしく、豪華な重箱に入った弁当が用意されていた。 「おい、ミリア。殿様が鷹狩《たかが》りにいくんじゃないんだぞ。なんだこの弁当は? どうやってこれだけのもの用意させたんだ」 「黒田のおっさんに、お弁当を用意してくれなかったら、ホテルの屋上から突き落とすって言ったのよ。ねっ、ユリ」 「うん、そしたら、すぐに手配してくれたわよ」 「はあ、おかげで、俺はこいつを担《かつ》いでいくはめになったのか」石崎が自分の腰くらいまで積み上げられた重箱を叩いている。 「それが石崎さんの役目でしょ」ミリアが石崎の背中を叩く。「お茶とお菓子はわたしたちが持って行くわ」  玄関ホールに戻ると、美宮たちが弁当を担いだ石崎を見て笑っている。 「あと、みんなにこれ渡しとくわね」ミリアが、全員に、小さな冊子《さっし》を渡した。 「『遠足のしおり』、なんだこりゃ」石崎が中をぱらぱらとめくる。 「昨夜、わたしとユリで作ったのよ。黒田のおっさんにワープロとか借りて。今日の目的地の湖までの地図や、歌集、それと遠足の注意とか書いてあるわよ」ミリアとユリが胸を張った。 「俺に『もりのくまさん』を歌えっていうのか!」 「当然でしょ。こういうのは雰囲気が大切なのよ。じゃあみんな準備はいいわね」ミリアが全員に確認する。 「出発!」ミリアとユリが掛け声をかける。  石崎たちは、歩いて二時間程の場所にある小さな湖を目指した。    石崎が、しりとり歌合戦で十連敗して、全員の荷物を持たされたころ、湖のほとりについた。ほとんど名も知られていない湖のためか、湖の向こう側に何人かの姿が見えるくらいだった。一応、行楽地のようで、湖の側には木製のベンチとテーブルが設置されていた。 「ここで、お昼にしましょうよ」先頭を歩いていたミリアとユリが立ち止まった。 「そうだな。少し早いが、とにかくみんなの腹の中に、こいつをしまってくれよ」石崎が弁当をテーブルの上に置いた。 「ちょっと待ったあ!」ミリアが弁当の包みを開けようとした石崎の手を押さえた。 「なんだよ、ミリア。おまえがお昼にしようって言ったんだろ」 「うーん、みんな暗いのよ」 「そうそう。歩いていても、今一つ楽しくないのよ」ユリが頷く。 「ここでみんなぶちまけちゃいましょ。ねっ! せっかくピクニックにきたんだから」ミリアが皆を見回した。  皆が黙っている。 「おまえたち二人は充分楽しんでいるように見えるんだが……。まあ、これ以上、『もりのくまさん』を歌って盛り上げるのも限界だからな。美宮さん、まず、こちらがわかっていることを言います。こちらがただの間抜けじゃないとわかったら……」石崎が美宮を見つめる。「別に、黙っていてもいいですよ。他人に何かを強制するのはいやだから」 「まあ、石崎さんの寝言だと思って聞いてね」ミリアが言った。  石崎が説明を始めた。 「まず、美宮さんは、単なる参加者じゃありませんね」  美宮は何も言わずに微笑んだ。 「わたしたちも普通の参加者じゃないけどね」ミリアがユリに囁いた。 「どうしてそう思われたのですか?」美宮ではなく斉藤瞳がきいた。 「美宮さんは、荷物をほとんど持ってきていない。他にも荷物の少なかった人はいましたが、すでにイベントで亡くなっているか、今日亡くなる役の人です」石崎が、美宮は荷物は少なかったのに、着替え用の服もあったこと、フロントに確かめても、荷物が届けられていないことなどを説明した。 「なるほど、石崎さんの考えでいくと、美宮さんも、ホテル側の人間ということですね」斉藤が確認した。 「そうです」石崎が頷いた。 「もしそうだとして」美宮が話し始めた。「わたくしが、『ミステリィの館』で起こっている事件の犯人ということになるのですか?」 「それは違う。事件の指し示しているのは、那賀さんです」石崎は、曜日を指し示す今回の事件から、曜日殺人シリーズの作者である那賀が導き出されることを説明した。 「被害者の順番はあっていますわ」美宮が眉ひとつ動かさずに答えた。 「そうですか……順番は、ということは、指し示しているのが那賀さんだということは違っているわけですか」 「そうです」 「それならば、わかりました。事件の指し示しているものが、そして来木来人の謎が」 「聞かせてもらえますか?」美宮が言った。    石崎は、遠足のしおりの、『メモにつかってね★★★[#底本ハート記号3個、1-6-30]』の欄に事件の内容を整理して書いた。 「まずは、曜日から、那賀さんを示しているもの。一応これは、昨夜の時点でのものですから、森さんの事件は撲殺となっています」   名前     死因   凶器  材質      曜日 須藤真奈美  毒殺   毒   クロワッサン  月 秋野徹    焼死   火   火       火 瀬口さん   溺死   水   水       水 森みゆき?  撲殺?  丸太? 木       木 金井奈々?  刺殺?  刃物? 金属      金 黒田さん?  墜落死? 地面? 土       土   「確かに、曜日を暗示していますね。これ以外に答えが考えられるのですか? それに森さんは、今朝、紐で首を絞められたと聞きましたけど」斉藤が疑わしげに石崎を見る。 「これ以外に何か考える必要はありません」 「考えなくてよいってどういうことですか?」 「ただ現実をみればいいだけです。須藤さんがクロワッサンを食べたのも、秋野君が炎に包まれたのも、自分でやったことでしょう。ホテル側に依頼されたことなので、彼らからみれば仕事なのでしょうが、いずれにしても、彼らが自分でやったことです。つまりこのイベント、この事件に共通する点は、自分で自分を殺す[#「自分で自分を殺す」に傍点]、つまりこのイベントの示しているのは自殺[#「自殺」に傍点]です。いいですか? これだけでも結論は出ているわけですが、一応、先ほどの表に自殺の種類を書き足します。事件は自殺の種類を表していたわけです。これなら、森さんが撲殺ではなくて、絞め殺されたのもわかります。ただしこれはたいして意味はないですね。実際、すべてはイベントなのですから、どう死のうが自分でやったのにかわりはありません」そう言いながら石崎は書き直した。   名前    死因  凶器 材質     自殺の種類 須藤真奈美 服毒死 毒  クロワッサン 服毒自殺 秋野徹   焼死  火  火      焼身自殺 瀬口さん  溺死  水  水      入水自殺 森みゆき  縊死《いし》  木綿 木      首吊り自殺 金井奈々? 失血死 刃物 金属     失血自殺 黒田さん? 墜落死 地面 土      飛び降り自殺   「森さんの場合を、撲殺から、縊死にしましたよ。さすがに丸太で自分をなぐって死ぬというのは自殺としては、おかしいですからね。館の天井の木の梁《はり》か何かに紐をかけて首を吊ってもいいのですが、それでは自殺ということがストレートに出過ぎてしまいますから、木綿の紐かなにかで絞殺されていたようにしたのでしょう。今朝は、事件のことを詳しく聞かないで出発しましたから、あくまで推測ですけど。木綿には、木の字が入っていますから、曜日を示すダミーにぴったりですからね。金井さんの方も、失血自殺って言葉があるかどうかわからないけど、刃物を使った自殺は一般的ですよね。そして、黒田さんは、地面つまり土が凶器の飛び降り自殺でしょう。ここまではいいですよね」石崎はそう言うと一呼吸おいた。 「そしてこの、自殺という暗示の示している来木来人の謎は、彼、つまり来木来人の死は自殺だったということです」石崎が言った。 「でもそれは、もう警察で決定していることじゃないのですか」斉藤が反論する。 「もちろんその通りです。これが正解なのですから。あらかじめわかっていなかったら、正解ではないでしょう。これは、もともと『ミステリィの館』のイベントなのですから、けちのつけようがない答えが正解として用意されているわけです」そう言って石崎は皆の顔を見回した。   「正解です」しばらくの沈黙の後、美宮が答えた。「今ごろは、金井さんが、来人の書斎の前で失血死しているはずです。凶器の刃物は、来人の遺体を発見した時、書斎の扉を壊すのに使った小振りの手斧です。そして夕方には、黒田がホテルの屋上から落ちて死ぬことになっています。すべて石崎さんの推理で間違いありません」 「そうですか……。答えはあっている。でも、出題者の意図がわからない」石崎が美宮を見つめる。 「どういうこと?」ミリアがきいた。 「まず、那賀さんに対しての暗示はなんのためなのか。彼の役目がわからない。単なるダミーにしては強調されすぎている」 「あいつが嫌われているだけじゃないの」ユリが言った。 「そしてもう一つ。俺は、死んだら何もないと思っている。死んだ人間には名誉なんかない。だが、そうは思わない人間もいる」 「どういうこと?」ユリがきいた。 「いまさら、わかりきっている、自殺だということを謎の解答にしたことだ。その意図がわからない。美宮さんや黒田さんが、こんなホテルのイベントで、わざわざ、人の死に関することを謎だ、などと大上段に構えていることがわからない」  美宮は黙っている。 「美宮さん、石崎さんたちには話しておいたほうがいいのでは」今まで黙っていた飯野が口を開いた。 「まさみさんがよいというのならば。いえ、そうですね。わたくしもそう思います。皆さんに話しましょう」 「ちょっと待ったあ!」ミリアが叫んだ。 「なんだよ。ミリア」 「お腹減ったわ。食べてからにしましょうよ」    黒田の用意してくれた弁当は豪勢なものだった。食事中は、イベントの話から離れて、ミリアとユリが学校の話や友達のことなどを、おもしろおかしく話して皆を笑わせた。 「では、そろそろ話しましょうか」食事が終わると美宮が話し出した。 「まずは自己紹介からしましょう。わたくし、本当は真宮さくらと申します」 「まみやさん」ミリアが呟いた。 「まみやというと、真宮グループの……」石崎が真宮さくらの顔を見る。 「はい、一応、父が真宮グループの代表をしております」 「そうですか、それなら今回の『ミステリィの館』の企画の、金銭面の納得がいった。しかしこんなこと言うと失礼かもしれないけど、あなたのお父さんが、よく、こんな田舎ホテルでのイベントに許可をだしましたね」 「簡単に言うと、こんなのもうからないのに、よくお金をかけたねってことね」ユリが呟く。 「わたくしが、無理を言って説得したのです。理由を言ったら父も納得してくれました」 「理由とは?」 「はい、来木来人はわたくしの兄なのです」 「そんな……。彼の本名は、たしか……、伊藤《いとう》正人《まさと》だと思ったが……」 「はい。まだわたくしが生まれる前に、父は来人の母とつきあっていたのです。しかし、父は真宮グループの後継者であったため、結婚を周りから反対され、来人の母は父のもとを去ったそうです。父は、来人が生まれていたことは知らなかった。来人の母が隠しつづけていたのです。来人の母は、病気になり死ぬ前に、来人に父のことを話したそうです。来人は、父に、母が危篤《きとく》だと連絡しました。母が、父と別れてからもずっと父のことを思っていたのを知っていたので、最期くらい父に会わせてあげたかったようです。父はすぐに駆けつけたそうです。結局、来人の母は父に会って、その後すぐに亡くなりました。来人はまだその時大学生だったので、父は、来人に援助をしようとしたそうですが、来人は断りました。これは別に、父をうらんでいたとか、そういうことではなくて、自分はもう大人だし、生きていくくらいのお金にも困らないと言ったそうです」 「すでに彼は、来木来人としてデビューしていたからですね」 「はい、兄はそう言っていました」 「美宮さん、いや真宮さんか」 「混乱しますから、さくらと呼んでいただいてけっこうですわ」 「それじゃ、さくらさんは、来人氏のことをいつ知ったのですか?」 「父は最初、兄のことを母やわたくしには黙っていたのです。波風《なみかぜ》立てたくなかったのでしょう。先ほどの話も父からではなく、兄から聞いたのです。ある日のこと、わたくしが父の書斎に入った時に、机の上に置き忘れた手帳に、兄の名前と住所が書いてあったのです。その時はなんとも思わなかったのですが、当時わたくしは高校生で、高校に友人たちと一緒に、ミステリィ部などというものを設立したのです。それで、新進気鋭のミステリィ作家のインタビューという企画で、来木来人を取材することにしたのです。その時、彼の住所が、父の手帳に書いてあったものと同じことに気づいたのです。父はミステリィなどは読みませんから驚きました。でも、来木来人を訪問して、彼が兄だということがわかりました。わたくしはそれから、父には内緒で兄に会いに行きました。兄はいつも歓迎してくれて、二人でミステリィの話をしたりして、とても楽しかった」さくらが少し寂しそうな顔をした。 「その後、わたくしは海外へ留学しました。帰ってきてから、兄が亡くなっているのを知りました。父は、わたくしが兄と会っているなどとは知りませんでしたから、わたくしには知らせなかったのです。わたくしも留学先から兄に連絡するようなことはしませんでしたから……。わたくしが帰ってきた時には、兄は自殺だったと、既に結論は出ていました」 「お父さんですね」石崎が言った。 「はい。父は、兄が来木来人だということは、兄が自殺するまで知らなかったのです。兄の死を知った父は、警察の上層部に働きかけました。徹底的に調査するように。でも結局自殺でした。兄は癌《がん》だったのです。碧北大医学部の兄の友人によると、もったとしても、あと数ヵ月の命だったそうです。兄の自殺の原因を知った父は、マスコミにも圧力をかけ、やがて次第に兄の話題も消えていきました」 「癌だったのですか……。あなたのお父さんは、病気を苦にして彼は自殺したと考えたのですね」 「はい。自殺に使った毒物も、碧北大理学部の研究室から、兄が持ち出したようです。ただしこれは、証明されていませんけど。管理が不十分でわからないようです。ただ兄が、その研究室に多額の寄付をしているのがわかりました。兄にしては迷惑料のつもりだったのでしょう」 「なるほど。来人氏が自殺したということはわかりました。それにその理由も病気を苦にしてのことのようだと」 「はい」さくらが頷いた。 「じゃあ、どうして今回、こんなイベントをしたの? さくらさんの話をきくと、さくらさん、お兄さんのこと、すごく好きだったんだってわかるわ。だったら、こんなつまらないイベントをどうしてやるの?」ミリアが少し怒ったような顔をして言った。 「それは、わたしからお話しします」飯野まさみが口を開いた。「わたしが、来人先生が亡くなっているのを見つけました」 「それでは……」石崎がまさみの顔を見る。 「はい。わたし、K談社という出版社に勤めています。ずっと来人先生の担当をしていました。あの日、先生から連絡があって、先生のお宅へ伺いました。そこで先生が亡くなっていて……」まさみが言葉を詰まらせた。斉藤が彼女の肩を抱く。 「まさみさん、わたくしが説明しますから」さくらが言った。 「兄が亡くなってすぐに、まさみさんのところへ手紙がきたそうです」 「持ってきています」まさみが大事そうに抱えていたバッグから手紙を取り出した。   来木来人から、飯野まさみへの手紙   拝啓  まさみ君は、元気にやっているかな。まあこの手紙を見ているころには、それどころではないかもしれないな。  さて、本題に入ろう。  新作が完成した。これは、僕の総決算とも云える。ここ一年以上、こいつにかかりきりだった。おかげで、まさみ君には迷惑をかけてしまったかな。だが喜んでくれ。以前君に、究極のトリックを見つけたと話したよね。これがその究極のトリックだ。そう、お金では買えないくらいのね。  もちろん、君のところから出版してもらいたい。ただ、出版にあたっての条件がいくつかある。   条件その一  原稿は、あるところから、君のところへ郵送される。今回の話は、シリーズものだ。本数は複数ある。二ヵ月間隔で、一作ずつ、君のところに郵送されるはずだ。   条件その二  原稿が送られた順番に、二ヵ月ごとに出版してほしい。ただ、期間は二ヵ月でなくてもかまわない。順番どおりに連続して出版してくれればよい。   条件その三  ノベルスタイプで出版してほしい。   条件その四  本の価格を以下の通りにしてほしい。題名は、原稿が届くまでは伏せておきたいので、便宜上、原稿の届く順番で、その原稿を示す(実際に原稿を見れば順番を間違えることはないと思うよ)。 一作目  335頁  910円 二作目  383頁  1040円 三作目  287頁  780円 四作目  463頁  1260円 五作目  367頁  1000円 六作目  415頁  1130円 七作目  ?    (お金では買えない?)  価格の決定権は君にはないだろう。以前にも、『あなたへの特別な犯罪』の価格を決める時、僕が一度雑誌に発表した作品集だから価格を下げてくれと言って、君にはずいぶん迷惑をかけてしまったね。しかし、今回のこの価格は必ず守ってほしい。この価格で販売できるようにこちらからの提案がある。それは、このシリーズの印税はいらない、ということだ。K談社の内規でそのようなことが可能かどうかわからないが、僕の方では、印税はいらないという誓約書を書いた。君の所へこの手紙を送ってくれることになっている友人の弁護士に相談したところ、法律的には問題ないとのことだ。この提案を快諾して、ぜひこの価格で出版してほしい(ちなみに、原稿を郵送してくれるのは、その弁護士ではないので彼を困らせないように)。   条件その五  原稿の内容を変更しないでくれ。校正は充分やった。不適切な表現や差別用語なども含まれていないはずだ。だから原稿をそのまま出版してほしい。挿し絵も、登場人物表もいらない。つまり、頁数を守って欲しいということだ。やむを得ず変更する時も頁数は守って欲しい。他人に原稿をいじられたくないし、それに、この頁数であれば、巻末に既刊ノベルスの広告が付くことはないはずだ。あれは余計なものだ。この作品には余計なものは入れたくないんだ。   条件その六  今回の原稿にかかわることではないが、もう一つ守ってほしいことがある。僕の作品の文庫化は止めてほしいということだ。おそらくこの手紙を君が読んでいるころには、文庫化の話が再燃していると思う。一気に売り込むチャンスだからね(それも、責任は僕にあるのだけれど)。文庫化はしないという文書も、弁護士立ち会いのもとに書いた。それを送付しておく。この文書だけは、他の出版社にも送られる。ただしそれは代理人の弁護士の名前でだ。    条件は以上だ。必ず守ってほしい。    究極のトリックがどの作品に書いてあるのか、などという野暮なことは書かないことにする。君にトリックを解かせたり、犯人当てをさせるのが一番楽しいからね。だが、きっと君なら気づくだろう。    もっと書きたいことがあるが、僕は作家だからそちらで語ることにしよう。デビュー以来、君といい仕事が出来て良かった。いい編集者になってくれ。僕の蔵書はすべて君にあげよう。許してくれ。 [#地付き]敬具 [#地付き]来木来人     「うーん。驚いたな。来木来人の遺作が七作もあったのか」石崎が唸った。 「でも、条件とか書いてあってちょっと変だわ」ミリアとユリが首を傾げる。 「どうして出版しないのですか? まさみさん。飲めないような条件ではないと思いますが……。失礼ですが、正直いってこんなおいしい話はないでしょう」石崎がまさみに向かって言った。 「それが……、原稿が届かなかったのです。何かの間違いかと思って、来人さんの書斎なども探したのですが、ありませんでした。弁護士の先生にも尋ねたのですが駄目でした」まさみが力なく答えた。 「結局なかったのですか……」石崎もトーンが下がる。 「いいえ、あります」さくらが言い切った。「わたくしのところにも手紙が届いていたのです」さくらが手紙を取り出した。   来木来人から、真宮さくらへの手紙   拝啓  さくら君。そう呼ぶとまた怒られそうだが、さすがに妹とはいえ、呼び捨てで呼べない。少し恥ずかしい。  おそらく、君はまだ留学中だろうが、元気だろうか。  さて本題に入ろう。以前君に、究極のトリックを見つけたと話したことがあるよね。その究極のトリックの作品が完成した。約束通り君に知らせよう。ただし、出版は後になると思うので題名だけ知らせておこう。曜日シリーズとでも云えばいいのかな。  出版の情報などは、K談社の飯野さんに問い合わせてくれ。   『月曜日に毒物連続殺人を』 『火曜日の殺人は炎の前で』 『水曜日に殺人者が沈む』 『木曜日に森に消える犯罪者達』 『金曜日の殺人は切裂く』 『土曜日に空に飛んだ連続殺人犯』  日曜日?    当然謎解きはここには書かない。君ならきっとわかるだろう。    僕に妹がいて嬉しかった。父さんを大切にしてくれ。 [#地付き]敬具 [#地付き]正人     「この題名はっ!」石崎が叫ぶ。 「那賀の作品じゃないの」ミリアとユリが立ち上がる。 「はい、少し違いがありますが、ほぼ同じ題名です」 「それで、今回のイベントに那賀がからんでいるのか……」 「ねえ石崎さん。那賀が盗作したってこと?」ユリが質問する。 「そうだろうな。いや、そうなのですか?」 「おそらくは……。ですから、今回のイベントはそれを確かめるためだったのです」さくらが答えた。 「なるほど、でもどうやって那賀は盗んだのですか?」 「私の考えでは、来人氏が郵送を頼んだのが、那賀だったのではないかと思います」斉藤が答えた。 「確かに、那賀は学生時代からの来人氏の友人だ。彼に、原稿を送ってくれと頼むことは充分ありうるな」石崎が頷いた。 「那賀は当時、デビューはしたもののまったく注目されず、苦境に陥《おちい》っていたようなのです。那賀が注目を浴びたのは、『月曜日毒物連続殺人事件』からです。そして、それ以後に続く曜日殺人シリーズが評判になり、それ以前に発表した他の作品も見直されて、今の地位を確立しました」斉藤が説明した。 「そうか。那賀が来人氏が自殺したのをいいことに、作品を自分の物にしたということか」 「だったら、那賀を捕まえて痛めつけてやればいいじゃない」ミリアが言った。 「ミリア、ミリア王国ではそれでいいかもしれないが、日本ではそれは無理だな」石崎が真面目な顔をして言った。 「証拠なら、さっきのまさみさんの手紙とさくらさんの手紙があるじゃない」ユリが言った。 「それは無理だ」 「どうして? 本の題名だって書いてあるじゃない」 「もうすでに、那賀の本は出版されている。それを見て書いたのだろうと言われてしまう」 「でもその手紙が、出版前に書かれたことがわかればいいんじゃないの?」 「いや。那賀に、題名など、曜日殺人シリーズについて、以前来人氏に話したことがあると言われたらそれまでだ」 「ええーっ! 逆に来人の方が盗んだってことになっちゃうの?」ユリが目を丸くする。 「ああ……」石崎が頷いた。 「わたくしがもう少し早くこの手紙を見ていれば良かったのです。帰国してすぐ見れば良かったのですが、父が隠していたのです。父は、わたくしが兄さんのことを知っていると知りませんでしたので、それで何か誤解して隠していたのです」さくらがうつむき加減に話した。 「それで、今回のイベントを仕組んだのか」納得したように石崎が呟いた。 「そうです」さくらが頷く。 「なに? どういうこと?」ミリアとユリが石崎とさくらの顔を交互に見る。 「いいか? まだ、日曜日がある。那賀の曜日殺人シリーズは土曜日までしか出版されていない。だからその前に、日曜日の作品がわかれば、そこから那賀の盗作を指摘できる可能性があるということだ」石崎が説明した。 「そうです」さくらが頷いた。 「ちょっと待ってよ。手紙には七作目の題名がちゃんと書いてないじゃない。日曜日の後は?マークがついてるじゃない」ミリアが手紙を指し示す。 「そうなのです」 「それじゃ駄目じゃない。那賀をとっちめるどころじゃないわよ」ユリが怒ったように言う。 「ああ、そのとおりだ。だが、那賀もそれを知らないということですね」石崎が確認する。 「はい、どうもそのようです。今回のイベントでの、来木来人の未発表資料に対する那賀の執着《しゅうちゃく》。そして、今までの彼の発表した曜日殺人シリーズでは、本の裏表紙に次回作の題名が書かれていましたが、最新作の土曜日にはそれが書かれていませんでした」さくらが言った。  さらにまさみが続ける。「そして、今までの曜日殺人シリーズには、究極のトリックといえるようなものはなかった。つまり、七作目に究極のトリックがあると考えたのです。それを知りたいのです。彼の最後のトリックを……」 「ふーん。わたしトリックとかよくわからないけど、今までの曜日殺人シリーズはたいしたことないの? 石崎さん」ミリアがきいた。 「いや、どれも良い作品だよ。しかも作品に統一性がある。それぞれにテーマが決まっているし」 「テーマって?」 「それぞれ、殺害方法が毒殺とか、焼殺っていうのかな、焼き殺すとか決まってるし、犯人も違うんだよ」 「犯人は違うって、シリーズものだけど、お話はそれぞれ完結しているのでしょ。犯人が違うのはあたりまえでしょ」 「いや、そういう意味じゃなくて、犯人の役柄が違うということなんだ。つまり、一作目は、第一発見者が犯人だった。二作目は探偵(警察)が犯人だった。三作目は、関係者全員が犯人だった。四作目は被害者が犯人だった(もちろん、死んだふりをして、実は生きていたのだけど)。五作目は、物語の語り手(作者)が犯人だった。六作目は全ての殺人が自殺だったんだ」 「なるほど、凝《こ》ってるわね。でもそのなかに究極のトリックはなかったというわけね」  ミリアの問いにさくらが答える。「はい。ですから、那賀も来人の七作目を知らないようなので、わたくしたちも戸惑っているのです。今回のイベントで、那賀の曜日殺人シリーズが、来木来人の死に関わりがあるように示し、那賀を精神的に追いつめて、何か七作目のヒントになるようなものが出てこないかと思ったのですけど……」 「そうよね。那賀を見てると、あの調子じゃ、あのお馬鹿さん、七作目どころか、そのヒントも知っていそうにもないわよね。でも、あいつが七作目を知らないということは別にしても、那賀をこのままにしてはおけないわね」そう言って、ミリアが難しい顔をして考え始めた。 「そうね。ぎゃふんと言わせないと」ユリが同意する。 「ふふふ」すぐにミリアが笑いだした。 「どうしたミリア。何笑ってるんだ。なんか悪いことを考え付いたな」 「あんなお馬鹿さんを追いつめるのなんか簡単じゃない」 「でも、盗作を認めさせるのは難しいぞ」 「もう一回盗ませればいいのよ。七作目を」    ミリアたちがピクニックから帰ると、館の前に黒田が倒れていた。 「うわあ、やってるやってる」ミリアとユリが嬉しそうに駆け寄り、二人で黒田をくすぐり始めた。 「うひゃひゃひゃひゃ、二人ともやめてください。一応私は死んでいることになっているので」 「えいっえいっ! 死人がしゃべるな。突っついてやる」ユリが突きを入れる。 「うわっ、い、痛いです」 「黒田、もうよいのです。ふざけている場合ではありません」さくらが倒れている黒田の側にかがみ込む。 「はっ、こ、これは、お嬢様、い、いや美宮様」黒田があわてて起き上がった。 「黒田。石崎さんたちには、ダミーも正解も、両方わかってしまいましたよ。それに、全てを話しました」 「は、左様で」 「我が家の執事の黒田です。まさみさんと斉藤さんは、那賀に顔を知られている可能性がありますから、あまりイベントに参加すると、那賀に感づかれると思いまして、全て黒田に観察させていました」 「ちょっと、待ってください。まさみさんは出版社に勤めているのですから、那賀に顔を知られている可能性はわかりますが……」石崎が斉藤の顔を見る。 「私、刑事なんです。来人の事件の捜査に加わっていたのです。でも、それ以前から、まさみとは親友ですけど」 「公務員って、警察だったのですか!」 「やばいんじゃないの、石崎さん。セクハラとか」ミリアが石崎をからかう。 「それで黒田、計画のほうはどうなっていますか?」厳しい表情でさくらがきく。 「はい、森君と金井君は、シナリオ通りに亡くなりました。もちろんイベントとしてですが、それで私もここに倒れていたのですが……」黒田がホテルの屋上を見上げながら報告した。 「黒田。これから石崎さんたちと、解答編の打ち合わせをします」さくらが言う。 「わかりました」 「館ではまずいですね。ホテルの方でやりましょう」石崎が提案した。 「はい、部屋を準備させます。ところで私の死ぬイベントはどうしますか」 「もう、那賀たちも曜日殺人は気づいているでしょう」石崎が言った。 「はい、気づいているようです。森君のあたりで」 「なら、もう同じだ。黒田さんは今死ななくていいんじゃないかな。まだ明日もあるし、黒田さんにここで倒れていられるより、一緒に打ち合わせしたほうがいい」 「そうですね」さくらが頷いた。 「ちょっと待って」ミリアが突然館の中へ駆けていった。皆が不思議に思っていると、すぐに、茶色い固まりを持って戻ってきた。 「なんだ、それは?」石崎が不審そうに尋ねる。 「熊のぬいぐるみよ。なんにもないよりいいでしょ。黒田のおっさんの代わりにここへ置いときましょ。へへへ、昨日クレーンゲームで吊り上げたやつよ」ミリアは、そう言って黒田の倒れていたところに熊を置いた。 「おいおい」 「大丈夫、誰にも見られなかったから」 「そういう問題じゃ」  その時、館の奥から、那賀たちの声がしてきた。 「石崎さん、那賀たちが来ます。早くここを離れましょう」さくらがホテルの方へ歩き出した。 「ほら、行くわよ。石崎さん」ミリアとユリも続く。 「ああ、わかった」  後には、熊のぬいぐるみが残された。    その日の夕食の後、イベントホールに全員が集合した。 「さて、みなさん。何かわかりましたかな。今回のモニターの期間はあと一晩ありますので、別に、今晩謎がわからなくても問題ありません」黒田の言葉に部屋の中が一瞬静まった。ビデオカメラと音声レコーダーの回転音が聞こえるだけだった。 「黒田さん、ちょっと質問なんだけどいいかな?」城東大ミステリィ研の矢部が立ち上がった。 「どうぞ、座ったままで結構ですよ」 「それじゃ」矢部は座りなおした。「今回のイベントの謎の解明なんですけど、解明できた人は、来木来人の未発表資料の隠し場所を示した文書を見ることができるんですよね」 「はい、その通りでございます」 「もしも、正解者が多数いた場合はどうなりますか? 正解者全員が見ることができるのですか?」 「いいえ、一人だけです。正解を早く出した方が見ることができます。ただし二人や三人で、グループとして解答する方は、グループでも構いません。もちろんその時は、解答は一つだけとなります。ただし、グループ全員が文書を見ることはできます」 「それじゃあ、今、答えてもいいのですね。これでもし僕たちの答えが正解ならば、このイベントは終わりですね」矢部の発言で一同にざわめきが走る。 「ほほー、矢部さんは既に解答がわかったと」 「ええ、もちろん。僕と大北の二人、城東大ミステリィ研としての解答ですが」 「わかりました。もちろん今解答されて構いません。ただし、他の方には退室していただきます」 「どういうことだ」那賀がきいた。 「はい。ここで今、矢部さんたちの解答を聞いて、もしそれが不正解だった場合、それを知った残りの人たちが有利になりますので」 「それは当然の処置だね。まあ、僕たちの答えが不正解のわけないけど」矢部が自信ありげに言った。 「ちょっと、待ってくれ」那賀が手を挙げた。「退室するのは賛成だ。ただ、もしも今、俺も解答してそれが正解だった場合どうなるんだ? 答えた順番で、後の方は正解の権利がないのか?」 「いいえ、その時は両者とも正解に致します」 「なるほど」那賀が頷いた。 「では、他に質問はございませんか」黒田が皆を見回した。「よろしいですね。それでは、今夜、ただいまから解答をなさる方は?」 「城東大ミステリィ研は解答する」矢部と大北が手を挙げた。 「僕たちも今解答する」碧北大ミステリィ研の田中と仲井も手を挙げた。 「俺も答える」那賀がゆっくりと手を挙げた。 「うーん、私も答えるわ。自信ないけど」高田伸子も手を挙げた。 「では、わたくしたちも」さくらとまさみ、斉藤の三人が互いに顔を見合わせ、決心したように手を挙げた。 「残るは、三人だけですけれど、いかがなさいますか?」黒田が石崎たちのほうを見た。 「こんなこと、早くすませちゃったほうがいいから、わたしたちも答えるわ」ミリアの言葉で石崎とユリも手を挙げた。 「さすがに、皆様優秀な方ばかりですな。では、ただいま手を挙げていただいた順番で解答していただきましょう。その間、他の皆様は、自室の方で待機していてください。順番が来ましたら呼びにいかせますので。皆様の解答が正解かどうかについては、解答が全て終わってから、この部屋で発表します。解答の仕方は、謎が何で、その解答が何かという言い方にしてください。よろしいですね」  皆が黙って頷いた。 「それでは、城東大ミステリィ研の矢部様と大北様を残して退室してください」  黒田の声で、二人を残して全員が退室した。    順番を待つ間、石崎の部屋にミリアとユリが集まった。 「しかし、今晩全員が解答するとはな」石崎が呟いた。 「良かったじゃない。あんなやつらと、こんなこといつまでもやってらんないわよ」 「でも、ミリア。万一、那賀が正解を出したらどうする?」ユリがきいた。  さくらたちとの打ち合わせでの予想では、那賀は、さくらが用意したダミーの解答、つまり曜日殺人から、那賀良和、を指し示す答えを解答するだろうということだった。そこでさくらたちが、すべてはイベントのために、自分から死んだ、つまり、自殺、という答えを出して、そちらを正解にするという計画だった。 「あいつらが正解出したって、賞品であるはずの、来木来人の未発表資料なんかないのだから、どうしようもないわよね」ミリアが他人事のように言う。 「おまえら、ちっとも心配してないんだな」 「その時はその時よ。どうせわたしたちは最後だから、さくらさんたちが正解言って終わりでしょ。わたしたちはホールに行って帰ってくるだけよ。それまで退屈だから、トランプでもしましょうよ」ミリアがポケットからカードを取り出した。 「そうだな。それで何やる? ばば抜きか?」 「ばば抜きじゃ賭けにならないでしょ。ポーカーにしましょ。チップは下から持ってきたし」ミリアがポケットからプラスチック製のチップをばらばらとテーブルの上にばらまいた。  三人はチップを分けてゲームを始めたが、三十分もしないうちに、石崎のチップはなくなった。 「駄目だわ。弱すぎて相手にならないわ」ミリアがあきれたように首を左右に振る。 「しょうがないだろ。なんか他のゲームにしようぜ」石崎がカードをシャッフルしながら言った。 「うーん、といってもね。三人じゃねえ」ミリアがユリの顔を見る。 「そうよね。そのうち一人が馬鹿弱だもんね」ユリが石崎の顔を見る。 「悪かったな。そういやあ、なんでおまえたち、ここに二人で来たんだよ。ミステリィ研って、もっと人数いるんだろ。それとも招待状が二枚しかなかったのか」 「ううん、招待状には、何人でも事前に連絡してくれればいいって書いてあったわよ。でも他の部員たちは、家に帰るから来られなかったのよね」ミリアが答えた。 「家に帰るって?」 「わたしたちの学校って全寮制だから、連休の時とか、夏休みや冬休みの時ってみんな自宅に帰るのよ」 「おまえたちは帰らなくていいのか」 「わたしたち帰ってもしょうがないし……」ミリアの言葉が途切れる。 「両親いないもんね」ミリアとユリがさびしそうな顔をした。 「そ、そうか。なんか、悪いこときいちゃったな」 「なにが?」二人が不思議そうに石崎の顔を見る。 「いや、いいんだ。じゃあ次は何やる。ああそうだ、なんかジュースでも飲むか? 俺が買ってきてやるから」石崎はそう言うとそそくさと部屋を出ていった。 「どうしたのかなあ? 石崎さん」ミリアが首を傾げる。 「さあ? 急にジュース買ってくるとか言って」ユリも首をひねる。 「負けがこんできたから、ツキを変えにいったんじゃないのかな」  しばらくすると、石崎がジュースとお菓子を山のように抱えて戻ってきた。 「ほら、これ食え」 「うわあ、石崎さん。気が利《き》くわね」ミリアとユリが嬉しそうに手を出した。    さくらとまさみ、斉藤が、イベントホールに入ると、黒田が難しそうな顔をして立っていた。 「お嬢様」黒田が言うと、さくらが口に指を当てて睨み付けた。 「大丈夫でございます。録音も録画も止めてあります」 「そうですか。それでいったいどうしたのです」 「はい。それが、那賀に正解を言われました」 「那賀が……、答えは自殺だと言ったのですか」 「はい、曜日はダミーだということも言っておりました」 「困りましたわね。彼を甘く見過ぎていたのかもしれませんね」  まさみは悲しそうな顔で黙っている。 「どうします? さくらさん」斉藤が言った。 「あまりここで、時間をかけて話しているわけにもいかないし……、とにかく、わたくしたちも正解を言うわけですから、一応立場は対等ですね」 「しかし正解者に見せる、来木来人氏の未発表資料の隠し場所を示す文書などはございません。ですから那賀を正解者とすることはできません」 「困りましたわね。その時は、黒田、お前が謝るしかありませんね。一応、石崎さんたちにも相談してみます」 「はい、石崎殿がよい考えを出してくださればよいのですが……、私もあまり謝るのは……」 「時間があまりありませんから、よい考えは出ないかもしれませんね」斉藤がそう言うと黒田は悲しそうな顔をした。    さくらたちが暗い顔をして石崎の部屋へ入ってきた。 「ああ終わったんですね。じゃあ、俺たちも顔だけ出して来ようぜ」石崎がテーブルの上にカードを放り投げる。 「あっ、石崎さんずるい。負けそうだからって、途中でやめないでよ」ミリアが文句を言った。 「続きはまた、後でやればいいだろ」 「もうっ、ずるいなあ」ミリアとユリが頬を膨らませて怒っている。 「みなさん、あのー、那賀が、正解を出したんです」さくらが小さな声で言った。 「うわっ、本当ですか、まずいですね」 「はい、それでどうしようかと思いまして」 「くそーっ、やっぱりミステリィ作家だけのことはあるか」 「なに、納得してるのよ」ユリが石崎を突ついた。 「困りましたね」石崎が腕を組む。 「石崎さん、何かいい考えはありませんか」  石崎は黙っている。 「やはり、黒田に未発表資料などなかったと謝罪させましょう」 「なんか、黒田さんに悪いですね」斉藤が申し訳無さそうに言った。 「いいえ、それが黒田の仕事ですからかまいません。ただ、那賀に一矢報えなかったのが……」さくらがまさみの方を見る。 「石崎さん、何かいい考えないの?」ユリが石崎の顔を覗き込むが、石崎は腕を組んで考え込んだままだ。 「まったく、駄目ねえ」ミリアが立ち上がり、ドアに向かって歩いて行く。 「おい、ミリア、どこ行くんだ」石崎が声をかける。  ミリアが振り返って微笑んだ。「正解を言いに行くのに決まってるじゃない」    解答が全て終わったとの連絡があり、全員がイベントホールに集められた。黒田が正解の発表を始めた。 「皆さん、お集まりのようですね」黒田が全員の顔を確認する。「皆様の解答は全てお伺い致しました。さすがはミステリィ好きの皆様ばかりですね。正解の方がございました」黒田の言葉に一同ざわめいた。「さらにうれしいことに、こちらの用意したダミーの答えに引っかかってくださった方もございました」この言葉でさらにどよめいたが、那賀は一人、笑っている。 「ではまず、城東大ミステリィ研の答えから」黒田の言葉で矢部と大北が息を呑んだ。 「彼らの答えは、『曜日』です」黒田の言葉に碧北大ミステリィ研と高田の顔色が変わった。那賀は一人笑っている。 「この答えは、碧北大ミステリィ研のお二人と、高田様も同じですね」 「くそーっ、やっぱり気づいたか」矢部がくやしそうに言った。 「あたりまえだろ」田中が矢部を睨《にら》んだ。 「よろしいですかな。彼らの答えは、『曜日』、そしてそこから、那賀先生を暗示しているということです」黒田が言った。それを受けて矢部が立ち上がり説明を続けた。 「そうです。この『ミステリィの館』のイベントでの殺人事件では、犯人を見つけることに意味はありません。イベントの事件の示すものは何かを見つけることが重要です。いいですか、まず、このイベントの謎は、来木来人の未発表資料に関することだと思います。今回の賞品そのものずばりですが、賞品自体が謎になっていても問題ないと思います。そして、その解答は、今回のイベントの事件の示している、『曜日』、そしてそこから暗示されるのは那賀先生です。もちろん、那賀先生の代表作、曜日殺人シリーズからの連想だということは、説明する必要はないと思います。つまり、那賀先生が[#「那賀先生が」に傍点]、来木来人の未発表資料の謎を知っている[#「来木来人の未発表資料の謎を知っている」に傍点]、ということが今回のイベントの解答です」矢部が胸を張って一同を見回した。  那賀は何も言わずに黙っている。 「でも、ちょっと待ってよ」高田が発言した。「私もそう答えたんだけど……。それ違うんでしょ。だって、那賀先生が、その解答をしていないものね」高田が那賀を見る。那賀がにやりと笑った。  それを横目で確認して黒田が言った。「そのとおりです。曜日という答えは不正解です。私どもが用意致しましたダミーの解答です」 「そ、そんな。事件は曜日を表しているだろ」矢部が食い下がる。 「確かにそのようですが、その曜日という答えが暗示している那賀先生が否定しているのですから……。そうですよね」黒田が那賀に同意を求めた。 「ああそうだ。俺は、来人の事件にも、未発表資料などにも、なんら関係していない。だから、『曜日』などという答えは不正解だ。ひとつ言わせてもらえば、俺の曜日殺人シリーズを勝手に使われて、少し不愉快だが、まあ有名税だと思って許すことにしよう」那賀が余裕の表情で答えた。 「確かに曜日が示されてますけど、先生の作品とは、関係ないと思いますが。トリックもまったく違います」石崎が誰にともなく言った。 「そうよね。そんなこといったらカレンダー見るたびに腹を立てなきゃならないわ」ミリアが同意する。那賀が何か言おうとしたが、正解を教えてくれという矢部と田中の言葉で遮られた。 「よろしいですかな。では、那賀先生の答えを、先生の口から言っていただきましょう」黒田の言葉を聞いて、那賀がうれしそうに立ち上がった。 「いいだろう。答えは『自殺』だ。すべては単なるイベント。このホテルに雇われた者が自発的に死んだんだ。だから事件から示されるのは自殺。そしてそこから導き出されるのは、来人の死の謎の答え、つまり来人は自殺だった[#「来人は自殺だった」に傍点]、ということだ。いかがかな」那賀が周りを見回した。 「そ、そんなあ」矢部たちが情けない声を上げる。 「じゃあ、イベントの事件なんて、ほとんど無意味じゃないですか」田中が情けない顔をする。 「いや、そんなことないよ」そう言うと那賀は、それぞれの死に方が自殺の方法を示していると、石崎がミリアたちに説明したことと同じことを説明した。 「なるほど、確かに自殺方法ね。それ」高田が納得したように頷いた。 「わかってもらえたかな。まあ、あと一人誰か、飛び降りて死ぬ役目の人がいたのだろうね。俺が、事件が終わる前に謎を解いちゃったからね。曜日のダミーとの関係からいくと黒田さんだよね。黒田さんの演技も見たかったな。残念なのはそこだけだ」那賀はそう言って、オーバーアクション気味に椅子に腰掛け、足を大きく組んだ。 「はい、私も残念でございます。那賀先生が不正解で……」 「な、なんだと」那賀は驚いて立ち上がろうとしたが、慌《あわ》てて足がもつれて前にこけた。 「大丈夫ですか? 那賀先生」黒田が声をかけた。「それと、もう一組、美宮さん、斉藤さん、飯野さんの組も那賀先生と同じ答えでしたので不正解です」 「なんで、不正解なんだ」立ち上がった那賀が黒田に詰め寄った。 「那賀先生、落ち着いて」ミステリィ研の連中に言われて那賀は渋々席についた。 「じゃあ、正解者なしね」高田がつまらなそうな顔をした。 「いいえ、ございます。石崎さん、御薗さん、相川さんのグループは正解でした」 「なんだとっ!」那賀をなだめていたミステリィ研の連中も那賀といっしょに立ち上がった。 「当然でしょ」ミリアとユリは涼しい顔をして澄ましている。 「なんでこいつらが正解なんだ」那賀が怒鳴った。 「あんたに、こいつら呼ばわりされる覚えはないのだけれど」ミリアが那賀を睨む。 「皆さん静かに、石崎さんたちは正解です。間違いありません」 「じゃあ、その正解を言ってくれ」矢部が食い下がる。 「うるさいわね、もうっ。石崎さん言ってやってよ」ユリが石崎を突ついた。 「お、俺が言うのか」 「あたりまえでしょ。一番いいとこ石崎さんにあげるわよ」ミリアが石崎に囁《ささや》いた。 「いいところとは思えないなあ。恥ずかしいんだけど」 「なんだ、答えられないのか!」那賀が詰め寄る。 「わかった、わかったよ。言うよ。正解を言う。正解は熊だ!」  長い沈黙の後に那賀が石崎の顔を覗き込んだ。 「おいおい、あんたどうかしてるのか? なんだ熊って」  ミリアが後ろで石崎の背中を突っつく。 「くそっ、いいか、どうして熊なのか説明してやる。聞いて驚け」石崎は、ポケットから紙を取り出して広げてみせた。   名前     凶器  材質 須藤真奈美  毒   クロワッサン 月 秋野徹    火   火      火 瀬口さん   水   水      水 森みゆき   木綿  木      木 金井奈々   斧   金属     金   「ここまでは、曜日の推理と同じだ」 「そうだ」矢部が言った。 「では、これから、導き出されるものをさらに付け加えるぞ」   名前    凶器  材質 須藤真奈美 毒   クロワッサン 月 月の輪熊 秋野徹   火   火      火 ひぐま 瀬口さん  水   水      水 洗い熊 森みゆき  木綿  木      木 森のくまさん 金井奈々  斧   金属     金 金太郎の熊   「これは!」ミリアが男の声でわざとらしく叫んだ。 「いいか、説明するぞ。まずクロワッサンの意味する月は、月の輪熊を、火はひぐまを、水の瀬口さんは洗い場で倒れていた、だから洗い熊だ。森さんは当然、『もりのくまさん』、金は金太郎の乗っている熊だ。これは、ブランドにある金の熊ともいえるが、凶器が斧、つまりまさかりだから金太郎の熊にした。以上のことから、今回のイベントから導き出される答えは『熊』だ!」 「おいおい、確かに言っていることはわかるがそれはないだろう」那賀があきれたように石崎の顔を見つめる。 「まだ、あるわよ」ミリアが話し始めた。「さっきあなた、事件は終わっていない、まだ黒田のおっさんが死んでいないって言ってたけど、もう事件は終わってるのよ。この熊が館の前に落ちていたわ。あなたたちも目撃したんじゃなくて」いつのまにか、ミリアの手に熊のぬいぐるみが握られている。 「たしかに、落ちていたけど……」矢部たちが口ごもる。 「そうでしょ。この熊が最後の事件だったのよ。かわいそうに、この熊、ホテルの屋上から落ちたのよ。いい? 最後に一番重要な事件が起きるのは当然でしょ。そして最後のヒントが一番簡単なのよ。そのものずばりなのよ」そう言ってミリアが熊を那賀たちに向かって突き出した。 「くそっ」矢部が舌打ちする。 「ちょっと待て、曜日は別にしても、俺の自殺の推理はどうなる」那賀が食い下がる。 「さっき、黒田のおっさんが次の番だ、なんて言ってたくせに。黒田のおっさんが死ななかったからあんたの推理は不正解よ」ミリアが答える。 「しかし……」 「ふふふ、まだ不満そうね。いいわ、あんたの答えが不正解だっていう最大の理由を言ってあげるわ。あんたは、どの被害者もホテルに雇われて、それで自分から死んだから、自殺が答えだって言ったけど、そこが間違ってるのよ。みんな死んでいないじゃない」 「あたりまえだろ。これはただのイベントなんだぞ」 「なんだ、わかってるじゃない。つまり、みんな死んだふりをしてたのよ。死んだふり[#「死んだふり」に傍点]」 「熊と会ったら、死んだふりするでしょ」ユリが言った。 「な、なんだと」 「だから、正解は熊なのよ。そして、そこから導き出されるのは、死んだふり」そう言ってミリアが皆を見回した。 「ま、まさか、来木来人は生きているっていうことなのか」矢部が叫んだ。 「そ、そんなことはない」那賀がうろたえている。 「どうしたの? 那賀先生、ずいぶん取り乱しているけど、来木来人が生きていると何か都合でも悪いの?」ミリアが那賀を覗き込むように話し掛ける。 「ば、馬鹿なことを言うな。来人は死んだ。葬式の時に俺はちゃんと奴の死体も見た」那賀が震える声で言った。 「奴じゃなくて彼でしょ。死体じゃなくて遺体でしょ。言葉には気をつけなきゃ。作家なんだから……。まあいいわ。確かに来木来人は亡くなったわ。でも、ミステリィを書いていたのが彼ではなくて、他にいたとしたらどうする?」ミリアが那賀の顔を覗き込む。 「まさか……」那賀が呟く。 「さあ、どうかしらね。わたしはそんなこと知らないわ。ただ、今回のイベントから導き出される答えは、『死んだふり』、その意味することはただ一つ。来木来人はまだ死んでいない。つまり終わっていない。来木来人の未発表の作品があるということよ。つまり、このイベントで話題になっている未発表資料というのは、彼の未発表作品のことよ。もともと、最初から未発表資料があるって黒田のおっさんが言っていたんだから、この解答が間違っているわけないでしょ」ミリアが黒田の方を見た。 「ミリア様のおっしゃる通りです。ミリア様たちの解答の『熊』が正解です。そして来木来人氏の未発表作品が存在しますのも事実です。このイベントの賞品である来木来人氏の未発表資料の隠し場所を示す文書とは、つまり来木来人氏の未発表作品の隠し場所を示す文書なのです。未発表作品は、完全な形で残っているようです。もちろん未完成ではありません。完成しているとのことです」黒田が説明した。 「ど、どうしてその作品を発表しないのですか。日本ミステリィ界の損失でしょう」矢部が興奮した表情で言った。 「なに? 日本ミステリィ界って?」ミリアが石崎に小声で尋ねる。 「知らん」石崎が答える。 「はい、それはもちろん承知しております」黒田が答える。「ただ、私どもで所持しておりますのは、その未発表作品の隠し場所を示した文書の入ったフロッピーディスクだけなのです。そして、私どもでは、その場所が解明できなかったのです。ですから今回このようなイベントを行ったのです。確かに、フロッピーの内容を公表する方法も考えられるでしょう。しかし、来木来人氏が亡くなった時の騒ぎを思い出しますと、それもはばかられました。このイベントの謎を解けるくらいの方であれば、未発表作品の隠し場所もわかるのではないかと思い、イベントの謎を解いた方に、フロッピーの中身を見ていただこうということになったのでございます」 「なるほど、つまりフロッピーの謎を解いて、来木来人の未発表作品を探す権利が与えられるということか」石崎が言った。 「はい、その通りでございます」黒田が頷いた。 「ほ、ほんとに、未発表作品の隠し場所を示したフロッピーなのか?」那賀が興奮して尋ねる。 「はい、本物です。間違いございません。私どもが来人氏の遺品の中から見つけました。それと一緒に、作品の在処《ありか》をこのフロッピーの中に示すと書かれた来人氏の文書が残っていました。もちろん筆跡鑑定済みです」黒田が自信を持って言い切った。 「すごいな。きっと究極のトリックだぜ」ミステリィ研の連中が騒ぎ出した。 「それでは皆さん」黒田が大声で皆の注意を集めた。「よろしいですかな。今回のイベントでの正解者は石崎さん、御薗さん、相川さんの御三方です。今回は皆さんには、モニターをお願いしたわけですが、もちろん賞品はだします。来木来人氏の未発表作品の隠し場所の記載された文書を見る権利が与えられます。ぜひそれを見て、未発表作品を探していただきたいのです。石崎さん、御薗さん、相川さん、どうか賞品を受け取ってください」黒田が大袈裟《おおげさ》な身振りを交《まじ》えて宣言した。 「いらなあーい」ミリアとユリが声を揃えて言った。 「今、なんと?」黒田が聞き返す。 「そんなもの要らないわよ。まだこれ以上、わたしたちに、馬鹿ななぞなぞを解けっていうの?」ミリアが答えた。 「そうよ。代わりにお金を貰うことも出来るんでしょ。ならそっちよね」ユリが言った。 「はい、百万円になりますが、よろしいのですか」黒田はそう言ってポケットから札束を取り出した。 「うん、いいわよ」ミリアとユリが頷く。 「俺もいいぜ」石崎も頷いた。 「ちょっと、待ってくれ。こいつらがフロッピーを見るのを拒否するのなら、俺に見させてくれないか」那賀が黒田に詰め寄った。 「それはできません。那賀先生は不正解ですので。それに先生は、今回参加しておりますので、次回からの参加はご遠慮いただきますので、来人氏の未発表作品はあきらめてください」 「くっ、そ、そうだ。ホテル側からじゃなければいいんだな」那賀がミリアたちの方を向く。「あんたたち、フロッピーを見ることを選択しろ。そうすれば俺がそのフロッピーを買う。二百万出そう。どうだ?」 「こいつらとか、あんたたちとか、さっきからあなた、口の利き方知らないの?」ミリアが馬鹿にするように那賀を見る。 「わ、わかった。三百万、いや四百万だ」 「わたしは、あんたの口の利き方を言ってるのよ。ああ、もうやだやだ。こんなやつと同じレベルに見られたくないわ。黒田のおっさん、わたしたち、賞品のお金もいらないわ。この馬鹿にあげてよ。この人、お金で人が動くと思っているみたいだから、百万やるって言えば黙るんじゃないかしら」ミリアが黒田に言った。 「はい、賞金を譲るのはかまいませんが」黒田が答える。 「き、貴様ら、馬鹿なことを言ってごまかすな」那賀が立ち上がってミリアに詰め寄る。  石崎が那賀の前に立ちふさがる。「那賀さん、いいかげんにしたほうがいい。あなたの今の姿、全部記録されてますよ」石崎が部屋の壁際に置かれたカメラとテープレコーダーを指差した。「それに、最初に誓約書を提出したじゃないですか。この館で見た来木来人の資料は、誰にも公表しないって。だから、たとえ俺たちが、来木来人のフロッピーを手に入れても、あなたには見せることはできないんだよ」 「その通りでございます」黒田が頷いた。「それでは、ミリアさん。賞金は那賀先生に差し上げてよろしいですね」 「いいわよ」 「わたしもいいわよ」 「二人がいいというなら俺もいいぜ」石崎たち三人が頷いた。 「くっ、人を馬鹿にするな。いらん、そんな金」那賀が投げやりに言った。 「困りましたな、みなさんいらないとおっしゃる。ではこの賞金は、次回のイベントに繰り越します。その証拠に、来木来人氏のフロッピーと一緒に保管しておきます」黒田はそう言うと、暖炉の上においてあった宝石箱を開け、その中にあった封筒の中に札束を入れた。ついでにサービスだと言って、封筒の中のフロッピーを皆に見せた。ラベルも貼っていない黒い色の普通のフロッピーだった。ミステリィ研の連中や那賀はよだれも垂らさんばかりに、そのフロッピーを見つめている。そして黒田は、この部屋は、カメラで二十四時間監視しているからと、宝石箱に鍵もかけずにしまった。 「黒田のおっさん、もうイベントは終わりでしょ」ミリアが言った。 「はい、イベントは終わりでございます。もちろん予定は三泊ですので、明晩も泊まって、ゆっくりしていただくのもかまいません。明日お帰りになられてもかまいません。皆様御自由に。それではこれで『ミステリィの館』のイベントは終了致します」黒田が深く頭を下げた。    那賀たちが、未練げにイベントホールを出ていき、残ったのは石崎たちとさくらたちのグループだけになった。 「ぐわあ、だめだわ。もうがまんできないわ」ユリがお腹を抱えて笑い始めた。「もうっ! 二人ともまじめな顔して、『答えは熊です』だなんて言うんだもの」 「わたしだって、おかしかったんだからね。石崎さんが、すごい難しい顔して、説明してるんだもの。あの謎の解決は、歴史に残るわ。史上最低の名探偵よね。『もりのくまさん』だなんて言われた時は、危なかったもの。吹き出すところだったわ」 「なんだよ、ミリア。おまえが全部思いついたんだろ。最後の方は自分で説明してたくせに」 「なんか話さないと、笑い出しそうだったのよ」 「それはそうと、やはり、那賀のあの態度を見ると、彼が来人の原稿を自分の物にしたのは、間違いなさそうですわね」さくらが真剣な顔で言った。 「そのようね」斉藤が頷いた。 「今夜、彼がどんな男かわかるわよ」ミリアが那賀の出ていった扉を見つめる。 「そうよね。わたしたちが仕掛けた、偽のフロッピーを盗みにくるわよ。このホールへ」ユリが暖炉の上の宝石箱を見た。 「でも、箱に鍵もかけていないのだから、少しはおかしいなと思ってもよさそうですけれど」斉藤瞳が不安げな顔をした。 「それはないだろうな。彼は完全に自分を見失っていますからね」石崎が答えた。 「自業自得よ。原稿を盗んだんでしょ。証拠はないけど……。でも、まあ少しはぎゃふんと言わせられたんじゃないの? 実際ぎゃふんなんて言ってないけど」 「そうよね。だいたい誰が最初にぎゃふんだなんて言い出したのよ」ミリアとユリの話が脱線し始めた。  今まで、黙って話を聞いていた飯野まさみが立ち上がった。「それじゃ、わたしはこれで……。みなさん今日はありがとう」まさみは小さな声で挨拶するとホールを出ていった。  皆が黙ってまさみの背中を見送った。 「まさみさん元気ないわね」ユリが呟いた。 「そうね」さくらが悲しそうな表情で頷いた。「那賀が、来人の原稿を自分のものにしていたのはショックかもしれないけど、それ以上に、究極のトリックが結局なかったことが、ショックなのかもしれませんわ。わたくしも、兄さんの究極のトリックがなかったことが残念ですもの」 「ふうん、そんなにショックなのか……」石崎が呟いた。 「石崎さん、頭大丈夫?」ミリアとユリが石崎の顔を下から覗き込む。 「ああ」石崎が真面目な顔をして頷く。 「ああじゃないわよ。まさみさんは来木来人が好きだったのよ。きっと来人も、まさみさんのことを好きだったんだと思うわ。二人がどの程度親密だったかは想像するしかないけど、来人が書いたまさみさんへの手紙を読むと、二人がお互いに、作者と編集者以上の信頼感と好意を持っていたことがわかるもの。それなのに、来人が残したはずの究極のトリックはみつからない。もしかしたら残してないのかもしれない。それで彼女に、元気を出せって言うほうが無理があるわ」ミリアが説明した。 「そうよ。石崎さん、そんなこともわからないの」ユリが石崎を睨む。  石崎が二人に責められている間に、斉藤とさくらの二人は、まさみを慰めにいくと言って出ていってしまった。 「しょうがないわねー」ミリアが腕を組んで考えている。 「どうした? ミリア」石崎が声をかける。 「まあ、乗りかかった泥船だし……」ミリアが石崎の方を見た。「石崎さん、ミステリィについて詳しいんでしょ」 「ああ、史上最低の名探偵だからな」 「ふてくされないの。ねえ、ユリ。わたしたちで、究極のトリックについて考えてみましょうよ」 「そうね。ちょっと、今のまさみさん見てられないもんね」 「じゃっ、そういうことに決まったから、石崎さん」ミリアが、ポンッと石崎の肩を叩く。 「ああ、わかったよ。それでどうすればいい?」 「腹が減ってはなんとやらでしょ。まずは黒田のおっさんから、食料を確保してきてよ。わたしたちは、さくらさんとまさみさんから手紙のコピーを借りてくるわ。図書室に集まりましょ」 [#改ページ]   第四章 本当の意味      石崎が、お菓子を抱えきれないほど持って図書室に入ると、ミリアとユリはもう座って待っていた。机の上に懐中電灯が置いてある。 「準備がいいな」 「うん。もう、あのお馬鹿さんのことなんか別にいいんだけどね」ユリが答えた。 「そうだな。黒田さんには言ってあるから、停電しても、すぐ復旧すると思うよ」 「それより、究極のトリックの検討を始めましょうよ」ミリアがせかす。 「そうだな」扉から離れた一番大きなテーブルに全員が陣取った。 「まず、我々の目的をはっきりさせよう」 「目的って、世界征服とか、そういうこと?」ミリアがきいた。 「そういうことじゃなくて、この会議の目的だ」 「うわ、会議だって。なんかかっこいいわね。でもまず、会議の名前とか決めたほうがいいんじゃない? それに誰が議長なの?」 「違うわよ。ミリア、チェアマンっていうのよ」 「なにそれ、いす男?」 「わかった、わかった。じゃあ会議は世界征服会議でいいよ。議長は俺がやる。いいな」 「ふわあい」ミリアとユリがやる気なさそうな返事をした。 「まったく、おまえらに議長なんかやらせたら、話が先に進まんだろ。いいな」石崎がミリアとユリを睨み付けると二人が睨み返してきたが、無視して話を進めた。 「それでこの会議の目的は、来木来人の究極のトリックを見つけるということでいいかな」石崎が二人を見る。 「それ以前に、来木来人の究極のトリックがあるかどうかを、はっきりさせるということがあるわよ」ミリアが答えた。 「うむ、そうだな」石崎が頷いて、図書室内にあったホワイトボードに書き込んだ。   目的 ・来木来人の究極のトリックの存在の有無の確認 ・来木来人の究極のトリックの発見   「次に、その目的を達成するため、我々が現在手にしている情報は何かな?」 「来木来人が、さくらさんに宛てた手紙と、まさみさんに宛てた手紙」ミリアが答える。 「あと、那賀の今までの態度かな」ユリが付け加えた。 「そう、それから、来木来人の今までの著作にヒントがあるかもしれない。それと、那賀が盗んだと思われる曜日殺人シリーズだな」そう言って石崎が書き込んだ。   情報 一 まさみさん宛ての手紙 二 さくらさん宛ての手紙 三 那賀の態度 四 那賀の曜日殺人シリーズ 五 来木来人の著作   「この情報を一つずつ吟味して、気づいたことを挙げていこう。それを事実と推測にわけてだ」 「うん、わかった。まずはまさみさん宛ての手紙からね」ミリアが手紙のコピー(一二四頁参照)を広げた。  三人が手紙に見入る。   「この手紙を、確かに来木来人が書いたものと判断していいかな?」石崎が質問した。 「それはよいと思うわ。まさみさんのことをまさみ君だなんて言ってるじゃない。普通、来人が編集者に書いた手紙を偽造するとしたら、飯野さんとか飯野君になるんじゃないかな」 「でも、まさみさん本人が書いたものかもしれないぞ。手紙の最後に蔵書をあげるって書いてあるだろ」石崎が最後の部分を指した。 「蔵書目的で、手紙を偽造したの?」ユリが尋ねる。 「ははは、そうだな。疑ったらきりがないから、この手紙は来人がまさみさんに宛てたものだとして、話を進めよう」 「最初からそう言えばいいのよ」ミリアが石崎を睨む。「じゃあ、この手紙について、感じたことや推理したこと、わかったことなどを挙げていきましょうよ。まず、わたしから、ええと……、この手紙を書いた時には、来人は自殺を決意していた。どうかな?」 「そうだな。三行目の、『それどころではないかもしれないな』、という部分と、最後の『僕の蔵書はすべて君にあげよう』、という部分からわかるな。ただ、自殺を決意していたかどうかはわからないな。癌で死ぬことも知っていたはずだからな」 「そうよね。でもどうして自殺したのかしら? 病状が悪化してつらかったのかなあ? 死ぬのが恐かったのかなあ?」ユリが首を傾げる。 「病死が恐くて自殺するっていうのも、ちょっとね。でも安楽死っていうのもあるから、そうともいえないかな」ミリアが首をひねる。 「執筆に、行き詰まったというのはどうだ?」 「でも、『僕の総決算とも云える』、とか、『究極のトリックだ』、って言っているわよ」ユリが答えた。 「でもその究極のトリックがみつからないのよね……」ミリアが考えこむ。 「そこは、突っ込んで考えないで先に進もう。まさみさんの手紙は、長いし、いろいろヒントがありそうだから、メモしておこう。とにかく気づいたことは、どんどん書いていこう。まず今のことを書いておくぞ」   石崎記述 ㈰まさみへの手紙を書いた時点で来人は死を覚悟していた。 疑問点 この時点で自殺をするつもりだったのか?       自殺の原因は何か?         病気を苦に?         執筆の行き詰まり?   「他に何か気づいたことはないか?」 「『究極のトリックだ』、というのはわかるけど、『お金では買えないくらいのね』、ってどういうこと?」ミリアがきいた。 「究極のトリックの�究極�っていうのも、品がないけど、お金では買えないっていうのも、文学的センスゼロよね。来木来人って作家でしょ」ユリが首をひねる。 「そうだな。お金では買えないくらいの、っていう表現は気にかかるな」石崎が書き足した。   ㈪『究極のトリック』という表現に意味はあるのか? 『お金では買えないくらいの』という表現の意味は?   「他に何かないかな?」 「来木来人の出した条件はたくさんあるわね」ミリアが答える。 「条件と、それに伴ってわかることを、少し簡単に書き出してみるか」   ㈫話はシリーズもの。 ㈬本数は複数ある。 ㈭二ヵ月間隔で郵送される。   「どうして、一度に送らないのかしら」ユリが呟いた。   疑問点 なぜ一度に送らないのか?   ㈮順番通り連続して出版する。   「一度に送らないっていうのは、順番通りに出版させたいからかもな」石崎が言った。   ㈯ノベルスタイプで出版する。   「石崎さん、ノベルスタイプって?」ミリアが質問した。 「こういうやつだよ。ノベルス判とも言うね」石崎が、書棚から本を一冊持ってきた。 「ああ、本屋で隅っこの方にあるわね。新書判ってやつでしょ」 「そうそう。文庫より高くて、ハードカバーより安いやつね」ユリが石崎の持ってきた本を見た。来木来人の作品だ。「まさみさんの出版社ね。これ」 「ああ、そうだ。来人の作品のほとんどは、K談社からだ。K談社ノベルスは、この背表紙のパイプをくわえた犬が目印だ」 「犬印ね。丈夫な子が産まれるわね」ユリが真面目な顔をして呟いた。 「くだらないこと知ってるな。いいか次へいくぞ」   ㉀価格と頁数が決められている。   「原稿もまだ送っていないのに、価格を決めてるっていうのもねえ……。出版社ってそんなこと許すの?」ユリがきいた。 「うーん? 来人ほどの作家なら、作品の質が常に高いから、作品を見る前に価格を決めるのは可能かもしれないけど、しかし作家本人が、販売価格を決めるということはないだろう。ただ作品を書いて、価格を決めて売ればいいというわけじゃないからね。出版するまでに、たくさんの人の手を経ているんだ。作家が価格を決めることはできないと思うし、単なる編集者のまさみさんも価格に関しては、発言権くらいはあるだろうけど、最終的には販売の方で決めるんじゃないかな。それが組織というものだからね。だからこそ、来人も、印税はいらないから、価格を絶対守れという提案をしたのだと思うよ。しかし、印税はいらないというのは、よっぽどの決意だよ」 「ねえ石崎さん。この価格のところに書いてある『あなたへの特別な犯罪』ってなんなの?」ミリアがきいた。 「ああ、これは来人の本の題名だよ。短編集なんだ」 「一度雑誌に発表したものだから、価格を下げてくれって言って、まさみさんを困らせたって書いてあるけど。その時は下げたのかな」 「ちょっと待てよ」石崎が書棚から、『あなたへの特別な犯罪』を持ってくる。「えーと、760円だな」 「その価格って、来人が言って、下げた価格なのかな」ミリアが首を傾げる。「まさみさんにきけばわかるだろうけど、今はちょっとききにくいわよね」 「そうだな。来人の手紙には、『しかし、今回のこの価格は必ず守ってほしい』って書いてあるし、今回は印税をいらないという提案をしているからね。この時は、来人の望む価格にはならなかったのかもしれないな。そのためかどうかわからないが、この短編集には、一作だけ、新作が含まれているんだ。この短編集の題名も、その新作に由来していると思うのだけど、『愛するあなたのための犯罪』、っていうんだ」石崎が本をめくってその部分を見せる。 「ふーん。じゃあ来人は、自分の希望する価格まで下げてもらえなかったから、本来、既に発表した作品だけになるはずだった短編集に、一作だけ新作をいれたんだ」ミリアが言った。 「でも、今回の要求は、原稿も送らないで価格を勝手に決めてるわけだから、その時とは全然状況が違うわね」ユリが指摘する。 「そうよね。何か価格を決めることに意味があるのかなあ」ミリアとユリが首を傾げる。   疑問点 価格を決めることに意味があるのか?   「ねえねえ」ミリアが尋ねる。「ここに、『この頁数であれば、巻末に既刊ノベルスの広告が付くことはないはずだ』って書いてあるけど、どういうこと?」 「ああ、本って、あの大きさの紙に印刷してるわけじゃないからね。大きな紙に印刷して、それを製本してるわけだよ。だから、きりのいい頁数があるんだろうな。半端な頁数だったら紙が余ったりするだろ。その巻末の余った部分に、他の本の宣伝のために、今まで刊行されているノベルスのリストとか載せているんだろうな」石崎が説明した。 「なるほど」ミリアが頷く。「じゃあ、来人は、そういう宣伝広告が付くのがいやだったのかな」 「そうだな。来人としては、自分の本には自分の作品だけ載せたかったのだろうな。だから、そういうリストなどが付かない頁数に指定してるのかもしれないな」   ㈷題名を隠している。   「どうして、題名を教えなかったのかしらね。さくらさんへの手紙には書いてあったのに」ミリアが首を傾げた。 「題名に、何か秘密があるのかなあ」ユリも首をひねる。 「それは後で、さくらさんへの手紙の時に考えてみよう」石崎が答えた。   ㉂作品は七作。   「七作目は、価格が書いてないわよね。そのかわりに、『お金では買えない』って書いてあるわ」ミリアが手紙を指し示す。 「だから、まさみさんたちは七作目に究極のトリックがあると思っているわけだ。究極のトリックは、お金では買えないくらいのトリックだって、来人が言っているからね」石崎が説明した。 「七作目には頁数も書いてないのよね」ユリが呟いた。   疑問点 七作目が究極のトリックの作品なのか?     七作目には、価格が書いてない。     七作目には、頁数が書いてない。   ㉃原稿を変更しないでそのまま出版すること。   「校正って見直しのことよね。普通見直しても、見逃しとかあるんじゃないの?」ミリアがきいた。 「そうだ」石崎が頷く。「作家だけじゃなくて、何人もの人が校正の作業をする。来人だって充分それがわかっているはずだ」 「なんか、来人って、ただのわがままなやつなんじゃないの」ユリがいやそうな顔をした。   ㈹作品を文庫化しないこと。   「これも良くわからないわね。文庫になって、値段が下がらないと買わない人ってけっこういるのにね」ミリアが首をひねる。 「文庫にすると、作家が儲からないの?」ユリがきいた。 「いや、そんなことはないだろう。文庫を読んで、その作家を知る人も多いし、ファンになって、その作家の作品を全部読みたいっていう時は、文庫は便利だよ。本屋に行けば、ずらーっと並んでいるからね。一人の作家の作品を読み通すのには最適だね。その点、ノベルス判を、後から全部読むのは難しいな。書棚のスペースも狭いし、一人の作家の作品をノベルス判で、全て並べている書店はあまりないだろう。新書判っていうくらいだから、回転が速いのだろうな」 「ノベルス判で出て、その後文庫になるのよね」ミリアが確認する。 「そうだ。文庫書き下ろしっていうのもあるけど、だいたいはノベルスやハードカバーの単行本から、文庫になる。出版社の販売戦略にもよるのだろうけど、ノベルス出版後、三年間は文庫化しないとか、五年間は文庫化しないとか、決まってるようだよ。ノベルス判を買って、すぐに文庫が出たりするとちょっと損した気分になるだろ」 「買ったらすぐに、新型が出るパソコンみたいなものね」ミリアが頷く。 「車とパソコンとマンションは、買った瞬間に、価値が半分以下になるからなあ……って、そんなこと言ってぼやいてる場合じゃないな。だいたいこんなところかな。どうだ、以上まさみさんの手紙をまとめてみて? 他に何かあるか?」石崎が二人の顔を見た。 「条件とか、そういうところは良く考えないと、その意味はわからないけど、やっぱり来人はまさみさんを好きだったんじゃないかなあ。手紙の最後の方で、究極のトリックを教えないで、まさみさんに見つけさせようとしてるでしょ。これって、自分の好きな人に、ちょっといじわるしたくなるっていうやつよね」ミリアがユリの方を見る。 「そうよね。こういうところを読むと、なんとかして、究極のトリックを見つけてあげたいよね」 「そうだな。俺もそう思うよ。よし、次はさくらさんの手紙だな」石崎が手紙のコピー(一二八頁参照)を広げる。  三人が手紙に見入った。   「こちらは、いろいろな条件は書いていないな。さくらさんは読者の立場だからだろう。ただ、さくらさんにも、究極のトリックの話をしていたということはわかるな」 「うん。さくらさんにきいたら、高校生の頃に話してくれたって言ってた。ただ、この手紙を見るまでは忘れていたって。まさみさんの手紙を読んで、やっぱり、『お金では買えないくらいのトリック』だって言ってたのを思いだしたって」ミリアが説明した。 「お金では買えないか……」石崎が呟く。 「こっちには題名が書いてあるのよね。六作だけだけど」ミリアが手紙を指す。「でもこの六作が、那賀の作品とほとんど同じ題名だったから、那賀が盗んだんじゃないかってわかったのよね」 「もうちょっと早く、さくらさんがこの手紙を見つけてればね」ユリが残念そうに呟く。「それでなければ、まさみさんの手紙に題名が書いてあれば良かったのよ。そうすれば那賀の作品が出た時に、まさみさんが、あれは来人の作品だって気づいたじゃない」 「でも、よく那賀も堂々と発表したわよね。来人から、これは君にしか言っていない、とか言われて原稿を渡されたのかしら?」ミリアが首をひねる。 「そうだな。じゃあさくらさんの手紙は短いからこれぐらいでいいとして、その肝心の那賀の話をするか」石崎が切り出した。 「那賀の態度と、曜日殺人シリーズね」ミリアが頷く。 「そうだ。じゃあ俺から少し説明するよ。那賀が曜日殺人シリーズの一作目を発表したのは、ちょっと特殊な状況だったんだよ」 「特殊な状況って? 惑星が直列してたとか?」ユリがきいた。  石崎が無視して話を続ける。 「第一作目のそれは、作者名が明かされなかったんだ。当時は『覆面フェア』とかいってたな」 「覆面って、覆面レスラーとか、覆面トラックマンとかの覆面?」ミリアがきいた。 「おまえ、レスラーはわかるが、覆面トラックマンだなんて言ってわかる人間いないぞ。難しすぎると、つい突っ込んじまうだろうが、俺も」 「いいのよ。わからないやつが不幸なのよ。それで、その覆面ってなんなのよ」 「これは、ある出版社が企画したんだが、目的は、新人の発掘や既成概念《きせいがいねん》の破壊かな」 「新人の発掘はわかるんだけど、ちょっと次が漢字が多いのだけど……、中国の新兵器のこと?」 「簡単に言うと、有名作家は駄作でも売れる。悪く言うやつはあまりいないということだ。有名作家の作品は、その作家の名前で高く評価されてしまう場合があるので、作家名を隠して出版してみようという試みだ」 「へえー、でも新人や売れていない作家なら書くでしようけど、有名作家にはメリットないんじゃないかしら」 「いや、そうでもなかったんだよ。彼らも、読者の期待に縛られていた部分があったようなんだ。彼の作品はこうじゃなきゃいけないとかね。だから、この覆面フェアは有名作家には好評だったよ。いろいろ新しい試みもできるからね」 「なるほど。それで那賀はこの覆面フェアで作品を発表したんだ」 「ああ。もしも自分以外に来人の作品を知っている者がいたら、この作品を見て何か言ってくるだろう。もし、これは来人の作品だって言ってきたら、実は、来人に覆面の形で出版してくれって言われたと言えばいいだけだからね」 「でも、誰も言ってこなかったのね」ミリアが確認する。 「ああそうだ。そして、その一作目の『月曜日毒物連続殺人事件』は評判になった。いったい誰が作者なんだと。そこで那賀が名乗りをあげ、矢継《やつ》ぎ早《ばや》に、曜日殺人シリーズを発表し、それとともに彼の過去の作品も評価されるようになって、今の地位を築いたわけだ」 「ふーん。でも覆面とはいえ、作風とかあるでしょ。これは来人の作風だって言う人いなかったの?」ユリがきいた。 「いや、そこが来人のすごいところなんだ。来人の叙述の仕方や作風っていうのは、作品ごとにすべて違っていた。彼は、いろいろ試していたんだ」 「なるほどね。それじゃ、その曜日殺人シリーズを見てみますか」ユリが書棚から、本を六冊持ってきた。 「題名が少し違うよね」ミリアがさくらの手紙と見比べる。   那賀の曜日殺人シリーズ 題名 「月曜日毒物連続殺人事件」 「火曜日炎の連続殺人事件」 「水曜日に沈む殺人者」 「木曜日に森に消える殺人者」 「金曜日の切裂き殺人」 「土曜日に空に消えた殺人者」   「頁数と、価格も全然違うわ」ユリがまさみの手紙と本を見比べる。 「題名は、少し変更したのかもな。呼びやすいとか、売れやすい名前とかね。殺人という言葉が題名に入っていると売れ行きが違うそうだよ。きっと編集者の意向で少し変更したのだろう。それに、これには挿し絵や登場人物表、屋敷の図面とかも入っているし、内容も少し変更している可能性もあるかもな」石崎がぱらぱらと中をめくってみせた。 「ちょっと待って、石崎さん」ミリアが石崎の手を止めた。 「その登場人物って……」   那賀の曜日殺人シリーズ 登場人物表(一部抜粋) 探偵 真宮《まみや》正人《まさと》 令嬢 好野《よしの》正美《まさみ》   「気づいたか。そう、これがあるからこそ、さくらさんたちは、那賀の盗作を確信していたんだよ。来木来人の本名は伊藤正人だが、伊藤は母の姓だ。彼の父の姓は、真宮だ。それがこのシリーズの主役の探偵の名前。そしてヒロインの世間知らずのお嬢様役が、好野正美だ。好野の好の字は、いい、とも読める。つまり、いいのまさみだ」 「主役は、来人とまさみさんなんだ」 「そう。那賀は来人の父の姓など知らないし、ましてやまさみという名前も気にしなかったんだろう」 「でも、盗作したら、普通名前くらい変えない?」ユリがきいた。 「普通はそうだろうね。この作品の頁数を見ると来人の手紙に記載されている頁数と、かなり違っている作品が多いから、変更している部分が多いのだろうけど、でも名前は変えられなかったんだ。この『月曜日毒物連続殺人事件』は、二人の名前がトリックに大きな意味を持つんだよ。いわゆる叙述トリックなんだけどね」 「呪術トリック? 名前を書いた紙をわら人形に入れて呪い殺すとか、そういうトリックね」ミリアが真面目な顔で言った。 「違う。じょじゅつ[#「じょじゅつ」に傍点]、叙述だ。男性の登場人物のように書いてあるけど、実は女性だったとか。白人のように書いてあるけど黒人だったとか、書き方で読者を騙すんだ。物理的なトリックは、今までに出尽くしているから、ミステリィには、もう叙述トリックしか残っていないっていう人もいるよ。来人は、この叙述トリックが得意だったんだ」 「ふーん。男が女だからっていうことは、犯人はあしゅら男爵《だんしゃく》よね。変だけど、まあいいわ。とにかくトリックの関係で名前は変えられなかったということね」 「ああ、そうだ。犯人はあしゅら男爵じゃないがな。このことと、今までの那賀の態度、そして今回のイベントで見せた、来人の未発表作品への執着から考えて、那賀が盗作したのは間違いないよ」 「もう、奴が盗んだかどうかはいいわよ。それで登場人物はわかったけど、話の内容は?」ユリがきいた。 「そうだな。シリーズものだけど、それぞれの話ですべてストーリーは完結している。探偵役が同じということと、それぞれが連続殺人ということがシリーズで共通なんだ。それと、前にも話したけど、殺害方法が毎回違うことや、犯人の役柄が毎回違うとかが特徴だな。そして、その主人公の探偵役の二人が、過去のある事件で恋人を殺され徹底的に犯罪を憎む、元刑事の探偵真宮正人と、敬虔《けいけん》なクリスチャンの大会社の社長令嬢好野正美なんだ。この二人の関係が、シリーズの大きな軸になっている。正反対の境遇、性格の二人が、協力したり、反目したりしながら難事件を解決していくんだ」 「そして、二人の間に、恋心が芽生え、というやつね」ミリアとユリが苦笑した。 「ああ、そうだ。最後に出版された、『土曜日に空に消えた殺人者』のラストは、好野正美が、真宮正人にプロポーズしたところで終わっている」 「うわっ、ストレートね。女性の方からプロポーズしたんだ」ユリが身を乗り出した。 「ああ、そうだ。好野は、お嬢様で気が強いからね。恋人を失ったことのある真宮は恋愛について弱気になっているしね」 「それで、そのプロポーズの結果は、わからないわけね。そりゃあ、那賀も来人の最後の作品を探したがるわね」ユリが納得したように頷いた。 「簡単に言うと、二人はいったいどうなるの? ってやつね」ミリアが苦笑した。 「いつの時代でも、一般受けするやつさ。女子供と、世の中を知らない若者たちに、恋愛という夢を見させる話だよ」石崎が面白くなさそうに言った。 「石崎さん、あなた、いったいどんなつらい青春時代を送ってきたのかわからないけど、今の言葉は悲しすぎるわよ」ミリアが石崎の肩を叩く。 「ま、まあ、そういう話だ。ただ、内容はいずれも本格ミステリィだ」石崎が言ったその時、図書室の明かりが消えた。 「なんて、タイミングのいいやつ」ミリアが暗闇の中で呟いた。 「ほんと」ユリが懐中電灯の明かりを点けた。 「しょうがないな。少し休憩するか」  懐中電灯の明かりは、お互いの顔がやっとわかるくらいだった。とても文字を読んだり書いたりできない。 「ミリア。おまえさっき、百万円も、あの箱の中に入れたろ。いいのか? 貰っとけばいいだろ」 「ああ、あれ、別にいいわよ。那賀と同じレベルに見られたくないしね。ただでホテルに泊まって、ただ飯食って、お金を貰えるほどずうずうしくないわよ」 「チョコパフェを脅し取っていた人間の言う言葉とも思えないな」 「ふんだ」ミリアがそっぽを向く。 「でも、この停電、那賀の仕業《しわざ》でしよ。今、あの偽のフロッピー盗んでるのよね」ユリがイベントホールの方角を向いて言った。 「ああ。カメラとレコーダーを止めるためだろ。イベントホール内は常に記録されているからな。盗みに入ったらすぐにばれるから、館全体の電源を切ったというわけだ。こちらの予想通りというわけだ。黒田さんは、常に[#「常に」に傍点]、カメラと音声レコーダーは動いていると言ったのにな。常に、というのは、停電してもということなのに」 「館の電源とは別電源の暗視カメラが壁の中にわからないように隠してあるんでしょ」ユリが嬉しそうに言う。 「でも、盗みの真似までして、そんなに知りたいものなのかなあ」ミリアが首をひねった。「自分で考えればいいのにね。究極のトリックのことなんか気にしないで、先に日曜日の話を作ってしまえば、もしも来人の作品が後から出てきて盗作の疑いをかけられても、先に自分が発表しているのだから、強気に出られるのにね」 「そうよね。先に発表したものの勝ちよね。相手は死んでるし、死人に口なしだもんね」 「結局、那賀は、本人も気づいてないのだろうけど、来人のファンなのだと思うよ。何かを好きになるということは、他人から見ると滑稽《こっけい》に見えるもんだよ」そう言って石崎は大きく頷いた。 「石崎さん、そのセリフかっこつけすぎ」ミリアが石崎の肩を叩く。  それと同時に、明かりが点いた。 「おっ、点いたな。どうする? 見に行ってみるか」石崎が扉の方を指差す。 「いいわよ、別に行かなくても。もう那賀なんかどうでもいいわよ」ミリアが答える。 「そうそう、それより早く検討を再開しましょ」 「そうするか。ええと次は、今までの来人の著作だな。ちょっと手伝ってくれ」石崎が書棚から、来人の著作を持ち出した。 「まだ、あるの?」ミリアとユリも書棚に残った著作を机の上に無造作に置いた。 「どれも、ノベルス判ってやつね」ユリが言った。 「本を発表順に並べてみるぞ」石崎が本を並べ始める。 「うわあ、すごいわね。後ろに書いてある発行日を見なくてもわかるんだ……、なんて言う訳ないでしょ」ミリアが突っ込みを入れる。 「しょうがないことを記憶してるわねえ、まったく」ユリもあきれたように石崎を見ている。 「もうちょっと、覚えることあるでしょ。石崎さん」ミリアが石崎の肩を叩く。 「ああ、うるさい。黙ってろ、少し」文句を言われながら石崎が並べ終えた。「ほら、できたぞ。こちら側から発表順に並べた」著作が机一杯に並べられている。   〈来木来人著作 発表順〉 題名 「遠い日のさよなら」 「迷い」 「乱反射」 「青銅の弓」 「使者は影を残す」 「球の求道者」 「紫煙の支援者」 「時の魔術」 「禁断の扉」 「劣化する者達」 「鍵」 「誰もが消えていく」 「あなたへの特別な犯罪」 「伏線」    石崎が一つずつ題名を言った。 「全部で、十四冊だ」 「けっこうあるわね。この中に何かヒントがあるのかなあ?」ユリが首をひねる。 「石崎さん、全部読んだの? これ?」ミリアが石崎の顔を覗き込む。 「ああ、全部読んでる」 「それで、何か究極のトリックのヒントはないの?」ミリアがきいた。 「わからん」 「わからないことをわからないとはっきり言う態度は評価できるけど、困ったわね」ミリアが一番端に置いてある『遠い日のさよなら』を手にとって頁をめくった。その時、図書室の扉がノックされた。 「皆さん、ここにいたのですか」真宮さくらが図書室に入ってきた。 「さくらさん、イベントホールどうでした?」ユリがきいた。 「黒田に確認させましたら、フロッピーが、別のものと入れ替わっていました。停電はやはり、館の配電盤のスイッチが落とされたためです。イベントホールの暗視カメラには、フロッピーを盗んでいる那賀の姿が映っていました」 「お金はどうでした?」石崎がきいた。 「残っていました」 「お金も取ったら、フロッピーをすりかえる意味がないとはいえ、そこまで堕《お》ちてはいないということだな。なんとなくほっとしたな」 「もういいじゃない、那賀のことは。それよりこっちよ」ミリアがさくらに究極のトリックについて検討していることを説明した。 「わたくしも考えますわ。まさみさんがかわいそうですものね」さくらが石崎の隣りに座った。「来人の著作ね」机の上の本を見て言った。 「さくらさん。さくらさんが最初に究極のトリックのことを聞いたのはいつですか?」石崎が尋ねた。 「究極のトリックの話を聞いたのは一度だけです。だから実際、手紙を見るまでは忘れていたのですけれど……。ええと、あれはわたくしが高校生の頃だから……」さくらがしばらく考えた後、一冊の本を指差した。 「この、『時の魔術』が出版されてから、二、三ヵ月後くらいかしら」 「ということは、ヒントがあるとしたら、これより後の著作にある可能性が高いな」石崎が本を大きく二つに分けた。 「ええ。でもその時、来人は言いました。危ないところだったって、気づくのに、もう少し遅かったら駄目だったって」 「駄目だったって、どういうこと?」ユリがきいた。 「トリックが完璧じゃなくなるって言ってました」 「完璧じゃないか……。もう少し遅かったら、ということは、この時期に大きなヒントがあるのかもな」石崎が考え込む。 「究極のトリックについては、それぐらいのことしかわからないのです」さくらが沈んだ顔をした。 「そうですか……。だいたいこんなところですかね。さて、だいたい今わかっていることを、上げてみたわけだけど……」石崎の言葉に、皆が黙り込む。 「わからないわね」 「鉛筆でも転がす? ミリア」 「困りましたわね」 「あーあ、本を眺めたり、手紙を読んだくらいじゃわからないのかなあ? 石崎さん、来人の著作を全部読んでるのは石崎さんだけなんだから、しっかりしてよ」ミリアが石崎の肩を叩く。 「なんだよ、さくらさんだって読んでるだろ」 「細かいことを言わないの。まったく、よくこれだけの本を買って読んだわね」ミリアが来人の著作を眺めている。「那賀の曜日殺人も全部買ったんでしょ」 「ああ」 「それで何もわからないんじゃ、時間とお金の無駄じゃない。だいたい、全部でいくらかかるのよ? これ?」ミリアが来人の本を裏返して価格をチェックしている。 「えーと、これ『鍵』って題名よね。780円か……。わたし、ノベルス判なんか読まないから、高いんだか安いのだかわからないわ。けちの付けようがないわよ」ミリアが机の上に本を乱暴に置いた。 「ミリア。でもこっちの、それより厚そうなやつなんか、930円よ」ユリが『時の魔術』を手にして言った。 「930円か……。千円近い値段だと、ちょっと買うの躊躇しちゃうわよね。石崎さんよく全部買ったわね。普通文庫化を待つわよ」 「でも、最近文庫も高いのよね」ユリが言った。 「それでも、やっぱりノベルスの方が高いでしょ。でも、同じ内容なのに安くなるのも変な気がするわよね。閉店前のスーパーで売ってる魚じゃないんだから、時間がたったからって、安売りしちゃまずいんじゃないの本当は」 「じゃあさあ、来人は、自分の作品を安売りしたくなかったのかな。彼、文庫化するなって言ってるじゃない。単に儲けが少ないからっていうことじゃなくて、作品の叩き売りみたいに感じたのかもよ」 「うーん。どうなのかなあ。でも、作品を編集者に見せる前に自分で値段決めちゃうくらいだからなあ、彼。それに、印税はいらないって提案してるけど、出版社だってそれを真に受けて、印税を出さないことはないだろうって予想出来るだろうしなあ」そう言ってミリアが来人の手紙を指差した。「あれ?」ミリアの動きが止まる。 「どうしたミリア?」石崎がミリアに声をかける。 「やっぱ、来人ってよくばりなだけなんじゃない?」 「おいおい。さくらさんもいるんだぞ」石崎がミリアを突っつく。 「かまいませんわ、気になさらないで、思ったことを言ってください」 「ああ、そっか、さくらさん、ごめんなさい。でも、ほら、来人がまさみさんに出した手紙に書いてある究極のトリックの作品の価格、ちょっと高くない?」 「えっ?」  皆が覗き込む。   究極のトリック作品価格(来人からまさみへの手紙から抜粋) 一作目  335頁  910円 二作目  383頁  1040円 三作目  287頁  780円 四作目  463頁  1260円 五作目  367頁  1000円 六作目  415頁  1130円 七作目  ?    (お金では買えない?)   「七作目は別にして、確かに高いような気もしますけど」さくらが言った。 「もうっ! みんな鈍いわね。ほらその三作目、780円でしょ」ミリアが手紙を指差す。「そして、この『鍵』っていう題名の本はやっぱり780円だけど、こっちの方が頁数が多いんじゃないかな。その三作目って300頁ないでしょ。こっちは300頁以上はあるわよ。きっと」ミリアが言った。 「ミリア、『鍵』は全部で何頁ある?」石崎がきいた。 「えーっと」ミリアが『鍵』の頁をめくる。「ねえ、石崎さん、巻末に頁数の振ってないノベルスの広告の部分が何頁かあるけど、ここは関係ないのよね」 「ああ、頁番号の振ってある小説本文の部分だけでいいよ。本文のすぐ後に、著者名や、発行者名なんか書いてある奥付の頁があるだろ。K談社ノベルスは、そこにも頁数が書いてあるよ。三百頁なら300Pってね」 「ほんとっ、くだらないこと知ってるわね」ミリアがあきれ顔で頁数を調べる。「えーっと、やっぱりそうだ! この『鍵』は340頁もある」 「こっちの三作目は、来人の手紙によると287頁にするつもりだったはずだ。たしかに、違いすぎるな」 「うわっ! そんなに違うのに同じ値段なの。物価でも上がったの?」ユリが驚いて手紙と本を見比べる。 「いや、そんなことないよ。たかが数年で、そんなに価格設定は変わらないよ。価格も本体価格だから、消費税は関係ないようだしな」石崎が答えた。 「この『鍵』っていう作品は、一度発表されたものなんじゃないの? それで、やっぱり来人がわがまま言って『鍵』の価格を下げさせたんじゃないかな」ミリアが『鍵』をぱらぱらとめくる。 「いや、それはない。来人の本は『あなたへの特別な犯罪』以外はすべてノベルス判のために書き下ろされたものだ。それにこれは、『鍵』の価格が頁数のわりに安いのではなくて、手紙にある三作目の価格が頁数のわりに高いんだよ」 「じゃあ来人は、この手紙で、原稿を出版社に渡す前に価格を決めていたうえに、その価格を高く設定していたということなのね。よっぽど作品の出来に自信があったのかしら? 作品の質で価格がそんなに変わるものなのかしら」ミリアが首を傾げた。 「いや、来人のように安定した力量の作家が、作品の質|云々《うんぬん》で、価格が大きく変わるとは思えないな。他の作家でもそうだろうけど……。同じ作家なら、結局頁数が価格に一番大きく影響しているはずだよ。極端に頁が多いとか、少ないとかは別だろうけどね」 「へえー、でも、この『鍵』に比べてこの三作目は、ええと……」ミリアが計算を始める。「割り切れないけど、だいたい一割六分くらい頁数が少ないのよ」 「なにそれ、野球の打率?」ユリがきいた。 「えーと……、言いかえると、この三作目は、『鍵』の八十四パーセントくらいの頁数しかないのよ」 「一割二割はあたりまえってやつね」 「そうか、わかってきたぞ。来人は、手紙の中で、頁数と価格を絶対に守れと言っていたな」石崎が考え始めた。 「わかったっ!」ミリアが叫んだ。「数字に意味があるのよ。ほら、語呂合わせで数字を記憶するやり方があるでしょ。『鳴くようぐいす殺してしまえ』とか、そういうことじゃないかな」 「あっ、それならわたしも知ってる。『富士山麓に秘密基地』ってやつでしょ」ユリが続ける。 「おまえたちが何を記憶したのかもう少し聞いてみたいが、ここはとにかく、来人の著作全ての頁数と価格を書き出してみよう」   〈来木来人著作 頁数と価格〉 題名           頁数    価格 「遠い日のさよなら」   371頁  850円 「迷い」         322頁  720円 「乱反射」        388頁  930円 「青銅の弓」       386頁  930円 「使者は影を残す」    465頁 1080円 「球の求道者」      466頁 1080円 「紫煙の支援者」     373頁  850円 「時の魔術」       388頁  930円 「禁断の扉」       354頁  830円 「劣化する者達」     369頁  850円 「鍵」          340頁  780円 「誰もが消えていく」   356頁  830円 「あなたへの特別な犯罪」 419頁  760円 「伏線」         354頁  830円    この横に来人の手紙にある究極のトリック作品を並べるぞ。   究極のトリック作品価格(来人からまさみへの手紙から抜粋) 一作目   335頁   910円 二作目   383頁  1040円 三作目   287頁   780円 四作目   463頁  1260円 五作目   367頁  1000円 六作目   415頁  1130円 七作目   ?    (お金では買えない?)   「さっき言ったように、三作目は、『鍵』と同じ価格の780円なのに、頁数が少ないから、これは明らかに高いわね。他の究極のトリック作品の価格も、やっぱり高そうな感じがするわよ。1200円超えてるのもあるし……。でもちょっとわかりづらいわね」ミリアが眉をひそめる。 「単に価格が高い安いだけじゃ比較にならないのよね。頁数が多ければ価格が高くてもおかしくないもの」ユリが確認する。 「そうだ。それじゃ価格を頁数で割って一頁あたりいくらになるか計算してみるぞ」 「わたくしが、電卓を持ってきます」そう言ってさくらが電卓をとりにいって、すぐに戻ってきた。 「割り切れないものは、小数点以下第三位を四捨五入するぞ」 「小学校の先生みたいね」ミリアが笑った。   〈来木来人著作一頁あたりの価格〉 題名           頁数   価格 一頁当たりの価格 「遠い日のさよなら」   371頁 850円  2・29円 「迷い」         322頁 720円  2・24円 「乱反射」        388頁 930円  2・40円 「青銅の弓」       386頁 930円  2・41円 「使者は影を残す」    465頁 1080円 2・32円 「球の求道者」      466頁 1080円 2・32円 「紫煙の支援者」     373頁 850円  2・28円 「時の魔術」       388頁 930円  2・40円 「禁断の扉」       354頁 830円  2・34円 「劣化する者達」     369頁 850円  2・30円 「鍵」          340頁 780円  2・29円 「誰もが消えていく」   356頁 830円  2・33円 「あなたへの特別な犯罪」 419頁 760円  1・81円 「伏線」         354頁 830円  2・34円   「来人の手紙にある究極のトリック作品も計算するぞ」   (究極のトリック作品一頁あたりの価格〉      頁数    価格   一頁当たりの価格 一作目  335頁  910円    2・72円 二作目  383頁  1040円   2・72円 三作目  287頁  780円    2・72円 四作目  463頁  1260円   2・72円 五作目  367頁  1000円   2・72円 六作目  415頁  1130円   2・72円 七作目  ?     ?    石崎が書き込む計算結果に皆が注目する。 「おもしろい数字が出てきたな」石崎が呟く。 「ちょっと、なにこれっ! 究極のトリックの方は、全部一頁あたりの価格が同じよ! どういうこと?」ユリが叫んだ。 「それに、究極のトリックの方が、それまでの作品よりも、やっぱり高いわ。だいたいそれまでは2・2円から2・4円くらいでしょ」ミリアが二つを比較する。 「本当ですわね。何か意味があるのでしょうか?」さくらが考え込む。 「ああ、意味はある。来人の題名もそれを示している。価格と頁数の違いについてミリアが気づいた本の題名は、ずばり『鍵』だ。これは究極のトリックを見つける鍵を意味しているのだと思う」石崎が言った。 「おお、おお、するどい」ミリアがはやしたてる。 「曜日シリーズの前から、究極のトリックは始まっているってこと?」ユリがきいた。 「そうかもしれません。『時の魔術』以降の作品に究極のトリックのヒントが隠されていてもおかしくありませんもの」さくらが答えた。 「俺もそう思う。来人が究極のトリックを思いついたのは、さくらさんの話だと、『時の魔術』の頃だということだからね。それじゃあ、わかりやすくするために、曜日シリーズ以前の作品の平均を計算してみるぞ」 「だったら、『時の魔術』より後の作品の平均でいいんじゃないの」ミリアが言う。 「いや。来人は、さくらさんに究極のトリックの話をした時に、『気づくのにもう少し遅かったら駄目だった』って言っている。それは、気づく以前の作品が、もう少しで条件から外れるところだった、ということだと思う。気づくことで、間に合ったということだから、平均を取るのは全ての作品で良いと思う」 「間に合ったって、何に?」ミリアがきいた。 「まあ、それは計算してから話すよ」石崎が計算結果を書き出す。 「もったいぶっちゃって」ユリが石崎の腕を突つく。   〈『遠い日のさよなら』から『伏線』までの作品の頁数と価格の合計と平均〉    頁数    価格    一頁あたりの価格 合計 5351頁 12250円  2・29円 平均  382頁   875円  2・29円   「究極のトリックも価格と頁数のわかっている一作目から六作目の平均を書くぞ。当然一頁当たりの価格の平均は、2・72円になるけどな。でも一応、合計価格を合計頁数で割ってみるか」そう言って石崎が計算する。 「おおっ! 2・72だ。ぴったり割り切れる。各作品は、四捨五入して2・72だったけど、合計したものはぴったり割り切れる。こいつはすごいぞ、やはりこれには来人の意志が感じられる」 「わけのわからないこと言って、一人で騒いでないで、早く書きなさいよ」ミリアが石崎を睨む。 「わかったよ」石崎が計算結果を書き出した。   〈究極のトリック作品の頁数と価格の合計と平均〉    頁数     価格   一頁あたりの価格 合計 2250頁  6120円  2・72円 平均  375頁  1020円  2・72円   「ええと……じゃあ、一頁あたりの価格を比べてみるわよ。ええと2・29円と、究極のトリックの方の2・72円……、2・72を2・29で割ると、1・187……、えーと究極のトリックの方が1・19倍くらい高いわね」ミリアが電卓を使って計算した。 「この数字に意味あるのかしら?」ユリが首を傾げた。 「究極のトリックの方が1・19倍高いのですか……」さくらが考え込む。 「1・19か、おしいな」石崎が呟いた。 「石崎さん、何かわかってるの?」ミリアとユリが石崎の顔を覗き込む。 「そうか、『鍵』に注目したら、こちらも考慮しなくてはいけないということか……。いいか、みんな。この『あなたへの特別な犯罪』を見てくれ」石崎が価格と頁数を書いた紙を指差す。 「これだけ、他のよりも、あきらかに安いわね」 「そうだ。そして、こいつは題名にある通り特別[#「特別」に傍点]なんだ、だからこれは、平均を出す時に加えなくていいんだ。こいつを除いて平均を計算しなおすぞ」   〈『あなたへの特別な犯罪』を除いた平均の再計算結果〉    頁数    価格    一頁あたりの価格 合計 4932頁 11490円  2・33円 平均  379頁   884円  2・33円   「ええーと、じゃあこの値で、一頁あたりの価格を比べるわよ。2・72円を2・33円で割ると……、1・167……、約1・17倍よ。でもさっきの1・19倍とあまり変わらないわよ」ミリアが不満そうな顔をした。  石崎が、ミリアから電卓を借りて、計算を始めた。「1・17か……。サンプル数が多いから、影響が少ないのか……。でもさっきより近づいたな。そうだ、これで間違っていない」 「もったいぶらないで早く言いなさいよ」ミリアとユリが怒りはじめた。 「わ、わかったよ。説明するよ。いいか。来人は、究極のトリックの作品の、価格と頁数を指定することで、今までの彼の作品よりも、究極のトリックの作品の価格を約1・17倍高く設定しているんだ。これは、彼が意図的にやったことだ。来人が文庫化を嫌った理由もこのせいだと思う。来人が、『もう少し気づくのが遅かったら駄目だった』って言っていたのも文庫化のことを指しているのだと思うよ」 「なるほど。文庫化したら、値段が安くなったり、ノベルスと文庫の二つの値段ができて、究極のトリックの作品が、それ以前の作品より価格が高いということが、強調できなくなってしまう。ということですわね」さくらが言った。 「そうだと思う」石崎が頷いた。 「でも価格が高いっていうことから何が言えるのかしら?」ミリアが不満そうな顔をして首を傾げる。 「『お金では買えないくらいのトリック』って言ってるくせに、よけいに金取ってたら世話ないわよね。この1・17倍っていうのも、高すぎるんじゃないか? って気がつく、ぎりぎりの線じゃないかしら。半端な数字だし。究極のトリックって、このことなんじゃないの? 読者にばれずに、読者からお金を巻き上げる。そうよ、やっぱちょうどいい数字なのよ。この1・17倍っていうのが」ユリが怒ったように言った。 「そうよね。一冊で0・17分しかよけいに儲からなくても六冊あればね。かける6だから、ええと……1・02、あれ? ちょっと待って。正確に計算してみよ。正確には1・167倍だから、一冊で0・167分儲かるわけでしょ。それが六冊だから、かける6と……、1・002……。どういうこと? ほぼ1だけど」 「ミリアは気が付いたか。1・17の意味を。究極のトリックの六冊の合計の価格は、それ以前の来人の本の価格であれば、七冊分の価格になるってことだよ。1・17倍の意味はそれだ。1・17かける6は7・02だ」石崎が皆の顔を見回す。「いいか、じゃあ別の言い方でも説明するぞ。究極のトリック六冊の合計頁数は2250頁、合計価格は6120円に設定されている。ここまではいいな」 「うん」二人が頷いた。 「もしも、以前と同じ価格設定ならば、以前の平均は、一頁あたり2・33円だから、2250×2・33で、約5240円だ。来人の設定した6120円との差は880円。本来の価格よりも、880円高いんだ。合計価格6120円をこの880円で割ると約7だ。そして、この880円というのは、『あなたへの特別な犯罪』を除いた究極のトリック以前の本の平均価格884円にほぼ一致する。一の位を四捨五入すれば、ぴったり880円だ」石崎の指摘で、全員が計算結果を書いた紙を覗き込んだ。 「つまり、来人の以前の作品の価格設定であれば、究極のトリック六冊のお金で、来人の本が、七冊買えたことになるんだよ」石崎が言った。 「???????」 「頭の上にはてなマークが浮かんでいるな、おまえたち」石崎がミリアとユリを見た。 「この場合、六冊で七冊分という割り切れない数字だから、わかりにくいんだ。いいかもっと簡単に説明するぞ」 「うん」ミリアとユリが大きく頷いた。 「今、一個、100円の価格の品物があるとする。これを一個120円で売ったとする。五個だといくらだ?」 「小学生みたいだけど、まじめに答えるわ。120かける5で、600円」ミリアが答えた。 「そうだ。でも本当は100円なんだから、本当ならば500円なんだ。つまり買った人は100円損したわけだ。本来の値段であれば、600円払っているのだから六個買えたんだ。つまり六個分のお金を払って五個しか買えなかった、ということさ」 「ふむふむ」ミリアとユリが頷く。 「そこで、さっきの1・17倍という数字がでてくる。いいか、一冊100円の価格の本があったとする。これを来人は117円で六冊売ったんだ。合計は702円だ。約700円だな。でも本当は、本は一冊100円だから、700円あれば、読者は本を七冊買えたのさ。実際の本の価格や頁数は、ばらばらで、誤差や、四捨五入したりしてわかりにくいけど、こういうことだよ」 「つまり来人は、究極のトリックの本六冊で、七冊分のお金を取ろうとしていたということね」ユリが確認する。 「そうだ。ええと、頁数も計算してみようか。究極のトリックの合計価格は6120円だ。本来このお金なら、何頁分の本が買えるかというと、6120割る2・33は……、約2627頁だ。これと実際の2250との差は、377頁だ。この値も『あなたへの特別な犯罪』を除いた究極以前の作品の平均379頁にほぼ一致するな」石崎が確認する。「つまりだ。来人は究極のトリック六冊分で、以前の自分の著作の七冊分の価格設定をしていた。そしてその多く設定した価格を計算すると、今までの来人の著作での平均価格880円、平均頁数379頁にほぼ一致するということだ。来人が、究極のトリックの価格設定と頁数にこだわったことや、文庫化を嫌ったことからも、このことは単なる偶然じゃなくて来人の意図したものに間違いない」 「そうですわね。それに、来人の究極のトリック以前の作品の、最後の作品は『伏線』という題名ですもの。ここまでの作品の価格と頁数は、究極のトリックの価格と頁数の特異性を指し示すのに必要なもの、究極のトリックのための伏線[#「究極のトリックのための伏線」に傍点]だという意味なのでしょうね」さくらが言った。 「ねえねえ」ユリが話しかける。「確かに今のことはわかったけど。これは結局、さっきわたしが言ったように、ただ単に究極のトリックが読者からお金を巻き上げるということじゃないの?」 「それにさあ、問題は七作目でしょ。それを入れないで計算して、何か数字を出しても意味があるの?」ミリアとユリが不満そうな顔をしている。 「そうですわね。言われてみると、確かに六冊で七冊分の価格だからといって、意味があるのでしょうか?」さくらも首を傾げる。 「七作目は、手紙を見ると、価格も頁数も書いてないし、ただなのかしら? でも六作で七作分払ったのだからただでもいいわよね。六冊買ったらおまけで七冊目を差し上げますってね」ミリアがおどける。 「うーん、六冊で七冊……」ミリアの言葉で石崎が考え込む。 「そうか、そういうことか。みんなっ、究極のトリック、つまり曜日シリーズはもう完結しているんだ。七作品発表されているんだよ。来人は価格を高くすることで、それを示したんだ」 「なにそれ? 七作分のお金をぼったくっただけじゃないの?」ユリが質問する。 「違う。七作目は価格も頁数も書いてないだろう。これは、七作目は、それ以前の六作の中に含まれているからだと思う。これなら、『お金では買えないくらい』という来人の言葉の意味も納得できる。確かに七作目を買うことはできないよ。もう既に買っているのだから、一度買ってるものはもう買えないよ。でも、この価格と頁数のトリックに気がつけば、一作目から六作目を買えば、究極のトリックを買ったことにもなる。『お金では買えないくらい』という言葉は、完全な否定ではないからな。ただお金を払うだけでは、買ったことにも気がつかない。気がつかなければお金では買えないということだ」石崎が興奮気味に説明した。 「それはそうだけど……。確かに七作目の存在が一作から六作目に価格的に含まれているのはいいけど、やっぱりそれじゃ、ただのぼったくりじゃないの。それとも一作から六作目までに隠されたストーリーでも入ってるの? 石崎さん全部一冊ずつ完結しているって言ってたじゃない。ただの価格の違いだけだったら、くだらない算数クイズじゃないの」ユリが不満そうに言った。 「いや、必ず一作目から六作目に、七作目、あるいはそのヒントが隠されているはずだ。隠されているということが予想できるのは価格からだけじゃないんだ。いいかい? 来人の曜日シリーズの月曜日の題名は『月曜日に毒物連続殺人を』だ。その内容は、この題名と、那賀の作品から、毒物による連続殺人に間違いないと思う。でも、どうして月曜日に毒物殺人の話を持ってきたのかな?」石崎が質問する。 「わかんない」ミリアとユリが考えもしないで答える。 「しょうがないな。毒で死ぬには、毒の入った何かを食べないとだめだろ。月曜に毒を食べる。月曜に食べる、つまり月食だ」 「月食って、定食の名前?」ミリアが答える。 「いちいちぼけなくていい」 「わかったわよ。月が地球の影に隠れる天体現象でしょ」 「ちゃんと答えられるじゃないか」 「能《のう》ある鷹《たか》の爪《つめ》を煎《せん》じて飲めって言うでしょ」 「そ、それでだ。この、月食は、俺たちの探している七作目、つまり日曜日が隠されているという暗示なんじゃないかと思うんだ」 「月食から、日食を連想するわけですか……」さくらが言った。 「そうです。日食は、太陽、つまりお日様が月に隠される現象です。来人は、日曜日の作品は存在している、ただそれは隠されているということをいっているのだと思うんだ」 「なるほどね」ユリが頷く。「算数クイズでも、理科クイズでも、答えは同じ方向を示しているということね。それで、どこに七作目があるの? それとも何かヒントがあるのかしら?」 「そうだ。何かあるはずなんだ。来人が隠した何かが……。一作目から六作目に」  全員の視線が来人の二通の手紙に集中する。 「曜日シリーズ、月曜から土曜か……。七作目は日曜になるはずだったのよね」ミリアが呟く。 「やっぱ、那賀が盗作した作品を読まないとわからないんじゃないの」ユリが怒ったように言う。  今度は、全員が那賀の作品を見つめた。 「いや、それぞれの作品に、七作目を暗示するような違和感はなかった」 「また、違和感だなんて言って、だいたいこの来人の手紙の究極のトリックの題名なんて、違和感しか感じないでしょ。変よこの言い方。なによ、『月曜日に毒物連続殺人を』って」そう言ってミリアが頬を膨らませた。 「トーチ法っていうのよ。灯かりを照らしてその部分を強調するのよ」ユリが真面目な顔で答える。  石崎は二人を無視して那賀の曜日殺人シリーズの題名と来人の手紙にある究極のトリックの題名を書き出した。   那賀の曜日殺人シリーズ題名 「月曜日毒物連続殺人事件」 「火曜日炎の連続殺人事件」 「水曜日に沈む殺人者」 「木曜日に森に消える殺人者」 「金曜日の切裂き殺人」 「土曜日に空に消えた殺人者」   来人の究極のトリック題名(手紙からの抜粋) 「月曜日に毒物連続殺人を」 「火曜日の殺人は炎の前で」 「水曜日に殺人者が沈む」 「木曜日に森に消える犯罪者達」 「金曜日の殺人は切裂く」 「土曜日に空に飛んだ連続殺人犯」   「確かにおかしいな。『毒物連続殺人』でもいいわけだよな。事実那賀が発表したのは、『月曜日毒物連続殺人事件』という題名に変わっている。那賀は、題名には隠された意味はないと思って変えたのか、あるいは出版社の方で変えようと提案して変えたのだろう。普通そうするものな」 「他の曜日も微妙に違うわよね。木曜日は、犯罪者達ってあるけど、起こった事件は殺人事件じゃないの?」ユリがきいた。 「いや、どの話も殺人事件だよ。だから木曜日の題名は、森に消える犯罪者達じゃなくて、那賀のように、森に消える殺人者でいいはずだ」 「変よ、やっぱり。何か秘密が隠されているんじゃないかな」ミリアが呟く。 「隠されている、か……。隠されているのは、七作目、日曜日、究極のトリックのはずだが……」石崎の表情が変わった。「わかったっ! あった、あったよ、ここに隠されていたんだ。そうか、それでお金では買えないくらい、なのか……」 「また、一人でわかったふりしないでよ」ミリアとユリが頬を膨らませている。 「わかったよ、いいか? 説明するぞ。『お金では買えない』という意味は、もう一つあったんだ。お金を出さなくても買える[#「お金を出さなくても買える」に傍点]ってことさ」 「盗むの?」ミリアが言った。 「違うっ! 買わなくてもトリックがわかるってことさ」 「人にきくの? 図書館? ああ、立ち読みでしょ」ユリが言う。 「いい線だよ。本屋で見ただけでわかるんだ。トリックが……」 「ええーっ? どういうこと?」二人が石崎を見つめる。 「いいか」石崎が来人の題名を指差す。「この題名の中に究極のトリックの七作目が入っているんだよ。いいか、残ってるのは何曜日だ?」 「祝日」ミリアが答えた。 「おまえなあ。日曜日だろうが。ここは、日曜日を探すんだよ」 「日曜なんかないわよ」ミリアがふてくされたように横を向く。 「確かにないけど。日曜の場所はわかるだろう。日曜は月曜の?」 「前の日」ミリアがやる気なさそうに答えた。 「そうだ。だからこの第一作目の月という字の前の文字を拾う。月は題名の中で、一番最初の文字だから、最後に戻って拾うんだ。だからここでは『を』だ」石崎が一作目を指し示した。 「さらに、二作目の火曜では、その前前日だから、二つ前の文字。こんどは『前』だな」 「次は水曜で、三文字前だから『が』ですね」さくらが言った。 「そう、そうやって六文字拾って並べると」      を  前  が  犯  人  だ     「お前が犯人だ!」ユリが叫んだ。 「そう、つまりお前が犯人、読者が犯人だって言ってるんだよ」石崎が皆を見回す。「いいか、来人は、読者が犯人だ、というトリックを七作目として、一作から六作の題名の中に盛り込んだんだ。七作目の究極のトリックは、読者が犯人、いやこの場合、中身を読まなくても題名だけでいいのだから、読者以外でもいいんだ。本屋で、この曜日シリーズが棚に並べられているのを見た客も犯人だ。買わなくても題名さえ読んでもらえればいいんだ。さっきの計算だと、六文字で880円分だから、一文字147円だ。世界一価格が高くて、世界一短いミステリィだ。しかも読者や、本屋の客、図書館に来た人まで犯人なんだ。これが来人の究極のトリックなんだよ」石崎が語りかけるように説明した。  石崎の言葉に全員が黙り込んだ。  しばらくの沈黙の後、ミリアがバーンと机を叩いて立ち上がった。 「くだらないわっ! くだらなさすぎるわ!」ミリアが怒っている。 「どうした、ミリア?」石崎が驚いてミリアを見上げる。 「読者が犯人ですって、本屋の客が犯人、なにそれ? ふざけんじゃないわよ。そんなのただの言葉遊びじゃないの。まあ千歩くらい譲って言葉遊びでもいいわ。確かに価格や頁数の工夫なんか、準備期間も考えれば、手が込んでいてなかなかのものだったけど。でも、こんなのが究極のトリックなの?」 「い、いや、トリックとしては斬新《ざんしん》だと思うが……。そう言われると……」石崎が口ごもった。 「石崎さん、駄目よ。わたしたちの目的を忘れてるわよ。トリックが斬新かどうかなんて関係ないわよ。わたしたちは、まさみさんのために、来人が残した究極のトリックを探しているのよ。来人を好きなまさみさんのために。それが、『お前が犯人だ』よ。石崎さんこれ、まさみさんに言える? あなたが好きだった来人の最後のトリックはこれだったって。わたしは言えないわよ、こんなの。自殺する前にあんな手紙まで出して、女心をもてあそんで。そして残ったトリックが、『お前が犯人だ』。ふざけんじゃないわよ」ミリアが石崎を睨む。 「そ、そうだな」石崎が助けを求めるようにさくらの方を見た。 「わたくしもまさみさんには言えません。来人が残したのがこれでは……。確かに斬新かもしれませんけど、わたくしもちょっと、受け入れがたいです。兄の気持ちがわかりません」 「わたしも言えない」ユリが速攻で言った。 「な、なんだよ。じゃあ俺が言うのかよ」 「えらそうに解説してたでしょ。さっき」ミリアが突き放す。 「だって、それは……」 「ぐずぐず言わないの。じゃあどうするの? わからなかったって言うの?」 「でも、それも悲しいわよね。まさみさん、あんなトリックを見つけるためにこれからずっと悩みつづけるのよ」ユリが呟いた。 「こら、ユリ。そんなこと言うな」 「だったら、どうするのよ」ミリアが石崎にせまる。  石崎も、皆も黙り込んだ。  しばらくしてミリアが笑い始めた。 「ふふふふふ」 「どうしたミリア。大丈夫か? 頭を使いすぎておかしくなったのか?」 「全部なかったことにしちゃえばいいのよ」 「燃やしちゃうの?」ユリがきいた。 「おしい、ちょっと違うわ。だいたい燃やす七作目がないでしょ。言い方がまずかったわね。なかったことにするんじゃなくて、ないのよ。究極のトリックは」 「ない?」石崎が聞き返す。 「だ! か! らっ! 究極のトリックはないのよ!」ミリアが大声を出した。 「でも、ミリアさん、それはちょっと」さくらがミリアに言った。 「だいたい、トリックだなんて、意外性がその価値を決めるわけでしょ。あると必ず思っていたものがない。これって意外性でしょ」ミリアが全員の顔を見る。 「ふむ、そうか……」石崎が考え込む。 「確かにそうだ。曜日シリーズだから、日曜日もあるように思ってしまう。けれどそれは、ない。いいな。まてよ、まさか、それで自殺を……」石崎がまた考え込む。 「だいたい日曜日ってお休みじゃない。探偵だって休むのよ。そんな、仕事ばかりしてたら彼女だってできないわよ。石崎さん」ミリアが石崎の肩を叩く。 「そ、そうかな。そうか、そういうことか。それでお金では買えないのか……。ということは、こっちか」石崎が一冊の本を取る。 「そうだ、これだ」 「どうしたのよ。急に」 「わかった。本当の究極のトリックが……」 [#改ページ]   第五章 お金では買えない      飯野まさみが斉藤瞳といっしょに図書室にやってきた。 「どうしたのですか? みなさん。急に図書室で、お話があるだなんて」まさみが不思議そうに皆の顔を見た。 「まさみさん、来人の究極のトリックがわかりましたのよ」さくらが笑顔を見せる。 「本当ですか?」まさみの表情が一瞬で明るくなった。 「ええ、わかりました」石崎が言った。 「石崎さん、説明をお願いします」さくらに言われ石崎は説明を始めた。    まず石崎は、価格と頁数の考察から、七作目が一作から六作目に含まれていること、そしてその題名の中に『お前が犯人だ』という言葉が隠されていることを説明した。   「読者が犯人、ということですか……」まさみが弱々しい声で答えた。  石崎がミリアの方をちらっと見る。 「まさみさん。そうです。その通りなのですが、その答えは偽の正解、つまりダミーです。それは究極のトリックではありません」 「え?」まさみが石崎の方を見る。 「来木来人のトリックですよ。ダミーがあってあたりまえでしょう」石崎の言葉でまさみの表情が明るくなった。 「第一、この言葉はおかしいでしょう。本来なら、『お前が犯人だ』でしょう。しかし『お』ではなくて、『を』になっています。完璧を期す来人が、ここで『お』を使わないのはおかしいでしょう。『を』を使ったのは、これがダミーだからです」 「わかりました。それじゃあ本当の究極のトリックは?」まさみが救いを求めるように石崎を見つめる。 「ありません」 「えっ?」 「ないのです。究極のトリックは」 「いったい、どういうことでしょうか……」まさみの表情が硬くなった。 「いいですか。七作目があると思わせておいて[#「七作目があると思わせておいて」に傍点]、ない[#「ない」に傍点]。それが究極のトリックです。月火水木金土とくれば、普通、日曜もあると思うでしょう」 「確かにそうですけど……」まさみは納得がいかないようだ。  石崎が説明を続ける。 「来人は、まさみさんへの手紙で、このシリーズを二ヵ月おきに連続して出してくれって言ってるでしょう。那賀に頼んで一作品ずつ郵送してもらおうとしたのも、連続性を強調したかったのだと思います。しかもこのシリーズはいずれも連続殺人を扱った内容です。つまり、読者に無意識のうちに連続というイメージを植え付けている。読者は、いやでも七作目の日曜日があると思ってしまう」 「ええ」まさみがあいまいに頷く。 「まだ、信じてもらえないようですね。究極のトリックが、七作目があると思わせておいて[#「七作目があると思わせておいて」に傍点]、実はない[#「実はない」に傍点]、というものだという証拠はまだあります。来人の自殺ですよ。なぜ彼が自殺したのか? まさみさん、あなた、究極のトリックよりも、実は、来人が自殺したことの方が謎ではありませんか? あなたが知っている来人は、癌でたとえ余命いくばくもないと知っても自殺する人ではなかった。ましてや、あなたに何も言わずにだ」石崎がまさみを見つめる。 「はい、彼が自殺したのは今でも信じられません」  まさみがきっぱりと答えた。 「そう。だが彼は自殺した。それはなぜか? それは、彼は癌で、つまり病気で死ぬわけにはいかなかったのです」 「どういうことですか?」不思議そうな表情でまさみが尋ねる。 「いいですか、彼は、究極のトリックである、曜日シリーズを完成させた。そしてその真のトリックは、あると思わせておいて、日曜日の作品がないというものだ。六作品を発表して、七作目を発表しなければ、このトリックは完成する。読者は、いつシリーズの最終話となる日曜日の話が出版されるのか待っている。しかし発表されることは絶対にない。だって、あると思わせておいて、ないことがこのトリックなのですから。しかも算数と言葉遊びの好きな人のためにダミーのトリック付きだ」石崎が言葉を切って、皆の顔を見る。「来人が生きていれば、そのうち本当のトリックに気が付く人もでてきたでしょう。しかし、来人は、自分は癌で、死期が近いことを知った。これでは究極のトリックは成り立たないのです。つまり、『来人は七作目を執筆する前に、不運にも病気で亡くなってしまったのだ』、と読者は思ってしまうからです。病気は来人の自由にはなりませんからね。これでは、あると思わせて[#「あると思わせて」に傍点]、ない[#「ない」に傍点]、というトリックどころじゃない。そこで、来人は考えたのです。癌ですから自分の寿命を延ばすことはできない、しかも六作品を発表して、自分の口から七作目も既に書いてあるとは言えない。それは嘘をつくことになりますから。あると思わせておいて[#「あると思わせておいて」に傍点]、ない[#「ない」に傍点]、というトリックですから、ないのにあると嘘を言って[#「ないのにあると嘘を言って」に傍点]、本当はない[#「本当はない」に傍点]、というのは嘘を言った時点でルール違反ですからね。そこで、来人は自ら命を絶ったのです。自殺は病死と違って、来人自身の意志による行動ですから、『不運にも、七作目を執筆する前に病気で亡くなった』と思う読者はいないでしょう。しかも来人は、自殺を自殺と見せなかった。密室にしたり、指紋が拭き取られたグラスを二人分出して他殺に見せようとしたりして謎を残した。これは、読者に、執筆に行き詰まっての自殺だと思わせないためです。人気ミステリィ作家が、密室で毒を飲んで死んだ。マスコミは喜んで跳びつきます。そして彼らは執筆に行き詰まったなどという理由は喜ばない。なんだかんだと推理して、密室トリックだ、遠隔殺人だ、などと大騒ぎします。結局最後は自殺と判明しましたが、この騒ぎのおかげで、来人は自分の死に謎を持たせ、そして究極のトリックに注目させることができた。既に、世間では自殺の理由などは大きな問題ではなくなっていました。問題なのは究極のトリックが存在するということ。そして、それへの期待感の大きさから、来人は、究極のトリックを完成させてから死んだ、と皆が考えるようになったのです。すべては来人の狙い通りです。現に、今回のイベントを見ればわかります。皆、来人の究極のトリックの存在を信じて、大騒ぎしていました」 「わたしたちは、存在しない究極のトリックに踊らされていたのですか?」まさみが尋ねた。 「まさみさん。究極のトリックは、ただ存在しないというわけではありません。存在しない理由もあります」石崎がまさみの顔を見る。 「曜日シリーズのストーリーを考えてください。自分たちが今わかるのは、来人のオリジナルではなくて、那賀が盗作したものですが、ストーリーは同じだと思います。あなたも気づいているでしょう。主人公の二人、真宮正人と好野正美。これは来人の父の姓真宮と、来人の本名正人から、真宮正人。そして好野正美はもちろん飯野まさみ、あなたを示している。那賀は叙述トリックがあるために、この名前は変えなかった。しかも、最後の七作目の存在がわかるまでは、ストーリーを変えることは極力さけようとしたはずです。特に、シリーズの主人公である真宮正人と好野正美の関係についての内容は変更していないでしょう。幸い誰も、那賀の曜日殺人シリーズが、来人の盗作だとは気づきませんでしたから、全体的にも、来人の作を変更しないで、そのまま盗作していると思われます」 「わたしもそう思います」まさみが頷いた。 「そこで、その六作目のラストですが、好野正美が真宮正人にプロポーズするところで終わっています。女性から男性にしているわけですが、好野正美はお金持ちの令嬢で強気の性格の娘だ。自分の気持ちを素直に伝えたわけだ。しかも真宮正人は、かつて恋人を失い、その犯人を殺してしまいそうになり、刑事をやめることになった過去がある。正人は正美が好きだけれど、お金持ちの令嬢で敬虔《けいけん》なクリスチャンである正美に、自分の気持ちを伝えることなど出来なかったんだ。そこまでが、六作目までの二人の関係です。そして、本来、七作目が存在していれば、七作目では、このプロポーズの結果が書かれているはずなのです」 「そうですわ。正人と正美の恋の行方ですわ」さくらが言った。 「そう。二人の恋はどうなったのか?」石崎が皆を見回す。 「どうなったのですか?」まさみが身を乗り出す。  石崎がまさみに微笑んだ。 「うまくいきましたよ。二人は結婚しました」 「どうしてそんなことがわかるのですか?」まさみが不思議そうにきく。 「七作目がないからですよ。七作目は日曜日です。いいですか。正美のプロポーズを正人は受け入れた。だから、正人と正美は、日曜日に、教会で結婚式を挙げたのです。だから七作目はないのです。探偵はお休みですよ。自分たちの結婚式なのですから。お休みですからミステリィの話はない。だから七作目は存在しないのです」 「日曜日は結婚式……」まさみが呟いた。 「そう。でもこの解釈は、一般の読者にはわからない。結婚するという結果は、可能性として考えられるが、結論にはなりえないはずです。しかし、あなたは違う」石崎がまさみを指差す。「俺には、あなたと来人の関係がどのようなものかわからない。愛し合っていたのか、単なる作家と編集者の関係なのかわからない。しかし、あなたは、自分で自分たちのことはわかるはずだ。あなたは、この作品を見てすぐにわかったはずだ。真宮正人と好野正美は、来木来人と飯野まさみ、自分たち二人のことだと。だから、あなたにはわかるはずだ。たとえ七作目が出版されなくても、七作目が存在しなくても、七作目で二人が結婚するという、書かれなかった結末、自分たち二人の結末がわかるはずだ。自分たち二人の関係を、一番知っているあなたなら、もし来人が癌にならなかったら、自分たち二人の未来がどうなっていたか、それが想像できるあなたなら、結末は予想できるはずだ」石崎がまさみを見つめる。 「はいっ!」まさみが力強く答えた。 「そうです。来人の究極のトリックは、たった一人、あなた、飯野まさみにしかわからない、飯野まさみにしか解けないトリックだったんですよ。世界で一人、あなたにしかわからないのです。真宮正人と好野正美の二人は結婚したのだと、確信を持って言えるのはあなたしかいないのです。究極のトリックは、来人があなたのためだけに考えた、あなただけのためのトリックだったのですよ」  石崎の言葉にまさみが深く頷いた。 「そしてもう一つ、来人からのメッセージが残されている」石崎が指し示した。「この『あなたへの特別な犯罪』です。やっぱりこれは特別なのです。他と比較して価格が安いでしょう。これは、既に発表した作品だから安いのではありません。来人がこの作品を私信に使ったから安いのです。あなたへのメッセージが込められているから安いのです。単なる個人的なメッセージの分のお金を、読者から頂く訳にはいかないから、来人は価格を下げるように要望したのです。そして、そのメッセージは、この本の中に、一作だけある書き下ろしの短編の題名です。そう、その題名は『愛するあなたのための犯罪』。つまり来人は、この言葉が言いたかったのです。来人の曜日シリーズは、この言葉へつながるのです。『伏線』という題名の示す伏線は、これ以前の作品が究極のトリックのための伏線という意味ではなくて、これ以後の究極のトリックの作品こそが伏線だという意味なのです。つまりその前に来人の言いたかったことがある。それが『伏線』の直前の作品、そして特別な作品である『あなたへの特別な犯罪』という短編集の中で、唯一の書き下ろしの短編、『愛するあなたのための犯罪』という題名です。来人はこの題名で、究極のトリックは、愛するあなたのためだけのもの、そして、究極のトリックを期待していた他の読者を裏切った行為を、犯罪と言っているのでしょう」 「愛するあなたのための……」まさみが呟く。   「さて、こんなところでいいですか? 今の解釈が正しいかどうか、まさみさん、あなたにしかわからない。だから俺たちがこれ以上言えることはありません。もう夜も遅いし、寝ましょうか」石崎が立ち上がった。 「そうね。夜更かしはお肌の敵だわ」ミリアとユリも立ち上がる。 「石崎さん……みなさん……。ありがとうございました」まさみが石崎たちの背中に頭を下げた。    翌朝、石崎が食堂に行くと、ミリアとユリは、既に朝食を平らげ、チョコレートパフェと格闘していた。 「おまえら、朝からよくそんなもの食べられるな」 「いつでも食べられるわよ。それより那賀はもう帰ったわよ」ミリアがスプーンをなめながら答えた。 「フロッピーを手に入れたから、もう用はないということか」 「そうね、かわいそうに。あいつはずっと究極のトリックを探しつづけるのかな」ユリが呟いた。 「どうかな。探すのをあきらめて、自分の考えで作品を作ればよいのにな。あいつのオリジナルの作品もなかなかなのに」 「フロッピーの中を見れば驚いて目が醒めるかもね」ミリアが笑った。 「なんのフロッピーなんだ」 「遠足のしおりよ。ピクニックに行く前に渡したでしょ」 「そりゃあ驚くな」 「でも案外、暗号か何かだと思って、考えたりしてね」ユリが笑った。 「そうだとしたら、もう手後れだな。あいつ、一生究極のトリックにとりつかれたままだな」 「トリックにとりつかれるか、しゃれにもならないわ」そう言ってミリアは口についたクリームをなめた。    館には、もう一日泊まっても良いということだったが、石崎は帰ることにした。ミリアとユリも一緒に帰るという。 「なんだ、おまえら、もっとゆっくりしていけばいいだろう」 「もう、飽きたし、ここ」ミリアが館内を見回す。 「そうそう、ちょっと家にも顔をださないと」 「家には誰もいないとか言ってなかったか?」 「もう帰ってきてるはずだから、旅行から。ユリの親とわたしの親で一緒に旅行に行ってたのよ」 「なんだよ、それで両親はいないって言ったのか」 「石崎さん、なんか勘違いしてたの?」 「い、いや、別に」 「あ、そう。そうだ、石崎さん、これちょっと書いてよ。黒田のおっさんから貰ってきたのよ」ミリアが何も書いていない領収書を出した。「宿泊費で、六萬円って書いてね」 「なんだよ。宿泊費なんか、払ってないだろ。招待なんだから」 「ぐずぐず言わないの」 「しょうがないなあ。私文書偽造だなあ。税、サービス料込みって書いとくぞ」 「はい、ありがと。じゃあ、あと写真撮って」ミリアが石崎にデジタルカメラを渡した。「ホテルの看板の前で撮ってね」 「なんで、写真撮るんだよ」 「ちゃんと合宿に来たという証明が必要なのよ」  石崎が二人を撮影した後に、ついでだからと言って従業員に頼んで三人で写真を撮った。    出発する時には、さくらとまさみ、斉藤、そして黒田が笑顔で見送ってくれた。 「皆さん、ありがとうございました」まさみが頭を下げる。 「こちらこそ。なかなか楽しいモニターでしたよ。ところで、この館はどうするのですか?」石崎がきいた。 「わたくしと黒田は、元の仕事に戻ります。ただ、『ミステリィの館』のイベントは、けっこういけそうなので続けさせることにしますわ。まさみさんが来人の蔵書も自由に使っていいといいますので」さくらが言った。 「よいのですか? まさみさん。来人からもらった大切なものではないのですか?」石崎がまさみに尋ねる。 「蔵書よりも、もっと大切なものをもらいましたから」まさみが微笑んだ。 「ははは、そうですか」石崎も笑った。 「私、石崎さんを少し見直しました」斉藤が言った。 「俺は、どんなふうに思われていたんだ?」 「セクハラ男」ミリアとユリの言葉に笑いが起こる。 「うふふ、ミリアさん、御両親によろしくね」さくらが笑いながらミリアに言った。 「あれ? わたしの両親知ってるの?」 「はい、仕事でお会いしたことがありますのよ」 「私もです」黒田が言った。 「げっ! まっいいか。よろしく言わないから」ミリアが言うと、また笑いが起こった。 「それと、ミステリィ部、頑張ってね。あれ、わたくしが始めた部なのよ」さくらが微笑んだ。 「げっ! さくらさん、うちの卒業生なんだ」二人が驚く様子に、また笑いが起こった。 「さて、それじゃ、行くか。皆さんお世話になりました」石崎が歩き出す。 「石崎さん、これ」ミリアとユリが自分の荷物を指差す。 「しょうがないな」苦笑いしながら石崎がバッグを担いだ。 「ぐっ、来た時より重いぞ、これ」 「ホテルの物をこっそり持って帰るのは基本でしょ」二人が囁いた。    三人は、バス停の長椅子に腰をかけて、バスの来るのを待った。 「石崎さん」ミリアが声をかける。 「なんだ」 「究極のトリックって、まさみさんに説明した答えで良かったのかな? あれで、本当に良かったのかなあ」 「ああ、まさみさんしか答えはわからないけど、俺は正解だと思うよ」 「どうして?」 「来人は、究極のトリックを『見つけた』と言っていた。これ、少しおかしくないか? 普通、思いついたとか、考えついたって言うだろう」 「確かに『見つけた』って変ね」ミリアが首をひねる。 「この、『見つけた』っていう言葉は、まさみさんと出会った、自分の大切な人を見つけたっていう気持ちから出ている言葉なんじゃないかな」 「なるほど、大切な人を見つけた……か」 「それにもう一つ理由がある。究極のトリックはお金では買えないってことだったよな」 「うん」 「だって言うだろ、愛はお金で買えないって……」 「…………」 「ぶわっ、だ、駄目だわ。石崎さん、笑わさないでよ。もうっ!」ミリアとユリの二人が吹き出した。 [#改ページ]   エピローグ      気楽な(?)出張も終わり、石崎は普段の単調な生活に戻った。  総務課に呼ばれ、どうしてチョコレートパフェ代の請求書が送られてきたのか質問され、請求書を引ったくって戻ってきたところだった。パソコンに向かうとEメールが届いていた。   招待状   ミステリィ研究会へようこそ ミステリィを知り尽くしたあなた 既存のミステリィでは満足できないあなた 新たな刺激を求めているあなたを ミステリィ研究会へご招待致します ミステリィ研究会は、きっとあなたを満足させます。   櫻藍女子学院 ミステリィ研究会 会長 御薗ミリア 代表 相川ユリ   櫻藍女子学院祭 期日 六月一、二日十時〜      きっときてね★[#底本ハート記号、1-6-30] チョコパフェごちそうさま [#改ページ] 日曜日の沈黙〈にちようびのちんもく〉 二〇〇〇年十二月五日 第一版発行 著者 石崎幸二〈いしざき こうじ〉