森 瑤子 恋の放浪者《バガボンド》 目 次  スキャンダラスな女恋の放浪者《バガボンド》——序にかえて  ㈵ 恋におちて……    大人の女に変わる夢十二夜   あなたの恋は本物ですか?   別れの予感   鏡の中のあなたに   サンキュー・レター   素敵な女《ひと》の条件   若すぎる友人のこと   女たちの旅   いつか必ず、きっと……   恋に恋する娘の話   二十歳のおばさんたちへ   制服を捨てよう   世界におけるあなたのこと  ㈼ 絡みあう視線    身を焦がす男と女の夢六夜   マダムとジゴロ   手は口ほどに物を言い   嫉妬《しつと》に身を灼《や》く女の話   折り返し地点から自分探し   血液型症候群   夏のトルコにて  ㈽ 女だけの夜どおしおしゃべり    別れ上手に乾杯する夢十一夜   おむすびのことから   夫を貸してくれたがる女ともだちの話   ローレン・バコールふうの女が醜く見える時   アヌーク・エーメみたいな女   男になりかかった女   シンガポールのスーザンのこと   自然の女《ひと》が素敵   「私」症候群   女ともだちの条件   離婚宣言は女から   女は恋する男で変わる  スキャンダラスな女恋の放浪者《バガボンド》——序にかえて ひとの亭主だろうと恋人だろうと おかまいなしの泥棒猫!!  評判の悪い女だった。  不倫の恋の一度や二度、経験済みの女たちが大手を振ってまかり通るみたいな風潮の今日でも、その女の言動はきわだってスキャンダラスであった。  何よりも同性の女たちに蛇蠍《だかつ》のごとく嫌われていた。彼女と係わりをもった男たちの中には、殺してやりたいほど彼女を憎む者もいた。  パーティーの集まりの中に、彼女の名前があると欠席する人たちもいた。彼女はめったにパーティーに呼ばれることはなくなった。  女たちは言うのである。 「あのひと、モラルってものがないのよ」 「ひとの亭主だろうと恋人だろうと、おかまいなしなのよ」 「泥棒猫ね、まるっきり」  でもそれは正しくない。正しくないということを、当の彼女は知っているし、女たちも知っている。  彼女は、他人に属する男には絶対に、手を出さないことを、彼女なりのモラルとしているからだ。彼女は女友だちの夫や恋人を奪ったことなど、一度もないのである。  彼女の言い分はこうだ。 「男が勝手に私を好きになるのまで、私の責任じゃないわよ。パーティーで何やかにやと言いよってくる男が、友だちのご主人だったら、そう無下にツンケン出来ないでしょう。私は普通に社交的にやっているだけよ」  とにかく彼女は男たちによくもてる。どこか男の劣情を激しく刺激するものがあるのだろう。どこのパーティーでも彼女の周囲には男たちが群がる。  だいたい日本人のパーティーというのは、女は女だけでひとかたまりになり、男は男だけでワイワイガヤガヤやっていることが多い。そういう中で、男たちに取りかこまれている彼女を、女たちは目の敵《かたき》にするのだ。その取り囲んで鼻の下を長くしている男の一人が、自分の亭主であったりするから、なおさらだ。  ひとつだけ不思議だと私も思うのだが、日本人の妻たちというのはそういう場合、なぜ自分の亭主の耳を引っぱって、その場から遠ざけようとしないのだろうか? なぜ鼻の下を伸ばしてヤニ下っている亭主にお仕置きをしないで、もてる女ばかりを目の敵にするのだろうか?  もっと深刻なケースで、夫に愛人が出来たりすると、つかみかかって髪の毛を引っぱりあうのは女同士である。男はその傍で憮然《ぶぜん》としているという光景が多い。  私なら、私から自分の男を奪った女より、私を裏切った夫に対して、怒りを爆発させるだろう。女にくってかかるかわりに、夫に突進していくだろう。 きれいでもてる、ただそれだけのために 女からも男からも恨まれた女  とにかく、彼女は他人の夫には見向きもしなかった。男が勝手にのぼせあがって彼女を追い回しても、決してなびかなかった。心を奪ったかもしれないが、妻たちからその夫そのものを奪ったことなど、なかったのである。  勝手にのぼせあがって彼女を追い回した男は結局ケンモホロロに振られる。すると彼らは彼女を逆恨みする。寝たこともないくせに、彼女がいかにベッドの中で淫乱《いんらん》かなどということを、知りもしないで知ったようなことをふれ回る。男ってこういう時陰険だ。  結局何のことはない。ただきれいでもてるという存在のために、彼女は女たちからも男たちからも恨まれて遠ざけられてしまうのだ。  ただの一度も他人の夫を寝取ったことはないのに、危険な女、悪女、スキャンダラスな女というレッテルを貼られるのだ。  確かに、彼女は取っかえ引っかえ男を変える。はた目には男なら誰でもいいのではないかというように見える。  けれども、彼女なりに、男に惚《ほ》れるのである。命がけで好きになるのだが、惚れっぽい女の常で、すぐに飽きる。しかし惚れている期間がいかに短くともその間は真剣だ。同時に二人の男と進行するということも、まずない。  普通の女なら、二年も三年も続く恋愛を、二カ月か三カ月で卒業してしまうのだ。もう嫌だとなったらとことんだめで、別れた男には見向きもしない。熱かったぶんだけ、さめると冷たい。捨てられた男たちが、殺してやりたいほど彼女を憎むことがあるのは、そのせいだ。  私は彼女ほど短期間の周期で、人を好きになったり嫌いになったりはしないけれど、彼女のように激しく熱く人生を生きている女性をうらやましいと思いこそすれ、排除したり、嫌いになったりすることはない。私は彼女に自分の夫を取られたこともないし、別に迷惑をこうむったわけではない。もっとも心ひそかに素敵だと思っていた男性を、彼女がいとも簡単にボーイフレンドにしてしまった時には、さすがに心穏やかではなかったが、そうかといって、絶交もしなかった。  彼女は男との約束はよくすっぽかすことで有名だったが、私や、数少ない女の友だちとの約束はきちんと守ったし、時間に遅れて現れることもなかった。おしゃれで、美味《おい》しいものが好きで、旅が好きで、男たちが何よりも好きで、そして会話が豊富だった。 いったい誰がいちばん スキャンダラスなのか?  その彼女がついに結婚したのである。これで彼女の素行もおさまったであろうと、昔の友だちも寛大な心になって、再び彼女をパーティーに呼ぶようになった。  ある時、数年ぶりに私はパーティーで彼女と顔を合わせた。  最初、すぐにはわからなかった。以前ならどこにいたってぱっと眼についたものだった。  彼女は奥さん連中のグループの中にいた。 「あら、しばらくね」  と私は言った。彼女はニコニコしていた。  少しして、奥さん連中がブツブツ言いだした。今をときめく可愛子ちゃんのニュースキャスターに、男共が群がっていたからだった。 「あんな無邪気な顔してるけど、ほんとうはすごいのよ」  と誰かが言った。 「どうすごいの?」  と彼女がニコニコしながら聞き返した。 「あれで案外発展家なのよ」  やがて女たちの悪口が例によってエスカレートしていき、罵詈雑言《ばりぞうごん》風になっていく。私と彼女の眼があった。  そういえば、彼女が他人を悪く言うのを私は耳にしたことがなかったのを思いだした。彼女は奥さん連中の悪口大会には加わらず、なんだか淋《さび》しそうだった。  結局、彼女は少しもスキャンダラスな女なのではなかったのだ。と私は不意に思った。スキャンダラスなのは、彼女ではなく、寄るとさわると陰口や悪口を言っている、普通の奥さん連中なのだった。  ㈵ 恋におちて……    大人の女に変わる夢十二夜  あなたの恋は本物ですか? 恋って痛いもの。ひりひりして、熱が出て、 じっとしていても躰《からだ》が前後にぐらぐら揺れてしまうもの  男のひとと知りあって、お食事を二度ほどして、なんとなく口説かれてベッドに行く。 「わたし、恋人できちゃった」と翌日さっそく友だちに報告したりするけど、ほんとうは彼、恋人でもなんでもない。  お食事を二度して、なんとなくベッドに行くのは、恋でもない。  彼はベッドに誘うぐらいだから、あなたのことを好きかもしれないけど、愛してはいないのだと思う。もしかしたら、単にセックスがしたかっただけで二度のお食事は言ってみればあのことの前払いかもしれないのでは?  恋ってそんなものじゃない。  恋って、痛いものじゃないかしら。それもものすごく痛いものなの。ひりひりして、熱が出て、食欲がさっぱりなくなり、じっとしていても躰《からだ》が前後にぐらぐらと揺れてしまうのだ。彼のことばかり考え、電話の前で何時間も待ったり。けれども自分の方からは怖くてダイヤルが回せない、日に何十回も受話器を取り上げてはみるのだが、結局戻してしまう、そのくりかえし。苦しくて、惨めで、吐き気さえする。それでいてめくるめくように幸福で、淋《さび》しくて。一体私はどうしてしまったのだろうと涙ぐんだり。それが恋。  いつもいつも心の中で怯《おび》えて震えている。それが恋。  そんなある日、恋人が言う。 「今夜、僕たち寝ようか」  どうしてホイホイとホテルへなんてついて行けるだろう? 「今夜は、いや」  だけど白状すると、心の底では本当は男と女の関係になりたくて、彼の胸に抱かれたい気持ちで一杯なのだ。 「僕のこといやなの?」 「違うわ。あなたに夢中だからよ。だから……」  あなたに狂ったみたいに夢中だから、今はだめなのよと言っても、若い男には理解してもらえない。 「それならいいよ」と彼はすねるのだ。「別にきみだけが女だってわけではないからな」心にもないことを。  けれども彼女はその言葉にいたく傷つく。傷ついて当然だ。 「それならどうぞ勝手に探したら?」心ははりさけそうなのに、ひややかな口調。ほんとうは、身を投げだして、泣きたいのに。すがりついて言いたいのに。いやよ、捨てないで。他の女となんか寝ないでちょうだい。 「冷たいね」と、恋人は言い捨てて歩きだす。彼女から遠ざかる。  怖ろしい沈黙の数日が過ぎる。あなたは待つ。震えながら待つ。  ついに電話のベルが鳴る。 「ボクだよ。ごめんね。悪かった。やっぱりきみが必要なんだ」と彼が口ごもりがちに言う。「あの時、断ってくれてありがとう」 「あなたが大切だったからよ。わたしたちの恋が大事だったから……」  セックスを遠ざけると心が結ばれる。  一方、もしかしたら、二度と彼から電話はかからないかもしれないのだ。セックスを断ったらそれっきりってことだってあるのだ。  でも、それならそれでいいんじゃない? その程度の男なのだから、かえって別れた方が身のためだったかも。彼はあなたに恋をしていたわけではなく、ただサカリがついていただけなの。 どんなに愛しあっていても いつか必ず終りの日はくる  もう少し大人になると、もう少し男と女のことが見えてくる。 『恋におちて』という映画を見た人は覚えていないだろうか。 「食事でも一緒にどう?」と、ある日ロバート・デニーロふんするところの恋する男が訊《き》く。 「でもわたし、結婚しているの」と、恋する女を演じるメリル・ストリープが答える。 「僕もだ」デニーロが微笑《ほほえ》む。「食事、だめかい?」 「……夫がいるのよ」当惑気にストリープ。 「……僕も妻がいるけど」とデニーロが呟《つぶや》く。 「でもさ、結婚してても昼飯くらい食べるだろ?」  二人はそこで笑い、笑ったために緊張がほぐれ昼食を共にすることになる。  さて、恋心は狂おしく燃え上る。 「いいだろう?」とデニーロが熱い眼でベッドのことを問いかける。 「でも」とストリープは遠い不安な眼をして呟く。「週に一度、それとも二度? それからどうなるの?」哀《かな》しみと皮肉と愛の入り混った表情が印象的だった。  男と女が寝るようになれば、いずれ二人の関係は終局を迎えるのだ。(結婚に至る道を選べば話は別だ)いかに愛しあっていようと、肉体関係が始まった時点で、恋の終りが始まるのだ。どんなにゆるやかな曲線であろうと下り坂は下り坂だ。そのことを知っている大人の男と大人の女の恋は哀しく不毛だ。  結局、二人はセックスをしないまま別れることになる。愛しあっているのに別離が訪れる。 肉体の裏切りは許せても、 心の裏切りは許せない  ある夜、デニーロの妻が言う。 「何か隠しているわね?」 「いや別に」 「いいえ、隠しているわ。話して」妻は真剣だ。その眼差《まなざ》しのために、夫はぽつりともらす。 「実は、電車の中で女に逢《あ》った」 「彼女を愛しているのね」 「だが何でもないんだ。何も起らなかった。何も起らずにボクたちは終った」  沈黙。そしていきなり妻の平手が夫の頬《ほお》を打つ。 「その方がはるかに悪いわ」  さて、若いお嬢さん、あなたにそう言った妻の気持ちが理解できるだろうか?  女と浮気したり、浮気の延長で寝るのなら許せるのだ。長い結婚生活の間に、そうした異性の影が射《さ》すからこそ、結婚が安泰に乗りこえられるということもあるのだ。  だから寝るような相手ならいいのだ。しかし。  夫の恋は本物なのだ。相手とセックスができないくらい愛していたのだ。これは裏切りである。愛の裏切りである。  肉体で裏切られるのならまだ許せるのだ。心の裏切りは許せない。そういう発想である。  この映画では、そのために夫と妻が離婚してしまうのである。何もしなかったのに。ベッドへ行ったわけでもないのに。  二度ばかり食事をしてベッドに行くのが恋の始まりだと信じて疑わないあなた。あなたみたいな若い女性がたくさんいると、世の中の男や、その男の妻はむしろ安心なのです。あなたのような人たちのおかげで、夫が本気で恋をしないですむからです。  あなたたちのような女のひとたちのおかげで、結婚生活にちょびっと風が吹き、淀《よど》んだ空気が入れかわり、夫婦は再びしっかりと寄りそうのです。  世界的大富豪のナディーヌ・ロスチャイルド夫人はこう言ってます。「夫ほどの財力があれば、欲しいものは全て手に入るわ。女だってそうよ。でも私は少しも怖くないの。ただ若くてきれいなだけの女なんて、面白いのは最初の三分間だけよ」  そんなふうに言われて口惜《くや》しかったら、ぜひとも素敵な女性になって下さい。  別れの予感 私の顔を見ると 胸が一杯になってしまう若い娘の話  私の友だちの中で一番若いその女友だちは、少し前まで私の小説の熱烈なファンの一人だった。  ファンレターが来て、二度か三度に一回私は返事を書いていた。彼女のファンレターは、まるっきり恋文のようで、それもいささか激しい恋文だったので、私は年がいもなく恥ずかしくもあり照れくさくもあり、不安でもあり、やっぱり人にそんなふうに思われることはうれしくもありで、困惑していたからだった。  手紙のやりとりが続いた後、今度は電話がかかりだした。そのうち、本人が直接私のところへ訪ねてきてしまった。  私はすっかりうろたえて、仕事着のトレーナーのぬけた膝《ひざ》を気にし、掻《か》きむしるためにザンバラとなった髪の毛をあわてて指で撫《な》でつけて、言いわけした。 「ごめんなさいね。原稿を書いている時は、いつもこんななの」と、まあやんわりと、突然訪ねてきた彼女をたしなめるニュアンスもこめて、そう言った。 「いいえ、かまいません。素顔の森先生も素敵です。ますます好きになりました」  私は彼女の眼を見て、主人を慕う子犬のような熱い眼だと思った。すると今にも顔をペロペロとなめまわされるのではないかと、咄嗟《とつさ》に後退《あとずさ》った。  しかし、その若い突然の訪問者は、私の花の素顔をなめるようなことはせず、ペコリとおじぎをすると言った。 「今日はこれで帰ります。あんまり胸が一杯で何も言えそうもありませんから」  私は顔をペロペロなめられなかったことに一安心したのとは逆に、そんなふうに人の顔を見るなりそそくさと帰ってしまうのは、きっと私という小説家の素顔に内心幻滅したからだろうと、一瞬あらぬことを想像した。 「ごめんなさいね」と、謝ったのは、幻滅させてしまったことに対してだった。 「いいえ、そんな」と若い女性は首をふった。 「又、来ます。来てもいいですか?」 「その時は前もって電話をくれない? 留守ということもあるから」もう来ないだろうと思ったので、私はそういって彼女を見送った。  ところが又来たのである。それもしばしば来たのである。  来ても私の顔を見ると胸が一杯になってあまり喋《しやべ》れず、唐突に帰って行くのだった。そんなふうにして、彼女は私の友だちの一人になった。 男は、 自分を世界一素敵な男と信じている女から離れられない  それから二年近くがたつ。時々、他の女友だちと食事をしたり、音楽会に行ったりする時、私は彼女を一緒に誘ったりした。 「どうしたの、あなたそんなにコチコチになって」と、もっとずっと年上の私の友だちがズケズケ言うのだった。 「そうなんです、私、森先生の隣に坐《すわ》るだけで、胸がドキドキするんです」と彼女は顔を染めて答えた。  後で口の悪いその女友だちが言った。 「あの娘《こ》レズなんじゃないの?」 「ぜんぜん違うわよ」と私は一笑にふした。その若い友人が目下恋愛中なのを知っていたからだ。  クリスマスも近いある日のことだった。私はよく行くカントリーウエスタンの店で、例によって幾人かの女たちとお酒を飲んでいた。  私が毎週その日にそこにいるのを知っているので、若い友人もちょっと遅れて顔を出した。  来た来た、と私の悪友共が膝《ひざ》をつめて、私の横に空席を作った。  その夜にかぎり、若い娘は元気がなかった。 「どうかしたの?」と私は訊《き》いた。 「私、もしかしたら彼に捨てられるかもしれません」 「どうしてそう思うの?」 「わかるんです。予感があるんです」 「その人が大事なの? 別れたくないんでしょ?」 「二番目に大事なひとです」と彼女は少しうるんで見える眼をしてそう言った。一番目が誰なのか、私は訊かなかった。 「あの人薄情なんです。私という女がありながら、他にも四人もいるんです」 「そんな男、さっさとこっちから捨てちゃいなさいよ」と、年上の、私の友人が口をはさんだ。 「何度もそう思ったけど」と若い娘は語尾を濁した。 「彼とはずっと上手《うま》くいってたんでしょ?」と私は訊いた。 「とんでもない。いつもケンカばかり。私がいけないんです。すぐ突っぱっちゃう。心とは別のことは言う、嘘《うそ》はつく、約束はすっぽかす、すぐ膨れる。どうしてかわからないけど。でも死ぬほど好きなんです」 「それはだめよ。作戦変えなくちゃ」と、私は言った。男というものは最後まで突っぱり通している女には疲れを覚えるものなのだ。 「こうしたら?」と私はアドバイスした。「私と一緒にいる時みたいにするのよ」つまり、一緒にいるとうれしいとか、胸がドキドキするとか、胸が一杯で何も喋《しやべ》れないとか。  それから私はジャクリーヌ・ケネディーのことを例に少し説明した。  ジャクリーヌという女性は、男の心を引きつけて離さない術《すべ》を本能的に知っていた。  彼女と一緒にいると、男は、自分は世界一才能があり、世界一ハンサムで世界一有能な男のような気持ちにさせられるのだ。  ジャクリーヌは、大きく見開いていた眼をうるませて、相手の言葉を熱心に訊き、尊敬と敬愛と愛情とに満ちた言葉を惜しみなく、ふんだんに、その男に浴びせかけるのだ。  どんな男だって、自分を世界一素敵だと信じさせてくれる女からは離れられない。 誉め、敬われることによって、 驚くほど出世する男たち 「そんなこと、出来ません。そんなお世辞、言えません」若い娘は当惑したように呟《つぶや》いた。 「あら、できるじゃない。あなた、私にいつもそうしているじゃない」私は心からそう言った。そして自分でそう言いながら、普段照れながらも、なんとなく彼女のことを可愛いと思うのは、彼女が私のことを世界で一番すばらしい小説家だと思っていてくれるからだ、ということが、私にもはっきりわかった。彼女が側にいると、私は自分が素敵な女で、才能があると、なんとなくそう信じてしまうからだった。 「私と一緒にいる時と同じように、彼にもしてあげたら?」  若い娘はじっと考えこんでから、「そうですね、やってみます」とうなずいた。  口先のお世辞ではない。心からの賛辞を言うのには、その人を本当に愛さなければならない。ジャクリーヌはそうして後に大統領となるケネディーを手に入れたのだし、未亡人になると同じようなやり方で、世界的富豪のオナシス夫人におさまったのだった。 「私なんかいくら賛辞を言ってくれても、せいぜいこうして時々一緒にお酒を飲む程度のことしかしてあげられないけど、これと思った男なら、やってみるだけの価値はあるわよ」  男というものは、そういう女は捨てられない。そして男というものは、誉め敬われることによって、驚くほどやる気を出し出世するものなのだ。  鏡の中のあなたに 気持ちが悪いくらい 誉めて誉めて誉めまくるその理由  ジャクリーヌ・ケネディーは、とても誉め上手だったという。  とりわけ美人でもなく、スタイルだってとびぬけて良いわけでもないジャクリーヌが、大統領夫人におさまったり、ケネディーなきあとは、世界的大富豪オナシス夫人になれたのは、彼女が男をいい気持ちにさせるテクニックを、熟知していたからである。  どんなひとだって、誉められれば悪い気はしない。あきらかにお世辞だとわかっていても、照れながらなんとなく顔がほころんでしまう。  お世辞でなく、心からそう信じて誉めれば、人間というものは驚くほど反応する。  たとえば私はよく女友だちと誉めあう。気持ちが悪いくらい相手のことを誉めて誉めて誉めまくる。 「あら、ヨーコさん、今日のそのドレスよく似合う」と誰かが言う。 「ほんと素敵よ。女ぶりが一段と上るし、ニューヨークあたりのいい女ふうよ。髪型もよくあってるし」 「あらあなたたちだって」と私はもう満面ニヤニヤしながら必死で言い返す。「ノリコはすごくシックよ。黒をノリコほどよく着こなす女はいないわよねえ。それにチャコもすごいじゃない、そのパット。いいわぁほっそり見えるし、色もきれい。五歳は若く見えるわよ」  アクセサリーを誉め、着こなしを誉め、延々と誉めあいが続く。  そして次に逢《あ》う時、鏡の前で思うのだ。——このあいだニューヨークのいい女ふうだとかなんとか言われたけど——それじゃもうひと工夫して、とがんばるわけである。むろんもう一工夫というのがアクセサリーを余分につけ加えることとはかぎらない。逆にアクセサリーの類を全部とってしまうことだって大いにある。 「あなたは美しいひとですね」 彼の言葉が私の耳に棘《とげ》のように突き刺さった  女に誉められたって、かなりうれしいけど、それが男だともっとうれしい。  もうずいぶん前のことだけど、ある新聞記者が私に色々インタビューしていた時のことだった。ふと彼は口をつぐみ、それからさりげなくこう言った。——あなたは美しいひとですね。  そして再び、そんなことは忘れて、彼は私へのインタビューを続けた。  あなたは美しいひとですね、という言葉は、私の耳に棘のように突き刺さった。自慢ではないが、かつて一度だって誰からも私は美しいなどと言われたことがない女なのである。  私はドギマギして、次に彼が私をからかったのに違いないと内心大いに腹をたて、後半のインタビューは支離滅裂となって終った。  その時、私は少しもうれしくなかった。変な人。ひとを馬鹿にして。ふんだ、と心の中で思いながらその記者を見送った。  にもかかわらず、私は彼が帰ってしまうと洗面所の鏡の前へ行った。鏡の中に自分の顔を映して、つくづくと眺めた。どうみても美しさとは無縁の顔なのであった。失礼しちゃうわ、バカみたい。私は自分の顔にむかって舌を出して、そこを離れた。  だが、彼の残した言葉は一瞬たりとも耳を離れなかった。——あなたは美しいひとですね——。たえず彼の声が私の耳へとそう囁《ささや》きかけるのだった。  奇妙なことに、それは少しずつ快い響きを持つようになった。すると更に奇妙なことに、鏡の中に映る私の表情は、柔らかく、明るくなっていくようなのだった。  痩《や》せなくては、と思って食事に気をつけるようになり、ドレスやアクセサリーにも神経をつかい始めた。あの言葉には怖ろしいほど魔力があった。  あれから何年もたった今、鏡の中の私は、たしかにその分何年か年をとった。けれどもまだ今より若かったあの頃の私と、白い髪が目立ち始めた現在の私とを冷静に比べてみて、私はこう思うのだ。——たしかに、今の私の方がいい、と。美しいとかきれいだとかチャーミングだとか、そういう言葉とはやはり無縁だが、私の表情に何かがともり、それが私という女を輝かせているのがわかるのだ。  その何かをともらせてくれたのが、あの時の新聞記者の誉め言葉だった。  あの時彼が私にあの言葉を言わなかったら、私という女はもしかしたらザンバラ髪のおばさん風に年をとっていったかもしれないと思うのだ。人を誉めるということは、それくらいすごいことなのだ。 鏡の中の自分を 自分で一生懸命誉めると何かが変わってくる  もしあなたが、恋人を、あるいは夫の才能を飛躍的にのばしたいとか、できるだけ出世してもらいたいと思ったら、心をこめて誉めることである。 「ほんとに嫌になっちゃう。あなたってダメな人《ひと》なんだからッ」なんてことは、死んでも言わないこと。本当にダメ男にしたいのなら別だが——。  コツは自分でも恥ずかしくなるくらい、臆面《おくめん》もなく誉めちぎること。もちろん大まじめに。こちらが照れたりニヤニヤしては相手に誠意が伝わらない。森瑤子に騙《だま》されたと思って、一度、試してみたら? びっくりするくらい効果があるはずだから。  さて最近、私のことをあの時の新聞記者のように誉めてくれる男性が現れない。そこで私は自分で自分を一生懸命誉めることにしている。  鏡に向ってブツブツ呟《つぶや》くのだ、——うん、今日はいい顔してるわよ——。  もう少し積極的に誉めてやる日もある。——なかなかいいじゃない、いい女よ。  時には叱る。——どうしたのよ、お腹のあたりに余分な脂肪がつきかかってるわよッ。  ついで近くの棚の切り花も誉めてやる。——きれいよー。不思議だけど、そう一言言ってやると花も生々と顔を輝かせるのがわかるのだ。きれいきれい、匂《にお》いも素敵。すると匂いも一段と増すのだ。嘘《うそ》ではない、ほんとうの話。  手乗り文鳥の�ペッカー�にも私は言葉をかけて通り過ぎる。——ペッカーちゃん元気? 今日はきれいよッ——。  コリー犬にもついでに一言。�キャンディー�、あんたもステキよ——。そんなわけで我が家の文鳥も犬もかなりの美人である。 「かわいい、かわいい かわいくて食べちゃいたいッ」  子供たちを誉めるのは実にむずかしい。誉められるようなことをめったにしないどころか、やることなすこと母親の気に入らないことばかり。靴は脱ぎっぱなし。手は洗わずに冷蔵庫に直行する。歯を磨かずにベッドにもぐりこんでしまう。TVを見ながら宿題をする。コタツで眠ってしまう。誉め言葉よりこごとがどうしても先行してしまう。  だけど子供こそほんとうは誉めて誉めて誉めちぎってやるべきなのだ。うちの子はいくら探しても誉めてやれるような行動をしてくれないので、仕方がないから私は一日の終りに抱きしめて言う。  ——かわいい、かわいい。かわいくて食べちゃいたいッ——。もうやけっぱちでそれしかない。子供たちが悲鳴をあげるまで抱きしめて、かわいいと連発して、おやすみ、である。  子供たちよりもっと誉め難いのは私の夫。このひとは時として私の最大の敵にもなってしまうひとで、小憎らしい相手なのである。いまさら、顔を誉めたりスタイルがいいと言ったって、白けるばかり。下手に誉めるとうさん臭げに上目遣いにこちらを見て、また何か後ろぐらいことをしでかしたな? などというようなことを呟《つぶや》く、素直でないのだ。  敵もなかなか私を誉めてくれない。たまにそのドレスいいね、などと彼が言うと、何よ、どうしたのよ、ガールフレンドでも出来たの? と私が嫌味を言う。我々はお互いに相手を出世させない夫婦なのに違いない。なかなか理想通りにいかないこともあるのだ。  サンキュー・レター 会話を盛りあげる魔法の小物 『カンバセーション・ピース』  先日我が家にお友だちをよんで、手巻き寿しのパーティーをした。  私の住んでいる下北沢には、安くて新鮮な八百屋さんや魚屋さんがあるので、手巻き寿しは、お客さまでなくともよく我が家のメニューに顔を出すレパートリーである。  第一、材料をお皿に移して盛りつけるだけで、あとはお客さまたちが各々勝手に、クルクルと手巻きにしてくれるので、忙しい時にはうってつけ。 「おいしいわねえ」と口々に誉めてもらい、大いに満足してくれるので、何だかいつも少し後ろめたいような気がするのだ。  でも、新鮮な海の幸が並ぶのであるから、不味《まず》かろうはずもない。材料さえよければ、あとは、盛りつける大皿や取り皿や小皿、お箸《はし》のたぐいに、ちょっと凝ったり工夫をこらせばいいのだ。  私は、今ほど多忙でない頃、骨董《こつとう》市を歩くのが好きだったものだから、その頃一枚二枚と買いためていった古い大皿や、京都に行ったついでに、色々集めた猪口《ちよこ》や、タイ旅行の際買って帰った醤油《しようゆ》入れに使えそうな器などを、そういう時に使う。 「あらこれ、おもしろい」と誰かが言う。 「タイで買ったのよ」 「本当は何に使うんだろうねぇ?」 「聖水を注ぐんじゃないかと思うんだけど」  と私は答える。でも、私はそれをお醤油入れに使っている。器のひとつひとつから会話が生れる。そういう器や小物のことを『カンバセーション・ピース』と英語では言う。  何か見て、そのことについてふと何か言ったり、質問したり、感想を言ってみたくなるような小物。  それは器類でもいいし、玄関の小さな敷物でもいいし、飾棚の上の人形の類でも良いのだ。そのことをきっかけに話題がはずみ、会話が盛りあがるようなもの。  初めてのお客さまというのは、よぶ方もよばれる方も緊張する。何か言わなくてはならないのだが、あまり根ほり葉ほり質問するのは警察の戸籍調べみたいで嫌だ。そんな時、 「まあ、このお箸《はし》の華奢《きやしや》で美しいこと」と相手がふと言ったりする。「どこでお求めになりましたの?」 「京都で」と私は答える。「実は京都のおばんざい屋で夕食を頂いた時、そこで使っていたのがこのお箸でしたのよ。さっそくどこで売っているのか訊《き》いて翌日駆け込んで買いました」そんなことから京都のおばんざい屋さんの名を訊かれ、場所を訊かれ、常宿などの話をする。するとそこにいた別の人が案外京都の出身だったりして、今度は逆に京都情報を私が吸収する。そんなふうにして、お箸のことから話題がどんどん広がって尽きない。  そういう小物をカンバセーション・ピースというのである。  高価である必要もなければ、こりにこったものである必要もない。工夫とか発想に面白味があれば、普段家庭で使っているような普通のものが、カンバセーション・ピースになり得る。  たとえば私の知っている外国人の夫人は、汁椀《しるわん》にサラダを盛って出す。黒漆の椀に一人分のグリーンサラダがとってもきれいで、あれっと思ったものだ。  あるいはデザートのアイスクリームが出てきたりする。みそ汁にしか使わないような漆の器にアイスクリームが入ってくると、私たちはびっくりする。そこから、会話が始まるというわけだ。 大人の女の心づかい 『サンキュー・コール』  パーティーを自宅でやる時、それが成功したかどうか、招く側としてはとても気になる。  だけど何を指して成功したパーティーだったかということだ。  山のようなご馳走《ちそう》が次から次へとタイミング良く出てきて、おいしいおいしいと皆さんが喜んで下さるのだけが、ホーム・パーティーではないはずだ。  ご馳走がある方が楽しいが山のような山海珍味である必要は全くない。 「ボージョレ・ヌーボが手に入ったから、飲みに来ない?」でいいのである。  行く方も、ボージョレ・ヌーボを飲みながら、お喋《しやべ》りに行くつもりで良い。小さな花束ひとつかかえて出かけて行く。  行ってみると、テーブルの上に、たしかにボージョレ・ヌーボが三本。あとは、上等のヤギのチーズやカマンベールやブリーが並び、フランス・パンが切ってある。もうそれだけで良いのである。もう少しご馳走をと考えると、せっかくのボージョレ・ヌーボが台無しになる。主役はあくまでもボージョレ・ヌーボであることを忘れないこと。せいぜい出しても自家製パテどまり。  ヌーボを飲む会など、気軽で、我が家でもちょくちょくやる。ここでのカンバセーション・ピースはひたすらヌーボである。去年の味はどうだったとか、エア・フランスの機内で出たヌーボは最高だったとか、面白い話が続出する。テーマをきめたホーム・パーティーはその点、気が楽だ。  さて話を先日の手巻き寿しの集まりに戻そう。パーティーは寛《くつろ》いだ雰囲気のうちに終り、みんな喜んで帰って行き、お開きになった。  翌日、私が仕事の手を休めている時間を見計らって、お礼の電話がかかってくる。時々、夕食の最中などにかけてくる人もいるが、たいていは、私のスケジュールを想像して、原稿を書いていなさそうな、あるいは家族だんらんの最中を避けて電話をくれる。 「昨日はありがとう。とっても楽しかった」と、ただそれだけの内容の短い電話だけど、こういう電話は、たとえ原稿を書いている最中でも、かまわない。楽しかった、とわざわざ伝えてくれる気持ちがうれしいからである。 自分がしてもらってうれしいことを 相手にもしてあげる  私自身は、どうしてか、お礼の電話をかけそびれてしまう口。今電話すると相手が何をしているかわからない場合、かけづらい。なまじ自分が仕事をしているので、仕事中の電話はやっぱり迷惑な時もあるのがわかるから、遠慮してしまう。  結局、楽しかったというお礼をのばしのばしにして「あの人ウンともスンとも言って来ないわ」と、言われてしまうことになる。  それである時、お礼の手紙を出すことにした。伊東屋に出かけて行き、サンキュー・レターのセットを山のように買い求めて来たのだ。  手紙といっても、短いお礼の言葉だけ、電話のダイヤルを回し、ぺちゃくちゃやるのと同じくらいの時間しかかからない。翌朝すぐに電話をかけるのとスピードが違うが、二日後には郵便が届く。  利点は、相手のペースを乱さないですむこと。サンキュー・レターがかわいかったりユーモアがあったり、素敵だったりすると、なおいい。  いちいち文字を書くのはめんどうだけど、もし自分が逆の立場だったら、サンキュー・レターをもらうのは楽しいし、うれしいものだ。  人様に何かをしてさしあげる時の尺度とはそういうものなのではないだろうか。自分がしてもらってうれしいことを、相手にもしてあげる、ということ。それさえ守れば、あなたはとても素敵な大人の女になれると思う。  素敵な女というと、みなファッション的に考えるけど、何も高価な流行ファッションで身を包むことだけが、素敵な女であるための条件ではない。自分に似合うことも大事だけど、周囲との調和、今日逢《あ》う人のことを考えて服を選べばいい。ということは、多少は流行をとり入れた方がいいということになるが、最先端でギンギラなのは、かえって恥ずかしい。  服装ひとつにしても、自分の個性だけではなく、生活感や、相手の趣味思想を思いやって選ぶ、という気配りがいる。  食べるものもそう。お喋《しやべ》りの内容もそう。「私がね」「私はね」と自分のことばかりいう女は、素敵じゃない。相手の言葉を聞く。一生懸命耳をかたむける。それも大事。常に相手が楽しんでいるかどうか心を配る。でもいかにも心を配っているのが相手にわかるのも、これはいけない。さりげなく、ひかえめで、楽しげで、ユーモアのある態度。そういう女の人がふえると良いと思っている。まずサンキュー・レターから始めたらいかが?  素敵な女《ひと》の条件 夫婦ゲンカの最中に電話が入っても 「お電話をありがとう」と言える人  ずっと昔、私がまだ学生だった頃、ベビーシッターをしていたお宅の小野夫人は、私の憧《あこが》れの的だった。  彼女はそのさらに昔、日航の国際線スチュワーデス第一期生で、英語がペラペラで、女優さんよりずっとキラキラしていて、魅力的だった。  ベビーシッターのお仕事がない時でも、私は学校の帰りにお寄りしてもいいかどうか電話をよくした。するとこちらがまだ名乗らないうちに、「あら、あなたね?」と私の名前を言うのだった。  それから私のくだらないお喋《しやべ》りにつきあってくれた上で、必ず、「お電話をありがとう」 と言った。 「お電話をありがとう」という彼女の声の温かさと言ったらなかった。もしかしたらお風呂《ふろ》に入ろうとしている直前だったかもしれないし、あるいはもしかしたら夫婦|喧嘩《げんか》の最中に私の電話がかかったかもしれないのだ。  私も実際に結婚して夫と三人の娘たちを持ってみてよくわかったことは、電話をかけられて都合の良い時など、まず無いということだ。  それこそ夕食の仕度でカッカしている時にリーンと鳴ったり、夫婦がとっくみ合いとはいかないまでもわめき合っている時にかぎり、リーンと来る。  私などきりかえがきかなくて、感情のおもむくまま不機嫌な声を相手にぶつけてしまう。相手はきっとびっくりしたり気を悪くしたり、心配したり、不安になったりするだろうと気がつくのはたいてい後の祭で、憮然《ぶぜん》としたまま電話を切ってしまうことが多い。第一そういう時電話をもらってもうれしくもなんともないから、「お電話をありがとう」なんてことは嘘《うそ》でも言えない。  だから小野夫人の偉大さに、この年になってますます敬服するばかり。 「あなたのこと、いつも気にかけているわ」 は、最高の殺し文句  つい最近も、うっとりするような体験をした。  安井かずみから電話がかかってきた時のことだった。私たちはある雑誌で対談することになったのだ。そのことでちょっと打ち合わせをした。  対談のテーマが「素敵な再婚」ということだったので、多分彼女の最初の結婚のことに触れたり嫌な思いをするのではないか、と、そのことが心配だわ、と私が言った。 「あら、そんなこと」と安井かずみはハスキーな声で笑った。「ちーとも気にしないわ。それより私のこと対談の相手に選んでくれてありがとう」  こちらの心配をありがとうに変えてくれた見事な応対なのだった。  さよならの時だった。彼女は言った。 「いつもどこかであなたの作品読んでるわよ。素敵ッ。じゃね、お逢《あ》いする夜とても楽しみにしてるヮ」と、その言葉尻《ことばじり》の優しさ、軽さ、温かさ。こちらにちっとも負担を感じさせない眼の覚めるような思いやりのテクニック。私はただただうっとりと受話器を耳にあてていたのだった。 「さよならネ」と彼女は言った。それなのに電話が切れないのである。私が先に切るのを待っているのだ。なんて素敵な人だろう。  先にも言ったように、彼女だって始終心からご機嫌なんてことはないのに違いないのだ。頭痛もするし、作詞のことで頭の中は一杯だっていうこともある。  だけど、そういうことは他人には関係ないわけだ。そうだけど私みたいに余裕も何もなくなってしまう女は、破綻《はたん》したままの声で、電話の応対をしてしまう。恥ずべきことだと思う。 「お電話をありがとう」と必ず最後に言う人は、電話の始まりの時「今、よろしいですか?」というようなことをやっぱり訊《き》く人だ。まず相手の都合を確かめる。これは本当に大事。何も訊かないで、いきなり長々と自分の用件を喋《しやべ》りだす人がいるが、困ったものだ。こちらはフライパンの中味から煙が出始めたりして、おろおろしてしまう。  安井かずみの電話での言葉で一番私の胸にキュンときたのは、「あなたの作品、いつも読んでるわョ」っていう言葉。恩きせがましさなんて全くなくて。誰かがそんなふうに私のことを気にしてくれている、というのを知るのは、心がゾクゾクするほど、うれしいものだ。 「あなたのこと、いつも気にかけているわ」というような言葉は、相手が男だろうと女だろうと、恋人だろうとただの友だちだろうと、老人だろうと子供だろうと、絶対にその人の心をしっかりつかんでしまう魔法の言葉だ。応用はいくらでもある。 「あなたのこと、時々考えています」 「気にかけています」 「あなたの番組、見てるわョ」 「最近ちゃんと食べてるかなって、心配してたのョ」 「アレルギーが出る季節でしょ? 気になってたの」などなど。  でもあんまり遠回しではなく、出来るだけ率直にずばりが効果的。 いい友だちは お酒より心を酔わせてくれる  さて、仕事で安井かずみに逢《あ》う。無事対談が終る。彼女は小さな女らしい手でしっかり私の手を握りしめる。 「楽しかったワ、子ちゃん。ほんと素晴らしい夜だった。またね? きっとよ? きっと又近いうちにお逢いしましょうね」そして何度も何度も振り返りながら、投げキッスをひとつ投げて寄こし、「チャオ」と街角に消える。私は、といえば当然いい気持ち。いい友だちってお酒より心をいい気持ちに酔わせてくれる。  加藤タキも素敵な女《ひと》。彼女は小マメにサンキュー・レターを書くひと。『パーティーのお招きありがとう。お料理も会話もあなたも素敵でした』なんていう短くてしゃれたお手紙。対談もそう。『一緒にお仕事出来て、楽しかったわ。ありがとう。今度、お仕事ぬきで、じっくりお喋りしたいな』とか。  あんなに忙しい人なのに、といつも感動したり、そんな時間がどうして作れるのか不思議に思ったり。 夫のためにきれいでいたいと思う女のひとって あんまりいない  安井かずみも加藤タキも、何が一番素敵かっていうと、ご主人に惚《ほ》れていることね。ちゃんと惚れてるって言うし、私にもわからせるようにするし、事実惚れているの。 「私、誰よりも彼からよく思われたい」って言うんですもの。だから、ご主人のためにおしゃれをする、ご主人のためにきれいでいようとしている。  そういう女のひとってあまりいない。加藤タキや安井かずみにそこまで言わせる男は、おそらくほんとうに素晴らしい人なのに違いないが、私たちだって初めは素晴らしいと思って結婚したのだから、もし夫が途中で素晴らしくなくなってしまったら、それは相手のせいだけではないのかもしれない、なんて考えてしまった。  今、四十代の女の人がとっても素敵。彼女たちは他のどんな年代の女たちよりずっと女らしい。すごく大人のくせに、どこか可愛いくて自分にはきびしいけれど愛する人たちを無限に甘やかせてくれる、そんな女《ひと》たちだ。  若すぎる友人のこと 彼の横顔はミッキー・ロークに似ていた とたんに胸がズキンとした  時々退屈する。見知らぬ人に混じってニコニコしていなければならないような時、特に退屈する。出かかる欠伸《あくび》を噛《か》み殺しながらニコニコしたら、今度はしゃっくりが出て止まらなくなったなんてことが、よくある。  あるパーティーでふと見ると横顔がミッキー・ロークに似た男が、やっぱり欠伸を噛み殺しながら、ニコニコしているのを目撃してしまった。  とたんに胸がズキンとした。ミッキー・ロークの映画を最近観たばかりで、一日に一回は彼の顔を思い浮かべているのだ。それまでは、この二十年というものウォーレン・ビーティー一筋に、やっぱりウォーレンの顔を一日に一回とはいかないが、三日に一回くらい思い浮かべていたものだ。  二十年も忠誠を尽くしたのだし、ウォーレンもそろそろくたびれてきたのだから、若くてセクシーなミッキー・ロークに心を移してもきっと理解してくれるはずだと、勝手な理屈をこねて、私はヒイキの俳優を乗りかえてしまったばかりだった。  そのミッキーにそっくりの横顔が、数メートルのところで、欠伸を噛み殺したために薄っすらと眼に涙を浮かべてニコニコしているではないか。  そういう場合、反射的に立ち上って、そっちの方へ歩いていくということは、まず出来ない相談。どうでもいいような男なら、さっさとやれるのに、相手がミッキー・ロークではその場に釘《くぎ》づけになったみたいに動けない。 「だめ、若すぎる」と、私はほとんど声に出して呟《つぶや》いた。私の相手というよりは自分の十八になる娘の相手にむしろふさわしい若さだ。  だが眼は、その美しい横顔に張りついたまま離せない。離そうと思うのだが、離れないのだ。  その時、誰かにみつめられているのを感じたのだろう、その青年の視線がニコニコしたまま動いた。  人々の間をゆっくりと流れて、私の視線とまともにぶつかった。真正面から見ると、それほどミッキー・ロークには似ていない。ずっと若々しくて、健康的で、シャイな感じだ。青年の顔の上の微笑がさらに大きく広がった。  あ、あのひとこっちへ来るな、と私は予感した。 「アイ・ライク・ユー」と言われて、 私は平気を装ったが、心臓が喉《のど》から飛び出すくらいうれしかった  けれども彼はすぐにはやって来なかった。近くの女の人とお喋《しやべ》りを始めた。それで私も周囲の誰かれともなくお喋りをした。ふと見ると、あの青年が視野から消えていた。  帰ってしまったのかもしれないと、ちょっぴり失望が胸に滲《し》みた。  とすぐ後ろでセキ払いがする。振りむくと彼だった。 「あら」と思わず私は言った。「まだいたの?」 「どうして?」と青年が笑った。 「帰ってしまったかと思ったの」 「なぜ」 「退屈してたでしょ? だから」 「じゃあなたはなぜ帰らなかった?」 「あらどうして?」 「やっぱり退屈していたみたいだから」  何となく息苦しくてたまらなかった。彼はますます若く見えた。 「あなた幾つ?」唐突にそう訊《き》いた。 「五十六」 「嘘《うそ》ばっかり」私は笑った。 「じゃ十六」 「ばかね」笑ったおかげで気持ちが少し楽になった。「本当は幾つ?」 「二十八」 「ふうん」 「どうして?」 「どうしてって?」 「関係ないよね」 「でも私の娘が十八歳」 「だから?」 「ロンドンにいるのよ」 「だからなぁに?」いっそうニコニコしながら青年が訊いた。 「きれいな娘よ。半分イギリス人の血が入っているの」  彼は相変わらず笑っている。私はどぎまぎして話題を変えた。 「日本で何しているの?」 「ポンビキ」 「真面目によ」 「真面目な話、三助」 「怒るわよ」 「本当は産婦人科医」 「それも信じない」 「ただの二十八歳」 「それなら信じる。名前は何ていうの?」 「ボブ」 「よろしくボブ」 「違ったマイクだった」 「また始めたのね」 「本当はディヴ」 「怪しいわね。どうでもいいけど」 「やっぱりボブだ。あなたは?」 「ユミコ」と私は嘘《うそ》の名を言った。「仕事は古着屋。年は三十九」古着屋はともかく年齢を六歳も若く言ったことに、自分の嫌らしさを感じた。「今の嘘。最初からやり直すわ。名前はイサコ。十八の娘のただのお母さん。年は五十一」今度は自分の年に罪ほろぼしに六歳加えた。 「アイ・ライク・ユー」とボブだかディヴだかマイクだか知らないが、彼が言った。私は平気な風を装ったが、心臓が喉《のど》から飛び出すくらいうれしかった。 「あら偶然ね。私もあなたが好きよ」クールに答えて時計を見ると十一時半を過ぎていた。 「もう帰るわ。チャオ」私はちょっと突然過ぎる感じで、さよならをしたのだった。胸がいつまでもドキドキしていた。 お互いの本当の名前を知らないし、 仕事も年もわからない友だち  一週間が過ぎた。やっぱり日に一回ミッキー・ロークの顔を思い浮かべた。本当のミッキーに、似せもののあの青年の顔が重なることもあった。  昼下がり、電話が鳴った。 「ぼくマイク」といきなり言った。 「あら嘘よ。ディヴでしょ?」 「違うよ、ボブ」 「じゃデニスということにしない?」 「いいけど」と彼は笑った。どうして私の電話番号がわかったのだろうか? 「タイの料理好き?」いきなり私が質問した。 「大好き」 「じゃ今度連れて行くわ」私は母親みたいに言った。 「今夜は?」と相手が訊《たず》ねた。 「オーケイ、じゃ今夜」  そんなふうにして、私と彼は急速に親しくなった。なのに相変わらずお互いの本当の名前を知らないし、仕事もわからない。だけど逢うと楽しいしとってもいい友だちだとお互いに思っている。  もうじき、私の十八歳の娘がロンドンから夏休みで帰ってくる。そうしたらボブ(マイクでもディブでもデニスでもいいのだが)を娘に譲ろうと思う。だって私が十五で初潮になった時、ボブがオギャアとこの世に生れたと思うと、やっぱり変な具合だもの。  女たちの旅 働く女は手ぬきをしていては、 長もちしない  同性同士だとなんとなく気楽なこともあって、ランチを食べたり、夜、家族に夕食を食べさせた後集まって一緒に飲んだり、時には京都へ、時には湯河原の温泉へ、たまに足を伸ばして香港まで、と時間と理由とお金を作っては私たちはよく集まる。  確かに、とても気楽だ。ランチなど、午前中原稿を書いているうちにすぐに時間がきてしまい、あわてて髪を撫《な》でつけ、セーターとスカートで駆けつける。ノーメイクにサングラス。口紅はタクシーの中で信号が変わった時に素早くつける。  レストランではわいわいがやがや。あっというまに二時間くらい過ぎてしまう。そこで私はあたふたと椅子《いす》から立ち上がる。 「お先に失礼」 「あら、また仕事?」と一人が不平顔。 「たまにはゆっくり食後のお茶くらい飲んで行きなさいよ。落着かないひとねぇ」と別の一人に叱《しか》られる。 「ほんとにゆっくりしたいわねぇ」と私はしみじみ溜息《ためいき》をつきつつ出口に向う。三時に訪ねて来る編集者に、原稿を渡さなければならないのだ。  女の友だちと逢《あ》ってお喋《しやべ》りをしていると、ほんとうに瞬く間に時間が過ぎてしまう。男たちはくだらんお喋りをしてと眉《まゆ》をしかめるが、妻たちがそういうくだらないお喋りをして色々発散するから、家庭がなんとかもっているということもあるのだ。  ある時、女たちの念願がかなって一緒に京都に行くことになった。メンバーの構成は、食べ仲間四人。全員既婚。そのうち二人が子供なし。そして全員職業持ち。四人の内三人の夫が外国人。  ああなんだ、外国人のだんなさまならねぇ、とここで思うひとがいるかもしれない。理解あるわよねぇ、と。  理解ある外国人の夫もいるかもしれないが、ぜんぜん理解のない外国男もいるのだ。日本人にだって、理解のやけにある話しのわかる男と、憎らしくなるほど無理解な石頭がいるわけだから、ああ外国人なら例外よ、というのは理屈に合わない。  それでなくとも普段外に出て働いている女たちなのである。しかも亭主に頼まれて仕事をしているわけではない。好きで勝手にやっている女たちばかりだ。  従って、家のことや、家族のことは、もしかしたら主婦専業の人たちより余計にがんばるかもしれない。気持ちの上ではそうだ。家事にかける時間が専業の人より数時間少なくとも、少ないなりに頭を使い効率的にやるわけだ。働く女は、手ぬきをしていては、長もちしない。家の中のことを、普通以上にがんばってやるからこそ、外へ出て働き続けられるのだ。  しかもその上の京都旅行である。それぞれそんなことは口には出さないが、みんなそれなりの犠牲を払って出かけていくのである。  子供たちは、実家にあずけるなり、友だちの家へ泊りがけでお世話になるなり、なんとでもなるが、亭主は実家や友だちにあずけるわけにはいかない。誰にとっても頭痛の種は、いつだって例外なく亭主なのだ。  うちはヨットよ、と言うものがいれば、うちはマージャン、帰った時が思いやられるわ、と言う女友だち。飲んだくれてチョンよ、と笑うもの。彼は彼で適当に、と何やら思惑ありげな一人も。  とにかく京都へ京都へ。 なぜ、気楽な仲間同士の旅が、 さんざんなものになってしまったか?  京都は桜の真盛りだった。その年の桜はまた華やかで浮きたつような色彩《いろど》りであった。  さて、問題は宿につくなり早々と生じた。一人はすぐにでも桜を観に銀閣寺へ行きましょうよ、と言い、一人はせっかく�柊家《ひいらぎや》�みたいな超高級宿に、高いお金を出して泊まるのだから、ゆっくり、お茶を飲み、出来たらひとふろ浴びてから出かけましょう、と言うのだった。  そこで四人で相談。多数決で、お風呂《ふろ》は夕方お食事前でもいいじゃないか、お茶だけ飲んでとにかく、日のあるうちにお寺のひとつも回りましょう、ということになった。  さて、それではどこへ行こうか、で又々もめた。銀閣寺を主張するもの、清水寺というもの、まずは石庭へ行きたいとゆずらぬ者、有名な哲学の道というのはどう? と言いだすもの。再び相談。多数決を採用。銀閣寺へ。  次なるトラブルは銀閣寺にて。写真を撮りながらパチリパチリと歩く組。ひたすら全身と眼で景観を楽しむ組、となんとなく自然に別れた。  当然写真組は極端にのろい。先に行った組はお茶屋の中でお茶とおだんごをとっくに平らげ、遅いわねぇ、ほんとに何やってるのかしら、と苛々《いらいら》。  写真組は、待たせたものだから、恐縮する。 「悪いから、別行動しましょうよ。だって先に行って待たれていると思うと、ゆっくり写真も撮れないわ」  苛々組はさんざん待ってあげたのに、待たれているという言いかたに、カチンとくる。 「それ以上ゆっくり写真撮ってまわったら、カタツムリだわ」と言わなくてもいい一言が出る。で、スムーズに、二組に別れたのではあるが……。 お互いに相手の行動が許せなかった 許せないということがショックだった  結局二泊三日の京都の旅はさんざんであった。仕事をもっている女というのは、それぞれに主張が激しい。多大な犠牲を払って京都へ来たんだから、私流に楽しまずにはおくものか、という精神でいる。みんなが私流の楽しみを主張して譲らないから、大変だ。多数決といっても、諦《あきら》めた人間は、決してそれに賛成したわけではない。胸の中に不満をかかえて、嫌々従っているだけなのである。  二人で一部屋だったので、これも問題だった。一人が鏡の前を一時間も占領しているとか、夕食が並んでいるのに、一人は長湯で中々出て来ない。夕食がさめ始めるので待っている三人は苛々するとか。あの人一緒に寝起きしてみてわかったけど、脱いだものはそこいら辺に脱ぎっぱなしで案外だらしがないのよ、とか、昨日はいたストッキングをそのまま次の日もはいたとか、歯磨きのフタがしていないとか、もう細かいことで不平不満が続出。  帰りの電車の中では全員が憮然《ぶぜん》と黙りこんで、行きのなごやかさとは雲泥の差。  月に一回か二回集まってランチや夕食を食べている分には、申し分なく楽しかったのだが、朝から晩まで行動をしてみると、お互いにうんざりするようなことばかりが鼻についた。  そういうことが許せるのが友だちであるはずだった。しかし私たち四人は、なぜか、お互いにそれが許せなかった。許せないということがショックだった。  それ以来、私たちは自然にグループを解消してしまった。京都へ一緒に行かなければ、まだまだ続いていたはずなのに、あの旅行のために、友情を失ってしまった。そのことがあってから私は女同士の旅に神経質になっている。  いつか必ず、きっと…… ココ・シャネル、ピアフ、そしてマリア・カラス…… 少女の頃の夢を余さず実現した女たち  シャネル五番やシャネルスーツで有名なココ・シャネル。彼女が世界中で有名になり、女として望みうるかぎりのお金持ちになったのは、わけがある。少女の頃、成功することをくりかえし夢みたからだ。  幼い頃母は病死し、父は彼女を置き去りにした。見捨てられたような悲しい日々。育ててくれた伯母《おば》はたいそうケチだった。ココは惨めな着たきりすずめだった。  少女は心に誓った。「いつかきっと着きれないほどのドレスに囲まれて暮らすんだわ。いつか必ず、すごいお金持ちになるんだわ」  屋根裏部屋で、昔母が着たウェディングドレスをみつけた時、ココはそれを胸に抱きしめて自分に言いきかせた。 「いつかきっと、こんな真白なドレスを着て、白い家具と白い壁と白いカーペットのある家に住んでみせるわ」  やがて大人になり、ココはそれらの夢を全て実現したのだった。彼女は世界で一番名の知れたオートクチュールになり、他の誰でもない、自分に一番良く似合うドレスを作り続けて巨万の富を得た。  大道芸人の子供に生れたエディット・ピアフも、ボロをまとってパリの街々を流していた少女の時に、自分の胸にこう固く誓っていた。 「いつかきっとパリで一番のシャンソン歌手になってみせる。いや世界中の人々の耳にあたしの声が届く日がきっとくる」  エディットは愛を歌う歌手だった。同時に愛に生きる女だった。彼女はまだ十五歳の時にこうも言った。 「まだあたしには早いけど……きっとそうなるわ。恋愛《アムール》があたしには大事なのよ。ほしいと思った男をみんな手にいれるわ……。それにお金もどっさりね」  その言葉通り、『愛の讃歌《さんか》』や『バラ色の人生』などでエディットは世界のピアフとなった。レコードが売れお金がなだれこんできた。イヴ・モンタンやシャルル・アズナブールを始め、彼女が愛し手にいれてきた男たちは数え切れない数にのぼった。エディットも、ボロを着ていた少女の頃の夢を余さず実現した女だった。  世界的オペラのプリマドンナ、マリア・カラスもまた、成功のヴィジョンをはっきりと胸に描いていた少女だった。ニューヨークに移民した貧しいギリシャ人夫婦の娘だったマリアは、物心がつくと歌い始めた。少女は汚い天井の染みを見上げながら毎日のように心にくりかえし呟《つぶや》いた。 「いつかきっと誰にも負けないような美しい大歌手になるんだわ」  その頃マリアは美しさとは無縁の少女だった。スパゲティーと甘い物とで醜く肥え過ぎていた。 「必ずスカラ座で歌ってみせる。スカラ座の女王になるんだ。そして、誰よりもお金持ちに」  そしてマリア・カラスは本当にスカラ座の女王になり、一〇五キロの体重を意志の力で六十キロまでに減らすと、その余分の肉の下から美しい姿態と容貌《ようぼう》が現れたのだった。  世界で一番美しいオペラのプリマドンナが誕生したのだ。才能と美しさにめぐまれると、富も当然ついてまわる。世界的な富豪オナシスが彼女に近づき、マリアは彼の愛人になることでその幼い日の夢をことごとく現実にしてしまったのである。 辛く惨めな現実から抜け出すためには、 途方もない夢が必要なのだ  こうして並べてみると、大成した女性に共通していることは、「逆境に育ったこと」、それも彼女たちにとってはいずれも屈辱的な逆境であったことがわかる。  なにくそ、と歯を食いしばり、その辛く惨めな現実から抜けだすためには、どうしても夢が必要なのであった。それも途方もない実現不可能のような夢。そうでなければ、これらの少女たちは、現実の惨めさに押しつぶされてしまっていただろう。  夢ばかり大きくたって、才能がなければどうしようもないわ、とみなさんは考えるかもしれない。確かにココ・シャネルも、ピアフもカラスもある種の天分を持っていたかもしれない。けれども、『天才は一〇パーセントの天分と九〇パーセントの努力のたまもの』という言葉もある。そういえば、何もしないでぐうたらしている天才など見たことも聞いたこともない。  シャネルにしろピアフにしろカラスにしろ、ここには書かなかったが他のたくさんの成功した女たちにしてもみんな、血のでるような精進の長い年月があったことは確かなのだ。 私のことをわかってほしいという思いの中で、 私は爪《つめ》を咬《か》んでばかりいた  現在《いま》、私たちの周囲を見廻して、逆境を見つけるのは、むずかしい。日本中あげて「中流の上」といった生活をしているわけだから。  少女たちをつかまえて「大きくなったら何になりたい?」と聞くと、「お嫁さん」という答えが多いのに驚かされてしまう。  そういう私自身の三人の娘だって似たようなものだった。幼い頃上の娘はやっぱり「お嫁さん」だったし、次女はほんとうは獣医になりたかったのだが、お勉強が今一歩とわかると、「じゃ獣医さんのお嫁さん」ということで妥協した。末娘はその頃将来ウサギさんになりたいと心に誓っていた。  要するに、彼女らはハングリーではないのだ。欲しいものはたいてい親に買い与えられている。なにくそと思う気持ちも、なにがなんでも手に入れたいと思うものも、ないわけなのだ。  私自身はどうだったのか、と考えてみた。私もまた適当に豊かな中流家庭の娘だった。中流より幾分豊かだったのか、ヴァイオリンなども習わせてもらっていた。  にもかかわらず、幼い頃から私はいつも何かハングリーな気持ちから逃れられなかった。生活は豊かだったが、私はある種のものに飢えていた。母の愛。母の肉体の温かさとか、見守られている安心感とか。  私の母は、とても不器用な人で、子供たちや夫への愛の表現の極端に下手な人だった。あまりにも下手だったので、愛など持ちあわせない人のように、周囲の眼には映った。  一度でもいい母からしっかりと抱きしめてもらいたいと少女だった私はそう願わなかった日はなかった。私のことをわかってもらいたい、という思いの中で、私は爪《つめ》を咬《か》んでばかりいた。  母はまた、私の衣服についてとても無頓着《むとんじやく》だった。最低限度のものしか買い与えてくれなかった。洋服ダンスを開けるたびに、茶色とかグレーとか黄ばんだ白とか汚い色が眼にとびこんできた。数も満足になかった。私は心に何度も「いつかきっと、着きれないほどのきれいなドレスを一杯……」と言いきかせたことを覚えている。  結局どうなったかというと、私のことをわかってもらいたいという思いが高じて、私は作家になったわけだった。不思議といえば不思議である。もし幼い頃母がふんだんに愛してくれていたら、小説など書くようにはならなかったと思うのだ。その点、母に感謝してよいのやら複雑な心境だ。  そして今、気がついてみると私の衣装ダンスもクロゼットも、まだ一度も袖《そで》を通していないドレスやセーターやスカートではちきれんばかりだ。幼い頃に固く誓ったことというのは、必ず実現するということが、これでもわかるのである。  恋に恋する娘の話 昔、恋に恋する娘がいて、 それにまきこまれまいと必死の男がいた  私が十九歳の時に、恋に落ちた。相手は三十三歳の男だった。  彼が十四歳も年上だということも知らなかったし、何をして食べているのかも知らなかった。ぐらぐらとめまいのするような一年間が過ぎた時、彼には一緒に住んでいる女性がいることを、彼からではなく、他の人から知らされた。  その女の人というのは、私が彼と共に毎日のようにお茶の水のジローや、今はもうないけど、新宿の風月堂で会っていたひとだった。私と彼と、彼女と彼女の彼と、この四人で芝居を観たり映画に行ったり、音楽会や絵の個展をめぐり歩いたのだった。  一日の終りに「チャオ。また明日ね」と彼女は私に言い、彼女の恋人とどこかへ消えるのだった。そして私の彼は私を家まで送り届けて、たいてい暁の白々とした空気の中を、ジョルジュ・ブラッサンスの歌など低く口ずさみながら、帰っていくのであった。誰もかれもが、私と彼は恋人だと思っていた。誰よりも私自身がそう信じて疑わなかった。  それがそうではなかったのである。私以外のみんなが、彼と彼女の関係を知っていて、私が彼にのめりこむのを黙認していたのであった。十人程いた私たちのグループのみんなが知っている事実を、私だけが知らされていなかった。  恋の終りがきた。私と彼と彼女と三人が一室の中にいた。三人とも黙っていた。彼は悲しそうで、彼女はもっと悲しそうだった。 「どうして黙っていたの?」とついに私は訊《き》いた。 「もしも僕と彼女のことを最初に喋《しやべ》っていたら、何にも始まらなかったろうね」と彼が答えた。「それこそ何にも起らずに、きみはさっさと僕たちの前を通り過ぎて行ってしまったろうね」それから彼はこうも言った。「何も始まりもせず、何も起りもしないうちに、きみを失いたくなかったから」 「一体何が起ったというの?」と私は怒ったような声で訊いた。「私たちの間に、何が起ったというの? 何にも起らなかったわ。それこそ何にもよ」  この一年間、ほとんど毎日のように逢《あ》い続け、いつも朝方まで一緒にいたのにもかかわらず、彼は私に指一本触れなかったのだ。そして私はといえば、いつだって彼に私の全てを与える用意があったというのに。 「愛が起ったのよ」と、それまで沈黙していた彼女が呟《つぶや》いた。いっそう悲しそうだった。  だが十九歳の私には、愛というものが、精神と肉体とに分離しているものだとはわからなかった。そして傷ついたまま、彼と彼女と別れたのだった。  それから二十数年の歳月が流れた。私と彼はある時再会した。 「きみが僕たちを捨てて立ち去ったあと」というような言い方で、彼は話を始めた。「僕と彼女の間も終ったんだよ」 「私のせいじゃないわ」と私は言った。「もちろん、きみのせいじゃない」と彼も認めた。 「それより、あの一年間のこと。私たち何をしていたんだろうと今でも時々考えるのよ」 「恋に恋する娘がいて、それにまきこまれまいと必死だった男がいただけさ」 「どうしてまきこまれたくなかったの?」 「だってきみは僕に恋をしていたわけじゃないから。相手は僕でなくてもよかった。恋に恋をして、ものすごい勢いで自転する女の子だった」 「でも私は自分を投げだそうとしていたわ。あなたはそうしなかった」 「できるわけがない。もしも僕もあの恋に身を投げだしていたら、きみは竜巻きみたいに僕に襲いかかり僕を粉砕した上、僕の骨を空中にまき散らして、吹き過ぎて行ってしまったろう。それくらい、きみの自転作用は激しかった。僕は、粉砕されて空中にまき散らされたくなかったんだ」 「弱虫」と私は憎まれ口を叩《たた》いた。もうどうやっても取り返しのつかない昔のことである。 相手が自分と同じような人間だと思いこむところに つまずきがある  私自身のことはともかくとして、恋に恋する若い女の人が私の周囲にもたくさんいる。自分が通り過ぎてみて、初めて人のことがよく見えるようになった。  竜巻きみたいに襲いかかり、骨を打ち砕いて空中にまき散らす、と私の昔の恋人は表現したが、正にその通りだと思う。  人を愛するということは、その人をいたわるということだ。思いやるということである。恋に恋をしている娘には、相手に対する配慮が欠ける。自分さえよければ全ては良いのだと思っている。好きなんだから全てを投げだして、めちゃめちゃに傷ついてもいいんだ、と自分に言うし、相手にも言う。同じように相手に求める。全てをさらけだして、めちゃめちゃに傷ついて欲しいと、相手に強要する。全てでなければ何もいらないわ、などと荒々しいことを言う。  相手が自分と同じような人間だと思いこむところに、つまずきがある。相手は自分ではないのである。違う人間なのだ。他人なのである。傷つきたくないかもしれないし、痛い思いもしたくないかもしれない。そういうことがわからないし、よく見えない。ただがむしゃらに突き進む。恋の自転作用でますます恋心が燃えつのる。すると相手はたじたじとなり、後へ後へと退いていく。  元来、恋とは自分本意なものである。エゴイスティックなものなのだ。恋するということ自体、相手に夢中になるというよりは、恋する自分の状態にのめりこむといった要素が強いわけだ。どんな恋でも多かれ少なかれその傾向があるみたいである。  命がけの恋が成就するということはまれである。命がけの恋など燃え尽きて終ってしまう。自分ひとりで火をつけて、メラメラと燃え上り、ひとりでに消えてしまう。恋に恋するということはそういうことである。  二十歳のおばさんたちへ 二十歳といえば、 毎日が好奇心や意欲にあふれ、刺激的だった  自分のことをあれこれ言って自慢するのが目的では全然ないけれど、私がよく知っている二十歳の若い女といえば、かつて二十歳であった私自身のことでしかない。  私にかぎらず、あの頃の若い娘たちは、一様に、何かをひたすら求めていて前向きであった。テレビも観なかったし、少女マンガや週刊誌も読まなかったし、つまらない流行語も口にしなかった。私たちがお喋《しやべ》りをする時にはたくさんのボキャブラリーがあった。  そして人との出逢《であ》いも刺激的だった。毎日のように新しい人の出逢いがあった。つまりそういうような場所に、常に自分を置いていた。  今、私自身の娘が十九歳になっていて、私は彼女と一緒に暮らしながら、彼女を通して現代の若い娘について色々考えるのだが、はっきりいって、娘たちに失望している。  いつ、どう私の育て方がまちがっていたのかと、毎日のように反省しているのだが、世間の人たちは、なんてお行儀のよい、のびのびとすこやかなお嬢さんたちでしょう、と誉めてくれる。  しかし私には全然物足りない。第一彼女たちはものすごく物ぐさだ。放っておくと一日中ベッドの上でゴロゴロしながらカセットでロックミュージックを聞いている。勉強する時にもイヤフォーンが耳に突き刺さったままだ。傍を通るとカシャカシャと異様な音が聞こえてくる。ああ人種が違うんだなぁ、とそんな気持ちもするが、諦《あきら》めきれない。私には何か別のことをしながら他のことを同時にやるなんてことは出来ないし、第一したいとも思わない。何かする時は、その事だけに集中したい。そのことだけに全身全霊を傾けたい。音楽を聴くときは、その音楽を聴くということだけのために、私はその瞬間存在したい。音楽を流しながら原稿など書けない。音楽が流れていると、本も読めない。音楽が嫌いだからではなく、好きだからである。  たとえば家族で旅に出る。知らない国の知らない町角に立つ。私は町の隅々を歩きまわり、そのあたりの空気を夢中で嗅《か》ぎまわる。娘たちと散歩に出ると、彼女たちは一目散にジーンズショップか、ドラッグストアーに駆けこむ。どこの町にでもあるようなジーンズショップで変わったものはないかと夢中になって物色する。町の光景を眺めるわけでもなく、樹々を見上げて、木もれ日に眼を細めるわけでもない。お昼に何が食べたいのかと訊《き》くと、マクドナルドのハンバーガーと答える。  絶対にそんな育て方はしなかったはずなのに、彼女たちは私と同じ好奇心と感動をもって旅を楽しまない。ほんとうに悲しくなる。 今やりのこしたことは永久にやりのこしたまま、 私にはそのことがよくわかる  つい先日、テレビのシナリオ・ハンティングで西部オーストラリアを旅してきた。同行したのは、私の子供といってもいいくらいの若い人たちが三人。朝の五時半から夜の十一時くらいまで、見るべきもの、逢うべき人たちとのスケジュールがぎっしりつまっていた。ひとつの場所から次の場所に移動する車の中では、みんなうたたねをした。  私は眠らなかった。道の両側に立ち並ぶユーカリの並木に心を奪われていたし、その後に広がる冬の草原——八月のオーストラリアは冬である——の静かな景観や、いつ現れるかもしれないカンガルーを見ようと眼をこらしていた。 「すごいエネルギーですね」と若い人たちが半ばあきれ気味に言った。  夜十一時になっても私は眠りたくもなかった。町にはカジノがあった。そこで生れて初めてブラック・ジャックをやって、六百ドル勝った。ギャンブルのドキドキするような興奮もさることながら、ここに集まる人間たちの生態に興味をもったので、幾晩もカジノへ通いつめた。若い人たちは私がギャンブルにとりつかれてしまい、持って来たお金を全部すってしまうのではないかと本気で心配して、私のアンリミテッドのビザ・カードを取り上げてしまった。フランソワーズ・サガンの真似をして欲しくないらしいのだった。  でも本当は心配することなどないのだった。私はカジノにお金を注ぎこんだが、それは経験を買うためだった。そしてとても良い人間研究の場となった。  オーストラリアでは、他にも生れて初めてビリヤードをやってみた。砂漠も歩いたし、金鉱にもぐって地下六十メートルの恐怖も体験した。みんなが眠っている朝のうちに、雑誌社にFAXで送らなければならない原稿を三十枚書き上げた。そして若い人たちがまたしても私のエネルギーにびっくりした。 「僕も、あなたのその年になった時、あなたのように物ごとに対して好奇心や行動力をもってたちむかえるか、時々心配になります」とスタッフの一人が私にもらした。  多分ムリね、と私は口には出さずにそう胸の中で呟《つぶや》いた。なぜなら、今のその若さですでに彼らは、行動しようという意欲や好奇心を半ば失ってしまっているからだ。  失ってしまったというより、初めからそんなものはないのかもしれない。あるいは若さゆえに、ゆだんしているのかもしれない。どうせまた来ようと思えば来れるさ、と思っているのかも。またやろうと思えばやれるさ、と。  だけど、彼らは二度と同じ所へ行きはしないし、今やらなかったことを将来いつか、やりはしないだろう。今やりのこしたことは、永久にやりのこしたままだろう。私にはそれがよくわかる。もう彼らほどには長い時間が先に残っていないゆえに、私にはそのことがよくわかるのだ。 あの時にあれをしておけば良かったという後悔が、 私の肉体を内側から咬《か》んだ  私自身だって若い頃には、明日があるさ、と思った。今日やらなくても、明日やれるさ、と。だけど結局だめだった。やりのこしたことはやりのこしたままになった。  そして更に時が流れてこう思うようになった。何かをやったりしたり、失敗したり傷ついたりすることで後悔したことは一度もなかった。けれども、あの時にあれをしておけば良かったという後悔が、一番身にこたえた。それは私の肉体を内側から咬《か》んだ。  そのことを私は私の娘たちに言うのだが、彼女たちは馬耳東風《ばじとうふう》。また始まった、と顔をそむけるだけだ。なんという贅沢《ぜいたく》なむだ遣いであろうか。世界中を旅したり、欲しいと思うものがほとんど手に入るのに、それを理解しようとしない。つまり、豊かすぎるのかもしれない。彼女たちは満たされすぎているのかもしれない。人はハングリーでなければ、食欲が湧《わ》かないように、多少の飢餓感がないと好奇心も行動力も起らないのだろう。そういえば、私が二十歳の時、私はたまらなくひもじかった。家は豊かで生活には困らなかったが、私の魂は絶えず飢えていた。  多分、時代のせいでも、豊かさのせいでもないのかもしれない。自分の魂をどれだけハングリーな状態に追いつめられるかの問題なのだ。すると娘の一人は私に問うのだ。 「でも何のためによ、マミー?」何のためにわざわざ自分をハングリーにしなければならないのか、と。  ああ、二十歳のおばさんたちよ!  制服を捨てよう 香港の街角には、 いじけた心を再びふるい立たすエネルギーがあった  街を歩いたり、喫茶店の片隅に坐《すわ》ったり、カフェバーでお酒を飲んだりする時、私はひたすら人間を眺める。  若い頃から五分でも暇があれば、やっぱりそうやって人々をじっと眺めていたように思う。パリのカフェみたいなのが東京にもたくさんあるといいと思うのは、歩道にはみだした椅子《いす》にかけて、カフェなど飲みながら心ゆくまで人々を観察できるからだ。  でもこのところ、なんとなく人を眺めていても面白くない。あまり心ときめかないし、眼を見張ったり、追いかけて行って話しこみたいなあ、とか、あんな人と知りあいになりたいものだとか、あの人のあの着こなしを盗んじゃおうとか、ぞくぞくするほどいい男が通るとか、あんな男とちょっと寝てみたいとか、そんな風に感じることがめったにないのだ。  そう気がついたのは最近で、なんだか悲しかった。多分、それは私が年をとってしまったせいなのだろうと、ほんとうにせつなかった。人は年をとると、だんだん色々なことに感動しなくなるし、反応も鈍くなるらしい。私もいよいよそういう段階にさしかかったのかと、しばらくの間いじけた心をもてあましたものだった。  そんな折り折り香港に旅などして、あの都市のエネルギーに刺激されて、そこに生活する人々の顔の多種多様さに再び人間を眺めることの楽しさを再発見して帰ってきたばかりである。  香港には、私の眼を奪うものがまだまだ一杯あった。五感がいっぺんに緊張し、眼を見張り、匂《にお》いを嗅《か》ぎ、物に触れ、耳をそばだてるものが、あらゆる街角にあった。  貧しい人もいたし、お金持ちもいたし、普通の人もいたけど、みんな個性的だった。  何も流行の服装をしているというわけではない。どちらかといえば、風土的にも簡単な服装だ。若い人はTシャツにジーンズが多いし。夜のネオンサインが派手派手なせいもあって、着ているものはむしろジミ。 日本の若者は、みんなよく似た表情をし、 同じような髪型で、よく似た服を着、うりふたつの靴をはいている  マンダリンホテルの二階のラウンジで、香港に住む友人やそのまた友人と逢《あ》っていた時のことだ。二日後に結婚するという中国人の青年を祝って、シャンペンをあけることにした。  そこでドン・ペルションを注文しようということになった。多分、日本のホテルのバーで飲めば五万円以上はする代物だ。  香港のマンダリンホテルでも約三万円くらい。それを全部で三本注文した。注文したのは二日後に結婚する青年だ。  カメラマンということだった。私たちは陽気に乾杯した。支払う段になって、私は当然友人たちが、お祝いにおごるのかと思ったら、そうではない。カメラマンの青年がカードを取り出した。  考えてみると、そのグループの中で一番若くて、お金のなさそうなのが、彼だった。チーフ・ディレクターもいたし、私みたいな部外者の日本の女流作家もいた。おそらく十万円ほどの出費だろうが、若いカメラマンの一カ月の収入の半分以上、もしかしたらその三分の二くらいにはあたったろうと思う。私は心が痛んだ。  こういう言い方は不遜《ふそん》だが、私が一日に書く原稿料と同じ額が、シャンペンで消えたのだ。しかしそれは彼の二十日分くらいの収入に相当するのだ。私が恐縮してお礼を言うと、「とんでもない。一生の思い出だし、第一楽しかった」と、若いカメラマンは笑いとばした。どこも無理をしていない楽しそうな笑いだった。その瞳《ひとみ》がキラキラ光っているのが印象的だった。  そうなのだ。香港では、人々の眼がみんなキラキラ光っていた。楽しげで、野心的で、ハングリーで、獲物を狙《ねら》う野生の動物のように、みんな緊張した光る眼をしていた。  日本の若者たちの眼は光っていないと私は思った。  みんなよく似た表情をしているだけではなく、日本の青年たちは同じような髪型をして、よく似たジャケットを着、似たようなズボンに、まるきりうりふたつの靴をはいている。  今通りすぎたばかりだと思ったら、また同じ方向から同じ人が来る。次々来る。同じ人みたいに見えるけど、本当は別人、別の人格なのである。でもやっぱり、ひとつの鋳型から作られたプラスティックの人形のように、みんな一様に同じなのである。  眺めているうちに気分が悪くなってきた。姿や服装だけでなく、仕種《しぐさ》や歩き方や表情まで同じ。声も同じ。喋《しやべ》っていることも同じ。考えていることも同じなのではないかと。  みんな同じような週刊誌やマンガを読み、同じような音楽をウォークマンで聴いて、大きな大学の講堂でのマス授業で同じ知識をつめこまれた若者たち。  それぞれに個性的であろうとして、目一杯おしゃれもしているのだ。それはよくわかる。香港の若いカメラマンは汚れたような埃《あか》じみたTシャツにGパンだったが、彼らよりも、何倍も服装にこってはいる。  だけど、みんながみんな、ブルータスのグラビアみたいなこり方をしていると、もうそれは個性的ではありえない。ファッショナブルでもありえない。流行の制服を着ているという感じになってしまう。  日本人は制服を着ると安心してしまうようなところがある。人と違うことをすると不安で落着かないが、みんなと同じようにしていると安心していられる。  夏の葉山や鎌倉や三浦海岸はイモを洗うばかりの人出だが、そこから一キロも離れない海岸には人っ子一人いないという現象が起る。  そういう場所をみつけると、私は「あっ人がいない。シメタ」ととび上って喜ぶのだが、プラスティック人間たちは「なんだ、人がいないじゃないか、つまんない」と回れ右をしてしまう。 お行儀よく、静かで、ニコニコして、ソツがなく、 没個性的な若者たちよ!  若い男たちが今、急速に個性を失いつつある。ほんの少し前までは若い女たちが、個性的であろうとして、個性を失っていた時代があった。サーファーガール一色だったり、コム・デ・ギャルソンふうのきったならしい色彩がはんらんしたりした。 「ヤッダー」とか「ウッソー」とか「アーン」とか、三つか四つのボキャブラリーしかもたない女子大生が一杯いた。  そういう女の子たちの後に、プラスティック系の若者が現れたというわけだ。お行儀が良くて、静かでニコニコしていて、ソツがなくて。  一昔前の若者みたいに、我々の年齢の女にむかって「ヨォ、オバハン」などとは口が裂けても言わない。「アノ、オバサマ」と言うのだ。  オバハンと言われた方がまだ少しはましだと思うのは、何サ、オバハンじゃないわョというこちら側の反発心が湧《わ》くことだ。  アノ、オバサマと言われると、なんだか本当にオバサマみたいな気にさせられて、気持ちがめいること。それに女の子ならまだしも、男の声でオバサマなどといわれると、ゾゾゾーと鳥肌が立ってくる。  ワンパクでもいい。強い子に育って欲しい、とつくづく思う今日この頃である。  世界におけるあなたのこと 大学のキャンパスと原宿あたりを右往左往して 四年間を過ごしてしまうドラ息子やバカ娘たち  大学を卒業したからといって、教養が身につくわけではない。知性だってそうだ。大学に通いさえすれば教養や知性が磨けると思ったら大まちがいだ。  その証拠に教養などほんの一かけら、知性などどこをどう探してもみつからないようなドラ息子やバカ娘が、どんどん大学を卒業し、世の中に流れ出て行く。  中曾根前首相がアメリカ人の教養程度のことで失言したことが問題になったが、私はむしろ彼が日本人の知的水準をかいかぶりすぎていることの方が、よっぽど気になった。  たしかに、日本人は教育に熱心だ。大学進学率もたいしたものだ。  しかし、日本ほど大学の数の多い国は他にはないし、大学生の受け入れ数の大きい国も、他にはないのである。  つまり、ほとんどの人間が、望みさえすれば、どこかの、大学に入学出来るのである。ドラ息子だってバカ娘だってどんどん入っているのがその証拠だ。  そしてそのほとんどが一般教養程度のものに毛が生えたようなことを教わり、学士さまとなる。  だが、一般教養に毛が生えた程度のことでも、身につけばまだしも、たいていのドラ息子やバカ娘たちは、それすらも身につけることなく、大学のキャンパスと原宿あたりを右往左往して四年間を過ごしてしまう。  マンガや週刊誌やファッション雑誌以外の本など一度も開かず、新聞だって読まないような人たちを指して、ただ大学を出たから教育のレベルが高いなどとは、絶対に言えないではないか。  私は色々な国を旅して来て、教養や教育はないけど、そこいらの日本人よりははるかに知的な眼をした貧しい人々をたくさん見て知っている。中曾根さん、思い上がってはいけません。 オーストラリアの、戦争を体験した親たちは、 今でも自分の子供たちに、日本人が何をしたかを語り続けている  私はつい最近オーストラリアの旅から帰って来たばかりだ。対日感情は想像以上に厳しかった。  それは現在の経済大国日本に対する悪感情だけにとどまらなかった。もちろん、今の日本は、自分は何も受け入れないくせに、要求ばかりを通そうとするエゴイスティックな国であるという悪評は、他の国々と同じように抱いてはいたが、私が驚いたのは、ずっと前、四十年以上も前の戦争に対する、対日感情の悪さである。  あの戦争では、私自身ですら、戦争を起した日本軍人の犠牲者であると、心密《こころひそ》かに思っていたが、オーストラリア人にとっては、日本人は日本人だ。  町で知りあう人々は、最初の一皮をむくとすぐに戦争のことを口にした。 「あの戦争では、日本人は我々のバナナまで根こそぎに食っちまった」と、固い表情で語ったのは、まだ三十代中頃の男性だった。 「失礼だけど、あなたはまだ生れていなかったのでは?」と私が言った。「それがどうなんです?」と逆に訊《き》かれた。  オーストラリアの、戦争を体験した親たちは、今でも自分の子供たちに、戦争がどんなもので、日本人が何をしたかという事を、日常的にくりかえし語り続けているのである。 日本人はいまだに井の中のカワズである 大海を知らなさすぎる  それに比べると私たちはどうだろう? 私たちだって苦しい戦争体験を経た国民ではあるが、日本人というのは『喉《のど》もとすぎれば熱さを忘れる』のたとえどおり、特に自分に都合の悪い体験については簡単に忘れてしまい、たとえ覚えていても口をぬぐって語りついだりはしない。  しかし戦争が悪であるかぎり、私たちはあの戦争で日本が世界に対して何をしたか、ということを、忘れるべきではないし、そのことを自分の子供たちに語りつぐことで、次の戦争を引き起すことを防ぎえるのではないか。  誰も何にも教えてくれないから、私たちよりもっと若い何も知らない世代の人たちは、しばしば外国で、人々の日本人を見る白い眼に、傷ついたり驚いたりしてしまうのだ。オーストラリアにいた間中、私は肩身のせまい思いに悩まされつづけたのは、彼らが決して過去の罪を許していないこと。決して許されないのに、私たち日本人は、大金をポケットに好き勝手なことしている、といった印象を、私は嫌という程味わいつくした。  確かに大金をポケットに、私たちはオーストラリアを歩きまわった。つまり、TV映画を作るという企画だったので、バックにはTV局やスポンサーがおり、オーストラリア政府観光局も表面的には協力的だった。  しかし表面の一皮をむけば、人々は、日本人を決して好きではないことがわかるのだった。  つまり、日本人て何だろう? 一番わかりやすく日本人をたとえるなら、朝のラッシュ時の光景を思い浮かべてみよう。他人を押しのけてわきめもふらずに席を奪う光景だ。つつましい人間や多少は礼儀を知っている人間など、突きとばされたり、押し倒されたりしかねない。  他人を突きとばしたり押し倒したりしてまで、自分の席を奪い取る人間が、すなわち世界における日本人像なのだ。  同じ日本人同士でさえ突いたり押したりしているのだから、異人種、異国籍に対しては一層無礼で無神経でエゴイスティックになるだろう。  少なくとも、世界中の人々の眼に映っている日本人の姿は、そういう姿なのだ。  そして外国人にいわせれば、我々日本人が突きとばしたり押し倒したりしている人々は、かつて戦後の日本を助けたアメリカであり、あるいは、日本の数々の戦争犯罪を許してきた国々の人々なのである。忘恩はなはだしく、モラルに欠ける仕業《しわざ》と思われてもしかたがないではないか。  日本人はいまだに井の中のカワズである。大海を知らなさすぎる。教養とは、学問だけを身につけることでは決してないのである。常に、今の世の中(世界状勢を含めて)に対して、自分がどの位置にいるのかを、確かめて生きていくことが、大事なのである。  私たち日本人が、このまま世界中を敵に回して、かつて私たちを許してくれた人々を突きとばし続けたら、どうなるか、それくらいのことは誰だってわかるだろう。  ㈼ 絡みあう視線    身を焦がす男と女の夢六夜  マダムとジゴロ 男からの電話を心待ちにしていた 年上の女の気持ち  コーヒーが終り、ブランディの香りを楽しんでいる時、ウェイターが伝票を置きに来た。  彼は一瞬、男と女を見比べ、わずかに躊躇《ちゆうちよ》の気配を見せた後、それをそっと二人のちょうど中間のあたりに置いて立ち去った。  なぜ中間なのかといえば、明らかに女は年上であり、そして見るからにリッチだからだった。そして彼女の対面に涼し気な風情で端然と坐《すわ》っているのは、若くて男振りの良いプレイボーイ風の男であった。  ウェイターが伝票をあからさまに女の側に置かなかったのは、思いやりであり、そういう職業にたずさわる人間のたしなみでもあった。  ところで、その二人は初めてのデイトであった。あるパーティーで知り合い、なんとなく会話が弾んで、彼女が彼に「楽しかったわ」と言い、彼が「電話をしてもいいですか」と訊《き》き、彼女は「どうぞ」と答え、電話番号を書いたメモを別れ際に若い男の手に滑りこませたのだった。  二週間ほどして男から電話がかかってきた。最初女は相手がどこの誰だか忘れたふりをしたが、ほんとうは一瞬たりとも忘れてはいなかった。男からの電話を心待ちにしていたのである。むろん、そんなことはオクビにも出さないが。 「夕食でも?」と電話で男が誘った。 「いいわね」と女はクールに同意した。  そして、件《くだん》のディナー風景となったのである。  いよいよブランディも終り、席を立つ段になった。女はチラとレストランの中を眺めた。何人かの客が好奇の視線を二人に注いでいた。その視線から、彼女は嫌でも自分が年増の有閑マダムであることを感じざるをえなかった。そしてまさに人々の好奇の視線にうながされて彼女はツイと、伝票に手を伸ばしたのだった。  一呼吸遅れて、男の方も伝票に手を伸ばした。彼女の方が早かったので、彼女の手の上に重なるふうになった。彼女はその一瞬の感触になぜかドキリとして顔を紅潮させた。そして自分の赤くなったことに自分で腹を立ててこう言った。 「いいのよ、私に払わせて」  姉のような、あるいは母親のような口調だと自分でも思った。 「とんでもない」  と男は真剣に言った。「女性に食事代を払わせるなんて」  人々の好奇の視線がますます集中するなかで二人は短く押し問答を交わした。 「男の沽券《こけん》なんて、この際お忘れなさい」ますます母親口調で、女は柔らかく言った。指にはめた三カラットのダイヤモンドがキラリと光った。 男は女に腹をたてた 女は男を軽蔑《けいべつ》した  それで勝負がきまった。彼女が勝ち、伝票は彼女の手にあった。レジに向かいながら、けれども彼女の胸はむしろ敗北感に似た惨めさで塞《ふさ》がれていた。  この男《ひと》、と彼女は内心|呟《つぶや》いた。女に夕食代を払わせることに、慣れているみたい。でも、当たり前だわね。これだけの男振りと若さなら、夕食代を喜んで払う金持ちの女が、ほかにもたくさん居て不思議はない。  でも、彼女はそういう金持ちの一人の列に、自分も加わるつもりはなかった。つまりその夜が最後で、もう二度と彼には逢《あ》うまいと、三万なにがしかの夕食代を払いながら、心にきめていた。  残念だわ、と彼女は釣り銭を受け取りながら心から思った。会話は面白いし、とても洗練された男なのに……。  一方、男の方はどうかというと、彼女の胸の内など気づくわけもなく、彼は彼で腹の中を煮えたぎらせていたのである。  女に夕食代を払ってもらったことなど、後にも先にも初めての経験だった。そんな趣味は彼にはないのだ。  ところがその女ときたら、さも手慣れた当たり前のことのように、伝票を取り上げたのだった。いかにも、そういうことに精通していた。若い男の扱いにも慣れていた。  そして、凱旋《がいせん》将軍のような足取りでレジへ向かった。そして彼はまるで負け犬のような気持ちで、彼女の後からスゴスゴとついて行ったのであった。まるで金で買われた男娼《だんしよう》のような気分だった。  どこでどう違ってしまったのだろうか、と彼は考えた。素敵な女性だったのに、それに電話をしてアプローチしてきたのは、彼女ではなく彼の方からだった。  しかし待てよ、と男は思った。あの眼。パーティーの時に、視線が出逢った時のあの眼。——もしも勇気があるのなら、いらっしゃい。決して退屈させないわ——的だったあの誘惑的な視線。全てはそこから始まったのかもしれない。実は彼女の計画通りに事が運んだのかもしれない。男は罠《わな》にはまりこんだ気がした。  夕食の後は? 僕をホテルへ引っぱりこむつもりだろうか。 伝票をどちらが払うかで、 男と女の関係は怖いほど変わってしまう  レストランを出ると、二人は無言で向き合った。女は相手に失望して腹も立てていた。若い男をお金で買うような立場に立たせられたことが許せなかった。 「これからどうする?」  と彼女はひややかに訊《き》いた。その口調を男の方は挑発のように受け止めた。 「男と女が食事のあとですることは、きまっているよね」 「それ、ベッドのことを仄《ほの》めかしているつもり?」 「ほかに何がある?」  男はますます挑戦的に言った。そういうことならそれで結構だと思った。別にアレのやり方を知らないわけじゃないからな。  怒りだけが彼女を支えていた。このゲームを途中で投げだすわけにはいかなかった。妙な理屈だが、彼女のプライドがそれを許さなかった。それならオーケイだわ。最後まで私の役割を演じてやろうじゃないの、と彼女は思った。  二人はタクシーを拾い、無言でホテルに向かった。  伝票をどちらが払うかで、男と女の関係が怖いほど変わってしまうという例である。もしも、彼の方が伝票に先に手を伸ばしていたら、全ては全然違った別の展開になっていたはずである。  もっとも、伝票をどちらが払っても、男と女、行きつくところは結局ベッドなのであるから、あまりこだわることでもないか……。  手は口ほどに物を言い 一夜の情事を期待したくなる 非の打ちどころのない男  マカオのカジノで、ブラック・ジャックの台を物色していた時のことだった。台というよりは、ディーラーの様子を観察する。相性の悪そうなのは当然遠慮して、これと勘が働くまで忍耐強くカジノの中で探して行く。  人間の力関係というのは、一瞬で決定する。「こいつに勝った」と思った方が勝ちなのである。私は、私にそう感じさせたディーラーの台をみつける、そこに腰をかけた。  最初は三人だった客が、一つか二つゲームが進むうちに満席になった。  三つ置いた横の席にケリー・グラントに髭《ひげ》を生やしたような男が坐《すわ》っていた。髪には白いものがチラホラと混じる年代。着ているものといい、カフスのあるシャツの袖口《そでぐち》からチラリと覗《のぞ》く金のロレックスといい、華奢《きやしや》でいて品のいいイタリアンカットの靴といい、そのままハリウッド映画のワンシーンを見ているような感じの、実に見栄えの良い男なのであった。  フランコ・フェレの優雅さの典型といったスーツをリラックスして着こなし、ネクタイの結び目が微妙にわずかだけ緩んでおり、オーデコロンはクリスチャン・ディオールのオー・ソ・バージュ。  非の打ちどころのないとは正にこのことだ、と私は内心舌を巻いたのであった。映画のシーンの中でそういう男はたまにみかけるけど、生きた実物に逢《あ》うのは、後にも先にも初めてなのである。  マカオにかぎらずカジノの面白さは、得体の知れない人間同士が隣り合わせになることだ。髭のケリー・グラントの左隣りにいるのは、垢《あか》じみたポロシャツに薄汚いジーンズの香港仔《ホンコンチヤイ》の若い男だし、右隣りは四角いバンソウコウをコメカミに貼《は》ったやり手婆さんみたいな、中年女。私の隣りにいるのはノーネクタイにジャケットはいいのだが足元は汚れた素足にゴムゾウリをはいている。  そういう私自身が他人の眼にはどう映るかは知らない。ドロテ・ビスの紙みたいに薄手の、アーミー・グリーンの男物みたいなレインコートを、素肌の上に着て、ウェストをぎゅっと締め、靴はスニーカーだった。日本を発つ前に、宝石類をチャラチャラとつけていくな、と注意されたのでごていねいに結婚指輪まで外したが、ロレックスの時計だけはしていった。ホテルのボーイや、ショッピングアーケードの店員に、広東語でよく話しかけられるから、もしかしたらホンコンマフィアのあまり若くない情婦のおねえさんくらいには見えるかもしれない。『ティファニーで朝食を』のオードリー・ヘップバーンと同じサングラスをしていた。おかげで、こちらの眼が見えないので、人間観察にはもってこいなのだ。  そんなわけで、私は髭《ひげ》のケリー・グラントに惚《ほ》れぼれと見惚《みと》れていた。なめし革のような顔の皮膚が小麦色に日焼けしている。どんな女だって、一夜の情事を期待したくなる。 手を見れば大体その人間のことがわかる 彼の指は青白く不健康だった  ゲームの方は適当に勝ち続けていた。私は勝つと決めたら、つきを招《よ》ぶことが出来ると思っている。連続してずっと勝っていたので、サメのような嗅覚《きゆうかく》の男女がいつのまにか私の後に群がり、私の場所に五百ドルとか千ドルのチップを置くのだ。私はギャンブラーではないから、最高二百ドルまでしか置かない。  だから各回のもうけはたいしたことないが、私の場所に千ドル置いた人は毎回千ドルとか千五百ドルもうけていく。五回続いたので最低五千ドルもうけて、アリガトウもいわず消えてしまった男もいた。  ギャンブルは沈黙の世界なのである。  私がバカつきだとわかると、同じ台の人たちもどんどん私の場所にチップを置いた。  髭《ひげ》のケリー・グラントの眼がふと上がり、私のサングラスの中をみた。それから唇の片方を軽く歪《ゆが》めるようにして微笑すると、スイと手を伸ばして私の場に千ドルのチップを置いた。  ドキッとした。他の人のことはどうでもいいが彼の手が私の注意を引いたのだ。  その手は、あまりにも彼自身の雰囲気と違っていた。胸や肩幅の割りにはそれはこころもち小さく、不安定な感じなのだった。  手を見れば私は大体その人間のことがわかる。力強く大きな手が、健康的な輝きを放っていれば、その人間は信用できるし、魅力的であるとみてまちがいない。  けれども手の感じと外見とがアンバランスな男には、用心することだ。性格|破綻《はたん》者だったり、悪人だったり嘘《うそ》つきだったり犯罪者だったりする。  私は髭のケリー・グラント氏の手に、痛く失望した。その手はふやけたように青白く不健康であった。 世にも美しい男が二人、 女に全く興味がないなんて、なんという不幸……  賭《か》けが続いた。彼は私の場所に置いたチップで千ドルがとこもうけてニヤリと笑った。ふと気がつくと髭のケリー・グラントの斜め後にひっそりと若い男が立っていた。ねっとりとした感じの若者だった。髭のグラント氏がふり向いた。二人の男の視線が奇妙な具合に絡んだ。  少しして、二人は連れだってカジノから消えた。残念ながら髭のケリー・グラントはホモだったのである。  人が誰とどう愛しあおうと、それはかまわないことである。でもますます私は手で男を読むことの自信を強めた。  結局その台で私はホンコンドルで二千ドルがとこもうけた。  Gパン姿の香港仔は、私の知るかぎり千五百ドルばかりスッていた。そうやって週末のマカオで週給の大半をスッてしまう人間もいれば、禿鷹《はげたか》のように、ツイている人間の後に群がり、おこぼれで大もうけをする人間もいる。  私がブラック・ジャックで勝った二千ドルは、その夜泊ったフォート・デ・サンチャゴというホテル代と同額だった。  とても小さな雰囲気のあるポルトガルスタイルのホテルで、湾に面している。カジノの帰りにバーを覗《のぞ》いてみたら、例のホモの恋人たちがひっそりと飲んでいた。  マカオの小さなホテルのバーで、その美しい二人の男は名画を見るようにぴたりと決まっていた。世にも美しい男が二人、女に全く興味がないなんて、なんという不幸かと考えながら、私は自室に引き揚げた。  嫉妬《しつと》に身を灼《や》く女の話 �嫉妬�は人の一生につきまとう 老境に差しかかったからといって消えるものではない  こんな話をある人から聞いた。 「七十を越したある偉いさんが、ひょんなことから若い娘に惚《ほ》れてしまったんだね」  とその人は独得の語り口で話しだした。 「その年になるまでその偉いさん、真面目を絵に描いたような人生を送り、カミさん以外の女になんて眼もくれなかった」 「年を取ってから初めて女に目覚めるのってのは、危険よね」と私も利いたような口をきいて、フムフムとあいづちをうった。 「とにかくそういう真面目なひとだから、周囲の人間がひどく心配してねぇ。ニッチもサッチもいかなくなる前に、なんとか歯止めをした方がいいんじゃないのかと」 「ええ。それで?」 「あれこれ考えて相談した挙句、下手《へた》に出れば火に油を注ぐことになる。ここはともかくまずは偉いさんのカミさんに注進しようということになったんだな」 「それこそ火に油よ」 「それがね、カミさんて人がたいした人物だったんだねぇ。注進に及んだ人間を前に、淡々とした口調でこう言ったんだそうだよ。『全てわかっております』。『わかってはおりますが、ここは私からのお願いでございます。あの人は今、綱渡りをしているようなものでございます。ですからどうかそっと見守ってやって下さいまし。もしもここで騒ぎたてますと、きっと綱から足を踏み外します。あの年齢ですから足を踏み外して落ちれば致命傷でございましょう。いずれ綱を無事に渡り終えます。それまでそっとしておいてやって頂きたいのでございます』。どうだい。並の女が言える科白《せりふ》じゃないだろう」  と彼はまるで自分の奥さんがそう言いでもしたかのように、自慢気に鼻をうごめかした。 「そりゃまあ、老境に差しかかったカミさんだから、そんな心境にもなれるのさ」  と別の男性が言った。  それはそうでもない、と私は反論した。人間の性欲が六十代になってもまだあるのと同じように、嫉妬《しつと》は人の一生につきまとう感情である。 世に怖ろしきは女房殿のカン カセット・テープにセメダインを塗った女のこと  嫉妬といえばこんな話がある。  やはり老境に差しかかった亭主殿に、そこはかとない恋が芽生えかけた。行きつけのキャバレー『沖縄御殿』のオケイちゃんが相手。  そこはかとない思いが通じたのか、オケイちゃんがプレゼントをくれた。彼女の歌う沖縄の民謡の入った手作りのカセット・テープである。  有頂天になった亭主殿だが、はたと予感が働いて帰りに電気屋に寄り、一本余分に同じものをダビングしてもらったのである。  とにかく彼の女房殿の勘ときたら神がかっていて、以前にも恋の芽をものの見事につみ取られた苦い経験があったからだった。  それというのは社員旅行の時のことだった。記念撮影ということになった。男も女も全員が旅館のユカタを着てカメラの前に並んだ。  その亭主殿、右に温泉旅館の芸者さんを、左に社の女性を、と両手に花で、なんとなく鼻の下を伸ばしてパチリと撮られた。  やがて写真が家に送られてきた。それをじっと眺めていた女房殿、何を思ったかやおらハサミを持って来て、写真を切り始めた。 「何をするか」と見るまに、小さなハート形の切りぬきが出来上った。それにノリを塗り、洗面所の鏡にベタリと貼りつけた。全て無言の業である。  ハートの中には亭主殿と左隣りの会社の女性が並んでいた。亭主殿はギョッとした。日頃心憎からず思っていたのが、その女であったからだ。肝を冷やして以後は身をつつしんだ。恋は生れる前につみ取られたのである。  さて話を『沖縄御殿』のオケイちゃんに戻そう。  前例もあるからして、彼は慎重に隠し場所を選んだ。ひとつは本箱の奥。もうひとつは一年に一度開けるか開けないかの自分の正月用着物の間に。  彼女の唄を聴きたい時には、もちろん家ではなく、会社の行き帰りにウォークマンでひそかに聴くつもりであった。  ある日、カセットを本箱から抜き出して家を出た。ウォークマンにセットし、イヤフォーンを耳にスイッチを押した。待てども暮らせどもスウスウいうだけで音が出て来ない。表も裏も同様だった。ヤラレタと思った。テープが消音されたのだ。犯人は言うまでもない。女房殿である。  よかったよかったもう一本あるぞ、と胸をなで下ろした。  翌日、着物のタンスからこっそり取りだしてカセットへ。こっちは、ウンともスーとも言わない。第一、回転もしない。よくよく見るとテープの断面に透明セメダインがびっしり塗られている。  世に怖ろしきは女房殿の勘である。なぜテープの隠し場所がわかってしまうのか。他にもテープなど家中にゴロゴロしているのである。  それなのに、なにゆえに『沖縄御殿』のオケイちゃんのテープだけは、ぴたりとわかるのか。世にも不思議な物語である。 私が、自分のすさまじい嫉妬《しつと》心を もてあますとき  前者の『全て存じておりますのです』のカミさんと後者のセメダインの女房殿は、両極端だ。  しかしどうなのだろう。男としてはどちらの方がいい奥さんなのだろうか。 『全て存じております』と泰然としているカミさんは、さしずめよく出来た妻の鑑《かがみ》であり、セメダインの女房殿は、可愛い妬《や》きもち焼きなのだろう。  という私は自分で言うのも変だがものすごい嫉妬心の持主である。自分で自分の嫉妬をもてあましてしまうのだ。  たとえば、好きな男とディスコへ行くとする。 「踊ろうか」  と男が言う。  そこで素直に立てばいいのに、つい心にもないことを言ってしまう。 「もう少し後で。何なら他の女の人と踊っていらっしゃいよ」 「いいのか?」  と男が念を押す。 「いいから、いいから。何をぐずぐずしてるのよ」  と押し出す。 「それでは」  と男が立っていく。美しい若い娘に声をかける。そして二人で踊りだす。一曲、二曲と時間が過ぎる。  冗談じゃないと思う。なにさ、と歯ぎしりする。次の瞬間、私はディスコを飛び出してタクシーを拾っている。席に戻った男はびっくりするという次第。  自分でそそのかしておいて、怒り狂うのだから、我れながらあきれてしまう。  けれども嫉妬だけは自分でコントロールできないのだ。  私などもしも老境の夫が綱渡りなど始めたら、さしずめ自らロープを揺すぶってしまう口であろう。  折り返し地点から自分探し なぜ、大女優たちは、 自分を政治や、奉仕や、試練に投じるのか  今年になってエリザベス・テイラーが来日した時、彼女はあるメッセージをもってやって来た。「エイズ患者に理解を」ということであった。 「私は死期の近づいたロック・ハドソンを病室に見舞いました。そしてお別れに彼を抱きしめました」  ハリウッドの女優のこの言葉は、世界のいかなる権威ある専門医よりも、説得力があった。それは知識にではなく、私たちの心に、良心に訴えたからである。  エリザベス・テイラーに限らず、ハリウッドの女優たちの中には、五十歳近くなるとある種の使命感に燃える人たちが多い。  シャーリー・マクレーンが輪廻《りんね》転生の考えに興味を抱き、自分の心の中への旅路を二冊の本にまとめたのもそうだ。  ジェーン・フォンダとか、イタリア女優のラクウェル・ウェルチは政治に参加している。美貌《びぼう》にめぐまれ、莫大《ばくだい》な収入が得られ、多分男はよりどりみどりで、七回も八回も結婚相手を取りかえることができるほどの贅沢《ぜいたく》が許されるのに、何を好んで、わざわざ自分を政治や、奉仕や、試練に投じるのであろうか。  しかも、そろそろ孫でも膝《ひざ》に抱いて、のんびり豊かに暮らしていこうではないか、と普通人なら考える年齢にである。  思うに、彼女たちハリウッドの女優というのは、その人生の大半を、他人を演じるということにささげて来た。演技が秀《すぐ》れた女優であればあるほど、役の中にのめりこむ。その役をやっている期間は、日常生活の中でも、その役柄のままの言動で過ごす者も少なくないと聞く。いわゆる役柄にとりつかれる、という意味なのだろう。  いつだったか映画監督の篠田正浩さんが言っておられたが、奥さんの岩下志麻さんは、やはり役柄にとりつかれるタイプだそうで、一日の撮影が終えて帰宅しても、まるでもぬけのからみたいなのだそうだ。肉体は確かにそこにあるのだが、魂がぬけたみたいになって戻ってくるのですよ、と篠田さんは、淡々と語った。  長いことそのようにして、他人ばかり演じ続けた結果、ふっと周囲を見まわしてみて、彼女たちは不安にかられるのではないだろうか。私は誰? 何者なのか?  ヴィヴィアン・リーならさしずめ、私は火の女、スカーレット・オハラなの? それとも零落の美女ブランチ・デュボアなの? それとも? というところなのだろうか。  だから、彼女たちが人生の折り返し地点を過ぎた後に、「自分探し」をするのは、もしかしたら自然のなりゆきなのかもしれない。  そのようにして試行錯誤をしたあげくに、それぞれの使命を発見し、それに身を投じることによって、心の平安、満足感などを、彼女たちは覚えるのである。 女の満足は、 自分がこの世の中で必要とされているという存在感にある  しかしこれは女優たちに限ることではないと思うのだ。  たとえば、普通に暮らしている主婦にだって起り得ることである。育児、子育てと、子供ひとすじにささげて来た人生が、ある日を境に違ってしまう。子供はもはや母親を必要としなくなる。息子は母親以外の異性を愛するようになる。  子供が全てだった母親には、子供が手を離れれば、もはや何もない。楽しみもなく、生き甲斐《がい》もない。夫には仕事があり、仕事が生き甲斐だなどと言っている。妻はひどく落ちこむ。  やがて苦しみの底に、何かが見える。自分の人生を子供や夫にだけ依存していたのではだめなのだ、とわかる。  自分の心の平安を救うのは、この自分しかいないのだ、と知る。主婦たちの「自分探し」が始まる。  私自身もそういう主婦の一人であった。私は何者なのだ? 何のためにこの世に生を受けたのか? 子育ての他に何をすべきなのか、とたえず自分に問い続けてきた。  三十五歳の時であった。何をしても、自己満足の域を出なかった。ほんとうの満足というのはどこから得られるのか。  自分がこの世の中で、必要とされていると自覚することではないだろうか。  子育てに追われていた時には、確かな手応《てごた》えがあった。幼い子供たちは、私がいなければ一日も満足に生きてはいけなかったからだ。  子育てが終ると、何もなくなってしまった。私のスカートにからみついて私を求める幼い手は、もうなくなってしまったのだ。  つまり、私たち女は一生終るまで、自分のスカートにからみつく手を求め、そしてそれらの手に自分自身を与えることを夢見る動物なのではないだろうか。 人を愛するためには、 まず自分自身を心から愛せよ  話をアメリカの女優に戻そう。シャーリー・マクレーンは、まず自分というものを知ることが、他の人を知ることになるのだという考えで、サイコ・セラピーの世界に入っていく。人を愛するためには、まず自分自身をほんとうに理解し、愛さなければならないのだ、と考えたのだ。 『アウト・オン・ア・リム』という彼女の書物に、その経過の一部始終が感動的に書かれているから、興味のある人には一読をおすすめする。  シャーリー・マクレーンがその書物の中で言おうとしているのは、人類愛である。全ての人を愛するために、まず自分というものを心から愛さなければいけない、ということだ。自分を徹底的に知らないで、他人のことなどどうしてわかるだろうか? 自分の罪を許せないで、他人の罪など許せるわけもない。  エリザベス・テイラーが、エイズで死にかけていたロック・ハドソンを抱きしめたのも、同じことである。彼女は、ロック・ハドソンを通して、人類を抱きしめたのである。私はそんなふうに思っている。  エイズは恐ろしい病気だが、必要以上に恐れることはない。正しい知識と良識さえもっていれば、中世の魔女狩りのような恐ろしい行為に加担することから、私たちを守ってくれるだろう。  私はまだ自分探険に乗りだしたばかりだから、人類愛的な物の見方で、小説は書けない。でもいつか、私もまた、私のペンで、自分をも含めた地上の人間の魂を、抱きしめることができたら、本望である。  血液型症候群 ほんとうは占い通りのことなど起きないのに 星占いに一喜一憂する女たち  女というものはよく相手の血液型とか星座を訊《き》きたがる。相手の星座を訊いたって、星占い師ではないのだから、 「サソリ座? へえ情熱的なのね」とか、「双子座ですか? 性格が複雑なんですね」あるいは、カニ座は家庭的であり、乙女座はロマンチック、といった程度の、ごく表面的な解釈しかしないし、出来ないわけである。  血液型も同様で、日本人を四種類に大ざっぱに分類してしまう。  最近の現象を見ていると、相手の星座と血液型を知らないでいることが、どうやら不安らしい。まるでそのことが相手の人格や感性の唯一の尺度のように考えているみたいだ。星座症候群、血液型症候群といってもいい。それもかなり重症である。  日本人同士ならともかく、相手が外国人だとどうか。  いきなり星座は何かと訊《たず》ねられて、怒り出すことはないだろうと思うが、血液型の質問には、鼻白むに違いない。輸血するわけでもないのに、なんだって見も知らぬ他人の血液型など日本人の女は訊きたがるのだろう、というわけだ。  かくいう私も、何を隠そう、かなりの星座症候群にかかっている。パラパラとめくる雑誌に星占いが載っていれば、まずはたいてい眼を通す。 「ふうん、今週は散財の週だって。じゃ外出を控えよう」とか、 「へぇ、今週現れる魚座の男性とは深い仲になる暗示が!!」 「今週は同僚を敵に回しやすいので、口をつつしむこと、か。そうか気をつけよう」  と、こんなふうな具合にごく日常的に、気軽に利用している。  しかし、ほんとうはあまり占い通りのことなど起きないのだ。そして起きなかったのは、口をつつしんだせいであったり、外出を控えたためであったり、こちらが充分に注意したからだ、というふうに我々は考えるわけなのだ。  第一、今週現れるはずの魚座の男性は何故現れなかったのだ? 深い関係になるはずではなかったのか?  そういえばそういえばと次々に思いだされる運命の出逢《であ》いは十指を下らない。それで古い雑誌を引っぱり出して来て執拗《しつよう》にも再確認。  するとある事実が忽然《こつぜん》と見えて来た。 「ひょっとすると深い関係になるかも」とか、「新しい男性が現れる兆しが」とか、 「ことによるとプロポーズの可能性がなきにしもあらず」  となっているのだ。欲に眼がくらんでいる時はこの、ことによると〇〇かもとか、ひょっとするとなどという単語を見落とすらしい。  人間というのはそんなものなのだ。星占いなんて、どうにでも都合の良いように解釈できるように、書かれているのだ、と自分を慰めるのも束の間、郵便受けに雑誌が届くや否や、 「へぇ、エメラルド色のドレスを着ると、西の方からくる男と結ばれる、ねぇ」  と眼を輝かし、エメラルド色のドレスを探し始めるといったていたらく。 AB型の集団は長続きしないという 世にも恐ろしい実例  話は血液型に飛ぶがこれは怖い話である。  十五年ほど前、私は日本に英国式ダーツゲームを普及させ、ダーツトーナメントなどを開くために、日本ダーツ連盟という団体を作ったことがある。  元々イギリス人の夫の仕事を手伝うために始まったことだが、ひとつの連盟を作るということが実に大変なことであるということを嫌というほど知った。  連盟を作ると、いつのまにか日本ダーツ協会というのが名乗りをあげるのは、日本の常。それでなくとも少ないダーツ人口が二分され、つまらない牽制《けんせい》作戦に時間もエネルギーもとられることになる。  その時に理事及び役員といった中心メンバーがいて、毎月一度か二度定例会議を開いていた。  その会議、なぜか最後にはハチの巣を突ついたような大混乱となり、各自が自分の主張を言い張って曲げない。さんざん議論したり、ほとんど喧嘩《けんか》腰の阿鼻叫喚《あびきようかん》騒ぎの後、実に実にインインメツメツの感じで終了するのである。  連盟の会議の日というと、だからわたしは前の夜から胃がシクシクと痛みだし、会議の直後は精神的にも肉体的にも疲労の極致に達する。  そんな定例のある夜、八人ばかりが集まり、インインメツメツと黙りこくっていた。 「君、血液型は?」  と誰かがふと訊《き》いた。 「AB」  と訊かれた者が答えた。 「おや。珍しいね。実は僕もそうだ」  それを隣で聞いていた者も、 「俺《おれ》もABだよ」  と、言い、その隣の男も自分もそうだと言うではないか。  何と、信じられない話、その場の八人のうち七人がAB型なのだった。 「あなたは?」  とついに私も訊かれた。 「私もよ」  八人中八人がAB型だということになった。我々は全員|唖然《あぜん》とした。そしてめいめいがお互いの顔を見廻しているうちに一人が笑いだし、二人になり、次々と伝染し、ついに全員が腹をよじって笑った。どうりでという訳である。  メンバーの構成を分析してみると、推理作家、手品師《マジシヤン》が二人、新聞社の文化部の記者、サラリーマン、お寺の総領、デザイナー、コピーライターと実に色々である。  けれども共通点がある。頭に血が昇りやすい。偏屈で頑固。  しかしAB型がこんなふうにそろうというのは、ほとんど奇蹟《きせき》である。たいてい五、六人が集まってもAB型は一人いるかいないかだ。  結局最後には収拾がつかないような大大混乱となり、自爆して、連盟は燃えつきた。AB型が人類に少ないのは、多分ちゃんとした神の摂理があるのだ、とつくづくその時思った。  夏のトルコにて 夜ともなるとどこからともなく、暗黒の入江に 退廃のきらびやかなレストランが出現する  この夏休みに、エーゲ海のクルージングに行ってきた。  七十フィート級のヨットをチャーターして、ギリシャのロードス島を出航、主としてギリシャの島々ではなく、トルコの入江をぐるりと回るコースを選んだ。  日中は蒼《あお》いエーゲ海をセイリングして遊び、夕陽の沈む前に、風のない静かな入江にイカリを下ろす。  クリスタルブルーの水に飛びこんで、一日の汗を流し、それからシャワーを浴びて夕陽を眺めながらカクテルなど啜《すす》る一刻。  入江の中には、他に私たちと同じようなチャーターのヨットが四、五|艘《そう》イカリを下ろしている。  そういう入江にも、レストランが必ず一軒あって、ヨットの客たちを迎え入れる。  荒涼とした岩山に、生きものといえば野生のヤギの親子が三頭だけ。夜ともなれば鼻をつままれてもわからないほどの真の暗闇《くらやみ》が落ちてくる。  そして降るような星。いぶし銀のような天の川。  次々と流れ星が消えていく。夜の八時。私たちは流れ星の下を、ゴムボートで入江のレストランへ。  それがまた超現実的なレストランなのだ。日のある内に見た時は、半分崩れかけたような無人の荒家《あばらや》以外の何ものにも見えなかったのに、夜ともなると、どこからともなくこつぜんと現れる厚化粧の娼婦《しようふ》のように、暗黒の港に退廃のきらびやかな姿を出現させるのであった。  すり切れたレコードで、かなでられるトルコ音楽が聞こえ始め、それを聞く者を物哀しい官能の世界へ誘うがごとく。  我々は、夜の火に集まる蛾《が》のように、そこへ吸い寄せられるようにして、やって行くわけだ。 昨夜のあのケンラン豪華な狂乱の舞台は、 ひからびた昆虫の死体となった  店内は、壊れかけたテーブルに真赤な布がかけられ、裸のキャンドルライト。ヒゲのトルコ人のウェイターたちが椅子《いす》を引く。ひときわ音楽のボリュウムが上り、打楽器のリズムが激しくなると、どこから湧《わ》き上ってきたのか、おヘソをまるだしのトルコの美女たちが、腰を猛々《たけだけ》しく振り動かし始める。  女たちの脂肪のたっぷりのった丸い腹部を眺めていると、官能を刺激され、妙な食欲にかられるのは不思議だ。私たちはガツガツと羊肉の串《くし》ざしなどを食べ、安物の地酒を流し込む。  飽食の後もトルコの音楽は続き、女たちのベリーダンスも休むことなく、従って私たちも延々と地酒のワインを飲み続け、おそろしく酩酊《めいてい》して、どこをどう帰ったのか記憶のない帰路をたどり、気がつくと翌朝、ヨットのベッドの中で、眼を覚ましていたのである。  時計を見ると午後一時。太陽は高々とのぼり、絶好のセイリング日和《びより》。ひどい頭痛に全員悩まされながら、デッキに出て苦いコーヒーを一杯。  そして私たちは愕然《がくぜん》とするのであった。昨夜のあのケンラン豪華な狂乱の舞台は、照りつける地中海の太陽の下で、ひからびた昆虫の死体以外には見えず、人の姿も、真紅の布も、夥《おびただ》しい地酒の空ビンも、こつぜんと消えてしまっているのであった。わずかに動くものの気配がしたのでよく見ると、野生のヤギの親子が、草とはとうてい呼べないような代物——鉄条網のような繁み《ブツシユ》を食《は》んでいるのであった。  昨夜のあれは夢か幻か、と、胸の中に寒さを覚えて、私たちはひっそりと顔を見合わせた。夢ではなかった唯一の証拠は、二日酔いのすさまじい頭痛のみ。その入江の名はサーシェ(SERCE)。 豊かさは、決してお金ではないことを教えてくれた オーハニエの少女  別の日。オーハニエ(ORHANIYE)という、ここはレストランが三つ四つある入江にイカリを下ろした時のことだ。  カラカラに乾いた埃《ほこり》っぽい村であった。私たちはヨットを降りて、村の中を散歩して歩いた。たちまち二人、三人と子供たちがぞろぞろとついて歩き始めた。  彼らは無言で、ニコニコとしていて、時々道から走り出ると、野生のイチジクや、他人の家のブドウ棚から、無断で果実をひとつふたつつみ取っては、私たちの手に押しつけるのだった。  酷熱の太陽の下。犬のように舌を出しあえぎながら歩いていると、トルコの衣装を身にまとった少女が、どこからともなく現れ、花を差し出すではないか。  大きな黒い瞳《ひとみ》。象牙《ぞうげ》色の肌。豊かな口元。汗ひとつかいていない。色あざやかな一種の重ね着。  花を差し出されたのは、仲間のアメリカ人の女性だった。彼女は一瞬少女の行為にとまどい、そして言った。 「ノーサンキュー。お金持って来ていないのよ」花売りだと思ったのである。  するとみるみる少女の瞳が曇った。 「|お金、いらない《ノー マネー》」  少女はそう言って、アメリカ人に花を押しつけると、走り去った。  そのことにつけて私は考えたのだが、トルコの旅行で感じたことは、人々の素朴な善意ということと、自尊心の高さということであった。  なるほど生活水準は低いし、子供たちは靴をはいていなかった。  それなのに、彼らは、私たちに一房のブドウを与え、イチジクの実をくれ、それから野の花を差し出した。  おそらく、つつましくやれば、彼らが十年も生活していけるほどの大金を、十日間のクルージングに費《つか》いはたしている私たちに、彼らは彼らなりの贈りものをくれようとしたのだ。  豊かさは、決してお金ではないのだと思う。それはトルコのオーハニエという寒村に住んでいる少年たち少女たちの心の中にあったものだった。  そして、一房のブドウやイチジクや野の花や、私たちの案内人になってくれたそのことに対して、一体私たちにどんなお返しが出来たというのだろうか。お金でもなく一杯のコーラでもないとしたら、私たちには彼らに贈り与えるようなものなど何ひとつなかったのだ。  ㈽ 女だけの夜どおしおしゃべり    別れ上手に乾杯する夢十一夜  おむすびのことから 私たちが学生の頃、 絶対になりたくないのがお母さんだった  相手が男であろうと女であろうと、一度この人はと惚《ほ》れこんだ友だちは、何やかにやと一生のつきあいが続くものだ。  友だちに惚れこむというのは、その友だちに対してある種の責任を負うということを意味する。もしも相手が何かの拍子に切羽詰まって、私の片腕を切り落としてちょうだいと頼んだとしたら、切り落とせるかどうかの問題だ。  たとえ仮にではあっても、彼女のために片腕とても切り落とせない、と心の底のどこかで思うのだったら、それは真の友だちではないのである。  そういう女友だちが一人いた。もう二十年も昔のことである。大学の時、同じ器楽科で二人ともヴァイオリンを専攻していた。  女友だちというと、いつも真先に思いだすのは彼女のことである。彼女のことを思うときまって鼻の奥の方に樟脳《しようのう》のような匂《にお》いが温くたちこめ、次に眼が熱くなる。大学の四年間を通じて、落ちこぼれの劣等生であった私を陰に日なたに支えてくれ、時に叱咤《しつた》激励してくれたのだった。更に言えば親友の落ちこぼれの私を愛するあまり、彼女もまた自ら落ちこぼれの道を取るほど、私たちの友情は固かった。  それぞれの恋愛を見守り、それぞれが結婚をし、子供を生んだ。  ある時、代々木公園でピクニックをしようじゃないの、という相談が電話でまとまった。お互いの子供をつれて、お弁当を持ち寄り、久しぶりで私たちは再会した。  久しぶりに見る親友は、すっかりお母さんになっていた。あんなにおしゃれで、ストイックな娘だった人が、スカートに息子をからみつかせて笑っていた。息子の手は汚れていて、彼女のスカートも汚れていた。真白いブラウスがいつもピカピカで眼にまぶしかった学生時代の彼女が脳裏を駆けぬけた。私の胸は、突かれたように一瞬痛んだ。 「すっかりママになっちゃったわね」と、私は努めて陽気に言った。 「そういうあなただって」友人の口調も私と同じように陽気だった。その口調と、彼女の瞳《ひとみ》の中を走り抜けた一瞬の動揺から、彼女もまた私がすっかりお母さんになりきってしまったことにショックを受けたということが、私にもわかった。  私たちが学生の頃、絶対になりたくないのが、お母さんだった。つまりお母さんというものが体現するものにどっぷりと安心して浸りこみ、精神も肉体も豚のように肥えることだった。私と彼女は、その日、代々木公園の大きな樹の下で、ひそかに相手から眼を背け合ったのだった。 「おむすびくらいのことで、何よ?」 「おむすびくらいのことが大事なのよ」  私たちは相手の中に自分自身の姿を映しだして見る思いで、ひたすら失望していた。 「お弁当、食べようか」と元気づけに私が言った。お昼には三十分程早かった。 「そうね、食べようか」彼女は少し早すぎるタイミングで同意した。  けれどもお互いの子供たちはまだお腹が空いていなくて、遊びに夢中だった。一緒に遊ぶというよりは、お互いの存在を意識しながら、それぞれの遊びを遊んでいた。  私と彼女は仕方なくそれぞれのお弁当を開き、当然のことながらお互いにもって来たものを相手にすすめた。 「どうぞ」と友人が白いタッパーウエアに隙間《すきま》なく詰めこんだ白いおむすびを差しだした。 「こっちも食べて」と私は、漆ではもちろんないが漆のイミテイションの小型の重箱を押しだした。  彼女のおむすびにはノリが巻いてなかった。まずそのことに私は軽い失望を覚えた。ずっと昔、遠足の時、時々母はノリなしのおむすびを私に持たせたことを思いだしたのだ。  ノリなしのおむすびは子供時代の惨めさと直接に結びついて、私を悲しい気持ちにした。  タッパーウエアの中に指を突っこんで、ひとつ取りだそうとしたが、そうは簡単にいかなかった。隙間がなくて、かなり密着していたのだ。取りだすというよりは、せせりださなければならなかった。  せせりだしたおむすびは、だからもうおむすびの型をしていなかった。私はその白い崩れたものを眺め、中に何にも入っていないのを知った。普通ウメボシぐらいは入れるものではないだろうか。そうやって眺めている眼の前で、おむすびの一端が崩れて地面に落ちた。私はいっそうやるせない怒りにかられた。おむすびって、しっかり握ってあって、持ったくらいでボロボロ崩れ落ちたりしないものなのではないだろうか?  それでも手の先に残った白いゴハンに咬《か》みついた。ゴハンはぐっちゃりと柔らかく何の味もついていなかった。普通、塩味くらいは、つけるものではないのか? 何の味もせず、ぐっちゃりとした冷たいご飯を咀嚼《そしやく》しているうちに、私は猛烈に腹が立って来た。そしてわけもなく悲しくて、手にわずかに残っている白いゴハンを地べたに叩《たた》きつけた。 「何よ、これ」私は残酷に叫んだ。「こんなおむすび作る人とは、これかぎり絶交だッ」  彼女はびっくりして私を眺めていた。眼がまんまるくなって心から驚いているのがわかった。それから我にかえって言った。 「おむすびくらいのことで、何よ?」 「おむすびくらいのことですまないわよ」と私は眼の前のお弁当をさっさと片づけながら、まだいきり立っていた。「こういうおむすびを作る人は、万事に亘って同じことなのよ」  娘の手を取ると、無理矢理引きたて、呆気《あつけ》に取られている友人をその場に置き去りにすると私は、さっさと帰ってしまった。フランソワーズ・サガン流に表現すれば、彼女の立ち去った後は砂塵《さじん》もうもうであった、という感じ。  それが私と彼女の友情の終りだった。実はこの話、すでにどこかで書いたのだ。それを読んだある有名な女性が、「モリ・ヨーコってずいぶん神経の荒々しい人なのねぇ」と言ったという話も耳にした。  その通り。おむすびぐらいで、親友と別れるなんて私もどうかしていたのだ。しかもその女友だちは大学の四年間、私をとことん信用して、大学も器楽科の友だちも、みんな敵に回してしまった人だったのだ。つまり、彼女は片腕を私のために、本当に切り落としてしまったのだ。普通芸大を真面目に出ていれば、オーケストラの団員くらいにはなれる。私は最初からオーケストラに入るつもりはなかったが、彼女はあったと思うのだ。音楽からすっかり心が離れていた私は、人間に興味を抱いていた。美術学部や大学の外に、面白い人間がたくさんいた。私が人間関係の中に彼女をひきずりこまなければ彼女はちゃんとオーケストラでヴァイオリンを奏《ひ》くことができたはずである。  私は、私に腕を一本切り取ってくれた女性を、切り捨ててしまったのだ。しかもおむすびごときのことで。 人生に取りかえしのつかないことがあるとすれば、 彼女のことがそうである  二年ほどして、私の方から電話をかけて謝ったような記憶がある。 「いいのよ。もう何とも思っていないから」と彼女は答えたが、その声は、どこか遠く、よそよそしかった。当然である。  その後、私は色々な人に巡り逢《あ》い、人生の友とも呼びうる女の友だちも何人も作った。現在の私はそういう友だちに支えられているような気がする。  けれども、あの時私があんなふうに失ってしまった女友だちほど、無防備に私を全面的に信頼してくれた女性はいないと思う。人生に取りかえしのつかないことがあるとすれば、彼女のことがそうである。  もう一度やり直せるものなら、あの代々木公園の樹の下へ戻りたい。彼女が白いタッパーウエアを差しだすところから。手にしたおむすびの一部がぽろりと崩れ落ちるあたりから。 「落ちたわよ」と私が言う。 「落ちたね」彼女が苦笑する。  私が口に入れる。そして言う。 「塩味、ついてないわよ」 「どれどれ。ほんとだ、ついてないね」 「ご飯、水の量が多いんじゃない?」 「少しひかえた方がいいかな」 「うん、その方がいいと思うよ」  頭上の樹の上で五月の太陽がサンサンと照っている。  夫を貸してくれたがる女ともだちの話 女には、反吐《へど》がでるくらいセックスをやりまくりたい という時代が必ずあるものだ  ある夜、私は女友だちの一人とお酒を飲んでいた。  お酒を飲むとしたら、一番いいのは惚《ほ》れた男と二人だけの時にこしたことはない。次にいいのは、話のやたらと面白い好きなタイプの男。この場合二人だけでなくとも三、四人のグループでも楽しい。  あまり飲みたくないのは、女の友だちと二人っきりというケース。 「お酒飲もうか」とどちらかが言いだす場合、そこで予想されるのは楽しい話ではない。何かとびぬけていいことがあれば、私たち女は、女友だちより、惚れた男や好きな男とグラスを合わせたくなるものだ。 「お酒でも飲もうか」なんて女同士が誘いあう場合、話題は離婚話か、失恋か、夫の女遊びの愚痴か、夫の悪口か、そのあたりに大体きまっている。  けれどもタミコの場合はまれにみる例外で、彼女は女が仕事をすることの歓《よろこ》びと充実感などを熱い口調で語るのだった。  私は、女が四十近くになっても、まだ野心的でエネルギッシュな好奇心を抱いている人が好きだ。可能性を追求する人に魅《ひ》かれる。タミコはデザイナーで、自分の小さな独立したオフィスを持っていた。 「私が今考えていること、わかる?」  話が途切れた後、タミコが不意に訊《き》いた。眼が輝き、頬《ほお》から顎《あご》にかけての線がシャープで、彼女は女盛りの最も美しい季節に花咲いているように見えた。 「何を考えているの?」 「男のことよ」  とタミコが答えた。瞳《ひとみ》が濡《ぬ》れたような光を放った。 「一人の男じゃなくて不特定多数の男たちのこと」  タミコはもしかして、性的|飢餓《きが》の中にいるのだろうか?  不特定多数の男を考えるという場合、女が一番問題にしているのは、自分自身のことだ。男とのかかわり方における彼女自身のことだ。 「私、男のことばかり考えているわ」タミコは苦しそうな吐息と共に言った。「つまり、あれのことばかりを」  彼女は結婚して夫もいる。夫との仲は気持ちが悪くなるくらい上手《うま》くいっていて、いつも二人でベタベタしている。結婚して十五年もたつのに、それが私には日頃から不思議でならないのだ。しかしそれは他人が外からあれこれ言うべきことではないし、彼女の結婚が上手くいっていれば、私はその事が手放しでうれしい。  しかし、この場合、タミコが言う男とは、もちろん夫のことではない。 「わかるわ」と私は言った。かつて私自身も三十代の前半を、性的であると同じに精神的な飢餓の状態で過ごしたことがあった。そのことを『情事』という最初の小説の中に書いた。エリカ・ジョングというアメリカ人の女性の言葉に、「セックスをやってやって、やりまくりたい。反吐《へど》がでるまでやってみたい」というのがあり、それを活字で読んだ時の強烈なショックが忘れられず、その言葉を私の小説の中に借用したいくらいだった。  反吐がでるくらいセックスをやりまくりたい、という時代が、女には必ずあるものだ。タミコがまさに今、その時期にいるのが、私には感じられた。 「ねぇ、あなたはどうやってその時期を乗り切った?」  とタミコがすがるような眼で私に訊いた。 「反吐が出るほどセックスをやりまくりたいという時ね?」 「そうしたの? 実行したの?」 「ばかね」と私は柔らかく笑った。「もしも実行してしまっていたら、『情事』は書いていなかったわよ」 四十年近く女が生きてきた ということの重み、深さ、哀しみ、歓び  タミコは黙りこんだ。長い沈黙のあと彼女が呟《つぶや》いた。 「でも、小説の書けない私みたいな女は、どうすればいいんだろう?」  静かではあったが、悲鳴のように尾を引く言い方だった。 「不特定多数の男たちとセックスをやりまくれば、問題が解決するのなら、そうすればいいだけよ」と私は答えた。 「その口調じゃ、疑問みたいね」  タミコが敏感に私の思いを感じとって言った。 「その飢餓感がどこから来るものかによるんじゃないかな。必ずしも性的なものばかりではないと思うのよね」  老いるということ。やがて死へとつながっていく恐怖と諦《あきら》めの中で、私たち女が直面するのは、果して自分が必要とするものを、単に満たせばよいという問題なのだろうか? 老いをどこかで内包した、すざまじいばかりの性欲を満たせば、解決できることなのだろうか。  自分の必要を満たすこともそうだけれども、自分が必要とされること、欲望され、濫用され、他人を満たしてやることも、私たち女の飢餓感に含まれているのではないだろうか?  そうすると、不特定多数の男たちとの情事は、実に虚《むな》しいものになりはしないか。  自分が他者によって欲望され濫用されるということはどういう意味だろうか? 躰《からだ》を投げ与えるということでは決してないのである。そう解釈してしまうと、女はたちまちにして荒《す》さみ汚れていく。  つまり四十年近く女が生きてきたということの重み、深さ、哀しみ、歓びなどを、人と——誰かと共有することが出来れば、それこそ、魂は安らぐのである。  私は小説を書くということでその安らぎを得た。そしてタミコは今、ねじきれんばかりの飢餓感の中で、それを探している。 「男はカタルシスであればいいと思うのよ」  と私はタミコに言った。カタルシス、つまり触媒。次のステップの仲立ち。 「カタルシス」  タミコはその言葉を噛《か》みしめるように呟いた。 最愛の夫と最良の友が 起すかもしれない過ちに乾杯! 「ところで話は違うけど」と私は言った。「来週香港に行くのよ。誰か知っている人いる? 昼間はいいけど、夜一人で食事するのって惨めじゃない。いたら紹介して欲しいんだけど」 「来週ですって?」タミコが言った。「ちょうどいいわ。私の亭主が一週間ばかり香港へ仕事で行くことになってるわ。彼、あなたなら喜んでエスコートするわよ」 「一晩くらいお願いするかもよ」 「一晩といわず、二晩でも三晩でも、どうぞどうぞ」  友人は陽気に言った。 「そんなこと言っていいの? 心配じゃない」  するとタミコは答えた。 「亭主の方は信用できないけど、あなたのこと信用してるから」 「信用に恥じないよう、身をつつしみます」  私たちは大笑いし、グラスを合わせた。少しして、タミコが言った。 「でもね。もしも万が一、あなたとうちの亭主に何か起ったとしても」妙にしんみりとした口調だった。「私、相手があなたなら許せるわ」  私はどう答えていいかわからないので、黙っていた。タミコが続けた。 「つまりね、あなたなら亭主が魅《ひ》かれてもしょうがないという諦《あきら》めの気持ちじゃないのね。そこのところを誤解しないでね。私が言うのは、あなたたちが自然にそうなって、一晩いい時を持てたら、素敵だろうな、ってそういう気持ちなの」 「彼を愛しているんでしょう?」私はわれながら陳腐なことを質問した。「彼が大事じゃないの?」 「もちろんよ」とタミコは微笑した。「でも、あなたも私にとって大事なひとなの」 「ありがとう」私はゆっくりとうなずいた。温かさが身内に滲《にじ》んだ。「多分あなたのご主人とは寝ることにはならないと思うけど、その言葉を覚えておくわ」 「そしたら私、かえってがっかりするかもよ」  世の中には、不思議な友情があるものである。  ローレン・バコールふうの女が醜く見える時 緊張感のある 仕種《しぐさ》がとても魅力的な女ともだち  ローレン・バコールのように、煙草を美しく喫う女を知っていた。  煙草を喫う時にかぎらず、コーヒーにシュガーを入れる時の指の動かし方とか、フォークやナイフを持つ手の仕種とか、頬《ほお》に落ちてくる髪を掻《か》き上げる動作とか、彼女のする全ての仕種が魅力的なのだった。  タクシーを待っているような場合でさえも、その立つ姿が毅然《きぜん》として美しいのである。緊張感があるからだ。  誰かが見ているわけでもないのに、と私は内心感嘆を禁じ得ない。私など始終油断していて人が見ていなければ、すぐオバさんポーズになってしまう。  すなわち背中が丸くなり、腹部の力が抜けてしまうのだ。それでなくとも中年になって体型が下り坂をたどる一方なのである。元々オバさんが、オバさんポーズで寛《くつろ》いでいては眼もあてられない。  要するにオバさんというのは体全体にしまりがなくなるのだ。とりわけ肩のあたりが緊張感を欠いてしまう。  話がわき道にそれたついでに言うと、若く見せるためには、これを逆手に利用すればいい。若い人たちを見ていると肩のあたりに猛々《たけだけ》しさがある。それで私は外出着の肩にパットを入れるようにしている。  肩が張っていると、それだけで緊張感が出るものだ。それで体型と年齢が多少はカヴァーできるというわけである。  さてその女性のことであるが、更によくよく観察すると頭のてっぺんから爪先《つまさき》まで緊張感のかたまりか、というと決してそうではないことがわかった。  たとえばフォークやナイフの扱いが美しくはあるが、イギリス流の正統派使いというわけではない。フォークを右手に持ち替えて小気味よく食物をすくいあげるアメリカ流のやり方である。  それが美しく見えるのは変に気取らないからだ。そういえば彼女からは女の厭《いや》らしい媚《こび》のようなものは感じられない。  お行儀が特別に良いとも思わない。時々肘《ひじ》などテーブルについてフォークを動かしたりする。  笑う時口元に手をあてるどころか、男のように喉《のど》をのけぞらして、大笑いしたりする。コーヒーカップの取手を持たずに、カップのふちに親指と中指をあてて口に運ぶのも見てしまった。それでも全く屈託がなくて、自然で自信に溢《あふ》れているのだ。  実際にそうしているかどうかは別にして、胸のブラウスのボタンを三つの位置まで外して着ているような、そんな感じの女が、世の中には時々いるものだ。それでいて、しどけなかったりだらしなかったりはしない。  三つ目のボタンのあたりをたえず気にしてかえっていやらしくなってしまう女がいるが、それもない。 女らしくふっくらした手が、 なぜ美しくないのか 「あなたって仕種《しぐさ》がほんとにきれいで洗練されているのね」  と私はある時|溜息《ためいき》混じりに言ったことがある。それは多分持って生れた天性のものだろうと、私は羨《うらやま》しいと同時に、半ば自分のことを諦《あきら》めかけていたのである。それで溜息混じりになったのだ。  すると彼女は答えた。 「そう? 誉められてうれしいわ。もしそうだとしたら、それは多分子供の時からずっとピアノを習っているせいだと思うわ」  それで私も思いあたることがあった。昔、ヴァイオリンを一日に五時間も六時間も弾いていた頃、私は自分の手がとても好きだったことを思い出した。  五時間も六時間も酷使した私の手指は、すっかり放血してしまったように蒼《あお》ざめ、疲労感と緊張感とが滲《にじ》んで、まるでチャイコフスキーのバレエに出てくる瀕死《ひんし》の白鳥みたいなのであった。私は瀕死の白鳥みたいになった練習直後の自分の手をとても美しいと思い、同時に愛《いと》しく感じたことを覚えている。  パガニーニやメンデルスゾーンやラロの曲を習《さら》った私の蒼ざめた手を、何分もうっとりとナルシストのように眺めたものであった。  ヴァイオリンをすっかり止めて数年たつと、私の手には余分な肉がつき、ふっくらとして来た。  女らしく脂肪のついた手を、私はあまり好きではなかった。結婚して家事や水仕事をするようになり、三人の娘を育て上げる過程で、私の手はますます醜くなっていった。パガニーニも、メンデルスゾーンもラロも奏《ひ》かない私の手はすっかりお母さんの手になってしまったのである。  彼女の手の表情が美しいのは、今でも彼女がその手指を音楽的に酷使しているからだ、ということが改めてわかったのである。 美しい仕種《しぐさ》は 心のデリカシーの問題  別のある時、私と彼女は共通の友人の家庭を一緒に訪ねたことがあった。その友人は晩婚だったので二人いる子供たちが一歳の赤ちゃんと三歳の女の子で、まだ友人の膝《ひざ》にまつわりついていた。  赤ちゃんがミルクを飲んで満腹すると、傍らのベッドでウトウト眠り始めた。一段落ね、と友人がコーヒーの用意をしてくれた。  ふとみると、件《くだん》の彼女がいつもの洗練された仕種でバッグの中から、セイラムの袋を取り出し、いつもの美しい指先の動きでそれを唇の端にくわえた。  それからカルチェのライターをカチリと言わせて火をつけると、青くて細長い煙をふうっと吐きだしたのであった。  とたんに私はとても嫌な気持ちになってしまったのだった。すぐ近くのベビーベッドの中には赤ちゃんが眠っていたし、三歳の女の子はカーペットの上で絵本を読んでいた。  不思議なことに、煙草を喫う彼女の姿は全然美しくも何ともなくなってしまったことに、私は気がついた。  急に色あせ、魅力を失ったどころか、プカプカとファナティックに喫い、大量の煙を口からだけではなく、鼻の穴からも吐きだしている彼女は、繊細さに欠け、荒々しく毒のある女に見えてしまうのであった。  私も喫煙する女ではあるが、老人や子供がいる場所では喫うべきではないと思っているし、赤ちゃんがいたら、喫煙行為は犯罪だと考えるのである。  たとえ老人や子供でなくとも、その場に一人でも煙草を喫わない人がいたら、煙草は遠慮した方がいいし、少なくとも、 「喫ってもいいですか?」  と断りくらいは言いたいと思う。  さすがに私もつい、 「赤ちゃんがいるんだから、窓から顔を出して喫いなさいよ」  と、彼女に向かってそう言ったのだった。 「あら、いいのよ。気にしないでよ」  と赤んぼうの母親が台所から顔を覗《のぞ》かせて言った。見るとその母親の指にも煙草がはさまれ、紫煙を立ち昇らせていたのであった。  それ以来、私の眼に、ローレン・バコールもどきの女友だちは、すっかり色あせて映るようになった。あれほど洗練の極致とまで感じた彼女の優雅な喫煙風景も、ただプッカプッカと煙を吐きだす仕種《しぐさ》にしか、すぎなくなった。  すると不思議なことに、食事中テーブルに肘《ひじ》をつく姿が鼻につきだして、耐え難くなり、アメリカ流のフォーク使いもデリカシーに欠けるような気がするのだった。  胸元の三つ目のボタンが気になり、なんとなく崩れた印象ばかりが目立つと、妙なもので、白いブラウスの袖口《そでぐち》のうっすらとした汚れまで見えてくるのであった。  肩パットがいかつくて、ただ猛々《たけだけ》しいだけの中年の女が眼の前にいるといったありさまで、私は自分の鑑識眼をあの時ほど疑ったことも、自信を喪失したことも、あとにも先にもなかった。  美しい仕種というのは、だから言うまでもないことであるが、心のデリカシーの問題なのだ。  今頃もどこかでかの女性はローレン・バコールのように煙草を喫い、男たちや、かつての私のような女を魅了しているのだろうか。  アヌーク・エーメみたいな女 彼女の美貌《びぼう》は、 私を絶望の底に突き落とした  その女性を初めてみかけたのは、今はもうない新宿の風月堂であった。  最初に私が覚えたのは、絶望感であった。世の中にこんなに美しい女が現におり、私などどう逆立ちしても足元にも及びはしないだろうという思いが、何よりも先に私を襲ったからだった。  あまりにも美しいもの、あるいは完璧《かんぺき》なもの、または才能のあるものに出逢《であ》うと、私はなにくそと思う以前に、完全に畏縮《いしゆく》し、絶望してしまうのである。  たとえばフランソワーズ・サガンがそうであった。彼女の最初の小説『悲しみよ、こんにちは』を初めて読んだ時、私はその小説の美しさにうっとりとする一方で、身もちぎれんばかりの嫉妬《しつと》と羨望《せんぼう》とにとりつかれた。  私といくつも年の違わない若い女が、すでにこれほどのものを書いてしまったのだ、と思った。だったらもう私などがいくらジタバタしたってしようがないじゃないか。  フランソワーズ・サガンは、私の中にまだ芽生えたか芽生えないかという段階の文学への夢を、徹底的に根こそぎにしてしまったのである。それが十七歳の時であった。それ以後、三十五歳になるまでずっと、彼女は私の上に常にそそりたつ私の絶望であり脅威であり続けた。私は彼女のせいでペンを持とうと考えもしなかった。  風月堂で見かけたその美貌《びぼう》の女性もまた、私を絶望の底に突き落とした。その洗練、その美しさ、どこをとり上げても彼女は完璧な大人の女なのであった。  アヌーク・エーメというフランスの女優にそっくりの顔だちで、その薄い唇はいつもなんとなく血の気のない感じだった。  化粧は眼だけにほどこしていた。ただでさえ大きな眼のふちを、黒い液体のアイライナーでふちどっていた。  風月堂にはその当時、詩人だとか絵描きや音楽家がたむろしていた。他にも偽《に》せものの詩人や、絵描きの卵や、音楽の病的な愛好家と自他共に認める人や、ジゴロや役者やアルチザンがいた。  そうした人に混じって、薄暗い教会をどこか思わせる店内で、彼女は女王のように君臨していた。  美しく骨ばった指には、たいてい長い外国煙草がはさまれ紫煙をあげていた。 彼は空虚を選び、私は傷心を選んだ それが、私と彼の恋愛の始まりだった  その頃、私は風月堂の常連の一人に、熱を上げていた。彼はフランスの性格俳優のような容貌《ようぼう》をした、みるからに繊細な男なのであった。彼のことを思うと夜も眠れなかった。  ある日、アヌーク・エーメに似た例の女性が、私の横の席に移って来て、言った。 「好きなのね、彼のこと」と。  その声は、私にビロードを思わせた。 「紹介しましょうか?」 「知っているの?」私は驚いて訊《き》き返した。 「ちょっとだけね」  そして彼女は、眼の微《かす》かな合図でその男を呼び寄せて言ったのだった。 「彼女、あなたに夢中なのよ」  私は恥ずかしさで真赤になった。  男はじっと長すぎるくらい私を眺めて、それからこう言った。 「でも僕がひそかに熱をあげていたほどに夢中じゃないよね」  それが最初の彼の言葉だった。 「あなたって、気障《きざ》ね」  と、その美しいひとは眼に軽い嘲笑《ちようしよう》を浮かべた。 「違うよ。単に内気なだけなんだ」  その日のうちに私たちは友だちになり、その日のうちに私は身も心も彼にささげてもいいと思うほど、彼に溺《おぼ》れてしまった。  出逢《であ》ってその日、私が彼におやすみを言ったのは午前三時過ぎで、夜が明けかけていた。 「傷心と空虚のうち、ひとつを選ばなければならないとしたらきみはどっちを選ぶ?」  と別れ際に彼が私に訊いた。 「傷心を選ぶわ」  と私は答えた。どんなに傷ついても良いと思った。 「傷心は妥協の産物だよ」  彼は静かに言った。 「僕は、空虚の方を選ぶ。全てでなければ、無、すなわち空虚である方がずっといいんだ」  それが私と彼の恋愛の始まりであった。 「彼とはどう? 幸福?」 「ええ。幸福よ。でも同時にとても不幸な気分なの」 「彼とはどう? 幸福?」  と風月堂で時々、アヌーク・エーメに似たひとが訊いた。 「ええ。幸福よ。でも同時にとても不幸な気分なの」  すると彼女はひっそりと笑うのだった。そして、 「それが恋なのよ」と言った。「彼も同じ気持ちでいるわ」 「どうして知っているの?」 「彼が、そういったのよ」  いつのことかしら、と私は考えた。いつ二人が逢ってそんな会話を交したのだろう。でも私は彼に対する盲目的な恋心のあまり、そのことを深くは考えなかった。  一年が過ぎた。  その一年の間に、私は指の爪《つめ》を銀色に染め、ゲランの「夜間飛行」を使う女になっていた。夜間飛行は、彼女の愛用する香水だった。恋やつれの一年間ですっかり痩《や》せ、彼女と似たような低い声で話をしていた。  彼女がいつも着ているような上等なドレスは買えなかったが、少なくとも色は同じ黒で上下を統一した。私たちは、時々姉妹にまちがわれた。あまり似ていないけど雰囲気がそっくりだから、と人は言った。  ある時、彼女が「家に来ない?」と私を誘った。私は彼女の部屋がどんななのかかねてから死にたいくらい知りたかったので、二つ返事で同行した。  意外なことに、部屋は小さな一間きりのアパートであった。そのほとんどを占めるようにダブルベッドがおかれていた。  壁には、見覚えのある彼女のドレスがすきまのないほど並べかけてあり、入口の隅に店屋物の塗りの箱が二つ置いてあった。  私が想像していたのと、その部屋はなんて違っていたことだろう。鏡の前の銀色のマニキュアボトルには埃《ほこり》がつもっていた。窓の下に石鹸《せつけん》水の入ったバケツがあり、薄物の洗濯物が浸けてあった。  彼女は私にインスタントコーヒーをいれて手渡しながら、眼を上げて言った。 「驚いたのね? ちゃんと顔に描いてある」  窓の外の洗濯ロープにつるしてある男物のシャツと下着から眼を背けながら、私はあいまいに肩をすくめた。どう繕って良いのかも、どう嘘《うそ》をついて良いのかもわからなかった。  年上の美しい人は、寛《くつろ》いだ様子でマニキュアを塗り始めた。  その時電話が鳴ったのだ。 「悪いけど出てくれる?」と彼女はまだ乾いていないマニキュアの手を私に見せながら、そう言った。私は受話器を耳にあてた。 「もしもし、僕だ」  といきなり男の声が言った。 「今から帰る。食事の用意を頼むよ」  それだけで、電話は切れた。 「だれだった?」と彼女はマニキュアの爪《つめ》に視線をあてたまま訊《き》いた。私は、凍りついたまま、私の恋人の名をつげた。 「で、なんだって」  とやはり眼を上げずに、実にさりげなく再び彼女が訊いた。 「今から戻るから食事の用意を、って」  ゆっくりと彼女の視線が上って来て、私の眼を捉《とら》えた。大きな暗い瞳《ひとみ》だった。 「そういうわけよ」  と静かに言った。けれどもその瞳には勝ち誇ったような色もなく、ひたすら哀し気だった。  その時、私の頭に閃《ひらめ》いたのは、ボーヴォワールの『招かれた女』という小説のストーリーであった。中年の夫婦の倦怠《けんたい》の遊戯にまきこまれた哀れな若い娘の話である。  しかし、私は彼女を憎めなかった。その大きな哀しげな瞳を見ると、恨みごとも言えなかった。自分が被害者でありながら、なぜか加害者であるかのような気持ちに、彼女のその瞳は私をさせるのであった。  その日は、私の二十歳の誕生日であった。  男になりかかった女 女らしさと、 腰の軽さは正比例の関係にあります  女らしさって何なのだろうか。  優しさとか気働きのこと? もちろん媚《こび》を売ったり、スリットの深いスカートをはいて、九センチもあるハイヒールをはくことだけが女らしいわけじゃないけれど。  でも世の中には、女なんて足元にも寄れないくらい優しい男だっている。優しさにかけては、女よりも男の方がずっと上手《うわて》だし、その質も良いような気がする。  思うに、女らしさというのは腰の軽さではないだろうか。  ある時、私の長年の女友だちが訪ねて来た。 「今から行くわ」  とはりきった声で言った。はりきっているのはようやく離婚が成立して、職も決まり、世間の荒波にもまれだしたからである。  ちょうど夕食前だったので、一緒にありあわせで食べようと、私は、 「うん、いらっしゃい、いらっしゃい」  と魚屋さんみたいな声で誘った。  彼女は駅前のケーキ屋で包んでもらったケーキを手土産に、さっそく乗り込んで来た。ついこの間までは、自分で焼いたキャロットケーキだとか、パンプキンパイなどを、まだ温かさの残っている状態でかかえてきてくれていた。 「なんだかきれいになったみたいよ。五歳は若く見える」  と私は彼女を見るなり言った。 「またまたお世辞言って」  と女友だちはまんざらでもないふうに笑った。でもその笑顔にだけは、疲れが滲《にじ》んだ。  食事中、彼女は面白おかしく職場の話をした。さっそく上役や同僚の悪口も言った。とにかくご機嫌で、饒舌《じようぜつ》であった。  夕食が済んだ。私はテーブルの上の食器を片づけ始めた。 「あら、手伝うわよ」  と言って、彼女は立ち上るかわりに煙草に火をつけた。 「いつから喫っているの?」  と私はちょっとびっくりした。およそ煙草なんて似合わないタイプの可憐《かれん》な女性なのだ。 「一人で住むようになってね、なんとなく手持ちぶさたというか」  と苦笑するのだった。私は少し淋《さび》しいような哀《かな》しい気持ちになった。私自身煙草を喫うわけだから人のことをあれこれ言えないが、彼女の喫い方は、今の彼女の心情をありのまま表わしているような気がしたからだ。  せわしなくて、苛立《いらだ》ったようで、煙を出す時も鼻から出した。口で言うほど楽しいわけではないのかな、と私は少し気になった。  汚れたものがシンクに溜《たま》っていると落着かないので、私は話をしながらお皿を洗い出した。 「あら、置いといてよ。私が洗うから」  とまた彼女が言った。でもやっぱり立っては来ないのだ。 「なれているからいいわよ」と私。 「じゃ私が拭《ふ》くからね」  コーヒーを啜《すす》りながらそう言って、また新しい煙草に火をつけた。  お皿を洗い終えたので、私はそれを拭き始めた。それを見ても彼女は何も言わなかった。  すっかり片づいて再びテーブルに着いた。 「せっかちねぇ、相変わらず」  と彼女が笑った。 「手伝ってあげると言ったのに」  私は黙っていた。 「髭《ひげ》でも生えたかな?」 「そのうちに生えるかもよ、気をつけないと」  それから実に二時間ばかり、今度は元亭主の愚痴をさんざん言って、ようやく彼女は腰を上げた。玄関で私は少し迷って、それから彼女に言った。 「あなた、男になったわよ」 「え?」  と靴に片足を突っこみながら彼女が目を上げた。 「髭でも生えたかな?」  とユーモアだけはそれでも健在で、彼女は鼻の下を撫《な》でた。 「そのうちに生えるかもよ、気をつけないと」 「何よ、気になるな。言ってよ」  と彼女は私を見つめた。 「じゃ言うわ。以前は、あなたもっとぜんぜん腰が軽かったじゃないの。私が立たないうちに、さっさと食器なんて洗っちゃって、台所中ピカピカにしてくれたものだったわ」  何もピカピカに磨いてもらいたいわけではないのだ。 「でも今夜は口だけで腰がついて来なかった」 「そう言われると痛いわ」  と彼女は頭を掻《か》いた。 「自分でもわかっているのよ。やらなくちゃと思うし、やりたいと思うんだけど、腰が上がらなくてね」 「でも、やらなくちゃと思っている間はまだいいわよ。そのうちにそんなことも思わなくなっちゃったら大変よ」 「反省するわ」  と彼女は門の所まで送って出た私の目を見て、急に真剣に言った。 「忠告してくれて、ありがとう」  それが心からの声だったので、私はとても嬉《うれ》しかった。 「これからもまた気がついたら必ず注意してね。お願いよ。だってもし誰も言ってくれなかったら、ほんとうに男になっちゃうもの」 「じゃ時々また来てよ、きっと」  と私も言った。 「あなた男になったわよ」の一言が、 彼女を変えた  その日から二年ばかりが過ぎた。ちょくちょく顔を見せると言ったにもかかわらず、彼女はパッタリと来なくなった。やっぱりあんな忠告はしなかった方が良かったのかも。私は少し気にした。でも電話の方は時々あって明るい声でお喋《しやべ》りしたので、それほど深刻には考えなかった。  実にひさしぶりで先日彼女が来宅した。まず私の仕事の予定を訊《き》いてから、慎重に三時から四時までの間に訪ねると言った。 「そんなに気をつかわないでもいいのよ」  と言ったが彼女はそれを固守した。 「昨夜焼いたのよ。ずっと作っていないから自信がないけど」  と昔自慢のキャロットケーキを持って現れた。二年前よりメークアップが薄くなり、自然な落着いた感じだった。 「また若くなったわよ」  と私は今度は本当にそう思って言った。 「髪を短くしたせいよ」  と彼女ものびのびと笑った。  キャロットケーキとコーヒーで私たちはお喋《しやべ》りをした。今度は自分のことばかりでなく私の仕事のことや近況や家族のことを彼女は熱心に質問してくれた。  それから四時少し前に腰を上げると、お茶の道具をさっと片づけ、手際よく洗い上げてくれたのである。  何から何まできびきびと神経がゆき届いていた。背筋を伸ばして帰って行く彼女を見送ってから、私は温かい気持ちになった。  翌日彼女からお礼の電話があった。 「ねぇ、私、ちゃんと女やってた?」  と最後に彼女が訊いた。 「うん、うん、やってたわ。立派に女やってたわよ。嬉《うれ》しかった」  と私の声も弾んだ。 「あなたがずっと前、男になったわよ、と言ったでしょ。あれがきいたのよ。今でもね、疲れたりしてつい腰が重くなると、あなたの言葉を思い出すの」  今度ゆっくり一緒に飲みましょうと言いあって、私たちは電話を切った。受話器を置いたとたん、私は彼女が煙草を喫わなかったことを思いだした。  いつ止めたのか知らないが、そのこともよかったと思う。彼女には煙草はやっぱり似合わない。  シンガポールのスーザンのこと 頑固で横暴なイギリス人の夫を 立てて立てて立てまくったアメリカ人の妻  スーザンに初めて逢《あ》ったのは、二十四年前であった。顔が細長くて、鼻も細長くて、金髪もやたら長い女性であった。今でいうと、メリル・ストリープのタイプである。  彼女はアランの妻であった。アランは当時電通の国際部で部長をしていた広告マンだった。私の夫が英文のコピーライターをしていた関係で、アランとスーザン夫婦と親しくつきあうようになったのである。  さてスーザンのことなのだが、彼女のやることなすことの全てが、私には驚きであり新しい発見であった。  まず何が驚きかというと、彼女が夫を立てること。とうてい日本の妻の比ではない。この際私が言うのは、現代の日本の女ではなく、昔のたしなみのある女のことである。  アランはかなり頑固で横暴な男であったが、たとえ彼が白いものを黒だといっても、スーザンは、「そうね、黒だわね、あなたの言う通りよ」と微笑するといった風。  アランはイギリス人。スーザンはアメリカ人だった。  髪を背中までたらしているのもアランが好むからだった。彼女は夫を敬愛するあまり、自分の国の発音をすて、英国流の英語を喋《しやべ》るほどだったのだ。  とにかく、スーザンは、私がそれまで抱いていた結婚のイメージを打ち砕いてしまった。つまり私が抱いていた結婚のイメージというのは、夫が妻をたすけ、妻に従い、あれこれと世話をしてくれるというものであった。だって外国の男って映画で観ると女に優しいではないか。椅子《いす》は引いてくれるし、ドアを先に通してくれるし、お皿や鍋は洗ってくれるし、庭の手入れはするし、妻をよくレストランや映画やパーティーに連れだすし、背中のチャックもはめてくれるし——。  ところが、新婚ホヤホヤの頃に知り合ったアランとスーザンの夫婦のおかげで、形勢は逆転したのだ。なんと、アランではなくスーザンが夫をチヤホヤとたてまつっているのであった。  仕事から戻ると、彼はどでんと居間の椅子にふんぞりかえり、そこへスーザンがにこやかにジントニックを片手に「ハロー、ダーリン、お疲れさま」と現れる。 アメリカ女は我がままで 簡単に離婚してしまうなんて大ウソ  さっそく我が亭主殿がこれを見習った。ところがうちは共働きの家庭である。いくら仕事から戻ってふんぞりかえろうが、肝心の妻である私が残業で待てど暮らせど戻らない。しかも戻れば疲労|困憊《こんぱい》していて機嫌が悪い。椅子にふんぞりかえってジントニックを待ち望むのはむしろ私の方であると思っているわけだから、とうてい亭主殿の思いがかなうわけもない。 「なんで我が家だけが例外なのか? なんでボクは仕事から戻ってジントニックにもありつけないのか?」  と亭主が嘆いたのである。  たとえ作ってあげたくとも、私の方が遅くまで働いていたのだから、作ってあげられようもなかった。そこで夫は自分のジントニックを自分で作り、私は私で、帰宅すると私自身でジントニックを作って飲んだ。そして共に心の中でこんなはずではなかったのに、と憤慨するのだった。  亭主殿はアランをそっくり見習って、彼のやるように我が家庭も支配しようとした。何かというと、「スーザンを見習えよ」である。「スーザンはこんなことはしない」とか、「スーザンは夫に口答えなどしないぞ」とか「スーザンならこうするだろうな」というのが、夫の口ぐせとなった。 「そんなにスーザンがいいのなら、彼女と結婚すればいいじゃないのッ」  とこちらとしては言いたくなるではないか。実際、三日に一度はそう言ってやった。  もしもスーザンが悪妻で、夫をこき使う女性であったなら、私の人生も少しは違っていたと思うのだ。夫はもう少し私に気を遣い、椅子くらい引いてくれたと思うのだ。  けれども、スーザンのすることが女の鑑《かがみ》だと信じこんでしまったばかりに、私の人生は辛いものとなってしまった。夫はアランと同じか、時にはアラン以上にふんぞりかえり、妻である私を奴隷のごとく使うのである。  時々スーザンがあまりのことに泣いているのを私は見た。私だったらとっくに離婚していただろうと思うようなことも、しばしばあった。遊びに行くとよく眼を泣きはらしていた。  アメリカ女は我がままだ、というイメージは、スーザンによって完全にくつがえされた。そして、アメリカ人は簡単に離婚するということも、スーザンたちを見ていて、違うことも知った。  スーザンに比べると、私はいつも自分が、理不尽なくらい子どもっぽく我がままで、物の道理のわからない女だということを痛感させられた。夫につかえ夫に従うことに喜びを感じることができる女が、眼の前に存在することに、心から驚いたのであった。 「彼との結婚そのものは、 二度くりかえすほどには、幸せじゃなかったわ」  つい昨年、私は一人旅でシンガポールに行き、スーザンと実に二十年ぶりに再会した。彼らは日本に三年ばかりいて、シンガポールに移ったのだ。アランは十年前に癌で亡くなっていた。そのことを私に語る時、彼女の口調は淡々としていた。  彼女のバンガロー風の家には、色んなアランの写真が飾ってあった。三人の子供たちの写真もあった。アランが亡くなってから十年もたつのに、彼女は再婚していなかった。  どうしてなのか、と私は訊《たず》ねた。 「だってアランほど素晴らしい男性は現れないんですもの」  とスーザンは微笑した。でも私が思いだすのは、「はい、アラン」とか「ええ、アラン」とか「あなたの言う通りだわ」とか答える忍従の姿であり、泣きはらした眼のスーザンであった。  けれども、あんな横暴なアランのどこがよかったの? とは私には訊《き》けない。他人にはうかがい知れないそれぞれの絆があるからだ。  夕方頃、リーンと彼女の居間の電話が鳴った。それに出たスーザンの顔がぱっと輝いた。 「ええ、いいわ、デニス。じゃ七時にね」  ボーイフレンドからの電話だった。デートの約束が出来ると彼女は電話を切ってニコニコと私を見た。 「彼、とてもステキなのよ」  と、立っていって、ボーイフレンドの写真を見せてくれた。ちょっとアランに風貌《ふうぼう》が似ていた。 「アランに似てるわね」  と私が言った。 「そう思う?」  と、自分でも認める口調でスーザンが言った。 「もう長いのよ。およそ六年になるの」 「じゃなぜ結婚しないの?」 「そうね」  と彼女は遠い眼をした。 「アランのことはとても愛していたけど」と口ごもった。「彼との結婚そのものは、必ずしも、二度くりかえすほどには、幸せじゃなかったわ」  そして、じっとありし日のアランの写真をみつめて呟《つぶや》いた。 「結婚は、一度で充分よ……」  自然の女《ひと》が素敵 どんな特大のダイヤやルビーよりも美しい 自然児の女  最初に一目その女性を見た時には、少年みたいだと、私は思った。  手足がすんなりしているとか、メークアップなしの洗いっぱなしの素顔であるとか、男の子みたいなショートパンツに普通のTシャツ姿であるとか、そういう外見上の理由もあったが、ちょっとぶっきらぼうな初対面のあいさつを、そのぶっきらぼうなのが無礼になるのを救っているシャイで伏目がちの微笑などが、その三十代の女性を少年のように見せているのであった。  彼女と逢《あ》ったのは軽井沢のテニスコートであった。それから十年近い歳月が流れたが、今では四十代になった彼女は、十年前と全然変わらず、相変わらず日焼けした少年のような姿で、コートの上を飛び回っているのである。  私の周囲には、大きな宝石のついた指輪や、ダイヤのネックレスや、じゃらじゃらした金の腕輪で身を飾っている女性が少なくないので——という私自身もまぎれもなくその一人なのであるが——結婚指輪ひとつはめていないその女性の、あまりの素朴さに、最初はとてもショックであった。  中年の女が、ここまで簡素でいられるというのは、実際に身のまわりのことに全く無頓着なひとか、そうでなければ素材としての自分の肉体にとても自信があるか、どちらかである。  しかし彼女はそのどちらでもないということが、やがてわかってきた。おしゃれに無頓着なわけでは決してなかった。ショートパンツの丈ひとつとっても、自分の足が一番美しくみえる長さを、ちゃんと知っているように、私には思われた。  かといって並はずれた美貌《びぼう》の持主というわけではなし、スタイル抜群でもない。  つきあっているうちに、彼女の簡素さの秘密がわかってきた。彼女は自然児なのである。自然体でいることが好きなのである。  野の花たちの美しさを、私に教えてくれたのは、彼女であった。その頃まで、私はバラでなければ花ではないと、思いこんでいるようなところがあった。だから人に花を贈る時は、いつも無理をしてバラの花を三十本ときめていた。  ある夏、軽井沢で彼女がひょっこりと私の家へ立ち寄った。腕一杯に色取りどりの野の花を抱えていた。  黄色い月見草や白い野の小菊やカスミソウの背後で、彼女の日焼けした顔が笑っていた。  ああ、美しいな、と私は胸を突かれた。どんな特大のダイヤモンドやルビーを身につけるよりも、その素朴で可憐《かれん》な野の花に包まれた彼女は、美しく見えたのである。  ひとかかえもあるような野の花の花束は、私へのおみやげだった。  それは薄暗い軽井沢の洋館風別荘の中に、見事に調和した。月見草はその名のとおり、夕方になるといきいきと花開いて、甘いようなはかないような、哀《かな》しいような香りを放った。  別の時には、乾燥させたラベンダーをクッションにつめて持って来てくれたし、セージの葉をおみやげにくれたりした。 八十六歳のおじいちゃんとのデイトを 心から楽しめる素敵な人  面白いことに、彼女の友人には、八十三歳の老女流画家だとか、やはり八十歳を越えた哲学者とか、東京の喧騒《けんそう》を逃れて軽井沢に隠居しながら、無農薬野菜や香草や花を育てている老夫婦とか、お年寄りが多いことであった。 「この間ね、八十六歳のおじいちゃんとプールへ行ってきたわ」  といかにも楽しそうに言うのである。実情は、八十六歳のおじいちゃんの奥さんに頼まれて、昔から泳ぐことが得意なおじいちゃんのおともをしたのである。要するにお守り役をおおせつかったのだ。  彼女の素敵なところは、お守りだなんてことを一言もいわないばかりではなく、ほんとうにお守りだなどとは考えていないことだ。  八十六歳のおじいちゃんは、昔とったキネヅカで、水泳がとても上手であった。彼女はクロールと本格的な背泳を教えてもらって、おじいちゃんと水泳に行けて本当に良かったと思っているのだ。  私など、どこへ出かけるのにも男と二人で行く時は、ついつい面食いの弱点で、見栄えのする適齢の男とでなければ胸がトキメカない。胸がトキメカないくらいなら家で本を読んでいた方がよっぽどいいから、最近は家にいることの方が圧倒的に多くなった。見栄えのする適齢の男で、ユーモアもあり頭も良くて、知的でセクシーな会話が出来る男なんてそうそうはいない。たとえいたとしても、あちらが中年の女流作家と出かけたいかどうかは、また別の問題だ。  でもやっぱり私は、八十六歳のおじいちゃんとはデイトしないだろうな。プールに行ってクロール教えてもらうなら若い男の方がいいもの。と、これは半分冗談、半分本音。  多分、彼女は経験者から色々教わるのが好きなのだと思う。そして私は単純に、お年寄りからあれこれ細かく教わるのが、嫌いなのだ。 肩肘《かたひじ》を張るよりも ナデシコのように優しくたわんで生きる  お年寄りにかぎらず、あれこれ言われるのが好きではない。その昔私の父はお説教魔で、コンコンとやられたものだ。算数の宿題のたった一問だけがわからなくて聞くと、百問くらいその応用でたっぷりしぼられた。それでとことん、人に何かを教わるのが嫌いになった。  だから、その後、そういう機会は作らないようにした。世の中には教えたがりの男たちが多いこともわかったが、どんなに素敵でもそういう男には近づかなかった。  この年になるまで車の運転が出来なかった理由のひとつは、この教わることが嫌いだという性格にあったと思うのだ。他人に叱られたり、バカにされたり、怒鳴られたりしながら運転を教わると考えただけで敬遠してしまった。  それが今年になって急にやる気になったのは、私の年のせいである。四十六歳にもなれば、教習所の先生たちより年上になるだろう。年上の女をそうむやみに怒鳴りつけたり叱ったりはしないだろうと、考えたのだ。事実、教習課程中そういうことは一度もなかった。若い先生の時など、恋愛問題など相談されて、路上教習の間、逆に色々アドバイスしたりしていた。  さて、自然体の女性のことだが、この夏も久々に軽井沢の私の家へ顔を見せ、弾んだ声で言った。 「今、この先の日本画を描いているおばあちゃんを訪ねて来たところなのよ」  そして彼女はその老日本画家の描くナデシコの線のいかに優しいかを語ってくれるのであった。  ナデシコというのは天を指してまっすぐ咲く花ではない。花の重みで、茎が流線を描いてしなるのだ。その老日本画家は、そのたわんでいる茎一本一本に、たわんだままの姿に極細の針金の添え木をあてて、支えてやるそうなのである。その心遣いに彼女は感激していたのである。 「私ね、まっすぐにそそり立つようにして生きてきているでしょう。肩肘《かたひじ》張るようにして。おばあちゃんの描く流れるようなナデシコ見ているうちにね、ああ、あんまりがんばらなくてもいいんだわって、眼からウロコが落ちるような気がしたわ」  あなたが肩肘張っているというのなら、この私は一体どうなのよ? と私は口に出しかけて黙った。なぜなら、木もれ日の下で、そそとして立っている彼女は、まさにナデシコのように優しくたわんで見えたからである。 「私」症候群 「わたし」を連発する人は、 自己顕示欲が強く、同時に他力本願な人 「わたしって、案外ロマンチックなひとなのよね」とか 「わたしって、気むずかしいひとなのよ」  というふうな言い方をする女のひとに出逢《であ》うと、背中がぞくぞくっとしてしまうのだ。  知性のない女子大生たちが使っているのなら「あ、良かった。うちの娘じゃなくて」と他人事としてまだ我慢もできるが、三十を過ぎた女がそういうのだから、知性や感性を疑ってしまう。  私って、こういう欠点がある人間なのよ、困ったものね、というふうに自嘲《じちよう》と反省と多少の自己批判があれば、聞いていてもまだ安心していられるのだが、そういうものは全くない。  むしろ得々として自慢しているように聞こえる。 「わたしって低血圧だから朝が辛《つら》いひとなのよね」とか 「わたしって香辛料に弱いひとなのォ」  なんて言われると、なんて自己愛が強い女性なのだろうと、思ってしまう。そしてそういうひとは、絶対に他人に厳しくて自分に特甘なのだと思う。  一時テレビのドラマなどでテーマになった『くれない族』と呼ばれる女たちは、この『私症候群』の延長上にいる女たちである。  元々、何かというと、「わたし」を連発する人は自己顕示欲が強いと同時に、他力本願的なのだ。自分というものがしっかりと確立されていない。  自分というものがないから、自己主張が出来ない。だから、幼児期の女の子のように「わたしね」と連発して辛うじて自己主張をしたような錯覚を覚えるわけである。  夫がかまってくれない。どこへも連れて行ってくれない。花も買ってくれない。髪型を変えても気がついてもくれない。  というような段階を経て、女たちは次第に落ち込んでいく。あれほどにまで「わたしってェ、何々なひとなのォ」と楽天的だった彼女たちが、『くれない族』になると、人変りしたように、いんいんめつめつと暗くなる。  主婦業に生きがいを感じなくなり、子供たちもママよりは比重がガールフレンドやボーイフレンドに圧倒的に傾いて行くと、自分だけが一人置き去りにされたような疎外感につきまとわれるようになる。  何をしても楽しくない。主婦業はうんざりするくらい同じことのくりかえしだ。そのうちに台所に足を踏み入れるのが嫌になり、それがこうじると吐き気がするようになる。これが主婦の『台所症候群』といわれる深刻な現象だ。  そこまで行ってしまうと、専門家のセラピストたちの助けが必要になる。時間をかけて、もつれた心の中の糸を、ひとつひとつ解きほぐしていかなければならない。精神的にも肉体的にも、経済的にも、大変な負担になる。 夫や子供たちに過大な期待をするのではなく、 自分自身にこそ期待すべきだ  話を元に戻そう。  女たちが「わたしって、何々みたいなひとなのォ」と言うのは、つまり事前の叫びみたいなものなのだ。あれは一種の危険信号を発しているのだと思う。  ひとりにしないで欲しい、わたしを見て欲しい、という切実なる内なる声なのである。  だから「わたしって何々なのォ」という女性がいたら、その夫や友だちは少し注意を向けてあげた方がいい。  それからもし、あなたがどちらかというと『私症候群』にかかっていると思ったら、早期発見早期治療を心がけること。 『私症候群』の治療とは、何か? まず、他人にたよりすぎ、期待しすぎを止めること。息子や娘が一流大学へ進み、一流企業に就職したり、一流企業の男と結婚するといったことを、自分の夢や目的にしないこと。娘や息子を生き甲斐《がい》にしないことである。  それから夫に対しても、あなたがこうあって欲しいと願う理想の夫像に少しでも近づけようと、叱咤《しつた》激励したりキリキリしないことだ。私たち妻は、自分がそうあってもらいたいような夫像を愛するのではなく、彼がそうありたいと望むような男のありのままの姿を、愛すべきなのではないだろうか?  そして、他人への期待や夢を、自分の方にもっていくことだ。夫や子供たちに過大な期待をするのではなく、自分自身にこそ、期待すべきなのだ。  子供にピアノやお習字やバレエをやらせるのもいいが、そのうちどれかを削って、あなた自身に投資すべきである。それも出来るだけ早い時期にそうするのに越したことはない。早く投資すれば、それだけ早い時期に回収が出来るからだ。人生のターニングポイントで、『くれない族』にならないためにも、それを実行しよう。  自分自身が充実していれば、何してくれない、かにしてくれないと、夫に失望することもない。 経済的に自立していなくても 精神的に自立していることが先決だ  私は、専業主婦というものを認めているし、女も必ずしも自分の収入を得なくてもいいと思う。  けれども、怠惰と安易のみかえりは、自分の責任だという自覚をもたなければいけない。経済的に自立していなくとも、精神的に自立していることが先決だ。  専業主婦が、ちゃんと精神的に自立している女性なら、そのひとはきっと主婦のプロフェッショナルだと思う。  子供が手から離れたから、再就職を考える人もいるだろう。友だちのアンティークショップやパートタイムで仕事をするのも結構だけれども、そうやってただ外へ出て行くことだけでは、問題は解決しない。  女が多少でも経済力をつけることは大事なことだけれども、もしも知能や感性の程度があいかわらず「わたしって、何々みたいなひとなのォ」で止っているとしたら、それは単なる逃避でしかありえない。  そういう女性は、くたくたになるまで働いて得たわずかばかりのお金を、実につまらない買物で消費してしまうのがオチなのである。そして疲労感だけがつもり、虚《むな》しさがカサを増していく。  まず自分というものを確立して、目的意識をもった女性なら、お金の使い方も知的に有効的に、そして充実することだろう。  これまでのところ、私はまだ心から敬服するような主婦のプロフェッショナルに出逢《であ》っていない。  いや実は、何人かそれは素晴らしい専業主婦たちがいたのだが、彼女たちは主婦の一流プロであるくらいだから、何をやらせてもテキパキとソツがない。それで、一人は設計事務所のPRとクライアント担当のアシスタントに引きぬかれたり、パーティー企画の会社や、お料理のケイタリング業を始めたりと、社会に出て活躍してしまっている。  それで専業主婦でなくなったり、仕事が面白くて離婚をしてしまったりと色々だ。女が何かをするということは、中途半端じゃだめだということだろうか。  女ともだちの条件 友だちになれるかどうかは、男に対する一眼|惚《ぼ》れと同じ 一瞬の出逢《であ》いで決まる  このところ毎日のように人に逢う。仕事で何度もくりかえし逢う人もいるが、初めての人にも日に平均二、三人は出逢っている。  先月のある一日など、私のオフィスに出入りした人の数が三十四人もあった。編集者の人、インタビューする人、写真を撮る人とその助手といった具合に、ひとつの用事で、三人から四人がワンセットで訪ねてみえるからだ。  もちろんその日は特別で、確か三週間の予定でロンドン・ニューヨークの取材に出発する前日にあたっていたからである。  と、ここまで書いて私が言いたいのは、それほどたくさんの人たちに逢っているのに、このところ新しい友だちがちっとも増えないという悩みだ。  友だちになれるかどうかは、男に対する一眼|惚《ぼ》れと同じで、一瞬の出逢《であ》いで決まるような気がするのだ。  男もそうだが、女に対しても、肌合いというか、生理的感情というか、肉体及びその周辺の情緒がピンとこなかったら、とてもつきあいきれるものではない。  肌合いというのは妙な表現だが、その肌合いがぴったり来ないと、お喋《しやべ》りするのも、ランチを一緒に食べるのも、お酒を飲むのも、今ひとつ乗らない。  お義理でなら一度くらいつきあうが、二度と一緒に食事をしたくないという相手がいるものだ。もちろん相手のことだけではなく、向うから見ればこの私もそうかもしれない。お互いさまの問題である。 肌合いのぴったり合う人 テンポがズレてしまう人  肌合いというか情緒的周辺がぴったりとくる女性というのは、どういうわけか生活のテンポがとても良く似ている。  日常的な諸々のテンポがずれていたら、始終お互いにイライラしていなくてはならないからだ。 「お腹|空《す》かない? 何か食べる?」  と訊《き》くとする。 「そうね、あなたは?」 「食べてもいいけど」 「じゃ、そうしましょうか。でも何を食べる?」 「何でもいいけど、あなたは?」 「別に特にないわ。何でもいいわよ」 「じゃどこへ行く?」 「さあ……。あなたどこかいいところ知らない?」 「そうねぇ……。でも何にするかによるわよねぇ。何食べようか。何食べたいの?」  とまあこんな具合である。もっともこの二人は似たようなものだから、テンポは合っているかもしれないが、お昼ひとつ食べるだけで、きっとくたくたにくたびれてしまうだろうと思うのだ。 突発的に天丼《てんどん》が食べたいと言ったとき 「いいわねぇ」と舌なめずりして応じてくれた人  私はつい先日、女友だちと冬物のドレスのバーゲンセールに出かけて行ったが、倉庫のような会場を右往左往して馳《か》けずりまわるととてもお腹が空《す》くものである。  大量に買いこんだバーゲン品を車の後座席とトランクに積み込み、助手席に坐《すわ》るなり私は、 「天丼《てんどん》食べたい気分じゃない?」  といきなり親友に言った。 「いいわねぇ」  食いしんぼうの親友はにわかに相好を崩した。 「よしきまり。じゃこの先に東京で一番美味しい天丼を出す店があるからそこへ行こう」  車で三分ばかりの道のりは、天丼論になる。 「気取って天重とか、天プラ定食なんて食べちゃダメなのよ。本当に美味《おい》しいのは、天丼なの。どんぶりがほってりと厚みがあって、そのふちに口をつけて天つゆのしみたごはんをかきこむのが一番なんだから」  もう口の中は生唾《なまつば》で一杯である。  肌合いが合うということは、こういうことなのである。親友とは、こちらが突発的に天丼が食べたいと、いきなり喚《わめ》ける相手のことである。それに対して「いいわねぇ」と舌なめずりして応じてくれる人のことである。  けれども、彼女はその前の夕食に、てんぷらを食べたかもしれない。そしてまだ胃の中にゴマ油が残っているかもしれない。  そういう場合には「いいわねぇ」とは、彼女は言わない。私も絶対に言って欲しくない。 「イヤだ。天丼なんて。ゆうべ食べたのよ」  と顔をしかめ、 「ね、鹿肉《しかにく》をレモンで食べさせるところがあるのよ」と眼を光らせる。 「あら、いいわね」  と、私は無節操にそっちにくらがえする。これくらい気楽なものなのである。親友というものは。  でも何だかお互いに我がままばっかり言いあっているみたいに思われるかも知れない。しかし我がままと気楽なのとは大いに違うのだ。親友の第一条件は好き勝手を言っても、それが許し許されるという関係であることはいうまでもないが。  もう少し詳しく言うと、好き勝手のし放題みたいに見えても、本当はちゃんと相手のことを気づかっての上のことなのである。  天丼《てんどん》が嫌いかもしれない。一緒に暮らしているわけではないから、ことこまかなことまでわからない。でも嫌いなら嫌いだとちゃんと言ってくれるということだけは分っている。  本当のことを言うと、私は天丼をほとんど食べない。最後に食べたのは三年前にある新聞社の食通にランチをご馳走《ちそう》になったのが、そこの東京一の天丼だった。その前にはいつ食べたか覚えていない。芸大の学生の時、美術学部の学生食堂で一度くらいは食したかもしれない。要するに、天丼をあえて食べたいとは思わないのである。はっきりいって、好きではない。  にもかかわらず、バーゲンセールで精力を消耗、闘い終って大いに闘争的な気分だった先日には、天丼がやみくもに食べたくなったのである。それだけのことなのだが、 「あらいいわねぇ」  と親友は相好を崩した。彼女もきっと、十年以上天丼になんて手を出していないかもしれないのだ。  食べもののことで気が合う程度で、何が親友なのさ、と言われるかもしれない。もちろん食べもののことだけの問題ではない。一事が万事なのである。  しかし食べもののこととあなどってはいけない。一緒に食事をするのがどんなに大事か——恋人の場合と同じである。  天丼を食べたいとこちらが衝動的に欲望したのと同じように、相手もそう思ってくれなければならない。それが肌合いが合うということなのだ。  天丼がアントニオ・ガデスになってもいい。「ガデスのフラメンコの切符あるんだけど行く?」  離婚宣言は女から 「不潔だよ。汚いよ。そういう妻を二度と抱く気になれんよ」 という男の身勝手さ  結婚十五年目にして、夫が浮気をしたといって、由子はただごとではない顔色をして、私を訪ねてきた。  子供がなく、共働きのオシドリ夫婦にも、人並の危機が訪れたのだ。 「許せないのよね、絶対に許せない」  と彼女は両手をしぼるようによじり合わせた。全身から、信頼していた夫の裏切りに対する怒りと哀《かな》しみと、絶望の感じが、滲《にじ》みでていた。  私はかねがね、肉体の裏切りというのは、長い結婚生活の間に、夫なり妻なりの双方に生じても、これはやむを得ないのではないか、むしろ他の異性の影が全くささない結婚の方が、危いのではないか、と考えている人間なので、全身で哀しんでいる友人を前に、後ろめたいような気持ちを味わっていた。  その段階では、夫の浮気が発覚したばかりなので、彼女は驚愕《きようがく》とショック状態にいるわけだ。  そんな時、肉体の裏切りはそんなに重大問題ではないと口にしたら、逆に怒りを煽《あお》り立てるだけだろう。  この場合の彼女の気持ちを少しでも楽にさせるには、思いきり怒りのたけを爆発させてしまうことである。 「私が許せないのはね、男の浮気はなんとなく許されて、女は許されないみたいなことを、世の中はもちろんそうだけど、うちの亭主までが本気で信じているってことなのよね」  と由子は押し殺した声で言った。 「信じているどころか、実際にやったのよね。そしてバレたでしょ。私言ったのよ。『もしも同じことを私がしたら認めるわけッ?』って。そしたら『認めない』っていうの。女は違うっていうの。『おまえがそういうことをしたら、即離婚だ』って」 「そういう男って、すごく多いのよ」  と私は少しユーウツになって言った。 男が嫌いなことは、女も嫌いなのよ! 反対に男がしたいこと——たとえば浮気とかは、女もしたいと思っている 「でもどうしてって訊《き》いたの。そしたら亭主が言うには、『不潔だよ。汚いよ。そういう妻を二度と抱く気にはなれんよ』。  それで私、頭に来ちゃったわけ。『じゃ言いますけどね、私も夫の浮気を認めないのよ。ただしあなたみたいに自分は勝手にしておいて妻は認めないというのとは違うわ。私も浮気はしないの。だから相手にそれを要求する権利があると思うわ。あなたはその権利がないのよ。  それからこうも言ってやったわ。浮気しなかったのは、別に言い寄ってくる相手がいなかったからでもないし、私に欲望がなかったからでもないの。それどころか、こっちがその気になればいくらでも他の男と面白おかしくやれたわよ。三十七歳の女盛りですもの。躰《からだ》がうずくことだってあったわ。  でもしなかった。厳しく自分を律してきた。だから女には欲望がないなんて思わないでちょうだい。男に欲望があるように女にも、欲望は存在するのよ。場合によっては男よりも激しい欲望が……。  実行に移さないのは、自制心と、モラルと尊厳の問題だわ。私は浮気をしなかった。だから同じことをあなたに要求する権利があると思う。  それから、不潔だって言ったわね。汚いって。他の男に抱かれた妻はもう抱けないって。わかるわ、すごくよくわかるわ。だって私も同じように感じるもの。あなたのこと不潔だと思うわ。すごく汚らしいわ。生理的に絶対に受け入れられないわ。もしかして、男と女ではそういうことの感じ方が違うとでも思ってるの? 冗談じゃないわ。男が嫌なことは女も嫌なのよ。反対に男がしたいこと——たとえば浮気とか——は、やっぱり女だってしたいと思っているのよ。  男が何か特別だとか優性だなんて考えないでちょうだい。私が浮気したら即離婚なら、こっちだって同じよ。即離婚よ』」 「え? そう言ったの? 離婚宣言したの?」  彼女の言うことはいちいちもっともだった。私もそのほとんどに同感だった。でも十五年も連れ添って来た夫婦が、浮気のことで一夜にして別れてしまっても良いのだろうか。浮気のことくらいで、とまでは言うまい。 「亭主はどうせほとぼりがさめるだろうとタカをくくっているみたいだけど。あなたもそうでしょう?」  と由子はまっすぐに私の眼をみつめた。 彼女が何より失望したのは、 女性の性を無視した夫の横暴さに対してだった 「今の話聞いて私は感じたのだけどね」  と私は言葉を選びながら言った。 「あなたの怒りが必ずしも夫の浮気という事実に対するものだけじゃないような気がしたんだけど。つまりもちろん浮気は嫌だし、許せない。  でも、もっと腹立たしいのは、男だからどうの女はこうのっていう男の側の思い上りでしょ?  あなたが本当に傷ついたのは、浮気とかそんなつまらないことで、即離婚だなんて本気で言ってはばからない夫のその女性の性を無視した横暴さに対してでしょ?  それじゃ私たちの肉体って何だろう? と考えない? 貞節って何なのかって。愛情なんてずいぶん希薄なものじゃないの。そんなことで夫婦が別れられるっていうんなら。  じゃ仮に、ご主人が、そういうことを一切口にしなかったとしたらどう? 自分の非を認め、それで気がすむなら妻の浮気も認めると言ったら? 浮気をあなたがするかしないかは別にしてね」 「だったらまだわかるわ。それがフェアというものよ」  と由子は息巻いた。 「その際どうする? 浮気してみる?」 「まさか。腹イセにそんなことしても何にもならないわ」 「腹イセにではなくて。自分でしてみて案外、それほど目クジラをたてるほどのものではない、ってことがわかるかもしれないわよ」 「嫌よ。どうせ他の人とそうなるなら、目クジラをたてるほどのものではないようなんじゃなくて、かっと燃え上って突走るような本当の恋がいいわ」 「真面目な話、即離婚というのは乱暴よ」 「うん、反省する。彼が即離婚だって言った時、なんて短絡的な発想をする人だろうと思ったもの。でもどうしよう。ここで許しちゃいけないと思うのよ」 「大丈夫よ。だってさっき私の前でケンケンゴウゴウと言ったこと、全てご亭主にもぶちまけたんでしょ? だったら彼、今ごろ震え上っているわよ。当分、浮気の虫は起らないとみるわ」 「当分って?」  と由子はすがりつくような眼をした。 「そうね。それはあなたが、浮気のチャンスと可能性をはらみながら、でもそうしないでいる間。つまり、あなたが緊張している間、というのかな」 「でも、何よりも彼に失望したのはネ、浮気がバレた時にこう言ったのよ。『あの女はたいした女じゃないから、君が目クジラ立てることもないよ』  じゃなんで、たいしたこともない女と浮気するんだろう? 男って、最低ね」  と彼女はいよいよふくざつな心境なのだった。  女は恋する男で変わる 女としての後半生について、 不安にかられたり、疑問を感じたりしない幸福  富士山は休火山だという。今は眠っているが、いつ眼を覚まして爆発するかしれない。静かで美しい富士山のような山が、噴火するなんて、想像するのもむずかしいくらいだ。  なぜ最初からこんなことを書いたかというと、人の心というものはとうていその外見からは見透せないということが言いたかったからだ。富士山とその女性の共通項は、静かで美しい外見である。  彼女は今年で三十九歳。ごく普通のサラリーマンの妻である。子供が二人いて、車が一台と、郊外の庭つきの家。犬が一匹。趣味は読書と、美味《おい》しいものを食べること。  趣味がこうじて、今では近所の奥さんたちにフランス料理を週に一度教えている。といっても、それを二度、三度と増やしていって料理教室みたいにするつもりはない。趣味の延長で充分だと思っている。  夫は働き盛りだが、格別家族団欒《だんらん》を無視するタイプではない。外食が多いが、心の中では妻の手料理が一番美味しいと思っている。もしかしたら浮気くらいはするかもしれないが、どうやら特定の愛人のようなものは存在しないらしい。忙しすぎてその暇がないというよりは、女に対して過大な期待を抱いていないのだ。そんなわけで、まあ夫としては可もなく不可もなく。妻として不満は特にはないのだった。  世の中の同世代の女たちが、人生のターニングポイントに差しかかる頃、自分の女としての後半生について疑問を感じたり不安にかりたてられる様子も少なからず横から眺めてきたが、彼女は、自分だけがそうした悩みから解放されてぬくぬくと暮らして行けることに、むしろほとんど優越感すら覚えていたのだ。  子どもたちと夫に囲まれて年取っていくことがどうしてそんなに嫌なのか、彼女には理解出来なかった。知っている女たちが、やれテニスだ、やれ文芸講座を取る、やれ旅行だと血まなこになっているのを、さめた眼で眺めて来たのも、彼女たちのドタバタが滑稽《こつけい》だったからである。 三十九歳の恋は、 あまりにも突然訪れた  それが夏の終りの同窓会で、彼女はがらりと変ってしまった。始まりはよくある話。同窓会シンドローム。焼けぼっくいに火。  幼なじみのユウちゃんとマユミちゃんの世界に戻ってしまったのだ。 「ユウちゃんて厭《いや》らしかったんだから。女の子たちのスカートめくりばっかりしてて」  と昔の話に花が咲いた。 「その点、今でも変ってない」  と裕介はニヤリと笑った。  どういうわけか、他の女の子のスカートは次々めくっていくのに、ユウちゃんはマユミのスカートだけは、めくらないで行ってしまうのだった。子供心にそのことが妙に淋《さび》しかったことを覚えている。 「今だから白状するけど、あたしもスカートめくって欲しかったのよ」  とマユミはくだけた調子で言った。 「じゃボクも今だから言うけどさ、マユミちゃんのスカート、一度でいいからめくってみたかった。どうしてかマユミちゃんにだけは手が出せなかったなあ。他のどうでもいいような女の子はどんどんめくってったのにさ」  二人はふっと沈黙した。そしてその夜のうちに、二人はホテルへ行ったのである。  その夜を境に、マユミの人生が変ってしまった。恋に落ちたのだ。三十九歳の恋。相手も同じだった。一刻も離れて暮らせない気がした。適当に隠れて逢《あ》えば良いと忠告する人もいたが、適当にやっていくということは、恋する男への裏切りでもあり、長年連れ添った夫への裏切りでもあると、マユミは思った。  そこで彼女は意を決して、夫に全てを告白した。 「あのひとと過ちを犯さなかったという後悔を、 これから一生背負っていくなんて、とても辛くて出来ない……」  夫は黙って聞いていた。やがて言った。 「好きな男が出来た。だから別れたい、というのだな? それで君はいいだろう。しかし子供たちはどうする? 俺《おれ》のことは? 家族のことは考えないのか」  もっともな言葉だった。マユミの苦しみも正にそこにあったのだ。彼女は何も言えなかった。 「とりかえしのつかないことだぞ。よおく考えろ」  と夫は静かに言った。これまでのことは許そうという言外の寛大さが滲《にじ》みでていた。  けれどもマユミはこう思ったのだ。ここで家族を踏みにじってまで男と添うことがとりかえしのつかないことなのか。あるいは、家族のきずなのために、男と別れることの方が、マユミ自身にとってとりかえしのつかないことなのか、と。  それから彼女は自分の年齢を思った。三十九歳。第二の人生をやり直すとしたら、今しかないと思った。 「あたしにとって、とりかえしのつかないことというのは、彼を失うことです」  と、ついにマユミは口に出して言った。  子供はたとえ別れ別れになるようなことがあっても、彼女の子供であることには変わりはない。けれども裕介のかわりは、どこにもいない。今そうしなければ、マユミはもう一生二度とそのようなことをすることはないだろうと確信していた。 「後悔したくないんです」  と夫の前に頭を下げた。 「子供を置いて出てみろ。それこそ翌日から君は後悔するぞ」 「その後悔なら耐えます。耐えられます。でもあたしが言うのは別の後悔。あのひとと過ちを犯さなかった、という後悔を、これから一生背負っていくことなんて、とても辛くて出来ない……」  それが結論だった。夫には理解が出来ずマユミを卑しいメス犬でも見るような眼で見た。 「二年もすればお互いに飽きて、捨てられるぞ」  と夫は吐き出すように言った。 「その時になって戻りたくとも、君の戻る家はないんだと覚悟しておけよ」  たとえ二年でもいい。彼女のたった一度の人生の中でキラ星のように輝く二年間があった、ということで自分は満足だ。それよりも、そのキラ星の二年間なしで生きていくことの方が、ずっと困難であるような気がした。 別れが透けて見えているからこそ、 今日という日がめくるめくようにきらめいているのだ  マユミは夫と別れ、裸一貫で男のもとに走った。マユミの方は離婚が成立したが、裕介の方は妻が頑として応じないので、暗礁に乗り上げたままだった。  けれどもマユミは幸福だった。子供と夫を捨てて、彼らをズタズタに傷つけて出て来たのにもかかわらず、彼女は幸福だった。そのことが信じられないくらいだった。  四十を眼の前にして、自分がまだ女として充分に愛される価値があるのだという発見が、彼女には切実に身に滲《し》みてうれしかった。  夫と別れて四カ月めに、夫が再婚したことを知った。おまえには戻って行く家がないのだぞと言った夫の最後の言葉を思いだした。一瞬だけ喉《のど》が乾くような感覚を覚えたが、彼女はすぐにそれを忘れた。もう後ろめたい思いをしないですむ、というのが実感だった。  それでも時々、裕介との愛の日々がいつまで続くのかと、彼女は不安にかられる。二年だと夫は言った。二年でもいいと思った。まだあと一年と少しある。二年先に別れが透けて見えているからこそ、今日という日がめくるめくようにきらめいているのだ、とそう思うのだった。 一九八八年四月、大和出版より単行本として刊行 角川文庫『恋の放浪者』平成5年1月25日初版発行            平成7年5月15日10版発行