森 敦 月山・鳥海山 目 次  月  山   月  山   天  沼  鳥 海 山   初 真 桑   鴎   光  陰   か て の 花   天上の眺め [#改ページ]   月  山 未だ生を知らず 焉ぞ死を知らん     月  山  ながく庄内平野を転々としながらも、わたしはその裏ともいうべき肘折《ひじおり》の渓谷にわけ入るまで、月山《がつさん》がなぜ月《つき》の山と呼ばれるかを知りませんでした。そのときは、折からの豪雪で、危く行き倒れになるところを助けられ、からくも目ざす渓谷に辿りついたのですが、彼方に白く輝くまどかな山があり、この世ならぬ月の出を目《ま》のあたりにしたようで、かえってこれがあの月山だとは気さえつかずにいたのです。しかも、この渓谷がすでに月山であるのに、月山がなお彼方に月のように見えるのを不思議に思ったばかりでありません。これからも月山は、渓谷の彼方につねにまどかな姿を見せ、いつとはなくまどかに拡がる雪のスロープに導くと言うのをほとんど夢心地で聞いたのです。  それというのも、庄内平野を見おろして日本海の気流を受けて立つ月山からは、思いも及ばぬ姿だったからでしょう。その月山は、遥かな庄内平野の北限に、富士に似た山裾を海に曳く鳥海山《ちようかいざん》と対峙して、右に朝日連峰を覗かせながら金峰山《きんぽうざん》を侍らせ、左に鳥海山へと延びる山々を連亙させて、臥した牛の背のように悠揚として空に曳くながい稜線から、雪崩れるごとくその山腹を強く平野へと落としている。すなわち、月山は月山と呼ばれる|ゆえん《ヽヽヽ》を知ろうとする者にはその本然《ほんねん》の姿を見せず、本然の姿を見ようとする者には月山と呼ばれる|ゆえん《ヽヽヽ》を語ろうとしないのです。月山が、古来、死者の行くあの世の山とされていたのも、死こそはわたしたちにとってまさに|ある《ヽヽ》べき唯一のものでありながら、そのいかなるものかを覗わせようとせず、ひとたび覗えば語ることを許さぬ、死の|たくらみ《ヽヽヽヽ》めいたものを感じさせるためかもしれません。  じじつ、月山はこの眺めからまたの名を臥牛山《がぎゆうざん》と呼び、臥した牛の北に向けて垂れた首を羽黒山《はぐろさん》、その背にあたる頂を特に月山、尻に至って太ももと腹の間の|陰 所《かくしどころ》とみられるあたりを湯殿山《ゆどのさん》といい、これを出羽三山と称するのです。出羽三山と聞けば、そうした三つの山があると思っている向きもあるようだが、もっとも秘奥な奥の院とされる湯殿山のごときは、遠く望むと山があるかに見えながら、頂に近い大渓谷で山ではない。月山を死者の行くあの世の山として、それらをそれぞれ弥陀三尊の座になぞらえたので、三山といっても月山ただ一つの山の謂いなのです。  標高一九八〇メートル。鳥海山のそれには僅かに及ばないが、東北有数の高山で、豊沃な庄内平野を生みなす河川は、ほとんどこの月山から出ているといっても過言ではありません。赤川《あかがわ》は言うに及ばず、最上川《もがみがわ》もあの肘折の渓谷の流れを入れて大をなしているのです。してみれば、庄内平野がこの世の栄えをみることができるのも、まさに死者の行くあの世の山、月山の|めぐみ《ヽヽヽ》によると言わねばならない。このようにして、出羽三山、ことに湯殿への信仰はひとり庄内平野にとどまらず、あまねくこの国に行き渡ったと言えます。  いま、その赤川をさかのぼって落合《おちあい》で大鳥川《おおとりがわ》と別れると、赤川は名川《ながわ》と呼ばれてようやく渓谷の様相を帯びて来る。この名川をさかのぼって大網《おおあみ》に至り七五三掛《しめかけ》の渓谷と別れれば、名川は更に梵字川《ぼんじがわ》と呼びかえられ、やがては湯殿の渓谷へとなって行くのですが、いつとなくあたりは広大な|山ふところ《ヽヽヽヽヽ》の観を呈しはじめるのです。|山ふところ《ヽヽヽヽヽ》といっても、ただ周囲が山である盆地のようなものではありません。そこも山また山のいわばひとつの天地をなし、大網には大日坊《だいにちぼう》、七五三掛には注連寺《ちゆうれんじ》と称する大きな寺があって、湯殿を背景とする真言の霊域とされ、古くから羽黒の天台とその栄えを競うところとなっていました。  しかし、ただ見れば月山は牛の背に似たながい稜線から、雪崩れるように山腹を平野へと落としている。麓には丘陵が連なっているが、この広大な|山ふところ《ヽヽヽヽヽ》をなす前山《まえやま》というにはあまりに低く、そんなところがあるとも思えません。しかし、村や町には湯殿講でもあるらしく、農閑期には観光バスを仕立てて湯殿詣りに行くようです。しかも、そんな|ばさま《ヽヽヽ》のひとりに、わたしの聞きたいところをなんと尋ねても、 「ンだの」  と、頷くだけなので、|そうだ《ヽヽヽ》というのか、|そうでない《ヽヽヽヽヽ》というのかわからないのです。ようやくわかってみると、行きも帰りもひどい「霧で、霧で……」なにも見えず、|ばさま《ヽヽヽ》もわたしと同様、他人《ひと》から聞いたことで受け答えをしていたのであります。  それだけに、わたしには幻とも思えるこの|山ふところ《ヽヽヽヽヽ》が、蜃気楼のように浮かんで来ることがありました。といって、わたしがこの|山ふところ《ヽヽヽヽヽ》、七五三掛の注連寺に歳月《としつき》を過ごすようになったのは、そのためばかりではなかったのです。わたしがその寺に行くと言うと、霧でなにも見て来なかったはずの|ばさま《ヽヽヽ》まで薄笑いを浮かべるのです。いや、注連寺はいまは鶴岡市のある寺の宰領するところとなっていて、たまたまその方丈に紹介されたのが縁になったのですが、その方丈すらわたしの願いを許しながらも、なんだか薄っすらと笑ったのです。もの好きにもほどがある。顔はまァそんな|ふう《ヽヽ》でも、わたしは内心、そこまで|落ちた《ヽヽヽ》のかと思われているような、蔑みに似たものを覚えさせられずにはいなかったのです。  あるいは、わたしの思い過ごしもあったかもしれません。しかし、他人《ひと》は意外に|見ている《ヽヽヽヽ》ものだと、こちらも薄笑いをするより仕方のないものがあったのです。当時、わたしにはあるセンターの実現を意図して、なにかと言って寄こす友人がありました。いつも意図ばかり聞かされていたので期待などしていなかったのですが、どこかでまだわたしを期待してくれているという喜びで、友人にはそれなりの激励をしていたのです。それがいつとはなく返信も跡絶えてしまいました。跡絶えてみるとそれがわたしへの唯一の訪れであり、友人への激励がじつはなすこともない転々の日々を耐えさせていた、わたし自身への激励であったことを知らずにはいられなくなったのです。すでに嚢中も乏しく、カネのはいるなんの|あて《ヽヽ》もない。いずれ去らねばならぬのなら、そんな寺にもいてみたいという気がして来たのはむろんですが、前途に目算もなく、そんなところならいくらかは食いつなげるだろうとも思ったのです。  教えられたように鶴岡市からバスに乗りましたが、次々に過ぎる庄内平野のおなじような町や村に倦んだのでしょう。落合の鉄橋を渡るころから|うとうと《ヽヽヽヽ》とし、ときにイタヤの葉の繁みから深い渓流を見たような気がするものの、つい眠ってしまって大網に着いたのも知らずにいたのです。いつからともわからなかったが、とにかく山あいの渓谷にはいって見えなくなっていた月山が、また山の向こうに見える。バス停のあたりには農協の売店があり、閑散な屋並みの切れるやや高みに大日坊らしい寺がある。さすがに、山の気に触れた思いはするのですが、わたしの想像していたような霊域といった感じもしないのです。それどころか、いつかここを見たような気がするのは、よくある山の村の眺めだったからかもしれません。  路傍には、注連寺もすぐそこにあるというように、角材の|道しるべ《ヽヽヽヽ》が高々と建っていました。バス道から別れると、ここにも七五三掛の渓谷にはいる渓谷があり、谷底にはぬかって難渋している牛車が見えるのです。しかし、それから先は山奥にしては割といい新道ができている。ただ、谷底に降りて岩に掛けた板を渡ったときは、みな足が速いのか気がつくとだれもいないのです。もっとも、ひとり深い渓谷を見おろす新道を歩きながら、バスから夢うつつに見た渓流を思いだしたり、振り返っては杉林の向こうの月山を眺めたりしていたせいかもしれません。  それにしても、|道しるべ《ヽヽヽヽ》は思いだしたように建っていて、この新道に間違いはないらしいが、だんだん小さな棒グイみたいなものになって来て、ついにそんなものさえなくなってしまいました。山あいの向こうからは、送電線の鉄柱の小さく見える山並みが迫って来、新道も尽きてしまいそうな気がするのです。じじつ、注連寺は新道の尽きたところにあったので、足も疲れ不安にかられていると、ようやく山あいから漏れる夕日に、銅葺きの屋根を輝かしている大きな寺が見えて来ました。しかも、山は暮れるにはやく、そうして寺がもうそこにあるところに来ながらも、辿りついたときは境内もすでに暗く、花がつくられているらしいのに、かすかな香りばかりが闇に漂っていたのです。  あくる朝起きてみると、境内も広く、片隅につくられた花畑は、寺の|じさま《ヽヽヽ》が手塩にかけたものらしく、種のあるままに蒔かれたようで雑然といろんな花が咲いて、花から花へと地蜂がぶら下がるようにして渡っている。ここかと思った寺の|じさま《ヽヽヽ》の姿はありません。本堂は去年の雪囲いの木組みが解かれもせず、そのままになっていて普請場のようですが、勾欄つきの回廊のある堂々たるもので、それにつづいてこちらにある二階建ての庫裡も、トタン屋根ながら驚くほど大きいのです。  七五三掛の部落は、寺下から渓谷にかけてあるのでしょう。境内の端に並んだ杉の巨木の根に近く、もうそれらしい萱屋根の棟が覗いている。低くはあるがこうした寺に相応しい広い正面の石段から、ゴロタ石の道を降りるとやはり部落で、木々の繁みの下におなじような萱屋根があります。これが更に降りると二階、三階の合掌づくりの家で、高々と下枝《したえだ》をおろした古木の梢のあたりで拡げた枝葉に、いずれもその萱屋根をおおわれているのです。 「糞|ずっこ《ヽヽヽ》(じじい)!」  突然、子供の声がして、かすかに「糞|ずっこ《ヽヽヽ》……」と木霊《こだま》して来るのが聞こえる。モンペもはかぬ頭の大きな小さな野郎ッ子が、そう言ってなにか拾っては投げているので、ゴロタ石の礫《つぶて》かと思うと、礫のようなリンゴの実であります。してみれば、高い萱屋根をおおわんばかりの古木は、驚いたことにリンゴなのです。  子供たちはよく争って、おなじ言葉で相手の|じさま《ヽヽヽ》、|ばさま《ヽヽヽ》の悪口を言い、声が大きければ言い負かしたと思ったりしているものです。この萱屋根の家にもだれもいないようだから、この野郎ッ子も置き去りにされて、ウップンを晴らしていたのでしょう。しかも、向こうにも野郎ッ子がいるように、叫べば木霊が返って来る。いまはもうそんな野郎ッ子と言い争う気になって、ひとり遊びをしているのかもしれません。 「糞|ばっこ《ヽヽヽ》(ばば)!」  更に拾って手を振り上げて、投げようとするのを、 「小さな実だね」  笑ってわたしが声をかけると、野郎ッ子は急に黙って、萱屋根の家にはいってしまいました。それがどうやらただの人見知りと違っている。あらかじめ、教え込まれていたようなところがあって、わたしにはふと思いあたるものがありました。部落のゴロタ石の道を降りかけたとき、背負《しよ》った肥樽をタブタブいわせながら男がひとり上がって来たのです。道を避けると、男は荷を背負った者がよくするように、「ああッ」と顎をしゃくってする声の挨拶をして過ぎたのですが、なんとなく見返ると、男も足はとめずタブタブいわせながらも、肩越しにウサン臭げにこちらを見ている。いや、気どられまいとして顔をそむけたそれだけのことに、「これがあれか……」とでも頷いていたかにとれるのです。といって、他所者《よそもの》へのたんなる軽蔑とも違っている。軽蔑もあるにしても、なにか恐れにも似たものを抱いていたようにすら感じられるのです。  わたしはあの雪深い肘折への道でも、人に会わなかったのではありません。そんなとき、こちらが見返れば、奇妙に向こうも見返るのです。しかし、あれで肘折には温泉街があり、新庄市あたりまで買い出しに行く人で、「この雪に……」といった、驚きとほほ笑みの表情はあっても、なんともいえぬ|あんな《ヽヽヽ》感じはなかったのです。また、しばしば荷を背負った人に追い抜かれもしましたが、みな親しげな声をかけてくれ、わたしはそんな人の心から雪崩れに雪崩れた豪雪の中で助けられもしたのです。ひょっとすると、大網近くの橋を落とした谷底で、わたしと渡った連中が足ばやに行ってしまったのも、|わけ《ヽヽ》があったからかもしれない。部落には|なにか《ヽヽヽ》があって、わたしの来たことで|なにか《ヽヽヽ》がヒソヒソと語らわれていたのではないだろうか。……  わたしにはふと、別れて来た|ばさま《ヽヽヽ》や方丈の薄笑いが思いだされて来ました。あれもなんだか、わたしの感じたようなものだけではないような気までして来るのですが、深く許すまではなかなか許さないのがこの地方の性《さが》で、たんなる思い過ごしかもしれません。わたしは気の向くままに寺を訪れた|つもり《ヽヽヽ》なのに、寺の|じさま《ヽヽヽ》は待ってたふうで、わたしを台所の炉ばたに坐らせ、地酒を出してくれながら、熱い飯や味噌汁を用意してくれたのです。聞けば、この部落にも送電線の保安電話があり、方丈からわたしの来ることを知らされていたというのです。してみれば、部落でもすくなくとも|だれか《ヽヽヽ》は、わたしが方丈の許しを得て寺に来たことを知っていた|はず《ヽヽ》です。  解《げ》せぬといえば解せないが、へんに気をまわしてほんとにそうなってもはじまらない。気にせぬことだと思いなおすと、シンとした部落内《むらうち》からせせらぎや水の落ちる音が聞こえるのです。しかも、意外に尾根が迫ってい、ゴロタ石の道を一足降りるその一足で新たな尾根が現れ、また隠れしてガラリと地形が変わるのです。まるで、谷底にでもいるようですが、更に降りると次第に視界が開けて来、青々とした水田が無数の扇形を描いて、ゆるやかなスロープをつくっているのです。  迫って見えた向かいの山も思ったより離れてい、渓谷といえぬほど広々として、彼方にあの月山がある。庄内平野の田は果てもなく色づいていたのに、まだ青々としているのは雪が深く|山ば《ヽヽ》(山間部)の春が遅いからだろう。思うともなくそんなことを思っているうちに、わたしにはまたいつかここでこうしていたことがあるような気がして来、しばし茫然として引っ返そうとするまで、寺から裏にかけて立派な一つの山をなしているのも気がつきませんでした。その山は僅かに頂の杉の木立を残して伐採され、伐採の終わったあたりに寺があり、やがて部落の家々が散在して、水田はその山裾にかけてつくられていたのです。 「どこさ、行っただか」  寺の|じさま《ヽヽヽ》もどこからか境内に戻ってい、花に手桶の水をやりながらそう言うので、 「ええ、部落の下まで。リンゴなんかがあるんですね。ずいぶん、大きな樹だもんだから、そうとは知らなかったけど……」 「ある、ある。梨だ、桃だ、梅だ、|スモモ《ヽヽヽ》だとあるんども、|おらほう《ヽヽヽヽ》だばみな風よけ、雪崩れよけでの。下枝おろして伸ばすだけ伸ばすさけ、野郎ッ子が礫がわりにするみてえなものしかなんねえもんだ」 「そんなのを投げて、木霊と遊んでたのがいましたよ。置き去りにされたんですかね。部落内《むらうち》シンとして、まるでだれもいないみたいだった……」 「いまどき、家さいる者はねえて。なんたて、|おらほう《ヽヽヽヽ》だば稼ぐとこださけ。それに、畑一つつくるいうても、肥樽背負って何里も山坂越えねばなんねえ。見たところ、山ばかしなんども、|わァ《ヽヽ》(自分)の山しかへえれねえもんでの」 「そういえば、ここも山になってるんですね」  なにか、避けたい気持ちがあったのかもしれません。わたしがそう訊くと、 「ンだ。独鈷《とつこ》ノ山《やま》というての。ほれ、送電線の鉄柱のある山並みの|くぼみ《ヽヽヽ》が見えるんでろ。あれがそれ十王《じゆうおう》 峠《とうげ》なんども……」 「十王峠?」  わたしもたしか、そんな名を聞いたような気がしたのですが、 「聞いただかや。十王峠を越えれば、もう|おらほう《ヽヽヽヽ》の月山で、鳥海山も見えなくなるなださけの」 「じゃァ、あれを越えれば、鳥海山が見えるんですか」 「見える、見える。庄内平野も目の下にの。ンださけ、まだ川沿いのバス道のねえころは、みな十王峠を越えて来て、この寺か大日坊さ泊まるかしたもんだちゃ。いまは、荒れてこげだおかしげな寺になったんども、もとは部落内《むらうち》あげて働きに来る。独鈷ノ山も寺山で、見事な杉林での。まだ頂さ杉木立の残っとるのが、十王峠の尾根つづきに見えるんでろ」  と、寺の|じさま《ヽヽヽ》は紐で結んだ老眼鏡を光らせながら、|手びしゃく《ヽヽヽヽヽ》を上げるのです。わたしは寺の|じさま《ヽヽヽ》が老眼鏡を掛けっぱなしにして、よく老人がそうするように眼鏡越しに見ようとしないのを、ゆうべから不審に思っていたので、 「老眼鏡でよくあれが見えますね」  つい、笑ってそう訊くと、 「見えねえ、見えねえ。だとも、おらだばもう遠くを見ることもいらねえ|ふと《ヽヽ》(人)での」と、寺の|じさま《ヽヽヽ》も笑うのです。「さァて、朝飯にでもすっかの」 「朝飯は結構ですよ。ついでに、独鈷ノ山に登って来ます。たいしたこともないんでしょう」 「てえしたことはねえんども、あすこまで登れば、鷹匠山《たかじようやま》も、塞《せえ》ノ峠《とうげ》も、仙人嶽《せんにんだけ》も見える。湯殿まで見とおしで、|おらほう《ヽヽヽヽ》の山で見えねえ山ってものはねえもんだ」  寺の裏の僅かな高みに形ばかりの畑がつくられていました。寺の|じさま《ヽヽヽ》は朝飯前にここでひと働きしたのでしょう。それにしてもわたしがいないので、花に水をやりながら、朝飯を待っていてくれたのかもしれません。しかも、べつだん強いるでもなく、「ヨイショ、ヨイショ」と声を上げ、手桶を下げて庫裡にはいって行った姿が、いまさらながら思いだされて来るのです。|山ば《ヽヽ》の人はからだは小さいが、山に鍛えられていて強いのです。しかし、寺の|じさま《ヽヽヽ》は中気にやられたのか、なにくれとなく心やりしてくれるものの、ちょっと動くにも声を上げねば足が運べないのです。  やがてあたりはいちめんのススキになり、ススキの中に頭の丸い小さな墓石が無数にありました。卵塔と呼ばれ、僧侶の墓石とされているもので、みな高い位階が刻まれている。これがこの寺の方丈たちのものだとすれば、どんなに古い寺か驚かれるばかりですが、あるいはこの寺の本山とする真言の方丈たちも、こうして形式的に葬られているのかもしれない。墓石はそうとしか思えぬほどの数なのです。まったく人が通らぬでもないらしく、ようやく卵塔が見えなくなったと思うころ、菜を背負った若い女が降りて来るのに出会いました。意外にも笑顔で挨拶するので、わたしも笑顔で指さしながら、 「あれが鷹匠山ですか」  もう山から山が浮き立って、あたりはいつかいちめんの山々になっていたのです。女も立ち止まって、指さすほうを眺めるようにし、 「ンだ。碧く梵字川《ぼんじがわ》のダムが覗いて見えるんでろ」 「じゃァ、あれがバス道ですね」  それとも知らず、大網のバス停ではじめて目にした鷹匠山を、いまこうして眺めていることに、感慨にも似たものを覚えていると、みょうにハッキリ梵鐘の音が聞こえるのです。 「バスが上がって来たと思うたば、大日坊さ客が降りたの」 「大日坊……。ずいぶん遠い感じだったが、近く聞こえるもんだな」 「ンだ。風があるとも思えねえんどもの」  と、若い女は、|姉さんかぶり《ヽヽヽヽヽヽ》の手拭いからこぼれた後れ毛を小指でかき上げ、尋ねるままに自分でも指さしながら、あれが塞ノ峠、あれが仙人嶽と、湯殿への山々を教えてくれるのです。その声も爽やかで心地よかった。というよりも、寺の|じさま《ヽヽヽ》もよくしてくれれば、こうして教えてくれる者もいる。部落で感じた悪意のようなものも、所詮は他所者《よそもの》の思い過ごしだったかもしれぬ。そう思えることが、わたしにはうれしかったのでしょう。 「いや、手間をとらせましたね」  と、礼を言うと若い女は、 「だばの」  また笑顔を見せて足ばやに降りて行き、ススキの中に見えなくなりました。  独鈷ノ山と覚しい杉木立に近づくと、下で見たとは違って十王峠はなお高く、尾根つづきにはなっているかもしれないが、かなり離れているばかりか、鉄柱のある|くぼみ《ヽヽヽ》をつくる山並みが、彼方へ彼方へと重畳している。あれを越えても多くの山々があって、あの鳥海山が見え、庄内平野が目の下にあるなどという気はしないのです。梵鐘もあれから二、三度撞かれただけで聞かれなくなったと思っていると、若い女の言っていたのがそれだったのでしょう。梵字川のダムの下のあたりを降りて行く観光バスらしいのがキラリと光るのです。  あとはただもう山また山で、かえってどれがどの山ともわからなくなったようです。しかし、じっと見ていると、いずれの山も鷹匠山へと寄せ、塞ノ峠へと寄せ、仙人嶽へと寄せているのです。しかも、それらの山々が、ここでもまだそこに山があるかに見える湯殿へと寄せていて、ひとり月山が悠揚と臥した牛の背に似た稜線を晴れた空にながながと曳いている。それがその稜線から山腹を雪崩れ落としている様といい、庄内平野の村や町で眺めた月山とすこしも変わらないのです。わたしはあの肘折のまどかな月山がいよいよまどかになるというのを思いだしながら、ふとまたここでも、こうして眺めていたことがあるような気がして来るのです。してみれば、ここでもかつて眺めた月山とすこしも変わらぬ月山であるということが、わたしをそんな気持ちにさせるのかもしれません。それにしても、この果てもない山々が、どうして|山ふところ《ヽヽヽヽヽ》だというのであろう。それはすこしも変わらぬ月山でありながら、この世の|あかし《ヽヽヽ》のように対峙していたあの鳥海山が、もはやまったく見えぬというより、なきがごとき気すらする別世界をなしているということかもしれません。  山々はほとんどところどころが濃密な杉林、畑地、草刈り場になっているだけで、いずれもイタヤやクヌギの雑木林におおわれている。わたしが寺に来たころはヒグラシの声もし、まだまだ夏の気配があって、それが滴るばかりの緑を見せていました。しかし、月山はさすがに灌木の茂みになっているのでしょう。そうした緑の中に、ひとり淡々《あわあわ》と苔色を帯びていたのですが、そのながながとした稜線のあたりが、夕映えたようにほの紅く見えるのです。じじつ、月山は夕映えの中でしばしばそう見えたので、わたしはしばらくはそれが月山の紅葉しはじめたためだとは知らずにいたのです。  しかも、その紅葉は次第に山々の頂に及んで、あたりいちめん紅葉になって来ました。なんの木の葉が紅くなるのか、黄色くなるのか、またおなじ木の葉でも紅くもなり、黄色くもなるのかわたしにはわかりませんでしたが、その紅も黄色も驚くほど鮮やかで、なにかこう、音響を感じさせるばかりではありません。僅かな日ざしの動きや違いに、その音響は微妙に変化して、酔い痴れる心地にさせるのです。しかし、紅葉はいつとなく潮のように退いて行き、散り遅れた数葉をまばらに残して、裸になった木々の間から、渓をつくる明るい斜面が遠く近く透けて見えるようになりました。散り敷いた落葉を踏んで行きながらその一枚を拾うと、蝕まれて繊細なレース編みのように葉脈だけになった葉にも、まだいくらかの紅や黄色の部分があって、心地よい残響にも似たものが感じられるのであります。 「素晴しい紅葉でしたね。紅葉がこんなものとは、夢にも思っていませんでしたよ」  いや、夢であの世の紅葉を見た想いがするだけでも果報というもので、もう寺から引き上げる潮どきかもしれません。 「まンず、あげだ紅葉は|おらほう《ヽヽヽヽ》さいても、めったに見られねえもんだ。ときには紅葉もせずに、枯れ凋んで終わることもあっさけの」  境内に出て花に水をやる寺の|じさま《ヽヽヽ》と、思いだしてはそんな話をしていましたが、なんともいえぬ好天のつづく澄み切った空に、わたしはまるでゴマを散らしたように黒い無数の点が、高く低く団々と階層をつくって、飛び交っているのに気がつきました。しかも、そうした一団が唸りを立ててわたしたちのまわりを旋回し、額といわず肩といわず胸といわず、ペタリ、ペタリと貼りついて来るのです。あの枯葉色の小さな楯のような形をしたカメ虫で、それがただ貼りついて来るだけではなんてこともないのですが、いずれもやがて我慢のしようもない嫌な臭いを漂わすのであります。 「しェー、飛んで来たもんだの」寺の|じさま《ヽヽヽ》も|手びしゃく《ヽヽヽヽヽ》の手で、貼りついたカメ虫を払い、ポロリと落ちて赤い腹を見せながら脚を動かしているのを踏みつけ踏みつけ、 「わが身を守るためなんでろかし、なしてこげだ臭いを出すんでろ。臭いせえしねば、せっかく寺さ来たもんだし、殺すこともねえんどもの」 「寺に?」 「ンだ。いままで渓底の草木の精を吸うていたんども、いよいよ寺さ冬ごもりに来たんだて」 「冬ごもりに……」 「ンだ。もとは寺さも坊さまだ、弟子だ、先達《せんだち》の山伏だと、|こうで《ヽヽヽ》(沢山)いたんださけ、総出で叩きつぶしてまわったんどもや」  いまは手のほどこしようがないということも、寺の|じさま《ヽヽヽ》にはむかしを偲ばせるようで、なるほど寺はたちまちカメ虫だらけになって来ました。しかし、それもどこに潜んだのか見えなくなり、雨の日がつづくようになったのです。その雨もビショビショとして冷たく、もう瞬時に山々を掃き渓や山襞に霧を這わせて、キラめきながら去って行くあの爽やかな驟雨とは違うのであります。たまたま上がっても、どんよりとした空にたえず不穏な雲が低く走ってすぐまた雨になるばかりか、激しく庫裡のトタン屋根を打つ音がすると思うとみぞれ、氷雨になって、かいま見る月山も白くなって来ました。 「冷えるの。こげだときは、熱っちゃいものがいちばんの御馳走だ。味噌汁には、おらがつくった大根《でえこ》なんども、扇にも、千本にも、賽《さい》ノ目《め》にも切って、入れてあっさけの。せいぜい食って精をつけるんだちゃ」  寺の|じさま《ヽヽヽ》もいつか犬皮を背負い、炉ばたから自在鉤につるした鉄鍋の|玉びしゃく《ヽヽヽヽヽ》の柄をまわしてくれるのですが、トタンを打つ氷雨の音がこもって、その声も聞きとれぬほどです。遠い雷が次第に近づいて来、バリバリと氷雨の闇空を裂きはじめたとみるまに、裸電球ひとつのだだっぴろい暗い台所が、突然パッと青白くなって、凄い炸裂音がするのです。 「近いですね」  思わずわたしがそう言うと、寺の|じさま《ヽヽヽ》は汁椀を抱えたまま、紐で結んだ老眼鏡をガラス窓のほうに向け、 「近いの。|おらほう《ヽヽヽヽ》だば、こげだ雷を|雪おこし《ヽヽヽヽ》というなだて。こん夜あたり、ここらの山も白くなるんであんめえか」  果たして、雷は山々に木霊させながら遠ざかり、トタンを打つ氷雨の音もなくなって、ガラス窓の闇に白いものがスジを引きはじめました。 「いや、もう降って来ましたよ。バスもこれでダメかな」  と言って、わたしはなんどかバスのことを口にしたのを思いだしました。わたしはときにこの|山ふところ《ヽヽヽヽヽ》を幻のように心に描き、そうしたところも知りたいと思って来たのです。それもウソではないが、こうしてここにいてみれば、わたしはいよいよこの世から忘れられ、どこに行きようもなく、ここに来たような気がせずにはいられなくなって来たのです。それに、寺にはなんとか冬が越せるほどの薪もあれば米もある。寺の|じさま《ヽヽヽ》の味噌汁で辛抱すれば、すくなくともなんとかこの冬は越せる。そう思いながらも、それを知られまいとして、なにかまだ戻るところがあるようにバスのことを言っているので、いまではむしろバスが来なくなり、戻ろうにも戻れなくなることを望む気持ちすらあったのです。いや、ここは死者の来るべきところであり、げんにわたしはそこに来ているのに、なまじい乗ればまだ戻れそうなバスがあるばかりに、捨て切れずにいた未練を捨てたかったのかもしれません。 「なあに、雪は積もっては消え、消えては積もりして、根雪《ねゆき》になるもんでの。だども、根雪になるまでは、道がぬかって歩けるもんでねえて。いまは、橋も落としてしもうたもんださけ」 「落としたんですか、やっぱり。危なかったんですかね」 「危なかったんでろどもの。橋がねえば新しいのをつくると、だれぞに選挙で言われたんでねえか」  と、寺の|じさま《ヽヽヽ》は言葉を濁して、触れようとしたがらぬ様子ですが、 「タバコだけでも、仕込んどくんだったな」 「キザミでええば、おらのナタ豆煙管を使うんだちゃ。そのうち、学校さ行く子供に買わせるんだて」わたしの心のうちを知りながら、知らぬ顔でいたわってくれようとしているかに思えるばかりでありません。「バスがなくなると、むかしにかえって、みな十王峠を越えるさけ、けえって庄内平野は近うなる」 「そうですかね。しかし、雪は深くなるばかりでしょう」 「深くなりはすんなだども、降るばかりでもねえ。|冬ば《ヽヽ》は|とうし《ヽヽヽ》(絶えず)、カラスが越えて来る。雪に足跡が残るさけ、十王峠も道に迷うことはねえもんだ」 「カラス……」 「ンだ。背負ったゴムの水枕を隠すため、黒いマントを着とるさけの。|おらほう《ヽヽヽヽ》だば、|冬ば《ヽヽ》カラスは庄内平野さ出て、闇の酒買いになって来るというなだて」 「じゃァ、この部落ではそんな酒をつくってるんですか」 「まンずの」  寺の|じさま《ヽヽヽ》も心を許して来たのでしょう。それとなく、そんなことまで明かすのです。わたしももう薄々感じないではなかったものの、わたしが部落から受けた悪意じみたものも、よって来たるところがあったので、あるいはわたしに示されたあの薄笑いも、これを言っていたのかもしれません。  あくる朝、目を覚ますと境内から、「ヨイショ、ヨイショ」と、足を曳く寺の|じさま《ヽヽヽ》の声がするのです。驚いたことに、雪は杉の立ち木にも、本堂、庫裡の屋根にもこっぽりと積もって、なおシンシンと降っています。寺の|じさま《ヽヽヽ》は蓑を着、笠をかぶり、カンジキをはき、杖をつきつき雪を踏んで道をつくっている。雪にぬかってゴム長をとられながら、やっとわたしが近づいて、 「助《す》けますかね」  と、声をかけると寺の|じさま《ヽヽヽ》は、 「まンず、身固めすんなだて。庫裡の土間さ、蓑も笠もカンジキもあるんでろ」  怒ったように言うのです。しかし、身固めして雪を踏もうとしても思うように踏めないのです。寺の|じさま《ヽヽヽ》もおかしいのでしょう、笑いながら、 「雪を踏まずに、|わァ《ヽヽ》(われ)とわがカンジキを踏んどるでねえか。雪など踏むより、部落の様子でも見て来るもんだ」 「部落の様子を……」  わたしはあれから、こちらも避けて部落に近づかずにいたのですが、寺の|じさま《ヽヽヽ》はなんでも見せたいように、 「こげだとき、|山ば《ヽヽ》の部落がどげだもんだか知らねえんでろ」  と、言うので降りてみると、山のように|痩せ馬《ヽヽヽ》(荷負い具)に稲を積んで、共同作業場へと急ぐ|わかぜ《ヽヽヽ》(若い衆)や|めらし《ヽヽヽ》(娘)がいる。雪にしゃがんで流れで大根を洗っている|がが《ヽヽ》(嬶)もいれば、それを輪なりに積んで筵で囲っている|だだ《ヽヽ》(親父)もいる。|じさま《ヽヽヽ》も|ばさま《ヽヽヽ》も餓鬼(女の子)も野郎ッ子(男の子)も狩り出され、降りしきる雪の中で墨絵のように動きまわっているのですが、不思議なことに、 「こうッ、だれかと思うたば、寺の衆でねえか。お前《めえ》さまもこの冬を、|おらほう《ヽヽヽヽ》で過ごすかや」  まるで、人が変わったようにだれかが声などかけてくれるのです。つい、立ち止まって受け答えをしていると、突然吠えかかって来る犬がありました。間《ま》の抜けた顔の長い赤犬で、飼い主があるのかないのか、境内の隅の桜桃の根もとに、寺の|じさま《ヽヽヽ》が食べ残しを捨てているのをあさりに来ていたので、なつくというほどではないが、呼べば来るほどになっていたのです。おそらく、わたしが部落の者たちとおなじ蓑笠カンジキでいたのが、かえって異形に見えたのかもしれません。 「なんだや、覚《おべ》ってたんでねえだかや。|ほろけ《ヽヽヽ》(あほう)た犬だもんだのう、|わァ《ヽヽ》は|とうし《ヽヽヽ》寺さ行ってたんでろ」  と、笑う声に気づいたのでしょう。犬はわたしを見上げ、横目で見ながらテレたようにスゴスゴと雪降る中を消えて行くのです。  やっと、寺に戻りついたときは、境内には寺の|じさま《ヽヽヽ》の姿もなく、寺の|じさま《ヽヽヽ》の踏んだ道もありませんでした。わたしはビッショリ汗をかき、ひと息入れていると、雪はサラサラと笠におち、シンシンとした音ともいえない寂かな音が境内を満たしている。部落のあわただしさも、もう遠い世界のことのように思えて来るのです。ふと気がつくと、黄菊の群れが雪に折れ、雪をかぶってまだ花を咲かせているのです。といっても、セロファン菊とか、パリパリ菊とかいうのだそうで、あの深々とした気品を漂わすいわゆる菊ではありません。どことなく造花じみていて、むしろ嫌な気がしていたのですが、寺の|じさま《ヽヽヽ》の手すさびで一緒につくられていた他の花が、みぞれに朽ち、氷雨に腐り、無惨な姿になってしまったのに、ひとりこのセロファン菊がこうしてまだ咲き残っているのです。しかもその色が雪に映え、みずからは埋もれるとも知らず雪の中へと眠って行くような、あるいはそうしたセロファン菊の夢みた夢の中の雪に、わたしがいるような感動を覚えずにはいられませんでした。 「あれも切ってやれば、冬じゅうもてるんどもの。明日《あした》明日《あした》と思うとる間に、雨だ、みぞれだ、氷雨だで、この雪なんでろ」  と、庫裡の土間で蓑笠を脱ぎ、雪を払って台所の炉ばたに手をかざすと、寺の|じさま《ヽヽヽ》はそう言って、膝の木屑もそのままに、わたしのために味噌汁の鉄鍋を自在鉤に懸けるのです。畑仕事や花の手入れのしようもなくなってからは、寺の|じさま《ヽヽヽ》は終日炉ばたの蓆に|あぐら《ヽヽヽ》をかいて割り箸をつくっていたのです。 「それに、この雪はもう根雪でしょう」 「根雪だのう」 「しかし、冬じゅうもてるんなら、雪の中でも咲き続けてるんじゃありませんか」 「そうはいかねえて。大根だとて抜いて洗ってツボケねば、もてねえみてえなもんでの」 「そういえば、みんながそんなのを積んで、蓆で囲っていましたよ。あれをツボケというんですかね」 「ンだ。ああして置けば、しぜんとムロになるさけの。ひと仕事すめば部落の衆が来て、本堂の雪囲いの木組みにも、蓆を張ってくれる。この庫裡さも簀囲いしてくれる。したば、寺も雪さ埋もれて、吹いても風もへえらず、こっぽりと静かに温かになるもんだ」 「じゃァ、われわれもツボケの大根みたいになるわけですね。それにしても、この大きな寺をムロにするんじゃ、大変だな。そこまでしてくれるんなら、菊も雪からおこして、切ってもらったらどうです」  しかし、寺の|じさま《ヽヽヽ》はそれには答えず、みょうに黙っている。そこまで甘えていられないと、むしろわたしを咎めているようにもとれるのです。その日も暮れるともなく雪の中に暮れ、寺の|じさま《ヽヽヽ》がまた夕食《ゆうげ》の味噌汁の鉄鍋を自在鉤に懸けようとしていると、玄関の土間のほうから、 「ねえ……」  と、女の声がするのであります。「ねえ」とは、訪ねるときのこのあたりの挨拶の言葉ですが、この雪に人の来るはずはない。寺の|じさま《ヽヽヽ》も空耳と思ったのでしょう。ちょっと、聞き耳を立てる様子でしたが、 「菊、切って来たァ」  まぎれもなく、また女の声がするのです。しかし、寺の|じさま《ヽヽヽ》はまだ信じられぬように、 「菊?」  呟きながら立って、「ヨイショ、ヨイショ」と足を曳いて行き、やがて開け残された片側の太い格子の古障子が薄明るくなりました。玄関の電球はいつも消されてい、寺の|じさま《ヽヽヽ》はこんなときだけ爪先立ってつけるのです。 「こうッ、|あね《ヽヽ》ちゃでねえか。そげだに背負って、|もっけ《ヽヽヽ》(すまない)だのう」 「早う切ってやろうと思うたんども、冬仕度に追われての。ついでに、部落の衆さも配ってやっか」  なんだか、そんな気はしていましたが、やっぱり山で出会った女の声なのです。わたしも出てみたくなりましたが、 「そうしてくれるこったばのう。待て、待て」  寺の|じさま《ヽヽヽ》は引っ返して来て、幾束かの割り箸を抱えて行くと、 「いつも、おなじもんだども……」 「だかや。けえって、すまねえみてえだの」 「すまねえのは、こっちゃだて。大丈夫だかや。提燈かしてくれっかの」 「なんでもねえ。月夜ださけ」  月夜といっても、雪がやんだというわけではありません。雪はまだシンシンと降りつづけているのですが、月夜のときは闇夜と違って、ぼうッと仄明るい雪明りがするのです。 「だかや、気ィつけてくれの」  と、寺の|じさま《ヽヽヽ》は言うのですが、女は寺の|じさま《ヽヽヽ》が一本、二本と引いて来た大根が、まだ土間にほうってあるのに気づいたのでしょう。 「あいや、大根もそのままでねえか。|そんま《ヽヽヽ》(そのうち)来て、ツボケてやるの」  そう言い残して、雪を踏む音をさせながら帰って行きました。寺の|じさま《ヽヽヽ》はしばらくたって、電球を消して戻って来ると、腰の古手拭いで老眼鏡の下を拭くのです。寺の|じさま《ヽヽヽ》は笑ってもよく涙を出すのです。菊はどうやら、せめて部落の衆の仏の花にもとつくられていたのです。それをどうしようもなく諦めていたのに、女が雪から起こして切って来てくれたのが、余程うれしかったのでしょう。  冬仕度も終わったのか、寺の|じさま《ヽヽヽ》が言ったように、部落の|わかぜ《ヽヽヽ》や|めらし《ヽヽヽ》たちが雪囲いをしてくれ、大根も知らぬ間にツボケられたらしく、土間から見えなくなりました。これでわたしたちも、炉ばたで冬を過ごすばかりになったと思っていると、雪はいよいよ|吹き《ヽヽ》(吹雪)になったのです。しかも、|吹き《ヽヽ》から守って防いでくれるのが雪囲いであるはずなのに、仮借なく吹き込んで廊下も白くなるばかりか、炉ばたにいてすら粉雪が舞い込むのです。 「なんたて、雪崩れで傾いた寺だもんだ。起こしはしたんども、隙間だらけださけの」 「雪崩れ? あの山から雪崩れて来たんですか」 「それだば、この寺もしまいだちゃ。本堂の屋根の雪が、両側ともどもこらえていたときはよかったんどもや。片方が|わァ《ヽヽ》(われ)と重さに耐えかねて雪崩れたもんださけ、片方の雪の重さに押されての。この庫裡までがえれえ音を上げて傾いて来たもんだ」 「そのときも、こうしてひとりでいたんですか」 「だれがいようばし、おらひとりだて」 「…………」  わたしにはにわかに寺が荒涼とした破《や》れ寺に見えて来ました。あの雪囲いの木組みと思えたものも、ただ雪囲いに利用されているというだけで、ほんとうは倒れようとするこの大きな建物の支柱なのかもしれません。 「まンず、お前さまも階下《した》さ移るんだちゃ。いつまでもあげだとこさいて、病みでもするこったば、あるのはたンだ富山の薬で、どうしようもねえさけの」  そう言う寺の|じさま《ヽヽヽ》は、みずからがすでに中気を病み、声を上げねば足も運べないのです。庫裡の階下には広い廊下を挾んで、ともかくも襖、障子のある部屋らしいものが幾つも並んでいました。もとは二階もそうなっていたのでしょう。しかし、いまはただ中央と両側の腰高の窓にそった廊下や敷居、鴨居を残すだけで、天井もなく、棟木も梁もまる見えの百畳ほどの広間になってい、わたしはそのいちばん奥の、境内を見晴らす片隅に寝起きしていたのです。来たころはまだ暑いと言っていいほどの日もあり、心地よくさえあったのですが、雨になり、みぞれになり、氷雨になる。階下《した》から襖を持って上がり、障子を持って上がりして、八畳ほどの広さに囲ってはいたものの、上はガラ空きです。腰高の窓の雨戸は朽ち腐って、ほとんど|吹き《ヽヽ》に吹きさらされているようなものだったのです。  しかし、わたしは舞う粉雪の中に寝ながらも、夢うつつに考えていたことがありました。かつては、ここに泊まった客たちの布団部屋にでもなっていたのでしょう。広い階段を上がったところに、まっ暗な納戸のようなものがあったのです。そこには葬式のあとで持って来るという細繩──なにに使うのか水引き繩と呼ぶそうですが──や米味噌を入れて来るという粗末な枡のようなものが、葭簀《よしず》や細い角材とともに、ゴタゴタと投げ込んである。わたしは寺の|じさま《ヽヽヽ》に頼んで買ってもらった炭俵を置いていたので、その中に古い祈祷簿がホコリをかぶって山と積まれているのを知っていました。  祈祷簿はいずれも和紙を綴じた部厚なものです。これをほごせば窓や部屋の障子もはれ、雨戸、襖の目ばりもできる。あの角材を鴨居から鴨居に渡し、その上におなじ角材で和紙をはった枠をつくって互いにノリづけすると、釘など使わずとも天井らしいものができるだろう。更に、葭簀の葭をつないで適当な長さにし、上下四方の芯にして、はり合わせた和紙で八畳いっぱいの蚊帳をつくる。それを水引き繩でつって中にいれば、|吹き《ヽヽ》や寒さを防げぬこともあるまい。…… 「いや、わたしも病んだりして、この上迷惑をかけでもしたらと思ってるんですが、二階の物置きにむかしの祈祷簿がありますね。あれを使わせてもらえませんか」 「あの祈祷簿を? なんすったや」  しかし、わたしの考えは、かえって寺の|じさま《ヽヽヽ》を黙らせてしまいました。黙って杉の細木の端を舐《な》め、小鉈《こなた》をあててトントンと軽く股の間の台木を叩く。心なしかその手も震えているようです。寺の|じさま《ヽヽヽ》はわたしを恐れざるものとして、腹を立てたのかもしれません。いや、寺の|れいらく《ヽヽヽヽ》が身に滲みているだけに、なによりも寺の|じさま《ヽヽヽ》を傷つけたとも言えるでしょう。 「…………」 「祈祷簿は、まンず、富山(とは、富山の薬売りのことですが)の帳簿みてえなものでの。あれがねえば、先達《せんだち》も国々を勧進してまわることもできねえ。ださけ、寺が焼けてミイラも燃してしもうたんども、あれだけは取りだして、ああしてあすこさあんなだちゃ」 「この寺が焼けたんですか」  わたしにはにわかに荒涼と見えて来たこの破れ寺が、もうそうして建てかえられた新しいものとは思えなくなっていたのです。 「人がいねくなれば、すぐこげだになるもんだ」  と、寺の|じさま《ヽヽヽ》はみずからも人のうちにはいらぬようなことを言うのですが、それにしてもこれだけの寺ができたのは、意外に近い日まで栄えていたからに相違ありません。 「どうして、こんなになったんですかね」 「いまはみな、バスで湯殿さ行くさけの。これでまだミイラでもあるこったば、拝みに来る者もねえんでもねえでろどもの」 「あれはどうしてつくるんですか」  庄内平野にはところどころに、ミイラになったそうした行者の名を刻んだ石が建てられていましたし、わたしもある寺でそのミイラなるものを見たことがありました。ミイラは小さな厨子に入れられ、いかめしく飾られながらも、呼び銭をパラつかせた賽銭箱を前に、だれ顧みられることもなく、朽ち腐るものがすべてそう見えるように、朽ち腐って薄笑っているかに見えたのです。しかし、寺の|じさま《ヽヽヽ》は、 「つくって、できるもんではねえて。即身成仏というてのう。木食《もくじき》で難行苦行した行者が、思いかなって穴さへえり、鉦《かね》を叩き叩き、生きながら仏になったもんだ。聞かねえだかや」  まるで、方丈から教えられた案内人のようなことを言うばかりではありません。みずからの信じることを犯されでもしたように、不快げにすら見えるので、 「聞きはしましたがね。やっぱり、そうだったんですか」 「そうだぜ。|おらた《ヽヽヽ》には信じられぬみてえなことのできる者もあるもんだ」 「そりゃァ、そうでしょうね」  わたしはそう答えながら、わたしが祈祷簿でつくろうという蚊帳も、あの朽ち腐って薄笑って見えるミイラの厨子のようなものではないだろうか。ふとそんなことが思われて、薄気味悪い気がして来ないでもありませんでした。 「|吹き《ヽヽ》というものはのし。吹いて吹いて、|わァ《ヽヽ》とつくった|吹き山《ヽヽヽ》でねえば、とめられぬもんだ。待つんだて、いましばらくの辛抱だちゃ」  親切には違いないが、寺の|じさま《ヽヽヽ》にもどこか片意地なところがあるのです。まだまだ雪に埋もれたとはいえぬのに階下《した》はもう薄暗く、たえず吹く音がするのです。といって、いまでは階上《うえ》も雨戸を立て切ってあるので、階下よりもなお暗く、吹く音も更に激しいのです。わたしが階上にいようとするのは、まだ夏の気配のあったころ、腰高の窓からの眺めが心に残っているというよりも、そうしてそこにいたことがいわば習わしになっていて、なんとなく動きたくなかったからにすぎません。思えば、寺の祈祷簿のことであんな頼みをしたのも、こうして厄介になりながら、いたずらに我《が》を通すのも、通そうにも吹き込む|吹き《ヽヽ》と寒さに耐えられなくなるのは必定です。階下に移ろう移ろうと思い思いぐずついて、舞う粉雪の中にバカげたなん日かを過ごしてしまいましたが、そんなわたしにかえって耐えられなくなったのでしょう。 「祈祷簿が|うたって《ヽヽヽヽ》(捨てて)あるのも、あれをつてに、もうどこさ訪ねるという者もねえば、訪ねても先方《さき》も|過ぎて《ヽヽヽ》(死んで)しもうて、思いだす者もねえさけなんでろ。方丈さまさ訊かねばと思うたんども、ござらす|わけ《ヽヽ》でもなし、虫に食われてしもうより、役立つようだば使ってもろうたほうが、ええんであんめえか」  寺の|じさま《ヽヽヽ》はそう言って、せめて外から見える窓や部屋の障子なりにと、取って置きの障子紙を出してくれ、糊まで練ってくれようとするのです。  しかし、階上は暗いなかにも粉雪で、畳がいちめん白く見え、歩けば足跡《ヽヽ》がつくほどです。よくこんなところで、野宿のようなことがしていられたもんだ。わたしにはたんに和紙と糊で固めた部屋をつくるというより、曠野に小屋でもつくる思いがして来るのです。しかし、小屋だとしても、これがわたしのはじめてつくる家かと思うと、なんだかまた、あのみなの薄笑いが眼に浮かんで来るようですが、これもこんなわたしを笑うわたし自身の気持ちが、そう思わすのかもしれません。それにしても、まず腰高の窓の雨戸の目ばりからしてかからねばならぬのに、朽ち腐った板には糊がつかず、吹くたびに木端《こつぱ》になってパラパラと散り、糊に濡れた目ばりの和紙も飛んでしまうのです。  かじかむ指に息をかけ、足の冷たさに足ぶみしながら、わたしは思いだすともなくあのカメ虫のことを思いだすのです。あれがやがてもう恐るべき冬の来る前ぶれだったのだ。|山ば《ヽヽ》の冬がどんなものか、肘折ではその雪に|いのち《ヽヽヽ》さえとられようとしたわたしが、どうしてあのころから用意してかからなかったのであろう。あのころはまだ戻るつもりで、|山ば《ヽヽ》を降りるようなことを言っていた。しかし、もう戻るところもなく、そう思いたくも思われたくもないために、他人《ひと》ばかりかわたし自身をも偽っていたのである。それがなにかもう見すかされていたのに、われとこうした用意をできなくさせていたのだ。  いや、部落の者すらあの雪の中で、あんなにあわただしく立ち騒いでいたではないか。強いてそんなことを思いだしてはあざ笑いながら、ともすれば放棄したくなるみずからを勇気づけていましたが、なんとか目ばりが終わって糊が固まって来ると、次第に仕事がしやすくなったばかりか楽しみにさえなって来ました。しかも、でき上がってみると想像以上に居心地がいいのです。天井から蚊帳へと小さな穴をつくって引き入れた電球をつける。ただそれだけでも、中は和紙の柔和な照りかえしで明るさが満ち、電球の|あたたかさ《ヽヽヽヽヽ》とわたし自身の|ぬくもり《ヽヽヽヽ》で、寒さというほどの寒さもありません。それはもう曠野の中の小屋などという感じではなく、なにか自分で紡いだ繭の中にでもいるようで、こうして時を待つうちには、わたしもおのずと変成して、どこかへ飛び立つときが来るような気がするのです。  しかも、|吹き《ヽヽ》は終夜吹いては吹き疲れ、明け方には寂まって、やがていつ吹くともなく吹きはじめ、夜にはいるにしたがって激しくなるのです。たとえ吹いても、吹きつける|吹き《ヽヽ》はサラサラとして障子を濡らすこともなく、その障子も腰高の窓と廊下越しの部屋の敷居に立てられているので、雨戸も開けていられるのです。といっても、夜は雨戸を引くのですが、なんのおびえもなく聞いていると、ザーッザーッと雨戸を打ちつづける|吹き《ヽヽ》のもっとも激しい夜中ですら、|吹き《ヽヽ》はただ「ごうごう」と吹き荒れているのではありません。あまりのことにかえってもの憂く単調に感じられ、眠けにさえ誘われはするものの、その中にもかすかに「ごうッ」と聞こえては、消えて行くひとつの音がある。消えたと思うと、「ごうッ」とまた、やや大きくなった音が聞こえるが、これがそれだけ近づいて来たおなじ|吹き《ヽヽ》なのです。こうして、|吹き《ヽヽ》は渓谷を曲がり曲がってさかのぼり、消えんがために必死でここまで来たように、ガワガワと天井の和紙を波打たせ、「ごうッ」とかすかな音を残して、寺裏の独鈷ノ山へと消えて行くのです。  してみると、この|吹き《ヽヽ》たちも庄内平野を吹き荒れて赤川にはいり、大鳥川に向かう|吹き《ヽヽ》と別れて名川にはいり、更に梵字川に向かう|吹き《ヽヽ》と別れて、七五三掛の渓谷から独鈷ノ山へと来たので、|吹き《ヽヽ》もまたわたしの仲間のような親しみを覚えるのです。どうやら今夜も月夜のようです。わたしが独鈷ノ山で見たこれらの渓谷をつくる山々や、彼方に聳えて臥した牛のように横たわる月山も、おぼろげながら|吹き《ヽヽ》の上に銀燻しに浮き立っているであろう。そんなことを思っていると、わたし自身が|吹き《ヽヽ》とともに吹いて来て、吹いて行くような気もすれば、もはやひとつの天地ともいうべき広大な|山ふところ《ヽヽヽヽヽ》が、僅か八畳にも満たぬこの蚊帳の中にあるような気もするのですが、眠りを誘う単調なまでの|吹き《ヽヽ》のざわめきに、うつらうつらして来たようです。しかし、これもひとり繭の中にある者の、いわば冬眠の夢といったものかもしれません。  そろそろ|吹き《ヽヽ》が吹きはじめたが、雨戸を引くほどのこともない。腰高の窓の障子を掃く粉雪の音を、むしろ心地よく聞いていると、|吹き《ヽヽ》に乗って部落のほうから喚《おら》んで歩く声がかすかにするのです。 「ゴム紐、いらねえかァ。歯ブラシもあるでェ……」  しかも、どうやら|ばさま《ヽヽヽ》の声らしく、出ない声をはり上げているので、それが泣きそうな声に聞こえるのです。ゴム紐、歯ブラシというからには、押し売りに違いないが、|ばさま《ヽヽヽ》の押し売りなど見たこともありません。それに庄内平野の町や村には、必ず「押し売りお断り」の立て札が立てられていて、これを犯して来る者は、そ知らぬ様子で家にはいり込み、買わねば|泣く《ヽヽ》なり、|凄む《ヽヽ》なりするのであります。  不審に思いながらも、忘れるともなく忘れているうちに暗くなり、|吹き《ヽヽ》も次第に雨戸を引かねばならぬほどになって来ました。晩飯にはいつも寺の|じさま《ヽヽヽ》が声をかけてくれるのですが、階段の下で呼ぶので、|吹き《ヽヽ》が激しいと聞こえぬことがあるのです。降りて台所に行くと、炉ばたに見知らぬ男が|あぐら《ヽヽヽ》をかいている。 「だども、こげだ親切なとこはねえんであんめえか。今日はどこぞの|ばさま《ヽヽヽ》が喚《おら》んでまわってくれたさけ、思うたより稼げたて。やっぱり、酒で裕福なんでろの」  そう言うところは、どうやらこの男が押し売りで、やはりどこかの|ばさま《ヽヽヽ》が買って出て、|ふれ《ヽヽ》てやっていたのです。 「酒はなにも、|おらほう《ヽヽヽヽ》の部落だけでねえもんだ」  寺の|じさま《ヽヽヽ》はいやな顔もせず、笑っているばかりではありません。いつもは、炉の火も僅かな粗朶《そだ》をくべて辛抱しているのに、惜しげもなく取って置きの薪を燃してやっているのです。押し売りは両手をかざしたまま、その燻りに顔をそむけながら、 「なんたて、十王峠を越えれば七五三掛なんでろ。湯殿までいくつ部落があるかしんねえども、奥さ行くほど値が下がるというでねえか。なんぼ安うても、こげだに吹くこったば、遠くは行くめえて。まンず、値が高うて売れるこったば、こたえられねえというもんだ」  押し売りはこのあたりの言葉を使って、このあたりの者らしく化けこんでいるが、それがいかにも付け焼き刃で、かえってどこの者だか知れぬことがすぐわかるのです。しかし、そこがこうした押し売りの手なのかもしれません。燻りが退《ひ》いて薪はパチパチと燃え上がり、押し売りは顔を戻しました。まだ片目をとじているが、神経麻痺で瞼がたれ、上がらなくなっているのかもしれない。しかし、やっぱり煙が滲みていたのか、目を開くとけっこう顔立ちも整っているのに、それがまたなんとなく賤しいのです。 「ンださけ、まンず|おらほう《ヽヽヽヽ》が狙われるというもんだ」 「それだば仕方がねえて。そうそう、|うめえこと《ヽヽヽヽヽ》ばしあるもんでねえ」  いったい、なにに狙われるというのか。だからお前のような押し売りに狙われるというにしては、寺の|じさま《ヽヽヽ》の表情に皮肉なものがないのです。それとなく目をやると、押し売りも穢ない爪で自分の歯糞をとって食いながら、見ぬふりをして、かえってこちらをウサン臭げに見ているのです。しかし、寺の|じさま《ヽヽヽ》が頷いて、 「|おらほう《ヽヽヽヽ》がやられれば、震え上がって、しばらくはほかの部落も手を出すめえしの」と言うところをみると、どうやら酒のことらしい。紐で結んだ老眼鏡でよく見えぬと言っていた|じさま《ヽヽヽ》なのに、どう見たのかしれないが、おそらく雪道でも踏み踏みそう思ったのでしょう。更に語をついで、「だども、よう来たもんだの。|おらほう《ヽヽヽヽ》さ吹く|吹き《ヽヽ》は、渓から渓と曲がり曲がって来んなださけ、余ッ程遅いんどもの。十王峠は頂の狭間から吹きだすガスで、だんだん曇って来るんでろ。|おらほう《ヽヽヽヽ》だば『十王峠が曇れば|吹き《ヽヽ》になる。曇りがねくなれば月山が見える』と言うもんだし、向こうはさぞもう吹いとるんでろうと思うてや」 「吹いた、吹いた。いつか、カラスたちも見えのうなる。よんどのときは逆らわず、|吹き《ヽヽ》も仲間と思うて、|吹き山《ヽヽヽ》さ埋もれとるつもりだったどものう」  |吹き《ヽヽ》も仲間? まるで、わたしの感じたようなことを言うと思いながら、 「しかし、そんなことをしたら、眠ってそのまま往ってしまうんじゃないかな」  そう口を入れても、押し売りはこちらも見ずに、 「眠ってそのまま往けるこったば、これほどええことはねえんでねえか」と、ふっと薄笑いを浮かべるのです。まだ死んでいないのかね。わたしもおなじ仲間とみて、そんなふうな軽蔑をしてるかにもとれるのですが、「どこぞで、そげだ目に遭《お》うたことがあるだかや」 「肘折でね」そう見せまいとしながらも、わたしはみょうに気恥ずかしい思いがするのです。 「ところどころに雪崩れがあるばかりで、|吹き《ヽヽ》は吹くというほど吹いてたわけでもないんだが、行っても行っても雪道で、かえって迷いが出て、行き倒れそうになったんだ」 「ようまァ、それでミイラにもされずにいたもんだちゃ」 「ミイラに?」  思わず問い返すと、寺の|じさま《ヽヽヽ》はなに食わぬ顔で、 「十王峠も、こっちゃからこそ鉄柱も見えて、高く迫った山々の間にあんなだどもや。向こうから森や林を抜けて来て、なだらかな斜面のあたりまで来ると、こう低く山が連なって、まやかしの狭間がなんぼもある」と、話題を戻すのです。「間違えばことなんだども、そげだ|吹き《ヽヽ》で|おらほう《ヽヽヽヽ》さへえる狭間がようわかったもんだの」 「|吹き《ヽヽ》ださけそげだものも見えず、まやかされなかったんでねえか。ガスが退《ひ》けば|吹き《ヽヽ》は|吹き《ヽヽ》でも、いちめんの|吹き《ヽヽ》の上さ、鳥海山が浮かんで見えるんでろ。鳥海山の見せるちょっとした姿せえ忘れねば、月山さ行く道も|しぜん《ヽヽヽ》とわかるというもんだ」  と、押し売りは月山が死の象徴であるのに対して、鳥海山が生の象徴であり、それらを結ぶ線上にこそほんとうの道があって、あやまたず生を見まもればおのずと死に至ることができる、というようなことを言うのです。 「いちめんの|吹き《ヽヽ》の上に、鳥海山が……」  しかし、そう言ったのはわたしではありません。わたしも言おうとしたのですが、寺の|じさま《ヽヽヽ》がさきに口にして、思いだしでもするように頷くのです。 「だども、峠の狭間さかかると、ザック、ザックと|わァ《ヽヽ》が雪踏む足音の木霊がするんでろ。その木霊がまた木霊を生んで、ザック、ザックと無数に聞こえる。なんでろ、向こうをカラスたちが歩いとるみてえでや。危く渓さ落ちかかったりしたんども、やがて鉄柱が見え、大きな石地蔵の向こうから、|吹き《ヽヽ》もなく|山ふところ《ヽヽヽヽヽ》の山々が、シーンと銀燻しに浮き立って来んなだちゃ」 「銀燻しに?」  そして、その彼方には、すでにもう月山とされるここまで来ても、いささかも姿を変えぬそのために、恐ろしいまでに厳しく見える白銀の月山が、臥した牛のように横たわっていたであろう。わたしはあの蚊帳の中で夢みた夢が、はからずもまた甦って来るのを覚え、口は入れまいと思っていたのに、ついそう問い返しましたが、押し売りは答えようともせず、自在鉤に懸けた鉄鍋に首を伸ばして、 「あンれ、味噌汁が煮立ったんでねえか」  催促めいたことを言うのです。しかし、寺の|じさま《ヽヽヽ》はいやな顔をするでもなく、 「ンだの」  と、答えて膝の木屑を払い、手盛りの晩飯にかかりました。押し売りは、寺の|じさま《ヽヽヽ》の割った割り箸をくわえて口で割り、汁椀を覗いてつまみ上げながら、 「こうッ。ただの大根だと思うたば、扇にも、千本にも、賽ノ目にも切ってあるでねえか。こげだときは、熱っちゃいものがいちばんの御馳走だの」  |吹き《ヽヽ》はいよいよ吹きつのり、めずらしく朝になってもやもうとはしなかったが、押し売りの姿はありませんでした。しかし、それからもほんのときたまながら、|吹き《ヽヽ》に紛れて刃物の研ぎ屋だとか、ノコギリの目立て屋だとかいう|やっこ《ヽヽヽ》(乞食)が来るのです。そんな|やっこ《ヽヽヽ》たちにも、やっぱりおなじ|ばさま《ヽヽヽ》の声が喚《おら》んでやっている。それも、どうやら雪で駐在所のある大網がますます遠くなり、どんな仕返しをされるかを恐れているのではありません。いまはこの世ならぬものとして密造を|なりわい《ヽヽヽヽ》としている部落では、この世の者を恐れこそすれ、この世ならぬ者とわかれば、|やっこ《ヽヽヽ》の類《たぐい》といえども決して悪くはしないのです。|やっこ《ヽヽヽ》の類も僅かにしろ必ずもらった酒か、米か、カネを寺の|じさま《ヽヽヽ》に置き、一夜を過ごすとどんな|吹き《ヽヽ》でも出て行って、二度と姿を見せないのであります。  思えば、|吹き《ヽヽ》の吹くまでは、|やっこ《ヽヽヽ》の類すら寺を訪れることはなかったのです。いきおい、炉ばたの話のタネになり、 「もうそろそろ、なんぞ紛れ込んで来てええころであんめえか」  と、寺の|じさま《ヽヽヽ》も待ち、わたしも待たれるような気持ちになるのですが、ある日、なにげなく階上の部屋の前の腰高の窓の障子を開けると、吹くともなく吹きはじめた境内に、ゴザをかぶった部落の|ばさま《ヽヽヽ》たちが、小さなゴザの餓鬼や野郎ッ子を連れてぽつぽつとやって来ます。いずれも、ゴザからセロファン菊をのぞかせ、立ちどまっては他人《ひと》を待ったり、曲がった腰をのしたりしているのです。そういえば、今日は念仏の集まりがあるとかで、寺の|じさま《ヽヽヽ》は早くから雪道を踏み、わたしも手伝おうと言うのを断って、炭火を入れた小火鉢を本堂に運んでいたのを、わたしはすっかり忘れていたのです。|やっこ《ヽヽヽ》の類も待たれる気持ちになりながら、部落の者たちの念仏には、なんの関わりもないと思う心がわたしにあったからかもしれません。  やがて、人影のなくなった|吹き《ヽヽ》の吹く境内に、さわやかな太鼓の音が響きはじめました。それにしてもと、行って本堂をのぞくと須弥壇の前に正坐した痩せた男が、横打ちに大きな太鼓を叩きながら、ダミ声を張り上げて心経を唱えている。僧衣まがいの黒いモンペ姿になっているものの、あたまもまる刈りで、たしかにわたしがはじめて部落に降りたとき、背負った肥樽をタブタブいわせ、振り返って、「これがあれか……」といった目つきでわたしを見たあの男です。部落の家々はみな合掌づくりの萱屋根で、見たところはなんの変わりもない山の農家だが、いわゆる山伏、もとは湯殿への先達であったことを示す|なになに院《ヽヽヽヽヽ》、|なになに坊《ヽヽヽヽヽ》と称する家のあることは、聞くともなしにわたしも知っていました。そうした連中の中には、まだ心経ぐらいは唱えることができ、六三さまの祈祷などする者もあると言うことでしたから、この男もそうしたひとりだったのでしょう。心経が終わると太鼓は鉦《かね》にかわって、いよいよ御詠歌になりました。   ※[#歌記号]彼の岸に願いをかけて大網の    ※[#歌記号]曳く手に漏るる人はあらじな  須弥壇にはセロファン菊が飾られ、多くの蝋燭がともされていました。しかし、蝋燭は僅かに蝋燭のあたりを明るくするだけで、印《いん》を結んだ本尊もおぼろにしか浮かんで見えぬばかりか、正面の重い半格子の板戸が閉ざされているので、須弥壇の前の板の間はひどく暗いのです。そこに餓鬼や野郎ッ子をそばにして、|姉さんかぶり《ヽヽヽヽヽヽ》の|ばさま《ヽヽヽ》たちが神妙にひかえ、黒いモンペ姿の男の音頭で、心経を唱え御詠歌を唄う。|姉さんかぶり《ヽヽヽヽヽヽ》は山の女の礼儀とされ、その手拭いを新しくするのは衣服を改めるほどの意味があるそうですが、ガクガクの入れ歯や入れ歯もない|ばさま《ヽヽヽ》たちの唱え、唄う声は、むしろ薄気味悪いのです。こっそり覗いているのを気どられるのもどうかと思って、ひとり戻って和紙の蚊帳にいると、よく寺の|じさま《ヽヽヽ》がそこで呼ぶ階段の下から、|やっこ《ヽヽヽ》のために喚《おら》んでやっていた|ばさま《ヽヽヽ》のあの泣きそうな声がするのであります。 「ほーい。花見すっさけ、来てくれちゃァ」  花見とは酒盛りのことです。意趣めいたものも多少はあって、気の進まぬままに黙っていると、聞こえぬとでも思ったのでしょう。なんども呼ぶので降りて行くと、小さなからだの|ばさま《ヽヽヽ》が立っていて、|おはぐろ《ヽヽヽヽ》の入れ歯を見せて笑うのです。呼んでも答えなかったので眠っていたとでもきめこんでいたのか、「起こしたかの」と言わんばかりの様子です。  本堂ではもう念仏のあとの、無礼講がはじまっているらしい。上段の間と呼ばれる広い座敷にバカでかい電球をつけ、|ばさま《ヽヽヽ》たちがぐるりとまわりに坐って、手持ちの重箱をひらき、狸徳利をさしあって、小火鉢を抱えながらガヤガヤ喋っています。餓鬼や野郎ッ子もじっとしていられなくなったのでしょう。須弥壇前の板の間から、更に向こうの位牌の間にかけて、駆けまわり互いに名を呼びあっている、それがまたやかましいのです。|おはぐろ《ヽヽヽヽ》の入れ歯の|ばさま《ヽヽヽ》に連れられて開けられた座に坐ると、傍の|ばさま《ヽヽヽ》が薄笑って、 「まンず、親切な|ばさま《ヽヽヽ》でのう。お前さまを呼ぶいうてきかねえもんだ」  しかし、それもただそう思えただけかもしれません。薄笑うもなにも口には歯もなく、背をまるくして、あとはモグモグ歯ぐきを噛んでかすかに首を振っているのですが、 「ンだ、おらは|やっこ《ヽヽヽ》が来ても、喚《おら》んでまわらねば気のすまねえ人だて。|おらえ《ヽヽヽ》(おら家)のイトコ煮、食うてもろうかの」  |おはぐろ《ヽヽヽヽ》の入れ歯の|ばさま《ヽヽヽ》は寺の|じさま《ヽヽヽ》のらしい割り箸で、重箱からなにかネチャッとしたものをすくって差し出すのです。|やっこ《ヽヽヽ》なみの親切はうれしくもないが、そんな|つもり《ヽヽヽ》はないにしても、わたしをこの世の者と思えば、呼んでくれる|はず《ヽヽ》もないのです。皿もないので手のクボに受けると、赤人参や南瓜をまぜた小豆ガユみたいなもので、口に入れるとへんに甘酸っぱく、泣きたくなるような味がするのです。しかし、そんな思いをなんとか隠してやっとわたしは呑みこみましたが、 「だば、|おらえ《ヽヽヽ》のイトコ煮も食《か》せるかの」  と、首振りの歯のない|ばさま《ヽヽヽ》もおなじような割り箸ですくってくれ、自分たちも互いに持参のイトコ煮を差し出して、手のクボまで舐めて褒めあっているのです。これでもう強いられぬだけでも、助かったと思っていると、 「おらのも食うてくれちゃ」  そう声がして、またイトコ煮を差し出して来る者がある。あの独鈷ノ山で出会った女で、「いやだかや」といった表情で笑っているのです。 「いやァ」  たださえ、も一度会いたいと思いながら、声しか聞けずにしまった人です。礼のかわりに手のクボを出して、そのイトコ煮を口にすると、不思議にその甘酸っぱさも、べつに泣きたくなるようなものではなくなっているのです。もう三度目で舌がならされていたのかもしれないが、おそらくこの人とあの山で出会ったばかりか、雪からセロファン菊を背負って来てくれたことが、いまも美しく心に残っていたからでしょう。 「…………」  女はニコリとしただけですが、わたしの気持ちを察してでもいたのか、嫌いなものを子供の口に入れさせた母親のような喜びの頷きにも似たものを見せるので、 「ここでまた会うとは、思いませんでしたよ」 「おらももう、この世の者でねえさけの」 「この世の者でない……」  わたしは耳を疑いながらそう呟くと、聞こえるはずもなさそうな首振りの|ばさま《ヽヽヽ》の向こうの|じさま《ヽヽヽ》が、 「ンだ。まンず、この念仏だば、この世の者でせえねえば、だれもが招ばれて来んなだて。もともと|ばさま《ヽヽヽ》の集まりで、|じさま《ヽヽヽ》がいても|ばさま《ヽヽヽ》は来るんども、|ばさま《ヽヽヽ》が|過ぎ《ヽヽ》れ(死ね)ば|じさま《ヽヽヽ》も来る。|だだ《ヽヽ》が|過ぎ《ヽヽ》れば|がが《ヽヽ》も来るってあんべえでのう。だども、|あね《ヽヽ》ちゃをこのまま終わらすのはおしいもんだ」  そして、これも|じさま《ヽヽヽ》の性《さが》なのでしょう、だれにともなくひとり頷くのです。そういえば、|ばさま《ヽヽヽ》たちの間のところどころにそんな|じさま《ヽヽヽ》が目につくものの、まだまだ若さの残っているこんな女は見あたりません。 「喜んでましたよ、寺の|じさま《ヽヽヽ》が」 「だかや」 「せっかくの丹精を、諦めてたんでしょうからね。おかげで、須弥壇にああして飾られている。雪に埋もれさせずによかったな」  多少は|じさま《ヽヽヽ》に応《こた》えるつもりがあったとはいえ、わたしはほんとうにそうも思ったのです。すると、あの黒いモンペ姿の男がやって来てどっかと坐り、茶碗を寄こして狸徳利を差し出しながら、 「おらだばこげだ花ほどええ花はねえと思うがの。まンず飲めちゃ。山の酒というんども、月山の水でつくって、サイフォンで上澄みをとった正真正銘の清酒だて」ダミ声でそう言うと、女の膝に手を置いて、「|わァ《ヽヽ》も|乙まけず《ヽヽヽヽ》(澄まさず)に、グイとやんなだちゃ」  しかし、女はそれとなく膝に置かれた黒いモンペ姿の男の手を払い、 「お前さま、和紙の蚊帳つくっているというんでろ。どげなもんだかや」 「どうって、まァ繭の中にいるようなものかな」 「繭の中……」  女がそう呟くと、|じさま《ヽヽヽ》はまたひとりごとのように、 「そういえば、どの家もカイコを飼うて、二階三階はカイコ棚にしとったんども、いまは桑の木もすっかりのうなってしもうての。変わったもんだて」  と、言うのを受けて頷いたのは、首振りの|ばさま《ヽヽヽ》であります。 「だども、カイコは天の虫いうての。蛹《さなぎ》を見ればおかしげなものだども、あれでやがて白い羽が生えるのは、繭の中で天の夢を見とるさけだと言う者もあるもんだけ」 「天の夢?」  そう言う女にほのかなものが感じられ、わたしはふとカイコにとっても、あの繭の中に天地のすべてがあるような気がして来るのですが、 「なるほどね。わたしもうつらうつらしながら、雪に折れ、雪に埋もれたセロファン菊を思いだしたりしてますよ」  多少の酔いも手伝ったのでしょう。わたしも心地よく女に気をもたせるようなことを仄かすと、女はまた膝に乗せて来た黒いモンペ姿の男の手を払い、 「だば、セロファン菊を持って行ってくれるかの、おらもそげだとこさ寝てみてえ」  女にも酔いが出たのかもしれません。わたしにもなにかが女から伝わって来るのを、感じないではいられませんでしたが、 「だども、そげだ夢をみさせていてえこったば、繭ごと煮るんだて。カイコはいつまでも、蛹でいるもんでねえさけの」  と、黒いモンペ姿の男は、ダミ声で笑うのです。それもなにかを感じて、女のために言おうとしているのではない。女にはすでに自分に特権があるといった口のきき方で、わたしにはわたしに対するというよりも、むしろ女に対する侮辱のように感じられ、かえって腹が立って来ました。しかし、来る前から酒がはいってい、そうも見えぬが相当酔っているのかもしれない。ほんとうはこれが他所者《よそもの》への気持ちというもので、そのためにこんなことを言わずにいられないのだと思い返してみるものの、 「だば、煮てやっかの」  女は笑って、わたしに気があるかに見せながら、なにかその特権を証《あか》すような、隠しきれない神妙なものがあるのを感じさせるのです。 「|おらほう《ヽヽヽヽ》から出はって、戻った者があるだかや」  黒いモンペ姿の男も女の気持ちを感じとったのでしょう、お前がなんと想ってもこんな男はやがてどこかに出て行くのだ、とわたしのことを言うように、 「せっかくつくったミイラでせえ、見世物になって、どこさいるもんだか知れねえでねえか」 「ミイラをつくった? ミイラは焼けたんじゃないんですか」  思わずわたしがそう言うと、黒いモンペの男はあざ笑って、 「焼けたさけつくったんでねえか、行き倒れの|やっこ《ヽヽヽ》での」 「行き倒れの|やっこ《ヽヽヽ》……」  わたしはふと|吹き《ヽヽ》に紛れて来た|やっこ《ヽヽヽ》が、わたしが肘折で行き倒れかけたと話したとき、「よくまァ、ミイラにされずにいた」と言ったのを思いだしました。してみれば、それは|やっこ《ヽヽヽ》の果てまで知っていることを、わたしにそれを気どられまいとして、寺の|じさま《ヽヽヽ》はウソを言っていたのです。 「ンだ。|吹き《ヽヽ》の中の行き倒れだば、ツボケの大根みてえに生《なま》でいるもんださけの。肛門から|前のもの《ヽヽヽヽ》さかけて、グイと刃物でえぐって、こげだ(と、その太さを示すように輪をつくりながら、両手を拡げ)鉄鉤を突っ込んでのう。中の|わた《ヽヽ》(腸)抜いて、燻すというもんだけ。のう、|ばさま《ヽヽヽ》。|わァ《ヽヽ》は見たんでろ」  と、黒いモンペ姿の男がダミ声を上げると、そばのだれかと話していた|おはぐろ《ヽヽヽヽ》の入れ歯の|ばさま《ヽヽヽ》が振り返り、 「そげだ料理をこの目で見たんでねえどもや。山の小屋からえれえ臭いがするもんだ。行ってみたば、仏《ほとけ》の形に縛られたのが、宙吊りされて燻されとったもんだけ」もうなん度もなん度もした話なのか、そんなことを知っているのは自分だけだというように、むしろ得意げに言うのであります。「|おぼけ《ヽヽヽ》(びっくりし)て腰は抜かしたんども、まンず、仏は寺のなによりの商売《しようべえ》道具ださけの」  みな酔って来て、|ばさま《ヽヽヽ》たちからワイセツな唄が出はじめました。ひとつが出ると手拍子が打たれ、いつとなくみなもそれに合わせては、また次のが出て来るのですが、ふと気づくとそばを離れてからも、あちこちに姿を見せていた女がいないのであります。予感にも似たものがして、胸をときめかしながらそれとなく立って和紙の蚊帳に戻ると、果たして女は敷きっぱなしの布団の上に足をこちらに向け、わたしの枕を抱いて上半身をうつ伏せに、下半身を横にして倒れたように寝ているのです。むろん、絣のモンペのままで、腰紐は固く結ばれ、|姉さんかぶり《ヽヽヽヽヽヽ》の手拭いはたたんで枕もとに置いてあるが、白い項《うなじ》にはひっつめ髪の後れ毛が誘うように乱れている。かりそめにもしろ、そんな繭のようなところで寝てみたいと言っていた。酔ったまぎれの苦しさでつい来て寝たとも思えれば、そうと思わせてひそかにわたしを待っていたとも見えるのです。  女は眠っているようだが、そんな|ふう《ヽヽ》によそおっているのかもしれない。添い寝をして腰紐を解こうとすれば、眠たげな声で押しのけようとしてみせても、それもわざとそうしてみせるだけのことなのだ。固唾《かたず》をのんでそんな自分と女を想像していると、ふとまた疑惑にも似たものが掠めました。なにがあれば男が女に特権ありげに振る舞うことができ、女はそれを容認するような神妙さを隠せなくなるのか。そこにわたしの思うようなことがあったにしても、げんに女はここにこうして横たわっているのである。なにを躊躇することがあろうかと思いながらも、よごれた裏を見せている緑色の足袋カバーと、心持ちズリ上がったモンペの間の足首が、みょうに赤く寒々と侘しく見え、にわかにサッサッと廊下越しの腰高の窓の障子を掃く|吹き《ヽヽ》の音が耳について来るのであります。  台所に降りると炉ばたには、寺の|じさま《ヽヽヽ》がひとり割り箸を割っていました。本堂の念仏の|ばさま《ヽヽヽ》たちの間からは、しばしば寺の|じさま《ヽヽヽ》を呼ぼうという声が出たのです。いや、厠は遠く庫裡のはずれにあるので、たまりかねて小走りに小用に行く|ばさま《ヽヽヽ》の中には、台所にはいって寺の|じさま《ヽヽヽ》の手を引く者もあったようです。しかし、寺の|じさま《ヽヽヽ》は笑って礼を言うだけで、動こうともしないということでした。たださえ、頑固で片意地なところのある人ですし、みなが来ている以上、だれかが台所にいなければという|つもり《ヽヽヽ》だったのでしょうが、わたしが炉ばたに坐っても口をきこうともしない。わたしも言えば空々しいことになりそうで、黙っていると、 「帰《けえ》っただか」  やがてポツンとひとこと、寺の|じさま《ヽヽヽ》が言うのです。押さえ切れぬ気持ちを押さえているように、小鉈を持つ手がかすかに震えている。むろん、女が上がって行ったことを知っていたのです。 「え? ええ」  わたしは|あいまい《ヽヽヽヽ》にそう答えましたが、|あいまい《ヽヽヽヽ》に答えたということが、すでに寺の|じさま《ヽヽヽ》の疑いを、認めたことになったかもしれません。たとえ、わたしたちになにもなかったと、訊かれもしないのに言いだせば、寺の|じさま《ヽヽヽ》をいよいよそう思わせることになるでしょう。  念仏の|ばさま《ヽヽヽ》たちもポツポツと本堂から帰りはじめ、なにかと声をかけてくれながら、残ったイトコ煮を台所の鉢に移して行くのです。それに寺の|じさま《ヽヽヽ》はいちいち礼を言い、お返しの割り箸の束を持たせてやったりしていましたし、わたしもそれなりの挨拶をしました。  やがて、イトコ煮で夕飯になっても、なんとなく互いに話題もないのです。和紙の蚊帳に戻るとむしろ白々しさから逃れた思いがし、女もいつか帰っていてその姿のないことも、かえって救われた気がするのです。しかも、中には片づけてもらうほどのものもないのに、どこがともなく片づけられ、布団の敷布もキチンと張り直されて、机にはあのセロファン菊と狸徳利が残されている。酒もまだ充分あるようです。|吹き《ヽヽ》はいよいよ激しさを加え、渓々で叫び雨戸を掃き、ガワガワと和紙の蚊帳の上の和紙の天井を鳴らしては、裏の山へと消えていく。わたしは幾つにも折って栓にした芋茎《ずいき》を抜き、狸徳利を傾けひとり茶碗酒をあおって、はじめて女と山で出会ったことを想ったりしていると、その出会いがすでにこの世のものならず思えて来るばかりでありません。ついいまの先までここにいたのは、雪からセロファン菊を背負って来た女というよりも、セロファン菊が女の姿になって来たので、いまもこうしてここにありながら、いつかセロファン菊にかえって、戻らぬものになってしまったような気がするのです。  |吹き《ヽヽ》がしずまり夜が明けて、やがてまた吹きはじめようとするころ、きまってキュッ、キュッと靴を鳴らして、だれかが頭上の屋根を渡って行くような音がする。それがどうやら向こうの端まで渡り終わったと思うと、ザーッとトタンを滑って、屋根に積もった雪が雪崩れ落ち、庫裡は揺れてしばらくは身震いをやめようとしない。寺の|じさま《ヽヽヽ》はあいも変わらず、雪道を踏んで、ときたま現れる|やっこ《ヽヽヽ》のほかはもう訪う者のない雪道をつくり、あとは終日暗い台所の炉ばたに坐り、煤けた電球の下で黙々と割り箸を割っている。今日も昨日のように暮れ、明日も今日のように僅かに明けるであろう。そこにはなんの変わりもなく、時間も淀んでなきがごとくに思えるのです。しかし、吹くともなく吹きはじめた|吹き《ヽヽ》の中に、ふたたびあの爽やかな太鼓の音が聞こえ、また念仏が本堂ではじまったらしいことを知りました。果てもなくながく思われたこのひと月が早くも過ぎて、わたしにはふとあのときの念仏の集まりが、つい昨日のことだったような気がするのです。  窓の障子を開けると、吹き込んでは来るものの、まだ|吹き《ヽヽ》といえるほどではありません。軒下の雪は屋根から雪崩れた雪と、吹きつけて|吹き山《ヽヽヽ》をつくろうとする|吹き《ヽヽ》で、すでに腰高の窓際に達するほど高くなっている。広々とした境内もそのために半ばは見えず、杉の木立も高々と下枝をおろされた幹がすっかり埋まってしまっている。細々と雪道らしいものが残されているとはいえ、もうどのあたりにセロファン菊が雪に埋もれて咲いていたのか想像もつかないのです。おそらく、あの日からああもながく思われたのに、来てみればつい昨日のような気がするのは、ひそかに今日の日を待っていたからです。しかし、その日の今日が来たからとて、あの女が来るはずもないし、来ようにも来れないようにしてしまったのが、このわたしではないか。  わたしが本堂に呼ばれたときは、れいによって念仏も終わって、|ばさま《ヽヽヽ》たちの花見はもう|たけなわ《ヽヽヽヽ》になっていました。席もおのずからきまっているのでしょう。まったくおなじ顔がおなじように並んでい、あのときとすこしも変わらないのです。しかし、イトコ煮の馳走になりながら、それとなく目で探してもやはり女は来ていない。仕方がないと諦めていると、 「飲んでくれェ」意外にも後ろから声がして、女が寄り添うように、狸徳利を差し出してくれるのです。「まンず、|このじょ《ヽヽヽヽ》(このあいだ)は無調法したの。掃除でもして、好きだというさけセロファン菊でも飾ってやろうと思うたんども、つい眠ってしもうて。おかげで、ええ夢を見させてもろうたちゃ」 「いい夢……」 「ンだ、天の夢をの。のう、|ばさま《ヽヽヽ》。カイコは天の虫いうて、繭の中で天の夢を見とるというんでろ」  女はわたしに頷いてそう言うと、首振りの|ばさま《ヽヽヽ》がまた、いつぞやとおなじことを繰り返すのであります。 「|おらほう《ヽヽヽヽ》だば、カイコは天の虫いうての。繭の中で天の夢を見とるというもんだ」 「だば、好いたお方と、添うた夢でもみただかや」  と、横から口を入れて笑ったのは、|おはぐろ《ヽヽヽヽ》の入れ歯の|ばさま《ヽヽヽ》ですが、 「そげだ夢ででもねえば、天の夢とはいえねえちゃやの。ひとつ、|ばさま《ヽヽヽ》さ取り持ってもろうかの」  女がニコリとしてみせると、たださえ|やっこ《ヽヽヽ》にも喚《おら》んでやらずにはいられぬ|ばさま《ヽヽヽ》です。 「取り持つ、取り持つ。早うええ種《たね》もろうて、|ぼんぼ《ヽヽヽ》(赤ン坊)をなすもんだ」 「おらさ|ぼんぼ《ヽヽヽ》がなせるんでろか」 「そげだことは、添うてみてから言うこんだ。|ぼんぼ《ヽヽヽ》は天の授かりというなださけ、天の夢を見るようだば、心配《しんぺえ》ねえて」 「だども、あげだ明るい繭の中さぬくぬくといた人が、木小屋みてえな|おらえ《ヽヽヽ》(おら家)さ来てくれるもんだかの」  そういう女の声がほのぼのと聞こえるのは、わたしも酔って来たからかもしれません。 「さァどうだかな。ここじゃァ、なにができるわけでもない。食わしてくれますかね」 「食わす、食わす。ゴムの水枕さ酒入れて、カラスになって十王峠を背負うて越えてでも、食わしてやって」  そう言って、女がわたしの膝に手を置くと、居並ぶ|ばさま《ヽヽヽ》、|じさま《ヽヽヽ》たちの間から、黒いモンペ姿の男が身を乗り出して来て、やけ気味というのでもないが、    ※[#歌記号]裏の畑に山芋植えて     ※[#歌記号]早く大きくなれ毛が生えれ  と、冷やかすようにダミ声で唄うのです。やがて、手拍子とともに、みなもそれを繰り返し、    ※[#歌記号]隣の|あね《ヽヽ》ちゃの|すり鉢《ヽヽヽ》借りて     ※[#歌記号]泡の出るほどすってみてえ  |おはぐろ《ヽヽヽヽ》の入れ歯の|ばさま《ヽヽヽ》があとを受けて、ふたたび手拍子でみなの唄になるのであります。  わたしはそれとなく女の手を握り、厠にでも行くように座をはずしました。足もとのフラつくのを覚えながら和紙の蚊帳に戻って、セロファン菊を狸徳利に插しかえし、女を心待ちにしていると、黒いモンペ姿の男がわたしを冷やかして唄った雪焼けのした赤黒い顔が浮かんで来るのです。酔いがそうさせたには違いないが、あの男は女が故意にあてつけて、あんな芝居をしたと取ったのであろう。しかし、わたしはもうどこといって、行く|あて《ヽヽ》のある身ではない。思い切り女を孕ませて、このままここに居付いてしまってもいいのである。方丈が新仏《にいぼとけ》の家をまわり、若後家のさびしさを慰めると称して、よく極楽浄土を味わわせるという。女もああして念仏に来るからには、|だだ《ヽヽ》を亡くしているのだろうし、男は先達の家の者で、心経も上げれば御詠歌の導きもする。寺もこうなってしまって、おそらくあの男が、方丈の勤めをしてまわっているであろうから、そんなことでつい関係ができ、逃れようもなくなっているかもしれないが、女がほんとにその気になってくれるなら、わたしはべつにそれを問おうとは思わない。  ひとり薄笑いを浮かべているうちに、わたしは眠ってしまったのでしょう。しかし、目覚めてみると、やはり廊下越しの腰高の窓の障子を|吹き《ヽヽ》の掃く音がし、女の来た気配もなければ日の暮れた様子もありません。しかもしばらくは、わたしが夜にはいったのも知らず、雨戸も引かずに寝込んでしまって、あくる日のまた|吹き《ヽヽ》の吹きはじめるころになっていたのに気づかずにいたのです。余程、酒を過ごしたのか、それでもまだ酒の気が残っている。うつろな気持ちでぼんやりしていると、「木小屋みてえな|おらえ《ヽヽヽ》」と女の言った言葉が、思いだすともなく思いだされて来るのです。そういえば、部落の二階、三階の合掌づくりの萱屋根の間に、たしかにそんな小屋がありました。もしそこに|かけひ《ヽヽヽ》の水が引かれ、多少まわりに手入れされた気配がなければ、わたしはむろん、住む人がいるとは思わなかったに相違ありません。  といって、あそこに女がいるのかどうか、わからぬまでも行ってみるだけで、いくらか二日酔いがなおるかもしれぬ。わたしは蓑笠をつけ、カンジキをはいて、こっそり寺を出ましたが、部落の眺めは一変しているのです。思ったよりも|吹き《ヽヽ》が強く、あたりに迫っている山々も見えず、風よけ、雪崩れよけに植えられたという木々も雪に埋まって、埋まってもなお幹から張っている|はず《ヽヽ》の枝も目にはいりません。ただ、|吹き《ヽヽ》の吹き上げて来る雪の斜面になっていて、あちこちに部落の屋根屋根が影のようにかすんでいるのです。しかし、それだけに|吹き《ヽヽ》がひと息つくと、かえって部落の全貌がわかるような気もするのです。  じじつ、立ちどまっては|吹き《ヽヽ》を避け、|吹き《ヽヽ》のひと息つく間に見定めては、心覚えにそれらしいほうにカンジキを踏んで行くうちに、杉皮の屋根からは雪がおろされ、|吹き《ヽヽ》に吹きちぎられながらかすかな煙を立てているものの、おろされた雪そのもので埋もれんばかりになっているその小屋のあたりに出ました。むろん、わたしはなんとなく確かめたくなって来たので、はいって訪ねる気はありませんでした。しかし、雪の掘られた入口を去ろうとすると、中からあのダミ声の罵倒がするのです。それも、酔ってクダを巻くというよりも、クダを巻くために酔って来たのでしょう。聞く者もないと思っているのか、あたりはばからず毒づいて、やっとおさまったと思うと、思いあまってのことらしい、やがてバシンと激しく平手で頬を打つ音がし、打って打って打ちまくるようです。それでもジッと堪えているのか、罵倒に答える声もなく、|打 擲《ちようちやく》にもなんの音《ね》もしないのであります。わたしは悪夢の中をさまよう心地で寺に戻りました。やはり、わたしの男に対するカンははずれてもいなければ、男も女のわたしへの仕草を、ただの芝居とみている|ふり《ヽヽ》をしていたのでしょう。それなのに、わたしは残された狸徳利にセロファン菊を插し、ひそかに女を待って、わたしの心のあるところを見せようとしていたのです。  わたしはいつかまた月がたって、念仏の日が来るのが苦痛になって来ました。しかし、その日になって招ばれてみても、女の様子も変わっていなければ、黒いモンペ姿の男の態度も違ってはいない。おそらく、だれもが密造を|なりわい《ヽヽヽヽ》としているので、表《おもて》はもう|おらほう《ヽヽヽヽ》の者だと肩を叩いてくれても、うかつに出れば他所者《よそもの》のわたしに、どこでなにを喋られるかわからぬと思っているのでしょう。それだけに、あのときわたしが女を孕ませたりしていたら、いったいどんなことになっていたのか。思うだに恐ろしくもなるのですが、ともあれここではこうしてすべてが事もなく、今日に至ったのを無上の悦びとしているように、この世ならぬ者たちは相好をくずし、手拍子を打ち、ワイセツな唄をうたい、ポカンと中が暗く見えるほど大口《おおぐち》をあけて笑っては、入れ歯が落ちそうになるのをあわてて手で押さえたりしているのです。しかも、わたしはイトコ煮を馳走され、酒をさされて笑い興じている。みなは、わたしもようやくこの世ならぬ者になったのに安堵でもしたのでしょう。その興じた笑いも、まんざら見せかけではないものの、わたしは白々としていっこう酔いもまわらぬのです。抜けようとすると、抜けさせまいとして、 「あいや、なにも逃げることはねえでねえか。それ、まだ酒もあるもんだし」  追いすがるようにして言う黒いモンペ姿の男のダミ声に、 「ほげ強いるもんでねえて。|わァ《ヽヽ》みてえな、底なしではねえもんだ」  そして、女は更に「のう」と同意を求めるような笑顔で、わたしを庇うのです。わたしも笑顔で応《こた》えて和紙の蚊帳に戻りましたが、いまさらのようにまったく違ってしまった自分を感じないではいられませんでした。  やがて、境内から雪を踏む音がし、酔って喋りながらみなの帰る声が聞こえる。念仏もはじめのころは、みな暗い中を帰って行ったのに、いつ日が長くなったのか、まだまだ明るいのです。ひとり電球もつけず、いつかは女の寝ていた敷きっぱなしの布団に、あお向けになって両肱を張り、項《うなじ》の下に手を組んで気もうつろに目を上げていると、いつもは電球の光で柔和に輝いて白く思えた蚊帳の和紙から、祈祷簿としてしるされた筆文字が裏向きになって無数に透けて見えるのです。  その筆跡《ふであと》は、もうどこのことかもわからなくなった国や郡《こおり》や町や村、部落の善男善女たちが、いくばくかを寄進して無事息災を祈ってもらったことを語っているのです。だが、無事息災とはなんのことなのか。なにごともないかのごとく、今日に至ったことを無上の悦びとして、いましがた去って行ったこの世ならぬ人々のようにあろうということか。そうした祈りへの約束として、こうした寺が建てられ、行き倒れの|やっこ《ヽヽヽ》のワタを抜き、燻してミイラがつくられたというのか。その寺も荒廃し、ミイラも見世物になって行く方も知れず、朽ち腐るものが朽ち腐ることによってそうみえる、笑みにも似たものを浮かべているであろう。……  いつもどこかでわたしを薄笑っている。そう思えるものに笑い返す|つもり《ヽヽヽ》で薄笑いを浮かべながら、わたしはふと和紙から透けて見える祈祷簿の筆文字の間に、シミのようなものがあるのに気がつきました。はじめはただ筆の運びで落とした墨かと見過ごしていたものの、どうもそうではありません。動きたくないのを無理に起きて蚊帳を出てみると、あのカメ虫がジッと留まっているのです。それも一匹ではない、他にも一匹おなじカメ虫がいる。しかも、ひとつは大きく、ひとつは小さいところからすると、どうやらメスとオスなのです。  どうしてこんなところに来たのかわからないが、なんとなくどこに|吹き《ヽヽ》に曝されぬところがあるかを感じるのでしょう。いずれにしても、ともに電球のコードを伝い、小さな穴の開けられた和紙の天井を抜けて、梁から降りて来たに違いないのに、互いに離れ離れになっていてまったく別のほうを向いている。それがみょうに滑稽でほほ笑ましいのです。わたしは吊り手にしていた水引き繩のひとつを解いて、蚊帳を半ばおろして手に取りましたが、ここまで来ながらいずれも仮死状態になっていて、脚を動かそうともしないのです。  だが、蚊帳に入れて温めれば、仮死から目覚めてよみがえるかもしれない。わたしはみなの使った階下《した》の小火鉢から灰ふるいを探しだし、柄をコードに結んで電球からほどよい距離に金網をつって、そこに二匹を置いてやりました。机に落ちる輪郭のぼけた大きな薄い影の動きだすのを待ちながら、わたしはふとカメ虫がいやな臭いを出すのを思いだすのです。あんな臭いを出されれば、蚊帳にこもってどうしようもなくなるに違いない。……  寺には本堂の銅屋根の残りでつくられた銅板の蝿叩きがありました。空をおおって来たカメ虫が、寺じゅういっぱいになったとき、寺の|じさま《ヽヽヽ》とそれを持って、なん百、なん千とつぶしてまわり、つぶれたカメ虫で、廊下もズルズル滑るほどになったのです。それも、そうしていきなりつぶせば、カメ虫がいやな臭いを出さないからですが、やがてそんないやな臭いのして来るだろうことも、いまはなんだか生きてある|しるし《ヽヽヽ》であったような懐かしさを覚えるのです。しかし、机の影はなん日待っても動く気配もありません。金網から取り出すと、カメ虫はいずれも死んだともみえぬ姿で、かえってこれが永遠の|いのち《ヽヽヽ》だといわんばかりに干からびて、わたしを薄笑ってでもいるように思えるのです。  といっても、これはいわば先ぶれに違いない。これからもカメ虫は幾組となく、現れて来そうな気がしていたのですが、あれなり姿を見せないのです。そればかりか、十王峠の雪崩れる音がかすかに聞かれ、ときたま紛れ込んで来ていた|やっこ《ヽヽヽ》の訪れすらまったくなくなってしまったのです。わたしにはすべてが空しく、冬の果てしなさが耐えがたくなって来ました。学童たちに買ってもらって来ていたタバコも切れ、ナタ豆煙管を借りに階下《した》に降りると、寺の|じさま《ヽヽヽ》は暗い台所の煤けた電球の下で割り箸を割っている。これでもまだ寺の|じさま《ヽヽヽ》が割り箸を割っているという思いは、わたしの心を支えるどころか、いよいよ空しさをそそり、空恐ろしくさえ感じさせるのです。寺の|じさま《ヽヽヽ》もそうして割り箸を割ることがまさに祈りであり、その祈りはただ|いま《ヽヽ》に耐えるというだけの願いなのに、その祈りによってもなお|いま《ヽヽ》すら耐えられぬものがあるのでしょう。 「たとえ、千本にしても、賽ノ目に刻んでも、扇に切っても、大根はおなじ大根だもんだしの」  突然、思いつめていたことが破裂したように、餓鬼道じみたことを言いだすのです。 「大根でもあれば、結構じゃありませんか」そうは言っても、わたしは|じさま《ヽヽヽ》の言葉にわれとわが耳を疑っただけで、言い返す|つもり《ヽヽヽ》はなかったのです。「そのうち、また念仏になれば、みながイトコ煮でも置いていってくれますよ」  ともあれ、寺の|じさま《ヽヽヽ》の厄介になっている以上、わたしは食い物のことだけは言うまいと心にきめていました。しかし、そう言うだけでなにかこうわたしにも唾液がたまって来、はじめてあれを口にしたとき、泣きたくなるような味がしたのを思いださずにいられませんでした。 「念仏ももうしまいだて」 「しまい?」  とすれば、ガヤガヤと雪を踏んで行ったあの声は、寺に現れて来たこの世ならぬ者たちの最後の声だったのか。ふとそんな気がして、思わずそう問い返しましたが、 「ンだ。いまから思うと、捨ててしもうて惜しいことしたもんだちゃ。みなが一ペんに置いて行かねえで、毎日少しずつくれるこったば今夜も食えたにのう。いまだば、捨てる食い残しもねえて」 「それで、あの赤犬も来なくなったんですかね」 「赤犬?」 「ほれ、よく桜桃のあたりに、あさりに来てたじゃありませんか」 「あれだば、食われてしもうたんでねえか」  と言われて、わたしにはわたしの蓑笠姿に吠えかかり、横目で見ながら降る雪の中にスゴスゴと消えて行った、あの間の抜けた赤犬の顔がアリアリと浮かんで来たばかりではありません。いよいよ、すべてがわたしたちから消え去ってしまったような気がするのですが、 「食ってしまった、あの赤犬を」 「ンだ。食いもすれば、皮にもするで。赤犬だばうめえもんださけの」  寺の|じさま《ヽヽヽ》は捨てたイトコ煮は、やがて雪が解けだすとそのまま出て来る。それを犬が食ってくれるので、みなに知られぬだけでも助かると笑っていたのです。しかし、もともと犬は好きではないらしく、まだ雪の来ないころは、食い残しを埋めてもあばいて食い散らす、と言って、よく杖を振り上げたりしていたのです。 「部落の衆は猟をしないんですかね」 「猟はすんども、|おらほう《ヽヽヽヽ》だば犬などいらねえもんだ。銃せえあれば、雪さついた足跡を辿ればええなださけの」 「…………」 「それに、雪で山にも食い物がのうなって、狐も狸も野兎もだんだん部落さ下りて来る。堰の小橋さワナかけとけば、結構とれるもんだちゃ」 「でも、そんなのは臭いが強いんじゃないのかな」  とわたしが言うと、寺の|じさま《ヽヽヽ》は急にムラムラとして来たように、 「臭いだと? 臭いがなんだや。野兎など、たんだうめえもんだ」  あとはものも言わず、黙って傍の鉄鍋を自在鉤に懸けるのです。味噌汁はやはりおなじ大根でも、千本にも、賽ノ目にも、扇にも切ってありません。そんな細工すらバカバカしくなったのでしょう。  夕飯をすましたときは、なにかもう夜にはいったような気がしていました。しかし、階上《うえ》にあがると薄暗いとはいえ、空にはまだ明るさが残っています。軒下の雪はほとんど腰高の窓の敷居の高さまで来ているが、|吹き《ヽヽ》というほどの|吹き《ヽヽ》もなく、たまたま降っても屋根から雪崩れても、それ以上にはなろうとしないのです。そういえばこのところ、寺の|じさま《ヽヽヽ》が毎朝のように不自由な足を曳き曳き、「ヨイショ、ヨイショ」と、雪道を踏んでいたあのかけ声も聞いたことがない。わたしたちはすでに冬の果てともいうべきところに来ながら、それがいわば冬の頂であって、依然として冬であるかに見えるそのために、果てとも思えずにいるのかもしれません。なんとはなしに、わたしははじめて|やっこ《ヽヽヽ》が来たときのことを思いだしました。おそらく、わたしに「ようミイラにされなかった」と薄笑ったのが心の底に残っていて、薄笑ってやりたくなったのでしょうが、いつとも知れず赤いというか、黒いというか、地獄の火のように渓越しの雪山の頂が夕焼けて来るのです。  しかも、渓越しの雪山は、夕焼けとともに徐々に遠のき、更に向こうの雪山の頂を赤黒く燃え立たせるのです。燃え立たせると、まるでその火を移すために動いたように、渓越しの雪山はもとのところに戻っているが、雪山とも思えぬほど黒ずんで暗くなっています。こうして、その夕焼けは雪の山々を動かしては戻しして、彼方へ彼方へと退《ひ》いて行き、すべての雪の山々が黒ずんでしまった薄闇の中に、臥した牛さながらの月山がひとり燃え立っているのです。かすかに雪の雪崩れるらしい音がする。わたしは言いようもない寂寥にほとんど叫びださずにいられなくなりながら、どこかで唄われてでもいるように、あの念仏の御詠歌が思いだされて来ました。   ※[#歌記号]彼の岸に願いをかけて大網の    ※[#歌記号]曳く手に漏るる人はあらじな  それにしても、なにものもとらえて漏らさぬ大網を曳く手とはなんなのか。それほど仏の慈悲が広大だというなら、広大なることによって慈悲ほど残忍な様相を帯びて来るものはないであろう。……  この異様な光景は雨戸を引いて戻っても、わたしの心に焼きついて離れなかったばかりでありません。おのれを紛らす残り酒もなく、寝ようとして電球を消すと、そこにしるされた空しい無数の祈りが漂って、もう和紙の蚊帳も寺もなく、かえって薄闇の中にひとり月山の燃え立つ異様な光景のただ中にさまよい出たような気がするのです。死とは死によってすべてから去るものであるとすれば、すべてから去られるときも死であるといってよいに違いない。いったい、わたしの友人はわたしを思いだしてくれているのか。忘れるともなく友人を忘れてここに来たのは、むしろわたしのほうであったのに、わたしにはなにか友人に忘れられたことへの怨恨すら感じられて来るのです。目はただ冴えるばかりですが、もし言うように死が大いなる眠りであるとすれば、これがほんとの眠りにおける夢というものかもしれません。  夕焼けは明日の快晴への約束だったのでしょう。あくる朝、目覚めたときは明るい日ざしが雨戸の隙から漏れて来て、昨夜《ゆうべ》のこともまるでウソのようです。階下《した》に降りると台所の炉ばたには、めずらしく|あぐら《ヽヽヽ》をかいて話し込んでいる者がいる。|せたけ《ヽヽヽ》も寺の|じさま《ヽヽヽ》とさして変わらず、おなじモンペ姿で犬皮を背にしているが、いかにも頑丈そうで、 「これだば源助の|じさま《ヽヽヽ》いうての。おらとは同級生だもんだ」  箸を割り割り寺の|じさま《ヽヽヽ》がそう言うと、源助の|じさま《ヽヽヽ》はかくべつ挨拶するでもなく、大きな顔の無精髭の中から笑うのです。それがまた人懐しげにも見え、自信ありげにも見えるのです。 「同級生というと、学校はそのころから大網なんですか」  と、わたしが訊くと、源助の|じさま《ヽヽヽ》は頷いて、 「ンだ。なんたて、山はすぐ天気が変わるさけ、親が無理矢理ゴザを持たすんどものう。こげだ日にはよう面倒になって、二人で雪道さぼん投げて帰ったもんだちゃ」 「そんなことして、なくならないもんですかね」 「なくならねえの。雪降って埋もれるようだば、だれぞが雪に枝立てて、ぼん投げたゴザを懸けてくれる。また、|おらほう《ヽヽヽヽ》さ来る者があれば、わざわざ持って来てくれるといったあんべえでの。だども、|おらほう《ヽヽヽヽ》だばみな渡部姓なんでろ。家号を知らねば郵便配達もできねえとこだども、学校だば家号は書かせねえもんだし。尋ねてまわられて、親さバレてよう、|ごけ《ヽヽ》(叱)られたりしたもんだて」  源助というのもむろん家号でしょう。 「じゃァ、源助さんのほんとの名はなんてんです」  わたしがそう訊くと、 「おらだかや。おらだば家号も名も源助だ」  と、源助の|じさま《ヽヽヽ》は愉快げに笑うのです。おそらく、自力で分家でも起こしたに違いありません。そんなふうな人柄に見えるのです。 「じゃァ、源助の源助ですね」 「ンだ。昼食はまだなんでろ」 「昼食どころか、いま起きたとこですよ」 「だかや。だば、野兎を御馳走すっさけ、|じさま《ヽヽヽ》と|あべ《ヽヽ》(来い)ちゃ。あれで、|おらえ《ヽヽヽ》の|だだ《ヽヽ》は鉄砲撃ちの名人での。|ゆんべ《ヽヽヽ》は幸い凪いで、なん羽もしとめて来たもんだ」 「野兎を? じゃァ、御馳走になりますかね」  わたしはなにがともなく薄闇の中にひとり赤黒く燃えていた月山を思いだしながら、そう言うと、寺の|じさま《ヽヽヽ》も小鉈を持つ手を止めて、紐で結んだ老眼鏡を上げながら、 「なる、なる。だども、おらだばこの束しあげて、|そんま《ヽヽヽ》(すぐ)行くさけ、ひと足先に行くんだちゃ。ンだ、|手みやげ《ヽヽヽヽ》にこれ提げて行ってもろうかの」  すでに仕上げて炉ばたに積んだ束のひとつをわたしに渡そうとするのを、源助の|じさま《ヽヽヽ》が横から気さくに受け取って笑うのです。 「だば、おらがここで頂戴すって。どうせ貰うなら、早いに越したことはねえさけの」  寺を出ると、空は青く雪が眩いほどです。ガボガボとゴム長を鳴らして雪道を降りながら、 「庫裡の二階のあげだ広間で、どう過ごすんでろと思うたば、カイコみてえに和紙の蚊帳つくって、いたいうでねえか。考えたもんだの」  と、源助の|じさま《ヽヽヽ》は無精髭の中かられいの笑顔を見せるのですが、といってそれ以上わたしに聞こうというのでもない。すでに聞き知っているというよりも、自分にもなにか見せたいものがあって、隠してでもいそうな無邪気なものが感じられるのです。 「天の夢でも見ようと思ったんですかね。このあたりでは、カイコを天の虫というんでしょう」 「ンだ。そんで、天の夢を見ただかや」 「さァ、見たといえるのかな」  こうして晴れた眩い雪の中を愉快な|じさま《ヽヽヽ》と歩いている。これも天の夢といえるかもしれません。 「だば、おらが見せっかの」 「天の夢を、ですか」 「ンだ」  と、源助の|じさま《ヽヽヽ》は無精髭の笑顔で頷くのです。雪道の傍にはところどころに、梢の枝が茂みのようにのぞいてい、そうした向こうからときならぬ歓声が聞こえる。雪の斜面に餓鬼や野郎ッ子が集まって、箱橇を滑らせているのです。しかし、みなが滑り終わってもひとり取り残されたように、竹箒を逆さにして立っている部厚なチャンチャンコの小さな野郎ッ子がいる。それがどうやらわたしがはじめて降りて、部落で出会ったあの頭の大きな野郎ッ子なのです。たぶん、そんな竹箒なんか持って来たのを冷やかしているのでしょう。みなが下から囃していましたが、囃されたその小さな野郎ッ子は思いを決したように竹箒にまたがって尻をつき、柄を持ち上げていきなり滑りはじめました。しかも、その柄で梶《かじ》をとりながらなかなかうまく滑るのですが、得意になりすぎたのかもしれません。中途から竹箒を残してコロコロところがりはじめました。それをまたみなが歓声を上げて笑うのです。源助の|じさま《ヽヽヽ》がつい吹きだして、 「困ったもんだの。|おらえ《ヽヽヽ》の孫も|きかなし《ヽヽヽヽ》(きかん気)で」 「じゃァ、あれが源助の孫だったんですか」  そう言えば、あの小さな野郎ッ子には柄にもなく、おのれを持して自分の意志を通そうとするところがあるようだ。それでみなから除《の》け者にもされれば、笑われもするのだろう。そんなことを考えていると、わたしにはあの小さな野郎ッ子が、この源助の|じさま《ヽヽヽ》に似ているというより、この源助の|じさま《ヽヽヽ》があの小さな野郎ッ子に似ていそうな気がして来るのです。  どこもそうしているように、源助の家にもその萱屋根からおろされたうず高い雪を切って、階段がつくられています。そこを降りると土間は暗く、眩い雪道を来た目にはまったくなにも見えません。家畜が飼われているらしく、藁や屎尿の臭いが鼻をつくようですが、つまずいて踏みつけるまでは、足もとに雪沓《ゆきぐつ》やゴム長が散らばっているのもわからぬほどです。しかし、奥は意外に明るく、茶の間の炉ばたでなん人かの男女が鍋をつついている。おそらく雪沓やゴム長の主たちで、野兎の馳走になっているのです。 「さァ」と、わたしは座敷に通されて、驚かずにはいられませんでした。部落の家にはみな裏手の山にかけて、かなりのツボと呼ばれる庭がつくられています。上からの雪崩れを気づかってツボを裏につくるのかもしれませんが、源助の|じさま《ヽヽヽ》の座敷から見えるツボは、ほとんどその全体にわたって、雪が取り除かれているのです。といって、庭草を傷つけまいと配慮したのでしょうか、地面に近い雪は残されていて去年の枯れ草が雪にまみれている。しかも、その枯れ草の間にも緑が見え、遠く向こうに行くにしたがって、緑は次第に多くなり、黄色い花をあわく咲かせているあたりから、渓流でもあるらしく、せせらぐ水の響きがして、蓆のかぶりの間から、寒椿がもう赤い蕾をのぞかせています。 「福寿草ですかね。あれは……」  ふと、夢見心地になりながらそう訊くと、 「ンだ、|おらえ《ヽヽヽ》のツボのは、たンだ山の名で呼ばれるみてえな草や木だけだども、あれだば福寿草だの」 「山の名で? じゃァ、あの寒椿はなんて言うんですか」 「寒椿も寒椿だの」  と、源助の|じさま《ヽヽヽ》は無精髭の顔の中から、満足げに頷くのです。 「それにしても、これだけの雪を起こしたんじゃァ、捨て場に困ったでしょう」 「うかつに捨てると交通妨害ださけの。はじめは手橇で下の渓まで運んだんども、|おらえ《ヽヽヽ》だば渓川があるし、渓川は雪の下さホコラつくって流れとるんでろ。まンずそこまで掘って、あとはそこさ捨てていったもんだ。だども、どげだに曇っても、雪さぬかった足跡の穴の底は蒼く見えるんでろ。それを|おらた《ヽヽヽ》(おらたち)はよく、雪の下さ青空がある、と言うたんどもや。雪の下さホコラをつくった渓川のあたりは、草もすっかり緑になっとるし、花みてなものもあるんだや」  と、源助の|じさま《ヽヽヽ》もいかにも感慨深げな面持ちをするのですが、 「また自慢話だかや。みなも帰ったさけ早う炉ばたに来て、熱っちゃいものでも食うてもろうんだで」  そう言って|ばさま《ヽヽヽ》が座敷にはいって来ましたが、なんとそれが念仏ではいつも|おはぐろ《ヽヽヽヽ》の入れ歯の|ばさま《ヽヽヽ》の横で、ただ柔和な顔をして首を振っていた|ばさま《ヽヽヽ》なのです。 「ご厄介をかけますね」  と、わたしが挨拶をすると、源助の|ばさま《ヽヽヽ》は、 「なんの、なんの。|おらえ《ヽヽヽ》の|じさま《ヽヽヽ》だば|わァ《ヽヽ》ひとりただ面白がって、こげだ|ほろけ《ヽヽヽ》(呆け)をひとさ見せたいんでろども、だれが面白がるもんだかの。風がへえってどもなんねえさけ、やめれ、やめれと言うんども、月夜の晩など夜中も出はって雪起こししとるんでろ。ほんに|きかなし《ヽヽヽヽ》の|じさま《ヽヽヽ》だもんだ」  と言って、ここでは首も振らないのです。わたしも|吹き《ヽヽ》のないシンとした深夜、カサッ、カサッと、雪でも起こすらしいかすかな音を聞いたような覚えがあります。ツボケを掘るにしても、なにもこんな夜中にと思っていたのですが、まさかこれだけの広さの雪を起こそうと、この深い雪に挑んでいようなどとは考えてもいなかったのです。そのために、まわりは高い雪の壁になり、もうこのあたりでは恐ろしいほど迫っているはずの雪の山々も見えぬほどです。炉のまわりには野兎の肉を刺した串が並べられ、自在鉤の鉄鍋はクツクツと煮えて、なんとも言えぬ匂いを立てています。 「さァ、酒だばなんぼでもあるさけ、思い切り食うて飲んでくれ」  源助の|ばさま《ヽヽヽ》がわたしに茶碗をとらせて狸徳利からつぎ、椀に汁を盛って、割り箸を添えてくれるのです。 「これも寺の|じさま《ヽヽヽ》のですか」  と言うと、源助の|じさま《ヽヽヽ》は笑って、 「ンだ。おかげで、|おらほう《ヽヽヽヽ》だば割り箸だけは、不自由しねえですむもんだ」 「しかし、来ませんね、寺の|じさま《ヽヽヽ》は。すぐ来るようなこと言ってたけど……」 「来ねえの。まンず、かまわずやろうで」  と言われて、わたしは串の焼き野兎をほおばりましたが、臭いどころか、われながら恥ずかしくなるほどうまいのです。 「からだがあんなで、ここまでは無理なのかな」 「それもあろうども、寺の|じさま《ヽヽヽ》の兄だ人も、寺で縊《くび》れて果てたんださけの。聞いただかや」  と、源助の|じさま《ヽヽヽ》は、なにやらありそうなことを言うのです。 「縊れたって、どうして……」 「バクチだて。湯殿詣りの客はみな帰りは寺さ泊まって、酒だ、バクチだなんでろ。ミイラとりがミイラになるてあんばいで、|おらた《ヽヽヽ》(おらたち)も手を出しての。肥《ふと》るのは寺ばかしで、みな山も、林も、田も、畠もとられてしもうたもんだ。ンださけ、焼けても寺はあげだのがすぐ建ったんでねえか」 「じゃ、他にも縊れたのがいたんですか」 「いた、いた。ことに寺の|じさま《ヽヽヽ》の兄だ人だば、若くて|おらほう《ヽヽヽヽ》から湯殿さかけての、橋という橋を請負って架けたという人ださけの」 「じゃァ、大網の傍の落とされた橋も……」 「ンだ。いまはあらかた改《か》えられて、あれが最後の橋だったんでねえか」  たしか、寺の|じさま《ヽヽヽ》はあの橋は、選挙に勝たせてくれれば新しいのをつくってやると、だれかにそそのかされたからだと言っていました。もっとも、言葉を濁してそれなり語ろうともしませんでしたが、思えば部落の衆の愚かさを憤るおのれの気持ちを抑えようとしたのではない。あるいは、あれが縊れて果てた兄だ人と自分もともに働いてつくった、残された唯一の思い出だったからかもしれません。 「なんたて、気性の激しい人ださけ、まっ先に縊れて果てたんども、兄だ人が呼んだんであんめか。身代限りした家から、次々と縊れて果てる者が出たもんだ」 「呼ぶ?」 「よくそげだこと言うでねえか」 「それで、大日坊のほうもだったんですかね」  そうわたしが訊きましたが、源助の|じさま《ヽヽヽ》は、 「他《よそ》部落《むら》は知らねえんども」  と、避けたい様子で、 「寺ばし肥ったのはおなじでねえかの。あれももとのは地滑りにおうて、やられたんども、あげだのがすぐ建ったんださけ」 「地滑りで……」 「ンだ。橋がねえんで、お前さまも渓を渡ったんでろ。あのすぐ上を関屋《せきや》というての、沢さ寺も庫裡もずり込んで、いまも凄まじい残骸を曝しとるて」 「…………」 「寺の|じさま《ヽヽヽ》は|おじ《ヽヽ》(次男)だども、|わァ《ヽヽ》と家を起こそうとしたんでろ。|がが《ヽヽ》を家さ残して、出稼ぎさ出たんどもの。それなり、聞かずになって、養老院さいるのを方丈から拾われたんだちゃ。なんたて、もとは大工なもんだ。寺のちょっとした修理ぐらいできるんでろし、カネは出さねえんでも生活保護も出るんでろ」 「…………」 「寺の|じさま《ヽヽヽ》も、余ッ程、考えたみてえだどもの。いずれは死んで戻らねばなんねえところだもんだし、|がが《ヽヽ》も死んでのうなってみれば、|がが《ヽヽ》に似た|あね《ヽヽ》も憎くはねえんでろうしの」 「|がが《ヽヽ》に似た|あね《ヽヽ》? じゃァ、寺の|じさま《ヽヽヽ》の娘じゃないんですか」  と言いながら、わたしはなにかと寺の|じさま《ヽヽヽ》にやさしくしていたあのセロファン菊の女を思いだし、女がわたしの和紙の蚊帳に寝に来たときの、寺の|じさま《ヽヽヽ》の小鉈を持った手の震えが見えるような気がしたのです。 「それで、寺の|じさま《ヽヽヽ》は戻ろうとしなかったんでしょう」 「だかもの。|あね《ヽヽ》もあれで若後家で、念仏さ行っとるみてえだどもの。ほんとはこれも生き別れで、男はどこぞの山の雲の上で、電線を張っとるんでねえか、という者もあるもんだけ。十王峠さ送電線の鉄柱を上げに来たのとでけたんださけ。とかく言う者もあるんども、|あね《ヽヽ》は気立てのええ女だて」 「…………」 「|おらほう《ヽヽヽヽ》も、いまはこの世から忘れられ、寺さ来る客もねえ。たまたま客のあるこったば、税務署でねえかと、部落内《むらうち》シンとして口もきかなくなるんども、農地解放で田畠もなんぼか戻って来る。酒もほどほどにして、税務署せえ見逃してくれるこったば、なんとかこうして孫子ともいられる。いまは縊れて果てた者もむかし語りで、まンず、言うことはねえんであんめえか」  と、源助の|じさま《ヽヽヽ》が狸徳利を傾けてわたしのにさし、自分のにもつごうとしていると、 「|じじちゃ《ヽヽヽヽ》! |おらえ《ヽヽヽ》の牛がおかしげになったァ」  と、土間のほうから源助の|がが《ヽヽ》らしい若い女が来て、とり乱した様子で叫ぶのです。 「|ない《ヽヽ》(なん)と?」  あわてて立った源助の|じさま《ヽヽヽ》に思わずわたしもついて行くと、あの暗い土間に電球がつけられている。それでも明るくなったわけではないが、どうやら土間の一隅に横木が渡され、牝牛と仔牛がいるのがわかるのです。仔牛は牝牛に舐めて、舐めて、舐められて、全身ベトベトに濡れ、寒さと怯えでガタガタ震えながら、逃げ場もなく隅へ隅へと寄っている。それを牝牛が鼻息も荒く眼をむいて迫り、まるであのときの牡牛がするように、仔牛の尻にのし上がろうとするのです。 「あっちゃさ行け。こげだもの、野郎ッ子の見るもんでねえてば」  癇《かん》走った|がが《ヽヽ》の声に気がつくと、|ほろけ《ヽヽヽ》(呆け)たように立ちながら、ひとり首を振っている|ばさま《ヽヽヽ》の横で、あの頭の大きな部厚いチャンチャンコの野郎ッ子が、その凄まじい牝牛の所作を食い入るように見ているのです。 「畜生だもんだの。どうせばええんでろか」  おろおろ声で男が言ったと思うと、 「どうせばこうせばも、あるもんでね。早く離さねば仔牛は殺されてしまうで」  |がが《ヽヽ》が怒って言うところをみると、どうやら男は|このえ《ヽヽヽ》の|だだ《ヽヽ》なのです。 「だども、こげだになるこったば、テコでも動くもんでねえ。無理に鼻綱とって分ければ、おらが殺されるでねえか」 「仔牛を曳いて出はれば、牝牛が追うて行くんねえか。したば、牝牛を繋いで仔牛を連れて戻って、拭いてやるんだ。あげだにガタガタ震えて、肺炎にでもなられるこったば、どうすって」と叫びながら、|がが《ヽヽ》はまだ野郎ッ子が立って目を離さずにいるのに気がついたのでしょう。「まだ行かねえだかや。この|きかなし《ヽヽヽヽ》! |でって《ヽヽヽ》、|でって《ヽヽヽ》(ほんとに、ほんとに)」  つい堪りかねたように、バシンと力いっぱい野郎ッ子の大きな頭を打ち、またも手を振り上げようとするのです。野郎ッ子は突然ワッと大声を上げて泣きだしました。それが|がが《ヽヽ》に打たれたためというよりも、わたしには男女の交合を見せつけられたとき、必ず子供が上げるというあの号泣にも似たものに感じられたのです。しかし、野郎ッ子はふたたび|がが《ヽヽ》の手で打たれようとしているのに気づいたらしい。雪の階段から飛んで逃げ、力いっぱい叫ぶのであります。 「糞|ずっこ《ヽヽヽ》!」  樹々の繁みの深く埋まった雪の斜面では、木霊が恐ろしいほどすぐに撥ねかえって来るのです。うず高い雪を切った狭い入口からえらい早さで、ハッキリと、糞|ずっこ《ヽヽヽ》、糞|ずっこ《ヽヽヽ》、糞|ずっこ《ヽヽヽ》……と、木霊して行くのが聞こえます。 「ほんに、糞|ずっこ《ヽヽヽ》だもんだ。ツボの雪を掘ったり、|ほろけ《ヽヽヽ》(呆け)た真似をすっさけ、牝牛も|さかり《ヽヽヽ》がついてこげだことになんなだちゃ」  |ばさま《ヽヽヽ》は首を振り振りそう呟きましたが、またも野郎ッ子の叫ぶ声と木霊が聞こえて来るのです。「糞|ばっこ《ヽヽヽ》!」糞|ばっこ《ヽヽヽ》、糞|ばっこ《ヽヽヽ》、糞|ばっこ《ヽヽヽ》……。 「だども、これだば一発でつくがの。まンず、花だば開き切ったとこださけ、早うタネつけてやるんだ!」  驚いたことに、そう言ったのはあの先達らしいダミ声で、さっきから懐中電燈を突きつけて、牝牛の性器をのぞきこんでいたのです。 「タネつけようにも、こげだ雪の中さ、タネツケ(種畜場)が来てくれまいて」  |だだ《ヽヽ》がおろおろ声で言うと、ダミ声の先達が、 「タネヤは来ねえでも、タネせえあればなんでもねえて。腕さ石鹸をぬたくっての。肛門さ突っ込んで、子袋さぐって|あれ《ヽヽ》から注射器さして、タネ入れてやればええもんだ」  まるで、ミイラの話をしてくれたときのように、得意げに言うのです。それも、ちゃんとわたしのいることを知っていて、チラとわたしに向けたその目には、いかにもある意味ではもう兄弟《ヽヽ》だといわんばかりの卑しげな親しさをさえ見せているかに思えるのです。 「だば、カラスたちに頼むんだったの。いま帰ったばかりだし、急げばまだ追いつくかもしんね」  と、|だだ《ヽヽ》が言うところからすると、さっき炉ばたで、野兎をサカナに|きき《ヽヽ》酒をしていたのが闇の酒買いたちだったのです。しかし、いままで黙っていた源助の|じさま《ヽヽヽ》が、突然口を開いて、 「だば、おらが行くて! 十王峠を越えれば、なんでもねえもんだ」 「十王峠だと? 吹き上がったガスで、十王峠はもう隠れてしもうたて。やがて、|おらほう《ヽヽヽヽ》も|吹き《ヽヽ》になるんでねえか」  海を渡り平野部をおおって月山へと寄せる|吹き《ヽヽ》は、まず十王峠を吹き上げて来るのです。十王峠から吹き上がったガスといっても、ほんとうはこの|吹き《ヽヽ》の前ぶれなのですが、部落が|吹き《ヽヽ》になる|吹き《ヽヽ》は山あいの川をのぼり、渓から渓へとはいって来るので、相当の間あいがある。そこで、部落の衆は十王峠が曇れば|おらほう《ヽヽヽヽ》が吹くなどと、よく言うのであります。 「ンださけ、カラスたちも大網さ下ったんだちゃ。バスももう名川まで来とるというもんだし」 「名川まで……」  わたしは思わずそう呟きましたが、源助の|じさま《ヽヽヽ》はもう笑顔も見せず、 「そげだことしとる間に、平野部さ出てしまうて。たンだ、タネが途中の寒さで凍って、死ぬんであんめえか」 「凍るもなにも、タネはもともと冷凍されとるもんだ。|じさま《ヽヽヽ》の春が、雪の下で眠っとったみてえにの」  と、ダミ声の先達が言うのですが、それもあの卑しげな親しさで、わたしに同意を求めているように思えるのです。  寺に帰りつくころには、あたりはすっかり|吹き《ヽヽ》になっていました。しかも、|吹き《ヽヽ》はますます激しくなり、真冬に逆戻りしたように冷えるのです。 「|だいじょうぶ《ヽヽヽヽヽヽ》だったでしょうかね」  炉ばたで割り箸を割りながら、寺の|じさま《ヽヽヽ》がみょうに黙っているので、わたしはついそう訊かずにいられなくなったのですが、 「|でえじょうぶ《ヽヽヽヽヽヽ》だったんでねえか。いつぞや、|やっこ《ヽヽヽ》も峠で大きな石地蔵を見たというたんでろ。あれだば四十貫もあろうかし、あれを若っけえころは、ひとりで背負って上がったて|じさま《ヽヽヽ》ださけの」 「四十貫の石地蔵を……」 「ンだ。今日はどこぞで宿しても、明日の昼には戻るんであんめえか。どげだ|吹き《ヽヽ》でも、吹き疲れて、|朝ま《ヽヽ》には凪ぐもんださけの」  しかし、|吹き《ヽヽ》は朝になっても吹きやまず、境内から寺の|じさま《ヽヽヽ》が利かぬからだの足を曳いて、「ヨイショ、ヨイショ」と、雪道を踏むかけ声が聞こえるのです。わたしも蓑笠に、カンジキをはいて出ましたが、風向きによっては目も開けられぬほどでした。 「こんなことも、あるんですかね」 「あるにはあるんども、めったにあるもんでねえんどもの」  わたしの問いに答えながら、寺の|じさま《ヽヽヽ》はついた杖で、雪をかぶった黒いものを指すのです。 「燕じゃありませんか。もうこんなのが来てたんですか」 「来とったんでろのう」 「もうこんな|吹き《ヽヽ》が来るとは、思わなかったんですかね」 「来ても|でえじょぶ《ヽヽヽヽヽ》だと思ったんでねえか。強い燕から奥へ奥へと渓を上がって、雪の中さ来るというさけの」  寺の|じさま《ヽヽヽ》もそれだけで、あとは言おうともしませんでしたし、わたしも源助の|じさま《ヽヽヽ》には触れませんでした。しかし、日も暮れて夕食になって寺の|じさま《ヽヽヽ》は、だれに訊いたのか、それを源助の|じさま《ヽヽヽ》のためとは口にせず、 「明日になっても帰らねえようだば、部落内《むらうち》寄って、|わかぜだ《ヽヽヽヽ》(若い衆たち)が繰り出すと言うけがの」  と、呟くのです。和紙の蚊帳に戻ると、ごうごうと渓を鳴らした|吹き《ヽヽ》が雨戸を掃き、蚊帳の上の和紙の天井をガワガワと波打たせて行く。わたしは突然、「糞|ずっこ《ヽヽヽ》!」と叫んでやりたくなりました。すると、無数の木霊がするという十王峠の頂を、氷に眠る牡牛のタネを抱き、天に近い|吹き《ヽヽ》の中で|吹き《ヽヽ》に耐え、カンジキを踏んで来る源助の|じさま《ヽヽヽ》の姿が浮かんで来るのです。しかも、それはもはやあの暗い土間に飼われた牝牛にタネを運んで来る人ではない。あの薄闇の中で臥した牛のように、ひとり赤黒く燃え立っていた月山へと、無謀にも大いなる春をもたらすタネを運んで来る人のように思いなされて来るのです。  |吹き《ヽヽ》はむろん、それで終わったわけではありません。しかし、|吹き《ヽヽ》らしい|吹き《ヽヽ》はほとんどなくなって、汚れた雪道を踏んで富山(薬売り)が顔を見せはじめ、寺に泊まって行くようになりました。 「バスも、名川まで来たいうでねえか」  炉ばたの煤けた暗い裸電球の下で、箸を割り割り寺の|じさま《ヽヽヽ》が訊くと、 「ンでね。バスだば、もう大網まで来たてば」  そう言う富山は、すこし|ろれつ《ヽヽヽ》がまわらないようです。酔いを隠す|つもり《ヽヽヽ》でいるらしいが、部落の家々をまわって、もう相当飲まされて来たのです。 「しェー、大網まで来ただかや」 「ンだ。余ッ程、名川から来ようと思うたんども、途中で引き留められての。富山はおらで何人めだや」 「さァて、何人めだかの」  と、寺の|じさま《ヽヽヽ》は思いだそうとするように、紐で結んだ老眼鏡をあげて目をしばたたくのですが、「富山が来た」ということは「春が来た」ということで、そう言う部落の衆の言葉には特別な感情がこもっています。といって、最初に来た富山が、特に喜ばれるのではない。何人めであっても、部落の衆は春がどこまで来たかを尋ね、更にその春がどこまで近づいて来たかを訊くのです。「もう平野部の町や村は、すっかり春だで」などとカラスたちからも聞かされてはいても、げんにこの山に来る春はやはり富山でないと感じが出ないのです。富山も他に先駆けて、春の知らせをもたらしたいのでしょう。必ずといっていいほど、自分が何人めかと、このあたりの言葉で訊くのであります。  富山は、洋服にネクタイになったいまも、むかしながらの行李を背負い、部落《むら》部落《むら》に仮の宿りをして来るとはいうものの、国もとには家もあり、妻子もあって、ゴム紐や歯ブラシを押し売りして歩く|やっこ《ヽヽヽ》の類《たぐい》とは比べらるべきものではありません。しかし、いずれもあやしげなこのあたりの言葉を使って来ることが、なにか、下心のあるような卑しさを感じさせ、そうと富山はあからさまに態度には見せないが、その卑しさにおいて、自分たちは他所者《よそもの》とは違うのだという目で、わたしを見ていることはおなじであります。しかも、|やっこ《ヽヽヽ》は疑いもなく冬の来た兆《きざし》であり、富山はやがてもうここにも春が来るという約束なのです。もうどこに行くべき|あて《ヽヽ》もないわたしに、|やっこ《ヽヽヽ》はむしろ、行こうにもどこにも行けぬというので、わたしにここにこうしていることを安堵させてくれたのに、富山はそうしたみずからへの言い訳を失わせるような不安を感じさせるのです。 「バスが大網まで来ましたかね」  思わずわたしは感慨めいたことを口にせずにいられませんでしたが、寺の|じさま《ヽヽヽ》はほのぼのとした表情を見せ、 「だとせば、|おらほう《ヽヽヽヽ》さも、|そま《ヽヽ》(すぐ)四十雀だ、五十雀だと、小鳥の群れが渡って来っちゃ。考えれば、|おらほう《ヽヽヽヽ》もそろそろ節句だものの」  節句とは三月桃の節句ですが、旧暦でいっているので、四月のことであります。 「この部落だば、節句の|はずむ《ヽヽヽ》とこでの」と、富山はわたしに、あれだけは見ておかねばウソだとばかりに、「野郎ッ子は家々をまわって、アラレを貰って歩く。『雛見に来たァ』と言えば、だれでも入れて、酒を出さねえ家はねえもんだ」  と、教えるように言うのです。寺の|じさま《ヽヽヽ》も、 「ンだ、節句が過ぎれば、|おらほう《ヽヽヽヽ》もいよいよ春ださけの。したば、梅も桜も桃も一時に咲いて、なんとも言えねえ眺めになる。聞かねえだかや、|おらほう《ヽヽヽヽ》だば山菜いうて、|みず《ヽヽ》(蛇草)も|しょうでん《ヽヽヽヽヽ》(山アスパラガス)も|じょんな《ヽヽヽヽ》も、そこらでなんぼでもとれる。お前さまも長い冬を我慢して、|おらほう《ヽヽヽヽ》さいた|けえ《ヽヽ》があったというもんだ」  と、思いだしてはわたしのながい冬の辛抱を感心もし、そうしたわたしのために喜んでくれる様子で、酔いの隠せぬ富山もあやしい|ろれつ《ヽヽヽ》で相槌を打つのです。 「ンだ。|みず《ヽヽ》や|しょうでん《ヽヽヽヽヽ》や|じょんな《ヽヽヽヽ》だば、まンず、山菜の王様というもんだ。あげだものは、ちょっと|よそ《ヽヽ》だば味わえねえの」  いつとはなしに、あちこちに燕が低く飛び交うのを、見かけるようになりました。|吹き《ヽヽ》の中に落ちた燕のことを考えると夢のようですが、ふと気がつくと庫裡の土間の鴨居の上の古巣にも、|つがい《ヽヽヽ》が首を並べてい、飛び立っては軒下の雪を切った狭い通路から、出入りしているのであります。こんな雪の中に餌になる虫がいるとも思えないが、雪がいちめんにおおっていると、雪はいくら減っても減ったようには見えないのです。しかし、境内の杉もすっくと埋もれていた幹を出し、山々の尾根にも櫛を並べたように稜線を透かした立ち木が見え、空は晴れ上がってどこも青く、夕焼けているとも思えないのに、雪肌が淡くピンク色に染まったりしていることがあるのです。  そして、まるで寺の|じさま《ヽヽヽ》のいった言葉から生まれ出たように、小鳥の群れが渡って来はじめました。どれが四十雀だか五十雀だかわからないが、様々な色の鳥がひと色ごとにそれぞれの色の群れをなして来て、あの赤犬が食い残りをあさっていた桜桃の雪のあたりに降りている。近づくと、それがえらい羽音を立てていっせいに舞い上がり、雪についばみ落とした小さな固い蕾や芽を無数に残して、枝いっぱいに止まって激しく囀りあうのです。しかも、その桜桃の枝先は、赤くも見えぬそうした蕾や芽で、もうほんのりと赤みがさしているのです。  いつかそうすることがわたしの日々の楽しみになり、桜桃の傍に立って、ほんのりと赤みのさしたその小枝が、次第に緑《あお》んで来るのを見上げていると、遠く声がして、|わかぜ《ヽヽヽ》や|めらし《ヽヽヽ》たちが橇を押し、次々と広い境内を過《よぎ》って、杉の立ち木の間から部落へと降りて行くのです。聞けば、雪解けを促し、古土《ふるつち》に力をつけるため、寺の裏から雪を掘って赤土を田に運んでいるので、|わかぜ《ヽヽヽ》や|めらし《ヽヽヽ》たちの橇押しが、終日、何日となくつづくうち、ちょっと歩いて見える田の雪がいちめんに赤土色に染められているのです。こうした橇押しはもう雪は浅いが、それでもまだ橇が押せるだけの雪のある間になされねばならぬのだそうで、赤土運びが終わると、秋の間に切り倒して薪にして置いたのを、またの年《とし》の冬に備えて、それぞれの家々まで運んでおかねばならないのです。倹約して粗朶《そだ》ばかり燃していたのに、薪はほとんどなくなろうとしていた庫裡の土間にも、そんなのが幾橇となく運ばれて来ました。 「親切なもんですね」  わたしは部落の|わかぜ《ヽヽヽ》や|めらし《ヽヽヽ》たちが、あの本堂に蓆を張り、庫裡に簀囲いしてくれたのを思いだしながら、晩飯の炉ばたでそう言うと、 「なにも、あげだものを持って来ることはあんめえちゃやの」 「あんなものを……」 「ンだ。あげだものは枝薪で、薪ってものではねえて」  と、寺の|じさま《ヽヽヽ》はこれがあの寺の|じさま《ヽヽヽ》かと思えるような、意外な呟きを漏らすのです。その癖、橇で運ばれて来るたびに、「|もっけだ《ヽヽヽヽ》(すまない)、|もっけだ《ヽヽヽヽ》」と、割り箸の束をやったりしていたのであります。 「…………」 「赤土を運ぶったって、寺の山を掘るんでろ。薪出すいうても、わが森や林は伐らねえで、寺の森や林を伐るんださけの。なんぼ方丈さまも名だけの寺になったいうても、おらが物はおらが物で、寺の物もおらが物ではすまねえもんだ」 「しかし、そんな森や林も、寺から奪《と》られたので、もとは部落の衆のものだったというじゃありませんか」  わたしがそう言ったのはむろん、源助の|じさま《ヽヽヽ》の話が思いだされたからです。いまはこうして寺の|じさま《ヽヽヽ》はしていても、あなたも湯殿への橋という橋をつくったというほどの家の者で、田もあれば、森も林も家もあったというではないか。むしろ、そう寺の|じさま《ヽヽヽ》のために憤りをもよおすような気持ちになったのですが、 「奪《と》られただと? こげだ山奥の森や林など買うものはねえなだし、バクチしたさに寺さ泣きついて、カネにしてもろうたんでねえか。だども、いまは手放した田も、ただみてえに戻って来て、みな百姓する。百姓すれば森も林もほしい。ほしいば他所と違うて、密造で現ナマがへえるとこさもって来て、こんどは寺がおかしげになって、森も林も二束三文で、手放さずにいられねくなったさけの」  と、寺の|じさま《ヽヽヽ》は意外なことを口にするのです。しかし、わたしにはふと考えられて来ることがありました。あの|やっこ《ヽヽヽ》たちでさえ、どんなに吹いても一夜の宿しか求めなかったのに、ただ方丈の許しを得たというだけで、|やっこ《ヽヽヽ》となんの変わりもないわたしがずるずると居坐って、バスももう大網まで来、富山さえ見えなくなったいまも、なお無為徒食している。じつは、そうしたわたしの無為徒食を憎む苛立ちが心の底にあって、寺の|じさま《ヽヽヽ》にこんなことを言わせているのではあるまいか。…… 「密造ですか」  わたしはかえって薄笑いの浮かぶのを感じながら、 「…………」 「密造ぐらい、いいじゃありませんか。密造でもしなければ、やって行けなかったんでしょうし、源助の|じさま《ヽヽヽ》も、いまがいちばん幸福だといっていましたよ」 「幸福だと? ひとの顔もまともに見られねえで、なんが幸福だや。お前さまがござるいうて保安電話が来たときも、税務署でねえかと部落内《むらうち》、シンとしてしもうたでねえか。まさか、税務署が電話までかけて来ることはねえもんだ」 「…………」 「税務署の手入れのときは、部落内まるで地獄での。造った酒にも、ガタガタ震えて、塩ぶっ込もうにも、塩が手から離れねえんだや」 「塩を?」 「ンだ、塩を入れれば、酢になるさけの。しかも、部落のだれぞ密告《さ》したんでろいうて、部落内《むらうち》|おかしげ《ヽヽヽヽ》(へん)になってしもうて……」 「しかし、部落はみな同姓で、互いに親子(と、縁類のようなものを呼ぶのですが)みたいなもんじゃありませんか」 「親子みてえなもんだども、部落の者でねえば、税務署に隠し場所まで、わかるはずがねえんでろう」 「そうですかね。それで、だれが密告《さ》したかわかったんですか」 「なんとなく、|だれ《ヽヽ》であんめえかで、収まったんでねえか。ひとというものは、なんでもそうしたものをつくり上げて、憎むなり疎《うと》むなりしねば収まらねえもんでの。事は違うみてえだども、行き倒れの|やっこ《ヽヽヽ》を、行者のミイラにしねばいられなかったのも、ここの|ことわり《ヽヽヽヽ》だて」 「行き倒れの|やっこ《ヽヽヽ》……」  わたしが思わず問い返したのは、あくまで知らぬ|そぶり《ヽヽヽ》で触れようとしなかった寺の|じさま《ヽヽヽ》にそうハッキリと口にさせた怒りの高まりに驚かされたからです。ひょっとすると、寺の|じさま《ヽヽヽ》が密告《さ》したその|だれか《ヽヽヽ》とされ、冷たい風にさらされたのかもしれぬ。寺の|じさま《ヽヽヽ》にはこうして生きて来たことに、言うに言えない怨恨があるはずで、しょせんそれは部落にしか向けられるほかはないと考えるほうが当り前とも言えるのですが、 「ンだ。そのために行者のミイラが、みなさ行き倒れの|やっこ《ヽヽヽ》だと思われるとしてもの。おらだとて、なにも好んで酒を造らねえんではねえ。こげだ箸を割るよりも、余ッ程、酒でも造ってなにかの足しにしてえと思うんども、寺でなにかがあれば、ここさはござらぬとしても方丈さまの名が出るなださけの」 「…………」  寺の|じさま《ヽヽヽ》もおのれの語調に気づいて、和ませようとしたのでしょう。それなり黙っていましたが、 「だども、やっぱし生まれたところだの。家もなさずに戻ったんども、部落内《むらうち》迎えてくれ、みなが一つずつ荷を持って、あの大網から運んでくれたもんだ」そう言うと、突然思いついたように、「あいや、節句は明日でねえか。だれぞ呼びに来んでろさけ、お前さまも部落を回ってみんなだて」  その日は、部落は朝から|はずんで《ヽヽヽヽ》いるらしく、遠くときどき酔った声が聞こえたりするのです。果たして、|おはぐろ《ヽヽヽヽ》の入れ歯の|ばさま《ヽヽヽ》が迎えに来ました。|やっこ《ヽヽヽ》のためにも買って出て、ゴム紐や歯ブラシを売ってやらねば収まらぬ|ばさま《ヽヽヽ》です。せっかくの節句に、寺に|ねまって《ヽヽヽヽ》(じっとして)いることはないと手まで引っぱるので、出て一緒に歩いてみると、腰も曲がっておかしいほど小さいのです。  部落はむろんまだ雪ですが、樹は驚くほど伸びていて、明るい林のようになっています。そちこちの雪を流れる渓流に渡した板を渡って、アラレを貰って歩く餓鬼や野郎ッ子たちが見える。|おはぐろ《ヽヽヽヽ》の入れ歯の|ばさま《ヽヽヽ》は喚《おら》んで声をかけるばかりか、家とみると、「雛見に来たァ」と、泣きそうな大声を上げてはいって行くのです。  ひとを迎えて飲ましながら、自分も出はって飲みに行くので、たしかに見た顔だと思うと、たしかにどこかで飲ましてくれた家の|だだ《ヽヽ》が来て飲んでいる。すると、向こうももとからの知り合いのような気になるのか、連れ立って雛見に行こうと誘うのです。こうして、わたしはいつか|おはぐろ《ヽヽヽヽ》の入れ歯の|ばさま《ヽヽヽ》ともはぐれてしまいました。そういえば、足もとも危うく、もういい加減酔っていたようですから、どこかで酔いつぶれたのかもしれません。  雛見といってもそう言うだけで、どの家もが雛を飾っているわけではありません。しかし、この際、家の宝を披露しようというのでしょう。必ずといっていいほど、大仰な落款のある書画の軸を掛けていて、だれもが一応観賞させられるのです。 「おや、前のが元信だと思ったら、ここのは応挙ですね」  と、わたしが言うと、|だだ《ヽヽ》たちの中からダミ声で笑う者がいるのです。 「これが応挙だば、一生、寝て暮らせるもんだ」  言うまでもなく、黒いモンペ姿のあの先達ですが、これも客の間に酔って寝転んでいたのか、わたしはこんなのがいたとはまったく気づかずにいたのです。それにしてもどの家も、あまりにもニセモノらしいニセモノを有り難がっている。わたしにはかえってほほ笑ましいぐらいで、なにもことさらそんなことを言わないでも、と思わないではいられませんでしたが、だれも気にする者もありません。 「方丈さまも|おらた《ヽヽヽ》(おらたち)にカネ出すより、町の古道具屋で、こげだもの買うて、もったいぶってくれるほうが、安上がりださけの」  と、連れ立って来た|だだ《ヽヽ》が言うと、みながどッと笑うのです。 「そげだものだとわかっても、方丈さまがくれたというだけで有り難がったださけ。むかしの方丈さまだば違うたもんだて」 「だども、応挙というだけあって、|おらほう《ヽヽヽヽ》の松の木とは枝振りが違うの」  |だだ《ヽヽ》のだれかがそう言うと、またどッと笑い声が起こるのです。松の木とは郵便配達の|じさま《ヽヽヽ》のことで、配達があれば大網からやって来て、|わがむら《ヽヽヽヽ》のように家に上がり、弁当をつかい、茶をよばれ、酒を振る舞われたりしながら、のんびりと一日を過ごし、小荷物はねえかと聞いてまでまわって持って行くのです。これもやはり渡部姓らしいが、この|山ふところ《ヽヽヽヽヽ》にはほとんど松がないのに、|じさま《ヽヽヽ》のところには大きな一本松があるそうで、それで|じさま《ヽヽヽ》を松の木と呼ぶばかりか、部落の衆も|わがむら《ヽヽヽヽ》の者扱いにして、|おらほう《ヽヽヽヽ》の松の木と呼ぶのであります。 「|おらほう《ヽヽヽヽ》の松の木も、だんだんええ枝振りになったでねえか」 「ンだの」 「やがてそのええ枝振りも、ここさ来るんでねえか。|じょんぶ《ヽヽヽヽ》(丈夫)なもんだの。あれで幾つになったんでろ」 「たしか、源助の|じさま《ヽヽヽ》と同級生だというけがの」 「だば、寺の|じさま《ヽヽヽ》とおなじでねえか。源助の|じさま《ヽヽヽ》はどうしたんでろ。どこさも見えねえみてえだの」 「せっかく、ツボの雪を起こしたのに、また|吹き《ヽヽ》に埋められて我折ったんでねえか」 「そげだことで我折る|じさま《ヽヽヽ》が、あの|吹き《ヽヽ》に十王峠を越えるだか」  と、だれかが言うと声がして、 「源助の牝牛はツイたんでろか」  そう訊く者がありましたが、ダミ声の先達は、いつかみなの話からはずれて聞かずにいたのでしょう。 「ニセモノというても、さすが応挙だの。おらァ、こうして見るのははじめてなんども、見れば見るほどようなって来るでねえか。おらァ、これとそっくりの松を、北海道で見たもんだけ」 「北海道さこげだ松があるだかや。」 「北海道さはこげだ松はねえだかや。だば、九州だったんでろうか」  どッとまた笑い声が起こるのです。酔ってだんだんデタラメになって来ると、かえってみなの胸にかつてあまねく諸国を勧進し、寺が威勢を張っていたころのことが、蘇って来るのかもしれません。 「なんたて、|おらほう《ヽヽヽヽ》みてえに、ええとこはねえもんだ」したり顔のダミ声の先達がそう言いかけて、はじめてわたしがいるのに気づいたようです。「あいや、だれだと思うたば、方丈さまのお客でねえか。これだば、どうでも決闘しねばなんねえ。|おらえ《ヽヽヽ》さ|あべ《ヽヽ》(来い)。酒はなんぼでもあんなださけ」  よろよろと立って来てわたしにかじりつき、臭い息の中から手を取るのですが、もう足が言うことをきかないのです。わたしは目くばせする連れの|だだ《ヽヽ》と家を出ました。しかし、これとも酔いを口実にして、なお回ろうと言うのを別れて戻ると、庫裡へは戻らずそのまま裏の山へと登りだしました。なにかこう、大きな融和の気持ちが満ちて来て、はじめて部落に降り、荒涼とした思いで登った裏山に、また登ってみようとしたのです。あの女にはじめて出会って山々を親切に教えてもらったのもあそこだったのですし、その女がいちめんのススキの山道の中に消えていったのもあそこだったのです。  雪道らしいものはあっても緩んでぬかるのですが、登るにしたがって雪は薄くなり、いつとなくあの無数の卵塔のあるところまで来ました。まるで石が温もりを持つように雪をくぼませて、その底から丸い頭をのぞかせているところもあれば、すでに雪を解かして乾いた土を見せているところもあって、|鬼アザミ《ヽヽヽヽ》が咲いている。しかも、枯れて倒れてあたりをおおっているはずのススキもなく、点々と咲く|鬼アザミ《ヽヽヽヽ》が遠ざかるにつれて密になり、雪からいちめんに咲きでたように思えるのです。わたしは息をのんで、しばらくはこうして春を生みなして来たものが、おのれであるとも見せず、雪の山々の彼方に、臥した牛のような姿でなお月山が皓々と聳えているのに気もつかなかったのです。  やがて、境内の雪も解けはじめ、いたるところ小流れになって、|ばんけ《ヽヽヽ》(蕗の花)が点々と黄を散らすとみているうちに、部落の萱屋根をおおう木々がいっせいに花を咲かせて来ました。それがまた部落を透かした花の|かすみ《ヽヽヽ》を見るように美しく、この世のものとも思われないのです。わたしはいまさらのように寺の|じさま《ヽヽヽ》が、節句が過ぎるとほんとの春だ、と言ったのを思いださずにいられませんでしたが、雪の中で酒を飲むのさえ「花見しょう」と言い、あれほどだれもが春を待っていたのに、花は見る人もなく夢のように過ぎて、いつか青葉若葉の繁りになり、日照りがヤキヤキと感じられる日すら続くようになりました。みな田や畠に出て、部落がまた無人になってしまったのはわかるとしても、あの小鳥たちさえどこかに渡って行ったのか、繁みに隠れたのか姿を見せない。時たま聞こえるけたたましい雉子の叫びや、啄木鳥の木をつつく激しい音や、山鳩の鳴き声がして、かえって言いようもない寂寞を感じさせるのです。寺の|じさま《ヽヽヽ》は箸割りをやめて、しばらくはしゃがんで草をむしる姿を境内に見せていましたが、やがてそれも消えて、裏山の畑に行くようになり、寺もわたしひとりになってしまいました。  むろん、本堂の雪囲いの蓆も庫裡の簀囲いもとられている。しかし、まだ雨でも降って冷えこむ日もあるかもしれない。そう思ってそのままにしていた和紙の蚊帳をはずそうとすると、このひと冬に積もったホコリが薄い煙のように立つのです。用心しながらやっと畳みましたが、和紙はやけて白さを失い、筆文字もきたなく皺くちゃに汚れ、見るに耐えぬほどみすぼらしい。いまさらながらこんな中にいたことが嫌悪され、まだしずまらぬホコリに目をそむけていると、狸徳利に枯れ茎が一本插されているのに気がつきました。わたしはひそかに待つ心を見せたいと思って、女の置いて行った狸徳利にセロファン菊を插し、机に飾っておいたのに、女が来ずにしまったので、和紙の蚊帳から部屋の片隅に出してあったのですが、冬じゅう咲いていたこの花も、もう空しくそばの畳に花びらを散らせているのです。  なにもかも去ってしまった! 絶望ともいえるこうした思いを憤りのように感じながら、箒をとってなにもかも掃き去ろうとすると、狸徳利の傍にあった大きな鉢にカメ虫一匹、底から這い上がろうとしては転げ落ちているのです。この大きな鉢は部屋を乾燥させぬために水をはって置いてあったのですが、ながい冬の間に水は蒸発して乾いてしまっていたのです。わたしは思わず吹きだしましたが、突然なにか残忍な気持ちになって箒をおき、鉢を机に運んでホコリの中に坐り、助ける心もなしに落ちてはまた這い上がろうとするのを見つめはじめました。どのくらいかかったのかわかりません。ふと気がつくと、這い上がっては落ち、落ちては這い上がり、ときには転んでもがいてさえいたカメ虫が、どうして辿りつけたのか縁まで来てい、おもむろに甲殻を拡げると薄羽を出して、ブーンと飛び立って境内を過ぎ、杉の立ち木を抜けて部落の繁みのほうへと見えなくなってしまったのです。わたしは声を上げて笑わずにはいられませんでした。ああして飛んで行けるなら、なにも縁まで這い上がることはない。そのバカさ加減がたまらなくおかしくなったのですが、たとえ這い上がっても飛び立って行くところがないために、這い上がろうともしない自分を思って、わたしはなにか空恐ろしくなって来ました。  わたしは寝転んで境内にも出ず、終日呆けたように|うつらうつら《ヽヽヽヽヽヽ》と過ごすようになりました。その癖、ほんとうに眠るのではない。むしろ、自分では眠れずに困ると思っているのですが、他人《ひと》から見れば、結構、眠っているのでしょう。寺の|じさま《ヽヽヽ》の呼ぶ声に気づいたときはもう暗く、階下《した》に降りると驚いたことに、味噌汁の鉄鍋を懸けた台所の炉ばたに|あぐら《ヽヽヽ》をかいている、あの友人が笑うのです。 「いやァ、悠然たるもんだね」 「…………」  思わず、こちらも笑って無言で問い返すと、そばから寺の|じさま《ヽヽヽ》が言うのです。 「一度、呼ばったんどもや。山さでも行ったんでろと、待ってもろうたんども、暗くはなるし、思い返《けえ》して呼ばってみたば、眠っとるってもんだしの」 「そうですか、すみませんでしたね。眠ったつもりじゃなかったが、つい眠ったんだ」 「さぞ、すばらしい夢を見てたんだろう。こんなところで、どうして冬を過ごしたのかと思ったら、祈祷簿で和紙の蚊帳なんかつくっていたというじゃないか。好きなことができるんだから、まったく羨ましいよ」 「そうかね。ま、そうとしておこう」  そう言いながらも、わたしには友人とこうしてここにあることが、なにかまだ夢のような気がするのです。 「そうかねもないもんだ。ぼくなんかも、きみのようにやれたらと思うことがあるんだが、とてもそうはいかないよ」 「そうはいかないと言っても、好きなようにやってるのは、そっちのほうじゃないのかね。それで、きみの夢もいよいよ実現することになったんだね」 「まァね。それでやって来たんだが、きみはあれから居所《いどころ》も知らせて寄こさないだろう。おかげで、ハイヤーで次々と町や村を訪ねて、庄内平野をひと回りさせられちゃったよ。でなければ、昼前に来れたんだがね」  と、友人はわたしが何年もかけて、やっと辿りついた思いのするところへ一日で来たことを、さも時間をかけたような口振りをするのです。 「じゃァ、ここまでずっとハイヤーで……」  といっても、わたしはバスじゃなかったのかと言いたかったのですが、 「うん。そのつもりだったが、橋が落ちてるだろう。大網というのかね、あそこから歩いたんだ。しかし、愉快だね。おれが当選すれば新しいのを架けてやると言われて、落としたというじゃないか。ところが、そいつが落ちちゃって、そのままになったというんだろう」 「そう言うね」  わたしは|あいまい《ヽヽヽヽ》に笑いながら、困ったことを言うなァと思いました。しかし、これも寺の|じさま《ヽヽヽ》が言わなければ、知りようのないことです。友人にはもともとそんなことを聞きだすみょうな才があるばかりか、たとえそれが寺の|じさま《ヽヽヽ》にとってどんな思いのするものかを知っても、気にするような男ではない。かえって、わたし自身ももう思いだすことのなくなった遠いことを言いだすのです。 「こいつもこうみえても、もとは広大な山に挑んでダムをつくったり、ダムをつくるための道路や橋をつくったりしてたんですよ」  しかし、思えば友人がわたしを忘れず、こうしてここまで来てくれたのも、もう思いだすこともなくなったその遠いことの中に、わたし自身がいたからですが、意外にも寺の|じさま《ヽヽヽ》は大きく頷いて、 「ンでろうの。余ッ程、大きな考えのある人でねえば、こげだとこさ来て、なにもしねえでいられるもんでねえ」と、言うのです。「おらもそげだ人がいんなだと思うて、この冬もなんとか耐えて来たんだて。ほんとだの、たとえ、|やっこ《ヽヽヽ》の姿で来て行き倒れても、行者のミイラにされて、功徳をほどこす|さだめ《ヽヽヽ》の者もあんなだ、とは」  わたしははじめて寺の|じさま《ヽヽヽ》に対してすくなくともひとつの過ちを犯していたのに気がつきました。寺の|じさま《ヽヽヽ》はだれに聞かされたかミイラを信じてい、いわば祈りとして来たおのれの信ずることを、とてもわたしが信じるはずはないと思っていたのです。しかし、寺の|じさま《ヽヽヽ》は、動きはじめた味噌汁の浮き蓋《ぶた》を覗き、「ヨイショ」と声を上げながら、引き水が音を立てている流しのほうに行ったので、 「困るじゃないか。ぼくがこうしていられたのも、あの|じさま《ヽヽヽ》のおかげなんだよ」  わたしは得々として語ってくれたわたしの過去というよりも、それにからまってした橋のことを、小声でたしなめようとしたのですが、 「そりァ、そうだろう」友人は軽く答えて、わたしの意のあるところを、解しようともしないのです。「ところで、なんだね。行き倒れの|やっこ《ヽヽヽ》とは……」 「いや、この寺にはそんな伝説のある、行者のミイラがあったんだ。いまは、ここにはいないがね」  わたしがあわてて言葉を濁しても、友人は友人らしくべつに深くも問おうとはせず、 「そうか。そんなことが案内書に出ていたな」  やがて、薄暗い電球の下で、夕飯になりました。寺の|じさま《ヽヽヽ》は山菜の|あえもの《ヽヽヽヽ》をつくってくれたばかりか、部落から酒まで工面して来てくれていて、 「冬の間《ま》は大根ばかりで、ノドにも通らなくなったんでねえか」  と、思いだしたようにわたしに笑いながら、「さァ、まンず」と、友人に狸徳利をさし出すのです。友人は茶碗を上げ、一口飲んで「とても山の酒ってなもんじゃないな」などとほめるのですが、じつはまるで飲めない口なので、茶碗を置くとニコリとして、「これですね」と、寺の|じさま《ヽヽヽ》のつくった割り箸を割り、 「ウーン、山の味だな。美味|掬《きく》すべきものがあるね」  むしろ、救われたように言うのです。しかし、山菜は|老え《ヽヽ》ていて、もうあの雪から|鬼アザミ《ヽヽヽヽ》が開き、|ばんけ《ヽヽヽ》が出、部落が花の|かすみ《ヽヽヽ》になったころの|みず《ヽヽ》や|しょうでん《ヽヽヽヽヽ》や|じょんな《ヽヽヽヽ》の味ではありません。ほんとの山菜はこんなものではないと言ってやりたいのですが、そうも言えずひとり飲みながら、 「ところで、いつまでいられるんだね」 「いつまでって、明日の朝、発つつもりなんだ」 「明日の朝?」  いかにも友人らしいとはいえ、わざわざこの山奥まで訪ね求めて来てくれたのです。せめて独鈷ノ山にでも登って、あれこれ語るつもりになっていたのにと、不満を感じないではいられませんでしたが、 「うん。十王峠を越えれば、庄内平野はもう一望のうちにあるんだろう」と、友人はこちらが言いたいようなことを言うのです。こういう男だとはいいながら、「せっかく来たんだから、朝発ちして、そこを越えて帰るつもりなんだ。ぼくにはそんな趣味があるんだよ。きみはあとから、ゆっくり来てもらえばいい。部落の人たちにも、黙って行くわけにもいかんだろうからね」 「そうだな」  そう答えたものの、挨拶してまわるのもどうかという気もするのです。行ってもだれもいないでしょうし、いればいたでとても持って行けないような畑のものなど持たして寄こすので、いままでどこの村を発つときもわざとこっそり来たほどです。それに、ほとんど手ぶらで来、大網で買いととのえた身のまわりのちょっとしたものがあるだけで、運んでもらって持って帰るようなものもありません。 「わざわざ、こうして迎えにござらしたもんだ。なに考えることがあろうばや。発つんだて、一緒に」  と、寺の|じさま《ヽヽヽ》が言うので、わたしも思い切って決心しました。なにかわたしを躊躇させたものがあったとすれば、やはり寺の|じさま《ヽヽヽ》のことだったのです。 「じゃァ、行こう。ぼくも帰りは、十王峠を越えたいと思ってたんだ」  さぞ、友人も疲れたろう。せめて、ゆっくり寝てもらわねばと思いながらも、こちらは昼から眠り呆けていたので、白々とした月光に目が冴えるのです。ここで過ごしたこのひと冬がいかにながかったかを、いまさらのように思いだし、 「いったい、どこに連れて行こうというんだね」  つい、そう床から訊かずにはいられませんでしたが、わたしにはもう十王峠から俯瞰する庄内平野が、ひょうびょうとして開けて来るのです。いちめんの緑とはいえ鳥海山はまだ白く、あの秀麗な富士に似た姿をその果てにそばだてているであろう。そこには最上川や赤川がこの月山の雪から生まれ出たとも知らぬげに、流れるともなく流れているであろう。庄内平野は目も遙かに連なる砂丘の松林によって日本海から守られている。しかし、平野はいよいよ拡がって、高みに立てばいつも目の高さまで水平線を盛り上げて来る日本海も、あの庄内平野を狭めて見せたりはしないであろう。しかも、十王峠は幽明の境のように言われ、じじつそんなところと聞かされていたせいか、そこを越え戻ろうとするまさにこの世であるべきそうした眺めが、かえってこの世ならぬもののように浮かんで来るのですが、 「そいつはまァ、十王峠から鳥海山でも眺めながら話すとしよう。似てるんだな、そこもここと……」  と、友人はすこし眠たげに言うのです。 「じゃァ、そこもこんな|山ふところ《ヽヽヽヽヽ》なのかい」  そういえば、友人がセンターをこういうところに求めてまわっていたことを、かねがね聞かされていたのに、思わずわたしがそう問い返すと、 「そうなんだ。この|山ふところ《ヽヽヽヽヽ》にはいって月山を見たときは、いつかここに来て、こうして眺めたことがあるような気がしたくらいだよ」 「そうかい。ぼくもそんな気がしたが、そんな気にさせる山なのかな、月山は……」 「それで、霊場だとかなんだとか言われるんじゃないかな。前世を見たように思えるだろうからね」 「前世?」 「うん。前世を見たような気がすれば、すぐあの世もあるような気がするだろうからね。もっとも、月山や鳥海山はいわば山としては典型的なものだからね。どこかでこれと似た山を見てるだろうし……」 「そういうこともあるだろうがね」  わたしはそう答えながらも、なにか釈然としないものがありました。山としての典型といえばそのとおりだが、まさに典型としての広大さにおいて、他にこんなところがあるとも思えないのです。しかし、友人は突然クスクスと笑いだすのです。言われなくてもだいたいの見当はつくような気はするものの、ひとり隠して言おうともしない。こんな男でも前途の喜びが子供のような気持ちにさせるのかと、こちらも笑いだしたくなっていると、 「いやァ、ながい間、這い上がっては転げ落ち、転げ落ちてはまた這い上がるようなものだったよ。まるで、鉢に落ちたカメ虫みたいにね」 「鉢に落ちたカメ虫?」  わたしは耳を疑わずにはいられませんでしたが、友人もげんにおなじようなところから来たので、わたしの見たことをわたし以外に見た者がないと思うことが間違っていたのかもしれません。 「そうなんだ。ところが、縁まで這い上がってみれば、ブーンとなんでもなく飛べるんだな」 「…………」 「なにしろ、あたりは密造なんかやってる部落ばかりだろう。センターの話を持ちだしたら、村のほうが飛びついて来て、ただみたいに譲ってくれたんだ」 「…………」 「といっても、草山みたいなものだが、眺めがすばらしいんだよ。そのすばらしい眺めで、どんどん会員が集まるんだ。ヒュッテはむろん牧場にもして、乳牛を飼う。そこへ、ロープウェイで上がるんだと言ったら、みな谷底にいて小さな空しか知らん連中だろう。天に住むみたいだと驚いてたよ。野兎ぐらいがなによりも御馳走だった連中には、乳牛のだってすてきな肉だろうし、都会のやつらはいまごろの山菜だって、こんなものかと結構喜ぶだろうからね。どうだね。かつて、開山《かいざん》といわれたやつらたちがやったように、ぼくらで善男善女を集めようじゃないか」  そう言うと友人の声は、もう寝息に変わっているのです。  寺の|じさま《ヽヽヽ》は早くから起きて、用意してくれたのでしょう。炉ばたには握り飯らしい、二人の竹の皮が置いてありました。味噌汁で朝飯をすますと、友人はそばの上衣からサッと大きな幣《さつ》を出し、寺の|じさま《ヽヽヽ》が驚いて辞退するのを、なに気なげに止めながら、 「じゃァ、その割り箸の束を記念に頂戴しますかな」 「こげだものをだかや。貰うてもらえば、割った|けえ《ヽヽ》があったというもんだども、|おらほう《ヽヽヽヽ》だば子供たちさ持たせても、|うたっ《ヽヽヽ》(捨て)たりするもんだ。もっとも、|おらた《ヽヽヽ》も子供のころは、ゴザまで雪道さぼん投げて来たんださけの」  と、寺の|じさま《ヽヽヽ》はわたしに笑って、紐で結んだ老眼鏡の下に手をやるのです。感に耐えなくなったのでしょう。  いよいよ発つと言うと、寺の|じさま《ヽヽヽ》も戻りは裏山にまわると言って、鍬を杖に足を曳き曳き、「ヨイショ、ヨイショ」と、声を上げながらついて来るのです。歩くとはいえないほどの歩き方ですが、それでもいつか独鈷ノ山と十王峠を結ぶ尾根が、あたりをおおって見えるようになりました。寺の|じさま《ヽヽヽ》はちょっと立ち止まって、息を入れながら、 「ほれ、そろそろ栗林が見えるんでろ。あれと向こうのカラスの森の間を抜ければ、あとは一本道だて」 「カラスの森?」  わたしはそう問い返さずにはいられませんでした。たしかに、栗林はあるものの、その向こうには僅かに小山のような盛り上がりがあるだけで、カラスの森といわれるような森はないのです。 「カラスの森というても、いまは芝山ださけの。名だけでカラスのいるとこではねえて」 「そういえば、あのカラスも見かけなくなりましたね」  わたしはふと|おらほう《ヽヽヽヽ》のカラスは、冬は闇の酒買いになると言っていたのを思いだして、なんだか不思議な気がしたのですが、 「ンだの」  と、寺の|じさま《ヽヽヽ》も頷くのです。  独鈷ノ山と十王峠を結ぶ尾根は、わずかな歩みにもいよいよおおいかぶさり、雪崩れ落ちる山肌がえぐれたように見えて来るばかりではありません。いままではただなんとなく、青々としているのを眺め過ごしていたのですが、すべてがカラスの森のように伐採された草肌になっていて、気のせいか内側から鉢を見ているようであります。 「…………」 「ここらで、|おらほう《ヽヽヽヽ》も見えねくなるんでねえか。もう来ることもあんめえさけ、よう見てやってくれちゃ」  振り返ると、抜けるように晴れ上がった青空のもとに、皓々と月山が臥した牛のような巨大な姿を見せている。しかも、もう鷹匠山や塞ノ峠、仙人嶽ばかりか、朝日連峰と呼ばれる遥かな山々の極みまで、新緑に湧き立っているのですが、 「どうしたんだね。褐《あか》くなってるところがあるじゃないか」  と、友人が言うのです。なるほど、眼下の新緑に寺も部落も沈んでいる。そこに一箇所無惨にも褐《あか》くなったところがあるのです。 「源助のツボでしょう。雪を起こしたばかりに、草があの|吹き《ヽヽ》でみな枯れてしまったんですかね」  言いようもない思いにかられて、寺の|じさま《ヽヽヽ》にそう声をかけましたが、友人はなんの関心もないように、 「じゃァ、このあたりで失礼しますかね。十王峠の送電線の柱もすぐそこにあるようだが、あれで登ればなかなかなんだろう。地図でも相当の標高があったようだから」 [#改ページ]     天  沼  幾月となく恐ろしいほど吹きつづけた|吹き《ヽヽ》も、ようやくおさまって来たようです。寺の|じさま《ヽヽヽ》のすすめるまま、蓑とカンジキを借り、この|さわ《ヽヽ》(沢)まで出たのですが、いたるところ|吹き山《ヽヽヽ》になっている。その雪肌はふんわりとして目に眩しくすらあるものの、あたりはみょうに薄暗く、疎らな林をなしていた樹々も雪に埋もれ、雪から僅かにのぞかせた幹の張っている枯木のような枝が、風にかすかな叫びを上げているばかりでありません。ゆるゆると渦巻きながら、なにかこうもの恐ろしい音響を感じさせるかにみえる重い冬雲が、枝も掠めんばかりに狭い山あいを過ぎて行くのです。  これではもうどこに行きようもありません。寒さは寒し、早く庫裡の炉ばたに戻ろう。そう思うと一刻も我慢がならなくなるのですが、ザック、ザックとカンジキを踏む木霊《こだま》をさせながら、たしかに|さわ《ヽヽ》を登って来る人の気配がするのです。いったい、だれがこんなときこんなところに来るのだろう。立ち止まって聞き耳を立てていると、やがて|吹き山《ヽヽヽ》のかげから|じさま《ヽヽヽ》が現れて、 「どこさ、行きなさる?」  気軽にそう声を掛けてくれるのですが、ザック、ザックと緩慢にカンジキを踏みつづけて、立ち止まろうともしないのです。一足ごとにタブタブと中味の鳴る、よく肥樽に使う小判型の重たげな樽を背にしているから、立ち止まろうにも立ち止まれないのかもしれません。といって、カンジキに似た小さな|輪っか《ヽヽヽ》をつけたストック風の手づくりの枝木の杖も、樽の上に縛りつけたままで、突いて縋ろうともしていない。禿げた頭に鉢巻きをしめ、両手で肩に懸けた|痩せ馬《ヽヽヽ》──と、このあたりでは山の荷負い具を呼ぶのです──の、藁で編んだ太い帯を握り、一足一足白い息を吐きながら、モンペの野良着につけた蓑からもいっぱい湯気を上げているのです。  七五三掛《しめかけ》の部落の家々は、深く大きな西の渓谷にかけて点々とあるのです。この様子では|じさま《ヽヽヽ》はそのずっと下のほうから、ここまですでにもう余ッ程登って来たのでしょう。部落の衆はどういうわけかからだが小さく、どこがともなく似ているばかりか、|じさま《ヽヽヽ》になるとなお似て来るのです。それで、声を掛けられてもどこかで出会ったという気はするものの、どこのだれだか思いだせないことが多いのですが、しかし、|じさま《ヽヽヽ》はわたしを見知っている様子なので、 「いや、雪になるまではよくこの|さわ《ヽヽ》に来たんでね。どんなになってるかと思ったんですが、なにもかも雪に埋もれて、雪のほかはなんにも見えませんね」  調子をあわせてそう挨拶を返すと、 「こうッ、この寒さに|けえしきみ《ヽヽヽヽヽ》(景色見)かね。木小屋まで行くさけ、おらと一緒に来っかの」  と、|じさま《ヽヽヽ》は笑うのです。|じさま《ヽヽヽ》からすれば、寺の|じさま《ヽヽヽ》の蓑、カンジキでいるわたしがサマになっていなかったのでしょう。いや、それよりなにより、サマにならぬそうしたわたしの|けえしきみ《ヽヽヽヽヽ》がおかしかったのかもしれません。部落の衆は雪を恐れるのではないが憎んでい、「花見しゅうで」と酒に誘ってくれるのも、むしろ雪を忘れるためなのです。それにしても、寺の|じさま《ヽヽヽ》はわたしがちょっと出掛けても、必ずどこに行ったか訊くのです。|さわ《ヽヽ》の奥にはたしかに木小屋のようなものがありました。すすめられて出て来ながら、このまま引っ返したのでは話にもならないが、|さわ《ヽヽ》の奥まで行ったと言えば、寺の|じさま《ヽヽヽ》も「ほう、そげだとこまで」と笑って頷いてくれるに違いありません。 「じゃァ、お供しますか。なんともまた凄まじい雪ですね」 「ンだ。まンず、|吹き《ヽヽ》という|吹き《ヽヽ》は、まるで|おらほう《ヽヽヽヽ》さ吹くみてえに、吹くんでろ」 「しかし、部落の衆はあれでなんでもないんでしょうね」 「でもねえもんだ。あまり吹くようだば、雪を求めて雪に住む雷鳥でせえ、雪に死ぬというなださけの」 「雷鳥が?」  まさか雷鳥がこの月山《がつさん》にいるとは思っていなかったので、そう問い返しましたが、 「ンだ。そげだこと言うとるのを、つい数年前の新聞で見たもんだけ」 「つい数年前の新聞で……」  あやうく、わたしは笑いを圧えました。その新聞もこの部落では、西の渓谷を見おろす渓谷沿いの山道を何里と離れた大網《おおあみ》の学校へと通う子供たちが、そこまでバスで運ばれる数日遅れのものを、いくらかの駄賃をもらって抱えて来るのです。それも、|吹き《ヽヽ》とともに次第に間遠になり、ついにはバスも途絶えてまったく来なくなってしまうのです。部落の衆はときにもう包み紙になった古新聞に目をとめて、興を覚えて解いて読み、あらためて炉ばたの話題にしたりしている。おそらく、|じさま《ヽヽヽ》の雷鳥もそのたぐいでしょうが、いずれにしても部落の衆にこの世のことなど、わたしたちにあの世のことが遠いように遠いのです。 「ンだ。|冬ば《ヽヽ》を狙うて|おらほう《ヽヽヽヽ》さ来る|やっこ《ヽヽヽ》(乞食)──そんなときには|山ば《ヽヽ》ではどんな|やっこ《ヽヽヽ》でも喜んで迎えてやるからですが──が部落内《むらうち》、家のすぐねきまで来て、行き倒れとったりしたこともあったもんだ。ひでえ|吹き《ヽヽ》の吹くこったば、一寸先も見えねくなるもんださけ、やみせえすればそこさ家があるとも思えず、精を尽かしてしまうんでろの」  むろん、そういうことは部落に送られて来る新聞などには出ずにしまうのです。しかし、部落ではそれがいろいろな形で語られ、いつかそうした行き倒れが話の中に生きて来て、伝説めいたものにさえなって来るのです。そんなとき、いつもそれなりな相槌を打ってはいたものの、わたしもいつかこの目で、雪踏みの俵をはいた|わかぜ《ヽヽヽ》(若い衆)に連れられてぞろぞろと行くゴザをかぶった子供たちが、|吹き《ヽヽ》にのまれて消えていくのを見たことがあるのです。いわばただそれだけのことで、子供たちはなお|吹き《ヽヽ》の中を歩きつづけているにちがいないとわかりながらも、ふと子供たちが|わかぜ《ヽヽヽ》に連れられて、ふたたび戻らぬところへと行ってしまったような空恐ろしさを覚え、どこかにそれに似た伝説があったのを思いだしたばかりでありません。わたしのうちにもなにかそうした伝説をつくらずにいられぬもののあることを感じたことがありました。 「そんな|吹き《ヽヽ》でも、子供たちは大網まで学校へ行ってるようですね」 「そげだ|吹き《ヽヽ》だば休ますんども、たいてえは|わかぜ《ヽヽヽ》をつけてやんなださけ、なんでもねえもんだ。それに、近年は雪も余ッ程少のうなって、子供たちを休ますほどのことはねくなったもんだ」  と、|じさま《ヽヽヽ》はあの幾月となく吹きつづいた|吹き《ヽヽ》など、なんでもないことのように言うのです。もっとも、これもなにかにつけて、むかしはこんなものではなかったと言いたい、|じさま《ヽヽヽ》の性《さが》かもしれませんが、 「あの|吹き《ヽヽ》でですか」  そう問い返すと|じさま《ヽヽヽ》は、 「ンだ。だども、こうして凪ぐこったば、山もウソみてえに寂《しず》かになってのう。|吹き《ヽヽ》のときとは違うて、背負うて登るのも、まるで楽なもんだ」  と、あの|吹き《ヽヽ》のさなかにも、この重そうな樽を背負うて登っていたようなことを言うのです。 「じゃァ、あの|吹き《ヽヽ》の間も背負うて登ってたんですか」 「背負うた、背負うた。背負うて登るとまた背負うて戻ることがでけ、背負うて戻るとまたまた背負うて登ることがでけるというたあんべえでの。|おらえ《ヽヽヽ》(おら家)の|わかぜ《ヽヽヽ》も笑うもんだけ。|おらえ《ヽヽヽ》の|じさま《ヽヽ》だば、たンだ痩せ馬みてえに背負うて登っては背負うて戻る、との」 「|痩せ馬《ヽヽヽ》みたいに? それで|痩せ馬《ヽヽヽ》を痩せ馬というんですか」 「まンず、そげだところであんめえか。こげだに背負うた姿は、どう見ても痩せ馬なんでろ」  と笑うのですが、|じさま《ヽヽヽ》はどうして痩せ馬どころではありません。どういうわけか|山ば《ヽヽ》(山間部)の人はからだが小さく、中でも|じさま《ヽヽヽ》は小さいのですが、いかにも筋肉が締まっていて、緩んだところがすこしもない。それに、わたしの借りて来た寺の|じさま《ヽヽヽ》のカンジキは、幅七、八寸の輪っかでつくった小さなもので、それすらわれとわがカンジキを踏んでよろけまいと、たえずこわごわ足を運んでいるのに、重荷に耐えて雪にぬからぬためでしょう。|じさま《ヽヽヽ》はわたしの三、四倍もありそうな大きな輪っかのカンジキをはいていて、緩慢ながらもザック、ザックと雪を踏んでいる。その木霊からして、|じさま《ヽヽヽ》とわたしのとは違うのです。 「しかし、丈夫で背負えるというだけでも、幸せですね」 「幸せだて。それというのも、|とうし《ヽヽヽ》(いつも)こげだに背負うとるからであんめえか。今日も|吹き《ヽヽ》だ、今日も|吹き《ヽヽ》だて、炉ばたさ|ねまっ《ヽヽヽ》(つくまっ)とると、三日もせぬ間に、からだがやわこくなっての。もうこのとしだば、背負うにも背負えなくなるもんだ。おらァ|もんじ《ヽヽヽ》(文字)なしで、たンだ稼ぐしかねえ人《ふと》だども、子供のころから教えられたもんだちゃ。ものを運ぶと書いて、ウン(運)と訓《よ》む、とのう」 「ウン(運)と訓《よ》む? ものを運ぶと書いて……」  これでは|わかぜ《ヽヽヽ》もたまるまい、と思いました。なんとか言えば教訓じみて来るのがむしろ|じさま《ヽヽヽ》というもので、べつに驚くこともないのですが、|じさま《ヽヽヽ》は現にこうしてあえぎながら蓑いっぱいに湯気を上げ、重そうな樽を背負うて運んでいるばかりか、あの|吹き《ヽヽ》の吹きつづいていたときも、うまず背負って運んでいたという。止めても聞く|じさま《ヽヽヽ》とも思えないし、これでこそウン(運)といえるのだと言われれば、だれもが笑っているより仕方がないでしょう。 「ンだ。つい暇なしで覗きもしねえんども、寺の|じさま《ヽヽヽ》はどげだふうだや」 「ええ。あのからだでよくつづくと思われるぐらい、夜遅くまで庫裡の炉ばたで、割り箸を割っていますよ。これでも、もとは大工だから、ここもあすこも直したいが、このからだではどうにもならない。せめて、割り箸でもつくって、世話になった部落の衆に貰ってもらうと言ってね」  と答えながら、思えば寺の|じさま《ヽヽヽ》にしても、おなじ伝だとほほ笑ましくなるのです。 「それそれ、それだて。寺の|じさま《ヽヽヽ》は出稼ぎ先で中風で倒れ、養老院さいたのを、寺さ貰われて来たもんだ。寺の|じさま《ヽヽヽ》もこれというて近い身寄りもねえんども、|おらほう《ヽヽヽヽ》だば部落内《むらうち》身寄りとも言えるとこだしのう。|わァ《ヽヽ》(自分)が生まれたとこで死ねるだけでも幸せだと、言うとったもんだけ。それが、あれから何年になるんでろ」  そういううちにも、僅かに雪から幹を出して、枯木のような枝を張っていたあの疎らな樹々もなくなって、ただ見ればこれも|吹き山《ヽヽヽ》としか思えぬが、廂のようなものを覗かせている雪に埋もれた木小屋らしいものが見えて来ました。 「来ましたね、やっと。あれでしょう、木小屋は……」  と、わたしが言うと|じさま《ヽヽヽ》は、 「ンでね。あれも木小屋だども、いまはもう廃《すた》れてしもうた木小屋だの」 「廃れた木小屋?」 「ンだ。もとは、このあたりから|てえ《ヽヽ》した杉林での。山仕事さ出て下枝はおろす、下草は刈るししたもんださけ、こげだとこさも木小屋があったんどもや」 「じゃァ、|じさま《ヽヽヽ》の木小屋は、もっと上にあるんですか」 「ンだ。|もくえん《ヽヽヽヽ》(杢右ヱ門)の木小屋は山の上ださけ、まだ余ッ程あるの」 「|もくえん《ヽヽヽヽ》の?」  思わずそう問い返すと、|じさま《ヽヽヽ》は笑いながら、 「ンだの」  と、頷くのです。わたしはこれがあの|もくえん《ヽヽヽヽ》の|じさま《ヽヽヽ》かと、あらためて見直すような気持ちになりました。|もくえん《ヽヽヽヽ》の|じさま《ヽヽヽ》なら、もう孫もいればひまごもいる、そんな大家族を宰領して、部落でも指折りの分限者とされている人だと、わたしも寺の|じさま《ヽヽヽ》に聞かされていたのですが、そんな|じさま《ヽヽヽ》がまさかこうして重そうな樽を背負っていようとは思ってもいなかったのです。いわんや、その人からあの|吹き《ヽヽ》の吹きつづいていたときも、こうして倦まず運んでいたなどと聞こうとは考えていませんでした。しかし、そうと知ってみれば幾分ダミてかすれた野太い声も、ながく風雪に堪えて来たことを感じさせ、そんな|じさま《ヽヽヽ》であればこそいまの分限者になったのだと、頷かせるものがあるような気もするのです。  |さわ《ヽヽ》は尽きたのではないが、いつか|さわ《ヽヽ》からはずれたのでしょう。|じさま《ヽヽヽ》について行くうちに、木霊もなくなって、ただなだらかにふくれ凹んだ、いちめんの雪の斜面になって来ました。雪はいよいよ目に眩しく、そのためかあたりはいよいよ薄暗く、重く渦巻く冬雲も更に低く掠めて来るようですが、雪のふくらみからは、僅かながらも杉林の伐り残された頂が見えるばかりでありません。雪の凹みからは西の渓谷を隔てた西山《にしやま》の頂が見え、そこからも重く渦巻く冬雲が寄せて来て、頭上の重く渦巻く冬雲と交じわるかにみえながら、交じわるでもなくおなじ向きに向かって行くようです。 「風が強くなって来ましたね」 「ンだ。このあたりからは、もう吹きさらしださけの」  そういえば、すべてが雪になってしまっているが、たしかこのあたりは茫々たるススキの原で、頭の丸い小さな石の墓が無数にありました。寺の|じさま《ヽヽヽ》の話では、こんな頭の丸い石の墓は卵塔といって、寺のむかしの坊《ぼ》さまたちの墓だそうで、これももとは杉林に囲まれて幽界をなしていたのかもしれません。しかし、それも累々と石の倒れ傾いた墓原になり、それをおおったススキのところどころに、古い大きな伐り株を覗かせてはいるものの、これが鬱蒼とした杉林をなしていたなどとは考えられもしなくなっていたのです。 「このあたりですか、坊さまたちの墓原があったのは」  思いだしてそう訊くと、|じさま《ヽヽヽ》はまったく違ったほうに顔を向け、 「ンでね、墓原だばあっちゃだの」 「そうでしたかね。ただまっ白だもんだから、どっちがどっちだかわからなくなっちゃった……」 「ンでろうの。それに、雪のうねりを登っては降り、降りては登りすっさけ、どっちゃが上だか下だかもわからねえんでねえか」 「そうですね。雲の寄せて来るほうが上なんでしょう」 「ンだ」 「しかし、風はなんだか雲脚に逆らって、渓のほうから吹き上げて来るみたいですね」 「ンだ。|おらほう《ヽヽヽヽ》は山ふところださけ、積もる雪は天の雲から降るんども、|吹き山《ヽヽヽ》をつくる|吹き《ヽヽ》は、渓から吹き上げて来るんだて。これで、風が雲脚とおなじ向きに吹くようだば|おらた《ヽヽヽ》(おらたち)も余ッ程、頂に近うなったというもんだ。だども、雲も|吹き《ヽヽ》ももとはみな月山《がつさん》へと寄せるおなじ風のせえださけ、こげだに雲脚が速えようだば、ちっとは吹くんであんめえか」 「吹く?」 「吹くというても、あげだに雲が高けえんでろ」  と、|じさま《ヽヽヽ》は上目使いに、掠めんばかりの渦巻く重い冬雲を見るのです。 「…………」 「優しいようでも恐いのは、なんたて天の雲から降る雪での。たンだ下から吹く|吹き《ヽヽ》だば、てえしたことはねえんども、いまは吹きさらしでもとのように杉林ではねえもんだし」 「どうしてまた、こんな吹きさらしになるほど、伐ってしまったんですかね」 「部落から火の海になって寺が燃え、あらたに寺を建てるいうては山を伐る。建てた寺が|傾いた《ヽヽヽ》いうては、また伐りししたもんださけの」  むろん、寺が|傾いた《ヽヽヽ》とは寺の|衰えた《ヽヽヽ》ことを言っているのです。しかし、あらたに建てられたというあの大きな寺も、本堂の大屋根に積もった雪の雪崩れで、庫裡のほうまで|傾いて《ヽヽヽ》い、雪のないときも取りはずされぬままになっている雪囲いの木組みに隠されて、ちょっと目にはそうは感じられぬが、いたるところに隙き間ができて、雪にこっぽり埋もれてしまうまでは|吹き《ヽヽ》の吹き込むにまかせられていたのです。 「傾いたにしても、どうして植林もせず、ススキの原にしてしまったんですかね」 「なんたて、この雪ださけの。まわりにまだ杉林でもあればなんども、あげだススキにしてしもうては、育てようにも育つもんでねえて。ただせえ杉は冬も葉を落とそうとしねえ木ださけ、|おらほう《ヽヽヽヽ》のはみな苗木のときに雪倒れして、根もとが下さ向いて痛ましう曲がっとるんでろ」 「…………」  わたしは、あちこちの雪の渓からあの激しい|吹き《ヽヽ》すらも受けつけぬように、黒々とした葉を厳然とせり上がらせている杉林が、そんな苦痛に耐えてなったものだとは夢にも思っていませんでした。 「それに、やっと根がついても、下草は刈らねばなんねえし、下枝はおろさねばなんねえ。もとは部落内《むらうち》、寺の山さ山仕事に出て稼えだんども、寺があげだになっては、稼ぐにも稼ぎになんねえさけの」 「なるほどね。あんまり荒れてるんで、むかしからの寺だとばかり思って、あらたに建てたんだとは気もつかなかった……」 「ンでろの。あれでも寺の|じさま《ヽヽヽ》が来たさけ、いくらか寺らしゅうはなったんども、いちじはまるで恐ろしいみてえなものだったて。わかるかの、このあたりが寺の|じさま《ヽヽヽ》の大根畑だちゃ」 「すると、まだ寺のすぐ上じゃありませんか」  わたしは思わず問い返しました。わたしはまだ登るというほど登りはせぬにしろ、かなり登ったような気がしていたのですが、あたりは依然としてなだらかにふくれ凹んだいちめんの雪の斜面で、ところどころに枝木の茂みのようなものが風になびいて侘しく鳴っているのです。 「|おらた《ヽヽヽ》は|さわ《ヽヽ》から回って、たンだうねうねと来たさけの」  そう言いながらも、|じさま《ヽヽヽ》はあえぎあえぎ、ザック、ザックと緩慢にカンジキを踏んで、僅かな雪のふくらみにも決して挑もうとはしないのです。 「じゃァ、あの枝木の茂みが寺の|じさま《ヽヽヽ》の桃や|すもも《ヽヽヽ》ですね」 「ンだ。幾らもねえんども、寺の|じさま《ヽヽヽ》には生活保護も出るもんだ。なにもこげだとこさ、大根までつくらねえでも、|じさま《ヽヽヽ》が食うほどのものはみなで持ち寄ってくれるさけ、心配《しんぺえ》することはねえと言うたんども、あげだ気性の人なんでろ。こうして桃や|すもも《ヽヽヽ》まで植えたもんだ。だども、早ええもんだの。この雪にあげだに枝が見えるまで育ったんださけ。そろそろ花も咲くんであんめえか」 「咲きますかね。喜ぶでしょうね、寺の|じさま《ヽヽヽ》は」 「喜ぶの。なんたて、あのからだで手しおにかけたものだし」  そればかりでありません。寺の|じさま《ヽヽヽ》は雪になり|吹き《ヽヽ》が来て、炉ばたで割り箸を割りはじめるまでは境内にも花をつくり、孫を連れて遊びに来る|ばさま《ヽヽヽ》たちに分けてやる。いや、ときにはこの畑から引いてやっと下げて来た大根までそえて持たせてやったりしていたので、ここに桃や|すもも《ヽヽヽ》を植えたのも、ススキの中の墓原にせめてその咲く花でも見てもらおうと言っていたのです。 「じゃァ、坊さまの墓原はあのあたりですか」  重ねてわたしがそう問い直すと、|じさま《ヽヽヽ》はまたまったく違ったほうに顔を向け、 「ンでね。こっちゃだの」 「こっち? なるほどただまっ白だとわからんもんだな。だいぶ暗くなって来ましたね。やっぱり、ひと吹き来るんですか」 「ンだの」  と、|じさま《ヽヽヽ》も相槌を打つのです。たしか雪のふくらみの上にあった頂ばかりか、雪の凹みから見えていた西山もいつかなくなってい、心なしか風も弱まって来たようなのが、かえって不穏なものを感じさせるのです。 「あの墓原を見たときはおどろきましたよ。あたりいちめんみなそうでしょう。やっぱり寺が古いということですかね」 「ンでろうの」 「見るとみな僧都だとか、僧正だとか、権大僧正だとか彫ってある。それにしては、大きいのはひとつもありませんね」 「|おらほう《ヽヽヽヽ》の注連寺だば、平野部──と、部落の衆はあの庄内平野のことを言うのですが──さも末寺が幾つもあって、そげだ寺の方丈も勤めに来れば、ここの方丈もまたそげだ寺を持っとるというたあんべえでの。持ち寺さ本墓があんでろども、ここさも名をとどめて|わァ《ヽヽ》(自分)の栄誉としたんでねえでろ。これなんの足跡だかわかるかの」  気がつかずにいましたが、ふんわりとした雪の肌を跳ねて過ぎたように足跡があるのです。しかもその足跡はそれぞれ四つの点でできていて、その二つは広くその二つは狭く、かなりの間隔をとってついている。…… 「兎の足跡じゃありませんか」 「ンだ。して、どっちゃさ跳ねたかわかるかの」 「さァ、兎は跳ねて長い後ろ脚を、揃えてついた前脚のあとにつく。あっちのほうからこっちのほうに来たんでしょう」 「ンでねえの。兎は揃えてついた短けえ前脚の先さ、長げえ後ろ脚を出して跳ねる。こっちゃのほうからあっちゃのほうさ行ったんだて」 「じゃァ、兎は足跡の狭いほうじゃなくって、広いほうに跳ねてるんですね」 「ンだンだ。まだ新しい足跡ださけ、|おらた《ヽヽヽ》の足音を聞いて、いまの先、逃げたんだちゃ。だども、余ッ程驚いたんでろの。ほれ、こんなに跳ねてるでねえか」 「この足跡を追って行けば、兎がいるわけですね」 「家兎とは違うて速えもんでの。追えばどこまでも逃げるさけ、山じゅう追わねばなんねえ。だども、いまどき出て来るようだば、兎もよくよくのこったて」 「じゃァ、兎は昼のまは出ないんですか」 「ンだ、用心深けえもんでの。ンださけ、夜さに|吹き《ヽヽ》が吹き荒れて来ると、|おらた《ヽヽヽ》はよく言うもんだけ。こうッ、この|吹き《ヽヽ》だばさぞ兎が喜んで駆けとるんでろ、とのう」 「…………」  わたしは兎が夜行性のものであるとは知りませんでした。しかし、|じさま《ヽヽヽ》にそう言われると、暗い夜の|吹き《ヽヽ》の中をからだを伸ばし縮めて、仄かに白く駆けすぎて行くのが目に見えて来るような気がするのです。 「ひところは、どげだわけだか、その兎がにわかに殖えての。山も畑も荒されてしもうさけ、部落内《むらうち》かかって狩ったもんだ。それでも|吹き《ヽヽ》でもねえば、こげだ足跡があっちゃこっちゃさ走っとる。それがおなじ兎の足跡だもんだか、違う兎の足跡だかわからねえんだや。このごろは余ッ程少のうなって、こげだ足跡もめったに見られなくなったんども、そろそろ冬の終わろうとするころが、雪も積むだけ積んで、いっち辛れえときだもんだ。耐えられのうなって、部落のツボケでも荒らしに来たんでねえか」  ツボケというのは、地べたに大根、ニンジンを輪なりに積んで、コモをかぶしておく。ただそれだけのものですが、雪深い部落では雪に埋もれて、おのずと雪室になるのです。いつとなくまたザック、ザックとどこかでカンジキを踏むような木霊がしはじめ、雪と雪の間を重く渦巻く冬雲が低く掠めるばかりになりました。 「|さわ《ヽヽ》ですかね、また」 「ンだ、あっこさ木小屋があるんでろ。いまはねくなった木小屋がずいぶんあるんども、もとはこうして|さわ《ヽヽ》道さそうて、部落内《むらうち》の家が木小屋を持っとったもんだ。あれだば|よそえん《ヽヽヽヽ》(与惣右ヱ門)の木小屋だて」 「じゃァ、|もくえん《ヽヽヽヽ》の木小屋はまだですね」 「|おらえ《ヽヽヽ》は貧《ひん》で、木小屋も山の上だ。余ッ程あるのう。ンださけ、こうして|さわ《ヽヽ》道|さわ《ヽヽ》道さへえって、ヨッチラ杉林の道を歩むんどもや。このあたりまで来ると、よく杉林の間から、杉枝背負うた|わかぜ《ヽヽヽ》たちが、先を争って|さわ《ヽヽ》道を駆け降りて行くのが見えたもんだちゃ」 「このあたりでは、雪の積もるたびに行って、下枝をおろすんでしょう」 「したば、雪がだんだん高うなって、しぜんと高くまで下枝がおろせっさけの」 「おろした下枝を集めておいて、橇かなにかで運べないもんですかね」 「運べる、運べる。大抵はそうするんども、他に楽しみもねえもんだし、|わかぜ《ヽヽヽ》たちが集まると、よくそげだことして面白がったもんだちゃ」  しかし、いまはただ薄暗く、雪が目に眩ゆいばかりで、その杉林もありません。ただもうこうして|じさま《ヽヽヽ》といるだけだと思うと、杉枝を背負い先を争って駆け降りて行ったという|わかぜ《ヽヽヽ》たちも、そうしてそれなりどこへともなく|過ぎて《ヽヽヽ》(死んで)行ってしまった人たちのような気がするのは、ただもうあたりが雪になっているせいかもしれません。  おなじように廂を覗かせて|吹き山《ヽヽヽ》になった|よそえん《ヽヽヽヽ》の木小屋に近づくと、あたりは薄暗くも眩しい雪肌に、また点々と跳んで過ぎた兎の足跡があるのです。 「あの兎ですね」 「ンだ。兎の脚だばここまでひと駆けださけの。だども、こうして足跡を追うとると、かえって兎に導かれとるみてえな気がするの」  しかし、兎は|さわ《ヽヽ》を掠めて、向こうに行ったのでしょう。あえぎあえぎザック、ザックとカンジキを踏む|じさま《ヽヽヽ》について行くうちに、いつとなく木霊もなくなって、ただいちめんのふくれ凹んだ雪の斜面になり、雪のふくらみには、僅かに杉林の伐り残された頂が見え、雪の凹みからは西山が見えるのです。なんだかもとのところに戻って来たようで、しずまった風もまたもとのように強くなって来ました。ここにも侘しい枝木の茂みがあり、風に鳴っていそうな気すらするのです。  いくらかカンジキに馴れて来たとはいうものの、わたしもじっとりと汗ばんで、いつか|じさま《ヽヽヽ》のあえぎに合わせてあえがずにいられなくなりました。あれが寺の|じさま《ヽヽヽ》の大根畑だったのなら、なぜ引き返さなかったのであろう。あそこからなら|さわ《ヽヽ》に戻らないでも、らくに寺に戻れる道があったのだ。いまさらながら悔やまれるのですが、わたしはふとわたしがカンジキを踏むその一足で、それだけ西山が高くなり、尾根を伸ばして行くのに気がつきました。あるいは次第に雪の凹みが低くなり、大きくなるのかもしれませんが、 「あれで、西山も高いんですね」  と、わたしが言うと|じさま《ヽヽヽ》も頷いて、 「高けえの」 「この山とどっちですか」 「どっちだかの。西山は|十王 峠《じゆうおうとうげ》と肩を並べた尾根つづきだもんだし、この山だば峠から分かれた尾根の山ださけ、なんぼか西山が高けえんであんめえか」  そういえば、ほとんどふくらんだ雪が凹もうとするあたりに、十王峠の頂に立てられた送電線の鉄柱が針のように見える。しかもそれが重く渦巻く冬雲とともに、こちらへと寄って来るかに思わせながら、気づくとまたもとの位置に戻ってい、戻ったその位置から重く渦巻く冬雲とともに、ふたたびこちらに寄って来るようです。 「おや、十王峠と西山の間にも山があったのですか」  思わず、わたしが|じさま《ヽヽヽ》にそう訊いたのは、他でもありません。いまはすべての山が雪となり、そこにそれらしい雪の陰翳が、わたしのまったく気づかなかった山を浮き彫りにしていたからです。まだ雑木の繁っていたころはただの尾根の起伏のようでしたし、わたしはそれなり見過ごして、いままでそんな山があるとは思っていなかったのです。 「ンだ。天沼山《あまぬまやま》いうてのう。|おらほう《ヽヽヽヽ》だば|とうし《ヽヽヽ》(いつも)|吹き《ヽヽ》でなにも見えねえんども、|吹き《ヽヽ》で白うならねば見えて来ねえ山が幾らもあるもんだ」 「なるほどね。あの上にそんな沼でもあるんですか、天沼山というのは」 「沼はねえんども、登れば向こうさ、また山があるもんだ。天沼というなださけ、どっちゃも山で天がそげだに見えるというんでねえか」 「そんなら、ここも天沼じゃありませんか」 「まンず、そげだもんだ。|おらほう《ヽヽヽヽ》だばどの山さ登っても、どっちゃもたンだ山だでの」  そう言われれば、頭上を掠める重く渦巻く冬雲が、ほんとうに天沼のように思えて来ただけではありません。その天沼は一足は一足と拡がって、天沼山が西山とともに次第に山腹を大きくし、いずれも麓の黒々とした杉林を見せはじめたころには、十王峠がこれらの山々を連ねて、この雪の凹みとの間につくる深い西の渓谷がその全貌を現して来ました。そして、渓谷のこなたへと盛り上がって来る雪の斜面のあちらに一つこちらに一つと、雪をおろした部落の萱屋根が小さく見え、そのどれからも糸のような雪道がついている。その糸のような雪道はいずれもいつとなく雪のふくらみに途切れているものの、ややはずれたあたりからまた見えて来て、目でそれを辿るとそこからもまたおなじような萱屋根が小さく見えて来るのです。こうしてあたりの薄暗さの遙かな下に、仄明るく七五三掛《しめかけ》の部落が眺められるばかりかここではこんなに風があり、しかもその風が渓谷から吹き上げて来るというのに、そこではまるで風など知らぬげに、どの萱屋根も煙出しの小屋根から淡い煙を這わせているのです。  縁あってわたしがはじめて寺に来たころは、これらの萱屋根は下枝を切られた高い樹々にまったく埋もれていたのです。その気で見ればどの萱屋根の上にもいまもそうした樹々の枝がないではないが、枝というより枝の影がかすかに這っているようで、そこではまるでふたたび戻らぬように|吹き《ヽヽ》の中へと消えて行ったゴザをかぶった子供たちや、いまはそれなりどこへともなく去って行ったように杉枝を背負って|さわ《ヽヽ》道を争って降りて行った|わかぜ《ヽヽヽ》たちが団欒している、見知らぬ部落が現れて来たように思えるのです。それでいて、なんともいえぬ安らかなこの世ならぬ世界を眺める心地になっていると、やがて目の下に杉の木立に限られた広い境内が見え、雪に埋もれながらも片側に雪を残して、片側の銅屋根をのぞかせた寺の本堂や、おなじように片側のトタン屋根をみせた庫裡が見えて来ました。 「こうして眺めると、いよいよ大きな寺ですね」  思わずわたしがそう言うと、|じさま《ヽヽヽ》も、 「ンだ。大きな寺だ」 「あの屋根の雪の具合だと、どんなに雲が厚く、吹いて吹いて日の目を見ぬような日がつづいても、やはり南に近いほうが緩んで雪崩れるようですね」  わたしはよく|吹き《ヽヽ》の吹く寺の炉ばたで、庫裡のトタン屋根や本堂の銅屋根に積もった雪が雪崩れ落ちるのを空しく聞いたのです。 「ンだ、ンだ。どげだに|吹き《ヽヽ》でも、月の夜は雪明りがして明るいてみてえにの」 「あれで、いまはすっかり雪に埋もれているからだけど、まわりの雪が少なくなれば、またあの片側雪でやられることはありませんか」 「まわりの雪が少のうなれば、屋根の雪も少のうなるというたあんべえでの。寺が傾いたのはちょうどこげだときだで、埋もれとるときがけえって危ねえもんだ。部落の衆もよりより寄って話に出ねえでもねえんども、あれだけの雪をおろすには、なまなかな人数ではできるもんでねえなだし」 「でしょうね。もとは寺も萱屋根だったのを、みょうな|やっこ《ヽヽヽ》坊主の|えせ《ヽヽ》方丈が乗り込んで来て、葺きかえたのだそうですね」  こんなことは山の破れ寺によくあることだそうですが、寺がまだまったくの無人で荒れ果てていたころ、えたいの知れぬ|やっこ《ヽヽヽ》坊主の|えせ《ヽヽ》方丈が居坐って寺の乗っとりにかかり、人ひとりがやっと担げるような大きなお札を部落の|わかぜ《ヽヽヽ》に背負わせてまわり、|ものもち《ヽヽヽヽ》の病家に持ち込んで祈祷をし、それがみょうに効くという噂がたちまち拡がってカネが集まり、そんなことをやってのけたのだと、わたしも寺の|じさま《ヽヽヽ》から聞いていたのです。 「ンだ。それで部落の衆も|おぼけ《ヽヽヽ》(驚い)てのう。すっかり信用したんども、そうなると寄りつきもしなかった末寺の坊さまたちが、まるで墓原から騒ぎ立ったみてえに騒ぎ立てての」 「墓原から……」 「ンだ。しめえにはどこぞの偉え方丈まで担いで|やっこ《ヽヽヽ》坊主の|えせ《ヽヽ》方丈追い出しはしたんども、寺さ寺の|じさま《ヽヽヽ》がもらわれて来ただけで、あとはだれが寄りつくでもねえ。けっきょく、本堂の北側は萱屋根のままでの。銅屋根と違うて雪が積もる一方ださけ、本堂の屋根の雪崩れで、庫裡まで傾かせてしもうたんでねえか」 「どうせ追い出すんなら、葺きかえさせてしまってからすればよかったのに」  と、わたしが言うと、|じさま《ヽヽヽ》も笑って、 「そげだことするこったば、追い出そうにも追い出せなくなるんでねえか。最初の触れ込みが触れ込みで、いまは部落の衆も笑い話にしとるんども、おらだば偉えもんだと思うとるて。開山といわれるほどの人も、どうせもとはどこぞの|やっこ《ヽヽヽ》坊主|えせ《ヽヽ》方丈あつかいされたものなんでろし、あれでねえばとても寺など興せるもんでねえて」  と、|じさま《ヽヽヽ》はいかにも|じさま《ヽヽヽ》らしいことを言うのです。 「しかし、おしいことをしたもんですね。そこまでやるんだから、やらせておけば寺も蘇っていたかもしれませんね」 「さァて、それはどげだもんだかの。なんたて、もとは湯殿《ゆどの》詣りの客はみなあの十王峠を越えて来て、盛んなころは日に何百と|おらほう《ヽヽヽヽ》の注連寺《ちゆうれんじ》か、大日坊《だいにちぼう》さ泊まったもんだ。だども、いまは梵字川《ぼんじがわ》さダムができバス道が開かれたさけ、みな素通りして、バス道近くの大網さ出はった大日坊でせえ、|おらほう《ヽヽヽヽ》の注連寺と似たり寄ったりというなだし」 「大日坊のほうも、もとのは関屋《せきや》の地滑りで、いまも|さわ《ヽヽ》に無残な残骸をさらしてるそうじゃありませんか。しかし、ダムができバス道が開かれたというだけで、そんなに変わるもんですかね」 「変わるの。道が変わるということは、世が変わるということださけ。ほれ、なんのかのというとるうちに、月山が見えて来たでねえか」 「月山が?」 「ンだ」  そういえば、十王峠はいつか雪のふくらみで見えなくなってしまったが、それが天沼山、西山と更に延びて行こうとするのを遮るように名川山《ながわやま》が見え、おそらくはおなじ尾根つづきのために、やはり雪のふくらみに隠されていた中村山《なかむらやま》が見え、それをまた遮るように鷹匠山《たかじようやま》が見え、名川山と並んでいる。いや、その鷹匠山の右に左に塞《せえ》ノ峠《とうげ》、仙人嶽《せんにんだけ》が覗いてい、重く渦巻く冬雲がやがて暗い空になっていくあたりに、あの月山が臥した牛の背にも似たながい稜線を仄白く引いているのです。しかも、それらの白雪の山々は一足は一足と高くなるかに思えるのに、次から次へと他の山々を覗かせて来るばかりではありません。月山も次第に大きくその山腹を見せて来るのです。わたしはいまさらながら、この掠めるような重く渦巻く冬雲が十王峠、西山、天沼山よりなお高いのに驚いたのを思いだし、 「この雲は、月山よりも高かったんですね」  そう訊くと|じさま《ヽヽヽ》は、この雪ばかりが目に眩しい薄暗さの中で、 「ンだ、天沼というなださけの。だども、どうやら吹いて来たみてえでねえか」 「|吹き《ヽヽ》が……」  わたしは思わず、問い返さずにいられませんでした。見返ると、あの強い風もなくなって、いまのいままで気配すらなかったのに名川山と鷹匠山の間がもう白く煙ってい、その白い煙が遠い山鳴りのようななんともいえぬ音とともに鷹匠山と中村山、この山と西山、天沼山の間へと拡がって来、白雪の山々が一つまた一つと消えて行くのです。やがて風はにわかに強くなり、さッとあたりのあちこちに雪煙が上がったと思うと、なお遙かな彼方にひとり薄っすらと残っていた月山も消えてまったくの雪煙になった中から、 「だども、こげだ|吹き《ヽヽ》は、天の雲から降る雪ではねえ。ちょんの間吹いて、|そんま《ヽヽヽ》(すぐ)過ぎるもんだ」  ぼうっと影のようになった、|じさま《ヽヽヽ》の声が聞こえるのです。  しかし、ぼうっと影のように薄れたものもいつかもとの姿に戻って、|じさま《ヽヽヽ》はあえぎあえぎ緩慢にカンジキを踏んでいる。と、みるうちに、あちこちに雪煙が上がって、その姿はまた影のように薄れて行くのです。たしか、|じさま《ヽヽヽ》はこんな|吹き《ヽヽ》は天の雲から降る雪ではないと言ったのです。してみればこれが天沼と思えたあの掠めるような重く渦巻く冬雲は、依然として十王峠、天沼山、西山はおろか月山よりも高くある|はず《ヽヽ》なのに、わたしはいつか天高いその天沼に|じさま《ヽヽヽ》と足を踏み入れて来たような気がしはじめました。  雪煙を上げて来る|吹き《ヽヽ》に、そのおおう雪が吹きはがされたのでしょう。足もとの雪の中から小笹が驚くようなあおい葉をもたげて来、プンと雪をハネ飛ばし、忽ち|吹き《ヽヽ》に吹きなびかされながらもなお立ち上がろうとして揺れている。しかも、ハネ飛ばされた雪は、雪の斜面にすーっと描かれた曲線の向こうに、もう拳大《こぶしだい》のたまころになっているのです。 「小笹もなかなか小癪なもんですね」  わたしはものみなが雪になり、雪に押さえられたままになっているのに、隙あらばハネ返そうとしていた小笹の面魂が感じられておかしかったのですが、|じさま《ヽヽヽ》も見ていたのかもしれません。 「ンだの」  と、笑って頷くのです。|吹き《ヽヽ》はただもう吹きに吹くかにみえるものの、さ中にはいると、時にぽうっと仄明るく、遠い|吹き《ヽヽ》をよそごとのように聞くだけの意外に寂かな瞬間があるのです。 「あれだけ転げて、あんな|たまころ《ヽヽヽヽ》になるんだから、止まらなければ、ずいぶん大きな|たまころ《ヽヽヽヽ》になるんでしょうね」 「なるのう。|吹き《ヽヽ》の凪いだ暗い朝まなど、こげだとこさも一尺、二尺となった雪の|たまころ《ヽヽヽヽ》がおかしいほどゴロゴロしとるもんだ」 「そんな朝の暗いうちから、こんなとこまで来ることがあるんですか」 「来る、来る。朝飯前のひと稼ぎというての」と言いながらも、不意にまともにかぶったのでしょう。「こうッ、吹くもんだちゃ」  さすがの|じさま《ヽヽヽ》も|吹き《ヽヽ》にむせんだ様子ですが、 「しかし、それがそのままころがって行ったら、だんだん大きくなって、|えらい《ヽヽヽ》ことになるんじゃありませんか」 「なるのう。いちど、そげだ大きな雪の|たまころ《ヽヽヽヽ》が、まっしぐらに|げんすけ《ヽヽヽヽ》(源助)の|じさま《ヽヽヽ》の牛《べこ》さころがって来ての。あわてて鼻綱を曳いたんども、牛はたまげたかし、眼をむいたまま動かねえ。さすがの|げんすけ《ヽヽヽヽ》の|じさま《ヽヽヽ》も、鼻綱すてて逃げ出そうとしたんども、幸い雪の|たまころ《ヽヽヽヽ》がそれて、事はなかったというけかの」 「うっかりできませんね。山では雪の|たまころ《ヽヽヽヽ》も……」 「できねえの。だども、ようしたもんで大きくなれば、大きくなったというそのことで、しぜんと壊れてしまうもんだ。この世のことはみなそげだもんでねえでろか」 「…………」 「部落の衆はなにかと思いだしては、むかしはよかったみてえなことを言うんども、寺の栄えていたころは、けえってろくなことはなかったもんだ。いまと違うて燃すものなど、寺さは幾らでもある。庫裡の台所の炉さも、梁からでっけえ根っ子を吊す。それを下からボンボン太い薪燃すで、みな片肌脱ぎでバクチを打っていたもんだ。勝った言うては飲み、負けた言うては飲む。果ては、喧嘩騒ぎになっての。いや、荒らび切ったものだったて」 「バクチを……」  わたしはそう問い返しましたが、|吹き《ヽヽ》の向きが変わったのか、 「ンだ」  と、頷く|じさま《ヽヽヽ》の声ももう遠くかすかに聞こえるのです。湯殿は死者が行くとされている月山でも秘奥の地とされているところです。客はみな潔斎して白衣で夜発《よだ》ち朝発ちをするものの、戻れば精進落ちの無礼講で警察もうかつには手を出さぬ霊場の寺とされていたから、バクチの開帳されていたことは、だれに聞かされずとも想像できぬことではありませんでしたが、 「部落の衆がですか」 「ンだ。はじめはそれほどでもなかったんども、まるで兎が殖えるみてえに、どこの|だだちゃ《ヽヽヽヽ》(親父)も急に狂うたように打ちはじめての。そのうち、彫りものまでしたバクチ打ちまで|冬ば《ヽヽ》の|吹き《ヽヽ》に乗り込んで来たもんだちゃ」 「それじゃ、みな巻き上げられてひとたまりもないでしょう」 「なんだか知らねえども、あげだこと覚えるとまともな稼ぎはできなくなるもんだ。儲けたのはたンだ寺銭稼ぎの寺ばかりでねえか」 「寺が?」 「ンだ。田も畑も森も寺さとられる。果てはムスメも売りとばし、家も失うて、途方に暮れた年寄りたちが、|こうで《ヽヽヽ》(沢山)縊《くび》れて死んだもんだちゃ。ほれ、|さわ《ヽヽ》の下さ廃《すた》れてしもうた木小屋があったんでろ」 「廃れた木小屋……」 「ンだ。あれだば|にんぜん《ヽヽヽヽ》(仁左ヱ門)の木小屋いうて、いまの|にんぜん《ヽヽヽヽ》の|じさま《ヽヽヽ》がのう」 「縊れたんですか、あそこで」  わたしにはなんだかあの廃れた木小屋に、すでに不吉めいたものがあったように思いだされて来るのですが、 「それを見つけておろした|よそえん《ヽヽヽヽ》の|じさま《ヽヽヽ》も、|よそえん《ヽヽヽヽ》の木小屋での」 「|よそえん《ヽヽヽヽ》の? あの兎の駆けていた……」  と、問い返したときには、まだ消えやらぬ雪煙の中を|吹き《ヽヽ》がまた雪煙を上げて来、「こうッ」と、|じさま《ヽヽヽ》は叫び上げるのです。 「|おらえ《ヽヽヽ》の|過ぎた《ヽヽヽ》(死んだ)|じさま《ヽヽヽ》は相手変われど主《ぬし》変わらずで、目も見えず耳も聞こえず、|ほろけ《ヽヽヽ》(バカ)みてえになっても、やめることを知らねえ人での」 「…………」  もしかすると、こうして行こうとしている|もくえん《ヽヽヽヽ》の木小屋でも、その人が縊れて果てたのではないかと思わずにはいられませんでしたが、 「|朝ま《ヽヽ》になっても戻らねえさけ、寺さ行ってみたば、寺の勾欄の上さ梁から下がって、まるでおらを見とるみてえに|吹き《ヽヽ》の中に揺れとる者があるんだや。|おぼけ《ヽヽヽ》(驚い)て近よると、寺の|じさま《ヽヽヽ》の兄だ人での」 「寺の|じさま《ヽヽヽ》の兄だ人?」 「寺の|じさま《ヽヽヽ》の兄だ人も大工での。もともと家など|わァ《ヽヽ》の手でつくったもんだし、とられても嘆く年寄りがいるでもねえ。またつくればええんでねえか、と強気なことを言うとったんどもの」 「…………」  しかし、また|吹き《ヽヽ》の向きが変わって、わたしも|吹き《ヽヽ》にむせび、まだなにも言わぬのに|じさま《ヽヽヽ》はひとり頷いて、 「ンだ」と相槌を打つ声が急にハッキリ聞こえるのです。「|げんぞうぼう《ヽヽヽヽヽヽ》(玄蔵坊)の|じさま《ヽヽヽ》も、|げんぞうぼう《ヽヽヽヽヽヽ》の木小屋での」 「…………」  坊といっても見たところただの山の農家ですが、もとの先達たちの家で、いまも院とか坊とかの名で呼んでいるのです。 「それにしても、縊れた者はなしてあげだほうに向いてるんでろ」 「これから往こうとするほうに向いてでもいるんですか」 「ンでね。もう家はあっても、そこさもう戻れねくなったほうにの」 「もう戻れなくなったほうに?」わたしはいまさらのように、寺の|じさま《ヽヽヽ》の兄だ人がこちらを向いて|吹き《ヽヽ》の中に揺れていたというのを思いださずにいられなくなりましたが、「それで、大日坊のほうはどうだったんですか」 「大日坊のほうは知らねえんども、どうせおなじみてえなことなんでろ。だども、農地解放でなんとか田や畑もわが手に戻る。寺もおかしげになって手放したもんださけ、|おらた《ヽヽヽ》も林や森が幾らかは持てるというたあんべえでの。いまほどええときはねえんであんめえか。それにむかしから言うもんだ。どげだに吹いても歩いてせえいれば倒れねえ、稼えでせえいればどげだ寒さにも凍えねえ、とのう」  と、|じさま《ヽヽヽ》はなおもあえぎ、|吹き《ヽヽ》の中から緩慢にカンジキを踏む音をさせているのです。|じさま《ヽヽヽ》はそう言ってみずからを励ましているのかもしれませんが、なんだかわたしにはそうしてバクチで縊れて果てた死者たちを、運ぶことをウン(運)とせず、ウン(運)を求めて運ぼうとしない、いわば部落内《むらうち》の家のはたで行き倒れた|やっこ《ヽヽヽ》のようなものだと、鞭打っているような気がするのです。わたしには不意にまた、あの薄暗さの底に仄明るくこの世ならぬ世界のように雪の斜面に見えた部落のたたずまいが浮かんで来ました。あのときはなんともいえず安らかで、そこでは風すらもないようにその萱屋根の煙出しの小屋根からはいずれも淡い煙を這わせ、ついに往きついた人たちが永遠に住むという気すらしたのですが、ようやくそれらの家々に戻ったという田も、一畔三株といわれる山また山の谷あいにつくられたもので、自家米にも足らぬといわれています。畑ひとつつくるにも肥樽を背負って何里となく山坂を行かねばならないが、部落の衆は田仕事の辛さに比べて休み仕事だと言っている。それでも、寺が衰えて手放した林や森が持てたというのも、かつて湯殿の客をもてなすためにならい覚えた地酒を密造し、むかしの客にかわって、|吹き《ヽヽ》をおかして十王峠を越えて来る闇屋たちに買ってもらっているからで、そこで生きるということは、なにかそうしたことを犯すということを意味しないではいられないのです。  しかも、こうしたささやかな幸せを、幸せとしている雪深い部落が、|吹き《ヽヽ》をついて現れた税務署の摘発するところとなったことがあるのです。もともと、ながく警察の恐ろしさも知らなかったというこの部落では、|吹き《ヽヽ》をおかして来る|やっこ《ヽヽヽ》たちにさえ酒を飲ませ、|おらほう《ヽヽヽヽ》の酒は地酒といって|やぎ《ヽヽ》(濁酒)ではないと自慢さえしていたのですが、思いもかけぬ税務署の摘発にあい、たちまち阿鼻叫喚するところとなったのです。しかも、その摘発振りにはあらかじめ勝手を知っていて、他所者に心を許していたためとばかりは思えぬものがありました。互いに互いを疑って白々しい挨拶を交わし、しばらくは部落内《むらうち》おかしげになったそうですが、いまはもう寺によって生きることもできません。しぜん密造も量を定めて、他を出し抜かぬといった掟のようなものができ、部落はようやくもとの部落に戻ったというのですが、それならどうして|じさま《ヽヽヽ》はこうしてこの|吹き《ヽヽ》の中を背負うて登っているのであろう。この吹く|吹き《ヽヽ》の中でも、ときにその小判型の樽のタブタブという音が聞こえる。ひょっとすると|じさま《ヽヽヽ》は他を出し抜いて、ひそかに木小屋に水を運び、造った酒を背負うて戻ろうというのではないだろうか。たしか、|じさま《ヽヽヽ》は|じさま《ヽヽヽ》の木小屋も貧なために山の上にあると言い、追われて行った|やっこ《ヽヽヽ》坊主の|えせ《ヽヽ》方丈を、開山といわれるほどの者はあんな人ではなかったかと言いました。それもただあの大きな屋根をあそこまで葺いて行ったあくなさに頷いたまでで、寺がむかしの栄えに戻ると考えたのでもなければ望んでいたのでもない。おそらく、おなじ田畑の解放を受けながら、貧なる家の|もくえん《ヽヽヽヽ》の|じさま《ヽヽヽ》がいつとなく指折りの分限者になったのも、こうしたあくなさがあったからで、こういうことをする者があるから、密告《さ》せば自分もおなじ憂き目にあうと知りながら、密告《さ》さずにいられぬ者が出て来たのかもしれません。  それにしては、わたしを誘って木小屋に連れて行こうとする魂胆がわからないばかりか、|じさま《ヽヽヽ》が次第に食えぬ|じさま《ヽヽヽ》に思えて来、その言う言葉までおのれのためにするようなうさん臭さが感じられて来るのです。急に気圧が変わったのでしょう。ジーンと耳鳴りがし、そのためか無数の音がして、雪煙の中からなにかがわたしを嘲笑っているかに思えるのです。背筋にはもう汗がたらたらと糸を引いている。あえぐあえぎのためかノドの渇きに耐え切れず、雪を食えばなお渇くとは知りながら、よろけよろけ雪をすくって口に入れ、歩いてせえいればどげだ|吹き《ヽヽ》にも倒れねえ! 稼えでせえいればどげだ寒さにも凍えねえ! われともなくおぞましくすら思ったはずの|じさま《ヽヽヽ》の言葉を、重い一足一足に繰り返していると、かすかにまた木霊がするのです。|吹き《ヽヽ》に音をとられるのか、こちらで踏むカンジキはほとんど聞こえないが、雪煙のどこかで、ザック、ザックと緩慢ながらゆるぎもなく踏まれているカンジキの音は、まぎれもなく|じさま《ヽヽヽ》のそれの木霊で、よろけよろけそれに別のカンジキがついて行くのは、たしかにわたしの踏むカンジキのそれの木霊です。 「|さわ《ヽヽ》ですかね」  と、わたしが言うと、|吹き《ヽヽ》の中から|じさま《ヽヽヽ》の声がして、 「ンだ。|さわ《ヽヽ》だ」 「じゃァ、ここにも木小屋があるんですか」  さすがに、もう|もくえん《ヽヽヽヽ》の木小屋かとは言いかねましたが、あの廂を覗かせた|吹き山《ヽヽヽ》がそこらにあるような救われた気持ちでいると、 「|げんぞうぼう《ヽヽヽヽヽヽ》の木小屋がの」 「…………」  しかし、|じさま《ヽヽヽ》はわたしがこれも縊れて果てた木小屋かと、思わず声をのんでいるのを知ってか知らずか、 「こうッ、兎の奴め! ここで狐にやられたの」 「狐に? 狐もいるんですか、この山には……」  そういううちにもぼうっと雪煙の中から、蹴散らされた雪跡と、貪られたらしい血痕が見えて来ましたが、 「いる、いる。狐もいれば、狸もいるで。このあたりは危ねえさけ、おらのカンジキをよう見て来んなだて」  と、|じさま《ヽヽヽ》の声が、なにか非情なもののように聞こえるのです。たしか、|じさま《ヽヽヽ》はあの小判型の樽にストック風の杖をくくりつけていたはずなのに、このあたりは危ないと言うだけで、それを抜いてつこうともしなければつかせようともしない。しかし、非情だろうとうさん臭かろうと、縋るものはただもう|じさま《ヽヽヽ》ひとりで、雪煙からぼうっと現れては消え、消えては現れる、わたしのカンジキの三、四倍もありそうな大きなカンジキを見つめているうちに、だんだんそのカンジキの主が、そうしたカンジキを踏むにふさわしい巨大な人のような気がして来るのです。いや、緩慢にそのカンジキを踏む木霊までいかにもそうした人にふさわしいもののように思われるのですが、よろけながらもなおわたしの木霊もついて行こうとしている。歩いてせえいればどげだ|吹き《ヽヽ》にも倒れねえ! 稼えでせえいればどげだ寒さにも凍えねえ! 重い一足一足に、|じさま《ヽヽヽ》のそう言った言葉を繰り返していると、なにか「よいしょ、よいしょ」と一足一足に呻いているような|じさま《ヽヽヽ》の声がするのです。してみると、わたしの前で大きなカンジキを踏んでいるのは巨人でもなんでもない。ただのあの|じさま《ヽヽヽ》で、|じさま《ヽヽヽ》もわたしとおなじ苦しみに耐えているのだと思っていると、 「ほれ、余ッ程楽になったんでろ。|そんま《ヽヽヽ》、枝も蕾や芽で赤らんで、さまざまな小鳥の群れが雪の中さ次々と渡って来んなだて」  と、|じさま《ヽヽヽ》の声がするのですが、あたりは雪煙で、|吹き《ヽヽ》はいっこう弱まったという気もしないのです。 「雪の中に小鳥の群れが……」 「ンだ。カスミでも張るこったば、たちまち鈴なりになんなだちゃ」 「カスミ? カスミを使うんですか」  獲って網せずという言葉もある。湯殿の霊場とされたここでは、そういうこともしないからバクチで縊れて果てた者もあるかわりには、小鳥の群れも渡って来るのだろうという気がしたのですが、 「使う、使う。でねえば、蕾も芽も坊主にされてしもうでの」 「じゃァ、もうすぐですね。春が来て、キレイになるのは」  あえぎあえぎ|吹き《ヽヽ》の中からそう言うと、|じさま《ヽヽヽ》もあえぎながら、 「春が来たかて、すぐキレイになるもんでねえて」と、笑うのです。「だんだん雪が少のうなると、人の歩んだ雪道の傍からは野糞が出て来る。傍にはケッツ(尻)を拭いた糞紙まで、散っとるというたあんべえでの」 「…………」 「だども、雪は解けはじめると、上から解ける、下から解ける。木という木が高うなって、どこさ行ってもザワザワと水の音がする。キレイになるのは、それからだて」  と、|じさま《ヽヽヽ》が言う間にも、わたしにはまだあの「よいしょ、よいしょ」と言う呻きが聞こえるのです。あるいは、|じさま《ヽヽヽ》がそんな呻きを上げたのが、耳鳴りのする耳にまだ残っているのかもしれぬと思いながら、わたしはいつとなく寺の|じさま《ヽヽヽ》が足を曳き曳きこのカンジキを踏んで言う「よいしょ、よいしょ」の声を思いだしているのだと気がつきました。寺の|じさま《ヽヽヽ》は、寺がどんな破れ寺になったとしても、こうしてここにいさせてもらっている以上、道をつくらずにいられるものではないと言って、わたしが手伝おうとするのも手伝わせず、あの|吹き《ヽヽ》の吹きつづいたときも暗いうちから広い境内に雪道をつくっていたのです。そうだ、寺の|じさま《ヽヽヽ》も言っていた。……… 『それからだて。なんとも言えねえ日和がつづいて、|おらほう《ヽヽヽヽ》にも桃が咲く。|すもも《ヽヽヽ》が咲く、桜が咲く、梨が咲く。なにもかも一時に咲いて、部落内《むらうち》花におおわれる。それに、このあたりは山菜いうての。ちょっと出はれば、もうそこに|しょうでん《ヽヽヽヽヽ》(山アスパラガス)がある。|みず《ヽヽ》(蛇草)がある。|かたんこ《ヽヽヽヽ》(かたかご)がある。|ばんけ《ヽヽヽ》(蕗の花)がある。いまはツボケのものものうなって、いっち辛えときなんども、そうなるこったば木の芽は食える、|こごめ《ヽヽヽ》(小米空木)は食える、タンポポだろうと、鬼アザミだろうと、雪から生まれ出たもので、食うて食えねえものはねえなだて』  もうからだも利かず、いわば一足一足と雪を踏んで、すでにその生涯を兄だ人の縊れて果てた寺まで運んで来、庫裡の台所の炉ばたで終日割り箸を割っている人のやがては春になるという言葉が、わたしにはなにか美しい大きな約束を信じる者の下界の声のように思えたばかりではありません。やがては春になるというそのことによって、美しい大きな約束のあることを信ぜよという天上の声のように思えるのです。それもいわばすでに天沼の中にあり、雪を求めて雪に死ぬ雷鳥の夢にも似たものに終わるかもしれないが、わたしにもなにかもう雪煙の|吹き《ヽヽ》の下はるかに見えて来るような気がするのです。いまは|吹き山《ヽヽヽ》に埋もれ、見分けもつかぬ枯れ枝のような木々の梢──あの風に靡いて侘しくも鳴る寺の|じさま《ヽヽヽ》の枝木の茂み、萱屋根のあたりの枝というよりそれが落とした影のような枝々が、桃は桃、|すもも《ヽヽヽ》は|すもも《ヽヽヽ》として蘇り、部落をおおうであろう得も言われぬ眺めが……。  いつとなく耳鳴りもしなくなり、なにかが嘲笑っていたような無数の音が遠のいたと思うと、あたりの雪も薄れて来ました。依然として風は強いが、|吹き《ヽヽ》になってあたりを煙らすというよりも、むしろ雪煙を吹き払って行くようです。|じさま《ヽヽヽ》は肩に懸けた|痩せ馬《ヽヽヽ》の帯から交互に手をはずして、その甲で顔や禿げた頭を拭い、蓑にかぶった雪を払いながら、なおも白い息を吐き吐き、ザック、ザックと緩慢にカンジキを踏みつづけているのです。渓谷はまだ消えやらぬ雪煙に埋められているが、十王峠が見え、天沼山が見え、西山が見え、中村山が見え、名川山が見え、塞ノ峠が見え、仙人嶽が見え、すでに足を踏み入れたと思われた天沼は、低くはあるもののなお頭上にあって、渦巻く重い冬雲の寄せて暗い空になるあたりに、月山が皎々と全容を現して、臥した牛の背にも似たながい稜線からその山腹をなだれ落としているのです。いや、渓谷を埋めた雪煙は次第に退《ひ》いて、十王峠や西山ばかりか、名川山も塞ノ峠も仙人嶽も、雪がそれらしい陰翳を見せているいわば名の知れぬ天沼山の無数の集まりであることを示して来るだけではありません。名川山の彼方に、あたかも他界のごとく遙かに低く連亙する朝日連峰もまた無数の天沼山であり、ひとり君臨して月山が月山界ともいうべきものを形づくっているかに思えるのです。  わたしはながく平野部にいて、月山を眺めていたことを過ぎた世のように思いださずにいられませんでした。月山は平野部から眺めても、あの臥した牛の背のようにながい稜線から、雄大な山腹を平野部へとなだれ落としているのです。しかも、こうしてすでに月山である山ふところにはいると、また無数の山々や渓谷があっておのずからなる別天地をなし、月山はなお山々の遥かな彼方にあって、まったくおなじ姿で雄大な山腹をなだれ落としている。そのためにかつて考えもしなかったこの別天地に来ながら、なんだかここにこうして来たことがあるような気すらしたのですが、わたしが思わずそう言うと|じさま《ヽヽヽ》は頷いて、 「ンでろうの。十王峠を越えて来た客も、よく前世を思いだしたみてえなこと言うたもんだけ」 「前世を……」 「ンだ。|過ぎた《ヽヽヽ》世をの。どうせ|おらた《ヽヽヽ》は出たとこさ、戻るよりねえなだし、それで月山を|過ぎた者《ヽヽヽヽ》(死者)の来る山というんでねえか。だども、冬ででもねえばとてもこうは見えねえもんだ。よう見るんだちゃ。これが|おらほう《ヽヽヽヽ》の|けえしき《ヽヽヽヽ》(景色)というもんださけ」 「…………」  そう言われるとわたしにも、なんだかここに来たような気がしたのは、気だけではない。われともなく忘れてしまっていたところに、戻って来ていたように思えるのです。いつか雪煙もまったく退《ひ》いて、ところどころ|吹き《ヽヽ》をかぶって霜立った黒い杉林を点在させ、強い風ながらすべての山々がシンとして銀燻しに浮き立つ中に、名川山と鷹匠山の間に僅かにダムの水の碧をのぞかせた梵字川の渓谷が見える。更に中村山と鷹匠山との間には関谷の渓谷があり、向かいの天沼山、西山の連なりとの間には、十王峠に発する西の渓谷があり、これらの渓谷を入れて梵字川の渓谷は、西山と名川山の間にはいって名川の渓谷になるのです。この名川がやがては朝日連峰から来る大鳥川《おおとりがわ》を入れ、赤川《あかがわ》となってあまねくあの庄内平野を潤すのです。とすると、わたしの思い出はすべてこれらの渓流にそうて下った彼方へ開かれているので、わたしははからずももう思いだすことも少なくなったわたしの思い出の源流を眼下にしているのです。しかも、こうした源流とみられるこれらの渓谷も、また雪の陰翳によってはじめて知られるいわば無数の天沼山の渓谷の集まりであり、いまは歩んでも歩んでも微動もしないようだが、こんどは僅かな一足でこれらの山々を彫る無数の渓谷を微妙に変化させ、暗い空の下の皎々とした月山をめぐって、量り知れない変化を感じさせるのです。 「だども、|冬ば《ヽヽ》でこげだに見えるのは果報といわねばなんねえ。いまだば、月山さ天保堰《てんぽうぜき》も見えるんでねえか」 「天保堰?」 「ンだ。月山の右肩さ、山襞みてえに湯殿の渓谷が見えるんでろ。そのずっと左から、こう横さ筋引いたみてえにの」  天保堰の名はわたしも聞かぬではなかったのですが、それがあの月山の山腹にかけて、つくられたものとは知りませんでした。しかし、たしかに月山の右肩に湯殿らしいものが山襞のように見えはするものの、皎々とあの暗い空の下に横たわる月山の山腹に、そんなものがあるとは思えないのです。 「あの月山から、どこに水を引こうというのですかね」 「十王峠の頂さ引いて来て、峠の向こうの山裾さ、水をやろうというんだや」 「十王峠の頂に……。じゃァ、天保堰もこのあたりまで来てるんじゃありませんか」  だとすると、他界のごとく朝日連峰をのぞかせて、この無数の天沼山を、月山がまさに月山界ともいうべきものになさしめているように、こちらにもまたなにかをのぞかせた無数の天沼山があって、天保堰はそれらの山々の頂にそって引かれて来ているのだ。|じさま《ヽヽヽ》が見えるだろうと言った月山の天保堰は依然として見えないが、いまさらのようにそうして遠く引かれて来た遙かな大きさを思って、驚かずにはいられなかったのですが、 「ンだ。それを|おらほう《ヽヽヽヽ》さも分けてもろうて、あの|さわ《ヽヽ》さ入れとるんだて」 「あの|さわ《ヽヽ》に? じゃァ、あの|さわ《ヽヽ》を辿っても、いつかは月山に行くわけですね」  天沼は近く、しかも依然として遠いが、わたしにはこれがやがてはそこに行く道のような気がするのです。 「ンだ。ここももう月山ださけの」 「しかし、あの月山から、どうして水を引いて来るようなことをしなければならなかったんですかね。ここも渓谷ばかりじゃありませんか」 「渓谷ばかりだ。だども、もう|おらほう《ヽヽヽヽ》の田だば、みなその渓谷の上さつくらねばなんねえでの」 「それにしても、大したことをしたもんですね」 「大《てえ》したことをしたもんだの。天保の飢饉で流れて来た難民を何百、何千と集めたというんども、余ッ程のことだったとみえて、辿って行くと、山の上さ|こうで《ヽヽヽ》(沢山)石のあるところがあるんだや。ただの石なんども、どうみても難民の墓原だの」 「難民の墓原……」 「ンだ。|おらた《ヽヽヽ》はみな過ぎて月山さ行くというのも、やがては天沼さ行こうというもんだし、どこまで登っても墓原はつきねえもんだ。だども、あれだけのものを私財を投じてつくったというなださけ、|天保さま《ヽヽヽヽ》ももとは大した家だったんであんめえか」 「|天保さま《ヽヽヽヽ》? まだそんな家があるんですか」  わたしはそう問い返しましたが、このあたりのならわしで、おそらくいまも天保堰をつくった某《なにがし》と名のある家を|天保さま《ヽヽヽヽ》と呼んでいるのです。 「あるんであんめえか。先年、|おらほう《ヽヽヽヽ》さも|天保さま《ヽヽヽヽ》の子孫のなんだとかいうのが、ミシンの勧誘さ来たことがあっさけの」 「ミシンの勧誘に? それで、買ったんですか」 「買うた、買うた。なんたて、|天保さま《ヽヽヽヽ》の子孫のなんだとかいわれれば、買わずにはいられねえもんだ」 「じゃァ、部落じゃどこの家もミシンを使ってるんですか」 「ミシンだば、たンだ買うだけで、どこも使わねえの」 「やっぱり、動かないミシンだったんですね」 「動かねえことはねえんども、ミシンはほどきがきかねえいうて、|ばさま《ヽヽヽ》らが使わせねえんだや」 「|ばさま《ヽヽヽ》らが……」  とわたしが笑うと、|じさま《ヽヽヽ》もさもおかしそうに、 「ンだ。|おらた《ヽヽヽ》は山の人ださけ、山の神さ|ごけら《ヽヽヽ》(怒ら)れると、どうにもなんねえ。こうッ、雪が切れたかし、天沼山さ射して来たの」 「天沼山に……」  見ると、一筋の光が渦巻く重い冬雲から伸びて、いまはもう、半ば行く手の雪のふくらみに遮られた天沼山の頂に明るいスポットをつくっています。おそらく、光の筋は雲脚とともに走っているのですが、動くともみえずゆるゆると山腹へと移って見えなくなりました。しかし、それなり消えてしまったのではない。光の筋はなお重い冬雲から伸びていて、あの西の渓谷を渡って来たのでしょう。やがてあたりがキラリと明るくなり、暗くなったときには光の筋はもう中村山へと動いているのです。 「これだで、弘法さまの独鈷《とつこ》というのは」 「独鈷?」  そう問い返すうちにも、光の筋は鷹匠山へとかかり、しばしたゆとうとみるうちに、パッと放たれた光の矢のように見えなくなってしまいました。 「ンだ。弘法さまが湯殿を開かしたとき、金色の独鈷を投げさした。それが仙人嶽を越え、鷹匠山を越え、中村山を越えて、この山さ突きささったいうての。|おらほう《ヽヽヽヽ》だばあげだ光を、弘法さまの独鈷と言うんだや」  むろん、見えなくなった光の筋は暗い空へと湯殿に消えて行ったのです。しかし、|じさま《ヽヽヽ》にそう言われると、光の矢は鷹匠山のへんから見えはじめ、こちらへと飛んで来たような気がするばかりではありません。ほんの瞬間ながら、渦巻く重い冬雲も月山の暗い空から寄せて来るかに思えるのです。 「それで、ここを独鈷ノ山といい、寺が建てられたというんですね」 「まンず、そげだもんだの。坊さまの言うたことださけ、いずれつくりごとなんでろども、こげだ光を見るとそげだ気もして来るの。|そんま《ヽヽヽ》、弘法さまの独鈷が幾つも幾つも、幾つも飛ぶんだや。ときによっては、キラキラ、キラキラと来て、数え切れねえほどの」  しかし、弘法さまの独鈷はふたたび現れず、あたりはいつかゆるやかな雪のふくらみと凹みになって来、またもそのふくらみからは頂の伐り残された杉林が見えるのです。その杉林もいまは|吹き《ヽヽ》をかぶって霜立っているというだけで、はじめて|さわ《ヽヽ》から出たときも頂は雪のふくらみからこんなふうに見えたのです。このふくらみを越えれば、また寺の|じさま《ヽヽヽ》の大根畑があるのではないだろうか。ただいちめんの雪になっているそのところどころに桃や|すもも《ヽヽヽ》の梢が枝木の茂みになって、侘しく風に鳴っているのではないだろうか。そこにはまた兎の跳ねて過ぎた足跡があるのではないだろうか。そして、あたりはいつか天沼にはいったような|吹き《ヽヽ》になり、雪煙の中に蹴散らされた雪跡や貪られた兎の血痕が見えるのではないだろうか。  ついいまの先、弘法さまの独鈷を目《ま》のあたりにしながらも、いよいよほんとにそんな気がして来たのも、もう一歩も歩けぬとしか思われぬ疲労が、すべての山々がじつは無数の天沼山であったように、しょせんは|夢幻 《ゆめまぼろし》の無益の所業といった気にさせたからかもしれません。  あえぎあえぎ|じさま《ヽヽヽ》のあえぎを聞きながら、一歩も歩けぬその一歩を踏んでいると、またかすかな木霊がし、それが次第にハッキリして来るのです。 「|さわ《ヽヽ》ですかね、ここも。なんだか、またおなじところに来たような気がしますね」 「ンだ。この|さわ《ヽヽ》を降りれば、すぐ|げんぞうぼう《ヽヽヽヽヽヽ》の木小屋ださけの」 「|げんぞうぼう《ヽヽヽヽヽヽ》の……」 「ンだ。お前さまもう|おらほう《ヽヽヽヽ》の月山も見たもんだ。おらの杖を貸してくれっさけ、ここらで|さわ《ヽヽ》道を戻るんだて。|さわ《ヽヽ》道だば、ちょっとはずれれば木霊がしねくなる。|わァ《ヽヽ》の木霊をよう聞いて用心して行くこったば、|吹き《ヽヽ》で足跡はのうなっても、やがては|よんぜん《ヽヽヽヽ》の木小屋さ戻りつくというもんだし」  と、|じさま《ヽヽヽ》ははじめて足をとめて、あの|吹き《ヽヽ》にもつけと言わなかった杖をとらせようとするのです。わたしにはもう|じさま《ヽヽヽ》の背負うた、肥樽に似た重そうな小判型の樽になにがあるのか、木小屋に運んでどうするのか、それを問う気はまったくなくなっていたばかりではありません。額の汗も目にはいるようで、むしろ救われた思いで元気さえ出て来るようでしたが、 「もう|もくえん《ヽヽヽヽ》の木小屋もすぐなんでしょう」 「だども、山はこれからが容易でねえんだて。こうして子を背負う、孫背負うと思えばこそ、なんでもねえんども、荷なしだばとても登れるもんでねえて」 「…………」 「下りは下りで楽ではねえだかし、お前さまも|わァ《ヽヽ》の目で見たものをガッチリ背負うて戻るんだ。弘法さまの独鈷もあげだに長く倒れとったし、風もそろそろ雲脚とおなじ向きになって来たんでろ。寺の|じさま《ヽヽヽ》も炉の自在鉤さ鉄鍋でも懸けて、そろそろ|晩げ《ヽヽ》の仕度でもしとるんでねえか。|じさま《ヽヽヽ》からもよろしゅうと伝えてくれちゃ」  そう言われると、薄暗さの中にも感じられたあの雪の眩しさもいつか失われ、にわかに暗澹と暮れようとする気配がし、 「それじゃ、|じさま《ヽヽヽ》はそれこそ暗くなってしまうじゃありませんか」  わたしはそう訊きましたが、 「おらだかや。もうあげだ|吹き《ヽヽ》も吹かねえでろし」|じさま《ヽヽヽ》はなにを思いだしたか含み笑いをし、ザックとあのわたしの三、四倍もありそうなカンジキを踏みだしながら、「いまだば月夜ださけ、暗うなっても雪明りで、足もとぐれえは見えるもんだ」  と、ふたたび会わずに終わりながら、ふとその言葉を思いださせる人のように言うのです。 [#改ページ]   鳥 海 山     初 真 桑  遠くこれを望めば、鳥海山《ちようかいざん》は雲に消えかつ現れながら、激しい気流の中にあって、出羽を羽前と羽後に分かつ、富士に似た雄大な山裾を日本海へと曳いている。ために、またの名を出羽富士とも呼ばれ、ときに無数の雲影がまだらになって山肌を這うに任せ、泰然として動ぜざるもののようにも見えれば、寄せ来る雲に拮抗して、徐々に海へと動いて行くように思われることがある。海抜二、二二九メートル、広い庄内《しようない》平野を流れる最上川《もがみがわ》を挾んで遙かに対峙する月山《がつさん》よりも僅かに高く、ともに東北地方有数の高山とされているが、たんに標高からすれば、これほどの山は他にいくらもあると言う人があるかもしれない。しかし、鳥海山の標高はすでにあたりの高きによって立つ大方の山々のそれとは異なり、日本海からただちに起こってみずからの高さで立つ、いわば比類のないそれであることを知らねばならぬ。  吹浦《ふくら》はこの山麓にかすむ、農村とも漁村ともつかぬ田舎町である。豊かな青田の果てもなく広がる庄内平野の、ほとんど最果てともいうべきところにあるのだが、それだけに羽前からはもう他界ともいうべき羽後にはいろうとする人は、この吹浦を通らねばならない。しかし、吹浦から仰ぐ鳥海山は、遠きにあって眺めるその山容とはどこがともなく違っている。この田舎町の低い屋並みを抜けて、まだ仕上げられぬなだらかな大きな道を登ると畠になり、開拓村や朝鮮人たちの部落がある。鳥海山の頂ももうそこに見えるのだが、ただ安穏にそうした山があるというだけで、なんとしてもこれがあの鳥海山とは思えない。といって、鳥海山がかくべつ姿を変えているのではない。いや、むしろ姿を変えていないから、ながくわからずにいたのだが、鳥海山は近づくにしたがって、いつとなく隆起して来る中腹に本然《ほんねん》の姿を隠して行く。その隆起して来る中腹のつくる山容が、またまったく富士に似ているので、これもまさに鳥海山とはいうものの、依然として全容を見る思いをさせられているという意味で、|もどき《ヽヽヽ》というか|だまし《ヽヽヽ》というか、中腹のつくるそうした山容を眺めさせられているのだ。しかも、なにかというとジトジトと雨が降り、この|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》の鳥海山すら雨に煙って、吹浦では定かに見られぬ日が多い。  湿潤はこの地方の特色であるが、鳥海山は遙かな月山と相俟って雨雲を呼び、おのれに近づこうとする者に、いよいよみずからを隠そうとするからで、芭蕉に従った曾良も、酒田《さかた》から砂浜を来、二つの渡しを渡って吹浦に着いたときは、小降りだった雨もどしゃ降りになったと言っている。すなわち、芭蕉はここに宿りながら、ここで鳥海山を見なかったばかりに、かえって本然の鳥海山を知って、その|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》にあわなかったともいえる。曾良の記した二つの渡しとは、日光川、月光川《がつこうがわ》の渡しのことで、月光川にはいまは木橋ながら大きな橋が架けられている。吹浦はこの橋にはじまり、この川沿いに延びているひと筋町で、ときとしてこの橋の下にも、広い川面をさかのぼって来た海からの白波が、小さくなりながらも、波の|かたち《ヽヽヽ》を保って過ぎて行く。なにかのことで、この川面にも杉皮葺きの町家の群がるあたりにかけて漁船がもやい、ちょっとした漁村になるといえ、鳥海山の山裾が岬になっているあたりまで防風林が迫っているので、海を見るためにはれいの大きな道を登るか、防風林を抜けて砂浜まで出なければならない。  防風林は、亭々として松の大木がまばらに茂るみごとな林で、風のないときにも梢を渡る松風が、かすかながらもさやかに聞こえる。下の砂地も美しいし、松葉を散らした橋から大きな道もあり、これが防風林かと疑われるほどだが、砂丘にかかると密植された小松になり、はい松に変わって、ひょうびょうと酒田のほうへと消える、目も遙かな砂丘の連なりになる。渚に降りようとすれば、水平線に飛島《とびしま》を見せた日本海が広がって、なんともいえぬ雄大さに胸を打たれないではいられない。だが、雄大とはすなわち単調ということで、やがてこれを単調と感じはじめると、あれほど感動させた海もまた、ただ海らしく安穏にそこにあるというだけのものとしか思えなくなるのだ。  砂丘にしてもそうである。ただ潮にさらされた骨のような流木のちらばる渚へと傾斜した、小高い砂の帯が荒涼と果てもなく延びているというにすぎない。ついには、その単調に耐えがたくさえなって来るのだが、試みに流木のあたりまで歩こうとすると、それはもうそこに見えながら、砂浜は意外に広く、容易にそこに行き着くことができない。はては、あの山や海の安穏さにも|うさん《ヽヽヽ》臭いところがあり、いつ正体を現して来ないでもないという気もするのだが、それが正体を現さぬところに、吹浦は農村とも漁村ともつかず、ひっそりとしてなにごとも究極まで問わぬという知恵によって、生きているのである。  真夏には、この松林や山裾にかけて、点々とテントが張られ、キャンプを楽しむ若い男女が見える。町もはでやかな水着姿やお山登りの白装束で賑わって、レジャー・タウンの観を呈するが、それもほんのひと時で、ちょっと季節をはずれると、吹浦はまたもとのひっそりとした最果ての町にかえる。町といっても、ほこりっぽい店先に並べられているのは、味つけパンのたぐいで、「食パンは」と訊いても、「あれには糖分がないので、一、二週間もするとボロボロになるから、置かないんだ」と、当然のように構えて笑いもしない。野菜のたぐいも年を越した山芋や、萎びたキャベツがころがっているばかりで、魚にいたっては塩クジラや塩シンジョ(|※[#「魚+花」]《ほつけ》)が、イゴや厚揚げの間でいやな匂いをさせている。なんだか菓子屋らしい、八百屋らしい、魚屋らしいものがあっても、ただ|らしい《ヽヽヽ》というだけで、これでよくやっていけるなと感心させられるものの、じつはやっていけないから農をしたり、漁をしたりしているので、特になにかを求めようとすると、どうしても汽車で酒田まで出かけねばならない。  酒田は古くから栄えた日本海沿いの有数な商工業港である。立ち並ぶ商店は活気にあふれ、しかも、まだいくらあっても足りぬというように、出るたびに新しい商店ができている。つい生き返ったような気になって、わたしは思わぬ時を過ごして、よく鐙屋《あぶみや》さんに泊めてもらった。本間家が台頭するまでは、酒田はこの鐙屋の雄飛するところで、その繁栄は西鶴の耳にもはいれば、芭蕉も招ばれて共に|あるじ《ヽヽヽ》と遊んでいる。 [#この行1字下げ] 鐙屋玉志亭にして、納涼の佳興に瓜をもてなして、発句を乞ふて曰く、句なきものは食ふ事あたはじと戯れければ、  初真桑四つにや断らん輪に切らん ばせを  初瓜やかぶり廻しを思ひ出つ   曾 良  三人の中に翁や初真桑      不 玉  興にめでて心もとなし瓜の味   玉 志  しかし、この玉志亭はおそらく海近い別邸で、わたしの泊めてもらったところでないであろう。わたしのいう鐙屋は、酒田でいちばんの繁華街とはいえないがもっとも広い通りにあって、いまではもう門のあたりにわずかな黒板べいを残し、右も左も商店になっている。家は低い平屋建てで、はいると中は薄暗く、片側に小さな座敷がやたらに並んだ土間の通路があり、通路の行きづまる奥の茶の間に、当家の|ばさま《ヽヽヽ》らしい老婆がいて、宿をしてくれるのである。この盛んな酒田の街に、名家の誉れもいたずらに知る人のみの知るところとなって、朽ち果てていくこんな宿があると思うとふしぎな気もするが、そこに取り残されている時間の中にひたっていると、かえって酒田がただ看板やショー・ウィンドーだけで、はなやかそうに見せかけている街のように思えてくるばかりでない。酒田の通り通りから見える鳥海山のあの秀麗な姿まで秀麗すぎて、なにかこう絵看板のように|まやかし《ヽヽヽヽ》じみてくるから奇妙である。  いつもほとんど客らしいものもない。たまたま、それらしいのを見かけても、地方まわりの行商人で、その日もどうやらそうした二人が相客で襖を隔てた隣室にい、|あるじ《ヽヽヽ》の|ばさま《ヽヽヽ》に、ここは芭蕉や西鶴にもゆかりのある家だなどと話していた。当家の|ばさま《ヽヽヽ》に、行商の客が話して聞かすというのもおかしなものだが、この家がどんなに古く由緒があるかを知っているということで、|ばさま《ヽヽヽ》を喜ばせるつもりなのであろう。句をひさぐという意味では、芭蕉もこれらの行商人となんの変わりもない。この真桑瓜の句にしても、人のいうようにこれが軽みでないとは思わぬが、芭蕉もあすはこの江商──おそらくは、この鐙屋も近江屋を意味する「あふみや」からきているのであろう──からいくばくの路銀を得なければならなかったのだと思うと、こういう句まで趣を変えてくるような気がするのである。しかし、これも風流と解して深く問わぬことであろう。  小女《こおんな》と蒲団を敷き蚊帳を吊り、おのおのがニュームの箱らしい音をさせて、弁当を頼むのを聞いたりして、|ばさま《ヽヽヽ》はいなくなった。欄間から漏れていた電燈の光が消え、 「結局、弁当は宿でつくってもらうのが安上がりだの。こげだにして、なんとか家は建てたんども、年中旅に出とる|すけ《ヽヽ》、なんのためにこげだ浮き寝の旅の苦労しとるか、わからねえ」  と、口だけの笑い声がすると、やはり声は笑っているが、 「ンだの、おらが行李担いで回るのも、女房子供があればこそなんども、女房を使うのは年に一度か二度だもんだ。家はやっぱり燕《つばめ》だか」  燕というからには、よく大きな革の鞄を下げているのをみかける洋食器の外交員で、行李担いで回るというのは富山の薬売りである。どこで出会ったのかしらないが、いずれも|それらしい《ヽヽヽヽヽ》恰好をしているので、すぐ話しあって相宿の相談ができたのであろう。 「ンでね。家は三条《さんじよう》だ」 「だば、|そんま《ヽヽヽ》(すぐ)燕でねえか」 「|そんま《ヽヽヽ》燕なんども、おらも女房を使うのは、一年に一度か、二度だもんだ」 「だども、|わァ《ヽヽ》(お前)はこれから使いに行くんでろ」 「なに言うだか。|わァ《ヽヽ》は使って来たとこでねえか」  さもおかしげに、互いに空しい笑い声を上げた。彼等は行く先々で、その地方の方言を使うのだが、|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》の方言で、その地方の言葉とはどこがともなく違っている。たしか、燕は「だから」という意味の「さけ」を「すけ」と言っていた。「すけ」は新潟で使われるが、このあたりでは用いない。そんな化けの皮がチラと出たりするのだが、それがかえってひとをほほ笑ませ、商売はまず|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》といっていい彼等にも、助けになっているかもしれない。 「おらもあすから、吹浦のほうさ回るんども、あげだ町さも洋食器卸す店があるもんだか」 「この節は、どげだ田舎もスプーン、フォークぐれえ使うもんだ。だども、おらァあの海岸の松林の丘の墓場を、見て歩くのが好きだでの」 「墓場だかや」 「ンだ。あの墓石だば命《みこと》だてら、姫《ひめ》だてら刻ってあんでろ。あの海の見える松林が、天国みてえな気がすんなだちゃ。こう、われを忘れとると、墓石さ隠れていた子供たちが、わァッと飛び出して逃げるんでろ。見たば、|ばさま《ヽヽヽ》が上って来んなだて。墓石の前には、果物や菓子はみなとられてのう。赤や黄の数珠玉みてえな実が残っとる|すけ《ヽヽ》、一つ二つ拾うて訊いてみたば、名はねえことはねえんども、こげだものはみな|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》のもんでのと言うんだや」  |もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》といえば、よく草木の名につけられて言うことである。|もどき《ヽヽヽ》というのは種《しゆ》はおなじ種でも、どこかが違っているもののことだったのだろうか。|だまし《ヽヽヽ》というのは種もなにも違いながら、どこかが似ているもののことだったのだろうか。そんなことを考えていると、富山らしいのが、 「なんの|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》なんでろ。だども、|わァ《ヽヽ》も面白れえ趣味があるもんだの。吹浦だば、大物忌《おおものいみ》神社の氏子で神道《しんとう》ださけ、墓も趣が違うちゃやのう」 「そんで、月山を死の山、仏の山。鳥海山を生の山、神の山というんでろか」 「死の山、生の山? それだば違うんであんめえか。おらァこう聞いたがの。ここらの山はみな死の山、仏の山で、互いに争うて亡ぼされ、月山から生の山、神の山にされてしもうた、との。いまは名だけになってしもうたんども、三千坊《さんぜんぼう》といわれるところもあんなだし、|わァ《ヽヽ》の言う松林の下の海には、岩に刻まれた十六羅漢もあんでねえか」 「わからねえの。|おらた《ヽヽヽ》(おらたち)はいずれは死なねばなんねえ。そげだいうのに、なして|わァ《ヽヽ》(われ)と死の山になるために、亡ぼされるほどの争いをしねばなんねんでろ。なんでろ、山さ大きな道をつくっとるみてえだども、あげだ大きな道つくって、なんするつもりだかの」 「鳥海山の頂まで、バスを上げようというんでねえか。月山さもそげだ計画があると聞いたもんだしの」 「バスを? そげだことするこったば、死の山も生の山もねくなってしまうでねえか」 「ンだの。だども、その|ばさま《ヽヽヽ》の言うことではねえんども、生だいうても死の|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》、死だいうても生の|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》なんでねえでろか。おらァときどき、ふとそんな気がすることがあるもんだけ」 「…………」  寝つかれぬままひとり闇を見つめて、そんな話を襖越しに聞いていると、パチリと腕か額を打つ音がする。蚊帳に蚊がはいっていたのであろう。声はそれなりしなくなったが、やがて一人がいやな放屁の音をさせ、他もつづいて放屁して互いにクスクス笑いだした。いずれも腸の悪さを思わすきたない音で、せめても闇でそんな音を楽しみあっている男たちの気持ちが、いかにも侘しい。  わたしはすでに当座の食品を買い求めて鐙屋に泊まったので、泊まって食品を買い求めようとしたのではない。べつにもう酒田ですることもないが、このまま吹浦に帰ってもはじまらないのである。映画でも見て行こうと館にはいって、ついまた時を過ごしてしまった。しかし、まだなんとか帰れぬ時刻でもない。近くのバス停に急ぐと、バスが来ないのであろう。バス停は食堂になっていて、食卓はないが並べられた長椅子に、在所の|かあちゃん《ヽヽヽヽヽ》たちがいっぱい掛けていてラーメンを食べたり、子供たちにアイスクリームを食べさせたりしている。見たところ呑気そうだが、バスに無関心でいるのではない。みな時計だけは持っていて、そうすればバスが来るとでもいうように、ときどき腕を上げては、「来ねえもんだちゃ」と呟いている。その癖、バスが来ると、 「待て、待てェ」  そんなことを言いながら、ゆうゆうと子供を背負い、荷をまとめるのだから、遅れたバスが果てもなく遅れるのである。バスにさえ乗れば着いたも同然の在所の者はそれでもいいが、こちらは更に汽車に乗らねばならぬ。いっそ遠く秋田なり、青森なりに行くのならまだ時間もあるのだが、そんな汽車はみな急行で、吹浦を素通りしてしまう。しかも、来るバス来るバスまったく違ったほうに行くので、駅行きは来ない。  急ぐなら歩くにかぎる。バスはあきらめたが、ブラブラ来ればこのあたりまでなんでもないのに、急ぐと酒田は意外に広く、どこまで行っても商店ばかりで、なかなか駅に着けそうにもない。つい時刻が気になって、それとなく覗いてみるのだが、どの店にも時計がないのである。みな時計だけは持っているから、そんな必要がないのであろう。いつか息が切れ、額から汗がしたたって来るものの、両手は荷にとられている。いたしかたなく手のほうに頭を下げたりしていると、ふとさっきなに気なくポストを通り過ぎたのに気がついた。酒田で出そうと書いてきた手紙をそれなり忘れていたのだが、ハッと立ち止まると、皮肉にもあの在所の客を満載した駅行きのバスがうしろから来て、あざ笑うようにゆっくりとわたしを追い抜いて行くのである。  やっとのことで駅に着いたが、汽車も遅れているのであろう。ここの待合室も満員で、バス停にいた顔がそこここに見え、ここでも|かあちゃん《ヽヽヽヽヽ》たちが子供に食べさせたり、その食べ残しを食べたりしている。息せき切らして駆けただけバカをみたようなものだが、まァ、よかった! ほっとして荷物を置き、首のあたりを拭いていると、「吹浦行きは約一時間遅れます」というアナウンスである。 「こうッ!」  と、いっせいに笑い声が起こった。  わたしもつい吹きださずにいられなかった。いったい、なんのためにあんなに急いだのであろう。燕や富山は家があっても、帰るのは年に一度か二度の浮き寝の旅だと笑っていた。しかし、わたしの吹浦もいわば浮き寝の旅の仮の宿りで、年に一度か二度帰る家すらないのだ。それを、なにかそうした家があり、待つ人でもあるように、息せき切って来たのである。汽車が遅れて一時間も待たねばならぬというのなら、ここに両手の荷を預けてまた鐙屋に泊まってもいいのだが、せっかくここまで来てしまったという、ただそれだけのことが、わたしに戻ることを躊躇させた。べつに腹も空かないが、駅前には喫茶店とはいえないまでも飲みものぐらいは出す店がいくらもある。しかし、そんなところで休んでいる間に、汽車が来ないともかぎらない。遅れるという以上、いっそ正確に遅れてもらいたいが、駅の連中はただ遅れを取り戻そうとするだけで、一時間が三十分になったとしても、責任はとってくれないから、やっぱり待つよりしかたがないのである。待合室の売店でイズメの|ぼんぼ《ヽヽヽ》(赤ン坊)やゴザ、雪靴の子供の人形などを見ていると、果たして改札をするという。駅でもあきらめて、ここから汽車を出す気になったらしい。「お早く、お早く」の声に追い立てられて、あわてて乗り込んだが、この汽車がまたいっこうに動く気配がない。変だと思っていると車掌が来て、 「急行待ちです。しばらく、お待ち下さい」  と、言うのである。ギッシリ詰まった客がまた、 「こうッ!」  そういっせいに声を上げて笑った。もはや呆《あき》れたというよりも、感嘆の叫びなのだ。なにもかもこう遅れているのに、たかだか酒田の駅がその遅れを取り戻そうなどというのが不心得で、どだい間違っているのである。突然、農家の|だだ《ヽヽ》(親父)らしいダミ声の唄うのが聞こえた。 「※[#歌記号]おばこ来るかやァと、田んぼのはンずれまで、出てみたばァ……」  どっと笑い声が起こった。ダミ声は待ちくたびれて飲んだのか、|ろれつ《ヽヽヽ》もよく回らない。通路を隔てた前の席に陣どっていた背負《しよ》い商いの|かかあ《ヽヽヽ》たちが、すかさず受けて唄った。 「※[#歌記号]おばこ来もせェで、用のないたンばこ売りなど、ふれて来るゥ……」  乗客は手拍子を打ちはじめた。 「これじゃ、長生きするよ」とはよく人の言うところだが、長生きするとはすべてが遅れることで、長生きを楽しむために、われわれはじつにひたすら遅れることをこいねがい、むしろ喜ばねばならぬことが、わたしにもわかって来た。 「兄《あん》さんや、乗りせえすれば、動かねえでも行けると思うたんども、行けるんでろか」  車掌はいい|とし《ヽヽ》をしているが、背負い商いの|かあちゃん《ヽヽヽヽヽ》に「兄さん」と呼ばれては、わるい気持ちもしないのであろう。 「行ける、行ける。|そんま《ヽヽヽ》(しばらく)の辛抱だて」 「ンだかや。おらもう、|とうちゃん《ヽヽヽヽヽ》とこさ、帰れねえんであんめえかと思うてや」  どッとまた、笑い声が起こった。  車掌が去ると、背負い商いの|かかあ《ヽヽヽ》たちが弁当を食べはじめた。こんなときにと昼の分を残しているのであろう。楽しげにオカズのやりとりをしてい、前の席でも大きなアルミの弁当を抱えたワイシャツの男が、すでに食い終わったシンジョの骨を、さもうまそうにしゃぶっている。たしか、鐙屋の食膳にもシンジョがのっていた。この地方ではよくシンジョを出すのだが、わたしは骨の形がいやで、鐙屋でも箸をつけずにいたのである。ひょっとしたらと思って見ると、ワイシャツの男は、コウモリ傘を結びに差した大きな行李の包みを傍に置いている。果たして富山で、あのときも吹浦のほうに行くと言っていたが、これが鐙屋にいた富山かどうか定かでない。しかし、わたしの横には小さな|ばさま《ヽヽヽ》が、くぐまって坐ってい、紐で腰にくくった懐中時計を振っては耳にあてたりしていた。それがおかしいのか、身を乗り出して、 「あいや、|ばさま《ヽヽヽ》の時計も動かねえだかや」  笑ってそう言うのも、聞いた声のような気がするのである。 「ンだ、古《ふる》しいもんださけの」 「ネジ、巻いてあるんだかや。どれ、見ろ」  なんだか、直せそうな口振りで、|ばさま《ヽヽヽ》も直してもらえると思ったのであろう。 「だば、見てもろうかの」  と、紐を解くのである。富山はシンジョの骨を歩廊に捨てて、箸を舐めながら、 「こうッ、ウオルサムでねえか。こげだものあるこったば、|ばさま《ヽヽヽ》の家も余ッ程の家だのう」 「そげだ言う|ふと《ヽヽ》(人)もあるんども、在所でのう」 「在所には、古しい家があるんだや。ンだども、これ、ネジ巻いてあるみてえだし、やっぱり動かねえようだの」 「だば、時計屋さ行くより、ねえもんだか」 「時計屋はだめだで。こげだええもの持って行くこったば、部品変えられてしもうさけの。なんたて、問題は中身だもんだで」 「せば、どげだしたもんだかの」 「このままにしとくんだや。欲しい|ふと《ヽヽ》には、値知らずなもんださけ」 「動かねくともだかや」  |ばさま《ヽヽヽ》がそう言うと、富山はふと気づいたように、 「あいや、|ばさま《ヽヽヽ》。これ、六時半でねえか。おらの時計も六時半だで。|おぼけた《ヽヽヽヽ》(おどろいた)の」  ほんとに|おぼけた《ヽヽヽヽ》ように笑い、|ばさま《ヽヽヽ》もうれしげに口をすぼめて笑った。 「せば、動かねくとも、役立つてもんだのう」 「ンだ、ンだ」  |ばさま《ヽヽヽ》は富山の返す懐中時計を、さも貴重なものでももらったように受け取った。そして、腰に結ぶと、座席の下の包みから、真桑瓜を取り出して、 「こげだもの、食《か》んねえかの。雨ばし降って心もとねえ味なんども、これでも酒田の砂丘さできた初ものだというもんだ」 「食う、食う。おらァ、瓜だば目のねえ|ふと《ヽヽ》での。だども、子や孫たちさ、土産にするんでねえだかや」 「おら、子のねえ|ふと《ヽヽ》での」 「だば、|じさま《ヽヽヽ》の土産だかや」 「ンだ。たンだこうして乗れば、動かねえでも好きだとこさ行ける言うんども、どっさも行こうと言わねえだや」 「しェえ、動かねえでも、食えるからなんでろ」 「それだば、いいんどもや」 「リューマチでねえんでろか」 「リューマチだばねえみてえだの。肩こる言うことはあるんども、大きな子供でのう。わがままなんだや」 「肩こるこったば、まンず、これだのう。貼ってみっちゃ、スーッとして、すぐ忘れるもんださけ」  富山はちょっと戴くようにして、真桑瓜と弁当を包みにしまい、宣伝用らしい貼り薬を出した。 「これ、くれるかの。|もっけ《ヽヽヽ》だちゃ。ンだども、肩こりは肝臓から来る言うでねえか」 「肝臓だば、これがいちばんだで」  と、富山はあわててまた薬を出した。 「これがのう。あれ、なんでろ。富山には頭痛にきく薬があったんどもの……」 「頭痛だば、まンず、これだや。歯痛《はいた》にもようきく薬だで」 「おらァ、歯のねえ|ふと《ヽヽ》ださけ、歯痛むことはねえんどもや」と、|ばさま《ヽヽヽ》は歯のない口でかすかに笑って、「ンだども、もって生まれた性分は直らねえもんだの。おらが|とおし《ヽヽヽ》(しょっちゅう)『乗れ、乗れ』言うもんださけ、|じさま《ヽヽヽ》は『夢さもバスが迎えに来る』言うて|ごけん《ヽヽヽ》(怒る)なだや」  |ほろけ《ヽヽヽ》(呆け)ているのか、|ばさま《ヽヽヽ》の話はいつとなく|じさま《ヽヽヽ》のことになるのである。  わたしはいつとなく、この|ばさま《ヽヽヽ》をどこかで見たような気がして来た。あの食堂になったバス停かもしれないが、どうもそうではない。駅のようでもあるが、それも違う。わたしたちはあらたに仕立てると言われ、駅員に追い立てられて、押しあいへしあい、やっとこの汽車に乗り込んで、どこからかここまで坐って来たように、むしろわたしが断って掛けさせてもらったようにも思えるのだ。  そんな気がするのも、この|ばさま《ヽヽヽ》がどこでも見られるような|ばさま《ヽヽヽ》だからかもしれない。たとえ、この|ばさま《ヽヽヽ》は見たことがないにしても、こんな|ばさま《ヽヽヽ》はいたるところで見ているし、これからもいたるところで見るであろう。わたしはふと海近い松林の墓地で、墓石に残された赤や黄の数珠玉のような実を、なにかの|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》だと、燕に言ったという|ばさま《ヽヽヽ》のことが浮かんで来た。そこはわたしもしばしば行くところで、そこでそんな|ばさま《ヽヽヽ》と出会ったような気がしないでもない。燕でもいればわかるのだが、燕もわたしはただ声を聞いただけで、いまごろは遠く三条へとやはりこうして汽車に乗っているであろう。しかし、なんの益なきことを、わたしはどうして問おうとしているのか。深く問わねばすべては|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》ですむのである。  外は雨に煙って来た。降るのは閉口だが、湿気をはらんで降らずにいるのは、なお困るのである。これでいくらか涼しくなると思ったものの、窓がしめられたので、蒸されるように暑くなり、乗客たちは胸をはだけて、扇子や団扇を使いはじめた。イモチ病が発生したといわれながら、稲は青々と波打って、もうろうと小さな森の見える部落のあたりから、一枚一段といわれる長方形の田の畔が、みごとな放射線をつくっている。それがいま暮れなずむ中に、ゆるゆると動いて過ぎるので、汽車は|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》、|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》と呟きながら、ただその小さな森の見える部落をゆっくりと回っているようで、いつまでたっても部落から遠ざかるという気がしない。やっと遠ざかったと思っても、現れて来る部落も小さな森があり、やはりそこから放射線をつくっている田の畔が、ゆるゆると動いているので、もう違った部落のあたりにかかっているとは思えないのだ。  ふと気がつくと、深くよどんでたれこめた薄暗い雨雲の中に、赤いものが浮かぶようにただよっている。 「おや、あれは……」  思わずわたしがそう言うと、名刺のすみで歯クソをとっていた富山が、「あれ?」と乗り出してき、 「雲ですよ、やっぱり」  富山はわたしを他所者と見抜いていたのであろう、標準語でそう言った。しかし、その標準語もおもてづらだけで、まだしも|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》のこのあたりの方言のほうが、|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》臭くない。 「雲? この雨雲があんなに高いですかね」 「しかし、なんだか動いているようじゃありませんか」  そういえば、そうも言えないことはないが、徐々ながらも動いていないはずのない雲が、どんよりとして動くとも見えないので、それが動いているように見えるのかもしれぬ。そう思って見なおすと、果たして雲がゆるゆると動きだすのだが、それにしてもこの雨にどうして赤く見えるのか。 「こうッ、あれだば鳥海山の頂だちゃァ。こげだ雨に、夕焼けの鳥海山が見えるとは、|おぼけた《ヽヽヽヽ》のう」  富山はまたもとの方言になった。|ばさま《ヽヽヽ》にも見せたかったのであろう。鳥海山の頂はいよいよ赤く染まって、雨の中からハッキリと見えはじめた。忘れられていたことが、記憶の底から不意に現れて来たようなこの光景が、はからずもわたしに、わたしがはじめて吹浦に来たときのことを思い出させた。あれからなん年になるであろう。町から岬を回って行く海辺の道──それがちょうどあの墓地のある松林の下になるのだが──で、わたしはたとえようもなく美しい夕焼けに出会ったのである。海が広がって行って終わろうとするあたりから、空が広がって来、分かれがたいもののように、真珠にもまごうバラ色に輝いていた。むろん、その美しさはたまゆらのものであるに違いなかったが、たまゆらもまた美であることによって、永劫であろうとするような光の顫動《せんどう》が、音響をすら放っているかに感じられた。  わたしはなぜ吹浦にやって来たのか。他人すらもう問おうとしないそんな問いを、わたしは自分にしてみることがあった。わたしにもむろんそれに答えることはできないが、ふたたび見ることのできないあの夕焼けのような美しさを求める心があったのかもしれない。しかし、吹浦を最果ての漁村であるとするなら、最果てのかなたにあるあの海辺の道は、いったい、なんであるというのか。  わたしは吹浦に来てから、むろんもうなん度となく夕焼けを見ていた。それはあの防風林を染め、橋を染め、町の屋根屋根を染めたが、なぜかわたしにあの海辺の道に行くことを躊躇させた。いや、わたしがそうしてふたたびそこに行ったときは、海も空も薄暗く、小雨に煙っていたのである。高い道から海にかけて、なにかこう人めいた溶岩のような岩が、いたるところにうずくまっていた。十六羅漢というのはこれなのだが、近寄るとただの岩で、それらしいものは幾つもない。それも、ここまで彫りかけてやめたのか、彫られたものがこんなになったのか、潮と風に形がくずれて、なにかを人に思い出させようとしながらも、なお思い出せぬのを笑っているかに見えるのである。……  だが、夕焼けに染まった鳥海山は、幻のごとく現れて来るばかりか、あわあわと消えようとしている。それがいかにも無限のかなたに退いて行くように見え、汽車はなお|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》、|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》と呟きながらも進むことをやめて、かえって、退きはじめたような気がするのである。しかし、これでいいのかもしれぬ。鳥海山は死の山であることに敗れて、やむなく生の山にされたという。いま目の前にいる富山が、そんなことを言いそうな男とも思えぬが、もし鳥海山がやむなく生の山にされたのなら、いつまた死の山になっているかもしれぬ。われわれは生の山へと行くつもりで、いつとなく死ぬではないか。それなのに、あんな頂までどうしてバスを通そうとするのか。そんなことを思っていると、ふとなにもかもが酒田の館で見た映画のような気がしはじめた。わたしはあれから目が冴えて眠れず、館では終始うとうととしていたのである。うとうととしながらわたしはいつか、ちょうどこのような映画の中の人になっていた。……  こうして、夕焼けの頂はついに消え、暗い雨空にはなにも見えなくなった。いや、もうなにも見えないと思っていると、突然、雨霧の中から中腹の山ひだが、意外な近さで現れて来たのである。隠そうとするものがそう見せるのか、現れようとするものがそう見えるのかしらないが、|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》の|まやかし《ヽヽヽヽ》の間から、不覚にも見せて来た正体のように怪異なものが感じられた。 「あんなだったかな、鳥海山の中腹は」  訝ってわたしがそう言うと、また富山が、 「そうですよ」 「しかし、吹浦じゃ、あんなふうには見えないな」 「そうですかな」  どうやら富山も、その正体をじっと眺めて、気を奪われた返事である。だが、あの中腹ともみえぬ怪異な中腹も、見せてはならぬ正体を見せたのを恥じでもしたように、雨霧の中にかき消えてしまった。あたりはまだまったく闇というのではないが、小雨のけむりばかりが仄白く、むろん、もうあの田の畔も、部落の森もほとんど見えないが、なんだか四角な煙突のある小さな赤煉瓦の建物が見えている。そういえば、あんな建物はどの部落にも建っていた。いったい、あれはなんなのか。思うともなくそんなことを思っていると、突然|ばさま《ヽヽヽ》の声がした。 「焼き場だちゃ」  だが、わたしはなにか|ばさま《ヽヽヽ》に訊いた覚えはない。|ばさま《ヽヽヽ》も外を眺めていて、そんなひとり言を言ったのであろう。 「焼き場?」 「ンだ、|ふと《ヽヽ》焼く焼き場だて」  汽車はなお|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》、|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》と呟きながらも、ゆるゆるとおなじところを回るように進んでいるのであろう。建物はもうろうとして、雨に煙る薄暗がりに消えて行ったが、チラチラと赤い火のようなものが見える。 「焼いてるようですね、いまも……」  わたしが訊くと、|ばさま《ヽヽヽ》は首を振って、 「ンでねえの。まンず、いまだば酒田さやって、焼くなださけ」  すると、あれは焼き場ではなく、いまもただそれらしく建っているというにすぎなかったのだ。それをいかにもそれらしく言うのは、|ばさま《ヽヽヽ》にはもう|いま《ヽヽ》のように過去があり、過去のように|いま《ヽヽ》があるからだろうが、 「酒田に? しかし、なんだか火のようなものが見えましたね」 「ンだの」 「なんだったんですかね、あれは……」  と訊いても|ばさま《ヽヽヽ》はただ、 「気の|せい《ヽヽ》であんめえか、むかしは焼いたもんださけ」  と言うだけで、深く考えようともしないのである。 「しかし、酒田に出すんじゃ、大変でしょう」 「なんでもねえて。どこさもあのバスは、迎えに来るもんださけ」 「あのバス?」  思わずそう口に出た。わたしにもようやく、|じさま《ヽヽヽ》が夢に来ると言ったバスの意味が、わかるような気がして来たのだが、 「ンだ、ンだ。きれいなバスでの。乗りさえせえば、動かねえでも行けるもんだし、|じさま《ヽヽヽ》も乗って|おぼけた《ヽヽヽヽ》んでろのう」 「|じさま《ヽヽヽ》も……」  それでは、|じさま《ヽヽヽ》は死んだ人だったのか。それなのに、まだ生きてでもいるように、|ばさま《ヽヽヽ》が富山から薬をせしめていたことを、笑われずにはいられなかった。 「ンだ。それに、|ごんご《ヽヽヽ》と燃すなださけ、骨だけきれいに、姿なりに残るもんだのう。|じさま《ヽヽヽ》はそげだ火に焼かれるこったば、熱っちゃい言うて、|ごけん《ヽヽヽ》(怒る)なんども、死んでなにがわかろうちゃやのう」  と、死んだ|じさま《ヽヽヽ》を笑うのだが、わたしにはかえって、ふと|ばさま《ヽヽヽ》もそうして生きているらしく見せかけている人のような気がしはじめた。こうして|死んだ人《ヽヽヽヽ》が、われわれに立ちまじってくるために、さも時間の中にいるように、懐中時計を持って来るということもあり得ぬことではない。なぜなら、わたしたちもこうして生きていると思っているが、どうしてそれを知ることができるのか。それを知るには死によるほかはないのだが、生きているかぎり死を知ることはできないのだ。かくて、わたしたちは|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》の死との取り引きにおいて、|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》の生を得ようとし、死もまた|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》の死を得ようとして、|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》の生との取り引きをしようとするのである。それでもこうして、この世も、あの世もなり立っている。深く問うて、われも人も正体を現すことはない。人は生が眠るとき、死が目覚めると思っている。しかし、その取り引きにおいて、生が眠るとき死も眠るのだ。なんとも言えぬ仄かな香りがただよって来た。この雨で心もとない味だと言っていたが、座席の下の包みから、|ばさま《ヽヽヽ》の真桑が匂って来るのであろう。 「あ、あ、あッ」  と、奇妙なのど声がした。いつ眠ったのか、富山が大きなのど仏を見せている。あそこで背負い商いの|かかあ《ヽヽヽ》たちが口を開け、胸をはだけ、汗を光らせて、いぎたなく眠っていると思うと、そこではどこぞの|じさま《ヽヽヽ》が、おれは眠っていないというように、入れ歯の口をへの字に結んで眠っている。いや、いまのいままで話していたあの|ばさま《ヽヽヽ》さえ、小さくくぐまってしまっている。こうして、だれもがもう人間でなくなろうとしながらも、まだ生きているぞというように、|いびき《ヽヽヽ》をかいているのだ。  あたりはみょうにシンとして来た。駅らしくも見えないが、汽車が止まったのかもしれない。それがどこに止まろうと、みなは行くところまで行く気で眠っているのだと思っていると、突然、富山が目をさまして、キョロキョロとあたりを見回した。そして、もうここを乗り過ごせば、取り返しがつかぬとでもいうように、「待て、待て」とあわてながらも、金色の肌を見せてはみ出して来た真桑瓜を入れなおし、行李を背負い、上衣とコウモリを持って、挨拶もせずに出て行った。あとの歩廊には、きれいにしゃぶられた、姿なりのシンジョの骨が残されていた。それがいやに白々として、大きくなって来るように思われる。……  わたしはひとりクスクス笑いながら、ふとまた手紙を酒田の駅でも出さずにしまったことに気がついた。だが、もうわたしたちの親しんで来た町の名も、ほとんど変わってしまったというではないか。出しても届くかどうかわからないし、届かなくてもどう思ってくれる者もない。それなのに、どうしてわたしは、是が非でも出さねばならぬ手紙のように、持ちまわっていたのであろう。汽車はいつとなく、|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》、|もどき《ヽヽヽ》、|だまし《ヽヽヽ》と呟きはじめた。わたしはうとうとしながらも薄目を開けて、雨に汗ばんだ窓硝子の奥に映っている顔を眺めていた。そして、それが自分とも思えぬ顔であり、わたしはもう笑ってもいないのに、忘れられることを笑いながら、ただの岩にかえろうとしているあの羅漢のように、薄笑いを浮かべているのを不審とも思わず、なおそれだけが真実であるかのように仄かにただよう真桑瓜の香りに包まれて、おのれを風化にまかせ眠りに落ちていった。 [#改ページ]     鴎  空も晴れ上がっていたし、こんどはS君もほんとに喜んでくれたようです。さっそく、浴衣に着替えてもらって、段丘になっている海沿いの松林を抜け、県境の有耶無耶《うやむや》ノ関のあたりまで歩いて、湯《ゆ》ノ田《た》の温泉宿で汗を流して来たのですが、 「よかったな、とてもよかった。あの温泉、とても効きますね」  その喜びようがまた、手放しなのです。ぼくもうれしかったが、つい吹きだして、 「効くって話ですが、ひと風呂じゃァね」  と、言うとS君は、 「いや、効きますよ。あれで、汽車の疲れもさっぱりしちゃった。なんだか、このへんが」と、脇から背のほうへ手まで伸ばして、「痛かったんですがね」 「そうですか。今日は、客がなかったからよかったけど、四、五人もはいって来ると、へんにぬるくなるんですよ。湯ノ田というぐらいで、もともと田舎の沸かし湯ですからね」 「じゃァ、鉱泉なんですか」 「鉱泉もいいところ、褐《あか》く濁っているでしょう。古湯《ふるゆ》をかえず、そのまま使うのかもしれませんよ」 「古湯を? しかし、窓は海に向かって、開け放ちになっている。射し込む日をいっぱいに受けて、湯がキラキラ光ってたとこなんか、なんとも言えなかったな」 「ぼくはまた、人の|あぶら《ヽヽヽ》がギトギトしているようで、気にはしないかと、気にしてたんですがね」  などと、バカなことを言ってると、ムギワラ帽をかぶった女房が、谷で冷やしたビールを下げて来て、 「なに笑ってらっしゃるの?」 「いや、いま、人の|あぶら《ヽヽヽ》の話をしてたんだ」 「人の|あぶら《ヽヽヽ》? この人は、自分がお誘いしておいて、すぐそんな話をするんですよ」  女房は、ぼくを咎めるようなことを言って笑うのです。しかし、そうではない。突然のことで、掃除もなにもできていないからと|てい《ヽヽ》よく追い出され、散歩のつもりでそのあたりまで行ったのですが、手拭いの用意もないのに温泉と聞くと、なんでもはいると言ってS君がきかなかったのです。女房は気が小さく人見知りをするのですが、ビールのせんを抜くと、親しげに縁に掛けたS君につぎ、ぼくにつぎ、ニコニコしながら自分のコップにまでつぐのですが、S君は人の|あぶら《ヽヽヽ》にもまだ辟易しないのか、 「あの窓の海が、またすてきなんだ。岩があって、まっ蒼で。それに、飛島《とびしま》といいましたかね、水平線にクッキリと浮かんでいる」 「しかし、あんまりできすぎてて、風呂屋のペンキ絵みたいじゃなかったですか」 「いや、それが日本海ですよ。飛島にも、ここから行けるんでしょう?」 「行けることは行けるでしょうがね。|おばこ丸《ヽヽヽヽ》というのが、酒田《さかた》から出てるんです。飛島には|うみねこ《ヽヽヽヽ》が、島いっぱいに群れてますよ」 「|うみねこ《ヽヽヽヽ》が? いいなァ。こんどは酒田で降りて、その|おばこ丸《ヽヽヽヽ》で飛島に行きましょう。どうです、奥さん」 「だめですよ、これは。船に弱いんだから」  と、ぼくが笑うと、女房は意外にも、 「でも、Sさんがいらっしゃるんなら、お伴しますわ」 「バカだな。また酔って、Sさんに迷惑かけるばかりだよ」 「でも、きょうみたいなら波もないし、船だって揺れないわ」 「波がないのは、このあたりのことだよ。飛島のへんは潮流が激しいんだ。それで、漁場にもなってるし、|うみねこ《ヽヽヽヽ》もいるんじゃないか」 「こんなに晴れてても」 「あのときだって晴れていて、海に浮かんだように鳥海山《ちようかいざん》が聳えていただろう。今日なんか晴れてるといっても、鳥海山は見えないんだよ」  ぼくたちの吹浦《ふくら》は、鳥海山の山裾の半農半漁の町なのです。しかし、青霞というのか、空は青く雲ひとつないのに、すぐそこから雄大な山裾を見せて聳えている鳥海山が、まったく見えないことがあるのです。 「あら、鳥海山は見えるわ」 「見える?」 「ええ、さっき町で見たんですもの。頂上まで、とてもハッキリ」 「頂上まで……」  ぼくは思わず縁先から乗り出しました。S君は、鳥海山が見たい見たいと言いながら、来るといつも天気が悪くなって、見られずにいたのです。しかし、きょうは見える! 追い立てられたとはいうものの、有耶無耶ノ関まで段丘の松林を案内したというのも、行く行く日本海の海の色を満喫してもらい、かねてS君の念願としていた鳥海山を、存分に見てもらおうと思うこころがあったのです。  S君もぼくにつられて廂から覗き、 「見えるんですか、ここからも」  そう声をかけるのですが、ぼくはついあわてて、そんな恰好をしたのですからね。ちょっと、照れくさくなって、 「いやァ、ここからは……。もっとも、あの杉林がなければ、見えるんでしょうがね」  と言うと、S君も納得したのでしょう。話を戻して、 「なるほどね。静かなようでも、やっぱり気流が激しいんですかね。日本海だなァ」  いまさらのように、また感心しているのです。 「そうですよ」 「しかし、へんだな。昼は風が陸から海に吹くんでしょう。鳥海山が見えないのは、空に水蒸気があるからで、そんなところから風が吹いていて、どうして飛島があんなにハッキリ見えたんですかね」 「いやァ、昼は風が海から陸に吹くんじゃないですか」 「そうでしたかね。そうだとするとしかし、水蒸気のないところから風が吹くんだから、鳥海山は見えるはずだがな」 「そうじゃありませんよ。飛島があんなにハッキリ見えたのは、海に水蒸気があったからですよ」  すると、女房が笑って、 「そんならなおのこと、鳥海山が見えるはずじゃないの」 「それが、そうはいかないんだ」 「じゃァ、どうしてさっき、あんなにハッキリ見えたの」 「それがそれ、日本海の気流というやつさ」 「とすると、鳥海山はまた見えて来たかもしれませんね」  そうS君に言われると、なんだかぼくにも、鳥海山がまた見えて来ているような気がするのです。 「そうだ、これからもう一度、川向こうまで行ってみますか。バイブル・キャンプなんかやっていて、あそこの松林も楽しいですよ」  と誘うとS君も、 「行きましょう」  二つ返事で、縁先から立とうとするのです。 「じゃァ、Sさんにはぼくのムギワラ帽をかぶっていただくとして、ぼくはきみのをかしてもらおうか」  女房にそう言うと、ぼくに笑って、 「でも、わたしのムギワラ帽には、赤いリボンがついていますわ」 「平気さ。これで湯ノ田にも行ったんだから」 「それを知らずに、さっき、ずいぶん捜したのよ」 「谷のほうを、かい。よく忘れて来るからなあ」 「まァ」 「それから、フロシキを持つんだな」 「フロシキ?」 「そうさ。きみは松笠を拾うんだろう」 「わたしが?」 「きみが拾わずに、だれが拾うんだい」  そう女房をからかうと、S君が、 「いや、ぼくも拾いますよ。さっきも松林で、フロシキを持って来ればよかったなんて、笑ったくらいですからね。しかし、それなら奥さんも、ムギワラ帽がいるでしょう。なんなら、ぼくのをかぶりますか」  と言うので、ぼくは笑って、 「これなら平気ですよ。よく、そこらの枝にかぶらせて、自分はかぶらずにいるんだから」  S君にはぼくのムギワラ帽は大きすぎるし、赤いリボンのある女房のムギワラ帽は、ぼくにはとても小さいのです。それを女房は笑うのですが、吹浦にはまだ避暑客が多いし、そういう連中はだれもがみなこんな|ふう《ヽヽ》なのです。  ぼくたちのいる山あいからずっと続いているみごとな杉山が、高い石段をのぞかせている。これが大物忌《おおものいみ》神社で、下の広場にはお山の白い装束をした人々が、込み合っています。さっき通ったときは、ひとりもいなかったから、いましがたの汽車で来たのかもしれません。S君が珍しそうに見ているので、 「これがみんな鳥海山に登るんですよ」  と言うと、S君は驚いて、 「これがみんな? 盛んなもんですね」 「いや、こんなものじゃありません。終列車がはいるころまでには、お山の白い装束で、吹浦いっぱいになるんですよ。それが夜中から登りはじめて、あすの朝、頂上で御来迎をあおぐのです」 「御来迎を? 鳥海山が隠れて見えないようなときでも、御来迎はあおげるんですかね」 「高いですからね。吹浦からは見えないようなときでも、酒田からは頂上が、すっきりと青空に浮かんで見えることがあるんです。出羽富士といわれるくらいで、ちょうど富士山とおなじ形をした、とてもきれいな山ですよ」 「そうですか。いったい、標高はどのくらいあるんです?」 「二、二二九メートル、でしたかね。東北一の高山だといいますよ」 「富士山は、たしか、三、七七六メートルでしたね」 「富士山にはかないませんよ。富士は富士でも出羽富士で、|みちのく《ヽヽヽヽ》の山ですからね。しかし、富士山は御殿場からで、御殿場がすでに海抜四、五百メートルはあるでしょう。吹浦からの鳥海山は、海抜そのものだから、登る者にはゆうに富士山に匹敵する高山ですよ」  すると、女房が吹きだして、 「へんね。御殿場の海抜が五百メートルだとしても、富士山はまだ三、二七六メートルもあるわけよ。それなら、御殿場からでも千メートル以上も高いわ」 「そうかな。しかし、問題は鳥海山が、こんな日にも隠れて見えないような、日本海の気流の中にあるということだよ。しかも、この|みちのく《ヽヽヽヽ》の果てにいて悪びれず、富士山にも比べられるような姿で立っているんだ。いまも頂上では、オリンピックの選手が、スキーの練習をしてるというじゃないか。富士山でそんなことやってるって話は聞かないだろう」  そうぼくが言うと、 「じゃ、頂上は雪をかぶってるんですね」  気になるのかS君は、ちょっとまた、見返るようにするのです。もう町だから、そろそろ見えると思ったのかもしれません。町といっても田舎町で、家並みも低いのですが、それに遮られて、まだそちらの空は見えないのです。オリンピックの選手が、スキーの練習をしているとは、吹浦の人たちの言うことです。ついこのあいだ、酒田に出たときはもう頂にも雪はなかったようだし、じつはそんな選手の姿も見たことはありません。なんだか自信がなくなって、 「雪をかぶっちゃいませんが、登ればそんなスロープがあるんでしょう」  道を左に折れて、汽車の踏み切りを越えると、もう鴎が飛び交っている。『ヨルダンの川を渡って、バイブル・キャンプヘ』などとある立て札があって、向こうに対岸の松林へと架けられた月光川《がつこうがわ》の木橋があるのですが、木橋といっても幅も広ければ、長さも長いのです。遊覧船に仕立てた漁船のもやっている河口の港を右にして、橋の中程まで来て、なに気なく振り返ると、果たして鳥海山が見える! 空はやはり晴れ上がっているようなのに、すうっと青霞に吸い込まれて、樹木の濃い緑が浅くなり、やがて淡々とした苔色が褐色の山肌になろうとする中腹から上は消えているが、それでもなお雄大に見える鳥海山の山裾が、吹浦の町を圧しているのです。 「凄いな」固唾を飲んで、S君もそう言うと、「カメラを持って来るんだったな。カラーでとったら、すばらしいのができたんだがな」 「しかし、中腹から上は見えませんね」 「見えないけど、ぼくは満足ですよ。鳥海山の全貌を見た人は、数え切れないほどあるかもしれないが、こんな|ふう《ヽヽ》に消えているのを見た人は、少ないでしょうからね」 「でも、またなんだか、少し上まで見えて来たようじゃないの」  女房にそう言われると、ぼくにもそんな気がするのですが、それもただそうあればいいと思うこころが、そう思わせたのでしょう。鳥海山は、だんだんと見えて来るどころか、だんだんまた見えなくなって行くのです。 「なるほどね。ぼくはあれがただの青空かと思っていたが、やっぱり青霞だったんですね。しかし、あの中でオリンピック選手が、スキーの練習をしてると思うと、青空の中に別世界があるような気がするな」 「そうですね。そのうちに、またその別世界が見えて来るかもしれませんよ。その間《ま》にひとつ、地上の別世界を回って来ますか」  と、S君はヨルダン川を渡ったバイブル・キャンプのことを言うのです。そこは高い大きな松が疎らに生えた、平らな広い砂地になっていて、白いテントが点々と張られ、若い男女がそこで静かにアコーディオンを楽しんでいると思うと、あちらではバドミントンに興じている。讃美歌を歌いながら行く者もあれば、子供たちを集めてイエスや使徒たちの紙芝居を見せている者もある。すべてがいかにもものやわらかで、蝉の|しぐれ《ヽヽヽ》もしみ入るようです。 「なるほど、このポスターにあるとおりだな。『蝉もあなたを|待てました《ヽヽヽヽヽ》』|待てました《ヽヽヽヽヽ》はしかし、|待ってます《ヽヽヽヽヽ》じゃないんですか」  笑いながらそうS君が言うので、 「方言ですよ。このあたりでは、人にその声を聞かせたくなると、自分がつい蝉になったような言い方をするんです」 「自分がなったようにね。いいな、そりゃァ。しかし、あの人たちは、標準語が使えぬようにはみえませんね」 「使えるでしょう。わざと、面白がってやったんですよ」 「でしょうね。さっきは、湯ノ田の戻りは、あそこを来たんでしょう。ここが天国だとすれば、向こうは高天ガ原だったな」  松の幹越しに川向こうの段丘が、河口のほうまで突き出て、岬のようになっているのが見える。それを指さしながら、S君が言うのです。そこも松林で墓地になっていたが、その松も高く疎らで明るかったし、墓地といっても吹浦はあの大物忌神社の氏子だから、墓石にはみな命《みこと》とか姫《ひめ》とか刻ってあったのです。S君が高天ガ原と言ったのはそのことだったのですが、 「そりゃァ、あそこからすればここが彼岸、ここからすればあそこが彼岸ですからね」 「彼岸? そうか。そういえば、あそこにも子供らがたくさんいましたね」 「お供物をねらって来るんですよ。しかし、お供物をねらわれても、高天ガ原では喜んでるかもしれませんね。施餓鬼だなんていうんだから」 「施餓鬼? あのほうでも、施餓鬼なんて言うんですか」 「さァ。しかし、かわいい餓鬼がいたでしょう」 「餓鬼……」 「ええ。ここらでは、ちっちゃな女の子のことを餓鬼というのです」  そう言いながら、ぼくはふとそんなちっちゃな女の子のことを、ほほ笑ましく思いだしました。お供物をねらうのも、子供たちにとっては遊びなのです。その子もそうして子供らと遊んでいたのですが、子供らはぼくらを見てバラバラと逃げて行ったので、ひとりとり残されてしまったのです。が、ころげるようにして、その子もまるでぼくらもお供物をねらいに来たようなことを言って、囃しだしたのです。もしその子がそんなことを言わなかったら、ぼくはむろん子供らがなにをしに来ていたのか気づかなかったでしょう。しかし、その子はそれこそ方言だったから、S君にはわからなかったのかもしれません。 「ちっちゃな女の子のことを? じゃァ、男の子はなんというんですか?」 「野郎ですよ」 「餓鬼もひどいが、野郎もひどいな。どうして、そんなことを言うんですかね」 「かわいいからだと言ってますよ」 「かわいいから」S君はそう笑うと、ふと気づいたように、「おや。奥さん、もう拾ってられるようですよ」  なるほど、女房はひとり離れて、松の大きな幹の間に、見え隠れしています。ぼくらが行くと、女房も気がついたのか、松笠をかざして、 「こんな大きいの! 今日はずいぶん落ちてるわ」  うれしそうに言うのです。 「やりましょう。ぼくにもフロシキをかしてください」  そう言って、S君も拾いはじめました。あたりいちめん落ちているただの松笠ですが、拾っていると茸狩りでもしているような気がして来るのです。 「こうしていられたら、ほんとに楽しいでしょうね。砂丘を越えて、海岸で流木を拾いましょう。ながく風浪にさらされて、骨髄だけになっているような流木は、固くて火もちがいいんですよ」 「驚いたな。Sさん、どうしてそんなこと知ってるんです?」  ぼくは半ばはからかうつもりで、そんなことを言ったのですが、 「いや、戦争のとき、しょっちゅう拾っていましたからね。あのころは、明日の命も知れなかったし、拾いながらも、死ということをいつも考えていたのです。いつも考えていると、死というやつも親しくなるんですかね。ここでこうしているのも、どこからかこういう世界に来ただけだし、どこに行ったにしても、そこにはそういう世界があるというような気になっていたんです。そして、いままたそんな気がして、こうして楽しく拾ってることが、なんだかふしぎに思えるんですよ。あそこが彼岸なら、ここも彼岸というやつかな」  砂丘に近づくと、高く聳えた松の下の平らな広い砂地が登りになる。松も小さな松になって、それも次第に這い松のようなものに変わると見る間に、なおゆるやかに盛り上がるきれいな砂山になって来ます。それがちょうど青空になるというあたりに、アロハを着た老外人が、ズックの椅子に掛けて聖書を読んでいて、そばにはこれもズックの椅子に掛けたその夫人らしい人が、レースの編みものをしています。おそらく、あのバイブル・キャンプの主宰者なのでしょうが、若い男女にはそれぞれの楽しむにまかせて、こうして静かに天と地の分かれるあたりで、みずからを楽しんでいる。それがいかにも感じがいいのです。  しかも、その砂山を越えると、日本海の言いようもない紺青の広がりがあり、手をひろげて抱こうとするように、足をとられて降りる一足一足に、防風林をのぞかせた砂丘が、果てもない弧を描いて、延びひろがって来るのです。砂浜も広く、込むというほどではないが、ビーチ・パラソルも点々とちらばっています。S君も思わず、 「すばらしいな。小さく燈台のようなものが見える、あれが酒田ですか」 「ええ、酒田のほうですが、酒田は見えませんよ」  と、わたしが言うと女房が、 「鴎が飛んで! 飛島が、今日はほんとにきれいだわ。こうして両手をひろげたら、わたしもなんだか、すうっと飛んで行けるみたい。あれでそんなに遠いかしら」 「遠いさ。酒田から見ても、飛島はちょうどこの位置に見えるだろう。湯ノ田から見ても、やっぱりこの位置に見えるんだ。それはつまり、飛島はただ近く見えるというだけで、じつはとても遠くにあるということなんだ」 「なるほどね」  と、S君が相槌を打つと、女房が、 「でも、あんまりきれいで、この空気に水蒸気があるなんて思えないわね」 「いや、そのせいかもしれませんよ。鳥海山があんなふうに消えてるのを見るまでは、ぼくもそうは思わなかったけど、日本海はやっぱりたいへんなとこなんだな。静かなようでも、潮流も意外に激しいのかもしれませんね」 「そうですよ」  ぼくが得たりと相槌を打つのも、S君は気づかぬふうでしたが、急に思いだしたように、 「それはそうと、風浪にさらされて、骨髄だけになったようなやつは、見あたらないな。そうも思えないが、これで引き潮なんですかね」  S君を迎えて、やっぱり興奮したんですね。とろとろとはしたが、目がさめて、それなりなんだか眠れないのです。ここにこうしているのも、どこからかこういう世界に来ただけだし、どこに行ったにしても、そこにはそんな世界がある! S君は、あす死ぬかもしれないというときに、そんなことを考えたというが、きのうまでただ心に思うだけだったS君が、いまここにいるということも、ぼくたちがぼくたちだけでいた世界から、こうした世界に来たともいえるだろう。それがS君の来てくれたおかげだとすると、よしんばこれがぼくたちの好んで来た世界であったにしろ、ぼくたちはS君によって、この世界に蘇ったといえる。だからこそ、ぼくたちは、あの段丘の松林から、美しい日本海を眺めることもできれば、防風林の中の楽しげな若い男女を見ることもできたのだ。  それなのに、ぼくはいったいS君に、なにをしてあげたというのだろう。S君はぼくたちをあんなすばらしい世界に導いてくれたのに、ぼくたちはどうしてS君があんなに望んでいた鳥海山の全貌を見させてあげることができなかったのか。それは、ぼくが日々をおろそかに過ごして、S君に報いられるなにものも得ていなかったからではないだろうか。好んで来たといっても、ほんとうはもうどこにも行きようがないものを、いまさらなんと言ってもはじまらないと、二人で思い定めたまでのことだが、ぼくもまだ壮麗なものを見つめ、それを窮めようという心をまったく失ったわけではない。が、この鳥海山の麓まで来ながら、壮麗なものは遠く別の世界にでもあるように、登ってその頂を窮めることはおろか、S君でも来なければ、とくに立って眺めることすらほとんどなかったのだ。  考えるともなくそんなことを考えていると、ぼくはいつか、あのお山の白い装束をした無数の人たちの中にいるのです。しかも、その人たちはすうっとお山を吸い込んでいる青霞へと、どんどん行ってしまうのに、ぼくだけはどんなに登っても、青霞の中に行くことができない。ひょっとすると、ぼくはもう眠っていて、こんな夢を見てるのだろうとも思うのですが、まだ眠っていなかったのかもしれません。うつらうつらしていると、S君も眠れずにいて考えていたのでしょう。 「月ですか。明るいですね」  なるほど、目を開けると、開け放った窓に農家の家主が植えた柿の葉が、まばゆいほど輝いているのです。 「月ですね。それにしても珍しいですよ。こんなに明るいのは」 「そうでしょうね。やっぱり、空気が違うんだな。こんな夜、山は見えるんですか」 「鳥海山ですか。さあ」  そう言われると、ぼくにもわかりません。月光の中に聳えている鳥海山を見たような気もするし、見たのはただ近くの尾根や丘だけで、それがあるべきところには、輝きをたたえた黒い空があったばかりのような気もするのです。 「外地ではね、ぼくたちが想像もしてなかったようなところに、山があるんですよ。むろん、名もなにもないんだが、それでいて驚くほど高いんです。さっきから、そんな山がこんな月光の中で、どう見えるかと考えていたんです」 「…………」 「そして、月光の中に峰を連ねた山を見たからこそ、こんなことを考えるんだとも思ったりしていたんですが、どうもハッキリしないんです。あのころは、いつも明日はどうなるかわからないと思っていた。だから、今日あることだけでも、シッカリ見ておこう、それがまさに今日を生きることだと思ってたんですがね」 「今日を生きること?」そう言われると、ぼくもこんなとき見ておかねば、なにかもう永遠に見ずにしまうかもしれぬという気がして来て、「そうだ、これから山のほうに行ってみましょうか」  と、誘ってみるとS君もその気らしいが、 「黙って行っても、かまいませんかね」  女房に気がねをしてくれるのです。 「かまいませんよ。黙っていれば、知らずに眠っているでしょう」  皓々とはこのことを言うのでしょう。外に出ると、まったく明るいのです。明るいという以上に輝いて、まっ白なのです。しかし、キラキラ光る小川に沿って小道を登り、山にかかると深い杉林で、懐中電燈で足もとを照らさねば歩くこともできません。そのうえ、それでどうしてあんなに輝いていたのか、山いちめん霧なのです。杉林を抜けてもう相当登ったと思うのに、明るい湿気がぼうっとぼくらを包み、ぼくらのまわりに漂っているだけで、見晴らしはおろか見通しもきかないのです。 「鳥海山が、すうっと青霞に消えてると思ったが、これがあの青霞なんだな」  S君は笑いながら、それをとらえでもできるように、掌をひろげてあたりにただよう明るい湿気をすくうようにするのです。そうだ、ここはもうあの青霞の中なのだ。あのときは、夢ともつかず鳥海山を登りながら、ひとり残されて青霞に行き着くことができなかったが、それがいまS君とあの青霞の中にいるのだ。そう思うと、ぼくはあれからS君と話しながら、だんだん夢にはいって来、とうとうこうしてほんとの夢の中に来てしまったのだ、というような気がして来るのです。 「しかし、ここがあの青霞のあたりだとすると、海が見えるんですがね。防風林が見えるんですがね。防風林に守られた、海にも負けないくらい、ひろびろとした平野が見えるんですがね。霧で上のほうは見えないにしても、下はあんなに明るく、皓々としてたんだから、下界は浮き彫りにされて、銀細工のように見えてもいいと思ったんだがな」 「しかし、こんな感じもいいじゃありませんか」 「いいと言っても、ただ湿気が明るくただよっているというだけでしょう?」 「それがいかにも荒涼としていて、なんとも言えないと思うな」 「荒涼として?」 「ええ。ぼくはこうして歩きながら、ハッキリと思いだしましたよ。さっきから思いだそうとして、どうしても思いだせなかったものをね。ぼくがあのころ歩いたときも、ちょうどこうだったんです。そして、なにかを想像していたんです」 「なにかを?」 「その高い名もない山の峰々をです。ここではこんなふうになにも見えないが、そうした峰々はひとり秀でて、月光に輝いてるだろうってね。あの連中は、もうどのへんまで行ったでしょう?」 「お山の白い装束ですか。早いのは、そろそろ着くんじゃないですかね」 「そうでしょうね。夜に霧がかかると、あくる日は晴れるというから、すばらしい御来迎になるかもしれないな」  そうだ! と、ぼくは思いました。このへんでも、夜に霧がかかるとあくる日は晴れるというのです。 「今日はあんな|ふう《ヽヽ》だったが、明日はきっと鳥海山がハッキリ見えますよ。いいんでしょう、明日も……」 「いや、明日は一番の汽車で、失礼しようと思ってるんです。ほんとに愉快だったし、いろいろ考えたんですがね」  S君にそう言われると、ぼくにもなにか感じるものがありました。いや、たえず感じてはいたのですが、S君が言わぬものをこちらから言いだすのもと思って、控えていたのです。 「事業のほうが?」  そう言いかけてあとを濁すと、S君は、 「そうなんです。明日にも帰って、債権者会議をやってもらおうと思うんです。そこですべてをありのままに言って、聞いてもらおうと思うんです。それしかもうしかたがないし、そうすれば債権者たちも聞いてくれ、なんとかなるんじゃないかという気がするんです。たとえ、それで晴れ上がらないまでも、鳥海山がなくなったというわけではない。なくなりさえしなければ、ここがこうして霧であっても、頂は秀でて月光に輝いているかもしれませんからね」  夜通し吹きすさんだ風がおさまって、ウソのように晴れ上がった日になりましたが、それでもまだぼくらのいる山あいまで、潮騒が聞こえてくるようです。もっとも、そこここで松風の音がしている。それをそう感じるのかもしれません。松といえば、ぼくらはすぐ防風林や段丘の墓地を連想するのですが、松は神社の境内にも杉林の中にもあって、杉の|ざわめき《ヽヽヽヽ》をやめても、わずかな風にあの特有な音を立て、みずからの存在を示そうとするのです。  しかし、こんなときこそ砂浜には、風浪にさらされて骨髄だけになったような流木が、打ち上げられているのです。二人でムギワラ帽をかぶり、フロシキを持って、大物忌神社のあたりまで来ると、女房が、 「おや、こんなとこに、鴎が来てるわ。よっぽど、海が荒れたのね」  見るとほんとに、人けのない境内の松の枝々に鴎が群れて止まったり、枝を離れて境内を飛び交ったりしています。 「S君が来たときは、ここがお山の白い装束でいっぱいだったがな。なんだか、あの連中が鴎になったような気がするね」 「そうね。わたしも鴎になりたいわ」 「どうして?」 「どうしてって。きれいで、|なりふり《ヽヽヽヽ》かまうこともいらないし、好きなところへ飛んで行けるんだもの」 「そして、流木も拾わないでもいいし、かい」  しかし、流木拾いも苦にしなければ、かえって楽しくすらなるのです。  かぶったムギワラ帽も、季節はずれの気味ですが、まだひと夏で新しいし、それぞれ頭に合わせて買ったのですから、S君がぼくのムギワラ帽をかぶり、ぼくが女房のムギワラ帽をかぶったようなものではありません。しかも、あのときは女房が笑ってもなんともなかったのに、いまはこうしたムギワラ帽で歩くのが、後ろめたい感じがするのです。日はキラキラしいし、吹浦の人たちもまだみなムギワラ帽をかぶっている。それなのにそんな感じがするのは、吹浦の人たちのはみな古く汚れてい、いかにも働く吹浦の人たちらしく見えるのに、ぼくらだけがまだ新しいムギワラ帽をかぶって、もう避暑客がひとりもいない吹浦にいるというところから来るのかもしれません。いや、避暑客がいるときは、避暑客のような顔をして、流木を拾うのもなんの抵抗もなかったのですが、いまだに残って流木を拾っていると、なんだか吹浦の人たちに、特別な目で見られるような気がするのです。だが、それもかまわない。それを拾って生きようと、ぼくたちは言いあって来たのです。  月光橋のあたりまで来ると、鴎はいないが鴎にまごう白波が、もう一波一波と川面をさかのぼって来るのが見えます。たもとには、まだ『ヨルダン川を渡って、バイブル・キャンプヘ』という立て札があるが、白波を下に橋を渡っても、松林の中には点々とあった白いテントもなければ、若い男女の姿もない。いや、蝉も待っていてくれなければ、風に掃かれて砂に埋もれてしまったのか、松笠はおろか松葉さえもないのです。 「あら、こんなのが落ちてる」  そう言って女房が拾ったのを見ると、風に吹き折られて飛んだ、幼い青い実をつけた松の小枝です。 「なんだ、きみのような|やつ《ヽヽ》じゃないか」  女房はなにかしら、いまも幼いのです。 「まァ、でも、あの風で、どうして大きな松笠が落ちないのかしら」 「松笠はね、みずからの充実において、静かな日に落ちるんだ。どんな風が吹いたって、それで落ちるというようなことはないんだ」 「そうかしら」 「そうだよ」 「じゃ、早く行って、風浪にさらされて、骨髄だけになったようなのを拾いましょうよ」 「そんなこと言うけど、だいじょうぶかい。すごい波の音がしてるじゃないか」 「だいじょうぶよ」 「だいじょうぶって、波だって、きっとあの川をのぼって来る波のようなもんじゃないんだよ。ありゃァ白い波がしらなんか立てちゃって、一人前の波らしい顔をしているが、ほんとうの波じゃない。岩や堤防の間から、いまの先、生まれて来たほんの子供のような波なんだ」  と言いながら、ぼくはふと逃げ遅れてころげて行った、あのちっちゃな女の子を思いだしました。ちょうどあのとき、あの女の子が逃げのびると急に元気になって、ぼくたちを囃したように、その川波も得意になって、大きな幹々を縫い、この松林の中まで走って来るようにみえるのです。 「でも、もう冬の用意をするんでしょうね。みんなが拾うもんだから、うっかりするとなくなっちゃうのよ」 「飛ばされるよ、しかし……」 「小枝ごと、でしょう? いいの。飛ばされたら、鴎になって飛んじゃうから」 「しかたがない。海のほうに出て、流木でも拾おうか、風浪にさらされて骨髄のようになったのを……」 「あんなのを使うと、塩気で鍋釜が痛むと言ってたわ、家主のおばさんが……」 「鍋釜ぐらい、いいじゃないか」  しかし、高い疎らな松林がだんだん低い松林に変わって来ると、波音はかえって遠のいたように静かになり、れいの砂山がシンとして、青空に弧を描いています。 「あのへんだったかしら。アロハを着た白髪の老外人が、ズックの椅子に掛けて、聖書を読んでいたのは……」  思いだしたように、女房はそんなことを言うのですが、風はなにもかも砂で埋めてしまうかと思うと、|へんなもの《ヽヽヽヽヽ》を浮き上がらせて来るのです。 「人のだか犬のだか知らないが、踏まないように気をつけないといけないよ」  強いというより大きな風──と言ったほうがいいかもしれません──に、いちめんの白波が|しぶき《ヽヽヽ》の霧を這わせています。しかも、白波は白波の形のまま、|しぶき《ヽヽヽ》の霧は海づらを這う姿のまま止まっているように思える。ハッとして立ち止まると、 「鴎になった!」  そんな声がして、両手をひろげてムギワラ帽を飛ばしながら、砂丘を駆け降りて行くのです。とたんに、もの凄い潮騒の音がして、白波も|しぶき《ヽヽヽ》の霧も動きはじめました。飛ばした女房のムギワラ帽を拾って、ぼくも砂浜に降りると、女房は鴎になったでしょう? というようにニコリとして、 「ほらね」 「ほらね、じゃないよ。鴎だって、神社の境内に逃げたじゃないか」 「鴎なら戻ってるじゃないの、堤防のあたりに」 「堤防のあたりに?」  飛んでる、飛んでる! それはまた別の群れかもしれないが、まるで神社の境内にいたのが戻ってでも来ていたように、大きな風に流されながらも、堤防のあたりに無数の鴎が飛び交っているのです。 「でも、ムギワラ帽はもう飛ばさないわ」 「そうだ。鴎もいいが、紐ぐらいシッカリ結んどかなきゃァ」  そう言うと女房は笑って、赤いリボンのあご紐を結ぶのですが、ムギワラ帽はたちまち風にとられて首のうしろになり、髪をなびかせているのです。 「すばらしいわね」 「なにが、すばらしいんだい。ただ、白波と|しぶき《ヽヽヽ》の霧があるばかりじゃないか」  ぼくももう首のうしろになっているムギワラ帽に危なげを感じ、かえって紐をといて、手に持たずにはいられなくなりました。あんなにも美しく海をつなぎとめていた飛島も、解き放たれた海の白波としてひろがる扇形の要《かなめ》として、僅かにあるべき位置を偲ばすばかりでありません。それを受けて果てもなく腕をひろげて延びているはずの砂丘まで、|しぶき《ヽヽヽ》の霧にところどころ隠されてい、人けのない砂浜には、だれかがすでに集めて行った流木が、点々と骨髄の山のように積み上げられているのです。 「でも、すばらしいじゃないの。荒涼として……」 「荒涼として?」  おや、とぼくは思いました。それはたしかS君が、あのときに言ったことです。 「ええ。Sさんもおっしゃってたじゃないの。こうしていられたら、楽しいでしょうねって。こんどいらっしゃったら、ほんとにまた飛島に行きましょうよ」 「飛島に……」  あれから、S君からはなんの便りもないのです。いつもなんの前触れもなく、突然来るほどだから、それもかまわないが、帰ったら債権者会議を開いてもらうと言っていた。ひょっとすると、S君こそ飛島も見えぬ荒波と潮騒の、荒涼としたものを見入っているのかもしれません。 「あのときは飛魚《とびうお》が飛んで、|おばこ丸《ヽヽヽヽ》の上甲板を越えて行くでしょう。わたし、はじめは燕かと思ったくらいだわ」  あのころ、ぼくたちはまだ酒田にいたのです。日ごろ念願にしていた飛島に行くというので、そんなことをしたこともない女房が、「いいかしら」などと言って、デパートからまっ白なスーツを買って来ました。それがうれしかったのでしょう、船が次第に揺れはじめ船酔いで萎れてしまうまでは、上甲板も舳先に近いブリッジの前に立って、頭上に飛び交う飛魚を声を上げて指さしたりしていたのです。 「しかし、|うみねこ《ヽヽヽヽ》の群れた大きな岩が、いくつかあっただけで、低い松林の丘のほか、なにもなかったじゃないか」  いや、そればかりではありません。飛島にも外海《そとうみ》の吹きさらしにあたるほうには、るいるいと石の重なった賽《さい》ノ河原《かわら》と呼ばれる名所がある。さしかけの土産物屋や数軒の旅館らしいものの並んだ海岸にブラブラしているのも能がない。せめて、その賽ノ河原にでも行こうと思ったのですが道を失い、低い松林から上半身を現して客が来るので、訊こうとするとかえってこちらが訊かれるのです。そのうち、女房が靴ずれで歩けないと言いだし、|おばこ丸《ヽヽヽヽ》が発たない前にと、なにも見ずじまいで戻ってしまったのです。その靴ずれでわかったのですが、女房はスーツを買ったのに気がねして、靴は安物のハイヒールにしていたのです。それなのに、どうしてまた飛島に行こうなどと言いだしたのか、ふしぎな気がしていると、 「そうね。でも、楽しかったの。ときどき思いだすのよ。早く|とし《ヽヽ》をとりたいわ。あなたも老人になって、わたしは傍でレースを編んでいる。それだけでいい」 「おい、おい」  ぼくは思わず吹きださずにいられませんでした。女房はもともとこの地方の出の者ですが、この地方のことはまったく知らず、阪神地方の六甲山《ろつこうさん》寄りに、外国帰りの父母と裕福な生活をしていたのです。女ばかりの|きょうだい《ヽヽヽヽヽ》の中で、妹たちはみなそれに見合った結婚をしているのに、女房はべつに羨みもせず、見も知らぬこの地方に来、ここの出だということすら忘れているように、こうしてぼくといるのです。 「そうだわ。流木もここらのは拾われてしまっているから、もっと向こうに行きましょうよ。今日は鳥海山が見えるかもしれないわ」 「鳥海山が?」  ぼくがそう問い返すと、 「だって、Sさんのみえたときは、あんなきれいに、飛島が見えたじゃないの」  しかし、いまは潮けむりに飛島が見えないから、鳥海山が見えるかもしれぬ、とでもいうようなことを言い、女房はムギワラ帽を首のうしろに落としたまま、風と潮騒の砂浜を駆けだして行くのです。ぼくは女房の駆けるにまかせて、やがて女房が立ち止まって、手招きしているあたりから連れ立って行くと、砂丘が切れて河口から川向こうに、吹浦の町が見えて来ました。川には岩に砕けて新たにつくられた小さな白波がさかのぼり、月光橋のこなたにかけて待避している漁船の向こうに、低い家々がいかにも明るい日射しを浴びている。それがかえってこの世ならず安らかに見え、あれがぼくたちのいる町とも思えぬばかりではありません。しかもその背後には鳥海山が山裾を張り、目で頂へと登るにつれて、麓の樹木の濃い緑が淡々《あわあわ》とした褐色になり、キラキラしい空のもとに、鳥海山であるところのものが姿を現しているのです。 「なるほどね。しかし、S君に見てもらいたかったのは、こんな鳥海山ではなかったな。S君は債権者会議があるんだが、ほんとうのことを言えば、みなは聞いてくれるだろうと言っていた。なにかそんな覚悟をするために、ほんとの鳥海山を見たいと思ってたんだ」 「あら、おっしゃってたじゃないの、あの|おばこ丸《ヽヽヽヽ》の上で。御覧よ、あの海の向こうに浮かんで見えるのが、出羽富士といわれる鳥海山だって。あの麓には吹浦って町がある。こんどはあそこに行って住もうって」 「…………」 「でも、吹浦に来ると、あなたはまた言うんだもの。ここからだとふくらんだ中腹で、頂が見えなくなる。それでも、それなりに富士の形をつくっているが、ここにはもう鳥海山らしいものがあるだけで、ほんとの鳥海山はないんだって」  そう笑われると、ぼくはついまたS君に言ったようなことを言わずにはいられませんでした。 「そりゃ、そうだ。しかし、|おばこ丸《ヽヽヽヽ》から見た鳥海山は、あんまりできすぎてて、風呂屋のペンキ絵みたいじゃないか」  と、言いながらわたしはふと思いました。S君とあの月光橋で、青霞にその中腹からすうっと消えていると思って眺めたものこそほんとうの鳥海山であり、あの夜ともに登った仄明るい霧の中こそはほんとうの鳥海山だったかもしれない。……  しかし、もう風と潮騒の中から、 「まァ、あんなにあるわ、骨髄みたいのが。わたし、堤防のほうに行って来る」  と、うれしげな声がするのです。 「堤防へ?」  ぼくもそちらに目を返すと、堤防には波の|しぶき《ヽヽヽ》が上がって、小さな虹が無数に舞っている。行けばそれなりさらわれてしまいそうなのに、人生をただぼくについてここまで来ただけのような女房が、 「ええ。いまはきっと、満ち潮なのよ。待ってて。わたしが拾って来るから」  恐れげもなくムギワラ帽を首のうしろに、髪をなびかせながら走って行くのです。ぼくも行こうとすると、ぼくはもう羽風を切って寄って来た鴎の群れの中にあるのです。ぼくは一瞬、ぼくが鴎になったような気がしましたが、不意に女房が「鴎になった!」といった言葉を思いだしました。そして、いまもまた両手をひろげて、波のしぶきの無数の虹の中へと走って行ったのを思いだしました。ハッとして立ち止まると、鴎の群れが羽風を切ってやって来て、ぼくはふたたび鴎の中にあるのです。 「楽しかったわね。わたしたちはたとえどこに行っても、またここに来ましょうね」 「わたしたち? きみが人であることをやめたら、どうしてまた来ることができるのかね」  しかし、また鴎の群れは去って、なんの答えもありません。 「わたしたち?」  きみがもし、ぼくをひとり残して、鴎になってしまったのなら、どうしてもう「わたしたち」などと言えるだろう。ながくただぼくについて、ここまで来たとしか思わなかった女房が、じつはそうした女房あるがために、ようやくここまで来れたのを知ることの、あまりに遅かったことに及ばぬ後悔をしていると、また羽風を切って鴎の群れが来、やさしい声がするのです。 「そのときも、きっと若い人たちが、バドミントンをやったり、アコーディオンを楽しんだり、讃美歌を歌ったり、子供たちを集めて、イエスや使徒たちの紙芝居を見せたりしてるわね。楽しかったわ、ほんとうに……」 [#改ページ]     光  陰  わたしはまだ東京にいるころ、ひとがこの地方の者を笑って、あれは庄内だと呼んでいるのを聞いたことがあります。ところが、この地方の者は笑われているとも気づかず、むしろ誇らしげに、われから庄内と言うのです。庄内とはこの地方の呼び名だから、そこに住む者を庄内と呼ぶになんの不都合もないが、一方は田舎者の東北を代表させた|つもり《ヽヽヽ》でいるのに、他方は東北は田舎でも、庄内は違うといった気概をみせた|つもり《ヽヽヽ》でいるのです。ともあれ、庄内は出羽三山として知られた月山《がつさん》を望み、出羽富士と呼ばれる鳥海山《ちようかいざん》を眺める広大な平野です。日本海沿いに蜒々と起伏する遙かな砂丘に護られ、どちらを向いても地平線のあたりから、青田を分かつ整然とした畔が放射状にひろがって来る。そこにはまた浮き島のように、点々と散った部落の小さな森があり、最上川《もがみがわ》をふまえた本間さまの酒田市もあれば、赤川《あかがわ》をひかえた酒井の殿さまの鶴岡市もあるのです。わたしは加茂《かも》というさびれた港町にいて、ようやく夏になろうとするころ、この庄内の大山《おおやま》という町に来たのですが、来てみればこの地方の者の庄内を自負する気持ちのほども頷けるのであります。  もっとも、わたしのいた加茂という港町も、いっぱんにはまだ庄内とされているところです。ただ、平野のほうからすれば、鳥海山のあたりから延びて来た砂丘がようやく終わって、ふたたび高館山《たかだてやま》になり、荒倉山《あらくらやま》になり、やがては庄内でなくなろうとするそうした山々の彼方にあるので、庄内と言うよりは庄外と言った感じのする外港であります。したがって、加茂から大山へ来るには、これらの山々の間の峠をバスで越えなければならないが、登るとともに盛り上がって来るような日本海が見えなくなったと思うと、もう高館山が打ち拡がる平野へと尾根を伸ばし、わずかに隆起して大山公園と呼ばれる太平山《たいへいざん》をつくっているのを、眼下にすることができます。大山はその麓のあたりから、なんとなく拡がっているただの町ですが、この地方では酒造家の町として知られ、この太平山を切り開いて公園にしたのも嘉八郎という酒造家の一人なのです。  嘉八郎は逸話の多かった人のようで、いまは大きな石像になって、羽織袴に扇子を持ち、高い石の台座の上に立っています。太平山は、たださえそう高いとはいえぬ高館山の尾根山で、さしたる高さはないというものの、高みに立てば高い山々はいよいよ高く見え、迫力を持って来るので、これだけの高さでももう青田の彼方にやや沈んでいるような月山や鳥海山とは、まったく違って見えて来るのです。嘉八郎の石像はそうした鳥海山と月山を前寄りの左右にして、最上川や赤川のかすかに光る庄内平野をわがもの顔に見ていますが、これもこうした公園を嘉八郎が町のために造ったというので、有志がつどって建てたのではありません。そんなものはだれからも建ててもらうことはないと言って、石工を集めてみずからの石像を刻ませ、いわば身ぐるみ公園として町に寄付したのです。町は有り難く頂戴させられながらも、維持費だけでも相当かかるので、手入れも行き届きかねがちになり、だんだん荒れて来て、石像のあたりの広場にも雑草が見られるようになりました。嘉八郎から寄付された当時は、あんなものではなかったとだれもが言っていますから、財からいっても町は一人の嘉八郎にかなわなかったもののようであります。  町とはいっても大山には、町の中のいたるところに青田がある。わたしがたまたまこの大山を訪れたときには、そうした青田の上を無数の鴎が鳴きながら飛び交っていました。鴎は加茂の港でいつも見ていたものです。しかし、それがどうかすると、あの港からまったくいなくなることがあるのです。どこに行くのかと思っていたが、鴎だとて鴎なりの都合によって移動して来ていいはずで、なにも海だけにいなければならぬという法はありません。加茂の港にもそろそろ海水浴客が混みあって来るころだし、このあたりが引き上げる潮時かもしれぬ。荒れてしまったとまでは言えないが、荒れてしまおうとしている公園の坂道を登って、ときに嘉八郎の石像と眺めを共にするのもよかろうと思い、通りがかりの床屋で聞いて、わたしは公園のすぐ下の後藤という大工さんの二階に、宿を借りることにしたのです。  後藤さんはよく表に面した作業場で、片肌脱ぎでカンナの刃を研いだりしていましたが、大工のほうは、子がなくて養子にもらった息子がやっているらしい。見たところ大柄な|からだつき《ヽヽヽヽヽ》で、まだ老け込んでいるとも思えないが、そうしてカンナの刃を研いだりするのも、息子に気がねして、頼まれもせぬ手伝いをしているので、あとは道に出した棚の盆栽に水をやったり、イズメに入れたあか子の孫をのぞき込んでは両手をくるくる回して、「てんぐり、てんぐり、てんぐりな」なんて言ったりしていて、家のことも|おばさん《ヽヽヽヽ》の宰領にまかせているようです。|おばさん《ヽヽヽヽ》はもとはこの町の女郎屋の飯タキをしていたそうで、よく朝帰りの男たちの話をして、「なにも、あげだにこそこそ帰ることはあるめえちゃやの」などと大声で笑っているような、気のおけぬ開けっぴろげないい人です。息子の嫁は、たださえいるかいないかわからぬようなひっそりとした若い女で、日がな一日、ほとんど日傭いの畑仕事に出ているから、ときどき|おばさん《ヽヽヽヽ》の高笑いがするほかは、家はもの音ひとつしないのです。まことに静かで、かえって田の面で蛙の鳴く夜更けのほうが喧しく思えるほどですが、これも加茂の港町では味わえぬ趣と言えば言えるのであります。  ただ、いかにも蚊が多い。蚊はむろん加茂の町にもいたのですが、ここはまたかくべつで、鈍い羽音の唸りを聞いていても、群がり群がって、それぞれ一団をなして暗い天井のあたりを、旋回しているのがよくわかるのです。わたしは早くから蚊帳を吊り、その中にいることにしたのですが、なんとしても風通しが悪いのです。それに、狭い廊下を隔てた三畳の間には、後藤さんの姉さんだという背負《しよ》い商いの|ばあさん《ヽヽヽヽ》がいる。その|ばあさん《ヽヽヽヽ》が、出がけには開け放って部屋をまる見えにして行くのに、帰ると障子を閉め切ってしまうのです。暗くなったといっても、まだ昼間の熱気が残ってムンムンしているのですから、夜の更けるまでのしばらくの暑さがやり切れないのです。  |ばあさん《ヽヽヽヽ》もたまらぬらしく、帰ると閉めた障子の向こうで、団扇でパタパタ|からだ《ヽヽヽ》を叩く音をさせながら、 「しえー、|じょんぶ《ヽヽヽヽ》(強い)な蚊だちゃ。これだば、嘉八郎さまもたまるめえて」  などと怒って、ぶつぶつひとりごとを言っている。思わず吹きだして、わたしも、 「なんだか、嘉八郎の石像も扇子で叩いてるみたいだね」 「だども、なしてこう、おらばし刺しに来るんでろう」 「そりゃァ、庄内じゅうの蚊を、一人で引き受けるようなことしてるからさ。蚊帳も吊らずにいるんだろう?」 「おらァ太っとるさけ、暑っちゃくて、蚊帳など吊っていられねえて」 「障子をとったらどう」 「だども、腰巻き一つでいるもんだし……」 「いいじゃないか。風が通って、こっちも助かるしさ」 「だかや」  そう言ってそろそろと開けたところを見ると、|ばあさん《ヽヽヽヽ》はなにも裸でいるわけではない。ちゃんと袖なし襦袢を着ているのであります。襦袢を着ていれば、このあたりでは、腰巻き一つでも店に買いものにも行けるのです。|ばあさん《ヽヽヽヽ》もほっとしたらしく、救われたようなことを言いながら蚊帳を吊りはじめましたが、むろんそれで急に風がはいって来るというものでもありません。やがて、|ばあさん《ヽヽヽヽ》も蚊帳にはいり、横坐りに坐って、団扇を使い使い、 「|あんさ《ヽヽヽ》は加茂から来たと言うたけの」 「|おばさん《ヽヽヽヽ》から聞いたのかね」 「ンでね。床屋の横さ、大福《でえふく》餅をつくるとこがあるんでろ。おらァ毎日《まいひ》、あっこさ寄って、鶴岡さ商いに行くんでの」  すると、もうわたしがここに来たことを、餅屋が床屋から聞いていて、|ばあさん《ヽヽヽヽ》に話したのです。しかし、こんなことが話になるほど話題がないということは、だれもがなにごともなく幸せにいるということでしょう。 「鶴岡なら汽車で行くんだね」  鶴岡市には羽前大山駅から汽車で行くか、北大山駅から電車で行くかしなければなりません。電車のほうはそうでもないが、汽車には背負い商いの女たちが乗っていて、この|ばあさん《ヽヽヽヽ》ぐらいの年寄りもよく見かけるからですが、 「電車だちゃ。だども、おらァ在所《ぜえしよ》を廻って行くなださけ、乗るのは帰りだけだ」 「在所を廻るの、あの箱を背負って? |ばあさん《ヽヽヽヽ》のは、また特別大きいんだろう」 「ンださけ、嘉八郎さまが笑うての。おらのことを、トラックが来たて言うもんだけ」 「トラック……」 「ンだ。ようお妾さまのとこさ、ござっとっての」  妾も嘉八郎の妾となると、|お《ヽ》がつき、|さま《ヽヽ》がつくのです。 「そんな人は、いまどうしているのかね」 「在所から若い|むこさま《ヽヽヽヽ》もろうて、幸せにしとるて。なんたて、みな家屋敷をもろうとるもんだしの」  |ばあさん《ヽヽヽヽ》のお妾さまは、いつか複数になって来ました。そういうものも複数になると、蚊のようにやがて追い払うのに苦労しなければならない。そう思うと、またも扇子で叩いているような嘉八郎の石像が浮かんで来るようで、ついおかしくなりましたが、 「じゃ、|ばあさん《ヽヽヽヽ》はそのころからずっと、背負い商いで来たんだね」 「だども、いっこう、|らち《ヽヽ》があかねえもんだの。おらァ親なしで育って、文字《もんじ》なしださけ、せめて|あの子《ヽヽヽ》だけでもと思うたんども、学校さも上げられねえで、|みぞけねえ《ヽヽヽヽヽ》(かわいそうな)ことしたと、いまもときどき思うことがあるもんだけ」  |ばあさん《ヽヽヽヽ》の言う|あの子《ヽヽヽ》とは、後藤さんのことであります。しかし、後藤さんには家もあり、安穏にしているのに、|ばあさん《ヽヽヽヽ》は見たところ、持ちものといってはゴツゴツな木綿の夜具と、古い大きな柱時計と、ブリキの米ビツの他、なにもないのです。夕食もみなとは別に、土鍋でたいて食べているらしい。それはいいとしても、土鍋に米をとったあと、必ず米ビツの残り米を茶碗ですくって、一つ、二つと数えているのです。だれも盗りはしないのにと、いやな気持ちがしないでもありませんでしたが、これもどうやら米の一升買いをしているからで、あすのことを気づかっていたのです。 「ああしていられるんだから、言うことはないさ。しかし、あの|からだ《ヽヽヽ》なら、まだまだ働けるんじゃないのかね」 「|からだ《ヽヽヽ》はええんども、大工は棟さ上がったりしねばなんねえでろ。それができなくなったんでねえか。右だかし左だかし、だんだん眼が悪うなって、このごろではもう片方は見えねえて言うもんだしの」 「そうかね」 「子供のころ、鰊場でジャガイモをぶつけられての。早うから、|かすむ《ヽヽヽ》とは言うとったんどもや」 「鰊場というと、北海道にでも出稼ぎに行ってたのかね」 「ンでね。|おらた《ヽヽヽ》(おらたち)は、もともと北海道の人《ふと》ださけの」 「北海道……」  思わずわたしがそう言うと、|ばあさん《ヽヽヽヽ》も、 「|あんさ《ヽヽヽ》も北海道だかや」  と、問い返すのです。 「いや、北海道にも行ったことがあるというだけだよ」 「ンだか。おらまたふっと、それで床屋も知っとるのかと思うたて」 「床屋も? じゃ、あれも北海道だったの」  してみると、庄内に住みついて、いかにも庄内の者らしいことを言っている者も、やはりどこからか来た者であります。それにしても、|ばあさん《ヽヽヽヽ》は根がほがらかなのか、自分がかつていたところをわたしが知っているというだけで、もう思い出もなくなっているのに、愚にもつかないことを思いだして語っては笑ったりしていましたが、突然、 「あいちゃ!」  と、悲鳴を上げるのです。思わず小さなオナラをもらしてしまったのでしょうが、それで止めようとしても止まらぬらしく、ちょっ、ちょっともらしては、「あいちゃ!」「あいちゃ!」と困ったような悲鳴を上げるので、 「そんなもの、遠慮はいらないよ。|からだ《ヽヽヽ》に悪いから、思い切ってしちゃいなさいよ」  わたしが笑ってそう言うと、|ばあさん《ヽヽヽヽ》は、 「ンだか」  と、気の毒そうに断って、笑いながら太った大きな腹にたまったのを、すっかりもらしてしまいました。そんなことからわたしはかえって|ばあさん《ヽヽヽヽ》に親しみを覚え、いつとなく|ばあさん《ヽヽヽヽ》が背負い商いから帰るのを心待ちにして、障子を開け放した狭い廊下越しの蚊帳の中から、言葉を交わすのを楽しみにするようになったのであります。  ところがある晩、その|ばあさん《ヽヽヽヽ》がいつまでたっても帰って来ないのです。べつに話しに行くところもなさそうだし、丈夫なようでも|とし《ヽヽ》だから、どこでどうならぬとも限らない。心配するといってはウソになりますが、そんなことを思いながら、うとうとしていると、 「眠ったかの」  蚊帳の外からそんな声がするのであります。 「いや」  目を開けると|ばあさん《ヽヽヽヽ》が、出かけたときそのままのモンペ姿で坐ってい、 「スタンドがつけっぱなしださけ、声をかけたんども、悪かったんでねえか」 「悪いことなんかないけど、どうかしたのかね」 「これ読んでもれえてえと思うてや」  と、気の毒そうに言うのであります。 「じゃ、はいったらどう。そうしている間に、蚊に食われるよ」  起きて布団に|あぐら《ヽヽヽ》をかくと、|ばあさん《ヽヽヽヽ》は「だば……」と言いながら、蚊帳の裾を払ってはいって来ました。|ばあさん《ヽヽヽヽ》の太った|からだ《ヽヽヽ》がはいっても、わたしの蚊帳にはまだゆとりがあるのです。 「これだば、ええちゃやの」  まんざら世辞でもなく、そんなことを言い言い、|ばあさん《ヽヽヽヽ》は懐から、畳んだ巻き紙を差し出しました。開くと、|候 文《そうろうぶん》で立派な字で書いてあります。 「だれが書いたの」 「大夫《たゆう》さまなんどもの」 「大夫さま?(というのは神官のことですが)なるほどね」  頷いてわたしがそう言うと、 「これさ、早く|帰えれ《ヽヽヽ》と書いてあんでろか」 「さあ。そんなことは書いてないようだよ。委細承知《いさいしようち》──よくわかった。|其後当方無事消光 罷在 候 間《そのごとうほうぶじしようこうまかりありそうろうあいだ》──こちらはべつに変わったこともないから、安心しているように。と、まあこんなことだね」 「しえー。したば、これさも|帰えりてえ《ヽヽヽヽヽ》とは、言うて来てねえんでろか」  と、|ばあさん《ヽヽヽヽ》は更に懐から、小さな封筒を出すのですが、合点しかねて、わたしを疑っているようにも見えるのであります。 「こんな手紙じゃ、困るのかね」 「ンだ。|むすめ《ヽヽヽ》の世話をしようと、言うてくれる人があるというなださけの」 「|むすめ《ヽヽヽ》の? |ばあさん《ヽヽヽヽ》に|むすめ《ヽヽヽ》がいたの」 「ンだ。大阪のすし屋さ、奉公にやっとるんどもや。|むすめ《ヽヽヽ》がその気になるなら、鶴岡さ店ぐれえ出させても、ええというもんだし」  なにをあわてているのかと思っていたが、わたしにもようやく話の筋がわかって来ました。おそらく、|ばあさん《ヽヽヽヽ》が廻るという嘉八郎のお妾さまの口でしょう、そんなだれかが、|ばあさん《ヽヽヽヽ》の|むすめ《ヽヽヽ》に旦那を世話しようというのです。|ばあさん《ヽヽヽヽ》が愚にもつかぬことを思いだして笑ったりしていたのも、ほんとうはもう降って湧いたようなそんな話があって、前途が明るく、浮き浮きとしていたからかもしれません。大夫はそうと聞かされて、とやかく言うよりも、さも|ばあさん《ヽヽヽヽ》の望みどおりにしてやったようなことを言ってすましたほうが、|むすめ《ヽヽヽ》のためにもいいと考えて、こんな手紙を書いたのです。わたしはいまさらのように自分の迂闊さに後悔しましたが、 「そりゃァ、そうだね。それで、|むすめ《ヽヽヽ》さんの世話をするというのは、どんな人……」 「どげだ人だか知んねえども、店出さすというなださけ、余ッ程でねえば、できねえんでねえか」 「それに、鶴岡は大きな街だしね。|むすめ《ヽヽヽ》さんだって、喜んでるはずだがな。どれ、よかったら|むすめ《ヽヽヽ》さんの手紙を見せてごらん」  むろん、わたしはもう|むすめ《ヽヽヽ》が喜んでいるなどとは、夢思ってもいませんでした。ところが、読んでみるとおどろいたことに、|むすめ《ヽヽヽ》も喜んでいて、願ってもない話のように言っているのです。すぐにも飛んで帰って、|ばあさん《ヽヽヽヽ》も幸せにして上げたいが、ただもう自分は帰ろうにも帰れない身になっている。いまとなってはどうしようもないが、せめてわたしの不幸に免じて許してもらいたいというようなことが、鉛筆書きの小さな字でタドタドと並べられているのですが、泣きじゃくる子の言葉が聞きとれぬように文意も通らず、|かんじん《ヽヽヽヽ》なところが定かには読みとれないのです。 「やぱり、|帰えりてえ《ヽヽヽヽヽ》とは、書えてねえだかや」 「いや、書いてあるね。すぐにも飛んで帰りたいって……」 「だば、大夫さまの言うたとおりだの」 「そうだね。しかし、とにかくその|むすめ《ヽヽヽ》さんが、早く帰って来ればいいんだろう。ひとつ、ぼくが書きかえて上げようか」 「そう願えるこったばのう」  わたしは机に向かって、便箋をひろげましたが、むろん|帰れ《ヽヽ》とは書かず、大夫にならって、こちらのことは心配せず安心しているように、としたためたのであります。 「これでいいだろう。読んでみようか」  もし読んでくれと言われれば、偽って読むつもりだったのです。大夫を悪者にしてしまったが、それでも大夫の心にそい、|ばあさん《ヽヽヽヽ》を安堵させるにはこれしかないと思ったのですが、 「いいてば。おらァ読んでもろうても、難しいことはわかんねえ人《ふと》ださけの」  おそらく、|ばあさん《ヽヽヽヽ》は大夫から、候文で読んで聞かされたのでしょう。そう言ってへいこうしたように笑うのですが、それがまたみょうに賤しげに見えるのです。 「じゃ、封筒も書いとこう」と、わたしは|むすめ《ヽヽヽ》の小さな封筒の裏を返しながら、「おや、心斎橋にいるのかね」 「ンだ。|あんさ《ヽヽヽ》は大阪も知っとるだかや」 「知っとるといっても、この心斎橋ぐらいなもんだがね」 「鶴岡だば、メガネ橋みてえなとこだというけの」 「そうね、心斎橋も大阪のどまん中だから。ちょうど、切手もあるし、貼っとくよ」  そして、わたしはすばやくわたしの書いた封筒に封をしました。やはり、早く封をしておきたいという心の咎めがあったのです。 「|もっけだ《ヽヽヽヽ》(すまない)の」  |ばあさん《ヽヽヽヽ》はなん度も礼を言い、わたしの蚊帳を出て三畳の間に戻ると、自分の蚊帳を吊って寝たようであります。が、寝たと思うと、クスクス笑いだすのです。 「なにがおかしいんだね」  わたしも寝ながらそう訊くと、 「どっちゃも文字《もんじ》なしだもの、二人してなんぼ大夫さまの手紙を見たかて、わかる道理がねえちゃやの」  と、|ばあさん《ヽヽヽヽ》は言うのです。してみると、|ばあさん《ヽヽヽヽ》は後藤さんと大夫の手紙を眺めあって、相談のあげくに来たのであります。 「しかし、|おばさん《ヽヽヽヽ》は読めるんだろう」 「ンだ。ンだども、町の小屋さ活動写真が来たいうて、若い者たちと出はったもんださけの」  心なしか、|ばあさん《ヽヽヽヽ》の声が小さくなったようです。|おばさん《ヽヽヽヽ》こそ女郎屋の飯タキまでしていたというほどで、いちばん話に乗ってもらえそうな人に思えるのですが、あれで|おばさん《ヽヽヽヽ》には一家を宰領していけるような、意外にシッカリしたところがみえる。それだけに、|ばあさん《ヽヽヽヽ》にはなにか|おばさん《ヽヽヽヽ》には気怖《きお》じめいた遠慮があり、ことさら|おばさん《ヽヽヽヽ》のいないときを見計らって、後藤さんと話しあっていたのかもしれません。 「でも、あの手紙が怪しいって、よくわかったもんだね」 「だァって、あげだ返事をよこしたなり、|むすめ《ヽヽヽ》は帰えって来ねえしの。なんか、あるんでねえかという気がしたて」 「なにもないさ。それにしても、大夫はどうしてあんな手紙を書いたんだろうな」  わたしはそう言わずもがなのことを口にしました。しかし、わたしはなにもいまさら、|ばあさん《ヽヽヽヽ》に大夫の不信を思いださせようとの悪意があったのではない。ただ、わたしの偽りを信用させ、|ばあさん《ヽヽヽヽ》を安堵させようと思ったまでだが、どうもそうではない。わたしの心には、|ばあさん《ヽヽヽヽ》がもうぬけぬけと安堵しているのを憎む気持ちがあって、じつはこのわたしも偽っているので、安堵などしていられないのだということを仄めかしてやりたい気持ちになっているような気もするのです。|ばあさん《ヽヽヽヽ》も感じたのか、しばらく黙っていたと思うと、 「いいでねえか。|あんさ《ヽヽヽ》が書いてくれたもんだし」  と言うのですが、それがいままでの|ばあさん《ヽヽヽヽ》の言葉とは違ってい、みょうに悟ってさとしでもしているように聞こえるのです。 「そりゃァ、そうだ。大夫も、いい人なんだろうしねえ」 「ええ人だす。大夫さまも喜んで、すぐ言うてやってくれたんださけの。でねえば、おらは文字なしだもんだし、|むすめ《ヽヽヽ》もこげだええ話も知らねえでしもうとこだちゃ」  とすると、大夫もわたしの思惑とは違って、はじめはむしろ、|むすめ《ヽヽヽ》のために願ってもない話と考えて知らせてやっていたので、|むすめ《ヽヽヽ》に帰れない事情があるなら、たってすすめることもない、と思ったまでのことのようなのです。 「…………」 「たンだ、ええ話は急がねばねくなるもんだし、女は売り物ださけ、傷ものにでもされたらと思うてや」 「傷ものに? シッカリした|むすめ《ヽヽヽ》さんなんだろう」 「シッカリはしとると思うんども、こればっかりはわからねえもんでの。鶴岡から出せば、なんぼか早くつくんであんめえかの」 「そうだろう。大山からより一日は早いね」  なに気なくよそおおうとしながらも、わたしは言いようのない憤りに、ほとんどおのれを制しきれなくなって来ました。が、それがいったい、なにに対するものなのか。問おうとしてもわからないのです。それなりわたしも口をつぐんでじっとしていると、|ばあさん《ヽヽヽヽ》の蚊帳から大きなイビキが聞こえて来ました。背負い商いで疲れるのか、|ばあさん《ヽヽヽヽ》はいつもいままで話していたかと思うと眠り、寝入りばなのしばらくは、おどろくほど大きなイビキをかくのであります。スタンドを消すと、部屋は月の光でかえって明るくなって来るようです。小屋もひけて畔道を来るらしい|おばさん《ヽヽヽヽ》の、開けっぴろげな笑い声がする。それが若者たちの声とともに、だんだん近づいて来、やがて階下が賑やかになりましたが、それも静かになって、あたりはいつか喧しい蛙の声になりました。  ふと見ると、蚊帳を透かして来る月光の中に、蚊が一匹飛んでいる。外を飛び交うあの無数の蚊の中から、|ばあさん《ヽヽヽヽ》と一緒にまぎれ込んで来たのでしょう。しかし、こんなか細い一匹の蚊でも、蚊帳の中にまぎれ込まれると、結構悩まされるのであります。しかし、そっと起き上がって、両掌を合わせながら手を伸ばして行くと、蚊はすうっと見えなくなる。あきらめて横になると、蚊はまたもとのように、蚊帳を透かして来る月光の中を飛んでいるのです。なんだか、月光を求めながら、押し流されては戻って来ようとでもしているようであります。が、蚊はひとつところを飛んでいるので、涼風《すずかぜ》立った夜風に蚊帳が揺れ、透かして来る月光が微妙に動くから、そう見えるのかもしれぬ。いずれにしても、月光の中を見えつ隠れつしている、その一匹の蚊を見ていると、喧しい蛙の声が次第に遠のいて、ときにはまったく聞こえなくなるのです。頭が冴えて来て、なかなか眠れそうにも思えなかったが、それがもう夢路だったのかもしれません。 [#改ページ]     か て の 花  弥彦山は広い蒲原《かんばら》平野を、日本海からまもる自然の牆壁をなすびょう然たる山々の一つである。すなわち、新潟市から西南に延びる砂丘が隆起していつしか長者山《ちようじややま》になり、角田山《かくたやま》になり、弥彦山になる。これが更に連亙して、蛇《じや》ガ峰《みね》、猿《さる》ガ岳《たけ》となり、良寛で知られる国上山《くがみやま》に至っているが、角田山よりもやや低く、蛇ガ峰よりも僅かに高いにすぎない。にもかかわらず、ひとり弥彦山はいわゆる前山《まえやま》をひかえ、ながい稜線を持つアスピーテ型の山容をみせ、小ながらも月山《がつさん》を彷彿させ、山々を渡り来たった神々の、好んで屯《たむろ》するところとなるであろうことを感じさせる。ここに越後一ノ宮弥彦神社があり、古歌にも、 伊夜比古は神にしませば青雲の たなびくときも小雨そぼふる  とあるから、弥彦はかつて伊夜比古と呼ばれていたかもしれない。しかし、玉砂利の清々しい厳かな社はたんに拝殿をなすにすぎず、神体は弥彦山そのものであるという。わたしには弥彦山が伊夜比古と呼ばれるとき、それがすでに神として、仰いでわたしたちの見得る山そのものの姿を越えた、なにものかを意味するような思いがするのである。  山頂からの眺望がまたすばらしい。杉の巨木にかこまれた神社裏のロープウェイで沢を登ると、芝草の刈り込まれたゆるやかな山の背に、近代的な展望台が建っている。すでに小公園の観を呈しているばかりか、海陸にわたる全円の風光をほしいままにすることができる。わたしのためにしばしの住まいを見つけてくれた若い友人とともに、初めてここを訪れたのは秋であったが、なにかもう吹き荒れる冬の季節風の気配があった。信越の山々はすでに見えず、三条市《さんじようし》を貫いた五十嵐川《いからしがわ》を入れながら、こなたに燕市《つばめし》、吉田町《よしだまち》を配した信濃川《しなのがわ》の蛇行する蒲原平野には、雲間を漏れる光が走り、眼下の日本海には海を濁らせて寄せて来る一面の荒波が、はるかな潮騒をとどろかせている。佐渡《さど》は人家の白壁が見えるほど間近に浮かんで、いまにも打ち寄せられて来そうだが、ハッとして目を凝らすと荒波が停止して、かえって潮けむる沖へと動いてでも行くようだ。  街はこの弥彦山と前山のあわいにあって、公園があり、神社があり、神社の境内には競輪場があり、恰好のレジャー・タウンをなしている。ことに、競輪場は桜と紅葉におおわれ、グラウンドには花壇がつくられていて、絵のように美しい。わたしにはそこで熱狂し、希望し、絶望する群衆もおもしろければ、群衆の前におどり出て、拳を振り上げながらいかに予想が的中したかを絶叫してまわる予想屋のダミ声もおかしかった。いや、競技が終わると、色とりどりのシャツで満場をわかした選手たちが、ほとんどドサ回りのサーカスの団員なみにも扱われていないのにも興味があった。ひと口に競馬競輪というが、少なくとも競馬の騎手たちは、その君臨した馬を乗り捨てれば、あとは馬丁にゆだねるであろう。だが、彼らはみずから馬丁になって、彼らの馬であるところの自転車を畳んでケースに入れ、またどこかの競輪場へと旅立って行くために、とぼとぼと歩かなければならぬ。彼らは騎手であると同時に馬丁であるということ、彼らが彼らみずからにおいてすべてであることが、彼らを誇らすどころか卑下すらさせているらしい様子が、みょうにわたしの共感を呼んだ。  わたしの見つけてもらった住まいは、弥彦山の麓というにはやや高い杉林の中にあった。街は楽しげで壺中の天とでもいいたいが、壺から仰ぎ見た口のように、山あいでたださえ空が狭いのである。それが一歩街を離れて杉林にはいると、僅かに山肌が見えるばかりで、ほとんど空を仰ぐことができない。あたりは古い墓場になっていて、みな弥彦神社の氏子らしく、おい茂った下草の間に、ほとんどただのグリ石に命《みこと》だ姫《ひめ》だと刻み込まれた粗末な墓石が、無数にころがっている。たまたま磨かれた立派な墓石があると、かえってそぐわないほどで、杉林を見まわりに来るその持主たちの足音も深い寂けさを感じさせ、やがてはわれらも行かねばならぬところに来てしまったような気がするのであった。が、夜がふけると、どこからともなくごうごうと凄まじい音がするのである。ひょっとすると、日本海のあの潮騒が、山越えに聞こえるのではあるまいか。いまもひとり、深夜の荒海に耐えているであろう佐渡を思い浮かべずにはいられなかった。  しかし、夜明けが近づくにつれて、凄まじいその音は遠のくように低くなり、あたりはまたもとの寂けさに戻る。終夜叫びに叫んだ樹々もなにごともなげにみえるが、毎朝のように杉の折れ枝、枯れ枝を山と背負《しよ》って、奥から降りて来る老婆があった。してみると、あのごうごうの音は潮騒ではなく、夜がふけると山をおろして来るのか、ひょうびょうと蒲原平野を渡って吹きあげて来るのかわからぬが、そうした風が樹々を揺るがして沢を鳴らすのである。 「やっぱり、風で相当やられるんですね」  ある朝、わたしがそう声をかけると、老婆はうさん臭げながらも、みょうな笑顔をみせて立ち止まり、 「ンだの。弥彦ははじめてだか」 「ええ。しかし、こんな沢鳴りがするとは、考えてもいませんでしたよ」 「なんたて、弥彦は八沢《やさわ》というて、それぞれ名のある中でも、この奥の沢は鳴沢《なるさわ》というほどだすけ」 「なるほどね。なんだか潮騒のようにも聞こえるので、あの荒い日本海から山越しに、して来るような気もしてたんですよ」 「山越えにもするんでねえか。これでお山があるすけ、なんとかいられるんども、このあたりは大石原というほどでの」  下草の中に無数のグリ石の墓のあるのは事実だが、見るところ他に石があるわけでもない。すでに老婆も言うように、大石原とはもう人の住むところではない、との意味かもしれぬと頷けぬでもなかったが、 「大石原? しかし、グリ石の墓のほか、そんなに石はないじゃありませんか」  そう問い返すと、老婆も頷いて、 「そだの。もとは一面、ただ石ばかりだったんども、長太郎どんが来て、拾うてしもうたんだすけ」 「長太郎どんが……」  わたしはそんなただ一面の石をひとりで拾ってしまったという長太郎どんとは、伝説の人物ででもあったのではないかと思わずにはいられなかった。 「そだ、そだ。どこの人かしんねえども、稼ぐ人での。荷車に積んでは、吉田まで曳いて行ったもんだて」 「吉田まで?」  吉田町は山頂からすると、指呼の間にあるように見える。しかし、それは平野の町を上から眺めるからで、駅からディーゼルカーに乗ってもかなりなもので、とても歩ける距離ではない。 「もとは、弥彦の衆は風が出たいうては、みなお山さ来ての。折れ枝、枯れ枝を拾うて、吉田さ背負って出て、塩だ、砂糖だと買うて来たもんだ」 「…………」 「それに、このあたりの杉林は、みな伊夜比古さま|じきじき《ヽヽヽヽ》のものでのう。折れ枝、枯れ枝は、伊夜比古さまが風をつかわして、下された天の賜だいうて、だれもが喜んで拾わせてもろうたもんだて」と言うと、老婆はちょっと笑顔をなくした。杉林の奥でれいの見まわりの足音がしたからかという気もしたが、わたしの思いすごしだったかもしれぬ。「いまはこのあたりの杉林も、旦那衆に分けられてしもうたすけ、こげな折れ枝、枯れ枝を拾うても、なんのかのと言うんども、折れ枝、枯れ枝はだれのものでもない。木を離れて落ちてしまえば、おなじ天の賜でねえか」 「…………」 「長太郎どんだとて、ひとの墓石まで拾うたというわけじゃねえ。燃して火にする枝がねえば生きられるもんでねえし、死ねばだれもが石になるもんださけ、石がねえば死ぬこともできねえんでねえか」  と、老婆は他所でもこんなグリ石を墓石にすると思ってい、伊夜比古さまがそうしてわたしたちに、生きるための火と死んでならねばならぬ石とを、生みなしてくれると言わんばかりである。 「それでいま、どこにいるんですか、その長太郎どんは」 「どこさいるもんだかのう。どこぞでまた、石をとっても文句のねえとこさ行ったんであんめえか」  そして、老婆は杖を立て直し、背負った折れ枝、枯れ枝をずり上げて、「ああッ」と顎をしゃくって歩きはじめた。荷を背負う人は頭を下げるかわりに、みなこうして顎をしゃくって、ノド声を出すのである。  わたしは更に奥へはいって、鳴沢を見ておきたいと思った。老婆はすぐのようなことを言って、どう行くのだとは教えてくれなかったが、辿って来たらしい道がないでもない。おい茂った下草を分け分け行くと、次第に下草はなくなって来たものの、道もまたなくなってしまった。道がないからにはどう歩いてもよいのであろうが、どう歩いてもよいとなると、道をたよって歩いていたわたしには、かえって歩きようもないのである。持ち主も違うのかもしれない、よく手入れがされていて、杉林もわたしのいるあたりより格段にきれいだが、下肥でもまかれているのか、おもては泥をかぶって色は見えぬものの、足もぬかるようで、いやな臭いがするのである。  帰ろうと思っても、どう行けばあの道に戻れるのかすらもうわからない。が、そのとき木立の向こうに、谷川らしいものがあるのに目がとまった。水は涸れてしまっているが、まさに沢で、狭いその川床にるいるいとして、グリ石がひしめくようにころがっている。ある、ある! すっかりとったという長太郎どんにもとり残されて、ここにこんなに石がある! こんなやつが氾濫して、大石原をつくっていたのだ。わたしはつい愉快になって、そのひとつを拾い上げたが、ハッとして手を離した。乾いているとばかり思っていたグリ石の裏側が、べっとりと濡れていたのである。いや、濡れていただけではない。まるで胎内から生みだされて来たように、人肌じみたぬくもりを持つ液体がぬらりとして、握った掌からとれないような気がしたのだ。  拭きとりたいにも用意がなかった。あたりにはだれが捨てたのか、包み紙や古新聞が散らばっている。それで用でもたして捨てられたみたいに、不潔に思えたが、見まわすと木のま越しに沢のようなものがある。沢の杉にはなまなましく折りとられた雑木もあり、老婆の背負った杉枝の中にもそんなのも混じっていたのが思い出された。風のせいでもなさそうだが、あのいやな臭いのするぬかるみにも、老婆の足跡らしいものがあったとも思えないのである。  あたりには水が滴るばかりだが、いざとなると滝をなすらしい岩が重なりあっていて、もう岩ともいえない糜爛《びらん》した赤土のような岩が、杉林に見え隠れしながら、崩れんばかりの山肌をつくっている。岩は岩としてとこしえに生きているというのがわたしたちの考えで、墓石にされるのもそのためだが、しかし、生きている以上は腐りもし、腐岩《くされがん》と呼ばれるものになるのである。かくて、彼らもまたたえず生むことによって生きねばならず、その当然の帰結として、生《せい》はいつも糜爛した|かたち《ヽヽヽ》から現れて、猥褻のつきまとうところとなるのだ。ふと気がつくと、岩の重なりのそばに茶屋のようなものがある。それももうすっかり朽ち果てているのに、その柱や板戸にはあざ笑うように男根や女陰が、無数に落描きされている。なんだか、わたしには岩々の怪しげな囁きがし、その重なりの重たさにたえかねた呻吟が聞こえてでも来るようだった。  風が出たのかもしれない。杉の梢がかすかにざわめきはじめ、なにかこう薄暗くなって来た。あるいは、これが鳴沢と呼ばれるゆえんであろう。さきにあげた伊夜比古の古歌にもあるように、なにかというと弥彦はすぐ時雨れるのである。  いつからか、こうした時雨がみぞれになり、夜ごとの沢鳴りも激しくなった。いよいよ冬の季節風が吹き荒れて来るのだと思っていると、チラチラとみぞれに白いものが混じって来て雪になった。雪になったといっても、一挙に積もるものではない。積もっては消え、消えては積もって、いつとなく根雪《ねゆき》になっていくのである。根雪になるにはまだ間があるであろう。越後は豪雪地帯といっても、そんなところは主として北越山間部のことで、海に近い弥彦はさほどでないと聞いていたから、タカをくくっていたが、降りだしたと思うとシンシンと降りつづいて、未曾有といわれるほどの大雪になった。  弥彦神社は、大晦日の夜に参ると、二年越しに拝んだのとおなじ効験があるとされている。それで、近郷近在の人々が込み合って、大惨事までひき起こしたことがあるほどだが、ブルドーザーを出動させ、夜を徹して除雪にあたると放送されていたのに、弥彦在住の者すら境内まで辿りつけぬほどになった。ものみなが深く埋もれて、沢鳴りはおろか、雪が降っているのか、やんでいるのかもわからぬシンとした日がつづいたが、そんなある日、わたしは雪を踏んで杉林の奥へと行くらしい足音を聞いた。なんということもなく、わたしにはあの老婆が雪を踏んで行くように思われて、ぞうッとしたが、どうやらそれもひとりではない。いったい、この雪にだれがなにをしに行くのか、気にならぬではなかったが、そんな足音もそのときだけで、それからまったく聞かれなくなった。あまりにシンとしているので、屋根に積もった雪にうめきはじめた梁の音が、そんなふうに聞こえたのかもしれない。そんなことを考えながらも、わたしは施すすべもなく、ただもう埋もれるにまかせて、石のようにみずから安んじるよりほかはなかった。  わたしは月山《がつさん》の迫る|吹き《ヽヽ》の吹く庄内平野から、雪を知らぬ遠い熊野に行き、北山川《きたやまかわ》でダムをつくる仕事をしていたのである。そこではおなじ熊野川から分かれ、その上流をなす十津川《とつがわ》と相俟って数多くのダムをつくり、熊野全域にわたる開発が行なわれようとしていた。開発が緒について、ようやくそのめどがついたとき、わたしははやくも十年の歳月を過ごしたことに気づき、しきりにまたあの月山の迫る|吹き《ヽヽ》の吹く庄内平野を想うようになった。いずれはそこに戻るにしても、戻ると心にきめて旅立ったからには急ぐこともないのである。新潟はいつもただ素通りするばかりなので、しばらくここにいてみるのも悪くない。いわば長旅の途中下車のつもりで、若い友人に相談したところ、早速この住まいを見つけてくれたのだが、ここがいささかよりもわたしの気に入ったのは、先に述べたように弥彦山に、どこか月山を彷彿させるところがあったからかもしれない。  北山川といっても知らぬ人が多いと思うが、あの瀞八丁《どろはつちよう》がこの下流にあるといえば、なつかしく思いだしてくれる人も多いであろう。北山川はこうして幾多の景勝をつくりながら、大台《おおだい》ガ原《はら》山に至っている。しかし、筏流しで知られたところで、ときに筏を曳いて歩く桟道があるばかりで、その岩また岩の流れは船底の浅いプロペラ船でさえ遡ることを許さない。したがって、北山川も中流にあたるわたしたちの根拠地、池原《いけはら》に行くには、尾鷲《おわせ》市からジープを飛ばして、矢《や》ノ川《こ》峠を越えてはいるのである。行けども行けども尽きることのない、杉の密植された山々に倦厭してほとんど堪えがたくなるころ、北山川はようやく山あいから、遠来の客を待つもののように現れる。その流れはすでに細々として豊かではないが澄み切って、湾曲しながらひろびろとしたグリ石の川原をつくっている。その眺めには心洗われる思いがするのだが、もしこれをただ美しく静かだなどと言えば、ダムをつくる人々は笑うであろう。彼らはこれがみな、為にするところの媚態にすぎず、その媚態がやがてはなにを意味するかをよく知っているのだ。  日本列島に接近する台風のいくつかは、必ず紀南を掠める。この台風がまた、すべての天なるものが邪悪なるがごとく邪悪なので、わたしたちはこれを神というのかなにか知らないが、ついにそうした人格を持つなにものかを想像させられずにいられなくなる。いや、想像させながらもなお正体を隠して、その手のうちを量り知ることを許さない。来るぞと思えばなに食わぬ顔で、晴れ渡った日がつづく。つづくとみていると、海はうねりが寄せて高波になり、高波に終わるかと気をゆるめているころに、台風は大台ガ原山めがけて、猛然と上陸して来るのである。  しかも、その大台ガ原山なるものはどんな山で、どこにあるのか。それまさに台風がそれをめがけて来るところであり、北山川のよって来たるところでありながら、どの山に登っても、その山を見ることができない。では、そんな山がないのかといえば、これがそれだというところに登ってみるとあらゆる山々を一望にすることができるばかりか、それらの山々を隠然として生みなせる|もとつ《ヽヽヽ》親山であることを知ることができるのである。とすれば、わたしたちは大台ガ原山をすでにどこかの山で見ているというよりも、どこの山からも見ているのに、かくべつどの山とも変わらぬというそのことで、正体を隠してうかがわせぬところに、この山の神とされるゆえんがあるというべきかもしれないのだ。  いよいよ台風となると山々は鳴動し、川はたちまち媚態を捨てて氾濫し濁流が横溢する。根こそぎに山から押し流されて来た杉の大木が橋脚にかかって水を堰《せ》けば、濁流はふくれて橋桁を越流し、橋桁を越流したと思うと、橋はもろに動きはじめて、次第に解体していく。山の住民たちは篠突く豪雨をついて、われがちにと長い鳶口を持って飛び出るのだが、だれもこうした山の崩壊を防ぎ、橋の流失を食いとめようというのではない。濁流に浮き沈みして来る流木はすなわち天の賜として、必死になって鳶口で掻き寄せ、その年のたきぎとして、生きる|たつき《ヽヽヽ》のたきぎにしようとするのである。いたるところ山であり、山には杉が密植されていて、そこに住みそこで働き、それを組んで流すことを|なりわい《ヽヽヽヽ》としていながら、山も杉も彼らのものはまったくないのだ。  台風が去り水が退《ひ》くと、川原はいちめんの泥濘になり、ところどころに流木が山と積まれているのが見える。その流木を山の住民たちが、鋸で引いたり背負ったりして山にかけてある家々に運び終わるころには、泥濘の中のあちこちから、またぬめり汚れたグリ石が生まれて来、いつとはなしに数を増して、玲瓏として玉のごとしとは言わぬが、玉のように丸い、いや平たくても丸さを失わぬきれいなグリ石の川原に変わってしまうのだ。  こうしたある日、川原に出てみると、かたまってグリ石の埋蔵量を調査していた連中がい、中のひとりがふと気づいたように声を上げた。 「いやァ、あの石たちが、この台風でまた川を登って来やがったな」 「川を登って来た? 石が」  そう訊き返しながらその視線を辿ると、ひろびろとしたグリ石の川原に、媚態をみせて清々と流れる流れの中に一群の大きな石があった。 「ええ、石もあんなになると、少々の洪水にはビクともせずに、抵抗しますからね。たちまち、上流側の土砂がえぐり取られて、ゴロリところがる。ころがりころがって、洪水のたびに川を登って来るんです。ぼくが来たころは、まだこのあたりからは見えないような川下にあったんですよ、しかし、中には図に乗って、流れの外まではい登って来るやつまであるんです」  そういえば、グリ石も川原に溢れているばかりではない。山側に登る道も、道に沿って段々につくられた石垣もグリ石でできている。いやそのグリ石の石垣の上の民家の杉皮屋根の上にも、グリ石が置かれているのである。まるで、川から上がったグリ石が、溢れて川原をつくるだけではあきたらず、あの「空のほう」──と、この狭い山あいの住民たちは「上のほう」ということを、「空のほう」というのだが──まで這い登って行こうとでもしているようなのだ。 「そうかね。それで、きみはここに来て何年になるの」 「まだ調査所といわれたころからいますから、十年になりますかね」 「十年? ここでそんな調査をしていたの」 「ここといっても、この川筋にわたってですがね。ダムをつくるとなれば、骨材にするだけでも、ここの石をとり尽くすぐらいじゃァたりませんからね」 「じゃァ、やがてこのグリ石の川原もなくなってしまうわけだね」 「なくなるといっても、まさかあの山に登る道や、道に沿っている石段、杉皮屋根の石までとろうというんじゃァありませんよ」  シンシンと降る雪に埋もれて、いまは遠い当時のことをひとり懐かしんでいると、ふしぎにもわたしには、石という石を拾い尽くして、どこへともなく行ってしまったという長太郎どんが、あの連中のような気がして来るばかりでない。わたしはまさに遠くに行き、こうしてここに来ながら、かえってここにこうしていることが、遠くで夢みた夢の中にいるように思えるのである。  垂れこめていつ果てるともなく雪を降らせていた空にも、ようやく青空が見えるようになった。いや、青空ばかりで雲のない、うららかな日が続くようになった。が、そのうららかな青空から、ときとして繊細な雪が降って来るのである。しかし、杉のどこかにかかっている雪が、散るともなく散って来るのでもない。これこそほんとうに、あの歌にある「青雲のたなびく日すら」といったたぐいだと言っていいのかもしれないが、遙かな信越の山々に降るかすかな雪が、高層の気流に乗って来るからだそうで、それはすでに冬の季節風が遠く去ってしまったことを意味していた。  そんなある日、わたしはさわやかな鐘の音を聞いた。空耳かとも思ったが、はやくも除雪して競輪がはじめられたのであろう、ときに等《とう》番を知らせるスピーカーの声までハッキリ聞こえ、ながく忘れられていた浮世がふと思いだされて来たように、いかにも心楽しいのである。そういえば、わたしの住まいのあたりは、まだ深々とした雪のようにみえるものの、迫った弥彦山ももう黒々と杉の梢をせり上がらせ、ほとんど雪肌を見せていない。ひとり雪の上に出て、冬がどんなにながく、どんなに厳しかったかを想っていると、杉林の奥からカンジキをはいて、杉の枯れ枝、折れ枝を背負って来る者があった。見まわりに来たのを何度か目にした杉林の持ち主らしい。春近い雪は、ザリザリと固くみえても水っぽく、カンジキでもはかねばズボリと深くぬかるのだ。見まわりの持ち主らしいのも、心を軽くしているのであろう。わたしにはいつもジロリと見やるだけだったのに、急に馴々しく顎をしゃくって、「ああッ」とれいのノド声の挨拶をするので、わたしも親しみを覚えて老婆のことを訊くと、 「ばあさんは、もう石になってしもうたて、この奥で……」と、笑うのである。すると、あの雪の中で聞いたのは、老婆の足音ではなく、老婆の運ばれて来た足音だったのだ。 「へえー、あのおばあさんがね。まさか亡くなるとは思わなかったな。いつも、枯れ枝や折れ枝を背負って来ていましたからね」 「お蔭で杉林も大助かりだて。もう根もとに鋸入れたりするものもねえすけの」 「鋸を? そんなことをしたら、枯れてしまうじゃありませんか」 「枯らすために、鋸を入れるんだすけの。いま見て来たばかりでも、十二、三本は助からねえの」 「どうして、そんな|いたずら《ヽヽヽヽ》を……」 「枯れ木なら、もう伊夜比古さまに帰って、だれのものでもねえって考えなんでねえか」 「伊夜比古さまに……」 「伊夜比古さまもええんども、それをまたおらたちが買わされるんだすけの」 「買うからそんなことをするんじゃないんですか」 「そだども、ばあさんは長太郎どんとは違うて、この土地の者だすけ、なんぼ疫病神でも追いだす|わけ《ヽヽ》にもいかねえもんでの」 「疫病神?」  わたしはつい吹きだしながらも、あの岩をおおった木々がなまなましく折られているのを思いだし、 「しかし、鳴沢あたりのなら折ってもどうということはないんでしょう」 「|かて《ヽヽ》の花かの」  そう言われても、あのあたりにそんな花らしいものがあったようにも思えないのである。 「|かて《ヽヽ》の花……」 「|かて《ヽヽ》の花いうても、糧(かて)にならねえ木での。折ってもすぐ枝をのばし、葉をつけ、花を咲かせてはびこる木だすけ、折ってくれたほうがいいんども、あげだところでは登って折るのもことだろうしの」 「…………」 「しかし、こんどはおらたちが背負いにいかねばなんねえ。疫病神もいねえば、困ることもあるもんだの」  と笑って、かつて老婆がそうしたように、杖を立てて背負った枯れ枝、折れ枝をずりあげ、また「ああッ」とノド声の挨拶をして、カンジキを踏んで雪の中に去っていった。  街にはほとんど雪がなくなって来て、弥彦を訪れる客もようやく多くなったが、杉林の中には、依然として深い雪があった。いや、雪に埋もれていた下枝が現れて、いつとなく高くなって来るところからすると、雪は徐々ながらも減っているには違いないが、減っても地面が見えないから、いっこう減ったとは思えないのである。が、いつとなく杉のまわりの雪がくぼみはじめたと思うと、そこにもここにも同じようなくぼみができ、墓石といえども石であることにおいて、生きていくぬくもりをもつことに変わりはないとでもいうように、点々と墓石が頭を見せはじめた。わたしはそれとなく新しい墓石を捜したが、墓石は増えるばかりで、ついにそれらしいものを見いだすことはできなかった。  水のせせらぎの音が聞こえだした。杉林の中はいたるところ流れになって、土砂が洗われたのであろう。雪が消えるにしたがって、あたりはだんだん無数の石になって来た。わたしは思わず腹をかかえて笑った。それらはグリ石というにはあまりに小さな石だったが、ともかくもここが大石原と呼ばれるゆえんのものを偲ばせてくれたばかりではない。たとえ、だれがどんなに拾おうとどんどん生まれて来て、いつかはきっと大石原をつくってみせるぞとでもいいたげに、せせらぎの中で喜びの声を上げているのだ。  わたしはその石の一つを拾ったが、あの拭いようもなくべったりとぬめった爛熟の不潔を感じさせるようなものではなかった。あるいは、この石たちもそんな不潔さから生まれでたものかもしれない。しかし、それはカチッとして意外に冷たく、てもなくかわいて、小児のように清潔な肌を見せ、もうグリ石の風貌を偲ばせるものをもっていた。わたしはその小さい重たさの中に言いしれぬ充実を覚え、なんのなすところもなく、ただグリ石のようにこの雪深い冬を過ごして来たみずからの新生すら感じられた。  やがて、弥彦の桜が咲きはじめた。弥彦には競輪場はむろん、公園にも街路にも桜の多いことはわたしも知っていた。しかし、なに気なく見過ごしていた樹も、咲いてみればやはり桜で、桜が弥彦の中にあるというよりも、桜の中に弥彦があるといいたいようになった。しかも、そのほとんどが違う種類のものらしい。幹や枝ぶりは、なんの相違もないかに見えながら、それぞれ違った花を咲かせているばかりか、幹や枝ぶりが桜のように見えなければ、とても桜とは思えない花を咲かせた桜すらあった。こうした桜はむろんすべて八重である。「七重八重花は咲けども」という歌は、桜を詠んだものではないが、わたしは桜も八重は人の手で栽培育成されたもので、「実の一つだになきぞかなしき」ものであると聞かされていた。実ることのない桜は散ることもならず、雨にくだけながらも未練がましく枝に残っているであろう。しかし、わたしは酩酊を感じさすような、このたまゆらの美しさに打たれながら、いつとなくあの無数の石が草の茂みに隠れはじめたことに気がついた。たまたま、わたしにこの杉林の住まいを見つけてくれた若い人が去って上京するという。若い友人は三条市にい、わたしのためにおもんぱかって、この冬もしばしば訪れてくれたのである。若い友人にも志があり、決意するところがあったのであろう。わたしにももともと、ふたたびあの月山の迫る|吹き《ヽヽ》の吹く庄内平野へと戻りたい気持ちがあったのだ。いよいよ、弥彦を去るべきときが来たと思った。  去るとすれば、もう来ることもないかもしれぬ。ロープウェイで登れば、頂もなにほどでもない。のちのちの想い出に、山越えして間瀬《まぜ》のあたりまで足をのばして、おそらくは想像を絶する激しい冬の季節風にみずから抗して、ひとり荒海に耐えて来た佐渡を、しかとこの目で見ておきたい。そう思ったのだが、弥彦山の頂に立つと、眼下にあったはずのあの佐渡が、どこかに消えてしまったように見えないのである。空には一点の雲もなく、海と溶け合って、遙かな水平線をつくり、かすんでいるとも思えないのに、佐渡はおそらくなごやかな、あいあいの気の中に眠ってでもいるのであろう。山越えの下りの道も、杉林の中の急峻な弥彦側とは打って変わったなだらかさで、低い雑木や灌木の茂みから、目をさえぎられることもなく、ゆったりと漲り渡った日本海の眺めを楽しむことができる。麓に下りてしばらく行くと、もう浜辺が近いのか、あたりはいちめんの砂原になり、道に沿い道の沿うて来た渓流が、川というほどの水はないがともかくも川の形をつくって見え隠れしている。そこへ、薄赤い花をつけた背丈ほどの木が点々と立っていて、ゆるやかな山裾を曳いた弥彦山が、まったく違った山のように見返られた。  なんという穏かな景色であろう。これがたしか山越えに潮騒もすると聞いた凄じさが、ようやくにしてつくりなした眺めであることも、わたしにはもう思い浮かばなかったばかりでない。それがあたかも古里ででもあるように、わたしの行ったいまは遙かな彼方から、かつていた遙かな彼方へと戻るつもりでここに来たことも忘れ、いつ知らず辿りつくべきところに、辿りついたような気になった。それにしても、ひとりこの砂原に点々とある、薄赤い花をつけた木はなんであろう。ひょっとすると、すぐ枝をのばし、葉をつけ、花を咲かせるそのために、むしろ折ってもらいたいとすら言われた|かて《ヽヽ》の木ではないだろうか。もしそうなら、糧(かて)にもならぬに|かて《ヽヽ》の花と笑われていたが、すべての木も草も枯れ果てたとき、人が最後の糧にした花の木だったのではないだろうか。ふと気がつくと、点々とあるその薄赤い木の下に、あるいは砂原のところどころに粗末な石がある。ただあるとも思えぬ配置が感じられるので、砂を踏んでその一つに近寄ってみると、仏もまた石になろうとし、石もまた石でなくなろうとしているように、もうおぼろげになった浮き彫りの観音が見え、何番札所といったかすかな文字が読みとられた。してみると、だれかが西国三十三カ所になぞらえて、ひそかにここに石を配したに違いない。そのなだらかな盛り上がりで海も見えぬそのためか、この砂原がなにかもうひとつの世界のようで、山の彼方の弥彦のことどもが、すでに遠い浮世のように思い出されるのも、こころ楽しかった。 [#改ページ]     天上の眺め  北山川《きたやまかわ》といっても、知らぬ人が多いかもしれません。新宮市から熊野川をさかのぼり、やがてこの川にはいって来ようとする十津川に別れて、瀞八丁《どろはつちよう》へと進むとそこがもう北山川で、北山川は行けども行けども熊野杉の、飽き飽きするような山々の間を曲折して、遠く大台《おおだい》ガ原《はら》に至っているのです。いまでは話も遠いことになりましたが、わたしはその北山川の池原という部落で、何年か仕事をさせてもらったことがあります。それはこの北山川の、上流から行って坂本、池原、奥瀞へとダムをつくって行こうという大きな計画があって、そこがそうした本拠地となっていたからです。むろん、そのころはもう立派な事務所が建てられ、宿舎や食堂も整っていましたが、主だった連中は海近くの尾鷲市《おわせし》に家族を置いていました。それはまず最上流の坂本のダムから着工して、その潭水《たんすい》を相賀湾《あいがわん》に入る銚子川に落とし、この水を更に堰きとめて、尾鷲湾にそそぐ中川《なかこ》に落とそうとしていましたし、こうして北山川の水を誘致しようというのが尾鷲市の熱望するところであったために、なにかと便宜がはかられるという利点があったばかりではありません。当時はまだ紀勢線が工事中で、貫通していなかったが、ともかくも伊勢方面から来る沿海線の終着駅をなしていて、家族たちのここに住むことへの要望も強かったのです。  したがって、尾鷲市から池原にはいるには、あの飽き飽きするような熊野杉の、北山川の本流を辿るのではありません。尾鷲湾はいわずもがな、相賀湾、九鬼湾等、数多くの湾を見せているリアス式海岸を一望する矢《や》ノ川《こ》峠を越え、熊野市から宮川をさかのぼる道をとり、やがてはこれも北山川にはいる備後川に沿うて、下るがごとくに登って池原に入るのですが、尾鷲市に帰省して池原の現場に戻ろうとする者はきまって、さて、高天ガ原に行くかなどと言って、ジープに乗るのです。  たしか、わたしが着任し初めてこの終着駅に降りたとき、迎えに来てくれていた運転手も、おなじ高天ガ原という言葉を口にしたのです。そのとき、わたしはなんということもなく、一人二人と降りて行く乗客に取り残されたように、朝鮮人の土工たちのいたのが思いだされました。もっとも、朝鮮人の土工たちは、まだ紀勢線を貫通さすための工事場に来ようとしていたので、なぜそんな人たちのことが浮かんで来たのか、われながらわからず、池原の標高はさして高くはないというものの、北山川はまさに天に発すると言っていい、大台ガ原山より来るものであり、熊野の奥でたださえ伝説の多いところだから、高天ガ原といわれるような伝説があるのかもしれない。そうでないまでも、尾鷲市に住む家族たちから見れば、そこに天上の支配圏ともいうべきものがつくられている。そんなところから来たのかもしれぬといった気がしながらも、それなり忘れるともなく忘れてしまったのです。  しかし、宮川がようやく北山川に入ろうとするあたりから山に向かい、小さなトンネルを抜けると、北山川もやや上流にあたるあたりの深い渓谷が見えて来る。あれが池原の部落だと教えられながら山あいを下り、事務所の連中にさそわれるまま出てみると、川原が意外に広く、るいるいとグリ石がころがっています。ことに、まだ冬去りやらず川風も寒く、杉山の緑も黒ずんで水も枯れ、北山川の流れは片寄りながら、僅かに|せせらぎ《ヽヽヽヽ》の音をさせているばかりです。 「なるほど、これで高天ガ原というのかね」  そうわたしが言うと、さそってくれた連中のひとりが笑って、 「まずまア、天《あめ》ノ安の川原《かわはら》というとこだから」 「しかし、このグリ石じゃ洪水が思いやられるな」 「台風が、みな大台ガ原山めがけて来るからね」  それにしても、グリ石は川原に溢れているだけではありません。川原の向こうの山にかけて散在する民家も、グリ石で道をつくり、石垣をつくり、杉皮葺きの屋根にグリ石を置いている。まるで、グリ石が山にまではい上ろうとしているようです。 「でも、こんなとこによく民家が集まったもんだね」  民家はそうして散在しながら、日のあたる山側に沿って伸び、川上の川原を渡る長いコンクリートの橋を隔てて、川の湾曲で日のあたる山側の移る対岸へと及んでいる。山奥の部落といっても、池原は僅かに数軒が相寄っているようなものではないのであります。 「これで妙味があるからさ。洪水になると、流木が押し流されて来るんだ」 「流木が……」 「それも、立派な材になるような大木が、根こそぎやられて来るんだ。どの家もみなそんなのを積んでるよ」 「そうかね。おや! 渡り鳥が降りてるな」  日のあたる山側が移ると、流れの片寄りも変わって、そちらがまた広い川原になっている。わたしはふと橋の向こうのそうした川原に、点々と白いものがあるのに気づいたのですが、 「渡り鳥? ありゃァ、洗濯物さ。なんたって天ノ安の川原だろう。天孫族がいるんだよ」 「天孫族? そうか、ここらの連中も川原に干すのかね。朝鮮じゃァよく女たちが、川原の石に置いて、洗濯棒で叩いてたがな」  わたしはふとまた、運転手に高天ガ原と言われ、鉄道の工事現場へと行ったらしい、あの汽車の中の朝鮮人の土工たちを、想い浮かべたことを思いだしました。おそらく、わたしの心のどこかにも天孫族といったコトバがあったからでしょうが、なぜ彼等から天孫族なるコトバが連想されたのか。定かではないがかつてわたしも朝鮮で、彼等の白衣を見て育ったことに、かかわりがあったのかもしれません。 「ここらの連中は、電気洗濯機でやってるさ。ほら、あんな川近くの家だって、物干しに干してるだろう」 「じゃ、朝鮮人でもいるのかい」 「うん、山の切り取りをやってる土工たちが、バラックを建ててるんだ」 「山の切り取りというと、道路かね」 「そう、|空のほう《ヽヽヽヽ》にね」  |空のほう《ヽヽヽヽ》とは山の尾根をいうので、それは途中の運転手の言うことから、わたしも知っていました。川は天のなせる道には違いないが、渓谷というよりほとんど懸崖になっているので、ちょっと隣の部落に行くにも、このあたりでは|空のほう《ヽヽヽヽ》へと登らなければならない。朝鮮人の土工たちは、そうした道路をつくるために、こんな山奥まで来ていたのです。 「そんなことなら、彼等にかなう者はないからな。もう永いのかね」 「永いんだ。それがこのあたりの連中と、うまくないんで弱ってるのさ」 「どうして」 「彼等が上流で、流木を横どりするっていうだろう」 「しかし、大木が根こそぎやられて来るようなら、橋のためにもとらしたほうがいいんじゃないのかね。そんなのが橋脚にかかって、洪水が越流したらひとたまりもないんじゃないか」 「そうなんだ。彼等がいなかったころは、よく橋が流されて、部落が孤立したりしたものさ」 「孤立したら、事だろう」 「事どころか、大変だよ」 「じゃ、願ってもないじゃないか」 「それが、そうはいかないんだ。このあたりの連中も、天孫族みたいなもんだからね」 「なんだか、天ノ安の川原を挾んで、天《あま》の誓《うけ》いでもしそうな話じゃないか」  そう言って笑いましたが、事務所の連中は、 「それも、ダムができるまでのことさ」  そんなことには係わりたくないという|ふう《ヽヽ》であります。わたしもむろん同感でしたが、なにかというと愚にもつかないゴタゴタが起こり、そうも言ってはいられなくなりました。といって、みなで押しかけるのは、かえって騒ぎを大きくするようなものです。ひとりで行ってもどうされるはずもないし、事務所の連中が一緒に行こうというのを断って橋にかかると、なるほど、グリ石の川原には洗濯ものが干されています。それもおかしなことには作業服やシャツのようなもので、白いのもないではないが、白いものばかりでもないのです。グリ石の川原の向こうには、山にかけて建てられた、幾棟もの土工たちのバラックが見える。そこへ登るのもグリ石の道ならば、屋根にもグリ石が置かれてい、杉皮葺きがトタン葺きというだけで、ここもおなじような部落をなしています。わたしは行く行くどの軒下にもきれいな薪が積まれているのに気がついて、ふと吹きだしたいような気持ちになりました。いや、顔もそんな表情になっていたかもしれません。道ばたの老人や、女、子供が、なんだかわたしに答えるような、みょうなお愛想笑いをするのです。しぜん、わたしもいい気になって笑いを返していたのですが、わたしが通りすぎると、どうやらお愛想笑いをやめて、ウサン臭げにわたしを見送っているらしいのです。たまたま、バラックのひとつにかかると、 「ナニカ用カネ」  戸口に立って、咎めるようにそう言う土工がありました。 「うん、ちょっと。きみに訊けるかね」  土工はわたしの来るのを、予想していたようで、 「ポク等ハ一体ダヨ。部落ノ連中トノコトカネ」 「まア、そんなとこだ」  土工についてはいると、中はどこにもみられる飯場のように、土間にそって畳敷きの床があるだけの、間仕切りもないガランとしたもので、片隅に蒲団がのべっぱなしになっている。土工はそこに上がって、足を出して坐りながら、 「ポク等ハナニモシナイノニ、イキナリ胸グラヲトッテ来タンダ」 「部落の連中もそう言ってるよ」 「部落ノ連中モ? ソウジャナイ。彼等ハ流木ノコトヲ根ニモッテ、ナニカト言ウト|インネン《ヽヽヽヽ》ヲツケルンダ」 「そうだろう。山は遠くの街のだれかのもので、切ろうにも自分の木のない連中だからな」 「ソリャ、ポク等ダッテ同ジダヨ」 「だから、そこをなんとか話しあえばいいじゃないか」 「タメ、タメ。橋ガ流サレテモ、ワカラナインダカラ」  と言いながら、土工は出した足をさするのです。作業ズボンで見えないが、下に繃帯をしているようで、こうしてひとりここにいたのもそのためらしい。 「怪我かね」  思わず、そう訊きましたが、 「ウン、落石デネ」  どうやら、わたしの考えたような、怪我ではなかったようです。 「落石はひどいのかね」 「アノアタリハ、切り取ッタ山肌カラ石ガ浮キ出シテ、石原ニナッテルンダ。木ヲ伐リスギテ、禿山ニナッテルカラネ」  天からの通路だった川が、唯一の木出しの路だったころは、そういうところが禿げ山になることは、ほとんど考えられなかったのです。しかし、いまは道路がつくられて、トラックが平気で走るので、空のほうまで禿げ山になり、石原になったりしているのです。 「そりゃ、きみたちが立派な道路をつくってやるからだろう。いまにここも、もとのきみたちの国のように、赤土の裸か山ばかりになっちまうな」  なにか親しみめいたものが感じられると、バカなことを口にしたくなるのがわたしの癖なのです。もっとも、バラックにはいつとなく女、子供が集まって来、心配げにわたしたちを見ている。そんな緊張をほごしてやろうという気もないわけではなかったのですが、 「シカシ、ポク等ハ村ニ頼マレテヤッテルンダヨ」 「それはそうだろう。村に頼まれてやってるんなら、流木のことも、村から話をつけてもらったらいいじゃないか」 「村カネ。村ジャ、タダ文句ガ出ナイヨウニヤッテクレ、ト言ウダケサ」 「文句が出ないようにやってくれ、か」  わたしはつい吹きだしてしまいました。わたしもほんとうは、話しに行かないでは、部落への義理がすまぬと考えて来ただけで、解決のつけようもないことに、首を突っ込もうなどとは、毛頭思っていなかったのです。しかし、そうしたお座なりさが、かえってよかったのかもしれません。女、子供の間で黙って聞いていた、コトバもわかりそうもない老人まで、安堵したように、笑顔をつくって頷くのです。わたしもそれに応じながら、この老人にどこかでみたような親しみを覚えました。しかし、この老人はわたしがここへ来るグリ石の道にいて、そこで見ただけのことかもしれないし、いかにも朝鮮人らしい老人であるということが、なんとなく朝鮮の老人たちを思いださせたのかもしれません。女たちのひとりが、砂糖をかけた、細長いシンコ餅を持って来ました。旧正月の朝鮮では、ちょうどいまごろ、こんな餅を布で包んで、厚い平板の上でつくのであります。 「彼等ガ洪水ノ流木ヲ拾ウノハ、天ノ賜ト思ッテイルカラダロウ。彼等ダッテ、切リ出サレタノヲ盗ッタリハシナイカラネ」 「天の賜……」  細長いシンコ餅をつまみながら、わたしは朝鮮の街で上げられる凧のことを思いだしました。凧上げはいわば旧正月の行事のようなもので、ただそれを上げるだけでなく切り合いをするのです。切られた凧が気流に乗って流れはじめると、朝鮮人は口々に「ナッカンダー」と叫びながら、追いかけて奪い合うのです。それも、凧が遠くから上げられていて、どこに持ち主がいるかわからないからではない。まだ上げられたばかりの凧が、どこからか飛鳥のように迫って来た凧に切られたとしても、それをとった者は、目の前にいる持ち主に返そうとはしないのです。あれも、いったん凧が切られて天に委ねられれば、天の賜だという考えから来ていたのかもしれません。切られた凧を手に入れた者は、まるで幸運な果報者のように誇らかにみえましたし、凧は手に入れられないまでも、せめて糸なりととろうとして路地に駆け込み、屋根から屋根へと渡っている糸に、紐で結んだ石を投げたりするのです。 「ソウダヨ。ドノ家モ、柄ノ長イ鳶口ヲ、軒ニ掛ケテイルダロウ。洪水ニナルト、テンデニアレヲ持ッテ、駆ケダシテ来ルンダ。スゴイモンダヨ。腰ニ命綱マデツケタリシテサ」 「そりゃ、命綱もつけるだろうさ。大木を根こそぎにして来るような洪水じゃ、ひとたまりもなく持って行かれるだろうからね」  そう言いながらもおかしくなって、わたしはまた笑いだしました。それはそうした光景が、なんだかアリアリと目に見えるような気がしたからばかりではありません。つい思いだしたこともなかった、遠い子供のころのことが思いだされて来たからですが、「しかし、柄の長い鳶口はそのためだけじゃないんだよ。このあたりの者は、もとはみな筏師で、あれを使ってこの北山川を下ったんだ。中には出稼ぎに行って、鴨緑江を知ってる者もあるんだよ」 「鴨緑江ヲ……」 「いたのかね、あのへんにも……」 「イヤ、話ニハ聞イタガネ」 「困るじゃないか。鴨緑江はきみたちの国だよ。その上流には、東洋でも屈指のダムがある。ここに来ているわれわれの同僚にも、そこで働いた連中がずいぶんいるんだ」 「ソウカネ」 「そうだよ。きみたちの国の川は、みなダムがつくれるような大きな川だからね」  ついそんな話で、わたしはまた遠い子供のころ、なにを思いだしたのかも忘れてしまいました。いや、なにかそんなことを、思いだしたということすら忘れてしまい、細長いシンコ餅をもらったりして帰って来たのです。幾つかそれをつまんだので、わたしの好物と思ったのでしょう。あるいはそうした心やりで、わたしによって事態の好転することを望む、気持ちを現そうとしたのかもしれません。わたしはただ彼等の国の話をしたりして、それ以上べつになんということも言わなかったのですが、それからはみょうに争いごとらしいものは聞かれなくなりました。大工事があるというと、あてもないのに乗り込んで来る、一と旗組と呼ばれる連中がいるのです。部落にももうそうした手合いが可成りいるので、そんな手合いのしたことを、彼等がしたように思い込まれていなかったとも限らないなとも考えながらも、彼等のことも忘れるともなく忘れていると、ある夜、彼等のほうから迎えが来ました。二、三人いる中のひとりは、たしかにわたしが話したあの土工であります。 「落石でやられたといってたが、治ったのかね」 「次ノ日ハ、現場ニ出タヨ。アレグライデ参ッタラ、コノ商売ハヤレナイヨ」 「そうか、そりゃよかった。今夜はまたどうしたんだね。御馳走でもしようというのかい」 「ウン。仕事ガ終ワッテ、引キ上ゲルコトニナッタカラネ」 「引き上げるって、どこに……」 「北ノホウダヨ。ソコデモ|ダム《ヽヽ》ヲツクッテルトイウナ」 「じゃァ、北越かね」  そうわたしが訊いても、わかってないらしく、 「サァ」  と、彼等は|あいまい《ヽヽヽヽ》な返事をするのです。 「北越でなければ北海道か。どっちにしても、ダムはほとんどでき上がって、そこの連中もここに来ようとしてるんだよ」 「ソウカネ。ドウセ、ポク等ハ渡り鳥ダカラネ」  わたしはふとグリ石の川原に、白く点々とまるで鳥が降りたようだったのを思い浮かべて、 「渡り鳥?」 「仲間ガ先ニ行ッテ渡リツケテ来ル、ケチナ仕事ダヨ。スグマタ、ドコカニ行カネバナランノサ」 「そりゃ、われわれもおんなじだよ。ここにダムができれば、やっぱりどこかに行かねばならない」  それがどこかもわからず、その先どうなるかもわからないのは、わたしたちもまったく同じなのです。しかし、わたしたちはなんとかこんなところから逃れたい、そのために早くダムの着工に漕ぎつけたいと思っているのです。 「トイッテモ、今日ヤ明日ジャナイダロウ」 「今日や明日じゃないさ。その川筋だけでも、大きなダムが三つはできる。まァ、十年はかかるね」 「十年モイラレルノト、一年ヤ二年デ行クノトハ違ウヨ。ソレニ、コンナニイイトコロハ、ソウナイカラネ」 「いいとこかね、ここが……」 「イイネ。女タチハ、冬デモ洗濯ガデキルト喜ンデルシ」 「洪水には洪水で、天の賜があるし、かい」 「ソンナトコダネ」いまは思いだして、朝鮮人の土工も笑うのです。 「ソロソロ暖カクナルトイッテモ北ノ山ハマダ雪ダロウナ」 「むろん、雪だよ。どうだい、このままここで働いたら」 「ソンナコトガデキルカネ」 「できないことはないだろう。道路はダムのためにも、まだまだつくらなければならない。なにができるかわからない、一と旗組の連中まで、乗り込んで来てるじゃないか。なんといっても、きみらは空のほうに道路をつくった実績があるんだ。いまにシッカリした業者が、続々と乗り込んで来る。彼等は人集めに躍起になるだろう。結局は一と旗組だって使うだろうし、きみらみたいなのを、ほって置くはずがないよ」 「ソウカネ。シカシ、部落ノ連中ハ喜バンダロウナ」 「そんなことはないさ。いまは木出しもトラックで、部落の連中はその運転をやってるんだ。きみらのつくった空のほうの道路も、そのトラックが走るようになるだろう。きみらの仕事に、感謝しないじゃいられなくなるさ」 「…………」 「それに、ダムができれば、流木なんてものもなくなるからね。いがみ合おうにも、いがみ合うことがなくなってしまうよ」 「ハハハハハ……」  朝鮮人の土工たちはなにがおかしいのか、声を立てて笑いました。しかも、それがとても愉快そうなのです。 「そればかりじゃない。ここの部落も下のほうは、下流のダムのために水没してしまう。それでもいいと思っているのは、ダムをつくるための立派な道路ができるからだよ」 「|ダム《ヽヽ》ヲツクルタメノ道路?」 「そうさ。部落の連中は、道路の有り難さを、だれよりも知っている。川は天に通じる。天のつくった道には違いないが、天ほど我儘なやつはないんだ。水が少なければ石で堰き止めて、筏を押し流せるだけの水を溜めなければならない。かと思うと、石が立ちはだかって、焚火で焼いて割らなければ、筏を通すこともできない。水があっても流れなければ、桟道から綱で曳かねばならないし、いつ増水して、どんな危険にさらされぬとも限らないんだ。楽じゃないのはむろんだが、それこそ運を天まかせで、助かる病人もみすみす殺したと言ってるよ」  しかし、朝鮮人の土工たちは、そんなことには関心がないのでしょう。 「ソンナジャ、|トンネル《ヽヽヽヽ》モ掘ルンダロウ」  と、道路のことを訊くのです。 「むろんだよ。道路も大きくなると、それ自身を貫こうとする意志を持つようになる」  調子に乗って勝手なことを喋るうち、わたし自身もそうした意志を貫くために、この山奥に来たような気持ちがして来たばかりではありません。この気持ちは朝鮮人の土工たちにも伝わって行くように思え、説得でもしたような、喜びに似たものが感じられて来るのです。その夜は帰りが遅くなり、朝鮮人の土工たちは、懐中電燈で足もとを照らしてくれながら送ってくれました。もういいと言うのに、橋にかかっても戻ろうとしないのです。暗さは来るときも暗かったが、涸れ涸れにしか流れていないはずの水音が高くなり、風もぐんと冷たくなって、吹きすぎると思うとかすかながら山鳴りをさせている。しかし、濁酒《マツカリ》に酔ったわたしにはむしろ快いほどでしたし、朝鮮人の土工たちも愉快げに話しあったり、親しげに話しかけて来たりするのです。わたしはもうなにもかも解決がついたような気分になって、明日からは川原から、あの洗濯物がなくなろうとは、思ってもいなかったのです。  それだけに、グリ石の川原のひろがる橋の向こうも、ただグリ石の川原ばかりがひろがっているのを見たとき、わたしはほんとうに渡り鳥が飛び立って行ったような気がしました。考えてみれば、それがどこかもわからないながら、北のほうに道路をつくりに行くということは約束されていたことで、ここにこれからどんないい仕事があるにしても、ここに止まることは許されもしなければ、許されてもあてもなく待つことができるわけもなかったのです。それならどうしてわたしに相槌を打ち、彼等はそこに行くのをやめて、ここにいられることを喜ぶようなことを言っていたのか、わたしの耳には、まだ昨夜の女の声が残っていました。 「ホントニ、日本語《ニツポンゴ》上手ネ。ドンナニ飲ンデモ、朝鮮語使ワナイ」  女は朝鮮の女のだれもがそうするように、|あぐら《ヽヽヽ》をかいて坐ってい、わたしに濁酒《マツカリ》を注いでくれながらそう言うと、さも親しげに笑ったのです。わたしはべつに彼等になにをしてやろうとしたのでもない。ただ彼等と話すことを嫌わなかったというだけなのに、女はわたしを同胞のように思ったのでしょう。北山川の山奥に来ながらも、彼等は朝鮮人であることをやめず、互いに朝鮮語で話しあい、たまたま日本語が出ても、すぐまた朝鮮語になるのです。それなのに、彼等は朝鮮の空がどんなに大きく澄んでいて、そこに川がいかに悠揚と流れているかを知らないのです。いや、その首都とされる京城が、その特有な趣において、そこを訪れたすべての人に、忘れがたなく思われている街であることすら知らないのです。なるほど、わたしの知っているころの朝鮮は、赤土の裸か山ばかりだった。しかし、京城をめぐる山々はそうではない。おおむね、松林におおわれていて、そこにかつてはこの首都の守りとなっていた城壁が見え隠れしている。しかも、仁王山や、三角山の肩から遠くそそり立つ姿をのぞかせている北漢山は岩山で、藁葺きの土壁からはグリ石の大きなものが見え、瓦屋根の木造は花崗岩の壇に建てられている。橋はほとんど石橋で、公園などには石の塔や石人があって、どうやら石の都という感があります。みながシンコ餅をつき、旧正月を祝うころ、その京城では、風が街の南西にある南大門のほうから、東大門のある東へと吹き、無数の朝鮮凧が上げられて切りあいをする。そんなことも彼等はまったく知らないのです。  だが、そんな話をしてやると、彼等は頷きながら、とうのむかしに忘れていたことを、思いだそうとするような顔になる。その懐かしげな表情を思い描いているうちに、わたしはなんだか、あの老人も、女も、土工たちも、かつて彼等が首都とするあの街で会った人たちだったような気がして来ました。そして、それこそわたしの彼等に話そうとして、話しかけたまま忘れてしまったことだったとも気づかず、わたしは遠い子供のころ、そうした街でどんなにその凧上げに夢中になっていたかを思いだしたのであります。  朝鮮凧は大陸にも、わが国にもみられない独特なもので、その季節になると、朝鮮人の店でも日本人の店でも売りはじめます。しかし、店で売られているのはほとんどダメで、わたしは小遣いを溜めては小さな弟を連れて、ごみごみした朝鮮人街の裏路地に行ったものです。そんなところの藁葺き屋では、よく老人がムシロをしいた土間に|あぐら《ヽヽヽ》をかいて、膝に南京袋の切れはしを掛け、鉄の火鉢を引き寄せながら凧をつくっているからで、そうした凧でなければ、ほんとうの朝鮮凧とはいえないのです。  凧紙は|きずき《ヽヽヽ》の和紙に似たものです。みなはそれを朝鮮紙と呼んでいて、ほんとうはなんと言うのかわかりませんが、強さも強いし、大きさも頃合いなのです。凧をつくるには、まずこの紙の上端を折り曲げ、紋切りの要領で、まん中を丸く切り抜くのです。切り抜かれた紙は、更にひとまわり小さな紙に切って、好みの色に染め、紋章として凧紙に貼り、残りの紙で三角形の小さな足をつけます。もしこの凧に模様がほしければ、ここで墨なり絵具なりで描くのですが、それがおよそきまっていて、それぞれの図柄に呼び名があるのか、クモリジャングとか、モリブデンとか、言っていたようです。いまはそのどれをどう呼んだのか、それらがなにを意味していたのかも、わたしにはわかりません。しかし、凧は空を飛ぶものですから、おそらく日月星辰が象《かたど》られていて、それによって風雲を呼ぼうというのでしょう。(図㈰)   (図㈰ 省略)  骨は特に大きな凧の場合は別として、普通の凧には雌竹を使っているようで、その蔭干しにしたのを細く割り、膝に乗せて刃物を上にあてがいながら、竹を引いて身のほうから削るのです。凧つくりの老人が膝を南京袋の切れはしでおおっているのはこのためで、こういう老人は決して急いだりはしない。頗る悠長にかまえていて、ひと引き削っては両端を指で押してたわませ、ソリの具合を眺めてはまたひと引きという|ふう《ヽヽ》にして削るのです。横に使う二本の骨は、上のは太く中のは細くして、いずれもたわませると、きれいな円弧を描くようにしなければならないし、斜めや縦の骨は徐々にたわんで、中程から弧を描きだすようにしなければならないからです。  骨が削り上がると、布にくるんだメシツブでしごいて、凧紙に貼ります。それも、必ず斜めの骨からはじめ、上部をコテ貼りにして、メシツブの湿りが乾いてから、骨を押すようにして、下部をコテ貼りにするのです。こうして二つの斜めの骨を貼ると、凧はソリ気味になる。後はこのソリに合わせて縦の骨、上の骨、中の骨と次々に前の骨をくぐらすようにして貼ればいいのですが、骨のたわみとこのソリが、あたかも凧にみずからの意志を持つような、反転、滑空の自在性を持たすのです。といって、ソリを持たせすぎると、滑空から立ち直ろうとするときの任意の角度をとらえて、そのままその方向に飛翔させる力が弱まるので、このあたりの微妙な|かねあい《ヽヽヽヽ》が、店売りの凧ではどうもうまくいかないのです。  朝鮮凧がそうしたソリを持つことができるのは、むろん中央に丸く切り取られた穴があるからです。しかし、この穴は別にもまた効用があるので、これが風穴になって凧に風に動じぬ安定性を持たせ、突風にあおられても、フワッと前に|おじぎ《ヽヽヽ》をして来るようなことがないのですから、よく考えたものです。次は上の横骨に糸を張り、その両端と下部の中央に糸を結んで、それらをいずれもその一端と下部の中央との距離に等しい長さにとって糸目とし、ソッた凧が風に凹むことのないように、まん中にも糸をそえて置くのです。(図㈪)   (図㈪ 省略)  糸は凧がかなり大きくとも、五十番位の細いカタン糸で十分です。思いきって細くしても、意外に切れないばかりか、細ければピンと張って、相手の凧糸の縛り目に食い込ますことができます。しかも、この糸には、「ビードロを引く」といって、干したニベのはらわたの煮汁に、ガラス粉を混ぜたものを引くので、余程細くないと、重くなって糸が垂れ、それだけでも戦いが不利になる恐れがあるのです。  いよいよ凧を上げるときは、この糸をオンレイと呼ぶ糸枠に巻いて、これを使って操作するのです。オンレイの柄を右手で軽く握り、左手で枠の一端を持って、同時に下から外へと回して行くと、オンレイはみずからの重みで回って、糸を巻きあげる。そのとき、左手を放し、柄を握った右手で腰を打つようにして、オンレイを縦に向ければ、糸はさッと伸びるのです。糸を巻かれて上昇しはじめた凧が、いきなり糸を伸ばされると、凧はソリにしたがって弧を描き、反転して彼方へと、気流に乗って滑りはじめます。それを更に落としては滑らせ、落としては滑らせしながら糸を伸ばし、また伸ばしっぱなしに伸ばして、おのずと凧は立ち直ろうとする、その角度をうまくとらえてオンレイを巻き、再び上昇させたり、右や左に走らせたりするのです。(図㈫)   (図㈫ 省略)  凧がうまく上がって切りあいというときには、こうして凧を右なり、左なりに走らせ、相手の糸の上を越えねばなりません。そして、越えたと思ったら、反転させて凧を落とし、首尾よく掛かればあとはすべてを天にまかせて、グングン糸を伸ばすのです。これが逆に相手から上に糸を掛けられると、そこを押さえられて凧が浮上し、糸が折線を描く形になるので、いくら糸を伸ばしても、相手の糸が流れるばかりで、忽ち切られてしまうのです。ですから、相手の凧が迫って来れば、上昇させて上に出るなり、落としてこちらもおなじ方向に逃げるなりして、反撃の機を狙うようにしなければなりません。このカケヒキがまた見ものなので、組んずほぐれつ、それなり雌雄の鷹のように、屋根屋根の彼方に落ちてしまうことさえあるのです。  ところが、こうした凧の中に、いまも忘れられない凧がありました。あの大きさは他の凧より遙かに大きく、西のほうから上げられて来て広い京城の街を横断し、ほとんど東の果ての東大門のあたりに達すると思われるほど糸を伸ばしている。しかも、この凧ばかりは紫に染め上げられていて、他の凧のように模様もなく、金色の紋章をつけていて、時にそれがキラリキラリと光るのは、風向きで位置を変えているのでしょうが、見た目にはシンと天の一角に止まって、動くともみえません。どんな凧に挑まれても応じる気配もないのですが、それでいて挑んだ凧はいつとなく切られ、この紫の凧はなにごともなかったように、やはりシンと天の一角に止まって、キラキラと金色の紋章を光らせているのであります。 「あ、また切られた! あれはどんな糸なんだろうな」  幼な心にも畏敬を感じるのでしょう。わたしの行くところにはいつも付いて来る小さな弟が、そんな嘆声を上げるのです。どんな糸かむろんわからないが、ピンと張ったその凧糸が現れたと思うと、遙かな頭上を過ぎて消えて行く。それもどうやら、五十番のカタン糸みたいなものではないようです。二人で想像して、あれこれ話しあっているうちに、わたしはなんとしてもその紫の凧がほしくなって来ました。  幸い、わたしたちの家の裏には、大きなイチョウの樹が、朝鮮瓦の葺かれた屋根をおおうようにして生えていて、風向きによってはそのピンと張った凧糸がその上を掠めることがある。イチョウは冬枯れで裸になっているばかりか、落雷にやられたとかで梢のほうは裂きとられ、ほとんど天辺の近くまで、太い横枝が出ているのです。あそこまで登って登れないことはないし、あそこから竿竹を伸ばせば凧糸に届くかもしれない。そんな考えがふとわたしに浮かんだのであります。  そのときは、ちょうど、家にはだれもいませんでした。しかも、凧糸はイチョウの天辺を掠めるように延びていて、ジッとしている。わたしは梯子を出して屋根に登ると、梯子と竿竹を持ちあげて、更に枝へと梯子を掛けました。こうして枝から枝へと登りはじめたのですが、屋根までは弟が下にいて、梯子を押さえたり、竿竹を差し上げたりしてくれたのに、もうだれの助けも受けることができません。なんども梯子がグラついてヒヤッとしながら、手をかじかませてやっと天辺の横枝につきはしたものの、風は身を切るようで、飛ばされそうです。ふと見ると遙か下の根元のほうに、あお向いてポカンと口をあけた弟の顔がある。それがまた馬鹿に小さく、なんとも言えない顔なのです。わたしは急におびえて、戻ろうにも戻れない、高いところに来てしまったような、後悔を感じないではいられなくなりました。  目を上げると、まだ瓦屋根より藁葺きの多かった、京城の街が果てもなく拡がっている。南の南山も北の三角山も西の仁王山も遠のいて、小さくなったように思えるのです。いや、ほんとうはそれだけそれらの山々が浮き上がって、近く見えるはずですから、わたしにはそれらの山々が目にはいらなかったのかもしれません。しかし、わたしはわたしをおびえさせた弟の小さな顔の手前だけでも、勇気を振るいおこさねばならぬと思いました。ブルブルと震える手で、帯に結んだ命繩──むろん、わたしは恐ろしさから考えたので、そんなのを命綱というのだとは知るはずもなかったのです──を天辺に巻きつけ、竿竹を持ち上げて、強い風の中へと、伸ばして行ったのです。言いおくれましたが、竿竹は先に鉤をつけ、二本を中途でしばって、非常に長いものにしてありました。が、ユラユラさせながら、なんとか真上に差し上げたときは、たしかにそのあたりにあったはずの凧糸がないのです。風むきが変わって、凧糸はどこかとんでもないところに行ったのかもしれない。ガッカリして拍子抜けしたような気持ちでいると、シューンというような風に鳴る音がして掠めて行った凧糸が、三角山のほうから冬空に現れて、戻って来るのです。わたしはあわてて竿竹を振りましたが、二本つぎの竿竹も凧糸には届きません。つぎ目のあたりから、重たくシナって行って、止めようにも止まらず、大きなイチョウの樹そのものが傾いて、京城の街が浮き上がって来るような気がするのです。と思うと、反対側の南山のほうから戻って来たらしい凧糸が、シューンと音をたてて行くのです。わたしは竿竹を手ぐり上げ、中途で向きを変えながら、風の中に差し出して、現れて来る凧糸を待ちかまえる。そんな動作を絶望的に繰り返しているうちに、とろうとするとそれみずからが意志を持ってチョウロウするかに過《よ》ぎっていく凧糸が、ハッと竿竹にかかったのです。  夢中で竿竹をたぐりよせるわたしの目に急に上昇しはじめた紫の凧が映りました。しかし、わたしが凧糸を握った途端、凧は落下しはじめたのです。こんなとき、思い切り糸を伸ばしてやれば凧はまた反転して上昇するとわかっていましたが、伸ばそうにも糸はピンと引っぱられているのです。それを無理に引きもどそうとした途端ズッと指を切られ、ハッとして手を離したときは、紫の凧はまっ逆様に落ちて行く最後の姿を見せていたのです。やがてほうぼうの屋根の間から、紐の結ばれた石が投げあげられはじめました。得るところもなく降りて来ましたが、 「すごいな、チンチャマは……」  小さな弟は、感に堪えぬように言うのです。わたしも急に英雄的な気持ちになって、 「おしかったな、ちょっと」  チンチャマとは小さい兄さまということで、小さな弟は舌がまわらぬまま、わたしをそう呼ぶようになったのです。むろん、わたしには兄たちがいたのですが、みなもう日本に行って、京城にはいなかったので、わたしはそう呼ばれながら、あたかも唯一の兄であるかのごとく振る舞っていたのです。 「でも、指から血が出てるね」 「なにしろ、琴糸のような糸だったからな」 「そうだな、糸が切れるときビーンと音がしたよ」  しかし、それはただそんな気がしたというだけで、あんな下にいたこんな小さな弟に、糸の切れる音が聞こえるはずはなかったのです。 「そうだろう。鉤の先に巻きつかせて、引っぱればよかったんだ。そこまで気がつかなかったよ」  などと胸を張っているうちに、小さな弟が突然叫びました。 「チンチャマ! また、おんなじのが上がって来るよ」  なるほど、まったくおなじ紫の凧が、反転しながら糸を伸ばし、見る見る糸を伸ばして来るのです。わたしは呆然とそれを見ているうちに、いったいあの凧はどんなところで上げているんだろうと思いました。わたしはあれがただ西のほうの遠いところから上げられて来るのを見ていただけで、そんなことは考えたこともなかったのです。 「そうだな。あれ、どこで上げてるか行ってみようか」 「行こう」  広い道路に尻を糞だらけにした牛たちが、「イロウ! イロウ!」と鞭打たれて、申し訳のように二、三歩はや足になりながら、荷車を引いて行き交っている。わたしたちは凧糸を見失うまいとして、そんな荷車にぶつかりそうになったり、大声で叱られたりして行くうち、道路からはだんだんそんなものがなくなって、あたりは静かな街になって来ました。凧糸はおなじ高さで伸びていて、行っても行っても行きつくとも思えなかったのですが、高い土壁に立派な門のみえる大きな広場に出ました。凧糸はどうやらそこから伸びているようです。  門をくぐると草木はまだ冬枯れていましたが、丸い花壇のある西洋風の庭園がありました。いや、そこにはそうした庭園がいくつもあるらしく、庭園を抜けるとまたおなじような庭園があるのです。なんだか夢の中で小さな弟とおなじところをグルグルまわっているようで、恐《こわ》くなって、手をとりあって歩いていると、美しい洋館が見えました。その洋館には、前面に高い石の円柱が並んでい、円柱の蔭を朝鮮服を着た数人の女官らしいものが歩いている。ぼんやり見とれていると、その女官たちが立ちどまったので、わたしはハッとして小さな弟の手を引いて植込みに身を隠しました。見とがめられたのかと思ったのですが、女官たちはなにかを見ながら空を指さしたりしているのです。わたしたちはやがてそれが空遠く上がった凧であり、広々とした庭園のまんなかに、敷物のようなものをしき、白い朝鮮服を着た三人の老人がその凧を上げているのに気がつきました。オンレイを持っているのはその中の一人で、他は袖に腕をとおして、黙って立っています。いずれも馬の毛で編んだ黒い冠のようなものをかぶり、うすい顎ひげを生やしていました。  わたしの脳裡にはその老人たちの姿がやきついて、その後もながく忘れられませんでした。二人して帰りながら小さな別世界の人のようなその老人たちのことを思いだしていると弟が、 「チンチャマ。アボジーみたいだったね」  と、言いだしました。アボジーとは父さんという朝鮮語で、わたしたちは裏路地の凧つくりの老人を、その家でそう呼んでいるように、そう呼んでいたのです。わたしは不意になにかがひらめいたような気持ちで、 「そうだ。アボジーに頼んだら、あんなのをつくってくれるかもしれない」 「そうだね」  しかし、二人でその藁葺き屋を訪ねると、いつも坐って凧をつくっていたアボジーの姿が見えません。声をかけると若いオモニー(母ちゃん)が暗い奥から出て来て、 「|アボジー《ヽヽヽヽ》イナイ。アボジー、シンダンジ」  と言うのであります。シンダンジとは死んだということで、日本人は朝鮮語のつもりで言っているが、朝鮮人は日本語のつもりでいるのだと聞きました。が、死んだということが、わたしにふとこんな気持ちを起こさせたのです。アボジーは、わたしたちの迷いこんだ二度と行けそうもないあの宮殿に行ってしまったが、そこでいまも、あの紫の凧を上げているのだ。  あとになって、わたしたちが行ったのは、仁王山の麓にある、徳寿宮と呼ばれる宮殿らしいということを知りました。それならば、月山大君という人の造営になるもので、わたしたちの見た石柱の並んだ洋館は、すべてが石でつくられているために、石造殿と呼ばれているものだということでした。なんでも、その宮殿は一般に公開されていたとかで、そういえばあの門には番人がい、横に入場料をとるようなところがあったような気もするのです。しかし、わたしには入場料を払ってはいった記憶はまったくないのです。とすれば、そういうことも知らなかった子供であるばかりに、番人に見咎められもせずはいれたのかもしれません。わたしはもはや天上のことなど信じることはなくなりました。にもかかわらず、なにかのときにあれが天上のことのように思いだされ、われらはどこに行こうとも天は一つであり、そこではいまもあの紫の凧を上げている老人たちがいるように思うことがあるのであります。 [#地付き]〈了〉 初出誌   月山    季刊藝術 昭和四十八年夏季号(第二十六号)   天沼    文藝 昭和四十九年新年号  以上二篇は、昭和四十九年三月『月山』として河出書房新社より刊行された。   初真桑   文學界 昭和四十九年三月号   鴎     文藝 昭和四十九年三月号   光陰    新潮 昭和四十九年四月号   かての花  群像 昭和四十九年三月号   天上の眺め 文藝 昭和四十九年五月号  以上五篇は、昭和四十九年五月『鳥海山』として河出書房新社より刊行された。 〈底 本〉文春文庫 昭和五十四年十月二十五日刊