水上 勉 木綿恋《ゆうご》い記《き》(下)     十  章  由布《ゆう》が、塚原の母へだした手紙。 「今日は、ちょっと、ながい手紙かいて、お母ちゃんをびっくりさせます。元気やと思うちょりますが、気がつくと、ひと月ほど手紙をしませんでしたね。安江さんとこも手不足で、わたしが一人前に働けるようになったで、仕事はいそがしくなるいっぽう、毎日、おそくまで外へ出ているのです。ひるは学校ですし、そのぶんも働かないといけん気持もあって、安江さんにいわれるまま、どこへも、よろこんで行っちきます。安江さんもよろこんでくれてますから安心してください。じつは、きょう、手紙かきますのは、お母ちゃんにぜひ、きいてほしいことがあったからです。それは、由布の結婚のことです。お客さんで、仙台で毛糸の店やっちいなさる井川さんという人がいます。その人の世話で、由布は見あいをしました。見あいというても、正式ではなかったですが、治療にいって、その足で、その人に会いにいったです。一と目みて、由布は、気にいってしまいました。戦争にいって、復員してきた人ですが、その人は、毛糸やセーターをあつかっておられます。石川県の百姓さんちに生れて、小さい時から東京へ出て、工場であみもののしごとをしちきました。召集になってシナへゆきなさったそうですが、いなかのかんじをそのまま、もっちきたような人で、性格もよくて、たのもしい人です。井川さんは、この人のことを社長いうちょってですが、事務所の人は二人しかいなくて、社長さんのようなかんじはしません。むかしは、闇屋《やみや》のようなことをしていたそうですが、いまは、れっきとした会社で、そこの大将だというちなさったです。会っちみると、大将のようなかんじはなく、とっても、気さくで、やさしい人で、いわれることも、生意気なところがなく、由布は、気にいりました。  こげなことかくと、お母ちゃんは、由布の気もちが、うわついちょるで心配するかもしれませんが、由布は決して、ふわふわしちょりません。それは、このあいだの、手紙にもかきましたように、安江さんの店にも、学校にも、おおぜい盲目のひとがいます。みんな、マッサージをめざして一生けんめい勉強している人です。由布は、仕事は好きですし、按摩はだれにもまけませんし、盲目のひとより、指名がふえて、このごろは貯金も出来ましたが、働いていても、やっぱり、盲目の人の仕事をとっち働いちょるという気もちからにげられません。わるいように思えるんです。安江さんは、そげなことは気にするな、いうちくれますが、お母ちゃんはどげに思いますか。やっぱり、由布は按摩で身をたてた方がいいと思いよりますか。由布は按摩はきらいではありません。地味な仕事で好きです。けんど、盲目のひとの職場をとっち働いちょるひけめは、いつも心にあってわるい気がしちょるで……身がはいらない一日もあります。お母ちゃんは、安江さんの成功を遠くでみよって、こげな裏がわのあることを知らんでしょ。由布が毎日、なやんじょるのを、おかしいと思うかもしれません。けんど、由布は、ほんとうにいやになる日があるとです。こげなことを書くと、お母ちゃんは、由布が、その人のとこへ早く嫁にゆきたいけん、こげなことをいうちょると思うかもしれんですが、じつは、そんななやみがあって、その人のとこへゆきたいと思うようになりました。  その人は、愛川伍六さんちいいます。由布のことを好いちくれます。まあ、お母ちゃんも、いっぺん愛川さんに会えば、こげなええ人が、由布をくれちいうとんなさる。うれしいと思いなさることは目にみえますが、けんど、由布は、気になることも一つあるのです。それは、お母ちゃんが、いつまでも、ひとりで塚原にくらしておれないということです。由布が嫁にゆくと、遠い将来は、由布のところにきて、一しょに住まないけんと思うのです。その時のことを考えると、由布は、最初に、お母ちゃんのことを、よく、愛川さんにたのんじょかないけんと思うのです。もし、愛川さんが、お母ちゃんをよんでいいといいなはったら、お母ちゃんは、どげにしますか。そんなこともよく考えて返事下さい。きょうはこれで終りにします。返事がこなかったら、また書きます」  柿本たねが村人に代筆させて、由布によこした手紙。 「ながいこと手紙もくれんと思うちょったら、びっくりするよなこと書いてきち、お母ちゃんは、まあ、うれしかったです。あんたが、惚《ほ》れちょる男の人の顔をみたい思いますが、いったい、そげな社長さんは、信用でけんと思うがどうじゃろか。闇屋しとって、会社の社長さんもないじゃろうと思いますがどうですか。闇は法律の下をくぐるもんで、闇の社長さんちゅうことになるじゃろが、そげなこと信用できたら、湯布院《ゆふいん》あたりのドル買いも、みんな社長さんじゃし、塚原から別府へ芋《いも》はこんでなはる小島の息子《むすこ》なども社長じゃということになります。闇屋して社長じゃ社長じゃと、いばっちいなさる男に、しっかりした者はおらんと思うがどうじゃろう。けど、愛川伍六ちゅう人は、お母ちゃんまだ、会うちおらんから、えらそうなことはいえんです。そりゃ、あんたも、もう二十四じゃし、嫁にゆきたいとあせるのはわかるけんど、なーんもいそいでゆくことはなか。それに、お母ちゃんの将来のこと心配しちくれていますが、なーんも心配はいりません。安心して、結婚しちください。こっちのことは気にせんでよろしいです。ただ、あんたのことが心配なだけです。あんたは、お母ちゃんの子じゃから、すぐ男に惚れちまう。そこが心配です。闇屋はぎょうさんおるで、よう見ぬかねえと、失敗します。男は、女を欲《ほ》しい時にゃ歯のうくようなこといいよります。気ィつけてください。くれぐれも、親切な男にゃ気ィつけないといけません」  草本大悟へだした由布の手紙。 「草本先生。ながいあいだ御無沙汰《ごぶさた》しました。由布はまいにち学校と治療に一生けんめいなのでいそがしく、先生に手紙せんならんと思うちばっかいて、とうとう、きょうになりました。ゆるしてください。先生は、あいかわらず湯布院で働いておられますか。この手紙は、芝関へ出しますが、ひょっとしたら、先生は、もう湯布院に越しよるんではないか、と思うちょります。母からの手紙では、日出生《ひじう》台の兵隊も少のうなって、大砲の音もせんようになったと書いちきていましたから、先生も、もう、あげな検診ばかりのいそがしい毎日をせんでおられるのじゃないかと思うちいます。  由布は、このたび、世話する人があって、結婚することにきめました。先生はびっくりなさるかもしれません。由布がえらんだ人をちょっと紹介します。その人は三十三で、いま、毛糸とメリヤスの商売をしています。まじめな人です。こげな人の嫁になりたいと思いましたのは、その人が仕事好きで、努力家であることです。はじめは、按摩しちょる由布など、けいべつして、相手にしちもらえんじゃろと思うちおりましたが、会うているうちに、親切にしてくださるし、由布を一人前の人間にみて、大切にしちくれます。東京は先生のいうちおられるように、ジャングルですが、わるい人もいるかわりに、いい人もいます。愛川さんは、いい人の中に入る人じゃと思うちょります。  こげなこというと、先生は、塚原の母のことを心配されると思いますが、母からは許しをもらいました。  まだ学校も卒業せんのに、と先生は思われるかもしれませんが、じつは按摩をしていることは好きですが、大ぜいの友だちの中に、盲目のひとがいっぱいいますので、その人たちが、うちらのような眼あきが進出してゆくと、自然と仕事が無うなって、苦労しよる姿をみるからです。  由布はやはり、この仕事をやめて、結婚した方がよい、と思うようになりました。先生は反対されますか。反対されても由布はその人のところへゆきます。そうして、いつか、その人としあわせになって、先生の働いちおられる湯布院へ帰っておはなししたいと思うちょります。  先生。由布は先生のいうことをきいて、あげな怖《お》じい生活をやめて、東京へきて、まじめに働いたからよかったと思うちょります。先生のいわれることを、きいたけん、このような幸福がつかめたと思うちょります。先生、また手紙かきます。こんど、手紙を書きます時は、もう、愛川由布になっちょるかもしれません。先生も早く、お嫁さんをもろち下さい。そうして、湯布院で元気でお暮し下さい。先生からもらったペニシリンを、由布は大切にもっちおります。お嫁にゆく時も、もっちゆこと思うちょります」  故郷の母と草本大悟へ手紙を書いたことによって、由布の気持は、いっそうかたまった。もとより、愛川伍六は、邪心や裏ごころがあって求婚しているわけではない。それがよくわかった。台明館に永逗留《ながとうりゆう》を決めこんだ井川から、二日置きぐらいに、名ざしがあって、この結婚は具体化していった。 「考えようによっては、あの男のいうこともよくわかるんだよ。いまどき、式だの披露宴だのといって、形式にこだわって金をつかうのは馬鹿馬鹿《ばかばか》しいことだね。そんな金があれば、新世帯の道具の一つもそろえたがいいよ。式は反対だな。頭からそういうんだ。わたしも、それでいいといった。由布ちゃん、あんたは、九州の母さんをよぶつもりかねェ……」 「はあ」  由布は戸惑った。母をよんで、愛川に会わせたい気持はたしかにあった。 「愛川さんが、よべといいなさるなら、うちはよんでもいいです」  と由布はこたえた。 「そりゃ、こういう機会だから会わせておくにこしたことはない。しかし、愛川のいうことをきいとると、とにかく、あいつは、はっきりしているんだ。嫁にもらうのは、あんただから、あんたさえきてくれればそれでよい。そりゃ、お母さんに会えといえば会うが、なるべくなら、あんたに一人はだかできてほしい……そんなことをいう」 「はだかで……」  由布は赧《あか》くなった。 「そういったとて、何もはだかでゆかなくちゃならないわけでもないがね……」  井川もわらった。愛川伍六は、とにかく結婚をいそいでいるらしかった。あの日、由布をひと目みて惚れてしまい、井川がのぞくと、いつ一しょになれるのかとせきたてた。井川はいってみれば、仲人役であるし、由布の親代りのような立場を心得ているので、 「犬ころが一しょになるんじゃあるめえし、いそいだって、あの人にもつとめがあることだからというと、子供のような男でね。しゅんとして、だまるんだよ」 「………」  由布はその愛川の顔がみえるようでならなかった。 「まあ、先決は、アパートかどこかさがして、住居がきまらないことにはどうにもならない。いま、愛川は、八方手をつくしてさがしているんだが、せめて二た間ぐらいほしいといって、望みもたかいから、なかなか、いいところがみつからないんだよ」  井川は、由布が赧い顔をしているのを眺めやって、 「愛川の方はそれでいいわけだがね。あなたは、まさか心がわりしないだろうね、いまの関本も理解してくれるだろうね」  と訊《き》いた。 「関本さんのことは心配せんでいいです。わたしの幸福になることなら安江さんは反対しません」  と由布はいった。 「お母ちゃんも、当分のうちは、塚原で畑仕事をしたり、牛飼いしち暮してゆけるんですで……」 「まあ、いまのうちははなれて暮していてもいいだろうけど、いつまでも、そういうわけにはゆくまい。あんたはひとりっ子なんだから、ゆくゆくは面倒《めんどう》みなければならないしね」 「………」 「愛川もそのことは考えているようだ。年とって九州で働けなくなったら、東京へよんでもいいっていってた」 「そげなことまでいいよってですか……」 「ああ」  井川は、肝心なのは、いまの関本治療所を円満に辞められるかどうかだ、といった。由布は自信はあった。話がはっきりきまれば、安江に切りだすつもりでいるが、愛川の方で、まだ、住居のことや、式のことを正式にいってこないから黙っていただけのことである。ところが、その愛川が、両国の震災記念堂わきの焼け残った一角に、格好な二階家をみつけた、と井川を通じて、報《し》らせてきた。で、いよいよ由布は安江に切りださねばならなくなった。十月二日の夜だった。由布は、溜《たま》り部屋が空《から》になっているのを幸いに、帳場にいた安江にいった。安江は、藪《やぶ》から棒の結婚話に呆然《ぼうぜん》として眼を丸くした。 「あんた、いつのまに、そげなことすすめよったの……愛川さんちゅう人、ほんとに信用のおける人じゃろかねェ……心配じゃね」  台明館の井川の世話であることもくわしく話すと、 「そりゃ、結婚は女のいちばんの幸福じゃけん、あんたがゆくちゅうのを無理矢理とめることはできんけど……わたしは、折角ここまできたのだから、学校だけは卒業しておいた方がいい思うんだがねェ」  と安江はいった。 「そのこともよく考えましたけど、卒業しても、うちは、やっぱり、盲目の人らの職場を横取りしているという気持から逃げるわけにはゆかん思うちょります。愛川さんとの話は、いい区切りになると思うんです。このままですと、ずるずる按摩さんして、年をとってしまいそうです。恐ろしいのです。もし万が一、この結婚に失敗した場合は、また、按摩にもどって、一からやり直しますから」 「そげなことがあってはいけんと思うから、わたしも心配してンのよ」  安江は、池野にもよく相談しておくといった。その翌日、池野がめずらしく午《ひる》すぎにきて二階へあがった。 「へえ、そりゃ、いい話だね。本人が心を決めているのなら、嫁にやった方がいいんじゃないか」  あっさり賛成した。安江はこのことをすぐに由布にいって、 「うちの人も、いい話だというんだよ」  ほっとしたものが顔に出ていたのは、遠からず由布にこの店を出てほしい下心があったからかもしれない。  よしんば安江が冷淡だったにせよ、主人の許可はこれで得たのであった。由布は、それが嬉しかった。で、愛川のところへ、報告にいった。二どめの浅草橋ゆきだった。井川は仙台へ帰っていた。例のガード下の暗い階段をあがって、事務所のドアを押すと、若い男が帳簿をいじっていて、社長はちょっと外へ出ているといった。鉄|火鉢《ひばち》のわきで待っていると、やがて愛川はもどってきた。 「やあ」  にこにこして、由布の顔色をみただけで、 「外へ出ませんか」  といった。事務所では、話がしにくかったのだろう。橋の手前の、問屋町の裏通りに、「喫茶」と看板をかかげた店がある。ゆきつけらしいその店のドアを愛川は気軽に押して、由布を先に入れた。隅のテーブルへ由布をすわらせると、少女にコーヒーを注文した。 「いい部屋がみつかりましてね」  愛川はいった。 「階下《した》は紙封筒をつくる工場なんですが、六畳と四畳半つづきになっていて、炊事場も便所もついてるんですよ。つい最近まで、親戚《しんせき》の夫婦が住んでいたといってましたが、古い建物だけに造作はしっかりしているし、東南向きの窓もとられて、物干しもあるんです。これなら、新生活にもってこいだと思ったもんだから契約してきました。それで……こんなことをいうと何だが……ぼくはまだ、あんたのことを、そんなにくわしくわかっていない。井川さんからいろいろきいて、だいたいのことはわかっているんですが……もうすこし、あなたと話したいと思うんですよ。時間をつくってもらえますか」 「はい」  由布は、関本安江に一切をはなして許可ももらったから、これからは、自分の時間がつくれて、愛川のところへあそびにこれる、といった。 「それならよかった……じゃ、ぼくの方からもあいさつにゆきますわ」  愛川はいった。 「何てたって、関本さんは田舎《いなか》の人なんだし、心配もありましょう。ぼくが行って、安心させてあげますよ。式のことですがね、一切、はぶきたい。無駄《むだ》ですから。形式主義は止《や》めて、実質主義をとりましょう。ちゃんと式をあげた夫婦でも、このごろは離婚ばやりですからね……。そう思いませんか」 「はい」  由布は固くなってうなずいていた。 「それで、ぼくは、今日、あんたを、その両国の家へ案内します。家をみてもらって、あんたの方で……気持が定まった時に、いつなりと、そこへきてもらえばいいんです。ぼくは待っています」  愛川は眼をかがやかせてそういうと、 「しかし、井川の親爺《おやじ》さんにだけは順序を踏んでおかないと、いけません。あの人だけは、正式なあいさつをしましょう。いいですか。あなたが国へ帰るのも、ぼくが国へ帰るのも、ぼくたち一しょになってからのことでいいと思うんです。ゆっくり考えましょう」  商人らしく、いうことはてきぱきしていた。  生涯の思い出になる風景があった。愛川につれられて、はじめてみた震災記念堂である。東京のまんなかに、このような大きな建物が、空襲をうけないで残っているのはめずらしかった。まるで、そのお堂は、本山《ほんざん》のような大屋根をひろげて、白い砂利《じやり》広場に建っていた。瓦《かわら》屋根は西陽《にしび》をうけて光っていた。お堂の周囲は広場だけれど、常磐木《ときわぎ》の植え込みが美しく刈りこまれて、一、二本の楓《かえで》の巨木が紅葉していた。楠《くすのき》も欅《けやき》もあった。樹《き》の下は芝生で、割竹を波型にさしこんだ垣《かき》がめぐらしてある。いくつかの白いベンチが、芝生に背をむけてすえられていた。堂の影が、正面の大きな焼香炉をかげらせ、そこから白煙が糸をひいて、軒を這《は》っていた。 「関東大震災の時に、ここへ逃げてきた人が、火に攻められて、焼け死んだんです。その慰霊堂です。……どういうわけか、アメリカ軍は、この堂を焼かなかったんですね。立派な建物でしょう」  愛川伍六は、堂をひとめぐりしてから、空《あ》いたベンチへくると、そこへ由布をすわらせて、自分もならんですわった。 「ぼくには思い出のあるベンチです。ここらはメリヤス工場が多いんです。戦前から、昼休みによくここへきて、ぼくはすわって考えたもんです。金のない時よくここで、陽《ひ》なたぼっこして、ぼんやり、通る人をみていました。……商売がうまくゆかなかったり、客からいやなこといわれたりした時……このお堂をみていると不思議に元気が出たもんです。どういうわけですかね。大勢の人が火にまかれて死んだ……当時の不幸な人のことを思うと、自分はまだ今日生きておれてしあわせだ……というような気持になるんですね」 「………」  由布は、愛川の横顔をみていて、この人はやさしくて淋《さび》しい人だな、ふと思った。愛川が石川県の田舎《いなか》を出てきて、今日まで、いくどかつらい目にあってきたことはまちがいないが、若い日々に、ひとりでこのお堂を眺《なが》めてベンチにすわっていたという。愛川の心の奥に、淋しいけれど、美しいものがあるような気がした。 「鳩《はと》がいっぱいいます」  愛川は堂の棟《むね》を指《さ》していった。 「ごらんなさい。あの軒だるきの穴は、みんな鳩の巣です。戦争中も、この鳩たちは、死なないで、ここにこうして生きていたんです……しぶといもんですよね。人間が大ぜい空襲で死んだというのに、鳩は生きていたんですよ」  広場へ群れをなして降りてくる鳩は、砂利石《じやりいし》のあいまに嘴《くちばし》を這わせて、しばらく餌《え》をあさっていたが、やがて一羽がとび立つと、全部が羽をばたつかせて、お堂の暗いたるきの穴や、ひさし瓦に飛び散った。やわらかい胸毛をふくらませて、陽なたぼっこしているような一羽だけの淋しい鳩も中にはいた。 「九州に鳩はいましたか」  由布は目をつぶった。鴉《からす》のいた塚原の高原を思いうかべる。湯平《ゆのひら》の鴉には、忘れがたい汚らわしい思い出がつながっている。湯平はどういうわけか、九州全土の鴉があつまるような日があった。鳩はめったにみかけたことはない。いたとすれば、塚原のはずれの霧島神宮の、古い社殿の奥にそびえていた巨《おお》きな椎《しい》の木に、コブのようにとまってうごかなかった山鳩ぐらいだ。都会の空を炭粉でも散らすみたいに、隊をなして飛びかい、人|馴《な》れして、道へおりてくる鳩などめずらしい。 「鴉ばっかりで……鳩はそげにみかけなかったです」 「鴉は多かったですか」 「はい、朝から晩まで鴉ばっかり……」 「鳩はかわいいもんですね」  と愛川は無精髭《ぶしようひげ》の顎《あご》をしわませて、 「みていると、喧嘩ばかりしてるのと、キスばかりしてるのがいますよ。そうかと思うと、しょんぼり、自分ひとりで、ひねくれたポーズで、じっとしているのもいるんです。眺《なが》めていると見あきない……」 「愛川さんは、いくつで、東京へこられたんですか」 「十三、高等科へ入れてもらえなかったんで、尋常を出るとすぐ丁稚《でつち》奉公です。東京へきた時は、びっくりしたな……こんなに大きな都会があったのかと……めずらしいものばかりで……一、二年は、地図をおぼえることで、暮れてしまいましたよ」 「村の人が誰かいなさったんですか」 「母方の親戚から……ここの工場へきてる人がいましてね。毎年、三、四人は就職したんです。でも、子供でしょう。寄宿舎に入れられて、先輩の教えをうけて、毎日毎日、追いまわされてつらかったです。休みがいちばん嬉《うれ》しかったなァ……鳩をみにきたのは、その休みの日です」 「田舎へ帰りたいと思いなさった日もあったでしょ」 「ああ、帰りたいと思ったな。けど、帰ったって……楽しい家が待っているわけじゃない、じっとがまんしなけりゃなんない。鳩はそんなぼくに……ずいぶん元気をつけてくれましたよ」  由布は、自分にも、そんな日はあったと思った。安江の治療所へきて、はじめて二階の窓をあけて、湯島の森の上を見た淋しさはわすれていない。憧《あこが》れてきた東京の空が、意外にそっけなく、冷たく眼《め》にうつったあの寂寞《せきばく》感が、いまだに胸にやきついている。愛川も、同じような気持で、毎日をすごしたのだろうか。そう思うと、地方から出てきたふたりの境遇が、説明ぬきの親近感をいだかせた。由布は、いい人を井川が紹介してくれたと感謝の気持でいっぱいになった。鳩は、ふたりのベンチの近くまでとんできて、しきりに砂利のスキマの餌をあさっていた。  案内されていった亀沢町四丁目のその家は、震災記念堂からすぐ近くにあった。なるほど焼けのこった古家で、階下は、倉庫とも工場ともつかぬ四角な建物で、外階段を使って出入りするようになっていた。愛川は、二階へ由布を案内するのに、先《ま》ず、階下の工場の監理人室をのぞいてから、鍵《かぎ》を借りて階段をあがった。ベニヤ板の戸をあけて招じ入れた。三尺四方のせまい靴《くつ》ぬぎ場と、靴|函《ばこ》があった。仕切りにうすよごれたカーテンがかかっていて、あけると、そこが四畳半。へり無し畳がしきつめてある。襖《ふすま》をあけると、つぎが六畳。六尺の押入れわきに、三尺の床。窓は西に面しているので、部屋はかわいていた。襖も壁も畳も埃《ほこり》っぽい。四畳半の奥に、板廊下があった。そこをのぞくと、流しがあり、錆《さ》びたガスコンロがひとつ放り出されている。その奥に、ベニヤ戸があって、WCと貼《は》り紙がある。由布は戸をあけてみた。一穴の便所である。 「まあ、これでも、ぜいたくと思わないけないね」  愛川はいった。 「工場の連中で、一戸建てに住んでる奴《やつ》はまあいない。このあたりには、アパートも少なくてね、小岩へゆけば、安直なのがみつかるが、遠いから仕事にならないんだよ……当分はここで、頑張《がんば》ろうと思う」 「いいところですね……勿体《もつたい》ないくらいです」  と由布はいった。もっとも、のちになって思うと、よくもまあ、こんなせまい二階借りに感動したかと不思議なくらいだが、その時は、由布は涙が出るほど嬉《うれ》しかった。東京のまん中で、ふた間つづきの部屋が借りられて、しかも、そこで結婚生活が出来る。夢のようだった。 「こっちをみなよ」  愛川が南の押入れよこの腰窓をあけると、町内のひくい家なみがみえて、よごれたトタン屋根がつづき、その向うに、高い架線の壁がみえた。細長い屋根があった。 「両国の駅だ」  愛川はいった。 「貨物がいっぱいつくのでね、少し、汽車の音でやかましいかもしれないが……ぜいたくはいっておれない」  その時も、ビーッと汽笛がきこえて、ガチャーンと連結音をたてて列車のうごく音がした。みていると、むくむく煙があがって、細長い屋根にそれが風呂敷《ふろしき》でもかぶせるみたいに黒くひろがった。 「いいところですわ。ほんとうに、もったいないぐらいです」  由布は、列車の連結音を、淋しいとは思わなかった。この音が、淋しくきこえるのは、ずいぶん、程《ほど》たってからのことである。 「よろしく、お願いします、愛川さん。うちはあしたからでも、とんできます」  由布は頬《ほお》をぬらしていった。  ふたりの結婚を、見合結婚というべきか。恋愛結婚というべきか。そこのところをのちになって愛川伍六は、〈どっちでもあらへん……わしらは必要結婚やった……〉といったが、しかし、これも、あとでそうかと由布は納得しただけのことで、由布にとっては、恋愛だったかもしれない。はじめ、井川につれられて、浅草橋のガード下へいった時は、不安でいっぱいだったし、初対面の愛川をよくみる勇気はなく、ただ押しだまってうつむいていただけである。しかし、それから一、二ど外であい、二どめに、浅草橋を訪《たず》ねて、その足で、震災記念堂にきた。鳩がいっぱいとびかう広場をみながら、ベンチにすわっていた時に由布は愛川に恋を感じた。亀沢町の二階へあがって、窓から両国の駅の列車の音をきいた時にも、激しい恋情を知った。いつ、こんなに、この人に惚《ほ》れちしもたんか……思いかえしてみても、動機はつかめない。ただその一日の散歩の時間に、由布の中で、愛川への情念が燃えたぎったのである。  すでに処女《きむすめ》でなかった由布の、ひそかに持っていた奔放さともいえたろう。塚原の母が手紙で書いてきた中に〈お前はお母ちゃんに似て男好きするところがあるけん気いつけねば〉というところの、由布の本性だった。由布は、その日、一日じゅう、愛川と別れるのがつらくて、亀沢町の家を出て、両国駅まで歩いて、そこから、愛川が省線にのり、浅草橋まできて別れるまで、胸のはりさけるような気持でかっかしている。  愛川もまた由布と別れると、すぐ会いたくなったらしくて、末広町へ帰った由布に、すぐ電話がかかってきた。治療所の方を早く整理して、結婚できるようにしてくれ、というのだった。井川が台明館にきたのは、記念堂を歩いた日から十日ほどたってからだったが、まだ、由布は関本で働いていた。正直いって、井川が来なければ、話がすすまない。台明館から電話があって、とんでゆくと、井川はすでに浅草橋へいってきたといって、 「いよいよ、祝言だね」  といった。由布は、もう安江に許可をもらってあることだし、井川の指示にしたがって、どこかで披露をしてもらえば、安江にだけは出てもらうつもりでいる。 「あいつはね、浅草の観音さんの前で、お辞儀をしてすませようか、それとも、靖国神社へ行って、社殿の前で誓いをたてようか、どっちにしようかと相談するんだ」  と井川はいった。 「あんたを、そのどっちかへつれてって、ふたりで、参拝して、式をあげたことにして、浅草橋のうなぎ屋で、一杯やりたいというんだ。費用をけちるわけじゃない。結婚式はまあそれでいいというんだな」  由布は、結構だと思った。愛川のいうことには賛成だったので、 「うなぎ屋の披露宴にだけは、うちの安江さんに出てもろちいいでしょうか」  ときいた。 「ああ、いいとも、わたしも列席するしね」  井川はにこにこしていった。  その日、十一月十二日の朝早く起きて、美容院にゆき、パーマをかけなおしてもらって、心もち耳うしろへ髪をつよく束ねてもらい、松坂屋で買った黒い別珍のワンピースに共布《ともぎれ》でつくったベルトでつよく腰を締め、これも同じ日に買った、ベージュのオーバーを着た。そうして、前日から荷ごしらえしてあったスーツケース二個と柳|行李《ごうり》、二人分の夜具を運送屋にたのんで、亀沢町の家へはこんだ。すっかり片づいたあとで、階下にいた同僚にあいさつした。電撃的にこんなことを思いついたのは、めんどうな説明をした上で、皆のやっかみの視線の中で耐えている時間を、少しでも短くしたいと思ったからにほかならない。安江にだけは、集合所である台明館にきてもらうことにした。 「由布ちゃんらしい結婚だわ」  と安江はいった。 「靖国神社にしたの、それとも浅草にしたの……どっち」 「さあ」  由布は首をかしげ、 「台明館へゆかないとわからないんです」  とこたえた。事実、わからなかったのである。着いてみると、玄関に女将《おかみ》がにこにこしていて、安江をみると大声で、 「あんた……久しぶりだねえ。由布ちゃんもうまくいってよかったわねェ」  そのうしろに井川も笑顔でいた。 「さあさ、あがって下さい。奴《やつ》もいまさっき来て、二階にいます」  ふたりは、由布と安江を二階へあげた。いつも治療をした部屋なので、安江もこの部屋には思い出があったらしくて、なつかしそうにみていたが、眼の前に六尺ちかい大男の愛川伍六が、黒の背広に紅《あか》いネクタイをしめて、はにかんで立っているのをみて、安江はペコリと頭を下げた。二どめの会見だった。 「きょうはお忙しいところをどうも」  と愛川はいった。 「いろいろとお世話さまになりました。これから、ぼくたちは靖国神社へ参ってきます。じつは考えに考えたですが、どう考えても、浅草の観音さまよりは靖国神社の方がよろしいと思いましてね。というのは、ぼくは、ながいこと中国戦線にいまして、いつ死ぬかわからぬ、弾丸の下で……毎日毎日、靖国神社のことばっかり考えて生きてたことがあるんです。大ぜいの戦友の死ぬのも見てきました。自分も、いつかは、戦友のあとをしたって、あの神社に眠る……当然のことのように考えていたんです。ところが、運よく生きて帰れた……これは本当に、あの当時、考えも及ばなかったことでした。天皇陛下のおん為《ため》に死ぬ……そればかり思いつめてきた……ところが生きて帰れて、いってみれば、ぼくは死んだ友だちに比べて、幸運だった。で、あの神社へいって、友だちの霊に礼をいいたいのです。今日の生れかわりの出発を祝うてもらいたいのです。……わかってもらえますか」  愛川の眼に光るものがあった。安江は、うなずいていたが、由布はなぜか足がこわばった。 「そんなら、わたしらは、どこにおったらよろしいのや」  井川がびっくりしてたずねると、 「川政で待っててくださいよ」  と愛川はいった。 「四時すぎに揃《そろ》うようにいうておきました……ぼくらがこれから、靖国神社へまいって、そっちへ廻《まわ》ると、ちょうどええ時間になりますわ」  井川はうなずいて、安江をみた。安江もきょとんとしている。 「ほんなら、由布さん……ぼくら出かけましょ……」  愛川は先に階段を降りかけるので、あっけにとられた感じであった。もっとも、四人がいまここで、台明館の茶をのんでいても手持|無沙汰《ぶさた》な話であり、愛川のてきぱきしたやり方には、時間の経済がはっきり出ている。 「そんなら、まず、あんたたち、いってらっしゃい……」  井川はいった。そして安江に、 「わたしらは、いっぷくしてから、ふたりで、川政へまわりましょう」  安江ももちろんうなずくしかなかった。由布は、愛川のうしろから、階段を降りた。玄関のところで、また、おかみに会った。 「行ってきます」  と愛川はいった。 「おでかけですか」  とおかみはいった。愛川は一張羅《いつちようら》の黒の短靴《たんぐつ》に時間をかけて足を入れると、 「由布さん、ゆこ」  と先に立って玄関を出るのであった。都電通りへ歩きながら、 「靖国神社へ参拝するだけで、式をすませるというたら、あの人らは不服そうな顔をしてましたね。かりに、神主さんたのんでおはらいしてもろたとて同じことですよ。よその神社はのりともあげて、式をしてくれるとこもあるようやけど……あんな形式ぶったことは……ぼくは大嫌《だいきら》いなんです。そんな時間があったら、自分で心に誓うた方がよろしい。靖国神社はさっぱりしてますわ。商売気のあることはしませんし……九分どおりはあそこに眠るつもりやった男が……最愛の女《おなご》をつれて、結婚の誓いをしにきてくれたんや。戦友の霊も、眼をさまして、にこにこ迎えてくれますやろ。死んだ戦友に、ぼくは誓うつもりです」  都電に乗るつもりか、御徒町三丁目へ向う愛川のうしろを、おろしたてのハイヒールの高いかかとをくねらしながら、追いかけるのに由布は汗が出た。六尺男なので、歩はばは広く、一しょに歩く時は、小走りでないとついてゆけない。  この日まで、靖国神社は、由布にとって、印象にのこるお宮ではなかったが、愛川につれられて、九段坂上で降りて、横手の門から砂利《じやり》石を敷きつめた境内に入った時、身近なものとなった。戦争で死んだ日本国中の英霊が眠っている神社である。掃き清められた広い参道に、両側の森の影が、くっきり線をひいたように落ちていて、陽照《ひで》りの道には陽炎《かげろう》がゆらめいていた。その中を、地方から来たらしい男女が、二人|乃至《ないし》は三、四人のかたまりをつくって、本殿前へ歩いてくる。腰のまがった年寄りもいる。子供もいる。みんな田舎《いなか》からきた人だ。 「あんたの身内に、戦争で死んだ人はなかったの」  愛川がたずねた。 「はい」  岩次のことが頭をよぎった。あの暑い日に湯布院の駅まで、遺骨を迎えにいったのは二十年の七月だった。岩次は小さな箱に入ってもどってきた。 「村の人で戦死した人はいます」 「そうやろな。日本人やったら身内か知人の中で、ここにまつられてる人を持たん人間はおらんやろ。ところがけったいな風潮や。戦争中はあれほど、靖国神社、靖国神社ちゅうて、手ェあわせてた連中が、敗戦になると、けろりと忘れてしもうて放《ほ》ったらかしや……淋《さび》しいお宮になってしもうた。けど……由布ちゃん、ぼくはここへくるたびに、参詣者《さんけいしや》の姿をみない日はないな。加賀へ帰《い》ぬと、村の人らは、靖国参拝団ちゅうお講つくって大祭にやって来る。みーんな身内をここにまつってはる人らや。時代がいくらかわっても、死んだ人は死んだ人や。身内は忘れておらん」  愛川は、この日、加賀|訛《なま》りで、はしゃいだ。 「その靖国神社で、ふたりだけの結婚式をあげるのが、わたしの夢やった」  愛川伍六の、剃《そ》りたての長い顎《あご》をみていると、胸がつまった。一徹で依怙地な人だと井川からきいていたが、なるほど、このやり方に、それは出ている。 「戦争がすむと、何もかもひっくりかえってしもたようなことをいう人がおって、ここにお詣《まい》りしている人を阿呆《あほ》のようにいうが、ぼくはそういう人をけいべつする。そういう人は、ここへ詣ったことがない人やろ。ぼくは、本所から、休みたんびにここへきて、やっぱり鳩《はと》をみてベンチに坐《すわ》ってた。ここへくると、田舎の人の顔がみられた。何となしに、加賀の村へ帰《い》んだような気持になれた……そらそのはずや。加賀の人らも眠ってるお宮やから。本殿の前に立って、蝉《せみ》の声をきいとると、じーんとありがとうなって頭が下がる。わけなしに頭が下がりよる」  愛川のいうとおりだと思った。由布は、手水《ちようず》所で口をゆすいで手を洗い、大門をくぐって、拝殿の前に立った時、身をひきしめられるような敬虔《けいけん》な気分を味わった。豪華で、落ちついた建物は、大木の隙間《すきま》からさしこんでくる陽《ひ》をうけて、柱も廻廊《かいろう》も、軒たるきも木目をうかせて輝いている。屋根は、あたりの静寂を吸いこんだような冷たさで眼に迫った。ああ、ここが靖国神社だった。塚原にいる頃《ころ》、兵隊に入った村の男たちが、いつかは合祀《ごうし》されることを夢みた社《やしろ》というのは、ここだったか。由布は、愛川とならんで、かしわ手を打って瞑目《めいもく》した。一瞬、遠い塚原の村が瞼《まぶた》にうかぶ。森に囲まれた塚原は、近くの由布岳とやや後方の鶴見岳の黒い姿を背景にして、陽をあび、うるしをとかしたように光ってみえる。左手の高原は、丈《たけ》高い草がもえて、四、五頭の牛がゆっくり歩いている。故郷のそんな光景が、どうして、この社とむすびつくのか。由布は不可思議さにわれを忘れた。愛川を横眼でみると、やはり、瞑目して、じっと何かを祈願するような顔つきだ。やがて、眼をあけて、深くお辞儀を一つすると、 「さあ、これで、ぼくらの結婚式はすんだ」  といった。 「由布ちゃん、何を祈ったか」  いいながら、愛川は拝殿へくるりと背をむけて、石畳を歩きだした。うしろへ廻《まわ》ってうす暗い樹立《こだ》ちの方へ由布をつれていくのである。 「これからのことを誓いました」  と由布はいった。 「それから……田舎《いなか》のことを思いだしました」 「お母さんのことだろう。ぼくもチラッと考えたよ。不思議だねェ。どうして、靖国神社は、こんなに田舎のことを考えさせるのかなァ。やっぱり、田舎から集まった戦死者の霊がまつられているからかも知れん。ぼくは人間に霊魂があるなんて信じなかったんだが、生きたわしらの躯《からだ》にもってる霊魂の仕業《しわざ》かも知れん。眼をつぶっていたら……加賀の田舎を思いだした」 「わたしも……塚原のことを思いだしよりました」 「やっぱり、おなじだ。あんたも、田舎出だし、ぼくも田舎出だ。靖国神社は田舎の人たちの……魂をよびあう所かも知れんな……」  そういうと、愛川は大きな楠《くすのき》の下へきて立止り、とんとんとよごれた幹をたたいてみせた。 「東京の人たちには、この気持はわからんやろう……」  愛川はいった。 「そうじゃないか。東京というところは、薄情なところや。みんな、自分自分の家のことばかり考えで、他人のことはなにも干渉しない人ばかりや。……それはそれで暮しよいところもあっていいかもしれんが。田舎で育ったぼくらには、東京人が冷たく感じられることがある。……そんな東京でさ……この靖国神社だけは、ぽつんとあって……ぼくらを待っている。こころ温《あたた》かい宮や。そんな気がする……ここは、ぼくらの鎮守の森や」  都電賃だけが、結婚式の出費だった。ビタ一文かけぬ結婚式に、由布はその愛川を尊敬していい人だと思った。いうことも、うなずけることだし、かりに豪華な式をあげても、すぐ喧嘩《けんか》して別れてしまう世の夫婦のことを考えると、あのような式というものは、無意味だという気がした。要は、これからのふたりが、幸福になるためには、茨《いばら》の道を歩まねばならない、社前で誓いあった心を忘れないで、努力と辛抱を怠らないことだった。由布はそう自分に言いきかせたのである。井川にいわせると、愛川のやり方には彼らしい人生観が出ている。十三歳で東京にきて、孤独に生きた彼には、友人というものはない。助けてくれた人はいるけれど、それだって、愛川が真摯《しんし》に生きる姿をみて近づいてきた連中で、愛川の方から、助けを求めた人ではなかった。孤独な愛川は、荒波を生きるに、他人を頼《たよ》ることを先《ま》ず拒否していた。それがこんどの結婚式廃止に出たのである。うす暗い神社のわきから、広い参道に出た時に、愛川はいったものだ。 「由布さん、ぼくら、少しあそこで落ちついたら、ひまをみて九州へゆこう。佐世保に、会わねばならんメリヤスの知りあいもおるし、商売もかねて行きたいんだよ。その帰りに金沢へまわって、うちへ寄ってもよい。世間の人は、親をよんで、式をあげる。親たちも、それをみて満足しているけれど、あれはおかしいことだと思わないか。いったい、結婚式なんてものは、これからふたりの生活がはじまるぞ、という合図のようなもので、さて、その翌日から、ふたりがどんな生活に入ろうが、親たちはみることはしない。こんな馬鹿げたことはないな。ぼくは式などどうでもいい。ぼくたちが、結婚して、幸福に暮しているありさまを見せた方が、親に対する礼儀だと思うんや」 「………」 「井川さんは、ぼくのことをケチだというがね……ケチでこんなことをいうんじゃないよ。わかってくれよな」  由布がだまっているので、淋《さび》しそうだとみたのだろうか。由布は胸がいっぱいだった。何をどういって、この喜びを表現すべきか。言葉がなかった。浅草橋の川政の玄関をまたいだ時に、上りはなの踏石に靴《くつ》をすべらせ、打水したばかりのタタキに手をついたことでもわかる。愛川は、どうした、しっかりせい、と毛の生《は》えた大きな手をのばして肩を掴《つか》んで助けてくれたが、由布は夢中だった。二階へあがると、うす暗い八畳に、安江と井川が、待ちあぐねた顔で、坐《すわ》っていた。  安江が由布の親代りといった立場なら、井川は仲人である。このふたりを卓の両側にすえて、由布と愛川は、床の間を背にすわり、祝盃《しゆくはい》をあげた。川政の女中が汗だくで運ぶひと流れの料理をたべて、ささやかな宴会を閉じたのは七時すぎ。井川が台明館へ帰り、安江が末広町へ帰るのを、由布と愛川は、都電通りまで見送って、ふたりが国電駅の方へ折れて見えなくなると、また川政にもどって払いをすませ、亀沢町の新住居に入ったのは八時すぎだった。荷物は届いていた。愛川がそれまでに、事務所の若者をつかって、部屋の掃除も取片付けも、あらかたすませていたから、二階にあがって一服した時は、さすがに、由布もほっとし、疲れがわかった。外はもう暗かった。遠くで両国駅を出る汽車の音がするほか意外に静かである。真新しい花柄の座蒲団《ざぶとん》が二つおかれてあった。その上に、由布と愛川はすわった。 「新婚旅行も、おあずけや。あしたからぼくは精を出すよ。あんたは、家にいて、ぼくの洗濯《せんたく》物やら、食事の用意をしていてくれればよい。あしたになったら、社の者をふたり、紹介する。うちでまあ、すき焼きでもして、慰労してやるつもりや。どっちも、気のいい男でなァ。ひとりは、静岡の男やし、もう一人は、高崎うまれや。ふたりとも新聞の募集できたのやけど、なかなかやってくれよる。いまのとこ、このふたりがぼくの手下や。ゆくゆくは、あの事務所もひっこして、せめてどこぞの貸ビルの一階なと借りて四、五人はつかいたい思うてるのやが……それも、まあ、仕事が順調に行ってからのことや……」  由布は寒気がしてきたので、風呂敷《ふろしき》の荷から、セーターをとりだした。 「それ何だ」 「うちの古着です。運送屋さんが乱暴にあつかったとみえて……風呂敷がやぶけちょる」  愛川は由布のうしろにきて、 「男物か」  ときいた。由布は赧《あか》くなった。たしかに男物といわれてもしようのないもので……父親のおさがりであった。古いものを、母が編みなおしてくれたのを、普段着にと大事にもち歩いてきた。もとは眼のさめるような紺青《こんじよう》だったが、陽《ひ》にやけて毛糸は色があせ、死んだ父が採石場の休みの日だけ、母からだしてもらってきていた粗《あら》い編みの男着のカーディガンだったのを、由布のためにとっくりセーターに編みなおしているが色のあせは見逃せない。 「………バルキーやな。ちがうか」  由布は、愛川の真剣な物言いに面喰《めんくら》った。はずかしい衣類をみられて赧くなるばかりである。 「お父ちゃんの古です。お母ちゃんが、うちがこっちへくる時に、ふだん着にというて編み直してくれよったんです。色がかわってしもて……」 「バルキーや」  愛川はまた眼の色をかえた。 「こんなもんめずらしいですか」 「めずらしい……」  愛川はごくりと咽喉《のど》をならした。 「むかし、なつかしい、バルキー。加賀でもな、男の人らが、好んで着た。むかしの糸は本物やで、長持ちするな。ほんまに……これ、九州で、お母ちゃんが、編んだか」 「村に、編器もっちょりなさる人がいたで、そこへたのみにいって、うちの用に直してくれたんですよ」  愛川がいやに眼を炯《ひか》らせるので、その毛糸の粗《あら》い編目のとっくりセーターをみせた。 「ええもんや」  愛川は電灯の下にもってゆくと、ゆっくり眺《なが》めだした。すると、愛川の眼はしだいに輝いてきた。 「由布ちゃん、あんた、えらいもんみせてくれたなァ……こら、いけるかもしれんで」 「………」  由布は、古セーターを見守る愛川を不思議に思った。 「いまは、けったいなナイロンが出まわりよって……編目のない……すき通ったもんが流行しとる。編物も、こまかいもんばっかり……おっつけ、ニットの時代やというもんもおるが……しかし、逆をついて……これやってみるのもおもしろいな」 「こんなもん……」  由布はあきれていった。 「お父ちゃんがきてた粗いもんですよ。女のひとにはずかしゅうて着られんでしょう」 「そんなことはない」  愛川はいった。 「流行はまたべつや。そろそろ、べたついたナイロンにあいてくる時節がくる。いや……いまが好機かもしれん。人がこまかい目のつんだものに酔うてる時に、粗い、男着のようなもんで、しゃれ着をつくったら、とびつく時節がくるやもしれん。こら、ええもんみせてもろた」  何をみても、商売のことばかり考えている男だった。愛川伍六が結婚初夜の、床入りの直前に、由布の荷物の破れから袖口《そでぐち》を出していた粗いとっくりセーターをみて得たヒントは、ふたりの人生を百八十度かえてしまうのである。  バルキー。いま、愛川伍六の口から出た言葉は、由布には、何のことやらわからなかったが、つまりは、セーターの業界でいうところの粗《あら》い編物といった意味で、男物の製品をでもいうのか、と由布は思ったものだ。古物に、眼をうばわれている愛川が不思議だった。由布がみせた古セーターは、母が編みかえてくれたものとはいえ、とても、都会で着れるものではなかった。由布の父でなくても、よく、田舎《いなか》の親爺《おやじ》さんや、大工、左官などが好んで着た粗い手編みセーターは、幅のひろいへちま襟《えり》とでもいうのか、ずいぶん無格好なもので、茶色の大きなボタンがついて、冬じゅうこれを着ている。肘《ひじ》のあたりに穴があき、布のつぎがあった。それを父の死後、母がひっぱり出してきて、由布用に編みかえたのだ。  だが、このバルキーの地風をみて、愛川伍六が得たヒントというのは、意表を衝《つ》いている。いま、当時の女物セーターの流行、といってもそんなに糸の豊富でなかった頃《ころ》の流れをふりかえってみると、朝鮮戦争に入る頃から、統制解除もあって、染色業界が活気を呈し、原色物が氾濫《はんらん》している。連合軍将兵の好みが、若い娘たちに影響したせいで、原色が歓迎されたのだ。理由は、長い戦争時代の、黒一色でがまんしなければならなかったことへの反動だったかもしれない。秋になるとクルーネックの半袖が、全国の店頭をにぎわし、さらにVネックの登場。つづいて、ドルーマン袖が流行した。脇《わき》をゆったりとったぜいたくなデザインは戦争中のことを思うと、夢のようなゆたかなしゃれ着にみえた。二十七年頃には黒、白が氾濫し、つづいて霜降りグレー、タータンチェック、ブークレ、といった目まぐるしい変りようになるが、色やデサインは変っても、地風そのもので勝負してゆく冒険はなかなかなされていなかった。戦争中の編器の活用ということもあったし、ナイロンの登場で、従来の編物は頭打ちになっている。きめのこまかくて、すけてみえるナイロン。これが編物業界に進出してくると、誰もがとびつき、メーカーも宣伝に大童《おおわらわ》で、婦人雑誌やグラビア雑誌に氾濫しはじめた。そうした業界へ、愛川伍六がバルキーをもちこもうと思ったのは、一種の賭《か》けであった。伍六は、その夜、一つ床に入ったとき、初夜の興奮でふるえている由布を抱きながら、 「ぼくらの結婚は、まあ、一つの賭けみたいなもんやが、お前の荷物から出てきたバルキーで……勝負してみるのもおもしろいな。あした、さっそく、工場で試作してみるわ」  なんのことはない。愛川伍六は初夜の寝入りばなにそんなことをいった。  おもしろい人じゃわ、と由布は思った。初夜のおもはゆさを、そんなふうに照れるのかと思った。由布は、愛川の毛の生《は》えた大きな手に抱かれて、はずかしかった。それは、湯平の宿で、旅の男にふれてから、長らく忘れていた喜びであった。由布は、荒々しい愛川の猛《たけ》りの下で、息をつめ、瞼《まぶた》の壁に、炭粉を散らしたように、空に散る鳩《はと》のむれをみた。震災記念堂の屋根にいた鳩だったか、靖国神社の広場にいた鳩だったか、胸毛を陽《ひ》に輝かせて、羽ばたき飛ぶ鳩は無数にいた。  翌日、由布が塚原の母にだした手紙は、次のようなものである。 「お母ちゃん、由布はとうとう、愛川さんと結婚しました。昨日、安江さんの家を出て亀沢町の新居に落ちつきました。愛川さんは、前にも書いたようにおもしろい人で、結婚式はあげなくてよい、靖国神社へ詣《まい》ってふたりで誓いをたててきようといいました。それで、由布は、昨日愛川さんと靖国神社に詣りました。立派な社なので、びっくりしました。拝んでから、安江さんと井川さんの待っちょってくれる浅草橋の川政というところで食事をし、ささやかな披露宴をしました。愛川さんは、この部屋を見つけるのに、一生懸命でした。六畳と四畳半があります。両国駅の近くで焼けのこったところですが、いま、東京で、ふた間つづきの家が借りられる生活は夢のようです。お母ちゃん。愛川さんはこんど、佐世保へゆく用事があるで、由布も、一しょに、その時は九州へ帰ります。その時には電報打ちます。待っていて下さい。由布はいま幸福です。思い切って、安江さんとこを辞《や》めてよかったと思います。安心して下さい。戸籍謄本のことくれぐれもたのみます。愛川さんのはなしじゃと、塚原の謄本をもっち役場へゆくと、用紙くれなはって、それにハンコを捺《お》せばいいそうです。この手紙つき次第送って下さい。  だんだん寒くなります。お母ちゃん気をつけて暮して下さい。塚原はもう冬|仕度《じたく》じゃろと思います。由布は、このごろ、お母ちゃんがなつかしくてたまりません。鶴見岳や、由布岳の紅《あか》いもみじがなつかしくてたまりません。お母ちゃんに会える日をたのしみにしています。また、手紙書きます。お母ちゃんも、手紙ください」  つましい結婚の挨拶《あいさつ》状というべきだが、強引な愛川のやり方だったから、いわば、これは由布が母に送った事後承認のかたちの結婚通知書ともいうべきものである。手紙をかいたことで、由布はふんぎりがついて、新婚生活に勇気がわいた。たねからは折返し手紙がきた。心配しているらしい文だったが「お前はお母ちゃんに似て、男の人の気持がわからんけん、惚《ほ》れてしもちゃいけん。しっかり男の心を見て、だまされんように」とたねは結んでいた。  浅草橋の事務所で働く若者は、安木保と神田市郎といい、愛川のいったように、新聞広告で入ってきた田舎《いなか》出で、ふたりとも、由布には愛想《あいそ》がよかった。もっとも、由布は愛川の妻になったのだから、若者たちは社長夫人として由布に接しねばならないわけで、由布が、式をあげた翌日から、愛川から一時間ほどおくれて出社すると、どちらかが茶を入れてくれた。 「お早ようございます」  由布は、事務所の隅《すみ》の流し場で、湯をわかす男たちをみて、これからは、自分がかわってするから、男は男の仕事にまわってくれ、とたのんだ。事務所の下の倉庫には、会社の糸がいっぱい積んであったし、編みあがったセーターも、近くの下請けから毎日のように届けられる。伝票と照合しながら、数量をあたって、それを一人がお得意へ配達しにゆく。てきぱきと、男たちが働くのをみて、由布は、愛川がいい手下をもっていることに安堵《あんど》をおぼえた。ところで当人の愛川は、どこへゆくのか、朝夕は事務所にいるが、めったにひるはいたことがない。下請け工場や、銀行筋を廻《まわ》るらしくて、夕刻に帰ってくると、いつも興奮していて、 「あてるちゅうことは、ひとの意表をつくものをつくるということや。あのカンナ屑《くず》の柄がそうやないか」  息ついて、椅子に腰をおろすと、安木と神田を前によんで、 「あんなもの、はじめは、クズ柄かと思うとったが、えらい評判や。ワンピースにもスカートにもあいてしまうと、カラカサにまでつこうとるわ……プリントもあそこまでゆくと、もう、何があたるかわからんな」  カンナ屑の柄というのは、前年の夏に婦人服界に流行したパステル調の輪を無造作に画《か》いた柄のことで、木の葉模様や水玉に倦《あ》いていた業界に、鮮度をかわれて、またたくまに旋風をおこした。なるほど、その柄は、服地から、女物の傘《かさ》、カーテンにまでつかわれて、一時は、ブロードの服地といえば、カンナ屑柄時代といわれた日があった。愛川は、そんなことを言いながらも、ひそかに、バルキーの成功を画していることが眼に出ていて、 「まあ、みておれ、この商売は、意表をついたもので、ベストセラーをつくることや。わしがいまもくろんでるバルキーが、成功せんはずはない。日本じゅうの女物をバルキーにしてみせたる。あたったら、えらいことになるぞ。ナイロンならせいぜい千五百円やが、バルキーは高級物やで。三千円はする。三割とみて一着に九百円や。どや」  加賀言葉には、関西のなまりがまじっている。愛川は、熱中する時は、ぼくがわしになり、どや、どやと、安木と神田の肩をたたくくせがあった。ふたりの若者は、線路下の事務所で、夢のようなことをいう愛川の顔をたのもしげに瞶《みつ》めていた。  愛川伍六が、由布に福島へゆこう、といったのは、結婚式をあげて、ひと月目の頃《ころ》だったろうか。とつぜんのことなので、由布は面喰《めんくら》った。 「本所の竹野のところで試作さしてみたら、なかなか風合もよくて、横浜のオリオンのウィンドウに下げてもろたんや。ほしたら、すぐ売れた……三千八百円のセーターが十着も一日で売れよった……勘があたったぞ……」  愛川は、どこで、そんなたくさんの毛糸を仕入れたのか、由布が事務所へ入ると、階下の倉庫に積まれていた梱《こり》を表へ出し、安木の運転する小型トラックに積みはじめた。由布は、あきれた。初夜の荷の中から出てきた男物の古セーターを見て以来、愛川は、バルキーにとりつかれたようになって、毎日のように、下請け工場をとび歩いて、ようやく、十着の試作品をつくると、得意先へあずけた。横浜のオリオンという洋品店の名は、よくきかされた。伊勢佐木町の、目抜きにあるとかで、進駐軍関係の客が多く、例の黒セーターなども、あてた得意先だった。一日に十着も売れたときけば、幸先《さいさき》がよかったといわねばならない。十着を売り切って、休むひまなく、原糸の仕入れに奔走し、ようやく、量産の態勢にこぎつけて、工場を福島にえらんだという。遠い福島までいって、そのような冒険的な量産をたくらむ愛川に、由布は少なからず、不安をおぼえたが、当人は自信のありそうな顔で、 「本所のどこへいってもあら編みの機械をもっとる工場はないねや。みんな焼いてしもたらしい。竹野の親爺《おやじ》さんの紹介で、福島にゆくとあるかもしれんちゅうで、行ってみる。すまんけど、お前も助手台にのってくれ」  由布は、小型トラックの助手台で、福島まで走るときいて、びっくりしたが、愛川の眼が輝いているので、うなずくしかなかった。 「誰が運転しちゆくんですか」 「わしが運転する」  と愛川はいった。 「安木と神田は、留守番や。ええか。わしとお前が福島へいって、この荷をみんなセーターに化けさせたら、うちの会社は、流行界のトップゆくぞ……」  荷積みをひと休みして、わきにきてタバコをすっている安木が、 「成功しますよ。社長。横浜から、やいのやいのの催促ですからね。早く帰って下さいよ」  といった。愛川は、ふたりに、 「電話の番だけは、ていねいにせんとあかんで。電話は、会社の窓口や。おうへいな返事したらあかんで」  といった。安江が、由布に教えた文句に似ていた。商売はみな、取りつぎが大事だと、愛川は若者にいうのだった。 「売れれば売れるほど頭ひくうせなあかんで」  愛川の運転する小型トラックの助手台に乗って、由布が浅草橋を出たのは、十二月十二日のことで、もう、世間は師走の風がふいており、蔵前のあたりは、クリスマスや正月の飾り物を売る問屋が軒なみだった。あわただしいなすび色の町をつきぬける愛川のハンドルさばきは、巧妙で、何台ものトラックを追い抜いた。 「お前にきてもろたんは、臨検におうたらひっこしやというて逃《のが》れるためや。もう一つはわしの仕事がどんなものか、よく、この際に知ってほしいからや」  と愛川はいった。 「仕事は、まあ、いうてみりゃ、ブローカーやけど、しかし、どこやって、問屋ちゅうもんはブローカーにちがいないな。自分がつくらんで、他人につくらせ、それをかき集めて、よそへ売る仕事やさかいな」  由布は灯《あか》りのともりはじめた街道が、自動車のうしろへ走り消えるのをめずらしく見ながらきいている。 「福島の工場へいったことがないが、竹野の親爺《おやじ》のすいせんやから、変なところやないやろ。むかしから、毛糸編みでは相当|繁昌《はんじよう》したとこや。仙台も秋田も山形も、東北物は、みな福島やった。ところが、このごろは、井川さんらのように、汽車に乗って東京へ仕入れにくる。東京製品は流行の先端やという迷信がある。福島で手ぐすねひいとるメーカーがおること知っとる者はいよらんねや。ここが、わしのみつけた穴や。ナイロン大手が系列化をはじめよる。しかし、お客さんは、大メーカーのものやろと、小メーカーのものやろと、気に合うたもんを着る。わしはバルキーで、大手の鼻あかしてやるんや」  由布は鼻息のあらい愛川に圧倒されたが、うしろの荷台に満載されている毛糸が、果して、これから訪《たず》ねてゆく福島の初対面の工場で、早急にとりかかってくれるかどうか、危《あぶ》なかしい気もしないではなかった。 「うまく行っちくれるといいですね」  由布はいった。 「うまくゆかいでか。わしの勘があたらなんだことは、これまでにない。たいがいのものは成功しとる。お前……あのバルキーみてて、ほしい思うたやろ」  そう問われれば、うなずかざるを得ない。しかし、由布には、愛川の有頂天になるほどバルキーが、魅力あるしゃれ着とは思えなかった。採石場で働いていた父親の休み着の連想があるからだった。都会の若い娘たちが、ざっくりした、地風にひきつけられる理由もわからぬではない。  ちょっとしたガウンのようなデザインなら受けるかもしれぬ、そんな気はする。  当時はまだ道路もいまのように舗装がゆきとどいていなく、石ころの出た悪路だ。ガタガタゆれるので、はれあがるほどお尻《しり》が痛くなった。給油をしたり、夜なかのうどん屋をたたき起したりして、一服はしたが、馴《な》れないドライブなので、由布はぐったりした。しかし、愛川は睡気《ねむけ》ざましに、しょっちゅうはなしかけてくるし、ハンドルをとっているのだから、わきでお尻が痛くなったなどと訴えられたものではない。じっと我慢した。  地図を見ながら、福島の市街に入り、北の方へ町をはずれかかるあたりに、古い家なみの街道筋がある。小西メリヤスと看板のかかった小さな工場を見つけ出すまでに、手間をとった。裏はセメント瓦《がわら》をふいた細長い工場になっている。愛川は車をやすめると、しばらく、車中で休んで、店の戸があくのをみとどけてから車を降りた。由布は助手席でうとうとしながら待った。 「すまんけど、ちょっと、ここで待っとってや」  と愛川はヤニ眼を、それでも元気にしばたたかせて、 「交渉してくるさかいな。うまいこといったら、糸を降ろさんならん」  言いおいて、シートをかぶせた荷を点検したあと、糸見本と、製品見本をひっぱり出し、 「お前、ちょっと、これ着てみい」  黄色のバルキーセーターを一枚由布の膝《ひざ》へ投げるのだった。寒いのでオーバーを羽織ってはいるのだが、新品のバルキーをみて、不思議と温《あたた》かい気がした。 「うちが、これ着ていいんですか」 「わしが合図したら出てこい。モデル代りや。ぱりっとしたとこみせて、びっくりさせたる」  愛川はにやりとして、見本の包みをもって、小西の店へ入っていった。いわれるまま、オーバーをぬいで黄色の大型サイズのセーターを着た。ボートネックである。袖《そで》もゆったりしている。胸も充分広くとってあるので、ざっくりしたバルキーは、着てきたセーターより、はるかに温かかった。由布はバックミラーで襟《えり》をなおした。  愛川はやがて、四十がらみの背のひくい男をつれて出てきた。 「おい」  と外からどなった。 「うまく、いった、降りてこいや」  両手をバンザイした格好にふりあげてとんとんと窓をたたく。  立っているのは主人の小西音吉だった。由布をみると、ぺこりと頭を下げ、 「奥さん、……きゅうくつなところにお待たせして……はあ」  若い者をよんで、即座に荷をおろしはじめた。主人は由布の着ている黄色のバルキーをめずらしそうに見た。店員もじっと見入った。  店のよこの小門から、裏工場へ、梱包《こんぽう》してきた毛糸の函《はこ》を全部うつし終えたのは九時。小西は、愛川夫婦を、店の間へ通した。三十七、八の丸ぽちゃ顔の細君があいさつにきた。説明によると、小西は、本所の竹野で働いていたことがある。まだ祖父がいて、ことし八十四歳だが、奥のはなれに寝たり起きたりの生活をしているという。愛想《あいそ》のいい細君は、由布に福島ははじめてですか、といい、帰りにはぜひ、飯坂へ寄ってこられたら、といった。愛川は、由布と細君がはなしている間も、しきりと商売談だった。晴れやかな夫をみて、由布は、愛川のこんな顔をみるのは、結婚式以来だと思った。小西夫婦に送られて、トラックに乗ったのは十一時、愛川は、細君のすすめる飯坂温泉へはゆかずに、そのまま、東京に向ってスピードを出した。 「温泉あそびしとるような身分やない」  と愛川はいった。 「東京で若い者が待っとる。早ように帰らなどもならん」  由布は、車のなかで、交渉経過をきいた。小西は、最初は愛川の冒険に不安をしめしたが、愛川が小切手で前金を手渡すと、にわかに顔つきをかえて、ひき受けたという。 「現金なもんやで」  愛川はいった。 「金の顔みたら、すぐきいてくれよった。けど、大編み機械は、倉庫へ入れてほこりかぶっとった。あしたから、すぐかかるにしても、大仕事やな。でも、機械があってほっとしたわ」  由布には、くわしいことはわからないが、こっちの仕事を快くひきうけたことに安堵《あんど》はおぼえた。この福島ゆきは、由布にとって忘れがたい生涯の思い出になるのである。夫婦して徹夜ですっ飛ばしたおかげで、十日後には、浅草橋の事務所へ、福島製のバルキーが山積されるようになった。愛川の電撃に似たバルキー旋風は、やがて歳末売り出しでにぎわう、東京の洋品界にゆるやかに吹きはじめるのである。 [#改ページ]     十 一 章  愛川伍六が、由布にも、安木にも、神田にも、口すっぱくいう台詞《せりふ》が一つあった。それは、人生荷物重きをもって尊しとする、という意味のことで、こんな言葉を、誰からきいたのか、およそ本などよんでいる姿などみたことがないのに、よく言ったものだ。 「つまりやな。人間は誰でも荷物を背負うて坂をのぼるものや。その荷物がかるいか、重いかで、幸せもきまる。ふつうの人は、荷がかるいことを望む。が、わしはその反対やぞ。荷物は重たい方がよろしい。どうせ、生きにくい人生を生きるのやから、重たい荷物を、背負うて生きるほど生甲斐《いきがい》がある。人間ちゅうもんは、ぜいたくな動物で、きりのない上へのぼりたい。誰よりも早ようのぼりたいとあせるために、荷物の軽いことをのぞむのやが、わしにいわせると、荷物が重いほど、上へのぼれる……横須賀の闇市へ毛糸もって通うてたじぶんのことやが、その頃の電車は、いつも満員で、駅員さんに尻《けつ》押されてねじこまれるようにして乗ったもんや。混《こ》んだ電車にのる時ほど、荷物がありがたいと思うたことはなかった。ふつうの人は、荷物が少ないと、身軽に乗り込めると思うやろが、それはまちがいや。背中にセーターいっぱい背負うとると、荷ィの重みで、わしの躯は、ぐいぐい満員電車へ入りこめた。荷がなかったら、はじき出されそうなところを、ラクにのれたんのは、荷のおかげや。わかるか」  安木と神田は、社長の説教がまたはじまったという顔できいているが、由布は、愛川のこの話に感動をおぼえた。なるほどそうかもしれない。マッサージをしている時に、満員電車には、何ども乗った。こっちに荷さえあれば、ぐんぐん押してゆけたという経験はないが、いわれれば、よくわかるような気がする。  安木と神田は、毎日、交代で、荷を背負って、都内の小売店を廻《まわ》っている。この言葉ほど、若いふたりを勇気づける言葉があろうか。  愛川はつづける。 「徳川家康がいうた言葉に、人生は荷を背負うて、坂道をゆく如《ごと》し……ちゅうのがあるが、まあ、これなんぞも、わしの行商哲学と同じ理屈とみてよい……人間は荷が多い方がよいのやぞ。うまいことゆかんのが人生というもんや。商売というもんはいつもそうや。うまいことゆかん……荷物を、うまいことゆかせようとあせるのではなしに、じっと耐えて背負うて歩いとると……ひとりでに先がひらけてゆく。道がひらけてゆく……家康さんはそこのところをいうとるねや。人間、うまいことゆかんのが、あたりまえや」  商売熱心な態度は、由布も頭が下がった。若い者にも、由布にも、めったに押しつけるような仕事の命じ方はしない。といって、やさしすぎるというのでもなかった。肝心の用事は、いいつけるし、自分は、椅子《いす》にすわって客と応対し、小間使いのように、こき使うこともあったが、平常が平常だから、いくらこきつかわれても、部下に不満はなかった。  愛川はまた、客にいんぎんだった。へりくだりすぎるほど、頭がひくかった。バルキーが、福島から着きはじめると、不思議と、線路下の事務所へ、都内の専門店の客がふえだした。専門店というのは、その頃から、都内の盛り場や、駅前商店街などに、女物セーター専門に店を張る人たちのことで、この人たちは、本所や蔵前、馬喰町あたりの、問屋を歴訪して、センスのある品をみかけると、現金買いしてゆく。愛川がとくに親しくしはじめた鈴美屋のように、上野、池袋、新宿、銀座、新橋と、目ぬきの特等地に店を出している著名店があった。専門店の主人には、女性が多い。また、主人が男性であっても、ほとんど、仕入れは、細君か、縁筋の女性がうけもち、装いも先端をゆく、美しい着飾りでやってきた。そんな客が、うす暗い浅草橋の、線路下の事務所を訪れてくると、愛川は丁重にもてなしはするが、いささかの劣等感も顔に出さない。 「毎度ありがとうございます。手前どもの品をごひいきにあずかりまして……」  新製品をボール箱からとり出して、机の上にならべる。埃《ほこり》っぽい事務所の中であるから、窓からさし入るうす明りの中で、客たちは、眼をぴったり製品にくっつけて色を吟味する。そんな時、由布は、表へ走って、喫茶店のコロンボから、コーヒーをはこばせるが、早く、夫に、明るい事務所を持たせてやりたいと思わないではおれなかった。  バルキーの評判は、訪れてくる専門店の客の数がふえることでもわかったけれど、年があけ、正月がすぎた頃から、さらに、注文は多くなった。正月前後の景気のよいのは当然だが、いつもなら、店売りは眼にみえて減る二月に入って、バルキーは圧倒的な多量注文に忙殺された。愛川はほくほくだった。 「どや……わしのカンがあたったやろ」  由布にいった。 「あれほど、ナイロンやないとあかんようにいわれたセーターが、粗《あら》い男物のふだん着の地風にうつってきよった。流行というもんは、根ェないもんや。わかるか」  その流行をつくりだしたという自惚《うぬぼれ》は、愛川に大きな自信をつけたらしくて、 「あたったいうても、楽観はゆるされんで。商売はひけどきが肝心。わしは、四月までに一億の勝負をして、すぐ、品止めしてみせるわ。よそがまねしよる時には、ひいとらんとあかんねや」  三月はじめに、事務所へ顔をみせた「服飾粧業」という業界紙の記者に本田正勝という殿様のような名の男がいた。バルキーの成功を耳にして、名もない業界新聞や雑誌が広告をねだりにきている。その仲間である。愛川は、まだ広告などする力はないといってことわっていたが、この本田にだけは愛想がよくて、業界の様子や、流行の先行きなど話しあうことがあった。本田は名前がしめすような殿さまぶったところはなかった。埃じみた業界記者のゆすりかたりを得意とする人相でもない。学校の教師といったタイプで、背も高く、おっとりしたところがあった。コーヒーを出しながら、由布も本田に愛想よくした。その本田がある日、愛川に、 「バルキーは、ヒットといえますが、惜しいことに、チョップがないのは痛手ですねェ」  といわれて、愛川はぎろッとした眼で本田をにらんだ。 「チョップ名をゆきわたらせるにはチャンスだと思うんですよ……社長の商売気の無さにはあきれます……」 「チョップね……」  愛川は首をひねった。チョップとは、製品の名称であった。考えてはいたことだが、本田にいわれて、とうとうその日がきたか、とふと思う。 「二次製品業界は、いま、チョップ、チョップで、ヒットもないのに、チョップもおかしいもんですがね……しかし、愛川さんとこなら当然……あっていいんですよ」  愛川はうなずいた。たとえばレナウンだとか、ナイガイといった会社も製品に同名のラベルをつけて売り出している。大会社には厖大《ぼうだい》な宣伝費を計上する力があって、また、そうした宣伝も必要であったろうが、ブローカーに毛のはえたような、かけ出しの愛川に、まだ、そのようなチョップまでうたう自信はなかった。福島の小西が全工場をバルキーに変えて、朝、トラックではこんできても、それが夕方には全部はけてしまう成功ぶりでは、この際、製品に名を冠してもいいのではないか、とふと思う。 「チョップがきまったら、ふんぱつして、ショウをやるんですな」  と本田はいった。 「ショウ?」 「大手町に商業会館が竣工《しゆんこう》しましたよ。あそこなら展示も出来ますし、会館がいやなら、ホテルだっていいじゃないですか。ロビーに新製品をならべて、都内からよりすぐった専門店とデパートの仕入れをよんで、バルキーショウを打つんですよ……もちろん、この際に、チョップを披露するんですから、一流のモデルさんにきてもらう。いいですか。伊東絹子、岩間敬子、渥美延、ヘレン・ヒギンス……みんなバルキーが似あいますね。業界をあっといわせてみませんか」  本田の物言いにはヤマコを張るようなひびきはなかった。自然なもの言いだった。愛川は考えこんでいたが、 「いっちょう、やってみますか」  といった。  たしかに、いまから思うと、バルキーショウは、業界の台風の眼といえた。一業界紙記者の思いつきから、三月末にもくろんだ、愛川産業新作発表会、チョップ披露ショウは、同業者だけでなく、都内の小売店や、専門店主に魅力だったろう。噂《うわさ》がひろまると、電話がかかる。ぜひ、招待状をほしいという客である。もっとも、出費も覚悟しなければならなかった。愛川にとっては社運をかけるバクチであった。  本田正勝を参謀主任にし、翌日から、バルキーショウの開催に奔走した。本田の智慧《ちえ》どおり、会場は、足の便利を考えて、新橋の東洋ホテルを交渉した。ホテル側は、客に出す土産《みやげ》品や、食事の売れゆきも考えて第一宴会室と前の廊下とロビーの製品展示を応諾してくれた。まだ、この当時は、派手な展示ショウをひらく二次メーカーはなかった。大企業には、自社の展示場がある。そこで、発表会をやっている。愛川のような中小メーカーでホテルを借りるのは初めてといえたかもしれない。それだけに、小売店の興味をそそったのである。愛川は、ある日、本田もいる事務所で、「オリオン」「海燕《うみつばめ》印」「ひなどり」「アイカワ」「ロビン」「グッドアロウ」などと書いた紙きれを壁にはりつけ、 「どうや、この中で、ええのをえらんでくれ」  といった。安木も神田も、椅子《いす》にすわって首をひねっていたが、本田が、 「どれも、これも、すっきりしませんな」  といった。 「海燕というのは、そらどういうつばめですか」 「加賀の海にとんでくるつばめや。わしの在所の鳥や……」  愛川はいった。すると本田が、 「意味はあっても、何となく野暮ったいですね。製品のスマートさとシンプルさをうちだすチョップ名でないと、かえってマイナスになりますぜ」  愛川は、それなら、ロビンはどうかといった。すると、本田は、 「どこかできいたような、魔法|瓶《びん》にでもありそうな名ですなァ」  とわらうのである。由布もわきできいて、壁にかかれた片仮名文字の名称や、漢字の名称を声をだしてよんでみたが、この名づけは重要だ、と思った。一生つきあわねばならぬ名前なのだった。愛川が在所の海にとんできた燕を冠したいというのもわかる気がするが、しかし、なるほど、本田のいうように、どことなく野暮ったい。 「そうか、あかんか。そんなら、あしたじゅうに、みんなで考えてきめることにしよう。安木、神田、お前らも考えてこい。当選した名を考えた奴《やつ》には、わしは、賞金を出すぞ」 「いくらくれますか」  と安木保が、問うた。 「千円やる」  と愛川はいった。 「わしが、生涯かけて売らんならん編物の名称や。千円は安いわ。みんな考えてきてくれ」  由布も心の中で、こんばんは、ひとつ、亀沢町の二階で、考えてみようと思った。  いろいろな名称が考えられる。花の名や鳥の名や木の名や星の名や色名などを、英語やフランス語で、思いつくままにならべてみるが、ぴったりバルキー製品に密着する名はない。むずかしいものであった。花の名や鳥の名は、どこかのチョップにあるようなものばかりである。もし、いい名であっても、他の商店に登録されておれば、登録違反となる。何々フラワーだとか、何々スターだとか、何々バードとかいった名称は、いいものも思いうかぶが、みなどこかの商標になっていそうである。愛川伍六は、本田が大変なことをいいだしたことに気づいていた。しかし、この際、無い智慧《ちえ》をしぼってでも、愛川製品の名を決めておかねばならない。 「どや、お前もええ考えがうかばんか」  亀沢町の床の中で、愛川は由布に訊《き》いたが、由布もまだいい名はうかんでこない。おかしなもので、蔵前通りや、浅草橋の問屋街を歩いている時など、看板ばかりが眼についてきた。気にしてみると、ずいぶん、考えた商標が多かった。 「清正印カミソリ」「鳩《はと》印ワイシャツ」「ゴールデンアロー」「ブルーロビン」「レッドフラワー」「リンデン」「貝印|鋏《はさみ》」「虎《とら》印|魔法瓶《まほうびん》」。他の商標と同じでない自家の製品名を考え出すということは、なかなかむずかしいことである。品物は女物セーターだ。虎印や貝印ではおかしいし、また、愛川の愛着をもつ故郷の「海燕《うみつばめ》」ではセーターにふさわしくない。 「うちは頭がわるいで、いい名が考えつかんです」  そういいながらも由布は、電車の窓からみたコーヒー店の看板だとか、ビルの屋上にあがっていたワイシャツの商標名など、口にしてみたが、愛川は、どれもこれも、バルキーにあわんといった。 「いっそのこと、海燕を英語か、フランス語でいうたらどうやろか」  と、その場で調べてしまわないと気のすまない性分の愛川は、寝巻きの上に合オーバーを羽織ると、ちょっと本屋へいってくるといって、つっかけを履《は》いて三十分ほど外出したが、帰ってくると、四、五冊の分厚い辞典を抱《かか》えていた。 「起きてみい。この字引きには、日本語もフランス語も英語も、いっぱい出ている。この中に、うちの製品にふさわしい名がある。一生懸命さがしたら、どこの会社も使うておらん、ええ名称がきっとある。お前も、真剣になって探《さが》せ」  由布は、自分だけ寝てしまうわけにゆかなかった。愛川にいわれるまま、生れてはじめて、和英辞典と書かれた厚い本をペラペラめくりはじめた。 「海燕《うみつばめ》」を英語でひいてみた。海は「シー」である。燕は「スワロー」である。「シースワロー」では海燕とはいわぬらしい。海燕の項目をひくと、「ア・ストウミイ・ペトレル」と出ている。 「北半球の海に分布する燕のこと。海燕は海面を泳いだり、海上をかすめてとぶつばめなり。大きさはつぐみぐらいから雀《すずめ》ぐらいのもいて、羽は青色か暗褐色《あんかつしよく》。尾はつばめの尾と同じで、分れているが、いくらか短い。嘴《くちばし》の先端はカギ状になり、北の海の孤島の地上に穴を穿《うが》って巣をつくる」とある。  愛川には、この説明をよんだだけで、加賀の在所の海がうかぶらしかった。たしかに辞典にある如《ごと》く、海のつばめは村つばめとちがって、尾が少し短い。羽は青くて、大きなのは、つぐみくらいだった。在所の海は岩壁が多かった。山のずり落ちそうになった所を仏谷といったが、嶮《けわ》しい断崖《だんがい》から滝が落ちて海燕たちは、人跡の絶えたこの仏谷の岩場に穴をあけ、巣をつくっている。遠くからみると、まるで粉をふりかけたようにむらがっていた。愛川は、眼をつぶった。どうにかして、この海つばめを自家の商標名にしたい、と思う。しかし、辞典では、「ア・ストウミイ・ペトレル」である。「ア・ストウミイ・ペトレル」では、長たらしい。女物セーターの名称にはふさわしくない。 「困ったなァ。海つばめはええが、舌かみそうな長たらしい名やぜ」  由布は、愛川から辞典をみせられても、英語はよめない。しかし、片仮名はよめる。 「ア」と発音したあと「ストウミイ」としてあるところにカッコがあるのはわかる。そのつぎに「ペトレル」となっている。 「ストウミイてなんですか」  と訊《き》く。 「それがわからんねや」  こんどは英和の方で、「ストウミイ」をひいてみる。 「ストウミイは嵐《あらし》ちゅう意味らしいな」  とぽつりといった。 「なかなか考えた名やぞ。嵐の中をとぶ海つばめや」  由布は、ストウミイだけとり去って、ア・ペトレルにしたら、どうだろうか、とふと思う。 「それなら、嵐をとってしもうたらどうですかね。ア・ペトレルにしちもたらええじゃわ」 「ア・ペトレルか」  由布も愛川も、小学校しか出ていない。愛川は、加賀の在所で、戦争末期に青年学校に短期間入ったことがあって、字引きぐらいはひけるのであるが、由布には、生れてはじめてのことである。舌を噛《か》みそうな英語やフランス語を口にするのは苦手である。といって、何もかもを、本田正勝にまかしていたのでは沽券《こけん》にかかわった。  その夜、床の中で、ア・ペトレル、ストウミイ・ペトレルとばかり口ずさみ、朝方になると、辞典全部を抱《かか》えて、先に浅草橋へ出た。由布が一時間おくれてついてみると、もう事務所には、本田も来ていて、安木と神田がいろいろ候補の名をあげて検討している最中であった。 「社長が海燕《うみつばめ》にこだわられる理由はよくわかりますがねェ」  と本田は教師のような顔をしていった。 「でも、ア・ペトレルではどうも似つかわしくない気がするんですよ。いま、仏蘭西《フランス》語をしらべてみますと、海はメール、つばめはイロンデルです。メールはいいが、ラ・メール……こんな名の喫茶店は、よくありますよ。海やつばめにこだわると、むずかしくなってきますね」  愛川は本田が、海燕に興味をもってくれないのが気にいらない顔だった。ペトレルではどうしてわるいのか。最初はなんだって、口になじまないものだ。ペトレルだって、ながく愛用してゆけば、なじんでくるのではないか。安木保が助け舟をだした。 「本田さん、ぼくは、社長が海燕に愛着をもっておられるのはよくわかりますし、ア・ペトレルは決してわるい名だとは思いませんね。だが、もう少し、これをひねってみたのもいいんじゃないですか。たとえば、ア・ペトーというのはどうですか」 「ペトー。それじゃ、燕にも海にもならないよ、きみ」  本田は、ちょっと鼻白んでいった。 「むしろ日本語で、海燕《かいえん》としたほうがいいんじゃないですか」 「カイエン」  愛川は眼をつぶった。またしても、加賀の在所の海を灰いろに染めていた海つばめがうかんでくる。何としても、あの集団をなした海つばめをつかいたい。字引きによるとストウミイ・ペトレルという。嵐《あらし》をついてとぶ海つばめ。これは、やがて、業界を席捲《せつけん》するバルキーの名称にふさわしいだろう。わが愛川製品は、あの北の海からとんでくる海つばめのように、つよく、スマートで、日本の婦人たちを装うのだ。そう思うと、カイエンでも、ペトーでもいい気がする。 「ペトー。安木君の案に賛成だな」  愛川は本田の顔をみた。 「ペトー、株式会社ペトー、婦人セーターのペトー。すばらしいじゃないか」 「しかし、社長、げんみつにいって、ペトーでは何のことやら意味をなさないんですよ」  と本田がいった。 「いや、意味はあるよ。ペトーは海つばめの頭だ……きみ」  愛川伍六はとつぜん、興奮したように眼をかがやかせた。  なるほどペトーはペトレルの頭である、というのが愛川の思いつきであったが、大学を出ているらしい本田正勝には、ペトレルならともかく、ペトーなどと勝手によぶ愛川の無神経さがおかしかったのだろう、何をかいわんやという顔でだまってしまった。が、愛川は、この思いつきに雀躍《こおど》りして、 「語呂《ごろ》がいいな。ペトレルでは、どうも角《かど》だったかんじがして、男くさいが、ペトーやったら、いかにも女性着のメーカーにふさわしいぞ……」 「そんなことをいってくると、海つばめは、どうしたって女性的な印象じゃありませんよ」  と本田がいった。 「つばめは、あれは男です。燕尾《えんび》服というのがありますね。ダンディな、おしゃれな男といったかんじで、女性的なもんじゃありません」 「海つばめにも、きみ、メスはおるさ」  と愛川はまたしても、眼をつぶった。加賀の在所は、能登半島のつけねにあるが、岩場の穴にむらがっていたつばめたちは、六月ごろに、白い胸毛をはって、かわいた田の面にとび降りてきた。藁《わら》くずや、餌《え》を嘴《くちばし》にくわえて、海へ散った。あれは、巣をつくるためであった。あのなかには、メスもいたろう。 「本田君、きみにたてつくようだが、わしはペトーにきめたよ」  愛川はいった。安木もほっとしたように、 「社長……ペトーはよろしい」  といった。 「株式会社ペトー。ニットウェアのペトー。シンプルなしゃれ着ペトー。なかなか語呂がいいし、まったく、ペトーは、海燕《かいえん》の頭です」  由布は、わきで聞いていて、愛川の気に入ったこのペトーに、やはり愛着がわいた。由布は北九州の由布岳にうまれているのだから、海つばめというものを知らない。つばめをなつかしむ夫の気持はよくわかるし、由布もつばめはきらいではない。眼をつぶると、由布岳のふもとの岩にむらがった鴉《からす》がうかぶように、夫は海燕に焦がれているのであろう。 「うちも、ペトーはすきじゃわ」  と由布はいった。すると、神田が、 「社長、奥さんも気にいっておられるから、ペトーはいいです。本田さん、それじゃ、多数決で……ペトーにきめましょうよ」 「なんだか、つばめの頭という感覚は理解できないなア」  と本田は不承不承にうなずいてわらったが、結局は、社長のいうことなら聞かないではすまないことではあった。 「そんなら、ペトーにしますか」  本田がいうと、これで、愛川産業の商標はペトーに決まったのである。  本田正勝は、その日から、第一回ペトー・バルキーショウの企画に走りまわった。愛川は安木に命じて、古い名刺をすべて屑籠《くずかご》に入れてしまい、ガード下の名刺屋にたのんで、有限会社ペトーの社名を印刷したものに切り換えた。これまでの、ゴム判や、用箋《ようせん》もみなペトーに変更させた。てきぱき実行する愛川は、馬喰町の看板屋にも電話して、線路すれすれの高さから、倉庫の屋根にくっつけている看板を、その日のうちに、ペトーに塗りかえている。  おかしなもので、社名も商品名も、新しくかわってしまうと、社内に新しい活気が湧《わ》いた。鈴美屋の仕入係りであるデザイナー出身の堀川かつみが、ちょうど、その日の午前事務所へ顔をみせた。愛川が、社名をペトーにしたというと、 「いい名ですわね……」  とこのオールドミスは黒ぶちの眼鏡《めがね》を由布の方へちらとむけて、 「意味はなんですの……」  ときいた。 「海つばめの頭ですよ」  愛川はにこにこして、 「わしの在所の加賀の海をとんでおった海燕の頭ですわ」 「つばめの頭?」  堀川かつみは、びっくりした。 「そうです。英語で、海つばめのことを、ペトレルというんですが、ア・ストウミイ・ペトレルともいうんですな。これを要約して、ペトーとよぶことにしたんです」  堀川かつみは、感心したように眼をなごめて、 「社長さんらしいですわね」  といった。愛川は、大得意であった。 「この二月末に、東洋ホテルのショウルームで、ペトー・バルキーショウをやります。その節には、社長さんご夫妻もつれてきて下さい」  堀川かつみは、驚いた顔で、 「ペトーショウ」  といったきりだまった。その顔には、愛川の気力に圧倒されたかんじが出ていた。くる客に、愛川は、この日から、ペトーショウ開催について弁舌をふるった。反対意見をとなえる者はなかった。昭和二十八年三月のことである。一中小メーカーというよりも、闇屋《やみや》に毛のはえたようなブローカーあがりの愛川伍六が、自家商品にペトーと名づけて、大々的な展示ショウをひらいたのに、誰もがニット業界に、新しい風が吹きだした感じをうけた。  ペトーショウには、都内から二百人にあまる専門店、小売店の客があった。遠くは仙台、青森からも、九州からも、名簿をたよりに招待状を出しておいたのが、約五百人近い参観者である。もっとも、三日間の期日だから、これらの客は、申し分なく、ショウを観《み》たあと、ホテルのロビーに展示されたバルキーセーターを見て帰っていったが、当日、来あわせた業界紙記者の評判はよく、参観者のうけた衝撃は目にみえるようにわかった。愛川は本田正勝に命じて、展示場に、大胆なディスプレーを試みた。背景は殺風景な壁ではひきたたないので、全長六メートルもの横長の写真を飾った。専門写真家にたのんで手に入れた海岸の風景である。荒々しい岩壁に、波濤《はとう》がしぶきをあげている。数羽の海燕が白い胸毛を朝陽《あさひ》に輝かせて飛んでいる。雄大な構図だ。これが能登の海なのか、越前の海なのかわからない。だが北国の海の荒いかんじは出ている。写真の前に、愛川は巨大な岩石や、流木を形どった模型をちらして、白砂を敷き、バルキーを着た一流モデルを歩かせた。赤、黄、ブルー、金茶、鼠《ねずみ》、薄グレー、ベージュ。よりすぐった色のカーディガンや、ボートネックやとっくりセーターを着たモデルたちが、均整のとれた上半身を、バルキーにつつんで歩く姿は新鮮だった。誰もが、このロビーショウに見惚《みと》れた。モデルが歩くフロアの周囲は、現物のセーターがならべてある。客たちは、手にふれてみて、ペトーの感覚のよさに魂消《たまげ》たのである。  いっておくが、この企画の一切は愛川と本田がやったもので、誰の力を借りたものでもなかった。肝心の製品も、愛川がひとりで考案したものである。愛川は野放図なタイプだったけれど、デザインや、毛糸の色の選択に不思議な才能をもっていた。デザインも色も、亀沢町の家の六畳にいて、服装雑誌や流行雑誌をみて考案している。 「デザイナーやいうて威張っとる女史もおるが、なんてことはないな。感覚さえよければ、素人《しろうと》でもつくれるんやな。要は染める工場と編んでくれる工場の職人の腕や。もともと、バルキーちゅうもんはお前らのいうとおり、男の労働着やった。むずかしいことはないんやな」  愛川は、そんなことをいいながら、雑誌のグラビアに鋏《はさみ》を入れた。家にいる時ばかりでなく、外を歩いても、ちょっと気の効《き》いたセーター姿の女性をみると、立止って、眼を輝かし、いそいでデザインを盗んだ。ショウがすんで間もない三月十五日に、有限会社ペトーは、浅草橋から、小伝馬町の貸ビルに移転している。  そのビルは、四階建てであった。クリーム色の化粧|煉瓦《れんが》がこまかい縞柄《しまがら》にうつるそのビルは、著名な織物問屋の持ち物で、そこが、電車通りの角へ新社屋を建てて越したあと貸ビルにする話をきいて、懇意にしていた銀行の支店長を仲介に、愛川が急いで契約したものだ。間口五間の四階のうち、問屋が一階を使うので二階と三階を借り、三階を事務室にし、二階を商品倉庫にきめたが、浅草橋の数倍の広さだった。アルバイトの若者を社員に昇格し、新聞広告や知人の紹介で採用した者を入れると、全員十七人になった。総務、経理、営業の三部にわけ、それぞれ配置をきめ、安木保を経理部長に、神田市郎を営業部長とし、総務は当分由布に委《まか》した。社長である愛川は部屋の隅についたてを二つならべて、奥を応接間兼社長室とし、机にふんぞりかえるヒマもなく、階下の営業へ降りてばかりいた。  多い時は、一日に九百枚のバルキーセーターが売れている。福島の小西に支払った最高額の小切手をみると、三千万円がある。これをみても当時の景気のよさは、夢のようである。平均して三割の利のあるバルキーは、卸値が千八百円前後。小売店はこれを二千六百円で売る。ふつうの二千円前後のセーターよりは莫大《ばくだい》な利益である。客がとびつくように買うのだから小売店は毎日のように店員を走らせてくる。移転早々のビルは、札束の雨だった。小西からとどく荷は、一日でみな現金に化けたのだ。  新ビルに越してまなしに、仙台の井川がひょっこり顔をみせて、すっかり貫禄も出て、ホームスパンの背広に茶のネクタイをしめて社長の椅子《いす》に坐っている愛川に、まぶしそうに眼をなごめた。 「どえらい山をあてたなァ。お世辞じゃないが、うちの店でも、二日ほど行列がつづいてね……セーター買うのに、行列なんてのは、戦後はじめての経験だったよ」  握手を求めた。すぐうしろで、椅子を立って茶の用意をしはじめた由布に、 「奥さん」  あらたまった口調で、 「あんたが福の神だったにちがいねえだよ」  といった。 「運というものは、風のように襲ってくる。そいつをうまく掴《つか》む人間と、見すごしてしまう人間がおる。いや、まったく、愛川君は幸運だった。大将のカンには参ったな……事業というものはおもしろい。あんたはいま、有頂天で商売の楽しさを噛《か》みしめているだろ……よくわかるね」  井川はほくほく顔で由布をふりかえって、 「奥さんは、そこで、毎日事務をとってなさるのかね……こんなことはいけんぞ」  といった。 「大きな会社とまではゆかなくても、十人以上の人間をつかうようになれば、奥方は家にしまっておいて、つれてきちゃいかんもんだ」 「………」  愛川伍六はきょとんとして井川をみていた。 「人の和が、これから、あんたの会社を大きくもし、小さくもする。わかるかね」  井川は老《ふ》けた顔をしかつめらしくみせて、 「これからが大事、経営だよ。愛川君」  といった。 「あんたたちは亀沢町の二階にまだおるのか」 「かわりませんよ」  と愛川がこたえると、 「新社屋も出来たことだから、そろそろ、住居を買っておいた方がいいね。景気のよい時に、しっかり地盤を固めておかんといかん。貯金のつもりで、家は買うときなさい」 「子供もないんですから、いまのところで、辛抱できますよ」  と愛川はいったが、 「ゆくゆくは、どこかに売り家でもあれば買うつもりでいますがね」  というと、 「あんたのことだから、夢中になって、しくじるということはないだろう、けど、人間、景気のいい時に、どう締めるかだからね」 「心配しないでください」  愛川は自信ありげにいった。東洋ホテルのバルキーショウの時には、井川は台明館に十日も泊った。愛川の大胆さにあきれ、どちらかというと、ブレーキをかけていた方だが、一日に九百枚ものセーターが消えてゆくのをみていると、他人事《ひとごと》ながら、商売の不可思議さに圧倒されたのだろう。唖然《あぜん》としてペトーの発展ぶりを見ていた。婦人雑誌をみても、週刊誌をみても、流行ぺージは、バルキーを着たモデルが出る。製品は、みなペトーである。  愛川の成功は、福島へ車をとばして、量産体制をととのえたことにあった。小西の全面的な、バルキー切換えがなかったら、この景気はこなかったかもしれない。小西も、いまは、社長自らが上京してきて、小伝馬町に一日すわっている日が多い。いわば、ペトーの系列工場になったのだ。  井川は、愛川が忙しそうに客を迎えて、愛想をふりまく様を眺《なが》めて、由布に、 「あんたも、一つ、旦那《だんな》さんを助けて、これからの大世帯をきりまわすおかみさんにのし上らないけん」  といった。由布は、涙の出るほど嬉《うれ》しかった。つい半年ほど前までは、井川によばれれば、台明館へ走って、肩も手足ももまねばならない按摩だった。夢のような生活が訪れた。社員たちは、由布のことを、奥さん、奥さんとよぶ。由布はその都度、顔をあかくしている。  菊坂の家を買ったのは、二年後。バルキーがそろそろ下火になって、有限会社ペトーが、婦人ニットウェア、男物セーター、子供服など手がたい製品に転向して、専門店や小売店との絆《きずな》を尊び、ゆるぎない二次製品の問屋仲間に入ってゆく三十年の秋である。菊坂のこの家は、本郷三丁目から菊坂通りを百メートルほど降りた地点の二階家で、愛川はこれを、倒産した業界仲間から、当時の金九百万で買い取った。だらだら坂を初音町の方へ降りる途中だった。表に高い石塀があり、玄関までの距離はそんなにもないが、あたりは、焼け残った一角で、古い造作ながら、しっかりした家が多い。階下は八畳、六畳、三畳。玄関よこに洋風の応接室がある。二階は八畳と六畳。南に一間の廊下がある。うしろは、すぐ上に隣家が建っていて、通りに面した南はひらけ、門内に五坪ぐらいの庭がある。大きな自然石の沓石《くついし》をへだてて、灯籠《とうろう》のある植込みが眺められる。閑《のど》かな家であった。  由布は、亀沢町から、ここへ越した日から、井川の忠告どおり、会社へは出ないことにした。亀沢町の場合は、二階借りだから、留守をするにも、何一つ調度があるわけでなく、殺風景な生活だったが、こっちへ移ってからはそうはいかない。近所づきあいもあるし、愛川がデパートや古道具屋をのぞいて買い込んでくる卓や椅子《いす》、机、火鉢《ひばち》、置物など、毎日のように配達夫が運んでくるので、楽しい忙しさである。小伝馬町の総務は新しく入った銀行推薦の男子社員に委《まか》したが、わずかだったにせよ、浅草橋から、小伝馬町にうつるまでの、いわば上昇期に、夫と一しょに働いた経験は大きな力になった。朝八時すぎに夫が家を出るが、由布には、会社についた夫が何をするか手にとるようにわかる。しょっちゅうやってくるお得意の顔もわかる。安木と神田が、新社員や女事務員を使って、社長、社長と夫を立て、従順に働いている姿も彷彿《ほうふつ》してくる。五時になると、外回りの社員がぼつぼつ帰ってきて、三階の部屋で夫を中心に幹部がのこり、その日の帳尻をあわせ、集金の金と店の売上金をあわせて、袋に入れ、翌日銀行へ回すように金庫にしまう姿もみえる。  由布は家を守っている自分が、一年前にくらべて、まったく変貌してしまっていることに気づかないではおれない。井川ではないが、玉の輿《こし》を拾ったといわれても、うなずかずにおれぬ。按摩稼業《あんまかぎよう》だった日が嘘《うそ》のようだ。 「これからは、ちょいちょいお客もせんけりゃならんからね、料理のできる女中を置くことにするよ」  と愛川がある日いった。 「うちの料理じゃいけんですか。うちは下手じゃで、口にあわんですか。女中さん傭《やと》うなんて勿体《もつたい》ないですよ」  由布は首を振ったが、愛川は、 「ぜいたくやない。必需品や」  といった。順調な事業の発展は、由布にとって嬉《うれ》しいことにちがいないが、菊坂に住んでみて、かすかな孤独感をおぼえるようになっている。夫は、朝早く、といっても、たいがい八時半頃に、朝食をすますと、上富士前のアパートにいる安木が、会社のライトバンを運転して迎えにくる。新聞を読みながら待っている夫は、その頃はまだ、車も少なくて、めったに、坂の通りへ車は入ってこないものだから、いくらか乱暴な運転をする安木の、家の前で鳴らすクラクションで立ち上る。門を出ると安木はもう車の向きをかえている。愛川は台所にいる由布へ、行ってくる、と大声をかけ、由布が手をふきふき玄関へ出る頃は、もうライトバンの助手席にいた。安木は、お早ようございます、と由布に頭を下げ、すぐにエンジンをかけて、三丁目の方へ消える。  由布は家にひとり残る。新聞をよんだり、テレビをみたりする。倦《あ》いてくると、洗濯《せんたく》したり、拭《ふき》掃除したり。家のなかをわけもなく歩きまわるが、これといって、留守中の仕事はないのだから、退屈さはかくせない。近所に友だちはいない。電話をかけるとすれば、安江ぐらいのものだが、安江には、結婚後、三、四ど会っていた。例のバルキー騒ぎで、会社が眼まぐるしい多忙期を迎えたので、年がかわってから会っていなかった。めったに末広町へゆくひまがない。ところが、夫が出たあと、所在ないままに、ひとり居間にすわっていると、安江に会いたいなと思う。不満というほどではないにしても、事業一辺倒の夫の生き方が、このごろになって、かすかな淋しさをともなってくる。亀沢町に比べて、仲|睦《むつま》じく床に入って語りあった夜とてない変りようだった。事業がうまくゆけば行ったで、人間というものはまた新しい不安を身のまわりに感じるものなのだ。それをぜいたくだと思う。由布は安江に、菊坂へ越したことは電話で知らせはしたが、安江はなぜか訪《たず》ねてこなかった。安江もまた多忙なのだろう。  由布は、自分の身寄りのなさを思わずにおれない。で、塚原へは、ちょくちょく手紙を出す。その母も、何どか手紙をよこすが、由布の手紙に不安をおぼえるのか、調子のよい男には気をつけよといい、顔はまだ見ていない愛川にも、多少の疑問を匂《にお》わせている。事業の好転と、結婚生活の楽しさを、由布がいくら書いてやっても、おいそれと信じている様子はない。いっそのこと、母をよんで、せめて十日ぐらいでいいから、東京見物させたい、とも思う。結婚したら、一ど九州へ帰ってみよう、というのが愛川の口ぐせだった。が、それも、事業がにわかに忙しくなったので宿題のままになっていた。そうだ。母をよんでみよう。由布が、この思いつきを、愛川に相談したのは七月はじめのことであった。東京はもう真夏がきていて、一日じゅう焼けるように暑かった。 「いいじゃないか。やってくるなら、歓待するぜ」  と愛川はいった。 「わしも、会いたいし。……東京見物に来てもろて、ゆっくりしてもらうのもいいじゃないか」  由布は嬉しかった。 「どげにいうちくるかわからんですが、それではあそびにくるようにいうちみます」  というと、 「それより、今日、明日のうちに、女中がくるぜ」  と愛川はいった。由布はびっくりした。女中の件は、生返事をしたままにしていたのだが、愛川には、どうしても必要らしいのだった。由布は正直、いまのところ、家に一人でいる方がよかった。夫とふたりきりだ。それでなくても、会社が忙しくて、家は寝に帰るようなところだ。食事だって、何でもたべるし、来客といったって、そうあらたまった人がくるわけでもない。気心の知れぬ女中がきて、気疲れするよりは、ふたりきりの方がいいと由布は思う。で、 「うちは、やっぱり、反対じゃわ」  といった。 「ぜいたくですよ。子供でも生れるんなら、女中さんも要《い》るですが、いまは、ひとりじゃで大丈夫ですよ」 「赤沢さんにたのんだら、いい娘《こ》がいるというのでね」  と愛川はいった。 「お前はいらんかもしれんが、そういうわけにもいかんのだよ。社員だって、これから、ちょいちょい、うちにきて会議もせにゃならんし、食事の時など、お前に給仕させるより、女中がしてくれた方がいいだろうしね。ぜいたくだというが……わしだって、もう一かどの会社の社長だ……家に女中がいたってぜいたくでもない」 「そりゃ、そうでしょうけんど……うちは……」  と由布は返事をしぶった。 「早い話が、お前、いま、お母さんを呼んでみたいといったじゃないか」  と愛川はいった。 「おふくろがきたわ、東京見物に案内したいわ……といったところで、女中がいなけりゃ、お前は家を一歩も出れないぜ」 「………」  由布はなるほどと思った。 「ぜいたくじゃないよ。九州のお母さんをよぶのなら、これを機会に、女中をやとっておいた方がいい」  由布は、愛川の説得に負けた。塚原の母がやってきて、市内見物に出ようとすれば留守番は必要だった。生活が、すでに大きく変っている。一戸建ちの家というものは不便だった。これが間借りか、アパートだったら、どんなに便利だろう。由布は、ふと、亀沢町にいたころを、なつかしい、と思った。両国駅の汽車の音をききながら、夫に抱かれて寝入ったころが、いまよりも充実していたとふと思う。  由布は、愛川の、大ざっぱで、|うけ《ヽヽ》に入るとおごりやすい性格が、気になりかけていた。女中をやとう理由も、母が上京した時の留守居に必要だなどというけれども、本心はそうではないようだった。景気のよいペトーの社長になったからには、自宅に女中の一人ぐらいは置いて、社員やお客を招いて、虚栄を張ってみたい。そう思う。質朴にみえた愛川が、日ましにありふれた事業の鬼の顔を出すのである。何かと派手にふるまいがちな夫がふと不安だった。女中の件はまあ不承不承承諾したものの、夫の虚栄にながれやすい性格と闘《たたか》って生きねばならぬのかと、腹を固めないではおれなかった。そんな夫が、ある夜、帰るなり、 「何がどういうふうに幸いするかわからんな」  と居間にすわりこんでいった。 「本田の奴《やつ》、いまになって、ペトーを笑いよる。けど、それではあのとき、ペトレルを、商標にしてみんか。違反や。ペトレルはお前、エナメル塗料の会社がちゃんと特許局に登録しとった。わしという男は、どこまでついとる。ペトーはさすがになかった。本田はペトーは意味がない。海つばめの頭じゃないといいよるが、わしには、あの日からペトーときくと、つばめが飛んできよる。嵐《あらし》をついてとんできよる」  このところ、宣伝や、ラベル印刷のことなど、委《まか》せきりにしている本田正勝と、やりあってばかりいるらしかったが、由布もそういわれれば、ペトレルはどこかエナメルくさいと思った。どこかでみたカメラの名にも似ている。 「それでは、まちがいやといいよるから、わしはいうてやったんや。いったい、物の名前というもンは誰がつけた。つばめにしても、海にしても、はじめは、妙な名やないか。糸といい、毛というが、いったい、どうしてイトとかケエというのや。説明してくれるもんがない。わしの名前やって親爺《おやじ》が伍六とつけよったから伍六やが、これが伍郎やったら伍郎でないといかんことになりよる。お前の名前もそうやろ。由布とつけられたから、由布になっただけのことやないか。ペトーはいまはうちの社名でもあり、セーターの名や。どこからも文句はいわれん」  由布はうなずかないではおれない。なるほど、人の名や、物の名というものは、みなつけた当人のひとりよがりではないか。由布は、同じ山でも、鶴見の鶴をもらわずに、由布をもらった。父がもし、鶴見岳をとったら、いまは鶴子であろう。  戦後の混乱期、あらゆる二次製品メーカーにチョップの名づけが流行《はや》った時、愛川産業のような名づけ方をした商店は多くあったろう。ヘモジナールなどという著名な痔《じ》薬がある。〈屁も痔なり〉とよめる。よほど考えあぐねた末の名づけだろうと愛川はいった。ペトーが愛川や由布にとって、愛着ある所以《ゆえん》は、亀沢町の暗い二階で、字引きをひいて考えあぐねたことが、ゆるがすことのできない心情の歴史となって固まってしまったことにある。  ペトーときくと、この夫婦には海つばめが飛んできた。  得意先の赤沢の世話の、女中志願の娘が飄然《ひようぜん》と、風呂敷《ふろしき》包み一つもって菊坂の家へ現われた時は、由布はまだ夫からはっきりした報告をうけていなかったので、仰天した。女は田所福子といい、すらりとした背丈《せたけ》の、十人並みの色白顔で、二十二になる娘であった。福子はにッとわらって門の外に立っていたのだ。 [#改ページ]     十 二 章  どことなく、垢《あか》ぬけしてみえる福子は、由布をきょとんとした眼で見て、 「奥さんですか。わたくし、田所です。社長さんからいわれて、まいりました」  うすいくちびるをひきしめていった。この女だったか。由布は驚いて女の身装《みな》りから人相をじっと見入り、とにかく、玄関よこの応接室へ通した。直後に、小伝馬町から電話があった。夫のはずんだ声で、 「田所クンに、ゆくようにいったからね。帰ってからゆっくり説明するが、赤沢さんの遠縁のひとで、ずいぶん苦労したひとだ。階下の三畳を部屋にしてやってくれ」  由布は、調子のよい夫の物言いに、かすかな不安をおぼえた。しかし、電話口で何やかや言いあったところではじまらないと思ったので、応接室へもどって、 「おいくつですか」  ときくと、 「二十二」  とこたえる。 「どこにいなさったですか……」 「はい」  田所福子は、上眼づかいに由布をみて、 「赤羽です。工場がつぶれたんで……赤沢さんに女中さんの口たのんでみましたら、こちらへどうかとお世話くださったので……まいりました」 「赤羽でなにをなさってたんですか」 「工場は十条でしたけど、ハンドバッグの止金つくる仕事です」 「……ハンドバッグの……赤羽のおうちは……それでお父さんのおうち」 「母方の遠縁の家でした。静岡の鷹匠町に、父も母もいますが、三年前に、村の人をたよって、赤羽にきて働いてたんです」  膝《ひざ》の上においた掌《て》をもじもじさせている。マニキュアのはげた爪《つめ》がのびている。ストライプの、淡桃色のワンピースの裾《すそ》から、黒い足が出ている。由布は、どことなく、ふしだらな女だなと思いつつ、 「うちの人とどういう約束になっちょるかしりませんけど……」  というと女は、 「ありがとうございます」  といった。夫にいわれたように三畳の部屋に案内して、ひと先《ま》ず、そこに休ませておいて、居間にもどったが、得体の知れない黒いかたまりが家に投げこまれた気がした。夕方になって、音のしない三畳の襖《ふすま》を少しあけて覗いてみると、福子はこっちへ足を投げ出し、口をあけて寝ていた。細い足が無様に割れて、股《また》の奥がみえた。わるいものをみた気がして、由布は襖をしめて台所へもどった。  愛川は、その日めずらしく六時すぎに帰ってきた。福子は起きていて、風呂湧《ふろわ》かしを手つだった。玄関を入ってきた夫をみると、福子は不思議ににっこり迎えた。由布は、初対面のはずの女が急に、顔つきをかえて、媚《こ》びるような眼をつくるのに、びっくりした。 「……部屋をちゃんとしてもらったかね」  愛川はきいて、 「ふとんも余裕があったと思うが、荷物のとどくまで、貸してやってくれないかな」  とこれは由布にいう。食卓の前にあぐらをかくと、 「ビールを出してくれや。今晩は福ちゃんのきた日だ。ひとつお祝いをやろう」  上機嫌《じようきげん》にふるまうのだ。いつにない笑顔が、由布には、不思議に思われた。夫が、家でビールを呑《の》む。めずらしかった。冷蔵庫の扉《とびら》をあけに走ると、福子が、敷居のところに立っていて、 「さ、一しょにいただきましょう」  由布がいうと、 「はい」  と素直にうなずいて、下手にすわった。由布は、夫のコップにビールをつぎながら、女中がひとりふえたことへの、楽しさをふと感じた。ふたりきりで、向きあってたべる夕食は、妙に重くるしかった。それが、福子の入居で、妙に明るい。これも予期せぬことだと思った。 「赤沢さんは、赤羽と十条に店を五つももっておいでるんだが……あんた、トラヤって店へいったことがあるかねェ」  田所福子は、またにっとわらって、 「よくゆきました。お店で買い物したことあります」 「ずいぶん売るんだよ。赤羽じゃ、王者だな……繊細な親爺《おやじ》さんで、むかし、靴屋《くつや》をしてた人とは思えんよ」  愛川は、口のはたの泡《あわ》を手の甲でぬぐって、 「どうだ、お前たちにも、いっぱいやろう」  あいたコップを由布と福子の前に二つならべて、なみなみとついだ。 「うちは、呑めんです」  由布がいうと、福子は、 「わたくし、一杯いただきます」  といった。由布は福子の遠慮げのない、素直さに打たれたが、この性格はかすかな、驚きであった。まだ、半日ぐらいしか観察していないが、妙に人見知りしない、図々《ずうずう》しさがある。工場につとめていたというが、水商売に多少関係したような気配がなくもない。横から見ていると、耳うしろの生《は》え際《ぎわ》など、がらにもなく剃刀《かみそり》を入れたあとがある。髪も手入れがゆきとどいて、ハンドバッグの止金づくりの女工をした様子にはみえない。 「あんた、おもしろい人じゃわ」  由布は二杯目をついでやりながらいった。 「うちが東京へきた時とくらべると……あんたの方がひらけちょるで……はっきりしていて、気持がいいじゃわ」  愛川はふふふとわらって、細眼になった。  この福子は、よく働いた。食事、掃除、洗濯《せんたく》、みなやってくれた。これまでは、外出もひかえていたが、時には買い物にゆけるようになった。安江のところへも寄れた。安江は、あいかわらず、うす暗い居間の電話の前にすわっていた。由布をみると、 「あんたも、いい人のところへゆけてよかったわねえ」  素直に、よろこんでくれた。塚原から、母をあそびにこさせるつもりだというと、よろこんで、 「ぜひ、うちへもつれてきてね」  といった。母には、ぜひ安江にあわせたい。世話になった所である。安江のところで働かねば、今日の幸福をつかむことは出来なかったのだ。安江は恩人である。 「愛川さんに会えたのも、ここで、働かせてもろたからです」  と由布はいった。安江は、 「わたしの力じゃないわ。あんたが、一生懸命、働いてくれたから見込まれたのよ」  と、いい、千葉からきた例の娘が、その後、松住町の治療所も逃げて、どこにも長つづきせず、街《まち》の売春婦に転落して、御徒町《おかちまち》のガード近くで、客にたわむれているのをみたものがあると教えた。 「幸福になれるもなれないも、本人次第よ」  そういってから、 「でもね、人間て、幸福だと思う時間は、ほんのわずかなものよ。わたしだって、最初は、うちの人に、だまされて、有頂天だったけど、結局は、いまのような境遇になったでしょう。まあ、愛川さんは、うちの人なんかとちがって独身だったしするから、ちがうけどさ。人間、いつ、失敗して、ころッと変っちまうかわかりゃしない。愛川さん、いまは順調で波にのっていなさるけどさ、いっきによくなった人は、いっきにわるくなるってこともあるしね……縁起でもないこというようだけど、そんなことのないようにしなけりゃ。由布ちゃんはまあしっかりしてるから大丈夫だと思うけど……」  安江は、二、三どしか会っていない、愛川の性格を見ぬいていたのかもしれない。由布は、何かを言いあてられた気がして、 「そうね、うちもそう思う。気をつけてないとね」  といった。そういいながらも、憂《う》き目をみることは嫌《きら》いながら、もし、そんな目に出あうことがあるのが人生なら、いまのうちに母をよんでおいた方がいいと思った。母を安心させるために、いまの生活をみせておいた方がいい。  愛川は、福子がくるようになってからは、二階の六畳に寝室をとった。由布も、もちろん、床をならべて寝たが、どういうわけか、この夏あたりから、愛川は遠ざかるようになっている。由布は、亀沢町の頃にくらべて、冷たくなった愛川に不満は感じたけれど、店が忙しくて、くたくたになって帰る夫の事情もわかるので、がまんしなければならない、と思った。もともと、性的に淡泊なところがあった。それは、愛川から「色気のない女ごや」といわれたのでもわかるとおり、体格も大きく、色白で、ぽってりしている大|尻《じり》の、外見に似あわず、少女じみた固さがのこっていた。このことは、のちになって、由布の一つの不幸ともいえる生涯の淋《さび》しさの因となるのだが、理由はほかでもない、愛川に秘している湯平《ゆのひら》時代の経験が尾をひいていた。怖《お》じい過去を、知られてはなるまい、とする由布の、無意識な自己防衛が、愛川の没入感をさりげなくあしらうところに出るのだった。夫婦は微妙なところで、一致していない。  愛川にも、結婚後間なしに訪れたバルキー景気で、目まぐるしい多忙さに追いまくられ、一年ちかい月日が、つむじ風のように吹きすぎた感じがないでもない。亀沢町の二階で、由布を無心に抱いた夜はかぞえるほどで、一か月もたたぬうちに、もう福島との往復で忙殺されていた。新婚の楽しみといったものは、事業の嵐のかげで、ゆっくり味わうヒマもなかったといえぬことはない。気がついてみると、十七人の社員を抱《かか》える社長である。由布は、菊坂の自宅で、ひっそり留守を守る女に変っている。愛川にも、考え及ばなかった変化だった。  だが、愛川は、由布と暮して、この女を娶《めと》ったことに後悔しているわけではなかった。井川の推薦どおり、申し分のない女である。しっかりしているし、性格も明るい。それでいて、よく気がつく、深切である。閨房《けいぼう》の淡泊さをのぞけば、何一つ難はなかった。由布の過去を愛川は、くわしくは知らない。ただ、按摩をしていたということしか知らない。按摩をしていたにしては、美貌で、くずれていない。どこに、いい女が落ちているかわかったものではない、といった井川の言葉どおりに、由布を信じていた。ところが、一年近くたって、事業も順調となり、生活も落ちついてくると、背中にふきつける一抹《いちまつ》の淋しさはある。理由ははっきりつかめていないが、由布の性格の中に、一つだけ、愛川と密着するに欠落感がただようのだ。 「おかしい女やな。なんや、いつも考えごとしとるようなところがあるぞ」  愛川は、房事のあと、不満をうかべていった。由布は、しかしわらって、 「そら、うちは……無知じゃで……男の人のあしらい方を知らんじゃわ。無理なこといわれてもわからんじゃわ」  といったが、何も無理なことをいっているわけではなかった。もう少し痴戯に没入して、昼の顔をわすれた好色さが、あってほしい、と愛川は、心の中で思うのだった。けれど、そんなことを、由布に強《し》いてみるのもおかしなものだ、という考えもあって、黙っているのだ。  じっさい、由布の淡泊さは、愛川には物足りなかった。愛川とて、結婚までに、女を知らないわけではなかった。本所にいた頃は、休みのたびに、近くの亀戸や小岩の遊廓《ゆうかく》へいったし、軍隊にいた時も、中国大陸で、慰安婦を知った。戦後、上京してからも、街《まち》の女を買ったことはたびたびあった。井川には、内緒にしていることだが、同棲《どうせい》一歩手前まで行った商売仲間の女もいる。由布と結婚する直前に、一切の女と手が切れていたというだけのことであった。だから、結婚を決意した理由には、一と目|惚《ぼ》れということもあったが、井川の仲人口を信じて、この女の真面目《まじめ》さが、何よりも、愛川をひきつけたのである。もっとも、由布の外見上の姿態には、こちらの導き次第で、申し分ない成熟をみせるような楽しみも感じられたわけであるが、いざ、暮してみると、性格のよさや、真面目さは、美点ながら、もう一つ、しっくりいかない不満が感じられるのは予期せざるもので、こちらに、ぜいたくな高望みが芽生《めば》えたか、と、愛川は反省してみるけれども、それは、決してこちらの勝手でもない。  とにかく、由布は固かった。いつも、初夜のように閉じている。一年近くもなるのに、このような生《う》ぶさが残るというのは、欠点ではないのか。愛川は、そう思うと必要以上に、由布が性に敏感なくせして、嫌《きら》う態度を示すのが気に入らない。 「なーんも、無理をいうとんのやないぞ、わしは、お前という女を、もっと、もっと、自分のものにしたいのや」 「うちは、なにもかも、あんたにあげちょるじゃわ。このうえ、うちから、なにがほしいんですか」  由布は、ある夜、わからなくなって泣いたことがある。愛川は、涙をながして泣く由布の、あどけなさにも心を打たれたが、階下で眼をあけているかもしれない福子が気になって、 「阿呆《あほ》やなァ……泣かんでもええやないか」  と背中をたたいた。 「お前は、いたれりつくせりの女や。わしが、やっぱり無理をいうとるのやもしれん。かんにんしてくれ」  愛川はあやまった。あやまりながらも、愛川は、由布の背中に、やはり淋《さび》しい気がした。この女は按摩をしてきた。ひょっとしたら、真面目な按摩がつとまったのも、一つは性的な淡泊さがあったからだろうか。井川も、そこのところは首をひねったところである。  いっぽう、由布の方では、一生懸命に、つくしているのに、愛川が不満顔をする理由がわからない。由布は決して性に不満を感じていない。愛川の大きな胸に鼻をこすりつけ、力づよく抱かれていれば、恍惚《こうこつ》となる。その時間は、湯平で味わった男たちとの時より、長いように感じられる。その証拠に由布は疲れる。愛川が不満なのは、たぶん、自分よりは旺盛《おうせい》なせいだろう、と思う。だから、由布はわらって答えるのだ。 「うちにはわからんじゃ。どうしていいだか、わからんじゃ」  しかし、その言葉の裏に、由布は、無意識な劣等感をもっていることをかくせない。過去の秘密をかくそうとする姿態が、愛川のするどい、視角に、うすっぺらなテクニックとも、性来の淡泊ともうつるのであろうか。由布は、そこのところまで、深くよみとる力はない。わらうか、泣くかして、だだをこねる。声が高くなると、愛川の方がへきえきして取りなしてくる。それで、おさまって、ふたりは眠りにつく。  だが、こうした夫婦仲も、世の新婚生活者の大半の経験と大差のないものであったかもしれない。福子がきて半年たった頃に、由布は、月経がとまった。子がうまれるかと思うと、由布はとびあがりたいほど嬉《うれ》しかった。予定日をすぎて、十日ほどたった頃に、由布は、 「うちは、子が出きるかもしれんじゃわ」  といった。 「………」  愛川は一瞬、由布の顔を凝視したが、 「うまれるか」  とぽつりといった。嬉しそうであった。由布は、月経が不順である月はなかった。愛川は、双頬《そうきよう》をくずして、 「お母さんを早くよんだ方がよいぞ」  といった。由布は、母に手紙はかいていたが、母の方から、仕事の都合で、上京を見あわせているという返事がきていた。妊娠を知らせたら、急いで、やってくるだろう。由布は、九月に入って、それが、確定的になった時、三どめの手紙を書いている。母の返事は次のようなハガキだった。 「……あんたに子ができる。お母ちゃんも、嬉しゅうて、手紙もろち日は、お父ちゃんの仏壇に報告しました。十月になったら、かならず、東京へゆきます。それまで、伍六さんにも、よろしくいうといてください。むりをしたら、子は五つきまではすぐにおちよるけん、はらをひやさんように、おもいものは持たんように……くれぐれも気をつけて、大事にしち下さい。汽車にのる時には電報打ちます」  母はさすがにうれしかったとみえて、まちがいだらけのエンピツ書きの字が踊っているようにみえた。  愛川は、福子にもいたれりつくせりの態度をしめした。お得意先の世話であるし、それに、その頃から、そろそろきこえはじめた女中難ということもあって、由布がややもすると、福子のどことなく、ふしだらにみえ、化粧なども、女中らしくない顔に、眉《まゆ》をしかめるのに、 「いまの若い娘《こ》はしやないぜ」  と弁護するようにいった。 「時代がかわったのやさかい仕方がないな。きびしいことをいうとったら、働いてくれる娘はおらん……やめさしてもらいますいわれたら、困るやないか」  夫は一日家をあけているのだから、由布のように、福子のだらしなさをしょっちゅうみているわけでもないのだった。愛川にはだまっているが、福子は、由布のスキをみてタバコを喫《す》った。あばずれた感じがした。何げなく手洗に入って、夫のものでない口紅のついた吸殻が、灰皿《はいざら》に落ちているのをみて、由布は、手洗にしゃがんでタバコを喫う福子の姿態がうかんで、いやな気がした。どうして、タバコを喫うなら、気前よく喫わないのだろう。酒も呑《の》まなければ、タバコも喫わない由布である。朝食のあと始末がすんだ時に、台所の福子へ、 「あんた、タバコ喫うのね」  ときくと、 「いいえ」  と首をふった。 「そう、でも、口紅のついたすいさしが落ちてたわよ」  手洗だとはいわずにほのめかすと、福子は、自信があるのか、 「わたしは、喫いませんよ。ほかの人でしょう」  と言い張った。タバコを喫う女客などきたことがない。化けの皮がはがれているのにかかわらず、嘘を言い張る福子の顔がおそろしかった。由布は、そう、とうなずいて、相手にならなかったが、一切合財が、この調子であった。したがって、ふたりきりでいる時は、だまって話さない時間もある。その福子を、猫かわいがりに、よくつとめてくれると、賞《ほ》めそやす愛川は、どんな気持でいるのだろう。  由布は、福子にいった。 「あたしね、赤ちゃんが出来たらしいんじゃわ……お産の時には、世話にならねばならないから、たのむわね」  福子は眼をほそめて、 「奥さん、産みなさるんですか。堕《おろ》しなさらんのですか」  不思議そうに問うた。  妊娠しても、堕すのが当然だと思っているのだろう。由布は虚をつかれ、空おそろしい気もした。 「わたしは産みます」  といった。福子は、きょとんとして由布の顔を見つめ、 「えらいですわねえ」  といった。子供あつかいされているような気がしないでもなかった。最愛の夫の子を産む。当然ではないか。この娘は言葉づかいを知らない。頭にきたけれども、由布は黙るしかなかった。  言葉づかいもそうだが、なんにつけ、すること、なすこと、横着が目だった。困った娘が入りこんできたと後悔をおぼえた。その夜、夫に、福子がいったとおりのことを告げてみると、 「そら、いまは、堕す時代やぞ。政府も堕胎を奨励しよるさかい、若い娘が、そんな考えになるのも、無理はないぜ。婦人雑誌は、付録にペッサリーとか、避妊薬つけとるし、医者でも、婦人科はえらい景気や。娘も奥さんも行列で堕しに行っとる」  産めよふやせよ、といわれた時代は去って、産児制限が叫ばれていた。なるほど、薬局の前を通っても、避妊薬の看板が目についたし、雑誌にも、奨励記事が出ない号はないのだった。福子はつまり、夫のいうように、子は堕さねばならないものだと、世の風潮から、思いこんでしまったのだろう。夫にまで、そんなことをいわれると、暗に堕してしまえ、といわれているような気がして、 「んでも、うちは産みたいんじゃわ」  というと、 「そら、お前はちがう。お前は産んだ方がええで」  と夫はいった。 「世間がなにいおうと、産め。女は子をうまんと一人前にならん。わしかて……子は欲しいねんや」  夫のねむそうな眼の奥を見て、由布はかすかな安堵《あんど》をおぼえた。  塚原から電報がきて、二日目に、たねは東京駅につくといってきた。由布は、ホームに迎えに出たが、母はひどく老《ふ》けていた。眼|尻《じり》にしわがふえ、頬《ほお》も、肉が落ち、ほっそりしていた。見おぼえのある、父がよく休みの日に持ち出した牛皮の古カバンと、木綿の風呂敷《ふろしき》包みを下げて、しょんぼり、ホームに佇《たたず》んでいる母は、小さかったが、由布をみると元気が出たように、 「まだ、目だちゃせん。もうちょっと大きな腹しよると思うてきよったに……」  といって、笑った。周囲にきこえるほどの大声でそんなことをいう母に、由布はあいかわらずの面影をみた。 「そら、まだ、四月《よつき》になったばかりじゃもん。大きかったら、おかしいで、お母ちゃん」  荷をうけとって、車の待たせてある八重洲口へ急いで出たが、母の足はのろかった。  菊坂の家にきて、 「こげな大きな家に住まわせてもろち、あんた……豪勢すぎやせんかえ」  母は魂消《たまげ》たように周囲をじろじろ見た。福子が茶を出してさがるのに、 「この人は誰じゃえ」  と問うた。 「お手伝いの人ですよ」  由布が教えると、 「へえ、あんたは、女中さんつかう身になったんかえ」  あきれたようにいい、 「んでも、元気じゃで何よりで。お母ちゃんは、まあ、しっかりやっちょるで安心しちょくれ。毎日|湯布院《ゆふいん》へ仕事に出よるんじゃから……」 「……塚原で働いちょるんとちがうの」 「このごろ湯布院の道普請じゃ……村の人らと朝早ようから、バスで迎えにきてもろち、働いちょる……」  近くでみると、痩せてみえる顔も、工夫をしているだけあって陽焼《ひや》けしているのだし、ホームでみた影のうすさは、汽車の疲れだとわかってほっとするのだった。 「むかしにくらべると、お母ちゃん、すこしやせた。心配じゃったが、土方しちょるなら安心じゃ」 「病気ひとつしたことはない」  母はわらった。 「男の人らともっこかつぎもするし、穴ほりもする……あんた、いっぺんもどっちきみよ。湯布院はひらけてきよるで……温泉宿もどんどん建っちょるし、岩井さんの病院も大きなのが出来る、そこらじゅうで道普請じゃ……」 「へえ、そげん景気がいいんかえ……」  由布は町に活気が出ているときいて嬉《うれ》しくなった。岩井というのは、湯布院の町の、古くからの医者である。町の東の山|裾《すそ》に、むかしから豊富な湯が出ていた。そこにも、療養所や旅館が建ちはじめたという。由布の頭に、草本の顔がうかんだ。 「お母ちゃんは、草本さん知っちょるね」 「知っちょるとも。……草本さん手紙よこすかえ……」 「時どき、くれるけど……このところちょっとこんで……どうしちなさるじゃろ」 「草本さんは、あんた、岩井さんとこで働いちなさる……」 「先生が、岩井病院で働いちなさるんけ……」 「ああ、朝鮮戦争の時ゃ保健所につとめてなさったけど、岩井さんとこが大きゅうなったで、……」  と母はいった。由布は、草本の消息をきいて嬉しかった。朝鮮戦争ももう下火になって、日出生《ひじう》台のアメリカ兵もいなくなったときく。草本は、町の病院へうつったのだろうか。なつかしさで胸がいっぱいになってくる。  愛川は、愛想よくたねを迎えた。着いた日の夜は、早く帰ってきて、一しょに食事をした。昔にくらべると、めっきり人相もよくなり、ふてぶてしくみえる。六尺近い体躯《たいく》は、完全にたねを圧倒したとみえ、ふたりきりになると、たねは由布に、 「思うたより、いい人じゃな。大きな人じゃと手紙にかいてきよったが、こげん大きな人じゃとは思わんじゃった。躯《からだ》の大きな人にはわるい人はないいうけんのう……」  といった。由布はわらった。母が夫を好いてくれたことが嬉しい。夫にも、そのことをいった。愛川は苦笑して、 「母さんはまだ若いな」  といった。 「おれも、死んだおふくろを思いだしたよ。不思議なもんだ。どこのおふくろも、似たような顔をしとるね。田舎《いなか》でくらすと、山や川に顔つきが似るせいか、日本の百姓さんは、年をとると、どこにいたって、似たような顔だぜ」  加賀の村で死んだ母と、九州で働いている由布の母が似ているという。由布は、嬉しかった。 「そげなもんですか。でも、あんたの田舎は北国じゃし、うちは九州ですから、言葉もちがうのに……顔は似ちょるですか」 「不思議だなァ。店へも、ちょいちょい、田舎の客がくるようになった。東北の客も九州の客も、顔だけみたのでは見わけがつかない。だが話してみると、わかるね……」  愛川はにこにこしていった。たねは、二階の隣りの部屋に寝たが、翌日になって、愛川の帰りが一時をすぎるので、先に寝てくれと由布がすすめると、 「いつも、こげにおそいのかえ」  心配そうに訊《き》いた。 「いつもってことないですがね」  と由布は嘘《うそ》をいった。由布の眼の色を、母は察知したとみえて、 「ええ男じゃから、外ではもてなさるじゃろ」  といった。 「酒も呑《の》むんじゃろ」 「呑むどころじゃなくて、あびる方ですよ」  と由布がいうと、 「あの躯じゃで、いくら呑んでも、足の先までまわらんじゃわ」  母は、愛川が、仕事に情熱をもっていて、夜おそいのも、商売上のつきあいであると思えば、致《いた》し方のないことだ、といった。 「男には、男の道があるで……あんたは、くよくよして、いじけた子をうんじゃつまらんじゃわ。家を守って、お父ちゃんに負けん大きな子をうまないけん……そうじゃろ。由布ちゃん」  由布は、母の心づかいで眼がしらがぬれた。そうだ。くよくよしていてはいけない。腹の子を立派に生育させて、夫に負けぬような大男をうんで、ペトーの二世を育てねばならない。それが、いまの任務であった。  母は五日、滞在した。由布は、靖国神社や、宮城や、高輪の泉岳寺や、上野公園や、浅草や、銀座、新橋を躯に無理をあたえないように案内して歩いた。毎日出あるいたので、疲れた。五日目は、もう、出る元気がなくなって、一日、家にふたりでいた。愛川は、夜一時前後に帰宅したが、その時刻は、もうたねは寝ていたから、あまり顔はあわさず、朝方、十分間ほど顔があう程度だった。母はしかし、その短時間に、愛川と話すのが嬉しいらしくて、玄関にまで、いつも送りに出たが、よく愛川をみていて、 「派手好きなところもあるで」  といった。 「加賀の人のようにはみえんね。東京で長く暮してなさったから、あげに、東京の人らしゅう見えよるのか知れんが……あんたも、もう少し、洗練されんといけんな。あんたは、あいかわらず、塚原の訛《なま》りをつこうちょるし、風采《ふうさい》もちょっともかわらん。それでは、愛川さんも、人前へつれて出るわけにもゆかんのとちがうかえ………」  由布はどきっとして、 「うちはそんなに田舎くさいですか」 「ああ、田舎くさい。東京の女になっちょるかと思うちきたが、ちっとも昔とかわっちょらん。いいことか、わるいことか、わからんが……女の子は、都会ふうにかわった方が、美しゅうみえるのとちがうかのう」  痛いところをつかれたような気もした。しかし、反撥《はんぱつ》もあった。強いて、自分をつくろっても醜い。それが、按摩時代からの美点で、誰からも好感をもたれたのだ。仙台の井川も、気に入って、愛川にめあわせたのだった。愛川も、由布のつくらない態度を賞《ほ》めた。それが、身上だと心にきめ、田舎なまりも丸出しで、今日まで生きてきた。 「東京の女になれちゅうたって……どげにしてなれるんじゃ。お母ちゃん。東京にうまれていたら、そらなれるかもしれんが、九州うまれの者《もん》が、いくら、東京の人らのまねしても、板につかんで……すぐ、化けの皮がはげる……うちは、自然にしとるのがよい……思うんじゃわ。これでいいんじゃ、お母ちゃん。うちの人も、それで、いいというちょるで」 「そんなもんじゃろうかのう」  母は、淋《さび》しそうな顔になった。 「うんでも、安江さんをみたら、あんたと、ちがうで。安江さんは、すっかり、東京の女になっちしもうちょる」 「そりゃ、あの人の性格ですよ。うちは、あの人のように、上手《じようず》につかいわけはできんです。人間、そんなに、自分をつくって生きたって、うっとうしゅうてならんじゃ……うちは天真爛漫《てんしんらんまん》で」 「天真爛漫はいいけんど……人間自分の背中はみえんでのう。由布ちゃん。やっぱり、洗練された方がいいで」  母は、由布の、かわらない田舎くささを言いなじった。  人は自分の背中がみえない。母がこの時いった言葉は、由布の胸を刺したのだ。なるほど、そうかもしれぬ。よく按摩にいった湯島の坂上の屋敷で、盲目の検校《けんぎよう》が、〈人間眼あきでも見えぬ自分というものがありますね。眼がつぶれてはじめてみえる世界もあると同様に、眼あきが一生かかっても見えないところも自分にありますよ……〉といったことが思いだされた。塀《へい》のナメコ板に、指をそわせて通ってくる盲目の同僚のことを賞《ほ》めた際に、老検校はそんなことをつぶやいたのだ。由布は、その日から、治療する態度がかわったことをおぼえている。背中をもむのが商売でもあったから、尚更《なおさら》、他人の背中が気にかかった。いま、母が、何げなく、もらした言葉は、老検校のつぶやきと同じであった。  なるほど、自分の背中はみえぬ。  とすると、これでいいのだと思っていることでも、はたからみると、欠点ともみえよう。九州の湯布院|訛《なま》りを、由布は、あいかわらずつかって、平気でいる。東京で暮せば、東京の人間にならねばならぬものか。母のいう真意は、夫が一時帰りをする原因は、野暮ったい由布の田舎くささが眼につくからだとでもいうのだろうか。 「うちは、自分をそげにつくることができんで……田舎くさいといわれても、しかたがないじゃわ。んでも、お母ちゃん。こげな大勢の人間の住む東京で……誰もが、みんな規格にはまった人間になっちしもたら、味けない思わんかえ。うちン人だって……加賀の人じゃで、うちは信用したんよ。うちは、東京ふうの人はきらいじゃで」 「そうかのう」  母はまだ意にそわぬらしく、ぼそりといった。 「んでも、いまどきの若い人は、みーんな、新し好きじゃ……女《おな》ごも、だんだんかわっちきよる。派手な洋服も着よるし、町さ歩いても、袖《そで》なし着て、裸じゃわ。あげなふうに変っちきよる。あんたは、これでいいんじゃというて、家におって、きもの着よるが、そげなことでは、きらわれはせんか。福子さんは、静岡にうまれなっても、きれいにしとんなる……」 「あの娘《こ》は特別よ。マニキュアしたり、口紅つけたりするのが好きなんだから」 「あんたも、時たまに、化粧ぐらいはしたっていいじゃに」 「うわーッ、いや。口紅ぬって、ごはんたべるなんて、うちは、とてもできんじゃわ。お母ちゃん。うちは、これで、いい思うちょる」 「そうかえ」  たねは、眼を細めて、淋《さび》しそうに由布をみている。男っぽくみえる由布の、耳のうしろや、顎《あご》のうらに、生毛《うぶげ》がべったり寝ているのがうつる。剃刀《かみそり》さえあてれば、もっときれいなうしろ首になるのに、と母は見ている。 「あんたは、かまわん子じゃった……むかしからそうじゃった」  と淋しくいう。  母は二週間目の朝早くに東京を立った。夫のもたせたセーターの普段着など、土産《みやげ》物もあった。浅草や、新宿で買ったものも荷にしたので、来た時よりも、母の荷はふえ、網棚《あみだな》に置ききれず、座席の足もとにまで置くほど持たせた。 「あんたのしあわせな暮しをみて安心はしたけんど、子をうむまでは大変じゃぞ。初めての子じゃで、気ィつけてうまんと。愛川さんは、病院さ入れてうましてくれるというてなるが、産み月がきたら、お母ちゃんがきてあげるし……安心しちょったらええ……電報くれたら、とんできてあげるで」 「たのみます、心細いから、やっぱり、お母ちゃんおった方がいいで」 「子をうむのは、お母ちゃんの方が先輩じゃ。あんたも、太市も、お母ちゃんは、苦労してうんだんじゃもん……」 「湯布院へ帰ったら、岩井さんの病院へよって……草本先生によろしくいうちょくれ、お母ちゃん」 「ああ、いうとく。あんたも、先生に手紙出した方がいい。子ができるというたら、先生びっくりしよる」  由布は、今晩にでも、草本に手紙をかきたいと思った。 「お母ちゃん、草本先生にな、ここの住所を報《し》らせといて……あの先生、うちのことは心配しちょってだで」  別れしな、さほど深くに、考えて、いったわけでもなかった。草本のことをなつかしく思いはしても手紙を書くひまはなかったのだ。また向うからは何もいってこないので、母に近況をしらせてくれるように頼んだまでである。岩井病院につとめたというからには、もう、別府の芝関の家はひきあげて、湯布院に間借りでもしただろう。 「先生、まだ、一人者かえ、お母ちゃん」  きくと、母は、 「さあ、嫁さんもらいなさったという噂《うわさ》はきかんが」  といった。  由布は、草本大悟が、どんな嫁をもらうだろうかと想像すると楽しかった。医者であるから、きっと、湯布院の町でも、由緒のある家柄から、もらうかもしれぬ。  汽車が走り出すと、窓ガラスに顔をつけて手を振る母が、眼頭《めがしら》をぬらしてみえる。由布も鼻がつまった。遠い九州へ帰る母を、はじめて見送るのだった。その、自分を省りみて、ああ、やっぱり、自分は東京人になったと思う。母は、子のうまれる五月には、とんできてくれるという。  それまで、健康に気をつけて、立派な胎児を育てねばならぬ。由布は、そう心に誓った。  十一月に入って、由布は食欲がなくなった。つわりである。台所で、漬物《つけもの》の匂《にお》いを嗅《か》いでさえ吐気がきた。胸が一日じゅうつかえ、しょっちゅう、胃液がこみあげた。梅干や酢の物は、多少入るけれど、、いつもなら、夫にわらわれるほどよくたべたコロッケも、卵子焼も、トンカツも、みただけで、たくさんである。気にするせいか、下腹部がやや固くなったようで、内部で子のうごく気配さえする。もっとも、五つき目だから、胎児が大きくうごくことなどあり得ようはずはないのだが、真夜中、夫の帰りを待ってふとんの中で起きていると、下腹に、とくとくと血のさわぐような音がする。〈ああ、子が何かいっちょる……〉由布はそう思いつつ、下腹部に手をあてる。じっと聞き耳をたてる。初産というものは、心細いもので、頭が重かったり、下腹部にかすかな痛みがきても、みな、腹の子のせいだと思うのだった。  食欲がないから、蒼《あお》ざめもした。いつもなら、生気にあふれて、頬《ほお》もぷりぷりしていたが、元気がなくなり、やつれて、肉はそいだように落ち、骨ばった。こめかみのあたりの静脈も、たえず、みみずばれしている。 「うちの顔はきたなくみえんかえ……福子さん。かさかさしちょるじゃろ」  鏡をみても気になるものだから、福子にたずねた。 「妊娠してなさるから、そうなんですよ。わたしの母さんだって……妹をうむ時はそうでしたよ。でも、つわりがすぎたら、お食事ははかどりますよ」  年下の娘が、親のようなことをいうのに、由布はうなずきかえして、 「そうじゃろ……いまがいちばん、つらい時じゃで」  悪条件を早く克服して、たらふく食事をしたいと思うのだったが、十二月へ入ると、風邪《かぜ》をひいたせいもあって、いっそう虚脱感が目立ち、頭が重くなった。そんな由布を、夫は、気にもしない様子で、 「大きな女《おな》ごを、これほど弱らせるのだから、きっと、でっかい子がうまれるぞ」  といった。由布も、そんな気がして、 「あんたの子だから、大きいですよ。五月だというのに、こげに下腹がはっちょる」  床の中で、由布は夫の方へ腹をすりよせていった。愛川は、ざらざらした大きな掌《て》で撫《な》でてくれたが、由布が、心地よげに眼を細めて、夫の横顔を見守っていると、いつのまにか、夫はいびきをかいて寝入るのだった。会社の方も順調で、一時は、二次製品界も朝鮮戦争後のあおりを喰《く》って、不況をつたえられたのが、ペトーだけは倒産仲間に入らず、売上げも伸びた。それだけに、愛川は、忙しく、働き廻《まわ》るとみえて、家へ帰ると死んだように寝入るのだった。だが、この妊娠中に、夫が外に女を囲って、すでに由布から、さめはじめていることに、由布は気づいていなかったのだ。  大阪、名古屋へ出張といえば、いまにはじまったことではなく、疑う余地はなかった。夜おそく帰るのも、社員を帰したあとの事務所で、腹心の安木と神田を呼んで、いちいち、伝票と在庫をあたる用心ぶかさのせいもあろう。外へ出ると、小伝馬町あたりはもう十時では料理店もしまっているから、神田駅まで歩いて、ガード際《ぎわ》の、ゆきつけのおでん屋か、カウンターバアへ立ち寄って、多少はいける神田と安木の労をねぎらう。ようやく、孤独になるのは、十二時近くだと、本人からきけば、それも、当然のことだと、由布は信じた。だが、かすかな疑惑はあったのだった。というのは、腹が大きくなって、要求に耐えられぬようになってから、気ぶりにもみせぬ夫の淡泊な眠りである。正月から産み月までの五か月、由布は、夫が、女なしですごしているのに不思議をおぼえた。雑誌や週刊誌をみると、妊娠中夫の浮気《うわき》に悩んだ妻の危険を乗りこえた手記だとか、夫の操縦法などといった文章がでている。よんでみると、これは世間一般の妊婦の味わわねばならぬ悩みだとわかる。由布は、かりに、夫が町の女と同衾《どうきん》してきても、あきらめねばならないと思っていた。男というものは、所詮《しよせん》、身勝手だ。安江が口ぐせのようにいった言葉である。永年《ながねん》、按摩稼業をしてきて、客の口からも、そんなことも聞いたし、みせつけられもした経験がある。由布は男を信じていない。夫もまた、ありきたりの男性である以上、浮気ぐらいはみとめてあげねばならない。ところが、そうは思っても、心配したことが、事実となった時は、さすがに腹もたった。四月に入って、世間は花見気分でうわついていた十日。社員旅行だといって、十七人の全員を伊豆の伊東までつれていった愛川の帰りが、十一日の予定を変えて、十二日の夜になった。安木から電話がなければ、由布は知らずにいたのだ。十一日の夕刻、 「社長さんいますね」  と安木の声なので不思議に思って、 「伊豆じゃないんですか。まだ帰っちょらんですよ」  というと、安木は、びっくりした様子だった。返事に間をおいてから、 「困ったなァ」  という。何か、社にもどって早々に、急用が出来たらしくて、愛川がいないとまずいことでも起きたか。由布がしつこく訊《たず》ねても、 「ひょっとしたら、それじゃ、社長は……名古屋かなァ」  と妙なことを口にだした。名古屋なら、前もって、いって出るはずだった。夫のしていることに、不審の雲がかかった。翌日、夜おそく帰るのを待ち、洋服のポケットや、ハンケチなどしらべてみたが、これといった泊り先のわかる証拠はない。けれど、人の好《い》い性格なので、どことなく、そわそわしているのが気になったので、 「あんた、一日のばして、どこへ行っちょったですか」  何げないふうにきいてみた。愛川は、いつにない白けた眼で由布をみつめた。 「どこへいってたんですか、安木さんが、心配して電話してきよったですよ……」 「ああ、あれか。わかった。なんでもない……大森の店がひとつつぶれたんだ」  愛川はいった。言い方に、つめたい氷のようなひびきがあった。 「伊東は昨日でひきあげたのでしょ。みんな、東京へもどってきなさったのに、あんただけ、どこにとまっちょったですか」 「考えごとがあってね、宿をかえて、伊東にいたんだよ」 「名古屋じゃなかったんですね」 「誰がそんなことをいった」 「安木さんが、そげなことをいいよったです。名古屋かもしれんち」 「名古屋なんぞにいないよ。伊東の宿にいたよ」  由布は、何もいえなくなった。興奮すると、下腹の大きく座をすえた胎児がうごくのだ。身を護《まも》る一瞬、無意識で、手をその下腹にあてる。 「心配しなくてもいい」  愛川はいった。 「会社の配置換えの相談だったんだ。……神田をのこして、ふたりで、社員のやりくりを考えたんだが、どうしても、デザイン室が要《い》るんでね。いまの部屋では、埃《ほこり》っぽいし、勉強する環境ではないから、向いの須本ビルの一室を借りられないかと神田がいうんだよ……賛成はしたんだが。部屋はできても、さてデザイナーをどこからひっこ抜いてくるか……近ごろの洋裁学校の連中は、はり紙細工みたいな、冒険はするが、地道な勉強はちっともしてくれない。それでね、これも、神田のいうことに、興味をもったんだが、どこかの問屋で働いとるのを、ひきぬいてこようと思ってね……そんなこんなで、相談が永《なが》びいて」  どうやら、はぐらかされている気もした。会社の大事なことなら、伊東にそのまま残っても不思議はない。しかし、それなら、それで、電話一本でもかけてほしかったと思う。 「安木の奴《やつ》、自分の身が危《あぶ》ないもんだから、出すぎたことばかりやっとる。あいつ、この頃、女に呆《ほう》けちまって仕事に身が入らん。経理をやらせるのも、危険になってきたぞ……営業の寺井を、まわそうかと思うんだ」 「寺井さんを……」 「そうだ。あの人は、年輩だし、赤羽のトラヤさんの世話だしするから、信用できるよ」 「安木さんは……そげな人になりよったですか……」 「……バアの女にうつつをぬかして……この頃はぼやっとしとる。男も女次第でダメになるもんやなァ」  由布は、皮肉られているのか、とふと思った。 「一日おくれるのだったら、電話ぐらいしてくれたっていいじゃないですか。こっちは心配しちょったんですから」 「そりゃ、わるかった。福子もいることだし、安心してたんだよ……そんなに心配したか」  愛川は、意外といわぬげに、由布のめっきり生気のぬけた蒼白《あおじろ》い顔をみて、 「いらん心配すると、腹の子にわるいぞ」  と愛川はいった。 「胎教、胎教と、やかましゅういうとるお前が、苦虫つぶしたような顔しよると、子供もそげな顔して生れよる。気ィつけないけん……」  九州|訛《なま》りをまねる。由布をかるくあしらったり、馬鹿あつかいする時は、このくせがでた。由布は、どことなく、うすっぺらな、愛川の物言いが気になった。  だが、社内の配置換えは嘘《うそ》ではなく、のちに安木保は、経理から倉庫係に廻《まわ》されて、新しく営業の仕入れにいた近藤と寺井が総務と経理につき、神田は、副社長格で、総務、営業全般を見守る組織がえが行なわれている。神田よりも、人が好《よ》くて、温顔だった安木保を格下げしたことに不安をおぼえた。由布は、あのおとなしい男が、女に狂って社業に身を入れないのも腑《ふ》に落ちなかったが、神田が愛川の腹心として、地位を固めたことに、かすかな反撥《はんぱつ》もかんじる。神田は、安木より要領がよくて、人をそらさないところがあった。これは、愛川にもないもので、客あしらいのうまいことは店一番である。だが、どことなく、鼻につくような神田の、世辞たっぷりな会話は、吐気が出るほどで、男としてはいけ好かない部類にぞくした。そんな神田を栄進させ、まじめな安木を倉庫へ廻せば、社内はそれでおさまるだろうか。井川がいつか、由布がまだ、総務で、夫を助けていた頃に、 〈これからは人の和だ。人のつかい方で、きみの店ものびるかのびないかの時期へきているぞ〉  といった言葉が思いかえされた。由布はしかし、会社のことに、一切口出しはしない流儀だったし、愛川もまた、由布の忠告などきくはずもないのだった。報告をうけるだけで、由布はだまっている。ところが、案じたように、安木の配置がえによって、社内十七人のつとめぶりに、少なからず風波が起きたようだ。由布のところへ電話をかけてくる者がいた。社長が、新しく傭《やと》い入れたデザイン部の真中初枝と親しすぎるといった中傷であった。電話は安木の声に似ていて、 「奥さんのためを思って……ぼくはお教えします」  その声は、はっきりといった。 「このままだと………ペトーは危《あぶ》なくなりますよ。みんな心配しているんです。配置がえの不公平なのも、みんな真中がやったことなんですよ、奥さん」  真中初枝といわれても誰のことかわからなかった。  それで、その電話のあった夜に、由布は遅《おそ》く帰った夫を居間に待ち伏せて、訊《たず》ねてみた。 「馬鹿だなァ。真中君はきみ、第三メリヤスにおったテザイナーやないか。以前から出入りしよったし、展示会でも、新しいデザインを考えてくれよった。用もないのに、本田のとこへちょくちょく来るんで、なんぞ、第三の方がおもろくないのかときいたら、うつりたいというんでね。事情はくわしくはいわぬが、恋愛問題がこじれたらしい。相手は第三の男らしいねやが、まあ失恋したんだ。どっちにしても、才能のある女やし、よそへ世話するのも勿体《もつたい》ない思うたから、神田と相談して、うちへ傭《やと》うことにしたんや。須本のビルの二階に部屋を設けて、そこで、これまでいた田部と佐々木を使って、よう働きよる……それだけの女や。なーんもない」  愛川は馬鹿にしたようにいい、いくら、由布が休めといっても、三畳で深夜放送のラジオをかけている福子が、聞耳たてるように縁先を通る。そのすねまで出したネグリジェの股《また》の透けるあたりへ眼をむけ、 「自分が傭うておる女に手をつけたら、そら、安木のいうとおり、会杜もおさめがつかんかもしれんけど、わしは、苦労してつくった会社を、女のことでつぶすような阿呆《あほ》やない、安心せい」  と、愛川はとどめをさすように言ってから、 「それより、夜なかに、社長の奥さんのところへ、そげな電話をかけてくる社員に対して、不審を抱《いだ》かないお前の方がおかしいぞ」  といった。 「かりに、安木のいうことが事実だとしても、安木がそんな電話をあんたにかけてこんならん義理も何もないやないか。そこがおかしい思えんのか」 「誰かわからんじゃったですよ。似たような声じゃったというだけです。……誰じゃときいても、いいなはらんでしたし」 「ひょっとしたら、そら、安木じゃないかもしれん。まあ、安木の一味だってことはだいたいわかるがね。こんどの配置換えで、不満な奴《やつ》は、倉庫係りにした連中だよ。倉庫は下積みにちがいないけど、本当のところは大事な仕事だ。店の品をみなまかされとる。それがわかっとらんねや……」 「誰じゃったにしても、社員の中に不平があるのはいけませんよ」  と由布はいった。 「むかしはそげなこというちょる人はなかったのに」 「いまの若い奴は、働かんで要求ばかりしよる。わしはそげな奴にかきまわされはせん。お前もどうかしとる」  と愛川はわらった。がすぐに、真顔にもどると、 「安木はクビにした方がええかもしれんな」  とぽつりといった。 「あの人は、古い人ですし、会社のためにもよう働いた人ですから、よく考えてからにしてあげてください」  というと、 「よけいなかきまわしをされちゃかなわんからな。人の和がこれから会社の浮沈を握るカギなんや。不平分子はいまのうちに切っとかんとあかん」  あっさりそんなふうにいうところをみると、やはり夫は、真中初枝と何かあったのかもしれない。そっちの火を消したいばかりに安木を処断するようにも思えた。 「うちのいうちょんのは、あんたと真中さんのことですよ。安木さんには関係がありません。あんたと真中さんが何もなければ、それでいいんですよ」 「おしゃれ商品をつくる会社で、デザイナーや売り子をつかうに別嬪《べつぴん》さん傭《やと》うのは、こら当然のことや、その女にいちいちヤキモチやいとっては社長夫人もつとまらんぞ。よけいなことに気をつかわんと、あんたは、腹の子をうめばよいのんや」  夫はそういうと、タバコをにじり消して、二階へさっさとあがった。小用をすませたらしい福子が、縁先にもどってきて、階段を走りあがる夫を、にッとうす笑いをうかべてみている。 「あんた、早く寝なさい」  言いおいて、消灯すると、自分もいそいで二階へあがったが、福子は暗がりに立っていつまでも耳をすましている気配であった。由布は、頭までふとんをかぶった夫を、情なく見守った。  こらえるんだ。こらえるんだ。母のいった言葉がよみがえる。子をうむまでにゃ、いやなことが、いっぱい起きるじゃろが、短気をおこしちゃいけん。男というもんは、腹の大きか嫁にはつめたいもんじゃ。いちいち気にして、怒《おこ》っちばかりおったら、胎教によくないけん……じっとこらえて、産み月まで待つんじゃ。  新橋から宮城広場へ、案内した道すがら、母は、こんなこともいった。 〈下積みから出世した人は豪気な暮しをするようになると、たいがい、気もちがおごる。苦労しよる時は、惚《ほ》れちょった女も、汚《きた》のう見えてきて、いつまでも、貧乏じぶんのことばかりいうとっちゃ、いやになるやもしれん。愛川さんが、大物になりよるにつれて、あんたも、大きな女に成長せんといけん。一生懸命、勉強して、女《おな》ごを磨《みが》かないけん……〉  臨月の腹をかかえて、女を磨くとはどういうことなのか由布にはわからないが、とにかく、いまの由布は立派な子をうむしかないと思った。  病院は、お茶の水の芳天堂だった。週に一回、タクシーに乗って、濠端《ほりばた》のその病院へ通った。多少の変更はあるにしても、予定日の五月十八日前後には、健全な子が生れる、と医者はいっている。子は腹の中の、正常な位置にいる。よくいわれる逆子だとか、異常妊娠だとかでないことがわかった。夜なかに、大きくうごき出すと、いまにもとび出るのではないか、と不安に思うこともあった。五月八日に、塚原へ電報を打った。母は、十二日の朝、菊坂へついている。おむつにするのだといって、古着だの、ボロだのをすぐにひろげてみせるたねに、愛川は眉根《まゆね》をよせて、 「清潔な方がええぜ。サラシなら、いっぱいあるぞ。……なるべく、古ゆかたみたいなもんはつかわん方がよい」  耳打ちされて、由布は、そのことを母にいった。 「ぜいたくなことをいいよるね」  と、たねは不服そうに、 「一年も二年も前から、用意してきたもんじゃに……」  と、何ど洗ったか知れない、父の着古しの立縞《たてじま》ゆかたの、ところどころ、織目のすけるほどにうすくなったのを指で撫でながら、 「東京はぜいたくじゃ」  といった。 「デパートヘゆくとね、サラシでつくったおむつをちゃんと売っちょんなるというてじゃわ」  と由布はいうと、 「どうせ、うんちでよごすもんだのに……」  と、たねはあきらめにくいとみえ、いつまでもボロをしまわなかった。世の中はかわっていた。たしかに、戦争中のことを思うと、何もかもが豊富に出廻《でまわ》っていた。十六日の朝、大きな陣痛がきたので、由布は母とふたりでタクシーに乗って芳天堂に入った。四階の角《かど》の土堤《どて》のみえる個室が契約してあった。愛川は、社へゆく途中に立寄って、ベッドに寝て、看護婦から体温を計られていた由布のわきへくると、 「えらい難産やということになれば、帝王切開してくれいうて……医者にたのんだるさかいな」  とにっこりしていった。 「町の産婆とちごうて、ここは東京一の病院やさかい、安心や。内科も外科も、みんなあるさかい、どんなことがあっても、心配はいらん。お母さんも、たいへんやろけど、産まれるまで、一つ、ここで、面倒みてやって下さい」  わきにすわっているたねへ、愛川は殊勝に、 「よろしゅうたのみます」  といった。たねは、にっこりして、 「子のうまれるに、男の人が廊下でうろちょろしよるのは見苦しいもんじゃ。あんたは、心配せんで、仕事しよってください。わたしが、由布のことは、ちゃあーんとしますで……安心してくだせえ」  三日目の朝、すなわち五月十九日の未明である。四時二十分に、由布は大きな男の子をうんだ。母のはなしだと、子は、耳の上まで黒い髪をたれていて、愛川に似て大耳だったという。冷たい分娩室《ぶんべんしつ》へ車ベッドで運ばれたのが四時。三十七、八の背高い細面の医者と数人の白衣の看護婦をみたとたんに、激しい痛みを下腹に感じ、まなしに脂汗《あぶらあせ》をながして、由布は失神した。かんたんにして、健全な出産だったという。子は九百匁。由布は遠くに、子の泣き声をききながら、深い眠りに落ちた。愛川は、本郷から九時すぎにとんできたが、この時は、もう由布もベッドで起きていた。 「でかしたぞ」  愛川はいった。 「男の子やとは思わなんだ。名前は、女やったら、華《はな》、男やったら、伍一と考えとった。お前はどない思うか」  由布は、愛川の、嬉《うれ》しそうな顔を見て、眼尻《めじり》をながれる涙にこまった。 「伍一でいいですよ。あんたの名前が伍六やで、伍一でええじゃわ、なァ、お母ちゃん」  由布は指で頬《ほお》をふきながら母の方をみた。 「ほなら、伍一や……お母はん、あんたどない思うね」 「わたしゃ、あんたらの思うようにつけたらええ思うちょるで」  にっこりしてたねはうなずいた。子はうまれてすぐに命名されたわけで、愛川伍一。わるい名前ではなかった。九百匁もあり、母が新生児室をのぞくたびに、五十も小型ベッドがならべてあるその部屋で、二十一という番号札を足にくくりつけられて泣いていた由布の嬰児《えいじ》は、どの子よりも一とまわり大きくみえて、たのもしかった。 「伍六さんに似て、大けな子じゃ、泣く声も、一ばんでかいで……」  母は病室へ帰るたびにいった。愛川は、医務室へもあいさつにゆき、分娩を立ち会った看護婦にも、祝儀をつつんでおいたといって、十時すぎに、病室を出ていったが、夫の、この上なく喜ぶ顔は、母娘にうれしかった。 「あげに、冷とうしてなったくせして、子の顔みると、にこにこしよってじゃ。男の子じゃで……嬉しいんじゃわ、きっと」  たねは由布にいった。 「ペトーの跡とりが出けたんじゃ。あんたは、大きな仕事をしたんじゃぞ……でかした、でかした」  由布は、ひょっとしたら、男の子やもしれぬ、とは思っていたから、意外とは思わなかった。うまれた子を、丈夫に育てねばならない。今日からまた、新しい母の生活がはじまったと、心に思った。初産に似あわぬ落ち着いた心境なのに自分でも驚いた。これも、母がきてくれたからかもしれない、母は、夜どおし、寝もやらず、由布のベッドの下にマットを敷いて、小さくすわっていた。  家をあけたのは、入院中の十日間である。二十六日の正午に、医者の許しが出て、由布は、母と新生児を抱いて菊坂へ帰ったが、家に入って、チラと眼にうつった福子の表情に、心なし、これまでとちがった、鋭い眼をみたように思った。しかし、はじめての、新生児の家入りでもあったし、興奮もしていた。なぜ、福子がそんな眼をしたか、深く意にとめなかった。  二階にあがって、母が用意しておいた子供ベッドに、新生児を寝かし、ほっとしたのは、午後三時。福子が、茶をもってあがってきた時、からみつくような視線をうけて由布はとまどっている。 「ながいこと、すみませんでしたね。家のことほったらかして……あんたも、大変だったでしょ。礼をいいますよ」  というと、 「奥さんこそ……大変だったでしょう。安産で、よかったですね」  と福子はいったが、なぜか、子の顔をのぞこうとはしなかった。べつに、それも、それほど気になったわけではないが、あとで考えれば、はじめての子が家にもどったのだから、傭人《やといにん》である女が、愛想にでも、快くむかえてくれて、のぞきこむぐらいのことはあっても然《しか》るべきだと思ったのだが、なぜか、福子は、由布の視線をさけるようにして、階段を降りてゆくのだった。 「伍六さんも、たべものがうるさいで、福子さんも、留守ちゅう大変じゃったじゃろのう……大きな躯《からだ》しとんなっても、子供のようじゃで」  と母はいった。家にもどって、福子が留守中を、ひとりで、きりもりしていてくれたことに先《ま》ず感謝が走るのだったが、しかし、母のその言葉で、かすかな不安も走ったことは否めない。大きな子供のようだとは、母の判断だが、由布の知るかぎりでは、夫は子供などではない。図体《ずうたい》が大きいから、童顔にみえるけれど、何をするかわからぬ狡《ずる》さもするどさもある。福子の、くずれた厚化粧の顔に、ふと、妖《あや》しげな光りがあったように思う。それが、かすかな糸になって、母とふたりきりの部屋の空気に残った。夫が、留守中、手を出しはしなかったか、という怖《おそ》れが、この時に感じられたわけではない。だが、福子が二階へ顔をみせると、しずかな母娘の空気に、違和感がながれるのは妙であった。 「あの人、いつも、遅《おそ》う帰るで、あんた早く寝られんで困ったでしょ」  由布は台所でいってみた。すると、福子は、 「いいえ」  といった。 「旦那《だんな》さんは、早くお帰りになりました」 「そげに、毎日、早ように帰りなった」 「はい。神田さんや、真中さんをおつれになって……食事もなさいました……」  由布はびっくりした。  福子の小馬鹿《こばか》にしたような物言いは、腹がたった。ついぞ神田や真中をよんで食事などしたことがなかったのに、病院にいる留守中だけ、にぎやかに社員をもてなしている夫の姿がうかんだ。激しい不信感がわいた。あんなに、社員をつれてきたい、といいながら、福子がきてから、いちどとて、つれてきたことがなかったのに、由布が病院へゆけば、すぐに呼んでいる。しかも問題のデザイナーもきたという。のけものにされたような気がしないでもなかった。遅かった帰りが、留守中だけは早かったと福子はいうのだった。 「そげなこと……不思議じゃねェ」  由布はあきれてみせたが、福子はつんとして、三畳へ入って戸をしめてしまった。夫とのあいだに、かすかな冷たい壁が生じている。うすうすは感じてはいるけれども、その正体も、理由も、はっきり掴《つか》めていない由布には、福子の言葉は、オブラートをはがすように、いま何かを暗示したように思えた。こんなことは、母にはいえない。おくびにも出せない。  伍一がすくすくと育って、一回目の病院ゆきには、一しょについていったけれども、いつまでも、菊坂にいると、かえって、愛川の機嫌《きげん》を損《そこ》ねることになりはしないか、との気づかいもあって母は、退院十日目に、 「そんなら、母ちゃんは、帰っちくるで……元気で、暮しちょくれ。ながいこと世話になったで、伍六さんにも礼をいいたいが、……あの人は、母ちゃんの顔もみずに出てゆかれる日が多いで、会わんほうがいいかもしれんじゃわ。わたしがよろしゅういうとったといっちょくれ」  ひるすぎの汽車で帰るといい出すと、由布がいくらとめても、母はきかなかった。子の発育がおもわしくないのなら、滞在ものばしてもらって、理由もたつが、伍一は、びっくりするほど発育はよく、由布のはりきった乳房にしがみついて、痛いほどチュウチュウ音をたてて吸った。 「もう、安心じゃ。あんたの子を抱く姿をみちょって、一人前じゃで、母ちゃんは安心したで……田圃《たんぼ》もあるでのう」  という。たしかに、植えたばかりの田を放《ほ》ったらかしにしてきていたのだから、気にもなった。由布は、多少は心細かったが、いつまでも、あまえておれるものではなかった。東京駅までは送らないで、菊坂の都電通りまで、伍一を抱いて見送った。その時、歩きながら、 「とみ子さんから、何ぞいうちきたかえ」  と母はいった。 「とみちゃんから……」  びっくりして母をみた。 「なーんもいうてこん」 「ほうかえ。そげならいいじゃが。あの人も苦労しちょって。草本先生に会うたらそげにいうてなった。あんたよりは不しあわせじゃぞ」  母は、いかにも、由布をなぐさめるかのようにとみ子の近況を話すのだった。  草本大悟のことは、病院でも話に出て、岩井病院につとめて、元気でいる様子は、くわしくきいた。が、その草本から、母がとみのことをきいたとは、初耳なので、 「あの人は、湯平をやめなって……どげんしちょってか。按摩しちょる時には、時どき、安江さんのところへ手紙くれよったが……くわしい、手紙はよこさん」  というと、 「あんたが、ここを教えんからじゃ」  と母はいった。そんな事はない。由布は菊坂へ越した当初に、むかしの友だちにはハガキを出しておいたはずだ。とみ子からは返事がこなかっただけである。 「安心院《あじむ》へ帰っちょるというてじゃったが……あの人も、結婚したときいたで」  と母はいい、 「草本先生のはなしじゃと、アメリカさんの子がおるそうじゃ」  といった。 「アメリカさんて……あの人、GIさんと一しょになっちょったんかえ」 「知らんじゃったか。湯平から、湯布院へうつってきよって、友だちとアパートに住んで、アメリカの将校さんと一しょになって。その人の子が出来よって……まなしに、朝鮮戦争がすんだじゃろ。別れたちゅうはなしで……ずいぶん苦労しよってじゃったが……別れるとすぐまた、日本人と出来なって……。別府じゃったか、大分じゃったか、美容院に入ったちゅうて、草本さんに手紙よこして、先生もよろこんでなったが……」  由布は、とみ子から、そんな報告はうけていない。手紙はいつもかんたんで、ひっ越した住居《さき》だけを知らせてくる程度だった。文面から推察して、幸福になっている様子はなかったが、アメリカの将校と一しょになっていたなど初耳だった。 「なーんもいうてこんなら、忙しいんじゃろ。あんたも、伍一がまた大きゅうなったら、いっぺん、九州へもどっちくるといいじゃわ。草本先生やら、とみちゃんやらが待っちょるで」  母はそういうと、本郷三丁目の車のはげしい通りを走りわたった。反対側の本屋の軒下から、手を振っていると、母は何やら声をあげた。が、何をいったかきこえない。  東京駅まで送りにゆきたかったが、福子に子をあずけてゆくのも心もとなかった。  由布は、家へ帰ると、母のいなくなった二階にとじこもって、しばらく、眼頭《めがしら》を押えていたが、気弱なことでは生きてゆけぬと思いなおして階下へ降りていった。 〈さあ、今日から、夫と福子を相手に、新しい母の出発じゃ〉  そう思った。  その夜だって、夫はおそかった。由布は、伍一を寝かせて眼をあけていた。母はいまごろ、どのあたりだろう。汽車はいい便に乗れただろうか。夕方の出発だと、翌日のひるに別府につき、バスで湯布院へ入る予定だった。母の帰るうしろ姿が、本郷の通りで淋しくみえただけに、いつまでも頭にのこった。  母は、夫のことをべつにわるくいわなかった。病院でも、家でも、あまり帰りのおそいことにふれず、冷たいお父さんでも、子が出来れば、変ってくる、といっただけである。そうかもしれぬ。夫はたしかに、子を見てから少しは表情が温《あたた》かくなった。母は、苦労してきたから、男の心を見ぬく力があるのだろう。  由布はいま安心していた。だが、福子の、いやな眼を思いだすと、留守中の夫の行動に、疑いも生じた。真中初枝をよんだことが気になった。初枝が、どんな女か、由布は会ってもいない。二十八だというから、由布より一つ上だろう。福子のはなしだと、洋装のよく似あう、きれいなひとだったという。デザイナーらしい都会風な女だともいう。社員に手をつけるような、阿呆《あほ》なことはしない、と夫は口ぐせのようにいうが、由布は、いま、それを信じていた。もし、真中と、夫が怪しかったら、夫はわざわざ、自宅へなどよばないだろうと思うのだ。 [#改ページ]     十 三 章  子をうんで、母親らしい、貫禄が出てきた由布に、愛川伍六は、かすかなたのもしさを感じたが、ありていにいって、背中に固い甲羅を見てもいた。同時に、由布との結婚をはやまった、という後悔もあった。子をうませた悔いもある。真中初枝が出現したためであった。真中は、由布に比べると、女らしく、小柄で、ぽっちゃりした躯《からだ》つきで由布と正反対の魅力に富んでいた。中性的な由布の九州なまりの言葉づかいには、へきえきするが、真中は、あまえるようなやわらかい物言いである。瞼《まぶた》がいつも赧《あか》くはれたようで、ひと重なのも好むところだし、なんといっても、かもしかのように細くのびた足がいい。やせているのではない。乳房も大きく、臀部《でんぶ》も肉づきがよい。第三メリヤスのデザイン室をやめて、ペトーでランゼリーをやってみたい、といいにきた時、愛川は初対面で惚れてしまった。バルキー以後、これといったヒット作のないままに、固定客を守るに真剣だったところへ、老舗《しにせ》の第三メリヤスでの経験を生かして、ランゼリーに賭《か》けてみたい、という真中の、思いつめた言葉のうらに、情熱のこもった覚悟がみえる。即断で入社を許可した。時宜を得ていたといわねばならぬ。市場は合成繊維の、トリコットがきわだちはじめていた時分だし、素材に深い経験のない、いわば素人《しろうと》の集まりであるペトーでは、いつ馬脚が出るやもしれない危険があった。真中は入社すると早々、ギャザーの入ったナイロンスリップを大胆にデザインした。好評だった。さらに、これはセーターだったが、淡グレーの、薄地の丸首、ドルーマン袖《そで》のもの、色はみなパステル調を主体にして、従来の社員には、奇抜すぎて冒険だと思われがちなものを提案して、案外に小売が延びるのだった。時どき、複雑で、不可解な面貌《めんぼう》をみせるこの女は、ペトーに、妖艶《ようえん》な旋風をまきおこした。愛川が、向いの須本ビルの一室を借りたのは、男社員の多い本社に置いての、いざこざを考慮したからで、デザイン室には、下働きの高校出の娘を二人置いたきりで、すべてをまかせた。  こうした受入れ方も、真中を得意にさせている。一日に三度、愛川が、須本ビルをのぞくと、細眼をキラキラさせて、真中は、社長さん、と媚《こ》びるように腰をくねらせて茶を淹《い》れてくれた。  この真中初枝は、東京生れで、世田谷区下馬町の閑静な住宅地に住む、元高級官吏の次女であった。新宿の文化服装学院デザイン科を専攻し、卒業後第三メリヤスの企画部に入り、六年間、セーターやランゼリーのデザインにたずさわった。中流家庭に育った気性の明るい東京娘は、加賀生れである愛川には、まばゆくみえたのだ。愛川は、真中をつれて、よくデパートや小売店へ行った。仲間の展示会や、大手メーカーの新生地発表会など、欠かさず出かけるようになった。真中の家庭の事情や、第三メリヤスでの勤めぶりなど、車のなかや、時には散歩しながらの会話で、あらかた知った。端的にいって、真中初枝は不思議な魅力をもっていた。恋愛もしたというから、処女でないことは想像できるし、といって、それでは、ペトーに入社して、その男につきまとわれて困っているというふうにもみえなかった。初枝は、愛川の前では、無邪気で、二十《はたち》前後のように若々しかった。こんな女が女房であってくれたら……愛川がふと溜息《ためいき》をつかないではおれない魅力があった。  由布は、家に置けばひけをとらない安心感のある女だけれど、挙動が荒っぽくて、田舎《いなか》丸出しの訛《なま》りもなおらぬ。お客の前へ出せたものではない。由布を、総務でつかって、客に茶を出させていた創業時分は、まだそれでも、バルキー専門だったから、井川のような客もいて、便利であったけれど、社も落ち着いてくると、初対面にどのような客が現われるかしれない。一流会社と競争してゆかねばならない時機に、やはり、メーカーや仲間の晴れがましい展示会へつれてゆくのは由布では気がひけた。真中初枝は、この点、勿体《もつたい》ないほどのアシスタントになり得た。早い話が、町を歩いていても、眼にうつる生地なり、女性の着衣で、話題をとらえる。それらの会話は、みなペトーの次の作品へのアプローチになる。愛川は真中のようなコンビになる女性が必要だったと思う。  真中の方でも、格別愛川へ興味がわいたようである。あっさり第三を辞《や》めて、ペトーに入社した理由は、先行の楽しみな新会社で、思うぞんぶん、ためしてみたい。事実、第三には、オールドミスの先輩がいて、真中はまだ認められるところまでゆかず、くさっていた。ペトーはそれに比べると、主任にもなれたし、力量も発揮できた。仕事の面での風通しのよさが魅力だった。その上、社長の愛川伍六が、好人物なので気にいった。 「あたしね、社長さんのようなタイプ好きよ」  真中初枝は、心もちうけ唇《くち》の口もとをゆがめてそういう。  午前中は展示会やデパート歩き、午後は、デザイン研究、夜は工場めぐり。試作品の点検。小売屋との意見交換。いってみれば、真中初枝が傍《そば》にいないと仕事にならない日ばかりである。気やすい得意先の連中は、直接、デザインルームをのぞいて、売行きのいい商品は先《ま》ず真中に報告する。反対に、売行きわるい作品は、もちろん忠告した。そうなると、デザイン部と顧客との間ははなれているようでも、密接で、真中はもはや、販売部にも口をだすような地位になる。半年もたたぬうちにのしあがった。これは中小企業ならこその風景だった。神田をはじめとする古株には、時に、この真中の態度は、眼ざわりになった。倉庫係りへ配置換えされた安木保一派は、何かにつけ、真中に対抗意識をもっている。愛川は、この社内の変りようを、敏感に察知した。時には、反省もしたが、真中の態度に、出しゃばりと思えぬ、仕事への率直な情熱もあるので、この女が自分の感覚と決断で試作したものが、直ちに量産されてゆく。意図した如《ごと》く好評だと、自分のことのように喜ばねばならぬ。これはペトーの隆昌《りゆうしよう》と平行している。何ら、安木一派がケチをつけるに値しない。入社早々の女が、男たちを尻目《しりめ》に、社長室へ出入りし、意にそわぬ会議だと、金切声でいきまく。それは、それで、いいのだと、愛川は、男たちの顔と真中の顔を見くらべていた。女物セーター、ランゼリーの会社だから、デザイナーがはり切らなければ、商売は暗い。  なにかと、眼につかぬところで、愛川は真中を大切にしはじめた。それが、社員には気に喰わぬ。事実、映画にも、芝居にも、この頃から、毎日のように催されるファッションショウにも、真中は、自分でデザインしたパステルカラーのニットスーツを好んで着て出た。鳩胸《はとむね》の大きな乳房や、くびれた胴や、くりッとしまった肉づきのよい臀部《でんぶ》が、ニットだから尚更《なおさら》目立った。愛川とふたりで歩く姿は、業界で評判になり、事情を知らぬ者は、ペトーの社長秘書か、それとも愛人かともうけ取った。  真中初枝と肉体関係に入ったのは、社員慰安のための例の伊豆旅行の翌日、すなわち、愛川が一日だけ予定をのばして、菊坂に帰った日だった。ありふれたケースといわねばならぬ。社長にかわいがられてきた二十八歳の、いわくのありそうな、躯《からだ》の熟《う》れ切ったデザイナーが、誘われるままに、伊東の宿で一夜をもったのだ。  躯の関係に入ると、賢明な女は、人眼につかぬ社長室で馴れ馴れしさを出した。もっとも、東京に帰ってからも、ホテルを利用した。展示会やショウを見にいっての帰りに、つれ込み宿へも行った。そうなると、いきおい、真中は、社員の前でも、社長の愛人であることを誇りたい。愛川は、かすかな後悔をおぼえたけれど、ふたりきりになれば、事実は逆で、すっかり、真中の魅惑的な姿態に溺《おぼ》れている。連日の深夜帰りもそのためである。 「あたしが、もう少し早く、ペトーヘ入社していたら、あなたのお嫁さんになれたかもしれないわね」  真中初枝は、ホテルでは当時は、試作品でしかなかったこまかいギャザーのついた真紅のナイロンスリップから、子鹿《こじか》のような足をのぞかせながら、 「あたしの方がよかったと思うわよ」  興ざめな気持である。愛川はだまってタバコをふかしている。内心では、由布にすまないと思う。 「そりゃ、世の中は思うようにいかないさ」  愛川はいう。 「わしにとっては苦労を共にした妻やし、重たい思いして、一しょに毛糸かついで福島までいった。創業じぶんは、社員も少なかったし、なにからなにまで、やってくれよった。社が発展して、派手にふるまえる時代がきたからといって、邪魔にすることは出来んよ……」 「愛してなさるのね、まだ」  真中は嫉妬《しつと》ぶかい眼でにらむ。 「愛するも、惚れるもない。わしらの結婚は必要結婚という奴《やつ》で。仙台の井川さんの世話で見合いした。すぐ一しょになった。愛するの、惚れるのというような気持から出た結婚じゃなかった……妙な間柄だよ」 「妙な間柄で……お子さんをおつくりになったの」 「まあ、そういうこっちゃ。世間一般の夫婦は、みなそうやないか。大正生れのわしらの年齢で、戦争をくぐって、終戦のあの飢餓地獄を生きた連中は、みな大なり小なり、似たようなケースだよ。戦後は危《あぶ》なかしい夫婦関係を維持してきたもんだ。きみはその点、独身で、わずかにおくれてこの享楽時代をむかえた。しあわせな女や」  愛川には、浮気《うわき》のつもりの、真中との夜である。ところが、昼となると、真中とは真面目な仕事に取り組まねばならぬ。社運を賭《か》けた仕事もやらねばならぬ。自然と、仕事の情熱が、そのまま夜の会話へもちこされた。すると、肉体的な魅力だけだった真中の存在が、由布とはちがった、かけがえのない女となって、愛川の内部に根を張った。  由布が伍一をうんだ日は、愛川は正直、嬉《うれ》しくもあった。けれど、かすかな戸惑いが顔に出たのだ。それは以上のような理由からであった。  由布は、夜おそく帰る夫に文句はいわない。一つは育児でつかれる。子は健康で、病弱児にくらべたら手はかからない。けれど、出産後の一と月は、定期診察にゆかねばならぬ。初産児のことだから、未経験な驚きや戸惑いがたえずある。たとえば、伍一が熱い顔して泣いたり、鼻水たらしたり、乳を吸うに元気がなかったりしても、病気じゃないかと、すぐ、病院へ走るのだ。母が傍《そば》にいてくれたら、頼《たよ》りにもなるが、福子では相談にならぬ。で、なにかと、芳天堂の若い婦人科医の田宮が、このところ由布の相談相手で、しょっちゅう電話である。おむつや下着の洗濯《せんたく》も、福子にさせるのは気の毒なので、自分でみな始末する。区役所から疱瘡《ほうそう》や、百日ゼキの注射通知がくる。若い母親は、子に首っ玉をとられて、多忙な毎日、とても、夜あそびして帰る夫を心待ちする心境ではなかった。だが、愛川は、一時に帰っても、二時に帰っても、かならず由布を起した。 「坊主はどうだ。かわりないか」  わきのベッドで寝入っている伍一をのぞきこむ。一時間ほど前まで、ホテルで抱きあっていた真中初枝の、やわらかい体温が残っている愛川には、良心の呵責《かしやく》といったものがある。寝入る子を眺《なが》めれば、酔いもさめて、しずかに、自分の床へもぐりこめる。だが、こんな時由布は、むっつりしてめったに、躯の要求はしてこない。不思議であった。子を産んでから、要求する気がしない。愛川が背を向けて寝入れば、由布も、また、すぐいびきをかいて寝た。  いつぞやの、安木保の電話以来、真中初枝のことは気にはなっている。もしや、という疑惑もあるが、といって由布はひとことだって、口にださない。夫のあいかわらずの淡泊さが、真中のせいだと思えたにしても、そのことを、口にだせば、こっちは負け、と、由布は思うのだ。母がいったように、しっかり、子を抱いて生きてさえおれば、男はやがて、もどってくる、とあきらめる。  愛川は、愛川で、由布のこの固い甲羅に出喰《でく》わすと、反撥《はんぱつ》はかんじるが、しかし、自分の方がわるいのだから、文句はいえない。由布がだまっているのをよしとし、なるべく、風波のたたぬよう、当座の浮気《うわき》を楽しんでいたい、と思う。  だが、真中初枝は、いまや、ペトーに、なくてならぬ存在であった。よそへ取られては、社運にひびく。あの女をがっちりひきとめておけば、仕事は順調だ。勝手な埋由が、愛川を力づけてもいる。夫婦のあいだに、出来たわずかな溝《みぞ》だったのが、初枝に魅惑されたことによって、次第に溝は大きく掘り下げられ、橋わたしもかなわぬ、障壁になってしまったのである。この経過は、当時のいわゆる高度成長の芽をふきはじめた家庭で、別れ話を生じた世間夫婦の事情に似ていた。  考えてみると、愛川伍六は大正八年の三月うまれであるから、太平洋戦の終戦を迎えた年は、二十六歳。由布は昭和二年うまれだから十八歳だった。ふたりとも、戦争中のつらい時代を、厭《いや》というほど味わった上に、いよいよ終戦になって、世の中ががらりと変り、個人の立場が主張できる夢のような時代になっても、とりわけ、その自由の味を満喫した仲間ではない。生活苦で、伍六は闇商売のかつぎ屋、由布はパンパン同様の鉱泉宿の芸妓だった。いってみれば、不本意な生活を転々とつづけてきて、お互い東京に住んで働いた縁で、結婚するに至ったものである。人間の結びつきなどというものは、思いがけないもので、加賀の闇屋男と豊後《ぶんご》の按摩女が、偶然の見合いから、夫婦になったのだ。ところが、あいかわらずの闇屋と按摩をつづけて暮しておれば、喧嘩一つせずに暮せたかもしれぬが、世の中の景気が、朝鮮戦争の特需から好転し、講和条約や安保条約のおかげで、アメリカ経済に密接なつながりをもちはじめて、終戦時の飢餓地獄から想像すれば、まるで夢のような豊かな時代に入ったのだ。着る物も、たべる物も、観《み》る物も、聴《き》く物も、交通機関も、すべてがぜいたくになった。こうした世情では、人びとの心もぜいたくとなる。しらずしらずのうちに、むかしの質朴節倹の心も、控えめな態度もうすれて、誰もが貪欲《どんよく》に走る。早い話がペトーの隆昌《りゆうしよう》も、ゆたかなしゃれ着の登場に恩恵を得ている。流行雑誌や週刊誌の氾濫《はんらん》も、女を美しくする一面、無駄《むだ》使いを助長し、セーターなど、終戦時は一着か二着しかもたなかったBGが、下着やスリップを、毎日とりかえて、破れれば捨ててしまう、といった傾向になった。つぎ布をあて、始末して着るような生活は笑われた。日に日にかわる流行色を追い、デザインを追い、若い女たちは、奇麗《きれい》になった。一つは、アメリカから輸入された女性崇拝思想が、敗戦ですっかり無気力だった男の尻《しり》をひっぱたいて、活気を出させたせいもある。女と靴下《くつした》の変貌《へんぼう》は、日本の成長を現わしていたのだ。  だが、この朝鮮戦争後の、好転してゆく世情に背を向ける人はいた。一時にくらべれば、暮しは楽だったにしても、時代の流れについてゆけずにいる、古い型の人間である。由布がそれであった。ペトーがいくら、基礎を固めて、景気がよく、セーター、ランゼリー業界に君臨していっても、彼女の気持は、かわらなかったのである。一時間百円なにがしの治療代を貯《たくわ》えて生きた由布には、按摩時代の、律義さが失われずにあったのだ。お金や物の大事なことは身に沁《し》みていた。いくら愛川が台所に電気冷蔵庫や、洗濯《せんたく》機を持ちこんでも、便利なものがきたと喜びはするが、心は変らなかった。掃除機よりも、雑巾《ぞうきん》をつかって縁を走りふいていないと、掃除した気になれなかった。  子を産む前から、夫と接しなくなっている由布は、母に忠告されたように夫の好みにふさわしい都会女としての洗練された感覚を、身につける努力を怠ったといえるかもしれない。〈どげにつくろってみちも、うちは湯布院の女じゃけん、どうもならんじゃわ……〉母に反撥《はんぱつ》したように、自分はこれでいいのだと思っている。時には、化粧も研究してみたり、言葉も変えようと努めてみるが、つけ焼刃である。身につかない東京ぶりをやってみても、一日か二日でつらくなる。すぐまた九州生れの素地にもどる。なりふりかまわぬ、といったわけでもないのだが、依怙地《いこじ》な土臭さは、洗練された女たちの出入りするおしゃれ着メーカーのテザインルームを、子鹿《こじか》のように、肉のしまったお尻を振って立ち回る真中初枝の、魅力とまたべつのものであった。愛川が、自然と、由布を抱かなくなり、初枝が間もなく引っ越した渋谷宮益坂のアパートに入りびたって、夜おそく帰ってくるという事情は大げさにいえば、当時の日本の中年男の心がわりの見本ともいえたのである。  だが、愛川は、菊坂の生活を見捨てたというのではなかった。育児に真剣な由布を好ましく眺《なが》めてもいた。この母子に、福子をあずけ、生活費も申し分なく手渡し、便利な台所用品が現われれば、すぐ買込んでくるし、テレビも初期のものから大型の上級メーカー品に買いかえ、時には、由布が、子をつれ、安江の家へあそびにいっても、デパートで、着物やハンドバッグを無断で買っても文句はいわぬ。好きなようにさせている、といえば、語弊もあるが、気ままな暮しをさせてよしとしているのであった。  いってみれば、一触即発の関係ではあるが、由布に対して、色気を感じない愛川にしてみれば、それでせい一杯であって、真中初枝がいなかったなら、また、べつの、バアかキャバレーの娘《こ》に手をつけていたかもしれない。初枝は、デザイナーだし、無駄《むだ》ではなかった。仕事と性欲の両面を、かねそなえる、愛くるしい存在を、ありがたいと思うと同時に、家にあって、だまって二世を育てる由布もまた、ありがたいと思ったのである。  めっきり男ぶりもあがった。かつぎ屋だった昔の面影はなくなって、淡グレーの三つボタンの背広を着こなし、ネーム入りの縞《しま》柄Yシャツに蝶《ちよう》ネクタイで出社する愛川はどうみても、新興会社の若社長であった。愛川は、税金操作上の関係だといって、伍一がうまれて間なしに、自家用車を買ったが、この車は小伝馬町に置いて、めったに菊坂へはもち帰らなかった。もっとも、車庫がなかったせいもあったろう。営業部の若い松宮を運転手にして、とび廻《まわ》っていた。  この運転手の松宮にしても、副社長格の神田にしても、倉庫係りの安木にしても、経理の寺井にしても、社長が宮益坂のアパートに入りびたりであることはわかっている。けれども、社長の行動を、非難はしても、面とむかって忠告する者はいないのであった。社長は、ペトーの創立者であり、絶対君主であった。反抗すればクビになる。このような事情は、中小企業の事業会社に多く見られたところで、心では、菊坂の家で、留守をまもっている按摩あがりの細君に同情はしても、誰も、深く介入してはこなかった。  早い話がペトーには、七人の女子事務員がいたが、みな、高校出か、服装関係の短期大学を出てまなしの、二十歳前後が多かった。誰もが、もう社内の男子社員とカップルだった。夕刻社務が終ると、映画を観《み》たり、食事をしたりして、それぞれの青春を楽しんでいる。経理の寺井も年輩だけれど、若い経理部の大村ます子と怪しいとさえ噂《うわさ》がながれた。  男女の交際が、にわかに解放的となり、服装がきらびやかな色調で、露出過多のデザインに変ってゆくのと比例して、あそびも大びらになった。青年子女で、恋人をもたぬ者は、時代おくれ、レジャーという言葉も、また、この頃から流行しはじめた。会社で働くのも、残業するのも、若い子女には、みな、余暇を楽しむための投資であった。土曜は半ドンとなり、日曜には朝から恋人を誘って、デイトした。  いまから思うと、昭和二十六年から、三十二、三年にかけての、ペトーの隆昌《りゆうしよう》時期は、このような、世情一般の、好転ぶりと無関係とはいえない。したがって、社長も、社員も、羽ぶりがよくて、まあそれぞれの、道楽を楽しんでいたのだ。  だが、由布は、菊坂の家に、閉じこもって、成長してゆく伍一を見守る喜びにひたるだけだった。めったに、隣り近所と交際もしなかった。ひとつは、愛川が、そのようなわずらわしさをきらったせいもあるし、隣家が何をして暮しているか知らないで、生きてゆけるのも、東京の美点だった。日ましに、化粧が濃くなり、これも恋人があるらしくて、休みのたんびに、外泊して帰ってくる福子を女中に使いながら、由布はがまんづよく風波のとまった生活に馴《な》れていったのだ。  相原とみ子が碧《あお》い眼をした男の子の手をひいて、菊坂の家を訪問してきたのはいつだったろう。あれは八月の暑いさなかだった。  福子に教えられて、玄関へ出てみると、まぎれもない、それは安心院《あじむ》の相原とみ子であった。酷暑の町なかを、ここまで子の手をひいて歩いてきたのだろう。流行のエバグレーズとよぶ、綿地に蛙《かえる》の肌《はだ》のような斑点《はんてん》を型押しした白生地の、真新しくて、紙衣《かみこ》のようにみえる袖《そで》なしブラウスに、リップルの、赤と青の、何やら幾何学模様の交錯した柄で、ベルトを略したフレアスカート。片手にとてつもない大きなスーツケースをさげて、親子汗だくで、疲れた躯をよせあうように、佇《たたず》み、玄関前の陽照《ひで》りに黒い影を落してじっとこっちをみているのを見とめて、固唾《かたず》をのんだ。 「あんたァ、うち、とみ子。わかるかえ、湯平でいっしょじゃった……とみ子じゃ」  安心院のとみ子は、一重|瞼《まぶた》の、はれぼったい細い眼を、やわらげて、子の手を放すと、胸にさし入れていたハンケチで汗をふきふき、 「わかるかえ。由布ちゃん、あんたも、元気でよかったのう」  ハガキ一本よこさず、九州から、はるばるやってきたこの珍客に、胸つまる喜びと、なつかしさでうろたえた。 「わすれちょるもんかえ、あんたこといつじゃって思いだしよったけん……あんた、そげなとこに立っちょらんと、早よ、あがってよ。……早よあがって……よくわかったなえ。こげな家……よくさがしてきてくれたねえ。ほんとに、久しぶりじゃ……」  めっきり中|年増《どしま》めき、肩の肉も、首のあたりも、ぼってり肥《ふと》ってみえるとみ子の、陽焼けした手に、しがみつくように、じっとこっちを見あげる子はどうみても、混血の子である。眼は青く、ひっこみ、汗のうき出たイガグリ髪は茶色だった。 「さ、坊やも、早よ、おはいりよ。暑かったでしょ。あんたたち、九州から汽車で来たんかえ」 「大阪にいたん」  と玄関を入ると、とみ子は、上りはなに、スーツケースを置き、 「東京に用事ができたのでね、はじめて来たんやけど、そのことは、まあゆっくりはなすで……由布ちゃん、なーんも報《し》らせもせんで、とつぜん……お邪魔して、びっくりさせたね……ゆるしちょくれね……どこかの宿に泊ってと思うたけんど、やっぱり、来ちみると、あんたに会いとうなって」 「なーんもびっくりせん。あんたは、いつも、こげに人を驚かせるひとじゃったもん。ささ、あがってよ」  母の手にしがみついて、タタキに釘《くぎ》づけになっている子の足は、埃《ほこり》でうすよごれていた。由布は、福子に雑巾《ぞうきん》をもってこさせた。半パンツに、これも、母と共地のエバグレーズのブラウス。子は、四つか五つだろう。どことなく年齢不詳のひねくれた顔をしていた。  いそいで、応接間にあげる。とみ子は、扇風機の前へくると、子をソファにすわらせ、福子のさし出した絞りタオルで、汗をふいて、そのタオルを裏がえして、自分も、アセモのふき出た首すじから、脇の下まで力いっぱい拭《ふ》いた。 「あんたは、スマートじゃけんど、うちはこげに肥《ふと》っちしもて……もう中|年増《どしま》じゃえ」  長らくみないうちに、とみ子は変っている。むかしは、首すじや、顎《あご》の線に娘々したうぶさがあり、声も低かったが、いまは高声だった。貫禄の出た躯《からだ》は、どうみても、脂肪過剰の、女丈夫である。  福子が、西瓜《すいか》をもってきて、母子の前に置いて立ち去る。それを見送ってからとみ子は、由布が上京して以来の足かけ七年にわたる歳月のあらましを、九州|訛《なま》りで話した。  湯平を出て、一か月後に、湯布院に引越した。駅に近い、アパートの二階を借りうけて、同じ「ときわ」からきた、名本いち、田所みつ、寺本屋からきた佐江田はるみの三人と一しょに、日出生台のチェリーボーイ相手の売春でたべた。「ときわ」が検挙以来おもわしくなく、女将が廃業に踏み切ったからである。だが、パンパンも三か月ほどでやめると、偶然、別府で知りあった、フランス兵のジョルジュに見染められた。湯布院の農家で半年、別府のアパートに約一年と都合約一年半の同棲《どうせい》生活を経て、いまの子をなしたのだ。ジョルジュは、朝鮮出兵のフランス軍憲兵で、三十一歳の中尉。独身である。東京に連合軍本部の憲兵隊があるので、ジョルジュの本宿舎は、東京にあったが、戦争がはじまってソウル前線にゆくとすぐ、自動車事故で、左|膝《ひざ》関節の脱臼《だつきゆう》と、右|踵《かかと》骨折で、別府の進駐軍専門病院にはこばれて療養していた。とみ子と知りあったのは、ギプスもとれ、帰隊間もない一日のことで、ジョルジュは、町でよびとめられて一夜をすごしたとみ子に惚《ほ》れてしまった。ソウルへもどっても、週に一どは別府へ飛行機でとんでくるようになった。会う瀬がつづいた。とみ子は、ジョルジュが、アメリカ兵とちがって、もう年輩であり、フランス人らしいやさしさと、明るい性格なのが気にいって、オンリー生活に入った。 「うちも考えたんよ。どっちみち、あげなことして働いちょっても、お金はドル買いにとられちしまうし、無駄《むだ》づかいばっかして身につかんで……躯もつらいじゃ。いい人なら、二号になっち、のんびり暮す方がよか……安心院のお母さんにゃごっぽり叱《しか》られたけんど、決心した。いちちゃんたちもね、よくあそびにきてくれてね、毎日、にぎやかで。流行のダンスホールへいったり、キャバレーいったりして、楽しかったけんど、子ができちしもたら、そげなこともできんようになって………ジョルジュが帰国するまで、まじめにお金ためて……うち、美容院ひらいたんよ。別府の駅裏のね、小さい店だったけど……そこずいぶん繁昌《はんじよう》して、景気もよかった。けんど……二年ほどして、ジョルジュとまた別れたんよ。そこ売りとばしてね。大阪にきちしもたん……いろーんなことしてきたわ。由布ちゃん」  とみ子は、金冠の出る奥歯をみせて笑うのだ。 「へえ、あんた、フランスの憲兵さんと一しょじゃったんか。そげなこと、ちっともうちは知らんじゃった」  由布はあきれて、とみ子を見直した。その憲兵の子なのであろう。由布には、アメリカ人も、フランス人も見わけはつかないが、いま、ソファにすわって、西瓜をうまそうにたべる子の、イガ栗の、ちぢれた茶色の毛をみていると、たしかにフランス人の子のような気がする。 「別れてなってから……それで、あんた、大阪へきて、ひとりじゃったんか」 「ううん」  ととみ子は首を振った。 「美粧院しちょる時に、親切にしちくれち人と一しょになったんよ」 「その人日本人」 「日本人よ」 「いまどげにしちょってん」 「大阪にいる」  ととみ子はいった。 「一しょにおるんかえ」 「うん」  とうなずくが、どこかあいまいな感じである。また別れ話でも出ているのか、どことなく落ちつかない、とみ子の物言いに、由布は不安を感じつつ、 「わたしも、子をうんだんで」  と由布はいった。 「わたしだって……苦労したわ」 「あんたも子がいるん」  とみ子は眼を輝かせた。 「はあ、春にうまれた。男の子。いま二階で、よう寝よるで、あとで、顔見ちょくれ……うちの人によう似た大きな子じゃで」 「男の子かえ、そうすっと、うちらの仲間で、子をうんだんは、あんたと、わたしだけ。いちちゃんも、はるみちゃんもどげにしたか、子は出来ん」  あいかわらずの、あけすけとした物言いに、由布は、昔日の湯平時代がよみがえった気がして嬉しく有頂天になった。とみ子はいう。 「けどね、由布ちゃん。あんたのところはどうか知らんが、うちは、なかなか、思うようにゆかんで、困ったわ。何も、好きこのんで、あげな商売しよったんじゃないもんね。なーんもかも、生活のためじゃった。あの当時、湯布院にいよって、若い娘で、パンパンせん娘はおらんじゃったもんねえ……由布ちゃん」 「………」 「男ちゅうもんは、みな勝手よ。嫁にする時は、過去のことは、気にせん。なーんもかもゆるすから来ちくれていうて……せがんどいてからに。いざ、嫁にきて、馴れちみると、むかしのこというていびりよるんじゃわ。……つらいことばっかり……」  由布は、笑いながら話すとみ子の、眼尻に、いま苦労のシワがいく重にもたたまれているのをみた。そのわきで、無心に西瓜をたべる子が哀れであった。 「坊やの名前は」 「ぼく」  子はとみ子をみた。上眼《うわめ》づかいに、母の方をきょとんとみつめる。鉢《はち》の大きな頭である。 「おばちゃんが、なんち名ァだきいてなはる……教えたげんかえ」  子は、はにかんだが、ごくりとのどを鳴らして、 「トミオ」  といった。わきから、とみ子が、 「うちの名をやったんよ。トミはフジサンのトミ。お金もちになっちくれるちいい思うてね……欲ばった名前をつけてもろち……」 「いくつ……おとなしくて、いい子ねえ」  由布は、卓の上に子がこぼしたタネを灰皿《はいざら》に集める。 「いくつだってきいてなる、トミオ」 「五つ」  と子はこたえた。フランス人の血だろうか。語尾にちょっと弱いひびきがある。 「もう五年もなるんじゃ、由布ちゃん」 「ほんとねえ……うちも、東京へきちから、六年になる……戦争すんでから、月日のたつのは旱かったわねえ」  由布は正直、感慨をおぼえないではおれぬ。末広町にきて、按摩をやり、ここへ落ちつくまでいろいろなことがあった。とみ子に有為転変の流浪があったように、自分にも、それはあった。自分はまだ一歳の子だが、とみ子は五歳の子をもっているのだ。 「あんたはえらいわ」  由布はいった。 「苦労しよったじゃろが、こげな子を育てて……子をもってみると、それがわかるわ」 「ふつうの子とちがうで……はじめは世間を気にして、つらかったけんど、いまは、もうなんとも思わん。由布ちゃん。うちは、この子が、この世でいちばん好きなんじゃ」  親たちの話を、子は、聞くともなくきいている様子であるが、暗い影を背負うた子に似あわず、表情は明るかった。青い、すきとおったような眼が、ときどきうるみをおびて光ってみえる。 「そりゃ、腹をいためてうんだんじゃもん。あんたがいちばん、かわいくなくて、誰がかわいいじゃろ。東京にゃ、大ぜい混血の人もおってじゃで、なーんも気にすることはないで。とみちゃん。あんた、それで、東京の用事て……なんじゃえ」 「混《こ》み入った用事よ……」  ととみ子はいった。 「フランスから、うちはまだ送金しちもろちょるんじゃ。それがね、東京におる朝鮮の人にもろちくれいわれて。それで……うち来たんよ」  由布は、とみ子の顔をみつめた。 「税関の手続きがめんどくさいでね。こっちの人に、もろちくれいいなるんで……」  話はよくわからないので、事情をきいてみると、これまで、年に二回、フランスのジョルジュから送金をうけている。金を送るのに、日本から送金をうけるパリーの留学生に会い、その人に金を手渡す。かわりに、とみ子の方では日本で留学生の父兄の家を訪《たず》ね、そこから同額の金をうけとる。そういう仕組みなのだそうだ。 「大阪の人が、これまで、仲介になってくれよったで、かんたんにゆきよったけんど、こんどだけは、東京の朝鮮人のとこへ行っちくれといわれて。浅草の、千束町で、毛皮店やってなる人じゃそうね。息子《むすこ》さんがパリーで絵の勉強しよって……浅草から毎月送る銭を、一回だけ、うちの方にくれることになったんよ」 「へえ……」  由布は話がわかって感心してしまった。なるほど、フランスの金を、日本へ送るのでは、ややこしい手続きも要《い》るのだろう。どうせ、日本の留学生が、本国から送金をうけているのなら、その金を、ジョルジュが当人にわたして、こっちはこっちで、父兄からとみ子がもらえばよいのである。 「朝鮮の人でも、フランスへ勉強にいっちなるんね。そげなことはじめてきいたわ……あんた、それで、そげな大金これまで、間違いなく、手に入ったんかえ」 「ああ、五万円ずつ、年に二回もろちょる。はじめはうちの人に内緒じゃったけんど、バレちしもて……いまでは、うちの人なんもいわん。いってきちいうてくれたで……来たんよ」 「いまの人は、なにしよってん」 「ブローカーじゃ」  ととみ子はいった。 「何売っちょってんかえ」 「材木。山買うち、木ィ伐《き》って、製材に出したり、木工所に出したりしよってじゃけんど、旅ばっかしよって……月に十日ぐらいしか、うちにおらん人じゃ」 「へえ……あんた、それで、辛抱しよってン」 「うちはもう、由布ちゃん、男の人には、そげに魅力感じんじゃわ。この子を育てて、一人前にすることが精一杯じゃで……」 「………」  由布は、とみ子も、同じ仲間かと、ふと考えに沈んだ。混血児を立派に成育させるのに、とみ子は全力をつくしている。わからぬではない。自分も伍一に、全精力をかたむけているのだ。夫にたのむのは経済力だけである。夫への愛情はと問われれば、由布だって、返事にまごつく。由布は、とみ子がすっかり、この部屋に落ちついて、笑顔をみせはじめるのに反して、ますます、寡黙《かもく》がちになるトミオの顔を見るともなく見た。どうみても尋常でない子であった。  浅草の千束町に住む、留学生の父親をたずねるために、とみ子が、混血の子の手をひいて、菊坂を出たのは、午《ひる》すぎの炎天下だった。ふたりにひやしそばを出したあと、由布が、二階へとみ子をあげ、まだ、寝入っている伍一の顔をのぞかせて、通りの陽《ひ》かげまで母子を送って帰ってくると、福子が、いきなり、好奇な眼をむけた。 「奥さん、あの人、オンリー?」  ときいた。由布は絶句して、福子を見守った。 「奥さんの友だちですか」 「そうよ」  由布はこたえた。 「田舎でね……大の仲よしだったのよ。明るくて、さっぱりした、いいひとよ」 「………」  福子は由布を見て、すぐ視線をそらせた。 「あんた、どげにして、わかったの」 「お子さんが、混血でしょう。すぐにわかりましたよ。奥さん」  福子はいった。 「そうね、あの子をつれて歩けば、わかるわね。けど、あの人、ちっとも、気にしてない、いい人なのよ」  由布は、まだ、この時は、福子の口から、意外なことが、夫に告げられるとはユメ思っていなかった。とみ子の残していった、大らかな笑いが、家にのこっていたのと、久しぶりにきた友だちの動静に、心が温《あたた》まっていたからである。  愛川伍六が、福子から、とみ子の来訪をきいて、尾ひれのついた勝手な想像を働かせて、由布を問いつめたのは、それから二日後であった。もうとみ子とトミオは大阪へ立っていたか、愛川は、その夜、酒気をおびて帰り、伍一に添寝している由布を、じろっとにらむと、 「お前、わしにかくしてたことがあんのとちがうか」  といった。由布は、伍一から離れて起きあがった。 「かくしてるて……」  問いなおすと、 「九州時代や。パンパンしとった頃のはなしや」  愛川はいつになく眼をすえた。 「なんもかもはなしてみい。女中に阿呆《あほう》にされてだまっとれんさかい」 「うちが、パンパンしよったなんて、……福ちゃんがいうたですか」 「ああ」  愛川は、ちょっと眼をうごかして由布を見た。 「はずかしことを、女中にいわれてびっくりしたわ。……九州から、そのパンパン友だちがきたというやないか」  声も出なかった。何やら棒みたいなものを、眼につきさされたようで、真っ暗になった。 「そんなこと……いいかげんなことですよ。あのひとは、うちと一しょに湯平で働きよった友だちですよ。パンパンしよったなんて……。うちが東京へきてから、フランスの人と一しょになって、子をうんだ人ですよ」  愛川はわらった。 「パンパンや無《の》うて、フランス人の子がうめるか」 「オンリーですよ」  愛川はあぐらをかいた。 「オンリーは、パンパンやないのか。ねえ。由布。オンリーもパンパンも一しょやな。なにかい、とみ子ていう女は、パンパンしよって、お前は、そんなら、パンパンやなかったのかね」 「うちは宿屋で女中さんしよっただけですよ」 「ふう」  馬鹿にしたように愛川は息を吐いた。 「まあ、いつかはわかることやった。わしは、今晩はなにも言わんけど、家に帰って、女中に食事出されて、ぼそぼそひとりで喰《く》いよる時に、二階で寝よる女房の過去を、得意気にいわれたのはつらい。不愉快にならん夫はどこにあろ……、気分がわるいぞ」 「福ちゃんがなにをいうたか、うちきいてきますよ。わたしは、なーんも田舎で、パンパンなんぞしたおぼえはありませんから」  愛川は福子をかばうようにいった。 「お前が、潔白やっても、お前の友だちがオンリーやったことはたしかや。そんな友だちを……家へよせつけんようにしてほしいな。混血の子をつれてきよったいうやないか」  由布は、口惜《くや》し涙があふれて、いま、夫にとびかかりたいほどの怒りをおぼえた。  ああ、これは大変なことになった、と由布は思った。夫は隣室の襖《ふすま》をしめると、床へもぐって寝てしまった。ひとりのこされて、由布はふるえた。  とみ子の来訪を、そんなにまでは考えてなかった。大喜びして迎えた自分が、あまかった。福子に西瓜《すいか》をださせたり、冷しそばを出させたりしたのが悔いられる。部屋へ出入りするたびに聞耳をたてていたのだ。口軽い福子へ激しい怒りと同時に、夫への絶望感もわいた。由布は、隣室へにじりよっていった。 「あんた」 「なんや」  ふとんをかぶったまま夫は見向きもしない。 「女中の口から、いいかげんなことをきいて、あんたがそれを真にうけて……うちはかなしいですよ。なぜ、もっと、本当のことをいえと、いうてくれんですか。うちは、なーんもかくしてなんかいません。うちは、たしかに、湯平で、芸妓《げいこ》づとめしよったことがあります。けんど、宿は日本のお客さん専門じゃったし、パンパン宿じゃなかったです。とみ子さんも、そこで、知りおうた人やったです。気さくないい人でした。うちの村と近い安心院にうまれた人で……いつも、一しょに働いちょった……その人が、うちがこっちへきてから、フランス人と結婚して、子をうんで、こんど、こっちに用事が出来て……きたついでに会いとうなって、………パンパンもオンリーも同じやといわれれば、それはそうかもしれません。けど……あの人は、わるい人じゃありません。うちをなつかしがってきちくれたんです。それを、福ちゃんが、よけいなことをいうただけで……うちまでパンパンじゃったなんて……うちは、福ちゃんをクビにします」 「……クビにする?」  愛川は、首をねじむけて、にやりとわらった。 「弱点をにぎられたからやめさすんかいな」 「………」 「そんなことしよったら、お前、自分の非をみとめたことになるぜ。身が潔白なら、よいやないか」 「いらんこという女中なんか、置いとくのはいやです」  由布は腹にたまったものを投げつけるようにいった。 「あの人は最初から嫌《きら》いじゃったんです。厚化粧しち、休みたんびに、泊っちき、どことのう、ふしだらで……あげな人がうちにいるのはいやでした。うちは、やめてもらいます」 「えらい見幕や。だが、わしは、あの娘《こ》をやめさすわけにゆかん。お得意を一つ失うことになるでな」  愛川はいった。 「あれは赤羽のトラヤの世話や」  由布はだまるしかない。なるほど、福子は赤羽のトラヤの世話でここへきている。クビにするわけにゆかぬといわれれば、かえす言葉がない。しかし、それにしても、出すぎたおしゃべり女中に、白眼視されながら、辛抱しなければならぬのはたえられなかった。愛川は、向きをかえると、すぐ、ふとんをかぶって動かなくなった。  激しい孤独感が押しよせた。由布は誰に投げつけようもない憤りにふるえた。伍一のわきへもどって、横になったが眠れない。とめどもなく、涙が出た。  いまごろ、トミオをつれたとみ子は、大阪だろうか。久しぶりに会った幼な友達《ともだち》の、天真|爛漫《らんまん》な顔、なつかしさのあまりに、つい大声ではなしあったむかし話を、女中が立聞きしたことからの、夫婦|喧嘩《げんか》である。由布はいま、ひとりのアプレ女中に、かさまわされている家を、かなしく思った。  翌朝、夫は早く起き、あいかわらずの仏頂|面《づら》で食事を終ると、迎えにきた会社の車で九時に出ていったが、そのあと、由布は、口をきかぬ福子に、 「……あんた、ゆうべ、うちの人に、よけいなこというたでしょ。とみ子さんのこと。あの人、なーんもパンパンなんかしとらんからね……トミオちゃんだって、ちゃんと結婚しよって出来なあった子ですからね……いいかげんなこといわないで下さいね」  といった。すると福子は、 「奥さんがオンリーだといいなさったからですよ」  といった。 「そりゃオンリーだとはいいましたよ」  由布は福子をにらむ。 「そしたら、やっぱり、パンパンさんですよ。奥さん」  福子はうす笑いをうかべた。 「わたしは、なにも、旦那《だんな》さんによけいなことはいってませんよ。旦那さんが、おそくお帰りになって、食事をだしてくれおっしゃったから、おつゆをあたためて出したんですよ。お給仕にすわってましたら、なにやかや、留守中のことをおききになったんで、奥さんのお友だちがいらしたことをいったんです。その時は九州からきた人でしたといっただけです。そしたら、旦那さんの方から、そりゃパンパンじゃないかとおっしゃったんです。わたしは何も、いってませんよ」 「………」  この子は口がうまい、たくみに逃げているのがわかる。福子はこんなことをいった。 「旦那さんは、とみ子さんのことを知ってらした様子です。混血の坊ちゃんをつれてきなさったといいましたら、そりゃそうだろ、とうなずいてらっしゃいましたから。うちは、よけいなことはなにもいってませんよ。奥さん」  この女も夫とぐるか。似たような眼だ、と由布は思った。 「奥さんはなにも御存じないんですよ」  と福子はいった。 「旦那さんの夜おそいのは、真中さんちへ行ってなさるんですよ。奥さんは、あたしのせいにして、旦那さんを怒ってなさるけど、旦那さんはみーんな、ご自分のしてらっしゃることを正当化しようとなさってるんですよ。よくわかるわ」  由布は、また眼の前に新しい棒をつきたてられた気がして怒りにふるえた。この女は、何をいうのか。おそろしいことをいう。 「うちの人が、そ、そんな……」 「そうですよ。あたしは、なにも、奥さんのことをつげ口なんかしてませんよ。奥さんとふたりで、毎日ここにいるんですもの。奥さんの味方ですよ。旦那さんは、ご自分のしてらっしゃることが、ばれそうになったので、自分のしていることを帳消しなさろうと……あせってなさるんです。あたしにはよくわかりますよ」 「福ちゃん」  思わず、由布は膝《ひざ》を乗りだした。 「うちの人が、真中さんとこへ行ってるって、ほんと」 「奥さんは、人がいいから、旦那さんを疑うことはなさらない、それだけのことです。会社の人たちみんな知ってますよ」 「会社の人」 「安木さんからききました。旦那さんはこのところ、渋谷の真中さんのアパートへいりびたりですよ」  由布はいま、大きなナタをふるわれて、頭が割れた気がした。福子の、真紅にぬりたくった口が、塗り笛の歌口のようにつき出てきた。 「そんなこと、嘘《うそ》じゃえ。うちの人は、お得意さんの招待で……麻雀《マージヤン》ですよ」 「麻雀ですって……奥さん」  と福子はいった。 「奥さんは、このままだと、旦那さんを、真中さんに取られてしまいます。気をつけなさらないと……ひどい目にあいます」  由布は立場が逆転してくる気がした。福子のかる口をなじるつもりが逆になったのだ。ああ、もう少し、福子から、夫の裏側を教えてほしい。 「あんた、それ、ほんと、安木さんからきいた、ほんとかえ」 「何どもききました。神田さんだって、困った顔をしておいででしたよ」 「いつのこと、それ」 「旦那さんのお使いで、小伝馬町まで行ったことがありますね。見本布のことで……あの時、安木さんたちに、お茶を呑《の》ませていただいた時、嘘じゃありません」  たしかに、福子を、用事があって、小伝馬町まで出したことは、二、三どあった。自分の知らないことを、女中は何もかも聞いてきていたのか。 「いつ言おうかと思ってました。けど、機会がなかったんです。奥さんから、旦那さんにあたしがつげ口したなんていわれると、言わずにおれません。旦那さんはずるい人ですよ」  由布は打ちのめされた。女中と一しょに、夫の悪口をいいあわねばならぬ。想像もしない時間が訪れている。どうしたらいいだろう。由布は錯乱した。 「あなたのいうことがほんとか嘘か。それでは、これから、あたしは会社へいって聞いてきます」  と由布はいった。 「すまないけど、留守をたのみますね。安木さんにも会ってきます。うちの人がおれば、じかにきいてきます」  福子は、急にひきしまった眼をした。由布の顔いろが変ったのに、かすかな後悔をおぼえたのか。こきざみに口をふるわせると、 「嘘はいってません。けど、奥さん。旦那さんに、こんなことを、あたしがいったなんていわないで下さい」  といった。 「あなたからきいたんですよ。うちの人にはっきりいって、白黒つけてきます」  由布は二階へかけあがっていた。あがりながら、伍一をつれていったものか、どうか、迷った。福子にあずけてゆくのは心配である。そうだ、伍一を背負ってゆこう。由布はそう決心した。外出用のワンピースに着がえて、ベビーベッドで寝入っている子を抱きあげると、伍一は、びっくりして眼をあけた。  福子の顔をみるのも不愉快だった。ハンドバッグをもち、子を背にくくりつけると、炎天の菊坂のアスファルト道へ、走り出ている。なりふりかまわず家を出る自分を、この時、冷静にかえりみる余裕は由布になかった。平常から不信感を抱《いだ》いてきた女中に、夫の浮気《うわき》を教えられて、動顛して走り出た自分を、由布は、おろか者とみる時間がなかった。考えてみるに、この一瞬に、由布のかぶっていた甲羅が音をたてて割れたのだった。撒水《さんすい》車が通った坂道は、湯気をたてて焼けていた。 〈畜生……よくも、うちをだましよった。伍一がいるのに、よくも、会社の女に手をつけて、あそびよった。……今日こそ、あんたの化けの皮をはがしてやる……うちは、湯布院の女じゃ。あんたなんかに、捨てられてたまるかえ。……〉  由布は心の中で叫んだ。 〈うちをパンパンじゃというたのは、うちを捨てるつもりじゃったんじゃろ。うちは、なーんもパンパンなんぞしちょらん。うちは、二、三の男の人とは寝よったけど、みーんな芸妓《げいこ》の時じゃ。東京へきてから按摩しよっても、誰とも寝やせん。まじめに働いちきた……〉  髪ふり乱した由布が、小伝馬町のペトービルに顔をみせた時、びっくりしたのは、愛川だった。由布の顔をみたとたんに、ははんと頭にきたか、やわらかな態度で、むかえ、社長室といっても、わきに数人の男女社員がいる、ついたて境の隅の、ソファに由布をすわらせた。女事務員の斎藤かず子が、茶をはこんでひきさがると、由布は、福子からきいたことを、みんなぶちまけた。 「あんたに馬鹿にされて、そのうえ、女中にまで馬鹿にされ、だまっちょるわけにゆかんです。真中さんをここへつれてきちください」  言葉もうわずっていた。 「なんのことやらさっぱりわからんね」  と愛川は白けた顔でいった。 「福子がまたよけいなことをいったんかね……真中君をよばんでもないが、しかし、いるだろうかな……今日は、内外メリヤスの展示ショウで出かけているかもしれん。……関係あるなんて、いったい誰が福子にいったのかな。困ってしまうよ。わたしは、そりゃ、あの人の腕を重宝して大事にしてはいる。一しょにつれだって、ショウにもゆくし、食事にもいく。けど、それは仕事の上でね。プライベートのつきあいはなーんもありゃせんよ。わたしは社長で、あの人は従業員だ。そんなけじめのつかぬことをしてちゃ、社はもたない」 「………」 「福子がまた、根も葉もないことを、きみにしゃべったんだ。あいつとっちめてやらんといけない……。きみがゆうべ、奴をクビにするといった時に、わたしは反対したくらいだ。わたしの気持なんか、あいつはなーんも考えておらん」  由布は、めまぐるしく目玉をまわす愛川の、多少は、動揺しているらしい腹がみえるようなので、 「そんなことをきいてるんじゃありません。うちは、真中さんをここへつれてきてくれっちいっちょるんです」  といった。 「大きな声を出すな。社員にきこえる」  愛川は、困った顔でだが微笑をうかべ、 「いきりたってじゃ、こっちもはなしはできない。なにか、真中がもし、わたしの恋人であったらどうしようというのかね」  居なおった。 「あなた」  由布は泣き出したくなるのを押え、 「真中さんを、ここへつれてきち下さい。ほんとうのことが、知りたいんです」  直談判したいと思ったけれど、当人が社にいないのだから、話にならなかった。あとで考えると、真中のデザインルームは、真向いの須本ビルで、ペトーの部屋と十メートルほどへだてて向きあっていたのだから、愛川が誰かを走らせ、逃げるようにすれば、危機はのり切れたはずであった。それやこれやを考えると、歯ぎしりしたい気がしたが、炎天の中を、伍一を背中にして、狂ったように歩いて、ペトーへついたはいいが、いいようにあしらわれて菊坂へたどりついた時、どこをどう通って、都電に乗り、乗り換えてきたのか思い出せなかった。 〈こんなところで大声をたてるな。かりに、わしが、真中と出来ていたらどうしたいのかね……〉  逆にひらき直られて、ぐうの音も出なかったのだ。威丈高《いたけだか》な夫が、口惜《くや》しく思いかえされ、涙がはふり出た。由布は、正直、夫の鋭い眼ににらみすえられると、ああ、もうここまで、ふたりはきてしまったか、と奈落《ならく》へつき落された気がした。  会社の人たちに、泣き叫んで同情を買うことも出来たけれど、そんなことをすれば、夫は離れてゆくばかりだ、と由布は思った。ここは、だまって、退いて、わかってくれるまで待たねばならない。とみ子が混血の子をつれてきたことで、夫は怒っているのなら、その誤解もとかねばならぬ。さらに、由布の過去にも疑いをもちはじめているなら反論はあるが、しかし、それも、だまって、こらえねばなるまい。伍一のためであった。伍一を立派に育てねばならぬ。同じことをとみ子はいったのだ。 〈わたしたちゃ、よその人たちにくらべて、子がいとしいんじゃで。由布ちゃん。こげな髪の色のかわった子でも……うちん子じゃ、うちが苦労しちきた証《あか》しじゃけん……大事に育てにゃいけん思う……そうせんけりゃ、うちらみじめで……〉  わらいながらだったけれども、とみ子の眼にはひと筋光るものがあったように思う。そうだ。女は子をうめば、その子は、女の生きた証しだろう。大事に育てねばならぬ。子には、かけがいのない母親だ。  日比谷公園横にあった家庭裁判所は、手狭になって、昭和二十九年には裏の空地に数倍の建物を増築した。離婚夫婦の相談で、表にまで行列が出来たからである。有名俳優や、著名人の離婚が毎週のように週刊誌で報じられた。世はあげて糟糠《そうこう》の妻の受難時代。家庭の崩壊ブームであった。愛川伍六と由布が演じた離婚騒ぎも、いってみれば、めずらしいことではなかった。子が五人、六人いても、別れる夫婦はいたものだ。誰もが経済に鼻をとられて人間を失った。伍一ひとりを由布が抱《かか》えて、炎天の夏を狂いまわり、蒸発した夫をさがしまわっても、伍六は誰からも制裁をうけなかったのである。ああ、やっているな、と誰もが見ただけであろう。仙台の井川が、相談にいった由布にいみじくもいったのだ。 「まじめな者《もん》が損をみる時節や。みんな何もかもアメリカ式になったで。銭《ぜに》さえ出しゃ離婚はできるようになった。あんたもひとつ、泣いてばっかりおらんと、浮気《うわき》でもしてあれの鼻をあかしてやったらどうだね」 「うちが浮気しち、あの人の鼻をあかすんですか」 「あんたはまじめすぎていかん……もうちょっと、いまどきの女を見習って、さっぱりせんといかん」  井川は他人事《ひとごと》のようにそういった。さっぱりしろ、とはどういうことなのか。たしかに、世の中はかわっている。女のふしだらが、大びらで通る時代である。男女は同権なのだから、夫ばかりに、好き放題をさせて妻が泣き寝入りせねばならない道理はなかった。新聞雑誌をにぎわす離婚|沙汰《ざた》は、たしかに、女の地位のあがったことを証明していた。夫が浮気して、妻にたくさんの慰謝料をはらって、妻の方から別れ話をもち出したニュースも出ていた。 「いつくるかとは正直、思ってたんだ」  と井川はいった。 「仲人のわしが、言っちゃ変だが、あんたを、世話した時、あの男は、ずいぶん、軽く承諾した。ちょっとけいそつだと思ったが、しかし、あの時あんたにひと眼惚《めぼ》れしたんだ。このひと眼惚れがじつは危険でね。時間をかけて、細心にねりあげた話とは逆で、別れ話はまたかんたんなんだ。貰《もら》った以上は大事にせないけん。浮気なんぞしたらいかん……すっぱく言ったもんだが、奴《やつ》は、にやにやしとった。……やっぱり、あいつも一匹虫を飼っとった」  井川は、真中との一件を知っている顔だった。だまってきいていると、男同士の暗黙|裡《り》な打ち合わせがすんでいる気もした。夫を難詰する口吻《くちぶ》りだが、腹の底は、浮気も致《いた》し方がない、といっている。由布は、やっぱり、男はみな、女の敵だという気がした。 「虫を飼うちょったいいなさるですか」  由布は怒った。 「そげな虫なら、うちだって一匹や二匹頭ん中に飼うちきたですよ。けど、うちは、あの人の嫁になったんじゃで、殺してきたです。伍一がうまれる前ごろから、あの人の夜あそびはつづいてたんです。けど、じっとがまんして……井川さん。結婚ちゅうもんは、お互い、独身時分から飼うちきた虫を殺して、辛抱することとちがうですか。うちじゃって……あの人だけ虫飼うちょるいわれると腹がたつじゃ」  井川は眼玉をまわして由布に眼をすえた。 「まったくだ。あんたのいうとおりだ。女だって虫飼うてきとるわなァ。だから、わたしは、あんたにも、少しは、浮気するぐらいの派手なところがあっていいといってんだよ。苦労した時は、お前さんをトラックの上乗りにして、福島くんだりまで、糸積んでいった。小西がいまでもいうよ。あんたが、車がつくとすぐ休みもせず、糸束を背負うて、工場へはこぶのをみた。愛川は、どえらい女房をもろた。このひとがいるなら安心じゃ。そう思ったそうだ。じつは、小西も、思い切って、織機を土蔵からひっぱり出す時にゃ、清水の舞台からとぶ決心だった。そりゃそうだ。世間はうすもの一辺倒の折だ。いうてみりゃ、バクチだな。そのバクチをやってみる気になったのも、あんたという……しっかり者の女房がいるのをみて……愛川を信用したんだよ。いまでも小西は、わたしにそういう……それほどのあんただから、愛川は、ずいぶんと苦労時代は重宝した。感謝している気持はたしかにある。いくら景気がよくなったいったって、女房は女房だね……足蹴《あしげ》にしちゃ……罰があたる」 「けど、あの人は、罰のあたるようなことをしち、平気ですよ。このごろは、毎晩渋谷に泊って、菊坂へは帰らんです」 「なにかね、帰らんのかね」 「はえ」  由布は、同情されるとつい瞼《まぶた》がうるんでくる。 「わたしが、小伝馬町へどなりこんだ日から、もどっちこんようになったです」 「道楽はしよるとはきいとったが、家をあけるまではいってないと思ってたんだがね……そらいかんな」 「真中初枝っちゅうデザイナーにだまされちょるです」 「あの女か」  井川は、くるりと眼をまわした。 「井川さんも知っちょるでしょ」 「第三におったデザイナーで……仕事はするらしいが。しかし、それと色事とはまたべつだからな」  井川は考えるふりをして、 「そいつはいけない。菊坂へ帰らんのはいけない。わしも、ひとつ、叱《しか》りつけてやろう。しかし、由布さん。男の浮気ってやつは、ハシカみたいなもんだ。長くてまあ三年だな。あんたには、伍一という子が出来てる。わしが、ゆっくり話しおうて、どんな気持でいるかきいてみよう。あんたのかなしみはよくわかる……短気をおこさねえで待っていておくれ。二どと小伝馬町なんぞへ泣きこんでゆくのはやめたがいいな。かえって、男に分がまわるから。じっとがまんして待つんだ。いいか」  ふたりの結婚は、かんたんだったのだ。父母が立ちあったわけではない。井川が仲介にたって、台明館の女将《おかみ》があと押ししただけなのだ。東京には、つまり、二人の家庭を、愛情もって見守ってやる者はなかったのだ。  靖国神社で、合掌礼拝して、神前式といえばいえようが、神主がきて、さかきを振っておはらいしてくれたわけでもない。伍六が、手をあわせて、眼をつぶり、〈戦友の霊に二人の幸福を約束しよう……〉といっただけである。約束の生証人はなかった。おろかな由布は、これでいいと思った。いや、むしろ、伍六のやり方に、胸のすくような新しさを感じてうきうきしていた。いまになって思うと、伍六らしい計算があったか、なるべく第三者を入れないで、ふたりだけの、野合に似た結婚をしておけば、あとで別れるのに便利だという配慮はなかったか。意地わるくみれば、そうかもしれない。伍六より年上の井川は、このあたりの、危《あぶ》なかしさがよくわかっていて、披露宴といっても、安江を入れての、うなぎ屋での祝宴で、すっぱく、念を押したが。ところが、この井川も、商取引の関係にあった。伍六が、たとえば、井川に、品物をわたさねば、井川は困る。また、その逆もいえる。仙台で四軒の専門店をもつ井川は、東北からくる客の中では上級の方だった。ペトーの隆昌《りゆうしよう》で、愛川の方に分がみえてくると、やはり、仲人でも、浮気の一つや二つは大目に見ねばならない、そんな黙契ができている。  由布が、井川ののっぺりした顔に、風のふきすぎるような冷たさをみたのは、それだった。井川は、いつ泣きこんでくるか、待っていたのだろう。用意していた言葉はずいぶん流暢《りゆうちよう》だった。  御徒町のガード下を、由布は、伍一をせりあげながら歩いた。汚《よご》れたこのあたりは、むかしとちっともかわっていなかった。通る人も小商人《こあきんど》が多くて、埃《ほこり》ばんだ夏洋服の女が雑踏にいた。由布は、電車に乗らないで、広小路の方へゆっくり歩いた。安江はどういうだろうか。  ふと寄ってみたかったが、心がすすまない。ゆっくり湯島の切通しに向って歩く。井川のいったことを反芻《はんすう》する勇気もない。風の中を歩いていると、もう、愛川から嫌《きら》われていることがはっきりわかった。  そうだ。もう別れがそこにきていた。由布は炎天六十分を、狂ったように歩きつめてきた自分のおろかさがわかった。 〈どげにあがいたって、だめなものはだめじゃで……〉  そんな思いが走ったのは、黒い湯島の森がせまってくる氷川町のあたりである。 [#改ページ]     十 四 章  手っとり早くいえば、苦労時代はがまんできた古女房だが、世に出るとアラがみえてきて、むかしなら身分不相応だとも思え、手も出なかったほどの女が、新しく惚《ほ》れてきたので、そっちへ乗りかえたのである。  仲人の井川が、眼の色をかえて、ペトーへきて、由布の気持にもなって、翻心してくれないかとたのんでも、愛川伍六の心はもうきまっていた。 「かわいそうなことはわかっていますよ。けど、こればっかしは、どういわれても、ひきさがるわけにゆかんのでね」  すっかり、立場のかわった態度をみせて、井川にいった。 「あの女は、あの女で、美点もあるし、決してわるい女ではありません。だが、正直いって、われわれの結婚はまちがっていたんですよ。ペトーになってみて、それがわかりました。真中君は、会ってもらえばわかりますが、女らしくて、ひかえめないい娘《こ》ですよ。社の連中は、そら、やっかみ半分もあって、やれ財産目あての、虚栄が高いのといって、けなしますが、ニットのデザインが好きで、うちへ入ってきた娘ですから、とにかく仕事好きなんです。あの娘の性格と、会社の製品がぴったりゆく。そこへむけて、私も好きになった。これは、自然ななりゆきです。そりゃ、真中君も、由布にすまない、すまないと言いづめです。といって、あんたのいうように、由布を今までどおりの女房として、真中を二号にして、うまくやってゆく……そんな狡猾《こうかつ》なことはわたしには出来んのです。まじめすぎるかもしれませんが、真中君にひかれる心は偽れんです。それで、別れ話を切り出してみたんですが、由布はどうしても承知してくれない。虫のいいことかもしれませんね、だがわたしは、この際わがままを通して、離婚するのが、お互いのためだ……三人ともうまくゆくと思うんです」 「由布さんは踏んだり蹴《け》ったりということになるじゃないか。子がいるんだよ。きみ。子はどうするのかね」 「そりゃ、向うがほしけりゃ、くれてやるし、こっちに置くというなら、かわいがって育てますね。真中はやさしい女ですから、育児も大丈夫でしょう。年もとっているから安心できます」  何もかも相談が出来ているらしくて、愛川のいうことは、はっきりしていた。 「子は母親が育てるにこしたことはない。真中が、いくらやさしくて、子がほしくても、由布さんから、もぎとる権利はないね」 「もちろんですとも」  と愛川はいった。 「真中君と一しょになれば、真中君にも、子がうまれましょう。真中君はその子を育てればよろしい。わたしは、理想的にいえば、由布にあの子はあずけて、母子が、平穏にすごしてゆける金を呉《く》れてやって、それで、解決したい……こう思ってます。但《ただ》し、子をこっちがもらう場合はちがいますね。あの女にだって、欠点はあるのだから、その責任はもってもらいます。伍一ともども、別れてくれるなら、わたしは、苦労を共にした女房だし、いまの菊坂の家も呉れてやって、何か商売でも出来る資本を出してやりたいと思うんです……」  井川はうなずいて考えざるを得ない。金銭上で責任が負えることなら、何なりとしたい本心らしかった。いまかりに、井川の仲立ちが功を奏して、奇蹟《きせき》的な仲直りが出来ても、いってみれば、ひびの入った鋳物|鍋《なべ》を、鋳かけ屋にたのんでつないでもらったようなものであった。いつまた割れるともかぎらない。  井川は、終戦後早々、世間に出廻《でまわ》った鋳物鍋が、見かけは強そうでも、落せばすぐ破損した事実を思いだした。この思いつきは、あたっているな、と思う。じっさい、愛川夫婦は、混乱のどさくさに、軽率に出来た夫婦である。靖国神社に参拝して、親もよばずに盃《さかずき》をかわして、まあいってみれば、かんたんなひっつき方で一しょになっている。戦争のために、台所の容器や鍋釜《なべかま》に飢えていた人たちが、見かけはつよそうだが、じつはもろさのある鋳物鍋にとびついたように、二人の結婚も、必要結婚だと愛川がいみじくももらしたように、鍋と似ていなかったか。真中というしっかりした、ペトーにも必要のある女性の出現は、いってみれば、鋳物が退いてのちに現われたステンレスの鍋でもあるか。愛川の、真中を早く入籍して、生涯の伴侶《はんりよ》ときめ、ペトーの隆昌《りゆうしよう》を、夫婦して守ろうとする希望もよくわかる。 「そらまあ、あんたのいうことはわからんでもない。が、しかし……金でケリのつくもんでもないしね……由布さんの精神的な衝撃も考えてやってほしいんだよ」  井川は自分でも腑《ふ》に落ちない言葉を吐《は》いた。すると、愛川はきっぱりと、 「精神的、精神的といいますけれどね、自我をお互いに押し通すことだって精神的ですよ。わたしにも言い分はたくさんありますわ……菊坂の家を放せばなーんも残らない。今日までの財産の大半を彼女に呉れてやることになります。ずいぶんな犠牲ですし、これも精神的な負担ですよ」 「しかし、真中君は、ペトーの将来で、あなたが取得する財産に関与することは出来るが……由布さんにはそれがなくなるぜ」 「そりゃ、しかたありませんよ」  と愛川はいった。 「そんなこといってちゃ、男は浮気《うわき》一つ出来ないじゃないですか。これからのペトーの財産といったって、あしたのことはわかりゃしない。真中君も一しょになって……つまり、かつて、由布がわたしと糸を背負って苦労したように、真中君も苦労して、建設するものです。こんごの財産が、由布にまで回るというのでは、真中君は承知しないでしょう。わたしだって、そこまで、折れるつもりはありません。今日までの貯蓄に、由布の力があったのはみとめているだけです。だから半分ずつして呉《く》れてやろうと思うんですよ。これは家庭裁判所にでもいってきいてもらえば、わたしがいかに誠実であるか証明してもらえると思います。世間には、男女同権とは口でいいながら、まだまだ、昔|気質《かたぎ》な男は仰山《ぎようさん》いますよ。何もやらずに、女房をただで、放《ほう》り出そうとしている連中は多いですよ。わたしたちの離婚には、何一つ、よこしまなところはありません。つまり、誠実な協議離婚なんです」 「なるほどね」  井川は、言いたいこともまとまらない。一方的に押しまくられて、 「それでも、由布さんは、おさまらんでしょう」  というと、 「そうかなァ」  と愛川はいった。 「あんた、むかしは九州でパンパンしておって、東京へきて、按摩しよった女ですぜ。その女が、あんたという人を知ったおかげで、化けの皮をかぶって、私と結婚できた。子を一人なした。まあ、会社がうまくいったから、財産の、何のといえるけれど、うまくゆかなくて、わたしが、呑《の》んだくれで、その日も困るような日傭《ひやと》いだったら、あの性格だ、向うから、証文たたきつけて出てゆくような女じゃありませんか」 「パンパンしとったなんて……あんた、いまになって、あのひとを、パンパンなんて……なんか、根拠でもあるんですか」 「大ありですわ」  と愛川はいった。 「九州の湯平で、パンパンしてましたよ。友だちもみな、パンパンです。このあいだは、湯布院で、アメリカのチェリーボーイの相手をしよった女が、フランス兵の子をうんだといって……つれてきましたよ。アメリカ兵と寝てるつもりでいたのが、フランス兵だったわけで……まあ、そんな友だちをみてもわかるように……按摩以前の彼女の過去は……一切ノーコメント。その理由もよくわかります」  井川は眼をぎらつかせてきいていた。もちろん由布からそんな告白はうけていない。 「化けの皮は、いつかははがれます」  愛川は、憎しみを顔にだして、 「わたしは、正直、あの女は、あんたのいうとおり、按摩|一途《いちず》でくらしてきた女やと思ったんですよ。働きぶりにも打たれたし、母ひとり子ひとりの境遇も同情できたんです。わたしの気持の中には、あの女を助けてやろうという気持も少しはあった。ところが、どうも、おかしい。これは夫婦仲のことだから、あまり口外したくはないんですが、じつのところ、あの女は不感症なんです。わたしは、今日まで、だまっていましたが、あの女を抱いて、これはいいと思って、自分を忘れたことはなかった。男っぽくて……どことなく、セックスをきらうというより、はにかんで馬鹿《ばか》にするようなところがある。最初は、その理由がわからなかった。ところが、遠い過去に、パンパンだったことがわかると、それがようやくわかってきた。つまり、あの女は、過去をひたかくしにしたいために、セックスを無意識に遠ざけようとしている。女心の裏のわからないヤボな男には、一種のはにかみとも、処女性ともうけとれる。そういった計算を、あの女は、ちゃんとたてていて、今日になっても、まだ、そのような羞恥《しゆうち》過多なところがあるんですよ。この裏側がわかれば、いやになる。こちらが、眼をつぶって努力はしても、不感症なんでは、どうにもならない。やっぱり、若い頃からの荒淫《こういん》の結果とみるしかないんです。彼女は、カマトトぶって、それを、そのようなものだと悟りすましている……どうですか。井川さん。わたしが、由布から遠ざかった理由をわかってもらえませんか」  井川は、ぐうの音も出ない。愛川をにらみつけていたが、しかし、これが真実だとしたら、同情がわいた。混血の子をつれてパンパン友だちがきたなどきかなかったし、なるほど、そういえば、台明館で按摩によんだ頃から、由布は、それ以前のことをあまりしゃべらなかった。井川は、いま、これはどうも、愛川の方にも分があるぞ、と思い直さざるを得ない。よく働く気さくな按摩だ。十人なみで、体格もよく、気性もいいし、こんな娘が、独身で、按摩などして、不思議な気がしたものだが、過去に、暗い生活があったとすれば、台明館での、挙動もうなずけたし、こちらの見誤りだったと思いかえすしかない。夫婦というものは、厄介な性生活を一つ伴ってくる。それによって、緊密になるか、疎遠になるかの、試煉《しれん》が待っている。井川は、いま、さしずめ、この夫婦は、セックスの不一致で別れようとしていることに気づいて、暗澹《あんたん》となった。 「なるほど。いまどきの若い夫婦は……むかスとちごうて……えれえことが理由になるだなァ」  東北弁であきれた。  愛川は、由布に別れ話をもちだした時、そのことを、遠まわしに言っていた。由布は、泣きだした。不感症ではないと言いかえすのに迷った。正直いって、性知識は疎《うと》い方だった。勉強もしていなかった。湯布院や、湯平にいた頃、婦人雑誌の付録に、めっぽう、はずかしいことが書いてあったり、例の線画で、男女の性器を図解し、避妊の知識などと大きく書かれているのをみても、好奇心が先に立つだけで、自分の躯《からだ》と照らしあわせて考えるということはなかった。オルガスムスという、舌を噛《か》みそうなコトバも、わかったようでわからなかった。友だちに、説明されても、はずかしさが先に立ち、また、数度の機会にも意識して、男に接したことはない。愛川にすれば、パンパン時代ということになるらしいが、由布は、ことわれば、ことわれる客を相手にしていたにすぎない。最初は、川原を散歩していて、男が挑《いど》んできたのだ。良《よ》っちゃんという若いテキヤだ。いくら思いだしても、性の高まりはなかった。あるものは、川面を照らしていた月光と、灰いろにぬれていた山肌《やまはだ》と、大工|小舎《ごや》のカンナ屑《くず》がお尻《しり》にふれて痛かったこと。それから、男をつきとばして走り逃げた時に、鉛色の空に散っていた鴉《からす》のむれがのこっているだけだ。  男というものは、みな兇暴《きようぼう》なけものである。気をゆるせば、いついかなる時でも挑みかかってくる。性は、あの一夜から、由布には恐怖であった。友だちにすすめられて、あるいは、女中|頭《がしら》に説得されて、二、三の客をとってもいたが、そのいずれの場合だって、本に書いてあるような甘美な経験はしていない。  このパンパンめ。この売春婦め。男の眼は一見やさしく光っているけれど、裏がえせば、一夜のなぐさみを得たい手管だった。好色以外に何もありはしなかった。どう温《あたた》められてみても、氷のように芯《しん》に出来た侮蔑《ぶべつ》感は、解けようもなく、性は、自分にとっていまわしく恐かったと、由布は思う。  そのことが、自分にとって不感症のタネとなり、結婚生活をいとなむ上に、欠点となっている、どうすればいいか。夫にいわれれば、ひきさがるしかない。泣きながらも、しかし、由布はこういった。 「パンパンしよっても、子が出来るのは、そんならどういうことですか。うちが伍一を宿したのは、いけんことじゃったといいなるですか。うちはそら、あんたと一しょになる前に、処女だったとはいってません。けんど、うちは、この世で、いちばん、好きじゃったのは、あんたですよ。そげん思うち、伍一をうんだです。うちの躯に欠陥があるなら、うちはしかたがない思います。けんど、うちは、丈夫な子をうんだです。うちは、母親になれたとです……」  愛川はぶすっとした顔で、耳をたてていたが、 「そら、パンパンでも子をうむよ」  といった。 「フランス兵の子をうんだ友だちもいるじゃないか」 「とみ子さんと、うちを一しょにせんでください。うちは、外国人を客にしたことなんぞありません。うちは、湯平で、芸妓《げいこ》じゃったんです」 「芸妓でも、あのあたりは、客と寝たというぜ」  と愛川はいった。 「お前が、うそをいい張るなら、誰かに頼んで、調べにいってもよいね。面倒なことはないと思うんだ。町役場か、県の指定医のところへいって、昭和二十五年、六年代のパンパンリストを見せてもらえばわかることだ。医者は法律に従って、検診をやっただろうからね。カードをくればわかるはずだ」  おそろしい言葉だと、由布は蒼《あお》ざめた。涙がとめどもなく出てきて、愛川の前に、ひれ伏していた。そうだ。愛川のいうとおりだった。湯布院へいって、いまは岩井病院にいる草本大悟にあえばわかることだ。検診カードをさがせば、柿本由布の名は出てくるだろう。そのカードは、「ドル買い殺し」の犯人捜査のための、警察の一方的な検診によったものだと弁解しても、カードがある以上信じてもらえまい。由布は、いま、れっきとした、パンパンとして、夫の前にひれ伏さねばならない自分を知って、泣きくずれたのである。愛川は、つめたく眺《なが》めやった。 「まあ、わしは、お前にだまされて、今日まできたんだな。裏切られたと思うと、しゃくにもさわるが、しかし、何も、放《ほう》り出そうというのではないんや。きみとは、どうしても、円満にやってゆけないから、やり直そうと提案しているまでなんだ。きみも、むかしの過失をみとめてほしい。わしは、きみに、できるだけのことはする。この家も呉《く》れてやるし、商売のできる資本もくれてやるよ……これだけ折れているんだ」  由布は、しばらく、だまっていてから、泣きはらした眼をあげた。 「お金にとりつかれたパンパン女なら、家やお金をもろうち嬉《うれ》しかろうと思います。けんど、うちはパンパンじゃなかったで、そげにいわれても嬉しいことはない。いうちょきますが、うちは、とみちゃんたちのように、自分がしてきた生活を、世間のせいじゃ、家のせいじゃ思わんできました。安江さんとこで、一しょけんめい、按摩なろうて、一人前になれたのも、これまでしてきたことが、まちがっていた、堅気な商売をしようと思うたからこそ、やれたんじゃと思いよります。誰のせいでもないです。世間のせいでもないです。うちのせいで、うちは湯平の芸妓になったんです。馬鹿じゃった分を、うちは、とりかえそうとがんばったんです。井川さんにも、あんたにも、うちは感謝してます。こげな結婚が出来て、うちは夢のようじゃったと思うちょります……それを藪《やぶ》から棒に、パンパンじゃったから別れるといわれても、急に納得がいかんです。伍一もいることじゃし、これから、どげんして生きちゅこ思うて……困っちょるんです」  離婚の仲に立ったのは、やはり井川である。由布は、愛川の言いなりになって使いにきた井川をみた時に、腹がたって、物も言えなかった。 「とんだ役目をひきうけて……あんたも、いやじゃろうが……仲人のわしが、今日、ここへ、顔を出しておかんと……あんたの損になると思うてなァ」  と井川はいった。 「弁護士にたのまれたらコトやからきいちょくれ。今どきの弁護士は、夫婦別れの仲立ちして銭をとる。法律からいうと、結婚二十年以内の場合は、妻の方が、三分の一の財産しかうけとれんらしい。愛川も、もう調べてそれを知っとった。が、伍一もつけてやることやし、菊坂のこの家と、それから、あんたの生業資金に、五百万出すというたよ。まあ、誠意がみえとるだな」  井川は、二通の離婚承諾書を由布の前にさし出して、 「ここへハンコをついてください。ハンコのほかに拇印《ぼいん》もいるが」  といった。由布は、書類を手にとってよんでみた。協議離婚承諾書としてある。自分の欄に、本籍、現住所が書きそえられ、もう印鑑を捺《お》せばそれですむらしかった。かんたんな紙切れである。これで足かけ五年の夫婦生活に終止符がうたれるかと思うと、由布は、今日まで地団駄《じだんだ》をふんできたおろかさがわかる気がした。 「こげな書類で、ケリがつくですか」 「ああ、区役所へもってゆきさえすればそれでいいんだよ」  と井川はいった。 「あんたはゆきにくかろうで……わしがもっていってやる」  由布はだまっていた。代りですむことなら、それの方がよいと思う。子を背負った、みすぼらしい姿を、吏員にみられるのはイヤだった。 「お願いします」  というと、 「銭も貰《もろ》うてきた」  と井川は、ポケットから二つに折った小切手を一枚とり出して、右肩あがりの、伍六の字で、一金五百万円と走り書きされたのをみせた。 「家の名義は、あんたに書き替えてあるのやし、これで、貰う分は、みな貰うたことになるね……」  井川はにこにこして、 「まあ、ものは考えようだ。按摩《あんま》を四年しよって、こんな家は建たんだろうし、五百万も預金はできまい……あんたも……ひと山あてたといえんことはないだな」 「うちには、子がおるです、井川さん」  由布は怒《おこ》っていった。 「家や金を貰うち……そらありがたいとは思いよります。けんど……子の一生を思うと、うちは……たえられん気持になります……あんたには、こげな気持はわからんじゃろ思います」  由布のこの離婚について、安江と母と、とみ子の三人三様の批判がおもしろい。安江には、とんでいって、すぐ知らせたが、 「……儲《もう》けたじゃない。按摩してて、あげな大きな家を買うなんて望めないことよ」  と開口一番に、羨《うらやま》しそうな顔をした。手切金として、生業資金に五百万円|貰《もら》ったと話したら、安江はひっこんだ眼玉《めだま》を大きく廻《まわ》して、 「五百万円もあんた、愛川さんて人は、親身な人ね。まじめでいい人じゃない」  といった。よそに女をつくられて、一方的に離婚を迫られ、しかも、子の将来もこっちにあずけ、それで、まじめで、親身だとは思えなかったが、 「愛川さんに比べたら、うちの人なんか冷たいもんよ。この家だって、あたしの名義じゃないしさ……商売の方だって、月末には銀行通帳を点検にくるから、一文だってあたしの思うようにならないわよ。毎日、朝早くから働いて、みんなあの人の実入りなんだから……」  安江は、由布の抱いた伍一を眺《なが》めて、 「そりゃ、あんたは、この子のことを考えると大変だというけれど……世間には、あんた、一文ももらわないで、子をつれて別れる人はいくらもあってよ……」  やっぱり、あんたは、玉の輿《こし》を掴《つか》んだ、と安江はいう。由布は、たとえ、家や金をもらっても、女ひとりで、これから、どうして生きてゆけばよいか。真っ暗な気持だったから、安江の言に不満をおぼえた。いわれてみれば、按摩をして、五百万の貯蓄はおろか、菊坂の家は買えないだろう。愛川と一しょになれたればこそだし、また、あきらめよく、離婚を決意して、夫を真中初枝にくれてやったからこそ、自分名義になったともいえる。 「愛川さん、それで、いまどこにいるのよ」  と安江はきく。 「渋谷のそのひとの所よ」  宮益坂のことをいうと、 「自分はアパートに入って、あんたに家を呉《く》れるなんて……見あげた男じゃない」  とまたいった。じつはそれほど、嫌《きら》われていたことにもなるわけだが、安江には、由布の口惜《くや》しさも、伍一をつれて、これからどうしてゆこうかと不安に耐えている気持への配慮はなく、ただ金と家が得られた離婚は賢明だったというのであった。 「あんたは、まだ、若いんだし、いくらでも、やり直しはきく。五百万円あれば、何だって出来るじゃない……アパート建てて、家賃とりたててたべることだって出来るしさァ」  由布は、安江に、離婚の真因はどこにあったか、をくわしくは話さなかった。 「ちょっとした呑《の》み屋だって出そうと思えば出せるしね。そのお金、無駄《むだ》づかいしないで……信託にでもあずけて……じっともってなさいよ。利子ででもたべてゆけるじゃない」  安江はそんなふうに羨《うらや》んだけれど、内心は、由布のこれからの生活に、多少の心配はあったらしく、相談があったらいつでもきなさい、あたしは、北九州から出てきたたった一人のあんたの友だちなんだから、といって、これまでにない親しみのこもった眼をした。この女《ひと》も金にとりつかれたありふれたひとだ、と由布は思った。安江のいうように、家と金があれば、それで、幸福といえるものではない。由布は正直、道楽者だったにしろ、愛川がまだ、夜おそく酔っぱらって帰ってくれた頃、家で伍一を抱いて、眼をあけて考えていた方が、幸福だったと思う。いまはあの充実感はなかった。愛川と別れて、女中の福子が、まだ行先がきまらぬままに、階下でぶすっとして起きている夜を、孤独に眼をあけていなければならない、淋《さび》しさ。これはむかしより、不幸であった。人間というものは、不思議なもので、道楽者の夫でも別れてみれば淋しい。何が、幸福か不幸であるかは、人それぞれの感じようながら、家と金があって、それで、すぐ鼻唄《はなうた》が出るというものではなかった。  同じ意味のことを、いみじくも、塚原で孤独に生きている母がいった。 「やっぱり、思うちょったようになりよった。伍一がうまれる時に、東京へいって、愛川さんの顔を見とって……こら、いつかは、この人とあんたは別れるんじゃなかろうかと思うた。けんど、それが、こげに早ようくるとは思わなんだ。なっちまったことは、いくらくやんでもしかたがないで、今日までのことよう考えて、これからの設計をたてないけん。考えてみると、後家になったのは母ちゃんもそうだ。母ちゃんの場合は、太市と由布がふたりいて、お父は働き者で、酒も呑《の》まず、タバコも喫《す》わなんだが、死なれてみて、母ちゃんは、自分が酒ばか呑んで、お父を苦しめてきたのが……よくわかった。けんど、あんたはちがう。あんたはなーんもわるかことして、別れたのじゃないで、大いばりじゃ。伍一が大きゅうなって、どうして、わしにお父がおらんじゃときいたら、本当のことァ教えてやらんならん……あんたは、まじめにこれから、伍一を抱いて生きてゆかな。仰山の銭をもろち、菊坂の家ももろち、明日にでも、母ちゃん東京へよんでくれるようなこと書いてあったが、母ちゃんは、そげな気持はちょびっともない。塚原の方がよいで……これからも、ずうーっとここで暮したいと思うちょる。あんたは、東京で、安江さんやとみ子さんと相談して、何ぞたくらみでもあれば、貰《もろ》うた銭を資本にして働けばいいでしょ。いうちょくが、離婚になったというてひとのせいにせんことじゃ。愛川さんもわるい人じゃったが、そげにあの人をしてしもうた責任もあんたにあるんじゃけん。自分のことも、反省して……将来の心をきめないけん」  母らしい筋のとおった意見である。夫にふられた娘へのいたわりは出ていたけれど、男っぽい物言いで、こんな判断をするのは、母自身のものである。父の生きている頃に、霧島明神で酒をくらって、戸板にかつがれてもどってきた母の面影が、その手紙に出ていた。  大阪のとみ子の見解はまたべつであった。由布の手紙を、何ども繰りかえしよんで、びっくりしたといい、長距離電話をかけてきた。 「やっぱり、うちらのように過去のあるものは、幸福な結婚はのぞめんのかも知れん。あんたの手紙をよんで、つくづく、うちは考えた。うちだって、トミオがいる以上、どうあがいても、ふつうの家庭もってしあわせになることは出来ん思うちょる。けどあんたは、うちよりはましで。伍一ちゃんは、日本人の子やし、正式に結婚もしよったんじゃから、つぎにまたどげなしあわせが待っちょるかわからんわ、けど……うちはちがうね。うちのようなもんがおる思うて、気を落さんで、元気でやっちょくれや。離婚の原因は、湯平じぶんのことがわかって、きらわれたといいよるが、そげなことは、男の勝手というもんで。由布ちゃん。なーんも、あんたが湯平で働いちょった頃は、愛川さんて人はどこに住んじょったか、知らん仲じゃったし、自分で自分の思うように生きよったんじゃから、関係はない。それを、まるで、あんたが、愛川さんに嘘《うそ》ついて一しょになったようにいうなんて……卑怯《ひきよう》じゃ。おかしい。一しょになってから、あんたが浮気《うわき》しよったというのなら、そら、離婚のタネにもなるじゃろが、浮気は、あんた、愛川さんの方がしよったんでえ。あんたが、むかしのことつべこべいわれて泣かんならんことはなーんもなか。じつをいうと、いまうちが世話になりよる小島も、ときどき、トミオをみよって、むかしのことほじくり出すことがあるのよ。そんな時に、うちはかなし思うが、いうてやるんじゃ。あんたは、うちが別府で美容院しよる時に知りおうた仲じゃ。うちがそれまで、ジョルジュとどげな関係にあったか……そげなこと、なーんもあんたと関係がありゃせん。あんたは、うちがそげな過去をもっち女じゃということはよう知りよって、一しょになっちくれいうたんじゃさかい。いまになって、昔のことほじくり出して、イヤなこというのは男らしない……うちは、そげにいうてやるんじゃ。小島は、おとなしい性質じゃで、いまのところ、うちに惚《ほ》れちょるけん、だまっちしまう。……男っちいうもんは、みーんな、こげな勝手なもんで。……由布ちゃん。あんたもこれから、ひとり立ちして生きてゆかんならん。うちの経験をよう知って……男とつきおうちおくれや。こんど、男に惚れて一しょになる時は、むかしのことみんないうて一しょになった方がいい。あとで、どげなこというても、あんたは、うちらの過去を承知で嫁にしたんじゃけん、いまになって、つべこべいうな、とどなっちやればいいんじゃし」  とみ子はとみ子で、同じ道をなやんで歩いてきていると由布は思った。正直、とみ子にいくらけしかけられても、由布は、いま、男を欲しいとも思わない。かりに、東京で、どんな男が現われて結婚を迫られても、由布は、首を横にふる自信がある。 「当分、うちはひとりでたくさんじゃ……とみちゃん。うちは、これからひとりで、商売でもして、しずかーに生きてゆく……男はもうきらいで」  そのように由布はこたえた。  もう、男はこりごりだった。とみ子にいったように、まったく、男を欲しいとは思わなかった。愛川と別れて、ひとり寝の二階の部屋が淋しいのは、負けた口惜《くや》しさがあるからである。抱いてくれる男がいないから淋しいのではない。正直、由布は、いませいせいしていた。朝起きて、伍一と一しょに、福子のだしてくれる食事をたべて、テレビをみたり、買い物に出たり、時には、安江のところへあそびにいって、のんきな生活だ。愛川がいた頃にくらべたら、気をつかわないだけでも、一日が明るい。日がたつにつれ、将来の生き方についても、着実な考えがうまれてきた。アパートを買い、家賃でたべるという方法もある。またどこか、真砂町か、初音町あたりに、格好な店の売り物があったら、バアか呑み屋を経営したって、二百万はかかるまい。バアや呑み屋は、悶着《もんちやく》も生じるだろうから、旅館をやりたい気持もある。古旅館を買って、そこに住み込んで、自分で帳場にすわる分には、いまの菊坂は不要になる。ここはイヤな思い出もあるから売ってしまったっていい。ちょうどそれは、台明館の女将《おかみ》のようなものだ。女将は、帳場の奥に寝て、四人の女中をつかって、結構、のんきであった。好きな長唄《ながうた》も、芝居見物も欠かしたことがなく、見ていて、ずいぶん気楽にみえた。考えようによっては、その方が自分に向いているかもしれない。  由布は、愛川が、思い切りよく、この家と、五百万の資金をくれたことを、感謝するようになった。別れた当座は、混乱して、冷酷な処遇だと憎んだものだが、よくよく考えてみると、とみ子や、安江にくらべて、いい人を得たといわねばならない。やりようによっては、伍一の将来も、大学ぐらいは出してやれる生活が保障されている。  由布は、福子に留守をさせ、自分は、朝から伍一を抱いて、安江のところや、台明館の女将のところへ相談にいった。ふたりとも、愛川の処置に感心して、由布を幸福だといってはげました。 「そりゃ、あんた、アパートだって……旅館だって、いくらも売り物はありますよ」  女将は羨《うらやま》しそうに、 「……こっちのお金次第だけどね、わたしは、あんたの性格からいって……つれ込み宿が似合うと思うねえ」 「つれ込みって……旅館とちがうですか」 「旅館は旅館でも、わたしンとこのような常連宿とちがってさ。アベック専門だよ……」  と女将はいった。 「そうさね。湯島あたりに売り物があったら無理をしても買っちまいなさいよ。菊坂を売れば、六百万ぐらいにはなるでしょ。それと貯金をあわせりゃ、一千万にはなるんだから、思い切って、買いかえるってことも……新規まき直しだねえ。それにあんたとこには、福ちゃんていう……いい女中さんがいるじゃないか。……鬼に金棒だよ……」  女将は福子のことも考えていた。  由布は、正直、福子の始末に困っていた。夫の世話でここへきた女中である。別れ話のいざこざも、夫の道楽ぶりも、みな福子は知っている。傭人《やといにん》にはちがいないが、伍一を抱いて、生れかわったつもりで生きてゆく由布にとって、昔のことを知られている女はけむたかった。女中は、これを機会に、新規のひとを入れて、福子には出ていってもらった方が、気がやすまった。で、福子に、その気持を説明してみると福子はいった。 「よくわかります。けど、奥さん、すぐに出てゆけとおっしゃても、わたしには、ゆく先がありません。新聞広告ででも、つぎの所へつとめられるまでは、ここにおいて下さいよ。サエキさんとも相談しますし……あの人は奥さんについていままでどおりおいてもらった方がいいいうんです……」  赤羽のトラヤというのは、遠縁とはいうものの、血の通わない伯母方の縁筋だとか。そこで、女店員をしていた頃に、福子は問屋からくる外交員のサエキと出来ていた。主人に忠告されて、なかばは家出のかたちで、菊坂へきたのだ。だから、いまになって泣きついて戻れる先ではないという。話をきいて、由布は、もっともだと思った。福子がつぎのつとめ場所を見つけるまで、いてもらうことにしよう。そのかわり、由布は、つぎの女中を物色しなければならない。だが、すぐ、いいひとが見つかるかどうか。これも不安である。  夫がいる時は、何かと、福子の存在が煙たくて、いうことなすこと、癪《しやく》にさわったものだが、いざ、伍一とふたりきりになってみると、打ってかわって、親身に思われる日があるのは不思議といえた。福子は夫の側だという先入観があったものだから、何かと、理由なく嫌っていたところもないとはいえない。持ち前の仏頂面《ぶつちようづら》ではあるが、むかしどおりに、台所にはげみ、掃除も洗濯《せんたく》もやってくれている。時たま伍一をあずけても、危なかしい抱き方で、あばばあばばとあやしてくれている。福子も変った、と由布はふと思った。どのような経路で、由布が夫に捨てられたか、一部始終を知っているだけに、やはり、女というものか。 「わたしは、誰が何といっても、旦那《だんな》さんのやり方は卑怯《ひきよう》だと思いますよ」  と福子はよくいった。 「奥さんという人がいながら、つぎに好きになった真中さんと一しょになりたくて、なんやかや、奥さんのむかしのことをひきだして、人に言いふらしたりするのは男らしくありませんよ。奥さんは、あんな人と別れて、いいことしましたよ。わたしは奥さんの味方です」  どこか安江と似た口ぶりだったが、福子もあるいは由布に家と金が出来たので、気がかわって、こっちへ味方するのか、ともふと思う。  あれこれ考えていると、決断もつきかねる性分だった。いっそのこと、九州へ帰って、母といっしょに暮そうかとも思った。だが、それは、出来なかった。湯布院は、古傷のうずく町である。いやなことがいっぱい起きる気がした。暮すのはやっぱり東京だ。この植民地のような、地方出の人間でふくれあがっている都会は、由布のような過去をもつ女に暮しよい。そうだ。愛川との失敗は、とみ子のいったように、自分にタネはあったが、相手がわるかった。よりによって、あんな男に嫁《とつ》いだから、こんなことになった。広い東京には、また、助けてくれる人もいるだろう、と思うと、やはり、菊坂に残って、再起を考えるのが、第一の道だと思えた。  五百万円を、あずけた東邦信託銀行の本郷支店は弓町《ゆみちよう》にあったが、そこに毛利彦一という年輩の次長がいた。井川のすすめもあって、小切手をそのまま、ここへあずけたのだが、何かと由布にやさしかった。四十を出たか、出ないかの、色白で、面容も思慮ぶかくみえる、いかにも銀行員らしい篤実な男である。ひとつは、五百万をあずけた女が、離婚後、赤ん坊とふたりで、夫からゆずられた家でひっそり暮している。気にかかるのは当然で、毛利はよく、菊坂へ現われた。何かいい買い物があったら、見つけておいてくれ、と頼んであったからである。この毛利は菊坂から歩いて十分とかからない初音町に住んでいたので、社の帰りだといって、伍一に、ボタンを押すとタバコがとび出るケースだとか、原色刷りのカタログだとか、銀行のサービス品など、時には大型のえほんもくれて、 「わたしにも、誕生すぎて間もない子がいましてね、奥さん」  と愛想よくいった。 「お宅と、よく似た子なんですよ。かわゆくて、かわゆくて……」  子|煩悩《ぼんのう》らしい細眼をなごめて、毛利は家の事情など、問わず語りにはなすのだった。初音町は、細君の父親の持ち家だとかで、近所に呑み屋だの、パチンコ屋だのがふえて困っている。夜ふけまで人通りが激しく、若者の喧嘩《けんか》口論もたえないので、子供の教育にわるい。ひっこしを考えているが、おいそれ、といいところも見つからない。伍一と同年の子のほかに、七つと五つの女の子もいる。 「これは、参考にきいていただければいいんですがね、……近くに一軒貸店が出たんですよ。そこは安い呑み屋で……通りに面した安っぽい建物なんですが、ついさいきんまで、五十すぎた夫婦が、『風車』っていう看板をだして、焼酎《しようちゆう》を呑ましていたんです……それが、やめちまったんですね。理由はまだきいてないんですがね……」  由布は、初音町に、格好な店が出たときいて、心がうごくのだった。 「あたしも、二、三回呑みにいったことがあって知ってるんですが、気さくなおばさんで……むかし、奉天だったか、新京だったかから、二十一年にひきあげてきて、かつぎ屋だの、闇屋だのして小金をため、そこで店をひらいたんです。……なかなか、繁昌《はんじよう》してたんですがね。どうして、やめたか、きいてませんが……あんな店だったら権利金だけで、安く手に入りましょうよ……やってごらんになってもいいんじゃないですか」 「小さい店がいいんです。バラックで結構なんです」  と由布はいった。 「失敗しても、出血の少ないように……はじめは、小ぢんまりしたことからやってみたいんです」 「奥さんは、堅実だから、何をおやりになっても安心ですよ」  毛利は、そんなことをいって帰ったが、それから五日ほどすると、またやってきて、 「聞いてきました」  とにこにこしていった。 「ひっ越したと思ったら、ご夫婦は奥に住んでましてね。……大通りの方へ新規の店を出すんだそうです。こんにゃく閻魔《えんま》さんをご存じですか」  初音町の都電停留所から、菊坂とは反対の方角へ一町ばかり入ると、そこはつき当りになっていて、繁華な商店街になるが、どうして、またそのような名がついたか、こんにゃく閻魔さま、とよぶお堂がつき当りにあった。一、二ど伍一を抱いて、散歩したこともあるので、あたりの様子はだいたい浮んだ。 「閻魔堂の前に古道具店があるんですがね、そこの隣りへ……いま、大工を入れてるんだといって……『風車』で結構……儲《もう》けちゃって……こんどは本格的なバアをひらくんだと、おばさんははり切ってんですよ」 「………」 「奥さんの名は出しませんでしたがね……これこれ、こういうひとが、店をさがしているっていったら、あたしんとこをやってみてくれないかって、おばさんはいうんです」 「………」  毛利は由布の顔をうかがいながら、 「どうせ、おやりになるのなら、縁起のいいところをと思ったもんですからね……それと、そのおばさん……素人《しろうと》あがりにしては、商売じょうずで……なかなか、さっぱりしたいい人なんですよ。どっちにしても、あんな人と奥さんが近づかれて、智慧《ちえ》を貸してもらうってことも、いいことじゃないですかね……」  毛利はそういったが、そのあとで、 「しかし、いうときますが……お金があるってことは、口に出しちゃいけませんよ。うっかりしたことをいって……馬鹿をみちゃ損ですからね」  毛利に教えられて、由布は、その店を見てみたくなった。なるべく、五百万円に手をつけたくなかった。毛利がいうように、信託にあずけたままにしておいて、百万円ばかり借出金をつくって、それを資本にやってみたい。話をきくと、手頃《てごろ》な店のようだ。  由布は、その翌日、伍一を抱いて、午《ひる》すぎの明るい陽ざしの中を、初音町の方へ降りていった。  都電通りをわたって、つき当りの閻魔堂の前から、舗道《ほどう》の上を歩いてゆくと、以前にきた頃とはちがって、たしかに、このあたりの様子がかわっている。新刊書を売る店、洋品店、すし屋、うどん屋、パチンコ屋、バアなど、軒なみつづいている。たしかに騒々しいけれど、呑み屋をひらくのなら、これぐらいの人通りがなくてはいけないだろう。由布は、そう思いつつ、「風車」をさがした。  目あての店は戸を閉《し》めていた。たしかに、毛利のいったとおりで、間口は二間ほどしかない。隣りは大きな洋品店で、わきに露地があり、裏口へまわれるらしい。由布は、その前を行ったり来たりして、様子をうかがったが、おばさんらしい人は出てこなかった。向う隣りは、機械工具の会社の仮事務所になっている。  由布は、一見して、その店が、目だたぬ、質素なかんじがするのに好感をもった。中国からひきあげてきた夫婦が、ここを根城に、ひと旗あげた。そして、つぎの店へ張り出そうとしている。夫婦に、なにか、羨《うらやま》しいものも感じて、由布は去りがたい。それから、四、五日して、毛利が立寄った時に、由布は、店を見てきたといった。 「いいところじゃないですか。うちは気にいりました。権利金はいくらぐらいとるんでしょうか。はなしてみてくれませんか」  というと、毛利は、にこにこして、 「みてこられたんですか」  と熱心さに感動の眼をして、 「それじゃ、あたってみますか……」  といった。 「とにかく、わたしは、銀行にいていうんですからまちがいありませんよ。お金は、だんだんインフレに向いますからね……物にかえたがいいんです。あの店ぐらいを借りて、こちこちやっていなさったら、いまのように、なしくずしの心配はなくなりますからね。いろいろとまた、相談にものってくれる人ができるかもしれません。わたしも奥さんが、あすこで店をやるんなら、応援しますよ」  気のりな顔である。  なるほど、世間はインフレだった。経済事情に疎《うと》い由布だが、金の価値は、家や土地に比して下落している。早い話が、由布が上京した当時は、東京都はまだ転入禁止令を解除したばかりであった。人口の急増に追いつく住宅はなかった。六畳ひと間に六人家族が暮し、三畳ふた間に二家族が同居している話はざらで、地獄のような住宅難は、近親縁故の間柄にさえ、刃物|沙汰《ざた》など起して新聞をにぎわした。金より土地を、家を、というのが、町の投資家たちの合言葉だった。毛利彦一が、信託であずかった五百万を、有利に使うようにといいながらも、「風車」の空店《あきみせ》を借りる段になると、うっかり本音をいうのに驚いた。で、初音町のあの店なら、通りに面していることでもある。呑み屋で失敗しても、改造さえすれば、事務所にだって何だってつかえるし、貸店舗も考えられないではない。いっそのこと、老夫婦にたのんで、売ってもらってもいいではないか。 「権利金を払って、みすみすお金を捨ててしまうより、言い値で買いとった方がいいのとちがうじゃろか。毛利さん、あげな古い建物じゃから知れてるし、土地の値は見積って……いくらぐらいですか」 「さあ」  毛利は首をひねった。坪十万円としても、二十坪くらいしかないから、二百万円の計算になる、とあいまいにこたえる。 「二百万円じゃったら、買うてもいいでしょう。土地はあがるんでしょ。毛利さん」 「そりゃ、わたしがこんなことを言っちゃ、商売の方があがったりになりますが、銀行にねかしておくよりは、分はいいでしょうね」  インフレの傾向は、銀行にも、多角経営化を求めてきている。土地家屋の斡旋《あつせん》売買、さらに登記監理など、系列会社でまとめてやってくれることになっているとも毛利はいった。 「なんなら奥さん、わたしんとこの姉妹会社の東洋土地に……委《まか》してみたらどうですか」  由布も、それなら安心だと思った。毛利が懇意にしている寺本という、土地会社の渉外係りをつれてきたのは、それから間もなかった。三十七、八の男はチョビ髭《ひげ》を生《は》やしていたが、仕事熱心で、「風車」の老夫婦へ直談判に行ってくれた。仲介斡旋も業務のうちだし、毛利から、由布のような小金持を世話してもらったことに感謝もしていて、暑い陽《ひ》なかを、菊坂から初音町まで、てくてく歩いて、何度も往還した。何どめかの交渉が終って、 「先方は、新店に金が要《い》るらしくて、買い取るといったら、じつは、にっこりしているんです。けど、いまのご時勢でしょ。値段の話になると、なかなか、まとまらなくて……しかし、こっちの二百万の線は、だいたい呑みこんでくれそうですね。そのかわり、奥さん、キャッシュが条件です」  この寺本重次郎の紹介で、由布が、初音町の「風車」を二百万で買取って、登記もすませたのは、昭和三十一年の十月である。由布は、老夫婦に立退《たちの》いてもらって、改造をはじめた。間口二間、奥行き九間そこそこの細長い土地に、戦後早々に建てたバラックだったので、もう根太もくさっていた。とても、そのままではつかいものにならなかった。で、土台からやり直し、八分どおりの改築である。由布にとっては、最初の事業だから、念を入れて、感じのよい店にしたかった。  福子に伍一をあずけて、由布は毎日、暑い陽《ひ》ざかりを、日傘《ひがさ》さして、現場へ出かけた。東洋の寺本がつれてきた大工たちは、千葉県の出だとかで、田舎訛《いなかなま》り丸出しの、よく働く、気さくな連中だった。十日で改築を終る約束が十四日かかったが、表に面した入口は、思いきりふんぱつして、純日本風にし、一間の格子窓を両側に、ひき戸の、硝子《ガラス》障子を、あけて入ると、清潔な黒セメントの三和土《たたき》、大谷石があちこちちらばっている。そうして、北側に一枚板の広いカウンター、十人ぐらいかけられる、これもぶつ切り材の肌《はだ》もそのままの止り木|椅子《いす》をならべ、反対の南の壁ぎわには、あげ床をはってへりなし畳を敷きつめ、仕切りには戸ははめていない。したがって、入口をはいると、建物全体の半分が、ふきぬけたかんじで、ひろくみえる。調理場はカウンターの内側で、水道、ガスを引きこみ、うしろ壁に台を置き、煮物など出来るようにし、頭から上は、踏みつぎで出し入れする皿《さら》、コップ、洋酒|瓶《びん》などの飾り棚《だな》、当時としては、なかなか手のこんだデザインだった。由布は、この店をつくりはじめる頃から、大阪のとみ子か、松山の名本いちをよんで、責任をもたせてやるのもいいと考えていた。とみ子は、強がりなことをいっているけれど、材木商の小島とは、うまくいっていない様子だし、いつかは、トミオをつれて独立する機会をねらっているのがわかる。名本いちも、松山へ帰って、奥道後の鉱泉宿につとめたと手紙をもらっていたが、話のしようによっては、上京してきそうな気がした。  とみ子も好きだったし、いちも好きだった。ともに湯平で苦労した仲間だ。世間には秘密にしているけれど、一時期、躯をひさいだ仲間である。きっと、このふたりの将来も、自分に似て、安穏な家庭を築くことはむずかしいだろう。ふたりが、上京して、これから、自分の事業を手つだってくれるのだったら、旅費だって先貸しする気だった。大工たちが一服したさいに、由布がさし出す茶菓子をつまみながら、 「奥さんが、この店をやりなさるんですか」  と不思議そうにきくのに、 「そうね……当分はわたしがやるつもりだけど、友だちに委《まか》せるつもりなのよ」  と由布はいった。 「へえ……」  と大工たちは、由布に眼を細めた。由布をよほどの金持の奥様だとみているように思えた。  これも、寺本の発案だった。由布は工事中に、戸口へ「女店員募集」の貼《は》り紙をしておいた。希望者は菊坂の家へきてくれるように、書いたのだが、申込みの女がふたりきた。一人は、白山下に住む二十二の、小づくりな、お世辞にも器量よしとはいえぬ、不潔なかんじの娘だった。五分間ほどの面接で、由布はことわった。もう一人の娘は、富坂二丁目に住み、二十四といった。色白の、ひき臼《うす》ほども肥《ふと》った大|尻《じり》の女で、愛嬌《あいきよう》があった。せまいカウンターの中が働き場だから、大女では、と危惧《きぐ》もしたけれど、感じのよい、はきはきした物言いだし、どことなく男好きのするタイプで、わらうと小鼻のふくらんだ頬《ほお》に片えくぼができる。肥った女に悪人はいない。事情をきくと、印刷所で女中をしているという。毎日の仕事がたいくつだし、性質として、水商売で下働きなどするのに向いている、自分でもそれはよくわかるので、どこか近くの店で、という。名前をきくと、岸本八重子。人柄そっくりの名だと由布は思った。で、応接間で三十分ほど話をきいて、採用に決めた。  この会話を、茶を出しにきた福子がわるいくせで、盗み聞いて、 「奥さん、お店が出来たら、わたしもつかってくださいね」  といった。由布は面喰《めんくら》った。同じつかうなら、福子の方がいいにきまっている。しかし、留守番も要《い》るし、伍一の守りも要るから、いまのところ、福子は家にいてもらわないといけない。 「あんたが、店へ出ちくれたら、嬉《うれ》しいで。けんど、家にいちもらわんと困るわ……」 「九州から、お母さんをよびなさるのとちがうのですか」  と福子はきいた。そのことも、福子には何どもいってあった。塚原の母は、開店するようになったら、手つだいにはくるが、東京に永住するのは嫌いじゃ、としつこくいっている。当分は、母に留守兼守役をたのむとしても、やはり、福子が家にいないと、まずいことがある。由布は、同じ女中出の女を店へつかうのだったら、ひきかえてもらえないか、という福子の言い分も納得出来るので、 「お母さんが馴《な》れちきなあったら、あんたにもきてもらうわ。けど……それほど、あんた水商売してみたいと思うかね」  あきれたが、由布は、開店の日を待ちわびる福子の笑顔が嬉しかった。店の名は「ゆう子」と名づけた。毛利彦一と寺本重次郎の案である。由布をもじっているのだから、由布はわるくないと思う。保健所と警察への手続きもこの「ゆう子」で届けている。  初音町の「ゆう子」が成功したのは、一つは由布の地味な働きぶりが、客に好感をもたせたというしかないが、何しろ、由布は、うまれてはじめて、こんな商売をはじめたのである。開店当時の忙しさといったらなかった。一品料理や鍋物《なべもの》は、先住の「風車」の老夫婦に教わって手さぐりだったし、酒類の値段から、貸売り客の帳簿つけまで一切寺本の指導によった。「ゆう子」という赤|提灯《ちようちん》を軒につるしたのも、寺本の案である。開店してみると、あたりの商店主だとか、年輩の事務員や学生が、楽しみにしていたことがわかった。というのは、この界隈には手頃な呑み屋はなくて、先住の「風車」が、近くに移りはしたが、いくらか高級バアに発展していったから反感もある。安呑み屋で、しかも、清潔な「ゆう子」の方に、気安いものを感じたのだろう。客たちは、由布のことを「かみさん」または「ママさん」とよび、岸本八重子のことを「ヤエちゃん」「嫂《ねえ》ちゃん」とよんで初日から親しかった。馴《な》れない二人が、立て混《こ》んで右往左往し、汗だくになるのを、にこにこして客は眺《なが》めた。包丁さばきも、手もとあぶなかしい由布だった。だが死物狂いでおぼえた。馴れてくると、由布はこの商売が向いていることを知った。客たちにも由布は素人《しろうと》っぽくて感じがいい。十二時がカンバンときめられていて、警察もやかましいので、尻《しり》のながい客は、閉店だけきびしくした。しかし、それも開店当座であって、ひいき客がダダをこねると窓にカーテンをたらして、表戸には鍵《かぎ》をかけ、おそくまで呑ますことがある。そんな日は売りあげものびた。由布は閉店後は、八重子と二人で菊坂へ帰った。たいがい時刻は二時である。それから、風呂に入って、母とむきあうのが三時。母はもうとろんとした眼をしている。 「お母ちゃん、うち、やっぱり、こげな商売にむいとったわ。どげな客にも応対できるし……どげに遅《おそ》うまで働いても、ちいともつかれはせん……やっぱり、好きじゃったんじゃのう」  たねは、不安そうに由布をみて、 「景気のええことは、そげにつづきはせんで、由布ちゃん」  という。 「新しいうちは、お客も、めずらしゅうて、きちくれなるじゃろけんど、おめひとりで店をしよるんじゃないで。すぐにまた、倦《あ》かれてしまうかもしれん……それも計算に入れとかな……」 「わかってる。でもね、うちは、お客さんに感じがいいそうよ。みんな、いい店だ、いい店だいってくれるの」  店へ出るようになって、東京弁のまじるようになった由布は、眼を輝かせていう。 「いまになって思うと、うち、やっぱり、あの人と別れてよかったと思うわ、お母ちゃん……」 「また、そげなことをいう。なーんもかも、あの人のおかげじゃがな……感謝せねばいけん。店を買えた金も、改造できた金もみーんな、あの人がくれたんじゃもん……」  憎いと思った愛川も、恩人に思える。人間の心は信用できない、とふと由布は思う。  せまい店のようだが、混《こ》んでくると、カウンターに八人、上り間に九人の客が、詰めこまれたかんじもなく、それぞれのグループで卓を囲んで呑むことが出来たが、満員になるようなことはめったになかった。しかし、十人ぐらいの客がいっきにたてこむことはめずらしくない。そんな時、由布は八重子とだけでは手不足なので、電話をかけて福子を呼ぶことにした。不思議だった。福子は、店へくると生々してみえた。この女も水商売に向いていた。八重子と対照的なせいもあって、客のあいだを、泳ぎまわる姿には、軽快さがあった。福子の来ない日は、淋《さび》しがって早帰りする客もできた。由布は、母にいった。 「お母ちゃんが、菊坂でひとりで留守してくれれば、福ちゃんも使えるし……どうじゃろか。当分、塚原へは帰らんでほしいんじゃ」  たねは、首をふった。 「そげなことはいけん。わたしは塚原へ帰らな。家はほったらかしにしてあるんじゃけん」  どうして、あのような淋しい村へ帰りたいのかと問うと、たねはかなしげな眼をむけた。 「お母ちゃんは、由布岳の人間じゃで、とても、こげな息苦しい東京に暮せんじゃわ……性があわんで」  歩きはじめた伍一もかわいいので、東京にいることは、楽しくはあるが、しかし、このまま、ずるずると馴《な》れてしまって、九州の村の家を捨てるようなことにでもなれば、父親や太市の眠っている家が荒れるという。そのことが、気にかかるのだと、母はいう。 「お母ちゃんは、古い」  由布はいった。 「うちが『ゆう子』を大きゅうして、よそにまた店でももつようになったら、心をきめて、こっちへ移ってもらわなならんことになる……いつまでも、お母ちゃん、年とって、あげな村で、日傭《ひやと》いしたり、百姓しちょるつもりかえ」 「ああ、わたしは、百姓する」  たねはいった。 「あんたは、いまはそげにうけに入って、景気のいいこといいよるが……波のある女《おな》ごじゃで、また、どげなことになるやしれん……いつ、村へもどりたいと泣いてきち困らせるかもしれんじゃ。そげに思うと、やっぱお母ちゃん、塚原にいよって……あんたの根っこになっちょらんといけんのじゃ。一しょに……こげな東京で、死んでしまうのはいやで」  由布は、どういっても、きかない母にてこずった。しかし、母のいい分もよくわかるのだった。なるほど、母には、太市や父の眠っている塚原は捨てられないだろう。それにしても、もう少し、店がおちつくまで、がまんしていてほしい。たねは、 「正月までは、おるで……」  といった。 [#改ページ]     十 五 章  名本いちが突然やって来た。まったく、この女の性格からして、突然という形容はぴったりだった。手紙は出しておいたが、返事も来なかった。おそらく、いちも奥道後の温泉宿で落ちついて、あるいは世帯をもったかもしれぬ。返事のこないことを淋《さび》しく思っていたが、十一月に入って間もないうすら寒い日の四時すぎ、八重子をひと足早く初音町へゆかせて、風呂へ入り、二階で化粧していると、そのいちの来訪だった。福子のしらせで、半化粧のまま、階段を走り降りると、 「あんたァ……」 「あんたァ……」  ふたりは、玄関で抱きあわんばかりに、顔を見あわせた。 「なーんもいうてこんと……やってきちびっくりするじゃない。けど、あんたらしいじゃ」 「松山の郵便局は、ストライキでのう……手紙書いても、届きはせんじゃろ思うて出さなんだんじゃ……かんにんして。早ようきたいもんじゃで」  いちは男のようなのど仏をみせて、くくくくと、昔とかわらぬ大笑いをした。 「あがっておくれや。いつ汽車でついた」 「いまじゃ、東京駅について、まっすぐにとんできた」 「そうかえ……」  台所の母と福子に紹介すると、いちは、それでも、落ちついた年齢相応のあいさつをかわして部屋を見まわし、 「由布ちゃん、あんたは、えらく出世したなァ」  感心したようにいった。 「こげな大きな家に住んで……その上、あんた、べつに店もっちきばっちょる」  単純ないちの物言いに返事ができなかった。たねも、わきにいた。話にきいているこの友だちの、あけっぴろげな態度には好感をもったらしくて、 「どげなことになるじゃか、わたしも……わからんですじゃ」  と話をあわせた。 「馴《な》れん商売おっぱじめて……うまくゆくじゃろか、どうじゃろか。松山から、あんたにきちもろたら、たすかるといいづめじゃったですが。……あんた……手つだうつもりで来てくださったんでしょうね」 「もちろんよ。ね、いっちゃん」  由布がいちの顔をみつめると、いちははにかんだ眼をたねにむけて、 「手つだうちいうたって、素人《しろうと》じゃで、どげんなことんなるかわからん、が……とにかく、由布ちゃんの手紙よんで、うちは、なーんもかも荷物まとめて、松山出てくる決心がついたんで……よろしゅうお願いします。お母さん……来た以上は、一生懸命、働きますで」  覚悟してきたらしかった。あとはチッキでくるというが、大きなレザー製のスーツケースをわきに置いて、この女は大きくわらうのだった。  しばらく見ないうちに、変ったと思う。というのは、まだ、湯平にいた頃は、どことなく、娘々してみえたのに、ずいぶん落ちつきが出ていた。大柄で、キメのこまかい首のあたりの肌に、ぬれたような艶が出て、色っぽくみえる、温泉宿にいたせいだろう。少しも埃《ほこり》じみたかんじがない。小鼻の大きな、ゆたかな顔は、いち独得の細眼《ほそめ》といい、人の好さが出ていた。 「あんた、結婚はせんじゃったんかえ」 「そげなめんどうなもんしたってはじまらんし、また、うちらにゃ、ろくな男しか出来んで、その方は、あきらめたんじゃ」  といちはいった。 「由布ちゃんは、いい旦那さんをあてたのう。こげな家さ住んで……それに店ひらく資金も呉れなったなんて……いい人じゃったのう……」  羨《うらやま》しそうにいうのであった。伍一がいる。その子をこれから、女手一つで育ててゆかねばならぬ。その代償としては、当然のことだと、由布はいいたかったが、 「そら、あんたらには、そげに見えるかもしれんが……うちには、いい旦那さんじゃったとは義理にも思えん」  といった。 「別れるときにゃ、いろいろと悶着《もんちやく》があって……いやいや決心がついて、別れたのやけんど、やっぱ、こげな結果になってみれば、いい旦那さんとは、いえんじゃわ。いっちゃん。うちは振られたんじゃもん。それに、うちの人はいまは、成功して、えらい景気じゃ。こげな家の一つぐらい、手放しても、ちいとも惜しいことはないんで」 「東京には、ずいぶん、豪勢な男がおってなんじゃのう。わしらも、そげな人にめぐりおうて、由布ちゃんみたいになりたいじゃわ」  といちは本気らしい眼でいったが、 「けど、伍一ちゃんをこれから一人前にしようと思うと、あんたも大変じゃのう」 「まんだ二つになったばかりじゃで。責任も重いわ」 「毎日、お母さんに伍一ちゃんあずけて、店に出てなるの」 「毎日よ。でもあんたが手つだってくれると、うちは大助かり」  由布は、いちの顔をみて、本当にほっとしたような気持になった。 「あんたには、店に泊っちもろて……おかみさんになってほしいんじゃな。ほんとのとこ、首なごうして待っとった」 「うちが女将《おかみ》になる? 由布ちゃん」 「そうじゃ。いまのとこ、閉《し》めてこっちへもどってきよるが、用心がわるいで。泊ってもろうて、きりまわしてほしいと思うたんね。あんたは適任じゃ。たのむで。いっちゃん……これから、すぐ、案内するで」  いちは小さい眼をくるりとまわして、由布をみつめている。  そのことは、手紙にも書いておいた。もしいちが、初音町の「ゆう子」をきりもりしてくれるようになれば、由布は、つぎのおもわくがある。このぶんでゆくと「ゆう子」は、一年もたたずに、毛利から融資してもらった元金をかえすだろう。すれば、つぎにもう一軒の分店をひらくことが出来る。銀行には信用もある。三、四百万の融資は可能だ。初音町は、大衆|割烹《かつぽう》の店だから、つぎのは、少し、高級にして、座敷もある料理屋風のものにしよう。それとも、「風車」の老夫婦たちのように、洋酒バアをひらくのもよい。時勢は、どちらかというと、バアの全盛であった。割烹店や、料理屋よりも、回転率がよい。となると、ホステスも置かねばならぬが、これには、大阪のとみ子が向いていないか。  由布には、「ゆう子」が成功の兆《きざ》しをみせはじめた時から、すでにこの腹案があった。とみ子や、いちを助けてやらねばならぬ。とみ子やいちが、東京で、いわば由布の経営する店の責任者として成功してくれれば、つぎつぎと友だちをよんで、それらの友にも、一人立ちしてもらいたい。心に固《かた》く誓ったのだ。 「うちはな、とみちゃんと昔話をしよる時に……ふっと、そげに思うて……思い切って店を出してみたんじゃ、いっちゃん」  由布は、本心を打ちあけた。 「うちらは、世間の娘さんらとちごうて……みーんな、過去に、つらい傷をもってきちょる、なかなか、ふつうのしあわせを得ようと思うても、うまくはいかん。とみちゃんもそうなら、あんたもそうだわ。わたしだって、つい、このあいだまでは、泣いちばっかりおった……世間の人らはパンパン上りじゃいうて、バカにしよる。そげな人らを、見かえしてやりたいんじゃ。わかるかえ、いっちゃん」  いちは、眼をすえて、じいっと由布をみていたが、この時、眼|尻《じり》に光るものをみせて、 「ありがとう、ありがとう」  といって、頭をさげた。 「由布ちゃん、ありがとう。あんたは、いい人で、うちは、手紙をよんだ時、ほんとに涙が出た。あんたが、うちのことを忘れずにいてくれて、その上、こげに、世話してくれる……嬉《うれ》しゅうて嬉しゅうて。うちには、あんたは身内の人みたいな気がした。とみちゃんも、東京へきたら……そら、三人組がそろたことになるで、楽しわ。ぜひ、実現しちょくれ。うちは、あんたのためなら、身を粉にして働くで」  この女は人がいいと思う。嘘《うそ》はつけぬ。人をだますような、ずるがしこくて敏捷《びんしよう》な女ではない。それは、もう、湯平にいる頃《ころ》からよく知っている。 「いっちゃんが、その気で来てくれたのなら、鬼に金棒じゃえ」  由布は、いちが着いたその日の夕刻に、初音町へつれていって店をみせた。いちが、店の内部をみて、びっくりしたことはいうまでもない。 「ええ店じゃ。奥道後にもこげな店はなかった」  いちは大声でいった。  名本いちは、その夜から、店を手つだった。いちは、この種の商売に向いていた。働きぶりは堂に入ったもの。昨日まで四国の鉱泉宿にいた女に見えず、薄化粧して、ウールの紺無地|単衣《ひとえ》に、簡単帯をしめたのは八重子と同じだが、いかにも呑み屋の女といった感じがでていた。客との応対も、料理のはこびも、酒のつぎ方も、しゃきしゃきして気持がよい。八重子も、いちの登場で、ラクになったせいか、ほっとして、 「奥さん、いい人がいらして、嬉しいですわ。いつまでも、いて下さるんでしょうね」  といった。 「この人は、あたしの無二の親友よ。ゆくゆくは、ここの責任をもってもらうつもりできてもらったんだから、あんたも、仲よくやってちょうだい」  事実、いちは八重子とも気があうらしくて、ちょっとした失敗にも、大声たてて笑い、これまでにない活気にみちた空気がながれた。いちは化粧すると美しかった。由布よりは、二つ年上だから、三十一である。その貫禄は十分だし、何よりもキメのこまかい、つるりとした肌《はだ》がいい。声も多少は低音で、いい声とはいえないけれど、チャーミングだ。東京の客は、初見世の女にあいそがよい。  その夜は十二時をかんばんにして客を帰すと、三人は、カウンターにならんで、夜食をたべた。 「どう、こげな店でも、やってみちくれるかのう」  由布がきくと、 「こげなとこなら、うちに向いてる」  といちはいった。 「お客さんも、みな、感じのいい人ばかしじゃし、流行《はや》るじゃない。一生懸命、やっちみるで……」  いちはにこにこしていった。  由布は、計画の一つがこれで果せたと満足した。つぎは、大阪のとみ子を呼びよせることであった。 「あんたが、ここに訓れちきたら、つぎは、とみ子ちゃんじゃ」  と帰りながらの途次、由布はいちにいった。 「湯平で苦労した仲間じゃから、何としても、三人が助け合うて、みんなを見返してやらな。わかっちくれるじゃろ、いっちゃん」 「とみちゃんも、うちが手紙書いてやれば、とんでくる。こげなとこなら、うち、こっちへくる途中に、大阪に寄ってきたらよかったわ」  といちはいう。 「あの人だって、困っとるんじゃもん。トミオ君がいる以上、うまくゆくためしはないんじゃし、やっぱり、独立して……わたしらと働いちょった方が、いいにきまっちょる……由布ちゃん」  そのとみ子が、トミオをつれて菊坂に登場するのは、いちが「ゆう子」に馴れて、名実ともに、女将《おかみ》の貫禄が十分にそなわった三か月後のことであった。 「あんた、よく来てくれたわねェ……あがんなさいあがんなさい……トミオ君も……大きゅうなっち……ほんとに、お母さんに似た顔しよって……」  玄関に立って、しょぼんとしているのをみた時、先にきた時よりは、いくらか大人《おとな》びて、背も高くなった混血の子の顔を、とみ子は撫《な》でながら、にっこり大口をあけ、 「手紙をみて……お世話になろうと思うて来た。いっちゃんも来とって……」  と奥をのぞいた。 「いま、電話をしたからね、店からとんできよるじゃろ。いっちゃんは、店よ」  というと、とみ子は、へえと、びっくりしたように、由布をみて、 「あんた、うちがこげな子をつれてきて大丈夫じゃろかのう」  ときいた。 「大丈夫も、大丈夫じゃないもないわよ。あんたのくるのを待っとったんじゃで」  春が近づいているので、母は塚原へ帰らねばならぬ、といい、一日も早く、とみ子が上京するのを待っていたのだった。たねはとみ子と初対面ではない。年増《としま》女になったとみ子をよろこんで迎えて、 「あんたがきたで、わたしは田舎《いなか》へ帰れるじゃ、とみ子さん。首を長うして待っとった……」 「お母さんが帰ったら、伍一ちゃんを誰がみるのよ}  とみ子はきいた。 「あたしがみる」  と由布はいった。 「手紙にも書いたように、店の方は、いっちゃんと、あんたでやってほしいの。初音町の店で、あんたに馴れてもらったら、つぎの店をやりたいから。いっちゃんには初音町、あんたには新店をやってもらって、わたしは、ここにいて、伍一を見ることもできるでしょう」 「………」  とみ子はふふんとうなずいて、 「そうすっと、あんたが社長さんで、わたしらは支店長っていうわけかねえ」  といった。 「まあそうよ」  と由布はいった。 「うちはね、あの人から、手切金をもらったけど、その金を、力いっぱい将来のおもわくに利用してみたいと思うのよ。それには、何としても、わたしの味方になってくれる人が必要なの……あんたと、いっちゃんがいてくれれば、うちは決心がつく」 「………」 「あたしは、事業家になりたいのよ。とみちゃん……」 「事業家に……」  とみ子はきょとんと由布をみた。  とみ子は、大阪の材木商小島岩蔵と正式に別れてきた、といった。もともと、小島は、別府でとみ子が美容院をしていた頃に、駅附近の簡易建築景気に便乗して、大阪から出張し、資材をはこんだ仲買人だった。ジョルジュがフランスへ帰って、何かと不安を感じていたとみ子に近づき、物心両面の相談役となったが、混血のトミオがいるから、しっくりゆかなかった。まもなく別府の出張所をたたんで、大阪へひきあげ、とみ子はひとり残って、美容院を守ったが、経営の才にとぼしい彼女は、狡猾《こうかつ》な傭人《やといにん》に勝手なことをされ、金繰りに困るようになった。何かと新製品の出はじめた美容界である。機械器具の月賦に追われて、傭人の給料もはらえなくなり、見習までが馬鹿にしだした。嫌気《いやけ》がさして、思い切りよく、店を他人にゆずった。借金はそれでケリはついたが、そのまま、別府にいるのがイヤになったので、大阪へ出て小島を頼《たよ》った。小島には妻子があった。大学へゆく長男、タイピストの長女。まだそのほかに中学生の子が二人いた。とみ子は天王寺から奈良へゆく途中の、若江の田圃《たんぼ》の中に建ったアパートに住み、小島が週に一どくらい通ってくるのを待つ生活に入ったが、トミオも大きくなってくると、六畳一室の暮しも息づまってくる。せめて、六畳と四畳半ぐらいのアパートへ越させてくれと小島にたのんだが、市外の造成地に、いくつも似たようなアパートを経営する身でありながら、若江のそこで、辛抱しろ、ととみ子にいい、容易なことでは、越させてくれなかった。その上、アパートの住人たちは、トミオをみて、とやかく噂しはじめた。小島が、別府で拾ってきたパンパンあがりに、てこずっている。そんな噂をきくと、とみ子は居づらくなり、正直のところ、由布の手紙は、どれほど嬉《うれ》しかったか。 「うちは、負け惜しみなところがあるで、先にきたときは、なーんもいわんじゃったが、小島とは、そげな仲やったんよ。別れたって……ちっとも、惜しい人じゃなかった。うちも、少しは貯金もしてきた。あんたンところで働いて、給料ためた分をこれに足して、いつかは、あんたのように、独立してみる。たのむから、うちを……それまで店でつこうて」  こっちが大喜びで迎えたのに、とみ子は、ぺこぺこしていて、 「みちょくれ……これ、ジョルジュがくれた金」  といって、若江の郵便局の捺印《なついん》のある通帳をみせるのだった。由布は、のぞきこんで数字をみた。七十万何がしの字がよめる。 「あんた……そげな苦労しよって……こげに銭ためたんかえ」 「大阪の朝鮮の人へ送っちくるジョルジュのお金を使わずにためたんよ」  ととみ子はいった。いつか、上京してきたのも、浅草の朝鮮人を訪ねる用があったことを由布は思いだした。 「あんた、えらいわねえ」  あこぎな材木ブローカーに、ひどい目にあいながら、とみ子は、七十万円の貯蓄を抱いてきたという。由布は、心をうたれた。愛川が気前よく手切金とこの家を呉《く》れなければ、由布は、とみ子に劣ったかもしれぬ。正直、別れるまでは、貯金は五十万となかった。とみ子をえらいといったのにはお世辞はなかった。 「根性さえあったら、独立できるわよ。初音町の店だって……二百万円でできたんだから、三、四年もすれば、それぐらいあんただって、たまるわ」  と由布はいった。 「ほんとかねえ、由布ちゃん。あんた、わたしに、そげな給料くれるかえ」 「いっちゃんと同じ額をあげる。あんたは、トミオくんもいるから物要《ものい》りじゃし」 「けど、ここに寝させてもらえば、家賃はいらんし……使ういったって、化粧代ぐらいのもんじゃ……」 「たべるのは、みんなと一しょだし……きばってちょうだい」  由布がそういうと、とみ子は、眼頭《めがしら》をうるませた。  このとみ子が、その夜から、初音町の「ゆう子」へ登場すると、それでなくても、いちが張り切っているところへ、もう一人、元気なのが加わったのだから、店はこれまでにない活気にあふれた、いちは、三か月先輩だという顔もあって、何かと、とみ子に教える。とみ子は、呑みこんで、八重子との三人コンビは、またたくまに出来あがった。客たちは、とみ子をみて、眼を瞠《みは》った。エキゾチックな感じがした。髪もちぢれているし、造作がきわだって美人というのではないが、いわゆるファニーフェースの、小鼻の空をむいた、かわいい顔だち。色の浅黒いのも、どことなく魅力だ。 「あんたは、どこにいた」 「大阪よ」  とみ子はこたえたが、関西の面影はどこにもない。 「大阪の女にみえないね」 「そうよ。うちは、ここのおかみさんと同じアジムだもん」 「アジム?」 「そうよ、アジムよ」  客は首をかしげた。アジムは異国的にきこえたからだ。 「どんな字をかくのか」 「安心院てかくのよ」 「へえ……そんなところ、九州にあるのかねェ」 「裏耶馬渓で有名な安心院ですよ。由布岳がみえててね。天気のいい時は英彦山《ひこさん》もみえる……美しい盆地の村ですよ」 「へえ、あんたたち、そんな村にうまれたの」 「そう」  と、とみ子が、しゃくれたファニーフェースをにっこりさせると、客たちは、この「ゆう子」を切りまわす女たちの、和気にみちたスクラムぶりに、好感をもつのであった。二人の女たちが、むかし、売春婦だったと誰が想像したろうか。  時たま、由布が店へ出ると、三人のスクラムは、生彩をはなって、客の眼にうつった。年も殆《ほと》んど変らない、背丈《せたけ》も高く、みな豊満で、ぴちぴちしている。言葉づかいも共通して九州|訛《なま》りだ。松山、大阪と住んでいた所はべつだというが、三人の結びつきには、ただごとでない緊密なものが感じられて、これは、たしかに、驚異であり、当時としてはめずらしいことだった。 「とみちゃんが、おかみの隣り村にうまれて、いっちゃんが、松山……でも、あんたたち、どことなく姉妹みたいなところがあるねえ」  と客はいった。姉妹といわれて、三人は、顔を見あわせて、わらったが、そういわれれば、姉妹に似た気持はもちあわせていたかもしれない。 「誰がいちばん姉さんにみえるとですか」 「そうだなァ」  客は首をひねって、 「やっぱり、おかみが一番上かな。つぎはいっちゃんで……とみちゃんは、末っ娘《こ》ってとこだ」 「わたしが、いちばん年下にみえるかねえ」  とみ子は、若くみられたことに、不満はないらしく、 「顔つきが、ちょっと変っちょるでのう」  といった。いちと由布は、どちらかというと、躯《からだ》つきも、顔も大柄で似ているが、とみ子は、ファニーフェースで、天を向いた鼻も、しゃくれたうけ唇《くち》も、エキゾチックだ。 「うちだけは、そしたら、タネのちがう子かえ……」  とみ子はわらったが、客は、ますます不思議がって、 「三人とも独身ってのは、どういうわけかね」  ときいた。 「三人とも男に倦《あ》いたのよ」  ととみ子はいった。 「うちらは、男よりも、お金の方がいいの。男はすぐ気がかわるけんど、お金はかわらんで……なあ、いっちゃん」  だが、そんな会話のはしばしに、三人三様の、薄幸さがのぞくことがあった。表面は、固い絆《きずな》でむすばれているようにみえても、三人三様の、男運のわるさが、顔のどこかに出ている。敏感な客は、それを見逃《みのが》さず、 「そりゃ、金はあったにこしたことはない。けど、女はやっぱり、男だよ。三十前後から一人身でよく辛抱できる……あんたたちは、どこか、少し変ってるようだ」 「男にだまされると、結婚なんか、厭《いや》になるんです」 「男はきらいかねえ」 「ああ、きらいじゃ」  三人はいった。べつに言いあわせたわけでもない。返事が合一するのも無理はない。男のことでは、いずれ劣らぬ苦労つづきで、いまようやく、傷をわすれようとしている連中である。 「ゆう子」が初音町かいわいの人気をあつめて、売上げが日増しに上昇して行ったのは、一つは、豊満な躯をもてあました中年女たちが、魅力であり、また、いずれ劣らぬ器量も十人並みなところから、一人でもよい、陥落させてみたい、と男気をそそったからだ。カンバンがすぎても、ねばってカウンターをはなれない近所の客は何人かいた。  どのように、客に言いよられても、心をゆるしてはならぬ、というのが、三人の掟《おきて》だった。男はもうこりごりだ。当分、男をわすれて金をため、とにかく、いちととみ子が一人立ちできるところまで漕《こ》ぎつけねばならぬ。そこまでゆけば、あとは、自分自分の甲斐性《かいしよう》で、男をもつのもいい。これまでのように、過去の傷をひたかくして、男にすがりついているようでは、幸福はこない。過去は秘密だ。力をあわせて、稼《かせ》ぐだけだ。  由布が教えこまなくても、いちにも、とみ子にも、それは、沁《し》みこんでいる。 「ゆう子」にかけた二百万円の金は、とみ子が参加して、半年目に償還している。毎夜、カウンターとあげ間をびっしり埋める客たちに、酒と料理を売って儲《もう》けたのだから、三人の働きぶりがどのように真剣なものだったかがわかろう。おそい時は二時三時まで、窓にカーテンをたらして、表の音を気にしながら、麻雀《マージヤン》客をとることもあった。酔いどれて、動けなくなった客を泊めたこともある。隣り近所の商店主や学生や教師が多かったので、ツケも大半だったが、回収に困ることはめったになかった。客は三人の誰かに惚《ほ》れていたから、自然と、持ち場がきまって、集金もそれぞれ分担した。資金がもどった時に、由布は、とみ子にいった。 「そろそろ、あんたの店の番じゃ、あんたは、やっぱり、あげな呑み屋がいいかのう。それとも……。バアがいいかのう」 「わたしは、『ゆう子』の分店が出したいわ」  ととみ子はいった。  とみ子のいうことに一理はあった。馴《な》れた商売がいいというのだ。新店は近くにひらいてもいい。同じような体裁で、同じ料理をだし、同じ酒を呑ませれば、失敗はまずないだろう。気をつけて、初音町かいわいを歩いてみると、「ゆう子」のような店がずいぶんふえている。バアも、喫茶店もあるが、やはり、回収率のいいのは安易な呑み屋である。バアや喫茶店は、銀座や神田へゆけば、大きなのがいっぱいあるし、個性をだすまでには、時間もかかる。その点大衆|割烹《かつぽう》はよい。銀座がはねて、附近へ帰ってくるホステスもいる。 「やっぱり、由布ちゃん、これまでの店がいいわ……」  ととみ子はいった。 「そのかわり、こんどは、二階家を借りて、麻雀《マージヤン》したい人にはさせてあげたり、宴会させたげるような、小部屋を三つぐらいつくって……階下は『ゆう子』のように、カウンターとあげ間にして……女の子もつかって……ばっちりやってみたら……成功すると思うがねえ」  由布は、とみ子の意見にも気がうごいた。毛利彦一に相談してみると、 「あんたたちなら……なにやったってまちがいはありませんよ」  とにこにこして、 「はじめは、正直、うまくゆくかと、心配だったんだ。ところが、あけて三日目にあの繁昌《はんじよう》ぶりでしょう。わたしは、奥さんが……こんな商売に向いてることがわかって安心しましたよ。いまどき、一年そこそこで、資金を償還したって話はききません。短くて三年はかかるもんだが……」 「もう一軒、分店をだしたいんですよ」  と由布は毛利の顔をうかがった。 「とみ子さんの店を考えてなさるんでしょう」 「そうです。あの人さえ、独立できたら……もう、それで……わたしは、本望をとげることになります」  というと、 「そんなことで、奥さんは打ちきりますかな」  と毛利はわらった。 「あんたには、見かけによらない経営の才があります……とみ子さんの店に成功したら、あんたは、何かまたおっぱじめそうだ。しかし、何をやったって……まちがいはない。うちの連中も、みな、そういってますよ」  銀行や、土地関係の連中も、時どきつれだって「ゆう子」にあらわれている。三人の和気にあふれた働きぶりはよく知っているし、由布のしっかりした経営ぶりはみているのであった。 「まあ、分店は、同種の呑み屋をやってみるのもいいでしょうけど、ゆくゆくは、やっぱり、料理屋でしょうね」  と毛利はいった。 「結婚式のできるような大きな料理屋ですよ、奥さん……あんたにそれは出来ますよ」  毛利彦一が、湯島の高台にある旅館の売物の話を由布につたえたのは、三月はじめ、東京が五十年ぶりの大雪に見舞われた日の朝だった。八重子も入れて、由布が表の除雪をしていると、毛利は、にこにこ顔でやってきて、相談があります、といった。由布は応接間へ通した。 「天神さんの下あたりになるんですがね、坂の途中に、かなりな坪数の出物があるんです。月山っていう旅館で、わたしも外から見てきましたが、建物もまあまあだし……庭がとても広くて、料理屋に転向しても、ちょっといける構えで……奥さんがもしごらんになってよろしければ、東洋の寺本君にでも仲へ入ってもらったらいい買物になるんじゃないかと思ったもんですからね」  慎重な毛利のことだから、話をもってくるまでには、相当の下調べもしてきたらしい様子だった。話をきいてゆくと、その旅館は、もと築地市場の重役だった男の持ち物で、浅草の芸妓《げいぎ》あがりの五十年輩の女が差配していたというが、男の株の失敗から、急に売りに出さねばならなくなり、業界筋に噂《うわさ》が出てまだ間もない物件だという。間取りはいくらぐらいあるかわからぬが、門構えといい、瓦《かわら》をのせた築地塀《ついじべい》といい、とにかく外見は立派なもので、車が玄関に廻《まわ》りこめるほどの余地もあり、昔のしっかりした建築だから、まだまだ、持ちそうに思えるという。 「奥さんが……料理屋でも、旅館でもいいから手頃なのがあればとおっしゃってたもんですからね」  と毛利はいった。 「少し値段は張りますが、奥さんの事業ぶりを見ていると、安心ですし、ここを捨てる覚悟がおありでしたら、この際、思い切って、あっちを買って、住みかえなさるのも手だと思うんです。初音町も、これからは、のびる一方だしするし、少し無理をして資金繰りされたって、店の売りあげからでも返済はききます……ここを手放した金を前金に打たれれば出来ない相談でもないと思うんですよ」  由布は眼をすえて、毛利をみていた。ああ、湯島の高台といえば、忘れもしない、末広町から何ども按摩に通った坂道だ。その途中だったら、女坂かもしれぬ。月の字のついた看板もかかっていたと思う。眼をつぶれば、だいたいの見当がつく。あのあたりの豪勢な家が買えるのか。由布はいま、胸がふくらんで、息がつまりそうになった。 「高いんでしょうね……あのあたり、ユメみたいですよ。そげな大きな家が手に入るなんて」 「さあ、三千万はいうでしょうね」  と毛利はいった。 「三千万円いったって、あなたはいま、それぐらいのお金はうごかせますよ。うちの信託に……四百万ありますしね、ここを手放すとなれば、さあ八百万にはなるかもしれません」  由布はす早く頭で計算したが、千八百万もの借金とは気が遠くなった。 「人間、うけに入っている時は、波をじょうずに利用しなければ大成しない……支店長のこれは口ぐせでしてね。わたしら、大勢のお客さまをお相手していて、そのことをよく感ずるんです……石橋をたたく気持は当然、誰にもあってしかるべきですけど、大きくなる人間は一生に一どか二ど、大きなカケをしなくちゃならない。そのカケが、うまくいった時には、大きな事業家になれる。しかし、ここのところの分析をまずってしまうと、わたしらも、大事なお得意を無にしてしまう。いいかげんな人なら助言はしませんよ。奥さんは、いま、たしかに波にのっている。初音町は、いまでは、ここらあたりのナンバーワンじゃありませんか。あれが、かりに、この調子で、あと二年つづくとすると、二千万ぐらいは固いもんじゃありませんかね」 「そうじゃろか」  由布は、まだ、自信がなかった。 「でも、三千万の買い物するとなると、一千八百万は借金でしょう。毛利さん」 「支店長は貸してもいいっていってます」 「………」  由布は毛利の眼が澄んでいるのをみた。他意のない眼だった。この男は、慎重だ。 「毛利さん、ほんとですか……」 「嘘《うそ》をいったってしかたありません。わたしも、四十をすぎましたし……正直いって、奥さんのような人を面倒みさせていただいた経験はありません。わたしも、一つカケてみようと思ったんです。支店長には、そりゃ、わたしの報告も物を言ったんでしょうけれどね。わたしには自信があるんです。それに、銀行はちっとも損はしないんですから」 「……どげなわけですか」 「湯島の家が、奥さんの名義になったら、抵当に入れていただきますよ」 「抵当?」 「そうです……奥さんは、そっちに移り住まわれて、旅館をなさればよいし、初音町も経営なさればよろしい。住みながら、その家がご自分のものになっちゃいます」 「けど、そげなこと……おじいことですよ」  と由布はいった。 「一千八百万も……」 「奥さん、奥さんがダメだとお言いなら、無理におすすめはしません。けど、一どごらんになると……一つ買ってみようかとお思いになりますよ」  毛利は押しつけがましくない言い方で、 「とにかく、二百坪はあるでしょうか。坪十五万としても買い物ですし、あのあたりなら、土地はあがる一方です。十年後に売ったって……大変な儲けになりましょう……いつもいうことなんですが、銀行にいて、こんなことをいうと変ですが。信託よりもいまは土地の方が率がいいんです……」  由布は、内心、買ってみようという心がうごくのだった。 〈むかし按摩に通ったあの坂道だ。あすこで……旅館が出来る……ユメのようなはなしではないか……〉  翌日、ひとりで湯島を訪《たず》ねた。安江の顔も久しぶりだったし、初音町の店をひらいた時は、案内状を出しておいたが、忙しいとみえて来なかった。母が帰郷する時に、同道してあいさつにもいったが、安江は、由布の成功をよろこんでくれて、治療所のような商売をしていては、うだつがあがらないとこぼすのだった。その安江に、末広町とは眼と鼻の、月山旅館を買い取る話などすれば、びっくりするにちがいない。けれども、ひょっとしたら、先の経営者の内情を、安江は知っているかもしれない。由布は按摩時代に、盲目の検校《けんぎよう》であった殿岡の家にちょくちょく行ったが、その曲り角あたりにある月山へは行ったことがなかったと思った。あのあたりの旅館なら、安江の治療所の縄張りだし、一どぐらい、由布に指名があっても然《しか》るべきなのに、月山だけは行かなかった。 「値段はまあ、土地代というところで……三千万は、適当なところでしょう」  と毛利はいっている。いくら旦那《だんな》の方に失敗があったといって、急に手放さなければならなくなった事情も、女の身にしてみれば同情できるし、買い取って憎まれるようなことになっても、つぎの経営に影響がないとはいえまい。くわしい事情もしらべたかった。で、毛利をつれて、先《ま》ず、月山をみてから、ひとりで安江をたずねてみる計画をたてた。朝早く、毛利は立寄ってくれて、銀行の車をつかってくれという。願ってもないことなので、由布は、助手台に乗る毛利を制して、後座席にならんだ。 「正直いって、菊坂はもう頭打ちだと思うんです」  と毛利はいった。 「ここは、初音町へぬけるに格好の近道だしするし、真砂町の通りがあんなに混《こ》む上に、都電がありましょう。ドライバーはよく知っていて、こっちへ廻《まわ》り道してきます。このあいだも、子供が轢かれて大騒ぎでした。わたしが、奥さんのとこへ伺うようになってから、ずいぶん車はふえていますよ」  由布もよく承知していた。住宅としてはもう向かない土地だ。さりとて、そこを商店にするといっても、本郷かいわいは、さびれる一方で、初音町にくらべて、死んだようだった。ただ繁雑に車が通りぬける町。改造して呑み屋にでもと思うが、土地の利はやはり、初音町に及ばないのだった。 「地価はあがっているでしょうがね……しかし、もうそろそろ頭打ちですよ」  と毛利はいった。 「その点、いまゆく月山のあたりは、住宅地としても高級だし……高台ですから、全然、環境はちがいます」  そのことは由布も知っている。三千万円もの豪壮な家に住めるなんてユメのような話である。しかし、こっちに気があれば、買えるのだった。由布は胸がわくわくしていた。切通しの手前を右に折れて、花街の閑静な通りを車はぬけたが、毛利のいうとおり、ここらあたりは、くらべものにならない。昔ながらの粋な町だ。 「ここです」  毛利に教えられて、坂の途中で停《と》まった車から降りた由布は、眼の前にある大きな屋敷を見て、眼に力が入った。瓦《かわら》をのせた築地塀《ついじべい》の重々しさ。枝をたわめた深い森。本家は、その樹間に、いま、二階家の屋根をのぞかせて沈んでいる。隣りの家は、これも、負けないほどの規模で、角になっている。 「車もそううるさくないし……それに、玄関がたっぷりとってありますから、廻《まわ》り込みをうまくやれば、門内に五台ぐらいの駐車は可能ですな」  と毛利はいった。 「入ってみましょうか。電話をしておきましたから……留守の人が待ってくれてるはずですし、寺本君が先にきているでしょう」  由布は、気|怖《お》じを感じたが、勇気をだして毛利のうしろから砂利の道を歩いて玄関へきた。広い二枚戸の大玄関は、そのまま料理屋としてもふぜいがある。四十五、六のやせた女が出てきた。毛利が銀行の名をいうと、にこにこして迎えてふたりを応接間に通した。ガラス戸の縁先があいていて、庭につっかけ下駄《げた》を履《は》いた寺本の姿があった。 「奥さん……いいところですね」  寺本はいった。 「こんな物件は、わたしもはじめてです」  商売熱心なこの男は、先にきて家の中をくまなく調べたらしい顔つきだった。やせた女はひきさがったまま出てこない。寺本はふたりを勝手知ったふうに案内しはじめた。造りといい、調度といい、申し分のない豪華さだ。持ち主の好みも出ている。階段も、廊下も、掃除がゆきとどいて、ぴかぴか光っている。 「繁昌《はんじよう》したいい宿だったそうですね」  と寺本がいった。 「淋《さび》しいかんじはしますが……それは人気のないせいで……女中さんが、働いてゆき来すれば、活気のいい料理屋ですよ……間取りがよく出来ていて、客間は二階に三つ、階下に四つ、何といっても、台所がひろい。奥さんたちの住居の方も、うまく個室を裏側にとったかんじで……よく出来ています」  寺本は、だまっている毛利と、由布をくまなく案内してから、応接間にもどると、小さな声になって、 「三千万円は安い買い物です」  といった。 「建てるとなると、この家は、おそらく二千万はかかりましょう。しかし、買う方は、土地代だけでゆけるんですからね……こりゃ、たしかにいい話です」 「ほんとうに、三千万円で、わたしのものになるんでしょうかねえ」  由布は信じられない眼つきで、天井を見まわした。 「思い切って、越してみませんか。奥さんなら、ここをちゃんと立派な旅館か料理屋にしますよ。なんなら住宅だと思えばいいじゃないですか」  菊坂の家が、ここにふりかわる。夢のような話だった。  一つは、寺本重次郎といい、毛利彦一といい、誠実な人を知り得たのも由布の徳だった。この男たちは、虚心|坦懐《たんかい》だ。ブローカーのようなあくどさはなく、会社の渉外係りだから、交渉もおっとりしているし、がっついたかんじもなかった。しかも、ふたりが、由布のこれからの事業に賭《か》けてみたいという。 「わたしは、あんたたちに買いかぶられちょりますよ」  と由布はいった。 「なーんもわたしに力はありゃせん。菊坂の家だって、愛川のくれたもんですしね。わたしの力でできたもんはありゃせんのですよ」 「そんなことはありませんよ。わたしたちは、奥さんの初音町の腕前にあきれているんですから」 「でも、あれは、一杯呑み屋ですからね。旅館をやるのとわけがちがいます」  寺本は、うかがうように由布をみて、 「奥さん、これからは、何てたって、旅館ですよ……わたしは、料理屋もいいとは思いますが……旅館でうまくゆけば、その方がいいのです……だいいち、出費がちがいます。ここらあたりはそれに……将来旅館街になる可能性は十分ありますしね。何より花街が近い、大学が近い、病院も近い。それに、何てたって交通の便がいい」  由布は、台明館の女将《おかみ》の顔を思いだした。たしかに旅館をすすめていた。料理屋のような気をつかう商売よりは、旅館の方がはるかにいい。食事といったって、朝だけのことである。夕食は、附近の仕出し屋に交渉しておけば、椀物《わんもの》まで配達してくれる。女中に着せるきものだって安直だと女将はいっていた。 「わたしに出来るでしょうかねェ」  由布は不安になった。 「やれると思いますよ……」 「お客さんがだいいち、来てくれるでしょうか」 「初音町で麻雀《マージヤン》しなさるお客さんを先《ま》ずここへまわして手っとり早く馴染《なじ》み客にすることも考えられますし、東京ってところは不思議なところで、看板さえ出せば、客はあるもんです。とにかく、人間が多い町なんだから……奥さん」  由布は、寺本の誘いに、心が浮いた。なるほど、初音町ではたしかに麻雀客や、宴会の客に手狭さをかんじていた。みすみす十人以上の集会をことわることもあった。 「ゆう子の姉妹店ですか……やっぱり」 「そうですよ。姉妹旅館ですよ」  と寺本はいった。 「……物を書きなさる人なんかにはもってこいの宿ですし、初音町へきなさる森先生なんかにも、よくお願いなさって……大学の先生方に、宣伝していただくのですね」  森という大学教授は、常連だった。よく呑む男で、いつも、十二時近くまで、座敷へ二、三人の仲間をつれてきていた。そうだ。あの先生方にたのんでも、客になってくれるだろう。由布は、月山の造作に惚《ほ》れこんだばかりに、そこにいた三十分ほどのうちに、もうこの家の主人になれるような気がして心が躍《おど》った。  だが、由布の腹はきまったにしても、物件はすぐ、由布の手に入ってこなかった。まず、菊坂の家を処分しなければならない。寺本重次郎は、さっそく土地家屋業者に依頼して、八方に買手を求めた。富坂町に住む某《なにがし》が、小石川土地という仲介業者の案内で菊坂へ来、七百万なら買ってもよい、という意向をもらした、情報が入ると、寺本は小石川土地へ歩をはこんで、相手の意向をたしかめた。某は信用のおける人物だった。自信がつくと、はじめて、五百万の手付金で、湯島の月山買取りの交渉に入った。由布が感心したことは、寺本があくまで、由布の味方であることだった。五百万の手付けののちに、約二か月後に、五百万、三か月後に五百万、あと一千五百万は、一年後の約束手形という、由布にとって、たいへん分《ぶ》のいい条件をもちこんでいた。先方はしかし、株で損をし、穴埋めに早急な金が要《い》るらしかったから、こんな条件を呑むはずがない。ところが、寺本の交渉ぶりは、毛利のあと押しもあってか、えらく相手を信用させたとみえ、結局、初めに一千万、二か月後に三百万、三か月後に三百万、あと一千四百万は、条件を呑むということで話がきまった。由布は雀躍《こおど》りしたい気持になった。いくらかの金利は見なければならないにしても、一年の余裕は、初音町での売上げを最低八百万と見つもれば、新居のために、さほどの負担を背負った感じがないのである。うまくゆけば、向う三年のうちに、由布は、月山を完全に自分のものにした上、初音町をも経営できよう。しかも、毛利の借銭を返しているかもしれぬ。 「よろしゅう願いますわ。わたしも腹をきめて、一生懸命働きますから、話をすすめて下さい」  と由布はいった。寺本も毛利も、この取引きを、それほど危《あぶ》ないものとは考えていない様子で、由布の人間に惚《ほ》れこんでいるようであった。 「まあ、奥さんは、あげ潮に乗ってなさるから安心なんです。わたしらにそう恩を着なくたっていいんですよ」  と毛利はいった。 「約手を渡す時に、登記もしてしまいますからね。登記がすめば、奥さん、湯島の家は担保にもなるわけで……銀行としても……決して、危ないことをしているわけじゃないんですよ」  由布は、このような土地家屋の売買についての知識はあまりない。二人に委《まか》せて、あとは働くだけのことだと、素直に心を決めた。しかし、それにしても、菊坂が七百万円で買い手がついたときけば、あらためて、愛川のことがうかんだ。あの人に、貰《もら》った家を、なんの相談もなく売っていいだろうか。気になりだすと、この際、いやでも愛川に会って、報告しておいた方がいいのではないかと思った。で、そのことを毛利にいうと、 「律義なあんたらしいやり方ですね」  と感心して、 「あなたが、先の旦那《だんな》さんから戴《いただ》いたものをどう処分なさろうと勝手でしょうけど……いちおう、事前に報告なさるのもいいことだと思いますね」  愛川の噂《うわさ》は、きくともなく耳に入ってきていた。事業の発展ぶりは、新聞広告のスペースが大きくなったことや、週刊誌や婦人雑誌にペトーの製品を着たモデルや女優の写真がたえず出ていることでもわかったし、小伝馬町のビルも、愛川が買収して、さらに隣接地にあった羅紗《ラシヤ》問屋の建物も買い、地下に駐車場をもつ六階建ての新社屋を建築中だという景気のいい話もきいていた。由布と別れて、真中初枝と結婚してから、先夫はますます事業の好転に恵まれているのだった。そのような愛川のところへ、顔を出すのも、ちょっとうしろめたい気もするけれど、菊坂を手放すとなれば、毛利も賛成するように、いちおうはことわっておきたいと思う。  由布は、八重子ととみ子が、初音町へ出たあと、福子が外へ買い物に行ったスキをみて、小伝馬町へ電話してみた。別れてから、一、二どしか愛川に電話していないが、不思議なことにこの時だけは手がすこしふるえた。交換台が出た。社長さんに、と由布はいった。すると、交換手は、ていねいにとりついでくれ、愛川の声は、かわっていなく、受話器のエボナイトをキーンとひびかせるほど高かった。 「なんだ、お前か」  と愛川はいった。 「ちょっとお会いしたいんです。めいわくかけるようなことではないんですが……菊坂の家のことで……おことわりしておきたいことがありますんで……」 「家をどうかするのか」  愛川は声をおとした。 「はい……湯島の方に、旅館の売り物があります。それを買って、料理旅館をしたいと思うちょるんです。それには、ここを手放さないといけんので……あんたからもろち家を、だまあーって売っちしもたいわれても、わたしイヤですし……それに、こんどのことは身の程《ほど》知らずな勝負じゃもしれんち思う気もするで、あんたの意見もきいちみたい思いよるんです」 「初音町で成功してる話をきいたが、あそこは失敗したのかね」 「いいえ、『ゆう子』は以前どおりやっちょるです」 「そうすると、発展的事業拡張か」 「まあ、そげなことじゃなかけんど……伍一の将来もあるで、わたしも、ゆっくりした商売に落ちついてみたい思いよるです。いまはまだ若いで……呑み屋だって出来ますが……いつまでも、こげなことしよられんでしょ」 「………」  愛川は伍一ときいて、声をとめたが、 「それなら、これから会おう」  といった。 「お前さんの家だから、お前さんの好きなようにすればいいんだよ……おれは、くれてやったものだから、なにいう権利はないが……湯島へ引っ越しか……とにかく、会ってから話は聞く」  といった。由布は、愛川に会ってみようと思った。  久しぶりに会った由布のどことなく貫禄の出ている、ゆたかな表情に、愛川伍六は圧迫さえ感じた。この女は、別れて、たしかに変った。初音町に店をひらいて、成功しているときいてはいたが、本人が、ここまで成長しているとは考えていなかった。田舎《いなか》丸出しの、土くさい感じはそのままだけれど、むかしに比べて、物|怖《お》じしたところがみられない。自信が出ている。愛川は、この女と別れたことに、かすかな後悔がわく。しかし、そんな思いを、顔に出す男ではない。自身も、いまは、由布と別れてよかったと思っている。真中初枝を強引に二どめの妻とし、夫婦仲もうまくいっているし、ペトーの将来も明るい。 「わたしには、あんたが菊坂をどうしようと、異存はちっともないんだ」  といってから、 「あんたが、今日、こんなに明るい顔できてくれるとは思わなかったよ。うれしいね」  と愛川はいった。 「負け惜しみをいうようだが、うちの社もうまくいっているし、こんどビルが出来る。第一期の工事が完了したら、第二期の買収も考えているんだが……人間、無理をしないで、カケが出来る時が来たら、思い切りやってみることだな。事業というものはそういうもんだ。男の仕事と女の仕事はちがうにしても、あんたが、その湯島の家を買って、旅館をやりたいと思うのもわかるし、やってもいいんじゃないかなァ。うまくゆくぜ。きっと、うまくゆく」  他意のない表情で、 「おれは、応援してもよい」  といった。 「応援?……わたしは、あんたにお金を借りようと思うて来よるんじゃありません。菊坂の家を売るはなしを、了解してくださればそれでよろしいんです」 「もちろん、了解はするね。それに、いまはウケに入ってそんなに強気でいるが、事業にも、晴れた日と曇りの日もあってね。誰かに相談もして、グチってみたいような日がくるんだ。その日が来た時のことをおれはいってんだよ」 「そげにまで思うてくださるんなら、いいお客さんを世話して下さいよ」  と由布はわらっていった。 「旅館はしたはお客さんはないでは困るで……あんたの知りあいの人をまわして下さい」 「きみの宿なら、ゆきたい連中もたくさんいるよ。だいいち、井川がとんでゆくぞ」 「仙台の井川さん、その後、どげんしておいでるですか」 「あの人も景気がいい。仙台に五軒、盛岡に二軒、さらに一ノ関にもこんど分店を出す計画だといっていたが……『ひまわり』という店は、もう、東北では、どこへいっても知らぬ人がない。あの人も、成功したよ……」 「あんたに会うてよかったわ。うちは、そんなら湯島を買うことにします」  由布がわらってそういうと、愛川は眼を輝かせて、 「なんだ、まだ、腹がきまっていなかったのかい」  といった。 「あすこらあたりに、二百坪の敷地なら、おれだって欲しいよ。おれは、初枝とまだマンション暮しだ。ビルが出来たら、四階に和室もとって自宅を考えているが、ゆくゆくは、どこか、近いところに家が欲しい。もし、あんたがそこを買って、失敗でもして、他人にゆずらんならん時がきたら、相談してくれないか……」 「縁起でもないことをいいなさる……でも、そんな時がきたら、あんた買うちください。うちは、元気が出ました」 「土地や家は、買える力があるなら買っておいた方がいい。銀行より分《ぶ》がいいんだから」  毛利のいうようなことを愛川もいった。 「初音町で商売をやりながら、日銭も入るだろう。そいつを大事に、土地にかえることだ。十年たてば、五倍にはなる……湯島の物件は、決して、損なもんじゃないね」  自分に話があったのなら、投資の気持で買ってもよかったようなことを愛川がいうので、由布は、力強い応援を得たような気がした。  由布は、愛川に会って、思ったほどの憎しみがないのにわれながらあきれたのである。あれほど呪《のろ》っていた男なのに、どうして、こう親しみが感じられるのか。伍一の父親だということからだろうか。伍一の父親は、この男一人しかいない。世界でたった一人だ。その男を恨んだのは、女の感情であって、伍一の母としての由布には、毛頭父親を、憎む気はなかったのかもしれぬ。ペトーの成長も、心から嬉《うれ》しいし、愛川が、いま、初枝、初枝と、円満な夫婦仲をにおわせても、ちっとも、嫉妬《しつと》は起きないのだった。  愛川も、また、愛川で、落ちつきの出た由布の、どことなく、活気のみなぎった表情に感心するばかりだ。錯乱のあまり髪ふり乱して、めそめそしていた女が、こんなに貫禄の出た女に化けようとは。 「きみのブレーンはいったい、どんな連中かね」  愛川は何げなくきいた。 「きみひとりじゃ、なかなか、出来ない相談だろ……」 「ブレーンて、仲間のことですかね」  と由布はきいた。 「うちには、とみ子さんと、いっちゃんしかおらんですよ」  愛川は眉《まゆ》をよせて由布をみた。 「友だちかい」 「あんたのきらいだった……友だちですよ」  と由布はいった。 「むかし、苦労しよった友だちですよ。四国と大阪からとんできて助けてくれました」 「とんできてくれた?」 「そうよ。ひとりは結婚しよったんじゃけど、別れてきてくれたし、もうひとりは奥道後で女中さんしよったのをやめてきちくれたんです」 「へえ」 「みんな、あんたのきらいな……九州の友だちです」  ベつに皮肉をいっているわけでもなかった。事実、愛川は、とみ子を嫌《きら》ったのだし、とみ子の出現が、夫婦分れの一つの起因ともなっている。 「むかしは、苦労しよったけんど、ふたりとも、『ゆう子』へきたら、楽じゃし、面白いいうて、一生懸命はたらいてくれます。やっぱり、友だちていいもんね」 「ふむ」  愛川は、まばゆそうに由布をみた。なるほど、この女には友達がいた。むかしパンパンだった仲間が集まってがんばっているのか。今日の成功の原因も、ひとつは、そのスクラムのせいか。愛川は一瞬、そう思うけれども、しかし、眼前の由布が、むかしとちがって、貫禄の出た、ゆたかな頬《ほお》肉をぷりぷりさせているから、あらためて、この女の中性的な、芯《しん》の強さががまんならなかった日々が思いだされた。これは、初枝とはまったく異色である。初枝は、やわらかく、女らしさをいつも匂《にお》わせている。だが、由布はちがうのだ。男のようなたくましさだ。ああ、おれは、この感じがたまらなく厭《いや》だったが——。愛川は心でそう思いながら、 「いい友だちが集まってくれて結構だね、井川さんの口ぐせだが、事業の成功はとにかく人の和だ。こいつがカギだ。わたしだって、いろいろと、人事では苦労してきた。なかなか、東京には、腹を見せあえる友だちはいないからね」 「神田さんたちは、まだいなさるんですか」 「みーんなクビにしたよ」  と愛川はいった。 「どういうのかな。古い連中は、わたしの昔のことを知っている。それはそれで結構だが、逆に出てくる……わたしの成功を羨《うらや》むというよりは、やっかみもあって、得意先でいらぬ口をきいたりする。これはマイナスだからね。思い切ってクビにしたよ」 「へえ……」 「ずいぶんな荒療治だった。しかし、クビにしてよかったよ。最後までついてきてくれる部下というものは、なかなかいない。きみだって、いまは、友だちが助けてくれるからなどと、のんきにいっておれるが、無二の親友や部下に裏切られることほどつらいことはない」 「そうでしょうね」  愛川の実のこもった物言いに、由布は人の好《い》い眼をくもらせるのだった。 「わたしも、気をつけないといけません」  そうはいったが、とみ子やいちは、ぜったいに自分を裏切るまいという自信はあった。  愛川伍六の了解を得たことで、由布は、湯島の月山買収に本腰を入れはじめた。先方へ寺本が交渉にいった。毛利も、支店長に了解を得て、手形の責任をもってよい、といった。登記がすめば、抵当として、銀行に一札入れねばならない。毛利と寺本のなすままにまかせた。四月九日に、菊坂の買い手はきまった。これは歯科医だった。改築すれば、手頃《てごろ》な診療所になる、町医者が開業するにしては格好な場所だと惚《ほ》れこんでいるという。 「しらべてみますとね、近所には歯科医が一軒もありません」  と寺本がいった。 「東京はいま、百メートルに一軒は歯科医ですが、あすこだけは盲点みたいに同業者がいないんですよ。おかしなことでしてね。歯医者が目をつけていようとはユメ思いませんでしたよ」  由布は、なるほどと思った。福子は歯痛もちで、月に一どは頬《ほ》っぺたをはらしているが、医者にはいつも、赤門前まで出かけている。 「このはなしも、お得意の世話でしてね」  と寺本はいった。 「弓町に医療器具の問屋さんで懇意にしている方があるんです。ここは毛利さんのお得意でもあるんですが、何げなく寄ってはなしこんでいたら、そんな人がいるときいて……あたってみるとえらい乗り気でして」  なにからなにまで、うまくゆく、と由布は思った。毛利ももちろん、その医療器具店を知っていたから、歯医者に売るのは賢明だといった。三日たってその医者が来た。まだ三十になるかならぬかの、眼鏡《めがね》をかけた温顔の、学生のようにしかみえない男だった。由布は、取りちらかった家の中を案内したが、医者は西陽《にしび》のさしこむ応接間をみた時、 「ちょうどいい広さですね」  といった。 「玄関の三畳間は待合室に改造できますし……二階を住宅にして、居間の方には特別手術室がつくれます」  どこか育ちのいい感じの若い医者は、父親から資金を出してもらうらしい口吻《くちぶ》りだったが、ここが歯医者にでもなれば、由布はまた、福子を通わせてもよい、と思う。 「ぜひ、買うちくださいよ。うちに、歯痛もちの子がいますから……先生が買うちくだされば、診《み》てもらいに来ますから」  若い医者はわらった。そのわらいは、もう、この家に住んだ者のような明るさが出ていた。とんとん拍子に、話がかたづいて、この林田という歯医者が、現金七百万円を毛利を通じて由布にくれた時は、由布は胸があつくなった。  なにもかもが、うまく行く。由布は、この年、昭和三十四年六月十五日に湯島へ越している。売買契約のことは一切毛利と寺本に委《まか》せて、自分は、ふたりの命ずるままに動いただけである。ところが、湯島へきて、最初から、とみ子がすこし、態度をかえたのには困った。ひとつは、「ゆう子」の出店のようなものを開いてもらって、そこで責任もって働きたい夢があったのに、大きな屋敷へうつって、不馴《ふな》れな、旅館業に専念するときけば、不安もあったのだろう。 「すこうし、早いと思うが、由布ちゃん。うちは、そげな大げさな商売するより、『ゆう子』のような小さな店でよか思うじゃえ……それに、トミオがおるで……」  遠慮げな物言いであった。由布はあきれた。 「トミオ君も、あんたも、湯島に寝起きして働いちくれたらいいじゃわ」  由布はいった。 「あんたは、わたしの一ばんの相談役じゃもん……女中さんらも、大ぜい入っちきたら、大将しちもらわんとならんじゃ……」 「わたしが、女中さんの大将するんかえ」 「ああ、あんた、どげに思うちょったん」 「………」  とみ子は眼を輝かせた。由布の構想が、いつも、自分やいちの思うのより、ひと廻《まわ》りもふた廻りも意表をついて出るので、びっくりもして、 「それで、あんた、いっちゃんはどうするの」  ととみ子はきいた。 「いままでどおり『ゆう子』をやっちもらう。もし、あんたが、『ゆう子』の方がいい思うんじゃったら、いっちゃんに、湯島へ来ちもらわんならん。けど……うちはあんたの方が……いい思うんじゃ」 「………」 「あんたはトミオ君を学校へ入れないけんし、あすこじゃ、教育にもわるかろ」 「………」  とみ子はだまっていたが、いっそう遠慮げな口ぶりになると、 「んでも、トミオが湯島の家にうろうろしてては、お客さんの眼にもとまってのう……」  といった。 「わるいことはちいともありゃせん。あんた、トミオ君は、伍一のええ友だちじゃし。伍一も来年になったら、小学校じゃ……トミオ君と仲好《なかよ》うして、一しょに、学校へ行っちくれるでしょ。うちは、それを願うとるんじゃ」 「由布ちゃん」  とみ子は、眼頭《めがしら》をうるませた。厄介者の混血児を、こんなにまで、やさしくしてくれる由布に、とみ子は、感謝の表わしようがないらしかった。 「そんなら、うちは一生懸命働く」  ととみ子は腹をきめ、菊坂から越す時には、先頭になって荷はこびに立廻った。福子も、いちも、八重子も手つだって、この日は全員湯島の家で和気に溢《あふ》れた「ひっこしそば」をたべている。 「月山」とあった看板を、「旅館由布」と書きかえて出発したのが七月。由布は自分の名を冠したこの旅館が気にいった。場所といい、構えといい、文句のない家であった。門のわきに、毛利の知人で、書道を教える老先生が「旅館由布」と書いてくれた、特別の看板を立て、塀《へい》から見越しに、庭木の中にも外灯を立て、それにも、「由布」とよくわかるように字を入れている。  最初は、とみ子と福子と二人だけで由布は出発したが、ゆくゆくは、女中を募集するにしても、開店当初は、そう客もあるわけではないから、家の者の手で、きりぬけ、追々人手はふやしてゆく方法をとった。初音町へはあいかわらず、一日に一ど顔をだし、いちの売上げを点検して帰った。  由布は、新店の台所の北にあった女中部屋を改装した。四畳半をつけ足し、そこにとみ子母子を起居させ、福子は玄関よこの三畳に寝かせた。毛利の紹介で、地方からきた就職試験のための父子客をとめた時、三泊四日の料金として一万五千円を貰《もら》ったが、とみ子は、帳場へきて、 「やっぱり、旅館はいい商売じゃわ」  といった。 「朝ごはんは、うちらのものとかわらんものをたべちもろて……シーツの洗濯《せんたく》賃ぐらいがもとじゃもんねえ、由布ちゃん」  由布もにっこりして、 「そうじゃえ。もとのかからん商売じゃで……楽しいで」 「ゆう子」から、「由布」開店をきいた麻雀《マージヤン》客が、週に三どはやってくるようになった。さらに、毛利の世話で、医療器具商の団体が、三十人も泊った。こんな日は、由布は大童《おおわらわ》であった。ありがたいことに、契約しておいた春木町の派出婦会から、電話一本で、応援にくる、手馴《てな》れた女中がいた。臨時の客は、臨時の手つだい女を廻《まわ》し、常連客には、とみ子や、福子を廻して、面倒《めんどう》をみさせた。これもみな、毛利や寺本にいわれるまでもない由布一人の智慧《ちえ》であった。 「借金をかえすまでは、ぜいたくは出来んで」  様子を見に立寄る毛利に由布はいった。 「けど、旅館つうもんは、らくなもんですね……毛利さん」 「奥さんは、あいそがいいし、喰《く》う物もうまいといって、世話した人たちに礼をいわれましたよ。何てたって、旅館は、感じがいちばんです、奥さん」  毛利は、堂に入った由布の女将《おかみ》ぶりに眼を細めるのだった。たしかに、由布は、この頃から、さらに大きな飛躍の年齢に入っていたといえる。世の中は不思議なものである。捨てる神あれば拾う神ありという。渡る世間に鬼はない、ともいう。由布は、周囲の知人や友人に援《たす》けられて大きくなった。いったい、どうしてこれほど由布に徳があったのだろうか。そこのところは由布自身にもわからない。 「うちは、ついてるじゃわ」  臨時の大勢の泊り客があると、由布はこぼれるような豊頬《ほうきよう》をうごかして、廊下と帳場を走りまわった。 [#改ページ]     十 六 章  三月《みつき》たった十月はじめの一日、もうひとりの朋友がやってきた。朋友。いや、これは由布にとって、一日とて忘れることのなかった恩人であった。草本大悟である。  この日は、朝から秋空の晴れあがった、スモッグの都にしてはめずらしく澄みわたった日で、二階からみると、上野の森もうるしを溶かしたような黒|蒼《あお》い樹々を陽《ひ》に輝かせていた。久しぶりの上天気だったので、とみ子と福子にいいつけ、夜具を物干場へはこんでいた時だ。玄関にあらわれた男をみて、由布は階段をころげ落ちそうになった。長いあいだ会わなかった草本大悟は、ぼってり肥《ふと》った中年男となり、いま、浅黒く陽焼けした顔に、やわらかな眼をなごませて、佇《たたず》んでいた。 「わしだよ。由布ちゃん。わしだ」  草本大悟はいった。 「電報でもしてからきようかと思うたけんど、旅館しよるというんで……そんなら、客のくるのが商売じゃで……電報もいらんじゃろ思うち……だまってやっちきた。びっくりさせてやろうと思うたんじゃ」 「先生……」  由布は、信じられなかった。どうして、いま、ここに現われたか。 「びっくりしたじゃろ。塚原へいったんじゃで。お母さんに会うて、あんたが、東京で、えらく出世して……こげな大きな旅館ひらきよるときいたで……そんなら、用事があって、東京さゆくときは、ぜひ一泊して来にゃいけん思うちのう」 「あがって下さい。先生。どうぞ、どうぞあがって下さい」  由布は上気してしまった。草本大悟は大きな黒皮のカバンを提《さ》げている。 「そんなら、ま、あがらしてもらうか」  勝手知ったふうに、玄関をあがると、由布のうしろから、大股《おおまた》で歩いてきて、裏庭のみえる応接室のソファにすわるのだった。 「先生、ながーいこと手紙もせんで……ゆるしてください……なにから、はなしてよいやら……たまっていることがいっぱいありよるです。ようこそ来ちくださいました」  あらためて、頭を下げて、草本のなつかしい顔をみたが、眼頭《めがしら》がぬれて困った。 「わしにも、えらい用事が出来てのう。由布ちゃん」  草本はいった。 「こんど上京してきたんは……一世一代の仕事でのう……」 「………」 「びっくりするかもしれんが、わしゃ、こんど立候補するんじゃ」 「立候補?」 「参議院選に打って出るんじゃな」  草本大悟は眼を輝かせていった。 「保守天国の大分から、わしは腰のよわい協和党から出る決心をしてのう……それで……選拳運動にきよった」  由布は、草本の、ぎらぎらした視線をうけて息をつめていた。 〈この人が立候補……〉  由布はびっくりした。 「へえ……草本さん。あんた……選挙に立候補しなるんかえ」  由布は、あいかわらずな、厚いくちびるを大きくあけて笑う、草本の顔を見つめた。  ああ、この人も立派になられた、と思った。むかしは、パンパンの仲介業だなどといって、復員服を着、ドタ靴《ぐつ》をひきずって、別府の町を、暗い顔して歩いておられたのに、いま、真新しいりゅうとした黒背広に、濃茶のネクタイをしめて坐《すわ》っている。顔も、体格も、ひとまわり大きくなったようだ。 「あんたはびっくりするかもしれんが、わしは感ずるところがあって。政治家なんて商売は死んでもやるもんかと思うちょったが、どげにしても出てくれちいう人がおるんで、ことわることができんじゃな。ひとつ、今回はためしに出てみようと思うてのう」 「先生が、議員さんに……先生はよう似合うじゃわ」  と由布はいった。 「むかしから下積みで苦労しよる人を助けてあげなった人じゃで……大勢の人が応援するじゃろ。草本さん……うちらだって……一生懸命応援しますよ。がんばって下さい。きっと当選さしてみせます」 「そうかなァ……」  草本は面映ゆそうに由布をみて、 「大分は、有名な保守王国でもあるで……協和党の地盤は弱いんじゃよ。これまで、人気のあった宇田川さんを知っちょるかなァ」 「名前だけは知っちょります。大蔵大臣になっちょった人でしょ」 「あの人も死んでしもたで、国会へ出よるのは県下にひとりもおらんじゃ。何てたって、自由党の大橋さんの天下じゃ。苦戦も覚悟しよるんじゃ……んでも立った以上は、がんばらないけん……あんたのいうとおりで」 「そうすっと、岩井病院をやめなって……選挙にかかりきりですか」 「ああ、その岩井さんが、わしを推すんじゃよ……」  と草本はいった。 「岩井さんは町長さんになっちょるのをあんた知っちょるかえ」 「あの先生が、町長さんですか……」 「ああ、二年前から町長さんになりよって。じつは、わしに参議院へ出よというのもこの岩井さんのあと押しでなァ……」 「……草本さんは、岩井さんと友だちだったんでしょう」 「医大じぶんの先輩じゃ」  と草本はいった。 「わしより年は三つ上じゃが、専攻が同じじゃったし、温研時代も一しょの研究室でなァ。いろいろ世話になった。それに、あんたも知りよるとおり、終戦後、別府の保健所で働けたんも、みな、あん人の世話じゃった。わしには友だちというよりは恩人じゃよ。その人に、尻をたたかれたら、出にゃならんじゃろ」  草本はにこにこして、 「そこで、今日は、あんたにたのみがあるんじゃ」  といった。 「どげなことでもいうて下さい。草本さんのことなら、うちは、なんだってきくで」  と由布はいった。すると、草本は、ちょっと間をおいてから、 「じつは……あんたの家に、わしを十日ほど置いてほしいんじゃよ。三宅坂の党本部に用があるんじゃが、なにせ、わしも、新人じゃで党本部にPRせんといけん。草本大悟というたって、だあれもわしの名前なんぞ知っちくれんでのう」 「………」 「そのためには、東京に事務所もおかないけんし、大分へも書記長の戸田さんに来てもらわんならん。なんやかや、東京へ出てこんならん用事も多いんじゃよ。十日ほどいて、馬力かけて、連絡事務だけ処理して帰りたいんじゃ」 「十日なと二十日なと……気のすむまでいてください」  と由布はいった。 「こげなとこでいいのじゃったら、草本さん。あんたの東京事務所は、『由布』にしてくれてもいいですよ。どげになと、ここを使うち下さいよ」 「………」  草本は眼を輝かせた。由布は、いま、胸へせきあげてくる熱い血を感じた。そうだ、自分が、いま、まがりなりにも、旅館の女将《おかみ》として、暮してゆけるようになったのも、もとはといえば、この草本が助けてくれたからではないのか。別府の鶴の井から、湯平へ移る時も、湯平から東京へくる時も、金銭的にこそ世話はかけていなかったが、どんなにこの人の言葉に勇気づけられたことか。 「草本さん。うちは、あんたに、恩があるじゃわ」  由布はいった。 「あんたのためなら、うちは何したって……力になりたいです。うちは女じゃ。選挙というたって、どげにしたら力になれるかわからんです。この家を、あんたの連絡事務所にしなるのじゃったら、どうぞ使うてください。ここは、ごらんのように、旅館というても、わたしがひとりで、友だちと女中をつこうちやっちょる小さな旅館です。わたしがいいというたら、誰も文句はいわんですよ。どうぞ、ここをつこうち下さい……」 「由布さん」  草本を声をつまらせて、 「あんた、そげに、わしをたすけてくれるかえ……」  といった。 「ああ、草本さんのことなら、わたしは、なんだってせにゃならん。あんたが、十日おられようと、二十日おられようと、一年おられようと、わたしは、あんたから銭一文もらわん。あんたは、わたしの恩人じゃで……草本さん、どうぞ、この家を、自分の家じゃと思うち気がねのう、つこうちください」 「………」  草本大悟は陽《ひ》焼けした顔を紅潮させてじっと由布をみた。  草本のためなら、何物をも惜しんでなるものか、と思った。さいわい、旅館も順調にいっているし、初音町の店も、あいかわらずの繁昌《はんじよう》である。このぶんなら、借金の返済も、予定通りにゆくだろう。銀行の毛利も、抵当書類のこともあって、湯島へくるたびに、にこにこして、由布を力づけてくれている。  草本が、ここを連絡事務所にしたって、それで客筋がかわるというものではない。麻雀《マージヤン》客や、商談客が多いのだから、かりに、表にそのような看板を掲げていたって、文句をいう者はいまい。ここは、由布が主人である。由布の思いたったことなら、誰に遠慮もいらない。 「どうぞ、好きなように使うちくださればいいです。うちは、草本さんのためなら、よろこんで提供しますから」  草本大悟は、由布の言葉に感激した様子で、両|膝《ひざ》に大きなコブシをのせて、ぺこりと頭を下げると、 「すまん、あんたから、こげなやさしい言葉を貰《もら》うとは思わなんだ……ありがたいこっちゃ。由布ちゃん、わしは、どげに、ありがたいか……このとおり、礼をいう。ありがとう、ありがとう」  滑稽《こつけい》なほどに、ぺこぺこ頭を下げる草本に、由布は、おかしさがこみあげた。 「国会議員さんになる人が、そげに頭を下げるもんじゃないでしょう……草本さん」  そういうと、草本は苦笑して、 「そうじゃな。あんたのいうとおりじゃな」  といった。由布は、草本大悟が素直に申し出をうけてくれたことが嬉《うれ》しかった。もし、草本が、ここを根拠として、政界に打って出て、成功でもしようものなら、由布もまた、大きな飛躍をとげることにはなりはしないか。そうだ。この人には恩をうけてきた。恩をうけた人が、いま、一世一代の大きなカケをしようとしている。助けてあげねばならぬ。由布は、そう思ったのだ。で、 「草本さん。あんたは、笑いよるかもしれんが……わたしに、くれなったペニシリンをおぼえとりなるですか。あんたは古いことじゃで、わすれとりなるかもしれんが、わたしは、あんたから貰うたペニシリンは一生わすれとらんですよ。あんたが、鶴の井から亀川へつとめ代えした時、なーんもあげるものはないけに、これあげる、熱が出たり、セキが出たりしたら、これ注射すればよいいうて……小っちゃな黄色い瓶《びん》を二本くれなったでしょ。わたしは、あのペニシリンを……大事に大事に行李《こうり》の底にしもうち暮してきよったです。一本は、湯平で、芸妓《げいこ》しよったみっちゃんが、急性肺炎にかかった時に、役に立ちました。のこりの一本は、まだわたしの、むかしの行李の中にちゃんとしもうてありますよ。あんたのおかげで、うちは病気一つせんと……こげになりました。草本さん……うちは、あんたに、恩返しがしとうて……しとうて……かなわなんだんじゃ」  由布の眼からぽろぽろと涙がこぼれた。  その夜は、楽しかった。二階の奥の間の床の間正面に、草本を据え、由布は向きあって、いつまでもよもやまの話をした。給仕にきたとみ子をみて、草本が、びっくりしたのは当然である。 「あんたも、ここにおるんけ」  と魂消《たまげ》る。 「先生」  とみ子はいった。 「うちは、由布ちゃんに世話になって、ようよう人間らしい生活にもどりよったです」 「これまで、あんた、別府にいたんとちがうかえ」 「大阪にいよったです」  とみ子は、ジョルジュの子を育てながら苦労してきたいきさつを話すと、草本もしんみりした顔になって、 「あんたも、そげん苦労しよったんか……えらいのう」  といった。 「わしが保健所に働きよって、湯布院にきて、検診しよったのは……二十五年じゃったなァ……あの時、わしは、千人からの女の子を検診した……みーんな……暮しのために働きよる子らばかりじゃった……いまでも、時どき、ノートをとりだして、当時の日記をよむことがある……なつかしい思いで胸がつまるで。とみちゃん、あんたらは、こげに出世して、幸福にくらしよるが、うまくゆかんで泣いち暮しよる子らじゃって、なんぼおることじゃろのう。病気になって、死によった子もおるし、パンパンしよったというだけで、結婚も出来んで、いまも日傭《ひやと》いしよる子もおる。町に住みついて、まんだ、苦労しよる女もみかける。そげな子らのこと思うと、あんたらは、えらい出世じゃな。立派なもんじゃ」  由布も、とみ子も、眼頭《めがしら》がぬれてくる。その苦労は、ついこのあいだまで、身に沁《し》みて感じてきた。いま、草本は、立派なもんじゃというけれど、旅館の成功と、「ゆう子」の成功は、東京ならこそのカケであった。これがもし、過去の知れる九州にいたら、きっと、まだ、日傭い女をしていたかもしれない。いや、東京にいたって、過去のそれが知れたら、世間は軽蔑《けいべつ》するだろう。由布もとみ子も、結婚でしくじったのは、みな過去のためであった。過去を人に知らせるな。これが掟《おきて》だ。掟を守って、一生懸命働いてきたから、今日の地位にのぼれた。おそらく、あの日出生《ひじう》台に、朝鮮出兵のアメリカ兵が雲集した時、チェリーボーイの財布にむらがった娘部隊は三千はくだるまい。三千の売春女たちが、民家という民家に下宿して、夜な夜な、ドル稼《かせ》ぎに躯をひさいだのだ。チェリーボーイたちが本国へ帰ってしまうと、娘たちは、全国にちらばった。それぞれの傷を抱《だ》いて……、いまだに苦労している連中のことを思えば、草本のいうように、自分たちは出世したかもしれぬ。が、今日まで、由布は、何ど、失った過去のために、泣いたことだろう。 「それで……わしがこんどの上京は、日出生台のこととも関連しよるんで」  と草本は真剣な顔になって話しはじめた。 「塚原にいって、あんたのお母さんに会うたんも、じつはその仕事のついでじゃったんじゃが……わしは岩井さんに協力して、日出生台から消えた村の墓を再建しようと思うとるんじゃ」 「………」  由布は、草本の眼をみた。 「墓ばかりじゃないぞ……アメリカが荒らしたままで、捨てていった日出生台の田畑の再建に……努力しよるんじゃ……墓じゃって土に埋めてしもたぐらいじゃから、農家が丹精《たんせい》してつくりよった田圃《たんぼ》やら畑は放ったらかしだ……まあ、あの時は、文句一つもいえんと泣き寝入りせんならん時代じゃったが、いまは、講和《こうわ》になって、日本は独立しよったんじゃ。従来の農業本位の国から、工業立国にきりかえて……えらい成長ぶりで、景気のよいことをいうとるが、それなら、農家が泣いた分を、補償してくれと、わしらは政府に願い出よるんじゃな……」  草本のいっていることはよくわかる気がした。むずかしいことはわからないけれど、眼をつぶれば、あの当時のことが、はっきり思い出されてくる。もともと、日出生台の高原は、日本軍の演習場であったものだ。まだ、日本軍が使っていた頃は、大砲の音はしたとはいえ、附近《ふきん》に農家の田圃《たんぼ》も畑もあり、演習地に隣接して、稲もとうもろこしも、ゆたかなみのりだった。だが、あの一日、アメリカ軍がとつぜん入りこんでくると、恐ろしい勢いで、ブルドーザーや、クレーン車が山をこわし、畑や田を埋めて、みるみるうちに、平地にしてしまい、なかには家もとられた農家があった。おそらく、平地にされた谷部落には、墓地も、井戸も埋められて、強制移住させられた家も多かったろう。それらの人たちが、帰りたがっているという話をきいたこともあった。戦争がすんだら、昔の土地へ帰りたい。そう思っても、アメリカが谷を埋め、墓を埋めてしまったあとには、何も残っていないのだ。 「気の毒な人たちがいなさるんですね」  と由布はいった。 「お母ちゃんから、そげなことは、きいてはいたけんど、慕まで埋められて無うなっちょるとは知らなんだですよ」 「生意気なことをいうようじゃが……今日の日本の高度成長は、みーんな日出生台のおかげじゃと思うがどうじゃろか。由布ちゃん」  草本大悟は熱っぽい口調でいった。 「日本が、今日のようになれたのも、みーんな朝鮮に戦争があったおかげで。死にかけよった日本の産業に息がふいたんじゃな。けど、息を吹きかえしたところは、それでよかったじゃろが、よその国の戦争のために、墓も田圃もとられて泣きよったひとにぎりの百姓がおったことを……国民はわすれてしもうとる。……わしが、参議院に立候補して、がんばってみたいと思ったんは、じつは、この補償事業を手伝うとる時じゃった。わしは、由布ちゃん、戦争で泣きよった人らの代弁者になりたいんじゃな」  由布は、吸いこまれるように草本の言葉に聞き入った。 「由布ちゃんらには、こげなことはようわかるじゃろと思うが、国民の大半は、わすれてしもうとる」  草本は熱っぽくいった。 「早い話が、湯布院じゃって、別府じゃって、はたから見よると、どえらい復興ぶりじゃ。世間は朝鮮景気以後、レジャーブームじゃいう。どげな温泉旅館も満員じゃし、杉の井じゃって、白雲山荘じゃって……大きなデパートみたいな増築しよって……団体客を招きよる。おっつけ、別府から、阿蘇へぬけるハイウェイが出来よるちゅう噂《うわさ》じゃ。実現すれば夢みたいな時代がやってきよる。小さな湯布院の町一つみよっても、そげな状態じゃから、全国どこへいっても、こげな傾向はみられるじゃろう。国が栄えることは嬉《うれ》しい。生活もラクになることは、なーんも、文句いう筋はないけんども、しかし、景気のよい国の一か所だけ、踏みたたかれたまま泣き寝入りしよるところが、そのまま放置されてあってよいというわけにゆかん。高度成長もよいが、先《ま》ず、国の犠牲になりよった悲しい人たちを救いあげて、それからの成長なら、なーんもいわんじゃ。正直のところ、日出生台演習地の補償問題は、わしらが本腰入れなんだら、だあーれも気づかん。かなしいことじゃと思わんかえ」 「思うですよ。そげなことは国民のつとめじゃわ」  と由布はいった。 「うちは、むずかしいことはわからんけど、日出生台にアメリカ兵がきたために、家も墓も失うた人らがおるなら、昔どおりにしてあげな……罰があたるじゃえ」 「罰があたる……本当だ。だから、わしらは一生懸命になっちょる。安心院じゃって、玖珠町じゃって、院内町じゃって……みーんな、多かれ少なかれ、犠牲になっちょる。荒れた田圃や畑を復活するためには、ダムをつくって、用水の確保から、さらに新田の造成もせにゃならん……仕事は山ほどあるな。これを、なーんも、全部が全部土地の人らがもたなならん義務はない。国家がそげにしよったんじゃから、国家が補償せにゃいけん。そげに思わんかえ」 「思うわ」 「わしがこんどの出張は、その打合わせじゃな……由布ちゃん」  由布は、草本の輝く眼をみていると、不意に、何か、眼の前が、あかるくひらける気がした。不思議だった。これまでは、自分のことに、頭をなやましてばかりいて、世間一般のこと、政治のこと、戦争のことなど、新聞をよんでも、深く知ろうとしなかったことどもが、いっきに、わかってくるような気がした。たしかに、高度成長という言葉がはやりつつある。工業立国という言葉もはやりつつある。あの終戦直後の、飢餓すれすれの生活を思うと、日本はいま、夢のような上昇期にいる。それは、いったい、誰のおかげなのだろう。みんなが一生懸命働いたおかげにちがいないにしても、草本のいう、朝鮮戦争のおかげだということははっきりわかる。  由布の真剣にうなずく顔を見つめながら、草本大悟はつづける。 「あんたは東京にくらしよって、このごろの人間の変りぶりを不思議に思わんかえ。誰もかもが金の亡者《もうじや》になりよった。むかしなら、あざといことをして銭儲《ぜにもう》けしよると、あいつはこすっからい男じゃ、友だちにしてはいけん、と敬遠しよったもんじゃが、近頃《ちかごろ》はちがうな。銭儲けの巧みな奴はえらい奴じゃという、あいつを友だちにしたら得じゃと、銭の無えもんは、へらへらしよって、手下へつきよる。根性がくさってしもたんじゃな。こげな傾向も、アメリカ人の経済主義からきよるところで。国ぜんたいが、アメリカにへつろうて生きよるんじゃから、しかたがないともいえるが、わしは、不愉快でたまらんじゃ。儲けりゃよい、というもんでもなかろうが。由布ちゃん」 「………」  由布はうなずく。 「若い娘らの、この頃のアメリカかぶれの身装《みな》りをみてみなさい。裸同様で町を歩いとる。海浜着なら、海で着たらいいに、そのまま、町なかへとび出てきたみたいな格好もおるで。それをまた、若い男らがよろこんでみよる。下品な女性週刊誌や何かが、争って写真で報じよる。程度のひくい娘らは、肉体だけを誇張して生きるようになった。これもアメリカからきた風潮じゃ。恐るべきことじゃ。小学校、中学校と、義務教育をうける期間に、子供らは、情操教育ちゅうもんをうけよらんから……躾《しつけ》というものはありゃせん。学校は、個人尊重の教育じゃから、先生らも、組合に入って、やれ月給あげろ、休みをくれちいうて、校長に食っちかかる。こげな先生を見よって……情操ゆたかな子供らが出来るはずがない。これからの日本を、背負わにゃならん子供らが、個人主義のかたまりみたいでは、日本もどげになることじゃか。これは九州で起きた事件じゃが、子供が親のいうことをきかんで、喧嘩《けんか》した。ナタで親爺《おやじ》を切りよった……まあ、これは特殊な事情の家じゃったが、むかしなら、親にナタふるって切りかかるような子はおらんじゃった。なーんもかも逆になってきよった……なんぞというと、子は、親を言いまかしよる。これは、学校の教育がいけんのじゃ……主張ばっかりして。義務を遂行し、責任を果すという子、他人に思いやりかけたり、助けたりする、心のやさしい子はのうなった……みんな、先生のまねしよったんじゃえ。わかるか。由布ちゃん」  由布は、熱っぽい口調でそんなことをいう草本をみつめながら、〈ああ、この人は、いつ嫁さんをもろち、子をつくったのか……〉とふと思う。そうだ。草本は湯布院で誰と結婚したのだろう。聞いてみたい。 「草本さん、あんたの子はいくつじゃえ」  由布はきく。すると、草本は、 「えッ。わしの子か、そげなもんはない、わしはいま独身じゃ」  といった。 「あんた……独身て……どげにして、嫁さんもらわんじゃえ」  由布は思わず、草本の眼をみつめる。 「女ごはもういやじゃえ」  と草本はいった。 「どげにして、女ごはいやなんですか。あんた、女ごにひどい目にあったとですか」  草本はちょっと眼をずらせて、 「うん、ひどい目にあった」  とぽつりといった。 「由布ちゃん、わしは、一生、嫁はもらわんときめたんじゃ……」  かすかに、淋《さび》しそうな眼つきを草本はした。この人が、女に裏切られた、由布は、もっとくわしくきいてみたい。 「教えてください。草本さん。あんたのようないい人を……裏切った女のひとのはなしをしてください……」 「すんだことだから……いいたくはない……」  と草本はいった。 「結婚したというても、ほんの一年半くらいじゃった……その女ごは、博多へいっちしもた……」 「正式に結婚しなったんでしょ」 「ああ、九州医大の先生の世話でもろた」 「どげなひとですか」 「虚栄心のたかい女ごじゃったよ……貧乏がきらいな女ごじゃった……嫁にきたその日から……いつ開業しよるんじゃ、いつ、病院づとめやめるんじゃと……尻《しり》をたたきよる。わしのような無力な、医学生に、どげにして、開業できるかえ。資金なんぞあるもんかえ。勝手なユメみてきよって、よけいなことそそのかすのはやめちくれいうて……毎日、喧嘩《けんか》じゃった……そのうちに出て行っちしもた」 「へえ……」 「久留米の農家の娘じゃったが……気ぐらいの高い女でなァ……女子大を出たちゅうて……湯布院の女らとは、つきあいもせんじゃったよ」  だいたいの想像はできる。きっと、鼻の高い女を、草本はもらったのだろう。 「そげなひとじゃから、美しい顔しよってだったでしょ」 「器量はまあ十人並みといったとこじゃったがなァ……」  と草本はまた淋しそうな眼をして伏せた。由布は、その眼をチラとみていて、草本は、まだ、その逃げたひとに惚《ほ》れている、と思った。こっちにも経験があるのだ。男と女の差こそあれ、由布は愛川に捨てられたのだった。 「ひどいひともいるもんじゃのう……それで、そのひとは、博多へ帰《い》んで……なーんもいうてこんですか」 「籍を切ってくれちゅうで……ハンコさ押して……別れてやったよ」  と草本はいった。 「それっきり、わしは、女ごがいやになった……」 「なーんも、そげなこころのひとばっかりいるんじゃないですよ……草本さん。世の中にゃ、もっといい女のひともおってじゃ……また、貰《もら》いなおしたらいいじゃ……」 「もうこりごりじゃえ」  草本は大きな八重歯をみせてわらう。 「電気|洗濯《せんたく》機と、テレビと車がないところにゃ、嫁にゆかねえ。ひどい奴は、ババ、ジジ抜きじゃという。好きな人ができて、一しょになったとしても、しゅうとと暮すのはいやじゃ。男も鼻の下を長うしよるで、家を出るのが流行じゃ。年よりを放《ほ》ったらかして、外で暮す。自分を生んでくれち、今日まで育ててくれち親より、一週間前に入りこんできよった嫁大事じゃという。こげな風潮は、どこからきたんじゃかのう。かわいそうに、田川じゃ、首つって死んだ老夫婦もおった……家というもんが、崩壊しよる。家族制度というもんが、根っからくつがえってきた。人間は、個人生活を完全に楽しむのが生きる目的じゃ……。東京はどうじゃい。マイホームじゃろ……教育ママというのがいよる……子を学校へあずければそれで躾《しつけ》がしてもらえると早|呑《の》みこみしよって……少しでも就職先のいい官大へ入れようとあせりよる。そげな大学へ入って、躾なんぞ教えてくれるもんかえ。親は学校へ入れれば、それで、子の教育はすんだと考えよるが……昔はみーんな家で教育した。こげなことがつづくと、いまに、子供らからしっぺがえしされるで。なーんも情操なんぞ、身につけておらん子らが、大学さ入って理屈ばっかり言うようになってみんかい。喧嘩しか起らん道理じゃえ。その時に、親が泣き面《つら》かいてもおそい……わかるかえ。わしの嫁も、戦後第一号の……頭ばっかりで、心のない女《おな》ごじゃった……由布ちゃん、わしは、こげな世の中に生きて、なんとか、この国の人間をよくしたい……そげに思うち立候補する決心がついた」  由布はわかる気がした。たしかに、東京の変り方は、按摩していたころにくらべても激しい。街《まち》の建物が、鉄筋になったように、人間も欲ぶかくなり、自分本位の城をきずくことに躍起となっている。 「あんたらのいたころは、塚原に囲炉裏《いろり》があったじゃろ……」  と草本はいった。 「冬がくると、おっ母が火ィ焚《た》いてあたらしてくれよった。けど、このごろは、湯布院あたり、どこへいっても、炉に火ィ焚いてあたっている家は無うなった……みーんなプロパン瓦斯《ガス》になったからで………プロパンでめし焚いて、電気ゴタツにあたってテレビみよる。じゃから、どの家も、だんらんちゅうもんが無うなった。子供は勝手に子供部屋で、マンガみよるし、親は深夜放送みてよろこんどる。囲炉裏の火ィが無うなって、子と親の連帯感も無うなった……こげな時代に、わしは教育ちゅうもんを根本から考えなおさんといけんと思うんじゃ。女房にふられた腹いせじゃ、いうかもしれんが……わしは本当に考えとる……」  この草本なら、ひょっとしたら、当選するかも知れぬ、と由布は思う。たしかにこの人は人間の味方だ。弱い者の味方だ。こげな人が参議院に出て、弱い人間のために働いてくれるなら、きっといい時代がくるかもしれぬ。由布はそう思う。 「あんたも、苦労しよってじゃのう」  由布はふっと眼頭《めがしら》があつくなった。  じつはこの時、由布は、草本がまだ独身であることに、多少のこだわりをおぼえていた。別れた女のことを、まだ胸にあたためている気配である。女に裏切られて、憎むあまりに、未練の色が出ている。  由布は、愛川伍六にふられて、動顛して探《さが》しまわった日のことを思いだした。愛川に未練があったから、愛川のことをよく言わなかった。毛利にも、寺本にも、神田にも、由布は、愛川の悪口ばかりいった。それが、いまになってみると、はずかしい。不思議なことだ。愛川への未練がふっきれた時に、悪口はいわなくなった。真中初枝と幸福にやってくれることを望むようになった。誰にでもそのことを虚心|坦懐《たんかい》に語れるようになった。その経験から、いま、博多へ行った女に、未練のありそうな草本の顔をじっとみて考える。  草本は、いつかは、女を追う気持をふり切るだろう。世の中の女を、恨まなくもなるだろう。その時がきたら、誰かとめぐりあって、結婚するにちがいない。由布は、話をきいていて、そんなことを思う。が、草本はいった。 「わしのことをそげに詮索《せんさく》せんと……あんたはいったい、どげにして、再婚せんじゃい」  由布は、返事に困った。だがちょっと間をおいて、 「わたしは、女じゃで……」  という。 「伍一もいることで、めんどうなこともありますから、かんたんに結婚はできませんよ。また、この年まで、独身をつづけてしまうと、億劫《おつくう》になって……結婚話も重とうてかなわんです」 「負け惜しみをいうちょんのとちがうかえ」 「負け惜しみでもなーんでもないですよ。それに……草本さん。あんたがさっきいわれたように、わたしも、とみちゃんも、いっちゃんも……過去があるで……昔のことを理解しちくれて……愛してくれる男の人は……まあおらんじゃわ」 「そんなもんかなァ」  草本は、照れたような眼をした。 「わしは、なーんもいう資格はないが、そんなもんかなァ」 「商売も忙しいで、男どころじゃないですよ」  由布はそらせた。 「どうやら、ここまでこれたんじゃから……また、わずらわしい男で苦労しよって、棒にふっちしまうより……伍一がかわいそうじゃし……」  正直なことを由布はいったにすぎない。草本は、ふんふんとうなずいて、 「いまは、そげなことをいいよるが、また、気がかわる日もあるぞ」  といった。  草本大悟は、結局、「由布」に八日滞在した。朝早く起きて、役所|廻《まわ》りをしたが、なかなか計画通りにゆかないらしくて、暗い顔でもどってくることもあった。由布は、草本をたいくつさせないように、夕食の相手は八日とも自分でつとめた。丸の内や麹町を歩いてきて、うつり変る東京の姿に、草本は舌をまいていた。 「驚いたもんじゃな。むかしは、有楽町のあたり、靴《くつ》みがきが行列しよったが、そげな商売するもんがおらんようになったのう。役所できいちみると、ボロ買いする者もおらんようになって、廃品回収は、むかしなら、民間ですみよったもんが、近ごろは、悩みのタネじゃというとった。大きなマンションも建っちょるが、古新聞やら空《あき》ビンの処理がいちばんの悩みじゃと」 「……ここいらも、廻ってきよらんとです」  たしかに、ボロ買いや、廃品回収の商人を見かけなくなっている。それだけ、人びとの生活がゆたかになり、イヤな仕事をしなくても、たべられる世の中がきているのだろうか。 「自動車の多いことも……びっくりじゃ」  と草本はいった。 「駐車場がないで……そこらじゅうに、車が占拠しよって、このぶんじゃ、人間が地めんの下にやられてしまう様子じゃのう。銀座の地下へ入ってみたら、どえらい立派な洋品店やら食料品店があるし、大勢の行列じゃった。地下鉄も繁昌《はんじよう》しよるし、人間は地下へもぐって、車ばっかりが陽のあたる道を走っちょる……こげな都会は、病気じゃと思うが、どうじゃろかえ」 「ほんとですね。伍一をつれて、街《まち》へ出ることはあるですが、危《あぶ》なくて危なくて、デパートゆきも疲れるですよ」 「宮城の松のみどりとむかしはいうたが、あげなみどりは無うなって、黒い色じゃった。楠正成の銅像も、汗たらしたように、緑青《ろくしよう》のスジが何本も出よって、馬が泣いちょった。あげな空気のわるいところに、お天子様がおられるかと思うと、わしら、九州の山におって、勿体《もつたい》ない思うたのう」  めずらしいことばかりが多い東京を、草本は、独身の感応のしかたで、眺《なが》めてきては、八日のあいだを、たいくつさせなかった。酒も多少は呑んだので、夕食はたのしい。由布は、草本が帰る時に、母への手|土産《みやげ》もたのんだ。草本は、快諾してくれて、「由布」を連絡事務所にすることに話をきめると、来春早々の選挙戦には、勝ちぬかねばならぬと、決意を示して、帰っていくのだった。  由布は、この草本の出現で、生活の張りが出たことに気づいた。不思議だった。草本を当選させたいと思うと同時に、草本には、いまのままの独身でいてほしいと、ひそかな願いも芽ばえた。とみ子が、それを察知したか、 「あの人が当選しよったら、あんた、一しょになったらどうじゃえ。議員夫人もいいじゃで。由布ちゃん」 「馬鹿なこといわんで」  由布は怒った顔をしたが、腹の底では、とみ子の冗談がうれしかった。  事実、麻雀《マージヤン》しにきていた東洋土地の連中が、八日も滞在していた九州の客に、不審なものを感じたとみえて、時どき、茶をはこんでゆく由布に、 「かみさんも、すみに置けないねえ、あんないい人が出来たのかね」 「なーんのことやらわからん……草本さんのこというちょりなるですか。あの人は、わたしの一生の恩人です。浮いたはなしなんか、これぽっちもありませんよ」  むきになって由布は怒った。すると、 「怒るところをみると、満更でもなさそうだ」  由布はあかくなった。女中たちが、よけいなことをしゃべったのかもしれない。客は、由布の困る顔を面白く眺めやって、 「色の浅黒い、恰幅《かつぷく》のいい人じゃないですか。おかみの好むタイプはああいう人かと、噂してたところですよ、いい人をみつけましたね」 「みつけたの、なんのって……ひやかさないでくださいよ。あの人は、選挙に出なさる大事な人ですからみなさんも、一つ、後後会のメンバーになってあげて下さい。アメリカさんが、荒らしち行った演習場の復旧に、一生懸命、働いてなさる人です……当選させてあげたいんですよ」 「国会議員と料亭マダムの世紀の恋ってところか」 「そら、わたしは尊敬しちょるですよ。けど、……恋だのなんのと、これぽっち思うたことはありませんよ」 「しかし、おかみは、あの人がいた日は、妙に浮き足だってたよ。……これまでにない若やいだ眼をしてたぞ」 「そんなこと……」  客たちは、からかい半分ながらも、由布が草本に、それほどの尊敬をもっていることに、かすかな羨望《せんぼう》も感じるらしかった。由布は、客たちにひやかされて、嬉《うれ》しかった。冗談にしろ、草本とのあいだを、そんなふうに思われて、かなしかろうはずはなかった。むかしから、由布は草本に惚《ほ》れていた。鶴の井にいた頃から、草本のことなら、何でもしようと、はりきってばかりいたのだ。 〈湯平だって別府と大差のない町だね。躯に気をつけて、しっかりやらんといけん〉  別府を出る時に、ペニシリンをくれた時にそういい、湯布院の検診所へぱくられて、再会した時にも、草本はいったのだ。 〈こげなところで、会おうとは思わなんだ、由布ちゃん。一日も早く、やめちしもて……東京へゆけや。この町におると躯がくさるで……〉  思い切って湯平を出奔できたのも、みな、草本の勇気づけからだった。脱兎《だつと》のように、ドアを押して、検診室を逃げた時の、あの羞恥《しゆうち》を、由布は、いまだに抱《だ》いて生きている。  由布の胸に、かすかな灯をともしたともいえる草本大悟の上京は、わずか、三回だけであって、大きな悲しみを、また由布に抱かせる結果になっている。由布は、正直いって、草本の急死を、信じられなかった。訃報《ふほう》は、正月があけて、まだ間もない一月二十三日の夕方だった。長距離電話があった。福子がとりついで、湯布院からかかってきているというので、塚原の老母に何か異変でも起きたか、と、急いで受話器をとりあげると、遠い雑音の向うで、聞きなれぬ声がした。岩井病院の元院長で、町長でもある岩井英造である。 「柿本由布さんですかえ」  切迫した物言いで、 「わしは、湯布院の町長の岩井じゃがのう。草本さんがえらいこって……交通事故で、重傷負うてのう……亀川の病院へかつぎこまれたが、出血多量と、脳内破裂で……たったいま、息をひきとられた……あんたとこには、上京のたんびに世話になったいうちょってじゃったし……知らさないけんと思うち……大急ぎで電話したんじゃが……」  由布は、受話器を落しそうになった。 「町長さん……」  声がつまって、由布は、しばらく声が出なかった。 「わしらも、信じられんのじゃ……びっくりしとるんで。ゆうべじゃった……博多へ協和党の党首さんが遊説にみえたで、大分へも寄っちもろて……何やかや頼まんならんこともあるで行っちくるちゅうてのう……朝、汽車で行きよった。帰りに、党の広報部長の清見さん同道で、博多のハイヤーに乗ってこっちへもどっちくる途中じゃった……宇佐から山香へくる途中の、カーブで、ダンプと正面衝突じゃな……ハイヤーは田圃《たんぼ》の中へふっとばされて、フロントガラスも窓ガラスも木っ葉みじん、投げだされた部長と運転手は重傷じゃ。草本くんは、顔と胸に大きな傷じゃ……救急車で、別府までもっちきち、国立病院の外科へ入れたんじゃが、草本くんだけがのう……運わるく脳をやられちょって……けさから、注射打つやら……吸入するやらして、八方手をつくした……、だめじゃったんじゃ。……柿本さん、あんたも、びっくりじゃろうが、わしらも大事な人を失のうて……がくぜんとしよる。つい、きのうまで、張り切って日出生台をとび歩いちょった人が……死んじしまうなんて……惜しい人を失のうて……柿本さん……事故じゃで、誰に文句もいえんじゃえ」  岩井英造は、かなしみの押しよせる切迫感のある声でそういうと、 「あんたのことを、もどってきて言いづめじゃったで……葬《とむら》いにゃ、ぜひ、もどっちくれんかえ。うちの内科部長も長らくやっちくれたし……町の議員でもあったで、町で葬式することにする……そん時には、あらためて知らすで……ぜひ来て下さい」  由布は、誰に投げつけようもない憤りにふるえた。  いったい、こんな、急な訃報が信じられただろうか。大きなかなしみにつつまれた。まるで、両足をもぎとられたような痛みをかんじた。宇佐から、山香へくる国道は知っている。ダンプと衝突して、車もろとも、田圃の中へ投げとばされて、瀕死《ひんし》の重傷を負った草本の、無念そうな顔が想像できる。 「町長さん、……そげなこと……信じられん……どげにして……そんな」  由布は電話口でうなだれた。 「あんたも、親切にしちくれたちゅうて、よろこんでおったに……日出生台の整理もついて、いよいよ、選挙に打って出るちゅうて……元気にとんで歩いちょったに……わしらも、残念で、残念でしようがないんじゃ。事故はお互いさまで……どっちもセンターラインをオーバーして追い越しかけよった直後の、正面衝突じゃったそうじゃ。ダンプの運転手を、怒っても、死んだもんが生き返っちくるわけでもない……見通しのわるい、あのカーブに、そげな伏兵がおったことがいけんじゃったんじゃ……残念じゃ、柿本さん」  岩井はそういうと、葬式の日取りはだいたい二日後の二十五日ぐらいであろうから、ぜひ、帰郷してくれるよう、と言いおいて電話を切るのだった。  由布は、居間にもどると、とみ子と福子を前にして、大粒の涙をこぼした。 「とみちゃん、あの人が死んだ……交通事故で死んだ」  顔をかかえてうずくまったのである。もちろん、とみ子も、福子も信じられない。 「人間の命ってはかないもんだな……とみちゃん」  岩井のいった言葉を、由布は思いなおしていた。あれは、父が死んで、やはり塚原で葬式のあった日だ。村出身で、京の本山へ出ていた越山老師が、仏山寺に偶然きて、父の葬式にきた。由布は、まだ、学校へいっていた。 〈和尚さん、人間て……なんで死ぬんじゃ、教えてください〉 〈人間は、うまれた時から、死ぬための道を歩きはじめる。生きる時間の多い少ないだけのことで、誰じゃって死ぬるものだ……生きの身は、朝露のようなものじゃ……死ぬることは、また、次の世を生きにゆくことじゃ……〉  父も太市も、朝露の世に、ひと足早く別れをつげて死んでいった、と子供心に思った。だが、次の世に生きてくるといわれても、実感は湧《わ》かなかったことをおぼえている。だが、太市や、父の死にくらべて、まだまだ寿命のあったはずの草本の死は、災難である。事故にあっても、生き返る人はたくさんいるのに。同じ車にいた運転手も、協和党の清見も、重傷で生きているのに。  草本にだけ、どうして、こんな悲運が見舞ったか。 「とみちゃん、いっちゃん、草本さんはあんたらにも、恩人じゃで……みんな一しょにお葬《とむら》いにゆかねばならん思うけんど、初音町も、ここも忙しいで、あんたたちには留守を働いちもろて、うちが代表して、出席してくる。どうかえ」 「そげにしてください……おかみさん」  いちがいった。 「うちらは、また、向うへゆく時もあるで、そん時にお墓まいりさしてもらいます。おかみさんが代表していっちきてください……草本さん、大勢して、押しかけたら、おめら、商売|放《ほ》ったらかして、なにして、そげにぞろぞろきた。葬式なんぞ、儀式ばったことじゃで、来んでもよい……頭からどなられるような気がします……おかみさんひとりで、ゆっくりおまいりしてきてください……」  いちがそういうと、とみ子もいった。 「それと……塚原のお母さんに会うて……そろそろ、東京へ来て、楽しなるようにと、相談もしてきて下さいね」  由布は、ふたりの言葉に胸がしめった。母をよびよせることは宿願になっている。草本も、そのことには賛成していた。母はもう六十をすぎているが、頑固《がんこ》に塚原を動かず、田畑を守って暮しているのだった。いつまでも、足腰が達者というわけではない。なろうことなら、湯島に離れをつけたして、そこで、ゆっくり老後を送ってほしいと、由布は思いつめてきている。ところが、母は東京へくるのはいやじゃといい、父や太市の眠っている由布|山麓《さんろく》で死にたいと言っている。 「お婆《ばあ》ちゃんは、依怙地者じゃで、すぐにつれてくるわけにゆかんじゃろが……草本さんの霊には、あんたらの分も礼をいうちくるで……すまんが、とみちゃん、あんた、伍一の幼稚園さゆくのを、ちゃんと送り迎えしてやっちょくれ、いっちゃんは、初音町をしっかりたのみます……」 「安心していっちきち下さい」  いちも、とみ子もいった。由布は、二十四日の朝、羽田から高松経由の大分空港ゆきの飛行機に乗って、二時間足らずで、大分につくと、車で別府をぬけて、湯布院に入った。  車は、九十九折《つづらおり》のアスファルト道を走って、やがて、城島高原に出て、由布岳の麓《ふもと》を迂回《うかい》するあたりへくると、昔とかわらない、岩石のとびとびに出た、褐色《かつしよく》の肌《はだ》の裾《すそ》がひろがった。 〈ああ、由布岳は、あいかわらず、元気に立っちょる〉  由布は、胸が熱くなって、この山を、眺《なが》めてくらした湯平時代の、苦しかった生活と、塚原から学校へ通った日々を、影絵のように、思いうかべた。 〈ああ、山だけはちっとも変らずに立っちょる〉  山裾を迂回するアスファルト道から、眼下にひろがる金麟湖の水面に、由布の山嶺《さんれい》が影を落している。ほとんど涙のふきこぼれそうな風景だった。湯布院盆地は、温《あたた》かい冬陽《ふゆび》の中だ。平和な集落が、白壁や瓦《かわら》屋根を点々と輝かせて、車は、その町の端へ、ゆるやかな勾配《こうばい》を降りる。金麟湖の岸には、銀柳が、葉を落している。ながいあいだ、瞼にだけ抱《いだ》いてきた故郷が、いま、息づいて迫ってくる。  由布は、塚原へ入るまえに、岩井町長に会っておこうと思った。草本の遺骸《いがい》は、すでに火葬されているだろう。先《ま》ず霊に合掌して、母の許《もと》へ帰りたい。で、由布は、運転手に命じて、町役場へいった。駅からすぐの道ばたにある町役場は、小学校の校庭とむきあっている。ちょうど、午《ひる》すぎだった。襟巻《えりま》きした子供らが、白い息を吐きながら、校庭を跳びはねている。  由布は、車から降りると、しばらく校庭をみていてから、気を落ちつけて町長室に、岩井英造を訪《たず》ねた。岩井は初対面だったが、赧《あか》ら顔の大きな眼を細めて、由布が急遽《きゆうきよ》帰郷してくれたことを喜んでむかえた。 「ありがとう、ありがとう」  応接室に通すと、草本のことを岩井はくわしく話した。 「どういうわけだが、湯布院が好きじゃいいましてね……むかしは神戸に大きな家があって、父さん母さんもいたんですがね。空襲でみんな亡《な》くしてから、すっかり虚無的になって、別府へきました。……ところが、ここが気に入って……故郷のように根をおろしたんです。病院で働くかたわら、町のためにいろいろがんばってくれましたね。去年の暮れでした。仏山寺の近くの畑なかに家を建てて、もちろん、地所も買ったのですが、もうここで骨を埋めるつもりだといったんです。……神戸の岡本に、従兄《いとこ》さんが一人おられるんできていただくことにしましたが……孤独な男だったですね……でも淋《さび》しい境遇からくる、しめったところは少しもなくて、なんというんでしょう……苦労のシワはみな足の裏へもっちいって、いつも、にこにこしているいい男でした。……わしも、町長になってから、あの男が心からの友だちで……毎日のように、酒も呑み、家にもきてもらっていました。……だが……こんなことになるとは……まったく残念でなりません。本人もさぞかし、死ぬにも死にきれなかったでしょう。病院へかけつけた時は、まだ意識があって、わたしの顔をみて、にこっとしていましたが、物はいいませんでしたよ。死に顔をみていましたら……泣けて、泣けて……ほんとに、この男を死なせた運命をのろいたくなりました」  岩井は、その時のことを思いだしたか、胸がつまったらしくて、人さし指を眼尻《めじり》にあて、 「惜しい男です。湯布院にとっても、ほんとに、大きな損失です。しかし、柿本さん、あの男は、日出生台補償の大事業を……九分どおり完了してくれました」  と岩井は言葉をつまらせた。 「にくいのは、山香の手前の山の鼻じゃった。あすこは切通しになっちょって……道もえらくカーブしよる。宇佐の方からスピード出してきよると、見通しがわるいで、いつも危険を感じるところじゃが……ダンプがにゅっと……センターラインをオーバーしてやってきて、急いでブレーキかけたが、間にあわなんだというちょる」 「こっちの運転手も……ミスじゃったんですね」 「スピードはオーバーしよったし、小さなのを追いこした直後じゃったで、センターを少し出よったんですね」 「………」 「運がわるかったんじゃ……柿本さん」  岩井英造は溜息《ためいき》をついて、 「まるで、風のように、あの男は逝《い》っちしもた。わしは、福岡の大学じぶんから知りおうた仲で、温研でも一しょに勉強した。学校は二年しかちがわんが、年は三つちがいでのう。戦争がすんで、軍医少尉で宇佐に勤務しよったが、復員して、神戸へ帰ると、家はやられちょるし、父さん母さんは、死んでしもうとる。ひところは、世の中を憎むようなこといいよって……何もせんでぶらぶらしよったが、別府へきた頃から、すこし、変ってきて……保健所の嘱託医にしたのは、わしじゃったんじゃが、あんたも知りよるように、大酒呑みじゃ。だが、ここらかいわいの女性には神様じゃった。むかし、映画で、『酔いどれ天使』ちゅうのをみたことがあるが、まさに、あの医者そっくりじゃったなァ。気性もええ、さっぱりしよる……わしも、あの男がだんだん明るうなって働いちくれるんで……ほんとにうれしかった……」 「………」  由布は次第に眼がしらがぬれてくる。岩井のいうとおりだと思う。たしかに、草本は、あの頃、売春婦たちの神様といえたかもしれない。 「町長さん、あの人は、うちが湯平で働くちゅうたら、ペニシリンふた瓶《びん》くれなったです……」 「ペニシリン」 「……何かの時にこれをお尻《しり》に打っちもらえ……いいなって……」 「あんた、あの頃のペニシリンは、貴重なもんで」 「町長さん、わたしは、まんだ、そのひと瓶を大事にもっち……残しよります」 「柿本さん、あんたも……いい人じゃのう」  岩井英造は眼をしばたたいた。  由布は、岩井につれられて、仏山寺の東側にひろがる段畑の草本家を訪れた。平屋建ての小ぢんまりした家であった。石垣《いしがき》を積んで、まるで箱庭のような畑をつくるのが、このあたりの農家の風習だが、草本の家も、玄関前から南の軒下に畑があり、細葱《ほそねぎ》が植わっていた。六畳と四畳半に、板の間の台所をもったこの新居は、いかにも草本らしかった。ここで、草本は、久留米の女と棲《す》んだのだろう。虚栄心のたかかった女が、やりきれなくなった理由には、畑なかの家の淋《さび》しさもあったかもしれない。岩井のうしろから玄関を入ると、神戸からかけつけたという草本の従兄《いとこ》夫婦がいた。親族はこのふたりきりで、あとは、みんな病院の連中らしかった。黒い腕章をつけた四十二、三の男が、由布を迎えて、 「ご苦労さんです」  といった。岩井は、この男のことを愚弟です、といって、紹介した。 「ゆくゆくは、病院をやってもらう弟でして……草本君とは、ウマがあって……いつも碁|仇《がたき》じゃったですよ。別府へかけつけて、一生懸命手当てしてくれよったですが……力及ばんじゃった……残念がっちょります」  由布は、町長の岩井家が、湯布院でも有名な医者一家であることは知っていた。長兄が町長になったので、弟が病院を経営することになったのだろうか。草本と年齢はそう変らないはずなのに、この弟は、前頭がすっかりはげあがっている。奥の間に仏壇がつくられていた。草本は小さな骨箱に入っていた。白木の焼香台に、線香が何本も立ち、煙があがっている。由布は、骨箱の前の写真をみつめて、躯《からだ》をしゃちこばらせた。どこで撮《と》ったものか、たぶん、この町の山を背にしたスナップにちがいない。うしろに遠く湯煙があがっている。その前で、草本は、横向きに笑っている。八重歯をだし、糸のように細めた眼が、この男の、お人|好《よ》しで、ずるさのすこしもなかった心根を表わしている。由布は胸がつまった。  ああ、この顔をして、東京へやってきて、「由布」の応接間で、談笑したのは、ついこのあいだだ。選挙に出て、当選してみせるといい、しきりと、東京の変貌《へんぼう》ぶりを嘆き、子供の将来や、教育の問題を、家庭の崩壊してゆく、日本の現状を、悲憤をこめてしゃべった顔だ。 「草本さん……」  由布はしずかに口の中でつぶやいた。 「あんた……どげんして……こんなに早ように死んじょくれた。口惜《くや》しいで……」  草本は、由布の顔をみて、にこっとわらったようだった。 〈よう来ちくれたのう……忙しいのに来ちくれて……ありがとう。とみちゃんも、いっちゃんも……みんな元気かえ。三人スクラム組んで……東京でがんばっちょくれや……たのむで……〉  そんなことを言ってる気がした。  由布の合掌しているうしろから、岩井がいった。 「いい顔しよるでしょ。こげないい顔しよって……」  由布もうなずく。 「ほんとに、いい人でした。町長さん。うちは、この人に、どんなに勇気づけられたかわかりません。別府にいる時も湯平にいる時も……」 「そうじゃというちょった……塚原や若杉の村の娘さんで……この人の世話にならんじゃったひとはだあーれもおらんけん……」  岩井は声を落すと、 「病院のひき出しにのう……古い当時のカルテを持っちょって……みんなの消息が知れてくると日記つけて……誰がえらくなった、だれが結婚しよったちゅうて……まるで、自分の子らのように、面倒《めんどう》みもよかったのう……」 「………」 「嫁ももろうたが、どげな理由で喧嘩《けんか》になったか、物も言わんようになりよって、一年そこそこで離縁しよった……わけをきくと、九重《くじゆう》の奥の無医村へゆくちゅうたら、嫁が怒ったそうじゃ。草本君は、ほんとに、そのつもりでいたらしい。いつまでも、病院づとめじゃつまらん。人間生れてきて、何か、この世に足跡を残さないけん。……生きた甲斐《かい》がない……それには、医者のおらん奥地へいって、精一杯働いちみたい……そげなこといいよったら、嫁は怒っちしもて、おん出たんじゃえ。気ぐらいの高い人じゃった……ふつうなら、まあまあちゅうて、じょうずに取りなしてなだめてすますんじゃが、草本君は、頭下げてもどっちもろてもおもしろないちゅうて、それっきり離縁じゃ。無医村ゆきの話がくずれると、こんどは、町会議員に立って、日出生台の復旧に真剣になっちょくれた。たしかに……生きた証《あか》しを残しち死んだ……柿本さん」  岩井は、しずかにいった。 「おかげで、演習場の補償もちゃんとすんだ……あとは、残ったものの働きで……あの荒れた村が……もとどおりもどる……みーんな、草本君の働きじゃ」  由布は、惜しい人が死んだと思った。しかし、もう、草本はこの世へ帰ってこない。なげき悲しんでいても、会えるわけではない。生きのこったこの身を大切にして、草本に負けない仕事をしなければならぬ。それが、故人へのはなむけだ。  由布は、丁重に合掌礼拝して、従兄《いとこ》夫婦に頭を下げた。 「この人は、東京で料理旅館しちょりなさる柿本さんです……草本君の応援者で……上京したときに泊っちょった宿です」  と岩井が紹介すると、従兄夫婦は、ていねいに礼をのべた。由布は、翌日の告別式の時刻まで、塚原で待機する旨、岩井につげて、待たせてあった車で由布岳のふもとの若杉に向った。この道は、なつかしい道だった。村を出る時も、村へ帰る時も、かならず通らねばならない道だった。車は、自然林のなかの、小暗い道を走りぬけると、やがて、チェリーボーイたちが雲集していた日出生台にさしかかった。  焼けただれた黒土の海である。かつては、青草が生《お》い茂り、なだらかな丘陵がのび、岩がとびとびに頭をもたげ、野焼きの煙がたちこめていた野づらに、白黒まだらの乳牛や、黒い豊後牛が走っていた光景はない。あたかも、その一面だけが、地球の吹き出物が突出したかのように、荒れていた。ゆけども、ゆけども、黒土の荒野であった。  由布は、車窓に顔をひっつけて、変り果てた故郷の山河を瞶《みつ》めた。遠くにカマボコ兵舎がみえる。そこはもう人は住んでいない。兵舎跡へ通じる道は、ダンプやクレーン車の轍《わだち》がのこっているが、石や泥のかたまりで、まるで地の果てへきたようである。  ああ、むかし、ここに平和な村があり、鳥がさえずり、花がいっぱい咲いていたと誰が思うだろう。由布は、湯平にいた頃、塚原へ帰る途次、この道を木炭バスにゆられてゆきすぎたことを思いだした。まだ、その頃は、こんなに荒れていない。みどりの草も萌《も》えていたし、谷には川もあった。ところが、誰がこんなにしたか。川も谷も土砂で埋まり、まるで、そこらじゅうは地表をはがしたような荒景だ。 〈朝鮮戦争がすむとね。アメリカ軍は、さっさと国へ帰《い》んでしもた。けんど、あとは踏みたたくれたままでのう。村の家も、寺も墓も、なーんもありゃせん。かわいそうに、強制|立退《たちの》きにおうて、よそへ越した人らが、もどろうち思うても、墓石一つ残っちょらん……村はもう全滅しよんのじゃから……これを、なんとか、復旧させてやらにゃ。なーんも、気の毒な一とにぎりの人たちが、高度成長の日本の隅で泣き寝入りせんならんことはなか……〉  草本大悟が、湯島へきて、熱っぽい口調でいった言葉が思いだされてくる。そうだ。たしかに、草本のいうとおりだ。あの平和な田畑を、とりもどしてやらねばならぬ。 〈そいで、わしは、先《ま》ず、埋まった墓を掘りおこしてのう……共同墓地をつくっち、大々的に式典を催して、ながいあいだ、演習地の底に眠らされよった祖先の霊をなぐさめてやりたいんじゃね……由布ちゃん。どげに思うかえ。……これは、国民のつとめじゃと思わんかえ。いうてみりゃ、日本がいま、こげに景気がよくなったのも、朝鮮戦争のおかげで。朝鮮戦争は、日出生台で、大砲ぶっ放して演習しよったチェリーボーイの戦勲じゃろが。そうすりゃ、日出生台がなけりゃ、今日の日本はなかったんじゃえ……〉  草本はそうもいった。由布は、車がようやく、台地を走りぬけ、由布岳の裏側の原始林のみえる塚原へさしかかった時、ほっとして眼を輝かせた。そこには、まだ、いくばくかの青みどりがあった。なつかしい霧島明神の森がある。むかし、母が、大酒を呑まされて、戸板に乗ってもどってきた、あの祭りのあった社だ。  由布は、明神の森を眺《なが》めて眼頭《めがしら》がぬれた。いま、その森に冬霧が降りてくる。  生家の前の小橋にきたとき、由布は胸が熱くなった。母には電報を打っておいた。昔ながらの、茅《かや》ぶき屋根が、盆を伏せたようにかぶさる家を眺めやって、由布はしばらくたたずんでいたが、 「お母ちゃーん」  と大声をあげていた。と、大戸があいて、にゅっと、たねが顔をだした。頬《ほお》かぶりしている、黒ずんだ、梅干しのような顔をほころばせて、 「もどったんかえ」  これも六十五の齢とも思われぬ、元気な声であった。 「飛行機じゃったんで……お母ちゃん」 「そうかえ。湯布院の町長さんとこへ寄っちょったんじゃろ」 「うん」 「……迎えにもゆかんじゃった……ま、あがれ。ちいとも、むかしとちごうとらんじゃろな」 「ああ、ちっとも、変っちょらん。小舎《こや》も、母家《おもや》も、川も、みんなむかしの通りじゃえ。お母ちゃん」 「変るのは、東京だけ。村はむかしのままじゃ……」  母はそういうと、にこにこして、由布のスーツケースをうけとろうとする。由布は、 「かまわん、うちがもってゆく」  といって、先に歩いて戸口を入った。古い家である。煤《すす》けた天井、しめった土間、かびくさい台所、艶《つや》光りした板の間、みんな、子供の頃のままだ。 「寒いでのう、薪焚《まきた》いてやろ……あんた、自動車じゃったんじゃろ」 「うん、そこで、帰っちもろた」 「音がせんじゃったなァ。お母ちゃん、耳が遠おなったんじゃろかのう」 「そら、もう、六十五じゃもん。耳が遠おなっち、あたりまえじゃ、お母ちゃん」 「そうかなァ」  たねは、めっきり白くなった髪をふって、土間へ降りて、薪箱から木《こ》っ端《ぱ》を抱えてくると、炉へ火をつけてくれた。 「あしたは葬式に出て、すぐ帰るけんども、お母ちゃん、こんどこそは、東京へつれて帰るで……覚悟しちくれたか」  由布は、母の顔をのぞき込んでいった。 「つれて帰るて……うちには、ここしか帰るところはありゃせんが。東京はいやじゃ」  たねはとんでもないといわぬげに首をふった。 「あんな気ぜわしい都会は一日も辛抱できんで」 「そげなこというても……お母ちゃんは、いつまでも、一人でどもならんじゃろ」 「ひとりでたくさんじゃ。どっちみち、人間はひとりでうまれてきち、一人で死ぬるんじゃもん……お母ちゃんは、なーんも淋《さび》しい思わんじゃ……ここには、お父ちゃんもおるし、太市もおるもんなァ」  たねはそういうと、大きくわらった。 「こんばんは、それじゃ、久しぶりじゃで、おまえと酒でもよばれるかや、由布……」  母は湯をわかしはじめた。 「由布」  とたねは、しょぼつかせていた眼に力を入れて、 「わたしが、ここを出たら、あんたにはもう故郷ちゅうもんが無うなるじゃえ……そげなことを、わたしの代にしたら、祖先に顔向けがたたんじゃえ……お父も、太市も眠っちょる土地じゃぞ……」  月々の送金も欠かしたことはないので、母は、村でいまは裕福な暮しの仲間へ入るかもしれない。しかし、由布がいくら、畑仕事も牛飼いもやめて、楽な暮しをするように言っても、母は頑《がん》として聞き入れず、月々の送金はそのまま貯金にし、己《おの》が働いた収人で暮しているのだった。一人娘が東京に出て、事業に成功して、ぜいたくをしろという。少しは、躯を大事にして、のんびりとあそんでほしいと思う。それを母は嫌う。 「お前はなんかちゅうと、金を送る、金を送るから、東京へ出てこい、仕事なんぞやめたらというけんど……人間、働けるうちは働くのがつとめというもんじゃな。お母ちゃんは、まんだ足腰もしっかりしよるし、太郎左のお婆《ばあ》のように、働けんようになっちょるのとちがう、働けるあいだは働かにゃ……」 「けど、うちにしてみれば、東京にきて、そばにいちもろた方がええ。お母ちゃん、伍一だって、来年は小学校だし……お婆ちゃんにしてほしいことはいくらもあるしね……なーんも、こげな田舎《いなか》に、くすぶっちょらないけんことはないと思うんじゃ」 「馬鹿たれ」  たねは眼をすえた。 「こげな田舎ちゅうけんど、東京に、こげな空気のよい、山も川も畑も田圃《たんぼ》もあるところがあるかえ……お前のおる上野のあたりも、ひどう混雑しよるじゃろ。車が道を通って、人間さまが地下で買い物しよるような、怖《お》じい街《まち》に住むのは、わたしはいやじゃ。ここでよい。ここの方が楽しいんじゃ」  由布は返す言葉もない。  母にたくさんな土地があるわけでもなかった。田畑といっても、採石場へ出ていた父が買ったものと、戦後の農地解放で、自作田に貰《もら》えた二反少々の水田である。家だって、古ぼけ、もう根太がくさりかけている。だが、村の生活に、母は、根をすえたいという。東京は、車の渦である。そんな息ぐるしい所で暮すよりも、ここの方が暢気《のんき》でよい、という。  由布は、祖先の墓のあるこの土地に、しがみつきたいという母に、頭が下がった。そうだった。死んだ草本も、湯布院の町に骨を埋める覚悟で、荒廃した日出生台の復旧にとび廻《まわ》っていたのだ。踏みたたくられた祖先の墓地を、復元することに心血をそそいでいたのだ。草本も、母も、同じ気持だったのだろう。由布はいま、母にうなずかざるを得ない。 「そうじゃのう。お母ちゃん、ここは、うちの生れた在所じゃ……捨てちゃいけんのう……」 「早い話が……村の娘らや、若いもんをみちょるとようわかるがえ……」  母はいった。 「いまは時代がかわったちゅうて、若いもんは村を捨てて出てゆきよる。それが、生きがいじゃと言いよる。角太郎の松三は、別府に出よったのを、また、仕事をかえて大阪じゃそうな。寺井の三造さんは、名古屋へいった……正月、盆にゃ、もどっちくるが、どげないいことがあるか知らんが、寺井じゃ、おっ母も尾《つ》いていった……噂《うわさ》じゃと、三造はパチンコの玉洗いしよるそうじゃが、そげな仕事しよる町暮しのどこが楽しかろ……嘉平太の美代子は、あんたらよりは、五つもしたじゃが、踊り子になるちゅうて……東京へ行って、なーんしよるじゃろ。このあいだ、きれいな洋服着ちもどっちきよったが、髪ものばして、眼のふちに蒼《あお》い化粧しよって……おじいような顔じゃった。お母ちゃんら、そげな人らをみよって……ちいとも、都会は羨《うらやま》しいとは思わんが、嘉平太の母さんは、美代ちゃんについてゆくそうじゃ……」 「美代ちゃん、踊り子しよる? どこでじゃろか」 「ストリップじゃ」  たねは舌を噛《か》みそうな発音をして、 「なーんして、そげな裸踊りせんならん……嫁にゆく前の女の子が、まっ裸になって踊っち……恥かしかないかのう……」  由布は、美代子のことは知っていた。自分よりは、五つ下だ。たしかに六年生の時は、一年生だった。家も近いから、よく、学校へゆくのを誘ったが、背のひくい、おかっぱ頭の美代子は、斜視であったところから貧相だった。小柄な女が、三十すぎて、ストリップガールとは。 「お母ちゃん……どこで踊っちょるか知らんかえ」 「知らん」  と母は首をふった。 「母さんがついていったで、どこぞ、アパートに住んで、娘の働く先へ一しょにいっち、つけ人でもしよるんかもしれん……美代ちゃんの話じゃと、テレビにも出たことがあるちゅうそうで……」 「テレビに」 「なーんか知らんが、裸をテレビでみせて銭もうけしよったってそげなこと感心できんで……由布ちゃん」  塚原もずいぶん変ったと由布は思う。あの日出生台が、荒れたまま放置されている一方で、人の生活も心も大きくかわり、斜視で貧相だった美代子が、テレビに出て踊っている。 「そげなことは知らなんだ……けど、お母ちゃん、うちはべつで。なーんもストリップしよるのとはちがうで……お母ちゃん、湯島へきてくれたっていいのに」 「どげにいうても、うちはうごかんで」  とたねはいった。 「ここで、死ぬつもりじゃ。人間、生れた在所へもどって、みーんな死ぬもんじゃ。お前じゃって、東京で死んでも、たましいは、塚原へもどっちくるで……お父ちゃんやお母ちゃんらの眠っちょる土地へもどってくるんじゃえ……」  母の眼はすがすがしく、糸のように細まっている。  なるほど、母のこの信念は、草本の残した言葉にあった気もした。たしかに、都会は、人の住むところではない。東京は一日とて空の晴れた日はなく、太陽はもちろんのこと、月も星も見た人がない。経済成長で、怒濤《どとう》のような建築ブームだ。全都のいたるところ、道路は掘りかえされて工事中だし、小住宅は鉄筋にかわり、従来の鉄筋がまた高層に積みあげられ、ダンプとブルドーザーが町を走り、そこらじゅうが埃《ほこり》だらけである。湯島はまだ森が多少はあっていい方だが、神田や銀座へ降りてゆくと、工事場の街《まち》へまぎれ込んだようだ。どこも大きな音がしている。目まぐるしく変る東京は、まるで怪物の住む魔都のようである。その一角で、ストリップを踊る美代子のことを思うと、由布は笑うことは出来ない。かつては、自分も、按摩をして歩いた。その当時は、村の者たちは、由布のことをよくいわなかった。〈パンパンやめて東京へ行っち、パンマしよるそうじゃ……〉母は、そんな噂に耳をふさいだことがあると、いつかいった。人間、何をしたって、職業は神聖ではあるが、ストリップや按摩が、一生の仕事になるのでは哀れである。そう思うと、由布は、いま、故郷に帰って、自分の過去をふりかえり、幸運であったことを思わずにおれない。安江のところで按摩をつづけていたら、まだ湯島の坂を暗い顔して歩いていたことだろう。それが、愛川に会えたことで、大きくかわったのだ。 「お母ちゃんは、何ぞというと東京をケナすけど、うちじゃって、東京へ出たおかげで、いまのようになれたんよ。美代ちゃんだって……ストリップしよっても、いつ……出世しなるかわからん」 「そら、わからん。けど、なーんも、年よりがゆかんでもいいと思うんじゃえ。近ごろの年よりは、どげにしてか、娘や子らの言いなりになりよって、頭を下げて、ペコペコしよる。ストリップしよる子に来いいわれて……ことわることも出来ん……自分がまんだ働く気力をもちながら、村を出ちしもて、息子《むすこ》や娘のとこへいっち、テレビみて、ラクな暮しができるちゅうて、それで、出世しよったと思うちょる……こげなこっては、村はつぶれる……由布」 「………」 「若い子らは、そら、思いきり、自分の力をためして生きよるじゃろ。結構なことじゃと思う……けど、年よりは、村におって、家を守らないけんのじゃえ」 「お母ちゃんも頑固《がんこ》じゃのう」  と由布はたねの顔に見入った。たねは戸棚《とだな》から一升|瓶《びん》をとり出してくると、とくとくと音をたてて徳利に入れて、沸いた鉄瓶にぽとりと落した。 「さ、きょうは、あんたが久しぶりにもどっちきたで……酒じゃ」  たねは、口角に泡《あわ》つぶをためて、 「ながーいあいだ、お母ちゃん、酒を忘れよった……今日は、酔うちみせるで」  元気なことである。六十五になって、たねは大酒が呑みたいという。 「どうじゃえ。東京におっちゃ、火ィ焚《た》いて酒呑むことは出来んじゃろ。こげな火ィ焚きよったら、消防車がとんでくるじゃろが……東京は病気の街じゃえ……湯わかしの火も焚けん街じゃ……」  草本の葬式を終えて、つごう湯布院に五日いて、東京へ帰ったが、湯島へつくと、とみ子もいちも待っていて、由布がひとりで帰ったことに、不満をもらした。 「どげんして、お母さんつれて帰られなんだですか……」  とみ子は詰《なじ》る口ぶりで、 「楽しみにしていたんですのに」  という。由布は、返事に困った。とみ子も、いちも、由布が母をよびよせて、湯島でラクをさせてやるのが、子としてのつとめだと、言いつめているのだった。 「頑固なお母さんじゃで、いくらつれてもどろ思うても、首をふって来んじゃった」  帳場にどっかとへたりこむように由布はすわった。 「でもね、お母さんのいいよることも、一理あるんじゃ……あの人は、東京はきらい。息苦しい街《まち》でくらすよりは、田舎の方がいいちゅうて……動かんじゃ……」 「こげないい家が出来よるのを、お母さんは知らんとってでしょう」 「見んでもわかると……東京は自動車の方が人間よりえらい顔して走りよるところじゃから、そげな街は感心せんといいなるんじゃえ」 「へえ」  ととみ子といちは眼を白黒させる。 「菊坂には何どもきなあったが……そん時に、本郷三丁目から上野へ降りる切通しの道に、たくさん車が行列しよって……都電も走りよるでしょ。混雑しよったのを……おぼえちょりなさって、そげなことをいうんじゃ」 「でも、ここは閑静だし、空気もいいですのにねえ」  といちが勿体《もつたい》ない話だという。ふたりの顔をみていると、母と酒を呑んだ塚原の夜の、楽しい雰囲気《ふんいき》がおもい出されて、 「ここが閑静だちゅうても、やっぱり、塚原のようなことはないのよ。いっちゃん。それに……わたしは……草本さんの葬式に参列しよって……ふっと……いつかは、塚原へもどって……暮すような気がしたの」 「どうしてですか、おかみさん」  いちが眼を炯《ひか》らせた。 「はっきりとはいえないけどね。わたしは、やっぱり湯布院の子じゃから、ゆくゆくは、湯布院で……何かして……暮したいと思うたの」 「おかみさん、湯布院で商売しなるですか」 「商売するとはきめていませんよ。けど、どうせ、もどるなら、湯布院じゃと思うた」 「……みんな、おかみさんにもどっちこいいいなったんですか」  心外なというふうに、とみ子が口をはさんだ。 「もどれとはいいならん。けど、草本さんの霊に手をあわしよったら、ふっとそげな気持になって……あの人は、神戸にうまれなったんでしょ。その人が、わたしらの村のために、一生懸命に働いちくれて……仕事のさいちゅうに死なれた……わたしも考えたのよ。東京で、もし、成功して、借金返しがすんだら、つぎは、湯布院に……温泉旅館でもしようか……そげな気がしたんよ」 「おかみさん」  とみ子が急に力をこめていった。 「分店をだしなあったらいいですよ、分店ですよ、そしたら、おかみさん……あんたは、大成功者になりますよ……」  由布は冗談のようにいったつもりだけれど、飛行機の中でも、湯布院を歩いている時でも、そのことばかりが頭にやどってしかたがなかった。草本でさえが、骨を埋めたいと願った湯布院を、由布は故郷としている。そこに、事業の根拠地を置いて、母としずかな暮しが出来たら、どんなに楽しかろう。母は、いまの状態では、ぜったいに同居を拒否するだろう。母を幸せに、永生《ながい》きさせるためには、いつかは、もう一つの企てを実現せねばならぬ日がくると思うのだった。  さいわい、湯島の経営は順調にいっている。初音町も、かいわいに、競争店が四、五軒出来たにかかわらず、客は減らない。売りあげも、湯島を上廻《うわまわ》って、いちは、ここの女将《おかみ》としてますます貫禄をましてきた。とみ子はまた、湯島の女中|頭《がしら》として、落ちついてきた。 「分店を出すのじゃなくて……あっちを本店にしよって、東京は分店にするのよ……とみちゃん」  由布ははずむ思いを抑制しかねていった。 「わたしは、湯布院の本店で暮す。東京の店は、あんたたちで、きりまわしてやっちくれたらそれでいいんじゃわ」 「おかみさん……そげな日がきたら、どんなに……いいことでしょうね……おかみさんも、そげにまで思うちょりなさるなら、ぜひ、そうしなさいよ。わたしらも、一生懸命きばります」 「たのみますよ……わたしは、久しぶりに田舎へ帰っちきたら……東京というところは、商売はしよってもいいが、年とってまで住むところじゃないと……ふと、疑問をもっち帰ってきたんです……あんたたちは、どげに思うかえ。車が道を走って、人間が地下にもぐりよるこげな都会を、どげに思うかえ。お月さまも、お陽《ひ》さまも拝んだことはないし……空気がよごれて……どげにもならん、こんなとこで……一生暮すのは、心地《ここち》よいことじゃないと思うが、どうじゃろ……」 「そら、おかみさんは、事業に成功しなさったから、そげなぜいたくなこといいなさる。けど、わたしらは、田舎より、やっぱり、東京がいいですよ」  ととみ子はいった。 「安心院は、塚原よりは山ン中じゃし……」 「どうしてですか。とみちゃん。安心院は塚原にくらべたら、大きな町じゃで、中津に近いし……これから、大いに発展しますよ」 「いくら発展しよったって、わたしは帰ろうと思わんですよ。帰れば、パンパン女《おな》ごがもどっちきたちゅうて……指さされるにきまっちょるし、東京はやっぱり、住みいい街《まち》ですよ。おかみさん」 「わたしも、松山よりは、東京がいいじゃ」  といちがいった。ふたりの顔をみていると、なるほど、自分は、事業に成功したために、このようなことがいえるのであって、もし、いまだに按摩をつづけているとしたら湯布院へ帰る気持になれないだろう、とふと思う。 「そうよね……あんたらのいうとおりかもしれんね。東京で事業やっちょったおかげで、草本さんもきて泊っちおくれたし……葬式にもどりよっても、町長さんまでが、親切にしてくれた……これが、むかしのパンパンじゃったら……相手にもしてくれんでね」 「そうですよ……おかみさん。おかみさんは、湯布院に帰っても、大きなホテルでも建てんかぎりは、帰っちならんですよ。町の人らを、見かえしてやるんです。おかみさん、わすれたらいけんですよ。むかしのこと……」  いちは眼に涙をためていった。 [#改ページ]     十 七 章  由布は、四十二歳になった春に、すべての借金を返済し終えていた。湯島と、初音町の店が、自分の所有になった時、ずいぶんながいあいだ、金のとりこになって働いてきたと思った。旅館の方も常連客で、繁昌《はんじよう》していた。  菊坂から働いてくれた福子が、二年前に結婚して辞《や》めたのをしおに常住の女中を三人ふやした。福子の相手は末広町の魚屋の板前であった。「由布」まで出張してきて、多い時は三十人ぐらいの刺身や吸い物|椀《わん》も器用につくる若者だったが、通いつめているうちに福子を見染めて、求婚してきた。福子には、赤羽に男がいるのを知っていたから、すぐには乗り気にならなかったが、とみ子の話だと、福子の方にもたいそう気がある様子で、訊《き》いてみると、もうこちらへ越してくる頃には、赤羽の男とは切れていたという。魚屋は鷲尾といい、千葉の銚子が里だった。次男坊で、三十一だといった。一ど結婚に失敗しているが、東京へきてからは、末広町の「魚徳」きりしかつとめず、包丁さばきは、どこへだしても恥かしくないと、自慢する。性格はよく、素直なところがあり、この種の職人の、気みじかで鉄火|肌《はだ》のところが少しもなかった。福子なら、この男とつれそっても、うまくゆくと判断して、仲をとりもった。「魚徳」の主人夫婦を仲に立たせて、「由布」の広間でかんたんな祝宴をしてやり、福子の退職をゆるしている。もう他人の仲をとりもつ年齢になったかと、由布は自分をかえりみて、ふと淋《さび》しい思いがしたが、不思議と、結婚をこの時も羨《うらやま》しいとは思わなかった。どういうわけか、草本が現われた時だけ、焦げるような温《ぬく》もりを感じて、火がついたような羞恥《しゆうち》が躯《からだ》を這いずりまわるのをおぼえたけれど、その気持も急死されてみると、霜をうけた秋草みたいに、枯れしぼんでいる。四十をすぎて二つぐらいなのに、こんなに老《ふ》けこんではと思いもするが、愛川が欠点と言いなじった色気の方は少しもない。したがって男が欲しいと思う夜もない。思えば、草本の現われた約半年ほどの期間が、由布にとって、最後の女だったかもしれない。借金を返すまでは、好きなこと一切やめよ、という考えがあり、映画だって、芝居だって、客に誘われても出しぶるのが常で、花やかなこと、何一つ振りむきもせず、働いてばかりきた。時どき、そのことを、とみ子にももらすと、 「あたしもそうですよ。おかみさん」  ととみ子はいった。 「若い時に、男の苦労をうんとしましたでね……四十すぎると、好いたのはれたのと、はずんでいなさるひとをみれば、幸福なひとじゃと思いますね。女ってのは、やっぱり花といわれるだけあって、さきに咲いちまうと、あとは咲く気力が芯《しん》からぬけるんでしょうかね。……もうめんどくさくて、なーんもかも億劫《おつくう》になるですよ。世の中のからくりってのをね……あたしたち、早く知りすぎたんですよ」  めっきり女中|頭《がしら》の落ちつきをみせて、東京弁も板についた物言いの、とみ子にそういわれると、由布もうなずかざるを得ない。 「そうかねえ……四十二じゃ、すこし早い思うが、どうじゃろか。いっちゃんはどうじゃろか」 「あの人は、あんなに肥《ふと》りよって……男どころじゃありませんよ」  そのいちにきいても、ふくよかすぎる首のあたりにいく本もの肉ジワをたるませながら、大笑いして、 「わたしは、もう、男なんぞ、いらんじゃわ。ほしいもんはお金だけ」  といった。この二人が、助けてくれたからこそ、事業は成功した。由布の考えでは、ゆくゆくは、二人に独立してほしい。かりに、九州に店をもち、自分は湯布院に陣取って、東京の二店を、二人にまかすとしても、それではいつまでも傭《やと》われ人にすぎない。いちが金がほしいというのも、そうした将来を夢みている証拠ともうけとれ、由布は、あらためて、このふたりに、新しい気づかいを感じるようになった。ふたりは、べつに仲たがいすることもなく、おかみさん、おかみさんと、親しんで、それぞれの店の責任をもって働いてくれているのだった。  とみ子には、トミオの成長が嬉《うれ》しいらしかった。伍一もトミオにつれられて、湯島小学校へ通学した。トミオは、例のちぢれ毛も、肌《はだ》いろもなおらず、フランス兵ジョルジュに生きうつしの、鼻の高い日本人ばなれした顔になった。当初の頃は、友だちにいじめられて、泣いて帰った。しかし、柄が人いちばい大きく、五年生になるとめっきり大人《おとな》っぽくみえだし、手足も日本の子らより太くなった。友だちは、それで、腕力でも一目置きはじめたか、それとも、仲のよいグループも出来たかして、学校は楽しいらしく、成績もよい方である。伍一も、まあまあであった。中程度の成績で背も高い。赤ん坊の時には、そんなに顔が長いとは思わなかったが、一年生にあがる頃から、めっきり、愛川の、ぬうぼう的な顔に化けてきた。さがり眼で、眉《まゆ》が太く、くちびるも厚い。その上、顎《あご》がしゃくれて、この顔は由布のものではない。こんなはずではなかったと心の中で思いもした、がしかし、血であれば致《いた》し方もない。由布は、成長した伍一の顔を眺《なが》め、自分に似たところが少しでもあればと探すが、どこにもないのがかなしい。 「もったいないことをいうもんじゃありませんよ。おかみさん」  とみ子がいった。 「あたしはそれじゃ、どういったらいいんですか。あの子は髪の毛までジョルジュに似てるんですよ、……一生に一ど愛した人の子じゃから、あの人に似ているのは嬉しいですね」 「あんたは、そう思うかえ」  由布は、愛川に振られていた。頭がおかしくなるほど憎みもした男である。女をつくって外泊をつづけ、とどのつまりは子供つきで離婚された。なるべくなら似てほしくない男だった。 「よくみてごらんなさいよ。あの福耳は……おかみさんの耳ですよ。あんた、よーく見もしないで……伍一ちゃんもかわいそうだわ」  とみ子は、似ている耳を発見してくれた。なるほど、伍一の耳は、たぶが大きくて、左右にひらいていた。由布も、そういえば、大柄な顔だが、耳は、いつも手鏡からはずれるほどで、髪をかぶせても出てくる。 「それにね、物言いがそっくりです。東京でうまれなさったのに、おかみさんの、九州|訛《なま》りをそっくりつかいなさるじゃないですか……あんたに似ていますよ」  由布は安心するのだった。  何につけ、いちよりも、とみ子は近くにいるせいもあって、相談相手だったが、父のない子を育てる境遇の、同志という気もちもあったろう。よその旅館とも、客の斡旋《あつせん》その他の交流があって、とみ子は、近くに出来た「松本」や「菊川」などへちょくちょくいって、そこの女中|頭《がしら》ともつきあうようすだったので、もし、待遇などに不満があってはと、由布は、借金がすむ半年ほど前から給料も倍近くあげていたし、トミオの学用品はもちろん、靴《くつ》、洋服にいたるまで、伍一のものをデパートヘ買いにゆく際は、一しょに買ってきて、だまって与えた。とみ子も、それをトクとして、感謝している。湯布院にもし、由布が旅館を経営するなら、東京の店は委《まか》してくれと、とみ子はいう。委しても、安心できる女であった。  そのとみ子が、急に躯の不調を訴えだして、食欲がなくなり、頭が痛いと、女中たちにもらすようになったのは、借金返済の終った祝いに由布が銀行の支店長や寺本をよんで、一夜の夕食をおごった日からまなしである。顔が多少|蒼《あお》いのは持ち前だったが、そういえば、肥《ふと》るいちにくらべて、とみ子は、やせていた。ファニーフェースの、浅黒い、健康そうだった昔にくらべると、どこやら、面疲れしてみえる日もある。医者に一どみてもらったらとすすめてみたが、倹約家のとみ子は、めったに診《み》てもらわなかった。 「食が少しかわったんじゃない。おかしいじゃわ」  いつも、板前の残したまぐろの刺身を、ふた皿《さら》もたべるのに、なま物はきらいになったといい、豆腐や野菜をよくたべる。肉をきらうのが、不思議だった。 「やせるのはいかんじゃ。いっぺん、診てもろちきなったらいいに」  医者をすすめると、 「おかみさん、食がかわると癌《がん》じゃと、お客さんがいいよるが本当じゃろか」  と、縁起でもないことをきいた。いわれて、一貫目もやせた、細身の、のど首のあたりをみていると、気づかぬうちにとみ子は、躯をすりへらしている気がした。「由布」創業以来、大阪からかけつけてから、まっしぐらに、二の腕になって働いてくれている。 「あんたは、うちには大事な人じゃし、トミオ君もいるんじゃで。大切にしてもらわんと困るがえ」  由布がしきりにすすめるので、とみ子は、しぶしぶ春木町の、由布もよくかかる町医者の玉木の所へいったが、帰ってくるなり、 「わからんいいよるんですよ。卒業しなさった大学病院の部長さんのところへいって採血してもらいなさい……それだけしかいいなさらんのです」  不満そうにいったが、しかし、いまから思うと、この時に、とみ子は、不吉な予感を抱《いだ》いていたように思う。 「それなら、いい機会じゃわ。一週間やそこいら、うちがきばるで、あんた、いっぺんドックへ入っちみてもらいなさい」  懸命にすすめた。トミオのこともあった。旅館のこともあった。この女に寝込まれでもしたら、由布は、どうすればいいか。お先真っ暗な気持になる。  七日間の検査をすませて、とみ子は湯島へ帰ってきたが、病院での食事指導が功を奏したか、いくらか元気だった。しかし、顔色の冴《さ》えぬのと、生気のない物言いなのは変らずで、由布が心配して、医者の診断結果を訊《たず》ねても、 「わからんいうて……首ひねってなさるだけじゃった」  といった。胃腸はもともと丈夫な方ではなく、いくらたべても、血肉にならないような損な体質だったが、ここといった故障がなくても、若い頃から酷使してきた躯だから、更年期は自重しなければならない。医者は、そんなことをいって、胃や腸はレントゲンでみたところ、格別にわるいところも見当らない。肝臓がすこし弱っていることはたしかだから、早寝早起きして、充分に休息をとり、当分は、仕事はやすんだ方がよい、といってくれたそうだ。由布は、何につけ気をつかって、他の女中の手前もあるから、躯の故障もかまわず立ち働くとみ子の性質を知っていたので、これを機会に、当分は、トミオと離れの部屋で養生するようにいった。 「どこといってわるいところが見つからないんですから。病人じゃないんです。働かせてくださいよ」  ととみ子は、聞き入れなかった。由布は、帳場にすわってばかりいないで、客間へも出て、料理をはこび、とみ子をなるべく休ませようとした。不思議だった。原因がわからぬままに、とみ子はやせてゆき、梅雨期がきて、寝つくようになったのである。由布は、春木町の医者にきてもらったが、医者は型どおりの診察をしてから、帰りしなに、小さく、 「ひょっとしたら、癌《がん》かもしれませんね」  といった。 「大学の佐々田君にもよく訊《き》いてみますがね……あのやせ方はただごとではありません。膵臓《すいぞう》のあたりを、よく診てもらう必要がありますね。膵臓は、かくれた場所にあるので、レントゲンではよくわからないんですよ。腫瘍《しゆよう》が大きくなってから気づく場合が多いんで……」  由布は蒼《あお》ざめた。とみ子が哀れでしかたがなかった。癌ならば、おそろしいことといわねばならない。しかし、とみ子は、そのようなおそろしい病気であることを意識している様子はなくて、〈おかみさん、すみません。じき起きあがれますから、しばらく、休ませてください〉といい、眼尻《めじり》に涙こそためているが、にっこりしていうのだった。 「いつまでも、故障のこない自動車はありませんよね。どこか、いたんできているんですよ」 「そうね。あんたは、わたしよりも、躯をこきつかってきたから……大事にしないと」  由布も涙をこらえた。 「遠慮はいらないから、病院へ入って、ゆっくり養生するのもいいじゃ。くるまだって、修理工場へ入れて、部品を取りかえてもらうでしょ……あんた、そうしなさいよ」  とみ子は、意地をはらずに、〈トミオのことをたのみます〉といってうなずいた。  お茶の水の山天堂に空室があって、これも、春木町の玉木の友人が、便宜をはかってくれて、六月の末に、とみ子は入院していったが、まるで、風にさらわれていったような、あっけない死に方といえた。一と月たたぬうちに、流動食さえ、のどにつまらせ、衰弱するばかりであった。見舞いにいって、内科部長に真因を訊《き》いた。膵臓癌《すいぞうがん》のようなかんじもするし、切開して腫瘍《しゆよう》を切りとっても、おそらく他の部分に散点していることは必定なのでコバルトをあてるぐらいで手当てのほどこしようはない。言外に死が迫っている、と教えられて、由布は慄然《りつぜん》とした。  誰に叫んでよいかわからぬ、大きな悲しみと怒りにふるえた。もうとみ子の病室へ入ってゆく勇気がない。  神さまは、どうして、こうも不公平なのだろう。とみ子は誰にうらまれるような、わるいことをしたろうか。安心院を出て、一しょに別府の鶴の井で働いてから、湯平、湯布院と、正直いって、とみ子に、裏切られたことは一どもない。人の好《よ》い、裏腹のない、明るい性格だ。やせぎすで、眼に多少のケンはあるので、印象は、かすかな暗いものを感じさせることはあるが、つきあってゆくうちに味が出て、「由布」の客も、初音町の客も、みんな、とみちゃん、とみちゃんといって、親しんでいる。女中たちも、よくなついている。これもみな、とみ子の人徳だ。そのとみ子に、死の病いがおそいかかっている。  膵臓癌。由布は、おそろしい業病ときいてうちのめされたのである。 「ご本人には、ないみつにしてあげて下さいね」  医者はいった。 「わたしたちも、漠然《ばくぜん》とそのようにしかいえないのですから……」  部長の言葉は冷たく、由布の顔を凍らせるに充分だった。洗面所へいって、顔をつくろったことをおぼえている。鏡にうつった眼は、他人のそれのようにひきつり、由布は、自分の形相が信じられなかった。その場に泣き伏したい気がした。とめどもなく、眼|尻《じり》に涙が出てきて、ふいても、ふいても、やまなかった。 「とみちゃん」  骨ばった手を組んで、じいっと聞き耳たてるとみ子に、由布はいった。 「もう少しの辛抱よ。先生は、いま、原因をよくしらべておいでるんだから……わかったら、治療の方法もはっきりするいって……一生懸命にしらべておいでじゃから……安心して待ってなさい。ここは大きな病院じゃで……いざという時は、外科もあることだし、手術も出来ます……大舟にのったつもりで、ゆっくり診《み》てもらいなさい……」 「おかみさん、うちは、だいたい、わかっちょるんですよ」  とみ子は元気のない声でいった。 「もう、どげにしても、なおらん病気でしょ。そうでしょ。おかみさん」 「馬鹿いいなさんな。あんた……そげなこというたら、トミオくんが……泣きますよ」  由布は心を鬼にわらった。 「あんた、気がよわって……ろくなこといわんねェ」  由布は、丸|椅子《いす》にすわって、はなしかけた。 「あんたとは、ながいつきあいじゃった……うちは、あんたに世話になっちばっかりきたで……こんどこそは、あんたが、うちに世話になる番じゃな……遠慮はいらん……トミオくんのことも、ちっとも心配はいらんで」 「………」 「あんた、おぼえちょるかい、安心院から、ふたりして、鶴の井に通うたこと……終戦の年じゃった……休みにゃ、あんたは安心院へ帰るし、うちは塚原へ帰るし……鉱泉川のところで、手をふっていつも別れて……あんた、休みあけになると、川の向うから、大きな声でよんでくれたね……おぼえちょるかえ」 「………」 「鶴の井の番頭さんが、うちらに躯売れちゅうて、イヤなことばっかいいよるから、湯平へゆこというたんは、あんたじゃった……あんた……心がきまると、大急ぎで、とんでいって、もう話をきめてきよって……うちはびっくりした……けんども、やっぱり、湯平へいってよかったわ……楽しかったもんね……」 「………」  とみ子は、だまってきいているが、この時、眼尻の玉をおとしていうのだった。 「たのしかった……でもね……おかみさん、どげにして……わたしは、いまになっち、不幸なんじゃろ。わからんじゃわ」 「不幸って……とみちゃん。そりゃ、あんた、いま、病気にかかったからそげに気落ちしているけんど、なおっちしもたら……また、楽しい日がくるじゃえ」 「わたしの病気はなおるじゃろか」 「なおる……あんた、湯平から……ずうーっと病気一つしたことありゃせんじゃったし……どっちかというとわたしの方がわるかったじゃない……あんたは健康じゃった。その分をみーんなまとめて今日病気しよるんじゃから、少しは辛抱せんけりゃ……けど、お医者さんは、すぐなおるというちょりなさるけん……もうじきで」 「………」  とみ子は、にっこり笑った。その笑い顔は淋《さび》しくて、由布は、心にかくしていることの切なさに、躯が冷えた。  湯島に帰っても、誰にも、とみ子の病気については語らなかった。トミオと伍一が、学校から帰ってくるのを玄関にむかえて、 「トミオくん」  由布はいった。 「あんた、お母ちゃんがいなれんでも……しっかりしてね……一生懸命、勉強して、えらい人になっちょくれな……。お母ちゃんはすぐになおっちもどってくるで」  そういったが、二どと、とみ子をこの家に迎えることは出来ないだろうと思うと、悲しかった。自分の躯の一部を刀でえぐりとられる気がした。トミオは、何もしらない。遠慮げなまばたき一つして、じっと由布をみあげている。  とみ子には、安心院に叔父叔母がいるきりで、父母はいない。生家には製材所へ出ている長兄と、役場へ出ている次兄がいる。三人兄妹である。長兄は、嫁をもらって、家を継いでいるが、次兄は、同村の腰本家へ養子にゆき、いまは腰本姓を名のっている。勤め先が役場なので、何かと、電話連絡も、便利だった。  由布は、病状がかんばしくなくなった六月はじめに、次兄に電話でしらせた。田舎のことを嫌ったとみ子に、無断でしらせたのである。やはり、そこは、血をわけた兄たちであった。他郷に出て、大病を患《わずら》い、他人にめいわくをかけていることを少しも知らなかった、ゆるしてくれ、といって、長兄が、翌日|馳《か》けつけてきて、「由布」に二日、病院に三日泊った。一進一退の病状なので、国許《くにもと》の仕事も気にかかるところから、いったん安心院へ帰りはしたが、一週間ほどすると、また妻をつれて病院に直接入り、かかりきりの看病をつづけた。  由布は、塚原とほど近い村から、飛行機でとんできたこの長兄の、とみ子に似たしゃくれ顔を、蒼黒《あおぐろ》くさせて、熱心に看病するのをみて、とみ子は、何もいわなかったが、いい兄をもっていたと思った。 「いまは、まあ、どうやら、うちもやってゆきよるがね……これが、学校出たすぐの頃は、家は火の車で……なーンもしてやれなんだですよ。不甲斐《ふがい》ない兄がふたり、田舎におって、世話かけよるばっかじゃと、言いづめにしよったでしょ。まったく……これには、世話になりましたよ」  長兄は、とみ子が湯平で働いていたころは、まだ復員していなく、海南島にいたと言った。 「戦争がすんで、もどっちみち……家のことやら、おっ母の葬式のことやら、小っちゃい妹がなーんもかもしちくれよったことがわかって……ほんとに、頭がさがる思いじゃった……製材所につとめて、とにかく、喰《く》うだけのことはできるけん……お前も、もどりたければ、もどっちおいでというたら、どげに思うちょんのか、村はいやじゃというて……別府から大阪へとんじしもて……とうとう、おかみさんの世話ンなって……ながいこと、もどっち来よらなんだ。どげにして、村を、あげに嫌うたか……」  由布は胸がつまった。とみ子は、湯平以後に、湯布院ですごした苦しい生活を、兄たちに告げていない。当然だろう。誰がパンパンしてドル稼《かせ》ぎしよると、身内に報告できたろう。由布だって、母につげていない。  あの当時、堕《お》ちざるを得なかった娘たちは、みな、親兄弟に、実生活を知らしていなかった。とみ子は、混血児をうんだ。村へ帰れないのもわかる。  とみ子の兄も、その気持を知ってか、知らいでか、遠まわしにいう。 「いい人でしたよ。うちにきて、何一つ不満はいわんで女中|頭《がしら》を一生懸命つとめてくれて、わたしには、この人は、生涯の恩人です。どげにしても、健康になっちもらわんと……生きる気持がしません」  由布は、長兄にいった。 「この人とは、姉妹のようにして、いっしょに暮しちきよったです。親兄弟よりも、大切な人です。先に死んじもろたら……わたしは、どげんしていいか途方にくれます」  息をひきとったのは、六月二十九日の早朝だった。前夜おそく、零時頃に宿直の前島医師から電話があって、すぐ来るようにとのことだった。二十七日のひるまではつめかけていたのだが、十人ばかりの医療器具商の宴会をひきうけていたので、病院は八重子に代ってもらい、由布は家で座敷の準備に走りまわっていた。着いてみると、八重子が廊下でおろおろしている。前島が、翌朝までもてばいい方だ、という。由布は電話でいちを起して、トミオをつれてくるように命じた。トミオには、その後、母親の病状も、それとなく教えて、いざという時には、泣きわめかないように、気をつかっていたが、子供というものは、大人《おとな》ほど肉親の死は切実に迫らぬものとみえ、いちに手をひかれ、病室へきた時は、寝とぼけた顔をして、長兄に、お母ちゃんのとこへおいでと手招きされると、心なしうつむいた姿勢で、つかつかと寄った。とみ子はすでに意識がなかった。長兄が手をにぎらせても、トミオの手だと気づいたかどうか。ちぢれ毛の、フランス人のタネをそのまま、碧眼《へきがん》を落ちくぼませて母親を見守るトミオをみて嗚咽《おえつ》をころした。  前日頃から、意識は朦朧《もうろう》で、心臓だけが、かよわく活動している状態だった。いちも八重子も、長兄夫婦も、もう覚悟はしていたものの、トミオを対面させて、さすがに哀れさに胸が迫り、頬《ほお》をぬらして、泣きじゃくった。  そのトミオをいったん帰したのが二時、自分も湯島へ一どもどって、うとうとしたと思うまに電話であった。由布はとうとう最期がきた、と思った。着換えをしながら、待機していた女中のすえ子に、トミオを起しにゆかせ、女中一人を留守させただけで、全員病院へかけつけている。車の中で、伍一の手をにぎりしめつつ、わきにいるトミオに、 「お母ちゃんは最期の最期まで、がんばっち……ふつうの人ならとうに、まいってなさる大病を、よくも、今日まで持ちこたえなさった……えらい人じゃった……」  うわずったように言ってみた。トミオも、伍一も、死を、それほど、かなしいとも思っていない様子で、病院へついた時は、ならんで階段を二つずつとび越えるように登った。とみ子は、ベッドの上で眼を閉じていたが、死の迫った顔は、軽石でもそこにころがしたように、冷たく、小さかった。いちも八重子も来ていて、女中たちは、もう、鼻洟《はなみず》をすすり、かわり果てたとみ子の姿に打ちのめされるばかりである。医者が二どばかり、看護婦をつれてきた。点滴をうけている右腕のつきささった肉のあたりが、辛うじて生きているふうにみえて、あとはもう死んでいる。とみ子は物をいわない。 「看護婦さんが、お化粧道具を貸して下さったんです……おかみさん……わたしが、わたしが……」  と長兄の細君がむせんでいた。みると、とみ子は、うす暗い電灯の下で、濃い口紅をさしてもらって、眼を閉じていた。白粉《おしろい》もつけてもらったとみえ、二重|瞼《まぶた》の、眉《まゆ》のあいだが、薄桃さしている。 「ありがとう、きれいにしてあげちくれて……ありがとう、ありがとう」  由布は声をつまらせた。  トミオをたのみます、といった三日前の言葉が最期の声であった。  長兄夫婦が、とみ子の遺骸《いがい》を、町屋の火葬場で骨にして、白木の箱に入れ、安心院へ帰った日は小雨だった。明けて、その骨を追うようにして、由布は九州に向った。雨の中を、由布はトミオをつれて羽田まで車をとばしたが、車中で、まだ、とみ子の死を信じ切れなかった。と同時に、トミオをつれて、ふたりきりで、九州へゆこうなどと、考えてもいなかった。トミオは、病院では、そう変化はなかったが、骨箱が湯島へ帰ると、表情を変えた。母が死んだ。トミオにとっては、父は異国の人であるから、もうこの世に肉親の者はいない。孤児のかなしみが、ちぢれ毛の、見るからに混血とわかる碧眼《へきがん》の彫りふかい顔に翳《かげ》をやどして、胸のつまるような哀れを感じさせた。 「トミオくん、お母ちゃんが死んでかなしかろけど……男の子じゃでがまんして、元気にまた学校へゆくんで」 「………」  トミオはこたえなかった。 「おばちゃんもな、トミオくんより小さい頃に……お父ちゃんに死なれたんよ。十うの時じゃった……お父ちゃんは、石切場へ仕事に行きよって、働いちよるさいちゅうに、上からぎょうさんの石が落ちてきち、下敷きになっち死んじしもた。トミオくんのお母ちゃんのように、病院で寝てて死んだんじゃないんだえ。朝、弁当箱をもって、元気で出て、ひるに死によってじゃった。おばちゃんは、学校へ行っちょって……なーンも知らんと、カバンをもって、家へ帰りよったら、お父ちゃんが、もう息をひきとったあとで……おばちゃんは、じっとがまんして、大きゅうなった」 「………」 「そのときに、おばちゃんは、お寺から来よってじゃった和尚さまに、どげにして、お父ちゃんが死んだんじゃ……朝がたにこにこして出よったお父ちゃんが、どげにして、死んじしもたんじゃ……わけをきかしちくれいうて、たずねたら、和尚さまは、人間はうまれてきたその日から、死ぬ道を急ぐもんじゃ。死なずに生きられて、百歳も二百歳も、年をとる人はこの世にいない。なごうて八十か九十。人間はみんな死ぬ。八十、九十まで生きられずに、運のわるい子は、三つで死ぬ場合もある。学校へ入ってまなしに死ぬ子もある。また大人《おとな》になって、四十なかばで死ぬ人もある。その死に方も病気で死んだり、ケガして死んだり、戦争で死んだり……十人十様に、千差万別じゃ。けど、いずれにしても、人間は、自分だけは死なずに生きるということはできん……あんたもいずれ死ぬ……わたしも死ぬ。こないいいなあーって、太市が死んだ時も、弟さんは、ひと足先に、向うの国へ行っち、あんたのくるのを待っちょるといいなさった」 「………」 「太市は、おばちゃんの弟でな。これは、躯にはれもののできる痛い痛い病気で寝よって死んじしもた。おばちゃんはお父ちゃんと、弟の死によったのを見送ってきたんよ。トミオくん。あんたのお母ちゃんも、いまごろは、仏さまの国へ行って……つらかった病気もわすれて……やすらかに眠っちょるで。先にいって、トミオくんがえらい人になるのをたのしみに待っちょりなさるで」  大分空港から、安心院へゆくには、別府を通りすぎて宇佐に出、そこから入るのが便利だときいたが、由布は、別府の流川を通って、湯布院に出て、塚原まわりで、山道を下ることにした。トミオがとみ子の腹にやどったのが湯布院だったとすれば、トミオの在所を、この機会に見せておきたい、と思ったのだ。  草本の葬式に帰ってから、由布は、塚原へ帰っていない。母に会うのも、楽しみの一つだった。空港から車をたのんで、座席にすわり、窓にうつる高崎山や別府湾をみていると、涙のにじむなつかしさをおぼえた。 「あんたは、お母ちゃんのひらいちょった美容院知っちょらんじゃろ」  トミオは、三歳で大阪へ行っているので、おぼろげな記憶しかないはずだった。 「知らない」  とこたえた。 「そうかえ。お母ちゃんが、あんたをうんだのは、湯布院じゃというてなさった……あんたをうんですぐに別府へきて、美容院ひらいちょったが、トミオくんのお父ちゃんは、本国へ帰らないけんことになった……お母ちゃんはこの町で、あんたを育てるに苦労した……大きゅうなったら、トミオくんは、いつか、別府へくるじゃろ。大きな温泉町じゃ。日本一の湯の豊富な温泉町じゃ。見ちごらん」  由布は、町の北方に、白煙のたつ、湯源地帯を指さして教えた。 「地獄めぐりちゅうて、観光バスのお客さんがまわりよるところじゃ。おばちゃんは、むかし、あの山の向うにある療養所につとめよったが、あんたのお母ちゃんと友だちになって、鶴の井旅館につとめた。こっちを見ちごらん。高台に大きなデパートみたいなホテルが見えよるじゃろ。鶴の井は、あの建物でかくれて見えんが、山かげの、いい建物じゃった……そこで一年半ほどつとめよって、ふたりで、湯平ちゅう村へ替ったんじゃが……そこは、これからゆく湯布院から汽車で二つ大分の方へ寄ったところにある。ひなびた……のどかな温泉村じゃけん、ここも、トミオくんは大きゅうなったら、いっぺん、湯につかりにゆくといいじゃわ。お母ちゃんの苦労しよった村じゃで……」 「………」 「あっち見ちごらん、高い山が二つ、草の生えたような、青いひくい山がみえよるじゃろ」  トミオは窓に頬《ほお》ぺたをくっつけている。 「手まえのひくい山は、扇山。右手にみえるのが鶴見岳。左の、てっぺんのとがった山がみえるじゃろ。かすみがかかっちょる。あれが由布岳。おばちゃんの名前の親もとじゃ。おばちゃんのお父ちゃんが、おばちゃんがうまれた時、どこに鼻があるかわからん平べったい顔しよったで、山のように高い鼻になれ思うち、鶴見岳にしようか、由布岳にしようかと、あれこれ迷うち、〈由布〉としよった……名前をもろたけんども、おばちゃんの鼻はあいかわらず、こげに低いままじゃった」 「………」  トミオは、にこっと笑った。 「扇山も、鶴見岳も、由布岳も、おばちゃんととみ子さんの頭から、一日も消えん山じゃった。毎日毎日|眺《なが》めよった山じゃもん」  しゃべっているうちに、車は、流川をのぼりきって、小松のしげった高台へ出てゆく。扇山は、右手にきえて、二つの大山が、裾《すそ》をひろげて迫ってくる。 「トミオくんは、大きゅうなったら、みんなから、あんたの在所は、どこじゃときかれる、なんちこたえるかえ」 「………」  トミオは返事しない。おそらく、この子には、故郷を問われてこたえる所はないかもしれぬ。湯布院でジョルジュにめぐりあった母にうまれ、別府で三歳まで、それからあとは大阪と東京である。物心つく頃から、旅人であったこの混血児の脳裡《のうり》には、姿を消した父親の、追憶もあるはずはない。消しゴムでけせるものならけしてしまいたいほどの、生成の秘密が、沼のように黒ずんでいるはずだ。由布にしても、とみ子にしても、忘れ去りたいことばかりの故郷であった。いま、その故郷を、由布は、なつかしく抱《いだ》こうと思う。幼いトミオに、抱けといっても無理だろう。だが、教えておかねばならぬ。この二つの山が、母たちの苦しい年月を、支《ささ》えてくれた在所の心であったと。大きくなれば、きっと、この子は思い出すだろう。母たちが恋いこがれた故郷の山は、こんなに立派だったと、いつかはわかってくれよう。 「雪の降るのは、いちばん先じゃ。北九州は寒いとこで。由布も鶴見も、まっさきに白うなりよる。白うなって、ああ、冬がきよったとみんな思うし、春がくると、かすみがかかるのも、いちばん早かった。夏はまた夏で、霧じゃえ。あんたのお母ちゃんのうまれた安心院は、霧の名所で、トミオくん。塚原のお母ちゃんのはなしじゃが、安心院に霧が降りると、眼先を通る人が見えんことがあって歩けんほどで。その安心院から、由布と鶴見をみよると、霧の中に島がういたみたいにみえるて、あんたのお母ちゃんはよくはなしよった……」  由布岳のスロープを降りる頃に空がくもってきた。湯布院の町屋根は、盆地に沈んでみえる。由布は、この町の、どのあたりで、トミオがうまれたのか、知る由もない。アメリカやフランスの兵隊が雲集していた頃は、町家は、女たちの間借りする家ばかりだった。とみ子は、どこで、ジョルジュと出来たのだろう。ジョルジュのオンリーになって、下宿していた家はどこだろう。古いことをいうのを嫌ったとみ子に、肝心のことを聞いておかなかった悔いが走るのだが、しかし、いま、湯布院は、そんなに大きく変ったわけでもないのだった。岩井の病院の白い建物が、国道沿いにみえるあたりから、昔のままの段々畑に湯の宿がたち、森の中に社があり、寺がありする。 「トミオくん、あんた、在所はどこじゃと問われたら、九州の湯布院じゃとこたえたらええじゃ。ここは、日本一の町じゃで……別府のようにひらけちょらんし、お湯もきれいで。山も田圃《たんぼ》も、川も畑も、毎朝、霧がせんたくしちくれる、ほこりの無い町じゃ……」 「………」  トミオは、窓に顔を押しつけて、ひろがってゆく、由布岳の裾をみている。黒い岩が、草原に散らばっている。岩と岩との合間を豊後牛が、のんびり歩いている。遠い牛ほど乳いろにけむっている。  佐土原から若杉、日出生台をぬけて塚原に出、生家をすどおりして、伽藍岳の裾《すそ》の、白けた鉱泉宿の建物が、一つ二つ見える抜け道を、新屋敷に出た。そこは、安心院と別府を結ぶ県道である。くもり空の夏は湿気があってうっとうしい。車の窓をあけ放して、両側を走り去る草原を見ていると、この道も、あの道も、とみ子と一しょに歩いた記憶ばかりだ。  鶴の井から休みをもらって、在所へ帰る日は、この新屋敷が岐れ道で、お互いに手をふって別れた。冬は寒くて、夏は暑い三叉路《さんさろ》であった。そこに、いま、埃がまいあがって、しきりにダンプが走る。 「運転手さん、安心院まで、ずうっと舗装はないんかえ」 「まだまだですよ。話にはきいちょるが、いつ出来るかねえ」  運転手がそうこたえた。道は、昔のでこぼこのままで、このあたり特有の細かくて黒い土である。かわいているので、車がすれちがうたびに埃だち、窓をしめねばならなかった。 「おばちゃんの村はどっち?」  トミオが、とつぜんきいた。 「あっちじゃ」  由布は左手の森の向うに消えようとしている在所を教えた。 「山の方にこんもりした濃い林がみえるじゃろ。あれが霧島大明神。その手前に、ちらばってみえよる家があるじゃろ。あそこがおばちゃんの村」 「………」  トミオは、青い眼をキロリと炯《ひか》らして、そっちをにらんだ。塚原の向うは、ゆるやかな高原だ。黒々とたかまるそのあたりは、荒れた日出生台につづくのぼり口である。 「右にみえるのはエボシ山。あの下をこえると、安心院じゃ」  道はしだいに下りになる。畑がみえてくる。天間、大成、丸田、大内平、若林、五郎丸、板場、六郎丸、川崎、楢本といった村々が、道の両側にみえてくる。どの家も、みな、この地方特有のつくりである。由布は、とみ子とふたりで安心院へいった日を思いうかべた。遠い記憶だから、あの時、とみ子の家へいったはずなのに、いっこうに思い出せない。アスファルトの街道筋の右手に学校があり、それからまなしに、右へ折れたと思う。とみ子の家は、畑をうしろにして建っていた。埃っぽい道ばただった。あの頃《ころ》家に誰がいたのか。長兄も次兄もいなかった。家へは入らないで表で待っていてから、ふたりで、町を歩き、川に沿うた山に出て、仏の岩といわれる景色のいい所もみて歩いた。 「トミオくん、安心院は、美しいところじゃで。岩の切りたった山がたくさんあってね」  トミオは、眼にうつる両側の村の家に眼をすえている。 「仏の岩ちゅうて、気もちわるいような岩がたくさんならんじょるとこがある。じっと見よると、岩の姿が仏さまにみえてくるんで」 「………」 「トミオくんのお母ちゃんは、わたしを磨崖仏《まがいぶつ》へ案内しちくれた……ここも、たくさんの石仏じゃった。石仏の肌《はだ》に、誰が彫ったか、仁王さまやら、阿弥陀さまやら、仏さんがいっぱいたったり、すわったりして……」 「………」 「地獄極楽ちゅうて、別府の血の池地獄なんかとちごうて、ここは穴の道じゃった。むかし、何とかちゅう坊さんが、寺がすたれてしまいよるのをかなしんで、山に横穴掘って、山の上まで出られるようにつくりなさったときいたが、お母ちゃんとおばちゃんは、くさりをつとうて、歩いていった……いまだに、その時のおそろしさがわすれられんじゃえ」 「………」 「滝もあった……裏見の滝ちゅうて、高い岩の上から、布をたらしたみたいに水がおちよった……」  トミオは、由布が昔をおもいだしながらしゃべるのを、無表情な、淋《さび》しさをたたえた眼をひらいて、きいていた。母の故郷へ帰るのだが、その母は、死んでしまっている。骨箱に入って、ひと足早く、村へ帰っている。いま、トミオは、おばちゃんにつれられて、その母の骨箱に、会いにゆくのだった。かなしみは、深いであろう。いくら、由布がトミオに母の在所の名所|旧蹟《きゆうせき》を、美しいと語っても、それは、子供の心をうきたたせる力となり得ない。 「お客さんは、安心院のほたるを見たですか」  とつぜん、運転手がきいた。 「ほたるは知らん」 「そうかえ……もう、少しおそいが、ひょっとしたら、川原へゆきゃ、多少はみられるかもしれん……むかしから、安心院はほたるの名所です」 「へえ、そげなことは知らんじゃった」  由布はそういえば、ほたる狩りの話は、とみ子からきいていない気がした。霧の濃い湿地の町だから、ほたるも群生したのかもしれない。 「どこらへんにおるんかえ」 「夜になりゃ、そこらじゅうにいますよ。田圃《たんぼ》にも、家の垣根《かきね》にも、いっぱい、とんじょるですよ」  と運転手はいった。 「あんた……安心院の人かえ」 「いいえ、別府です」 「それで、あんた……ここのほたるを見よってか」 「何どもね……別府にゃ、いないもんだから、お客さんがね、安心院までほたるを見につれてってくれっちいうで、よく案内しちくるんですよ」 「へえ、そげにほたるがおるかのう」  塚原にも、湯布院にも、ほたるはいた。けれど、名所といわれるほどの数ではなかった。  いま、由布は、故山に帰ったとみ子の遺骨が、螢火《ほたるび》に迎えられる姿を想像して眼頭《めがしら》があつくなった。安心院から由布の山を眺めれば、霧は海のように山|裾《すそ》を埋めて、山はいつも島のようじゃったというのが、とみ子の口ぐせだった。あれほど、村のはなしをしてくれたとみ子が、ほたるの話だけはしなかった。 「トミオくん、お母ちゃんの家に着いたら……こんばんは、おばちゃんと、ほたるをさがしにゆこう……東京には一匹もおらんで、あんた、ほたるちゅうもんは、どげな虫じゃか知らんじゃろ」 「………」  トミオは、きょとんとした顔をほころばせてうなずく。 「のう、運転手さん、村を廻《まわ》れば、まだほたるのおるところがあるかのう」 「さあ」  運転手は首をかしげつつ、ハンドルを器用にまわして、カーブの道を走らせ、 「ほたるも、おくてのがあるじゃろで、さがせばおるじゃもしれん」  といった。由布は、とみ子の長兄や次兄とむきあって、話しあわねばならない気の重さを思うと、トミオとふたりで、ほたるさがしに出た方が、供養になる気がした。 「ええこときいた。運転手さん、ありがとう。ほたるを見ち帰るだえ」  そういっているうちに、安心院の村へ車は入る。右手に学校がみえてくる。白い校舎の建物をへだててならんでいる。 「お母ちゃんの卒業しなあった学校じゃ……トミオくん」  トミオは、窓ガラスに顔を押しつけて、見すえる。 「ここの学校出て、お母ちゃんは、別府で働いてなさった……」 「………」  車はその学校をすぎて、すぐ右手に折れた。前方に山がみえる。せまい盆地なので、すぐ山に向って、村はせまっている。遠くへゆくほどにせりあがるようにみえる。長兄から地図をかいてもらってわたしておいたので、運転手はストップして、あらためて、紙切れをとりだしてみていたが、やがて、五十メートルばかりバックすると、 「ここです」  といった。由布は、道肩に草の生えている、埃《ほこり》っぽいいなか道に降りたっても、むかしの記憶が、さっぱりよみがえらないのだった。こんな所だったか。トミオの手をひいて、運転手に礼をのべ、胡瓜《きゆうり》のつるの黄ばみかけている畑と畑の間道を入った。そのつきあたりに、人影のみえる小さな家がある。相原とみ子。ながいあいだ戻らなかったとみ子の家が、いま、ひくい屋根をみせて見えてくる。  由布は胸がつまった。トミオの手も汗ばんでいた。 「お母ちゃんの家はここで……トミオくん。おばちゃんにつかまって……みんなにあいさつせんといけんで……」  遠縁の人たちだろう。家の戸口にたった、村の男女が迎えてくれた。長兄夫婦はすでに顔|馴染《なじ》みだったが、次兄夫婦は初対面だった。七十近い老夫婦もいた。次兄の養家の親らしかった。長兄に案内されて、玄関から奥へ入ると、六畳の部屋があり、そこに、まだ六、七人の人がいて、仏間は奥である。三尺のぬれ縁が出て、百日草の咲く庭がつづき、向うは田圃《たんぼ》だった。稲の穂が大きくはらんでいる。 「こげなものが、出てきよって、……おかみさんにぜひ、みちもろて……気にいっちもろたなら、東京へもっち帰っちもらお思うてなァ……待っちょったです」  長兄が細長い顎《あご》をしゃくって、仏間から、何やら大きな新聞紙にくるんだものをもちだしてきた。由布は、皆にあいさつもしないうちなので、ちょっと、戸惑いをおぼえたが、長兄の真剣な顔つきがいま、気をひいた。 「なんですか。大きなもの」 「壺じゃ……壺が出ちきたんです」  長兄は、包みをときはじめた。 「日出生台へ勤労奉仕にゆきよった時に……村の者《もん》が、土掘りよると、こげな大きな壺が、トングワの先にあたったちゅうて……もっち帰ってきたんですよ……なんでも、これは古いもんで……繩文《じようもん》ちゅうて……日本の国のはじまりのじぶんに……古い人たちが使うた壺じゃそうです……」  由布は、大事そうに包みをといて、長兄が撫《な》でるようにしてさしだす一尺ぐらいの高さの奇妙な壺に眼をすえた。  口はつぼんだようにせばまっているが、なんともいえぬゆたかなふくらみで、底はとがっていた。坐りのわるい壺だと思ったが、長兄は、木でつくった台にそれをのせて、台ごと、由布の前へずらせてくる。茶褐色《ちやかつしよく》の、かすかな赤味をみせる壺は、肌の色がなんともいえぬ複雑な色で、ふつうの素焼とちがう。ふれれば、すぐにこわれそうな、やわらかい感触だった。 「こげなものが出てきよったですか」 「役場にもっちいって、学校の先生にみてもろたら、こりゃ、土器ちゅうもんじゃ……日出生台には、日本人の先祖が住んじょったんじゃ、といいなるで、そげなもんなら、大事にせんといけん思うて、仏壇のよこにおいてきたんじゃが、いま……ふっと、これを、おかみさんにさしあげたろうと思うたんです……銭はいくらもある人だで、お礼にさしあげるちゅうたって、わしらの家で、考えつくもんはしれたもん。それより、この壺をあげたら、よろこんでくださるじゃろ。湯島の家にゃ、立派なお座敷もあるで……こげな置き物も似合うじゃろと思うて……」  由布は、とつぜんだったので、息をつめて、あらためて壺を眺《なが》めやった。 「日出生台から出たですか」 「ああ、アメリカがやっちきち、ここいらの者が工夫にかりだされた時があったじゃろ。あン時に……出てきたんです」  長兄は、由布の顔をうかがうようにみている。 「ありがたいのう」  由布は、おもわず、その壺に、身をすいとられるような気がした。あの日出生台の、黒い土から、こんなにやわらかい壺が出てきた、信じられないことだ。 「あげな山ン中に、むかしから、日本人が住んじょって、こげな壺を使うちょったと、不思議な気がするじゃえ」  長兄はいいつつ、 「撫でてみちください。女《おな》ごの肌《はだ》じゃ」  といった。由布は、いま、女の肌だといった長兄の言葉に、胸をつかれた。壺は、とみ子の躯《からだ》に似ていた。ファニーフェースの、しゃくれた顔だったけれど、病気にならない前は、お尻《しり》も胸も肉づいていて、とみ子は、ちょうど、壺のゆるやかにせばまる底のように、胴がくびれていた。そのことを、由布は、いま、長兄にいえなかった。 「うちにくださるですか」 「おかみさんとこに……邪魔になるようじゃったら、しかたがないですけど、もし、どこかに飾っちくださるならもっち帰って下さい」  長兄はいった。 「なあ、みんな……こげな壺は、うちのようなボロ家においちょったって、ふさわしくないのう」  次兄がわらって、 「宝のもちぐされじゃ」  といった。由布は、この壺をもらって、どこに置こうかと考えた。たしかに、長兄のいうとおり、湯島の玄関にも、奥の間にも、廊下のつき当りにも、ふさわしい場所はある。  ああ、とみ子は、この壺にいきている。壺が身がわりになって、湯島へきてくれる。そう思うと、いま、仏壇に眠っているとみ子の、白い骨箱が、笑《え》みかけるように、壺の中へすっぽり入る気がする。 「いただきます。うちは、この壺をとみ子さんじゃと思うち、大事にします。ありがと、ありがとう」  と由布はむせんでいった。 「みなさん……わたしは、とみ子さんと、一しょに別府に働きよってから、ずうっと、死になさる日まで、いちばん仲のよい友だちとしてくらしてきました……そのとみ子さんが死んで……力がぬけました。けど、お兄さんから、こげな贈り物をもろうて、ありがたい思います。とみ子さんは、わたしの家の女中|頭《がしら》で働いちくれました。誰よりも、湯島の家を大事にしてくれました。その形見に、この壺を玄関に飾らしていただきます。ありがとう。ほんとにありがとう」  由布は、壺をひきよせると、両手でもちあげて抱いた。とみ子がにっこりわらって近づいてくる。 「トミオくん」  由布は、うしろにいるトミオにいった。 「あんたとわたしの宝物ができたねェ」  由布が到着して、一時間ほどすると、菩提寺の僧が、三人の役僧をつれてきて、仏前でしずかな読経をすませて帰った。あとは、長兄、次兄両夫婦と、遠縁にあたる門馬、白木という二家の若夫婦が卓をかこんで、食事になったが、宵ぐちに、はれあがって、縁先の空に星が出た。由布は、人見知りするトミオが、この家へくるなりだまってしまって、皆の注視をあび、小さくなっているのが哀れだった。話のとぎれたのを幸いに、トミオを誘って外へ出た。  門口まで追いかけてきた長兄が、どこへゆきなさるんじゃ、と問うので、 「ほたるを見にゆきたいんです」  といった。 「駅館《やつかん》川へゆくと、いるかもしれん」  と長兄はいった。由布は、誰も入れずにトミオとふたりきりで、ゆきたかった。町から程《ほど》近いところに川がながれている。歩いたって、何ほどもかからないという。で、長兄に、 「この子をつれて、ちょっといっちくるで」  と、言外に、かまわないでくれ、といいおいて、草履《ぞうり》をつっかけて道へ出た。トミオは、ほっとした顔をしてついてきた。食卓をかこんでの話題は、ややもすると、トミオの心を痛めることばかりだった。湯平から、湯布院にきて、大阪へ移り住んだ頃、うすうす、ジョルジュとの噂《うわさ》も知っていた村の親戚《しんせき》たちは、恥さらしなことをしていると、長兄にどなりこんできた。由布はとみ子からきいていたし、長兄が仲にたって苦しんだ様子も、看護にきた時にきいた。塚原に似て、安心院もまた、ふるめかしい人が多いのだろう。とみ子が帰りたがらなかった理由も、わかる気がする。 〈うちは、東京で死んだ方がしあわせじゃ……〉 〈うちは、田舎へ帰っても、わらい者じゃで……死んでも帰らんつもりじゃ……〉  といったとみ子の、脳裡《のうり》には、いつも、これらの口やかましい親戚の顔があったかと思うと、トミオを、その前にすわらせていることに耐えられなかったのだ。 「トミオくん……早よう、東京へ帰って、また勉強しょうね」  由布は、手をひいて、駅館川の方へ歩いた。 「お母ちゃんの骨を、田舎へおさめたで、もう用事はすんだ……おばちゃんと、駅館川のほたるみて……東京へ帰ろ」  トミオはだまっていたが、とつぜん、 「おばちゃん、お母ちゃんの骨は東京へもって帰らないの」  ときいた。 「………」  由布はどきりとして足をとめた。 「ここは、お母ちゃんの里じゃで……お母ちゃんの骨はここに納めんといかんのよ」  由布はいった。 「そのかわり、おばちゃんは、あの壺をもろち帰るで……あの壺は、日出生台から出よった。お母ちゃんとおばちゃんが、苦労して働いた所から出てきた……たいそうな記念になる。あれをもろうち、湯島の家で大事にしょ。お母ちゃんをまつるつもりで……大事にしよ」 「………」  トミオは一瞬、不満の表情だったが、道がやがて橋の手前にきて、夜の色が落ちかかる広い川面《かわも》のみえる地点へくると、急に眼を輝かせて、 「おばちゃん……川だよ」  といった。 「ああ、駅館川だ」  由布は、橋にきて、欄干に手をあてて足をとめ、しずかな流れを見守った。まだ、空はいくらか明りがのこっている。川面は、錫《すず》色に光り、浅瀬の流れは、音をたてていた。両岸に、草の生《は》えたところもあり、せりあがった石ころのみえるところもある。歩きつかれていたので、しばらく、呆然《ぼうぜん》と、川面をみていると、またしても、この川ぞいの道を、むかし、とみ子と歩いた記憶がよみがえって、眼頭《めがしら》がうるんだ。 「おばちゃん……ほたる」  トミオがとつぜん声をあげた。みると、三十メートルほど向うの川岸のあたりから、糸をひくように、小さな光りが走ってくる。たしかにそれはほたるだ。 「あんた、眼がよいねえ……ほたるじゃわ……こっちへくるで」  青い光りを、ピカピカと明滅させて、かなりの速さで飛んでくる虫は、姿をみせず、光りだけを放っている。と、そのとびたった草むらから、また一匹がとび出てくる。 「もう一匹、あっちをとんじょるで」  大声をあげると、トミオもみつけたか、 「わあーッ」  と声をあげた。東京では、みることのないほたるであった。いつか、不忍池で、放生会《ほうじようえ》があり、町の有志が、わざわざ、買ったものを、池に放ったことがあるが、伍一をつれて、見にいった時は、とみ子も健在だったと思う。 「おぼえちょるかえ」  由布はトミオにいう。 「上野の池にいっぱいほたるが放たれて……あん時は、お母ちゃんも、トミオくんも、伍一も一しょに行っちみたねェ……」  トミオは、いましも眼の前へとんできて、欄干すれすれに向うへ逃げてゆくほたるを追った。 「お母ちゃんもほたるが好きじゃった……あんたも好きじゃろ……トミオくん」 「うん」  トミオはいった。安心院の川面にとび交《か》うほたるの姿を、トミオは、生涯の思い出にするだろうか。母の死につながって、トミオの故郷は、この村に定着するかもしれない。そう思うと、由布は、いつまでも、橋の上に佇《たたず》んでいたかった。  翌日、由布は、トミオをつれて、安心院を立った。車で塚原まできて、生家へ寄った。母には、前もってしらせてあったから、トミオをみると、もう涙をにじませて、母は、迎え入れた。 「お母ちゃんの里へいっちきたかえ」  母はトミオにいった。トミオはだまって、たねの顔をみていたが、たねのにこやかな顔に、安心感をうかべ、縁先にきて、西瓜《すいか》をたべた。由布は、とみ子の死の前後のことを、あらためて、母に話した。たねは、いちいち涙ぐんできいていて、 「とみ子さんは、気の毒な人じゃったなァ……」  といった。 「これから、楽なくらしが出来るめぐりあわせじゃったに……苦の多い年ごろの山にきて……ぽっくり死んなさった」 「この世に神さんも仏さんもおらんで、お母ちゃん」  由布はいった。 「おそろしい病気が、なーんもとみちゃんに襲わんでもいいじゃに……うちは、この世に仏も神もおらんと思うわ……お母ちゃん」  たねは、眼をくるりとまわして、 「仏さんは、苦労もくださるけんど……人間にゃ、望みをかけていなさるで。とみ子さんに子をめぐんでくださった、そうじゃろ。いくら苦しみが多うても、この世に、子をめぐんでいなさるじゃ……望みをもたにゃ」 「………」  由布は、母の何げない言葉に胸をつかれた。仏山寺の越山和尚が、父の死んだ時にいった言葉には、母のいった意味の言葉はなかったように思う。病気をしたり、ケガをしたり、戦争に召されたり、人間の死は千差千様であるが、誰ひとりその死をまぬかれることは出来ぬ。人間は、死ぬために生れてくる、と和尚さまはいったけれど、そのような苦の海へ、かぎりなく子が誕生する秘密を、母のように、ずばりといいはしなかった。 「そうかのう……仏さんが、子をめぐみなさるのは、この世に、望みをかけていなさるからじゃろかのう」 「そうでなけりゃ、あげに苦労しよったとみ子さんに……どげにして、トミオくんをさずけなさるじゃ」  由布は、うなずかざるを得なかった。トミオは混血児である。だが、この子の将来に、夢がないとはいえまい。仏は、その夢に、望みをかけていると母はいう。とすれば、やはり、この世に仏も神もいるのであるか。 「トミオくん」  庭に出て、走りまわりはじめたトミオを、縁先からよびとめて、由布はいった。 「あした早く、村を出て、東京へ帰ろ。東京へ帰っち、一生懸命、勉強しよ」  由布がトミオを自分の子として入籍する決意をもったのは、この翌日、車で日出生台をぬける時であった。運転手にたのんで、黒土のたかまる高原にいっぷくした時だった。安心院でもらった壺を抱《かか》えていた。トミオは、人影のない山麓《さんろく》の、くろ土の高原へ、とつぜん由布が歩きだしたので、きょとんとして尾《つ》いてきたのだ。  由布は、むかし、そこにカマボコ兵舎がならんでいて、鉄条網の柵がのびていたあたりへくると、足をとめて、周囲をみた。  うしろに由布岳と鶴見岳がみえ、その手前に伽藍岳がそびえていた。山の方は、濃みどりの原始林だったが、谷をへだてて、こっちへくると、草も生《は》えていない、土くれの野っ原がつづいていた。 〈ここに、草本さんが眠っちょる〉  由布は、草本大悟が、いま、土の水平線の彼方《かなた》から、にっこりわらってくる気がした。 〈由布ちゃん……アメリカが埋めてゆきよった土掘りおこして、みんなの墓を建ててあげなならんじゃで……〉  草本はそういっている。 〈草本さあーん〉  由布は心の中で叫んだ。 〈うちは、今日から、とみちゃんの子をもらうで……うちの子にして育ててゆくで……トミオをしあわせにしてやることが、うちの生きる道じゃ……草本さん〉  草本は、うなずいて、くるりと背なかをむけて歩きだした。  由布は、その背なかへいった。 〈みちょって、草本さん……トミオを、あんたのような、立派な二世に育てるで……あんたの仕事をうけ継ぐ男に育ててみせる〉  草本の背姿《うしろすがた》は、いつのまにか消えた。風が出てきて、髪の毛が乱れた。トミオのおかっぱも乱れた。かわいた土が埃《ほこり》を舞いちらした。 「野焼きの春がきたら、トミオくん、また、おばちゃんと、山見に帰っちきよ……」  由布はいった。 「ここは、お母ちゃんの眠っちょるとこ……草本さんも眠っちょるとこ……日出生台は、うちらの忘れちならん……大事なとこで……」 「………」  トミオはゴミが入ったのか、手の甲で、しきりと眼をこすっていた。  由布は、やがて車の待っている一本道を、トミオの手をひいて歩き出した。 〈あんたは、伍一の兄になった。ふたりとも、父なし子じゃけど、おばちゃんがついちょるで。おばちゃんが、あしたから、お母ちゃんだ〉  由布は自分に言いきかせつつ、土埃のたつ高台の道を降りていった。  車へ入る時、ドアをしめにきた運転手の肩さきに、屏風《びようぶ》のようにそびえた山があった。山頂は乳色の霧にかくれて、中腹あたりから、黒々とした原始林がひろがっていくだけだった。由布は、トミオの手をひきよせて座席に力づよくすわった。 [#地付き]〈了〉 初出誌 昭和四十三年十月十五日より四十四年十月三日まで読売新聞朝刊に連載 単行本 昭和四十五年五月 文藝春秋より刊行 〈底 本〉文春文庫 昭和五十三年七月二十五日刊