森 茉莉 贅沢貧乏 目 次  贅沢貧乏   ㈵ 贅沢貧乏   ㈼ 紅い空の朝から……   ㈽ 黒猫ジュリエットの話   ㈿ マリアはマリア  青い栗  気違いマリア  降誕祭《クリスマス》パアティー  文壇紳士たちと魔利《マリア》 [#改ページ]   贅沢貧乏   ㈵ 贅沢貧乏  牟礼《むれ》魔利《マリア》の部屋を細叙し始めたら、それは際限のないことである。  牟礼魔利は、自分の部屋の中のことに関しては、細心の注意を払っていて、そうしてその結果に満足し、独り満足の微笑《わら》いを浮べているのである。魔利の部屋にある物象という物象はすべて、魔利を満足させるべき条件を完全に、具えていた。空罎《あきびん》の一つ、鉛筆一本、石鹸《シヤボン》一つの色でも、絶対にこうでなくてはならぬという鉄則によって選ばれているので、花を呉れる人もないがたとえば貰ったり、紅茶茶碗、匙《さじ》、洋杯《コツプ》の類をもし人から貰ったとすると、それは捨てるか売るより他に、なかった。原因は魔利という人間が変っているということの一事に尽きるが、それを幾らか解るように分解すると、次のようになる。魔利は上に「赤」の字がつく程度に貧乏なのだが、それでいて魔利は貧乏臭さというものを、心から嫌っている。反対に贅沢《ぜいたく》と豪華との持つ色彩が、何より好きである。そこで魔利は貧寒なアパルトマンの六畳の部屋の中から、貧乏臭さというものを根こそぎ追放し、それに代るに豪華な雰囲気《ふんいき》をとり入れることに、熱中しているのである。方法はすべて魔利独特の遣《や》り方であって、見たところでは、何処《どこ》が豪華なのか、判断に苦しむわけである。見る人が芸術に関係する職業の人である場合は、楽しんでいる部屋なのだな、ということは解る。だが何処が豪華なのか、ということになると、首を捻《ひね》るよりない。魔利は、魔利を取り囲むもろもろの物象の中に横たわり、朝の光、睡りを誘い出す午後の明るさ、夜の灯火の、罪悪的な澱《よど》み、それぞれの中で、花と硝子《ガラス》と、菫《すみれ》を浮べて白く光る陶器。壁の、ボッチチェリ、ルッソオの画に目を止め、陶酔の時刻《とき》を送っているのだが、もし魔利が陶酔しているのだということを人が知ったら、その人間は(何処が陶酔?)と失笑し、而《しか》る後《のち》おもむろに魔利の顔をみて、魔利の精神状態に懐疑を抱くに違いない。  魔利が豪華の空気を出す——魔利の目だけに映る幻の豪華である——方法には天井は関係なかった。天井はあまり見ることはない処だし、煤《すす》が下っていても、魔利の豪華は傷つかないからで、あった。四方の壁は淡黄が汚れて褐色をおびているし、畳は番茶で染めたような色をして、ぼこついているが、これらも魔利には関係が、なかった。——畳の、椅子や卓子《テエブル》を置いてあるところには、藺草《いぐさ》の色と鈍い赤との織り混ぜの上茣蓙《うわござ》が敷いてある。——魔利の経済で畳を入れ替えるとすれば、最下等の畳であるが、安い青畳のけばだった畳の匂いなぞというものは、貧乏臭さの最たるものである。壁も同じことで、浅草の安芝居の舞台装置よろしくの、うす青色の壁なんかに塗りかえた日には、これ又貧乏の匂いで窒息すること受合いである。これを書いている今、硝子の壼の、薄緑の水垢《みずあか》を沈めた薄明りの中から、蛇が立ち上ったような恰好にそれぞれの形で延びている、十本程の薄緑の太い茎の上に、濃紅色《こいべにいろ》、黄みを帯びた薔薇色《ばらいろ》、ミルクを入れたように甘く白い紅《べに》、檸檬《レモン》の黄、なぞのアネモオヌ [#ここから2字下げ] ——アネモネのことである。それをアネモオヌと書くのは、何も仏蘭西《フランス》語を知っているということを見せる為ではない。魔利の頭に巣喰っている根深い欧羅巴《ヨオロツパ》の夢が、こういうことをさせるのである。魔利は小説を書く時にも、知っているだけの仏蘭西語や伊太利《イタリア》語を総動員する癖がある。羅馬《ロオマ》字を入れることもある。半頁に亙《わた》って仏蘭西語の文章を挿入《そうにゆう》することもある。魔利が外国語を入れる精神が、暗々の内に通ずると見えて、かけだしの魔利のこの癖を、今までのところでは非難する人がない。魔利の父親の欧外にもこの癖があったが、彼のには、魔利のと同じ理由の他に、多少のペダンチズムがあったようである。ペダンチズムは文章の中にある時、場合によっては美しいもので、悪いものとはきめられない。欧外をペダンチックな人間だとだけ言うのは気の毒である。欧外は高雅な趣味や、頭脳の中の、透《すきとお》った礦《かね》で拵《こしら》えた微細な機械に似た動きを愉快がっていて、殆どそれに陶酔していた。それが彼のなんともいえない歓びであって、その歓びが美しさを極めた文体になり、維納《ウインナ》の舞姫に扉の蔭からおくる、秘密な恋の微笑のような微笑になり、羅馬字なぞの挿入になったのである。欧外もまた、カカオの匂いや、羅馬字の美を、根深いところで抱き締めていた男で、あった。—— [#ここで字下げ終わり]  ところでアネモオヌが、硝子戸を透す薄暮の光の中に、今いったようなようすで浮き上っているのだが、その華麗な花束の左側の一部の背景になっている壁の色が、汚れた淡黄であることが、魔利の夢を壊さずにすんでいるのである。アネモオヌの色は、魔利を古い時代の西欧の家に誘《いざな》ってゆき、花の向うの銀色の鍋《なべ》、ヴェルモットの空壜の薄青、葡萄酒の壜の薄白い透明、白い陶器の花瓶《かびん》の縁《へり》に止まってチラチラと燃えている灯火の滴、それらの色は夢よりも弱く、幻よりも薄い、色というものの影のようにさえ、思われる。魔利は陶然《うつとり》となり、文章を書くことも倦《ものう》くなってしまうのだ。  魔利はそんなわけで、天井と壁と畳は放ってある。魔利の部屋の中で第一に目立っているのは、セミダブルの寝台《ベツド》である。進駐軍の払い下げ品で、小卓つきで三千五百円という安ものだが、注文通りに薄汚れた、ニスを塗った木製の寝台は、なんの装飾もなく、四角い面だけで厚めに出来ている。仏蘭西なぞの湖水のそばの家にある、彫刻をした胡桃《くるみ》製の寝台が望めないとすれば、この寝台以上のものは、魔利にとっては無い。何万円もする、家具商、又は百貨店の寝台なぞを持ち込まれた日には、それこそ貧乏臭い新興階級の、新築した家の寝室と、読みもしない本棚、いやな時計、手品師の布のような紅い絨氈《じゆうたん》なぞが、魔利の頭に浮んで来て、そういう家の中の空虚な空間までが、流れ込んで来るに違いない。味けない、無色なものが魔利の舌の上に拡がって来る。そうなれば魔利の夢は完全に壊れてしまうのだ。寝台の上の厚く重ねた蒲団は、厚地の布で包んである。白地に紅色の細い二本縞の木綿である。この敷布も、アラビヤの豪族の寝台に敷かれている、——例の四隅《よすみ》に槍を立てたものである——白い荒い布に、黄金色《きんいろ》の糸で縫った星があったり、太陽の模様なぞが紅や黒で縫ってあったりする布が購入不可能だとすれば、魔利にはこの布より他に採用するものはないのである。上に掛ける蒲団は二枚あるが、下に掛ける夜具は、橄欖《オリイヴ》地に薄い褐色で極|細《こまか》い模様のある木綿で、袖や裾に折返っている裏は淡黄である。裏地と同じ色の上蒲団は、二度洗ったために、魔利の理想の淡いカナリア色になっている。魔利はこの橄欖色に細い褐色の柄《がら》と、淡黄の色とでこの部屋の中に、ボッチチェリの宗教画にある色調を摂《と》り入れているのである。枕は白いところに太い紅縞の、これも木綿である。魔利はボッチチェリの蒲団に体を埋めて花を視、硝子に視入るのである。あらゆる硝子の色、どれほど見ていても解り得ない不確かな溶暗が、魔利を誘惑し、そこに魔利の至上の天国が、誕生する。夏になって、上の蒲団を蔵《しま》い、白に紅の縞の蔽《おお》いだけになった寝台に横たわっている魔利は、暑熱で蒸される昼も、闇に取り囲まれる夜も、そうしていながら窓の向うに沙漠の静寂を、想っている。「ピエエル・ロチの手紙」が、魔利に感動を遺《のこ》した、夜の沙漠の冷えた砂が、空想の暗いフィルムの上に映って来て、アルジェリアの女の歌う恋の歌さえ聴えて来るのである。寝台の両側には一つ宛《ずつ》、対の肱掛《ひじかけ》椅子が置かれている。奥の壁際にある方は、物を乗せる台になっている。人間の掛ける方の椅子には、茶の濃淡の更紗《さらさ》木綿の炬燵《こたつ》蒲団が四つ折りにして敷いてある。椅子の背には、ヴェニスの町の運河と橋を織り出した壁掛けが掛けてあるが、この壁掛けが魔利の目には、巴里《パリ》の豪華な部屋にあるゴブラン織に映っていて、反対側の壁に張られたボッチチェリの「春《プリマヴエラ》」の部分画、ルネサンス以前の、貴族の女の横顔、なぞと呼応して、魔利の部屋の中に伊太利の色を漂わせているのである。渋谷にある小さな店の壁に、これが張りつけられているのを発見した時、魔利は欣喜雀躍《きんきじやくやく》した。誰も買わない為に、大分長い間|店晒《たなざら》しになっていたとみえて、大体が何かの西洋の画から取ったもので、もとの色がいいのだが、それが陽にやけていい具合に褪《あ》せている。その朧《おぼ》ろな橄欖色《オリイヴいろ》や鈍い黄色の濃淡、水灰色、柔かな煉瓦色なぞの色調は、古いゴブラン織に寸分|違《たが》わない。気に入ったものを見附けると我を忘れる魔利である。大分|剥《は》げているから値を引けなぞという駆け引きを思いつく筈はないので、喜色満面で、それを買った。何かの必要があって買うのは解るが、又百貨店なぞにあるものは高価で手が出ないのでこれを買う、というのも解るが、色が剥げていると自分で言っていながら喜色満面なのが解《げ》しかねる。そういった心持が店員の顔に表れるのである。そんな時一種の笑いが男の顔の上を掠《かす》める。魔利のすることの中には、魔利以外の人間から薄ら笑いをひき出すものが、事実多々あるので、魔利は人々の笑いを視角の端に捉《とら》えることに馴れっこになってもいるし、平気でもある。若い時には腹を立てたが、どうやら大人の神経を持って来た此頃では、笑う方に同情をしている。  寝台《ベツド》の枕元の卓の上にあって、不思議な豪華を照らしている燭台《スタンド》は、銅だか鉄だか、もろもろの合金だか解らないが、ともかくも礦《かね》は礦《かね》で、伊太利の美術館《ミユゼ》にある銅版画のような色をしている。翅《はね》をつけた天使の若者が、少女を抱いて踊っている彫刻がしてある。安ものによくある、両面の型に流しこんで合わせたものだが、額縁屋、又は一寸《ちよつと》気の利いた文房具店、百貨店なぞにある、ミレエの晩鐘や、阿呆のようなベエトオヴェン、水車小屋、なぞの厭味《いやみ》はなく、魔利の夢を充分に満たしているのである。もう大分古くなるので、電球を差し込む所と台との継ぎ目の盤陀《ハンダ》が剥《はが》れて首がぐらぐらする。そこで一杯に引っ張ったコードの上に、トリスの大瓶に水を入れたものが重しに、置いてある。魔利の部屋を訪問する少女や奥さんは、この危いコードで苦労するのである。魔利自身も困っているが、伊太利を想い出させるようなものがたやすく見附かるとは思えないので、この危い装置を魔利は永遠に続ける積りでいる。他人には気になることに違いないので、(五百円も出せばあるわ、買って上げましょう)と言う人もある。理由を説明すれば愕《おどろ》くから、魔利は妙な笑いを浮べて、(その内買うわ、唯|億劫《おつくう》なのよ)と言い、あやまるようにして、その話を外《そ》らそうとするのである。八百円で買って八年間|保《も》たせている。このみすぼらしい燭台《スタンド》は、魔利には一つの財産なのであって、これを見ていると、「羅馬に行きしことある人は、かのピアッツァ・バルベリイニを、知りたるべし」という、あの即興詩人の最初の言葉が浮んで来る。そうして、羅馬やフィレンツェの街の敷石の上に轟《とどろ》いていた、馬車の轍《わだち》の音も、魔利の耳には聴えて来るのである。花弁を上向《うわむ》けているアネモオヌの深い皿。咲いていることにもう倦《あ》きているような、物憂い薔薇色、黄色、ミルクを含んだ橙《オレンジ》、濃紅《こいべに》。アネモオヌの美女達は、この天使のついた燭台《スタンド》の光の中でこそ、魔利に深い夜の夢を、見せるのだ。 [#ここから2字下げ] 寝台の後の壁に附けて置かれた書棚の上は、魔利の部屋——実際には部屋ともいえないが、魔利にとっては美しい、夢の部屋である。≪現実。それは「|哀《かな》しみ」の異名、である。空想の中でだけ、人々は幸福と一しょだ。私は現実の中でも幸福だ、という人があるかも知れないが、そういう人は何処かで、思い違いをしている。現実に幸福な人間が幸福を感じる時、その幸福感は、その人間の空想の部分の中に、少くとも空想の混りあった所に、存在しているのであって、決して現実そのものの中には存在しないのである。正確に、現実の中だけで幸福だ、と言う人があれば、それは遠い祖先の猿から、あまり進歩していない人である≫。魔利は偉い哲学者になったような顔をして、心の中で言うのである。室生犀星《むろうさいせい》の「女ひと」の中に、「ビフテキの薔薇色と脂」という言葉がある。その言葉を読んで以来、ビフテキというものを考える時、魔利の頭にその言葉が、浮んでくる。ビフテキをナイフで切ってたべるということは「現実」であり、ビフテキ自身も「現実」であるが、ビフテキを美味《おい》しいと思い、楽しいと思う心の中にはあの焦げ色の艶《つや》、牛酪《バタア》の匂いの絡みつき、幾らかの血が滲《にじ》む薔薇色、なぞの交響楽があり、豪華な宴会の幻想もある。又は深い森を後《うしろ》にした西欧の別荘の、薪の爆《は》ぜる音、傍《かたわら》で奏する古典の音楽の、静寂なひびき、もあるのである。ある男が、埴輪《はにわ》のような土の人形を愛する時、その愛情は生きている女への愛情より深いのかも、知れない。ある男の娘への愛情は、或時からは、その妻への愛情より深いかも、知れない。愛情や、楽しさが、現実だけのものなら、現実のもう一つ奥に、何かが隠れていることはない筈である。魔利は何とかして、自分の頭の中にある夢の部屋の存在《エキジスタンス》を、正当化しようとして、こんな意見を引っぱり出して来るので、あるらしい。≪夢こそこの世の真正の現実。そうして宝石≫という、魔利の卓見はしばらく置いて、本文に返ろう。だがこれは、決して馬鹿にしてはいけない意見なのである。—— [#ここで字下げ終わり]  さて魔利の書棚に、還る。魔利の書棚は魔利の部屋の飾り棚である。そこには本立てがあって、欧外の「独逸《ドイツ》日記」の白に黒の字と、灰色の模様の背表紙。ロオダンバックの「死の都ブリュウジュ」、ドオデの「Jack」、ピエエル・ルイの「女と人形」、同じ作者の「ナンフの黄昏《たそがれ》」等の黄ばんだ表紙。英国版のを真似たのではないかと思われる、深い紅と白に、黒い字の「シャアロック・ホームズ」二冊。ロチの「お菊さん」と「お梅の三度目の春」、が、魔利の注文にかなった色調で並んでいる。ホームズの隣りに、冴《さ》えた薄緑が一冊欲しいので、目下魔利は物色中である。本立ての横には、去年の夏の枯れた花が、硝子のミルク入れに差してある。橄欖色《オリイヴいろ》の萼《がく》と茎、黄ばんだ中に胡粉《ごふん》の繊《ほそ》い線が浮び上っている、小さな薊《あざみ》のような花である。花の色は黄ばんで脆《もろ》くなったダンテル(レエス)の色であり、萼と茎との色は伊太利の運河の色である。黄金色《きんいろ》の口金《くちがね》の、四角な、宝石のような壜、アリナミンの小壜に立てた燃え残りの蝋燭《ろうそく》は、暗い緑である。蝋燭の後《うしろ》には、埃《ほこり》を被《かぶ》ったDomの空壜が、薄青の資生堂の空罐の上に載り、それと蝋燭との間に立ててある、ウェスタンハットに西部の牧童の襯衣《シヤツ》と胴着のディーンの肖像《ポルトレ》は茜色《あかねいろ》の濃淡である。濃いのと薄いのとの二つの緑色の硝子壜。その一つには、緑と礦《はがね》の色に光る虫が入っている。灰色に塗ったペンキの枠《わく》に囲まれた写真立ての中には軍医の欧外、象牙色《ぞうげいろ》の枠の中には、レジョン・ドヌウル(芸術家の勲章)をつけたプルウストが、入っている。魔利の言う真正の現実を追求した、永遠の作家のプルウストである。彼の肖像の二つの目は、真実《ほんとう》の現実であるところの心象に映るものを、今も見詰めている。レジョン・ドヌウルは、白い蜥蜴《とかげ》か、天《そら》の鳩のように、黒い礼服の上に止まっている。白い折|襟《カラア》。襟《カラア》の下までを蔽うようにしている白絹らしい襟巻《えりまき》。魔利は、プルウストを見ることが出来なかったことを、歎いている。仏蘭西の、高い智能を表している、そういう人物というものは、今の東京では、ジャン・ルイ・バロオを見に行くよりない。仏蘭西の智能的なもの、心象をみる目、優雅、なぞは、現代のヌウヴェル・ヴァアグの中にも息づいていて、巴里《パリ》の若者達の製作する新しい映画には(例、「恋人たち」、「二重の鍵《かぎ》」、「ひと夏の情事」)、人物達の複雑な絡み合いの中の心象風景、智能的なもの、古典を呼吸している高雅があり、「勝手にしやがれ」なぞの恋愛場面にも、「赤と黒」の中にある重さは、生命を保っている。「狂った夜」の、裸で寝ている女の掛け布《ぬの》を剥ぐ場面の、枕元にある、蝋燭を三本立てた上に蓋《かさ》のある燭台《スタンド》、後《うしろ》の壁に、額縁だけが鈍く光っている暗い画。現代的なもの、即ち乾燥《ドライ》だという考え、古典的なもの、優雅なものは「昔の遺物」、そういう考えは、一寸変である。ミレエヌ・ドモンジョの水着を着たようすの中に、ルイ王朝の優雅が生きているし、ジャン・ポオル・ベルモンド、ロオラン・テルズィエフ、ジャン・クロオド・ブリアリ、ジェラアル・ブラン、なぞの若者達は、どこかに椿姫《ダアモオカメリア》の時代の甘美を保ち、その中に苦い香辛料を含んで青み走っている。乾燥がいいのは洗濯ものと焼塩と、或種の文学における文体である。 [#ここから2字下げ] ——小学校と女学校で習得した日本語と、欧外なぞの文章からうけた、漠然とした影響、それから仏蘭西語を少し齧《かじ》ったこと、それと西欧の文学、美術を、匂いだけ嗅《か》いだだけの、みすぼらしい教養と。そんなものの寄せ集めの頭脳で、ごたくを並べるのは止めた方がいい、という声がして来た。—— [#ここで字下げ終わり]  本立ての横に重ねてある欧外全集の上には、紅いブリキを張った山で使う蝋燭入れ、聖母《マリア》母子《ぼし》の絵葉書、寺院のステンドグラスを写したものらしい極彩色の、これも聖母子の像。想い出の、プラスチックのトリスの蓋、燐寸《マツチ》の箱。その前には、分厚な洋杯《コツプ》が二つ並んでいる、一つは葡萄酒を薄めたような色、片方は水に溶かしたような緑が気に入って買ったものである。魔利の好きな華麗な夢は、寝台の足元の卓の上にひっそりと置かれ、又重ねられている洋皿、紅茶茶碗、洋杯なぞの中にも、あった。黄金色《きんいろ》の文字とマアクの、薄青の紅茶の罐《かん》、暗い紅色に透る、ラズベリイ・ジャムの壜。白い皿の上に散っているボッチチェリの薔薇、菫の花弁の柔かな紫は、その上に伏せられた洋杯の透明の下に匂いを散らし、洋杯の後には鳥の模様を置いたロオズ色の陶器が、映っている。薄い青《ブルウ》の縁取りのもの、橄欖色《オリイヴいろ》とロオズの模様のなぞの深皿が幾重ねも積まれている上には、淡紅色のトマト、銀色の匙、栓抜き、胡椒《こしよう》、ガアリックの小瓶、鈍い黄金色のアルマイトの小皿なぞが置かれていて、淡い綺麗《きれい》な色彩と、黄金色、硝子の透明なぞが交錯した、魔利の夢を象《かたち》づくっている。それらのものの後にある棚の上には、マヨネエズの淡黄、西洋酢の透明、牛酪《バタア》の黄、ラアドの白、が並び、薄緑のキャベツは濃紅の果物入れから滾《こぼ》れている。濃度のある牛乳の白と、トマト・ジュースの薄紅、苺《いちご》ジャム罐の濃く暗い緑。それらの陶器、罐、野菜、硝子の群は、ところどころに、午《ひる》の陽光や夜の電灯の光を浮べて、夜はその一つ一つが、細かな星の形に、光っている。  これらの淡く綺麗なものたちは、魔利を終日取り巻いて、静かに耀《かがや》いていたが、魔利が睡る夜の間も、それは同じことで、あった。何故《なぜ》なら魔利の部屋の電灯は、朝陽の差込む三十分を除いて、夜昼耀いているからである。夜中や明け方、魔利の部屋の横の通りを通る人々は、皎々《こうこう》として耀く七十ワットの光に、愕くのである。電灯を消し忘れるのは、書きものをしたり、推理小説を読んで夜更しをする為でもあるが、気がついていても、電灯の捻子《ねじ》を捻るという、それだけのことがひどく億劫でもある。夜の電灯代を倹約したところで、英吉利《イギリス》チョコレエトが何枚買える訳でもあるまいと、魔利は放縦な頭で考えていた。自分の好きな食事を造ること、自分の体につけるものを清潔《きれい》にしておくこと、下手なお洒落《しやれ》をすること、自分のいる部屋を、厳密に選んだもので飾ること、楽しい空想の為に歩くこと、何かを観ること、これらのこと以外では魔利は動かない。夜明けに人の居ない空地に立っていれば、毎日千円ずつ空から降って来ると、いうのだったら、魔利は原稿なぞは一枚も書かないかも知れない。書きたいとは思うだろうが、ペンを動かすのがひどく億劫だからだ。千円は望みが小さいと言う人があったら、魔利は答えるだろう。それ以上の、本当に金を使ってやる贅沢には、空想と創造の歓びがない。と。魔利は雨戸というものを締めない。原因は面倒だからだが、もう一つの理由は雨戸を触ることが厭なのだ。そのことは、魔利の戦前の生活に遠因がある。物置や便所なぞの掃除は勿論《もちろん》、表面を掃くだけでない徹底した掃除は、出入りの植木屋が月に二回来てやる。植木屋が客間をやっている時は茶の間に、というように人々は逃避し、年に一度の、更に徹底した掃除の日になると、母屋をやる間は離れの画室に人々は方違《かたたが》えをやる。そういう、手を汚さぬ生活をして来た魔利である。白い手の貴族である。引越して来てから二三週間の間、魔利は雨戸の存在に気づかなかった。気がついた時にはもう、時期が遅かったのである。埃と雨風の泥濘《どろ》位はとも角として、蜥蜴《とかげ》、守宮《やもり》、蠍《さそり》、桐の虫、蜘蛛《くも》、なぞが手に触れるかも知れぬという恐怖があるので、その儘《まま》雨戸は戸袋に入った儘である。魔利のアパルトマンのある辺りは湿地帯で、雨が続くと畳に黴《かび》が生える。それで蜥蜴、守宮、かみきり、蜘蛛、なぞ、訪れる昆虫《こんちゆう》類は多士|済々《せいせい》である。虫の嫌いな魔利は、その度に水を浴びたようになって立ち竦《すく》み、今度は誰に頼もうかと、あまりの馬鹿馬鹿しさに呆《あき》れる人々の心を忖度《そんたく》して、十数分間は考え悩むのである。罐詰は開けられぬし、重いものは持ち上らない。既に美しくない中老の、スウェータア姿の魔利の生活が、見かけは何処かのおばさん——勿論よくよく見れば、争えぬ品位というよりはのろまな感じが、用をしたことのない人間を、表明しているが——のようであるにも係《かかわ》らず、王朝時代のお姫様の手のろさで、行われているのである。少し大げさに、卓《つくえ》なぞを動かして掃除をする魔利のようすは、紫式部か和泉《いずみ》式部の掃除、といった見栄である。戦争中疎開していて、藁《わら》の雪靴の紐《ひも》が切れた時のことである。雪の中に茫然と立ち尽したあと、魔利はのろのろと腰をかがめた。足元に藁しべが二三本あるのが目に入《はい》ったからである。藁しべで靴を足に固定させる事業は勿論成功しなかった。魔利は二三本の藁しべを束ねて、藁靴の紐の切れめに結びつけようと、空《むな》しい努力を続けながら、心の中で、言った。≪|朕《ちん》には藁靴の紐は結べないのだ≫と。その頃の魔利の生活は、すべてが笠置《かさぎ》の山を出て山道をさまよった、後醍醐《ごだいご》天皇に、似ていた。薪は燃えつかない。川で洗濯をすれば下着を流れに取られる。首の方から川にのめりそうになる。薪は直ぐに燻《いぶ》るので、何度も最初の新聞紙を捩《ね》じるところから遣り直しである。魔利は涙と煤煙《すす》とで汚れた顔をし、自分の二本の無能な手を呪《のろ》った。第一道が歩けないのである。滑らぬ為に工夫された雪靴を履いても駄目で、道路から家の入口まで下りる段々を、魔利はいちいち、腰をかけては、下りた。親類の家に湯を貰いに行くのが、仕度が遅いので後《あと》から一人で、ということになる。どこが曲り角かわからぬ雪の小山の中を、魔利は闇を透かし透かし、恐怖しながら、歩いた。畑仕事が遣れないので、弟の家内の遣るのを冷然と傍観している結果になる。その為に、別居してからは、野菜を貰えぬことになり、二階を借りている下の家に胡瓜《きゆうり》の皮を特約した。金があったのだから分けて貰えばよかったのだが、そこへ気がつかない。塩はあったから、魔利は水々した胡瓜の皮に極上のサラドを、空想した。弟の家内も魔利と同様お嬢さん育ちであるということに、人々の非難する点があったのだが、弟の家内と魔利とでは、お嬢さんが少し、違った。弟の家内になった娘は八人家族の家で、母親の代理をやっていた娘である。家族は八人だが、三日にあげず客があるから、食事は大抵十五六人前である。母親の方は専ら社交の方面を受持っていた。娘の方も社交に敏腕で、彼女は客があると、台所と客間とを往復し、台所では料理の腕を振い、客間に入ると、社交の言葉と笑いの花を、ふり滾《こぼ》した。これは弟の家内に対する犬糞《けんぷん》的な復讐《ふくしゆう》なぞというもので、書いたものではない。弟の家内という人は自由学園の羽仁もと子式で薫育された、才媛《さいえん》である。ひとたび戦争が起るや、百姓が舌を巻く位の畑仕事の腕を見せ、薄く柔かな眉のある眉宇《びう》の間に、負けず嫌いの気性を青み走らせながら、遣ったことのない和服の裁縫も、数学の計算のように割出して遣りおおせた。月が空の中でかちかちに凍っている夜、一人で何百個かの馬鈴薯《ばれいしよ》を土に埋めた。通りがかった知合いの工員が涙を催して手をかしたという、逸話の持主である。金槌《かなづち》で敲《たた》いても欠片《かけら》も滾れないような硬い心は、持っているが、それは外からは見えない境遇から出来た面もあるし、別段に悪意や意地悪で固まっているのではない。又見せかけの涙や温情のオブラアトで包《くる》んでいる厭みもない。野菜事件にしても、他のもろもろの出来事にしても、厳密にいえば魔利の方に、非があった。大体あの恐しい戦時下で、魔利を伴《つ》れて疎開するということは、部屋着の裾を引き摺《ず》ったブリヤ・サヴァラン、か、エドワード八世、又は後醍醐天皇を背中に背負《しよ》って疎開をするのと同様で、あったのだ。それも本人の魔利は浅草にしがみついていたのを伴れて来たので、お願いされた訳ではないのである。さて、閑話休題。  そういう訳なので、虫退治をはじめとして、魔利には不可能事が多い。それが又いやが上にも続々と、奇妙な贅沢生活を生み出し、魔利の「贅沢貧乏」を、絢爛《けんらん》たる域にまで高めて行くのである。植木屋の掃除の事と同断で、すべてのことを女中が何人もいて遣ってくれていたので、魔利には炭火を扱うことも、石油|焜炉《こんろ》を操作することも、出来ない。それでプロパン瓦斯《ガス》を使っているが、プロパン瓦斯には煖炉《ストオヴ》が取り附けられない。そうかといって魔利の経済では電気ストオヴは、買えない。そこで、昼夜絶えまなく湯たんぽを熱くして、寝台に埋まり、マルセル・プルウストを、気取っている。繕ったり、綴くったりしたものは着たことがなく、衣服の類は欧米式のものも、純日本式のものも、一切縫えないので、仕立屋の払いが大変である。不断着から半幅帯まで仕立てに出すのである。戦後は人が洋服の下着を和服に流用するようになり、肌襦袢《はだじゆばん》は売っているので、肌襦袢まで仕立てに出して人々を愕かすことは、無くなった。毛糸を編んで呉れる店はあるが、穴を綴くって呉れる店はない。ところがタイユウル(スウツ)もロオブ(ワンピイス)も買えないのにお洒落と来ているから、英吉利風の渋い茶に胡椒色、ココアの茶に、濃紺、白、灰色、水灰色と、カアディガンやスウェータアばかり買って来る。スカアトが傷んで大穴があくと、愕いて二枚|拵《こしら》える。一枚は消炭色。もう一枚はピンクがかった小豆色と、小豆色を帯びた灰色との、細《こまか》い格子《チエツク》のぼやぼやした布地である。このスカアトに白いブラウスと、濃紺の襟附カアディガンを取合わせて、谷内六郎の描《か》く表紙の女の子、といった感じである。中老の御婦人には違いないが、中身は少女で、十三四歳の心境だから、そういうなりがぴったりしている。消炭色の方には水灰色のカアディガンと白いブラウスを取合わせて、得意で散歩に出かける。淡黄《クリイム》と薄青《ブルウ》のソックスがそれぞれに取合わされる。それらの多くのカアディガンは、ハンガアに何枚でも重ねて引っ掛けて、吊《つる》しておく。だからだんだん重くなって、一寸ものが触わると猫の飯《めし》の上に墜落する。一部は箪笥《たんす》の上のボール箱に重なっている。冬が春になり、やがて春は夏になる。秋になって出して見ると、梅雨時分に附着したらしい虫の卵が成虫になって繁殖し、無慚《むざん》な穴だらけになっているのも何枚か出来るのである。花と硝子に取り囲まれてする空想に我を忘れて、日も夜もないのだから、ハンガアにぶら下っているスウェータアや、カアディガンは永遠に首吊りの姿勢だし、箪笥の上に載ったのは虫に喰われ放題になる。魔利にもそれらを箪笥に蔵《しま》わなくては、という気は起るが、魔利の場合、実行と思考との間には雲煙万里の距《へだた》りがある。穴があくと綴くれないから、そっと捨てる。夜更けの十一時四十分頃に魔利の住むアパルトマンの近くを通る人は、かさばった新聞紙の包みを抱えて川辺《かわべ》りの方へ歩いて行く、怪しげな女の影を見るのだ。屑屋《くずや》が、成程これだけ着たものだ、払うのが当然だ、と、認める品物でないものを払ったところで、何も構わないようなものの、ものには程度があるからである。魔利のアパルトマンの近くにある川の中には、上等のスウェータア類の、穴のあいたのが、相当量沈んでいる。テムズの底に沈んでいるという、髑髏《どくろ》の眼窩《がんか》に嵌《はま》った、女王の宝石、とまでは行かないが、ものがいいから、バタ屋の人々は年に一回位は浚《さら》ってみる位の価値はあるだろう。  洗濯も、戦後独り住居になってから始めて、もう大分になるが、馬鹿丁寧なので時間はかかるし、資生堂のオリイヴ石鹸《せつけん》の泡《あわ》を山に盛り上げ、真白になるまで遣るので、大変な手間である。余り泡を盛り上げるので洗濯ものの地がよく見えない為に、前の日にバケツに落した紅茶の滓《かす》によって出来た茶色の滲《し》みを落し残すことも度々で、その時には又遣り直しである。電気飴《でんきあめ》のような泡を子供が競って貰いに来る。洗うのはいいが、絞るのが難事業である。冬の長い下着を絞る時の魔利の恰好は、ラオコオンの彫像よろしくで——蛇に巻きつかれて腕、腰、胴をよじり、空を仰いで苦悶《くもん》している三人の男の彫刻である——肱《ひじ》に引っかけてまだ余ったのは肩にのせて、異様な形で渾身《こんしん》の力を振り絞るのである。バレ・リュッスのマッシンといえども、考えつかぬ、芸術的な型である。時によると自分で吹き出しそうになるが、側《そば》に人が居なくても、聴える所に部屋があるから、懸命に笑いを噛《か》み殺すのである。そういう恰好をするのは馴れないせいでもあるが、力というものが皆無だからで、一般の主婦なみの力があれば、二重《ふたえ》に折って絞ればいいわけである。さて洗って絞るという難事業を経て、真白になっていい匂いがしている下着類やタオルの類——下着と小物以外は西洋洗濯ゆきである。この上敷布なぞを絞り始めようものなら両隣りの奥さんの背中にまで引っ掛けなくては出来ない——は、窓際のハンガアの行列に下げられ、乾くと寝台《ベツド》の背に、白い滝のように掛けられる。余ったのは肱掛椅子にかける。洗濯ものを部屋に干すのも、やはり主婦的技術を持っていない為で、戸外《そと》の物干しへ干すのには竿《さお》を上の段に押し上げるための、頭に木の枝のついた竿《さお》を自由自在に操作しなくてはならない。時には親しい奥さんが、自分の所へ干させてくれるが、結果としてその竿の操作を遣って貰うことになるので、度々ではうんざりものだろうと、逃げるようにして自分の部屋へ持って入る。雪の日なぞで乾き切らない時には熱くした湯たんぽに巻きつける。すっかり乾いて熱くなっている。一挙両得である。魔利はタオルの色にも難しい注文があって、夢のような色が揃《そろ》えてあるので、寝台の背にかける時も一定の順序で、少しずつずらせて掛け、その傍《わき》に白い洗濯物がかけられる。石鹸は菫の匂い入りのヴィオレが理想だが、買えないのでアイデアル・オリイヴの菫色、資生堂の白、薔薇色、薄緑等である。化粧道具の箱と髪道具の箱も、これらの石鹸の黄薔薇色や、淡黄のものを使っている。大きな罐詰の空箱の上にそれらの箱と、リグロインの壜、髪洗い用の液と、無色で匂いの無い髪油が、場所が定って置いてある。  とに角牛乳育ちで、見かけの大きい割に芯《しん》がひ弱であるのに加えて、少女の頃力というものを使わずに暮した。魔利は、左手に茶碗を持ち、右手に箸《はし》を持って飯を喰うのと、湯殿で体を洗うこと、着物を着ること位より、独りではせずに育った。髪は仏蘭西語の暗誦《あんしよう》をしている間《ま》に女中が結うし、髪洗いは座敷に盥《たらい》を据え、八岐《やまたの》大蛇《おろち》に供えた酒壺よろしく湯を湛《たた》えたバケツを並べて、女中が洗うので、首を前へ出していればいいのである。女学校から帰ると水道のある座敷に入《はい》り、小走りに来る女中に、(かおあらうおゆ)とのたもうのが、魔利の毎日の習慣で、あった。学校の往き帰りは俥《くるま》で、遠足は大抵休んでいたから、足の方も余り動かしたことがない。そんな体だから日々の買物も、楽ではない。一寸大きな大根と、古本二三冊、それに玉葱《たまねぎ》の五つ六つも籠に入《はい》ると腕が抜けそうになり、一丁おきに買物籠を持ち代える。力も|やわ《ヽヽ》だが、皮膚もまだよく厚く出来ていないらしく、洗濯も少し多く遣ると指の甲が摺《す》り剥《む》けて、血が出るし、跣《はだし》で下駄を履いて歩くと、一丁も行かない内に摺れて皮が剥け、紅いところが出て来る。極上の丸本天をすげた下駄を履く以外には、素足の散歩も楽しめない。  買物籠を持ち代えるのは別におかしくないし、自分では優に柔《やさ》しい平家の官女と自惚《うぬぼ》れているが、ラオコオンの型だけはせずに済めば、やりたくない。何故なら、魔利は、顔も姿も駄目だが、心とようすだけは美人だと、自惚れているからで、ラオコオンさえやらなければと、思うのである。この頃は顔の他に体もよくなくては、ということになって、所謂《いわゆる》美人は殖えたが、美人の心を持っている人、美人の態度を持っている人は雨夜の星である。四十から上の女の人には心はとも角、ようすの中に美人を持っている人は多い。含羞《がんしゆう》と、優しさがある人である。「美人」というものは車道を突っ切る時でも、醜い横目を使い、泡を喰った恰好で駈け出すものではないし、銭湯では同性にも羞恥《しゆうち》を抱くものである。 [#ここから2字下げ] ——見ていると、銭湯の中の女達のようすたるや、驚くべきものである。真黒でちりちりの頭と太くて紅い腕とが魔利の目の下に、にゅっと突き出て来る。蛇口の前に席をとっていても、隣りの女のお情けで汲《く》ませて戴くようなものだ。蛇口が空《あ》いていないなと見ると、魔利は直ぐに帰ることにしている。人にかからないように湯をかぶる女は稀《まれ》で、顔を洗っているかと思うと含嗽《うがい》をする。手鼻をかむ。自分一人の湯殿でも出来ない恰好をする。男女混浴になったら、少しは違うかとも思うが、やっぱり同じ事だろう。結婚して五六年も経った女は大半が|ばらがき《ヽヽヽヽ》である。見惚《みと》れるような若い女もいるが——この頃の若い裸の女のいい所は、羞恥が淡《あ》っさりしていて、堂々と少年のようにふるまう所である——、恥知らずになり切っていて、湯槽《ゆぶね》の中から他の女の体を見ている婆もある。もっともそこまで行けば歌舞伎芝居の遣り手婆や、ロダンの娼婦なりし女のような、別種の美になる。魔利は気に入りのタオルと石鹸、黄金色《きんいろ》の洗い桶《おけ》を並べ、鏡を遠く望む場所に坐って、楽しい入浴をする。遠くからだと顔が小型に見えるからである。ところがこの習慣はこの頃破れた。乳癌《にゆうがん》の委《くわ》しい判別法が写真入りで載っている雑誌を立ち読みしたからである。胃癌の恐怖はこの六七年断続して続いているが、体の微《かす》かな異常にも、胃癌を大将として、喉頭《こうとう》癌、食道癌、直腸癌、舌癌、皮膚癌、等々になったと思い込む。思い込むと食事の味もなくなって、人生が虚無になるので、そういう日には花も硝子も恐しい悲哀と寂寥《せきりよう》の夢魔と変る。—— [#ここで字下げ終わり]  大体美人というものは、人を憎んだり、意地の悪いことをしたりはしないものである。世を挙げて恋愛時代で、若い女はすべて愛されたい慾望を持っているが、愛されたいと思ったら、ブリーチより、アイラインより、人を羨《うらや》んだり憎んだりすることを止《や》めた方がよさそうである。そういうものが出ると女の顔に、ぞっとするような悪相が生れる。氷屋の女中に至るまで流行病に罹《かか》っているから、街には悪相の女が氾濫《はんらん》している。  再び、閑話休題。そういう育ち方で、家事には無能、その上にかてて加えて贅沢病であるから、生活方法には魔法が必要である。魔利の生活は、朝、昼、夜、燦《さん》として耀く膨大な電灯料を含めて二千八百円の部屋代と、米、と三種の新聞にプロパン瓦斯を入れて月一万円である。その中でビスケットと本物バタア、グレエト・ブリテン産のラズベリイ・ジャムに、とにも角にもいい匂いのする紅茶、という、魔利の所謂《いわゆる》、英国貴族の朝食を摂り、麺麭《パン》の夕食にも日によっては、アスパラガスと薄薔薇色のトマトを並べ、刻みパセリと玉葱の輪を浮かせた牛肉の肉汁《スウプ》の冷やしたものを摂ることもある。ヴェルモットやグラアヴ・ド・セックも稀には買うというのは、大変なことである。年に一回出す本が、一万円の生活を支えているだけだから、贅沢代はあの手この手で捻《ひね》り出すのである。枕元の卓の下には、赤鉛筆と青鉛筆と黒とで書き込んだ、顕微鏡で見なくては見えないような、足し算と引き算の数字がぴっしり詰まっていて、カスバの迷路のように、あっちこっちに線が引っ張ってある。魔利の頭の中も、細かな数字で一杯になっている時間があって、零細な算術は小学校の時、丁を貰ったことのある人とは思えない程速くなっている。臨時収入と、何かしらんを売り飛ばすことで余裕をつけるのだが、収入に半端のある時には、半端だけ贅沢費に廻すことにしているので、小切手に何百円、或は何千円の半端があった時には歓喜である。四百円の贅沢費が出ると、百九十円が平目の刺身二回分か、サンヨウのハンバアグ・ステエキ、ビイフ・シチュウ、なぞの罐詰の西洋料理になり、あとの二百十円に日常費から二十円を足して、イングランド製の、鶉《うずら》の卵大のアルモンド入りネスレエ・チョコレエトに、なる。この頃は臨時収入が多くなって、どういう訳か原稿紙一枚分の値段も門並み相談したように多くなったので、九千円が捻り出されることもあり、一万二千四百円が捻り出されることもある。そんな時には当分の間我が世の春である。昼食の副食物は白魚、平目、鯛《たい》の子なぞを清酒を入れて淡味《うすあじ》に煮たもの。平目か、夏なら鱸《すずき》の刺身。下し際に木の芽を絡ませた筍《たけのこ》。ロースの牛酪《バタア》焼きにさや隠元、独逸サラド、特大のオムレットのトマトソース等、又はスコット、バンガロオル、砂場等の外食である。売り飛ばす品物は、買ったけれども似合わないブラウス、マフラアの類。書店の寄贈による、欧外、芥川、漱石が入っている小説集の類。貰いものの白檀の扇子、茶器、罐詰。二本ある丸帯、二枚ある長襦袢。等である。似合わなくなる原因は、自分の顔より一オクタアヴ上の顔の着るようなのを買って来るからである。預金が充分ある頃に買った、ヤール六千円の巴里の布地を渋谷で縫わせたジャケットも、この頃売り飛ばした。ひどい形に出来上って、魔利の夢を粉砕したからである。幸、阿佐ケ谷に、魔利がもののいいのを持って行くし、買った値段も瑕《きず》も正直に言うせいか、高く買って呉れる店があって、まだ在庫品の多かった頃には、五六枚持ちこめば二万円位には直ぐなったものである。よくよく売るものがない日には、魔利は寝台《ベツド》に腰をかけて、部屋の中を見廻す。そうして畳を剥《はが》して売りたいなあ、と思うのである。魔利は腰をかけたままで、花が吐き出す香気と、硝子の透明の中にある誘惑的な、それは多分自分自身の中にあって、探りあてたいという心持を、何処《どこ》かで魔利に起させているところの、なにものかでもある、その誘惑的なものに取り巻かれながら、贅沢費の払底を歎くのだが、そんな日が幾日か続いた後《のち》には、再び歓喜の日が訪れる。人間万事|塞翁《さいおう》の馬。というのは真実《ほんとう》らしい。(神様はよいようにして下される)。あの基督《キリスト》教の牧師の言うことも、まるまる嘘でもないらしい。と、魔利は心の中で笑い、新しいスカアトをはいて嬉々として、街へ出る。  空は魔利の頭の上に、無限に青く透ってつづき、魔利はボサボサの髪の下に、十三歳の少女の顔がそのまま中老になったという、不思議な顔を耀かせて、歩いて行く。淡黄の顔の高頬の辺《あた》りにはよく見ると、紅い細かなぶつぶつがあって、頬紅をつけたような紅みが差している。上脣《うわくちびる》の縁には面疔《めんちよう》の痕《あと》が、小さな紅い痣《あざ》のようになっている。象牙いろのスウェータアの上に紺の襟附カアディガンを着、合わせた襟元を木製のブロオチで止めている。ご自慢の小豆色と灰色のチェックのスカアトをはき、畝編《うねあ》みの薄茶の長靴下に、淡黄の皮のサンダルを履いた足は、中老の女にしては元気な、妙に稚《おさな》い足つきで、楽しそうに歩いて行く。そうして小声で、モツァルトのオペラの一節を、歌うのである。 ≪|綺麗《きれい》な、恋をする、子供たち≫  魔利が殆ど毎日のように歩く、淡島から下北沢の駅の先の北沢二丁目辺の通りまでの繁華な街すじでは、魔利の素姓を知っている人がかなり殖えて散在している。稀に雑誌なぞに短い文章が載るからでも、それがうまいからでもない。毎日行く風月堂で五六年前に兄の手紙を落して帰った。そこでそこのボオイ頭《がしら》が素姓を知った。彼の長男が兄の出ている東邦大学の学生であったのである。同じく喫茶店であるミネルヴァに行っていた時代からの知合いが風月にも来る。そこで風月堂の常連が皆知るように、なった。風月堂のボオイ、ウェエトレスも従って知ることになる。淡島にあるアパルトマンでは無論知っている。他に書店が二軒と、原稿を落した事件で魔利を知るようになった薬局が一軒ある。それらの店の店員息子。等、綿密に数え上げれば二十五六人、或はそれ以上の人々が隣りの人間、知人に話す。風月堂の常連は皆、北沢から淡島にかけて散在している。そこからも話が近辺に拡がる。魔利が妙に目立つところへ雨の日も風の日も歩いて通る。そこへ魔利の父親の欧外という人間が、小学校へ行ったものには全部名を知られていて、誰も一度聞いたら(へええ……)と驚いて、忘れることのない、馬鹿馬鹿しく有名な、肩書きの多い文学者と来ている。いやが上にも人に覚えられるように、有名な悪妻の欧外の娘というお景物も、附いている。かくして魔利は、毎日の道すじの多くの商人、二側も、三側も裏通りに住む人々に至るまでに顔と名とを覚え込まれた。  今日も牟礼《むれ》魔利《マリア》はお気に入りの洋服で緑と藺草色の縄の籠を下げ、下北沢へお出かけである。道すじにある貸本屋、鳩書房の女の子は、硝子扉の中から魔利の通るのをみとめた。そうして、こう呟《つぶや》いたのである。 ≪あら、牟礼さんが通るよ。この前持って行ったクリスティは、そうだ今日で二百円になっているわ。どうするのかしら。|暢気《のんき》な顔して、もう行ってしまった。お婆さんの割に足が速いわね≫ [#改ページ]   ㈼ 紅い空の朝から……  眼を醒《さ》ました牟礼《むれ》魔利《マリア》は一寸《ちよつと》の間、自分は何処《どこ》にいるのだろうというような顔で、暈《ぼんや》りした視線をうろつかせた。  なんだか妙に明るい。眼を上げると頭の上の寝台《ベツド》の背にはいつものように、いろいろな色のタオルと、真白な下着の滝が掛かっている。カナリア色を含んだ薔薇色《ばらいろ》の濃淡の左側から順に、稀薄《フラジル》な水色《ブルウ》、ミルクの入った青竹色、淡黄地に緑の花のあるもの、橙黄《オレンジ》の大型タオル、濃紅色の線の入った白地、同じく下着である。卓子《テエブル》の方へ寝返り、首を捻《ねじ》った魔利の眼が、タオルの滝の上を越して硝子《ガラス》戸へ行った時、魔利は思わず半身を起した。  先刻から妙に明るいのも道理、硝子窓一面の空が、魚の血を流したように紅く、黒い大きな柿の葉と、太い枝とを不気味に浮び上らせて、生々しい生命《いのち》のように染まっていたのである。八年と十カ月の埃《ほこり》が附着した硝子窓のせいだけでなく、光は鈍く、重いが、魔利を狂喜させる、美しい色である。 [#ここから2字下げ] ——魔利は自分の心のすぐそばにあるような気のする一聯《いちれん》の色を愛している。たとえばこの空のような、鈍く透《すきとお》った紅《あか》である。又は橄欖《オリイヴ》色、薄れた黄金《きん》、(茶碗や皿の縁《へり》の剥《は》げかかった黄金色《きんいろ》なぞが、魔利は大好きである)黄薔薇色、薄黄を含んだ空の色。そういう不明瞭な色である。魔利の心というものが全くのところ不明瞭なものだからである。映画の中で、アメリカの森林地帯にある町の雑貨店が映って、そこに濃い橄欖《オリイヴ》色と、熟した|ぐみ《ヽヽ》のような紅をアクセントに、それらの色調が浮び上ったとする。すると魔利は心の中に小さな叫びを上げ、そうして新しく生れたような二つの眼を画面に吸いつけるのだ。魔利はきれいなものを探している。新鮮なもの、自分だけの、自分一個人の美の観念(大した美ではなかろうが)に合ったもの、又はそれを追い越す輝くもの、を見つける時、魔利の二つの眼は、今生れたばかりの赤子の眼よりも生々とした潤いを漲《みなぎ》らせて、その対象に当てられる。魔利が「生きている」と思う時間、それはその時だけである。舞台の、紅《あか》らんだ光の中に佇《たたず》み、又躍動する、バロオのハムレットの黒いタイツの足。昂奮《こうふん》を中に包んだ跳梁《ちようりよう》。骸骨のような額の下の白く光る眼。巴里《パリ》の映画役者の或ものの、恋の残虐にみちた眼差《まなざ》し、おどけた、それでいて無類に|いき《ヽヽ》な表情、魔利の感覚に歩調を合わせている、彼等の美への観念。周囲《はた》の眼を盲目《めくら》にしているひそかな恋の秘密を、カムフラアジュの衣に包んで人もなげに投げかける彼等の揶揄《やゆ》。彼等が浮べてみせる秘密な微笑《わら》い、フランスの名誉の後《うしろ》にある、フランスの淫蕩《いんとう》。しかもそれは精神の中に止《と》められている。彼等ボオドレエルの徒弟達。不敵で、節度のある、悪の華の中の若者。 [#ここで字下げ終わり]  路易《ルイ》十四世の豪華。嗅《かぎ》煙草をつまみ、鼻に持って行き、胸の辺《あたり》を払う軽い手つき、路易十六世の幽閉されたバスチイユの塔、シャトオ・ディフの石の外郭をめぐる夜の海、モンテ・クリストの物語。それらのものの堆積《たいせき》を後《うしろ》に持つ巴里の役者たち。摩滅した甃《いしだたみ》の上を生々《いきいき》と游泳《ゆうえい》している彼等。あらゆる種類の花々をおもわせる女優たち。裸の胸を白い花の造花が蔽《おお》い、無花果《いちじく》の代りの、黒の華やかな天鵞絨《ヴエルウル》のリボンが下腹部をわずかに隠して、腰の上で花の形に結ばれているバルドオの裸は、前世紀の、優雅な、腰の持上った上にリボンの飾りのある礼装を想起させると同時に、たしかに繋《つな》がっている女と花との、深い関聯《かんれん》を魔利に感じさせる。大体巴里の人間達が、魔利の眼を、生きる歓びの中に導いてくれるようである。まだ一つ、魔利の魂(魂なんぞが魔利にあったかしらん。だが全く無いというのも気の毒だろう)を強く惹《ひ》きつける黒人の芸人たちがあるが、もうこれ位で割愛しておこう。退屈な文章を我慢して読んでいるかも知れない人々のために。それに第一、いつからか本文を外《そ》れたようだ。どっちが本文なのだ、なぞと言わずに読んでもらいたいのである。——  伊太利《イタリア》の宗教裁判で、僧の体を鋸引《のこぎりび》きにした血の汁が、水盤に流れて、紅く染まった紅の色である。ビニョレがナルボンヌの寺で、泉水の底にいる青い蛙《かえる》に向けて斧《おの》を打ち下ろした時の、蛙の血で染まった泉水の色である。コンゴか、アルジェで、革命が起きて、すべてが終った朝の空の色である。日本の革命の色なら、もっと俗な紅の筈である。 [#ここから2字下げ] ——何故なら、日本の赤は白地に赤くの赤であり、啼《な》いて血を吐く不如帰《ほととぎす》の赤であり、上等のところで、からくれないに水潜るとはの、赤であって、ひどく穏かで生ぬるい。神の偉《おお》きさと、悪魔の大きさ、つまり善の偉きさと悪の重さとを包蔵している欧露巴《ヨオロツパ》の紅とは根本からちがうのである。広告の紙の紅、なのだ。情緒としてそれを見る詩人の眼にだけ美しい、飴細工《あめざいく》の鶏のとさかの紅、紙風船の紅である。深沢七郎の頭の中に、又は映画の中で魔利が見た、戦場の血や、囲炉裏《いろり》の火の紅、馬の死体、それ程の生々しさ、暗い紅ささえも、そこにはない筈である。 [#ここで字下げ終わり]  そこやかしこに置いてある空壜《あきびん》の、硝子の色や、陶器の光。紅や黒のがある錠剤の、天とう虫の一つ一つにある光。花。それらを視、タオルや洗濯物の滝を見て、何がうれしいのか、為体《えたい》のしれない笑いをもらしている魔利は、今朝、黒い柿の木の模様を浮き上らせた紅い空に搏《う》たれて、殆ど狂気じみた状態にまで、なった。  空の紅はいよいよ照り、埃に曇った硝子をも難なく通り越して、魔利の枕の辺りに流れこみ、タオルや下着の上にあけぼののような色を、染め出した。 ≪まあ、|綺麗《きれい》≫  魔利は小さく声に出して言い、完全に醒めた眼を瞠《みは》った。  夢のような何十年かを生きて来た魔利が、そこに眼を遣《や》り、魔利の精神の中に立ち入らぬことには不可解な、満足の微笑《わら》いを浮べて来た部屋の中の舞台装置も、この頃では、魔利の好きな色や、透明、情緒の集大成をなして来ていて、多分そう永くはない魔利の未来の中で、有終の美をなし遂げようとしているかのように見えたが、その誘《いざな》うようなもろもろの色や影の中で、怠惰に溺《おぼ》れ、陶酔に耽《ふけ》ろうとする魔利を呼び起し、はっとしたような顔になって何かをやり始めなくてはならぬようにさせるものが、この頃になって出来て来た。  最近の魔利には、小説を書かなくてはならないという、重苦しいノルマが課せられているのである。もともと無理な話である。魔利は小説を書こうと思ったことがなく、小説というものがどんなものかも、分っていない。小説の細切《こまぎ》れ、つまり短い感想のようなものは書きたいと思っていて、昔から書いていた。だが小説となると別のものである。随筆集を出している内に、随筆と小説の間《あい》の子のようなものが出来たので、科白《せりふ》を別行にして、小説らしく拵《こしら》えて随筆集の中に混ぜて出した。ところがその小説のようなものが、私小説になっているという批評を貰ったかと思うと、突如として小説の注文が来たのである。  その時魔利の状態は乞食の一歩手前に来ていたので、その日から、生きなくてはならないという切実な問題を背負って、鉛筆を握りしめ、書けないものを無理に書いた。鉛筆を強く握ったのは、強く握ったら書けるだろうと思ったからである。可怕《こわ》かったが、書けなかろうが、可怕かろうが、書くより他に米や麺麭《パン》を購入する道はないのである。  ずいぶん悪い評を貰ったが、こっちは引っこんではいられないので、ますます書いた。長くて、拙《つたな》い、世界一に詰らない小説である。その当時は素晴しく書いたつもりだったので、批評を読んで落胆した。  魔利には自分の中に書きたいものがあって、その書きたいものが、長い間、わけの分らない文章のかたまりの中に嵌《はま》りこんでしまっていた。その書きたいものは、つまらないものだったが、それがぎちぎちした、わけの分らない塊の中に行方不明になっているのは、残念だった。「小説」ということになっていて、小説の載る欄に載ってはいるが、小説でもなく、そうかと言って随筆にしては長すぎる文章の中に、魔利の書きたいものは見失われそうに、なっていた。甍《いらか》平四郎の前に坐っていた時、魔利はこころみに、言ってみた。「『曇った硝子』はどうでございましょうか」と。どうでございますも、ませんも、てんから人の目の前に出せた代ものではないのである。それを、「どうでございましょうか」と言うものだから、甍平四郎は答えた。昭和三十三年の六月から三年ごしの師弟、でもないが、そんな間柄になっていたから平四郎も答えたのであろうが、返事に困ることを訊《き》かれたものである。平四郎は正直で、親切な人間である。平四郎は、答えた。 「中へ入《はい》って行こうとする人が入れるように、鍵《かぎ》をかけないで、入りにくくないようにした方がいいね」  魔利は感に堪えて、言った。 「実は私にも読んでみると入《はい》れないのでございます」  その時期が蜿蜒《えんえん》、二年続いた。このごろになって、その自分の中にあるものが、こんがらかった糸の一端がほぐれ出したとでもいうように、出て来て、「これは小説である」と、言うことになった。本人の魔利は勿論自惚《もちろんうぬぼ》れの少い方ではないから、「小説である」と、大いに認めた。どうやったら小説が書けるか。どうやったら見たこともない人間を出して来て、歩いたり、止《と》まったり、させることが出来るだろうか、と、魔利は長い間思っていた。魔利の小説の中では、人物が腰を下ろしたり、立上ったりしたかと思うと忽《たちま》ち止まって、為体のしれない文章の塊の中に入ってしまった。どうしたら、見知らぬ人間が人を訪問したり、自動車に乗って走ったり、泣いたり笑ったりすることが出来るだろうか。魔利はその大問題を頭におく時、「出来ない」という答えが出るだけで、あった。それが或日、小説というものになったのは、あっという間の出来事であったのだ。小説の三分の一までは、それまで通り、事実あったことを、例によって書いていたのだが、化けもの屋敷のような家をもっと際立たせようというので、「サイコ」の気違い青年のスチールを下敷に、精薄の次男という人物を出してみた。ところが愕《おどろ》くべきことには、「サイコ」の気違い青年が、いかにもそういう青年らしく、木戸をガタンと明けて入って来て、長い体を延ばし、こっちへ歩いて来た。そればかりか、ぼろ家の中をうろついたり、愛している妹を誘惑しているカザノヴァを睨《にら》みに出て来て、廊下を往復したりし始めたのである。俄《にわか》に魔利は、元気づいた。そうしてもう一人の人物、つまりカザノヴァを出して来て、動かした。その人物は、魔利が親しくしていた人間が三人交ったもので、あった。その内に恐るべきことは又も起って、ロオラン・テルズィエフのスチールと、木下|杢太郎《もくたろう》の若い時の姿が交った青年建築家が、登場した。その上にニグロの青年も出てくることになったのである。(これは「日曜日には埋葬しない」の黒人青年がモデルである)  魔利が、しめた、しめた、を心の中に連発しながら書いていると、(一つはその小説の舞台や、実在の人物が小説そのままであって、見知らぬ人物をそこへ交ぜて出して行くのに、白粉《おしろい》がよく延びる肌のような役目をしていたのが、魔利の幸運で、あった)そこへ十三歳と七カ月の少女で魔利の親友のミチというのが入って来た。魔利は半分昂奮状態になっていて、言った。 「お嬢さんが恋愛してるんだよ。今にニグロの兵隊がやきもちを焼いて、ジイプをぶっつけてお嬢さんを殺してしまうことにしようか」  と、言った。ミチも昂奮して、 「そうしなよ、そうしなよ」  と言ったのである。する内にニグロは深く清らかに、令嬢を恋し、カザノヴァやテルズィエフとの恋愛をみている内に昂奮し、嫉妬《しつと》して、テルズィエフとの婚約を発表したクリスマスの夜、遂に令嬢とテルズィエフの乗るジイプに車もろとも打《ぶ》つかり、三人即死と相成った。そういう訳で魔利は、見知らぬ人物が出て来て、泣いたり笑ったりするばかりか、殺人事件まで起り得るという自信を得た。  その後魔利は、今度は駄目かも知れぬ、という恐怖に脅されながら、小説を書きつつある。魔利が小説を書く目的は何かというと、自分の中に書きたいものがあるなぞと、意味ありげに言ったが、全くのところはそれは馬鹿げたものである。つまり|いき《ヽヽ》な、野暮でない感覚、きれいで、凄《すご》みのある恋愛である。現実の世界の野暮な、厚ぼったさ、野蛮さ、恋愛的なものの穢《きたな》さが、魔利には見るに堪えないが、眼を開いている以上は見ない訳に行かない。そういうものを、せめて小説の中では、根こそぎ追放して、小説の中でだけ、気分よく生きたい、というのが魔利の念願である。最近書いた「恋人たちの森」なぞは、下北沢に屯《たむろ》する愚連隊のあんちゃん達に捧げる為に書いたといってもいい位のものである。 [#ここから2字下げ] ——色とりどりのスウェータアを着て、三三五五、芸もなく、下北沢のガアドの下に突立ち、人が通るとなんとなく凄み、聴えよがしに、「やばい」とか「さつ」だとか言っている、昭和三十六年度の日本の東京の愚連隊の兄《あん》ちゃん達よ。この小説に出てくる、ぐれかけた美少年と、巴里の貴族と日本人の女との間《あい》の子の美青年とが交すような科白《せりふ》が言えたら、言ってごらん。この二人の男がやっているような、恋愛の味を深める為の戯れ、カンのいい一種の言葉のフットボールがもしやれたら、やってごらん。そういうものがわからないで、不良面はして貰いたくないのだ。不良というものはね、困った人間である代りには、普通の人間には逆立ちしてもなれないように|いき《ヽヽ》で、恋愛なぞの場面でいかすのでなくてはてんで意味がないんだよ。つまり君たちは、存在理由《レゾン・デエトル》がないんだ。 [#ここで字下げ終わり]  魔利はそう言いながら、その小説を、彼等尊むべき愚連隊の兄ちゃん達に、捧げたかったのだ。その為だけに、魔利は書く。魔利は元来「作家」ではない。「作家」なんて偉いものではない。人生の深刻な問題も、なんとなく暈《ぼや》けた頭に映るばかり。硝子の壜や洋杯《コツプ》に似て、ぼやけている魔利の頭である。だがどうかすると、硝子のくもりのある綺麗さのようなものが、出て来はしないだろうか? それだけが細い、細い、たのみの綱で、あった。  さて、「小説」になって来たとはいうものの、一つの新しい小説を書き始めるまでの苦しみは大変で、その度に、鉛筆を握りしめて書いた最初の時に、逆戻りであるから、生きることを諦《あきら》めない限り、魔利に課せられたノルマは永遠のものなのである。  新しく小説を書こうとする時、魔利は宇宙の混沌《こんとん》の中に、放り出される。有史以前の景色である。地球や月なぞのもろもろの星と、それを浮べている空間とが、鶏の卵の出来かけのように、混沌としたものだった頃、(本当にそうだったかどうか、魔利はよく知らないが、これは女学校の教師の説である)そういう寂しい世界に、放り出されるのである。そういう恐しい世界の中で、魔利は水に落ちた猫のように手足をのろのろと動かすのだ。  魔利はどこかに掴《つか》まろうとする。どこにも掴まるところはない。どこやらに光は見えていて、真紅《あか》い襯衣《シヤツ》の美少年が、曲りくねった広い階段を下りて来ながら、階段の下にいる子供の方へ、眩《まぶ》しそうな眼をチラリと向けたり、そうかと思うと、晴れた日には白の薄絹、曇った日には炎が首をとり巻いて燃えているような薄紅いネッカチイフを巻き、黒の皮の外套《がいとう》を着ている美青年が、オルリイの飛行場に下りて、タクシイに飛び乗り、夕暮れのクリッシイの叢園《そうえん》のある邸の、茨《いばら》の絡んだ石塀《いしべい》の潜戸《くぐり》を潜って姿を消したり、するのだが、その光のようなものも、その多くは褐色《かちいろ》の色|褪《あ》せた羽に変じた、メエテルリンクの偽りの青い鳥に過ぎない。纏《まと》まった小説の形の中に、嵌りこむこともなくて、それらは消え去って、しまう。  その過重なノルマを魔利に持ってくるのは、編輯者《へんしゆうしや》の訪問、又は電話である。電話にしろ、来訪にしろ、魔利は編輯者の来襲を、恐れている。殆ど一人よりない編輯者だが、その編輯者が恐しいのは魔利が小説が書けない為に恐しいのであって、その人間自身は恐しくもなんともない、唯の一人の編輯者であるに、過ぎない。  小説がどうやら出来上って、締切り日が近くなり、追いこみになると、——追いこみがきいて呆《あき》れるが——タオルが夢のように下り、硝子や陶器が燦々《きらきら》し、去年の夏の、露草とアスパラガス、薔薇、小百合《さゆり》の葉、なぞの枯れた花束の下に、ボッチチェリの春の女神が三人、腕を絡めあって立っている、魔利の歓びの部屋も、硝子も陶器も光を失い、小卓の上は埃とパン屑《くず》でざらつき、大皿や深皿、小皿、紅茶茶碗なぞが蕎麦《そば》屋の丼《どんぶり》の塔と違って大小不規則な、危っかしい芸当で重なり、硝子壜や枯れた花や、それらの器物の間は紙屑で埋まり、本物の蕎麦屋の丼と、新聞紙の上の猫の飯《めし》、猫の鰹節《かつおぶし》を入れたエビオスの大罐《おおかん》、緑色の土管のような紙屑入れ、薬罐、砂糖入れ、ピイマンとトマトと玉葱《たまねぎ》を満載した大盆の載っている米入りの大バケツ、そこを飛び歩くことの出来るものは、そのそれぞれのものの配置、液体の流れ出るもの、踏めば潰《つぶ》れるもの、足にひっかければ転ぶもの等の、各々のものの性質を知悉《ちしつ》している魔利と、天才的に躓《つまず》かない黒猫のジャポだけである。寝台《ベツド》の上にはパンの包みと原稿紙と、鎌倉ハムの捻《ね》じ明けた罐、鉛筆の削り屑の滾《こぼ》れたものでちらかり、夢の色も、綺麗な皿と洋杯《コツプ》の載った台も、混乱の中にその美しい影を没してしまう。去年の夏の花束は、化けの皮の剥げた老女のようにぼやぼやとして皎々《こうこう》たる電灯の光の中に醜骸を晒《さら》しているのである。その真中にどういうわけか洗面器に水を満々と張ったのがあるが、それは顔を洗おうと思って沸かしたのが冷めたのだが、そこへ遊びに来た子供が寝台から落ちて洋袴《ズボン》の尻をびしょ濡れにする。子供の母親は部屋の中に池があるとは思わないからびっくり仰天して洋袴を取替え、洗って干すのである。  魔利の鳥はそれらの中に埋まり、羽をばたばたさせ、空っぽの胃袋の中からなにかの文章の塊を吐こうとして、苦悶《くもん》する。マスコミの作家が見たら愕くだろうが、一つの小説を五十日かかって書くのが魔利にとってはこういう騒ぎになるのである。マスコミの人々。それは書物|卓《づくえ》の上に電話のある人々である。TVとラジオと、いろいろの会合との間を縫って、三つも四つも小説を書いている人々である。中には頭の方からだか、尻尾《しつぽ》からだかよく解らないが、どこからか半分マスコミ人という人間に少しずつ変身しかかっている人々もある。小説を書く人間が蛇であるとすると、どこかの部分の鱗《うろこ》から点々と、マスコミ人の鱗に変って行くのだろうというような気が、魔利にはするのである。マスコミの人々が魔利のこんな騒ぎを見ると、或人は吹き出し、或人は憫笑《びんしよう》し、或人は白い眼でチラリと見る。或少数の人々は、魔利の方に眼も向けずに、各々の仕事をやり、或は酒を飲み、飛行機に片足を乗りかけ、或はTVの俥《くるま》に乗ろうとしていたりするのである。この最後の人々が、仕事を持つ人として、現代マスコミの文学者として、本物である。さてその騒ぎの中で、原稿料の皮算用という余分の仕事がそれに加わる。絶えず金の少いことを哀《かな》しんでいる魔利は、予測のほぼ立った枚数によって原稿を計算し、そこから一割を引くという、算術をする。世上矢州志《せがみやすし》や埴輪不三夫《はにわふみお》とはそこが違うのである。  それと同じ時間に、大森馬込の甍平四郎の書斎兼客間は明るい緑の光に包まれている。その書斎が魔利の頭に浮び上ってくる。深々と葉の重なり合った柏《かしわ》の木を中心に、あらゆる庭木、夫人の墓、石の人形、石の塔、いろいろな形の石、金魚鉢、あやめの葉、紫苑《しおん》、門から縁側までの敷石なぞが、朝の光の中に鎮まっていて、障子の間の硝子窓から緑の光が流れこんでいる。机の上は澄んでいて、原稿紙が白く、光っている。火鉢の上の鉄瓶の湯はまだぬるい。電気|煖炉《ストオヴ》が金色に光っている。その机と、火鉢や茶道具と、後の黒い飾り棚との間の小さな四角い空間が、甍平四郎の居場所である。みるとそこには平四郎は居なくて、黒い鳥が蹲《うずくま》っている。羽が光って、嘴《くちばし》が鋭く、眼は細く半眼に開いている。黒光りのする羽は時折|羽《は》づくろいするような風にして、一寸ばさつくこともあるが、静かである。時々黒い咽喉《のど》の奥が鳴り、文章が吐き出される。それがゆっくりと続いて、三枚の原稿が出来上る。それで終りである。濡れ羽の鳥はさっと人間の姿に還る。もう鉄瓶の湯は松風の音を立てている。甍平四郎は真面目な目附きで鉄瓶の湯を湯ざましに注ぎ、次に土瓶に茶を入れ、少間《しばらく》待って湯を注ぐ。原稿紙はきっちりと三枚重なって、庭の緑を映して光っている。茶を飲んで、眼を硝子の向うや、障子の高みなぞに遊ばせている内に平四郎の頭に俗塵《ぞくじん》が舞いこむ。  街で見た女の腕、脚。これから行くお伝地獄の試写や、映画の後《あと》で「リイベ」に寄ろうか、それとも、鳳安公司にしようか。其処《そこ》へ林檎《りんご》を一つ持って行こうか。野菜サラダを詰めさせようか、なぞという楽しみ、等々が、浮んでいる。  原稿紙に書いてある文章には、俗な事が書いてあるように見える。だがそれは俗なものを平四郎の目で見たものである。平四郎の精神から出たものである。蚯蚓《みみず》の生活と、人間の生活とを比べるのはおかしいが、面白い生活であるということにおいてこの二つの生活は並べられるものなのである。 [#この行2字下げ] ——断るまでもなく、蚯蚓《みみず》の方が魔利である——  唯、平四郎の生活の面白さは内部に濃いものが充満していて、外面はむしろ、何もないようなのだが、魔利の生活の方は表面に脂が浮いていて、中身は水っぽい、という点に、差がある。平四郎が俗なものを眼に入れると、その一つ一つの俗なものは、平四郎の腹の中に入って文学の羽を生やし、どことなく色あいも、変ってくる。  平四郎がふと立上り、兵児帯《へこおび》の上のところが一寸袋になっている、書生っぽい立ち姿で障子を明け、帯の後に両手を差し込み、何かの異様なものを紙の上に吐き出したあとの、「仕済ましたり」、という、幾らか面妖《めんよう》な色を顔の上に漂わし、顎《あご》をひょいとすくうように上げて、娘の杏子《きようこ》 [#この行2字下げ]——平四郎の最後の恋人である、娘の杏子は、支那美人のような、濃艶《のうえん》な顔をして、平四郎の秘書役と、女の多い一家の統率との疲れで、まだ睡っている—— の睡っている離れの方に眼を遣《や》る頃、魔利はのろのろと、西洋乞食の寝台《ベツド》を下りる。薬罐や、クラッカアの罐につまずきそうになったりしながら、子供の時から中気に罹《かか》っているような、のろい動作で土間に下りる。  甍平四郎の来訪以来拭いたことのない扉の上に、二つに折れてぶら下がり、或は下の隙間に差し込まれている四つの新聞を抜き出す。新聞を拾い上げると同時に、電気洗濯機の新型、味噌、小丸|煎餅《せんべい》、かりん糖の安売り、三千四百円の婦人オーヴァア、等の広告が、あらゆる不快な色とデザインとによって印刷された、ペラペラと鳴り、或ものは木の板かと思うように角の痛い触感を持っている紙の滝が、四つの新聞紙の間々から滑り落ちる。この広告の滝が流れ落ちるのは毎度のことだが、その度に魔利の怒りは新鮮で、少しの衰えもないのには困ったものである。そんな風だから、絶えず怒っている勘定になる。だが、歓びの方はそれ以上で、こっちの方は気ちがいじみているので、差引き歓びの上に比重がかかっていて、しかも馬鹿げたことで歓ぶので、魔利の人生は歓びの人生ということが出来る。どこかに躁狂の人生の匂いもある。歓ぶと魔利は、お調子に乗った子供のようになる。自分も内心不快に思うのだが、心持がふわふわに浮き上ってしまって、どう抑えようもない。  魔利は阿呆のように、人々に向って歓びを語る。今書いているこの文章なぞはさしずめ、魔利のお調子に乗った会話の変形である。文章も馬鹿らしいが、会話となるとそれが輪をかけていて、顔は間が抜けているし、笑うといよいよ間が抜けてくるから、視ていられたものでも、聴いていられたものでもない。魔利に好意を持っている人間と、魔利によって雀の涙ほどの何かの利益をえることになっている人間だけが、満面の笑いでその会話に応える。ふつうの人間は呆れて、この間の延びた顔は一体どうしたものだろうと、人ごとながら、どうかしてどこかで捻子《ねじ》で止められないものだろうかと、いう顔で、魔利を眺める。  馬鹿でもない魔利はそれに気づいて不快になって黙る、相手も困る、その後《あと》はもう何を言っても不協和音である。  馬鹿げた怒りと馬鹿げた歓びは替り替りにくるが、或日の怒りは朝の新聞から、起った。新聞の一つに魔利の小説の評が出ていたのである。文芸時評のところに魔利の顔が、他の二人の女の作家の顔と一緒に縦に並んでいる。魔利の小説がベストスリイになったのかと思ってよく見ると、そうではなくて、小説というものの悪い例として選ばれているのである。どうして悪いのかというと、要するに魔利も他の二人の作家も、女の作家というものは、宇宙の中で自分一人のような心持で、なんの疑いもなしに書いているから強い、という主旨である。男の作家の評が例に出ていて、そういうところがないから、男の作家の方は弱い、というのである。強いのと弱いのとでは強い方が一寸見にはいいようだが、どうもその反対の意味を指しているのだということが、文章の中に感ぜられるのである。実際のところはよく解らないのである。その解らなさは例えば、フランス語の文章がすらすら読めていて、意味は解らない、といったような解らなさである。ただ大体の雰囲気《ふんいき》として、女の作家の小説を作る頭が未《いま》だしである、ということであるように、感ぜられる。未だしも未だしだが、それだけではなくて、子供らしくて可愛らしいというニュアンスを、含んでいる。そこで女の作家としては何となく面白くない。批評の対象は魔利の「曇った硝子」という朦朧《もうろう》小説である。朦朧小説ではあるが一年かかって、一生懸命に書いたものである。魔利が何よりも評して貰いたかった夢のようなものについては、「作家の夢に附き合わせられただけである」という言葉で片づけられている。「附き合わせられた」という表現がされているところをみると、上等の夢とは認めなかったのだが、それではその夢のどういうところが下らないのか、甘過ぎるとか、説明的すぎるとか、魔利自身もみとめざるを得ない欠点を、言って貰いたいのである。折角書いた夢である。怒ってくると、同じ批評家によって褒められた言葉までがいやになって来た。  その批評を読んだ時には天にも登る心持で、この高村松夫という批評家を救世主のように思い、敬愛おく能《あた》わざる心持で、あった。釈迦牟尼《しやかむに》のような頭髪と、可愛らしい笑い顔も、ひどく気に入ったのである。そうして何でもものが直ぐに消えて無くなる自分の部屋であることに気づくと、魔利はすぐに立上って北沢駅南口の売店にゆき、そこの|ねえちゃん《ヽヽヽヽヽ》にも褒められたことを喋《しやべ》り、同じ新聞を二枚購入した。寝台の上に乗って拡げてみると、どの新聞にも、同じ頁の同じ場所に、全く同じの活字が、鮮かに印刷されている。魔利は一つの新聞を明ける度に、眼を新聞紙のその場所に吸いつけた。そうして、思った。この分で行くと、日本全国のこの新聞に、——フランスやイタリアのには出ていないだろうが——この通りに印刷されている勘定である。喜ばしき限りである。と。そうして魔利の魂は改めて天外に飛んだので、あった。そこで魔利の、高村松夫を敬愛する心は、その日の新聞をよむまで、継続していたのである。 [#ここから2字下げ] ——作者註。この感想は、去る昭和三十五年の九月現在のものである。現在の心境に照らしてみるとこの憤慨は大分おかしい。「曇った硝子」は魔利の夢が、文章の塊の中に行方不明になっているので、この怒りは半分はもっともであるが、半分は的が外れていることを残念ながら認めざるを得ないのである。—— [#ここで字下げ終わり]  二三日経って別の新聞を明けてみると、今度は別の悪口が書いてある。その時も、もう一人の不幸な女の作家と|こみ《ヽヽ》で、その作家も、魔利も、小説というものを思い違えているのではないか、という言葉でやっつけられている。この評の方はよく解ったが、魔利がこの小説の初めにも書いたように、魔利の小説は、分らずに、やみくもに書いているので、間違える所まで行っていない。けれども分らないのは分らないなりに、ある夢に向って進んでいるのである。これ位ならもっと解らぬように書いて貰いたかったと、魔利は思った。何しろ朦朧小説であるから、無理な話かも知れないが、魔利はそう思ったのである。解らない文章で書かれることは、悪く言われる場合、とてもいいことなのだと、魔利はやっと気がついた。  この批評を書いた、頭髪を七分三分に分けた、笑って写っている時以外には、一寸恐しい顔をした批評家を、魔利は碌《ろく》なことを言ってくれないのに拘《かかわ》らず、余り嫌っていない。彼は吉良野敬という名である。親切な中学の教師のような風貌をした彼は、真面目な男らしく、又文学を愛しているらしい。又魔利自身がそういう地位についた場合、例外ではあるまいと、この頃なんとなく、そういう空気を自分の中にも微《かす》かにだが感ずることがあるので、彼が、殆ど五六人しかいない、要所に用いられる批評家として文壇に君臨していることによって、権威者としての自覚というようなものを無意識に持っていて、人が可憐《かれん》な心で当てにしていて、新聞を明けるや否や批評欄に眼を凝らすと、一日分の文章の四分の三位を自分の健康状態や心理状態を述べることに費しているようなことも、格別いやに思わないし、他の教授を兼ねている人々に比べても、偉い文学者に比べては尚更、収入も少いのだろう、なぞと、魔利らしくないことを考えて、怒るにも怒れないようなことを書かれても、どういう訳か不愉快になることがない。 [#この行2字下げ] ——作者註。これも三十六年現在としては、魔利は、或人の話で、吉良野敬という人も某大学の教授をしていることを知ったので、吉良野敬が貧乏であろうという推測は失礼に当ることが、解った——  だが、それはそれとして、怒りはやっぱり怒りなのである。高村松夫の方は魔利が人生の中で、離婚という失敗をした時、その事件の圏内の人間と、職業上の繋がりだけではなくて、どうやら心理の上にも関聯をもっているらしく思われる人間であるので、高村松夫という四字を見ても、その写真を見ても、去年の五月の批評を見るまでは、 [#この行2字下げ] ——その批評は全部褒めた批評だったが、書き始めのところは素晴しく、よくは解らなかったが、夢にも言って貰えるとは考えていなかった、言葉であったのである—— その顔や名前の上に、朦朧として立ち上るものがあって、どっちかというと、吉良野敬の方が|ひいき《ヽヽヽ》だったのである。|ひいき《ヽヽヽ》だなぞとは片腹痛いと、吉良野敬は思うだろうが、こっちは、片腹が痛いどころではないのである。生命の問題である。ところが今や平等である。平等にきらいな人間に、なった。ただ同慶に耐えないのは、彼等にとって魔利の怒りというものが、全く不発の爆弾であることである。いくら怒りを発したところで、高村松夫や、吉良野敬の耳にこの怒りが届くわけではないし、届いたところで又、彼等の心臓に影響を与える力を持っているわけでもない。所謂《いわゆる》田作《ごまめ》の歯ぎしりである、ということである。だからこの怒りは、チョコレエトでもなめて鎮めるのが得策である。  銀紙を剥《む》いて、チョコレエトを舌にのせると、瞬間、日本の大正製菓、或は新高《にいたか》製菓の大鍋《おおなべ》で煮詰めた、どこかいい匂いのし過ぎるような味のあるチョコレエトの塊の中から、争われない、熱帯地方の、Cacaoの実の香《にお》いの片鱗《へんりん》が、魔利の舌の上にひろがる。その瞬間、大ていの怒りは熱のある舌の上の雪の結晶のように、雲散霧消する。これは魔利の持つ、一つの幸福である。この頃は幾分工面がよくなったので、イングランド製に昇級した。一層利き目のある鎮静剤を持っている訳である。チョコレエトを購入するのは魔利の日課であるが、二十丁程ある北沢駅北口のマアケットに、百円のイングランド製を一日一個|宛《ずつ》買いに行くのが、舶来ものを売る商人の注意を引いた。「お子さんがあるのですか」と、彼は言ったが、それにしても一つずつ毎日通ってくるのは金が無いのか、或は自分に気があるのか、という顔をした。魔利の顔は男に気があるような顔に見えるらしいのである。何故一個宛買うかと言うと、二個買えば二個、三個買えば三個たべてしまうからである。一日三百円の経済では、それでは副食物が買えなくなる。もっとも魔利は、大根一本、葱二十円で、贅沢な食事を摂《と》ることも出来る。日本酒と、醤油の上等、問屋で買う上質の鰹節、八丁味噌、笹重の粒味噌、バタアを買っておくので、葱か若布《わかめ》、十円の豆腐、でもあれば、贅沢の味噌汁が出来る。それに三十円から六十円位の甘塩のかますか、二十円の箱入りの山葵《わさび》漬、海苔《のり》、春なら蕗《ふき》の薹《とう》でもあれば、下町の贅沢な老人にたべさせても文句の出ない食事を作ることも出来る。豚と野菜、卵なぞを具にして細いうどんを炒《いた》めたものも、焦げつき具合から味が、一流の中華料理屋のものと同じか、それ以上だから、近所のものなぞは到底たべられない。そういう腕だから、野菜と味噌汁で済ませれば、上等の果物、胡桃《くるみ》、外国製チョコレエト。フィリップ・モオリスも、稀《まれ》にはやることが出来るのである。栗の渋皮を残して茹《ゆ》で、酒と砂糖と少量の醤油で手早く煮る。それに鶏こまと白髪葱の赤味噌仕立てでも作れば、充分美味な秋の食事が出来る。雅叙園の、どこかの山から捕りたての狸《たぬき》と葱の赤味噌椀の真似である。欧外全集の完結祝いが、小波《さざなみ》菅夫によって催された時に覚えたものの中の一つである。たとえ鯛《たい》フライがつこうと、ヒレ肉の牛鍋がつこうと、所謂主婦の料理では贅沢な料理とは言えない。見ただけで閉口である。親切な奥さんがあって、そういう主婦料理を魔利に提供してくれたことがあったが、ひどい苦労をした。  右のような訳で、チョコレエトで憂鬱を鎮めてしまうと、魔利は高村松夫と、吉良野敬との二人にはるか此方《こつち》から敬礼をし、襯衣《シヤツ》を着替え、お気に入りのV字|襟《えり》のスウェータアを着て、何処《いずく》ともなく部屋を出る。  何処ともなくと書いたのは、魔利の外出は目的なしの時が多いからである。あまり碌《ろく》な空想の浮ばない魔利は、ぶらぶら歩いている内になんとなく浮んでくるものがあるという、幸運に見舞われることもあるので、魔利は何《なん》ということもなく町をぶらつくのである。もっとも目的を持って出かける時でも、魔利の様子を見ると、いずくともなくさまよい出る感じがある。魔利の様子にはキリッとした所がなく、顔にはいつも朦朧とした表情を浮べているからである。歩く足にも力がなく、サナトリウムの患者が松林をお散歩、といった体《てい》である。手に持っているものは今にも落しそうである。事実よくおっこちるが、すべて体を使うことが面倒な魔利は重要なものの他は一寸振り返っただけで歩いて行く。親切な奥さんが手早く拾って追いかけて渡してくれる。葱二本、或は既《も》う読んでしまった新聞、週刊誌の類である。魔利は自分より利口な人間が可怕いところへもって来て、一人残らず自分より利口だから、愛想よく、さもうれしそうに笑って受け取る。時間の刻限が定まっている所に出かける時には大てい、でもないがよく三十分か一時間遅れているので顔色を変えて疾走し、戸外へ出ると、時々歩調を弛《ゆる》めて呼吸を調えては走り続ける。ロールシャハの実験をされに行った日は一時間遅刻したが、迎えに来てくれた女の子も、片貝博士(若く見えるし、直《ちよく》なので博士とは思わなかった)も泰然と落ちついて、厭《いや》な顔を出さぬ為の誤魔化し笑いさえしないのを不思議に思ったが、それも実験の内で、好材料であったらしいのには、愕いた。目的を持って出かける時には大てい奇妙なことが起る。  まず銭湯に行って入浴しようというので出かける。平常《ふだん》行っている代沢|湯《ゆ》か北沢|湯《ゆ》なら問題はないのだが、小谷さくら子の勧めに従って、半日そこで仕事をしたり遊んだりしている風月堂の横の湯に入れば夏は快適だというので、石鹸《シヤボン》入れとお気に入りのタオル持参で出かけたのが運のつきである。魔利は近所の二カ所の風呂屋の習慣で、女湯は右だという固定観念を持っていたので、右手の下駄箱にサンダルを突込み、ガラリと戸を明けて、五六歩場内に入った。するとなんとなく様子が変である。脱衣場には人間がいなかったが脱衣籠がガランとしていて、硝子戸越しに動いている入浴中の人々が、みな黄色くて痩《や》せている。次の瞬間番台の上から、 「ここは違いますよ」  という声がした。男湯だ。魔利は紅くなり、何も見えなくなって其処を飛び出した。それだけならまだよかったのである。次に一回行っての三回目、野原野枝実が入口まで送って来たが、お喋りの続きがあって盛んに喋り、 「じゃ、又ね」  と言って風呂屋に駆け込んだ所が、習慣性で又もや右側の下駄箱に手をかけた。すると、「あっちですよ」と、邪慳《じやけん》な女の声がした。客だか、そこの女だか、立っていたのが声を発したのである。恥辱と不快の塊が頭に凝結して、魔利は一旦《いつたん》女湯の下駄箱に手をかけたが、その手を引っこめ、逃げるように風呂屋を出た。魔利の特性である疑心暗鬼が最大限に膨らんだ。風呂屋の、薄ぼんやりとした田舎出らしい女たちも、二度まで男湯に入らんとした女出歯亀としての、魔利の顔は見覚えていて忘れないだろう。そうして魔利が入って行けば目から目へ暗号が伝わり、口から口に、他の女客の耳にまで魔利のことが囁《ささや》かれるだろう、という考えである。その考えが魔利の頭にとり憑《つ》いた。そうして魔利は気持のいい、風月に滞在中の入浴を、断念した。或日魔利は例によって、いずくともなく出かけるように見えたが、目的はあるらしくて、仔細《しさい》らしくバスの停留所に立って、東横行きのバスを待っている。そういう時、魔利の顔が一寸緊張している時には、甍家行きと、定《き》まっている。間違いなく甍家に到達するのは五回の内一回の割合いである。  魔利はいつのまにかお客然と、平四郎と、丁度相客になった鶴川芳次郎との間に坐っている。服装は年がら年中スウェータアにスカアトだが、淑《しと》やかに坐っていて、男湯の戸をガラリと明けて闖入《ちんにゆう》する人のようには見えない。魔利が、夏以来一つの小説がまだ書けない、という事を平四郎に告げている。 「ふうむ。どうしたのかねえ。失礼ですが牟礼さん、それではご商売にならんでしょう」  平四郎が、言った。鶴川芳次郎がついで、言った。 「先生は日に三枚ですか」 「僕もかけないことはある。が、一晩ねて次の日には書くね。又書けなくっちゃ困るからね」  平四郎は語尾を一寸|暈《ぼ》かし、卓子《テエブル》に肱《ひじ》を突いた右手に煙管《きせる》を長い嘴のようにつき出し、うろんな、煙を纏わせた横顔を庭の方へ、外《そ》らせた。その煙の中には、不用意に出て来てしまった得意さと、一種の妖怪味とがあって、瞬間魔利は、生《なま》いきにも、あろうことかあるまいことか分を忘れ、「にくらしい」と思うのである。それから魔利は鶴川芳次郎の顔を見てみた。鶴川芳次郎という文学者を、雑誌なぞで写真を見た感想として、極《ごく》普通の顔の男であると、鑑定していた。ところがやっぱり文学者である。全体に痩せている体の上に載った顔は、曇りの日のせいだけではなく薄黒く、黒光りのしている、江戸時代の女郎屋の格子のような甍家の戸棚を後に、どこか匍《は》い出たように見え、どうかした時その薄い脣《くちびる》は、夏の夕方縁の下から匍い出て蚊《か》を喰う蝦蟇《がま》蛙が、何かの妖気を吹いているように、薄く尖《とが》って、微かに吹くような音をたてた。折しも雨は降らぬが曇り日の夕暮れが、見馴れた庭の繁みや、真中に深々と大きな葉を重ね垂れている柏の木もろとも、その中に嘴を尖らせて横を向く一羽の文学をやる烏と、同じく蛙とを、湿り気のある薄闇の中に包みこんだのである。  魔利は不思議なものに包まれ、 [#この行2字下げ](ここへ来る時、いつも道がわからなくなって迷うのは、こんな怪物たちの集まる場所だからだ。それで時には有り場所をくらませて、何処かへ消え去るのにちがいない)  と、そんな事を思いながら暈《ぼんや》りとしている内に帰る|しお《ヽヽ》を失い、夕飯時になるのである。やがて電灯の下に、これもどこか妖気の漂う甍杏子の顔や、脣の両端が吊《つ》り上り気味の、大きな眼が処女の体の中にある内臓物を、気《け》だるげに浮べ、光らせている高津ナツ子の顔なぞが並び始め、卓子の上にはいつのまにか取り寄せた鰻《うなぎ》、杏子の作った野菜と肉の肉汁《スウプ》煮、金沢産の魚のはら子、浸し物、刺身なぞが所狭しと並び、麦酒《ビール》の栓が、抜かれる。甍平四郎は、知らん顔のような横顔で、別の彼用の書物机兼用の小卓の上に、暮しの手帖社から来たナフキンを敷いた上に並んだ、客と同じの食物《しよくもつ》を、肱をついた手に持った長い箸で、たべ始める。時には魔利の持参したユウハイム(魔利の小説の中ではロオゼンシュタインと改名した店である)のミイトパイが、平四郎の膳にも載っていて、 「お父さま魔利さんの持って来て下さったミイトパイよ、それ」 「うむ」  と、平四郎は一寸迷惑そうに、一体どんな味のするものかいな、と言いたげである。  魔利は神経の一部を、平四郎のその様子にひっかけながら、平四郎の好きな、焼き冷《ざ》ましの、その為に焼き立てより更に脂っぽい鰻の味に、一寸閉口しながら、さも美味《うま》そうに、ぱくつくのである。  魔利に取って平四郎は、崇拝の人物である。その崇拝の人物が、特に美味いものとして出したものは、いかなることがあろうとも美味でなくてはならない、美味であるべき、食物《しよくもつ》なので、あった。 [#改ページ]   ㈽ 黒猫ジュリエットの話  我輩は黒猫ジュリエット。全身|艶《つや》のある黒毛で、びろうどの触感があるそうだ。眼は薄緑の所へ、名状すべからざる深さと濃度をもつ藍色《あいいろ》の瞳《ひとみ》。特徴は頭が小さく、体が尾へ行くに従って太く(主人の魔利《マリア》のいうところによると蚤《のみ》の形だそうだ)、足が普《なみ》の猫族より長く、曲り方がひどい。尾は曲った尖端《さき》が旋毛《つむじ》があるがごとくにひしゃげて、平《たいら》に拡がり、これは主人の形容では洗って干した牡丹《ぼたん》刷毛《ばけ》だそうだ。自分には見えないが咽喉《のど》の下に十五本、下腹に七本、首の後に細《こま》かいのが七本、白毛がある。  主人は時々、我輩の寝そべっている傍《そば》に、我輩の二十倍はたしかにある図体で横たわり、——もっとも横たわる、なんていうような優美なものじゃない。すごい大きさで、河岸に着いた鯨《くじら》のようなものだ。しげしげと、我輩を眺め入っている。主人は我輩の美貌にいかれていて、≪|私《あたし》はジュリエットに恋愛なんだ≫と、親しい友だちに言っているが、何かの会の席上でも公言しているらしい。夕方の薄明るい部屋の中で、我輩の背中に頬をくっつけ、さも楽しそうに長い間じっとしているかと思うと、前脚を手にとり、下から我輩の顔を見上げ、飽きる気色もなくそうやったままでいる。 「真黒な存在《エキジスタンス》。バルドオより魔物で、ドゥロンより冷たい眼である。どういう理由でエキジスタンスしてるんだ(文法が間違っている)? エキジステすべき理由も価値もないじゃないか。エキジスタンシァリスト!!」 「実存主義者《エキジスタンシアリスト》」がどういうものだか知りもしない主人魔利は、さも愉快そうに我輩を小突くのである。恋愛だかなんだか知らないが、我々猫族にはこういう愛情表現はないので、こっちは嬉しくも癢《かゆ》くもない。迷惑なだけである。  我々猫族には「愛する」ということはない。だが、長年飼われてみると親近感は大分持つようになって来た。主人の魔利と我輩との間柄は、というと、主人は我輩を絶えずいじめつける、我輩の方は五月蠅《うるさ》がる。日に平均一度は喧嘩《けんか》をする。(あまりひどい時には短期の家出をしてやることにしている。主人はこれを半家出《はんいえで》と称して、心臓がどきどきするほど心配するから気味のいいことこの上なしである)と、いうような、まあ恋人のような間柄といっていい。いじめるというのはどうやっていじめるかというと、たとえば頭を拳骨《げんこつ》の角で叩いたり、生け捕りの猪《いのしし》よろしく四つの脚を持って吊《つる》し上げたり、空へ放り投げては、毬《まり》のように受けとる。又は前脚と後脚とを別々に握って、我輩の体を上下に最大限にひき伸ばす、等々、日により時によって千差万別のやり方でやられる。最も苦痛なのは、坐っている我輩の顎《あご》をしゃくうように持って体ごと吊し上げる。我輩は前脚を縮めてぶら下げ、咽喉の奥をゴクリと鳴らして、眼を空に見開く。その時の我輩の眼の表情が、欧外が愕《おどろ》いた時に似ているそうだ。一代の文豪に似ているのは有難いが、日に一度はやられるこの宙吊りの刑には全く閉口だ。  欧外というのは魔利の(体裁《ていさい》を考えて主人と書いて来たが、魔利と書くことにする。大体主人だなぞと思っていやしないのだ。主人だの飼主だのと言える人物ではない。詳しくは後にのべるが、ぐうたらべえで、ものぐさで、箸《はし》にも棒にもかからない、という代物《しろもの》である)父親らしいが、魔利に言わせると、彼は一代の文豪ではなくて一代の名飜訳者であり、又一代の明るい頭脳の男であるのに過ぎないそうだ。頭のいい人間は日常、絶えまなく機嫌のいい顔をしているものらしいが、欧外がそうだったそうで、(註——細君の多計と喧嘩する時を除《の》けては。であって、この註釈をうっかり忘れると欧外研究家に叱られるそうだ)そういえば魔利が時々朗読する欧外の小説の中に、欧外が彼自身を書いたらしい男が、機嫌のいい顔をしている所が書いてあったようだ。その文章には少し自慢の感じがあって、実際にそういう人間であるために感じが乗り移って、ひどく感じが出ていると、魔利は言っている。魔利のような頭の悪い人間は反対に、日常いつも機嫌が悪い。「女中が『お風呂が沸きました』と言うのを待って、廊下を歩いて湯殿へ行くのさえ面倒くさかったのに、あらゆる道具を特大の洗い桶《おけ》に入れ、黄色い湯上りタオル(埃及《エジプト》の黄色と魔利は称している)を上からかけ、いがみの権太の首桶よろしく横かかえにして往来を歩き、橋を渡って�北沢湯�まで行くなんて、死んだ方がましだ」。と言っては怒《いか》り、新聞の集金人、米屋、税務署署員なんていうものは夏はトマトをジャアから出した時に来るし、冬は熱い肉汁《スウプ》を注いだ時に来る。と言っては怒《いか》っている。  魔利は或日友だちの野原野枝実を掴《つか》まえて言っていた。 「私《あたし》が彼に影響されたのは飜訳小説よ。小説からは無意識に文体が似たらしいだけよ。大体|飴屋《あめや》の爺さんが『青い分《ぶん》の茶もある』なんて言って、欧外みたいだったり、貴婦人が『何々でさあね』なんて言ったり。コロオが樹の葉も幹も、原っぱも褐色《ちやいろ》にしちゃったのは、美のために褐色に統一したので、それは画だからいいけど、小説では美で統一すればいいってものじゃないわ。小説の中で理窟《りくつ》を言ってるけど、理窟を教わるために小説を読む人なんてないわ。彼が激賞した梅村つね子の、シングの『|いたずら者《プレイボオイ》』なんかアイルランドの百姓のせりふが生き生きしていたけど、自分で読んでほめていて、自分のは変だって気がつかないのかしら。象牙《ぞうげ》で彫ったような、白くて香《にお》いのいい花のような文章はみとめるし、乾いた文章でいて、抒情《じよじよう》的に書く人のよりどうかすると感情があって、ロマンティックなのはいいし、寝台場面を書かなくても寝台場面が綺麗《きれい》なのがわかるのもいいけどさ。大体寝台場面は書かない人もあるけどさ。書いたっていいでしょう? 要するにその恋愛の窮極を綺麗だと思わせるか、描いちゃうかでしょう? 描かないのは古典で、描くのはこのごろの小説よ。伝統はいいけど伝統は新しいものを吸収して行くものなの。真実《ほんとう》の伝統は新しいものを解るし、容《い》れる伝統なのよ。清水焼の六兵衛もラジオでそう言っていた。六兵衛茶碗知らないの? 野枝実はなんにも知らないんだから。矢沢聖二の、知らないの? そりゃあ野枝実の読む小説や詩の本の中に矢沢聖二が出てくることはあんまりないだろうけどさ。コンダクタアよ。矢沢聖二の締め出しなんか伝統を誇る人たちのすることじゃないわ。R交響楽団が締め出したのよ。じれったいなあ、全く……」 「だってさ、知らないからさ……」  野原野枝実は踊り出したのかと思ったほど盛んに手を振り、身動きしながら、慌てた様子を示しはしたが、内心では魔利の卓論をどこやら怪しいな、と思い、ちゃんとした評論を読んで真実《ほんとう》のことを知ろうと、想ったに違いないのだ。魔利の議論は味方にとってはきいていてハラハラして来る議論である。  魔利は尚もお調子に乗り、 「あなたも寝台場面をかくのよ。例の小説の時、絶対よ」  大変な先輩もあったものだ。野原野枝実は真実《ほんとう》のところ魔利の小説は尊敬しているが、魔利の議論を信用している訳ではないらしい。魔利の説を聴いている時の彼女の眼をみればそれは解るが、躁狂みたいになっている魔利は気がつかない。何しろ欧外がびっくりした野原洋之介の娘だからな。欧外には野原洋之介の真似は出来ない、なんて言い出すと、野枝実は猛烈に反対し、ひときわ盛んに踊り出すので、それと格闘するのが億劫《おつくう》だと言って、この頃では魔利はその話はしなくなった。この様子ではいつどこでどんな恥を掻《か》いているか分ったものではない。魔利の議論は、文科の女《おんな》大学生にでも簡単に言い負かされる程度の議論なのである。独り言でこういう迷論を自分で冷罵《れいば》していることもあるから、自分でも心得てはいるらしいが、時々どういう加減か自分が何でも解るような気がして来るらしい。言い出すと自分の話に酔っぱらっていろんな例を引っぱり出してくるが、六兵衛のやきものを見たこともないし、矢沢聖二の指揮を見たこともない。(見たって解りもしないが)偶然ラジオでエゴン・ペトリの弾いたリストの「メフィスト円舞曲」を聴いて感動し、私《あたし》は音楽が解るんだ、なぞと言っている。頭のどこの加減か知らないが、時々何かにとり憑《つ》かれたようになって喋《しやべ》り出し、喋り出したら止まらないので自分でも困っているらしい。  欧外は軍医総監や博物館総長、図書頭(ズショノカミと読むのだそうだ。図はたしか図書館《としよかん》の図《と》だと思うが、得意そうに人に喋っているところをみると、誰かにきいたか、読んだかしたのだろう)、又は文学博士、医学博士、なぞになった男だそうで、今新聞に広告が出ている偉人百人集に名がないのを魔利は不思議がったり、よろこんだりしている。欧外は文学者(ことに小説の)の百人集には入《はい》れないから、偉人集に入れて貰わないとするとまるで滓《かす》だそうだ。そうかといってエジソンやワシントンなどと混ると、感じとして一寸変な気がするんだそうだ。だがここに入《はい》らないとすると文学者として偉いことにされたことになるから彼にとっては望外の尊敬を受けたことになるんだそうだ。  魔利が変な人間だということは前に書いた他の二篇(この方は魔利の作)の中に既に歴然としているが、我輩から見た、もう一皮|剥《む》いた真実《ほんとう》の彼女を描いてお見せしようというのが、この文章の主眼である。  この文章の中には、魔利の外出先の出来事も書くので、千里眼の猫かと怪しむ人もあるかも知れないが、魔利は、その日その日の出来事、又彼女の心の中にあることは殆ど全部独り言で喋りちらす癖を持っている。それは大変なもので、彼女のお喋りを筆記しておけば、魔利が今迄《いままで》に書いた小説(?)なぞは何十冊でもたちどころに出来上るし、又彼女の日々のたべもの、朝、昼、夜の食事のお菜《かず》から、菓子、果物、物哀《ものがな》しい銀行預金の帳尻、白雲荘の住人の、子供も含めて全部の動静から、癖、笑うべき、又は憎むべき欠点、彼女の持っている貧寒な衣類の数、少ししかない衣類の状態(たとえばどのスカアトは釦《ボタン》がとれているとか破けているとかの状態である)まで、すべて解るのである。右隣りのおでんやの若夫婦と、左隣りの会社員と、恋人との二人組は、それらのすべてを知っている筈だ。こっちが眠りたいと思う時には五月蠅《うるさ》くてやり切れない位である。  何でも彼女の言によると、女が男より長生きだという世界的統計を出したどこかの国の学者の言によると、女が長生きするのはお喋りだからだというのである。科学的、又は生理学的理由は魔利なぞのはかり知るところではないが、外国の学者の言うことだからというので、魔利の奴はその記事を読んだ瞬間深く、信用した。そこで自分には家族というものがないから、猫に喋り、又は絶えまなく独り言を言うことにしたのは、まだ我輩が彼女に拾われる以前からの、灰色の濃淡の鯖猫《さばねこ》がいた頃からのことらしい。最初はそういう理由で、鼻歌を歌ったりし出したのだが、今ではもうそれが頑固な病気のようなものになっている。大体において新聞雑誌、週刊誌の熱読者であって、そこに出ていることを信用する癖がある。どこか頭脳の一部に馬鹿なところがあるのは我輩の夙《つと》に信ずるところだが、その程度は相当ひどい。  或晩我輩が眼を醒《さ》ますと魔利は、虚空を睨《にら》むがごとく、天井に大きな目を向け、仰向けに寝たまま、全く不動であるから愕いた。その内眠ったが、翌朝になって怒り、且《か》つ恨む彼女の言をきいて我輩はつくづく感じ入った。彼女の馬鹿さ加減に、である。無論である。彼女をみて普通だと思う人間は、人前でさも利口そうに喋る魔利を信じて、真実の魔利を知らない輩《やから》である。魔利は、我輩は知らなかったが、その日クロロ、なんとかいう丸薬を買って来て、その一粒の四分の一を呑んで寝たのである。  十二歳の時に千葉の別荘で、下女を伴につれて毎日別荘の下にあった夷隅《いすみ》川に入り、足を水の中に浸《つ》けっぱなしで、午前と午後と前後各三四時間、蜆《しじみ》とりに熱中した魔利は、一週間後帰京した時には、もともと大きな顔の大きさが二倍になっていた。両国駅に出迎えた母親の多計が青くなった。「奥さま、お嬢さまはお丈夫におなりになって、こんなにお太りになりました」  と、鼻高々にいう下女の言葉に小耳もかさず、多計は魔利の手をひいて、人力車に乗せて連れて帰った。その時以来腎臓炎になって、それが長期の慢性になっている魔利は、夜中に必ず手洗いに立つ。その時は厳冬で、それが寒くてやり切れないのに閉口した魔利は、或朝新聞の薬の広告に眼を奪われた。そういえば約十五分はくりかえしくりかえしその、一頁全部を埋めた大々的広告に眼玉を凝らしていたようだった。そこに夜中に起きなくて済む名薬として、そのクロロ、なんとかいう新薬が誇大に報告されていたのである。だが感心なことに(そのお蔭で命が助かったのかも知れないのだが)新薬ですごく利くというので要心する気になったらしく、薬の壜《びん》に巻いてあった紙の説明を一心に読んで、十二歳以下は二分の一としてあったのを四分の一、嚥下《えんか》したのである。  ところが夜中にふと眼が醒めると、魔利の心臓は今にも破裂しそうに脈打っていたのである。ズキンズキンと動悸《どうき》が高く搏《う》って、仰向けにねている頸《くび》の後のつけ根から頭の中までが一しょに、音がする程脈打っていた。魔利は烈しい恐怖に襲われたが、少しでも体を動かせば心臓が破れそうなので、寝台を下りて門番の硝子《ガラス》戸を叩き、医者に電話をかけて貰うことなぞ思いもよらない。魔利はこのまま死ぬのなら、死ぬより致し方がないと、覚悟をきめざるを得なかった。それで大眼玉で天井を睨んで不動の姿勢をとっていたわけだ。  もしこの薬を、私《あたし》より以上に心臓の弱い、又|私《あたし》より年よりの人が飲んだら一体どうなるのだ、と、自分以外にはありそうにない馬鹿者を想定して魔利は怒《いか》った。そうしてその丸薬を買った薬屋に抗議に行ったらしい。ところがその薬屋の、色の生白い、魔利のもっとも嫌いな質《たち》の美男の店員は、言った。 「あの薬は今デエタを集めてるんですよ」  冗談じゃないわ。それじゃあ私はモルモットじゃないの。絶対許しておけない。新聞に出して警鐘を鳴らそう。と例によって独り言で威張っていたが、その日の内に忘却してしまった。  我輩としても、そう、うっかり死なれては、早速路頭に迷うわけだから、気をつけて貰いたいものだとは思うが、そこが魔利の魔利たるところで、気をつけるというわけにいかないのだ。人生のすべてにおいて不注意な魔利の頭を改造する薬は、新薬にしろ旧薬にしろある筈がない。哀れなる魔利よ。我輩は歎息した。  四年位前のことである。永井荷風が、黒っぽい上等の羅紗《らしや》地(荷風はウゥルとは言わないのだそうだ)らしい古いマフラアで顔を蔽《おお》い、オーヴァアコオトのまま、行路病者のような形体で、魔利が一度見たことのある煎餅《せんべい》蒲団の上で死んでいる写真を夕刊で発見した魔利は愕き、感動し、次に恐怖に襲われて、新聞をなげ捨てると外套《がいとう》を着て扉を明け、鍵《かぎ》をガチャガチャ言わせて締め、いずくともなく走り出て行ったが、その頃通っていた「ミネルヴァ」(喫茶店)に飛んで行ったのがあとで分った。  魔利は自由勝手な生活に徹底する為に、親類兄弟との交際を絶つほどの勇気はないから、人並みの交際をしているので、電話で医者をたのむことも、入院することも可能ではあるが、急死の場合はその手段は適用出来ないということに、こと新しくその晩思いを致したのである。そうしてアパルトマンの一室の、夜の電灯の下に独りで坐っているのに耐えられなくなって、光を慕う虫のように、電灯の光と、人々と、珈琲《コオヒイ》の湯気のある、そうして梟《ふくろう》時計の目玉が一秒ごとに右に左に動いている、その喫茶店へと、闇の中を走り出したのだ。  次の月の雑誌に、荷風の死についての諸家の感想が並んだ。魔利は最大の興味でそれを読んだが、魔利が敬愛極まりない甍《いらか》平四郎の文章に、もっとも感心したのは言うまでもない。甍平四郎は、荷風の死を自分の身に引き比べて考え、自分は今、毎日の一日を、金ピカの一日だと思っていると、書いていた。魔利は「金ピカの一日」に感心した。水谷梅子という先輩が、或日魔利に向って甍平四郎には思想がないと、言ったらしい。彼女は魔利の父親の欧外をほめて、対照的にうっかり平四郎をもち出したのであるから怒るべきすじあいではないのだが、それにも拘《かかわ》らず魔利は怒り出したらしい。全くバカげた話である。  その夜魔利は例によって独り言で、くどくどと平四郎と思想について喋った。(甍平四郎には思想がないんだって? 私《あたし》には解らないいろいろな、たとえばアランだとか、パスカルだとか、ニイチェだとかの難しいのでなくては、思想ではないのだろうか? もしそうなら、私《あたし》には一言《ひとこと》だって言えない。でも私《あたし》は平四郎が女ひとに憧《あこが》れ、それを追求〈批評家がほめる時に遣う言葉である〉した、その「女ひとへの憧憬《どうけい》」は、どうかすると彼が間違えられていたような「頽廃《たいはい》」ではなくて、清らかな、大きな、ものである。母体への憧憬に、それは真直に通じている。母体に自分が還元したいというような強烈な心なんだ。それが一貫した平四郎の思想なのである)と。なんだか知らないが平四郎のことというと昂奮《こうふん》状態になるから、そういう時にはそばへ寄らない方が無事である。昂奮のあまり、首を吊るされっ放しにされてはことだと、我輩はこっそり部屋を出たが、こういう議論は、批評家の認めるところとはならないにちがいないと、我輩はひそかに、笑った。  甍平四郎の偉大さはもっと別の論じ方で、もっと立派に論ぜられなくてはならないのだということは魔利にもわかっているのだが、誰も魔利の言おうとするところを充分に、小気味よくは衝いてくれないので、一人で昂奮する結果になるのである。だが甍平四郎が偉いということには、我輩とて異論はない。  いつだったか平四郎はこの部屋に入って来た。まず、我輩は彼の眼が、チラリと我輩の上に走ったのを感じたが、異様な眼だった。眼というよりは眼《がん》である。平四郎自身もその随筆の中に、チャリンコの眼だと、書いているそうだが、黄色い、というよりは薄茶を帯びた、虎なぞの眼のような色で、誰かの手で両方から引っ張られたように開いている。細いくせに大きい感じのする眼である。瞳は濃い茶だが、全体に黄色い感じがある。魔利が、雑誌に出た彼の文章を読むのを聴くと、我輩の牙《きば》の長く突き出た形相が(現在では牙はぬけて、猫相がよくなり、再び美人に還ったが)、鋭く捉《とら》えてあったのには愕いた。  魔利は口癖の「ゴッホの向日葵《ひまわり》」をもち出して、平四郎の我輩の描写を、ほめた。平四郎によって、我輩というエキジスタンスはその精髄を吸いとられたので、以後の我輩は一つの透明なぬけがらである、そうだ。我輩は一つの透《すきとお》った形骸と化して、さまよっているのだそうだ。飛んだことになったものだが、そういえば、我輩もそんな気がしないでもない。あの眼だ。あれは恐るべきものだった。我輩は魔利のその独り言を聴いた夜と、次の日一日、なんとなく自分の体が透明になった気がしたのである。(鶴亀。鶴亀。我輩はまだ生きている。一つの立派な「存在《エキジスタンス》」なんだ。)我輩は魔利の傍に首をちぢめて蹲《うずく》まった。その我輩の気配が魔利に通じたらしい。魔利は我輩を膝《ひざ》の上に乗せて、言った。 「ジュリエットは生きてるよ。大丈夫。大丈夫。≪触って御覧なさい。一つの現実です≫」  魔利はア・ファイコの「ブブス先生」の台詞《せりふ》を、得意そうに、諳誦《あんしよう》した。思想性が欠如している魔利はこういう、一寸《ちよつと》哲学がかった言葉に弱く、そういう言葉の中の一つが偶然頭に残っていると、何かにつけてその言葉を適用して、悦に入るのである。  そういう魔利だから、或時一つの、一寸見では思想のように見える「考え」を発見した時には天にも昇ったように、喜んだ。実をいうと魔利のその「考え」は、魔利がその考えを|もと《ヽヽ》にして「夢」という小説を拵《こしら》えはじめた時、小説を書いて行く内にだんだん明瞭《はつきり》した形に固まって来たのである。つまりフランスの|格言《ことわざ》の≪L'appetit vient en mangeant≫≪食えば食欲が出てくる≫のようなものである。そうしてその小説が終りに近づくころには、あたかも確乎《かつこ》とした思想のようなものになって来て、寂寥《せきりよう》の翼の音は魔利の部屋の空間で羽撃《はばた》き、それはついに魔利の周囲を埋め、魔利は文房具屋のベエトオヴェンのような深刻な顔になって書き、続けたのである。  その小説の書き出しはなんでも、 [#ここから2字下げ] ユリア(魔利のことである)は幼い時から、きのうあったことだの、ゆうべみた「ゆめ」のことをうっとりと想い浮べている内に、明日が遠足の日であったことも、持って行かなくてはならない手工(今の工作)の材料のことも忘れ去ってしまうから、「ゆめ」の中で生きているようなもので、ユリアの人生はつまり、一つの「ゆめ」の一種である。 [#ここで字下げ終わり]  というのである。薄ぼんやりで、間抜けと、もの忘ればかりしている、単に、バカげた人生を、ここまで意味ありげにすることが出来るものかと、我輩はことごとく感に堪えた。とにかく大変な思想(?)であるが、その魔利のご自慢の思想というのは一口に言うと、時刻《とき》というものが一秒の何分の一の速さで一瞬、一瞬に飛び去るから、「現在」という時刻はないのだそうだ。その飛び去った時刻はどこへいったのかと思うとどこかに見えている寂しい世界の上に、灰色に透って、積み重なっているので、過去というものはそんなものだと思うせいか、手の平に残っている父親の手の平の触覚も、上膊《じようはく》に今も感じられる注射針の痛みも、今も眼に見える鮮明な色も、ほんとうにあったのかどうか、信じられない。未来はというと、一瞬、一瞬に飛び去る時刻の連続でしかない。  昔、父親の眼に映ったことのある紅い建物が、現在自分の眼に映っているのを感ずると、その昔の瞬間と、現在の瞬間とがふと一つに合致していて、その間にあった、透った時刻の堆積《たいせき》は、消え去り、無いのと全く同じに思われる。だからすべてが空虚である。と、いうのである。  小説の中のユリアはどうにかして、飛び去る時を、その中の一つでもいい、飛び去らんとする瞬間でもいいから掴まえたいと、熱望するのであるが、本ものの魔利が、どうやったら「今が現在だ」と思うことが出来るかと、思案した時、魔利は昔ウォツカを舌の上にのせた時の瞬間を想起した。魔利が舌にのせるや否《いな》や、ウォツカは火になって魔利の舌を灼《や》き、咽喉を灼いて、鋭い無味《むみ》の味と一しょに、あたかも魔利の怖れる時刻のように素速く通過した。火酒の鋭い痛みは、その後魔利が再び火酒をなめた時、全く同一の感覚で、魔利の舌の上に再燃したが、それは魔利の忘れることの出来ないものになって、その触覚は魔利の心の奥底に残り、魔利はまだ知らない恋愛というものが、そういうものであると、信じた。  火酒の触感は魔利が悪魔を空想する時、悪魔を中に持つ男や女を考える時、魔利を誘惑するかのように、魔利の舌と咽喉との上に、再び燃え上った。  つづいて魔利の頭に、幼児の一つの記憶が、浮び上った。消毒薬と酒精《アルコオル》の匂いの漂う中で、医者が魔利の上膊に刺した注射の針の記憶である。医者が上膊を擦《こす》る酒精の匂いで幼い魔利の恐怖は頂点に達する。次の瞬間、出来るだけ首を捻《ねじ》ってそ向けた魔利の上膊に、鋭い痛みが燃えた。医者の指で揉《も》まれ、母の手で、繃帯《ほうたい》の上から抑えられた上膊が蒲団の下に優しく入れられる。医者が去り、夕闇の中で眠りに入ろうとする時、微《かす》かに残る疼痛《いたみ》が、不思議な陶酔の中へ魔利を誘《いざな》った。  その時魔利は、飛び去る時刻の一つを捉えるのには、それらの鋭い、火の瞬間よりない、という考えに到達した。痛みと陶酔の火だけが、飛び去る時刻の一つを掴まえる。それだけが、飛び去る時刻の翼の、陰々たる音を掻《か》き消し、矢のように飛び去る無数の時刻の一つを掴まえるんだ。と、魔利は想うのである。  魔利はその「考え」の中に全霊を、浸し、気取った文章で、縷々《るる》として、書いた。書いている内に、時刻の飛び去る翼の音におびえて来て、いよいよ哲学者気取りになった魔利は、 [#この行2字下げ](親しい人が部屋に入って来て、外套を脱ぐ時の、布と布との擦れ合う音の中にも、ユリアは時刻の飛び去る翼の音を、聴いた)  なぞと、書いて、いい気分になったのである。全く愕いたものである。魔利が百枚以上も書いた、さも意味のありそうな、文章の「素《もと》」はといえば或日魔利がふっと、時間が時計の針の音よりも速く飛び去って、現在がないことに気づいたことである。自分が匙《さじ》を卓子の上においた時刻も、その手を匙から離した時刻も、忽ち飛び去って、還って来ない。魔利は私《あたし》の一生は殆ど一分間で終ってしまうんだと思い、早く死ななくてはならぬことを、恐怖した。魔利の思想のようなものというのはただそれだけの、早く死ぬのがこわい魔利の、頭にとりついた幻想である。我輩は魔利が友だちに読んできかせた、陰々滅々として翼の音の羽撃く文章を聴いて、つくづく感歎した。我輩はそれ以来、本ものの哲学者にさえ疑惑を抱くようになった。西欧の偉大な思想家の思想も、もしかしたら便所の中で思いついたのをこね上げたのではないだろうか。魔利のようなバカげた人生から、ともかくあれだけ深刻らしい言葉が出てくるのだ。天麩羅蕎麦《てんぷらそば》の海老《えび》か、メッキの指環《ゆびわ》のようなものだ。  それから何年か経った時、魔利は或日「夢」を見た。魔利がどろどろになってその中に溶けてしまったのだから、恐しい夢である。魔利はその夢の中で、或、奇妙な、というよりいいようのない陶酔に衝き動かされて、一つの恋の物語を書き、その感動がその一つの物語だけではおさまり切らないので、又二つ、三つと同じような恋の物語を書いて、その恋をとうとう、恐しく哀れな、窮極にまで追い詰めたが、それが全く無意識の状態でなされたことであって、魔利にはどうしても、その物語を自分が書いたのだと、自覚することが出来ない。(そうかといって他《ほか》の人が書いたとでも言うの?)。そう魔利は自問するのだが、自分の手で書いたことは書いたのだが、やっぱり、自分で書こうとして書いたのではないのである。魔利が写真を見て恍惚《うつとり》となった二人の映画役者が、自分勝手に笑ったり、椅子から起ち上ったりしたので、小説は今も実在している。城のような家の奥の、森の中には、今も少年が埋っていて、家は荒れて、窓がギイギイと風に鳴っているのである。  二人の男が幸福に生きている筈の本郷の家は、もとのままで、白い、透った精のような娘が、�失恋の悲哀�の中で死んだ、その死骸の上に築かれた幸福を享受している二人の男の、異常な、だが清らかな恋愛が、今もつづけられていて、次に起る、恐しい出来事を、魔利に空想させ、そこに出てくる筈の青年の父母である老学者夫妻、田園の邸。老いた御者、とその息子、台所女中と、老医、偽りの婚礼。五回目の贄《いけにえ》になる美しい娘、娘の死後の二人の抱擁。警官。刑事部長。刑事部長を扉口に寄りかかって視る少年の眼。なぞが抑えても抑えても、湧《わ》き出て来て、それらは既に存在をしているし、最初の物語の少年は黒い男の寵童《ちようどう》となって悪魔の幸福の限りを尽している。北沢の奥の家の前庭の馬肥やしとしゃくなげは今も、青々と朝の露を浮べ、少年の発案で今では黒い男が偽名で買い取り、二人の別邸になっている。  すべての家は今もまだあって、魔利はそこへ入って行きたい想いが抑えられない。四回目の贄のほふられた六本木の家は、会社員の古手が後払いで買い取ってアパルトマンをはじめたが、不振で逃げ出し、今は空家になっていて、クロオドとユリスとの天国と地獄との綯《な》い混った幸福、天使と小悪魔の合体物であったユリスと、神とレヴィアタン(聖書の中の怪獣)との混合物のようだったクロオドとの、恐しい恋の幻影が浴槽の縁にも、窓掛の襞《ひだ》の中にも隠れていて、夜昼低い、かすかな声と呻《うめ》きとが、壁の中で鳴っているのだ。我輩は知らないが魔利がそう言うのである。  それらの物語の群は、青年が美しい少年を愛する、それも二人とも裸になって寝台の中で、何度となく恋愛場面を繰り返す、というようなもので、「ソドミアン物語」という、魔利が思ってもみなかった名称で、批評家から呼ばれた。  批評家がそういう言葉を使ったことは(それが当然のことで、男同士の恋愛は、そういう名称のものなのだから、怒るべきすじ合いでないのは、我輩にはわかっているが)魔利を怒《いか》らせ、魔利の機嫌がひどくわるくなり、そのために我輩は何日も迷惑をした。魔利は、ソドミアンという英語を、日本語で書くことさえ、神経がたえられないと言って、怒《いか》った。魔利は二人の男の寝台場面を書く時、そんな名称で呼ばれるような、実体は、眼にみえなかったのだそうだ。灼くような、綺麗な恋愛は、悪魔のわらいと血の匂いとを纏《まと》いつかせているが、その二人の青年は、魔利が平常父親の白い塑像をそこに夢みる、鈍く薄い色をした河の辺の、月桂樹《ロオリエ》の生い茂った、透明な灰色の世界と、同じ場所のように似た世界で、神話の中の男神《おしん》と、ナルシスとのように、(そんなことを言う魔利は神話を読んだことがないのだから、恐れ入るが)絡みあったのだ、そうだ。  我輩ばかりでなく、魔利の先輩の女流文学者も、いろいろな編輯者《へんしゆうしや》も、友だちも、くりかえしくりかえしその憤懣《ふんまん》を拝聴させられた。被害は傍にいる我輩に於《おい》て最も甚大《じんだい》である。≪死せる孔明、生ける仲達を走らす≫。吉良野敬、山上月太郎等々の批評家たちは、悠々と自宅にねそべっていて、我輩に危害を加えたのである。それらの士は、黒猫ジュリエットの薄青い、夜の空より濃い藍色の瞳をもつ二つの眼がどこかの隅から彼等を窺《うかが》い、冷たく光っているのを、ご存じですか?  ところで困ったのは、その二人の青年が魔利の根柢《こんてい》に、深く沈みこんで来たことである。二人の美しい男は魔利の心臓の壁に、一晩置いた紅茶茶碗の滓《かす》のようなものを染みつかせるに至り、魔利が雑誌を開き、或感じを魔利に起させるような家の写真や、景色を眼にいれる度に、その二人はその家に住みたがり、その風景の中で水に放した魚のように動きはじめる。そうして陰惨な林と砂利の道の上では、再び血の匂いをおびた恋の殺人が行われようと、する。魔利はその誘惑を逃れようとして必死にならなくてはならない現在の境遇に、無限の恨みを抱いている。 「小説家というものは同じ小説を書いてはならない」  という、鉄則が、文章の世界にあることが、魔利の必死の逃亡の原因である。やがて魔利は再び下手くそな小説を書きはじめるだろう。次に書く「異常な恋愛」は、魔利の過去の中に、影のように、ではあったが、実在していたものであるために、「夢」になり難《にく》いらしい。  魔利は小説を書いて、黒潮か、鹿園に出して貰って(このごろは黒潮だけになってしまった模様だが)それを本にして貰い、それが少くとも今まで位は売れなくては、生きていることが出来ない。空気を吸い、米かパンを食して、生命を保持することが出来ないのである。実はこれがもう一つ奥にある、真実《ほんとう》の、切実な原因である。魔利は同じ人物の出てくる小説を、頭の中の空想の翅《はね》が折れて、用をなさなくなるまで、書きつづけても、別に悪いことはないと、思っている。世上矢州志《せがみやすし》というヴェテランの文学者が、同じ人物を使った小説を、いくつも書いていると、どこかの雑誌に書いてあったが、世上矢州志なら書いてもいいのだろうか、と魔利は或日|呟《つぶや》いていたが、世上矢州志はなんでも書ける、いくらでも書ける、玄人《くろうと》の小説家である。魔利如きが這《は》い登ろうとしたって登れないところに立っているのだ。「夢」に書かせて貰っているのじゃないのだ。魔利の「夢」がどれほど綺麗だろうと、「蟷螂《とうろう》の斧《おの》」である。考えてみれば、魔利に登れないところに立っているのは世上矢州志だけではない。女流を含めて、すべての小説家が、そうである。 (絶望なるかな!!)  魔利はそこに思い至ると、へこたれるが、米やパンを買う金がなくては、何が何《なん》でも困るのである。(又もう一つの「夢」が見えるかも知れない……)魔利は黄昏《たそがれ》の窓の明りに向って、何か眼に見えないものを見ようとするように、その大きな眼を見開いた。  この奇妙な「考え」にとり憑かれてからというもの、魔利には世の中のいろいろなものがいよいよ空漠として来た。といっても、そんな考えを思い浮べる前から、何かを明瞭《はつきり》と意識しない頭で、人との間の気持でも、どことなくぬけていたから、魔利を心の頼りにしようなぞと思う人は吹きぬけの部屋に入ったようなものだった。そこへ妙な恐怖がとり憑き、とり憑いただけなら、魔利の頭の中のことだから、又いつとはなしに消えて無くなっていたかも知れないのだが、小説を書きながらこねくり廻したので考えが相当深部へ入った。戦争中だったから、それも手伝って魔利の頭の中は一層空々漠々としてしまった。毎日のように空襲があって、人間が、きのうまで明確に存在していた人もふと消え去って、消え去ったあとに透った空気の層を残すようになったし、街の建物は、どんなに大きく、明瞭に空間を占有して、存在していても、魔利の眼には今にも消えて無くなりそうな白い、すき透ったものに見えた。「実在」というものが、前からあまり感ぜられなかったのが、ますますたよりなくなって、色即是空になってしまった。  実は魔利が空漠なので、周囲のものや人間は、歴《れつき》とした実在である。今日か明日かに、土台から吹っ飛ばされて「無」となる運命の建物だろうと、今日の夕方には地上から消え去って、友だちや家族の眼に、空漠とした空間を残す運命にある人間だろうと、疑うべからざる、魔利にとっては愕くべきエキジスタンスなのだが、魔利はただただあたりのものや人間に稀薄《きはく》感を抱いた。魔利自身が稀薄なのである。妙な恐怖がとり憑いてから、それが魔利の頭の中ではっきりして来ただけであって、魔利は前から、空漠として周囲をみていたのである。世の中には、魔利にとっては愕くべく、又恐るべき実在があり、誠実があり、それを信じる人々が、あった。  魔利はどういうわけかものに本気になれないので、他人の眼からは非人情の限りのように見えて、ご本人はアッケラカンとしてすき透っているのである。魔利は我輩に対しては、今までこんなことはなかったそうだが、実に誠意をもって、愛してくれているが、なんといっていいか分らないが、どこかが抜けている。魔利の息子も、魔利と同じの稀薄人間だが、頭が相当いいらしく大学も出て、教師をしているから、ふつうの実在人間に化けるのも容易であるから、なんとなく人々を化かしているが、このへやに足を入れたのが運のつきである。我輩の薄青い、ドゥロンよりも冷たいという、(むろん非情な我輩がそう見えるのが当然なのであるが)眼は、彼が魔利と同一種類の人間であることを見抜いた。魔利の方もこの頃は文筆で半分職業人となったので時々は化けるようになって来た。  魔利の奴は、相手によっては自分がすき透っている、へんな人間だということを、見破られたくないと思うらしい。相手が普通の女で、一寸した身の上相談的な話になってくると、いやに人情的で、しかも偉そうな、人生の達人みたいなことを言い始める。相手も一寸信頼して、すき透った肱掛《ひじかけ》椅子だともしらずに寄りかかるらしい。魔利はヒヤヒヤしてそれを眺めている、という珍風景である。全くの無教養な人種は別として、魔利をバカだと信じる人はこの「空漠」を、「バカ」と受けとるのである。実際妙な事柄であって、実在の方では空漠をバカだと思い、空漠の方では実在を怕《こわ》がっているのである。魔利が鳥尾花雄や、焼野雉三《しようのきじぞう》、羽崎七雄《うざきななお》、それら一群の小説家の頭を怖れることは大変なものである。  そんなわけだから、魔利には何も信ずるものがない。だから小説のテエマも、 [#ここから2字下げ] ——フランス語を一寸|齧《かじ》っている他は不完全な日本語しか知らない魔利も、テエマ位の英語は知っているらしい。魔利が英語で困っているのは、批評家たちが使う英語が、どれ一つ解らないことである、と魔利は言っているが、全くもの哀しい話である。もっとも魔利は言う。批評家諸兄の使用する英語は相談したわけでもないのだろうが、数も種類もきまっていて、全部で十五とはないのだから、或日一念発起して英和辞典を引くか、誰かにきくかすればなんということもなく解決する問題ではあるのだが、ものぐさ太郎の魔利にはそれがいつも考えるばかりで実行にうつすに至らないのである。悪口の時はともかく、ほめられた場合に解らないのは不都合で、不透明なガラスを間々に挟《はさ》んでほめられているようなのがなんとも悲観だそうだ。もっとも英語ばかり分っても、西欧の知らない作者の名や、むずかしい熟語や、言い廻しもあるから、ほめられた喜びを完全に満喫することは到底魔利如きには不可能なことである。魔利の好きな感動的な文章ではなかったが、どうやらすごくほめたらしい高村松夫の批評も未《いま》だに解らないらしい—— [#ここで字下げ終わり] 現実性のあるものはすべて駄目である。市井の人間の真実や裏切り、悲哀、喜び。深い、実在性のある愛情や憎悪、も駄目。政治に関聯したことがら、化学、科学、物理、哲学、偉大な思想。要するに人間社会にはっきりと存在しているものはテエマに出来ないのである。アクチュアリテも駄目である。 [#ここから2字下げ] ——アクチュアリテは、英語もフランス語も共通らしいが、明瞭《はつきり》とは意味が解らないらしい。魔利は解らない外国語もなんとなく解るんだそうで、便利な頭もあったものだ。人の小説も二三頁を斜め読みをして、もうその人の文学は解ったと、言っている。マリアは行きつけの喫茶店なぞで編輯者や、先輩の女流文学者と向い合って、そういう薄弱な根拠をもとにして文学論をぶっている。相手が若い女の子の場合はますますいい気になる。話下手で、社交的な会話は駄目だが、自分のすきな話になると表現が面白いので、若い女の子なぞは煙《けむ》に巻かれて感心し、眼をキラキラさせてくる。(アクチュアリテのあるのが書ければ、吉良野敬にはほめられるのだ)と、魔利は言っている。どうも批評家にほめられる小説と、ほめられない小説というものは解らなくて、それについて考えると頭がへんになるそうだ。魔利が書いた「貧乏物語」というのなぞは、面白く出来たとは思ったが、新聞批評の見出しに名が出るほどほめられるとは夢にも思わなかったのである。(その後は人からいろいろ言われて、或点では魔利のフィクションの小説よりいいということが解って来て、このごろではいくらか自慢にしているようだ)魔利が失敗したと思って、今でも悲観している小説は、甘い点をもらったが、これから先もこれ以上は、自分には書けないと思うのが出来て、胸をどきどきさせて新聞を明けてみると大したこともない。魔利は言う。 (勿論|私《あたし》は批評家のどの人にも尊敬を払ってはいる。いずれも、私《あたし》が恐れながら漂っていて、いつ追い出されるか知れない、恐怖に充ちた文壇という世界で、各々腰に金色のペンの刀を提《ひつさ》げ、一騎当千といった様子で存在している面々だからだ。魔利には一冊も読みとおすことの出来ない小説の本を七万巻も読破し、文学について、文学者について、少くともすごい知識を持っているらしいからだ。それに彼らは割に少い原稿料を貰い、七万巻を読んで七万一巻を読まなかったために、外国文学を利用した小説を見破れなかったということにおいて、人々から切りつけられる運命に逢着《ほうちやく》することもあるし、油断なく八方ににらみを利かせていた積りでも、金波銀波という恐しいコラムの中でやっつけられたり、揶揄《からか》われたりしなくてはならない。金波銀波は闇打ちだから彼らはチャンバラの主役役者のように、後《うしろ》に油断が出来ない。「晦日《みそか》に月の出る文壇も、闇があるから用心しろ」。周囲の同輩、先輩、作家、フランス文学者、たちは気味のよくない笑いを口辺に浮べて口々に叫んでいるのである。たとえほめられなくても、悪口を言われても、一言《ひとこと》も言われずに葬られても、私《あたし》は批評家に怒ることはしないのである)と。  魔利に怒られて愕く批評家なんて居るわけがないが、我輩は魔利の思い遣《や》りと善意に感心したが、批評家なんというものは魔利なぞに哀れまれなくてはならないような人たちではない。魔利の言う通り、鑢《やすり》と鑢《やすり》とが擦り合うような、厳しい文壇という世界の中で、ひるみもせずに存在を主張している強者《つわもの》たちだからだ。見て見給え。彼らはいつも笑っている。我輩の主人の魔利のように、人間の胸の中に住みこんだ一匹の小オニ(小鬼)に小突かれて、気息|奄々《えんえん》となり、我輩の方も見ないで寝台《ベツド》に倒れこみ、枕につかまって、眼を空に据えていたかと思うと、いつの間にか睡ってしまった、というような、気の毒にも又他愛のない人間ではない。—— [#ここで字下げ終わり]  アクチュアリテから又横道に外《そ》れてしまったが、もとへ戻る。魔利には実在性のあるものはそういうわけで駄目だから、いきおい、時刻《とき》の飛び去る恐怖を消してくれるような、何か鋭い痛みのようなものを、書くということになる。陶酔と、疼痛《いたみ》のあるもの、つまり凄《すご》い恋愛、悪魔的な恋愛だそうだ。魔利は飛び去る時刻《とき》の音を聴きたくない、とか、その時刻《とき》を掴まえたいとかいうより、何ものをも、確《しつか》りとは把握《はあく》出来ない、自分の精神の稀薄性を、何か烈しい音のようなもので掻き消したいと、思っているようにも、見える。  ともかく精神が稀薄で、どこか陶酔《うつとり》しているから、料理店なぞで、例によって女の子を煙に巻きながら、安い料理をおごっている最中に入口の扉が明いて、もう一人の知人が入って来るのを見ると、死んだ人間が入って来たようにびっくりして、大きな眼を向けるので向うもびっくりする。魔利は「あ」と小さく叫んで後《のち》、ようようふつうになり、「ご一緒に如何《いかが》?」と、言うのである。  そんな魔利がこの秋の十月、 [#この行2字下げ] ——魔利は九月だと思っているが、十月である。—— 不思議な目に会った。或日電話がかかって来て、生れて初めての「飛行機の旅」と、「アメリカの人気俳優と写真を撮ること」。この二つの大事件が突如として、魔利を襲ったのである。全く軽い、さりげない会話によって、それはアッという間に、決定した。当然のことである。向うでは日に何件となく扱う、軽い用件である。魔利は写真と旅行とが、命を奪《と》られる次に嫌いである。そこへもって来て、飛行機である。魔利が、自分が乗りさえしなければ、一生乗らずに済むと信じていた飛行機である。魔利は飛行機の墜落を心から怖れた。友だちに言うとどの友達も、笑った。だがそうかといって「絶対に落ちませんよ」とは、だれにも断言できないのである。  何人かの友だちがまず、魔利が飛行機で飛び上り、チャキリスに会うということで笑い、ついで魔利を慰め、完全ではない、心細い保証を、魔利に与えた。魔利は帰って来て不平そうに呟いた。(解らないな、人のことだから笑ってるのかと思うと自分も平気で乗るらしい。どうもそこの間にギャップがある。私《あたし》なら真剣に慰めるがな)野原野枝実は電話を切り際に、「じゃあなるたけ落ちないでね」と言ったので、魔利も驚いた。私《あたし》が運転するんじゃあるまいし。野原野枝実は魔利の方が自分よりたよりなく、自分よりも変人だと信じて安心しているらしいが、ご本人も相当なものである。  発つ日の前日又電話がかかったが、なんとなく不安な魔利は「どなたかご一緒ですか」と確かめた。すると向うの返事がない。魔利の声は、水の底から聴えてくるような、聴きとりにくい声である。魔利はプルウストの声と同じだといって、自慢にしているが、誰にもよく聴えないのでは自慢の出来る声とは言えなかろう。返事がないので魔利はうろたえた。京都の飛行場へついたら、どっちへ向って歩き出したらいいのだろう。東京の、自分の家の近所も解らないのである。しばらくして「飛行場には社のものが行っています」という声がした。「どうして分るんですか」「社の車ですから分ります」と、先方は答えた。当日になると幸い、柳田健という人が車と一緒に来てくれた。  さて、魔利が羽田の広い待合室の外廊を、くたびれる程廻って、見渡すばかり広々とした飛行場に出ると、飛行機は銀色に光り、緑色の丸い窓の列を横腹につけていて、あまりに小さく、子供っぽく、たやすく落ちたり、壊れたりしそうである。銀の色も銀粉をぬった村芝居の刀身のように艶《つや》がない。魔利は甍平四郎に貰った、上等な皮の袋の中に、下着と、ホテル用のブラウスに、スカアト、スウェータア、部屋用の新しいソックス、洗面道具、万年筆に鉛筆、原稿紙なぞを詰めこんで一杯に膨《ふくら》んだのを手に握りしめ、その中に乗り込んだ。何故乗り込んだかというと、乗り込まない訳にはいかなかったからである。魔利は死にたくなかったが、そこまで追い詰められては仕方がない。一寸した「研辰の討たれ」である。 (飛行機に乗ると今度はチャキリスのことが気になった。写真でみるチャキリスは凄い美貌で、いかにも気位が高そうだし、「ウェストサイド」の踊も直線的だが、街を歩いている写真なぞ、体が曲らない人のように見えるのだ。ところが会ってみると、柔軟で、素直な穏和《おとな》しい青年である。『ウェストサイド物語のチャキリス』という、魔利が怖れた人物ではなかった。衣装の、パイロットの作業服は青黒くて、けば立ったようにしおたれ、ドオランでココア色の顔の中の暗い水色の大きな眼。強行撮影で疲れたらしい、萎《な》えたような肩と膝の辺り。魔利はトタンに安心して喋り出したらしい。「どんな本が好きですか」、と魔利はきいた。魔利は階下の宣伝部で、チャキリスは暇さえあれば本を読んでいるから、何を読んでいるのか訊《き》いてみたらどうかと、言われていたのである。チャキリスが「キャッチャー・イン・ザ・ライ」だと答え、そうしてライ麦の説明をし出すと、魔利は慌ててそれを遮《さえぎ》り、「私はアガサ・クリスティーの『ポケットにライ麦を』というのを読んだから、どんなものか知っている」と得意になって、言った。  魔利は自分も好きな本を言おうと考え、「ヘンリイ・ジェエムス(英国作家?)の小説を映画化した『回転』というのを見たが、ヘンリイ・ジェエムスは家やお城に性格を与えて書くということを聞いたが、大きな家の中に悪魔がいて、面白かった」と言った。自分の小説の批評の中にヘンリイ・ジェエムスの名がひいてあったので、生れて初めて、この世にヘンリイ・ジェエムスという男がいたことや、今言ったジェエムスの特徴も知ったのだが、よく知りもしないことを素《もと》にして会話をこね出すのは魔利の得意とするところである。魔利は文章がもっともらしいので、こういうからくりが人には解らないのだ。 [#ここから2字下げ] ——「わたくしは鉛筆を持つと、なんだか怒ったようなものが玉のように登って来て、ひとりでに威張った文章になってしまうのでございます」と、或日魔利は甍平四郎に手紙で告げたことがある。甍平四郎は魔利の手紙から眼を離すと、ゴッホの「アルルの女」のような顔の顎を突き出し、小机に肱を突いて伏目をし、「なるほどな」という顔をしたが、忽《たちま》ち彼は自分の幻想の中に、沈みこんだ。もうそこには平四郎はいなくて、一匹の魚が眼ん玉を青ませ、ぬめりのある|つや《ヽヽ》を出した背鰭《せびれ》を小さな扇のように開いて、尾へ行って俄かに細まる精悍《せいかん》な胴体を一つ捻《ひね》ると、紅い影のような金魚とからみあい、尖《とが》った尾を水面に残して、潜りこんだ。満々とした水に跳《おど》る、かながしらに似た魚である。—— [#ここで字下げ終わり]  チャキリスはじめそこにいたアメリカの爺さん連を笑わせながら、魔利はとも角めでたく会見を終って東京へ帰ったが、例の実感がない人間のせいもあるが、あまりにあり得ない事件だったので魔利は、ぼんやりしている所を帯を掴んで大空に摘《つま》み上げられ、チャキリス会見を終るや再び宙吊りになって、もとの白雲荘の前に落されたような気が、未だにしているのである。魔利は江戸時代の、子供が神かくしにあう話や、半七捕物帳にあった、鷲《わし》に咥《くわ》えられてどこかの山の上に落された子供の話を、自分のチャキリス事件に引きくらべて、独り笑ったのである。  京都でみたアラン・ドゥロンの映画も、飛行機は厭だが、かねてそれだけは憧れていた機上の食事が、昼までに着陸したために出なかったのを、内心失望したところ、大阪に着くと、虎の門病院や甍家の告別式なぞの時に見た人がいて、超特大のビフテキをごちそうになったことも、国際京都ホテルの食事も、初めはこわごわ、二度目からはバチャバチャ浴びたホテルの入浴も、すべて、不確かな、信じられぬ夢となったのである。  その魔利の気分は、彼女が帰って来て寝台《ベツド》に腰をかけ、狐が落ちた人のような顔つきをした時、我輩にはよく解ったのだ。魔利は他人の家に泊ったり、旅行をすると、そこの鏡にうつる顔は自分の顔ではないから厭だと言っていて、帰った日の翌日は縁《ふち》のない果物屋の鏡に顔をうつし、自分の顔になっていそいそと外出した。うれしいらしくて、右頬の小さなぶつぶつが紅くなり、頬紅を刷《は》いたようになっている。窮屈な着物や帯をとって、自ら「洗たく婆さん」と称する気楽なスウェータアとブラウスになって、嬉々として出て行った。「洗たく婆さん」なぞと言ってはいるが、それは反語で、どうしてなかなか自惚《うぬぼ》れているのである。どこを押したら、あんな自惚れが出るのか、恐るべき自信である。隠したって鏡を見る顔を見れば、我輩の眼には一目瞭然である。少くとも魔利の十倍は綺麗な女の顔を、魔利は彼女の鏡の中に見出しているらしい。魔利に限らず、女の鏡の中の顔にたいする自己評価というものは殆ど瘋癲《ふうてん》に近いようである。全身黒く、ドゥロンより冷たい青い眼が耀《かがや》き、どの角度から見ても、撮影しても美麗な、我輩からみれば、哀れむにも価しない彼女の姿である。自分では雅《みやび》やかな女ひとのつもりだが、なるほど魔利がよく人に見せる十二三歳から十七八歳までの写真を見るとお姫様然としているが、この頃では乱暴|女《じよ》学生で、現代|女《おんな》大学生のような野原野枝実と好一対である。  野原野枝実が白川学院に講演に行くというので魔利が応援について行くと、五十代と三十代の二人の女学生が、どこか穴があったら隠れたいという風情《ふぜい》で、大きな体を身の置きどころもなく、くねらせるので、女子学生は興味|津々《しんしん》で眺め入り、野原野枝実に向って鋭い質問を発した。魔利の欧外に於けるのと同じで、野原野枝実は野原洋之介のサンボリスムもなにも知らないので、女子学生の攻勢によろよろしている。男子でも女子でも文科の学生という人種は、人の父親の文学を人よりはるかに知悉《ちしつ》していて、折さえあればよび出して質問の矢を発しようと虎視眈々《こしたんたん》としている団体である。男子の方はいかれたのの数も女子より多いらしいし、文豪とか絶世の詩人とかいう人間の娘は大てい婆さんだからか、あまり口をかけて来ない。女子、男子、教師も混りでよぶことはあるが、男子学生からはお座敷がかかることはまず、ない。  こんなことは言うが魔利としては女子学生の日に日にふえることを、切実に希《ねが》っている。白川学院を例にとっても、彼女らは魔利たちを興味津々で眺めはしたが、文学を学ぶだけあって、理解を持った好意の笑いであって、ひょっとしたらバカじゃあるまいか、と思って見るわけではないのである。近所の奥さんやアパルトマンの人々とは違うのである。もしかしたらバカじゃあるまいかという顔で見られる気持というものは、読者諸氏は幸福にしてご存じがないが、実際のところ大変なものである。魔利がいつもぶつぶついうのをきくと、巴里《パリ》では魔利は変人ではなかったそうだ。白痴の疑いをもって見られたこともないそうだ。巴里の下町の下宿の主人夫婦や、その養女、下女、下宿人の男女は所謂一般の、俗な人間達である。それなのに魔利は、巴里では変人ではなかったのである。  大体|牟礼《むれ》魔利《マリア》や野原野枝実は馬鹿かも知れないが愉快な人間なのである。日本では愉快な人間というものを解さない。人間は制服を着たように同じでなくてはいけなくて、又実に皆よく似ている。アパルトマンの主婦たちを見ると、頭の中も髪の縮れかたも、スカアトも、同じで、「お暑くなりました」「よく降ります」「寒くなると心細いわねえ」「お菜《な》が高いわねえ」「お宅じゃお餅|黴《か》びない?」「もうお花が咲くわねえ」これが毎年毎年、一言半句も違わない。子供を見れば「可愛いわねえ」と言い、言われた方は「きかないんですよ」と、答える。それ以外の会話は染めものの話とスウェータアの編み直しの話で、お菜《かず》については秘密主義である。声は背中が痒《かゆ》くなるような猫撫《ねこな》で声である。子供たちは、学校から持ってかえった話はおふくろとは無縁だから裏の空地で友だちと喋る。子供の会話には文学も科学もあるが、おふくろの会話の中は何もない上に一世紀ずれている。  たった一人、魔利が「児童心理学」と渾名《あだな》をつけている、PTAがいて、集中豪雨が降ると出て来て、「これが科学の力で散って、方々に少しずつ降るっていうようなわけにいきませんかしらねえ」というので旭日《きよくじつ》新聞をみると、季節風のところにその通り書いてある。「子供ってものは穴を見るとこの穴にこれが入るかしらって考えるものですのよ」といって、手洗いへ一升壜やこうもり傘を投げこんだ凸坊はお蔭で無罪になるのである。これが又口八丁手八丁で、煉炭の起し方から婦人雑誌式の料理の講義までロハで演説すると、おふくろ連は三三五五その部屋の前に突立って、口を明けて傾聴するので、道が通れなくなるのである。だれ一人として魔利の話なぞに耳を傾けるものはない。魔利が苦心|惨憺《さんたん》で彼らの会話に調子を合わせても、どこか違っているし、魔利自身の話をすれば、子供の会話と、見られ、魔利が子供の時から見馴れ、怖れた冷笑が、彼らの顔にひろがる。  魔利は「あれは別の星の人間だ」と独り情なそうに呟き、友だちに会った時、その話をくり返し語ってはうっぷんを晴らすことにしている。白雲荘の中だけに於ては、魔利は先人の哀しみを味わっているわけだ。或日、魔利の部屋に甍平四郎が現れたことは前にも言ったが、その日魔利はミチ子という当時十三歳の親友に手伝ってもらって大掃除をやり、腰がぬける程柱から出窓まで拭いた上に、平四郎がそこを歩くというので泥でジャリジャリの土間まで雑巾で拭いたが、寝台《ベツド》カヴァーが一日走り廻ってもないので、毛布の新品を買って来て掛けた。春の夕闇の中で見る夢幻の野原のような色で、緋毛氈《ひもうせん》に対して緑《みどり》毛氈とでも言いたい、綺麗なものである。魔利はうっかり一人の主婦を呼びとめ、「きれいでしょう?」と自慢をしたが、その主婦の曰《いわ》く「その人泊るの?」。明いた口が塞《ふさ》がらないというのはこのことである。「あの人どこか頭が足りないんじゃないかしら。お掃除当番は忘れるしさ。お家賃は忘れるし。あれでお金の勘定出来んのかしら。あのネコ、いやねえ、真黒で。子供がこわがって困るわ」。これが魔利の居ない時の、彼女らの会話である。我輩が腹を立てたのは最後の一句である。我輩の美が感じられない程、かれらの頭には為体《えたい》の知れない|もや《ヽヽ》が詰まっているらしい。我輩は屋根の上からかれらをにらみつけ、魔利の囁《ささや》きを、想い浮べた。 「トレジョリー、モン・ビジュウ、ユヌ・ベル・ジヤァブル・ノワアル、スウプル、フィーヌ……」(きれい、私《あたし》の宝石、きれいな、真黒な悪魔、くねくねしてて、とても上等……)  アパルトマンの主婦達の批評ほどではないが、稀《たま》に、熱に浮かされたようになって変愛小説を書き、あとは寝言《ねごと》をならべた小説や、随筆を書き、 [#ここから2字下げ] ——魔利は自分の書く寝言小説を |belle《ベル》 |lettre《レツトウル》だと言って、威張ったことがある。「薔薇色《ばらいろ》の朝」というのを書いた時だ。そういう魔利は本場のフランスの |belle《ベル》 |lettre《レツトウル》というものは見たことがない。|belle《ベル》 |lettre《レツトウル》という語感だけで、自分の小説をそれに当て嵌《は》めて、自惚れているのである。だが魔利は、自分の書く随筆がどんなに洒落《しやれ》た感じに出来上っても、かりにもエッセイとは言わない。昔、バルザックの、何だか分らない厚い本を買って来て、真中辺を明けて読むと、「Sucre」(砂糖)、「Tabac」(煙草)、「Cafe」(珈琲)、「L'eau de vie」(火酒)、「Alcool」(酒精)、の五項目に分けた、それぞれ短い文章があって、魔利はその時深く感にたえ、「これがエッセイというものだろう」と信じこんだのである。だから自分にはエッセイなんていう偉いものは到底書けないと、思っている。もっとも魔利の書く随筆は、「随筆」という名称には価しないのだそうだ。「随筆」というのは、一流の芸術家や学者、又は実業家なぞが、その深奥な考えや、知識の一端を、滾《こぼ》すようにして軽く書くものだ、と言っている。小説だけは、素人《しろうと》だし、夢を書かせて貰うのだけれども、小説とは辛うじて言えるのだそうだ。自分の場合は憑きものがしなくては書けないから、やさしいどころではないが、小説は一番やさしいのだと、言っている。これは昔だれかにきいて知っているのだが、詩というのは芸術の分類の中で小説より上なので、従って甍平四郎や野原洋之介は欧外より上なのだと、言っているが、これはめったに野原野枝実には言えない。又踊り出すからである。—— [#ここで字下げ終わり] 又は、チョコレエトの無茶喰いをしながら四十年前の巴里の知識やマルセル・プルウスト、ミケランジェロ・アントニオオニにも比すべき空漠の大思想をひけらかした短文を書き、その合い間にはさいころキャラメルを忽ち百円分なめたり、アルモンド・チョコレエトの百二十円の箱の中身が少いのを歎いたり、のらりくらりと暮している、抜け作の魔利である。或日、焦茶地へ木の葉模様の米琉《よねりゆう》に、サアモン・ピンクと水灰色の横縞|縮緬《ちりめん》の帯を締め、見ちがえたようになって草履の音も淑《しと》やかに出て行った。  どこへ行ったのかと思うと「女流文学賞授賞式」に行ったのである。会場に着くと、傍へ行って話の出来る人が一人も居ないことに改めて、気づいた。朝から上《あが》り気味なので水谷梅子の存在を忘れている。受付に甍杏子との会合で顔を知っている春信美枝子がいたので地獄で仏の想いで傍へ行ったが、彼女とは受付で別れなくてはならない。ともかく署名をし、杏子《あんず》の花の徽章《きしよう》と記念品を貰って奥へ進むと、狭い廊下を距てて両側に入口があり、右側の入口には「控室」と書いてある。(ここだろう)と、魔利は入って行った。どうも親類の結婚式の記憶が絡みついたらしい。立派な会場といえば結婚式以外に来たことがないのが、混乱の原因である。  細長い部屋には向い合わせに椅子が並んでいて、ぼつぼつ人間が掛けているが、まずこっちへ振り向いた神野《かみの》杏子の顔が眼に入った。神野杏子は「杏子の花」で受賞した、その日の一番のお客だし、はるかな先輩で、面識もあるとは言えないのだが、原田伊太郎の「灰色の頃」の出版記念会で偶然長椅子で隣りに坐り、親しく話して貰ったことがあるので近寄っていって、祝詞をのべると、神野杏子の隣りにいた久賀《くが》直太郎夫人が、こっち隣りの令嬢を除《ど》かせて、魔利を椅子に招じた。「こちらへどうぞ」。久賀夫人としては「ここは違います」というわけにもいかないのである。魔利は自分が間違った場所へ来ていることを知らないので、淑やかに椅子に掛け、辺りを見ると真前に円谷澄子《つぶらやすみこ》、向う側の奥の方には、宗方黒鳥、こっち側の奥には吉良野敬が、静粛に控えている。やがて円谷澄子の横へ西林せい子、菅種子なぞが来て居流れたが男流作家、女流作家、批評家、の面々は勿論顔の上に笑い皺《じわ》一つ見せず、控えているので、魔利は定刻が来て会場へ導かれるまで主賓の隣りに坐って、円谷澄子、西林せい子などと会話を交え、とくに神野杏子とは、大いに話しこんだのである。  水谷梅子は魔利が神野杏子たちと一緒に会場に流れこんで来たのを見たが、まさか魔利が受賞者と選者の入る待合室に入っていたとは思わなかった。魔利は会場へ来て、受賞者以外の人がそこに集まっているのを見てもまだ気がつかないので、水谷梅子は遅れて来たのだろうと思い、春信美枝子はどこへ行っていたのだろう、手洗いにしては長過ぎる、と思った。魔利が水谷梅子と翌日珈琲店の「光月」で会って、神野杏子と話をしたと、得々として喋るまで、魔利の失敗は、エチケットを心得た女流作家や批評家たちによって、秘密に保たれていたのであるが、全く呆《あき》れるというより他ない話である。ほんとうのところは一度訪問したことのある久賀夫人や円谷澄子、神野杏子位の他は魔利を知らないので、誰も魔利に注意を払ってはいなかったし、円谷澄子なぞは水谷梅子を通じて魔利の変人は知っていたから何ということもない。エチケットも親切もないのだが、なにはともあれ金を払って入場する場所ではないので無事にすんだことは魔利にとって倖《しあわせ》なことであった。  魔利自身首を捻《ひね》っている、魔利の頭脳組織というものを考えてみるのに、バカでも気違いでもないようだが、頭のどこかがぼんやりしていて、そのぼんやりした部分の組織が、多少鋭敏なところもある魔利の他の部分の組織を支配していて、魔利というもの全体を春の霞《かすみ》のようにかすませているようである。甍平四郎はじめ、魔利と親しくしている人間の意見は老いたる「少女」又は「子供」というのに一致している。  ところが去年の八月の或日、魔利の幼児性というものが、学問的に、或一人の心理学者、 [#ここから2字下げ] ——或は精神医学者だったのかも知れないのである。社会心理学かな? 精神病理学かな? 他の文学者、詩人をも検査したところをみると児童心理学者ではたしかあるまい。魔利は、貧弱きわまるその方面の知識を総動員して考えたが、不明であった。帰りの車の中で一つはそれをたしかめようとして魔利は魔利の尊敬する、過去の夫の友人、杉村達吉についてきいてみたが、その素晴しい心理学者の話に相手が乗って来たのに、自分も夢中になり、本末|顛倒《てんとう》してしまって、ついにその片貝史文の身分は不明に終った。後になって、新聞に出たその学者の名の下のカッコの中を、一寸読んだのだが、忘却してしまった。—— [#ここで字下げ終わり] によって証明されるという事件が、起きた。  はじめ「国語研究」という雑誌の人が来て、ロールシャハという学者の考えた方法を使って、魔利の作家論を書くのだと言い、検べられる仲間として円谷澄子他二三人の一流中の一流の文学者の名をあげたので、魔利は異様に思ったが、円谷澄子が「牟礼さんなんかやると面白いわよ」と言ったというのをきいて見当がついた。冗談から|こま《ヽヽ》が出て、魔利が仲間に入ったのである。  当日指定の東日ホテルに行ったが、例によって、先方を侮辱したのではないのに一時間の遅刻をした。魔利は遅刻したことを何遍もあやまりながら、片貝史文という学者と向い合って席についたが、魔利の気分は最初から恐怖に満ちていた。何故なら東日ホテルの、魔利が導かれた部屋というのが、全く無音の世界である。物が落ちても音がなく、魔利の声も片貝史文の声も、アッというまにどこかへ吸いこまれるように、消えて無くなる。大分時間が経ってから、壁の中に防音装置がしてあるらしいことに魔利は気がついたが、すべての音が忽ちの内に吸いこまれるという状態は、魔利を脅迫した。まるで片貝史文の発する声も、魔利自身の声も音を喰う魚がいて、空気の中に出るや否や音もなく呑みこむかの如くである。頁を繰る音や鉛筆の落ちる音なぞは、初めから無いようなものである。音を喰う、眼の無い、口の大きな魚は、あらゆる所に出没して、音という音を呑みこんだ。魔利の声は、普通の所で喋っても、自分の耳にさえよくは入らないという声である。魔利は昔一度訪問した兼吉宗佐《かねよしむねさ》という音の研究(?)をする音楽の学者が言っていた、壁の中に仕掛ける防音装置のことを思い出した。なんでも兼吉宗佐の発明したその装置は、壁の中に特殊の海藻《かいそう》を詰めこむのだそうだったが、東日ホテルの壁はその海藻装置の発達したもので完全な防音がされているのだろう。魔利は最近国際京都ホテルの部屋に入って見て、このごろの立派なホテルは皆兼吉宗佐のひそみにならっていることを知り、これでは外国人たちは、街の騒音と、ホテル内の無音との間の音感の差に戸まどって神経の変調を来たすのではあるまいかと、心配した。  魔利は最近のヨオロッパを歩いて来た人を一人知っているが、魔利の歩いた時と同じに、道路を掘り返している所なぞないらしいし、街も静からしい。アラン・ドゥロンとロミイ・シュナイダアが泊っている伊太利のホテルをグラヴィアで見ても、こんな異様な無音の中で、彼等が恋愛場面を展開しているとは、どう考えても、空想出来ないのである。国際京都ホテルで魔利は独りそのへやに閉じこめられたが、部屋に入った瞬間、音無しの部屋だということに気づき、同行の柳田健という見知らぬ人に、一緒に入って貰いたいようになって、思わずまだ廊下に立っていた柳田健をふり返ったが、案内のボオイも、柳田健も、魔利の心境に気づく筈もなく、何でずんずん入って行かないのかと、妙な顔で立っていたのである。  隣りの音がしなくて静かなのも程度問題だが、その方はまあまあとしても、自分自身の立てる音が、忽ちあたりの壁だか絨氈《じゆうたん》だかに吸いこまれてしまう感覚というものは異様に儚《はかな》く、たださえはかない魔利の人生がいよいよたよりなくなり、うっかりして物を落す音の他はあまり大きな音を立てないたちの魔利は、自分が幽霊になったような気がしたのである。  又横道に来てしまったが、東日ホテルのロールシャハ実験である。魔利は化物屋敷のような音の無い部屋に坐って片貝史文の手許《てもと》に見入った。  片貝史文が鞄《かばん》の中から手品の如くに取り出し、次々に繰って見せるのは、魔利が前に東洋グラフで見たことのある、胡桃《くるみ》を割って中身を溶かし去ったあとのような、異様な形をしたインクの染みである。魔利はたどたどしい言葉で、感想をのべたが、三枚目辺りからもじもじしはじめた。魔利にはどれもどれも、恐しい悪魔か魔女に見えるのである。たとえば二人の魔女が謀略がうまくいって、向きあって歓喜の踊を踊っている、二人の周辺では地獄の火が燃えている、といったような感想である。とうとう最後の一枚まで悪魔の感想はつづいた。片貝史文も、三枚目辺りからいささか愕いたらしい。  魔利は心の中で、生れ出てからこっち妙なめぐり合わせで、一寸どこにもないような不運に襲われつづけた自分の半生を考え、不断は頭の加減でのんびりしているが、その遠い昔からの恐怖が、この音の無い部屋に閉じこめられて、実験者と向い合ったトタンに、一時に流れ出したのにちがいないと、信じた。魔利は尚次々と悪魔の恐怖をのべ続けて、恐るべき無音の部屋から解放されたが、その実験の結果が先刻《さつき》言った、魔利の幼児性の証明だったのである。内向性だとか、常識があるとか(これは意外だったらしいが、魔利は、自分でははじめからあるつもりだったと、得意になってみなに喋っている。常識のある人間が授賞式のお客になって行っていて、控室になんて入って行くものか)分析してあって、最後の「まとめ」が≪幼児≫なのである。片貝史文が、魔利の年齢で幼児なのは不思議であるとして、多少意識しているのではないかと附記しているのが魔利の気に入らなかったらしい。魔利は誰より子供と話が合うし、子供という人間を最も愛しているそうで、子供が残っているのは自慢なのだと、言っている。  自慢するのは勝手だが、我輩にいわせると、魔利の抜け作のところは、我輩に被害を及ぼさない限り、 [#この行2字下げ] ——変な薬を飲んで急死されるのは困る—— 面白いと思うが、自慢の(子供)が小説の中に顔を出しているのは困る。小説の中の子供らしさというのは魔利のフランス趣味である。フランス趣味というと魔利は怒るが、なるほどマリアの(フランス)はマリアの生来のものといってもいいので、マリアがフランスを好きになるより先に、マリアの中にフランスがあったのだと、言って言えないこともないのだが、 [#ここから2字下げ] ——吝《けち》で、人から何か貰うのはどんな詰らないものでも喜び、反対に人にやることは嫌いで、下らないものでも惜しがる。育った環境が悪くなかったから一通り、ものごとにはきれいで、いやしいことはしないが、根本には潔癖さはない。生れてから日本しか知らなかった魔利は、巴里について間もなく、周囲のフランス人の中に、同国人を見出した。日本特有の、小さな悪意を砂糖にくるんで、糖衣錠にしてぶつけ合っているような社交場|裡《り》では社交性はないが、相手が外国人だったり、このごろになってマリアの周囲に現れて来た、個性を持った人間だと、マリアの様子は社交的だといってもいいほど、馬鹿馬鹿しく愉快である。感情が表面ばかり波立っていて軽薄で、悪気はないが腹の底はドライである。自分では夢のような恋をしているが、恋はしていない女、という感じである。お洒落でくいしん坊で、花とチョコレエトが好きで、身持のよくない、マリアの階級からみれば唾棄《だき》すべき女たちの気持の中に入って行ってつき合うことが出来る。支那の裏町にも住める。マリアは日本人でも英吉利《イギリス》人でも、又ドイツ人でもないので、つまりはフランス人か、支那人に最も近い、一種の精神的混血児なのである。巴里の中にマリアを置く時、違和感は全くない。巴里の中にマリアを置いて見た、魔利の夫だった男はつくづくとマリアを眺めて言った。マリアはフランス人だ、と。—— [#ここで字下げ終わり] それはともかくとして、魔利が二人のフランス人の映像《イメエジ》にとり憑かれて書いた小説は、それまでマリアが無意識の内に書きたがっていた「陶酔と痛み」というものがテエマの、マリアのいうところの「凄《すご》い恋愛小説」を、稚《おさな》いながらに開花させたと同時に、マリアの根にある、意外に根深い(フランス)を、堰《せき》を切った水のように溢《あふ》れさせてしまったのである。マリアはフランスの世界から脱け出したくなった。マリアを根本《ねもと》からゆすぶり、誘惑する、フランスの香《にお》いが、悪い女のように、マリアにつき纏ってくるのだと、マリアは言っている。  だがフランスもいいが、魔利のフランスは、困ったフランスである。本人がそう言っているのである。魔利の父親の欧外は、ヨオロッパというものをかなり知っていて、飜訳の文章や、ロダンと花子の小説なぞの場合ではヨオロッパの美に、和漢の美を混ぜこみ、本物のヨオロッパ以上に素晴しいヨオロッパを拵えているのだからいい。欧外のヨオロッパには根拠があるが魔利のフランスには根拠がない。巴里に半年住み、一年間南ヨオロッパを駆け歩いただけで、ただフランス、フランスと言っているので、フランスの感じが解るのだと、自ら信じているだけだから、自信と内容との間に雲煙万里の空間がある。フランス文学者をつれてくるまでもない、仏文科の女子学生に突っこまれればマリアのフランスは直《す》ぐに、ぐらつく。ピラニアに襲われた牛よりも弱体なのである。 [#ここから2字下げ] (私《あたし》はフランスについてなにも知らない。フランス文学も、知らない。私《あたし》のフランスは一つの「幻の楼閣」である。  だからといってそれでは、私《あたし》の持っているもので幻でないものはなんだろう? 私《あたし》の見ているもので幻でないものは、……私《あたし》は現実にはない、綺麗なものしか、ほんとうにあるものだ、とは思えないし、思いたくないのだもの。……) [#ここで字下げ終わり]  魔利は|やけ《ヽヽ》になって、言った。  魔利の馬鹿さ加減について書いていれば永遠に文章に終りがない。本人も困っていることだし、今朝起った滑稽な事件を一つ書いて、この文章を終らせよう。  魔利はこのごろ舳徹冶《みよしてつや》という詩人の催す勉強会に、野原野枝実と出席している。マリアには詩というものが小説よりも尚一層解らないが、敬愛していて、心の中の喜びや、胸の中の悲哀を解った気がし、死んだ後には、いよいよはっきりとそれらが自分の胸の中に落ちて来たのを感じている甍平四郎の面影が、まだ眼の中にあって、それは永遠にあるものと、思われるマリアの眼に、舳徹冶は独特の風格のある人間を映し出したし、集まる人々のよむ俳句や文章についてのべる言葉がどれもよくて、魔利は眼を大きくして聴き入るのである。平四郎のような小柄で、いつも着物で、平四郎のにどこか似た羽織を着ている。見当のよくわからない三角眼《さんかくめ》を天井の辺につけ、「はい、」「はい、」と答えながら、ぽつりぽつりとものを言う。舳徹冶は喧嘩《けんか》別れになっている平四郎に会いたいと言い、酔ってくると着物が開いて、着物と帯とでHの形になり、寿美蔵の縮屋新助の幕切れのようになる帯を片手でひき上げひき上げ、 「平四郎にものを視る眼を教えられた。……だが僕は今でも自分が間違っているとは、思っていない……」  なぞと紅い顔になって、言うのである。  その舳徹冶が芸術院賞を貰って、テレヴィに出るというので魔利はそれを見たく思ったが、テレヴィがないから野原野枝実の家に行くことになり、今朝は早く起きて出かけたが、慌てているので、行く先も確かめずに来たバスに乗った。  ふと気がつくと、いつもはその手前で終点の筈の陸橋の上をバスが渡っている。さらによく見ると橋を渡ったにしてはその先の景色が違っている。と、思う間に見知らぬ踏切りを渡った。車掌にきくと月林はもう通ったというので下りて、もと来た方へ歩きだしたが、(魔利は時間で出かける度に、自分が轢《ひ》かれて、夕刊に出る事故死の記事を想像しながら、首ばかり前へ出し、サンダルで石ころにつまずきつまずき、走るのである)行けども行けども橋がない。月林交番前、というバスの標識を発見した魔利は、月林の停留所が三つあるのを知った。魔利は野原野枝実の家に近い標識一つしか、月林の停留所というものを知らない。五十五分は見て来たのだが、乗り越して引きかえせば一《ひと》停留所歩いたってもう遅刻である。月林交番前の標識のところに立っている女学生に、 「月林の大きな橋はどこでしょう?」  ときくと、女学生の青白い小さな顔には冷笑が薄《うつす》らと浮んだ切りである。(自分は腹の底がドライだが、それはどうすることも出来ない現象なのだ。わざわざ冷たい笑いを浮べるという人間の心理は私《あたし》には解らない)魔利は心の底から怒《いか》った。もう一人立っていた男が(陸橋ならここを真直ぐですがまだ大分ありますよ)と、言ったので気をとり直し、マリアは再びサンダルで小石をけとばしはじめた。足が胴についているところの蝶番《ちようつがい》のようなところが出来が悪いらしく、マリアは三歳位のよちよち歩き以来、長年を通して歩行が下手である。だから二十《はたち》の時から転びそうに歩いているのに、歳とったからよろよろするのだと誰もが信じていて、「危い、危い」というのがマリアの痛憤に耐えぬところである。野原野枝実が危い、という度に怒《いか》っている。  ようよう陸橋が出て来たが陸橋が縦でなく横についている。つまりバスは魔利の知らぬ道を通って、橋のかかった土手に沿って、マリアを見知らぬ道へ運んでいたのである。やっと見当をつけて、歩き出したが、間に合うことはもう断念していた。ところが不思議なことに野枝実の家に辿《たど》りつくと野枝実はまだ寝ていた。魔利の部屋の時計がきっかり一時間、進んでいたのである。  その日魔利は野原野枝実から、かねて約束の紺のオーヴァアを貰ったが、女学生の時のだというのでデパアトのぶら下りだと思っていたのに、注文品で、紺も魔利の好きな濃紺に近く、大きさもたっぷりしている。フランス人のマリアは狂喜して、早速それを着て帰ったが、帰る途々《みちみち》マリアの顔は、喜びにあふれていた。 (情《なさけ》は人の為ならず)  と、見当違いの俚諺《ことわざ》を心の中で言い、魔利は夢ケ岡の駅に向って元気に、歩いた。よく見れば若くはないのが解るが、一眼位見たのでは、若いのを通り越して小学生の顔の、頬のぶつぶつを紅くし、紺のオーヴァアの裾をひらひらさせて、けつまずきそうにして|せっかち《ヽヽヽヽ》に歩くマリアの様子は、まるで明日が降誕祭《クリスマス》で、おじさんとおばあさんから玩具《おもちや》とボンボンと、人形とを貰うことになっている七歳の女の児のような、締りのない、|バカ《ヽヽ》げた恰好である。どこから見ても「凄い恋愛小説」をお書きになり、二人の女の愛読者から作家扱いをされ、凄がられている、牟礼《むれ》魔利《マリア》さんには見えない。  行き交う人々が、明らさまな軽蔑《けいべつ》の眼を向けて行くのを、今朝は怒《いか》る様子もなく、マリアは走るようにして、歩いた。 [#改ページ]   ㈿ マリアはマリア (あああ、絶望だな)  魔利《マリア》は詰らなそうに呟《つぶや》き、例によって寝台《ベツド》に長々と腹匍《はらば》い、暈《ぼんや》りとした眼を辺りに流した。何が絶望かというと、小説が何日経っても書けない、という絶望である。もっともあまり絶望したような顔もしていない。 (どうにかなるさ)  魔利は再び呟いた。 ≪どうにかなるさ≫。この言葉はマリアの、根本から出る言葉である。マリアの、大根《おおね》を言うと、縦のものを横にもしたくない精神、何もしないで寝ころんで推理小説を読み、食事と間食用の費用を削《けず》る心配なく、週刊誌を全部買ってよみ、新聞をもう三種類ふやして七種とってよみ、紅茶を飲み、チョコレエトを齧《かじ》り、 [#ここから2字下げ] ——魔利は自分を高級な人間だと信じていて、だから、週刊誌をみたがるからといって自分が低級だとは夢にも思わないのである。マリアはシュニッツレルの「恋愛|三昧《ざんまい》」をよむより、ドイルのシャアロック・ホームズをよむ方が楽しいのである。マリアは高級な心で人々のゴシップをよみ、何よりかにより関心のある映画界の記事を、よむのである。楽しみはこの他《ほか》、無数にあって、マリアの楽しみを列挙することになればこの小説の、少なくとも半分はそれだけで終るのである。たとえば喜劇的な気分を楽しむことだが、マリアがそういう分子をひき出してくる材料はマリアの周囲《まわり》に山のようにある。喜劇的な楽しみといっても、喜劇を見ることではない。甍《いらか》平四郎の随筆の中にある、面白いところを読むことが一つ。深刻に可笑《おか》しくて、笑いころげたくなってくるところが、平四郎の随筆の中にはある。ユウモア、だろうか? マリアは「ユウモア」という言葉が嫌いである。第一ユウモアという英語の意味が不明である。よく人が説明をしているが、明瞭に納得出来るようには書いてないし、その種の議論的なものは委《くわ》しくよむ根気がない。その上に、実に下らない、おかしくも悲しくもないことがらに対して、人々がやたらにユウモアだ、ユウモアだと言ったり、書いたりし、それを言ったり、書いたりする人々の気分の中に、(だから高級だ。自分こそユウモアを解する)という気配がみえ、その気配は悪い蛇の毒気のようにマリアの方へたち迷ってくる。まるでこっちは馬鹿のような気分である。甍平四郎の文章の中のおかしさはユウモアではなくて、それとも違うがまあ、「おかしみ」である。人間の底までとどくおかしさであって、それでいて、気分よく愉快で、マリアは苦しくなるほど笑いこける。又は斧《おの》鋭次の初期? 中期? 初期らしい、その初期の貧乏小説や、離縁小説をよんで笑いころげるのが一つ。鴎石の「猫」、又は身辺小説的なものをよむことも素敵だ。「猫」は全部愉快極まるが、マリアが特によろこぶのは終りの方の、なかなかヴァイオリンを買うところまで話が進行しなくて、いつまでも干柿が障子に映っていて、時々それをたべる、あの箇所である。鴎石の文章の中のおかしみは深刻小説の中にも点在するが、深刻小説の方も一緒によまなくては再発見出来ないのである。信沢糺《しのざわただす》の「蝙蝠《こうもり》と番傘」等々。又は豹野文八《ひようのぶんはち》の「ショコラ」、「女房学校」等々。赤沢涙谷《あかざわるいこく》の飜案長篇小説、「無情の谷」「石の仮面」「銀白鬼」等々。ことに赤沢涙谷のには附録があって、ジャコモが皺薦《しわこも》、アゼルマが痣《あざ》子、イヴォンヌが疣《いぼ》子等の語呂合せの命名や、龕灯《がんどう》、蝋燭《ろうそく》、箱馬車等が横行する薄暗い前世紀の仏蘭西国《フランスこく》、泥埠《でいふ》(ディフ)の石牢《いしろう》、の面白味、人間が死ぬと、こと切《ぎ》れとなりました、となること等々、小説全部が興味の巣窟《そうくつ》である。これらは文学をよむことに関係があって、シュニッツレルをよむことにも繋《つな》がっているが、その他、冷凍人間のような恋人たち(彼らは喫茶店で相手をじっと見つめたまま、又は煙草を指で摘《つま》んだまま、足を洒落《しやれ》た恰好に組み合せたまま、こちこちに固まる。恋愛ムウドの冷凍である)を見たり、そういう恋人たちが出て来る日本映画を見るのも、その一つである。あらゆる悲惨な出来事、が起って人々は眼を剥《む》き、顔を歪《ゆが》めて、断末魔の表情をする。歌舞伎のような悪人が出て来る。道を歩くヒロインの、足が映ったり顔が映ったりすると、センチメンタルな音楽が最高潮になって、鳴り響くのである。正《まさ》に美男美女、哀恋悲恋、紅涙《こうるい》を絞るの、沸騰点である。そういうものを見たり読んだりするのがマリアの無上の喜びである。マリアは心の中で、又は声に出して笑い、体を捩《よじ》るようにし、そうしてこれらの小説や映画の生産者に感謝し、彼らがマリアの為に週に一回の速度で、矢つぎ早やに傑作を提供してくれることを熱望するのである。—— [#ここで字下げ終わり] あとは空想ばかりしている、というのが理想である、マリアの「怠けもの人生観」から発する言葉である。  マリアは別に不思議とも思わない様子で、ケロリとして辺りを見ているが、マリアの部屋は明るさが一寸《ちよつと》異様である。  一体これはどういう光線だろう? ガンマー線か、ベーター線でも交っているのだろうか? ……夜昼六十Wの裸電球が点けっ放しのマリアの部屋は、昼間はいつも不思議な光線の中に浮んでいる。昼の明るさと、裸電球の放射とがお互いの光を昏《く》らまし合っているような、又は、六十Wの電球の光が、昼の明るさを掻《か》き消そうとして出来得ずに立ちまよい、辺りに散乱している、とでもいうような、異様な明るさである。明るすぎるようでもあるし、どこか昏《くら》いようでもある。マリアの部屋に昼間入って来る人間は瞬間驚いて目を皺め、 (眩《まぶ》しいわ、消していいでしょう?)  そう言ってスタンドを捻《ひね》る。  マリアは光に馴れた梟《ふくろう》のような眼をし、別にいけないとも言わないが、消した人間の方を一寸不機嫌そうに見るのである。 ≪雲の中にある砂漠の太陽を、尚一層昏らませる|黄金色《きんいろ》の砂塵の中にいるのではないかしらん?≫  マリアは妙に明るい光線の中で、大きな眼をまじまじと開けている。大きな眼だが、あんまりものがよく見える眼ではない。近眼で乱視でその上老眼らしいが、新聞が読めるので放ってある。四十歳のとき医者に診て貰って眼鏡を誂《あつら》えたが、眼鏡をとると前より見えなくなった感じがある。かけたりとったりしているうちに変に疲れるので止《や》めてしまった。母親がついていた時代だからそんなことはないと思うのだが、医者が悪かったのか、眼鏡屋が悪かったのか、それきり眼鏡とは縁切りになってしまった。そんな眼で、こういう妙な光線を浴び通しではいよいよ悪くなると思うのだが、マリアの部屋は暗い部屋で、点ければ明るすぎるが、消せば陰気で本もよめない。それに、電灯を点けっ放しにして殺人的光線にしておかないと、部屋が暗いから真紅《あか》い瀬戸引きの容れ物も、中の砂糖の新雪のような美しさも、紅茶の輝き、無糖コンデンスミルクの澱《よど》んだ白、ボッチチェリの薔薇《ばら》の花の茶碗、透明なミルク入れ、濃い菫色《すみれいろ》に光るアルマイトの菓子入れ、そういうすべてマリアの眼を楽しませる光景が薄ぼやけ、黒ずんでしまうのである。  北側一面の窓|硝子《ガラス》は、硬質の黄色|金剛石《ダイヤ》のように戸外と部屋とを遮《さえぎ》っていて、上の二枚の透明硝子はこれも黄色っぽい空と樹とを映しているが、その二枚の硝子へ靄《もや》のような湯気が絶えず附着するので、部屋の中はますます不可解な光線となる。何しろ、手を洗う湯を沸かす、湯たんぽの湯を沸かしかえる、紅茶の湯だ、緑茶の湯だ、洗濯だ、昼飯の鑵詰《かんづめ》洋食だ、オートミイルだ、で、部屋に密接した台所では大抵のとき何かが沸いている。又プロパン瓦斯《ガス》というのが恐るべき火力の瓦斯で、アッという間に沸騰する。少し位沸かした湯なぞは忽《たちま》ち蒸発して、あとかたもない。マリアの腰には三貫目位の重石《おもし》が入っているようで、湯の沸騰する音をきいてもなかなか持ち上らない。マリア自身その重さにつくづく閉口しているのである。ヘボ小説をもう一行、料理をもう一口、肉汁《スウプ》が冷める、紅茶が冷める、クリイムは洗ったばかりの顔に塗らなくては、という訳で大抵の時ぐずつくから、バケツの湯なぞは、ドボルコ、ドボルコと音を立て、薬罐の湯はシュウ、シュウ、蒸気を上げ、湯は何分かの間ぐらぐらに沸きつづける。それで窓硝子の上部は一面に、夏の洋杯《コツプ》か、夏の日の、西洋菊の茎を透かせてマリアを楽しませる花瓶《かびん》か、と思うように汗をかいている。花瓶が汗をかくのは妙だが、魔利の花瓶は全部硝子製なのである。  硝子製というときこえがいいが、マリアの花瓶は六角型の砂糖壺、ヴェルモットかコカコラの空罎、又は英国製の柚子《ライム》ジャムの罎、なぞであって、硝子製といえるのは、宮野ゆり子が甍平四郎に贈り、平四郎がそれを又マリアに呉れたという、因縁づきの大きな高盃《タンブラア》だけである。この高盃《タンブラア》は、甍平四郎がマリアに呉れたというより、マリアの暗示によって平四郎がマリアに贈らせられたというような気配が、あるのである。マリアの硝子好きを知っている平四郎は、マリアの眼が自分の傍にある硝子にじっと密着するのに気がつくと、呉れざるを得ない|はめ《ヽヽ》のようなところに、追いやられているらしかった。マリアには別に魂胆があるわけではないが、欲しいと思う硝子に眼が密着して離れないという、この馬鹿げた瞬間にはマリア自身も、困り果てていた。魔利の眼が一つの硝子に密着する、失敗《しま》った、と思う、平四郎の眼がそれを見る、平四郎が立ち上って(これを、『父の跫音《あしおと》』のお祝いに上げましょう)と言ってマリアの前の卓子《テエブル》に置く。こういう順序を踏んで、マリアは二つの素晴しい硝子を獲得した。  甍平四郎というのは、野原洋之介と並んで肩を摩《ま》し合う詩人作家で、|青井のあんか《ヽヽヽヽヽヽ》(青井のところの下の子供の意)と呼ばれていた幼時の、暴れん坊の風貌をはっきりと残しながら、偉大な怪物作家と化していた人物であるが、彼は魔利を女ひととして愛しているわけではないが、なんとも変った御仁《おひと》だと、見ていて、怪物作家である平四郎の、ビニョレ(欧外訳『蛙』の中の大工の伜《せがれ》)に脳天を割られた蛙のような眼は時折、マリアの上にふと、据えられた。  大体マリアというのは平四郎にとって、硝子の贈呈を暗に恐喝するだけではなくて、食事にいらっしゃいといえば日を間違えて、招《よ》ばない日に来る。マリアから招待状を貰ったと思えば、場所も日時も書いてないから、問い合せの葉書を書かなくてはならない。全文同じの長い手紙が二通続けて来る。法事に招べば手提げ袋を置いて行って、大森まで持って帰らせられる。その袋を見れば、洗濯したハンカチと新しいのと、手摺《てず》れに手摺れた皮財布が三段になって透《すきとお》っていて、貧寒極まる編み袋であるから、間近いクリスマスにはなにがしかの散財をすることになる。いつもいろいろなものを持ち歩いているらしいので大型の皮製の袋を贈ると、小鬼のような顔になって泣きましたという、手紙が来る。と、まあ言ったような、全く呆《あき》れた、しかも厄介な人物であった。平四郎を訪れる女ひとの数は多いが、ハンドバッグを持たない人間は一人もないのである。平四郎は想う。(スウツもない。踵《かかと》のある靴もないらしい。いつもスウェータアに杏子《きようこ》が進呈したオーヴァアを着て、踵のない靴でやってくる。)前に坐って丁寧に挨拶をするマリアに眼をあてる度に、平四郎は気になる。(恋人なら揃《そろ》えて買って遣《や》るが、もう買うだけの金はある筈だ)  マリアとしては、身につけるものの色彩には神経質だが、質の不調和の方は念頭にない。仕立代を入れて九千円はするお召に染めさせた帯で、三百八十円の編み袋を持って歩く。何が透って見えようが、春先は半襟《はんえり》とそこだけが白いということが肝心であり、又は、着るものには使えない柔《やさし》い色をどこかへつける為に、水色の手袋を嵌《は》めたり、青磁色の袋を持ったりするということだけが重大であった。  マリアの方では招ばれたので行くと、いつもの四角い障子硝子に平四郎の、招かない日の、ふだんの顔が映っているので慌てて困るのだが、マリアの困る方は自業自得である。  部屋の話から横道へ来てしまったが、魔利の話はすぐ横道に外《そ》れて、一旦外れれば止めどがない。人と話をする時も同じで、いつの間にかまるで違った話になっていて、どこからそんなところへ来たのか判らなくなり、 (私《あたし》は何を言っていたんでしょう?)  と、相手にきいている。相手が少し口を開いてマリアの顔を見てから、(伊太利《イタリア》の空の話でした)と答えると、(ああそうそう、そうだった)と言って、再び話をつづけるのである。大抵の時マリアは、蜿蜒長蛇《えんえんちようだ》の道草をくっては、あっという間にもとのところに飛びかえる、という手練の早業を繰り返しつつ話をつづけて、相手を感にたえしめるのである。もともと論理的な話ではないから、横道に外《そ》れっぱなしでも別に差つかえないのだが、馬鹿な話だとしても一応は論旨? の辻褄《つじつま》を合せた方がいいと、マリアは考えるらしい。  さて魔利の部屋の窓硝子である。  異様な光の溶明の中で、マリアの部屋の窓硝子は妙に黄色く光っているが、その窓には縁《ふち》のない長四角の鏡がたてかけてあって、硝子の面をそこだけ、四角い鉛の色に、切り取っている。幅の広い寝台《ベツド》の枠《わく》には薄緑色のヴェルモットの空罎《あきびん》に、蝋を塗って仕上げた薔薇の造花を挿《さ》したのが載っていて、雑然と散らかったマリアの部屋の中に、忽然《こつぜん》として現れたプシシェ(精)のように浮び上っているが、これがマリアのご自慢の、この頃ではこの部屋の第一の装飾である。  フランス製の赤い薔薇の造花で、朱のような赤い花は日本の造花のように本ものそっくりではなくて、あくまで虚象であり、茎には暗い薔薇色の、誇張した大きな棘《とげ》がある。処々紅紫のかかった緑の葉は稍々《やや》実物に近いが、全体に装飾的で、ヴェルモットの罎にぴったり似合っている。似合っているというより、合致している。蝶と花とのように交媒している、といってもいい。花と罎とはもうマリアの手で引き離すことが出来ない、「美の結合」を遂げていて、ルオオのステンドグラスより、綺麗《きれい》である。この花と罎には人道も、宗教もないからだ。大体美というものが、善や美徳と媾和《こうわ》することで最大に光り耀《かが》やくのだという理窟《りくつ》が、マリアにはのみこめない。道徳と仲よくしなくても美は美であって、いつでも最大のものだと、マリアは信じている。美はどんなものより大きなものだから、宗教にも、悪徳にもどっちにも、関係がない。理論にも思想にも関係がない、と思っている。むろんマリアの考えはすべて児童の直感のようなものであって、その児童の直感のようなものを|もと《ヽヽ》にして随筆や小説を書くより他に生命《いのち》を繋ぐ方法がないから、書いているだけのことである。 [#ここから2字下げ] ——児童の直感しか材料が、あろうが、無かろうが、それを使って何か書いていなくては、預金が|0《ゼロ》になればその日から生活不可能である。小説以外のことといっては女中も出来ない|ふぬけ《ヽヽヽ》であって、(鴻田《こうだ》文の真似をして待合女中を志願すれば半日で追い出される。芸者よりあとから起きたのではどうにもならないのである)そうなればどこかの往来に坐って、人の投げてくれる金を拾うより他にいい考えもない。女中代りに家において役に立つ女なら、きょうだいの家でも歓迎してくれるだろうが、マリアを背負《しよ》いこんだら最後、マリアのために家中が動かなくてはならないのを皆知っているから、誰も引き取ろうと申し出る筈がない。マリアをひきとるのは半病人を引き取るのと同じである。マリアはマリア以外に人間がいない生活になって始めて動き出した人間である。他の人間半人でもいれば縦のものを横にもしない。坐るということが既にきらいであって、人の家を訪問すれば坐っているが、自分の部屋では食事と化粧、入浴以外は原稿を書くのでも読書でも、すべて寝ころびながらで、マリアの人生は寝ころびの人生なのである。  マリアがどこそこの喫茶の隅に坐っているときけば、そこを通る時には百円か二百円をおいていってくれるきょうだいや友人、編輯者《へんしゆうしや》の数は、少ないがないこともないが、いくら百円二百円でも、そうそうは経済に影響するから、だんだんマリアのいる場所は通らなくなる、というのが、マリアの希望的観測の限界である。—— [#ここで字下げ終わり]  そこで、ルオオのステンドグラスよりマリアの部屋の花と罎の方が綺麗だとか、もしマリアがそれをボッチチェリの工房へもって行って窓際に置いて逃げて来ても、ボッチチェリがマリアの帰ったのを見澄ましてそれを取り払うだろうとは決して思わない、とか、そういう考えを、これが絶対にほんとうだといって、人に威張る気はないが、——又威張られたと思う人もないが、——たとえ子供の考えだろうと、文章というものは自分の考えたことをその通りに、正直に書くものだと思っているから、マリアはマリアとして書くより他、ないのである。  マリアは女学校の教養の他には学問も知識もなく、大人の小説を書くのに必要な世間のいろいろな人間や種々雑多な社会のことも皆目《かいもく》判らないし、女の心理を例に取っても、解るのは少女の心理だけで、三十女の心理も、未亡人の心理も解らない。 [#ここから2字下げ] ——社会や職業なぞの方は本職の小説家がするように人を雇って調査して貰えばいいと、言うかもしれないが、資金もないし、その方は預金を恐る恐る下ろしたとしても、マリアがどうやって調査を頼むか、というのが問題である。裁縫も料理も掃除も出来ない主婦に、女中に命令を下すことは出来ないのである。裁縫といえば雑巾か風呂敷なぞの四角いものしか縫えなくて、一つ身どころか肌襦袢《はだじゆばん》も縫えない。箒《ほうき》の持ち方も摺《す》りこぎの持ち方も常人《ひと》とは逆である。洗濯には何時間もかかり、絞る時には体ごと捩らなくてはならないマリアは、昔女中というものが使えなかったが、その経験と同じであって、調査を頼むといったって何をどう頼んだらいいのか、解らないから、頼まれた方は呆れてひき下がるだけである。世上矢州志《せがみやすし》が叔父さんで、埴輪不三夫《はにわふみお》がもう一人の叔父さんで、秘密に智恵を授けてくれるならともかく、マリアと実社会とは無縁である。縁なき衆生である。人に会って、これこれの会社に勤めております、と言われても、マリアはその言葉を|うわの空《ヽヽヽヽ》できき、茫然として名刺を眺めるだけである。 [#ここで字下げ終わり]  さて、この花と罎とが合体した、鈍い赤と、暗い緑の透明との幻は夜も昼も、窓硝子の上に浮び上って、マリアの憧憬《どうけい》の眼をうけ止めているが、真昼、外の光と電球との、二つの異質の光線が犯し合って白い炎を出しているような、一種不安な明るさの中では、ことさらマリアを幻惑し、深い陶酔の中へひきこむのである。どこまで行っても底のない、つきとめようとしてもつきとめることの出来ない、重い陶酔である。  大体人間が陶酔するなんということは、そうそうはないもので、それも深い陶酔の中にひきこまれるなんということは、たとえ恋人たちの間だとしても、精神の面ではあまりないものらしいから、——もっともどこまでが精神か肉体か、それもこの部屋の二つの光のようなものかも知れないが——マリアという人間は案外幸福な人間なのかも知れない。  だがマリアが硝子に憧《あこが》れるようすは一寸《ちよつと》妙で、なんでもかでも硝子でさえあれば、牛乳の空罎にでも陶酔の目を当てる位だから、気に入った綺麗な硝子が見つかろうものなら夜昼|恍惚《うつとり》と眺め入って倦《あ》きるということがない。それが何故《なぜ》だかはマリアにも判らないが、実のところ全く判らないのだが、どうもそれは、寒気が鋭くなると水が凍る、とか、陽が当れば溶けるとか、水の中に花が落ちていたとすれば花は水の中で凍って、透って見えるとかいう、そういう自然現象の一種らしいのである。マリアと硝子との間に、マリアにも判らないなにかがあって、互いに強い牽引《けんいん》を覚えるのである。  魔利という人間の中にはなんだか判らないが、半透明の、ガラス板のようなものがあって、何を見るのでも、何かの感情を抱くのでも、そのガラス板のこっち側からだから、眼に見えるものも、心に感ずるものもすべてが明瞭《はつきり》しないところがある。心持は茫漠と明瞭との境界《さかい》にあって、眼と事物との間には曇った光のコンタクトレンズが嵌《はま》っている。何を見ても確実に見たという感じがない。人と対《む》き合っていて、その人と何か言っていても、確実感がないから、ほんとうにこの人間はここにいるのだろうか? 見えているんだからいるのだろう、といったような具合である。このべらべら喋《しやべ》っているのは自分なんだ、なんて馬鹿な奴もあったものだろう、と、どこかで思っているようなところがある。そのガラスのようなものは薄曇っていて厚みのある、一種の朦朧《もうろう》体である。得体の知れないものである。「得体が知れない」というのは、マリアのガラスのために出来た言葉ではないかと、思う位である。朦朧体のこっち側からものを見ると、綺麗なものはいよいよ底深く游泳《ゆうえい》して、水を被《かぶ》り、水の光を浴びて燦《きらめ》くが、はっきりそれを捉《とら》えていない、という不透明感がある。見るもの見るもの、何処《どこ》やらあやしくて、対象物とマリアとの間にはいつも一つの透明体が置かれている。人間との間の感情、所謂《いわゆる》人情みたいなものも、どこか|はるか《ヽヽヽ》で、うすぼやけ、マリアは不人情な人に見えていて、かそけくもまた稀薄《きはく》な影のような人間として、存在している。馬鹿なマリアはそれを胡麻化《ごまか》そうとするから大変である。なんだ、あんなに親切にして呉れたのに|うそ《ヽヽ》なのか、と言って怒ったってそれは無理というもの。マリアとしては親切を持っているのであるが、その親切の分量が天然自然に微量なのである。他人《ひと》の分量とちがうのを見てマリアは慌てて胡麻化すのである。可憐《かれん》な心境である。他人《ひと》と同じ程度にしようと努力するのだが、他人《ひと》も大分割り増しをしているらしいところもあるから追いつくのは大変である。  その半透明なものは、不明瞭極まるもので、マリアは若い時にはそれに対して劣等感を抱いていたのだが、今ではむしろ自分の中にあるガラスの、暗い透明に惹《ひ》かれている。  ナルシシズムを持っているらしいマリアは、 [#この行2字下げ] ——魔利はナルシシズムという、多分英語らしい言葉の意味をよく知らないが、ナルシスという少年の話はきいていて、そこから見当をつけているのである—— 自分の内部のガラス板に、惹きこまれるような魅力を感じている。自分の中にあって、外界にあるものをどこか稀薄に、透徹《すきとお》った水の底にあるものかなにかのようにみせる、暗い透明のようなものが、マリアには綺麗に見えてならない。素晴しいものに思われてならない。  つまり魔利は、魔利に溺《おぼ》れているので、そういうマリアが本ものの硝子に陶酔するのである。マリアと硝子との不思議な関係である。マリアと硝子とはどこかで一つになっていて、互いに牽引し合い、不思議な世界の中で繋がっている。秘密な明りの中の繋がりである。  午後、寝台《ベツド》に長々と腹匍いになって、ヴェルモットの罎に眼をあてているマリアは、深い陶酔の中に、ひき込まれる。倦怠感《けんたいかん》のようなものが混っている陶酔である。  マリアは硝子に対して、一種の自己愛を感ずる。一種の精神的レスビアニズムのようなものを、感ずる。マリアの内部の硝子体と、本ものの硝子との間で、何かが呼び合うのである。秘密な眼《まな》ざしを交して、密《ひそ》かに悪魔の笑いを笑い合う、——何故悪魔なのか、判らない——そういう、或種の仲間のような、奇妙なものがある。美しい少年や女たちが、鏡の中の自分に向ってやる眼ざしのようなものである。秘密な、悪魔の、微笑《わら》いである。恋人を共有している二人の美しい女の間に、同志というのか、共感というのか、秘密な、悪魔の歓びがある。そんな歓びにも、似ている。  硝子とマリアとの間の陶酔。微《かす》かなエロティシズム。微弱な、蒸溜水の味のような性的な恍惚《こうこつ》。それは菫石鹸や、薔薇香水の香《にお》いにも似ている。マリアのひどく好きな香いである。菫の花の香いや、薔薇の花の香いが、何かの方法で、科学的に抽出されて、別種なものになった、香いである。稀薄な甘い香いの中に、倦《ものう》い、迫るような、不思議な魔力をひそめている、香いである。  魔利は或日、手に持った菫の花束に横むきの顔を埋めて立っている、瑞典《スウエーデン》の少女の写真を見た。裸の少女である。胴のくびれから下は豊かに成熟しているが、肩から頸《くび》、胸の辺りにはまだ未成熟な脆《もろ》さがある体つきだったが、俯向《うつむ》けた横顔の中の翳《かげ》や、体にある表情の中に、罪がなくて甘い中に、どこか大人の女の魅力を凌《しの》ぐような、ふてぶてしい牽引力があった。マリアはその少女と菫との間に、一種の自己愛、一種のレスビアニズムのようなものをみた。美しい少女と、花との間にある秘密である。  そういう菫石鹸の香いや、少女と菫との間にある秘密。又は、嫉妬《しつと》の小蛇がひそんでいる楽しい花園の中で、一人の男を中にして戯れる、二人の美しい女の秘密。そういうもののような、恍惚《うつとり》としたものを、マリアは自分と硝子との間にある一種の交流の中に、見出すのである。  話はマリアの内部にある硝子の話であって、マリアの顔や姿の話ではないからいいようなものの、マリアが青い硝子に見入っている時、頭に想い浮べる聯想《れんそう》というものは、途方もなく綺麗な幻影に、結びついて行って、その想いは、どこまでも果ての知れない、まぼろし、である。  恍惚《うつとり》としている魔利に現実の眼を当ててみれば、王女のように着飾って馬車に乗った自分を幻想して、薄気味の悪い忍び笑いをもらしている老婆を描いた、あのドオミエの戯画そっくりであるが、マリア自身はそんなことは思わない。マリアは硝子と自分とに陶酔し、菫の花に横顔を埋めた美少女の心境である。何かが不確かに見えたり、感じられたりするのが、ほんとうのところは少し馬鹿だからかも知れないのに、暇さえあれば花と罎とに眺め入り、恍惚《うつとり》としてくると、体ごと透徹って青い罎の中へ、すっかり入ってしまったような気になるのである。  仏蘭西の造花が魔利の青い罎と結合して、思いがけない幻がマリアの部屋に出現したので、マリアの硝子病は昂進《こうしん》した形である。  魔利が眼を夢のように見開き、硝子病を昂進させて、鏡を見つめる若い娘の心境で腹匍っているのは、絶望のあげく、やけになっているのである。硝子の中に自分を見るという奇妙な陶酔に恍惚《うつとり》としていようが、マリアの絶望は、依然絶望として、はっきり別に、存在した。日の丸日東紅茶にリプトンの香(にお)いを嗅《か》ぎあて、アメリカのチョコレエトを齧りながら太陽の燃えおどるエチオピアや西印度諸島のカカオの収穫|時《どき》を空想し、大英帝国が黒い国々に君臨していて、檸檬色《レモンいろ》や暗い空色の上衣、洋袴《ズボン》に、黄金《きん》の飾りをつけた黒人の奴隷が捧げる銀盆の上に、紅茶、カカオ、橙《オレンジ》、タピオカ、胡椒《こしよう》、珈琲《コオヒイ》、薄荷《はつか》、サフラン、カルルス等の香料の、揮発性の香いが溢《あふ》れた時代、海には海賊船が浮び、王の城の帷《とばり》や階段の蔭に、陰謀と暗殺の黒い影が跳梁《ちようりよう》していた時代、又もう少し下ったところでは、英領印度に駐屯していて、薄く陽灼《ひや》けのした美貌に、倦怠と、いくらかの荒廃の影をおびて帰国した将校が、それを|もとで《ヽヽヽ》に新しい恋をする、というような、そういう時代へのあこがれを舌の上に浮べていようが、どんなにマリアがお得意の陶酔に身を委《まか》せていても、 [#ここから2字下げ] ——魔利が陶酔に身を委《ゆだ》ね、厚く、柔かな水のうねりの上に漂うのは、マリアの常習であり、又性癖であって、マリアは日常のすべてを美化し、その中でひとり恍惚《うつとり》と陶酔する、古い時代の生きのこり的の人間であるが、何の風の吹き廻しか人間世界の殆んどすべてにリヴァイヴァルとかいう蛾《が》が発生し、ヌウヴェル・ヴァアグの映画監督も古典の美や古典音楽のヴェエルを引き摺り、マリアは、現代の最尖端《さいせんたん》の若者たちの間に、自分を見出すこととなった次第だが、もともとマリアは古くもないし、新しくもない、ただ、ただ、美に憬れる人間なのである。マリアはマリア、である。印度に駐屯して帰国した将校で思いついたが、もはや二十九歳になり果てたアラン・ドゥロン(二十九歳は男の場合は青春であるが、アラン・ドゥロンとしてはなり果てた感じ)の現在の映像《イメエジ》としては、西印度のどこかに駐屯して、自堕落になって帰国した若い将校で半分本気、半分嘘の恋をして深みに嵌り、一方幾分|埒《らち》を越えた倒錯的友情を彼に抱いている同じ所に駐屯した年上の将校の、軽いけれども、根の深い絡みがある、というような役が適《はま》るだろう。問題映画にしたければそこへ何か問題をくっつければいいのである。だがそれはアラン・ドゥロンにとっては邪魔な瘤《こぶ》である。アラン・ドゥロンはともかく、マリアは自分が偶然、新しい時代の色彩に嵌っていることでご機嫌である。何故なら、マリアには頭の中のミルクが腐敗していない、ということしか小説家(?)としての取柄《とりえ》がないからである—— [#ここで字下げ終わり] 絶望はやっぱり実在した。  絶望のマリアは酸素が欠乏した魚のような眼をして、永遠に見飽きない寝台《ベツド》の周辺の光景を見廻している。マリアはヘボ・ロマンティシズム(和英合体語)の小説、それはマリアが好きでならない恋愛殺人小説であるが、それと、今書きつつある、この「マリアはマリア」のような、一種の、底のぬけた樽《たる》のような滑稽小説とを、書くが、そのどっちも書き出しが見つからないのである。マリアはへっぽこなりに書き出しを重視していて、底ぬけ小説の方は、いくらガタピシだと言われても、形のないところが自慢であるから、やっぱり唯だらだらと書くのであるが、普段その妙な生活の中に頭ごと浸《つ》かっているマリアだとはいっても、文章の上では何かのきっかけがないと、その生活の中に入って行けないのである。自分もそこから入って行き、よむ人もそこから入って来てくれるかも知れない、大切な導入部である。この「マリアはマリア」は気に入る書き出しがみつかる日を待っていることが出来なかったためか、書いていて時々退屈している。書いている本人が面白くて仕方がなくても、よむ方は大して面白くもないのに、自分が退屈なのではお終《しま》いである。  マリアのロマンティシズム小説の目標は、オスカア・ワイルド作「サロメ」、シュニッツレル作「恋愛三昧」、アルフォンス・ドオデ作「聖《サン》ジュリアン」、レニエ作「復讐《ふくしゆう》」、誰だったかの「僧房夢」等である。 [#ここから2字下げ] ——オノレ・ドオミエの画のような小説は鱶沢死地蝋《ふかざわしちろう》に委せておけ、アンリ・ルッソオの、夫婦が樹の下に正面向きに腰かけていて、その画面の右端の空間に、その男の前の細君の顔と、少し若いその男の顔とが、首だけ浮んでいる画。ああいう画のようなのは、焼野雉三《しようのきじぞう》に委しておけ、である。生意気はやめよう。これらの作家と対等のような書き方をするのはおかしい。—— [#ここで字下げ終わり]  目標が偉すぎるが、目標は高くなくては駄目だと、マリアは考えていて、本当を言うとオスカア・ワイルドの「サロメ」以上の小説を書こうと思っていないと、ほんの一寸素敵な小説さえ書けないのである。  はじめは目標なんかなかったのであるが、偶然出来た小説が、知らないうちに「恋愛三昧」や「僧房夢」の影響をうけていたのに、気がついて、それからこれらの一連の好きな小説を、目標にしはじめたのである。どれも読む度に恍惚《うつとり》とする小説である。 「恋愛三昧」というのは、恋愛三昧に日を送る二人の竜騎兵の一人に、美しい少女と凄《すご》い奥さんとが絡む話である。「僧房夢」は、エルガアという、細い硝子の蛇のような綺麗な女が、一人の男を滅ぼす話で、エルガアは盾で圧し殺され、情人のオギンスキイは暗殺される。伯爵(その男は伯爵である)は、薔薇の花で飾られた恋の梯子《はしご》を登って行く。ふと上を見ると梯子は空で断《き》れている。下りようとして下を見ると、薔薇の梯子は紅い、灼けた鉱《かね》の梯子に変っていたのである。「復讐」の中で、ロレンツォの傍にいた、リオネルロが、ロレンツォの親友の入ってくるのを見て、美しい、女のような手で、弾いていたギタアを詰らなそうに卓子の上に置くところ。リオネルロに刺されて死んだロレンツォの血のような、赤い花型が水に映っているロレンツォの館……  こんなことを並べていると、まるで少女から臍《へそ》の緒《お》の切れていない、甘くてセンチメンタルな婆さんのようだが、(幾分そういうところもあるが)マリアは甘いロマンティシズムが大好きである。現代の小説というものが一体どんなものか、現代の空虚なのか、又は現代の憂鬱なのか、何かの抽象でなくてはいけないのか、マリアなぞにわかる筈もないが、マリアの想像では要するに、昔からの、外《そと》から圧しつけられたものを、なんとなく自分の見方のように思い込んでいた、誰も誰も同じの感覚、見方でない、自由な見方で、なにかを見て書く小説。たとえば、親や兄弟が死ねば悲しい、親に再会すれば抱き合って泣く、殺人は陰惨である、殺人をするには必ず首肯《しゆこう》すべき理由がある、というような、人間の心はこうあるべきだ、という観念ではなくて、自由な心で書く小説。そういうのが現代の小説であって、その上に昔の小説にあった、ヴェエルが纏《まつ》わっていれば、最高の小説なのだと、マリアは信じている。欧露巴《ヨオロツパ》の小説がどうなっているかは判らないが、文学的な映画を見ると、人間の自由な、捉われない考えや行動に、古典の、美のヴェエルを被せている傾向がある。  マリアの小説は現代小説ではないかも知れないが、マリアのように、ただ無意識に書いている人間にだって、その人間が小説を書く原因や、どういうものを書きたいという要求はどこかにあるから、ただ現代の小説でなくてはいけないといって、現代の中をむやみに掻き廻してみても仕方がないのである。と言ったような理由で、マリアはマリアのセンチメンタルな小説好きを、そんなにおかしくはないのだと、信じているのである。  底ぬけ小説の方は、フランスのBelles Lettresというのに似ていると人に言われてから、その気になっているが、Belles Lettresがどんなものか見たこともないのは、心細い限りである。この小説は魔利の気では、出来得る限り上等の葡萄酒の入った樽を拵《こしら》えているつもりで、フランスの食卓酒位には自惚《うぬぼ》れているのだが、開けて見ればとうの昔に底がぬけていて、微かに酒の香《にお》いがするばかり、という次第である。どうして底がぬけているかというと、これはマリアの考えと、日常生活、を書いたものだからで、マリアが底のぬけた樽のような人間だからである。水谷梅子なぞは(牟礼さんあなたどこか水が洩ってますね)なぞと言うのである。  マリアはやけになってごろつき、天から何か降ってくるのを待つ人のように、空想の湧《わ》くのを、待っている。アルチンボルドオの、「猟《かり》」「書物《しよもつ》」「春」「冬」なぞの戯人画の、ルオオの道徳とは似ても似つかない、恐ろしい画を発見して、忽ちそれに憬れ始め、その画のような小説を書くことが、マリア如きの企て及ぶところでないのを歎くのである。 [#この行2字下げ](どうせアルチンボルドオの画のような小説なんか書けやしない)  マリアは呟き、突然ジュリエット(猫)の顎《あご》を持って宙に吊《つる》し上げた。  マリアの傍に蹲《うずくま》り、終日|冥想《めいそう》に耽《ふけ》っている黒猫ジュリエットは、マリアの癇癪《かんしやく》のぶっつけ場所になっているが、黒猫とマリアとの神経の相互関係は、殆んど人間同志のものとなって来ていて、膝《ひざ》へ乗って来て、そこに居《きよ》を卜《ぼく》そうとするとマリアが頭を叩いて、蒲団の中の湯たんぽの上へ、マフラアかなにかのように丸めて押しこむ。不平の叫びを二声《ふたこえ》上げながら、結局は中でおさまる。が、少間《しばらく》すると蒲団の裾の方から匍い出して、食器の載った新聞紙のところに背中を向けて坐り、無言の示威をやって、食事を要求するが、知らん顔をしていると、カッと怒ってマリアのいやがる欧外全集の山に馳《か》け登り、窓際の写真や、菫色のヒースを挿した宮野ゆり子の高盃《タンブラア》の周囲《まわり》を飛び廻り、さては寝台《ベツド》の上の紅茶、砂糖入れ、チョコレエトの筐《はこ》。アリナミン、パント、グルタミン、 [#ここから2字下げ] ——グルタミンの罎のラベルに「養脳素」と書いてあるのを読むと友人は吹き出す。マリアは(頭が変なのさ)と説明する。実を言うと、グルタミンというのはグルタミン酸|曹達《ソーダ》の入った栄養剤で、頭がよくなるから試験勉強中の学生に好適という広告の薬で、マリアは小説がよく書けるお呪《まじな》いに服用しているのである。—— [#ここで字下げ終わり] 薄緑、クリイム色、濃紅なぞの軸の鉛筆、白、薔薇色、薄青、のボオルペン、具合が悪くなった、群像の万年筆、六角形の太い赤青鉛筆、肥後守《ひごのかみ》のナイフ、黄金色《きんいろ》のたがの嵌った消しゴム、栓抜きに爪切り鋏《ばさみ》、切り抜き用の鋏、プラスチックの小さな筒に入っていて、孔から糸がくり出すようになっている蚕のような糸巻き、針、口紅、等が、中に万年筆の箱の身《み》と蓋を入れて仕切り、いつも定《き》まった場所に整然と入っている、ボール箱、書きかけの便箋《びんせん》、等々の上を黒い魔のように乗り歩くことをやりはじめる。そこで鉛の錘《おもり》の入ったマリアの腰がやっと持ち上る、といった状態である。  マリアの眼の前には雑誌、週刊誌が同じ高さに山積していて、その上に切り抜きを入れた箱、封を切らない原稿紙、書きかけ原稿入りの箱、手紙用のものの入った箱等が載っていて、横手にも雑誌、要切り抜きの新聞、寄贈雑誌、手紙、葉書、マリアの文章の載った新聞、雑誌、気に入った色の包装紙、等が山積している。それらの山の中には、埴輪不三夫の名で発送された文芸美術健康保険の督促状も紛れこんでいる筈である(筈であるといっても、探したって見つからないのが通例であるが)。埴輪不三夫という文学者とマリアとは、健康保険の督促状、というものだけで繋がっていて、義務の強要者と、同じく義務の遂行者、としての交渉以外には二人の人物の間には何等のコレスポンダンスもないのであるが、これが全くもって面倒極まる関係であって、マリアは葉書、封書、又は督促状を受け取ることにより、埴輪不三夫(正確に言えば埴輪不三夫を会長とする保険会社の事務員であるが)はそれを発送することにおいて、双方がほとほと参っているのである。又、会の通知、要返事の手紙、受取り、名刺、なぞもいつとはなしに紛れこむので、何か一つの書類、或は葉書が必要になってくると、それを発見するということは殆ど絶望に近い仕事である。  幻影のような花と罎。ご執筆用のもの一切。お疲れになった時の為の紅茶、砂糖、等の一式。ここまでは、ロマンティシズムの作家たらんと熱望しているマリアの部屋として、首肯出来る道具立てであるとしても、その堆積《たいせき》の隣りの、映画雑誌の山の上に載っている巨大なキャベツは一体何のことかと、一寸意外であるが、マリアの生活形式を知っているものにとっては意外でもなんでもないのである。これが若《も》し、真島与志之《まじまよしゆき》の、伊太利の銀行の内部のような、冷厳を極めた書斎、恐らく台所からはかなりの距離があるにちがいない書斎の、書物卓《かきものづくえ》の上に置かれた、整然とした書籍(ああいう部屋では本は書籍である)の上に、或はキャベツが存在したとしたら、それは忽然とした妖気《ようき》ある出現であって、人々は目を疑い、あり得べからざる怪奇に出会ったような衝撃をおぼえるだろうが、マリアの部屋ではそれは当然極まる現象にすぎない。  寝台《ベツド》の上に卓子《テエブル》用のパン切り俎《まないた》があって、その上で三|糎《センチ》の紅い人蔘《にんじん》、キャベツの八分の一、馬鈴薯二個なぞが切られ、ラズベリイ・ジャム、牛酪《バタア》のサンドウィッチが造られ、寝台《ベツド》の下の朱紅色の花|茣蓙《ござ》の上では、銀色の鍋の中で、一つ一つ磨かんばかりに塩で洗った蜆《しじみ》と、三州味噌、白味噌、白鶴、醤油、花鰹《はながつお》、なぞで味噌汁の下拵えがなされ、寝台の足元の小卓子に並んだ透明な容器入りの牛酪《バタア》、塩、砂糖、橄欖《オリイヴ》油、月桂樹《ロオリエ》の葉、辛子《からし》、ミツカン酢、等によって、ボルシチ式|肉汁《スウプ》、独逸《ドイツ》サラダ、ぬた、等が生産されることになっているからである。それであるから、おくつろぎ用の(朝から晩までおくつろぎになっているが)紅茶道具と対角線に沿って、小さなボール箱が三個並んでいて、その中に、フレエプ入りのアリナミンの空罎、胡椒の小罎、味の素の入ったパンシーの筒、ロオル・キャベツ、ハンバアグ・ステエキ等の鑵詰、トマトジュース、ヴェジタブル肉汁《スウプ》、の鑵等が林立している。贅沢なマリアは、自家製の肉入りスウプ、サラダ、オムレツ、等以外は、高級レストランへ行っても不満足の時が多いが、小説が書けない絶望のところへ、本にするための頁の不足分であるところの、今書きつつある底ぬけ小説と、その他の短文の締切りが刻々迫る、という煩悶《はんもん》状態が、このところ続くので、鑵詰洋食にしているので、鑵詰洋食を米国製のヴェジタブル肉汁《スウプ》と、同じくトマトジュース等で延ばし、(米国製のヴェジタブル肉汁《スウプ》はその儘《まま》では飲めた代物《しろもの》ではないが、鑵詰洋食に入れるとケチャップの香《にお》いが弱まって一寸|美味《おい》しくなるのである。日本では西洋料理はケチャップの香いのするものと定《き》めていて、オムレツにもケチャップの紅い帯がついているのはマリアの常に哀《かな》しむところである。)牛酪《バタア》の固まりを入れ、フレエプと胡椒を入れて、ようよう幾らか満足の状態にするという手数をかけている為、それらの鑵が林立することになるのである。  生で刻む場合はことに、魔利の重要な栄養源であるキャベツは、マリアの部屋の中では一つの威容を現していて、不思議な二種類の光の中に、薄緑のつやを帯び、白く太い葉脈を浮び上らせ、ぎし、ぎし、音がしそうに固く葉を捲《ま》きつけて、燦然《さんぜん》として辺りを払っている、という、おどろくべき光景である。先輩作家の龍岡笙太郎《たつおかしようたろう》の「山辺の風景」にならって、「キャベツのある光景」を書いたわけである。今日はキャベツの隣りに、野原野枝実の家から移動したハッサクオレンジまでが、紅《あか》みのある橙《オレンジ》色を燦かせている。  硝子を眺めては絶望し、絶望しては硝子に見入る魔利の頭に、ふと忘れていた約束が浮び上って来て、マリアは時計を見る。マリアの時間と、現実の時計との間には時差があって(三四時間の差)、九時頃だと思っていたのが十一時三十分を七八分過ぎている。今日は野原野枝実とブリヂストン美術館に深海鱒夫《しんかいますお》の画を見に行くのであるから、ぐずぐずしていて薄暗くなれば閉館の虞《おそ》れがある。一緒に行く野原野枝実とは喫茶店「薔薇の園」で落合うことになっている。  魔利は夢から醒《さ》めた人のように、動き出した。  ブリヂストン美術館というのは名だけは耳にたこが出来ていて、見えたことのない建物である。内外の有名な画や彫刻をそこに並べて展覧に供する場所であるが、そういう展覧会の広告が新聞に出るのはそう屡々《しばしば》ではないのに、その会場の名を、いやという程、聞かされたり、読まされたりしたような気が、マリアにはしているのである。マリアがそういう場所に集まるインテリ族の生態に通じていて、行って見るよりさきに、その会場の雰囲気《ふんいき》に参っているからで、その広告を一度見た記憶は十遍見た位の強烈さで、マリアの頭に入っているのである。絵画や美術だけでなく、音楽、映画、なんでも、マリアはインテリ族の集まるところへは行かない。映画ならさしずめ今なら日比谷映画劇場の、「アラビアのロレンス」のロオド・ショオには、行かないのである。話声もなく、跫音もなく、一種独特の芸術観賞のやり方をする人々の群が、マリアには息苦しい。欧露巴《ヨオロツパ》でもそういうところで人々はあまり話さないし、大きな跫音を立てもしないが、日本の有名芸術の観賞に集まる人々の中にあるような緊張がない。一人一人が、高級な観賞物を見に来ているのだ、という意識を頭に置いていて、それらが集まって異様な緊張感を醸《かも》し出すのである。その、針が一本落ちてもわかるような緊張感がマリアの背中をぞくぞくさせ、そのぞくぞくを打消すために、なにか馬鹿なことを喋り出したくなる。音楽会なぞでは音楽の波が、その緊張感に出会って浸潤され、音楽がどこか硬くなってくるような気さえしてくるのである。  そういう困った環境の中で、魔利が自由に呼吸し、のびのびしていられる場合が一つだけある。フランスの芝居なんかの時で、マリアが芝居気ちがいの為である。ジャン・ルイ・バロオの「ハムレット」なぞを見ている時には、マリアは幕が開くと同時にいつの間にかその緊張感の呪縛《じゆばく》からぬけ出して、バロオの黒い、タイツのような洋袴《ズボン》の跳梁や、短剣を指先で支えるバロオの手が白い花のように、暗い中に閃《ひら》めくのに見入っている。フランス人が感情的な愛国の国民であって、ことに芸術の上で美的な表現をしている場合、それが強く感じられるのだが、そういうことを、バロオを見ながら想い浮べるせいか、科白《せりふ》の一つ一つに、ヴィヴ ラ フランスの叫びが潜んでいるように思われる、バロオのフランス語の響きにマリアは聴き入り、硬い大理石の上になにかをカチリと置いたような、|cris《クリ》という言葉の発音を、宝石のように呑みこむ。芝居狂であって又、仏蘭西気ちがいのマリアであるから、バロオの「ハムレット」の時は一寸大変で、三千円だったから一度より行かなかったが、マリアは今日今夜《こんにちこんや》、とばかりに、仏蘭西語に陶酔した。マリアはバロオの科白を殆ど同時に自分の脣《くちびる》の上にのせ、かすれた声で発音した。(何を言うかわからないから一寸は、ずれるのである)すると、バロオの科白の直ぐ後《あと》である為に、マリアの脣の上の仏蘭西語は全く仏蘭西人と同じ発音になるのである。そういうわけでマリアは、バロオが誇りをもって遣《や》った(シェクスピアの「ハムレット」と近代仏蘭西演劇との)恋愛、二つの美の結合に見惚《みと》れ、バロオが、異様な優越意識(バロオには何の意識か不明だろうが)の殻の中で、硬い顔を舞台に向けていた人々よりも、マリアのように、ただ、バロオがそこに身を投げ入れ、人々に受けとらせようとしているものを、解らなくても無心に呑みこもうとする見物人の方を、よろこぶだろうということを、信じて疑わなかったのである。「ハムレット」を見て、仏蘭西的に綺麗で、軽い、演出に感服したマリアは、超仏蘭西人的の、派手な表現のわりには中身の空虚な、空《から》っぽ感激で感激し、やがて雑誌に、バロオの演技がどうだとか、こうだとか、いろいろの人が書くのを見て、わけもわからずに憤慨した。そうして、頼まれたわけでもないのに縁の下でうんうん言って、「シェクスピアと近代仏蘭西の夜」という、シェクスピアも、近代仏蘭西の演劇も知悉《ちしつ》している評論家のような題の文章を「芸術黒潮」に持ちこんだ。もっともあんまり偉そうな表題だと思われたらしく、雑誌の目次には「フランス語のハムレット」という題に変えられていたが。マリアの書こうとしたことは、たしかにマリアのつけた表題に要約されてはいるが、そういう題で書くのには、少なくとも近代の仏蘭西演劇と、英国演劇か英国文学か、どっちかの概略位は知っていないとおかしい。四十年前の巴里で、その頃夫だった鎌田環《かまだたまき》の肱《ひじ》にぶら下がって、コメディ・フランセエズやヴィユ・コロンビエなぞで、「エメ」(愛すること)とか「パクボ・テナシティ」(商船テナシティ)とかの近代劇をぼんやり眺めた記憶で、仏蘭西近代劇がわかった気になり、シェクスピアの方は皆目わからないという状態で、(シェクスピアと近代仏蘭西)と来るのだから、マリアの小説なんというものが、いかに怪しげなものか、凡そ見当がつこうというものである。無論|勿論《もちろん》、マリアは、甍平四郎のように、無学や無知を飛び越えて、野原洋之介と肩を摩した、というような天才ではない。ただ綺麗なもの、というものが幾らか解るので、終日美に憧れ、その憧れた美というものを幾分でも表現したいと、思っているだけである。だがあんまりお調子に乗ると、マリアの畏敬《いけい》する甍平四郎の文学を、無学で、感覚だけの、特異な文学なぞと評する人に、丁度似合った崇拝者がいたなぞと万一書かれて、甍平四郎への悪口に錦上更に花を飾ることになっては大変である。マリアはマリアらしくもなく、眼玉を丸くして、反省するのである。マリアという人間は前非を悔いるとか、反省とかいうことを、したことがない。こんな芸術的で(ろくな芸術家でもないが)、こんなに美を愛する、こんなに「道徳を越えた道徳」(なんのことだかさっぱり解らないが)を持っている、間違っていない人間はないと、思っている。いくらか誇大|妄想《もうそう》の気《け》もあるようだ。  右のようなわけで、魔利は芝居の場合だと、忽ち舞台に惹《ひ》きこまれるので周囲の人々の緊張した空気から、ぬけ出せるのだが、音楽や画、彫刻、となるとよく解らないので、頭が半分観賞物の中に惹きこまれているのに、あとの半分は、会場の人々の醸し出す毒気のようなものから逃れられないということになる。どうして、ブリヂストン美術館に、ビエンナアレの出品作品や、レンブラントやルッソオを見に来たことが、優秀な人間であるということに結びつくのか、マリアには不明である。マリアには、どんなに偉いものを見ても、マリアはやっぱりマリアであるとしか、思われない。会場の中で、一種の緊張で硬《こわ》ばっている人々は、往来に出て少し歩くと、ふつうの人間になるのである。  行って見ると、果してブリヂストン美術館には優秀なる、選ばれた人々が跫音を忍ばせて意味ありげに、歩いていた。むろん疑似赤痢、いや疑似インテリ、でない人もいるにはいるが、かなりの本物の人種までこの緊張病はあるようである。緊張病のない人も、マリアのように馬鹿ではないから、下らないことで機嫌を悪くするようなことがなく、無言でその緊張人種の中に交《まじ》り、紛れこんだようになっているので、マリアにはどれがどれだか分らないから、ひきくるめて全体の雰囲気《ムウド》としては灰色|一色《ひといろ》の緊張感となった群集に圧迫されるのである。  牟礼魔利と野原野枝実とは例によって弥次喜多コンビを発揮しつつ、電車旅行をして銀座に着き、ようようブリヂストンという豪《えら》い建物の入口を発見し、押しても開《あ》かない方の扉に一度突進してから、又、向って左の扉から入り直すなぞ、いろいろあって無事、「サンパウロ・ビエンナアレ出品作品会場」の中の、深海鱒夫《しんかいますお》の、見覚えのある画の前に到着した。  緊張感に抵抗したわけではないが弥次喜多だから喋り通しである。「深海鱒夫のは文学的だから解る」とか、「幻想のための幻想でなくて本物の幻想である」とか、「ピエエル・ルイのクレピュスキュル・デ・ナンフ(ニンフの黄昏《たそがれ》)の挿絵《さしえ》にそっくりの、手帳の画はよかった」とか、「ルオオやゴッホは、苦悩に絶した人生を書いた私小説だから疲れる」なぞと、喋りつづけ、レンブラントの部屋に入った頃には段々声が大きくなって、人にも聞える位になった。マリア曰《いわ》く。「レンブラントは伊太利の美術館の、天井の高い、薄明るい建物の隅にあって、人物の顔や手が闇の中から浮び上っているようなところがいいのに、綺麗な硝子に入っていて、高級な人が行く大阪ビルの歯医者の診療室のような照明に包まれていると、全然レンブラントの感じがしないわ。闇の中の、灯《ともしび》の色のような人間の顔や手が、もう一度見たくなったわ」  ともかくそんな具合で、口から出放題の出まかせ批評を喋り散らしながら、牟礼魔利と野原野枝実とは会場をさんざんうろつき、彫刻の部屋では、手を触れないで下さいという言葉が、厳《いかめ》しい燻《いぶ》し銀色の、細長い板に彫刻されて置いてあるのに、野枝実は遠慮なく手を触れるという有様。緊張族の緊張はないかも知れないが、これではあまりにマナアとかいう英語に外れていると、いうものである。何故野枝実が彫刻に手を触れたかというと、マリアが、大層小さなロダンの「考える人」や「青年」を見て、これもロダンが造ったのだと言い出したからである。「これは模型じゃなくて、ロダンが、あの大きい方の他に、こういう小さいのも造ったのよ」とマリアが言い、野枝実は「これは模型よ。鋳型にはめて造った模型よ」と反撃し、高遠なる美術論争となった時、「模型よ。模型よ」といいながら、野枝実も半信半疑らしくて、一寸「考える人」の背中を叩いたのである。全く馬鹿げた見物人もあるものである。マリアは論争の直ぐあと、この論争は自分の負けらしいと、気づいたが、平常《ふだん》(野枝実は何も知らないんだから)を連発している手前、恰好の悪い仕儀である。  緊張した人々とともに、空気の流通の全くない、高級歯科医の部屋と同じ照明の建物の中に、一時間たっぷり閉じこめられて、すっかり疲労したマリアと野枝実は、二尾の大きな魚のように口をぱくぱくさせながら、ようよう出口から往来へ、泳ぎ出た。  建物を出る前に一寸ごたついたのは、絵葉書を購《か》うことになったマリアと野枝実とがそこで又、この二人連れは大人の女なのか、少女か、と見る人が判別に苦しむようなようすを、発揮したからである。  魔利はルッソオの二種類を、三枚ずつにしようか、五枚ずつにしようかと迷って相談し、ポンペイの壁画を見つけて又|購《か》い足し、野枝実は野枝実で「誰かに出すのに明るいのにするわ」とか、「これにしようかしら」とか、彼女が洋服の生地を購《か》う時と同じように何度も迷い、絵葉書売りの女に軽蔑《けいべつ》されながら、42番だ、65番だ、と騒いで、高級なる緊張人種からいよいよ低級視された、という一幕である。  銀座に出ても二人は相変らずのようすで、喋りつづけ、今度はこれ又、一種の気取りのある銀座人種の顰蹙《ひんしゆく》を買いながら歩き廻り、自家製ではうまく出来ないフライドポテトにあこがれてビヤホオルに入り、一杯のジョッキを二人で飲んで気炎を上げ、退屈と不機嫌の獣が口から、眼から飛び出しそうな顔をした絵葉書売りの女性が、マリアの横から青年紳士が何か訊《き》いたとたんに、にっこり微笑したが、そんなに出し惜しみする程の微笑でもなかったことについて、或は又、普通の人が聴いたら、二人とも許すべからざる非情の悪女とカン違いされるに決っているような、肉身に関する思想について、又は、葭雪《よしゆき》俊之介が御家人で、塩酢《えんそ》に困り、黒ちりめんの紋附を素肌に、白|博多《はかた》のよれよれの帯を|ずっこけ《ヽヽヽヽ》に巻きつけ、朱鞘《しゆざや》の刀をこれもずれ下がったように落し差しで、お堀へご禁制の金色鯉を夜釣りに出かけ、御用提灯《ごようぢようちん》の船に追いかけられて矢のように漕《こ》いで逃げ、逃げ果《おお》せないとみると故意《わざ》と舳《へさき》を向うの舳《へさき》に打つけ、「ご禁制の紫鯉よ、どうともしやがれ」と言いながら金色の魚を掴《つか》んで擲《な》げ捨てて、御用提灯の灯影で上眼づかいに役人を見上げたら、よく似合う、ということについて、あらゆる文学的な、或は馬鹿げた、永遠に種のつきない、愉快な会話に酔痴《よいし》れたが、魔利は小説を書かなくてはならない運命を想い出し、これも小説に取り組んで苦闘しつつある野枝実と別れ、既に読者が詳細に知っている、花と硝子のある、書けないものを書く煉獄の部屋へと、運命を諦観《ていかん》したような顔で、舞い戻った。 [#地付き](昭和三十五年六月〜三十八年二月)   [#改ページ]   青い栗  夫の秋治が、帝大の図書館の仕事で亜米利加《アメリカ》のニュウヨオク、ボストン、フィラデルフィアなぞを廻る旅に出たのが四月の半《なか》ばだった。  浅野秋治の一家が朝日村という、金持の家ばかりで一廓をなした住宅地に越した翌年で、その頃は魔利《マリア》と秋治との間の愛情生活が悪くなりかけたか、かけないかの、かねあいのところである。例えば魚の煮おきなら、鼻を魚の皮へつけてみてようよう微《かす》かに匂いが感ぜられる、といった程度のところである。蒼白《あおじろ》く、秀でた額の眉根が高い、鋭い眼と皮肉な微笑《わら》いとをもつ秋治の、長い竿《さお》のような痩《や》せた体は、一年程前までは憂愁の恋人として、魔利の眼の前を動いていたのだが、今や憂愁が度を越し、憂鬱となっていて、それが魔利を暗くする傾向が、生れはじめていた。  だが、愛情問題とは別に、家庭というものにひどく倦怠感《けんたいかん》をもっている魔利である。その魔利の気分は、朝日村の家全体を支配して、用事という用事を遅れさせ、或はどこかへ脱落させ、家庭というものの運営をガタピシにさせていた。なんともいえない、だらけた気分というか、倦怠の霧のようなものが家の中に漲《みなぎ》っていて、それが索莫とした空間を家の中に造《こし》らえて、いた。魔利が家庭をやらないので、家の中はどこか砂っぽく、用事は止まりかけた機械のように、止まっては又のろのろと、動いている。芝生はまだらに剥《は》げて、ちびた筆のようになり、その上を白い、長いキャピの毛がフワリフワリとさ迷っている。そういう状態は又一層魔利の倦怠を引き出してくるので、家のだらけた空気と、魔利の家庭への嫌厭《けんえん》とは互に相呼応して、響きあい、お互いを落莫たる淵《ふち》の中にひきこんで行くように、みえた。  広い家の中は、多くの硝子戸《ガラスど》に囲まれた、どこか空洞な部屋の集団に、なっていた。六つになった英二の弾く、ポツン、ポツンと離れ離れなピアノの音が、その一つ一つに孤愁の色を纏《まと》ってはね上り、部屋の空間で、消えた。灰色の水槽の一部屋に、厭《あ》きた魚の顔をした魔利がいて、その魔利の気分が、この硝子に囲まれた家の中にいる人間や、犬の頭にまで伝染しているので、家政婦の高井花も、英二も、四つになった慶三も、三人の女中たちも、どこか気倦《けだる》そうにして、動いていた。白い、毛の長い洋犬のキャピの、退屈しつくして狂い廻っている影は、硝子窓に暈《ぼんや》りと映る、まだらに剥げた芝生の上に、白く長い毛の塊りが解《ほど》けかかったような形で跳ね飛んでいる。まばらな五六本の楓《かえで》の木と、剥げた芝生とが灰白色の石の塀《へい》に囲まれているだだっ広い庭は、誘拐《ゆうかい》魔が子供と隠れている家の庭だと教えられても、誰でもが信じるような、索莫とした様相をおびている。  庭だけではない。秋治の新居のこの家は、家の外側は全部灰白色の石材で囲まれていて、どこからどこまで四角く直線で、出来ている。製薬会社の寮か、罪人の収容所か、というような殺風景な建物である。赤坂にある本邸の方は、明治時代の大工に委《まか》せたので、西洋館は紅い煉瓦で囲まれ、内部も家具も、すべて古い欧露巴《ヨオロツパ》式に出来ていて、どこかに黒船のハリスの邸宅の面影があったが、修作には西洋建築の智識がなく、今度も大工に委せ切りである。そこへもって来て秋治が何一つ意見を出さないので、その頃の所謂《いわゆる》新建築で、ただ灰色で真四角《まつしかく》なだけである。秋治と魔利との、悪くなりかけていた愛情生活は、二人がこの石の家に入ってからテンポを速めた気配があり、魔利の母親の圭子も、(牢屋《ろうや》のようだねえ)と言い、来ても落つかないようにして、早く帰った。前にいた目白の借家は所謂赤い屋根の西洋館で、大正中期の、白秋の童謡が子供のいる家を明るくし、彩っていた時代の家だったが、秋治と魔利との、最初から細く白い愛情生活の火が、消える前の薄赤い炎をあげたのも、その目白の家で、あった。  外側の灰白色なこの家は、内部は暗い褐色に塗られ、床は二階の日本間二間と、階下の魔利の居間とをどけてはすべて緑色のリノリウムが張られていて、その上を歩く人々の皮の上履きの音が、歯医者の廊下のような、冷酷な音を、立てた。  冬になると、秋治の義兄の安西洋三という、丸の内に事務所を持っている暖房器具を扱う会社をやっている男が、幾分試運転の意味でむりに持ち込んだボイラアで、石炭を湯水のように焚《た》き、階下から階上の各部屋、廊下、便所に至るまでスチームが通る仕掛けになっていたが、具合の悪い日の方が多く、一朝火が消えてしまうとすべてのスチームの管は氷のように冷えて、貧民窟《ひんみんくつ》の家より温度が低下した。日一日と陰鬱さを増して行くように見える秋治が、大嶋の普段着の痩せた肩と肱《ひじ》とを尖《とが》らせ、左手は懐手で、蒼い顔の片面を石炭の炎の光で赤く染めながら、むやみやたらに石炭を放り込むと、帝国ホテルの冷蔵庫ほどもある白い耀《かがや》いたボイラアの口の中で、赤い炎が地獄の業火の如くに燃え上るのである。秋治以外の人間には燃せなかったので、家はいつも森閑として冷え切っていた。  学校から帰って来る英二は、母親の魔利とそっくり同じの暈《ぼんや》りとした眼であたりを見廻すと、ランドセルを投げ出し、寝転んで漫画の本なぞを見始める。昼食の菓子パンの残りの一個が、ランドセルの蓋と教科書との間でひしゃげたのを取り出して、魔利に呉れることもあるが、渡す方も受け取る方も、ぱっとしない表情である。猛禽《もうきん》のような眼をらんらんと光らせている高井花の、艶《つや》のいい、紅く引締まった顔と体とから、母親にはない生活の活気のようなものを見出すらしい英二は、高井花が籠を下げ、白い割烹着《かつぽうぎ》の丸くこんもりとした肩を怒らせ、垂るんだポケットに蝦蟇口《がまぐち》を突っ込みながら、「英二さま」と言うと、幾らか元気のある様子で起き上り、黒い靴下の細い足で花のあとへ従いて行った。食堂の安楽椅子に腰をかけ、庭へ下りる石段の上に置いてある睡り草の鉢の上に、焦点のない眼を合わせている魔利の眼が、それを不愉快そうに見送るが、その眼は又睡り草の上に、返るのである。  プレジデント・ジャクソンという船で、秋治がいよいよ発ってしまうと、ロマンティックな魔利はいささかの活気を盛り返し、手紙の紙を拡げて、居間の窓を眺めた。曇った硝子窓には栗の大木の幹が、幾らかの苔《こけ》に青んで、映っている。魔利が注文して郊外の植木屋から運ばせた、たった一つの情緒のある庭木である。窓からは見えないが、繁った葉の間々には薄緑色の長い花房が、濃い、息苦しい匂いを辺りに吐いている。木の根元の、キャピの白い毛と、長虫のような、白ぼけて青い栗の花とが混り合って、ところはげの芝生に散らばっている光景はぞっとするが、魔利の心眼はもっぱら薄青い煙の尾と、濃い匂いとを、葉の間々に群らせている栗の梢《こずえ》に、向けられているのである。 [#この行2字下げ](パパが帰ってくるのが十月だと思うと、尖った毬《いが》を被った青い小さな栗の実が、三つ四つと固く塊って実《な》っていて、それが緑の匂いのするような、秋の栗の木が見えて来ます。……)  そういう書き出しの便箋《びんせん》無慮十数枚の魔利の手紙は、やがてやっぱりプレジデント・ウィルソンか、パタアソンかなにかの船の便で、ニュウヨオクの大使館に、着いた。秋治と同行した、おでこの四角い宮田という図書館の属託の男が、行く先々からホテルなり大学なりの所書きを寄越してくれるので、そこへ向けて頻々《ひんぴん》と魔利の手紙が海を渡るのである。秋治の方も幾分か陰鬱が薄らぐらしく、五六年前の欧露巴からの手紙には比すべくもないが、いくらか愛情のある夫らしい片鱗《へんりん》を現した手紙を寄越して、魔利の手紙病に拍車をかけた。外出嫌いというよりも、とくに魔利の外出を嫌う秋治と、長い間暮したために魔利は、秋治のいない留守でも、家の中に体が張りついた感覚があるので、映画も銀座もなく、魔利の夢はもっぱら手紙の文章の中に滲出《しんしゆつ》した。  その頃魔利は秋治に頼んで、ミュッセの≪恋を|弄《もてあそ》ぶ勿《なか》れ≫を訳し、それを鷹能《たかの》という秋治の先輩に見て貰うことをしていた。だが偉大な浪漫派のミュッセの戯曲も、魔利の夢としては甘さが不足していた。偉大なミュッセも昔の人間であるから、どこかまだるっこくて、魔利の父親の欧外の文章のようである。  そういう、だらけ切った生活が、或晩一つの出来事によって目が醒《さ》めたようになり、魔利のいる灰色の家は一時、いくらかの活気を呈したのである。  それは九月に入った三日目の、ひどい風の日で、魔利の母親の圭子と妹の百合《ユリア》が来ていた。栗の木の窓のある部屋で、魔利は役者の舞台写真や、素顔の写真なぞの入った箱を持ち出して、遅くまで遊んだ。魔利は当時、沢村源之助の切られお富、またかのお関、なぞの写真を居間に飾って尊敬していた。黒|縮緬《ちりめん》の着物に白博多のひっかけ帯、着物の裾をめくって白縮緬の腰巻を現した写真である。秋治はそれを厭《いや》がり、圭子が来ると、 「僕は鼠とりで殺されるかも知れませんよ」  なぞと、言った。圭子は笑って、 「秋治さんは少し本気で言っているねえ」  と、魔利に言うのである。  十時が過ぎて、圭子たちは帰り仕度をした。圭子は女中の母親のように、台所口から出入りするのが好きで、その日も秋治や魔利、英二なぞのよごれた衣類の、洗い張りに出すのを引受けたので、大きな風呂敷包みを持って出て行った。その為に近所や出入りの商人なぞの間で、(浅野さんの奥さんのお実家《さと》の奥さんは、大きな風呂敷包みを持って夜裏口から出て行く)なぞと蔭口が、囁《ささや》かれていた。 「風が強いからお気をつけよ」  圭子がふり返って、言った。魔利はぼんやり、もとの部屋に引返したが、部屋に入ろうとして、一瞬敷居際に、立ち竦《すく》んだ。開《あ》けてあった窓の縁《へり》に、艶のある禿《は》げた頭が薄い櫛形《くしがた》にみえていたのが、すっと下へ引っ込んだのである。魔利は途中に女中部屋のある、もと来た廊下へ引返したが、背中に冷いものが走っていて、食堂を出たところにある電話室に入ることが出来ない。女中部屋の入口に立った魔利が禿げ頭のことを言うと、三人の女中は同時にのろのろと、立上った。りえという背の低い賢いのが、硬《こわ》ばった顔を力《りき》むようにして、言った。 「落ちつかなくっちゃあ……」  太った大きい方の一人が後を向き、押入れを開けにかかった。 「無くなったものがあったら買って上げるから、直《す》ぐ私《あたし》と二階へお出で」  魔利は自分でも知らぬ間《ま》に、覚えた科白《せりふ》のように、言った。三人は従順に魔利の後《あと》について階段を上り、魔利夫婦の寝室に入って、魔利が鍵《かぎ》を掛けた。英二も、慶三も睡っている。少間《しばらく》すると寝室の真下の秋治の書斎で、かさこそと、何か物色するらしい物音がした。 「金盥《かなだらい》を叩きましょうか、奥様」  りえが言った。窓を明けて金盥を叩いたら、誰か来て呉れようと、いうのである。 「何もしない方がいいのよ。その内冬雄さんが帰るから」  魔利が、言った。  朝日村の住宅地というのは、若槻《わかつき》首相の家なぞも混っている大邸宅ばかりが、定規で計ったような白い道路を挟んで整然と並んでいる、どれも同じな灰白色の家の集団である。何を鳴らしたからといって、しかも夜夜中《よるよなか》、犬の子一匹出て来て呉れるというような場所ではない。これが林町の実家ででもあるなら、すじ向うの団子屋の、土色の顔をした親爺そっくりの息子、正面の床屋のアサスズメ、この男は麻雀《マージヤン》の流行《はや》り出した頃、「この頃は麻雀《あさすずめ》ってのが流行《はや》ってますね」と言ったので、それ以来魔利たちの間ではアサスズメと呼ばれている男で、細く小柄で色が白いが、病気がありそうにはなく、男一人前の力はありそうな男である。それから隣りの酒屋の若旦那、及び二人の中僧、右隣りの道具屋の主人。床屋の隣りの判こ屋の主人だけは、二六時中背中を丸くして坐り詰めで、元気が夥《おびただ》しく欠けているので頼りにならないが、これだけの男たちの中から、少なくとも二人や三人は駈けつけて呉れる可能性があるのだ。魔利はそう思って、この冷ややかな灰白色の家々の集団が現している、特殊階級の持つ気分というものを、呪《のろ》った。  少間《しばらく》して今度は寝室の窓の外に微かな気配がした。四人の女が息を詰めて見守っていると、窓の下の枠《わく》を二三度滑る手の音がし、窓硝子をかする手の影が映って、その儘《まま》静かに、なった。四十分もした頃、廊下に足音がして冬雄の声がし、扉が鳴った。冬雄というのは秋治の弟で、秋治の留守中、用心の為に夜だけ宿りに来ていた慶応の学生だが、その頃の三田通りの遊び人で、いくら夜の番人頼まれたのにしても、毎晩来るのが遅すぎた。冬雄の声を聴くと、魔利よりも三人の女中たちの方がみるみる元気になって、我先にと廊下へ出た。冬雄は金縁眼鏡の中から、いつもの白眼勝ちな上目使いで、女たちを見て、言った。 「裏から入ると電気が点けっ放しで誰もいねえんだろ。変だと思ったから掴《つか》まれねえように上着を脱いで入ったんだ。もういやあしねえ。何が盗《と》られてるか見てみろよ。魔利|嫂《ねえ》さんじゃあ何が無くなったか分らねえんじゃねえかな」  そんなことよりも、留守番の帰りの遅いのが第一に困るのだ。魔利は内心怒りながら、思った。結局臆病で賢い泥棒だったらしく、箪笥《たんす》の上にあった魔利の財布から現金だけを抜いて行っただけで、手提《てさげ》金庫にも手をつけていなかった。  翌朝。駒込署から刑事らしい男と、巡査が二人来たが、被害が少ないので彼等は身を入れて調べてくれようとはしない。魔利は留守中にもう一度来ることを怖《おそ》れて、それを言ったが、刑事らしい男は笑って答えないのである。魔利は寝室の窓のことがあるので、痴漢の傾向を持った泥棒だと見当をつけていて、内心ひどく怖れた。魔利は一人で家の内外を見て廻って、寝室の窓に枝を延ばしている楓の横木についた、泥の跡を発見したり、居間の窓の下で燐寸《マツチ》の軸木《じくぎ》を見付け出したりしたが、刑事たちは何一つ発見しようともせずに、引上げて行った。魔利から話を聴いた舅《しゆうと》の修作が大工を伴《つ》れて来て、寝室の窓全部にがっちりした太い鉄の棒を嵌《は》めさせたので、たださえ灰白色の、四角いだけの石の家は、いよいよ狂人の住家か、罪人の収容所か、というような凄《すご》みのある表情を、おびて来たのである。  魔利は、二階の窓に鉄格子の嵌った、灰色の家の中で、相変らず恋文のような手紙を秋治に書いては、その他の時間はぼんやりと、食堂の安楽椅子に腰をかけ、永遠のように続く家庭というものの歯車に、辛くも引っ掛っている肥った魚のように、倦《ものう》い息を、吐いていた。魔利の吐く息は丸い、大小の水泡になって、倦怠の漲《みなぎ》る空間を登り、灰色の水槽の天井に突《つ》かえては辺りに不満のつぶやきのように、微かに鳴り、破れては飛び散った。  日に一度は夕飯|刻《どき》というものが来て、女中の一人が顔を出す。 「奥様、晩のお菜《かず》は何にいたしましょう」  そう言って女中はかしこまって魔利の顔を、見詰める。魔利は暈《ぼんや》りとした眼に、幾らかの光を出して女中を見返り、だらけ切った頭から二つ三つの料理の名をひき出し、それぞれの料理の下拵《したごしら》えを、女中に命ずるので、あった。 [#地付き](昭和三十六年六月)   [#改ページ]   気違いマリア  マリアが父親の遺伝をうけたとしても、又母親の遺伝をうけたにしても、どこかに気違い的なところを持っていていい訳なのである。つまりふた親の悪い、変なところが遺伝したのである。(一晩に草鞋《わらじ》を百足造る人と言われた、整理された頭の、論理整然の私の父親といえども、文学というものに関係していたのだから、どこか変なところがあった筈である。彼はいい小説家ではなくて、飜訳の名人で同時に、精力的で明るい頭の男だったが、いい小説家ではなくても素晴しい文学者ではあったのである)父親の方は異《かわ》った清潔《きれい》ずきで、入浴をしなかった。(湯に入るのは、他人の垢《あか》を自分の体にくっつけに入るようなものだ)と言い、湯を入れたバケツと、空のバケツとを並べておいて全身を拭いた。どういう訳か、石鹸箱《せつけんばこ》を使わなくて、競馬石鹸が、英吉利《イギリス》の騎手を描いたラベルのついた、真紅《あか》い繻子《しゆす》の包み紙の上においてある。包み紙には細い黄金《きん》の紐《ひも》がついていた。この場面はもっと細かく書きたいが、そうするとマリアの気違いを書く場所がなくなる。新潮や群像に書くためには我慢が必要で、上等な料理をくうのには多くの金を払う我慢をしなくてはならないのと同じ仕組みらしいのである。(おかあちゃんは羽左衛門がいいなんぞというが、花柳病の黴菌《ばいきん》を体中につけていて、湯に入ってかみさんの分の黴菌をくっつけて上がってくる羽左衛門より俺の方がよほど清潔だ)と言うのである。飯を食った後の箸《はし》は茶碗の茶で濯《すす》いで、先を二つ截《ぎ》りの半紙で包んで、箸箱の中にコトリと入れる。小水の後は、箸と同様、体の先を半紙で包んで、その上から下帯をするのである。母親の方ももともと清潔《きれい》ずきだったのが父親に同化してだんだん気違いじみて来た。劇場の手洗いの扉を開ける時には用意の半紙を三四枚手に取って、ふつう人が触れない、極く上の方を持って開ける。歌舞伎座の上品なご婦人や、芸者たちが目をそばだてて見ている。夏、食膳に蠅《はえ》が一匹でもくると(あッ、蠅、蠅、蠅!)と叫んで青白く美しい掌を烈しく振って払いのける。  その母親の大騒ぎの叫び声が、マリアに遺伝したのである。マリアが目下住んでいる白雲荘という建物の(目下だけではなく、マリアはこの建物に永遠に住む覚悟でいる。今いる部屋でなくては小説が書けないと信じているからで、マリアは萩原葉子が自分のアパルトマンに来いと言った時もその理由で断った。富岡多恵子はそれを聴いて、葉子さんの誘いも断るとはさすがにマリさんである、と言った)不潔さ、及びその住人たちの日本庶民的不潔さは恐るべきものであって、白雲荘では毎日、真夜中或は四時頃になると、室生犀星が(灰色の舌)と描写した階段の下の洗い場の辺りから、マリアのひそめた叫び声が起って、混凝土《コンクリイト》の四囲の壁に硲《こだま》することになった。マリアが夜中に食器を洗うのは、何も叫びたいからではなくて、同居の嚊《かあ》ちゃん連が四五人前の、見るのもいやな茶碗、洋杯《コツプ》の類(どういう訳か彼女たちは田舎の、弁当屋の二階が料理屋になっている、というような店の茶碗、皿小鉢、或は魚屋の刺身の皿と同じの食器を買ってくるのである。洋杯は町の荒物屋が、自分たちや、魚屋、安料理屋、こういう嚊ちゃん連のために仕入れて並べている、一部分が紺だの臙脂《えんじ》になっている六角形、又は朝顔の花型に開いた形のものであるが、これらの人種の味方になって、こういう食器類をえい、えい、として製造している工場も、どこかに無数に、存在しているらしいのだ)を、油の附着したのも、ジュース用の洋杯も(彼らは又よくジュースを飲む種族であって、自分の子供を殺して自殺したり、夫や親を殺したりする嚊ちゃんが毒物を入れるのはいつもジュースである)一緒くたに突っこんだ大ボオルを|でん《ヽヽ》と据え、傍若無人の背中を見せてがんばっていて(彼らはマリアが何か書いているとわかると、ガンバッテ下さいと、言うのである。マリアはがんばらないで、ぐにゃぐにゃしているのでなくては人生のことも、小説も出来ないのだが、マリアを見てそういう雰囲気《ムウド》をわかるようなかれらではないのだ)、それが殆ど四六時中で、巴里《パリ》的優雅をおびたマリア用の二つ三つの茶碗や匙《さじ》を割り込ませてくれぬし、又薄汚なくて割りこみたくもないからなのだ。日本の庶民というのは男女の別なく、どこにでも痰《たん》を吐き飛ばす人種であって、わが白雲荘の紳士淑女も例外ではなく、朝、顔を洗うといっては吐き、昼間体を拭きに来てはガアッと吐く。部屋の中ではマリアが、唾をのみこめない状態になり、背中|中《じゆう》にぶつぶつが出来そうになって、(痰の音の不快を微細にうけとるために、その痰が自分の口に入ってくるような気がするのである)「ああいやだ。車屋と住むなんて思いもしなかったんだ」と、叫んでいる。「巴里のホテルじゃあ、白《しら》っ子《こ》のジルベルジニイだって、男妾《おとこめかけ》のジャンだって、痰を吐いているのを見たことなんかありゃあしない。パッパは半紙に取ってはばかりに捨てていたんだ。第一パッパが痰を吐く音は独逸《ドイツ》語の咽喉《のど》の音《おん》のような声で、吐く時の顔も素敵だった」と、彼らに面と向って言ったって通じる筈のない愚痴がそれに続くのである。白雲荘の廊下から起る声、せりふ、というものは絶対的にマリアの世界とは相容《あいい》れぬ種類のものなので、マリアはいらいらし、木製寝台の背中をコトコトコトと弾いて、少しでも外の音をくらまそうとしている。ここのところは永井荷風の気ちがいが遺伝している、という複雑さである。外の音の強弱につれて、寝台を弾く音もいらいらしくなったり、弱まったりするのも、荷風と同じである。(マリアに荷風の遺伝はおかしいが、荷風が自分の部屋で行きだおれて死んだ時、彼が死ぬや否《いな》や、彼の空気分解した脳細胞の中の悪い要素が風に乗って、市川|本八幡《もとやわた》から世田谷淡島に飛来し、それがマリアの頭にとり憑《つ》いた、ということも科学的にはともかくとして、情緒的には有り得るのだ)何故《なぜ》ならその頃マリアは荷風に陶酔していて、彼が日乗(日記のことらしい。荷風においては午後は|※[#「日+甫」]下《ほか》であって、荷風、鴎外、漱石、ともなると、現代っ子はおろか明治婆さんも戸迷《とまど》うのである。英語や仏蘭西《フランス》語も大変で、漱石のボイはボオイであり、荷風のモオパスサン先生よは、モウパッサンのことらしいのだし、鴎外のアテエネはアテネであり、フリツツは、雪は降りつつのふりつつではなくて、男の名前である)に、もと、吉原にいた婆さんについて、≪おろかなる者なれば行きてみるに≫と書いてあって、その頃寂莫孤独だったマリアはそれを読んで、自分はおろかなものなのに、何故荷風は来ないのかと、天を恨んだこともあったからである。とにかく変なものはすべて、マリアにくっつくらしいのだが、人知れず附着するので、よける暇もない。呉淞江《ウウスン・クリイク》を小舟で弾丸《たま》を運んだ友田恭助のように、体を左右にゆすっていればいいかも知れない。  さて、白雲荘の洗い場である。漆喰《しつくい》の中に不等辺三角形の黒と灰色との砂利の破片を混ぜて練り固めた洗い台は、昭和十三年以来の古びで全体に赤褐色に色づいていて、なめくじ、みみずの類が極楽にいる面で匍《は》い廻るところへ、あらゆる同居人の痰が飛び落ちる場所であるから、マリアはそこに立つとまず、神経を極度に緊張させざるを得ない。赤茶色の漆喰の面にも、そこに渡した簀《す》の子《こ》にも、(この簀の子にはつねに、得体の知れぬものが附着している。なめくじかと思って見ると、味噌汁の実の玉葱《たまねぎ》だったり、そうかと思うと、背中に縞のあるなめくじかと思うと、味噌汁の中で軟化しただしじゃこだったりする)絶対に触れないように洗おうとするからだ。廊下、ところどころ剥《は》げ落ち、或は剥がれかかってぶわぶわしている壁、手洗いの扉、その扉の止め金、すべて白雲荘という、この貴むべき建物には安心して触れるところは皆無である。後で手を洗えばよかろうと言うのはマリアと異《ちが》った感覚を持った人間の話であって、白雲荘のどこかに触ったら最後、マクベス夫人の掌の血ではないが、何度洗っても消えることのない厭《いや》な感覚が、この頃のバカ女の子の言う、あの痺《しび》れる、というのの反対の厭なしびれが掌の指に残って、長く余炎を焚《た》くのである。Oh! 恋の後の陶酔の如くに永い、その余炎よ! マリアはこの永く玄妙な余炎を恐れるのだ。ところが指で何かを持ったり、扱ったりすることが馬鹿《ばか》下手《へた》のマリアは、アッという間にその赤茶色の漆喰や赤錆《あかさ》びの石鹸置き、坊主になった飯粒だらけのたわし、鼠の死骸かと思って、或夜マリアが飛び上がった、異様に繊《ほそ》い針金のかたまり、等々に、手の甲や茶碗の縁《へり》、ナイフの先なぞが触る。そこでマリアの狂声が上がるのだ。アパルトマンの深夜の嬌声《きようせい》なら面白いが、狂声は困るのだ。   マリアの叫びは、混凝土の谷間の四囲にひびいて、いんいんたり [#地付き](犀星)    痰となめくじと、みみずにまみれた赤褐色の漆喰の上に、平気でボオルや鍋《なべ》をじかに置く嚊ちゃんたちは、マリアが一寸《ちよつと》部屋に行っている隙にマリアの洗い桶《おけ》を漆喰の上に下ろすのだ。するとマリアは全身に不快《いや》な痺れが走って、危うく叫びそうになるが、昼間の場合は叫ぶことが出来ない。それより以上に悲惨なのは手洗いでサンダルが脱げて、跣足《はだし》の足の裏が湿った手洗いの床に着いた瞬間である。白雲荘の床という床はすべて痰壺である上に、とくに手洗いの床は、猫よりも行儀の悪い白雲荘の紳士淑女が(彼らに比べるとマリアのもと飼っていた黒猫のジュリエットは、優美だった。マリアは、窓からみえる灌木《かんぼく》の蔭の草の中に、坐っている時の形でしゃがんでいたジュリエットの優美な姿を、想起するのだ)汚した後を、水と丸苅《まるが》り帚木《ぼうき》で流すだけであるから、きれいな時でも触るとなめくじの背中のような感触があって、冷たさと湿り気もなめくじそっくりである。マリアは不快の余炎に痺れながら井戸端に走り、井戸水で足の裏とサンダルとを流し、部屋に入って専用のバケツに湯を入れて、ミュウズ幼児用石鹸で丁寧に洗うのだ。ここでは父親の遺伝が濃く現われる。競馬石鹸がミュウズ幼児用石鹸と変っただけである。  白雲荘の川向うに花柳湯という、いやな名の町湯がある。目黒寄りの高級住宅の住人だって大したことはないが、(マリアは生れ故郷の本郷、そこにつながる追分から湯島、広小路、下谷、マリアの第二の故郷の下車坂の一帯、浅草、=浅草から先の吉原は、行って見たいと思ったが、女がうろつく訳にもいかないので行ったことがない=又、広小路から黒門町、日本橋、銀座へかけての、芝や神田も含む、たしかに東京と言える一円以外の土地を東京とは認めないので、それ以外の土地にはろくな人間は住んでいないだろうと定《き》めているのだ)花柳湯のあるそこら一帯、白雲荘の紳士淑女の同類が固まっているので、花柳湯も、不潔なことにおいて白雲荘と大差はない。花柳湯の建物自体は、近辺では清潔《きれい》な方なのだが、入る人間が痰吐き族である。花柳湯のタイルの上も痰の吐き場であって、湯に乗って痰が、マリアの方に流れて来かねないのだ。横尾忠則の裸女も三舎を避ける馬肉ハムの色をした女類(銭湯というものに行って見れば、世間で女と称しているものの大多数は≪女≫ではなく、女類とも称すべきものであるのが判明する。娘や主婦、下級の令嬢、御婦人たちが、男の前で羞《はず》かしがるのは演技である。彼女らの銭湯における態度、動作が、それをマリアに証明したのである。極く稀《まれ》に、家に湯殿がある筈の階級の、四十歳以上の奥さん、又は西洋の幼女のように、体を真直《まつす》ぐにして湯槽《ゆぶね》に近づいて行く十代、二十代の、見惚《みと》れるような女は別にして、大多数の女は見ていて嫌悪を感ずる。銭湯で実体を見た眼で見ると、ミニ・スカアトを引っ張る女位滑稽なものはない。男色の男がもし品のいい男である場合、彼はこの女類の醜悪を知悉《ちしつ》しているのが理由の一つではないのか? と、マリアは考えるのだ。銭湯の男の方を見たことはないが、男たちは乱暴かもしれないが、変に陰湿ではないだろう)が、ガアッと吐き飛ばす痰はどうかすると、下水に通ずる溝《みぞ》へうまく入らずに溝の縁《へり》に落ちる。するとハム女は片手で桶の湯を掬《すく》って痰を押し流そうとするのだが、彼女の動作にはどうかして痰を溝の中へ押し遣《や》ろうとする熱意がない。障子の塵《ちり》を払おうとする意志がなくて、唯はたきをバタバタやる、鴎外の所謂《いわゆる》(本能掃除)のようなものだ。マリアはボオルを持ち上げ、女の手の動きと同時にボオルの湯をサッと空けて、痰を流す作業を補助強化することにしている。水道のカランや、石鹸置き場、タイル、それらのすべてに、タオルや手を触れぬように、全神経を集中することは白雲荘の流し場と同じである。カランを捻《ひね》った後の手は必ず掬った湯で濯《すす》ぐのである。土人のように縮れた髪に安石鹸を塗りつけ、十本の指を突っ込んで掻《か》き廻す、ハムのような女は、銭湯で歯を磨き、含漱《うがい》をし、痰を吐く。レエスのついた、豪華なスリップを着てくるわりには、彼女らのタオルは薄汚ない。マリアは昔の一高生の腰に下げていたタオルでなら顔でも拭くが、銭湯のハム女の手拭いを借りるのは絶対ごめんである。マリアは濃い桃色の女類たちを嫌厭《けんえん》の眼で見ながら、それだけは決してゆるがせに出来ない、一定の順序と様式とによって入浴を済ませて、一秒でも速く上ろうとする。簡略にすることはあっても、決して順序を乱さず、手も抜かずに、急いで入浴するマリアはまるで二分間以内に切腹する侍のようなものだ。  又不思議なのは、十人が十人、二十人が二十人、銭湯にくる女の入浴の仕方が、顔の洗いかたから足の踵《かかと》の洗い方まで、全部が、相談したように同じなことである。これはマリアが、白雲荘に住んでみて判ったことだが、彼ら庶民というのは朝起きるから、夜寝るまでの生活が万事、一人の例外もなく同じであり、考えることも同じ、従って話題も全員全く同じで、かくて元旦の夜明けから大《おお》晦日《みそか》の鐘の鳴るまで、一年間、すべて同じに行動するのであって、その一年は又次の一年と勿論《もちろん》同じであるから、つまりはかれら庶民はすべて同じの一生を送るのである。彼らは先《ま》ず箪笥《たんす》、ミシンの類を、部屋の両側に一分一厘の狂いもなく、銀行の書類戸棚の列の如くに置き並べ、畳んだチャブ台も、その線から引っ込みも、はみ出しもせぬように壁に立てかけて、正方形のガランとした畳の空間を造って、そこに坐っている。そのマリアにとってはぞっとするような、白痴的空間を、彼らはアパルトマンの部屋数が二十あるとすれば二十個、造り出しているのだ。その白痴《ばか》の頭の中のような真四角な空間を見るとマリアは、味のない水をがぶがぶ飲んだ後のように、吐き気がしてくるのだ。要するに、痰と、不潔と、奇妙な秩序とから成り立つ生活様式の中の、空虚な精神空間が、彼らもと市外の庶民、及び、準庶民の人生なのであって、その均一、平等の生活様式が、彼らの入浴のやり方にも如実に現れていて、たまたま彼らと同じ銭湯に入ったマリアをおどろかせたのに過ぎない。マリアの入浴方法は、今も書いたように、これ又不思議にも宇野浩二の気ちがいが遺伝したものであって、それは腕なり、脚なりを四面の棒に見立てて(宇野浩二の場合は六面の柱だったのだ)石鹸を塗ったタオルで一つの面を二回ずつ摩擦したり、指の爪を三回ずつ擦《こす》る等々の、父親の燐太郎の全身|払拭式《ふつしよくしき》、葉隠れ武士の切腹式の一種の儀式のようなものである。マリアは常に新しい、薄紅色、或は檸檬《レモン》色のタオルに、ミュウズ、ベビイ石鹸をことさら派手に盛り上げ、白雲荘族、淡島族に、この上品な香《にお》いを香《か》いでおけ、とばかりに全身に隈《くま》なく泡《あわ》をたてて入浴し、極寒の季節以外は浴槽に入らず、「汚《けが》らわしい」とばかりにさっさと、上がるのだ。マリアの方が気ちがいであるのは百も承知だが、マリアの思想から言うと、彼ら高等|賤民《せんみん》の、千万億人、格一均等の生活様式こそ、頭脳空洞の人間が形造った、何かの魚の卵か、細胞のような、最も軽蔑《けいべつ》すべきものなのだ。  ところで夏の白雲荘には、蒸発した痰の跡に茶碗や体が触るという恐怖の他に、マリアを叫びそうにさせる一つの不快があるのだ。マリアは山の中の高級旅館の特等室もかくやという、風通しのいい二間続きの部屋で、幼時から十六歳まで夏を暮したせいか、(青桐、楓《かえで》、杉、樅《もみ》、朴《ほお》、泰山木《たいさんぼく》等々の梢《こずえ》を漉《こ》されて来た青い風がその二間を北から南へ、日によっては反対の方向に、絶えまなく吹きぬけていて、房州日在の小さな家に行くのは暑くなるために行くようなものだったが、子供の健康のためと、父親が砂丘の庭で星を調べたり、「妄想《もうそう》」という彼の小説の中の翁《おきな》になった気分に浸るためとの為に夏の二週間を移住したらしかったのだ。洗練と都会と芝居以外は大嫌いの母親にとっては年に一度の犠牲の二週間だったのだ)白雲荘の中でブラウスを着ていることに耐えられない。それで、出来得る限りレエスや刺繍《ししゆう》の少ない、胸のところも切れ込んでいない、子供用的のスリップにスカアトで暮すようになり、この二三年は廊下にもその|なり《ヽヽ》で進出するようになっているのだが、白雲荘の淑女たちが、源氏物語の女御のようにつつしみ深く、各々ブラウスを着ているが紳士の方はドス黒い裸にパンツかステテコで横行している。勿論マリアは婆さんの年齢である。又かれら紳士たちも、女のひとと擦れちがったと思っていはしないのだが、従って吉行淳之介の酒場《バア》に於《お》ける如くに、ひそかに腰を撫《な》でもしないのであるが、(白雲荘の紳士に触られるようなことがもし起れば、それこそ万死に価する恥辱である)スリップにスカアトの女が、裸の男と擦れ違うのは、こっちがかりに七十だったとしても、八十だったとしても厭らしいのだ。少なくともマリアの気分としてはひどく厭らしいのだ。いつ、どこから現れるかしれない裸の紳士の影がマリアをいらだたせる。深夜の食器洗いの途中で一寸部屋に入って出てくると、突如として洗い場の向うの扉があいて裸の紳士が現れる。こっちは婆さんであるから叫んだり、おびえて部屋に馳《か》けこんだりするわけにはいかない。ついに一度も男性と女性を感じさせることのなかった父親と母親との間に育った清浄野菜のマリアは、長じて後偶然不思議な結婚生活をおくったので、いまだに底に固い少女を残している、という特別婆さんなので、表面には現わし得ない、そのためにとくに酷《ひど》い恐怖と嫌悪とをかれらの傍若無人な裸に対して抱くのだ。車屋の如き紳士たちに、厭らしい婆さんと思われはしないか、という又実に恐るべき屈辱感にも襲われるのだ。ところがへんなのは(別にへんではなく、正当な感覚だと思うのだが)、マリアが嫌厭するのは(男)の裸であって(この( )に注意して貰いたいのである)たとえば三島由紀夫や吉行淳之介、福田恆存、池田満寿夫、深沢七郎、等々が裸になっていたとしてもその裸の人物は(三島由紀夫)であり、又(吉行淳之介)であり、又は(福田恆存)であり、(池田満寿夫)であり、(深沢七郎)なのであって、厭でも、恐怖でもないのだ。三島由紀夫の裸はボディビルのジムで見たことがあるし、吉行淳之介の胸は瞬間だが、シャイロックが切りとろうとした面積の二十分の一位、見たことがある、(というのは、襯衣《シヤツ》の間から見えたのを宮城まり子が一寸注意し、直ぐに彼は直したのである)又三島由紀夫も、裸のところへマリアを招《よ》んだのではなく、彼は花馬車か、金馬車かに招ぼうとしたのだが(それもマリアが一人でそうだときめたのであって、そんな立派なところではなかったかも知れないのだ)マリアは花馬車のようなところも、床が透明で光っているにちがいない自宅も厭だと言ったので、S社の人がそこに行けばいるからと言うので、水道橋のジムにマリアを伴《つ》れて行ったのである。その時三島由紀夫は、ジムの近くの喫茶店にマリア達を招んでおいて、そこへ現れることになっていたのだが、時間を過ぎても彼が現れないので、編輯者《へんしゆうしや》とマリアとはサラダとパンをとってたべていると、編輯者がマリアの肩ごしにマリアの後《うしろ》を覗《のぞ》いて「アラ」と言った。三島由紀夫はマリアの後の席に着いていたのである。推察するのに彼はマリアを、よほど変った婆さんだろうと信じていたところへ、知っている編輯者はマリアの蔭になって見えなかったらしい。三島由紀夫は起ってこっちに来ながら大きな声で「レモネエド……ほんとのレモンの」とボオイ達に言い、マリアの脇に立つと中学生が女教師に会ったような礼をし、それからマリアの向い側に編輯者と席を変わると、ポオトフォリオからごそごそとマロン・グラッセらしい筐《はこ》をとり出してマリアの前において言った。「どこにでもあるものだけど」。それだけの声と動作はマリアに、彼がいい人間であり、(贋《にせ》ものでない、いい人間である。いい人間には贋ものがいるので、複雑に紛《まぎ》らわしいのである)マリアのような目下の人間にも有名ぶらない人物であることを明瞭に教えたのだ。但し彼はすごいポオズウルであるから、劇場の廊下とか、会なぞで会うと全くつまらない人物である。そういう時彼はスッと立っていたり、颯爽《さつそう》と通り過ぎたりするばかりで、誰かがマリアを傍へ伴れて行くと「そのせつは」とか、「よろしく」とか、電報より略式の、且《かつ》又学習院的の、アイサツをするのである。マリアは初め、魅力のある写楽の眼をギョロリと動かしたり、大声で笑ったりする三島由紀夫が見られるのだと思って、楽しみにして劇場や会に出かけて行ったが、二度目からは期待しないようになった。話を白雲荘に戻して、マリアは裸の紳士に廊下ですれ違うと、屈辱感にまみれ、スリップにスカアトの自分が厭らしく感じられて来て、全神経が逆立つのだ。これは何かを書く面からいうと美点かも知れないのだが、マリアの感覚は歓びにも、不快にも、免疫性がなく、つねに新鮮であって、裸の紳士に出会う度に、昔千駄木町にあったマリアの生家の廊下で裸の魚屋に出会ったような、不条理と愕《おどろ》きと嫌厭とを、感ずるのだ。だが、誤解は無用である。マリアは何も大きな家に生れたことにエリイト意識を持っているわけではない。マリアを現在取り巻いている日本庶民は、日本庶民の中の世田谷類の部に編入されるべき種類であって、落語のもと犬ではないが戦後から東京人|面《づら》をし出したもと田舎族であり、勤労と真面目とを誇っている高等賤民である。この、東京の周辺の広範囲に亘《わた》って棲息《せいそく》している、もと市外族は、戦争前にはデパートといえば上野の松坂屋にしか入って来ず、喫茶店なるものにも影を見せなかった人種である。東京中に何軒となくあった、専《もつぱ》ら三好野というあんころやに出入りしてみつ豆かあべ川、春はまっ青なうぐいす餅をたべ、紅茶色の出がらし番茶かサイダーを飲み、(戦後のかれらはジュースを飲む。彼らはつねにジュースであって、子供を殺して自殺する嚊ちゃんも、自分よりいい暮しをしている近所の女を毒殺する嚊ちゃんも、ジュースに毒物を入れるのだ)食事は松坂屋の食堂か、不味《まず》い鮨《すし》屋、蕎麦《そば》屋、浅草の料理屋、いろは(牛肉屋で、三好野と同じく東京中にあったのである)なんかに入ってやり、夏は焼芋屋が化けた氷屋の床几《しようぎ》にこしかけ手拭いを畳んで膝《ひざ》におき、まず右手で氷水の山を圧《お》し潰《つぶ》してからおままごと道具と同じのアルミの匙でてっぺんからサクサクと突き崩し、さて、口の方を匙へ向って突き出してたべていた人種である。この種族と、戦前同じところに出入し、同じ格好をしてはいたが、全く異質の浅草族というのがあって、こっちの方はマリアが、昭和十一、二年頃、下谷神吉町のアパルトマンで、同じ屋根の下に住んでみて始めてその存在を知り、忽《たちま》ち馴れ親しんだ愛すべき種族である。八百屋も魚屋も、経師《きようじ》屋も、働かなくてはならないから働いているのであって、決して勤労を誇っていない。マリアがアパルトマンの裏から六区に通ずる通りへ出ようと、店と店との庇間《ひあわ》いを行くと、半玉美人のアパルトマンの主人の娘が、「牟礼《むれ》さん、|あすび《ヽヽヽ》にいくの?」と、歌うような声できくのである。白雲荘では姪《めい》っ子《こ》の結婚で行って来ます、とか、お産の手つだいに行って来ますからお願いします、なぞというのはもてるが、ただぶらぶらと出るのは歓迎されない。浅草では八百屋のかみさんも、魚屋の爺さんも、(金があって遊びに行くのは豪勢だ)という思想である。マリアは昔、ギャアル・ドゥ・ノオル(北駅)に着いた瞬間からパリに馴染《なじ》んだのと全く同じように、越した日から浅草の人間になったのだ。浅草の空は青く、自由の空である。窓から見える物置きのトタン屋根を叩く雨の音を、マリアは街娼の部屋の如くにセットした四畳半に寝ころんで、聴いた。マリアの窓の下に屯《たむろ》して仕事をするブリキ屋の職人たちは、白雲荘に来る鋳掛《いか》け屋のように、PTAと、マリアが名をつけている贋もの貴婦人だけに敬語を使うようなことは遣らないだろう。このPTAたるや大変な代物《しろもの》であって、アガサ・クリスティイのマアブル婆さんのような薄気味の悪い賢こさを持った女で、冷笑を圧し殺した顔の上に天使の微笑を塗りつけ、説教臭い猫撫で声で嚊ちゃん連を手なずけている。嚊ちゃん連を集めて、児童心理学を振り廻し、朝日の季節風に出た論説を自分の説として披露する。新聞は朝日、ラジオはNHK、本屋は岩波で、それ以外は読みも視もしない。これがマリアの最も嫌厭するところであって、こういう人間がいるから、マリアは朝日を嫌い、NHKを嫌い、岩波を嫌うのだ。独り、横丁を歩いてくる彼女の顔に浮ぶ、異様な北叟笑《ほくそわら》いを見つける時、マリアは木の葉の裏にべったり並んだ虫の卵を見た時のようになるのだ。浅草の楽園荘の住人は六区の女優、毎日旦那が昼寝にくる女、父親のいない子のある女、バアやカフェの女、等々だが、彼女らは一目で令嬢育ちとわかるマリアが抱いている自分たちへの親近感をカンで捉《とら》えていて、配給の炭俵を引摺《ひきず》っているマリアを見れば無言で手を貸すのだ。たった一人、自分の娘の異常な性生活を知っているだろうと思っている隣りの婆さんだけが、マリアを憎んでいて、「あんたも流れ、流れてここまでくれば」なぞと、流れもしないマリアを、この令嬢|面《づら》が、とばかりに睨《にら》んだが、マリアは彼女を愛していた。或日彼女が足もとの虫に愕き、義平次の婆あそっくりの、腰巻きのはみ出たアッパッパの脚で飛び上がり、薄べったい鼻の下に横皺《よこじわ》を造って大口を開いて、「いやだようッ」と叫んだ瞬間、マリアは薄暗い露地でおはじきを蹴《け》っている幼い彼女の様子が髣髴《ほうふつ》するのを見た。(お婆ちゃん、うるさいよ。あたいはお婆ちゃんとこのねえちゃんを莫迦《ばか》にしてないよ)と、マリアは心の中で言ったのだ。とにかく、エリイト意識なんていう胸くその悪いものをマリアは絶対に、持たないのだ。桃色や白のスリップで廊下をガラガラ歩く彼女たちを見て、最初マリアはおどろいたが、直ぐにその世界に溶けこみ、マリアは洗い場で体を拭いているブリキ職人と、冗談を言い合っている、荷風の(或夜の出来事)の絵看板そっくりの女たちを、愛情を抱いて眺めた。 (雨よ降れ、降れ、なやみを流すまで……)  職人たちが筒ぬけに気楽な声で歌う声が聴えてくると、マリアは何の苦もない世界に来たのを感じ、欠伸《あくび》と|のび《ヽヽ》とを一緒にやった後のような気分になるのだ。楽園荘の住人も痰を吐く人種だった筈だが、マリアは痰を意識した記憶がない。マリアは浅草の庶民とともに浅草に生き、春は金盞花《きんせんか》を罎《びん》に挿《さ》し、絣銘仙《かすりめいせん》の前掛けを締め、引っ詰め髪で毎日六区に入り浸《びた》り、変な爺さんに声をかけられて辟易《へきえき》しながらもオペラ館、金龍館、松竹座と歩き廻って、(ええ、おせんにキャラメル、あんぱんにラムネ)の売り声に聴き惚《ほ》れたのだ。中には(ええ、いか)と、いかばかり売っているのもある。紅《あか》や黄色の水を売る爺さんも、オペラの下っ端らしい男も、浮浪人もマリアをうけ入れ、浅草はパリと同じに、なんの抵抗もなくマリアを呑みこんだのだ。  要するに、浅草族は東京っ子であり、世田谷族は田舎者なのだ。彼らは世田谷、阿佐谷、杉並、等々の(もと市外)に、あたかも天に満ち、地に満てるが如くに充満していて、マリアを無言の裡《うち》に圧迫している。彼らはマリアを見ると、マリアが(もと令嬢)であることを瞬間に嗅《か》ぎつけ、コンプレックスを裏返した軽蔑で向ってくる。かれら(もと市外族)の多くは、動物と子供、というこの二つの至上の種族を軽蔑する人種であって、犬、猫の智能が、低俗極まる地点において彼らに劣っているのを嘲笑《あざわら》い、(畜生だから)という最大の軽蔑的言詞で遇するのをつねとしているが、子供に対しても同じで、子供が何かの感想をのべれば、忽《たちま》ち軽蔑の嘲笑《ちようしよう》でその口を封じてしまうのだ。子供と動物とが、感覚において、純粋度において、かれらの比でないことに気がつくような智能は、逆さに振っても彼らにはない。そこでもと市外族の子供は、絶えまない大人たちの侮蔑に会って無念の涙をのみ、やがて必死になって彼らを真似るようになる。かくて七八歳になる頃には完全に、親たちの次元の低い智恵を身につけ、その馬鹿笑いと意地悪をマスタアする。こうやって出来上った子供たちの群に、マリアは小学校に上るや否や取り巻かれて、憂鬱な学校生活を送ったのだ。犬、猫の類は、かれらに比べてはるかに上位に置かれるべき種族である。何故なら彼ら犬たち、猫たちは子供のように(もと市外)の庶民に屈服しようとせず、新鮮な感覚生活と、純粋との名において、永遠にかれら賤民を凌駕《りようが》しているからである。マリアは犬、猫たちを見る時、優秀な感情を持った人間が、何かの罰によって神の手で無言の生物《いきもの》に化せられた、とでもいうような悲哀を感じることがある。ことに彼らの眼を見る時、マリアはその憂愁に襲われる。マリアの(もと市外庶民)に対する怒りはモオゼの怒りのように烈しいが、そのマリアの腹の底からの怒りは、いよいよ彼らの嗜虐《しぎやく》に満ちた意地悪笑いを陰々として昂進《こうしん》させるのだ。  このマリアの烈しい怒りが又、マリアの父親の悪遺伝である。マリアの父親は外を歩く時、あらゆる、この種の庶民の軽蔑を浴びて、つねに怒《いか》っていた。彼を怒らせるのは西洋料理店のボオイ、市電の車掌、帽子屋、荒物屋、等々の中僧、小僧、上野山下、両国駅の車夫(千駄木町の車夫は、彼が陸軍中将であると知って、尊敬を払っていたので、別である)、等々で、マリアは彼と歩いていて、彼がそれらの庶民に対して腹の底から怒っているのを、つねに感じていた。怒った彼は人通りのないところに来ると、「糞《くそ》。毛唐《けとう》」と、低く叫んだ。彼の服装《なり》が、変っていたことも彼らの嘲笑を買ったようだ。夏は、四谷怪談の宅悦《たくえつ》のような縮みの浴衣に、帯は五代目菊五郎が妾宅《しようたく》で締めるような博多《はかた》の帯(博多は博多だが柔かい、壁お召《めし》のような地で、縁《へり》がくけてない。従って芯《しん》もなく、二つ折りにして結ぶもので、きちんとした外出用のものではない)を不器用に締め、カイゼル二世のような顔の上にカンカン帽をのせているし、冬は冬で、独逸製の裾長の黒い釣鐘マントの下から仙台平《せんだいひら》の袴《はかま》が出ていてシュルシュルと鳴り、黒のソフトを被《かぶ》っている。夏も冬も、ジャン・ヴァルジャンがコゼットを連れ出す時、護身用に持っていたような、太く真直ぐな黒檀《こくたん》のステッキを突いている。しかも頭が特別に大きいので、彼の帽子は横に広く、へんに平たく見えるのだ。精養軒のボオイはそういう彼を、ぼんやりした女の子に変な洋服を着せて、伴れている、田舎の親爺と踏んだ。精養軒のボオイと、マリアの父親との喧嘩は、父親の勝ちだった。父親が(挽肉《ひきにく》料理)をくれと注文した時、ボオイは早速、薄ら笑いを浮べて、「ペラペラペラのペラペラですか?」と故意《わざ》と英語で、揶揄《からか》い半分に訊《き》き返したが、父親は怫然《ふつぜん》として、正確な英語で(彼の英語は独逸語なまりだが、ボオイにはそこまではわからないのだ)注文の遣り直しをしたのである。だがマリアの父親と、ボオイや車夫との闘いで父親が勝ったのは、マリアの見た限りでは、精養軒のボオイの場合がたった一つの例外である。精養軒のボオイは、そこの店のメニュウだけは英語で言えるという、最低ではあるが智識階級の端くれに属していたのと、彼が外国語でマリアの父親を揶揄おうという計算ちがいをやったことのために、父親は危く太刀打《たちう》ち出来たのだ。彼が最も惨敗するのは帽子屋に入って行く時、及び荒物屋で、馬方用の麦藁帽子《むぎわらぼうし》を買う時で、彼は夏、帽子を被《かぶ》るのは、陽を除《よ》けるのが目的であるのにカンカン帽なぞは全くその用をなさない。馬や、馬方の被っている鍔広《つばひろ》の麦藁帽子が一番いいのだと言って、荒物の店先に重ねてある、緑と白の細紐《ほそひも》を撚《よ》り合せて鍔のぐるりに巻いてある馬方帽子を買ったが、田舎の爺《じじ》いかと思えばそうでもない、異様な服装《なり》の男が、立派な紙入れから札を出して、馬方用の帽子を呉れといえば、荒物屋の女房が尊敬を払うわけがない。荒物屋の女房は胡散臭《うさんくさ》い顔で父親を視、子供にものを売るような態度で品物を渡し、代金を受け取った。マリアの父親が、中僧、小僧たちの薄ら笑いの総攻撃の矢おもてに立たせられるのは、彼が帽子を買いに入る時である。彼の頭にはどの帽子も嵌《はま》らないので、中僧、小僧たちは笑いを耐《こら》えているが、彼が自分たちの気配に本気に腹を立てているのを知ると、見る見る彼らの顔の上に、マリアの父親が最も厭がる、人を小馬鹿にした、大《だい》神楽《かぐら》のひょっとこのような嗤《わら》いが拡がるのだ。或日は又、上野山下の車夫が、独逸の伯林《ベルリン》やミュンヘンの人々も尊敬した、Rintaro Mureを、上野の駅前旅館から出て来た田舎親爺と間違え、彼が「団子坂上までやって呉れ」と言ったのにも係《かかわ》らず、よくも聴かずに走り出し、池の端の博覧会の入口に梶棒《かじぼう》を下ろした。怒った父親は車夫が団子坂へ行こうというのも聴かずに俥《くるま》を下り、紙入れから、車夫の言う料金の倍額の金を出して握らせ、後の車に乗っていたマリアに「下りろ」といい、マリアの手をひいて歩き出した。彼は怒るとどういうわけか金を倍出すのである。呆気《あつけ》にとられた車夫の顔がみるみる、彼の最も嫌う嗤いに崩れたのは言うまでもない。  マリアはマリアの父親に負けずに、というより、父親以上に、マリアを嘲弄する店員、女店員に対してつねに怒っているが、マリアのこの怒りが又、父親の遺伝であると同時に、荷風の遺伝でもあるのだ。荷風が、市川の菅野辺では全く見かけないベレを被り、いい爺さんの癖に毎晩出歩いていたからだろうが、近辺の酒屋なぞが、荷風に尊敬を払わなかったらしく、荷風は酒屋の親爺に、(俺は荷風だ)と、或日憤然として言ったそうだが、さすが同類のマリアも、これには吹き出さざるを得なかった。荷風をニフウと読む、浅草の踊り子と、同じ程度の頭を持っていたに違いない、市川の酒屋の亭主に対《むか》って、それを承知していながら、(荷風だ)と、名乗らずにはいられなかった荷風は、マリアの父親を上廻った怒《いか》り屋である。このバカ庶民への怒りは、彼らに尊敬を受けている人間には絶対に、通じないものである。マリアの母親は父親の深刻な怒りを(馬鹿馬鹿しい)と、一笑に附していた。  マリアの父親の燐太郎という人物は又、肉体の一寸した欠点に対するコンプレックスが酷《ひど》い点でも、気ちがい的だった。彼は若い頃、酒も飲まぬのに鼻が紅くなっていることで、悩んでいた。伯林《ベルリン》にいた頃が最も酷かったらしい。そこへマリアが、十七八の頃、彼と同じ悩みを持つことになった。面皰《にきび》が出ては消え、消えては出来て、そのために鼻の先のところに紅い、微《かす》かに膨《ふく》らんだ痕《あと》が一つ残った。欧露巴《ヨオロツパ》へ発つことになったマリアは、鼻の頭に全精神が集中した状態となり、へんな薬を二年間分持って行くと言い出し、母親が馬鹿馬鹿しいと怒り出した。燐太郎は直ぐにマリアに味方をし、真剣な顔をして言ったのだ。「マリアが気にするのは当り前だ。俺が若い頃のことだ。向うから来る奴がどれも鼻が紅くなっていない。俺よりずっと下等な面をした奴が、鼻が紅くないということだけで皆、俺より上等にみえる。脚の内側の皮膚を移植して、移植した皮膚と、顔の皮膚との境界が明瞭《はつきり》わかっても紅いよりましだ、なぞと思ったこともある。鼻の紅い奴というと下品な、飲んだくれの爺いにきまっているのも不愉快だった」と。マリアを素晴しい美人だと思いこんでいる父親にとって、マリアの鼻の先の紅い小さな丘は、マリア自身と同じ程度に気になることだったのである。母親は呆《あき》れ果てた顔でマリアを見、又父親を見て、言った。「マリアは頬だの、方々が紅味があるからちっとも目立ちはしないよ。顔色の青い人に出来たのなら気にしても仕方がないが」。父親は怒り出して、「マリアの言うようにして遣れ。大した荷物にもならないのだ」と、苦虫を噛《か》み潰した顔で言ったのである。この、肉体の欠点を深刻に悩む、という点では、マリアは室生犀星の遺伝をも引きうけているのだ。いかに、莫迦げた欠点というものが、つまり誰かのへんな点が、マリアに向って、集中してとり憑《つ》くことになっているかは、恐ろしいほどである。犀星は若い頃の、自分の顔へのコンプレックスを飽きずに繰り返して書いており、彼は自分の顔を、掏摸《すり》か、泥棒か、ちゃりんこのようだと、作品に書いて、歎いている。彼の絶望的な悩みは彼が、偉くなるまで続いたらしい。犀星も晩年は、あの、名人の焼いた稀有《けう》の茶器のような、値段のつけられない、珍らしい岩のような自分の顔を、自分でも気に入っていたようだ。写真を撮られることが好きで、雑誌社が載せた写真のもとの写真をくれないと言って怒っていたところをみても、それは確かである。マリアの父親も晩年には智的な自分の顔に自信を持っていたらしく、(鼻の紅味も、壮年以後は全く眼立たなくなっていた)もう鼻が紅かろうが、おでこが紫だろうが、平気だったのだ。マリアの面皰の痕《あと》の紅い、微かにもち上がった丘は、今でもあるが、この頃は鼻の大きいのを気にしているマリアは、おできでも、ほくろでも、ごみでもいい、何かが附いていた方が、人々の眼をその一点に集中させるために、いくらか小さく見えると信じているので、その微かに紅く、高くなった面皰の痕跡《こんせき》を、むしろよろこんでいて、決して若い時のように、薔薇色《ばらいろ》の粉《こな》白粉《おしろい》で隠そうという努力なぞはしないのである。 [#地付き](昭和四十二年十二月)   [#改ページ]   降誕祭《クリスマス》パアティー  真島与志之から開き封の手紙が来たので、愕《おどろ》いて明けて見ると、 [#ここから2字下げ] ——何故《なぜ》愕いたかというと、真島与志之からはたった一度手紙を貰ったが、その後に又手紙が来るとか、電話がかかってくるとかいうことの起るような間柄ではなかったからである。一度貰った手紙というのは、四五年前に彼がマリアの小説を「黒潮」という雑誌でほめてくれたことがある。それを見たマリアがよろこびのあまり調子に乗って、真島与志之の服装について、家について、完膚なく悪口をならべ、彼がボディ・ビルをしないで青白く痩《や》せ、これこれこういう着物を着て写楽のような顔がひき立つようにしていてほめたのだと尚うれしい、と書いた手紙を編輯者《へんしゆうしや》に、出した。すると編輯者がその手紙の全文を「黒潮」に載せると言って来た。マリアは愕いて、嘆き悲しんだ。そうして出さぬように懇願した。ところが真島与志之はその文章を楽しみにして待っていると、いうのである。マリアはすぐに自分の莫迦《ばか》さに気づいて懇願を撤回した。考えてみれば真島与志之はマリアの小説をわざわざほめた人物である。彼にとってはマリアの小説をほめても何のプラスもない。人に喋《しやべ》るだけにしておけばたかだか五分の時間の空費である。それを文章を書く時間を削って書いた、西洋人のような人物である。普通の人間に抱く不安を持ったのはどうかしていた。と、マリアは想った。(甍《いらか》平四郎も西洋人だった。マリアはマダァム・ジィプにファンの手紙を出して、重病だった彼女の令嬢から、彼女の全部の著書を送ってもいいということを書き添えた懇切な手紙を貰ったことがある。そうしてラプラプラ〈老いぼけ馬〉なぞという、どの辞書にもない巴里《パリ》のラルゴも全部教えてくれたのである。第一次世界大戦の終った時にお祝いの葉書を出して、ジョルジュ・クレマンソオからも、フォッシュ将軍からも名刺入りの封筒を貰ったこともある。本当の西洋人か、西洋人のような人物がいないと、マリアのようなどこかの隅でうじゃじゃけている人間はほめられる機会はあまりない。マリアは文章を見ると颯爽《さつそう》としているが実際の人物は|グズ《ヽヽ》である)それにである。考えてみればマリアのその悪口は好意の悪口である。マリアは好意に溢《あふ》れて人物スケッチを書くのである。そこでその文章は出たが、好意に対してふざけた文章でお礼を述べただけですますのが気になったので、真島与志之のところに毎日配達されるにちがいない沢山の手紙が一通ふえることを心配しながら、きちんとした礼状を出した。手紙というのはその返事である。その他には、当然のことだが年賀葉書のお返しに、「黒猫物語」というマリアの小説の感想を一寸《ちよつと》書いたのを呉れた位のものである。大体マリアは、安東|杏作《きようさく》から移転通知が来ても、喜多守緒から年賀葉書のお返しが来ても、一応愕くのである。何故ならマリアには、マリアが仏蘭西《フランス》だとすると、ダントン、マラア時代のような、露西亜《ロシア》だとすればニコライ皇帝私刑時代のような暗黒時代があって、その間|中《じゆう》マリアは他人《ひと》には見えない石の壁に囲まれていて、マリアが家の中にいても、どこにいても、その石壁はマリアと一緒に移動していた。だから国外ならいいらしかったが九州へ行っても、北海道へ行っても駄目だった。地面の下に潜《もぐ》らせられた感じでもあった。その頃その石の壁を突き透《とお》して配達される郵便物はというと、親類と中原|鴻太郎《こうたろう》(この人物も西洋人だった)とその令息の他は商店の広告か、小波《さざなみ》書店から来る欧外全集、紅葉銀行の盆暮の風呂敷、及びマリアが紛失する度に送って来る再発行の預金通帳、(出て来た通帳も胡麻化《ごまか》して使えるのだと、マリアの場合大分|儲《もう》かる勘定になるのだ)税務署の通知、赤い線で注意を促してある督促状、赤の二重丸つきの第二督促状、薔薇色《ばらいろ》の紙に印刷した最後|通牒《つうちよう》、(マリアのような太平楽な人間に向っては税務署の係員も打つ手がないと見えて、毎年陳腐な同じ手を繰返していた。或日ついに怒ったのか財産差押えの通知を寄越した。さすがのマリアも青白くなって駈けつけた。当時マリアは自分の手では一銭の収入も得られないのを知っていた。その差押えの通知が一時的のものだということも知らなかったし、その土地の他、父親の本の印税も、全財産が駄目になるのだと勘ちがいをして、乞食になるのだと思ったのである。その時マリアは税務署位人の悪いものはないと、思った。巴里の税務署の手紙は見たことはないが「マダァム、税金をお納めになるまであなたの財産を一時差押えます」。と、こんな文章で書いてありそうな気がする)「四越《よつこし》」の勘定書き、「四越」という雑誌、だけでそれ以外は皆無だった。その時代がついこの間のような気がしているので、マスコミの波の上にいる、まだ新進の香《にお》いの褪《さ》め切れない作家なぞから移転通知だろうと、年賀葉書のお返しだろうと、配達されて来たのを見ると、一種の愕きで心臓がドキンとするようになっているのである。安東杏作から移転通知が来たからといって訪問する間柄ではないが、こっちが移転をしたらやっぱり通知を出すだろうと思う。そういう間柄である。喜多守緒も年賀葉書とか、書物を贈るとかいう交友があるだけである。マリアが或日、この二人の他二三の作家について、空想で勝手なことを書き、おでん屋で酔っぱらってから吉原へ行かせたり、夕暮れに茶館でお茶を喫《の》みながら、昨夜会った綺麗《きれい》な妓《こ》を想い浮べさせたりしたので、お詫《わ》びの意味で本を贈呈したことから、こういう淡い交友が開けたのであるが、マリアという人物はそれから先へ進むということのない人物である。何かの殻の中に嵌《は》まっていて、その口から世の中や人々を見ているだけの、一種の穴居動物なのである。江里あけみの「ほくろのレディー」を観た後楽屋に行って、開き切ったアネモオヌが押し合っている硝子《ガラス》花瓶《かびん》や、大きな鏡のある狭い楽屋で、ミルクを混ぜたような濃薔薇色の上衣《うわぎ》に黒のタイツを着け、紙細工のような黒の帽子を頭にのせると、カンカンのように一瞬スカアトを上げ、なんとなく微笑《わら》って下ろすあけみの傍で、巴里の女を見た気分になったり、或いはまた、或日、風を孕《はら》んだ帆のように糊《のり》で張らせた浴衣を着て、(全くその浴衣は、葭雪《よしゆき》俊之介が五人は入れそうだった)顔はたしかにあるが、体はどこにあるかわからない葭雪俊之介が、涼しそうな顔で注ぎ分けるシェリイを飲み、ある瞬間の、冴《さ》え冴《ざ》えとした表情の中にふと、これらの若武者の面々も腰に文学の刀を差しているのを見つけたり、そういう有り得ないようなことが起ったのも、甍杏子という人物が、そのそれぞれと交際《つきあい》があって、牟礼《むれ》マリアと野原野枝実とを或日誘ったからであり、真島与志之と喫茶店で喋《しやべ》り、ボディ・ビルの練習所まで蹤《つ》いて行って、いつの間にかべラフォンテのバンドに白のタイツの半裸になった真島与志之がボディ・ビルをやるのを見たのも、文章を書くために編輯者に連れられて行ったからである。であるから、本を贈っても葉書を書くのが面倒臭いらしい人々は、いよいよ稀薄《きはく》無縁の人となるのである。深海鱒夫《しんかいますお》と、夢岡ふみ子と知り合って、深海鱒夫、牟礼マリアの合同誕生日をやるようなことが起ったのも、野原野枝実がどこかで知り合ってマリアを紹介したのである。風の便りできくと、龍岡笙太郎も喜多守緒のように年賀葉書のお返しをくれたそうだが、いまだに到着しないのは残念である。傑作だそうだが、もう一枚執筆をたのめる間柄でないから一層無念である。つまり、そういう間柄の音信なのになおかつ愕くのである。恋人から葉書が来たような、歓びの愕きである。—— [#ここで字下げ終わり]  さて開封してみると降誕祭《クリスマス》パアティーの招待状であるが、全文英語で書いてある。 (at buffet Christmas party)のbuffetは立ち喰いだろうとすぐに判った。buffetというのは酒類を並べた棚を板囲いでかこんだ廻りに止り木をめぐらせ、腸詰《ソオセエジ》、燻製《くんせい》魚位も食べられる片隅のことか、それでなければ、不等辺三角形の亡霊にとり憑《つ》かれた受験生が描いたような人物画を描く、マリアの嫌いな「人生苦の世界」型の画を描く画家の名だ、という知識が、あまり知識の堆積《たいせき》のないマリアの頭に、ふと浮んだのだ。二行目は22の数字しかわからないが、カァドの端に書いてあるinformalはフランス語と同じなので、肝心のことは皆判った。  解ると今度は胸の中がざわざわして来る。小さな、沢山の不安が、袋に詰めこまれた蝉《せみ》のようにバサ、バサする。無論、先刻《さつき》言ったようなわけだからすごい歓びもあるのだが、歓びは不安と一緒にそのバサバサの中に紛れこんでいる。  幼時以来はじめての燦《きら》びやかな降誕祭である。それはうれしいが真島邸というものがマリアを脅迫している。写真で方々にちらちら現れる、真島邸である。靴で行ったら滑るにちがいない磨きに磨いた床が、マリアの眼の前(眼界)に果てしもなくひろがり、タキシィドの光るような白い胸に黒の蝶ネクタイ、エナメルの短靴の真島与志之が、はるか遠くを滑るように歩いている。「死女の都、ブリュウジュ」にある修道女《スウル》の、教会の床を歩き馴れた、床を滑って行くような歩きかたである。恐るべき光景である。透《すきとお》って、硬質な、角と面との集大成で出来たシャンデリアの光芒の下に、真島与志之は白蛇《はくだ》の精の正体を隠して、音をさせずに歩き廻る。その真島与志之を囲むようにして、紳士淑女の集団が洋杯《コツプ》を手に静かに移動し、低い笑い声がそこここに、湧《わ》き起っている。  ふと背中を真直ぐに立止った白蛇の眼は、何を想っているのだろう? 何を視て光るのだろう? カシオペアの中の一つか? 北斗七星の中の一つか? 地球ではない、人々が言い囃《はや》しはじめた火星なぞでは決してない、星の中のどれよりも青白い光を出す、何かの遊星にいた蛇は希臘《ギリシヤ》の昔、空に満ちた星の下で、白い塀《へい》の縁《へり》をめぐって匍《は》っていたことがある。  背も腹も白い、美しい蛇である。其処《そこ》で或日ナルシスが、泉の傍に近より、片膝《かたひざ》をたてて泉の中を見入るのを見た。忽《たちま》ち彼は青い炎になって燃え上ったが、燃え尽きて、透明な灰で出来た姿を、薄暗くなり、幾らか冷たくなった砂の上に横たえたと思うと、再び蘇《よみがえ》って元の象《かたち》になり、泉の辺に咲き出した、淡《うす》く黄色い、小さな花の廻りをうねっていたが、やがて鎌首をたてて、やさしい吐息をつき、埃及《エジプト》への長い旅に登ったのだ。  彼がいくつかの太陽と、星や月、黒い闇とが入れ替る長い旅をして、埃及の首都に着いた時、未《ま》だ明るい市場には豚の足、腎臓、牛の肝臓、羊の心臓、截《き》り口が血に塗《まみ》れた牛の首、心臓のように紅い牛の剥《む》いた胴、醜い同類のような牛の尾の束、青や檸檬《レモン》の果実、が溢《あふ》れていた。薄暗い果実の天幕の片隅に、摘んだばかりの苺《いちご》の山が小さな籠に盛り上って、瑞々《みずみず》しい気配で辺りの空気を濡らしている。夏の初めで少し蒸暑いのだ。白蛇はその紅い果実の、冷たい濡れた輝きの中に体を潜《ひそ》めたいように、想った。  王宮の下僕の、青い衣《きもの》の若ものたちが、選ばれた王宮の食糧、袋入りの穀類、果実、橄欖《オリイヴ》、檸檬、胡桃《くるみ》、珈琲《コオヒイ》、等の木の実、香料、香草、又は獣類の肉、魚、水の瓶《かめ》、皮袋に入れた酒、なぞを頭に載せ、或は車に積んで隊を組んで通ったが、一人隊を離れた黒い被衣《かつぎ》の女が、果実の天幕にあった苺の籠を受けとり、蝮《まむし》の血を売る男に近寄った。蹲《うずくま》っていた男が肱《ひじ》を延ばして脇にある籠から黒い蛇をひき出し、女の持つ苺の籠の中に奥深くさし入れた。女王の変事を予知した彼は黒い、光る同類を羨《うらや》み、女王の腕を巻いて牙《きば》をたてる役を代りたいと、願った。  その夜、夕陽のように赤い月が出た。白蛇は王宮に忍びいり、王宮の円蓋《やね》のない泉水の中を、月の光に鱗《うろこ》を輝かせながら泳ぎ渡ったが、そうやっている時でも、ナイルの河の辺を、人に隠れて匍い、水に映る自分の形に見惚《みと》れていた時にも、いつの時でも彼は、無限の冷たい砂の、その細長い一部を腹の下に、又はいくらかの抵抗のある、柔い水を皮膚に、気持のいい匍匐《ほふく》をつづけたり、又止めたりしながら、星の世界に憧《あこが》れていた。  そうして或月のない夜、アラビアの沙漠で、月も人も、駱駝《らくだ》もいない時刻、風が巻き上げる竜巻きの砂にまぎれて、昇天した。その彼がいつの間にか地球に来て、真島与志之という一人の作家になったのだ。少年の時の真島与志之は、たしかにそいつに喰われてしまったのだ。  真島与志之の中にいる白蛇は腹の下の冷たい砂と、満天の星を忘れることが出来ない。真島与志之はいつも、白い光に憧れている。真島与志之はいつも体に白い色を着けるのだ。白い家を建てる。白い椅子を置く、伊太利《イタリア》から白い彫像を運んで来る。伊太利の空は希臘の空のように、明るかったのだ。シエロ・イタリアァノ。彼はその空の下で、陽に灼《や》かれながら、彫像を探して歩いた。彼の好きなもの、白い光。透ったもの、澄んだもの、冷たくて硬質なもの、シャンデリア、宝石、彫像、画の綺麗な角い文字。真白なアポロンの肩ごしに流れる透明な朝の光に、真島与志之は希臘の空の光と、ウェヌスの首や乳房の白さを、想い浮べている。  真島与志之が動く度に、白蛇の背がシャンデリアの光の下にナイルの流域や、希臘の昔の月の光を、輝かせる。  シャンデリアの光と、六角型の、透明な鱗の内側から出る白い光との映り、照り合う、輝くようなパアティーで、マリアは一体|何処《どこ》に立っていればいいのか? 全く心細い話である。シャンデリアの光の下の孤児《オルフラン》。「黒潮」のRさんも招ばれていると言っていたが、Rさんの傍にばかりくっついていてはおかしかろう。だが結局Rさんにしがみついていざるを得ないだろう。真島与志之は一度会った二十分で、不親切な男でないのは判っている。判っているから、内心行くことに定《き》めているのだが、いくら真島与志之が親切な男だからといって、子供が一人で来たように、マリアの手をひいて、喰いもののある場所に案内したり、知人を見つけてくれたりする筈がない。  甍杏子の出版記念会の時には銀座の「花月」の会場に入って行くと、広いホールの四方の壁際を椅子が囲んでいて、既にぎっしり人で埋《うず》まっていたが、一瞬すべての人々の顔が、硝子を熱して掻《か》き廻したように溶け混って渾沌《こんとん》と流れ、マリアの眼は、どれが誰だか誰がいるか、識別出来ない二つの空洞と化してしまった。  マリアが広い場所に人々が集まっているところへ顔を出せばそうなるので、マリアにとってはマリア以外の人間が、そういう場所へ入った瞬間、眼がはっきり見えるらしくて人々の顔を識別し、忽ち適当な居場所を見つけて突き進んで行く、ということが一つの不思議である。会場が広いからかというとそうでもなくて、或日マリアは六畳位の部屋に集まっている(この時も部屋の三方の壁際に人々が居流れていたが、この形式がもっともまずいのである)通夜の席に出たが、その日は最上書房の編輯者の通夜で、最上書房の折見栃子という人物が一緒に入場したので坐る場所の苦労はなかったが、眼は眩《くら》んでいるので、居流れている(居流れているなぞという場面ではない、六畳の日本座敷も柩《ひつぎ》や供物でかなり狭《せば》まっているから並んで坐っているのに過ぎないのだが)人々の顔も少しずつ見えてくる。それで、自分の一人おいて向うに、鹿野治次《かのはるつぐ》の横顔を発見し、慌てて挨拶をした。鹿野治次は機嫌のいい田園の親爺に扮《ふん》したギャバンの顔でマリアを見ると、 「こういうところでばかり会いますね」と、言った。ほっと安心して微笑い、さて少間《しばらく》経ってギャバンと自分との中間の人物に見覚えがある。それは碓氷保見《うすいやすみ》で、座談会の時司会をしてくれたことのある人物である。こっちの方が先に発見出来たはずであるから、一層慌てて挨拶をする。まあそういう具合だから、マリアが真島パアティーに先立って不安を感じたり、袋に蝉を詰めこんだような、ざわ、ざわした心持になるのも、決して誇張ではないのである。  さてどこに立っているかという問題も、シャンデリアの広間の恐怖もまあいいとして、一体どんな人物が現れるのだろう? のこるのはゲストの問題である。マリアは、ゲストというのはラジオやテレヴィの番組に招待される人物のことだと思っていたが、単に「お客」の意味らしい。これはラジオの(英語アラカルト)で感心したばかりの英語知識である。招待状が英語だからこっちも英語である。但し、唯ぶらりと行っても、(金魚屋のところへ植木屋が行っても)ゲストであるかどうかはまだ明らかでない。招待された客のことだとすると、マリアがゲストになったのは甍平四郎の歿後《ぼつご》ではたった三回位である。  真島与志之はどこに関係しているか、誰と交渉があるか、はかり知れない人物であるから、何者が現れても愕かない覚悟が必要である。田川歌之丞が、箱根の一流旅館の新館の美男番頭の頭髪に、糠と木綿の布とで磨きぬいた、古雛《こびな》のような艶《つや》を沈めた顔で、阿波屋の三千円の草履を履き、仙台平か黒紋附の着流しで、シャンデリアの下に照りわたっているかも知れない。矢沢聖二が四角い顎《あご》の下に四角の白のネクタイ、壊れそうな、だがシックなタキシイドの姿で立っているかも知れない。高村松夫、山上月太郎、逸見扶佐雄《はやみふさお》、島本憲吉、なぞの面々のような、呼吸《いき》の詰まる人物たちは恐らく来ないだろう。こういう人々は旭日新報や日々《じつじつ》新聞、帝都新聞、敦盛《あつもり》新聞等の中の或一頁の上段の、「文芸時評」という額縁の枠《わく》の中にだけ、つねに嵌まりこんでいて貰いたいという、人物たちである。ふつうの世界やパアティーには出て来て貰いたくないのである。ロナルド・ポン、イーデン・スペンサー等の、日本人以上に日本文学を知悉《ちしつ》しているようなことを喋っているのにも拘《かかわ》らず、どこがどうなっているのか判らないが、何処《どこ》となく疑わしい米人評論家は来るのだろうか? これも会いたくない人物たちである。  マリアがバス通りへ買物に行った帰り、ふいに、(真島パアティー)を頭に浮べて、埃及《エジプト》の月の光の中にいた蛇を、シャンデリアの下で見ることが急にうれしくなって来たり、小さな不安と恐怖との蝉の羽音に耳をとられたりしている内に、二十日余りの月日はまたたくまに過ぎ去った。マリアはその二十日の間に一つの失敗小説を、失敗なりに完成させなくてはならなかった。文芸評論家が信じているような動機から出来たものではないが(こんな説明は、ほんとうは必要がないが、マリアが一番困る、「日本男児《につぽんだんじ》型」の読み方をする人は多くて、読者の中にもいるかも知れないのである。マリアの父親の周囲に集まった人々にはそういう雰囲気はなかったと、幼時のマリアの記憶はマリアに教えるのだが、ゆめのような昔のことで明瞭《はつきり》はしない。)ひどい出来の小説である。  それがようようパアティーの六日前に終ると、マリアは今度は化ける用意にとりかかった。日常《ふだん》ボサボサの髪にスウェータアで、若い女でなくては綺麗には見えない恰好をしてのし歩いているから、いざ(真島パアティー)となると支度で大変である。ふだん着物を着ないので帯上げ、及びその芯《しん》、前芯、腰紐《こしひも》なぞを新しく買う。箪笥《たんす》から白地の着物と、銀箔《ぎんぱく》の帯を出す。髷《まげ》の製造に自信がないので、その上に止めて胡麻化す黒いビーズ附きの網《ネツト》を買う、等々である。 [#ここから2字下げ] ——最近牙田剣三郎という人物によって描かれた(マリアの肖像)が発表されて人々を面白がらせたが、マリアにとっては面白いなぞというものではない。そういう薄汚れていたり、気味の悪い思考を浮べている女というものは、いざパアティーだからといって何度入浴をしても、胎教をする嫩《わか》い母親のように、ウェヌスの誕生や、アポロンの絵画を壁に貼《は》って眺めてみても、別の人物にはなれぬものであるから、もしマリアがその肖像のような人物だとすると、マリアの化けようとする工作は一切、徒労に終るだろう。「マダム」という服飾雑誌があって、マリアに真紅《あか》い薔薇を持たせてくるまに乗せ、毎月歌舞伎、新劇、映画の役者、作家、演出家、野球の監督、等を歴訪して文章を書かせているが、大変なことを始めたものである。不気味な婆さんと会話を交し、とど紅い薔薇を捧げられる人物たちも災難である。二三日は飯《めし》が咽喉《のど》に通るまい。マリアも今では貧乏になり、真島パアティーに行くといっても、着物は二十年前の新調であり、帯は終戦直後、つまり十八年ほど前の購入であるが、佐佐木信綱の竹柏会で催した園遊会に、十二歳で出席した時には、その園遊会の後で(今日の集りでは大倉喜七郎の第三令嬢の福子と欧外の長女のマリアとの衣裳《いしよう》が双璧《そうへき》だった)という下馬評が、耳に入って、母親を喜ばせたものだった。マリアの母親は明治のトップ・レディであり、娘の頃何になりたいかと聞かれて、(皇后陛下になりたい)と言ったという位の人物である。父親の欧外も貴族主義の男で、マリアは贅沢というものを、家常茶飯の間に、精神の中にも、体の中にも、滲透《しんとう》させられていた。着るもの、リボンなぞの装飾品は勿論、化粧品に至るまで、高価なものが母親によって、揃《そろ》えられている。その日のマリアの衣裳というのは、父親の欧外が「四越《よつこし》」で選んだもので、単なる平羽二重の染め模様であるから、値段としては大倉喜七郎の令嬢のものに比すべくもなかったが、真紅《あか》、白、橄欖色、黒、薄い橄欖色、の五色の細かい四角が集まって、六種類の三角形模様を形づくっているモザイク風のもので、それを、振袖に仕立て、白羽二重の下着を重ね、帯は銀と藍色《あいいろ》の、これも三角模様、帯止めは真紅《あか》の丸ぐけだった。髪は白タフタのリボンを耳の上に飾り、あとは結ばずに後に長く垂らし、首に伊太利製のモザイクの首飾りをかけた。母親は、夫の欧外の趣味を深く信用していて、振袖を造る時なぞは、欧外に選択を一任して、綸子《りんず》でなくてはいけないとか、縫いとりがなくてはとかの、彼女の主張は、絶対に控えていた。その日のかぐや姫もかくやとばかりのマリアは、牙田剣三郎などは近寄ることも出来ないから、おでんの模擬店の蔭からかん酒にほろ酔いながら、恍惚《うつとり》として眺めるより手はなかったに違いない。—— [#ここで字下げ終わり]  別人のようになった(?)マリアは新しい草履を下ろして部屋を出たが、真島邸の地図を忘れて出たので、大森の臼田坂上のバスの停留所を下りると宛《あて》もなく、歩き出した。  闇の中で一人の実存主義者《エキジスタンシアリスト》のような嫩い女がマリアに道を教えたが、もう一人の、夕食の菜の包みを持った女に会って、それは正反対の方向と判明した。黒っぽい服装《なり》と、マリアと並んで歩きながら口笛を吹いたり、鼻唄を歌ったりしている様子から、マリアはなんとなくその女が信じられなかったが、やっぱり彼女は文学にとり憑《つ》かれた狐であって、真島与志之のパアティーに行きたがり、女に化けてさまよっていたのにちがいない。  門を入るとアポロンの像が闇の中に白く立っている。昔、見上げるマリアの上に威厳をもって君臨した羅馬《ロオマ》の白い神々の一人。伊太利の冷たい石と、熱い陽、運河、白い空の影、遠くなったり、近くなったりする鐘の音。それらの記憶の中にあった、マリアの白い夢が、東京の闇の中にあるということが信じ得ない。  マリアはようようアポロンから眼を離した。  玄関で落ち合った「黒潮」のRさんとマリアとは廊下に上ったが、そこで停滞してしまった。向って右のサロンへ招じる人があるかと思うと、正面奥の暗い階段を示して、こちらへ、という人がある。マリアは階段を上った上のサロンが右手のサロンからも階段がついていて、二階と階下《した》とのサロンが連絡しており、しかも暗い階段を上って左に入る、玄関の真上の部屋と、その上下の二つのサロンとが全部パアティーの会場になっていて、三つの部屋部屋は西欧の絵入り小説の、舞踏会の場面の挿絵《さしえ》のように人々が擦《す》れ合って動き、笑いさざめき、或ものは飲み物の洋杯《コツプ》を持って歩き、思い思いに三つのサロンを巡り歩き、歴訪している、という、真島パアティーの実況を把握《はあく》していない。Rさんも部屋の間取り位は知っているらしいが、今日のパアティーの実況は判らないらしく、マリアと一緒につっかえている。  後《うしろ》から押されて階下《した》のサロンに入ると、真島与志之が傍へ来て、手をひいては呉れなかったが、人々に紹介してくれたが、例によって目がよく見えなくなっているので、一向誰だか判らない。外国人に紹介されてマリアが(アンシャンテ、ムッシュ)と言った時、真島与志之が、 「今日はフランス人系統が来てなくって」  と言ったのには狼狽《ろうばい》した。もしフランス人が出て来たら、文章の中では悠々と使いこなしているように見えるマリアのフランス語の正体がばれてしまうのである。  真島邸と、真島パアティーとはマリアの恐怖を裏切って楽しく、アンチイムである。真島与志之の中の白蛇は、マリアの空想世界を裏切らない。 (やっぱり蛇だ)  真島与志之はシャンデリアの光芒の下に真直ぐに、立っていた。  シャンデリアの白い光が真島与志之の中の希臘の蛇を昂奮《こうふん》させている。一度狭い卓子《テエブル》を距てて見たことのある、黒眼が異様に大きく光っているのに、白眼の部分も同じように大きい真島与志之の眼の中に、白い蛇は、いた。 (希臘の光だ)  と、白蛇《はくだ》は呟《つぶや》いた。  白蛇は、紺の背広に黒い襯衣《シヤツ》、淡黄色のネクタイの真島与志之の体をぬけ出し、音もなく、庭に面した硝子扉を煙のように潜《くぐ》って、闇に姿を、消した。彼は忽ち長い姿になって、闇の中のアポロンの体に、その透明に光る体を巻きつけたのだろうか?  マリアは昔聴いた伊太利の小説の中で、大理石の石像が、夜階段を上って行って、裏切った主人 [#ここから2字下げ] ——相手が人間で、恋愛事件であることだけはたしかだが、忘れてしまった。現在のことは三日前のことも間違えるが、昔のことなら羽織の紐の色まで覚えているマリアであるのに、不思議である。もうろくしたのではない。あやつり人形のように、フラ、フラ転ぶのも、忘れるのも七歳以来である。高い段から下りると、フラリ、となってふみ止《とど》まれない。両脚が外れて、今度は反対に背中向きに附いてしまうのではないか、という恐怖を抱くのである。胴と足との附き具合の悪い人間というのはあまり知らないので、軽い小児|麻痺《まひ》が知らぬ内に治癒《ちゆ》したのではないかと思っている。マリアは偉い骨の専門医に委《くわ》しく診て貰って見たいという興味を抱いているが、一方万一片端だったら大変だという恐怖も持っている。全くすべてが恐怖である—— [#ここで字下げ終わり] の上に倒れて殺す、その小説を、マリアは想い浮べ、誰だかわからぬ人物と会話を交している。(わたしがこの人物を知らないのは、わたしがこの人を尊敬していないからではない。紹介された時、真島与志之の顔も、言葉も、相手の顔も、その人の向うに見た女の帯も、シャンデリアの煌《きらめ》く光と一緒に溶け混って、自分の姿を知られたくない妖《あや》しげな生きもの、モオパッサンのオルラのように、流動していたのだ)  二階の方はどうなっているのか? と、マリアはRさんと二階へ上った。マリアが内心気にし、かつ恨めしく思っていたbuffet [#ここから2字下げ] ——マリアはbuffetという英語を立喰いだと理解した瞬間から、力を落していた。立食形式というのは、(自分の分け前がなくて、取ればいくらでも取れるが、そうもいかない)という、形式である。昔、佐佐木信綱の園遊会で、広い庭園にあらゆる模擬店があったが、当時既に十二歳位になっていたので、妹のように堂々と歴訪出来なかった恨みが未《いま》だに残っている。buffetという形式は帰る時に、沢山の食べものに心を残して帰る気のする形式である—— [#ここで字下げ終わり] の存在は人々の屏風《びようぶ》の蔭になっていて、二度目に階下へ下りるまで、マリアの眼には入らなかった。裏の方の階段から上って部屋に入ると、ここも人々の群像が立ったり掛けたりしていて、笑い声と煙草の烟《けむり》が静かにたて罩《こ》めている。さざめきは階段の中程からもう、聴えていた。 (巌潮楼の歌会の夢だ!!!)  マリアは階段を登りながら、呟いた。  階段を上ろうとした時、下りて来た阿潟具之《あがたともゆき》を見て、マリアは思わず小さく、言った。 「ア、阿潟さん!」  マリアの頭の中で、真島与志之と、第三の新人の阿潟具之とが全く連結しなかったのだ。真島与志之は何番目だか判らない人物である。阿潟具之はマリアの愕きを、判ったにちがいないが、 [#ここから2字下げ] ——大体において、マリア以外の人間は大人であって、計り知れない人生の秘密をそのあえかなる微笑の中に隠しているが、とくに作家という名の人物たちは所謂《いわゆる》ツーカーであって、マリアの心境、愕き、なぞは一目瞭然である。又とくに男流作家は、そういう流通作用が快適である。マリアが文壇分布図も、文芸雑誌と作家との関聯《かんれん》も、著書の出版事情も、(マリアの殻)という特種の殻の中から、不透明な膜越しに眺めているということも、真島パアティーに得意になってしゃしゃり出たのでない、ということも、はっきりと卓《つくえ》の上に実存する茶碗を手で掴《つか》むようにして一瞬の間に把握するのである。|阿※[#「口+云」]《あうん》の呼吸、禅の問答、である。最近マリアはつくづく文壇の世界(マリアはその中にいなくて、殻の中から見ているのだが)に慨歎していて(昔は仏蘭西文学の世界に慨歎していたのである)、三カ月のロング・ランで、空席があっても構わずに、日生劇場を買い切り、文学の世界のすべての人たちを招待して、日に三度位舞台で挨拶をしたい位である。そうすればマリアの外観(外観は内容である)も、小説を書く時に、(美)だけを目標にしている(他に何の材料も、知識もないのである)素人《しろうと》女流作家であるということも、人々を前にして眼が見えなくなるということも、すべてが人々の心の中で氷解すると、思うからである。それが不可能な行事であることは残念である。龍岡|笙太郎《しようたろう》の面白そうな葉書が紛失したことの、数千倍の無念である。—— [#ここで字下げ終わり] 自分は真島与志之とよく知っているから来ているので、当り前の出来事(彼が真島邸にその日存在していたということがである)であるから従容《しようよう》としている。 「今晩は」  阿潟具之は、言った。阿潟具之はマリアに、真島与志之と親しいということを隠していたわけではないが、止むを得ずマリアを愕かせる羽目になったのである。それにしても阿潟具之という人物はマリアが葭雪俊之介のところへ行っても、真島与志之のパアティーに行っても、つねに出てくる人物で、あった。  二階でマリアは龍岡笙太郎と喜多守緒、住吉みわ子に会ったが、もう愕くことはなかった。マリアは住吉みわ子が、第三の新人と同期であるということも、最近まで知らなかったし、真島与志之が彼等と親しいことも、知らなかった。マリアは第三の新人というのは葭雪俊之介と龍岡笙太郎、及び安東杏作の三人のことであると思い、三人だということが第三の新人の分類上ぴったりだと、暈《ぼんや》り考えていた。一体なんの加減か、(第三の新人)という一つのことだけがどこかでマリアの頭に入っていて、その名称を知っていることだけで、マリアは文壇通で、あった。そんな具合だから、マリアが葭雪俊之介と龍岡笙太郎、及び安東杏作について滑稽な文章を書いた時、或人物がマリアに向って(提灯《ちようちん》持ってましたね)と言ってうすら微笑《わら》った時には不愉快を、極めた。大体、葭雪俊之介や龍岡笙太郎、安東杏作の面々がマリアに提灯を持って貰ってようよう、「黒潮」の誌上で華々しく活躍したなんて、噴飯である。荷風|曰《いわ》く。(わらうべし)。  二階の方のサロンは照明も柔かで、幾らか暗く、壁際に沿って楽な椅子が置かれていて、ここでは人々が休息しながら談笑出来るようになっている。外国人の客(ゲスト)の夫人、真島与志之の夫人、母夫人の親しい女の客(ゲステス?)や、真島与志之と親しい(マリアは飛び入り)人々が集まっている。  階下《した》は立食の場になっていて、人々は大抵は立っていて、幾らかご交際の部類の人々が群れている。その日は国電の満員状況だったので、階段上の左側の部屋(夫人の居室だということである)まで公開してあって、そこには専《もつぱ》ら文学者の連中が集まっていたそうである。(マリアはその部屋を訪問してみない内に辞去してしまったが)第三の部屋はその日だけのことかも知れないが、上下のサロンが表からと、裏からの階段で繋《つな》がっていて、両方をめぐって歩けるようになっているこの家は、はじめから面白いパアティーを計算に入れて、建てられたものらしいと、マリアは納得した。  絨氈《じゆうたん》の上に坐って喋っていた阿潟具之が振り返って、言った。 「牟礼さん、住吉さん知ってるの?」  マリアは貴婦人の足台のような、巨大なお手玉のような椅子にかけて、同時にこっちへふり向いた住吉みわ子を認めたが、住吉みわ子は曖昧《あいまい》神秘なわらいの中に閉じこめてしまったのは、マリアを覚えていなかったらしい。マリアは住吉みわ子が偉くなる前に会ったことがあったが、(髪を長くしていらっしゃった時、お目にかかりました)と言って、微笑った。偉くならない前に、と言ったところで失礼ではないのだが、なんとなくそう言ったのである。咄嗟《とつさ》にフェア・セックス(女の人のこと。英語アラカルトより)というものを警戒したらしい。たった五六年位で今の隆盛に立至ったことは彼女の力量である。住吉みわ子は、文壇に出ると同時に髪を短く截って、俄《にわか》に可愛らしくなり、美人にさえ見えて来た人物である。マリアの好きな小説は描かないが、小説の書き手として、内心愕いているのである。が、見忘れられたのは残念である。  buffetが階下にあるというので下りて行くと、住吉みわ子が結婚した仁《じん》安芸夫《あきお》が、階段の下に立っている。 [#ここから2字下げ] ——マリアは新聞、雑誌、週刊誌の中毒患者であって、買うのは二三冊だが、雑誌は全部店で立ち読みをしている。鴨《かも》北沢には立ち読み御免の書店が二軒あって、二三日おきにこの二軒を廻れば、東京、巴里、倫敦《ロンドン》、羅馬、の人事で知らぬことは皆無になる。新聞雑誌の上でマリアは世界の人事を全部知り、かてて加えてマリアが深甚《しんじん》な興味を持っている、純、大衆両派の文壇人、批評家、指揮者、各種音楽家、歌舞伎役者、新劇、新派、新国劇、映画等々の男女、外国人の役者、演出家、監督、テレヴィ・タレント、司会者、作詞家、作曲家、落語家、漫才師、等々の面々の顔、姿の特徴、着ているものはすべて穴の明くほど睨《にら》んで、知悉している。であるから往来や劇場、映画館、国電、井の頭線の車内、ホーム、喫茶店、人間を見得るあらゆる場所で出会ったそれらの人々を見逃さない。大臣でも、日曜日に絵を描くような人物、或は実業家でもフランス文学をやっていた人物などは観察しているので、欧外の「鴫《しぎ》」の試写会で、大臣が最前列にいたのを素早く、発見した。マリアの弟が大わらわになって、招待した人々を席に嵌《は》めこんでいた、最後にマリアがはみ出した。渾名《あだな》を白いハンカチと言われているその人物がその時、隣りの空席においていた黒いソフトを膝にとって、身振りで、「何卒《どうぞ》」と言ったが間一髪に席が見つかったので、マリアは礼を述べて、席についた。かくの如くに会話まで交した人物は稀《まれ》だが、マリアが町で発見した芸能界の人物たちの数は枚挙に遑《いとま》がない。マリアには牙田剣三郎がマリアを見たというのが不思議である。マリアが芸術畑の人間を見つけるたしかさは、なめくじに於《お》ける「染谷久斎」(欧外の小説「染谷久斎」の主人公)のようなものである。その深奥の理由はマリアがすべての芸術人を心から愛していることである。芸術畑の人々というものは感情家で、生きる歓びも、生きる苦しみも烈しいからである。甍平四郎は番の外、特の別ではあるが、甍平四郎を例にとればマリアは彼を、その青い鯖色《さばいろ》の羽織、庭の石たち、樹々、苔《こけ》、小机、俑《よう》、壺、金魚。及び彼のすべての時間、をひきくるめて胸に入れて敬愛していた。又たとえば、今、真島与志之の体のどこかに塊が出来たときいたら、ひどく心が痛むだろう。(何言ってるの、そっちが先じゃないか)。平四郎が癌《がん》だと知った日から、マリアは朝夕胸の底から、切ない溜息《ためいき》を吐き、道を行く七十歳位の老人を見ると、「何故この人と代らないのか」と、悪鬼のような怒りに燃えてその後姿を睨《にら》んだ。溜息は今も写真を見ると出るのである。川村礼吉が、カステラばかり喰っていたという話も、心臓にこたえた。つまりそういうわけだから、日本一酸っぱい蜜柑《みかん》を喰った大隅重信のような口もとに特徴のある牙田剣三郎を見逃す筈がないのである。マリアの写真は牙田剣三郎の描写と瓜二つである。凄《すご》い恋愛を描こうとして、醗酵《はつこう》しなかったために寝台場面《ベツドシイン》だけが眼立ったマリアの「獣たち」を読み、日頃見ているマリアの写真を頭に浮べて、幻想派でない牙田剣三郎が嘔吐《おうと》を催したのだろう。この解釈においてマリアは牙田剣三郎の文章を、正直な怒りだと、信じた。但しマリアは牙田剣三郎を、「この人物は平手|匡四郎《きようしろう》控という小説を書く人物なのだな」と平常思っていて、或日ふとそれを読み、マリアの嫌いな恋愛場面を発見して、慌てて頁を閉じたが、それをどこかに書きはしないのである。マリアのそういう深奥の心持は、こうやって文章に書いて表明しなくても、芸術家ならはじめから判る筈である。マリアと牙田剣三郎とは栄枯盛衰、歓びも、哀しみも、全く一つの仲間である。全く面喰わざるを得ない、裏切りで、あった。そんなわけだから住吉みわ子の結婚の相手の顔を識別したのは当然のことである。—— [#ここで字下げ終わり]  仁安芸夫の顔を見て、マリアはマリアの姪《めい》の顔を想い出した。その姪は仁安芸夫の会社に事務員をしているのである。  マリアは慌てて近より、(レディが紹介もなく男の人に話しかけるというのは、英語で招待状の来るパアティーの席上としてはひどいやり方である。後にいた真島与志之も、人知れず顰蹙《ひんしゆく》したにちがいない)丁寧に挨拶をしたが、仁安芸夫は下げるはずの頭を反対に上へ上げてしまった。後できくと仁安芸夫の会社で、彼の旅行の留守にストライキが起り、マリアの姪も判を押させられたというのである。それでは厭《いや》な奴と思ったのもむりがないが、それにしてもエチケットのなさはマリアと、五分と五分の勝負である。  ともかく、住吉みわ子が、マリアの空想と反したようすだったこと、仁安芸夫が、その時は、どうしたのかと思った態度だったという、妙な具合はあったが、それらはいい香《にお》いのする果実酒の表面に浮いた、あるかないかの微塵《みじん》のようなものに過ぎない。  マリアは黒い洋服の男たちと、銀色が煌々《きらきら》する女たちが、肩や腰が擦れるほど入り交じって、巴里のダンスホオルのように静かに、少しずつ動いている中を泳ぐように近づいた、紅顔の美少年の影を残した、だが西洋人のように高く、大きい喜多守緒と会話を交したり、重なり合って動き、微笑っている人々の顔の向うから龍岡笙太郎が、夕暮れの天幕の中に頬杖《ほおづえ》を突いている、メエクアップを落したアルルカンのような顔を出して、マリアに何か言って微笑うかと思うと、住吉みわ子の向うに見えていた訪問着の、小柄な令嬢のような女《ひと》が傍に来て、それが龍岡笙太郎の夫人で、マリアの小説を読んだことがある、という歓喜。島沢武比古と、その夫人と喋る、というようなことが次々に起り、女優の若葉多美尾や、吉川坦《きつかわたん》の夫人の岡田|秋丁《あきと》なぞ(すべて写真では顔見知りである)の、あまり関係ない顔も、マリアに向って微笑っているような錯覚さえ起って、マリアの精神は次第に昂揚し、新しくなった血液が顔をめがけて登ったように熱く、マリアはいつもの楽しい時の紅い顔になり、綺麗な椅子にかけて語り、立って微笑い、その内に頭が熱して来て、終《つい》に気分が悪くなりはじめた。  文学者のいる集りの華やかさの中で、自分もその一分子となって漂っている、夢のような中にいて、マリアは巌潮楼歌会の席に出しゃばっていて、寝に行くことを必死に拒んだ子供の日のような心理状態になりながら、気分の方は悪化する気配になり、胸の中に固い空気が詰まって来て、この上ここにいると嘔吐しそうになるという恐怖をおぼえる状態にまでたち至った。  マリアは隣りにかけているRさんにそれを訴え、二人は腰を上げ、階下に下りて真島与志之に近よって、辞去の挨拶をした。  シャンデリアの真下に立っていた白蛇《はくだ》は二人にふりむき、 (もう、帰るの?)  と、愕いた顔をしたが、又忽ち周囲との会話の中に、戻って行った。  その忽ち、賑《にぎ》やかなさざめきの中にいる人のようすも、巌潮楼の記事の中に、ある。  玄関に送って来た母夫人と夫人とがマリアの状態をきいて、少し外の空気に当ってから又戻ってはどうかと言った時、マリアは危く、 (ではそういたします)と、答えそうになったのは滑稽であった。マリアの体はマリアの精神構造と釣合いをとるためか、子供の体のように出来ているらしく、ひどく気分が悪かったかと思うと、又忽ち直っているのである。大きな大人の女、というより、それ以上のグラン・マダムが(もう直りましたからもっとお邪魔します)とは言えない。まことに残念無念の仕儀である。  それまでに紹介されて、挨拶もしたのだろうが、ぼうっとなっていて判らなかった、「黒潮」の編輯者の人と、Rさんとで三人連れだって、マリアは真島邸を出て、タクシイを拾ってご帰還になったが、真島邸の門を出た時すれちがった若い男に見覚えがある。それは|※[#「毛+鞠のつくり」]山《まりやま》弓彦と二三人の連れで、あった。リサイタルの招待状に入っていた写真より表情もいい。 (あそこだろう?)とでもいうように、楽しそうな顔を上げて、仲間に指示《ゆびさ》しているようすが無邪気にみえる。  マリアはいよいよ残念になったのである。  真島パアティーから二週間ほど後、真島与志之が、 (牟礼さんてずいぶんデリケエトなんだね)  と言ったという、まるで、デリカなところなぞない人物だと信じていたような、失礼な、言葉が、風のたよりに伝わって来た。 [#地付き](昭和三十九年五月)   [#改ページ]   文壇紳士たちと魔利《マリア》  34・1度の部屋の中で、大タオル(両端が濃い薔薇色《ばらいろ》で、真中が薄い薔薇色の染めわけで、花模様が浮き出ているのと、薄い空色のとをはぎ合わせたものと、もう一枚は、もう大分濃くなった夕方の空の色の無地と、レモン色の、これも無地のをはいだものとが二枚あって、代り代りに使っている)を敷いた上に足を投げ出して、(これは最も素晴しい夏の敷物であって、伊太利《イタリア》の大銀行のような書斎の奥深く隠れて小説を書いている三島由紀夫をはじめ、恐らく冷房してあるわが文壇の紳士たちの書斎の快てき状況に、まさるとも劣らないと魔利《マリア》は信じている)幻に満ちていて、どういう風に書けるか、わからないで、なめくじが、どこへ行くのかもわからずにただ匍《は》っているのとよく似た書き方ではあっても、そこからせめて年に一度は、一つの小説が生み出せると信じて、そのなめくじ小説を生み出すべく、日々、夜々、書き出しを探りあてようとしている、というのが、魔利の今までの信仰(確乎《かつこ》としたキリスト者、又はマホメット者、親鸞《しんらん》者、のような=いつからキリスト教信者がキリスト者になったのか、日本人はすべての用語を詰めることで、宇宙時代のめまぐるしさに間に合うと信じているらしい=信仰ではなくて、太陽や乾し固めた人の首を拝む土人のような、漠然としてたよりない信仰である)であって、ただそれのみを信じて苦悶《くもん》の日々を永遠のようにつづけていたのだが、幻にみちた頭と思っているのが実は、洗濯をして濁った石鹸水《シヤボンみず》のような頭の時の方が多くて、今年も、二月に書いた小説のつづきが十二月には出来るつもりだったのに、いまだに私のなめくじは動きはじめないところへもって来て、ずいぶん前から別の社から、もう一つの小説を、書けと言われていたのを、もうこれ以上はあやまることも、泣くことも出来ないところに来た。そこへ又、今書いているこの原稿が、しびれを切らした編輯者《へんしゆうしや》から、気楽に書けるものを一つ書いてみるのもいいだろうと言って、持ち出された、という|しだい《ヽヽヽ》なのだが全く困ったことである。編輯者というものはそういうものなのだが、書く人と、生もうとする苦悶も、私の場合はなめくじが匍い出してからの苦心も、知らん顔はしているがいつも一緒で、テンポが合っていて、魔利が一つの小説を書いた後の、出産後の母親の睡りのような休息の日々が一寸《ちよつと》永引きすぎ、さてそろそろ本式の大苦悶をはじめなくてはと思った朝の、その午後、チリンと電話が鳴って、遊びにくるというのだが、それはうそで、(もうそろそろあっちの方を)と、かえる間際に言うのであって、恋人と恋人とが、片っぽは今日会いたいと思っているのに、片っぽは、前に会った日のことのなにかを憤っているとか、片っぽは恋人のことをふと忘れているのに、片っぽは一所けんめいに考えているとか、会って見ると、一人は機嫌がよくて、一人は憂うつだとか、いうのとはちがって、ぴったり呼吸が合うのが、困るのである。なめくじ小説家はひとまずほっとしたものの、今度はこの原稿がうまく行かないという、へんな予感がしはじめて、小説を書くのと全く同じ位の苦悶におちいり、白石かずこからチリンと電話がかかり、又次に宮城まり子からチリンとかかってくると、それを訴えているのである。今朝、6時にふと眼が醒《さ》めて、今日こそはじめなくてはもう絶対、間に合わない日数なので、五日前に書いておいた書き出しでやみくもに書きはじめたのだが、明るくなった6時の空が又暗くなって来た。雷が鳴り出したせいかと思うとそれがそうでなくて、まだきのうの午後6時だったのに気がついた。一日と一夜、得をしたと、よろこんでいるが、夜中は書いているつもりで睡っている日が多く、眼が醒めると、夢の中で書いていたはずのが書いてないのである。  かくの如く苦悶しているのはちんぴらの魔利だけで、先輩の文壇の紳士たちは、もう少し淡泊《あつさり》しているのだろうと、なんとなく考えていたところ、或日婦人雑誌を見ると三島由紀夫が山のような原稿紙だかなんだかを積み上げた蔭で何か書いている写真が出ていて、その記事の中の言葉に、(これこれの部屋があって、そこに入って僕は苦しむのです)と言っているので、いくらか煉獄の苦悶が減ったと、思ったのだ。又或日もう一人の紳士の吉行淳之介に苦悶の話をすると、「僕も書くことがないんですよ。小説を書くっていうのはエネルギイが要るから、二階へ上がるのが厭《いや》なんですよ」と言ったのである。魔利は又ほっとして言った。「それなら安岡氏も、遠藤氏もそうかもしれませんから、或日突然訪問して、門並みたしかめてみて安心したくなった」と。考えてみれば当然で、苦しまない筈はない、と、魔利は思っていたが、魔利にかなり似た状況であるらしいのに、愕《おどろ》いた。だが魔利の苦悶は莫迦《ばか》げてとくべつなのだ。折角、二つの雑誌に小説が出るという、一人前らしいことが起り得る、と思ってよろこんでも、そのよろこびはいつも水の泡《あわ》であって、何時間も泣いてあやまるだけである。一年に一つ書いていて、二年に一つのこともあるのに、一人前の顔をしようというのがおかしいのである。一度なぞは一度書くと言ってしまって、やっぱり駄目だと思い、もう一度断るのにはこっちから行くべきであると思って、ようよう初めて行く雑誌社にたどりついたが会えなくて、又会い直して、何時間も話し、一度放送したが、私としては傑作の芝居を代りに出して貰おうとしたが、それはやっぱり駄目だったという事件もあったのだ。  ところでこの、苦悶にみちたなめくじ小説家は、苦悶していない時間、即ちよそへ出かけている時間も、なめくじ小説家らしく間のぬけたことをしているので、文壇、画壇の紳士たちといる時はことに、おかしいことが起ってくる。≪何がおかしいものか。あれだけ化けられれば大したものだ≫という、恐れの森の中の蛇の囁《ささや》きのような声が、いつも魔利の耳の傍《そば》で、「虞美人草《ぐびじんそう》」の中の文章のように、嘲《あざけ》りの鈴《れい》の如く鳴るのだが、そんなたわごとに耳を澄ましてなげくのは止《や》めよう。魔利には幾人かの親友が、この頃ではあって、(魔利さんみたいなナイーヴな人は却《かえ》ってにせものに見えるんですよ。にせものの方は本ものに見えるんだ)、或は、(魔利さん、もうそんなことを考えるのはおよしなさい。あたしは神戸の講演で、ヘンリ・ミラアや、池田満寿夫やムレ・マリアさんのように、悪魔を描く人はみんな可愛くて、子供のようなのですと、話したんだから)等々と、言ってくれるからいいのだ。まっかな嘘の悪口なんか、みみずのなき声だと思えばいいのである。  決して、前置きを長くして、文章を引っぱろうと思ったのではないのだが、前置きがすごく長くなった。文壇の紳士たちといる時に起る、おかしなことはいろいろあるが、或日、それは去年の暮だった。魔利はS社の編輯者に用があって(用というのは大抵は借金の用であって、銀行の判を落して、歎願の末に判無しで出してからひと月経った頃金が無くなった時に定まっている。改印届けに一週間かかるので困って借りに行くのである。少し待っているとS社の大金庫からお金が出て来て、次の原稿料から引くという仕掛けになっている。土曜日の午後に無一文になって、銀行の門が開くまでの一日半分を借りる場合はザラで、大谷藤子に借りたこともあり、室生犀星、萩原葉子、瀬戸内晴美=彼女の場合は東慶寺の会に、財布を忘れて、萩原葉子の財布をあてにして行ったところ、帰りの電車賃しかないというので、生れてから二度目に会った瀬戸内晴美に会費を借り、次の瞬間、お金を借りたことを忘れて、おおがね餅を頼んでしまい、又々借りたのである=なぞにも借りたので、一寸した文壇ゴロである)、S社の自動扉から飛びこみ、受付に行くと、奥の皮の椅子に、川端康成が行儀よく腰かけて、こっちを見ている。行儀よく腰かけていたからといって、川端康成は借金に来たのではないのは明らかであるが、魔利は俄《にわ》かにあわてた。知っているわけでもなく、どこかの会場で挨拶をするのならともかく、傍へ行っておじぎをしたとしても話すこともない。こっちを見ているが、どこかで見た顔だと思っているのかもしれないし、トランプも花合せもしたくないポーカア・フェエスである。とにかくおじぎには行かないことにして、取り次ぎを待っていると、川端康成が起って来て、「ご無沙汰しています」と丁寧に挨拶をするではないか。知っていないから挨拶をする筈がなく、向うからする筈はいよいよないのである。「どういたしまして」と、へんな挨拶をしていると受付の少女が来て、先に立って、エレヴェータアに誘導するようにする。すると川端康成がそっちへしずしずと行くので、魔利はぼんやりして自分の応接間も同時に空いたのかと思い、(というより、無意識に動き出したらしい。魔利は年中無意識に何かやり出すのだ)川端氏の後《あと》から行くと、少女は(あなたの番はまだです)というようなそぶりをした。魔利は我に帰って川端康成を追跡するのを止《や》めたが、後《あと》になって落ちついてから考えると、川端康成は一寸前に、妹の長女の婚礼式に仲人《なこうど》として来てくれたのである。その時魔利は挨拶に行ってお礼をのべたのである。魔利が世間並みのご婦人だったら何か持ってご挨拶に川端家を訪問していたかも知れない関係であるから、こっちが健忘症のようにぼんやりしていれば丁寧な人は向うからくるわけである。訪問したこともされたこともなくても(ご無沙汰しています)と言うのは常識的な言葉である。  同じような喜劇はまだある。西ドイツに招かれて行くことになった池田満寿夫が、トミオカタエコと鎌倉の澁澤龍彦の家に招ばれた日、魔利も招ばれていたので同行して貰うことになった。タエコは初めはロオマイアで待ち合せようと言っていたが、魔利の地理オンチというより地理バカなのが不安になったらしく、誰だかさんが行ってくれるというから、こないでそこで待っていてくれということになった。待っていると、成年と中年の中間位の男と車で来て、三人はロオマイアに行った。お腹が空いているが、向うですぐたべるから、ロオマイアで豆のスウプと黒パンと軽いサラダをたべて行くことになったという話に魔利は嬉々として、というより支那料理店の皿の※[#「喜+喜」]の字を使った※[#「喜+喜」]々の感じで胸が躍った。腹が躍ったというのがほんとうだろう。マスオとタエコがけちなら、ロオマイアを済《す》ましてから口を拭って、どこかの別な場所で落ち合うのだがわがマスオとタエコはけちでないので、この世で一番好きで、それなのに長年思い出さずにいた独逸《ドイツ》式豆のスウプと黒パン(烏麦か裸麦で造り、カルルスの入った=支那の杏仁《きようにん》?=あのロシアの小説に出てくる、なんとかスカアヤ、何々ニエフ、何々スロオワ、何々ンスキイ等々の大家族が庭で食べる感じのパン)とサラダときいてはよろこばしい。ロオマイアなら馬鈴薯《ばれいしよ》のサラダがあるだろう。さてそれらにありついていると成年と中年の間の男が(そうやって話していらっしゃるところも一つお願いします)と、言ったので写真を撮るらしいのがわかった。アペリチフではないアペリ食事が済むと男は夫妻に隣りの卓子《テエブル》に着くように言い、マスオとタエコは移った。移った卓子も紅いランプが点っていて、今までの卓子と全く同じなのにどうして移動するのかと魔利は不思議に思いながら、自分も一緒にそっちの席に着こうとするとタエコが(魔利さんはあっちにいていいのよ)というような眼配せをしたので元の席に帰ったが、考えてみれば変である。子供でも利口な子供なら事態をすぐのみこんだにちがいない。成中年の人物が新聞社の男だということはきいて知っていたのだが、魔利にはその場に起った事態をすぐにのみこむ頭の廻転がない。いつもなら、どこの洗濯おばさんかわからぬ女が、ブラウスにスウェータアで踵《かかと》のない靴で銀座の高級レストランにくるなんて図々しいと、いわぬばかりに軽蔑《けいべつ》の眼を魔利に向ける銀座の紳士、令嬢が、カメラを持った男や、若い芸術家らしい夫婦と一緒なので、なにかのマスコミの人間と友だちづき合いのおばはんだろうと、羨望《せんぼう》の眼を光らせているのに得意満面で、有頂天になっていたせいもあって、ぽかんとしたらしい。西ドイツへ行く有名な夫婦を撮影しに来たのではあるが、もし魔利も有名だと仮定すれば(魔利は魔利をよく知っている人々の間でだけ有名である)魔利も一緒に映して(これは何々ご夫妻。隣りは何々氏)と説明をつけるのだから、魔利が、自分も有名だと信じこんで一緒に席を移ろうとしたのだと思われはしないかと、魔利はくよくよしたが、タエコや魔利の様子で、眼から鼻のジャアナリストには、ほんとうのニュアンスが解るだろうと、思い返した。大体有名だと思いこんだのだろうと、他人から思われる程有名ではない。素敵な賞を貰った人が、当人より有名度の高い人と同席したような場合はへまをすると危いが、萩原葉子(新潮賞を貰った)の場合は有名な人とカメラを持った人とレストランへ行って、若《も》し撮影となったら元の席からも姿を消して、フォークやナイフの置いてある隅の卓子の脇の、配膳用の卓子まで退去して、手を引っ張らなくては帰ってこないという感じであるから、万《ばん》、間違いはない。  久保田万太郎という詩人が赤貝のお鮨《すし》のひもだか、ごはん粒だかが気管に詰って、廊下に倒れて死んだ(その時の記事を魔利は偉大な興味で読んだのでもっと詳しく覚えていたのだが、=偉大な興味は魔利が人間の死にはいつも抱くものであって、それは自分の死が、死というものがこわいからで、又動物や人間の生と死に興味とおそれがあるかららしい。興味でないのはよく知っている。敬愛を抱いている人々だけだ。久保田万太郎に敬愛を抱かないのは、死病を発してから後の母の碁の相手に通って来て、家の人々になじみ、魔利や妹のユリア、弟のルイジにも好意と愛情を持ってくれ、魔利が歯医者に一人で行かれないとこわがる時、家政婦の都合が悪いとついて来てくれたこともある信ちゃんという少年が或日ポツリ、と言った言葉から魔利は、信ちゃんが何かを知っている、と思ったのだ。信ちゃんの父親は、浅草の馬道だったかに住んでいる、芝居の幕を造《こしら》える人である。もしものの間違いだったら魔利は罪を犯していることになるが、魔利は信ちゃんを信じている=あんまり月日が経って忘れてしまった)ということを知ってからあまり月日の経たない或夏、吉行淳之介の家に行って、青い芝生の、垣根の隅と家の傍とにリラが植わっている懐しい庭で、たしかバーベキュウの御馳走になっていた時だ。(例をちょっと挙げれば、たとえば吉行淳之介や三島由紀夫の死の記事は興味はない)戦争前に、アメリカに十年いた上手な、鈴木操さんという歯医者に、入れて貰った歯が三本もとれたので、よく噛《か》めないものがいろいろある魔利は、宮城まり子の造った冷し素麺《そうめん》で大失態を演じてしまった。茹《ゆ》で加減がちゃんと噛めて固くって、箸《はし》にかけた時から美味《おい》しそうだったので魔利はつい歯を忘れて派手にたぐりこんだ。ところが噛むことも呑むことも出来なくなった。進退極まった魔利は分け皿を取る手も遅しと吐き出した。丁度前に、銀鮫鱒次郎《ぎんざめますじろう》のような吉行淳之介が、涼しそうに前髪を垂らして辛子《からし》なんかを溶かしている眼の前である。手巾《ハンカチ》で蔽《おお》いはしたが、口一杯に大量の素麺が溢《あふ》れ出たところは、希臘《ギリシヤ》のバッサンにある、大きな口から泉水を吐き出す半獣神のお面そっくりだったのは誰の眼にもわかったのだ。吉行淳之介も愕いて見ていたが、魔利は「久保田万太郎のようになるのかと思った」と言い、事実瞬間久保田万太郎の赤貝のひもを思い出して恐怖の極だったのだ。(この素麺が一、二本でも気管に入ったら久保田万太郎だ)と、魔利は思ったのである。後《あと》になって又、食道|癌《がん》になった高見順がお蕎麦《そば》を呑みこめなくて吐き出したという記事を読んで、再びその時の恐怖を想起したのだ。もともとくいしんぼうで、好きなものだとほおばり大きなお団子にして咽喉《のど》におしこむので、通りが悪くなり、その度に食道癌かと思って恐怖する魔利である。  これも文壇の紳士、高見順は丁度死ぬ時に近代文学館建立が深く関係していたので、文学者の死というより近代文学館に奔走した人物の死のようになったが、不愉快だと言っては近代文学館に力を入れている人々に気の毒だが、私が高見順の家人なら、近代文学館のためにやった努力について感謝して貰うのがうれしいにはうれしいが、そのうれしさは半分の嬉しさだ。日本の文壇にはへんな浪花節《なにわぶし》的哀調が、歌の声のようにたなびいていてなんとなくムカムカする。魔利は誰のも読まないが、高見順の小説も読んでいない。だが一頭、地を抜いていた士《さむらい》だったのに、近代文学館で働いて死んだような感じだ。魔利は高見順の、判読できないような最後の字(日記の字か? よく知らない)の記事とその字の写真を見た時一番|搏《う》たれた。魔利の尊敬する文学者も、いつか一度はあんな字を書くだろう。近代文学館を建てるということは立派なことだというのは間違いのないことだし、そのために尽力するのも、誰かがしなくてはならないことをやるのだから立派なことであるが、大体魔利は文学に何々館で出会うというのがなんとなく、うれしくない。高見順なら高見順という人に会うような気のする、樹々や草が茂っている、木造洋館かなにかが、その建物に丁度似合った所に建つのならいいが、日本には政治もない感じだし、そんな贅沢をする金はない。日本の政府は立派なことには気がないし、日本の金はでこぼこ代議士の選挙資金や、飯坂温泉の女郎屋のそばの宿屋で、ドテラを着て放歌乱舞するのにぴったりの政治家、代議士が、欧露巴《ヨオロツパ》に大名旅行をするので一杯で、一酸化炭素ナントカ議案もぎこぎこするばかりで通るでもなければ通らないでもない、まるで魔利がたぐりこんだ冷し素麺と同じである。ためしにどこかの外国の大臣に相談をしたとすれば、異例としてその場で可決するだろう。可哀そうな国民を救けようとすると、きまって、法律とか憲法をまず変えなくてはといってもたもたするのである。第一書く小説が日本の文学でもないし、現代文学でもないし、近代文学でもないし、そうかといってポリネシアの文学でもない、それらのどこにも存在しないなめくじ小説家には何々館はカンケイないのである。  人生には不可解が多いが、魔利のひどく不可解に思うのは深沢七郎という小説家の頭の中である。深沢七郎を文壇の紳士というのは一寸抵抗を感じるが、そうかといって室生犀星のように野人というのでもない。彼は人柄そのものも不可解で、紳士でもなければ、野人でもなく、馬丁でもないし、下郎という感じでもない。深沢七郎は要するに、(深沢七郎)なのである。「楢山節考《ならやまぶしこう》」はななめ読みだし、「笛吹川」は映画を見ただけだが、彼の世界は寺山修司の「青森県のせむし男」にどこか共通していて、もっと素朴な、といっても、棟方志功のように(素朴でございます)というようなのではない、魔利の頭なんかでは解ることも出来ない一種変った世界であるが、「理智」とはまるで関係がない世界に見える世界である。それが或日「文芸」に小説の作法みたいな文章が出ているのを読むと、魔利には解らない、立派な理論があって、えらい評論家のようである。それ以来魔利は混乱していたが、B社のMという雑誌の企画で埼玉県の野中の一軒家まで行った時、又々魔利は混乱した。「文芸」の文章を読んだ時には、爪を隠している鷹《たか》なのか? とも思ったのだったが、傍で話していて何遍顔を見ても、どこにも、理論がないのである。そのくせ魔利よりも大人である。魔利より大人でも大人だということにはならないが、もっとずっと大人なのである。だが本性は、そうして文学の中にいる彼は、わけのわからない夢を喰う貘《ばく》のような存在である。楢山か、笛吹川かの辺の人らしいが、そういう田舎に、彼のような化けものがいるとは思えない。言葉には現せない異様な存在というよりない。深沢七郎は先祖伝来、南洋の島か、蒙古《もうこ》か、ヒマラヤか、知らないが、何千年ももう土着しているのだから素性は日本人である。だから、ピータア・オトゥウルのように可怕《こわ》くはないが何者だかわからないところには一種のこわさがある。たとえてみれば江戸の無頼漢《ならずもの》で、何か為体《えたい》の知れないことをやっていて、佐渡の牢《ろう》に八年いた呆助《ほうすけ》という名の、一寸見に顔つきがぬけているので、抜けた人間を装っているシタタカモノ、というところもある。本性を知らない男が、油断して無視していてふと彼の方を視ると、嘲りを押し潰した眼でちらとこっちを窺《うかが》っているのと視線が打《ぶ》つかってぎょっとする、そんな感じがある。室生犀星の面妖《めんよう》とどこか共通した狐狸《こり》的な妖《あや》しさである。  室生犀星も、深沢七郎も、日本の昔の、魔利にはおぼろげにしか窺い得ない、狐や狸が群れていた時代の面妖を背負っているが、犀星の方は紅い炎の舌を出し、牙《きば》を鼻より先へ、飛び出しナイフのように突き出して突進してくる、全身の毛がバリバリした猪《いのしし》か、愛情にも、憎悪にも、牙を剥《む》き出す野猿のようであるのに比べて深沢七郎の方は、笛吹川の辺りの何処《どこ》かの家の壁にじっとしている、いつから生きているのか不明の|なめくじら《ヽヽヽヽヽ》の面妖を持っているのだ。室生犀星は憎むべき人間の胸板に向って、懐に呑んだ出刃もろともぶつかって行って殪《たお》すだろうが、深沢七郎はよく切れない刀でぎっこぎっこと切って殪すようなところがあるのだ。  魔利が行った日のいでたちは濃い深紅《あか》地に欧露巴風|更紗《さらさ》模様の襯衣《シヤツ》にアラン・ドゥロンのようなブルウジンを履いていたが、三島由紀夫が六本木の若者と同じの縞《ストライプ》や格子《チエツク》の襯衣にジーパンを履いているのは深沢七郎よりは板についているが(むろん三島由紀夫ももっと凄《すご》い大人の|なり《ヽヽ》の方がいいが、三島由紀夫の服装について言うのは止めよう。三島由紀夫は魔利が自分の服装について何か書くと、雑誌に公開して怒り、手紙で怒ってくるからだ)なんといっても個性に合っていない。避難民のおっさんが東京から来た救助物資の行李《こうり》の中から手当り次第に引っ張り出して着たような感じだ。そういう魔利も白に臙脂《えんじ》と藍紺《あいこん》の格子《チエツク》の、ボンゴを敲《たた》いている六本木族の十九歳の男の子の襯衣《シヤツ》を着ている明治婆さんではあるのだ。どうも白石かずこに気に入る小説家というのは六本木族の真似をしたがるようだ。畑で写真をとることになると、深沢七郎はアラン・ドゥロンの服装《なり》の上に、近所の百姓からもらったらしい黒っぽいめくら縞の半纏《はんてん》を着て、鍬《くわ》を持ち、焚火《たきび》の煙の中に朦朧《もうろう》として立つのである。深沢七郎は、親分の着古しを縫い直した藍|微塵《みじん》の単衣《ひとえ》に古着屋で買った山《やま》のいたんだ三尺のよれよれか、縄をしめて跣《はだし》に冷めし草履(それも江戸|者《もの》の、しゃっきりした味ではなくてどこかドロンとした恰好。笛吹川の流域生れのやくざである)が似合うだろう。悪党の癖に痛がるので彫りものはないのである。この件《くだり》を書いたあと、白石かずこから、彼が医者も歯医者も大嫌いで、魔利以上に注射も、指圧の名医ゆきも、恐怖しているときき、魔利は自分の炯眼《けいがん》に、満足したのである。  だがそうかと思うと、客と応対している時以外の彼は、しんから犬と遊んでいる、変な大人である。深沢七郎はクレエという精悍《せいかん》なボクサーを飼っていて自慢らしかったが、その日クレエのお嫁さんが来た。彼は裏の物音を聴くや、「女の犬が来た!!」と、よろこびの声を挙げてのろのろ走って行き、手の舞い足の踏むところを知らぬクレエと、キャンキャン、クレエにふざけかかる三日月おさよ(魔利がつけた名)を代り代りにかまって、喜び、全く余念のない状態になるのだ。いつもやっているらしく、深沢七郎が二つ、三つ、飛び上がると、犬もピョン、ピョンと、二つ三つ、飛ぶ。チドリと智恵子もかくや、である。魔利たちが帰る時も、彼と犬とは駈けながら、畑の中を道のところまで送って来た。その変な大人、一種の痴的、ともいえる感じは、贋《にせ》ものではない|ようだ《ヽヽヽ》。(この|ようだ《ヽヽヽ》の三字を除《と》り去る自信が魔利にはない)だがともあれもし、埼玉県の、あの見渡すかぎり茫漠とした空間から深沢七郎の映像が或日無くなって、二匹の犬だけが駈け廻っていたとしたら(犬も人間位生きると仮定して)、不思議な悲哀が漂うだろう。とにかく深沢七郎というのは、判り得ない、善人か? 悪人か? 判別出来ない人物であって、彼を訪問した日は昭和何十何年の何月何日ではなくて、宇宙の中にふと、あった、不思議な(或る日)なのだ。埼玉県に行く途で腹を空かした魔利たち一行三人が飛びこんで、手打ちの狸《たぬき》うどんを各人二杯|宛《ずつ》たぐりこんだ変に明るい町角の、名も知れない蕎麦屋も、現実世界に有り得べからざる幻の家であって、今度行ってももう、その場所に存在するかどうか、あやしいのだ。魔利たち三人はかくて、うどんだらけの腹の中に深沢七郎の家で出た平目のバタ焼きや畑からとった野菜のサラダ、北海道から来た小豆の煮たの、長十郎梨、等々を、詰めこみに詰めこんだのである。要するに深沢七郎は、複雑怪奇な性格を持った、理智はどこかに入ってしまっている、一人の稚的な大人であって、問題になった彼の「風流夢譚」が、彼がこわがりで、革命を恐れ、そうなったら大変だと思ったために、却ってその恐れが度ぎつい絵になって頭に描かれたものだということは解りすぎる程解ることであって、右翼の動き云々《うんぬん》の話は全く気の毒である。深沢七郎に同情したというので右翼の人々がこっちへ来るのは困るが、これは私の直感である。  先刻《さつき》書いた池田満寿夫も、紳士という感じのない人物で、彼が或日何かの会場に行って食卓の隅の席についたところ、ボオイが彼の前には料理どころか、フォークもナイフも持って来なかったという話である。いつも丸首スウェータアか、百貨店で買ったのに、古着屋で買ったようにくしゃくしゃしたスウェードの背広(伊太利《イタリア》の運河色)を着ていて、神田か本郷の下宿にいる大正時代の貧乏な画家のようであって、顔を見ると現代の不良(善良な心の)であるからだ。運転手と間違えたらしいのだ。先刻のロオマイアの続きである。三人は中成年の男と別れて東京駅(だろうと思う。魔利はひとと歩くと、全く夢の中で歩いているので、どこで乗ったか、下りたかわからないのだ)の地下の通路を歩いていた時、つくづくマスオとタエコを見ると、どうみても熱海へ逃げる不良の若い恋人の感じなのだ。(タエコ詩人も一寸いかれた女の子の|なり《ヽヽ》をしているのだ。むろん倫敦《ロンドン》製でいかしてはいるが)それでその通り言うと、二人はにやにや笑っている。魔利はふと思い出して、「この間の賞は勲章あったの?」ときくと、「ない」と答えたマスオが、「勲章下げていれば大丈夫でしょう?」と言ったので、「拾ったのかと思うわ」と、魔利は言い、そこで三人はアハハと笑ったが、実際二人は所謂《いわゆる》正統にしてご立派な、何某夫妻という感じがなくて、恋人のように見え、マスオの、黒のように見える暗い臙脂の、伊太利の新しい靴は年下の恋人に買って貰った感じである。やがて三人は北鎌倉で下り、線路に沿ったぬかるみ道を澁澤邸に着いたが、今の今までわかっていたことがらが次の瞬間頭から抜けてしまう魔利は、(ひとには、いつも頭が空想の方へ行っているので、なぞと、さも小説の空想で一杯のように言っているが、それはそんな時もあるにはあるが、大抵はただ莫迦のようにぼんやりしているのである)澁澤邸に着いて、人々が待ちかねたようにして迎えてくれた時、イケダ・マスオと同等の中心人物の感じでにこやかに、入場した。つい先刻まで新聞社の中成年の男と一緒だったのに、途中でマスオ・タエコの写真を二度も撮ったというのに、その日のパアティーがマスオの芸術? 賞のお祝いと西ドイツへ行く歓送のための会であることを忘れていて、自分も何かお祝いされることがあるような気分になったからだ。人々もナントナク変だっただろうが、或日の客の中に魔利が一人混っていれば、突然バカげたことも起り得るので、ナントナク変ぐらいはザラのことである。どういうわけか魔利は人が大勢集ってガヤガヤしているところに行くと、何かお祝いがあるような、そうしてそのお祝いが自分のことであるような、浮き浮きした気分になって、体中がよろこんで来、顔が紅くなり、髪はいよいよアメリカの流行歌に(バラバラ)なるのだ。アパートのカミサン連中がそういう魔利をみれば、(さてはやっぱりバカか)と心に頷《うなず》くにちがいないが、幸い魔利が行くところにはそんな人物はいないので安心しているせいか、一層バラバラになるのである。ことに、自分たちが祝福され、歓迎されるべき日であったマスオ・タエコが、そういうへんな魔利を見ておかしく思うどころか、いつも愉快な魔利を見たと思っただけだということは大変に幸福なことである。へんな魔利は、むろん三島邸に行く場合もへんなことに変りはない。  或日のことである。降誕祭《クリスマス》のパアティーに招ばれた魔利は招待状をあまり熱心に、注意を集中して読んだせいか却って読みちがえて、三十分早過ぎて、ヴェルサィユ式の玄関に到着した。呼鈴がないので立っていると、ひっそり閑として誰もいない。そっとのぞくと右手奥の、去年そこに御馳走が用意されていた客間の、去年と同じ場所に卓子の一部が見え、ナイフ、フォーク類と、空の皿が、しんと鎮まりかえって、静かな陶器の白や、ナイフの銀が光っていて、音もない。パアティーは明日だったのではないかと思った時、不思議そうな顔のボオイが出て来た。ボオイが引込むと、又しずまりかえった。もしナイフ類が銀製なら(家はヴェルサィユ宮でもナイフ類は普通のクロオムであるが)忍びこんで二三本盗んで帰れば、ご馳走になった以上の巨利である。その時、二階への階段の奥の扉が四センチ程開いて、蝶ネクタイを締めかけている三島由紀夫の顔が出た。写楽の眼が愕いたように開《あ》いて、(誰? 何事《なにごと》?)という表情でこっちを窺い、こっちはこっちで、急に出現した三島由紀夫の顔に愕いている魔利の眼を、見た。三島邸のパアティーに、曾《かつ》て起ったことのないへんな瞬間である。その顔はアッという間に引っこみ、その扉の奥で(そんなことしちゃいけません)という、子供に何か言うらしい三島由紀夫の≪家庭の声≫がしたので愕いていると、(三島由紀夫は家庭を持っていることは知っているが、いつ見ても≪家庭≫も、≪子供≫も、感じさせない人物であって、=無理にそう見せようとしているのではなくて、そうなのである=いつだったか、彼が夫人と月島だかどこかの海にボートで漕《こ》ぎ出し、ヤクかなにかに関係のある怪しいアヴェックだと思われて、サツの旦那に誰何《すいか》された、という話を読んだが、その光景はうなずけるのである。三島由紀夫夫妻はその時、男の方は襯衣《シヤツ》とジーパン姿に黒のレエンコオトだっただろうし、女の方はレエンコオトにネッカチイフだったにちがいない。三島夫人は、ディズニイのベッティイか、ジグスが見惚《みと》れるBGガアルのような、BBの裸のように滑稽味のあるエロティシズムの、くねくねした様子で、顔は、印度の高官の奥さんと英国武官との間に生れた娘のような人物であって、かねて魔利は三島由紀夫が彼女を選んだのは、彼女に偽善がなくて、又幾らかの悪魔がある為だろうと推察しているのである。又魔利は夫人が、自分には似合わない、レエンコオトにネッカチイフが似合うだろうと、思っていた。そういう恰好の夫妻がボートに乗って漕いでいれば、フランス、ヴェルサィユ風にして且《かつ》又イタリア風の邸宅を構え、ローマから引っ張って来た、白に輝くアポロンの像の下の、北斗七星を型どるモザイクの上をそぞろ歩く、何某夫妻に見える筈はない。だが、子供に向ってお父さんの声を出している三島由紀夫というのはあまりに想像の外である)ボオイが又出て来て、客間に招じ入れた。三島由紀夫は少間《しばらく》して現れ、約二十五分位、魔利バアサンのお相手をしてくれたが、さすがに、室生犀星のように魔利の文章を認めてくれる三島由紀夫も、内心機嫌がよくなかったらしく、彼はつまらなそうな顔をして、ヴェルサィユ式アルモアアルの上から、どこかの外国人から来たクリスマス・カアドを下ろして来て、魔利に見せて説明したり、改めて又、魔利の小説に出てくる少年をほめたり、丹羽文雄が還暦ときいて安心したと言ったり、魔利が若いと言っておどろいて見せたりして間をもたせ、魔利は自分が悪いのに内心不機嫌になっている内に、ようよう二十五六分の困った時間は過ぎ去った。ディズニイのベッティイ夫人も一寸出て来たりしたが、(これがもし子供だったら、一寸遊んでおいで、と言えばいいのに)と、夫妻は魔利がおしもおされもしない六十三歳の大人であることをともども喞《かこ》ったのにちがいない。室生犀星もこの世にいた間は、魔利が約束と違う日に現れて、愕くのは度々のことだった。一週間早過ぎる日曜日に行ったこともある。魔利は四角い硝子《ガラス》障子の向うでこっちを見た犀星の顔で、間違えたらしいと気づいたが、その日は柔い豚カツが出る筈だったのだが、日を間違えたために、無論豚のヒレ肉は買ってなく、いつもの肉と野菜のスウプ煮と、煮魚、ゴリの飴煮《あめに》、すし、で、魔利は失望したが、犀星のせいでも、朝子氏のせいでもないのである。ただ犀星の場合はパアティーの支度中なぞという事はなかったし、彼は朝、三枚の原稿を書いて、後《うしろ》の棚にかくしてしまえばあとは、小説の妄想《もうそう》や、この世の苦労を、モオパッサンのように頭の中にうず巻かせているとはいえ、小机に肱《ひじ》をつき、四角い硝子から黄色い顔を出して、(又誰かくるかな? なるべくなら男でなく、三十代どまりの女人《おんなひと》のカツ、カツ、の靴音であればいいが)なぞと考えているのであるから被害はなかったのである。吉行淳之介が困らないのは、吉行邸に行く時にはいつでも葉子と行くからだ。  三島邸のパアティーで印象が強かった出来事は北杜夫との会話の中の一つである。北杜夫は、書斎にベッドがあってねころんで読書をしたり、漫画を見たりしているらしい点で、なめくじ小説家の魔利に、どこか共通点を持っている人物であるが、(大体、三島由紀夫、吉行淳之介、北杜夫、阿川弘之、等々、すべてこれらの小説家は魔利の息子と同年輩で、「赤い鳥」や「コドモノクニ」、虫のいた原っぱや縁日、ハタタココマハトマメコトリタマゴや白秋の、杏《あんず》のはっぱははっぱっぱ、手廻しのポータブルに枯れすすき、アイスクリームに綿あめ、等々で育った人々であって、魔利の暗い中でほのかに楽しかった二十代前半の郷愁を起させる、今は成年になった少年たちである)三島邸で二度目に出会った時、偉大な説得力を持った人物だとわかった。魔利がふと、どこかの雑誌で読んだことを想い出して、「夜中にラーメンを召上るのですか?」と言うと、向い合った椅子にいた彼は「ラーメンは美味しいですよ」と、言ったが、その短い言葉の間に彼の顔は急激に魔利に近づき、忽《たちま》ち彼の顔は魔利がコンパクトに映した自分の顔位の近さだと、錯覚した位のところまで来た。又その言葉は信念に溢《あふ》れていて、ラーメンを好きでない魔利がその瞬間だけは、(ラーメンは美味しいのだ)と、たしかに固く、信じこんだのだった。その瞬間が去ると、魔利は再びラーメンをきらいな魔利に還元したが、その不思議な瞬間を魔利は今でも忘れなくて、時々ふと、(ラーメンは美味しいだろうか?)或は、(ラーメンは美味しいかもしれない)という思考に迷わせられ、又はっと我に還り、やっぱり、ラーメンはきらいだ、という考えに還元するのだ。ああいう風にして、北杜夫に「山はいいですよ。黙って一人で、去年も来たヤマオダマキの咲いている樹々の間を歩くと」と、言われた人は或日、それを体中で信じた瞬間が、頭の中で揺り返って来て山の麓《ふもと》まで行って、はっと夢から醒《さ》めて、帰ってくるかもしれない。と、魔利は想うのである。かくてカフカが何かの虫になったように、ゴキブリに化《な》ったことのある北杜夫は、なめくじ小説家の魔利を深く、おどろかせたので、あった。だが魔利は、北杜夫の夜中にたべるラーメンには、北夫人が用意しておいたもやしや人蔘《にんじん》、ハムや肉団子の味が入っているだろうことを確信している。それでなくてあの黄色い、曲った針金のようなものについて、あれだけの説得力をもって語れる筈がないのである。三島由紀夫は毎朝夫人の焼くビフテキをたべ、吉行淳之介は素晴しい冷し素麺を、青紫蘇《あおじそ》や生姜《しようが》や辛子でたぐりこみ、客に出す日ほどではなくても、肉料理や鰺《あじ》のタタキをたべ、川端康成はすずきの洗い、|こち《ヽヽ》や|めばる《ヽヽヽ》の煮たのにすり生姜を添えた皿、冷奴、丁度よく冷えた日本酒の並ぶ膳に、美味しいのか、美味しくないのか判然《はつきり》しないポーカア・フェエスで向い、深沢七郎は北海道の畠や、埼玉県の畑でとれる野菜を満喫し、池田満寿夫はタエコの、くらげやもやしやハムの支那風酢のものや素敵なシチュウ、をたべ、というように、わが親愛なる文壇、画壇の紳士たちは、魔利の、料理を自分で拵《こしら》えて自分にたべさせている、という煩瑣《はんさ》な書斎生活とは雲烟《うんえん》万里の便利な生活をしていることは疑いのないことのようである。  岡本太郎という人物はどんな料理をたべているのか、どんな料理を誰が拵えているのか、全く想像がつかないが、一人でいる人間には恋人がいることもあるという、本人に意志さえあれば至極当然なことだが、日本でも男の人に限ってはごく普通なこととして黙許されているのだし、お手伝いをおく部屋もあるし、金の余裕もあるらしいから、まさかオブジェを造りながら台所へかけつけてビフテキを焼いているとは、信じられない。岡本太郎の(絶対、一人でいる)という信念は賛成だが、判らないのは彼の家に行った時、(彼の家もM誌の企画で訪問したのである)彼が自分で料理を造っているにせよ、恋人が来て造るのにせよ、彼の家には台所があるという感じが全く、なかったことだ。どうかすると彼は、飼っているカラスを横目で睨《にら》みながら、カラスを造った造物主を向うに廻してオブジェを造り、原始に還って、あらゆる画や物体を造って、(生きることと造ること)とに全霊を傾けているせいで、人間の生活、つまりたべることと、どこかで絶縁しているのではないだろうか? と、魔利は想いながら、鎖で繋《つな》がれていて、時折鋭い声をたてるカラスを眺め、あらゆるオブジェの群を眺めた。そうして魔利ははるか昔、巴里《パリ》の藤田嗣治の家に行った時、フジタから、同じような感じを受けとったことを想い出した。フジタ・ツグジはその時、モデルの女と暮していた。(そのモデルは日本製の、縞の風呂敷で造ったスカアトをはいていて、しかもその風呂敷のスカアトには穴が一つあいていて、さすがの魔利をおどろかせたのだ)フジタの家は、パリの女が一緒に住んでいたことによって、台所が無いという感じから免れていたのであって、(パリジェンヌはどんなに優雅華麗な生活をしている女でも、又はその女が女優であったとしても、キュイジイヌと無縁には見えないのである)やっぱりどこか、不思議な、画室だけしかない家の感じが、あったのだ。おどろいたのは岡本太郎の家から帰ろうとして、玄関に出ると、全く同じ大きさ、(それは当然かもしれないが)全く同じ形の編上げの短靴が十二、三足、横に二列に並んでいたことである。魔利が「これはみんな貴君《あなた》の靴ですか?」と訊《き》くと、彼は「うん。今に百足《むかで》になったら履こうと思うんだ」と、機嫌が直りかけたような声で、答えた。(どういうわけか彼はその日不機嫌に、みえたのだ)魔利はそこで愉快になり、「では百足になったら見に来ます」と言って、(魔利は本当に、彼が百足になったとしたら見に来たいと思ったし、その時ふと彼に親しみを覚えたのだ。藤田嗣治も、はっきり不機嫌にみえたのではなかったが、魔利たちをにこやかに迎えた感じはなくて、フジタも、岡本太郎も、何かの感想を内側に潜めていながら、表面無表情の様子をしていたことによっても、共通していたのである)帰って来たが、その日からというもの魔利の頭には、鋭く啼《な》くカラスと、台所と絶縁した主人公と、二列に並んだ黒い短靴とが、何かの謎《なぞ》のように、残っている。(岡本太郎自身も、獣なら黒の毛色、魚なら黒の鱗《うろこ》の魚だろうと思われる、黒の感じがあり、つまり一種の暗い色を持っていて、そこもフジタ・ツグジと、共通している)だがその不分明な感じは感じとして、フジタも、岡本太郎も、稀《まれ》にみる賢い人物である。魔利は魔利の父親が、藤田嗣治の父親(軍医)について、(ひどく賢い男だ)と、言ったということを、母親からきいているが、魔利はフジタの芸術も、岡本太郎の芸術も、よくわからなくて、賢い一面しかわからないが、ひどく賢いということはそれ一つだけで、大いなる価値である。若し二人から、魔利にわからない画やオブジェを除《と》ってしまったとしても、ああいう脳細胞を持っているということは、生れた価値がある。たとえ、二人の芸術が、魔利の薄ぼけた頭の中では、大いなる幻影だったとしても。因《ちなみ》に、(この昔から、厭というほど新聞で見ていて、見るたびに、あまりいい言葉だという印象をうけなかった言葉を今日は使うはめになった)魔利の小説は(小説の幻影)であるようだ。吉行淳之介の(とくにSexの空虚を=よくわからないのだが=描いた傑作)小説が、淡い色彩があることや、どこか透明であることによって幻影的であるのとはちがって、小説そのものが(小説)というものの影だ、という気がする。  だが、幻影にせよ、魔利は、自分の書いた小説の中のうまくいったものは、幾らかはいいと、思っている。又いくらかはいいのが出来るだろうと思っているのでなくて、書ける筈がない。よく、自分の書くものを一文の価値もないと言ったり、誰々の励ましで、又は誰それの声援によってこれが書けたのであるとか、或は偉い父親の名をはずかしめるようで苦痛である、とか言ったりするが、又、本人はそれをほんとうの謙遜《けんそん》で言っているのだが、一文の価値がなかったり、誰々の声援の力でやっと書いたり、父親の名が重荷で苦しいのなら、|書かぬがよかろう《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》。(漱石)生活のために書かなくてはならない人がもしあったら、それを公言して書くのがよかろう。あるが上に金をふやして、楽しみのためにではなく、ただの見栄のために家を飾ろうとか、車を買おうとか、という目的で書くのでなければ、金のために書いたって、穢《きたな》い文学にはならないのである。魔利は病気の時の金のためと、喧《やかま》しくて我儘《わがまま》で、手に負えない魔利の舌を怒らせないためとで、書いている。今これを書いていると、(もしあまり暑ければS社の冷房の部屋に来て清書してもいい、と言われたが、その部屋は殿様用の座椅子があって、それは遠くへ退《ど》けたとしても、その部屋の真中に坐ると、体が分解して、広大無辺のあたりの空間に、アッという間に吸いこまれそうになるし、好きな、熱い極上セイロン紅茶を氷の上にそそいだのや、アメリカ製糖衣チョコレエトや、ココナッツビスケット=ココナッツの香《にお》いがかすかにするだけで、粉もバタも、よくない=や、毒掃丸、ブレナミン、漢方薬入り魔法瓶等々がなくては心そこにない状態になるので、わけを言って辞退した。西洋式の椅子の部屋もあるらしいが、そっちの方はハリスとお吉が牛乳をのみ、ハリスが、「オオ、おきちさん!! ミルク!!」と叫ぶ部屋に似ているのである。もっともS社としては一日か、せいぜい二日位で退散する場合だけ、その空気分解の部屋に魔利を入れることになっているのであって、魔利が小説を書く時に入れれば、二年位貸室の札を下げなければならないし、魔利の方だって空想が湧《わ》かないからお断りである。又、S社としては魔利を二日以上入れておくと、いつもいれる他の小説家を入れるのに、魔利で塞《ふさ》がっていては困るのである)≪道路に急に飛び出すのは危いですよ≫云々の長島茂雄のC・Mの声が出て来た。野球と歌謡曲が死ぬほど嫌いな魔利だが、或日耳に入った、(茂《シゲ》)なる人物の声が、素直でいい性格を現しているので、いつ出るかを覚えるほどではないが、ふと出てくると一寸、耳を澄ますことがある。三島由紀夫がパアティーの夜、何が愉快なのか、北杜夫や、白百合女学校の魔利の後輩だという奥さんや、誰だかよくわからない老人やを隔てたピアノの前に立って、腹の底まで見えるような大口を明けて大笑する、戦前の築地小劇場の幕明きの銅鑼《どら》のようにひびく声。吉行淳之介の、顔や姿よりずっと老けた、親切な叔父さんのような、太い、ひき延ばすような笑い声。善人だか、悪人だかわからない顔だけが見えて来て、声が思い出せない、そうして、もしかしたら悪人だから、声に一種の透明があって、(美的な透明ではない)そのために声が無くなって、想い出せないのではないか? と、魔利に思わせる、深沢七郎の声。深沢七郎とは又ちがった意味で、声がはっきり記憶に出てこない、岡本太郎の声。半透明なのに、透《すきとお》っているように見える眼のある、薄黄色い、蝋《ろう》のような色の顔の中から出て来た、福田恆存の、これも定かには捉えられない声。これは声ではないが、化けものが出てくる前のような、恐しい曖昧《あいまい》があった、武満徹の音楽。……  文壇、画壇の、と大きく出たものの、あまり知っている人物のない魔利の話は、もう種が尽きて来た。どういうわけかわからないが、「青い猿」という題の小説を書きそうな安岡章太郎や、「幽霊」をよもうか? と想い、やっぱりよめない、北杜夫。魔利がまだ読んだことがなかったほど透明な、(透明とか、明澄とか、明晰《めいせき》とかの言葉では現せないのだ)オーガイについての小論文を書いた三島由紀夫や、(そういう頭で書いたらしい「仮面の告白」や「愛の渇き」が、ドストエフスキイの長篇のように長そうに感じられて読めないのだ)愛とSexの透明と寂寥《せきりよう》を書いている内に、とくに現代の日本語では言葉が足りなくなるかも知れない吉行淳之介……それらについて面白い話を書くのは、魔利のなめくじ頭では不可能である。寺山修司が「青森県のせむし男」で触れたような陰湿な、どこかの世界で、何ものかとなれ合っていた室生犀星という男と女人《おんなひと》とについても。  室生犀星はもう故人という名の男になったのだ、と人々は思っているのだろうが、魔利の頭の中では彼は確実にまだ生きている(生きているつもりでいる人々よりももっと生き生きと、生きているのだ)ので彼の話をこの文章の最後に入れよう。  魔利が或日の夕暮れ刻《どき》、五反田の裏街を歩いていると、先を歩いている室生犀星が、室生朝子や、松本道子に前方を顎《あご》の先きで指し示すようにして、「ごらん、きれいじゃないか」と言っている。室生朝子の黒い外套《がいとう》の肩ごしにのぞいてみると、全体に煙のように薄藍色の五反田の街の中に、遠くを、二人の事務員らしい地味なオーヴァーの女の子が横切っている。その四本の、薄い靴下の脚が、そこだけあざやかに明るく、濃い桃色に浮き出して、交叉《こうさ》しながら、動いている。女である魔利も、アッと思ったほど、その動く、四本の、短い女の脚は鮮明だった。単衣の上に洋服用のレエンコオトを着た、痩《や》せた肩の犀星は、桐らしい下駄をかろやかに鳴らしながら歩いて行く。魔利は歩きながら、想った。あの、薄闇を切り裂いて、そこだけに明りを吸いよせていた、四本の濃い桃色の脚はひどくあざやかだったが、その肉感と、濃い桃色のきれいさは、犀星の眼にはもっと素晴しく映ったのだろう。一日か、半日でもいい。犀星の眼でそういうもろもろのものを見てみたい。と。喫茶店のボックスにかけた魔利が、犀星にそれを言ってみると犀星は、ひどくうろたえ、慌てたように自分の顔と魔利の顔との間で手を激しく振った。「駄目だ。大変ですよそんな……」とせきこんで言いながら。魔利は「女《おんな》ひと」の中で、魑魅魍魎《ちみもうりよう》という形容で書いていた、彼の内部の、おそろしい、肉と、色彩と、|つや《ヽヽ》との世界が、とうてい魔利にはむろん、誰にものぞいてみることが出来得ないものであるのを改めて感じた。その世界をみている犀星だから、あんなに面白い、どこかに野猿や、昔の日本の、野盗の面影を髣髴《ほうふつ》させている顔をしているのだとも、魔利は想った。その時のことを想い出すと魔利は、おかしさと一緒に、一種のおそれを感じ、そうして又彼の、青い魚の哀《かな》しみを、感じる。支那という国から来た、金魚という、あの日本の魚より、犀星の言うノメノメの濃い、紅い魚を追いかけていた、蒼《あお》ざめた鮫の哀しみを、感じたのだ。そうして、いくら愛しても、愛しても、愛し足りない、哀しみの文学者を、そこに見たのだ。何故犀星は、他の人間と同じに、精神と肉体との死を、不思議な、美しい生命の停止を、迎えなくてはならなかったのだろう。つねに決して深刻にならない魔利を、どこか大真面目に、深刻らしくしてしまうのは、永遠に美を書かなくてはいけない、犀星の死である。  もう一つは犀星の子供のようなところが出た話である。或日室生朝子が、犀星の夫人のとみ子の句集の話のついでに、魔利に、「お母さまの随筆もあるのよ」と、言いかけた時、火鉢にあたっていた犀星が、何か烈しく言いそうにして、黙った。朝子は愕き、慌てふためいて、これも何も言えないで、手をなだめるように、言いわけをするように動かし、黙った。きっと、室生犀星はとみ子夫人の句は、まとめて出版してやりたいと思ったのだが、彼女の随筆の方は、あまりいいと思っていなかったのだ。それで魔利にも、誰にも、とみ子夫人の随筆があることを、知られたくなかったのだ。犀星を見ると、犀星は、怒りのために固まった顔が、どうしてももとへ戻せないで、顔がこわばり、体も固くなったまま、火鉢の縁に両手で掴《つか》まっていたのだ。犀星は銅の火鉢と一しょに固まり、こちこちになっていたのである。魔利も、朝子も困ったまま、眼を犀星にあてていたが、犀星の固まりがほごれるまでの三分位の時間は、ほんとうに困った時間だった。犀星の固まりは、まるでどうにも、こうにも、ならない、焼いてから冷め固まった餅のような固さだったのだ。忘れていた。先刻の五反田の喫茶店で、こんなことも、あった。何かの話のつづきで、松本道子が犀星に、言った。「先生は女の人の手を握られたこと、ずいぶんおありでしょう?」すると犀星の四角い体が忽《たちま》ちこちこちに固まり、彼は洋杖《ステツキ》の握りにかけた手を固くして、言った。「……無い。」おそらく明治から大正時代にかけて青春時代をおくり、昭和になってからも、大正的だった犀星は、恋愛もしたし、情事もあっただろうが、女と歩いていて手を握ったり、喫茶店で手を握ったりするというような、ハイカラなことだと、彼が思っていた、手を握るという経験を、一度もしたことは、無かったのだ。偶然その虚を突かれて、犀星は烈しいコンプレックスに掴まったのだ。やがて犀星は緊張から解けると、室生朝子を顎で示して言った。「こっちはずいぶんあるだろうがね」と。それらの瞬間魔利は、困るとすぐに顔が曲ったり、泣き面《つら》になったまま、どうすることも出来なくなる自分よりも、もっと子供のように不器用な犀星に、改めて感動するのだ。  犀星は今、どこかで、こんなことを書いた魔利を知って怒り、四角くなって固まっているかもしれない。 [#地付き](昭和四十二年九月)   この作品は昭和三十八年五月新潮社から刊行されたものに追加作品を編集して、昭和五十三年四月新潮文庫版が刊行された。