[#表紙(表紙.jpg)] 棟居刑事の復讐 森村誠一 目 次  帰途の殉職  棄てられた接点  駐車した死  無名の罪悪  激流の犠牲者  獲物の臭跡  貼り残された誇り  帰らざる故郷  破棄されざる疑惑  毅然たる樹影  棄てられなかった同行者  廃物利用された自供  終 章 [#改ページ]   帰途の殉職      1  夏が行きかけていた。水平線には積雲が林立しているが、空の真芯《ましん》ははや秋の色をたたえている。  この海水浴場もあと数日で閉幕する。平日であるにもかかわらず、行く夏を惜しむように、砂浜はカラフルなビーチパラソルや、甲羅干しの海水浴客で賑《にぎ》わっている。  砂浜から溢《あふ》れた人たちは、波打ち際で戯《たわむ》れている。だが少し沖の方へ出ると、砂浜と波打ち際の混雑が嘘《うそ》のように、青い海面が広がっている。  防波堤の内側の小規模な海水浴場であるが、海は海である。  防波堤の切れ目から波が押し寄せ、海底にはアオヤギが繁殖し、海中には多様な魚影が群れをなして泳いでいる。クラゲも出ているが、不思議にこの海域のクラゲは刺さない。  海水浴場と一般海域の境界には赤いブイが数メートル間隔に、約五百メートルつづいている。  その外側にはジェットスキーと呼ばれる小型モーターボートが、スピードを競い合いながら、海水浴客に見せびらかしにやって来る。  だが、騒音とくさい排ガスが海水浴場へ押し出てくるので、海水浴客はにがい顔をしてジェットスキーが立ち去るのを待っている。ジェットスキー族はそれが海水浴客の関心を集めたと勘ちがいして、得意気に技を競う。  一|艘《そう》のジェットスキーが境界線のブイぎりぎりに寄って来た。  そのとき海岸線の方からブイに泳ぎ着いて、休んでいる一人の少女がいた。  ブイまで一人で泳いで来る者はほとんどいない。せいぜい泳いで来ても、ブイと海岸線の中間にある飛び込み台までである。ブイまで来るのはグループか、筏《いかだ》やボートに乗ったアベックである。  ジェットスキーにはアベックが乗っていた。操縦している男は女にいいところを見せようとして、ブイすれすれに走った。  海水浴客の注意を惹《ひ》きつけようとして、ブイぎりぎりに近寄ったジェットスキーは、運転を誤ってブイに接触した。  ブイが跳ね上がって、ジェットスキーは海水浴場の水域に侵入した。  突然暴れ込んで来たジェットスキーの前方で、少女がブイにつかまって休んでいた。驚愕《きようがく》した少女は慌てて身体《からだ》を躱《かわ》そうとしたが、高速のジェットスキーにつかまってしまった。  ジェットスキーは少女と衝突した後、いったんスピードを緩めたが、その海域に人影がないと知ると、ふたたび加速して海上へ逃げ去った。  息も絶え絶えになった少女がブイにつかまって海面に漂っているのが発見されたのは、ジェットスキーが逃げ去った後である。  少女はジェットスキーに脊髄《せきずい》を傷つけられて、下半身が不随になった。  加害者のジェットスキーが探されたが、彼らは当日その海岸へ遊びに来たアベックで、加害者捜索の手が伸びたときは、すでに海岸から立ち去っていた。      2  横渡《よこわたり》はその日も帰宅が深夜になった。家族が彼の帰りを待ちかねているのがわかるが、事件が発生すると、帰宅は連日深夜に及ぶ。  帰れればよい方で、事件発生直後数日間は捜査本部に泊まり込みとなる。  アンバランスな栄養と連日の仮眠では、身体は確実に消耗する。どんなに遅くなっても家へ帰った方が心身が休まる。  電車のあるうちに帰れたのはラッキーな方である。  駅から十分、駅へ降り立ったときは結構の人数であった乗客たちが八方へ散って、暗く寝静まった住宅街に、横渡の足音だけが響いている。ほとんどの家の窓が暗く寝静まっている。  昼間は残暑がぶり返すが、夜間になると空気は冷え込んでくる。  坂を上って、横渡は家の近くにある公園の端へたどり着いた。高台にある児童公園で、敷地の中にはブランコとジャングルジムとシーソーと砂場が設けられている。  住宅地の中の立地環境のよい公園であるが、夜間の利用者はほとんどない。高台にあって、公園を囲む道路が下の方にあるために、アプローチの坂が面倒なのと、道路から公園の内部が見通せないために、何度か痴漢が出たせいである。  昼間でも人影のない公園で一人取り残されていると、心細くなる。  痴漢が出てからアベックも来なくなった。  横渡は公園に沿った坂道を上って行った。坂を上り、公園の角をまわれば横渡の家は近い。  坂の頂上の少し手前まで来たところで、横渡は悲鳴のようなものを聞いた。  彼ははっとして立ち止まり耳を澄ましたが、なんの気配もつづいて生じない。  耳の錯覚かとおもってふたたび歩き始めたとき、 「助けて!」  という声をはっきりと聞いた。横渡は咄嗟《とつさ》に走り出した。  救援を求める悲鳴は公園の奥の方から来た。女の声であった。公園の内部でなにかが発生している。  横渡は、 「こら、そこでなにをしているか」  と声を上げて牽制《けんせい》した。  すでに異変は発生し、進行している。駆けつけるまでに間に合わないかもしれない。横渡は疲れた身体に鞭《むち》打って、必死に走った。  公園の闇《やみ》の奥でだれかが争い合っている気配である。応援を呼んでいる暇はない。公園の出入口に立っている一本の街灯の光は奥まで届かない。  横渡が公園の敷地へ走り込んだときには、奥の方で争っていた当事者の一人が、地上に倒れる気配がした。 「待て」  横渡は叫んだ。  当事者の一人が倒れたとき、横渡は現場へ到着した。  逃げ出そうとした黒い影の進路を阻むと、相手は踵《きびす》をめぐらして逃げ出した。横渡はその方向に出入口がないことを知っている。  公園の隅へ追いつめられた黒い影は、窮鼠《きゆうそ》となって反撃してきた。  身を開いて躱《かわ》しざま、足払いをかけた。足払いが見事に決まって、黒い影は転倒した。  それを押さえ込もうとしたとき、下から凶器を突き上げられた。凶器は深々と横渡の胸を刺し通した。  しまったと唇を噛《か》んだときは、すでに横渡は死の急斜面を転がり落ちていた。  痛みは感じなかったが、急激に身体が重くなっている。視野はもともと暗かったが、遠方の街灯の光が見えなくなっている。  薄れていく意識の中で、横渡は家で彼の帰宅を待ちわびている妻子の面影を追った。  横渡を刺した黒い影はよろよろと立ち上がると束《つか》の間|呆然《ぼうぜん》と立ちすくんだが、そのまま公園の外へ走り去った。      3  横渡と女の死体が発見されたのは、翌朝九月十二日午前五時ごろである。  発見者は近所に住む老人である。散歩に連れて来た犬が異常に吠《ほ》えながら、公園の奥へ老人をひきずり込んだ。  現場は中野《なかの》区の一隅にある公園である。閑静な住宅街に囲まれていて、夜間は人影が絶える。  通報を受けて臨場して来た中野署の刑事の中に、被害者の一人の顔を見知っている者があった。 「横《よこ》さん」  中野署刑事の笠原《かさはら》は愕然《がくぜん》とした。  被害者の一人は警視庁捜査一課の刑事横渡である。過去何度か捜査を共にした仲である。  横渡の死体は鋭利な刃物で心臓部を抉《えぐ》られていた。これが心臓機能を損傷して、死因となったものらしい。  出血は地面に吸われて目立たないが、あるいは第一衝撃で心臓が圧挫《あつざ》されて、出血量が少なかったということも考えられる。  現場には格闘の痕跡《こんせき》が認められた。  横渡の所持品および所持金は奪われていなかった。  もう一人の被害者は、四十代後半から五十前後と見られる女性である。年齢にしては化粧が濃く、風俗関係の職業を推測させる。  シンプルなワンピースをまとい、所持品はない。  彼女も同じ凶器で背中から胸にかけて一ヵ所、下腹部を二ヵ所刺されていた。暴行された形跡はない。  横渡の自宅は犯行現場から目と鼻の先の距離にあった。  悲報が横渡家へ届けられた。横渡の妻が取るものも取りあえず飛んで来た。彼女は夫の無惨な姿に、その場に泣き崩れた。  本来ならここで遺体が確認されるところであるが、被害者が警視庁刑事であったために、管轄署の笠原によって一足早く確認されていた。  本庁捜査一課にも連絡が行き、横渡の属する那須《なす》班の那須警部以下メンバーが続々と駆けつけて来た。  横渡は昨夜午後十一時ごろ退庁している。那須警部以下同僚たちは、前夜、元気に帰宅した横渡の変わり果てた姿に呆然となった。  警察官である以上、危険に身をさらすのは覚悟の上であるが、昨夜別れたとき、まさか翌朝、このような悲しい再会をしようとは予想もしていなかった。  検視の所見によると、死亡推定時刻は午前零時前後とされている。  同時に殺害されていた女性に、横渡の妻はおぼえがないと言った。  同一機会に犯行は演じられた模様であるが、検視によってはどちらが先に殺害されたか見分けられない。いずれにしても、二人が同一機会に相前後して殺害されたことは明らかである。  横渡と身許《みもと》不明の女性の間につながりがなさそうなところから、帰宅途上、犯行現場近くにさしかかった横渡が、犯人に襲われた女性の悲鳴を聞きつけて駆けつけ、犯人と格闘して刺されたものと推測された。  犯人は女性と横渡の二人を連続殺害しているので、かなりの返り血を浴びたものとおもわれる。公園の近くにあらかじめ車を停《と》めておき、それに乗って逃走すれば、返り血は人目に触れないであろう。  その日のうちに所轄の中野署に捜査本部が置かれて、本格的な捜査が始められた。捜査本部に那須班が投入された。  解剖によって、横渡の死因は鋭利な刃物による心臓刺通による心臓機能の損傷、また女性は同じ凶器を用いての背中から肺に達する刺通による肺機能障害が死因と見られた。  さらに下腹部に二ヵ所、左外腸骨動脈損傷を伴う左下腹部刺創が認められた。なお横渡の指先には犯人と格闘の際、からまったとおもわれる毛髪が三本付着していた。  解剖の結果を踏まえて、第一回の捜査会議が開かれた。死亡時間は九月十一日午後十一時から午前零時の間と推定された。  その会議によって、当面の捜査方針として、次の諸項目が決定された。  ㈰被害者の身許割り出し。  ㈪被害者の生前の人間関係捜査。  ㈫現場および周辺の目撃者の発見。  ㈬現場周辺の聞き込み捜査。  ㈭横渡刑事の動機関係の捜査。  那須班の刑事たちは同僚を失った悲嘆の底で、犯人必検を誓った。  捜査本部の大勢意見としては、二件の殺人の本命目的は横渡ではなく、女性にあったものと見ていた。  過去、横渡が担当した事件の関係者が逆恨《さかうら》みして、横渡を帰宅途上待ち伏せていたという可能性も残されているが、横渡と一緒に殺されていた女性の線から犯人は来たと、おおかたは見ていた。  横渡の喪失を埋めるべく、麹町《こうじまち》署の棟居弘一郎《むねすえこういちろう》が捜査第一課那須班へ移されて、捜査本部に参加することになった。  横渡の訃報《ふほう》を聞いた棟居は、束の間呆然とした。  横渡とは清水谷《しみずだに》公園黒人殺人事件(拙作『人間の証明』)で捜査を共にした仲である。  はからずもその横渡の後任に据えられて、彼を殺した犯人を追うことになった。  横渡の無念を引き継いで、なんとしても犯人を挙げなければならない。 (横さん、あんたを殺した犯人は、おれが必ずこの手で捕まえてやるよ)  犯人を捕まえないことには、横渡は浮かばれない。棟居は眦《まなじり》を決して捜査本部に参加した。  女性被害者の身許は間もなく割れた。テレビのニュースを見て、彼女が住んでいたアパートの大家が届け出てきたのである。  それによると、住所は中野区|沼袋《ぬまぶくろ》四—××カーサ沼袋、朝田織江《あさだおりえ》(五十)、新宿《しんじゆく》三丁目でスナック「おりえ」を経営している。  大家の言葉によると、朝田織江がカーサ沼袋に入居したのは三年前である。  織江の住居に何人か男は訪ねて来たが、顔は確かめられていない。  これまで家賃を滞納したことはない。  愛想もよく、同じアパートの入居者たちの評判もよい。だが特に親しくつき合っている入居者はいない。  被害者の異性関係を探るのは捜査の常道である。捜査本部は被害者が経営していた新宿のスナック「おりえ」の客、従業員、および関係者をマークした。 「おりえ」は被害者が五年前に同所に開いた店で、バーテンダーと女の子一、二人を置いた、小さなスナックである。  最近は地上げ屋が入り込んで、この界隈《かいわい》の飲食店は虫食いだらけにされ、風前の灯火《ともしび》にあった。  その中で彼女は地上げ屋攻勢に抗して、けなげに店を続けていた。この点から地上げ関係の動機も考えられる。 「おりえ」は被害者の客を逸《そ》らさぬ魅力で保《も》っており、けっこう繁盛していたらしい。店の客はほとんどが常連であった。  常連客の中から特に彼女と親しかった数名の客が浮かび上がったが、いずれも家庭のある男たちで、たがいに大人のプレイと割り切っていて、殺人動機に結びつくような情痴|怨恨《えんこん》は見つけられなかった。 「おりえ」のバーテンダーは「おりえ」の開店以来勤めている。  またホステスは開店以来延べ十数人が働いているが、いずれも被害者との関係はしごく良好であった。 「おりえ」の客、従業員すべてが消去されると、捜査の目は「おりえ」以前に向けられる。  だが、被害者の「おりえ」以前の経歴は曖昧模糊《あいまいもこ》として烟《けむ》っていた。  銀座《ぎんざ》でホステスをしていたとか、ある財界の大物の愛人をしていて、「おりえ」の開店資金もその旦那《だんな》が出してくれたとか、あるいはソープランドで稼いだ金を貯《た》めて「おりえ」を開いたとか、諸説紛々としているが、いずれも定かではない。  区役所の住民基本台帳によると、彼女の本籍地は姫路《ひめじ》市にあったが、すでに両親は死亡していた。  被害者の妹が結婚して下関《しものせき》に住んでいたが、問い合わせたところ、姉は二十歳《はたち》のころ上京したまま没交渉になっているということであった。  知辺《しるべ》もなく二十歳の娘が上京して、新宿に自分の店を開くまで、どのような経路をたどったか。  捜査は立ち上がりから難航の兆しを見せた。  被害者の遺品を調べていた中野署の笠原は、遺品の中から二十八年前の新聞のスクラップを発見した。それはいずれも当時の棄児《きじ》事件を伝える記事であった。  スクラップによると、昭和××年七月二十八日、真夏日の暑い日、東京|世田谷《せたがや》区のある運送会社の運転士が、仕事を終えて帰社の途中、突然大粒の雨が降ってきたために、荷台に残った荷物にカバーをかけようとして停車したところ、そこに生後間もない男の嬰児《えいじ》が棄《す》てられているのを発見した。  嬰児はベビー服の上にバスタオルを巻かれていた。嬰児は三十数度の暑熱の中に放置された後、冷たい雨に打たれて、泣き声も出ないほど衰弱していた。  驚いた運転士は最寄りの病院へ走り込み、嬰児は際どいところで命拾いをしたというものである。  病院は嬰児の逞《たくま》しい生命力に驚くと同時に、警察に連絡して嬰児の親を探している、という記事のスクラップばかりが集められていた。  笠原はそのスクラップを捜査本部へ持ち帰った。 「被害者が二十八年前の棄児事件の報道記事をスクラップしたのは、彼女がこの棄児に強い関心を持っていたことを示します。このスクラップには当時の報道記事のほとんどすべてが集められています。いまから二十八年前といえば、被害者は二十二、三歳になります。この棄児の母親は被害者ではないでしょうか」  笠原の言葉に一座がどよめいた。 「棄児の母親が被害者と仮定して、それが事件にどんな関《かか》わりを持ってくるのかな」  那須が一同の疑問を代表して問うた。 「母親として生まれたばかりの子供を真夏日、トラックの荷台に棄てたのはよくよくの事情があったものと考えられます。後日、棄児が母親の所在を知り、母を怨《うら》んだということは考えられないでしょうか」 「すると、きみは棄てられた子供が母親を怨んで殺したというのかね」  驚きの声が一同の口から漏れた。 「その可能性もあるとおもいます」 「なるほど。棄児が犯人だとすると、彼はどうやって母親の所在を探り出したのかな」 「母親は赤ん坊を棄てたものの、常にその行方が気にかかっていたでしょう。そして二十八年して成人した子供に連絡して、自分が母親だと、名乗りを上げたとします。だが子供は自分を棄てた母を許さなかった。幸いに発見が早かったので命を拾ったものの、もう少し発見が遅れれば、赤ん坊は確実に死んでいたはずです。棄てるに事を欠いてトラックの荷台へ棄てたということは、子供が死んでもかまわないという意識があったかもしれません。つまり未必の故意による殺人の成立する可能性があります。子供にしてみれば、二十八年たって名乗り出てきた母親に愛情どころか、憎悪と敵意をかき立てられたかもしれません」 「しかし、いかに自分を棄てた母親とはいえ、二十八年間も棄てられた子の怨みが残っているものでしょうか」  反論が出た。 「成人した棄児には、いまさら母親に名乗り出られては困るような事情があったかもしれません。棄児は現在二十八歳に成長しているはずです。すでに結婚しているかもしれません。あるいは縁談が発生しているかもしれない。そのようなときに、自分が棄児であることを証明するような実母が名乗り出てきては、大変迷惑するのではないでしょうか」 「それにしても、子供が実の母を殺すとは……」 「その実の母が、生まれたばかりの我が子を殺そうとしたのですよ」  束の間、重苦しい沈黙が一座を支配した。  たしかに笠原が言うように、動機としては可能性があるが、子が二十八年もたって名乗り出て来た母親を殺したという発想の重苦しさに圧迫されたのである。 「母親に名乗り出られては都合の悪い人間は、成長した棄児だけではなかったかもしれません」  そのとき棟居が発言した。一同の視線が彼に集まった。 「また赤ん坊を棄てたのは、必ずしも母親とは限りません」  棟居の言葉に一同ははっとした。新たな視野が見えかけてきたのである。 「赤ん坊を棄てたのは父親であったかもしれません。むしろ父親ならば母性愛もなく、物でも棄てるように我が子をあっさりと棄てられたかもしれません。そしてその事件を契機にして、赤ん坊の父親と母親は別れた。それから二十八年後、母親は父親の所在を知り名乗り出たとしたら……」 「父親にとっては、母親は自分の弱味をつかんでいる人間ということになるな」  那須が金壺眼《かなつぼまなこ》を光らせた。 「父親もおそらく母親と同年配、あるいはそれ以上の年齢に達し、家庭を持ち、それなりの社会的地位を得ているかもしれません。そこへ二十八年前の女が姿を現わして、とうに忘れていた弱味をタネになにかを要求したとしたら」 「つまり母親が父親を、棄児事件をタネに恐喝したというのかね」 「恐喝しないまでも、二十八年後、父親の前に突然姿を現わしただけでも、彼は相当に困るのではないでしょうか」  棟居の意見は殺人動機に新たな可能性を提示した。これは笠原説よりも説得力がある。  もし父親に社会的地位と家庭があるなら、二十八年前の、鬼畜でなければできないような棄児を表沙汰《おもてざた》にされることは、大きなダメージとなるだろう。最悪の場合は家庭が破壊され、社会的地位を失うかもしれない。  笠原が発見したスクラップによって、膠着《こうちやく》していた捜査に新たな展望が開きかけていた。当面棄児の行方を探すことになった。  まだ被害者が棄児の母親とは確認されていないが、彼女がその棄児に関心を抱いていたことは確かである。  棄児の行き先に両親の所在を示すものがあるかもしれない。そしてその両親が被害者になんらかの関わりを持っていれば、捜査はそこから進展する。  沈滞していた捜査本部に活気が生じた。 [#改ページ]   棄てられた接点      1  二十八年前の棄児事件を扱った玉川《たまがわ》署に、当時の資料の提供が要請された。なにぶん二十八年前の棄児の資料であるので、保存されているかどうかわからない。  資料は保存されていた。棄てられた嬰児は生後約一ヵ月、国立小児病院で手当てを受け、元気を回復した後、世田谷区長がいちばん幸せになるようにという願いをこめて、幸一《こういち》と名づけて、区内の乳児院に預けたことがわかった。  さっそく乳児院を当たったところ、幸一は満二歳までその乳児院に預けられ、その後、世田谷児童相談所から区内の社会福祉法人「多摩川《たまがわ》愛児園」に引き取られたことがわかった。  多摩川愛児園は区内|宇奈根《うなね》の多摩川河川敷の近くにあった。近年、急速に宅地化が進み、いまは家の間に昔ながらのわずかな農家が残っている。  多摩川愛児園は終戦後間もなく、宣教師スタニスラウスによって開かれたものである。以後四十数年、ほとんど行政の補助を受けず、善意のボランティアだけで運営されている養護施設である。  この施設は身寄りのない子や孤児を十八歳になるまで預かって世話をしている。現在の園長はスタニスラウスの娘で、二代目だという。  棟居と笠原が多摩川愛児園を訪れた。  二代目園長マザー・パトリシア・スタニスラウスは六十前後の穏やかな老婦人であった。 「ああ、幸一君ですか。よくおぼえています」  応対したマザー・パトリシアは流暢《りゆうちよう》な日本語で答えた。 「現在二十八歳になっているとおもいますが、その後の行く先はご存じでしょうか」  二人の捜査員はマザーの面《おもて》を見つめて問うた。  三百坪ほどの敷地を擁する建物の奥から、幼い子供たちの賑やかな気配が漏れてくる。一見、普通の幼稚園と変わりない雰囲気である。  ここには成人間近の少年たちも収容されているはずであるが、彼らの気配は聞こえない。 「それが、私たちも幸一君の行方は知りません」  マザー・パトリシアの面が少し悲しげに曇った。 「それでは卒園後、消息不明になってしまったのですか」  子供たちの中には、棄児や孤児である経歴を隠すために、世話になったホームと絶縁する者もいるであろう。  せっかくの笠原の着眼であったが、徒労になりそうな気配である。 「それが卒園して音信不通になったのであれば、あきらめもつくのですけれど、自分から出て行ってしまったのです」 「自分から出て行った……」 「あの子には放浪癖があるようでした。施設《ホーム》としての息苦しさを感じさせないように、私たちも精一杯気を配っているのですが、子供たちにとっては最小限の規律も煩わしいのでしょう。時どき逃げ出す子が出ます。幸一君も何度か逃げ出しては出先で保護されて連れ戻されたのですが、十歳のとき、園を出たまま帰って来ませんでした。利発で逞しい子でしたから、元気に成長しているとおもいますが、その後まったく便りはありません」  パトリシアはついに幸一の心の窓を開けなかったことが残念であるようである。 「幸一君は自分が棄児であるということは知っていましたか」 「このホームには、棄てた子を、親が後悔して引き取りに来ることがあります。幸一君はいつかきっと自分の親が迎えに来るにちがいないと信じていました。物心つくと、なぜぼくのパパやママは迎えに来ないのかと聞いて、私たちを困らせたものです。利口な子でしたから、私たちが告げるまでもなく、自分が棄てられたことを悟っていました。四歳を過ぎたころから、両親のことは一言も言わなくなりました。いくら待っても親が迎えに来ないことを悟ったようです。幸一君はそのころから園を出るようになりました」 「それで、幸一君の両親の手がかりになるようなものは残されていなかったのですか」 「幸一君が棄てられたとき、ベビー服を着せられ、バスタオルに巻かれていました。そしてそのそばに粉ミルク一缶、ミルクの入った哺乳《ほにゆう》びん、タオル、写真、郷土|玩具《がんぐ》らしい木彫の人形とわらで編んだ輪などが入ったビニールバッグが置かれていました」 「ビニールバッグが一緒に残されていたのですか」  パトリシアはうなずいた。 「そのビニールバッグはいまでも保存してありますか」 「幸一君のものですので、大切に保存してあります」 「幸一君は園を出るとき、そのビニールバッグを持って行かなかったのですか」 「残していきました。自分を棄てた両親を怨んでいたのでしょうか、まるで汚物でも見るように手も触れませんでした」 「すみませんが、そのビニールバッグを見せていただけませんか」 「結構ですよ」  パトリシアはうなずいて、別室へ行った。  間もなく彼女はビニールのバッグと園児の記録ファイルを手にして戻って来た。 「これです。粉ミルクは腐ってしまいましたので中身を捨てましたが、缶だけ保存してあります」  刑事らはパトリシアが差し出したビニールバッグから中身を取り出した。  ベビー服、バスタオル、粉ミルクの空かん、哺乳びん、厚手のタオル、ベッドに寝ている嬰児の写真、それにわらのような植物で作った輪である。 「この写真の主が幸一君ですか」  棟居は問うた。 「そうです。棄てる前に撮影したのでしょうね」  パトリシアがうなずいた。ベッドの背景にかすかに建物の屋根と樹木が写っている。樹種は欅《けやき》や杉らしい。 「これだけですか」 「これだけです」  保存されていた幸一の遺留品を調べた棟居らは、 「郷土玩具がありませんが」  とマザー・パトリシアの顔を見た。 「それが幸一君が出て行ったときは、たしかにあったのですが、いつの間にかなくなっていたのです」 「なくなっていたということは、だれかが遺留品の中から持ち去ったということですか」 「そういうことになりますわね。園児の私物は私どもがちゃんと保管しているのですが、だれかが持ち出さなければなくなるはずがありません」 「郷土玩具だけなぜ持ち出したのでしょうか」 「それは私にもわかりません」 「郷土玩具はどんな形をしていましたか」  棟居は問うた。 「先端がくびれていて、六角柱形でした。六角柱の側面には、蘇民《そみん》、将来、子孫、人也、大福、長者と朱と墨字で交互に書き分けられ、その裾《すそ》と頭の部分になにかの模様らしいものが描《か》かれていました」  パトリシアは記録ファイルを開いて答えた。 「その他に幸一君の遺留品はありませんか」 「遺留品といえるかどうかわかりませんが、幸一君が在園中工作した作品や描いた絵があります」 「それを見せていただけませんか」  パトリシアはうなずいて、数点の工作品や粘土細工、および絵をもってきた。粘土細工は花びんや茶碗《ちやわん》である。絵は動物や風景を描いた作品であるが、幼いながら独特のデフォルメされた造形に才能の片鱗《へんりん》がうかがわれるようである。 「これらの品を少々お借りできませんか」  棟居は園長に頼んだ。  それらの品の中に、親の身許を示す手がかりが潜んでいるかもしれない。 「つかぬことをうかがいますが、朝田織江という女性にお心当たりはありませんか」  棟居は質問の鉾先《ほこさき》を変えた。 「アサダオリエ……」 「新宿で『おりえ』というスナックを経営していました。五十歳の女性ですが」 「さあ、存じませんね。そのアサダさんがどうかしたのですか」 「実はその朝田織江さんが、幸一君が棄てられたときの新聞記事のスクラップを集めていたのです」 「スクラップを……」  パトリシアの顔色が少し動いた。 「朝田さんは九月十一日の夜、殺されました」 「殺された!」  パトリシアの面に驚きの色が走った。 「私どもは、その朝田織江さんと、幸一君との間になにかのつながりがあるのではないかとおもいまして、調べているのです。あるいはべつの名前でこちらへ訪ねて来たかもしれません。この女性ですが」  棟居は用意してきた朝田織江の写真を園長に示した。 「いいえ、この人は知りません。当園へ来たこともございません」  園長は首を横に振った。結局幸一の足跡は多摩川愛児園までであった。  多摩川愛児園から領置した品を、二人は捜査本部へ持ち帰った。  捜査本部でそれらの品目について、さらに詳細な検討が加えられた。  まずベビー服とバスタオルは市販の既製品である。メーカーのマークはなく、あったとしても量産品なので、メーカーから手繰《たぐ》りようはない。  粉ミルクと哺乳びんも量産品である。バスタオルは無印の粗雑な生地であったが、二本の成人のものとおもわれる毛が残されていた。これは重要な資料として保存された。  写真はサービスサイズで、ベッドの上の幸一を生後間もなく撮影したものらしい。背景の建物の形や樹影から撮影地を特定するのは難しい。わらで編んだ輪は、用途は不明であったが、素材は茅《かや》と判明した。  多摩川愛児園を出奔した後の幸一の消息は杳《よう》として不明であり、朝田織江との接点は見出《みいだ》されない。      2  事件が発生して数日後、棟居は横渡家を訪問した。横渡家は犯行現場からほど近い中野区の一隅の小住宅街の中にある。  この地域には明治から大正期にかけて、都心から移転して来た寺院が多い。吉良上野介《きらこうずけのすけ》の墓所のある功運寺《こううんじ》も間近い。  横渡家は小さいながら、親から引き継いだ家らしく、土地柄と同様に古格がある。  住み心地よさそうに住み古し、狭いながら庭も手入れが行き届いていた。屋内には線香のにおいがこもっている。  庭に面した客間に請《しよう》じ入れられた。  面やつれした細君が茶を運んで来た。突然夫を失った悲嘆と、殉職として警察葬に付された葬儀の疲れやらで憔悴《しようすい》しているのであろう。 「どうぞ、奥さん、おかまいなく。まずお線香をあげさせてください」  棟居は細君に請うて、客間の隣りの居間に置かれた仏壇の前に進んだ。  仏壇も仏具も古びている。その中で横渡の位牌《いはい》が新しい。  位牌には「至徳院日窓禅機居士」の戒名が読める。  仏壇の奥から横渡の微笑を含んだ顔が、いまにも語りかけそうである。  香華を手向《たむ》けて掌《て》を合わせると、黒人刺殺事件の捜査で一緒に富山県の八尾《やつお》へ行ったとき、列車の中で彼と交わした会話をおもいだした。  祖母を殺され、ただ一人の身寄りを失った孫娘について、横渡は、 「おれたちは、たとえ犯人を捕まえることはできても、あの娘の寂しさは救ってやれないんだな」  と悲しげに言った。棟居が、 「あのおばあさんはいい齢《とし》でしたよ。いま死ななくとも、いずれ近いうちにお迎えが来たでしょう」  と答えると、 「きみのように割り切って考えられたらいいよ」 「私も身寄りとか肉親などというものはいませんからね、孤独には馴《な》れています。肉親を失った悲しみや寂しさもほんの一時です。人間はみんな一人です」 「あんた、嫁さんをもらうつもりはないのかね」  と横渡が棟居に問うた。そして、 「嫁さんもらって子供でも生まれれば、考え方も変わってくるよ」  と言葉を継いだ。 「女房をもらい、子供ができても、それぞれが一人であることに変わりはありませんよ。一生彼らにつき添ってはやれませんからね」 「それは人間はいずれ別れなければならんが、それでも人生の大部分を家族は一緒に歩くことになる」 「ただ一緒に歩くというだけで、それぞれが孤独だという本質に変わりはありません。私は、肉親や友達は、編隊を組んで飛んでいる飛行機のような気がするんです。ある機が故障になったり、あるいはパイロットが傷ついたりして飛行が不能になっても、僚機が代わって操縦してやれない。せいぜいかたわらにつき添って励ましてやるくらいです」 「それでもないよりはましだろう」  と横渡は言ったのである。  そんな会話が懐かしくおもいだされた。  焼香が終り仏間から居間へ引き返しかけたとき、間仕切りの襖《ふすま》から、隣室にのべられている寝具が見えた。 「どなたかお具合でも悪いのですか」  棟居はなにげなく問うてから、よけいなことを聞いたと後悔した。 「娘が、寝たきりなのです」  細君が湿った声で答えた。 「これは、よけいなことをお尋ねしてしまいました」  棟居は詫《わ》びた。横渡にそのような娘がいたということは初耳である。 「いいえ、かまいません。二年前に熱海《あたみ》に海水浴に行きましてね、ジェットスキーというのに衝突されて、脊髄を傷つけられたのです。それ以後下半身不随になってしまいました」 「そうでしたか。横渡さんがなんにもおっしゃらないので、全然知りませんでした。加害者はわかっているのでしょうね」 「それが当て逃げをしまして、いまだにわかっていません」 「当て逃げですか。ひどいな」  語尾は喉《のど》の奥に呑《の》んだ。 「横渡は生前、『警察官はたとえ家族が危険に陥っていても、まず他人を救わなければならない。家族を救うのはいちばん後まわしだ。それが警察官の宿命なんだよ』と口癖のように言っていました。娘は父親っ子でして、半身不随になってからはたまの休日に横渡に連れられてドライブに行ったり、お風呂へ入れてもらったりするのをとても楽しみにしていました。めったにない休日でしたが、横渡は休日のすべての時間を娘に当てていました」  細君が言った。  捜査の鬼のような横渡の知られざる側面であった。  横渡はどんなにか半身不随になった娘と代わってやりたかったであろう。そして不幸な娘のために、共に過ごす時間をつくりたかったであろう。  それらのおもいに耐えて、彼は警察官の宿命に殉じたのである。  一日の長く厳しい勤務を終って、帰宅途上にあったとき発生した事件であった。  指呼の距離に我が家の灯火は瞬いている。救いを求める悲鳴に耳を背けて帰宅すれば、横渡は死なずにすんだのだ。  家では寝たきりの娘が父の足音に耳を澄まし、その帰りを待ちわびている。  彼はすでに充分に勤めを果たした。せめて深夜、自宅での時間は職務から解放されて、家族のために捧《ささ》げたかったであろう。  だが横渡は救いを求める悲鳴に耳を塞《ふさ》ぐことができなかった。そうしろということは、横渡に警察官である前に人間をやめろと命ずるのと同じであった。  そして横渡は死んだ。 「私はあの人を誇りにおもいます。けれども同時にもう一度生まれ変われるならば、二度と警察官とは結婚いたしたくありません。私自身のためではないのです。娘が可哀相《かわいそう》です」  耐えていた感情が溢れたように、細君の目尻から涙の雫《しずく》が伝い落ちた。 「私は夫を誇れなくとも尊敬できなくても、娘のためによい父であってほしいとおもいます。世間の平凡な父親並みに、週に一度は必ず休日があって、家族と過ごせるような生活、世間一般の家庭ならなんでもないことが刑事の家にはありません。刑事の家族はそういうことを求めてはいけないのです。本人は、自分の職業と正義感のためにしていることですからやむを得ないとおもいます。でも刑事の家族にそれを求めるのは酷だとおもいます。妻はそれを承知で結婚したのですからあきらめもつきますが、子供たちには関係ないことです。警察官の子供であるという理由だけで、世間一般のささやかな幸せから遮断されてしまうなんて、非人間的だとおもいます。私は娘に、二度とこのような非人間的なことを強制したくありません。ですから、もしもふたたび生まれ変われるならば、警察官とは結婚しないつもりです」  棟居は細君の言葉に面を伏せて聞き入っているだけであった。一言も反論できない。  横渡は警察官としての使命に殉じた。だがその使命に家族を道連れにはできない。  棟居が、 「孤独には馴れている。肉親を失った悲しみや寂しさはほんの一時だ」  と言うと、横渡は、 「嫁さんもらって子供でも生まれれば、考え方も変わってくるよ」  と苦笑するように言ったが、彼の細君の言葉に、肉親を失った遺族の悲嘆と寂しさは永遠につづくことをおもい知らされた。      3  棟居には忘れようとしても忘れられない過去がある。  六年前、勧める人があって結婚した。  妻の春枝は平凡な女であったが、明るく健康で、棟居をよく支えてくれた。屈託がなく、演歌が好きだった。  世間一般の新婚旅行は、ハワイだのアメリカ西海岸だのと豪勢であったが、棟居は三泊四日の伊豆《いず》が精一杯であった。  それも事件が発生して、旅行先から呼び返された。  新婚旅行も満足にできないような棟居との結婚生活であったが、妻は愚痴一つこぼさず、いつも演歌を口ずさんでいた。  棟居は春枝に満足していた。 「おまえは見て目が覚めるような美人ではないが、飽きのこない顔をしているな」  棟居はそう言ってはよくからかった。 「目が覚める代わりに、眠くなるような顔だと言いたいんでしょう」  春枝はすねた表情をして睨《にら》んだ。 「とても安らかな気持ちになるよ」 「いいわよ。どうせ私は子守唄《こもりうた》を歌うしか能がないんですもの」 「おれはおまえの子守唄が好きなんだ」  実際彼女の演歌は、犯罪者を追跡してささくれ立った棟居の心を柔らかく鎮めてくれた。  結婚して二年目に子供が生まれた。女の子であった。子供は桜《さくら》と名付けた。  棟居は幸せだった。自分はそのような幸せには縁がないものとおもっていた。だが春枝と結婚して桜を得て、家庭の幸せというものをしみじみと知った。  ささやかな幸せであったが、棟居にとってなにものにも代え難い貴重なものであった。  この妻と子を守るためには、世界を相手に戦争するも辞さないような気持ちであった。  かつて横渡は棟居に、嫁さんをもらうつもりはないかと問うたことがある。  それに対して棟居は、女房をもらって子供ができても、それぞれが一人であることには変わりない、一生彼らにつき添ってやれないと強がったものであるが、こんなに早く彼らを失うとはおもってもいなかった。  横渡は棟居の強がりに、人間いずれは別れなければならないが、人生の大部分を家族は一緒に歩くことになると言った。  大部分どころか、春枝と結婚してわずか四年、桜が生まれて二年であった。  ようやく人並みの、しかしかけがえのない幸せを得たとおもったら、たちまち不法にむしり取られてしまった。  幸せの記憶は短すぎ、二人をむごたらしく奪われた記憶は、悪夢となって棟居の脳裡《のうり》に張りついている。  二年前の二月末、棟居は管内で発生した殺人事件の捜査本部に投入されていた。  捜査は難航し、連日帰宅が深夜になった。  それでも家に帰れるのはラッキーである。家に帰れば、ゴングに救われたよれよれのボクサーを介抱するセコンドのように、春枝が翌朝の出勤時までに棟居をリフレッシュしてくれる。  悪性の風邪《かぜ》に罹《かか》って、勤務中に発熱したことがある。そのときも春枝は実家相伝の風邪の特効薬とかいうスープをつくり、翌朝までに棟居の熱を下げてしまった。  その夜、聞き込みに疲れた重い足を引きずって帰宅して来た棟居は、我が家の窓が暗いのに不審の念を誘われた。  どんなに遅くとも、棟居の帰宅を待って、彼の家の窓は暖かげに灯火《ともしび》がまたたいているのが常であった。  それが今夜は暗く、無人のように閉ざされている。  玄関に立って念のためにブザーを押したが、屋内に反応する気配もない。  棟居は不吉な予感を覚え、玄関の取っ手に手をかけた。鍵《かぎ》はかかっていない。  不用心だから、必ず鍵はかけておくようにと春枝に言ってある。  戸を開いて、「春枝」と屋内に呼びかけた。だが屋内は静まり返ったままであった。  異常な気配が屋内に屯《たむ》ろしている。かき立てられた空気が、鎮まりきらぬ埃《ほこり》のように不安定に漂っているのである。  棟居は本能的に異変を悟った。なにか異常が、棟居の留守の間に彼の家に発生したのである。  屋内には春枝だけでなく、桜の気配もない。  父親っ子の桜は、彼が帰宅するとどんなに遅くとも目を覚まして飛び出して来るのである。  棟居の帰宅前に、彼に無断で母子《おやこ》が外出するはずはない。  妻子の名前を呼びながら屋内へ入った棟居は、愕然《がくぜん》として立ちすくんだ。  屋内は明らかに荒らされていた。物色されているだけではなかった。春枝が桜を守って抵抗したらしく、家具や什器《じゆうき》が倒れ、本来の位置を変えていた。  さして広くもない家である。ダイニングキチン、居間、寝室、どこにも春枝と桜の姿はなかった。  押入れを開き、トイレを調べ、浴室を覗《のぞ》いた棟居は、凝然として立ちすくんだ。彼はそこに無惨に変わり果てた妻子を発見した。  棟居は束の間、声も出なかった。眼前の光景を自分の目で確認していながら、悪い夢のように信じられない。  悪魔は棟居の不在の間に侵入し、彼の妻子を毒牙《どくが》にかけたのである。  物盗《ものと》り目的で侵入し、居直っての犯行か、棟居に怨みを含む者が彼の不在中、妻子を狙ったのかわからない。  いずれにしても棟居にとってかけがえのない存在を殺害して、浴室にゴミのように棄てて行ったのである。  せめてもの救いは、春枝の身体が汚されていなかったことである。  棟居は一夜にして妻子と家庭を失ってしまった。  管轄警察署に捜査本部が開設されて捜査が行なわれたが、犯人はわからずじまいであった。棟居は管轄ちがいでその捜査に参加できなかった。  刑事が家族を殺されても、個人的な怨恨から捜査はできない。刑事の職制は復讐《ふくしゆう》することではなく、社会の不正と戦い、公共の平安と秩序を維持することである。  棟居の妻子が殺された事件は、迷宮入りとなり捜査本部は解散された。現在、所轄署の継続捜査になっている。  棟居は愛する者を殺された怨みと怒りを心身に深く刻みつけて、職責|一途《いちず》に努めた。  自分の職責を果たすことで、不法に殺された妻子の怨みを晴らそうとしているかのようであった。  たとえ妻子を殺した直接の犯人を捕えることはできなくても、社会の不正の根は同じである。  棟居はそれまで職業として携わっていたことを、妻子に対して負った債務の返済として遂行するようになった。  世の中の悪いやつらを一人でも多く退治することが、不法に殺された春枝と桜のなによりの供養になるとおもい込んだのである。  同僚の横渡を殺されたとき、棟居の瞼《まぶた》に重ね焼きされたのは、浴室にゴミのように投げ込まれていた妻と子のむごたらしい姿であった。  忘れたい記憶であるが、忘れてはならない光景である。  二人の無残な姿が、いつも棟居を励ましていた。  それは絶対に枯渇することのない怒りの燃料であり、怨念《おんねん》のエネルギーである。春枝と桜はその無限の供給源であった。 「横さん、仇《かたき》は必ず討ってやるぜ」  心に固く誓った棟居は、妻子を殺された捜査に参加できなかった無念を、いま晴らすチャンスをあたえられたようにおもった。      4  一方、横渡の指先にからまっていた毛髪とバスタオルに付着していた毛髪について法医学的鑑別が行なわれ、まず色素沈着、髄質等から人毛、その毛髪の長短、太さ、縮れ方、両端の性状、横断面の形等によって、男子成人の同一人物の頭毛と鑑定された。  これによって毛の主は、嬰児や母親ではないことが明らかになった。共犯の可能性は残っているが、幸一を容疑者に数える笠原説は、ここにおおかた打ち消された。  朝田織江と横渡を殺害した犯人は、二十八年前幸一を棄てた(ことに関わりのある)人間と同一人物である。事件は二十八年前の棄児を原因としている可能性が大きくなった。捜査本部は緊張した。  確定はされないが、嬰児を棄てたのは父親である可能性があると主張する棟居説に一歩近づいたことになった。  被害者の異性関係からは容疑線上に浮上した者はいない。被害者の殺害動機が棄児から発しているとすれば、その異性関係は二十八年以上前にさかのぼって探さなければならない。  だが被害者の上京後、「おりえ」を開店するまでの足跡はまったく不明であった。  捜査本部では、殺人動機を横渡の方に探すべきではないかという意見が台頭してきた。犯人の狙《ねら》いは横渡にあり、朝田織江は傍杖《そばづえ》を食ったのではないかという見方である。  これに対して棟居は、 「解剖によっても、殺害の順序は明らかにされていません。いずれが先、あるいは後であっても差し支えないという意見であります。しかし、朝田織江の致命傷となった背中の傷口は、右肩甲骨と脊髄の間、上部|肋骨《ろつこつ》の隙《すき》を水平に、刃先を左(脊髄の方)に、棟(凶器の背)を右(肩甲骨側)へ向けて形成されております。このような傷口は犯人が被害者を抱くような形で凶器を逆手に握って使用しないとできません。被害者と犯人は顔見知りで、犯人は被害者を抱き寄せて、隙をうかがって凶器を振るったものと推測されます。このような状況で被害者が傍杖を食うことは考えられません。朝田織江に対する犯行後、気配を聞きつけて横渡刑事が駆けつけたものと考えられます」  と反駁《はんばく》した。 「被害者の背後から凶器を順手に握って刺しても同様の創傷が形成されませんか」  新たな質問が出た。 「朝田織江の下腹部の傷をみて下さい。いずれも刀背が上に、刃先が下を向いていて、傷口が上から下へかきむしられた形になっています。向かい合って立っている被害者に最初からそんな凶器の用い方はしません。このことから、まず犯人は被害者を抱くようにして逆手の凶器を用い、驚いた被害者が犯人を突き放したので、犯人は止《とど》めを刺すために追撃を加えたのだとおもいます。これは地上に仰向《あおむ》けに倒れた被害者に、逆手に握った凶器を上から下へ振り下ろしたものと考えられます」 「横渡刑事の傷口は、やはり刀背が上に、刃先が下を向いていますが、これも凶器を逆手に握って使用したのでしょうか」 「立っている被害者に対して逆手に握った凶器を振るう場合も、上から下へ振り下ろす形になります。従って傷口も上から下へかきむしられた形になります。おそらく横渡刑事に対しては、凶器を順手に握り直して用いたものと考えられます。異なる相手に対して凶器を逆手から順手に持ち替えることはありますが、その逆はほとんどありません。格闘の間、朝田織江が自分の殺される番を黙って待っているはずもありませんので、以上から、犯行順序は朝田織江、横渡刑事の順と考えられます」  すでに横渡についても動機関係の捜査は進められていたが、目ぼしい線は浮かび上がっていない。  犯人の本命の狙いは朝田織江、そして横渡は犯人を捕えようとして刺されたとする意見が依然として支配的であった。 [#改ページ]   駐車した死      1  ホテルの駐車場は深海の迷路である。入口のゲートを通って入場して来た車は、駐車スペースを探して、迷路の中を走りまわる。  暗黒の中にヘッドライトの双眼をきらめかしてうろついている姿は、海底を、住処《すみか》を探してうろつきまわるチョウチンアンコウに似ている。  ようやくスペースを探し当てた車は、ライトを消し、エンジンを止め、暗黒の底に束の間の休眠を取る。  新宿西口の新宿メトロホテルの駐車場は、ホテル建物地下三層に設けられ、収容台数は三百十台である。  ホテルの駐車場を利用する客は、宿泊客だけではない。ホテル内で開かれる多様な会議、企業新製品の発表会、新重役の就任披露、結婚披露、各種イベント、大小レストランなどに出入りする客たちも、この駐車場に車を預けに来る。これに外部の車が加わる。  三百十台のキャパシティでは、殺到する車の大群をとうてい収容しきれない。これが地上駐車場であると、ドラ付き(お抱えドライバー付き)が多いのでスペースに効率よく追い込めるが、地下は指定台数以上に詰め込めない。  入場ゲートと出場ゲートは二ヵ所に設けられているが、入車数と出車数は常に計算されていて、スペースが生ずると、待っている車を入場させる。  ホテルが満室のときは当然泊まりの車も多くなって、宿泊客以外の利用車のスペースが圧迫される。  スペースが生じてようやく入場した車も、広大な駐車場の中にわずかなスペースを見つけて、鵜《う》の目|鷹《たか》の目で走りまわる。  近い将来、スペース表示式コンピューターが導入される予定であるが、それまでは運転者自分でスペースを探し当てなければならない。  開館当初は、地下三層にわたって運転者がスペースを探さなければならなかった。  オフシーズンのがらがらのときはよいが、三百十台のキャパシティのうち、ただ一台のスペースが空いたときは運転者は三層にわたって探さなければならない。  その労を省くために、各層の入口に案内係《ガイド》を配置して、スペースのある層《フロア》を指示することにした。  ガイドのおかげで、運転者の労は三分の一になったわけである。  十月二十三日午後五時、夜勤《ナイト》に就いたホテルの駐車場係|塩原勇吉《しおばらゆうきち》は、持ち場の第一層の出入口に立った。  一層にスペースがある場合は、一層へ入るように車に指示する。ない場合は二層へ送る。二層の入口にも係員が立っていて、そこにスペースがない場合は、さらに三層へ送る。  案内係のおかげで、一層、二層を無駄まわりして三層へ行ったり、三層から戻って来たりする手間が省けて、スペースのある層へ直行できるようになった。  午後五時、まだ駐車場にはゆとりがあるので、特に案内する必要はない。  午後のラッシュは五時ごろから始まる。昼間のラッシュは正午少し前から午後一時ごろの食事時間にかけてであるが、週末や大安の日などは、朝から深夜までラッシュがつづく。  駐車時間は一時間以内が圧倒的に多い。食事客は二時間、宴会客は四時間以内、それ以上は泊まりとなる車が多い。  勤務時間は、夜勤が午後五時から翌朝の九時半まで、ただし駐車場の閑なときは随時、休憩と仮眠が許される。  午後十時以降は出場する車の方が多いので、案内もほとんど不要になる。また朝も圧倒的に出場車が多い。  駐車場案内係の最も忙しいのは、午後六時から九時ごろまでである。  だがその間、老いた身体に鞭《むち》打って、排ガスを吸いながら暗黒の中に一人立ちつづけるのは辛《つら》い。  同僚は二層の入口に一人いるが、姿も見えなければ会話も交わせない。  塩原はある市中銀行を定年退職して、このホテルの駐車場案内係として職を得た。  銀行時代の要領のいい者は、それぞれ融資先に天下りしている。  金庫番と渾名《あだな》された堅物の彼を見込んで声をかけてくれる者もあったが、塩原は銀行の関連先に余生を託す気がしなかった。  他人の金勘定は三十数年もやれば充分という意識があったからである。  それにしても六十を超えた老骨に、駐車場案内係は厳しい仕事であった。  駐車場案内係は仲間内で墓守《はかもり》と呼ばれている。  たしかに地下駐車場は墓場に似ている。車を墓石になぞらえた地底の墓地である。そこの案内係を墓守とはいみじくも呼んだものである。  駐車場のゲートに立って入場車を地上、地下に振り分けたり、出場車から駐車時間に見合う料金を徴収したりする係を関守《せきもり》と呼んで、墓守と関守が勤務シフトによって交替する。  関守は外界に接し、外の空気も吸える。ブースの中は冷暖房が通っている。墓守の持ち場は車のためのスペースで人間がいるための配慮はまったくなされていない。  勤務シフトは一週間交替で、休日をはさんで関守と墓守が入れ替わる。夜勤、日勤、夜勤という勤務割《ローテーシヨン》になっているので、体のバイオリズムはくずれっぱなしである。墓守から関守に替わるときは、正直ほっとする。  十月二十三日、持ち場に着いた塩原は、まず一層全域をパトロールした。スペースの空き具合を自らの目で確認しておくためである。  自分の持ち場のスペースを把握しておかないと、入場車の案内はできない。特にスペースが厳しくなってくると神経を遣う。  出入場車の総数はゲートで計算しているが、各層の出入場車数は案内係が把握していなければならない。  数は常に流動しており、見まわり中にも出入場車が動いている。  見まわっていた塩原は、ふと駐車場の一角に視線を固定した。そこに停められている車に記憶があったからである。  T社の1600GT、ハードトップであるが、その車は二十日彼が夜勤《ナイトシフト》のとき入場した車であった。  昨日(二十二日)は塩原は日勤《デーシフト》であったが、その間、そのGT車がまったく出入りしていないのを確かめている。そして今日の夜勤で、ふたたび同じ位置に停まっている同じ車を発見した。塩原の不在中出入りしたとしても、契約駐車場ではないので同じ位置に三日間駐車できる確率は低い。 「また泊まりかな?」  塩原は首を傾《かし》げた。  滞在客の車は駐車場に泊まる。だが塩原の経験では、客の滞在中、車はまったく出入りしないということはなかった。客は滞在していても、その間、車に乗って出入りする。  車がまったく動いていないということは、その主がホテルに閉じこもっているということである。  また外来客があれば、車だけ放置して帰ってしまうはずがない。駐車場の係官には、車のような高価なものを放置するはずがないという意識がある。  塩原は件《くだん》の車へ近づいた。一見したところ、手入れも行き届き、充分新しい車である。  塩原は車の周囲をまわった。べつにどこにも異常はなさそうである。  だが、なにかしら異様な気配が塩原に訴えかけてきている。  駐車場に停められている車は、その主が立ち去っている間、それぞれの高性能を休眠させている。彼らは死んだわけではない。束の間眠っているだけである。  だが塩原がその車から感じ取った気配は、他の車とはまったく異なる一種の鬼気である。安らかに休眠している車ではなく、車全体から鬼火を発しているような不気味な気配が、塩原に迫ってくる。  塩原は急に怖くなった。ちょうど出入場車が絶えて、暗黒の地底が静まり返っていた。  そのとき塩原の鼻孔を衝《つ》いた臭気があった。彼の初めて嗅《か》ぐ不吉な臭気である。臭気は車の後部トランクの方から発している。  塩原は恐る恐る車の後方へ歩み寄り、トランクに手をかけた。トランクはロックされていた。  彼の視線はトランクの下、後部車輪の近くに、オイルが漏れたような黒い粘液の貯留《プール》を見つけた。  塩原は愕然とした。プールの源がトランクの中にあることは明らかである。  彼はちょうど下りて来た入場車に目もくれず、ゲートの方角へ走った。      2  十月二十三日午後六時、新宿メトロホテルのナイトマネージャーから、ホテル地下駐車場内の車の内部に異常があるという連絡が新宿署に直接入った。  異常の内容については、詳しいことはわからない。  だが館内のトラブルはなるべく内聞にすましたがるホテルが、警察へ通報してきたという事実は、その異常が尋常ではないことを物語っている。  通報に接して、署に居合わせた新宿署刑事課の牛尾《うしお》と青柳《あおやぎ》は、指呼の距離にあるメトロホテルへ駆けつけた。  現場の新宿メトロホテルは、新宿駅西口副都心に簇生《そうせい》した超高層ホテルの一つである。地上四十八階、客室総数二千を誇るマンモスホテルである。  現場はその地下にある駐車場であった。地下三層にわたる駐車場の第一層の一隅に放置された車の中に、明らかな異常が認められた。  ロックされているトランクを工具を使用してこじ開けると、そこに若い女の死体が押し込まれていた。  閉じこめられていた死臭が一挙に放散して、捜査員の鼻孔を衝いた。  死者の推定年齢は二十代前半、頸部《けいぶ》に明らかな索溝《さつこう》(紐《ひも》で絞めた痕《あと》)が認められた。  殺人事件として警視庁に第一報が送られた。  犯人は被害者の死体を車のトランクルームに詰めて、ホテルの駐車場に運び込み、車ごと放置して逃げ出したものであろう。  駐車場へ入場するにあたって、まずドライバーが入場時刻を打刻した駐車券を自動発券機から引き抜くと入口ゲートのバーが開く。ドライバーは駐車スペースを探して車を駐車場に残してホテルへ入る。  ホテル建物への連絡路は駐車場の各所にあって、当然フリーパスである。  駐車場案内係が三泊四日放置されている車に不審を抱いて、死体(異常)が発見されたのである。  検視による死後経過は三日ないし四日、べつの場所で被害者を殺害して、ホテルの駐車場へ運び込んだものと推測された。  絞殺された際、口腔《こうこう》に漿液《しようえき》が貯留し、それがトランクルームの底を伝って車外へ漏れたために、発見の端緒となったものである。  駐車場案内係に事情が聞かれた。 「ホテルの駐車場を利用する際、利用者の名前は聞かないのですか」 「多数の車が出入りしますので、そういうことはしていません」 「入場する際、駐車スペースを指示するのですか」 「入場車数と出場車数を計算しておりまして、スペース分だけ入場させますが、駐車位置は利用者が随意に探しております」 「それでは入場車の駐車位置はわからないのですね」 「ゲートではわかりません。ただ各層の入口に案内係がおりまして、おおよその位置は案内しております」 「車が出るときはどうするのですか」 「出場ゲートに駐車券を差し出し、駐車時間に相応する料金を支払って出て行きます」 「出て行かないときは、車は何日も放置されることになりますね」 「そういうケースはこれまでありませんでした。私どものホテルでは、駐車場の利用客は外来客が約九〇パーセント、宿泊客が一〇パーセントですが、宿泊客もほとんどが一泊でした。滞在のお客様も、車は毎日出入りしておりまして、三日間も放置するということはございません」  ホテルの駐車場に死体を棄《す》てる者があろうとは予測もしていなかったのであろう。  たしかにホテルの地下駐車場は死体の棄て場としては恰好《かつこう》である。出入りのチェックもないし、車ごと死体を放置して八方へ抜けられる。  地下駐車場は暗く、人目もない。案内係が不審を抱かなければ、まだ発見されなかったはずである。 「ホテルの駐車場に廃車などを棄てに来る者はいないのですか」 「そのような不心得者はいません」 「しかし、棄てるつもりなら、こんな恰好な場所はありませんな。フリーパスで入れて、運転者はどこからでも逃げられる」  犯人はそこに目をつけて死体を棄てに来たのであろう。  いみじくも駐車場係が仲間内で呼び合っている墓場に死体を棄てたのである。  車内にあった車検証から、車のオーナーは桂由里子《かつらゆりこ》、二十四歳、東京都|目黒《めぐろ》区|鷹番《たかばん》二丁目××と判明した。  さっそく居所へ連絡されたが、被害者はアパートに独り住まいで、アパート住人相互のつき合いもなく、管理人が呼ばれて、不承不承死体の確認にやって来た。  管理人によって死体は確認され、ここに被害者の身許は割り出された。 「桂さんは昨年三月、入居されました。OLという触れ込みでしたが、どこかのクラブでホステスをしていたようです。数ヵ月前に勤めを辞めて、その後再就職もせずぶらぶらしていたようです。私の知る限り男は訪ねて来なかったようです。しかし監視していたわけではありませんので、私の知らないところで出入りしていたかもしれません。家賃を滞納したことはありませんでした」  受け持ち派出所の巡回連絡に答えた住人案内簿によると、本籍地は滋賀県|草津《くさつ》市、家族欄は空白になっている。  区役所の住民基本台帳と照合することになるが、住人案内簿への記載は、本人の任意に基づくものなので、住民基本台帳と符合しているとは限らない。風俗関係の店を転々としていた模様であるが、その経歴は不明である。  当該車を駐車場に預け入れた当夜からの宿泊客が当たられたが、心当たりのある者はいなかった。  被害者の死体は解剖のために搬出された。  解剖の結果、死因は頸部を索条《さくじよう》(紐)で強く締め、気道閉鎖による窒息、すなわち絞殺。  生前、死後の情交および凌辱《りようじよく》痕跡は認められず。  薬毒物の服用認められず。  死後推定時間、解剖時よりさかのぼり四日ないし五日、すなわち十月十九日から二十日にかけて殺害されたものと推測される。  二十五日、新宿署に捜査本部が開設された。  初期捜査および解剖の結果を踏まえて、第一回の捜査会議が開かれた。  殺害後、死体をホテルの地下駐車場に運び込んだ手口から、犯人はホテルの事情に通じている者と推測された。  捜査会議において、当面の捜査方針として、  ㈰被害者の生前の異性関係の捜査。  ㈪被害者の半生の生活史の調査。  ㈫被害者の職場関係の捜査。  ㈬被害者の住居関係の捜査。  ㈭現場周辺の目撃者の発見。  ㈮被害者の前足(生前の足取り)捜査。  の諸項目が決定された。      3  十月十九日午後五時ごろ、被害者はマイカーを運転して居宅付近に契約した駐車場を出て行く姿を、同じアパートの住人によって目撃されていた。  そのとき同乗者はなく、隣人と目が合うと、彼女は軽い会釈をして行ったという。  これで彼女が十九日の午後五時現在は生きていたことが確認された。  被害者の車がメトロホテルの駐車場に預け入れられたのは、翌二十日の午後八時ごろである。従って被害者は、十九日午後五時から二十日午後八時の間に殺害されたと推定される。  犯行場所は車内の公算が大きかったが、車外で殺害されて、車内に運び込まれた可能性もある。いずれの場合も犯人が被害者の車を運転して来たと考えられる。  被害者の車が綿密に検索されたが、犯人に結びつくような遺留資料は発見されなかった。  犯人は手袋を着用して運転したらしく、ハンドルからは被害者の指紋および対照不能の指紋しか顕出《けんしゆつ》されなかった。 「この犯人はよほど頭のいいやつだな」  牛尾がつぶやいた。 「計画的ですね」  青柳が牛尾の言葉を受けて言った。 「単に計画的だけではない。冷酷で冷静なやつだ。まず普通だったら山や海へ死体を隠そうとするだろう。この犯人はホテルの地下駐車場に目をつけた。なるほど、ここなら出入りはフリーパスだし、遠方へ死体を運ぶ危険がない。犯人は死体を棄てた後、ホテルのコーヒーショップでコーヒーでも飲んで行ったんだろう」 「そんな余裕が感じられますね」 「車の中に駐車券が残っていなかったな」  犯人は駐車場へ入場する際、入場時間を打刻した駐車券を発券機から引き抜いているはずである。駐車券を引き抜かなければバーは開かない。 「そういえば駐車券が残されていませんでしたね」 「駐車券をもったまま、立ち去ったのだ。犯人にしてみれば、死体ごと廃車を放置したような意識だったかもしれない」 「廃車と、人間としての機能を終えた死体を一緒に処分したんですね」 「駐車料金は死人が払うというわけだ」  死体は駐車料に見合うだけの金は身につけていた。  いまにしてそのことが、犯人が捜査陣を愚弄《ぐろう》しているように見えた。      4  桂由里子の身の上調査が行なわれていた。  被害者の本籍地を調査した結果、彼女は幼いころ両親を相次いで失い、当時、両親が住んでいた世田谷区の養護施設へ引き取られたことが判明した。  その養護施設は世田谷区宇奈根の「多摩川愛児園」である。  桂由里子は多摩川愛児園に二歳のときから十八歳まで預けられていた。  同園を卒園後、彼女はボランティアの紹介で都内のスーパーに就職した。スーパーでの勤務振りは真面目《まじめ》で、上司の信頼も厚く、客の受けもよかった。  同スーパーに一年勤めた後、退社し、それ以後消息は不明になっている。退社の理由は一身上の都合というだけで、細かいことはなにもわからない。  桂由里子が勤めていた渋谷《しぶや》区内のスーパー「大入《おおいり》」では、彼女はチェッカー(レジスター係)を務めていた。  当然のことながら、同社勤務中の異性関係が調べられた。 「桂さんが特に親しくしていたような男性はいませんね」  店長が聞き込みに当たった牛尾と青柳刑事に答えた。 「私どもではチェッカーとサッカー以外はほとんど男性社員で固めていますが、担当がちがうので、特に彼女が親しかった男性社員はいなかったとおもいます」 「チェッカーとサッカーとは」 「チェッカーはレジ係、サッカーは袋づめ係です」 「それ以外の社員というと、どんな係がいるのですか」 「私どもではバーコードを使って、売上、在庫、商品を管理するPOSシステムと同時に、各商品別に管理する係を置いています。客に接する部門はほとんどが女子で、裏方を男性が担当しています。勤務中、接客部門の女子と、裏方の男性が接触することはありません」 「休み時間に仲良くなるということはありませんか」 「休みは交替で取っていますので、普通の企業の昼休みのように全社員一斉に休むというわけにはまいりません。時差がありますので、休憩中に親しくなるという可能性は少ないとおもいます」 「たとえば、社外の男性で特に親しくしていたような人はいませんでしたか」 「社外の男……」 「たとえばお客とか、取引先とか……」 「お客様との交際は特に禁じてはいませんが、私どもの仕事は風俗営業ではありませんので、特定のお客様と親しくなるということはあまりないようです。桂さんは親切で、お客様の評判がよく、社員の中ではいちばん指名が多かったのです。彼女が辞めたいと申し出たとき、極力慰留したのですが」 「風俗営業でなくとも指名というのがあるのですか」 「たとえば桂さんのレジスターだけを利用するようなお客様を、私どもは指名と呼んでいます」 「なるほど。その指名客の中に、桂さんと特に親しくしていたような男性の心当たりはありませんか」 「さあ、社外の彼女の行動にまでは目を配れませんのでね」 「取引先の男性とはいかがですか。たとえば仕入先とか、商品売り込みに各社からセールスマンがやって来るのではありませんか」 「チェッカーが仕入先の社員と接触することはまずありません。仕入先の社員が時どき商品の棚を見に来ることはありますが、チェッカーと直接接触することはありません」 「しかし、スーパーの制服を来た女子社員が仕入先のセールスマンらしい男たちと、商品のディスプレイなどに関して話し合っている姿を見かけることがありますが」 「それは商品管理課の女子社員で、チェッカーの担当ではありません。私どもでは商品管理はすべて男性が担当しています」  店長はにべもなく言った。  牛尾と青柳は、店長の言葉に満足しなかった。彼は桂由里子の社外での生活については知らないと言いながら、彼女の社内外の男性関係をむきになって否定しているような節が見えたからである。 「なんだかあの店長、被害者《ガイシヤ》に異性関係があるのをいやがっていたような雰囲気だったな」  牛尾がつぶやいた。 「牛《モー》さんもそうおもったんですか。私もそんな風に感じましたよ。あの店長、なにか隠しているんじゃないかな」  青柳が同調した。 「彼女の同僚に聞けば、なにか面白いことがわかるかもしれないな」  牛尾と青柳はうなずき合って、聞き込みの触手をさらに同店の女子社員へ進めた。  彼女らの返答はおおむね店長の言葉をなぞるものであった。あらかじめ店長から言い含められていたように、判で押したような答えばかりである。 「おかしいな、みんな店長の顔色をうかがっているような答えばかりしている」  牛尾が首を傾げた。 「店長がよけいなことは言うなとプレッシャーをかけたのでしょうか」 「どうもそのようだね。しかしそれだけではなさそうだ」 「それだけではないというと」 「なにかもやもやしたものを感じるんだよ。店長と女子社員の間に……」 「牛《モー》さん、パートの従業員に聞けば、なにかわかるかもしれませんよ」  青柳がアイディアを出した。 「パートか、いいところに目をつけたよ。パートなら、特に店長を気にすることもないだろう」  スーパー「大入」ではチェッカーや管理部の社員は正社員で固めているが、サッカーはほとんどパートの従業員である。  パートの従業員は交替が激しく、アルバイトの主婦や学生が主体である。  桂由里子が勤めていたころのパートの従業員はほとんど辞めてしまっていたが、ようやく古いパートの女性を一人探し当てた。  仕事を終えて出て来た彼女を店外で待ち伏せて、二人はおもむろに聞き込みを始めた。 「私が言ったと言わないでくださいね」  中年のそのパート女性は前おきしながら、実は話したくて仕方がなかったようである。 「あの店の女の子は、ほとんど店長の女ですよ」  彼女は言った。 「店長の女って?」 「あの店長は無類の女好きでしてね、入社して来る女の子にみんな手をつけてしまうのです。たまに落ちない女の子がいると、いろいろと意地悪をして居たたまれなくしてしまうのです。いまのセクハラというんですか」 「あの店長がねぇ……」  二人はようやく店長と女子社員の間に漂っていたもやもやした雰囲気が納得できた。  あれは店長を中心とする一種の大奥の雰囲気だったのである。 「それで店長は桂さんにもモーションをかけたのですか」 「もちろんです。あの助平店長が、掃き溜《だ》めに鶴《つる》のような桂さんが入社して来て、手を出さないはずがありません」 「店長と桂さんの間に関係があったのですか」 「それが、どうやら店長は桂さんに肘鉄《ひじてつ》を食ったらしいのです。はっきりしたことはわかりませんが、それで店長が桂さんに意地悪をして、とうとう桂さん、居たたまれなくなって辞めたという噂《うわさ》ですよ」 「意地悪とは、具体的にはどんなことをするのですか」 「仕事の上で重箱の隅を突つくように厭味《いやみ》を言ったり、配置転換をしたり、店長だったらなんでもできますよ」 「桂さんは配置転換をされたのですか」 「いいえ、彼女はお客さんに評判がよかったし、レジスターの腕もよかったのでチェッカーから外せなかったのだとおもうわ」  意外な事実が判明した。 「あの店長め、とんでもない尻尾《しつぽ》を隠してやがったな」  牛尾は口中でうめいた。 「店長が被害者の異性関係のナンバーワンだったかもしれませんね」  二人はさっそく、店長にふたたび面会を求めた。  店長はしどろもどろになりながら、 「べつに嘘はついていません。たしかに桂さんを一、二度誘ったことはありますが、彼女、身持ちが固くて、とても私なんかのつけ込む隙はありませんでした。彼女は蓋《ふた》をされていたのだとおもいます」 「蓋をされていたとは……?」 「我々の知らないところに男がいたのだとおもいます。彼女はプライバシーを固く垣根で囲っていたようなところがありました。きっと隠れてつき合っていた男がいたのだとおもいます」 「あなたのセクハラに桂さんは居たたまれなくって辞めたという噂ですが」 「セクハラなんて大袈裟《おおげさ》です。私はそんなことをしたおぼえはありません」 「あなたは女子社員をずいぶん誘っているようですね」  牛尾の言葉は店長の痛いところを衝いたらしい。 「だれがそんなことを言ったのですか。店長となると、すべての社員に公平に接しなければなりません。新入社員などを重点的に指導していたりすると、古い社員がジェラシーからとんでもないことを言い出すことがあります」  彼はさして暑くもないのにしきりに額の汗を拭《ぬぐ》いながら、被害者との関係を否認しつづけた。  結局、桂由里子の元勤め先からは、男性関係は浮かび上がらなかった。  隠れた男がいて蓋をしていたとは、言い得て妙な表現である。  さすがの好色店長も固く蓋をされた彼女に手の出しようがなかった。ハーレムの主のような店長が嗅ぎつけていた男のにおいは、確かなものであろう。  だが店長の嗅覚《きゆうかく》が嗅ぎつけただけで、彼女に蓋をした男は影も形も見せていない。  スーパー「大入」を辞めた後の桂由里子の足跡は絶えていた。  多摩川愛児園にも音信はない。  一方、桂由里子のアパートを捜索して、遺品の中から郷土玩具らしい六角柱の木彫が発見された。先端がくびれていて六つの側面には、蘇民、将来、子孫、人也、大福、長者と朱と墨字で交互に書き分けられ、その下と上に蓮華《れんげ》模様が描かれている。捜査員が証拠資料として保存してきた郷土玩具を見た捜査係長が、 「これは蘇民将来《そみんしようらい》だな」  と言った。 「蘇民将来とはなんですか」  青柳刑事が問うた。 「私が知っているのは信州上田《しんしゆううえだ》の信仰玩具だがね、これを安置して祈願すれば災難を免れ、幸せが訪れるというお守りの一種だよ。素戔嗚尊《すさのおのみこと》が旅先で飢えたとき、金持ちの巨旦《こたん》将来に一夜の宿を乞《こ》うたところ断わられ、貧しいが心の温かい兄の蘇民将来に迎えられて、藁《わら》の布団に粟飯《あわめし》の一夜の宿を提供されたそうだ。そのお礼に素戔嗚尊はこのお守りをあたえ、疫病や災難がやってきても、これを持っていれば追い払うことができると告げた。以来、この木片が蘇民将来と呼ばれて、神社や寺で出すようになった。有名なのは信州上田の国分寺《こくぶんじ》や、新潟県|新発田《しばた》の天王社《てんのうしや》のものがあるが、その他各地にもあるようだ。また露店でも売られているよ」 「へえ、これが蘇民将来というお守りですか。そういえば、小さいとき聞いたことがあるなあ」  青柳が改めて手に取った。 「全国各地にある郷土玩具だが、はて、この蘇民将来はどこのものかな」 「露店でも売っているとなると、どこからきたか見当がつきませんねえ」 「神社や寺が出したものなら、専門家に見せればおおよその見当はつくだろう」  係長の示唆に基づき、さっそく全国の彫刻、焼物、染物、織物、金工、漆器、あらゆる工芸品、民芸品を集めている日本民芸館に照会された。  その結果、全国の主たる蘇民将来は京都の祇園《ぎおん》、長野県上田市|国分《こくぶ》の国分寺、新潟県新発田市の天王社、山形県|米沢《よねざわ》市の笹野《ささの》観音、岩手県水沢市|黒石《くろいし》の黒石寺、埼玉県|飯能《はんのう》市の医王《いおう》山|竹寺《たけでら》等のものであるが、件《くだん》の六角柱の蘇民将来は側面に書かれている文字や、蓮華模様、その材質であるドロヤナギ等から、上田市の国分寺の蘇民将来と判定された。  由里子の遺品の中に上田の蘇民将来があった。だが、それは必ずしも蘇民将来が上田から来たことにはならず、由里子と上田を結びつけることにもならない。 [#改ページ]   無名の罪悪      1  朝田織江殺害事件の捜査は膠着《こうちやく》していた。  彼女が生前、関心を寄せていた幸一の行方も杳《よう》として知れない。  壁に塞《ふさ》がれた捜査のわずかな出口は、幸一の行方だけである。なぜ彼女は幸一(正確には幸一の報道記事)に興味を持ったのか。  幸一の朝田殺し容疑は毛髪鑑定によって打ち消されたが、共犯者がいた可能性もある。 「幸一が多摩川愛児園に預けられていたときの�同窓生�は、いまどうしているかな」  棟居はふとおもいついたように言った。 「多摩川愛児園の同窓生とは……?」  棟居の独り言のようなつぶやきを、笠原が聞き止めた。 「幸一と同じ時期に入所していた身寄りのない子供たちですよ。彼らはいわば幸一の同窓生だ。園から逃げ出しても、同窓生には連絡を取っているかもしれない」 「そうか、幸一が多摩川愛児園にいたのは二歳から十歳まででしたね。八年間、同じ屋根の下で寝食を共にした幼馴染《おさななじ》みとなれば、あるいは成長した後も連絡を取り合っている可能性がある」 「いずれも身寄りのない寂しい境遇の子供たちには、世間一般の子供たちとは異なる強い連帯があるかもしれません」  彼らはさっそく幸一の同窓生の所在を調べるために、ふたたび多摩川愛児園へ出かて行った。  そこで彼らは意外な聞き込みを得た。 「少し前に、べつの警察の方が見えたばかりですよ」  二人に応対したマザー・パトリシアが言った。 「べつの警察の人とは、どちらの警察ですか」  棟居が問うた。 「えーと、新宿署の刑事と言っていました」 「新宿署の刑事が、幸一君のことで調べに来たのですか」 「いいえ、幸一君のことではありません」 「幸一君のことではないというと、なにを調べに来たのですか」 「新宿署の管内のホテルで、私どもの卒園生が殺されたのです。そのことで聞き込みに来たのですよ」  園長の顔が悲しげに曇った。卒園生の死に、我が子を失ったように胸を痛めているのであろう。 「新宿署の管内といえば、最近、新宿メトロホテルの地下駐車場に女性の死体が放置された事件がありましたが」 「それです。その女性が当園の卒園生なのです」 「そのことで、新宿署の刑事が来た……」 「たしか、牛尾刑事とおっしゃっていました」 「牛尾さんならよく知っています」  棟居と笠原が同時に言った。 「それで、牛尾さんはその女性のなにについて調べに来たのですか」  それは聞かずともおおよその見当はついている。  被害者の異性関係と、その生活史を調べるのは捜査の常道である。牛尾も、被害者の同窓生に目をつけたのかもしれない。  棟居は質問しながら、自分の言葉にはっとなった。  幸一とその被害者は同時期、この愛児園に在園していなかったか。彼と彼女は同窓生ではなかったのか。 「桂由里子さん、その殺された女性ですが、由里子さんの身の上と、卒園後の経歴です」 「つかぬことをうかがいますが、幸一君と桂由里子さんはこちらに同時に在園した時期がありますか」  棟居は自分の着眼を問うた。 「ありますよ。由里ちゃんが入園したのは幸一君より四年ほど後でした。ですから四年ほど一緒に在園しています」  二人は同窓生であった。 「それで桂由里子さんは、卒園後どうなさいました」 「当園のボランティアの紹介で、渋谷区のスーパーへ入社しました。でもそこは一年ほどで辞めてしまって、それ以後、警察から問い合わせがくるまで、音信不通でした」  そして訃報《ふほう》として彼女の消息は届けられたのである。 「幸一君の消息は依然としてわかりませんか」 「わかりません」 「桂由里子さんが卒園後、幸一君と出会った可能性はないでしょうか」 「幸一君と出会った?」  マザーが驚いた表情をした。 「社会のどこかで二人が出会ったとしたら、多摩川愛児園の同窓としてずいぶん懐かしかったでしょうね」 「卒園生でOB会をつくっておりますが、幸一君と由里子さんが再会したという話は聞いていませんね」 「卒園生のOB会があるのですか」 「ありますよ。毎年、創園記念日にはOBが集まって来ます。北海道や九州、あるいは外国からも出席することがあります」 「そのOBのことでうかがったのですが、特に幸一君と親しかったOBはいませんか」 「そういえば、由里子さんは幸一君と仲が良かったわね。あとから入園して来た由里子さんが寂しがって泣いていたりすると、幸一君がよく慰めていたわ」 「ほう、幸一君と由里子さんは仲がよかったのですか」 「幸一君は他の園児となかなか解け合わず、一人でいるのが好きでしたが、由里子さんが入園してからは、いつも二人で一緒にいました。幸一君が園から逃げ出した後、由里子さんは悲しがって毎晩泣いていましたよ」 「そんなに仲がよかったのなら、幸一君が由里子さんにだけ密《ひそ》かに居所を連絡していたということはありませんか」 「それはなかったとおもいます。園児はみな身寄りのない子供たちですから、郵便物が来るようなことはありません。信書の秘密を犯すようなことはしていませんが、そんな郵便物がくれば目立ちます」 「OBで他に幸一君と親しかった人はいますか」 「由里子さん以外に幸一君と親しくしていたOBはいないとおもいます」  棟居が着目した同窓生から追うルートも、彼の唯一の同窓生が殺害されて、絶たれてしまった。  だが棟居は幸一の同窓生が殺された事実が気になった。  彼女はなぜ殺害されたのか。その死の原因に幸一は関わっていないか。 「笠原さん、新宿署へ行ってみましょう」  棟居は同じおもいとみえる笠原に言った。      2  中野署の捜査本部の棟居から、桂由里子について照会された新宿署の牛尾は驚いた。  中野署管内で発生したスナックママ殺人事件および横渡刑事殉職事件の関係者が、新宿署の事件の被害者と同じ愛児園のOBであるという。  しかも桂由里子は二歳から六歳まで、幸一は六歳から十歳までの四年間、同園で一緒になっている。  牛尾、青柳、棟居、笠原の四人は会合した。いずれも旧知の仲である。 「まったく関係ないかもしれませんが、どうも気になりましてね」  一別以来の挨拶《あいさつ》も簡単にすまして、棟居が切り出した。 「たしかに同じ愛児園のOBというのは気にかかりますね」  牛尾はうなずいた。まだ二人を結びつけるのは早い。  だが九月十一日、中野署管内で殺害されたスナックのママが関心を寄せていた棄児《きじ》の�同窓生�が、それから一ヵ月余後に隣接する新宿署管内で他殺体となって発見されたのは、まったくの偶然ではないような気もする。 「しかし、二つの事件になんらかの関連があるとすれば、事件の発生時期と場所が接近しているのが気になりますね。もし同一犯人の犯行であれば、少なくとも桂由里子の死体は中野からもっと遠方へ棄てたのではないでしょうか」  青柳が意見をはさんだ。 「ご尤《もつと》もです」  棟居はうなずいた。 「中野の事件《ヤマ》に関係なくとも、桂由里子の異性関係をその同窓生に求めるのは可能だね」  牛尾が言った。 「我々もその可能性を考えました」  笠原が口をはさんだ。  二件の殺人事件が無関係であるとしても、幸一が桂由里子の恋人になることは妨げない。  となると、棟居らは牛尾たちになんの見返りもなく、土産《みやげ》だけを持って来てくれたことになる。 「桂由里子の身辺に、これまで特定の男は浮かび上がっていません。彼女が多摩川愛児園卒園後、スーパーで一年働き、その後、生前最後の居所へ入居するまでの約五年間の足跡が不明です。また最後の居所に入居後も定職は持っていませんでした。彼女が多摩川愛児園で幸一と一緒だったのは十八年前までです。そんな古ぼけた幼馴染みに男関係を求めるのは、少し無理のようでもありますが、彼らが成長後再会したとすれば、決して無理ではないカップルが生まれる」 「|仮に《ヽヽ》幸一が犯人だとすれば、共通の動機が考えられますね」  棟居が仮にという言葉を強調して三人の顔を見まわした。 「つまり、棄児ということですな」  牛尾が棟居の示唆の先を補った。 「幸一が棄児という過去を隠したがっていたということですか」  青柳がより具体的に言った。 「そうです。幸一が成長してから、朝田織江が母親として名乗りを上げてきた。ほぼ前後して桂由里子と再会した。いずれも幸一が棄児であることを知っている人間です。そのとき幸一には棄児であることを知られたくない事情があった。とすると、彼は二人の口を塞ぐのに無理のない位置にいることになります」  棟居が解説した。  現段階では、桂由里子と幸一が多摩川愛児園に四年間共に在園していた事実がわかっただけである。  幸一の行方は依然として不明である。その手がかりも得られていない。 「幸一は棄児だったそうですが、朝田織江との母子関係は確認されていないのですね。幸一の身許についてなにか手がかりはないのですか」  牛尾が改めて問うた。 「幸一が棄てられたとき、ベビー服とバスタオルを身に着け、かたわらに残されていたビニールバッグの中に粉ミルク入りかんと哺乳びん、タオル、生後間もない幸一を撮影した写真、わらで編んだ輪が入っていました。バスタオルには二本の男の成人の毛髪が付着しておりまして、それが横渡刑事の指先にからまっていた毛髪と同一人物のものと鑑定されたのです」 「なんですって!?」  牛尾と、青柳は驚いた。 「犯人は幸一を棄てた人物に関わりがあるということです。幸一を棄てた人物そのものかもしれません」 「つまり、幸一の父親と……」 「その可能性が大きいですね」 「それでは幸一は朝田を殺した犯人になれませんね」 「そういうことになります」  すると二件の殺人事件は切り放されてしまう。棟居が幸一を犯人と仮定したとき「仮に」という言葉を強調した意味がわかった。 「幸一の遺留品の中には、親の身許を示すようなものはありませんでしたか」 「多摩川愛児園園長の言葉によると、その他に郷土玩具があったそうですが、それがいつの間にか失われてしまったということです」 「郷土玩具? どんな郷土玩具ですか」 「先端がくびれた六角柱で側面に蘇民、将来などという文字が書いてあったそうです」 「蘇民将来!」  はっとして顔を見合わせた牛尾と青柳に、 「なにかお心当たりがありますか」  棟居が問うた。 「実は桂由里子の遺留品の中にその蘇民将来があったのですよ」  今度は棟居らが驚く番であった。 「頭部がくびれている六角柱で、側面に蘇民、将来、大福、長者などと書かれているものでしょう」  青柳が牛尾の言葉を補った。 「そうです。それです」  棟居と笠原が異口同音に言った。  四人はそのことの意味を測り合った。  もしかすると桂由里子の遺留品にあった蘇民将来は幸一の遺留品ではなかったのか。  由里子は卒園時、幸一の想《おも》い出の品が欲しくて、保存されていた彼の私物の中から、密かに蘇民将来を持ち出した。  話に聞く限り由里子の遺品の蘇民将来は、幸一の蘇民将来と同種のものである。先端がくびれた六角柱、側面に書かれている文字も蓮華模様も、棟居と笠原が多摩川愛児園のマザーから聞いた特徴と一致している。  もし桂由里子の蘇民将来が幸一の遺留品であったなら、由里子は幸一と別れた後十八年たっても、彼の想い出の品を手許《てもと》に留《とど》めておいたことになる。  蘇民将来も各地の寺院や神社のものがいろいろあるが、由里子と幸一のものは特徴を比較してみると同種のものである。 「ちょっと待ってください」  青柳が立ち上がって、桂由里子の居室から領置して来た蘇民将来を持って来た。 「この蘇民将来は専門家に見てもらったところ、長野県上田市の国分寺のものだそうです」  青柳が説明した。 「朝田織江も由里子も上田市にはなんの関わりもありませんね」  棟居が言った。 「上田に行かなくとも手に入るのではありませんか。あるいはだれかから土産にもらったということも考えられます」  牛尾が蘇民将来を幸一と由里子を結ぶ新たな接点とするのはまだ早いと、暗に戒めた。 「もう一人、上田に関わりがあるかもしれない人物がいますよ」  棟居が言った。 「もう一人……というとだれですか」  牛尾と青柳が棟居の顔を覗《のぞ》いた。 「幸一の父親ですよ。もしかすると父親が幸一を棄てたのかもしれない。父親が蘇民将来の出身地に関わりを持っていたとすれば、それがバッグの中にあったのもうなずけます」  「なるほど、それで幸一の父親についての手がかりはあったのですか」 「それが皆目つかめていません。幸一の父親が朝田織江のパートナーであれば、彼は織江殺しの容疑者として最も怪しい位置に立つのですが」  幸一と桂由里子の接点の発見により、中野署と新宿署の間に連絡が生じたが、なお関連事件とするには資料が薄弱である。  両本部の間で情報交換が行なわれ、事件の経緯が検討された。  幸一は桂由里子の身辺に浮かんだ唯一の男の影である。だがその影は薄く、遠方に霞《かす》んでいる。      3  その日、藤枝是明《ふじえだこれあき》は朝から落ち着かなかった。定刻が迫るにつれて、居ても立ってもいられないような気持ちに駆り立てられる。  久し振りに党務から離れて貴重な休日であるというのに、かねて読みたいとおもっていた本を開いても、文字がまったく頭に入らない。読んでいるつもりでも、視線が活字の上を空滑りしている。  読書をあきらめてテレビを見ても、庭を散歩しても、心ここにあらずといった体である。  与党の派閥の領袖《りようしゆう》として政界で強持《こわも》てしている彼にしては、珍しい。ふと気がつくと、何度もトイレットに立っている。 「あなた、朝からそわそわしていらっしゃるわね。花嫁の父らしく悠然としたところを雅弘《まさひろ》さんにお見せにならないと、雅弘さんにがっかりされるわよ」  妻の秀子《ひでこ》が柔らかく、たしなめるように言った。 「おまえは娘の結納の日だというのに、よくそんなに落ち着いていられるなあ」  藤枝は妻の動ぜざる表情に感嘆した。 「それは私も初めてのことですから、少し興奮していますわよ。でもあなたを見ていると、まるでご自分が結婚されるみたい」 「おまえと結婚するときも、おれはこんなに落ち着きがなかったかね」 「さあ、どうかしら。あまり古いことなのでよくおぼえていませんわ」 「仲人が来たときまごつかないように、もう一度よく練習しておこう」 「もう何度も練習したでしょう」  秀子が呆《あき》れたような声を出した。 「何度練習しても悪いということはあるまい」  藤枝は仲人を迎えるべく準備の整った客間に入った。秀子がそのあとから仕方なさそうに従《つ》いて行く。 「まず玄関から客間へ案内して、仲人夫妻はそこへ、我々はここへ座るんだったな」  藤枝は細君に念を押した。 「仲人がまず口上を述べる。そして私が口上を受けて挨拶する。本日はお日柄もよろしくおめでとうございます」 「あら、それは仲人の方の口上よ」 「そうだった、そうだった。まず仲人の挨拶の後、先方の使者が言い入れ(申し込み)をする。どんな言葉で言い入れをするんだろうな」 「べつに決まった言葉遣いはないでしょう。おたくのお嬢さんをいただきたいというような言葉でしょうね。あなたはなんと言ったの」 「おぼえていないよ。おれが言ったわけじゃない。使者が言ったんだ」 「でも、あなたも結納の場にいたんでしょう」 「おまえもいたじゃないか」 「あら、いたかしら?」 「おいおい、困るよ。そんなことじゃあ」 「いまさらそんなこと言い合っていても仕方がないでしょ。仲人が言い入れをしたら、あなたが答える番よ」 「えーと、至らぬ娘でございますが、いく久しくよろしくお願い申し上げます。こんなところでいいかな」 「それは、結納の品を披露された後の言葉ではないの」 「何度言っても別に悪いことはあるまい」 「そりゃあそうですけれど」 「そこで納采《のうさい》(婚約の印の品を贈る)となるわけだが、いったいなにを持って来るんだろう」 「正式にはお酒と、鯛《たい》や昆布や鰹節《かつおぶし》と、衣類などを持って来るそうですけれど、最近はほとんどお金を持ってくるということですわ」 「いったいどのくらいの金額を持って来るつもりなんだろう」 「さあ、私にも見当がつかないわ」 「結納半返しといって、その場で半額返すんだろう。相手の金額がわからなければ金を用意しておけないな」 「なにをいまさらそんなことをおっしゃるの。いただいたお金から半額返すことになっていたじゃありませんか」 「そうだった、そうだった」 「本当にしっかりしてくださいね。あなたがうろたえて見苦しい真似《まね》をしたら、佳子《よしこ》が恥《はじ》をかくのですから」 「わかってるよ。しかし、結納は初めてなんだ」 「先様も初めてよ。国会答弁のときのようにすればよろしいのよ」 「国会と結納はちがう。納采が終ると納告《のうこく》があって、結婚式の日取りを決めるわけだな」 「今日はおおよその日取りでよろしいとおもいますわ」 「来年の四月の吉日ということになるかな。そのころには予算案も成立しているだろう。ところで佳子の支度はもうできているのか」 「そろそろ着付けが終ったころですわ」  夫婦が言葉を交わしているところへ、紋綸子《もんりんず》に手描《てが》き友禅《ゆうぜん》の加工を施した中振袖《ちゆうふりそで》をまとった佳子が入って来た。客間が花が咲いたように華やかになった。 「これはこれは、すっかり見ちがえてしまった。おまえ、本当に佳子か」  藤枝は娘の艶《あで》やかな変身ぶりに、口を半開きにして見とれた。 「お父様ったら、いやだわ。普段の私がいかにもみっともないみたい」  佳子が少し拗《す》ねた振りをした。 「いやいや、これは驚いた。雅弘君にやるのが惜しくなったよ」 「それではお父様のそばに一生いてさし上げましょうか」  佳子が茶目っ気たっぷりの表情になった。 「そうしてもらいたいが、ここらが潮時じゃろう。花の命は短い。その最も美しい時に売ったほうが高く売れる」 「あら、私、まるで商品みたい」 「女は商品じゃよ。だから雅弘君が結納を持っておまえを買いに来る」 「結納なんて、古くさいわ。私、人身売買みたいでいやだったんだけど、雅弘さんが自分の誠意を示すためだとおっしゃるので、仕方なく同意したのよ」 「たしかに結納は、二人だけの甘い口約束よりは証拠力のある約束になるからね」 「私たち、甘い口約束なんかじゃありません」  佳子がツンとした。 「まあ、雅弘君の誠意とやらを見せてもらおう」 「誠意はお金の多寡《たか》ではないわ」 「とはいえ藤枝是明の娘をもらおうというのだ。猫の仔《こ》をもらうようなわけにはいくまい」 「お父様が大袈裟《おおげさ》なことをおっしゃるので、結納なんていうことになってしまったのよ」  佳子は少し怨《えん》ずるように言った。 「わしが大袈裟なことを言ったわけではない。雅弘君も無名の人間ではない。彼の立場としてもそれ相応の手順を踏まなければなるまい」 「私、雅弘さんが有名でも無名でも関係ないの。雅弘さんその人を愛しているんだもの」 「これはこれはご馳走《ちそう》さま。結婚する前からこれでは、先がおもいやられるな」  藤枝は苦笑した。  そろそろ定刻が迫っていた。      4  棟居と牛尾は連れ立ってふたたび多摩川愛児園を訪問した。桂由里子の居室に残されていた蘇民将来を見てもらうためである。  マザー・パトリシアは笑顔で彼らを迎えてくれた。刑事の訪問は決して愉快であるはずはないのであるが、少しもそのような表情を見せない。 「実はですね、園長さんにちょっと確かめていただきたい品がありまして」  牛尾が言って、件《くだん》の蘇民将来を取り出した。園長の表情が改まった。 「いかがでしょう。この蘇民将来は幸一君のものではありませんか」  牛尾と棟居が園長の表情に視線を集めた。  園長は蘇民将来を手に取って凝《じ》っと見つめていたが、間もなくうなずいて、 「これは幸一君のものにまちがいありません。頭部のくびれに少し欠けたところがあるでしょう。それは幸一君が五歳ぐらいのとき、癇癪《かんしやく》を起こして、こんなものいらないと投げつけてできた傷です。きっと自分を棄てた親に対する怒りをそんな形で表わしたのでしょう。これはいったいどこから出てきたのですか」  園長は蘇民将来から二人の方へ目を上げた。 「桂由里子さんの部屋にあったのです」 「由里子さんの部屋に! それでは由里子さんがこれを持ち出したのですか」 「たぶんそうだとおもいます。由里子さんは卒園に当たって、なにか幸一君の想い出の品が欲しかった。それでこっそり蘇民将来を失敬したのだとおもいます」 「あの娘《こ》はそんなに幸一君のことをおもっていたのですね」  これで蘇民将来の�身許�が確認された。  六歳のとき別れた幼友達の想い出の品を、十八歳の卒園時に密かに持ち出したのは、尋常ではないおもい入れである。  しかも彼女は、その想い出の品を死ぬまで身辺に飾っておいた。それは桂由里子の心に幸一の想い出が棲《す》んでいた証拠であろう。  卒園後、由里子が幸一と再会していれば、彼が彼女の異性関係の第一パートナーとなることはまちがいない。  だが蘇民将来の身許が確かめられただけで、再会の有無は依然として不明である。  多摩川愛児園からの帰途、棟居は牛尾に言った。 「一度信州へ行ってみませんか」 「私もそうおもっていました。二人、手弁当で行きましょうか」  牛尾の目が苦笑していた。  彼らの手にあるのは一体の古ぼけた蘇民将来だけである。それを持っていた桂由里子が買い求めた品でないことは確かめられている。  棄てられた幸一と共にあった蘇民将来の出処へさかのぼって行ったところで、それを最初に求めた者を探しようはない。  信仰玩具として、縁日には全国から集まって来る信者が買い求める多数の蘇民将来の中から、ただ一個の買い主を割り出すのは不可能である。  だが、それを承知で蘇民将来の郷里、信州の上田市へ行ってみたいとおもった。そこへ行けば、刑事の嗅覚がなにか嗅ぎつけるかもしれない。  だが公費の出張は無理であろう。牛尾の苦笑はそのことを暗示していた。      5 「父が、結婚したらしばらくパリに住んでみないかと言うのよ」 「パリに?」 「パリの郊外にマンション(アパルトマン)を借りて、東京とパリを往復したらどうかと言うの。ねえ、そうしない? 何度かパリへは行ったことがあるけれど、いつも旅行者としてなの。私、前からパリを我が街として住んでみたかったのよ。あなたにとってもその方が勉強になるんじゃないの」 「それは、パリにセカンドホームがあったら素晴らしいね」 「それじゃあ決まりね。あなたと二人でパリで新婚生活を送るのよ。新婚旅行じゃないのよ。考えただけで幸せでどうかなっちゃいそう」  佳子は声を弾ませた。  大江《おおえ》にしても、芸術と文化の中心地パリでの生活を日常のものとできるメリットは大きい。  モンマルトルの丘に洒落《しやれ》たアパルトマンを構え、ルーブル、マルモッタン、ロダン、モロー、ブールデルなど各美術館を佳子と共に日課としてまわる楽しさは、想像するだに胸が躍る。 「父があなたの個展をパリの有力画廊で開いたらどうかと言うの」 「ぼくの個展をパリで?」 「あなたさえその気なら、父が後援者に頼んでその段取りを進めると言うのよ」 「なんだか夢のようだな」 「夢ではないの。あなたの才能と父の力が結びつけば、魔法のランプのようになんでも可能になるわ」 「有り難う、なんとお礼を言ったらいいか」 「お礼なんて水くさいわ。私たち夫婦になるんじゃない」  最近、ようやく売れだしてきたとはいうものの、あくまでもコマーシャルベースの上だけのことで、画壇からは無視されている。日展や院展からは鼻も引っかけられない。  それが日本の有力画家でも開けないパリの有名画廊で個展を開き、日本より先にパリで認められれば、彼を無視した日本画壇を見返してやることができる。  財界にも広い人脈を持つ佳子の父が後援してくれれば、それも夢ではない。  画家として有名になる手っ取り早い方法は、パリで認められることである。パリで認められれば、日本での評判は追いかけてくる。  一流画商が争って彼の絵を買い、美術マスコミに採り上げられるようになれば、絵がますます売れる、評判は上がるという好循環になる。  画家としての名前が高くなれば、絵の値段も上がり、名前がさらに引っ張り上げられる。  いま日本芸術院や日本美術院で偉そうな顔をしている連中も、作品を二束三文に買い叩《たた》かれた時期があったのである。  そのころの絵と、大家になってからの作品と、それほど差があるとはおもえない。要するに名前が出れば値段も高くなるのである。  画家にとって名前がないということは罪悪に等しかった。  仮に彼の作品に日本画壇の巨匠の名前を冠して、有力画商の画廊に飾っておいたらどうか。うまいとか下手とか評価する前に、名前だけでその作品を信じてしまうだろう。  絵の値段は作品に対してつけられるものではなく、画家の名前につけられるものなのである。  画家にとって有名になるということは、作品に生命を付与するための必須条件である。無名は罪悪であり、作品の死を意味していた。  無名の画家が描いた絵は、そこに展示されていても、木や草や石が視野の中にあるようにしか映らない。 「パリの新居で個展のための作品を描こうか」 「ぜひそうして。あなたの才能に日本は狭すぎるわ。世界でもっと大きな花を咲かせましょうよ」  佳子が煽《あお》るように言った。 [#改ページ]   激流の犠牲者      1 「私、この人知ってるわ」  横渡|瑞枝《みずえ》が言った。  彼女は寝床に横たわって雑誌を開いていた。雑誌のグラビアページに、幸せそうに寄り添った一組のカップルが映っている。 「だれのこと?」  娘のつぶやきを聞き止めた母親の志津子《しづこ》が、彼女が開いているページを覗き込んだ。  写真のカップルは最近、人気の出てきた画家の大江雅弘と、政権党の派閥のリーダーである藤枝是明の娘佳子との婚約披露の場面を撮影した写真である。  大江雅弘は官能的な肉線を強調した女を描いて、目下人気上昇中の画家である。  彼の描く女は、正確に言うなら男の眼に映じた女である。どういう肢体、どんな体位、どの視覚《アングル》から見た女が男を喜ばせるか、男の劣情を催させるかということを完璧《かんぺき》に計算して描かれていた。  それも日常生活のごくなにげない女の仕種《しぐさ》の中から、息を呑むような放恣《ほうし》な、意識せずして男の眼福になるような淫《みだ》らな構図を描き取った。  裾を乱して昼寝をしている主婦、スカートを翻しながら駅の階段を駆け上る女子高生、タクシーから降り立とうとしているミニスカートのOL、電車の席でうとうとしかけている無防備な女、フレアースカートを落下傘のように開いてブランコに乗っている女、ボートを漕《こ》いでいる女、猫とたわむれている女など、本人の意識しない油断と無防備を、画家の眼が盗み取り、これを男の劣情に合わせてデフォルメし、華麗な彩色を施して、まったく新たな造形をした。  大江の描く女は日常の衣装をまといながら、非日常である。生きているようにリアルでありながら、およそ非現実的であった。  だが彼の絵は画壇からは低く見られていた。  画壇は無視の態度を取っていたが、一部評論家は大江の絵を、  媚《こ》びていて卑しい。一見リアルであるが、一人として生きた女が描かれていない。  女に生命がないのではなく、絵そのものが死んでいるのである。技術だけが先走りして絵の心が見失われている。  つまり、どんな体位を取れば男が喜ぶか、それだけを計算して、ストリップ劇場のダンサーのように、観客の卑しい眼に迎合してしまったのである。それでいながらストリップ劇場のような開けっ広げな色気もない。  初めから読者や観客の卑しさと妥協したポルノのような通俗的な明るさもない。あるのは、無防備な女体を窃視した痴漢の眼のような陰湿な卑猥《ひわい》さだけである。  彼の絵を見た者は、作者と共謀して女体を盗んだ共犯意識を植えつけられるであろう。観賞者を共犯者に引きずり込むために描かれた絵が、大江雅弘の作品である。  と酷評した。  画壇や評論家からは軽蔑《けいべつ》されていたが、彼の人気は素晴らしいものがあった。  彼の絵は大衆によくわかるのである。死んでいるの、痴漢の眼だのと言われても、大衆は彼の絵を好んだ。素人目にはわからない高尚な芸術作品と異なり、大衆の求めるものを芸術の糖衣に包んで差し出してくれた。  評論家はいみじくも言い当てた。どんなものでも盗み取ったものがいちばん美味《おい》しいのである。  芸術だけなぜ盗んではいけないのか。盗み取った芸術こそ、大衆のニーズに応《こた》えるものではないのか。  盗み取ったものはもう一度盗めるかどうかわからない。一期一会の味がそこにこめられている。  そして盗みは禁じられている。いわば禁じられた味を、大江雅弘は読者のために盗み取り、読者にはなんの罪も危険も犯さずに提供した。  評論家は共犯者と呼んだが、大江の絵を見るためになんの罪も危険も犯したわけではない。それは意識の中だけのことである。  しかし、芸術にはどこかにそのような暗い病的な歪《ゆが》んだものがあるのではないか。  健康的で衛生的で人畜無害な作品など、なんの魅力もない。  その点、大江雅弘は大衆のニーズに的確に応えていた。 「ああ、大江雅弘ね。藤枝是明のお嬢さんとつき合っているという噂をどこかで聞いたことがあったけど、とうとう婚約したのね。瑞枝ちゃん、大江を知っているって、彼の絵を見たことがあるの」  母親が尋ねた。 「ちがうのよ。私、この人に会ったことがあるわ」 「会った? あなたが大江雅弘に」  志津子の表情が少し驚いた。 「この人よ。ジェットスキーで私を当て逃げしたのは」 「なんですって?」 「私、はっきりおぼえているの。ジェットスキーを私にぶつけて、私がブイに必死にすがりついているのを、いったんジェットスキーの速力を緩めて振り返ったの。その顔がこの人だったわ」 「まちがいないの」 「まちがいないわ。この顔ははっきりと瞼《まぶた》に灼《や》きついているの。女の人がこの人に、引き返して助けてあげようと言っていたようだけれど、そのままスピードを上げて走り去ってしまったのよ」 「女の人の顔はおぼえているの」 「女の人は横顔だけで、よく見えなかったわ。でも、この人は私の方をはっきりと振り向いたの。絶対この人にまちがいないわ」 「でも、いまとなっては、なんの証拠もないわね」 「私が証拠よ。私、この人おぼえているんですもの」  瑞枝が言い張った。  自分を半身不随にした犯人が、美しい婚約者と共にスポットライトを浴びている。瑞枝としては許せないという意識であったであろう。 「棟居刑事さんに話してみましょうか」 「私、この人が憎いの。私をこのような身体にしただけではなく、この人がお父さんを殺したような気がするの」 「この人がお父さんを殺した?」 「もし私がこのような身体にならなければ、あの夜お父さんは無理をして帰って来なかったかもしれないわ。あの夜帰らなければ、お父さんは死なずにすんだのよ」 「そんな風に考えない方がいいわよ。あれはお父さんの運命だったのよ。あなたのせいでも、この人が殺したわけでもないわ」 「私にとってただ一人の、そして世界一素晴らしいお父さんだったわ。お父さんの運命だったなんてあきらめられないわ」 「あなたがいつまでもそんな風におもっていると、お父さんを困らせるわよ」 「私、この人が憎い。お父さんを殺した犯人が憎いわ」      2  横渡の細君から、娘を当て逃げした犯人が大江雅弘であると聞いた棟居は、当惑した。  すでに二年前の事件である。目撃者はいない。被害者の証言だけでは、大江に当て逃げの責任を問うことはできない。  せめてそのとき加害ジェットスキーに同乗していた女の素性がわかれば、証人とすることができるのであるが、被害者は女の顔をおぼえていないという。 「私も娘の記憶だけでは、どうにもならないとおもいましたが、一応はお耳に入れておこうとおもいまして」  横渡志津子は言った。 「よくご連絡してくださいました。大江雅弘の写真は容易に手に入ります。その写真を当時のジェットスキーの業者に見せれば、証言が得られるかもしれません」  棟居は言った。  だが仮に業者の証言が得られたところで、二年前の記憶である。その証明力は弱いと見なければなるまい。 「あの娘《こ》は当て逃げをした犯人が父親を殺したとおもい込んでいるようです」  横渡の細君は言った。 「当て逃げ犯人が横渡さんを?」 「自分が当て逃げされて半身不随にならなければ、父親はあの夜無理をして帰宅しなかっただろうと言うのです」 「当て逃げ犯人が間接的に横渡さんを殺したというわけですね」 「はい。娘にしてみれば無理もないとおもいますが」 「おそらく、お嬢さんのご記憶は正確でしょう。たとえ束の間見た顔であっても、自分を当て逃げした犯人の顔は忘れ難いものです。瞼に灼きつくということがあります」 「娘も同じことを言っていました」 「捜査の合間に調べてみましょう」 「忙《せわ》しいお身体によけいな負担をかけるつもりはありません。ただちょっとお耳に入れておきたかったのです」 「たとえ間接的ではあっても、横渡さんを殺した犯人となると、見過ごしにはできませんからね」 「その後、捜査はいかがですか」 「壁に阻まれています。朝田織江さんが関心を寄せていたらしい棄児とその父親の行方を追っているのですが、皆目手がかりがつかめません」 「一日も早く犯人が捕まるように祈っております」  横渡の妻は朝田織江のために言ったらしいが、その言葉は棟居にプレッシャーをあたえた。      3  二年前、棟居の妻子が被害者となった強盗殺人事件の発生時、棟居自身が参加できなかった捜査本部に横渡が投入された。 「おれたちに任せろ。きっと犯人は捕えてやる」  横渡は約束した。  事件は迷宮入りに終って、捜査本部が解散したときも、横渡は棟居の所へやって来て、 「捜査本部は解散されたが、地の果てまで追いかけて行ってやる。行きずりの強盗か、あるいはあんたに怨みを含んでいるやつが、その鉾先《ほこさき》を奥さんとお子さんに向けたのかわからんが、ああいう犯人を野放しにしておいては、社会の平和は保たれない。刑事《デカ》の家族が狙われて、そのためにデカのやる気が損なわれることはないにしても、百やっていたことが、九十九や九十八になるということはあるだろう。そういうことになっては、社会はおしまいだよ」  と言った。 「おれはまったくやる気を損なわれていません。むしろ百やっていたことが二百にも三百にもなりましたよ」 「あんたは犠牲者の家族だからだよ。デカは私怨《しえん》で犯人を追っちゃいかん」 「それはわかっていますが、私怨を忘れることはできませんね」 「そりゃそうだ。デカも人間だからね」 「妻と子を殺されて、捜査に加われなかったとき、デカを辞めたくなりましたね」 「辞めちゃいかん。私怨で犯人を追ってはいけないと言ったが、私怨を忘れてはいけない。デカはみんな私怨を持っているんだ。その私怨を堪《こら》えて、自分には直接関係のない犯人を追っている。デカとはそういう職業だよ。たとえ家族を殺されても、その犯人追及はいちばん後まわしにしなければならない。しかし、直接関係はなくとも、悪いやつらはどこかで根が共通している。放っておくと世の中に悪い根がどんどんはびこっていく。おれたちが衝立《ついた》てにならなければ、世の中、悪い根に征服されてしまうよ」 「デカは悪い根の衝立てですか」 「おれはそうありたいと願っている。私怨を持っているデカの方が、悪の根に対して強い衝立てになるだろう」 「夜、家へ帰ると、だれも迎えてくれる者がなく、朝出たときのままになっています。柏餅《かしわもち》にした万年床にもぐり込むと、枕元に女房と娘を殺した犯人の笑い声が聞こえるような気がします。そんなとき、このままでは死んでも死に切れないとおもいますよ」 「だから私怨を持っているデカは、強い衝立てになれるんだよ。私怨を忘れるな。そして私怨に耐えて仕事をするんだ。それが奥さんや娘さんに対するなによりの供養になるよ」  横渡と交わした会話がおもいだされた。  横渡は一人娘をジェットスキーに当て逃げされて、彼女を下半身不随にされた私怨に耐えて、悪を追っていたのである。  棟居にとって妻子を殺されたことも、横渡の殉職も、共に私怨である。横渡は刑事は私怨で犯人を追ってはいけないと言ったが、棟居はいま、まさしく私怨で捜査に従事していた。 (横さん、あんたがなんと言おうと、おれはいま私怨から犯人を追いかけているよ。刑事が友達を殺されて黙っていたら、なめられる。やつらが二度とデカを殺そうなどとおもわないように徹底的に追いつめることが、警察の威信につながり、一般の人を悪から守ることになるんだ)  棟居は横渡の面影に語りかけていた。      4  中野署、新宿署両捜査本部とも捜査は壁に突き当たっていた。  容疑線上にようやく浮かんだ者も次々に消去され、犯人に結びつくような手がかりはなにも発見されない。  捜査本部が沈滞しているときは、捜査員に徒労のみが積み重なっていく。捜査本部には季節に合わせて秋風が吹いていた。  棟居は本部に吹き込む隙間《すきま》風に乗ずるようにして一日休みを取り、熱海《あたみ》へ行った。  二年前の目撃者のない事件を、季節も異なるこの時期に調べに行っても、徒労に終ることは予測されていたが、横渡を殺した犯人検挙と同時に、彼の娘の当て逃げ犯人を突き止めることは、棟居の心の責務のようになっている。  当時、大江が熱海に来合わせていた事実を確かめるだけでも、彼に一歩迫れる。  熱海は秋の観光シーズンと、年末年始の混雑のちょうど狭間《はざま》の、比較的静かな時期にあった。  駅前に降り立つと、空車が長蛇の列をつくっている。  旅館の案内係がさっそく寄って来た。棟居は案内係を躱《かわ》して、タクシーに乗り込んだ。 「海岸のジェットスキーを貸し出すところへやってください」  と言うと、運転士は、 「ジェットスキーのレンタル業者は多賀《たが》の方にありますが」  と答えた。 「多賀とはどの辺にあるのですか」 「熱海から少し離れた海縁《うみべり》です。熱海市域ですがね」 「それではそこへやってください」 「いまは季節外れで閉鎖されていますよ」 「閉鎖している間、業者はどこにいるのですか」 「さあ、そこまではわしらは知らんね」  運転士が素っ気なく答えた。 「それでは海水浴場へやってください」 「サンビーチですか」 「サンビーチというのですか」 「海岸通りに面した砂浜ですが、千葉の方から数千トンの砂をダンプで運んで、海水浴場を復元したんです」 「復元というと、以前は海水浴場だったのですか」 「以前、天然の海水浴場が失われた跡に、街の振興のためにまた砂浜を復元したんですよ。熱海の海だから汚いだろうとみんな馬鹿にして来ますが、湘南《しようなん》の海よりよほど綺麗《きれい》です。旅館や街の生活排水は海水浴場の中には一滴も入り込まないようにしてありますからね」  運転士は自慢げに言った。  間もなく車は旅館の立ち並ぶ海岸通りへ入った。車窓左手に青い海が広がっている。  信号の手前で車が停まった。 「そこの信号を左へ行くと、サンビーチですよ」  運転士が言った。棟居は事故現場の海水浴場を見てから、休業中の業者を探すつもりであった。  タクシーを捨てて、おしえられた方角へ進むと、左手に派出所があった。ちょっと覗いてみたが、不在のようである。  派出所を通り過ぎると海水浴場への入口がある。  砂浜に沿って遊歩道が延びている。低い階段を上って遊歩道に立つと、一気に海水浴場の全景が視野に入った。  白々とした砂浜に人影はない。人工にしては広々とした砂浜である。人気がないせいで、広く見えるのかもしれない。  前方に防波堤が張り出し、海を仕切っている。防波堤の中央が切れていて、外海の勢いを殺された波が息も絶え絶えに海岸へたどり着いてくる。  海水浴場と一般海域の境界を示すブイは、季節外れなので浮いていない。  横渡瑞枝に当て逃げしたジェットスキーは、防波堤の内側を走行していたのであろう。  防波堤の外側には、広い海域が広がっているのに、わざわざ内側を走ったのは、海水浴客の関心を集めるためか、あるいは外側は走行を禁止されていたのか。  いずれにしても防波堤の内側は大部分を海水浴客によって占められるであろうから、ジェットスキーの走れる水域は限られてしまうだろう。  防波堤の外の遠方の海域に島影が青く霞んでいる。右手には伊豆半島へ延びる海岸線が、霞の奥へ消えるように連なっている。  陸も海も優勢な移動性高気圧の下にあり、天候は安定している。  棟居が踵《きびす》をめぐらしかけたとき、海の方角に爆音が轟《とどろ》いて、一艘のジェットスキーが航跡波を引きながら彼の視野の中へ走り込んで来た。この季節でもジェットスキーに乗る若者がいたのである。  唖然《あぜん》として見守っている棟居の前で、ジェットスキーは海水浴場を独占して、気持ちよさそうに走行している。  航行する船もなく、遊泳者もいない海域は、ジェットスキーの独擅場《どくせんじよう》である。  ひとまわり走りまわったジェットスキーは、航跡波を残して走り込んできた方角へ去って行った。  我に返った棟居は、ジェットスキーの去った方角へ走った。だが、走って追いつけるものではない。  海岸通りへ出た棟居は、ちょうど来合わせた空車を拾った。 「いまサンビーチの海を走っていたジェットスキーの来た所へ行ってくれ」  棟居の言葉に運転士は一瞬きょとんとしたが、 「それじゃあ、この先のヨットの繋留場《けいりゆうじよう》かもしれないな」  と言った。 「とにかくそこへやってくれ」 「すぐそこですよ」 「いいから、やってくれ」  車の中に転がり込んだ棟居に、運転士が呆《あき》れたような表情をしたが、車を発進させた。  運転士の言葉通り、一分も走らないうちに繋留場へ着いた。大小のヨットが十数艘繋留されている。  だが目指すジェットスキーは見当たらない。  そのとき棟居はふたたび聞きおぼえのある爆音を聞いた。先刻サンビーチの海で見かけたジェットスキーが、陸から海へ突き出す防波堤の先端から離れたところである。  棟居は運転士に千円札を差し出すと、釣りも受け取らずに、防波堤に向かって走り出した。  防波堤の上にはまばらな人影が釣り糸を垂《た》れている。彼らは血相変えて走って来た棟居に、なにごとかと視線を集めた。  防波堤の突端にたどり着いた棟居は、遠ざかって行くジェットスキーに呼びかけた。  だが彼の声は爆音に消されてジェットスキーに届かない。 「すぐここへ戻って来るよ」  かたわらで釣り糸を垂れていた男が言った。  釣り人の言った通り、間もなくジェットスキーはサンビーチの沖を一周して帰って来た。若い男が二人乗っている。  棟居はジェットスキーに手を振った。  ジェットスキーは防波堤の突端で手を振っている棟居に気がついたらしく、スピードを緩めながら近づいて来た。 「警察の者だが、ちょっと聞きたいことがあります」  警察という言葉に、ジェットスキーの若者は少し構えたようである。  ジェットスキーは防波堤に接岸した。 「そのジェットスキーはどこで借りたのですか」  業者はいま営業していないはずである。 「べつにどこからも借りませんよ。我々のものです」  操縦していた若者が、少しむっとした口調で答えた。 「いや、失礼。すると、それはお宅のマイカー、いや、マイジェットスキーですか」 「そうですよ」 「ジェットスキーの走れる海域は防波堤の内側と定められているのですか」 「べつに定められていません」 「すると、防波堤の外側を走ってもかまわないわけですね」 「かまいません」 「季節の制限はないのですか」 「べつにありません。まあ夏の方が多いですがね」 「この辺を走っているジェットスキーは、ほとんどが自前のものですか」 「レンタルのジェットスキーはこの辺には来ませんよ。ほとんど多賀の方を走っています」 「ジェットスキーを操縦するとき、だれかに届け出るのですか」 「その海域の漁業組合に届け出ます。組合が仕掛けた網や漁場を荒らす虞《おそれ》がありますので。でも無届けで走っている者も結構いますよ。我々はちゃんと届けていますが」  若者は先手を打った。 「ジェットスキーを操縦するには免許がいりますか」 「いります。四級小型船舶の免状が必要です」 「そのジェットスキーはどうやって運んで来たのですか」 「車に積んで運んで来ました」 「車から浜まではどうやって運んだのですか」  防波堤の上に車は見あたらない。 「リフターに乗せて運んで来ました」  若者が指さした方角に二つの車輪が付いた簡易手押車のようなリフターが見えた。  当て逃げしたのが自家用のジェットスキーであれば、業者に聞いてもわからない。漁業組合にも無届けでジェットスキーを走らせていれば、事故発生後の足跡ならぬ航跡もなにも残っていないであろう。 「あなた方は二年前の八月二十八日ごろ、こちらへ来ましたか」  棟居はおもい直して問うた。  横渡瑞枝の記憶によると、加害者はアベックであったと言うが、彼らも容疑対象から外すわけにはいかない。 「八月二十八日ですか。その日は来ていませんね」  二人の若者は首を振った。 「ジェットスキーの同好者にはグループがありますか」 「あります。しかしグループに属していない者も大勢います」 「あなた方は二年前の八月二十八日、サンビーチ沖でジェットスキーの当て逃げ事故があったのをご存じですか」 「あの事件のことで調べているのですか。ああいう不心得者が紛れ込んで来るので、我々は大いに迷惑しています。我々の仲間は海水浴場のブイには近づきませんよ。まだ免状取り立ての若葉マークが女を乗せて突っ張った操縦をするから、あんな事故が起きるのです」 「この写真の男があなた方の知っているジェットスキーの同好者の中にいませんか」  棟居は大江雅弘の写真を二人にさし示した。二人の表情に反応は表われない。 「どうですか。心当たりはありませんか」 「知りませんね。初めて見る顔です」  二人は答えた。  結局、熱海に来たのは無駄足に終ったようである。 「お引き止めしてすみませんでした。この季節なら海は空《す》いているでしょうから、せいぜい楽しんでください」  棟居は二人に礼を言って、防波堤の突端から陸の方へ引き返そうとした。  そのときジェットスキーの後部に乗っていた若者が、もじもじした気配を見せた。なにか言おうとしてためらっている様子である。  その気配を敏感に感じ取った棟居は、 「なにか心当たりがありますか」  と問いかけた。 「これは、事件とは関係ないことかもしれないけれど……」  若者はためらいがちに言った。 「どんなことでも結構です」  棟居に促されて、 「二年前の八月の下旬だったとおもいます。二十八日ではありません。サンビーチでジェットスキーを乗りまわしていた若い女の子が、この間殺されました」 「殺された……二年前にサンビーチに来た女の子が。その事件はいつ、どこで発生したのですか」  棟居は予感のようなものが胸を走るのをおぼえた。 「テレビで見たのです。彼女にまちがいありません」 「テレビが報道した被害者の名前や、犯行日をおぼえていますか」  棟居はもどかしさに耐えながら問うた。 「名前は忘れました。十月下旬だったとおもいます。新宿のホテルの地下駐車場で、彼女の死体が発見されたと言っていました」 「十月下旬、新宿のホテルの地下駐車場!」  棟居は身体の芯《しん》から興奮が湧《わ》いてくるのをおぼえた。  十月下旬、新宿のホテル地下駐車場で発見された死体の主は、桂由里子以外にはない。彼女が二年前の、日こそちがえ、同じ八月下旬、熱海の海へ来ていたという。 「ジェットスキーを彼女は一人で乗りまわしていたのですか」  棟居は興奮を抑えて問うた。 「男が操縦する尻にしがみついていました」 「その男の顔をおぼえていますか」 「すみません。男の方は全然見ていなかったので」  彼は頭を掻《か》いた。 「殺された女と一緒にジェットスキーに乗っていた男は、この写真の主ではありませんでしたか」  棟居はもう一度、大江雅弘の写真を示した。 「それが、全然記憶にないのです。女の顔だけしか見ていなかったものですから」  若い男は申し訳なさそうに言った。  意外な事実が浮かび上がりかけている。  桂由里子は二年前の八月下旬、男と一緒に熱海の海で、ジェットスキーを乗りまわしていた。  ということは、八月二十八日、横渡瑞枝が当て逃げされたときも熱海へ来ていたかもしれない。とすると、桂由里子と同乗していた男も、当て逃げ容疑者の列に加えられる。  横渡瑞枝は当て逃げ犯人を大江雅弘と断定している。  事故発生時、大江と同乗していた女は桂由里子である可能性もあるのだ。桂由里子と大江雅弘は、横渡瑞枝を接点にして関係が生ずる。  もし大江が瑞枝を当て逃げしたとき、桂由里子が同乗していたとすれば、大江は由里子に弱味を握られたことになる。 (弱味はそれだけではなかったかもしれない)  推測をめぐらしていた棟居の脳裡《のうり》に、閃光《せんこう》が迸《ほとばし》った。  大江雅弘は多摩川愛児園から逃亡した幸一ではないのか。閃光に照らし出された発想は、みるみる輪郭を明らかにしていった。  桂由里子は幸一こと大江雅弘の前身を知っていた。  幸一がどのような経緯を経て大江雅弘になったか、いまのところ不明であるが、逆の玉の輿《こし》に乗ろうとしている矢先、前身が露見してはまことに都合が悪い。下手をすると婚約そのものを破棄されかねない。  しかも彼の前身を知っている女は、彼の犯罪事実まで握ってしまった。  桂由里子は大江雅弘となった幸一に再会して、彼を愛した。大江にとっても有名になる以前は、桂由里子は便利な存在であった。  彼らが同じ愛児園の同窓生という共通項を踏まえて、その関係を深めていった経緯は容易に推測できる。  まして由里子は幼いころ、幸一を兄のように慕った下地がある。  幸一が有名になりさえしなければ、そして藤枝是明の娘と婚約しなければ、幸一と由里子の関係はハッピーなままつづいたはずである。  だが幸一は大江雅弘に変身して野心を伸ばそうとした。彼の野心にとって由里子の存在は妨げ以外のなにものでもなかった。  そうして大江は由里子の口を閉ざすに至った?  大江と由里子を結びつけたのは、棟居の推測にすぎない。大江と由里子が同じジェットスキーに同乗していたという証拠は、なに一つないのである。  棟居の推測だけで捜査本部を納得させるのは難しい。まして由里子殺しは管轄外の事件である。  だが、乗りかかった舟である。  棟居は由里子を見かけたと証言した若者の姓名、住所を聞くと、熱海署へ向かった。  足取りが変わっているのが自分でもわかった。      5  熱海署に挨拶して帰京した棟居は、さっそく大江雅弘が四級小型船舶操縦士の免状を取得しているかどうか調べた。  全国の小型から大型の船舶操縦士を管轄している官庁は、運輸省の海上技術安全局船員部船舶職員課である。同課に問い合わせたところ、大江雅弘は三年前の五月、四級小型船舶操縦士の免状(海技免状)を取得している事実がわかった。  棟居はまた一歩近づいたとおもった。大江雅弘はジェットスキーを操縦する。彼は桂由里子が乗りまわしていたというジェットスキーの同乗者になれるのである。  大江の身上はおおむね公表されている。  それによると、出身地は山形県|酒田《さかた》市である。幼いころに父親をなくして、上京し、母に死別した後、さまざまな職業を転々としたらしい。  彼の開運のきっかけは、大江が二十歳のとき、都内のホテルでボーイをしていて、挿絵画家の巨匠|武庫川乱魚《むこがわらんぎよ》の知遇を得たことである。  武庫川の書生となった大江は、みるみるその才能を現わした。  だが乱魚の絵が江戸浮世絵の流れをくむ美人画であり、どれを取っても瓜実《うりざね》顔、つり上がった目、鼻筋が通ったおちょぼ口の千篇一律《せんぺんいちりつ》の没個性の人物描写であることに不満をおぼえて、リアルな絵を追求したのが師匠の癇《かん》に触って破門された。  それが結局、大江を師匠の桎梏《しつこく》から解き放して、大きく羽ばたかせることになったが、乱魚にしてみれば、これは許し難い弟子の裏切りであった。  大江が両親に死別して乱魚に拾われるまで、どこでなにをしていたか本人以外はだれも知らない。「さまざまな職業」の経歴も、本人が申し立てたことである。  棟居は酒田市役所市民課から、大江雅弘の戸籍謄本を取り寄せた。  それによると、本籍地は山形県酒田市|久保田《くぼた》字|村西《むらにし》××番地。父は大江|吉五郎《きちごろう》、昭和×五年十一月二十六日死亡。母|民子《たみこ》、昭和×九年五月十六日死亡。きょうだいはなし。  なお母民子は東京都|大田《おおた》区で死亡し、家屋管理人|中島恒夫《なかじまつねお》がこれを届け出ている。  死亡届けはおおむね同居の親族が届け出るが、当時雅弘は十歳であり、十五歳以上でなければ届け出られないので、家屋管理人が代わって届け出たものであろう。  東京の住居は戸籍の附表《ふひよう》を取れば追えるはずである。      6  熱海から帰った棟居は、多摩川愛児園を訪問した。 「たびたびお邪魔して申し訳ありませんが、ちょっと園長先生に見ていただきたいものがありまして」  棟居はこれまでと同じように愛想よく迎えてくれたマザー・パトリシアに言った。 「なんでしょう。幸一君の行方でもわかりましたか」  パトリシアは穏やかな微笑を浮かべて言った。 「そのことに関連があります。この写真の主は幸一君ではないでしょうか」  棟居は大江雅弘の写真をパトリシアに示して、彼女の反応をうかがった。  パトリシアは写真を手に取ると、凝っと見つめた。そのまましばらく沈黙を保っている。 「いかがでしょう、幸一君ではありませんか」  待ちかねて、棟居は促した。 「なんとなく幼な顔が残っているようですけれど、十八年も前の記憶なので、断定はできませんわ」  パトリシアは写真から目を上げて答えた。 「そうですか、成人後も変わらないようななにか特徴はありませんか。たとえば黒子《ほくろ》とか、怪我《けが》の痕とか」 「怪我といえば、幸一君、五歳のとき木登りをして落ちましてね、大した怪我ではなかったのですけれど、右の耳の上を切って、そこが小さな禿《はげ》になっているのです。写真では髪に隠れて見えませんが」 「右の耳の上に傷痕《きずあと》ですか」 「坊主頭にするとわかるのですが、髪の毛を伸ばすと見えなくなりますね。ほら、ここから見えるでしょう。あの桜の木に登って、落ちたのです。大した高さではなかったのですが、落ちたところにたまたま尖《とが》った石があったもので、右の耳の上を切ってしまったのです」  結局、マザー・パトリシアからは幸一と大江雅弘が同一人物であることの確認は取れなかった。  だが幸一を識別する有力な特徴をつかんだ。  棟居はさらに酒田市役所の市民課に電話した。電話口に出た戸籍係に、大江吉五郎とその妻民子の親族の有無について問い合わせた。  その結果、夫婦の両親はいずれも死亡していた。吉五郎には姉が二人いたが、彼女らもすでに世を去っていた。民子には姉一人、弟と妹が一人ずついたが、姉妹はいずれも死亡、弟のみ健在であるが、二十年前、ブラジルへ移住したということである。  十八年前に民子は死亡しているので、彼女の死亡時、唯一の親族である弟は日本にいなかったことになる。  これで民子の死亡届を家屋管理人が提出した事情がわかった。  棟居はこれまでに捜査、発見した事実を牛尾に連絡をとって話した。捜査会議にかける前に牛尾の意見を聞きたかったのである。  牛尾も驚きを隠さなかった。 「横渡さんのお嬢さんを接点にして、桂由里子と大江雅弘がつながる可能性がありますね。だが幸一が大江雅弘だとすれば、この戸籍はどういうことになるのでしょうかね」  牛尾は棟居から見せられた大江雅弘の戸籍謄本に凝っと目を凝らした。  大江雅弘の身分事項欄には、昭和×九年四月十八日、山形県酒田市久保田字村西××番地で出生、父大江吉五郎届け出同月二十一日酒田市長受付、同月二十三日送付入籍と記入されている。  幸一は同年七月、世田谷区内において棄児として発見されたために、世田谷区長が名前をつけ、本籍を定め、出生推定年月日および本籍を調書に記載して届け出ている。  大江吉五郎、民子夫妻が幸一を養子にしたのであれば、その事実が身分事項に記載されているはずである。だが戸籍謄本を見る限り、雅弘は大江夫婦の実子である。 「そうです。それがネックになります。戸籍簿上、幸一は大江雅弘になり得ません。多摩川愛児園のマザー・パトリシアに大江の写真を見せたところ、幸一の幼な顔が残っているようだが、十八年もたっているので確認できないということでした。ただ幸一ならば、在園中、木登りをして落ちたときの傷が、右の耳の上に小さな禿として残っているはずだということです。しかし写真では髪に隠されて見えません」 「園長は幸一の幼な顔が残っていると言ったのですね」  牛尾の目がそのことの意味を測るように光った。 「私はどうもこの戸籍にからくりがあるような気がするのですが」 「からくりというと、戸籍を偽ったとでも」 「役所のミスで、子供のいない夫婦の戸籍に知らない間に生まれてもいない子供が入籍されていたり、職員の目を盗んで戸籍の原本に虚偽記入をして、偽の戸籍謄本をつくったりした実例がありますが、幸一が多摩川愛児園から逃げ出したのは十歳のときです。そして彼が逃げた年に大江民子は死んでいます。幸一にそんな細工ができたとはおもえません。ただ幸一が逃げた年に大江民子が死に、それより四年前、雅弘の父親が酒田で死んでいるというのが、どうもキナ臭いにおいがしますね。しかも民子の死亡届を出したのは、家屋管理人の中島恒夫という人物になっています。そのとき雅弘は幸一と同じ十歳です」 「母民子が東京で死亡しているということは、大江吉五郎の死後、民子が雅弘を連れて上京したということでしょうね」 「そうだとおもいます」 「つまり、民子が死んで、雅弘は東京に身寄りもなく残された。その後、雅弘はどこへ行ったのでしょうか」 「母の死後、二十歳のとき、武庫川乱魚に拾われるまでの十年間、雅弘の足跡は絶えています。その間どこでなにをしていたか、まったく不明です」 「大江吉五郎と民子の親族はどうなっているのですか」 「酒田市役所に問い合わせましたところ、吉五郎には二人の姉、民子には姉一人と弟妹が一人ずつおりまして、吉五郎の身寄りはすでに死亡、民子の姉と妹は死亡、弟一人がブラジルにいるそうです」 「すると、雅弘の身内は日本には一人もいないということですね」 「そういうことになります」 「養子を実子として届け出ることはできないのでしょうか」 「その辺のことを戸籍の専門家に聞いてみようとおもっています」 「大江雅弘、すなわち幸一ということが確かめられれば、面白いことになりそうですね」 「つまり、彼は前身を抹消して大江雅弘として生まれ変わった。そしてそのことを桂由里子が知っていたことになります」 「桂由里子との接点があるというだけで、二人の成人後の関係が確かめられたわけではありません」 「まだまだ突破しなければならないネックは残っていますが、面白くなりそうな気配が揺れています」  二人はたがいの目の奥を探り合った。  棟居と牛尾は連れ立って渋谷区役所へ行った。  大江は現在、|幡ケ谷《はたがや》三丁目のマンションに住んでいる。彼が住民登録をしていれば、渋谷区役所の住民基本台帳に記載してあるはずである。  大江の現住所から、朝田織江が殺された中野区の公園は、それほど離れていない。  区役所で大江の住民票謄本を請求すると、間もなく窓口から本人の住民票が交付された。 「住民登録はしていたようですな」  刑事らはうなずき合った。  現在は、住民は住民基本台帳法に基づいて、個人を単位とする住民票を所帯ごとに編成して、住民基本台帳を作成する義務を負わされている。  住民票には、住民の氏名、生年月日、性別、戸籍の表示、住民となった年月日、住所、旧住所などが記載される。  大江雅弘の住民票によると、旧住所大田区|田園調布《でんえんちようふ》五—××から四年前の三月十六日に現住所へ転居して来ている。 「えらい豪勢な場所に住んでいましたな」  牛尾が驚いたように言った。 「これはたぶん武庫川乱魚の住居だとおもいます。大江はしばらく乱魚の書生をしておりましたから」 「なるほど、乱魚の家ですか」  牛尾は納得したようにうなずいた。  大江の住民票を確認した二人は、ふたたび戸籍係の窓口へ行った。窓口の係の女の子が顔を向けた。 「ちょっとうかがいますが、養子を取るときは、戸籍に養子とはっきりと記載されるのですか」  棟居は尋ねた。 「もちろんです」 「実は養子でありながら、実子として育てたい場合は、戸籍簿の上で養子であることを隠せないでしょうか」 「それでしたら特別養子縁組という規定がありまして、実父母の欄を空欄にすることができます」 「実父母の欄を空欄に?」 「日本の戸籍法では、子を養子として入籍した場合は、養父母の名前の別欄に実の両親の名前が記載されますので、戸籍を見ると産みの親がすぐにわかってしまいます。そのため子供が産みの親に会いたがったり、実の親が後になってから養親に金品を強請したりするケースが出てきます。そういう弊害を防ぐために、特別養子縁組という制度ができたのです」 「特別養子縁組、それだと養子を取っても、戸籍簿上、実子と見分けがつかないということですか」 「いいえ、実父母欄が空欄になるだけで、本人の身分事項欄には養子縁組をした旨が記載されます。でも、これまでの養子縁組と異なり、一目で養子とはわからないようになっています」 「その身分事項欄にはどういう文言が記載されるのですか」  窓口の女性が棟居のしつこい質問に、どうしてそんなことを尋ねるのかと言うような表情をした。 「あ、これは失礼しました。我々はこういう者です。捜査の参考に少々お尋ねしています」  棟居は懐中の警察手帳をちらりと覗かせた。  女性の表情が改まって、 「それでは責任者を呼んでまいります」  と言って席を立ち、年配の男を連れて来た。  窓口女性の上司らしい男は、刑事らの顔色を見ながら、 「特別養子縁組についてお調べと聞きましたが」  と言った。 「特別養子縁組をすると、実子と養子の区別がつかなくなるのでしょうか」  棟居は同じ質問を繰り返した。 「一見わかりませんね。特別養子縁組の場合は養父母の欄がなくなり、実父母欄に養親の名前が記載され、養子の欄には、ただ長男とか長女と記入されます」 「しかし、身分事項欄には養子ということが記載されてしまうのでしょう」  それは窓口の女性から聞いたことである。 「養子という文言は使われません」 「どういう文言が記入されるのですか」 「まず何月何日、どこそこで出生して、父とか母とかが届け出たという出生事項が記入された後に、民法八一七条二項、裁判確定について父母届け出というような文言が記入されます。しかし本人が戸籍謄本を取っても、この文言だけでは養子ということはわかりません」 「本人がその文言に不審をもって尋ねたり、調べたりすればわかりますね」 「わかります。民法八一七条二項を見ても、特別養子縁組という言葉が出てまいりますので、わかってしまいます」  大江雅弘の戸籍謄本の身分事項欄には、そのような文言は一切記入されていない。 「特別養子縁組をする際、その子が棄児で両親が不明で、戸籍がないような場合はどうなるのですか」  牛尾が質問役を代わった。 「その場合は本籍不明ということになりまして、養子縁組をする前に就籍することになるでしょうね」 「しゅうせきとは?」 「戸籍をつくることです。まず家庭裁判所が、その子が生まれた前後の事情を審査して、私どもが家裁の許可に従って処理します。家裁がどのような審査をするのか私どもにはわかりませんが。しかし棄児の場合は、棄児が発見された市町村で戸籍をつくりますが」 「たとえばその棄児が、自分が棄児であるということを嫌って、収容されていた養護施設などから逃げ出していた場合、棄児が自分を拾ってくれた養父母にその素性を隠していれば、養父母にとっては棄児の戸籍がないのと同じになりますが。つまり、まったく戸籍のない子供と特別養子縁組をすることはできますか」 「そういうケースは扱ったことはありません。棄児が養護施設から逃亡すれば、養護施設からも届け出がありましょうし、戸籍のない、あるいは戸籍を隠している子供と養子縁組をするということになれば、家裁がかなり詳しく調べます。特別養子縁組は家裁の許可がすぐには下りません。半年間の養育期間がありまして、その間、養子が養親に懐いているか、親としての経済力があるか、また子供を育てられる環境にあるか等を勘案して、家裁は許可します。家裁の調査の段階で逃亡した棄児の戸籍が明らかになるでしょう。私どもとしては、あくまでも家裁の許可に基づいた届け出によって戸籍上の手つづきを取ります。その棄児はいくつですか」 「養護施設から逃亡したときが十歳でした」 「六歳に達している者は特別養子縁組ができません。ただし八歳未満で、六歳に達する前から養親となる人に看護されている場合は縁組ができますが、特別養子縁組の制度が新設されたのが、昭和六十二年度で、まだあまり知られていませんがね」  これを聞いて、幸一は大江吉五郎と特別養子縁組ができないことが確定した。幸一が多摩川愛児園から逃亡して、大江が武庫川乱魚の書生になるまでの期間には、特別養子縁組制度がなかったのである。  区役所で幸一と大江雅弘が戸籍上、同一人物になり得ないことが確かめられた。  仮に年齢を偽ったとしても、本籍不明者として家裁の厳しい調査の網をくぐり抜けられたとはおもえない。  まして彼は当時十歳であった。十歳の少年に民法や戸籍法の法律知識をわきまえ、法網をくぐって幸一から大江雅弘に変身する芸当はとうてい不可能である。  となると、桂由里子と大江雅弘の間は切断されてしまうのである。  区役所からの帰途の足取りは重かった。NHK放送センターの巨大な建物が秋の陽《ひ》に白く輝いている。  公園通りはトレンディな服装の若者たちで賑《にぎ》わっている。通りには洒落たブティックや喫茶店やファッションビルが軒を連ねている。 「以前この通りは区役所通りと言っていたはずですが、いつの間にか公園通りに変身してしまいましたね」  牛尾が言った。 「区役所通りよりは公園通りの方がたしかにスマートな感じですね。そういえば新宿にも区役所通りがありましたな」 「新宿の区役所通りはいっこうに変身しませんよ。しかし私は、その無粋で四角張った名前の方が、なんとなく新宿に合うような気がします」 「税務署通りというのもありましたね」 「区役所や税務署のそばがオカマや浮浪者の巣というのも、いかにも新宿的です。新大久保《しんおおくぼ》の方へ近づくと外国人が多くなります。まさに人間のごった煮ですよ」 「その点渋谷は、最近、六本木《ろつぽんぎ》との区別がつけにくくなりましたね。渋谷と六本木が合体してしまったような感じです」  棟居は街に群がっている若者たちに視線を向けた。いずれも東京に根を下ろしたような表情と格好をしているが、彼らの中で本当に根を下ろしている者は少ないだろう。  街も人間も流動している。それは渋谷や新宿だけではなく、東京全体の特徴である。  流動する速度はかなり速い。激流に抵抗して、若者たちは東京に居つづけようと悪戦苦闘している。朝田織江や桂由里子も、その激流に呑み込まれた犠牲者であろう。 「大江雅弘に一度会ってみたいですな」  牛尾が歩道を歩いている若者たちの群れに目を据えて言った。 「任意出頭を要請しますか」 「まだ任意出頭の段階ではありません。ただ会って、その人物の感触を得てみたい」 「同感ですね。ともかく横渡さんのお嬢さんは、彼を当て逃げ犯人だと言っています。彼女の言葉以外になんの証拠もありませんが、私は彼女の記憶を信じています。大江雅弘は横渡さんのお嬢さんに当て逃げした犯人でしょう。そのことだけでも彼から事情を聞いてみたいとおもっています」 「一つ我々だけで会いに行ってみませんか」 「ただ会って、相手の反応を見るだけなら、べつに差し支えはないでしょうね」  手持ち材料はほとんど皆無に等しい。だが刑事の胸の内で形成されつつある心証は、幸一と大江雅弘を重ね合わせていた。 [#改ページ]   獲物の臭跡      1  大江雅弘は棟居と名乗る捜査一課の刑事から面会を求められてとまどった。秘書の田代洋子《たしろようこ》から取り次がれた電話に応答した大江は、少し身構えながら、 「どんなご用件でしょうか」  と問うた。 「実は私どもが担当している事件の捜査について、先生の専門的なご意見をうかがいたいとおもいまして。ご多忙なお身体ですから、お手間は取らせません。ほんの少々お会いいただけないでしょうか」  相手は低姿勢に言った。 「警察の捜査について、なにも専門的な意見などはありませんが」  大江は自分の職業的知識が、捜査にどんな役に立つのだろうか、またなんの事件の捜査かと不安をそそられた。 「いえ、ぜひとも先生のご意見をうかがいたいのです」  詳しいことは会った上で話すと相手は言った。  警察となると無下に断わるわけにもいかない。面会するには気の重い相手であるが、大江はしぶしぶ承諾した。  翌日、約束の時間に棟居と牛尾はTホテルで大江を待った。  銀座に近いこのホテルのラウンジは、どうやら客と待ち合わせているらしいホステスの姿が目立つ。これから客と一緒に食事をして、店へ同伴するのであろう。  いずれも盛装して、隙のない化粧を施しているが、刑事らの目には、彼女らが出陣前の武装をしているように見えた。  これから夜の仕事に出勤する女性たちの姿には、朝の通勤途上のOLとは確実にちがう雰囲気がある。  職業的な色気と、訓練された身のこなしは年季が入っている。その年季の中にたっぷりと男の脂が吸い取られている。  あちこちで待ち人と合流してカップルがいそいそと立ち去って行く。そういう中で男二人が人待ち顔に待っているのは違和感があった。大江には当方の特徴を伝えてある。  彼らのかたわらのテーブルで待っていた若い女の前に、五十前後の厚みのある男がやって来た。 「やあ、待たせたかね」  男は言った。 「ええ、三十分もね。罰金をたっぷりいただくわ」  女は流し目で男を睨んだ。 「すまんすまん。おもいのほかの渋滞でね。美味しいものを食べさせてあげるよ」  男は女のテーブルの上の伝票を素早くつかんで、座らずにレジ台の方へ向かった。  女が去ったテーブルの上には、ほとんど口をつけていないジュースが置かれている。  約束の時間はとうに過ぎている。 「やあ、お待たせしました」  刑事らが男女の後ろ姿に視線を泳がせていると、いつの間にかテーブルのかたわらに雑誌のグラビアで顔馴染《かおなじ》みになった大江雅弘が立っていた。スーツがよく似合う男である。  身体はスリムで、細くしなやかそうな指先は、いかにも絵筆を持つのにふさわしそうである。  右耳上の側頭部は長い髪に覆われて、マザー・パトリシアが言った傷痕は見えない。  大江は遅れたことを詫《わ》びもせず、席に着いた。その態度はまったく悪びれていない。 「本日はお忙しいところをお呼び立ていたしまして」  棟居が低姿勢に切り出した。 「忙しいといえば毎日のことですから」  大江は多忙が日常であることをほのめかした。 「大江先生は、たしか山形県の酒田のお生まれでしたね」  棟居に指摘されてもまったく動ぜず、 「はい、六歳のときから上京しておりますので、東京生まれと同じですよ」 「六歳から東京ですか。道理で」  棟居は納得したようにうなずいて、 「ご多忙のお身体ですから、さっそくお尋ねします。先生はジェットスキーの操縦をなさいますね」  大江の面に視線を向けた。 「ええ、三年前に四級小型船舶操縦士の免状を取得しました。でも、このごろはほとんど操縦していません」 「二年前の夏はいかがでしたか」 「資格取得後一、二年は操縦しましたね」 「熱海のサンビーチには行かれましたか」 「いえ、あそこは人工の海水浴場があって、走れる海域が狭いので行きません」 「ほう、よくご存じですね。あの辺の事情にはお詳しいのですか」 「いや、それは、マリンスポーツ情報として知っているだけです」  小さな矛盾を衝かれて、大江は一瞬言葉に滞ったかに見えたが、すぐに立ち直った。 「そうですか、二年前の八月下旬、熱海で先生をお見かけしたという人間がいたものですから」  棟居がハッタリをかました。 「それはなにかのまちがいでしょう。二年前の夏も、それ以後も、私は熱海へは行っていません。熱海がどうかしたのですか」 「これは失礼しました。ところで先生は桂由里子という女性をご存じですか」 「かつらゆりこ? いいえ」 「多摩川愛児園という養護施設をご存じですか」 「知りませんね」 「もう一つお尋ねします。朝田織江という女性をご存じではありませんか。以前、新宿で『おりえ』というスナックを経営していた女性です」 「いいえ、知りません」 「『おりえ』というスナックには行ったことはありませんか」 「ありませんね。それが私に尋ねたいという専門的な意見ですか」  大江は少し気分を害したようである。 「失礼なことをお尋ねして申し訳ありません。もう一つだけ聞かせてください。先生は二年前の八月二十八日、どこにいらっしゃいましたか」 「二年前の八月二十八日? そんな以前のことはおぼえていませんよ」 「その日、熱海にいらっしゃいませんでしたか」 「熱海には行ってないと言ったはずだが」  大江はむっとした声で言った。不愉快な気色を面に露骨に現わしている。 「その日、横渡瑞枝さんというお嬢さんが熱海で先生の姿を見かけたと言っているのですが」 「よこわたりみずえ、そんな人は知りませんね。本人の私が行ってないというのに、見も知らぬ人間が私の姿を見かけたというのは、どういうことですか」 「人ちがいであればよろしいのです。それを確かめたかっただけです」 「いずれにしても、私はいまのご質問に関して、専門的意見を持ち合わせておりません。そろそろ時間です。失礼します」  大江は腕時計を見て、立ち上がった。 「大江先生」  それまで沈黙を守っていた牛尾が大江を呼び止めた。  立ち去りかけた大江が振り返った。 「これは先生のお忘れものではありませんか」  牛尾があらかじめ用意してきた蘇民将来を大江に示した。大江は一瞬ぎょっとなったように立ちつくした。 「いや、知らない、それは私のものではない」  大江は滞った言葉を押し出すように言うと、足早に立ち去って行った。  大江が立ち去ったのを確かめてから、棟居が口を開いた。 「牛尾さん、どうおもいました」 「大江は蘇民将来に心当たりがありますね」 「ヤッコさん、ぎょっとしていましたよ」 「熱海もむきになって否定していましたな。充分な感触と見ていいでしょう」 「今夜、会食の予定があるなら、彼はきっと食欲を失ってしまったにちがいありません」 「残念ながら、右の耳の上の傷痕は確かめられませんでしたね」  彼らの周辺のテーブルにいた人待ち顔の男や女は、ほとんど入れ替わっていた。  彼らは席を立ってホテルから出た。街は完全に夜になっている。ネオンが街を多色に染めている。  棟居の腹の虫がぐーと鳴いた。その鳴き声を聞きつけたのか、牛尾が、 「いかがです、その辺で軽く食事を摂《と》って行きませんか」  と誘った。  棟居はそのとき、健康な食欲を維持している自分を幸せだとおもった。      2 「お顔の色が悪いみたい」  テーブルに向かい合って食事を共にしていた藤枝佳子が、大江雅弘の顔を覗き込むようにした。雅弘は少し慌てた口調になって、 「そんなことはない。きっと照明のせいじゃないかな」  と答えた。 「そうだったらよろしいけれど、なんだかお食事もあまり進まないみたい」  佳子に指摘されて、雅弘は無理やりにステーキの肉片を口中へ押し込んだ。 「とても美味しいよ。特にここのレストランのステーキは、素材といい、香りといい、焼き具合といい、絶品だね。素質がまるでちがうという感じだな」  大江は無理をして、また新たなピースをナイフでカットした。 「私もそうおもうわ。特にあなたと一緒に食べると、味がいっそうアップするの。このお店のステーキは、おそらく日本の最高水準だとおもうわ」  だが最高水準のステーキも、今夜の大江にとってはまるで砂を噛《か》むようである。  突然面会を求めて来た二人の刑事が、今夜の食欲に影響していることは明らかである。  二人は疑わしそうな目つきをして、不愉快なことを次々に尋ねた。佳子との結婚を控えて、いまはどんな微細な傷も衝かれたくはない。  ようやく人生の上昇気流に乗って、社会の選ばれたる者だけが入ることを許される門口に立ったところで現われた二人の男は、あたかも暗黒の奈落《ならく》からの使者のように、まがまがしい影を引いていた。  あの刑事たちはどこから自分に目をつけたのであろうか。選《よ》りに選って、自分の人生の最も大切な時期にやって来た招かれざる訪問者は、ようやく輝き始めた彼の将来に暗い影を投げかける。 「ほら、また考え込んでいらっしゃる」  佳子に甘い声で抗議されて、大江ははっと我に返った。 「雅弘さん、なにか心配事でもおもちではないの」  佳子に顔色を探られて、 「そんなものあるはずないよ。ここのところ少しハードな仕事がつづいたので、疲れているのかもしれないな」 「だったらよろしいけれど、私たち間もなく夫婦になるのよ。なにか困ることがあったら相談して。私の手に負えないことでも、父に話せば、きっと解決してくれるわ」  佳子が言った。彼女にとって父の藤枝是明はオールマイティである。どんなことでも可能にしてくれるアラジンの魔法のランプのような存在にちがいない。  だが、彼女にとってはアラジンの魔法のランプかもしれないが、大江にとってはその生殺与奪の権を握っている絶対君主でもある。  藤枝の庇護《ひご》の有無は、今後の彼の将来を開く鍵となる。絶対に彼の信頼を失うようなことがあってはならないのだ。  藤枝の庇護を得るためのパスポートが佳子である。当面、佳子の歓心をつなぐために、この砂と化したようなステーキを平らげなければならない。それは完全に食欲を失った大江にとって、絶望的な困難におもえた。  同じ時刻、棟居と牛尾は、銀座の外れに見つけた蕎麦《そば》屋で、てんぷらそばと玉子とじに舌鼓を打っていた。      3  翌朝午前八時、中野署の捜査本部に本部メンバーは顔を揃《そろ》えた。  昨夜遅くまでの捜査活動の疲れもものかは、捜査員たちはすでに電話にかじりついて、今日の捜査活動のための連絡を取り合い、資料に目を通している。  八時三十分、捜査会議が始まった。今日の捜査方針を検討して、各捜査員の担当を決める。  捜査が膠着しているときは、捜査員の発言も少ない。おおむね上司から連絡事項が伝達されて、会議は終わる。  発言の機会をうかがっていた棟居は、頃合いよしと見て、口を開いた。  彼は二年前の横渡瑞枝の当て逃げ被害事故を説明して、手弁当で熱海へ捜査に行き発見した事実と、横渡瑞枝の証言に基づき大江雅弘に会った感触を伝えた。  最初は、横渡瑞枝の当て逃げ被害事故が本件にどんな関係があるのかというような顔色で聞いていた捜査本部員の表情が、改まってきた。  棟居がしゃべり終えると、さざ波のようにざわめきが広がった。 「それで、きみは大江雅弘が多摩川愛児園を出奔した幸一だとおもうのかね」  那須が代表して問うた。 「まだなんの証拠もつかめていませんが、大江は幸一の遺留品である蘇民将来にたしかに反応を見せました」 「しかし、その反応は個人の主観的印象にすぎない。それだけで大江即幸一と決めるのは早計じゃないかな。仮に大江が幸一であったところで、毛髪鑑定によって、幸一は朝田殺しの犯人になりえないだろう」  那須に代わって、那須班の山路《やまじ》部長刑事が言った。 「毛髪の鑑定結果は赤ん坊の遺留品の中にあった毛と横渡さんの指先に残されていた毛が同一人物のものとされただけで、共犯者の存在まで否定しません」  棟居の説明に、それがどうしたと問うように山路が顎をしゃくった。 「私も大江雅弘に会うまでは、横渡さんのお嬢さんの当て逃げ被害について、彼の反応を見ることが目的でした。本件に関わりないことなので、独断で会いに行ったのですが、桂由里子は二年前の夏、熱海でその姿を見られており、大江もその前年、四級小型船舶操縦士の免状を取得しております。二人の間にまったく接点がないということもないとおもいます。当面、大江雅弘をマークして、彼の身辺を調べてみてはいかがでしょうか」 「いま聞いた報告によると、大江雅弘は酒田の大江吉五郎という人の息子であることを戸籍簿で確認したんだろう。すると大江は幸一になり得ないじゃないか」  山路はなおも反駁《はんばく》した。 「戸籍簿上、大江雅弘はたしかに大江吉五郎と妻民子の間に生まれた子供です。養子でもありません。しかし両親はすでに死亡して、きょうだいもなく、親戚《しんせき》としては母方の叔父《おじ》が一人ブラジルにいるだけです。大江雅弘は父吉五郎が死んで間もなく、母親と共に上京しております。つまり、彼を知っている者がまったくいないということです」  一座がまたざわざわした。 「するときみは、大江雅弘の戸籍に偽りがあるとおもっているのかね」  今度は那須が問うた。 「その疑いを抱いております。ここに私が酒田市役所に請求して取り寄せた大江雅弘の戸籍謄本と、渋谷区役所が交付した住民票があります。戸籍謄本を見る限り、大江雅弘は大江吉五郎、民子の子供であることは疑いありません。しかし雅弘と幸一の出生年は同じであり、幸一が多摩川愛児園を出奔した十歳のとき、大江雅弘も十歳で東京大田区で母と死別しています。この辺の符号から調べてみたいとおもっています」 「ちょっと待った」  山路が言葉をはさんだ。  このような場合、山路が常に批判役にまわる。論理の弱点を衝いてねちねちと迫ってくるので、若手捜査員は彼を苦手にしている。  だが山路は自ら嫌われ役を買うことによって、捜査会議の偏向や見込み捜査の危険を是正しているのである。 「きみが大江雅弘に目をつけたきっかけは、横渡君の娘さんの証言だけだろう。二年前、海でジェットスキーに当て逃げされて、息も絶え絶えに漂流していた少女の記憶に頼っただけだ。しかも大江雅弘と桂由里子の接点は、べつの日に同じ場所で彼女の姿を見かけたというだけの、それも一人の旅行者の当てにならない記憶によるだけだ。きみの独断専行による手弁当捜査の成果から大江と幸一、また大江と桂由里子を結びつけるのはあまりにも短絡だとおもうが」  案の定、山路は棟居の推測の弱点を的確に指摘してきた。  棟居も自分の論理の弱いことを踏まえた上で意見を述べている。弱点は弱点として保留して、自分の嗅覚《きゆうかく》しきりににおう大江雅弘の過去をさかのぼることによって、なにかが出てきそうな気がする。 「大江雅弘が蘇民将来に対して反応を示したということは、面白いとおもいます。これは個人の主観的印象とはいえ、棟居刑事と新宿署の牛尾刑事が見て取ったことですから、横渡瑞枝さんや熱海のジェットスキーに乗っていた若者の証言よりも信憑性《しんぴようせい》が高いとおもいます」  笠原が助け船を出してきた。 「ジェットスキーの若者が桂由里子を見かけたというのは、横渡君の娘さんが当て逃げされた日とはべつの日なんだろう。その日に見かけたからといって、当て逃げされた日にも桂由里子が熱海へ行っていたということにはならない。また仮に彼女が当て逃げ日に熱海へ行っていたとしても、即当て逃げ犯人には結びつかない。多摩川愛児園の園長の記憶は十八年も前のもので、まったく当てにならない。園長自身が同一人物とは確認できないと言っている」  山路が意地の悪い口調でなおも食い下がった。 「可能性はあるとおもいます。大江雅弘はむきになって否定したそうですが、どうやら熱海に土地鑑がありそうな気配です。幸一と大江雅弘の問題は保留しても、大江の側から桂由里子、また朝田織江との関係を探ってみるのはあながち無駄ではないとおもいますが」  笠原はさらに援護射撃をつづけた。笠原の意見は当を得ている。  これまで桂由里子と朝田織江の異性関係は、彼女らの側からのみ捜査している。ここに大江雅弘の身辺に焦点を絞って捜査してみれば、由里子や織江との間がつながるかもしれない。大江と織江の間がつながれば中野署の本命事件の捜査にも突破口が開くかもしれない。迂遠《うえん》ではあるが、当面他に掘り下げるべき容疑線がなかった。一種の見込み捜査であるが、まったく根拠のない見込みではない。  山路はその根拠を薄弱だとしているが、可能性はあるわけである。笠原の援護に力を得た棟居は、 「大江雅弘の身辺調査を許可いただけないでしょうか。とりあえず大江が母親に連れられて上京後住んでいた大田区の居所を調べてみたいとおもいます」  と言った。  会議の雰囲気が棟居の意見に傾いているのがわかった。いずれにしても捜査は膠着し、八方塞がりの状況である。  大江をマークした根拠が薄弱ではあっても、容疑線上に浮かび上がってきた一個の対象にはちがいない。 「大江と、蘇民将来の出処である上田とはなんのつながりもないのかな」  那須が聞いた。その質問はすでに棟居説を踏まえている。 「現在のところ、大江と上田の間にはなんの関係も見当たりません。この点も捜査してみたいとおもいます」  山路はもうなにも言わない。 「桂由里子が持っていた蘇民将来は、多摩川愛児園の園長によって幸一のものと確認されている。その遺留品に大江が反応を示したということは見過ごしにはできないとおもう。大江と幸一のつながりは保留するとしても、蘇民将来に示した反応、ジェットスキーの操縦資格、大江と幸一の年齢の符号、横渡瑞枝さんの証言、ジェットスキーの若者の証言、以上を勘案して、当面、大江雅弘の身辺を探ってみたいとおもう」  那須の言葉が会議の結論となった。  身辺内偵は安易には許されない。本人のプライバシーを侵す虞があるからである。まして相手は藤枝是明の娘と婚約中の人気画家でもある。大江の内偵決定は捜査本部の英断であった。  中野署の捜査方針は新宿署の捜査本部に連絡された。まだ合同捜査、あるいは共同捜査態勢に入っていない他署捜査本部の刑事同士が連れ立って事情聴取に行ったのは、稀有《けう》なケースである。  セクショナリズムの強い警察間では意思の疎通が速やかに行なわれず、捜査の障害になることが多い。  犯人と犯罪者の広域化に伴い、一一〇番の集中管理や管区警察の広域捜査隊が創設されたりしているが、各警察署や都道府県警の壁を完全に取り外すのは難しい。  このような事情の中で、警察部内で�民間外交�と呼ばれる各捜査員の個人的な人間関係による協力が、意外に威力を発揮する場合がある。  今回のケースは、その民間外交の成果の一つといえる。  棟居の行動は、本来の捜査活動から離れての独断専行と非難されても仕方がないが、棟居にしてみれば、殉職した刑事仲間の家族の当て逃げ被害を手弁当で追跡したものである。  その結果、意外な聞き込みを得て、それが他捜査本部事件に関わっていく気配を見せたので、顔見知りの牛尾に連絡して、大江に会いに行ったというところである。  新宿署捜査本部でも、中野署の新たな捜査方針に影響を受けた。もし桂由里子と大江雅弘の間がつながれば、大江はむしろ新宿署が追わなければならない獲物である。  新宿署においても、中野署の捜査会議と同じような検討が行なわれ、当面、中野署と連絡を密にして、大江雅弘をマークすることにした。これは共同捜査に準ずる捜査態勢である。      4  蒲田《かまた》の駅から京浜東北線に沿って十数分歩く。小さな家や零細工場が建ち並んでいるごみごみした一隅である。進行方向は多摩川によって阻まれ、その先は神奈川県になる。  昔は六郷《ろくごう》の渡しを渡った旅人たちが、ようやく江戸のにおいを嗅いだ東京の最南端に当たる。  この地域に二十二年前、郷里から上京した大江民子と雅弘母子の住み着いた住居があった。  だが当時とは様子が変わっている。近代的なマンションや企業の工場が進出して、ちまちました小住宅が小さな身体をさらに縮めるように圧迫されている。  街の様子がなんとなく慌しい。 「今日から師走《しわす》ですな」  笠原がいま気がついたように言った。 「そうでした。なんとなく街の雰囲気が慌しいとおもいましたよ」  棟居もいま気がついた。  暖かい日がつづいていて、十二月に入ったとはおもえない。空の上の方は晴れているが、天末にいくほどに春のように烟《けむ》っている。青黒い都会のスモッグである。  多摩川を越えても、臨海工業地帯が黒い海へと連なっている。 「戸籍の附表によると、大江雅弘はこの界隈に六歳のときから武庫川乱魚に拾われるまで住んでいたことになります」  棟居が言った。  戸籍の附表には住居の変遷が記載される。ただし、それも転入出のつど、居住地の役所に届け出た場合に限る。届けなければ、住民票は動かず、戸籍の附表にも記載されない。  大江が武庫川に拾われたのは二十歳のときである。  その間、大江が上京時定めた居所に居つづけたともおもえない。大江が武庫川に拾われるまでどこでなにをしていたか、定かではない。 「この辺ですかな」  笠原は所番地を照合しながら立ち止まった。  大江は現在二十八歳、いまから二十二年前にこの地へ住み着いたことになる。そして十歳までの四年間母と一緒に住んでいたことは確かである。  棟居は街角に一軒の古びた雑貨屋を見つけた。コンビニショップにほとんどが衣替えをしてしまった今日、博物館ものの古典的な雑貨屋である。  店先にいまどき珍しい亀《かめ》の子だわしや、シュロの箒《ほうき》が立てかけてある。そのような商品が生き残っているということは、需要があるからなのであろう。  店番の姿は見えない。二人は店先に立って呼びかけた。  何度か虚《むな》しく声をかけて、ようやく奥の方に気配が生じた。  裏で洗濯でもしていたのか、中年の肥《ふと》った女が、前掛けで手を拭《ふ》きながら出て来た。 「いらっしゃい、なにを差し上げましょうか」 「いや、ちょっとものをお尋ねしたいのですが、この近くに南風荘《なんぷうそう》というアパートはありませんか」  棟居が問うた。 「なんぷうそう? さあ、聞いたことのない名前だわね」  女は首を傾げた。 「十八年前はたしかにあったはずなんですが」 「十八年前? ずいぶん古いアパートですね。この界隈は最近すっかり様子が変わってしまったので、もうそんなアパートはないとおもいますよ」 「お宅はこの界隈に長そうですが、こちらにずっとお住まいですか」  棟居と笠原は彼女の年齢を推測した。四十前後とすれば、大江がこの地域に母と共に住み着いたころは、彼女は十八歳から二十歳ぐらいであっただろう。 「私がこの家へ来たのは十五年ほど前ですからね、十八年も前のことは知りません。でも、そのころもう南風荘というアパートはなかったような気がしますよ」  彼女は見かけよりも年が若いのかもしれない。 「この界隈に大江雅弘という人が住んでいたはずなのですが、ご存じではありませんか」  大江が武庫川乱魚に拾われるまでこの地域に住んでいたとすれば、彼女も彼の消息を知っている可能性がある。 「おおえまさひろ……だれですか、その人は」  だが彼女の表情には反応は表われない。 「いま売り出し中の画家ですが、名前を聞いたことはありませんか。ここに写真があります」  棟居は持って来た大江の写真を雑貨屋のおかみに示した。彼女は写真に目を向けたが、 「さあ、こういう人は見たことがないわね。そうだ、おばあちゃんなら知っているかもしれないわよ」 「おばあちゃんがいるのですか」 「少しボケているけれど、古いことはよく知っているわよ」 「そのおばあちゃんに会わせていただけませんか」 「昼寝をしていたけれど、もう目が覚めたころかもしれないわね。おばあちゃん、昔のこととなると張り切るから、きっと喜ぶわよ」  雑貨屋のおかみさんはいったん奥へ引き込むと、老女を連れて来た。腰が少し曲がっているが、顔の色は若々しく、意外に元気そうである。  おかみさんは老女の耳へ口をつけるようにして、 「おばあちゃん、こちらは刑事さんだけど、おばあちゃんに昔のことで聞きたいことがあるそうよ」  と言った。 「昔のこと、なんのことかね」  老女が二人の方へ目を向けた。 「この界隈に南風荘というアパートはありませんでしたか」  棟居が質問の口火を切った。 「なに、ほうそう?」 「おばあちゃん、耳が遠いから、もっと耳のそばで話してあげてくださいな」  おかみさんがかたわらから口を添えた。 「ほうそうじゃありません。南風荘です、南風荘というアパートはありませんでしたか」  棟居が老女の耳に口を近寄せて声を大きくした。 「南風荘、あったあったよ。もうとうに取り壊されてしまったがの」  老女の面に反応があった。 「ありましたか。その南風荘の住人のことでおうかがいしたいのですが、大江雅弘という人物がそこに住んでいませんでしたか」 「おおえ? もしかするとマーちゃんかいの」 「マーちゃん、そのマーちゃんとはどういう人でしたか」 「よく家《うち》へ駄菓子を買いに来ましたがの、お袋さんと二人暮らしじゃった、なんでも山形の方から出て来たと言っとったが」 「それ、その人です。いまのマーちゃんはどこにいるかご存じですか」  棟居はおもわず身を乗り出した。 「お袋さんは東京へ来てからしばらく蒲田か川崎《かわさき》あたりのバーで働いておったようだがの、間もなく悪い病気に罹《かか》って死んでしまっての、マーちゃんはどこかの養護施設へ引き取られて行ったと聞いとりますが」 「養護施設? その養護施設は多摩川愛児園ではありませんか」 「さあ、養護施設の名前までは聞いとらんね」 「おばあちゃん、これがたぶんそのマーちゃんの写真ですが、おぼえていますか」  棟居は老女に大江の現在の写真を示した。 「どれどれ」  老女は虫眼鏡《むしめがね》を取り出して、凝っと写真を見つめていたが、 「どうもこの人ではないようじゃの。わしがマーちゃんを見たのは十歳ごろまでじゃが、マーちゃんはもっと目が大きくて、丸顔じゃった。この人のように目が細く、顎《あご》は尖《とが》っておらんかったね」  老女は首を傾げた。  大江は細面で、切れ長の目に鼻筋が通り、頬が削《そ》げている。 「マーちゃんは目がくりくりしていて、色白の可愛《かわい》らしい子じゃったよ」 「色白だったのですか」 「母親似でのう、女の子のように真っ白な肌をしておった。女の子の着物を着せた方が似合いそうな子じゃったな」 「マーちゃんの身体のどこかに、なにか特徴はありませんでしたか。たとえば黒子《ほくろ》とか、傷の痕とか」 「そうだね、いまでも傷が残っているかどうかわからんけれど、南風荘へ引っ越して来てから間もなく、近所の公園でブランコが顔に当たって、眉《まゆ》のこのあたりを切ったことがあった。たしかこっちの目だったとおもうが、傷痕が残って、眉が二つに切れたように見えたの」  老女は右の眉を手で押さえた。 「眉が二つに切れたように見えたのですか」  大江雅弘の右の眉には、そのような傷痕は見られなかった。  だが怪我をしてから二十何年も経過しているので、傷痕が治ってしまったかもしれない。  老女の背後から猫がのそのそ歩いて来て、彼女の膝《ひざ》の上に丸くなった。  猫が招き寄せたかのように客が入って来た。二人はそれを潮時に立ち上がった。 「幸一が多摩川愛児園から出奔したのが十歳のとき、マーちゃんが母親と死別して養護施設へ入れられたのがほぼ同じ時期の十歳のとき、もしマーちゃんが多摩川愛児園へ預けられたとすれば、彼らはそこで出会った可能性がありますね」  笠原が言った。幸一と大江雅弘は同年である。 「しかし、大江雅弘が多摩川愛児園に預けられていれば、大江雅弘について同園に聞き込みに行ったとき、園長がその名前に反応したはずですよ」  棟居がマザー・パトリシアに大江雅弘の写真を示したとき、その名前と素性を告げたのである。有名になった卒園生を園長が知らないはずはない。  賑やかな声がして、下校途上の学童たちとすれちがった。小学校の低学年らしい。仔犬《こいぬ》のようにじゃれ合いながら帰って行く。まだランドセルが新しいのは、今年の新入生らしい。  なにげなくその姿を見ていた笠原が、はっとしたように言った。 「大江の母親が死んだのは、たしか彼が十歳のときでしたね。大江はそのとき就学していたはずだな」  六歳で就学していれば二十一年前の入学となる。 「そうか、小学校を当たってみれば、大江の記録が残っているかもしれませんね」  笠原と棟居は顔を見合わせた。  もし就学していれば、地域の小学校に在学時の学籍が残っているはずである。また区役所に問い合わせれば、大江が預けられた養護施設の名前がわかるかもしれない。 「この界隈の学区はあの子供たちの小学校でしょうね」  刑事たちの足はおのずから下校する学童たちの列をさかのぼる形となった。  彼らは間もなく目指す小学校の前へ出た。鉄筋三階建ての校舎はまだそれほど古びていない。校門から下校の学童が三々五々吐き出されている。  十八〜二十一年前、この門から登下校する学童の中に、果たして大江雅弘はいたであろうか。いたとして、彼は現在の大江雅弘と同一人物であるか否か。  雑貨屋の老女の言葉は刑事たちの疑惑を大きくしていた。少なくとも老女の記憶にあるマーちゃんは、現在の大江雅弘ではない。  棟居と笠原は学童の下校の列に逆らうようにして校門を入り、職員室の窓口に名刺を通じた。  教頭と名乗る男が刑事たちに応対してくれた。 「二十一年前といいますと、何年度になりますかな」  訪意を聞いた教頭は年度数を測っているようである。 「少々お待ちください」  教頭はいったん別室へ行って、分厚い書類のファイルを持ってきた。 「昭和××年度入学、大江雅弘、たしかに当校に入学しておりますね」  教頭はファイルのあるページを開いて、指で示した。  そこには大江雅弘、生年月日、住所、保護者名等が記入してあった。 「二十一年前で、当時の先生はすべて替わっておりまして、詳しいことはわかりませんが、この学童は、四年生で退学しております」 「退学?」 「退学という言葉が適切かどうかわかりませんが、本人が登校しなくなり、保護者に連絡したところ、保護者が死亡のため、本人の行方が不明になっております」 「母親が死亡したことはすでに確かめてありますが、保護者の死亡後、養護施設に預けられて、そこから通学して来たのではありませんか」 「学童が養護施設に預けられた場合は、そこから通学してまいりますが、大江雅弘は保護者の死亡後、通学をやめてしまいました」 「転校したのではありませんか」 「学童が転校した場合は、転校先と養護施設に学童に関する資料を送らなければなりませんので、転校先は必ずわかります。大江雅弘の転校先は不明です。ということは、大江雅弘は当校に入学後、四年生のとき母親の死亡に伴って行方をくらましてしまったということですね」  つまり、大江雅弘は幸一の多摩川愛児園出奔と、ほぼ前後して、行方をくらましてしまったわけである。  戦後の混乱からようやく抜け切り、昭和|元禄《げんろく》を謳歌《おうか》している時代、保護者を失って放浪する少年はどのように生きていったのであろうか。 「こちらの学校には大江雅弘の写真はありませんか」  棟居が問うた。 「入学時に各クラス別に撮影した写真を保存しております」 「それを拝見することはできませんか」 「よろしいでしょう」  教頭は言って、ふたたび別室へ行って、分厚いアルバムを持って来た。 「昭和××年度入学の新入生はこのアルバムにファイルしてあります。大江雅弘は二組ですから、この写真の中に写っているはずです」  教頭が差し出したアルバムのページには、四十人ほどの新入生の集合写真が貼《は》られている。ただし各被写体の名前は記入されていない。  大江の現在の写真と一人一人比較対照する以外にない。二十二年経過しているが、面影の相似はあるはずである。  だがいちいち丹念に比較しても、写真と似ている顔を探し出すことはできなかった。  入学時はまだ怪我をしていなかったはずなので、眉に傷痕のある新入生はいない。目がくりくりした色白の子という特徴だけでは、大勢の集合写真の中から見分けられない。 「どうもいないようだな」  棟居は首を傾げた。  二十二年前に大江が入学した小学校の入学記念写真の中に、今日の大江の写真に相応する被写体が見当たらないということは、今日の大江と二十二年前の大江とが別人であるということを示すものである。 「現在、都内・都下、近郊に住んでいる人で、大江雅弘の同級生をご存じでしたらおしえていただけませんか」  入学記念写真の被写体をすべて消去した棟居は、さらに教頭に頼んだ。 「卒業時の住所は記録してありますが、卒業生の現住所までは把握しておりません。ですから現在、同級生のだれが都内に住んでいるかわかりません」 「それでは卒業生の卒業時の住所をおしえていただけませんか」  大江が入学後、在学していた同級生のうち、同校を卒業した十九名の卒業時の住所が得られた。彼らが現在その住所に住んでいるかどうかわからない。刑事はその住所をシラミつぶしに当たってみるつもりである。  放課後の校舎の一隅からコーラスが響いてくる。教頭先生に礼を述べて校門へ向かうと、校庭で高学年の女子がバトントワラーの練習をしていた。  棟居と笠原は小学校を辞去した足で、さっそく住所リストに基づいて、同校のOBめぐりを始めた。  小学校の卒業生なので、彼らの卒業時の住所は限られた学区内に散在している。その点、効率的に歩きまわれる。  三人目に卒業時の住所に住みつづけている同級生の一人に行き当たった。彼は親の代からこの地で経営している小さな工場を引き継いでいた。 「大江雅弘、ああ、よくおぼえていますよ。山形の方から出て来て、言葉がよくわからなくていじめられていたな」  工場の経営者は油で汚れた手をズボンで拭いた。 「言葉がわからなかったのですか」 「訛《なま》りがひどくてね、初めのころはなにを言ってるのかまるでわからなかった」  だが刑事らが知っている大江には、出身地の訛りがまったく残っていない。 「ブランコがぶつかって、右の眉に傷痕があったそうですが」 「ああ、ありましたよ。勢いよくこいでいたブランコの前に飛び出して、顔にぶつかったんだそうです。何日か学校を休んでいたな」 「大江雅弘はどんな性格の人間でしたか」 「おとなしく引っ込み思案でした。いじめられて、よくめそめそ泣いていましたよ」 「ここに現在の大江雅弘の写真がありますが、おぼえていますか」  棟居が写真を工場主に示した。  工場主は油で汚れた手をもう一度ズボンで拭いて、写真を受け取った。 「これが大江ですか」  工場主は写真から目を上げて問うた。 「最近の大江の写真です」 「私の知っている大江雅弘とは全然似ていませんね。二十年もたつと、こんなに人間の顔は変わるものかなあ」  工場主は首を傾げた。 「右の眉に傷痕がなくなっていますね。私が聞いたところによると、小学生のころの大江は目がくりくりしていて、色が白かったということですが」 「そうでした。そのために女みたいだとみんなから馬鹿にされていましたよ」  工場の庭での立ち話の間、旋盤の唸《うな》る音が絶えずしている。 「この近くにまだ住んでいる当時の同級生はいますか」 「小学校の仲間はほとんど散りぢりになってしまいましたが、山崎《やまざき》が当時からの住所にずっと住んでいますよ」 「山崎さんとは?」 「山崎|正一《しよういち》です。この先で富士見《ふじみ》湯という風呂屋をやってます。煙突が見えるのですぐわかりますよ」  工場主はおしえてくれた。  工場主がおしえてくれた通り、煙突がよい目印になって、富士見湯はすぐにわかった。最近、都内に珍しくなった昔ながらの銭湯である。  御殿造りの瓦《かわら》屋根、白|漆喰《しつくい》塗りの壁、唐破風《からはふ》の玄関出入口、背中に高い煙突を背負ったかつての東京の風物であった典型的な銭湯が、そこに生き残っていた。  煙突からもくもくと煙が噴き昇ってきている。湯気が天井の湯気抜きの窓から立ち昇り、窓を曇らせている。すでに営業している模様である。  棟居と笠原はちょっと顔を見合わせてから、暖簾《のれん》をくぐった。  暖簾の奥は土間になっていて、左右に下駄箱が並んでいる。右手のガラス戸に男湯、左手のガラス戸に女湯と書かれている。  刑事らはやむを得ず、いったん靴を脱いで下駄箱へ入れると、男湯のガラス戸を繰った。  昔懐かしい番台があって、二十代後半と見える女性が座っている。まだ早い時間帯だったので、脱衣場に客の影は見えない。 「いらっしゃい」  番台の女が声をかけた。 「ご主人にお会いしたいのですが」  棟居はちらりと警察手帳を覗かせて、大江雅弘の同級生の名前を告げた。 「社長なら裏の焚《た》き口にいますよ」  番台の女が答えた。彼女は山崎の妻ではなく、従業員らしい。  おしえられた通りいったん外へ出て、浴場建物|脇《わき》の露地を伝って裏へ出た。煙突が真上にそそり立っている。  燃料に利用するらしく燃えるゴミや廃材《はいざい》が山積している。番台の女が言った焚き口は、煙突の真下の煉瓦《れんが》を積み重ねたトーチカのような建物である。  師走の寒冷な季節にもかかわらず、むっとする暑熱が周囲に立ちこめている。  焚き口のガラス戸を開けると、屋内にはいっそう濃密な暑熱がこもっている。優に四十度以上はありそうである。  焚き口の内部には浴槽、シャワー、カラン、サウナなどの温度調節の各種計器盤や、大小のパイプが所狭しと犇《ひし》めき合い、走っている。焚き口は湯の温度や、供給量や、燃料の補給等を調節、管理する機械室である。  計器盤をにらんで三十前後の男が立っていた。刑事らの面はたちまち汗ばんできたが、平然としているのはさすがである。 「山崎さんですね」  棟居が声をかけると、男は初めて計器盤から棟居らの方へ視線を転じた。目の色が棟居らの素性を詮索《せんさく》している。 「警察の者ですが、ちょっとお尋ねしたいことがありまして」 「どんなことですか」 「小学校の同級生に大江雅弘という人物がいたことをおぼえておられますか」 「おおえ……」 「山形県の方から母親と一緒にこの近くへ移って来て、地域の小学校へ入学したのです。当時はマーちゃんと呼ばれていたそうですが」 「ああ、マーちゃんですか。よく知っていますよ。うちの風呂へもよく来ました。マーちゃんがどうかしましたか」  山崎が懐かしげな表情をした。鉄工所の経営者よりは大江と親しかったらしい。 「この写真の主は、あなたの知っている大江雅弘ですか」  棟居が大江の写真を差し出した。山崎は写真を手に取って見ていたが、首を横に振って、 「これはマーちゃんではありませんね。もっとも私の知っているマーちゃんは九、十歳までですが、顔の形がまるでちがいます」 「やはり大江ではありませんか」 「幼いころの顔が全然残っていませんね。整形手術をしても、こんなには変わらないだろうな」 「あなたの知っている大江さんにはなにか顕著な身体の特徴がありましたか」  笠原が問うた。 「ありましたよ。小さいとき父親がストーブにかけていたやかんを誤って倒し、煮え湯を浴びたとかで、右の膝から股《また》にかけて火傷《やけど》の痕がありました。そのためにいつも長ズボンをはいていました」 「大江雅弘はその火傷の痕を隠していたのですか」 「彼はそれをとても恥ずかしがっていました」 「あなたはどうしてそれを知っているのですか」 「うちの風呂へ来たとき、私が番台に座っていて見たのです」  大江雅弘の新たな特徴がまた発見された。 「大江さんは母親が死んだ後、学校へ来なくなったそうですが、彼の消息についてその後、聞いたことがありますか」 「一度、篠塚《しのづか》という同級生の一人に、品川《しながわ》の駅でぱったり出会いましてね、ホームの上で少し立ち話をしたのですが、そのとき篠塚が、五、六年前に新宿で浮浪者になっていた大江を見かけたと話していました」 「その篠塚さんに出会ったのはいつごろですか」 「そうですね、四年ほど前になりますか」  そのとき篠塚が五、六年前と言ったということは、今から九、十年前ということになる。  大江が武庫川乱魚に拾われたのは二十歳、いまから八年前である。 「その篠塚さんという同級生の住所をご存じですか」 「たしか関西の方の会社に勤めていると言って名刺をもらったのですが、失ってしまいました」  大江が浮浪者をしていたとは新たな情報である。だがそれは伝聞にすぎない。篠塚の行方は卒業時の名簿の住所から追えるであろう。  伝聞ではあるが、有力な聞き込みであった。  棟居と笠原が帰路についたときは、とっぷりと暮れていた。 「ますます怪しくなってきましたね」  帰路の電車の吊《つ》り革にぶら下がりながら、笠原が言った。  大江雅弘の身辺を探れば探るほど、胡散臭《うさんくさ》いにおいが濃厚に立ちこめてくる。  いまや現在の大江雅弘が、二十二年前、山形から上京して大田区の一隅に住み着いた六歳から十歳までの大江雅弘とは別人であることがほぼ確定した。  身体の特徴、言葉の訛り、性格等、悉《ことごと》く現在の大江とは異なる。 「問題は戸籍ですね。現在の大江と過去の大江が別人であれば、いつ、どこで、どのようにして戸籍上すり替わったか。これを証明しない限り、大江には手をつけられない」  棟居は窓外に散らばる街の灯をにらみながら言った。 「山形へ行ってみたいですね」 「山形には六歳まで大江が住んでいました。大江の幼いころを知っている者がいるかもしれませんね」 「信州へも行きたいし、これは手分けということになりそうですね」  夕方のラッシュで電車はかなり混《こ》んでいる。今日一日歩きまわった疲労が全身に重く澱《よど》んでいるが、収穫が多かったので疲労をあまり感じない。  二人は自分たちの向かう方角に獲物が潜んでいるにおいをしきりに嗅いでいた。      5  捜査本部に今日の聞き込みの成果を報告すると、本部は活気づいた。  だがそれに冷や水をかけたのは山路である。 「仮に現在の大江雅弘が戸籍上の大江雅弘ではないことが判明したとしても、それが我々の事件《ヤマ》にどんな関係があるのかな。大江が戸籍を詐称しようとしまいと、横渡刑事や朝田織江殺しとはなんの関係もないのではないか」 「なんの関係もないことはありません。新宿署の事件《ヤマ》の被害者桂由里子と幸一は、同じ多摩川愛児園の同窓生で、横渡さんのお嬢さんは当て逃げ犯人が大江雅弘であることを明言しているのです。桂由里子と幸一に接点があることはすでに捜査会議で認められ、大江の身辺内偵が決まったのではありませんか」  棟居が、なにをいまさら会議の決定事項を蒸し返すかと言うように反駁した。 「大江の素性が怪しくなったということは、大江即幸一ということにはならない。また仮に大江と幸一が結びついたとしても、それは新宿の事件《ヤマ》の方に近い。大江の身辺内偵には異議はないが、我々としては大江と常に一歩の距離を置いておくべきだとおもう」 「つまり、これから先の捜査は新宿署に任せろということですか」  棟居がやや語気を強めて言った。 「そうではない。横渡君の娘さんの証言は、本来、我々の事件になんの関係もないものだということをあらためて言っておきたい。大江雅弘と朝田織江との間に接点が発見されたのであればとにかく、大江の内偵結果は、新宿署の事件《ヤマ》の方へ近づいているようだ。新宿署の事件《ヤマ》と我々の事件《ヤマ》を結ぶものは、朝田織江が集めていた幸一のスクラップだけだということを忘れないでもらいたい」  山路は、昂揚《こうよう》して本来の進路を見失いかけている捜査本部を戒めた。  たしかに山路の言う通り、朝田と大江の間にはなんの接点も見つけられていない。山路はいつも憎まれ役を買って出ながら、捜査本部の羅針盤《コンパス》役を務めているのである。 「幸一がなんらかの方法を用いて大江雅弘になり代わったとして、大江イコール幸一であることが証明されれば、朝田織江殺しにも関わってくる。朝田殺しの幸一の容疑は消去されているが、朝田と桂由里子が一ヵ月余の間に相前後して殺害された事実は、両件の間になんらかのつながりを疑わせるものである。幸一を桂由里子殺しの犯人と仮定すれば、動機は前身を隠すことにある。幸一と大江の接点を発見したい。大田区の大江の前住所の調査結果を踏まえた上で、もう少し大江の身辺を掘り下げてみたい。大江の本籍地酒田、蘇民将来の出処地である上田、浮浪者をしていた大江を見かけたという篠塚という同級生、以上三点をさらに当たりたい。とりあえず大田区の調査結果を新宿署に連絡して、さっそく取りかかってみてくれ」  那須が言った。  ここに大江雅弘の身辺捜査は、さらに一歩進められたのである。  山路の方向是正はあっても、容疑線上のターゲットとしての大江をマークした捜査本部の姿勢は変わらなかった。  武庫川乱魚にもアプローチがなされたが、 「大江については、書生採用以前の経歴はなにも知らない。知りたいともおもわない」  と取りつくしまもなかった。  小学校の同窓会名簿から篠塚の現住所が手繰られた。篠塚は現在、大阪府|守口《もりぐち》市に在住して、大阪のある自動車メーカーに勤めていた。  篠塚と電話連絡が取れて、棟居は富士見湯の社長から聞き込んだことを確認した。 「ああ、大江ですか。たしかに新宿で会いましたよ。いまから十年前の夏だったとおもいます。当時ある私大の学生だった私は、コンパの帰途、歌舞伎町《かぶきちよう》の裏通りを歩いていると、偶然レストランの裏口のような所で大江が残飯を漁《あさ》っていました。一見、身なりは浮浪者らしくありませんでしたが、顔や手足は色白の彼が垢《あか》で黒く汚れていました。初め、他人の空似かとおもったのですが、幼いころの顔にそっくりだったので、声をかけると、びっくりしたように私の方を見て、そのまま逃げるように立ち去ってしまいました」 「すると言葉は交わさなかったのですか」 「言葉を交わす前に逃げて行ってしまったのです。でも彼は大江にまちがいありません。名前を呼びかけたとき、たしかに反応しましたし、あの顔は大江でしたよ。私も変わり果てた姿を昔の同級生に見られるのを恥ずかしがっているのだとおもって、追いかけませんでした」  桂由里子の居室に残されていた蘇民将来は、幸一のものであることが、マザー・パトリシアによって確認されている。  幸一の出身地は蘇民将来の出処地に関わりがあるのかもしれない。その地へ赴けば、幸一の出生に関わる秘密も明らかにされるかもしれない。  幸一と大江雅弘が同一人物ではないかという憶測は、まだなんの裏づけも得られていない。大江の指紋を幸一の指紋と対照すれば、問題は一挙に解明されるが、任意内偵捜査の段階でそれは不可能である。この両者をつなぐものは横渡瑞枝の証言と、彼女が当て逃げされた夏、桂由里子の姿を同じ場所で見かけたというジェットスキーの若者の言葉だけである。  だがもし幸一と大江雅弘が同一人物であると証明されれば、大江にとって朝田織江も桂由里子も、彼が秘匿した前身を知る人物ということになるであろう。  二件の殺人事件は関連する可能性が強くなってくる。  蘇民将来の出処地の調査は新宿署に任せて、中野署の捜査本部では、大江雅弘の本籍地を調べることになった。 [#改ページ]   貼り残された誇り      1  牛尾と青柳が上田へ向かったのは十二月十三日である。十一月の初旬から雨がほとんど降らず、関東一帯に乾燥注意報が出されていた。  上野《うえの》から信越線の特急で上田まで約二時間半弱である。上野を朝出発して、午前中に上田へ着ける。  関東平野はうらうらとよく晴れていた。関東名物のからっ風もなく、春をおもわせるような日和《ひより》がつづいている。  青柳が高崎《たかさき》でだるま弁当を買い込んで来た。 「昼飯には少し早いけど、この辺で腹ごしらえをしておきませんか」  独身の青柳はまだ朝飯前のようである。妻が用意した朝食をたっぷりと摂ってきた牛尾は、まだ腹は空いていなかったが、青柳につき合うことにした。  旅の味覚には胃のキャパシティに関係なく、新たな食欲が湧くものである。 「横川《よこかわ》で峠の釜飯《かまめし》も仕入れましょう」  青柳がだるま弁当を頬張りながら言った。 「おいおい、まだこの上食べる気かね」  牛尾は呆《あき》れた。 「この程度の駅弁なら三食分は平気ですよ」  牛尾は青柳がだまる弁当を三個買って来た意味がわかった。  横川で機関車を接続した。列車は喘《あえ》ぎ喘ぎ上って、トンネルをいくつか通過した。最後のトンネルを通過すると、右手に雪の薄化粧を施された浅間《あさま》山が見えてきた。  軽井沢《かるいざわ》で疎《まば》らな乗客がさらに減った。関東平野ではよく晴れていた空がこの辺りから不安定になり、雲の量が多くなった。  列車は霜枯れた高原風景の中を加速して、小諸《こもろ》の方角へと下って行く。風景は闊達《かつたつ》であるが、寂しい。浅間山の長大な裾野《すその》が絶えず右手の車窓につきまとう。  絶えず変容していく浅間山の山相に、車窓越しに視線を泳がせていた牛尾が、 「なあ、青ちゃん、もし大江が幸一なら、彼にとって桂由里子以上に危険な人物がいることになるね」  と話しかけた。 「桂由里子以上に危険な人物というと、朝田織江のことですか」  青柳は牛尾の言葉の含みを咄嗟にすくい取れず、問い返した。 「朝田織江はすでに死んでいるよ。それに朝田と幸一の関係は証明されていない。もっとも桂由里子との関係も証明されていないがね」 「牛《モー》さんは幸一が大江だとおもっているんですね」 「まだ仮定の段階だよ。仮に大江の前身が幸一なら、そしてどうしてもその前身を隠しおおしたいなら、彼の前身を知っている人間はどうしても排除しなければなるまい」 「しかし、大江雅弘は戸籍簿上、たしかに大江吉五郎の息子なんでしょう」 「そこだよ。幸一が雅弘の戸籍を偽っているとしたら、本当の雅弘がどこかほかにいるはずだ」 「あ、そうか。本当の雅弘が現われたら、偽雅弘の素性が一ぺんに露見してしまいますね」  青柳は牛尾のかけた謎《なぞ》が解けたような表情をした。 「棟居さんから聞いたところによると、十年前、大江雅弘は新宿で浮浪者になっていたという。その後の消息はわかっていない。棟居さんの調査では、現在の大江と六歳から十歳ぐらいまでの大江はべつの人物であったそうだ。十年前、大江の小学校の同級生が新宿で出会ったときは、大江は十八歳ぐらいだったはずだ。つまり十八歳から武庫川乱魚に拾われる二十歳までの二年の間に、大江は変身してしまったというわけだ」 「変身後の偽雅弘にとっては、変身前の本物の雅弘の行方が気になることでしょうね」 「そういうことだよ。仮に偽雅弘が阿修羅《あしゆら》のようになって彼の前身を知る者を殺しまくっても、本物の雅弘がこの世に存在する限り、いつ自分の素性が露見するかもしれないと怯《おび》えていなければならない。雅弘の身寄りはほとんど死に絶え、彼の幼いころを知っている者の数は限られ、記憶が曖昧《あいまい》になっている。雅弘の幼いころを知る者が現われて、現在の雅弘が別人であると言っても、突っぱねてしまえばすむことだ。だが本物の雅弘本人が現われた場合は、偽物は言い抜けができない。現在の雅弘が偽物であるとすれば、その辺のところはどうなっているのだろうね」 「浮浪者になっていたという大江雅弘の行方が知りたいですね」 「そうだよ。現在の雅弘は偽物であると仮定しても、人気画家としてマスコミに顔を晒《さら》しているし、藤枝是明の娘と婚約して話題を振りまいている。本物がいれば目に触れるチャンスは大いにあるよ」 「同姓同名の別人というふうに考えませんかね」 「経歴も公表されているよ。経歴が本物の目に入れば、自分の戸籍を盗んでいることは一目でわかるだろう。それでも黙っているとはおもえないがね」 「たとえばですが、幸一が前身を隠すために、係累の少なそうな大江雅弘から戸籍を買ったということは考えられませんか」 「すると売った雅弘は無戸籍になってしまうよ」 「どうせ浮浪者をしているんです。浮浪者をしているということは、市民としての権利や義務を自分の意志で放棄したことになりませんか」 「そりゃそうだがね。仮に幸一が大江雅弘の戸籍を買ったとすれば、武庫川乱魚に拾われる前だから、幸一も十八歳前後のころだったはずだ。安金では他人の戸籍は買えまい。幸一はその若さでそんな金を持っていたのかね」  二人が熱心に話し合っていると、いつの間にか窓外に家並みが立て込んできていて、数人の乗客が下車支度をしている。列車は小諸駅の構内に滑り込んでいた。  小諸で数人の乗客が交替した。進行方向に向かって右手、市街地が高台に位置を占め、左手が低くなる斜面の間を列車は一路上田へと向かう。  左手の車窓に眺望が開けて、千曲《ちくま》川とおぼしき流れが初冬の弱々しい光の下に白茶けた帯を引いている。  二人が車窓に小諸|城址《じようし》を探している間に列車は加速して、小さな城下町の街並みから走り出てしまった。  窓外から視線を戻した二人は、心の内に醸成されつつあるおもわくを測った。 「偽雅弘が人気画家となり、藤枝是明の娘と堂々と婚約したのは、本物の雅弘が現われないという自信があったからでしょうか」  青柳が小諸駅の停車で中断された話題を継いだ。 「おれもそうおもうよ。少なくとも本物が生きている限り、偽雅弘が彼の前身を知る者を殺す意味がなくなる。桂由里子を殺したのが幸一で、雅弘にすり替わったとすれば、動機は前身を秘匿するためだ。だがもう一つの動機が潜んでいるのではないかな」  牛尾の目の光がまた新たな謎をかけている。 「もう一つの動機というと……」  青柳が牛尾の顔色を探った。 「つまり、本物が絶対に名乗り出ないという確信がなければ、前身を知る者を殺す意味がない。戸籍を金で買ったとしても、そんな売買は無効だ。売った者がいつ変心して、戸籍を返せと要求してくるかもわからない。だが本物がこの世にすでにいなければ、偽物は安心していられる。彼が名乗り出ることはあり得ない。偽者の自信は本物がすでにこの世に存在しないことを知っているからではないかな。そして本物の死因を偽物が作為したとしたらどうかね」 「牛《モー》さん」  青柳の表情が愕然《がくぜん》とした。これまで閉塞《へいそく》されていた視野におもいもかけない展望が開きかけている。 「偽物が本物を殺して戸籍を乗っ取った。偽物の前身が露見するということは、本物の死因に疑いを抱かせることにつながる。親から棄てられた身の上は、親は恥じても本人にとってなんら恥ずべきことではない。だがその身の上を隠そうとして他人の戸籍を乗っ取るために戸籍の持ち主を殺したとなれば、これはどうしても隠さなければならない過去の秘密となる。偽雅弘がその前身を知る桂由里子を殺したのは、前身と同時に本物の雅弘殺しを秘匿するためであったかもしれない。まだ憶測の域を出ないがね」 「牛《モー》さん、それは凄い発想ですよ。現在の大江雅弘が浮浪者として目撃された頃までの雅弘と違うことは、数人の証言が一致しています。雅弘の浮浪者以後の行方はわかっていません。これで雅弘と幸一の間がつながれば、牛《モー》さんの発想は充分可能性がありますよ」  青柳の口調が興奮している。  列車は千曲川に沿って進んでいる。依田《よだ》川との合流点を過ぎると上田はもう近い。長大な浅間山系の裾野をようやく振り切ろうとしている。      2  上田駅に降り立った二人は、駅前からタクシーを拾った。長野県第三位の都市だけあって、市街には活気がある。  どこにでも見られる地方都市の駅前風景が二人の前にあった。ホテルとサラ金会社とスーパーマーケットと雑踏する自転車、申し訳ばかりの駅前広場スペース。わずかに広場に五、六本植えられた白樺《しらかば》の樹《き》と真田幸村《さなだゆきむら》の銅像、そして蜂蜜《はちみつ》やそば、クルミを売る土産物店だけが、信州のメッセージを伝える。  駅前から一四三号線を経由して一八号線に出た。往路の列車の右手に平行して走っていた国道である。一四三号線と一八号線の分岐点左側に、蘇民将来の看板が立っている。  蘇民将来の出処である国分寺へは、東へ向かって往路を少し引き返す形になる。右手に乗って来た信越線の線路が見える。  約十分、信越線に沿って東へ走ると、左手に信濃《しなの》国分寺の堂塔が見えてきた。  現在の国分寺は、国分寺史跡よりも約二百メートル北の高台の上に建立されている。現在地に国分寺が移転し、堂、塔が建てられたのは鎌倉《かまくら》時代以降と推測されている。  古代の国分寺史跡は、JR信越線によって南北に切り裂かれた形になっている。  一八号線の右手南側の旧国分寺史跡に建っている、上田市立の国分寺資料館とは反対側の左手に、今日の国分寺の入口を示す石碑が建ち、信濃国分寺の文字が刻まれている。  石碑のかたわらにほとんど枯れかかった欅《けやき》の木が立っている。  国分寺資料館から国道一八号線を渡り反対側に出て徒歩一分で三日堂《みつかどう》に出る。  三日堂の一角は駐車スペースになっていて、堂内の空間から、一八号線をはさんで信濃国分寺史跡公園の緑が見える。  三日堂を背にして細い坂道を上ると、右手に参拝客のための駐車場があり、すぐ左手に国分寺事務所の白壁がつづく。  坂を上ると突き当たりが国分寺。檜《ひのき》と桜の大樹が山門の両側に繁《しげ》り、境内を囲う格好である。  車停《くるまど》めを越して石畳の道を入る。左右に、「南無薬師|瑠璃光《るりこう》如来中部四十九薬師霊場国分寺第一番札所」と染め抜かれた信者奉納の旗がある。一番奥に薬師本堂が、三層|伽藍《がらん》のうち最上層が最近新改築されたのだろうか、真新しい金色を石畳に投げる。  薬師本堂を正面に見て、右側に石造多宝塔と重要文化財の三重の塔と池、地蔵堂がある。左側は回廊池となっている。  境内は左右に桜、杉、松の大樹に花樹が点々とし、ややもすると薄暗い。  乾燥した土地柄のため、境内の樹木の生育はまばらで貧弱である。三重の塔の前に立っている樹高約二十メートルの椹《さわら》の木が最も高い。  十二月中旬のウィークデーの昼下がり、参拝客はだれもいない。年配の寺男一人が落ち葉を掃いている。  薬師本堂は天保《てんぽう》十一年(一八四〇)に起工、二十年の歳月を要して建造されたものである。信濃路《しなのじ》最大の伽藍建築で、中に日光、月光両|菩薩《ぼさつ》と薬師如来像が安置されてある。本堂は上田市指定有形文化財である。  三重塔は老檜の向こうに銅瓦葺《どうがわらぶ》きの重厚な姿を見せる。境内は閑散として百舌《もず》の声のみけたたましい。  青柳が境内にいた男に声をかけた。 「ふだんはこんなに静かなのですか」 「そう……だれも来やしないよ。十一月初めの連休は、ドウダンツツジが見事に紅葉するから、向かい側の史跡公園には皆が弁当持って来るけど、国分寺に来るのは信者と札所参りの爺さん婆さんだけ。公園よりもこっちの方が、ずっと有り難いんだがねえ」  寺男が前歯のすけた口を開いて苦笑した。  庫裏へ赴き、梵妻《だいこく》らしい中年の女性にこちらの素性を告げて、住職への面会を求めた。  東京の警察と聞いて、梵妻の顔色が少し緊張した。  庫裏の客間に請《しよう》じ入れられて、待つ間もなく住職が現われた。 「遠路ご足労でございます」  用件を告げる前に、住職は二人の前で合掌して、頭を軽く下げた。 「突然お邪魔いたしまして申し訳ありません」  牛尾と青柳は住職に初対面の挨拶をして、用件を告げた。  青柳が差し出した蘇民将来を手に取って眺めた住職は、 「これはたしかに当寺の蘇民将来ですな」  とうなずいた。 「この蘇民将来はたくさん出されているものですか」  牛尾が問うた。 「当寺で分けております蘇民将来は七種類ありますが、その中で最も数多くつくられておりますのがこの型の蘇民将来ですね」  住職が答えた。 「蘇民将来はいつでも分けていただけるものですか」 「毎年一月八日のご縁日に、参詣《さんけい》客に頒布《はんぷ》しております」 「ご縁日にはどのくらいの参詣者が集まるのですか」 「毎年一月七日夜から八日にかけて八日堂縁日と呼ばれ、約十万人を超す人出があります。この日に三万組以上の蘇民将来が頒布されます」 「三万組ですか」  牛尾と青柳は顔を見合わせた。その中でも最もさばけるのが幸一の遺留品タイプであるという。 「蘇民将来はすべてドロヤナギを素材にするのですか」 「いいえ、ドロヤナギは材質が軟らかいのでドロノキとも呼ばれますが、この樹を用いているのは当山のほかに弘前《ひろさき》市の岩木《いわき》山神社、米沢市の笹野《ささの》観音の三山です」 「一月八日以外には授けていただけないのですか」 「地元の檀信徒《だんしんと》が手づくりで頒布しておりますので、数には限りがあります。でもこの型は最も多くつくられていて、平日でもお分けしていますよ。最近は素材のドロヤナギが少なくなりましてね。材料の確保に苦労しております。真田《さなだ》町、東部《どうぶ》町、和田《わだ》村などが産地ですが、自生するドロヤナギが少なくなった上に、ドロヤナギであることも知らず雑木として切り倒し、パルプ材のように使う業者が増えていますので」  住職の穏やかな淡々とした表情が少し曇った。 「この蘇民将来がだれに頒布されたかわからないでしょうね」  牛尾は無理を承知で聞いた。 「そうですねえ。ご縁日では多くの参詣客がほとんど蘇民将来を授けられていきますから、平日頒布の分も含めると、相当な数に上りますので。この蘇民将来はかなり古いものですね」  住職は穏やかな視線を、あらためて牛尾らが持参した蘇民将来へ向けた。  幸一の現在の年齢から判断して、少なくとも二十八年以上前の製作になるものである。 「実はこの蘇民将来は二十八年前、東京都世田谷区内で発見された棄児《きじ》と一緒にあったのです」 「ほほう、それでこれを手がかりに親御さんを探していらっしゃるわけですね」  住職は敏感な推測をめぐらしたが、棄児の親を探すために東京から刑事が訪ねて来た理由については問わない。尋ねられたことだけに答え、よけいなことは一切問わない。  梵妻が茶を運んで来た。 「どうぞおかまいなく」  刑事らは恐縮した。お茶菓子に土地の名物であるみすず弄《あめ》がつけられている。 「蘇民将来をこちらのお寺以外の場所で手に入れることはできますか」 「この蘇民将来は当寺のみで頒布しておりますが、類似品を露天商がべつの場所で売ることがあるかもしれませんね」  たぶん無理とはおもって来たが、頒布元の信濃国分寺で幸一の遺留品である蘇民将来の入手者を突き止めることは不可能と確定した。 「蘇民将来とこちらのお寺の開基とはなにか関係があるのですか」 「関係はありません。当山の開基は天平《てんぴよう》十三年(七四一)、聖武《しようむ》天皇が全国に国分寺、国分尼寺《こくぶにじ》を造立すべく発した詔勅に基づいて開かれたものです。蘇民将来は当山が護符として授けているもので、参詣者に求められ、除災招福を願って各家庭の神棚や仏壇に供えられたり、戸口に吊るされたりします。またケシと呼ばれる一センチほどの小さな蘇民将来は、お守りとして携帯されます」 「側面に書かれている文字や模様はみな同じですか」 「六角柱なので六面に大福、長者、蘇民、将来、子孫、人也と二字ずつ書き分けられておりますが、そのほかに寿や蚕大當《かいこおおあたり》などの文字や、厄除《やくよ》けの文様が描かれています」  牛尾と青柳は新しい蘇民将来を土産にもらって、国分寺を辞去した。上田まで来たものの、収穫はなかった。      3  二人は国分寺を辞去してふたたび国道一八号線へ出た。空はよく晴れているが気温は低い。  東京のように都合よく空車は走っていない。さて、これからどうするかと言うように、二人はたがいの顔を見た。  歩道橋のかなたに、往路で横目に見た信濃国分寺資料館の看板が見える。 「ちょうどいい。資料館を覗いて行くか」  牛尾が言った。 「いいですね」  このまま東京へ直帰するのも芸のない話である。  歩道橋を渡って資料館広場の入口前に出る。道路の反対側からは資料館は一階に見えたが、入口へ近づくと、一階は半地下に潜った設計となっている。入館者が一階と感じるフロアは二階となっている。  背後に緑豊かな丘陵性の低山を背負って、車の往来の激しい国道沿いに、そこだけが透明なカプセルに包み込まれたような静謐《せいひつ》な空間を保っている。  館内の資料展示室には、信州を中心とした先史時代からの住民の歴史を、地域周辺から出土した土器、石器を展示して、わかりやすく説明している。館内に見学者の姿は見えない。  曲折する展示順路の最後のコーナーに蘇民将来の一区画があった。  信濃国分寺が所蔵する蘇民信仰の起源が祭文《さいもん》の形式で述べられている牛頭天王《ごずてんのう》祭文の現物が、ショーケースの中に展示されている。  これは文明《ぶんめい》十二年(一四八〇)に書写されたもので、神名が武塔神《むとうのかみ》(スサノオノミコトと習合)ではなく牛頭天王となっている。  展示コーナーには、大小六種類の蘇民将来がディスプレイされている。  そこに我が国で最も古い蘇民将来説話の要約があった。要約には次のように書かれている。 「むかし、武塔神が求婚旅行の途中宿を求めたが、裕福な弟巨旦将来はそれを拒み、貧しい兄蘇民将来は一夜の宿を提供した。後に再びそこを通った武塔神は兄蘇民将来とその娘らの腰に茅《かや》の輪をつけさせ、弟将来たちは宿を貸さなかったという理由で皆殺しにしてしまった。武塔神は『吾《われ》は速須佐雄《はやすさお》の神なり。後の世に疫気あれば、汝《なんじ》、蘇民将来の子孫と云ひて、茅《ち》の輪《わ》を以《も》ちて腰に着けたる人は免れなむ』と言って立ち去った」  なにげなく要約を読んでいた牛尾の目がはっとなった。 「青ちゃん、ここを読んでくれ。茅の輪を以ちて腰に着けたる人は免れなむと書いてある」  牛尾は声を出してその一節を読み上げた。 「書いてありますね。茅の輪がどうかしましたか」 「忘れたのか。幸一の遺留品の中にたしかわらで編んだ輪があったよ」 「あっ」  青柳も牛尾に言われておもいだしたようである。  幸一と一緒に発見されたビニールバッグの中には、蘇民将来のほかにタオル、写真と共にわらの輪が入っていた。後にそれは茅《かや》と確かめられた。なぜ茅が遺留品の中にあったのか、いまにしてその由来が明らかになった。  幸一の遺留品の一つである茅は、蘇民将来説話に基づいているものであった。 「茅のいわれは東京ではわからなかった。この地へ来て、国分寺の住職から直接聞くか、あるいは資料館のこの文章を読まなければ知らないだろう」 「茅の由来を知っている者は土地の人間の可能性が大きくなりますね」 「資料館員に確かめてみよう」  牛尾は受付へ戻って、館員に、展示コーナーに書かれている蘇民説話について問うた。  この説話は広く人口に膾炙《かいしや》しているかどうか。上田以外の土地でも説話が流布しているかどうか。牛尾の問いに、資料館員は答えた。 「その説話は備後《びんご》国(広島県東部)風土記による蘇民説話でして、鎌倉時代末期の『釈日本紀《しやくにほんぎ》』(日本書紀の注釈書)に引用記載されていることから、逸文として保存されています。風土記は和銅《わどう》六年(七一三)中央官命により作成された報告公文書で、いつ編述が完了したか明らかではありませんが、早くても官命後数年を要したとおもわれています」  館員は同じ説明を何度も繰り返しているらしく、澱みなく答えた。 「すると備後国風土記による蘇民説話は、上田だけではなく広く知られていますか」 「広く知られているというほどではありませんが、備後国と銘打たれているように当地固有の説話ではありません。蘇民将来に特に関心のある方のみが知っているでしょうね。当国分寺が所蔵する牛頭天王祭文にも蘇民信仰の起源が述べられていますが、備後国風土記とは多少相違しております。最も大きなちがいは、神名が武塔神ではなく牛頭天王となっている点です。牛頭天王はインドの祇園精舎《ぎおんしようじや》の守護神で、除疫神として京都の祇園社(八坂《やさか》神社)などに祀《まつ》られています。また弟蘇民は小丹《こたん》長者となり、兄蘇民将来は蘇民将来となっています。なお小丹長者の妻は蘇民の娘であるとされていますので、小丹、蘇民の二人は兄弟ではないと考えるのが自然でしょう。さらに備後国風土記における茅の輪の呪文《じゆもん》は、祭文において『柳ノ札ヲ作テ蘇民将来之子孫也ト書テ』と変わっています。この柳の札がどのような形状のものか定かではありませんが、現在の信濃国分寺蘇民将来符にあたるものと考えられます」 「すると、ご当地では茅の輪よりは柳の札の方が蘇民将来符とされているわけですね」  資料館員はうなずいた。  すると、幸一に茅の輪をつけた者は必ずしも上田と関わりの深い者ということにはならない。 「ところで、備後国風土記に基づく蘇民説話はこの資料館以外にどこで紹介されておりますか」 「よその土地のことは知りませんが、当館では解説書《ブツクレツト》に書いて紹介しております。また国分寺住職|塩入良道《しおいりりようどう》師が『蘇民将来考』という本で、蘇民縁起を詳細に論考され、備後国風土記との相違点を指摘しております」 「当資料館の解説書は二十八年前には発行しておりましたか」 「私もそんな以前のことは知りませんが、当資料館が開館したのは昭和五十五年七月一日でございます。現在の解説書は昭和六十四年の一月に発行されたものです。ここにございますから、どうぞお持ちください」  資料館員は「蘇民将来符——その信仰と伝承——」と書かれた解説書を差し出した。上質の紙を用いた、写真を豊富に挿入した、解説書にしては立派な本である。  なるほど、その第一ページに、備後国風土記の蘇民説話が紹介されている。それは展示室の記述と同じであった。また牛頭天王祭文に関する記述もあって、資料館員の説明とおおむね一致している。  解説書の序文には、招福除災を祈る蘇民信仰が全国各地に広まり、多くの地方に蘇民将来符が伝承された。そのため信濃国分寺資料館では全国各地の蘇民将来符を展示した特別展を毎年一月七日から開催し、入館者から特別展の解説書が欲しいとの要望が相次いで、解説書を刊行した旨、書かれている。  解説書によって蘇民信仰は全国各地に広まっていることがわかった。  蘇民将来符も、信濃国分寺のもののように六角柱とは限られず、地域によっては八角形、四角形、円形のものもある。材質にも、柳、桐《きり》、ヌルデ、タラなどの材木が使用される。  また木製柱状の護符のほかに、紙の札や笹《ささ》の葉に藁《わら》の柄をつけた護符もある。  所変われば蘇民将来の形も用材も変わるわけである。となると備後国風土記の蘇民説話も、信濃国分寺以外にも広く紹介されているであろう。  牛尾の発見は糠《ぬか》喜びに終りかけた。  刑事らはたちまち館内を見終った。考古学の知識でもあれば、出土品も面白いのであろうが、二人の目にはしょせん土や石の器としか映らない。それも完全な形を留めたものは少なく、おおかたは土のかけらである。  路傍に放り出されていれば、一顧だにしないであろうが、資料館の展示ケースに恭しく飾られていると、長い星霜を経た歴史の凝縮を感じさせられる。  資料館を出て国道のほとりに立ったが、まだ陽は高い。二人は上田駅方面へ向かって歩き始めた。  資料館に車を呼んでもらうのも気が引ける。歩くのは馴れている。相変わらず車の往来は激しい。  間もなく道のかたわらに洒落たドライブインがあった。青柳が牛尾の顔色を探りながら、 「少し腹がへってきませんか」  と誘いをかけた。彼は高崎で買っただるま弁当を二人前平らげた後、横川の釜飯も胃袋へおさめている。 「そうだね。この辺で一息入れるか」  牛尾も小腹が空いていたので、異議はない。  ドライブインへ入ると、急に疲労が発した。わざわざ上田まで来たが、徒労に終った。捜査本部になにか土産でもできれば、疲労も感じないのであるが、無駄足と確定して、全身に疲労が鉛のように澱んでいく。  ドライブインの食べ物は東京のファーストフードの店の味と同じであった。それでも腹の虫は騙《だま》せる。  彼らが食事をしているところへタクシーの運転士が入って来た。コーヒーをオーダーしている。 「運転士さん、上田駅へ帰るのかな」  牛尾が問うた。 「上田駅ですか。どうぞ」  運転士は愛想よく答えた。 「有り難い。これで寒い道を歩かずにすんだ」  二人はほっとした。  なんの面白みもない国道を、排ガスを浴びせかけられながら徒労の足を引きずって駅まで戻るのは辛い。  運転士がコーヒーを飲み終った。  タクシーは快適なスピードで走った。国道沿いの家並みが密になってくる。初冬の太陽が傾きかけている。 「上田まで来て手ぶらで帰るのは面白くありませんね」  青柳がつぶやいた。 「仕方がないさ。一つ一つ消去《ツブ》していくのも刑事の仕事だよ」  最後に残された手がかりが犯人に結びつく。無駄とわかっていながらも確認を怠ると、犯人はそこから網の目をくぐり抜けてしまう。 「考えてみれば蘇民将来なんてどこででも手に入れられる。縁日には十万人を超える人出だそうだ。この近郷だけではなく、遠方からやって来る人もいるだろう。また最初頒布された人から譲り渡されたかもしれない。幸一の遺留品の蘇民将来が信濃国分寺のものであることは確かめられたが、それを入手した人が上田界隈の人間とは限らない。朝田織江も桂由里子も上田とはまったく関わりを持っていない。もし幸一が桂由里子を殺した犯人であれば、由里子の許《もと》にあった蘇民将来に気がついていたはずだ。いや気がついていても、それが自分のものであることを忘れてしまったのかもしれない。要するに幸一にとっては棄てられたとき一緒についてきた蘇民将来も、それほど遠い存在になっていたんだ」  牛尾の言葉は幸一を犯人と仮定しての上である。 「幸一が知っていて敬遠したということはないでしょうか」 「敬遠?」 「幸一が自分の過去を秘匿したがっていれば、過去の遺留品とは完全に絶縁したいでしょう。だから由里子の居室に自分の蘇民将来を見つけても、敬遠、いや忌避してしまった」 「なるほどねえ、忌避か。あり得るかもしれないな」  牛尾はうなずいた。  蘇民将来が彼の出生の謎を解く手がかりにはならないとおもっていた。かえって蘇民将来を取り戻すことによって、犯人がそれと関わりのある人物であることを物語ってしまう。  幸一にとって彼を棄てた親は親ではない。トラックの荷台にゴミのように投げ棄てた鬼である。幸一が蘇民将来を忌避する心理はうなずける。 「しかし、幸一を棄てた親はなぜ蘇民将来を付けたんだろうなあ」  牛尾は小首を傾げた。 「棄てる子供を守ってくれという願いをこめたせめてもの親心ではありませんか」 「炎天下、トラックの荷台へ投げ棄て、死んだら死んでもかまわないという鬼のような親に、親心があるのかな」 「子を棄てる親の代わりに守り神になってくれという意味ではありませんか」 「虫のいい親心だね。蘇民将来も怒るだろう」  交通量がいっそう濃密になり、車は上田駅へ近づきつつあった。 「おや」  牛尾がふとつぶやいて、車窓を振り返った。 「なにかありましたか」  牛尾はなにかに気を取られた気配である。 「運転士さん、ちょっと引き返してくれないかね」  牛尾が言った。 「なにかあったんですか」  青柳が問うた。 「知っている名前を見かけたように思ったのでね」 「知っている名前?」 「ぼんやり眺めていたものだから、よくおぼえていない。だれの名だったか、馴染みのある名前を見かけたような気がしたんだ」  引き返せと言われても、車の列が引きも切らず、簡単にはUターンできない。  運転士はようやく見つけた横町へ車をいったんバックさせて、車列の途切れたときを見計らって車首をめぐらした。  往路を引き返して行くと、牛尾が声を上げた。 「これだ、これだ」  道路脇の塀にポスターが貼ってある。ポスターには次の文字が読める。 「郷土の誇り藤枝是明先生時局講演会。時十月二十日午後六時より。場所公会堂」  古いポスターが貼り残されていたのである。 「郷土の誇りというと、藤枝是明はこの地方の出身なのかな」  牛尾がつぶやいた。 「地元じゃ藤枝先生は人気ナンバーワンだよ」  運転士が背中越しに言った。 「なぜ、そんなに人気があるのかね」  牛尾が問うた。 「藤枝先生は金も持っとるが、人気の源は金じゃないだよ」 「それじゃなんなのかね」 「この地域には新潟のような金権風土はねえだよ。上田では角《かく》さんは軽蔑の的だわい。藤枝先生は道路をつくるの、橋を架けるのと、地元にとっておいしいことはなにも言わんだ。天下国家のことだけを論じているだわい。政治家は国のために働くべきであって、地元に橋や道路をつくるのは代議士の仕事じゃないという姿勢だあ。そういう正論がこの土地では支持されるだから」 「なかなか政治意識が高いんだね」 「明治の早くから丸子《まるこ》(町)の紡績会社の若旦那たちがアメリカの文化文物を盛んに持ち込んで来ただから、進取の気風に富んでいるだわい。キリスト教もこの地域に最も早く布教されただ。北海道に次いで革新議員の多い所だ。新潟のように札びら切っても選挙民に軽蔑されるだけだわい」  運転士は誇らしげに言った。 「そういえば明治末の大逆事件もこの地域で起きたんだったな」  牛尾がおもいだした。それは明治政府によって幸徳秋水《こうとくしゆうすい》ら社会主義者たちが天皇暗殺を計画した容疑で起訴され、非公開の暗黒裁判で処刑されたデッチ上げ弾圧事件である。 「藤枝先生は地元出身の大物政治家だわ。地元じゃあの先生を総理大臣に押し上げようとして熱くなっているだわい」  運転士が背中越しに説明した。 「藤枝是明がこの地の出身とは知らなかったな」  牛尾がつぶやいた。 「民友党のボスの藤枝ですね」  青柳が確かめた。 「そうだよ。それだけじゃない。大江雅弘の婚約者の父親だ」  大江雅弘は中野署の捜査によって、幸一と同一人物ではないかと疑われている男である。  その大江の婚約者の父親の出身地が上田とわかって、二人は偶然とはいえ因縁のようなものを感じた。  古いポスターの名前を確かめて、車はふたたび上田駅の方角へ向かって引き返した。 「藤枝先生は地元ではそんなに人気があるのかね」  牛尾は繰り返した。 「そりゃああるだよ。あの先生を胡散臭《うさんくさ》がっている地元の人間も多いだけど、地元にとっておいしいことはなにも言わないくせに、分捕るものは分捕ってきてくれるだ。天下国家を論じていても、ちゃんと地元に目配りしてくれているんだわ。藤枝先生の話を聞いていると、あの人が総理になったら上田が日本の首都になるような気がしてくるだわい。あの先生は絶対に落選しねえだよ。落選しない基盤ができ上がっているだから」  運転士が説明した。 「たいしたもんだねえ」  そんな会話を交わしている間に、車は上田駅へ着いた。 [#改ページ]   帰らざる故郷      1  十二月半ば棟居と笠原は酒田へ出張した。東京を上越新幹線で朝|発《た》ち、新潟からL特急に乗り換え、酒田へ到着したのが午後二時少し前である。  地球規模で年々温暖化が進んでいるせいか、市街地にまったく雪はなく、雪国の面影はない。  列車から降り立つと、さすがに気温は低い。初雪は十一月中旬から下旬にあるそうだが、積もっていない。駅頭へ降り立つと、右手に十階建ての高層ホテルの建物が見える。  酒田は昭和五十一年十月末の大火以後、面目を一新した。酒田は昔から大火の多い街であったが、五十一年の大火以後、燃えない街づくりが急テンポで進められた。  都市計画による完全な土地区画整理事業によって街路は整然と区切られ、近代的に衣替えした。  だがその反面、以前の地方色豊かな港町の面影は消え失《う》せて、全国どこにでも見かけられる没個性の街並みに変わってしまった。  駅前からタクシーを拾って、大江雅弘の本籍地へ向かう。ドーナツ現象で宅地化の進んだ地域をようやく振り切り、車は田園地帯に走り込んだ。  展望が大きく開けて、鳥海《ちようかい》山が一段と近づいたように見える。田園のあちこちに森が散在し、農家がうずくまっている。車は森陰の一個の集落へ入った。 「この辺りですが」  運転士が言った。  自然の残るこの辺りにまで都市化の波は及んで、ほとんどの家が新しく改築されている。 「なるべく古い家の前へ着けてください」  棟居が言った。とはいっても、いずれも近代的な改築家屋ばかりが目立つ。  ようやく一隅に板塀と芝垣に囲まれた古びた構えの家を見いだした。前庭の樹木に遮られて、庭の奥の本屋は木の間越しにかすかにうかがえる。  この家の住人ならば、二十数年前の事情に通じているかもしれない。  車はその家の門の前に停まった。 「ここで結構です」  どうせ短い時間の聞き込みですむ用事ではない。  車を返した二人は、武家屋敷のような門構えを潜《くぐ》った。門口に渋谷《しぶや》という表札が見えた。  門から玄関脇まで生け垣が庭と仕切っている。門も玄関も開かれたままである。  東京ならばインターホンや犬やドアチェーンに二重、三重に防御しているところである。  玄関に立って呼びかけると、家の奥の方に気配があって、暗い廊下を伝う足音が近づいて来た。  間もなくこの家の主婦らしい中年の女性が現われた。玄関先に立っている二人の見知らぬ男に不審げな視線を向けたが、べつに警戒している様子は見られない。 「突然お邪魔いたします。私たちはこういう者です。このご近所に二十二年前まで住んでいたはずの大江雅弘さんという方を探しているのですが」  棟居が訪意を告げた。 「二十二年前だば、私がこごさ嫁来る前の話ださげ、大江どいう人だばわがらねの」  彼女は首を傾げた。 「古いことを知っている方はいらっしゃいませんか」 「ばばちゃさ(おばあさん)聞げばわがっがもの」  老人が健在なのは有り難い。 「おばあちゃんはいまいらっしゃいますか」 「今日はとしょり(年寄り)の集ばりさ行ったさげの。んだんども、もうそんま帰って来っど思うさげ、上がって待ってでくれー」  主婦は見ず知らずの二人に親切に勧めてくれた。棟居たちは恐縮したが、待たせてもらうことにした。  請じ入れられた客間にも、古びた木組みが用いられている。障子の外に回縁がめぐらされ、機能本位のプレハブ住宅にはないしっとりとした落ちついた雰囲気が醸しだされている。  家の中は無人のように静かである。廊下に足音が伝わって、先刻応対してくれた主婦が茶菓を運んで来た。 「どうぞ構わないでください」  二人は恐縮した。 「東京からわざわざ来て大変ですの。くたびっだんでしょ(つかれたでしょう)。まず、何もねんども、これがら、ご飯の支度でもしますさげ」 「とんでもない。用件がすめばすぐに失礼いたしますので、どうぞお気遣いなさらないでください」  棟居と笠原は驚いた。  往路の車中で駅弁を買って応急の腹ごしらえをしてきているが、そろそろ空腹をおぼえかけている。それを見越したようなその家の妻女の言葉に、刑事らは驚いたり、恐縮したりした。東京では信じられない応対である。  茶菓を勧めて妻女の足音が立ち去ったのを確かめてから、 「いや、驚いたな」  棟居が言った。 「どうします。これでは用事がすんだから、はい、さようならというわけにはいきそうもありませんよ」 「まだみちのくの純朴な気風は生き残っていたんですね」  棟居と笠原は妻女が運んで来てくれた茶で喉を潤しながら、顔を見合わせた。  無人のような静かな屋敷の奥の方から、うまそうなものを煮炊きするにおいが漂ってくる。そのにおいが彼らの胃袋を刺激した。 「こりゃいかん。腹の虫が鳴き出した」 「私もです」  二人は苦笑した。  そのときふたたび廊下を伝う足音がして、障子が開いた。 「待だせましたの。ばばちゃ、今帰てきましたさげ、こごさ、連《つ》で来ます」  障子の間から妻女が顔を覗かせて言った。  そこへ白髪の品のよい老女が現われた。 「まんず、遠ぐがらよぐ来てくっだごど。どうが、ゆっくりしていてくれー」  老女は座敷へ入ると、腰を折って丁重に挨拶した。姿勢もしゃんとしており、耳もしっかりしているようである。庄内《しようない》弁であるが、刑事らにはおおよその意味が釈《と》れた。  刑事らはふたたび自己紹介をして、用件を告げた。 「吉五郎さんだば、よぐおべっだ(よく知ってます)。よぐ俺家《おらい》さ遊びに来ったもんだもの。早ぐいねぐなたんども(亡くなったんだけど)、元気でれば(元気でいれば)、そんま還暦だがもの」 「吉五郎さんはどういう仕事をしていたのですか」 「港で雑役しったなよ。いねぐなたどぎも、港で、荷揚げしった最中、荷物|崩《くず》っでの、そんなの下敷ぎなたなだど聞いっだんどもの。人さ親切で、面倒見いぐで、静がだ人だけ。まだ、若っげがったなさ、気の毒だなよの」  老女は往時の記録を探っているようである。 「吉五郎さんには奥さんとの間に雅弘という、当時五、六歳の男の子がいたはずですが、おぼえていらっしゃいませんか」  棟居の質問が核心に入った。 「まさひろ。マーちゃんのごどだがの。めんご(可愛い)男《おど》っ子いっだけの」  老女がおもいだした表情をした。 「その子ですよ。その子についてなにかおぼえていることはありませんか」 「吉五郎さんがいねぐなてから、そんまだんども、あねちゃ、その子どご連《つ》で、東京さ行てしまたけものの」 「実はその雅弘さんの現在の写真をここに持って来ているのですが、見ていただけませんか」  笠原が大江雅弘の写真を老女に差し出した。 「あらやれ、マーちゃんの写真持って来ったってが。どれどれ」  老女が写真を手に取った。 「ばばちゃ、虫眼鏡でも持てくっがー」  妻女がかたわらから口を添えた。 「虫眼鏡なの無《な》たってチャンと見《め》っさげいらね(見える)」  老女は毅然《きぜん》とした口調で言って、目を写真に向けた。  老女は大江の写真をしばらく見つめていたが、 「あれがら、だいぶなたんども、こんだけ(これだけ)様子が変わるもだがのー。小《ち》っちぇどぎの面《つら》ど全然似でね。まるで、他の人みでいだの」  老女は言った。 「別人のようですか」 「私の覚《おぼ》っだマーちゃんだば、もっと丸顔で眼《まなぐ》クリッとしったどおもったんどもの。大っきぐなっど、眼も顔もこんげ細《ほ》っせぐなるもんだがのー」  老女の言葉は、大江母子が移住した大田区六郷の雑貨屋の老婆の言葉と符合している。 「この大江さんについてですが、なにかすぐわかるような身体の特徴はおぼえていらっしゃいませんか」  棟居がさらに問うた。 「身体の特徴のー」  老女は記憶を掘り起こしているようである。 「たとえば怪我の痕とか、動作の癖とか、特別な病気とかを持っていませんでしたか」 「特別な病気のー。あー、んだんだ、あの子、喘息《ぜんそく》持ちだけ」 「喘息……?」 「よぐ、発作起ごして、切《せつ》ねめしった(苦しんでいた)もんだけ。吉五郎さん夫婦も、喉ゼコゼコ(ヒューヒューと同意語)ど鳴らしてこえめしてるマーちゃんどご見で、そんま、死ぬあんねがど(死んでしまうのではないかと)心配してるもんだけー。そんながの、蕎麦《そば》だでら、ほうれん草だでら、芋の子(里芋)でら食《く》どの、発作起ぎっさげ、そげだよだもの(そのようなもの)食せねよしった(食べさせないようにしていた)もんだけ」 「そばやほうれん草ですか」  喘息は成長の過程で体質が改善されて治ることがある。大江雅弘が喘息持ちとは公表されている資料には紹介されていない。もっとも本人にとってマイナスイメージになりそうな持病などは秘匿するであろう。 「んだんだ、それがらあの子、猫どご好ぎでねもんだけ。ヨチヨチ歩きしった頃、猫の尾っぱさつかがて(ぶつかって)、面《つら》どごかちゃばがっだ(ひっかかれた)こどあて(ことがあって)の、今でもあるもんだか、右目の下さ爪痕《つめあと》残ったもんだけ。したさげ、そいがら猫どごおかねがる(恐がる)ようなたなよの」 「ほう、猫恐怖症ね」  これは耳よりな情報である。大江の絵には女と一緒に猫を描いた作品が多い。また大江の現在の写真には目の下の傷痕は認められない。写真には露《あら》われないのか、あるいは二十数年の間に傷痕が消えてしまったのか、いずれにしても大江の顔写真には微細な傷痕一つ見られない。 「実は吉五郎さんの息子の雅弘さんが東京で有名な画家になっているのですが、おばあちゃんはご存じですか」  棟居は問うた。 「そげだ話だば、聞いだごどねのー。あの子、そげたげ偉ぐなたなだもんですが」  老女は驚いたように妻女と顔を見合わせた。 「私も聞いだごどねのー」  刑事に視線を向けられて、妻女も首を振った。  大江の出世は郷里や、その経歴中住んだことのある地域には伝わっていないようである。  普通は、郷里へ錦《にしき》を飾りたい心理から、成功は郷里へ最も早く報《しら》せたがるものである。大江雅弘は意図的に自分の成功を出身地や経歴地に隠しているようであった。  老女から聞くべきことはすべて聞き出した。気がつくと、庭がすっかり暗くなっている。 「晩げの支度でぎましたさげ、何にもねんども、どうが食べで行でくれー」  話がすむのを見計らっていたように妻女が言った。遠慮をしても、腹の虫がしきりに鳴りだしている。  間もなく膳部《ぜんぶ》が運ばれて来て、刑事らは二度びっくりした。五の膳まで揃った三汁七菜の本格的な本膳料理である。  膳も荘重な蝶足《ちようあし》膳で、外は黒、内は朱塗り、食器もそれぞれに古格があり、この家の歴史が尋常ではないことを物語っている。  酒が添えられ、五の膳の後に茶菓がつづいた。  棟居と笠原は未知の家でここまで振る舞われてよいものかととまどいながらも、食欲に負けて膳の上の料理を片端から平らげた。本膳料理の食べ方マナーがあるはずであるが、食欲の赴くままに任せて箸《はし》をつけた。  満腹した二人は、しきりに泊まって行けと勧める老女に謝辞を述べて、渋谷家を辞去した。  酒田市内へ戻ると、日はとっぷりと暮れていた。これから酒田署へ挨拶に立ち寄り、最終の寝台特急で帰京するつもりである。      2  酒田へ行って、現在の大江雅弘が大江吉五郎の息子雅弘とは別人である疑いがますます濃くなってきた。  だが別人であることが確認されたわけではない。帰路の列車の中で棟居が言った。 「幸一が大江雅弘になりすましているとしたら、本物の大江雅弘はどこへ行ったか。彼の行方を突き止めれば、有無を言わせぬ証拠になるんだが」 「棟居さんは、いまの大江雅弘が別人であるとして、本物がまだ生きているとおもっていますか」  笠原が問いかけた。 「たぶん生きていないでしょうな」 「本物が死んだことを確認したいですね」  笠原の目が誘いかけている。 「二人がすり替わったとしたら、大江雅弘が武庫川乱魚の家に入り込むまでの間です。それも母親の死後行方をくらましてから間もない幼いころでは、同年輩の幸一が大江と出会ってもすり替わろうという智恵《ちえ》は湧かないでしょう。となると、すり替わったのはかなり成長してから、つまり乱魚の家に入り込む以前の数年間ではないかとおもいます。そのころの身許不明死体を徹底的に当たってみれば、なにか面白いことがわかるかもしれません」 「私もそれをおもっていました。現在の大江が偽物である疑いが強くなった以上、本物の行方を突き止める以外に、偽物であることを証明する術《すべ》がありません」 「本物と偽物、雅弘と幸一は出会っているにちがいない。本物の雅弘の行方を突き止めるのが次の仕事ですね」  棟居は自分に命ずるように言った。      3  上田の駅に着くと、上りの急行まで少々間があった。 「その辺でお茶でも飲みましょうか」  青柳が誘った。 「そうだね」  牛尾はうなずいて、駅前を見まわした。  駅前広場はいずこも同じで個性がない。市街地はJR信越線の北方に沿って形成され、南には千曲川が沿っている。地勢は北方から千曲川に向かってなだれ落ちる形になっている。  駅前左手にホテルが見えた。 「あそこに喫茶室があるかもしれない」  二人はチェーンホテルらしい都内各所でもよく見かける機能本位の殺風景な建物へ向かって歩き始めた。  ホテルの喫茶室は閑散としており、隅の方の席で年配の男と若い女が話し込んでいるだけである。  二人はコーヒーを注文した。打てば響くように運ばれて来たコーヒーは、釜《かま》の底に澱んでいたものを汲《く》みだしたかのような苦みだけが煮詰まった泥のようなコーヒー状の飲物であった。  二人は一口、口に含んだだけで、カップをテーブルに戻した。たがいの目の色がひどいコーヒーだと言っている。  ラウンジへ入ってからまだ五分も消化していない。  青柳がマガジンラックからなにげなく一冊の雑誌を引き抜いた。グルメの雑誌らしい。漫然とページを繰っていた彼の指があるページで止まった。青柳の目がページに固定した。彼の目が熱心に記事を読んでいる。 「なにか面白い記事でもあったのかい」  牛尾がコーヒーを放棄して、青柳が開いた雑誌のページを覗き込んだ。 「大江雅弘がこんなところに書いていますよ」 「なに、大江だって?」  牛尾が興味を惹かれた。 「ヤッコさんのエッセーが載っています。なかなかのそば通のようですね」  青柳が雑誌を開いたまま、まわしてよこした。  そのページには、大江雅弘の署名入りで、次のような文章が掲載されている。 「食べ物はあまり好き嫌いはない方であるが、特に好きな食べ物はそばである。仕事で各地に旅行するが、その土地でまず探すのがそばである。所変われば品替わるで、同じそばでも、各地方によってそれぞれ味が異なる。同じ地方でも店によってそばの個性がある。噂を聞きつけて駆けつけて行っても、噂ほどではなく、がっかりするときもあれば、噂以上で嬉《うれ》しくなることもある。見知らぬ街の片隅にひっそりと店開きしている無名のそば屋で、鄙《ひな》にはまれなそばを発見したときの喜びは大きい。そばは庶民的な食べ物で、値段が安いのも有り難い。そばは金のないときも私の|そば《ヽヽ》にあった。  私がそばを判断する第一の目安は値段である。いくら以上のそばはまず安心できる。いくらいくら以下は信用ならないという風に、一定の予算を自分の胸の内に引いておいて、未知のそばを判断する。だが値段負けする詐欺のようなそばもあれば、安いそばに掘出物があるので、油断ならない。  まずそばの味を決定するものは、用いているそば粉の素質である。この素質が悪いとどうにもならない。次がそばの茹《ゆ》で方である。せっかく質のよい粉を用いても、茹で方が悪いと味が台なしになる。素質も茹で方もいいのだが、一遍に大量を茹でるせいか、一釜の終りのころにぶつ切りのそばが出てくることがある。そばはやはり長くなければいけない。カステラや五家宝《ごかぼう》という菓子などは切り落としといって、端っこの耳の方が美味しいが、そばの切り落としに相当するぶつ切りはいただけない。  第三に、そばのつゆがそばの味を決定する重要な因子になる。せっかく上等のそばが塩辛すぎたりみりんのききすぎた甘ったるいつゆと共に出されると、そばが殺されてしまう。そばを生かすも殺すもつゆ次第である。これにわさび、薬味などがそばの味をいっそう引き立てる。神経の細かい店では生わさびの下ろし金に瀬戸物やサメ皮を用いる。金属の下ろし金ではわさびに金けがつくというのである。残念ながら私の舌ではその微妙なちがいがわからない。瀬戸物製の下ろし金ではわさびを下ろすのに時間がかかり、わさびに指のにおいがついてしまうことがある。煙草《たばこ》を吸う人にわさびを下ろしてもらうのは禁物である。  粉、つなぎ、打ち方、茹で方、つゆ、わさび、薬味など、そばの味を構成するすべての要素が完璧でありながら、ニコチンのにおいがついたら救いがない。まさに九仞《きゆうじん》の功を一簣《いつき》に虧《か》くものである。  私はそばが出されると、まずそば相を見る。そば相のよいものはまずまちがいない。そば相のよいそばには、まずそばの一本一本に若い娘の肌のような張りと艶《つや》がある。見るからに美味しそうである。それに匂《にお》いがよい。これが|混ぜ物《つなぎ》の多い、打ち方、茹で方の拙劣なそばになると、最初からぐちゃりと崩れたようで、張りも艶もない。そういうそばに限ってせいろからはみ出さんばかりに盛り上げてくる。一目でおえという感じである。  そば屋の主人には頑固な人が多い。自分の味を追求していくためか、批判がましいことを言おうものなら、それが私の店の味です、その味に馴れてくださいと言われかねない。中にはうちの味が気に入らないなら来てくれなくて結構と、お出入り禁止になってしまうこともある。それはそれでその店一筋の味で見上げたものであるが、やはり客の意見というものには耳を傾けた方がよりいっそう味が改良されるであろう。店の味といっても塩辛すぎたり、甘ったるいつゆではそばの味を確実に損なう。  ある地方都市に喧嘩《けんか》そばという有名なそば屋があって、主人が客とよく喧嘩するところから名づけられたという。渾名《あだな》をいつの間にか店名にしてしまったというのだから見上げたものである。喧嘩そばの名物に五色そばというのがある。五種類のそばを五段重ねにして出すそうであるが、客が五色はとても食べられないので三色にしてくれと言ったら、五色は五色で初めてその味が出る。三色では当店の味が出ないと言って断わる。客はいくらそれが店の味であっても、食べきれない量を店から強制される筋合いはないと言い張って、よく喧嘩になるそうである。主人は味を主張し、客は量を選ぶ自由を唱えている。争点がずれているのだが、いかに店の自慢の五色そばであっても、食べきれないのでは客に味わってもらえない。客から見ると、ずいぶん横暴な店主であるが、そば屋にはこのような頑固な店があって、そして繁盛しているのであるから、そばは本来頑固なものなのであろう。  頑固ということは、生き方に一本芯が通っていることである。のびたそばは食えない。細く長いがその細さの中に一本芯が通っているのがそばの身上《しんじよう》である。芯の通った強さが日本人好みなのである。  だが最近、私はべつの見方をするようになった。上等のそばはのびていても結構食える。本来の味ではないが、そば相の悪いそばよりもずっとうまい。パーティの模擬店で出される老舗《しにせ》のそばにその味を発見した。模擬店のそばは打ちたて、茹でたてというわけにはいかない。すでに茹で上げたそばの玉をつゆと一緒に出すのであるから、そば屋の店先で打ちたて、茹でたてを味わうのにはかなわない。それでも腐っても鯛である。結構な料理や、各種の模擬店が立ち並んでいる中で、私はついそばの模擬店の前に吸いつけられてしまう。  うまいそば屋の近くにはたいていうまいコーヒーを出す店がある。この相関関係は不思議である。ラーメン屋と寿司屋にも同じような相関関係があるようだ。  あるアメリカ人が来日してふと食したそばの味に魅せられ、帰国後、寝ても覚めてもそのそばの味が忘れられず、ついに本国の結構な職業を捨て、家族一同を引き連れ日本に移住して、英語教師をしながらそばばかりを食べているという話を聞いたことがある。自分の食べたい食物のために、それまでの半生に下ろした根のすべてを断ち切ってしまったのであるから、その執着は凄《すさ》まじい。家族はいい迷惑であろうが、そばにはそれだけの味がこめられているのである」  読み終ったとき、列車の時間が近づいてきた。  四人の刑事が酒田と上田の出張から帰って来た後、中野署と新宿署の連絡会議が新宿署において開かれた。  牛尾と棟居からそれぞれ調査の結果が報告される。その報告に基づいて、今後の捜査方針を検討しようというわけである。  牛尾らの出張にはなんの収穫もなかったので、牛尾は面目なげであった。  結局、蘇民将来の入手経路から犯人を追って行くルートは不可能であることが確かめられた。  牛尾の後、棟居が立って酒田での調査結果を報告した。  すでに大江雅弘の本籍地には、彼を知っている者がほとんど存在せず、辛うじて近所の老女が雅弘の幼時を薄く記憶していたことを報告した。 「老女は現在の大江雅弘の写真が幼いころの大江に少しも似ていないと言っていました。その他の身体の特徴も符合しません。これは彼が十歳まで過ごした大田区六郷の雑貨屋の老女の言葉とも一致しています。さらに幼時の雅弘は喘息の持病を持っていたことがわかりました。特にそばやほうれん草が誘因となって発作を起こしたそうです。この特異体質は、大江雅弘を識別する有力な身体的特徴と言えます」  棟居の言葉に牛尾と青柳が著しい反応を示した。 「ただいま、そばを原因として喘息の発作を起こすとおっしゃいましたか」  牛尾が問い返した。 「申しました。なにか心当たりがありますか」  棟居が牛尾の顔色を探った。  牛尾は上田のホテルで見かけた大江のグルメ雑誌でのエッセーを紹介した。 「正確な文章は忘れましたが、大江は大のそば好きで、全国各地を旅行する際、必ずその土地のそばを味わうということでした。喘息体質でそばが誘因となっていれば、そばが好きなはずはありません」  一座がざわめいた。 「喘息は成長の過程で体質が改善されて治るというケースもあるが」  またしても山路が水をさした。 「喘息が治ったという話は聞いたことがありますが、喘息の誘因となったそばを、治った後好きになるということがあるでしょうか。たとえば一度当たった食物には、それを見ただけでジンマシンを発することがあります。幼いころ、そばが原因で喘息の発作に苦しんでいれば、そばアレルギーになるのではないでしょうか。少なくとも各地のそばを食べ歩くほどの熱心なそばファンになるとはおもえませんが」 「雅弘が酒田で暮らしていたのは六歳までということだが、幼時の発作を忘れてしまったということもあるだろう。後年、体質が完全に変わって、そばが好きになるという可能性もあるのではないかな」 「彼のエッセーから判断する限り、彼のそば好きは、後年発達した嗜好《しこう》とはおもえません。たしかこんな文章があったように記憶しています。そばは庶民的な食物であり、値段が安いのも有り難い。そばは金のないときでも私のそばにあった食べ物であった。この文章からも、大江が最近そばを好きになったのでないことはわかります。彼のそば好きには年季が入っています」  牛尾の反論に山路が沈黙した。 「これまでに判明した諸資料を総合してみますと、大江雅弘が偽物である疑いはきわめて濃いと考えざるを得ません。それではいつ、偽物と本物がすり替わったのか。大江が武庫川乱魚の弟子になる以前の数年間が最も可能性が大きいとおもいます。おそらく本物の大江雅弘はすでにこの世の人間ではないでしょう。本物が生きている限り、偽物は枕《まくら》を高くして眠れません。どんな成功を勝ち得ようと、本物が生きている限り、それは砂上の楼閣のようなものです。この間に発見された身許不明死体を再度洗い直す必要があるとおもいます」  棟居が主張した。 [#改ページ]   破棄されざる疑惑      1  その年によって多少の増減はあるが、東京だけでも一年間に約二百体の変死体がある。  そのうち身許不明死体は約半数、また一年間で全国の警察に捜索願が出た家出人は約十万人、このうち九万人は無事に見つかったり死体で発見されたりする。残りの一万人は蒸発したままである。  家出人中一・四〜一・五パーセントにあたる千四百〜千五百人が自殺、あるいは事故死、他殺等の変わり果てた姿で発見される。  身許不明死体の記録は十五年単位で保存してあり、昭和五十二年から現在まで都内で千五百二十九体、全国で一万一千二百十九体累積されている。  警視庁では毎年八月一日から三十一日にかけて、行方不明者捜査強化月間を設けて捜査している。この行方不明者の中に、全国で一万一千二百十九人が身許不明死体となって発見されているわけである。  警視庁では昭和三十八年から各年度ごとに身許不明死者写真便覧を作成して、家出人の相談に訪れる人々の便宜に供している。  各死体は所轄警察での検視あるいは必要のあるものは解剖後、管轄の市町村、あるいは区役所の福祉課へ引き渡される。  死体の調査に二ヵ月〜六ヵ月かけて死体のデータを台帳に整理した後、警視庁の身許不明死体ファイルに全国規模で登録される。  蒸発者の中には殺人事件の被害者となって、死体を海や山に隠されてしまった者がかなりいると見られている。  本物の大江雅弘が死んでいるとすれば、現在の大江雅弘が武庫川乱魚に拾われた時点から数年間過去へさかのぼった期間内が可能性が大きい。  警視庁の鑑識課には身許不明者の写真ファイルが保存されている。このファイルには死体発見時に撮影されたカラー写真と共に、発見場所、発見時の死体の状況、死体の特徴、遺留品等死亡時のデータが記録されている。  変死体とは、  ㈰医療を受けずに死亡したとき。  ㈪一見健康な人間が急死したり、死亡までに医師の来診が間に合わなかった場合。  ㈫災害死、事故死、中毒死、その他すべての外因死、またはその疑いのある場合。  ㈬診療行為、または医療類似行為等に起因する死。またはその疑いのあるもの。医療後二十四時間以内に死亡して死因不明のもの。  ㈭怠慢、不注意、または故意による致死、またはそれらの疑いのあるもの。  これらのうち身許不明死体になりやすいのは㈫である。  東京都監察医務院では東京二十三区で発生した変死体を解剖し、死因を究明する。二十三区内における年間の検視数は約七千二百〜七千三百件、そのうち三分の一の二千四百体が解剖される。  多い時には一日十五体の変死体が解剖され、五体が解剖によって死因を突き止められる。  これらの変死体のうちで身許不明死体は、月三〜五体、年間五十〜六十体に達する。  捜査本部ではこれら身許不明死体の中に本物の大江雅弘がいるのではないかと睨んだ。  身許不明死体は、死体解剖保存法に基づき区役所が依嘱した病院の冷凍室で三十日間保管し、家族や縁者の現われない場合は、区役所が死体を引き取って荼毘《だび》に付し、遺骨をそのデータの記録と共に浅草本願寺《あさくさほんがんじ》境内の無縁塚に納めて六年間保管する。  六年後、引取人の現われない場合は無縁仏として多摩、|雑司ケ谷《ぞうしがや》、八柱《やばしら》の都営墓地のどれかに移管していた。  捜査本部はいまから八年前から数年前にさかのぼる、主として都内、都下で発見された推定年齢十五歳〜二十五歳の身許不明死体の記録を検索した。この中に該当死体を発見できなければ、近県から全国へ検索の輪を広げるつもりである。  警視庁の身許(不明死体)相談所に保存されている身許不明死者便覧の死体表に記載されている推定年齢、発見日時、死亡推定日時、身長、所持品、着衣、手術痕、解剖されたときは解剖所見や血液型等のデータに基づいて、次の五体が絞り出された。  (A)[#底本では○にA(以下同様)]昭和××年一月十九日、世田谷区|経堂《きようどう》四丁目地内にて、進行中の下り小田急《おだきゆう》電車に飛び込み自殺、遺留品・東都銀行|箕輪《みのわ》支店預金通帳、残高千二百円、山中《やまなか》の印鑑、身長百五十八センチ、中肉、小肥《こぶと》り、丸顔、推定年齢二十歳〜二十五歳。  (B)昭和××年二月十九日、新宿区西新宿二丁目、新宿プラザホテル二四二二号室、睡眠薬中毒、右小指第一関節より欠損、遺留品・現金二十五万三千二百円、時刻表、洗面用具、下着数枚、雑誌、東京都区分地図、東京のガイドブック、リルケの詩集在中のレザー製旅行バッグ、身長百七十二センチ、筋肉型、推定年齢二十歳〜二十二歳。  (C)昭和××年九月二十九日、台東《たいとう》区|日本堤《にほんづつみ》一—二十二—××、パレスホームにて急性心不全、所持品多し、中肉中背、推定年齢二十歳〜二十五歳。  (D)昭和××年三月十一日、新宿区大久保一丁目西大久保公園、結核による全身衰弱、右膝から上腿《じようたい》部に火傷痕、右眉に縦に一センチの傷痕。遺留品・位牌、傘、毛布、漫画本三冊、身長百六十七センチ、推定年齢十五歳〜二十歳。  (E)昭和××年十一月十八日、東京都|杉並《すぎなみ》区|大宮《おおみや》二丁目|和田堀《わだぼり》公園内にて蜘蛛膜《くもまく》下出血、右下腹部に盲腸の手術痕、遺留品・都バス回数券、千八百二十円在中の小銭入れ、薄茶のブレザーと若草色のズボン、身長百七十二センチ、肥満型、推定年齢二十歳〜三十歳。  身許不明死体はおおむね男の年配者が多く、死亡原因は圧倒的に自殺が多い。彼らは身許を隠すために手がかりとなるような所持品を避ける。  この五体の身許不明死体のうち、最も若いのは(D)である。他はいずれも最低二十歳を超える。  大江雅弘が武庫川乱魚の家に現われたのが二十歳であるから、すり替わったとすれば二歳以前でなければならない。となると該当者は(D)と(B)が最も可能性が大きい。  だが(B)は新宿の一流ホテルで睡眠薬自殺を図っている。ホテルの密室で自殺を図った人間とすり替わるのは難しい芸当である。  持ち物、服装等も他の身許不明死体より格段によく、裕福な身許をうかがわせるものである。それは肉親、縁者の存在を推測させる。遺族は気がつかないのか、あるいは気づいても外聞を恐れて知らぬ振りをしているのであろうか。いずれにしても遺族の存在はすり替わりのネックとなる。  大江が十年前に同級生と出会ったとき、浮浪者体であったというから、それ以後自殺をするまでに身分に変動があったともおもえない。  すると(D)が残される。身体特徴はピタリと符号する。新宿区西大久保公園内での病死、栄養不足と非衛生的な環境での流浪生活は、若い身体を蝕《むしば》んだのであろう。結核では急死しない。徐々に身体を蝕まれ衰弱していく。  自殺や脳出血、心臓発作等の急死と異なり、彼に仲間がいれば、彼が結核を患っていることを知っていたであろう。彼から身の上も聞いていたかもしれない。  身寄りもなく、行路病死して身許不明死体として区が死体を引き取り、火葬に付して無縁塚に納めてしまった。  だが身許が不明なのであるから、彼の戸籍は生きつづけているはずである。結核でゆっくりと死んでいく間に、戸籍を乗っ取るための準備は充分にできたにちがいない。  前身を消したがっている人間にとって、死期の迫った結核の浮浪者は格好の獲物であったであろう。  戸籍を乗っ取るために看病する振りをしながら、凝っと死ぬのを待っている。その間に遺族の有無、身の上、生活史等、聞き出せるだけ聞き出しておく。 「この(D)の遺留品を見てみたい」  棟居が言った。(D)の死亡推定日は九年前である。所持品が位牌だけというのも興味を引かれる。  身許不明死体が出ると、埋葬許可証を取るために検視の後、死因不明の場合は解剖し、死体検案書を発行した遺体は、死体が発見された区役所に返されて、区の費用で火葬の後納骨する。その際、遺留品も一緒に区へ引き渡される。  西大久保公園の死者は、発見されてから九年経過しているので、無縁仏として都営霊園に移管されているのであろう。  となると、その所持品や遺留品も霊園の倉庫へ移されているはずである。はたして彼の遺留品が保管されているかどうか。棟居はまず本願寺に問い合わせた。  本願寺では、昭和五十六年まで、都内の行旅死亡人の遺骨を扱っていたが、無縁仏が満杯になったために、それ以後は各区役所がそれぞれ最寄りの寺に頼んで預かってもらっているらしいという。  現在同寺には約二千体の行旅死亡人の遺骨が預けられているという。今後は合祀《ごうし》の方向で各行政機関の了解を取りつけているそうである。合祀となれば、個体についての見分けはつかなくなる。  本願寺には無縁仏の台帳があり、死亡日時、名前がわかっている場合は名前、本籍地、遺留品、死因等が記録されている。  西大久保公園の死者は本願寺の台帳に記載されていなかった。  なにぶん九年前の記録である。件の身許不明死体の位牌は、警察、区役所、区役所に納骨を依頼された寺の間のいずこかで行方不明になっていた。  彼らはその足を(D)の死体が引き渡された新宿区役所へのばした。  担当の新宿区役所福祉課では、係長が応対してくれて、九年前の記録を調べてくれた。 「九年前の三月十一日、たしかに西大久保公園でお尋ねに該当するような行旅死亡人が発見されておりますね」  係長が示した警察からまわされてきた死体カードのデータは、大江雅弘に該当する。 「この死者はどこに葬られたのですか」 「新宿区内では年間十六〜十七体の行旅死亡人が発見されておりますが、行旅中、医療をまったく受けずに死亡した人を行旅死亡人と呼び、公営社という区内の葬祭業者と委託契約を結び、火葬に付した後、葛飾《かつしか》区の源寿院《げんじゆいん》というお寺に納骨しております。少しでも医療を受けた人、たとえば救急車で病院へ運ばれたような行旅死亡人は生活保護で取り扱い、東京生活福祉協会が独自に擁している江古田《えごた》の納骨堂に納めます」 「行旅死亡人の所持品はどうするのですか」 「私どもで保管しております」 「えっ、こちらで保管しているのですか」 「寺や納骨堂では遺骨以外は預かりませんので、行旅死亡人の所持品は私どもの倉庫で保管しております」 「この西大久保公園で発見された行旅死亡人は位牌を所持していなかったでしょうか」 「保管遺留品の中に位牌があったような気がします」 「ぜひそれを見せてください」  係長は快く、区役所内にある倉庫へ案内してくれた。  福祉課の倉庫は区役所内第一分庁舎B1倉庫にある。ここに行旅死亡人の遺留品は永久保存されている。  ここは遺失物ではなく行旅死亡人の所持品を保管するための文字通りの倉庫である。  黴《かび》くさい倉庫の一隅に、衣類や靴や時計等の遺留品が保管されてある。  だがここにも西大久保公園の死者が遺《のこ》したはずの位牌はなかった。 「もしかすると遺失物管理所にあるかもしれませんね」  区役所まで同行した牛尾が言った。 「遺失物管理所か。なるほど」  これは灯台下暗しであった。  区役所が引き取るはずの身許不明死者の遺品が事務上の手ちがいで、遺失物として遺失物管理所へ送られた可能性はある。  棟居と牛尾は早速、警視庁の遺失物管理所へ出かけて行った。  現在、遺失物管理所は文京《ぶんきよう》区|後楽《こうらく》の飯田橋《いいだばし》職安の隣りにある。敷地面積九千平方メートル。地上五階、地下一階、上層部に家族寮を備えたビルである。  管理所内は各フロアごとに、奥行き六十センチメートル程度の蚕棚によって仕切られ、長大物件(ゴルフバッグや冷蔵庫等)、貴重品、小物、棚物(衣類、鞄《かばん》類)等が送付日別にすぐ取り出せるように仕分けされている。蚕棚は遺失物でびっしりと埋まっている。  換気や除湿装置が充分に働いていると見えて、保管庫内ににおいはなく、比較的乾燥している。 「大変な量の忘れ物ですね。いったいどのくらいの数があるのですか」  棟居は応対した所員に問うた。 「年間百五十万点、一日平均七千ないし一万点、各所轄警察署で二週間保管された後、集中管理のためここへ送られてきます」  所員は答えた。 「百五十万点もあるのですか。さすがに東京ですねえ」 「ここの保管期限は届け出《い》で後十四日と六ヵ月ですので、常時、保管件数はだいたいその六掛けとなります」 「保管期限を過ぎたものはどうなるのですか」 「所有者の現われないものや、拾得者が権利を放棄して引き取り手のない物件は、都の場合は月に一回、指定業者を集めて競売しております」 「どんな遺失物があるのですか」 「最も多いのは傘です。一雨三千本と言われるくらいに、年間三十万点ないし四十万点、全遺失物の二五パーセントを傘が占めております。その他衣類、鞄類、アクセサリー類、雑貨、入れ歯、眼鏡、本などですね。変わったところでは犬、猫、小鳥等のペットがよく忘れられます」 「位牌はありませんか」  棟居は本命の質問に入った。 「ありますよ」 「ありますか」 「現在、焼骨一体、位牌が約二十、その他塔婆、仏像、遺影、小仏壇等の仏具があります。位牌は年間七〜十点拾得されて、一年に一度、御国寺《ごこくじ》で供養してもらっております」 「その位牌を見せていただきたいのですが」  所員に案内された保管庫の一隅には、位牌や遺骨が安置されて、無臭の保管庫内のその一角だけに香のかおりが漂っているようである。 「我々が一日に一度線香をあげ、水も取り替えています」  所員が言った。  その位牌は一見して粗末な手製の白木の位牌である。位牌の表には大江民子、享年三十五歳の文字が読めた。 「あった」  棟居と牛尾は異口同音に声を発した。  ついに大江雅弘が遺留した位牌を探し当てたのである。彼は死の間際まで母の位牌を抱き締めていたのである。  白木の位牌は忌明けの四十九日まで使用するのが習わしである。俗名が書かれた粗末な手作りの白木の位牌は、死者が戒名をつけられていないことを示すものである。  郷里を離れ、母と死別した幼な子には、自分の家の宗派や菩提寺《ぼだいじ》もわからなかったのであろう。  大江民子の死亡届けは当時の大家(家屋管理人)が出している。きっと葬式も近所の者だけが集まって行なったのであろう。  白木の位牌には、母に戒名もつけてやれず、満足な葬儀も出せぬまま、自分自身が行旅死亡した無念がこめられているように見える。  棟居と牛尾は遺品の発見を各捜査本部へ報告した。西大久保公園の行旅死亡者の写真が、大田区六郷の雑貨屋の老女や、小学校の同級生に示された。彼らは口を揃えて、その死者が大江雅弘であることを証言した。  さらに酒田署へもその写真が送られて、大江雅弘の本籍地の近くに住む渋谷家の老女に見てもらったところ、同人であることが確認された。  ここに大江の幼時を知る複数の人間の証言が一致したのである。  大江雅弘は九年前、東京で死亡していた。だが戸籍簿上、大江は生きている。そして大江と名乗る人物が社会的成功を博して華々しいスポットライトを浴びている。  新宿署と中野署の捜査本部は、大江雅弘の任意同行を検討した。  部内には依然として、まだ大江雅弘が偽者とは確定されていないという消極意見があった。  複数の証言が一致したとはいえ、いずれも二十年前後も前の記憶であり、そのうちの二人は七十代の老女である。  また西大久保公園の行旅死亡人の残した位牌に記入されていた大江民子が、大江雅弘の母親と確認されたわけではない。同姓同名の場合もあり得る。  仮に偽者が大江雅弘の戸籍を乗っ取ったとすれば、本物の死を見届けていたにちがいない。見届けていれば、本物の身許を示すような位牌は必ず奪い取ったはずである。  また仮に大江が偽者であることが確認されても、要するに他人の名前を詐称しただけで、刑法上なんら責任を問えないという意見である。  だが大江の前身が幸一で、大江雅弘の戸籍を詐称していることが確かめられれば、桂由里子との関係を追及できる。  尤もな意見であったが、位牌の発見と複数の証言の一致は、現在の大江雅弘への疑惑を濃厚に煮つめたことは拭い難い。  結局、那須警部が断を下した。ここに大江雅弘に対する任意同行要請が決定された。      2  十二月二十二日午前七時、渋谷区の大江雅弘の自宅に赴いた棟居、牛尾、青柳以下両捜査本部の混成チーム七名は、自宅にいた大江に任意同行を要請した。  まだベッドに入っていた大江は、突然刑事が大挙して訪問し、任意同行の要請を受けて驚愕した模様である。 「いったいどんな用件ですか。昨夜遅かったものですから、まだ頭が朦朧《もうろう》としております。突然迷惑ですな」  不意を打たれた大江は、虚勢を張りながら立ち直ろうとしている。 「署でご説明申し上げます。ご協力いただけませんか」  棟居は有無を言わせぬ口調で言った。  大江は捜査員の気配から、事態の容易ならぬことを悟ったらしい。 「それでは身支度をしますから、ちょっと待ってください」  大江は刑事らを玄関先に待たせたまま、身支度を整えた。手早く髭《ひげ》を剃《そ》り、髪を整え、仕立て下ろしらしいスーツに身を固めた大江は、すでに朝駆けされた狼狽《ろうばい》から立ち直っている。  大江はその場から最寄りの新宿署へ同行された。  大江に応対したのは那須警部である。棟居と牛尾が補佐として控えている。 「朝からご足労いただいて申し訳ありませんな」  那須がにこやかに声をかけた。任意取調べなので丁重な姿勢を崩さない。いまを時めく人気画家である上に、政界の大立者藤枝是明の娘の婚約者とあって、慎重を期している。  まずは低姿勢に応対した那須が、茶を勧めた。緊張していて喉が渇いたらしく、大江は勧められるまま茶碗を取り上げた。 「突然警察へ呼ばれて驚いております。なにか私がしたのでしょうか」  大江は那須の顔色を測っているようである。 「事件の参考までに少々おうかがいしたいことが生じましてね、ご多忙とは存じましたが、ご足労いただいたのです」 「事件とは、どんな事件ですか。警察の事件に関わったようなおぼえはないが」 「十月二十三日、新宿メトロホテルの地下駐車場に放置された車の中から、桂由里子さんという女性の絞殺死体が発見されました。この女性をご存じではありませんか」  那須以下三人の捜査員の視線が大江の面に集まった。大江は眉一筋動かさず、 「さあ、全然知りませんね。過日もそんな名前の女性について刑事から聞かれましたが、知らない人物です」  と答えた。 「そうですか。実はこの女性は身寄りがなく、幼いころ世田谷区の多摩川愛児園という養護施設に預けられておりました。多摩川愛児園についてはご存じではありませんか」 「養護施設とは関係ありません」  大江の表情がますますポーカーフェイスになったようである。 「大江先生もたしか幼いころ母上を失ったそうですね」 「ええ、十歳のときに。しかし、ぼくは養護施設には入りませんでしたよ」  大江が挑むように答えた。 「母上が亡くなられた後、だれを頼られたのですか」 「それは私のプライベートな身上です。そんなことまで答えなければいけないのですか」  大江は少しむっとしたようである。 「答えたくなければ答えられなくとも結構です。もしお答えくださって不都合な事情でもなければ、ご協力いただけると大変助かるのですが」  那須の口調がねっとりと粘りつくようになった。 「べつに答えて不都合なことはありませんが、プライベートな身上を聞かれるのは愉快ではありませんね」 「いや、これは失礼申し上げました。たしか大江さんは酒田のご出身でしたね」  那須は質問の鉾先を転じた。 「そうです」  大江が仕方なさそうにうなずいた。 「お父上は大江さんが六歳のときに亡くなられていますね」 「そんなことまでご存じなのですか。なんだか身許調べをされているようで不愉快だな」  大江が眉をしかめた。 「プライバシーを探るつもりはありません。六歳で父上を失い、十歳で母と死別されて孤児となられてからは、身寄りもなく養護施設にも預けられなかったとすると、武庫川先生にお弟子入りされるまで、どのように暮らしてこられたのかと興味を持ちましてね」 「それこそプライバシーの詮索というものではありませんか。べつに悪いことをして生きていたわけではない。十歳の子供がだれの世話にもならず暮らしてはいけないという法律でもあるのですか」 「そのようなことは申し上げておりません。ただ私どもは大江先生が、母上が亡くなられた後、多摩川愛児園に預けられていたのではないかとおもったのです」 「養護施設には預けられておりません。私は一人で生きてきたのです。それが今日の私の基礎になっています」  大江は断乎《だんこ》とした口調で言った。 「母上が亡くなられたとき、ご遺骨はどちらのお寺に納められましたか」  那須の質問に大江の上体が少し揺れたように見えた。 「お寺の名前は忘れました。最寄りの寺に頼んで当座、遺骨を預かってもらい、その後、その寺から遺骨を引き取って、新たな菩提寺に葬ってもらいました」 「その寺の名前をおしえていただけますか」 「失礼ではありませんか。先程から私の身許調べだけではなく、父や母のことまで根掘り葉掘り尋ねて、いったいどうしたというのですか」  これまで耐えていたらしい大江が憤然となった。 「失礼なことをお尋ねしてしまったようですが、母上の名前はなんとおっしゃいますか」 「どうせ知っているんでしょう。私に聞くまでもないじゃありませんか」 「いや、これは恐れ入りました。実はこの品が出てきたものですから」  那須は遺失物管理所から取り寄せた件の位牌を大江の前に置いた。大江の目に不審の色が塗られる。 「これは……?」 「位牌に書かれた文字をご覧ください。大江民子……あなたの母上の位牌です」 「私の母の?」  大江の表情が愕然とした。 「この位牌を握って、大江雅弘さんは××年三月十一日、新宿区西大久保公園で行旅死亡しておりました」 「なんですって」  那須の言葉に含まれた示唆の重大性はわかるが、まだその正確な意味がよく理解できないらしい。 「つまり、大江雅弘さんはいまから九年前に死亡しているのですよ」 「そ、そ、そんな馬鹿な」  大江のポーカーフェイスが崩れて、顔色が変わった。 「この位牌を持っていた行旅死亡者の顔写真を、酒田の本籍地の近くの住人や、大田区六郷の小学校の同級生たちに見せたところ、大江雅弘さんであることが確認されました。つまり、あなたは大江雅弘さんではない」  那須は一気につめ寄った。  束の間返す言葉を失った大江は、突然高笑いした。 「冗談はやめてください。私は大江雅弘本人です。九年前、行き倒れた人間の写真を見たぐらいで、なんの確認にもなりませんよ。年月も経過しているし、死んだ顔の写真であれば形相も変わっているでしょう。こんな白木の位牌に書かれていた名前がたまたま私の母の名と一致したからといって、どうしてこの位牌を持っていた主が大江雅弘と断定できるのですか。これは私に対する重大な侮辱です。まちがいではすみませんよ」  大江は居丈高に言い募った。 「結構です。それでは大江雅弘さんを知っている人たちと対面していただきましょうか」 「その必要は認めません。酒田を離れたのが六歳のとき、六郷から移ったのは十歳のときです。私自身、郷里の人間や同級生の顔を全然おぼえていません。そんな古ぼけた昔の知人と会ったところでなんにもならない」 「多摩川愛児園の園長先生にお会いになる気持ちはありませんか」  棟居がかたわらから口を出した。 「マザーになぜ会わなければいけないのですか。私は多摩川愛児園などにはまったく関係がないと申し上げております」  一瞬静寂が支配した。束の間の重苦しい沈黙に、大江は重大な失言をしたらしいことに気づいたようであるが、それがなんであるか見極められない模様である。  棟居がおもむろに口を開いた。 「多摩川愛児園の園長がマザーであることをどうしてご存じなのですか」 「そ、それは、以前、多摩川愛児園に関する記事を新聞か雑誌で読んだ記憶があったからだ」  大江は苦しい言い訳をした。 「はっきり申し上げましょう。二十八年前の七月二十八日、東京世田谷のある運送会社のトラックの荷台に、生まれて間もない男の赤ん坊が棄てられていました。その赤ん坊は際どいところで命拾いをして、世田谷区長によって幸一と名づけられ、多摩川愛児園に預けられたのです」 「そんなことが私にどんな関係があるのだ」  大江が激しく遮った。顔色の動揺を隠すためか、大江は長い髪を気取った手つきでかき上げた。 「まあお聞きください。多摩川愛児園では、幸一君は六歳から十歳のときまで、桂由里子さんと一緒に預けられていました。幸一君は十歳になったとき、同園からいずこへともなく出奔してしまいました。同園の園長の言葉によると、幸一君は五歳のとき木登りをして、落ちて右の耳の上を切り、そこが小さな禿になっているそうです。先程髪をかき上げたとき、そのような傷痕が見えましたがね」  那須が窪《くぼ》んだ眼窩《がんか》の底から炯々《けいけい》と光る目を一直線に向けた。大江は蒼白《そうはく》になった。 「いかがですか。あなたも変な疑いをかけられているのはいやでしょう。本物の大江雅弘氏ならば、右の耳の上にそんな傷痕はないはずです。この際、傷痕の有無を示して、はっきりさせた方がよろしいのではありませんか」 「その必要は認めない。身体のどこに傷痕があろうとなかろうと、そんなことを答える必要はないはずだ。令状もなしに無礼ではないか。私は忙《せわ》しい。帰らせていただく」  大江は椅子《いす》を高く鳴らして立ち上がった。 「お引き止めはいたしません。しかし我々はあなたが大江雅弘氏ではないという強い疑いを抱いております。そうそう、もう一つ申し忘れましたが、多摩川愛児園に当時の園児の粘土細工が残っておりましてね、その中に幸一君の作品があったのです」  那須がこの意味がわかるかと問うように、大江の顔を覗き込んだ。大江の面に不安の色が濃くなっている。 「その粘土細工に幸一君の指紋がはっきりと残されておりましてね、いまあなたが飲んだ茶碗の指紋と対照してみたいとおもっています」 「引っかけたな。そんな指紋は無効だ。なんの証拠価値もない」  大江は蒼白になってわめいた。 「どういたしまして。我々はなんら強制していません。たまたまあなたが放置した指紋を、関係人物の指紋として対照するだけです。あなたがなんら後ろ暗いところがなければ、協力者指紋としてご提供下さいませんか。もっともご提供いただけなくとも、我々の所有物である茶碗に放置された指紋は取り戻せないでしょうがね」  那須の顔が皮肉っぽくなった。  参考人がたまたま取り上げた茶碗に押した指紋には、強制的に採取したものではないから、なんら違法性はない。  捜査会議で指摘されたように、大江が偽者で、大江雅弘の戸籍を詐称していようと、そのこと自体では刑法上の責任を問われない。  だが大江雅弘名義で婚姻届を出し、結婚に際して新たな戸籍を編成すれば、公私文書偽造の罪に該当する可能性がある。  つまり、大江が偽者であることが確認されれば、彼は大江名義では結婚できなくなる。  結婚前、他人の戸籍の詐称が表沙汰にされることは、いまの彼にとって致命的な打撃となるであろう。  大江の面を彩った絶望の色は、彼が被った打撃の深刻なことを示している。そして大江の前身が幸一であることが確認されれば、当然の結果として桂由里子との関係が手繰られる。  捜査本部は大江の首根を押さえた。  茶碗に押された大江の指紋は、直ちに多摩川愛児園から領置された幸一の粘土細工の指紋と対照された。  その結果、両者はぴたりと符号したのである。  ここに大江雅弘は偽者であり、その正体は多摩川愛児園の幸一であることが確認された。この時点から幸一となった大江は、桂由里子との関係を厳しく追及された。  だが幸一は頑として否認を通した。 「私はたしかに大江雅弘の戸籍を詐称した。多摩川愛児園を逃げ出してから、転々と浮浪生活をつづけている間に、同年輩の大江と知り合った。大江とは意気投合して一緒に暮らすようになった。新宿で、ある飲食店のおやじが私たちを見つけて、店で働かせてくれた。大江は身上をぽつりぽつりと話してくれた。生まれが酒田であり、父と母を相次いで失い、身寄りのないことも彼から聞いた。その店に何年かいたが、次第に窮屈になって、大江としめし合わせて飛び出した。その後は飲食店や風俗の店を転々とした。年齢を偽ると、どこの店でも簡単に採用してくれた。大江がそのうち変な咳《せき》をするようになった。医者へ行けと勧めたが、大江は絶対に行かなかった。大江が死ぬ少し前、ピンキャバの寮にいたが、大江が喀血《かつけつ》したために気味悪がられて追い出された。見捨てることもできずに、大江につき添って一緒に寮から出たが、西大久保公園で急に具合が悪くなった。そのとき大江になりすまそうとおもった。大江がまさか母親の位牌を持っているとはおもわなかった。おれは自分を夏の暑い盛り、トラックの荷台に棄てた親を憎んでいた。おれを棄てたとき、親はおれが死んでもかまわないとおもっていたはずだ。そんな親の子供でいることに耐えられなかった。そのために前身を完全に抹消して、大江雅弘に変身しようとしたのだ。おれは親を憎み、自分の前身を憎んでいる。だから多摩川愛児園からも脱走したのだ。多摩川愛児園にいる限り、前身がつきまとう。その前身を振り捨てたかった。棄児という身分を恥じたのではなく、親との関係を断ち切りたかった。だが桂由里子とはなんの関係もない。彼女とは何年か多摩川愛児園で一緒だったが、それだけの関係にすぎない。彼女と再会したことはない。彼女が蘇民将来を持っていようといまいと、おれにはまったく関係ない」  と幸一は言い張った。 「ところで、十月十九日から二十日にかけてはどちらにいましたか」 「それはアリバイか」 「そのようにお考えいただいて結構です」 「家にいて寝ていたとおもう」 「それを証明することができますか」 「自分の家にいるのになぜいちいち証明しなければならないのだ」  幸一は気色ばんだ。 「証明できますか」  那須は幸一の抗議に取り合わずに一直線に追及した。結局、幸一は当夜のアリバイを申し立てられなかった。 「朝田織江さんという人物はご存じですか」  那須は桂由里子殺しのアリバイ追及を保留してさらに問うた。 「知らない」  不貞腐《ふてくさ》れている幸一の表情に特に反応は表われない。 「新宿で『おりえ』というスナックを経営している女性ですが、九月十一日夜、中野区内の公園で殺されました」  幸一の朝田織江殺しの直接容疑は毛髪鑑定によってすでに消去されている。だが共犯ということもあり得る。 「また私を疑っているのか。そんな人物には会ったこともなければ名前を聞いたこともない」  幸一の口調がヒステリックになった。 「遺品の中から二十八年前、あなたが棄てられたときの報道記事のスクラップの束が出てきたんですよ。彼女はあなたに強い関心を持っていた」 「そんなことは私になんの関係もない。一方的に関心を持たれたからといって、疑われては迷惑だよ」 「念のためにうかがいますが、九月十一日の夜はどこにおられましたか」 「またアリバイか。九月十一日だったら、福岡で開かれた環境芸術の会議に出席していたから、調べてもらえばすぐわかる。同行者もいたし、泊まったホテルもおぼえている」  幸一は今度は自信のある口調で、同行者やホテルの名前を告げた。  共犯者を使っていればアリバイがあっても不思議はないし、調べればすぐわかるような嘘はつかないだろう。追って裏は取るが、那須はその質問を打ち切った。  任意取調べの段階であり、これ以上彼を引き止めておく理由はない。捜査本部は歯ぎしりしながらも、幸一を解放せざるを得なかった。  偽大江雅弘の化けの皮を剥《は》がしたものの、彼を仕止めることはできなかった。  現在のところ、彼は刑法上なんの罪も犯していない。また雅号として今後、大江雅弘の名前を使用しつづけることを妨げない。  大江の名義で婚姻届を出せなくなったことは、彼にとって大きな打撃であるが、捜査本部が彼を攻略する武器にはならない。  幸一が九月十一日、福岡で開催された国際環境芸術の会議に出席していた事実も確認された。同夜は福岡市内のホテルに宿泊し、同行者と共にホテル内のバーで夜遅くまで飲んでいたことも、同行者および複数のホテル従業員が証言した。  幸一の桂由里子殺しのアリバイはなかったが、朝田織江殺しのアリバイは成立した。      3  警察から帰って来た幸一は、激しい虚脱感に襲われていた。全身から気力と体力が悉く放散してしまったような感じである。  これまでひた隠しに隠していた前身を暴き出されてしまった。さすがは警察である。彼が切り放したと確信していた前身を丹念に追いかけ、ついに今日の彼と接続してしまった。  今後、大江雅弘の戸籍は使えない。彼の戸籍を使えないということは、前身の幸一に戻らない限り藤枝佳子と結婚できないことを意味している。一切の公民権も行使できず、不動産取引き、海外旅行等もできないことになる。要するに完全な幽霊と化してしまうのである。  それをあえて行なえば、公正証書原本不実記載および同行使の罪に問われるであろう。  ようやく大江雅弘になりきったと自他共に認めたとき、二十八年前の過去が追いついて来て、ふたたび訣別したはずの前身の虜《とりこ》となってしまった。  いまさら佳子に、大江の戸籍を盗んだと打ち明けられない。彼女がそれを許してくれたとしても、父親の藤枝是明が許すまい。幸一のこれからの将来に藤枝の庇護は必要である。  ようやく幸一の大江雅弘名義の才能が認められかけ、これから大きく羽ばたこうという矢先である。  だが画壇の主流は彼の才能を小手先細工のいかがわしい大道芸まがいと見ている。ここで藤枝是明の庇護を失えば、せっかく出かけている芽を叩きつぶされてしまう虞《おそれ》がある。  藤枝の支援の下に、パリの一流画廊で個展を開き、成功を博せば、日本画壇も追従してくる。  ねがわくば藤枝是明が幸一の前身にこだわらず、彼の才能を愛してくれることである。  警察に任意同行を求められて三日後、幸一は藤枝是明の私邸へ呼ばれた。日曜日とあってか、藤枝番の報道関係者の姿も見えない。  玄関に立つと、いつもはいそいそと迎えてくれる佳子が姿を見せずに、お手伝いの老女が迎えた。  その表情が心なしよそよそしい。屋内の空気も冷たく澱んでいるようである。幸一はいやな予感をおぼえた。 「今日は佳子さんはいないのですか」  幸一が老女に問うと、 「奥様と買物へ出かけられました」  と抑揚のない声で答えた。これまで幸一が訪問した日に不在のことはなかった。 「おかしいな。お義父《とう》さんは私が今日来ることを佳子さんに伝えてなかったのかな」  幸一は老女の背中と自分自身に半々に問いかけるようにつぶやいた。 「さあ、私はなにもうかがっておりません」  老女の言葉はにべもない。  客間でしばらく待たされると、着流しの藤枝が入って来た。いつもは娘婿としてにこやかに迎える彼の表情が硬い。ならやら険悪な気配が藤枝の全身を包んでいる。  そういえば待っている間、茶の一杯も供されなかった。客間へ請じ入れられたのが、これまでの温かい接遇のせめてもの余韻といえた。  幸一が立ち上がって一礼すると、藤枝はじろりと白い目を向けて、むっつりした表情のままソファーへ座った。  藤枝は卓上の煙草ケースから煙草を取り上げた。幸一が火を差し出そうとすると、それに目もくれず、自ら卓上ライターで煙草に火をつけた。そのまま沈黙を保って煙草を喫《す》う。とりつくしまがなかった。 「今日は佳子さんはお出かけと聞きましたが」  幸一が話題のきっかけを求めて話しかけたが、藤枝は、うむとうなずいたまま乗ってこない。  屋敷の内は無人のように静まり返って、相対している二人の間には重苦しい空気が屯《たむ》ろしている。 「佳子さんと先日お会いしました際、新婚旅行はフランス、スペイン、ポルトガルをまわろうということにようやく意見が一致しました」  幸一は重苦しい雰囲気をはね除《の》けるように、つとめて明るい話題を切り出した。 「そのことだが、佳子とのことはなかったことにしてくれないか」  藤枝が喫っていた煙草を灰皿へ押しつぶしながら言った。  幸一は束の間、藤枝の言葉の意味を取り損なった。 「佳子との縁談はなかったことにしてもらいたい」  藤枝は繰り返した。 「それは、破談にするということですか」  愕然として問い返した幸一に、藤枝はゆっくりとうなずいた。 「それはまたなぜ、なぜですか」  おもわず幸一の言葉が滞った。 「きみはその理由を私に言わせようというのか」  幸一に向けた藤枝の目には憐憫《れんびん》の色が塗られているようである。 「佳子さんの意志はどうなのでしょうか。彼女も私との結婚を取り消すことに異議がないのですか」 「佳子の意志も確かめてある。佳子もきみとの結婚はあきらめると言っている」 「信じられません。佳子さんに一度会わせてください。本人から直接確かめたいのです」 「その必要はない。仮に佳子が望んだとしても、私が許さない」  藤枝が断乎《だんこ》たる口調で言った。 「ここへきて突然の破約は納得できかねます。せめてその理由をお聞かせください」 「理由はきみの胸に聞きたまえ。心当たりがあるはずだ」  藤枝が幸一を凝っと見すえた。  幸一ははっとした。もしや戸籍詐称のことが藤枝の耳に入ったのではないのか。政界の大物として藤枝の人脈は警察上層部にも連なっているであろう。  三日前、幸一が捜査本部に任意同行を求められた事実が、藤枝の耳に達したとしても不思議はない。幸一が最も恐れていた事態となったのである。 「どうやら心当たりがありそうだね。きみには気の毒だが、夢を見たとおもってくれたまえ。きみはまだ若い。才能もある。佳子と結婚せずとも、いくらでも新たな可能性が開けるだろう。佳子との縁談は破談にしても、きみを援助することにはやぶさかではない。パリの個展の件も従来通り進めたまえ。佳子に代わるよい配偶者も私が責任をもって探してあげよう。ただ佳子との結婚はあきらめてもらいたい」  藤枝は諄々《じゆんじゆん》と諭すように言った。  幸一は反駁できなかった。他人の戸籍を偽って藤枝の娘と結婚しようとしたのである。どのように非難されても仕方がないところである。 「今後一切佳子と連絡することは禁ずる。ただ会うことをやめるだけではなく、電話、文通、一切の交渉を絶ってほしい。きみがそれを守ってくれれば、きみに対する援助は惜しまないだろう」  藤枝はだめ押しのように言った。  幸一は打ちのめされて藤枝邸から帰って来た。藤枝から破談を宣言されても仕方のない弱味を抱えている。  それにしても会うことはもちろん、電話、文通、一切の連絡を禁ずるというのは徹底している。  だが佳子との完全な遮断を言い渡したにしては、今後もいままで通り支援をつづけるというのが解せない。絶交を宣言したのであれば支援も絶つはずである。佳子をあきらめさせるために弄をくれたということであろうか。  幸一は一時、視野が暗くなるほど打ちのめされたが、帰路、次第に立ち直りかけていた。  佳子との結婚の最大の魅力は、彼女が背負ってくる持参金にある。持参金には経済的な援助のほか、藤枝の名声、権威、人脈等から期待できる総合的な援助がある。  たとえそれが佳子を断念させるための弄であったとしても、弄だけは約束通りあたえられるのであれば、佳子を失っても実害はない。  むしろ父親の威力を背負った妻よりは、そんなもののない風呂敷女房の方が、もらう側としては負い目がなくてよい。  妻はべつの方角から裸のままもらい、藤枝の物心両面の援助だけが約束されるとしたら、これに越したことはない。  藤枝から破談を言い渡されて、幸一は佳子に対する愛情が不純であったことに気がついた。  妻は是が非でも佳子でなければならぬということはない。佳子の代わりはいくらでもあるが、藤枝の援助は代替がきかない。この際佳子をあきらめても藤枝の援助を維持しなければならない。  幸一は帰路、早くもそろばんを弾《はじ》いて立ち直っていた。      4  大江雅弘(マスコミの名義)と藤枝佳子の婚約破棄は逸速《いちはや》く報道された。破談の理由は明らかにされていない。  これが単に藤枝佳子の縁談の破棄であれば、マスコミもそれほど取り上げなかったであろう。  片や画壇の風雲児として話題を集めている大江雅弘であったので、各マスコミ機関は競って報道し、婚約破棄の理由についてさまざまな憶説を立てていた。  それらは、  藤枝是明が資金源を拡大するために、財界の大物某氏の息子に娘を方向転換させた。  大江雅弘に女がいたことが露見して、藤枝が激怒した。  佳子に多年交際している恋人がいて、あきらめきれなかった。  両人が密かに婚前旅行をして、旅行先で大喧嘩をした。  大江が貧しい荷役人の子であったために、藤枝が両家の不釣り合いを唱えだした。  等である。  それらの中で、真の理由を当てたものはなかったが、最後の憶測が最も近かった。  両人の婚約破棄のニュースを耳にした牛尾が、ふと小首を傾げた。 「どうもおかしいな」 「なにがおかしいのですか」  青柳が問うた。 「幸一が大江雅弘の戸籍を詐称していた事実が露見してから間もなく、藤枝の娘との婚約が破棄された。これはなにか関係がないかな」 「つまり、幸一の化けの皮が剥がれたことが婚約破棄の原因というのですか」 「そう考えられないこともないだろう」 「しかし、幸一の供述の内容は公表されていませんよ」 「そんなことは公表しない。だが部内者ならば知ることができる」 「すると、供述内容が上層部から藤枝へリークされたというのですか」 「その可能性は否定できないだろう。捜査本部が大江雅弘の素性に疑いを持ってマークしたことは部外にも秘匿されているが、部内者ならば情報を入手できる。警察内部にも藤枝の人脈はのびている。藤枝の耳に入る可能性は充分にあるよ」 「すると、藤枝が幸一の身分詐称を怒って破談にしたというのですね」 「その可能性も考えられるが、どうも引っかかるなあ」 「なにが引っかかるのですか」 「大江雅弘が貧しい荷役人の子であることは、縁談が発生した時点で、藤枝はすでに知っていたはずだ。それが実は棄児であったとわかっても、大してちがいはあるまい。棄児の身の上は恥ずべきことではなく、本人の才能にはなんの関係もない。大江雅弘こと幸一、要するに名前が替わるだけで本人が変わるわけではない。もし藤枝と娘が幸一本人の才能を認め、愛したとすれば、大江雅弘であろうと幸一であろうと差し支えはないはずだ。それにもかかわらず大江雅弘の正体が棄児であると判明して、にわかに婚約破棄したというのがどうも解せない」 「親が不明な棄児は、娘の結婚相手にできないということではないのですか」 「本人がよければ、親がいようといまいと関係あるまい。世間体を気にするなら、もともと不釣り合いな縁談だったんだ」 「なるほど、そう言われてみればそうですね。大江雅弘が幸一という名前の棄児であったとしても、彼の才能と築き上げた名声にはなんの影響もないとおもいますがね」  青柳が牛尾のペースに引き込まれてきた。 「その辺のところがどうも引っかかるんだよ」 「マスコミがさまざまな憶測を立てているように、二人の間になにかあったんではありませんか。婚約中喧嘩して、あるいは性格の相違がわかって破談になるというケースはいくらでもありますよ」 「そうだな。婚約破棄はありふれている」  牛尾もようやく納得したようである。  だが、年が替って一月初旬新聞に大江雅弘の消息が伝えられた。  それによると、今年春、パリで個展を目指して、その準備のために間もなく渡仏するというものである。  日本では脚光を浴びているが、海外ではまだほとんど無名の大江がパリで個展を開けるようになったについては、パリの政・財界に顔の売れている藤枝是明の支援があったからである。  まさか婚約を破棄した慰謝料として藤枝が支援しているのではあるまいが、と新聞記事は皮肉っぽく締めくくっていた。  この記事が牛尾の目に入った。牛尾はさっそくそれを青柳に見せた。 「これだ、これだよ。おれが引っかかっていたのは」  牛尾から示された新聞を読んだ青柳は、 「この記事がどうかしたのですか」  と問うた。 「さしたる理由もなく、突然婚約を破棄したんだ。藤枝と大江こと幸一との関係は最悪になっているはずだよ。それにもかかわらず藤枝は幸一のパリ個展を支援している」 「新聞にも書かれているじゃないですか。慰謝料じゃないかって」 「慰謝料にしてはおかしいとはおもわんかね」  牛尾が謎をかけるように言った。 「どうしておかしいのですか」  青柳には牛尾からかけられた謎の意味がわからないらしい。 「婚約破棄の理由としては、戸籍盗用が最大の理由として考えられる。とすると、慰謝料を支払わなければならないのは、幸一の方じゃないかね」 「あ、そうか。しかし戸籍盗用が理由ではないかもしれませんよ」 「それはいくつかの可能性の問題になってくるがね。我々としてはまず考えられるのは戸籍の盗用だ。それにもかかわらず藤枝は幸一に慰謝料を支払おうとしている。どうもこの辺が引っかかるんだな」 「牛《モー》さん、またなにか嗅ぎつけていますね」  青柳が牛尾の顔色を探った。 「うん。幸一の遺留品に蘇民将来があったな」 「ありましたよ」 「蘇民将来の出処を訪ねて上田へ行ったとき、藤枝の講演会のビラが貼ってあった」 「ありましたね」 「あの古いビラがおれの心の中に貼りついていて剥がれないんだよ」 「ビラが心に貼りついて離れない?」 「そうなんだ。藤枝の地元は上田だ。そこで非常に大胆な仮説だがね、藤枝を朝田織江のパートナーの位置に置いてみたらどうだろう」 「なんですって」  青柳の顔色が動いた。 「つまり、藤枝が幸一の父親だったとしたら。蘇民将来の茅の輪も藤枝が幸一につけて棄てたとしたら……」 「し、しかし、蘇民将来も無数に出まわっていますし、上田の出身者も多いでしょう」 「わかっている。それだけで結びつけるのは大変乱暴だが、仮に藤枝が幸一の父親だとしたら、幸一と佳子は兄妹になる。親としてはこれはどうしても結婚させられないだろう」 「幸一と佳子が兄妹……」  青柳は牛尾の途方もない発想に唖然《あぜん》としたようである。 「すると牛《モー》さん、朝田織江を殺したのは……」  牛尾の発想がさらに大胆な推測へと導いていくことに、青柳はようやく気づいたらしい。 「そうだ。朝田織江殺しについての幸一のアリバイは成立した。幸一は織江殺しの犯人になれない。すると、だれが殺したのか。考えられる人物は織江のパートナーだけだ。幸一同様、織江のパートナーが功なり名遂げていれば、織江との間にもうけた子供を棄てたことは、彼の生涯の弱味となるだろう。そしてそれを知っている者は織江一人だ。もしパートナーが幸一を棄てた当人であれば、織江はパートナーの最大の弱味を握っている人間ということになる。パートナーは織江を殺す動機を持っている。藤枝が幸一の父親であり、幸一を棄てた当人であれば、織江殺しの第一容疑者の位置に立つよ」 「牛《モー》さん、そいつは凄い発想ですよ」  青柳の声が興奮している。 「きみもそうおもうか。大胆で乱暴な発想だが、突然の婚約破棄と、その後の藤枝の幸一に対する変わらざる援助を見ていると、幸一の遺品の蘇民将来と藤枝是明が結びついてくるんだ」 「捜査本部を納得させるのが大変ですね」  婚約破棄の理由が幸一の戸籍盗用にあるとすれば、捜査本部の捜査方針がリークされている可能性がある。  捜査本部が化けの皮が剥がれる前の大江雅弘に目をつけた時点から、藤枝是明は捜査の方向を見守っていたかもしれない。  ここで捜査会議において、牛尾の大胆な仮説が披瀝《ひれき》されれば、藤枝の耳に入るのは時間の問題であろう。  いやしくも政権党の大物に据える殺人容疑である。しかも現職の警察官を殺害した容疑も含まれる。捜査本部としても慎重の上に慎重を期するであろう。  しかも藤枝を疑う根拠が薄弱である。牛尾としては、彼の着想を補強する新たな資料が欲しかった。 「棟居さんに相談してみよう」  牛尾は言った。  織江殺しと横渡刑事の殉職は中野署の管轄である。ともかく自分の発想を棟居の耳にだけは入れておきたいとおもった。 [#改ページ]   毅然たる樹影      1  棟居は横渡が殉職した現場へまたやって来た。「現場百回」という捜査の心構えがあるが、現場は犯人の手がかりの宝庫である。  棟居は現場に立つつど、横渡の無念が胸に迫ってくるように感じられた。  その無念を引き継ぎ、犯人を追及する燃料とすべく、捜査が壁に打ち当たったときや、膠着して疲労が重く澱んだときなど、横渡が倒れた現場へ戻って来た。  下半身不随の娘を残して、市民を救うために凶刃に倒れた横渡は、刑事の亀鑑《きかん》ではあるが、さぞや後へ残した娘が心残りであったであろう。  徒労が積み重なると、横渡から引き継いだはずの無念がつい疲労に圧倒されてしまう。疲労をはね返すためにも現場に立つ必要があった。  もはやあの夜の惨劇の痕跡もなく、公園には平和な光景がよみがえっている。  当初の間は殺人事件の現場として、近所の主婦や子供たちから敬遠されていたが、時間が経過するほどに事件の記憶も薄れ、公園に人々が戻って来た。  夜間は人影が絶えるが、明るい間は子供たちが遊びに集まって来る。幼い子供には母親がつき添っている。東京のどこにでも見うけられる小公園の風景である。  公園の敷地内に植えられている欅や銀杏《いちよう》の樹はあらかた落葉して、裸の枝を空間に広げている。その分、公園内部の見通しがよくなっている。  棟居は敷地の中に設けられたベンチの一つに腰を下ろして、漫然と公園の風景を眺めていた。  砂場で数人の幼児が砂遊びをしている。砂を盛り上げ、トンネルをつくったり城を築いたりしている。  かたわらのブランコには、下校途中の道草を食っているらしい小学生が乗っている。ジャングルジムとシーソーにはいまのところ子供たちは寄りついていない。  砂場の前のベンチには、子供のつき添いらしい若い母親が数人、おしゃべりに夢中である。初冬の午後の陽射《ひざ》しが柔らかくさしかけ、街の騒がしい気配はこの公園には届かない。  横渡が倒れていた辺りの地上には、落ち葉がまばらに散っている。彼の血を吸ったはずの地上には、もう惨劇の痕跡はなにも留められていない。それと共に横渡が生きていた証拠も抹消されてしまった。  横渡にしても、まさかこんな所で自分の人生の終焉《しゆうえん》を迎えようとは予測もしていなかったであろう。彼の家族が待つ窓の灯火が見えるような自宅の至近距離であることも、彼の無念を示しているようである。  だが彼の無念にもかかわらず、犯人に至るなんの手がかりもつかめないでいる。このままでは横渡が浮かばれないとおもった。  ようやく容疑線上に浮かび上がった大江雅弘こと幸一はアリバイが成立して、犯人になりえない。桂由里子殺しの容疑は依然として残っているが、決め手がつかめないでいる。  大江の素性を確かめるために酒田まで行ったことも、結局無駄足に終ってしまった。  棟居はこの公園に戻って来るつど、横渡がなにか訴えかけているような気がしてならなかった。  彼は今際《いまわ》の際に、犯人を示すダイイングメッセージを残したのではないのか。そのメッセージがこの公園に残されているかもしれない。  だが捜査陣には横渡の残したメッセージがわからない。もしそうだとすれば、横渡の霊は草葉の陰からさぞ悔しがっているにちがいない。 (横さん、なにを言いたいのだ)  棟居は横渡が倒れていた地上の辺りへ問いかけた。  だが答えはなく、公園の樹木に止まっている鴉《からす》の鳴き声が寂しく返ってきた。 「すみませんが、ちょっとシャッターを押してもらえませんか」  棟居は突然声をかけられた。声の方角に目を向けると、若い母親がよちよち歩きの子供と共に立っている。 「いいですよ」  棟居は母親からカメラを受け取った。 「ここがシャッターです」  彼女はシャッターの位置を示した。ファインダーの中で母親が幼い我が子と幸せそうに寄り添った。 「それでは撮りますよ」  棟居はファインダー接眼窓の中に母子の姿を固定して、シャッターを押そうとした。  一瞬、彼の指が膠着して、ファインダーに切り取られた母子の背景が、網膜に焼きついた。  母子が背負っている公園の風景に記憶が刺激を受けている。その背景はどこかで見た記憶があった。これまで何度も目にしている風景でありながら、気がつかなかった。  なかなかシャッターを押そうとしない棟居に、母親が不審げな表情をした。 「はい、写します」  棟居はもう一度声をかけてシャッターを切った。 「どうも有り難うございました」  礼を述べる母親にカメラを返してから、棟居はたったいまカメラのファインダーで切り取った風景と、現実の風景を重ね合わせていた。  彼の記憶に残っている風景は、現実の風景とは少々異なる。なにが異なるのか。棟居はファインダーを通して覗いた風景を自分の目で凝視した。  そうだ。建物の形がちがっている。だがその背後に立っている樹の形が同じである。杉の木と欅の木が数本、その樹形に記憶がある。  これまで現場に立つつど何度も見ていながら、どうしてその相似に気がつかなかったのか。  棟居が以前に見た似たような風景は、実景ではなく、写真の映像であった。だから気がつかなかったのだ。  いまファインダー接眼窓を通して覗いたために、実景がファインダーによって切り取られ、写真との相似を強調した。それが棟居の記憶に訴えてきたのである。  いつ、どこで見た写真か?  棟居は現実の風景に過去どこかで見たことのある風景写真を重ね合わせた。  集中した思考が一枚の写真を焙《あぶ》りだした。幸一の遺留品の中にあった写真に、先刻親子が背負っていた背景が定着されていた。二十八年前の建物の形は変わっていたが、樹木はほとんど同じ形を留めていた。 「あの写真だ」  棟居はおもわず声を出した。公園にいた母親たちが驚いて視線を棟居に集めた。  子供の手を引いて立ち去りかける母親もいた。男一人でベンチに腰を下ろして、なにやらぶつぶつつぶやいている彼が薄気味悪くなったらしい。  棟居は母親たちのおもわくを無視して、心に兆した思案を見つめた。  犯人は土地鑑があったのだ。朝田織江と横渡刑事を刺した犯人は、この公園の近くに住んでいたにちがいない。もう一度幸一の遺留品の写真と公園の実景を照合すれば、そのことが確かめられるだろう。  横渡が残したダイイングメッセージとはこれであった。横渡は犯行現場の実景をもって犯人の手がかりを訴えていたのである。  二十八年の星霜に耐えて公園の背後に聳《そび》えていた樹形は変わらなかった。その樹形が犯人の古い居所を告げていたのである。そこを探れば、犯人の手がかりがつかめるかもしれない。 「横さん、あんたの無念は必ず晴らしてやるよ」  棟居はまだ公園の宙空にさまよっているかもしれない横渡の霊に語りかけるようにつぶやくと、ベンチから立ち上がった。      2  棟居と牛尾はそれぞれの発見と着想を交換した。牛尾の発想の根拠が、棟居の発見によって補強された。  同時に棟居は犯人に至る強力な手がかりを得た。彼らはさっそく幸一の遺留品の写真を持って現場の公園へ引き返すと、実景と照合した。 「まちがいありませんな。この写真に撮影された杉と欅の形は、撮影当時とほとんど形が変わっていません。この写真を撮影したカメラの位置は、この公園の近くにあることは確かです」  牛尾が写真と実景を見比べながら言った。 「もし二十八年前、この界隈に藤枝是明が居住していたことが確かめられれば、藤枝に一歩近づけますね」  棟居の声も弾んでいる。 「その通りです。そのことが確かめられれば、捜査会議に出せますよ」 「問題は捜査会議の内容が敵に漏れる危険性ですね」 「たとえ藤枝の力をもってしても、殺人事件の捜査は揉《も》み消せませんよ。藤枝の知るところとなる前に、こちらの持ち札を強くしておくことです」  彼らは笠原と青柳に事情を打ち明けて、公園の界隈に聞き込みをかけた。  まず横渡家に赴き、二十八年前、藤枝是明がこの界隈に住んでいたことはないかと尋ねた。 「そういう話は聞いたことがありませんね」  横渡未亡人が答えた。  横渡家はこの地に三代にわたって住み着いている。だがアパートの住人であれば、近所に住んでいたとしても接触はなかったであろう。また当時は無名の藤枝是明が、自ら過去の居所を明らかにしない限り、近所の住人が知らなくとも不思議はない。 「古くからあるアパートを中心に聞き込みを進めてみよう」  牛尾が提案した。  この地域には古い住宅に混じって、アパートやマンションが割り込んできている。地価の高騰によって一戸建ての住宅が圧迫され、効率のよい集合住宅が繁殖してくるのは大都会共通の現象である。  それらの中で古いアパートを主体に聞き込みを進めていくと、公園の近くの、ある会社の独身寮の管理人から耳寄りな情報を得た。 「そういえば、この寮は二十数年前、この敷地にあった古いアパートを取り壊して建てたものですが、前のアパートに藤枝是明さんが一時期住んでいたことがあると、アパートの大家が自慢げに話していたのを聞いたことがあります」 「そのアパートの大家はいまどちらにおられますか」  棟居は気負い込んで尋ねた。 「もう亡くなりましたよ」  管理人の答えは棟居に肩透かしを食わせた。 「しかし、私も藤枝さんがここに住んでいたという確信をもっています」  棟居の失望を救うように管理人が言葉を補足した。 「確信する根拠でもあるのですか」 「あります。ある雑誌が創刊二十五周年を記念して、有名人の二十五歳のときの写真をグラビアに掲載したことがあるのです。そのとき藤枝さんの写真も載っていましたが、それはたしかにこの寮の敷地から撮影したものですよ」 「その雑誌をいまお手許《てもと》にお持ちですか」 「持っています」 「それを見せていただけませんか」 「いいですよ」  管理人は別室から古びた一冊の雑誌を持って来た。  彼が開いたページには、藤枝の若い日の写真が載っている。その背後に見おぼえのある樹形が写っている。 「この写真の背景と同じですね」  牛尾が幸一の遺留品の写真を差し出した。 「あっ、同じだ。これもこの近くで撮った写真ですね」 「お宅の敷地のどの辺りから撮ると、この写真と同じ構図が撮影できるでしょうか」  棟居が問うた。 「そうですね。いまは当時の建物とは異なって、敷地もだいぶ狭くなってしまいましたが、一階の棟末の部屋の窓辺りから撮影すると、似たような構図になるかもしれませんね」 「一階の棟末の部屋を見せてもらえないでしょうか」 「ちょうど入居者がなく、空室になっておりますので、どうぞご覧ください」  管理人は快く承諾した。空室であったのは幸運である。  鉄筋三階建てのその独身寮は、各部屋1Kの構成で、一室一人ずつ入居している。いまは個室でないと社員が居つかないそうである。  案内された一階の棟末の部屋は東に面していて、窓を開くとテラス越しに公園の敷地の一部と、杉の木と欅の木がよく見えた。 「なるほど、樹形がそっくり同じですね」  棟居と牛尾が、幸一の遺留品の写真とグラビア写真と実景を対照しながら言った。  公園から眺めたときは微妙なちがいがあった写真と実景が、この位置から眺めるとほとんど重なり合っている。 「樹よ、よくぞ同じ形をしていてくれたと言いたいところですね」  牛尾が言った。  棟居も星霜の風化に抗して、毅然たる樹形を保っていたそれらの樹に感謝したい気持ちであった。 [#改ページ]   棄てられなかった同行者      1  棟居と牛尾の発見と着想は捜査本部に報告された。おもわぬ大物の容疑線上への浮上に、両捜査本部は色めき立った。今度は中野署において新宿署との連絡会議が開かれた。  度重なる連絡会議で、いまや合同会議の色彩が濃い。棟居と牛尾が交互に立って、藤枝是明をマークした経緯を説明した。  幸一の遺留品の写真と、独身寮の管理人から領置した藤枝のグラビア写真の背景の一致に、会議の出席者が騒然となった。 「以上の理由から、藤枝是明氏は現場に土地鑑を有し、朝田織江および横渡刑事殺害事件に関する重要参考人として任意同行を求め、事情を聞くべきであると思量します」  棟居は言った。  棟居の言葉の後ざわめきが鎮静され、束の間静寂が会議室を支配した。 「藤枝氏に参考人として任意出頭を求めるのはまだ時期尚早であるとおもう」  反論の口火を切ったのは、またしても山路である。彼は一同の視線を集めて、 「幸一の遺留品の写真と藤枝氏の若い日の写真の背景が、現場と似ていたところで、藤枝氏を疑う根拠にはならない。藤枝氏と幸一の父子関係はまったく証明されておらず、たまたま二枚の写真の撮影地が犯行現場に接近していたからといって、事件と結びつけるのはあまりにも短絡であるとおもう。また犯行現場の近くで撮影したからといって、藤枝氏がその界隈に住んでいたことにはならない。たまたまその場に来合わせて撮影したのかもしれない。さらに藤枝氏の出身地が上田であることと、幸一の遺留品である蘇民将来を関連づけて、二人の間に父子関係を設定するのは、飛躍というよりは乱暴である。こんな薄弱な資料から、政権党の要路に立つ政治家に任意出頭を求めることはできない」  と的確に棟居と牛尾の主張の弱点を衝いてきた。  たしかに山路の反論の通り、藤枝と幸一、および朝田織江の間になんらかの接点が発見されない限り、藤枝が犯行現場の近くで写真を撮影していようと、事件との関連を示す資料にはならない。藤枝の出身地と蘇民将来は、接点としては薄弱である。  だが、その反論は棟居と牛尾としても当然予期していた。牛尾は大江こと幸一と藤枝佳子との突然の婚約破棄から、藤枝に対して疑いをかけるようになったのである。  牛尾が立ち上がった。 「藤枝是明氏の今日の風貌《ふうぼう》は、若いころとはかなり変わって貫禄《かんろく》が出ております。藤枝氏の二十五歳当時のグラビア写真をよくご覧ください。現在の大江雅弘こと幸一の顔によく似ているとはおもいませんか」  牛尾の指摘に、出席者一同がまたざわめいた。  これまで気がつかなかったが、顔の輪郭や、目や鼻の形がよく似通っている。 「赤の他人でもそっくりさんは存在する。この程度の相似をもって父子《おやこ》と断定するのは危険だとおもう」  すかさず山路が切り返した。  捜査会議は紛糾した。相手が政権党の大物でなくとも安易な事情聴取は許されない。  藤枝是明をマークするに至った理由をすべて列挙して、一つ一つ詳細な検討を加えることにした。  ㈰上田市出身。  ㈪幸一が棄てられた当時、犯行現場近くに住んでいた状況がある。  ㈫大江雅弘の真の素性を突き止めて間もなく、彼と娘との婚約を破棄した。  ㈬婚約破棄後も幸一に対する援助をつづけている。  ㈭幸一の遺留品の写真と、藤枝の二十五歳当時の写真の撮影地がきわめて近い。  ㈮藤枝の若いころ、現在の幸一とよく似ている。  以上をいちいち検討して、藤枝の身辺内偵が当面の捜査方針として決定されたのである。  なおこの捜査本部の方針が藤枝にリークされることのないよう、関係者に固い箝口令《かんこうれい》が布《し》かれた。  藤枝是明は長野県上田市出身、旧姓|松井《まつい》是明といい、東京のある二流私立大学を卒業して四年後、二十六歳のとき、東京の毎朝新聞の中途採用に応募して入社、政治部に配属された。  二十九歳のとき、ときの官房長官で同郷の藤枝|信太郎《しんたろう》の知遇を得て毎朝新聞を退社、藤枝の秘書となった。  一年後、藤枝の長女と結婚、三十七歳のとき、藤枝の脳卒中による急死に伴って藤枝の地盤を引き継ぎ、政界に打って出る。これを機に、松井は藤枝姓に改姓した。  以後、政権党の主流を常に泳ぎながら、××年民友党総務会長、×○年|麻生《あそう》内閣の元で文相、○○年には間室《まむろ》内閣の下で通産相、と閣僚を経験し、岳父藤枝信太郎の所属した民友党第二位派閥の中原《なかはら》派から分派して自ら派閥の領袖となった。  現在、民友党政調会長として勢力を張り、政権も射程に入れている。      2  藤枝是明の内偵捜査を進めていると、那須警部が上層部から呼ばれた。  間もなく帰って来た那須は、捜査員を呼び集めた。那須は常のごとく無表情であるが、捜査員には異常な気配が伝わってきた。  一同の顔を見渡した那須は、 「どうやら我々が向かっている方角は正しいようだよ」  と言った。 「なにがあったのですか」  山路が問うた。 「お偉方から藤枝是明氏の内偵は、プライバシーに関わることでもあり、くれぐれも慎重を期するようにとのお達しがあった」  と那須は言って、にやりと笑った。さざ波のようなざわめきが一同の間に広がった。  慎重を期せとは、捜査を中止するようにという柔らかな勧告である。捜査本部の動向が、藤枝に脅威をあたえたのである。  もとより内偵捜査は安易に許されるべきではない。まして政権党の大物の内偵となれば、言われなくとも慎重を期している。  藤枝の内偵を決定したということは、捜査本部の心証が濃いことを示している。  それでどうする、と一同の視線が那須に問うた。 「藤枝も血迷ったものだな。殺人事件の捜査本部に雑音(圧力)を入れてきやがった。これで向かっている方角の正しいことを先方から報せてくれたようなものだ。責任はおれが取る。存分にやってくれ」  那須が一同に言い渡した。  警察上層部は官僚ではあっても警察官ではない。全国二十五万人余の警察官の上層部に君臨する警察特別官僚は、早すぎる出世の余生を政権党の大物に託さなければならない。  警察が政権党の選挙違反には基本的に手をつけられない構造は、このような事情の上にできあがっている。  それが政治家を増長させ、汚職事件の捜査に時の法務大臣を動かして指揮権を発動させ、検察の追及を打ち切らせたり、政界のキングメーカーの政治資金規正法に違反した収賄《しゆうわい》事件に関して司法取引きをするなどの、法の死を招くようなおもい上がりを促した。  そのおもい上がりが選挙違反や贈収賄と同様、殺人事件の捜査にまで介入してきた。  藤枝の警察を甘く見た介入が、彼の混乱を示している。権力を私物化した者のおもい上がりである。それがかえって捜査本部に自信を植えつけてしまった。  藤枝のあがきが、捜査本部の姿勢を一本化した。  中野署の捜査本部は藤枝是明に対する心証が強まると同時に、彼と朝田織江との接点の発見に努めた。  両人の間に関わりのあったことが証明されれば、藤枝に肉薄できる。  藤枝が大学卒業後、毎朝新聞に入社するまでの四年間の経歴が空白になっている。この間に藤枝と朝田織江との間に関係があったものと見られる。  朝田織江はこの期間、どこでなにをしていたか。この間の彼女の身辺に藤枝の影を発見できれば、彼に任意出頭を求めて事情を聞くことができる。  藤枝と朝田織江との接点を求めて、二十八年前、藤枝の住居があったと推測される公園近くの社員寮の周辺に、聞き込みの網が拡《ひろ》げられた。  朝田織江は、生前住んでいたマンションには、三年前に入居している。その居宅と犯行現場との距離は近い。  居所を広範囲に転々とする者と、特定の地域から離れない者がいる。織江が後者のタイプだとすると、彼女は二十八年前もその界隈に住んでいた可能性がある。  だが織江の生前の住居には、特定の男の影は浮かび上がらなかった。  いまは社員寮に姿を変えてしまった古いアパートに、藤枝と織江が同棲《どうせい》していたか、あるいは織江が訪ねて来た可能性がある。  当時の住人は八方へ散り、大家は死んでしまった。回転の早いアパートの住人をおぼえている者はいない。  捜査員はめげずに古い住人をしらみ潰《つぶ》しに当たっていった。だがはかばかしい成果は上がらなかった。  捜査本部に徒労の色が濃くなった。      3  無駄足が重なると、木枯らしがひときわ身に沁《し》みてくる。  正月気分がようやく冷めた二月八日、重い足を引きずって聞き込みに歩いていた笠原が、ペアの棟居にふとつぶやくように言った。 「幸一の嬰児のころの写真が公園の近くで撮影されていますが、生まれたのもこの近くでしょうか」 「その可能性は大きいですね」 「すると、自宅では産めないでしょうから、最寄りの病院とか、産婆の所で産んだのでしょうか」 「病院か産婆、あ、そうか」  棟居も笠原の示唆に気づいた。  嬰児を棄てたくらいであるから、母子手帳も取得していなかったであろうし、定期検診も受けていなかったであろう。  だが出産時には医者か産婆の所へ行った可能性がある。そこに男の影が残っているかもしれない。  出産後棄てた子供である。大病院ではなく、目立たぬ小さな医院で産み落とした可能性が大きい。  これまで藤枝と織江の過去の足跡のみを探し求めて、嬰児の出産場所は盲点に入っていた。  笠原の着眼に基づいて、界隈の産婦人科医院や助産婦が探された。  聞き込みを始めて数軒目の産婦人科医院で反応があった。古くからある産院らしく、建物も古びていて、いかにも流行《はや》らなそうである。  刑事らが訪問したとき、待合室はがらんとしていた。受付の窓口にも人影は見えない。  窓口から奥をうかがうと、薄暗い内部に黄色く変色したようなカルテのファイルや、大小の薬品の瓶が並んだ棚が見える。  笠原は奥へ向かって声をかけた。何度か虚しく呼びかけた後、ようやく応答があって、中年の女が出て来た。  看護婦ではなく、この家の家人らしい。その方が刑事らの聞き込みには都合がよい。家人の方が古い事情を知っているかもしれない。  笠原が素性を告げて、二十八年前の、朝田織江の出産の記録の有無を問うた。 「二十八年前ですか。そんな古いカルテが保《と》ってあるかしら」  医者は患者の秘密を守る守秘義務が医師法に規定されているので、病、医院の聞き込みは概して難しいが、診療記録の有無や、通常の診療経過ならば、それを告げても守秘義務には反しない。  問題は二十八年前のカルテが保存されている可能性の極めて薄いことである。  カルテの保存期間は通常、診療終了後五年である。仮に保存されていたとしても、そんな大昔の受診期日不明の診療記録を果たして探し出せるであろうか。  ともあれ当たってみるだけの価値はある。 「ちょっと待ってくださいね」  彼女は奥へ引っ込んだ。  棟居と笠原は待合室の椅子に座って待った。椅子のクッションには継ぎが当たっている。マガジンラックに数ヵ月遅れの手垢《てあか》に塗《まみ》れた古い雑誌が差し込んである。  優生保護法指定の看板がかけられていたが、子供を産むよりは、堕《おろ》すために女たちが肩をすぼめ、人目を憚《はばか》るようにしてやって来そうな医院である。  刑事らは医院の建物を見たときから、よい感触を得ていた。  二人はかなり長い間待たされた。その間、患者は一人も入って来ない。  待たされているということは、見込みがあるということである。これまでの医院では二十八年前の記録と告げただけで、門前払いを食わされていた。  だいぶ待たされてから、その女性がカルテのファイルらしいものを手にして戻って来た。 「朝田織江さんという人の診療録がありましたよ。たぶんこの人だとおもいます」 「ありましたか」  棟居と笠原はおもわず上体を乗り出した。  守秘義務を案ずるまでもなく、彼女はカルテのファイルの、あるページを開いた。 「この方は当初、人工妊娠中絶に見えたのですが、すでに胎児が大きくなりすぎていて出産したのです。娩出日《べんしゆつび》は六月二十七日午後四時三十分、正常|分娩《ぶんべん》でしたね」  彼女はカルテを覗き込みながら言った。さすがにカルテそのものは見せてくれない。 「住所はどこになっていますか」 「中野区|上高田《かみたかだ》○丁目××番地、暁荘《あかつきそう》となっています」  それは件の社員寮の敷地に以前建っていたアパートである。 「配偶者の名前は記入されていますか」  棟居は祈るような気持ちで問うた。 「記入されています」  彼女がなんでもないことのように答えた。 「記入されていますか。その名前をおしえてください」  刑事の声はおもわず弾んだ。 「松井是明です」 「松井是明」  棟居と笠原は顔を見合わせた。  ついに藤枝の足跡を見つけた。松井は彼の旧姓である。 「どんな字を書きますか」 「どうぞご覧ください」  彼女はカルテの氏名欄を指し示した。  黄ばんだカルテには出産予定日、分娩日の項目の下に、本人および夫の氏名欄と家族構成の欄があった。そして夫の欄に松井是明と記入されていた。用字も一致している。 「夫も同行して来たのですか」 「古いことなのでよくおぼえていませんが、この方はご本人一人で来たようです」 「すると夫の名前は……」 「ご本人の申告に基づいて私が記入したものだとおもいます」 「奥さんが受け付けたのですか」  棟居は女性の素性に大方の見当をつけて問うた。 「患者の受け付けはずっと私が担当していますので」 「実はこの女性は出産の約一ヵ月後、嬰児をトラックの荷台に棄ててしまったのですが、ニュースで気がつきませんでしたか」 「赤ちゃんを棄てた! この人は分娩後すぐに退院してしまいました。まさか生後一ヵ月の赤ちゃんを棄てたとはおもいませんでした」  出産後直ちに退院したのでは、嬰児の印象は医院にも残っていないだろう。 「退院するとき、夫か家族が迎えに来ましたか」 「だれも迎えに来なかったようですけれど、よくおぼえていません」  なんといっても二十八年前の記憶である。あまり流行らない小さな産科医院だったので、記録も残っていたのであろう。  子供を産み落とすと間もなく、だれにも迎えられることなくひっそりと退院して行った彼女が、夫の名前として松井是明の名前を申告したところに、寂しい女心が表われている。  捜査本部はついに藤枝是明と朝田織江の接点を見つけた。  本部内には依然として両人の間に接点があったとしても、藤枝が織江を殺害した証拠にはつながらないという意見があった。  だが二十八年前の織江との関係および幸一を棄てた(藤枝、織江のどちらかが、あるいは両人が棄てたか不明)一件は、藤枝の現在の社会的地位に致命的な影響をあたえる可能性があるところから、藤枝は朝田織江殺しに対して無色の位置には立てないという意見が支配的になった。  朝田織江の診療録が残っていた産科医院では、当初、彼女が人工妊娠中絶をするために来院したと語っている。 [#改ページ]   廃物利用された自供      1 「落ち葉の秋は、抜け毛の季節でもある。毎朝、洗面台で抜けた毛の本数を数えてドキリとしているお父さんも多いだろう。S堂とK製鉄では、こうした抜け毛が髪が薄くなる危険信号なのかどうかや、養毛剤の効果を科学的に測定できる『毛髪成長度測定システム』を共同開発した。十九日から仙台市で開かれる『国際皮膚計測工学シンポジウム』で発表する。  約十万本ある人間の毛髪は一日〇・四、〇・五ミリ伸びる成長期と、全く伸びないで抜けるのを待つ休止期のサイクルを一つの毛穴で繰り返している。  通常五〜七年ある成長期が一年、一ヵ月と短くなり、細くなってくるのが髪の毛の赤信号。休止期は三ヵ月でほぼ一定。このため元気な毛髪では全体の一割しかない休止期の髪の割合が徐々に増え、最終的には毛が生えてこなくなる。  今までは、こうした髪の毛の状態をチェックするのに、頭髪の一部分約一平方センチメートルにある約二百本の毛を一本一本抜き、白い毛根部のある成長期の毛と、黒くプツンと切れた休止期の毛とを識別し、数えていた。  しかし、この検査だと被験者に精神的、肉体的苦痛が伴う上、数日置いて検査部分をきちんと特定するのが難しく熟練の鑑定者が必要だった。  今回、養毛剤のメーカーであるS堂と独自の画像処理技術を持つK製鉄が開発したのが、高性能小型コンピューターによるシステム。  従来の検査の半分の〇・五平方センチメートルの頭髪をそり、約百本の毛の位置を電子カメラなどでデジタル映像として記録。三、四日後に同じ部分を再撮影。二つの映像の差から一本一本の毛の伸びを数分で測定し、成長期・休止期の毛の割合を瞬時に割り出す。  このシステムだと、熟練者も必要なく、検査の手間や時間が大幅に軽減される。  シンポジウムで発表前に民友党政調会長藤枝是明氏がこの実験の検体となることになった。  藤枝氏も最近、抜け毛に悩まされており、養毛剤の効果は目下最大の関心の的である。  かねてより藤枝氏の毛髪に目をつけていたS堂が打診したところ、藤枝氏の承諾を得て同氏の頭髪を〇・五平方センチメートル剃り、実験の運びとなった。どの部分を剃るか、S堂と相談の上決めるという。  S堂では、将来は大きな理容室などで気軽に毛髪の状態が鑑定できるようにしたいと言っている」(新聞記事は一九九二年十月十八日、読売新聞を参考にした)  以上の記事が藤枝の任意出頭を検討中、新聞に報道された。この記事を読んだ中野署の捜査本部はS堂に一件の物質検査を依嘱した。  検査の結果、新宿署の捜査本部とも連絡会議を開き、検察とも相談して、藤枝の事務所のある麹町四丁目近くのホテルに場所を設けて、任意性を確保した上で藤枝に任意出頭を求め、事情聴取することに決定した。  議員には国会の会期中は逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、所属する議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならないという憲法で規定された不逮捕特権がある。  だが、逮捕ではなく、参考人としての任意出頭要請であれば、議員であろうとなんら憚《はばか》るところではない。  なにぶんにも政界の要人であるので、社会的影響を考えて慎重を期した。  殺人事件の捜査本部が大物政治家を参考人として事情聴取をすることがマスコミに漏れては騒ぎが拡大されるので、保秘に完璧を期した。      2  議員の生活様式は、国会が開会中と休会期によって異なってくる。通常国会は例年十二月中に召集され、五月中旬までつづく。  十二月下旬に召集された通常国会は、議席の指定と特別委員会の設置を決めた程度で越年した。  政府予算案の審議は一月下旬から始まる。政府側から蔵相が立って、提案理由を説明する。蔵相は大蔵官僚が作成した作文を読み上げるだけで、議員はこれを「お経読み」と呼んでいる。  お経読みの後、約一週間にわたって与野党による総括質問が行なわれる。この期間は政府側から首相以下全閣僚が出席し、総括質問のトップバッターは各党いずれも委員長、書記長、政審会長クラスの大物を代表選手に立てる。  この予算委総括質問はテレビで全国放送され、通常国会で野党がその存在価値を国民にアピールする最大の見せ場となる。  予算は原則として年度替わりの三月までに成立させなければならない。  今年の十一月には民友党の総裁選挙が行なわれる。現間室首相は三選を狙っているが、すでに落ち目を隠せない。支持率は下降の一途をたどり、党総裁としての威信と指導力が低下している。  政権党である民友党の総裁(党首)がそのまま日本の首相となる。民友党から総裁に選ばれた者が、国会の首相指名選挙において最大多数を占める民友党の票を集めて、自動的に首相に指名されるわけである。  従って国会の本会議の前に民友党の総裁選挙において首相が決定されてしまう。間室政権の老朽化に伴い、ポスト間室の動きが慌しくなっている。  一月四日、間室首相は恒例の伊勢《いせ》神宮参拝の後、西欧諸国歴訪の旅に発《た》った。べつにたいした外交上の用事があったわけではない。消息通は首相の諸外国歴訪を三選の意志表示を示すためのデモンストレーションと観測した。  外遊中の首相の行動は、華々しくマスコミ機関によって国民に報道される。毒にも薬にもならない共同コミュニケを発表していても、国民の目には首相が国際舞台で華々しく活躍しているように見える。一月下旬に再開される国会に備えての間室首相得意のパフォーマンスである。  だが事情通は、すでに死に体内閣とささやかれている間室の土俵際での悪あがきと陰口をささやいている。  藤枝は現在、民友党内第四位派閥であるが、下位の非主流派を糾合する能力を持っている。  現在は間室政権のシンパとして閣僚ポストを二つ押さえ、主流協力の立場をとっているが、ポスト間室の派閥再編成時に非主流派を糾合して本流に叛旗《はんき》を翻せば、政権も射程に入る。  間室にとっては藤枝は油断も隙もないダークホースである。間室としても藤枝に政調会長のポストをあたえ、「族」を束ねさせ厚く遇しているが、藤枝を信用しているわけではない。  二月二十七日、藤枝事務所に任意出頭の要請が行なわれた。藤枝事務所は驚愕した。  政権党の派閥の領袖が殺人事件の捜査本部から参考人として出頭を要請されたのは、前代未聞である。  政治家の絡む犯罪といえば、選挙違反や贈収賄容疑である。捜査本部としても初めての経験であるので慎重を期した。  中野署と新宿署の捜査本部は、藤枝是明を割り出した経過を再検討した。  昨年九月十一日夜、中野区の公園において朝田織江が殺害された。彼女を救おうとして帰宅途上の横渡刑事が殉職した。  朝田織江の遺品の中から二十八年前の棄児に関するほとんどすべての報道記事のスクラップが発見されるに及んで、織江と棄児の関係に初期捜査の方針が絞られた。  棄児に添えられていた蘇民将来から、棄児の親はその出処である長野県上田市になんらかの関わりを持っている人物と推測された。  棄児は世田谷区多摩川愛児園に預けられ、十歳のときに同園から逃亡して行方をくらました。  十八年後、同園の卒園生である桂由里子の死体が、新宿メトロホテルの地下駐車場に放置されていた車の中から発見され、同女の遺品の中に幸一の蘇民将来があったことから、幸一の行方が探された。  遊泳中、ジェットスキーに当て逃げされて半身不随になった横渡の娘瑞枝が、新進さし絵画家大江雅弘の写真を見て、当て逃げ犯人だと証言したことから、棟居が当て逃げ現場の熱海を調査して、ジェットスキーの若者から横渡瑞枝が当て逃げされた期日に近い八月下旬に、同じ場所で桂由里子に出会ったという証言を得た。  このことから棟居は、桂と大江を結びつけて考えた。  大江雅弘は政権党の重鎮藤枝是明の娘佳子と婚約した。  大江の経歴を探るうちに、その戸籍に疑惑が生じ、多摩川愛児園、大江が離郷後十歳まで住んでいた大田区六郷の小学校や酒田の本籍地を調査したところ、現在の大江雅弘は幸一が後年すり替わったものと判明した。  朝田織江および桂由里子殺しは、幸一の前身が暴露されることを恐れての犯行と推測されたが、朝田殺しについてはアリバイが成立し、桂殺しは否認を通した。  一方、蘇民将来の出処地上田を当たった結果、藤枝是明の出身地であることが判明した。  このことから、藤枝に着目した捜査本部によって、幸一の所持品の中にあった写真が、犯行現場近くのアパートで撮影されたことが確かめられ、そのアパートに二十八年前藤枝是明が住んでいた事実が判明した。  さらに犯行現場界隈の産科医院を調べて、藤枝(当時は松井姓)是明を夫とする朝田織江の出産記録が発見された。  ここに藤枝と朝田とのつながりが証明されたわけである。      3  予算案の審議中に捜査本部から任意出頭を求められた藤枝は、大物らしく動揺を隠して麹町のホテルに用意された一室へ出頭して来た。  藤枝に応対したのは那須警部である。これを棟居と牛尾が補佐する。 「先生にはご多忙の御身をご足労いただき、申し訳ありません」  那須は低姿勢に言った。  相手が政界の大物であるなしに関わりなく、那須の対応は常に同じである。ただ相手の身分を考慮して、任意性の確保に意を用いている。 「突然、警察から任意出頭の要請を受けて面食らっていますよ。私に協力できることがあれば、なんなりとお申しつけください」  藤枝は大物らしく余裕を見せてゆったりと構えている。 「お忙しいお身体ですから、なるべくお手間を取らせないようにいたします。実は昨年九月十一日、中野署管内で朝田織江さんという女性が殺害されたのですが、この女性についてお心当たりはありませんか」  那須が単刀直入に問うた。 「あさだおりえ……さあ、突然問われてもすぐにはおもいだせないが。毎日たくさんの人間に出会っているので、どこかで出会っているかもしれないが、その女性の遺品の中に私の名刺でもありましたかな」  藤枝は穏やかに問うた。さすがは海千山千の政治家だけあって、八方に逃げ口を残した巧妙な答えである。 「いや、先生の名刺があったわけではありませんが、先生とかなり密接な関わりをもっていたのではないかとおもわれる状況があるのです」 「私と密接な関わり? これはまた穏やかではありませんな。これでも若いころはけっこうウグイスを鳴かせた(艶聞《えんぶん》があった)こともありますが、いまはそんな暇もありません。その朝田織江という女性はどんな人ですか」 「ウグイスを鳴かせるとは、梅干婆さんが若いころモテたことを言うとおもっていましたが、私のおもいちがいでしたかな」  すかさず那須に切り返されたが、藤枝は平然として、 「梅干しおやじという意味ですよ」と応酬した。このあたりのやりとりはさすがである。 「朝田さんが亡くなったときは五十歳でしたが、新宿で『おりえ』というスナックを経営していました」 「そういうスナックには行ったことはありませんな」  藤枝の表情が茫漠《ぼうばく》と烟《けむ》っている。 「先生が行かれるような店ではありません。その朝田織江さんの遺品の中に、二十八年前、世田谷区内で発見された棄児の報道記事がすべて集められていたのです」 「ほう」 「その棄児は世田谷区長に幸一と名づけられ、区内の多摩川愛児園に預けられました」  藤枝は黙然として那須の言葉に耳を傾けているが、その顔が、そんなことが自分にどんな関係があるのかと言っている。 「幸一は十歳のとき多摩川愛児園から脱走してしまいましたが、その幸一が実は先生のお嬢さんとの婚約が破棄された大江雅弘氏であることが判明しました」 「ほう、それは意外なことを聞くものですな」  藤枝の表情が少し動いた。 「先生はそのことをご存じなかったので?」 「いまが初耳です。すると大江君は他人の戸籍を詐称していたということですか」 「そういうことになりますね。お嬢さんと結婚して婚姻届けを出せば、公文書偽造、行使などの罪になるかもしれませんが、ただ他人の名前を詐称しただけでは、なんの罪にもなりません」 「結婚と同時に犯罪者となったのでは、困りますな」 「先生は、そのことを理由に婚約を破棄されたのではないので」 「これは当人同士の問題で、親が口をはさむことではありません。婚約中、性格の合わないことがわかったので、両人が話し合いの上白紙に戻したのです」 「そうでしたか。我々はてっきり、大江氏こと幸一氏の戸籍詐称が原因と思いました」 「いま初めて報されてびっくりしていますよ」 「幸一氏が棄てられたとき、一緒に長野県上田市の蘇民将来が添えられていましてね。ところで、先生のご郷里は上田市でしたね」 「そうです。蘇民将来は上田国分寺で頒布されています。我が家にも大小の蘇民将来が厄除けに祀《まつ》ってありますよ」  藤枝の答えはあくまでも如才ない。 「幸一氏に添えられていたバッグの中に写真がありましてね。その写真が朝田織江さんが殺された公園の近くで撮影されたことが確かめられたのです」 「ほう」 「現在はある会社の社員寮になっていますが、社員寮が建てられる前は暁荘という古いアパートがあったそうです。先生はそのアパートにご記憶がありませんか」  那須の窪《くぼ》んだ目が次第に底光を増している。 「べつにそういう名前のアパートには心当たりはありませんが。煙草を喫ってもよろしいかな」  藤枝は断わって、煙草を取り出した。 「どうぞどうぞ」  那須がライターを取り出して火を点《つ》けてやった。藤枝はうまそうに一服したが、紫煙によって表情に煙幕を張ったようにも見えた。 「実はその暁荘で二十八年前、先生と朝田織江さんが同棲していたと言う人がいましてね」  那須以下三人の捜査員が藤枝の面に視線を集めた。 「ほう、これはまた若い日の意外な艶聞ですな。しかし私にはまったく身におぼえがありません」  藤枝は苦笑しながら紫煙を吐き出した。微妙な表情の変化は煙に阻まれて読み取れないが、顔色も変わらず、怒った様子もない。 「我々もまさかとおもいましてね。先生が朝田さんと同棲していたという噂もある暁荘の一室で、生まれて間もない幸一氏が撮影されているのです。ということは、幸一氏は先生と朝田さんとの間に生まれたという可能性も生じてきます」 「おやおや、それは大変だ。住んだこともないアパートで、身におぼえのない女性と同棲した上に、とうとう棄児の父親にされてしまった」  藤枝がとぼけた口調で言った。 「もし朝田さんが幸一氏の母親であれば、自力で産み落としたとは考えられません。きっと近くの産院か助産婦の許《もと》で産んだにちがいないと見当をつけて、その界隈の産院や助産婦をしらみつぶしに当たりました」  紫煙の背後の藤枝の顔色が少し改まったようである。 「そして、その界隈に数代、五十年近く開業している宮本《みやもと》産科医院という古い医院で、朝田織江さんの出産記録を発見しました」  藤枝の指先がかすかに震えて、長くなった灰がぽろりと崩れ落ちた。 「カルテの保存機関は普通五年だそうですが、宮本産科医院では開業以来すべてのカルテを保存していました。そして彼女の診療録の夫の氏名欄に先生、あなたの名前が記入されておりましたよ」 「そんな馬鹿な」  藤枝の表情が強張《こわば》り、声が震えた。 「松井是明、先生の旧姓ですね」 「私にはまったくおぼえがない。身におぼえのないことだよ。迷惑だね」 「宮本産科医院では、朝田さんの申告に基づいて診療録にその名前を記入したそうです」 「だったら、その朝田織江という人がいいかげんなことを告げたんだろう。あるいは同姓かもしれない」  藤枝は早くも立ち直っていた。 「我々もその可能性は考えました。ところが朝田織江さんは最初、宮本産科医院を人工妊娠中絶をしてもらうために訪れたのです。中絶をするためには配偶者の同意がいります。その同意書に配偶者の署名が残されていました。ここにその同意書の控えを持ってきておりますが、筆跡鑑定をすれば先生ではないことが明らかになるとおもいます」  那須は言って、藤枝の前に同意書のコピーを差し出した。同意書には、 「優生保護法第一四条第四号に該当するので、第一四条による優生手術人工妊娠中絶を行なうことに同意します。昭和××年二月二五日  本人朝田織江  配偶者松井是明  宮本産科医院担当医殿」  と書かれた文言が読める。  松井是明、わずか四文字であるが、朝田織江の筆跡とは明らかにちがう。松井自身によって書かれたことがうかがわれる。  同法第一四条第四号は、妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母胎の健康を著しく害する虞《おそれ》のあるものと規定している。  人工中絶のほとんどはこの条号によって行なわれる。 「私にはまったく身におぼえがない。迷惑極まる」  藤枝の言葉には余裕がなくなっている。政界の要人としての大物ぶった態度が、余裕を失い、いたずらに虚勢を張っているように見える。 「先生も身におぼえのない疑いをかけられては迷惑でしょう。この際、疑いを晴らすためにも筆跡鑑定をされてはいかがでしょうか」  那須が一気に詰め寄った。 「その必要はない」  藤枝が言った。  藤枝は優生保護法改正の旗を担いでいる。優生保護法によって特殊な場合に人工中絶が認められることになっているが、中絶を殺人と見なす宗教団体は「特殊な場合」を厳しく狭く解釈して、中絶をしにくくさせようと運動している。  藤枝はこの宗教団体を支持団体の一つにしているので、やむを得ず改正の旗を担いでいる。  その彼が人工妊娠中絶の同意書に配偶者としてサインをしている事実がわかれば、支持者だけでなく、彼の政治家としての信用は失墜する。ましてや同意書にサインした、朝田織江の配偶者である事実を認めるのは幸一の父親であることを認め、彼を棄てた事実を自供することにつながる。  炎天下、生まれて間もない嬰児をトラックの荷台に棄てた鬼のような親として名乗り出ることは、藤枝の政治生命に止《とど》めを刺すであろう。 「先生が筆跡鑑定を拒否されると、困ったお立場に立たれるとおもいます」  那須が無表情に告げた。 「なぜかね。そのような無礼な要請に答える必要を認めない。強制はできないはずだぞ」  藤枝の言葉遣いが崩れてきた。 「決して強制はいたしません。しかし先生は我々が大江雅弘氏こと幸一氏をマークした直後、彼とお嬢さんとの婚約を破棄されました。我々としては幸一氏の素性が原因であると考えざるを得ません。また二十八年前、先生が朝田さんが殺された公園近くの暁荘に彼女と同棲していたという近所の人の証言も得ております。宮本産科医院の診療録および人工妊娠中絶同意書に記入されていた先生のお名前は、これらの資料を踏まえてみると、偶然や、同姓同名の別人とは考えにくいのです。先生が身におぼえがなければ、この際、筆跡鑑定を受けられてあらぬ疑いを晴らしてはいかがですか」  那須はひたひたと迫った。 「大江雅弘君との婚約を破棄したのは、本人同士の話し合いの上だと言っているではないか。婚約破棄は戸籍の詐称や朝田織江とやらとはなんの関係もない。こともあろうに私を見も知らぬ女の妊娠パートナーに仕立てたり、棄児の親にするとは無礼ではないか」  藤枝は怒色を露骨に浮かべた。 「先生のご協力をいただけぬとあれば、やむを得ません。先生の筆跡は容易に入手できますので。我々としては先生のお立場を考え、ご了解の上で筆跡鑑定をいたしたかったのですが、やむを得ません」 「たった四文字では判定の信憑性は薄い」 「四文字でも充分に鑑定できるそうです。しかし、それだけでは不充分とあれば、先生が朝田さんの配偶者であるかどうかを判定する資料がもう一つあります」 「もう一つ資料があると?」  怒色を浮かべた藤枝の面に不安の影が射した。 「幸一氏が棄てられた際、彼の身体を包んでいたバスタオルに二本の毛髪が付着していました。朝田さんの毛髪と比較検査をしたところ、彼女の毛髪ではありませんでした。  実は朝田さんのほかにもう一人被害者がおります。朝田さんが殺されたとき、彼女を救おうとして駆けつけた我々の仲間の横渡という刑事が、犯人に刺されて殉職しました。  横渡君の遺体の指先に髪の毛が絡まっていましてね、本人や朝田さんの毛髪ではありませんでした。犯人と格闘となった際、犯人の毛髪が横渡君の指先に絡まって残ったのだと考えられます。  ところで先生はS堂とK製鉄で共同開発した毛髪成長度のハイテク診断の実験モデルになられたそうですね」  突然話題を転じた那須に、藤枝はそのことがどんな関係があると問うように、那須の顔色を探った。 「その報道記事を読みましてね。S堂に依頼して、幸一氏のタオルに付着していた毛髪、および横渡刑事の指先に絡まっていた毛髪と比較検査をしてもらったのです。もしかすると二十八年前の先生の毛かもしれないので、その変化を測定してもらいたいと依嘱したところ、S堂は喜んで検査をしてくれましたよ。その結果、毛質はだいぶ衰えているが、塩素や色素の量、その他毛髪を構成している元素の含有成分、色や髄質などから同一人物の頭髪と識別されました。お望みとあればDNA鑑定を行なってもよろしいのですよ」  那須の言葉に、藤枝の顔から見る見る血の気が引いていった。  捜査本部はS堂から藤枝の頭毛を押収、あるいは領置して検査したわけではない。捜査本部が保存している頭毛とS堂が実験資料として保管していた藤枝の頭毛との比較対照検査を依嘱しただけである。 「S堂はK製鉄と共同開発した毛髪のハイテク診断に自信をもっており、対照検査の結果に絶対に誤りがないと太鼓判を押しましたよ」  那須のだめ押しの言葉が止めとなった。  藤枝は犯行を自供した。 「朝田織江を殺害したのは私だ。彼女は二十八年前、私と同棲していて幸一を産んだ。妊娠に気づいたときはすでに手遅れで、中絶が不可能になっていた。  私は彼女と結婚する意志もなく、子供を持つことなど論外だった。女が身辺にいるとなにかと都合がよいので同棲していただけで、彼女には一かけらの愛情もなかった。  単に性欲の処理道具としてしか扱っていなかった織江が子供を産んで、私は困惑した。将来に野心を持っていた私にとって、子供は私の可能性を束縛する呪うべき邪魔者でしかなかった。  逃げても、後で追いかけて来られたらもっと面倒だ。  織江を説得して私が子供を棄てた。せめてものお守りとして郷里の蘇民将来を添えたのが、後々の手がかりとなってしまった。写真がなぜ一緒にバッグに入っていたのか、いまとなってはよくおぼえていない。たぶん織江が後日の証拠にと入れたものだろう。  子供が多摩川愛児園に預けられて、幸一と名づけられたことは知らなかった。その幸一が大江雅弘となって佳子の婚約者として私の前に現われたのは、恐ろしい因縁だ。  二十数年後、織江は突然私に連絡してきて、金を要求した。ある雑誌に載った私と家族|団欒《だんらん》のグラビアを見て、懐かしくなって私に連絡してきたと言った。  自分が経営しているスナックが行きづまったので金を貸してくれと言った。当座は織江の要求に応えてやったが、図に乗ってきて、要求が頻繁になり、金額が大きくなってきた。  最初は殊勝だった織江が次第に横暴になってきた。同じ子でも、あなたと奥さんの間に生まれた娘は、両親と世間からチヤホヤされて幸せを独占しているのに、私とあなたの間に生まれた子は棄てられてしまった。  あなたが生まれて間もない子を棄てたと世間が知ったら、あなたの信用は丸潰れで、次の選挙に確実に落ちるでしょうねと厭味《いやみ》を言うようになった。棄児の一件は、織江に握られた終生の弱味で、時効はなかった。  佳子の幸せと棄てられた我が子を比べて、その怨みを私の家庭や社会的地位に向ける嫉妬に変えて振り向けてきた。  彼女は、あなたの今日あるはすべて私のおかげで、私が一言棄児の一件をしゃべれば、あなたの地位も家庭もすべて水を浴びた砂の城のように崩れてしまうだろうと言った。そうなりたくなかったら、妻と別れて私と結婚しろと迫ってきた。いまさらそんなことはできる相談ではない。  二十数年、遠方から私を見つめていた織江が、スナックの経営に行きづまって、嫉妬の鬼と化してしまったのだ。  私は織江を殺す以外に、自分と自分が得たすべてのものを守る手立てがないことを悟った。私はすでに私一人の存在ではなかった。織江のためにそれを失うことはできない。折から娘と大江との間に縁談が進行していた。織江がそれを知ったら、火に油を注ぐようなものだ。  そして昨年の九月十一日夜、あの公園に最後の話し合いをすると偽って織江を誘い出した。あの公園には同棲していたころ二人でよく遊びに行ったので、織江はなんの疑いも持たずに従いて来た。  だがおもわぬ邪魔が入った。織江を抱き寄せて背中越しにナイフを突き立てたとき、織江があげた悲鳴を聞きつけて人が駆けつけて来た。  私は動転した。ここで捕まってはすべてが水の泡になる。織江の死も無駄にしてしまう。私は無我夢中でナイフを振りまわし、現場から逃走した。  後になって、駆けつけて来た人が刑事で、私のナイフに胸を刺されて死んだことを知った。私には彼を殺した意識はまったくなかった。格闘中、振りまわしたナイフが不幸にも相手の急所を刺してしまったのだ。  事件後、捜査の動向を見守っていた。捜査本部は棄児の行方を追っているらしいと知って、私は不安に駆られた。私の棄てた赤ん坊が大江雅弘の戸籍を偽り、佳子の婚約者となっていた事実を知ったときの私の驚愕は救い難い。これを天の配剤というのか。私の実子たちが結婚しようとしていたのだ。  二十八年前、赤ん坊を棄てた報いを、こんな形で受けようとはおもってもいなかった。私はそれを知ると同時に、二人の婚約を破棄させた。そしてそのことが捜査本部の疑惑を招いてしまったらしい。  だがどんなに危険な疑惑を招くとしても、私の実子である兄妹を結婚させるわけにはいかなかった。  私は強引に婚約を破棄させた。幸いにも二人はまだプラトニックの関係に止《とど》まっていたようだった。彼らはたがいに兄妹であることを知らぬまま婚約を破棄した。  傷は最小限に止めることができた」 「桂由里子を殺したのもあなたの仕業ですか」  那須はなおも問うた。 「私が彼女を殺した」 「なぜ彼女を殺したのですか」 「桂由里子は私が秘かに世話をしていた。政治家にとって最も頭を悩ます問題は、女性関係だ。彼女とは二年前からつき合っていたが、安全な恋人だった。朝田織江を殺した後、猛烈に由里子に会いたくなった。生まれて初めての殺人で、ささくれ立った神経を鎮めてくれる者は、彼女だけだった。  犯行直後の私の異常な姿に、由里子は驚いたらしいが、そのときはなにも聞かなかった。  翌日事件が報道されて、彼女は私が犯人であることを悟ったらしい。それまで安全でおとなしい恋人だった由里子が、それ以後恐ろしい恐喝者に変貌した。私は一人の恐喝者を始末すると同時に、新たな恐喝者を招き寄せてしまった。  由里子は私に銀座に店を出してくれと迫った。店を出すこと自体は難しくない。だが彼女の要求が際限もなくエスカレートするのは目に見えていた。  由里子は私の人脈を当てにして銀座に店を出させようとしていた。そんなことをすれば、早晩、彼女と私の関係は公になってしまう。  おもい余って私はついに彼女を殺すことを決意した。朝田織江のときで懲りていたので、今度は車の中で殺害した。死体は様子を知っている新宿メトロホテルの地下駐車場に棄てた。あそこは都会の盲点で、係員の印象にも残らず、逃げ口は八方に開いている。  桂由里子が一時期、幸一と同じ養護施設に預けられていたとは知らなかった。そんなところにも因縁が働いていたようにおもう」  藤枝是明の自供によって事件はすべて解決した。  政権党幹部の連続殺人は前代未聞である。  現在は国会の会期中であり、議員の不逮捕特権が採用される。捜査本部は社会的影響の大きいことを考慮して、国会の会期が終るまでマスコミ機関には伏せることにした。  また逮捕状を請求しても、裁判官が逮捕の必要がないと認めれば、請求を却下する。  逮捕の必要性の判断基準としては、逃亡と罪証を隠滅する虞である。議員が逃亡する虞はまずないので、罪証を隠滅する虞が重大な判断基準となる。  藤枝が国会会期が明けるまでに証拠資料を隠滅する虞は充分にある。捜査官の前での証言を覆したところで、偽証罪には該《あた》らない。警察官や検事の取調べに際して任意の供述をした者が、公判において前の供述を翻すことはよくあるケースである。  それまでに藤枝の自供の充分な裏づけ捜査をしておく必要がある。  検事は事件の重大性に鑑《かんが》み、また藤枝が公判期日において前の供述を翻す虞があると判断して刑事訴訟法第二二七条による公判期日前の証人尋問を請求することに決定した。  この手つづきを取っておけば、公判期日で異なる供述をしても、それに対抗することができる。      4  捜査本部はまだ継続していたが、藤枝の供述後、中野署と新宿署の捜査本部の関係者が非公式に集まって、ささやかな打ち上げを行なった。 「これで藤枝是明の政治生命も終りだな」  盃《さかずき》を傾けながら牛尾がつぶやいた。 「優生保護法改正の旗手が若いころ同棲していた女を孕《はら》ませ、人工中絶を図った上に、手遅れとなってやむを得ず産んだ子を棄てたとあっては、救いがありませんね」  青柳が言った。 「それにしても、藤枝が朝田織江と桂由里子と横渡さんの三人を連続して殺害していたとは驚きました」  笠原が会話に加わってきた。 「私は藤枝の自供を全面的には信じていません」  棟居が言った。 「すると、藤枝が嘘をついているとでも」  視線が棟居に集まった。 「朝田殺しについては信憑性があると考えられます。しかし桂由里子殺しは自供がうまくできすぎているとはおもいませんか」  棟居が一同の顔を見まわした。牛尾がゆっくりと口を開いた。 「実は私もそのことを考えていました」  一同の視線が棟居から牛尾へ移った。 「藤枝は桂由里子と密かに交際していたということですが、由里子の身辺に藤枝の影は認められません」 「それは政治家の場合、愛人の存在が露見しては女性票を失うので、秘匿していたからではありませんか」  笠原が言った。 「プライバシーの秘匿は当然です。しかし藤枝が囲っていた愛人が多摩川愛児園の卒園生で、藤枝の実子である幸一と一時期同園で一緒だったというような偶然があるでしょうか。この辺にどうも引っかかるのです」 「すると、どういうことになるのです」  青柳が問うた。 「藤枝は幸一を庇《かば》っているんじゃないのかな」  牛尾の言葉に一座がざわめいた。 「私の憶測にすぎないが、朝田織江が殺されたのは九月十一日、桂由里子が殺されたのは十月十九日、この間わずか一ヵ月余、その間に安全な愛人が恐るべき恐喝者に変身したというわけだ。桂を殺したのが早すぎる。藤枝はもうどうせ駄目だ。だったら幸一の罪までも引き受けてやろうという気になったとしてもおかしくないとおもうが」 「しかし、幸一が犯人と確認されたわけではありません」  容疑性は極めて濃厚であるが、決め手はない。 「確認はされていないが、幸一には動機がある。彼が犯人である確率は極めて高い。同じような動機で朝田織江を殺した藤枝にしてみれば、幸一の動機がわかったのではないだろうか」 「どうして幸一を庇ったのですか。藤枝は幸一を棄て、その母親を殺したのですよ」 「それがせめてもの藤枝の償いだったのではないでしょうか。幸一を棄てたことが、藤枝の生涯の心の重荷になっていたのでしょう。その幸一があろうことか娘の婚約者として現われた。彼はめぐる因果の恐ろしさに震えおののいたことでしょう。どうせ自分は得たもののすべてを失ってしまう。もはや再起はできない。そうとなれば、せめて生まれ落ちると間もなく親の手で棄てた幸一の犯した罪までも引き受けてやろう。自分は終りだが、幸一には将来がある。一種の廃物利用です。幸一を棄てるときは死んでもかまわないという意識で棄てた藤枝が、いまごろになって親心を取り戻したとは噴飯ものですが、廃物となった自分を利用して幸一を救い、彼を棄てた罪を償おうとしたのではないでしょうか。幸一に犯した罪を償わせずに、彼を庇うことによって自分の古い罪を償おうとする親馬鹿の見本のようですが、そんな胡散《うさん》くさいものが藤枝の自供に感じられます」  棟居が牛尾の言葉を引き継いだ。 「それでは桂由里子殺しはまだ解決されていませんね」  青柳が愕然とした口調で言った。 「国会の会期が満了するまで、まだ時間はあります。その間に藤枝の自供の矛盾を衝いて、幸一を追いつめるのです。そんな廃物利用をさせてたまるものか」  棟居が言った。 [#改ページ]   終 章  藤枝是明の自供後、棟居と牛尾は連れ立って横渡家を訪問した。  横渡未亡人に藤枝が自供したことを告げ、横渡の位牌に焼香した。 「横さん、まあこんなところで勘弁してくれないか」  棟居はあらためて霊前に報告した。この後幸一の攻略が待っている。棟居としてはひとまず中間報告の意識である。横渡の遺影が心なしほほえんだように見えた。 「お嬢さんはその後いかがですか」  仏壇の前から客間へ引き返した二人は、茶菓を運んで来た横渡未亡人に問うた。 「このごろ絵を描いています」  未亡人が答えた。 「絵を」 「それが、大江雅弘の絵に刺激を受けたらしいのです。挿絵画家になるのだと言って、毎日のように描いております」 「ほう、挿絵画家にね」  棟居と牛尾は顔を見合わせた。  大江雅弘の絵に刺激を受けたとは皮肉である。 「将来、大江雅弘をしのぐ画家になって、復讐するのだと言っています」 「きっとお嬢さんは素晴らしい画家になりますよ」  牛尾が言った。  横渡家を辞去しての帰途、棟居は半ば自らに問うように言った。 「復讐か。これで果たして横さんの仇《あだ》を討ったことになるのでしょうか」 「横さん、きっと喜んでいますよ。まだ犯人の息の根を完全に止めてはいませんが、とにかく犯人を追いつめたのです。娘が婚約した相手が二十八年前、自分が棄てた実子とわかったときは、藤枝は充分罪の報いを受けたとおもったでしょう。そして婚約を破棄したことが捜査陣の疑いを招いてしまった。彼は権力に驕《おご》って、我々の力を甘く見ていたのです」 「藤枝がもし権力に連なっていなければ、捜査方針もリークされず、従って大江雅弘の正体も知らず、大江と娘は結婚してしまったでしょう。実の息子と娘が結婚して生まれた子供を孫として慈しんでいたかもしれない。その方が凄まじい復讐となったかもしれませんね」 「彼の犯罪が露見しなければ、政権も射程に入れ、いずれは総理大臣になったかもしれません。あのような人物に日本の舵取《かじと》りを任せることをおもうと、背筋が冷えますね。横さんの死はそれを未然に防いだことになります。もって瞑《めい》すべきでしょう」 「しかし、あの母子は夫と父親を永遠に失ってしまいました」  と言ってから、棟居ははっとした。  牛尾自身が我が子を犯罪の犠牲者として永遠に失った(拙作『駅』)ことにおもい当たったのである。  牛尾の社会悪の追及は、息子の復讐のためであろう。だが彼の復讐は永久に果たされることがない。たとえ犯人を仕止めても、息子は生き返ってこないからである。  事情は棟居も同じである。だが牛尾の表情はそんな私怨を含んでいるとはおもえない穏やかさを保っている。棟居が牛尾の心境に辿《たど》り着くには歳月が不足していた。いや不足しているものは歳月ではなく、悲しみを分け合う人間かもしれない。牛尾には少なくとも妻が残されている。棟居にはだれもいない。  帰途の電車で、棟居は何組かの幸せそうな家族連れを見た。  すっかり忘れていたが、今日は祝日であった。きっと遊園地か行楽地へ一家して出かけた帰途であろう。  いずれも一日の行楽に疲れた表情をしているが、日常の幸せの中にどっぷりと浸っている姿であった。  日常の幸せというものは、それがある間はあまり意識しない。失われた後、初めてそれがどんなに貴重であったかを悟るのである。  一時一時が宝石のように貴重であった幸福の日々、それをなんと乱費してしまったことか、それが失われた後、その一かけらでもあればどんなにか救われるであろう。  妻子と共にある幸せ、彼らが存在している間は、その幸せは洪水のように溢れていた。  洪水の後、ただの一滴もあたえられない残酷な旱魃《かんばつ》、棟居にはそれが永久につづくのである。  自分にはもうあの幸せは戻ってこない。 「春枝、桜」  ふとつぶやいたとき、棟居の視野が滲《にじ》んだ。 「そんなことでどうするのよ」  どこからか妻の声が聞こえたような気がした。 「パパァー」  桜の呼ぶ声が耳許《みみもと》でした。  はっと我に返った棟居の前で、生きていれば桜ぐらいの年齢の女の子が、下車駅が近づいたことを、座席で居眠りしている父親に告げていた。 本書は一九九三年一月、カドカワノベルズとして刊行されました。 角川文庫『棟居刑事の復讐』平成8年9月25日初版発行               平成14年10月20日11版発行