森 瑤子 恋愛関係  棄てられたふりして男を棄てるいい話——前書きにかえて  これは願望である。私の小説が多かれ少なかれ私自身の願望を充足しているのと同じこと。はげしい生き方に対する憧《あこが》れだ。  あるいは「悪女」に対する憧れ。  悪い女になってみたいと思わないわけではない。悪い女には不思議な魅力があるからだ。男を手こずらせたり、痛めつけたり。意地悪なのではなく、その女そのものの存在が悪であるというような。  世の中だんだん丸くなっていき、平和で、男と女の間のドラマもおもしろくなくなってきているように思う。  すれちがって声をかけあって、カフェバーにいき、その夜のうちにベッドを共にするといったインスタントな恋愛が横行《おうこう》しているみたいだ。  男と女の間に、一種の闘争のようなものがないとしたら、そんなものは恋にも愛にもならないのではないだろうか。  相手を知っていく過程には、よろこびもあるけれど、怯《おび》えも震《ふる》えも悲しみもあるわけだ。そういうプロセスを楽しみたい。あるいは苦しみたい。  どうしたらいい出逢《であ》いがもてるか、どうしたらその出逢いから相手にもっと近づけるか、というようなところを、探ってみた。  ひたむきであると同時に、ちょっと斜めに物をみるような感じで書いてみた。この斜めの感じというのは、ユーモアであり、しゃれであり、ゆとりだと思う。  髪振り乱してという恋愛とはひと味ちがう、いわば真剣な遊び、大人の女の恋、あるいは男との処し方、失恋のしかたなどについて、作者自身もほんの少し斜めにかまえて、脚など組みながら書きつらねていったわけだ。 「こんなに好きです。棄てないでください」とほんとうは言いたくて、喉《のど》がむずむずしているのだが、それではやっぱりいずれ棄てられてしまうと思うから、別のアプローチを考えるのだ。  つまり、男に棄てられたと思わせておいて、女が男を棄てる話とでも言おうか。あるいは、棄てられたとみせかけて、じつは女が男を棄てるその棄て方とでも。  愛というのは、男と女が同じ位置に立たなければ、本物ではない。男が女を選ぶのではなく、女も同時に男を選ぶ。  男になにかしてもらったり、愛されたりするだけではなく、女のほうも彼にいろいろしてあげなければ、それは平等ではない。  対等でないと、男と女の関係はおもしろくないし、素敵ですらない。責任においても対等ということだ。  別れの場で、青春のすべてを捧げたのにというような泣き言は、断じて言わない。相手だって、あなたに青春のすべてを捧げてきたとは言えないだろうか。お互いさまなのだ。                    森 瑤子 目 次  復讐《ふくしゆう》のような愛がしてみたい  その人の愛を奪う方法  おいしそうな男の釣りあげ方  一度ぐらい許しても、友だち関係  恋は秘密のほうが面白い  恋上手、男上手のブス子の誘惑術  愛の鎖からどう抜け出すか  嘘《うそ》に傷つく「不倫」の方法  楽しみとしての恋の駆け引き  愛したつもりが、ひとりぽっち  結婚するなら二十七歳  愛されるより、愛する辛さ  愛に臆病《おくびよう》だった私の悔恨  出逢《であ》いの瞬間に何をするか  傷心と空虚、どっちをとるか  美しくなる魔法の呪文《じゆもん》  鏡の中の嘘つきの自分  もう一人の男を愛してみない?  夫の本音とたたかう時  離婚という名で幸福が買えるか  他人の痛みを知ってますか  ドゴール空港の意地悪女  女にだけ「門限」、我慢できない  輝く女になる方法  作家の「私」と、女の「私」  復讐《ふくしゆう》のような愛がしてみたい  読者の若い女性から手紙をもらった。ある週刊誌に読み切りの連載をしている私の短編小説を読んで、そこにたまたま書かれていた世界と彼女の生きている世界とが酷似していたからであった。  小説の内容はこうである。いつも逢うと、「俺《おれ》、金ないよ」というカメラマンの恋人をもった女の話。お金のない男をなんとなく甘やかし、飲食代はもちろんのこと、ホテルの支払いも女が受けもっているという関係。それでも好きなのだから、べつにかまわないんじゃないかと、なかばあきらめている。  さて、クリスマス。好きな男にプレゼントをしたいと思う女心。しかも相手はいつもぴいぴいのくせに眼だけ肥《こ》えた男。日頃ほしがっていた一個一万五千円もする北欧のワイングラスを、六個ワンセットで贈ることに決めた。ボーナスのほとんど半分がそれで消えることになる。  しかもクリスマスのディナーを『マキシム』で食べてみたいと、男が言うのだ。それもいいんじゃないか、と彼女は同意する。『マキシム』でクリスマスを祝えば、ボーナスの残りもきれいさっぱり消えてなくなるが、男のうれしそうな顔さえみれば、損だとは思わない。  で、クリスマス・イヴ。プレゼントの大きな箱を大事に抱《かか》えて彼のアパートへ。 「あれ、そんなことしなくてもいいのに」  と男はいちおう、悪いね、という素振りをする。 「俺のほうは、きみになにも買っていないよ」  そんなことはわかっている、と女は口にだして言う。平気だわ、と。  けれども心のなかではめったやたらにさびしい。たとえバラの花一本でもいいのだ。クリスマスに好きな女になにかを贈ってやりたいという気持ち。それがほしかった。  包みを解いて、男がよろこびの声をあげる。 「こんなグラスがほしかったんだ」  と、手放しのうれしがりよう。有頂天の恋人の様子をみれば、バラの花一本でもと感じたさびしさは吹きとんで、じゃ『マキシム』へいきましょうかと、女は機嫌をなおした。  男の上着が椅子《いす》にかかっている。それを彼に手わたそうとして、ふとメーカーの名まえが眼にとまる。  アルマーニ。  とたんに眼の底が真っ暗になる思い。アルマーニのスーツが上下で二十万円くらいするものだ、ということくらい女にもわかる。 「どういうことなの?」  と彼女の顔色がかわる。 「こんな贅沢《ぜいたく》なスーツ買うお金があるのなら、食事代やホテル代が払えないはずないでしょう」  クロゼットのなかをあけると、同じような高価なスーツがズラリ。  だましていたのね、とばかり怒りで頭がいっぱいになり、プレゼントのグラスをひとつ残らず壁に投げて割ってしまう。  そこで、ジ・エンドになれば、よかったのかもしれない。そうすれば、読者の若い女性からの手紙もこなかったはずなのだ。さらに言えば森瑤子の本来の短編のスタイルも、くだけ散る高価なグラスのところで、いっきに終るはずだった。男と女の関係が、あるとき、ほんのちょっとしたことから、破局をむかえ、すっぱりと切れてしまうのが、私の小説のスタイルだった。  それが近ごろ、少しかわってきた。 「俺たち、これで終りなのかな?」  と、カメラマンがなかばあきらめたようにつぶやくわけだ。 「そうね。終りね」  と女も靴をはいていきかける。その背中に男が言う。 「俺、今夜『マキシム』で飯くうと思ったから冷蔵庫のなか、からっぽなんだ」  ——俺、金ないよ——といういつもの調子とまったく同じだった。  急に女はおかしくなるのだ。 「いいわ、いきましょ。いまからでも『マキシム』おそくないわ」  男の顔がぱっと晴れる。ポケットを探す。硬貨が何枚かみつかる。 「これでバラの花が一本買えるかな」  と彼が言う。ふたりは、肩を並べて夜の街にでていく。それでストーリーは終りである。  若い女性の読者は、私にこう疑問をぶつけてきた。  ——教えてください。あの主人公の女性は、どうしてカメラマンを許してしまうのですか? どうして負けてしまったのですか?——  そうなのか、と私は思わずため息をついた。まだとても若い人には、この最後の場面は、女の負けと映るのだ。妥協と。  ところが私は別のことを書いたつもりだった。 『マキシム』へはいくが、ふたりの関係はその前に終っているのだ。ワイングラスを六個割ってしまったときに、関係は死んだのだ。 『マキシム』はおまけみたいなものである。あるいはシャレである。主人公の女の心意気でもありプライドでもあり、粋《いき》なのである。度量の広さともユーモアとも解釈できる。女にホテル代まで支払わせていた男が、じつは収入の大半を着る物に注ぎこんでいたという失望は、男に直接向けられず、そんな男にかかわった自分への失望となるわけだ。  若い読者は、それを女の負けと受けとめたが、じつは、そのことにより——『マキシム』へいこうという粋なはからいにより——彼女はかろうじて勝ったのである。  グラスを粉々にしたまま男の部屋を飛びだしていれば、女の負けである。  で、考えたのだが、若いひとたちには、きっとこの女の粋さが理解できないだろうということだ。  それでも『マキシム』にいってしまったという主人公の女心を、若いひとは、男に見切りがつけられない結果と読むが、じつはそうではない。男に見切りをつけたからこそ、いさぎよく、『マキシム』に繰りこむわけである。  なぜいさぎがよいのかと言えば、もう見切りのついた男のために、ボーナスの半分をつかってしまうことになるからだ。  が、厳密には、その男のためにボーナスの残りをつかいはたすわけでもない。彼女自身のためなのだ。彼女の納得のため。ふんぎりのため。  読者はさらに私に問いかける。彼女もまた、あのカメラマンのような男とつきあって、つい最近別れたばかりだという。それも同じようにクリスマスにバラの花一本くれるわけでもなかった男心の無関心さのために。そう言うのだ。  ——先生、あんな男と知らずによろこんでお金を貢《みつ》いできた私がくやしいのです——と。  そして、別れ。別れは硝煙《しようえん》もうもうたる別れだ。壁に投げたグラスが粉々に四散するように。そのために苦しくて、私に手紙を書いてきたのだ。  どうして主人公の女は、それでもなお男が許せるのか、と。  もう一度言うが、男を許すわけではないのだ。硝煙もうもうたる別れがつらいから、『マキシム』の件がくわわるのだ。  男を許すというよりは、そんな男にだまされたバカな自分をなんとか許してやりたいのだ。そうすることが楽だからだ。  むせかえるような怒りや後悔のなかにじっと立ちつくしていることのほうが、はるかにつらく苦しいのだ。相手を許すことによって、自分を許してやることができれば、傷心からはやく立ち直れる。  頑《かたく》なにむすぼれた心をもてあましているよりは、そのほうが上策なのだ。  しかし、若さというものはまた別なことで、楽だから、上策だから、と別れを粋にできるものでもない。それは私にもよくわかる。  若いということは、そういうことなのだ。頑なで、心がむすぼれてしまうような別れしかできないものなのだ。  だから、その若い読者に、そうしなさい、男を許してあげなさい、とは私は忠告するつもりはない。ただ、別の処し方が、少し年をとればあるものなのよ、ということだけしか説明できない。そしてはたして、その説明で彼女が納得できるかどうかもわからない。  私自身のことを振り返ってみて、やっぱり男との別れは粋ではなかった。硝煙もうもうのほうだった。痛い思いを何度も何度も性懲《しようこ》りもなく繰り返して、そして大人になっていったのだ。  事実、小説のなかでは、つい先ごろまで、硝煙もうもうの別れを主人公たちに演じさせてきた。  それが少しかわったのは、どういうわけだろう。たとえ、話のなかとはいえ、私が主人公に粋なはからいをさせられるのは、この私自身が多少は成長したということかもしれない。  世の中、すっぱりと男と女の関係が切れるものでもないのだし。切りっぱなしで、路上に放置していくような残酷なかたちから、ほんの少し救ってやる方向に、向かったのだ。  それだけ私が大人になり、あたたかさみたいなものが生じたのかもしれない。別れ、といった悲しい悪意のある情況に、一点のユーモアとか、微笑とか、あたたかさとかを混じえることによって、小説の質そのものが向上する。  つまり、私もまた、書きながら、主人公たちといっしょに成長している、というわけなのだろう。  その人の愛を奪う方法  かねがね、男も女も本質的には同じなのではないかと、私は考えている。  女がうれしいことは男にとってもうれしいはずで、女がしてもらいたいことを男にもしてあげたら、あるいは言ってあげたら、それはそのまま、とても効果的な口説きの手段になるのではないだろうか。  世の中には、とりわけ美人でもないのに、じつによくもてる女というものがいる。彼女たちのもてる秘訣《ひけつ》はなんなのか、考えてみよう。  これと思った男の部屋に真っ赤なバラの花束を抱《かか》えきれないほど届けさせる。十本や十五本のちゃちな花束ではなく、百本近く、それもローズギャラリーあたりの選り抜きのバラにかぎる。三万円くらいの出費は、投資だと思って我慢すること。カードには、ごちゃごちゃと書かず、ごくシンプルに名まえだけ。なによりも真紅のバラが雄弁に思いを伝えてくれるはずなのだから。  たいていの男はこのバラ作戦には度肝《どぎも》を抜かれる。とくに日本の男はこれをどう受けとめてよいのか途方にくれるが、考えてみればカルチェのライターを贈られるとか、ポルシェを貢《みつ》がれるというのとはちがって、いくら高価とはいえ、バラはやがて枯れはてるものだ。いくらか気が楽になる。  で、男は電話に手をのばし、ダイヤルを回す。 「花束届いたよ。驚いたけど、ありがとう」 「どういたしまして。よく水切りしてね」 「お礼に、食事でもごちそうしたいんだけどね」  これで第一ラウンドは成功である。  第二ラウンドでは、自分に気があるらしいとのぼせている男に、けんせいのジャブをときどき打ちこむこと。つまり、そうかんたんに落ちる女じゃないのよというところを徹底的にみせておくのである。  そばをとおりかかったちょっといい男に見惚《みと》れて、その背中をじっと見送ったり、一か所にあまり長くなると飽きたふりをして、 「ね、場所移さない?」  と相手を攪乱《かくらん》する。  彼が言うことのうち、三つにひとつくらいは異議をとなえ、ついに相手が、この女なんだっていうんだろう、バラの花束なんて送りつけておいたくせに、ぼくに気がないのか、と心配したり気をもんだり、ついには内心怒りだしたりすればしめたもの。  ちょっとあくびをしてから、つれない仕種《しぐさ》でグラスをとりあげ、こう言う。 「そろそろお別れね。乾杯しましょ」 「なんのために」  男は少しふてくされてつぶやく。 「——私たちのために」  それまでのお高くつれなかった態度をここで一変して、相手の眼をじっとのぞきこみながら、 「あなたと私のために乾杯。私たちがこれから先、犯すであろうすべてのあやまちに、乾杯」  これから先、犯すであろうあやまちだって!! と相手がドキッとした顔をする。それから急に感に堪えない表情にかわり、なにか言おうとするのをさえぎって、「チャオ」といさぎよく立ちあがる。ここでぐずぐずしていたら、先刻のヘミングウェイの受け売りの乾杯の言葉の意味が薄れる。  強烈にして鮮明な印象だけを残して、第二ラウンドは終るべきなのだ。唖然《あぜん》としている男を残して、あなたは、彼の前から消える。  さんざんつれなくしたあとの、最後の言葉である。バラの花束といい、乾杯の言葉といい、男はつづけて二度、パンチをくらった思いで、俄然《がぜん》あなたに興味を抱き、その夜からあなたの姿が頭から離れなくなる。次の日に、二度目のデートの申しこみがあるのはまちがいない。彼はついに、あなたの手に落ちたのだ。  バラの花束作戦は、前々からこれぞと狙《ねら》っていた男に対して、かなりの効果を発揮するが、人の出逢いというものは、計画的にいかない場合もある。  むしろ、偶然の出逢いから、恋愛へとすすむケースのほうが多いかもしれない。  パーティーとか、バーでとか、ホテルのロビーでとか、私たちはさまざまな人間をみかける。仮にあるパーティーで、素敵な男をみかけたとしよう。これぞ、と思うような男。胸がドキドキするような男。  すぐ行動を起してはいけない。その男から少し離れたところで、楽しげにほかのひとびとと談笑しながら、しばしば彼をじっとみつめる。だれかにじっとみられているという気配がわかって、彼が眼をあげ、あなたの視線を捕《とら》えるまで、みつめつづける。視線が出逢う。少し長すぎるほど眼を合わせておいて、最後にちょっと微笑してふたたび談笑にくわわる。それを三度ほど繰り返す。  外国人の男なら、こういうときに女をほうっておきはしないのだが、それはこれ、日本男児というのはオクテでシャイだから。  頃合いを見計らって、あなたは行動する。まっすぐ、彼に向かって歩きだす。三度お互いに眼をみつめ合っているわけだから、男のほうにも気がないわけではない。趣味の合わない女なら、二度とチラともみないだろう。  彼の前に立つ。そして言う。 「ね、私たち、前にどこかでお逢いしなかったかしら?」  ちょっと気のきいた男なら、これでニヤリと笑うはずだ。そして、第一ラウンドは大成功なのだが。  つまり、「以前、どこかでお逢いしませんでしたか?」というのは、よく洋画のなかでプレイボーイが見知らぬ女に近づくときの常套《じようとう》文句なのだ。それを女がやるから、おもしろいわけ。話のわかるユーモアのある男なら、それだけで脱帽ということになる。 「もちろん逢ったことなんてありませんよ」  と、彼は言うだろう。 「もし、あなたのような女性にお逢いしていたら、絶対に忘れないもの」  それで決まりである。ふたりは笑い興じながら、もう恋人同士のようにお互いの腰に手を回し、新しい飲みものをもらいにバーコーナーへと移っていくだろう。  しかし、日本男児はなかなかそこまで洗練されていないから、あんがい、大まじめに、「いえ、お逢いしたことはありませんね」と答えて、ごていねいにも「人ちがいじゃありませんか」などと言いだすかもしれない。もちろん、そんな気のきかない男とはそれきりでオーケイ。 「あら、ほんと。まったくのひとちがいでしたわ」とよろこんでくるりと回れ右すればいい。  女のほうから「以前どこかでお逢いしませんでしたか?」と切りだして、それにじょうずに乗ってくる男なら合格である。  こちらが男を選んで声をかけるわけだから、選択権は自分にあるというところがいい。それに、女のほうから声をかけるにしても、男の常套文句を横取りしているところにユーモアがあって、少しもシラケない。これはかなり上等な男を口説く手段だと思うがどうだろうか。もっともこの口説きに乗れるだけ、男も上等なセンスをもっていないと話にならないのだが。  テクニックとしてはかわいらしくならないように気をつけよう。  ちょっと悪っぽく、たとえば往年のスター、マレーネ・ディートリッヒとか、ローレン・バコール風に煙草を指に、ひややかな流し眼で殺し文句を口にするのが最高だ。現在なら、ダイアン・キートンとか、フェイ・ダナウェイを頭に浮べて。  バラの花束作戦にしても、「以前どこかでお逢いしなかったかしら?」にしても、いい点は、相手に逃げ道をあたえていることである。しかも、相手がノーと言っても、こちらがあまりシリアスに傷つかない点にある。つまり、どちらもユーモアが人間の関係をスムースにするということだ。  それから、女が男を選ぶという点に注目してほしい。それも、あまり髪振り乱さずに、スマートに、女が男に行動しかけなければいけない。まっとうに、真正面から攻撃しかけるのではなくちょっと斜めから、ほんの少し不まじめにはいっていくところがちがう。  バラの花束だって、十本や十五本だと、大まじめになってしまうが、百本もあると、これはユーモアになる。双方が救われる。なにごとも少しばかり、大げさにすることが手というか。  男が女を口説く際のテクニックを逆手にとるわけだ。そこにユーモアが生じ、余裕が生じ、かわいさが生じる。  ほかにもそういうテクニックはたくさんあると思う。まず男の行動を観察して、それをじょうずに取り入れてみよう。あなたはきっとすばらしくもてる女性になれるだろう。  おいしそうな男の釣りあげ方  こちらに関心をもっていない男に惚《ほ》れるほどつらいことはない。もちろん、完全に無関心であればアウトで、これはかえっていさぎよくあきらめもつくのであるが、ほんとうは絶対に好きにはならないと、自分もあちらもわかっていながら、完全にほうっておいてくれないというケースがいちばんこたえる。  そういう男は、ちょっとアゴを突きだすようにして、自分の鼻の頭ごしにこちらを見下すように眺めて、こちらのしゃべることなんてほとんどなにもきいていない。つまらなそうに煙草をふかし、適当なところで、パッと腕時計をみる。 「あっ、いけねぇ」  とかなんとかつぶやく。 「仕事がはいってたんだ。悪いけど、またね」  と、そそくさと腰を浮かす。次のデートの約束もせずにいってしまおうとする男に向かって、こっちはやっとの思いで、 「あの、電話してもいい?」  とたずねるのが精いっぱい。すると男が答えるのだ。みごとなほど晴れ晴れとした笑顔で。 「あっ、ぼくのほうから電話するよ」  そして、彼からの電話など待てどくらせど、絶対にこないと相場が決まっている。こういう場合、その男はこちらに無関心なのである。さっさと見切りをつけたほうが身のためだ。  むろん彼が悪いのでも、こちらに魅力が欠けているのでもない。ふたりはひき合わないのだ。主として彼の側だが。はっきり言えば、彼はこちらに対して、セックスアピールをぜんぜん感じないのである。  もっとはっきり言えば、生理的にいやなのである。色の黒い女には色気を感じないのかもしれないし、ショートヘアーは好みでないのかもしれない。足が太いともうそれだけで食指の動かない男はいるものだし、太った女は本能的に敬遠ってこともある。  理由はなんであれ、こっちはメロメロである場合、すえ膳《ぜん》なんとかでドサクサにまぎれて、ホテルへ一度くらいいくことだって可能なのだ。それなのに、そのようなことはいっさいしない。むしろそうすることが人助け、親切というものだなどと、こちらの弱みにつけこまないから、なおさらのこと泣けるわけだ。文字どおり泣けるわけ。そこまで自分に魅力がないのか、とちっとやそっとでは回復しそうにもない自信喪失に追いこまれる。  こういう毅然《きぜん》とした男が、ときどきいるものだ。私もこれまで三人知っている。そしてこの三人に共通していることは、まずど・ハンサムであるということ。顔だけにとどまらずスタイルも抜群にいい。  次に超知的である。並の頭脳ではないのだ。私の知っている三人のうちふたりは、建築家と弁護士《ローヤー》であった。あとひとりは中学二年のときの隣のクラスの男の子であったから、現在なにをしているひとかは知らない。少なくとも当時は学級委員で野球部の花形ショートだった。  忘れもしない運動会の仮装大会で、丹下左膳《たんげさぜん》に扮《ふん》した彼をカメラ片手に私は追い回したのだ。すると彼は、自分にうるさくいつまでもつきまとう青蠅《あおばえ》かなにかをみるように私をみて——こちらの心のうちは十分に承知なのだった——例のアゴを突きだし鼻の頭ごしにこちらをみるポーズで言ったのだ。 「写真撮りたいんなら、はやく撮れよ」  そして彼は私のカメラの前で、ニコリともせずポーズをとった。中学二年の男の子がである。かくも冷酷で、かくも徹底的につれないとは。私はシャッターを押しながら、完全に打ちのめされてみじめであった。  いや、考えてみると、まだその前があった。たったいま思いだしたが、成城学園の初等科にかよっているころの片思いのオサムちゃんにも、幼いながら、つれない男の片鱗《へんりん》がすでに立派にあったっけ。郷ひろみに似た——ということは少年マンガによくでてくる眉《まゆ》が濃く黒眼のくりっとしたりりしい少年——だった。私はせっせとラブレターを送ったが、もどってきた返事は一通もなかった。クラスでは、彼はそんなことなどオクビにもださず、徹底的に無関心を装った。  思えば、幼稚園の昔から私はなんという面食いに徹してきたことか。  いまだにそうである。これはもう病気としか言えない。死ぬまで治らないかもしれない。バカは死ななければ治らないと言うではないか。  もちろん、私に関心を抱いた男たちもいるにはいた。関心さえ抱いてくれればだれでもいいというわけにもいかないから、それでもいちおう厳選したのだが、本音《ほんね》を言えば、私に徹底的につれなかった一連の男たちとかなり差がある。正直言って、不満であった。不満であっても、適齢期を過ぎるころには、さすがに身のほどをわきまえざるを得ず、しぶしぶと適当なところで妥協せざるを得なかった。  徹底的に無関心な男の関心をひくには、化粧をかえるとか、センスを磨くとか、そういう努力はぜんぜん役に立たない。心根《こころね》がやさしいとか、気だてがいいとか、料理がうまいとか、ドメスティックな線を強調しても、かえってうるさがられるだけである。  そういう男にはむしろ、「私、料理なんてぜんぜんしないひとなの」とけろりとしているほうがいい。「どこそこの料理学院をでて、ヒラメのプロバンス風が得意なのよ」と言ってはいけない。  ほんとうはプロバンス風だろうが、マルセーユ風だろうが、すいすいとこなせる腕をもってはいるのだが、それはずっと先に、効果的に知らしむべきで、最初からたいしてありもしない手のうちを明かすことはひかえたほうがいいのに決まっている。  こちらに無関心な男が、いちばん嫌うことは、あれこれ世話をやかれることなのだ。肩に髪の毛が一本落ちているからといって、けっして「あら、髪が……」などとつぶやきながら、いそいそと手をのばさないこと。  糸クズの類も同様である。 「あらいやだ。肩に髪の毛」と、できるだけ突きはなしたように言うべき。 「お砂糖、おいくつ?」などときいて、相手のコーヒーに砂糖を入れてあげたり、クリームを注いでやったりも、まったくいらぬ好意であることを頭に叩《たた》きこんでおく。煙草をくわえたとたん、すかさず女がマッチの火を近づけるなんていちばん最低。  彼らは世話をやかれることに食傷《しよくしよう》しているのだ。ど・ハンサムな男というものは、女たちからの熱い関心のまなざしに、うんざりしているわけだ。  絶対に逆手をとるべきである。  こちらからは電話しない。ベッドの誘いを(仮にあるとして)三度のうち二度までことわる。かといって、男と寝るくらい、どうということはないのよ、と露骨にではなく日頃言動にあらわしておく。けっして「愛しているわ」とか「好きよ」などと口にしない。好きなのはやまやまでもふたりで逢うとき、相手をじっとみつめない。犬が飼い主をみつめるようなあのような熱いまなざしはうるさがられるだけ。彼が日頃よくやるやり方で、アゴをこころもち突き上げ、鼻の頭ごしに相手をみてやること。  いっそのこと男をジゴロにしてしまえるほどの財力があればまた別の話である。あるいはなにか人にない才能があって、その道で成功している若い女性なら(女流マンガ家とか、女優とかスタイリストとか、コピーライターとか、なんとなくかっこうのよさそうな職種のプロという意味)、お金とか才能で相手の関心を買うことはできるが、まず若いだけがとりえのお金もないふつうの女は、あたりまえのアプローチのしかたでは望みないと思ったほうがいい。  自分のもっている長所は、逆にすべてこの場合邪魔になると考えて、むしろ短所をグロテスクに強調したほうがいい。気だてのいいお嫁さんタイプではなく、したたかな悪女を演じるわけだ。要するに、なにかひとつでもいい、彼の関心をひくようもっていくこと。もし彼がカーキチだったら、その彼を上回るカーキチになって、度肝《どぎも》を抜くとか、ドレスのセンスが超抜群だとか、会話がずば抜けておもしろいとか、なにかだ。  デートのとき、男物のアルマーニの麻のジャケットを、タイトスカートに無造作に合わせていくとする。敵がちょっとオヤッという感じに眼をむく。すかさず言う。 「兄貴のよ」  ついこの間ふたり姉妹の長女だと言ったばかりなのは計算ずみである。 「へえ、そうかい。兄貴なんていないくせに」  と、かならずや相手は言う。 「そんなことを言ったかしらぁ?」  と、とぼける。 「自分の言ったことをおぼえていないのかい」  と彼がシラける。関心のある女なら、十年も前の土曜日のデートの服装から食べたもの、かわした話の内容まではっきりと記憶しているものなのだ。「ま、そんなことはどうでもいいけどさ」と男はいちおう無関心を装い、突っぱねる。ここで弱気になってはいけない。あくまでもクールに、ミステリアスに、悪女風に振舞いつづける。こちらがふいに投げた疑惑のタネが、彼の胸の内で発芽するのを待つべきだ。 「さて、と。どうする?」  敵は落ちつかない声で、さもつまらなそうにきくかもしれない。 「少しドライブしない?」 「いやだよ、めんどくさいよ」 「私が運転するわよ」 「へえ、きょうは車なの、めずらしいじゃない」 「たまにはね」 「車種はなんだい?」 「フィアットのスパイダー」 「新車?」 「二年前のよ」 「そんなのもってるなんて、一度も言わなかったぜ」 「言うわけないじゃない。もってないんだもの」 「へえ? じゃだれの? また兄貴って言うんじゃないだろうね」 「ちがうわよ」とここで彼を安心させるように微笑する。 「姉の車」 「姉さんなんていないんじゃなかったのか?」 「ふたり姉妹なのよ。話さなかった?」 「妹がいるって言ったよ、たしか」 「妹がフィアットのスパイダーなんてもっているわけがないじゃない。まだ十九歳よ」  なんとなく煙に巻く。 「きみの言ってること、なんだかあんまり信用できないね」  と、初めて敵が一瞬不安そうな表情をする。そう思わせたら、しめたものである。  さて、彼を車のなかへ。 「きみの姉さんてのは、ジタンを喫《す》うのかい?」  と彼は座席の間にさりげなく握りつぶしてあった煙草の紙袋をにらみながら言う。あらかじめ置いておく小物は、いかにも男の物でなければならない。ぬいぐるみの動物とか、花柄のティッシュボックスなど夢々置かないこと。  ジタンとか、イングリッシュ・オーバルスとか、シニア・サービスとか、女が絶対に喫わないような煙草とか、ジッポーの重々しいライターとか、男物の使いかけのドライバー用手袋の片方とか、男物のバスケットシューズなどが、まったく作為を感じさせないやり方で、相手の眼にとまる、というのがいい。  彼の胸に発芽した疑惑のタネは、しだいに嫉妬《しつと》心に成長していく。彼が急に不機嫌そうに黙りこんだら、カセットでカントリー・ミュージックでも流して、しばらくほっておくことだ。そこで、「どうしたの?」とか「妬《や》いてるの?」なんて言ったら、ぶちこわし。これまでの綿密な計算もすべて水の泡となるから要注意。 「ねえ、このギャンブラーって曲、いいこと言うわね」  と、ケニー・ロジャースに関するウンチクをさりげなく口にする。 「ギャンブル中テーブルで儲《もう》けたお金をかぞえちゃいけないって。お金をかぞえたければ、あとでかぞえる時間は十分あるんだからって。発想が大人ね」とかなんとか。 「こんなメソメソしたような声のどこがいい?」  と、彼はケニー・ロジャースにあたるかもしれない。 「そこがセクシーなんじゃないの。強いだけってのは、おもしろくもなんともないわよ。こういう声、白人特有の声なのよ。コーケイジョンて言うんだけど。コーケイジョンの声以外のなにものでもないって感じね」  レコード解説の受け売りでもちっともかまわないのだ。会話にひと言、光るものがあればそれでいい。 「外人が好きなんだ、きみは」とイヤミ。 「外人とやったことあるかい?」  そこであわててノーなどと答える必要はない。あくまでも答えはあいまいにする。 「一度くらい、寝てもいいわねぇ」  と、未来形で言う。それからちょっと心配そうに声を低め、 「でも私の友だちに、外人の素敵なひとと一度だけのつもりでベッドにいったんだけど、彼女がつくづく言うのよ、一度外人と寝るともう日本人の男とセックスする気がなくなるって」 「へえ。——なんで?」 「さあ、知らない」 「きいたんだろう、そのわけ」 「ま、いいじゃない。あくまでも他人《ひと》の体験なんだから」  と、ここでもあいまいにはぐらかす。  その夜は、なんとなく不機嫌な彼を相手に、あまりはしゃぎすぎない程度に陽気に、シーサイドのレストランでおそめの夕食をとり、帰りにモーテルへ車を突っこみたがる彼の希望をやんわりとそらせて別れる。  男物のアルマーニのジャケットについても、フィアットのスパイダーのほんとうの所有者についても、すべてあいまいにしたまま、適当な場所で——タクシーがかんたんに拾えそうな道路の途中で——「じゃ、またね」と彼を降ろす。 「楽しかったわ、ありがとう」の言葉だけを残して、エンジンの響きもすさまじくいっきに猛スピードで走り去る。これで彼がこっちに関心を抱かなかったら、これはもうすっぱりと見切りをつけること。  恋の小道具に関しては、マメに歩き回って、絶対に妥協しない。それくらいの情熱を使わなければ、氷のように無関心な男の心を溶かすことはできない。  一度ぐらい許しても、友だち関係  理想を言えば、夫がいて、恋人がいて、男友だちが十人。そのすべての関係がうまくいっていたら、女として生れてきてこんなに幸せなことはないだろうと、このごろつくづくと思う。もちろん夢みたいな話なのだが。  夫と恋人を両立させるのはほんとうにむずかしい。ルール違反だし、それぞれの相手に対して失礼だ。そういうことは承知のうえであえて言えば、こういうことが言える。  長い人生、結婚を安泰に維持させるためには、夫か妻、あるいは双方に、なんらかのかたちで別の異性の影がささないほうが、むしろその結婚のありかたはむずかしくなる。そう私は考えるし、あちこちでしゃべったり書いたりしている。  夫のほかに恋人をおもちなさい、とすすめているわけではけっしてない。もちたいからもてるというものでもない。人間はすべて出逢《であ》いであり、そうした出逢いがなければ、愛も恋も友情も生れない。  私は、いまでこそ物を書いたり、対談をしたり、インタビューを受けるような生活をしているが、八年ほど前までは無名の一主婦だった。いまでこそ一日に十人くらいのひとびとに逢い、そのうち四人は初めて逢うひとたちで、出逢いという意味ではめぐまれているし、刺激的でスリリングだけれど、やっぱり八年前までは、新しい出逢いなど三か月に一度あればいいほうだった。  何千人以上のひとたちと出逢ってはきたが、そのなかの何人のひとと、仕事を離れ、プライベートに食事をしたり、お酒を飲んだり、おしゃべりをしたりと、そういうつきあいが生じただろう。ほんの一握りである。  もちろん素敵なひと、尊敬できるひと、いい仕事をしているひとは、もっとずっとたくさんいる。もし私がまだ十年若かったら、ほんの一握りなんてことは言わずに、つきあいの輪をずっと大きくひろげているだろう。もっといろいろ知りたいし、スリルを味わいたいし、いい思いと同時に痛い思いもしたいし、バイタリティーもあるから。  けれども、四十歳を過ぎると、やはり一握りがせいぜいだ。だいいち時間がほとんどない。残された時間も気になるが、机に向かっていなければいけない時間が優先するし、まだまだ母親としての私を必要とする娘たちとも時間を共有しなければならない。  いい思いをしたいが、痛い思いをそうたびたびはしたくない。それはとても疲れることだし、しわや白髪の原因にもなる。  それに世の中がある程度わかってくると、越えてはならない一線というものが、厳然としてみえてくる。  とてもすばらしいひとがいる。編集者だ。ナイーヴで、ジャズに少年のような情熱を燃やしている。地位もあり、仕事も第一線で、そしてもうそんなに若くない。髪に白いものが混じっている。いっしょにお酒を飲むと、なぜか心からほっとする。とてもくつろげる。あたたかくやさしい気持ちになれる。夫にも恋人にも男の友だちにもないなにかが、彼にはある。  にもかかわらず、その男性と私の関係は、編集者と作家のままだ。したがってふたりだけでプライベートにお酒を飲んだり、仕事をしたりすることはない。たいていだれか別の編集者が同席するし、お酒も食事も仕事の延長としてともにするわけだ。  これまでずっとそうだったし、これからもずっとそういう関係のままだろうと思う。そして私は、二週間くらいたつと、あのひとに逢いたいな、と思うのだ。私は彼の編集部に電話をかけて、 「そろそろネタがつきました。ネタ探しにつきあってください」  と言う。 「いいですよ、よろこんで」  と、彼は答える。  それでも彼との関係は、男の友だちですらない。私は彼がとても好きだし、彼も私のことを好きだということがわかるが、それ以上の進展がない。  ある夜ふけ、ピアノバーのカウンターで、ついに彼がぽつりと言った。 「どうしても一線が越えられないんですよね。あなたは作家で、ぼくは編集者で……。少なくともぼくのほうからは、越えられない」  ぽつりとしたつぶやきではあったが、私にはそれがきしんだ声にならない悲鳴のようにきこえた。  ぼくのほうからは越えられない、と彼は言った。彼はその言葉に私たちの力の関係のあり方をふくめて言った。決めるのは自分ではなく、あなたなのだと。その言葉のなかに彼自身が投げだされていた。彼はその瞬間、とても無防備であった。  私は、イエスかノーで答えなければならなかったのだろうか? たぶんそうだったろうと思う。でも私はなにも言わなかった。なにも言わないことに、私の思いを託した。つまり、ひじょうにやわらかくはあったが、しかし、厳然と、拒絶したのだった。私には、一線を自分のほうから越えて、彼のほうへと踏みだす気持ちはなかった。  なぜかというと、私たちの立場は平等ではないからだ。友情というものは、同等の位置にいる人間の間にのみ生じる情なのである。  どちらが上だと決めるつもりはない。私は売り手であり彼は買い手であるかもしれないが、彼が買ってくれなければ、私の小説は売れないという見方もできる。  いずれにしろ、そこに生活がかかっており、公のプレッシャーがあり、私の生きざま(小説を書くということは、私にとっては命をけずりながらの行為であるという意味で)がかかわり、彼の生きざまがかかわるかぎり、私たちの関係を友情の位置に引き下げるわけには、断じていかないのだ。  もっと若くて、もっと強引で、ハメをはずしているころなら、がむしゃらにそうしていたかもしれない。しかし、いまの私にはできない。彼と私は、したがって、依然として編集者と作家の関係のままである。彼とお酒を飲むと、少し悲しくなり、ほろりとして、心がやさしくやわらかくなるのは、そのためである。  何千人というひとびととの出逢いのなかから、仕事がらみでなく、同等の人間を探すのはほんとうにむずかしい。だから一握りなのである。  男の友だちについて少し考えてみよう。夫とか恋人がいたうえでの、男たちとの友情とは、どういった種類のものなのだろうか?  夫とか恋人は、私を傷つけることがあるが(私も彼らを手ひどく痛めつけるし)、友だちはけっして私を傷つけない、ということが言える。私も友人を傷つけはしない。  それはある種の距離を意味する。適度の距離だ。つまりいまは寝ていないという男女の距離。遠すぎもせず、近すぎもせず、とてもいい距離。 「おまえ、バカだなあ。いくつになるんだよ」  などと私をつかまえて罵詈雑言《ばりぞうごん》を浴びせかけるのは、恋人でもないし夫でもないし、男の友だちなのである。  病気になって入院すれば、ベッドのかたわらに駈《か》けつけるのは夫であり恋人だけど、彼、友人は、退院したあとになって電話をかけてよこす。 「なんで病気なんてするんだよ、バカだなあ。死ぬほど心配したんだぞ。ちゃんと栄養のあるものを食えよな」  ガチャン。それだけだ。  一年ぶりくらいで、いっしょに飲む機会があったりする。逢うからと言って、からだがぐらぐら揺れるくらい動揺はしない。恋人と逢うのとはぜんぜんちがう。緊張感から気持ちが悪くなって吐《は》き気《け》がするなんてこともない。アイラインが少しくらいはみだしていようが、マスカラが下|瞼《まぶた》にくっつこうが、そんなことはいいのだ。 「よお」とひとの顔をみるなり友だちは言う。 「ババアになったな、おまえ」 「あなたもね、ジジイだわよ」 「ところでさ」と彼が言う。 「恋人かなんかできたのか」 「うん、まあね」 「ちくしょう」 「あなたは?」 「まあな」 「へぇ。そんな女と、別れちゃいなさい」  そして、彼はいろいろなおしゃべりのあいまに、さりげなく言う。 「今夜|俺《おれ》たち、寝ようか」 「やめとこうよ、ね?」私は軽く彼の膝《ひざ》を叩《たた》く。 「それよりどうよ、テニスの腕、少しはあがった?」 「よし、今度デスマッチだ。おまえと俺と。いつにする?」  彼はけろりとして答える。  もしかしたら、ゆきずりのいい男と、ふらりとベッドにいくようなことがあっても、男の友だちに関しては、私は貞操堅固だ。彼も心の底のどこかでそれを望んでいるのがわかる。  私たちはもう過去のある時期に、そういうこと(ベッドをともにするということと、そういう関係にともなうありとあらゆる感情の嵐)はやってきたのである。そしてようやくいまの友情を手に入れたのであるから、そうかんたんにはいかないのだ。少なくとも友情のほうがはるかに質がよく、くつろげ、いい関係だということを、私も彼もからだで感じているから、一線を越えることはまずないのだ。  けれども、ぜんぜんその可能性がないのか、というと、それもちがう。相手が生理的に好きでなくなったら、逢っていること自体が苦痛なのだ。  またいつか、一度や二度くらいいっしょに寝ることがあっても、ぜんぜんかまわない、という感じが、双方にあるから、友情がひからびてしまわないのだ。  別の男の友だちもいる。過去にベッドをともにしたことのない男たちだ。やっぱりいまのところ一線を越えることはないのだが、なにかのまちがいで一線を越えてしまっても、それで友情にヒビがはいったり、友情の種類がかわってしまうということはないだろうという確信が双方にある。一度寝ても彼とは恋人にはならない。そういう関係だ。  寝ること自体が、重大問題なのではないのである。夫や恋人とちがうのはそこの点だ。かといって、寝る気にもならない男と、一時間でもプライベートなお酒を飲む気にはなれない。  恋人って、そうするとなんだろうと思う。肉体関係があるのに、どこか裸のつきあいができないのが恋人だ。裸のつきあいという点なら、男の友だちとのほうがずっとずっと裸だ。そして、友情は長くつづくが——一生つづくかもしれない——恋人とは風前《ふうぜん》の灯だ。相手に飽きると——ということは相手の肉体に飽きるということだ——その恋はいっきに終る。  恋が終ったあと、もしふたりの関係がつづけられれば、それが友情になっていくケースが多い。つまりふたりの間にいい距離が保てれば、ということだけど。  恋愛というのは錯覚と誤解のうえに成り立つ一種の熱病だ。熱はかならず冷める。友情には誤解もないし、錯覚もない。さわるとやけどするほどの熱もない。  それに恋人は、私がもし突然死んでしまったとしたら、お葬式にも顔はだせないが、友人たちはきてくれるだろう。私も恋人のお葬式に姿をあらわすわけにはいかない。  恋は秘密のほうが面白い  ひとを好きになる。それこそ物も喉《のど》にとおらないくらいに、そのひとのことを思いつめる。一日に何十回となく彼に電話をかけたいという衝動と闘い、結局、自分のほうからかける勇気はなくて、ひたすら相手からの連絡を待つ、そのつらさ。そしてそれは、同時に心ときめくような期待感に彩《いろど》られてもいるわけだ。  彼に逢ったらああも言おう、こんなこともしゃべってみようと考えていたことなど、いったん眼の前に好きな相手があらわれてしまえば、あとかたもなく忘れてしまって、ただもう飼い主を思う忠実な犬のような、熱いぬれた眼で彼をみつめてしまう日々。  犬のような熱いまなざしで相手をみつめるしかないのは、言葉というものをもたないからだ。言葉もないほどに、人を好きになるということ。  恋ってなんて素敵だったのだろう。ずっと昔——。  あのころは、ひとつ恋をするたびに傷ついて、でもそんなことには性懲《しようこ》りもなくまた恋をして、またまた傷つくということの繰り返し。全身傷だらけ、たえずみえないところで血を流しつづけるような気がしていたが、恋をしていることが好きだったし、安心だった。  自分がたしかに生きているという実感が、それこそヒリヒリするくらいあった。その実感なしの人生なんて、置き去りにされ、ひとびとから忘れ去られ、死んだようなものだと信じて疑わなかった。  しかし、年をかさねるにつれて、ひとを本気で好きになるということも、だんだん少なくなっていく。恋はまさしく体力なのだと思う。あのすさまじいエネルギーは、どこから湧《わ》いてくるのだろうか。  もしかして、私はもうだれかを命がけで好きになることはないのかもしれない、とふと考えたりすると、さびしさとあせりとで眼の底が暗くなるような思いにとらわれる。それこそたったひとりだけ、見知らぬ荒れ地にとり残されたような、いてもたってもいられないような寂寥《せきりよう》感に襲われる。  こんなことを書いたり言ったりすると、結婚して夫がいるのにとか、もう大学生になるような娘の母親なのにとか、ひとは言うかもしれない。  しかし私はこれまで一度として、結婚しているからという理由で、ひとを好きにならないようにと自制したことはないように思う。  もちろん、愛していっしょになった夫という存在がいるわけだから、独身のころと同じようなわけにはいかない。  肉体的にも精神的にも、夫や子どもたちによって満たされているのだから、男がほしい——文字どおり欲望の対象として——とか、心のよりどころを求めるわけではない。  けれども、結婚によってすべてが完全に満たされるはずもない。その長い過程には、さまざまな種類の小さな欠落が、あるわけだ。  ある時期には男のやさしさが、夫に欠落してしまうかもしれない。別の時期には、性的な飢餓感が襲ってくるかもしれない。  そのときどきの欠落感を埋めるべく、私はひとを好きになってきたような気がする。  夫と、知的な会話が成立しなかった一時期には、そういう会話のできる別の男を、やはり私は探し求めたし、事実、探しだしてきた。  夫が私をひとりの飢えた性をともなった女としてみない時期には、私を女としてみてくれる男が必要だった。  最近の若い人たちは、恋というものをしなくなったという声をよくきく。あまりにも安易にベッドへ直行してしまうので、恋が生れるひまもないのかもしれない。  あるいは、結婚というものに比重をかけすぎているから、恋を犠牲にしても、いい結婚のほうを望むということになるのかもしれない。  恋のない結婚なんて、寒々しい気もするのだが、一面、恋などシャボン玉と同じで、いつかはあとかたもなく消え去ってしまうのだけど。  若いころ、さんざん恋をして、恋をしつくしてから結婚したひとたちのほうが、恋にまったく免疫《めんえき》のないひとより、その結婚は安定して長つづきするような傾向がある。  若いころ、本気にひとを好きになったことのない男や女が、四十代や五十代で、ふと魔がさしたように、妻や夫とはちがう異性にひかれてしまうと、家庭というものがめちゃくちゃになったりする。そういうケースを私もいくつかみてきたが、恋には年齢はないと思ういっぽうで、恋にも年齢があって、数をこなすことによって、恋上手になるものだ、ということもわかる。  恋上手というのは、けっして当事者同士以外のひとを巻きこまない恋のしかただ。夫に知れたり、家庭をこわしてしまうというような恋は、たとえどんなに純粋な愛情でも、ルール違反である。恋というものは、自分だけがひっそりと苦しんだり、楽しんだりするもので、大騒ぎを演じるものではない。恋の喧噪《けんそう》ははた迷惑だし、だいいち、いい年をした大人の男女が、みっともない。  ひっそりと生れ、ひっそりと消えていく恋があってもいいではないか。  恋愛は結婚までと区別をもうけているから、大騒ぎになるのであって、恋は一生のものと考えれば人生ははるかに楽しいし、豊かなものにもなる。  そしてルールはひとつ。自分の責任において恋をするということである。  恋を成就《じようじゆ》させることによって、失うものもあるという覚悟をもたなければならない。  若い女のひとたちが、いい結婚に自分の人生のすべてを賭けるのは、自分というものがないからだ。自分というひとりの人間のめんどうを、自分でみきれないからだ。  私はまず、このことに心底驚いてしまうのだ。自分のめんどうを、基本的に自分でみれないなんて。  自分が生きていくために食べなければならない最低の食料さえも、自分で確保できないなんて。  確保できないのではないのだ。はたらきつづけようと思えば、職業がないわけではない。若い女性たちは、自分の食べる物を自分で確保する気持ちがないのだ。最初から、だれかに、食べさせてもらおうと決めてかかっているのだ。  自分が口にする食べ物や、身につける衣服や、寝るための最低必要なスペースを、自分で用意する意志を最初から放棄しているのだ。  つまり、男によって、それを得ようと頭から決めてかかって、少しも疑わず、少しも恥じることがない。  一生分の食料や衣服や住居とひきかえに、彼女たちは愛してさえもいないかもしれない男に肉体をあたえようというのだ。それは娼婦《しようふ》と同じことではないかと私は思う。  いや娼婦以下なのだ。少なくとも娼婦は精神的にも経済的にも自立している。主婦は、まったく夫にべったりおんぶしてしまっている。  私は同じ人間である男と女が、そんなふうに不平等なことに、疑問を抱くのだ。  私自身生れてから一度として、夫という名のひとりの男に生涯《しようがい》養ってもらおうなどと考えたこともなかった。  私の両親も、口ぐせのように、女も手に職をもつべきだと、私にいいきかせていた。そして事実、手に職をもたせるべく、六歳のときから私にヴァイオリンを習わせてくれもした。弟も妹もそうやって育ってきた。だから、弟の妻となったひとは、結婚してからもずっと仕事をつづけているし、私の妹もはたらきつづけている。  結婚適齢期になったときには、私には手に職があった。実際にはヴァイオリンで生計を立てる気は失っていたが、広告代理店でテレビのコマーシャルをつくる仕事にたずさわっていたから、自分の基本的なめんどうは自分でみつづける自信があった。  だから、ほんとうに好きな男と結婚ができた。学歴とか将来の地位とか、安定などにまったく無関係に夫を選べた。  当時、私の夫は文無《もんな》しで、定職もなく、住所も不定だった。日本人ですらなく、一年後には自分たちの生活がどうなっているのか、はたしてどこの国に住んでいるのか、予想もつかなかった。池袋の小さなアパートで新生活が始まったが、食事をするテーブルがなく、夫が日曜大工でつくりあげるまで、ダンボールの箱にチェックの布をしいてテーブルがわりに使ったりした。  どんなことがあっても、とにかく自分のめんどうは自分でみれるのだという自信があれば、怖《こわ》いことはなかった。私たちは、ほんの一時のある時期をのぞいて、生活費を折半《せつぱん》して、少しずつ収入がふえていった。子どもがひとり生れるごとにベッドルームをひとつふやさなければならなかったので、いままでに七回も引っ越しをしつづけた。  文無しの若夫婦だった私たちは、いま三人の娘たちをもち、東京のほかに週末用の海の家と、夏の軽井沢の借家をもつようになった。  けれどもあいかわらず一年後の自分たちのことがわからずにいる。すべてを手放して、どこかの無人島にでも引っ越してしまうかもしれないからだ。  生活費はあいかわらず平等に半分ずつだし合っているが、それ以上のお互いの収入については、それぞれが自分名義で貯金していて、お互いの貯金の額など知らない。  私も夫も、経済的にも精神的にも、いつでも相手から離れて暮らしていける用意ができている。それは結婚のほとんど最初からそうだった。そして、二十年の結婚生活の間には、じつにさまざまな困難もあったが、決定的な亀裂《きれつ》はいままでのところ生じなかったので、まだつづいている。私たち夫婦が相手から歩み去らずに、とにかくも同じ屋根の下で暮らしつづけているのは、私たちの結婚の最初のとき、純粋に相手が好きだったからだと思っている。財産も未来の保証もなにもない、地のままのお互いを愛したからだ。  そして私は、私の子どもたちに、女も手に職をもつものだと、口にだしては言わないが、ずっと身をもって示しつづけてきた。きっと私の娘たちも、少なくとも自分のめんどうくらいはみられる女性に育ってくれるだろうと思う。  そんなわけで、現在でも、結婚というものにすべてを賭け、ひとりの男に一生寄生して暮らすことをなんとも思わない若い女性に対して、私は、心から驚き、不信感をぬぐえないのだ。私はだれかの寄生虫みたいな人生など、絶対に送りたくない。  恋上手、男上手のブス子の誘惑術  恋人がいないのは、つくろうとしないからである。  なぜか。女は待つものだと頭から決めてかかるからだ。プロポーズは男がするもの、相手に先に声をかけるのはつねに男であると、信じて少しも疑わない。  とくに美人ほどそういう傾向が強い。自分のほうから男を誘惑するなんて、沽券《こけん》にかかわると思っている。スキすらもみせない。  あんがいとびきりの美人に売れ残りが多いのは、そのせいかもしれない。  反対に、人並みより少し劣る程度のブス代ちゃんやブス子ちゃんが男に不自由せず、あの顔であんな美男をつかまえたとか、玉の輿《こし》に乗ったとか、売れ残りのとびきり美人を歯ぎしりさせたりする。  ブス代やブス子がもてるのは、彼女たちが男からのはたらきかけなど期待して、延々と待ってなどいないからだ。  彼女たちは、とっくに知っているのだ。待てば海路《かいろ》の日よりなど、ほんとうはないということを。いくら待っても自分たちに声をかけてくるような男が少ないことを。  だから生きる術としては、自分のほうから積極的に男をつかまえるしかない。単純明快な理論だ。  かくしてブス代たちは、とびきり美人などにくらべると数段、誘惑術にたけているというわけである。  ——あら、前にどこかでお逢いしなかった?——などと、美人は口が裂《さ》けてもそんなことは男に言わないが、ブス代ならそれが言える。とびきり美人は花束を男からもらいはするが、自分から男に花束を贈るなんていう発想は絶対といっていいほど浮ばない。ブス子なら、それがやれる。男の部屋へ、花屋から上等なバラの花束を両腕にひとかかえも届けさせるなんていう奇戦も、彼女たちがやればしゃれたユーモアになるが、とびきり美人だとなぜかひどくシリアスな、痛々しい感じがしてしまう。 「今日、臨時収入があったのよ。夕食ごちそうするけど、どう?」  と、ほんとうは臨時収入などないのだが、相手の男のほうからはとても夕食の申しこみなどありそうもないので、ブス子はそう言っていかにも気軽そうに声をかける。ことわられても、ぜんぜんかまわないんだけど、という雰囲気を言外にそれとなくにじませるのが、テクニックと言えば言える。  臨時収入の件とか、その気軽な雰囲気のせいで、男のほうもあまり負担を感じないから、とりわけの嫌悪感をふだんブス代に抱いていないかぎり、たいていの男は、「あ、いいよ」と応じるに決まっている。もし特別に気が弱いひとなら、夕食のかわりに昼食にしておけば、もっと誘いやすいし、相手も応じやすいだろう。  しかしである。ブス代がいかにさばさばとした様子で、ことわられてもかまわないんだけどと、言外に匂《にお》わせたとしても、彼女はほんとうは深刻なのだ。命がけなのだ。臨時収入どころか、男に夕食などおごってしまったら、むこう十日間昼食抜きの生活を余儀なくされるくらいのピンチにおちいるかもしれないのだ。そして、相手にもし、「せっかくだけど」と、けんもほろろにことわられたとしたら、彼女は、「あら、残念。じゃKさんにつきあってもらおうかしら」と答えたとしても、内心、おおいに傷ついたりするわけだ。顔で笑って心で泣いて。この傷は当分いやせない。  しかし、問題はそれなのだ。つねに真剣勝負だということ。悲愴《ひそう》感を表にだしこそしないが、いつだって彼女の内面は悲愴なのだ。このひとこそ、と思った相手に対して、命がけなのである。  夕食代のために十日分の昼食を抜くことになろうが、ひとかかえもあるバラの花束を贈ったせいで来月の洋服代がゼロになろうが、それはぎりぎりの賭けなのだ。  そして、ひとがひとたび本気で、なにかをほしいと思ったら、それが真剣であればかならず自分の手にはいるものだということを、知っておいてほしい。  このことを私は、若い女のひとたちに、とくに容貌《ようぼう》に自信がなく自分はもてないと信じている女のひとたちに、言っておきたい。  ほしいものは、かならず手にはいるものだ、ということである。それが男であろうと、結婚相手であろうと、物であろうと、ひとたび本気で、あれが自分はほしいのだ、そして手に入れるのだと決意し、行動を起せば、かならずやそれが自分のものになるということだ。  漠然と恋人がほしいと願っても、恋人はできない。どの男がほしいのか、はっきりしていなければならないし、それも漠然とほしいのではなく、命がけでほしいと思わなければ、恋人などできるわけがない。  ひとのことは語れないから私自身の経験を少し語ってみよう。  若いころ、私もまたひとりのブス代であった。ソバカスがあって、顔が扁平気味《へんぺいぎみ》で大きく、大柄で、胸が小さくてお尻《しり》の大きな、歯並びの悪い娘だった。そして決定的に太ってもいた。堂々たるブス代ぶりだった。  その私が十八歳のときに本気で恋をした。私は身のほども知らずに極端な面食いだったので——その性癖はそれから二十年以上たついまでもかわらないのだが——恋の相手というのは、紅顔《こうがん》の美青年であった。嘘《うそ》ではなくアラン・ドロンも真っ青というくらいの、きれいなスラリとした若者だった。そのうえ彼はナット・キング・コールのようなハスキーな低音でシャンソンなどを口ずさんだ。美男なうえに歌がうたえるということも、私には大事な条件なのだ。なぜなら私はブスで音痴《おんち》に近いせいだからだ。  彼は高嶺《たかね》の花だった。彼はブスもデブも嫌いだった。ブスは返上できないがデブならなんとかなると思った。私はこのとき生れて初めてダイエットの苦痛を味わった。  これと決めたら徹底的にやるのが、私の唯一《ゆいいつ》の長所である。ダイエットはみるみる効果を発揮して、私はやせた。ほんとうにスラリとやせたのである。やせると、丸かった顔からも肉が落ち、扁平で大きかった顔も心もち小さくなり、それほど、扁平も目立たなくなったみたいだ。そしてそのころ、彼が好きだったグレコを真似《まね》て、黒のタイトスカートと黒のトックリのセーターを着た。  彼は、パリの匂《にお》いのするインテリジェンスな雰囲気に弱かった。私はもちろんそういうことを知る能力にだけはたけていたので、アポリネールの詩などを、わけもわからぬまま暗記したり、フランス語混じりの、詩のような手紙を書いては彼にだした。  幸いなことに私は手紙美人だったので、反応があった。彼はまず、私の手紙に興味をもったのである。私という女の外見ではなく、内面にひかれたのである。  それから、私たちは逢った。ふたりでシャンソンをききにいったり食事をしたりしたのである。彼とつきあっている間じゅうずっと私はグレコみたいなお化粧をし、黒ずくめの服装でとおした。  そして今日まで、私が心のなかで、この男《ひと》とつきあいたいとか、この男と友だちになりたいとか、恋人にしたいとか、結婚したいとか、寝たいとか思った男たちと、ほとんど例外なくそのとおりにしてきたように思うのである。  たったひとりだけ、手ごわい例外があったが、それはそれでいい経験だったといまでは思っている。そのことがなければ、私はひどく自惚《うぬぼ》れたブス女になっていたと思うからだ。ブスはかわいいが自惚れたブス女は救いようがない。  私はそのつど、ほとんど命がけでひとを好きになった。無防備なほど、自分というものをさらけだしてきた。もちろん、このひとは、という男に対してだけである。そのかわり、どうでもいい男に対しては、じつにどうでもいいのだった。だから、そのときどき、たったひとりの男——私が惚れている男——をのぞいた世界じゅうの男全部にとって、私はまったく魅力のない女だったかもしれない。  これと思ったたったひとりの男に対して、ある種の磁力のようなものを自分がだすのではないかと、いつも思うのだ。その磁力で男を自分のほうに向かせ、私に興味をもたせ、ついには、恋をしているような気分にしてしまうような摩訶《まか》不思議な磁力を、私は自分がもっているのだと、信じて疑わない。  それはほんとうに、その男に惚れたときにだけ生じる力だと思う。だから私はもしそのひとを自分が好きになれば、相手がどんな男であろうと、たとえ水もしたたるような美男の映画スターであろうと、たとえばフリオ・イグレシアスであろうと、ウォーレン・ビーティであろうと、きっと恋愛関係になれると、信じている。  もっともフリオやウォーレンに逢わなければ話にもならないが。それにもしウォーレンを好きだったら、こんなところでじっとしているべきではなく、ハリウッドへでもどこへでも押しかけていくべきなのである。それをしない、ということは、私はそれほどウォーレンが必要でもないし、惚れてもいないということかもしれない。  この不思議な磁力みたいなものの力を、私は男たちだけにではなく、物とか仕事とかにも、意識的に、あるいは無意識のうちに利用してきた。  小説を書くという作業のうちに、私はこの磁力の不可思議さを感じないわけにはいかないからだ。ときに、自分ではない何者かの手によって文章を書いている、という気持ちに襲われるときがある。なにかを真剣に思いつめたり、追い求めたりするときに、からだのなかに奇妙な力が宿るのだ。  自分の能力とか、男に対する力を自慢しているのではもちろんない。自分には才能がないとか、自分は魅力がないとか、初めから可能性を放棄してしまっているひとたちに言いたいだけなのである。魅力がないとみずから思いこんでいるひとは、ほんとうに魅力などないのである。  魅力というのは、じっと静止している状態ではなく、積極的、能動的に動き、はたらきかけ、求め、あたえるときに生じるものなのだと思う。ひとにやさしくしたり、笑いかけたり、親切にしてあげたり、いたわったりするときに、光るものなのだ。  あなたのことを世界じゅうでいちばん素敵だと思っているわ、と全身で相手に伝えたり、あなたをだれよりも尊敬しているのだという思いが肉体ににじみだして、それが、相手にとって、あなたの魅力になるのだ。だからまず、自分から相手に惚れること。好きで好きで、とにかくメロメロになることである。  けれども、だからといって、あなたなしでは死んでしまうわ、というふうにはしない。そんなふうにベッタリとはしない。ほんとうは、あなたなしでは死んでしまうかもしれなくとも、あなたが好きなのは、いつでも私のそばから歩み去ってしまいそうな感じだからよ、というふうにクールに振舞うほうが魅力的だ。そのほうが男心をいっそうひきつけることができる。  あなたがある日ふいに私のそばから歩み去ってしまうかもしれないから、そこが好きなのよ、という裏には、私もまた、ある日ふいにあなたから歩み去っていなくなるかもしれないのよ、という感じがただよう。それが恋のかけひきなのだ。  純粋な恋にかけひきなどいらないと、若いひとたちは考えるかもしれない。  だけど、純粋な恋なんて、半年でさめてしまうものなのだ。結婚だってそうだ。胸がときめくのは最初の三か月くらいなものである。  恋愛を少しでも長びかせるための、そして結婚を飽き飽きとして延々とつづく退屈な共同生活の場にしないためのかけひきが、必要になってくるのだ。  それは、最後まで手のうちの全部をみせないということでもある。いつも七十パーセントくらいまでしか自分というものを相手にみせないということ。からだのすみずみまで相手にみせてしまったら、それこそ三か月でうんざりである。胸のなかだってそうだ。  二十年もいっしょにいるのに、きみのことがまだよくわかっていないみたいだ、と将来夫に言わせることができれば、あなたはきっととても魅力的な妻なのにちがいない。  そのためには、たえずなにかを吸収しつづけなければならない。どんどん新陳代謝して、自分を高めていかなければならない。  のんべんだらりと三食を食べ昼寝をしていては、とても魅力的な女ざかりはむかえられない。それこそ三年もすれば、夫にうんざりされてしまう。  あなたが魅力的でどんどん素敵になっていけば、あなたの伴侶《はんりよ》だって油断ならないから、やっぱり素敵な男になっていくだろう。そうやって、男と女はお互いを刺激しあって成長していくべきなのだ。  恋人がほしかったら、ただ待っていないで自分からはたらきかけること。そして恋人ができたからといって、安心してしまわないで、いつも相手を刺激しつづけることが、その恋を長つづきさせるコツだと思う。そして、幸運にもその相手と結婚ということになったら、いっそうの努力が必要だ。恋のかけひきは一生つづく長い長いゲームだと思ったらいい。あるいはある種の闘いだと。  相手との闘いでもあるけど、自分自身とのたえることのない闘いの連続である。自分との闘いを放棄したら、そこでその人間の魅力はなくなる。とても多くの若い女性たちが、結婚して子どもを産んだとたんに、みるかげもなく「ダンチのお母ちゃん」タイプになりはてるのは、自分と闘うことをやめてしまうからである。子育てと家事のなかにどっぷりとひたって、自分をごまかしてしまうからである。  私は家事や育児だけで一日が終ってしまうという女のひとたちの言うことを信じない。どんなに要領が悪い女だって、二、三時間は本ぐらい読めるだろうと思う。世の中にはちゃんと家事もやり、子どもも育てながら、立派に仕事をしている女性たちがたくさんいるのだ。  結婚は人生の終着駅ではない。そこから新しい人生が始まるのだ。それは夫や子どもの犠牲になって、自分というものを失うことではなく、夫と子どもたちとともに、自分というものを生かす人生であるべきなのだ。  恋人ができないとただ嘆くだけで自分からはなんのはたらきかけもしないような若い女のひとは、あんがい初めから、人生をいきいきと生きることを放棄している人種なのかもしれない。  愛の鎖からどう抜け出すか  ひとを愛することがよろこびであることは、ごくまれなことだ。  ひとを愛することが苦しいのではなく、人間の関係が、そもそも不毛なのだから——。  関係とはなんだろう。  たとえば恋愛関係。たとえば性関係。あるいは夫婦関係。  ふたりの人間をつなぐもの。かかわり方。しかし、眼にみえるものでもなく、触れて感じられるものではない。鎖によくたとえられるが、みえない鎖。はっきり言って存在しない鎖。  私たちは孤独を恐れる動物であるゆえに、つねにひとと関係を結ぼうとする。相手に鎖をかけ、あるときはそれで縛ろうとする。  けれども、何度も言うようにそんな鎖など存在しないのだから、実際には縛れない。にもかかわらず、縛ったような錯覚、縛られたような錯覚におちいるのはなぜだろう。  角度をかえて言えば、ふたりの人間をつなぐ鎖の存在が感じられない間は、その関係はよいとみていい。問題は、鎖をふたりが意識する状態のときである。  自分から放たれるみえない鎖が相手を縛っているらしい、と感じるのは、せつない。相手から、がっちりと首かせをはめられている、と感じるのは、さらに重い。  そもそも、愛の鎖など存在してはいけないのだと、私は思う。もしあるとしても無限に長い鎖でなければならない、と。  愛とはそういうものである。ひとを愛によって縛りつけるのではなく、愛によって解放するものだと思う。愛というのは相手に無条件にあたえるものであり、相手を無条件に許すことである。  双方が同時に無限にあたえ合い、許し合うことができれば、これは幸福だ。  けれども、人間の関係というのは、かならずいびつだということ。双方が同時に同じ質と量とで愛し合えることなど、めったにない。  どちらかの愛がいっぽうより重い。どちらかのほうが、より少なく相手を愛す。  このアンバランスのために、鎖が必要となる。そしてふたりの関係に鎖が必要となったとたんに、関係そのものが苦悩にかわっていく。愛の苦悩、を私はそのようにみる。  では、どうしたら愛の苦悩から私たちは自分を解放できるのだろうか。  ひとはなぜ、別の人の上に楔《くさび》を打ちこみたがるのか。そしてなぜ、楔を打ちこんでもらいたい、と望むのか。  たぶん、ひとりでは生きていけない弱い存在だからだろう。鎖をわずらわしいと思うどこかで、自分は野放しの放浪者ではない、というひそかな安心感があるのではないか。相手が自分を縛って不快だと感じる心の片隅に、なにかの拍子で鎖がぶつりと切れてしまうことを恐れる心があるのではないだろうか。  結局、苦しみの元凶《げんきよう》は自分自身にあるということだ。鎖を忌《い》む心と、その忌むべき鎖を必要とする心と。その葛藤《かつとう》なのではないか。  自分の内に、そうした葛藤をつのらせると、関係は徐々に破綻《はたん》の方向に向かう。ますます葛藤がふくらみ、怪物的になっていく。すると愛は、自我の押しつけそのものになってしまう。もはや、愛とすら呼べない。  具体的に言うと、相手に依存しているかぎり、愛の真の関係などあり得ない。  経済的にも精神的にも、だれからも自立していないかぎり、ひととの真の自由な関係は結べない。いい関係は結べない。いい関係は、まったくふたりが平等な立場から出発することをさす。  立場が対等でなければ、関係からなにも生れることはない。たとえば性の関係をとってみればわかるが、性愛から双方がよろこびを得るためには、いっぽうがあたえいっぽうが奪うというスタイルでは不可能だ。オルガズムそのものは、ふたりが対等でなければ得られるものではない。それはある意味で相手から奪い取るくらいの、積極的な荒々しいエネルギーを必要とする。あるいは、極言すれば愛する相手の肉体を使ってのマスタベーションのようなものだと考えていい。  実際、どれだけの女たちが、相手からオルガズムを奪い取ることができるだろうか。相手に精神面、経済面にわたって依存している女たちに、性の平等などまずあり得ない。誤解を恐れずに言えば、あのとき女が男の下になるという体位こそ、女の自立していない象徴なのではないか(あの体位は、かならずしも女にとってベストではない)。  愛し合う男女の性愛に気おくれがあってはならない。タブーや、恐れや、必要以上の羞恥心《しゆうちしん》も邪魔だ。  要するに、自分ひとりで生きていける、という強さこそが、愛の悩みから抜けだせる唯一の道だと思う。関係をよく保ち、相手との共存を可能にし、それを持続するためには、相手からいつでも歩み去れる自由さを自分がつねにもつことであり、相手にもその自由を認めることである。  三十五歳のとき、私自身のことを言えば、私は自立した。それまでの数年間は、あらゆる意味での関係の葛藤、苦悩のなかにいた。ひとに認められたい、ひとから好かれたい、夫に私自身の存在を認められたい、尊敬もされたいし、女としても扱ってもらいたい。さまざまな欲望のとりこになっていたが、そのどのひとつもかなわず、私はあらゆる種類の飢えにさいなまれた。関係は、当然悪化の一途をたどった。  私たちはそのときだけ対等ではなかった。小さな子どもたちが三人、私にまとわりついていたので、彼がひとりではたらき、彼が私を養っていた。私は、そのとき世の中とのかかわりをもたなかったし、かろうじて、彼をとおして、社会とつながっていた。べったりと夫の背中におんぶしていたわけである。  するとまず、私はものがしだいに言えなくなっていった。彼を失うことを恐れるあまり、鎖をゆるめるどころか、逆に強く自分のほうへひきつけようとひっぱった。愚かなことだったが。  鎖を感じるやいなや、夫は猛《たけ》り狂った。まるで野生動物が生れて初めて檻《おり》に入れられ鎖でつながれたかのように。そんなふうに私は感じたものだ。  そしてどうなったか。彼はますます扱いにくく、精神的に凶暴《きようぼう》になり、私を憎むときもあった。すると私のほうでも彼を憎んだ。  関係がほとんど破綻《はたん》しかけた。  ちょうどそのころ、私はいろいろなことがきっかけとなって、小説を書いた。  小説を書くことによって、私は自立した。そのことから自分の収入を得、それよりもなによりも、精神の支えを、夫からそちらのほうへごっそりと移すことができた。  夫は、いきなり自分の背中にべったりのしかかっていた、私という重荷が放たれたので、救われた。私もまた、夫に重荷をあたえているという事実のうしろめたさから解放された。  そしてふたたび、対等なふたりの男と女という立場からの関係が可能になった。  それでも初めのうちは、双方ともその関係に慣れていなかったので、とまどったり、ぎくしゃくしたりした。  おかしなことに夫は、あれほどべったりとおぶさっていた妻をうとましく思っていたのに、急に別の精神世界をもち始めた妻に対して、さびしさをかくせなかったり、ときには嫉妬《しつと》さえしたことだ。  小説を書き始めて、今年で八年目になるが、まだ私たちはこの関係をじょうずに使いこなしていない。  でもいつの日か、関係に縛られたり、ぎゅうじられたりすることから完全にふたりが解放され、関係を使いこなせるのではないかと、期待している。  そのときこそ、関係を不毛にさせる鎖が消える日だ。愛の悩みから抜けでる日だ。そう思う。  それでもやはり、ひとを愛するということは、手放しのよろこびとは別のものだと思う。相手に対する期待を抜きに、ひとを愛することなど、聖人でもなければできないからだ。  私も夫も聖人とはほど遠い凡人である。  相手につねになんらかの期待をし、それがたいていの場合、裏切られ、傷つくというパターン。  ひとつだけ私が成長したとすれば、過大な期待を抱かなくなったということか。自分が社会とのかかわりをもつようになって、ひとから期待され、夫からも期待されて初めて、期待されることの重荷とか痛みのようなものがわかるからである。  自分が痛い思いをして、ようやく相手の痛みがわかる。  そのことこそ、大事なのだ。痛みを知らない人間は、ひとを真に愛することもできない。だから、愛の苦悩から抜けだすことばかりを考える前に、私は、とにかくその愛を十分に苦悩することを、若い女性にすすめたい。  十分に苦悩して、それを養分にすることをアドバイスする。苦悩が大きければ大きいほど、ひとは成長するものだと思う。  適当なところで、苦しまぎれにほうりだしたら、そこからどんな収穫も得られない。  それと逆説的だが、苦しみというものから逃れるためのいちばんの方法は、徹底的にその苦しみを苦しむという手がある。もういい、もうたくさんだ、もう飽き飽きした。そうなると、にがいあと味がない。思いきり汗を流しきったあとに似た、一種の爽快《そうかい》さがある。  皮肉なようだが、現代のような精神構造をもつ社会で、ひとが愛の苦悩をおぼえること自体が少しずつまれになっていくのではないかと私は恐れるから、まじめに愛を苦悩しているひとがまだたくさんいるとしたら、むしろそれをよろこびたいような気がする。  嘘《うそ》に傷つく「不倫」の方法 「不倫」などとわざわざつけなくても、恋は恋である。  小説のなかで、若い男と若い女が恋愛するのは、書いていてちっともおもしろくもおかしくもないので、そういう言い方をするなら、私の書く話は、もっぱら不倫の恋の物語ということになる。  結婚をしている男や女に、ほかの異性に目をやるなというのはもうめちゃくちゃなことで、前にも述べたように、むしろ双方に、ひそかに異性の影がさしたほうが、その結婚は安泰なのだ。  自分の夫に、あるいは妻に、いつ好きな人ができるかもしれないという不安は、夫婦の関係をいい意味で緊張させる。  もしかしてすでにどちらかにそういう異性の存在がある場合には、嫉妬のしかたによって夫婦がだめにもなり、逆にいっそう深い絆《きずな》で結ばれたりする。  結婚している男が未婚の若い女と恋愛をすると、決まってこんなふうに言うのはどういうわけか。いわく、 「じつはいま、女房とあまりうまくいっていないんだ」  とか、 「家庭がおもしろくなくてね、じつに不幸な気持ちでいるんだよ」  とか、ひいては、 「いずれ妻とは別れるつもりでいるから」  などと、こちらがなにも言っていないのにペラペラとしゃべるということは、どういう神経なのか。それも、いかにもみじめったらしく肩の力をげそっと落したりして。私だったら毛脛《けずね》を蹴飛《けと》ばして、そんな手合いとはさっさとおさらばしてしまう。  たとえ事実にせよ、自分の連れ合いをおとしめるような発言は卑劣だし、結局、そういう男は、自分の発言によって自分の品格や質をいちじるしくおとしめてしまうということに、気づかないほどに愚かだということでもある。  現実に妻との間がうまくいっていないとしたら、それは夫婦の問題であって第三者を巻きこむべきではない。ひそかに耐え、ひそかに解決すべきである。実行する気など毛頭《もうとう》ないことを男が口にしては、男の風上《かざかみ》にも置けないではないか。  そういう甘言《かんげん》、愚痴《ぐち》のたぐいをへらへら口にするような男にかぎり、実行する気はないし、たとえ古女房を離縁したいと心のどこかで夢みたとしても、ほんとうに実行する勇気などほとんどないと思っていい。やる人間というものは、だまっていてもやるのだから。  だいたい家庭のひとつやふたつ、女房のひとりやふたり幸せにできないような男なんて、魅力などないものだ。不倫の恋の相手としてはおおいに不足なのである。男も女も、泣きごとを言ってはいけない。  女のほうもまた女のほうで、そういうめめしい男の泣きごとにコロリとまいったりするから、男の泣きごとがいつまでも武器になったりする。 「女房とはいずれ別れるつもりだ」なんていう中年男のなにが気に入ったのか、およそ想像しがたいが、そういう男のところへあとがまにはいって幸せになれるとでも思っているとしたら、自分の頭の程度を疑ったほうがいい。  ま、そういう男とその程度の女とがかってにくっつく分には、他人がなにをか言わんやであるが、そういう愚か者というのは、かならず人騒がせを演じるから、世間が迷惑する。  なにも知らない女房が巻きこまれて、三角関係の泥沼になるか、いつまでも離婚をしない男へのみせしめに自殺をほのめかしたり、出奔《しゆつぽん》したりして、周囲の者を心配させる。  そういうみっともない不倫の関係はルール違反だし、本人たちが傷つき苦しむのは当然で、徹底的に罰を受ければいいのだ。  相手に配偶者があり、子どもがあり、家庭があり、仕事があるのなら、そのことを知ってのうえでの恋愛であるということを、十分に自覚しなければならない。  彼が選んだ妻であるのだから、相手の妻にいちもく置くのは彼に対する礼儀である。その女性から、週に一回彼をお借りするのだと思うくらい謙虚な気持ちをむしろ抱くべきで、相手の妻から夫を奪おうなどと考えるのは、とんでもない思いあがりである。  私の知っているある独身の女性がつくづく言っていた。 「どんなことがあっても、女のほうから相手の家庭に電話をかけるものじゃないのよねぇ」  彼女は、彼から何日も連絡がないので不安になり、ついにタブーをおかして相手宅に電話をしてしまう。  当然、電話をとったのは彼の妻であった。あらかじめそういう場合のことを想定してあったので、仕事にかこつけて自分ではうまくやったつもりだった。 「ご主人さまの下請《したう》け会社でPRを担当しております森と申します。夜分おくつろぎ中申しわけございませんが、現在やっております仕事の件で至急おうかがいしたいことがございまして。——ご在宅でいらっしゃいましょうか?」  というようなことを、冷静な、いかにもキャリア・ウーマンという感じでさらりと言ったのだと思う。  べつに不倫の関係じゃなくたって、結婚している男の家に電話を入れるのは、気を使うものである。私にも、やむを得ぬ緊急の場合があって、何度か編集者の自宅に電話をかけなければならないようなことがあった。  そんなとき奥さんがでると、悪いことをしているわけでもないのに、手のひらにじっとりと冷たい汗がにじむような気がする。  自分の名まえをまず伝え、ほんとうはそこまで説明する必要はないと思うのだが、電話をかけなければならなかった理由をくどくどと述べ、すっかり恐縮しながら額の汗をぬぐったりする。そんなにくどくどと言いわけを言ったりして、かえってありもしないふたりの仲を疑われるのではないかと思うあまりの額の汗である。  編集者に無事にかわってもらうと、とたんに疲れがでて、俄然《がぜん》不機嫌な声になる。 「どうしました? ご機嫌悪いですね」  と敏感にも相手が指摘する。 「あたりまえじゃないの。奥さんとなんて話させられて」  と、まるで不倫の相手にでも言いそうなことをつい口にして、相手にあたり散らす。  とにかく、妻帯者宅に電話を入れるということは、いろいろな問題があるのである。ましてや、相手の妻に対してうしろぐらい事実があればなおさらのことだ。  で、件《くだん》の彼女、平静を装うあまりふつうよりもさらにふつうな感じに、さらりと巧《たく》みにやったつもりだった。仕事柄、彼の自宅にはいろいろな人間から電話がかかってくるはずだし、若い女からの電話だってたびたびあるはずなのであった。 「主人がお世話さまになっております」  と、相手が低い声で答えた。 「少しお待ちくださいませ」  相手もまた申し分のない受け答え。ちっとも疑った様子はない。よかった、と私の友だちはひそかに胸をなでおろす。 「あなた、お電話」  と、受話器を伝わって相手の声がきこえる。送話口を手でおさえずにしゃべっているのだろう。 「森さんて方」  相手の妻の声がつづく。 「あなたの不倫の相手でしょ」  静かだが断定的な言い方だった。 「冗談言いなさんな」  と男の声が少しずつ近づいてくる。 「もーしもし」  相手がふだんより一段も二段も陽気な声でふしをつけてそう言う。 「どうしたの? まだ残業ですか、悪いねぇ、忙しい思いさせちゃって。ん? その件、明日にも打ち合わせよう。悪かった、悪かった。電話一本入れておけばよかったのに、申しわけない。明日昼めしでもごちそうしますよ。えっ? そう、罪ほろぼしってわけです。じゃ、がんばってください。失礼」  高揚《こうよう》した感じで一方的にしゃべり、相手はさっさと電話を切ってしまう。彼女は茫然《ぼうぜん》として受話器を握りしめたまま。  男のわずかにはしゃいだようなしゃべり方がひどく不快だった。とりつくろったりして。それもこっちの気持ちなんてぜんぜんおかまいなく。彼ときたら一方的にひたすら、妻の手前だけをとりつくろったのだった。  私はどうなのよ、と彼女は声にだしてつぶやいてみた。この私は傷つかなかったとでも思っているのかしら。  それにしても、彼の妻にどうして知れてしまったのだろうか。初めて電話をしたのに、不倫の相手だってどうしてわかったのかしら、と彼女はしきりと首をかしげた。  もし、そういう女から私自身の夫に仕事にかこつけた電話がはいったとしたらね、と私は彼女に言った。やっぱり、わかると思うのよ、と。 「だって、自分でこれ以上は望めないと思うくらい申し分のない応答だったのよ」  と、彼女はこだわった。 「それが問題なの。申し分がなさすぎる、あまりにも完璧《かんぺき》すぎるってことが、逆にひっかかるのよ。さりげなく振舞おうとすれば、かえってそのさりげのなさゆえに露呈《ろてい》してしまうものがあるのね」  と私が答えた。だから、私のように編集者宅にしどろもどろの電話をかけるほうが、かえって疑われないものなのだ。 「で、彼とはその後どうなったの?」  と私はきいた。 「まだつづいてはいるんだけど」  と、彼女の声は憂鬱《ゆううつ》そうだった。 「だけどねぇ、なんとなくシラケちゃって」  あの日の彼の口調が耳によみがえるのだそうだ。保身に終始した彼の言い方が。妻の手前ばかり気にしたことはあたりまえかもしれないが、理屈ではないなにかがひっかかる。 「なにかがみえちゃったような気がして」  と、彼女はぽつりと、遠くをみる目をした。そして、後悔する調子で、 「彼の自宅になど、絶対に電話すべきでなかったのよ」  と、自嘲《じちよう》した。 「うんわかる、そうよね」  と、私は同意した。私など、なんの関係もない編集者だってあんなにドキドキするんだから、なにか関係のある(妙な言い方だが)男の自宅のダイヤルなど、とても回せそうもない。無事回し終えたにしても、呼びだしがふたつ鳴ったあたりで受話器を置いてしまうに決まっている。  それは、男の妻に対してしどろもどろに応対するだろうという予測ではなく、逆にいとも巧妙に会話をかわすであろう自分を思って、すくみあがるのだ。  女というものは、いざという段になると不思議な力が湧《わ》くもので、できないようなことがごく自然にできてしまったりするのだ。  仕事に巧みにかこつけて、好きな男を電話口に呼びだすのは、いともかんたんなことなのだ。かんたんだからこそ怖《こわ》いのである。女のことを見破れるのはまた女なのであるから。  彼の妻は、私の嘘《うそ》を、巧みな口上を、とっさに見破るだろう。そして、彼が電話でいつもとはちがう、奇妙にも高揚した声でペラペラしゃべりだすとしたら? とてもじゃないけど、彼の自宅へなど電話をする気にはならないではないか。  不倫の恋というものは、あくまでも当事者ふたりだけの秘め事でなければならない。そのほうが結局、長つづきするような気がする。  だれも巻きこまず、ひそかに始まり、ひそかに終る関係。それなりの強さと覚悟が必要なようだ。  楽しみとしての恋の駆け引き  ロンドンでミュージカルをみた。クリスマス前で街はどこも浮れた気分だった。評判の高いだしものはすべて前売りが売切れで、私たちの手にはいった切符は、�ボーイフレンド�というショーだった。  娘たちが三人いっしょだったから、内容的にはまあまあ無難なのだったが、むろん私や夫には退屈であった。  ミュージカルを眺めながら、ふと恋愛のパターンについてなど、私は考えていた。  舞台では恋の手管《てくだ》があれこれ展開するのだが、女の子たちがじつにうまく男の子の気をひくわけである。  気があるくせに、つれないふりをする。かと思うと、つれないふりをしながら、ついほろりとせつない本心を露呈《ろてい》する。  あまりつれなくするので、男の子が怒って——あるいは悲しんでいきかけると、軽やかに駈け寄って、ちょっとやさしくする。すると男の子はいい気になって、さらに言い寄る。女の子は、図に乗らないでよ、とばかりツンとする。  といったぐあいで、延々とつづく。ミュージカルという形式もあって、それはたぶんにパターン化しており、おおげさでもあるけれど、つれなくしたり、ちょっとおだてたり、また冷たくしたり、次にやさしく甘えたりということを繰り返しているうちに、双方の思いが急激にエスカレートしていくわけだ。  男の子に恋をさせ、しっかり自分のものにしようと思ったら、あんなふうに逃げじょうずにならなければいけない。  ジャクリーン・ケネディ・オナシスの父親という人は、娘たちにこう言いつづけたそうだ。 「できるだけつんつんしていること。自分を安く売りつけないこと。男というものは、かんたんになびくような女には、すぐに飽きるものなんだ」  そして父親の言いつけを守った娘たちのひとりは、長じて大統領の妻になり、のちに世界的大金持ちの後妻となった。  その妹はまず出版業界の大物と結婚して離婚し、次にポーランドの王子と再婚することによって、王女の称号と巨万の富を得たのだった。  もちろん、ジャクリーンも妹のリーも、つんつんしてお高くとまっていたばかりではなかったのだろう。ほんのときたま、にっこりと笑ったり、思いがけないほどチャーミングなやさしさを示したのにちがいない。  ほんのときたま、それも絶妙なタイミングで、「あなたにだけこうしてあげるのよ」というふうなやさしさを示されると、それはかけがえのない贈り物のようなものに感じられるものなのだ。  ケネディやオナシスがジャクリーンにひかれたのは、そういうときたまあたえられる思いがけない贈り物のようなやさしい仕種《しぐさ》のためだったのではないだろうか。  日本人の女の子というもの、とても逃げ方がへたくそだ。だいいち、男の子から逃げようなどとは、ちらとも考えないのではないか?  とてもとても恋の妙《たえ》なるかけひきを楽しんでいるとは、思えない。知り合って、二度目か三度目のデートでベッドにいくようなことがパターン化しているときいて、ひどく驚いたが、ほんとうにそうなのだとしたら、近ごろの若者たちは、恋というもののほんとうの味さえしらないのではないかと心配してしまう。  恋というのは、ベッドへいくこととはちがう。ベッドに到着するまでの延々と長い過程が恋なのである。  楽しくもあり、せつなくもあり、悲しくもあり、苦しくもあり、叫びだしたいほどつらく、世界じゅうにふれ回りたいくらい幸せなのが恋というものなのだ。  二度目や三度目のデートでベッド・インなんてことは、起りようがない。胸がいっぱいでそれどころではないのだ。ちょうど胃袋が食物でいっぱいなとき、もうどんなことをしても食欲が湧《わ》かないのと同様に、胸がロマンティックな恋の思いでいっぱいなときには、性欲は二の次になるのだ。  双方の思いが高まるだけ高まって、ようやく相手をからだでも愛したいという段階にいたるわけである。  それを、いまの時代では、大幅に短縮してしまうらしい。恋のない恋愛。あるいは愛のない変愛。したがって心は相手に対する思いでいっぱいというわけにはいかず、なんとなくそわそわ物足りなく飢えた感じだけがただよう。  デートでお茶を飲んで、食事をして、もうなにもすることがないね、というわけで、すぐラブホテルの門をくぐるということになるのだろうか。  恋をしていれば、好きな相手の眼をみているだけで何時間でも退屈しないものだし、そのひとのしゃべる声をきいていれば夜のふけるのも忘れるはずなのだ。そういうドキドキと心ときめくことがまったくなく、いっきにベッドのなかへことをもちこもうとするのは、短絡《たんらく》的というか……悲しいようなかわいそうなような気もするのだ。  まず、ひとを本気で好きになってみなければ、なにも始まらない。そのひとを好きになって、そのひとのためなら死んでもいいと思うくらいの思いがなければ、青春てなんだろうと思ってしまう。  青春というのは、ほんとうは傷つくことなのだ、と言ったら、若いひとたちはいやな顔をするだろうか?  けれども、青春というのは、痛いものなのだ。ひとを心から好きになるということは、痛いことなのだ。心も痛いし、胸も痛いし、すべての内臓、皮膚、神経がひりひりと痛むのが、恋なのだ。  学歴がどうの、どこそこの大学をでた身長百七十五センチ以上のなになに商事に勤めているやさしい男、というのが理想の結婚相手として、頭のなかにしっかりと根を張っているかぎり、そういう女の子は、けっしていい恋愛などできるはずがない。  恋というのは条件ではないのだ。まずそのひとがいて、そのひとを純粋に好きになる。身長が百八十センチだからではなく、あるいは××商事の人間だからではなく、一流大学の出身であるからでもなく。  たまたま好きで好きでたまらなくなった相手が、××商事に勤めておらず、三流大学の出身だとわかったら、即、好きでたまらない思いは冷めはてると言うのだろうか。  または、初めに、「身長いくつありますか?」とか「お勤めは?」とか「出身大学は?」などときいてから、そのうえで相手を好きになるのだろうか?  それともまた、すべての条件がしっかりと満たされてさえいれば、なんとなくひややかな感じがしようが、マザコンであろうが、大学はでたがインテリジェンスに欠けようが、そんなことはどうでもよくなるのだろうか?  条件さえよければ、その相手と、ベッドへいき、愛し合うことができるのだろうか? その見知らぬ他人と?  たかがサラリーマンの妻になるくらいで、なんでそんなに妥協するのかと思ってしまう。オナシスやポーランド王子のところへ嫁ぐというのなら、自分より頭ひとつ背が低かろうが、父親ほど年が離れていようが、そんなことは問題にならないくらいの見返りがあるだろうが。  サラリーマンの妻となり、いちおう理想どおりの夫を得たとして、その後、どうするのだろうか。  ほんとうにちっぽけな安泰《あんたい》とひきかえにしてしまった人生について、どう考えるのだろうか。  いずれその答えはでてくるのだ。人生の折返し点くらいの年齢のところで。つまり延々と死ぬほど退屈な結婚生活をつづけるか、子連れで離婚するかの選択をせまられる。かならずせまられる。  条件だけを愛し、そのひととなりを愛したわけではない結婚は、それだけのことでしかない。  私の真ん中の娘は、長いこと、獣医になりたいと夢を抱いていた。  しかし、中学生になって勉強の出来があまりよくなくて、獣医にはとてもなれそうにもないとわかったとき、けろりと言った。 「いいわ、あたしあきらめる。そのかわり獣医の男のひとと結婚するわ」  私はその変り身のはやさと、発想に度胆《どぎも》を抜かれて言った。 「でも、獣医さんのほうで、いろいろ条件をつけるかもしれないわよ。少なくとも多少はインテリジェンスがなくちゃいけないんじゃないの?」  で、目下、彼女は獣医の妻になるべく、目標を多少落して、勉強しているようだ。  身長が何センチで、年収がどうのと言いださないだけまだ少しはましなのかもしれない。  愛したつもりが、ひとりぽっち  スカーレット・オハラが、最後になってようやくレッド・バトラーへの愛にめざめたとき、彼はじつに冷酷なせりふを残して去っていく。  あなたがいなくなったら、あたしはどうすればいいの? と泣きすがる彼女にレッドが言う。  "FRANKLY MY DEAR, I DON'T CARE DAMN."  ニュアンスを訳すると、こういう意味だ。 「はっきり言って、おまえさんがどうしようが、俺《おれ》にはもうぜんぜん興味がないね」  あれだけ彼女に深く執着していた男が言うのだから、この最後の捨てぜりふはすごい。グサリと胸につき刺さる。  もっとも、このせりふは、映画のなかでクラーク・ゲーブルが言うのであって——彼は脚本どおりにしゃべったのにすぎないが——、マーガレット・ミッチェルの原作の訳本ではもう少し遠回しな言い方で彼女を拒絶していたはずだった。  どちらがいいかと言えば、この最後の言葉は、映画のほうが、だんぜんいい。クラーク・ゲーブルだから言えたし、彼だからこそ似合っていたし、彼が言ったからスカーレットのみならず、全女性の胸にグサリと深くつき刺さったのだ。  全女性とまでは言わなくとも、世の中にはスカーレットのような女が、なんと多いことだろう。そしてレッドのような男も。  さらに、スカーレットとレッドのような夫婦の関係も。  女であればだれもかれも多かれ少なかれスカーレットの要素をもっているし、男であれば、レッドを自分のなかにかくしもっている。  私などは、彼女のいやな面をことごとくもっている女なので——そして自分の分身であるスカーレット的女ばかりを小説に登場させているわけだが——、いつ、夫から "Frankly my dear, I don't care damn."と言われて風のごとく歩み去られるかと、たえず、ひそかに、恐れおののいているのである。  もっとも、恐れおののいている様《さま》など、おくびにもださないから、相手は知らないわけで、日頃の私の言動から、ふてぶてしく小憎らしい女だと、夫は思っているはずだ。  あなたがいなくなったら、あたしはどうやって生きていったらいいの、とスカーレットさえ最後に口にした言葉ですら、私はきっと死ぬまで言わないだろうと思う。言えないのだ。  でていくと言っている男のうしろ姿に向かって、「あら、そう、じゃ止めないわ」と言うことはあっても。  素直じゃない、かわいくない、虚勢を張っている、ほんとうはだれよりももろいのに、などいろいろな言い方があるだろう。  けれどもそのどれも、スカーレットおよびスカーレット的女を言いあらわすに十分ではない。  ではスカーレット的女とはなんなのか。  孤立している女。男から、同性から、世間から、すべてから、愛から。  愛から孤立している女。  強そうにみえるのは、鎧《よろい》を着て武装しているからだ。内部がもろければもろいほど、鎧は厚くなり武装は厳重になる。たいていの者は、彼女の外側の鎧にあたって、はね返されてしまう。  少し余分に体当りしてくる者がいれば、こっぴどく打ち身、骨折して、やっぱり最後はほうほうのていで、逃げ帰る。  愛から孤立していたのは、スカーレットひとりではない。レッド・バトラーもまた、そうであった。彼も鎧を着装しなければならない種類の男だった。  いっけん、ひ弱そうにみえるアシュレイのような男が、なにひとつ自分の身や心を守るようなものをまとわず、世間とわたり合っていけることは、まさに驚異だ。彼はいまにも、だめになりそうだった。女が守ってやらなければ、一日も生きていけそうもない男だった。  しかしほんとうに、愛を必要としたのは外見的には強靭《きようじん》な無頼漢《ぶらいかん》であるレッドのほうだったのだ。  スカーレットは、その外見にまどわされ、ふたりのまったく相異なる男の心の内がともに読めなくて、いかにも弱者であるアシュレイを求めた。それが悲劇の始まりなのではあるが……。  結局彼女はレッドと結婚するのだが、鎧で重装備した人間同士だったから、結婚はそのまま戦場となる。  生半可《なまはんか》の力では相手が刺せないから、闘いは壮絶の一語に尽きる。相手を致命的に傷つける言葉が、分厚い鎧をつき抜けて、心臓につき刺さる。ほんとうは、だれよりも弱い心臓に。ますます鎧をかさねることになっていく。  双方とも満身|創痍《そうい》となって、命からがら逃げだしていく。相手から逃げていくわけだ。愛からの逃走。愛の孤立。  人はなぜ、自分の愛するもの、自分にとっていちばん大切なものがよくみえなかったり、たとえみえていても、それを素直に胸に抱きとめ、いつくしむことができないのだろうか。  新婚の夫婦が喧嘩《けんか》をする。初めての深刻な喧嘩だ。  原因は、よくあること。つまり、新妻が夫のために、夫の好きな献立《こんだて》を、まだ慣れない手つきで二時間もかけて用意して夕食を待っていた。六時に帰ると言ったのに、七時になってももどらない。電話もかかってこない。  新妻は夫の身になにかあったのではないかと心配する。交通事故かもしれない。そうでなければ電話がかかってくるはずだから。電話もかけられないほど、重症なのかしら、といてもたってもいられない。  八時、夫が帰ってくる。少し、きこしめしている。手にバラの花束。 「いったいなにしていたのよ。死ぬほど心配したのよ」  と、バラの花束になど目もくれないで、いきなり金切《かなき》り声をあげる。夫は仕事のつきあいで、とかなんとか言う。 「電話の一本くらい、できるでしょう」  妻はきく耳をもたない。 「それが、できなかったんだよ」 (仕事の延長線上で、夫が家に電話をかけられない理由を、すべての妻は、一生理解できないだろう。——愛の断絶その一——) 「せっかくつくった夕食が、台無しじゃないの」  妻は憤懣《ふんまん》やるかたない。 「ちゃんと帰るって約束したのに、あなたって嘘《うそ》つきね」  嘘つき呼ばわりをされて夫が怒る。 「約束をちがえるのと嘘をつくのとはぜんぜんちがうんだぞ」  とみたこともない陰険な顔。 「嘘というのは、初めからできないとわかっていることを、あたかもできるように約束するのが嘘なんだ。ぼくは、今朝の時点では夕めしに帰れると思った。だから帰ると言った。約束を守れなかったが、嘘をついたわけではない」  けれども、新婚の妻には、このふたつは同じようなことに思える。 「電話もなくすっぽかされたのだから、結果的には似たようなものだわ」  とわめきたてる。(嘘と約束の違反についての区別における——愛の断絶その二——)  すっかり不機嫌になって、それでも夕食をあたためなおして食卓を囲む。バラの花束は、花びんにも入れてもらえず、そのままだ。 「どうしたの、おいしくないの?」 「そういうわけじゃないけど、腹あんまり空いていないんだ」 「お腹が空いていないって、ごはん食べてきたの?」  妻の声が四度くらいかん高くなる。 「ああ、取り引き先のひとと、軽くつまんできたんだ」  夫はちょっとすまなそうに言う。 「それならそうと、最初から言えばいいじゃないの。なにも、まずそうに無理に食べてもらわなくてもいいのよ」  かっときて妻が言う。 「ぼくだってなにも二度も夕食を食いたかないよ。きみが、せっかくつくっただろうと思うから、だまって食ってやったんだ」 「食っていただかなくとも、けっこうです」  手荒く夫の前から皿を奪い取る。 「ああいいとも。ありがたいとも。そんなもの、無理して食わずにすんで、うれしいくらいだ」 「そんなものってなによ」  すでに妻は涙声。 「そんなゴテゴテ、ソースのかかったフランス料理のできそこないみたいなものだよ」  妻は、わっと泣きだして、かたわらのバラの花束を、いきなりゴミバケツにほうりこみ、家の外へ。(善意が悪意になってしまう例。——愛の断絶その三——)  オーバーもひっかけずに、いきなり外へ飛びだした新妻は、少し走って歩みをゆるめる。  売り言葉に買い言葉、夫も悪いが、自分も花束をあんなふうにほうり投げて悪かった、と怒りと後悔で混乱した思いで振り返るが、追いかけてくると思った夫の姿が、いっこうにみえない。  二、三日前にやった、どうということのない言い争いのときも、やっぱり妻が飛びだして、そのあとを夫が追いかけてきた。その前にも一度そういうことがあった。  けれども、三度目、夫は追ってはこない。駆走りが歩きにかわり、やがてトボトボと肩を落して。ショック。さびしい。悲しい。そしてこのさびしさや悲しみをわけ合う夫の姿はない。このさびしさや悲しさは、自分で引受けなければならないという、発見。(——愛の断絶その四——)  家にスゴスゴともどると、夫はすでにふて寝。その背中のかたいこと。冷たいこと。まるで他人みたいだ。  やがて彼女も夫の横に。少しして、夫の手が彼女に触れる。 「ごめんよ、さっきは言い過ぎた」  夫は和解しようとして、彼女に手をさしのべる。ほっと気持ちがゆるむと同時に、彼女のなかから、彼女であって彼女でないものが、ひややかに言う。 「やめてよ。さわらないで」  夫の手をすげなくはらって、背中を向ける。  夫はいたく傷ついて、無言でこれまた背中を向けて、ふたりはベッドの端と端に大きくわかれて眠れぬ夜を過すというわけだ。(——愛の断絶その五——)  そしてそれは愛の孤立のほんの始まりである。  男と女の善意はこのようにけっしてかみ合うことはない。それが十年つづくと、どうなるか——。  子どももようやく手を離れた。一日がうんざりするほど長い。鏡をみると、女盛りではあるが、目つきの暗い女がひとりいる。  あなたはまだ十分にきれいじゃないの。まだ若いじゃないの。こんなところでいったいなにをしているのだ、と鏡のなかに言う。  でもだれもそう認めてくれないわ、と鏡のなかの女が答える。だいいち、私がここにいることすら、だれひとり目にもとめない。だれひとり。夫すら。  夫は十年連れ添った妻を、見慣れた家具を眺める以上の情熱をもってみることもない。  ひとにみられたい。女としてまだ十分に美しいいまのうちに。その思いが日を追って怪物的に肥え太っていく。カルチャーセンターにかよったり、テニスをやったり、手記を書いて婦人雑誌に投稿したり、情事が始まったりする。 「こんなふうに、いつもいつも人目を避けて、こそこそ逢っていると、自分がすごくみじめだわ」  と彼女は情人に言う。 「だけどきみは、前に人目を忍ぶ仲だからこそ、燃えあがるんだと、言ったよ。忘れたのかい?」  男は衣服を身にひとつひとつ着けていきながら言う。  それはそうだ。たしかにそう言いもし、感じもした。不倫の関係がこんなにも心ときめき、めくるめくようなものだという発見の驚きは、たしかにあった。問題は、不倫の恋を、不倫とは思えなくなってきたことにある。 「それはそうだけど、たまにはあなたとゆっくり夕食をしたり、バーでお酒を飲んでみたいわ」  と人妻がつぶやく。 「一度でもいい、朝まであなたといっしょにいれたら……。ねえ、旅にでるわけにはいかないかしら、私たち」 「まあ、無理だろうな」  男はにべもない。 「ぼくはともかくとして、家庭をあずかっているきみのほうが不可能だろう」  不可能なことを可能にしてしまうのが恋ではないか。 「あなたしだいだわ」  と彼女はすがるような目で言う。 「あなたがいくと言えば、私はいくわ。旅にでもなんにでも」  男はチラと女の顔をぬすみみて、ネクタイを結ぶ。 「なにもあぶない橋を渡ることはないさ。いまのままで、ぼくは十分満足だけどね。きみは——不満なの?」  ええ不満だわ。なにもかもが不満。あなたがけっして渡ろうとしないあぶない橋を、私は渡ってもいいと思っているのに。 「このままって、つまり、逢って寝るだけってことよね」  人妻はつぶやく。 「それ以上、なにか期待しているのかね、もしそうだとすると——」  男が背広の袖《そで》に腕をとおしながら言う。 「もしそうだとしたら?」  女は反問する。 「ぼくはきみの意に添えないよ、言っておくけど」 「ずいぶんはっきりと言うのね」 「しかし、なにもいまわかったことじゃないよ。最初から、そのつもりだったんじゃないか、ふたりとも。きみはもっと割切っていたと思ったがね」 「割切るって?」 「つまりお互いの無聊《ぶりよう》をなぐさめ合うというわけさ」 「なにかが、途中でかわってくるってことだってあるわ。情が湧《わ》くことだってあるし」 「浮気の相手にいちいち情など抱いていたら、身がいくつあっても足りないよ、きみ」 「浮気の相手——ね。そんなふうに言われちゃ身もふたもないわね」 「べつに言いたかないさ。ぼくにそいつを言わせたのは、きみのほうだよ。どうしたの。きょうにかぎって、へんだよ」 「ひとつだけきいていい?」  人妻は相手の瞳《ひとみ》をまっすぐにみつめる。 「なぜ、私と寝るの?」 「きいてどうする、まあいいじゃないか」 「答えて」  女の口調の真剣さに、男がわずかにたじろぐ。ふたりの視線がからみ合う。 「きみは、どうなんだ。なぜぼくと寝る?」 「質問に質問で答えるのはずるいわ」 「そっちが答えたら、こっちも答えるよ」  あなたが好きだから。そしてだんだんもっと好きになっていくから。しかしそう言うかわりに、彼女は言う。 「お腹が空いているから。目の前にさしだされたおいしそうな皿を、拒否できないわ」 「ぼくでなくともいいわけだ」  男は皮肉な口調をかくさない。 「もっともぼくだって似たようなものだから」 「そうなの?」 「そうさ、若い女はあとでめんどうだし、娼婦を抱くのはごめんだからね」 「私が都合がいいってわけね」 「ま、お互いさまさ」 「そういうことね」  男が衣服を着終って、いつものように先に部屋をでていく。ホテルの窓から、女は地面を眺める。やがて男がでていくのがみえる。寒そうに前こごみになって足早に歩いていく。  なんだかみすぼらしいなあ、寒々しいなあと女はつぶやいて、両肩を抱く。その瞬間だ。天涯《てんがい》孤独のように感じるのは。夫がいて、ふたりの子どもがいて、家があって、情人がいるのに、世の中でたったひとり見捨てられた人間のような気がするのは。  男が足早に帰っていく別の家庭について考える。男の妻や、子どもたちがいて。  もしかしたら、彼もまた、自分の夫とよく似た男なのかもしれない。 「ごはん、食べる?」 「ああ」 「お風呂は?」 「きょうは、やめとく」  あとは沈黙。やがて歯を楊子《ようじ》でせせりながら、 「寝るか」  とつぶやいて立っていく。  すると彼の妻もまた、女盛りをもてあましているのだろうか。無力感と、倦怠《けんたい》とを。そしてときどき、台所に立っていると無性にわびしくなって、まだはやい時間からついウイスキーに手をだしたりするのだろうか? あるいは、やっぱり別の男と情事の時をもつのだろうか。  かわいそうな人たち。かわいそうな夫。かわいそうな妻。かわいそうな私。かわいそうなあなた。  彼女は男がでてから十分してホテルをでる。家への途中で、パンを買い、クリーニング屋に寄り、少しずつ、妻であり母親である顔を取りもどしていく。  どうせ夫はおそいから、食べてもお茶漬けくらいだろうと、自分とふたりの子どものための夕食をつくる。  するとたちまち、いてもたってもいられないほどのさびしさがつのり、つい、ウイスキーに手がのびる。そのとたん、ぐらりとめまいがした。まだ飲んでもいないのに、目がぐるぐる回る。思わず台所のなかでしゃがみこむ。つづいてはげしい吐き気。  ああこれが主婦の台所症候群ってやつなのね、と、彼女は敗北感のなかで、考える。  結婚するなら二十七歳  女にとって大事な年齢というのがあるような気がする。そのときどきには、いまがそうなのだという実感がなかったが、ずっとあとになってその当時を振り返ってみて、ああ、あのときは、と冷や汗をかいたり、よくもまあなどとあきれたりするわけだ。あのときああしておいて、ほんとうによかった、とあらためて胸をなでおろしたこともある。  反省するにしろ、後悔するにしろ、安堵《あんど》するにしろ、過ぎてみなければわからないのが人生だ。  日記などまともにつけたことがない私が、十九歳の元旦になにを思ったのかつけ始めたのが、三年連用日記。十九、二十、二十一歳と一日たりとも休まずに書きつづけたりした。だれかに言われたのでもなく、ただ思いたってのことだ。あの情熱はどこからきたのだろうか? たぶん、予感があったのだと思うが——。十代から二十代への三年間に自分の上に起ることを、克明《こくめい》にみつめておきたいというような——。  三年間が過ぎると、パタリと日記をやめた。やめることになんの未練もなかった。以来、日記などつけたことはない。あの三年間だけなのである。それからずっと飛んで、三十三歳のとき、私は文字を書きたいと痛切に感じた。ちょうど十九歳の元旦におぼえたあのやむにやまれぬ欲求と同じだった。  そうした、自分のなかから湧き起る自然な、しかも熱烈な欲求に聞き耳をたて、素直にしたがうと、かならずや手もとになにかが残った。十九歳の三年連用日記がそうだったし、最初の私の小説『情事』もまた、そうして生れた。三十三歳は、十九歳と同じように、私にとっては記念すべき、忘れがたき年齢となった。  さて二十四歳。とくに女の二十四歳。ふた昔前なら、結婚か売れ残りかのふたつにしか分類できなかったが、現在では、結婚か仕事かの重大な岐路が二十四歳にあたりそうだ。 「結婚しますから」と言って男が職場を去ることはないのだから、女も結婚を理由に仕事をやめなくてもよさそうなのに、現実はまだまだ、女だけが仕事か結婚かの選択にせまられる。  私自身は、売れ残ることを極度に恐れた昔風の親に、やいのやいの追いたてられて、ギリギリセーフで(つまり二十四歳の終りごろに)結婚した口だが、親があれほどヒステリックにせまらなければ、なにもいそいで結婚する必要などなかったのだ。  テレビのコマーシャルという、当時としては新ジャンルの職場で制作を担当しており、仕事は将来性があったし、まあいちおう食べごろの水蜜《すいみつ》に蜂が集まるように、若い男たちに囲まれて、けっこう楽しくやっていたのだった。  楽しいのであったから、このまま二十七歳くらいまで、おもしろおかしくキャリア・ウーマンでいいのではないかと、私としては内心そう考えていた。  そうは問屋がおろさないのが現実。親、親類、社会、国までがカネやタイコで女の適齢期をはやしたてていた。仕事先では上司や男の先輩は当然、後輩の女の子たちまで、「まだかまだか」と騒ぎたてた。そのような恐れ入った時代だったのである。  しかし考えてみれば、二十四歳というのは、女の子から女へのわかれ道でもある。大人の女になっていくさまざまな過程があるのだが、なぜか日本人は、独身の大人の女が嫌いである。トウが立つとかそういう言い方をして敬遠するが、とくに、若い男は成熟した大人の女が手におえないからだ。  自分の手におえないような女より、ある程度好きなように教育できる若い女がいいのに決まっている。それには二十四歳ごろまでにおさえこんでしまうのが、いいということになる。  もっとも残念なことは、そういう手合いに引導《いんどう》を渡してしまった女は、子育て以外になにもすることのない、安全だが退屈きわまりない結婚生活の泥沼に踏み入れていくことになる。  成熟した大人の女が手におえないような、未熟な若い男から受ける影響なんて、たかが知れている。女はひまにあかせて本でも読みあされば、あっという間にそんな亭主の知性、感性など追い越してしまう。  しかしなにも知らない二十四歳で結婚してしまえば、あとの祭りである。マスコミからの情報ばかりはどんどんはいってくるから、女たちは頭でっかちの慢性欲求不満病にとりつかれてしまう。なにかしたくとも、家庭と仕事はなかなか両立しない(少なくともしないと信じて疑わない)。なにかせずにはおれないが、夫はてんで力にも相談にも乗ってくれない。  一日二十四時間が地獄になる。一時間が十時間にも感じられる。退屈で退屈で死にそうだ。  そこでたいていの女たちが子どもを産むことを考える。さしあたってのひまつぶしとしては、これ以上のものはない。育児はひまつぶしの最たるものなのである。そう富岡多恵子も言っているし、私もその意見に賛成だ。つまり、ひまつぶしでしかないような育児をしている若い母親たちへの批判をふくめての話である。  安全ということは、要するに終りのない退屈と同じことなのである。結婚する、ということは、多かれ少なかれ、ひまをもてあますということである。ひまつぶしに子どもでも産んでしまおうものなら、結婚はそのまま格子《こうし》なき牢獄《ろうごく》となる。  かねがね私は、犯罪人を牢につなぐという現在の法的処置に対して、大きな嫌悪感をもっている。いかなる動物であろうと、生きているかぎり、鎖でつなぐべきではないのである。人間も動物である。動物に劣る行為をしたからこそ、牢獄に入れられるのであるが、本来、動物より人間のほうが未熟であるから、その言い方はあたらない。  いずれにしろ、牢獄につながれる、ということは、自然に反する。ひとにとっても、もっとも苦痛な行為である。  結婚制度というものもそうだ。不自然で苦痛をともなう形態だ。そもそも制度というものが人間性と離れたところにあるものだから。  三年もひとりの男といっしょに暮らせば、それがいやでもわかる。  しかし二十四歳のときにはわからない。女にはなにもみえない。やってみなければわからないことなのだ。  結婚生活を私などは二十年近くやってきて、振り返ってようやくさまざまなことがみえるのだ。  たとえば、夫婦の重大な危機が最初の二十年間に四度あるということなど、身をもって体験してみなければわからなかった。三年目、七年目、十一年目、十八年目の危機である。  もし、二十七歳まで待って結婚するのであれば、女は成熟しているから、ひまつぶしではない育児が可能かもしれない。二十七歳までとにかくキャリアを積んだ仕事であれば、子育ての一段落のところで復職も可能だろう。  二十七歳で選ぶ男は、二十四歳で選んでいたかもしれない男たちより、いろいろな意味で質が上でなければならない。もし世の中が二十四歳を適齢期だなどと、女を追いつめなければの話だが——。  現在、周囲を見回して、いい結婚をしているな、とか、素敵なカップルだな、とか思うひとたちの大半は、そんなにいそいで結婚に踏み切らなかったひとたちだ。  仕事をつづけているひとも多いが、家庭にはいったひとも、結婚というよりは、人生を楽しんでいるように見受けられる。  たった三年ほど、長く社会に接し、たったひとりの男によって女にされるのではなく、社会や、仕事や、異性や、同性によって女にされてきたというちがいが生じる。  私が、二十四歳が女の岐路だと最初に書いたのは、以上のような理由である。  そして正確に言うならば、女も、仕事か結婚かなどという選択を二十四歳でしてはいけないのだ。  あと三年ほどがんばってみれば、そんな選択に悩んだことなど嘘のように忘れてしまう。二十七歳まで社会でがんばってきた女なら、仕事か結婚かなんてエキセントリックに、かつ余裕のない選択などにせまられることもない。仕事も結婚も十分にこなせるだけのゆとりが生れているからだ。  仕事か家庭かを選ばなければならないとしたら、現在の日本の施設の貧困さを考えると、子どもが生れたときに初めて、選択すればいいことだと思う。  私は結婚適齢期二十七歳論を積極的に支持する人間のひとりである。  愛されるより、愛する辛さ  男と女が出逢う。恋が芽生える。  けれども、どんなに相思相愛にみえる関係でも、ひとは同じ量で愛し合うことは絶対にないのだという。どちらかがより多く愛し、どちらかはより少なく愛するのだ。  別の言い方をすると、愛する役割のほうと、愛される役割に、ほとんど出逢いの最初の瞬間にわかれてしまう。より多く相手を思っているほうが愛する役割となるわけだ。  役割の傾向はつねに決まっているのかと思うと、そうでもない。自分自身の過去の恋愛を振り返ってみて、あのときは愛されるほうだった、しかし次のときには完全に私がより多く愛する役割を演じていたと、思いあたる。相手によってちがうわけだった。  当然、より多く愛されている役割のほうはいい気なもので、安心しきって少し傲慢《ごうまん》になる。そして愛するほうは、つねにわずかに不安で自信がなく、嫉妬というやっかいな感情に翻弄《ほんろう》される。  私はどちらかというと、愛する役割のほうをよけいに体験したと思う。かぞえきれないほどの片思いをのぞいての話。  そういう恋愛関係はひじょうに苦しいから——つまり絶え間のない嫉妬の感情とか不安、疑惑などにさいなまれるわけだから——たいてい長つづきはしない。相手はひたすら愛されていて、いい気持ちで、少し重荷で、安心しきっていて、だんだんに傲慢度をくわえていき、いよいよ冷淡になる。  相手のなかに理不尽《りふじん》な冷淡さがチラチラとみえだすと、恋愛——少なくとも私自身の——は、急速に終りに向かう。ほとんどの場合チラチラみえかくれするより少し前のとき——その気配とか予感の段階で——、私は自分のほうからぱっと切ってきた。要するに臆病《おくびよう》なのだ。傷つけられるのがいやなのだ。  結局、傷はつくが、相手によってつけられる傷ではなく、自分がつける傷である場合のみ、わずかに救われると私は感じるのだった。  であるから、男女の別れの修羅場《しゆらば》を演じたことがない。離れていく男のあとを髪振り乱し、泣きわめきながら追いすがったという体験もない。半狂乱になったこともない。そういうことは想像しただけでぞっと寒気がする。自分をそんなつらいみじめな目に合わせるわけにはいかないと思う。事実そうしてきた。  強いからではない。弱いからである。そこまで生身の自分をさらけだしてしまったあと、私はとうてい立ちあがれないと考えるからだ。  男にとってはひじょうに都合のいい女かもしれない。もうそろそろこの女はいいなとか、鼻についてきたなとか、男が思いだすころ、女のほうから別れましょとか別れたいとか言ってくるのだから世話はないわけだ。 「そうだね、そろそろ別れようか。俺たちいままでのところ楽しかったものな」  と男は言い、 「そうね、楽しかった」  と女が言う。楽しかったことなど一度もなく、苦しいのみであったが、とにかく嘘でもそう言うわけだ。  ところが不思議なことに、そうやって別れてきた男たちのうち、十人中半分の五人くらいまでは、ほどなく関係が復活する。むろん恋愛の関係ではなく、友情という新しい関係が生じる。  そのままになってしまう場合と、新しい関係が生じる場合と、どうちがうのか考えてみた。  私に二度と逢わないと決めた男たちは、かつて私という人間を、ほんとうには少しも愛していなかった男たちである。それがいまの年齢になるとみえる。彼らは私の若さとか、性的なものだけに、一時的に興味を抱いたのにすぎなかった。  いっぽう、かつて一度でも私を人間として愛したことのある男たちは、性的な部分での興味がうすれ、すっかり消滅したあとでも、なにかが残るわけだ。恋愛ともちがう、男同士の友情関係ともちがうなにかだ。それが男と女の友情。  それからもうひとつ。これはテクニックでもなんでもなく、たんに私の性質でそうしてきたのだが、別れのタイミングが、男が予想していたのより少しだけはやかった、ということ。  つまり、そろそろ別れてもいいな、と男がチラと考えるより少し前に、なぜか女から別れましょと言われると、別れてもいいと思ったのにもかかわらず、「傷」が男の側に残るわけだ。小さなひっかき傷程度でも、チクリとくるわけだ。それと、ほんのわずかの未練の感情。  気に入ってはいるが着飽きた服を、人にあげようと思ったときに、待てよ、と急に惜しくなる気持ちと似ている。ボロボロ、くたくたになるまで着古していないからだ。  このわずかな「傷」とわずかな「未練」を男のなかに残してきた場合のみ——それは計算というよりは偶然の結果なのだが——半年とか一年とか、もう少し時間がかかることもあるが、友情が復活する可能性が多い。  かつては愛し合い、一度も憎み合ったことはないわけだから、この友情はじつにいい関係になる。とにかく、男と女の間の距離が素敵にいい、ほどよい距離。  たぶん相手も自分も別の恋人がいたり、あるいはすでに別の配偶者がいたりするが、そんなことはちっともかまわない。彼が、あるいは彼女が不幸であれば別だが、幸せであるかぎりそれは気にならない。  夜など、お互いにひと仕事終って飲んでいるときでも、時間がくれば無事に相手の配偶者の腕のなかへ帰してやらなければならない。 「送ろうか」  と彼がきく。 「送らなくていい」  と私が答える。あなたの女じゃないんだから、友だちなんだから、過保護にしてくれなくともいい(と内心で思う)。送ってもらってしまうと、関係が対等でなくなる。  男に送られて帰るというのは、それはそれでとてもいいのだが、そのよさに甘える姿勢は避けたいと思う。感情が甘くなり、もろくなり、ふっと出来心が芽生えたりする危険性もあるからだ。  男との友情を大切に長つづきさせたかったら、この距離の取り方が大事なのだ。あくまでも対等で——支払いだってそのほうがいい——相手にいらない負担をかけないこと。  じゃあな、じゃね、と別れる。それぞれがちがう男と女のところへ帰っていく。この瞬間の淡いさびしさが私はとても好きで、そういう感情に耐えている自分や相手の男がけなげでかわいいと思う。  友情にいたって、ようやく男と女の愛の量がひとしくなる。天秤《てんびん》がつりあいがとれて、平行になる。したがって傲慢《ごうまん》にもならないし、いたずらに嫉妬《しつと》で苦しむこともない。相手の幸せや喜びを素直に喜べるし、何日もほうっておける。ほうっておかれてもかまわない。  友情って、あたたかくて、哀《かな》しい。  夫婦の関係はどうなのか。  もし、夫婦が友だち同士でいられたら、どんなにいいだろう。  だけど、たいていの場合、夫は私の最良の味方であるか最悪の敵であるかに、日によって事によってわかれてしまう。  それは、たぶん私が小説などを書く妻であるからだとも言えるが、小説など書く以前にだってやっぱりその傾向はあった。むろん現在のほうがはるかにすさまじいのだが。  夫は、あるいは私は、なぜ相手の敵になどなってしまうのだろうか。  恋愛関係や友情にはそんなもの存在しない。恋愛中、もし相手を憎むようなことがあれば、おそかれはやかれ離別が生じるから、恋愛の相手は敵にはならない。  結婚のなかで夫が敵になるのは、憎しみが生じてもそうかんたんに、じゃ別れましょ、とはいかないからだ。さまざまな理由で夫婦は別れないということを前提にしているから、憎しみを内へためていかなければならない。だから、相手が敵になったりするわけだ。  夫婦がもし、同じ量で愛し合っていれば、はるかに救われるかもしれない。しかし、夫婦が友人同士とちがうのは、やはり愛し役と、愛され役とが存在してしまうことだ。  これは悲劇だ。半年や一年でパチパチと火花を散らして終えてしまえる恋愛ならともかく、できることなら一生、二十年、三十年、五十年と連れ添わなければならない相手を、その長い歳月一方的により多く愛しつづけたり、愛されつづけたりするのは、なんとしんどいことだろう。なんという修羅場《しゆらば》であろうか。家のなかに、ときとして「敵」がひとりいるということは——。  ときどき、私の夫が言う。もしきみと結婚していなかったら、ぼくたちは最上の友だち同士になれただろうにね、と。  私もそう思う。  ちなみに、この結婚の愛し役は、夫のほうである。私は、めずらしくも愛される側に置かれている。これがおそらくは、いままで二十年間、私たちの結婚生活がなんとかつづいている理由かもしれない。  なぜならば、私は「愛し役」の苦しさ、みじめさ、悲しさを骨身にしみて体験しているから、とうてい二十年も長きにわたって自分がその役割を演じつづけられない、と知っていたのだ。  相手の傷や痛みがとてもよくわかっていながら、それでも愛されている側の傲慢《ごうまん》さを日々つのらせるのは、これはいったいどういうわけだろう。  愛の天秤《てんびん》というのは、不公平だと思う。  愛に臆病《おくびよう》だった私の悔恨  もし若いころ、ひとに愛されるタイプの女であったなら、たぶん小説など書くようにはならなかったかもしれない。  物を書くという行為は、「私はここにいる」「私を認めてほしい」という叫びを文字にすることなのだから。したがって、そのような存在感を認知してほしいという欲望が、すんなり満たされたら、なにもくだくだと原稿用紙に向かって言葉を埋めていく必要はなく、愛を得て、愛そのものを生きればいいのだ。  考えてみれば、私は生れてからこの方ずっと「愛」の飢餓状態に置かれていたような気がする。  まず最初は母親の愛。渇望《かつぼう》したが、私の母というひとは不幸にも母性の薄いひとで、なおかつ自分の子どもや夫に対する愛情の表現が極端にへた、かつほとんど皆無《かいむ》に近い状態だった。実の母から愛されていないのではないかという疑惑から、一時たりとも解放されずに幼児少女期を過すと、当然のことながら「愛」にひじょうに飢えた、だが病的に劣等感の強い青春期をむかえることになる。  私はやたらにひとから愛されたかった。けれども自信がない。自己|顕示《けんじ》欲と劣等感の間をはげしくいったりきたりの右往左往《うおうさおう》するといった、いわばピエロの青春。  しかもこのピエロは我が身のほどもかえりみず、美しいもの、とびきり上質のものだけにひかれた。  美校の建築科に、ぞっとするほどいい男がいて、日本人離れしたちょっと陰険な感じの彫りの深いニヒルな男で、骨格なども申し分なく、芸大の建築科といえば当時四十数倍の倍率を突破してきたわけだから頭脳|明晰《めいせき》、しかもその頭脳はおもしろくもおかしくもない東大型の明晰さではなく、美的、芸術的要素も加味されるとあって、相手に不足があるわけがない。  そして男のほうもまた、自分の魅力と自分の容貌《ようぼう》に十分に自信があるものだから、もうじつに冷たい。そこらへんの女など歯牙《しが》にもかけないと言った氷のような無関心さをただよわせていた。  こういう男に恋をするとどうなるかというと、徹底的に不毛である。難攻不落《なんこうふらく》の城壁に体当りをかけるようなもので、生身《なまみ》であるからしてボロボロに傷つき引き裂かれる。  なにもそこまで高嶺《たかね》の花でなければ、格別ひとに劣って不美人というほどでもなかったから、言い寄ってくる男のふたりや三人はいないわけではなかったが、おのれのことは棚に上げて、美意識だけはやたらうるさいので、じゃがいもに眼がついたような男がなにを血迷うのか、とこっちはこっちで冷ややかなこと、残酷な仕打ちなどをいっぽうではやってきたわけである。  負け惜しみではないが、けっしてモテなかったわけではない。事実、芸大の音楽学部に在籍した時分には、仲間のような、子分のような、家来のような、けれどもじゃがいもタイプの私のファンたちに囲まれて、はた目にはかなりプレイガール的に遊び回って、おかたい音楽学部全生徒と教職員のヒンシュクを買ってもいたのだが、私の胸のなかはつねに、つねに飢餓感でいっぱいだったのだ。  結局、私がほしかったのはただひとり、建築科のニヒルの君なのであって、あの高慢にして鼻もちならぬ自信過剰の高嶺の花、頭脳|明晰《めいせき》、美意識抜群、容姿端麗にしてあくまでも冷ややか、ホモではないかと疑いを抱かせるほど女には無関心の、あの美貌の学生だけなのだった。  したがって、じゃがいも的|有象無象《うぞうむぞう》についてはじつにどうでもよく、そういうやから、たとえ百人に囲まれていたとて、私はいつも孤独で、さびしかった。  彼らはにぎやかで、陽気で、健康で、気持ちのよい若者たちだったが、そして常時失恋状態の私のために進んでピエロ役など買ってでてくれるほどに善人たちであったが、彼らが陽気であれば陽気であるほど、にぎやかであればにぎやかであるほど、私は底無しにむなしく、置き去りにされたように感じていたのだった。  そして気づいたのだ。あれだけ子どものころから人に認められ愛されることだけを夢みてきたのに、いざ、そういう幸福な状況に自分が置かれてみると、悲しいことに、私という女は、ひとから愛される術《すべ》、愛され方を知らなかったということを。愛されているのかもしれない、ということにさえも気づかなかった。  たったひとりの、絶対的難攻不落の男に眼がくらむあまりに。そして不毛の四年間が過ぎた。じつに不毛の、じつに満たされない青春が終りかけていた。  卒業式の近いある午後だった。私と建築科のニヒルの君は、上野公園の桜の木の下あたりですれちがった。  どんなに私が彼に思いを寄せているか十分すぎるほど熟知している彼は、学校のいきかえり、あるいは校庭などですれちがうようなときには——小さな大学で、しかも生徒数が音校美校あわせて千五百人くらいのものだったから、じつにしばしばすれちがったり、でくわしたりしたものだが——、眼の隅に薄い氷のような笑いを浮べて、片方の口の端だけをわずかに釣り上げるようにしてニヤリと笑い、「やあ」とか「こんにちは」とか「元気?」とか言うのである。  そしてたいていの場合、彼の口からほどこしのようにあたえられた「やあ」とか「こんにちは」とか「元気?」といった言葉を、私はデビアスのダイヤモンドを贈られでもしたかのように、ありがたく胸に抱きかかえて、次にまた、どこかで彼が「元気?」と言ってくれるまで、かろうじて生きていくといったていたらくだった。  その卒業式まぢかの午後、私たちは桜並木の下ですれちがった。ふたりともひとりではなかった。私は三人の男たちと連れだって、これからお茶の水の『ジロー』か、新宿の『|風[#底本では「几」の中に「百」。以下すべて]月堂《ふうげつどう》』へ繰りこもうとしていた。その男たちのなかには、のちに私が婚約をするようになった若者も混じっていた。  ニヒルの君にもまた連れがあった。若い女であった。彼は彼女の手を握っていた。  若いその女は、同じ大学の学生で私も顔を知っていた。そしてなによりも私を決定的に打ちのめしたのは、彼女が私より美しいというわけでもなく、私よりスタイルがいいというわけでもなく、私より頭がいいということもなく、私より男たちにもてるわけでもないという発見に対してだった。要するに、ごく冷静にみて、彼女と私とはどっこいどっこいだったのである。  それならばなぜ!! というのがあのときの私の胸に去来《きよらい》した声にならない絶叫《ぜつきよう》であった。なぜ彼女であって、私ではないのか? 彼女であらなければならない理由はなんなのか? 彼女のなにが彼のようなすばらしい男をひきつけ、手などをしっかりと握らせるのか。  ついでに私は知っているが、彼女には少しずるいところと、ほんの少し意地悪いところがあって——。私は気が狂いそうだった。  やあ、やあと、すれちがいぎわ、互いに顔見知りの男たちが言い合い、少しだけ立ち話をして、私たちは反対の方角に歩きだした。そして別れぎわ、彼は私にさりげなくこう言ったのである。 「あいかわらず、きみはもてるね」  人の気も知らないで。いや知っているくせに。私は眼にこういう思いを必死に託して彼をみつめた。——でもほしかったのは、あなたひとりだった——。  すると、ニヒルの君は、その思いがつうじたかのように、こう言い足した。 「とてもぼくなんか、きみの大ぜいいる取り巻きを押しのけてまで——足もとにも寄れなかったよ」  嘘ばかり。嘘だろうか? だがもうおそい。茫然《ぼうぜん》自失状態で、私は駅のほうへと歩いていた。失ったものの痛手に耐えながら。失った時間の流れの重さを忍びながら。  そしてわかったのだ。あの男《ひと》に恋をしたのは、彼が絶対に自分のものにはならないだろうという、確信があったからである。絶対に自分のものにはならないと確信するかぎり、私は「安全」なのであった。  なにに対して「安全」なのであったのか? もちろん愛に身をゆだねることに対して。そうだったのだ。かつて、母親から愛されたと一度も感じることなく成長した私のような女は、愛され方も愛し方も知らないのだ。  母親から「愛」をあたえられなかったら、その愛がどんなものであるか知らないわけだし、私自身のなかにも「愛」はない。なぜなら「愛」があたえられなかったのだから。  その結果、私は自分にさしだされている「愛」というものに気づかなかった。たとえ想像くらいしても、気づかないふりをした。怖《こわ》かったからである。  その「愛」をどうあつかってよいか、わからなかったから。  ニヒルの君は、私の逃避であった。  私が青春時代、徹底的にもてなかったのはそういうわけである。私は心の奥底で愛することと、愛されることを恐れていたのだ。それがどのようなものであるかということに未体験だったために、そのなかへ溺《おぼ》れてはいけなかったのである。さらに短絡《たんらく》的に言えば、私はもてたくさえなかったのだ。  私がその少しあとで、ひとりの若者と婚約をしたのは、そうしたことを認識したからである。そしてこの婚約も、さらにその一年後には破談になるのだが。  その理由も、つきつめて言えば、私という女がひとの愛し方、愛され方をよく知らず、知らないのなら相手の思いに素直に添うようにしていけばよかったのに、その素直さに欠け、心とは正反対の言動にでたりして、ふたりでいることが楽しいことではなくなり、お互いの存在が相手を傷つけるというところまでいきついて、破局した。  それから二十年近い年月が流れ、さまざまなことがあったが、よく考えてみると、私のパターンはずっと同じであったような気がする。  私は自分を取り囲む生温《なまぬる》いもの——それを幸福と呼ぶのだろうが——につねに飽きたらず(というよりはその生温いもののなかに溺《おぼ》れることを自分に許さず)、いつだってあのニヒルの君、すなわち難攻不落の城壁を自分の眼の前に設定し、それに体当りをかませ、ボロボロに引き裂《さ》かれている。  現在私を取り囲む生温いものとは、つまり私の子どもたちと夫のことである。  出逢《であ》いの瞬間に何をするか  本屋にいくと、私はなんとなくさびしく、うしろめたく、いらだたしくなって、必要な書物を求めるとさっさとでてきてしまう。あれだけ膨大な本の、ほとんど大部分を自分は読むこともなく死んでいくだろう、といつも思うのだ。  ひととの出逢いもそうである。どこで、いつ、どんなひとと逢うことになるのか、予想もつかない。  もちろん始終いろいろなひとに出逢ってはいるが、それは一種すれちがっていく関係で、関係すら生じ得ないのだが、それでもときおり、パーティーなどでこちらに向けられているキラリとした視線に合うことがある。  この輝くような微笑をふくんだ視線によって、ふたりの人間がひき合い、近づき、友情が、恋愛が生れるのである。たぶんその瞬間、こちらも眼に光る微笑をたたえて相手を見返しているのにちがいない。  しかしいまでこそ、そういうひととの出逢いを確実にすくいあげて友情にまで育てていくのはむずかしいことではないが、そしてむしろ心楽しい胸|躍《おど》る過程でもあるのだが、若いときにはそれほど容易なことではなかった。  キラリと輝く眼をみつけても、アプローチのしかたをまず知らなかった。なによりも、まずいアプローチをして傷つくのが、怖かった。気のきいた言葉も知らなかったし、自分の容姿にも自信がなかった。  そうこうしているうちに、私に向けられていた視線が消えてしまっていた。うろたえて探し求めるが、その同じひとがもう一度こちらをみたとしても、あの輝く微笑は失われていて、見当らない。そのさびしさ、悲しさ、無念さ。そのようにして青春は、たくさんのひとびとと知り合う前に別れていくということの連続であった。  とりわけ、若い男たちの燃えるような視線に対して、私は臆病《おくびよう》だった。彼らがアプローチしてきたものは、ただひたすら欲情であった。  ほとんどむきだしの、若者の欲望に出逢うと、私はなぜか眼をそらし、あとずさってきた。発情している雄《おす》の感じが好きではなかった。発情している雌《めす》の感じも好きではなかったから、恋愛というものが成立する可能性は少なかった。  恋というのは、発情そのものだと思っていた。恋愛しているということは、発情した男と発情した女とが繰りひろげるはた目にかまわぬ狂乱であると感じていた。  そんなわけで、若いころは、他人の視線がむしろわずらわしく重荷だった。  そして気がついてみると、私がすくいあげてきたものは、ストイックでプラトニックな関係が圧倒的に多かった。  満たされなさ、というのは、だからつねにあった。肉体的にも精神的にも、つねに飢えていた。ストイックな人間関係というのは、一種、霞《かすみ》を食べている仙人のようなもので、むろん私は仙人ではないから、あらゆる種類の飢餓がそこには存在した。飢えた狼《おおかみ》のように、ほこりじみた都会を彷徨《ほうこう》しつつ青春は終った。  さて現在、キラリと光る眼に出逢って、ほとんど確実に新しい友人を獲得できるのは、年の功である。もちろん、いくら年をかさねたって、傷つくのは怖いし、かさねた年のぶんだけ容姿のほうもいっそう自信を失っている。気のきいた言葉だって、物を書いて生計を立てている人間にもかかわらず、口にだして言うのと書くのとはぜんぜんちがって、いまでもかなりアプローチが無器用である。  ではなぜか。それは、こちらと同様、相手もまた、出逢いの瞬間に私と同じくらいおびえているのではないか、と想像するからだ。  素敵なひとだと感じ、その思いを相手に伝えたときに、相手がどのような反応をするかわからないのは、私だけではなく、その相手のほうだってそうなのではないだろうか。輝く微笑の奥で、そのひともまた臆病で、あとずさるような思いをかかえているのかもしれないと思ったときから、私はずっと楽になった。ほんとうに楽になった。  気持ちにゆとりができると、言葉は驚くほどかけやすくなった。  たとえば、私と安井かずみは、そのようにしてつい最近出逢った。  彼女も私もお酒を飲んでいた。たくさんのひとびとが私たちをへだてていた。ふと視線を感じたのでみると、そこに輝く微笑の視線があった。私は喫《す》いかけていた煙草を一本ゆっくりと喫ってから(このあたりは年輪ですね)、彼女のほうへ歩いていった。同時に彼女も私のほうへ足を踏みだしていた。 「瑤子ちゃん、大好きよ。抱きしめたいわ」  と、いきなり彼女が言った。陽気で軽やかで、少し酔っていて、きれいで、エスプリがあった。それが初対面の彼女の言葉だった。  私には、彼女以上に素敵な言葉を返せそうにもなかった。そこで私は、彼女のからだに両手をからめることなく、頬《ほお》だけ寄せてフランス式に挨拶《あいさつ》した。この出逢いを私はとてもうれしく感じている。  ずっとずっと昔、私が十八歳か十九歳のとき、ある男性と出逢ったことがある。ひとの紹介で、初対面は、ブラインドデートであった。  私は『風月堂』でフランクのヴァイオリンソナタをききながら待っていた。約束の時間はとうに過ぎていた。きっと彼は私がわからないのだ、と店のなかを見回した。もし客のなかにいるとしても、私にも彼がわからなかった。  でも、見わたすかぎり、電話で場所と時間を約束した男《ひと》の声に似た男性はいなかった。もし、このなかのだれかであったらつまらないな、と私は考えていた。  ドアがあき、黒いシャツと濃いグレーのスラックスの男性が、ひっそりとした感じではいってきた。そのとたん、私には、電話の声の主はこの男性だとわかった。彼はゆっくりと店のなかを見回し、それからいっそうゆっくりと煙草に火をつけた。そして近づいてきた。私の心臓は気味が悪いほどドキドキしていた。  ところが彼は、私の横をとおり越していってしまったのだった。失望より絶望に近い感情が襲い、私は視線を落した。ふと、だれかが肩をたたいた。驚いて見上げると、とおり過ぎてしまった男性が見下ろしていた。 「あなたが、ぼくのジュリエット?」と彼は、あの電話の声できいた。その眼に輝く微笑があった。彼はストイックな詩人であった。  安井かずみと出逢った数日後に、偶然であるが、私は彼と夕食をともにした。彼との友情は、お互いに別々の恋愛をし、別々の結婚をしたのちも、ずっと二十数年来つづいている。  傷心と空虚、どっちをとるか  結婚を別にして、人間は、男と女の関係が始まったらあとは別れがあるだけだ。これは体験的実感。  問題は、別れがはやい時期におとずれるか、あるいは少しでも先にひきのばせるかだけ。恋の初期があれだけ甘美でめくるめくような興奮で満たされるのは、つねにどこかに、いつかこの恋が終ることを恐れる気持ちがかならずかくされているからである。  先日、ある編集者と話をしていたのだが、彼——男盛りにして、クラーク・ゲーブルばりのかなりいい線をいっている男——が言うには、女の子と三回逢うとしたら、二度目で口説き、三度目でベッド・インするのがふつうの経過なのだそうだ。  それでだめなら、まあもう一度くらいは念のために口説いてはみるが、そのうえでノーということになると、その子とは見込みがないということでお別れするのだと言う。  なんだか、それではあまりにもさびしすぎると私は思うのだが、世の中そんなものらしい。  しかし考えてみれば、私だって、ごく若いころの恋愛は別にして、ある程度の分別をそなえた年になれば、絶対に寝る気の起らないような、つまり生理的に嫌悪感をもよおすような男とは、だいたい一度だってふたりきりになろうとは思わなかった。  お食事をいっしょにしてもいいと思うような相手は、ことによったらいずれそのようになってもいいと思う相手にかぎられたわけだから、一度お食事をして、もう一度いっしょに食事をしてみたいと感じる相手なら、そのいずれがかなり具体的な予感にかわり、回をかさねるごとに、そう遠からず先には予感が期待へと高まっていくという経過をたどる。  この経過は、ふたりが若ければ若いほどゆっくりと過ぎていくが、年齢があがるにつれて短縮されていく。で、件《くだん》のクラーク・ゲーブル氏のごとく、三度目にはベッド・インというぐあいになるらしい。  ふと気がついたのであるが、三十五歳くらいまでは、好きな男と逢うと、いかに彼と素敵なベッド・インをするかという期待で、そのことに気持ちのほとんどを奪われてしまったのだが、年をかさねるにつれて、相手がいい男、素敵な男性であればあるほど、どうしたらその相手と今夜は寝ないですませられるか、ということに心の大半をくだくようになるのだから、かわればかわるものだ。  四十歳を過ぎて、いろいろなものがみえてくる。人選はきびしくなるし、条件もぐっとせばまる。ちょっとウォーレン・ビーティーに似ているからいい、というわけにはいかなくなる。自分の歳や外見や職業に、それなりのつりあいというものも必要だ。  家庭もあり、小説を書いているとなると、外出の時間だってそうままにはならない。それに時間の過ぎ方が過酷なほど、ひしひしと身にしみる年齢に私はいるわけだ。つまり一刻一刻と若さが失われていく実感のなかにいる。一夜明けると完璧《かんぺき》に白髪が一本ふえているし、夏の間のテニスの日焼けが確実にシミとなって残る。少し無理をした翌日には顔にシワがよけいにきざまれている。  だからこそ、一時一時を大事に過したいという思いが強い。ひとと逢うのなら、ほんとうに心に触れるいい男とひとときを過したいし、それ以外の過し方はしたくない。  そういう相手であるから、二度目逢ったときに口説かれたら、ほんとうに困るのである。三度目の逢い引きでホテルなんて言われても、尻《しり》ごみしてしまう。  男と女の関係になれば、ふたりにあるのは別れだけ、といやというほど骨身にしみて知っているから、びびってしまうのである。 「ほんと困るわ」  と、私はクラーク・ゲーブル氏に訴えた。 「どうして男と女とでは歯車がうまく噛《か》み合わないのかしら」 「困るってあなた言うけどねぇ」  と彼もまた心から困ったように言う。 「こっちも困るんだよねぇ、そういうの」  そして彼は、絶対に効《き》き目のある口説き文句なるものを、私に披露《ひろう》してくれたのである。ちょっとでもこっちに気のある女の子なら、この文句で必殺なのだそうだ。 「『ヨーコを今夜このまま帰してしまったら、ぼくたちただの友だちになっちゃうと思うんだ』」  うーん、と私は思わずうなった。なるほど、うまい。若い女の子なら、コロリとまいっちゃうだろう。ところが、私は若くもないし、女の子でもない。 「友だち、けっこうじゃないの」  と眼を輝かせた。 「好きな男と友だちになれたら、それこそ思うツボだわ」 「ただの友だちだよ」  彼がかなりシラケて言う。 「あっそうねぇ。そのただっていうの取っちゃうわけにはいかないの?」 「いかないねぇ。ただを取るわけには断じていきませんよ」  友だちはいいけど、ただっていうのがついた友だちじゃ困る。いくら考えても、結局ふたつにひとつ。「別れを前提の男と女の関係」になるか、「ただの友だち」になるか、そのどちらかひとつ。  ずいぶん昔みたゴダールの『勝手にしやがれ』のなかで、こういうせりふがあった。 「あなた、『空虚』と『傷心』と、どちらをとる?」 「『傷心』を」  なんにもない人生なんていやだというわけだ。たとえ傷ついても、なにかあったほうがいい。 「私は『空虚』をとる。傷つくのはいや」  そのころ私は思ったものだ。『空虚』なんて死と同じだと。傷ついたっていいじゃないか。あのときこうしておけばよかったのに、と、取り返しもつかないようなあとになって後悔するほどむなしいことはない。やりたいことをやって後悔するなら後悔のしがいもあるが、やらなかったことを後悔するのは、なんともつらいだろう、と。  そんなわけで、私が歩んできたのは、ずっと例外なく『傷心』の人生だった。  で、あらためて、いま、私は自分に問うてみるのだ。『傷心』か『空虚』かと。  驚いたことに、私は「なにがなんでも『傷心』に決まっているじゃない」と飛びつけないのだ。  あいかわらず、事を起して後悔したい、という願望は強いが、傷つくことに、あらためて臆病《おくびよう》になっている自分に気づく。  若いときの傷のなおりははやい。傷口はすぐにふさがり、傷あとさえ残らない。肉体的にもそうだ。ヤケドなどしても、二〜三日で消えてしまう。  ところが年をかさねるにつれて、傷はなおりにくくなり、傷あともなかなか消えない。へたをすると、傷口は永久に残ってしまうこともある。  なにもないのはいやだけど、この年で致命的な傷を負うのもしんどい、というのが本音だろうか。そしてあと十年もすれば、傷など負うと致命傷になるわけだから、なにもなくてもいいわ、『空虚』でいい、などと言いだすのだろう。  もっとも十年後に、まだそんな男と女の話が身辺に起ってくればの話だが。  それを思うと、女はあせる。これが最後の恋かもしれない、と思うと、ものが冷静にみえなくなる。ベッド・インを少しでも先にのばせるいいせりふはないものだろうか。  まがりなりにも私は作家である。作家がそういう文句を思いつけないのは、職業的に怠慢である。  こんなふうには考えられないだろうか。  相手の男性も、ある程度の年齢になれば、好きになった女といちいちホテルへいくのはしんどいことだと、絶対に考えないのだろうか? 「ねえ、考えない?」  ときくと、 「いいえ。そんなことはちっとも考えませんねぇ」  ときっぱりクラーク・ゲーブル氏。  では、彼は例外にしよう。世の中にはちがう男もいるものだから。もしかしたら、相手の男もまた、こちらに愛情を感じていて、男と女の関係から別れまでの一直線の過程を、哀切な思いで眺めているかもしれないではないか。彼もまた、男と女の間のただの友情ではなく、ほんとうの密接な友情を求めていないとは言えないではないか。  けれども、彼は礼儀上から二度、三度逢う女を口説かないわけにはいかないと考え、慚愧《ざんき》に堪《た》えない思いで、忍びがたきを忍んで女を口説くのではないだろうか。 「ちがうかしら? ほんとうは密接な友情関係を、男だってもちたいんじゃないかしら?」  するとクラーク・ゲーブル氏はニヤリと笑って答えるのだった。 「密接なね。しかし、あのこと抜きじゃ密接ってわけにはいかないよ」  と、あくまでも肉体的次元でものを考えようとするのだ、ゲーブル氏は。彼はやっぱり例外だ。例外中の大例外だと私は怒《いか》り心頭《しんとう》に発して、悪態をつく。  しかし冷静になって考えると、彼こそふつうの感覚の男なのだ。男と女の関係、いいではないか。別れもまたいいではないか。大事なのはどのような別れ方をするか、その別れの質なのだから。  せめて、いい別れ方のできる恋愛であるよう、と心をくだくべきであって、ティーンエイジャーのように尻ごみするときではない。  いまは秋である。庭を吹く風に透明度がくわわり、ひんやりと冷たい。それにしても妙にさびしいものだ。人間の出逢いの最初の段階で、もう別れ方のあれこれを考えているなんて。  美しくなる魔法の呪文《じゆもん》  美しいとか、美しくないとか、生れつきの顔だちのことを言ってもしょうがない。  私はかつて、醜《みにく》い女の子だった。私の母は顔をみるたびに、こう言った。 「あなたはきれいじゃないから、しっかりと手に職をつけておきなさい」  幼いころの私は、おおげさでもなんでもなく一生お嫁のもらい手がないのだろうと、ひたすらおびえて過した。美しくない少女は、しかしだれよりも人に愛されたいと切望して育っていった。  それからいっきに時が飛ぶが、三十三、四歳のとき、ある男《ひと》が話の途中でふと言葉を止め、私の顔をつくづくとみて、 「あなたは美しい女性ですね」  と言った。かつて一度たりともひとから美しいと言われたことのない私は耳を疑い、その男が冗談を言っているのかと思った。冗談だとすればずいぶん失礼だと鼻じろみ、 「悪い冗談ですね」  と声に不機嫌さがでた。  彼は——ある新聞社の文化部の記者だったが、笑って、それきりその件について説明もつけたしもせず、別の話題にはいっていった。  文化部の新聞記者が帰っていったあと、「あなたは美しい」という言葉が、棘《とげ》のように私につき刺さっていた。  文字どおり棘であった。  人からほめられたときにおぼえるあのくすぐったさとか、うれしさとか、あたたかい感情などは皆無《かいむ》で、ただ私につき刺さったのである。  私は、疑い深い眼で鏡のなかをみつめた。鏡のなかにいるのは、どうみても美しさとは無縁の女なのだった。  めったに容姿のことでひとにほめられたことなどないが——ほめられるとしても、着ている物の色がいいとか、喫っている煙草がいいとか、読んでいる本が素敵だとか、要するに生身の人間ではなく付属品のほうをもっぱらよく言われることが多かった——、それにしても、たとえばいまの夫が、結婚の前になにかひどい誤解をしたあげく(現在はその誤解のもたらした悪しき結果を、身をもってつぐなっている彼であるが)、キミはボクが世界の果てまで探し求めた分身だ、などと言ったことはある。  あるいは別の男が、きみは真っ白いキャンバスだから、どんな色にでも塗れる。だからこそ大切にしたい、とかなんとかそんなことを言われた記憶もある。ふた昔以上も前のことだ。  とにかく、どんなおブスちゃんにも、ひとりやふたり、言い寄る男はいるものだ、という程度に読み進めていただきたい。  さて、棘《とげ》の話。それ以後というもの、文化部の記者が私のなかに残していった美しき棘との、たゆまぬ闘いが始まったのである。  三十三、四歳のとき、私はまだ小説を書いてはいなかった。夫の手伝いをしていて、あるイギリスのゲームを日本にプロモートする、というような仕事を、子育てのかたわらやっていた。件《くだん》の記者は、そのゲームの取材に私たちのオフィスをたずねてきたわけであった。  彼がもし、プレイボーイタイプだとか、軽佻浮薄《けいちようふはく》な感じの男であったのなら、失礼ね、とかイヤミね、で、忘れてしまうことはできたかもしれない。  けれども彼は、眼鏡をかけたインテリで、ほっそりと蒼《あお》ざめた美しい手をしていた。なにかを言葉として口にだす前に、頭脳がめまぐるしく回転しているのだが、めまぐるしく回転させているような素振《そぶ》りなど露ともみせない。淡々とした口調。しかし無駄口《むだぐち》などいっさいたたかず、ききたいことだけをたずね、私が少しでもあいまいな返事をすると、質問の角度をかえて私に恥をかかせることなく答えを修正させたりすることのできる男だった。  そういう種類の男が、取材の途中でふと言葉を切り、「あなたは美しい女性ですね」と言ったのだから、これは完全にパズルなのである。  私は彼が残していった言葉の魔力に、すっかりからめとられてしまったのだった。  実際、言葉は魔力であった。彼は魔王だったのかもしれない。  あなたは美しい、と言う言葉を、私は呪文《じゆもん》のように、毎朝、毎晩鏡のなかに向かって繰り返すようになっていった。あなたが、私にかわり、私は美しい? という問いかけになり、もしかしたら私は美しいかもしれない、という希望にかわっていく。時間をかけて魔法がきき始める。  そのときからさらに七、八年が過ぎた。私は小説を書くようになっていた。  あるとき、なにかのパーティーで、中村真一郎氏がこう言った。 「あなたは小説を書かせておくには惜しいような美人だね」  もちろん、この言葉はいろいろな要素をさしひいて考えなければならない。まず小説を書くような女には、美人がいない、ということを言いたかったのかもしれない。小説を書く女にしては、まあ美人だ、という意味にとれば近いのかもしれない。  それにしてもである。そのときから七年ほど昔に新聞記者が私のなかに刺しこんでいった棘《とげ》が疼《うず》いたのである。  中村真一郎氏の言葉も、あらたな棘であった。私はふたたびその棘とのみえざる闘いを開始しなければならなかった。  つい最近、藤本統紀子さんに逢った。対談の最中、彼女がこんなことを言った。 「私は、十年前の私より、いま現在の私のほうが何倍もきれいだと思うのよ」  彼女は自信をもって、そう言ったのである。この十年間、テレビにでたり、人の前でしゃべったり写真を撮られたり、そうしたテレビに映った自分の姿を録画でみたり、雑誌の写真を眺めたりしているうちに、美しくなり、若返りさえした、と統紀子さんは言ったのだ。  そして私は、その言葉を信じた。きっと彼女の言うとおりだろうと思った。  そこで、私はひそかに、十年前の写真をひっぱりだしてきてならべてみた。驚いたことに、十年前の女ざかりのころの私より、いまの私のほうがきれいだった! 私はさらにアルバムをゴソゴソやって、二十代のころの写真をならべてみた。十代、少女のころ、幼女のころとさかのぼって、部屋じゅうが写真だらけになった。  セピア色の醜い赤んぼうの写真があった。やはりセピア色の七五三の写真では、私は八の字|眉《まゆ》のふくれっ面をしていた。十代は、生パン粉のような感じ。二十代は個性にとぼしく、三十代の前半はお母ちゃんで、後半は少し様子がちがっていた。新聞記者が残していった言葉の魔力がきき始めたころの顔である。  私が、もしかしたら私という女は美しいのかもしれないと、自分に暗示をかけ始めたころ。なにが異なるかというと、眼に力が宿ったような感じ。表情もひきしまってきている。  そしていま、四十歳をいくつか過ぎた自分の顔をつくづく眺めながら、私はいい顔になってきたと思うのだった。自分なりにいい顔という意味である。統紀子さんの言葉が身にしみた。  顔というものはつくりかえられるものだと思うようになった。私の場合は、言葉の棘によって——。  つい最近、例の新聞記者に再会した。 「おぼえていらっしゃる?」  と私はあのときの言葉を彼に返しながらきいた。 「おぼえています」  と、彼は静かに言った。 「あたっているでしょう? あたりませんでしたか?」 「おかげさまでとても苦しみました」  私はしみじみと告白した。 「一時、あまりにもあのときの言葉にとらわれて、苦しくて、あなたを恨みましたわ。魔王のように」  彼は微笑し、こうつづけた。 「あなたの小説を読んでいます。美しい小説ですね」  ——あっ、またしても棘《とげ》だ——と私はからだの奥に痛みをおぼえた。  鏡の中の嘘つきの自分  ある意味で、人生は小さな嘘《うそ》の積みかさねで成立しているようなものだ。少なくともこれまでの私の人生なんてそう。  男と逢ってきたのに、男と逢っていたとは言えないから、女友だちと食事をしてきたなどと言う。さりげなく、女たちの名まえなど口にして。  すると、 「ついこのあいだも、キミはヨシコと夕食をしたばかりじゃないか、よく逢うね」  などと返事が返ってくる。 「ヨシコでいいじゃないの。男と逢うよりは。ね?」  自分でも鳥肌がたつくらい、そっけなくさりげなくあたりさわりのない調子で言って、私は夫の顔の上から視線を、たとえば化粧台の鏡のなかの自分の顔へと移す。  嘘をついた直後の女がどんな表情をするものか、この瞬間、私はひとの妻でもなく、女でさえもなく、小説を書く人間の眼でもって、鏡のなかの嘘つき女を眺めるわけである。  そのようにして、私という人間は、鏡のなかにじつにおびただしい数の嘘をつく女の姿をみてきたのだった。  なぜ、嘘をつくのだろうか。  私の両親は口をすっぱくして子どもであった私に「嘘をついてはいけない」と、事あるごとに言っていた。嘘をついてばれると、容赦《ようしや》なく罰があたえられた。お灸《きゆう》をすえられたり、納戸《なんど》に閉じこめられたり、押し入れに入れられたり。  私は、暗闇《くらやみ》や、灸の熱さをそれほど恐れなかった。むしろ、もぐさが肌を焼くその痛みが一種快かったり魑魅魍魎《ちみもうりよう》がひそんでいそうな暗闇の底恐ろしさが刺激的だったりして、お仕置きはさほどにこたえなかった。当時にしてすでに、精神的な自虐趣味が芽生えていたのではないかと思われる。  お仕置きは恐れなかったが、やはり嘘は罪深いといううしろめたさには、どうしようもなくつきまとわれたから、私がつく嘘には、私なりの嘘のモラルが生じるようになっていった。  つまり、自分のためにつくのではなく、相手のためにつく嘘だけにかぎっていた。そういうふうな言葉で、少女時代に自分が考えたわけではむろんない。けれども子ども心に、そうすることが相手——すなわち両親の、心の痛みをやわらげる場合のみ、私はほんとうのことを言わなかった。それは今日でも、基本的にはかわらない。  子どものときに、学校の宿題や成績のことで嘘をついても両親がいたく傷つくことはないと思ったが、彼らが大事に思っていること——たとえば人間関係のことや、ヴァイオリンのこと——に触れると、私はほんとうのことを言わないことがままあった。  私にとって「嘘」とは、「ほんとうのことを言わない」ということであって、自分から進んでたずねられもしないのに、積極的にいつわりをしゃべることは、ほとんどないのである。  帰宅がおそくなり、夫に(以前は父であった)その理由をとがめられるから、ほんとうのことである、たとえば男については口をぬぐい、ヨシコの名がでてくるわけだ。ほんとうのことを言えば相手が傷つく、それだけの理由である。  男というのは、ひとつのたとえで、昔はよく父と帰宅時間のことでもめた。 「昨夜おそかったろう。何時に帰った?」  と父は娘盛りの私に翌朝かならずきいた。私の独身時代の門限は十時であった。守ったことはほとんどなかった。  けれどもさすがに真夜中の十二時過ぎに帰ったとは答えられず、ましてや朝の四時にもどったなどとは口が裂《さ》けても言えないから、せいぜい十時十分過ぎだとか、悪くても十時四十分程度のことを答えるのである。  すると父は、 「十時の約束がなぜ守れない」  と激怒する。そして私は、朝帰りが露見せず、どこで、だれと、なにを朝方までしていたかについてもきれいに口をぬぐえて、内心ほっとしながら、ひたすらおびえたふりをするわけである。  父はもしかしたら、私の答えなど信じていなかったのかもしれない。暁《あかつき》の星が白み始める時刻にもどってくる不良娘のことを、知っていたのかもしれない。十時の門限のみにだけ固執《こしつ》して激怒するのは、そのせいだったのかもしれない。  父は、ほんとうのことが知りたくなかった。娘を問いつめてほんとうにはなにをしていたのかに直面する勇気がなかったのではないだろうか。  私は、ほんとうのことを言わないこともあるが(しばしばあるが)、嘘つきではないというふうに自分では思っているから、もし相手に執拗《しつよう》につきつめられると、もうじつに苦しい思いをするわけだ。自分の身を守ったり、自尊心や沽券《こけん》にかかわる嘘なら、とっくにポロリとボロをだしてしまうであろうが、ひとたび自分にとって大切な人の自尊心や痛みにかかわってくるかぎり、死んでもほんとうのことは言わないし、言えない。そういう強さみたいなものは、ずっともっているような気がする。  奇妙というか、滑稽《こつけい》というか、大人の女になり、結婚して子どもを産み、結婚生活を二十年近くやり、小説を書いている現在も、私の門限は、やっぱり原則として十時なのである。これは父から私の夫にしっかりと受け継がれた暗黙の了解事項らしく、私の嘘というのも、あいかわらず「門限」の周辺に集中している。  夫は父とは少しちがい、だれとどこでなにをしていたかまで質問する。帰宅時間は、いっしょの寝室で寝起きしているわけだから、いやでもばれている。 「『キャンティ』で、ヨシコたちと、十一時半まで食事していた。そのあと、車が拾えなくて、しばらくコーヒーを飲み、車を拾って彼女たちを順々に落してきたので帰宅が一時半になりました」というふうに答える。  すると夫は、 「キミの言うことなど信じない」  と答える。 「じゃなんと言えば信じるの? 男といっしょだったと言えば信じる?」  私は鏡のなかの自分の顔を眺めながら、さりげなく笑う。  男というのは、文字どおり女に対しての男である。編集者であったり絵描きであったり、もと婚約者であったり、プロデューサーであったり、近藤正臣であったり、池田満寿夫であったりするわけだ。  かつて父や、そして現在夫が空想して苦しむようなことだけは、残念ながらやっていない。もっとも、嫉妬とか心配というのは、なにも男と女が裸でベッドに向かう場面を想像して生じるものばかりではない。自分の愛する者が自分以外の人間に笑いかける、やさしいやわらかい眼をする、それだけでひとは苦しむことがあり得るわけだから。  立場を逆にして、私の夫が深夜近くまで美人の編集者や、松坂慶子や、かつての恋人などとお酒を飲んだり、相手に微笑《ほほえ》みかけたり、やわらかい眼をしていると思えば、私はとてもいやな気がする。だから彼が午前さまで帰ってきても、私はなにもたずねない。  たずねないのに夫は、「今晩はだれそれと飲んでいた」とか、「今晩、だれがパブに顔をみせたと思う?」とか、さりげなく話しかけてくる。あまりにもさりげないので、かえってそのさりげのなさのなかに「嘘」が露呈《ろてい》してしまうような言い方。そんなとき私は、私自身の嘘も、あんがい同様のさりげなさゆえに露呈していたのではないかと、冷や汗をかくことがあるのである。  もう一人の男を愛してみない?  何度も繰り返すようだが、結婚生活のいくつかの過程に、夫あるいは妻以外の異性の影がいささかもささないというような結婚がもしあるとすれば、なんと無気味なのだろうと私などは思ってしまう。  テレビの画面にでてくる近藤正臣に一方的に熱をあげるのだって、別の異性の影がチラとくらいはさすことになるのだから、そういうことをかぞえれば、まあたいていの結婚に影がさしていると言えば言えるわけだ。  けれどもテレビにでてくる美しい異性たちは、しょせん我々とは別の世界に住んでいる。一方的に思いを寄せてもこたえてはくれない。  最初から話が脱線するが、その遠い世界の憧《あこが》れの近藤正臣に、私は仕事のことで逢えることになったのである。幸運にも彼が私の書いたテレビ脚本『女ざかり』にレギュラーで出演することになっていたからである。  逢うということは、相手からもみられるということだ。出逢ったふたりの間に、短いがある種の関係が存在するということだ。  できることなら少しでもいい印象をあたえたいし、刹那《せつな》的にしろいい関係をつくりたいと女ならだれでも考える。当然私も考えた。  彼の眼に自分がどう映るかが切実な問題となってくる。擬似《ぎじ》恋愛の感じだ。自分なりに当日美しくありたいと思う。  で、どうなるのかというと、私なりに、肉体的、生理的、精神的にじつにさまざまな変化が起るわけだ。  まず、二週間後にせまった会合の日に合わせて、徐々に体重が減っていくという現象が私の場合はあらわれる。背中や下腹についている醜い余分な肉がとれていくのである。  そうなるには、食欲が進まなくなるのだが、かといって極端にではない。あんがい栄養のバランスなどを適当にとりながら、無意識のうちに食が細くなっている。  もちろん相手にも好みがあるわけだから、やせた女が好きかどうか、頬《ほお》のこけた面《おも》やつれした女の顔に色気を感じるかどうか、このあたりのことは一種|賭《か》けに似て、そう祈るしかしょうがないが、やせた女、頬がこけて影がさしたような面やつれの女が、私の美意識と深くかかわっているかぎり、はっきり言って相手の好みなど二の次になってしまう。  女というのは不思議なもので、そのようにしてたとえば私は、私の理想どおりの女に肉体的改革をあたえることができる。ただ、近藤正臣に逢う、というそれだけの理由で、である。  逢ってどうするかは、あまり考えない。少なくとも当日、どんなに少なくとも十分間くらいは、私は彼の眼にさらされるわけだから、そしてたぶん、彼は頬のこけた面やつれしたような女にはほとんど興味がないかあるいは別の理由で、十分以上長居しないか、二度と私に逢う意志を抱かないかであろうが、それはいちおうかまわないのである。  いちおうと書いたのは、やはり切実にかまう問題なのであるが、ある意味で、十分後には二度と見向きもされず永遠に歩み去るひとだからこそ、私は十分間の逢瀬《おうせ》にこれほどの情熱をかけるのだし、かけられるのである。  けっして自分の手にはいらない高価で美しい宝石だからこそ、それを知っているからこそ、それを手にする機会があれば、心はあやしくときめくのである。  この凝縮《ぎようしゆく》された十分という、いろいろの意味合いをふくむ時間をもつということが、ひじょうに大事なのだ。それはたとえば近藤正臣であるが、相手はだれでもいい。自分にとって好きな男、憧れのひと、恋人、愛人、友人、尊敬するひとと、さまざまだろう。  とにかくそのひとに二週間後に逢うと考えただけで、心が千々《ちぢ》に乱れ、みるみる頬がこけていく、そんな緊張を感じる相手であればいい。  そういう男との出逢いが、無風の結婚生活に風を入れることになるのだから。  どのような風が吹くかは、相手にもよるし、出逢い方にもよるし、その後のかかわり方にもよるだろう。いい風に越したことはないが、たまに旋風《せんぷう》や突風や台風となって、荒れ狂うこともあるかもしれない。  私の人生にも、さまざまな風が吹いた。自分で起した竜巻《たつま》きに吹き飛ばされそうになったこともあった。あまりにも暴風だったので、家族すべてがバラバラに飛んでいくのではないかとおびえた一時期もあった。あるいは湿った熱風のときもあった。じくじくとして膿《う》んだようなにおいの風だった。ときにはパッタリと凪《な》ぐ、死のような風。  けれども、いま、私はそれらの風たちのどれをも後悔していない。あのようなさまざまな風が吹いたからこそ、私の結婚は逆に安泰だったのだと、考えられるからである。  ともに嵐に翻弄《ほんろう》された戦友とも言うべき夫の存在に、このごろになってようやく、敵もがんばったなあ、というため息混じりの感慨をおぼえている。  さて、近藤正臣に話をもどそう。  当日私は、ふらふらになっていまにもぶったおれそうな感じででかけていった。  ふらふらなのは、寝不足のせいである。真夜中まで原稿を書いていたなどという理由ではなく、翌日のことを考えて、ひたすらまんじりともできなかったからだ。  ぶったおれそうなのは、心の動揺のせいである。それにもうひとつ理由がある。栄養失調気味なのだ。なにしろ相手は憧れの近藤正臣なのだ。ごはんもノドにとおらない。それでも鏡に映る姿は、私の美意識とはほど遠い。あと三日、あと二日。どうする、どうする?  で、なにが起るのかというと、お腹を下してしまうのである。不思議なことだと思うが、よくそういうことが起る。  たとえばかならずしも男に逢う、という場合だけとはかぎらない。正装のディナー・パーティーがあるというとき、肩や背中の大きくあいたドレスを着るつもりでいる。太っていると似合わないので、いやだなと思うと、からだのほうで食欲をコントロールしてくれる。けれども、なにかが急に起るということはある。たとえば、突然、逢いたい、といってくる。相手は——ウォーレン・ビーティーだといつ死んでもいいくらい好きなのだが、仮定の問題だから、だれでもいいわけだ。こんなときしかウォーレン・ビーティーとは逢瀬《おうせ》が実現できないから、彼ということにしておこう。  ウォーレン・ビーティーが二日後に、ぜひキミに逢いたい、と電話をしてくるとする。二日! 真っ青になる。時間がない。こんな醜い脂肪の塊《かたまり》をどうしてあの方の前にさらせよう。  すると、どうだろう、猛烈ないきおいでお腹をこわしてしまうのだ。下剤を飲むわけでも食あたりをしたわけでもないのに、もののみごとにそうなってしまう。で、二日後になんとか目標の体重に到達すると、そういうわけなのだ。  それと同じことが、近藤正臣と逢う予定の二日前から始まった。これは自分で信じていたよりも正臣さんに対する思い入れが深い、などと感心している場合ではない。けっして楽な思いでやせる方法などないのだと思い知るのはこんなときだ。  そして、青息吐息《あおいきといき》で当日はふらふら、とこういう事の成りゆきであった。  彼は思ったとおり素敵だった。あっという間に時間が過ぎた。たぶん、二度ばかり、私の上に視線をさあっと流して過ぎたような気がした。胸が刺されたように痛んだ。  じゃまた、と彼は腰を上げた。じゃまたが、またお逢いしましょうを意味しない、じゃまただった。やっぱり近藤正臣は頬のこけたやつれた面影の女は好みではないのだった。  失望もあるが、やはり事は思いどおりに運んだという安堵《あんど》もある。悲しみもあるし、女としての自尊心の問題もある。たとえ十分でも、同じ部屋の同じ空気を呼吸し、視線をからませ合った関係というものはたしかに生じた。たしかに生じて、消滅した。  これでいいのだ、と自分に言いきかせる。これ以外のどんな成りゆきを自分は望んだというのか? 『フォーカス』のカメラマンに追いかけ回されるような事か?  近藤正臣と、あるいはウォーレン・ビーティーとどうにかなって、『フォーカス』に追われたら最後、原稿のことなど頭から消えてしまうだろう。夫も失い、家庭も子どもたちも、友だちも、みんな私から離れていくだろう。仕事もできなくなるだろう。  それはできない。とてもじゃないけど、この年になって恋に盲目というわけにはいかない。せいぜい一週間、いや三日。それで終ってしまうだろう。三日間のめくるめく恋のために、なにもかも失うのでは代償が大きすぎる、と私は仮定の恋物語に終止符を打とうとするわけだ。  と、とたんに、別の思いでなぎたおされそうになる。いいじゃないか。たとえ三日でも。その三日を思い残すことなく恋の炎に身を焼き尽せば(表現が古いね)、たとえ、夫を、子どもを、家庭を失ってもいいじゃないか。原稿なんて、小説なんて、ふだんいやだいやだと逃げ回って、書けないと床を転げ回って苦しむのだから、そんな苦しいものさっさとおさらばすればいい。せいせいする。  なによりもつらい認識は、今でなければ次はないかもしれないということだ。今ならまだなんとか女盛りの終りのほうにひっかかっていられる。しかしあと何年——?  三十代なら、これほどにあせりはしないだろう。ひとつの恋を見過すなり見送ったとしても、まだ次がある。次の次があると、平然としていられたろう。  けれども、私は最近、もう次はないのでは、とあらゆる瞬間に感じるようになった。恋や男にかぎらない。仕事にしても、女友だちとのおしゃべりにしても、なにかをみたりきいたりしても、いつもこの瞬間は二度とこないと思うようになった。すると、一回一回がとても愛《いと》しく貴重に思えるのだ。  とにかく、近藤正臣は、うしろも振り返らずに歩み去った。  私は、ちょっとした恋愛物語の失恋したヒロインのような気持ちで、家に帰った。  近藤正臣のようなハンサムなひとと逢ってきたとも知らない夫が、私の帰りが約束より十分おそかったと不機嫌になっている。  なにをほざくか十分くらい、と私は胸のなかでののしる。もしかしたら、ひと晩じゅう帰ってこなかったのかもしれないのよ、ひと晩だけじゃなく駆落ちしてたのかもしれないのよ。 『フォーカス』のカメラマンが家の外をウロウロするようになっていたかもしれないじゃないか、なにが十分帰りがおそいよ、だ。  憤懣《ふんまん》やる方ない思いをひとり胸に、私は外出着の絹のブラウスの上からエプロンをかけて、みるまにエプロンおばさんになり下がり、フライパンの中味をかき回す。ポテトをつぶしてマッシュにする。  さあ、ごはんですよ、と呼べば、我が家のピラニア群団が、どたどたと駈けこんできて、食卓を囲む。近藤さんには死んでもみせたくない光景ですね。  夫や子どもたちが食べているのをみているうちに、俄然《がぜん》私もお腹が空いてきた。考えてみれば、この二週間、飢餓状態だった。小鳥だって私よりも食べただろう。  自分の分はもちろん、子どもたちの残した皿からスペアリブの骨までしゃぶっている私を、夫があきれてみている。  とたんに私はおかしくなった。骨を手に、アハハハと笑った。かつては、眼の前であきれ返っているこの男のために、やせようなどと考えたこともあったのだ。二十年も前のこと。  この人は、どんな思いで、この二十年間、私が急にやせたり、また、太ったり、またまたやせたり太ったりと性懲《しようこ》りもなく繰り返すのを眺めてきたのだろうか?  とくに私が小説という世界に身も魂も投げこむようになってからの、夫の思いはどうなのだろう?  妻の視線が、自分や子どもたちからそれるのは、いつの場合もつらいことだろうと思う。それが男であれ、仕事であれ、小説であっても、大差はないはずだ。  男に関することなら、私はせいぜい頬を面やつれさせる程度にとどまるが、長編小説を一本書くともなると、面やつれなどではすまされない。  真夜中にトイレの便器でゲエゲエやっている私の背中をなでさする夫の胸中はいかばかりか。  原稿用紙になにも書けないとき、なにも自分のなかから吐きだせないとき、極限まで追いつめられると、吐くものがないので、私は自分自身を吐きだしてしまう。胃袋が裏返ってしまい、ゲエゲエやるのである。  そんなとき、私は夫の妻でもなければ、子どもたちの母親でもない。女でもなくなってしまう。  そういう人間を一匹、家のなかに置いておく家族の、夫の思いはなにか。  近藤正臣やウォーレン・ビーティーと逢っても、私は家にはもどってくる。けれども小説世界へ旅してしまうといながらにして不在となる。  そんなことを考えると、眼の前で私の食欲にあきれはてている夫に対する思いで胸がふさぐ。夫は結婚して以来、一度も体重を増すことはなかった。  結婚生活における異性とのかかわりのプラスとマイナスは両刃のカミソリである。どのようなかかわりであろうとも、かかわるかぎりは自分で責任をもたなければならない。  現在の結婚および生活に満足しているのなら、おのずから、別の異性とのかかわりも消極的となってあたりまえなのだ。  ただひとつ言えることは、どのようなかかわり合いであれ、痛みをともなうということである。かかわるということは、そこに関係が生ずるということだ。たとえ十分間の関係であっても、それは厳然として生ずる。  関係というものは、おそかれはやかれこわれるものである。近藤正臣と私との関係は、彼が部屋をでると同時に失われた。  もし、夫婦という関係のほかに別の関係が生じたとき、その別の関係を長びかせようと望むとき、葛藤《かつとう》が生じる。これが痛みである。  ふたつの関係をうまくカバーできればいいが、いずれは無理が生じて破綻《はたん》をきたす。どちらかの関係に傷がつき、こわれる。痛み。痛み。  私などは小説家であるから、この種の痛みを養分にしているようなところがあるから、あまりよい例とは言えないが、どれだけ多くの女たちが、ふたつの関係のはざまで痛みをかこっていることか。  しかし私は、そういう過程を経ることは、女としていいことだと思う。痛みの生ずるような関係をもてる女なら、きっとひとの痛みも、またわかるだろうから。そういうひとはつきあっていても素敵なひとだと思う。ひいては、夫にとっても素敵な奥さんなのではないだろうか。  豚のように身も心もぶくぶくと肥えさせてしまっている女たちより、どれだけいいかわからない。  しかし、結婚生活のなかにあまり深刻な影などささないですめばそれに越したことはないのだから、せいぜい私のように「十分間の関係」をこまめにつくることがいちばんよいように思われる。  ある私の友だちは、別の男のために家庭を捨てたが、あとになってこう述懐したことがある。 「夫や家族や世間の歯止めがあったからこそ、不倫の恋はあそこまで燃えあがったのよねえ」  うしろめたいとか、反省、後悔があったからこそ、恋がめくるめくものになったのだ。  それが、高い崖《がけ》っぷちから飛び降りるように、男のもとへ走ってしまったらどうか。  恋が急激に色褪《いろあ》せてしまったという。相手の男がかわったというのではないが、男が本来の男としてみえてきたという。そうすると、相手はなんの変哲もない男だったという認識に愕然《がくぜん》とした。  ふつうの男だったわけだ。ふつうの男でよいのだが、彼女の目には、天と地ほどもちがってみえた。この男のために私は夫も子どもも捨てたのだ、という思いが、この男のせいで夫も子どもも失ったのだにかわってしまった。  目から鱗《うろこ》が落ちるという感じだった。男とはほどなく別れた。男はもとの家庭へそれほどすったもんだもなくもどっていったが、女のほうはちがった。女が一度でる、ということは、あともどりできない、ということである。彼女はいま、失ったものの重みにひそかに耐えながら、自分で自分を養っている。  四十歳になった女が喪失したものはなんだったのか、と私はよく考える。  彼女は子どもだという。男はまだその気になればなんとかなるが、子どもだけはそうはいかない。いまから産むだけの体力も気力もない。  自分の血をわけた子どもたちが、この同じ東京の空の下に住んでいるとわかっていても、なんという孤独であろうか。いったん捨てたひとびとを取りもどすのは容易ではない。血がつながっているだけに、かえって距離感の大きさに慄然《りつぜん》とする。  不倫の恋って最高よ、とかつて顔を輝かせていたその美しいひとが、私の前にあらわれたとき、ひとまわり縮んでしぼんでいた。彼女の恋はなんだったのだろうか。  彼女は愚かな女だった。その恋から得たものは破壊だけだったのだから。しかし愚かだったですむだろうか。かつての夫は? 子どもたちは? 家族だったひとびとの心の傷を、彼女はどのようにつぐなうのだろうか?  いまさらおめおめと敷居をまたげないと、自分がいさぎよく身を引くことで、つぐなったつもりなのだろうか? 自分が天罰を受けて、天涯《てんがい》孤独の身をかこっているのだから、それでさしひきゼロになるというのだろうか。  不倫の恋に身を焼くのはいいが——焼き方によっては女はきれいになることはあるが——不倫の恋につっ走ってしまうのは、女の醜態だ。美しくもなんともない。  ひとつの家庭というもっとも緊密《きんみつ》な関係をほとんど暴力的に破壊してやまない、その荒々しさは醜い。たくさんのひとびとを犠牲にして得られるものの質もおのずと決まってしまう。結局彼女は、その男さえも失ってしまうのだから。  かわいそうだったがなにもしてやれない。たとえ、自業自得《じごうじとく》なのよと言っても、それはなぐさめの言葉にはならない。彼女の暗い眼をみながら、そう思った。  やはり私は「十分の関係」で十分だ。その十分間そのものより、そこへいたる過程が、好きだ。それから、十分が終り、男がスイと立ち、再会を意味しない「またね」をつぶやいて、歩み去る、そのところが好きだ。眼の底が暗くなる。なにもかも失ってしまったかのような喪失感に茫然《ぼうぜん》とする。一度として自分のものではあり得なかったひとなのに、たった「十分の関係」のために、私は天涯孤独の孤児のように自分を感じる。立ち上がったとたんに、ぐらりとからだが揺れる。喪失の痛みにたえる。  そろそろ、反動から食べに食べたせいで肥えだしてきた。だれか素敵なひとから声がかからないと、私は私の美意識を裏切ることになってしまう。ウォーレン・ビーティーからは、やっぱり電話などかかってはこないのだろうか。  夫の本音とたたかう時  私がいちばんよく知っている男といえば、二十年間暮らしてきた夫であるから、男の本音というよりは夫の本音についてであり、しかも彼は英国人なので、イギリス男の本音ということになるだろうか。  結婚生活のなかばにして、だしぬけに妻が小説を書きだしたのだから、ハッピーで安定した家庭生活を信条としてきた男にとっては、青天の霹靂《へきれき》、悪い交通事故に遭遇《そうぐう》したようなものであることは、想像にかたくない。  しかも誇り高き国民性ゆえに、プライベートな領域を守る日常の姿勢もかなりきびしい。  したがって妻である私が、小説のなかでけっしてすべてとはいわないが、かなりの部分の内的および外的な体験の露出を試み、ある種の個人的な破綻《はたん》を書きたてたのだから、体毛がすべて逆立《さかだ》つような思いをしたのにちがいない。  女王さまでさえ、公的なスピーチでは、「マイ ハズバンド アンド アイ……」と、なにはさておいても夫を立てる国からでてきた男にとってみれば、妻の行状は許しがたき反逆と受けとめても無理はないのである。  それでも最初のショックと動揺がしずまると、彼はきっぱりとこう言ったものだ。キミを信頼しているし、誇りにも思うよ、と。  その言葉は私へのなぐさめとはげましであると同時に、彼自身の自分に対する尊厳を、ぎりぎりのところで救う声でもあった。その証拠に、彼は事あるごとに、呪文《じゆもん》のようにそれを唱えなければならなかった。ボクハ妻ヲ信頼シテイルシ、誇リニモ思ッテイル。  たてまえはそうであっても、本音のところで相当の葛藤があるのは事実で、よく観察すると、夫の行動、仕種《しぐさ》、言葉、声音のはしばしに私を非難するたくらみがにじみでているのがわかる。  私がホテルのカンヅメに追いこまれる状況になると、——ホテルなどという場所に避難するのはなにからかと言えば、家庭からであり、子どもたちから、夫からであるわけだから、その事実にいたく傷ついて、一瞬にしてたてまえなどどこかへ消し飛んでしまい、本音だけが怪物じみて太り始める。  原稿の締切りという厳然とした事実があり、もういっぽうには家族というしがらみがあり、そのバランスがあるときにはくずれて、締切りという社会の約束事のほうに大きく私が傾斜していかざるを得ないときにかぎり、唯一《ゆいいつ》の支えであるはずの夫が、手袋をくるりと裏返すように最大の敵となって対峙《たいじ》してしまうという事実。  もうにっちもさっちもいかなくなって、私の顔が全面的に原稿用紙に向いてしまうと、かならずや彼がもちだす言葉というのが、キミはまず第一にボクの三人の娘たちの母親であり、第二にボクの妻であり、第三にモリ・ヨーコなんだぞ、というのである。  それを、机に向かう私の背中に力いっぱいたたきつけるのである。たいていのときなら私が言い返して口論になるが、喧嘩《けんか》をする時間もさることながら、夫婦の争いで胸を波立たせていたら書けるものも書けない。そこで私が感情を抑制する。  私が石のようにだまって耐えて書きつづけていると、今度は攻撃の手をかえ、庭の草が見苦しいとか、廊下のワックスが一週間もしていないとか、窓ガラスがよごれているとか、テレビのうしろのほうからゴミをみつけてきて、イヤミたっぷりに眼の前にぽとりと落とすといったあんばい。  腹が立つというよりは、おかしくなるのだが、笑ったりすると雷が落ちるから、ハイハイと立っていき、ゴミを捨て、窓ガラスをさっとなでくってふたたび机に向かう。  むろんほんとうの不満はそんなところにあるわけではないから、私がどんなに先回りをして家じゅうをピカピカにしておいても、問題はなくならない。  彼が腹を立てているのは、あと一日二日で家を出てホテルへ立てこもってしまう妻に対してであり、妻をさらってホテルに閉じこめる出版社に対してであり、そんな妻の小説を読む不特定多数の読者に対してであり、多少は売れる本を書く妻のある種の才能に対してであり、そして結局はそのことに嫉妬《しつと》をおぼえる彼自身の狭量さに対してなのである。  つきつめてみれば、彼が顔をどす黒く染めて荒れ狂っているのは、妻を家庭のなかにだけ閉じこめておけない男のさびしさ、あせり、孤独、ねたみなどが原因なのだ。したがって彼の立てる物音のすべては、私に対する非難攻撃のデモンストレーションの形態をとりながら、じつは彼自身の耳につき刺さる大音響となるのである。  要するに、ボクのほうを向いてくれ、ボクを立ててくれ、ボクを愛してくれ、と彼は心の奥底で叫び立てているのである。  そこで私は愚かにもついホロリとして、カンヅメになっているはずのホテルから、夕方になるとちょっと抜けだして家へ飛んで帰り、ちょこちょこと夕食をつくり、家じゅうに電気掃除機をかけ、ワックスまで塗りたくって、子どもたちにおやすみのキスをして、ふたたびホテルにとんぼ返りなどしようとする。  たいていの場合、この犠牲的精神は無惨な結末をむかえる。彼は私のそのちょっとした余分な努力を素直に評価するどころか、彼自身の負い目として内部にねじこんでしまうから、ますます機嫌をそこねるわけだ。  結局、夜になってホテルへ仕事に帰っていく私の背中にぶつけるのは、私がいちばん必要とするなぐさめではなく——キミがいま置き去りにしていくのは、キミの子どもなんだぞ、という捨てぜりふ。  ホテルにもどっても、気がめいって仕事もできず、眠れそうにもない。睡眠薬のお世話になって転々と寝返りながらあれこれと考える。こんな生活がつづけば、結婚も家族もなにもかも失ってしまう。亭主についてもカンニン袋の緒《お》が切れた。ええ、もういい、いよいよ離婚だわ、とホゾを噬《か》んでいると、電話の音。  薬がきいてもうろうとしている私の耳に、夫の声。——さっきは言い過ぎて悪かった。ほんとうはいまでもキミを信頼しているし、誇りにも思っているんだ。それは祈りのようにも呪文《じゆもん》のようにも耳に響く。なにかやさしい事を言ってあげようとしたが、眠りが黒い緞帳《どんちよう》のようにストンと落ちてくる。  最後にチラと脳裏をよぎったのは、ああこれで離婚の危機がひとまず先にのびた、というつかの間の安堵《あんど》の思いだった。私はほくそえみながら、いっきに眠りに落ちた。  離婚という名で幸福が買えるか  離婚がふえている。私のまわりでは最近伝染病かなんかのように、バタバタと三、四組の結婚がだめになった。  事実、伝染したとしか思えないのは、それら離婚組は、互いに知らない仲ではなく、なにかしらのゆききがあったからだ。  ある夫婦があぶない、別れるらしいという情報に、別の夫婦が自分たちの場合にかさねてみて、はげしく動揺する。その揺れに家の土台が耐えきれなかった。夫婦の骨組がしっかりとかさなっていなかった、というようなことか。  実際に、だれそれさんはこういう理由で最近別れたのよ、と夫と話しているうちに、どういうわけか我々の会話も陰険になっていってしまう。たたけばほこりのでるからだというわけだ。  自分の場合もふくめて観測してみると、結婚七年目、十一年目が別居、離婚の最大の危機だと思われる。例の七年目の浮気というのはそれなりに理屈のつけられる危機で、これをなんとか乗り切ればいいが、シコリが残ると、十一年目で破綻する。ちょうど腫瘍《しゆよう》をかかえていて、それが良性ならいいが、悪性腫瘍となれば思いきった処置をとらざるを得ないのと同じことだ。  私の友人たちというのは、この七年目、十一年目の危機の範疇《はんちゆう》にいる人たちが多い。  なかには昨日いっしょにパーティーに顔をだしていたふたりが、翌日の夜には別れてしまっていた、という例もある。それまでに、なんだかんだと衝突があることはきいていたが、それは特別に深刻というわけでもなく、どこの夫婦にでもあるようなことで、まさかと思った。パーティーでは特別仲むつまじかったというわけでもないが、かと言ってそっぽを向き合ってもいなかった。なにか深刻な問題をかかえている夫婦のようにもみえなかった。  事実、妻であった女性が言うには、青天の霹靂《へきれき》のごとく、離婚話に発展したという。最初は、いつもの口論だった。  クリーニングからもどってきたYシャツのボタンがとれている、と夫が機嫌を悪くし、じゃ別のにしたら、と妻が言い返す。ちゃんとチェックをしてからしまえ、と夫が言い、クリーニング屋に注意しときます、と妻がふてくされる——要するにその程度のいつものたぐいである。  ところがそれがいささかエスカレートしていった。エスカレートの度合は異常で危険であった。きみとは、初めから合わなかったんだ、と夫が妙に冷たい口ぶりで言った。その口調にぴんときて、女がいるのね、と言うと、なんとそうだ、と言う。その事実をかくそうともしない。  これはヤバイと彼女が思っていると、夫が言った。その女性を愛している、きみとは離婚したいと、ずっと思いつづけてきた。  クリーニング屋がとってしまったYシャツのボタンのことから、いっきに離婚話にエスカレートしてしまったのだから、まきに青天の霹靂なのである。  あいた口がふさがらない状態のまま、離婚届に印を押した。離婚などしたくはなかった。けれども、ずっと自分と別れたいと思いつづけていたという夫が、なにくわぬ顔で彼女のつくってきたものを食べ、彼女と眠り、性関係をもってきた、ということに耐えられなかった。そう言って彼女は泣きに泣いた。  そんなふうに突然、降って湧《わ》いたように起る別れがあるかと思うと、別の親しい女友だちのケースは、五年も六年もすったもんだやって、それこそお互いの傷口にナイフを立て、えぐり合うような日々をかさねたあげく、辛苦《しんく》の底の底までなめ尽して、ようやく離婚にいたった。  長い年月を、お互いを攻撃し、噛みつき、ボロボロにすることのみに専念してきた。戦場でしかなかった結婚から抜けだした最初の虚脱感のなかで、彼女がポツリとつぶやいた言葉が痛々しい。——こんなことなら、もっとはやく別れてしまえばよかった——。  彼女は彼女の女盛りのすべてを、あのいらだち、あせり、絶望のなかにそそぎこんできた。あのすさまじい離婚にいたるまでの闘いで彼女が得たのは、年に似合わぬ眉間《みけん》の深いたてじわである。四十歳にして、五十女にもみえる不幸に荒らされた顔。  それにくらべれば、たった一日で離婚が成立してしまった女性のほうが、立ち直りがはやいかもしれない。  離婚というのは、なにも女ばかりが一方的に被害者ではない。知らず知らずのうちに、相手を苦しめているという場合もあるわけだから、被害者でもあり、加害者でもあるわけだ。  離婚がふえているということは、それだけ男も女もあきらめなくなったといえるのかもしれない。子どものためとか、老後の安泰のためとか、世間体とかのために、男として女としての幸せを犠牲にしない男女が確実にふえているのだろう。  ひとつの家庭をこわしたことで、巻添えになった弱い者たちのことを十分に考慮したうえで、私は、彼女たちの(あるいは彼らの)第二の人生が幸福であるように、心から祈りたい。  他人の痛みを知ってますか  他人の痛みというものがわからない人間がたまにいる。  わからないのは、自分が痛い思いをしたことがないからだ。胃がしくしく痛んだ経験が一度もなければ、しくしくと痛む他人の胃痛の不快さを想像しようとしても、これは無理な話だ。  生れて一度も病気になったことがない、お腹も痛んだこともないし、頭痛も経験がないと言いきる高齢の女流作家がいるが、そのひとのエッセイを読むずっと前に、彼女の小説を読んだことがあるが、そのとき、この作者は他人の痛みというものをぜんぜん知らないのではないかと、疑問を抱いたことを鮮明におぼえている。  なぜなのか、どうしてそんなにも荒々しい神経で物が書けるのか、と思ったが、あとになってその理由がわかった。なるほど、一度も病気をせず、一度もどこもチクリとも痛まなかった人の人生はちがうものなのだな、ということがわかった。  彼女は若いころ、美しくて、そのうえ頭もずば抜けてよく、そのことをだれよりも彼女自身が十分すぎるほど意識していたのにちがいない。  ほしいものはほしいと言えばかんたんに手にはいったろうし、ずいぶんひとからチヤホヤされたにちがいない。ほしいと思えば、たとえ他人に属するものでも奪い取って、少しも胸が痛まなかったのに相違ない。  他人が自分の大切なものを奪い取っていった、という経験がなければ——幼いころのおもちゃに始まり、弟ができたために母の愛がそちらに奪われたと感じたり、女友だちに恋人をとられたり、受験に失敗したり、好きな男に思われなかったり——、要するに挫折《ざせつ》の経験がまったくなければ、それがどんなに苦しく無念で痛いものか、知るよしはないのである。  人生を自分の思いのままに生き、好きなことをやってきたのだから私は幸せだ、とその女性《ひと》は言うのだが、むろん本人がそう言うのだから、それはそれでいいが、なんだか人生の半分——道路が日のあたる右側とあたらない左側があれば、右側だけをひたすら歩いてきた人のような感じがしてならない。  左側に寄って、ちょっと歩みを止めてみると、野の花が咲き乱れていたり、水の透《す》んだ小川が流れていたり、別の世界があったはずなのだ。他人の心のひだとか、痛みとか悲しみとか、そういう情緒に関係してくる世界が。  そういう情緒にかかわってくる体験は、おもしろくおかしく楽をしながら生きていたのでは、けっして身につかない。はっきり言って、自分の肉体なり、精神なり、魂に痛い思いをさせなければ、うかがい知れない世界なのだ。  男には、生理痛がどんなものなのか想像もつかないだろう。ましてや出産の痛みなど、ぜんぜんわからないと思う。  しかし女だって、生理痛になったことがないひとなら、やはり生理痛はわからないし、子を産んだことがなければ、陣痛のすさまじさなど、とうてい思いもよらないものなのだ。  最初のお産がショックなのは、陣痛のすさまじさはともかく、それが未体験ゆえの恐怖感が先行するからだ。ものの輪郭など吹き飛んでしまうようなあのような痛みを長時間に渡りくぐり抜けてきたあとの女たちは、もう出産前の女とは、天と地ほどちがった人間に成長している。痛みをくぐり抜けてひとは成長する。  男というものが、死ぬまでどこかおどおどしていて、少年っぽさというか、子どもっぽさが抜けきらないのは、出産の経験がないからだと私は思う。肝っ玉母さんという、どっしりとした、ちょっとのことではがたがたしない「大人の女」は、子どもを産んだゆえに存在するわけだ。  世の中の女がみんな子どもを産めるわけではないし、産みたくとも産めない人もいるだろう。あるいは、主義として産まないという女性もいたっていいわけだ。  しかしそれが、本意であれ不本意であれ、出産体験の欠落という意味では、やはり人間として、女として、ひとつの欠落があることはいなめない。  よいとか悪いとかいう問題とはぜんぜんちがうが、同じ年で子どもを産んだことのある女性と、そうでない女性とをくらべてよく観察すれば、その欠落しているものが、漠然とわかる。それは、一種の痛み——偉大なる痛みの体験の欠落であり、偉大なる痛みが体現するもろもろのことの欠落なのである。  もう一度言うが、善悪、よいとかよくないとかいう問題とはあくまでも別の次元の話である。なにしろ痛みが欠落している女性だって、小説が書けるのだから、なにも問題はないわけだ。  私の個人的に知っているある女性は、四十歳をいくつか過ぎてもいまだに未婚である。若いころにはとてもチャーミングで、ものすごく男にもてた女だった。もてることを知っているから、夜ごと選《よ》り取《ど》り見取りで男をとっかえひっかえして、おもしろおかしく生きてきた。  男を次々に棄ててきた。自分は男に棄てられたことがなかった。棄てられるほど長くひとりの男とはつきあわなかったし、そういうつきあいをしなかったから、ひとをほんとうに愛するということも一度もなかったのではないかと思う。  彼女はつねに自分のほうで男を選び、たえず十人以上のセックスフレンドに取り巻かれ、自分から男たちを切ってはきたが、口の悪い男たちは、陰で「彼女は公衆便所さ」とひそかに悪態をついていたことなど、露とも知らないのである。それにしても美しい公衆便所ではあったが。  四十歳を過ぎて、その女性はいま、お金勘定ばかりやっている。男は信用できない、信用できるのはお金だけよ、と男まさりにバリバリはたらき、かなりの日銭がはいるものだから、髪の毛を輪ゴムでくくって、そこに割りばしを一本きりりとさしこんで、指をなめなめ一万円札をかぞえているのである。  家族なし、男気なし、子どもなしの凄絶《せいぜつ》なる女の人生だ。やりたいことをやり尽したんだからと豪語してはばからないが、人生八十年として、あと残りの四十年ばかりをどう生きるつもりだろうと、私など呆然《ぼうぜん》としてしまう。  その彼女を、ある夜、ふとした機会にみかけたことがある。私には連れがあり、彼女はひとりだった。だれかを待っている女というのは、一目でそれとわかるものだが、彼女はだれも待っていなかった。  私が声をかけそびれたのは、彼女が目いっぱい美しく装っていたからであった。センスのいい黒いドレスを着、お化粧もしていた。髪もゆいあげ金のアクセサリーをじゃらじゃらつけていた。往年の魅力が彷彿《ほうふつ》していた。  それゆえにさびしかった。妙齢の美しい女がひとり酒場で酒を飲む姿には、孤独がにじみでていた。声をかける男はいなかった。なぜだかわからないが、お金のにおいがしていたのかもしれない。  つい最近、若い女性から相談ごとをもちかけられた。ひとの問題に首をつっこむほどひまではないし、だいいちひとさまの人生にあれこれ言うような器《うつわ》じゃないとことわったが、話をきいてくれればそれでいいという。  じゃききましょうと答えたが、ほんとうは内心、話をきいてくれるだけでいい、と言うそのものの言い方、というか考え方に抵抗があったことはいなめない。  私は、おひとよしではないが、他人からものをたのまれると、いやとは言えない性質で——家族とか夫だと、ものをたのまれるとほとんど反射的にイヤヨと言うのだが——とにかくその若い女性に逢うために時間をつくり、待ち合せの場所にでかけていった。  彼女が私という女に逢って、なにやら相談ごとをもちかけるためにあちこちの編集部に電話をして、なんとか私の電話番号をさぐりだしたという努力も買いたいが、いちおう世の中に名の知れている見ず知らずの女の作家に、いきなり電話で会見を申しこむのには、かなりの勇気がいっただろうと、そのあたりに感心もし、同情もしたのだ。  待ち合せは、ホテルのロビーだった。若い女性がすぐに私をみつけて近づいてきた。私たちは、静かな喫茶室に移って向かい合ってすわった。 「先生、私、自分というものがいやなんです」  といきなり彼女が話しだした。挨拶《あいさつ》もそこそこ、まだオーダーも終らないうちに、せきを切ったように語ったことはこうだった。  彼女には恋人のような存在の男がいるが、彼のことは別に置いておいてよくディスコにいく。するとかならず若い男に言い寄られて、その夜はその初対面の男とホテルへいってしまう。翌日になるとひどい自己嫌悪におちいるが、また少しするとディスコにいきたくなり、別の男に誘惑されるままホテルへ。そして後悔と自己嫌悪の繰り返し。 「先生、どうしたらいいでしょうか。私ってどうしてこんなに男からすぐ誘われるんでしょう。私のなにがいけないのかしら?」  なんだか、自分がもてることを自慢しているみたいだと私は感じたが、そんなふうに感じるのは男にもてない中年女のヒガミかもしれないと、口をつぐみ、別の質問。 「でもあなた、ほんとうに自己嫌悪しているの? ほんとうに反省しているの?」 「もちろんです。反省してます」 「だったら、男の誘惑に乗らなければいいじゃないの」 「それができるくらいならわざわざでかけてきて先生にお逢いしません」  彼女はちょっと気を悪くしたみたいだった。私だって気分が悪い。 「でも反省しているようにはみえませんよ」  と少し意地悪。 「誘惑されるということはね、あなたのなかに誘惑されたいという気持ちがあるからよ」 「…………」  ますます気を悪くする若い女性。 「そういう気持ちってからだにでるのね。若い男のひとたちは、そりゃ敏感にそれをかぎとるの」  発情している雌犬《めすいぬ》の周囲に雄犬《おすいぬ》が群がるのとまったく同じことなのだが、さすがにそこまで露骨には言えない。 「恋人がいるんでしょう? その恋人はどうしたの?」  痛いところをついたらしく、彼女は顔をしかめた。 「煮え切らないんです」 「うまくいってないのね?」 「なかなかプロポーズしてくれないんです」 「そりゃあなた、夜ごとにディスコで出逢った男とホテルにいくような女に、プロポーズはしかねるわよねぇ」  なんという残酷なせりふかと、私は後悔するが、いったんしゃべってしまった言葉を拾い集めて口のなかへはもどせない。 「でも先生、彼はそのことを知りませんから」  きっとして私をにらんだ。 「知らないかもしれないけど、感じますよ、それは。自分の人生の伴侶《はんりよ》を選ぶんですもの、男だって必死に鼻をきかせ、眼を見開いてあなたをみるわよ。いまのあなたじゃ、彼でなくともごめん、と言いたくなるでしょ? あなただってそんな自分が嫌いなんでしょ?」 「…………」  若い女性は下唇を噛《か》んでうつむいた。 「まず、あなた自身が好きになれるような自分になることから始めたらどうかしら」  と私の声は少しやわらかくなった。 「自分が好きで、素敵だと思える女なら、きっとディスコでも安易に声をかけられなくなるだろうし、恋人もあなたを好きになると思うのよ」 「自分が好きになれるような女、ですね」  と若い女性は遠くをみる眼をした。 「むずかしいな」 「うん、私もそう思う。女ってつい自分に甘くなってしまうけど、自分との闘いを避けてとおったら、つまらないと思うのよ」  彼女は少しなにかがわかったようだった。私たちはコーヒーを飲み、彼女はケーキも食べ、二時間ほどして別れた。私はお茶代とケーキ代とサービス料、税金を払って、歩いて駅へ向かい、電車で帰ってきた。自分がなにかよいことをしたとか、人助けをしたなどという自己満足とはほど遠い気持ちだった。  彼女の勤めの都合で五時半の待ち合せだったから、家にもどったのは八時近かった。そのために、私は三人の娘たちの夕食のシチューをはやめに仕込み、彼女たちはそれを自分たちであたためて母親不在の夕食だったのだ。  むろんそういうことは私のほうの事情だから、それをあえて承知ででかけていった私の問題である。原稿も書きかけでホテルへ飛んでいったわけだから、その遅れも取り返さなければならない。  なんのことはない。夜ごとにディスコで男に誘惑され、ホテルへ直行する若い女性の、あの反省と後悔と同じではないか。ことわりきれない、したくもないことをするという意味で。ずるずると他人のペースに流されるという点で。偉そうなことは言えないと自嘲《じちよう》する。  ほんとうに彼女が心配だったわけではない。心の底からの誠実なアドバイスだったとも言えない。あれは私の媚《こび》だったのだ。ひとから悪く思われたくない。むげにことわったら、きっと悪く言われるだろうと恐れたからかもしれない。  だれからもよく思われたいという見栄がまったくなかったとは言えないのである。私はそういう自分の要素が好きではない。私だって、自分のことが嫌いなのだ。そういう未完成の女が、ホテルくんだりまででかけていって、若い女性にアドバイスをたれるということ自体、いやらしいのである。私のあと味の悪さはそこにあった。  そうしてあの若い女性は、ただの一度も、私を思いやったようなことを口にしなかった。「お忙しいところをどうも」とは言ったが、それは社交辞令以上のものではなかった。  私が犠牲にした時間、なおざりにした子どもとの夕食の場、先にのばした仕事などについて、むろん知らないのではあっても、想像すらしようともしなかった。それはたんに「お忙しいところをどうも」というときのその口調でわかるものなのだ。  彼女もまた、他人の痛みというものを知らない女のひとりである。  ドゴール空港の意地悪女  外国を旅行して日本に帰ってくると、ほっとする。言葉がつうじ合えるってほんとうにうれしいと思う。なにげない言葉が、そのなにげなさをふくめて、すっとわかり合えることがほんとうにありがたい。  フランス人はほんとうに不親切だった。観光収入だってけっしてバカにならないだろうに、あんなに意地悪でいいのだろうか、と本気で心配してしまう。とくにシャルル・ドゴール空港のインフォメーションデスクに陣取っていた若い女性の悪意のある態度には、涙がでそうになった。  空港に仕事をもっているのだから、絶対に英語ができるはずなのだ。 「すみませんが、トイレはどちら?」  するとまず、ぜんぜんきこえないふりをする。 「あの、すみません、トイレはどちらでしょうか?」  今度は大きな声できく。すると、うるさいねと言わんばかりに眼をむいて、次には英語がわからないふりをする。 「あの、トイレはどこ?」  噛みくだいてゆっくりきく。 「えっ?」  と、まるでゾンビーかなんかのようにこっちの顔をみる。わからないのは英語ではなく、こっちの発音が悪いのだと、今度は思わされる。 「トイレ!」  ついに爆発する。カンニン袋の緒が切れる。このうすらトンカチのブス女が、と内心ののしる。 「アッチ!」  相手はさらに激怒して、指でではなくアゴの先で方向を示す。そしてこんりんざい二度とこちらをみない。 「アッチって言ったって、アッチのどこなのよ」  こぶしに握った手がブルブル震えてくる。しかし彼女はこんりんざいこちらをみない。 「ご親切サマ!」  と捨てぜりふを残して立ち去るしかない。せっかくの旅がすっかり台無しになるくらい、ここでげっそりと疲れがでる。  なぜ、フランスの若い女はあんなにも愛想がなくて、意地悪で不親切なのだろうといつも考えこんでしまう。  日本に帰ってきて、用があってデパートにいった。パリ帰りだったから、日本のデパートの女店員の応対に、やっぱり涙がでそうになった。今度はうれし、ありがた涙である。  やさしいのである。親切でやわらかいのだ。なにかを買うと、それはていねいにきちんと包んでくれる。紙袋にポンとつっこんで、ホイと渡してくれるのとはぜんぜんちがう。ヨーロッパから帰ると、日本のデパートの包装の完璧《かんぺき》さは感激ものである。包んだうえにリボンをかけて、さらに紙袋に入れて、「ありがとうございます」とお礼とおじぎまでしてくれる。  パリでは「|ありがとう《メルシ》」を言うのはお客の私のほうだった。「お買いものをさせていただいてありがとう。それからあれこれ手を焼かせてすみませんでした」と、そう言わされるような居丈高《いたけだか》な雰囲気なのだ。  日本の女性は、なにゆえにこうも親切でやさしくてやわらかいのだろうか。またしても私は考えこんでしまうのだ。  もし私が、病気かなにかで頭が割れるように痛いとかお腹が苦しいとかしたら、笑顔をつくるのはとてもむずかしいだろうと思う。あるいは、夫と深刻な口論をした直後だったりすると運悪く近寄ってきた娘たちなど、たちまちのうちにやつあたりされて、ガミガミやられてしまうだろう。  自分がなにかの理由でとても不幸で、不満で、腹を立てていたら、話しかけてくる他人への応対にもそれがでてしまうはずだ。  すると、シャルル・ドゴール空港のあの若いインフォメーション係の女性は、きっと恋人かなにかに棄てられたばかりなのだろう。それもきっと、手ひどく傷つけられてボロ雑巾《ぞうきん》のように棄てられたのだろう。彼女はその男にすさまじいばかりの憎しみと恨みとを抱いているのにちがいない。  だからなんの罪もない日本からの旅行者にあたり散らしたりするのだ。  そうでなかったら、慢性の痔《じ》にでも悩まされているとしか思えない。そういえば、私の母も痔がでるととたんに、人柄がかわったみたいに怒りやすくなったっけ。あれはひとには言えずかなり苦しいものらしい。痔のせいで不機嫌なのなら気の毒だが、手術でもなんでもして一刻でもはやくからだとご機嫌を治してほしいものである。  日本のデパートやサービス業の女のひとたちがにこやかなのは、きっと彼女たちが自分の職業に満足しており、収入に満足し、私生活が満ち足り、精神的にも肉体的にもほぼ満たされているからなのだろうか。彼女たちは幸せなのだ、きっと。だから他人にもやさしくできるのだ。  ということは、日本全体が豊かで、満ち足りており、まあ幸せなのかもしれない。  街を歩いて思うのは、東京がとてもきれいだということだ。清潔で、お金がかかっていて、なにもかもが新しくピカピカしていると思った。車も磨きたてでみんな新車みたいに光っている。  イギリスでは、ピカピカしている車などめったにお目にかかれなかった。何日も洗車されていないほこりとドロだらけの車ばかりだった。タクシーに乗ると白いものが気になった。でかけてホテルにもどって手を洗うと、気持ちが悪くなるくらいお湯がよごれた。  東京では、真っ白なドレスを着ても平気でタクシーに乗れる。道ですれすれに車と接触しても、あわててこすらなくてもだいじょうぶ。  パリもロンドンも、少しも清潔ではなかった。街は紙くずや犬のフンだらけで、建て物も薄よごれて黒っぽかった。  そして薄よごれたような街のなかを、くすんだ感じのひとびとがものすごいスピードで歩くのだ。ぶつかったら、はじき飛ばされそうな感じだった。どの顔にも不機嫌なたてじわがきざまれていて、みんな不幸な、怒ったような表情を一様にしているのだった。不幸が洋服を着てズンズン歩いているという感じ。女の子たちのお化粧も派手で下品さが目立った。  レストランなどで、中年の男や女たちが食卓を囲んでいるとき、私や私の娘たちはひそかに、彼らはお墓の下からでてきたユーレイたちね、とささやき合った。顔の色が蒼白《あおじろ》くて、やせていて、目がひっこんで、ほんとうに男も女もユーレイか、亡霊みたいにみえるのだった。  不幸な顔つきが、いっそう彼らをユーレイらしくみせていた。いったいなにがそんなに不幸なのか、わからないのだ。  生活が苦しいのかもしれない。失業者もとても多いのだときく。税金が高くてその重荷に打ちひしがれているのが理由かもしれない。福祉国家なのはいいが、イギリスでは三人の人間が、病人や失業者や老人たちひとりを支えているという。まだまだ理由があるのだろう。  六本木や表参道のフランスレストランにランチを食べにいくと、その軽さ、その明るさ、やわらかさ、おいしさ、華やかさに眼を見張るものがある。  ランチ時のそういう店には、ファッション関係者や、おしゃれな家庭の主婦たちがつめかけて満席だ。みんなきれいに化粧をして、とびきりのファッションに身をつつみ、なによりもニコニコしている。笑い声があちこちで起る。その間を自分の仕事を心から楽しんでいるふうの日本のギャルソンが、軽々と渡り歩いている。  昼時からみんなグラスワインを飲んで、頬をほんのりと染めている。帰りぎわに、「おいしかったわ、ありがとう」と女たちが言葉を残していく。いいなあ。そしてやっぱり幸せなんだわ、日本の女たちって、と思う。豊かなのだと。  でも私たちはほんとうに豊かなのだろうか。ほんとうに幸せなのだろうか?  たとえばあるとき、私は六人の女のひとたちとランチをともにしたことがある。三十代の女たちだ。みんなソニアとか、シャネル、ドロテ・ビスに身をつつんでいた。指には大きなダイヤの指輪が光っている。全員自分の車を運転してきていた。ふたりは大型の外車を乗り回している。  しかし、そのうちのふたりは離婚していて、ふたりは夫の愛人問題があった。あとのひとりは、彼女自身に好きな男がいて悩んでいた。にもかかわらず、みんな陽気にしゃべり笑いころげた。ひと口料理を口に運ぶごとに、「おいしいわねぇ」とため息をついて感嘆した。  新しいレストランの話、ドレスのこと、毛皮のこと、宝石、車、そして子どものこと、さらに男たちのことについて次から次へとしゃべり合った。  だれがみたって、幸福なお金持ちの奥さま以外の何者でもなかった。  別れたあと、もしかしたらたったひとりになった車のなかで、ものすごいようなさびしい表情を浮べるのかもしれないが、そんなことは想像でしかわからない。幸せそうにみえて、世にも不幸なひとたちがいるわけだ。  だからあのドゴール空港の意地悪女も、あんがい、ほんとうは幸せな家庭を営んでいるのかもしれない。意地悪や不機嫌は演技で、一種のゲームとして楽しんでいたりするのかもしれないではないか。  でも私はやっぱり、表面的にやさしいにこやかなひとのほうが好きだし、素敵だと思う。若いころは仏頂面《ぶつちようづら》がなんかかっこいいことみたいに思えて、ふくれっ面をきどったが、思いだすと冷や汗がでるほど恥ずかしい。  いま、日本はとてもいい国だ。世界一安全で治安もいい国なのだ。女が夜中にひとりで六本木のような都会を歩いても、露ほどの危険も感じないというのは、驚くべき幸運なことなのだ。あまりにそれがあたりまえで、安全であることに無頓着《むとんじやく》になっているが、こんなにすばらしいことはない。  なにを食べても、味もとびきりよくなっている。清潔だし、ひとは親切だし、街は明るくピカピカしているし、ひとびとの顔も明るいし。  街をそぞろ歩くひとびとを眺めると、それがとてもよくわかる。服装もきれいな色が目立つし、ひとびとの顔色も健康で明るい。そしてその表情のやわらかさがとりわけいい。歩く歩調もゆっくりとして、だれかをつき飛ばしたりはしない。ああいい国だとつくづく思う。  女にだけ「門限」、我慢できない  娘のころ、父が課した私の門限は夜十時であった。  大学にはいり、美術学部に友だちができると、門限はあってなきがごとくになった。お茶の水の『ジロー』とか、新宿の『風月堂《ふうげつどう》』といった喫茶店に入りびたりで、閉店までよくねばったものだった。  父と娘の口論は絶えることはなかった。私はけっして屈伏しなかったが、父のほうも日がたつにつれて高圧的になり、私たちの関係はひどいものになっていった。  私には、なぜ十時に家に帰っていなければならないのか、まるで理解できず、理不尽だという思いが強かった。父が心配していたのは、まさに娘の純潔であり、そのことを私は十分に承知して、内心冷笑していた。  ある時期父は、十二時でも夜中過ぎの二時でもかならず待っていて、裏口からコソコソとはいってくる娘の前に仁王立《におうだ》ちになって、 「おそいぞ。なにをしていた」  と、それは恐ろしい声で——怒鳴《どな》るのではなく、むしろ静かに、消沈した調子で——きくのだった。その声の恐ろしさに内心すくみあがりながら、 「なにをしていたと思うの?」  と逆に私は質問を投げ返すのだった。口にだしては言わなかったが、「男と寝ていたとでも思っているの? くだらないわ」というニュアンスを言外ににじませた。  事実、そのころ私はまだ男と寝るようにはなっていなかったので、心暗いことはなにもなかった。音楽会にいったり、芝居をみたり、映画をみて、みんなでワイワイやっているうちに、時間は信じられないくらいはやく過ぎてしまうのだ。あの過ぎていく時間のはやさが、青春そのものであったといまは思う。  芝居の話をしたり、ミロやクレーの絵について語りあかしたりすることのどこが悪いのか、ほんとうに私にはわからなかった。いつまでもけっしてあきらめず、裏口に立ちつづける父親を憎いと思うよりも、あまりにもあてずっぽうな心配のしかたを、むしろ気の毒だとかわいそうに感じた。  信じられないことに、その後私が婚約しても、門限は厳然として十時だった。すると父親は私ではなく私の婚約者にプレッシャーをかけて門限を守らせようとした。そして信じられないことに、婚約者は私の父との約束を守って、十時には私を家まで送りとどけたのだった。  父の幸福はそう長くはつづかなかった。私の婚約はご破算になったからだ。婚約者も去っていった。ふたたび父は門限の鬼となり、裏口でがんばりつづけた。二十四歳で私が結婚するまで、そのような日々がつづいた。私は窮屈で窮屈で息ができないと思った。窒息寸前だった。父の門限の異様なきびしさからのがれるために、とにかく家をでたかった。  結婚して、やっとこれで父の束縛からのがれられたとホっとした。きっと父もまた、不良娘から解放されたと、肩の重荷を下ろしたことだろう。 「今夜、仕事でおそくなるわ」  と新婚まもないある朝、でがけに私は夫に言った。 「おそくなるって、どれくらい?」  夫は顔をしかめた。 「深夜番組の生コマーシャルに立ち会うのよ。十一時半ごろ終る予定よ」 「十一時半!! 夜中の十一時半?」  とたんに夫の表情がかたくなった。 「きみの門限は十時なんだぞ」  またしてもあの魔の門限を、夫が口にしたときの私の驚きをご想像いただきたい。 「遊んでいるわけじゃないのよ。男といっしょというんでもない。仕事でおそくなるの。疑うんならテレビ局へきてたしかめればいいでしょう」  そんな仕事はやめちまえ、と夫は言わなかった。家賃の分を私が負担していたからだ。彼は憮然《ぶぜん》としていた。夜中に仕事が終ったあとでアパートのカギをそっと回しながら、私はいやな予感で胸がへんに鳴った。予感は的中した。夫が、暗い玄関口にぬっと立っていたのである。  私は罠《わな》にはまったような気がした。女には、自分の時間というものが一生もてないのかと、眼の前が暗くなる思いだった。  機嫌の悪い夫のうしろをついて歩きながら、前途に深く絶望していた。新婚の日々にである。  テレビのコマーシャルをつくるのが私の仕事であった。そしてその月給で家計をおぎなっていた。仕事が十時に終ったから、じゃ失礼と先に帰ってしまうわけにはいかないことだってある。  スポンサーが一杯飲みましょうと言えば、担当者としてはむげにはことわれない。そういう夜の仕事がらみのお酒の味のまずいこと。  夫の渋面《じゆうめん》を思えば、まずくてあたりまえである。これから帰って、あれこれ言われれば、こちらも疲れているのだから、ついかっときて言いたくないことも言ってしまうだろう。  ある意味で、父よりも夫のほうが手ごわかった。夫のほうがはるかに理不尽で、わからず屋で、わがままで、とにかく強気だった。  たとえ家計を私が支えていようとも、女が夜中に帰ってくるというのは、許しがたいことだと思っている。  いまでもそれはかわらない。ましてや三人の子どもたちの母になったのだから、その母親たるものが、子どもたちをほったらかして、なにが仕事だ、というわけである。  仕事がらみでさえもいい顔をしないのに、友だちと夕食を食べるとか、映画をみにいくなどといったらたいへんだ。十時門限は死守しなければ、二度とだしてもらえない。  大人の女をつかまえて、そうなのである。しかも私は小説を書く女なのだ。世の中には楽しいことがずいぶんあるだろうと思うけど、そういうのに女は頭をつっこんではいけないらしい。すると私が参加できない夜の時間が、よけいきらびやかに魅力的にみえてしまう。  父であったら、私は無視してでかけてしまうだろうし、事実ずいぶん無視もした。しかし、夫に関するかぎり、離婚を覚悟しないと無視などできない。  父と娘の縁は血でつながっているかぎり切れないから、いくら裏切っても私たちはつながっていたが、夫とはしょせん他人である。ルールを無視しつづければ、縁が切れてもしかたがない。  夫との縁をつなぎとめておきたいと思う間は、彼の要求をのまざるを得ない。  女がくつろいだり、飲んだり、バカ騒ぎがやれないのは、憤懣《ふんまん》やる方ない。男にはない門限を、なぜ女だけが守らなければならないのかと考えると腹が煮えたぎる。  けれども、だからと言って、私は父の家を飛びださなかった。夫との結婚だってそうだ。別れてでも自分の自由を獲得しようとはしない。ひとり身になって二十四時間すべて自分の時間だったらどんなによいだろうと思ういっぽうで、きっと自堕落《じだらく》になるだろうな、と怖《こわ》くなるのだ。  もうだれも何時にもどろうと私をとがめないとしたら——つまり心配をしてくれる人間などどこにもいないとしたら、おそくまで友だちとしゃべっていてもあまりおもしろくないのではないか、と思うからだ。  文句を言う人間が待ちかまえていないのなら、べつにおそく帰る必要もないのだわ、と妙な発想をしてしまう。  夫がイライラと待っているからこそ、たとえ十時まででも許された時間があんなに光り輝くのだろう。  もったいなくて惜しくて、物足りなくて、うしろ髪をひかれながら、泣く泣く夜の街や友人たちに別れを告げるからこそ、自分のもてなかった時間に対して想像力をかきたてられるのだろうと思う。  それがわかっていて、やはり門限など蹴《け》っ飛ばしたくなるほど邪魔なのだ。  女の時間というのは、つねに男の時間のなかに組みこまれてきたものなのだ。カゴのなかの鳥。羽ばたけるのはかぎられた空間、時間のなかだけだ。窮屈で息苦しくてたまらないが、安全に守られているという思いもある。  ところで、私の娘たちの門限は十二時である。決めたのは私ではなく、夫だ。 「えっ、十二時?」  と私は眼をむいた。 「私が十時で、あの子たちが十二時?」  どういうわけなのよ、とつめ寄ると、 「娘たちをボクは信用しているからね」  と夫は涼しい顔。それでスッタモンダの末、ようやく私の門限も十二時にしてもらった。なんと三十年ぶりの昇格である。  門限がおそくなったのはいいが、かわりにでかける回数を減らされた。週一回が月三回に制限された。どちらをとると言われれば、十二時のほうをとる。魔の十時が近づくと、吐き気がするような思いを返上できるなら、外出の機会が月に一度減ろうとかまわない。  まだ私の門限が十時だったころのことだ。私の父が久しぶりに泊りがけできていた。私はでかけていて、あたふたともどってきた。 「なにをそんなにあわてている」  と父が言った。 「もっとゆっくりしてくればよかったのに」 「あら、そ!」  私は凝然《ぎようぜん》とした。 「お父さまがつくった門限を、いまだに守らされているんですからね」  すると父は笑った。 「おまえの亭主も器が小さいな」  自分の手もとを離れた娘のことには寛大になれるらしかった。  それが十二時までのびたと、よろこんだのもつかの間、十一時ごろまではなんとかもつのだが、そのあとはもういけない。とにかく眠くなってしまうのだ。お酒がはいるものだから、てきめんである。  前はこんなことはなかったのに、と慚愧《ざんき》に堪えない。年齢《とし》なのだ。十二時ごろまで遊んでいると、腕や腰や肩がぐんなりと重くなる。眼がしょぼしょぼする。こんなはずではなかった、と、悲しくなる。  あんなに苦労して手に入れた門限の延長なのに。宝のもち腐れである。  輝く女になる方法  ジャクリーン・ケネディ・オナシスが、五十歳をいくつも過ぎたのにもかかわらず、ニューヨークのどこそこでだれとディスコで踊っていたとか、どこそこの映画プロデューサーと食事をしていたとか、パリのどのデザイナーの服を着ていたとかが、依然《いぜん》として話題になる。  世界でもっとも権力のある男——ケネディ大統領と、世界で屈指の大金持、オナシスというふたりの傑出した夫をもったジャクリーンという女は、どんな女性だったのだろうか?  眼が左右に離れすぎていて、口が大きく、えらが張った顔は、美しいとは言えない。やせぎすだが、骨格の太い大女という印象。それに大きすぎる足のサイズ。ジャクリーンはいっけんアヒルみたいな女だ。  けれども、彼女が例の大きなサングラスをかけ、趣味のいいツーピースで身をつつみ、ほどよい高さのヒールの靴で街中《まちなか》に姿をあらわすと、ひとびとの眼がその姿に吸い寄せられる。  それはもちろん、ジャクリーンがあまりにも有名だというせいもある。しかしそれだけではなく、彼女自身にひとびとの注目をひきつけるような、なにかがあるのだ。さんぜんと内側から輝きでるようなものが。それがその人間の魅力なのだと思う。  あるとき、ジャクリーンがまだギリシアのスコルピオス島で、生前のオナシスと幸せだったころ、全裸の姿をかくし撮られ、それが世界じゅうに公開されてしまったことがある。この写真でみるかぎり、彼女はひどいものだった。生れつきそのままの肉体的条件はともかくも、がっかりするような姿だった。  なにが悪いのかといえば、緊張感がないことである。他人にみられていないとき、ひとは油断する。お化粧気もなく、髪にカーラーを巻きつけナイロンのスカーフをかぶったりする。そのうえに唇の端にだらりと煙草をくわえたりする。  そういう姿でアパルトマンの窓ぎわになど立つと、すぐにパチリとやられる。そうやって油断した姿をかくし撮られたのは、ジャクリーンだけではない。  いつだったか、『フォーカス』でオードリー・ヘップバーンのふだんの顔をすっぱ抜いた。妖精オードリーは、みるも無惨な魔法使いだった。カーラーにスカーフ、黒っぽいスモックのようなものを着ていたように記憶するが、手には竹ぼうき。庭をはいているのであった。  あの『ローマの休日』のオードリーの素顔が、ロンドンあたりのどこにでもいそうなひとりの中年過ぎの女みたいだなんて、やりきれないではないか。  その彼女がひとたびスクリーンにあらわれたり、人前にでると、かつての妖精オードリーがよみがえるのだから不思議だ。『フォーカス』に無惨な姿をさらした数日後に彼女は来日して、映画の宣伝かなにかをやったが、そのときの様子を雑誌などでみるかぎり、けっして醜い魔法使いではなかった。たしかに眼尻《めじり》にしわはあり、眼の下の隈《くま》も目立ったが、彼女は毅然《きぜん》として、優雅で気品があった。  同様に、神聖ガルボ帝国を築いた往年の美人女優グレタ・ガルボも、写真家のかくし撮りの好えじきだった。  彼女ははやくから引退して、ひとびとの前から姿を消してしまっていた。人目に触れたくないという思いから、服装なども目立たなく、ひっそりとかくれて暮らしつづけた。  忘れたころになるとときどきかくし撮りが公開される。それでみるかぎり、ガルボは中年のおばさんであり、いまではみるも恐ろしいような老婆である。  同じくらいの年齢のマレーネ・ディートリッヒが、少なくとも人前にあらわれるとき、はっとするほど魅力的なのと、対照的である。  近々とみればどうか知らないが、写真でみるかぎり、ディートリッヒはどこにもむだな肉は一ポンドもつけていないし、脚《あし》も昔のままじつに美しい。頭のてっぺんからつま先まで、さんぜんと光り輝いている。七十歳を過ぎているはずなのに、いっけん四十代にしかみえない。それもかなり手入れのゆきとどいた四十代なのである。  ガルボとディートリッヒのちがいは、日常、つねにひとにみられる生活をしているか、みられまいとする生き方をしているかのちがいである。  いつもいつもひとの目にさらされて、美しくなければならない立場の女は、美しくいられるのだ。立居《たちい》振舞いがエレガントで洗練されるものなのだ。  エリザベス・テイラーだって同じことだ。彼女は、引退もせず、ダイエットをしてがんばりつづけている。だから、緊張しているときの彼女は、いまでも美しい。  私たち平凡な女だって、同じことが言える。ひとがみていないと思って、安心して鼻の穴をほじくったり、だらりとくわえ煙草をしたり、伝線したストッキングを平気で家のなかではいていたり、シャワーを一日なまけて浴びなかったり、髪を何日も洗っていなかったり、しみだらけのエプロンをしたりする。  一度はいて脱ぎ、脚やお尻のかたちのままふくらんでいるパンティー・ストッキングに、そのまま脚をとおしたりする。  磨いていない靴や、カカトがささくれだったヒールを平気ではいて街にでる。  そういう日常の油断のどのひとつをやっても、女は美しくはみえないのだ。  人の目はもちろんだが、まず自分をごまかすわけにはいかないからだ。  昨日と同じナイロンストッキングをつづけてはいて出勤したことを、本人は知っているし、その気持ち悪さは一日じゅう彼女の感性を刺激しつづける。そういうとき、彼女は消極的で美しくないはずだ。  髪を何日も洗っていない場合だって、彼女は輝かない。デートにも身がはいらない。好きな男の前で最高の自分を演出できないかぎり、女はおもしろくない。顔がくもるし、ひとつさえない気持ちはすぐに態度にもあらわれる。  たとえばこういうことだ。  仮に今夜、私がディナーとダンスの晩餐《ばんさん》会に出席するとする。そういう場合は、前の晩からぐっすりとよく眠っておかなければならない。若いころならともかく、私のような年になると、夜ふかしはすぐ顔にでるからだ。できることなら、当日の午後三時ごろから一、二時間昼寝ができると理想的だ。  パーティーが夜あるからと言っても、仕事は仕事だ。家族の者がでかけてしまったあと、いつものように机に向かう。  ちがうのは、今夜着るドレスをだして、眼につくところにかけておくことくらい。  こうしておくと、意識のなかに、今夜のパーティーのことが絶えず思い起される。これが大事なのだ。無意識のうちに、今夜にかけて自分を駆り立て緊張感を増し、私なりに自分の最高の魅力をつくりあげていく——壁にかかったドレスは、その暗示の役割を果たすわけだ。  さて、ふだんのように二時に仕事を終える。特別の夜は、台所などへいって子どもたちの夕食のしたくなどはしない。そういうことは緊張感をふいにしてしまうからだ。子どもたちの夕食は昨日のうちにつくってある。あたためればいいだけにして、でかけられるようにしておくのだ。  二時から四時まで、アイマスクをして眠る。あるいは少なくとも眠るように努める。  四時にお風呂にゆっくりはいる。五時に美容院にアポイントメントがとってある。シャンプーとブローだけだから一時間。六時にもどって、子どもたちがシチューをあたためて夕食をとっているのをたしかめておいて、ざっとしてあったメイクをとり、本格的に化粧を始める。これに、私の場合は十五分。  そのころになると、夫が勤めからもどり、シャワーを浴び、タキシードに着替える。  七時にたのんでおいたタクシーが家の前に止まる。私はロングスカートの裾《すそ》をよごさないように軽くつまみあげて、タクシーに乗る。  化粧も終り、髪もととのい、ドレスを着終り、鏡の前に立った私に、私は満足する。それは私なりにきれいだからだ。シャワーでからだもきれいになっているし、爪《つめ》もピカピカにマニキュアしてある。どこをとっても、油断したり、手ぬかりはない。そのことを知っているから姿勢も自然によくなる。  ドレスはきれいだし、絹の肌ざわりは最高にうれしいから、私の表情もやわらかく満ち足りている。  最後に、夫がこう言う。 「うん、なかなかいいね。今夜のキミはとてもきれいだよ」  すると、私はますます自信を深め、自分の眼がきらきら光りだすのがわかる。なんとなく内側からにじみだすような輝きを、私も私なりに発しているのが感じられる。  総仕上げはパーティーの会場でのひとびとの視線だ。  他人の視線——夫をふくめて——が女を美しくするのだ。  だから、だれも私をチラともみてくれなかったら、たちまち私はしぼんでしまうのだろう。  けれども、その夜、ひとびとが、女も男も私をみてくれることを、私は知っているのだ。  なぜなら、自分が輝いていることを知っているからだ。この輝きをもつかぎり、どんな女も——男でも——人の目をひきつけられる。  もし私がなにかひとつ気に入らなくて——寝不足でまぶたがふくらんでいたり、仕事の締切りの都合でどうしてもシャワーを浴びている時間がないとか、髪をブローしてもらうひまがなかったとか、ドレスがひとつさえないとか、そういう理由のなにかひとつで気持ちが落ちこんでしまったら、その夜のパーティーでだれも私をみないだろう。くすんだ中年の女がひとりいるくらいにしか、目立つこともないだろう。  生れつきの美人だって、同じことが言えるのだ。自分に自信がなければ、他人をひきつけられない。自分を自分なりに最高に美しいと思いこまなければ、人をそう思わせることもできない。  女たちが私をみつめ、知っている顔が近づいてきてドレスをほめたり、男たちがすれちがいぎわに特別の親しみをこめて微笑んだりしてくれるうちに、私はどんどん自分の輝きが増していくことを感じるのだ。そういう夜は最高だ。  だれだって、どんな女だって、人目をひくことができるのだ。緊張感をぎりぎりまで高めることによって。神経をすみずみにまでこまかくくばることによって。  けれども、だれでもまた、女は、自分を世界一みすぼらしく、きたなくみせることもできる。ジャクリーン・オナシスだって、オードリー・ヘップバーンだって、エリザベス・テイラーだってそうだ。彼女たちが自分の姿や顔にかまわないとなったら、それはもう目をおおいたくなるほどの醜態になってしまうのだ。  私たちは顔や姿で自分を売りだしているわけではないし、それで生計を立てている者ではないから、ひとびとにあたえる幻滅は、それほど事件にはならない。  それでもたとえば、私が、一日じゅう机に向かってうつむいて物を書いていたそのままの顔で、家族の前にでていくと、夫はぎょっとした表情をするし、子どもたちは、ママ、お化粧しなさいよ、と言う。すわりつづけていたために、トレーナーの膝《ひざ》がすっかり抜けて、みるも無惨だ。これがあの夜会のときと同じ女の姿かと、我ながら一日じゅうかきむしりつづけた我がざんばら髪をみつめて、唖然《あぜん》とする。  ずっと前に、とある座談会で山口洋子が言ったことがある。 「女の作家に美しい女はいないっていうけど、ほんとだねぇ」  彼女と私は、ほんとだと顔を見合せて笑い合った。私はもちろん美しい種類じゃないし山口洋子も美人とは言えない。  作家をやっている女が、人目に美しく魅力的にみえないとしたら、それは職業的理由にもよるのだ。一日じゅう、ことによったら夜中まで、机に向かって呻吟《しんぎん》し、髪かきむしっていたら、美しくなりようがない。  だれも、書いているときの女の姿など眺めてはくれないのだから——眺めたいと仮に言われても、物を書いているときひとが部屋にいたら、大変に迷惑なのだ——人目にさらされることなく、緊張感なく、一日の大半を過すわけだ。  物を書くのに、化粧をする必要もないのだし、編集者たちがたずねてはくるが、彼らはなにも私を女として眺めにくるわけではない。ドレスや身のこなしをほめにくるわけでもない。ひたすら書いたものを取立てにくるわけである。彼らが興味を示すのは、私の顔でも、ドレスでも、姿でもなく、文字のうまった原稿用紙だけなのである。  だから、自分のほうから原稿をとどけることでもしないかぎり、何日も外にでない日がつづくだろう。  物書きの女は美しくなれないわけである。  私などはまだひどく色気のあるほうだから——人生とか人間とか、男に対して——なんとなく部屋のなかにくすぶっていたくないと思う。それで二時には仕事を断固打ち切り、外界とのコンタクトをもつようにしている。  対談とかインタビューも、できるだけ自宅は避けて、ホテルのロビーとか、しゃれたレストランを指摘して、でかけていくようにする。そうすれば、いやでも化粧をしたり、ドレスに気をくばったり、おろしたてのストッキングに脚をとおしたりするわけだ。  そういう人目の多い場所に自分を連れださないと、くすんで、色褪《いろあ》せしぼんでしまいそうな気がするからだ。  もっとも、そういうことをしている間は、小説のほうにほんとうには身がはいらないのかもしれない。そういう俗気のある色気というのは、文学には邪魔なのかもしれない。  かといって、私は女仙人のようには生きられない。印税の大半をドレス代にかえるものだから、私の衣装ダンスは、まだ一度も着ていないドレスでふくれかえっている。それに全部一度は袖《そで》をとおすまで、外へでかけていきたいものだ、と思う。  作家の「私」と、女の「私」  小説家というのは不思議な商売で、いろいろなことを言われる。  まず、 「小説の主人公とそっくりですね」  というのがある。驚くことにはまさに反対の、 「主人公とは似ても似つかないので、びっくりしました」  と、言われて、こっちもびっくりする。  ある講演会のとき、 「森瑤子のイメージが完全に狂いました。いまにも死にそうなひとがヨロメキながら登場すると思ったのに、目の前にいるのは日焼けした元気いっぱいの人物で——」  と、テニス焼けの私をみてあいた口がふさがらないと言った女性がいたが、そんなことを言われても困るのである。彼女は、私の『夜ごとの揺り籠《かご》、舟、あるいは戦場』という、かなりシリアスな小説を読んだばかりだったらしい。  それでもやはり、私としては途方にくれてしまうのだ。作者と登場人物を、そうぴったりとかさねて読んでもらうと、いろいろ問題がでてくる。 「あれ、森さんの弟さん? あなた十四歳のときに自殺したんじゃなかったの?」  と、私の実弟は言われたそうだし、私の妹など、小説のなかでは、姉である私のゆがんだ嫉妬心《しつとしん》から、乳母車《うばぐるま》ごと坂の上からつき落されて頭が少しおかしくなっていることになっている。それがぴんぴんしてPRの仕事などしているから、ひとは、 「あなただいじょうぶなんでしょうね」  というふうな目で、ときどきみるそうなのである。  だとすると、この私自身はどうなるのだろう。何十回何百回となく浮気や情事をかさねた不貞な女ということになってしまう。だとしたら、まともに顔をあげて道も歩けない。電車にも乗れない。 「小説ってつくりごとなんですよ。作家って天才的な嘘《うそ》つきなんです」  と、だからことあるごとに口にだして釈明しなければならない。  けれどもいっぽうでは、こういうことも言えるのだ。知らないことは、書けません、と。  知らない土地について私は一行も書けないし、体験したこともない感覚や、みたこともきいたこともないことについて書けと言われても、それは無理な相談だ。もしかしたら想像力は人一倍あるかもしれないが、事実の裏づけがなければ作品のリアリティが欠けてしまう。リアリティのない小説など、およそつまらない。  そんなわけで、作者と作品のなかの人物とは、まったく関係ないとは言えない。多かれ少なかれ作者自身がかさなっていることはいなめない。どの程度のかさなりがあるかはその作品にもよるが、平均して——これもひどく乱暴な見方だが——三十パーセントくらい作者自身がどこかに顔をのぞかせているのではないかと思う。  それもほとんど、感覚とか意識的、無意識的分野での話であって、登場人物がすることや置かれた状況などではない。言いわけがましいが、登場人物たちがすることや言うことは、これはほとんど想像上のことだ。つくり話だからこそ、話がおもしろいのだし、いきいきとしてくる。私はそう信じている。 「小説の主人公にそっくりですね」と言われると、じつにおもはゆい。ひどく派手で、高飛車《たかびしや》で、自我の強い女たちを書いているわけだから、ほめられているとは思わないが、少なくとも自分では、そういう女を魅力的に書いているつもりだから、ほんとうに恥ずかしくなってしまう。  実際の作者なんて——とくに私の場合——おもしろくもおかしくもない。ホテルのロビーで待ち合せることにさせた主人公の女は、アライアのドレスに身をつつんでいるかもしれないが、作者は着古して袖の抜けたようなセーターに、やっぱり膝の抜けたようなトレーナーをはいて、冬の真《ま》っ只中《ただなか》には、ウールの衿巻《えりま》きをし、ラムの半纏《はんてん》をはおり、それでも冷えると仕事場にこたつまでもちこんで、鼻水をすすりつつ背中を丸くしてアライアの女を書いているというのが、嘘いつわりのない姿。  それでも、対談だとか、インタビューだとか、講演会だとか、人前に姿をさらさなければならないことも、ままあるわけで、そのときはそのときの覚悟を決めてでかけていく。つまり一歩外にでたら、そこは戦場だと思うことに決めて、戦場に繰りだしていくかぎりいちおう武装するわけである。  私のことをして、おしゃれですね、と人が言う場合、私は戦闘服に身をかためているのにすぎないと思っている。ほんとうは怖くてしかたがないのだ。逃げ帰りたい一心なのだ。怖ければ怖いほど、私はファナティックな服装になっていく。  講演会などでは、直前にトイレに駈けこんでゲエゲエやる。三十分も話していると胃が痙攣《けいれん》してきて、十分くらい休憩させてもらわないことには、床をころげ回りそうになったことも何度もある。なんとか無事に終ると、ほうほうのていで逃げ帰ってくる。  作者は、作中人物になど断じて似てはいないのだ。作中人物の陰で、わなわなとおびえ、震えているのが作者なのだ。  ところがあるとき、こんな経験をした。  例によって、人前でしゃべらなければならないハメになった。カルチャー教室かなにかで、『私の小説作法』といったようなことをしゃべってくれと言うのである。  私には、ひとに小説づくりを教えるほどの知識も才能も体験もない。むしろ教わりたいくらいだからと、さんざん辞退したのだが、むしろありのままのその自信のないところを生徒に話してやってほしい、と妙なところを強調された。つまり、あなたのような、ひとの妻であり、三人の混血児の母親であり、ヴァイオリニストのおちこぼれであるところの女でも、小説が書けた、というようなところをしゃべれというわけである。若い後輩に自信をつけてやってほしいのだと。  で、気の弱い私は、それならばと泣く泣く引き受けた。  生徒よりも一時間もはやくついてしまい、一生懸命メモをとった。時間が近づくにつれて、口のなかで舌がノドのほうへめくれこむような感じになって、足がすくんだ。最悪のコチコチのコンディションで、わなわなと震えながら教室へひっぱっていかれた。いまにもぶったおれそうであった。  相手は小説家を志す、恐ろしいひとびとなのである。老若男女、いっせいに私を凝視した。私はすくみあがり、硬直したままなにかをしゃべった。なにをしゃべったのか、最初の三十分ほどはまるでおぼえていない。とにかくしゃべったことはたしかだった。それもかなりの早口でやったらしい。  ふっと気がついた。私と同じ年齢ぐらいの女性の生徒と目が合った。ドキッとして目をそらそうとした。私と同じくらいの年齢の女性がこういう教室で勉強しようというのだから、きっと強い意志の持ち主だろうと思った。ところが、彼女のほうが一瞬だけはやく視線を机の上に落したのである。  もしかしたら? と、そのとき思った。このひと私が怖いのかしら? つかの間だったがそう感じた。すると不思議なことに、私の硬直状態が解《と》けたのだった。うわすべりしたような声がふだんのトーンにもどり、胃のあたりが急に楽になった。私は拍子《ひようし》抜けしたように、ストンと椅子にすわりこんでしまった。 「ほんとうのことを言って、いまのいままで私あがっていたんです」  と、自然に白状した。 「なにを言ったのかまるでおぼえていませんけど、始めからやり直します」  すると教室じゅうのひとびとが笑った。 「あのね、じつはわたし、みなさんがとても怖かったんです」  私も笑いを取りもどして言った。 「ぼくたちもです」  と、そのとき一隅から声がした。三十代の男性が、私にまっすぐ目をすえていた。 「ぼくたちも、森瑤子という作家がきて、目の前でしゃべるってことで怖かったんです。ぼくたちもおびえていました」  あの一様にかたく冷たくみえた目の色は、そのせいだったのだ。私たちは、お互いに対して恐れを抱いていたのだ。私だけでなく、生徒たちもまたおびえていたという発見のおかげで、私は教室でしゃべることが、以前ほど苦痛ではなくなった。  けれども完全にリラックスしてしゃべるということは、夢のまた夢で、二時間しゃべり終ると、真っ青になっている。からだじゅうの血を放出してしまったあとの人間のようにふらふらになる。  小説家は机の前にいればいいのに、といつも思う。  エッセイというのも、同じようなことが言える。エッセイのなかでは嘘がつけない。つくりごとが言えない。血を流す作業である。だからやっぱり、この本を書き終えたとき、すべての血を放出してしまったような気がした。  小説家は、小説だけを書いていればいいのに、とそんなときに思う。 KKベストセラーズ社、六〇年三月刊「復讐のような愛がしてみたい」改題 角川文庫『恋愛関係』昭和63年8月10日初版発行           平成12年10月10日46版発行