水上 勉 木綿恋《ゆうご》い記《き》(上)     一  章  名前を柿本|由布《ゆう》といった。姓は父方代々だから何もいうことはないが、由布は、村のすぐ背にひろがるなだらかな山が次第に高まって、馬がうしろ向きに立ちはだかった格好にせりあがる由布岳の名をそのまま貰《もら》ったと母からきいた。小学校の同級に鶴という子がいたが、この子は由布岳の隣りの、これもある種の動物が寝たように見える鶴見岳の鶴をもらったときいたが、由布は鶴よりも自分の名が好きだった。柿本の姓は嫌《きら》ったけれど、由布の名だけは得意がった。小学校を出ただけで、女学校へもゆかず、凡《およ》そ学問というものとは縁遠かった由布だったが、由布岳についてだけは、かなり知るところが多かった。名前の手前もあったのだろう。  馬が首をうしろ向きに擡《もた》げたようだと、みたのは由布だけだったかもしれぬ。山は、由布のうまれた塚原の北の盆地の安心院《あじむ》のあたりからみると、富士に似ていたので、豊後《ぶんご》富士と人はいった。塚原からは近すぎるので富士にはみえず、ただ高いばかりであった。十八歳まで、この山の麓《ふもと》で暮した由布には、山のかたちは年じゅう同じ型にみえてはいたが、馬や牛の姿のほかに、あるいは熊《くま》とも鹿《しか》とも、巨大な岩石とも見えることがあった。東南にもう一つ飛岳というのがあって、これは扇子型をしていたが、いくらか低くて、姿もやさしかった。  塚原の村もそうだけれど、点在する村はみな高原を流れる川に沿うていた。どの家も、野っ原にかたまった森かげに、かくれたようにあったが、戸数は多くて三十戸程度である。山のぐるりを取りまく平原での牛飼いと、稲作が生業であった。むかしから、由布|山麓《さんろく》は、栲《こう》の木が密生し、この木を蒸して皮をむき、繊維をとって、木綿《もめん》を織ったという。由布の山は木綿《ゆう》山といったと由布は学校で教わったが、この時、先生がうたった歌に、 「乙女らがはなりの髪を木綿の山雲なたなびき家のあたり見む」  というのと、 「思ひいづる時はすべなみ豊国の由布山の雪消ぬべく思ほゆ」  というのがあった。ともに万葉集という古い歌集の歌だそうだ。一の歌は、若い娘たちが、おかっぱ髪を結うという名の由布山に、どうぞ雲よかかってくれるな。旅に出る途中に一と目家のあたりを見たいと思うから……と、在所を出る人が歌ったということだったし、二の歌は、あなたのことを思いだすと、豊後の由布山の雪が消えるような、やる瀬ない気持につつまれる、という、恋歌だそうだ。両歌とも、由布には生涯、自分のことをうたわれているみたいな気がした。  昭和二年三月二十五日、麓《ふもと》の草を焼く野焼きの日に生れている。部落をめぐる野原という野原が赤々と燃える午《ひる》なかにうまれた。  野焼きは九州一円の高原で催される草焼きである。害虫を焼き、やわらかな牧草をとり、あわせて、灌木《かんぼく》や|いどら《ヽヽヽ》などの茂るのを防いだ行事で、いつ頃《ごろ》から、こんな野焼きがはじまったか、由布は誰《だれ》からもきかなかったが、山麓《さんろく》に牛が飼われたのは、神代の頃だったときいたから、おそらく大昔から、火というものが出来た頃からはじまったのかもしれない。  塚原の部落では、ガラン岳とよんでいる鶴見の裏山の下から、由布岳の麓にかけた広大な野原に、毎年三月二十日に火をつける。火は誰がつけてもよい。そこらじゅうから火の手があがって、一日じゅう煙が山を這《は》い、赤い炎は山を焦がしてゆれ動いた。部落総動員だった。大人《おとな》も子供も野へ出て火をつけて歩いた。  風は山から吹いた。風が吹くと、火は思わぬ方に広がるので、大人たちは、要心のため、焼いてはならない干草のコヅミだとか、輪型の土地にうつる火を防いで歩いた。広い野原だ。一日では焼きつくせないので、一週間か十日かかった。草がみな焼きつくされたあとに、萌《も》え出る新しいみどりの美しさには、誰もが見惚《みと》れた。新芽は四月末、黒茶色に焦げていた大地が、まるで、二三日でぬりかえられたかのように、淡みどりになる。五月がすぎ、夏がくれば、このみどりは濃くなり、陽《ひ》をうけて草はむれ、うるしをとかしたように光り輝いた。草原には朝夕|狭霧《さぎり》が落ちた。みどりはみな乳色にかすんだ。牛はその霧の中へ放たれた。豊後牛は黒いので、火山岩とまちがえるほどに山へ散ってみえた。背高い夏草が刈られて、秋がくると、芝草がまず紅葉しはじめて、この頃もまた野焼きかと思うほどに赤くなるのだった。  由布がこの世にうまれ出た日、塚原の部落は真っ赤に燃えていた。野焼きの二十五日に産気づいて「おら、おめを産んだんじゃ」と母にいわれた。  父は日出生《ひじう》台の採石掘りの工夫で、柿本岩松といい、母はたねといった。十八までの記憶だと、父はおとなしい無口な人柄で、気も弱く、母に敷かれ放しだった。そのかわり母は豪気だった。田作りと、牛飼いに精を出し、父が留守がちなものだから、家のきりもりはみなしたし、父の呑《の》めない酒も母が呑んだ。塚原には大酒呑みの女が多かったが、母は横綱級で、秋末の甘酒祭がくると、霧島大明神の、神殿前のふるまい酒をガブ呑みしてきて、由布がおぼえている年だけでも、三度は戸板にかつがれて戻った。  小肥《こぶと》りで、色白だった。眉《まゆ》がうすく、眼《め》が大きくて、黒眼の澄んだ、ととのった顔だちだった。胴もくびれて尻《しり》が大きかった。病気一つしたことがなかった。この母の容貌《ようぼう》と、体格、性質、みな由布がうけついだものである。弱気だった、おとなしい父の爪《つめ》のあかでももらっておれば、由布はもっとべつの人生を生きたかも知れぬ。  家は塚原の部落で、まあ中ほどの規模だったろう。茅《かや》ぶき入母屋《いりもや》の母屋《おもや》に、向いあわして同じ茅ぶきの牛|小舎《ごや》があった。家の横を川が流れていた。深くもない川底に石が散らかっていて、ガラン岳と、由布岳のあいまの谷水は涸《か》れたことがなく、夏は格好な遊び場になった。由布は男の子らと真っ裸でよくここでエノハを獲《と》った。高原は冷気もきびしかったが、真っ裸であそんだ。村の子らは由布が裸になると、息を呑《の》んで見た。色白で、ふくよかだった由布は、七つか八つの頃《ころ》に、もう乳房のあたりがふくれ、いまなら珍しくもない話だけれども、十三で初潮をみている。少女の頃から、由布には色白の躯《からだ》を自慢するところがあって、川あそびとなると、まっ先に全裸になった。パンティもつけず、しぶきをとばして浅い川を馳《か》けた。男の子らも、もちろん猿股《さるまた》などはいてなかった。由布は、どの男の子よりも背|丈《たけ》が高かった。  頭も賢いといわれた。これは酒呑みの母のものでなくて、弱気で無口だった父のものだったか。母は手紙も書けない無学で、ただ働くばかりだったが、父の方はよく村の人からたのまれて手紙を書いたりした。  工事場は尖《とが》った石ころを掘りおこして、もっこでかつぐ仕事で、顔も手もかさかさだった父は、いつも白粉《しらこ》のふいた仏頂面《ぶつちようづら》で帰ってきたが、不思議と、先の太い荒れた指でエンピツを持つと、掌指は女のようにしなったのを憶《おぼ》えている。由布が読めぬ字を訊《たず》ねても、こたえられない字はなく、山の名はむかしは木綿《ゆう》だったと最初に教えたのも父ではなかったかと思う。  この父が死んだのは、由布が十《とお》の時である。早生れだった由布は、七つで入学していたから、塚原の分教場で四年生だった。工事場のハッパ事故で父は死んだのだ。分教場までその爆音はきこえた。いつもの音だと思って、運動場でドッジボールをしていたが、まさか、山の現場で四人もの工夫が石の下敷きになって死んでいるとは知らず、授業を終えて帰ってから気づいた。銀柳の葉のゆらいでいる川岸まできた時、家の前も裏も、人だかりなので、胸さわぎして走りよると、納戸の戸口に、叔父の辰次と母がいて、母は由布をみると、泣きはらした顔を歪《ゆが》め、う、う、うといって膝《ひざ》歩きに近づいて由布を抱いた。〈父ちゃん死んだ……〉由布は何のことやらわからず、親戚《しんせき》がかたまっているうす暗い納戸をのぞいた。父は、すぐ眼の前に寝ていた。石の粉が灰いろにまぶれているイガ栗《ぐり》頭をこっちへみせて、眼をつぶっていた。眠っているような死顔であった。 〈石の下敷きになって……〉  と母が泣きじゃくりつつ言いそえて、由布の肩を押した。〈お父ちゃんを見てやれ〉納戸へゆかせたのである。  人の死を、身近かにみたのは、これが最初だ。石粉のまぶれたイガ栗頭を、拭《ぬぐ》うてももらえず、寝ている父の姿は、朝方、由布が学校へゆくのと同じ時刻に、フタのもりあがるほど飯《めし》をつめてもらった籐《とう》編みの弁当箱を腰につるして、川岸の二叉路《ふたまたみち》を急いでいった姿である。まだ、そこに息をころして寝ているようにみえたとしても無理はない。  人間というものは、いつ死ぬかわからない。朝早く笑顔をみせて出た人も、夕ベにはどんな事故にあって死んで戻ってくるやらわからぬ。これは人間だけではない。午《ひる》は元気で野原を走っていた乳牛も、夕べに急にうずくまって足腰たたぬ腹痛おこして、いくら撫《な》でてもさすっても悶《もだ》え苦しみ、翌朝ころりと死んでしまうようなこともあった。生きとし生きるものはみな、いつ死ぬかわからぬ世の中である。神さまだけしか知らぬ仕組みのなかを、人は生きつづけるものか、いってみれば無常観のようなものが、理屈からではなくて、毛穴から感じとられていたことに本人は気づいていない。遠縁筋にあたった塚原の在の藤村家から、湯布院《ゆふいん》の禅寺へ小僧に出て、のちに京都の本山で成功した老師が、折よく、北九州一円の布教にきていた。父はこの人が縁筋だったおかげで、京都の本山で高い位階にある老師の引導で埋葬される栄誉をうけた。夏だったので、老師は緋《ひ》の羅袈裟《らけさ》を肩背にたらして遺族が最期の別れに泣くのを慈悲深い眼《め》でみていたが、葬式がすんで斎膳《ときぜん》が出た時、由布はこの越山老師に、〈人間はなぜ死ぬのですか〉と訊いている。 「仏さまがよんでくださったんじゃ……」  老師はやわらかい返事をした。棺に入れられて、埋葬谷までかつがれてゆく父の行列に、弟の太市とふたりならんで、母に手をひかれて歩いた。仏さまが、遠くからよんでいたので、父はあの世へ逝《い》ったか、と思いかえしてみるが、理解できなかった。昼間、分教場の教室で、板戸をふるわせるほどのハッパの音をきいているし、父の死んだのは、爆薬の仕掛けに手ちがいがあって、運搬工夫が現場にいたのに、火をつけた誰《だれ》かがあやまった。逃げおくれた四人が下敷きになって死んでいる。  仏さまがよんでなぞいるもんか。嘘《うそ》だ。どうして、ハッパをまちがえた男が仏なぞであるものか。老師の微笑している顔をにらんで、 「そげんこと、ないわ」  と口の中でつぶやいていた。だが、いずれにしても、ハッパの火つけ役が、あやまったにしても、死は急に訪れている。それが悲しかった。  父が死ぬと、生活は苦しくなり、母は牛飼いと田仕事で一日じゅう働きまくらねばならなくなった。陽《ひ》のあるうちは、家にいたことなどめったになかった。太市は当時三歳である。由布は太市を背中にくくりつけて学校へ通った。背|丈《たけ》の大きな由布が、太市を負うていると、遠眼は母親かと思えるので、村の人らは、〈お前が産んだ子のようじゃのう〉といった。子守りしながらの勉強に誰もが感心して、眼尻《めじり》をぬらしてくれた。  そんな分教場通いだったから、負けてはなるまいという意地もあり、家にもどっても、予習復習などしたことはない。教室にいるうちに先生のいうことは細大|洩《も》らさず耳に入れ、一生懸命暗記した。一つ困ったことは、教室の一ばんうしろの机をあたえられていたので、うしろの床であそばせている太市が、小便したり、泣きぐずる時である。そんな時、由布は、ほかの生徒にめいわくがかかることを慮《おもんぱか》って、太市を抱いて外へ出た。そうして、砂場のあたりへ、太市を放《ほう》っておくと、また教室へ入《はい》って行った。先生によっては、そのあいま、やさしく待ってくれないのがいる。先へすすんでいる。この時だけは口惜《くや》しかった。だが、太市を守りしながら、優等の成績で由布は分教場を出た。ついで湯布院町の高等科に入ったが、その時はもう太市は大きくなっていたので、守りもいらなく、最上位の成績で卒業している。  柄が大きくて、美人で、おませで、悧発《りはつ》とくれば、誰《だれ》がみても、由布は、晴れがましい将来を約束されねばならない娘といえたわけだが、不思議なことに、卒業してから家で母と一しょに暮すようになると、目だたないただの娘になった。十五、六からめっきり大人《おとな》めいた時期にきて背|丈《たけ》も、知恵も、激しい労働のために延びが停《と》まったのである。誰よりも大きくてすばらしかった色白の躯《からだ》が、他の娘らに追いぬかれた。いわば早稲《わせ》のかなしみといえようか。五尺三寸といえば、女ではまあ大きい方だけれど、子供の時代を知る人には意外だった。労働の激しかったのは、牛追い仕事と、田仕事がつらかったためである。それに、田のすべてが小作田で、収入も少なかった。父が生きておれば、日出生の工業場の給金が入ったが、それもならない。母とふたりして、働く日傭《ひやとい》が唯一の現金収入で、しかも、病身の太市にみな吸いとられている。太市は、どういうわけか、父に似て柄も小さく、陽見《ひみ》ずのように育ち、蒼白《あおじろ》かった。幼少時からじん臓がわるく、脱腸だった。三つ四つから、〈大ぎんたま〉と子らにいわれた。股《こ》間に大きくふくれたものをもっていて、そんなものを持ちあわせていない由布は、太市を川へつれていっても、裸にして泳がせる時ははずかしい思いがした。脱腸のかげんもあって、太市は下腹部ぜんたいがひ弱で、年じゅう医者にかかりづめで、跡取りの子がこうでは将来も暗かった。したがって、母は、父の死とこの太市の病身なことで、めっきり顔つきもかわり、いつも、いらだった眼をするようになった。母がそうなら、由布もまた、知らず知らずに同化されていく。柿本の家は、由布が十五になって、外働きが出来、給料がとれるようになるまで、明るい笑い声がしたことなどなく、貧苦のどん底を這《は》いまわっている。  由布が父の死を悲しく思いかえしたのは、生活苦のせいである。生きていてくれさえすればという思いが、あの世からよんだという仏さまへの憎しみにつながっている。  少女時代を回想して、由布がもっともなつかしく思い出すのは、やはり、塚原の川あそびである。獲《と》れた魚は、アブラメとエノハで、アブラメは、地方によってはヤマメとよばれる小魚に似ていた。エノハも鮎《あゆ》のようで、なめらかな肌《はだ》をしていたが、鮎とちがうのは、背なかに赤、黄、青の斑点《はんてん》がいくつもあることだった。この小魚は、石と石のあいまを敏捷《びんしよう》に泳いだ。犬柳や銀柳の小茂りの下に、ところどころ淵《ふち》があった。ここへ釣糸をたらすと、エノハはよくかかった。男の子らと一しょに、裸になって淵へもぐり、石のうろとへ手をつっ込むと、かならず、拇指《おやゆび》大のエノハが指にふれ、たやすく掴《つか》まえることが出来た。獲れたのを、岸で待っていた太市のバケツに入れる。夕方に帰ってくる。母にみせると、大きなのは器用に包丁ではらわたをとって焼いてくれたし、小さいのは、つくだ煮にしてくれた。どっちもおいしかった。  川岸の茂みにはイチゴがいっぱいなっていた。塚原のイチゴは、近在の山イチゴより、粒が大きくて、色も黄味がかって水っぽく、腹をへらしてばかりいた姉弟には、格好な間食となった。夏がくるまでこのイチゴは、草叢《くさむら》にのこっていた。細い幹にはイタイとげがくっついていたので、草叢へ入る時には注意せねばならず、手足はいつもトゲのひっかき傷で血が出た。ひまがあると由布は、太市をつれて、山野をかけめぐった。  塚原には川は二つあった。というのは、ガラン岳の、のちになって鉱泉宿が栄えて、塚原温泉というようになった硫黄《いおう》の水が湧《わ》くあたりから流れる川と、もう一つ由布岳の中腹の原始林の谷から湧く水の流れである。魚は鉱水の川には住まず、清水の川にだけいた。  夏は、野原を走りまわっていても、薄着でよかったが、八月末はもう秋だった。高原の秋の夕刻は冬の音だ。寒風のふく野面《のづら》を、太市をつれて夏着で走っている由布は、いつになったら、母が袷《あわせ》をだしてくれるだろうか、と悲しかった。他所《よそ》仕事に出づめである母は、姉弟を腹いっぱいたべさせることで精一杯で、なかなか、衣類にまで手がまわらなかった。  湯布院の高等科へ通う頃は、もう初潮をみていた由布だから、通学の身装《みな》りも気になった。金持ちの子らが、いち早く、服を着、靴《くつ》を覆《は》いて通うのが羨《うらやま》しかった。  由布が高等科を出て、母の仕事を手伝い、日傭《ひやと》いや、草刈りに精出すようになって、どうやら、現金収入もふえたが、この時分から柿本の家は明るくなっている。しかし太市の病弱はあいかわらずで、湯布院へかかる医者代もかなりあった。  由布が十五歳の頃から、戦争はだんだんきびしくなった。それは塚原から湯布院へ通う途中にある日出生台の演習地をみてもわかった。物々しい装甲車が何台もならんで、何百人とも知れぬ兵隊が、一日のうちに駐屯《ちゆうとん》してきて、毎日のように、実弾射撃であった。山がゆらぐほど大きな大砲の音がした。戦争は中国大陸だけでなく、南方の、仏印、マレーでも起きていた。十二月に太平洋戦争が起き、塚原の部落にも召集令がきて、赤襷《あかだすき》をかけて出発する予備兵役の年とった者がふえた。 「お前は、兵隊にもなれん弱虫じゃけん……」  と母は、太市をみてよくいった。 「大きゅうなったら、なにして喰《く》うちゅくかのう」  まさか、病弱の太市に、背負われる老後をたねは想像したわけでもあるまいが、将来のことを考えると、暗い気持だったと思う。しかし、たねは、病気一つせず、自分に似て、鳩胸《はとむね》のむっくりふくれ上り、もう年増女みたいにぽたぽたしたお尻《しり》をでんとすえ、村の女たちに仲間入りさせても、柄も物言いも一人前の由布に、ほっと安心するものがあってか、どこぞの普請の手つだいに行って、ふるまい酒があると、酔って帰った。根っからの酒好きとみえて、当時はもう、醤油《しようゆ》も、日本酒もみな配給だったのを、この権利だけは、いじきたなく固守して、切符がくると、由布に買いにゆかせた。いまから思うと、母は三十で未亡人になっているのだから、躯《からだ》の淋《さび》しさを、労働と深酒でまぎらわせていた感じであった。母が酔うてしまって、帰りがおそいのを、いくどか、家の表の銀柳の下で、由布は待っていたことがある。戸板にのせられて戻る時など、泣きたいほどかなしかった。 「お母ちゃんの馬鹿《ばか》ったれ……」  と由布はいって、村の人らから、酔いつぶれた母をあずかって、家へ入れ、頭から水をあびせたい気がしたが、酔うと、気の大きくなる母は、鼻唄など唄い、どこそこの男が、お母ちゃんの手をひいたとか、話しかけてきて困ったとかいって、しばらく、さわいでから、死んだように寝入った。朝方になると、忘れたようにけろりとして、母はもう仕事に出ていなかった。  漢口が陥落したり、南京が陥落したりした時には、その酒の特配があったが、太平洋戦争がはじまると、ボルネオ進駐や、シンガポールの陥落、マニラの陥落などと、捷報《しようほう》の入るたびに、不思議とまた酒が出まわった。 「由布、お前も、ちっと呑《の》まんか」  母は、茶碗《ちやわん》に一杯ぐらいはくれたことがある。由布ははじめて、口をつけて、吐き出している。父親似だったのだろう、ぷーんと鼻をつく臭気だけで、胸がむかついた。この酒ぎらいは、生涯のものとなったが、あるいは、母の醜態を何度かみせられていたので、女の酒呑みは、見苦しいという気持が、誰に教えこまれるわけもなく、由布を自然とそのようにしたとしか思えない。分教場にいる頃《ころ》から、由布の身辺には男の子はいたけれど、高等科を出てから、しょっちゅう家へ出入りした隣家の岩次に、由布は、ほのかな恋心を抱《いだ》いていた。岩次は、二年上だが、由布が七つ上りなので、年は三つ上、躯も大きくて、いかつい肩をしていた。色も浅黒く、造作はまあ十人なみで、色男とはいえなかったけれども、骨太さには好感がもてた。小さい頃は、よく川で真っ裸であそんだ仲間だから、由布の圧倒するような成長ぶりに、いつしか顔をあわせても逃げるようになってゆく同級生や上級生に比べて、岩次だけは、気安く、家を覗《のぞ》いた。この岩次が、一度だけ、由布の手を握って五分間ほど息をつめて走ったのも、野焼きの火の中だ。もう少しで、丸焼けになるところを救われている。十五の時だ。  どうして、草を焼いている最中に、そんな危険なコヅミの近くにいたかわからない。気がつくと、火は周囲からめらめら炎の舌を這《は》わせて、由布のいるコヅミに燃えうつった。逃げようとしたが、煙がむくれているから、おそろしくて足がひるんだ。熱気と煙にむせてその場に倒れそうになった。じりじり足もとの草が焼けてくる。いつ大声をあげたか解《わか》らない。とにかく、お母ちゃん、お母ちゃん、とわめいていたらしい。気づくと、岩丈な男が煙の中から走ってきて、由布の躯《からだ》を抱《かか》えた。由布は、男の首にしがみついていた。それが隣家の岩次であることに気づいたのは、火からだいぶ遠ざかって草叢《くさむら》におろされてからである。はあはあ息をつき、腹を汗ばんだ手で抱えられているのに気づいて、はずかしかった。  岩次は命の恩人というだけでなくて、生れてはじめて抱きかかえられた男として、由布の胸底に秘められた。だが、岩次の前で、あからさまにそれをいう勇気はなかった、道で出あっても、赫《あか》くなってうつむいていた。  この岩次が、志願兵として、二十歳で久留米へ入隊していった日は、眼《め》がはれるほど泣いた。この当時、村に召集者や、入営者が出た場合は、総出で、壮行会が催されたが、出発の朝は、村人は霧島大明神に参詣《さんけい》して、ここから湯布院へバスでゆられてゆくことになっていた。宴会の時も、隣家のよしみで、由布は母と共に煮焚《にた》き仕事を手つだった。岩次は、国防色の詰襟《つめえり》服に日の丸の赤襷《あかだすき》をかけ、〈元気でいって参ります〉と会う人ごとに、もう兵隊になったような物言いでいって、敬礼した。そんな岩次の、心もち桃色がかった興奮した顔を垣間《かいま》みて、由布は人知れず、どうして、こっちを向いてくれないかと、胸をこがした。  霧島大明神で挨拶《あいさつ》の時、岩次は誰に教えられたか、どもりながら、大人のようなことをいった。〈本日は、私ごとき弱輩の者の入営に際し、全村の方々のお見送りをうけ、恐縮に耐えません。皆さまから多大の餞別《せんべつ》にあずかり、ありがとうございました。入営いたしますれば、一意専心軍務につとめ、天皇陛下のおん為《ため》に命を捨てる覚悟であります。塚原村人として、恥じない軍人になる覚悟でありますから、どうぞ他事ながらご安心下さい。また、あとにのこりました老父母のこと、よろしく、お願いいたします。元気で行ってまいります〉挨拶は、いまでも眼をつぶれば、思いだせる。  この岩次も、一年目に小さな骨箱になって、白布につつまれて帰っている。湯布院の駅まで、遺骨を迎えにいった日は、もう戦争の終る一と月ほど前である。七月の暑い日だった。岩次の老父母と一しょに、由布は、国防婦人会の白襷をかけて迎えた。不思議と、大明神で行なわれた村葬の日にも、由布は泣いていない。口惜《くや》しかっただけである。もうその頃は、村には若い男は一人もいなかった。  十七から由布は別府へ出て、療養所の炊事見習になった。療養所は、軍人専門で、戦地で弾丸に当って、足を切ったり、手を折ったりした兵隊や将校がいた。中には、両足がなくて壺《つぼ》の中へ入って護送されてきた兵隊もいた。建物はもと温泉旅館だったものを病院に改造したものだったが、いつも、ここは負傷兵で満員だった。軍医と看護婦と経理将校のほかは、由布たち賄婦《まかないふ》がいるだけで、病室につめこまれた傷病兵の所へ、ときどき由布は掃除にいったが、眼《め》を閉じたいほど気の毒な傷病兵をみて心が痛んだ。戦争はもう負けたという噂《うわさ》もつたわった。キスカ島や、南方前線では撤退、転進などという言葉がいわれた。ラジオをきいても、撃沈する戦艦の数は少なくなり、ガタルカナルや、ニューギニアでは、日本軍が負けたというはっきりした報道があった。傷病兵の集まる療養所にいるのだから、敗《ま》け戦《いく》さの知らせは早かったのかもしれない。  肝心の八月十五日の終戦の詔勅を、由布は聴《き》いていない。十四日から、塚原へ帰っていたからである。弟が寝込んだという報《し》らせをうけて、由布は、休暇をもらって別府を十四日に出て、その夕方塚原につき、弟を見舞って、翌日のひる頃に塚原を出、別府にもどっているが、正午にあった敗戦詔勅のラジオ放送は、ちょうど、ガラン岳のふもとを歩いていて聴かなかった。暑い陽《ひ》ざかりで、由布は長袖《ながそで》のブラウスの上に黒い木綿のもんぺをつけ、黒のズックをはき、防空|頭巾《ずきん》を首からうしろへたらしていたが、二時すぎたころに別府へついて、療養所のある亀川の街《まち》筋を歩いている時に、奇妙に人通りがなく、静かだったのが、のちのちまで印象ふかく思いだされた。道であう人の顔は、放心したように力がなく、どの家も戸をしめて、しずまりかえっていた。戦争に負けたということは、療養所に入ってはじめてわかった。  賄室では、放送はあったにしても、まだ陸軍や海軍の偉い人たちの中では、戦争をやめないという人がいて、外地では戦さはつづけられているそうな。この戦さで、大勢の人が死に、療養所をみただけでも気の毒な負傷者で充満しているのだ。いまさら敗けたでは泣くにも泣けぬ。大本営は一人一殺といい、アメリカ兵が上陸してくるのを予想して、そこらじゅうにタコ穴を掘り、女子供にまで竹槍《たけやり》訓練を教えていたのである。まだまだ、戦争はつづく……などといって、泣きながらわめくものがいたり、反対に、戦争はもうすんだのだ、この上、気の毒な負傷者が送られてくるのを見ないですむといって、ほっと安心したように、眼頭《めがしら》をうるませる人もいた。どっちを信じていいかわからぬ混乱がつづいていた。九月十五日に、由布は塚原へ帰った。アメリカ兵が進駐してくるので、若い女性は山へかくれるか、近くに在所のある者は、いち早く帰って、農業に従事した方がよい。おそらく、日本に飢餓地獄がくるだろう、という噂がひろまったからである。由布は、日出生《ひじう》台の沖に敵の軍艦がやってくるという前日に、同僚に別れて塚原へ帰っている。  この年、十八歳であった。もう塚原は、秋の風が吹いていた。由布の山裾《やますそ》にところどころ紅葉した楓《かえで》が西陽をうけて映《は》えていたのがいまも鮮明だ。  当時は、塚原にも疎開者がいた。由布などの知らない人の顔がいっぱいあった。みな、塚原の部落の近親縁故の者ばかりで、むかし、家を捨てて出ていった次男、三男、あるいは、それらの人びとの細君や子たちであった。中には、朝鮮や満州にいて、老父母が一と足先に故国へ帰ってきたというような人もいた。血縁筋ではないが、地方に出ていた近親者が、恩になった間柄だとか、あるいは同僚だったとかした縁故の者もいた。気の毒なのは、次男、三男のうちで、別府大分にいた者ならまだいいけれど、大阪や神戸で焼け出されて、着のみ着のままで帰ってき、男は兵隊にとられ妻子だけが、馴染《なじ》まぬ村の隅《すみ》で暮している姿である。塚原は、知らぬまに戦争中の三倍にもふくれあがっていた。塚原だけではない。近くの若杉も、湯布院も、安心院《あじむ》もみなそうである。のどかな山間の村には、家を失い、食糧に飢え、遠近の縁筋をたよってくるこれらの疎開者があふれた。  由布の家には、さいわいなことに、頼《たよ》ってくる者はなかった。父は兄弟はなかった上に、早くに死んでいるのだから、かりに父方に遠い親戚《しんせき》がいたにしても、家の苦しい事情がわかっているので、やってくる者はなかったのだ。母は、同じ塚原の部落からきてはいるが、この親|許《もと》はすでに廃家だった。母も孤児のような身の上なので、厄介な疎開者を世話しなくてすんだのである。由布は、別府の療養所が、温室のような働き場だったせいか、村に帰ってはじめて、疎開者と村人とのあいだにかわされる憎しみあった眼《め》をみて肌《はだ》寒くなった。一つは食糧が欠配で、疎開者は、芋やスイトンばかりで暮さねばならないのに、農家は、きびしい供出の眼をぬすんで、かくし米をもつ者があって、それを、疎開者の、衣類や貴金属などと交換して、肥《ふと》っていく事情もあったのかもしれない。あんなにまで、兄弟姉妹が、口ぎたなくののしりあわなくても、と思うような争いがあった。ある家などは、疎開者の方が喧嘩《けんか》に勝って、以前からいた村人を追い出してしまったという家もあったし、反対に、居たたまれなくて、九月末には、もう裸一貫で、都会へ帰ってゆく人もいた。食糧の不足と、敗戦の混迷が、人の心をとげとげしくしたのである。そんな村へ、十月になると大勢の復員者が帰ってきた。女ばかりだった村は、また活気がみなぎった。しかし、人口はふえるのだから、食糧不足はさらに深刻になった。由布の家ではまだ、そんなに深刻とはいえなかった。じつをいえば、芋やウドン粉の団子をこねたスイトンは、たべ馴れていたし、人の欲《ほ》しがる白米を、たらふくたべるというようなことも、昔からなかったからである。川でとれるエノハが間食だったし、山イチゴで腹をふくらませて、夜食をけずった少女時代をもつ由布は、貧乏はいつも足の裏の温《あたた》かみとつながっていた。  つまり、由布は貧しい昭和っ子である。二年の三月に生れたのだから、文字通り昭和のとっかかりから生きたことになるだろう。因《ちな》みに昭和元年は大正十五年であり、大正天皇の崩御は十二月二十五日なのだから、わずか六日でしかない。翌年三月生れは、昭和になって早々の誕生である。  生れた翌年は、御大典という、奉祝景気につつまれためでたい年ではあったが、翌四年の正月には、中国にいた日本兵の轢殺《れきさつ》事件から、漢口や南京に排日運動が起き、五年に台湾霧社事件。朝鮮も暴動が起き、六年の九月十八日は柳条溝で日華兵の激突、満州事変の発端であった。日本陸軍は吉林を占領していた。つづいて上海事変。国内では井上準之助や団琢磨が殺された。世の中は物騒で、昭和七年からもう戦争戦争で、男の子は兵隊にならねば非国民のようにいわれる時節だった。いってみれば、由布が物心つくようになってから、日本には戦争がなかった年はない。  だから、敗戦になって、由布は、ああ、もうこれで、戦争はすんだ。日出生の空に演習の弾丸音がしなくてすむようになった。飛行機をつくったり、機関銃をつくったりしなくてもすむ。男の人が兵隊にゆかなくてすむようになったと思うと、はじめてこの世に平和がきた気がした。しかし、その平和も、別府から帰って村の事情をみた時に、また、新しい人間地獄がきていることに気づかないではおれなかったのだ。たしかに世の中は地獄であった。食糧不足、衣料不足。これは戦争に敗《ま》けたのだから、致《いた》し方がないとはいうものの、人びとの心は汚《きた》なくなり、眼《め》の色も変った。闇物資の取得に誰もが血眼《ちまなこ》になった。別府へゆくと、駅の近くに闇市場が出来、そこでは、進駐軍から流れたチョコレートやタバコがいっぱいあるそうな。砂糖やバターや白米も、金さえ出せば買えるという噂《うわさ》だった。誰もが闇市へ出て、野菜や米と交換してくる。塚原の村にも、戦時中はかけらもなかった肉を喰《く》い、しるこをたべる家が出た。こうなると、闇をしなければ損だという気風が流れ、闇市場は、もちろん統制の網をくぐる商人でなりたっていたが、これを取締るべき警察が、だいいち、飢えていた。育ちざかりの子をもつ警官が、裏口から闇米を買っている風景がどこにもあった。正直に法律を守って、配給を待っている者は馬鹿《ばか》をみた。主食は十日も十五日も欠配となり、全国に米よこせ運動が叫ばれた。別府へゆくと、駅のあたりに、飢え死一歩手前の子供がうろうろしている。焼け出されて父母も家も失った子らである。子供だけではない。大人《おとな》も、職がなく、気力もなく、ただ乞食《こじき》同然で、ベンチに寝ているそうな。そんな町を、大股《おおまた》で歩いているのは、進駐軍兵士だけで、この兵隊たちは、恐れられたように、婦女子に危害はあまり加えない。兵舎でおとなしくしていて、夜は歓楽街に出て、にこにこしてあそんでいるそうな。兵隊の中には、黒い肌《はだ》の人もいるそうな。こうした外国兵のために、儲《もう》けている温泉宿もあるそうな。いろいろと噂が入ってくる。  由布は、これらの噂を、じつは耳|敏《ざと》く聴《き》きながらじっと考えこんでいた。療養所の人たちは、いまにも、アメリカ兵が上陸してきたら、若い女はもみくちゃにされるといっていたが、そんなでもないらしい。真偽はわからぬけれど、大分や中津の方から、むかしは遊廓《ゆうかく》で働いていた女性が、いつからか別府にきて、進駐軍兵士に躯《からだ》を売って、温泉場の二階家を借りて、チョコレートやタバコをふんだんに貰《もら》って、これを日本人に売りつけ、豪勢な暮しをしているそうだ。さらに駅を中心とする闇市場には、日本人を相手に呑《の》み屋やおでん屋が、かんたんな屋台を張って栄え、手入れがあると、誰かから連絡があって、屋台をしまって逃げてしまうそうな。呑み屋へゆくと、焼酎《しようちゆう》が売られて、誰もが、これを呑んで騒いでいるそうな。  戦争に敗《ま》けたのだから、どんなことが起きるやら知れぬと警戒して、療養所をいち早くやめて逃げてきた由布には、噂の実態はわからぬながら、思ったよりのどかな光景だと想像できた。これは意外なことであった。療養所で、賄婦《まかないふ》たちの長をしていた杉田という女が、経理将校から聞いてきたといって、敗けた日本はこれから、どんなつらい目にあうかわかったものではない。アメリカや英国に支払わねばならない賠償金は膨大なものだし、それに、食糧のないところへ何万の兵隊がもどってくるのだから、飢餓地獄がくる。一度とて敗けたことのない日本なのだから、それくらいのことは覚悟しなければならない。進駐兵は警察より偉いのだから、いくら警官が取締っても、暴行や強盗が出る場合、どうすることも出来ない。おそらく、火つけや、強盗、殺人が、そこらじゅうに起きるだろう。  きくだに恐ろしいことばかりなので、由布は、まっ蒼《さお》になったことをおぼえている。しかし、いざ、日がたつと、そんなでもないことがわかる。だいいち、この塚原の村に、砂糖が姿をみせ、餅《もち》が姿をみせ、誰もが飢えていない。もっとも、みんなは農家だからでもあるが、それでは別府の人たちは飢えているか。そうでもない。駅前の闇市場は繁昌《はんじよう》してカストリをのんで唄《うた》っているそうな。ラジオをきいていると、並木路子という歌手が現われ、リンゴの唄をうたっている。唄をきいていると、戦争に敗けたという気はしない。むしろ、戦争をしていた頃《ころ》の方が苦しく思いかえされてくる。  やっぱり平和がきているのだ、という実感が、由布の頭に、うっすらと呑みこめてくるようになった。同じ塚原の北の端にある家で、由布と同級生だった加代子が、別府へいって戻ってきたといい、立ち寄ったのは、十一月の末である。由布が、熱をだして寝ていた太市の氷|枕《まくら》をかえに川へ降りた時だ。岸からよぶ加代子の声をきいて顔をあげると、 「由布ちゃん、あんた、働かんかえ……」  と加代子がいった。 「別府へゆくと、うちたちの働くとこがいっぱいあるんでえ……」  由布はぬれた手で前髪をかきあげながら、加代子の厚化粧した口もとをみてひきこまれた。 「旅館はみーんな営業しよるんでえ。街にゃあんたダンスホールも出来ちょる。どこんここも、募集しちょる。由布ちゃん、雪ちゃんもゆくちゅうちょるけん、あんたもいかんかえ」  加代子は、額のせまい小造りな顔を、にんまりとほころばせて、 「こげんとこにおってんあんた、しようがねえでえ。雪ちゃんとも相談したんじゃけんど、あんたがきてくれりゃァ、うちゃァうれしいがなァ」 「どこで働くん」  と由布は訊《たず》ねる。 「うちたちゃ、鶴の井旅館じゃ……。あすこは軍が接収しちょったけんど、十月に開放されたんじゃ。いそいで改造して正月から営業するんじゃと。むかしどおりの開業だというちょったわァ」 「雪ちゃんもかえ」 「へえ、いっしょにゆくんじゃわ」  加代子は、はりきった声でいった。 「あんたも来んかえ」  由布は、家の方をちょっとふりかえった。母はいなかったけれど、寝ている太市の耳に、加代子の声がつつぬけにきこえはしないかと思ったほどだ。  正直、別府の景気いい噂《うわさ》をきくと、もどってきて損をしたという気がしてならなかった。加代子や雪子が鶴の井旅館で働くときけば羨《うらやま》しかった。鶴の井は別府でも屈指の大旅館で、戦争中は、陸軍に接収されていたが、終戦と共に開放されたという話はきいている。 「うちたちゃびっくりしたで。あんた、アメリカの兵隊が……町をいっぱい歩いちょる。そンうしろから、パンパンがブラブラついて歩きよるんで……駅前にゃ、浮浪者がごろごろしちょるけんど、ひとつも怖《お》じいことはねえで。あんた、いっぺん、来てみよ。別府はすげえ町ンなったンでェ」 「パンパンてなんかえ、加代ちゃん」 「兵隊《アメリカ》に躯《からだ》売る人ンことじゃ」  隣家の岩次の家にきこえるほど声が大きいので、由布ははらはらした。進駐兵士に躯を売る女たちのことを、パンパンというのだろうか。誰がつけた名なのか。おそらく、アメリカでは、そのようによぶのかもしれない。 「おそろしいことなかったかえ」 「んで、おもしろかったわァ」  と加代子は歯を出してわらった。 「由布ちゃん。考えときよ。正月からうちたちはゆくけん。……あんたもたのめば、鶴の井は何ぼでも入れてくれるわ……つとめるンなら今で、由布ちゃん」  加代子はうきうきした声でそういうと、スカートをひるがえして向うの道を降りてゆく。寒空に靴下《くつした》をはかない加代子のふくらはぎが、桃色に光って風にふかれてゆくのを、由布は羨しそうに見入った。 〈そうだ。うちも働かにゃ。別府へいって働かにゃ……〉  由布に眠っていた闘志が、むくむくと頭を擡《もた》げた。  由布は、加代子や雪子のように、かんたんに村を出るわけにゆかなかった。太市が重病で寝ていたからである。母は朝早く起きると田圃《たんぼ》や山へ出ねばならぬ。家にいて、太市の面倒をみるのが由布である。もともと、療養所を辞《や》めて戻ってきた理由の一つは、別府にいると、進駐兵に凌辱《りようじよく》されるという流言が飛んだからでもあるが、家の事情も大きな障害になっている。  太市は、この春から寝たきりで、小便にも起きなかった。腰部の脊椎《せきつい》にウミがたまって、臀部《でんぶ》の褥瘡《じよくそう》が破けてしょっちゅう出てきた。痛い痛いと訴える。母にいわせると、業病を背負って、一家を苦しめているということになるが、見ていてもかわいそうであった。医者にみせても、快癒《かいゆ》の見込はないといった。当時はまだ、ペニシリンが容易に入手しがたい頃《ころ》である。結核性の病気は、不治の病と断定され、いってみれば、太市は死を待っていた。そのような太市を見捨てて、由布は別府へ出てゆくわけにはゆかない。加代子や雪子が、鶴の井へつとめるのは羨しかったけれど、母の前で、それを口に出すことは出来なかった。  この太市が、苦しみもがいて死ぬのは二十一年の三月であった。たべたものをすべて膿汁《のうじゆう》に化けさせて、ただもう枯木のように寝ていたのが、月はじめの七日の朝、由布とたねが起きてみると、もう息をしていず、草いろの顔で眼《め》を閉じ、しずかにこと切れていた。夜のうちに死んでいたのである。苦しい病気から解放された安らぎが死の顔に出ていた。由布は、太市の死顔を見つめて、小さい頃から、背なかにくくりつけて、学校へ通った日のことを思いうかべた。つらい思いをして養育したにかかわらず、十歳であえなく死んだ太市が、憎らしかった。由布は一どだけでも、元気な太市の顔を見たかったと思う。だが正直いって太市の死は、柿本家の救いといえた。いつまでも、寝ておられると、医療費もかさむ上に、どちらかが看病についていなければならない、厄介な生活から、解放された。 「お父ちゃんと一しょに寝ちょくれ。あっちの国でも、寝るんじゃろかのう。んでも、お父ちゃんは面倒見のよい人じゃったけん……ゆっくり寝れるじゃろう。この世んごと怖《お》じいことはなかろう、あっちは……」  と、母は、太市を棺に入れる時に、ささやくようにいった。由布は、十歳の時、ハッパの火つけ役の過ちで、石に敷かれて死んだ父の葬式の日を思い出していた。すると、あの時、仏山寺に掛錫《かしやく》していた越山老師に、人間はなぜ死ぬのかとたずねた際、〈あの世から仏さまがよびなさったんじゃ〉といわれた言葉が思いおこされた。いま太市にそれはふさわしいことのように思われる。母がいうように、病身にうまれた太市は、子供の頃から、〈大ぎんたま、大ぎんたま〉といわれ、ろくに健康な子らとあそぶこともできず、孤独に十歳で死んだのである。太市はなんの縁《えにし》でこのような病気を背負ったのだろうか。太市はこの世をおそろしい地獄とみつづけていたに相違あるまい。すると、あの世から仏さまが救いの手をさしのべて呼んだということも、由布にはいまわかるような気がするのだ。  だが、この太市の死で、由布に仏者のような厭世《えんせい》観がやどったわけではない。この世の地獄は、塚原の家々の、疎開者と村人の、眼《め》色をかえて争う姿をみてさえわかることだった。何も、太市のように、病苦を背負わなくても、地獄をのぞくことは出来るのだった。誰もがお金を欲しがり、米を欲しがり、衣類をほしがる姿はあさましいほどである。この世に闇《やみ》が来た。闇をするのがいやで、まじめなことをしておれば、栄養失調で、飢え死ぬ。気弱な者は、気強い者に負けるのはいつの世でも道理である。負けておっちゃいけん。あらんかぎりの力をふりしぼって、この世を生きねばならぬ。由布はそう思った。で、太市の葬式がすんで、母と久しぶりにむきあって夕食をたべた三月十五日の夕に、 「お母ちゃん、うち別府へ出たらいかんかえ、太市も死んだし、うちも働きに出たいんじゃ。村で働いたって知れちょるで。加代ちゃんみたいに、別府で働く。いいじゃろ。お母ちゃん、行ったらいけんかえ」  たねは箸《はし》を休め、だまって由布をにらみつけていたが、この時|溜息《ためいき》をついて、 「お母ちゃんひとりのこして、あんたはここを出ていくんかえ」  といった。 「そら、お母ちゃんひとりで淋《さび》しいことはわかるけんど。うちじゃって、ここにいるより別府で働いて、お金かせいだ方がいい思うんじゃ。村の傭《やと》い人したって知れたもんじゃし、やっぱり働くとなりゃ、別府じゃわ。お母ちゃん」 「しようがねえなあ」  と、たねはぼそりとあきらめたようにいった。 「あんたの眼色見ちょると、もう、心は別府へいっちょるわ。とめたって、喧嘩《けんか》ンなることわかっちょるけん……好きなようにするがいいわ。加代ちゃんとこに口があるんかえ」 「鶴の井へゆけば世話してくれるんや……」  加代子が川岸へきて、別府へ出ないかと誘ったのは、まだ、太市も寝ていた去年の十一月末のことだから、もうそれから半年ちかい日がたっている。加代子の家も、雪子の家も、妹がいたし、会うごとに、由布は姉たちの動静をきくともなしにたずねていたが、ふたりは、その後、鶴の井で元気で働いているとみえ、変ったとはきいていなかった。おそらく、ふたりをたずねれば、働き口はあるだろう。もし、鶴の井になかったとしても、|広み《ヽヽ》の別府なら、どこかで傭ってくれる旅館か、料理店はあるにちがいない。 「一所懸命……うちは働く……貯金ができたら、お母ちゃん、怖《お》じい思いして働かんでもよいようにしたげるわ。お母ちゃんは知らんじゃろ、別府はお金が降っちょるんと……」 「銭《ぜに》の降っちょるとこがどこにあるかえ、馬鹿《ばか》いいなさんな」 「いっぺん、お母ちゃんも行ってみよ。景気のいい話をきくで」  と、由布はうきうきしていった。 「戦争に敗《ま》けたけん、これから女《おなご》の時代が来たんじゃと……お母ちゃん」  戦争が敗けたのは、男の不甲斐《ふがい》なさも原因しているといわれている。だからこれからは、女が気を張って働く時代だ。由布は誰にともなくそう教わった。たしかに、塚原の村だけみても、眼《め》にうつる女は男より生活力があるように思えた。というのも、男に働き場所がなかったせいだ。復員してきた若者は、どことなく力が抜けている。無理もない。つい、このあいだまで、撃ちてし止《や》まん、何が何でも勝ちぬくぞのかけ声で、戦争に参加していたのだ。それが、八月十五日に急に詔勅が下った。日本の全面降伏だとわかれば、はりつめていた気力がしぼみ、呆然《ぼうぜん》自失したとしても不思議ではない。アメリカ兵が別府に上陸してきて上田野湯の旧陸軍の兵舎を占拠して、温泉町は、もう進駐軍の慰安場に急変したときけば、男たちは、空恐ろしい気持がしたろう。見なくてすむものなら見ないですごしたいという消極的な気持もある。どこからともなく、パンパンが集まってきて、アメリカ兵の腕にぶら下り、チューインガムをかみながら町を濶歩《かつぽ》しているそうな。男たちには聞くだにそれはいまいましい。ついこの間までは、貞操固い大和《やまと》撫子《なでしこ》と信じてきただけに、女たちの急変は空恐ろしい光景に思われても不思議はない。  たしかに、男たちは、去勢されていた。この傾向は進駐軍がきた当時の、二十年から二十一年の初めにかけての、全国津々浦々にみられた風景である。別府もその例にもれない。別府に駐屯《ちゆうとん》してきたアメリカの兵隊に、いちばん大胆に馴《な》れしたしんでいったのは、由布たちがパンパンとよんだ慰安婦だった。彼女たちは若い層は十八、九から、三十歳前後にいたる者で、どこからきたのか、二十年十月はじめ頃から、ぞくぞく集まってきた。市の唯一の繁華街である「流川」を中心に、進駐軍目あての売春に精励したのである。これは、市の人びとにとって驚異であった。誰もが軽蔑《けいべつ》とひんしゅくの眼で、この売春娘たちを見つめはしたが、警察は勿論《もちろん》、彼女たちを取締ることは出来なかった。オンリーという言莱がはやった。すなわち、進駐軍兵士の恋人となり、囲われる女である。彼女たちは、市の人家の二階や、俄《にわ》か下宿の部屋を借りて、恋人の兵士を迎えて営業する。代償は、ドルである。そのほかタバコ、チョコレート、チューインガム、衣類、罐詰《かんづめ》など、進駐兵個人が酒保から配給をうけて、放出するものなど多種多様にわたった。これらはみな飢えていた別府市民にとって、つばの出る物であった。彼女たちの手から、これらの品物が、干天にしみ込んでゆく雨水のように、流れだした。市民は、パンパン、オンリーと軽蔑はしてもひそかに羨望《せんぼう》の眼をむけはじめた。無気力な男たちよりも、この大胆な女性たちが、先《ま》ず、進駐軍に体当りしている。この光景も、別府市にみられただけではない。  さらに、混乱に押しよせてきたもう一つの波があった。それは、市内外の地に居住していた朝鮮人たちである。由布岳の裏側の日出生台には、戦前から、この人たちの開拓地があり、ここでは、軍の食糧増産要請によって、約二千人もの人が、開拓事業にたずさわっていた。荒涼たる草原を畑につくりかえて、甘蔗《かんしよ》を収穫するのがその仕事だったが、開拓は、なみなみならぬ苦労だった。この人たちは、終戦と共に高原を捨て、どっと近在や別府市へ移り住んだ。御法度《ごはつと》の密造酒が生業になった。闇《やみ》市場に流れたカストリ酒は、みなこの人たちから日本人が買ったものである。  あらゆる生活物資が闇でつくられ闇に流れた。朝鮮人たちの手で造られた安価な酒は、別府だけでなく、全国の庶民の渇をいやしたのだ。ところが、政府は、統制経済の縄《なわ》をゆるめず、あいかわらず、配給で、しかも、主食は欠配つづきだった。衣料切符といって、点数制のものが配られたが、これとても、闇市場でみる豊富な衣料の足もとにも及ばなかった。配給は戦争中のスフカーテン地や、敷物地の類《たぐい》である。誰もがこのカーテン地で服をつくって着たが、三か月ですり切れた。栄養失調で瘠《や》せる男子が多かったけれど、進駐軍や朝鮮人とつながる女子部隊は、豊満に肥《ふと》っていった。由布が別府へ出て、鶴の井旅館に就職しようと思ったのも、一つは、このような華美に酔う第一線女性へのかすかな憧《あこが》れもあった。  前述したように、由布は、子供のじぶんから躯《からだ》に自信はあったし、容貌《ようぼう》にもかなり自惚《うぬぼれ》をもっていた。塚原の若者たちが由布をみる時に投げる眼をみてもわかるのであった。由布は、男好きのする女だと自分でも思っていた。そのことは、戦争中、療養所にいた時も、経理将校や傷病兵の眼でわかったことである。みんなが、由布をみると、話をとめて、視線を集めた。中には重病の兵隊が、由布に吸いつくように見入ることがあった。はずかしくて、躯がこわばったが、しかし、こんな時に少女時分から、眠っていた自己誇示型の、おませな奔放性が、頭を擡《もた》げた。〈うちも別府へ行って働かにゃ。こげん村におって、くさくさしちょるよりも、何ぼか息がすうーっとするかわからん〉  たねを説き伏せる眼に輝きがあった。由布が母の許可を得て塚原の村を二どめに出る日は、はからずも、野焼きであった。戦争中は禁じられていたこの村の行事が再開された記念すべき日である。たねは朝から村総出に加わって持ち場の草原に火をつけていた。ガラン岳と、由布の山が、裾《すそ》を這《は》う火に焦《や》かれて煙《けむ》る景色は、由布の脳裡《のうり》を生涯去らなかったものの一つである。  野焼きに生れて、野焼きに村を出た。 〈うちたちゃ、火の子じゃけんのう〉と由布がのちに誰にもいった言葉はここからきている。 [#改ページ]     二  章  鶴の井旅館は別府市の中心流川の通りから、わずかに南へ入った坂の上にあった。古くから名をなした旅館だが、戦後はどういうわけか、主人の名が変っていた。もっとも、かつての鶴の井全盛時代は、主人は田島といったが、この人は、戦争末期に死亡していて未亡人があとをきりもりしたときいたけれども、二十年春|頃《ごろ》から終戦八月まで、軍の保養所に接収されたせいもあって、旅館はもう営業していない。だから、未亡人はどこかへ身を退《ひ》いていて、戦後の経営者は、遠縁にあたる人とかで、樽沢伍平といった。もう六十近い年で、別府に住んでいた人でないらしく、言葉に関西|訛《なま》りがあった。坂の上の車がゆったり廻《まわ》り込めるかなりな広い庭をもつこの宿は、どの部屋からも海がみえた。別府の町は、鶴の井の坂あたりから勾配《こうばい》が急になり、扇山から鶴見山の裾へわけ入る松林に高まってゆくのだが、このあたりは、家もまばらで陸軍が保養所にねらっただけあって、環境はよかった。うしろはなだらかな山で、松根油の供出でどの山も丸坊主になったのに、辛うじてのがれた男松がここだけ黒々と茂っている。その松の下枝も、鶴の井の内庭へなだれて濃いみどり葉をのばしている。借景《しやつけい》の庭でもある。それで、尚更《なおさら》みどりに深みがあって、先代が丹精《たんせい》した石庭も、枯山水のところと、かなりな池のある所の二つに別れていて、庭木も多かった。つげ、もみ、槇《まき》、椎《しい》、楓《かえで》、桜、女松と、樹《き》という樹は刈りこまれ、ちらばった石|灯籠《どうろう》の頭をそれらの枝葉が、撫《な》でるように這《は》いまわっている。建物も、綺麗《きれい》につくり直したらしくて、畳も、縁も、すべすべしていた。部屋数は二階が五つ。階下が七つ。離れが四つ、それほど大きいとはいえない。しかし昔から、格式を誇った宿だけに、木造りも、太いものだったし、玄関の柱や横物など年代がものをいっていた。  由布の友だちの加代子と雪子は、この宿の調理場で下働きしていた。由布は、ふたりに会って、主人に就職をたのんでもらった。由布はその日に主人に会った。樽沢伍平は、由布を玄関よこの応接間《ロビー》の椅子《いす》にすわらせると、しばらくタバコをすって、由布の顔や姿態をみつめていたが、 「今日からつとめてくれますか」  と大阪なまりできいた。 「はい、お願いします」  と由布は頭を下げた。 「ほなら、あんたはお部屋の方をうけもってもらいますわ。番頭さんや、先輩の女中さんに、よう教えてもろてな……。お客さんの係りして下さい。たのんます」  かんたんな返答なので、びっくりしてしまった。雪子や加代子が調理場の裏方であるのに、自分だけ新参なのにかかわらず客間の係りだそうである。はれがましい思いがしたと同時に、嬉《うれ》しかった。 「由布さん……山の名やろけんど……あんたその本名でよろしやろかな」  樽沢伍平はちょっと首をかしげて、 「ま、あんたさえよかったら、本名の方がよろし……別府に由布はつきものやさかいな」  小造りな口もとをあけると急に、主人は人のわるそうな貌《かお》になった。ヤニのついた金歯をみせてふふとわらったのである。  悪い人なのか、いい人なのか、わからなかった。笑うとよごれた金冠がのぞく。紫色の歯ぐきが出る。それが、この主人の素顔であった。由布は、雪子や加代子をさしおいて座敷女中を命ぜられたのは嬉しかったけれども、主人に抱《いだ》いたイヤな初印象は、その後、なかなか消えなかった。  寮は本館の裏口を出て山|裾《すそ》へ半町もゆかぬ所に建っていた。むかしは一戸建ちの二階家だったものを、鶴の井が全盛時分に従業員宿舎に買い取ったものである。これも戦時は本館同様に軍が接収していた。建物は古く、階下は、支配人夫婦、板前三人の部屋があり、女子従業員だけ二階だった。学校の寄宿舎みたいな間取りだったが、由布は、このとっかかりの部屋に、雪子、加代子のほかに、とみ子という安心院《あじむ》からきた二十三の娘と一しょに寝た。  とみ子は美貌《びぼう》とはいえなかったが、色白で、むっちりしていた。丸い頬《ほつ》ぺたの、心もち下《しも》ぶくれしてみえる感じは、白ブタさんのニックネームそのままで、仕事が終ると、本館の大|風呂《ぶろ》へ皆と入ったが、とみ子の躯《からだ》は誰よりも白かった。由布は、塚原で自分の色白に自信をもってきたが、とみ子をみて、途端にその自信がくずれた。女のお尻にえくぼがあるなど、とみ子をみてはじめて知ったことである。肉のもりあがった広い臀部《でんぶ》の、やや下《した》めに、ぺこりとへこんだところがある。それをえくぼだといったのは、年かさのげんという、戦争中から、ここにいた女中|頭《がしら》だが、とみ子のそれはたしかにかわいいかんじがした。白いお尻が、えくぼでしまっているようにみえた。そういえば、乳房も固そうであった。椀《わん》のフタをふせたように小高くもりあがって、うす桃色の乳首が、仁丹《じんたん》のように小さい。由布は、とみ子のそんな、初《う》ぶで、しかも豊満にみえる躯に圧倒された。  性格もちょっと変っている。とみ子は無口だが、気がむくと、ゆっくりした口調で、大人《おとな》びた物言いで話す。舌がすこし短いのか、話しぶりに特徴があって、塚原と安心院は隣り村だから、そんなに訛《なま》りもちがわないはずだったのに、どこか、都会的なかんじがあった。 「由布山のことを、うちたちゃ、豊後富士とよんでいたけん。あんたは富士さんじゃわ」  ととみ子はいった。由布の山のことをほめて、由布も女ぶりがいい、ととみ子はいうのだった。 「あんた、ほんとに男をまだ知らんのかえ……」  とみ子は、本館がひまだった時に、掃除の手をやすめた客間の椅子《いす》にすわりこんで、はじめて経験した日のことを話し出すのだった。十七の時だったという。  相手は安心院の生れで、製材所の男だった。とみ子よりは七つ上《うえ》。とみ子は、青年学校を卒《お》えると、その製材所につとめていた。当時、軍需材の供出で忙しく、朝から晩まで、男たちが汗だくで働いていた。七つ上のその男は、事務員だったとみ子に馴《な》れ馴れしい流し目をおくった。男の生家もとみ子は知っていた。日がたつうちに好感をもつようになった。ひる休み時間に、男はとみ子を誘った。安心院は、由布も一、二ど遠足で行ったから知っているが、塚原の高原よりややひくく、北へ約二里ほど降りた盆地である。『安心院の底霧』といって、霧の名所でもあった。朝夕盆地に霧が降りると、遠い由布山も鶴見山も、島のようにみえる、と、とみ子はいうが、霧のかかる日にも、よく、その男と山へ入《はい》って、北の方を眺《なが》めたら、島にみえて、由布山はまったく富士の峰だったという。ひまがあると散歩しているうちに、好きだといわれて血がのぼった。とみ子は戸惑った。まだその頃は、ふたりは抱擁しあう勇気もなかった。ところが、男に召集がきていよいよ出発の前日、製材所で壮行会があった。その時の酒で男に勇気が出たのだろう。会が終って、とみ子を誘い、思い出の山へゆこうといった。男は戦地へ行ったら死んで帰るつもりである。心残りなのは、あんたの躯《からだ》を知らないでゆくことだといった。結婚もしていないのに、躯を求めることはいけないが、と、苦しそうに要求したので、とみ子は急に男にあわれをおぼえ、はずかしかったけれど、抱いてくれといった。男は、すぐとみ子を抱いた。 「いまから思うと、うちの方が誘うたようなもんじゃったわ。兵隊にゆく人がむげねえと思うたんじゃわ。うちはなんもあげるもンがなかったしなあ」  由布は、とみ子が、明るい顔で、そんなことをいうのに圧倒されて、 「へえ、あんたそれで、なんともなかったん」 「うん」  ととみ子はいって白い歯をだしてわらった。由布はとみ子の天真|爛漫《らんまん》さに魅《ひ》かれた。隣家の岩次のことが思いだされるのだった。野焼きの日に、火が追いかけてきたあの草原を、抱かれて走った思い出がよぎった。もし、とみ子のように、岩次が、躯をくれといったら、自分は岩次にくれていたろうか。想像してみて、由布は顔をあからめた。わからなかったと思う。  しかし、そう思うのも、岩次がもう戦死してしまっているからだろうか。白布につつまれた骨箱を、湯布院の駅まで迎えにいった夏の日、由布は涙も出ないほどかなしかった。あの日のかわいたかなしさは、岩次に何もしてやることの出来なかった自分への空《むな》しさだったか。とみ子は由布には、度胸のいい先輩に思えた。かすかな畏敬《いけい》の念に打たれた。 「安心院にはうちもいったことがあるわ」  と由布はいった。 「あんたのその人戦争へいってもどって来たんかえ」 「まだもどってこん」  とみ子はちょっと眉《まゆ》をしめらせて、 「戦死じゃなかろうか。南方じゃったもんなあ」  といった。話にきくと、ボルネオへ渡ったきりハガキも来なかったそうだ。親許《おやもと》へももちろん消息はなく、属した部隊は、インパールへ移って全滅しているという噂《うわさ》である。 「でも、帰っち来ても、一しょになれんのやわ」  ととみ子はいった。 「うちは、あきらめちょるんで」  それはどういうわけか、とききたかったが、とみ子が急に立ち上って、また掃除をはじめるので、由布は、はぐらかされてしまった。あきらめているという言葉も、ほかの意味にとれる気がした。その男に許してから、とみ子はまた、べつの男と関係をもったのか。そのことから男の両親に顔がたたなくなって安心院を出なければならなくなった感じでもあった。箒《ほうき》をつかいながら、 「とみ子さんは、兄弟はおらんの」  ときく。 「兄がふたりおるんで」  ととみ子はこたえ、みな兵隊だといった。すると、自分と似たような境遇といえる。 「お母さんは」 「死んだ。お父さんはいるけんど、躯《からだ》がわるいんじゃ」  由布は箒をやすめてとみ子をみた。無心にこっちへお尻《しり》をむけて、しゃがんでいる。やっぱり、この人も、終戦になってお金が欲しくて、やってきた。そう思うと、急に、身近かに感じられて、 「うちは弟もいたけんど死んだや。お父ちゃんはうちが小さい時に死んだし……あんたもうちと似ちょる」  するととみ子はふりかえって、 「そやけんど、あんたはまだ男を知らんから、うちとちがうわ」  といって笑うのであった。このとみ子が、雪子や加代子より、由布に接近してくる。お互いのひそかに抱《いだ》いている孤独感が、はなしているとなぐさめられて、その温《あたた》かみを、ふたりは感じとった。だから由布は、支配人の笹島から、客と寝てくれといわれた時、とみ子に、誰よりも先に相談した。支配人は、冗談まじりではあったが、常連客の枝見という闇《やみ》商人に、躯を売らないか、とすすめたのだった。由布は背筋が冷えて首を振った。すると、 「怖《お》じいことはありゃせん。みんなそうしよんのや。わしにまかしちょき」  と笹島はいった。 「ほかの人がそげんことしよってん、うちの知らんことじゃわ」  由布は笹島をにらみつけていた。  支配人は、樽沢が大阪からつれてきた相棒で、戦争中は枚方《ひらかた》の火薬|廠《しよう》につとめていたといっていたが、年若い細君と赤ん坊を一しょにつれてきていて、由布たちの寮の階段下の部屋に住んでいる。  ほかの女中がそうしよるんや、と笹島がいった言葉が由布をびっくりさせた。鶴の井は淫売《いんばい》宿だったか。知らずにつとめていたのが口惜《くや》しかった。とみ子にそのことをいうと、 「へえ、そげんことあんたにいうんかえ」  べつに驚いたふうでもなく、 「あんた、なんて返事したん……」 「腹がたってなーんもいわんじゃった」 「………」 「あんたはなーんも知らんで来たんじゃなァ」  ととみ子はいった。 「ここは浜脇とちがうけんど、つれ込み宿なんでェ、お客はみーんな二人づれじゃろ。女《おなご》が男をくわえこんでくるんじゃがえ。知らんかったん」  つれ込み宿。女が男をくわえこんでくる宿。由布は一切を了解した。しかし、それはお客のことで女中が客に躯を売るのとは別であろう、と思う。 「あんたが美しいんで、お客さんが惚《ほ》れたんじゃえ……。誰かえ、そん相手」 「闇屋の枝見さんですよ」  とみ子はあきれて、 「誰にでんそげなこというちょる。あんた、笹島さんにいくらすすめられてん、言うことききなさんな。好きな人なら、自由じゃけんど、枝見みたいな、助平たらしい人はやめちょき。うちは、あん人が、なかさんと寝ちょんのを見たし、浜脇のパンパンつれて来たンも、みーんな知っちょるし……わりい人じゃ」  とんでもない、と由布は思った。しかし、この宿がそんなに汚れた宿だったとは、夢にも思わなかった。調理場で働く雪子や加代子は何も知らないのだろうか。由布はたちまちのうちに働いているのがいやになった。お座敷係りへ廻《まわ》されたことの意味が由布にはじめてわかった。主人も、支配人も、そのつもりで、由布を傭《やと》い入れたらしい。 「うち、ここをやめたいわ」  と由布はいった。 「やめんでもいいこと」  ととみ子はいった。 「すかんちゅうもんを無理矢理させることはないじゃろし……あんたはあんたの持ち場をやりゃいいんじゃがえ……由布ちゃん」  そういわれても不安だった。いつまた笹島が言いださないともかぎらなかったし、ことわれば、それだけ、由布に不利であることもわかるのである。だが、こんな宿はここだけではなかった。別府のあらゆる宿がその頃はそうだった。格式や清潔を売り物にしていては、客はこないのであった。早い話が、進駐軍でも将校たちはオンリーを囲い、兵士は駅附近や、海門寺あたりのパンパンを相手にしていたし、朝鮮人は、雪合町附近のピー宿といわれた私娼窟《ししようくつ》を利用していた。日本人はみな浜脇の妓楼《ぎろう》であった。宿泊と遊興をかねられるあそび場がいくつもあったので、一般旅行客も、あいまい宿に毛のはえたような旅館をめざして泊った。鶴の井も、格式を売り物にしていては、時代おくれであった。主人の樽沢と笹島が窮余の一策で考えだしたのが、女中に売春を強要して、客にサービスしようということである。 「どこへいってん、おんなじようなもんじゃえ」  ととみ子はいった。 「ここもパンパン宿になるのはわかっちょる。……由布ちゃん、いっそのこと、湯平《ゆのひら》へいったらどうじゃろか。あんたがいくんじゃったらうちも一しょにいってんいいでえ、あそこは、昔からひなびた温泉宿があるところじゃもんなあ、別府のようなことはなかろうと思う」  由布は、とみ子のいうことに心がうごくのだった。湯平はひなびたいい温泉村だと、塚原にいる時にきいていた。進駐軍もいないだろうし、山奥なのだから、まだ人情も荒れていなかろう。 「宿で女中さんを募集しよるんで」  とみ子は、由布にしきりと鞍替《くらが》えすることをすすめた。 「うちも、ここはいやじゃ、給料も安いし、忙しい時は十時間も働かにゃならんし……ひでえもんなあ。よそはもっと楽かもしれんし」  湯平へゆきたい、由布もそう思うようになった。しかし、なかなか、辞《や》める機会はつかめなかった。そのうちに売春で急に羽ぶりをきかす女中が出てきた。女中は、食事の給仕もする一方で、客が頼めば、大ぴらで、その部屋で同衾《どうきん》した。内容は、少しも浜脇とかわらなくなっていた。  ぽんびき、という新しい職業の男がいた。昼は寝ていて、夜になると町へ出て、旅行客や進駐兵に話しかけて、女を世話するのである。警察が、私娼《ししよう》を取締っているので、非合法の場所で、秘密売春をする女たちには、この男たちが貴重な窓口になった。ぽんびきは、女が得《う》る収入の約半額近い斡旋《あつせん》料をとった。これはみな日本人だった。滑稽《こつけい》なことに、ぽんびきは航空隊の将校服とか、陸軍の士官服を着て、長靴《ちようか》を履《は》いていた。もっとも復員してきても職がないので、そのような商売に堕ちていた兵隊や将校もあったのであるが、大半は古着屋でそれらの服を買って着用していた。どこで何をしていたか、終戦までの素姓を計り知ることはできなかった。得体の知れない男たちが、パンパンやあいまい宿の客引きになって、ダニのような生活に甘んじていた。  草本大悟もそんな男の一人にみえた。由布は大悟が、鶴の井の一ばん安価な一階の四畳半で泊るようになってから知り合ったが、この男は多少ちがっていた。はじめ、由布は、大悟の素姓がわからないので、 「あんたァ、なんしてる人か教えて」  ときくと、 「おれはぽんびきだ」  と大悟はわるびれもせずにこたえた。 「けど、むかしはちがう。戦争中は、将校だ」 「………」  この人も嘘《うそ》をいってると由布は思った。誰もがいいかげんなことをいっている。過去をかくして生きている。将校だったら、ぽんびきなどするもんか。そんな気がして、 「嘘やろう」  と由布はいった。すると草本大悟は、怒《おこ》ったように由布をにらんで、 「人のいうことが信じられないなら、ものをたずねるもんでねえよ」  といった。おかしな男であった。鶴の井の宿の、その部屋を、月ぎめ契約で、毎日泊るのだった。もっとも、鶴の井は、こんな客はありがたかった。年は二十八、九だったろうか。いやに若くみえる時と、老《ふ》けてみえる時があった。濃い髭面《ひげづら》もさることながら、柄も大きかった。ぽんびきにしては人柄はよすぎる。やっぱり将校だったのかもしれない。少なくとも、大学を出ているような気がしたのは、言うことがてきぱき要領を得ていて、歯切れがよかったからである。朝食の時に、由布が給仕にゆくと、 「どうだ、たべないか」  雑嚢《ざつのう》をひきよせて、中からアメリカ製のチョコレートを出して、ぽいと由布の膝《ひざ》へ投げた。 「客からもらったんだよ」  客は男の客だったのだろう。それとも、売春する女だったのか。どっちともうけとれるので、 「パンパンさんからですか」  ときくと、大悟は、 「オンリーだ」  といった。 「オンリーしよって、日本人の客もとりよる。何ていうんかなァ。金の亡者だ。部屋へゆくとね、トランク一杯にドル札もってやがるんだ」 「へえ、草本さん、パンパンさんをそげえたくさん知っちょるん」 「ああ、知っとるで」  草本大悟は、無精髭《ぶしようひげ》の生《は》えた左口もとに片えくぼをうかべて、 「あんたはどこの産か」  ときいた。 「うち?」  由布はいっていいものかどうか怖《お》じい気がしたが、 「うちは近くや」  とこたえた。 「近くてどこだ」 「塚原」 「塚原?」 「はい、扇山のうしろにみえる鶴見山の裏側にある村で」 「そこの農家かね」 「はい」 「いくつだ」 「十九」  草本大悟はじろっと由布をみた。その眼は一瞬、怖じいほど光ったが、しかし、すぐまた、もとのやわらかい細眼に変って、 「そんで、あんたは、いつここへつとめたのかね」 「ことしの六月から来ちょります」 「へえ」  大悟の方がこんどは口をつむった。由布の顔をじろじろと見はじめた。うぶな由布の物腰と物言いに、感じ入ったような眼もとであった。 「草本さんは、こげんチョコレート、パンパンさんにもろうてん、なーんともないですか」 「なんともないって……どういうことか」  草本は眉根《まゆね》をよせた。 「はい、アメリカの品物でしょう。そげんもん持ちあるいたら、警察の人に叱《しか》られるでしょ。うちたちの部屋まで臨検にきちょったですよ」 「臨検?」  草本はわらった。 「ありがとう。ぼくは、日本警察はちっとも怖《こわ》くはないんだよ。こわいのはMPだ」  大悟のいうことを信じるとすれば、むかし、陸軍将校だった男が、パンパンの斡旋《あつせん》業をすることに、何の屈辱感ももっていないのが不思議だった。そうして草本がその仕事に、熱心な顔をしてみせるのに驚かされた。 「あんた、おもしろい人じゃ。うちあんたみたいな人ははじめて見たわァ」  由布は魂消《たまげ》ている。魂消させられても、憎めない気持がわいたのは、草本の性格にひかれたのであろう。  とみ子と床をならべて寝ていて、 「椿の間の草本さんのこと、あんたどう思う、おもしろい人じゃろ」  というと、 「ニヒリストじゃ」  ととみ子はいった。 「ニヒリ?なんね」  と聞き直すと、 「ニヒリストじゃわ。支配人さんがそげえいうちょったわ」  とみ子はそういって、ニヒリストというのは、まあいってみれば、何かを信じて生きてゆくことの出来ない、気の毒な人じゃということだと由布に教えた。 「信じられんて……あの人には、信じられる人はいないのじゃろか」  と由布は聞き直す。 「おらんて。ついこのあいだまで、将校さんじゃったのに、一切合財、信じちょったことが、ひっくりかえったんじゃもん」 「……あん人には、お父さんやお母さんはいないんかえ」 「おらんというちょって。大阪で焼死したんじゃと」 「何で」 「何でて……焼死じゃ。……アメリカの飛行機にやられたんじゃというちょった」 「へえ」  由布は眼先《めさき》が急に暗くなる気がした。 「うつくしい妹さんが二人おいでたが、その妹さんも二人一しょに死んでしまいなさったというちょって」 「………」  草本大悟の大きな顔が瞼《まぶた》の壁にへばりついてくる。 「そら、わたしらのように、村におって、身内のいる人は、まあ、信じられる人もいるといえるけんど。あん人には、世の中はみーんな他人ばっかりじゃろ……」 「………」 「他人は信じられん世の中じゃで。うちらだって同じじゃ。多少はニヒリストだわ。わかる、由布ちゃん」  わかるような気もした。人を信じられずに生きるということはつらかろう、という気もした。しかし、それではなぜ、進駐兵にパンパンを世話するような、いやしいぽんびき商売をせねばならないのだろうか。たべるためには、何だってしなければならないことはわかっているにしても、意地のある男なら、していけない商売というものもあるだろう。死んでも、進駐軍に頭を下げるような商売をしないというのが、むかし軍人だった者の根性ではないだろうか。わからない。 「ニヒリストて便利な言葉じゃなァ」  と由布はつぶやいた。 「あん人は、することがねえけん、こげん商売しよるんじゃろ。本心は、何かを信じて生きちょるはずじゃ。それがはずかしいことじゃからいえんのじゃろ。そうでなけりゃ、人間、生きられはせんで」  不思議なことに、こんな時にも、結核で死んだ太市の顔がうかぶのだった。膿汁《のうじゆう》にまみれて納戸《なんど》の床で寝ていた太市の眼に、いつも澄んだ光りがあったと由布は思うが、あの太市の眼の光りこそニヒリストの眼ではなかったろうか。  由布は草本大悟に、不信ともつかぬ、複雑な気持を、それからずいぶん長い間もちつづけていたが、部屋が、由布の受持ちでもあることから、ぽんびき商売など嫌《きら》いであっても、それを顔に出すわけにはゆかなかった。草本は鶴の井にしてみれば、結構なお客だった。競争はげしいつれ込み宿だから、草本のように、月ぎめで、つまり、下宿同然に、部屋を借りてくれる客はありがたい。ぽんびきという商売は、ずいぶん、お金が儲かるのだな、と由布は思った。  だが、この草本の態度に、どこやら、ぽんびきらしからぬ、時には、几帳面《きちようめん》な一面がのぞくことがあった。たとえば、草本は、朝早く起き、まるでハンで捺《お》したように九時すぎには食事をすまして出た。六時すぎには、帰って風呂《ふろ》に入った。食事は宿で独《ひと》りでたべた。とてもぽんびきとは思えない。雑嚢《ざつのう》の中から、注射液やら、消毒液などを出したりもした。しかも、それが、医者のもつような、ちゃんとした容器に入れてある。足の爪先《つまさき》に、傷が出来たとかで、夕食のあと、草本がメンタムをつけるのをみていた際に、雑嚢の中から、そんなものがいっぱい出たので、 「あんた、お医者みたいね。パンパンさんの世話しちょると、そげんものまでもたないけんの」  と問うてみると、 「ぽんびきは、パンパンが財産だから大事にしなけりゃなんねえ」  といって草本は、白い歯をだしてわらった。しかし、この時も、その笑いに、いやしい職業をしている男の、屈辱感も、はじらいもないのが不思議に思えた。 「あんた、注射できるの」 「ああ、出来る」 「クスリもたくさんもっちょんのやなぁ」 「ああ、由布さんが風邪《かぜ》ひいたり、ケガしたりしたら、癒《なお》せるぐらいのクスリや注射は、そろっているで」 「へえ」 「安心しよ。病気にかかったら、おれのところへいってくればなおしてやるから」  そういわれると、真実、草本は医者のような気がするから妙だった。由布のこの判断が、ますます、草本を医者かあるいは、医者の卵だと思わせるようになったのは、離れに泊っていた小西武雄が、ある日、のっそり、草本の部屋へ顔をみせた時であった。由布が茶をもって入ると、ふたりの会話が耳に入った。 「あいかわらず、忙しいようだな」  医者の小西は、草本大悟に友だちのような気安さで話しかける。 「いい土地がみつかったかね」  大悟も、友だちにいうように明るかった。  ふたりの会話を、ゆっくり聞くわけにはゆかなかったが、それだけ、きいただけでも、昔からの知人か友人だという気がした。で、何かの折に、由布は、そのことをいった。 「離れの小西さんと、草本さんは知りあいだったですか」 「……知りあいって、べつに。ここへきてからだよ」  と草本はいった。 「あの人はお医者さんよ」 「そうだね……」 「別府で開業したいんでそいで、家をさがしちょるそうです」 「そうだってね」  関心のなさそうな相槌《あいづち》を草本は打って、 「由布さんは、小西さんのような人が好きか……」  冗談のように訊《き》いた。草本にそんなことをいわれたのははじめてなので、 「きらいです。あげん肥えた人……」  といった。すると、草本は大口をあけて笑った。小西というその男は、医者だから、尊敬はしていたけれど、ずんぐり肥《ふと》った、脂《あぶら》切った躯《からだ》つきで、眼尻《めじり》も好色に下っていた。由布は虫が好かなかった。 「そうかねえ」  草本はいってから、 「あの人は、まだ独身だよ」  といった。 「いくら独身でも、うちはきらいじゃ、あげん肥えた……」 「ずいぶん嫌ってるようだな」  草本は、由布が口をゆがめたので、話題をかえたが、この時、由布が、ちょうど、支配人の笹島から、いやなことをまた押しつけられた直後でもあったので、 「草本さん、あんた、湯平を知っちょって?」  ときいた。 「湯平?」 「……湯布院の奥の温泉ですよ」 「一ど行ったことはある」  と草本はいった。 「別府とどうですか、湯平にも温泉宿はあるんですね」 「ああ、何軒もあったね。谷に沿うたひなびた村だった」  草本は、由布が眼をほそめるので、 「湯平がどうかしたのかね」  ときいた。 「うち、友だちと、湯平へ行っちしまおうかと思うちょるんです」  と由布はいった。 「ここにおるといやなことばかりあるんで、やめようと思うちょるんです」  草本はこの時、眉《まゆ》を少しくもらせて、 「いやなこと……いってみなよ」  澄んだ眼をむけて訊いてくる。 「支配人が、すかんこというんです。なかさんみたいに、うちにもしよちいうんです」 「なかって……あの女中か」  だらしなく、白粉《おしろい》ばかりぬりたくっているおしゃれな女のなかはここの名物であった。 「はい……」 「馬鹿なことを……由布さんにもそんなこと強制するのかね」 「強制ってことあないけんど……そげんことよういうんです」 「やめたがいいな」  と大悟はいった。 「もちろん、うちはことわりました。うちは、パンパンじゃありません」 「………」 「けど、しつこいんです。うちをみると、よびとめて……いやらしいことばっかりいうんで……、とみちゃんと相談して、湯平へゆこと思うちょるんです」 「そりゃ……」  草本は何かほかのことを言いたそうな顔だった。 「なんか、湯平のことで知っちょるんですか」 「ううん」  草本は首をふった。 「なーんも知らんが、あすこも、別府と大差はねえだろよ。温泉宿だ。相手が日本人か朝鮮人か、進駐軍かの差こそあれ……男はかわりはないんで。ずいぶん湯平も騒々しくなったって話はきいたよ……あそこは日出生《ひじう》から移った朝鮮人がずいぶん多いしね。ひなびた温泉村だが、やはり、住んでる人はかわってゆくよ。由布さん。いまはどこへ行ったって」 「でも、ここんごと、パンパンしよとはいわんじゃろ。すかんものを……口惜《くや》しゅうて、口惜しゅうて、ならんわ、草本さん」  由布は、そういって顔をあげたが、涙が出そうだった。草本は、由布の顔に真剣なものをみて戸惑った様子で、 「あんたは、まだ、きれいなんだな……」  といった。 「きれいですよ。男を知っちょるかといいたいんじゃろ……」 「そうだ」 「うちは知らんわ。はずかし。こげんこと草本さんとはなすのいやじゃわ。うち」  由布がそういって、立ち上りかけると、 「待ちなさいよ」  草本はよびとめた。 「パンパンにだけはなるもんじゃない。あんな仲間に入ったら、躯《からだ》がくさってしまう……わたしが、いちばんそれを知っている」 「なるもんですか」  と由布は真剣に草本の眼をみた。 「死んだって、パンパンなんかにならんです。草本さん。うちはアメリカの兵隊がきらいじゃけん。石けんもらったって、チョコレートもらったって、躯売ったりせん。……そんなことしたら、戦争に負けた上に……心までまけてしまうわ……うちらァ……心だけは負けん」  そうはいったけれど、寮の二階へ戻ると、由布は、同僚の挙動に、心なし、支配人の魔手がのびてきて、もうとりかえしのつかなくなりはじめた女中たちが大ぜいいるのに驚いていた。由布がここへくる前、約一と月ほど先に入った静子という、大分からきた背のひくい二十一の娘は四、五日前から、客の部屋で泊るようになっていた。それは寮の部屋が、四人|乃至《ないし》は三人の相部屋であるために、すぐ判るのであった。泊ってこなくても、二時か三時に帰ってくる足音をきいた。みな、笹島の説得に負けて、女中たちは堕《お》ちたのだった。静子の先輩は、なかで、この女は、もう誰にも公然とわかるプロ意識をもっていた。草本など常連の客にはつんとすましているけれど、フリの客がくると、媚《こ》びを売った。外へ出ての噂《うわさ》だったが、鶴の井もとうとう淫売《いんばい》宿に堕ちたという評判がきこえた。そんな時、由布は、一部の女中の不しだらなことで、自分も一しょにみられているのがいやでたまらなかった。しかし、寮では、嫌《いや》な静子ともなかとも顔をあわさねばならない。風呂など同時になると、 「あんた……うちでいちばんいい躯しちょるなあ……」  となかは、洗濯《せんたく》板のようにやせた自分のあばら骨に湯をかけながら、 「男なら吸いつきたいで……」  といった。静子もあいづちを打って、 「ほんとだ。支配人さんも、眼の色をかえてみちょる。あの人、由布ちゃんが好きなんじゃ、きっと」  笹島から惚れられているときいて、由布は、裸に泥をかけられたほどいやな気がした。しかし、そういわれれば、笹島が、顔をみれば、客をとれ、という言葉の裏には、由布がどう返事するかを見たいような楽しみもあるような気がした。 「いやらし」  と由布はいった。 「うちは、あげな人は好かん……助平ったらしい」  静子となかは笑った。こんな会話をとみ子は大人っぽくだまってきいていて、ふたりがあがってしまうと、湯槽《ゆぶね》の中を泳いできた。 「やっぱり、由布ちゃん、うちたちゃ、湯平へゆこか」 「草本さんは、湯平へいったって同じこったと言うちょったけど……山奥だから、別府のようなことはないじゃろ」 「わからんけども、宿も古くて昔からあるんだから、いいかげんなことはせんわ。それに、進駐軍が一人もおらんだからなあ。別府みたいにひでえことはないっていってたで」 「誰が」 「草本さんが」  由布は草本のことをいう時は、とみ子に、かすかな誇らしさを眼にうかべていう。  七月に入ると、むしむしする暑い日がつづいた。別府はとりわけ暑いのだった。塚原の高原では、まだ涼しい風が吹いているはずなのに、別府は、地底から熱湯の湧《わ》き出る町だけに、地めんが焼けるほど熱かった。この年は殊更《ことさら》、から梅雨《つゆ》だった。湯平へ移ろうと決心はしたものの、由布ととみ子はまだ実行出来ないままに、日をすごしていたが、鶴の井の女中たちの堕落ぶりは、薄着になるにしたがってひどくなった。そういえば、町ぜんたいの雰囲気《ふんいき》も、荒れすさんでゆくように思われた。一時は、水玉のこまかい柄のカーテン地で、女たちはワンピースをつくって着ていたけれど、それも姿を消しはじめると、どこから、そんな生地が出廻《でまわ》ったのか、闇《やみ》市場の隅《すみ》では、高級なリップル地が売られたり、同じ木綿の生地でも、白地に蛙《かえる》の肌《はだ》のような地紋をつけたものが多く出て、若い女たちは、それで背あきのワンピースをつくって歩いた。洋装店もそこここに店をあけ、けばけばした原色生地をウインドウにたらしていた。しかし、衣類は派手になっても、食糧の方はあいかわらずで、主食は欠配つづきであった。由布たちは、三食つきなので、まあ心配はなかったが、朝食だけは、やはり、すいとん、パンなどをあてがわれた。腹をへらしてでも、憂《う》き身をやつして着かざってゆく女たちが眼につく。町でみる若い女たちの、肩から先を露出させた姿態は、進駐軍でなくても、由布たちにも眼をみはらせた。夕刻になると、駅前や、海門寺公園あたりは、半裸に近い女と兵隊のアベックで群れているそうだ。  鶴の井もとりたてて異状はないが、いつもの常連と、たまにくるフリの客で、どうやら空《あき》部屋のない日がつづいた。上《かみ》の方でも、大きな宿が復活して、改築工事がはじまるという噂《うわさ》だし、杉の井、亀の井、白雲荘など、観海寺の陸軍の寮だった旅館なども、一斉に改修を終えて店びらきである。敗戦当初は、とても、湯治気分にひたるなど、ゆめにも考えてみなかったのに、お客はどこからともなく集まってきて、別府は日に日に湯の町の人気をとりもどしていった。鶴の井にも、五月すぎから、農家の人が泊りにきた。金のつかい方も荒かった。供出をすませた残米を、闇で売っての収入でもあろうか。中にはリュックに現物を一斗も背負ってくるのがいた。もっとも、この当時は、笹島たちは米に眼がなく宿泊費も闇値に換算して泊めた。  そんな一夜のことだ。九時すぎた頃だったろうか。由布たちが、客間と調理場を行ったりきたりして働いている時刻に、表の方で弾丸のはじく音がした。松林のはずれの道の方から、連発音できこえて、一時、鶴の井の女たちの誰もが足をとめたのである。  それから三十分ほどたって、表に車がとまった。出てみると、二台のジープがとまっていて、白い鉄カブトをかぶったMPが二人、日本警察の制服を着た男ととび降りて、玄関へきた。下足番のてる婆《ばあ》さんがきょとんとして出迎えると、三十七、八のひょろりとした日本警官が、血相をかえて、 「支配人いますか……」  という。てる婆さんが、帳場へ知らせる。笹島が玄関へ走り出た。 「宿泊名簿をみせて下さい」  警官は切羽つまった声でいった。笹島が宿帳をとりに帳場へ入るそのあとへ、どやどやと背高いMPと背のひくい日本警官が一人、靴《くつ》をぬいであがった。MPの一人が英語で何かその男にいった。宿帳をうけとった警官は、手帳にメモしはじめたが、もう一人の警官が、 「客室をみせてもらいます……」  といった。 「そこで……女が殺されたんだ」  警官はいった。由布たちは蒼《あお》くなった。笹島も、事務の津久井も、調理場の連中もみな一瞬、口を閉じた。女が殺されたという。ぞっとなった。それでなくても、血なまぐさい事件は絶えなかった。駅前や、海門寺のあたりでは、朝鮮人と日本人の喧嘩《けんか》、闇《やみ》商人同士の喧嘩、進駐軍の中でも、黒人とアメリカ人との喧嘩、夜はしょっちゅう、パトカーがサイレンを鳴らして走る。殺人はなくても、傷害事件は日常茶飯事だった。 「どこで……」  と笹島がきいた。 「坂の下」  と警官がいった。 「湯治客か、パン助だか、わからないんだがね……二発も頭をやられて……」  警官は厄介なことだといわぬげに眼をしかめた。 「とにかく、部屋をしらべさせて下さい」  鉄カブトをかぶったMPを案内して、やがて二人の日本警官は、鶴の井の客部屋を臨検しはじめた。由布ははらはらした。階下の草本大悟のことが心配になった。大悟はぽんびきだ。しかも、宿帳には、医者と偽っている。ばれたら大変だ。ぽんびきは非合法な商売のはずだった。二室目がその草本の部屋である。由布は係女中だから、怯《おび》えながら、警官のうしろに尾《つ》いて、椿の間へきた。 「ハロー」  MPの一人がいった。草本が、襖《ふすま》をあけて、にゅっと眠そうな顔をつき出した。 「お一人ですか」  日本警官がきいた。 「ええ」  草本は、だらしなく前をひろげていたのをそのままかきあわせもせず憮然《ぶぜん》としている。笹島が、うしろから、 「もう半年も前からお泊りで下宿のようにしておられます」  といった。警官は草本の顔を見たが、 「ちょっと」  といって部屋へ入った。由布ははらはらして外にいた。何か、ひとことふたこと草本は問答しているようだったが、MPに向って、草本は英語で、流暢《りゆうちよう》に何かいった。この時、草本は、洋服のポケットから、何やら、身分証明でもあろうか、パス入れにはさんだ紙切れの一枚をひらいてMPにみせている。 「オーケー」  とMPはいった。日本警官はうなずきあって、すぐに次の部屋へ出ていく。由布はほっとした。と同時に、草本が平然として、MPにみせたその紙切れは何だったろうと、不思議に思った。まさか、ぽんびきの証明書でもあるまい。由布は一人のこって、草本の部屋の戸口に行った。 「どしたんだ」  と草本がきいた。 「女の人が殺されたんじゃ」  と由布はいった。 「どこでだ」 「表の松林らしいというちょるです」  草本はゆかたをかきあわせると、 「よし」  といって、見物にでもゆくのだろうか、すぐに、タバコをもって出てきた。 「草本さん」  由布は、うしろから、玄関の方へ出た。 「見にゆくんですか」 「うん」  草本は身軽にいった。この時も、草本の大胆さに由布は驚いている。いったい、この男はぽんびきでありながら、どうして、こうも、こんな時に、落ち着いて、わるびれもせずに出てゆけるのだろうか。普通なら、部屋にかくれていなければならないはずだった。由布は、草本のうしろから尾《つ》いて外へ出たかったが、まだ仕事がのこっていたから、そうもゆかなかった。玄関にきて草本の外へ走るのを見ていると、とみ子がきて、 「津久井さんが見てきたんだって……救急車にのせられてね、病院へゆくところだったと……若い女だってよ」  といった。 「血だらけで、髪の毛が竹の皮みたいにみえたって」  由布はぞっとした。竹の皮みたいに髪にべったり血がついていたというのだった。 「パンパンだよ、きっと」  と静子がうしろからいった。鶴の井の女たちはみんな蒼《あお》くなった。  事務所の津久井と、女中|頭《がしら》のとりが坂の下へ走っての報告によると、その女は背ぬきのワンピースを着た二十一、二のパンパン風だったということである。ジープが三台|停《と》まっていて、MPと日本警官が現場検証に立会っていた。女は即死していた。附近《ふきん》の、といっても、鶴の井旅館の車寄せから、わずかに百メートルぐらいしかはなれていない松林の中でのことで、坂の入口に、五、六軒の人家はあった。まだ宵の口だからどの家も起きていて、そこの人たちも銃の音はきいている。……聞込みによると、銃音は連続して二発だった。女はこめかみと腹部をやられていた。見つけたのは、戸越という松林に近接した家の者で、悲鳴もきこえたので、裏口から出てみると、松林の中を黒い影が走るようだった。そして、まなしに坂の下で、エンジンがかかる音がした。  現場は人だかりがしていたそうだが、最近は、高台の松林は、アベックが出没して、とくに夏に入ってから、風紀も乱れ、附近の人は子供や年若い女子を通らせるのを控えていた。おそらく、殺された女は、車から降りて、男とふたりで松林に入ったのだろう。話がもつれたか何かして、喧嘩《けんか》になって男が発砲したか。いずれにしても、若い女に向って二発ものひき金をひく男の惨忍さも話にならないが、素姓のわからぬ若い女が、即死していた姿を想像すると由布はかわいそうでしかたがなく、恐怖で躯が凍えた。  その夜、由布は、眠れなかった。寮の二階は、女の素姓や、犯人の推理で、夜おそくまで話題がつきなかったが、由布は、死んだ女がパンパンだったとしたら、痛ましい気がした。由布はこの頃、流川の通りなど歩いて、一見してパンパンとわかる女にすれちがうと、かすかな軽侮と、近よりがたい威圧をおぼえて眼をそらしたが、いま、殺された女が、殺されなければならないような男とのごたごたにまきこまれていて、しかも、二発の銃弾であっさり死んでしまっている事実の、恐ろしさに、ふるえないではおれなかった。とみ子や自分のように、やはり、どこかの村から稼《かせ》ぎにきていた娘だとしたら。  由布は、パンパンなどになれば怖《お》じい男たちに取りまかれねばならないのだと、あらためて世の中のこわさを知った。それにしても、草本大悟は、いったい、こんなことが起きたのに、しゃあしゃあと現場へ見物にいって、もどってくると、また部屋に入って、そのまま寝たのだろうか。ぽんびきだと自称する草本さえいま憎らしかった。  その翌朝、朝食の時、 「草本さんは、現場へ行っちどげもなかったですか」  ときく。 「どげもなかった」  と草本はわらう。 「恐ろしい。うちは、MPが草本さんの部屋へ入っちきた時は、怖《お》じかったわ」 「ああ、あの時か。ぼくは、日本警察には頭があがらないが、MPには感謝されてもいいんだよ」  といった。 「どうしてですか」 「ぽんびきだもんな」  と草本はわらう。 「つまり、ぼくの仕事は、アメリカの兵隊さんに健康な女性を提供することなんだ。不健康な、病人を提供するようなことでは仕事を怠けていることになる。それが、まあ、進駐軍相手のぽんびきの考えでもあるわけだね。誰もがもらっているわけでもないが、ぼくだけが、鑑札をもらっているんだよ」 「鑑札……ぽんびきのですか」 「ああ」  草本はさらに大きくわらって、 「そうだ、ぽんびきの鑑札だ」  といった。由布は馬鹿にされている気がした。草本は、何かをかくしている気がした。まさか、卑しいぽんびきに、MPが鑑札などくれようか。 「別府は怖じいとこじゃけん、うちら、もう湯平へ逃げるち相談しよるんです。草本さんはどげえ思いますか」  草本は、この前は、どっちも似たようなものだといっておきながら、その日は、言葉は少し変った。 「あっちは田舎《いなか》だし、昨日《きのう》のようなことはないだろな。少なくとも、進駐軍はいないし、風紀もそんなに乱れていないよ」 「ゆうべの犯人は、誰じゃったと思いますか」 「日本人にきまってる」  と草本はいった。 「ピストルをもっているのはアメリカさんだというわけで、みんなは進駐軍犯人説をたてているようだ。ぼくはそうは思わないね……アメさんは、日本の女を大事にしているよ。いま、別府で、パンパンにいちばん憎しみをもってるのは日本人だ。とくにおれたちのような復員したての奴《やつ》はね……」 「………」 「復員してきたのに仕事はない。闇市をうろうろして、女のヒモみたいなことして喰《く》ってる奴はウロチョロいる。そいつらは、じつのところ、女を憎みながら、女に喰わしてもらっているんだ」  由布は、いま、自分のことを棚《たな》にあげる草本に激しい怒りを感じた。 「草本さんは、どうかえ。あんたもぽんびきじゃこと……」  と由布はいった。 「おれは女に喰わしてもらっていないよ。由布ちゃん」  と草本はいった。 「おれは、女の味方。女が損をしたり、病気をしたりしたら、助ける側だ」  心もち、草本が真剣な眼《まな》ざしをするので、 「けど、女の人を世話して喰うちょるんなら、そげんこというても、女に喰わせてもらうようなもんじゃわ」  と由布はいった。 「まあそうかな。ずいぶん、手きびしいな」  と草本はいったが、べつだん怒《おこ》ったふうでもなく、 「いま、別府にパンパンは五百人はいる。浜脇の公娼《こうしよう》の数を入れると、千人にはなるな。けど、浜脇は日本警察でちゃんと守ってもらっているが、もぐりのパンパンは誰からも守ってもらっていないんだよ。いいかい。それでいて、いちばんよく働いて、進駐軍の需要を充《み》たしている。いったい、このパンパンを誰が守るんかね。いちばん、病気にかかりやすい最前線で、彼女たちは、黙々と働いている。これを、守ってやる制度は、いま日本にはないんだよ。病気になったら喰いあげだから、栄養もとらねばならぬ。闇の物を買うね。そんな彼女らを、日本警察は取締るんだ……つまり、首をしめあげる方法でしか守れない。ブタ箱に入れてはみるが、一日か二日で解放する。喰えないからまた、女たちは巷《ちまた》へ出る。こんなことを何ども繰りかえしているが、本当に、親身になって、パンパンのために働いているのは、おれたち以外にはないんだよ」  由布は、草本がいま、へりくつをいっている気がして、ますます頭にきた。 「へえ、そげなもんかなあ」  というと、 「こんどの事件だって、日本のヒモが殺したにきまってるよ」  と草本はいった。 「女を働かせて、ぶらぶらしている奴《やつ》が、心がわりを怒って殺《や》ったんだ」 「そげなこと……でも、鉄砲もっちょったよ」 「銃はどこからでも手に入るさ」  と草本はいった。 「海門寺の闇市場にピストルが売りに出ているよ。進駐軍が銭に困って、朝鮮人に売ったんだ」 「へえ」 「だから、アメさんときまったことはない。むしろ、アメさんの犯行にみせかけた日本人の犯行かもしれないよね。ぼくは、まあ、そういう見方だ」 「へえ」  由布は草本の判断にあきれた。草本がぽんびきでありながら、女で喰っているヒモみたいな男と、自分とを区別していることに興味もおぼえた。 「あんたて……おもしろい人じゃなあ」  由布はいった。 「そげな仕事しちょって、なーんとも思わんのじゃ。おもしろい人じゃ」  由布は話にまけて感心するしかない。  不思議だった。草本大悟に親しさ以上の、ひそかな憧《あこが》れを感じた。これは、理由のないことではなかった。自分ではぽんびきだなどといっているけれど、草本はどこか変っている。むかしは、陸軍の将校だったというから、年はまだ二十七、八にしても、どこかの大学を出ているにちがいない。すると、かなりな家の生れであろう。神戸に父母がいたが、そこが焼けてしまって消息はわからない、というのが実情らしいが、それでは別府へ誰をたよってやってきたのだろうか。いま、ほんとうに、ぽんびきで収入を得ているのか。疑わしい点も多々あった。まったく、素姓の知れない不思議な男である。素姓が知れないにかかわらず、物言いや、挙動に、育ちのよさと、頭のよさがほのみえる。どの客に比べても、それは見劣りがしない。由布にだけかもしれないが、やさしくしてくれるのも嬉《うれ》しい。  由布が、草本に恋心のようなものを抱《いだ》きはじめてる自分に気づくのは、パンパン殺しの日から間もない一日だった。草本はその夜にかぎって、帰りがおそかった。これは由布にとって、大きな心配であった。六時すぎに一ど帰ってきて、夕食をたべてから、また出ていった。おそくまで由布は、玄関よこの溜《たま》り部屋で待っていた。とみ子も一しょだった。 「どげしたんじゃろ。あの人がこげんにおそいのはめずらしいわ。なんかあったんじゃわ、きっと」  とみ子も心配して、 「あんた、もう、寝な。うちが遅《おそ》番じゃから、ちゃんとしてあげるで」  といった。由布はとみ子に委《まか》しておけなかった。自分は係女中だ。 「ひょっとしたら、あの人、つかまったんじゃわ」  とみ子はいった。 「ぽんびきの手入れがあるというちょったで」 「誰が」  由布はききかえした。 「津久井さんがいうちょった。女のひとが殺されてから、警察がきびしゅうなったと」  だまってきいていた由布は、いった。 「あんた、あの人のこと、ほんとにぽんびきじゃと思うかえ。うちは、あの人、ちがうと思う。ひょっとしたら、お医者じゃなかろうか」  信じられないという顔をとみ子はした。 「そげな人じゃねえ。あの人は、頭のいいぽんびきさんじゃ」  という。  草本大悟は、三日外泊して帰った。四日目の夕刻に力のない顔で帰ったので由布が食事を訊《たず》ねにゆくと、たべない、とぶっきら棒にいった。ばさばさの髪をかきあげつつ、由布のうしろから、帳場へきて、しばらく津久井と立話していたが、廊下へ出ていた由布に、 「長いこと世話になった」  と急にいった。由布はどきりとして、 「草本さん、ここを越すんかえ」  ときくと、 「亀川のほうにね、いい下宿が見つかったんだ」  といった。 「あっちへきたら、あそびにきてくれ。地図を書いておくからね……部屋へ来ないか」  由布を椿の間へ誘った。由布は藪《やぶ》から棒の話なので、ただ、もう、おろおろしていた。 「友だちの医者が下宿を、越したんであとをもらえたんだよ」  と草本はいった。机の上の便箋《びんせん》に、亀川の地図を書いてくれた。別府の北端にあるこの町の名は知っている。由布も時どき行ったことはある。戦時中亀川には療養所があった。由布は芝崎の療養所へよく行った。そこには大きな病院があった。地図をみると、草本の新住所は、山の方へ寄った鉱泉村の一角だ。 「古い家だけどね……代々、病院づとめの医者が下宿してたところでね……ひっそりした家で……とてもいいんだよ」  由布は、草本がいま、友だちの医者といったことに興味をおぼえて、やっぱり、この人は医者だったか、と思う。 「草本さんは、ぽんびきじゃというちょりなさったけど、本当は、お医者さんじゃね。そうでしょ」  と由布は訊いた。 「ううん」  とあいまいに首をふった草本は、にっこりして、 「ぽんびきみたいな医者さ」  といった。それはどこか秘密ありげだった。由布は、かなしかった。草本の冷たさが憎らしかった。由布には、草本が、いったい、何をして喰《く》っている男なのか、わかっていない。ただどことなく、医者くさい男であると思っているだけにすぎない。ぽんびきみたいな医者、と草本がいったことだけが、つよく頭にのこった。由布は、草本が長く住んだ鶴の井に、いささかの愛着もみせずに、あっさり越してゆくのに、淋《さび》しさをおぼえた。 「これをあげよう」  草本は、その時、由布の前へ、何やら包みをだし、箱の中から黄色い液汁の入った拇指《おやゆび》大ほどの小瓶《こびん》を二つ取りだして呉《く》れた。 「ペニシリンだよ。きみにあげる。まだ日本にない薬だ。由布ちゃん、大事にしまっておきよ」  妙なものを、と由布はこの時、思った。草本大悟の荷物は大きなものは何もなかった。古ぼけた茶皮の、ボストンバッグが一つあるきりだった。それと小さな風呂敷包みを提げて、この男はその日のうちに出ていったのである。  由布がとみ子と湯平温泉へ越すのは、この草本大悟が鶴の井を去ってからまだ一と月目のことで、秋風の吹く九月末であった。湯平に「ときわ」という古くからの料理屋があり、そこが拡張工事を完了して、上《かみ》女中を募集しているという。新聞でみて、とみ子がひそかに由布に教えた。ふたりの相談はすぐにまとまった。とみ子は、支配人の笹島に申し出る前に、大事をとって、湯平の様子を見にいってくるといい、休日に別府を出て、下見《したみ》にいった。帰ってきての話に、まるで、湯平は別府の奥の院ことみるようじゃ、というのだった。 「山はきれいだし、川も美しかった。澄んだ水が流れちょったし、由布ちゃん、あげなとこに、あげな大きな料理屋があるとは、夢にも思わんかったわ。草本さんは、別府とそげえかわりはせんというちょったが、�ときわ�の近くは、にぎやかはにぎやかやけんど、こげえさわがしいことはないんじゃ。そら、くらべものにならんほどじゃった。おかみさんに会うてきたが、あんた、そこで三味線も教えてくれるんじゃ……おはこびは、下《しも》女中さんがしてくれるけん、座敷係りはなーんもお膳《ぜん》はこびはせんでいいと。お客さんに酒ついでおれば、それでいいんじゃというちょった」  この料理屋にも、宿舎があって、住込みの仲居がずいぶんいたと、とみ子はいった。 「むかしからの料理屋だから……有名なんで、そこは……」  由布は話をきいただけで心が動いた。鶴の井にくらべると楽なようである。古い料理屋というのも気にいる。相談の結果、鶴の井には月末までいて、給料をもらってから移ろうということになった。笹島に、その由をふたりが申し出ると、支配人は、ふたりの日頃《ひごろ》の挙動から察していたとみえて、驚いたふうでもなく、 「どこか、いい先でもみつかったかね」  ときいた。 「湯平へゆきます」  ととみ子は、はっきりいった。 「別府は、怖《お》じいことばっかりあるで、うちら、山の奥へいった方が、向いちょります。ながいこと、お世話さまになりました」  笹島は反対はしなかったが、こんなことをいった。 「湯平のどこへゆくのか知らないが、別府とそんなにはちがうまい。山の中だから、すぐに厭《あ》きがくるよ。その時には、また、ここへおいで。わたしは、あんたらの真面目《まじめ》さには、感心してきたんだ。ほかの子とちごうて、しっかりしとる。あんたらに出てゆかれると、本当のところは、うちも淋《さび》しくなるんだ。でも、しかたがないね……」  笹島は、湯平へゆく前に、安心院《あじむ》と塚原の村へ、一ど帰ってくるというふたりに、売店で埃《ほこり》をあびていた竹細工の籠《かご》を土産《みやげ》にくれた。半年間働いているあいだに、ふたりの孤児のような境遇を知って、同情したのである。  しんみりした顔で、 「由布ちゃんもおっ母《か》さんを大事にしなね」  といった。 [#改ページ]     三  章 「お客さんは旅人じゃから、鳥と思うちょれば、いいんで。鳥が木の枝にとまって、とんでゆくようなもんじゃ。うちは、あんたより、ながかったけん、旅館の客の本性はようわかっちょる。草本さんだって、やっぱり、鳥じゃわ。あんたや、うちのこと、宿の女中やと思うちょっただけよ。いくら親切にしてくれたちゅうても、女中にはかわりはないんで」 「………」  由布はだまって歩いている。風の吹く鶴見岳の麓道《ふもとみち》だった。登りつめるほどに、秋の色は濃くなり、尾花がいっぱい道ばたにゆれている。由布は、いま、塚原へ向うこの道をみるのも、久しぶりだと思う。三月に村を出て、一ども帰っていない。給料のうちから、いくらかを母に送金していたが、母は、その時だけ、返事をくれて、あとは音信がなかった。手紙をくれないのは、字を知らないからである。金の着いたしらせは、隣家の人に書いてもらうので、母の字ではない。その母の待っている塚原へ、いま、半年ぶりに由布は帰る。  だが由布は、頭が重かった。草本のことを考えているからかもしれなかった。いま、とみ子は、由布の心の中を見ぬいたように、草本大悟は鳥のような人間だという。旅館の客が少し長滞在していただけのことで、女中の由布に、どれだけの愛情をもってくれたか。もしもってくれたにしても、そんなものは疑わしいというのだ。宿の女中は、鳥のとまる木の家の傭人《やといにん》にすぎない。親身になってとりあってくれる客なぞいるものか。 「うちは、そうは思わん」  と由布はいった。 「鳥だって、木はいっぱいあるんで、好きな枝にとまるじゃろうし……親切にしてくれた人がおれば、なつかしいと思う筈《はず》じゃで。うちは、草本さんが好きじゃったからそういうんで。あの人は、いい人じゃった」 「ぽんびきに惚《ほ》れたんよ。あんたは……」  とみ子はわらった。 「でも、おもしろい人ね。ぽんびきを少しも卑下しちょらん。パンパンのために働いとるんじゃというちょって」 「あの人にだけ、アメリカさんが鑑札をくれちょるんで」 「嘘《うそ》よ、そげんこと」  とみ子はわらって否定する。 「あんたは惚れちょったから、そげんこと信じちょんじゃわ。どこにぽんびき商売の男に鑑札なんかくれるところがあるもんかえ。由布ちゃん」 「でも……」  由布は、いつかの殺人事件の時に、草本がMPの調べをうけて、ポケットからパス入れをとり出してみせた時の、自信たっぷりな顔を思い出していた。 「あの人は、医者じゃ。パンパンの医者じゃわ、きっと」  と由布はいった。  安心院へゆく道は、なだらかな勾配《こうばい》を降りてゆかねばならなかったが、塚原へ登る道は、まっすぐだった。三つ叉《また》道のあたりは、すすきや、低いハゼの木がいっぱい生《は》えていた。ハゼの紅葉が、とみ子の降りてゆくうしろに映《は》えた。由布は、とみ子がこれから遠い道をバスにゆられてゆくかと思うと、自分の家がもうすぐそこに見えているのが嬉《うれ》しかった。  由布は、家の前にきた時、川岸に立って、しばらく、まわりを眺《なが》めた。  なぜ、この時、いち早く、家へ走り込んでゆかなかったのか。不思議だった。何となく、母ひとり残しておいた家が、由布には空々しくうつった。別府にいる時はなつかしくて、毎日のように瞼《まぶた》にうかべていた家が、いま、すぐそこにみえている。声をかければ、母の耳に入りそうなほどの近くへきているのに、由布は足をとめて、じっと動かなかった。家のまわりがどことなく変っているような気がしたからだ。それは、はっきりそう思ったわけではなかったが、なぜか、そんな気がかすかにしたのだった。  川に沿うて、由布はゆっくり歩いた。水は相かわらず減っていたが、白い石が模様をえがいて浅底に透けてみえるのが美しい。この川で、由布は真っ裸で泳いだのであった。  岸に沿うて、家の前にきた。由布は人影のない家の戸が、きっちり閉《しま》っているのをみた。母は畑へ出たのだろうか。帰ることはしらせていなかったから、母が待っていてくれるはずはないと思いかえし、橋をわたって戸口にきた。軒下に干し物があった。みな、母のものであった。母の干し物をみていると、瞼があつくなった。由布は戸をあけ土間へ入った。 「お母ちゃん」  声をかけたが返事はなかった。荷物をおいて、すぐに、また外へ出た。きっと畑にちがいない、と由布は思った。と、この時、垣根《かきね》の裏から、急に笑い声がした。由布は、おやと思った。裏にいたのだろう。ふりむくと、母が村の男とつれだってこっちへやってくるのがみえる。 「お母ちゃん」  由布は、走っていった。母は足をとめて、 「由布かァ」  狼狽《ろうばい》していた。由布が帰ったことは嬉しいにちがいないが、なぜか由布に他人行儀な所があった。同時に、すぐにわかったことだが、妙に母は若づくりしていた。不思議なほど、女めいて見えた。裏の畑へ出ていたというに、紅をぬっている。由布は、これまでそんな母をみたことがなかった。母は四十八だ。口紅をぬったっていいけれど、父が生きていた頃《ころ》は、めったに、化粧したことなどなかったのに。由布は、別府へいっているうちに、母の身辺に何かが起きたと思った。 「あの人は、どこの人? お母ちゃん。うちの知らん人やわァ」  と由布はきいた。 「川田《かわた》の人じゃ。疎開しておいでた人じゃ」  川田は塚原の中ほどにある家で、川田藤造といった。由布よりは一年か二年したの子がいた。由布も一、二どあそびにいったことがある。藤造なら知っているが、疎開してきている、色白のあんな男は見たことがない。 「うちの知らん人じゃ」  由布はいった。 「お母ちゃん、仕事一しょじゃったん……」 「ああ」  母は、風呂《ふろ》の水を汲みに川へ降りてゆくらしかった。由布は居間へ上った。男物のゲートルと、帽子が炉端《ろばた》にあった。おやと思った。忘れものをしたといった感じではなくて、そこにいつも、そうして置いてあるといった感じに思われる。由布は、奥を見まわした。そこにも、よごれたジャンパーがあった。死んだ父のものではなかった。父の物は、とうになくなっている。  由布は、母がだまって川へ降りていったうしろ姿に、すべてを嗅《か》いだ。きっと、あの男が来ているのだ。母の若やいだ顔も、それ以外に考えられない。そう思うと、由布は、急に、母が遠い存在のように思えた。折角もどってきたのに、そう思うと、急にかなしくなった。母がこれまでになく、汚《よご》れてみえた。由布は、川の水を汲んで風呂へはこぶ母の挙動を、電気をともした部屋からじっと見ていた。前ぶれもなく、とつぜん帰ってきた由布に、母は困っているのだった。秘密を嗅ぎとられて、風呂の水をはこんでいる。その母は、若々しかった。これまでに、こんな母をみたことがあったろうか。 「お母ちゃん、うちが火をつけるわ」  焚き口ヘいって、母のわきにしゃがんだ。 「久しぶりにもどったんじゃけん、村の様子もかわっちょるじゃろ。繁さんのお爺《じい》ちゃんが死んだこと手紙に書いたかなあ」 「はあ、知っちょる」  由布はこたえた。母からきた最後の手紙に、それは書いてあった。繁さんは、川向うの大杉の下の家だ。母もよく話し込みにゆく家で由布も子供の頃から、背負われて冬の藁《わら》仕事にいった。ここの繁さんは父の友達《ともだち》でもあった。まだ父が日出生台の土木工事に出ていた頃、繁さんも一しょの飯場で働いていた。死んだお爺ちゃんというのは、その親で、お爺ちゃんの顔も記憶がある。 「死んだんは繁さんとこだけかえ」 「はあ、繁さんのお爺ちゃんだけじゃ。藤井のきよさんが弟の嫁に直ったことは書いたなあ」 「ううん」  由布は首をふる。きよ子は三年上だが、同じ村の嘉市の家へ嫁入りして、夫は召集になってバタアンで戦死した。きよ子は未亡人になり、嘉市の家で山仕事を手つだっていた。終戦になって、親|許《もと》へもどるという話も出ていたが、 「弟さんの嫁に直ったんかえ」 「ああ」  母は火つきのわるい焚き口から、むくむくと出てくる煙にむせつつ、 「でも、弟さんの方がいい男じゃし、働き者じゃけん、きよちゃんも、よかったと思うで。家にもどっても、また、嫁の口をさがさなならんのじゃし、嘉市の家に直れば、おさまるし」  兄の嫁になっていた期間は一年ぐらいであったろうか。きよ子の嫁入りはかなり派手だったので、由布も見にいっておぼえている。その兄が戦死した時は、弟の武夫も戦地にいたはずである。武夫が復員してきて、兄の嫁と愛しあうようになったのだろうか。由布は、きよ子の物言わずな、おとなしい性質も知っていて、美貌《びぼう》といわないまでも、しっとりとした顔だちだったことを思いだすと、弟の嫁に直って幸福を得たきよ子に、由布はかすかな反撥《はんぱつ》を感じた。 「へえ」  といって母をみる、すると、母はにっこりして、 「村もかわった。お前が別府へいっちょるあいだにずいぶん変ったわ」  由布の思いすぎかもしれないが、それは母の自己弁護にきこえた。  由布が風呂から出てくると、居間はきれいに片づけられて、男物のジャンパーも、帽子もゲートルも、母がしまったとみえてなかった。久しぶりの母との夕食だったが、母は、どこやら落ちつかない様子で、時どき、表に耳をすましたりしていた。母がなぜおどおどしているのか、訊《き》いてみたかったが、口もとまで出そうになるのを押えて、だまっていた。しかし、湯平へ住みかえることだけはいっておかねばならないので、 「安心院のとみちゃんと、うちは湯平へゆくことにしたんじゃ」  と由布はいった。 「別府はつまらんし、給料も安いけん、湯平へゆく。いいじゃろう。お母ちゃん」  母は箸《はし》をおいて、茶を口にふくんでいたが、 「あんたがいいと思うんじゃったら、行ったらいい」  その言葉も、どことなく冷たい。由布は背中に風が吹く気がしてだまった。と、この時、表に足音がして、人の気配だった。耳をすますと、 「こんばんは」  男の声である。母が土間へおりて戸をあけると、 「風呂もらいにきた……」  ときこえ、男であった。 「ああ、いま、娘があがったところじゃ……入っておくれ」  と母はいった。そういってから居間の方へ、 「由布ちゃん、川田さんや」  由布は、どきりとして箸をおいた。 「こんばんは」  と土間から、男がこっちを覗《のぞ》いている。色白の、ひょろりとした顔は、疎開してきたまま、村にのこった川田の人である。男は居間へあがってきた。茶の縞《しま》のズボンにとっくりセーターを着ている。炉端《ろばた》にすわると、 「娘さんか」  由布はうなずいて、 「はい」  といった。 「別府はどうかえ。にぎやかになったときいちょるが……休みがあたってもどってきたんかえ」 「はい」  由布は男が馴《な》れ馴れしく話しかけるのに、かすかな抵抗を感じた。不思議だった。男をどうしてもまともに見れなかった。 「鶴の井だってね」 「はい」 「流川の上じゃけん、騒々しかろ」 「はい」 「そこで、あんたなにをしよったんかえ」 「女中や」  由布はこたえた。男はやがて、由布の仏頂面《ぶつちようづら》を気にしつつ立ち上って、風呂場へいった。母が土間に立って甲斐甲斐《かいがい》しくタオルをさし出しているのがみえた。  この時の母の姿は由布にはずるく映った。由布のいない留守に、躯《からだ》の関係に入っているらしいことが、わかるのだった。 「あの人は、いつも、おいでるん」  と母にきくと、 「川田は大勢じゃけん……のけものにされるというて、風呂つかいにおいでるんじゃわ。おもしろい人じゃけん、あがってきたらまあ、大阪の話をきいちみよ、腹|抱《かか》えてわらうわ。お母ちゃん、おかしゅうて……」  何をいったい、川田が話すのかと、興味もわいたが、どことなく、眼つきのずるそうな川田の顔は、由布には好感がもてなかった。鶴の井にいた時に、客の顔をみて、その性格を推測する術を由布は心得ている。それは半年の生活で、由布が、身にそなえた男を見る眼といえたかもしれなかった。  母がいかにも、信頼感をこめて川田とよぶその男は、顎《あご》がとがっている。顔ぜんたいが骨ばり、皮膚がうすかった。頭もザンギリで、人相はそういいとはいえない。しかし、色白で、シミ一つない顔だった。男の色白は、魅力とはいえなかった。変な男を家に入れている、といった気がした。  やがて、川田が風呂からあがってきて、タオルを母にわたすと、炉端《ろばた》にあぐらをかいた。つづいて母が風呂へ入った。由布はしかたなく茶を淹《い》れねばならない。湯呑《ゆの》みをさし出すと、 「ありがとう」  と川田はうまそうに呑んだ。 「別府は物騒じゃというちょるがどんな風《ふう》かえ。アメリカの兵隊が、パンパンの取りっこでピストル撃っちょるというがほんまかえ」 「塚原みたいにしずかなことはないわ」  と由布はいった。すると、川田は、 「人殺しがあったな」  といった。 「村の人らはパンパンじゃったというちょる。犯人はまだみつからんと新聞にゃ出ちょったけんど、やっぱり、警察のいうとおり、日本人じゃろか……日本人じゃったら、わからんこたァなかろがなあ……」 「鶴の井の下《した》の松林じゃった。うちら、鉄砲の音をきいたんでえ」 「きいたんかえ」 「はい」 「そげん近くで殺されたんかえ」 「うちは見にゆかんかったけんど、番頭さんらはみにいって……二発も弾丸うたれちょったいうて……怖《お》じゅうで、寝られんじゃったわ」 「戦争に敗《ま》けると、こげえ、世の中も変るもんかなァ、由布ちゃん」  川田は急に馴れ馴れしくなった。それは、これまでに、母といつも、由布の名をよんで話してきていることを物語っていた。  母が風呂からあがっても、男は帰らなかった。由布は奥の間へひき下って、ひとりで床を敷いて横になった。障子に炉の火がゆらめいていた。こっちを背にして坐《すわ》っている川田の痩《や》せた肩が影絵になっている。眠れなかった。母と川田は、取りとめもない話に笑い興じている。父が生きていた頃には見たことのない炉端《ろばた》風景であった。母は大酒も呑《の》むし、女丈夫といわれた女だ、豪快な話しぶりもしょっちゅうだったが、父とは、めったに、炉端で、こんなにおそくまで話しこんでいなかった。〈やっぱり、お母ちゃんは川田さんが好きなんじゃわ〉由布はそう思った。  すると、由布は、母がそんなに川田を好きなら、由布がどういってもはじまらないことだと思った。母の勝手にさせておくしか方法はない。あすは、とみ子がやってくる。ふたりで湯平へつとめ替えだ。すれば、母はまた一人家にのこって、川田と楽しく暮すだろう。それでいいのだ。  そう思った。母には母の人生がはじまり、自分には自分の人生がはじまっていることに気づかないではおれなかった。由布は眼を閉じて、うとうとしながらそんなことを考えていると、急に、草本大悟の顔がうかんできた。草本はにっこりして、由布にペニシリンの薬|瓶《びん》をさし出していた。 〈何かの時に必要なものだからね、大事にしときなよ〉わたしておいて、包みとボストンバッグをもって、鶴の井の玄関を出ていく。その心もち肩を張ったうしろ姿が瞼《まぶた》にうきあがってくる。 〈鳥のようにゆきよるんじゃわ……〉  とみ子が、草本を語った声も耳によみがえった。 〈宿の女中なんかに……やさしゅうしてくれちょっても、そげなことは信じられるもんか。鳥は枝にとまって、枝のことなんぞ忘れて立っていってしまうんじゃわ〉  草本はたぶん医者だから、由布がいくら心を燃やしても、一しょになれる身分ではない。由布は、そう思うと、眼尻《めじり》がにじんでくる。〈あしたから、また出直しだ。湯平へいったら、芸妓《げいこ》になるんじゃ。これまでのような女中じゃないけん、新しい人生がはじまるじゃろう……〉由布はそう思った。湯平の新生活が明るくひらけてゆくような気がした。明朝、とみ子の誘いにくるのが待たれて、由布はうとうとしはじめた。  母と川田は薪《まき》のせわしくはじく炉端で、いつまでも、ぼそぼそ話していた。川田は帰らないのだろうか。うとうとしているうちに由布は眠った。いつ川田が帰ったのか、朝起きてみると川田はもういなくて、母だけが外にいた。  由布は、朝の母の背中に微笑をおぼえた。川田がいつ帰ったか知らなかったし、川田が、あれから朝までいたとすると、母もずいぶん大胆になったと思う。不思議に、憎む気持はなかった。川田を憎む気持もうすらいでいた。父が死んでから、働きづめに働いて、ようやく、今日になって、自由な暮しを得ている母に、もし川田が心のよりどころを与えているのであれば、由布は礼をいいたい気持になった。由布は正直いって、母ひとりを置いて別府へ出た自分の責任も、いくらか、それにあると思った。由布がおれば、母は男を入れはしまい。由布がいなくなったから、淋《さび》しさをまぎらわせるために、男を入れたのだ。すると、母を責めることは出来ない。 「湯平は近いから、すぐにもどってこれるけん……」  と由布は母にいった。牛のいない小舎《こや》は、藁《わら》小舎になっていて、その時母は足踏み式の縄《なわ》ない機にしがみついて、巧妙に縄をなっていた。そんな母の姿をみても、孤独感がにじんでいると由布は思った。  安心院からとみ子がきたのは午《ひる》すぎであった。バス停留所の方を気にしていると、とみ子らしい姿がみえたので、川戸のところで待っていると、手を振って走ってきた。 「お母ちゃん、とみ子さんや」  由布は、いまはもう、加代子たちより親友になったとみ子を紹介した。とみ子は、もちろん初対面なので、ペコリとお辞儀した。 「いつも、あんたのことは手紙に書いてきよったけん、知っちょりましたわ」  と母はいった。 「こんどは、湯平へ一しょに……なーんもわからん娘じゃけん、よろしゅうたのみます」 「はい」  とみ子は殊勝な顔つきで、頭を下げた。由布は、すぐに用意をしてきて、母のところへ走ってくると、 「お母ちゃん、行ってきます」  といった。そうしてとみ子とならんで川をわたった。母は縄|屑《くず》だらけの膝《ひざ》をたたいて、小舎から出てきて、 「こんど、もどる時にゃ、あんた、電報打ってな……」  といった。 「うん」  と由布はふりかえった。母は口紅のはげた、疲れた顔をなごませて、わずかに眼をそらせた。 「湯布院記」に湯平のことを、 「渓流をはさんで旅館は立ち並び、歴史ふるき温泉郷たり。久大線湯平駅からバスで十三分。静寂閑雅なる保養郷は、庭|下駄《げた》をつっかけて表へ出るにすぐ石畳の坂あり。かのフランスのヴィシー鉱泉に勝《まさ》るとも劣らず。本邦屈指の飲用温泉にして、胃腸に卓効を示す」とある。  湯布院から、大分の方へ久大線で十分、二つ目の駅がその湯平駅であった。由布ととみ子が、夢を抱《いだ》いてこの駅に降りたった昭和二十一年の十月十五日の昼さがりは、まだ、今日のように、この湯の町の郊外を、やまなみハイウエーは走っていない。閑雅な駅前通りは、ひなびた土産《みやげ》物屋が数軒あるにはあったが、そう繁華ともいえなかった。別府にくらべたら、ずいぶんひなびた田舎《いなか》であった。  由布ととみ子はバスにのり、温泉町に着き、坂道を登った。「ときわ旅館」は、目抜き通りの坂に面していて、裏は清流をのぞむ、古びた建物で、町の古宿だった。本館から、奥へ、流れに沿うた二階屋の屋根が、下からみると傘をひろげたように、タルキの影を水面に落している。鶴の井より、静かで、玄関に入るとひんやりした。  由布はとみ子のあとから、とっつきのロビーの椅子《いす》に待たされて、はじめて女将《おかみ》の川石つなに会った。川石つなは、もう六十近かったろう。下|瞼《まぶた》のたるんだ、ぽってりした顔だちで、腰も臼《うす》のように大きく、二十貫はあろうかと思われた。肥《ふと》った人には悪人はいない、由布は誰からともなく教えられていたから、つなをみたとたんに、微笑がわいて親しみがもてた。 「お友だちをつれてきちょくれたんやね」  つなはとみ子に愛想《あいそ》よい眼をなげて、 「うちは別府のように、若いあんたらに下働きしちもらおうとは思うちょらんです。とみ子さんにもいうたように、芸妓《げいこ》の勉強をしちもらいます。昔から、ここは、よい芸妓さんのおる温泉郷で有名じゃった……まあ、その復活みたいなもんじゃわ。姐《ねえ》さんに芸教えてもろうて、お座敷で、唄《うた》うとうたり、踊り踊っちもらえばそれでいいんじゃ。あんたたちは、若いんじゃから、今から、勉強すれば、何だっておぼえられますよ」  川石つなは、乳牛ほど張りきった首に汗をみせて、 「今日は店入りの日じゃで、なーんもせんでいいけん、部屋へいって休んでください。あしたから、姐さんの指導で働いちもらいます。姐さんを紹介しましょう」  ふくれた掌《てのひら》をパンパンとあわせて、帳場の方をふりむくと、やがて、鴉《からす》のように痩《や》せた三十すぎの女がにこにこして走ってくる。 「このひとがいちばん古いひとで……あんたがたの監督さん。おひささん。庄内のひとですからね。こちらのことにゃくわしいけん、なんでも相談して下さい。それから、あんたたちの寝るところは下の部屋にしました。少うし暗いけど、眼の下はすぐ川じゃし、景色はどこよりもいいですよ」  女将はひさに向って、 「たのみます」  というと、ひさは、隈《くま》の出た細|眼《め》をなごませて、 「由布さん、大きいですね」  といった。とみ子より由布は、大きいけれども、大女でもないのに、ひさにそういわれて、気持がほころんだ。  やがて、ふたりは、下の部屋へ通された。そこは調理場の前の階段を降りたすぐの所にあって、細長い畳敷きの部屋であった。窓をあけると、眼の下に川がみえる。水は少ないが、岩|肌《はだ》の出た向い側の山|裾《すそ》が、みごとな紅葉だった。欅《けやき》やくぬぎなどはもう落葉しつくしていて、とっくに冬景色だったが、裾の雑木のあいまに、おくれた楓《かえで》の真紅なのが点々みえる。なるほど部屋は暗かった。旅館は、無理をして崖《がけ》ぷちへせりだし、岩の上をボウリングして土台を礎《きず》いて建てたらしい。大浴場が、右手に六角の窓をみせていて、しきりに湯煙があがっている。ひさがいった。 「湯平はね、大小あわせて六十軒も旅館はあるが、大半はみな……もち込み宿じゃけん、こげえな大きなとこは、まあ五軒と思うていいわ。そん中でも、ここは一流やで」  自慢げにふたりをみて、 「あんたらは、仲居さんとちごうて、芸妓《げいこ》さんじゃから、お座敷へ出ても、お客さんのサービスだけしちょればそれでいいんじゃけん、わたしらの働きにきた時にくらべたららくで」  といった。 「日がたてばわかってくるやろうけど、湯平は、庄内やら湯布院から農家の人らが冬場だけ働きにくるのが大半じゃった……けど、それでは、馴染《なじ》みさんも少のうなるし、夏場も働いてくれる芸妓さんをおくことになったんじゃえ。あんたらは……その一ばんはしりや。わたしが踊りを教える。三味線も教える。なーんも、むずかしいことはないけん、一生懸命やっちょくれ。もうじき、大勢入ってくるで……世の中は平和になったんやで、あんたら……」  ひさは歯ぐきの出る口を大きくあけてわらった。骨ばった顔は、わらうと愛嬌《あいきよう》もある女であった。もう四十すぎていそうだが、目尻《めじり》に烏《からす》の足あとのような大きなシワがよった。  由布ととみ子の湯平生活の第一歩はこのようにしてはじまったが、このときわ旅館には、二十《はたち》前後の女は由布ととみ子と、もう一人すずという庄内からきた背のひくい十九娘がいるだけで、ほかは三十をこえた、いずれも田舎《いなか》女ばかりだった。うち三人は通いで、部屋に寝泊るのは六人、六畳と四畳半のふたつをあてがわれて、由布ととみ子はすずと三人で、奥側の四畳半に寝た。すずは額のせまい貧相な顔で、とても仲居|芸妓《げいこ》に向くとは思えなかった。隣室に寝泊る三十女の、たけ、せい子、かね子の三人も、美貌《びぼう》とはいいがたい。きけば三人とも戦争未亡人で、ともに六歳の子があり、近在の農家の出で、年よりに子をあずけて、稼《かせ》ぎにきているそうだ。別府にいたというかね子だけは、素姓の知れないところがあって、水商売を転々してきたらしい荒れた肌《はだ》をしていた。このかね子が、新参の由布ととみ子に、いろいろのことを教える。 「坂道をあがってくると、左側に大きな二階家で、寺本屋ちゅう看板のあがった家があったでしょ。女郎屋じゃわ。十人ぐらい娼妓《しようぎ》さんがおって、ここへもきて、お客さんと寝るんでえ。あんたら、よう知っちょらんと、娼妓さんにいじめられるで……」  由布ととみ子はぎょっとした。坂道の目抜きは散歩したから知っている。寺本屋という二階家は、よく目立った。通りに面した二階窓に、女物の派手な下着が干してあった。十人も娼妓がいるという。しかも旅館へきて躯《からだ》を売る。すると、これは、別府の鶴の井とあまりかわらない。パンパンが客をつれてくるのに似ていないか。 「けど、警察の許可をもろちやっちょる遊廓《ゆうかく》じゃで、大びらで。きよ子さんちゅう売れっ妓がいるで、きたら教えてあげるわ……」  かね子はタバコをはすっぱに喫《す》った。いかにも自分は、娼妓とちがって、仲居だといわぬばかりの顔である。 「躯を売る妓と、仲居芸妓とは、ちがうで。わたしらは、そげんことしたらいけんのや。わたしらは芸ごとして、お客さんにサービスするんやからね。娼妓さんじゃないんやから」  由布ととみ子は、顔を見あわせた。ふたりはまた町を散歩して、教えられた寺本屋の前で二階を見た。障子の古ぼけたのが四枚はまっていて、鏡台かけの端や、女物の紅《あか》い布がちらちらするのがみえた。 「浜脇みたいなとこね」  ととみ子がいった。 「んでも浜脇のように、何軒もないんじゃわ。ここは一軒きりの遊廓じゃわ。きっと」  その寺本屋から、娼妓《しようぎ》たちが、化粧を競って、旅館街へ散ってゆく時刻は、だいたい、宴会や食事のすむ八時すぎ。妓《おんな》らは「ときわ旅館」へは三、四人でやってくる。ひさがいったように、みな鼻っぱしがつよかった。由布とそう年はちがわないのに、気性も荒れていた。白眼《しろめ》のよごれた女もいて、みるからに疲れ切った妓ばかりだった。これらの妓を客部屋へみちびくのは、ひさたちであった。したがって、娼妓は、部屋係りの女中にはペコペコしていた。  きよ子という妓を由布はみたけれども、ひさのいうほど、とびっきりの美貌《びぼう》とは思えなかった。愛嬌《あいきよう》のある、小柄な女で、由布たちにも愛想《あいそ》がよく、客間で会っても会釈した。きよ子と同年輩ぐらいの、花子、みつ子の名を、由布はすぐおぼえた。毎夜のように、この三人が寺本屋から、やってきた。  客は、闇《やみ》商人、農家の若者、湯布院の商家の若|旦那《だんな》たちであった。中には、復員服を着た正体のわからぬ男もいたが、客には、みな魂胆があって、部屋係りの女中は、顔をみただけで、寺本屋へ電話して、娼妓を契約する。忙しくなると、各旅館から申込みが殺到するので、十人しかいない妓らは取りっこになるらしかった。 「ときわ」では、八時前になると、客がなくても、二、三の妓を溜《たま》り部屋に待たせておくのが習慣になっていた。  溜り部屋は、由布たちの寝ている反対側の廊下をつき当った客間の一つで、三、四人の妓の待っている姿は、由布には、哀れとも滑稽《こつけい》とも思えた。だが、めったに茶をひいて帰ってゆく妓はなかった。女中が、気を効《き》かせて、曖昧《あいまい》な気持でいる客にうまく押しつけてやるからである。  妓らには、女中が命の綱といえたかもしれない。とみ子の話だと、ひさなどは、客を斡旋《あつせん》するだけで、娼妓から謝礼をもらうので、かなりの実入りだそうだ。ケチくさいのがいるかと思うと、大尽気取りのいるのは、この種の宿の客である。女中の口一つで、妓らの値段にも差がついた。 「おもしろい町じゃ」  ととみ子はいった。 「別府とちごうて、お客さんは、はっきりしちょるで。いい娼妓さんじゃないと、帰してしまう。ことわられても、娼妓さんは、なーんも、怒ったりせんわ。つぎの宿へ走って、また新しいお客さんを待っちょればいいんじゃで。ここは男が女を買いにくる温泉じゃのう」  とうに夢は裏切られていたのである。川石つなが、新しくはじめた「芸妓」というのは、躯を売らずに、芸を売る目的であったが、客は固いことをいう由布たちを嫌って、すぐ躯を売る妓を所望した。  湯平ばかりではなかった。日本全国の山間地の温泉場は、多かれ少なかれ、みなこのように変っていた。もっとも、当時は、まだ、戦後の混乱期である。若者たちの多くは、昨日までの戦争一色の緊張から、解放されたものの、統制経済下で、食うものも食えず、巷《ちまた》をうろつきまわるのが大半である。何がしかの金を握れば、湯につかって女を抱く。それが解放感であり、自由であり、明日への暗い出発のいとなみだった。このことは、別府とちがって、湯平では、鮮明に出ている。客の中に麻雀《マージヤン》したり、碁将棋をしたり、ひそかに湯治を楽しむといった者は少なく、誰もかもが、女を抱く目的できた。  事情がわかってくると、ここも、失敗だったと思ったけれど、川石つなと、ひさの指導で、「五木の子守|唄《うた》」「刈り干し切り唄」「牛追い」「湯平小唄」など教わってゆくと、唄うことも楽しくなった。また、三味線や、踊りも、下手《へた》ながら、毎日仕込まれると、一日一日上達してゆくのが自分にもわかって、自分たちは娼妓ではなく、芸妓だという自負も生れた。 「ときわ」の生活が楽しくなりはじめたのは妙である。川石つなは、毎日のように、新聞で募集していたので、由布たちのあとへ、二十日ほどして五人の芸妓が入った。倉石はつ子、名本いち、君川京子、荒井さき、松本美智枝の五人だった。みな新聞広告に魅せられてきた連中で、二十歳前後の固いかんじの子もいた。名本いちは、宇和島の生れといったが、体格が大きくて、美貌《びぼう》で、なかなか魅力があった。この女はやがて、由布の友だちになるのである。五人が加わると「ときわ」の芸妓は八人になり、つなは、下の客間をつぶして芸妓部屋に改造し、「芸妓の城」の準備を着々ととのえていった。  宴会といっても、当時はまだ団体が少ない。大そうな芸を所望するような客はめったにない。芸妓は、食事の客部屋に配られて、二、三の唄をうたい、踊りを踊ってすぐ次の部屋へ渡ってゆく。そのような、まねごとのようなことでも、当時は、新趣向であった。客は、花やかな着物を着た由布たちが、部屋へ登場してくるだけで、眼を瞠《みは》った。中には、夜の相手を所望する客もあったが、そんな時、ひさは眼をつりあげて、 「うちの芸妓は、そげなわけにはいかん。寝なさる娼妓さんは、寺本屋さんにゆけば、たくさんいますから、そっちへいってください。うちの妓は、おかみさんの大事な娘ですけん……いけんことしたら帰っちもらいます」  客は眼をぱちくりさせた。しかし、「ときわ」へゆくと、若い座敷芸妓がいて唄と踊りのサービスをするという噂《うわさ》は、やがて、湯平だけでなく、湯布院にも、庄内にも別府にもきこえた。川石つなのもくろみが、ようやく効を奏したのである。由布ととみ子は、座敷芸妓の古株になり、この旅館で羽ぶりをきかすようになってゆく。  由布は、川石つなからかわいがられた。性質が明るくて、さっぱりしていたからだろう。八人の芸妓のなかで、とみ子をのぞくと、素人《しろうと》っぽさのみえるのは少なく、不思議なことに、来た当座は、二十《はたち》前後にみえて、みなうぶな娘だと思った連中も、化けの皮がはげて、化粧が濃くなってきた。芸事も板につかなく、野暮《やぼ》ったさと、鈍重さが出る妓もいた。無理もない。昨日《きのう》まで、農事をやったり、かつぎ屋だったり、あるいはパンパンだったかもしれぬ女たちが、新聞広告をみて、着のみ着のままやってきたのだ。垢《あか》ぬけしないのも当然だ。由布は、つぎつぎ入ってくる女をみていて、よくもまあ、と思われる娘が多いのにあきれた。だが、名本いちだけは変っていた。いちは二十三だといったが、柄も大きく、じめじめしたところがなくて、がらっぽいところはあったけれど、豪胆であった。 「闇の世の中だからね、まじめにやってちゃ損みるからさ。誰に何ちわれたって、定められたことを守るのが嫌いよ。法律だって、何だって、すぐ変るもんね。汽車賃だって変るわさ。大分からここへくるのに、タダできたよ。人を送るような顔して、ホームに立っててさ、とび乗ったんよ」  無賃乗車で、湯平まできたと自慢しているのだが、何につけ、いちのいうことはおもしろく、 「終戦になった時、先生や役場の人らが、娘たちゃ山ン中へ逃げろ。アメリカ兵がきて強姦《ごうかん》するから……いうもんだから、うちの村じゃ、タンス長持リヤカーに積んで、山ン中へ逃げたよ。けどうちだけは逃げなかったよ。馬鹿らし。なーんもなかった。逃げたもンが損した。それに、おかしや。山ン中へ逃げた娘が、一番先に松山へ出て、パンパンしとったんで」  宇和島の町から、南へ少し入りこんだ入江に面した村だそうだ。宿毛が要港だったために、いろいろな流言飛語がとんで、村の娘たちは大騒ぎだったらしい。その村で、いちだけは、のほほんとかまえ、アメリカ兵がやってくるなら、やってきよ、と待っていたが、兵隊はさっぱり姿をみせなかった、と笑うのであった。あけすけ物をいういちに、片えくぼのでるのが由布には魅力だった。 「あんた、それで、ここへくるまで、何しちょったん」 「うちゃァ、かつぎ屋……。宇和島から別府へ闇船が出とったんで、米やら野菜を船着場まで運んで……んでもおもしろないで、船長さんにたのんで、荷物なみの値段で、別府へのせてきてもらったんよ」  野菜と米の山にかくれて、海をわたってきたと、いちはいった。  新聞募集の見習女たちが十三人に達した時、川石つなの第一の目的は達しられたとみてよかった。玉石|混淆《こんこう》ともいえる十三人の中には、とても芸妓と思えぬ女もいたけれど、半数はまあ、どうやら仕込めば通用するのがいた。十三人の妓《こ》らは、朝九時から宴会場の広間で、ひさとかね子に芸事を習った。皆が熱心に教わる風景はにぎやかだった。つなは、その広間へきて、自分も手拍手をとって、仲間に加わった。由布は踊りも唄《うた》も好きだったので、成績も上の部だった。いちも、とみ子も、まあ、由布につぐ功者仲間で、つなのうけもよかった。  半ばは素人《しろうと》の妓だが、おし着せをきせられて、太鼓帯を結び、「刈り干し」や「黒田節」や「湯平小唄」を唄い踊ると、客は悦《よろこ》んだ。つなの発案は、効を奏し、「ときわ」は日を追うて活気づいた。別府にも、湯布院にも、このような温泉宿はなかった。また、客の中には、湯平へゆけば、「枕《まくら》をかかえて踊ってくれる芸妓がいる」といったふうな、「ときわ」と「寺本屋」とを混同した噂《うわさ》がながれた。川石つなは、由布たちに、客を取ることを禁じた。広間から、客が個室へもどって、妓をよべ、と女中を手古ずらせても、ひさとかね子は、こんな時力量のみせどころで、 「芸妓と寝とうて来たんなら、寺本屋に行きよ。うちの子は、絶対に寝ませんよ。近在の村から、大事な娘さんをあずかってきちょるんじゃけん……あんたがた弄《あそ》び者にしたら、警察へいいにゆく。そげえ思うちょくれ。がまんできん人は、寺本屋へひとっ走り行って済ましちきちょくれたらいいんじゃわ」  客がいくら頼んでも、女中たちは硬《かた》い顔をした。客はあきらめて、つっかけ下駄《げた》をはき、下《しも》の寺本屋へゆくか、溜《たま》り場で待っている娼妓《しようぎ》を個室へ入れるかして、満足する。このような事情だからして、自然と、由布たちは、寺本屋の妓らに対して、無意識|裡《り》に優越感をもつようになった。  由布たちの仲間から、脱落組が出たのは、一つは、この寺本屋の妓たちに、そそのかされて躯《からだ》を売る妓がいたからである。十九歳のみつがそれであった。田所みつは、へちくれた、つるし柿《がき》のような黒い肌《はだ》をしていたが、小柄な体|躯《く》に似あわずくりくりして男好きのする魅力をひそませた女だった。  そのみつが、部屋に泊ったという噂が立った時、由布たちは、ひんしゅくの眼でみたが、みつはわるびれた様子もなく、こういった。 「そげん固《かた》いこというちょったら、由布さんたちのようにチップの入《はい》るひとはいいけんど、うちらのような不美人はいつまでたっても、ぴいぴいしちょらんならんわ。うちはお金がほしいのよ。お客さんと話しずくなら、泊りにいったっていいと思うわ。寺本屋のきよさんらだって、はじめは、芸事だけで働いちょったんやけど、ご主人のすすめでああなったというちょった。なーんもわるいことしたわけじゃないけんいいわ。うちの持ち物を売ったんじゃし」  話をきくと、みつは、別府でパンパンしていたという。しかも、黒人兵の相手をしていて、ひさの話では、みつはなかなか進駐兵士の内情にくわしかった。たとえば、別府に進駐してきている黒人兵と白人兵の、差別のある生活は大変で、食事も、宿舎もみな別であるだけでなく、黒人兵が町へ出て、日本女性とめぐりあって宿に入った場合、白人兵は、いかようにその女が美貌《びぼう》であっても、見向きもしなくなるとか。兵隊と兵隊が、一人の女を取りっこするのは日常ごとながら、相手が黒人兵だと、白人兵は、虫ずが走るような顔をするという。田所みつは、どういうわけか、黒人兵に好かれて、何ども宿へ行ったことがあるが、この経験があったために、二どと白人兵は相手にしてくれなくなった、といった。十九歳の娘が、そのようなことをあけすけいうのに、由布はあきれた。鶴の井にいた時、よくみかけた黒人兵と日本女性のアベックを思いだして、ひょっとしたら、田所みつも、鶴の井の下の松林を散歩していた組ではないか、と思ったりした。いつか、由布は、そのみつと、二人だけになった時、 「あんた、別府にいたん」  ときくと、 「うん」  とみつはうなずき、 「鶴の井を知っちょるかえ」  ときくと、 「知っちょるでえ、流川のつれ込み宿じゃろ」  といった。 「あすこの下の松林で、パンパンが殺されたのを知っちょる」 「うん、知っちょる。みどりさんじゃわ……」  とみつはいった。 「かわいそうじゃった、あの人、共同墓地に埋められたよ。あたしらが見てる前で埋められたよ」  殺された女を知っているのだった。みつは、顔に似あわず、「ときわ」の芸妓《げいこ》の禁を犯して、第一番に客をとった言いわけに、自分の持ち物を売ったのだから、誰に遠慮はいらない、といったが、なるほど、禁制の物を闇《やみ》から闇へ売る商人に比べたら、わるいことではなかったかもしれない。  禁を破ったみつに誘発されて、ひそかに部屋をぬける妓《おんな》がふえていった。美智枝と京子が先《ま》ず堕《お》ちた。地盤のもろい石垣《いしがき》から、一つだけ石をほろりとえぐりとると、石垣ぜんたいがひび割れてきて、大きく傾いてゆく事情に似ている。川石つなが、真面目《まじめ》組の訴えを、空耳できくような態度をみせるのは、もともと、真面目なことをいってはいるが、いずれは、そのような内部崩壊をみせることを計算に入れていた形跡がないでもない。由布といちととみ子は、固くスクラムを組んで、自分たちだけは、堕落組に入らぬようにと言いあっていたけれども、ひさやかね子が、次第に客に負けて、三人の前でも、美智枝や京子を斡旋《あつせん》しはじめるのにはあきれた。美智枝も京子も、きけば、小倉で荒れた生活をしていたらしくて、京子は戦災孤児であった。来た当座は、猫をかぶっておとなしくしていたが、馴《な》れてくると、躯を張るのに夢中になりはじめた。一つは、踊りや唄がきらいだったせいもあるけれど、躯を売るのに何の抵抗も感じないらしく、いまでいうところのふうてん族の|はしり《ヽヽヽ》といえたかもしれない。由布のように、躯を大切にしようとする組は、古い型の女とみられた。それを、みつはこんなふうにからかった。 「あんたたちのように、まじめなことをいうちょったら、うちらは、どもならんわ。うちは、いつまでもこげな家におりとうはないんじゃ。早く貯金をふやして、家借りて、商売して堅気な暮しにもどりたいんで。まじめなこというて、つとめておっても、結局は、ここにおれば、寺本屋のきよちゃんと同じ眼でみられちょるンじゃし、貯金ができんだけ損じゃと思うんで」  みつはさらに、こんなことをいった。 「あんたら、日本は、これから、堕《お》ちるとこまで堕ちねばと思うがどうじゃろ。堕ちんところは、どこもないで。あんたらの家はどうかえ。闇のもの喰うちょらんか。どの家も、法律を違反して暮しとる……そげえせんと喰うちゆけんのじゃもの。『ときわ』じゃって、同じじゃ。おかみさんは、まじめなこというちょりなさるけんど、本心は、うちらのように躯張ってお客さんよろこばしてくれる妓を大歓迎じゃわ。いまは、まじめな顔して、まじめじゃねえことするのが新しいんじゃがえ……由布ちゃん。あんたも、日がたっちくりゃうちのいうことわかるようになるけん……」  日本の家も人間も、崩壊しはじめているとみつはいうのだった。なるほど、そうかもしれない。塚原の生家では、母は、いまごろ川田に抱かれて寝ているだろう。由布は、胸がつまった。家も人間もくずれるといって、それでは、みながみな、くずれてしまったらどうなるだろうか。草本がそんなことを言ったような気がする。  大きなことをいっても、まだ十九のみつには、どことなくあどけないところがあった。たしかに貯金はたまってゆく様子だったが、躯の荒廃してゆく姿は、哀れであった。由布ととみ子は、堕落組が、しょっちゅう、美容院にゆき、帰りに、うどんだの、おでんだのぱくついてきて、集まれば、たべものや、男の話ばかりしているのをきいた。  田所みつが、原因不明の熱をだして倒れた時は、誰も同情しなかった。その前夜、みつは、酔っぱらって、客と大声をあげてふざけた末に、町へ出ていき、夜おそく帰ると、その客の部屋に泊って、朝食にも下へ降りてこなかった。美智枝と京子は、客部屋へいっても、めったに泊ることはなく、一時間でもどって終《しま》い湯に入り、自室で寝たが、みつのやり方は、奔放だった。  朝方、みなが食事をすませた頃に、部屋へ長|襦袢《じゆばん》一枚きりでもどってきて、京子のよこへばたりと倒れた。京子は、はじめ気がつかず、鏡台に向っていた。しばらくして様子が変に思えたので、 「みっちゃん、どうしたの」  とふりむくと、みつはとろんとうす眼をあけ、口から白いあぶくをだした。かけよって抱きおこしたが、ひどい熱で大騒ぎになった。由布がひさを起しにいった。かね子と川石つなもきた。その時には、みつは京子のふとんで寝ていた。 「あんまり稼《かせ》ぐからこげなことになるんじゃ。ゆっくりやすむといいわ」  つなは、それでも、まだ、楽観的な顔をしていて、いつまでも、熱がひかぬのなら、医者をよぶように、ひさに言い置いて出て行った。熱は昼になっても下らず、同室の京子が、町の上《かみ》にある一軒きりの岩田という老医師をよびにいき、カバンを提《さ》げた老医師がきて、タオルで額を冷やしていたみつの上|瞼《まぶた》をめくったり、口をあけたりして、 「急性肺炎じゃ。じっと寝かしとくがいい。……ペニシリンでもありゃ、何でもねえことだがなあ……」  といった。由布は耳をたてた。急性肺炎も、療養所にいた時に、恐ろしい病気だと知っていたし、いま、老医師の口からもれたペニシリンという言葉にびっくりしたのである。 「ペニシリン……アメリカのくすりですか」  由布はきいている。 「ああ、高いくすりだ。あれがありゃ、いっぺんで熱もひく……わたしは町医者じゃけん、持ちあわせはねえ」 「それ、瓶《びん》に入った……乳色のくすりじゃないですか」  老医師は由布をふりかえった。 「そうだよ……ここへ打つ……注射液だよ」  と医者は笑い顔で、横向きに寝ているみつのお尻《しり》のところを指さし、 「進駐軍がもっちょる新薬じゃ」  といった。由布は、草本大悟の言葉を思いだした。 〈大事にとっときなよ。なんかのときに役にたつからな。おれがあんたにあげるものは、こげなもんしかねえんだ。……〉 「先生、ちょっと待っちょくれ」  由布は廊下へ走り出ると部屋へゆき、押入れに首をつっ込み、とみ子の荷とならべて、隅《すみ》っこに置いてある自分の柳|行李《ごうり》から、草本にもらったまま、紙にくるんでおいたペニシリンの瓶《びん》を二つ掴《つか》み出すと、また、みつの部屋へ走りもどってきた。 「先生、これペニシリンじゃろ。うちは英語はよめんから、わからんが」  医者はカバンに聴診器をしまいかけていた。 「へえ」  といって、うけとり、老眼鏡のそばまでもっていって、こまかい印刷をよむ。 「まちがいねえ、あんたこげなもん、どこで手に入れたな……」 「別府で働いちょった時、知った人からもろて……大事にしまっといたんよ。去年の秋ごろじゃった。古くてもう使えんかえ」 「古いことはねえ。つかえるで。あんた、これつこうちかまわんかね」  老医師は、顔に喜色をうかべた。 「いいですよ。先生。つこうち下さい」  医者は、大急ぎでまたカバンのフタをあけると、古ぼけた真鍮《しんちゆう》めっきの注射器入れをとり出し、ゆっくり針をさしかえ、由布の出したペニシリンの瓶のコルクのフタに、力づよくその針をさしこんだ。この時には、みつの枕《まくら》もとには、とみ子も、いちも、京子も、美智枝もいた。四人は四様の顔で、由布が高価な注射薬をもっていたことに好奇な眼をなげていたが、医者が瓶のフタに針をさしこんで、ガラスの注射筒へ、ゆっくり吸いこませる作業を、固唾《かたず》をのんでみた。やがて、医者は瓶の中の液体を注射筒に呑《の》みこませると、寝ているみつに、 「さあ、ちょっとお尻を出して」  といった。一ばんわきにいた京子が毛布をめくると、顔は浅黒いのに、奇妙に卵のようにすべすべしたみつの臀《でん》部がのぞいた。老医師は、肉のもりあがった中央部めがけ、ぷすりと針をつきさした。ゆっくり、乳色の液体がなくなるまで、針をそこに静止させていた。 「これで、だんだん熱がひいてくる……あっちのくすりにゃ、日本も負ける」  と老医師はいった。みつは痛覚がないのか、とろんとした眼をあけて、下ばきもつけていないお尻を露出させてじっとしていた。  不思議だった。医者のいったように、みつの熱は一時間後に、三十七度にさがり、全身に大汗をかいて、しきりに寝がえりを打ちはじめた。京子が脇《わき》の下までふいてやると、うつつのうちに眼を閉じ、安らかそうな眠りに堕《お》ちたが、二時間後には、両眼をひらいて、部屋を見まわした。 「うちは、どげんしたんやろ。いつ、ここで寝ちしもたんやろ……」  わきで見守っていた京子と美智枝の姿をみると、 「あんたち、めいわくかけて、すまんねえ……」  とみつはいって泣きはじめた。 「みっちゃん、あんた、由布ちゃんにお礼いわなきゃいけん。あの人がペニシリンもっちなかったら、あんた、まだ、意識がなかった。お医者さんが、あんたのお尻に針をさしたの知らんじゃろ」  京子がいっても、 「知らん」  とみつはいった。 「あんたのお尻まくったのはうちよ。あんな大きな針さされてわからんかったかえ……」  由布もみつの枕《まくら》もとにきてすわった。 「みっちゃん、よかったわね」  というと、みつは、 「由布ちゃん、ありがと、ありがと」  眼をうるませるのだった。草本のくれたペニシリンが、急性肺炎に、こんなに即効があるとは知らなかった。由布は、草本が貴重なくすりをくれたことに気づいて別府の方角へ手をあわせたい気がした。  みつは病気がなおると、すぐまた客をとりはじめた。由布から注射液をもらって、助かったことに感謝はしていたけれども、なおれば、またもとにもどって、あいかわらず、鼻っぱしらがつよく、 「うちは顔もへちくれちょるで、躯を張らにゃ喰うちゆけん」  といって、由布たち堅実組の仲間へ入らなかった。四月に入ると、湯平は温《あたた》かくなり、山の裾《すそ》や川岸の岩間に山桜が花を咲かせた。木々の梢《こずえ》にみどりの芽がふきこぼれ、奥山の雪どけ水が湯気をたてて流れる渓流はのどかで、戦争のすんだ飢餓地獄をよそに、何ともいえぬ閑雅さでもあった。休んでいた小旅館も開業しだして、湯の町は、一日一日にぎわっていったが、食糧地獄だけは深刻で先は真っ暗な気がした。主食は欠配つづき、かりにあっても十日分ほどしかなく、進駐軍の払下げと称して、営団が配ってくれる、罐詰《かんづめ》あんず、トウモロコシ、うどん粉が大半であった。これでは、栄養失調にならざるを得ない。ところが、「ときわ」へは、何人もの闇《やみ》商人が入った。酒、ビール、焼酎《しようちゆう》はもとより、白米、芋、野菜類も、ふんだんに入った。これは、川石つなが、近在の農家と手を結んでいたからで、それに、日出生台に住んでいた韓国人が、開拓部落を降りて湯布院はもとより、湯平にも住み、密造酒に精を出したからであった。  由布たち芸妓《げいこ》たちも、たらふくたべられるということはなかったが、朝、昼はパン、芋の代用食にしても、夕食は麦まじりの米飯がたべられた。味噌《みそ》汁も香の物もあった。時には、肉や野菜の煮込みもあった。肉といえば、日出生台をはじめ、山間地へゆくと、牛の密殺場ができていた。いずれも韓国人がやり、復員してきたての職のない若者たちが、これらを罐に入れて、諸方へ売り歩いて利ザヤをとった。  このような世情を、いやがおうでも見ていなければならない芸妓たちは、躯を売ってでも金がほしい、とあせりはじめるのも無理はなかった。まじめに、配給を待って、飢え死してしまった学校の先生のことが新聞に出たりすると、尚更《なおさら》、この風潮は妓《おんな》らの間にふかまった。たべものの恨みから、有名な歌舞伎《かぶき》俳優が、書生に薪割《まきわ》りで撲り殺されたという新聞記事も出た。おそろしい世の中である。暗くて、みじめで、どこにも光明がなかった。 [#改ページ]     四  章  その客は、夕方六時頃、飄然《ひようぜん》と「ときわ」の玄関に現われた。蒼《あお》い顔をして、無精髭《ぶしようひげ》を生やしていた。ちょっと見では三十すぎにみえたが、係女中のひさが、松の間に通して宿泊カードをさしだすと、本籍地、京都市上京区室町上立売上ル香山方、太地孝平、と書いた。品のいい顔をしているのと、身装《みな》りもきちんとして、言葉つきがやわらかなので、ひさは、在の人とも思われず、 「湯平ははじめてですか」  ときくと、 「いや」  と男は首をふって、 「戦時中にね、一ど来たんや」  京言葉でいって、にっこりしてひさを見かえし、 「先《せん》にきた時とちっともかわらんな」  といって、うまそうに茶をすすったそうだ。 「戦時中ですと、兵隊さんでしたですか」  ひさはきいた。 「ぼくは日出生《ひじう》台にいてね、あすこで毎日演習だった。その時、一ど、友だちとここへきたことがある」 「宿はこちらでしたの」 「ああ、もっとも、四年ほど前だからね。建物もかわっていないのは当然だが。先《せん》の時はこの部屋じやなくて、角《かど》の部屋だったかな。もっと広かったよ。ふたりできたんだから……」 「すると、萩の間ですね。庭ごしに通りがみえたでしょ。そうですか。それは、ようこそ、いらしてくださいました」  ひさは、客の中には、戦争中にきて、その頃の景色をなつかしがってくる人もよくいたので、こんな客こそ、大事にしなければならないと思った。で、愛想《あいそ》よく、 「それで、京都から、わざわざきて下さったんですか」  ときくと、 「うん」  と男はいった。 「一しょにきた友だちは戦死してね。ボルネオだよ。ずうーっと、こっちにいる時からの戦友で。出発する時も、向うへいってからも……同じ隊だった。それこそ、何もかも一しょに分けおうて……終戦の時も一しょに降伏したんだが、奴はマラリアで野戦病院で死んだんだよ」 「どこのお方ですか」 「安心院《あじむ》って知ってるか」 「はい、湯布院からバスで……北へ入ったところですよ」 「そこの学校の先生の息子《むすこ》だったよ……じつは、今日、ぼくは、安心院の戦友の家へ行った帰りなんだ……」 「そうでございますか」 「ついでに、湯布院へきて、ここへ寄りたくなってね……」 「それはそれは……昔の思い出に……よう寄って下さいました」  ひさは感じのいい男を見あげた。すると、男は、 「夕食の時に、妓《おんな》をよびたいのだがね」  といった。 「いいひといますか」 「……うちには、住込みの芸妓《げいこ》がおりますで」 「それなら、よんで下さい」  ひさは、男がにこりともしないで、事務的にいうのに気をひかれた。 「安心院の妓もいます」  といってみた。 「安心院の妓が」 「近在の娘さんらが多いですよ……塚原、湯布院、庄内あたりから、こんどの戦争で、旦那《だんな》さんを亡《な》くされた若い後家さんもきてます。やっぱり、お客さんは、若い妓の方がよろしいでしょうね」 「ああ」  と男は、はじめて口角に微笑をうかべて、 「きみのいいと思う妓をひとりふたりよんでみてくれないか」  ひさは、男をすっかり信用していた。それは、男のいうことが、ひどく真面目《まじめ》にきこえたし、戦死した友だちと、一しょに泊った宿へ、思い出のために立寄ったという。しかも、その友だちは、安心院の出だという。ひさは、このことを、階下へきてとみ子にいった。 「あんたの村で戦死した人の友だちが来ちょるよ」  とみ子は、化粧前の顔をふりむかせた。 「誰じゃろ」 「先生の息子《むすこ》さんじゃと」  とみ子はわきにいる由布の方をみた。 「顔だちのきれいな人じゃわ。こんばんは、あんたらふたり、松の間にいったげて」  ひさはいった。  六時がきて、松の間へ由布ととみ子はいった。男はたしかに都会の顔をしていた。ととのった顔だちで、キメのこまかい肌《はだ》である。しかし、何をしている男かわからなかった。床の間を背にして、憂いをおびた目で、窓から、川向うの山をみている。夕闇《ゆうやみ》が舞い落ちる時刻だ。霧の濃い日で、川面《かわも》から這《は》う下霧と、山から降りてくる霧が、裾《すそ》の青草をはさんで川しもへ時間をかけて流れてくる。 「あいかわらずの霧だな……日出生台にいた時は、毎日のように深い霧だった」  と太地孝平はいった。由布ととみ子は両側から、太地をはさんで、 「日出生台には、いつごろまでいなさったですか」 「十七年の秋だった。ちょうど、今じぶんでね……あんた、安心院の人なら、衛藤のことをおぼえていないかな」 「知ってますよ……頭の大きな人でしょ」 「ああ、鉢《はち》のね……でっかいもんだから、奴《やつ》は、帽子だけは困ってたな。あいつがね、一日休暇をもらった……日出生台から安心院へ帰らないで、ぼくと一しょに、ここへきたんだよ」 「ひささんからききました」 「その時にも、霧が流れていたよ。川に出ていた人があったな、釣でもしていたのかな。三、四人、人がいたのをはっきりおぼえている」 「あの時分は、ここは兵隊さんの療養所がありましたから」  とみ子は、戦死した安心院の校長の次男のことをいうこの客に、なつかしさをおぼえたらしかった。 「きみは塚原だって……本当かね」  由布は感じのいい客だと思いながら、太地の顔をみつめてうなずいた。 「あんたはあの頃は何してた」 「あたしはまだ子供じゃったです」 「いくつだ……いま」 「二十一です」  太地孝平は、信じられないといった顔でじいっと由布の顔に見入って、 「塚原と、安心院の人たちがここに働いてるとは思わなかったね……奇遇だねまったく。……それに、ぼくの戦友を知ってるなんて……」  太地は卓にもどると、気持よさそうに盃《さかずき》を干した。そしてしきりと二人に酒をつがせた。気軽に立寄ったという、身軽な若者の愛想《あいそ》よさが出ている。  話はあまり、はずまなかったが、安心院からきたとみ子には、戦友の匂《にお》いをかぐし、塚原の由布には、苦しめられた日出生台の演習のつらさがかさなるらしくて、話せばそのあたりのことばかりであった。  日出生台というのは、由布がうまれた塚原から、湯布院の方へくる途中の、高原一帯の名称で、むかしから、陸軍の演習地だった。戦争中は毎日のように、部隊がやってきて、戦車を走らせたり、大砲をうごかしたり、日がな実弾を撃っていた。由布たちは、塚原から湯布院へくるのに、よく、この演習場の柵《さく》のよこを通ったが、「危険」「注意」などという標識があったのをおぼえている。子供の頃から、この標識すれすれの道を走って、若杉部落(湯布院への途中にある戸数十数戸の高原部落)まで行ったものだ。柵の中で、汗だくになって走る兵隊を見た。戦車の行列もみた。雨が降っても、演習はあった。  塚原の家が、近くで爆弾が落ちたような轟音《ごうおん》にゆすぶられ、奥の間に寝ていた太市が、よく寝がえりを打ち、怯《おび》えたものだ。日出生台の音は、由布にとっては、子守唄のようなもので、朝はいつも弾丸の音で眼をさました。父親の死んだのも、日出生台の工事場である。あれは、まだ、演習場が広くならない頃で、ハッパの音も、弾丸の音も、似たように学校の窓ガラスをゆるがせた。  十時頃、太地孝平は、酒をやめ、眠くなったから、床をとらせ、ふらふら歩きで小用に立った。由布ととみ子は、太地にだいぶ呑《の》まされていたので、ぼうーっとしていた。小用から出てきた太地にあいさつをすませて、帳場の指示で同じ二階の広間に行った。そこでは、まだ、酒を呑んでいる宴会組があった。名本いちが中心になって、美智枝、京子が上|機嫌《きげん》で相手をしていた。ふたりは、そこへ入って、また呑まされた。由布たちが、階下の溜《たま》り部屋に帰ったのは十二時を廻《まわ》っていた。帯を解いて、ひと息ついて、タバコをすっている時だった。 「由布ちゃん、ちょっと……」  ひさがのぞいた。 「とみちゃん知らんか……」 「お風呂です」  というと、 「松の間のお客さん、どこへ行くいうちょりなさったか、知らんかえ」  とひさはきいた。 「さあ」  由布は首をかしげた。意外だった。十時すぎた頃眠くなったといい、部屋番の貞子に床をのべてもらっていたはずだ。寝たものとばかり思っていた。 「部屋に寝ていなさらんですか」 「服に着がえて、外に出なさったらしいのよ」  ひさはいった。 「眠くなったというちょって……あれから、外へ出なはったんじゃろか」 「あんたらには、なーんもいわんかったかえ」 「なーんも」  由布は、不思議な気がした。太地孝平は外へ出たいようなことは言わなかった。少し呑みすぎたといい、朝から安心院へ行って疲れてもいるので、早く寝たい、といっていた。 「おかしいですね……わたしらには、もう寝るちいいなさって……貞子さんがなんもきいてなさらんですか」  その貞子も風呂であった。ひさはいらいらした顔で、不安な落ちつかない眼を由布にむけると、 「あの人、変じゃなかったかえ」  ときいた。 「変?」 「自殺する人に見えんかったかえ。由布ちゃん、うちには、どことのう、影のうすいように見えたが……心配なんじゃ」  とひさはいうのだった。 「そげなことはないですよ。姐《ねえ》さん」  由布はいった。 「日出生台の思い出話や、安心院の友だちのことをなつかしそうに話しちょりなさったし、あしたは早う大分へ出て、汽車で帰るんじゃというちょりなさったですから……」 「そうかねえ」  ひさは、窓の外へ眼をやった。階下はしめってもいるので、霧はいま、スリ硝子《ガラス》をはったように、あけた窓を染めている。  太地孝平が、首つり自殺していたのは、川かみの雑木林の中腹であった。翌朝になって、太地が松の間へ帰っていなかったので、帳場で心配していた矢先、警察からしらせがあった。「ときわ」は大騒ぎである。太地孝平は服を着、宿の下駄《げた》を履《は》いて、散歩に出た足で、湯平のかみから山へ入って、雑木の茂みの中で死んでいたのだ。斜面の栗《くり》の枝にベルトを結《ゆわ》えて、首をさしこみ、足を蹴《け》ったらしく、斜面にはすべった跡があった。片足だけ下駄を履いて、縊死《いし》体は発見されている。薪《まき》をとりにきた村の「磯辺館」の風呂番の男が発見者だった。駐在所の巡査が、現場に急行し、下駄の焼判から、「ときわ」の客だとわかった。ひさはもちろんだが、由布もとみ子も蒼白《そうはく》になった。涙をこらえて、巡査の質問にこたえた。  わかっていることは、昭和十七年頃、日出生台の演習地にいた兵隊の一人であること。同じ部隊にいた安心院の衛藤誠とボルネオに征《ゆ》き、そこで終戦をむかえ、衛藤はマラリアに罹《かか》って死んだ。その様子を、父母につたえたいと思って、京都からわざわざ汽車にのってやってきた。安心院へいって、老教師とその細君にあい、衛藤誠の死んだ時のことをつぶさに話して、一泊して、京都へ帰る途次、ふと湯平を思い出して、泊りにきたという。これにも、戦友との思い出がからんでいる。衛藤一等兵と、太地は南方へ出発する直前、ここへきた。霧のふかい日だった。二人の兵隊は見納めになる内地の名残《なご》りを、霧の湯平で、心ゆくまで楽しんだのだ。 「あの人が死んだなんて……信じられません」  とみ子はいった。 「にこにこして話してなさったんですから」 「上機嫌に呑んでおっても……人間は急に……死にたくなる時もあるからな……」  とチョボ髭《ひげ》を生やした老巡査がいった。 「霧の濃い晩は……わしらでも、……ふっと、川底へ吸いこまれそうな気分になることがあるで」  しんみりしていう巡査の顔には、死体をみてきた恐怖がかすかに出ていた。 「死のうと思うて、散歩に出たのじゃなかったんかもしれん。しかし歩いておるうちに、ふっと死にとうなったことも考えられる。きっと……安心院というところも霧のふかい村じゃで。戦友が……よんだかも知れんな……おめ、そう思わんかえ」  とみ子のぬれた眼がきらりと炯《ひか》った。  背のひくい老巡査は、鼻洟《はなみず》をすすりながら、しんみりしたことをいった。由布はきいていて、そうかも知れない、と思った。自分にも霧をみて死にたくなるような日は無かったとはいえない。  あった気がしてならない。  巡査のいうように、安心院は、底霧の名所で、ここへゆくと、霧はいつも地の底を這い、盆地を囲む山々は、まるで、島のように浮いてみえた。濃いときは、一寸先もわからぬほどで、霧が降りると、よろこんで外へ出る道楽者がいた。まぎれて何でも出来るという。安心院ほどではないけれど、塚原の霧もまたみごとだった。秋のはじめ頃は、由布と鶴見のあいまの高原を乳色に染めて、山の頂きを島のように霧はうかせた。みていると、山はまったく霧島で、塚原の霧島大神宮も、霧の中にある山だから、島といったのかもしれぬと、由布は思ったほどだ。こっちの気分の如何《いかん》によって、霧は楽しくもみえ、淋《さび》しくもみえ、かなしくもみえるものだった。父の葬式の出た夏末の一日も、やはり霧が濃くてかなしかったし、太市の死んだ朝も、霧は高原をうめた。  ひょっとしたら、太地孝平も、霧にかなしい思い出があったのかもしれない。日出生台におれば、太地は、湯布院の底霧をみたろう。海のように町へながれた霧は、兵隊の眼には淋しくうつったかもしれぬ。  一しょにボルネオまでいって、国のために働いた戦友が、ようやく終戦になって帰れる日がきたというのに、マラリアで死んだ。太地は無常を感じたかもしれない。帰還して、祖国の土を踏み、戦友の里安心院に来、思い出の日出生台を通って、湯平に泊った。ここもふかい霧である。太地をつつんだ霧は、ひえびえと、太地の骨をしめらせたか。太地は死にたくなった。 「戦争からもどっても、家の者も焼け死んじょるわ、住む家もないわ、仕事もないとすりゃ……気の弱い者は死にたくもなるわさ」  巡査はとみ子をみて、 「男はまあ……そんなもんだよ……おめらのように……男たらして、銭を儲《もう》けるちゅうようなわけにゆかねえんだ……この人はきっと、まじめな性分じゃったにちがいない、気の小さいな……」  部屋に残されてあったスーツケースをあけてみると、着替シャツと猿又《さるまた》と、古新聞に包んだ固い板のようなものがある。それきりで、財布はなかった。もちろん、貴重品はあずかっていない。上着に、札入れが入っていたけれども、中身はわずかに八十銭あるだけで、宿泊代にも足りなかったのだ。 「くっ時から、もう死ぬつもりじゃったんじゃ……」  と巡査は、遺留品をゆっくりしらべていった。 「ここが思い出の宿じゃったんなら、尚更《なおさら》、死ぬ覚悟で来よったにちがいないで」  由布はきいていて、納得がいかなかった。死ぬつもりできた人間が、あんなに落ちついて、酒を注文し、芸妓《げいこ》もよんで、談笑できるだろうか。ひさは、最初から、ちょっと、影のうすいところがあったというが、それも昨夜おそく客が見えなくなってからのことで、はじめは、感じのいい、おとなしい客だといい、にこにこしてふたりをよびにきたではないか。事実、太地は、明るいかんじだった。とみ子にも、由布にも、冗談をいったし、むかしのことを、そう深刻な顔もしないで話した。どうしてあれが死ににきた者の顔だったろうか。 「無銭飲食じゃ、こりゃ」  と巡査はいった。 「銭はもっちょらんし、あしたになれば、逃げ帰らにゃならねえ……めんどくさくなって死んだんじゃわ……」  財布に金が入っていなかったということも、太地の影のうすさと関《かか》わりがあるとひさはうなずいて、 「うちは、最初から、どことのう、おかしいと思うちょったんじゃわ」  といった。 「闇《やみ》屋さんでもねえのに、景気のいいこといいよったもんのう……」  由布ととみ子は、この日は、一日じゅう気が重かった。太地孝平の死は、他人事《ひとごと》ではなかった。何故《なぜ》死んだか。何を思って湯平まできて一泊し、とみ子と由布に、あんなに、明るい顔で話し、ふたりが広間へ出てゆくと、すぐに服に着がえて出たか。謎《なぞ》はふかまるばかりだった。しかし、現実に、空《から》っぽにちかい財布を内ポケットに入れただけの、遺書もないさっぱりした死に方である。巡査は、スーツケースの中に入っていた紙包みも丹念《たんねん》に畳の上にあけて調べたが、板のようなものをあけたとたんに、わきにいた女中たちは声をあげている。 「位牌《いはい》じゃねえか」  女たちは、巡査の手にした、まだ真新しいともいえる木片に眼を集中させて、息を呑《の》んでいた。  釈明光大芳信士  釈順敬明月信女  巡査が首をかしげながら裏をかえしてみている。俗名がなかった。 「お父《ど》とおっ母《か》が死んだんじゃねえかのう」  と巡査はいった。 「信士と信女だから、夫婦にちがいないで……すっと、やっぱり、厭世《えんせい》かな、死んだ人のあとを追うたんじゃわい……みんな、そう思わんかえ」  荷物の中から出てきた新しい位牌は、かすかな気味わるさをまじえて、由布の胸をさした。 「追うていったんじゃ」  と巡査はまたいった。  検死があったり、現場検証があったりで、湯平の川上は、その日はジープや、警察の車が停《と》まった。「ときわ」からも番頭の嘉七が代表で、下駄《げた》を受けとりにいったが、嘉七の話だと、太地の死体は、霧にぬれてびっしょりだったそうだ。鼻からも口からも、涎《よだれ》とも鼻洟《はなみず》ともつかぬものを出していて、草色にふやけた顔は見るかげもなく、地べたに寝かせて菰《こも》がかぶせてあった。別府の病院へ運ぶとかで、病院車がそれをあずかりにきた。巡査にきくと、死体は解剖に附《ふ》されるということである。 「人間の死はかなしいもんや」  と嘉七は帰ってきて、女中や芸妓《げいこ》が帳場に集まっているところでいった。 「死んだ本人は、なーんも知らんからええじゃろが、やっぱり、わしらは、あんな死に方はしたくないな」  死ねば、死後のことは何もわからない。野たれ死であっても、一家|眷族《けんぞく》に看《み》とられて死ぬ大往生であっても、死は、生きている者の眼にそのようにうつるのであって、死人にはわからない。死はいつも平等で無である。由布は、仏山寺にきていた塚原の和尚さんからそんなことをきいたことも思い出した。和尚さんの話だと、人間は誰でも一どは死なねばならぬ。生きるということは、死にいたる旅路のことで、誰にも迷惑をかけずに、平和な死に方をするのが人間のつとめではあるが、本人がそう思っても、人はいつ不幸がめぐってくるかわかったものではない。事故、病気、天災。この世は業苦の山である。だから人間は信仰の道に入って、いつ死んでもよいように仏に教えを乞《こ》うのだと和尚さんはいった。由布はそういわれても、なぜ人が死ぬのかわからなかった。父はハッパ事故で不慮の死をとげ、太市は不治の病気で死んだ。のけようもなかったその運命をかなしんだだけだが、あの太地孝平が、一夜をあんなに楽しそうに送って、まるで、由布やとみ子を裏切ることが楽しいとでもいいたげに、あっさりと首をくくって死んでいった。  由布は、いま、怒りをおぼえた。卑怯《ひきよう》な男だ。霧をみて死にたくなったなんて、そんな馬鹿《ばか》げたことあるもんかえ。霧をみて死にたくなるようでは、由布|山麓《さんろく》では生きてはゆけぬ。由布は霧の中で生れ、霧で育った。いったい太地は、あの年で、あの元気さがあって、なぜ死んだ。どんな理由があるにせよ、卑怯であろう。苦しい病気で、躯《からだ》全部が膿汁《のうじゆう》に化けそうなほどになるまで、うめきながら死んだ太市が、よほど生きる闘《たたか》いをしていたと思う。太市でさえがあんなに気張って生きたのに、五体健康な太地が、首をつって死んでいる。  人間としてゆるせないことのような気がした。由布は、「ときわ」の女たちが半ば同情的な眼で、位牌《いはい》の話をするのがおかしかった。 「人間は、どんなことがあっても生きてゆかな……」  と由布は思った。誰に教えられたことでもない。自分でそう思ったのである。  小さな温泉村だから、首つり男の話は、村ぜんたいに話題をふりまいたが、それも十日でうすれた。この当時は、たしかに、原因も動機も不明な死体がそこここで発見されている。いわば、自殺の季節でもあった。首つり自殺はまだいい方で、睡眠薬をのんで、死にきれずに苦しんでいるのを発見され、病院へかつぎこまれて、人騒がせしたあげく生き返った女もいた。線路へ身投げしての即死。海へ投身しての生き返り。千差万別ながら、北九州の新聞の三面の片隅《かたすみ》には、自殺、変死のない日はなかったのである。  別府市では、とくに多かった。死者もまた無責任なもので、同じ死ぬなら別府の湯につかってから死のう、とでも思いきめるのか。わざわざ宿に泊って、枕《まくら》をならべて心中するカップルもあったし、散財したあげく、単独自殺する若者もいた。ほとんどが、厭世《えんせい》だった。戦争に負け、混乱の世を見て生きるのが厭《いや》になったらしい。また食糧や衣料の不足で飢えて野たれ死する老人もいた。狭い家ですし詰めに生活する眷族《けんぞく》や他人のいざこざに巻きこまれ、喧嘩《けんか》がたえず、あてつけに死ぬ若妻もいた。復員してきても、父母は死に、家も焼けているので、急に死にたくなった帰還兵もいた。  これは九州ではないけれども、関東の方に「死のう会」という物好きな男の集まりが出来た。六人の会員が、ある日の朝、それぞれ、辞世もよみ、遺言も書いて、青酸加里を入れたコーヒーをのみ、一斉に死んだというニュースもみなこの頃の珍事である。欠配遅配の主食を待って、闇《やみ》をする才覚のない良民は、死の一歩手前を彷徨していたのだが、考えすぎた若者には、あっさり、死んでしまった方が、この世の地獄を見ずにすむと思えたか。  別府市は事故死者や、変死者が出ると、規定によって、これを司法解剖にして、始末しなければならない責任があった。当時、市役所には「死人係」という奇妙な役職があって、そこに井本安三という五十年輩の篤志な人がいた。心中死体があがっても線路自殺があっても、みな、この安三が警察官と一しょにかけつけて、死体を始末した。  一般市民は、市役所の片隅で安三が、変死者を待って給料をもらっていることに気づいていなかった。もっとも、このような役人は保健所かどこかに、今日でも一人はいるはずであるが、平和な人たちには縁のない暗い世界といえるかもしれない。  湯平で二つの位牌《いはい》を宿に置きわすれて死んだ太地孝平の死体が、別府へ運ばれてきた時も、やはりこれをうけとったのは、井本安三であった。安三は、亀川にある別府病院の死体解剖室へ持ちこんだ。この時、部屋の隅に、白いガウンを着て、じっと死体を瞶《みつ》めている男がいた。 「草本さん、いつも、いつも、すみませんなァ」  と安三はその男の顔をみていった。 「けさ湯平で死んだ男です」  草本大悟は安三をふりかえった。無精髭の生えた、仏頂面は、由布たちがみた鶴の井旅館での風貌とちっとも変っていなかったが、どことなく、憔悴《しようすい》してみえたのは、部屋が暗かったせいかもしれない。草本大悟は白いガウンの下に、将校服のズボンをはき、例の皮の長靴だった。コツコツとタタキを歩いてきて、安三がタタキにおいた死体へ近づくと、かぶせてあった風呂敷をはらいのけた。縊死体《いしたい》は湯平でみた時より硬直をまして固くなっている。 「いくつですって……」  草本大悟は男の表情をみながらきいた。 「二十八。但し、宿帳の記入を信じてのことですがね……」  保健所の寺井がいった。 「むかし、日出生台の演習地にきていた兵隊だったそうですよ」 「へえ」  草本大悟は、死体の口のあたりを指で撫でてみて、すぐ部屋の隅へいってクレゾール水で掌を洗った。 「近くの男ですか」 「それがね、京都の男らしいんです。……昭和十七年頃の日出生台はそこらじゅうの部隊がきてましたからね。いちがいに、近くの人だともいえんのじゃないですかね。京都府警へ問いあわせても、要領を得なかったと、湯平じゃいうちょりましたですが」 「………」  草本は、窓の方へ歩いて手巻きタバコをとり出してくゆらせはじめた。 「所長は見えるんですか」  寺井が訊いた。 「いいや」  と草本は首をふった。 「死体や、パンパンの検診は、みんなわたしの受持ちだよ。たぶん、来ない」  草本は笑った。安三が、 「あんたも、えらい仕事で……」  といってこれも笑った。草本は安三の方をふりかえったが、その眼には、安三への同情が出ていた。草本が気の毒な役なら、保健所から安三さんと愛称をもらって、死体運びに懸命になるこの男も暗い受持ちだろう。 「わたしは医者だからね、しかたありません」  と草本はいった。 「いつまで、ここに置いとくんですか」 「京都の身内がくるまで……顔だけはみせてやりたいと思いましてね」  とだまっていた警官がいった。この男もうんざりした顔であった。だが湯平からかついできた、もう一人の警官は、 「前夜は、芸妓《げいこ》をあげて愉快に大酒を呑んでたそうですよ」  といった。 「……変な奴ですな……」  草本は他人事のようにいった。 「湯平に芸妓はいるんですか」 「さいきんはね、ずいぶん派手になって」  と警官がいった。 「とても、死ぬ男のようじゃなかったと、そこの芸妓たちもいうちょったです……そんなもんですかねェ、草本さん」  安三が眉《まゆ》をゆがめると、 「死ぬ者《もん》に理屈ってものはありませんや」  歯を出してまた笑った。 「わたしも、これまで、ずいぶんと死んだ人はみてきたけんどね。警察の人とも話すんだ。死ぬ人に、理屈のとおった人はありませんや。理屈がとおりゃ、生きてますよ。心中だって、首つりだって、みんな、最後までじつは生きていたい……ところが、死魔という奴《やつ》は……すうーっとやってくる。それにひきこまれちゃって……ふらふらとやっちゃう。理屈じゃわりきれませんよ」 「しかし、この男は、日出生台にいて、安心院の戦友の家へも立寄って、その足で、思い出の湯平へきたといってたそうです」  と警官がいった。               , 「へえ」  草本は、また死体の方へもどった。安三も部屋の隅《すみ》でクレゾール液で手を洗いながらふりかえっている。 「予定の行動だよね。死ぬつもりで来て……財布に銭ももっちょらなんだというじゃないですか」 「そんなこというちょりましたなァ」  と警官も死体の顔をもう一ど見直しはじめた。 「位牌《いはい》を抱いて、それを宿に残して死ぬ。ロマンチックな首つりじゃというちょりました」  ともう一人の警官。このうす暗い部屋で、いま死体を囲んでいる人びとの声は空虚にはじくだけであった。死体にそれはきこえない。きこえないけれども、死体に投げつける男たちの声は、いま異様にみえた。身元引受人がくるまで、太地孝平の死体は、この病院の保管室に置かれる。  保健所の係医の仕事は、警察官と一しょに死体を、ここへ送り届けるにあった。寺井も、草本もいま、疲れた顔を見合わせて、安三と警官の問答をきいていた。地下室だから、どこからも陽《ひ》はさしてこない。 「位牌を抱いてきちょったなら、引受人はいないんじゃないですかねェ」  と安三。 「湯平の駐在所じゃ、お父《とつ》つぁんも、おっ母《か》さんも死んでしもうちょるかもしれんいうちょりましたで」  身元引受人のない死体が、真新しい位牌を所持しているのであったから、警官たちがそう思っても不思議でなかったかもしれない。しかし、タタキの上にいま寝ころがっている死体は、うす眼をあけて硬直しているだけで、しかも心なし、周囲で憶測でしゃべる男たちを、軽蔑《けいべつ》しているふうでもあった。 〈死んだものが勝ちだ……〉  死体はそうつぶやいている。草本大悟は仏頂|面《づら》を不快そうにゆがめると、寺井を誘ってこの地下室を出て行った。そのあとを、首をふりふり市役所の安三が出た。肌《はだ》寒い夕方で外は風が出て、遠い由布山の背なかに、闇《やみ》が落ちかかっている。  草本大悟——。ここらあたりで、この男の正体にふれておかねばならぬ。元陸軍軍医少尉。静岡市鷹匠町七番地の生れだが、小学校時代に神戸にうつった。父は内科の開業医。三の宮中学を出ると、大阪医科大学に入り、卒業後見習士官として入隊した。内地勤務の軍医で転々、終戦時は宇佐にいた。別府へきたのは、宇佐時代の知友を頼ってきたのだが、神戸の家が空襲をうけ全滅、父母と弟が死亡。帰ってみてそれがわかり、しばらく何をするでもなく焼跡を彷徨していた。まだ傷心は消えていない。二十一年の六月、ふらりと別府へやってきた。友人は、亀川の国立病院に勤務している。流川から東へ入った住宅街に、やはり開業医の父母をもつ杉田正一という整形外科医である。同じ陸軍軍医少尉だった。ふらりとやってきはしたが、どこも食糧難で、居候も長つづきせず、杉田の世話で大分保健所に入った。鶴の井に泊っていたのは、杉田の家を出て、行く先がなかったからで、今の芝関の下宿でどうやら落ちついてからまだ日が浅い。とはいうものの、日々仕事は仕事である。気分も重い。伝染病患者が出れば消毒液をかついで飛んでゆかねばならぬ。変死者が出れば、今日のように立会いもしなければならぬ。朝から晩まで、混乱した世相の、膿汁のちらばったような地べたを這《は》いずりまわる生活である。しかし、この仕事も、彼自身は嫌いなわけではない。花やかな病院生活を望んでもいないし、安息を求めて、手っ取り早い開業医の養子に入りこもうという才覚もない。保健所の嘱託医で結構であった。風のように別府の町をうろついて、ぶらぶらと暮すのがまあ、今日の日常だ。鶴の井の女中たちに、自らパンパン斡旋業者であると名のったのも理由があることで、当時、別府は、石田町の兵舎に黒人兵もふくめて、約八百人の進駐軍がきていた。これら異国の勇士に、接する日本女性はざっと三百。進駐軍本部から、保健所へきびしい達しがあって、日本女性の検診を隈《くま》なく励行せよとのことであった。私娼窟はいわずもがな、オンリーと称される同棲組、巷に出て黒人兵を拾う夜鷹《よたか》組、時には「狩込み」とよんで、警察が幌のよごれたジープをかりて、虱つぶしに検束して歩くあとに尾《つ》き、多忙な時は、ジープの中で、時間があれば保健所の検診室で、女たちの躯を調べるのが、日常の、いわば聖職となっている。自嘲もいくらかふくめて、ぼくはぽんびき業だと草本はいっただけである。  うしろを尾いてくる同僚の寺井に向って、いまもこの男は芝関の坂道をのぼりながら、 「男は自殺するか、女のひもで暮すかどっちかの世の中だよね……どっちにしても、女の方がしっかりしよる。わしらもひもみたいなもんかもしれんな。そう思わないか……」  といった。 「……まあね」  寺井という保健所の事務員は、 「いま、別府には、女に喰わしてもらっている男は一万はおりましょうな、草本さん」  といった。  下宿は山|裾《すそ》の少し高まった蔭《かげ》地にある。このあたりは、谷奥に湧《わ》き湯があって、昔から、湯治客のくる宿屋が多かった。鉄輪の大湯元地帯から、山一つへだてた小谷の、奥まったところで、ひなびた旅館や、軍人や政治家の旧別荘もちらほらとみえる。草本の住む下宿は、普通の二階建ちだが、かなり古かった。山裾に南面して建っているので、通りからみると、少しかたむいてみえる。山へ入る道で、草本は鉄輪へゆく寺井と別れた。登り勾配《こうばい》の細道をひとりゆっくり歩く。と、先|程《ほど》病院の地下室でみた死体の顔がうかぶのだった。位牌《いはい》を二つ包んでもっていたという。しかも、日出生台にいたというのだ。草本も一ど、宇佐にいた頃、日出生台へいったことがあった。演習にきている久留米の部隊付きの軍医が急病で別府へ降りたので、急いで派遣されたのだが、十日ほどいた高台の、寂莫《せきばく》たる光景は今日も頭をはなれない。草千里ともいえる演習場は、ちょうど秋だったので、枯れ草の中に、点々と赤い彼岸花が咲いていた。由布山の麓《ふもと》へせりあがる丘陵の秋は、美しいというよりあの当時は荒涼としていたと思う。そこに、部隊が仮兵舎をつくっていたが、兵たちの疲れた、汚《よご》れた顔は印象的だった。航空隊とくらべて、どの顔も陰惨《いんさん》にみえた。  草本は、それらの兵の中に、いま死体となっていた男がいたかと思うと、暗い気持になった。位牌をもち歩いていた気持もわからぬではない。自分だって同じことだ。いや、自分はいま、父母の位牌さえもっていない。神戸の家は焼失したままだし、瓦礫《がれき》の山に埋まって、土台石もわからぬほどに荒れている。そこにまだ父母と弟は眠っているはずだった。やはり、あの男も空襲で父母を失ったか。そう思うと、一と足先に死んだ男が、ちょっとうらやましい気もしないではない。  草本は、井村と表札のある下宿の玄関を入った。老婆が白髪をふって出てくると、 「お帰りなさい、手紙ですよ」  といって、さし出した。白い角封筒だった。表書きをみて首をかしげた。思い出せない差出人だったからである。いや、思い出せないというのはあたっていなかった。気になっていた女の名であった。鶴の井旅館にいた頃に、係女中をしてくれた、近くの在の女である。柿本由布。名が変っているのでやがて思いだせた。上手《じようず》ではないが、女らしい細い字体で、楷書《かいしよ》でかかれている表書きをみると、愛想もよく、明るかった由布が、草本の頭にやがて鮮明となった。 「草本さん。お元気ですか。とつぜん、手紙をだして、うちが、湯平にきているので、びっくりなさると思います。草本さんは、あいかわらず、ぽんびきしていますか。由布は元気です。今日、手紙しますのは、御礼をいいたかったからです。それは、ペニシリンのことです。あれ本当にありがとうございました……」  草本は明るい光りをうけたような気がしてよみすすんだ。 「ペニシリンが、あんなに、よく効くくすりだと知りませんでした。この宿の芸妓《げいこ》さんで、急性肺炎にかかったひとがいました。村のお医者さんにきてもらいましたが、くすりがなくて、困っていたのをみて、由布は草本さんからもらったくすりを思いだして、お医者さんにあげたのです。お医者さんは、すぐに、友だちのお尻《しり》に注射しました。そしたら、一時間ほどして、熱がひいて、翌日から、起きてお粥がたべられるようになりました。びっくりしました。あんなによくきくくすりははじめてです。ここのおかみさんにきくと、ペニシリンは、うみのでる病気に効くということでした。由布はそれで、一|瓶《びん》を大切にもっています。これが早く由布にもらえていたら、弟は死ななくて済んだのではないかと思いました。草本さん、由布は、大事なペニシリンを一生はなしません。本当にありがとうございました。  ここは湯平でも、町のまん中にある『ときわ』という大きな旅館です。うしろに川が流れています。川向うはすぐ山です。景色は別府よりはいいです。海はみえませんけど。  山をこえて、高原へ出ると、小田湖という湖があります。そこは、いっぱい鳥がいて、それに、花もいっぱい咲いています。ミヤマキリシマも咲いています。休みの日に、うちたちは、湖の方へゆきます。そうして、イタドリをとったりします。  草本さん。ここは別府より、空気はいいです。その上、働いておっても楽しいです。ここでは、部屋係りの女中さんは、うちたちとは別に働きます。うちたちは芸妓です。三味線ひきます。踊りおどります。由布は一生懸命、教わって、唄《うた》も踊りも上手《じようず》になりました。お客さんもふえてきました。おかみさんもいい人です。とみちゃんとも、ここへきてよかったといっています。  草本さんは、別府がやっぱり好きですか。由布はきらいです。湯平の方がはるかにいいと思います。いちど、ひまがありましたら、『ときわ』へ泊りにきませんか。由布ととみ子は、一生懸命サービスします。  ひまをみて、ぜひ泊りにきて下さい。待っています。変な手紙になりました。びっくりなさる顔がみえます。由布は書いてもらった地図を大事にもっています。ペニシリンも大事にしています。 [#地付き]さようなら」 [#改ページ]     五  章  朝から鴉《からす》が出ている。いつもは、山の中腹の、黒松林の中からとび立って、谷の上を旋回しているが、その日は数が多かった。窓をあけ、仰山の鴉やわね、ととみ子がいったので、由布も首をだして山の方をみた。鴉は黒い炭粉でも撒《ま》いたように谷の空をとんでいる。高いので、啼き声はきこえないが、十羽、二十羽と集団をなして、とんでくる。 「なんか、山ン中に獲物があるんじゃろうか」  とみ子が首をかしげた。 「不思議じゃなあ。柿《かき》があるんとちがうじゃろか」  この年昭和二十五年の秋は、山柿がなり年であった。いつか、谷の向う側へ散歩に出た時、川原から、疎林の梢を仰ぐと、橙《だいだい》いろの小さな渋柿が、花が咲いたように、鈴なりだった。 「きっと、渋柿ねろうちょんのや」  と由布はいったが、この鴉は、午《ひる》すぎになっても、「ときわ」の正面の山の中腹を去らず、時間がたつほどにふえていった。北九州一帯の鴉がここにあつまってきたような気がした。  鴉といえば、由布岳の麓《ふもと》にも多くいた。秋から冬にかけて、山に実りが多くなると、そこらじゅうからあつまった。由布は、雀《すずめ》より鴉が好きであった。よく、牛追いに出て、夕方、牛とまちがえるように岩があったりすると、その上に鴉が集まっている。由布は石を投げて追い散らした。鴉がとびたつと、走っていった。岩の裏側に、穴があいていて、いっぱい、木の実だとか、虫の死んだのなどが貯《たくわ》えてあった。由布は、鴉というものは、きまったところに、巣をもつのではなく、そこらじゅうに、巣をつくって、泊り歩く、と思った。それからは、鴉のあつまる大岩のあたりへはあまりゆかないようにし、たとえば、石に大穴があいていたり、樹木の中ほどに、枝のこんだ黒い部分があったりすると、遠目でもそれとわかって、ああ、あすこに鴉が棲《す》みついとるんじゃわ、と思うようになった。  いまも、そのことを思う。しかし、湯平でこんなに鴉をみることはめずらしかった。夕方になって、溜《たま》り部屋で化粧していると、ひさとかね子がやってきて、 「今日《きよう》のお客さんは、別府からおいでる人じゃけん、あんたら、別府の芸妓《げいこ》さんに負けんようにサービスしちょくれ」  といった。別府の客ときけば、由布もとみ子も気になった。 「会社の団体ですか」 「会社じゃないけんど、まあ、会社みたいなもんじゃわ」  とひさはいったが、ふたりには曖昧《あいまい》にきこえた。六時頃になると、十人以上もの、人相のあまりよくない闇屋《やみや》ふぜいの若者が、トラックを騒々しく乗りつけてきた。  この客は予約で、みな二階の部屋へ配られた。帳場の話だと、あとで人数がふえるということだった。十七人いた。いずれも、二十七、八までの岩乗《がんじよう》な男で、素姓が知れない。頬《ほお》に傷があったり、小指のない男もいたりした。言葉づかいも乱暴で、岡山か広島あたりの訛《なま》りだと、ひさは言った。だが頭株の男だけは、ちゃんとしていて、いやに礼儀正しかった。若者たちは、頭株のことを、先輩、先輩とよび、頭株は手下の者を、舎弟、舎弟とよぶ。それが女中たちにおかしかった。誰いうとなく、別府へ新しくきたテキヤではないか、ということになった。たしかに、テキヤにふさわしい男ばかりだ。別府は、この頃から、駅前や流川、浜脇を中心に、博徒《ばくと》や、地廻《じまわ》りがふえた。これらは、いわば私設警察といってもよかった。闇市で売る品物がみな統制品であり、盗品や、軍の横流しなど、まともなルートのものはなかったのだから、経済警察や、保健衛生官が手入れすれば、あらゆる闇商人はお手あげだったろう。屋台店のうどんも、仮バラックの焼酎《しようちゆう》も、酒も、いかがわしかった。しかし、これらの商人は、それを売らねば生きてゆけない人たちばかりだった。屋台を張る連中にも、父なし子を抱《かか》えた若い未亡人がいる。父母を戦死させた若者もいる。みんな、裸一貫で投げ出されて、混乱の世を生きようと死物狂いになっている人たちである。これらの、商人たちを保護するのが、地廻りとよぶ私設警察であった。前述したように、日本警察は、進駐軍の手下で辛うじて治安維持につとめているけれど、その私生活は大きな矛盾をかかえていた。闇を取締らねばならないのに、自分は、妻に闇米を買わせている。そうしなければ、子が飢えた。したがって、警察官などになり手はなく、大分県でも、隣県の福岡でも、宮崎でも、昭和二十二年秋ごろからは、民間から広く募集したが、応募者はなく、人数も減る一方で、日ましに不足していた。  それにもまして、世は騒々しく犯罪がふえているのであった。強盗、強姦《ごうかん》は毎夜のようにあったし、進駐軍の横暴も目にあまった。こんな時、地廻りや、テキヤの若者の果した仕事は大きい。彼らが温泉都市別府の一時期の治安を守って、混乱を救ったのは皮肉なことといわねばならない。いや、このような博徒が、戦後復興の、大きな原動力ともなっている。 「ときわ」のその夜の客は、たしかに、その連中にちがいなかった。誰もの言葉づかいをみても、親分子分の間柄らしく、しかも、昨日あたり、別府へやってきた者ばかりのように思われる。 「あんたたちゃ、どっから来なさったかね」  ひさが訊《き》いたら、 「広島だ……」  とこたえるのがいたし、 「わしは岡山だ」  というのがいた。どれもこれも人相がわるいので、女中たちは、気がるに、話しかけもできず、いわれるままに、押しだまって風呂《ふろ》の用意や、食事のしたくをしていた。一時間ほどおくれて、また一台トラックがついて、七人ふえて、合計二十四人が、大広間で宴会を張った。持ち込みの酒をみると、広島の地酒であった。もってきた米も白米であった。川石つなは、持ち込み客は歓待する。というのは、通常の客とちがって、大びらで騒いでもらっても、理がとおったからである。つなは由布たち芸妓《げいこ》にお酌させて、自らもあいさつに出た。酒がまわるにつれて、唄《うた》も踊りもはずみ、若者たちは、手を打ってはしゃいだ。宴会がはねたのは十一時すぎ。見た目は人相のよくない男でも、ふしぎと、統制のとれたところがあって、中には子供っぽい好感のもてるやさ男もいた。二十一、二と思えるのが、由布に、 「湯平の妓《おんな》は部屋にきて寝てくれるときいたが、あんたらがそうかい」  ときいた。 「うちたちゃ、ちがうよ」  と由布は蒼《あお》くなってこたえた。 「どこへゆけば、いいんだな」 「表へゆきなさったら、寺本屋ちゅう家があるで、そこへ行ったらいいじゃわ」 「きみたち、あかんのかい」 「うちたちゃ……そげなことしたらお女将《かみ》さんに叱られますよ」  と由布はいった。けれども、男たちの中には、由布に好色な眼を投げ、早や狙《ねら》っているのがいた。由布は、早く階下へ降りたかった。ところが、この夜、とみ子はめずらしく酔った。名本いちも、上|機嫌《きげん》だった。名本いちが、松山にいた頃に、知りあった男と遠縁にあたるのが客の中にいたとかで、有頂天になっているのだ。由布は、とみ子といちが仲間だったから、つい、ふたりにつられて、大広間に残る組に廻《まわ》った。 「きみたちが寝てくれんなら、外へ出て、呑《の》み屋へでもゆこう。どうだ。ごちそうするぜ」  と名本いちの相客がいった。表へ出れば、目抜き通りにおでんを売る店が二、三あった。スタンドではカストリも呑ませた。由布たちは、お腹《なか》がすいていたので、男たちと外へ出てもいいと思った。秋末の一日である。外は晴れていて、月夜だった。どういうかげんであったか、めったにこんなことはなかったのに、酔った勢いで、ふらふらと誘われて外へ出てみたくなったのだ。あとから考えると、この時に、もう魔の風が吹いている。  気がついたら、「いなりや」にいた。ここは寺本屋から、一町ほど奥の、小さな宿で、よく芸妓たちが、つれ込みに使うという評判の家であった。こんなところへ、どうして入ったか。とみ子もいちもいるので安心したのだろう。由布は、「ときわ」を出る時は、そんなに酔ってもいなかったのに、途中で、おでんを売る「いさみ」でビールを、つづいてスタンドの「ミキ」で酒を呑んだ。一しょにいた男は、小島、磯野、八重樫と、良《よ》っちゃんとよばれる四人づれで、この男たちの名をおぼえたのも、はしごをしはじめてからであった。四人とも感じがよい。感じがよいというのも、じつは気っぷがよくて、金払いが無造作で、由布たちが、欲しいというものを、惜しげもなく、ご馳走《ちそう》してくれたからであろう。名本いちにべったりくっついて離れない八重樫は、松山にいた頃の話に夢中だった。とみ子は磯野という、二十四、五の色白の痩《や》せた男に好感をもたれて、満更でもない顔で、しきりとビールを呑んでいた。由布は、しかたなく良っちゃんと、小島にはさまって、無理矢理呑まされたのだが、「いなりや」へあがった時は、もう一時をすぎていた。  客に誘われて、外歩きをするのは今日にかぎったことでない。三人つれだってのことなら、週に一どくらいある。しかし、つれ込み宿へあがったのははじめてで、あがってみて、こんなことは、寺本屋の妓《おんな》らがすることだと、反省もした。しかし、勢いにまけて、どうすることもできなかったのだった。四人の男は、そんなに狂暴なかんじはなく、もう一軒、もう一軒と誘われていくうちに、「いなりや」の戸があいていたので、ふらふらととび込んだ。表の部屋の床を落して、タタキにしたこの宿は、そこにテーブルを置き、やはり、おでんだの、焼鳥だの売っていたけれども、店の灯は消していた。由布たちは、タタキのよこの上りはなから、スリッパをはいて、廊下を通った。と、べつの部屋に、客がいて、妓たちの嬌声《きようせい》がした。もちろん「ときわ」の芸妓たちではなかった。寺本屋の妓らか、新しく出来た館《やかた》の妓だったろう。下卑た叫び声もきこえた。部屋に入った瞬間から、由布は酔いがさめはじめた。「いなりや」は、美智枝やまつたちからもきいていて、妓を大事にしてくれる女将《おかみ》がいるということだった。だがその女将は出てこなかった。ビールが出てとみ子といちが一しょにコップをあけた。 「由布ちゃんも呑みな」  小島が、のっぺりした額のせまい顔をよせてくるのを払いのけるようにして、由布は、 「うちは、帰る。酔うたから帰るわ」  といってふらふらと立ち上った。すると、良っちゃんが、うしろから、 「おれが送ってやるよ」  と立った。とみ子といちが、とろんとした眼で由布を追った。 「待っとってや……うちらも、すぐに帰るで……待っとって」  ととみ子がいった。しかし、その声は、まだ、この部屋で呑みたそうであった。いちも、筋肉質の八重樫に手をとられて、根を生《は》やしたようにすわりこんでいる。このままだと、夜明けまで呑んでいそうな気配なので、由布は、帰りたくなった。そういえば、眠気も襲ってきている。 「うちは、もう帰る、あんたら、ゆっくりしちょったらええ。うちは、ふらふらじゃ」  由布は、舌がもつれるのがわかった。しかし、ここまで呑まされたことへの後悔は不思議となかった。まったく不思議なことだが、広島、岡山、松山からきたという二十四人の若者たちは、どことなく、あけっぴろげで、近在からくる客とちがって、男らしくあっさりしていた。「ときわ」にきて、もう三年もたつ。顔|馴染《なじ》みもできて、由布たちは、しつこい客、あっさりした客、好色な客、酒だけ呑ませておけばよい客、唄《うた》ばかりうたう客、のあそばせ方も心得ていた。ところが、この夜の客はそれらのどれともちがっていた。まるで、渡り鳥のむれが、さあっとこの湯平の谷間へ落ちてきたようで、名前は教えてもらっても、はたして、その名前が本名なのか、どうかもわかりはしない。トラックに乗って、風のようにやってきた連中、それにずいぶん金づかいも荒い。  もちろん、由布たちのグループのほかには、この一行と町へ出た組もいる様子だし、「ときわ」に残って部屋で麻雀《マージヤン》をはじめた連中もいた。美智枝や、かよ子やまつたちは、それぞれ、目あての男をつれて、この時刻は、もう床に入ったかもしれない。  由布は、このまま、とみ子たちと一しょにいると、「いなりや」に泊ってしまいそうな危険を感じた。泊れば、男たちの欲望にこたえねばならない。由布は、男の経験はまだなかった。空恐ろしい気がした。しかし、不思議と、酔ったせいもあって、気分がうきうきしている。こんなことはめずらしい。 「とみちゃん、うちは帰るで……良っちゃんに送ってもらうで」  廊下へ出た。良っちゃんはにやにやしながら尾《つ》いてきた。 「あんた……自分勝手じゃなあ」  とみ子が怒ったようにいった。 「先に帰ったって、しようがないに」 「まあ、いいじゃないか。良っちゃんが送りたいんだから……帰るものは帰らせなよ」  磯野がいうと、八重樫も、そうだ、そうだといった。すると、小島がふらふらと立って廊下へ出て、 「おれも帰る」  といった。とみ子といちが残されて、由布がふたりに送られて帰ることになったのである。それでよかった。とにかく、早く帰って眠りたい。由布はもう眼がとろんとしている。  外へ出ると大きな月が出ていた。良《よ》っちゃんがわきに、小島がうしろから坂道へきて、「ときわ」の方へまがろうとした由布の手を両方がひいた。 「川の方へ行こうよ」  由布は酔っている。足がふらつく。 「橋があったね。あっちへ行ってみないか」  小島が由布の肩へ手をまわした。両方から男に寄られると、由布は固くなった。良っちゃんと小島の、どちらを自分が好いているのか、ふと考えた。良っちゃんの方が好きであった。小島は額のせまい顔だちで貧相だ。ずんぐりしていて、陰気だ。良っちゃんは、まだ学生みたいである。二十三だと言っている。丸首セーターに、黒の上着を羽織った格好もちょっときざではあるが似合っている。由布は、小島の手をはらいのけて、左わきから手を握っている良っちゃんの手に、力を入れた。小島はちょっとはなれた。と、どういうわけか、急におくれ足になり、 「おら、帰る」  といった。 「うん」  と良っちゃんはいった。由布は手をつよく握った。由布は、小島が何かいった声を聞きもらしていた。良っちゃんがいった。 「川の方へゆこう……寒いことはねえぞ」 「うん」  由布はうなずいた。早く帰りたいという気はたしかにあったが、しかし、いま帰れば、「ときわ」は寺本屋の妓《おんな》らがわんさといて、騒然としているかもしれない。もう少し、間をおいて帰りたい。良っちゃんならいい。良っちゃんなら、わるいことはしないだろう。 「言うちょくけんど、うちに変なことしたら怒るからね。なーんもせん約束しちょくれね」  由布はうたうようにいった。そういったことが、かえって、良っちゃんの気をそそったことに気づいていなかった。  川へ降りる道へきて、由布は先に歩いた。そこは「西伊」という小宿の裏手になっている。いま、その「西伊」の物干場に、白いものが月に照らされて光っている。谷川へは九十九折《つづらおり》の道だった。足もとが危《あぶ》ないから、由布はおくれ足になった。すぐうしろを良っちゃんがついてくる。 「きみ」  良っちゃんがいった。 「いつごろから、ここにつとめてるんで……」 「……うちは三年とちょっとよ」 「好きな人いるんか」 「そげなめんどくさいひとはおらん……うちはひとりが好きなんやわ」  由布は先に川へ降りた。涸沢《かれさわ》のような石川原がある。水はところどころに淵《ふち》をつくっている。由布は、岩の下の淵にぽつんと落ちている月をみた。そこにしばらくしゃがんだ。  きれいだ、と思った。風に顔をなぶられていると、良っちゃんが近づいてきて、急に、羽交《はがい》締めに抱きつかれたのだった。  不意だったので、逃げ切れなかった。ふわりと躯《からだ》が宙にうき、足をばたつかせても、風が裾《すそ》を割るばかりで、助けてェと声をあげても、谷|下《した》なので、むなしく空に吸われた。やめて、やめて。胸へまわした良っちゃんの手に噛《か》みつこうとするが、力は強くて、川原の砂地を、ずるずるとひっぱられた。息ぐるしくて声も出ない。足をばたつかせ、お母ちゃん、お母ちゃんと叫んだと思う。  抵抗すればするほど、良っちゃんは強くなり、狂暴になった。川原の隅に小舎があって、そこの板敷の床に押し倒された。髪にいっぱいカンナ屑《くず》がまぶりついた。夏場は釣り人の休み場になっている。秋はじめには大工が入っていたので、「ときわ」の窓からもよくみえた。その小舎で、こんな目にあうなど夢考えていない。  鴉《からす》がとびたったのは、抵抗をやめて男のなすままになった時だった。破れ屋根のスキマから、灰色の空がみえて、無数の鴉がとびたった。由布の声で眼をさましたのか、中腹あたりの黒い森から、羽ばたいてはとび、羽ばたいてはとびして、やがて、黒い端切れを落すみたいに谷へ落ちた。由布は男をはねのけて走ったが、恥じらいと、屈辱感と、憎悪《ぞうお》とで、胸がはりさけるようだった。くやしくて、くやしくてたまらなかった。うしろから追ってきた良っちゃんが、 「怒ったんかい、ちょっと待ちなよ……おれ、おめに、金《かね》やっから。ほら」  息せいて帯に手をかけてひきとめた。 「金やっから……」  という良っちゃんをにらみつけて、 「うちを馬鹿にせんじょくれ。うちは、こげなこと、はじめてやったんよ。金なんか、いらん。ほっといちょくれ」  あとは涙声になってつまった。掌《てのひら》を顔にあてて、由布は泣きだした。  のちになって、由布はこの夜泣いたことについて、本当にあの時くやしかったのか、疑問だったと思った。 〈おめ、最初に知った男は誰じゃ〉と訊《き》かれても、由布は、うす笑いをもらして、 「名前は知らんじゃった」  といって話をそらせるのは、このためであった。男の本名は何といったか、良っちゃんとしかおぼえていない。正体不明のこの若者は、翌日、日出生台へゆくといって「ときわ」を出たきり二度と顔をみせなかった。ゆきずりの男に、処女を呉《く》れてやっても、由布は後悔していなかったのである。いつかは会わねばならぬ目に遭《あ》っただけだと思っていた。昭和二十五年秋。もう日出生台には、アメリカの兵隊がきていたのだ。  日出生台は進駐軍の巣だった。女たちが、アメリカの屯営《とんえい》に寝泊りして、莫大《ばくだい》なドルを稼《かせ》いでいるそうな。兵隊はあすにも韓国へ征くらしい。金払いがよい。大半は二十前後のチェリーボーイ。若杉の部落の話だと、どの農家にも女が間借りしていて、朝夕兵隊が出入りし、女の稼ぐドルは闇《やみ》で買われて、大分の交換所へ通うドル買いがいて、稼ぐ娘は、一日に二十ドル、三十ドルと貯《た》め、宝石入りの外国時計、首飾り、髪も茶色に染めて、外人気取りで濶歩《かつぽ》していた。一日に千円も二千円もの新円を貯金する女もいて、湯布院の郵便局は行列だそうな。湯平へそんな噂《うわさ》がつたわるのも夏末である。みみっちい日本客相手の温泉宿で、百円や二百円の代償に躯《からだ》を売る生活とは月とスッポンだと噂がつたわった。同じ稼ぐなら日出生台へ出よう。そんなささやきが至るところで聞かれはじめた。  日出生台。由布にとっては、五年前までは、まだ、青草の茂った由布岳の麓《ふもと》からつらなる平原だとしか思えなかった。いったい、あの平原に、アメリカの兵隊がどんなふうに、屯営しているのか。若杉の村も一変したときいたが、どんなふうに変ったか。 「ときわ」から、四人の妓《おんな》が脱落して、湯布院へ越していったのは十月だった。面白半分に見物に行ってきた男の話だと、湯布院の町はアメリカ兵と黒人兵と、南韓国の義勇兵の三隊がいて、およそ、二万人の兵隊で、混雑しているそうである。  韓国に内乱が起きたのは六月だった。三十八度線を境にして、南北の同胞が殺しあいをはじめた。事件発生を機に、北九州全域に散宿していた連合国軍は、日出生台に集結して、由布高原で朝夕となく、野戦訓練を開始したのである。  もともと、日出生台は、日本軍隊が健在だった頃に、演習場だったところだ。終戦によって、それが崩壊すると、韓国人開拓民がきて、芋づくりをはじめたが、これもすぐ立退《たちの》きになった。二十一年の六月、連合国軍は正式接収し、九州駐留軍の演習地として使った。ところが二十五年までは、まだそんなに騒々しい数でもなかったのに、韓国事変の勃発《ぼつぱつ》から、急に活気を帯び、日米が戦っていた時にもそうであったように、ふたたび、連合国軍の演習で、脚光をあびたのである。日本軍隊と共にあった由布高原が、入れかわったアメリカ軍の根拠地になって、また実弾投下の修羅場《しゆらば》に化したのだ。 〈あン山には平和は無《ね》えん。いつの世も大砲をぶっ放しちょるんじゃえ。おじい山じゃのう……〉  と附近《ふきん》の古老たちが語りあったのも、この事情からであろう。誰もが眼をつぶると、八月十五日の終戦の日に、この高原で燃えた二十機の旧陸軍飛行機の白い煙が瞼《まぶた》の裏にあった。部落の人が火をつけて焼いたのである。あの日は短い平和の一日であった。 〈戦争は済んだ……平和がきた……兵隊はみーんないなくなった〉  そう思ったのもつかのまだ。新しい飛行機が、鴉《からす》のむれを蹴散らしてやってきた。  いま手許《てもと》にある「日出生台演習場関係補償史」を繙《ひもと》いてみると、次のような一文がある。 「米軍等が、日出生台に進駐した当時、演習場には旧陸軍飛行機が二十機あったが、米軍の命令で部落民はこれを焼却した。この飛行機の焼けるまえで、敗戦の惨《みじ》めさを心の底から味わい、また悲しんだものである。大東亜戦の末期である昭和十九年頃は、食糧はますます苦しくなった。陸軍当局の食糧増産策で、演習場内および附近の原野、中ノ原、城金、段原、秋塚、堀、千間原に開拓作業をするため韓国人を主として『あかつき部隊(農耕隊)一個連隊』が編成され、陸軍監視の下に、終戦まで作業をつづけた。終戦後部隊は解散したので、この後《あと》に開拓団が入植し、これをひき継いだわけであるが、これも米軍等の進駐とともに、場内より追い出される結果になった。米軍等は演習場への進駐経路として、玖珠、九重、院内、安心院各方面からの道路をそれぞれ使ったが、湯布院からが一番に便利がよくて、旧陸軍当時に演習場への兵員、兵器、物資等の運搬、移動を速《すみやか》にするために、湯布院駅西側に久大線中一番長い貨物ホームを設けたところから、鉄道を利用してくる部隊のほとんどが湯布院駅で乗降した。また、福岡、大分、別府方面からくる部隊は、ほとんどが県道町道を使用したが、鉄道、道路を使用する場合でも、日出生台に入る最短コースとして、乙丸より日出生台に通ずる道は一本しかないので、これらの部隊は湯布院駅附近より、日出生台演習場までは、徒歩で、延々と行列をつづけた。占領軍は、旧陸軍とまったく異なった近代装備だった。大型兵員輸送車、ハーフトラック、レッカーM四、M二十四戦車、牽引《けんいん》車、八|吋《インチ》カノン砲、迫撃砲、バズーカ砲、ショベル、ブルドーザー、ジープ等、当時でははじめて見る重軽車のむれが、白黒さまざまの各国兵隊と共に進駐した。この当時の国内事情は、食糧、物資きわめて不足しており、長かった戦争のために、国民もつかれ切っていたので、道義はまったく地におち、世情はこんとんとしていた。湯布院町はまだ町制がしかれていなくて、湯布院村といったが、民情はまったく素朴のままだったのが、米軍等の進駐開始とともに、進駐軍相手の売春婦が約七百名。暴力団、闇《やみ》ドル買い等が多数、他から移住してきたため、静かな村は一変して危険地帯に変った。各種犯罪が日夜起きた。このため村の指導者たちは、夜も寝るひまがなかった。すべて物資は配給制度、タオル一枚でも貴重なもので、簡単に手に入らぬ頃であったが、物資豊富だった占領軍の衣料品、罐詰《かんづめ》、タバコ等が、売春婦、ドル買いの手を経て民間に流れた。これを利する悪徳商人が横行した。また、占領軍相手の売春婦が、毒々しい化粧をして衆人環視の中を平気で占領軍にたわむれる姿がみられた。夕刻ともなれば、別府方面からトラックや三輪車で多数の売春婦が入りこんできて、民家や山や野原で、ところかまわずの陰惨たる光景を展開している」  とある。みじめな時代の、みじめな人たちの汗と血にぬりたくられて、由布|山麓《さんろく》が、無法地帯と化した事情はこの小記に躍如としている。  じっさい、アメリカ軍の日出生台建設はめまぐるしかった。大きな戦車や砲車をはこばねばならないから、湯布院の乙丸から日出生台に通じる県道は三メートル幅ほどしかなかったのを、沿線の民有地を強制没収して、急遽《きゆうきよ》拡張工事をはじめた。地主たちにことわり無しであった。あれよあれよとみるまに、田畑はけずられ、山は裸になった。陸軍の頃は、まだ玖珠町の小野原が中心だったのが、湯布院若杉部落に近接する原野へ演習場を拡張してきて、機械力と厖大《ぼうだい》な使役人によって、短時日のうちに約二百|陌《ヘクタール》の原野を約二十六万立方|米《メートル》掘り削り、谷間を埋めた。そして、兵舎その他の建物が九十四|棟《むね》も建った。飛行場、滑走路、ライフル射撃場、モータープール、戦車練習場、給水施設等が、みるみるうちに、高原に現出したのである。  もっとも、この工事は梅林組という土木請負業者が、師団司令部の命をうけて完工したものだが、突貫工事だったので、附近の農民や失業者が多数かり出されている。隣国韓国で戦争が起きている。時には、思い出すだにいやな空襲警報のサイレンも鳴りひびく。附近の人たちはまた戦争かとふるえ、一夜にして様相をかえる演習地は、まるで、基地と化した。いろいろなデマが飛んだ。大勢の韓国人がやってくる。やがて、日出生台は、韓国戦争の基点になるだろう。そうなれば、共産軍側の爆撃目標になるかもしれぬ。いやそれは当然で、ふたたび、悲惨な戦争にまきこまれるかもしれない。それでなくても、湯布院駅には、イタリア戦争で武勲を馳《は》せたアメリカ歩兵三師団が、ぞくぞく降りてくるではないか。長い駅のホームを埋めるチェリーボーイは、よごれたトラックに満載され、拡張されたばかりの県道を、山へ山へと吸いこまれてゆく。  高原の彼方《かなた》では、朝早くから轟音《ごうおん》だ。マンモス砲の実弾射撃だ。うなりをあげて低空飛行してくる小型爆撃機。地底をゆるがせる重戦車。湯布院側から空を仰いでいると、土けむりや、砲雲が空を染めぬ日はない。  もちろん、この演習地は、日本人は立入り禁止、高原で何が行なわれているか、推しはかるすべもなかったのである。だが、これらの地域に入りこめたのは、皮肉なことながら、女性であった。すでに、歩兵三師団や、韓国の義勇兵が駅に降り、山へ山へと吸われる頃には、その通り道であった山中の若杉部落の人たちは、立退《たちの》いて、若い娘や子供らは、遠縁をたよって森や宇佐の方に移住し、残っているのは、老人ばかり。二十数戸の部落は、無人に等しく、人影のない寂《さ》びれた光景だったが、しかし、それもつかのま、これらの農家の空家《あきや》や、物置が、売春婦の根拠地になって、奇妙なにぎわいを呈しはじめたのである。畑を略奪された住民たちは、望外な値段で売春婦たちに部屋を貸すことで、辛うじて生計をつないでいたのである。  女たちの大半は若かった。十八、九歳から三十歳にいたる年齢が多く、最初は、別府の浜脇や海門寺あたりにたむろしていた女性が移住してきたが、何しろ、突如として一個師団の人数が山上に集結したのだから、これらの若者たちにくまなく配布されるにしては、人数は足りない。司令部は非公式ではあるが、売春婦に関する性病予防、検診取締など、村役場に指示してきた。いわば、外国兵に対しての売春は大びらになったのだろう。日本警察は手も足も出ない。当時、女たちが一回の交渉で手にする額は一ドル。彼女たちは若杉部落の民家や物置を改造した根拠地に起居し、性に飢えた若いけものたちを喜々として迎えた。一日に十ドル稼《かせ》ぐのがいた。湯布院へこの話がつたわると、噂《うわさ》はひろまり、日出生台へ日出生台へと、どこからともなく、躯《からだ》をひさぐ女性が集まってきた。遠い所は神戸、大阪からくる未亡人や娘があった。  若杉部落に頼母木という七十二歳の老人がひとり残っている農家があったが、そこには六畳、八畳、四畳半の母家《おもや》に、物置と漬物小舎《つけものごや》とがあった。そこへ約二十一人の女性が投宿している。約というのは、出没がはげしかったからで、これらの女性たちは臆面《おくめん》もなく相部屋で兵隊を迎えていた。兵隊たちは、チョコレートやビールを酒保から運んできて、つましかった茅《かや》ぶき屋根の農家が、たちまち、けものに似た男女のひしめきあう穴ぐらになり、酒池肉林の朝夕がくりひろげられる。最初は頼母木の家をひんしゅくしてみていた隣家の人も、頼母木が、女たちから莫大《ばくだい》な間代をせしめる上に、罐詰《かんづめ》食料やタバコに事欠かないのをみて、羨《うらやま》しくなった。夏の終りに、全部落は、売春婦の巣窟《そうくつ》に化している。だが、たった二十数戸の宿舎ではおさまらなかったので、テントを張る売春婦の一団があった。神戸からきたという二十歳前後の、勇敢なパンパン部隊は二十人いたが、彼女たちは、携帯用のテントをもっていた。まるで、野戦兵士のように、流れ川で米をとぎ、七輪に火をおこして飯を焚《た》き、交代制で炊事生活しながら、テントへ順ぐりにチェリーボーイを入れた。ひところは、若杉部落の周辺から、湯布院へ降りてくる櫟《くぬぎ》林や、杉林の中に、赤や青の原色の干《ほし》物が風にはためき、まるで彼岸花が毒々しく咲いたように、無数のテント小舎が現出している。  これらの女性部隊を、取締まる日本警官はいなかった。別府キャンプにいたのは歩兵第十九連隊であったが、これは六月二十五日に姿を消した。みな韓国へ出動した。七月に入って、クラーク中将の指揮する歩兵三師団一万六千人。韓国兵四千人。二万を上回る部隊が行列をつくって山に入った。約四か月間、日出生台演習地で実戦さながらの猛訓練をつづけたのである。これらの兵隊とともに、七百人の売春部隊も山野に屯《たむ》ろし、昼夜の働きをした記録は、今日どこをみても見当らない。  見わたすかぎり、ススキ、チガヤ、ハギ、ササにおおわれた湯布院原野を、しずかに見下《みおろ》していた山だけがそれを知っているのであった。由布岳は、いくらマンモス砲の実弾をうけても、たじろぐこともなく、裾野《すその》に咲いた赤や青のテントの花を眺《なが》めて動かなかったのだ。  湯平の「ときわ」から、芸妓《げいこ》たちがひとり抜け、ふたり抜けして、夏末は由布といちととみ子しかいなくなった。みな、日出生台へ移住していったのである。川石つなは、たえず新聞広告をだして、新入りの娘たちに、芸事を教え、日本人相手に働くことを訓育したが、どの娘も永《なが》つづきせず、いくらか、客あつかいにも馴れて、金銭への欲目が出てくると、みな日出生台へゆきたくなる。昨日きた娘がすぐ見えなくなるといったケースもあって、由布たちも、おちおちしておれなくなった。  寺本屋も、川かみの宿も、みな閑古鳥が啼《な》いた。じっさい、日本人客はみみっちかった。たまに、金払いがよくて、散財する客があるかと思うと、それらはみな法網をくぐる闇《やみ》商人である。あす警察につかまるかもしれない胡散《うさん》くさい男だし、しかも、この客たちは、湯平へくれば、女性が抱けるという宣伝をきいてきているので、要求だけは激しかった。  由布たち三人の盟約は、夏ごろから川石つなや、かね子たちがしきりと訓育することもあって、名分だけとなった。とみ子もいちも客部屋に泊るようになっている。由布だけが、固《かた》くまだ躯《からだ》を閉じていたが、とみ子といちが、日出生台へゆくことを思えばまだましだと由布は思った。ところが九月末に由布も、ふと魔風にさそわれて、名もしらぬゆきずりの若者と関係をもったのだ。  由布は、その自分をべつにかなしいとは思わなかった。良っちゃんに、三枚の百円札をにぎらされて、呆然《ぼうぜん》と夜の川原に佇んだ時、由布を襲った感慨とは、くるべき日がきた、という思いだけである。考えてみるに、由布にはつよい貞操観念というようなものはなかった。  別府から塚原へ帰った時、母が村へ疎開してきていた川田の家の男をよびこんで、仲むつまじく話しこんでいるのをみた。その時にもつよい不潔感をおぼえていない。ただ、男に接することの不安と、面倒さが、とみ子やいちよりも多少は重かったのだと思う。  躯も大きくて、成熟も早かった由布に、いったん、男と接する勇気が出はじめると、かね子やつなが驚くほどの、奔放さがみえた。不思議なことながら、由布の挙動にはめっきり女らしさが出て、顔にも、物言いの端々にも、女めいた艶《つや》があふれた。由布は大柄に似あわず、性に対しては、とても臆病《おくびよう》だったのだが、固くとじていた躯のまわりに、はりついていたうす皮が、はがれだすと、母親ゆずりの血潮が全身に奔出した。  由布が、客の口から、塚原の村が実弾射撃の真下になり、毎日、村人たちが轟音《ごうおん》の下で泣いているときかされたのは、十月はじめのことであった。 「村の人らは猛反対しとるそうやけんど、どうもならんのじゃ。アメリカの大砲は射程距離がながいけん、十文字原から日出生台にむけて撃っとるちゅう噂《うわさ》で。そうなると、あんたの里は、弾道の下になっちょる……」  とその客はいった。  由布は、ながい間、塚原へ帰っていなかった。一つは母の私生活をおびやかしたくなかった。無性に帰りたいと思う日があっても、がまんした。それと、由布の気持の中に、塚原に憧《あこが》れたころの幼い心が影をうすめて、在所は遠くはなれて心に抱《いだ》いていた方がいい、といった大人の考えが芽ぶいていたせいであろう。別府にいた時のように、日がな由布山を眺《なが》めて、母は今ごろどうして暮しているだろうか、と思いつめたことはなく、ただ、季節季節の表情を、霧にみえかくれする由布岳をみてなつかしんでいただけにすぎない。塚原も変ったことだろう。それは、湯平にきて、由布の心や身辺に、大きな変化があったのと同じである。母も死んだ父のことを忘れ、新しい男を家に入れているのだった。毎日、酒ばかり呑《の》んでいるかもしれない。酒好きはまあ昔からのことだが、新しい男をよび入れたのには、正直、あきれはするものの、これもどういったって致し方はない。湯平へくる時に、塚原へ帰るのは、そう再々でなくなるかもしれない、と思ったものだ。 「ときわ」の窓からも、晴れた日は由布岳はよくみえる。塚原の方角からみるのとちがって、山頂はややとがっている。その山頂の真裏あたりに在所はあるかと思うが、距離はそんなに遠くはないのだし、母の身辺に何か起きれば電報もきよう。その時は、車を走らせれば、一時間かからずにゆけるという、安心感もあって、疎遠がつづいていた。しかし、母からは月に一どぐらい手紙かハガキがきた。べつに何ということのない手紙だが、躯《からだ》を大切にして働くよう、末尾には必ず書いてあった。由布も、月に一ど返事を書き、百円札を一、二枚その中へしのばせて送ったりした。  その母のいる村の空を、アメリカの長距離砲の弾丸がとぶのだそうな。きいていて、由布は蒼《あお》くなった。客のいうことをきいていると、まるで、塚原の部落は、演習地の真ん中になってしまった気がする。 「十文字原から鉄砲を撃っちょるんかえのう」 「鉄砲じゃねえだよ」  客はいった。 「韓国でつかう大きな大砲じゃけん、日本にだってなかったものだよ。そいつを朝から晩までぶっ放しちょるで、塚原の村は、頭の上を弾丸がびゅんびゅん通るし、落ちた時にゃ、地ひびきする大音がして、村の人らはおちおち寝てもおられんちゅうて……若え人らが、司令官のところへ陳情にゆくというとった……おじいところにゃおめ住めもせんがえ」  客は見てきたようなことをいった。 「あんたんとこは、どこじゃ。塚原の川しもかえ」 「ううん」  と由布は首をふった。 「うちは山ンふもとの、牛飼うとるあたりだわ」 「牛はとっくにおらんわ」  と客はいった。 「むかしは日出生台の演習地の柵《さく》すれすれまで牛をあそばせておったもんじゃが、畜生は音によわいけん、よりつきもしねえ。それに牛泥棒がはやるで……もう飼うちょる家は少なかろう」 「誰が泥棒するんかえ。アメリカの兵隊かえ」 「日本人だよ」  と客はいった。 「牛と見たら、棍棒《こんぼう》でなぐって殺してのう、肉はおめえ、韓国に売るんじゃ……見つけたらみんな殺しちまうというちょる。なんせ、いま、別府へ肉もっていってみろ。旅館も料理屋も、手ぐすねひいて待っちょる……ここらあたりの肉だって、おめ、みんな密殺の牛だな」  由布は、牛を追うてあそんだ高原の春秋の景色を思いだした。小さい頃《ころ》から、牛を追うて暮した由布には、牛のいない塚原の高原は死んだように思えた。 「一頭もおらんてことはないじゃろ。どこのうちにも牛はいたから」 「それが、もう、どこのうちにもいねえ」  と客はいった。 「早いはなしが、これまでは、おめ、放《ほ》ったらかしておいても牛は育ったけんど、今日びは、誰かがついて見張っていなけりゃならん。女子供が見張っていたぐらいじゃ、牛殺しはなんとも思わんわい。見ている前で、ひっくくって持っていっちまうんじゃ」 「へえ」  由布は、恐しい時代がきたと思った。 「人の心が荒れてしもうた」  と客はいった。 「いま、日本人の中で、わるいことをしないもんはひとりもいねえだな。政治家だって、先生だって、闇《やみ》の物|喰《く》っちょる。みんな闇の中を生きよるようなもんじゃけん」  由布は塚原へ帰ってみたくなった。牛がいなくなれば、母は何をしてたべているだろう。これまで、母は、一年の大半を牛追いで暮したのだった。牛の草刈りに出れば日当ももらえた。野焼きの春から牛おろしの秋まで、母は高原を走りまわってたべてきたのだ。  その高原に、長距離砲の弾丸《たま》がとんでくる。村は毎日、地ひびきにゆれているという。母は、弾丸の下で、畑づくりか、小舎《こや》仕事に精を出しているのだろうか。由布は、しばらく見ない母に会いたくなった。翌日、由布は、川石つなに、塚原へ帰ってみたい、といった。すると、つなは、ぎょろりとした眼で由布をみた。 「あんたも、日出生台へゆくんかえ」  つなは皮肉な眼で、 「あげなとこへ行ったって、一時はドル稼《かせ》ぎは出来ても、長つづきはせん」  由布は、つなをにらみ返した。 「おかみさん、うち、パンパンしにゆくんとちがう。うちは、お母ちゃんに会いにゆくんじゃ」  川石つなは、由布にそういわれて、この娘は塚原の出であったと気づいて、 「そうじゃったなあ……あんたの在所は日出生台に近かったんやねえ……」  やさしい眼つきになっていった。 「おっ母さんに会いにゆくのはいいけんど、あんた、どっちから塚原へ入るんかえ。十文字原もアメリカの兵隊じゃし、湯布院から若杉通る道もアメリカの兵隊じゃ。なーんも、おじい時に、無理してそげんとこへゆかんでも……」 「おかみさん、安心してください。うちはパンパンなんぞにならんですから」  と由布はいった。 「お母ちゃんに、ながいこと会うちょらんし、それに塚原の村は、実弾射撃場で大変じゃときいたんで、見舞いにゆきとうなっただけです……安心してください」 「実弾のとんでくる下で……ほんとかえ」 「お客さんが、そげなこといいよったです。むかしは、塚原の高原には牛がいっぱいおったですが、いまは、一頭もおらんといいよったです」 「………」  つなは眼をぎょろりとまわした。溜息《ためいき》をついて由布をみる。 「たのむから、わたしに三日ほど休みください。お母ちゃんと会うて、これから先どうしてくらしてゆくか、相談もありますから」 「そりゃ、心配じゃなあ……」  つなはうなずいたが、 「あんたとこは、百姓さんじゃったか」  といった。 「でも、自分んちの田圃《たんぼ》はないですから、よその畑つくったり、牛追いしたり、草刈ったりして、日傭《ひやと》いしちょるです」 「日傭いなら、いまは景気がいいそうじゃないの」  とつなはいった。 「男も女も、日出生台の工事場へゆくと梅林組の土方仕事がいっぱいあるんで……日当に事欠かんというちょる人があった……お母さんは、年はいくつかえ」 「いくつじゃったかなァ」  たぶん五十はもう出て二、三のはずだったと、由布は首をかしげたが、いま、つなから、アメリカの演習地に仕事があるときいてびっくりした。自分たちの頭の上へ、実弾のとんでくる射撃場に反対しながら、村の人たちは、演習場へ働きに出ているのだろうか。かなしい時代がやってきたと由布は思う。それにしても、母に会って、どんな暮しをしているか見てみたかった。母もやはり、演習場へ働きにいっているのだろうか。  由布は、塚原の、森に囲まれた川ぞいの一軒家が瞼《まぶた》にうかぶと、涙がにじんでしかたがなかった。  とみ子といちに、塚原へ帰っちくるといいおいて、「ときわ」を出たのは十月の二日だった。秋の色はもう湯平の山の紅《あか》く染まった肌《はだ》に出ていた。風もつめたかった。銘仙《めいせん》の牡丹《ぼたん》柄のきものに共布《ともぎれ》の羽織を着、首まきをまいた。衣裳《いしよう》はみな、「ときわ」でつくったものであった。一張羅《いつちようら》を着たのは、母にみせたい気持もあった。木炭バスにのって駅へ出る途中、顔みしりの寺本屋の妓《おんな》がふたりのっている。 「あんたらどこゆくん、別府かえ」  背のひくい首のみじかい妓が、 「ううん」  と首を振って、 「湯布院や」  妓たちが、わきにスーツケースと風呂敷《ふろしき》包みをもっているのをみて、ああ、このひとたちも、日出生台へ移るのかと由布は思った。 「あんたはどこへ」  もう一人の妓がきくので、 「うちは日出生台じゃ」  と由布はいった。 「あんたも、ゆくんかえ」  眼をきらきらさせるので、 「お母ちゃんとこへゆく。また、もどっちくるんよ」  というと、ふたりの妓は顔をみあわせた。 「あんた、こっちの妓《こ》かえ」 「うん、そうよ。うちは塚原や」 「塚原て……日出生台にあるん」 「日出生台の向うで。由布岳のあっちの高台」 「へえ」  バスの窓から、そっちの方角を妓はみている。由布の山は、乳色にかすんだ空に、にゅうと頂きをみせて、いま、黒雲がそのてっぺんにかかろうとしている。 「近いんじゃなァ」  妓はいった。 「あんたら、湯布院へ行くって、住みかえるんかえ」 「先にいった人らがこいちゅうとるでゆくんよ」  首のみじかいのがいった。 「景気がいいそうじゃわ……」 「そうかえ」 「ときわ」から住みかえた京子や美智枝やまつたちの顔もうかぶ。湯布院のどこに下宿して、働くのだろう。湯布院の村は、小さな盆地の、ひなびたところだが、大勢の妓らが移り住んで下宿するような家があるのだろうか。バスが駅につくと、十分の待ちあわせだった。汽車は大分の方からやってくる。改札を出てホームに立っていると、先に降りた寺本屋の妓たちがまだ四人もいて、みんなそろいの紅いスーツケースをもっていた。洋装やきものとまちまちだが、娘たちは十八か九が多く、集団移住する気配であった。  やがて汽車にのった。由布は、空《あ》いた隅《すみ》にすわった。寺本屋の妓らは、足もとに荷をおいて、はしゃいでいた。十分で湯布院に着いて、急いで降りた。由布にはなつかしい駅だった。長いホームには屋根がなかった。まだ、午前なので、のどかな感じのするのは、陽《ひ》のあたるホームに人影がまばらなせいだろう。しかし、改札を出ると、もうそこに、背の高い外国兵がいた。由布は、七、八人の外国兵が、降りてきた寺本屋の妓らに、眼をひからせて、口笛をふくのをみた。妓らは、汽車の中のはしゃぎを失って、ちょっと気構えをみせ、明るい広場へ固まって歩いて行く。外国兵は、ぴいぴい口笛をふいた。変な帽子をかぶっている。それはほんの浅いかぶりようで、ななめにいなしているので、いまにも落ちそうであった。白い毛のはえた赭《あか》ら顔の兵隊は、薄着の胸をはだけていた。白まだらの首根まで毛のはえたのもいた。由布は、寺本屋の妓らから少しおくれて、若い駅員に、 「塚原へゆくバスはどこですか」 「ああ」  駅員は胡散《うさん》くさそうに由布をみて、 「あんた、塚原にゆくんか」 「はえ」 「駅前から一時に出る……まだ、時間はある」  といった。由布は、腕時計をみた。一時間近く間があるのだった。湯布院の町をぶらぶら歩いてみようと思った。駅員にお辞儀して、荷物をもって外へ出た。と、向うから、黒い肌《はだ》の兵隊が四、五人やってきた。服はみな同じだが、眼玉のとび出たチョコレート色の兵隊は無気味だった。わきへよけて足をとめた。黒人兵は、チューインガムを噛《か》んでいる。ぺちゃくちゃ話をしている。尻《しり》が女のように張って、歩くたびに、ぷりぷり動く。六尺ちかく、角力《すもう》取りのように肥《ふと》ったのがいる。駅へくると、先程の白人兵たちがいるので、黒人兵は、いったん入《はい》った戸口をまた出て、うろうろしはじめた。由布は、足早やに町を歩く。  変ってもいない。由布が、湯平へくる時に、とみ子と一しょに汽車にのったそのままの町なみだ。しかし、一、二軒、きれいな布をたらしたウインドウのある雑貨屋があった。牛乳、コーヒーとした店もある。「ホルモン焼」とした焼鳥屋もある。やはりよくみると、多少は繁華になっている。しかし、それらの店は、真昼の陽の下では、ひからびてみえる。通る人も少なく、寺本屋の妓らはどこへいったか、もう通りにはいなかった。山の方を由布はみた。白い湯煙があがっていて、山波が、紅葉の肌をみせてひろがってくる。ゆるやかに高まる段々畑の山|裾《すそ》に、別荘や湯宿のみえる一角があるが、そこは、乳色の煙がたなびくだけで、静かな村は眠っているかのように思われた。  由布は、町なかをぶらぶら歩いた。喫茶、うどんとした店があった。入りやすい構えだったので、戸をあけて入った。テーブルが三つガラス戸に接近してならべてあり、奥がカウンターになっている。先客がいた。由布は驚いた。十八、九だろうか。どぎつい化粧だった。口紅を真紅《まつか》にぬりたくって、瞼《まぶた》にはアイシャドウをし、つけ睫毛《まつげ》である。しゃくれた顎《あご》のながいのが、それでよけいに長くみえるようで、異様な厚化粧だ。女はトックリセーターを着て、汗をかいてうどんをたべている。四十七、八のおかみが出てきた。由布はうどんといった。もっとも、闇《やみ》のうどんである。厳密にいえば、麺《めん》類も主食に入っているから、外食券がなければたべられないはずのものだが、この店は大びらでたべさせるらしい。由布は、うどんのくる間、隣りテーブルの女の方を見るともなくみていた。と、まなしに戸があいて、三人の娘がにゅっと入ってきた。みな十八、九で、似たような厚化粧だった。先の女のテーブルへかたまると、由布の方をチラとみた。 「あんた、知っちょるかえ、ドル買いが殺された」  一人がいった。 「ううん、知らんわ、どこで」 「若杉の畑ン中よ」  ずんぐりと肥《ふと》ったのがいう。 「いまな、警察とMPがジープにのってったけど……おっそろしいで。男ん人が頭|撲《なぐ》られて……血まみれで死んじょったって」 「へえ」  由布も思わず、話に気をとられた。肥った女がいっている。 「きのうの夕方、若杉の村の、貞ちゃんたちの家へきたんよ。四、五分話しこんで、暗くなるから帰るって……貞ちゃんたちの家を出たのは七時ごろだったそうよ……見つかったところまで、一町とはなれてないんだってさ。……歩いて帰る途中に、誰かが待ち伏せちょって……殺したんだわ……おっそろしい」 「つかまったの……その人」 「いいんや」  肥った女は首をふった。 「わからんじゃって……ドル買いのもってた袋から、お金はぜんぶ取って……逃げたんじゃ。おじいな」 「誰がやったんかえ……日本人じゃろうか……」 「さあ」  女たちはぷすりとだまった。日本人かとたずねたのには、韓国人ではないか、進駐軍ではないか、といった疑いもあった。 「朝から、町じゅう大騒ぎでなあ、ゆうべ若杉にいたひとを虱《しらみ》つぶしにしらべてるってはなしよ」 「へえ」  女たちは、うどんがくると、音をたてて三人三様にせわしくたべはじめた。おかみが女たちの話をそばできょとんとしてきいている。  由布はうどんをたべ終えると、早々にこの店を出た。女たちは、由布を横眼でみていた。イヤなことをきいたと思った。ドル買いが殺された。犯人はつかまらないという。大変な日に湯平から出てきたと思う。  由布はいま、湯平と湯布院とは、ずいぶんちがうと思った。湯平はまだ人殺しはない。ドル買いや外国兵もきたことはない。湯布院は駅前にもう外人がうろついて、パンパンが大びらでうどんをたべている。別府にいた頃《ころ》のことを思いだした。ひなびた温泉村も、やがて別府のように、外国兵とパンパンの住む町に変るのだろう。町をはなれて、畑の中を由布は歩いた。すぐそこに由布岳がみえてくる。湯平からみると山は遠いので頂きしかみえないが、ここからはひろがった裾《すそ》がみえる。十文字原の横を通って別府へ下る道は、いま湯布院の村の北|隅《すみ》を、ちょうど、スカートのへりを縫うように、ゆるやかに山あいへ吸われてくる。道の両側は草も雑木も黄ばんでいる。いま、その曲りくねった道を、ひっきりなしに灰色のトラックが下《お》りてくる。登ってゆくのもある。みな、演習地に関係のある車であることがわかる。大きな牽引車《けんいんしや》が通る。  山の向う側で、ドドドーッという大きな轟音《ごうおん》がした。由布のたっている足もとがうごいた。地雷でも爆発させたのか。音は空に一瞬はねかえった。そして山にこだまして静かになった。演習地の空は煙《けむ》っている。兵舎の炊飯の煙ではないだろう。今しがたの大砲の煙だろう。煙がむくむくと空に丸く起きあがって、ゆるやかに散ってゆくのがみえる。  由布は、駅へもどった。外国兵はふえている。やがてバスがきたので、由布はいそいで乗った。五、六人の相客があった。かつぎ屋らしい若者がふたりいて、 「若杉か」  一人がいうと、 「うう」  髭面《ひげづら》のもう一人がいった。 「ドル買いが殺されたってなァ」 「きいたよ」 「殺《や》ったのはゆうべらしいが、今朝みつかったというちょる。……MPがしらべよるそうだ」 「わかるだろうかなァ」 「ゆうべのうちに、逃げちまったとすれば、ここらあたりにはおらんわい」  安心院へゆくのか、農家の者らしい五十年輩の男女が、眼を炯《ひか》らして、若者たちの話をきいている。 「あんまり、あくどい儲《もう》けをするからじゃ」  と若者がいった。 「おまえ、おれたちは、重い米かついではあはあいうちょるけんど、奴《やつ》らはおまえ、三百十円でドル買うて、大分へもってゆきゃ、一ドル五十五円のサヤだもんな……足まめにパンパンから集めりゃ、えれえ収入だ……」 「どこのドル買いだ」 「さあ」  湯布院から若杉一円のパンパン相手に跳梁《ちようりよう》するドル買いの話は由布もきいていた。ドル買いは、夜の女たちには、なくてはならない私設銀行の出張員だといえたろうか。いつも、現金を懐《ふとこ》ろにして歩いていたから、それがねらわれたのだろう。  バスは乙丸から林へ曲って入った。葉の落ちた櫟《くぬぎ》林をはずれると、岩石のいっぱい散らばる高原へ出る。枝ぶりのいい小松と、春ならば、山桜が咲き乱れる美しい一帯だ。いまその高原の道を、四、五人の女が歩いてくる。バスの音でふりかえったけれど、すぐ前をみて黙々と歩く。赤いセーターやカーディガンの女である。いちように風呂敷《ふろしき》をネッカチーフにし、髪にまきつけ、あごのところで結んでいる。手製の布袋と、棕櫚縄《しゆろなわ》であんだ買物|籠《かご》を手にしている。みな、夜の女だ。かつぎ屋の若者は、女たちに手をふった。女たちは相手にしなかった。バスは一行へ埃《ほこり》をあびせて、すぐにまた櫟林へ入った。由布はうしろ窓に小さくなる女たちをみた。歩いて若杉までゆくのだろうか。と、林の中に、テントがみえる。テントは、茶褐《ちやかつ》色の、旧陸軍が使ったものである。幌《ほろ》があいている、そこから女がのぞいている。洗濯《せんたく》物が木と木に結びつけた紐《ひも》につるされ、風で動いている。由布は女たちの屯営《とんえい》だと気づくと躯《からだ》が硬《こわ》ばった。この道も、由布は何どか歩いている。塚原の岩次がフィリッピンで死んだ時、湯布院の駅まで遺骨をうけとりにきた。その時は、この道だった。八月の炎天下を、由布は、村の人たちと、黙々と歩いたものだ。白い一本道が、かなしかった。そのほかに、何どか、学校の遠足でもここを通った。しかし、その頃、日本は負けていなかった。むしろ、由布たちは、戦争は勝つと思っていた。新聞も、ラジオも、敵の飛行機や、軍艦の沈む、景気のいい戦果ばかりを報じていた。それから六年、由布はいま、占領軍に使われている日出生台へ入ろうとしているのだった。思いもしないことである。櫟林のテントも、占領軍に躯を売る女たちの家だ。由布は考えさせられる。旧陸軍がいたころは、テントなどはなかった。湯布院も、若杉も、塚原も、ひなびた村だった。そこらじゅうに牛があそんでいた。草刈りする人もいた。戦争にまけて、旧陸軍がいなくなり、アメリカ兵がやってきて、このざまだ。変れば変るものである。 「おまえ、一本|呉《く》れ」  若者が手をだした。髭面《ひげづら》の男が、ポケットからぺしゃんこになった外国タバコをとりだすと、さしだす。 「キャメルか」  男はいった。 「うん」  髭面はうなずいて、自分も一本ぬいて、口にくわえた。火をつけて、うまそうに吸う。この男たちも、兵隊だったのだろう。着ているものは、陸軍の復員服であった。いや、一人の上着は航空服らしかった。胸にボタンはない。チャックだった。バスの中にタバコの香《かお》りがただよいはじめる頃に、若杉の村が見えだした。  部落の家は、斜面を走る新道の両|脇《わき》にならんでいる。どの家にも、いま、赤や白の下着が干されていた。大戸をあけた縁先がみえた。母家《おもや》も、小舎《こや》も人に貸しているらしく、どこの戸もあいている。いつも、若杉といえば、眼にうかぶ大|欅《けやき》の家があった。母家の裏側に傘《かさ》をひろげたように枝を張るその大欅は、由布が小さい頃から馴染《なじ》んできたものだが、その家にも、ちらほら女の干《ほし》物がみえる。ああ、どの家も家人はいなくて、売春婦がいるのだ。  バスは部落の中ほどの辻《つじ》で停《と》まった。かつぎ屋のふたりが、ブリキ製の箱をふた重ねずつ背負って降りて、すぐにバスは発車した。由布は村の家々をにらんでいたが、外国兵らしい人影はなく、女たちがバスの音をきいて出てくる姿があるだけだった。ひっそりしたこの光景には、一種の閑《のど》かさが感じられた。湯平では、若杉の村はまるで、売春婦の巣のように思われたが、真昼のせいか、閑散としているのだ。  やがて、部落を通りすぎて、坂にかかった。速度がゆるくなる。と、上の方の林に白まだらのテントが三つあった。ここにも、洗濯《せんたく》物だ。ああ、どうして、日本の売春婦たちは、こんなに干物に懸命なのだろう。どの家にも、干物が風にふかれている。  日出生台への道は、塚原へ向う道と二た道になっている。バスは、演習場をうしろにして、右手へ降りる。通いなれた道だが、工事で広くなっているので、ちがった道のような気がする。やがて、由布岳の麓《ふもと》が間近かにみえはじめた。東に鶴見の姿がうかんできた。と、なだらかな高原がぽっかり浮いて、森の村が見える。由布は胸があつくなった。バスの車掌は男だった。塚原だといわれて、由布はバスが停まると走り降りた。  すすき野の中の一本道を、包みを下げて歩いていると、やはり、塚原はいいところだと思った。ちっとも変っていない。森は東と西に分れて、川をはさんでいる。鶴見の裏の岩|肌《はだ》の出た荒々しい姿も、白煙の出る温泉谷も、黒い原始林のある由布岳も、すっかり昔のまま、いったい、どこを、アメリカの弾丸が通りすぎるのか。時間がまだ早いせいか、それとも、今日は演習場が休みなのか。二万人の軍隊がいるというが、山のどこにかくれているのか。大砲など撃っている気配はない。由布は心配していたようなことはないので、安心をおぼえた。道にふかい轍《わだち》のあとがある。まん中が高くなって草がはえている。むかしなら、この道に、いっぱい牛|糞《ふん》が落ちていた。  牛はどこにもいなかった。草刈小舎もない。点々と、大岩が風にふかれているだけで、放牧場に人影はない。すると、無気味なこの静寂が、由布の胸をしめつけるように迫った。 〈やっぱり、塚原は変っちょる〉  由布は川岸に佇《たたず》んだ時、葉の落ちた柿《かき》の木の下に、ぽつんとしずんでみえる茅《かや》ぶき屋根の生家をみて涙ぐんだ。家は小さい。不思議だった。裏の畑へゆたかな枝ぶりをみせて、たれ下っていた銀柳も、寒々しい。母はどこにいるのだろう。母家《おもや》と向きあってある作業小舎と牛小舎をかねた切りづまの小舎がひどく、荒れてみえる。胸をつまらせて、急いで橋をわたった。  戸口があいていた。由布はほっとして、敷居口から、 「お母ちゃん」  土間に入った。居間には人影がない。 「お母ちゃん」  由布は奥の部屋へ声かけた。返事はなかった。暗い家の中である。人気のないのが、いま、由布をしめつけるように淋《さび》しくさせた。と、この時だった。うしろの方で音がした。小舎の戸のあく音であった。由布は急いで土間を出た。と、表庭に、母がしょぼんと立っている。 「誰かえ」  由布は足がこわばった。母は梅干のように小さかった。黒地に縞《しま》の作業衣は戦時中からのものである。洗いざらしたもんぺをはいている。それにゴミがいっぱいついている。 「由布かえ」  母は声を呑《の》み、眼をうるませて走りよってきた。 「あんた、もどったんか」  嬉《うれ》しそうに由布をみた。 「電報もハガキもせんで、びっくりさせるなあ、あんたは、いつもそうじゃ」  母は歯をだしてわらった。 「急に帰ってみたくなって、きたんじゃ。お母ちゃん、すこし、小さくなったみたいじゃなあ。びっくりしたけんど、ゆっくりみたら、やっぱり、うちのお母ちゃんじゃったわ」  由布は抱きつきたいほどの激情に戸惑った。嬉しかった。母はひとりで、小舎にいたのだ。 「お母ちゃん、仕事、なんな」 「ああ、石灰の菰《こも》じゃ」  と母はいった。 「ひとりかえ」 「お母ちゃん、いつも一人じゃわ。おかしいこときいて……なにえ。あがりよ。火ィ焚《た》くから……寒かったじゃろ。日出生台通ってきたかえ」 「うん」 「大けな音がしとったじゃろ。塚原も一日じゅうびっくりするような音じゃ。けんども、今日はどげなわけだかしずかじゃわ」  母は炉端《ろばた》へ走るのである。その背姿《うしろ》が、やっぱり小さくみえる。  由布は、炉端にすわりこんで、火を焚《た》きはじめる母の姿に、衝撃をうけた。母は変っていた。想像していたような母ではなかった。川田はもうこの村にいないのか。由布は、居間にあがって、むかし、川田のズボンや上着のかけてあった壁をみた。何もない。男のいる気配はない。  由布は、母のことを思いちがいしていたことに気づいて、居たたまれない気持になった。由布は炉端にすわった。 「手紙はくれるで、湯平におることはわかっちょるけんど、ちっとももどってきてくれんで、お母ちゃん、淋《さび》しかった」  母はくすぶる薪《まき》の中へ火吹竹をさしこんで、のど首の静脈を息ばらせて、ぷーっと吹く。火は音をたてて燃える。 「加代ちゃんのこと知っちょるかえ」  鶴の井で別れたきりだから、加代子の消息はきいていなかった。 「なんぞあったんか」 「黒い赤ちゃん生んだでえ」  と母はいった。 「あんたが安心院のとみちゃんと湯平へいってからすぐじゃったわ。鶴の井やめて、別府のべつのところで働いとるちゅうて帰っとったが、黒人兵と一しょになったんじゃなあ。大きな腹して村へもどってきち……生れた子が真っ黒じゃったで、家《うち》ん人たちもびっくりして、また別府へやったが、苦労しちょるそうじゃ」 「………」  由布は、いま背筋が凍る思いだった。加代子が黒人兵の子をうんだ。 「あの人、いつ鶴の井やめて、そげなことに……なーんも知らんじゃった」  由布は、鶴の井でのことを思い出した。加代子たちは、調理場に配置されていたから、一しょの寮にいても、行動はべつだったのである。やめる相談が出来ていたことなど知らなかった。住みかえた先で、黒人兵と出来たとするなら、流川の、外人相手のバアにでもつとめたのだろうか。 「かわいそうに。黒人兵でも、好きな人なら仕方がない、一しょに住んで、幸福にゆくなら、親たちも、なーんもいうことはなかったけんど、子がうまれて、一と月とたたんうちに、韓国へいってしもて……音沙汰《おとさた》がないんじゃな」 「………」 「子供うまされて、おっぽり出されたんじゃ、かわいそうだわな」 「………」 「塚原じゃ、民生委員の世話になって、いま、別府で暮しちょるいうとるが、あげな子は、もう親でもない、子でもない……知らんちゅうとったわ」  愛嬌《あいきよう》はあったけど、背がひくくて、美貌《びぼう》とはいえなかった加代子の、寸のつまった、生《は》え際《ぎわ》の濃い、赭黒《あかぐろ》い顔を思いだして、由布はびっくりした。 〈あの人までが、外国兵と出来ていた……〉  信じられないことであった。  母はつづけた。 「あんた、湯平におって、なんしちょるかわからんが、お母ちゃん心配で心配でねむれん日があった……でも、腹大きゅうしてもどってきたんじゃないで……安心したわ……お母ちゃんは、あんたに、相談がある。手紙に書くちゅうても、字がわからんかったから、書けんで、あんたがもどったら、いおうと待っとったんじゃ……」 「………」 「湯平はおもしろいか」  母は顔をあげて、まともに由布をみた。 「温泉場で働いちょるんじゃから、毎日が派手な客の相手で、ここらにおるより楽しかろうけんど、やっぱり、宿の女中じゃ知れたもんじゃろ。おもしろうなかったら、この際、心入れかえて……あんた学校行ってみんか……どうかえ」 「学校?」  由布は、あらたまってそんなことをいう母の顔をじっと見入った。 「ああ、あんまの学校じゃ」  と母はいった。 「北の森の安江さん知っちょるかえ。あんたより五つ上じゃから二十八じゃ。東京へ行ってマッサージの学校出て、いまでは経営者だというちょる。なんでも大勢の子つこうて、えらい繁昌《はんじよう》して……ゆくゆくは、ホテル建てるんじゃと言うとるそうで」 「安江さんが……」  由布は、母のいう真意がわかってびっくりした。川しもの安江の家のことはよく知っている。由布が一年生の頃に安江は六年生で、大柄の体格で器量のいい女であった。六年生の時は副級長をしていた。 「安江さん、あんまさんになったんかえ」 「学校出て……もう一人前じゃそうな」 「………」 「なーんもあんまになるのは盲目でないといけん法則はないんじゃと……東京は韓国景気でえらい復興で、あんまも実入りがいいんじゃというとった」 「安江さん、もどったんかえ」 「うつくしい顔になって、きれいな洋服きてもどってきちょったわ」 「お母ちゃん話したの」 「うちへきて……あんたがもしあそんどんのやったら、東京へおいでいうてくれた……そん時のはなしじゃ。お母ちゃんは、女中さんしよるよりは、手になんぞ職をもった方がよい思うたから、もし、由布がそげな気になった時は、よろしゅうたのみますというといた。学校は一年かかるそうじゃけんど……半年たてば、働きながらゆけるんやというとった……もし、あんたが、ゆきたけりゃ、お母ちゃん、半年の月謝は出したげるが……牛売ったで……」 「お母ちゃん、牛飼うとったんかえ」 「川田の兄さんにたのんで、二頭飼うた。ことしの春に売ったが、その銭も、貯金にして残してある。あんたにあげよと思うてのう……」  母は立ちあがると、そそくさと、納戸《なんど》へ入った。そこには、衣類の入ったタンスや、嫁入りの時にもってきた鏡台や衣裳《いしよう》箱の類《たぐい》があるはずだった。母はしばらく出てこなかったが、やがて、紙包みをもって出てきて、由布のわきにすわった。 「七千円ある……これ、あんたにやるじゃわ」  由布は、母のこめかみが、静脈をふくらませて、小きざみにふるえるのをみた。 「東京へゆく時に使うとよい、由布ちゃん」  由布は安江のところへゆくとも何とも返事していないのに、母が一方的にいうのに戸惑った。すると、母はいった。 「湯平はそら暮しやすいところかもしれん……けど、もうじき、ここらあたりと同じに……アメリカさんのうろつく村にかわるにきまっちょるじゃわ。そげなとこにいくらつとめとっても、しようがない」 「………」 「お母ちゃんのいうことがわからんけりゃ、わかった時に使うたらよい。あんたにあげるつもりで、お母ちゃん働いてためた金じゃ。……あんたが使うに文句はいわんで。けんど、同じつかうなら、ためになることに使うてほしいんじゃね、由布ちゃん」 「………」 「持ち帰って、湯平の郵便局に納《い》れてもよい。どうしてもよい。けど、湯平におっちゃ、加代ちゃんみたいになるのが関の山でェ……由布ちゃん」 「わたしは、加代ちゃんとちがうわ、お母ちゃん」  由布はいった。 「加代ちゃんのように黒い子はうんだりはせん」 「湯平なんぞにおれば、わからんで……」 「………」  由布は、いま母がいおうとしている真意がわかってうろたえた。 「ときわ」で、その日ぐらしの売春生活をしている。どうして、女の幸福が掴《つか》めようか。安江は立派だ。家もたいして援助しなかったはずなのに、東京で、マッサージ師になって成功している。安江のように一本立ちになって、この母をしあわせにしてやらねば、とふと由布はふき出る熱い心にうろたえたのだ。 「そら、お母ちゃんのいうとおりや。湯平にいつまでおっても、うちたちは女中じゃ……」 「湯平や湯布院で女中しちょったら……大きな顔の出来ん日がくるで。由布ちゃん。あんた、若杉の人ら、若い娘をみな疎開さして、家からっぽにしてパンパンに部屋さ貸しとるのを見てきたじゃろが。もうじき、湯平も若杉とおなじことになる。お母ちゃんには、よう見えちょる。お母ちゃんは……七千円の金儲けるに……毎日毎日、日出生台へいって働いた。よう知っちょるで」 「お母ちゃん、牛売ったんとちがうんかえ。日出生台へ出ちょったんかえ」 「たったの牛二頭で七千円になるもんかえ」  母は歯をだして笑った。 「牛はたった二千円じゃった。仔牛《こうし》じゃったで……安かった」  母はいった。 「あとはみーんな、道路工夫に出てもろた銭じゃ……」 「道路工夫に出たの」 「草刈りしても銭くれんようになったで、安江さんとこのお母ちゃんらと誘いあわして、わたしも出た。アメリカの仕事じゃで、金払いも週給でくれたし、朝晩はジープで送り迎えじゃった。……お父ちゃんらが採石場に行っちょった頃とくらべて、工夫も大事にしてくれる……みーんなアメリカ式じゃ……」  母はうきうきして、由布が湯平へ出てから、この家で、孤独に働いてきた日々のことをくわしく話しはじめた。  アメリカの仕事に出たというのも、進駐軍の下請け工事を担当した松村組のことであった。五月以降の、目まぐるしい駐留軍の増員にそなえて、日出生台近辺は、面貌《めんぼう》が変るほど道路がよくなっている。演習場|附近《ふきん》の埋立ても、建築工事も究貫工事だから工夫も要《い》った。松村組は、近在の農家へジープを飛ばしてきて、望外な賃銀で、就労者を募った。先《ま》ず、失業していた男たちが申込んだ。一時は塚原に、あそんでいる若者はなかった。みな、工夫に出た。つづいて、女子就労者の募集だった。母たちは、その第一回目に応募した。給金は、草刈賃より多く、五月さなかの田仕事賃の倍に近かった。戦争に負けて、アメリカの兵隊が演習する道路工事でかせげたのである。しかし、こんな仕事に出るのをいさぎよしとしない男もいて、しきりと、反対する者がいたが、結局は金には勝てなかった。塚原は、一戸に一人は、工夫に出た。そのおかげで、インフレ景気に追いつけた。どの家にも、闇《やみ》米の俵があり、輸入小麦粉の白い袋があった。罐詰《かんづめ》や甘味剤のない家はなかった。母は、働いた金でぜいたくしなかった。一途《いちず》に貯金した。その金を、いま、由布にくれるという。七千円。由布にとってはこれはみたこともない大金だった。母は、びっくりして紙包みを見つめる由布に、こんなことをいう。 「こげな村におったら、韓国からとんでくる飛行機にまた撃ち殺されるかもしれん。安江さんではないけんど、早く村を出て……よそで暮してゆける計画をたてにゃ。由布ちゃん。あんたもしっかりしちょくれ。湯平へ帰って、よーく考えて……この金をつこうちょくれ……」  由布はうけとっていいか、迷った。正直、「ときわ」をやめるつもりで帰ったのではなかった。しかし、いま、このおぞましい演習場のある村から、一日も早く、母をつれ去ることが、孝行のように思われる。安江もそれを夢にみて働いたのだろう。 「安江さんとこへ行ったら、喰《く》うちゆけるんじゃろか」  由布はぽつんときいた。 「喰うてゆくもゆけんも、あの人は、今日までひとりでがんばって喰うてきた人じゃね」  母はいった。 「あんたらが別府へ出たのに、ひとりで東京へ行ったんやね。はじめは理容学校へゆきたい……これからは男の散髪屋に対抗して、おなごの散髪がはやるやもしれん……そげなこというて……考えることも、目先きがきいておもしろいこというちょったが、言うたとおり、マッサージから手はじめたんじゃね。ゆくゆくは、美容院もやりたいし、散髪屋もやりたい……ホテルもやる女実業家になりたいんじゃというてなはる」  由布は安江のぽっちゃりした顔を思い出した。東京へ出て、都会風な女になってもどってきたのだろう。かすかな羨望《せんぼう》と、憬《あこが》れのようなものが胸をつきあげる。 「うちがゆくというたら、安江さんは、世話してくれるじゃろか」 「あの人が、そげんいうてくれたんじゃから……大丈夫じゃ。お母ちゃんもたのんであげるし」  由布は、いま、湯平へ帰っても、そこに暗い生活が待っていることを母にいう元気はなかった。しかし、腹の中で、考えこまないではおれない。とみ子やいちと仲間を張って、「ときわ」で踊り暮しておれば、楽しいにはちがいないけれど、躯《からだ》をすりへらすだけのことであろう。やり直すなら今のうちではないか。安江は、五つ上だから、自分にはまだ五年の余裕がある。安江のようになろう。川しもの安江の家の、荒ぶれた茅《かや》ぶき屋根がうかぶと、由布は、自分も母に孝養をつくさねばならない、とつよく思った。母を見まちがっていた。母をだらしない酒|呑《の》み女だとばかり思っていた自分がいまみすぼらしかった。  母は川田の兄と、自分の思うようないまわしい関係ではなかったのだろうか。あの時、川田の兄の仕事着が壁にかかっていたので、母のふしだらを想像した自分が馬鹿に思われた。  母は、あれから、牛を飼い、ひまがあると日出生台の工夫仕事に出た。日当を貯《た》めて、七千円の金をつくった。いま、それを、自分にくれる。ありがたかった。こんな母を、さげすんでいた自分がかなしい。由布は、今日まで自分がだらしなかったのは、母を誤解しての反抗からだったとするなら、ひれ伏してあやまらねばならないと思った。 「お母ちゃん」  母に、ぬれた眼を気づかれないように、伏し眼になっていった。 「うち……東京へゆく……安江さんのところへいって……一生懸命……手仕事おぼえてくる……お母ちゃんも、安江さんにたのんで……由布は、安江さんの話きいたら、まちごうとったことが……いま、はっきりわかったんよ」  この時に、母の前でながした涙にいつわりはなかった。母がこれまで孤独なひとり暮しを、笑顔で送ってこれたのは、川田の兄のせいだと思っていた。それが嘘《うそ》だったとわかれば、母の孤独がはじめてわかる気がしたのであった。父に死なれて、後家を通してきた母の孤独は骨を噛《か》むものであったろう。その淋《さび》しさをまぎらわそうと、母は、酒を呑んだのだ。そうして、笑ってばかりきた。心の奥に、いつも、由布のことがあった。由布にたよろうとするような弱味は毛ぶりもみせず、由布を思えばこそ働けたのか。 「んでもなあ。いま、ここですぐ、東京へゆくちゅうても、湯平になーんもかも置いてあるし、友だちや、御主人にひまをもろてこなけりゃいかんじゃろ。いったんは、湯平へ帰るけんど、すぐ戻っちくる。そのあいだに、安江さんにたのんどいて……たのむで」 「あんたが決心して、いってくれるんならお母ちゃんはうれしい」  と母はいった。 「いやがるあんたを無理矢理東京へゆかしたんでは、あんたの本心やない。そげな気持で東京へいっても、ものにならん。あんたが心からゆきたい思うなら、行っちょくれ。安江さんにたのんであげる。家へもいって、お爺《じい》ちゃんにたのんでみるし」 「お母ちゃん、うちは、あした湯平へ帰ったら、すぐもどってくる。お金は、お母ちゃんあずかっといて……うちが、もどってきて、東京へ出る時に借りてゆくで」 「もってゆきたくないなら、あずかっとく」  母はにっこりした。台所へ立つと、食事の用意をはじめた。由布は、母がせわしなく野菜を洗ううしろ姿をみていた。 「おめは、だんご汁の味わすれたろ」  母はいった。 「お母ちゃん、今日《きよう》は、だんご汁つくって……いっぱい呑む」  母は酒を呑むという。 「うちも手つだう」 「あんたは休みにもどったんや、こっちへこんでもええ。お母ちゃんがする」  うきうきしていた。だんご汁は、この地方の名物であった。うどん粉をこねて、ウドン状に細長くのばしてねかせたものを、椎茸《しいたけ》や野菜汁の中に入れて、味噌《みそ》味をつけるものだ。まだ父がいたころ、しょっちゅう母はそれをつくった。由布は、母とむきあって酒を呑もうと思った。ああ、帰ってきてよかった。母にあえてよかった。由布はいつまでも涙が出てきて困った。  翌日母に約束して生家を出たが、帰る途中に、また日出生台をバスで通った。この日は、バスの中に外国兵がのっていた。若杉をすぎる時は黒人兵も乗りこんで一杯になった。日出生台はまだ休みらしかった。休暇をもらった兵隊が、町へ出る。由布は、バスの中で、黒人兵やアメリカ兵が、談笑するのをみていると、背すじが冷えた。どの顔も怖《お》じい顔だった。こんな兵隊の子をうんだ加代子が不思議だ。あの子には、黒人兵を好むようなところがあったか。自分には、毛ほどもないことである。  湯布院駅前でバスはとまった。由布は、三十分ほど待って、大分行きの列車にのった。車がうごき出す頃、由布は窓から由布岳をみた。汽車から見る山は、また、べつの眺《なが》めだ。山の向う側に母がいる。由布は、早く、湯平へ帰って、川石つなにひまをもらおうと思った。隅《すみ》の座席にいると、寄ってきた女がいた。気がつかなかったが、むかし寺本屋にいた妓《おんな》だった。 「あんた、どこへいったん」  その妓はわきにきて人なつこくわらい寄ってきた。 「塚原へ行っちきたんや」 「……日出生台か」 「うん。あんたは」 「別府」 「別府はどうかえ……変っちょったかえ」 「病院へ行ったんでゆっくりみてこれんかった……」 「病院かえ」  その妓は蒼《あお》い顔をしていた。白|眼《め》もとろんとしていて、妙に熱っぽいかんじだった。 「どこがわるいんね、あんた」 「腎臓《じんぞう》結石……」 「石がたまる病気」 「レントゲンでみてもらったらね、腎臓に、石が三つもあるんよ……困ったわ」 「あんた、そげなこといって、手術でとった方がいいんじゃろう」  妓は、ふふふとわらった。 「いやなんよ……」 「どうして……」 「めんどくさいんじゃ」  溜息《ためいき》をついて、窓の方をみている。腹の中に石をためて、この妓は、また寺本屋へもどって働くのだろう。由布はいま、眼の前の友が哀れだった。不思議だった。一日塚原へ帰っただけで、同僚たちをみる眼がちがってきていた。妓は時どき力のない咳《せき》をした。咳をするたびに、腹がいたむのか、下腹部に手をあてて顔をしかめていた。 [#改ページ]     六  章  由布が「ときわ」へ帰った翌朝だった。表に車の停《と》まる音がしたかと思うと、あわただしい足音がして、数名の私服警官と二人の外国兵が降りた。火鉢《ひばち》に火を入れていた番頭が、びっくりして玄関へ出ると、先頭に立った四十年輩の髭面《ひげづら》の私服が、警察|手帖《てちよう》をみせて、 「御主人いますか」  ときいた。番頭は蒼《あお》くなった。廊下へ顔をみせた女中のかね子に、川石つなをよびにゆかせた。つなは早起きの習慣で、この時間は、もう起きて部屋で新聞をよんでいた。かね子のしらせで、つなは玄関へ出た。 「御主人ですね」  私服がきいた。 「はあ」  とつながこたえると、 「大分県警の小出です。売春取締法違反の容疑がありますので、本署へ出頭していただきます」  事務的にいった。 「表に車が待たせてありますからね、すぐ乗って下さい。着換えの時間を待ちます」  つなは、来るべき日がきたといった顔になった。小出という警官に眼をすえて、一瞬落ち着きを失ったが、やがて、ふてくされた顔になると、 「着がえてきます」  といって、すぐ部屋にもどった。かね子と、ひさが走ってきてふるえた。つなはいった。 「怖《お》じいことはない……すぐにもどってくる。……あんたらに、留守のこと、たのむわね。わたしが罪になるんだったら、日出生台の人たちはどうなるんだ。心配することはない……」  といった。わるびれのない、大胆な笑い顔であった。着がえをすませ、つなは、すぐ玄関へ出た。この時、私服警官とMPたちは靴《くつ》をぬいで帳場へあがりこんでいた。番頭は、私服のいうままに、帳簿だの、宿泊人カードを見せていた。つなは、眼のいろをかえた。 「あんたは、ジープへ乗って下さいよ」  と私服が、何か言おうとするつなを、押し出すように玄関へおろした。かね子が、つなを追いかけたが、べつの私服が戸口でおさえて、 「使用人をみんなここへ集めて下さい」  といった。 「芸妓《げいこ》さんらは、湯布院へきてもらって、強制検診をします。五人でしたかね」  私服はもう使用人の数を知っていた。とうから調べていたのだろう。事務的なこの狩込みは、手ぎわがよかった。川石つなが、幌《ほろ》のかかったジープへ入った時は、もう私服は、番頭の案内で階下の溜《たま》り部屋へ降りかけている。客はさいわい、三組ほどしかいなくて、部屋へ泊りにいっている妓《おんな》はいなかった。由布たちは、女中部屋でまだぐっすり眠りこけていたのである。  三十分のちに由布は、いちととみ子ら四人といっしょに表に待っていた一台のジープに乗せられた。その時は、川石つなの車はなかった。由布はセーターの上にオーバーを羽織っていた。寝起きなので寒かった。番頭がいったことを信ずると、湯布院に出来た臨時検診所で、躯《からだ》を検査され、すぐ、また釈放されるということであった。強制検診、いやな言葉であった。一しょに乗りこんできた私服のひとりに、いちが、 「すぐに帰してくれるんですね」  と不服そうにきくと、 「すぐだ。大分から保健所の先生が来ちょるで、検査してもらうんだな。あんたら、こげんことはじめてか」  やわらかくきいた。 「はじめてですよ。検査ってどげなことするんですか」  警官はだまっている。とみ子もいちも寝起きばななので機嫌《きげん》がわるかった。由布は、屈辱感でいっぱいだった。運わるく、帰った翌日にこんな目にあった。もう一日塚原にいたら、こんなことにあわなくてすんだ。大失敗だ。ジープは「ときわ」を出ると、下《しも》の寺本屋の前へきた。と、ここにも、二台停まっている。幌《ほろ》の窓からみていると、ぞろぞろと妓《おんな》が出てくる。由布は、その中に、昨日、汽車で会った妓がしょぼんとしているのをみた。 〈ああ、あの妓もゆく〉  由布は腎臓《じんぞう》結石だといっていたその妓が、ジープにわらいながら乗るのをみた。 「寺本屋のひとたちもゆくんかえ」  いちがきいた。 「今日は、ここらへんの妓はみんな虱《しらみ》つぶしだ」  私服がいった。 「お巡りさん」  いちが捨鉢《すてばち》に、 「こげえ大勢集めて、いったいどこで検査するんかえ……」 「心配せんでええ」  私服はいった。 「ちゃーんと……準備はしてあるで……なーに、一時間もあればすむ……けんど、お前たち、あしたからもう、こげん商売しちょるとうしろへ手がまわるで」 「どげしてな」  いちがきいた。 「鑑札のない営業はもぐりじゃな。おまえたちの主人は拘置|喰《く》うにきまっちょる。もぐり業者の徹底的な検挙だ……」  私服はつづけた。 「いい機会だ……先生に躯《からだ》みてもろうて、どげもなかったら、きれいさっぱり……もうこげん商売から足洗うんだ」  いちが首をすくめて、とみ子の顔をみてわらった。  結局、私服のいうことによれば、湯布院に出来た臨時検診所で、躯を診察される。それに、「ときわ」はもぐり売春の罪で、営業停止を喰うかもしれない。あり得ることだった。このことは、由布たちにも、たえずささやかれてきたことだ。湯平で、大びらで売春できるのは、寺本屋だけで、他の芸妓《げいこ》屋は、風俗営業でない。料理旅館業者のはずだ。終戦になって、つなのように、客の求めに応じて、躯をひさぐ妓を店に置くのが流行しただけである。取締りにあうのはわかりきっていた。その日がきた。由布は、塚原へ帰って、もう「ときわ」をやめるつもりだった矢先なので、口惜《くや》しかった。 「お巡《まわ》りさん、このひとは、今日でやめるつもりじゃったん」  名本いちが私服に、由布のことを説明した。 「おかみさんと相談できて、帰るつもりやったんよ」 「帰るにしても、ゆうべまで働いちょったんだから、先生に躯見ちもろて、きれいになって帰ったらいいじゃろ……」  いちは鼻をふくらませて、由布をみた。由布はだまっていた。すると、私服が、 「おまえどこから来た」  といちにきいた。 「松山」  いちはタバコを喫《す》ってこたえた。 「いくつか」 「二十五」 「いい年して、うちにおっ母《か》ちゃんもお父ちゃんもおるんじゃろ。こげん商売しよって……わるいと思わんか……」 「うちにはおっ母もお父もおらんよ。死んじまったから……」  いちはふてくされて、 「お巡りさん、喰うちゆくためには、……しかたがないで」  もう一人の私服が、ふふと笑った。これは、車にのりこんだ時から、好色そうな眼で、由布たちを見ていた。 「喰うちゆくに、誰もかもが、そげん違反やると、世の中はおさまらんだな。躯はそらいくら売っても、おまえらの自由意志じゃといえるけんど、病気もらった客は気の毒で。商売するんなら、ちゃんと……保健所の指導をうけた店でやっちもらわんと」 「そげなこというても、うちらにはわからん……」  いちは捨鉢《すてばち》にいった。 「おまえはどこかえ」  私服が、とみ子の方をにらんだ。とみ子はふくれ面《づら》して、返事しなかった。 「どこかでみた顔だな……おまえ」 「安心院じゃ」  とみ子はこたえた。 「安心院か……」  私服はにやにやわらっている。  湯布院へ着くと、ジープは駅前通りをわずかに入った白い建物の前で停まった。由布たちが降ろされると、前にもう二台のジープが停まっていて、ぞろぞろと女が降りてきた。すぐあとから、寺本屋の妓《おんな》らのジープもついた。合計二十人はいたろう。私服に引率されて、建物の中へ入った。むかしは村の集会所でもあったか、天井のひくい、幼稚園のようなこの建物は、戸板が破けて荒れていた。三十年輩の看護服を着た女が外に卓をすえて、すわっている。 「ならびなさい……」  私服がいった。 「看護婦さんに、本籍、住所、氏名を書いてわたすと番号札をくれるからね。……検診室からよび出しがきたら、ここで待っちょって、順ぐりに先生のところへゆくんじゃ。わかったか」  私服は乱暴にいい、看護婦に目配せして、すぐ出て行った。空《あ》いたジープで、次の狩込みに出かけるらしかった。先着順からいって、「ときわ」の組は三組目ぐらいだった。由布は看護婦からわたされたガリバン刷りのカードをみた。本籍、住所、氏名、年齢の記入欄があり、検診票と印刷されてある。やがて、この待合室のとっつきのドアがあいた。四十年輩の、看護婦が出てきて、 「一人ずつ、診察室へ入って下さい」  といった。先に待っていたのは、湯平のかみの連中なのか、しきりに由布たちに愛想をふりまいていたが、看護婦にそういわれると、しゅんとして、真っ先に立った。二十一、二の妓が、 「いやだ」  といいながら入った。妓が入ると、看護婦もうしろから入って、すぐドアをしめた。内側で何が行なわれているか、見当はつかない。先に検診を終ったものは、向う出口から出て、待合室を通らなくてすむように出来ているらしく、窓の外へ、帰ってゆくネッカチーフの頭がみえた。そう時間をとらない様子だ。妓たちは看護婦によばれてドアを押して入る時に、誰《だれ》もが、ちょっとひきしまった。由布の番が来た。 「柿本由布さん」  と看護婦のよぶ声がした。心なし、声は、先の連中をよんだ声とちがっているように思われた。由布はうしろにいるとみ子といちに目くばせし、看護婦にカードをさし出して検診室へ入った。と、室内の男をみて由布は足がこわばった。草本大悟がそこにいたからだ。 「あんたとこげなとこで会うとは思わなんだえ……由布ちゃん」  草本大悟はにっこりしている。白いガウンを着、首に聴診器をかけている。卓が一つ、黒い皮ベッドが一つあるきりの臨時検診室に、草本大悟はいま由布の眼に大きくゆらいで浮いた。 「あんたとだけは会いとうはなかった……」  大悟は咽喉《のど》仏の出た首に手をやって、じっと由布をみつめている。息がつまった。  はずかしさと、口惜《くや》しさで声が出ない。うしろで待っている看護婦が皮ベッドの固そうな枕《まくら》をととのえ終ると、 「こっちきて寝ち下さい」  といった。由布は、想像していたことがこれから、草本大悟の手によって行なわれるかと思うと、涙がにじんで足がふるえた。由布は草本に哀願するようにいった。 「うちは、パンパンなんかしちょらんです。こげな検診受けんでも……うちの躯《からだ》はうちが誰よりも知っちょります」  草本は、一瞬、なごめた眼をひきしめて、首にかけていた聴診器をゆっくりはずすと、看護婦が、困った顔をして、草本をみるのに微笑した。  由布はたまりかねて、つき当りの戸口ヘ突進していた。草本に下半身を見せねばならない屈辱を思うと、外へ走って、川へでもとび込みたかった。いや死んだ方がましだった。 「おうッ」  草本が叫ぶのと、看護婦が、追いすがるのが同時だった。由布は、看護婦に肩をつかまれた。と、草本が大声で、 「柿本君ッ」  と叫んだ。由布は、片足だけ外へ出したままふりもどされた。 「逃げようたって逃げられないんだ。今日《きよう》の検診は、ふつうの検診とちがう……警察はべつの目的があってのことだからね……逃げたらかえって怪しまれてしまうんだよ。待ちなさい……カードがなくちゃ、あんたはどこへもゆけないんじゃ……」  由布は、草本が早口にどなる言葉の意味が、半分ほどしかわからなかった。 「いやなら……あんただけは、あとにしてあげる。そのかわり、外で待つんだ」  草本はいった。自分だけ、特別に扱ってくれるというのだった。草本の咄嗟《とつさ》の処置がわかると、由布はほっとして、看護婦の方をみた。 「この人はね、わたしの昔からの知りあいだ……指紋だけはもらわねばならんが……検診はあとまわしにしよう」  草本は、きょとんとしている看護婦にいった。 「そのかわり、逃げたら、ブタ箱入りだぜ。由布ちゃん」  草本はにっこりして、看護婦の方へ鋭い眼をむけた。 「次のをよんでくれ……」  看護婦は、うなずいて外へ出るのである。そのスキに、草本はいった。 「ひと区切りすんだらちょっと話がある……外で待っちょってくれや」  押しやるように外へ出されたが、それから一時間はかかった。とみ子もいちも出てきて、女たちは、不安げな表情で、馬鹿にしているわとか、いやだえとかいって裏口に集まってくるが、由布だけは不安だった。みんなは、カードを手渡されているのに、由布だけは、まだ貰《もら》っていなかった。すんだ者は、べつの部屋に入れられて、そこで、私服の説諭を聞かねばならないらしかった。一人ずつ、外から入ってゆくのだが、とみ子といちが先に入って別室から出てきても、由布は、まだ、検診室の裏口の陽《ひ》だまりにいた。やがて最後の妓がすんだとみえて、先ほどの看護婦が出てきた。 「柿本さん、入って下さい」  といった。由布は、おそるおそる入った。なぜか看護婦は入ってこなかった。草本大悟はタバコを吸っていた。 「そこへすわりなさい」  草本はいった。固い丸|椅子《いす》である。卓をへだてて向きあってすわると、白い手術着を着た草本は、急に、立派な医者にみえる。由布はたじろぎをおぼえた。鶴の井にいた時は、感じたことのない威圧感であった。しかし、草本は、ふたりきりだと、ぶっきら棒な昔の物言いで、 「あんただけは、こげな商売しちょるとは思わなんだよ。びっくりしたぞ」 「商売はしちょらんですよ。うちは『ときわ』で働いとるだけで……そげん、パンパンみたいなこと……しちょらんです。草本さん……」  由布はかすかなうしろめたさを感じながらつよく言った。 「『ときわ』は料理屋なんだろう……」 「お客さんは泊めますけど、うちらはまじめです」 「中には客と寝る妓もいたんだろ」 「友だちのことは知りません。けど……うちらは……誰かれなしにお客さんと寝るちゅうことはありません。うちは、昨日《きのう》まで塚原にいて……あしたから、『ときわ』をやめることンなっちょったんです。……おかみさんと相談も出来ちょったんです。あしたは荷物整理して帰ることになっちょるに……こげなことになったんです……『ときわ』には、もういません……」 「どこへゆくかね」 「東京へゆきます」 「東京」  草本は顎《あご》をひいて由布をみた。 「お母ちゃんが、牛売った金で……東京へ出て、マッサージならえいうで……うちはゆくことにしたんです」 「マッサージ……」  草本は意外なといった顔で眼をむけた。 「はあ、学校へゆきます」 「あんた、あんまさんになるんかえ」 「塚原の村の人が東京へ出よって……出世してなさるんです。その人を頼《たよ》って、うちはマッサージ勉強して、一からやり直す決心です」  由布は、眼|尻《じり》から、しきりに涙が出てくるのを知った。この人にだけは、本当のことを言いたかった。 「そうか、マッサージの学校へゆくのか……」  草本大悟は由布を見る眼に、真剣な色をうかべた。 「いいことだよ。こんなところにいるより、はるかにいい。由布ちゃんは、『ときわ』で男と寝たりはしなかったんだろ」 「一回もなかったとはいいません。二、三どしか寝ちょらんです。おかみさんや番頭さんにしつこくたのまれて、いやいや相手したことはあります。けんど、みんなのように毎晩、お客さんの部屋へいっちょらんです。あげなこときらいだわ……草本さん」  由布は恥しさと、後悔で、いま草本の顔がみれなかった。 「それなら、検診する必要もあるまい」  草本は、看護婦の出ていったドアを気にしつついった。 「カードにハンコ捺《お》しとくからね。これもって……あっちの溜《たま》りへゆきなさい。いっておくが、あしたにでも、湯平はやめた方がいいぞ……由布ちゃん」  由布は、草本の顔を見あげようとしたが、口もとがふるえた。 「こげなところにおると、どげえしっかりしちょる人間でもくさってくるんだ。ぼくはここのところ日出生台のパンパンもふくめて五百人からの検診をやっちょる……いやじゃが連合軍の指示でしかたなしにやっちょる。アメリカのチェリーボーイは恐ろしい病気をもっちょる。病気もろうたら一生台無しじゃぞ。げんに、昨日も、処置しようのない患者が出た。別府でも、湯布院でも、一日に三百人からの女を診察してきたが、病気におかされた女はかわいそうじゃ。毎日毎日激しい憤りじゃ。由布ちゃん。いうちょくが、連合軍への憤りじゃない。そげな病気にかかって、なんも知らずに、躯《からだ》をすりへらして働いちょる女の、無智《むち》に腹がたつんじゃ……しっかりしなけりゃ。このままじゃと、ここらの女はみんなくさって死ぬわい。由布ちゃん、あんたは、湯平の宿におったんじゃから、兵隊相手しちょらんで安心じゃ。チェリーボーイと寝たらいかん……こげな村は逃げにゃ、早く逃げにゃ」 「………」 「東京へゆくんなら、一日も早い方がええ」  由布は草本の眼がぬれているように思えた。くわえた煙草《たばこ》をそのままで、草本は由布の眼をみつめていたが、やがて、卓上にカードを置くと、す早くハンコを捺して、 「ここにあんたの指紋をおしなさい」  由布の前へ差し出した。由布は、草本に指さされた場所へ、わきにあった印肉の罐《かん》に人さし指の腹をつけて、捺した。 「日本の警察はだらしがない。由布ちゃんらの検診で、指紋とる。ドル買い殺しの調査の資料にするんだよ」  と草本はいった。 「こげなところで会わんでくれ……由布ちゃん。ぼくも……こげな商売はやめる」  由布は草本の言葉が、温《あたた》かく髪にふりかかってくるようで胸がつまった。涙がとめどもなく出た。  草本がいったように、この日の強制検診は、じつは、数日前に若杉で起きたドル買い殺しの捜査の一環だった。日本警察が、連合軍の憲兵隊と相談して、湯布院一帯の売春婦の狩込みをやった。とみ子、いちの話だと、由布が、草本の検診室にのこされている時間に、私服たちは、皆をあつめ、若杉附近に住んだ経験のある者を別室によんだそうである。殺人現場に遺棄されてあった被害者の持ち物から、多数の指紋が検出されているので、もぐり営業の売春婦にまで網を張ったのであった。  由布たちは夕刻近くなって「ときわ」へ帰ったが、番頭の嘉七と、かね子とひさが帳場にいて、五人をむかえた。つなが大分の警察本部に連行され、このぶんでは、かなりの拘置が危ぶまれるという情報が入っていた。いつかは来るべきことが来たにすぎないのだが、主人のいない留守を、どうして、やりくっていくかに頭を痛めていた。  だが、幸いなことに、由布は、この日、川石つなと相談がまとまって、塚原へ帰ることになっていた。いったん、女中部屋へとみ子たちともどって、荷物の整理をすますと帳場にきて、かね子たちにあいさつした。番頭もひさも、つなからきいていたから、 「運の悪い日じゃったのう」  と気の毒そうにいった。 「おかみさんも、こげなことになるとは思いもしなかったろう……あんたとまだ話もあったじゃろけんど、いつ帰っちくるかわからんけん。待っちょっても、しようがない。家へ帰ったら、躯《からだ》に気をつけて働いちょくれな。こっちへきたら、またあそびによって」  ひさはいった。かね子も、番頭も、とみ子たちと一しょにバス停留所まできた。 「由布ちゃん」  名本いちがいった。 「うちも東京へいくかもしれんけ、そんときにはまたたのむでェ」 「ああ」  由布はうなずいた。 「あんたらも来れたら来るとええ。うちがひと足先に行って、どげんとこかよう見ておくで……」 「由布ちゃん、うちもゆくかもわからんけなあ」  とみ子もいった。 「いちちゃんと一しょに行ったら、泊めてくれるかえ」 「ああ、泊めてあげる、そら」  由布はいった。由布は「ときわ」の者たちに手をふって湯平を出た。この時、坂道を走るバスの窓から、由布岳を眺《なが》めた光景はいつまでも眼底に残った。山は、晴れあがった空に、黒牛が二頭首をあわせて寝ているようにみえた。牛の肌《はだ》が、陽《ひ》にかがやいてぬれているように裾《すそ》は黒かった。山頂は小ジワがよっていてなぜか紅《あか》い色であった。  山は冬に入ろうとしていた。十一月二日のことである。  のちに、東京で暮すようになって由布が、遠い異郷にあって故郷を思いだすたびに、先ず、由布岳のことを思いうかべたと書いたが、その由布岳にも、いくつもの表情があったように思われる。小さい頃《ころ》、家の近くの流れ川で泳いで、頭からすっぽり水にはいるのが好きだった由布は、水中で息苦しくなって、頭をあげたとき、のしかかるみどりの由布岳をみた。あの、うるしに光ったような山の肌《はだ》と、先のとがった山頂の美しさは見事で、同じ子供の頃でも、母と一しょにコヅミの山にみえかくれして走る牛を追うて走った秋ぐちの、背高いすすきの枯葉に頬《ほお》をたたかれて立ちすくみみた由布岳とは変っている。ゆけどもゆけども広い原野を、スカートのように広くまきつけた山を大きいと由布は思った。しかし、その由布岳も、父の死んだ日と、太市の死んだ日は肩をすぼめていた。塚原からみた山の、いくつかの表情は、まあそんなものだが、湯平からみた由布岳の中で、もっとも、瞼《まぶた》にのこるのは、この十一月二日の山であった。山は赤く燃えていた。 [#改ページ]     七  章  関本安江の家は、東京の上野駅と神田駅の中間にある末広町の都電通りから湯島の方へ約一町ほど入った地点にある。昭和二十五年冬のこのあたりは、まだ、今日のように人家や、会社商店の建物はこんでいず、都電通りの両側は、広い空地《あきち》が草|茫々《ぼうぼう》のまま残っていた。一帯は空襲を受けて灰燼《かいじん》に帰した所と、焼け残った所の境で、湯島の坂の両側や、明神下のあたりはいちめん古建物ばかりである。安江の経営する「関本|鍼灸《しんきゆう》治療所」は、この焼けのこった一角にあった。ぎっしり建てこんだ露地は、同じような二階家があって、どの家も玄関のよこに格子窓をもち、その窓から手すりが出ていて、枯草のしぼんだ植木|鉢《ばち》だの、古ぼけたスダレなどたらしていた。商人の住宅だとか、勤め人の住む家が多くて、「鍼灸治療所」という木札がかかっていなければ、安江の家も、ほとんど、勤め人の家とまちがわれた。  柿本由布は、東京駅に降りて、構内をうろうろし、八重洲口に出て、都電に乗った頃から、もう心細かった。東京は思ったほど復興していなかった。駅の建物もよごれていたし、八重洲橋下の濠《ほり》がどろどろしていて、異様な臭気だった。リンタクも走っている。通行人が多く、ホームも、改札も、ぎっしりの人で面喰《めんくら》った。由布は改札口で、末広町へ行く地図をきいた。地下鉄でも、都電でもゆけるが、いったん、駅を出た方がいいと教えられ、都電に乗った。窓からみるビルはどれもみなよごれている。焼けのこった残骸《ざんがい》にわずかな手入れを施したといった、まだ空襲時の迷彩さえみえる、汚ないビルもある。ビルとビルのあいだに、ガラス窓が破けて、板をはりつけただけのしもた屋がはさまれている。全体からいって、東京は、きたなく荒廃していた。これが韓国事変で景気がよいという東京だろうか。  由布は、母の話や、安江の家のはなしで、東京はずいぶん復興したときいていたので、期待を裏切られた。だが電車に乗りあわせた人たちは活気のある顔だった。やはり、東京だ。通る男女の身装《みな》りもちがっている。由布と同年ぐらいの女性もハデなオーバーを着ている。真紅の色のもある。化粧もごてごてと厚くした十七、八の娘も電車の中にいた。  末広町の露地の角《かど》にしばらく佇《たたず》んで、由布はさげてきたスーツケースを足もとにおき、大きく息を吸った。ようやく居所がわかった。汽車をおり、一時間もかかってさがしてきたので、安堵《あんど》も大きかったのである。露地を入ると、両側に長屋のような二階家がならび、つきあたりに倉庫のようなものがみえる。この建物も、よごれて下壁が出ている。安江の家は、まん中ほどの左側にあった。由布は、そこに看板があるのをみて、玄関の戸を少しあけて、ごめん下さい、といった。中から応《こた》えがあって、三十七、八の、色の浅黒い着物をきた女が出てきた。女は片眼がなかった。カサカサの束ね髪をして、由布をじろっとみて、 「どなた」  といった。由布はちょっと気おじをおぼえ、 「塚原の柿本です。安江さんおられますか」  ときいた。 「………」  片眼の女は、じろっとまた由布をみたが、 「いますよ」  といって、すぐに奥へひっこんだ。その部屋の奥に階段があるらしくて、ギシギシ音がした。待っているとやがて、関本安江が現われた。 「あんた……きてくれたんかえ……」  関本安江は、豊後《ぶんご》なまりののこっている高声をあげ、 「あがって……あがって」  といった。由布は安江の、しばらく見ぬうちに大人びた美しい顔だちをみて、また気おじをおぼえた。ゆたかな髪にパーマをかけて、左耳の上にその髪をかぶせ、瓜実《うりざね》顔で、キメのこまかい、顔である。 「うちからも手紙がきたしね。いつ出て来るんかと待ってたのよ。汽車|混《こ》んだでしょ」 「はあ」  温《あたた》かくむかえてくれる安江の物言いがうれしくて、眼頭《めがしら》が熱くなった。 「いつ湯布院出たの」 「昨日の朝いちばんです」 「大分へ出た」 「はあ、大分へ出て、急行に乗っちきました」 「夜汽車だから、つかれたでしょ……」  片眼の女が、隅《すみ》にすわって、じっとこっちを見ている。 「キリさん、このひとよ」  と、安江はいった。 「手紙の人。あたしと一しょの村でね。柿本由布さん。今日から、あなたと一しょに働いちくれますよ」  ああ、マッサージは眼のわるい人の職業だったということに気づいた。ここへくるまでに、由布は、そんなことを考えてもいなかった。別府にいた頃、鶴の井へマッサージはきた。その中にも、盲目のひとがいた。 「こっちへいらっしゃい」  階段下の廊下をへだてて、奥にもう一つ部屋がみえる。入ると絨毯《じゆうたん》がしかれている。畳は陽焼《ひや》けしてボロボロだ。隅の方に古卓子《テーブル》がある。火鉢《ひばち》が一つと、わきに小机があり、受話器が置いてある。そこが、安江の坐《すわ》る場所らしかった。安江は、小机を少しずらせて、火鉢のわきに由布をすわらせ、 「いま、うちは七人います。あそこにいた人はキリさんいって、眼がわるいんですよ。七人のうち、三人が盲人であとの四人はふつうの娘さんです。遅《おそ》番と早番があってね。交代で、こうしておひるは詰めてもらってるのよ。忙しくなるのは、たいてい七時すぎから。ここらあたりは、旅館もふえて、料理屋なんかも多いんですよ。まあ、おいおいわかってきますけどね……由布ちゃんは、はじめてなんだから、あたしが教えてあげて、これで大丈夫だというところまできたら、お客さんの家へいっていただく。当分は勉強してください……」  安江はそういって火鉢にさしこんであった喫《す》いかけのタバコをぬいて、オキで火をつけてくゆらせた。 「あんた、よく決心してくれたわね。もっと小柄だと思ってたのに。びっくりした。あたしより大きいじゃない……どれぐらいある」 「はあ」  由布は、湯平の風呂場《ふろば》の脱衣場にあった計量器で、同僚と真っ裸で背丈《せたけ》をはかった時の数字を思いだして、 「五尺四寸です」  といった。 「へえ、それじゃ、わたしとそこそこだわね」  安江はにっこりして、 「学校へいってる時はどうだったかしら。やはり大きかった」 「安江さんほどもなかったです。うちは、卒業してから、背丈がとまりました」 「そんなことってあるかしら……」 「お母ちゃんがそういいます」  由布は心がぬくもりはじめた。 「お母さんは、元気ですか」 「はあ」 「あなたのお母さんには、うちも、小さい時はずいぶんかわいがってもらったことがあります」  安江は人の好《よ》さそうな眼をほそめた。  由布は、落ちついた安江をみて、いつのまに、このひとは、こんなに、東京の生活に根をすえたのか、と驚かないではおれなかった。  まったく、母のいったとおりで、七人もの従業員を統率して、鍼灸《しんきゆう》治療の家をきりもりしているのだった。家は古いけれど、確固たる一戸建ちに違いなく、焼け跡の東京で、このような格好な古家を安江がどうして手に入れたのか不思議な気もした。 「マッサージの勉強はむずかしいですか」  由布はきいた。 「むずかしかないわ」  安江は東京弁にもどって、 「最初は、少しはおどおどしちゃっていやなもんだけどね。馴《な》れてくるとそうでもないのよ。由布ちゃんには、三月がきたら、学校へいってもらう。学校へ入れば、授業で技術もならうからいいけれどね、それまでは自分で体験しておぼえてもらわなくちゃ。あたしだって、最初、九州からやってきた時、お師匠さんの家に厄介になって、一から教わったものよ。はじめは泣きたいほどつらかった。だって、初対面の男の人の躯《からだ》でしょ。さわるのさえ気持がわるい年だったわ」 「………」 「でもね……これでたべてゆかなきゃなんないと思えば、人間、何だって出来るものよ。あたしをみてごらん。裸一貫から、今日になったんよ……」  由布は、安江の自信ありげな笑顔にうなずかざるを得ない。 「うちに出来るでしょうか」  不安をそのままそういうと、 「気持次第よね」  と安江はいった。 「塚原のお母さんのはなしだと、由布ちゃんはちっとも物おじしない、明朗なタチだ。あんまさんには向いているっていってたよ」  安江の母がそういったのだろうか。由布は、川下の家へしょっちゅういっていた母の顔を思いだした。 「そげなこというちょりなさったですか」 「はあ、あんたは、だって、湯平に長く働いちょったんでしょ」  だまってうつむいていると、安江は、 「あすこは温泉場だから楽しかったでしょ」  といった。 「はあ……でも」  由布は言葉につまった。が、 「いつまでもおるところじゃなかったんです。友だちもわるいし、あげなところは、早くやめた方がよかったんです」  それだけいって、うつむいた。安江はあかるく、 「今日は二階へあがって休んじょくれ。あしたから本格的よ。由布ちゃん」  由布は二階へあがった。安江が、うしろから、 「階下《した》は、表が溜《たま》り場で、奥がわたしの部屋。ここは由布ちゃんの部屋にしていいわ。もうじき、新入りのひとがくるのよ。そのひともここに泊る、あなたとふたりで一しょに寝てちょうだい」  戸をあけると、四畳半のがらんとした部屋で、畳は古ぼけて、ずいぶん汚《きた》ない。 「あっちがわたしの寝室」  襖《ふすま》境になった部屋を指さしただけで、四畳半にきて、安江は窓をあけた。露地をへだてて、向い家がみえる。同じ構造の家である。表は四畳半らしく、子供の下着が干してある。その家の向うは、少し高い二階家、左手に「遠山医院」と屋根看板がみえる。「耳鼻咽喉科」とよめる。医者の四角な屋根の上に、ガーゼやタオルを干した広い物干場。その向うは崖《がけ》で、家が段々になり、遠くへかすんでいる。奥は森である。朱《あか》い神社のような建物がみえる。  東京のどんよりした空をみる。街《まち》なかは晴れているのに、どうしてこう空だけこんなに鼠《ねずみ》色なのか。 「新しいひとはね」  安江はいった。 「千葉の方からくるひとなんだけどね、由布ちゃんみたいに経験のない娘《こ》なの。十九っていってたから。わたしもまだ顔をみてないの。通いの杉さんというひとの紹介でね。由布ちゃんがきて間なしにくるんだから、ふたり一しょに勉強したらいいわ。あんたもお友だちが出来ていいでしょ」 「はい」  由布は、そのような新人がくるのなら嬉《うれ》しいと思った。七人もいる先輩の中で、自分ひとりが新入りでもまれて暮すよりもう一人つれがいた方が心づよい。  由布はその娘を待ちどおしく思った。安江が階下へ下《お》りてゆくと、二階で一人になった。冷たい風が入ってくる。窓をしめずに、いつまでも、その風の中にいた。  とうとう東京へきた。安江さんは親切だ。この上は、マッサージを習い、早く技術をおぼえて、一人前になり、朝から晩まで働けるようになりたい。由布は、スーツケースをひきよせて、塚原の母にはハガキを書いた。無事東京に着いたから安心してくれ、安江さんは親切に迎えてくれて嬉しかった、と書いた。  由布はタ方になって、階下で、七人の女たちに紹介された。  盲目の女は三人いた。三人とも全盲ではなく、多少は見えるのだろう。歩くのも、すわるのも、不便な感じはない。部屋の隅《すみ》に座蒲団《ざぶとん》を敷いてすわり、 「こっちから、松村さん、千田さん、石野さん……」  安江は盲人を先《ま》ず紹介し、つづいて、眼あきの女たちを、 「寺島さんに、杉さん、香山さんに……キリさんです」  寺島という娘は二十二、三で、色白のぽっちゃりした美しい顔だちだった。杉というのは三十すぎている。眉根《まゆね》に大きな黒子《ほくろ》のある蒼白《あおじろ》い陰気な顔。香山はまだ十九かはたちだろう。子供子供したおさげ髪の少女、これも顔だちはよくなく、陰気だった。キリは片眼である。全盲の三人は、みな二十七、八か三十すぎだろうか。三人とも、さっぱりした白いガウンを着ている。眼あきの中で、寺島と香山がセーターの上にカーディガン、ズボン姿であるが、眉に黒子のある杉はきものにもんぺだった。由布は、七人のマッサージ女が、いまそれぞれの表情で、そこにかしこまってすわっている姿をみて、一瞬、理由のないひややかさをうけた。  七時すぎる頃から、ひっきりなしに奥の電話が鳴った。そのたびに、台所にいる安江がきて、電話器をとりあげる。 「関本マッサージでございます。はい、左様でございます。ありがとうございます……」  頭を下げながら、安江は丁重な返事をする。申し込んできた旅館、個人の住宅などの、相手の名を、片手で机のノートに走り書きしつつ、受話器を置くと、 「杉さん、水明館へ行ってちょうだい……」  とか、 「キリさん、あんた、湯島の片山医療器へすぐ行ってよ」  とかいって、うしろにはりつけてある区内地図に朱線をひいたり、お得意先の住所を、女たちにいちいち教えた。 「由布さん、あんたにも、電話番を勉強してもらうわ」  と安江はいった。由布は、それぐらいのことは、今日からでも出来そうな気がしてうなずいたが、安江はにっこりして、 「うちの商売はね、電話のうけとりが窓口なのよ。ていねいにご返事しないといけない。……すこしでも、横柄だとお客さんは、怒《おこ》っちゃうのよ。……よそへとられてしまいますからね。お得意のふえるのも、へるのも、電話口の応対よ……」  といった。  なるほど、そういうものかもしれない。由布は鶴の井にいた頃、番頭の笹島がよく、市内のマッサージを番号帳に大きくひかえていて、客から依頼があると、すぐその一軒へダイヤルをまわしているのをみた。あの場合、応対のいい先を笹島は頭にうかべていたにちがいない。そんなことを考えていると、 「旅館にいたから、よく知ってるでしょ」  と安江はいった。 「かんじのいい電話は、きいていても、気持のいいものね」  安江は、てきぱきと、八時頃まで電話番をし、少し間があると台所に入った。溜《たま》り場にいた女たちがみな客がついて出てゆくと、由布をよんで、 「さあ、それでは、御飯にしましょ」  といって、いつのまに、用意したのか、台所から折りたたみの食卓を出してきて、鍋《なべ》や茶碗《ちやわん》をその上にす早くならべて、由布と向いあってたべた。 「働いてもらってる人たちは、お食事はみんなじぶんちでたべていただいているの。けど、由布ちゃんと、こんどおいでる新人にはうちでたべてもらう。見習期間だから、炊事も手つだってもらわなくちゃ。……たのむわね」  由布は、安江がたいへんな働き者であることをその日のうちにみたように思った。こうでなければ、六、七年の間に、貯金も出来なかったろう。七人の従業員をつかい、自分は電話と炊事に走りまわっている安江の一日が、わかるのであった。 「なんにもできませんけど……いうてもらったらうちは何やってします。ごはん炊《た》きぐらいは出来ます」  と、由布はいった。 「あたしだって、なーんも出来ないわ」  と安江はわらって、 「おみおつけと、魚が焼ければそれでいいのよ……」  いってから安江は、これからは、闇《やみ》商人のもってくるものを買わずにすむともいった。由布が電話番をしてくれるようになれば、上野の闇市場へ行って、安い魚や肉を買ってくることも出来るし、大助かりだというのであった。由布は、安江のおかげで、三どの食事がいただけるかと思うと嬉《うれ》しかった。まだ、この当時は、登録制で、塚原から、「主食配給通帳」を持参していた。住居がきまれば、該当の米屋や、味噌《みそ》、醤油《しようゆ》を売る店に提出して、そこから配給をうけることになる。安江は、由布のさし出したそれらの通帳と移動証明とを、翌朝早くに近くの出張所へもっていって、すべての登録をすませた。  何もかも、てきぱきとやる安江に、由布は、頭がさがる思いがした。  翌日に手荷物がとどいて、母のつくってくれた蒲団《ふとん》がきた。二階の四畳半でそれにくるまって寝た。安江にいわれたとおり、由布は、当分、家仕事をするしかない。七人の従業員たちは、食事はみな外でしてくるので、炊事といっても安江と由布だけの分なのでかんたんであった。安江は、食事がすむと、電話のある部屋に敷蒲団を敷いて、ごろんと横になり、 「由布ちゃん、ちょっと、やっちみてよ」  肩から順にマッサージさせた。由布は安江の肉づきのいい肩から背中へかけて、丹念《たんねん》にもんだ。安江は、ていねいに人間の筋肉や神経について、人体図をもち出して教えた。指先に力を入れ、肩の力をぬくことも教えた。由布はもみながら、安江の話をきく。 「あたしがね……最初にお客さんのところへいったのは、三日目だった。お師匠さんは、二日ほど教えただけで、もうお客さんのところへゆきなさいっていうの。電話がかかってきてね、ふたりでおいでっていわれたもんだから、ふたりでもむのだったら、先輩のひともいることだし、あたしの方が新米ですからってことわれば、それでどうにか、すむだろうと思って……あたし、地図かいてもらって、その人と旅館へいったのよ。そしたら、旅館にはお客さんが二人待ってたのよ。まいどありがとうございます……教えられたように、マッサージでございますって……敷居のところで頭を下げて……。四十ぐらいのお客さんがね。ちらとこっちをみて、そいじゃ、こっちの部屋へきてもらおうか……わたしを別の部屋へつれてゆくじゃない……困っちゃった……先輩の人と一しょならと思ってたんでしょ……だけど、さっさと行っちゃうもんだから、ついてったわ。……そしたらね、お客さん、すぐ、横になってさ、はじめてくれるかっていいなさるから、おそるおそる、肩から背中へ手をさしだして……一生懸命もんだ……、二日ぐらいしかやってないんだもの……ツボも何もあったもんじゃない。急にお客さんが怒《おこ》りだしたのよ。……きみッ、そんなことで……よく金がとれるね……いつから、アンマしてるんだッ、大きな声でどなられた。……かなしかった……あたし、ほんとに泣いちゃった……仕方がないから、本当のこといったのよ。すんません。じつは……あたし、三日前に、九州からきたんです。お師匠さんのところへきてまのない素人《しろうと》なんです。かんにんして下さい……隣りの人は上手《じようず》ですから、その人にかわってもらいます。どうぞ、かんにんして下さい……泣いてあやまったのよ……」 「………」 「そしたらね、由布ちゃん。人間て正直なことをいえばそれで通るもんだわね。怒ってたお客さんが、急に笑いだしちゃって……しかたがないや、そこで、話してゆきなッて……アンマさんしないで……いろんな話してくれて……お金もくれるのよ」 「………」 「わかる、由布ちゃん。最初って、みんなこんなもんよ。そんな目にあったから一生懸命……勉強しようという気持にもなったのよね」  由布は、手をやすめずに聞き入るのである。 「由布ちゃんが、別府へ行っちまった時、あたしは東京へ出たのよね……あんた、あの時は亀川の療養所にいたでしょ。あたしも終戦の年は、塚原へ帰ってた。あんたは、まだ療養所にいたから会わなかったのね。あたしは、二十年の十月に、また東京へもどっちゃった。家のひとはとめたけど、塚原にいるよりはいいと思ってとび出しちゃった。東京へきてみたら焼野ガ原でしょ。心細くなっちゃった……もといた浅草の田原町の料理屋さんへ行ってみると、焼けてしまって家はない。さんざ探《さが》し廻《まわ》ってさ、御主人にあったら、とても、いま料理屋をひらくってことはおぼつかないから、知ってる人を紹介する、そっちへゆきなさい。親切にいってくれたのよ。行ってみたの。そこが、わたしのお師匠さん。菊屋橋に住んでてね……あのあたり焼けのこってたもんだから、昔どおりに治療所をやってゆけたんだけど、働く人がいなくて困ってたの。あたし大歓迎されてね。どういうんだろうね、東京の人って……自分んちへアンマさんよんで、もませる家が多いのよ。近くに旅館なんかもあったけど、あそこらあたり仏壇屋さんが多くて……仏さまやら、お位牌《いはい》やらいっぱいおいてなさる家の奥で、御隠居さんや、お婆《ばあ》さんを治療したのをおぼえてるわ……いっちみればあたしの振り出しよ。つらかった、けど……一生懸命働いたから……運が向いたのよね……」  安江は二十二歳で上京した当時のことを、そのように由布にはなして、あなたも、やりようによっては、五、六年後に独立できると力づけた。きいていて、由布は、治療する手に力がはいった。 「はじめは、理容学校へ入りたかったのよ。女手でサンパツ屋さんおぼえて、お金ためようと思ったけどね、たべながらでしょ。学校へゆけやしない。しかたなく、あたし、アンマさんになっちゃった……けど、この商売は……躯《からだ》がもとでの……一生懸命にやれば、誰にだって出来る商売なんだから……おぼえておけば、役に立つものよ。由布ちゃん」  安江は、由布に掌《てのひら》のもみかたや、足のもみかたを、ていねいに教えた。耳うしろのあたりの筋をさぐらせて、眼の疲労や、頭の疲労を、ほぐすツボを教えた。由布は安江のむっちりした肉づきのいい躯にふれていると、どうして、このひとに、結婚の相手がなかったのだろうか、と不思議だった。安江は、二どめの上京から六年になるのに、苦労話はするが、男性関係は少しもはなさない。かくしているのだろうか、と由布は思ったが、しかし、そんなことを、きいてみたい衝動はあっても、口に出すことはできなかった。だが安江は、思わせぶりなことをいった。 「世の中はね、一生懸命……やってると、誰かが助けてくれるものなのよ。あなたも、きっと……そんな人が現われるわよ、由布ちゃん」  とすると、安江に、誰か助けてくれた人がいて、いまのこの二階家を手に入れることが出来たのだろうか。そのことは、まだ、由布にはわからない。  安江は、按摩《あんま》とマッサージはちがうといった。学問的なことも、由布に背中をむけながら教えた。  マッサージは、動脈の血行をよくし、静脈やリンパ腺《せん》の鬱血《うつけつ》をちらして、躯《からだ》の組織の新陳代謝を促進する、掌《て》の平で裸の肌《はだ》にふれ、かるく圧《お》したり、こすったりする方法をとるけれども、按摩法はこれとちがう。掌の平のほかに、手関節、ひざ関節、足をつかって、着物の上から治療をほどこすのである。軽擦法、強擦法、揉捏《じゆうねつ》法、叩打《こうだ》法、伸展法といった手技を用いなければならない。軽擦法は、手で患部の上をこする方法。揉捏法は、指で筋をはさんで、こねるようにしてゆく方法。叩打法はこぶし、掌の平で患部をたたく法。これは充血を起させ、組織が強化し、神経の過激を弱め、麻痺《まひ》しているようなところに効果をあたえる。振顫《しんせん》法というのがある。これは、指先、掌の平で振動を患部につたえて、筋神経を刺激して、組織の新陳代謝を促進する。また、同じ掌の平で、筋の上を圧迫するにしても、短くやる時は、神経機能を促進する役目があるし、逆に圧迫をゆっくりする場合は、筋神経の動きをおさめるに役立つ。  安江は本をみながらこのような治療手技を、いちいち自分の躯の要所要所にあてはめてみせて、躯をおこしたり、手をのばしたり、曲げたりして、由布に、その技法と効果について教えた。  由布は、安江が懇切に教えてくれるので、だいたいの要領がわかった。しかし、安江のように、二日や三日の修練で、客のところへゆく勇気はもちろんなかった。もっとも安江は、由布を、そんなに早く働かせようとするつもりはないらしく、食事の用意をさせたり、電話番をさせたりして、わきにいて、気づいたことを、ていねいに教えた。  七人のあんまたちは、早番、遅《おそ》番を交代にきめて通ってくるが、盲目の者も、眼あきのものも、それぞれ個性があって、というよりは、それぞれ、扱いにくいようなところがあって、由布はいつも、気をつかっていなければならなかった。客がつかなくて、溜《たま》り場に半日も休んでいる女がいると、由布は、そこへ茶をはこんだり、時に、安江の指示で、ウドン粉をこねてつくった菓子パンを、お三時に出したりした。盲目の女と眼あきの女とは、いつも坐《すわ》っている場所がはなれていて、そこには眼にみえないが、冷たい壁のようなものがあるのがわかった。無理もない話である。盲目の女たちは、外界はみえない。眼あきには見えるのである。条件がちがっている。  七人のなかで、親しみをもたせたのは、寺島ひろ子である。年が同じということもあって、ひろ子は由布がきた日から関心をもったらしく、早番で溜り場にいっぷくしている時など、茶をもってゆくと、安江が二階へあがったスキをみて、 「あんた、よく決心したわね。ほんとにあんたここで按摩さんやってゆくつもり? 杉さんも言ってたけど、按摩なんか勉強すんの勿体《もつたい》ない器量だって……ダンサーにでもなってごらんよ。銀座へ行ったら、一日に千円はラクにとれるから」  といった。由布は、ひろ子が器量もわるくなくて、色白の、ぽっちゃりした顔をまともにこっちへむけていうのに、 「うち、そげなところにつとめたってダメじゃえ」  といった。 「ひろ子さんなら、東京に馴《な》れてなさるから、そげなとこへ行ってもつとまるでしょ。うちゃダメですよ」  由布は、東京へゆけば、水商売からの誘惑があるときいていたので、びっくりして、 「安江さんのようになりたいんです……堅気の商売したいんです」  というと、 「安江さんは特別よ」  ひろ子は、切長の眼を炯《ひか》らして、小さなハンドバッグから、裸の巻タバコを一本ひきぬいて火をつけると、 「めずらしい人よ、あの人」  といった。めずらしい人、と力を入れたひびきに、安江の秘密めいた裏側をほのめかされた気がして、由布はひろ子をみた。 「女ひとりで、ここまでやりあげるってことは、そりゃ大変よ。躯《からだ》も心も張らなきゃァ……按摩さんだけじゃとても、二十代でこんな出世はできっこないわ……」 「………」  由布は、ひろ子がいま言おうとしていることがわかる。 「やっぱり、安江さんには、あと押しのひとがいなさるんですか」  ときくと、 「あんたは、きて間がないから、知らないだろうけど……もうじき、その人にあえるわよ。……関本さんが、ここに家をもてておかみさんになれたのは、その人のおかげよ。どうして、あんな人が好きなんだか、わたしらにもわからないけどね……事業欲のためなら、まあ、仕方がないわね……あの人は、かしこい人よ。あたしゃ、あんたが、あの人のこと知らないらしいから、いうけど。誰にも言っちゃいけないよ。関本さんは二号なんよ……菊屋橋の土建屋さんが旦那《だんな》よ」  どきりとしてひろ子を見直した。ぼんやりみえていた安江の背後の薄皮が音をたててはがれていく。そうだろう。それでなくて、二十八歳で、この東京で、どうしてこんなに早い出世が出来よう。  寺島ひろ子は、そう言いながらも、安江の生活に羨望を抱いていることを、顔にあらわした。由布は、きいていて、これで安江が、塚原を出て、最近まで帰ってこなかった理由がわかった。安江は、戦前は田原町の料理屋で働いていて、戦争がきびしくなって塚原へ帰ったが、間もなく終戦になったので、すぐまた、混乱の東京へ出ている。もちろん、当時は、料理屋など再開できなかったろう。で、田原町の主人の世話で、菊屋橋の治療所を世話してもらい、理容師になりたいという希望も、そのために断念しなければならなくなり、按摩を勉強することになった。苦労して一人前になった。そんな時、安江を助ける男が現われたのだ。それが、同じ菊屋橋に住む土建屋さんだった。  ひろ子の話から、だいたいのことは想像できた。けれども、安江からは、その土建屋のことをくわしく聞くことはできなかった。安江は、ひたかくしにかくしていた。由布は、安江が同郷の由布にだけは、軽率に、男のことをはなしたくないと思っているらしいことも、よくわかるのだった。  安江は電話番をしながら、七人の女たちを交互にお得意先へ治療にゆかせて、帰る女から料金を受け取ると、いちいち帳簿につけて、長火鉢のよこに置いてある手提金庫に金を入れて、監理した。十日毎に女たちに四分六分の計算で、働き分を払い、治療所の受け取り分である四分の金額を、電車通りの角にある信用金庫に納めるのを仕事にしている。帳簿も二た通りあって、大福帳のような日録を、本帳簿に記入する。ひまがあると二冊卓にならべて、ペンをとっている。由布は、その安江に食事をだし、溜り部屋に茶をだしたりする。たまには、買い物に出たが、闇市場は上野へゆかなければならない。市場へゆく時は、安江と一しょに出かけた。そんな時、電話番をするのは、早番の女であった。  ある一日、市場へゆく日だった。末広町から黒門町へゆく電車通りを歩いていて、安江が、はじめて、由布に土建屋のことをはなした。 「あんたにいっておきたいと思いながら、今日になったんだけどね、あたしには、世話になってる人がいるのよ。池野っていう人だけどね、その人、ここらへんに顔のきく請負師さんでね……いまの店をもつ時に、ずいぶん、世話をかけたの。お金のことでね。借金を払うまでは、あたし、頭があがらない。その人、月に二どぐらいうちへくるけど……その時には、あんたに紹介するわ。あたしが世話になってる人だから、そのつもりでいてね……」  安江はそれだけいうと、ほっとしたようにわらった。白い八重歯ののぞくどこか、ずるそうな笑い顔であった。  由布はかすかな不安をおぼえた。当然、それは予想していたことであったにもかかわらず、事実、そうだと、本人から、闇市場へゆく途中で知らされて、背中を吹きぬける風をかんじた。  やっぱり、安江は独力でここまできたのではなかった。かすかな失望だ。由布は、東京にきて、安江をみた瞬間、立派だと思った。ところが、それは安江一人の力ではなくて、うしろに男がいることによる自信から出ていたと思うと、考えさせられる。  安江がそのことを、田舎《いなか》へ秘密にしていることも気にかかる。川しもの安江の生家へも由布の母の耳へも、それはきこえていない。  由布は、安江が、かすかなうしろめたさを顔にみせて、世話になっている土建屋のことをいうのを聞きながら、だまっていると、 「田舎へは、本当のことはいっちないんだけどね……いつかは、わかることだと思ってるのよ。その時はしかたがないわね」  と安江はいった。 「あんたに、かくしてても仕様がないから、いうとくのよ、その人、奥さんも、子供もあるのよ。結婚できるということも望めないし、また、あたしも、結婚しようとは思っていない……ただ、あたしが……按摩さんしてて、収人も少なくて困っていた時に助けてもらった……恩義をかんじているのよ。知っている人はね……あたしのことを馬鹿《ばか》だというね。お金はお金で、借りたぶんを返せばそれでいいじゃない……何もおめかけのようなことまでしなくていいじゃないって……けど……そんなわけにもゆかないよね。末広町のあの家に五十万円ほどかかったし、何やかや、あたし、その人に百万近い金を借りてる。いまどき、何の抵当もなくて、百万円貸してくれる人があって……あたしは誰に何といわれたって、あたしのしていることは正しいとは思わないけど、これでいいという気持があるのよ。いい人よ。由布ちゃん。その人にあったら、とっても憎めない気がするから……」  安江は、闇市場の雑踏の中でそんなことをいった。雑踏の中では、ききとりにくいような調子であった。そのような大事なことを歩きながら由布に告白してみせた安江に、由布は、ある親しみをかんじた。安江は照れをかくしていたと思う。  由布は、池野という土建屋に早く会ってみたいな、と思った。  池野参次は、なるほど憎めないといった顔はしていたが、眼つきはあまりよくなかった。五十四だというが、いかにも、土建屋らしい恰幅《かつぷく》のいい男で、陽《ひ》焼けした赧《あか》黒い肌《はだ》、大きな鼻、厚いくちびるといい、男っぽいかんじだった。恰幅のいいわりに背がひくくて、首がみじかい。顔ぜんたいが丸くうちわみたいで、わらうと、片えくぼができた。  池野は、由布がきていることを電話でしらされていたとみえて、その日、溜り場に、ひろ子と杉あやが、毛糸のたまを膝《ひざ》に、夢中で編物している前を、「みんな、御苦労さん」あいそをいって、奥の居間へ入った。安江は、にこにこして迎え、台所にいた由布をよんで紹介した。 「この前にはなした人よ」  と安江はいった。 「由布さんです。よく働いてくれます」  池野参次は、由布をみて、 「あんたか」  といったが、一瞬、なぜかおどろいたふうだった。由布のどこに、そんな驚きを感じたのか。 「いくつだったかね……」  安江が、二十二だというと、 「大柄だ……」  といった。由布は、一瞬、はずかしい思いが走った。男の視線には、由布を女として吟味している光りがあった。 「あたしを台にしてね、いろいろおぼえてもらっているんですよ。四月に学校にいってもらいますけど、それまでは、うちのことをしてもらって、実習だけはおぼえてもらおうと思って……」 「たいへんだな」  池野は愛想《あいそ》わらいを片えくぼにうかべ、 「器量よしだから、お客さんがつけば、きっとかわいがられるよ」  といった。 「なんにしても、辛抱が肝心だ。これまでに見習にきた人もずいぶんいたけど、すぐやめてゆくのは、みなダメだったね……お客のつかないのを他人のせいにするんだ。勉強不足を棚《たな》にあげてな……お客のせいにしちゃ、いけないやね……この商売は、器量のいいにこしたこたァないが……やっぱり技術だ。わたしらだって、上手《じようず》な人にやってもらいたいからね……」 「これから、学校へ入れていただいて、一生懸命勉強します。よろしくお願いします」  由布は手をついて頭を下げた。 「安江さんのように……やりとげたい思います」  由布がいうと、池野は、眼に面映《おもは》ゆさをみせて、 「それじゃ、一つ、わたしをもんでくれるか」  といって、二階をさして仰向いた。  池野は、二階へあがった。由布は、きょとんとしてそのうしろ姿を見ていた。すると、安江が、 「あんた、あたしの教えたとおりやっちみてよ。あの人、ずんぐりにみえるけど、もんでみると、とっても、やりやすい躯《からだ》だから……」  にっこり言って、ためらっている由布を押しあげるように、 「さ、行っちきてよ」  という。由布は、おそるおそる階段をあがった。安江の躯を台にして、練習していた時は、こうも、ひるみをおぼえなかったのに、どうして、池野にそれを感じたか。じっと、みつめられた眼に、異様な光りを感じたせいかもしれない。こわばった足を階段口へはこんで、安江の方を一どふりかえってからあがった。二階は前述したように由布の部屋と襖《ふすま》境になっている。その六畳へは、めったに入ったことはない。廊下の押し襖をあけると、カーテンが六尺の北窓にたれている。安江の個室だというが、夜なかの電話番もあるので、ふだんは居間に寝るため、ここは締めきりにしてある。窓から入るうす明りの中で、池野は、ニク口ム線の燃えているヒーターの渦をみながら、それに手をかざしていた。いつ敷かれたのか敷|蒲団《ぶとん》が一枚敷かれてある。タオルをまいた枕《まくら》もきちんと出してある。由布が入ると、池野は、上着をぬいで、ラクダのメリヤスとぱっち姿になり、そこにごろんと寝て、 「さ、やってみてくれ」  といった。由布は躯がこわばるのを押えつつ、池野の肩に膝《ひざ》をすりよせてすわり、おもむろに肩甲骨のあたりからはじめた。 「わたしは、まだ、九州へ行ったことはないんだが……あんた、別府にいたってね……」  そんな切りだしかたで、池野は話しかけてきた。由布に、なるべく、気まずい緊張をさせないような、心づかいが言外に出ている。 「湯の豊富な温泉だってきいているんだが……温《あたた》かいところなんだろう」 「はあ」  由布はもむ手に力を入れる。 「でも、冬は寒いところです。雪がよく降りました」 「そうかい、あたしはまた、別府は温かい天国かと思っていたが……」 「九州でいちばん、寒いところです」  と由布はいった。 「へえ、あんたの村は、山の方になるのかね」 「由布岳と鶴見岳の奥です。別府から二時間ぐらいかかりますね」 「塚原ってきいたが、そこは何かい、やっぱりアメリカの演習地になっちゃってンの」 「はあ」  池野は、安江からきいたか塚原の周囲のことにくわしかった。 「なかなか上手だよ、これじゃ、もう、お客のところへいったって、つとまる」  池野参次は、由布の膝へふれるほど背中をつけていった。 「いっておくが、この商売は誘惑も多いからね」  掌《て》の平をもんでくれとさしだしながら、由布がその掌の平をゆっくり力を入れてもむのを見て、 「年輩のお客さんはまだいいけれど、近ごろは若い客も多い。誘惑が目的で按摩《あんま》をよぶのがいる。そんな客は、たいがい、二流宿にきまっているからね……よく、相手を見なければいけない……安江も、怪しいお客へは、当分あんたは向けないだろうがね……あんたの器量じゃ、お客の気持を挑発しないともかぎらない……とにかく、客が変なこといったり、したりしたら、さっさと逃げて帰ることだ。宿の帳場に料金は請求すればいいんだし、ひどい客なら、お金なんかもらわなくていい……わたしは、そこのところはよく安江にいってあるからね……身体障害者や大事な娘さんをあずかって働いてもらっているんだ……一人でもかなしい目にあってもらっちゃ……いけない……みんなしあわせに働いて……独立してもらうのが、わたしたちの目的だからね」 「………」  由布は、池野が、そんなことを、しんみり話すのをきいて、溜《たま》り場にいて編物で時間をつぶしている女たちの、どこか、くすんでみえるような蒼白《あおじろ》い顔に、秘密めいた蔭《かげ》のようなものが、共通してのぞかれるのは、働き先での、理不尽な男の要求や、からかいに手馴《てな》れたせいか、とふと思った。 「由布ちゃんは力があるから大丈夫だ……」  と池野はわらった。 「男が変なまねしたら、横っ面《つら》ひっぱたいてやればいい」 「はあ」  事実、そんなことがあったら、蹴《け》り倒すか、手を噛《か》むかして、由布は負けていない自信はあった。 「男はずるい動物だからね」  と池野はいった。 「いろんな手をつかって誘惑してくる。由布ちゃんなんかは、さしずめ、按摩をしているのが勿体《もつたい》ない。バアかダンスホールへでもいったらどうだと……話しかけてくる……じつは、そんな客ほど、牙《きば》をかくしている……助けてもくれないくせして、同情してみせる……男は、ありふれたそんな手をつかう……これまでにも、そうしてだまされた娘が何人もいたよ」  左肩がすむと、反対の側に由布をすわらせて右肩をもませる。腰、太股《ふともも》、膝関節、くるぶし、足裏、指と、由布が真剣に治療してゆくのを、話しながら、池野はじっと、採点でもしているふうに、時どき、治療の感触を味わっている。はじめて安江以外の、しかも男の躯《からだ》をもんだのだ。池野が、これまでに、新入りしてきた按摩娘の試験台になったであろうことを想像すると、いやでも、気が張る。 「もうプロだね」  池野はいう。 「あんたは、熱心だ。とても、これまでの娘で、こんなに短期間におぼえた子はいなかったよ」  満足そうだった。 「一生懸命働いて、早く学校へいって、国家試験をとるんだね。試験さえパスしたら、一人前だ。……いいかい……ここにじっとがまんして、働いておくれね」 「はい」  由布はいった。 「一生懸命やります。よろしくたのみます」  この男がこの治療所のスポンサーというよりは、蔭の出資者であり、安江は、この男の二号だと思うと、由布は、何としても、この男の心証をよくしておかねばならないと思った。池野は五十分ばかり由布にもませ、ありがとう、といって起きなおった。ズボンをはいて上着を着て、階下へ降りた。由布も、タオルをもって尾《つ》いて降りると、安江は店の境戸をしめて、卓袱台《ちやぶだい》に、ふかしパンを皿《さら》にならべて待っていた。 「力があって……キメがこまかい……立派にプロだよ……これなら安心だ」  池野は安江のよこにあぐらをかいた。 「そうでしょ。あたしの教授もいいんですから……」  安江もにっこりして、 「由布ちゃんも、ここにすわりなさい」  といった。由布は、安江と池野の視線に、おだやかな光りがあるのを感じた。 「あとは、気持だといったんだよ。技術は上手《じようず》でも、気持がしっかりしていないと、この商売はいやになる……」 「そうですよね……由布ちゃん、そのとおり、あしたから、気さくなお客さんだったら、一つやってみないかねェ」 「………」  由布はだまっていた。安江は池野の方をちらとみて、 「あたしの方で、お客さんの吟味はしてあげるから」  誘うようにいった。  由布は、そんなふうにして、安江と池野に按摩をしこまれ、やがてくるという千葉の新入りの同僚の顔をみないうちに、働きに出た。最初は、御徒町《おかちまち》のガードの近くにある旅館で、そこの女主人が客だった。五十年輩の女将《おかみ》は、安江のむかしからの得意にちがいなかった。安江は、由布が出る時に、ハンケチと、小さなレザー製の赤いハンドバッグをくれた。 「あたしがむかしつかってたの。もっちゆきなさい」  そして、思い出したように、 「五十分でいいんだよ。按摩の一時間は五十分いってね、常識なんだから……それに、台明館のおかみさんは、古くからあたしのお客さんだし、あんたがまだはじめてから間がないこともいっといたから……下手だってはずかしかないよ。承知でよんでくれてんだから」  末広町から歩いて十分以上はかかった。玄関を入る時は、足もとがこわばったが、いよいよ、働くことの出来る楽しみもあったので、勇気がわいた。女将が案外に、感じのいい、やさ肩の、眼の細い丸顔の女なので、安心した。帳場の奥の部屋に敷蒲団《しきぶとん》が敷いてあって、浴衣《ゆかた》一枚で女将は寝ていた。おそるおそるうしろへ廻《まわ》って、背骨にふれてみると案外骨が太かった。肉づきもよい。安江に教えられたとおり、治療にとりかかった。 「あんた、力があるわね……ずいぶん、効《き》くわよ」  と女将はいった。その日が、由布の初出であることなど知らない様子なので、由布は、まがりなりにも、五十分の時間を、不満をあたえないで治療し終えたことに満足をおぼえた。終って、全身がびっしょりの汗だった。ハンケチをとりだして拭《ふ》いていると、 「茶一杯|呑《の》んでゆきなさい」  女将は、由布の治療でこりが散ったのか、生々した顔つきになって、女中のもってきた湯呑みを由布にさし出し、自分もおいしそうに呑んだ。 「あんたんちの安江さんとは、むかしからの知りあいでね。あの人も苦労したんだよ。あんた、同郷だというじゃないか。がんばって働くんだね」  女将はやさしくいった。由布は、よろしくお願いします、といった。女将は、好感をもったらしかった。 「電話したら、ご指名だから、またたのむわね」  といって、代金に二十円割り増しをくれた。由布は嬉《うれ》しかった。はじめて手に入れた百円の金を、大事にハンドバッグにしまいこんで帰った。 〈一生懸命やれば、助けてくれる人がいるもんだよ〉  安江のいった言葉が身に沁《し》みた。助けてくれる人は男とかぎるまい。こんなやさしい女将もいると由布は思う。  この台明館の女将に、由布はかわいがられてゆく。女将は安江に電話してきて、かんじのよい娘をまわしてくれた、と礼をいった。治療|馴《な》れしている女将が、素人《しろうと》に近い由布の按摩を賞《ほ》めたのが、安江にも由布にも自信をつけたのだった。それから、ときどき、由布は台明館へいった。御徒町のガードをくぐって三丁目の方へわずかに歩いた先を、上野駅の方角へ入りこんだ地点だが、ここらあたりは建てこんで、ごたごたしているわりに静かだった。宿は、古い黒板|塀《べい》に囲まれて、焼けのこりの一角、わずかな庭をもった、瓦《かわら》ぶきの二階家である。客室は二階もあわせると十はあったかもしれない。由布は、松、牡丹、紅葉などと、戸口に部屋名の掲示してあるこの宿の内部を、おぼえた。客は地方からくる商人が多く、もっとも、この当時は、闇仲買だろう、由布は、これらの客によばれて、治療にはげんだ。おかしなもので、まだ素人だったけれど、不思議と、経験をつんだ按摩にみえた。一生懸命にやるから、さほど専門知識はなくても、巧みにみえたし、それに何よりも、由布には、物怖《ものお》じしたところがない。もう、この道に入って、三年はたった貫禄がでた。一つは体格が大きかったせいかもしれない。急所急所を由布が拇指《おやゆび》に力を入れて押圧《おうあつ》すると、客は声をだしてうめいた。由布は、経験をつむほどに、男の躯《からだ》の急所をおぼえていった。  この台明館へくるには、末広町から歩いて十分かかったが、途中、松坂屋の角《かど》をまがって、御徒町の国電駅に出る時、構内を左手にみると、夜おそい時刻は、いつも、ガードに沿うた暗がりに、夜の女がいた。寒くなっていたので、誰もがオーバーをきて、頬《ほお》かむりするか、ネッカチーフで、頭を包んだりしていた。女たちは、小雨の中を傘《かさ》もささず佇《たたず》んでいた。由布は、湯布院でみたパンパンを思い出した。ああ、ここにも、女性がいる、と思った。湯布院ではアメリカのチェリーボーイが客だったのに、ここでは、日本人を相手にしている。女たちは、構内から出てくるサラリーマン風の急ぎ足の男に、タバコの煙をふきかけて寄ってゆく。どんな会話がかわされるか、由布にもわかった。川石つなは、もう警察を出されただろうか。とみ子やいちは、相かわらず客の部屋を廊下とんびに渡りあるいているだろうか。  由布は、東京にきても、躯を売って生きている女たちが、蒼《あお》ざめた顔で、路傍に立ちつくすのをみて、湯平を思い、この世界から足を洗えた喜びで胸が熱くなった。  二十五年の暮れから、正月にかけて、由布は安江の治療所でよく働いた。御徒町の台明館、湯島の「紅葉」、氷川下の「草月」、池の端の旅館「美松」、そんなところが、由布のゆく先だったが、この稼業《かぎよう》に馴《な》れてくると、最初は不安だったのが、次第に自信も出て、先輩に負けない一人前の技術を体得していった。正直いって、まだ、学校へいっていないのだから、免許はない。げんみつにいえば、もぐりなのであるが、よほどのことがなければ、露見するものではなかった。また、この頃から、上野近辺には、旅館や料理屋が復興して、鍼灸《しんきゆう》治療はひく手あまたであった。どこの治療所も、従業員が不足していた。安江は、由布が免許もなく働くのでかわいがった。もっとも、同郷であるし、同じ家に起居しているのだから、ほかの女たちも一目おいて眺《なが》めたのは当然である。通いの按摩たちと、家にいる由布とでは、安江も使うに重宝するところもあって、夜おそく十二時すぎてから客があると、盲女には頼みづらいので、元気な由布を向かわせた。由布は一時でも、二時でも、馴染《なじ》みの旅館から電話があると、いやがらずに、〈うちがいっちきます〉と出かけた。そんなふうなので、収入もふえた。由布は、闇市へ行って、つるしんぼの服やズボンを買った。紅《あか》いセーターやカーディガンも買った。二月に入って、松坂屋の特売で、グリーンのオーバーも買った。別府で買ったものは、みな古ぼけていた。新しいオーバーを買った時は、嬉しかった。自分で働いた金で買えたことに大きな喜びがあった。  旅館や料理屋の客が、案じたような人ばかりでないのも、働いてみてわかった。安江が気をつかって、なるべく、いい客のくる先を世話したせいもある。意地悪をいわれて泣かされたり、力ずくで手ごめにされるといったような目にはまだあわなかった。按摩商売といえば、世間は、パンパンの代名詞と思わぬでもない風潮であったが、安江の治療所で働く女たちは、みな真面目《まじめ》だった。少なくとも、由布には、当初はそのように思われた。  由布が、客に治療をしていて、自分の容姿と顔に、かすかな自信をもつようになるのは、三月はじめだったろう。台明館の客で、仙台からくる井川という繊維関係の男が、 「どうか、あんた、ひとつ、その器量なら……独立してみないかね」  と井川はいった。 「わたしは、按摩が好きでね……宿へくるたびにもんでもらうが、あんたのような美人で、誠実な人はめずらしいよ」  井川は由布をじろじろみて、 「仙台に家があるんだが、月に三どほど、馬喰町へ仕入れにくる」  たずねもしない自分の素姓をちょっともらして、 「九州からきてるんだってね。おかみにきくと、まだ、東京へきて日が浅いっていうが、ほんとに、その器量で、これからも按摩してゆくつもりかね……」  井川は、四十二だというが、若々しく、美男というほどではないが、にくめない眼尻《めじり》のさがった顔をしていた。 「わたしが思うには、これからの世の中は、誠実ばかりではやってゆけないぜ。日本は有史以来の敗戦を味わったんだ……何もかも生れかわるんだ。新聞をよむとこれからは、独立国として、ソ連やシナを向うへまわして、アメリカの言いなりになるらしいね。韓国戦争でも、ずいぶん、日本人が働いてるそうだし、この戦争がすむと、アメリカの政策はますます、日本を基地工業化してくるよね……わたしらのいま扱っているメリヤスなんてものも、手編みのしょぼくれた時代から、いっきに工場化される。何てたって、資本の大きなところが勝つさ。こちこちと、地道に、手間ひまをかけてつくってゆくといった時代は、だんだん遠くなってゆく……按摩も同じことだ……あんたのように体格が立派で、美人の女性が、なにも、盲目の職場をあらしてさ、商売することはねえだな……言いかたはわるいが……わたしは、本当に勿体《もつたい》ないと思うんだ」 「………」  由布は、盲目の職場をあらして……といわれて、一瞬、もむ手を休めた。それは井川にいわれるまでもなく、日頃から考えていたことでもあった。安江の店にいる盲目の女たちが、由布にむける病んだ眼に、異様な敵対意識がみえはじめているからであった。それは、最初に、末広町へきた時には感じなかったが、日がたつほどに由布は気になった。ましてや、由布が、諸方の宿から指名がかかって、忙しくなると、彼女たちの羨望《せんぼう》の眼は集中した。 「もっと、別の世界へ出て、自分をためしてみる必要があるのじゃないかね。あんたが、もし、按摩をやめて、メリヤス関係で働きたいのなら、わたしは、いつでも紹介してあげるよ」  井川は、由布の反応をじっと瞶《みつ》めて返事を待っていた。 「盲目の人の仕事を取っちょるといわれたら、うちは、頭があがりません」  と由布はいった。 「けど、うちには、いまのところ、按摩するしか……しごとがないんです……田舎《いなか》の人の家に世話になっちょるんで。働かないけんのです」 「事情はわかるがね。しかし、広みの東京へきたんだから、考えも変ったっていいと思うよ……田舎の人というのは、同じ九州の人かね……盲目なのかね」 「いえ、眼あきの人です……」 「わたしは門外漢だからわからないが、むかしから按摩は盲目の人の仕事だった。盲人が笛をふいて流して歩いたもんだ。仙台などは、いまのところ、眼あきの按摩はいない。ところが東京へきて、はじめて、若い女の眼あきにあってびっくりしてるよ。話をきくと、みな学校を出て、国家試験をとってるそうだ……眼あきがね……国家が眼あきに鑑札をやってる……いけないことじゃないかな……」  井川は自分でも、多少はきまじめすぎたか、という反省もあったか、ちょっと、てれ笑いをうかべると、 「まあ同情はしていても、盲目の按摩さんをよばない連中もいるだろうしね。これだけ、需要があって、あんたたちが生活できてゆけるのは結構なことだが……」  由布は、井川のいうことはわかる気がした。心の奥底で、日頃感じてきたことを言いあてられている気がした。正直、安江のところへきて、約半年もたつ、見習按摩をはじめて、今日で、鑑札はなくとも一人前の治療をすることが出来るけれども、一日一日、心に吹きつける風がわかる。それを、いま、井川から、冷たく言いあてられた気がした。治療をすませて、井川から料金をうけとる時に、 「ありがとうございました」  と頭を下げたが、不思議に眼頭《めがしら》がぬれた。口惜《くや》し涙ではなかった。盲目の女たちのことを思うと、たしかに、自分は、別の仕事をえらんだ方がいいのではないか、という気がしたからだった。安江は経営者であるから、不自由な盲目の女たちだけでは、仕事に限界があってやってゆけない。それで、眼あきの新人を養成するのに真剣だという。世間一般もまた、盲目の按摩よりは、眼あきの若い娘を求めているのはたしかで、井川のいうことはわかるけれども、安江の身になれば同情できるのだった。  由布は、井川に気まずいかんじをのこして、台明館を出てきたが、この日から、働きに出る足は重くなった。安江がいった。 「さあ、四月がきたら、あんた学校だよ。四谷の鍼灸《しんきゆう》学校へ入るかねえ……大塚にするかねえ……」  にこにこしていうのだった。 [#改ページ]     八  章  四月十日に、大塚仲町にある「大塚|鍼灸《しんきゆう》学校」へ入学した。四谷よりも、ここをえらんだのは、通学の便がよかったからである。末広町から広小路に出て、そこから大塚ゆきの都電にのると、乗換えなしで、仲町についた。学校は、電車を降りて、坂を護国寺の方へ降りてくると、右手に坂下町へ入る道があり、そこを約百メートルほど行った地点に建っていた。このあたりは、焼けのこった一角で、もう少しゆくと日出町へ出るが、ここからはまだ焼け野原。学校は、古びた二階建て、住宅の建てこんだ神社わきの角《かど》にあった。文部大臣指定「大塚鍼灸高等学校」という看板が玄関口にかかっていなければ、どこかの工場の宿舎のようなかんじだった。玄関を入ると、すぐ左手に事務所があり、そのわきに階段があって、二階の教室に通じるが、教室は二つあった。一年と二年の教室で、階下は、専門課程の鍼灸部である。ここはわずか二階よりはせまく、教室は暗かった。入学試験はかんたんだった。関本安江を保証人として由布は普通科をうけた。普通科はつまり、マッサージ、按摩《あんま》の実習と学問をする科で、二年間で卒業できる。ここを出れば、国家試験をうける資格がとれるのだった。  新入生は二十八人いた。みな由布のように、昼間または夜按摩をしながら、通学してくる男女で、ここでも由布は、いくたりもの盲人をみなければならなかった。二十八人のうち十人あまりは眼のわるい男女だ。由布は、眼のわるくない、二十二、三歳の女もいたから救われたけれども、入学して、眼のわるい人たちと、一しょに勉強してゆくことは、かなり、また心を痛めた。メリヤス仲買人の井川がいった言葉が、まだのこっている。だが、学校だけは卒業しておかねばと思う。学校を出て国家試験さえとっておけば、喰《く》いはぐれはない、打算からである。ほかの仕事をするにしても、この初志だけは遂げておきたかった。  これは安江からも、こんこんといわれているのだ。気おくれしていては、大成を期すことは出来ない。女ひとりが、この大東京を生きてゆくためには、身についた職業を手にしていることは心づよい。それには、辛くても二年間の学校を出ておけ。どんなに、あとあとのためになるか。由布は、安江の意見に同感であった。盲人の職業へ入りこんで、よしはた目には軽薄な按摩と見られようとも、国家試験をとれば、財産であろう。按摩をやめるにしても、その免状を抱いておれば、心づよい。由布は、ますます闘志が燃え、学校へは毎日、精勤に通いつめた。  学校へ通いだして、ふた月たった六月はじめ、湯島の旅館「紅葉」から電話がかかって、治療に出た。午後三時|頃《ごろ》だったかと思う。「紅葉」はそれまでにも時どき行っていたので、女将《おかみ》も番頭もよく知っている。歩いて五分とかからない女坂の途中の、黒|板塀《いたべい》に囲まれた瀟洒《しようしや》な宿だった。ついてみると、帳場にいた番頭が、二階の部屋を教えた。客をみたとたんに、どきッとした。池野参次であった。 「やあ」  といって、池野は蒲団《ふとん》の上に起き直った。いままで、そこで寝ていたらしく、部屋の中は、むうっと男臭かった。 「こっちへおいで」  池野はやさしくいって、タバコに火をつけた。心もち、瞼《まぶた》のはれた顔をしていた。由布は、かすかな不安を惑じた。安江に内密で、こんな宿にとまっている池野を、いま不審に思うが、関本のマッサージをよぶというのも、大胆に思えた。電話は帳場からだが、安江の指示|如何《いかん》では、誰がくるかわかったものではない。しかし、池野には、由布のくるのがわかっていたか。 「ちょっと、あんたに話があってね」  由布は固くなった。 「ここへは、ちょいちょいくるんだよ」  てれくさそうな眼で、由布をみる。 「治療なさるんじゃないんですか」  由布はきいた。 「按摩はいいよ。話をしたかったんだ」  池野の眼をみて、由布は視線をずらせた。安江にわるいような気がした。安江に内密の話があるという。 「学校はどうだね」  池野は、由布の気持をほぐすように、 「友だちは出来たか」 「はえ……楽しいです」  と由布はこたえた。 「楽しければいい」  池野は、じろっとまた由布をみた。末広町にきて、最初にあった時の、あの好奇な眼であった。 「あんたの一身上のことなんだがね」  池野はかすれ声でいった。 「学校を出なくては、まあ、話にならないともいえるんだがね……あすこも限界にきたから、わたしは、もう一つ店をもちたいんだよ」  池野は、由布の顔をうかがうようにみた。 「これは、あいつにないしょだが……あんたを一つ……わたしは面倒みようと思うんだよ……どうかな、由布ちゃん。力になってくれるか」  吐く息が荒くきこえた。由布は、直感的に池野の邪心がわかった。  池野の上くちびるは少しめくれていた。由布は耳の奥がじーんと音がするほど息がつまった。安江にかくれて、自分をよび出し、分店計画をほのめかす池野は正気だろうか。学校を卒《お》えれば、すぐにでも、店を出してやる。入学して間もない自分に、夢のようなことをいう。耳に不快なものをつめこめられたような、いやな気がしたのと、安江へのすまなさに、血がのぼった。 「うちは、まだ……学校へ入ったばかりですから」  と由布はいった。 「安江さんに世話になって……どうやら、ここまできたんです……」 「裏切るようなことはしたくないというんだろ……」  池野はいった。 「何もわたしはあんたをそそのかしているんじゃないんだよ。あんたは、まだ学校へ入ったばかりだ。二年しなけりゃ卒業はできないしね。卒業しても国家試験をうけなければどうにもならん。店をもたせてあげるにしても、その日がこないことには、どうにもならないんだよ。……わたしのいってるのは、安江のことをぬきにしての問題だ。あんたは、まだ躯《からだ》もよごれていない。心もうつくしい。よくやってくれる。わたしは、そのあんたに、約束したいんだよ。このまま、あんたが、学校を卒えるまで、まじめにやってくれるのをわたしは願っているが、正直、わたしは、あんたをみていて不安なんだ。これからいろんなお客にあって、誘惑されてゆくあんたを想像すると、たまらないんだ。うちにいて、一生懸命つとめてほしいと思うが、どうなるかわかったものではない。だから将来の約束をしてもらいたい……安江のことはぬきにしてだ。もちろん、あんたに店をもたせてあげる日がきたら、わたしはあれにも、納得させるつもりだし」 「………」 「そう真剣に考えなくてもいいんだよ。一生懸命働いて、学校を出てくれたら、わたしはあんたの将来を約束するといってるんだ」  うわずった声を、いっそうかすれさせて池野参次は咽喉《のど》をならした。 「それでね……由布ちゃん」  熱い息をはいて、寄ってくる。由布の膝《ひざ》においた手をひっぱる。不意だったので払いのけることが出来ず、由布はあとしざりしてうつむいていた。 「あれにはないしょだ。いいかい」  池野はいって、左手を由布の肩にまわした。由布は激しい憤りにふるえた。 「あんたは九州で男がいたっていうじゃないか。……安江からきいたよ……」  池野はにやっと切札のようにそれをいった。  九州に男が……いわれて、由布は、激しい屈辱をおぼえた。安江がいったのだろうか。男のことは否定はできないが、そんなことを話した安江にも、虫ずが走る思いだった。由布はいま、池野の、ここへよんだ目的は、将来の約束ではなくて、躯《からだ》であることがわかった。負けてはいけない。池野に負けたら、安江に申しわけがたたない。頭にひらめいたのは、それであった。壁に背中をずらせて、横しざりに戸口へ這《は》った。追いすがるように池野は手をかけてきて、足をつかんだ。力いっぱい足をあげ、かぶさろうとする池野の胸を蹴《け》りあげていた。うっと池野はうめいて、あおむけにのけぞった。由布はそのすきに立ちあがり、ふりむきもしないで戸をあけて走り出た。おいッとどなる声がしたが、さすがに、宿の手前もあってか、池野は追いかけるのをよして、部屋でおとなしくしている様子だった。  由布は「紅葉」の玄関をどうして出てきたか、あとで思いだしても、いつ、靴《くつ》を出してはいたかわからなかった。安江に怪しまれないために、咄嗟《とつさ》にそのような心が走ったのか、レザーのハンドバッグもちゃんともってきている。幸いなことに、女坂を走り降りて、末広町へもどってくると、安江は黒門町へ出ていて、杉が留守をしていた。ほっとして、身づくろいをなおしつつ二階へ上ったが、まだ動悸《どうき》が打っている。  安江が帰っても、何も言わなかった。言えば疑われるにきまっているし、由布の過去を、安江が洗いざらい池野にはなしている様子なのも口惜《くや》しい。  由布は、正直いって、安江だけは、由布の過去のことを温《あたた》かく抱いてくれていると思っていた。湯平のことをたずねられても、かくしもせずに、一切をはなしたのであった。それを、みな池野にしゃべっていたのだ。  由布は、池野にも失望したけれど、安江を信じられなくなったことにかなしみをおぼえた。〈やっぱり、甘く考えていた……世の中はみんな敵だ。……〉  湯平の名本いちがいったことばが思いだされた。一人で、東京へ出てきた淋《さび》しさから、つい、同郷だということで安江をたよりすぎている自分がわかった。  由布は、その夜、早めに二階にあがって、ひとり、床に入ったが、眠れなかった。口惜し涙がとめどなく出てきて困った。しかし、この時はまだ、関本|鍼灸《しんきゆう》治療所を、そんなに早く出なければならないハメになろうとは思っていなかった。自分さえ辛抱すれば、学校だけは卒業できると思っていたのである。ところが、そうはゆかなかった。「紅葉」のことが、裏目になって出たのだ。どういうわけか、安江が勘づいた。由布は蒼《あお》ざめた。  十日ぐらいたった日である。まだ、早番のこない十時少しまわった頃、二階にいる由布を、安江が下からよんだ。安江は機嫌《きげん》がよくなかった。千葉からきたことはきたが十日いてすぐやめたあき子のことで、松住町近くの講武所に得意を張る神田治療所とごたごたがあり、安江は二、三日前から、気がふさいでいた。由布は、いつもの声とちがって、感情的な安江のよび方にどきりとした。急いで降りていくと、安江は電話のよこにすわっていたが、 「あんた、『紅葉』で、あの人と会ったんだってね」  といった。由布は、頭をどやされた気がした。 「どうして、あたしに言ってくれなかったの。変な人ね」  つり上った眼でにらんでいる。由布は迷った。ここで、何やかや工作してみたってはじまらない。本当のことをいうにかぎる。そう思って、 「池野さんが、いうちくれるなといいなさったからです。わたしも、びっくりしたんです。『紅葉』へ行っちみて、部屋をあけたら、池野さんがいなさったんで……治療なら、ここへきてしなさったらよいのにといいました。それで、もみなさるんですかときいたら、按摩はいらんから、しばらく話しちゆけやいいなはるんです。三十分ほどいて……帰っちきました……」 「それだけかい」  安江は、猜疑《さいぎ》ぶかい眼を炯《ひか》らせて、 「なんの話だった、いっちょくれよ」  由布は分店|云々《うんぬん》のことはいえない、と思った。いくら何でも池野は、そこまでバラしてはいまい。由布が学校を出たら、新しい店をひらかせてやるといった。信ずべくもない、出まかせだったにしても、いま、安江にそれをいうことは出来なかった。根のないことにしても、いわれた安江は、信じるだろう。安江を敵にしてはならなかった。追い出されたら、ゆくあてはない。 「田舎《いなか》のことやら、それから、お客さんのことやら、いろいろたずねなさったで、うちも、はなしました。それだけです」 「かくしちゃ困るよ。あの人は……若い娘には目がないんだから……あんたをねらってるのにちがいないんだから……」 「うちは、なーんもされませんです。変なことは、なーんもなかったんじゃわ。安江さん」  由布は冷汗が出た。安江は、刺すような眼で見ている。由布のその返事に、内心ほっとしたらしくて、 「ほんとかい」  と疑わしそうに、 「まちがいがあっちゃ、困るんだよ。あんたに言うちおかなんだのはわるかったけど……あの人、女ぐせがわるくて困るんだよ。あきちゃんにやめてもらったのも、本当はといえば、あの人が原因なんだよ。あんたにはないしょだったけどね……みさかいがつかないんだから、あの人」  あきちゃんというのは、十日でやめた千葉の娘のことで、杉の世話できたが、なぜか、由布となじまぬうちに、荷をつくって出ていった。二十二だといったが、マッサージを志すにしては、派手なタイプで、つけ睫毛《まつげ》した大きなさがり眼や、耳うらまで白粉《おしろい》をつけたあくどい化粧が気になっていた。噂《うわさ》だと、千葉市のいかがわしい呑《の》み屋にいたとか。くずれたあき子のような女は湯平の寺本屋に何人といたが、安江がきらうほどにも、由布はあき子をきらいでもなく、どことなく気のぬけたような物言いをするわりに、眼つきだけはけもののように鋭かった得体の知れない挙動に、由布は興味があった。しかしその、あき子がすぐやめて行ったのも、池野が原因しているという。 「あんたは、あたしと同じ村だから、あの人も遠慮があるけど、あきちゃんは、男好きするところがあったし、だらしなかったからねェ……」  安江は口をゆがめて、池野をののしる前に、あき子をわるくいった。 「按摩とパンパンをはきちがえてくるような子だから……ひどいもんよ。杉さんも、杉さんだわよね。世話をするにことかいて、あんな娘をつれてくるんだから……」  安江は、そのような女に、すぐ手を出した池野のだらしなさをも、言いなじるのだった。由布は、きいていて、大体のことが想像できた。杉は、あき子とは遠縁でもなんでもない。友人を介してあき子を知ったらしく、安江が誰かれとなく見習を世話してくれとたのむので、ゆきずりあったあき子を紹介したまでらしい。来てみて、安江も由布も、くずれた女なのにがっかりしたけれども、しかし、本人が、一生懸命やるというから、二階に同居することにしたのだった。たしかに、だらしないところがあり、朝から鏡をみて化粧ばかりしていた。が、按摩実習だけは熱心で、安江の教える時間は、まじめに勉強した。例によって池野が、その練習台になったのだが、スキをみて手をだしたらしい。 「あたしゃ、がまんならないから、出ていってもらったんよ。けどね、出ていったはいいけど、つとめるにことかいて、目と鼻の神田マッサージにいるんだから、頭にくるじゃない……」  安江は、池野がまだあき子を追いかけそうな気配でもあるのか、造りの美しい顔をゆがめた。  安江にいわれなくても、池野のやり方はよくわかった。「紅葉」の二階で、あの眼をみた時、正体はわかった。安江が気の毒に思える。こんな男に資金を出してもらって、経営の座におさまっていなければならぬ安江が哀れだった。  正直いって、由布は池野にある予感をもっていた。それは、長いあいだ、といっても、別府の鶴の井をふりだしに、湯平の宿へ流れて、躯《からだ》を張って働いた足かけ四年の、自己防衛のために備えた第六感である。ああ、この人も、ありふれた女たらしの一人だ、ふとそう思うと、こんな男を信じて、生きてゆかねばならない安江が哀れだ。  湯平にも、鶴の井にも、こんな男はいたと思う。女中の生活事情を、何げなく聞きほぐす顔で、こっちが、気分的に言葉にのってゆくと、そろそろ牙《きば》をむき出す。あの陳腐なやり方で、池野も待ちかまえていた。  千葉からきたあき子も、同じ手で手ごめにされたのか。つとめて十日目に出ていった化粧の濃い女の、怒《おこ》った顔も眼にみえるようで、いま、由布は、安江のすわっている座が、考えていたような安泰なものではなく、男の狂い方によってはすぐにでもふっ飛んでしまいかねない、もろいものであることがわかった。  由布は、いま、池野参次のだらしなさを詰《なじ》りつつ、その池野にすがってゆかねばならない淋《さび》しさに耐える安江の横顔をみつめた。いうことは一つあった。 「安心しちくださいよ。安江さん、うちは、苦労しちきちょるで、たいがいな人の誘惑には負けんですから……よその宿へいっちお客さん治療しちょっても、中には、変なこというたり、したりしよる人はおります。けんども、そげな人はひと目見てわかるで、そのつもりで、うちはいつでも逃げられるように治療しちょるです。……もし、池野さんに、そげなことされたら、うちは、蹴《け》っとばして逃げる自信はあります。池野さんは、安江さんの旦那《だんな》さんじゃから……うちにはそげなことはしなさらんじゃわ。『紅葉』でも、そうじゃった……おとなしゅうしちなさったです」 「ほんとかねえ、由布ちゃん……何もせんじゃったかねえ」  安江はほっとした様子をかくして、 「わたしは、また……あんたが美しいから……あの人とうとう手をだして、できたんじゃと思うたんよ」  まだ疑っている。  こっちの気のせいか、安江の眼が猜疑《さいぎ》走って、いつも挙動を監視しているようにみえた。安江は、だいたい、造りが大柄で、美しい顔だちだが、気持がいらだつと、うすい皮膚の下に、静脈がはった。こめかみのあたりに、水滴のように小さなコブが出来る。こんな時は、眼はつりあがって、溜《たま》り部屋の眼のあいた者たちは、首をすくめた。のんびりしているのは、盲目の按摩だった。彼女たちには、それがみえない。  由布も、なるべく、気をそこなわぬように、あるいは、眼につかぬように、近くの美容院へゆくとか、銭湯にいって時間をつぶしてくるが、池野がくると、安江は、すぐ二階へあげて、電話もほったらかしで、何やら大声ではなしていた。ふたりの仲は、あき子の件があってから、険悪になっていた。  由布は、そんなふたりを階下からうかがって、安江のおかれた立場と、池野のずるい立場がよくわかった。千田や杉の話からでもわかる。菊屋橋の自宅には、まだ四十を出たばかりの本妻がいて、二十二をかしらに四人もの子がある池野は、近所では、大|旦那《だんな》といわれるほど、羽ぶりがいい。柱材と四分板に、シタミ板をうちつければ、それで一戸建てのたつバラック時代である。区内に十いくつもの現場をもち、常時三十人もの大工職人をつかって、いまいうところのプレハブ建築の下請けのようなことをしているのだが、それまで、転入制限だった都内移住の禁がとかれて、二十五年冬から人口は急増し、焼け野にとりあえず掘立|小舎《ごや》をつくろうとあせる都民がゴマンといた。池野組といえば、上野近辺ではかなり名も通っていたようだ。  景気のよい事業家が、按摩にきた安江に手をつけて、副業に治療所をやらせるぬけめのなさも、ただの女|蕩《た》らしではない理財にたけた一面もあったのだろう。安江は池野と知りあって三年というが、池野の方に、イヤ気がくれば、由布の想像するとおり、この治療所に誰が入りこんでくるかわかりはしなかった。  事実、喧嘩《けんか》が高じれば、池野の口から、そんな言葉も出るとみえて、安江は、いっそう感情的になった。やって出来ることなら、やってごらんなさいよ。この店をここまでにしたのは、あたしですからね。あんたが、追い出そうとしたって、あたしは死んでもうごきませんからね……などとたかぶった声で泣きじゃくっているのをきいたこともある。  由布は、ますます安江を哀れだと思った。男にすがって生きてゆかねばならぬ女の立場の、かなしさがよくわかった。安江は失敗している。どうして、この店を自分名義にしてもらわなかったのか。別れてしまっても、店だけは自分に残るように、なぜ、当初にたくらまなかったのか。これでは、安江がかわいそうではないか。  一生懸命、治療所を守っている安江が、あわれというより、おろかにみえだすと、由布は、池野が憎らしいというより、安江のしっかりしているようで、どこかにあまいところのある性格が気になりはじめた。  東京じゅうの家庭が、タガがゆるんだように、こわれかかっていた。そんなふうに思われた。一つは、按摩という商売だから、旅館、ホテルは当然ながら、住宅地の庭樹《にわき》をめぐらせた家のご隠居や、商店の主人など治療することがある。相手の家庭へ入りこんでの商売だけに、尚更《なおさら》、そのような、家の中が、由布の肌《はだ》にわかった。  若い者は、流行を追うにうき身をやつし、映画や流行雑誌の影響で、華美になり、巷はカストリ全盛の酔っぱらいであふれている。それにひきかえ、年寄り組はひっそり家にこもり、騒々しい世の中をよこ目でみながら耳をとざして生きていた。一家|団欒《だんらん》といった風景の家はあまりない。ご隠居は、按摩のさいちゅう、由布に若者のわる口をいった。このままゆくと日本はどうなるじゃろ。アメリカのいいなりになって、まるで属国のようになるのじゃないか。  昭和二十六年、この年は、たしか日本人として忘れてならないことの多かった年で、九月八日には、日米安全保障条約が調印された。つまり、講和《こうわ》と独立の年であったが、政府が米軍駐留という条件つきの独立をえらんだことは、アメリカとソ連の両陣営のまん中に日本を投げ入れたことになり、中国やソ連から敵対感情でみられはじめた。したがって国内の世論も分裂してゆく。社会党は左右に分れて、二十七年の血のメーデーにつづくわけだが、基地は、今日まで、尾をひく深刻な問題となったのである。追放されていた政界や、財界、言論界の指導者も復活してきて、いわゆる「逆コース」という言葉がはやった。だが巷は、パチンコ屋だった。東京だけで、この年に、約三万軒が開店しているのだ。由布が、たまに治療にゆく本郷東大前でも、本屋や医療器店が閉店して、パチンコ屋が、軒なみ四十軒もできた。上野のパチンコ屋の前を通ると、満員の客だ。朝から晩まで、パチンコ台にしがみついている若者がいた。ひいき客のご隠居は由布にいった。 「世の中は、まじめに働く者が損なようにみえてきたねえ」  派手な衣料や、復古調の和服なども、じつは韓国景気の反動をうけての糸ヘンのガタ落ちによるものだったが、庶民の大半は、ようやくにして、この年に衣類をととのえたのだった。週刊誌も発売された。歌謡曲や映画の雑誌が店頭を占拠し、開局した民間放送からは、一日じゅう流行歌がながれた。いわゆる、今日の、騒々しいマスコミのタネのまかれた年である。巷は、まじめに働く者と、あそびくらす者が、はっきりときわだちはじめた。  安江と池野の仲は険悪な日があるかと思えば、なごやかな顔の日もあって、はたの者を面喰《めんくら》わせた。要するに、ふたりの仲は、しょっちゅう痴話|喧嘩《げんか》していないと、もたないような、異常なところがあったようだ。  寺島ひろ子にいわせると、池野の方が安江に惚《ほ》れていて、安江はまたそれを充分承知しているところから、池野が勝手なまねをするのがゆるせない。それでつい嫉妬《しつと》のこもった物言いになるのだという。池野が四月末頃から、三日置きぐらいにやってくる。「紅葉」でのこともあって、顔をあわせないようにつとめるが、由布も安江と一しょに起居しているのだから、たまに、視線があうと、バツのわるい顔をしていた。安江も由布との仲には気をくばって、なるべくあわせないように、由布が仕事に出た留守を見はからって、池野をよんでいる様子である。  池野は治療所へくると、かならず、溜《たま》り部屋を眺《なが》めやって、編物をしている盲女たちに、愛想をいって、すぐに二階へあがる。安江も電話番を誰かにたのんで、お茶をもって二階へあがり、一時間ほど、話しこんで、はれぼったい眼をして階下へ降りてくる。喧嘩をする日もあるし、仲むつまじく嬌声《きようせい》をあげる日もある。階下の溜り部屋では、編物に余念のない盲女たちは、この様子に耳をたてる。  由布は、安江のこのような生活をみて、この女が、池野と手を切らない以上は、もうこの暮しが人生のゆきどまりではないか、とふと思った。安江はまだ二十九なのに、どうしてこのような仕事に甘んじておれるのか。やはり、安江は池野が好きなのだろう。そう思われた。すると男と女の間柄というものは、年齢にひらきがあっても、はたの者では考えおよばない絆《きずな》が出来るものなのか。由布はそんな感慨をおぼえた。  池野参次は、ずるそうなのっぺりした顔を、従業員の前で、にこにこさせていたが、由布にだけは、針のある眼をした。その眼は、まだ、野心を捨てていないぞ、と語っているようで、由布は気持がわるかった。しかし、池野はもう五十をすぎていた。体格は若々しくて、いくら健康でも、年相応の分別というものがあるだろう、日がたつほどに、由布への態度も変ってゆくようであった。安江も、ふたりの仲を、疑ってもはじまらない様子なので、由布をほっとさせた。由布は、毎日、大塚の学校へ通い、深夜も働いた。たとえ、住みづらい家であっても、学校を卒《お》えるまでは辛抱しなければならない、とつよく自分に言いきかせたのである。六月のうっとうしい梅雨《つゆ》があけて、七月に入った。東京の町じゅうの娘たちは、エバグレーズという蛙《かえる》の肌《はだ》のようなぶつぶつのある綿生地のワンピースやツーピースをきて、町に氾濫《はんらん》していた。  由布は、湯島の女坂から、北へ露地を入った角地《かどち》にある殿岡という大きな屋敷へよばれた。ここは、これまでに一どもきたことがなかったが、安江にいわせると、昔からの得意先で、主人の好みで、盲人の按摩でないといけないということだったが、その日は由布に番があたった。お茶をひいている仲間は、電話順に出ることになっていた。夕食をすませて、間なしだったから、七時すぎていたろう。殿岡家の門をくぐって、敷石づたいに玄関を入ったが、奥の寝室に横になっているこの家の主人をみて、ちょっと気押された。体格のひどく痩《や》せた人で、五十すぎていた。安江の話だと、琴の師匠だということだった。わきにすわって、主人の顔をみたとたんに、両眼がつぶれている。由布はひやりとした。ひろい八畳の部屋は、がらんとして、病身でもあるのか、これも主人に負けないほど痩せた蒼《あお》い顔の女が出てきて、由布のそばにタオルをおいて、すぐにひき下ったが、この女とのふたり暮しの様子である。由布が、背中からもみはじめると、 「あんたは、眼あきさんですか」  と殿岡はきいた。 「はい……」  由布はていねいにもみながらうなずいた。 「……あなたのうちに、盲目のひとは何人いますか」  と殿岡は訊《たず》ねた。 「はい、三人おります」 「そうですか……片山って人はもうやめたんでしょうか」  と殿岡はきいた。 「カタヤマ」  由布はそんな名の同僚のいることは知らない。 「もうやめなアったのだと思います」  とこたえた。すると、 「あんたは、いつから、おいでたんですか」 「去年の暮れです」 「それだったら、もう片山さんがやめたあとだったかもしれない。あの人は、いい人でしたね」  と殿岡はいった。 「しょっちゅううちへきてくれましてね。全盲でしたけど、かしこい人で、按摩も上手で、手びきなしで杖《つえ》をついて毎日きてくれましたよ」 「………」 「うちの角は、その頃は、ナメコ板でしてね。塀《へい》に波型がついてました。片山さんが歩いてくると、ナメコの塀にパラパラという音がするのですぐわかりましたよ」 「………」 「あの人は、女坂をまがって、露地を入ってくるのに、歩数で距離をはかって、角へくると、ナメコの板に指をあてて歩くんですね……わたしはみなかったんですがね。うちの者が工事の時に、ナメコの板をみたら、トタンに片山さんの指あとがついていた言って……それで、しんみりしたことでしたが……あの人は、どこへいったんでしょうかね」  殿岡は、やさしげな、女のような声で、そんなことをいうのであった。だまっていて由布は、躯《からだ》がひきしまった。 「どこへゆきなさったか、存じません。なんでしたら、帰って、主人にたずねまして……こんどまいりました時、おしらせしてもよろしゅうございます」  由布はていねいにいった。 「べつに……どうというんではありませんがね……」  殿岡はやさしげな声で、 「ちょっと思いだしたもんですから、おたずねしたまでのことなんです……あなたは、おいくつですか」 「二十四です」 「ほう」  殿岡は眉《まゆ》をうごかして、みえぬ眼を、由布の方にむけた。片方の眼は、サザエのフタみたいに、つぶれている。ふくれた瞼《まぶた》がわずかにうごくのである。 「そうですか……どこからおいでたですか」 「九州です」 「九州のどこですか……」  殿岡は興味がますらしい。 「別府に近い湯布院というところの少し山へ入った村です。塚原といいます」 「……遠いところからおいでになってるんですね……誰かおしりあいでもあっていらしたんですか」 「世話になってます関本さんが……うちの村の人ですので……その人をたよってきました」 「ああ、あの人……九州の人でしたか」  安江のことを殿岡は知っているらしかった。 「そういえば、どことなく、九州の人のようなかんじがしましたね……そうですか」  殿岡はうなずいて、 「眼がわるくないのに、このような商売を勉強しておられるのは……めずらしいですね……」  由布は、また、ここで、かすかな痛みをかんじた。盲目の職場を、眼あきの分際で横取りしているとなじられているような気がしたのだ。琴の師匠は、眼をわずらっている。由布は押しだまって治療をつづけたが、心が重くなった。すると、殿岡は、話し好きとみえて、 「わたしも、一ど……別府へいったことがありますよ」  といった。 「もちろん、盲目ですからね……景色がのこっているわけではありませんが、お湯の豊富なところだったことと、宿の女中さんが親切だったことが心にのこっていますよ……もっとも、わたしの行ったのは戦前のことでしてね……亀川の別荘に、やはり、琴のお師匠さんが疎開していたんです。その人をたずねて行ったんですよ……温《あたた》かい、いいところのように思いました」  由布は、亀川ときいてなつかしかった。 「わたしも、戦争中、亀川の、療養所につとめていました」  やさしく話す殿岡には、検校《けんぎよう》らしい、この道を深めた者の奥ゆかしさがあった。由布は、治療していて、この人の、どことなく温かい人格に親しみをおぼえた。ふつうの大屋敷のご隠居や主人は、つめたいところがあった。口にださなくても、たかが按摩が、といった眼があった、殿岡にはそれがなかった。この日から、由布は、指名をうけて、たびたびくるようになった。一つは、殿岡が由布の里である湯布院のあたりを好きだったことだ。殿岡は、別府亀川に疎開していた友人を訪《たず》ねた際に、北九州一円を旅して、由布の知らない竹田の町や、日田《ひた》の町へいったと話してくれた。東京で、田舎《いなか》の話がきけることはしあわせである。由布は、殿岡が五十をすぎた、痩身《そうしん》な男なのに、腕だけが若者のように筋肉がはっているのをみた。芸に生きる手の強さだった。殿岡は、生れつき盲目で、この道に入ったのは十三の時だが、ずいぶん苦労したと、その時代のことを、由布に話した。 「なんだっておなじですよ。お琴だって、按摩だってちがいありませんよ……一生懸命、秘術をおぼえる以外に道はありませんね。先輩やお師匠さんのいうことをよくきいて、それを真似《まね》ているうちに、自分の技術というものが勝手に身にそなわる。自然に道はふかまります。いちばん、いけないことは、自分で自分の道を軽蔑《けいべつ》していることですね。そんな人には、なにも出来ない」  由布は、殿岡のいうことはよくわかったけれど、盲目の人の職場を横取りしているうしろめたさと闘《たたか》って生きねばならない自分が、時とすると、今日にでもこの商売をやめたい思いにかられるのだと、そのことを正直にいってみた。すると、殿岡はいった。 「それは、あなたの思いすごしですね。片山さんのように、一生懸命に働いた人もいますが、みながみな、障害の人が、それでは、この道をふかめて、毎日の仕事を天職だと思うてはげんでいるかというと、そうでもありませんからね。横着な盲目の按摩さんにやってもらうよりは、一生懸命、もんでくれる眼あきの人の方が、気分も明るくてよろしい。いちがいに、盲目の人が、眼あきの人よりもよいということはいえませんね。あなたは、何も気にすることはありません。一生懸命働いて、学校を出て、一日も早く一人前の按摩さんになって下さい。女の職業としては、わるい商売ではありませんよ。按摩のほかに、鍼《はり》や灸《きゆう》もおやりなさい。立派な仕事だと思います」  由布は、殿岡のこの言葉に勇気づけられた。なるほど、店の盲目の人たちをみていると、殿岡のいうとおりであった。片山というその女には会っていないが、いまいる三人組には、どうしても、ついてゆけなかった。  一つは、眼が不自由なために、客がかぎられる。由布のように、指名が殺到するというようなこともないので、やっかみもあったろう。直接、由布は耳にしないが、眼あきの女たちは、按摩以上のサービスをして、パンパンのようなこともしているとか、ありもしないことを言いふらした。  由布は、眼あきの仲間に、たしかに、そのような、くずれた女もいることは知っていたが、証拠がないことだけにだまっていた。だが盲人たちは容赦しなかった。ちょっとした噂《うわさ》をきこうものなら、一日じゅうそれを言いふらした。  だが、いくら、盲人たちがそうだといっても、五体健康な自分が、職場を独占してよいという理由にならなかった。殿岡にどうなぐさめられても、由布の、この悩みは解決しなかった。  もうあと一年、一年辛抱すれば、学校が終る。卒業すれば一人前になれる。そう思っても、いざ卒業して、本格的にこの商売に入れば、悩みはいつまでもつきまとうだろうと思う。  たとえば、東京都に条例のようなものがあって、按摩マッサージは、盲人にかぎり免許をあたえるということにでもなっておれば、あきらめもつくのだった。このままだと、眼あき女が、次第に盲人たちを、この職場から押し込めてゆくだろう。関本にも、マニキュアをぬったり、化粧をあくどくする女がいる。由布は、そんな同輩をみていると、盲人たちにすまないという気はたしかにした。安江に、何げなく、そんなことをいってみると、 「気にしすぎるわよ。そんなこと。うちやって、当初は気になったけれどね。やっぱり鍼灸《はりきゆう》までやろうと思うと、盲目の人ではうまくゆかないのよ。あんた、この商売は、何てたって、眼あきにかぎるのよ」  割り切ってしまっている。 「早いはなしがね、松村さんなんかの治療をみているとね、あの人は指圧だから、とくにそう思えるのか知らないけど、まどろこしくてね、お客さんも、いちばん、文句いってくる。しゃきっとしてないから……この世は、甘えて暮せないんだよ。由布ちゃん。一生懸命やった者が勝ちよ」  そういわれれば、その気にもなる。だが、しょっちゅう眼の不自由な人の職場を荒らしているというひけ目は、由布につきまとった。 [#改ページ]     九  章  台明館によばれて、また、仙台の井川の治療をしたのは秋はじめだったかと思う。久しぶりだ。由布も、なつかしい気がして、 「元気でやってるか……」  といわれて顔がほてった。井川はにこにこして、二、三ど由布をよんでみるが、指名をことわられた、といった。 「別嬪《べつぴん》さんだからひく手あまたなんだね。結構なことだ」  あいかわらずの調子のよさで、井川は治療のあいだじゅうしゃべったが、この時、 「どうかね、卒業することもいいことにちがいないが、いい嫁入り先があったら、行っちまった方が幸福なんじゃないか」  と親身にいった。 「じつは、あんたのことを時どき頭にうかべたのはほかでもないんだ。その人の嫁になってくれたら、似あいだと思う男がいてね、一ど会いたかったんだ。……そろそろ、落ちつくことも考えていいんじゃないかねェ」  由布は、井川の几帳面《きちようめん》なところは知っている。年に似あわぬ若やいだ明るい気性も気にいっている。 「うちの嫁にゆく先て……そげな人がおりよってですか……」  冗談まじりにきいた。井川は向きなおって、治療の手を休めさせると、 「いい男だよ。浅草橋のガード下にいるんだがね、……メリヤス屋仲間でね。それはじつにいい男なんだ。復員してきて、宿なしからがんばって……まあ闇屋《やみや》あがりとはいえるが、……いまじゃ、ちょっとした事業家だ。独身の社長だよ。……由布ちゃん」 「はずかしいです。うちが社長さんの嫁さんて……そげなこと……」 「社長だいっても、まだ社員のいない行商に毛のはえたような事業でね。……あたしゃ、みていて、あの男は、いまに大成すると思う。三十三だが、なにしろ背が高くて、六尺ちかい大男で……、つりあいのとれる娘さんは、おいそれとみつからないんだよ。由布ちゃんの体格ならまあ似あいだな。それに、あんたは器量がよい。あの男なら、ぴったりと思うんだがね……」  井川はしきりと男をほめて眼をかがやかせた。由布は、六尺ちかい大男で、復員してきて独身で闇屋あがりときいて、びっくりした。いや、びっくりしたという気持の中には、かすかな親しみがあった。井川にいわれなくても、いずれは結婚しなければならないのはわかっている。この頃とくに去来していることである。客の大半が由布をみて、いつ嫁にいく、とたずねる。安江の事業の内側や、盲人とのいざこざを考えると、ふと、いやになる日もある。そんな時、いっそのこと、どんな男でもいいから、大事にしてくれる先があれば、思い切って結婚したいと思う。 「じつのとこをいうとね。わたしは、あんたの働きぶりをじっとみてきたんだよ。あんたは、あいかわらず、まじめだし、ちっとも、最初の頃とちがわない。按摩《あんま》をさせておくのは勿体《もつたい》ない。……。あんたさえよければ、わたしが、ご主人のところへいって、お願いしてみてもいいよ」  井川は真剣にいった。 「そげなこと……うち、はずかしいじゃわ」  由布は顔をあからめた。  井川は、十日ほど東京に滞在しているあいだ、毎夜、由布を指名して台明館によび、その男のことをいった。  愛川伍六という。おばえやすい、どこにもざらにありそうもないその名の男は井川の説明によると、だいたいこんな男である。  生れは石川県だという。何でも、海ぎわの村で、むかしから、次男、三男は他郷に出て、風呂屋《ふろや》を経営する才があるという。同郷人は全国津々浦々に散って銭湯を経営しているそうだが、愛川は、そんな村にうまれて、高等科を出るとすぐ上京し、風呂屋を志さないで、本所のメリヤス工場で働いた。この道で成功しようと職にはげんだ。ところが、召集で、郷里に帰り、金沢師団の輜重《しちよう》隊に入った。中国中部、南部と歴戦しているあいだに陸軍伍長になった。終戦は太原の近くの村で迎え、中国軍に投降、上海から復員船に乗って帰ったが、村へ帰っても、貧乏な家だし、兄弟も多かったから、すぐにまた上京してきた。本所のメリヤス関係の知人をたよって、統制会社から流れてくる闇毛糸だとか、軍の横流れ品の衣料を仲買いしているうちに、セーター類の販売が主になってゆき、いまでは愛川メリヤスという看板をかかげる問屋になっている。仲買人でもあり、闇屋でもあるような、小さな会社で、どうやら喰《く》いつないでいる。三十三にしては、沈着で度胸がよく、いつも腹巻きに新円札を抱いていて、出物があると、思い切って買い込み、茨城、群馬一円の農家へいって米麦にかえ、帰りは闇米屋となって、浅草一帯の料理屋に納める。なかなかの働き者である。いまの調子だと、すぐ社員を置く会社になるだろう。人柄は気さくで、下っ端からの仕事をしているために、たかぶったところがなく、一見、鈍重で、人なつこいかんじにもみえるが、人にだまされたり、先をこされたりして泣いた姿をみたことがないという。  まあ、このような調子で井川は、男をほめる。 「ガード下が二階建ちの貸事務所になっていてね……そこの一と間に寝起きしているんだが、なにせ、ひとり者だから、食事に不便で、こいつだけは、無駄《むだ》が多いとこぼしている。……あんたさえ、その気になれば、内助の妻として、もってこいのチャンスじゃないか。結婚なんてものは、こりゃ、縁でね。まあいうてみりゃ、賭《か》けだよ。しあわせになるか、ふしあわせになるかは本人次第で、どんな奇縁から、むすばれて幸福になるかわからない。わたしは、自分の経験もかえりみて、まあ、嫁をもらうのは、一種のバクチだと思ってるんだ。人間、一生、あすのことはわかりゃしない。晴れか曇りかもわかりはしない。あすのことは、手前の背なかにきくしかないわけだよ。人間は今日一日を、しっかりみつめて生きる以外にはない。そうすりゃ、ひとりでに、あすはひらける。愛川伍六って男は、そんなことを考えさせる妙な男だ……あんた、思い切って、会ってみないかねえ」  ガード下の二階に住む行商の男。背丈《せたけ》は六尺ちかく、のっそりして、髭面《ひげづら》だが、人なつこい。きいていると、その愛川伍六の風貌《ふうぼう》が、由布の眼の壁にはっきりとうかぶ。  由布は、興味をもった。紹介しようという井川が仙台ではかなり名の通った店の主人だということもわかっていたから、冗談をいっているともうけとれなかった。正直いって、客の口から、嫁入り口も二、三申し込まれたことはある。が、みな聞きながしてきた。由布はその愛川伍六という男に会ってみたかった。 「そげないい人がおりよってですか……」  由布は、嬉《うれ》しげな声でいった。 「でも、うちなんか、一と目みて、その人にきらわれるかもしれんじゃ。按摩《あんま》しちょる女かと、馬鹿《ばか》にされるにきまっちょるですて……」 「そんな男じゃないよ……さっきからいってるじゃないか。按摩がどうしていけないのかねェ。按摩にもよりけりだ……由布ちゃんのようなまじめなひとはめずらしいよ。わたしが推薦すれば、愛川はきっと乗気になるにきまってるよ。それじゃ、こんど会った時に、あんたのことを切りだしてかまわないか」 「………」  由布は赧《あか》くなった。それを、いま、井川は眼の奥で、す早く汲《く》みとって、にっこりすると、 「わたしは、あんたを他人のように思えないんだよ。仙台へ帰っても、よく、うちの奴《やつ》にはなしてきたし、だいいち、ここのおかみだって、愛川をみたら納得がゆく。一しょになってくれたら大喜びにちがいないさ。あんたのことを話すたびに、どこかいい口があったらって、しょっちゅう言いづめなんだから」 「あのおかみさんがですか」 「ああ、いつも、わたしと、あんたのことは、心配しているんだよ……」  井川はしんみりといった。世の中は、捨てる神あれば拾う神ありである。どのような縁で、どんな人とむすばれるかわかったものではない。これは安江の口ぐせであった。いままた、由布は、塚原で和尚さまのいった言葉を反芻《はんすう》してみた。人間は永生きしても知れたもの。百までは生きられない。明日以後のことでわかっているのは誰もが死ぬということだ。いわば百歳生きても、生きの身は明日知れぬ海をただよう木の葉のようなものだ、と太市の葬式の時に和尚さまはいった。縁あって人とむすばれるのも、ただよう舟に誰かが棹《さお》をつけて、はかり知れぬ岸べへよせてくれるようなものだろう。井川のいうように、結婚は、ふたりだけの勝負である。 「ほんとのとこ、うちも、こげな按摩をやめて、ほかの仕事につかないけんと思うちょったことはたしかです。この仕事がいやなためではありません。どっちかというと、うちにゃ、こげな仕事はむいています。けど、関本にいても、学校にいても、苦労してなさる盲人の按摩さんを見よると、うちは眼あきじゃから、こげなことは永くつづけちょってはいかんと……そげに思うちきました……」 「そりゃ、わたしも、あんたにいったことがあるぜ」  井川はにっこりして、 「将来性のある若い娘が、なにも、障害者の職場をとっちまうこともないじゃないか。まあ、理由はそれだけでないかもしれないがね。とにかくあんたのような……器量も体格も十人なみ以上の娘《こ》が、勿体《もつたい》ないんだ」 「勿体ないことはないです。わたしは……こげな力しかない女ですから。井川さんは買いかぶってますよ」 「買いかぶっているかねえ」  井川は、まともに、由布をみて、 「わたしは、よくみているつもりだよ。軽率に愛川君を紹介しようなんて思っていない。按摩をやめるとしたら、次の働き先も考えてあげねばならないじゃないか。……働き先をみつける苦労よりは、愛川君のところへ嫁に行った方がよいのじゃないかと思ってね」 「その人が……うちをみて、どげに思いなさるか……わからんですよ、まだ」  由布は顔を伏せた。満更でもない、由布のその顔に、井川は真剣なものをみてほっとし、 「それじゃ、わたしは、愛川に話してみるよ。会わしてくれと言ったら、会ってくれるね」  と問うた。 「はい」  と由布はうなずいていたのだ。  積極的なこの井川の話に乗れたのも、仕事に絶望していたからであろうか。学校はまだ残っていたが、卒業しても、果して、ながくつづけられるかどうか、由布に自信はなかった。それは、殿岡の家できいた片山の話が決定的だったともいえる。安江にきいてみると、片山よしというその盲女はたしかにつとめていたが、妊娠して辞《や》めていったという。相手をたずねても、教えてくれなかったが、おそらく、弄《もてあそ》ばれての子だったかもしれない、と安江はいった。由布は、働いているうちに、子を宿されて、堕《おろ》すすべもなく辞めていった盲目の女が哀れに思えた。その片山が、殿岡の家のトタン塀《べい》に、指あとがつくほど通いつめていた。話は涙をさそう。障害の身で精一杯生きている盲目の按摩たちの、職場を奪うつもりはなくても、働いておれば、自然と、得意先を独占してゆく自分には、うしろめたい気持というよりは、背中に刃をむけられているような不安がいつものしかかる。辞めたい理由は、そのほかに何もなかった。由布は、もし、その人が自分を嫁にしようといってくれるなら、喜んでいこうかと思う。  だが、井川にそのような返事をあたえたものの、台明館を出たとたんに後悔した。自分に、結婚してやってゆける自信があるだろうか。  第一に母のことが頭にきた。母はいま一人暮しで塚原にいるけれど、いつまでもあの若さでおれるわけのものではない。いつかは、この母の面倒《めんどう》をみなければならない。東京の消息を知らせるたびに、いくばくかの小遣《こづかい》銭も同封して、心配をかけないように気はつかっているが、のんきな性分の母は、安江を信用しきっていて、由布が学校さえ出れば、もう生活も大丈夫だと目安をたて、卒業すれば、結婚も考えねばならないだろうから、その時には、お前の好きなようにするがよい。自分は、当分塚原でわずかな持田を守《も》りして暮す、といってくる。  由布が好きだと思う男なら、母は結婚には文句をいわないといっているのだけれど、年をとれば、東京へよびよせることも考えねばならない。とすると、もし、その愛川と結婚することになっても、母の同居は将来の重荷になるのではないか。そのことも、はじめに言っておかなくてはなるまい。  心配はもう一つある。いわずと知れた由布の過去である。安江にしか、湯平での経験を語っていないが、由布は処女ではない。そのことを、愛川伍六はゆるすだろうか。井川もまた由布を買いかぶっていないというけれど、過去のことがわかれば、気がかわるのではないか。  そう思うと、由布は、最初に、自分の過去を言っておいた方がいいのではないかと思う。結婚してから、何かのことで、それがわかって、愛川が気に病むことになれば、ヒビが入《はい》らぬでもない。 〈わたしは、むかし、温泉宿で芸妓《げいぎ》して、男を客にしたことがあります〉  そんなことを堂々と、その人にいえる自信はあるだろうか。否である。由布はいま自信はない。それは、湯島の「紅葉」で、池野参次に言いよられた時、お前はむかし湯平で男を知っているはずだ、と軽蔑《けいべつ》の眼《め》でにらまれたことが忘れられないからであった。  過去を明かせば、男に軽蔑される恐怖はたしかにある。すると、自分には、ひとなみな結婚などできるはずはない。ふと、そんな気にもなる。一人ぼっちの母を故郷において、東京で按摩している不見転《みずてん》芸妓あがりの女。こんな自分を、しあわせにしてやろうという男がいるものか。 〈やっぱり、うちは結婚はやめて、安江さんのように按摩の店をひらいて独立した方がいいのではないか〉  歩きながら由布は、そう結論するのだ。  だが、その足で、関本の敷居をまたぐと、お茶をひいた盲目の按摩が、溜《たま》り場の隅《すみ》に躯《からだ》を寄せて、タタキを入る由布に耳をたてている。うす明りの中で、女たちの無言の羨望《せんぼう》と軽蔑《けいべつ》が入りまじっている。由布は、台明館で温かくなっていた気分を切り裂かれて、痛みを胸に感じないではおれない。安江は電話のわきに座蒲団《ざぶとん》を二枚かさねてゴロ寝している。 「由布ちゃん、すまないけど、すぐに湯島の花木さんに行ってよ」  料理屋の名だ。一服する間もない。三人の盲目女をあそばせて、自分だけが忙しく働き廻《まわ》るのは、いたたまれない苦痛だが、しかし安江にいわせれば、これも先方の希望がそうなのだから致《いた》し方ない。 「杉さんたちにまわしておくれたらよいのに……」  といってみる。 「いっちみたんだけどね、花木さんじゃ、麻雀《マージヤン》の客なんでしょ。あんたじゃないといけんというんじゃわ」  由布はしかたなくだまってタタキへ降りる。溜り場を見ないで、しずかに出てくる。すると、外はもう暮色が落ちかけている。空腹な時は、女坂の途中で、丼物《どんぶりもの》の看板を出しはじめたうどん屋に寄る。そこで腹ごしらえして、花木のある男坂へ折れてゆくのだ。  坂をのぼりながらも考える。安江の店にいることは苦痛だ。いっそのこと、按摩で働くなら、盲目の人のいない店にすれば、こんなに気がねすることもあるまい。ふと、そう思うけれど、しかし、いざ、そのような店へ移っても、同じ気持になることはたしかであろう。要するに、躯がどこもわるくなくて、障害者の仕事を横取りしているというひけ目がある以上、それはどこまでもつきまとうものなのだった。  由布は、やっぱり、結婚するか、職換えするかして、安江の店から出ようと思う。頭の中で、貯金の計算をしてみる。田舎からもってきた七千円はまだ手つかずに残っている。それに、この頃は、一日に千円ちかい稼《かせ》ぎがある。安江に歩《ぶ》をとられても、一時間治療して、四十円の金が手もとに入るから、少なくても毎日三百円は出来た。これを、由布は小まめに貯金している。通帳の総額は五万近くになるだろう。この金さえあれば、当座はどこへ越しても、三か月はたべてゆける、けれど、あてのない間借り生活をはじめたって意味はないのだ。貯金を喰《く》いつぶすのが関の山。やはり、この金を持参金にして、結婚した方がいいのではないか。学校は中途でやめても、結婚した方がいいのではないか。井川の推薦する愛川伍六という男のことが、また頭にうかぶのだ。  翌日になって、また台明館から指名だったので、夕方六時すぎに由布は出かけた。案の定井川はにこにこして待っていた。治療をはじめようとすると、 「まあ、今日は仕事はぬきにして、話をきいてほしいんだ」  井川はいった。 「何ていうのかね。縁というのかな。愛川君にあんたのはなしをしたら、ずいぶん乗り気でね……ぜひ、会わせてくれないかっていうんだ。なーんも、わたしは、あんたのことを賞《ほ》めそやしたわけでもないんだぜ、九州の田舎を出て、按摩ひと筋で地道に生きてきたひとだといったら、そういう女を自分はさがしていた。年が二十四というのも気にいった。いまどきの若い娘は、利己主義で、棚《たな》から落ちてくるボタ餅《もち》を待っているような、ずるい奴《やつ》ばかりだ。こちこちと働いて、苦労のシワをどこかへかくして、明るく生きているような娘がいないものかとさがしていたんだが……そんな按摩さんなら、自分の思うとおりの女だ……ぜひ……会わせてほしいいうんだよ」 「………」  由布は、首根へ血がのぼるのがわかった。 「なに、ちっとも、こっちに劣等感をもつ必要はないよ。いってみりゃわかるが……社長だ社長だといってるのは、当人だけのことで……わたしにいわせれば、闇屋《やみや》の事務所に毛のはえたようなものでね。しかし、いまの勢いじゃ、社長といわれれば、社長にちがいない貫禄だ。……六尺近い大男が十畳ぐらいの事務所にでんとすわって、二、三人の若い奴をつかってやりくりしてるんだが、結婚するとなれば、どこぞに家を借りなければならない……真剣にそんなことも考えだしてね……知人のメリヤス屋をあたってるらしいんだが、心あたりもあるらしくて……えらく結婚に乗り気なんだよ。で……こんな話は波にのった時に進めてしまわないと、立ち消えになりかねないから、わたしは、早い方がよいと思って、日と時間を約束してきたんだ」 「……約束て……井川さん……そげな……」 「なんてことないじゃないか。ご指名でよばれたお客さんだと思えばいい」 「そ、そりゃ、そうですけど……うちは、治療もせんのに……」  はずかしがる由布に井川は眼をほそめて、 「あしたの六時だぞ。ここで、あんたと待ちあわせて、その事務所へゆくことにしたよ。ここで会ってもいいわけだが、やはり、会うとすれば、愛川の事務所がいい。一と目あの事務所をみておけば、奴の暮しぶりがわかるからね」 「事務所で寝てなさるんですか」 「病院にあるような古ベッドを一つもっていてね……ガード下のその事務所の隅《すみ》で、奴は寝ているんだよ。もっとも、事務所には、毛糸だの、セーターだの、サッカリンだの……いっぱい置いてあるからね、用心のためにも番しなけりゃならないんだ」  由布はその夜は眠れなかった。親切な井川の仲介は嬉《うれ》しかったけれど、もし、愛川伍六にあって、失望されたらどうしようか。女らしい不安といえる。万が一、見染められ、結婚ということになれば、安江と袂別《べいべつ》する自信はあるか。安江を説き伏せ、塚原の母にも前もってことわらねばならない。めんどうなことが待っている。母はどういうだろう。いろいろのことを考えると、胸に大きな空洞《くうどう》ができて、自分はいま、だいそれたことを勝手に思いきめようとしているふうにも思えた。  一睡もしないうちに朝をむかえて、白みかける空を見て眠りに落ちたので、その朝は頭がいたくて、風呂《ふろ》にゆき、化粧を丹念《たんねん》にしてみたが、心もち肌《はだ》の荒れがわかった。肝心の見合いの日に、荒れた顔をみせるのか、と悔いが走ったが、台明館から六時の予約があったことを安江に言ってあったので、五時には、そわそわした。 「なんだか、あんた、うきうきしてるじゃない。いいことでもあるのかねェ」  安江が台所で顔をあわせた時にいった。 「なーんもないですよ。嬉しいことなんか」  由布は嘘《うそ》をいった。 「台明館のおかみさんは元気。このところちっともいかないけれど……」 「よく安江さんのことをいっちますよ。いい人ですねェ」 「女ひとりで、あすこまでのしあがった人なんだよ。わたしには、鑑《かがみ》のような人。男ぎらいっていうのかねェ。いろんな人から言いよられて……うらやましい話もたくさんあったけど、きずいた財産めあてにやっちくるような男は、みーんな好かんじゃわちゅうて、見むきもせん……しっかりした人でェ、由布ちゃん」  安江は気になることをつけ足した。 「あんたも、将来のことは考えねばいかん年じゃけんど、あのおかみさんじゃったら、相談にのっちくれるわ。男の人をみる目もちゃーんとあるし、それに、するどいから。うちが、ここに店ひらく時も相談したんじゃけんど、うちの人とは年もちがうでいやじゃいうたら、あんた、玉の輿《こし》を前にしてなにいうんじゃ。住宅難のいまどき、一戸建ての家さ借りて住まわせてくれる人はどこにもおらんじゃ。わが娘にしてやろと思うちも出来んことをしちくれなさる。ありがたくうけとくもんじゃ。おかげで、うちは決心がついたんよ。男は女にたかる虫じゃとおかみさんは口ぐせにいいよる。由布ちゃん。あんたも貯金が出来る頃じゃで、そろそろ、男がたかってくる。うまいこというて、吸いつきよるで。よーく見ぬかんと、ひどい目にあう……」  由布は、安江がそんなことをいうので、また不安を感じたが、しかし、約束は約束であった。井川と会って、浅草橋の、そのガード下の事務所に住んでる男に会ってみたい。虫なら虫でいい。結婚するとはまだ、こっちも決めていないのだ。  台明館へ六時かっきりにゆくと、玄関先におかみがにこにこしていて、そのうしろに、井川のウチワのように平べったい顔が待っていた。なぜか、ふたりを見た途端に、由布は、かすかな不安を感じた。もう、井川が、おかみに今日のことを話しているらしい。もし、見合いが失敗した場合、おかみの口から安江にすべてが知れるのではないか、という恐怖だった。それで、足がすくんだのだ。 「きた、きた」  と井川はいって、おかみのならべる靴《くつ》に足を入れると、 「さ、それなら、行こう」  といって、背をのばした。茶色の立縞《たてじま》の古洋服をきた井川は、いつも、浴衣《ゆかた》姿を見なれているので、変に田舎《いなか》っぽくみえた。肩のまるい低背のこの男と、由布は浅草橋までゆく時間が重かった。不思議だった。昨夜は眠れもしないほど考えて、心を決してきたはずなのに。 「行ってらっしゃい。由布さん」  おかみは金歯を出して、 「きいたわよ。いい具合にゆくといいんだけどね……成功するのを祈ってるよ。けど、大丈夫。由布さんだったら、先方は惚《ほ》れちまうにきまってるさ」  おかみは、あとの言葉を井川の背中へ、 「あんた、よろしく、たのむね……」  井川はひひひとわらって、由布と台明館を出た。御徒町三丁目から岩本町へ出て、のりかえて、浅草橋で降りた。橋をわたった。あたり一帯は、繊維や玩具《がんぐ》の問屋が多いせいか、車や自転車が多く、通る人も荷をかついでいた。高架線の手前を左に折れた。細い横道をぬけると、ガードにつき当った。由布は、愛川の店が近づいたことを知った。線路の下は、太い橋桁《はしげた》と橋桁の間に窓のあいた、倉庫があった。小型貨物や自転車がぎっしりとまっている問屋もある。井川は先に立って歩いた。が、やがて立止って、 「ここだよ」  といって、汚《よご》れたコンクリート壁をくりぬいた入口にきて、戸口から階段をのぞきこんでいる。「愛川メリヤス産業」と看板がみえる。 「電話をしておいたからね、待ってるはずだ」  井川は小股《こまた》歩きに暗がりへ入ると、おいで、といって手で招いた。ひんやりする真暗な階段である。こんなところに、会社の事務所があるのか。由布は、心なし気味のわるさも感じた。闇屋《やみや》あがりの気さくな社長さん。井川に縄《なわ》でひっぱられるように、暗いしめった階段をあがった。と、驚いた。部屋の戸口も、廊下も、びっしりの荷物だった。何が入っているのかわからないが、段ボールの函《はこ》が山とつみかさねてある。その荷の向うから、にゅっと首をつき出している男がいる。  鬚面《ひげづら》の男は、馬のように長い顔を段ボールの函と函のあいまからのぞかせると、眼をほそめて、急にひっこめ、照れたようだ。 「きたよ」  と井川はいった。 「ひとりかい……柿本さんをつれてきたんだよ」 「………」  愛川伍六は、もぞもぞと何か音をさせて、部屋の中をいじくっていたが、やがて、ドアをあけた。ドアの音で、段ボールがころげた。 「えらい荷物だね……」  井川は由布をふりかえり、ちょっとそこに待っているように眼で合図し、自分は入った。こそこそ話がきこえた。やがて、井川は戸口にきて、 「さあ、どうぞ」  といった。十畳ほどの部屋である。まん中に机が三つならべてあって、両側から椅子《いす》がさしこまれ、帳簿だの、見本糸だのが、ちらかっている。その正面に、窓を背にして愛川伍六が、縞《しま》のシャツを腕まくりして立っていた。鼻の先が、墨汁でもついたのか黒い。汗をかいた額がてかてかに光っている。 「柿本です」  由布はペコリと頭を下げた。 「いらっしゃい。そこへ、どうぞ」  愛川はいったが、どこへすわっていいかわからないので、由布は立ったままでいた。すると、井川が、机の下に押しこめてあった椅子をひき出して、窓辺の大きな鉄|火鉢《ひばち》のわきへもっていった。 「さ、こっちだ。柿本君」  井川はいった。由布は窓辺へ歩いた。愛川にじろじろ見られているのがわかった。火鉢のわきへよってすわる。灰のないその火鉢の底は、コイルの光った大型ヒーターがともっていて、すいがらが山になってつもっている。 「ひるまでに、掃除をさせて、きれいにしておいたんですがね……本所から荷が届いたもんで、急に、こんなことになっちゃって、あしたには、みんなはぶけるものばかしです。せまいですが、かんべんして下さい」  愛川伍六は、小さな丸椅子をもってきて、由布の真向いに、股《また》をひろげてすわった。井川は由布のわきの椅子に腰をおろした。すると、愛川がいった。 「あんたは冒険だといいましたがね、やっぱり佐世保の情報は馬鹿《ばか》にならない。進駐軍は黒が好きなんですよ。……見本をもっていったら、もう横須賀だけで十函の契約ですわ。みんな黒ばっかり……女のこにやるんですね。男が一人で三つも四つも買ってゆくそうです」 「横須賀でかね」  井川は眼をまるくしている。 「アメ公は値切るけれども、現金だし勝負は早いですよ」 「仙台ではいくらなんでも、あんた、黒は……」  と井川はあきれたように愛川の顔をみた。 「けど、よう飛びまわりますな」  話の内容は、横須賀の進駐軍基地近くの商人へ、黒のセーターを卸して成功したといっているのであった。活気にあふれた愛川の眼は、ときどき、だまっている由布の顔にそそがれた。不思議だった。ぶっきら棒な態度にいやみがない。と、この時、階段をかけあがってくる足音がした。廊下で段ボールの函《はこ》が一つ荒々しくうごいたかと思うと、ドアがあき、 「社長ッ」  やせた男が顔を出した。ふたりをみて若者はあらたまった口調で、 「フタバ屋のトラックですよ……。表が混《こ》んでましてね……社長、たのみますわ」  足もとの函をかついで階段を降りはじめるのだった。愛川伍六は舌打ちして立ち上ると、 「せっかくきてもらったのに……すみませんな。いまちょっと……荷を出してやらないと、表が混んで文句いわれますねや」  廊下へ走り出すと、じぶんも段ボールの函を抱いて、階段を降りる。 「あんな男です、わかりますか、柿本さん」  井川はタバコをとりだして、火をつけ、 「しゃない……待たしてもらいましょ」  由布は、廊下の外を荒々しく若い手下らしい男を指図《さしず》して、愛川が荷物をせわしくはこぶのをみていた。三十分ほどかかった。仕事がすんでぬれた手でもどってくると、愛川は椅子《いす》のうしろにくくりつけてあったタオルを解《ほど》いて、 「こりゃ、どうも……お客さんをほったらかして」  はにかんだ顔で、首すじの汗を拭《ふ》きながらきた。由布は、はじめて、この男の横顔をゆっくりみた。鼻が高い。くちびるが厚い。顎《あご》はずいぶんと長くて、しゃくれている。耳たぶだって外にむいてえらくひろがって大きい。髪はばさばさだ。馬のようにながいですがね……井川がいった形容がそのままだった。しかし、よくみていると、耳うしろの皮膚の一か所がいやに白かった。井川が、 「柿本さん、これからもう一軒用を足して……そうですな……わしは一時間ぐらいして迎いにきますから」  といって立った。由布は、ここにひとりで置かれることにいま不安を感じなかった。どことなく、六尺男に安心感がわいたからだ。愛川は照れた顔になって、 「いま、外からコーヒーはこばせますから、待って下さいよ」  と困ったようにいった。  井川は眼顔でわらってまた坐った。 「九州はどこですか」  愛川は訊《き》いた。 「塚原です。別府の奥です」 「お母さんひとり村にいなさるそうですね」 「はあ」 「いくつですか、お母さん」 「五十五か六です」 「あんたひとりっ子」 「……弟がいたんですが、小さい時に死によりました」 「そうすると、あんたが将来、お母さんの面倒《めんどう》をみなけりゃならんでしょう」 「はい……」  由布は、気になっていることをたずねられたので、この際、はっきり言っておこうと思った。 「でも、まだ、若いですし、母ちゃんは健康で……とっても人より若く見えます。気性もつよくて……とても、一しょに暮せないんですよ。本人も、自分はひとり暮しの方がよいいっちょりますし……。いずれ、年とったら、あたしが面倒みなならんでしょうが……結婚は、自由にやっちょくれ……十年や二十年は、まだひとりで暮すから……放《ほう》っておいてくれって、手紙に書いてきちょります」 「……元気なんだな」 「牛飼いしたり、日出生台の演習場へ働きに出たり、村の男の人らと同じようにきばっちょります」 「なるほど、それで、あんたは、東京に出て……マッサージしてなさった」 「はえ、何か、手に職がないといけんと思うちもんで……」 「けどね」  井川が口をはさんだ。 「この器量で、なにも、盲目の仕事をとって働く必要はないじゃないかね、とわたしはいうんだよ……本人も、それで、そろそろやめようかといってるんだがね」 「学校だけは出ておいた方が、と思うて……休まずいっちょるんです。けど、やっぱり、学校にも、盲目の人が大勢いますし、気になります」 「そりゃそうでしょう……」  愛川伍六はうなずいて、 「わたしは、あんたのような人は好きだなァ」  頭を掻《か》きながらいった。井川は愛川をみて眼をきょろっとさせた。 「それじゃ、あとは由布さんの心次第でいいのかね……わたしは、最初からふたりの結婚は似合いだと思うたんだが……第六感のようなものだった……うまくゆくといいが……、あんたたち……」  由布は、赧《あか》くなって、ふたりの顔がみれなかった。耳が鳴って、ふたりがいま何をいっているのかわからなかった。 「さあ、それでは、わたしはちょっと……これから出て来ますよ」  と井川が立ち上った。  井川が出ると、由布は固くなってしまった。何をはなしたのか思いだせなかった。頭に血がのぼって。しかし、愛川伍六がいったことはおぼえていた。 「人間、何をしてたって、いまは多かれ少なかれ罪なことをしていますよ。あんたが、盲目の按摩さんを見るたびに、やめたいと思う気持はわかりますがね、今日ほど、弱肉強食の時代はありません。ぼくは大正生れで、石川県で育ちましたが、まだ、その頃はよい時代で、村ものどかだったし、人の心も美しかったです。ところが、本所へきて、編物工場で職工してると、気持もずいぶんかわった。東京はまあ、加賀でくらしてるようなのんきなこってはやってゆけない。すすどい連中にもまれて、散々な目にあった。けど、これが、また、軍隊へいって、ずいぶん役にたちましたね。終戦になって、中国からひきあげて、加賀に帰りましたが、村はおもろない。すぐまた東京へきましたが、なんと、その頃は、ここらへん一帯焼け野原でしてね。加賀の村よりも、寒い野っ原ですわ。水道の蛇口《じやぐち》が出放しのままそこらじゅうにふきあがってるし、ひんまがった鉄筋が、にょきにょき突き出て、焼けビルなんてものは、村の墓場より淋《さび》しいかんじでしたよ。そん中を、ぼくはほっつきあるいて、何やかや闇屋《やみや》の手つだいして、どうやら今日になりましたが、まがりなりにも、ここまで生きてこられたのは、弱い者をいじめて、うまくやってやろうとする根性があったからだ思いますね。糸の統制がはずされたのは、二十四年。それまではあんたひどいもんだった。三十二番手の双糸といったって、あんたにはわからないだろうけど、そいつしかない。しかも統制時代はウールはみんな輸出ですわ。リンク制という奴《やつ》でね。でも、目べりが十パーセントぐらいあるんです。こいつが安い価格で闇に流れよる。米やら野菜を売ってつかんだ金で、この糸に手をつけた時は嬉《うれ》しかった。しかし、法律をくぐっての商売だから、綱わたり。気の弱い人なら脱落してゆく。ぼくの友人に、赤い自動車をひっぱり出してきたのがいました。こいつに闇糸をつんで、大阪まですっとばすんですな。もちろん、ぼくもその上乗りでね……三日間、めしも喰《く》わずに、東海道をすっとばしたです。赤い自動車っていってもわからんでしょうがね……郵便車ですよ。郵便車そっくりの車をつくったんです。ペンキをぬってね。化けさせて、そいつに、糸をつんだんです。おかげで、どんな関門も通過しましたよ。ひやひやするような危《あぶ》ないことやらないと……生きてこれん世の中でした。いや、その時代はまだ、今日も続いています」  由布は、いちがいに闇屋といっても、愛川のやっている仕事は、たいへんな仕事だと思った。郵便車をつくって、闇の糸を大阪まで運んだ。 「一台はこんで、さあ、二十万ぐらい儲《もう》けましたかなァ」  八重歯のみえる口を大きくあけて愛川伍六は笑うのであった。  外へ出ていた井川は三十分ほどして帰ってきた。ふたりがなごやかに話しているのをみて、 「愛川さん、それじゃ、わたしは、これで失礼する。由布さんは、まだ、いますか」  ときいた。 「わたしも……これで」  と由布がふりむくと、愛川伍六は、 「どこかで、三人で食事しませんか」  といった。由布は、台明館に仕事にゆくといって出ているから、店のことが気になっていた。 「今日は、失礼させていただきます。近く休みがありますから、その日に、よんでください」  といった。 「そうだな。今日は、わたしが無理によんだのだし……由布さんにも都合があるんだ。休みにゆっくり、また、話しあうといい……」  井川が助太刀《すけだち》に、そういってくれたので、由布は立ちあがれた。愛川伍六は、つまらなさそうな顔で、 「そんなら、井川さん、あんたにだけ話がある」  といって井川をのこした。由布は、井川の顔をみて、 「ひとりで帰れますから、どうぞ、わたしのことかまわないでください……」  といった。井川もうなずいた。愛川の話は聴《き》かねばならぬ。 「それでは、一と足先に帰ってください」  由布は愛川にも、井川にも丁重に頭を下げて階段を降りた。戸口へくると、若い男がふたり、しきりと、段ボールの函をあらためていた。品物は話にでた黒のセーターだろうか。外へ出るともう八時は廻《まわ》っていた。安江はよく治療先から、つぎの治療先へ廻るよう電話をしてくることもあった。無断でよそへ廻っているのだから気になった。よし、関本治療所をやめるにしても、喧嘩わかれはしたくなかった。飛ぶ鳥あとをにごさず。真面目《まじめ》に働きとおせば、こちらの言い分も、安江は聞き入れてくれるだろう。愛川がすぐ嫁にするといってくれたら、よろこんでとびこみたいと由布は思った。あの人なら安心だ。末広町にもどると、時計は九時であった。 「おかみさんとこ二時間かい」  安江が、帳場から訊《き》いた。 「はい」  と由布がこたえると、 「あんた、すまないけどさ、氷川下の寿し米さんへいってよ。ご隠居さんから三べんも催促だよ。たのむね」  由布は、ぬぎかけた白ズックにそのまま足をさし入れて外へ出た。 [#地付き]〈木綿恋い記上 了〉  初出誌 昭和四十三年十月十五日より四十四年十月三日まで読売新聞朝刊に連載  単行本 昭和四十五年五月 文藝春秋より刊行 〈底 本〉文春文庫 昭和五十三年七月二十五日刊