TITLE : 別れ上手 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載することを禁止します。また、本作品の内容を無断で改変、改ざん等を行うことも禁止します。 本作品購入時にご承諾いただいた規約により、有償・無償にかかわらず本作品を第三者に譲渡することはできません。 別れ上手〇目 次  〓 パーティーのあとで 最後の楽園 虚妄都市 女が香水をつける時 モルジブの熱い雨 大人の女の恋? ともかくも別れられるということ 私のナガハマ君 男の友情  〓 ある空港にて 女のマナー 大人《 お と な》度《ど》 女の子症候群 女と女 友だちのボーイフレンド 女の幻滅 怖がらないで  〓 自立の代償 男の嫉《しつ》妬《と》 夫と妻の会話 ママの恋 破《は》綻《たん》の風景 二人の生活  〓 不倫の清算書 恋におちて ある会話 『情事』からFURINへ    〓  パーティーのあとで  パーティーが終りかけていた。  一人ぬけ、二人ぬけと会場から数が減っていく。私も退《ひ》けどきだなと感じ、主催者を眼で探した。  そう広くはない会場の一隅にいた男性の視線とぶつかった。私たちはそのパーティーで紹介され、二言三言会話を交わしていた。  彼が微笑し、私も微笑した。顔の上の笑いを広げながら、彼がこちらにむけて歩きだした。その瞬間、私にはこれから起こることが透けてみえるような気がした。  彼は私を飲みに誘うわ、それからたぶんベッドのことを仄《ほの》めかす——。  「飲みに行く?」といきなり訊《き》いたのは、しかし、彼ではなく私の方だった。咄《とつ》嗟《さ》に口から出た言葉だったが、何かが透けて見えるような場合、ことの自然な成行きに身をまかせるよりは、流れを自分から変える必要があるような気がした。女の本能かもしれないし、単に私の個人的な気質にすぎないのかもしれない。  「実は僕も同じことを言おうと思っていた」と相手はニヤリと笑った。彼は私の右手が彼の左腕にかかりやすいようなポーズをとり、私は少しもためらわずその左腕に自分の手を軽くかけた。  それから彼と私は、まだかなりの人が談笑しているパーティーの会場を、少なからぬ人々の注視や微笑を浴びながら、出口へと向ったのだった。  男と女がパーティーで知りあい、目配せを交わし、前後して会場を抜けだせば、いかにも何やらありげでうさんくさい。  それが実に堂々と、もう二十年来の友人か夫婦であるかのように、腕を取り合って出ていくのであれば、事はまったく別の様相を呈する。私たちは会場の外に出ると、ごく自然に腕をほどいた。二人きりになった時まで腕を組みあっているほどに、親密ではないからだ。  「どこへ行きましょうか?」と私が訊《き》いた。「わたしの知っているバーへ行く?」  「いや、そいつは次回にしよう。今夜は僕にまかせて」と彼が答えた。  日比谷のパーティー会場から出て、彼の車で二十分ほど走ったところで降りると、そこは一見郊外の住宅地といった感じの路地だった。私は方向音痴だから、そのレストラン・バーが東京のどのあたりにあるのかまるでわからない。その路地の奥まったところに狭い通路があり、彼は私をその中へ案内した。  通路の両側には白バラの繁みがあって、湿気を含んだ夜気に混って甘ったるい香りを放っていた。  レストラン・バーは、いたるところに花がふんだんに生けられた、個人の家という感じの場所だった。コーナーというコーナーに、形も年代もすべて異なる椅《い》子《す》とテーブルがセットされていた。ひっそりとして、ほとんど人気はなかった。  私はすすんで中央にある柔らかそうなソファーを選んで腰を降ろした。部屋のどの位置からも、私たちのことが見える場所なのだ。  「きみは、僕のことを用心しているな」と、男は口の片端をわずかに歪《ゆが》めて苦笑した。  私たちはとりたてて何かのためなどに乾杯せず、グラスを軽く合わせた。  彼は、遊びの精神で作られた白い略式のタキシードを極端に崩して着ていた。いつのまにか胸のボタンが三段外れていたので、日焼けした胸板の奥まで見えるのだった。金の鎖はしていなかった。  その上、白いズック靴みたいな靴をはき、素足だった。  「ざっくばらんに訊《き》くけどね」と、彼が言った。  「女流作家を口説く方法を、ずばり教えてもらえない?」  「わたし、女流作家を口説いた経験なんてないから、女流作家を口説く方法なんて、知らないわ」と私はわずかに気分を害したふりをして答えた。「自分で考えたら?」  男はしばらくグラスの中の氷片をみつめていたが、やがて眼を上げた。  「きみとやりたい」  私はもう少しで口に含んだウイスキーを吹きだすところだった。  「そりゃ女流作家によっては、そういうアプローチが功を奏するかもしれないけど」と笑いがおさまると私が言った。  「わたしには全然効果がないわ」  「そうか」と相手は考え直した。「それじゃ、あなたと今夜、ベッドへまいりたい」  「まいりたくないわ、わたし」  「僕と寝ない?」  「まだそんな気分にならないのよ」  「きみが欲しい」  「だめよ」  「やけくそだ、やらせろ」  「冗談でしょ」  「おまえとやりてぇ」  「ボキャブラリーが貧困なのね」  「俺《おれ》の女になれ」  「なれるわけないでしょう」  あきれたことに正味二時間ばかり、彼は手を変え品を変え言葉を変えて口説き続け、私も私で丁々発止と渡りあったのであった。  彼は汗みどろで、私は凝ってしまった肩を揉《も》んだ。ふと彼が私の手の動きを見て、言った。  「そうだ、マッサージしてあげるよ」  「ありがと」  私は彼に背中をむけた。  「ここじゃないの。ちゃんと横になれるところで、本格的にやるんだよ」  「服も脱ぐの?」  「ユカタに着替えたってかまわんよ」  「なんだか、気をそそられるわ」と私は肩を揉みながら呟《つぶや》いた。  「気をそそられるのは、マッサージだろ? 僕の性的な魅力には、関係ないんだろ?」  私はチラと彼の開いた衿《えり》の中の胸板を見た。なんだかひどく生々しかった。ボタンがちゃんと喉《のど》のところまではまっていたら、すべては全然違った結果になったかもしれないと、そんな気がした。私はさり気なく、男の素《す》肌《はだ》の胸から視線をそらした。  ちらと腕時計を見ると十一時半に近かった。  今から急げば、十一時五十四分発の夜行列車に間にあうかもしれないと思った。家族も犬も小鳥も、七月の初めからずっと軽井沢なのだ。私はパーティーのために上京したのだが、日帰りしても、場合によっては東京の家へ泊っても良いと思っていた。  「ここ、どこ?」  「四谷」  「上野まで車飛ばして何分かかる?」  「僕の車なら十五分」  「じゃ送って」  彼は数秒私の顔をみつめた後、オーケイと立ち上った。  言葉どおり、十五分以内に上野に着き、私たちは握手をして別れた。別れ際、私が言った。  「また電話するわ」  「電話をくれるなら、目的はひとつだけ。俺《おれ》とやりたくなったら電話してよ」  「わかった。そうするわ」  私はプラットホームにむけて駈《か》けだしながら言った。  夜行列車は急行だった。座席も固かった。テニスラケットを持参の若者たちが、たえず喫う煙草で車内の空気は汚れていた。私はすっかり疲れきって、車窓に映る自分の青い顔を眺めながら、もしかしたら男と横たわっていたかもしれない、柔らかいベッドの感触を想像した。  軽井沢駅に着いたのは、午前三時近かった。軽井沢特有の夜気を胸にいっぱい吸いこんだ。  そのとたん、あのパーティー会場で、透けて見えていたことが、すべて予定通りに終了したのがわかった。私はあの時、無事軽井沢駅に降りたって、夜気の中で深呼吸する自分の姿を脳裏に描きだしていたのだった。  私の頭の隅には、十一時五十四分発の夜行列車のことが、たえずひっかかっていたのだ。パーティーが九時に終ると、次の軽井沢行きは、それしかないのだった。  十一時五十四分までの時間つぶしが必要だった。私は自然発生的に誘い誘われたのではなく、ちゃんとどこかで計算していたのだ。そういうことがすべて午前三時の夜気の中で明らかになった。  しかし全然その気もないのに、まるでその気があるように振るまったわけでもない。彼はとても魅力的な男だったのだ。どこで何がどう違ってしまったのかわからない。  最後の楽園  ミクロネシアの美しい島のひとつへ旅をした時のことである。  そこは、マングローブと椰《や》子《し》の木の繁ったジャングル状の未開の土地で、まさに最後の楽園という感があった。  「こんな場所に一生住めたらどんなにいいでしょうね」  と私は、椰子の葉陰で、亜熱帯特有の熱をはらんだ柔らかい風に顔をうたれながら、溜《ため》息《いき》をついた。  すると私を出迎えてくれた古くからの友人が言った。  「それは旅人の発想だな」  彼はかつて東京の高層ビルの三十八階にオフィスを持ち、収入の大半を女と酒に注ぎこむような生活をしていた独身貴族だった。  泥酔して帰りつくマンションのリビングルームからは、東京タワーが見えるのだった。リビングルームだけで、普通の三DKくらいの団地のアパートがすっぽり入ってしまうくらいの広さで、イタリアのマレンコのソファーが置かれていた。  冷蔵庫の中には紀伊国屋で買いおいた食料品や冷凍食品がいっぱい、ホームバーにはありとあらゆる酒瓶が林立していた。  通いのメイドが毎日来て、室内は常にホテルルームみたいに整《せい》頓《とん》されていた。彼のベッドは、夜毎に違う女との情事によって激しく乱れたが、それもメイドのプロフェッショナルな手によって、すぐに一糸乱れぬ様子に整えられてしまうのだった。  室内は年間を通して二十一度か二度の適温を保ち、清潔で何の不自由もなく、彼は面白おかしく、ひたすら退廃の日々を送ったのであった。  ある夜、その男から電話がかかった。例によって少しロレツの怪しい口調。  「酔っているのね」と私が非難するふうにでもなく言った。  「ところが全然」相手が否定した。  「酔ってはいないんだ」  私は逆に心配になった。  「今どこ?」  「成田」  「今度の出張は長いの?」  「そう」相手は短く答えた。「長くなりそうだね」  「気をつけて行ってらっしゃい」  友だちというよりは、姉のような、あるいは母親のような口調で私は言った。  「チャオ」と彼が言った。「手紙を書くよ」  「そんなに長いの?」私は急に不安になった。  けれども相手は私の質問に答えず、電話は切れた。  やがて風の便りに、彼が高層ビルにかまえていたオフィスを閉じ、月々の家賃が百二十万したアパートも引き払ったことを知った。しかし彼からの手紙は来なかった。誰《だれ》も行方を知らなかった。  特に親密だった女たちの何人かが、私に電話をかけてきて、啜《すす》り泣いた。私はやはり姉のように彼女たちを慰めた。  二年ほどして、エアメイルが届いた。裏を返すと名前もアドレスもない。  消印を見ると、ミクロネシアのある国の名があった。  忽《こつ》然《ぜん》と日本から、女たちから姿をくらました男からの手紙だった。  僕はいま楽園にいる——と書いてあった。ここが楽園であるのも時間の問題だと思うから、楽園が楽園であるうちに訪ねてこないか、という提案というよりは、一人言のような内容だった。  かといって飛んでいくほどの理由は、その時はなかった。私は結婚していたし、子供もいた。彼とのことはとっくに終っていて、そういう意味での情熱も消えていた。  しかしながら、突然に何もかも捨てて、南の島に逃避してしまった男の心情には、作家としての興味があった。何が彼を出奔にかりたてたのかを知りたいという要求は胸の底に残り続けた。  さらに一年ほどが過ぎた。小説の取材で南の島を訪ねる話が急に持ち上がった。南の島ならどこでもいいというので、私は彼の島をすぐに思った。  島の飛行場に出迎えた男を一眼見て、私は愕《がく》然《ぜん》とした。  彼はかつて美しい男であった。一日にシャワーを最低二回は浴び、その都度髭《ひげ》を剃《そ》るような男だった。どこにも余分な脂肪をつけずに、女たちだけでなく同年配の男たちからも、ある種の羨《せん》望《ぼう》の眼で眺められた。  私が南の島に着いて見たのは、別人のように脂肪をつけ、汗ばんだ男だった。彼はぬぐってもすぐに吹き出す玉の汗を、始終、掌で神経質にこすり上げていた。  「いったいどうしたの?」私はショックを笑いにごまかして、彼のせり出したお腹に指を突きつけた。  「気候のせいさ」と、彼は憂《ゆう》鬱《うつ》そうに答えた。  彼に逢《あ》いにくるのが、旅の唯一の目的ではなかったことに、私はどれだけ安《あん》堵《ど》しただろう。  私はさらに陽気を装ってからかった。  「これが何もかも捨てて、あなたが選んだことなの?」  すると相手は苦笑するというよりは、口元を歪《ゆが》めて、  「NOT BAD」——そう悪くもないさ、と言った。  私たちは椰《や》子《し》の葉陰で海を眺めていた。氷片をいくつも放りこんだビールの入ったグラスを手にしていた。そうやって薄めて飲まないと、たちまちアルコール中毒になるからだと、彼は説明した。それくらい一日中ビールを飲んでいるということだった。  島は美しかった。太陽の位置で、島の光景の色合が微妙に移り変っていくのだった。  空は青くて深かった。青の強さが濃いために、昼間でも星が見えるのではないかと眼をこらすほどだった。  海水は柔らかく、あくまでも透明で、潮の甘いような香りが濃く漂っていた。泣きたいほど、すべてが美しいのだった。  そして私は溜《ため》息《いき》と共に言ったのだ。こんな楽園に一生住んでみたい、と。  すると傍でビールをたて続けに飲んでいた男が言った。  「住んでしまえば、楽園はもはや楽園なんかではないのさ」  静かな沈んだ声だった。彼は太って、少し汚れて私の眼に映り、汗の匂《にお》いがした。  「美しいものが、もう美しくは見えないの?」と私は驚いて訊《き》いた。「たとえばこの海と、椰子の木は、きれいじゃないの?」  「来る日も来る日も海と椰子の木だぜ」と、何かひどく苦いものを吐きだすような具合に彼は言った。「海も椰子の木も、糞《くそ》くらえだ」  「帰っていらっしゃいよ」と私は言って、彼の愛した女たちの名を二人三人挙げた。彼は首を振った。  「どうして?」私はこだわった。彼が明らかに不幸なのがわかるからだった。「僕を見てごらんよ」と彼は言った。  「いったんぶくぶくと太っちまうともう元へは戻れないんだよ」  「ダイエットすれば戻るわ」  「僕が言うのはね、主として精神状態のことだよ」と悲しげに言った。  「いったん精神を肥え太らしちまうと、元へ戻すのは至難の技さ。僕にはもうそういう情熱は残っていない」  「じゃ、なぜ東京の生活を捨てたの?」  「だって、東京もまた別の地獄だから。面白おかしく女と酒の日々であっというまに過ぎてしまう。どこも痛まない。同じ地獄なら、こっちの方がまだいいよ。少なくとも自分を見つめる時間が延々とあるからね」  それから彼は周囲を見回した。  「それに、ここもそれほど最悪ってわけでもないしね」  やがて私はその島と、彼とに別れを告げて帰って来た。  あれからさらに二年がたった。最近あの島の観光化が著しく進んでいると耳にした。人工の砂浜が作られ、ホテルが立ち並び始めたと。どうやら最後の楽園は消えてしまったらしい。島からの便りもあれっきり途絶えて、ない。  虚妄都市 夜の黒い経《きよう》帷《かた》子《びら》をすっぽりとまとうと、街の光景がそれまでとはまったく異質なものになってしまうのであった。  狂気じみたけばけばしさも、そこまで徹すると美しさと区別がつかなくなってしまうものらしい。ひしめきあう光と色彩の洪水にしばし息を呑《の》まれてしまう瞬間。香《ホン》港《コン》は、宝石でびっしりと縫いとられた贅《ぜい》沢《たく》な黒い衣の裾《すそ》に、その夜も夥《おびただ》しい旅人たちを集《つど》わせるのだった。  鹿《しか》の肉とか極上のアワビとかフカヒレとか、つぎつぎと絶妙のタイミングで運ばれてくる料理に、黄色味を帯びた象《ぞう》牙《げ》の箸《はし》をのばしているうちに、紹《しよう》興《こう》酒《しゆ》の酔いがまわって、陶然としてくるのであった。  それは、かつて味わったどんな酔い方とも違っていた。陽気になったが決して馬《ば》鹿《か》騒ぎにはならない。視界がさんざめくように輝き、眼にするものはすべてこの世のものとは思えないほど美しく、象牙の箸は支えられないほど重く感じられ、私は両手でようやくそれを使いこなし、そのことが滑《こつ》稽《けい》でくすくすと笑い、すると同席の男女がつられて笑い始め、私たちのテーブルは陽気な笑いで一種騒然となった。  鹿《しか》の肉が口の中でとろけた。アワビはえもいわれぬねっとりとした歯応えがあった。デザートに出たツバメの巣のココナッツミルク煮にいたっては、天国の味かと思われた。満腹で、ひどく幸福だった。すべては満たされ、この世の中に思い残すことは何もないような気がした。  立ちあがるとグラリと躰《からだ》が揺れた。傍にいた男が私の腕を咄《とつ》嗟《さ》にささえてくれた。  「酔ったね」と彼が言った。  「違うわ」と私は反射的に答えた。  「淋《さび》しいのよ」  男が眉《まゆ》を寄せた。「どうして?」  「満たされて淋しいということがあるでしょう?」  飽食の後の一《いち》抹《まつ》の淋しさ。  食事が素晴らしく、お酒が上等で、テーブルを囲む仲間がいい人たちで、そのうえ私は旅の身空だった。  外に出るとたちまちあの夜景。そびえ立つ夜景。迫りくる光。私たちは夜の中心で、光り輝く色彩に四方をとりかこまれていた。  「まだ淋しい?」と、躰がぐらりと傾いていらい私の腕をしっかりと支えていた男が、私の耳の中に囁《ささや》きかけた。「さらに淋しいわ」  私たちはお互いの顔をみつめあった。相手の瞳の中にもネオンサインや発光体のような高層ビルがあった。  「今夜、きみの部屋へ行くよ」と男はひっそりと言った。  彼は何も誤解していなかった。私の淋しさは、まさにそのような形でしか、癒《いや》されそうにもなかった。理屈を越えて。  なぜ旅先の情事が必要なのかと問われれば、こんなふうにしか答えられない。夫がいて子供たちがいて家庭があって、夫からも娘たちからも熱烈に愛されており信頼されている。私自身にも仕事があり、たいていの欲望を満たす程度の収入がある。欲しいものが今やすべて私の手の中にあった。つまり私は幸福だった。そしてまさにそれ故に満たされて、たとえようもなく淋しいのだった。それが理由である。  けれども私は言った。「今夜はだめよ」男は何故かと訊《き》いた。  「あとできっとお酒のせいにするわ」そしてつけ足して言った。「明日の夜なら……」  「オーケイ。明日の夜。必ずね」男がうなずいた。  翌日、私はショッピングに一日浮身をやつした。山のように買いこんで、ホテルへの帰り道、ふと見ると昨夜のレストランの看板が見える。覗《のぞ》くともなくガラス扉の奥を見た。夕食の時間にはまだだいぶ間があるのでひっそりとしていた。  そして私は奇妙な失望感を味わうのだった。昨夜のあんなにさんざめいていた天井のシャンデリアは埃《ほこり》にまみれてみすぼらしかった。あんなに純《じゆん》白《ぱく》の輝きを放っていたテーブルクロスは、使い古して黄ばんでいた。壁も床も、眼には見えない油でべとべとしているみたいだった。口の中に冷えた苦い味がした。私はそこを足早に立ち去った。  八時にホテルのバーで昨夜の男と逢《あ》う約束だった。私が降りていくと彼はすでに来ていた。「先に飲んでいればよかったのに」と私が言った。  「昨夜飲み過ぎでね、あんまり欲しくないんだ」  実は私もそうだった。それでも私たちは薄めのウイスキーの水割を注文した。  私たちはぽつりぽつりとお喋《しやべ》りをして、話が途切れがちになり、とうとう、沈黙した。  「昨夜の約束、忘れていない?」と彼がグラスに眼を落したまま訊《き》いた。  「ええ、忘れていないわ」私も同じようにグラスの中身をみつめたまま答えた。  「今夜も、淋《さび》しいかい?」  穏《おだ》やかなまなざしで彼が私を見た。その瞳の中にはイルミネーションも光り輝く高層ビルも見えなかった。  「それがね」と私は微笑した。「今夜は全然淋しくないの」  「それはよかった」男は心からそう言った。私のために喜んでくれている感じと、彼自身の安《あん》堵《ど》とが微妙に混じりあっていた。そして私の手を取って掌の中にそっと口を押しつけた。欲望からというよりは友情と敬愛からの仕《し》種《ぐさ》だった。  彼はこれからもずっと、私の香港の大事な友だちでいつづけてくれるだろうと思った。その夜、私たちは親友になった。  その次の日も私はデパートを歩き回り、絹のブラウスやカシミアのセーターを驚くほど安く買い、美しい象《ぞう》牙《げ》の腕輪が眼に止まりそれも買った。そして翌日の朝、香港を発った。彼が見送りに来ていた。奥さんが一緒だった。  「この前の夜のお食事にいらっしゃれなくて残念だったわ」と私は彼女に言った。「私もよ」と彼女は腹部にいたわるように手をやって答えた。「時々気分がわるくなるものだから」彼女は妊娠していた。  「それではわざわざ見送りに来ていただいて……」私は恐縮した。  「ぜひお逢《あ》いしたかったの。あなたがとても素敵な方だってことを、主人から何度も訊《き》いていたものだから」  私はチラと彼を見た。彼は微笑していたが、なんだか少し悲しそうだった。    成田に着くと、そこには夫が出迎えてくれていた。  私は、何日も漂流したあげくようやく見えて来た懐しい陸影を見る思いで夫に近づいた。しかし夫は私の手首の真新しい象牙の腕輪を見ると、たちまちけわしい顔をした。「君のように象牙を買う日本人がいるから、象の密猟が後をたたないんだ」そういって、いきなりガミガミと私に噛《か》みつくのだった。  「お帰りなさいくらい、言ったらどう?」私もとたんに膨《ふく》れっ面《つら》になった。  帰りの車の中ではお互いにプリプリして口もきかなかった。  都内に入るとようやく夫は「楽しかったかい?」と訊いた。私はちょっと考えて「淋《さび》しかったわ」と答えた。夫は何も言わなかった。  女が香水をつける時  いつのまにか増えてしまった香水の瓶が、数えてみたらゆうに百近くある。最低一万円としても百万円を超える金額だ。  海外旅行をする都度、最後の寄港地で、お財布に残った有《ド》金《ル》をなんとなく使ってしまわなくてはならないような気持にせきたてられて、つい手を伸ばすのが香水だからである。  自分が愛用する銘柄だけを求めればいいのに、毎回違う種類のものを買うから、つけもしない香水ばかりが増えていった。  二十代に求めたもの、三十代、四十代と、私のコレクションにはそれなりに女の歴史もあるわけで、百もある香水のどれひとつ手に取っても、ああこれはあの時の……と思い出せないものはない。  愛用する香水もその年代によって違っていった。二十代はなぜか大人びた香りが好きで、〓“夜間飛行〓”とか〓“ミツコ〓”を使っていた。三十代になると逆に若返り、〓“ディオリッシモ〓”。かと思うとぐっと妖《よう》艶《えん》な〓“カボシャール〓”、中性的な〓“アマゾン〓”。一時〓“フィジー〓”などにも凝って、この年代は香水の乱用期。  精神状態が安定していると、使う香りも一定するのだが、あんなにひんぱんに香水を変えていたことを思うと、私の三十代はかなり混乱気味だったようだ。  失敗も多かった。ある年の六月、パリを訪れた時のことだ。すれ違ったきれいな女の人が、うっとりするようないい匂《にお》いを放っていた。シャネルの五番なのだった。  シャネルの五番が、そんなにいい匂いだなんて、その時まで気がつかなかった。私は近くの香水店に駈《か》け込んで、衝動的にそれを買った。  シャネルの五番をひとふりして出かけると、さっそくホテルのコンシェルジュのおじさんが、鼻をひくひくさせて素敵な匂いだ、とお世辞を言った。私も自分がとてもいい香りをさせているので浮き浮きしていた。  それが東京に戻ったとたん、変ってしまったのである。シャネルの五番は、私が前に記憶していた、あの甘ったるく嘘《うそ》っぽい香りに戻ってしまっていた。  空気が違うせいだろうか? それ以来、二度とシャネルの五番のフタをあけることはなかった。  四十代に入ると香水嫌いになってしまった。その甘さ、嘘っぽさが突然鼻につきだしたのである。それで私の香水のコレクションはほとんど埃《ほこり》をかぶり、部屋の隅で忘れられていた。  初夏のある夕方、私は白いコットンのストンとした前あきのドレスを着て、鏡の前に立った。V字型に大きく胸がくれているだけのシンプルなドレスだった。  ほんの少し前までなら、こういうドレスはアクセサリーのひきたて役だから、これぞとばかりキンキンギラギラつけまくったのだが、そのキンキンギラギラがこのところ疲れるのだ。  私としては非常にめずらしく、イヤリングもネックレスも指輪もなし。テニスとヨットで日焼けしているので、いわば日焼けがアクセサリーみたいなものだった。  鏡の中の自分の姿を眺めながら、何か物足りない気がしてならなかった。それが何であるかわからなくて、金鎖を首にあててみたり、真珠のイヤリングをぽつりとつけてみたり、ブローチをしてみたり、ありとあらゆることを試してみたが、どうも違う。  その時、長いこと放置しておいた香水の瓶に眼がいった。心が騒いだ。ひとつひとつ視線を移して香りの記憶をなぞった。どれもぴったりと来ないのだった。  ふと化粧台の左側に意識がいった。左側には夫のローションとかオーデコロンの瓶が置いてあった。私の手が伸びて取り上げたのはクリスチャン・ディオールの男性用オードトワレで〓“オーソバージュ〓”であった。  鼻に持っていき、これだわ、と思った。その初夏の夕刻、白いドレスの私が必要としていたのは、その香りだった。〓“オーソバージュ〓”は、苔《こけ》とかシダ類とか、森の奥深くを流れ落ちる小さな滝とか、湖風とかを連想させた。甘さのまったくない男の香りだった。  その夜、私は男と遅めの夕食をとった。  地下にあるこぢんまりとした、きれいなチャイニーズ・レストランだった。ヒスイを思わせる濃い緑色のテーブルクロスと朱い箸《はし》がエキゾチックなオリエンタル調。料理は一人前ずつ小皿に盛られて出てくる。味もチャイニーズのヌーベル・キュイジーヌ風。  話が弾み、食事がすすみ、私たちはとても陽気だった。話題はなぜか四《よつ》谷《や》怪《かい》談《だん》に集中し、ニューヨーク旅行の話になり、かと思うとスキューバダイビングのことに飛んだ。私は二週間後にモルジブに行くことになっており、それがとてもうれしくてならなかった。  突然、彼が言った。  「何だろう、すごくいい匂《にお》いがする」  彼は鼻をひくひくさせ、私も店内の空気の匂いを嗅《か》いだ。別に、そんなにいい匂いはしなかった。  「これじゃない?」  と私はオンザロックにした紹《しよう》興《こう》酒《しゆ》を彼の鼻にもっていった。紹興酒は独特のいい香りがしたからだ。しかし彼は首をふった。  「じゃこれ?」  私はジャスミンの白い花の浮いているお茶を差しだした。  それも首を傾げて、「違うよ」と言った。  結局、彼が言ういい香りがなんであるかわからないまま、私たちはココナッツクリームの中に浮いたタピオカのデザートを食べて、その店を出た。  階段のところで、私は不覚にもほんの少し足がよろけた。紹興酒を飲み過ぎたためと、靴ヒールが九センチもあったからだ。彼が私の腕をとって支えてくれた。  「なんだ、あなただよ」と、階段を上りながら彼が横で笑った。  「いい匂《にお》いは、あなたのつけている香水だった」  私は急いで自分の手首の匂いを嗅《か》いでみた。自分で自分の匂いはわからないのだった。  「ほんとうにいい匂い?」  「すごくいい」  彼は詩人ではなかったので、それがどんな匂いなのか言ってはくれなかった。  私も彼に、それが男もののオーデコロンだとは言わなかった。  それ以後、私は女の香水に眼もくれず、夫のオードトワレを借用というか盗用している。  モルジブの熱い雨  私が訪れた時、モルジブは雨期だった。空も珊《さん》瑚《ご》礁《しよう》も島々も、フィルターを通してみるような黄色味がかった熱い靄《もや》に、すっぽりおおわれていた。  雨期であるにもかかわらず、そして例の新婚旅行中の若妻の死という事件があったにもかかわらず、今やモルジブは新婚旅行のメッカなのであった。  飛行場のある島から、私たちが一週間滞在することになっている地中海クラブのファルコルフシ島までの舟の中、右をむいても左をむいても、新婚さんばかり。  海上は多少波があり、舟が大きく揺れるたびに、あちこちで熱い悲鳴があがり、若い夫にかじりつく若い妻の姿が眼につく。私などかじりつく相手がいなかったので、もっぱらデッキの手すりに両手をからめて、憮《ぶ》然《ぜん》としていた。あちこちに点在する美しい島は、すべて椰《や》子《し》の木におおわれ、その周囲をゴージャスな庭のように珊瑚礁がとりかこんでいるのだった。その中にめざす島、地中海クラブのファルコルフシ島があった。  桟橋に着き、地に足をつけたとたん、この島に確かな見憶えがある、と思った。初めて訪れたにもかかわらず、未知の島のようではなかった。  この泡立つような思いは何なのだろうと、私は用心深く島の全容を眺めまわした。  林立する椰子の木。白い砂浜。葉陰に見えかくれする白いコテージ。  なんのことはない。私が常日《ひ》頃《ごろ》、頭の中で思い描いていた南の島、楽園の構図とそっくりそのまま同じなのだった。人間の想像することなどタカが知れているわけなのだ。こんなにもあっけなく、私の夢にまで描いていた楽園の構図と出《で》逢《あ》えるとは……。私は歓びよりもむしろわずかに悲しく、そしてわずかに失望を覚えた。そう簡単に、夢が現実になってしまったことが、なぜかせつなかった。  四時になると、私は着替えて、クラブのバーに行った。Tシャツの胸にジェラールと名前のあるバーテンダーが、ココナッツで作ったカクテルを、注文もしないのにカウンターに置いた。  「僕から」とジェラールは眼だけで笑って、別の客の注文を聞くために私の前から離れた。私は甘いカクテルはあまり好きではないが、ジェラールの好意に応えて、軽くグラスを掲げた。ジェラールはもしゃもしゃした髪にインド綿のスカーフをくるくると巻きつけ、Tシャツとジーンズといった格好。これ以上痩《や》せられないほど痩せていて、なるほどジェラールという名前以外の名前は考えつかないわ、と私は思った。  けれども考えてみれば、私は別のジェラールも知っている。そのジェラールはヘアにスカーフを巻きつけていないし、それほど痩せているわけでもない。いつも黒しか着ず、たいていミヤケ・イッセイのものを身につけていた。彼もまたジェラール以外の何者でもなかった。  その夜遅く、私はベッドの中で眼を覚ました。蚊の鳴く音がしたのだ。蚊がいると、さされるのではないかと怯《おび》えて、たいてい一晩中寝られない。それで起きだして部屋にそなえつけてある日本製の蚊取り線香に火をつけた。  蚊が死ぬまで時間がかかるので、少しの間、外の空気を吸おうと、着替えて外へ出た。わずかに肌《はだ》にべとつくような風が吹いていた。風は湿気をはらんでひんやりと冷たい。  風上から、ドラムのリズムやディスコ風の音楽が流れてきていた。その方角に無意識に歩いて行った。  椰《や》子《し》の間に黄色っぽい灯が見えていて、音楽はさらにはっきりとしてきた。中で踊っている男女の姿が見える。私はディスコの中に入った。  片隅にバーがあり、数人の男女がカウンターにもたれて飲んでいた。顔見知りは、ジェラールだけだった。彼はバーのカウンターの中ではなく外にいて、手の中にグラスを握っていた。  「踊りに来たの?」と彼が訊《き》いた。  「ううん。喉《のど》が渇いたから、飲みに来たの」私は彼のグラスを見て言った。  「さっきのお礼に何かごちそうするわ。同じものでいい?」  ジェラールは、笑ってうなずいた。  「踊らないの?」とやがて彼が訊いた。  「踊らないわ」  「どうして?」  「どうしても」  ジェラールはわけを知りたがったが、私は言わなかった。ほんとうはこの男となら寝てもいいと思える相手とでなければ、ディスコでは踊りたくないからだった。いい男はいっぱいいる。チャーミングな男も素敵な男もいっぱいいる。でも寝たくなるような男は、ほんとうに少ない。それがさらに年々少なくなる。  そろそろ蚊が死んでいる頃《ころ》だった。私はジェラールに〓“チャオ〓”を告げて出口に向った。  駈《か》け込んで来た男と、危くぶつかりそうになった。男は全身ずぶ濡《ぬ》れだった。睫《まつ》毛《げ》までが濡れていた。突然の夜中のスコールだった。  「まさか、このどしゃ降りの中を帰るんじゃないでしょう」と彼が言った。  「でも止みそうもないから……」私は黒い空を見上げた。  「十五分で止むよ」と彼は自信ありげに言った。「それまで少し踊らない?」  私は男を見た。眼《め》尻《じり》に笑い皺《じわ》があって歯が白かった。左手の薬指には指輪がはまっていた。濡れたシャツの胸元から雨の匂《にお》いと男の体臭とがした。私の気持が動いた。  「そうね、踊ってもいいわね」  その時、私の視線がカウンターにいるジェラールを捉《とら》えた。全身ずぶ濡れの男は、もう一度うながすように私を見た。  「やっぱり……やめておくわ」内心ジェラールのことを恨みに思いながら、そう答えた。彼には踊りたくないと言っておきながら、別の男と踊ったら、気を悪くするだろう。  もちろん、ジェラールが気を悪くしようが、私をいやな女だと思おうが、実際には全然かまわないのだが。それにフランス人なら、そういう男女の機微がわかるかもしれない。彼は単に肩をすくめるだけだろう。  「じゃ一杯だけでも」男は私をひきとめた。「それも結構よ。もう十分飲んだの。ありがとう」そう言い残すと、私は振り切るように、雨の中に飛び出して行った。雨は温かかった。またたくまに髪が濡《ぬ》れそぼち、口の中に甘い雨水の味が広がった。  踊りたくなるような男になぞ、この数年、出《で》逢《あ》ったことはなかったのに……ジェラールのせいだわ……。私は雨の中でぶつぶつと呟《つぶや》き続けた。  そのうちに自分のことがひどくおかしくなって、私は呟きを笑い声に変えた。踊りを断るために、何もずぶ濡れになることもなかったのだ。まるでティーン・エイジャーの娘みたいに、怯《おび》えたりした自分がおかしくてならないのだった。  部屋の扉を押すと、蚊取り線香の匂《にお》いが充満していた。私は、空気を入れかえるために窓を開けた。  雨は止んでいた。今の今まで降っていたあのどしゃ降りの雨が嘘《うそ》のように止んで、熱帯の雨後特有の甘く物哀しい匂いが窓から室内に進入してくるのだった。私は濡れたものを脱ぎ捨てながら、新たに突き上げてくる笑いに身をまかせた。 大人の女の恋?  どういうわけか、私はたいへん誤解される。二十年近くも友だちだったある女性は、つい最近、私のことをこんなふうに言って人に紹介した。  「あたしって(つまり彼女)、男をすべて友だちにしちゃうのよね。でもこのかた(つまり私のこと)、絶対に男をただの友だちになんてしない人」  私はもうほんとうにこの言葉にびっくり仰天してしまったのである。  つまり彼女は精神的な女であり、私は肉欲的な女であると、そういうことなのである。あるいは、このかた、いい男とみるとベッドへ引きずりこむ女なのよ、ということを非常に遠まわしに言ったわけだ。  二十年も友だちしている人がそう思うのだから、そんなに長い間の友だちでない人や、ちょっと知っているような間がらの人はいったいどう思うのだろうと考えると、恐しくなる。  それは、私も、どこかでいろいろ誤解を受けるようなことを書いたかもしれない。「セックスを反《へ》吐《ど》がでるほどやってやってやりまくってみたい」なんてことを、臆《おく》面《めん》もなく書いたことは記憶している。けれども、小説というのは、必ずしも作家そのものが出るわけではない。出まかせだってあるし、嘘《うそ》もあるし、作りごとだってあるし、ポーズもあるわけなのだ。  別にひどく性的な女であることを恥ずかしいと思っているわけでもない。むしろ、私は自分がもう少し性的な女であったら、世の中楽しいだろうな、と思うくらいである。  女同士で食事をしたり、お茶を飲んだりすると、話題にのぼるのは男の話。  「ねえ、最近つきあっているあのかた、あちらの方はどう?」  と誰《だれ》かが必ずそんな風に会話を始める。  「え? あのかたって? あちらの方って?」  そういう時、質問の矢が私にむけられ、女たちの好奇心のまなざしを一身に浴びると知ると、私はすっかりどぎまぎしてしまうのである。  「あら、とぼけてぇ。もう大変な噂《うわさ》になっているんだから」  「あのかたとわたしのことが?」  「あたりまえじゃないの。しらばっくれていないで、答えなさいよ。どうなの彼?」  「どうって……」と私は口ごもる。  「やさしいわよ。それにユーモアがあるわ」  「嫌ね。そんなこと訊《き》いていないのッ。あちらの方のことよ、ほら」  「あちらの方のこと……?」  「またまたとぼけて。ベッドの中でのこと」  「ま」と私はたちまち赤面してうろたえる。  「そんなこと……」  「言えないの〓」と女たちは眼をむく。  「言えないはずないでしょ。本にはあんなに大胆なセックスを書く人が、言えないわけないでしょ」  「でも、わたしたち、まだ……」  「え? まだ? まだあなたたち寝ていないの〓」  レストランの中に聞こえるような大きな声で言うのだった。私は何か非常にいたたまれなく恥ずかしい思いで、女たちの糾弾に耐える。  「そんなこと信じられませんわねぇ。ねぇ、ねぇ」とみんなの同意を求める。「うん、信じられないわ」と他の女たちがうなずく。  「だってあなたたち、もう知りあって一年以上になるんでしょう? 月に何回か逢《あ》うんでしょう?」  「ええ、会うけど」  「逢って、何するの、あなたたち?」  「少し飲んで、それからお食事をして、場所を変えてまた飲むわ」  「それで?」  「いろいろなことをお喋《しやべ》りするわ」  「だからお喋りして、飲んだその後よ」  「ずっと飲み続けて、お喋りして、それで家まで送ってもらうわ」  「それだけ〓」  一同が顔を見回す。  「十代の娘のデートの話を訊《き》いているんじゃないのよ、わたしたち」  「でもこのあいだなんて、朝方の五時までずっと喋っていたわ」  私は少し得意そうに言った。けれども友だちは大いにあきれ、それからすっかりしらけて言ったのだ。  「こりゃだめだ」  それからこうも言った。  「大人の女のする恋じゃないわね」  で、私は反対に尋ねた。  「大人の女の恋って、お食事を二度くらいしたら、次からは寝る関係になることなの?」  すると彼女たちは異口同音にこう答えるのだった。「違うの?」  あんまりみんなが自信に満ちているので、私は反論するのを止めた。大人の恋をどう考えるか、人それぞれだし。  でもお食事を二度ばかりして、それから、寝る関係になるということなら、別に大人の女でなくたって、二十代の女もやってることだろうし、十代の娘たちだってやっていることだと思うのだ。  そんなに簡単にベッドに行ってしまったら、その後の会話はどうなってしまうのだろう? 逢《あ》うたびにドキドキすることも、回を追うごとに少なくなって行くのではないだろうか。  「わたしたち、今でも逢うたびにドキドキするのよ。一年半もつきあっていて」  最後に私は、そう言ったが、誰《だれ》も負け惜しみのようにしか受け取ってくれなかった。    ある時、私たちの例のグループに新しい顔が加わった。またぞろ例の話が出て誰かが私の「初《う》心《ぶ》な恋」を面白おかしくからかった。  「ね、この人ったら、今でもドキドキしているんですってよ」  すると、その新顔の女性が深々と溜《ため》息《いき》をついて言った。  「まあ、うらやましいわ」  「うらやましい〓」と全員が驚いた。  「そうよ、わたし、うらやましい。それこそあなたは尊敬されている証拠よ。ほんとうに愛されている証拠だわ」  「あら、ほんとうに愛していたら、男って、その女と寝たくなるものじゃないの?」と女友だちはチクリと嫌《いや》味《み》を言った。  「でも、知り合って一度めか二度めにいきなりベッドのことを仄《ほの》めかされることが、愛されていることになるかしら?」と彼女は考え考え言った。  「逢《あ》えばすぐに、君と寝たいとか、君が抱きたいとか、ひどい時には、おまえとやりたいとか。抱きたいとか、やりたいとか、そんな発想する男って、ほんとうは愛してなんていないのよ。文字どおり、やりたいだけなのよ」  「そういえばそうだわねぇ」  と女たちは神妙な表情で考えこんだ。  「それにしても、モリ・ヨーコのケースは、理解の範囲を超えているわ。あなたもあのかたも、ちょっと異常なんじゃない?」  と、結局そういうことにされてしまった。  私は、でも、今でも相手と寝ない恋愛があってもいいんじゃないかと固く信じている。  ともかくも別れられるということ  ずっと昔、まだとても若い頃《ころ》の話。私の恋人が突然、別れ話をもちだした。  「オレたち、しばらく逢《あ》わないでいようよ」  私には、なぜ彼が急にそんなことを言いだすのか、まるでわからなかった。  「もしかして、それ、別れてくれっていうことなの?」  「そうじゃないさ」と彼は下唇をきつく咬《か》んだ。  「とにかくちょっとの間だけ別々にいようよ」  「ちょっとの間って?」  「まあ、一か月くらいかな」  「そのあとどうなるの?」  彼はちょっと言いにくそうに私から眼を逸《そ》らせた。  「どうなるか、それを別れている間に考えるんじゃないか」  だけど私には、納得がいかなかった。私たちの関係がこの先どうなるかなんて考える必要もないし、ましてやそのことを一か月逢わないで別々に考えることなど、さらに腑《ふ》に落ちないのだった。  「どうして?」と私は訊《き》いた。胸の中はまだ最初の驚きとショックで泡立ったままだった。「わたしのことがいやになったの?」  「そんなことないよ、絶対に」  恋人は少し早すぎるタイミングで私の問いを打ち消した。その早すぎるタイミングと必要以上に強い語調のために、彼の否定はそのまま肯定のように私の耳に届いたのだった。  「じゃ、どうして?」体中から血が引いていくような感覚の中で、なおも私は呟《つぶや》いていた。たった今、答えが透けて見えたにもかかわらず、私は恋人の口元を凝視して、待った。「考えてみたいんだ、いろいろ。将来のことも、仕事のことも」  でも、一緒に考えることになっていたのではなかったか、将来のことも彼の仕事のことも。いつから彼は自分の設計図を私ぬきで、一人でひき始めたのだろう?  「何かわたしが言ったから? それともわたしのしたこと? いつから、いろいろ考えてみようと思い始めたの?」もう答えを期待しない質問のしかたで私は訊いた。要するに答えはきまっているのだ。彼の気持が冷めたのだ。それだけのことだ。もう私のことを恋していないのだ。  「少し前ごろだよ」恋人はボソリと言った。  「少し前って?」私は自分でもわかっていたのだが、わざと嫌な女を演じ始めていた。  「二、三か月かな」  「二、三か月も前から、わたしのこと好きでなくなっていたのに、どうしてそのあともずっとわたしを抱いてきたりしたの?」  恋人は顔をしかめて沈黙した。やがて言った。  「ごめん」  私は立ち上っていた。彼の小さなアパートの一室だった。眼の高さに本箱の棚があって、シャネルの五番の瓶《びん》が埃《ほこり》を少しかぶっていた。  「この香水の女《ひと》のせい?」  そういえば、その香水はもう何か月も前からそこにそうして置かれていたことに、私はその時初めて、本気で注意を止めた。  気がつかなかったわけではなかったのだ。ある時からシャネルの香水がそこに置かれたことを知っていたのだ。  気づかぬふりもしなかったと思う。恋人と抱きあっている時、彼の肩ごしに、その小さな金色の液体の入った瓶をじっと見つめた記憶もあった。  けれども一言も触れなかった。彼はデザイナーだったから、仕事で写真に使ったりして、瓶がきれいだから持ち帰ったのだろうと、自分に言いきかせた。  私は怖かったのだ。香水のことを持ちだして、彼がそのことで何か言うかもしれないと思うと恐しかった。恋人は嘘《うそ》をつくかもしれないし、もしかしたら、ほんとうのことを言うかもしれないと思ったのだ。  「いや、そうじゃない」と私の恋人はきっぱりと言った。「そのことと、おまえのこととは、別の問題なんだ」——  別れていようという一か月のうち、一週間がのろのろと過ぎた。私の生涯の中で、もっともゆっくりと過ぎていった一週間だった。私は息をするのも、食事をするのも億《おつ》劫《くう》で、ベッドに寝てばかりいた。もっとも食事をしてもすぐに吐いてしまった。  ある朝、不意に思いたって、オーバーだけひっかけると家からぬけだした。もう何日も着たきりスズメのセーターとスカートに、お化粧もしなかった。  電車を乗りついで、彼の住んでいるアパートのある駅に降りたった。  その時間なら彼がいるのはわかっていた。とにかくこのままでは納得できなかったし、一週間が過ぎたところで、またしても別の恐しい一週間が始まると思うと、私は叫びだしそうになった。気が狂いそうだったし、ほとんど狂いかけていた。私は冬の灰色の朝、眼を血走らせて、恋人のアパートへの道を駈《か》けていた。  アパートの建て物の前で、私の血は凍りついた。どうして彼のドアをノックなどできよう。彼がどんな表情で私を見るかと思うと膝《ひざ》の力が萎《な》えるのだった。たったの一週間で、彼は遠い遠い人になってしまった。  それでも、帰っていく自分の部屋を思うと、暗然とした。世界中で自分だけがたったひとり、見捨てられたようなあの地獄のベッドで、寝返りばかり転々と打ち続けることを思うと、口の中で舌が縮みあがった。  自分をふるいたたせるようにして、恋人のドアの前まで行った。とにかく逢《あ》うのだ。逢って頼むのだ。捨てないでと胸にすがるのだ。跪《ひざまず》いて命《いのち》乞《ご》いするように、両手を合わせるのだ。彼なしの人生なんて死んだほうがましだった。プライドなんて全部捨ててしまって、あなたが好きだし、あなたが欲しいし、必要なのだと。  私は待った。ノックをする勇気が自分のうちに湧《わ》き起るのを、じりじりしながら待った。  けれどもついに、その勇気は生まれなかった。私にはできなかった。ノックをして、彼のひややかな顔がドアに覗《のぞ》いたとたん、死んでしまうだろう。跪いて命乞いするようなことも、けっして自分にはできないことも、わかっていた。惨めだとか自尊心の問題というのとは違っていた。  私の自尊心など、あの時、実にどうでもよいことなのだった。恥をかいたり惨めになることだっていいのだった。  そんなことではなかった。とにかく私は後《あと》退《ず》さるようにして恋人のアパートの前から消えた。      私にははっきりとわかったのだ。彼のことをそこまで必要としていないことが、よくわかったのだ。 跪《ひざまず》いて命《いのち》乞《ご》いしてまで、彼を取り戻したいとは思わなかったのだ。そこまでやって、とり戻すだけの男ではないということが、忽《こつ》然《ぜん》とわかったのだ。  それはもちろん彼の男としての質とか人間性とかに関係はない。私との関係において、私がそこまでとりみだすことはできなかった。  もし、どうしても彼が私の人生に必要欠くべからざる人間だと思ったら、私はあの時やっぱりドアをノックして、いきなり彼の胸ぐらにつかみかかっていたと思うのだ。そして叫び乞うたと思うのだ。  捨てないでください。お願いです。捨てないで——  それをしなかったということは、そこまで彼との縁がなかった、ということではないだろうか。そんなことをひえびえとした胸の中で反《はん》芻《すう》しながら私は駅への道を歩いていたのだった。  別れたいという男を、いさぎよく別れさせてあげられるのは、その愛がそのていどのことだということである。そう思った。そう思うことで私は辛うじて立ち直ることができた。  その後、何人もの男たちに出《で》逢《あ》い、そして別れてきた。別れというものは、どんな場合にだって、自分の肉体の一部が、無理矢理にもぎとられるような傷みをともなうものである。  それでも別れがたくさんあった。そのたびに私は自分に問いかけた。この男の前に跪いて命乞いができるか——と。  ついに一人だけ、命乞いをしてもよいだろうと思われる男が私の前に現れた。現在の夫である。  私のナガハマ君  中学生の時、隣のクラスにめっぽういい男の子がいた。  切れ長の一《ひと》重《え》がきりっとした黒眼がち。愚かさのみじんもないリンとした風情。学級委員であり野球部のショートでキャプテンでもあった。  私はスポーツをする頭のよい美しい男の子に弱かったので——それは一貫して今でも変らないのだが——その子、ナガハマ君に熱を上げた。  サソリ座の性格もあって、私の思いは執念深く、中学の三年間続いた。もちろん、片思いだった。  ナガハマ君は、私には眼もくれなかった。いつもいつも校庭の隅の同じ植え込みの陰で、自分の一挙手一投足を見ている女の子がいるのを十分承知していたくせに、彼は野球の練習中ただの一度も、チラリとも私の方を見なかった。  彼が私を無視すればするほど、私の恋心は燃え上がった。ヒリヒリするような痛い日々の連続。  中学三年の仮装カーニバルでのことだった。生涯忘れることのできないことが起った。憧《あこが》れのナガハマ君は、丹《たん》下《げ》左《さ》膳《ぜん》に扮《ふん》装《そう》して、運動場を肩を揺すりながら練り歩いていた。どこから見ても水もしたたるいい男ぶり。私はうっとりとし、半ば茫《ぼう》然《ぜん》と、上の空でシャッターチャンスを何度も逃すのだった。  運動場を一周する間、私はうろちょろと彼のまわりを駈《か》け回り、何とか一枚をものにしようとあせった。  私の数メートル先を、肩で風切るふうに歩いていたナガハマ君が、不意に立ち止った。それから首だけねじむけて斜めのひややかな視線をひたりと私の顔にあてると、言った。  「撮るんなら、早く撮っちまえよ」  その斜めのひややかなまなざしと、その声の質の冷たさと残酷さとが、私の胸を突き刺した。  カメラをかまえながら、私は思わず後退した。ナガハマ君は正面をむき、私のカメラをきっと睨《にら》んだ。とうてい少年とは思えない冷酷さがその全身から滲《にじ》んでいた。彼の眼は憎しみで冷たく燃えていた。私の心は凍りついた。  それほどまでに自分が嫌われているのかと、私は躰《からだ》がぐらりと揺れる思いだった。カメラをもう一度かまえ直したが、あまりにも指が震えてシャッターが押せなかった。涙に曇った私の視界の中で、ナガハマ君が、くるりと踵《きびす》を返して歩み去る姿が滲んだ。それが三年間に及ぶ片思いの恋の終りだった。ナガハマ君は私に劣らず面《めん》喰《く》いだったのだ。    それから二十五年以上もの歳月が流れた。私はといえば性《しよう》凝《こ》りもなく次から次へと美しい男たちに熱を上げ、性凝りもなく振られたり捨てられたりした。ナガハマ君にはじまって私の人生は心の凍りつくような失恋の連続であった。  ところで、人というものは一日のうちに実にさまざまなことを考え、いろいろなことが頭に浮かぶものだ。こうして原稿を書いていても、ふっと眼の前の本に眼が行くとサガンの名が見える。すると十代の終りの頃《ころ》の〓《ふう》月《げつ》堂《どう》の光景が浮かび、そこにたむろしていた芸術家の卵たちの顔がつぎつぎと浮かび上ってくる。  かと思うと何の脈絡もなく小学校時代の雪の校庭が瞼《まぶた》に蘇《よみがえ》ったり。また原稿に注意を集中し、今夜の食事の支度のことを思ったり。なぜかふっと中学校時代の千葉先生の天然パーマの髪の毛のことを思いだし、そして丹下左膳に扮《ふん》したナガハマ君の世にも冷淡な斜めの視線が——。  長い年月を経てもまだ、チクリと私の胸が一瞬痛んで、私は溜《ため》息《いき》をつき煙草の火をつけるのだった。それから原稿を書き、税金のことをチラと考え、旅行について思いを馳《は》せる。  そんなふうに私たちは一日のうち、とりとめもなく驚くほどたくさんのことを考えたり思い出したりするものなのだ。  そんなある日のことだった。出版社から送られてくるたくさんの雑誌の中の一冊を、パラパラとめくっていた。  写真のページがあり、右よりの斜め下にそれを撮った写真家の名が印刷されていた。  その名前を見て、眼が飛びだしそうになった。まぎれもなくあのナガハマ君の名前だったのだ。  私はまじまじと写真を眺めた。あのナガハマ君が撮りそうな写真かどうかわからなかった。第一、あのナガハマ君が写真家になったのかどうかも知らなかった。ただじっとその写真を眺めているうちに、あのナガハマ君に違いないと、私はなぜか確信していた。  それから編集者の顔を見ると、ナガハマ・オサムってどんな人? と質問した。  「有名な写真家ですよ」  「有名なの?」私はうれしいようなまぶしいような怖いような気がした。  「幾つくらいの人?」  「確か、あなたと同年輩じゃないかな」  「やっぱり」と私の胸がズキンと痛んだ。  「どうしてです?」と編集者が訊《き》き返した。  「別に。もしかしたら中学の時の同級生じゃないかと思って」  「確かめましょうか?」  「いえ、いいの」私はどぎまぎして、きっぱりと断わった。確かめてどうするというのか。あのナガハマ君だとして、その後どうするのか?  中学校の校庭で、斜めの冷たい視線で私をじろりと見た遠い日の記憶に身も心もすくみあがった。すると奇妙なことに、ナガハマ・オサムの名は、いろいろな雑誌の中に見られるようになった。ページを開くと、そこにその名前があった。彼は売れっ子写真家らしかった。彼の名前を見るたびに私の古傷はズキズキとうずいた。  初めてナガハマ君の名前を雑誌に発見してから、さらに二年ほどが過ぎた。  つい先日のことである。あるPR誌からインタビューの依頼があった。好きな花と一緒に写真を撮り、なぜその花が好きなのかという理由を喋《しやべ》って下さいということだった。  露草が私の好きな花だった。  当日、私は出先からそのインタビュアーと待ち合わせて、家に戻ることになっていた。撮影は家のどこかで行なわれる予定だった。  インタビュアーの運転する車の後部座席に山のような露草があった。  「カメラマンはどなた?」と私は何気なく訊《き》いた。私はその方面の知識は無知だったので、訊いてもほんとうは名前と顔とその写真家の作風などは結びつかないのだが、とにかく、そう訊いたのだ。  「ナガハマ・オサムさんです」と、インタビュアーが答えた。  「え?」私は絶句した。「あの有名なナガハマ・オサムさん?」  「ええ、有名なナガハマさんです」と私の訊き方がおかしかったのだろう、インタビュアーは少し笑った。  とたんに私の心臓は胸から飛びだしそうにドキドキと動《どう》悸《き》を打ち始めた。口がカラカラに渇き、息苦しくなった。私は急いで窓を開け風を入れた。  ようやく動悸が少し収まると私は観念したように訊《き》いた。  「ナガハマさんて、どんな顔の方?」  インタビュアーは要領よく顔の特徴を説明した。  「顔、どちらかというと面長?」と私は重ねて訊いた。  「さあ。どちらかというと丸顔ですね」  長い間に顔なんて変わるものだから、と私は思った。  「眼は一重で、きりっと切れ上っている?」  「さあ、眼はどうだったかしら」  「要するに、いい男?」  「ええ、ハンサムですよ」  「やっぱり」  まちがいないと私は下唇を咬《か》んだ。  「中学校はどこを出たか知っていますか?」  「さあ、そこまでは」と彼女は困惑して、チラリと私を見た。  ナガハマ・オサム氏は、彼の車で別の道を私の家に向っているということだった。  「一度も訪ねたこともないのに、いきなり?」と私は呟《つぶや》き、あのナガハマ君なら、このあたりの地理に詳しいわけだからと、ますます確信を強めたのだった。  それからはもう上の空。ナガハマ氏が到着するまでのインタビューも支《し》離《り》滅《めつ》裂《れつ》。あまりのことに私は混乱のきわみで、立ったり坐《すわ》ったり。  と、玄関前のポーチに車の入ってくる音。膝《ひざ》がガクガクと震え卒倒寸前。  「どうかしましたか?」と、心配そうなインタビュアー。  「ええ。あ、いいえ」と、しどろもどろの私。  インタビュアーが玄関まで迎えに出た。私は腰が抜けて動けず、坐ったまま。  やがて玄関が騒がしくなり、男の声がインタビュアーの声に混った。  私は聞き耳をたてた。ナガハマ氏の声は、微《かすか》な塩《しお》辛《から》味《み》を帯びたハスキーボイス。似ているだろうか? あのナガハマ君はどんな声で喋《しやべ》ったっけ。  やっぱり塩辛っぽいハスキーな声ではなかったかしら? ついに、彼は、私の前に姿を現したのだ。  廊下を足音が近づいてきて、ヒョイと顔がのぞき、次に全身が現れた。私はバカみたいに彼をみつめた。あのナガハマ君か?  背格好は似ていた。髪型もきっと彼ならしそうな短く刈りこんだスタイルだった。顔は、丸顔に近い。  眼は、ちょっと丸い。でも片方の目はちょっと切れ上っている。わからない、わからない。私はあせった。  「どうかなさったんですか」とナガハマ氏がけげんそうに訊《き》いた。そこで私はついに恐る恐る全部をぶちまけて説明した。  「森さん、中学はどこ?」とナガハマ氏は、私が話し終るのを待って訊いた。「梅中。世《せ》田《た》谷《がや》の」  「じゃ違う」と彼は晴やかに笑った。「僕は地方出身だもの」  ナガハマ・オサム氏は、あのナガハマ君ではなかったのだ。それが決定的になると、どういうわけか、ナガハマ氏の姿形は信じられないほど少年時代のあのナガハマ君に生きうつし、酷《こく》似《じ》して私の眼に映るのだった。  「実はね」と彼は唐突に言った。「前にね、成田の税関でその道では有名な麻薬の運び屋とまちがえられたことがあるんですよ」  「まあ、どうして?」  「同姓同名だったんですよ。その有名なヤクの運び屋と」  ナガハマ・オサムなんて、そうたくさんある名前ではない。とすると、私のあのナガハマ君はヤクの運び屋の方なのだろうか。  「じゃ撮《と》りますからね」と、私の思惑を知ってか知らずか、ナガハマ氏はカメラをかまえた。    両手に山のように露草を抱えてポーズをとりながら、私の思いは千々に乱れた。  昔、あの時は、私たち逆だったじゃない。カメラをかまえたのは私で、あなたがポーズをとったじゃない。世にもひややかなポーズを——。  ナガハマ氏は何枚も何枚も私の写真を撮り続け、私は彼の前で固くなってポーズをとり続けた。  シャッターの音を聞いているうちに、ある思いが私の胸をよぎった。  やっぱりあのナガハマ君に違いない。彼は人違いの演技をしているのだわ。いまさら私とかかわりあいたくなくて——。  撮影が終ると、彼は助手の人二人を従えて、ドイツの車で帰って行った。  「人違いで申しわけなかったですね」と、白い歯をみせて笑いながら、彼は車で走り去った。  そうして私は思うのだ。あの白い歯はやっぱりあのナガハマ君によく似ていると。  男の友情  ずいぶん前の話だが、私がまだ若い頃《ころ》、当時恋人だった男が、お酒を飲むとよくこんなふうに言ったのだ。  「オレさ、あいつのためなら、いつでも死ねるんだ」  あいつというのは、恋人の男友だちのことで、自他ともに認める親友のことだった。  「あいつがもし」と恋人だった私の男はさらに言ったものだった。「オレに片腕を切りとってよこせと言ったら、オレは切るよね、腕を」  幸い、その親友という人は私の恋人だった男の片腕をことさら所望もしなかったので——その後二十年以上たつが、つい先年の暮れ、忘年会で昔の恋人とお酒を飲んだ時も、彼の腕は両方ともついていたから——その後も片腕を欲しがったりはしなかったらしい。  「いやだわ、気持悪いわ」というのが、その際の私の率直な反応であったことを憶えている。男同士のくせにネチネチして気色悪いと思ったのだ。むろん、普段その二人がお酒をくみかわしているようすを見てもベタベタしているわけではない。  むしろどこか突き放したような感じで、お互いに言葉づかいも相当に乱暴だった。キサマとかテメエとかバカヤロとか、そういう言葉が始終、飛び交っていた。相手の躰《からだ》に触れるというようなこともなかったように思う。せいぜいあっても年に一度くらい、何かの拍子に二人が握手をするくらいのものであった。  バカヤロ、テメエ、そんなことでメソメソ言うんなら死んじまえ! などと相手を罵《ば》倒《とう》している形相やその声音を、もし知らない人がその場に居合せて目撃したら、これは刃《にん》傷《じよう》沙《ざ》汰《た》になるのではないかと、恐れをなすのに違いないと思うほどであった。  けれども、二人の間の事情を知っている私の耳には、バカヤロ、テメエ、死んじまえ! という言葉とその声音は一種の男同士の愛の表現というか、愛《あい》撫《ぶ》のような感じさえして、若い娘の心理としてはあまり穏かではなかったのである。  つまり私は、彼らの間にある眼には見えない友情に嫉《しつ》妬《と》したのだ。それは愛情にもっとも近く、ある一時期など恋情といってもいいほどだった。私にそう感じさせる言動が確かにあったのだ。  やはりお酒の席で——私たちは三人でよく飲んだものだった。そういう時、私はなぜか自分がのけものになったような気分にさせられたものだ——相手の親友がこんなことを突然叫んだりした。  「ぐだぐだ言うな。さもないとおまえの顔、なめちまうぞ」  とか、何か議論をしているうちにどちらかが相手の胸にパンチを打ち込む仕《し》種《ぐさ》をする。もう一方が逆襲のパンチを打ち返す、これも仕種をする。パンチの応酬の仕種がしばらく続く。  実際には、ほとんどパンチは相手の胸板に届かない。その真似だけなのだが、そういう一連の荒々しい動作の連続の中で、二人の男が確実に愛しあっているのが、私には痛いほどわかるのだった。あのパンチの真似事は、絶対に一種の愛《あい》撫《ぶ》だと私は思ったものだった。  そういう二人の男同士の友情の発露みたいなものから、私は常に自分が疎外されて、忘れ去られているような気がして、胸がたち騒ぐのだった。  私はそういう時、ひそかに二人から眼を逸《そ》らさずにはいられなかった。時々、私の恋人の相手がその男の人ではなく、むしろ女であったら、はるかに気持の納得がいくのではないかと考えたことがある。女だったら、私はあからさまに嫉《しつ》妬《と》の炎を燃やし、牙《きば》をむくことができるのである。  「ひどいじゃないの。私という女がありながら外の女に眼を移すなんて」と真正面から攻撃することができるのである。  けれども、相手が男では、私は眼を逸らせたり、伏せたりして沈黙する以外、何ができたであろうか。嫉妬の情をチラとでも二人に知られることさえ恥ずかしいと思っていたし、屈辱だった。  それでもある時、私は息苦しさのあまり、こんなふうに恋人に訴えたことがある。  「あの人と、また一緒に飲まなくちゃいけないの? 飲むんなら別の場所で男同士二人で飲んだら? 私といる時は私だけといてくれない? 三人はいやよ」と、そんなふうなことだ。  すると私の恋人だった男はいきなり笑いだしたのだった。  「なんだよ、おまえ。あいつのこと妬《や》いているのか?」  「だってあなたたち、精神的にホモなんだもの」と私は日《ひ》頃《ごろ》思っていることを口にして言った。  「妬くことなんてないさ」と恋人は頭から問題にしないのだった。  「現にオレ、あいつのこと抱くわけじゃないしさ」  そして何を思ってか、ああ気持悪いと苦笑した。  私は彼の恋人だったから、時々ベッドを共にしていたし、そういうもっとも親密なかたちで躰《からだ》を合わせていたわけだけれども、なぜかその時、恋人の言葉に無条件に安心し、納得できたわけではなかった。  もっとも親密なかたちで躰を合わせていたのにもかかわらず、私は完全に恋人を所有しているという感じを抱くことができなかった。彼の肉体はその一時期、確かに私の所有するところではあった。同じように私の肉体もその一時期彼に、彼だけにつらねられていた。それは疑いようのない事実であった。私たちはその意味でお互い相手に夢中だったし、欲望を抱きあっていたし、同じようにその意味においてお互いを少しも裏切ってはいなかった。  恋人の肉体は百パーセント私に与えられていたことは明白だったが、彼の心は——私だけに与えられていたわけではないのだった。それも明々白々だった。彼の心は、あいつと私とで分けあっていたのだ。つまり、あいつと私とで共有していたのだ。たぶん半々くらいに。  私の方は恋人の心と肉体の両方を与えられており、あいつは彼の心の半分くらいしか与えられていないのだから、と私は幾度も自分にそう言いきかせ、安心しようと努力したのだ。  ついに、絶対に私は安住の地を見いだすことはできなかったのだが。つまり、だからといって、あいつに勝ったような気が、一度もしなかったのだ。  むしろ私は自分を敗者のように感じていたのだと思う。なぜだかその時にはわからなかったが。  いや、わかっていたのだと思う。漠然とだが、私には何かが透けてみえていたのだ。  つまり私には未来がなかったのだ。恋愛には、それが結婚に至らないかぎり、未来はないのだ。恋愛は始まりがあるように、その終りも必ず訪れるのだ。  事実、あの幸福の絶頂にいる時でさえも——彼の肉体と心を余すところなく所有していると実感していた時——冷徹に言えば、別れが、終局が始まっていたのだ。すでに。  肉体の関係が生じたその瞬間から、終局が始まっていたのだ。関係が生じたその瞬間、破局を内包していたのだ。恋とか欲望とかは、そうしたものなのである。  だが友情は違う。少なくとも、おまえのために死ねるよ、という男同士の友情は別なのだ。そういう友情に終局も破局も別れも生じない。  現実はそうであった。  私が漠然と恐れを抱いていたように、その後一年ほどで、私と恋人の間に破局が訪れた。気がついたら私たちの間には何かを共有する歓びは消滅してなくなっており、重苦しい倦《けん》怠《たい》だけがあった。  相手の肉体になれあうに従って、私と恋人は、言葉を、ユーモアを、生き生きとした行動力とを失っていた。そして、お互いの肉体がもはや新鮮ではなくなり、ついに新しい発見も驚きもなくなってしまった時に、私たちが、そこに見いだしたのは、お互いの肉体の残《ざん》骸《がい》であった。  あの最後の、恋人の一《いち》瞥《べつ》を、私は生涯忘れないだろう。「別れよう」と言って彼は最後のまなざしを私に注いだのだ。とても短い、痛ましげなまなざしを。  それは、すりきれるまで聴いた一枚の大好きなレコードを手にした、男のまなざしのようだった。彼は、そのすりきれてしまった好きなレコードを、ゴミ箱に捨てようとして、それに感傷的な最後の一瞥をくれたわけだった。  そのようにして、私は彼を失った。そして彼には友情が残った。あいつが。    それから長い年月が過ぎ去った。一度消滅したものは二度と戻らないが、私とかつての恋人は再び会ってお酒を飲むようになった。関係が復活したのではなく、別の関係が生まれたのだった。十年ほどの歳月の後に、つまり友情が。かつてあいつと同じ種類の友情が。  「ねえ、あいつ、どうしてる、その後?」  と私はさりげなく訊《たず》ねた。  「あいつかあ」とかつての恋人は温かい表情をした。  「あいつもじじいになりやがってさ、頭なんてもう真っ白だぞ」  それから彼は私の髪にチラと眼をやり「おまえもばばあになったな」  とニヤリと笑った。  「あなただって、眼はたれてきたし、お腹も出かかってるし」  と私はやり返した。そして私たちはしばらくのあいだ笑ったのだった。  「ねえ、今でもあいつのために、あなた死ねる?」  と私はその夜の別れぎわに彼に訊《き》いた。  「ん?」とかつての私の男は、一瞬、遠い眼をした。  「正直言って、誰か他人のために死ぬなんていうエネルギーは、もうないね。あれはエネルギーだからね」  「わかるわ」と私はひっそりと言った。  「だけどさ」と彼は真《しん》摯《し》な声で言い足した。「腕の一本くらいだったら、まだ切り取ってくれてやる気はあるよ」  「腕の一本ね」と私は笑った。  それから少し沈黙の後、私は言ったのだ。「私にも?」  彼はちょっと距離を置くようなまなざしで、私を眺めた。それから先刻と同じような真摯な調子でこう答えた。  「ああ。おまえさんのためにも、必要とあれば片腕を一本、提供するよ」  そのようにして、私たちの友情が始まったのだった。その日からさらに十年がたつ。    〓  ある空港にて  とある外国の空港で。日本の成田や羽田とは違って、外国の飛行場は——ホンコンは別。日本並み——アナウンスなどもひっそりとして低く、場所によっては電光板だけで、アナウンスのまったくないところだってある。だから空港内も驚くほど静かだ。  人々は低い声でひそひそと雑談しているし、ほんとうにひっそりとしている。そういう空港の待ち合い室で、日本へ帰る便の搭乗時間を待っていた時のことだ。  「今回はちょっと不満足だわね」という日本語が私の耳にとびこんできた。声は私の前方三列目あたりの座席から聞こえてくる。見ると日本人の若い女性とおぼしき後姿。  すぐにそうと知れるのは、髪の色が黒いからではない。なんとなく薄汚い旅姿の若い女がいれば、それが日本人の女なのである。  なぜ彼女たちは飛行機の旅は薄汚れたジーパン姿か、一種、乞《こ》食《じき》スタイルのコムデなんとかとかヤマモト・ヨージ風の服装ときめているみたいなのだ。  その二人もそうだった。ぞろりとした黒っぽい服の重ね着。しかもあたりをはばからぬ大きな声。  「要するにブスが多かったわね」  ともう一人が答えていた。  「かわいい子もいたけどね。全体にイモっぽかったあ」  「それよかマイクって子がいたでしょ」  「栗《くり》色《いろ》の髪の子?」  「そう。眼がハシバミ色でさ」  「知ってる、知ってる」  「あの子くらいよね、ちょっとましだったの」  「あなたもそう思った? やだ」  「何がよ? あっ、まさか、あなたマイクとやったんじゃないでしょうね」  「やったわよぉ」  「やだッ。やだやだ、あたしもなのよッ」  「えーッ、あなたもマイクとやったのッ〓」  そこで二人がプイとそっぽをむくと思ったら、いきなり右手を出しあって固く握手。さらに声をそろえてイヒヒヒヒといかにもヒワイな声をあげたのであった。  私はもうびっくりして思わず視線を伏せたものである。他に日本人の客はいなかった。  しかし二人の話しっぷりや声の質から、周囲の人々は言葉がわからなくとも、それとなくそのニュアンスを嗅《か》ぎとったのに違いないのだ。そのあたりの雰囲気がしらけたような冷たいものになった。  それすらまったく意に介さずというか、気がつかないというか、二人の日本人の女の傍若無人のふるまいが続いた。  私はもちろん、そのマイクなる男がどんな人間なのかは知らない。知らないが、想像くらいできる。チンピラヤクザに相違ないのだ。その程度の男と知れるのは、その空港の二人が、その程度のどうしようもない女たちだからだ。  イヒヒヒヒなどと空港で笑いあって無事に握手ができただけでも幸運と思わなければならないくらいだ。  見かけがかわいい男の子にだって、悪質な性的倒錯者もいれば、変質者もいる。殺されもせず、けがもせず、身ぐるみも剥《は》がされず、もしかしたら悪い性病くらいはうつされているかもしれないが、とにもかくにもイヒヒヒヒと笑っていられるのはほんとうにラッキーなのだが、そんなことには思いも及ばず、次の寄港地・ホンコンへの期待で今や眼もらんらんといったところ。  「ホンコンではさあ、ぜったいマンダリンホテルのキャプテンス・バーとかいうところへ行こうね」と一人が言う。  「そこがどうしたの?」  「男と女が出《で》逢《あ》うところよ」  どこでどう情報を仕入れたのか知らないが、私は思わず、「止めときなさいッ」と叫びそうになった。が、叫ばなかったのは、どうせ入口のところで出入りを差し止められるだろうと思ったからである。  薄汚いチンピラ風の若い日本人の女がまともな精神で出入りできるような所ではないのだ。マンダリンホテルのキャプテンス・ラウンジという場所はレディが行く場所だ。ちゃんとアフタヌーンから夜の服装に整えて、優雅に入っていくところなのだ。でなければ、一見レディと見分けのつかない高級売春婦が。  たとえ裏口からコソコソと忍びこんだって、どうせ首筋をつかまれて放り出されるのがオチだ。  ああ、それにしても、ひとつまちがえれば翌朝、裏通りに身元不明の死体となって横たわっているかもしれないのだ。でなければ麻薬を打たれてマカオかマニラあたりの売春宿に売り飛ばされるか。  「もしかしたらさあ、ホンコンの大富豪の御《おん》曹《ぞう》子《し》に見染められたりしてネ」  「それよかアラブの王様かなんかでさあ、玉の輿《こし》よ」  「何が玉の輿よ。せいぜいよくて第四夫人よ」  「いい、いい。第四でも第五でもアラブの王様ならかまうもんですか」  そして声をそろえてギャハハハハとのけぞるのだった。  ホンコンの大富豪の御曹子にしろ、アラブの王様にしろ、女を選ぶ権利はあちらにあるのだし、よほど酔狂な御仁でないかぎり、彼女らのような女をどうこうしたいなどとはまず思わないだろうから、何も傍《はた》でヤキモキすることもないのである。それにしてもよくもまあ、と私はだんだん憂《ゆう》鬱《うつ》になっていくのだった。  なぜかというと、その空港でたまたま目撃した彼女らは、とくに例外というのではないからだ。世界中のあちこちに、似たような風体の薄汚い若い日本の女たちが、右往左往しているのである。そしてすることは同じ。眼の色を変えて男を漁《あさ》りまわる。  旅の恥はかきすてというわけなのだろうか?  外国でなくても、六本木あたりにもそういう女たちがウロウロしている。一時、黒人の男たちを追いまわしたのも、そういうてあいだ。  相手が黒人だからどうのというのではない。白人であろうと彼女らと同じ黄色人種であろうと、眼の色を変えて追いまわすという姿があさましい。色情狂か発情した雌《めす》犬《いぬ》としか思えない。  日本に住んでいる在日外国人の夫人たちは、積極的に日本人の若い女を憎んでいる。この場合の若い女というのは、先にあげた空港の女たちとか、六本木で黒人を追いかけまわしていた女たちより、いくらかましな——することは同じでも——種類なのだ。たとえば外資系商社のOLとか。  「あの連中は泥棒猫よ」とA夫人は吐き出すように言う。  「雌犬《ビツチ》ね」とけんもほろろのB夫人。  とにかくアタックがすさまじいのだ。自分の夫に、そういう女がアタックすることを思うと夫人たちが穏やかな気持で暮らせないことは確かだ。  一応きちんとした女だし、若いし、まあ十人並みだし、積極的に迫られて男は悪い気はしない。日本ではまだまだ外国人の男は天国だ。もっとも、その程度の女にもてることがうれしくてしょうのない男にとってはだが。  相手が外国人であれば、やっぱり旅の恥はかきすての精神がまかり通ると思っているのだろうか。  今流行の不倫の恋はどうだろう? 日本人同士の恋愛でも、妻子ある男と密会というのは?  右を向いても左を向いても、女たちは一様に発情しているような感じがしてならないのだ。  いったい日本の女たちはどうしてしまったのだろうか? それに日本の男たちはそんな女たちを心の中でどう思っているのだろうか?  女のマナー  スーザンは南青山にあるブティックで売り子として働いているアメリカ娘。私の長女が聖心のインターナショナル・スクールに通っていた時に所属していたテニスクラブの大先輩だったのが、スーザンだった。  その関係で、軽井沢で私もスーザンと何度かテニスをやったことがあって彼女を知っていた。  聖心インターを出た後、ソフィア大学で経済学を勉強したスーザンが、南青山のブティックで最新流行のドレスを売っていると聞いて、私はちょくちょく顔を出すようになった。それは有名なデザイナーの店で、私はそのデザイナーのドレスが比較的好きだったせいもあった。  ある時、スーザンを誘って近くでお茶を飲んだ。スーザンはロンドンにいる私の娘について質問をした。  「服飾関係のデザインの勉強をしているんだけど、どうなることでしょうね」と私は苦笑した。  「あら、夢を抱くのは素敵なことよ」とスーザンはちょっと遠い眼をした。  「あなただって、まだ夢を捨ててはいないでしょう?」と私がふと言った。  「もちろんよ、おばさま。だから今みたいな仕事にもがまんできるのよ」  「お仕事つらい?」  「ドレスを扱うこと自体、そんなにハードじゃないけど」とスーザンは口を濁した。  スーザンはゆくゆくはニューヨークやロンドンのブティックを回ったり、プレス関係の仕事にたずさわるつもりなのだった。オーナー・デザイナーの右腕になるべく、現在は売り子の体験をしながらの修業中の身であった。  「でもね、おばさま。日本の女の人って、世界一無礼よ。ほんとうに礼儀知らずなのよ」  スーザンの話はこうだった。  ブティックに来る買い物客のマナーは世界で最低なのだそうだ。  まずドアが開く。「こんにちは」なんて言ってニコニコ入って来る人はまずいない。たいていニコリともせず、いきなり店の中を物色しはじめる。  「いらっしゃいませ」とスーザンや他の店員の女はそれでも愛想よく言う。「何かお探しですか?」  そう訊《き》いても答えるお客はほんのわずか。  「ええ、ちょっとね」と、うるさそうに言って、プイと他のコーナーへ移動してしまう。大多数のお客は「何かお探しですか?」って訊くと、まったくの無反応。無視。憮《ぶ》然《ぜん》として出て行ってしまう人も少なくない。  「ねえ、どうして『いいえ、ちょっと見るだけですから』って、そう言わないのかしら。そしたら『どうぞごゆっくり』って、わたしたちだって言うのに」とスーザンは憤《ふん》懣《まん》やるかたない表情。  そう言われて私はパリでの買い物の経験を思い浮かべた。あちらでは売り子が圧倒的にいばっている。  ドアを押して「ボンジュール・マダム」と言わなければならないのはお客の方だ。マダムは鷹《おう》揚《よう》にうなずく。「ボンジュール。何かお探し?」  そこでお客は自分が何のためにその店に来たのかを説明する義務がある。  「ええ、紫色のセーターのいいのがあったら」とか「スリットの入った白いタイトスカートを探しているの」とか。とくに目的がない場合は「何かいいものがあれば買おうと思って」などと言う。  するとその目的に合わせて店の人が選び出して来てくれる。  「ありがとう。でもこの胸のあき方が気に入らないわ。Vネックの深いのがいいわ」お客ははっきり言う。売り子がまた別のを探してくる。  日本でだったら、勝手に棚に行って手あたりしだい五、六枚ひろげてみて、鏡の前で体にあててみる。そして気に入らなければ、そのままポイと置いて次の棚に移るといった具合だ。  パリではいちいち店員の手助けを受けなければならなかった。三枚も四枚も奥から出して来てもらっても、あまり気に入らない。でもなんだかマダムの顔がおっかないから、つい気弱になって一番安そうなのを「これいただこうかしら」なんて言ってしまう。するとマダムは毅《き》然《ぜん》とした態度でこう言うのだ。  「それはお止めになったほうがいいわ。その形はあなたの顔の感じに合わないですよ」  とマダムは売ってくれない。こちらはホッとして、後《あと》退《ず》さるようにドアへ逃げる。  「メルシ・マダム・オールボァー(さよなら)」ドアの所で礼を言って外へ出る。  「オールボァー」マダムの声が追ってくる。  パリではアリガトウを言うのはもっぱらお客の方だ。コンニチワ、サヨナラとにこやかにきりだすのもお客の方だ。何かしてもらったり取ってもらう時には、必ずシルブプレ(どうぞ)をつけるし、アリガトウを言う。ペコペコと卑屈になる必要はないが、人に何かを頼んでしてもらうのだから、「どうぞ」も「ありがとう」も考えてみればあたりまえだ。  だからパリの店員は、もみ手なんかしてヘイコラしていない。何も買わないで、見るだけで帰ってしまうお客に対して、白い眼で見ないが「ありがとうございました。またどうぞ」とは言わない。「またどうぞ」くらいは言うかもしれないが、買いもしないのだから「ありがとうございました」は言わない。むしろお客の方がいろいろ見せてもらってアリガトウを言うべきだ、とみんなが考えている。  私は、初めから買うつもりもないお店の中に入った時は「ちょっと見て回るだけでもいいですか?」とドアの所で必ず断ったものだ。そうすれば売り子にうるさくつきまとわれないですむからだ。それに、ぼおっと入ってきて、ぬすっと店の中を歩きまわり、何も言わずにまたぼおっと出て行く東洋のお客なんて、きっと気味が悪いのではないかと思うのだ。  「日本の女の人って、売り子のこと、人間だなんて思っていないようなところがあるわね。まるで、そこらの石コロみたいにしか考えてないのよ」とスーザンが溜《ため》息《いき》をついた。  「山のように勝手に試着したあげく、『ぜんぜんいいのないわね』なんて言って、ツンツンして出て行ってしまう。わたしたち、それを元どおりにハンガーにかけ直すんだけど、あとで口紅なんてついていたりするの。『ありがとう、お世話さま』の一言もないのよ。最低よ、おばさま。あんな態度が通用するのは、世界で日本だけよ」  私もそうだろうと思う。ホンコンでもタイでも、日本人の客は札びらを切るから何とか売ってもらえるのだが、見ているとずいぶん待たされるし、買い手が無礼なら、眼には眼をで、売り手も無礼な例をずいぶん知っている。  「おかげでずいぶん勉強になったわ。わたしね、おばさま、わたしの兄や弟がもし日本人のガールフレンドと結婚すると言いだしたら、お止めなさいって忠告するわ。少なくとも、ブティックに連れて行って、その時どういう態度をとるかみてからにしなさいって言ってあげる」  「うん、それはなかなかいい方法だわ」と私は賛成した。最低、ちゃんと「どうぞ」と「ありがとう」が言える女でなければ、私だって自分に息《むす》子《こ》がいたとしたら、息子の嫁に迎える気にはなれない。  日本における売り子の地位は、客との関係において弱者である。客は買ってやるという意識があるから強者である。強者は、弱者が反発したり言い返したり、腹を立ててはならないことを知っている上で、横《おう》柄《へい》であったり無礼であったりぞんざいであったりする。  相手が言い返せない立場にいるのを利用して、言いたい放題、やりたいかぎりをつくす。これは卑劣である。  なぜ客がいばるのか、スーザンにはわからない。もしスーザンがそこの売り子ではなかったら、態度は豹《ひよう》変《へん》するだろう。相手によってこちらの態度を変えるというのは差別である。  なぜ日本の女はブティックとかデパートとかお店とかに行くと、急に横柄になり、マナーを忘れ、無礼になるのだろうか?  「あたしはあたしだから、お店で買い物する時だって、いつも同じあたしよ」とスーザンは言う。事実、その喫茶店でも店員がコーヒーを置くとすかさず「サンキュー」と彼女は言った。ケーキを食べ終って店員が下げると、「サンキュー。とっても美《お》味《い》しいケーキね」とニコニコした。  「日本には身分や職業の差別はないと聞いたけど大《おお》嘘《うそ》ね。心の中の差別はあるみたい」とスーザンは言った。  時々、外国人のお客もスーザンのブティックに来る。あたりまえのことだけど、マナーのよさに涙が出るほど感激してしまうそうだ。それくらい外国人に比べて日本人の女の買いもののマナーが最悪ということだろう。  私たち国民は、長い間の客と商売人との関係の、ある種のスタイルの習慣から、他の国の人には理解してもらえないようなことをしているらしい。  客は鷹《おう》揚《よう》に、商売人はもみ手でペコペコするという図が、やっぱり今でも残っている。少なくともブティックで買いものをする女たちの心の中に残っている。  「時々、涙が出るほど悲しくなるわ。ほんとうに時々、控え室で三十分、わたし泣いちゃうほどくやしいことがあるわ」とスーザンは私に訴えた。  「わたし、日本が好きだし、日本人も好きだし、日本が生み出すもの——いろいろな製品やこういうブティックのドレスも好きよ。でも今は、日本の女の人は大嫌い。世界で一番いやな人種。みんなすごくおしゃれで、すごくセンスがよくて、お金持ちのお嬢さんや若い奥さんたちだけど、マナーは最低」とスーザンは容赦ない。  「わたしだけじゃないのよ、おばさま。店の他の売り子の日本人の子たちだって、控え室で時々泣くわよ。どんなに腹が立ったって、わたしたち売り子はお客さまに言い返せないし、喧《けん》嘩《か》するわけにいかないもの」  私は恥ずかしかった。同じ日本人として恥ずかしかった。  自分より弱い者をいたわることを知らない女性は、どんなにきれいな格好をしていても、素敵な人とは言えない。言葉をもたない動物や植物や花々を大切にいたわることのできない人もそうだ。  日本の女は、まず「どうぞ」と「ありがとう」を言うことから勉強しなくてはいけない。外国では、子供に一番最初に教える言葉は「プリーズ」と「サンキュー」である。  そういえば、うちの子たちも幼い頃《ころ》、夫に口を酸っぱくして教えられたっけ。  プリーズが言えなくて「プリ」と言い、サンキューが「ター」だったけど。  大人《 お と な》度《ど》  先日、ある友人夫婦と夕食をしていて、私はぶったまげてしまったのだ。思わずぶったまげるなどという言葉をはしたなくもつかってしまったが、それくらいびっくりしてしまったというわけで許してもらいたい。  四人が集って夕食に何を食べるかということになった。私は食いしんぼうだから、洋食か中華か和食かにきまれば、どこの店かにまでこだわりたい方だ。  「何にしようか」と夫が言った。礼儀上、友人の妻である女性に、まずおうかがいをたてた。  「あたしぃ、何でもいいわぁ」  と、彼女は語尾に力を入れて揺するような言い方で答えた。サーファーカットの大学生とか若いOLがよくつかう言い方だ。  ところが彼女は大学生でもなければ若いOLでもなく、れっきとした三十代の大人の女なのである。  「じゃ、キミはどんなものが食べたい?」と夫はその場の二人目の女性である私に、これも礼儀的に訊《き》いた。  「わたしはどちらかというと和食のムードだけど」  「いいねえ、和食」と夫の友人は言った。  「あたし、和食、いや!」何でもいいわぁと答えた三十女が口をとんがらせた。  「じゃ何がいい?」夫は私以上に内心いらいらしながら、それでもやさしくもう一度訊《き》いた。  「フランス料理なんていいんじゃないのォ」と彼女が言った。  「だったら、ラムの胸肉を香草で焼き上げた美《う》味《ま》いのを食わせる店が一軒ある」と夫が顔を輝かせた。ラムが好きなのである。  「そいつは聞いただけでヨダレが出そうだね」と友人も心を動かしたふうだった。私もリッチなソースのかかっているフランス料理より、田舎風のフランス料理の方が好きなので異存はなかった。ところがである。  「いやよッ」と三十の子供女が頬《ほお》を膨《ふく》らました。「あたし、ラム、嫌いッ」  「どうして? 柔らかいよ。匂《にお》いもしないし、美味しいよ」と夫が説明しようとした。  「でも嫌いなものは嫌い。だったら三人で行ったら?」  じゃそうしましょ。三人で行きましょうよ、と私はもう少しで言うところだったが、子供女の亭主の困り果てた顔を見ると、彼に同情して出かかった言葉がかろうじてひっこんだ。  「じゃ、キミはいったい何が食べたいのか、言ってごらんよ」と彼女の夫が訊いた。  「中華でもいいのよ」と、彼女は急に意見を変えた。  「じゃ中華にしましょうよ」と私は大急ぎで言った。「自分の好きなものを一品ずつオーダーすればいいじゃないの?」  それで、彼女の気の変らないうちに私たちはタクシーを拾って、行きつけの美《お》味《い》しい中華料理店に乗りつけた。  「だけど」とテーブルにつきながら、ふと彼女が言った。「ニンニクが入ってるのよねえ、中華って」  また始まったと、私たち三人は無視をきめこんだ。  「あたし、ニンニク嫌いッ」  誰《だれ》も相手にしない。みんなひとつずつ自分の好きなものを選んでウェイターに告げた。彼女の番だった。メニューをポイと放り出しながら言った。  「エビソバでいいわ。ニンニクぬきでね」  「エビソバじゃ四人で分けて食べるというわけにはいかないから」と彼女の夫が注意した。  「せいぜいエビヤキソバにしたら?」  「ううん、いや。エビソバがいい」  私と夫は勝手にしろ、としらん顔をした。  いざ料理が運ばれて来て、私たちは小皿にいろいろ取り分けはじめた。彼女はエビソバをツルツル啜《すす》っている。それからふと私たちの食べているものに眼を止めて「ちょっとそれ、一《ひと》口《くち》ちょうだい」と亭主の食べているのを指差しながら言った。「ニンニクが入ってるよ」とさすがに彼も憮《ぶ》然《ぜん》として言った。  が、結局睨《にら》みつけられて、しぶしぶ小皿を彼女にゆずった。  もう、まったく不愉快な女なのであった。「あたし、それ嫌いッ」などという言い方は、うちの娘たちが三歳の時までよく言った言葉だ。  「嫌いなら、黙っていなさい」と必ず父親が注意した。「何もキミがニンジンを嫌いだってこと、このレストラン中の人に知らせる必要はないよ」と、夫は娘に言うのだった。  あるいは、「キミがそれを嫌いでも僕はちっとも困らないけどね、そのかわり歯がきれいに生えて来ないよ」というふうに言ったりした。  そういう教育をしているうちに、自分の好き嫌いばかり表面に出すのは、はしたないことだ、礼儀にかなわないことだ、ということを彼女は学ぶ。  「レディはそんなふうにはしないものだよ」とか「レディはそういうふうには言わないね」とか、夫のレディ教育はもう三歳頃《ごろ》に始まっていた。  その友人の妻だけが例外的に礼儀知らずなら、私はこんなところでわざわざ彼女の例を引く必要はない。  けれども彼女は例外ではなく、数多くいる子供女のほんの一例にしかすぎないというのが問題なのだ。  私はこの冬、何度もスキー場に行った。若い人たちがたくさんいた。若い人たちの言っていることが、それはたくさん耳に入った。  レストランで席が隣りあわせた男女の会話。  「明日、上まで登ろうか」と男。  「いやーん。怖いもの」  「怖くないよ。ゆっくり滑ればいいからさ」  「でも、いやー。足折るもの」  と、この押し問答。女はただ、いやーよ、いやーん、いやいやをくりかえしている。なんという貧しい会話なのだろうか。  「ナイター滑ろう」と男が言うと女は、  「いやー。寒いもの」  「ここね、夜、タヌキが出るんだよ」と言えば「ウッソォー」である。  「ほんとうに出るって。今夜見に行こうか」  「いやーよ、怖いわぁ」  何が怖いのかと言いたい。自分の方がタヌキよりよっぽどタヌキみたいなお化粧をしているくせに。本物のタヌキの方が逃げだすにきまっている。  ホテル専属のピアニストが、BGMを奏《ひ》いている。  「いい曲だね。何?」と男が連れの若い女に聞く。  「知らない。それにこの曲、あたし嫌いッ」とりつくしまもないというか、それで会話がポキポキと切れてしまう。  要するに子供女なのだ。他人といい関係を作ろうともしないのは、これは子供だ。自分の感覚、感情、好き嫌いだけが絶対で、あとのことはどうでもいい。神経の粗雑な発育不足たちである。  タヌキの件の時だった。一人だけ勇敢な女の子がいた。  「うん、見に行く」と彼女は言った。  それでその夜、ホテルの窓から見ていると若い男たちと女がタヌキを見に出かけていった。  少しして、大騒ぎになった。タヌキの親子が餌《えさ》を求めて出て来ると、いきなり「うぁッ、かぁいい!」と飛び出して行き、追い回したのである。  タヌキの親子はそれきり二度と現れなかった。幼稚なだけではない。愚か者である。馬《ば》鹿《か》な女だ。  三十歳にもなるのだから、自分のことはひとまず忘れよう。  「何が食べたい?」と訊かれたら、一応自分の好みを言うのはよい。  「フランス料理がいいわ」  「ラムは好き?」  「みなさんお好き?」  とまず他の人の意見を聞く。その反応をみる。みんながラムで興奮していたら、その際、自分の好みくらいどうでもよいではないか。  「そうね、そんなに美《お》味《い》しいんなら、ちょっと試してみようかしら」というのが大人《 お と な》の女の反応であるべきだ。  でもやっぱりいやだったら、別のメニューを頼めばいいだけで、「ラムはいやッ」と口をとがらせることはまったくない。  いろいろなことに好奇心を抱くのも、素敵な女の条件だ。イヤ、キライ。怖いからイヤ——そんなことを言っていたら、人生なんて、つまらない。  彼女たちに魅力がないのは、不満ばかり言うくせに、それでは自分に何か提案があるのかというと何もない。人が何かを申し出て、それが好きならよし、嫌いならダメなのである。好きか嫌いかだけで物を考える女なんて、ぞっとする。そういう人が将来、子供を生んで母親になるのかと思うと空恐ろしくなる。  日本の男はかわいそうだ。そういう寒々しい若い女たちの中から伴《はん》侶《りよ》を選ばなければならないなんて。  女の子症候群  最近の若い女はかなりお粗末だということが、たびたび話題に上がる。話題にするのは当然、おじんとかおばんと、そのお粗末な若い女たちに呼ばれている世代のわれわれである。  要するにジャーナリストとか評論家とか作詞家とか作家などが何人か集って飲んでいると、最近の若い女は——という話になるのだ。  まるで同じ人類とは思えない、とか、ありゃまるでわれわれにとってはゾンビーだとか、みんなが違和感をとなえるわけだ。  「講演会など女子大生の前でやると、まったくの無反応で、薄気味わるかったねえ。それに俺《おれ》、どっかの星にでも迷いこんじゃったんじゃないかと、一瞬ぞっとしたものね。とにかくすごい断絶感。孤独だったよ」と、ある作家はそんなふうに言った。  年《とし》頃《ごろ》の娘をもつ私の友だちなどもこう言うのだ。  「最近の女の子ってお粗末よ。ボキャブラリーが三つくらいしかないのよね」  「アーン」と「ヤダー」と「ウッソォー」。  四つや五つの女の子のことではない。大学生なのである。アーン、ヤダー、ウッソォーと言いたいのはこっちの方だ。高い月謝を払って教育をつけさせようとする親にしてみれば、泣きっ面にハチである。三つか四つのボキャブラリーを勉強させるために、大学へ行かせたわけではない。  どうして日本の女は、二十歳になってもこう子供なのだろうか?  ひとつには、社交というものがないためだと思う。近所づきあいもほとんどない。だから挨《あい》拶《さつ》のしかたひとつ学べない。家ぐるみのつきあいもだんだん希薄になる一方だし、おじいちゃんやおばあちゃんとは別居だから、けじめとか目上の人に対する態度とかがわからなくなっていく。社交会というようなものがないから、娘たちがなかなか大人の女になれない。  それと日本人全体のかわい子ちゃん好きの性質もある。男たちがかわい子ちゃんばかりをチヤホヤするから、みんなカマトト風になってしまう。  男たちがかわい子ちゃんをチヤホヤするのは、彼らが大人の女を手に負えないからだ。ちゃんとした大人の女と対等につきあえるだけの、ちゃんとした大人の男があんまり存在しないせいだ。ほんとうに困ったものである。  それと、女の子たちはほんとうに本を読まない。マンガばっかり読んでいる。本を読まないなんて、信じられない。私たちの時代には、書物を読むことによって、自分の位置を確認してきたような気がするのだ。自分の体験など限られたものだし貧しいことも知っていたから、本からそういうものをおぎなうことしか考えられなかった。  今の子供たちは、何によって自分のアイデンティティを探っていくのだろうか。テレビとかマンガとか?  奇妙なゾンビーみたいな女の子たちがぞくぞくと生まれてくるわけである。三つか四つしかボキャブラリーをもたない女の子たちだ。  その程度の女の子は、その程度の男の子としか結ばれない。  ちゃんとした男は、もうちょっとちゃんとした女の子を求めるからだ。  どうしようもない女の子と、どうしようもない男の子が結婚したら、やがてどうしようもない子供が生まれてくる。  親と同程度か、親よりもさらに質が落ちるかもしれない。今の女の子たちが、確実に今の親たちより質が落ちていることからみても、明らかだ。そうすると日本の未来は、どうなってしまうのだろうか? 考えただけでもぞっとしてしまう。  そういう私自身の娘たちも、ほんとうのところ、この親にしてこの子ありで、人のことなど言えた義理ではない。幸いカソリック系のインターナショナル・スクールに通っているので、授業や友だちとの会話は英語で行なわれる。  ありがたいことに、英語の会話は、現状の日本語の会話ほど崩れることはない。  「ママ、あれとってえ!」なんて言い方は、英語では通用しない。「ママ、悪いけど、あれをとって下さい、プリーズ」というような感じになる。  それは逆に母親が子供に言う場合も同じである。子供だからと言って、ぞんざい語を使ってもいいということにはならない。「そこのドア、ちゃんと閉めなさいッ」と叱《しか》るかわりに「どうぞ、そこのドアを閉めて下さい」と言わなければならないような言葉のしくみになっている。  したがって私の子供たちは、英会話を喋《しやべ》っている時は比較的マナーのよい子たちなのである。そして歳よりは大人《 お と な》びて、上品かつエレガントにさえ見えるのだ。  ところが日本語を喋りだすと、とたんにボロが出る。  「ちょっとお風《ふ》呂《ろ》の水入れて来てよ」と私が言うとする。  「ヤダー。今、宿題してんだもん。ママ、自分でやりなよ」とこう答える。  同じことを英語でやり合うとこうなる。  「手が空いていたら、お風呂の水を、どうぞ入れて下さいな」と私。  「あら、ごめんなさい。今宿題しているから、すみませんけど、ママやって下さい」と娘たち。  ごめんなさいとか、すみませんけどとか、そういう言葉が英語には必ず投入されるから、応対がスムーズになるのだ。  日本語そのものの甘えの構造に問題がある場合も多いが、親の言葉づかいに問題があることも、はなはだ多い。うちの子たちの日本語は母親である私から学ぶわけだから。もっとも最近はテレビが悪質教師となり、彼女たちの日本語は乱れに乱れている。  だからうちの子たちも、日本語で喋《しやべ》ると急に、カマトト症候群を露呈し、アーン、ヤダー、ウッソォーをやりだす。英語を喋っている時の大人びた、背筋のしゃんと伸びた感じが嘘《うそ》みたいに消えてしまい、とたんに子供じみた甘ったれに陥落してしまうのだ。  そういうわけだから、私は娘たちがハイスクールを卒業したら、日本以外の国でぜひとも勉強させようと思った。  長女が十七歳でインターナショナルのハイスクールを卒業した後、イギリスへ送りこんだのはそのためだ。  幸い、彼女は半分イギリス人であるから、思ったより早く当地に馴《な》れたようだった。私が思うに、頭の中から日本的な思考を追い出し、英語的な発想にぱっと切り換えたから、よかったのだと思う。  英語的発想というのは、甘えのほとんどない個人主義、孤独に耐える発想である。そういう原語なのだから、英語を話して暮らしていれば、自然にそういう発想につながり、個人主義になっていくのだ。  ところが、彼女が通っているロンドンの大学には、日本人の留学生が二十人近くいるそうなのだ。  最初、娘は大いに喜んだ。日本で生まれ日本で育った子だから、日本人に対する親近感の方が強い。たとえイギリスに住んでも、イギリス人は彼女にとって外人のように思えたのだ。  日本人の留学生の傍で日本語を聞いたり喋《しやべ》ったり、インスタントラーメンをごちそうしてもらうと、ほっとしたらしい。  しかし、何か月かたつうちに、娘はふと、日本人の女の子たちに違和感を感じるようになった。  せっかくイギリスに来て勉強しているのに、まるで日本にいるみたいな気がしてきたのだ。喋るのは日本語だけ。つきあうのも日本人だけ。食べるのも日本食だけ。  これでは何のためにイギリスで勉強しているのかわからないと、娘は早々に気づいてグループから少し距離をおいた。  距離をおいて眺めてみると、この日本人留学生のグループ、はなはだ異質なのであった。みんな一メートル五十八センチくらいで、似たような格好をしている。髪型も、なんとなくスタイルが同じで、ぞろぞろと統一行動。誰かがキャーと言うと全員キャーキャーと騒ぐ。エー? ウッソー! ヤダーが始まる。  外側から眺めてみると、子供じみて恥ずかしいようなファナティックな一団なのだった。娘は悲しいような失望を覚えて、完全に日本人グループから離脱した。  ある時、イギリス人の男の子たちが娘に訊《き》いたそうだ。  「ねえ、日本の女の子って、みんなあんな感じ?」  みんなあんなふうにグループでぞろぞろして、キャーキャー騒いでいるのかという意味だった。  「それに、日本の女の子って、みんなあんなふうにアグリーなの?」アグリーというのは醜いという意味である。ブスということだ。  なるほど、二十人近い女の子の中で、きれいな子はいなかった。チャーミングな子もいなかった。でも、もし日本人ならああいう女の子たちをかあいいと言うのかもしれないが、日本以外のどこの国だって、かあいい大学生なんて誉め言葉じゃない。かあいいのは幼稚園の子供たちであって、大学で勉強する学生たちではありえない。  日本にいて、日本人の中で暮らすなら、聖子ちゃんみたいでかあいいね、で通用するが、イギリスにいたら、それは奇怪にして薄気味のわるい集団にしか映らない。  イギリスの大学にいて、男の子たちに人気のある女の子は、ちゃんと自分というものをもっており、自分一人で行動することができる人だ。  何も美しくお化粧したりおしゃれをしたりすることではない。自分の言葉と考えをもって、他人といい関係を持つことのできる女の子が、評価されるのだ。  娘は、半分流れているイギリス人の血のおかげで、そのことに気づいたのだった。  彼女は春休みに、ギリシャ人のルームメイトと、スウェーデン人の女友だちと、それからイギリス人の男の子と四、五人で、ギリシャを中心に貧乏旅行をしてきた。  その間、日本人留学生のグループは、日本へ帰って原宿の竹下通りをそぞろ歩くのだと知らせて来た。  せっかく親が高いお金を出して、かわいい子に旅をさせようと留学に出しても、このありさまではなさけない。  しかし、今の世の中、世界中どこへ出しても日本人のいないところはない。日本人がいると日本人はなぜか群れてしまう。甘えてしまう。それはおそらくは、言葉の構造のせいなのだ。だから多少はキザでも、日本人同士、留学したらその国の言葉で話しあわなければ、留学した意味もない。  長女とはクリスマスに六か月ぶりに会った。やっぱり他人のメシを食べるというのはいいことで、ちょっと大人びていたような気がした。  その長女も、再会の緊張がとれると、とたんに私とダメ風の日本語を喋《しやべ》りだして、それまでの苦労も水の泡。私はひたすら、きれいで正しい日本語を喋るべく、反省したのである。  女と女  はっきり言って、私は女の人が好きだが、触れるのはいやだ。握手をするのも、ほんとうは少し躊《ちゆう》躇《ちよ》する。  女同士で手をつないで歩くなんていうことは、この歳になってはもちろん、どの歳にもなかったと思う。  かつて一度だけ、私は大学時代に、親友と腕を組んで歩いたりしたことがある。その場合はセーターとかブラウスを通して相手の腕の温かさがこちらに伝わったが、直接素《す》肌《はだ》が触れあうということは、やはりなかった。したがって夏には腕を組まなかった。  彼女と例外的に腕を組んだのは、妙な言い方だが、男の友だちと腕を組んで歩くようなつもりであった。恋人でも夫でもない男友だちというのが必ずいて、やぁやぁという感じで握手して、肩を組んでスタスタ歩きだすような具合に、肩へ手を回すかわりに、相手の腕にすいと腕をまわした——とそんなふうなのである。  私の知っているある女性は、何かというとこちらの躰《からだ》に接触する。それは相手が私だからというのではなく、誰にでもそうなのだ。喋《しやべ》っている間、たえず相手のどこかに触れている。腕に触れたり、肩を叩《たた》いたり、自分の躰をすりつけたり、自分の肩や腕で相手を押したりする。  まったく初対面の人でも、相手が女でも男でも、彼女は好意を持つと、ふいに手を伸ばして相手の袖《そで》口《ぐち》にそっと触れる。  そうすると不思議なことに、あなたを信用します、初対面だけどあなたに好意を抱いています、という感じが確実に漂う。それが一番よくわかるのは、袖口にそっと触れられた相手だ。友情がまたたく間に成立する。  当然のことながら、嫌いな相手には彼女は指一本触れない。もし彼女と同席して指一本触れてもらえなかったら、彼女のお気に召さなかったのだと考えていい。したがってこちらがどんなに彼女に好意を抱こうと、友情は成り立たない。  彼女には、だから恋人のような男性が、非常に多い。つまりセックス・フレンド。彼女の性生活は実に充実して多彩なのだ。友人も多い。男も女も含めて、たくさんの友だちに囲まれている。  「指先でわかるのよ」と、ある時彼女は私に言った。「初めて相手の腕に触れた時に、電流のようなものが指の先から走り出るの。相手がそれを快いと思った場合、相手からも電流のようなものが出るわ。もし相手から何も出なかったら、私たち相性が悪いと思って、その場で諦《あきら》めるのよ」  あんなにたくさんのセックス・フレンドについて質問すると、やっぱりこう答えた。  「指先で誘惑するの」と。指や手で相手に触れたり、肩をこすりつけたりするやり方で、言葉で伝えるよりも確実に、こちらの意思が伝わるのだそうだ。  「だって、あなたと寝たいわ、なんて女の方から口に出して誘えないもの」  もし彼女が見るからにコケティッシュな女だったり、色気でねばねばするような女だったり、マリリン・モンローみたいな歩く性器といった女だったら、話は違ったかもしれない。が、彼女は一見ボーイッシュな、実にサバサバした清潔な感じの女なのだ。その意外性というか、そのあたりに、彼女のもてる秘密がありそうだ。  その彼女が、どういうわけか、私によく触れてくる。喋《しやべ》っている時など、ほんとうにひんぱんに私に触るのだ。彼女が私に対して好意を感じているのが、当人の私にはそれでよくわかる。  私の方は、そういう彼女の接触に、ひそかに耐えていた。前述したように、私は女と手を握ったりするような行為が極端に嫌いなのだ。私は彼女の資質は好きだったので、彼女がそんなふうに私にベタベタしなければほんとうにいいのに、と心の中でそう思って、ひたすら耐えていた。  ある時、私と彼女は六本木でお酒を飲んでいた。私はお酒にとても強いけど、彼女はあまり強くない。少し酔って、ますます私に躰《からだ》を押しつけたりしながらぽつりと言った。  「わたしはレズじゃないから」と。  「え?」ちゃんと聞こえたのだが、私はちょっとびっくりしたもので、訊《き》き返した。  「レズじゃないのよ、わたし。だから……」と彼女は低い声で言った。  「だから?」  「あなたのことすごく素敵だと思っていてもね、わたしにはあなたが抱けないじゃない」  「わたしも、女に抱かれたくないわね」私はできるだけさりげなく、笑いながら答えた。それから私たちは少しの間、沈黙した。  「たとえば、こんな気持よ」と彼女がしばらくして言った。「わたしの夫がもし、他の女と寝たとしたら、わたし、怒り狂っちゃうけど」と彼女は自分のことは棚に上げて真剣に言った。「あなたが相手だったら、許せると思うのよ」さらに少し考えて、こうつけ足した。「むしろ、彼と寝てもらいたいくらい」  「そうすることで間接的に、わたしを抱いた気になれるから? いやだわ、そんなの。そんなの気持悪いわ」  そんなふうに咄《とつ》嗟《さ》に突き放してしまったが、私には彼女の痛みがわかるような気もした。    人が人を愛することは自然のことだ。男が女を愛し、女が男を愛する。母が子供たちを愛する気持。  女が女を愛したって、不思議でも何でもない。母と息《むす》子《こ》が愛しあうのが不思議でも不潔でもないように、女が別の女を思うことは、ありうることだ。  もし相手が、異性であれば、ベッドに行き、その愛の確証が得られ、そして二人の関係は激しい緊張から解き放たれ、寛《くつろ》いだいい関係に変わるだろう。  けれども、女と女は、ベッドを共にしえない場合、緊張感だけが持続して、せつなく息苦しい関係になっていく。前述の彼女が、私に彼女の夫と寝て欲しいみたいなことを言ったのは、その緊張を取り払いたかったからである。  彼女は私のことを愛しているので、自分にとって一番大事なもの——夫——を、私と共有しようとしたのであった。せつないことである。  私が彼女の希望に応えることができないかぎり、彼女の周囲に始終いることは酷なことである。そんなことがあってからしばらくするうちに、私たちは以前ほど会わなくなった。つまり男と女が別れるように、私たちも別れたのである。  男と女なら、たとえ過ちを犯しても、傷つけあっても、何かが後に残ったりするのだ。それが友情である。  けれど、女と女とは過ちを犯すわけにはいかないし、そういうふうになってしまう人もいるが、それは別の次元の話で、普通の正常な意識をもった女には通用しない。男と女の葛《かつ》藤《とう》のようなものをくぐりぬけないかぎり、男女の友情は成立しない。だから、女と女の友情というのは厳密には成立しないのだ。女の親友なんて、ほんとうは絶対にいないのだ。いるとしたら、私たちはそのふりをしているだけである。  友だちのボーイフレンド  「ねえ、今度彼のこと紹介するけど会ってくれる?」と、目下熱《あつ》々《あつ》の恋愛中の女友だちがふとフォークの動きをとめて言った。女だけ四、五人でランチを食べている時のことだった。  「もちろんよ、ぜひ会わせて」と、私たちは異口同音に答えた。  「でも、みんな男を見る眼が厳しいから怖いわ」と彼女はちょっと不安そうな表情をした。  「そんなことないわよ。あなたが好きになった人なんだもの、きっと素敵よ」とまたしても女たちは口々にそう言った。  そしてその日から遠からぬある夜、彼女はボーイフレンドを伴って、私たちの前に現れた。彼女は誇らしそうな、恥ずかしそうな、不安そうな様子をして、まるで借りてきた猫みたいに、彼の傍にちょこんと坐《すわ》っていた。もう別人みたいにしおらしいのである。  「じゃ、わたしたち一足先に失礼するわ、悪いけど」と、一杯だけ飲み終ると、彼女と彼は席を立った。私たち女は、どうぞ、どうぞ、お楽しみにねッ、と彼女たちを送りだした。  さて、その後である。  「ね、ね、彼女って信じられないくらいかわいい女なのねえ」  「見た? 顔なんてトロけそうだったわよ」  「あんなしおらしい彼女、見たことないわ」  「いつも大口あけてゲタゲタ笑う人が、フフフだなんてね。ほんと、かわいいわね。見直しちゃった」  などと、そこまではよかったのである。  「ところで、彼、どう?」と誰《だれ》かが言いだす。すると待っていましたとばかり、女たちがいっせいに喋《しやべ》りだす。  「男は黙ってサッポロビールってタイプね」  「でもさ、『ええ』『いえ』『はあ』ってそれだけよ。バッカじゃない?」  「それに、ちょっとお腹が出かかっていましたね」  「手もなんだか白くふやけていて、さわられたら気持悪そうだったわよ」  「顔は悪くないけどね。でもあたしの趣味じゃないな」  「靴下の色見た? ポケットチーフと色合せてあったわよ」  「ま、キザね。キザ、キザだわあ」  「とにかくさ」と、その場をしめくくるように誰かが言った。「わたしたちの男じゃないんだから、いいじゃないの」  「同感。わたしたちの男じゃなくてほんとよかった」  と好き勝手なことを言いたい放題。  というのもボーイフレンドなど持ちたくても持てない者のひがみも大いに混っているわけである。  別の日に、件《くだん》の彼女、心配そうに女友だちに意見を求めた。  「ねえ、彼のことどう思った?」  「素敵じゃないの。ねえ、いい男だし」  「ペラペラ喋《しやべ》らないところがまた男らしいというか。ほんと、うらやましいなあ」  と、よくもまあ白々しくも答えるのであった。女友だちなんて、ほんとうに信用できないわ、と各人が肝に銘じるのは、そういう瞬間である。  ところが、のど元すぎれば熱さを忘れるで、今度は別の女友だちに、恋人などができ、「ねえ、彼のこと見て欲しいんだけど」が始まる。例によって、ええいいわよ、ぜひ会いたいわ、と女たちは口々に答える。  そして経過は、先の彼女と大同小異。友だちのボーイフレンドは無残にもこきおろされるわけである。  「声が男にしては甲《かん》高《だか》いわねぇ」  「衿《えり》足《あし》もきれいじゃなかったわ。少し不潔っぽい」  「それから見た? ロレックスのゴールドウォッチなんてはめちゃって。ああいう成金趣味は嫌味ね」  「ま、あたしの男じゃないから、いいけどさ」とこうなるわけ。  『男は黙ってサッポロビール』の君を伴った彼女までが、「ちょっと短足気味ね」などと批判的なのだ。  このような時、女というものは、では自分の場合はどうだったろうか、というような反省を混じえた疑惑を抱かないのはどうしたことか。友だちのボーイフレンドのことを陰で、こてんぱんにしているのに立ち合っているわけだから、先日の自分の時にもさんざん悪口を言ったのに違いない、というふうには女の論理は展開しないらしい。  もしそうだったら、人の振り見てわが振り直せで、女友だちに自分のボーイフレンドなど見せたりはしないわけだから。  その証拠に、またしても別の女友だちが、見てくれる? と、ボーイフレンドを同伴したのである。むろん、またしても陰でケチョン、ケチョンであった。  そのうち、みんなは、私を白い眼で見始めた。  「ねえ、あなたまだ?」  つまり、まだボーイフレンドはできないのか、と訊《き》いているわけ。  「うん。それがいい男、いないのよ」  と私は答える。  「じゃ、あれは嘘《うそ》だったわけ? あの短編に書いてあること?」  「うん。小説は作りごとだから」と私。  「あなたの小説読んでいると、不倫の相手が十人くらいいそうだけど、あれもみんな嘘?」  「そうなの、作りごとなの」  すると心やさしい女友だちは、同情のまなざしで私を見るのだった。  たとえ私にボーイフレンドがいても、死んだって女たちに紹介するものか、と私は思うのだ。それがフリオ・イグレシアスみたいにいい男だって、彼女たちのことだから「ま、キザな男ね」で一《いつ》蹴《しゆう》されるにきまっている。  それでなければ、「彼女、早晩捨てられるわよ、時間の問題ね」などと断言するのだ。  結婚して亭主のいる女が、ボーイフレンドをもつということは、たとえば毛皮のコレクションが一枚増えるようなものである。どうせなら、他人よりいい毛皮を持ちたいし、見せびらかしたい。  女が別の女のボーイフレンドのことを絶対によく言わないのは、嫉《しつ》妬《と》心《しん》からのことだ。羨《せん》望《ぼう》もある。タヌキのハーフコートしかもっていない女は、銀ギツネのロングコートに、めらめらと羨望の火を燃やす。それと同じことである。何よ、あんなものゾロゾロ着て。彼女に全然似合わないわ——とこうなるわけだ。  それに、一方で私の女友だちに紹介するわ、と言われてノコノコとついて来るような男も、どうかと思う。よほど自信があるのか、あるいはスケベ根性からなのか、私にはそういう男の心理がよくわからない。私のボーイフレンドには、「いやだよ俺《おれ》、女のグループなんて気持悪いよ」と言ってもらいたいものだ。  そういう人物が見つかると、いいんだけど。そしてできることなら、タヌキや銀ギツネ程度ではなく、極上のロシア産セーブルだったら、ほんとうにもう言うことはないんだけど。  女の幻滅  ある時、私は女ばかり四人で夜食を食べていた。  場所は飯《いい》倉《くら》のキャンティ。十二時少し前、ちょっとお腹が空いたわね、という時にくりこむのに便利なお店である。五分くらいで、熱《あつ》々《あつ》のスパゲティを出してくれる。  私の仲間には仕事をもっている女もいれば家庭に入っている主婦もいる。独身の女も離婚した女もいる。年齢も二十代から四十代まで。お酒が好きで、お喋《しやべ》りが好きで、男が好きで、美《お》味《い》しいものを食べるのが好き、そしておしゃれが好きな、要するに普通の女たちである。  みんな仕事をすませ、子供たちを寝かしつけてから集るから、九時頃《ごろ》に顔を合わせる。だから、あっという間に深夜になってしまう。  「今夜、わたしシンデレラ」と一人が言う。  「わたしもそうなの」  十二時までに家に駈《か》け込むためには、五分でスパゲティ・バジリコが出てくるキャンティは、非常にありがたいわけだ。  そのバジリコのスパゲティが上ってくるまでの五分間、この夜のフィナーレとばかり、全員がセキセイインコのように囀《さえず》る。  「この間ね、生まれて初めてカラオケバーなるものに行ったのよ」一人が言う。  「もう古いんじゃないの?」別の一人。  「それよりね、素敵なピアノバーを見つけたの。赤坂のプリンス旧館の近くよ。今度行かない?」とまた別の一人。  「そのカラオケバーでのことなんだけど」と初めの一人が続けた。  「わたし、カラオケなんて嫌いよ。カラオケにくりこむような人種を好きになれないわ」  「この間ね、シャンソンの奏《ひ》きがたりを聴《き》きに行ったのよ、すごくよかったわよ」  「ラ・カージ・オ・フォールっていうミュージカルの千《せん》秋《しゆう》楽《らく》に行ったってこと、話したっけ?」みんな自分のことばかりでてんでんばらばら。  「あのね、そのカラオケバーで、うちの亭主が歌ったのよ」彼女はあくまでもカラオケバーにこだわるのだった。  「わたし、亭主がそういう場所で歌うの見るのは、初めてだったの」  「惚《ほ》れ直したって言いたいんでしょう?」  「違うわよ、聞いてちょうだいよ」  「遅いわね、スパゲティまだかしら」  キッチンの方を気にする者もいる。  「ねえ、ちょっと、カラオケバーの話、聞いてあげましょうよ」  「ありがと。それでね、亭主が歌うのを見ていてね、あっ、いやだ、と思ったの」  「わかるわかる」  「いやね。そんなに簡単にわかってもらっちゃ困るわ。説明するから聞いてよ。あのね、四、五人で行ったのよ。みんなお友だち。なかの一人が歌っている亭主を眺めながら言うのよ。『あら、お宅のご主人、なかなか色気あるじゃないの』それ聞いてわたし、ぞっとしちゃった」  「どうして?」  「だっていやよ。普段はさ、男は黙って切る! ってタイプでしょう、うちの亭主。それが、なんだか人格が変ったみたいに、歌いながら妙な色気をふりまいているの。これはあなた、その場にいなければわからないけど、女房としてはいやな気分よ」  「わかるわよ。たとえば高倉健がいきなり三波春夫みたいにニカニカ歌いだしたら、そりゃ気持悪いわよ」  「高倉健からいきなり三波春夫ってほどじゃないにしてもねえ」と彼女は眉《まゆ》を寄せた。  「気持がすうって冷めたわね、その時。自分の顔が青くなるのがわかったもの」  全員、すっかり彼女の話に耳をかたむけて大人《 お と な》しくなってしまっていた。  「この男《ひと》、知らないわ。こんな男ぜんぜん知らないって感じだったの。結婚五年になるのにね。私、亭主のこと何もわかっていないんじゃないかと思って」  その場でかなり傍観者だった私はこの言葉にはっとした。  実はその何日か前、あまりよく眠れない夜があったのだ。まんじりともせず原稿のことや税金のこと、九月からイギリスに留学してしまう長女のことなど考えていた。横で夫が何か夢でも見たのか、ふっと長い溜《ため》息《いき》をついた。みるともなくその夫の寝顔を眺めているうちに、なんだか初めて見る男の顔のような気がして、びっくりしたのだった。あの時私も、この男のことを、いったい自分はどれだけ知っているのかしら、と呆《ぼう》然《ぜん》と思ったものだった。  「それでどうしたの?」誰《だれ》かが質問した。  「すうっと気持が一気に冷めた後?」  と彼女が憂《ゆう》鬱《うつ》そうに言った。「それ以来、気持はずっと冷める一方よ。カラオケになんて行かなければよかったと後悔しているわ」  「ほんとうにいやになっちゃったの?」  「ええ、そう。触れられるのもだめ。もう完全に拒否よ」とますます表情を曇らせるのだった。  「まさか、別れるなんて言い出さないでしょうね」と女の一人が冗談にまぎらわした。  「カラオケが原因で離婚だなんて、笑えないわよ」  その時スパゲティがきた。バジリコのいい香りがする。微かなガーリックの匂《にお》いも。みんな一度に元気を取り戻して、しばし閑《かん》話《わ》休《きゆう》題《だい》。スパゲティを啜《すす》る音だけがしていた。  長い結婚生活の間には、そのような幻滅が、たびたびあるのに違いない。  新婚の間に夫に排《はい》泄《せつ》行為を知られたくなくて、便秘に悩んだ新妻も、時がたてばどうどうと新聞をトイレに持ちこむ古女房に変わっている。初めて、妻が新聞片手にトイレに入るのを目撃した時の夫の幻滅はいかばかりか。お互いさまである。  たいていのことは諦《あきら》めに変わり、苦笑する程度で終るが、決定的に破局を迎えてしまうことだってあるだろう。カラオケの件で、ひどく憂《ゆう》鬱《うつ》そうな彼女は大丈夫だろうか?  「あら、大変大変」と当の彼女は四分の一ほど残っているスパゲティの皿を押しのけて叫んだ。  「十二時を回っちゃったわ」と慌てて腰を浮かせた。「悪いけど、わたし食い逃げね」と千円札を二枚置いた。  「どうせご主人に失望したんでしょう? 何そわそわしているのよ?」と無責任にも引き止めるものもいた。  「うん、でもうちの亭主、あんまり遅く帰るとご機嫌悪いから。わかるでしょう? 怒らせると次に出かける時いろいろめんどうだから。じゃ、またね。チャオ」  その後ろ姿を見て一人が言った。  「あの分じゃ大丈夫ね、彼女」  「そうよ。ご亭主を怖がっている間は、まだ安泰よ。大丈夫、大丈夫」  女たちは口々にそう言いながら、スパゲティでぎとぎとになった唇に、ワイングラスを持っていくのだった。  怖がらないで  何を隠そう、私は人見知りである。人前で満足に喋《しやべ》れない。講演会などでは直前に胃痛や胃ケイレンに襲われて脂汗を流す。インタビュー、対談の類も苦手なのだ。要するに知らない人たちと会うのが苦痛なのだ。  にもかかわらず、最近対談とかインタビューであちこちに顔を出す。人は私のことを出たがり屋だと思うかもしれないが、ほんとうは断り下手である結果にすぎない。  夫や娘たちが私に何か物を頼んでも、めったに素直に言うことをきかないのだが、それが見知らぬ他人だと、はい、いいですよ、とあっけなく引き受ける。それはただ単に、知らない人が怖いからだけなのである。  対談のある日は、朝から何となく胸がざらついている。どんな人がインタビューに現れて、どんなふうに核心に触れてくるかと思うと、胃のあたりに吐き気がしてくる。  急病にならないかなぁ。盲腸が痛みだしたりしてくれるといいのだけど、その盲腸は十七年前に取ってしまって、とっくにない。急病にもならず、自動車事故にもあわず、指定の場所のドアを押す時の心の重さ。すでに先方は来て待ちかまえている。とたんに汗が吹きだし、顔に血がのぼる。  私が先に着いていればまだいいのだ。心の準備ができるから、そんなにあがらない。だから、たいてい三十分は早く着くようにしているのだが。    ある時、例によって早目に会場に到着した。十分ぐらいでは相手に先を越されるから、三十分はみるのだ。  ところが相手がすでにいた。  「どうしたのですか?」と思わず訊《き》いてしまった。若いフリーのライターであった。彼は頭を掻《か》いて、すみません、と何度も言った。  ふと見ると額や鼻の頭に汗を浮かべている。暖房が強すぎるせいかと思ったが、かなり厚着をしている私でも、別に暑くは感じない。熱でもあるのかしらと気の毒に思いつつ、インタビューを開始した。  私はナーヴァスになると、やたらに煙草を喫うくせがある。あがっているから一本火をつけてそれを忘れ、また新しいのに火をつけることはしばしば。フィルターの方に火をつけてしまうことも、これまたしばしば。  で、私は煙草を取りだして口にくわえた。とたんに相手がライターでも探すふうに、ポケットをバタバタやりだした。火をつけてくれるつもりらしい。せっかくの 志 《こころざし》なので、私は煙草を口にしたまま待った。  ライターがなかなかみつからないらしいのだった。胸のポケットから内ポケット、ズボンのポケットまで手をつっこんで、しきりと首をかしげる。額に新たな玉の汗。あっと思った。もしかしてこの汗、熱のせいじゃないのかも。とたんにそれまで私の中で巣くっていた対人恐怖の感情が、嘘《うそ》みたいに消えてなくなった。  この人、私のことを怖がってるんだわ、と気づくと肩の力が抜け、喉《のど》のあたりのシコリがとれ、ケロリと平常に戻ったのだった。  「いいのよ、ライターあるから」私は気の毒になってその若い人に言った。  「あ、ありました」と彼は軋《きし》んだ悲鳴のような声で言った。ライターは最初からバタバタやった上着の右ポケットから出て来た。  彼はカチカチと火をつけた。なかなかつかない。カチカチ。やっと火がつき、それを私の方にそっと差しだした。と、その手が震えているのだった。  あまり震えるので、私は煙草の先を動かさなければならず、なかなかライターの炎と煙草の先端が接触しない。彼は今や顔を火のように赤くし、汗まみれなのだった。手の震えはさらに大きくなった。もう少しで私の前髪に火がつきそうになったり、私の睫《まつ》毛《げ》が焼けそうになったりした。  私はかわいそうに思いつつ、ついに笑いだした。「そのライター貸してちょうだい。自分でつけるから」  すみません、すみませんとその若い人は言いながら、ライターを私の手にあずけた。その拍子に私たちの手が接触した。  あっ、と言ったかどうか。彼は、なにか熱いものにでも触れたみたいに、反射的に手を引っこめた。よほど並はずれて対人恐怖症の人なのだろうと心から同情した。同病相哀れむである。  「お水を飲んだら?」と私は提案した。彼は言われるままに水を飲んだ。喉《のど》が大きくゴクリ、ゴクリと鳴った。  「わたし、あなたのこと、とって食おうってわけじゃないんだから」  「すみません」  「怪物みたいに見えるかなぁ」私は少し不安になった。「そんなにわたし、怖い?」  「いいえ。すみません。なにしろ、その、先生の作品は全部読ませていただいて、そのファンなもので、先生の……それで……」と、しどろもどろなのだった。  結局、彼は最初から最後まで、しどろもどろのインタビューをし、終ると慌てて立ち上がり、その拍子にグラスを倒して私のスカートを水びたしにし、すみませんを連発しながら、ライターを忘れて帰っていった。  私はなんだか、おかしいような、悲しいような、甘《あま》酸《ず》っぱいような、淋《さび》しいような複雑な気持で、すっかり考えこんでしまった。  そう言えば、時々そんな人たちがいたっけ。ひどくそそっかしくて、お水をこぼしたり、煙草の灰をズボンに落したり、テープレコーダーにテープを入れ忘れたり、せっかく頼んだコーヒーに一度も手をつけなかったり。もしかしたら、あの人たちも私のことを内心恐れていたのだろうか? あの時は気にもかけなかったが。つまり私自身の方が相手を恐れるあまりに、わからなかったのだが。  女の人にもいた。奇妙にも支離滅裂な質問を続け、汗をかき、何度も何度も溜《ため》息《いき》をつく。あの人も、もしかしたら、私が怖くてあがっていたのだろうか。私の方がよっぽど内心怯《おび》えていたのに。  私の何が怖いのだろう? 私の顔だろうか? 小説を書いているからだろうか? 中年のせいだろうか? もしかしたらロレックスの時計やダイヤの指輪のせいかしら? 着ているものとか、喋《しやべ》り方とか、声の具合とか、眼つきとか? 毛皮のコートも悪いのかもしれないし。  だけどほんとうは、毛皮もロレックスもダイヤも、そしてたぶん私の口を突いてでるファナティックな言葉も、煙草も、お酒も、そういうものはみんな私のヨロイカブトなのだ。そういうもので武装しないと、私という女は、とても外へなど出ていけないし、見知らぬ人と対談などできないのだ。  そういえば、彼や彼女は、毛皮もロレックスもダイヤも身につけていなかった。その分、私の方が武装が厚かったのだ。その分、彼らは怖かったのだ。私がキンキラキンに武装している間は、私のことなどほんとうは恐れるにあたらないのだ。    〓  自立の代償  男の人が仕事がうまくいったり、会社で出世したり、才能が花ひらいて何かの賞をとったりすると、彼の恋人なり妻なりは、それこそ自分のことのように喜ぶ。  女は自分がかかわっている男が成功したり、世間に認められたり、そのために彼が幸せに感じたりすることが、彼女にとってもまた喜びであり、幸せなのだ。  ところが、男の人はどうやら違うようなのだ。  男の人は、自分の恋人なり妻なりが仕事のうえで出世したり、急に小説などを書いて賞などもらったりすると、絶対に心穏やかではいられないらしい。共稼ぎでも妻のお給料の方が少しでも少ない間はまったく問題はないのに、ある日突然、妻の働きが認められ、たとえば働いていたブティックの主任に抜《ばつ》擢《てき》され、その日を境に妻の月収の方が彼より多くなったりすると、がぜん、男は理不尽になってしまうのだ。  まず妻の出世が素直に喜べない。月収に差をつけられたことも屈辱なのだ。  「何かのまちがいじゃないのか?」などと言ううちはまだいい。「キミみたいな女が主任じゃ、会社の将来が心配だね」と嫌《いや》味《み》を言うようになる。  「ねえ、ちょっと悪いけど、今日夕食の仕《し》度《たく》ができそうもないから、あなた、かわりに何か買って来て」と頼んだりすると、昔は気軽に「ああ、いいよ」と言ってくれた夫が、今度は憮《ぶ》然《ぜん》としてしまうのだ。  「何かして」とか、「あれをとってちょうだい」とか、「これをこうしておいて」とか、妻が親しげに言っても、以前と以後ではどうやらニュアンスが違うらしい。妻の方がたとえ千円でも収入が多くなると、「何かして」という言葉は「何かしろ」、「あれをとってちょうだい」は「あれをとれ」と、命令のように男の耳に響くらしいのだ。女の方にはちっともそんなつもりはないのに、男が勝手にそう聞いてしまうのだ。  何を言っても、何を頼んでも、もう気軽にやってもらえないばかりか、憮然とされたり、嫌味をたらたら言われたり、時にははっきりと、「断わるね。それは本来、妻のすべきことじゃないか」ときめつけられたりするようになる。  そうなると女は、そこで起こる衝突や口争いや、いらいらを避けるために、もう夫にいろいろと頼まなくなる。少しくらいのことなら、自分でやってしまった方が、はるかに早いし、ストレスも生じない。  仕事が忙しくなったのに輪をかけて、家庭の方のいっさいがっさいを全部ひとりでひきうけてしまう。それもこれも、亭主のひがみ根性をそれ以上、刺激しないためなのである。  何か手抜きがあったり、失敗したりすると「ホレ見ろ」と共働きの夫たちは言う。さも勝ち誇ったように、妻の失敗がまるでうれしいことかのようにホレ見ろ、とせせら笑う。  妻の方は何もかもいっさいがっさいで、時には溜《ため》息《いき》も出る。疲れてつくづくいやになる。愚痴も言いたくなる。すると夫は、鬼の首でもとったように言うのだ。  「そんなに辛《つら》いんなら、そんな仕事やめちまえ」  やめてしまったら、翌月からアパート代を誰《だれ》が払うのよ、と妻は言いたいが、それを言えばいっそう険悪になるのは体験上わかっているので、ぐっとこらえて言わない。  妻ががんばればがんばるほど、なぜか夫はなおさら理不尽になる。  女は衝突を避けようとする一心で、ひたすら耐えているのに、なぜか夫はごくささいなことから、難くせをつけたりする。  夕食後、ガラガラと掃除機を回していると、「うるさいッ」と一《いつ》喝《かつ》される。「俺《おれ》は疲れているんだ。こんな時間にそんなものガタガタやるなッ」  そこで妻が、「あたしだって疲れてるのよ。それに今しなければ、いったいいつできるのよ?」などと言い返すと大変なことになる。  「だったらそんな仕事はやめろッ。やめて普通の女がするように、亭主が出かけた後、掃除でも洗濯でもすればいいんだ」とこうなる。  だからといって、掃除を二、三日やらないとする。すると、夫は、障子の桟などを指の先でなぞって、こう言うのだ。  「ほら見ろよ。この埃《ほこり》。俺《おれ》を埃で窒《ちつ》息《そく》させる気か?」  冗談じゃないよ、図に乗りなさんなよ——とがまんの限界。ここで爆発してしまえば、かえって事はうまく運ぶのかもしれない。ところができた女は、「待てよ」と思うのである。  夫は、男として、ずいぶん辛い思いをしているのに違いない、とつい相手の立場を考えてしまう。収入も地位も自分より上回っている妻をもてば、男たるもの、その胸の内には忸《じく》怩《じ》たるものがあるだろうと同情もする。そして怒り心頭に発するかわりに、ダスキンなど片手に、チョイチョイと障子の桟をなでくってしまうのだ。  それで収まれば問題はない。ところが、そうは問屋がおろさない。誰々の妻は夫の下着にもきちんとアイロンをかけるんだぞ、それに比べると俺はなんて、とくる。おまえのような女と一緒になったおかげで、夫として何もやってもらえないと言わんばかりだ。  夫として何もやってもらえないどころか、そこいらの専業主婦が普通に夫のめんどうをみる十倍も、こっちはみているつもりなのだ。しかも、そのおまえのような女と一緒になったおかげで、普通よりはいいマンションに住み、車を一台買い、年に一回ホンコンあたりへ旅行ができるのだ、ということにはいっさい触れない。  しかし、心の中で夫がそれを忘れているわけではないのが、妻にはわかる。それを、時に負い目に感じているのもわかる。コンプレックスを抱くのもやむをえないと思う。そう思うから、夫の下着に黙ってアイロンをかけてみる。  何日かすると夫は不機嫌な顔をして言うのだ。  「下着にまでアイロンなどかけるなよ。女房の手《て》垢《あか》がベタベタについてるみたいで気分が悪いじゃないか」  「あら、こないだ下着にアイロンして欲しいって言ったじゃない」と言ったりしてはいけないのだ、この場合。  「あれは、たとえばの話だ。それくらいこまかい心づかいを見せて欲しいってことであって、俺の下着にアイロンをかけろってことではないのだ」と敵は言うにきまっている。  やがて子供が一人二人と生まれる。それでも女が仕事を続けるとなると、これはもう戦争だ。  ちょっとでも帰りが遅くなるとする。「子供たちを飢え死にさせる気か?」とくる。  残業で帰りが遅くなるのがわかっている日は、ベビーシッターに、冷凍しておいたシチューを温めてもらって食べさせる。が、疲れて帰った妻の顔を見るなり、彼はこう言う。  「子供たちを放ったらかしておいて、どこをうろついていた」  それでもまだ彼女は耐えようとする。彼女ががんばればがんばるほど、敵も怪物的に意地悪になる。  ある時、日曜出勤で出かけようとしていると、夫が子供たちにこう言うのを聞いた。  「キミたちのママはね、どうやらキミたちのことなんかどうでもいいみたいだよ。日曜だってのに、キミたちのこと放っぽりだして。仕事とかなんとか言ってるけどさ、ほんとうは怪しいもんだね。ボーイフレンドと遊びに出かけるのかもしれないよ」  信じられないような話だが、そうなのだ。男というものは、そこまで卑劣になることができるのだ。もう何を言っても、どうしても妻を傷つけることができないと知ると、男は、自分たちの子供を利用して、子供の心を傷つけることで妻をグサリと突き刺そうとするのだ。  これは効果がある。事実、グサリと突き刺さる。自分がキャリアを捨てきれず、仕事と家庭とを両立させようとしてきたために、夫に対して負い目を感じるから、耐えがたいことも耐え、許しがたいことも許してきた。男として彼の心が苦しかろうと、彼の理不尽にも耐えてきた。  妻が完《かん》璧《ぺき》であればあるほど、逆に、夫は破《は》綻《たん》していき、軋《きし》んだ金属音のような声をあげるようになると、それも自分のせいなのだと反省して、夫をなだめようとした。  何をどうやっても、夫をなだめることはできなかった。男というものは、自分より才能のある女が許せないのだ。これは事実なのだ。  家庭が戦場になる。彼はただ妻を自分の配下として屈服させたいがために、ひたすら敵になる。そしてついに、何をどうやっても妻を屈服させることができないと知ると、男は子供を利用する。  ついに、彼女は、そこで激情を爆発させる。これまで耐えて耐えて耐えぬいてきたものが、一気に崩れ落ちる。子供たちの心に毒を吹きこみ、彼らの幼い心を傷つけた男が許せないし、もう尊敬の最後のかけらも吹き飛んでしまった。離婚を決意する。  決意すると早い。翌日、離婚届けに印を押して夫に渡した。  「離婚などしない」と、しかし夫は言う。「おまえが仕事をやめればすべてうまくいくのだ」と彼は言う。  「わたしが仕事をやめたら、この家のローンはどうするんです?」と妻が問う。  「俺《おれ》が払う。おまえも俺が養ってやる」  「あなたのような人に、養ってもらいたくありません」と彼女はきっぱりと言った。収入もなくなり、仕事もなくなってしまったあとで、尊敬もできないような男だけに頼って生きていくことが恐しかった。  結局、彼女は子供たちを連れてその家を出た。離婚に応じる夫の側の条件は、家のローンを彼女が払い続けるということだった。それでも彼と別れたかった。そうして、結婚して十六年目に彼女は夫と別れた。  「わたしの結婚って何だったんだろう?」とある時、彼女は私に言った。「男をなだめてなだめて、なだめて、結局なだめきれなかった」  「あなたはがんばりすぎたのよ。完全主義すぎたのよ」と私は言った。「あんなにがんばることなかったのよ。初めに、あれはできない、これもできないって、ダメ女房になっちゃえばよかったの」  「そしたら、『そんなら仕事をやめちまえ』って言われたわ」  「言うだけよ。言わせたらよかったのよ。何度でも言いたいだけ男に言わせておいた方がいいのよ。現実に仕事をあなたがやめたら困るってこと、それで彼が認識するんだから」  彼女は夫に逃げ道を与えなかったのだ。完璧にやることで、逆に夫を追いつめてしまったのだ。  「やっかいなのね、男って」と彼女はつくづくと言った。「もうこりごりよ、わたし」  彼女は強い女なのだった。夫と苦しみを分け合わなかった。弱音を吐くこともなかった。男は、そういう女と一緒にいて、自分の能力に自信をもてなかった。彼女の支えにさえ、なれなかったからだ。  彼女は夫の支えを必要としなかった。彼女は男なんていなくても、初めからやっていけたのだ。  だけど、彼女のようながんばり屋は他にもたくさんいそうだ。たとえば、この私もまた、がんばることで夫の支えの手をしめだしてしまっている女の一人かもしれない。  男とうまく共存していくのには、男の自尊心を常に上手に満たしてやることだ。たとえ月収が夫より多くても、「あなたがいなかったら、わたしは生きていけないのよ」と、ときどき口にだして彼に言ってあげる。そういう態度をとる。それが大事だ。  男というのは、実にやっかいで扱いにくい存在だ。男は家の中では絶対に王様でいたいのだ。と同時に、赤ちゃんでもいたいのだ。  時に王様のようにつかえ、時に赤ちゃんのように揺すってあげることができれば、結婚はきっと、とても上手くいくだろうと思う。  敵に回してしまうのが一番下手なやり方だ。夫を敵に回してしまったら、当然、家庭が戦場になるからだ。  女が外に出て働くということは、ほんとうにむずかしい。  男の嫉《しつ》妬《と》  ずいぶん長いこと、女の方が嫉妬深い人種だと信じていたのだが、最近、そうではないことがわかった。  男こそ嫉妬深いのである。男の嫉妬のいやらしさ、女々しさ、卑劣さ、救いようのなさに比べれば、女の嫉妬はせいぜい焼きもち、それもこんがりとした焼きもち程度のものだということが、つくづくとわかったのである。  嫉妬が苦しいのは、真意のほどがわからなくて、あることないこと、あれこれ妄想するところにある。  元々、女より男の方が想像力があるので、妄想しだすと止《とど》まるところを知らないといったらいいのか。いい例がシェイクスピアのオセロ。  オセロの嫉妬のすさまじさは、私たちの心を強く打つほど痛ましいが、一方ではどうしようもなく滑《こつ》稽《けい》でもある。  男の嫉妬は、多かれ少なかれ滑稽感が伴う。しかし滑稽だからと言って、嘲《あざ》笑《わら》ってはいけない。嫉妬に猛り狂っている男を嘲《ちよう》笑《しよう》しようものなら、首を締め殺されないともかぎらない。  オセロはともかく、日常生活のなかで男の嫉妬はどんなふうに展開されるかというと——  少し帰りが遅くなった私は、夫を起こさないように、寝室の電気もつけず、真《まつ》暗《くら》闇《やみ》の中を忍び足で進むわけだ。ぬき足、さし足、忍び——と右の足をひそやかに宙に上げたところで、突然、電気がパッとつく。すると、いやでも私の忍び足のポーズが室内に浮かび上る。右足が宙に浮いた奇妙なスタイル——つまり泥棒スタイルである。  何にも悪いことをしていないのに、この宙に浮いた右足のために、私は意味もなくシドロモドロにならざるをえない。  「あら、起きてたの? ゴメン、ゴメン。タダイマ、エヘヘヘヘ」と、泥棒スタイルを正しながら、バカみたいなことを口走るわけだ。  「何でそんなコソコソと帰ってくるんだい?」とベッドの中から夫がいやな声音で、おもむろに訊《き》く。  「あら、コソコソしていたわけじゃないわよ。あなたを起こしたら悪いと思ったからそっと歩いたのよ」  「何も悪いことしていないのなら、泥棒ネコみたいに入ってくることないじゃないか。今、何時だと思っている〓」  「十二時半」と私は少しサバを読む。  「一時だ」と夫はすかさず訂正する。「午前一時だ」  「十分前よ」と私は無意味な抵抗を試みる。  「どっちにしろ、一家の主婦が午前一時、二時まで、いったい何をしていたんだ」  「二時なんてなっていません」と私はあくまでも時間にこだわる。「それに悪いことなんてしてないわ。ヨシコとノリコとチャコとジャッキーとご飯食べて、お喋《しやべ》りして、一人ずつタクシーで落してきたから、遅くなったのよ」  「僕は信じないね。朝方の二時三時まで女同士でペチャクチャやってたなんて、絶対信じないからな」と、帰り時間がどんどんエスカレートしていくのだ。  「じゃ、いったい何をして来たと思っているの? 男とでも逢《あ》って来たと、あなた思ってるの?」  と、その時、不意にベッドサイドのベルが鳴る。夫がとる。  「もしもし」じっと耳をこらす夫。そして受話器を置く。「切れた……」  短い沈黙が流れる。  「今のは妙な電話だぞ」と夫はひとり言のように呟《つぶや》く。  「まちがい電話よ」  「いや、違う」  「いたずら電話よ。よくあるじゃない」  「そうじゃないよ。僕が出たら、相手が急に黙って、あわてて切った」  「何が言いたいの、あなた?」私はもう眠くてぶったおれそうだ。  「キミにかかってきたんだよ。そうにきまっている」  「こんな時間に、電話がかかるわけがないじゃない」と私は相手にしない。ところがこちらがまるでとりあわないと、男というものはますます疑惑を強めてしまうらしい。  「いや、絶対にそうだ」  「じゃ、いったい誰だと思うの?」  「キミのボーイフレンドが、無事に着いたかどうか確かめようと思ってかけたんだよ。僕が出たんで切ったんだ。まちがいないぞ」  「ちょっと待って。ボーイフレンドって?」  「それを僕に訊《き》くのか〓」  「あなたが言い出したのよ」  「一家の主婦がだぜ、朝帰りしたら、それがどういう意味か、一《いち》目《もく》瞭《りよう》然《ぜん》じゃないか」  「誰が朝帰りしたんですって?」  「真夜中の十二時を過ぎれば同じことだよ」  「ぜんぜん違うわよ」  「じゃ、なぜ、コソコソと泥棒ネコみたいに帰ってきたりするんだい」と、ここでふりだしに戻っていく。「まるでネコ様のお帰りといったところだったぞ。サカリのついた猫が一晩中ギャーギャーやって、朝方帰ってくるのに、そっくりだったぞ」  「あなたっていやな男ね」  「キミこそいやな女だ」  「妻をぜんぜん信用していないのね」  「相手は誰《だれ》だい?」そら、おいでなすった。  「そんなものいないから、答えようがないわ」  「そうやって隠すから、ますますおかしいんだ」  「じゃ誰だと思うのよ?」  「こないだ来ていた編集者は妙だったぞ」  「どの編集者よ?」家に来る編集者は二十人くらいいるのだ。  「ネズミ色の背広着て、紙袋を抱えていた」  そういう格好をした編集者も、少なくとも十人くらいいるのだ。  「ベッドルームから出て来たじゃないか」  「そんなのあたりまえでしょ。私の仕事部屋は、ベッドルームを通り抜けた先にあるんだから」  「それにしても眼つきが妙だった」  「妙って?」  「話す時キミをじっと見た」  「そっぽむいて話しする方がずっと妙よ、バカね」  「じゃ、あいつだ。ときどき電話をかけてくる奴だ」  時に電話をかけてくる男や女は、ゴマンといる。「ほら、声の低い、テレビでときどき顔を見る男」  「仕事の電話にきまっているでしょ」  「しかしあの声は妙だぞ。ぴんときた」  「どうぴんときたの」  「応対がしどろもどろだったからな。後《うしろ》暗《ぐら》いことがなければ、何もあんなふうにどもったりするわけはないんだ」  と私と、そのテレビにときどき出る人物の仲を、今度は疑い始めるのだった。  「そりゃ誰だって、あんな電話の応対されたら、しどろもどろになるわよ」と私もカッときて言い返した。  その電話というのはこうだ。ときどき、電話を夫がとることがある。  「森さんのお宅ですか」と、相手が言う。まあ、当然だ。  「イエ、違イマス、ブラッキンデス」と夫が答える。そういう時は虫の居所が悪い時だ。  「森子さんをお願い致します」と相手は恐縮して言い直す。  「モリ? ヨーコ?」とわざと聞き直す。  「あの……作家の……」  「モリ・ヨーコ? アア、ミセス・ブラッキンノコトデスカ?」相手はますます恐縮する。  「ボクノ奥サント、話シタイデスカ?」  そんな言い方をされれば、誰だってしどろもどろになるにきまっている。私の夫はときどきこういう嫌味な電話の応対をするので、編集者の方には、ほんとうに申しわけないと思う。それというのもすべて嫉《しつ》妬《と》のなせるわざである。  ある時、私は電話で話をして切った。  「今のは誰《だれ》?」と夫が訊《き》く。  「田中さんよ」  「田中って?」  「集英社の編集部の田中さん」  「知らないな」  「知るわけないでしょ。どうせわからないんだから。どうしていちいち誰なんて訊くの?」  「いつもとキミの声が違うからだよ。少し甲《かん》高《だか》くて、やさしい声だった」  「あら、そう?」  「僕と話す時とはぜんぜん違う声だぞ」  「気がつかなかったわ」  「なんだかひどくうれしそうに話してたな」  「そりゃうれしいわよ。増刷一万部だもの」  「そういううれしさとは違う質の声だった」  もう勝手にしてくれ、と叫びたい。男の嫉《しつ》妬《と》とはかくも女《め》々《め》しく滑《こつ》稽《けい》なのである。  私の夫の名誉のために、多少いいわけをするが、彼は四六時中そんなふうなのではない。ごく普通の男である。そのごく普通の男が時に妻に対して疑惑を抱く程度に、彼も私に対して疑惑を抱くと、先のような会話になるというわけである。私の夫だけが例外的に嫉妬深いわけでもないのだ。友だちの話を集計すると、だいたい以上のようなごとくで男の嫉妬のパターンはよく似ている。あるいは、彼女たちの夫がぜんぜん嫉妬しないかだ。  何時に帰ろうと、朝帰りしようと、まったく嫉妬しない夫というのは、おそらく、もう妻を愛してはいないのだろう。  それはまた悲しいことであるが、根ほり葉ほりあることないこと訊かれるのも、これまた辛くしんどいことである。  嫉妬はほどよく、こんがりと焼いて欲しいものだ。 夫と妻の会話  そこは、気の遠くなるくらい、遠い遠い雪の町であった。  まず成田からエア・フランス機でアラスカ経由パリへ。パリには早朝つくから、夜行寝台車が出るまでの半日を、おのぼりさんよろしくシャンゼリゼ大通りなどを重いスーツケースを下げてウロウロ、ヨロヨロ。カフェからカフェへと蟹《かに》の横ばいふうに時間をつぶし、胃の中がエスプレッソでダブダブになる頃《ころ》、東駅へ行くべきタクシーの中。  夜行列車に乗ってみると、なんとカイコ棚式の六人用の寝台車。どの部屋も先客がいて、下の二段を占領している。私と娘は最上段の三段目にゴソゴソとよじのぼって、惨めな惨めな夜の旅。  それでも旅の疲れでいつのまにか眠ってしまい、車掌の声で起こされると終着駅。早朝の五時である。白い息を吐き吐き列車を降りて、今度はバスに揺られること一時間。そして着いたのが雪の町ヴァルディゼルであった。キリーの出生地として有名なスキーのリゾート地である。東京のわが家を出て、まるまる四十八時間の強行軍の末にたどり着いた雪国であった。  フランスとイタリアの国境に近い山間の町。日本ならさしずめ湯の煙などがたなびくと形容したいところだが、温泉は残念ながら出ない。そこで私は先にロンドン経由で着いた夫たちと合流。親子五人で迎えたのがヴァルディゼルの大みそか。  ニューイヤーズ・イブを祝う人々が、真夜中近く町の四《よつ》辻《つじ》に続々と集ってきていた。爆竹がいたるところでポンポン鳴り、花火が上がり、人々の歓声が上がり、人の波がどよめく。雪が深《しん》々《しん》と降っており、いてつくような寒さだ。スコットランド人がバグパイプを吹き鳴らす後を、若者たちが列をなして続く。教会の鐘が休みなく鳴り続ける。  私と夫はいつのまにか娘たちともはぐれ、人波に押されるまま町の中をねり歩いていた。疲れたので小さなカフェに入って熱いカフェ・オレを頼んだ。  カフェの斜め前にとても古い石造りの教会があった。教会の入口からオレンジ色の灯が雪の道にもれ落ちていた。そこだけは妙にひっそりとした光景なのだった。  カフェの中は温かく、私は毛皮のコートを椅《い》子《す》の背に脱ぎかけて窓に額を寄せた。キャンドルの灯がゆらめき、店内は静かだった。人々は真夜中の十二時が訪れるのを待っていた。私たちもそうだった。  「あの娘《こ》たちどうしたかしら」と私は呟《つぶや》いた。  「心配ないさ。浮かれ歩いているよ」と夫は同じような呟き声で答えた。  私は視線を教会の前に落ちているオレンジ色の灯にあてた。夫も同じように外を眺めていた。雪はまだ降っていた。  私たちの前のカフェ・オレはとっくに空になっていた。あと数分で新年だった。  「何を考えているの?」と、夫がテーブルの反対側からふと訊《き》いた。私はわれにかえって肩をすくめた。なんだか後ろめたい気持がして、私は言った。  「いろいろなことよ」  「この一年のこと?」  「ええ。でも主として、今、この美しいニューイヤーズ・イブの雪景色を、私と共有することができない人たちについて」  「たとえば?」夫はキャンドルのむこうからじっと私をみつめた。  「たとえば、そうね」と私は言葉を選んだ。  「私の妹とか両親とか、あなたのお父さんとか、友だちとか」  「どんな友だち?」静かだが、夫は追及するような声で質問を重ねた。  「日《ひ》頃《ごろ》、私が大事に思っている友だちみんなよ」  「男も?」  「ええ、男も女も」  それから夫は黙った。  「どうしたの?」と今度は私が訊いた。  「あなたは友だちや肉親のこと考えないの?」  「まあね。少しは」と夫は眼を上げた。  「でもキミが今夜、彼らを必要とするほどには僕は誰《だれ》も必要じゃないよ」  「必要とするだなんて」と私は小声で抗議した。「ただ、世の中にこんなに美しい雪の光景があるということを見せてあげたいだけよ」  私は頭の中に、その異国の大みそかの、その時間帯を共有したい人たちを思い浮かべながら言った。  「家族だけで、十分じゃないのかい?」わずかに皮肉を含んだ夫の言い方だった。「僕は、家族が寄り集っているだけで、十分に満足だし、幸福なんだけどね」  私はうろたえた。  「わかっているさ」と夫は言った。「キミには十分じゃないんだ。キミが今、この町を美しいと思い、この瞬間を幸福だと心から感じるためには、僕や娘たちだけでは十分じゃないんだ」  別に私を責めているという口調ではなかった。哀しそうでもあり諦《あきら》めの混った様子で、夫は私から降りしきる外の雪へと視線を移した。  「でも、誰か特定の人のイメージがあるわけじゃないのよ」私は夫の横顔に言った。  「わかる?」  「特定であろうとなかろうと」と夫は穏やかに言った。「キミはもうずいぶん前から、家族以外の人間の存在が、うれしいにつけ悲しいにつけ、必要なんだよ」  「でも私は、あなたを裏切ってはいないのよ」いつ頃《ごろ》から私たちはこんなふうに静かな調子で話ができるようになったのだろうか。  「結局、同じなんじゃないのかな」と夫は言うのだった。「つまり、たとえば現に今、キミの心の中に家族以外の人間がいて、その人の不在感をキミが強く感じているとしたら、それは僕にとっては、やっぱり裏切りであることには変わらないんだ」夫はいったん口をつぐんでからつけ足して言った。「特定の人間にかぎらず、たとえばキミが今書いている小説のことで上の空になる時だって、僕たち家族はやっぱり少し取り残されたような気持がするんだよ」  その時、真夜中をつげる鐘の音が、新たに加わった。群集のどよめきが津《つ》波《なみ》のように、私たちの坐っているカフェにも押し寄せた。カフェの中の人々が立ち上がり、あちこちで抱きあって新年のあいさつを交しあっていた。私たちだけが窓際でむかいあったまま坐っていた。  「新年だよ」と夫がうながした。  「そうね」私はうなずいた。  やや間を置いて夫の手がテーブルの上に置かれた私の手の甲にそっと重ねられた。私たちは「ハッピーニューイヤー」と優しく言いあって立ち上がり、はぐれてしまった娘たちを探しにカフェを出た。わずかの間に雪はさらに三センチほど降り積っていた。  ママの恋  私の三人の娘たちが年《とし》頃《ごろ》になったためか、がぜん周囲に少年たちの姿が群がりだした。今年の夏の二か月、軽井沢の家には、そういう年頃の少年たちが押しかけ、わが家の食卓にはいつも家族以外の誰かがお客として坐っていた。  「あの子どこの子?」と、私は台所でフライパンをかきまわしながら、お皿を運んでいる娘に訊《き》く。  「横山さんちの子」  「横山さん?」  「軽井沢会のよ」  「ふーん」  結局どこの子だかわからないまま、食卓につく。総勢七人だったり九人だったり、一番多い時には十四人が学校の給食の時のようにずらりと並んだ。  うちの子供は三人なので、普段は四人家族だ。週末、夫が東京から軽井沢へ来て五人になる。  別の時。  「ねえ、あの子どこの子?」とまたしても私が訊《き》いた。  「どの子よ」と娘。  「片方だけイヤリングしてる子よ。男の子のくせに」  「あれ、ノッコ」  「いくつ?」  「十二」  「ふーん」と考えこむ私。  食卓でノッコなる十二歳の少年は、ぴょこりとおじぎをして、「いただきます」と声変わりのしていない女の子のような声で、礼儀正しく言った。それ以来、ノッコは私のお気に入りなのである。  「ほら、マニキュアしていた子いたでしょ? ピンクの」と、またしても私が訊いた。  「あれはね、ミッチ」  「でも男の子でしょ?」  娘たちはジロリと、私を見た。  「何かおかしい?」  「と思うけど……ね」と私は自信なげに答えた。そうなのだ。ひどくおかしいのだ。奇妙な少年たちだと思った。  みんなほっそりしていて、顔立ちも繊細で、礼儀正しく、一様に黄色い声で喋《しやべ》り、仕《し》種《ぐさ》もデリケートだ。イヤリングもマニキュアも、最初はびっくりしたが見なれると違和感はなくなった。やさしくて気がきいて、女の子みたいだ。というより妖《よう》精《せい》みたいだ。食も細いし。不思議な子供たち。  それに比べるとわが家の娘たちときたら、よれよれのジーンズにTシャツ。テニスをする時は絶対にスコートなどはかずに、ショートパンツ。もちろんイヤリングもマニキュアもない。ピラニアみたいによく食べるし、こちらはまるで男の子だ。食事が終ると彼女たちはお客の少年たちをこきつかう。  「ノッコは食器を台所に運ぶ! ミッチは洗う! ヨシタカが拭《ふ》く!」  少年たちは言われたとおりに後片づけをしてくれる。その間、娘たちはふんぞり返ってテレビを観ている。  「冗談じゃありませんよ」と私が言った。  すると娘が言うのだ。  「いいのよ、どうせ自分の家じゃ何にもやらない子たちなんだから」  「おや、そう。じゃ、あなたたちはよそでご馳《ち》走《そう》になったら、ちゃんとやるの?」  「あったりまえでしょ」  ある時、そういう妖《よう》精《せい》群団に一人の少し年上の少年が加わった。十六歳だった。一見、他の妖精たちと似ていたが、声だけが大人の男の声だった。  ひっそりとしていて、デリケートで、話しかけると頬《ほお》をピンク色に染め、眼を伏せるのだった。すんなりと背が高く——訊《き》くと、百八十センチ近くあるのだった——肉を感じさせるものは何もなく、骨と皮膚と神経だけでできている感じだった。  「テニスをするの?」と食後に私が訊いた。チビ共はテレビのマンガを観ていた。  「下手ですけど」少年は、大人の男の声で静かに答えた。  妖精のような肉体に——ちょっとひょろ長いけど——大人の男の声を持つ少年には、どこかアンバランスな、不思議な魅力があった。それ以来、私は彼をひそかに愛している。  それはどのような愛なのか。  一人の男のようには、愛していない。もし抱きしめたら、少年は、骨が砕けてしまいそうだった。息子に対する母親の思いに似ているのかもしれないが、一度も息子をもったことがないから、そういう母親の思いがどんなものか正確にはわからない。  彼を見かけると——そして実にたびたび、その後彼を見かけるようになったのだ。テニスコートで、夕方の軽井沢の通りで、わが家の食卓や居間で——その都度、私の胸はしめつけられるように痛んだ。  それは、私が、絶対に触れることのできないものを欲しいからである。ちょうどガラスケースの中に厳重に収められた美しくも高価な宝石を見るのに似ている。  ああ美しい、と思う。心から欲しいと思う。けれどもとうてい手が出ない。ひっそりと溜《ため》息《いき》をついてあきらめる。そんな思いだ。  あと数年すると、彼は毎朝、髭《ひげ》を剃《そ》りだすだろう。それから肩や腰に肉がついて妖《よう》精《せい》の面影が消えるだろう。もう話しかけても頬《ほお》をピンクに染めることもなくなり、仮に恥じらいがちに眼を伏せるとしても、そうすることが女たちをひきつけるということを知っての上のことになるだろう。すると彼のあの声は、青年となった彼にぴったりとふさわしく響くだろう。あと数年すると。  私の胸がキリにでも刺されたように痛むのはそのせいである。    「ママって、かわいいね」と、十四歳の次女が別の時にふと言った。  「なんで?」  「だってさ、ママってさ、コウヘイ君の傍へ行くとさ、声が上ずるんだもん」次女はニヤリと笑った。  「アッタリマエでしょ」と三女が言った。  「ママはコウヘイ君に恋しているのよ」三女は十二歳である。  「ねぇ、ナオちゃん」と私は三女に言った。「あなた男の子に恋したことあるの?」  「あるにきまってるッ。だからわかるんでしょ、ママの気持!」  「そうか……」  恋か。なるほど。  「でも心配しないでいいよ、ママ」と再び次女がニヤリと笑った。「ダディには言わないからね」  「だけどヘザーには気をつけた方がいいよ」と三女が長女のことに触れた。  「どうして?」  「やっぱりコウヘイ君が好きみたい」  「へぇ、そう。つまりライバルか……」  「ま、がんばってよね、ママの方に少し分があるからね」  「え? どうして」  「だってさ、ママ、お金あるじゃん。世の中すべてお金だもんね」  私はしばし唖《あ》然《ぜん》とし、それからすっかり考えこんでしまった。  破《は》綻《たん》の風景  「あの人、卑劣なのよ」と私の友人が暗い眼をして言った。私の家のダイニングキッチンで、カウンターに肘《ひじ》をつきワインを飲みながらの会話だった。  「子供を傷つけるのよね、最近。子供たちに辛《つら》くするの」  「どうして?」私は彼女の夫を思い浮かべながら驚いて訊《き》いた。日《ひ》頃《ごろ》、子《こ》煩《ぼん》悩《のう》で有名なのだった。  「僕はワイフのことなんてかわいいと思わないけど、子供たちのためなら命を捨てるね。ワイフのためには絶対に死なないけどね」とか、「子供たちのおかげで僕は自分が成長したと思うんだ。子供がいなかったら、きっといつまでもメチャクチャやっていたと思うよ」などと、彼が言った言葉を思いだした。  「どうして子供に辛くあたるかって?」と私の友人が質問に質問で答えた。「それが一番わたしにこたえるからよ」  彼女はそう言って口を固く結び眉《み》間《けん》に皺《しわ》を刻んだ。  「子供を傷つけたり辛くあたることでしか、もうわたしを傷つけることができないから……」  ずいぶん長いことスッタモンダとやってきた夫婦であった。  夫婦の間のことなんて、その当事者同士にしかわからないものだ、端《はた》であれこれ言ってもほとんど何の助けにもならないから、それは私も自分の体験から知っていたし、似たような別の友だちの結婚生活を見てきたことからも、なんとなく感じられたことだから、その時もあまり私は発言しないで、彼女の言い分を聞くようにしていた。  「ある時から、わたしもうあの人のこと、どうでもよくなっちゃったのよね。もう何をしても何を言っても、殴られても蹴《け》られても、ぜんぜん平気。誰《だれ》と寝ようが、何日も家を空けようが、テーブルをひっくり返そうが、ほんとに何でもなくなっちゃったの」  それまでは夫が帰らないと言っては泣いて電話をして来たり、殴られた青あざをわざわざ私に見せに車を飛ばして来たり、もう耐えられない、もうがまんの限界だとさめざめと泣いては帰って行ったのであった。  それが糸がプツリプツリと切れていき、ある時、最後の一本の夫婦の絆《きずな》までもが、プッツリと切れてしまったのだろう。  すると彼女は夫のことが少しも気にならなくなり、はるかに楽になるのを感じた。  妻の心がすっかり自分から離れたのを感じると、逆に夫の関心が妻に集中した。彼は慌てて、冷えてしまった妻の心をもう一度温めようとやっきになった。  それが、何をどうやっても二度と冷えた妻の心をとりもどせないとわかると、今度は妻を憎み始めた。  彼はいっそう妻に辛くあたり、傷つけるような事を言ったり行為に移したりした。  けれども男に対して完全に無関心になってしまった女を傷つけることはできないのだった。  妻はたびたび夫を嘲《ちよう》笑《しよう》し、軽《けい》蔑《べつ》するだけだった。  「それで一番の弱味を突いて来たのよ」と彼女は苦笑した。子供たちだった。  子供たちが傷つけられると、妻はもはや無関心でいられない。子供たちを夫から守らなければならない。ついに彼女は別居を決意した。  「出ていくのは勝手だが、子供は渡さない」と夫は言った。一緒にいるかぎり、夫は子供に辛くあたるのだから、とにかくそれでは自分だけでも出ようと彼女は心にきめた。  「すると子供たちにこんなこと言うのよ。〓“ママはね、もう僕のこともキミたちのことも愛していないんだ。僕たちのことなんて、どうでもいいんだ。それで出て行くんだよ〓”って」  彼女が子供たちの前では絶対に反撃をしないのを知って、それをいいことに彼は子供たちの母を悪《あし》様《ざま》にののしるのだった。  「わたし、子供たちの前では口が裂けたってあの人のこと悪く言わなかったわ。一言だってよ。だってあの子たちの父親ですもの、尊敬を失ってほしくないのよ」  二人だけの時にはそれはすさまじい言い争いをしたが、彼女は子供たちの前では極力それをひかえた。あなたたちのパパっていやな男ね、などと死んでも言わなかった。  「出て行きたくて出るんじゃないのよ。子供を残して行きたくはないのよ」と、不意に彼女は泣いた。「でも、今のままだとますます子供たちが傷つくから」  そう言って彼女は啜《すす》り泣きながらワインを飲んだ。  その時電話が鳴った。彼女の夫からだった。  「いますか?」と彼が訊《き》いた。彼女は素早く、いないと言ってとゼスチャーで私に伝えた。  「あの……」と私が言いかけると彼が先に言った。  「もしもし、いるのはわかってるんですよ。別に代ってくれなくてもいいんです。話すことなんてないんだから」それから彼は少し語調を変えた。  「すいませんが、帰りタクシーを呼んでやってくれませんか? どうせ飲んでるんでしょう。あいつ飲むとスピード出すから、タクシーお願いします」  「わかったわ。そうします」と私は答えた。  「あのねえ」と彼の声がまた前の皮肉な調子に戻った。「僕は別に彼女がスピード違反でつかまろうと飲酒運転で免停になろうと、あるいはガードレールに激突して死んじまおうと、全然かまわないんだけどね……」  「そうですか……」  「だけどさ、ほら、あんな女でも母親は母親だから。僕の二人の子供たちのお母さんにはやっぱりあんまりみっともない死に方はしてもらいたくないからね。じゃ頼みますよ」と、彼の電話は一方的に切れた。  「何だって?」と私の友人はワイングラスから眼を上げた。  「タクシーで帰してくれですって」  「何さ、今《いま》頃《ごろ》」と彼女は吐きだすように言った。  「でもそうしたら? 子供たちの母親でもあることだしね」  「そう奴が言ったの?」と彼女は眼にきつい光を宿した。それからまた言った。「ふん。何さ、今頃」前よりも語調が弱かった。  夜も更けた。ワインは二本空になっていた。  「帰るわ」と彼女が呟《つぶや》いた。「タクシー、呼んでくれる?」  私はほっとした。彼女はどんな時にも絶対に運転して帰ることで有名な女なのだった。お酒を飲んで車を置いて帰ったことなど一度もないのが自慢だった。苦いコーヒーを三杯か四杯飲んで冷たい水で顔を洗って、いつもチャオと帰って行くのだった。  「あいつのためにタクシーで帰るんじゃないからね、わたしぃ」と酔った声で念を押した。  「わかっているわよ」と私が言った。  「子供のためよ。子供のためだけ。そうでなかったら、わたしとっくに死んでるわ」  夫婦って、ほんとうに何なのだろうと考えこむのはそんな時だ。最大の味方が、最大の敵になってしまう夫婦って——。  二人の生活 姑 《しゆうとめ》と嫁の問題で、いつも私は思うのだが、日本の男はずるい。姑の側にも嫁の側にもつかないことで、精いっぱい良心的にやっているつもりなのだろうが、それでは絶対に解決にならない。中立を守ってどちらにもいい顔を見せたいのだろうが、そういう夫はもっとも卑劣なのである。  私自身には姑の悩みがあまりなかった。夫の母はイギリス人なので、日本に住んでいないからということもある。それでも皆無だったわけではなく、年に一度の里帰りの際には、人並みに姑の問題で私も悩むには悩んだ。  が、何よりもありがたかったのは、私一人が悩んだのではなかったことだ。夫も一緒に悩んでくれた。つまり私の夫は最初から最後まで一貫して、私の側に立ち続けてくれた。  たとえばこんなふうにである。  「おまえ、どうして家に泊らないでホテルなんてとったの?」と義母が夫に言った。「おまえの家なんだから遠慮することなんてないのよ」この際、姑の眼はまっすぐに夫にむけられている。夫だけに向けられていて嫁の私は一切無視である。  「でも母さん、僕たちはホテルにするよ」と夫は答えた。「友だちと飲んだりして帰りが遅くなると母さんたちに悪いから。その方がお互いに気をつかわなくていいと思うんだ」  「そんな水くさいこと言わないでちょうだい。いったい誰《だれ》がきめたの?」その時初めて姑はチラと私を見た。  「僕たち二人できめたことさ」  また別の時。  「夕食を食べにいらっしゃい」と姑が言った。  「悪いけど、今夜は妻と二人で食べることになっているんですよ、母さん」  「じゃ二人でいらっしゃいよ」  「せっかくだけど母さん」  押し問答が続いた。とうとう姑が涙声になる。「あんた、いったい嫁と私とどっちが大事なの?」     夫はじっと母親の顔を悲しそうにみつめた。そして言った。  「どうしても知りたいの?」  姑がうなずいた。  「じゃ言うけど、妻だよ、母さん。今、僕にとって一番大事な人は妻なんだ」  いつもそうだった。「僕たちから母さんにプレゼント」だし「僕たちの考え」だったし、「僕たちの母さんへの愛」であった。  手紙も、全部彼一人で書いた場合でも、必ず彼の名前と並べて、私のサインをさせられた。  そのおかげで、私は一度も彼の国にいて、孤立したことはなかった。常に彼が私の側にいて、私を支えてくれた。  私がまちがっているのでないかぎり、彼は私の考えを支持し、私の行動を正当化してくれたのだった。たとえ私がまちがっている時でも、けっして姑の前で私を叱《しか》ったり非難することもなかった。後で二人になった時にひどく叱られることはあったが、姑たちの前では必ず私をたててくれたのだった。  もちろん、私は鬼でも魔女でもないから、できるだけ年寄りの思いを尊重しようとしてきた。よほどのことがないかぎり義母をたててきたつもりである。  しかし、夫はひとりっ子でもあり、彼女のたったひとつの希望でもあった。しかも日本とイギリスに遠く離れ、会えるのはせいぜい一年に一度か、二年に一度である。わがままも言いたくなるだろうし、甘えたいだろうし、理不尽にもなるだろう。息子を一人占めにしたい夜だってあるだろう。  私は別にかまわないと思ったのだ。一年のうち、一週間ほどの短い期間なのだから私が一方的に譲ってもよいと思ったのだ。思いきり甘えさせてやり、理不尽でもわがままでもいいではないか。  けれども夫は反対した。  「どうしてなの? かわいそうじゃないの、お義母さんが」  「甘えさせてどうする? 僕たちが帰ってしまった後はどうなる? お袋は前よりももっと孤独な気持になるんだよ。甘やかしたその分だけ、ずっと淋《さび》しさが深くなるんだよ」そう夫は答えた。  舅《しゆうと》という人は、驚くほど公平な、温かい心根の人物であった。  晩年、姑 《しゆうとめ》が病床につくようになると、彼はすべて自分の手でやった。家中のことから、それこそ老妻の下《しも》の世話までやったのである。  あるクリスマス、私たち夫婦が里帰りした時のことだった。  夫が見かねて言った。  「父さん、何で人に手伝ってもらわないの? 専門の看護婦にまかせたらいいじゃないか。それに家事だって、国でみてくれる人を派出してくれるんだよ」  それは舅の当然の権利であり、そのために彼は長いこと、かなり高額の税金を支払ってきたわけなのだった。専門の家政婦や看護婦を頼んだって、一銭も彼の負担にはならない。  「しかし、わたしはまだまだ働けるからね」と舅は言った。まだまだ働けると言うが、その両手は老人性リューマチで細くふるえているのであった。「自分でやれるあいだは、そうしたいんだよ」  「でも、どうしてさ、父さん。母さんだって専門家の慣れた手でめんどうをみてもらった方が、気持がいいと思うんだがなあ」夫は一生懸命、説得した。  「母さんは何も文句を言っとらんよ」と舅《しゆうと》は少し気分を害したみたいだった。それから話題を変えた。「イギリスという国はな、老人や病人や失業者のために、高税にあえいでいるんだ。たとえば現在、三人の人間が、一人の老人か病人か失業者を支えている勘定になるんだよ」義父はそこで溜《ため》息《いき》をついた。「一人の役立たずの人間を、三人の健康な国民が支えてくれているんだ。だからわたしは、もう少しがんばってみようと思うんだよ」  日本であったら、そういう発想をする人は、皆《かい》無《む》ではないかもしれないが、そうはいないだろう。そして自分が汗水たらして支払った当然の権利を回収するのに違いないのだ。  だけど、イギリスには、そういう権利を放棄してがんばっている老人たちがたくさんいるのではないだろうか。私の義父だけが例外であるとは思えない。リューマチや神経痛に耐えながら、できるだけ自分のことは自分でやり通して、結局、当然の権利である政府の援助も受けず、請求もせず、そのまま死んでいくのだろう。  私たちが夫の実家を訪問していた時にこんなことがあった。義父は洗濯をしていたのだった。  「お手伝いしましょうか?」と私が訊《き》いた。  「いや結構だよ」舅はていねいに断った。  「お手伝いするの、ぜんぜん苦痛じゃありませんから」と私は言った。  「わかっているよ。だがいいんだよ。いずれにしろありがとう」  しかたなく私は引き下ろうとした。その時、大きなシーツを扱いかねて老人がよろけた。私は思わずかけ寄って手を貸した。  「いいと言ったろう」と舅《しゆうと》は思いのほか強い声で私に言った。「余計なことはせんでおくれ」  さすがに私も傷ついて視線を伏せた。  やがて舅が言った。  「悪かったよ。だけどわかっておくれ。やさしくしてもらったり、身のまわりの世話をおまえたちにあれこれやかれるのは、いい気持だよ。うれしいよ。しかし、おまえたちが帰ってしまった後のことを思うと辛いんだ。やさしくされたり、甘やかされたりした後、もう誰《だれ》もいない家の中を考えるとね。頼むから放っておいておくれ。気持はわかるが、何もしないでおくれ。わたしのやり方を変えようとなどしないでもらいたい」  私は、はっとした。自分では親切のつもりが、老人たちには酷なことだったのだった。そんなふうだったので、嫁である私は、お茶ひとつ入れさせてもらえなかった。  「いいよ、お茶はわたしが入れるから、そこに坐っておいで」と老人は優しく言うのだった。しかたなく私は居間のテーブルに坐った。老人は台所と居間をノロノロと何度も往復し、ふるえる手で私たちのお茶を入れてくれた。そのふるえる無器用な手つきをじっと見ているのは、ほんとうに辛かった。涙がでるほど辛かった。  一九八三年の暮れに、姑 《しゆうとめ》が亡くなった。私たちは舅《しゆうと》を一人残して葬儀のあと帰ったわけだが、日本に来て一緒に住むかという提案は、ノー・ノー・オフコース・ノーと拒絶された。私立のホームのような所に入るかい、父さん、と夫は訊《き》いたがそれもノーだった。  「だけど一人ぽっちだよ、それでもいいのかい」と夫は悲しそうに訊いた。  「まだまだ自分のめんどうくらいみれるからな」と老人は微笑した。リューマチは脚にまで進んで彼は軽く足をひきずっていた。  別れ際に老人は言った。「次におまえたちに会うのは、わたしの葬式の時だろうねえ」  「バカなこと言わないで、父さん。父さんはまだまだ生きるさ」  すると老人は一瞬、絶望的な表情を浮かべて言った。  「何のためにだい?」    車に乗ってエンジンをかけながら、夫が少し泣いた。それから彼は私に言った。  「僕たちは、楽しくやろうよ。親父みたいに、あくせく働いて、爪《つめ》に火をともすように貯金して、たぶんその貯金は僕たちに残すつもりなんだろうが、そういうのはもういいんだ。僕たちはまだ健康で若いうちに、うんと楽しんで幸福に生きようよ」  車窓の外を灰色のイギリスの田舎町の光景が流れ去った。    〓  不倫の清算書  「絶対にバレないわよ」と、その人は自信をもって言い切ったのだ。  亭主なんて、女房がちゃんと夜は家の中にいてテレビでも見ていれば、浮気をしているなんて夢にも思わないものよ。まったく男って愚かなんだから。ラブホテルは陽《ひ》のあるうち主婦たちで満員だってこと、ぜんぜん知らないみたい。  だいたい十年も結婚していたら、女房のことなんてそこいら辺の家具以上の興味をもって眺めないんだから。口紅の色が変わっても、下着が急に派手になったり絹の高価なものになっても、香水の種類が前と違っても、何にも気がつかない。  ちょっとくらいエスカレートしても大丈夫みたいよ、と彼女はさらに言った。月に二、三度女友だちと飲みに出かけるとか言って彼とホテルへ行っても、疑わないみたいよ——。  そうこうしているうちに、ご亭主が土、日曜をゴルフで空けることがあると、ホテル代節約もあって浮気の相手を自宅に呼び入れるようになった。子供たちはおじいちゃんとおばあちゃんの家へあずけて、あとは一晩中二人の空間、二人の時間。  「ねえ、それだけはやめなさいよ」と私たちは彼女のためを思って心から忠告した。  「あーら大丈夫よ」と彼女はどこ吹く風。  「もしも、急に雨とか言ってご亭主が帰ってきたらどうするの?」  「あちらの天気予報、ちゃんと調べるもの」  「でも何があるかわからないわよ。急に病気になるとか」  「頃《ころ》合《あい》をみはからって、こっちから亭主に電話入れるもの」  「たとえそうでも、なんとなく雰囲気とか匂《にお》いでわかるわよ」  「シーツも全部とりかえるわ」  シーツをとりかえるくらいでは消えない気配のようなものが、必ず残ると思うのだ。自分以外の男が残す何かが、男であるご亭主にわからないわけはないと思うのだ。  自分の喫わない煙草の匂いとか。  「大丈夫。彼も亭主もマイルドセブンなの。それに彼のオーデコロンも、亭主と同じオーソバージュに変えさせたから」  ああいえばこういう、こう言えばああ言うで、何を言ってもさっぱり反省しない。大丈夫、大丈夫の一点張り。  「どうしてそんなに自信があるの?」と、ついに私たち女友だちはサジを投げて溜《ため》息《いき》をついた。  「それがあるのよ」と彼女は鼻《び》翼《よく》をうごめかした。  「つまりね、私、彼に恋をしていないの。彼にメロメロってわけじゃないの。別れようと思えば明日にでも別れられるのよ。要するに、惚《ほ》れるほどの男ってほどでもないわけ」  え? 何なのよ? どういうことなのよ、と私は唖《あ》然《ぜん》とした。  「年だって十歳も下だし、特別、見《み》映《ばえ》がいいってわけでもないしさ。あれだって下手くそじゃないけど、とりたてて上手ってほどでもないのよ。亭主の方がどの点とってもまだましなくらい」  「じゃ、いったい何でつきあうの?」私たちは心底あきれて異口同音に叫んだのであった。  「ちょっと魔が差したっていうのかなあ」と彼女は遠い眼をした。「ほら、あるじゃない。三十三歳頃《ごろ》って、女として人生のターニングポイントっていうの? なんとなくこのまま年取りたくないっていうあせりみたいなもの。亭主はさっきも言ったように私のことなんか家具以上に興味をもって眺めないし、あのことだって一か月や二か月忘れたふりするし」  「それはわかるけど、わからないのは浮気の相手の選択よ。どうしてもう少しましな男を選ばないの? どうせするならもっと本気で好きになれる男でなくちゃ、つまらないじゃないの」  「だって本気になったら私困るもの。やっぱり亭主がいいし、この家だって買ったばかりだし、子供たちを片親にしたくないし。いまさら離婚騒ぎになってこの家おいだされたら、私なんて何にもできないでしょ? たちまち飢え死によ」  と自信たっぷりに言うのだから、これまたおかしいのだ。  「だから、今の彼でいいのよ。頼りないし、チンケな男だけど」それから彼女はふうっと大きく溜《ため》息《いき》をつくのだった。「チンケな男でさ、これっぽっちも惚《ほ》れていないのに不思議なのよ。三日も連絡がないといらいらするの。一週間も放っておかれると、息ができないみたいになっちゃうのよね。それでも逢《あ》うでしょ。逢えば寝て、さよならって別れるわね。そのとたん、天涯孤独って感じでストーンと淋《さび》しくなるの。家に帰れば子供たちがいて、三時間もすれば亭主も会社から戻ってくるのによ。世界中でわたしひとりぽっちって、気分がめいるの。なぜだろう? なぜかしら? 惚れてもいない男なのによ」  私たちはしんと黙りこんだ。彼女の口調と言葉に、何か心を打つものがあったからだった。  何か月かが過ぎた。以前には一日おきに彼女から不倫の報告が入ったが、もうあまりそのことで電話はなくなった。結局、飽きたのだろうと思い、私の方も放っておいた。惚れていないと力説していたから、そのうちきれいさっぱり別れて、また私たち女と月に二、三度お酒を飲むつきあいが再開するだろうと、タカをくくっていた。  ある夜ふけ、電話があった。  「別れることになったのよ」  沈んだ声で彼女がいきなり言った。  「初めからわかってたわよ。あなただってそう言ってたじゃない」と私は慰めた。  「わかってなんていなかったわよ。別れたいなんて言ったことないわよ」急に感情をたかぶらせてそう言ったのだった。  「だって……」と私は思わず言い淀《よど》んだ。「惚れていないって言ったじゃないの」  「それは相手の男のことでしょうが」と彼女は唖《あ》然《ぜん》とした声で言った。「別れるのは亭主の方よ」  「え〓」それっきり絶句して、私には何がなんだかわからなかった。  「まさか……」  「まさかって、いまさら何よ」と今度は彼女が冷静になった。「絶対に亭主にばれるって言ったのはあなたじゃないの」  「それはそうだけど。どうしてわかったの?」  「それもあなたの言ったとおりよ。匂《にお》いでわかったって。雰囲気や気配でピンときたって。私の素《そ》振《ぶり》や仕《し》種《ぐさ》でも想像できたって。なんて言ったと思う? いちばん最初の時から、俺《おれ》にはわかってたって。何にも見てないと思っていた亭主がよ、ちゃんと全部わかっていたのよ」そう言ってから、彼女は少し泣いた。  「あんまりくやしくて。それにあんまり馬《ば》鹿《か》らしくて、何がなんだかわからないうちに、亭主はさっさと弁護士と離婚話をすすめちゃったのよ」  くやしいのも馬鹿らしいと思うのも、彼女の不倫の恋は、あくまでも火遊び。亭主、子供あっての浮気だったからである。  「こんなことになるとわかっていたら、もう少しましな男とすればよかったと、ほんとうに後悔しているのよ。私が亭主と別れそうだとわかったとたん、掌かえしたみたいに冷淡になって。鶴太郎みたいな顔しているくせに、近藤正臣のつもりで冷酷ぶるのよ。それみたらぞっとしちゃって、もう顔みるのもいや」  結局、二人とも失ってしまったというわけだった。  「あんなつまらないチンケな男のために、何もかもだめになっちゃったなんて、悔んでも悔みきれないじゃない」と最後には放心の体《てい》だった。    この話の教訓はなんだろうか? 夫というものをけっして見くびってはいけないということ。それから人を好きになることは必ずしも悪くはないが、本気で好きでないのなら、やめた方がよいということ。  その男《ひと》をほんとうに好きで、そのために家庭がだめになってもしかたがないという覚悟がどこかでできていないかぎり、不倫の遊びなどしないことである。  件《くだん》の彼女の夫が、とりわけ勘のいい人でも、嫉《しつ》妬《と》深い人でも観察力にたけているという人でもなかった。彼はごく普通のサラリーマンで、どこにでもいるような男の一人だった。  恋におちて  「あたし恋人ができちゃったの」と、ある日、突然に若い女が言った。  「え? だって前の人と別れたばかりじゃない」友だちはちょっと驚いたようだった。  「うん。だけど新しいのができちゃったんだもの、しょうがないじゃない」と女は顔を輝かすのであった。  「ねえ、どんな人?」  「いい顔してるわ」  「背、高いの」  「もち。百八十センチはあるわね」  「それでいいとこの御《おん》曹《ぞう》子《し》?」  「アルマーニしか着ないって人よ」  いいとこの御曹子がすべてアルマーニを身につけるかどうか別にして、お金があるということらしい。  「それで、それでどこまでいったの?」と若い女の友だちは好奇心をおさえきれない。  「当然ベッドインよ」  「初めから?」  「バカね。それじゃ安売りじゃないの。二度目のデートの時からよ」  「それだってずいぶん早いわねえ」と友だちは溜《ため》息《いき》をつくのだった。  「あなた、何言ってるのよ。一度目も断り二度目も断ったら、三度目のデートのお声なんてかからないわよ。少なくともアルマーニの君からは絶対にかからないわね」  それじゃ恋人というより単なるセックス・フレンドじゃないの、と友人は言おうとしたがやめた。  考えてみれば周囲にそうしたセックス・フレンドを恋人ととりちがえている女たちが、びっくりするほど多いのに愕《がく》然《ぜん》とするのだった。  恋愛って何だろう? 恋をするってどういうことだろう?  恋って楽しいものだろうか? いつみても恋人同士は陽気に笑いあっている。人《ひと》眼《め》もはばからず、サカリのついた猫みたいにじゃれあっている。  逢《あ》って、ごはんを食べて、お酒を飲んで、ベッドへ行って、そして「じゃ、またね、チャオ」と別れる。また逢って、ごはんを食べて、ベッドへ行って……。  ある時、男が言う。  「俺《おれ》たち、もう逢うのよそうよ」  「え? どうして?」若い女は心から不審そうに訊《き》く。「あんなに楽しかったじゃない。ごはん食べて、お酒飲んで、それから一緒に寝て。どうして今すぐ別れなければいけないの?」  「俺さ、結婚するんだ。親からワイワイ言われててさ」  「あら、そ」一瞬、女は遠い眼をする。「それじゃしょうがないわね」と彼女は肩をすくめる。  「おまえ、どうする?」少しは心配なのか、男が訊く。  「あたし?」若い女は相手の男ではなく彼の背後の壁をみつめる。「そうね、それじゃあたしも結婚でもするかな」  それで終りである。涙くらいチラと見せるかもしれないけれど、別れはいたって淡々としている。  「あたしの青春をささげたのに、青春返してよ」などとは言わない。したがって別れは修《しゆ》羅《ら》場《ば》にはならない。  「あいつと別れたわ」と、彼女は案外ケロリと翌日、女友だちに報告する。  「ショックでしょう」と友だちは同情する。  「まさか」と彼女は笑う。「そろそろ鼻についてはきてたのよね」とここでほんの少し声をひそめる。「なにしろベッドの中ではひたすらワンパターンなんだから」  そんなことから一週間もしないうちに、「ねえ、聞いて聞いて」が始まる。  「恋人できちゃったわ、また」と晴れやかに言うのである。  要するに彼女たちは恋愛をしているのではない。単に、サカリがついているだけなのである。ほんとうに恋をするということは、ぜんぜん別のことなのだ。    半年ぶりくらいで会った別の女友だちを見て、私は眼を見張った。  「どうしたの? 痩《や》せちゃって。躰《からだ》でも悪いんじゃないの?」  私の知っている女とは別人のように、ほっそりとして、頬《ほお》もこけ、なんだかまともに立っていることもできないといった風情。  一緒に食事をしても、前はグルマンを自他共に認めていた人が、一《ひと》口《くち》二《ふた》口《くち》がやっとで、つらそうに溜《ため》息《いき》をついて皿を押しやるのだった。  「どうしたのよ。あなたらしくもない。ほんとうに病気じゃないの?」  私はいよいよ心配になった。  「ううん」と彼女は首を振った。「もう辛くて……」  「え?」と私は一瞬、彼女をみつめた。「まさか……。あなた、まさか恋をしているんじゃないでしょうね」  すると彼女はうつむいたまま低く、それがそうなのよ、と蚊の鳴くような声で答えたのだった。  私は唖《あ》然《ぜん》として、悪いけどじろじろと彼女を観察してしまった。恋する女のもつ輝きなど、ほとんどないのだ。  「辛くて……」ともう一度彼女は呟《つぶや》き、躰《からだ》の前で両手を握り合わせた。上半身がぐらぐらと揺れていた。  「でもどうして辛いの? 失恋したってわけでもないんでしょう?」  「愛しあっているの、わたしたち」彼女はますます躰をぐらぐらさせながら言った。  「わかった。相手の人も結婚しているのね?」不倫の恋の悩みなのだろうと、私は想像した。  「でも、それは問題じゃないの」と、しかし彼女は言った。  「わたしも彼もそれぞれに家庭があるけど、もうそんなこと問題じゃないの。わたしたち……」  それから彼女は顔を上げ、まっすぐに私を見た。面やつれはしているが、その時、彼女の表情はすごくきれいだった。ああやっぱりこの顔は、恋をしている顔だ、とようやく私はそれを認めた。それもぬきさしならぬ恋。恋をするというより、恋におちたといったらいいのか。  「わたしたち……まだ一度も寝てないのよ」と彼女はほとんど悲鳴のように聞こえる軋《きし》んだ声で、そう言ったのだった。「もう半年も前からお互いに愛しあっているのに、まだ一度も……」  私はなんだかガツンと頭の後を殴りつけられたような気がした。  「だってどうして? 愛し合っている男と女がそうなるのは自然のことでしょう? それともお互いの家庭のことで悩んでいるの?」  すると彼女は再び軋《きし》んだ声でこう言った。  「お互いの家族のことなんて、実にどうでもいいのよ、わたしたち」  見ると彼女の両手はこまかく震えていた。  「彼を愛しすぎているのね」と私は呟《つぶや》いた。  「たぶんね」と彼女は答えた。「寝るとして……。週に一回か二回……。でもそれからどうなると思う? わたしは怖いの」  その言葉で私は何もかも理解できた。二人はほんとうに相手のことを大事に思っているのだ。ほんとうに恋におちているのだ、と。  彼女は大人の女の知恵から、知っているのだ。恋におちて、寝て、やがて少しずつ恋が壊れていき、いつしかそれが終ることを。男と女が肉体の関係をもてば、それが結婚に至るものでないかぎり、必ずいつか終るのだ。  しかし肉体の関係を持たないからと言って、二人は永遠かといえば、そうも言えないのではないか。二人の激しい愛情がいい友情に変わっていく過程で駄目になるかもしれないのだ。  相手と寝ても寝なくても、男と女の関係はいずれ別れにつながる。寝ないからといって、二人が少しでも長く一緒にいられるかというと、必ずしもそうではないかもしれない。  『恋におちて』というアメリカ映画の中で、この二人と同じ問題を扱っていた。  ある日、妻が夫に問うのだ。  「ねえ、話して。何か隠しているわね」  「いや。何も隠していない」と夫は答える。  「お願いよ。こんなこと訊《き》くのにとても勇気がいったのよ。だから答えて」妻はまっすぐに夫の眼を見た。その言葉が夫の心を打った。そして彼は告白するのだ。  「電車の中で女に逢《あ》ったんだ……」  恋におちていく過程をごくかいつまんだかたちで、そう語った。  「それで?」と静かに妻は訊いた。何もかも覚悟して、夫を許す気でいることがみてとれた。  「何もなかった。僕たちの間には何も起きなかった」と夫は苦し気に答えた。「何も起きずに終ってしまった」  長い沈黙があった。妻の顔がクローズアップされた。許していた前の表情は消えていた。  「その方がはるかに悪いわ」と妻は言った。また少し沈黙があって、いきなり妻の手が夫の頬《ほお》を打った。  夫が女とは寝なかったのだと答えたのに対して、その方がはるかに悪いといった妻。この妻の気持が、若い人たちにはわかるだろうか?  寝るのは簡単なのだ。男と女がベッドに行くのなんて、ほんとうに簡単なことなのだ。でも、恋している二人がそうしないのは、心が深く深く結ばれているからだ。その方がはるかに悪いと、絶望的に呟《つぶや》いた妻は、そのことを知っているからだ。この映画のこの場面はせつなかった。  恋は若い人たちの専売特許かと思ったが、実際にはそうではないらしい。今の若い人たちは恋におちて、苦しむということはあまり知らないのではないかと思う。恋というのは元来、苦しみばかりが多いものなのである。  けれども、若い人たちが「痛み」を避けて通ろうとする姿勢に、私は共感できない。若い時に、苦しみの伴う恋をして、痛みをくぐりぬけなかったら、その人は殺《さつ》伐《ばつ》とした砂漠みたいな人生を送るのではないかと他人ごとながら心配だ。  その後、私の友だちは時々電話をかけてきたが結局、二人はついに寝たそうである。  「寝たら、嘘《うそ》みたいに楽になったわ」と彼女は電話で言った。「楽にはなったけど、もう逢《あ》うたびに前に感じたような、めくるめくようなトキメキはないのよ」  でも寝なくても、そういうトキメキはやっぱり薄れていくんでしょうけどね、と私は彼女を慰めて電話を切った。  それからしばらくして、二人が別れたと風の便りに聞いた。  ある会話  世を上げての不倫騒動、どこをむいても不倫、フリン、FURIN。私への原稿やエッセイや対談、インタビューの類もすべて不倫一色という感がある昨今である。  私もいってみればそのお先棒をかついだようなところがあって、十年近く前に書いた『情事』は不倫小説のハシリであった、とその筋の人が言った。  そういう縁もあって、私のところへ持ちこまれる不倫の打ちあけ話や相談ごとも後をたたない。外国雑誌までがFURIN特集などをやり、私に電話インタビューをしてくる今日この頃《ごろ》だ。実際ちょっと食《しよく》傷《しよう》気《ぎ》味《み》。  そんな毎日の中で友だちとこんな会話があった。  彼女は普通の主婦。子供二人。  私たちはお茶を飲みながら、最近離婚した共通の女友だちのことを話しあっていた。  「彼女にはかわいそうだけど、いい勉強になったわね」と私は溜《ため》息《いき》をついた。「不倫やってるうちは面白おかしいかもしれないけど、高くつくっていうことだわね」  「あたしに言わせれば、バカよね」と友だちは辛《しん》辣《らつ》だった。「一時の遊びや快楽のために失うものの大きさが計れなかったとはね」  「ほんとね。子供たちが不《ふ》憫《びん》だわね」と私も相づちを打った。  「旦《だん》那《な》だって気の毒よ」と友だちは言った。  「あたしが頭にくるのはね、そこなのよ。彼女、自分でコトを起こしておいたくせに、まるでこの世の不幸を全部ひっかぶったみたいに騒ぎたてているじゃないの。自分だけが不幸でかわいそうな女なんだって言わんばかりよ。冗談じゃないっていうの。ほんとうの被害者は旦那や子供たちよ。彼女じゃないわよ。被害者面《づら》なんてして欲しくないわよね」とすごい剣幕。  私はふと、その不倫がばれて離縁された女のことを思いだした。  「ばれるとは思わなかったのよ。絶対に」と、離婚のショックでちょっとぼんやりとした面持ちで、彼女は呟《つぶや》いたのだ。「夜だってちゃんと家にいたしね。彼に逢《あ》うのは昼のうちだし、絶対にボロなんて出さなかったのよ」  それでもばれたのだ。「匂《にお》いでわかるって言ったのよね、亭主。初めからわかっていたって。他の男の匂いがしたって。不思議ね。シャワー浴びたのにね」と彼女はそれでも最後の方はちょっとユーモアなど言って淋《さび》しそうに笑った。  「後悔してもしきれないのはね、相手の彼がどうっていうことない男だったことよね。亭主に比べれば、収入も人間性も男としての質も月とスッポン。あのことだって、亭主の方が上手だったもの」  「それなのにどうして?」と、私は思わず訊《き》いてしまったのだ。  「信じられないかもしれないけどね、爪《つめ》だって時に黒く汚れているし、靴下のゴムがゆるんでいるのを平気ではくような男だったのよ。ちょっと品のないところもあるし。でもそれなのにどうしてって訊かれても、困るのよね。あたしにもわからないの」と彼女は黙りこんだ。  「とうていあたしの家庭とひきかえになるような男じゃなかった。そんなことはよくわかっていたけど彼とあれをやるために出かけて行く時なんて、もう今にも倒れてしまうかと思ったわね。あの期待感ていうのかな。スリル、刺激は麻薬みたいなものよ。あの密会のめくるめくような快感に、おそらくあたしは眼がくらんだんだわ。抵抗できなかった。あの瞬間、彼はあたしの人生の中で一番の支えみたいに思えた」  そこで彼女は少し泣いた。「考えてもみてよ。教養も品もない爪の汚れたような男がよ、一瞬でもあたしのすべてだったり支えだったりするなんて」  「好きだったの? 恋はしていなかったの?」と私は訊いた。  「恋なんてしていなかった。もしかしたら好きでさえなかったのかもしれないわ。完全に狂っていたんだろうと思うの。女の三十五歳というのは、そういうところがあるのよ。ほら、あなたの『情事』の中にも書いてあったじゃないの。セックスをやってやって反《へ》吐《ど》が出るまでやりまくりたいって」  彼女の口からその言葉を聞くと、いやに露骨に響いた。それだけに真情と哀れさが滲《にじ》みでていた。  「わたしが煽《せん》動《どう》者《しや》というわけね」と、私はしんみり苦笑したのだった。  「あたしなんてね」と、離縁された女と共通の友だちが言った。「とうてい考えられないのよね。だって好きで一緒になった男でしょ、旦《だん》那《な》は」  「でも、十年も十五年もすれば恋はさめるわよ」と私が言った。  「あら、そ? ヘぇー、そんなもの?」と彼女は眼を丸くした。「あたしなんて、今でもうちの亭《ひ》主《と》に恋してるわよ」  今度は私が眼を丸くする番だった。  「それに十年たって好きじゃなくなるような男と、結婚するわけないもの。十年でも二十年でも五十年でも愛せると思うから一緒になるわけじゃない。途中で愛がさめたとしたら、自分が悪いのよ。自分の選択が悪いのよ」  「じゃ、あなたは選択眼があったのね」  「当然」と彼女は胸を張った。  「彼のこと大好きだし、彼のこと頼りだもの。あたしなんて他に何もできない女だから、彼と子供たちだけが生き甲《が》斐《い》だもの」  胸を張ってそう言う彼女から、不思議な女らしさが漂っていた。  「彼にもいつもそう言うの。あなたが大好きだって。生き甲斐だって。彼も私の気持にちゃんと応えてくれるし、あたしは幸福よ。他のつまらない男に眼をくれる気にもならないわ」  「ほんとうに幸福なのね」と私はうらやましくて溜《ため》息《いき》が出た。  以前にインタビューをしたことがあったナディーヌ・ロスチャイルド夫人をふと思い出した。「わたしは、夫と家で夕食を食べる時、一番きれいなドレスを着て、一番いい宝石をつけるのよ。だって、彼にきれいだと認めてもらいたいんですもの」と、ナディーヌは微《ほほ》笑《え》んでいたっけ。  「あたしみたいに何もできない女はね、夫に捨てられたら死ぬしかないもの」と女友だちはさらに言った。  「この年でよ、無一文になること考えてよ。ゼロから始めること考えてよ。眼の前に老いがさし迫っていてよ、病気や死におびやかされてよ、たった一人で女が生きていくことを思うと、ぞっとするわ」  こういうかわいい女を、男は絶対に捨てはしないだろうと、その時私は思った。  今、女たちがずいぶんつっぱっていて、自立しているようなことを言うけれど、男にしてみれば、つっぱり自立女は別れやすい。この女には自分がいなくても大丈夫だと思えば、他に大丈夫ではなさそうな女に眼がいくこともあるだろう。そういえば、最近離縁された女には仕事があった。 『情事』からFURINへ  私が一九七八年にすばる賞をもらった『情事』は、たかが不倫小説であった。  「たかが不倫の話じゃないか」と面と向かって当時言った男がいるが、私はその言葉がすごく気に入って、以来、何か訊《き》かれるたびに、たかが不倫小説よ、というふうに言っている。  自分で言うのも変だが、十年前『情事』は新しいタイプの不倫物語であった。不倫につきものの後ろめたさや、おどろおどろしさみたいなものを、きれいさっぱりはぶいてしまったところからストーリーが始まっているところが画期的に新しい、とこれまた別の男の言葉。  後ろめたさや後悔や、罪の意識でいっぱいの恋愛小説は、もううんざりするほどたくさん書かれていた。結婚している男女の間の愛を描こうとしたら、それこそ後ろめたさの葛《かつ》藤《とう》ばかりが描かれる。  それに私はおどろおどろしい恋愛小説など、書きたいとも思わなかった。  私は単にラヴストーリーが書きたかった。その場合、トタン屋根の上の二匹のサカリのついた猫たちのような、臆《おく》面《めん》もない男女の恋には興味がなかった。  若い男女が愛しあうのは、そこに傍《はた》目《め》もかまわぬ喧《けん》騒《そう》があるだけで、面白くもおかしくもない。若く自由な二人ならば、誰《だれ》も何とも言わないし、誰も陰で傷つかないし、痛くもかゆくもないわけだ。  その恋愛が痛みに満ちて困難である場合のみ、書き手として興味が湧《わ》く。だから片方か、両方が結婚している男女の恋愛ということになった。  『情事』の反応は二つに分かれた。女たちの反応と、男たちの反応だった。  女たちは総じてわかるよねぇと言った。男たちは、どうしてぇ? と軋《きし》んだ金属性の声で訊《き》いた。  女たちがわかるのは、主人公のヨーコが情事に走る理由である。夫がいて、子供がいて、別荘がもてる程度に裕福で、主婦であり母親であり、アルバイトに毛のはえた程度の手に職があり、いわば幸福を絵で描いたような生活。「幸福だからこそ、他の男を愛せるのよ」という発想。  まさにそのところが、男たちにはわからない。幸福なのに、どうしてぇ? という悲鳴になるわけだ。夫を愛しているんだろう? だったら何でぇ? もう、まったくわからない。理解の外にある発想だといわんばかりである。  女が不倫の恋に走る理由を、実に明快に表現したアメリカの作家がいるので、それを引用してみようと思う。ある人妻と作家の会話という形式をとっている。    「あたしは週に二回、夫とファックするの」  「あおむけになるのかい?」  「ほかに何があるの? すると彼は中に入れて、あたしはどうやったら彼が発射するかわかっているの。するとオッパイのこととか、愛しているとか、ぶつぶつ言って終るのよ。そこであたしはライトをつけて、横むきになって煙草に火をつけて、本の続きを読むの」  「彼をいかせるのにきみは何をする?」  「こっちの方へ三回、あっちの方へ三回輪をかいて、こんなふうに爪《つめ》で背中を下へなぞるのよ——すると終るのね」  「じゃきみは七回やるわけだ」  「そう七つ。するとあたしのオッパイのこととか、愛しているとか、ぶつぶつ言って終るのよ。(中略)だんだんむずかしくなったのよ。結婚とはそういうものよね。(セックスが)しなきゃならない一番いやな義務になったのね。(中略)だけどある夜のこと、もうするわけにはいかないと思ったの。本を置いて、明りを消して、とうとう言ったのよ。『あたしたちの結婚から何かがなくなったわね』。しかし彼の方はそのころ鼾《いびき》をかかんばかりの眠りようなのね。『静かに。しーっ、眠るんだ』なんてぶつぶつ言っているの。  どうしたらいいかわからない。あたしにできることは何もない。奇妙なこと、恐しいこと、一番困ったことは、夫がまぎれもなくあたしの生活をほんとうに愛していて、あたしが夫の生活を愛していることが疑いようがないことね。あたしたちは幸せだったことがないのに、熱烈な結婚をし、十年ほどのあいだにすべてが整ったのね。健康、お金、子供、メルセデス・ベンツ、二《に》槽《そう》の流し台、避暑用の別荘等々。そしてとても惨めで、とても愛しあっている。さっぱりわからないのよ。  それで今、夜の怪物たちがいる。大きな三つのお化け。無一文、死、老年。あたしは彼と別れるわけにはいかない。あたしは別れたいし、彼も別れたがっている。子供たちは気が狂うだろうし、いまだって調子外れなの。だけど、あたしに刺激が必要ね。三十八歳なのよ。結婚生活以外にかまってもらいたいのね」  そしてこの人妻は、イタリア人の若者と不倫の関係になる。彼はハンサムで情熱的で、髪もふさふさしており、荒々しい。  「二人でお風《ふ》呂《ろ》に入る。楽しいわ。だけど楽しいからって、それが二人の子供たちと夫から逃げ出す理由になる? あたしが彼と駈《か》け落ちしたら、子供たちが何かを失くした時に誰《だれ》が探してやるの? (中略)家族の誰かが何かを探していてそれを助けてやる——それが母親なのよ。(中略)  夫を好きになったのもそんなふうだった。初めて彼の部屋に入って五分もたたないうちに『僕のライターはどこへ行ったのかな?』それで、あたし立ち上って見回して、それを見つけたわけ。『ここにあるわ』『助かった』あたしはひっかかった。そうなのよ、いい、あたしはイタリア人の若者と一緒にお風呂に入ったり、もじゃもじゃした毛や鉄のようにたくましい筋肉が生き甲斐なのよ——でも、自分の失くしたものもひとりで見つけられないような人と、どうして別れることができるっていうの?」    引用が長くなったのは、ニュアンスの微妙なところをわかっていただきたかったからである。引用したのはフィリップ・ロスの『解剖学講義』一九九ページと一二〇ページ。多少言葉を変えて引用したが、大要に相違はない。  アメリカの人妻の話だが、夫以外に恋人が必要な理由が淡々と、だが哀切に伝わってくる。そして、夫や家庭を捨てられない理由も痛いほどわかる。三つの怪物——無一文、死、老年を恐れる気持。  実にせつないのは、自分で失くしたものをみつけられない夫を、どうして捨てることができるのか、という科白《せりふ》。  これを書いたフィリップ・ロスはれっきとした男だから、男の中にも不倫の必然性がわかる人が少なくとも一人はいる、と慰めにはなる。  まさに、彼女の言っていることが、女たちの声を代表しているのだ。不倫をしている女をつかまえて質問すれば、十中八、九彼女と同じような意味の言葉が返ってくる。夫とのセックスは結婚生活における義務の中で、もっとも耐えがたいものになりつつあることも確かだ。同じ相手と、十年もセックスしたら、死ぬほど相手に退屈しないわけがない。それがもっとも耐えがたい結婚の義務だというのなら、そういう妻には、慰めが必要だ。なぜ人間だけが、その耐えがたい務めを延々五十年近い結婚生活の中で果たさなければならないのか。逃げ場がどうしたっている。  かつて、女の逃げ場は井戸端会議であった。次に子供たちの教育で、わが子を叱《しつ》咤《た》激《げき》励《れい》することで一種のうさばらしになった。そして現在、不倫の恋である。  井戸端会議や子供たちを叱咤激励したところで、問題の解決にはならないからだ。たとえば空腹で死にそうな人が、いくら隣り近所の奥さん連中とお喋《しやべ》りしたところで、お腹はくちくならない。お喋りするエネルギーに使った分だけ、さらに空腹度が増すのがセキの山だ。  三十代の女たちが、性的に飢えていることは事実だ。  「そんなことはない、週に三回もがんばっているんだ」と反論する夫がいるかもしれないが、一週間、毎日七回がんばってもらっても、もし妻が、その夫とのセックスを耐えがたき義務だと感じているとしたら、妻のひもじさはなくならない。  今なぜ不倫の時代なのかといえば、女たちがたぶん自分自身を正視しだしたからだと思う。自分を外側からも内側からもみつめ、自分の声に耳をかたむけ、女としての生き方を深く考えるようになったからだ。  以前は、夫や子供たちのことで手いっぱいだった女たちが、自分のめんどうを、もう少し余分にみるだけのゆとりができたことも理由の一つにあげられる。  彼女たちは、あれこれ考え、自己分析し、ついにある思いにたどりつく。  ——もっといいものがあるのではないだろうか? もっといい思い。もっといい男。もっといい生活。もっといいセックス。  習慣や義務ではなく、未知の男との、ぞくぞくするような卑《ひ》猥《わい》で素敵なセックス。五十になってからでは遅いのだ。今、自分がまだ三十代か四十代で、女として魅力のあるうちに、そうしなかったら、一生とりかえしがつかなくなってしまう。そういった思いだ。  それにマスコミが煽《せん》動《どう》する。不倫時代だなどという。テレビドラマも、婦人雑誌も本もみんな不倫ばかりを扱う。  私のところにかかってくる取材依頼の電話の九十パーセントは不倫関係。  「今なぜ、不倫なのだと思いますか?」といきなり電話インタビューで訊《き》かれる。  「素敵な不倫について、対談してもらえますか?」「どういう男女が不倫に走りやすいんでしょうか」「不倫の行く末を占って下さい」「今、ずばり不倫してますか?」「不倫グループ五人集めますから、インタビューして下さい」「不倫論文を募集するから審査委員長をお願いします」  ついに外国雑誌からのインタビュー。  「今、日本でブームらしいFURINについてお訊きしたい。まずFURINとは何でありますか」とタドタドしい日本語が電話から飛びだした。  「それはともかく、なんでまたこの私に外国からのインタビューが?」と私はびっくりして質問に質問で答えた。  「それはですね、モリ・ヨーコさんは、FURIN作家ということで有名だからです」  「FURIN作家ときめたのは誰ですか?」と私は少し憮《ぶ》然《ぜん》とした。  「それをきめたのは、あなたの小説ですよ。最初の小説『情事』は『LOVE ‐ AFFAIR』ということではないですか。ラヴ・アフェアー、すなわち不倫です。あなたは『不倫』でデビューした作家で、その後も延々と不倫の男女の話を書き続け、いわば不倫の煽《せん》動《どう》者《しや》でしょう」  「不倫の煽動者!」と私は絶句してしまった。そういえばつい最近、男性の読者からいただいた手紙にも、同じ言葉があったのだ。そのことは、ある夕刊にエッセイで書いたから、知っている方もいると思うが、その男性読者はこんなふうな手紙を私にくれた。  妻が五年前に若い男と駈《か》け落ちをした。妻が残していったものの中に、森子の『情事』『誘惑』などの本があった。だから彼は、妻ではなく、妻を駈け落ちにかりたてた森子を憎んだ。森子は不倫の煽動者だ。  妻が置き去りにしたのは彼ばかりではなかった。二人の子供たちもいた。彼は子供たちを育てながら働いた。  五年ほどして、子供たちの手がやや離れた。彼はふと森子の『情事』をとりあげてみる気になった。この本の何が妻をあのような行動にかりたてたのか、知りたいと思った。それで『情事』を読んだ。  「もしも」と、手紙の最後で、彼は書いている。  「妻が、森子の本を、ほんとうに読みこんでいたならば、彼女はあのような行動に走らなかったでしょう」  つまりその男性読者は、同じ一通の手紙の中で、森子は不倫の煽動者ではなかったと、言い直しているのだ。  この手紙を、外国雑誌の編集者にコピーして送りつけたいくらいだった。  「それで質問に戻りますが、なぜ日本人は今、FURINなのですか?」  「じゃ逆に訊《き》きますが、アメリカやヨーロッパにはFURINはないのですか?」と私はまた質問に質問で答えた。  「ラヴ・アフェアーはありますけどね」と外人記者は皮肉な口調で言った。「それこそラヴ・アフェアーなら星の数ほどあると思いますがね。しかし、ああいったものはひっそりと行なうものじゃないのかなあ。だって人に誇れるものでもないし、いばれるものでもないし——」  「そうですね。それは同感です。それに、やっぱりこそこそして後ろめたいわけですしね」と私は相づちを打った。  「後ろめたい?」と外人記者が訊《き》いた。  「なぜ? LOVEはLOVEですからね。人を愛することは、悪いことではないし、罪ではないですよ。それ、日本的発想ですね」と言うのだった。  「ラヴ・アフェアーというのはね、本人同士の責任において、ひっそりと始まり、ひっそりと終るものですよ。何も鳴りもの入りで周囲がはやしたてるものじゃないし、はやしたてられたからといって当人たちがそれにのって踊らされることもないでしょう」  「おっしゃるとおりです」と、なぜか私は見えない相手にむかってペコペコと頭を下げてしまった。  「そこで今、なぜ不倫なのかということですが」と相手は追及の手をやめない。  「私、思うのですが」と私はややしどろもどろ。「日本の女の人が、めざめたんじゃないかと……」「めざめると、FURINをするというわけですか?」と相手が鼻の先で笑った。  「自分の欲望に、できるだけ忠実に生きようとしはじめたんです。それはひとつは不倫という型で出て来たけど、それだけじゃないわ。仕事もそう。自分の収入を得ようという動き。ボランティア活動に入る人もいるし、いろいろなグループで勉強しようとしている人たちもいる。ただ、不倫グループだけにスポットライトがあたってしまったんだけど」と私は必死で日本女性の弁護にあたった。  「日本の女性が自分の欲望に忠実に生きようとしはじめたからFURINに走るというのは、面白いですね」  「だからその欲望のひとつが不倫なのです」と私は強調した。  「ではなぜ、今なのですか?」と相手がまた訊《き》いた。  「時代です。この十年の間に、たくさんの女の人たちが外へ出て働くようになったし。生活もいろいろ改善されたし。男の人と平等だという意識も広まっているし」  「男と平等だという意識だと、FURINに走るのですか?」  「じゃなぜ、あなたたちはラヴ・アフェアーに走るのですか」と、私はややヒステリックにきりかえした。  「簡単ですよ。それが楽しいから。いけませんか?」  なんという明快な答えであるか。なぜ今、不倫なのか? に答えて、それが楽しいから、と答えられる人が、日本に何人いるだろうか。  「つまりスポーツみたいなものね」と私は電話口で笑った。  「だって、セックスってものはベッドの中で行なうスポーツそのものじゃありませんか」と、外人記者の声にも笑いが混った。  「そこが違うのね。もしセックスをスポーツみたいに考えることができれば、FURINじゃなくて、ラヴ・アフェアーになるわけね」  結局、なぜ今、日本人は不倫なのか、という外人記者の質問に私はきちんと答えられなかった。そして最後に、夫以外の男が欲しくなる女の気持が知りたいのなら、フィリップ・ロスの本を読んで欲しいと、本の名前を伝えることで逃げた。  「しかし、それはアメリカ女の話でしょう。日本の女性とは違うでしょう」と記者は不満そうだった。  「でもね、違わないのよ」と私は自信をもって答えた。結婚生活半ばにして、セックスがもっとも耐えがたい結婚の義務のように感じている女たちは、何もアメリカ人の専売特許ではないのだ。子供がいて、夫がいて、適当に快適な生活で、夫や子供を愛していて、幸福で、そしてどうしようもなく惨めなのは、日本の女たちだって同じだ。  だから不倫なのである。  私は外国人記者との対話を終え、自分の答えが彼の満足をさそわなかったことに対して、彼ではなく自分に失望しながら電話を切った。  十年前、『情事』はおとぎ話にすぎなかった。そして今、不倫は日常茶飯事のことになったみたいだ。日常茶飯事は、たいていすぐにあきられるから、そのうちに不倫という言葉は死ぬだろう。  次にどういう言葉が使われるか知らないが、その頃《ころ》には、私たちは不倫をスポーツとみなすぐらいに心身共に自立しているかもしれない。すると、それをラヴ・アフェアーと呼ぶのだろうか。  もっとも、SAMURAI、SUSHI、KAMIKAZEが英語の辞書にあるように、FURINもその仲間に入ってアメリカの辞書の中では生き残るかもしれない。 本書は、昭和六十一年七月、ハーレクイン・エンタープライ ズ社より単行本として刊行されたものを文庫化したものです。 別《わか》れ上《じよう》手《ず》 森《もり》 《よう》子《こ》 ------------------------------------------------------------------------------- 平成13年7月13日 発行 発行者  角川歴彦 発行所  株式会社  角川書店 〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3 shoseki@kadokawa.co.jp Yoko MORI 2001 本電子書籍は下記にもとづいて制作しました 角川文庫『別れ上手』昭和63年6月10日初版発行           平成10年4月20日36版発行