松本清張 黒の様式 目 次  歯止め  犯罪広告  微笑の儀式  黒の様式  歯止め    1  能楽堂は八分の入りであった。  津留江利子《つるえりこ》の坐っている位置は脇正面《わきじようめん》のうしろ寄り、ちょうど二ノ松に並行するあたりだった。それで、彼女の視角からいって正面席の観客の顔は斜め向きに自然と眼にはいっていた。  江利子は、先ほど、その正面観覧席の中央あたりに旗島信雄《はたじまのぶお》の顔があるのに気づいてから落ちつかなくなっていた。以来、なるべく客席のほうは見ないようにした。舞台では今日彼女が目当てで来ている人間国宝の老能楽師の「班女《はんじよ》」が進行していた。この一番を観《み》たら、次の休憩で旗島には知られないように出て行くつもりだった。あと二番残っているが、家のことが気にかかるより、旗島に見つけられるのがいやだった。  旗島は前から顔の幅の広い男だったが、今はすっかり肥《こ》えて、その顔が余計にふくれていた。髪も前のほうはうすくなってほとんど禿《は》げている。いつぞやテレビで見たときの顔よりもまだ老《ふ》けていた。両脇に外人夫婦をおいて、しきりと首を左右に回しては能のことを説明していた。五十歳ちょうどのはずだった。死んだ姉の年齢をおぼえているから間違いようはなかった。  江利子が旗島を見つけたのはこの「班女」がはじまってすぐで、その前は姿が無かった。だから旗島は、この一番のはじまる前に外人を案内して来たらしかった。  江利子は、ちらちらと眼の端にはいってくる正面のその席が窮屈になった。正面席と脇正面とは斜めに対《むか》い合っているような位置なので、もし旗島が外人への説明をやめて、ちょっとでもこちらを眺《なが》めたら、やはり同じ視角に彼女が映るはずだった。江利子は、顔を舞台に据えたままにしたが、首の根が凝《こ》ってきた。  舞台は後半の旋律的な動きに変り、観客の眼も一斉にそれに釘《くぎ》づけされていた。 『月|重山《ちようざん》に隠れぬれば扇を挙《あ》げてこれを喩《たと》え』  と地があってシテが、 『花|琴上《きんじよう》に散りぬれば』  という。地が、 『雪を聚《あつ》めて春を惜しむ』  とつづければ、またシテとなるというように、謡も変化がある。  見ないようにはしていても、旗島の遠い顔がぼやけた視野のなかに動いた。彼は刷りものを見ている外人の婦人の耳もとでしきりとささやいていた。旗島は一年に一回ぐらいは外国をまわるので、英、仏、独語がよくできた。  旗島は江利子に気がついていないらしかった。別に旗島に遇《あ》って都合の悪いことはなかった。だが、自殺した姉の夫だと思うと、何となく他人よりも始末が悪かった。しかし、旗島のほうでは江利子を何とも思ってなく、かえって、どこかで偶然に出遇うと懐《なつ》かしげに寄ってくる。外国に留学したり、教授になってからも頻繁《ひんぱん》に海外をまわっている彼は向う仕込みのフェミニストで、江利子が面映《おもは》ゆくなるくらい鄭重《ていちよう》にしてくれた。いや、それだけではない。やはり義妹という気持をもっていて、懐かしそうに話してくるのであった。もっとも、姉の素芽子《そめこ》の自殺した過去については、やはり彼もなるべく話題には出さないようにしていた。  旗島もその後、妻をもらって、現在は二十歳《はたち》になる男の子がいる。去年の秋だったか、銀座で偶然彼に遇ったとき、江利子は無理に誘われてホテルの食堂で昼御飯をご馳走《ちそう》になったものだが、そのときの話では、息子《むすこ》はアメリカの大学に留学しているということだった。もう帰国したのだろうか——。  江利子は舞台の感興が引いてきて、舞っている人間国宝の動きも機械的にしか見えなかった。  姉の素芽子が旗島のところに嫁にいったのは二十歳のときだった。旗島は姉より六つ上であった。素芽子と江利子とは四つ違っていた。  姉と旗島信雄の結婚は恋愛ではなく見合いであった。信雄の父に当る人が当時朝鮮総督府の何かの局長で、その人の知人の世話で姉の縁談は始まった。信雄は実の子ではなく、甥《おい》であった。叔父《おじ》の家に子供が無かったため、十一のときに養子にもらわれて行ったのである。当時養父は内務省の役人であった。それが出世をして、姉の縁談があったときは朝鮮総督府の局長になり、京城《けいじよう》に単身赴任していた。  旗島の養父になった実造《じつぞう》は出世コースの人で、総督府もほんの腰かけ程度のものだったらしい。八年か九年ぐらい京城にいて、その後内務省の局長になったところをみれば、はじめから本省勤務になることがわかっていて、妻と子を東京に残していたのだろう。  江利子は、その旗島の養父を結婚式のときに初めて見た。そのころは多分四十五、六ぐらいだったのではあるまいか。十六歳の少女の眼から見るとずいぶん老人に見えたが、今だと、それは夫の良夫《よしお》より一つか二つぐらい下であるから、それほど老けてはいなかったのだ。  旗島実造の妻は織江《おりえ》といっていた。江利子は、姉が輿入《こしい》れする前、自宅に来た織江を二度ばかり見た。背の高い人で、上品な、色白の中年婦人だった。旗島を十一のときから子供にしているので、実の子と同じ気持だといっていた。素芽子との縁談が決ったときは、 (これで信雄にもいい嫁が来て、わたくしも旗島の先祖に申訳《もうしわけ》が立ちますし、ほんとに安心でございます。ありがとうございました)  と、涙を流して織江が母に礼を述べていたのを江利子はおぼえている。 (こちらこそ、ありがとう存じました。信雄さんは秀才ですから、素芽子が信雄さんについてゆけるかどうか、それが心配です)  母はいっていた。 (秀才といっても、信雄は努力型でございますから、それほどではございません。これまでは、わたくしがあれを力づけて参りましたが、これからは素芽子さんに代っていただけますので、わたくしも、ほっといたします。あの子は意志が弱うございますから、はたで誰かが支《ささ》えてやりませんと……)  江利子は、間もなく姉の姑《しゆうとめ》になるひとの言葉を今でもおぼえている。 『今さら世をも人をも怨《うら》むまじ ただ思われぬ身のほどを思いつづけて独《ひと》り居の 班女が閨《ねや》ぞ淋《さみ》しき 絵に描ける……』  と、中《ちゆう》の舞になって、舞台では班女がますますリズミカルに動いている。八十歳近い能楽師とは思えぬくらいの身のこなしに色気が出ていて、その扇の先から笛、鼓の音《ね》が発生しているようである。  観客は陶酔していた。江利子もしばらく見とれていたが、眼の端にまた旗島の顔がはいってきた。外人に説明するため、彼の顔だけが動いているので、どうしても邪魔になってくる。  そうした旗島の落ちつかない癖も、二十三年前の彼にそのままであった。工学博士、T大の工学部教授として西洋建築史を講じている五十歳の彼に、江利子は痩《や》せていた当時の思い出が戻ってくる。 (お義兄《にい》さまって、少し、ひょうきんな方《かた》じゃないの?)  江利子は姉の家に行って、そっと訊《き》いたことがあった。あれは姉がお嫁にいったあくる年の春だったから、彼女の十七歳のときであった。姉の素芽子はその年の秋のおわりに自殺している。 (どうして?)  姉は、まだ新妻らしい初々《ういうい》しい眼で訊き返した。あのころの瞳《め》は愉《たの》しそうだったし、嫁入り前よりは少し肥《ふと》っていたくらいで、頬《ほお》も赤かった。  江利子は、旗島が何となくそわそわしていて落ちつかないので、ひょうきんな人ではないかという言葉を使ったけれど、実は、軽薄ではないかと言いたかったのだ。  姉は利口なひとで、江利子のその気持をすぐに察して、 (そうね、眼がきょろきょろしてるわね)  といった。  それは適切な表現で、信雄は絶えず眼を動かしていて、話をしていても、長くこっちを見つめていることはなかった。じっと坐っていることも少なく、何かすぐに起《た》ってゆきそうな様子であった。気が短いのか、そうでなければ、軽い性格のように江利子には映った。彼には、たしかに気の軽いところはあった。 (でも、ご勉強はよくなさるのでしょう?)  少し、言いすぎたような気がしたので、江利子がそう訊き直すと、 (そりゃ、とても。江利ちゃんなんか真似《まね》できないわよ。六時に学校から帰ると、夜中の三時まで書斎にはいったきりなんだから)  と、姉は生き生きとした眼で答えた。 (毎晩、そうなの?) (そう) (それまで、お姉さまも、ずっと起きてらっしゃるの?) (そりゃね)  姉は火鉢《ひばち》の灰を掻《か》きならしながら眼を落して言った。  そのころ、助手だった信雄は恩師から属目《しよくもく》されて激しい勉強の最中であった。江利子は、同じころに結婚した近所の若夫婦が毎日のようにいっしょに出歩いているのを見ていたので、学者の家庭には嫁《ゆ》きたくないと思った。また、姉のようには頭のよくないことも自覚していた。  信雄は小さいときから秀才であった。彼は小学校も中学校も首席で通した。中学校も高等学校もいちばんの有名校だった。ただ、高等学校時代、受験の前年に成績が落ちて十五、六番目ぐらいであった。養母の織江の話だと、T大に入学出来るかどうか危ぶまれたそうだが、それはかなりな成績ではいっている。  大学では再びその秀才を発揮して、工学部の彼のクラスではいつも首席か二、三番ぐらいであった。卒業は二番だったという。  それから学校に残り、助手になった三年目に素芽子と結婚した。その頃はまだ養父が朝鮮の役人をしていたが、彼女が自殺する三カ月ぐらい前に内務省に移って東京に帰った。その養父も官僚中の秀才で、将来の大成を期待されていたが、二年ぐらいして死んだ。信雄が頭がよかったのもこの叔父の血を継いでいると、織江はよく言っていた。  信雄は、素芽子が自殺した翌年、ドイツに留学した。それは前からの予定だったかもしれないが、ひとつは妻の自殺という彼の傷心を癒《いや》してやろうという教授の計らいだったかもしれない。もちろん、姉の死によって江利子と信雄の縁は切れたから、そのあとは、ずっと後年になって信雄の口から直接聞いたり、人づてに耳にはいったりしたことである。  舞台が終って、拍手が湧《わ》いた。  客席から起《た》つ人が多く、あたりがざわめいた。江利子が腰を浮かして正面席を見ると、旗島も外人夫婦も揃《そろ》って立ち上がっていた。  江利子は、困ったなと思った。旗島もこれで帰るらしい。いま、こっちが動いたら、彼にみられるおそれがあるし、出口はせまいのでいっしょになる危険があった。今まで彼に見つからなかったのが幸いで、また、そこに腰を下《お》ろして、顔を斜めにし、彼らの様子をうかがっていた。  旗島は赤毛の女を前にし、うしろにその夫の背の高い外人を従えて、出口にゆっくり歩いていた。前後に、やはり廊下に出て行く人があった。  江利子は、旗島が見えなくなって腰をあげた。ここでぐずぐずしていると、次の番組がはじまりそうだし、家のことも気にかかった。  せまい通路から扉《とびら》を出ると、すぐ横の廊下に旗島が立っていたのには江利子も、ぎょっとなった。旗島は前からこっちを見ていたらしく、あたかも彼女を待っていたような様子だった。外人夫婦も彼の横にならんでいた。  どぎまぎして、こっちから挨拶《あいさつ》するまでもなく、旗島のほうが笑って、 「やあ」  と声をかけてきた。 「まあ」  仕方がないから、おどろいて見せると、 「江利子さん、来てたんだね」  と、眼鏡の奥から親しそうに眼を細めた。 「ええ。お義兄《にい》さまも?」  旗島さんとは、江利子はどうしても言えなかった。姉の生きているときから、そして、後年、ときたま彼に遇うときも、そうとしか呼べなかった。あとの奥さんをもらって二十年余も経《た》っているのに、まだ前のかたちが残っていた。姉が彼の妻だったのは僅《わず》か二年たらずの間だったのに。  しかし、旗島は彼女にそう呼んでもらうのがうれしいらしく、偶然に遇ったとき、自分に伴《つ》れがあると、これ、妹です、と平気でいった。江利子は相手が変な顔をしているようで、これが愉快でなかった。だが、そんな呼び方をする自分にも半分の落度はあった。  いまも、旗島は横の外人夫婦に、妹です、と江利子を紹介した。先方は何も知らないから、赤毛の夫人はすぐに手をさしのべてきた。その夫も挨拶した。アメリカの建築学者ということだった。妹だ、と先方に紹介しておいて、あとで旗島はその関係を訊《き》かれたら、どんなふうに説明するつもりだろう。前の女房の妹と平気でいうかもしれない。いや、相手が外国人だからどっちでもいいが、旗島は居合せる日本人にも、同じことをいうので、江利子はあとで憂鬱《ゆううつ》になったものだった。  旗島は饒舌《じようぜつ》で、そのアメリカ人夫婦と五分間ばかり英語でしゃべっている間も、江利子を横にひきとめていた。 「君があの席に来ていたのは、知っていたんだ」  と、米人夫婦を先に帰してから、旗島は江利子にいった。 「そう。ご存じでしたの?」  それはそうであろう。こっちが出て行くのを彼は廊下で、待ち伏せしていたんだから、と江利子はうなずき、あんなに首を左右に振って両脇《りようわき》の夫婦に説明していたのに、ちゃんと見ていたのだと思った。 「で、どう、元気?」  彼はおだやかな微笑で訊いた。も早、押しも押されもせぬ一流学者としての貫禄《かんろく》が身につき、また、その自負が態度のなかににじみ出ていた。 「すっかり、江利さんも落ちついた奥さんになってしまったね」  旗島は、まじまじと江利子を見た。 「もう、おばあさんになってしまいましたわ」 「そんなことはない、きれいだよ」  アメリカ人と話したすぐあとのせいか、彼は両手の先を少しひろげた。しかし、大体が表現過剰な男だった。 「よかったら、そのへんでコーヒーでものまない?」  彼は誘った。この能楽会館の隅《すみ》にもお茶をのむところはあるが、せまいし、気分のいい場所とはいえなかった。彼は外に連れ出したがっていたが、江利子は家に早く帰りたいからといって断わった。ずっと前に、旗島にレストランで食事をご馳走になったことがあるが、彼から外国流のサービスをしてもらって、まわりに気恥ずかしい思いをしたことがある。 「そう。そりゃ、残念だな」  旗島も、しつこくは言わなかったが、もう一度、江利子の顔を見つめるようにして、 「姉さんが生きていたら、いまの君の顔と同じになってたろうな」  と、言った。  旗島は、彼女に遇《あ》うたびに姉に似ているといっては懐かしそうな眼をむけた。これに江利子はいつも反発を感じる。姉を自殺に追いやった彼なのに、平気でそんなことを口にする神経が理解できない。普通だと、彼がそれを避けるのが自然だと思うのだった。    2  江利子が家に帰ったのは四時ごろだった。  すぐに息子の恭太《きようた》の部屋をのぞいた。奥の四畳半で、入口はドアになっている。外から小さな南京錠《ナンキンじよう》がかかっていた。  江利子は、予想していたものの、がっかりして茶の間に坐った。すぐに着替える気もしなかった。  恭太の部屋は初め襖《ふすま》だったが、落ちついて勉強ができないという理由で改造し、ドアにしたものだ。恭太は十七歳で、高校二年生だった。大学の受験準備をしている。しかし、恭太が入口をドアに直させ、だれもそこに入れないわけを江利子はあとになって発見した。  恭太の留守《るす》に、鍵《かぎ》のかかってなかったその部屋に二、三度はいってのことだった。部屋はいつも乱雑を極めていた。敷き放しの蒲団《ふとん》は、二つに折っただけだ。ひろげると、脱ぎ捨てた寝巻《ねまき》がくしゃくしゃになって間に突っこんであった。それに異様な臭気がこもっていた。それはある特殊な臭気だった。その寝巻を洗濯《せんたく》するとき痕跡《こんせき》があった。  江利子は蒼《あお》くなった。近ごろ、息子がパンツだけは自分で洗いはじめた理由もわかった。蒲団のカバーにも同じ臭《にお》いが残っていた。  畳の上は足の踏入れ場もなかった。本、紙が散乱し、ラジオは鳴りっぱなしであった。ポータブルはとうに壊《こわ》れ、ジャズや歌謡曲のレコードも何枚か割れていた。壁には、週刊誌の口絵を切り取った女優やヌードの写真が、アメリカ兵の個室みたいに所|嫌《きら》わず貼《は》ってある。勉強の割当時間表は一応かけてあるが、そんなものに用のないことはひと目でわかった。机の下には、パチンコ屋から取ってきたらしい煙草の空函《あきばこ》があり、紅茶の蓋《ふた》に吸殻が灰まみれで散っていた。  江利子は初めてそれを見たときは、帰ってきた恭太を叱《しか》った。しかし、寝巻の濁った斑点《はんてん》にはふれることはできなかった。学校の成績は中以下だし、そんなことでは大学受験は覚束《おぼつか》ない、と言った。 (大丈夫だよ。おれに任せてくれよ)  恭太は母親にせせら笑った。声変りした、やくざのような口調だった。真面目《まじめ》な話は少しもしない。テレビの低俗な番組を見ては大口を開《あ》いて笑う。  江利子は怖《おそ》ろしくなって、勤めから帰った夫の良夫に告げた。夫も顔をしかめた。 (わたしではもう手におえないから、あなたから言って下さい)  と頼んだ。しばらくすると、恭太の部屋から、良夫の怒声と、物を抛《ほう》るような物音とが聞えた。江利子は慄《ふる》えた。  そこから戻ってきた夫は、昂奮《こうふん》を抑《おさ》えるような顔つきで坐り、煙草ばかりつづけて吹かした。 (困ったやつだ)  夫は、いま恭太の部屋から週刊誌を全部引っ張り出して庭に抛り出した、と言った。壁の絵や写真も剥《は》ぎ取れと命じた、と言った。 (わたしにはとても想像がつきませんわ)  と、江利子は涙を泛《うか》べたものである。 (おれにも多少の覚えがないでもない。しかし、いまは俗悪な週刊誌がいっぱい出ているからな。困ったものだ)  江利子は、おれにも覚えがあると夫の洩《も》らした言葉に、思わず眼を向けた。夫はちょっと眼を逸《そ》らしたが、すぐに分別《ふんべつ》臭い顔に戻って、顎《あご》の下に指を当てた。彼女は、夫まで息子の同類にみえた。そのとき恭太が家を震《ふる》わすようなドアの音を立てて出て行った。  ——そういうことが何度かあった。江利子は子供に絶望感をもってきた。  夫は、心配することはない、あの年ごろにはみんなそうした変化がある、それは子供が大人《おとな》になろうとする変り目の生理的なものだと言った。それが反抗となって現われたり、抑鬱症《よくうつしよう》となって現われたりするともいった。 (あなたは始終外に出てらっしゃるから、子供のことは気になさらないのね)  江利子は夫に腹を立てて言ったことがある。 (それは気にしてるさ。しかし、君が心配するほどのことはないというんだ。ぼくもあの年ごろには覚えがあるからね) (どういう経験ですの?)  夫は黙っていた。江利子は夫の表情に自分が困り、 (恭太はどうなるかわかりませんわ)  と、話を変えて溜息《ためいき》をついたものだった。 (それが苦労性というんだよ。まあ、赤ん坊のときの麻疹《はしか》みたいなものだ。まもなくケロリと癒《なお》る) (でも、その麻疹のときに大学試験を受けるんですもの、うまく受かるかどうかわかりませんよ) (一年ぐらいの浪人は普通だからな) (あなたのそういうときにも、あんないやらしい写真を壁にベタベタお貼りになっていらしたの?) (ぼくのときにはそんな週刊誌はなかった。裸の写真もなかったよ。もっぱら映画女優のブロマイドだったな)  夫は自分の経験というものを告白しなかった。江利子も訊《き》かなかった。訊かなくとも想像ができた。江利子は、恭太のもっと忌わしい秘密を知っていた。それはたとえ夫でも羞恥《しゆうち》から告げられなかった。その限りでは、恭太は息子ではなく、男であった。夫の前では口に出せなかった。  しかし、夫はそれを察しているようであった。夫は、生理的な変化だといい、自分にも覚えがあると言った。どのような経験ですか、ときくと、黙って苦い顔をした。夫にも恭太がどんなことをしているかわかっているのだ。不潔な麻疹であった。  江利子は、婦人雑誌などに載っている、そうした記事を注意して読んだり、家庭医学書を買ってきてのぞいたりした。それは十四、五歳ごろからおぼえるもので、結局は当人の自制によるほかはないという結論であった。江利子には、雑誌にある実例のように、息子にむかってそんなことは諭《さと》せなかった。彼女は古い家庭に育った人間だった。  どの本にも、そうした悪癖が頭脳を悪くすると書いてあった。顔色が蒼白くなり、動作が鈍くなり、ぼんやりとなるものだとも述べられてあった。だが、恭太は相変らず血色がよく、行動は粗暴だった。そのへんは江利子も妙に安心したが、頭脳に影響するというのが不安であった。  前から学校の成績のいい子ではなかった。しかし、この状態では大学入試は失敗するにきまっていた。悪くすると、二、三年は浪人するかもわからなかった。有名大学にはいれと強要しているわけではないが、せめて、普通なみのところにははいってもらいたい。だが、それもできず、二、三年浪人をつづけたら、どんなグレかたをされるかわからなかった。江利子はそれが恐ろしかった。  だれにも相談することができなかった。夫とは、いずれつきつめたことを話し合わなければならないのだが、そうなる前に、恭太の上に、その習癖が自然に通過することを江利子は望んだ。男のだれもがその経験を持っているとしたら、それがはしかだったのであろう。だから息子も心配することはないような気もしないではない。  しかし、今は息子の大事なときだった。大学だけははいってもらいたかった。といって叱っても聞き入れる子ではなかった。ふてぶてしく、せせら笑うし、少し熱心に言うと反逆してくる。勉強に身を入れるどころか、彼の密室では、ラジオの歌謡曲が鳴り放しだし、きわどい写真や挿絵《さしえ》のついた週刊誌は、参考書の間や、机の下にごろごろしていた。そんなものを見て恭太が何をしているかと思うと、江利子は寒気《さむけ》がした。息子が小遣《こづか》いをとるのも強奪に近かった。  夫は、あれ以来、何回となく恭太の部屋に押し入って、壁の写真を剥ぎ、週刊誌を抛り出したが、効《き》き目はなかった。すぐに同じことになった。 (おれでは、もう手におえなくなったな)  と、夫も半分は諦《あきら》め顔だった。 (あいつ、力も強くなったし、簡単にひきずり出すわけにはいかなくなった)  五十に三つ足りない夫の良夫は、そういえば手の甲に皺《しわ》が寄ってきていた。息子は胸幅がひろくなっている。 (昔の芝居でよくするね。勘当というやつ。あの親の気持がわかってきたよ)  恭太は独《ひと》り息子だった。まさか家から出すわけにはゆかなかった。  江利子は能楽堂で旗島に遇った日も、恭太のことが気にかかって、まだ引きとめそうな彼をふり切って戻ったのだが、やはり息子は外に出て行っていた。  近所からお手伝いとして通いで頼んでいるおばさんにきくと、昼飯をたべて、一時ごろにとび出したという。それなら、自分が水道橋《すいどうばし》に出かけてすぐであった。いまごろは何をしているかわかったものではなかった。パチンコ屋に暗くなるまで立っているか、友だちの家でくだらぬ話をして、ゲラゲラと笑い合っているかだろう。江利子の耳には息子の声変りした厭《いや》な笑いが聞えるようだった。  そういえば恭太の枕元《まくらもと》にはチョコレートの空函《あきばこ》や銀紙の殻が散っている。机の抽出《ひきだ》しにも煙草がある。それがみんなパチンコ屋の景品だった。  金を与えなければいいと思うのだけれど、恭太は手に握るまで承知しなかった。与えないと、そのへんの戸障子を破れるばかりに揺《ゆす》ぶりをかける。金槌《かなづち》で柱を殴《なぐ》りつける。そんな疵《きず》が柱の角《かど》や、鴨居《かもい》や、ドアに残っていた。だんだん凶暴性になってくるようであった。ドアの蝶番《ちようつがい》も何度かこわれた。恭太の留守に、夫や江利子が彼の部屋にはいれるのはドアがこわれたときであった。  息子の乱暴が手伝いのおばさんに体裁が悪く、つい、江利子は小遣いを与えた。おばさんはおしゃべりであったから、近所が怕《こわ》かった。  あれでは、大学はとても駄目《だめ》だ、と夫の良夫も言うようになった。江利子は、両親が無力なら、適当な誰かを呼んで来て、恭太の説得を頼みたくなった。両親には反抗しても、第三者の言うことには従順かもしれないのである。  彼女は、それを一度、夫に相談したことがあった。 (相談って、いい人がいるかい?)  夫はそのとき訊いた。 (そう。あまり気持がすすまないけれど、旗島さんはどうかしら?) (ふうむ)  夫は考えこんだ。  旗島信雄なら、そのような説得役には申し分がなかった。T大の教授である。中学校も、高校も、大学も東京の一流校でずっといい成績で通してきた秀才であった。現在でも有名教授として、よく海外の学会に年に一回は出かける。新聞、雑誌によく寄稿し、テレビ、ラジオにも出ている。名士であった。両親に反抗する恭太も、彼の言うことを聞くだろう。 (しかし、君の姉さんの前のご亭主だからなあ)  と、夫は気重な顔つきで言った。 (そうなの。わたしも、そう思うわ。だから気乗りはしないのだけど)  江利子は、うっかり旗島の名を口に出したのをすぐ後悔した。だが、背に腹はかえられない気持だった。 (それに、姉さんは死んだのだし、そのあと別な奥さんが来て、二十年以上も経《た》っているのだからな。いくら、君が、その間に偶然に旗島さんに遇《あ》ってたとしてもだよ)  夫は、江利子の姉が自殺したことも、結婚後、間もなく彼女が話して知っていた。 (そうなの。わたしも旗島さんにお願いするのは厭だわ。やめます)  夫には、そんなことまでは打ち明けてないが、旗島は江利子と路上でばったり遇うと、いつも懐《なつ》かしそうに語しかけてきた。伴《つ》れがあれば、妹だといって誇らしげに彼女を紹介した。前から、話の好きな人で、人なつこいほうだった。外国によく出かけて、向うの人とも交際がひろくなったせいか、生来、女性には親切なほうだったが、それに磨《みが》きがかかってきた。二、三度、江利子は彼の誘いを断わりきれず、ホテルの食堂で食事をいっしょにしたり、街《まち》の喫茶店でお茶をのんだ。彼のサービスは洗練されたものだった。それが決して厭味ではなく、当人に大学教授としての威厳もあり、知性もあるなかからなので、うっとりとしかけるのである。  だが、そうした旗島の前妻の妹としての近親的な眼差《まなざ》しのなかに、ときおり異なった表情を感じるのである。それが江利子にはついてゆけなかった。  江利子は、以前、旗島の名を持ち出して夫の不愉快な表情を見たとき、それほどこまかな神経をもつ夫とは思えないのに、やはり直感のようなものがあるのか、と思ったものだった。  良夫は七時ごろ会社から帰ってきた。彼はそこの課長をしていた。 「恭太は?」  彼はいちばんに訊いた。 「昼から出かけたそうです。わたしが水道橋に出かけてすぐだって、おばさんがいってましたよ」  良夫は顔を曇らせたが、帰る匆々《そうそう》に息子の話題は真平《まつぴら》だというように、話を変えた。 「そうそう、今日は君は能楽堂だったね。どうだった?」  夫は、着替えを済まし、座蒲団《ざぶとん》の上に坐った。 「済みません。……よかったわ」  江利子は、その能楽堂で旗島に遇ったことを夫に言ったものかどうかと迷った。旗島のことを夫はあまり喜ばない。もちろん両人で遇ったこともない。夫は課長にすぎなかった。部長になれるかどうかもわからなかった。一流会社だから、それは仕方がないとしても、男にはやはり比較意識があるのだろう。  それから、自殺した姉の前夫ということが夫にも面白くないのである。しかし、旗島と遇ったことを黙っていると、なんだか小さな秘密をつくるようで気持が悪かった。夫が旗島を好きでないだけに隠せなかった。 「へえ、外国人といっしょに来ていたのか」  夫はつまらなそうに聞いていた。煙草の烟《けむり》を吐いて、 「そういえば、新聞で読んだが、世界学術会議とかいったものが開かれていたようだな。それが済んで、その学者をあんなところに伴れて行ったのだろう。能なんか見ても、どうせわかりはしないだろうが」  わかりはしないというのが、旗島自身をも含めて夫が言っているような気がした。 「どんな話をした?」 「ほんの立ち話ですわ。五、六分、話しただけ」  実際はそうではなかった。あれから旗島は三十分ぐらいは引き止めた。自分の息子はアメリカにいて、学校の成績もいいと喜んでいた。そして、 (江利さんの息子さんは、たしか、来年が大学受験だったね?)  と訊いた。江利子に辛《つら》い質問だった。 (どう。成績はいいの?) (それが、お恥ずかしいんですけれど、あまりパッとしませんの) (そう。しかし、心配することはない。はいれるよ。どこの大学を受けるの?) (とにかくT大を)  と言ったが、それは江利子の小さな体裁だった。旗島には最初から中級の私大の名は言えなかった。ただ、T大に失敗したら、ほかの大学へ進ませるかもわからないと言った。 (大丈夫だよ。まあ、せっかくだから、一年ぐらい浪人してもT大にはいらせることだな) (ええ。でも、わたしのほうはお義兄《にい》さまのとこと違って出来がよくないものですから……) (いや、運ですよ。入試の半分は運命みたいなもんですからね。一度ぐらい失敗しても、落胆しないことだな。君は姉さんに似て頭がいい。子供さんも悪いはずはない)  旗島は勝手に断定した。  姉の素芽子《そめこ》はたしかに頭がよかった。旗島が姉を気に入ったのは、一つは彼女の聡明《そうめい》さからだった。姉は高名な英学女子大を二番で卒業した。伝統のあるこの女子大は入学試験もむずかしかったし、戦前は子女のあこがれだった。江利子も姉を慕ってこの大学にはいっている。 「旗島さんの息子はたしか、アメリカに留学していたと言ったな?」  夫がきいた。ちょうど江利子が旗島との会話を思い出しているときだったので、まるで彼女の胸の中を察したようだった。 「ええ」 「その息子、成績はいいのかな? 向うの大学ははいりやすいかわり、卒業するのはむずかしいというが」 「さあ、どうですか。そんな話、出ませんでしたわ。すぐお別れしたものですから」  夫は夫なりにやはり恭太と旗島の息子とをくらべていた。むろん、旗島の子供の出来がいいのはわかっている。しかし、それでも夫はアメリカの大学の卒業のむずかしさを言って、暗に旗島の子の不成績を願望しているようだった。  夫婦の会話が、しばらく途切《とぎ》れた。彼は煙草を吸いつづけていた。 「君の姉さん、素芽子さんが死んだのは、何月だったかな。いまごろじゃなかったのか?」  良夫が、ぽつんと江利子に訊いた。    3 「今日は昭和四十年十一月二日だから、十日あと、十二日でしたわ」  江利子は瞳《め》を宙に停《と》めて答えた。 「二十三年前というと、昭和十七年の十一月か。そろそろ日本の景気のいい戦局が峠《とうげ》をこすころだな」  台所では、通いのおばさんの足音がひっそりと聞え、煮ものの匂《にお》いが流れてきていた。  家を飛び出して行った恭太のことが気になるが、居なければ居ないなりに、夫婦の心は休まった。つかの間《ま》の落ちつきであった。 「結婚が十六年の二月二十日。その年の十二月に太平洋戦争が起っています。ですから、姉のときは、まだ結婚の支度《したく》にはそう不自由しなかったわ」  姉のときは、と言ったのは、江利子たちの結婚が戦後の物資の無いときだったのとくらべたのである。  家がまだよかった当時なので、素芽子は十分な支度をしてもらって旗島信雄のところにとついで行った。結婚|披露《ひろう》はあるホテルで、大学の教授、助教授たちがたくさん出た。江利子はその記念写真を覚えているが、モーニングをきた体格のいい旗島の傍《かたわら》の姉は、可愛《かわい》くて美しい花嫁であった。旗島の側、媒酌人の森田《もりた》さんの横には義父母がならんでいた。姉の横は森田さんの奥さん、つづいて両親がいて、セーラー服の江利子が写っていた。——その写真も、今は江利子の淡い記憶に残っているだけである。二十三年前、素芽子が自殺した直後に焼いてしまって、一枚も残っていない。  その記念写真の中でこの世にいない人は姉だけではなかった。両親もいないし、旗島の義父母も死んでいる。媒酌人の森田さん夫妻も亡《な》くなっていた。 「先方のお父さんという人は、いつ、亡くなったのだったかな?」  夫は訊いた。 「朝鮮総督府から内務省に転任してから二年目でした。姉の結婚当時は、まだ朝鮮にいて、お式には京城《けいじよう》から駆けつけたのです」  江利子は言った。 「そして、内地転任がそれから一年以上経ってからですから、姉とは、ほんの五カ月か六カ月ぐらい、同じ家にいっしょにいたんじゃないかしら。姉が死んだのをとても嘆いていたそうです」 「家は代々木《よよぎ》のほうだったな」 「ええ。旧《ふる》い家だそうです」  当時、小田急《おだきゆう》線で山谷《さんや》という駅であった。降りて七、八分のところだが、途中に岸田劉生《きしだりゆうせい》の画《え》のような、赤土道の切通しがあった。高台の、広い家で、階下が四部屋、二階が三部屋あった。先代が建てた家で、あまり広いので、素芽子がくる前、半分は使わずにいた。養父も京城に行っていたから、養母と信雄と、女中ひとりだけだったのである。  その二階の南向きの八畳の間が、信雄の書斎で、少年時代からの勉強部屋だったという。三方の壁を塞《ふさ》いだ書棚《しよだな》と、それにぎっしり詰った夥《おびただ》しい本と。——下は畳だったが、きれいなレースカーテンのついた窓と、その明るい光線を受けた広い机と、肘掛椅子《ひじかけいす》の、豪華に見えた配置だった。 (ここで、ウチの人は夜中の一時や二時までひとりで勉強しているの。わたしには階下《した》で先に寝ていろと言うの。でも、そうもできないから、自分の部屋で起きて待っていると、あの人、とても怒るの。こんなことは、毎晩だから、身体《からだ》をこわすからって)  遊びに行った江利子に姉は言った。信雄が大学に行った留守で、二人でならんでその窓際《まどぎわ》に立っていた。晴れた日で、小さな富士《ふじ》が雑木林の向うに見えた。下には青い縞《しま》の畑がひろがっていた。 (親切なのね)  十六歳の江利子が新妻の姉におませな口吻《くちぶり》で言うと、 (そうね。とても親切よ)  と、姉は咎《とが》めずに素直に受け入れた。 (そんなとき、お義母《かあ》さまは、どうしてらっしゃるの?)  江利子はきいた。 (わたしと八時ごろまで茶の間でお話なさるわ。あとはご自分の奥のお部屋におはいりになってラジオなど聞いたりして、お寝《やす》みになるわ。朝が早いから、夜もお早いわね) (お二人で、どんなお話をなさるの?)  江利子は、いつか自分が結婚したとき、そこに姑《しゆうとめ》がいれば、姉の話が参考になると思い、漠然《ばくぜん》と好奇心を持った。 (やはり、信雄さんをお育てになった苦労話ね。十一のときに、親戚《しんせき》から養子にお貰《もら》いになったのよ。今は、あんなに丈夫だけど、そのころは、そりゃ脾弱《ひよわ》な子供だったんですって。すぐ風邪《かぜ》をひくし、ひけば熱を出して四、五日は寝込むし、そうでなくとも蒼《あお》い顔をして元気はないし、そりゃ心配だったそうよ。おかあさま、ご苦労なさったらしいわ。それに、おとうさまが厳《きび》しい方で、お前は子供に甘いといってお叱言《こごと》なんですって。まあ、そういったお話を伺うの) (おかあさまも、お姉さまにご親切?) (ええ、そうよ……)  姉は、ええ、そうよ、と言ったが、夫の親切を問われたときのような、勢のいい肯定とは少し違っていた。窓の陽《ひ》をうけた姉の白い片頬《かたほお》に、水のような表情が瞬間流れていた。  素芽子にとっては舅《しゆうと》、信雄にとっては、叔父《おじ》でもあり、養父でもある実造が京城に在任中、この高台の家には、義母の織江と、信雄新夫婦と、女中の四人暮しであった。  信雄は養母に礼儀正しかった。大学に出勤するとき、帰ったときは必ず養母のいる部屋に行って、両手をついて、行って参ります、ただ今帰りました、と几帳面《きちようめん》に挨拶《あいさつ》した。夜遅く帰って、養母が寝ているときでも、襖《ふすま》の外に両手をついて声をかけた。遅い帰宅が少しつづくと、襖の中からは、お帰り、という養母の少し不機嫌《ふきげん》そうな返事が素芽子の耳にも聞えた。  養母も信雄にはそれほど甘くなかった。彼の小さいときから養育をほとんど任されていたというので、躾《しつけ》はきびしかった。これは信雄が素芽子に語ったことで、江利子は彼女から聞いている。それでも、織江は夫の実造から子供に甘いといわれたという。  嫁にきた素芽子から見て、養母の織江の信雄に対する躾というのが、どことなく形式じみているように思われた。つまり、愛情のようなものがあまり感じられなかったのだ。そこは、実際の母子でない間、たとえ十一のときから育てたにしても、実子を持った経験のない女性の感情のように思われた。形式的な愛情の表現や、躾などを、実際の愛情だと思いこんでいる養母——織江はそういう女のようであった。  信雄は、その養母に忠実であった。彼はしんからこの養母を敬愛していた。むろん、彼は十一のときに養子にきたことを当時から知りつづけてきていた。しかし、彼の様子だと一度も、養父母にその意識を持ったことはないようであった。  結婚の直前、信雄は素芽子にこう言ったそうである。 (養父母には、ぼくは大恩をうけています。あなたは、ぼくよりも父母、特に母を大事にして下さい)  結婚後の最初に信雄はこう言った。 (とかく、世間では姑と嫁の仲はよくない。もし、不幸にしてわが家でもそういうことになったら、ぼくは養母の側に立たざるを得なくなる。大恩のあるひとだからね。そういうことにならないように努力してほしい)  素芽子は、もちろん、それがわたしの務《つと》めです、と誓った。これは姉が実家に戻って、両親に話したことだった。江利子は、あとでその話を母から聞いている。  母はそれを聞いて、信雄さんは感心な方ね、そんなこと、花嫁さんにはなかなか言えないものよ、と言っていた。  それでは、姑の織江と素芽子との間はどうだったのか。  これは信雄が心配したようなことはなかった。織江は素芽子をたいそう大事にした。信雄には従来どおりのきびしい待遇だったが、嫁にはやさしかった。素芽子を何くれとなくいたわった。もっとも、素芽子が二年たらずで自殺しているので、その後いっしょに姑と暮していたら、その関係が永遠に持続できたかどうかは断言できない。だれしも結婚当初の嫁に対して姑はやさしくするものである。その二年たらずの間の限りでは、素芽子は姑に大事にされていたはずだった。彼女は、はじめのころ、実家《さと》に帰るたびにそれを言っていた。  だが、江利子は、自分が訪《たず》ねて行った日、二人で明るい窓辺《べ》に立ち、姑の親切を聞いたとき、姉の片頬に流れていた水のような寂しげな色をいつまでもおぼえている。同時にそのときの窓外の情景も記憶している。畑の間の径《こみち》を青年がひとり歩いていた。青年の捨てた煙草が短い麦の間で蒼い烟《けむり》をあげていた。——  結婚の話がまとまってから、養母の織江が挨拶に実家に来たとき、これからは信雄のことはいっさい素芽子さんに任せます、と言っている。これは、そのとき母の傍《そば》にいた江利子も聞いていたことだ。  素芽子に聞くと、その通りで、なるべく信雄の世話は素芽子に任せるようにしていた。信雄は厳格な躾を養父母から受けた一面、傍でかなり世話を焼かなければ自分ひとりではできないような不器用なところもあった。たとえば、身支度にしても、風呂《ふろ》にはいるときも、寝起きのときもいちいち手伝わなければならなかった。そういう点、やはり、一人息子として育った癖がどこかにあったのであろう。素芽子は、この家の厳格な作法と考え合せて、そこに何かちぐはぐなものを夫に感じた。しかし、これは不愉快なことではなかった。世話の焼ける夫は新妻にとってむしろうれしいことだった。  素芽子が来てからは、養母はほとんど信雄の世話から手を引いた。外出もよくするようになった。夫の実造が京城に行っているので、その寂しさもあったのであろう。急に稽古《けいこ》ごともはじめ、他人《ひと》の家を訪問するようになった。素芽子から考えると、ものわかりのいい、四十歳の姑が嫁に気をつかってくれているようにとれた。  それでは、素芽子と舅の実造との間はどうであったろうか。  実造が京城から内地に戻ってきたのは素芽子の自殺の数カ月前であったから、いっしょに同じ家に住んだのは僅《わず》かの期間である。だが、少なくともその間、素芽子が辛《つら》い目に遭《あ》ったという話を聞かない。むしろ、やさしい舅だと彼女は言っていた。そして、朝鮮から帰って、途中から家族に加わったため、多少、勝手が違っているようだとも言っていた。…… 「それで、結局、君の姉さんの自殺は、ご亭主の旗島さんの勉強ぶりについてゆけなくて、いまでいうノイローゼにかかったということに落ちついたわけだな?」  夫の良夫が述懐するように江利子に訊いた。それは彼が以前に何度か聞いていたことだったからだ。 「ええ」  江利子はうなずいた。姉には遺書が無かった。だが、そうとしか考えようはなかった。動機としては、少々弱いとは思っても——。 「姉さんの自殺死体を最初に発見したのは、旗島さんだったね?」 「そう」  今日、能楽堂で旗島信雄に遇《あ》ったことから、夫婦の間に妙な追憶となった。二十三年前のことがぶりかえされた。 「姉さんは、夫婦の寝室になっている階下の八畳の間《ま》で、床の中で死んでいた。横には旗島さんの蒲団《ふとん》がのべられてあったが、それは空《から》であった。なぜなら、旗島さんは、夕方の六時ごろ家に帰ると、すぐに夕食をとって、二階の書斎にはいったきりになっていたから。発見は十七年の十一月十二日の午前三時ごろ。旗島さんが書斎から降りてきて、姉さんの異常を知った……」  良夫は、前に聞いた記憶を一つ一つ妻に確かめるように、ゆっくりといった。 「そう」  江利子は暗い顔で低く答えた。事実、部屋の電燈さえ暗くみえた。近所で雨戸を閉じる音が聞えた。 「姉さんは毒物を飲んでいた。それは青酸カリだった。砂糖湯をつくって湯呑《ゆの》みに入れ、そのなかに青酸カリを入れて飲んだ。姉さんはその毒物が苦いことを知っていたから、飲みやすくしたんだね。飲んでから四十秒ぐらいで絶命したであろうとは、検屍《けんし》の警察医の言葉だったというが」 「…………」 「警察医が視《み》たとき、死後三時間ぐらい経過していた。だから、服毒時間はその日の午前一時ごろ。旗島さんが二階の書斎で、ロマネスク建築の様式論か何かを書いている間に、姉さんはひっそりと、ひとりで息を引き取ったのだ……」 「あなた、もう、やめて」 「旗島さんの義父母、姉さんには舅と姑に当る人は、奥の六畳で熟睡中だったから、何も知らなかった。この人たちは十一日夜十時のニュースで言ったアリューシャン方面の海軍部隊戦況の大本営発表を聞いてから、いっしょに寝た。そうだったな?」  素芽子の自殺を実家の両親が電話で聞いたのは、午前四時半だった。信雄が自分で知らせたのである。江利子は、真蒼《まつさお》になった父が、電話で自動車屋を起して呼ぶ大声をおぼえている。母は泣き出していた。寝巻のままの江利子は脚《あし》が慄《ふる》えて立っていられなかった。寒い未明であった。  素芽子は一通の遺書も残していなかった。普通、こんな場合、夫とその両親、実家の父母に宛《あ》てて遺書を書く。婚家の両親は省いても、実の父母には、どんなに簡単でも書くだろう。男よりも女性の場合ことにそうだ。遺書を残さないで自殺する傾向は中年をすぎてから出てくるが、素芽子はまだ二十一歳だった。それも結婚して二年にもならないのだ。遺書を認《したた》めないはずはないと思われた。  警察でも、少し不審を持ったらしい。毒物を入れて飲んだ湯呑みを調べたが、それには素芽子の指紋だけしか出てこなかった。結婚祝いでもらった一組の一つで、九谷焼《くたにやき》の派手な模様のついたものである。彼女はその小さなほうを自分の常用にしていた。湯を沸かした南部鉄の鉄瓶《てつびん》、砂糖湯をつくるために開けたガラスの砂糖壺《さとうつぽ》、ガスの栓《せん》など、すべて彼女の指紋しか出てこなかった。もっとも、姑の織江のうすい指紋もそれらにはついていないではなかったが、素芽子のぶんが強くて新しかった。姑も日ごろから、これらの物に手をふれている。  素芽子が神経衰弱になっていたのを、江利子の両親も認めていた。彼女が健康で明るかったのは、その結婚生活の前半までであった。あとになると、次第にもの思わしげになり、顔色も悪く、やつれてきた。そうした素芽子が実家に戻るたびに両親はおどろいた。母がいろいろ訊いたらしいが、素芽子は、はっきりしたことは言わなかった。信雄が毎晩、二時ごろまで勉強している、それを階下でひとりで待っているのが辛いというようなことは洩《も》らした。信雄の研究の手伝いが少しもできない、自分に学問の素養がないからとも悲観していた。  素芽子は自殺に用いた青酸カリを何処《どこ》で手に入れたのだろうか。  この毒物は一般の薬店では売らない。以前はかなりルーズに売られていたが、昭和十年ごろ、東京|浅草《あさくさ》で紅茶にこの毒物を入れて小学校長を殺した事件が起ってから、この薬で自殺する者や、人を殺す者が出てきて、政府は一般の販売を制限した。どこでも買えるものではなかった。  しかし、素芽子の学校友だちで、日本橋《にほんばし》の薬問屋の妻になっている人が警察に出てきて、彼女に青酸カリ一グラム分を渡したことを述べた。素芽子が、殺虫剤がよく効《き》かないので、それに混ぜたいといって、自分で買いにきたというのである。その死の一週間前であった。  この事実によって、素芽子の自殺は決定的となった。——    4  青酸カリで自殺した姉のことで、昨夜ほど夫と突っこんだ話をしたのも珍しかった。夫は、見ることのなかった妻の姉に前から興味を持っていた。江利子がときどき姉について話す断片からであった。  息子《むすこ》の恭太は、その夜十一時ごろに玄関をあけて戻った。姉の話が済んでからも、夫婦は落ちつかない気持で息子の帰りを待っていたのだが、恭太は両親のところに顔を出そうともせず、どんどん自分の部屋にはいった。障子を震わすような廊下の足音である。夫婦は顔を見合せた。恭太の居ない間、姉の回想という静かな時間が持てたが、息子の帰宅で、また現実の屈託に引き戻された。  江利子はすぐに立ち上がった。夫は動かなかった。夫が出ると、どうしても父子《おやこ》の間に乱暴な争いが起る。江利子も先に自分が様子を見たほうがいいと思った。  恭太の部屋のドアには果して内側から錠がかかっていた。二、三度ノックしたが、返事はなかった。 「恭太、いま帰ったの?」  と、江利子は呼んだが、息子の声は戻ってこない。静まり返っていた。  洋服を脱ぎ放しにして、万年床に潜《もぐ》りこみ、ふてくされている様子が想像された。わが子ながら憎らしかった。 「恭太、ここをちょっと開《あ》けておくれ」  江利子はドアに向って言った。恭太は黙っている。声が聞えないはずはなかった。 「あんた、どこに行ってたの? 昼から黙って出かけるから、パパもママも心配して帰りを待ってるじゃないの?」  空気に話しかけているようであった。 「これからは、外で遅くなるようだったら、ちゃんと連絡しておくれ。ちょっと公衆電話でかけてくれればいいじゃないの?」  これにも答えがない。江利子はいらいらした。 「ねえ、恭太、ほんとにどこに行ってたの?」  やっと怒鳴るような声が戻ってきた。 「うるさいな、ママ。どこにも行きゃしないよ。もう、あっちに行ってくれよ。おれ、寝られやしない」  粗暴な言葉には、江利子も近ごろ慣れていた。ただ、わが子が自分の力の及ばないところにいるのがかなしくなった。 「いままで外で遊んで来たのでしょ? もう少し起きてて勉強しなさいよ」  寝返りが床《ゆか》をゆるがすような音で聞えた。  江利子が戻ってくると、夫は煙草を吸いながら新聞をひろげていたが、 「もう、いいかげんにしろよ」  と、妻に眼をあげて言った。耳を澄ましていたのである。 「わたしの手には、とてもおえないわ」  と、江利子は溜息《ためいき》をついた。火鉢《ひばち》の炭は白くなって崩《くず》れていた。 「そうさ。もう、君では駄目《だめ》だよ」 「あなたがもう少し、言って下さるといいんだけれど」  知らぬ顔をしている夫に不満だった。 「ぼくでも、きき目はない。反抗してくるだけだよ。それに、あいつの様子を見たら、ぼくは嚇《かつ》と腹が立つからね。父子で取っ組み合いにもなりかねない。まるで、家の中に野獣を飼っているようなものだよ」 「…………」 「ときどき新聞に出るだろう。十七、八ぐらいの子が父親を刺し殺したという記事がね」 「そんな怕《こわ》いことをおっしゃらないで」  江利子は身体が冷たくなった。夫の言うのはまんざら誇張でもなかった。事実、恭太の様子を見ていると、いつかは、そんなことも起りかねない恐怖もあった。 「あの調子では、どこの大学を受けても駄目だよ」  と、夫の良夫は投げたような調子で言った。 「いま、戦後のベビーブームで、来年は大学受験生が物凄《ものすご》い。これは四、五年はつづくからな。結局、恭太はどこの大学にもはいれず、予備校でぐずぐずしているうちに、完全な不良になってしまうかもわからないよ」 「あなたから、そんな自棄《やけ》をおっしゃっては困りますわ」  江利子は自分も厭世《えんせい》的になってきた。  翌朝は祭日だった。恭太は十時半ごろまで寝ていた。やっと起きると、例の下駄《げた》をつっかけて黙って出て行く。顔も洗わず朝飯も食わなかった。多分、母親に文句を言われるのを嫌《きら》ったのだろう。  江利子が恭太の部屋のドアを押すと、彼はあわてて出たらしく、鍵《かぎ》をかけ忘れていた。雨戸も閉《し》まったままで中は真暗《まつくら》だった。  江利子は、何か恐ろしい現場でも見るような気持で電燈をつけた。思った通り、部屋じゅう乱雑を極《きわ》めている。蒲団もそのままで、枕もとには、例のパチンコ屋で取ってきたらしいチョコレートやキャンディの袋が破られたまま散っていた。煙草の吸殻が空函《あきばこ》に詰っている。敷蒲団の下には新しい週刊誌が開いたまま皺《しわ》だらけによじれていた。開いたページの題名と挿絵を見ただけでも、江利子は眼を塞《ふさ》ぎたくなった。  放心したようにそこにしばらく坐った。親戚《しんせき》の者は、そういう癖はいずれ直るから、そう心配することもないだろう、と言ってくれるが、慰めにすぎないように思われた。よその家の子供は立ち直るかもしれない。しかし、恭太にはそういう時期がないような気がした。  江利子は情けなくなって、泪《なみだ》が出てきた。  恭太のクラス担任は刈屋《かりや》先生といって、物理の教師だった。江利子が郊外のこぢんまりとしたその家に訪《たず》ねて行くと、座敷にあげられた。奥さんもちょっと顔を見せたが、江利子の来た目的を察したように、すぐに引っ込んだ。  江利子は、羞《は》ずかしさが口を塞いで容易に初めの言葉が出なかった。だが、煙草ばかり吸っている刈屋先生の顔を見ると、思い切って言った。 「先生、恭太の学校の成績はいかがでしょうか?」 「そうですな」  と、刈屋先生は、煙草の烟《けむり》が眼に沁《し》みるように顔をしかめた。先生は、江利子がここに来たときから、少し困った表情になっていた。 「正直に言って、恭太君は近ごろ、学力がひどく落ちて来ましたね」 「やはり、そうでございますか」江利子は肩で溜息をついた。「日ごろからあまり成績がよくございませんが、それよりもずっと悪いとなると、ほんとうに心配でございます」 「そうですな。来年は大学受験ですが、ご承知のように受験生がふくれ上がっていますから、このままの調子だと思いやられますな」  先生はおだやかな言葉を使ったが、江利子にはいちいち心臓が刺されるようだった。 「先生、恭太の成績が近ごろがくんと落ちているのは、わたくしどもにもよくわかります。そのことで、今日は先生に相談やらお願いに上がったのでございますが」 「はあ」  刈屋先生は皿に灰を落した。三十七歳の彼は、豊かな髪をきれいに撫《な》でつけていた。 「恭太は近ごろ、変な雑誌ばかり読んでおります。ほんとに先生にはお恥ずかしいんですが」 「いえ……」 「反抗期というのでしょうか、わたくしたちの言うことは全然聞き入れません。勉強もせず、部屋の中に閉じこもっては、買ってきたそういう雑誌ばかり読んでるようでございます。父親がやかましく言うのですが、少しも改まりません」  まさか父子の激しい言い合いや、恭太の野獣のような動作までは言えなかった。 「わたくしも恭太に注意するのですが、とても聞きません。あの子の居ないとき、その部屋にはいってみますと、とても口には出せないような有様でございます。そして、いま申しましたような恥ずかしい週刊誌や、そんなものから切り抜いた写真などが教科書の上に散乱してるのでございます。わたくしは、子供も思春期ですから或る程度は考えているんですけれど、あんまりひどうございますので、どうしていいかわからなくなりました。先生、恭太の成績がぐんと下がったというのは、各学科について全部そうでございますか?」 「そうですね」先生はまた煙草を口にくわえた。「ぼくは恭太君の組の担任ですが、ほかの科の先生方に訊《き》いてみても、率直に言って近ごろ、恭太君の成績はひどいですな」 「…………」 「ことに数学がいけません。恭太君は前からあまり得意ではなかったようですが、最近はそれに輪をかけたようだと数学の先生がぼくに言うんです。国語もいけないし、英語も落ちてるし、まあ、平均してよくないということですな。いや、お母さまを失望させるようで恐縮ですが、実態を申しあげないと、かえって……」 「よくおっしゃって下さいました。先生、どうしたらよろしいでしょうか?」 「恭太君に悪い友だちでもいるんですか?」 「わたくしどもには何も申しませんのでわかりませんが、学校のほうではいかがでしょうか?」 「そう。学校では特に悪い友だちとくっついているという様子はありませんね。そういうのは、いくら隠していてもわかるものです。これはぼくの想像ですが、よその学校の同級ぐらいの友だちと遊んでいるんじゃないですか。どうでしょう?」  言われてみると、江利子にも心当りがあった。いつか、他校の学生二、三人を家につれて来たことがある。そのなかには礼儀正しい子供もいると思って、江利子は安心していたのだったが。—— 「いや、そういうのに限って悪いのがいますよ」と、先生は苦笑した。「連中、なかなか心得ていますからね。友だちの父兄のところでは偽悪ぶるようなことをしません。裕福な家庭の子が多いですから、ちゃんとした躾《しつけ》は身につけていますよ」 「困りましたわ、先生。恭太は学校には休まないで出ているでしょうか?」 「ときどき欠席するようです。しかし、まあ、あんまり、それはきつくお叱《しか》りにならないほうがいいでしょう。反動でつづけて休まれても困りますから」  恭太は毎朝、家を出ていた。そうすると、学校に行くと称してよそに回っていたのだった。深い淵《ふち》がだんだんひろがって見えてくるような気がした。 「学校に出てからの恭太の様子はいかがでしょう?」 「そうですな……なんだか、このごろ、落ちつきがなくなったようですね」 「…………」 「そうかと思うと、ぼんやりした顔つきで、ぼくらの言うことを上《うわ》の空《そら》で聞いているような具合ですな。ちょうど別なことを考えているときのような、何か茫然《ぼうぜん》とした状態ですね。顔色も悪いようだし……」 「…………」 「記憶力がひどくうすれてますね。ぼくは物理ですが、恭太君は、前におぼえていたはずの簡単なことも度忘れしてるんです。このごろは学科がだいぶん進んでいるのですが、本人の頭にはいってるかどうか……」  江利子は、刈屋先生の言う意味がわかると、顔が上げられなかった。  先生は、あのことを言っているのだ。さすがにそれを察していた。年ごろの生徒をたくさん見てきているこの先生は、恭太ひとりではなく、そのことを全体的な現象としてつかんでいるようであった。 「何にしろ、近ごろの俗悪な週刊誌がいけませんな。週刊誌に限らず、どの出版物もひどいものですよ」  刈屋先生は二度目の煙草に火をつけて、ほかのほうを眺《なが》めるようにして言った。 「戦後の言論の自由というのを、出版社は履《は》き違えています。商売でセックスのことばかり煽《あお》って書いています。小説類もひどいですな。あれが生徒には大きな悪影響になっています。悪書追放などとお母さんがたが躍起《やつき》になっておられますが、その効果を上げるまではたいへんでしょうな。下品な出版社の商魂は、そんなことぐらいではこたえませんよ」  恭太のこともそこから来ていると、先生は言いたそうであった。すると、先生は、ふいに、こう言った。 「失礼ですが、お母さまは恭太君に正しい性教育をなさったことがありますか?」 「いいえ……」  とても、そんな話は子供にはできなかった。 「そうですか。親としてなかなか口に出せないことですからね。学校ではちょっと言っていますが、どうも、われわれが言うと、生徒に興味本位に取られ、ゲラゲラと笑って騒ぎますからね。これはやはり、家庭のお母さまがたからじっくりと静かに言って聞かせていただいたほうがいいと思うんです。だが、日本の家庭は昔から、そういう方面を穢《きたな》いとか、醜悪だとかいう観念にとらわれて、なかなか両親からは言えませんでね。ぼくは、恭太君くらいの年ごろの生徒が悪習をやめないのは、一つは、そうした正しい知識が欠如しているからだと思うんです」  先生は、はじめて、ここで、悪習という言葉を使った。 「それがどのように頭脳を鈍麻させ、気力の減退をきたすかということを言い聞かしてもらいたいのです。それさえしっかり本人にわかっていれば、抑制できると思うんですね。それが精神|障碍《しようがい》になるということをね。家庭で、話合いのようなかたちで言って下さったほうが効果があると思うんです」  しかし、現在の恭太のありさまでは、親子で話し合えるような状態ではなかった。 「先生、どうするのがいちばんいい方法でしょうか?」 「さあ、むずかしいですが、まあ、なるべく恭太君には、いい本を読むように言って、ああいう俗悪な週刊誌などがいけないのだ、下品な読物だということを本人が自覚するようにさせることでしょうね。……けど、いい本はなかなか読んでくれませんな、悪い本のほうが刺激があって面白いですからね。まあ、大学受験前の生徒となると、たいてい、そんな刺激から、一度おぼえた悪習がやまないようです。あとは、なんでしょうな、本人の克己心|如何《いかん》にかかるんじゃないですか」 「…………」 「それで思い出しましたが、ぼくの恩師に楢林《ならばやし》という応用化学の方がおられましたがね。T大の講師でした」  と、刈屋先生は、ここで、ふと話を移した。 「惜しいことに講師のまま夭折《わかじに》されましたが、この方が、やはり若いときのそんな悩みの体験をぼくらに打ちあけられたことがあります。楢林先生の話にこういうのがありましたよ。……先生の高等学校の同級生で旗島という、非常によくできる人がいたそうです」  江利子は、心臓がどきんとなった。  旗島という姓は、世間にそうざらにはない。ことに、T大の講師だった人の友人といえば、ちょうど旗島信雄の同期生ぐらいではなかろうか。  江利子は、突然、刈屋先生の横に、信雄の影が坐ったような気がした。 「楢林さんは、高等学校の二年生ごろにそんな悪い習慣をおぼえて、成績がぐんと落ちたそうです。そうすると、そのころ、ちょうど、旗島さんも成績がガタガタになったんですな。それで、楢林さんは、ははあ、旗島の奴《やつ》もやってるな、と思ったそうです。それまで旗島さんは、ずっと一番か二番で通してきたんですからね。楢林さんが旗島さんに、そっと訊くと、旗島さんは頭を抱《かか》えて悩んでいたそうです。そして、家《うち》は母親《ムツター》がきびしいので困る。ぜひT大にはいらなければならないのだが、これじゃ、困るんだ、と吐息をついていたそうです。……旗島さんは小さいときに官吏だった叔父《おじ》さんの家に養子になったそうで、お母さんというのは養母なんですね。官吏の家庭だから、旗島さんもT大一本に押しつけられていたわけです」  もう、旗島信雄に間違いはなかった。そういえば、信雄がT大にはいる前、高等学校の成績が急に落ちたことがあると聞いたことがあった。江利子は息を詰めていた。 「そうすると、旗島さんは高等学校を卒業する前に、急に成績がよくなって、T大にはいい成績ではいるし、大学卒業は、二番か三番だったらしいですな。やっぱり、あいつは偉かったと、ビリのほうでやっとT大にはいれた楢林さんはほめていました。旗島さんは克己心が強かったわけですね。それに、義母にあたる方がえらかったのかもしれません。やはり、お母さんの力は大きいですよ」 「…………」 「ぼくは、この問題では、いつも楢林先生のその話を思い出します。……旗島教授はいまでは西洋建築史で有名です。そのお名前はご存じかもしれませんが」  江利子は返事ができなかった。 「楢林先生が生きておられたら、もちろん、今は応用化学のほうの権威で、教授になられているでしょう。お墓が郷里のほうにあって遠いので、ぼくは先生の弟さんの市《いち》ヶ谷《や》のお宅に、毎年のご命日にはお線香をあげに行くことにしています」    5  江利子は良夫と長野県の田舎《いなか》に行った。M市で銀行員をしている夫の末弟の結婚式に出るためだった。  そこは信州の盆地であった。良夫の生家は地主だが、こういうときでなければ江利子もめったに訪れることはなかった。  槍《やり》や穂高《ほだか》の連山が眩《まぶ》しいほど白かったが、そのわりに平野は雪が少なかった。  東京から五時間ぐらいかかるので、駅から八キロ離れた実家に着いたときは、挙式が逼《せま》っていた。夫の親戚《しんせき》の挨拶《あいさつ》は江利子にも負担だった。が、久しぶりの訪れなので、その後新しくできた姻戚《いんせき》関係の人たちにも会ったりして、二時間ばかりは自分の身体が自分でなかった。花嫁も土地の人だった。  親戚と挨拶を交《か》わすのに、江利子が困ったのは、息子の恭太の様子を訊《たず》ねられることだった。しばらく見ないが大きくなられたでしょう。来年は大学受験ですね、今から、たいへんですな、と言われた。みなは、鉢巻《はちまき》で徹夜をしている恭太を想像しているようだった。江利子も返事に困った。 「運悪く競争激甚の年にぶつかったから、まあ、なんですね。一年は浪人させる覚悟です」  夫は苦しそうに予防線を張っていた。そんなとき、江利子は傍《そば》から遁《に》げていた。  江利子は、留守中の恭太が気になった。親の居ない間、さぞ、のうのうと勝手なことをしているに違いなかった。手伝いのおばさんは年寄りで、もとより制御がきくはずはなく、それに、通いだから夕方の支度を済ませるとさっさと帰ってしまう。恭太には家を空《あ》けないように言いつけてあるが、効力があるとは思えなかった。夫婦は、今晩一晩だけここに泊り、明日なるべく早い汽車で東京に帰るつもりにしていた。末弟の婚礼でもなかったら、とても外に出る気はしなかった。  町|外《はず》れの神社で結婚式が済むと、両家の近親者は何台かのハイヤーに分乗して、隣の町の温泉旅館で開かれる披露宴《ひろうえん》の会場に向った。  その町までは十二キロぐらいあった。近ごろ開けた新しい国道ではなく、昔ながらの旧街道沿いだった。新郎新婦を先頭車として三番目の車に良夫夫婦は乗っていた。助手席には良夫の甥《おい》が坐った。  あたりはうす暗くなりかけた。アルプスの連山も雪だけが蒼味《あおみ》を帯びて暮れ残った。  道は、うねうね曲っていた。両側は裸の桑畑で斑雪《はだれゆき》に株が埋まっていた。信州特有の、勾配《こうばい》の急な屋根と、切妻《きりづま》に白壁の家の集落が断続している。後ろの山を越えると、佐久《さく》のほうに出る。 「近ごろは、どこも蓄電器《コンデンサー》の工場ができたなあ」  良夫が窓の外を見ながら、助手台の甥と話していた。 「小せえ製糸工場がみんなレンズ研磨工場になったり、ラジオやテレビのコンデンサーをつくるようになったで。それだで、近ごろアメリカあたりで集積回路《サーキツト》が開発され、早晩、日本にもそれが使われるという話が伝わっている。そうなれば、コンデンサーをつくるこの辺の中小企業は軒なみに倒れるんじゃねえかと、でえぶ心配しているようだ」  百姓をしている甥は、そんな村の近況を教えた。  この盆地からS湖畔一帯にかけては、空気が清澄《せいちよう》なために、光学機械関係や電気関係の精密部品の製造が行われている。  しばらく畑がつづくと、次の集落にはいった。右側は小さな農家のかたまりだが、左側には低い石垣《いしがき》の上に白い塀《へい》が長々とつづいていた。土塀の多いこの辺には漆喰《しつくい》の白塀は立派だったし、塀の上からは大きな屋根の上部や、蔵がのぞいていた。この辺の旧家か、資産家らしいとは江利子にもすぐ察しられた。  この辺に不案内な江利子は車の窓からこの白い塀が流れてくるのを見ていた。すると、そのときだった。その高い塀の上から出ている一つの顔が見えた。  それはいびつなくらい頭の大きい顔だった。頬《ほお》がすぼんでいるので逆三角形の輪郭である。その広い額の下の、くぼんだところから、二つの眼が、じっと車内の江利子を見つめていた。うす暗い中だけに、江利子は首筋に水を注がれたような気がした。  それは、ほんの一瞬の間ではあった。花嫁の車を見ていた男が、その通過につれて次の車に眼をむけ、それが偶然に江利子の視線と出遇《であ》ったというだけのことであろう。その証拠に、塀の上の男は、次にくる車の中にもう眼を移していた。  だが、江利子は、一瞬の間でも、その福助のような頭の大きい男が、前から狙《ねら》って待ち構えていたような、粘《ねば》い視線を感じたのだった。三白眼の、よく光る眼であった。江利子は窓の外が広い桑畑に変っても、その無気味な顔が消えなかった。 「川棚《かわだな》の重三《じゆうぞう》も、花嫁をのぞいて、思わぬ眼の正月をしたわ」  と、甥は良夫に言った。 「あれ、重三かい? へえ、だいぶん年齢《とし》をとったじゃないか」  良夫は甥に訊《き》き返した。それで、江利子も、塀の上の顔が重三という名だと知った。 「もう、おっつけ二十七、八ぐれえにはなるかな。あの子のために川棚の家も気の毒なことだで」 「重三が悪戯《わるさ》をして困るというのは十年ぐらい前だったが、まだ、その癖はやまないのかい?」  良夫はきいた。 「わるさはしねえ。しねえ訳があるだから……」  甥は、そう言いかけて、江利子に遠慮したように口をつぐんだ。  田舎の婚礼は夜遅くまでつづく。江利子夫婦が、その温泉旅館を出たのは十二時前だった。新郎新婦は、その旅館に泊り、翌日は名古屋に出て、関西方面を旅行することになっていた。  江利子と夫とは車で、来るときと同じ道を戻った。助手台には、甥に替って神戸《こうべ》にいる良夫の従弟《いとこ》が乗っている。  真暗な道をヘッドライトの光の先が掃《は》いて進んだ。灯《あかり》がちらついているところが集落で、何も見えないところが畑だった。星空が途中で切れているのは、そこがアルプス連山の線だからである。夫と従弟とは業界の共通な話題をつづけていた。いままで野の遠くに小さく匐《は》っていた灯に替って、道の両側に明るい灯が近づいた。もっとも、村の家のほとんどは戸を閉《し》めているので、外燈だけだった。  そこにはいったとき、江利子は、来るとき見かけた高い塀のあった村だと気づいた。間違いはなかった。やがて外燈が低い石垣と長い白塀の一部を照らし出してきた。江利子は、塀から眼をそむけた。見えないが、あの気味の悪い大きな頭がまたのぞいているような気がした。  あのとき、夫と甥とは、その顔の名を重三とか呼んでいた。話の具合では、普通の人ではないように思われた。甥は、重三のために川棚の家が迷惑をしていると話していたし、夫は、十年前の重三はわるさをしていたが、と言っていた。その後どうしているかとも訊いていた。  どうやら、塀の上にいた男は精神異常者のようであった。夫が悪戯《わるさ》と言ったのは、そうした病気にありがちな狂躁《きようそう》的な症状のことであろう。一家が迷惑しているということも、それで判《わか》る。あれだけの屋敷だから旧家には違いなかった。川棚という名がこのへんで知られた家名とは、甥の口ぶりからも想像された。  その甥が、 (悪戯《わるさ》はしなくなった。しない訳があるだから……)  と言ったまま、あとの言葉を呑《の》んだのは、明らかに江利子に遠慮したところがみえていた。どういうことかよくわからなかった。その後、話は切れてしまったし、あとの宴会でも夫は何も話さなかった。愉快な話題ではなさそうだし、江利子も別に訊く気もしなかった。が、いま、再びその家の前を通過して、あの顔を思い出すと、そのことを夫にたずねてみたくなった。その夫は従弟と酔った声で業界の話をしきりにつづけていた。——  実家に戻って遅い寝に就《つ》いたとき、江利子は横の夫にはじめてきいてみた。 「さっき、ご披露の会場に行くとき、長い塀の前を通りましたわね。あのとき、変な男の人が塀の上からのぞいていたけれど、あれはどういう方?」  良夫は、もちろん、この村のことは熟知していた。が、答えはあまり積極的ではなかった。 「あれは重三といって、少し頭がおかしいんだよ」 「そう。少し普通の顔と違うように思ったわ」 「うむ。精薄児には、よくああいう頭の大きな畸型児《きけいじ》がいる」 「精神異常者ではないの?」 「まあ、狂人に近いのだろうな。川棚というのがあの旧家の名前だがね、あの子が居るために、気の毒に一家が困っている……ぼくは久しぶりに重三を見たのだが、前に見たのは、あの子の十七、八ぐらいのときだったな。ずいぶん大人になっていたのでおどろいたよ」  夫は腹匍《はらば》いになって煙草を吸いながら言った。 「そんなに長くごらんになってなかったの?」 「そりゃそうだ。この村から離れているし、あの子はずっと家の中に閉じ込められ同然だからね、めったに見なかったわけだ」 「そう。さっき、あなたがわるさをしているかと訊いてらしたけれど、乱暴でもするの?」 「いや、そういう狂暴性ではないが……」  夫は口を濁して烟《けむり》だけを吐いていた。江利子はあの印象から、奇妙にその話題が打ち切れなかった。 「二十七、八というと、その重三さんという人もそろそろ結婚でしょうけれど、あんなにお金持ちでもお嫁にくる人はないんですか?」 「嫁にくる者がないどころか、あすこには、重三の姉も居る。たしか三つぐらい違っているはずだが、あの子が居るばかりに、まだ嫁にゆかずにいるらしいね」 「ほんとにお気の毒ね。ご両親のお気持はどうなんでしょうね?」 「そりゃ、いくら土地を持っていても、資産があったにしても、やりきれないだろうな」 「でも、それほど狂暴性でもなく、人に迷惑もかけないのだったら、ほんとの精神異常者ではないでしょ?」 「精薄児ということになっているだけに中途|半端《はんぱ》だったんだ」 「だって、精薄児でも精神病院は置いてくれますわ」 「それは病院も置いてくれるが……ま、これには特別な事情があるんだよ。今日は遅いから、明日、汽車の中ででも話すよ」  良夫は、短くなった煙草を灰皿に揉《も》み消すと、灯を消し、顔の上に蒲団《ふとん》を引いた。  翌朝、帰京の列車の中で、良夫は、はじめて「重三」について江利子に詳しく語った。それは陰惨で、衝撃的な話だった。 「川棚家というのは、あの辺の旧家で、資産家なんだ。農地改革で削られはしたが、それでも土地はいちばん多く持っている。当主は六十ぐらいで、奥さんは五十ぐらいだろう。重三は三男だが、上の兄が死んでいるから、いまは二番目の息子《むすこ》だな。その上の兄というのは、九州のほうに世帯を持って、絶対に実家には帰ってこない」 「重三さんが居るからですか?」 「そう。兄は、重三を自分の奥さんに見せたくないというんだな、恥ずかしくて」 「でも、頭脳《あたま》が少々弱いというだけでしょう。その程度なら、世間の家庭にはありますわ」 「それが、重三の場合、その程度というわけにはゆかないのさ……」 「どうして?」  良夫は口もとに、かすかな苦笑をみせた。 「重三のは病的性欲なんだよ」 「…………」 「あの子が十四、五ぐらいのときから、その症状があらわれてきた。人の見ているところで前をはぐり、平気で何かをしてね」 「まあ」 「若い者は、面白がってそれを見物していたものだよ」 「いやですわ」 「そのうち、面白がってもいられない状態になった。重三は、女とみれば見さかいなく追いかけはじめたのさ。十六ぐらいからかな。あれは精薄児というけれど、本当は痴呆症《ちほうしよう》というのじゃないかね、そういう人間は膂力《ちから》も強いのだ。二、三度、通りがかりの女が危ない目に遭《あ》ったというし、主人の居ない女の家に忍びこんだりした。何しろ、田舎《いなか》だから戸閉りは不用心なわけさ。重三のために、実際に被害をうけた人妻もいるという噂《うわさ》だ」  悪戯《わるさ》という意味はそういうことだったのか。江利子は、大きな頭の下から、じっと自分を見つめていた白い眼を思い出して、ぞっとした。 「そういう人、どうして精神病院に送らないんですか?」 「むろん、川棚家は金があるから、それはできる。だが、そういう子ほど親が不愍《ふびん》をかけて可愛《かわい》いというのか、できなかったんだな。精神病院に送って牢獄《ろうごく》のような鉄格子《てつごうし》の部屋に入れるに忍びないというわけだ。それに、精神病院では、本人に冷酷な扱いをする、ろくな食事も与えない、という観念を親が持っているものだから、哀れで重三が入院させられないのだな。特に母親がね」  良夫は、どういうわけか、母親というのに力を入れた。 「でも、それじゃ、人さまに迷惑ですわ」 「迷惑だ。だから、親は重三をあの屋敷のなかから外に出さないようにしていた。それでも、座敷牢などは可哀想《かわいそう》だというので、そのままにして親の監視だけにした。しかし、それじゃ、重三は脱出するからね。外に出ると、やはり、女をおどすのだ。村の者が見つけたら、棒ぎれなど持って追っ払っていたがね。ぼくが甥に、重三はやはりわるさをするかい、と訊いたのは、それを知っていたからだ」 「その悪戯《わるさ》は熄《や》んだと、善吉《ぜんきち》さんが言ってらしったわね?」  善吉というのは、あのとき車の助手席に乗っていた良夫の甥だった。 「うむ」 「病気が軽くなったんですか」 「いや、そうじゃない。ぼくも、今度はじめて善吉の口から聞いたんだが。いや、車の中では、君が居たので、彼も遠慮して話せなかったんだがね、あとでぼくに言ったよ。……どうも常識では考えられない、信じられない話だが」  良夫は、江利子の顔に眼を走らせて言い渋っていたが、思い切ったようにつづけた。 「それはね、母親が身をもって重三の症状を抑《おさ》えているという噂だそうだ」 「身をもって……?」 「うむ、噂だから真偽はわからないが」  と、良夫は、江利子のまともな視線を避けるように煙草に火をつけた。 「奇怪な話だが、母親が毎晩のように重三に添い寝してやっているというんだ」 「…………」  江利子は声を呑んだ。 「母親というのは、五十前後だが、重三が十七、八のときに、それがはじまったというから、母親が四十ぐらいのときだろうな。母親としては、重三を気違い病院なんかに入れたくない、さりとて家に置けば、他人にとんだ迷惑をかける。旧家としての世間体もある。それで、座敷牢もつくりたくない、とすれば、その迷惑を防ぐ方法としては、母親が重三の病的な衝動を鎮《しず》めてやることだけだ……」  江利子は、思わず夫から顔をそむけた。窓の外には八《やつ》ヶ岳《たけ》のゆるやかな裾野《すその》がひろがっていた。夫は奇怪な話だと断わって言ったが、江利子は耳を掩《おお》いたくなった。いや、またしても浮んでくる大きな頭の顔を網膜から払い除《の》けたかった。 「それで、重三の外での異常行為はなくなったという噂だそうだが、さっきも言うとおり真実のことはわからない。しかし、重三の悪戯《わるさ》が十七、八のとき以来、ふっつりと無くなったことは事実だという。もっとも、ああして、外を通る女を重三が異常な眼で見つめているところを見ると、症状が癒《なお》った様子でもないようだから、その信じられない噂を肯定したくなるね。しかし、そうだとすれば、あの一家はこの世の地獄だよ。主人は、妻が息子の添い寝をするのを黙認して、姉娘を連れて別棟《べつむね》に住んでいるというからね。これも、重三からその姉を護《まも》っているという噂だそうだ……」  窓の外は、八ヶ岳の頂上がゆっくりと回っていた。江利子には山が黒く見えた。    6  江利子は、夫から聞いた川棚家の重三の話がいつまでも耳から消えなかった。気分が悪くなった。汽車に揺られている間、嘔《は》き気がした。胃のあたりが圧《おさ》えつけられ、胸の中に、大きな頭の顔が詰っていそうだった。  他人の話としては、身につまされすぎた。横に坐っている夫も、話すのではなかったという後悔を見せていた。煙草ばかりふかして窓の外を凝視し、別な座席の客を眺《なが》め、口を閉ざしていた。初めは、頭脳の正常でない、奇怪な行動をする少年の話を、江利子の好奇心を充《み》たす世間話のつもりで口にしたのだが、そして多少は自分たちのひけ目も感じて言ったのだろうが、やはり、それが軽率だったことに気がついたようであった。話して聞かせてゆくうちに妻の衝撃が思った以上に強いのを知って、狼狽《ろうばい》していた。その話は、わが子の欠陥を拡大して見せていた。  しかし、江利子は、もう一つの苦痛をうけていた。夫はそこに気がついていない。だから、自分よりは軽い表情で、きょろきょろとあたりを見回していられるのだと思った。  江利子が嘔吐《おうと》をおぼえたのは、重三の母親がわが子の病癖を抑える防塞《ぼうさい》になっているという話だった。他人に伸びるわが子の暴力を、自らひとりの被害者となって食いとめてきた母の悲惨さは想像に絶した。  江利子には、夫が重三のことをいった一言《ひとこと》が忘れられなかった。 (母親というのは、重三が十七、八のときから、ずっと添い寝をつづけてきている。それ以来、重三の外の女性に対する異常行為がなくなった……)  この言葉が、江利子の記憶の底に沈澱《ちんでん》している腐った藻《も》を掻《か》きまわした。どろどろになった藻が濁りの中に浮き上がってくる。 (男の子の十七、八のときからはじまった母親の添い寝……)  この相似性は遠い過去の、だが、彼女に近いところにうすぼんやりと存在している。——  考えても忌わしい想像であった。だが、それはふしぎな真実性をもって彼女に逼《せま》ってきた。想像の欠片《かけら》が影のように茫漠《ぼうばく》とした過去のひろがりに落下して、そこに真実のきらめきを発している。想像ではなく、それは回顧ではなかろうか。  甲府《こうふ》を過ぎると、関東平野にかかるまでトンネルが多い。車内に明滅する光が、江利子には、その真実の突き刺した蒼《あお》い火花のように感じられた。  新宿駅での良夫は、唇《くちびる》が白くなっている江利子に気をつかった。疲れて気分が悪いなら、家に帰るまでどこかで休んでもいいと言った。江利子が首をふると、彼自身も不機嫌《ふきげん》そうにタクシーを呼んだ。  だが、家が近づくにつれ、江利子の心配は現在のものに戻った。夫がタクシーから荷物を運び、代金を払っている間、江利子は玄関にはいった。恭太の靴は無かった。彼の靴には特徴があった。靴ベラを使わないで横着にはくから踵《かかと》がひしゃげている。  手伝いのおばさんが待ち兼ねていたように顔を出した。 「お帰りなさい」  溜息《ためいき》をついたようなおばさんの安心した表情だった。 「恭太はどうしています?」 「午《ひる》にお友だちといっしょにお出かけになりました」 「友だちと? じゃ、昨夜はちゃんとここに居たんですね?」 「はい……」  おばさんは、この家の事情を知っている。普通なら、江利子を安心させるため留守番をした息子《むすこ》のことを弾《はず》んで報告するはずなのに、何も言わないで、渋い顔をしていた。  江利子は座敷に上がり、コートをとっただけで台所をのぞいた。勝手口と境の台所の隅《すみ》には出前の広蓋《ひろぶた》が置かれ、その上に空《から》の丼《どんぶり》が五、六個と、すしの皿《さら》が三つ、積まれていた。蓋のはずれた茶碗《ちやわん》にも皿にも飯粒が船底の牡蠣《かき》のようにきたなくこびり付いていた。おばさんに聞かなくとも、ひと目で昨夜恭太が呼んだ友だちに食べさせた店屋《てんや》ものだとわかった。恭太は、家の副食物《おかず》が気にいらないと、勝手に電話でそば屋や、すし屋に注文して取り寄せた。江利子が叱《しか》ると反抗する。恭太は母に反抗するために、店屋ものを取っているようなときもあった。 「さきほどまでかかって、やっと片づきました」  おばさんは、しょっぱい微笑で江利子に報告した。 「まあ、たいへんでしたわね」  江利子は、恭太の昨夜と今朝の状態を詳しく聞くのが怕《こわ》かった。 「わたしが今朝こちらにきてからおどろきましたよ。坊っちゃまの友だちという人が、お客用のきれいな蒲団を引っ張り出して寝ているんですよ。みんな同じ年恰好《としかつこう》で、よごれたまま寝転《ねころ》がっているんです。一応、カバーだけははずし、とにかく、蒲団は押入れに入れておきましたが、明日にでも、ゆっくり後始末をいたしましょう」  その蒲団の白いカバーは皺《しわ》だらけになって部屋の隅に積まれていた。見ただけで黒いよごれがわかった。洗濯屋《せんたくや》に出すとしても、敷布を乱暴に山積みしているところにおばさんの腹立ちがあった。わざと江利子に見せるためかもわからなかった。 「まあ、坊っちゃまも、旦那《だんな》さまと奥さまが一晩留守されたので、思う存分に自由になさったわけでしょうね」  夫が気がかりげにはいってきた。 「どうした?」  江利子は、姉の素芽子が自殺する前あたりの様子を両親からほとんど聞かされていなかった。姉のことは、十六、七歳の彼女がただ自分で断片的に見たり、耳に入れた話だけである。  結婚してからの姉は幸福そうであった。たしかに、訪《たず》ねてゆく妹に姉は生き生きと新婚の明るさを見せた。それが江利子の眼に映った姉の結婚生活の前半なのである。  そうした姉が半年ぐらいを境にして急にものを言わなくなった。江利子の足が代々木の旗島の家から次第に遠のいたのは、その姉の不機嫌とも憂愁ともつかない変化からだった。江利子には、姉の無口が、姉の言葉のようにとれた。 (江利ちゃん、もう、この家には来ないでよ)  姉がそういっているように聞えた。  はじめのころ、江利子が遊びに行っても、よく顔を見せていた姉の姑《しゆうとめ》、織江もあまり姿を見せなくなっていた。  織江というひとは、今から考えても中年すぎのきれいな婦人だったと思う。現在の江利子は、もうすぐ、あのころの織江と同じ年齢になるのだが、あのように垢《あか》ぬけた顔や姿にはなれないと思っている。上背《うわぜい》があったから痩《や》せて見えるようで、肉づきがあった。色が白く、細く通った鼻梁《はなすじ》に上品さがあった。いつも遠くを見るような眼つきに睡《ねむ》たげな感じがあって江利子は魅力をおぼえたものだった。  織江は、十六歳の江利子には愛想がよかった。微笑しながら江利子の話し相手になってくれたが、どうかすると、あの特徴のある眼が別なところを見ていて、江利子の話をろくに聞いていないように思われることもあった。そんなとき、江利子は自分が嫁の妹だという意識になった。  今から考えると、旗島信雄と織江がいっしょにならんで江利子と会っている記憶はなかった。信雄と話しているときは、織江が居なかった。織江と話しているとき信雄の姿はなかった。信雄が大学に行った留守は別にしてもである。  当時は、それに気がつかないくらい何とも思っていなかったが、いま、思い出すと、たしかに変だった。もっとも、江利子が代々木の家に遊びに行くのは、そう多くはなかったから、偶然といえばそれまでだが、織江はわざとそう取り計らっていたのではなかろうか。つまりこの姑は、嫁の妹の前に、息子といっしょに坐って話すのを避けていたのではなかろうか。  信雄は、あのころから江利子に親切な義兄であった。親しげな眼と笑顔《えがお》、饒舌《じようぜつ》と思えるくらいな巧みな話術、知的な諧謔《かいぎやく》、たびたび妻の素芽子のほうをふりむいては同調を求め、自分の話の効果をたしかめるしぐさ。  その信雄も、二階の書斎で江利子といっしょにいるとき、話のさなかに、ふいと視線を逸《そ》らせて、何かに気をとられているようなことがあった。気をとられているというよりも、それは階下の様子を窺《うかが》っているような耳の澄ましかただった。——階下は静まり返っていた。その一部屋には養母の織江がひっそりと坐っているはずであった。  何度目かの訪問で、江利子も信雄のその癖に気がついていた。癖といってもいい。彼は、始終、そういうことをしていたから。 (お義兄《にい》さまって、お母さまにずいぶん気をつかってらっしゃるのね?)  江利子は姉に低い声で言ったことがあった。 (あの人、お母さま孝行だから。でも、そんなことを家《うち》に帰って言っちゃ駄目《だめ》よ)  姉は口止めした。姉は少し怕い顔をしていた。姉の自殺する十カ月ぐらい前であった。  もうそのころは姑の織江も二階に上がってきて嫁の妹の相手をするようなことはなくなっていた。ただ、江利子が帰りに玄関に降りたとき、暗い廊下の奥から顔だけのぞかせて、 (もうお帰り? 気をつけてね)  と声をかけてきた。その言葉には、話の間に視線を逸《そ》らしているのと同じよそよそしさがあった。  もうお帰り? 気をつけてね。——江利子は織江のことを想い出すと、今でもその冷たい声が聞えてくる。  そういえば、もう一つの記憶がある。義兄と二階の書斎で話しているときだったが、江利子が、 (お兄さまは、ここで夜中の一時までも二時までもご勉強ですってね。そのあいだ、お夜食は召し上がらないんですか?)  ときくと、信雄は、 (ぼくは、長い習慣で、そういうものが欲しくなくなっているんだよ。夜食をたべると、朝起きて胃が重くなるんでね)  と、少し煙《けむ》たそうな顔でいった。 (お紅茶だとか、お番茶だとかは、おのみになるんでしょう?) (いや、それものまない。咽喉《のど》が乾《かわ》いたら、勝手に台所に水を飲みに降ります。素芽子には、ずっと階下で寝てもらったほうがいいんでね。いろいろサービスされると、気が散って勉強ができないからね) (お姉さまを大事にしていらっしゃるのね) (いや、別にそういうわけではないが。……ぼくは学生のころからその習慣がついているのでね)  この最後の言葉には、力がはいっていた。 (じゃ、こちらのお母さまも、お兄さまの学生のころから、どんなに夜中のご勉強でも、何もして下さらなかったんですか?)  それは江利子の経験からの単純な疑問だった。江利子の母は、姉の素芽子が学校に行っているときもそうだったが、夜更《よふ》けの勉強には、夜食のすしだの紅茶だのを運んでくれた。 (そりゃ、そうさ。何もかまってくれなかった。躾《しつけ》のうるさいひとだからね)  信雄はそう言ったあと、チラリと傍《かたわら》の素芽子の顔に視線を走らせた。あの視線は、今から考えると、妙に狡猾《こうかつ》なところがあった。  そのとき、姉は黙っていたが暗い表情だった。だが、その表情を、夜の勉強の時間、夫に疎外されている妻の寂しさだと、当時の江利子は解釈していたのだった。  着替えをすませて、江利子は茶をいれた。夫の良夫は茶の間のテレビの前に茫然と坐っていた。楽な着物になって、疲れが出たようであった。  二人とも無口になっていた。信州での昨夜の結婚式のことも、親戚《しんせき》のことも話題にはならなかった。気疎《けうと》いものが二人の心を占めていた。恭太は帰ってこなかった。  帰ってこない恭太のことから、川棚家《かわだなけ》の重三がまた江利子の連想に上ってきた。その共通性の目盛りに拡大と縮小があるだけだった。そして、その共通の延長線の涯《はて》に、過去のあるぼんやりとした事実がかすんでいた。 「旗島さんの養母というひとは、嫁にきた君の姉さんにやさしかったと言ったね?」  夫は紅茶をのみながら江利子にきいた。またあの話題になった。しかし、それは自然な運びのなかではじめられた。江利子が、ちょうど姉と旗島家のことを考えているときだったから、夫の言葉が心にすうとはいって、唐突《とうとつ》さを感じさせなかったのかもしれない。  姉は、姑にはじめは大事にされていた。のちになっても特に変ったわけではない。変ったのは、むしろ姉の素芽子のほうだったであろう。 「旗島さんの養父のほうはどうだったんだろう? 姉さんの舅《しゆうと》としてさ」  夫は江利子につづけて訊《き》いた。  養父の実造は、朝鮮から帰って内務省勤めとなり、素芽子の生涯の最後に近い短い期間、いっしょに家で暮していた。舅としては姉を最後までいたわっていたように思う。  江利子は役所から帰る旗島実造と、代々木の家の近くで一度だけ遇《あ》ったことがある。戦争のためにガソリンがもう窮屈になっているときで、局長でも自動車の送迎がなくなったのか、畑の道を歩いてきていた。役所の書類のはいった風呂敷《ふろしき》包みを小脇《こわき》にかかえて、猫背のうつむき加減に歩いている姿は心なしか淋《さび》しそうだった。江利子が姉を訪ねているときは実造はたいてい役所に出勤していて居なかった。今から考えると、あれは実造がわざと家庭を避けていたように思う。  ——姉は、夜更けてこっそりと二階に上がってゆく階段の足音を聞いていたのではあるまいか。  二階の書斎には信雄がひとりで本を読んだり、ものを書いたりしている。妻の素芽子が出入りを禁じられている時間であった。寝つかれないままに床《とこ》に横たわっている彼女の耳に、毎夜のように、忍びやかに階段を上がってゆく足音がはいっていたのではなかろうか。その足音は一時間もすると、再びこっそりと降りてきた。……  同じ足音を、もう一人の男が聞いていた。彼は長い間、朝鮮に行っていて、家を留守にしていた。留守宅は、妻と養子とが守っていた。養子は小学校からよくできた。大学は必ずT大を受けさせねばならなかった。官吏の家庭だから、それは絶対的であった。官吏の父親はその必要を身をもって知っていた。しかし、養子は高等学校二年生のときに、突然成績が下がった。十八歳の時だ。彼の上に何かが起ったのだ。養父は京城《けいじよう》に在《あ》った。……  男の子は、立ち直った。T大には優秀な成績で合格した。その中間に、再び男の子の上に何かが起った。しかし、その出来事は永遠につづいた。その子が大学を出て母校の助手となり結婚してからも。  夜中の階段の音がそれではなかったか。養子が十八ぐらいのときに、彼の悪習を癒《なお》し、T大入学の脱落の危機を救った養母の行為は、そのまま癒着《ゆちやく》してしまった。彼の意志にかかわりなく、女が添い寝にきたから。——  京城勤務の養父は内地に出張したときそれを知った。その妻は告白したかもしれない。夫は憤りを抑《おさ》えて宥《ゆる》した。高級官吏の夫は外部に洩《も》れる恥を防ぐため、おのれの恥に耐えなければならなかった。……  そのために、早く養子を結婚させることにした。嫁をもらうことがこの秘密の防御となる。しかし、その故に養母の行為はかえって安全につづけられた。  ——姉の素芽子は、何かを見たのだ。それから青酸カリを、薬問屋をしている友だちのところに求めに行った。実家の両親には言えないことだった。 「しかし、姉さんに遺書がなかったのは、どう考えても妙だね。そんなとき、せめて夫|宛《あ》てにだけは何か書くんだがねえ。……いったい、旗島さんは、姉さんとお母さんとの間が気まずくなったような場合、いつもお母さんの側に立っていたんじゃないかな?」  夫の良夫が、江利子の回想を破るように言った。やはり夫もいまはそれに気づいていた。    7  たしかに、旗島信雄は妻の素芽子と養母の織江との間で小さな対立があったとき、いつも母の側に立っていたようだった。江利子は、姉の結婚生活に不幸が見えてきたころ、母がこんなことを言っていたのをおぼえている。 (信雄さんも、もう少し素芽子に同情してくださるといいんだけどね。やはり、義理のお母さまというのはむずかしいものね)  その言葉が出たくらいだから、素芽子が実家に帰って母に何かを愬《うつた》えるようになっていたころであろう。愬えるといっても、姉は自分からすすんで話すひとではなかったから、それは母の推測も半分ははいっていたと思う。  嫁と姑の間は、どこの家庭でもうまくゆかない。間に立つ夫は、たいてい苦労する。だが、その場合、ほとんどの夫は妻の側に立って母を非難するようである。しかし、それは血のつながる母子のことで、それが義母だと、息子《むすこ》も自由には振舞えなくなる。ことに、信雄は十一のときから育てられた養子であった。これは義理があった。  もう一つ、素芽子にとって不仕合せな条件は、小さい時から信雄が織江によってきびしい躾《しつけ》を受けていることだった。これが母にさからえない本能的な意識をつくりあげていたであろう。彼にとって織江は絶対的なものだった。結婚してからも大学から帰った彼は、襖《ふすま》の外に膝《ひざ》をついて、ただ今、と部屋の中の養母に挨拶《あいさつ》しなければならなかったのだ。素芽子が結婚前の信雄から、 (この家にきたら、ぼくより両親を大事にしてほしい)  と言い渡されたのも、信雄が将来起るであろう両親と妻との間の紛争を予想して、はっきり両親の側に立つことを宣言したのかもしれなかった。両親というよりも、当時、養父は朝鮮にいたから、信雄の言う意味は養母の織江のことであった。  ——しかし、姉の素芽子はやさしいひとであった。江利子は小さいときから姉と自分の性質の違いをよく知っていた。いっしょに暮しているころの姉は静かな性格で、言葉が少なく、部屋にひっこんでよく勉強していた。長い間、姉妹は同じ部屋だったが、姉の机のまわりはいつもきれいに整理され、江利子のそれとは対照的だった。それも姉が江利子の留守に机の上を整えてくれ、内心で困っている妹に微笑していたものだった。  母などは、江利子が家に居るのは離れていてもすぐにわかるが、素芽子は部屋をのぞくまでわからないとよく言っていた。江利子は、そういう姉が好きだった。喧嘩《けんか》したこともなかった。年齢の違いで、江利子はまだ化粧する時期ではなかったが、姉にもらった化粧品の空《あ》いた容器や、空函《あきばこ》を大切にした。空函に残った香料には姉の息がこもっていた。  その姉が、姑の織江に楯《たて》つくはずはないと、江利子は母の愚痴を聞いたときに思ったことだった。たいていのことに忍従できるのが姉の性格だった。もし、姉と姑との間が気まずくなったとすれば、原因は姑のほうにあると思っていた。 (お姑さんひとりのところに素芽子を遣《や》ったのではないから、安心していたんだけど……)  と、母はこぼしていた。  たしかに姑ひとりではなかった。舅がいた。しかし、その舅は朝鮮の任地に長くいて、息子の結婚式のときに帰ってきただけだった。あとは織江がずっと息子といっしょであった。結果的には、姑ひとりのようなものだった。  あとになって、江利子はお姑さんひとりの新婚家庭の話をよく聞かされた。息子と嫁の寝室に、特別用事もないのに口実をつくって姑が不意に襖を開けてはいってきたり、深夜、のぞきにくるといった話である。それは世間に珍しくないらしい。明治のある文学者の書いた回想のなかにも、寝室の外に忍びやかな足音が聞えると、ほらほら、来たよ、と傍に竦《すく》んでいる新妻に笑って言う文章があった。  信雄には、その足音を聞いても素芽子に、ほら、来たよ、と軽く言うことはできなかったと思う。いや、そんなとき、信雄は正坐して養母を迎え入れかねなかった。第一、信雄は宵から妻と寝室に閉じこもりはしなかった。彼は、毎晩、一時や二時までも二階の書斎に起きていて妻と離れていた。そして、その二階で何かが起っていることを直感して、階段を上がって行きたい衝動に耐えていたのは、姉のほうであったろう。  ——当時は、むろん、江利子もそんなことを知るわけがないから、姉に同情しないで姑の側に立つ信雄を憎らしく思ったものだった。同時に、あの明るくて、多少饒舌《じようぜつ》で、親切な信雄が、どうして姉の味方にならないのか不思議に思っていた。信雄にとって、素芽子は気に入った妻だったのである。  母ひとりのところに嫁にゆくと、たいていの嫁は苦労する。それは母が息子を嫁に奪われたような気がするからだと世間の人は解釈する。嫉妬《しつと》だとも言う人がある。  だが、織江の素芽子に対する嫉妬は、露骨に女が女に向ける憎悪《ぞうお》であったと、江利子は今ごろになって気がつく。そして、信雄が気に入った妻に味方できなくて、養母に屈従していたのは、実は幼時から育てられた義理や、きびしい躾からくる従順性だけでなく、織江から強要されている何かからだとわかってきた。わかってきた事情がある。  この場合、織江が信雄にほどこしていた厳格な躾は、他人の眼に隠れ蓑《みの》となっていた。この場合のきびしい躾と溺愛《できあい》とは隣り合っていた。——  江利子が、いま、夫に恭太の受持ちの刈屋先生を訪《たず》ねたときの話をしたのは、恭太のことからはじまったのか、あるいは、信雄のことから刈屋先生の恩師の奇縁を言いたくなったのか、よくわからなかったが、そのどちらとも言えた。とにかく、何となくそこに話が向ったのである。  信雄はT大を受験する前年あたりから、成績が急激に落ちた。しかし、受験のころは立ち直ってかなりの成績で合格した。刈屋先生の恩師の楢林《ならばやし》という応用化学の講師が、それを語ってきかせたという話である。  そして、信雄の場合を手本に、そうした子供の習慣を匡正《きようせい》するのは、母親の力であると担任の先生は強調していた。…… 「楢林?」  夫は、江利子からその話を初めて聞いて首をかしげた。 「楢林何というのかい、その人の名前?」 「さあ、それは聞きませんでしたわ」 「T大の応用化学の先生だといったね?」 「ええ」 「ほら、ぼくの会社の資材課長の楢林君ね、君も遇ったことのある。……たしか、彼の亡兄がT大の理科の講師だったとぼくに言ったことがあるが、では、その人かな。楢林という姓はあまり多くはないからな」 「…………」 「檜林君は、その兄貴が死んで親の家を継いでいる。たしか四谷《よつや》のほうだったが……」 「あ、それなら、その方が弟さんに違いありませんわ」と江利子は叫んだ。「刈屋先生は、恩師の楢林先生の弟さんの家が市ヶ谷のほうにあって、毎年、祥月命日《しようつきめいにち》にはご仏前にお詣《まい》りしているとおっしゃってましたから」 「そうか。楢林君の兄貴なら、ちょうど今の旗島さんくらいの年齢になるだろうな。きっと同期だった人だろう。世の中は案外狭いものだね」 「あの楢林さんなんですか。まあ、ちっとも気がつきませんでしたわ。刈屋先生のお話を聞いたときも、全然、別人の楢林さんと考えていました。まさか、と思ってましたから」 「うむ」  夫も意外といった顔をしていたが、だんだんに思案するような表情になり、煙草を吸いつづけていた。 「ねえ、江利子。姉さんが、同級生の結婚先の薬問屋さんに行って、青酸カリを分けてもらい、それで自殺したのは間違いないかい?」  彼は顔をあげて訊いた。 「ええ。それは間違いないんです。その同級生の人は、わたしも姉のつながりで知っている方なんです。その人が、その事実を言ったので、姉の自殺が警察でもはっきりしたくらいですから」 「そうか……」  夫は、うなずいたが、まだ、その思案顔は解けなかった。  玄関の格子戸を乱暴に開く音がして、恭太が戻ってきた。廊下に荒い足音がすぐ起った。  足音は茶の間の外で、ちょっと停《と》まった。両親が信州から帰っているのを知ったからだろう。襖を開《あ》けたものかどうか、ためらっているようだったが、結局、足音は過ぎた。文句を言われるのが嫌《いや》だからだ。つづいて、遠くでドアの音が響いた。  江利子が立ちかけるのを夫は抑《おさ》えた。 「まあ、行くのはあとにしろよ」 「だって……」 「あとでもいいよ。それよりも、今の話をもう少しつづけよう」  江利子は夫の顔を見て坐り直した。 「その薬問屋の同級生は、姉さんに、殺虫剤がよく効《き》かないから、それに混ぜる青酸カリをほしいと頼まれて渡したといったね?」 「ええ」 「そのとき、姉さんの様子で何に使うのか予想できなかったのかなあ、その同級生の人に?」 「あとで、その方、とても申訳《もうしわけ》ないといってわたしの両親に謝《あやま》ってらしたけれど、その時は何も気がつかなかったそうです」 「気がつかなかったというのは、姉さんの様子がそれほど沈んでなかったからだろうな」 「姉が、努力してそう見せないようにしていたのでしょう。先方に気づかれると、薬がもらえませんから」 「そりゃ、そうだが」  夫は、ここで、もう一度、思案顔をした。 「その殺虫剤のことだがね、その時、ほんとに旗島さんの家では強力な殺虫剤が必要だったのかな?」 「さあ、そういうことは、わたしは聞いていませんけれど」  江利子は、夫の言葉の意味が少しわかりかけて、その顔を見つめた。 「あのころの代々木は今と違って田舎《いなか》だったな」  旗島の家のぐるりは畑であった。江利子は当時の景色を思い出した。  良夫は、会社の資材課長の楢林|章二《しようじ》と、行きつけの天ぷら屋の二階でビールを飲んでいた。小部屋で、ほかには誰もいなかった。 「そりゃ、初耳だった」  と、楢林資材課長は、良夫の言うのを聞いておどろいていた。 「そうか。君の奥さんの姉さんが、そのひとだったのか」  良夫は相手のコップに瓶《びん》を傾けた。 「そのひとだったのか、というからには、君は兄さんから、そのことを聞いていたんだね?」 「旗島さんの奥さんのことは聞いていた」  楢林の顔はまだ、そのおどろきが醒《さ》めないままだった。しかし、その眼には深い感慨といったものが出ていた。古くから伝説のように聞かされていた話の人物が、突然眼の前に現われたときと同じ表情にみえた。 「実は、ぼくの女房も、つい最近、そのことを聞いてきてぼくに話したんだ。つまり、君の兄さんの教え子が、ぼくの子供の担任の先生でね、偶然に旗島さんのことが出たわけさ。もっとも、その担任の先生は、旗島さんの先妻とぼくの女房とが姉妹だったとは知っていない。……君にそれを打ち明けるのは、少し訊《き》いてみたいことがあるからだよ」 「兄貴は昭和二十三年に死んでいるから、ぼくが聞いた話も、そのことでは僅《わず》かだし、あまり記憶にないがね。君が聞きたいというなら、おぼえてる限りのことは話すよ」 「あまりいい話ではない。他人《ひと》に知られると困るんだ」 「もちろん、秘密は守るよ」  この秘密を守る、という楢林の口調からも、良夫の質問の内容を予想しているようだった。 「君の亡《な》くなられた兄さんというのは理科だったね。応用化学の講師ということだったが?」 「そう。その通りだよ」 「応用化学では、どの方面だった?」 「一般的な基礎といったようなものを教えていたようだ」 「それでも、兄さんは実験みたいなことはしておられたのだろう?」 「もちろん、やっていた」 「その実験に、兄さんは青酸カリを使っておられなかったかね?」  ここで楢林は深い息をした。 「君がそう訊くだろうと思ったよ」 「やっぱり、そうだったのか」 「そうだったかというのは、どういう意味かい?」  楢林は良夫の顔をじっと見た。 「先走って失敬。つい、君がそんなことを言うものだから、ぼくの想像と合ったような気がして言葉が出たんだ」 「じゃ、訊くが、君の想像というのはどういうことかね?」 「理科の実験には青酸カリを使うだろう。そして、君の兄さんと旗島さんとは高等学校以来の友だちだった。その旗島さんが、たとえば、たとえばだよ、ある事情で青酸カリが欲《ほ》しいと申し出たら、兄さんは親友のことだから気安く青酸カリを分けてあげただろうかね?」 「いくら実験用の青酸カリだって、そうむやみに他人に渡せるものではないよ」 「そうか。それはそうだろう。が、しかし……」 「……そうなんだよ。兄貴はね、初め、それを苦にしていた」  と、ここで楢林は深くうなずいた。 「やっぱり、そうか?」 「兄貴は、青酸カリの純度測定に必要な硝酸銀の標準液をつくるため、よく天秤《てんびん》で硝酸銀を計っていたそうだ。ぼくには、化学のことはまるきりわからないが、なんでも、それは、鉱石中のカドミウムの含有量を調べるため、青酸カリの純度測定が必要なんだそうだ。その必要のために天秤で測定するそうだがね。要するに、そういう測定には、そのつど、青酸カリを小さな瓶から少量ずつ出すわけだ。だから、兄貴は青酸カリを使い馴《な》れていた。今の君の話だが、兄貴はたしかに旗島さんから、殺虫剤に混ぜたいから青酸カリを分けて欲しいと頼まれたそうだよ。普通、そんなことはできないが、友人のことだし、間違いないと思って、兄貴は実験用に使うその瓶から青酸カリを一グラムほど出して、褐色《かつしよく》の紙に包んで与えたそうだ。この褐色の紙というのは、ほかの劇薬瓶の包装紙で、用済みになったものの端を破って包んだそうだがね……。それから五日後に旗島さんの奥さんの自殺が起った。飲んだのが青酸カリだった」 「…………」 「それを知ったときの兄貴の心配といったら、夜も寝られないくらいだった。もし、旗島さんが奥さんにあれを与えたのだったら、という懸念でね。まさか旗島さんがそんなことをするわけはないから、あるいは、不注意にそのへんに置いたのを、奥さんが風邪薬《かぜぐすり》か何かと思い違いして飲んだのではなかろうかとね。遺書が無かったというから、よけいにその懸念があったのだ。そうすると、実際は自殺でなく、そうした不注意による事故死ではないか。兄貴はそう思って苦しんだ」 「……兄さんは、君にそんな秘密を打ち明けたのか?」 「うむ。打ち明けても差支《さしつか》えが無くなったんだ。つまり、兄貴の、その心配は杞憂《きゆう》だったんだよ」 「杞憂?」 「旗島さんは、奥さんが亡くなった二日後だかに、兄貴が渡した青酸カリを、そのままそっくり返しに来たそうだからね。その青酸カリは真赤《まつか》な薬包紙に包まれていて、開けてみたらベトベトになっていたそうだ。青酸カリは長く空気にふれると酸化して、そんなふうにベトベトになるのだそうだ」 「君は、いま赤い薬包紙といったね?」 「うむ、それがね、兄貴は褐色の紙を裂いて包んで旗島さんに渡した気がするというんだがね。兄貴もそのへんの記憶は確かでなかったようだ。あるいは赤い紙だったかもしれんと思って受け取ったそうだ。そして、旗島さんは、それを返すときに兄貴に言ったそうだ。どうもありがとう、これは返しておくよ。殺虫剤に使うつもりだったが、妻が同じ薬を飲んで自殺したから、誤解されるといけないから、とね。量も間違いなく渡したときのものだったそうだ」    8  川田静子《かわだしずこ》は老《ふ》けていたが、肥《こ》えているので、江利子が姉といっしょに遇《あ》っていたころの面影《おもかげ》は、その髪にまじった白髪《しらが》が目立つ以外はほとんど残っていた。大きな薬問屋なので、貫禄《かんろく》ができていた。  通りがかりに寄ったという口実を真《ま》に受けて川田静子は江利子を奥に招じた。離れがあり、狭いが、古めかしい庭もついていた。日本橋の真ん中だし、商家に庭があるのは贅沢《ぜいたく》な感じであった。  久闊《きゆうかつ》の挨拶《あいさつ》が、死んだ姉のことにすぐつづくのは当然であった。川田静子の姉の思い出はやはり学校時代のことが主《おも》だった。だが、彼女は代々木の旗島の家には一度行ったことがあって、それは結婚後間のないときだったという。その話も、川田静子は、姉の自殺のことは気を遣《つか》って避け、明るい記憶ばかりを江利子に話した。  江利子は、青酸カリの話をどこからひき出したものか迷った。川田静子が姉の自殺の話を避けているのも、江利子への遠慮だけでなく、彼女が素芽子に求められて青酸カリを与えた後悔が未《いま》だに残っているからだった。それだけに江利子は質問がしにくい。しかし、これは訊かねばならないことだった。江利子は静子と会話を交《か》わしながらも、心が焦《あせ》ってきた。  しかし、それは川田静子のほうから自然にその入口を開けてくれた。素芽子が生きていたらという回想はその自殺につながるし、そうすれば、素芽子が択《えら》んだ手段の毒物のことにもふれてくるのである。 「今のわたしだったら、もちろん慎重になっているはずだけど、あのときは若かったし、思慮が足りなかったんです。素芽子さんに言われるまま、ほんとに殺虫剤に混ぜるためと頭から思い込んだものですから……」  川田静子はうつむいた。 「もう、そんなことはおっしゃらないで。死んだ姉も川田さんにご迷惑をかけたのをどんなにお詫《わ》びしているかわかりませんわ」  当時、この人が素芽子の葬式に来て、両親の前に泣き伏していたのを江利子はよく知っていたから、今日の用事が苦しかった。 「でも、そのとき、姉はどういう殺虫剤に混ぜるといってお願いしましたかしら?」  江利子は勇気を出して訊いた。 「素芽子さんは蚤取《のみと》り粉《こ》に混ぜたいとおっしゃってましたわ。代々木は畑の中なので、いろんな虫や蚤やなんかが出てくるので困っている、お店で売っている蚤取り粉が効かないので青酸カリを少し入れたらいいという話を聞いたけれど、普通のお店では売ってくれないから頒《わ》けてほしいと言われましたの。あのころは、戦争のため除虫菊の生産も無くなり、ほんとに効かない殺虫剤ばかりでしたから、わたしも素芽子さんの言葉を疑わなかったんです」  川田静子はそう言った上、少し躊躇《ためら》うようにつけ加えた。 「これは、今まで誤解を招きそうなので口に出さなかったんですが、素芽子さんが、そんな強力な殺虫剤を欲しがっていたのも事実だと思うんですよ」 「え、どういうことですか?」 「素芽子さんはそのとき、こう言われたんです。お姑《しゆうとめ》さんが神経質な方で、蚤が出るのをとても気にしてらして、何とかならないかとおっしゃるので、効かない蚤取り粉に青酸カリを混ぜてみたら、と思いついたがどうだろう、とわたしに相談されたんです」 「そのとき、蚤取り粉に青酸カリを混ぜるという考え、それは姉の思いつきだったんでしょうか。それとも、お姑さんにそう言われたのでしょうか?」 「そのへんがよくわからないんです。そのときの素芽子さんの口吻《くちぶり》では、素芽子さんの考えから出たようでしたけど、あとで思い返してみて、もしかすると、あれはお姑さんの発案であって、素芽子さんは薬問屋のわたしを目当てにお見えになったようにも考えられるんです。……でも、これはうっかり言えないことですから、今までは誰にも黙っていました」  江利子にもはじめて聞く話だった。川田静子が誤解をうけるというのは、後者の場合だと、素芽子の自殺に姑の織江の影が射《さ》してくるという意味だった。  織江が素芽子に言いつけて青酸カリを求めさせたとしたら——江利子の頭の隅《すみ》に新しい疑惑が湧《わ》いてきた。 「川田さんが姉に渡して下さった青酸カリは、どんな色の紙に包んでいただきましたかしら?」  江利子は目的の質問にはいった。 「そうね……」  川田静子は考えていたが、 「あれは、赤い紙でしたわ。真赤な、厚手の硫酸紙……そういう薬包紙に包んで青酸カリ一グラムをお渡ししたと思います」  と答えた。江利子は念を押した。 「赤い紙でしたか? 茶色か、褐色の紙ではなかったんですか?」 「違います。たしかに、いま言ったように濃い、赤い紙でしたわ。思い出しましたけど、当時、もう紙が少なくて、前から残っていたその赤い硫酸紙を大事にしていたのですから」  川田静子は、はっきり言ったあと、 「そういえば、素芽子さんが亡くなられたあと、その薬包紙が残ってなかったということでしたね?」  と、ふしぎそうな眼つきになった。  青酸カリを包んだ紙は無かった——それは江利子もはじめて聞く話であった。  そうだ、そういえば姉は白い粉末の毒物を飲んだのだから、その包んだ紙が残っていなければならない。当時、そのことはあまり問題にはならなかったらしい。姉は青酸カリを砂糖湯に入れて飲んだ。だから、白い粉を湯呑《ゆの》みに落したあとの紙は、姉が破り捨てるかして処置したので、そのへんに見当らなかった。——周囲は、こう簡単に考えていたのではなかったか。  その破られた紙は屑籠《くずかご》などにはいっていたかもしれない。焼いたのなら、その紙の灰が見つかっていたかもしれない。しかし、そこまでは皆が気がついてなかった。はじめから、他殺でなく自殺と思いこまれていたからであろう。  そのころ、十七歳だった江利子は、もちろん代々木の家に駆けつけて、白い布で顔をかくされた姉の寝姿を見ただけで、大人たちの詮議《せんぎ》に加わるはずもなかった。しかしその後、両親の口からついぞ空《から》の包み紙の話が出てないので、それが問題にもされてなかったことがわかる。 「今だから言いますけど……」  と、川田静子は、江利子の表情から何かを気づいたのだろう、遠慮そうに低い声で言い出した。 「素芽子さんが亡くなったことでは、わたしにも責任があるでしょ。ですから、素芽子さんの初七日が過ぎたあと、わたしはもう一度、お仏前にお詣《まい》りしたとき、旗島さんに、そのことでそっとお訊きしたんですよ。素芽子さんは殺虫剤を口実に青酸カリを求めに、わたしのところにいらしたのですけれど、お宅には、もしかすると、その強い殺虫剤の必要があったんじゃありませんかって……」  江利子は川田静子の顔に眼を据えた。自分ながら不安な瞳《ひとみ》になっていた。 「そしたら、旗島さんは厭《いや》な顔をなさって、家《うち》ではそんな必要はありませんでしたよ、とおっしゃいましたわ。それで、わたしも、ああ、やっぱり殺虫剤のことは素芽子さんが青酸カリを手に入れる理由になさったのだと思いましたわ。旗島さんには妙なことを訊いてご気分を悪くしたのを謝りましたけれど、あのときの不愉快そうなお顔は、まだ眼に残ってるんです。わたしも、それきり、代々木の家にお詣りするのを遠慮しましたわ。四十九日の法要にも、とうとう失礼しましたの」  夫が聞いて来た楢林の話では、その兄の応用化学の講師のもとに旗島は「殺虫剤用として」青酸カリを貰いに行ったという。それは姉の自殺の五日前だったから、旗島が川田静子に、その必要はなかったと答えたというのはおかしい。入手の理由も、夫婦が全く同じである。 「川田さんが、姉に青酸カリを渡して下すったのは、姉の自殺の一週間ぐらい前だったというのは、間違いありませんか?」  江利子は訊いた。 「それは間違いありませんわ。そら、一日ぐらいはズレているかも知れないけど。素芽子さんが青酸カリで自殺なさったと聞いて、わたしは変なことを瞬間に思ったことをおぼえていますから」 「変なこと?」 「ええ。一週間前にお渡ししたのだから、あの青酸カリは湿ってベトベトになっていたろうにと思ったことです。……ごめんなさい、あなたにこんなお話をして」 「いいえ。青酸カリは一週間も経《た》つと、そんな状態になるんですか?」 「もっと前からそうなります。青酸カリは空気に長くふれると、湿った状態になるんです。ですから普通は茶色の瓶《びん》に密閉して保存しておくんですが、素芽子さんにお渡ししたのは、その瓶の中から取ったものを紙包みにしたんですからね。いくら硫酸紙に包んでも、二日も経てば、中の青酸カリに湿りがきますわ」 「そういう状態になっても、毒物としての効力に変りはないんですか?」 「ありません。〇・一五グラムで気管内に中毒症状を起し、四十秒以内に死亡します。素芽子さんが一グラム全部を砂糖湯に混ぜて飲まれたとすると、致死量の限界の何倍にもなります」  江利子は聞いて黙っていたが、 「それだけの量だと、ずいぶんにがかったでしょうね?」 「たいへん飲みにくいものです。素芽子さんは、それを知ってらして、濃い砂糖湯に混ぜてらしたそうですが、それでもにがかったと思います。それを全部お飲みになったのですから、強い覚悟だったんですね。……でも、湯呑みの三分の一飲まれたとしても、やはり亡くなられたと思います」  江利子は、とうとう川田静子のところに二時間ぐらい坐ってしまった。 「やっぱりそうだったのか」  と、夫は江利子の話を聞いて深刻な顔になった。川田静子の家から帰った晩だった。夫は彼女の話を早く聞きたくて、社に残る用事があるのを断わって帰宅したと言った。 「川田さんがそこまで言うからには、君の姉さんに渡した青酸カリが赤い紙に包まれていたことには間違いあるまい」  江利子も川田の家から戻るとき、身体が冷えていた。 「楢林の話では、彼の兄貴は、たしかに褐色《かつしよく》の紙に包んだものを旗島さんに渡したと言っていたという。実験室にあったほかの薬瓶の包み紙のはしを破いて、それに青酸カリを包んで渡したというからね。そして旗島さんがそれを戻しに来たときは赤い薬包紙だった。……すると、これはどうなるのだ?」  江利子のあげた眼と夫の眼とが、そこで絡《から》み合った。江利子は、自分の想像を先に口にするのが怕《こわ》かった。むろん、夫にも二つの包み紙の行違いの理由がわかっている。夫の眼つきがそれを表わしていた。 「旗島さんが楢林の兄貴からもらって来たのは褐色の紙に包んだ青酸カリだったが、返しに行ったときは、その紙の色が赤に変っていた。しかも、君の姉さんが川田さんからもらって来たのは姉さんの死亡する一週間前で、旗島さんが楢林の兄貴からもらって来たのは五日前だった。こうなると、ある結論が出るね。つまり、姉さんは川田さんからもらってきた青酸カリの包みを飲まなかったのだ。もらったまま、それをどこかに仕舞っていた。しかし、それは旗島さんの知らなかったことだった」 「…………」 「姉さんが青酸カリを入手しているのを知らなかったから、旗島さんは楢林の兄貴から青酸カリをもらったのだ。奇《く》しくも、それが同じく一グラムだった。遠慮してもつまらないから推測を率直に話すと、姉さんが飲んだ青酸カリは、旗島さんがもらってきたほうだったんだ」  江利子は言葉が出なかった。彼女の推理をいま夫が述べている。 「姉さんが川田さんの青酸カリを飲まないで、それよりあとに旗島さんが持って帰った青酸カリを飲んだというのはどういうことだろう。……つまり、姉さんは旗島さんの青酸カリで自殺する意志は無かったんだよ」 「…………」 「姉さんには自殺する意志があったかもしれない。その理由は君にわかっている。しかし、姉さんはすぐそれを用いる決心になっていなかった。やはり、いろいろと考え迷っていたのだろう。それで、姉さんは、川田さんからもらった赤い包みの青酸カリをどこかに匿《かく》していたんだよ。死を決した人間は、そういう毒薬を持っているということだけで安心するものだ。その姉さんが、旗島さんの持って帰った青酸カリを間違って飲むはずはないから、それは旗島さんが姉さんに与えたことになる」 「…………」 「姉さんは砂糖湯に青酸カリを入れて飲んでいる。しかし、砂糖湯をつくらしたのは誰だろう。砂糖湯をつくるからには、それは何かの薬を入れるつもりだったのだ。旗島さんがそれを姉さんに用意させたとすれば、何か普通の薬を買ってきて、この薬はにがいから砂糖湯にまぜたほうがいいと言ったかもしれない。この場合の薬とは、むろん姉さんの健康のためという理由だ。姉さんは、すっかり憔悴《しようすい》していたから、元気回復にと言って旗島さんはすすめたかもしれない。姉さんはそれを疑わずに飲んだ」  江利子は耳を塞《ふさ》ぎたくなった。 「青酸カリはにがい。湯に砂糖をうんと入れても、やはりにがかった。姉さんは、はじめは知らずにゴクリと一口に砂糖湯を飲みこんだことだろう。しかし、にがかった。誰かが傍《そば》に居て、我慢してもう一口飲んだほうがいいとすすめた。姉さんは、その通りに飲んだ……砂糖湯には青酸カリが一グラムはいっていた。一口飲んだとしても、それは致死量に達するだろう。砂糖湯を半分近く残したとしても即死するだろう。姉さんは倒れた。その倒れた姿を見ながら、誰かが褐色の包み紙を始末し、姉さんがとり落した湯呑みから畳にこぼれた液体は、誰かがきれいに水で拭《ふ》き取った」  江利子は低く嗚咽《おえつ》した。 「はじめから想像してみよう。姉さんがそれを飲んだのは夜中だった。いつもの通り、ひとりで蒲団《ふとん》の中に寝ていた。そこに旗島さんが二階から降りてきて砂糖湯をすすめ、姉さんがそれを飲み終るのを見届けてからまた二階に上がった。そうして何時間か経過して再び階下《した》に降りて、冷たくなった姉さんを発見したのだろう……」  江利子は肩を震わせていた。 「姉さんの葬式が終り、その辺のものが片づけられた。すると、誰かが姉さんの匿していた赤い薬包紙を発見した。ひらいてみると、湿った青酸カリだった。旗島さんはそれを見て、それが川田さんが渡した品だったと気がついた。なぜなら、川田さんは姉さんの自殺直後に、自分の渡した青酸カリで姉さんが死んだと思いこみ、詫びに来ていたからね。……旗島さんは、ほっとしたに違いない」 「…………」 「一方、楢林講師は旗島さんに疑惑を抱《いだ》いていたろうから、旗島さんは川田さんのものをそのまま楢林氏のもとに持って行った。量もちょうど一グラムだ。姉さんが前からしまって置いていたので、その青酸カリはベトベトになっていたのさ。包み紙の色が異なっていたが、それは現物さえ返せばいいというわけで、旗島さんにはあまり気にならなかったのだろうね」  果してそうだろうか、と江利子は夫の推理を聞きながら思った。  川田静子は姉が姑の言いつけで青酸カリ一グラムを貰《もら》いに来たようにもみえたと言っている。それを、死を決した姉の口実とのみ解釈していいだろうか。旗島が楢林講師から貰ったのも、まさに一グラムだった。そのどちらかの量が違っていては変になる。同量の一グラムだったから、川田静子は自分が与えた薬で、姉が自殺したものと思い、楢林講師はそれが間違いなく返却されたと思いこむ。——姑の織江が姉に、「青酸カリ一グラム」と指定して川田のもとに貰いにやらせ、旗島も楢林に一グラムを求めたとすれば、そこに、同一人の意志がみられるではないか。そして、その両方に共通しているのが「殺虫剤」という口実だった。つまり、姉が貰ってきた青酸カリは、姉が匿していたとは限らないのだ。姉が川田静子から貰ってすぐに姑の織江にそれを渡していたとしたら、姑が保存していたかもしれないのである。…… 「旗島さんは、姉さんが死んでから半年後にドイツに留学しているね。昭和十八年の五月頃のドイツは戦争で大変な時期だった。留学しても意味がなかったろう。あれは一種の逃亡と見られなくはないよ」  夫の声がうつろに聞えた。  江利子は、信州の旧家の塀《へい》の上からのぞいていた異様に頭の大きい、額に皺《しわ》の寄った顔がもう一度眼の前に浮んだ。旗島の顔がそれに重なった。  恭太の荒い足音が廊下を過ぎた。  犯罪広告    1  阿夫里《あぶり》の町は、南紀《なんき》の端、熊野灘《くまのなだ》に面している。人口七千。蜜柑《みかん》と魚の町だが、若い者は大部分隣県の水産会社や造船所に通勤していた。蜜柑山に働くのも舟に乗るのも、女や年寄りが多い。  四月のある日、町の重立《おもだ》った人びとの家に一枚の活版刷りの広告が投げ込まれた。新聞半ページ大の紙を二つ折りした表、裏に九ポの活字がぎっしりとならんでいた。  表題の「告知」という二字を見た者は、野暮《やぼ》ったい広告と思い違いするくらいそれは貧弱なチラシだったが、内容はたいそう変っていた。 「阿夫里町の皆さんにご案内します。私、末永甚吉《すえながじんきち》は、当町字|佐津《さつ》の池浦源作《いけうらげんさく》を、殺人の疑いで世に告発いたします。警察が取りあげてくれない殺人事件です。法律では、殺人犯罪の時効が十五年です。だから、二十年前の殺人を、こういうかたちで皆さんに訴えなければならないのであります。……」  という文句で始まり、以下、次のように長々と書かれてあった。 「池浦源作は、二十年前まで私の義父でありました。そのかつての義父を殺人の疑いで告発するのは、源作が私の実母末永セイを殺害したと信じるからであります。  池浦源作といえば、阿夫里の皆さんには知っておられる方も多いと思います。彼はいまは佐津で僅《わず》かばかりの蜜柑山を経営していますが、ずっと以前は、父親からゆずり受けた宏大《こうだい》な蜜柑山を持っていた人です。彼はその父が生きている頃から素行がおさまらなかったが、父親が死ぬと早速《さつそく》放蕩《ほうとう》をはじめ、蜜柑畑を次々と人手に渡し、現在はその五分の一ぐらいになっています。池浦源作が馴染《なじ》んだ女は県内や県外の各地に居ましたが、源作が最初に正式の妻として入籍したのは上田峰子《うえだみねこ》さんでした。当時二十八歳の源作は県外のある町の料理屋にいた酌婦峰子さんを妻にしたのですが、これは僅か一年で離婚しています。  その次は末永セイ、つまり私の実母と約二年間|同棲《どうせい》しました。セイが行方《ゆくえ》不明になると、その前から馴染んでいた田島千代子《たじまちよこ》さん(当時、ある町の旅館の女中)をすぐに引き入れ、三年間同棲しました。千代子さんを追い出したあとは、村岡《むらおか》とも子《こ》さん(当時、未亡人)と一緒になり、現在に至っております。このように、池浦源作は二十数年の間に妻を三度替えたのであります。そして、ここで私が問題としたいのは池浦源作の第二の妻末永セイのことであります。  末永セイは二十三歳で末永|勝一《かついち》と結婚し、私、甚吉とユリ子《こ》の二児を生みました。セイが三十一歳のとき、夫勝一が職場で事故により死亡したので、セイは隣県のA市で飲食店を営む兄|鈴木初太郎《すずきはつたろう》のもとに二人の子と共に身を寄せ、店の手伝いをしていました。両親がすでに死亡していたからです。そのようにして末永セイが兄の店に働いているうち、池浦源作がそこに飲みにくるようになり、末永セイに結婚を申し入れたのであります。ここで断わっておきたいのは、そのころはまだ池浦源作が最初の妻峰子さんと同居中であったことです。それで、池浦源作は峰子さんと別れるから一緒になってくれと末永セイを口説《くど》き、自分には子供がないので、二児を引き取って養育すると熱心に申しました。  兄の鈴木初太郎は池浦源作の人物に不安を持ちましたが、セイは兄の厄介になっていることでもあり、二児も引き取るというので、池浦源作と同居することを承諾しました。池浦源作は直ちに峰子さんを家から追い出し、セイを引き入れました。こうして、私、末永甚吉は妹ユリ子と一緒に母セイの連れ子として池浦源作を『お父さん』と呼ぶことになりました。私が四つ、妹ユリ子が三つのときでありました。  はじめの一年ばかりは、池浦源作とセイとの間も無難だったのですが、それを過ぎると池浦源作はセイに辛《つら》く当るようになりました。私、甚吉と妹のユリ子に対する虐待もそれからはじまりました。浮気な池浦源作が、旅館の女中の田島千代子さんに熱を上げるようになったからであります。  池浦源作が末永セイと同棲したのは、一つには彼女の持っていた貯金が目当てだったのです。というのは、末永セイの夫は隣県の造船所で働き、殉職したため相当な弔慰金が会社から出たのです。それで、池浦源作はセイと同居中の二年間にその金をまき上げ、全部を田島千代子さんとの歓楽に使い果しました。そればかりか、池浦源作は末永セイを追い出すために暴力の限りを尽しました。些細《ささい》なことに言いがかりをつけて殴《なぐ》ったり蹴《け》ったりするのは毎日のこと、セイの身体には生傷や青痣《あおあざ》が絶えなかったのです。  池浦源作は家を飛び出すたびに、一週間ぐらい千代子さんのもとに入りびたりになっていました。その間、末永セイは蜜柑山で働き、池浦源作の労働分まで引き受けなければなりませんでした。もし、予定の通りセイの仕事が進んでいなかったら、女のもとから帰った源作に折檻《せつかん》を受けなければならないのです。こうして池浦源作は末永セイを牛馬のごとくこき使い、虐待の限りを尽しました。  池浦源作は、セイの連れ子である私、末永甚吉と妹ユリ子をも憎みました。私は当時六歳でしたが、池浦源作のために十能で殴られたこともあり、荒縄《あらなわ》で縛られて、蜜柑箱を積んだ掘立て小屋に飯も与えられないで一日じゅう抛《ほう》り込まれたこともありました」  活字の文章はつづく。 「末永セイは池浦源作の虐待に堪《たま》りかね、私、末永甚吉およびユリ子の二児を置いて、兄の鈴木初太郎のところに身を隠しました。池浦源作は、それをよいことにして、当時六つと五つの幼い兄妹に絶えず暴行を加えました。そのようなことから間に立つ人があって、兄のもとに身を寄せている末永セイを池浦源作のもとに連れ戻したことがあります。末永セイは二人の子供が可愛《かわい》いので、池浦源作の虐待を覚悟しながら彼のもとに戻ったが、再び源作から殴る蹴るの乱暴を受けると、また堪りかねて兄の初太郎のところに逃げました。二人の子を連れて帰りたいところですが、セイは兄の初太郎夫婦に遠慮して泣く泣く二児を置去りにしたのです。そのようなことが繰り返されるうちに、池浦源作はますます田島千代子さんにのぼせました。当時千代子さんは二十五歳で、末永セイよりも八つ年下である上、器量よしだったので、源作は是《ぜ》が非《ひ》でも末永セイを追い出したかったのであります。  忘れもしません。それは昭和××年四月五日のことです。すなわち、今から約二十年前の出来事です。末永セイは、見るに見かねた人の口利きで三度目に池浦源作のもとに戻りました。それはわが子にひかされてどんな辛抱でもするという決心からでありました。  私、末永甚吉は、当時七歳でありました。七つの子供には、帰ってきた母セイと、池浦源作との間にどのような言葉のやりとりが行われたか、知るよしはありません。ただ、その真夜中に大きな物音がして眼を醒《さ》ますと、池浦源作がセイを畳の上に抑《おさ》えつけて殴っていたのをよくおぼえております。六つの妹ユリ子は大声をあげて泣いている。  七つの私は池浦源作の前に飛び出して、一生懸命に彼を母から放そうとしました。母のセイは髪をふり乱し、頭を抱《かか》えて部屋の隅《すみ》に俯向《うつむ》いています。妹も私に手伝い母を庇《かば》って養父にとりつき、お父ちゃん、お父ちゃん、と泣き叫びました。  池浦源作は恐ろしい顔をして母を睨《にら》みつけて立っていました。七つの私は畳の上に坐って両手をつき、お母さんをゆるしてください、と頭を下げて源作に頼みました。妹ユリ子も私の傍《そば》に坐り、わけがわからないながらも養父にお辞儀をしました。  池浦源作がそのとき何を言ったかはおぼえていません。ただ、今にも母を殺しそうな恐ろしい形相《ぎようそう》だけが記憶にあるのです。源作は仁王立《におうだ》ちになってセイを睨みつけていましたが、何を思ったか、台所に走りこみ、蜜柑箱の荷造り用に使う大きな金槌《かなづち》を手に持って現われたのです。何やら喚《わめ》きながらそれをふり上げたので、私と妹とは源作に飛びついて、源作を押し戻したことです。今でもそのときの状況はありありと私の瞼《まぶた》に残っています。  金槌をふり上げた源作は八畳の間の真ん中に立っている。セイは隅のほうに髪をふり乱し、頭を抱えてうずくまっている。兄妹二人は叫びながら源作が母に向うのを止めようと必死にその帯にとりつき、押えている。夢ではない。はっきりした七歳のときの記憶です。  その晩、どういうことになったか、とにかくその騒ぎはおさまりました。さすがの池浦源作も子供二人の前で、その実母セイにこれ以上乱暴を働くのに気がひけたのかもわかりません。そのまま四人は蒲団《ふとん》の中にはいったと思います。そのとき、私が実母セイを心配して一晩じゅう、見張っていればよかったのですが、七つの子供にはその知恵も無く、まもなく疲れて睡《ねむ》ってしまったのでしょう。  翌朝、セイの姿が見当らないので池浦源作に訊《き》くと、母は着物を着替えてどこかに出て行ったと答えました。そういえば、その前の日、セイは実兄のところからここに戻ったとき大島の着物をきていましたが、その着物が部屋の中に見当りません。大島はセイの外出着で、前夫、すなわち、私にとっては懐《なつ》かしい実父が以前に母に買い与えたものなのです。それが箪笥《たんす》の横の衣紋竹《えもんだけ》から消えている。それで、私は母セイが本当に他所《よそ》に行ったと思いこんだのでした。この日が昭和××年四月六日の朝であります。  母の行先について、もちろん、私は池浦源作に訊きました。ところが、源作は、ただセイが夜明け前に家を飛び出し、自分にもその行方に見当がつかないと言うだけです。私はセイの実兄、つまり私にとっては伯父《おじ》の鈴木初太郎のところに母が戻っているのではないかと思っていたところ、その初太郎が翌日家に来て池浦源作と話をしていました。源作は、初太郎にもセイはどこに行ったかわからないと言っていました。  そのようなことで私、末永甚吉は伯父初太郎のところに引き取られ、妹ユリ子は源作が養育することになりました。鈴木初太郎と池浦源作との話合いの結果で、そのようになったのです。このとき初太郎が妹ユリ子まで引き取ってくれたら、妹ののちの悲惨な運命は無かったのですが、伯父初太郎にもたくさんの子供が居《お》り、兄妹二人とも引き取るとなると、妻への気兼ねもあったと思います。また、源作がユリ子だけを手もとに置いたのは、あとになってそれだけの謀《たくら》みがあったことがわかりました。  池浦源作は、末永セイが家出したあと、誰に気兼ねもなく田島千代子さんを家に連れこんできました。それは末永セイが『家出』してから三日後でした。思うに、池浦源作は千代子さんに、大きな蜜柑山を持っている財産家のように吹聴《ふいちよう》していたと思います。池浦源作は口のうまい男です。  私、末永甚吉は、伯父初太郎のもとに十二のときまで育てられました。母セイを恋いながら義理の伯母《おば》に遠慮を重ね、ようやく小学校だけは卒業させてもらったのです。伯父の町と、池浦源作の住んでいる阿夫里町とは県が違い、四十キロ以上も離れているので、妹の消息をたずねて行くことも子供にはできなかったのです。  十三のときに、私、末永甚吉は、この町から東に六十キロ離れたB市の活版所の小僧に出されました。伯父は人が好《よ》すぎ、いつも妻に気兼ねしていたので、私を小学校に出すのがやっとのことだったのです」  文章はつづく。 「私はB市の活版所で四年間働き、十六のときに先輩の職人のすすめで大阪の活版所に移りました。ここでも一人前になるまでは相当激しい苦労を重ねました。見習い小僧にとって職人たちは鬼よりも怕《こわ》いのです。あるときはスパナを投げつけられて膝《ひざ》を割ったり、また、あるときは活字の組みを均《な》らす木槌で頭を殴られて気を失ったこともあります。だが、そうした辛い修業も、ようやく十八ぐらいで一人前の職工となり、賃銀もいくらかよくなってきました。そのとき、私は阿夫里に帰ってせめて妹の様子を見ればよかったのですが、十八、九といえば世の中が面白くなるときで、誘う人があって、相州小田原《そうしゆうおだわら》の活版所に移ってしまいました。私は阿夫里の池浦源作方のユリ子|宛《あ》てに前から何度も手紙を出したのですが、梨《なし》のツブテだったのです。  さて、小田原の印刷屋で働いているうちに、私、末永甚吉に霊感が訪れました。こう言うと信じない人があるかもしれませんが、私はそれを真実だと信じております。  小田原の地形は、私が小さいとき過した阿夫里の佐津によく似ています。海が逼《せま》り、すぐうしろが山になっています。その山には蜜柑の木が茂っている。小田原の近くにも蜜柑畑があるのです。私は、そうした場所へ遊びに行くたびに、母が行方を絶った阿夫里の佐津の幼児時代を思い出し、懐かしくなったことでした。  すると、母はどうしたのだろうという疑問が起りました。二十七歳にもなってやっと母の家出のことが気にかかってくるというのは不自然かもしれませんが、それまでは、母、末永セイが池浦源作の虐待に耐えかねてよその土地に行き、飲食店などで働いているものとばかり思っていたのです。だが、佐津によく似た、蜜柑山の見える海岸を歩いているとき、もしかすると、母はあの晩池浦源作に殺されたのではないか、と、ふいと思ったことでした。これが突然私の頭に光となって走った霊感です。  忘れもしない。昭和××年四月五日の真夜中、金槌を持った池浦源作を、七つの私と六つの妹ユリ子とが泣き喚きながら止めた、あの晩のことです。乱れた頭を両手で押えて八畳の隅にうずくまっている実母セイに襲いかかろうとする池浦源作の前に坐り、どうぞお母さんをゆるして下さい、と手をついた七つの私の姿が、またまた瞼の裏に浮んでくるのです。そうすると、母はあの晩池浦源作のために殺されたのだという直感がひらめいてきたのです。  そうなると、私も一生懸命に考えました。なにしろ二十年前の過去、七つのときの出来事ですが、二十七歳ともなれば、世の中について私に思考力が出てきたのです。  母セイがあの晩、つまり、私たち兄妹が睡っている間に殺されたとなると、その死体は一体、どうなっているだろう、という当然の疑問につき当りました。それは家の中だと思いました。それも、八畳の間は、私たち兄妹が寝ていたので、池浦源作も畳をあげたり、床板をめくったりすることはできない。だから、それは八畳の次の六畳の間だろう。ここには誰も寝ていないからです。母セイの死体は、この床下の土の下に横たわっていると確信しました。  池浦源作は、私たち兄妹の前では末永セイを殺すことができなかった。それで一旦《いつたん》は騒ぎをおさめて、私たち二人の子が熟睡するのを待ち、セイをあの荷造り用の金槌で殴り殺したのです。それから夜明けまでかかって、次の六畳の間の床下を掘って、セイの死体を埋め、あとを元通りにし、何|喰《く》わぬ顔をしていたに違いありません。  そう考えると、何もかもすらすらと謎《なぞ》がとけてくるのです。池浦源作が、私の実母、当時の源作の家内末永セイを殺し、その死体の始末をしたことが、絵を見るようにわかってきました。  それから三晩|経《た》ってのことです。それは生あたたかい春の夜でしたが、私が印刷所の窓から何げなく外を見ていると、向うの暗い樹《き》のかげに、三十三、四歳ぐらいの女が浴衣《ゆかた》姿で立っていました。それはまだ寒いときでした。変な女がいる、この季節に浴衣でいるとは、気違いではないか。そう思って見ていると、その女は口を動かして何やら私に言いかけるような恰好《かつこう》をしたかと思うと、ふっと消えてしまったじゃありませんか。  阿夫里の皆さん。これからが私の池浦源作に対する母親殺しの告発の肝要な点にはいるのです。次回にはこのつづきを広告にして配ります。どうぞ、次回も読んで下さい。私、末永甚吉が伏してお願い申し上げます。……」    2  ふしぎなチラシが撒《ま》かれて一週間後、予告どおりに、その続編の広告が阿夫里の町に出た。前回と同じように、新聞半ページ大の両面印刷だった。家々の玄関に配られたのだが、投げ込んだ男を見た者はなかった。というのは、それが夜明けごろの配布で、朝刊の配達と同じころだったからだ。それで、なかには新聞の折込み広告と思い違いした人もあった。 「阿夫里の皆さま。前回の広告で、私、末永甚吉が、二十年前に行方不明となった実母末永セイの運命についてどのように推理しはじめたか、おわかりになったこととおもいます。  末永セイは、二十年前の昭和××年四月五日の夜、鬼のような池浦源作の家に帰って以来、行方《ゆくえ》を絶ったのです。二人の子供可愛さのあまりに、実兄の家から戻ったセイを待ち受けていたのは、黒い運命でした。しかも、それはだれにも気づかれることなく、源作一人によって処置されたに間違いありません。私は小田原で見た中年の女のひとの幻影を信じます。あれは母の霊が現われて、実子の私にその身の上を語ったのだと信じます。二十七歳になった私に、母が初めてその真相を教えたのです。  夢のように現われた、その女のひとの齢《とし》が三十三、四歳だったことも、ちょうど母の死んだ年齢にあたるのです。また、季節はずれの浴衣を着ていたことも私にはおもい当るふしがあります。というのは、前にも書いたように、母は、実兄の鈴木初太郎のもとから戻ったときはよそ行きの大島を着ていました。それは母がすぐ普段着《ふだんぎ》に着替えたため、壁の衣紋竹にかけてあったのでしょう。翌《あく》る朝、源作が子供の私に示したのは、着物の無い衣紋竹だったのです。彼はそれによって母が家出したことを説明したのです。子供心にそれはよくおぼえています。その後、家の中のどこにも母の大島は見当りませんでした。  母の霊が着ていた浴衣は、床に入るときの寝巻《ねまき》だったのです。あの寝巻姿こそ、母が殺されたときの服装ではなかったでしょうか。セイは寝ている間に源作の手によって殺されたのだとおもいます。  母セイは蜜柑箱の荷造りに使う金槌で頭を叩《たた》き割られたか、あるいは手で絞め殺されたのか、そのへんのところはわかりません。その前、夫婦|喧嘩《げんか》の物音に眼を醒《さ》ました私が見たのは、源作の恐ろしい形相でした。源作は母を撲《なぐ》っていました。子供心にもびっくりした私が、母をゆるして下さい、と手をついたのは前にも書きました。それで源作の乱暴はしずまったかのようにみえたのですが、源作の殺意は消えてなかったのです。いや、むしろ、邪魔ものの子供たちが寝ている間に、と考えついたのかもしれません。私と妹のユリ子とが熟睡していたところをみれば、金槌だと、声を出す間もなく一撃のもとにセイが即死したと思われるし、扼殺《やくさつ》ならば、セイの睡っている間に息の根が止められたとおもいます。  私は、どうしてもこの真相を究明したくなりました。ただ真相を知るだけではなく、池浦源作の家の中、六畳の間の床下に埋もれている実母セイの遺体を私がひき取りたいのです。あの暗い地下の中に白骨のまま埋没されていては母の霊も永久に浮ばれません。小田原で見たあの幻は、まさに成仏《じようぶつ》できずにさまよっている母の亡霊でなくしてなんでしょう。私は、そのことを思うと居ても立ってもいられないのです。円満な家庭に育てられ肉親のご両親に最期まで孝養をつくされたお方、あるいは、毎日ご両親と団欒《だんらん》の食卓をかこんでおられる仕合せな阿夫里町の皆さん、どうか、この私の気持をくんでください。  私は池浦源作のもとに行き、早速、その床下を掘るようにたのもうとおもいました。しかし、二十年前別れたままの源作が、私に対して敵意こそ持ってはいても好意を抱《いだ》いているはずはありません。音信《いんしん》もあれきり途絶《とだ》えているのです。源作は、多分、私が現われるのを怖《おそ》れているにちがいありません。必ず警戒するでしょう。面会を申し込んでも会わないにきまっています。たとえ、偶然に会う機会があっても彼は何も言うはずはありません。それが二十年前に犯した妻殺しを白状することになるからです。  現在の池浦源作夫婦は、うまく行っているそうです。その後、田島千代子さんに替って一緒になった村岡とも子さんは、噂《うわさ》ではなかなかのしっかり者で、蜜柑畑《みかんばたけ》も少しは前のものをとり戻したということです。これも噂でよくわかりませんが、村岡とも子さんはやはり未亡人で、源作と一緒になる前、かなりの小金を貯《た》めて持っていたということです。源作がとも子さんのどのような点を見込んで一緒になったかわかりませんが、少なくとも彼女の小金を目当てにしていたのは想像にかたくありません。なぜなら、私の実母末永セイも、前の夫、すなわち私にとっては懐かしい実父の職場の殉職による弔慰金、退職金、特別支給金、保険金などを持っていたからです。そしてそれらの金は、前に書いた通り、源作は、次の女、田島千代子さんとの歓楽にみんな使ってしまったのです。  ですから、源作の現在の妻とも子さんにくらべてセイは性格的に弱かったともいえます。一つには、私と妹ユリ子の二人の連れ子があるという引け目から、源作に弱かったのかもわかりません。  妹ユリ子については、悲しい運命をその後に聞きました。私は伯父の初太郎の家に引き取られたのですが、ユリ子は源作のもとに残っていました。それは女の子だからです。源作の狙《ねら》いは、ユリ子が十七のときに達せられました。妹は源作の手で神戸《こうべ》の福原《ふくわら》遊郭の妓楼《ぎろう》原田光子《はらだみつこ》さん方に二百七十円の前借で売られてしまったのです。もちろん、その金は全部源作が着服しました。鬼のような源作の狙いはそこにあったのでした。なお、気の毒にも妹ユリ子は二十歳《はたち》のとき胸をわずらって死んでしまいました。私の知らなかったことです。可哀想《かわいそう》な妹。継父母に虐待された挙句《あげく》、遊郭の女になってからは過労に過労を重ねた末に病いを得たのだとおもいます。……」  そのつづき。 「私は、池浦源作に何とかして真実を白状させ、彼の家の床下に浮ばれずに眠っている母の遺骨を私の手に取り戻したいとおもいました。そこで、小田原の警察に訴えてみたのです。ところが、昭和××年四月といえば、とっくに時効にかかって捜査はできないという警察のご返事でした。殺人事件の時効は法律によって十五年と決められていることもそのとき聞かされたのです。こんなバカな話があるでしょうか。人殺しの犯人が間違いなくわかっていながら、そして毎日その男が何喰わぬ顔で世間で生活しているのに、時効という法律語で犯人をつかまえることができない、罰することができないというのは、なんという不合理でしょう。法律は社会の秩序を保ち、犯罪を罰するためにあるときいています。たとえ、十五年を経ようが二十年過ぎようが、はっきりと犯人がわかった場合、これを罰するのが当然ではないでしょうか。そうしなければ悪がしこい人間ほど上手《じようず》に生き残り、うまく逃げ了《おお》せた犯人ほど運が強かったということになります。不運な殺人犯人だけ時効の期限内につかまって死刑台に送られるわけです。  私は時効のことを聞いてなやみました。では、私は池浦源作を罰しなくてもよい、法律で決っているならしかたがないから、せめて母の遺体を床下から収容したい、なんとかしていただけないかと、警察に相談してみたのです。すると、警察では、本人の承諾がなければその家の床下を掘ることはできないと言いました。事件の時効が成立する前なら、殺人の疑いで家宅捜索もできるけれど、時効後の今となっては警察でもどうにもならない、という返事でした。池浦源作が私の要求によってあの家の床下を掘るとは絶対におもえませんから、母の遺体収容も永久に絶望ということになります。  私は小田原の弁護士さんも二、三人|訪《たず》ねました。しかし、みんな、それはあきらめるよりしかたがないだろうと言われるのです。やはり時効の壁の前にはどうにもならないと言われました。たとえ、ある人が、末永セイを殺したのは自分だ、証拠はこの通りだと自首して出ても、罪にはならないということでした。まして、それだけの材料で訴え出ても無理である。また本人が承諾しない限り、勝手に先方の床下を掘ることはできない。もし無理にそれをやれば、家宅侵入罪、器物損壊、恐喝罪《きようかつざい》などの疑いでかえって逮捕される。弁護士さんたちの意見はそういうことでした。  一体、私はどうしたらいいでしょうか。私の材料が貧弱なため相手にされないのでしょうか。たとえ、法律的な時効があっても、もっと強い材料があれば、池浦源作は罰せられなくとも、せめて警察の手であの床下が掘れないものでしょうか。  そこで私は、とにかく一応池浦源作に手紙を出しました。かつてお父さんと呼んだ人に、あんたを罰するのが私の目的ではない、目的は、その床下に浮ばれずに眠っている母の遺体を私の手に引き取り、手厚く葬りたいのだ、それでどうか私に床下を掘らせてくれ、と言ったのです。返事は来ませんでした。それでも、そのうち何か言ってくることを期待して前後十通以上は出したでしょう。案の定、彼からはいまだに何の返事ももらっていません。  そのうち、池浦源作が言いふらしたのでしょう。私のことを気違いだとか、気が変だとかいう噂が阿夫里の町に立ったそうです。それを教えてくれたのは、幼友だちの同町五四番地、池辺《いけべ》の金《きん》ちゃんです。金ちゃんには最初、私から手紙を出したのですが、金ちゃんはそれに返事をくれました。そして本当にびっくりすることを書いて来たのです。  それによると、昭和××年九月ごろ、同町のある質屋に女物の大島が質流れ品として出たので、それをある人が買ったという事実でした。九月の質流れといえば、ちょうど母セイが行方不明になった四月から五カ月後です。質屋の質入れ期間は三カ月で、それ以上になると、月々の利払いをしないと流れてしまいます。ですから、大島が五カ月後に質流れになったのは、抵当期間が過ぎた二カ月ぐらいは質入れ主が利払いをしていたとみえます。しかし、あとがつづかず、結局、質屋が流れ品として売ったものとおもわれます。  金ちゃんの話によると、残念なことに、その大島を買った人はすでに十年前に死んでいるので、今はたしかめようが無いということでした。遺族に聞いても、記憶がないということでした。金ちゃんは質屋にも当ってくれました。けれども、今は代が変っているし、二十年前の入質台帳も保存してありません。しかし金ちゃんは、その手紙の中で、以上の事実はたしかに自分の記憶にあることだと言っています。  こうなると、私の想像はぴたりとあたります。つまり、四月五日の夜、行方不明になった母セイは、そのとき大島をきていなかったのです。セイの外出着はその大島だけでした。家出をしてよそに行ったとすれば、必ずその大島をきているはずです。しかし、その大島は質屋にはいって流れている。そうなると、その大島の所有者は、あの四月五日の夜限りこの世に居なくなったということになるのではないでしょうか。もう少しはっきり言うと、池浦源作は、五日の夜セイを殺して床下に埋めたのち、セイの着物の大島を質屋に入れて金を得たともおもわれるのです。  私は、このことをもう一度、小田原の警察に訴えました。弁護士にも相談しました。ひとりも乗り気になってくれません。せめてもの願いとして、私は母の遺骨を受け取りたいとおもい、何とかならないものかと、しげしげと警察や弁護士さんのところに足をはこんだのです。私は仕事が手につきませんでした。考えることは源作の床下に埋められている母の遺体だけです。自然に仕事も休みがちになる。だれに向ってもその話しかしません。  心配した印刷屋の主人が医者にみてもらえと言うので、仕方なく連れられて行ったところ、そこは精神科医でした。強度の神経衰弱という診断で、約三カ月間、私は病院に入れられてしまいました。費用は小田原の印刷屋の主人が出してくれたのですが、思うに、あれも池浦源作の手が回ってその金が送られたからです。そうでなければ他人が私の健康を案じて精神病院などに入れるはずはありません。……」  いよいよ最後の章。 「私は、その精神病院に三カ月ほど入院させられました。医者は、強度の神経衰弱だから心配は無い、と言いました。これは池浦源作の策略があったのです。池浦源作が小田原の印刷屋の主人に金を渡し、私を精神病院に入れることによって、そして、その入院したという事実によって私が精神異常者であるという印象を世間につくりあげたのです。何のために? それは私が早晩阿夫里の町に帰り、この問題で源作に面会したり、阿夫里の警察に訴えたり、また町の人に事実を語ることを予想して、気違いの言うことだから当てにはならないということを準備していたのです。何という深謀遠慮でしょう。池浦源作は単純な頭だとおもうと、とんでもない、悪事にかけてはずるい人間です。  それは、私が間もなく小田原の印刷所をやめて阿夫里の町に帰り、池浦源作に面会を求めたときからだんだんわかってきました。もちろん、源作は私の予想したように絶対に会おうとはしません。何度足を運んでも、現在の妻のとも子さんや雇人たちに追い返されるのです。私は阿夫里の警察に行って、ここに書いた通りのことを述べました。すると、思った通りの返事です。たとえ、その犯人がここに自首してきても、時効を五年もすぎていることであるから池浦源作を逮捕することはできない、と言うのです。まして、本人の同意なしにはその家の床下を掘ることはできない、おまえの気持もよくわかるが、あきらめるより仕方がないだろう、と言うのです。私は承服できません。自分の目的は、なにも池浦源作を殺人犯として刑務所にやってくれというのではない、ただあの家の床下を掘らせてくれればいいのだ、そこに必ずお母さんの遺体が白骨となって横たわっているはずだ、それさえ渡してもらえばいいのだ、といいました。しかし、警察はやはり池浦源作の同意がなければ何もすることができない、と言うだけです。  私は池浦源作に会うことができないのです。私に会わないのは彼の心にやましいことがあるからです。もし、そうでなかったら、彼は私の疑いを晴らすために、その床下の土を掘るべきだとおもいます。そうすれば、私がこれほどしつこく疑っているのがいっぺんに晴れてしまうはずです。しかし、源作はどうしてもそれを承知しない。承知しないのは過去に暗いものがあるからです。そして、その暗いものが現実に床下に証拠となって残っているからです。  私は阿夫里の警察でも精神病者扱いにされました。警察の人が私の言うことを聞きながら、小田原の精神病院にはいったことをたずね、私の様子を見ていました。警察がそんな態度でいる以上、私がどのようなことを町の人に話しても、同じように気違い扱いにされるでしょう。池浦源作の手はそこまでまわっているのです。  そこで私は、この広告を出すことにしました。一般の人にぜひ読んでもらいたかったのです。乏しい給料をはたいて活版に付し、池浦源作の殺人をこのように広く知らせました。  こんなことをすれば名誉|毀損《きそん》になることは覚悟の前です。たしかに私は、これまで書いてきたように池浦源作の名誉を傷つけました。そこで私は彼に向って言います。  ——池浦源作よ、どうか私、末永甚吉を名誉毀損で告訴してくれ、名誉毀損罪は事実の有無《うむ》にかかわらず成立するということだから、すぐさま警察に告訴せよ。もし、告訴しないなら、私はこの広告を今後何回となくつづけるだろう。そして、あなたの名誉をますますキズつけるだろう。  池浦源作から告訴が出されたら、警察は私を引っ張ります。私はそれで初めて自分の目的が達せられるとおもいます。つまり、法廷で争えば、警察も二十年前の殺人事件を調べなければならなくなるからです。そうすると、池浦源作の六畳の間の床下は法律によって否応《いやおう》なく掘り返されることになります。私はそれをのぞんでいるのです。一日も早く母セイの遺骨を取り返すために名誉毀損の訴えが出されるのを待っているのです。そうなることが私の本望です。  阿夫里の皆さま。  前後二回にわたってお読み下さった感想はいかがでしょうか。これだけの文章を書く私は果して狂人でしょうか。また私は池浦源作にとんでもない言いがかりをつけているのでしょうか。もし、疑う方があったら、どうか皆さんも池浦源作に対し、彼が自発的に床下を掘るようにおすすめ願います。その床下を掘り返すときは、おそらく衆人環視のなかで行われるでしょう。私はそれを心からねがっているのです。——      阿夫里町新道四七六 竹内活版所内 末永甚吉」    3  末永甚吉の配布した広告は、阿夫里の町に大きな話題をよんだ。  広告を投げ込まれた先は、町の有力者や、大きな商売をしている家が多かったので、第一回から噂がひろがった。一週間後につづきの第二回目が出ると、それはもっと高くなった。広告文には、二十年前の殺人犯人をはっきりと名|指《ざ》ししているのである。時効成立のため、やむなくこういう方法をとったと末永甚吉は宣言するのだ。彼は、犯人の逮捕が不可能な現在、その家の床下に埋没している実母の遺骨を収容するだけでいい、だからそこを掘らせてくれと主張し、町民に訴えているのだ。  半信半疑で広告を読んだ阿夫里の町の人びとは、蜜柑栽培業の池浦源作と、その広告を撒《ま》いた印刷屋の工員末永甚吉とに好奇の眼を向けた。ことに、海沿いに近い源作の家を外からじろじろと眺《なが》める者がふえてきた。家が古いだけにいかにも秘密を持っていそうだった。源作は腹を立てて昼間でも雨戸を閉《し》めた。  そのことで、源作に直接|訊《き》いた人も少なくない。源作は、その質問を受けると、せせら笑って答えた。 「とんでもないことを言うやつや。あの子は二十年前まで、たしかにセイの連れ子としてこの家に居たことがあるけどね、それからは一度も会《お》うてない。この前からおれにいろいろなことを手紙で言うてきたが、どうも書いとることがおかしいので人に調べてもろた。そしたら、あいつ、小田原に居るとき精神病院にはいっとるんや。気違いということがそれでわかったよ。狂人を相手に怒ってもはじまらんやないか」 「しかし、ああいう広告が町じゅうに撒かれると、あんたも迷惑やろう。甚吉が気違いやということは、他人《ひと》はあんまり知らんからな、広告の文句を本気にするよ。いっそ、皆の前で床下を掘ったらどうや。人骨なんかがあるわけはないから、それで、甚吉や、ほかの人の疑いをはらすことができるやないか」  聞いた人はそう言った。 「わしの家の床下を掘れっていうのかい。何を言うとる。気違いの言うことを真《ま》に受けて、わざわざ家財を片づけてまで床下が掘れるか。ほいじゃ、まともな人間のほうが気違いの指図《さしず》を受けることになるやないか……。たしかに、甚吉はな、あの子が七つのときに、セイの兄貴のところへ引き取ってもろたが、そのころから根性が歪《ゆが》んどったよ。陰険な子やったな。いつもわしに白い眼を向けてな。陰気な性質《たち》でな、口も利《き》かんで、わしを額越しに睨《にら》んどったんや。そんなやつだから、その後、世間を渡り歩くにつれて、ますます根性が歪《ゆが》んできたんや。とうとう頭までおかしゅうなってしもたがな。気違いの言うことに振り回されてたまるかい」  池浦源作は煙草を吸いながら、顔色一つ変えずに応答した。 「しかし、あの広告ではあんたが前の奥さんのセイさんを殺したとはっきり言うとる。セイさんが消息不明になる晩、甚吉が眼を醒《さ》ますと、あんたはセイさんと喧嘩《けんか》して、片手に金槌《かなづち》を持ってえらい顔つきで立っとったと書いてあるよ。その晩からセイさんの姿が見えんようになった。それで、甚吉は、あんたがその金槌でセイさんを殴《なぐ》り殺したか、絞め殺したかして床下に埋めたと言うとる。あの広告の中に、七つの甚吉が手をついて、お母さんをゆるしてくれとあんたにあやまっているところがある。ウチのかかあはあそこを読んで涙を流しとったよ」 「阿呆《あほ》らしい。甚吉のやつ、夢でもみたのやろう。第一、七つの子がそないなことをおぼえているわけはないし、おぼえていたとしても、今まで黙っていたのがおかしいやないか。セイが子供の寝ている夜明けに家を出て行ったから、そないな疑いを持ったのだ。神経がおかしゅうなるにつれ、とうとうわしがセイを殺したように思いこんでしまいよったんや」 「セイさんの消息は未《いま》だに知れないんかい?」 「わからん。おおかた、遠いよその土地でほかの男と一緒に暮しとるんやろう。……あいつは浮気な女でな、わしの眼ぬすんでほかの男とつきおうとったよ。わしは、その人の名前も知っとるが、まあ、迷惑かけたらいかん思うて、黙っとるがね。一時、セイは兄貴の初太郎のところに帰っとったが、あのときもその男と逢曳《あいび》きしとったんや。そいで、子供|可愛《かわい》さとか言うて、あの日、わしのところに帰ったけど、わしはカタをつけるつもりで、きっぱり離縁を言い渡した。そんなことで、あの晩はひと悶着《もんちやく》あった。それを甚吉が見とったんやな。そして勘違いをしたんや。金槌を振り上げたなどというのはあいつの作りごとや」 「で、その晩、セイさんは離縁を承知したのか?」 「したとも。あいつは喜んで出て行きおったからな」 「けど、子供にも別れを言わんで出たというのは少しけったいやな」 「そんとき、子供は寝とったさかい。七つと六つの子供をわざわざ起して別れを言うても、理解せんがね。それにセイがよその男と一緒になれば子供は足手まといになる。黙って逃げて行ったほうが利口や」 「だが、甚吉は、母親のセイさんの着ていたはずの大島がその後質屋にはいっとったと、広告に書いとるがな。もし、セイさんが自分で家出したんなら、その大島は必ず着るはずやから、この町の質屋にはいるわけはないと言うとるよ」 「そんなこと、だれが証明するのや?」 「池辺の金ちゃんがそう言うたそうや。あの広告にそう書いてある。池辺の金ちゃんは甚吉の幼友だちやからな。金ちゃんが甚吉に手紙で報《し》らしたらしい」 「池辺の金次郎《きんじろう》か。あいつもいい加減なやつや。おおかた、よその人の大島のことを聞いて面白半分に甚吉に手紙を出したのと違うか。その証拠に質屋のほうもわからんというやないか。おれがセイの大島を質屋に入れたなど、とんでもないことや」 「けど、あんたが黙っとると、阿夫里の町の者はあんたを疑うよ。家の床下を掘らせてみるか、それとも、これほどはっきりあんたを名指して殺人犯人にしとるのやから、いっそのこと甚吉を名誉毀損で訴えたらどうや?」 「何を言うか。甚吉が狂人ちゅうことを忘れとんのとちがうか。精神病者を相手に名誉毀損の訴訟を起したかて、どうしようもない。狂人はたとえ人殺しをしても無罪やからな。裁判費用だけ損や」  末永甚吉は、阿夫里の駅前にある竹内活版所の植字工であった。彼はひょろ長い蒼白《あおじろ》い顔をした男だった。事情を聴《き》きにきた町の人間に彼はこう説明した。 「わたしを気違い扱いにするのは池浦源作の策略です。前に働いていた小田原の印刷屋の主人を源作が買収してわたしを精神病院に入れたんですよ。それで狂人ということにこしらえ上げたのです。わたしがほんまのことをしゃべるのが源作には怕《こわ》かったのです。わたしは警察にも行った。弁護士にも相談した。けど、殺人事件の時効の十五年がとっくに過ぎているというので、みんなわたしの相談に乗ってくれませんでした。ああいう広告でもせんかったら、お母さんの遺骨を取り返すことができないのです。わたしは警察が相手になってくれないから町の人の協力を求めただけです。もし、池浦源作に疚《やま》しいところがなかったら、進んで床下を掘るはずやないですか。わたしは何度も彼に手紙をやったが、一度も返事が来ません。あの広告に書いたことは全部ほんまです。池浦源作がどんなに誤魔化《ごまか》そうとしたかて真実は動きませんよ」  末永甚吉は抑揚のない声でぼそぼそと言った。瞳《ひとみ》が落ちつかないので、狂人のようにも見うけられた。 「あの広告を出してから、源作さんはあんたに文句いいにいったんとちがうか」  ある人が訊いた。 「いや、何も言うてきません。たとえ源作がわたしのところに直接話しにくるようなことがあっても、わたしは絶対に会いませんよ。間に相当な人を立てないと話に応じないつもりです。源作と直談判《じかだんぱん》すると、わたしはあの恐ろしい男に何をされるかわかりませんからね。それに、みなさんにここまで事件を広く知ってもろたのですから、あくまでもみなさんの眼の前で話をつけたいのです。……けど、池浦源作は絶対にわたしの要求には応じませんよ。それができたら、あれも大した度胸ですがね」 「あんたは広告にも書いた通り、池浦源作に仕返しするんやのうて、ただ、お母さんの遺骨を床下から取り返したいだけやな?」 「その通りです。二十年前の源作のことを思うと、腸《はらわた》が煮え返るようですが、法律で罰せられないときいて、涙を呑《の》んでいます。ただ、お母さんはどうしてもわたしの手に抱いて手厚う葬ってあげたいのです。わたしは、あんな暗い所に埋められている母が可哀想でならないのです。ですから、わたしはここの主人に頼んであの広告の活版を刷らせてもらいました。タダやありませんよ。ちゃんと給料から金を差し引いてもらっています。たとえ水ばかり飲んでも、あの広告を出したかったのです」 「あんたはこの町に帰ってから池辺金次郎さんに会うたかな?」 「いや、会うていません。これほど大きな問題になると、金ちゃんに迷惑をかけそうですからね。だが、彼が手紙で小田原に言ってきたことはほんまですよ。それだけに金ちゃんを巻添えにさせたくないんです。あの人には恩がありますからね」 「源作さんは、そう言うては何やけど、セイさんには別な男がいて、あの晩、納得ずくで離縁話がつき、セイさんはあんたと妹さんが眠った間に家出したというけどね」 「そんな出鱈目《でたらめ》はどうか信用せんといて下さい。問題は簡単です。源作があの床下を掘れば万事解決するやないですか。それを何やかんやと言うて掘ろうとしないのは、あの床下に殺されたお母さんの遺骨があるからですよ。それが出てくるのが恐ろしいのですよ」  池辺金次郎は阿夫里町で油屋をいとなんでいた。父親の代からの商売で、主《おも》に漁業用の鉱油を売っていた。また五、六年前からガソリンスタンドも設けていた。 「いや、弱ったことになりましたな」  と、池辺金次郎が訪《たず》ねてきた人に頭を掻《か》きながら言った。 「質流れの大島がある人の手に渡ったのはたしかです。その人はもう死んでますがね。けど、その大島が果して甚吉の母親のセイさんのものかどうか、わたしもはっきりとは言えません。なんでも、その大島は、源作さんの次の奥さん、田島千代子さんが質入れしたということだったがね。その質屋の先代が、そう言ったようにわたしは記憶している。まあ、今はその人も死んでたしかめようはありませんけどね。何ぶん、二十年前のことだから質帳も無いしね。ぼくの記憶が間違っているかもしれませんな。去年の暮だったか、甚吉がセイさんのことで手紙をぼくに寄越したので、ぼくは、うっかりそれを書いてやったのです。いま、その大島のことを問い詰められるとぼくも弱りますね。……けど、甚吉は可哀想《かわいそう》な男です。あいつが源作さんのところに居たとき、ぼくは遊び友だちでしたがね。たしかに陰気な子には違いなかったけど、それも源作さんにいじめられたからでしょうな。気が変だということだが、あの広告にぼくの大島の話が載っていたのは、ショックでしたよ」  町には、池浦源作とセイのことをおぼえている人もいた。その人たちは言った。 「源作が女癖が悪かったことはほんまです。あいつは次々と女房を替えとったが、前の女房が居る間にちゃんと後釜《あとがま》を作っとったんです。離縁するのはあとの女を引き入れるためです。セイもその一人やった。あの晩からセイの姿がぷっつりと消えたのは、今でもふしぎです。源作はセイが男のところに出奔《しゆつぽん》したと言うとるけど、わたしらも合点《がてん》いかんことが多いです。やっぱり、なんですな、頭が変だとしても、甚吉の言う通り、あの家の床下を掘るのが一番ええ方法やないですかな。それで何もかもはっきりするんやから。警察も法律的にはできんとしても、これほど大きな話題になっとるのだから、治安上、やっぱり源作に床下を掘るようにさせたほうがええと思いますな」  土地には新聞記者がいた。地方紙の支局もあれば、全国紙の通信局も置かれていた。県事務所、町役場、警察署、漁業組合、農協、果実出荷組合事務所などを一巡するのが駐在記者たちの退屈な日課だった。 「あんたら、あのことを書くのかいな?」  五十すぎの、脂《あぶら》ぎった顔の署長は彼らに囲まれて渋面《じゆうめん》をつくった。 「……できれば、書かんといてほしいな。世間の好奇心を煽《あお》られたら困るがな。この町だけなら、まあ、仕方ないとしても、県内一般や、県外まで知られたら恰好《かつこう》つかんで。それに、近ごろは、東京の週刊誌が地方紙のコミ記事まで鵜《う》の目鷹《めたか》の目《め》で探《さが》して材料をあさっとる。週刊誌にデカデカと出たら、この阿夫里《あぶり》の町の名が妙な売出しになるがな。それに末永甚吉さんも証拠があって言うとるわけやなし、活字の上で池浦源作さんが二十年前の殺人犯人にされたら気の毒や。本人の人権も考えてやらなあかんやろ」  署長は大台《おおだい》ヶ原《はら》を北に越えた吉野《よしの》の生れだった。 「しかし、署長さん、末永甚吉は堂々とあんな広告をこの町に撒いているからね。このまま、ほうっておくわけにもゆかんでしょう。それこそ、池浦源作は阿夫里の町じゅうの人から殺人犯と思いこまれてしまうよ。人間の心理から、たとえ末永甚吉の頭が少しくらいはおかしくても、あれだけ公然と書かれても源作が黙っていると、やっぱり怪しいんじゃないかと疑うからね。それがだんだん本当らしくなってくる。……いまに、源作の家から殺されたセイの幽霊が毎晩現われるという噂《うわさ》がひろがりますよ」  記者たちは笑った。 「困ったもんや。あんたら、あんまり騒がんでくれや。警察としても、むろん、池浦源作を取り調べるわけにはいかんし、あの家の床下を強制的に掘ることもできんしな。まあ、噂の七十五日を待つよりほかないやろ」  署長はうすい髪の毛を撫《な》でた。 「そんなことをいうけど、署長さん。あの調子じゃ、末永甚吉はますます今後も池浦源作を実母のセイ殺しとして広告を出しますよ。なにしろそれをいちずに思いこんで執念に燃えているからな」 「ふむ。そうかもしれんな。困ったな。……普通やったら、あんな広告を出す甚吉さんを軽犯罪で取り締まるとこやが、処罰するにしても源作さんからは被害届が出てへんしな。たとえ、こっちで甚吉さんを検挙したかて、あの人は脳が弱いというから、こら、やっかいやな。いちばん、ええのは、源作さんが、名誉|毀損《きそん》で甚吉さんを訴えてくれることやが、そんな気振《けぶ》りもないようや」 「源作は、甚吉が精神異常者だから、そんな告訴を出しても役に立たんといって、うそぶいているそうですよ」 「どないしたらええやろ。あんまり、この騒ぎが大きゅうなると、警察でも知らん顔はできんが、時効成立後で取調べはできへんし、一方は頭がおかしいし……」  署長は自分の頭を抱《かか》えた。 「署長さん。これは、やっぱり池浦源作の家の床下を掘ることだな。甚吉もその現場に立ち会わせるのですよ。遺骨が出てこないとわかれば、甚吉もあきらめるだろうし、源作に対する町民の疑惑も解ける。簡単な解決ですよ」  記者の一人が言った。 「ふむ。それがいちばんええが、源作さんは、気違いの言う通りになって床下が掘れるかいと言うて威張ってるそうやないか」 「警察から源作に勧告したらどうです?」 「警察から勧告するのも妙やな」 「だったら、署長さん個人の勧告は?」 「わし個人の勧告いうても、やっぱり警察署長の勧告と思うからな。それも穏当やないな。それに、源作さんに勧告を断わられて頑張《がんば》られたら、警察の面目問題にもなるがな」 「それなら、署長さんが、果実出荷組合長に頼んで、組合長から源作を説得させたらどうです。源作は蜜柑山《みかんやま》を持っていて、その組合員です。組合長の八田《はつた》さんは、町会議員でもあるし、源作も内心では気にかかっていることだから、八田さんの言うことなら断わり切れんでしょう?」  知恵者の地元記者が言った。 「ふむ。そら、ええ案かもしれんな。それやったら、警察が正面から出んでもええし、カドが立たんで済むな。……よっしゃ、ほなら、いっぺん八田さんにお願いしてみよう。おおきに」  署長は、明るい顔に戻った。 「しかし、署長さん、源作の家の床下を掘ってみて、何にも出ないとは限りませんよ。もし、人骨の一片でもとび出してきたらどうします?」  記者の一人が言った。 「え?」  署長はまた苦い顔になった。    4  阿夫里果実出荷組合長の八田|俊作《しゆんさく》が佐津の池浦源作の家にきた。  源作の家は、道路を隔てて一列にならんだ低い軒とむかい合っている。そこは貧しい人たちが住んでいた。その向う側はすぐ海だった。源作の家は、四つ角で、三十年も経《た》つ古さであった。源作の父親がこれを建てた当時、この辺も家が少なく、大きく目立ったものだが、今はだだっぴろいままに荒廃していた。  女房を四人も取り替えた放蕩者《ほうとうもの》の源作も、今では最後の妻とも子がしっかり者で、家運も多少|挽回《ばんかい》していた。人手に渡った蜜柑山も少しは手もとに取り返していた。が、まだ、この家の改築や修理までは手が届かなかった。  八田組合長は六畳の間に通された。畳は赤茶けて、縁がところどころ剥《は》げている。八田組合長が坐っていて落ちつかなかったのは、その畳のせいだけでなく、この尻《しり》の下に殺された女の白骨が埋まっているのではないかと思うと、少々うす気味悪くなったからである。 「……そんなわけで、だいぶ噂が高いから、警察署長も心配しとる。まあ、あんたが迷惑をしてることはようわかっているがな。けど署長が言うには、このままでは、変な噂が立って困る。また、えてして、そうした噂は面白いさかい、口から口に伝わって大げさになってくる。そうなると、町の風教上おもしろうないから、この際、そうした噂を消すためにあんたに協力を求めたい、と言うのや」  池浦源作は煙草を吸いながら聞いていたが、口もとにうす笑いをうかべて言った。 「組合長さん。協力というのは、わしにどうせえと言われるのかいな?」 「あんたにもいろいろ不満があろうが、この際、甚吉の言う通りになって、床下を掘ったらどうじゃろうなあ。むろん、何も出てこないことはわかりきっとる。それをみんなに見せるんや。甚吉も、そうした立会人の中に入れとく。甚吉も現場を見て初めて納得するじゃろう。そうなると、あんな広告を出した手前、あいつかてこの町には居られんようになるだろう。な、どうじゃろう、それがいちばんええ方法と思うがな?」  組合長はなるべくおだやかに言った。 「署長さんがあんたに、そんなことを頼んだんかね?」  源作はちょっと眼を光らした。 「いや、特に頼まれたわけやないが、あの広告の問題は、わしらも放っておけん気がしてな、いろいろと変な評判を耳にするたびに何とかしなければならんと思うとる。そんなわけで、この前ある寄合いがあってな、署長さんも来ておったけど、話合いの済んだあと、やっぱりあの広告が問題になった。みんなの意見もやっぱり同じじゃ。これがもっと大げさによその土地に伝えられでもしたらえらいことになる、今のうちに、という気持はだれの胸にもある。で、つい、署長さんを交えて、これは源作さんに頼んで床下を掘るのがよかろうということに一決し、わしが出荷組合長をしている関係上、頼まれ役になってあんたのところに相談にきたわけや」 「ああ、そういうことですか」  源作の吐いた烟《けむり》は横に流れた。五月初めの陽射《ひざ》しは夏に近かった。あけ放った窓から、潮の匂《にお》いを含んだ風がはいってくる。  海は前の低い家並みの向うにあった。その家並みは少し西の先で切れて、あとは岩の多い海辺にかわっていた。このあたりは南紀特有の浸蝕《しんしよく》海岸で、海に突き出た崖《がけ》の下にも小さな洞窟《どうくつ》がいくつかあった。 「そりゃ少々無茶やないかな。甚吉は気違いだからな。まともな人間が気違いの言う通りにいちいち動いたら、それこそ人の物笑いになりゃせんかな」  源作は言った。 「おまえさんの言うのは尤《もつと》もや。甚吉はたしかに頭がおかしい。けど、あいつが口で言いふらすのと、刷りものにして配るのとは、大きな違いがあるでな。口で言うぶんには笑って済ませるが、あんなふうに堂々と二回にもわたって広告をバラ撒《ま》いたとなると、笑ってばかりは済まされん。そこが活字の魔力や。甚吉が口先でしゃべるだけなら気違いの言うことやと思うて、だれも耳をかさんが、活字で読むと、まさかとは思うても半信半疑になってくるよ。ここが厄介なところでな」 「そうすると、なにかい、組合長さんも、セイの骨がこの畳の下に寝ていると思うていなさるのか?」  池浦源作が赤茶けた畳の一点に眼を落したので、組合長は思わず尻を動かした。 「いや、そういうわけやない。わしは甚吉の言うことなんか信用してない。けどな、今も繰り返して言う通り、そのうち、事情を知らん者は頭から信用するかもしれんでな。これが恐ろしいのや」 「署長さんはわたしの家の床下を強制的に掘らせてみたいやろうな?」  源作は嗤《わら》った。 「…………」 「だが、二十年というたら、殺人罪の時効も五年すぎとる。法律も手出しができんようになっとる。わしは警察が無理にこの床下を掘ろうというなら、あくまでも反対するよ」 「そら、そうや。そりゃ当然や」  と、組合長は源作の機嫌《きげん》を取るように同意した。 「無理に警察が言うなら、わしも反対する。やっぱりその人権尊重というものがあるからな……。けど、署長さんの言い方はそうやない。甚吉の言うことがまともでないのはようわかっとる。わかった上での話や。あんたが自発的に掘ってくれるなら、噂を消す上でこれに越したことはないと言うとるだけや」  この時、女の声が外でだれかを叱《しか》っていた。源作がそれに耳を傾けてから言った。 「また、だれかが面白半分にこの家をのぞいとったな。あの広告が出てから、毎日、この家をじろじろ見にくるやつがある。女房はそれで神経を尖《とが》らしとる。気違いの言うことを信用する人間のほうが、よっぽど頭が狂っとると思うよ。え、そうやないか?」  果実出荷組合長の八田俊作が末永甚吉を竹内活版所に訪《たず》ねた。活字いじりで真黒に汚《よご》れた顔の末永甚吉は奥から店に出てきた。 「そうですか。源作さんが、あの家の床下を掘ると言いましたか」  組合長の話を聞いて甚吉は蒼白《あおじろ》い顔に眼を輝かした。 「これぐらい大きな問題になると、あのままでは放っておけんでな。わしが説き伏せて、いよいよ五月十日に、あの床下を掘ることに決めた」  組合長は甚吉の表情を見ながら言った。横で活版所の主人も坐って聞いていた。 「どうもありがとうございます。これで初めてお母さんの遺骨をわたしのほうに引き取ることができます」  甚吉は突然八田組合長に向って力強く合掌した。組合長は不安そうに活版所の主人をふり返った。 「五月十日というと、あと二日ですな」  と、活版所の竹内は何となく口を入れた。 「そうです。そのときは、警察署長をはじめ町の連中が立ち会うことになっていますでな、時間があったら、竹内さん、あんたも一緒に来なさいよ」  組合長は竹内に甚吉の介添《かいぞ》えをさせるつもりだった。 「なあ、甚吉さん。あんたは、ぜひ、その穴掘りをはじめるときから立ち会うてもらわなならん。そして、よう調べてみることやな」  八田組合長は子供に言うような口調になった。 「ぜひ見させてもらいます。可哀想《かわいそう》なお母さん。これでやっと二十年ぶりにあの家の下からまともな世界に出ることができます。おかげさまでした。わたしひとりが源作さんに言ったのでは承知しなかったと思います。みなさんのおかげです。どうもありがとう」  甚吉は八田につづけさまに頭を下げた。そのあと急に思い出したように、顔をあげて、 「そうだ。お母さんの骨を入れる棺を頼んでおかなければならんな」  と、そわそわしはじめた。 「なるほど、火葬場で焼いた骨と違って骨壺《こつつぼ》というわけにはいかないな。けど、それは、甚吉さん、土の下から骨が見えてからでもええじゃないかな」  組合長は言った。 「どうしてです? そんなことをしていたら、棺が葬儀屋から届けられる間、骨を人の前に曝《さら》しておくことになりますよ」  と、甚吉は八田を咎《とが》めるように言った。甚吉は、源作の家の床下を掘りさえすれば必ず骨が出てくるものと決めていた。半信半疑の組合長のほうは、土の下から白骨の一部が現われてからでも棺の支度は遅くはないと思っていた。しかし、これは頭から確信している甚吉の前では強く言えなかった。 「まあ、それはあんたの心まかせにするがね」  と、組合長は折れて微笑した。 「ただ、甚吉さん。あんたに頼みたいことがある」 「何ですか?」 「あんたは二十年ぶりにその家で源作と会うわけやが、なるべく喧嘩《けんか》をせんといてくださいよ」 「…………」 「何と言ってもほかにも立会人のおることやし、そこは普通に振舞ってほしい。ええかな。仮にも二十年前には、源作さんをお父さんと呼んだあんただ。顔を合わせた最初から口も利《き》かないで睨《にら》み合うていたんじゃ、はたの者が困るでな。お父さん、しばらくです、くらいは言うたがええな」 「うむ。それは組合長さんの言う通りやな」  と、活版屋の竹内は甚吉のほうを向いた。 「人には、礼儀というものがあるからな。心の中はともかく、顔を合わせたときくらいは、やっぱり挨拶《あいさつ》は言うもんや」 「わかりました。では、源作さんの顔を見たときはそう言います。だけど、お母さんの骨が出てきてからはどうなるかわかりませんよ」 「もちろん、あの床下から人の骨が出てきたら、あんたも源作さんをどのように責めてもええ。だが、それがわかるまではおとなしくしていなさいよ」 「そうだ、組合長さんの言う通りだ」  と、活版屋の主人は口を添えた。 「そうします。あなたがたの言う通りにします」  甚吉が眼を据えて大きく何度もうなずいたので、八田組合長は安心すると同時に、その表情や動作はどことなく普通の人間でないように見てとった。  あとで組合長が印刷屋の竹内と二人きりになったとき、 「甚吉の挙動からみて、こっちのほうはどうかな?」  と、組合長は自分の頭を人差し指でさした。 「べつに変った様子もないですよ。あれはさすがにほうぼうを歩いとるだけあって、植字の腕はしっかりしとる。ただ、ブツブツとひとりごとを言ったり、部屋の隅《すみ》にぽつんとひとりで坐っていることがあるけどね、そのときはちょっと変だと思うが、そのほかは普通の人間と同じですよ」 「そうかな。わしらにはよくわからんがな。どことのう変っとるようにも見えるけど」 「わしらもあれには気をつけていますがね」 「それに越したことはない。けど、なんだな、たとえ頭が変だとしても、よくここまで漕《こ》ぎつけてきたものだな。考えてみると源作の言う通り、頭の妙な甚吉に、この町のまともな連中がみんな動かされとるわけだな」  そこに、仕事場に消えていた甚吉が眼を吊《つ》りあげて引き返してきた。 「組合長さん。源作の家の床下を掘るのはあと二日でしたな?」 「ああ、そうだよ」 「その間に源作が床下のお母さんの骨を掘り出して、どこかに埋め場所を変えることはないですか?」 「それは心配いらん」  と、八田組合長は血相変えた甚吉に保証した。 「それは源作にもよく念を押しておいた。たとえ、そんなことをしても、新しく掘り返した土は見ればすぐわかるからな。源作に町じゅうの疑いがかかるよ。だからその心配はいらん。あんたも安心しなさい」  甚吉は思案するように眼を下にむけていた。  それから二日|経《た》っての五月十日の午前十時前から、池浦源作の家は多勢の人に遠巻きにされていた。この町はじまって以来の見ものだった。多勢の見物人の整理に巡査が当る始末で、火事でもない限り、普通の民家の前にこの人だかりはなかった。  家の中も十数人の町の重立った人びとが詰めかけていた。警察署から次長がきていた。さすがに署長は遠慮したとみえる。次長の横には、この町の集まりにはいつも顔を出す世話役が揃《そろ》っていた。八田組合長もその中の一人だ。彼らは、いま町の消防団員によって掘られる床下を次の間の八畳から目白押しになって見つめていた。前の列は坐り、うしろの列は何重にもなって爪先立《つまさきだ》ちしていた。その中に、甚吉の幼友だちの油屋の金ちゃんもいた。  先頭には当の池浦源作と、彼を二十年前の実母殺しとして広告で告発した末永甚吉とが坐っていた。二人は別々に離され、真ん中に有力者が割ってはいっていた。  この作業のために六畳の畳は撤去され、床板もはずされて、根太《ねだ》が残っていた。消防団員は三名だったが、シャベルを入れるときも署の次長の指示で開始された。暗い床下には懐中電燈の光がほうぼうからさしこんでいた……。  ——これより先、末永甚吉が竹内活版所の主人につき添われて源作の家に到着したのが九時半であった。このとき、ほとんどの立会人は集まっていたが、甚吉は八田組合長に導かれて源作の前に出たのだが、彼はぶるぶる震えた。 「甚吉か」  と源作は鷹揚《おうよう》に声をかけた。 「おまえも大きゅうなったな。これじゃ、途中で出遇《であ》ってもさっぱりわからんわい」  彼は左右の人をかえりみて、大口|開《あ》いて笑った。  甚吉はこちこちに硬《かた》くなっていたが、八田にうながされて、 「今日は……」  と咽喉《のど》にひっかかるような声を出した。さすがに教えられた通りにお父さんとは言えないようだった。 「甚吉。身体の調子はええか?」  源作は父親気どりに言った。 「…………」  甚吉は、その視線をどこに向けていいかわからないように眼が定まらなかった。 「おい、おまえ、おぼえとるか? この家はな、おまえが七つのとき、おれの子として住んだままや。ええか、あれから少しも変ってないぞ」  それは、もしセイの死体がこの床下に埋まっているなら、そのままだというのを言外に聞かせたのだった。だが、甚吉に果してそれが通じたかどうかわからないと気がついたらしく、源作は言い直した。 「おまえは、七つのときに、おまえの母親のセイがおれに殺された言うとるらしいが、そんなことをおぼえとるなら、さぞかし、この家にもおぼえがあろう。二十年ぶりに帰ってきたおまえや。まあ、ゆっくりと見るがええ」  何を言われても甚吉は黙っていた。言葉を探《さが》すように口をもぐもぐさせたが、 「早う床下を掘って下さい」  と、どもって言った。 「は、ははは。甚吉がああ言うとる。それじゃ、ひとつ、お願いしますかな」  源作は次長のほうに言い、作業の見える真ん前にあぐらをかいた。 「それじゃ、源作さん、はじめますよ?」  私服の次長は念を押した。 「ああ、いいですとも。みんなお待ちかねやから」  消防団員はシャベルを動かした。 「ちょっと、待って」  と、源作は最初の土がシャベルに載ったときに言った。 「わしが最近その土を掘り返したかどうか、よく見てもらいたいな」  調べるまでもなかった。土がこの家を建てた三十年も前のものだとはだれの眼にもわかった。床下には塵《ちり》と埃《ほこり》が分厚く積み、その下の土には苔《こけ》が生《は》えていた。 「甚吉さん。わかるな。土はあれから一度も掘り返してないよ」  八田が甚吉の耳に教えるようにささやいた。甚吉の眼は床下に吸いついていた。  そこには湿ったカビ臭い異臭がこもっていた。    5  池浦源作の家の八畳に詰めた人びとの目前で、六畳の間の床下の発掘作業は進んだ。一同は息を詰め、土を削ってゆくシャベルの先を凝視した。作業は入念だった。もし、末永セイの白骨が下に埋まっているなら、それを傷つけてはならないからだ。  三十センチ近く掘った。茶碗《ちやわん》のかけらや、腐った木片とかいったものしか出なかった。遺体は、あと三十センチぐらい下かもわからなかった。白骨に腐臭があるはずはないのに、ハンカチで鼻を押える者もあった。  土は、深くなるにつれ砂が多くなった。  三十センチ以上掘ったとき、突然、白いものがシャベルの先にあらわれて、一同をぎょっとさせた。白骨の欠片《かけら》と思ってみんなの眼が集まった。真ん前にいた末永甚吉は身体を乗り出してのぞいた。 「貝殻です」  作業員は告げた。みなは溜息《ためいき》を吐いた。  つづいて白い欠片は無数に出てきた。海岸が近いだけに貝殻は多かった。  あぐらをかいていた池浦源作は、煙草をくわえながらニタニタ笑っていた。彼だけはこの緊張した空気の外にいた。掘られてゆく穴のほうはほとんど見ずに、どの人間がどのような表情をしているか、左右を見回して面白そうに観察していた。 「おい、定《さだ》やん。どれぐらい掘ったんや?」  源作はシャベルを使っている男の一人に余裕たっぷりに訊《き》いた。 「そうやな、もう、六十センチ近いやろ」 「そないに掘ったか。人間を埋めるんやったら、そないな深さまで掘らんでもええやろ。三十センチも掘って上から土をかぶせたら済むことやからな。第一、おれがセイを埋めたのやったら、ひとりの力で、とてもそれだけは掘れんわ」  源作は大声でみなに聞かせるように言った。  その通りだった。床下に死体を埋めるだけなら、なにも六十センチも九十センチも掘る必要はないのだ。また、ひと晩に一人の人間が窮屈な床下の土を六十センチも九十センチも掘れるかどうか。掘り出した土の処分もできないに違いなかった。げんに、この作業では掘り出した土を一人が笊《ざる》で戸外に運び出していたが、すでに道路わきには小さな山ができていた。  その道路のまわりに集まった群衆も、家の中で進んでいる作業の経過を待っていた。早いとこ経過が知りたい彼らは、土運びの男に、 「おい、まだ骨は出んのか?」 「もう、どのくらい掘ったんや?」  などと声をかけた。  だれもがそこから末永セイの白骨が出ると期待していた。甚吉があれほど大胆に公然と広告で指摘したことである。それに反し、源作はさまざまな口実を設け、床下を掘るのを回避してきたのだ。だれの眼にも源作が甚吉の追及から逃げまわっているとしかうつらなかった。  白骨は出てくる。出てこなければ面白くなかった。二十年前の女房殺しの発覚を人びとは待ち望んだ。  さらに三十センチ深く掘られた。六畳の間いっぱいだから、かなり広い範囲の掘返しだったが、出るのは砂混じりの土ばかりだった。含有物は貝殻ばかりで、ほかのものは何も無かった。セイの着ていた着物のボロぎれも出ない。むろん、二十年前のことだから、そうした有機物はすべて腐って跡かたも無くなっている。肉塊も土に消え失《う》せているが、その土の色はどこにも変ったところがなかった。潮の香が微《かす》かに匂うだけで、期待された白骨はひと欠片も発見できなかった。  見物の連中の顔には失望の色が現われた。二十年前の劇《ドラマ》のあとはなかった。したがって、殺人犯人がそこにあぐらをかいて坐っているという新しいドラマの発生もなかった。作業員がシャベルの手をやめたとき、みなは不機嫌《ふきげん》に黙っていた。 「まあ、これでよかった……」  と、口を切ったのは警察の次長だった。 「池浦さんには迷惑をかけたが、これで甚吉さんも納得がいったと思う。お互いの誤解がとけて、まあ、よかった」  実際、警察としても安堵《あんど》したのだった。人骨が出てくると厄介な事態となる。  じっと穴を覗《のぞ》きこんでいた甚吉は何を思ったかそこを飛び出し、作業員の手から懐中電燈を奪いとった。彼は穴の底に降りた。土竜《もぐら》のように下で匍《は》い回り、土を手に掬《すく》っては懐中電燈の光で調べていた。その執念の姿には一同を圧倒するものがあった。 「やい、甚吉」  源作が片膝《かたひざ》を立てて、穴の底に声をかけた。 「眼を皿のようにして見てみろ。ゴミひとつ見逃《みのが》すんやないぞ。得心ゆくまで骨を探してみろ」  彼は勝鬨《かちどき》をあげるように言った。  甚吉は二十分ばかりも穴の底にうごめいていた。彼はあきらめ切れぬようになおも指で底の土を掻《か》き出していた。 「おい、甚吉さん、もうええ、もうええ。それぐらいにして、あがってきなさい」  と、八田果実出荷組合長が見かねたように上から言った。 「甚吉、八田さんのいう通りや。おまえのお母はんはそこには居《お》らんのや。九十センチ掘っても遺体が出んのやさかい、もう諦《あきら》めんかい」  甚吉を雇っている活版所の竹内も言い添えた。  甚吉はごそごそと穴から這《は》い上がってきたが、泥だらけの彼の顔は涙で濡《ぬ》れていた。彼は床下に両手をついて坐り、がっくりと首を落していた。 「やい、甚吉」  と、源作がその彼に喚《わめ》いた。 「おまえはようも人騒がせなことをしたな。寝ぼけた夢で、こんな迷惑をみんなにかけて悪いとは思わんかい。……おまえのお母《かあ》はな、いまごろはほかの男との間に生れた子供と一緒に何処《どこ》かで暮しとるんやろ。今度はその居場所を探して小遣《こづか》い銭でもやったらどうや?」  甚吉は、その場からこそこそと逃げ出した。さすがに頭がおかしくても、そこに残っていられないようだった。八田組合長が源作に口をきいた立場からも甚吉に謝《あやま》るように言ったが、彼は口の中でもぐもぐと何か言っただけで、泥だらけの顔と服のまま人びとの間を抜けて立ち去った。  あとで八田組合長や活版所の竹内などが源作に謝った。また次長も源作の機嫌をとるようにした。 「町のやつらはみんな盲《めくら》ばっかりや。気違いの言うことを真《ま》に受けて、わしがセイを殺してこの床下に埋めたように思いこんでいた。わしの言うことは信用せんで、気違いの言う通りになったのは、いったいどういうことや」  源作は肩をそびやかして威張り、 「わしは、もう少しで人殺しの犯人にされるところやったな」  と一同に皮肉な眼を配った。  源作からどのように言われても、床下掘りをすすめた連中には言い返しができなかった。本当は、彼らもそこに白骨が埋まっていると半分は信じていたのだった。 「あの気違いの言うことに手伝ったやつがおる。……金ちゃん、おい、そこに油屋の金ちゃんおらんのか?」  源作はうしろをふり向いて人びとの顔の間を探した。 「油屋の金ちゃんやったら、たった今さっき帰ったよ」  だれかが教えた。 「ふん、あいつも逃げよったか。……そうやろう。恥ずかしゅうて居られんやろな」  源作はあざ笑った。 「ねえ、次長さん。こんな人騒がせなことをやった甚吉は、軽犯罪か何かにならないんですかねえ?」  彼は次長にからんだ。 「まあ、相手が通常の頭やないからね」  と次長は遁《に》げた。 「そのまともでない男の言葉を信用し、わしにこれだけの迷惑をかけたのは、警察も、どうかしとんのとちがいますか」  と源作が言ったので、次長は苦い顔をした。  人びとの昂奮《こうふん》は崩《くず》れ去った。ひどく期待していたものが無かったときの失望だった。彼らは甚《はなは》だ物足りなげな顔で帰って行った。戸外に群がっていた見物人たちも不満を抱《いだ》いて散った。  こうした人びとの不満足は甚吉への強い非難に変えられた。やはりあいつは頭が狂っている、気違いだということに決着した。あんなやつをここに置くのは町の秩序の上から面白くないとも言うようになった。これまで彼の広告によって、いたいけな七つの子が、実母に荒れ狂う義父の前に両手をついて詫《わ》びたという可憐《かれん》さに貰《もら》い泣きしていた婦人たちは、気違いの出鱈目《でたらめ》だったとわかると同情を嘲笑《ちようしよう》に変えた。  甚吉は、その日、もと義父だった源作の家から活版所に帰ると、活字のケース棚《だな》の間にうずくまって頭を抱《かか》えていた。彼はほかの職人が何を訊いても黙ったまま夕方まで身じろぎもしなかった。それは敗北の姿でもあり、癲狂院《てんきよういん》の患者の姿のようであった。  外が昏《く》れたころ、甚吉は蒼《あお》い顔で主人の竹内|武雄《たけお》の前に出た。 「旦那《だんな》さん。ちょっと、これから外に出てきます」 「どこへ行く?」  思い詰めたような甚吉の顔を見て、竹内も心配になった。まだ床下が諦め切れず源作の家にひとりで押しかけるのかと思ったのだ。 「油屋の金ちゃんとこへ行ってきます」 「金ちゃんとこに?」 「いままで金ちゃんには遠慮してろくに話もしまへんでしたが、こうなると、金ちゃんにもえろう迷惑かけたと思います。それで、ちょっと挨拶《あいさつ》に行ってきます」 「ほんまに金ちゃんのとこやな!」 「へえ」 「池辺の金ちゃんとおまえは幼友だちやさかい、そんな話をしに行くのもええが、なるべく早う戻ってこいよ」 「へえ」 「よそに回るんやないで」  竹内は、暗に源作の家に行かないように止めたのだった。  すぐ帰ってきますと言った甚吉は、活版所を出ると、国道|端《ばた》にあるガソリンスタンドの前に行った。ガラス張りの事務所をのぞくと、池辺金次郎は売上げ伝票を繰りながら算盤《そろばん》をはじいていた。 「どないした?」  と、金ちゃんは甚吉に窓を叩《たた》かれて中から出てきた。もう夜になったので、油屋もそろそろ店の戸を入れるところであった。 「金ちゃん、今日はおおきに」  甚吉はちゃんとした挨拶をした。 「甚ちゃん。どう言ってええのかわからんけど、まあ、ああいう結果になって、おまえも気が落ちついたやろう。これからは仕事に一生懸命になるんやな」 「おおきに。けど、おれはこれから源作の家に行ってみる」 「源作の家に? また何か言いに行くのか?」 「おれはどうしても、あの床下にお母さんの死体が埋まってるような気がしてならんのや。よう考えてみると、おれは思い違いをしていた。おふくろの死体は六畳の間の床下でなかったのかもしれん。あれは、きっと八畳の間や。おれと妹が寝ていたあの部屋の下だ。おれたちは子供でよく睡《ねむ》っとったから、源作が蒲団《ふとん》ごと六畳の間に移してもわからなんだのやろ。そして、お母さんをその床下に埋めると、また睡ってるおれたち兄妹を蒲団ごと引っ張って八畳の間に戻したんや。そないしたら、まさか八畳の間の下を掘って母親を埋めたとは思われんよってな。おれが六畳の間の床下とばかり思ったのは源作に一杯|喰《く》わされたんや。おれは、これから源作にもう一度掛合いに行くよ」  池辺金次郎は、それはやめたほうがいいと制止した。このときの彼の印象では、甚吉は彼にも一緒に源作の家に行ってもらいたそうだったという。金ちゃんがほかの用事にかこつけてそれを断わると、甚吉はひとりで源作の家のある佐津のほうへとぼとぼと歩いて行った。  折から霧のような小雨《こさめ》が降っていた。金ちゃんは濡れている甚吉の後ろ姿をそれが町角に消えるまで見送った。  甚吉の行方《ゆくえ》が知れなくなった。  その晩、甚吉が活版所に戻らなかったので、主人の竹内武雄は心配し、翌朝、さっそく、池辺金次郎を油屋に訪《たず》ねて行った。 「え、甚吉が戻らん?」  店の奥から出てきた金ちゃんはびっくりして、竹内活版屋を隣のガソリンスタンドの前につれて行った。 「昨夜の七時ごろだったかな、甚ちゃんがここからのぞいたのでな、ぼくが出てみると、今から源作のところに行くと言いおった。それで、ぼくは制《と》めたんやがな、ひとりで佐津のほうへ歩いて行きよったから、あの勢いじゃ源作さんとこへ行ったかもしれんなあ」  彼はそう説明した。 「おかしいなあ」  竹内も首をひねった。甚吉は活版所の二階に住みこんでいるが、今まで一度も外泊したことはなかった。ほかの職人と違い、人間が変っているだけに、女には興味を持っていなかった。 「甚吉は、なんのためにまた源作さんのとこに行くと言いよったんや」  竹内は金ちゃんの顔を見つめて訊いた。 「……うむ。これは言ってええかどうかわからんが、甚ちゃんは、母親の遺体が埋まっているのは、昨日掘った六畳の間の床下と違い、次の間、ほら、みんなで坐って作業を見とった八畳の間の下やというんや。それに気がついたさかい、今から源作さんに談判に行くと言いよった」  金ちゃんは語った。 「へええ。それじゃ、また八畳の間の床下を掘らせるつもりかいや?」 「源作さんがそないなことを諾《き》くわけないがな。断わられるにきまっとる。甚ちゃんはぼくにも一緒に行ってもらいたいふうやったが、そんな掛合いに行くのはかなわんさかいな。源作さんは、ぼくが甚ちゃんに大島の着物の一件で余計なことを言うたと思って、ぼくには反感を持っとるしな」 「そんで甚吉はひとりで行ったのか。……あいつも困ったやつや。思いつめると理屈がわからんよってになあ」 「けど、竹内さん。今度は、いくら甚ちゃんが町の有力者に訴えても、だれも相手にせんからな。みんな昨日の床下の発掘で懲《こ》りとる。甚ちゃんに唆《そそのか》されて源作さんを口説《くど》いた八田さんはえらい後悔しとるし、警察の次長も渋い顔をしておった。町の人気は甚ちゃんに悪い。甚ちゃんはそれを知っとるさかい、もう、ほかに頼みようがないのんや。それでひとりで源作のところへ直談判《じかだんぱん》に行ったんやろ」  甚吉がひとりで源作に遇《あ》ったら、どういうことになったか。二人の頭には昨日の源作の怒号が浮んだ。  とにかく甚吉が戻らない現在、源作に遇って様子を訊くのが筋道であった。二人は相談の上、一緒に佐津へ向うことになった。  源作の家の前まで行くと、道路|脇《わき》には昨日掘り出した土の残りがまだ少しこぼれていた。土は昨日の小雨で湿っていた。源作は、あのあと、床下の穴をもと通りに埋めたらしかった。二人は源作と遇うのに怯《ひる》んだ。  竹内がまず入口から声をかけた。出てきたのは女房のとも子で、二人の顔を見ると、早くも眼を吊《つ》りあげた。 「おかみさん。昨夜、ここに甚吉が訪ねてきませんでしたか?」  竹内は遠慮しいしい訊《き》いた。 「ああ、きましたよ。夜の八時ごろやったかな」 「やっぱりね。それで、どないになりました?」 「どないもこないもありませんよ。ウチのひとは、甚吉なんか遇う必要がないと言うて怒ってはるさかい、わたしが本人にそう言いました。そしたら、甚吉さんはすぐに帰って行きましたよ。……何ぞあったんですか?」 「はあ。甚吉は昨夜出たきり戻ってこんのですわ。どないしたのかと思うて、この金次郎さんに訊いたら、なんでも、お宅のほうに行くと言うとったさかい、様子を伺いにきたんですわ」 「くることはきたけど、いま言うた通り、ウチの人は遇わなんだから、そのまま戸口から引き返しましたよ」  このとき、問答を聞きつけたのか、源作が奥からぬっと現われた。彼は仕事をしていたらしく、ねじり鉢巻《はちまき》にシャツとズボン姿だった。 「なんや、甚吉が帰らんと?」  彼は二人を睨《ね》めつけて怒鳴った。 「そんなことはおれの知ったことかい。女房の言う通り、昨夜、あいつはくることはきたが、あんな気違いにいつまでも相手になっておられんからな。昨日のことかて、おれはずいぶん甚吉から迷惑を受けた。ほんまならぶん殴《なぐ》ってやりたいところやが、気違いだからこらえてやったんや。女房に言いつけてすぐ追い返したよ。あいつがおまえの所に帰ろが帰るまいが、おれに関係のないことや。おおかた、あんな騒動を起させたんで、気違いは気違いなりに恥ずかしゅうなって、この土地におられんようになって、どこかに逃げて行ったんと違うか。あいつなりに腕に職があるさかい、どこに行ったかて食いはぐれはせんやろ。……おれの言うことはこれだけや。さあ、帰ってくれ。おい、金次郎。おまえもくだらんことをしゃべり散らすんやないぞ」  二人は、源作の勢いに退散した。    6  池辺金次郎と活版所の竹内武雄とが源作の家に甚吉のことを問合せに行き、一喝《いつかつ》のもとに追い返された翌日である。金次郎から竹内に電話がかかった。 「昨日はどうも。甚ちゃんはどうしたかいな?」 「まだ戻ってこん。いま、それでわしも心配しとるとこや。金ちゃん。ちょうどええとこに電話してくれた。これから甚吉の残した荷物を調べてみようと思うとるさかい、あんた、立会人としてすぐにここに来てくれんか」  竹内が言うと、金次郎は二つ返事で承諾した。  十五分後、金次郎のスクーターは活版所の前にとまった。 「甚ちゃんはどないしたんやろ?」  池辺金次郎は竹内の顔を見るなり言った。 「そのことやがな。いままで何の音沙汰《おとさた》もないよってに、わしも心配しとる。源作さんの言う通り、甚吉が一昨日のことでこの土地におられんようになって、どこかほかの土地に移ったのならええけど、もし、そうでなかったらと思うと胸騒ぎがするがな」  竹内は顔をしかめて答えた。 「あんたもそう思うか」と、金次郎は言った。「源作のやつ、えらい勢いでぼくらを怒鳴りおったが、ほんまに一昨夜甚ちゃんがあの家の戸口から帰ったかどうかわからへんで。すぐ甚ちゃんの残してるものを改めてみたいもんやな」 「こっちにおいで」  と、竹内は活版所の二階に金次郎を連れて上がった。二階の六畳の間二つが住みこみ職人や見習工の寝起きする場所だった。相部屋で、一部屋に三人が寝る。甚吉の荷物は古トランク一個と風呂敷《ふろしき》包み一つだが、二つとも壁の隅《すみ》に置いてあった。 「このトランクの中に甚吉の着替えや洋服がはいっとる。風呂敷包みは洗濯《せんたく》した下着や洗面道具や。なあ、金ちゃん、もし甚吉がほかの土地に行くのやったら、こんなものをのこしておくはずはないやろ?」  竹内は荷物を見下ろしながら言った。 「そら、そうや。いくらあいつが頭がおかしいというたかて、手ぶらでほかの土地に移るわけはない」 「それに、ここを辞《や》めて行くのやったら、わしに何か挨拶《あいさつ》ぐらいはあるわ。第一、甚吉は金を持ってへん。ほかに行くのやったら、今月の働いたぶんの給料をくれ言うて、わしに請求するはずや。それにやで、甚吉はなかなかの倹約屋《しまつや》やさかい郵便貯金も相当にしとる。その通帳もこのトランクの中にはいっとると思うがな」 「開《あ》けてみよう」  金次郎は言った。古いトランクは錠がこわれているとみえ、上から細引きで巻いてあった。  風呂敷包みを解くと洗濯したシャツなどの下着がきちんと重なって、その上に洗面道具が載っていた。細引きを解いて古トランクを開けると、竹内の言った通り、甚吉の一張羅《いつちようら》の背広やコートなどがきちんとたたまれてあった。郵便貯金通帳は蓋《ふた》の裏側のポケットに丁寧にさし入れてあった。判コもそこに添えてあった。通帳は六万五千二百円の貯金額だった。  二人は顔を見合せた。 「これでいよいよ甚吉はほかの土地に移ったのやないことが判ったわ」  竹内は金次郎に言った。 「甚ちゃんはどないなったのやろ。……竹内さん。あんた、どないに思う?」 「あんたこそ、どないに思う?」  竹内は金次郎の眼をのぞいた。自分の想像をうっかり言えないといった顔だった。 「うむ。竹内さん、あんたもぼくとおんなじことを考えとるのやな。こうなったら、ぼくの口から言うわ。……甚ちゃんは源作に殺されたんと違うか?」  おそろしい想像が吐かれた。竹内は、金次郎が先に言ってくれたので、いくらかほっとした表情になったが、同時に顔を硬張《こわば》らせた。 「甚吉は一昨夜源作の家を訪ねたとき殺《や》られたのやろか?」 「ぼくは、そんな気がしてしようがないな。竹内さん。昨日二人で源作を訪ねたとき、源作のやつ、えらい勢いでぼくらに喚《わめ》いたな。あれは甚ちゃんを殺してるから気《け》どられんようにしたんや。甚ちゃんをあの家の入口から追い返したというのは嘘《うそ》や。源作は甚ちゃんを中に入れて殺したに違いない。あの女房もぐるや」  金次郎はだんだんに昂奮してきた。 「ほんまに殺《や》ったのやろか?」 「ええか。竹内さん。甚ちゃんはぼくにこう話した。母親の骨は六畳の床下やない、次の八畳の間の下や言うてな。それに気がついたから源作に掛合いに行くと言うとった。……それが当ってたんや。そやから源作が、また八畳の床下を掘り返されんよう甚ちゃんの口を永久にふさいだんやろ。源作は嚇《かつ》とすると、えらい乱暴を働くでな。これまで、三人の女房がみんなひどい目に遭《あ》っとる。ことに甚吉の母親は、あの晩、甚吉の言う通り源作に殺されたに違いない。そやから今度も甚吉が同じ目に遭《お》うたんやろ」 「金ちゃん。どないしたらええやろ?」 「どないもこないもない、今度こそ警察に訴えて源作の家宅捜索をしてもらおう。なあ、竹内さん。ぼくと一緒に警察に行《い》てくれんか?」  竹内武雄は金次郎に言った。 「警察に一緒に行ってもええが、どうやろな、金ちゃん、その前に八田さんに話してみては? 八田さんは前からの行きがかり上、今度の問題も耳に入れとかんと悪いような気がするがな」  竹内がそう言ったのは、金次郎からすぐ警察に行ってくれと頼まれたことにたじろいだからである。直接警察に行けば、あとで問題になったとき、いろいろと迷惑を受けそうだ。それよりもまず八田果実出荷組合長に申し入れたほうが間接的でおだやかになると思ったのだ。  金次郎もそれに反対する理由はなかった。二人は甚吉《じんきち》の荷物をもとどおりにし、すぐさま八田の家に向った。 「甚吉が源作の家に行ったきり帰らないからと言うて、源作が甚吉を殺したとすぐに言えるかな?」  と、八田は二人の訴えを聞いて顔をくもらせた。一昨日床下を掘って何も出てこなかったことから、彼も源作にさんざん厭味《いやみ》を言われたのだ。この上厄介なことにかかわりたくないというのが彼の本心のようだった。 「十中八、九分まで甚吉は源作に殺されていますよ」  と、金次郎だけが強く言い張った。 「それには何ぞ証拠があるか?」 「証拠はないが、いま言うたように、甚ちゃんは竹内さんの家に貯金通帳をはじめ、身のまわり一切のものを残しとる。あれだけで十分や」 「そやけどな、金ちゃん。甚吉はやっぱり頭がおかしいわ。普通の人間のやることと一緒に考えたら、こっちのほうが間違うかしれへんで。それでのうても甚吉は、あれほど母親の白骨が床下から出てくると思いこんでいたさかい、今度は大ぶんショックを受けてよけいに気がおかしゅうなっとる。源作の家を訪ねたあと、ふらふらとよそを歩きまわっているかもしれへんで。おまえの言う通り、別な土地に移って働くいうのんやのうて、あてどもなくさまよってるということも考えられるさかいな。もう一日、二日、待ってみたらどうや?」  八田は分別臭く言った。 「そないに待っておられへん。もし、その間に源作のやつが甚ちゃんの死骸《しがい》を上手《じようず》に処分したら、また犯行がわからへんようになる。今のうちや。今やったらそこまでいってへんから、探《さが》せばすぐわかるに違いない」  金次郎は息まいた。 「そんなら、おまえ、源作が甚吉を殺していると信じとるんやな?」 「そのほかに考えようがないよってにな。なにしろ、甚ちゃんはぼくのところに来て、母親の死体は八畳の間の床下に間違いない、今度はあそこを掘らせると言うて、その掛合いに源作のところに出かけたんやさかいな。源作の女房が表で甚吉を追い返したというのは、あれは嘘や」 「そんなら、殺された甚吉の死体は今どないになっとる? また床下か」 「ぼくが思うにな、八田さん。一昨日六畳の床下が掘り返されたが、それは、その夕方までに源作がもとどおり掘った穴を埋めている。ぼくらが昨日源作の家に行ったとき、その土の残りが道路のわきに雨にぬれていたさかいな。つまり、埋め直した土は軟《やわ》らかいさかい、甚吉の死骸はその下に埋めたと思うんや」 「何で源作は甚吉を殺さないかんやった?」 「そら、わかっとる。甚吉が言ったことが間違いなかったんや。やっぱり母親の死体は八畳の間の床下にあったんや。そんで、今度八畳の間の床下を掘られると間違いなく白骨が出てくるさかい、源作は甚吉を殺すことで口を封じてしもうたんや。ぼくはそう思うとる」 「もう一度床下を掘れというのは、いくら警察でも困るやろな」  八田は腕を組み、額に皺《しわ》を寄せた。 「そこやがな。源作のやつ、そのへんの気持をよう見抜いて甚吉の死体を埋めたと思うんや。いっぺん掘り出して何も無かったさかい、今度はあとで甚吉の死骸を埋めても、あそこからは何も出てこんという印象がほかの者にあるさかいに盲点になってるんや。ええか、八田さん。あんた、歴史の教科書で大塔宮《だいとうのみや》のことを習うたことがあるやろ?」 「よう覚えとらんが、何や、それは?」  八田組合長は、無学を指摘されて、ちょっとうろたえた。 「大塔宮|護良《もりなが》親王がやな、敵方に追われて奈良の般若寺《はんにやじ》というお寺はんに逃げこんだことがある。そこへ敵方が捜索にやってきたんで、大塔宮は経文を納めた櫃《ひつ》の中に隠れはった。その櫃だけは蓋《ふた》を取って頭の上から経本を被《かぶ》せたんや。賊方は蓋もしてへん櫃の中に人間が隠れてることはない思うて、ほかの蓋のある櫃だけを探した。それからほかの部屋を探しているうちに、親王はほかの櫃の中に隠れはったんや。敵方はさっき探さなかった櫃のことが気になって引き返してきたが、前に探した櫃をもう一度見ようとはしないで帰った。……この心理や。人の盲点を衝《つ》いとる話と思わんか。いっぺん探して無いとこは、もう探さんもんや」 「そういうものかな」  八田組合長は指で耳朶《みみたぶ》を掻《か》いた。 「とにかく、八田さん。これは人命問題やからな、放ってはおけん。ぼくは警察に行って、とにかく源作に事情を聞いてもらうことにする。警察が行けば、いくら源作かて、ぼくらを追い返したようなことはよう言わんやろ。それで、もう一度、あの床下を掘り、ついでに甚吉が怪しんでいた八畳の間の下も掘らせよう。……もし、ずっとあとになって源作が甚吉を殺したと判《わか》ったとき、あんたはぼくからこの話を聞きながら知らん顔をしとったということで、非難されるかもわからへんで」 「そうおどさんといてくれよ」  と、八田組合長は頭に手をやった。 「竹内さん。あんたも黙っていないで、八田さんに加勢を頼んでくれんか」 「うむ。べつに黙っとるわけやないが、金ちゃんがひとりで言ってくれたんでな」  竹内はのっそりと答えた。 「甚吉はあんたの雇人やで。あんたにとっても他人事《ひとごと》でないはずや」  金次郎は竹内まできめつけた。  三人は揃《そろ》って警察署を訪問した。果して署長は渋い顔をした。 「甚吉君が二晩戻ってこんぐらいで、すぐにそないな異変に結びつけるのは少し早すぎるんやありませんか。もう二、三日、様子を見たほうがええと思いますけど」  山一つ越えた大和《やまと》地方から転任してきた署長は、一昨日の結果から、三人の訴えを気持よくは承知しなかった。  そこで池辺金次郎は、甚吉が身の周《まわ》りのもの一切を遺《のこ》しているのみならず、虎《とら》の子のようにしている郵便貯金通帳まで置いて行っていることを説き、また昨日訪ねて行ったときの源作の態度を話した。自分たちの疑いは必ず事実だと力説した。 「けど、甚吉さんは普通の人と違って、頭が弱いよってにな」  と、署長も同じことを言った。これは町の人びとの考えを代表していた。甚吉に対するそれまでの同情は俄《にわ》かに狂人扱いになっていた。 「頭の弱いことはたしかですが、それだけに甚吉の直感は人並み以上やったともいえますよ。えてして天才と狂人とは紙一重といいますさかいな。源作は、きっと甚吉にセイさん殺しを見破られて、八畳の床下を掘るのを防ぐため彼を殺したに違いありません」 「そんなら、なにかいな、今度はもう一度六畳の間の下を掘った上、また八畳の間の下も掘らなあかんというわけかいな?」  署長はますます迷惑そうだったが、とにかく、その場に次長を呼んで打合せをした。警察署としても三人からこのように訴えられた以上は放ってもおけないということらしかった。それもあとで実際に源作の犯行だと判った場合、なぜ、あのとき掘らなかったかという非難が怕《こわ》いからだった。  次長も甚《はなは》だ迷惑げであった。彼は三人に言った。一昨日の例もあるので、今度も警察が正面から源作に交渉することはできない、あんたがた三人で源作を訪問し、とにかくもう一度疑惑を晴らすために床下を掘らせるように頼んでほしい、もし源作が承諾したら、一昨日のように自分たちもそこに立ち会ってもいいと言明した。  三人が源作の家に回ったのは警察を出てからである。金次郎が竹内と八田の足をそのまま佐津に向わせたのだった。家に帰ればどう気が変るかわからないという金次郎の気遣《きづか》いからだ。  果実出荷組合長の顔があったので、源作も昨日、竹内と金次郎とを怒鳴ったような態度にはならなかった。蜜柑山《みかんやま》を持っている源作は、八田組合長だけにはいくらか遠慮しているらしかった。 「わかった」  源作は、八田が恐る恐る切り出した話を聞いて大きくうなずいた。さぞ顔を真赤《まつか》にして怒るだろうと思われた彼が、今度も、一昨日と同様、口辺に冷笑を浮べていた。 「よっしゃ、そんなら、今日、今からでもこの家の床下を掘ったるわ。警察からだれか立ち会いに来てくれるように呼んでくれ。そのほか、だれでもかまわん、見たいやつをみんなここに集めて、眼を皿のようにして見さしたるで」  彼は、三人にむかって言うと、 「おい、とも子。おれの作業ズボンを出してくれ。今日はおれがシャベルを握ったるわ。早う、六畳の間の箪笥《たんす》や荷物を片づけろ」  と、女房に大声で怒鳴った。八田と竹内とは首を縮めたが、金次郎だけは怯《ひる》んでなるものかというように源作をじっと見ていた。  一時間後に、再度の床下発掘作業は開始された。警察署からは、一昨日と同じように次長がやってきたが、はじめから気の弱い顔で、何度も迷惑をかけて済まないと源作にお世辞を言った。  町の有力者が、これも一昨日とほとんど同じ顔ぶれで集まった。彼らは一昨日の結果にいたく失望していたので、思いがけないドラマの再開に大喜びであった。町に噂《うわさ》が伝わるのは早い。家の外は弥次馬《やじうま》で黒く人だかりがした。  あの広告を出して以来、末永甚吉は話題の中心人物になっていた。一昨日の発掘はその最高潮であった。その結果、町の人びとの期待を裏切ったということで、甚吉の人気はいっぺんに下落したが、今やその主人公自身が行方《ゆくえ》不明となり、殺人の被害者となった形跡があるので、興味は全く前以上に急騰した。見物人たちは今回も、床下から甚吉の死骸が出てくることを期待した。今度は、彼の母親の場合と違い、時効の問題はなかった。もし、死骸が出てくれば、発生したホヤホヤの殺人事件である。源作はその場で逮捕される。人びとは新しい昂奮《こうふん》にとらわれた。 「さあ、はじめるで」  当の源作は、六畳の床下にシャベルを握って仁王立《におうだ》ちとなり、立会人たちを睥睨《へいげい》した。 「おい、金次郎、ようく穴の中をのぞいておれ」  彼は真ん前にいる金次郎に憎々しく叫んだが、それは他の立会人にも言って聞かせた言葉であった。次長や八田、竹内などはもじもじした。  源作は、ほかの消防団員二人の先頭に立って勢いよく土を掘りはじめた。一昨日掘り返されたばかりの土は軟《やわ》らかであった。作業は楽で、早くすすんだ。  ——池辺金次郎は、源作がねじり鉢巻《はちまき》で床下に降り立ったときから、ひそかに畏怖《いふ》が起っている様子であった。それでも、源作の威勢のいい恰好《かつこう》は皆の眼をごまかすためで、そのうち、もうわかった、掘らんでもええ、という掛け声がくるのを待っているのか、それとも、追い詰められた自棄糞《やけくそ》でどうにでもなれという気持なのか、どっちかに考えていたのが、源作のあまりの自信ある態度に見込みが崩《くず》れてきているのが、傍目《はため》にも知れた。  結果は全く金次郎のおそれている通りになった。九十センチ掘り下げられた穴からは、人間の指一本出てこなかった。  源作が勝ち誇ったように穴の底からねじり鉢巻の顔をあげたとき、金次郎は咽喉《のど》から絞り出すような声で叫んだ。 「おい、源作さん。そこだけではわからへん。この八畳の床下も掘ってんか!」    7  池辺金次郎の要求で八畳の間の床下も掘ることになった。 「面倒臭いことを言うやつじゃ。そんなら、ついでや、掘ってみせたろ」  と、源作は進んでその求めに応じた。 「おい、とも子。今度は八畳の間の道具をこっちに移すんや。ほら、みなさんに手伝ってもらってな」  それからがひと騒動だった。六畳の床をもとどおりにし、畳を敷く。土間に下ろしていた道具をそこに運ぶ。これが立会人たちの臨時の労働になった。所轄署の次長を除くほか、八田組合長も、竹内活版屋も、油屋の金次郎も運搬に従事した。  それが済むと、今度は八畳の間の荷物を六畳に動かす。重い箪笥などがみなの手に抱《かか》えられたが、溜《たま》った埃《ほこり》が黒い古綿のようについていた。六畳の間は荷物で物置きのようになった。立会人は、みな立っていた。 「ちょうどええわ。みんなに大掃除の手伝いをしてもらうようなもんや」  と、源作は大口を開《あ》いて笑った。  金次郎は、その源作の様子を見ただけでまた心が萎《な》えて来たようだった。源作の自信ありげな態度は、六畳の間の床下を掘ったときと少しも違わなかった。 「片づいたかいや。早う床板をめくってくれ」  と、源作は、そうした金次郎を尻目《しりめ》にかけて、わざと喚いた。  署の次長もそうだったが、八田、竹内などはおろおろしていた。彼らも、この床下に何も無いことに予想がついた。金次郎の発言を止めなかったことで、彼らも源作に八畳の床下を強引に掘らせたことになる。だから、あとで爆発する源作の怒りに怯《おび》えていた。しかし、もう、そのへんで中止したほうがいいと呼びかける者もなかった。源作の今の勢いでは、そんなことを言っても受けつけそうになかったのだ。  八畳の床下に源作が真先《まつさき》に降りた。またも懐中電燈がほうぼうから暗い中にさし出された。 「みんなよう見てくれ。金次郎は、わしがここに一昨夜甚吉を殺して埋めたように言うとる。だが、もしそうやったら、この土がこないに硬いはずはない。一昨夜掘り返したら、土の様子ですぐわかることや。それに、見てみい。こないにゴミがいっぱい上に溜ってるやないか」  まさにその通りだった。懐中電燈の照明は床下特有の塵埃《じんあい》の堆積《たいせき》を見せていた。 「さあ、掘るで」  源作は、自分からスコップを土に入れた。  土は硬《かた》かった。源作の言う通り、そこに甚吉を埋めたら、土はもっと軟らかでなければならない。また塵埃がこのように自然に上から溜っているはずはなかった。  消防団員二人も手伝ってそれぞれ深さ三十センチほどの穴ができた。三カ所の穴だから、人間の死体があれば、どこかにその一部が出るはずだった。眼には何もふれなかった。 「金次郎、どうや。人間を埋めたのやったら、こんなに掘ったらもうええやろ?」  源作は金次郎に言った。相手は眼を伏せて黙っていた。彼は完全に気力を失っているように見えた。 「おう、そうや。金次郎は甚吉から聞いたいうて、こうも言ったな。……セイの白骨は六畳の床下やのうてこっちの床下やとな。そやったな、金次郎?」  今度も金次郎に声が無く、わずかにうなずいただけだった。 「よっしゃ。ものはついでや。あと六十センチほど掘ったるわ」  六畳の床下と同じように今度も九十センチの穴が出来た。同じように小さな白い貝殻が砂の層から出てきただけで、白骨の一片も現われはしなかった。 「もう、このくらいでええやろ、金次郎?」  と、彼は嘲《あざけ》るように顔をあげて言った。 「わかった。もうわかった」  と、金次郎が泣くような声を出した。 「やっとわかったか。……次長さんも、八田さんも、これでええな?」  彼は二人に眼を移して自慢げに言った。 「もうええ。えらい迷惑をかけたな。いや、申訳ない」  八田が次長のぶんも一緒に頭を垂《た》れて謝《あやま》った。  源作は悠然《ゆうぜん》と穴の中から出てきた。彼はそこに立っている連中をじろりと見回し、ズボンの尻《しり》についた泥を払い、六畳の縁に腰かけた。そこに居る八田と竹内があわてて脚《あし》をうしろに退《ひ》いた。 「おい、とも子。煙草をくれや」  八田がすかさず自分のポケットからピースを差し出した。源作がそれをつまむと、八田はライターを近づけた。 「なあ、八田さん」  と、源作は上眼《うわめ》づかいに彼を見ると、烟《けむり》を長く吐き出して言った。 「これでわしも町じゅうの疑いが晴れたな?」 「そうとも。まったくおまえの言う通り、もう、だれもおまえについて妙な噂を立てる者はおらん。これで根こそぎ消えてしもたで」  八田組合長はおかしいほどお世辞を言った。 「次長さんはどうや。警察もこれで、納得してくれはったか?」 「了解した。いや、ようわかりました」  次長がばつの悪そうな顔で言った。 「なあ、金次郎」  と、彼は次に、八田のうしろで蒼《あお》い顔をして坐っている油屋に鋭い眼を向けた。 「おまえもこれでええな。得心がいったな?」 「どうも迷惑をかけて済まなんだ。源作さん、まあ、気を悪うせんとおくんなはれ」  金次郎が手をついた。 「竹内さんはどうや?」 「この通りです」  活版屋は膝《ひざ》まで手を下ろしてお辞儀をした。 「そうか」  彼は息を呑《の》んで立ちならんでいる連中を見渡し、うれしそうに笑った。 「たった一人の気違いに、町のこれだけのお偉方が阿呆《あほう》みたいに迷わされたんや。世の中は面白いもんやな。石が浮んで木の葉が沈むちゅうのはこのことや。なあ、次長さん」  奥からは源作の女房のとも子が無表情にのぞいていた。  翌日も末永甚吉は竹内活版所に戻らなかった。  しかし、油屋の金次郎の評判は町で下落した。甚吉の尻馬に乗って人騒がせなことをしたというのである。 「金次郎のやつ、甚吉と同じように、この町にはおられんようになるやろ」  と、源作が言った言葉が人づてに金次郎の耳にもはいってきた。 「弱ったな。みんなぼくの顔を見て、妙にニヤニヤしている。ほんまに、こんな商売でもせなんだら、甚吉みたいにどこかに行きたいぐらいや」  と、金次郎も八田組合長に語って頭を抱えていた。 「いや、そら、おまえだけやない。わしも少々軽はずみやった。おまえたちの言うことに動かされたからな。だけど、金ちゃんはほんまに甚吉の言うことを信用しとったのんやな?」 「そら、そうや。今でもまだすっかり疑いが解けてない」 「何やて?」 「ほら、甚吉はまだどこに行ったかわからんやないか。あの男が無事な姿を見せるまでは、ぼくはまだ源作を疑っとる」 「そやけど、ああして床下も掘ったし、源作は甚吉をどないして始末つけたと思うんや?」 「そら、わからん。だけどな、八田さん。ここだけの話やけど」  と、金次郎は急に声をひそめて八田にささやいた。 「甚吉が源作の手でセイさんが殺されたと思うとるのは、ありゃ、ほんまや。なるほど、甚吉は頭がおかしいと言われてるけど、やっぱり母親のことを一心に思ってたさかい、ノイローゼぐらいにはなったかもしれへんが、気違いとは思わん。あれは甚吉の言う通り、源作が甚吉の精神病院入りを大きく吹聴《ふいちよう》した結果や。ぼくは甚吉があの広告に書いた通りのことを信用したい。人間の直感ちゅうもんは案外当るさかいな。母親の幽霊を見たというのんも、幽霊はともかくとして、やっぱり、その直感から浮んだ幻影やろうな。世の中には理外の理ということもあるさかい」 「そんなら、源作は死体をどこに埋めたと思う?」 「ぼくはな、源作の蜜柑畑《みかんばたけ》やないかと思うとる」 「蜜柑畑やて?」 「そうや。二十年前、セイさんを殺した晩、源作はセイさんを自分の蜜柑畑に連れて行ったかもしれへん。そして、そこで殺し、畑の中に埋めたのやろ。今度も、もしかすると、その手で甚吉は殺《や》られたかもしれへんな」 「甚吉の死骸も蜜柑畑にあるというのんか?」 「ぼくはそう思っとる。あいつの蜜柑畑は、あのころ、人手に渡った残りが弁天岩《べんてんいわ》の近くの山にあった。けどな、こんなことを言うたかてもうあかんわ。警察も二度の床下掘りに懲《こ》りて、蜜柑畑まで掘れとは源作にはよう言わんやろ。よっぽどの証拠がない限りはな」 「おい、金ちゃん。そんなことはほかの者には言うなよ。おれは胸の奥にたたんでおくけど、おまえがまだそんなことを言うと、ぱっと噂がひろがるさかいな。今度はえらいこっちゃで」 「うむ。それはようわかっとる。けどな、八田さん。甚吉が戻ってくるか、ほかの土地に居ることがわかるかせなんだら、源作に向けるぼくの嫌疑《けんぎ》は消えへんで。……大体、源作の女房からしておかしい。あの女房は、亭主が甚吉を殺したとき手伝いぐらいしたかもしれへんで」 「まあ、もうすこし様子を見てみよう。ほんまに甚吉が戻らなんだら、竹内に言って警察に甚吉の捜索願を出してもええ。そやったら、警察も動きやすうなるからな」 「さあ、どうやろ。警察も今度は源作には参ったからな。甚吉の行方不明を本気に捜査してくれるかどうかわからへん」  八田組合長は、もう少し様子を見ようと言ったが、甚吉はその晩も活版所には帰ってこなかった。源作に遇《あ》うといって出かけてから四日|経《た》った。  たまりかねた金次郎は警察署に行った。 「署長さん、甚吉のことはどないしますのや?」 「うむ。あれは困ったもんや」  と、署長は額を手で抑《おさ》えた。  甚吉は、あの晩一文無しで活版所を出て行ったのだから、家出する意志の無いことはわかっている。いくら頭が弱いといっても、そのくらいの分別はある。現に、まだ甚吉がよその土地をうろついているという報《し》らせはないではないか。甚吉が最後に立ち寄ったのが源作の家だから、源作を尋問するのが至当ではないかと、金次郎は言った。 「そやけどな、まだ甚吉が殺されたという証拠は何も無いよってにな。甚吉が源作の家の前から帰ったというのは、もう源作の言ってることでわかっている。ああして二度までも床下を掘らしてるさかいに、よほど有力な証拠でもない限り、源作を甚吉殺しの嫌疑で逮捕はでけん。まあ、それとなく様子は見ているがな」  署長は答えた。 「源作はどないしてますのんや?」 「近所にいる署員の話やと、普通と変わりないそうや。朝から蜜柑畑に女房と一緒に行っているし、近ごろは仕事に精を出しておるようや」  南紀は初夏になると観光客が各地からやってくる。近くには海沿いの温泉もあり、奇巌怪窟《きがんかいくつ》の名所もある。宿につく観光客はたいてい舟遊びをする。なかには漁師に舟を出させて夜釣りを愉《たの》しむ客もいた。  甚吉が消息不明になって一週間経ったころである。  近くの温泉に滞在していた東京の客二人が、宿に頼んで夜釣り用の舟を雇った。この辺は、これから、メバル、イサキ、カサゴなどのシーズンである。  舟は遠くに町の灯《あかり》が見えてくるところにきた。眼の前は真暗な岩礁で、海岸は浸蝕《しんしよく》によって大小の洞窟《どうくつ》ができている。 「この辺で舟を停《と》めてみましょう」  と、船頭が漁燈を海岸側の舟縁《ふなべり》に差し出した。客二人は竿《さお》を海面に突き出した。船頭も手伝って舟縁から釣糸を垂れた。 「船頭さん。あの灯はどこの町だね?」  客は訊《き》いた。 「はい、阿夫里だす」 「沖から見ると、夜の海岸町はなかなかきれいだな」  二人の竿にはメバルが一匹ずつ上がっただけで、あとは沙汰《さた》も無かった。客は船頭にもっといい場所はないかと言った。船頭はまた櫓《ろ》を握り、少し陸地に近づけた。  五月なかばの夜の海はまだ寒かった。客は宿から持参したウイスキーを飲み合い、竿の手ごたえを待っていた。  客のひとりが海の中をのぞいて首をかしげた。 「下に蒼白《あおじろ》い灯が見えるが、あれは何だな?」  船頭ものぞいた。蒼白い灯のかたまりが月光のように波の底から光芒《こうぼう》を放っていた。 「…………?」  船頭もしばらく首をかしげていたが、 「ウミホタルでっしゃろ」 「海のホタルか。何だね、それは?」 「腐った魚を食べる虫でんがな。ミジンコそっくりの小さな虫で、魚が死んで底に沈むと、何万、何十万と集まってきて、そいつを食うんですわ」 「腐った魚だけを食うのかね?」 「ウミホタルは悪食《あくじき》や。腐ったもんなら何でも食べます」  船頭はそう説明しながら、 「それにしてもあの光り具合からみると、今夜のウミホタルはだいぶん大けなものにたかっているようでんな」  と、ひとかたまりに光る海の底をのぞいていた。 「やあ、かかった、かかった」  ひとりの客が竿を上げた。糸の先にはアイナメが銀光を放って躍《おど》っていた。  銀光——月の晩ではない。鱗《うろこ》が銀に光るわけはなかった。しかし、魚そのものは闇《やみ》に燐光《りんこう》を放っていた。  客は舟の生簀《いけす》に入れるため魚の口から針をはずしたが、 「おい、船頭さん。気味が悪いくらいにこの魚はよく光るね」  と、魚を見せた。 「それがウミホタルです」 「しかし、魚はこの通り生きているよ」 「下に沈んだ腐ったものにたかっているウミホタルが泳いでいる魚にもくっついたんでっしゃろな。けど、こないにウミホタルが多いのも近ごろ珍しいことだす」  釣り上げたアイナメは胴の生簀に入ってもまだ燐光を放っていた。 「船頭さん。気味が悪いから、舟をここから別なところに動かしてくれんか」 「へえ」  船頭は舟を動かしたが、暗い波はそこだけが下に光源を持っているように蒼白かった。 「まるで幽霊火のようだな」  客は遠ざかる海面を見ながら、冷たい風が衿《えり》にはいったようにぶるんと身を震わせた。  幽霊火という客の言葉に船頭は思い当ったように言った。 「そうや、ひょっとするとあのウミホタルは人間の死体を食べとるのかもしれまへんな」 「おい、おどかすなよ」 「いえ、ほんまでっさ。土左衛門が流れてくるとウミホタルがああして集《たか》りよりまんね」 「おい、すぐ宿に帰ろう」  夜釣りどころではなかった。客は船頭に言いつけて生簀に泳いでいる燐光のアイナメをつかみ出させて海に放《ほう》った。光る魚はすぐ波の下に泳いで消えた。  その晩、温泉町の警察から船頭の報告が阿夫里警察署に電話で伝えられた。蒼白い光芒の場所は阿夫里署の管内であった。    8  隣の温泉町の警察からの報告を受けた阿夫里署では、翌朝舟を出して船頭がウミホタルの光を見たという現場の海上を調べた。  そこは佐津の区域だが、山の斜面がそのまま海に落ちこんだ岩石ばかりの海岸だった。付近にはいくつもの岩礁が海に突き出て白い波に洗われている。また、その突端には小さな洞窟があって、通称「弁天岩の洞窟」と言っているが、入口はやや佐津のほうに開いている。その背面は外海で波が荒い。つまり、その突端を境にして佐津のほうは内海の砂洲《さす》が出来ているが、背面の外海は海が岩を浸蝕して浅瀬がなく、海岸はそのまま三、四メートルの深さになって沖につながっていた。  警察の舟がおびただしい死魚の浮いているのを見たのは、その弁天岩のある突端から五、六十メートルぐらいの沖合いだった。これは入江よりも波の荒い外海のほうだった。  浮いた死魚はどうしたことか完全なものは少なかった。何かに喰《く》い荒されて、なかば骨だけのものもかなりあった。 「えらいこっちゃな。ウミホタルがこないに死んだ魚を喰い荒しよった」  舟に乗った警官は波間に漂う魚の残骸《ざんがい》を見て言った。 「それにしても、なんでこない仰山《ぎようさん》、魚が死んだのやろ?」  ひとりが疑問を出した。 「そやな。川ならダイナマイトでも仕掛けて密漁するということがあるけど、こないな海ではなア」  その疑問はやがて解けた。死魚を調べてみると、原因は農薬であった。  殺虫剤用の農薬は人畜に被害を与えるものもあり、そうでないものもある。その海水に混じっていた農薬は人畜には無害だったが、魚のような冷血動物に対しては毒性の極《きわ》めて強いものだった。したがって、だれかが密漁のため、その区域の海水に多量の農薬を流し入れたものと判断された。そして捕獲した魚の残りにウミホタルが群がり、昨夜の発光となったものと判断された。  そのウミホタルが光った前日の昼間に、その付近を通った舟は無かった。また、その前の晩にも舟が行っていない。したがって、農薬を流した密漁犯人の行為は昨日か一昨日か、よくわからなかった。  とにかく、これで夜釣りの温泉客が見た海の蒼白い鬼火の正体は知れた。農薬をどのように海に流したところで、川や池と違って、それほどひろがるはずはないから、浮きあがった魚は農薬投入の直後にやられたものと思われた。  今度は、その密漁の犯人|探《さが》しである。前後の状況からみて土地の人間であることは間違いない。ちょうど、弁天岩のある近くの段丘は池浦源作の蜜柑畑だった。蜜柑畑には殺虫剤としての農薬を使う。  阿夫里署員が源作のもとに調べに行った。はじめ、源作も言い渋っていたが、農薬が源作の使っているのと同じであることと、その購入日からみて残りの量を追及されて、彼も頭を掻《か》いて白状した。 「えらいお騒がせして済みまへん。実は一昨日、女房と喧嘩《けんか》しましてな。そんで腹が立ったもんやから、持っている農薬をみんなあの弁天岩の海に棄《す》ててしまいましてん」  夫婦の争いは、その農薬が効《き》く効かぬのことからだった。源作は効くと言い、女房のとも子は以前に使っていたほうがずっと効くと言い張った。そんなことで短気な源作が癇癪《かんしやく》を起し、ドラム罐《かん》入りの農薬を全部海に流してしまったというのだ。最初推察されたような密漁ではなく、夫婦喧嘩の果てであった。  それはいつのことかと訊くと、三日前の夕方だったと源作は答えた。それで魚はそのときに死んだわけだが、その晩も翌日の昼間も付近に舟がこなかったので、昨夜の温泉客の舟が発見するまではわからなかったらしい。  ウミホタルは腐った魚に群がる小さな虫だ。この話を遊覧船の温泉客が聞いて、あとで家に帰って百科事典で調べている。 ≪うみほたる——海産の小さい二枚貝のような形をした甲殻類。体は左右二片のキチン質の貝殻のような甲でおおわれ、その両片は背側でつらなり、半透明である。側面からみるとだいたい卵形で、前と腹側に剛毛がはえていて、前の腹側の所に深い切れ込みがある。長さ約三ミリメートル。二枚の甲の中にエビのような形の本体がある。その脚を盛んに動かして泳ぐ。太平洋岸にすんでいて、夏から秋にかけて多く、イカや魚の死体などによく集まる。この動物体が出す発光物質が海水と合して青白く光るのでウミホタルの名がある。たくさん採《と》れるので発光物質の研究材料に使われた≫  最初案じられたように、暗夜の海中に光ったウミホタルがとり付いていたのは漂流した人間の死体ではなかった。正体は源作の流した農薬による魚の死体とわかった。所轄署は源作から始末書を取っただけでケリをつけた。  しかし、その日の夜も同じ場所でウミホタルがしきりと光っていた。まだ死魚がその辺に残っているらしかった。  油屋の金次郎がウミホタルについてしきりと人に講釈した。彼は釣りが好きで、たびたび夜釣りの経験があった。 「ウミホタルちゅうのは恐ろしい虫やで。ぼくがいつか夜釣りのとき、魚を獲《と》って網に入れたまま海に漬《つ》けておいたら、翌《あく》る朝その網のなかの魚が骨だけになっとったよ。ひと晩で骨だけにするんやからな、えらい虫や。そのときもさかんに蒼白い光を出しおった。ぼくはそのとき何も知らなんだが、そら、物凄《ものすご》いもんやで」  金次郎は遇《あ》う人ごとに自分の経験を話した。  この町でもウミホタルのことを知っている者もあれば知らない者もあった。漁師は大体知っていたが、そうでない連中で、初めて聞く者も多かった。だから、金次郎の話は知らない者には珍しく聞えた。  金次郎は、そうした相手をつかまえてはウミホタルの知識をひけらかした。 「源作のやつが夫婦喧嘩で農薬を海に流さなんだら、まだウミホタルのことを知らん人が多いやろうなあ」  池浦源作もウミホタルにおどろいている一人だった。 「そないに海が光るもんとは知らんやった。農薬を流したら魚が死ぬかもしれんとは思うたが、あないに仰山死ぬとは思わなんだ。その死んだ魚にウミホタルがたかって光るということもわからなんだし、魚がいっぺんに骨だけになるちゅうことも初めて知った。まったく、あれにはびっくりしたわ」  源作は、夫婦喧嘩で流した農薬の結果がそんなことになったのを、いかにも珍しげに人に話して聞かせた。  これを阿夫里署の一人の刑事が聞きこんだ。  油屋の金次郎も、池浦源作もウミホタルのことばかり吹聴《ふいちよう》している。金次郎は知ったかぶりに、源作は初めて知ったように、いずれも人に話して聞かせている。両人で同じようなことを言っているのだ。これは偶然かもしれない。しかし、偶然でないかもしれないと思った。一致しているのは、二人ともウミホタルが死んだ魚を喰い荒していたのを人にしゃべり過ぎることであった。しかも、この二人は仲が悪いはずであった。  刑事は、まず金次郎の様子を内偵した。甚吉《じんきち》が行方不明になった直後の行動である。  刑事が活版所の竹内武雄に訊くと、事情はこうだった。甚吉が源作の家に行って消息不明になった十日の翌る朝、すなわち十一日の午前九時ごろ、竹内と金次郎とは源作の家を訪《たず》ねた。しかし、二人とも源作の物凄い見幕《けんまく》におどろいて逃げ帰った。その翌日、金次郎から電話があり、竹内は甚吉の遺《のこ》した荷物を調べるため自宅に金次郎を呼び、その立会いのもとで甚吉の古トランクや風呂敷包みを検査した。そのとき金次郎は源作に甚吉殺しの疑いを持ち、いったん掘り返した六畳の床下に甚吉の死体が埋まっていると主張した。二人はそれからすぐ八田組合長の家に行ったという。 「なんで金次郎は、殺された甚吉の死体がセイの骨を探しに掘られた六畳の床下に埋められたと思ったんやろうか。ただ何となくそう思っただけなのか、それとも何ぞ拠《よ》りどころがあってのことかな?」  と、刑事は竹内に訊いた。 「そやな、今やから言うけど、金次郎はこう言いよった。あの十一日の朝、金次郎と一緒にわしが源作の家に行ったとき、表の道路に土がだいぶん残っておった。金次郎が言うには、あれは、前の晩に甚吉が訊ねて行ったときに家の中に呼び入れられ、源作の手で殺された上、セイの白骨を掘った穴の中に埋められたんや。けど、人間ひとりがはいったために土が余ってしもた。その残りの土が道路に置いてあったんやと、金次郎のやつは、そう言いよりました」 「なるほどな」  刑事は考えた。そうすると、甚吉は源作の家の前から追い返されたのではなく、源作が中に入れたのかもしれないのだ。そこで、両人の間にセイのことで激しい口論がはじまり、短気な源作が甚吉を殺した。そして死体の処置に困り、昼間、セイの骨探しに掘った六畳の床下の軟《やわ》らかい土をもう一度掘り返して、その穴の中に入れた。あと、土をかぶせたのだが、人間ひとりを埋めたため、そのぶん土が余計なことになった。もし、その土まで入れたら、床下の地面が高くなって、もう一度調べられたときに怪しまれるかもしれない。その怖《おそ》れから、あまった土は、あとでよそに捨てるつもりで表に残しておいた。……これが金次郎の推理だったのだろう。  刑事は、金次郎が竹内と一緒に追い返された十一日の夜、金次郎がどのような行動をしたかをこっそり調べた。すると、金次郎の家の隣の者が、その晩十一時ごろに彼の家の表戸が開く音がしたのを聞いたという証言をした。だれだかわからないが、金次郎の女房の声で、えらい遅いなあ、というのが聞えたから、多分、あれは金次郎だったのだろうというのである。  刑事は、このことを署の捜査課長に報告した。課長は次長と相談した。まだはっきりしたことはわからないが、とにかく金次郎を呼んで事情を聴《き》いてみようということになった。  小さな町では警察もほとんどの町民と顔なじみだ。甚吉のことでちょっと訊《き》きたいことがあると言って署に呼んだときは金次郎も平気だったが、不意に十一日の晩の行動を訊かれたとき、金次郎の顔が硬《こわ》ばった。刑事は、それを見逃《みのが》さなかった。  金次郎は、あの晩は映画館に行っていたと答えた。しかし、その晩の映画館のことを調べると、金次郎が客席にいたのを見た人がなかった。近ごろは田舎《いなか》も映画館は不入りで、その晩もわずかな入場者しかなかった。町の人間はみんな顔見知りだから、金次郎が来ていればだれかがおぼえているか、あるいは挨拶《あいさつ》ぐらいはしているはずであった。  警察では、そのことで金次郎の説明を求めた。金次郎の答えはしどろもどろだった。彼は、その晩の映画の筋もろくに知っていなかった。  署では急に金次郎を重要参考人扱いにした。それまでは単純な参考人として喚《よ》んでいたのが、調べ方の態度も急に変った。これが金次郎に衝撃を与えた。  ここで調べる側は一つの策略を用いた。 「おい、金ちゃん。そんなにしらばっくれてもあかんで。源作はもう何もかも白状したさかいになア」  この一言《ひとこと》で金次郎は他愛もなく参った。  金次郎が源作の家にひとりで行ったのは十一日の夜八時ごろだった。彼はその日の朝、竹内と一緒に源作の家に行ったが、源作から怒鳴られて逃げ帰ったのが口惜《くや》しくてならなかった。しかも、彼は甚吉が前夜に源作の家に行って殺されたと信じて疑わなかった。それで、彼はその夜源作の家に行き、こっそりと外から様子を偵察しようと思い立ったのである。女房には少し遅くなったが映画を見に行くと言って出た。  今朝のことがあるから、今夜あたり源作は甚吉の死体を処分するだろうという金次郎の推察は当っていた。戸に耳をつけていると、家の中でかすかな物音がつづいていた。それがどうやら土を掬《すく》うシャベルの音らしいので、金次郎はいよいよ熱心に耳を澄ました。そのうち、彼は耳だけでなく、中をのぞいてみたくなった。家の裏口に回り、戸の隙間《すきま》を探した。ようやく、ある戸の隙間を発見し、夢中になって眼を吸いつけているうちに、うしろから首をつかまえられ、同時に大きな掌《て》で口を塞《ふさ》がれた。いつのまにか源作が背後に回ってきていたのである。金次郎は源作によって家の中にひきずり込まれた。  そこで金次郎が見たのは、六畳の間が昨日セイの骨を掘ったときと同じ状態に床板がはずされていることだった。その下の暗いところには甚吉が土まみれになって俯伏《うつぶ》せていた。傍《そば》には源作の女房のとも子がモンペをはき、眼を光らせて立っていた。金次郎は恐怖で気が遠くなりそうだった。  源作は、おそろしい顔で、この現場を見られたのでは、おまえも生かしておけぬと金次郎に言った。金次郎は、いまにも本当に殺されそうなので、五体を震わし、決して口外せぬから助けてくれと源作に手を合わせた。源作はなかなか承知しなかった。生きた心地《ここち》もない金次郎が、文字通り必死になって哀願すると、それではおれの言う通り何でも諾《き》くかときいた。金次郎は、もちろん何でも諾くと答えた。  源作が金次郎に命じたのは、甚吉の死体を海に捨てに行く手伝いだった。甚吉は、金次郎の推察通り、昨夜この家で殺されたのだが、死体は床下の穴を掘り返して入れられたのではなく、ただ床下に寝かされただけであった。表に置かれた土は、単なる残り土で、金次郎の推察とは違って無関係だった。  源作は金次郎に言った。このままではいかにも不安である。だから、今夜のうちに甚吉の死体を海に投げこみに行くから、おまえも加勢しろ。恐怖に戦《おのの》いている金次郎は、助かりたい一心で源作の言う通りになった。  源作が納屋から蜜柑箱《みかんばこ》運搬用の手押しリヤカーを引っ張り出した。命じられた金次郎は、甚吉の死体を源作と一緒に抱《かか》えてリヤカーに乗せた。死体は二つに折ったような恰好《かつこう》で、せまいリヤカーの上にうずくまった。その上から、とも子が毛布をかけた。  リヤカーを引っ張ってゆくのは金次郎の役だった。彼は絶えず源作に見張られているので、大声を出すことも、逃げることもできなかった。道ではだれにも出遇《であ》わなかった。弁天岩のところまで来たとき、源作は、さあ、死体をリヤカーから降ろせと言った。金次郎はその通りにした。 「おい、金ちゃん。これで、おまえもおれの共犯者になったんやで。おまえが警察に訴えたら、おまえかて刑務所入りやぞ。よう覚えとき」  闇《やみ》の中の波の音にまじって源作のおそろしい声がした。金次郎は絶望を感じた。  二人は甚吉の死体を抱えて弁天|洞窟《ほらあな》のうしろ側に回った。この岩礁の端の水深は三、四メートルぐらいある。冷たい強風が金次郎の顔を殴《なぐ》り、波の飛沫《ひまつ》が眼にとびこんだ。源作はそこにある岩のような大きな石を動かすと、甚吉の死体を麻縄《あさなわ》で何重にもくくりつけた。縄は納屋から出してリヤカーに一緒に積んできたものだ。暗い中で見ている金次郎は意識が遠くなりそうだった。 「おい、金次郎、何をしてけつかる。早うこいつを海に投げこまんかい」  源作は叱《しか》った。金次郎は石を抱いている甚吉の死体を、いや、死体を縛りつけている重さ六十キロぐらいの大石を、源作と一緒に転《ころ》がし、岩礁の突端から海に突き落した。波音の間に一段と激しい水音が起った。 「よう、金ちゃん。おぼえときや。これでおまえもわいと同罪やで。女房や子が可愛《かわい》かったら、口が裂けても他人《ひと》に言うんやないで」  源作が風の中から吠《ほ》えるように言った。  ——池浦源作の阿夫里署における自供書。 ≪甚吉ガ私ノ家ニ来タノハ五月十日午後七時ゴロデシタ。ハジメハ女房ノトモ子ニ言ッテ追イ返ソウトシマシタガ、甚吉ガアマリクドク言ウノデ家ノ中ニ入レマシタ。ソノトキ私ハ六畳ノ間デ酒ヲ呑《の》ンデイマシタガ、私ハ甚吉ガ私ノコトデ妙ナ広告ヲ出シタリ、床下ニセイノ死体ガ埋マッテイルナドト言ッテ町ノ者ヲ集メテ掘ラセタリシタノデ、一度ハ文句ヲ言ッテヤロウト思ッタノデス。甚吉ハ私ノ顔ヲ見ルト、マタ母親ノセイノ遺骨ヲ返シテクレト言イマシタ。ソノ骨ハ今日ノ昼間掘ッテ出テコナカッタデハナイカ、ソレデモマダオ前ニハワカラヌカ、ト言ウト、甚吉ハ、イヤ、六畳デハナイ、コノ八畳ノ床下ダト次ノ間ヲ指《さ》シマシタ。私ハセセラ笑イ、何ヲ言ウノダ、セイノ死体ヲコノ家ノ中ニ埋メルヨウナバカナコトハシナイ、モシ疑ウナラ、オ前ガマタ人ヲ集メテ八畳ノ床下ヲ掘ッテミロト酒ノ勢イデ言イマシタ。甚吉モ私ノ態度ガアマリ自信アリソウナノデタメライマシタ。昼間、六畳ノ床下ヲ掘ッタトキノ失敗ガ甚吉ニモワカッタト思ワレマス。  甚吉ハシバラク考エテイタガ、ソウダ、アンタノ蜜柑畑ハ弁天岩ノ見エルアタリダッタナ、ト言イマシタ。私ハ内心オドロキマシタ。甚吉ハ、アノ頃アンタハ蜜柑畑ヲ手放シタガ、アノ場所ノ悪イ所ダケハ残シテイタ、ソウダ、アノ弁天岩ノ洞窟ノ中ニ母親ノ白骨ガ埋マッテイルニチガイナイ、コノ六畳ノ間ノ床下ヲ掘ッタトキタクサン貝殻ガ出タガ、アレデ気ガツイタ、洞窟ノ中ノ砂地ヲ掘ッテクレ、ト言イ出シマス。私ハ甚吉ガ気チガイダトハ思ッテイマシタガ、ソノ鋭イ神経ニハオドロキマシタ。普通ノ人間デハトテモソンナ察シハデキナイハズデス。セイノ死体ハタシカニ弁天岩ノ洞窟ノ中ニアル砂地ノ下ニ私ガ二十年前ニ埋メタノデス。二十年前ノ、アノ晩、私ハセイヲ連レ出シ、ソコノ現場マデ行キ、金槌《かなづち》デ頭ヲ打チ割ッテカラ砂ノ下ニ埋メタノデス。私ガソウシタノハ、アタリニ散ル血ヲ波ガ洗ッテクレルト思ッタカラデス。二十年前ハ弁天岩ノ洞窟モ干潮時ニハ干潟《ひがた》ニナリ、満潮ニハ水ガ奥マデハイッテイマシタ。ソノ後アノ場所ニハ、ダンダン砂ガ積モルヨウニナリ、現在ノヨウニ満潮デモ水ガコナクナリマシタ。ソレダケセイノ死体ハ砂ノ深イ底ニハイッテイルワケデス。  甚吉ニハソコマデハワカリマセンガ、母親ノ死体ノアル場所ヲカンデ言イ当テタノデ私ハ気味ガ悪クナリマシタ。狂人ノ神経ハ特別ニ鋭イモノダト思イマシタ。  甚吉ハ早クモ私ノ狼狽《ろうばい》シタ様子ヲ見テ取リ、明日ハ弁天岩ノ洞窟ノ砂地ヲ掘ルノダ、ト喚《わめ》キマス。ソンナコトヲサレルト今度コソハ二十年前ノセイノ骨ガ出テクルノデス。私ハ嚇《かつ》トナリ、酔ッタ勢イモアッテ甚吉ニ襲イカカリ、トモ子ニモ加勢サセテ甚吉ノ首ヲ手拭《てぬぐい》デ絞メマシタ。甚吉ハ二十分グライシテ息ヲシナクナリマシタ。ソコデ一先《ひとま》ズ、甚吉ノ死体ヲ六畳ノ床下ニ隠シテオキ、ソノ晩ハ八畳ノ間デ寝マシタ。  翌日ノ十一日ノ朝九時ゴロ、金次郎ガ活版屋ノ竹内ト一緒ニヤッテキテ、昨夜、甚吉ガ帰ッテナイガ、ココニ来ナカッタカト訊イタノデ、私ハ甚吉ハ昨夜ココニ来ルコトハ来タガ、中ニ入レズニスグ表カラ追イ返シタト答エマシタ。ソノトキ、私ガ怒鳴ッタノデ、両人ハソレ以上ハ訊カズニ逃ゲテ行キマシタ。私ハコノブンデハ、甚吉ノ死体ヲ床下ニ置クノガ心配ニナッテキタシ、腐ルト臭《にお》イガシテクルト思イ、ソノ晩ニ死体ヲ海岸ニ運ビ、重イ石ヲツケテ海ニ沈メルコトニシマシタ。  午後八時ゴロ、トモ子ニ手伝ワセテ甚吉ノ死体ヲ床下カラ取リ出シテイルトキ、裏口ノ戸ノトコロニ誰カガノゾイテオルヨウナ気配ガシタノデ、私ハ表カラコッソリト抜ケ出テ、裏ニ回ルト金次郎ガ戸ノ隙間カラ夢中ニナッテノゾイテオリマシタ。私ハ不意ニ金次郎ヲツカマエ、口ヲ塞イデ家ノ中ニ引キズリコミマシタ。ソノ時ハ殺スツモリデシタガ、コイツヲ殺セバモウ一ツ死体ノ始末ヲシナケレバナラナイノト、金次郎ガ行方《ゆくえ》不明ニナレバ、マタ私ガ疑ワレルノデ、金次郎ヲ嚇《おど》シテ甚吉ノ死体ノ始末ヲ手伝ワセルコトニシマシタ。コウスレバ、金次郎モ共犯ニナルノデ、秘密ヲマモルコトガデキルト思ッタカラデス。  甚吉ノ死体ヲリヤカーニ乗セルコトモ、ソレヲ弁天岩ノ海際《うみぎわ》マデ引ッ張ッテ行クコトモ、石ニシバリツケタ死体ヲ海ニ突キ落スコトモ、ミンナ金次郎ヲ嚇シテ手伝ワセマシタ。  スルト、アクル日、十二日ノ朝早クデスガ、金次郎ガ私ノ家ニ蒼《あお》イ顔ヲシテヤッテキテ、昨夜ハ恐ロシクテ眠レナカッタト言イマスノデ、私ハ、オ前サエ黙ッテオレバ絶対ニ暴《ば》レナイト言ッテ聞カセマシタ。金次郎ハシバラク考エテイタガ、コノママデハ不安ダカラ、イッソ町ノ人ヲモウ一度集メテ、八畳ノ床下ガ怪シイト言ッテ掘ラセルヨウニシタラ、今度コソ甚吉殺シノ疑イガアンタカラ無クナルダロウト言イマシタ。私ハ、ソレハヨイ考エダ、オ前ハオレヨリモ知恵者ダト言ッテホメテヤルト、金次郎ハ苦笑イヲシテイマシタ。ソノアト、金次郎ガ八田組合長ヤ署ノ次長ヲ口説《くど》イテ八畳ノ床下掘リヲヤラセタノハ、ミンナノ眼ヲ誤魔化《ごまか》スタメノ芝居デシタ。ソレハウマクユキマシタ。  ソレカラ、マタ二日シテ金次郎ガマタ朝早ク血相変エテヤッテキテ、甚吉ノ死体ハ重イ石ニククリツケテアルカラ浮ブコトハナイガ、死体ガ腐ルト、ウミホタルガ喰《く》イ荒スノデ、夜、ソノヘンノ海ガ光ッテクル心配ガアル、ソウスルト人目ニツイテ怪シマレルト言イマシタ。私ハ釣リノコトハ知ラナイガ、金次郎ハ夜釣リニヨク行クノデ、ウミホタルノコトハ知ッテイタノデス。私モビックリシテ、ドウシタラヨイカト聞キマスト、金次郎ハ、アノヘンノ海ニ農薬ヲ沢山《たくさん》流シタラ魚ガ死ヌカラ、ウミホタルハソノ死ンダ魚ニツイタヨウニ言イフラセバヨイト言イマシタ。マタ、農薬ヲ流シタノハ夫婦|喧嘩《げんか》ガ原因ダト言エバヨイトモ教エテクレマシタ。ソシテ、出来ルダケ、魚ノ死体ヲ町ノ人ニ宣伝シヨウト言イマシタ。  コレモウマクユキマシタガ、私ト金次郎トガ甚吉ノ死体ヲ町ノ人ニ気ヅカセナイタメ、ウミホタルガ付イタ魚ノ死体ノコトヲアンマリ吹聴シ過ギタタメ、トウトウ警察ノ人ニ気付カレタト思イマス≫  ——警察では潜水夫を雇って現場の捜索をした。二時間の作業の後、重さ六十キロの石に麻ロープで縛られた甚吉の死体が引き揚げられた。その顔はウミホタルの餌《え》にされて、両眼は抉《えぐ》られて眼窩《がんか》だけとなり、鼻も唇《くちびる》も無く、頬《ほお》には骨が顕《あら》われ、化けもののようになっていた。  別の捜索班は弁天洞窟の堆積砂《たいせきさ》を掘った。約一メートル半ぐらい下から、二十年前のきれいな白骨が屈葬されたような恰好で出てきた。  微笑の儀式    1  春の終りから夏の初めに移る季節だった。鳥沢良一郎《とりさわりよういちろう》は、奈良から橿原神宮《かしはらじんぐう》方面行の電車に坐っていた。車窓に動く午前の明るい陽射《ひざ》しは彼の白髪をきらめかせた。彼は、その陽のぬくもりを肩に愉《たの》しみながら本を読んでいた。  鳥沢良一郎博士は、ある大学の法医学教授を二年前に退職した。今では別の大学にときどき講義に行く以外、べつに忙しい仕事も持たない。いや、もう一つ、大学の講義以外に、警視庁の科学捜査研究所の嘱託という名で、十日に一回ぐらい、警視庁に話をしに行っているが、これは前に関係の深かった法務関係の人たちから特に頼まれたもので、いわば余生の片手間だった。  鳥沢博士は教授のころ、裁判の鑑定をずいぶん頼まれた。彼は血液型の研究が専門で、その方面では世界的な学説を出している。鳥沢理論というのは、現在でも法医学に業績を固定させている。遺伝も彼の専門となっている。鑑定もそうした方面が多いが、もちろん、それだけに限定されたのではない。裁判鑑定はあらゆる分野のものを引き受けなければならなかった。  鳥沢博士が奈良にきたのは久しぶりだった。教授のころは間を縫ってやってきたものだが、いつも忙しい仕事を持っているので、ゆっくりした気分で古い寺を見て回ることはなかった。退職したら時間をかけてこの辺を歩いてみたいというのが念願だったが、それが今ようやく果された。奈良ホテルには三日前にきている。昨日までは奈良を中心に歩いたが、今日からは法隆寺《ほうりゆうじ》をはじめ、飛鳥《あすか》地方を見て回ろうと考えている。単に古い寺や仏像だけでなく、今は跡形もない上代の寺の趾《あと》も見たいと思っていた。さいわいに脚《あし》はまだしっかりしていて、一日に十キロぐらい歩くには自信があった。鞄《かばん》の中には『飛鳥時代廃寺址の研究』という本まで入れてある。  電車は郡山《こおりやま》に近づいていた。鳥沢博士は本から眼をあげて、窓に移ってくる城の石垣《いしがき》を眺《なが》めていたが、それが消えると同時に再び眼を読みかけのページに落した。これは古寺や古美術関係のものではなく、博士の専門の法医学に関係した雑誌だった。  どのような趣味の旅でも、博士は専門の雑誌を鞄の中からはずすことはなかった。現に、いま読んでいる雑誌も"The Journal of Criminology and Police Science"といって、アメリカの犯罪学協会から出ているものである。それが面白くて、法隆寺に行くのにホテルから読みつづけてきたのだった。  博士がいま読んでいる報告には、こういう事例が載っていた。 「一九五二年の十一月半ばのことである。ニューヨークの下町のあるアパートの一室で、ミス・コーラミヤという二十二歳になる女性が急死した。発見者はアパートの管理人だったが、すぐに医者を呼びにやった。死後に来診した医師は子癇《しかん》と診断して死亡証明書に署名しようとしたが、あまりの急死に不審を抱《いだ》いて、これを検屍官《けんしかん》に通告した。死者はもちろん未婚婦人だが、妊娠していることも複雑な事情を考えさせたのである。子癇というのは妊娠中毒症の最も重い病気で、痙攣《けいれん》発作を起し意識不明になり、死亡することが稀《まれ》でない。たいていは妊娠末期や分娩時《ぶんべんじ》に起るが、稀には産後にもある。腎臓炎《じんぞうえん》、妊娠腎のひどい場合にも多いのである。  検屍官は医師の通告を受けてアパートにきて死体を検証した。ミス・コーラミヤの死体は硬直しており、身体《からだ》を弓のように反《そ》り曲げて、うしろ頭と踵《かかと》だけが寝台にふれているだけだった。口もとには一種異様な微笑を湛《たた》えていたが、これは子癇が筋肉痙攣を起すので口もとの筋肉も痙攣して、死亡者は微笑しているように見えたのである。その口のまわりは赤く染まっていた。しかし、口紅ではなかった。  検屍官は、ミス・コーラミヤの死因は子癇のようにも見えるが、自然死とは思われぬふしもあったので、部屋の中のほうぼうを捜した。だが、どこにも毒物の容器を入れたものは見当らなかった。ただ、ベッドの脇《わき》の棚《たな》の上に一本のスプーンが置かれてあり、これには何か赤い色の物質がはいっていた。しかし、あとで検査すると毒物ではなかった。このスプーンについた赤い色の物質と、死人の唇《くちびる》の赤い色とは全く同質であった。なお、妊娠も相当進行していた。  どこにも毒物が無いことや、医師の診断を総合して、自然死という意見が強かったが、一方、その筋肉の硬直している状態が子癇の徴候とは類似しているものの、またそれがストリキニーネ中毒死の特徴にも似通っているので解剖に付されることになった。その結果、相当多量のストリキニーネが死者の内臓から検出され、中毒死であると断定された。  しかし、ミス・コーラミヤがどうして毒物の形跡を周囲に残さず毒物を服用し得たか、また唇の赤い汚染は一体河を意味するかという二点はどうしても解けなかった。  その後、彼女を妊娠させたという男が警察官によって突き止められた。彼は町の不良の仲間で、彼女との関係は認めたが、この数カ月間彼女の姿を見かけないと主張した。アパートの住人も、この男の言葉どおり、この数カ月間、彼がミス・コーラミヤの部屋を訪れた姿を目撃したことはないと証言した。彼は釈放された。結局、ストリキニーネが前から彼女の部屋にあったことと、彼女がそれをスプーンに入れ、ベッドの中で飲んだということがほぼ確実に推定されただけで、口辺の赤い汚染は遂《つい》に永久の謎《なぞ》となった」  大体、こういう記述である。  外国にはよくストリキニーネによる自殺や毒殺が出てくる。これは死後の筋肉硬直が急激に起るなど、その特徴がはっきりしているので「愚者の毒」とも言われている。最近はこういう毒物を殺人には使わなくなったが、この報告例にある婦人は子癇だったというから、その筋肉硬直の所見はストリキニーネ中毒と酷似している。もし検屍官が子癇と断定して死体解剖をしなかったら、体内から毒物の検出も見られず、自然死として葬られたかもしれない。  この報告ではミス・コーラミヤという女性は自殺に決定したとあるが、しかし、彼女がその毒物をどこで手に入れたかは証明されずに終っている。博士は、ここで日本のある著名な裁判の判決文に「被告がかねてより所持し居たる毒物」という文句のあるのを思い出し、毒物の入手経路がわからないときは、洋の東西を問わず同じような表現を用いるものだと思った。アメリカの雑誌の報告例は自殺だが、日本のその判決は他殺事件であった。  鳥沢博士は雑誌を閉じた。背を凭《もた》せている窓のほうをふり返ると、畑の向うに法起寺《ほつきじ》の三重の塔が流れていた。背後の生駒《いこま》丘陵は霞《かす》んでいる。  ミス・コーラミヤの口辺についていた赤い色は、結局、いかなる物質かわからないままに終った。一体、それは何だったのだろうと、車中の鳥沢博士はまだ雑誌の活字から頭が脱していなかった。たとえ菜の花ざかりの畑と、切妻《きりづま》の白壁の民家が窓に見えていても。  このアメリカの事件報告例はかなり時が古かった。現在だったら、あるいは、その物質が証明されたかもしれない。それに、この雑誌の報告は記述が少しく曖昧《あいまい》で、スプーンに赤い色がついていたから、彼女がその赤い物質をスプーンでとって飲んで死んだようでもある。それなら、それはストリキニーネの毒物でなければならない。しかし、検査の結果はそうでなかったとある。しからば、その婦人はストリキニーネをどのようにして飲んだのか。部屋の中を探《さが》したが、毒物の残りもなく、またそれを飲んだ容器もなかった。  赤い物質は何だったのだろうか。もし、その赤い物質(それはどうやら半液体のようだが)の中にストリキニーネをまぜたとすると、当然、それから毒物が検出されなければならないので、毒物は他の方法によってミス・コーラミヤが嚥下《えんか》したと思われる。それなら、たとえば、毒物を包んでいた空《から》の紙だとか、一緒に飲んだ水のコップだとかいうものがベッドの脇になければならぬ。この記述はそれにふれていない。そういうものがあったかもしれないが、なかったかもわからないのである。そうすると、赤い物質は何のために彼女がスプーンで飲んで口辺を汚染したのか、ますます不明となってくるのである。——  電車が速力を落した。鳥沢博士も法医学雑誌を鞄に仕舞ったところでミス・コーラミヤのことを棄《す》てた。  筒井駅《つついえき》に降りた博士は、国道を走ってきたタクシーを停《と》め、法隆寺へ向わせた。  博士にとって法隆寺はすでに七、八度目だった。最初に来たのはまだ学生のころで、その後も機会あるごとに脚を運んでいるが、今日ほど余裕のある気分で来たことはなかった。  博士は松に映《は》える白い砂利の道を踏んで南大門をくぐり、中門をくぐった。学生のころに来たときと違い、奈良の寺ほどではないにしても観光客が相当来ている。学生の一群もほうぼうに見られた。博士は五重塔を見上げて佇《たたず》んだ。ずっと前来たときは塔は修理中で囲いがしてあり、外からは観《み》られなかったのである。  金堂《こんどう》も修理後に来たのは初めてだった。博士は講師のころに来て、建築史や美術史の本を片手に雲肘木《くもひじき》がどうの、人字型の蟇股《かえるまた》がどうの、卍型《まんじがた》の勾欄《こうらん》の組子《くみこ》がどうのと子細に勉強したものだが、今はそんな煩《うるさ》いことも頭からはなれ去って、無心に眺められた。  金堂にはいって、うす暗いなかを釈迦三尊像《しやかさんぞんぞう》の前に行った。近ごろ出版されている美術書には、この像と、隣にある薬師如来像《やくしによらいぞう》とは欠かしてはならない図版となっている。  本尊の釈迦も脇侍《わきじ》の二尊も、薬師如来も、面貌《めんぼう》はいずれも微笑し、その唇は下から上に両端が反ったようになっている。この唇のかたちは、仰月形と呼ばれている。飛鳥仏《あすかぶつ》の特徴で、止利《とり》様式というが、北魏《ほくぎ》の系統の様式である。大同の石仏にもこれと同じ面相があるので、その淵源《えんげん》がわかる。  この面相は、その仏像全体のぎごちない技術とともに「|古拙の笑い《アーケイツク・スマイル》」と言われている。同じ止利様式としては、この金堂のもの以外、夢殿《ゆめどの》にある観世音菩薩像《かんぜおんぼさつぞう》と、ひどくいたんでいるが安居院《あんごいん》の釈迦如来像、いわゆる飛鳥大仏とがある。どれも杏仁形《きようにんがた》の眼をもち、厚くて鋭い鼻を備え、唇を仰月形にした微笑だ。——こういうことは、普通の一般美術史書にはみんな書いてある。  鳥沢博士は、釈迦三尊像の前に佇んでいるうちに奇妙な気持になった。奇妙な気持とは、七世紀初頭の仏師が素朴な技術でつくり上げたそのどこか畸型《きけい》的な彫刻、頭部が大きく、体躯《たいく》が短いプロポーションのせいだけではなかった。それらは鰭状《ひれじよう》の天衣《てんい》とか、蕨手形《わらびでがた》の垂髪《すいはつ》とか、また雲のかたちに折りたたまれている裳《も》などとともに北魏様式の特徴だから、べつにふしぎではない。  博士を変な気持にさせたのは、その仰月形の唇にある。いや、正確には、その「古拙の笑い」が、たったいま電車の中で読んできたアメリカの犯罪学雑誌の記事と二重焼きになっているからだった。  もちろん、アメリカの犯罪学雑誌は、ミス・コーラミヤがどのような表情の微笑をしていたかは伝えていない。あるいは、それはモナリザのような謎《なぞ》みたいな表情だったかもわからないし、ゴヤの描く貴婦人の微笑のようだったかもわからない。アメリカの女に東洋の神秘的な微笑を想像することは不自然だが、しかし、この飛鳥仏の微笑を見ているうちに博士はストリキニーネを飲んで死んだミス・コーラミヤを思い出すのだった。それにこの硬《かた》い肉体の仏像の造型は、どこかストリキニーネ中毒による筋肉硬直さえ連想させるのだ。そういえば、あの犯罪学雑誌には、その死者の微笑のことに「笑筋痙攣」という文字を当てていた。  博士は頭を振った。どうもまだニューヨークの娘から解放されていないようである。せっかく久しぶりに法隆寺を訪《たず》ね、あこがれの仏像を見ているのに、つい、職業意識が邪魔をしているのをいまいましく思った。  鳥沢博士は金堂を出た。少しその辺を歩いて、もう一度ここに戻ったら、気分が変って今度こそ純真な気持で釈迦三尊像や薬師如来像の前に立てるだろうと思った。外は陽《ひ》が高くなり、白砂がまぶしく輝いていた。動く雲が砂の上に影を掃《は》いては過ぎる。博士はぶらぶらと歩いて夢殿や中宮寺《ちゆうぐうじ》のほうに向った。距離も往復するのに適当であった。夢殿からの帰りらしい学生の一団がうんざりしたような顔で戻ってくるのに出遇《であ》った。  途中、伝法堂《でんぽうどう》を見たりして行くと、夢殿の門の上から大きな宝珠露盤《ほうじゆろばん》が見えた。風があって宝珠は鳴っていた。  幸運にも八角堂の秘仏の夢殿|観音《かんのん》は曝涼《ばくりよう》のために厨子《ずし》が開扉《かいひ》されていた。博士は前に二度ほどこの幸運に遇っているので、仏を見るのが、今度初めてではなかった。しかし、明治の初めにフェノロサが百五十丈(約四五〇メートル)の白布に巻いたこの秘仏を寺僧に解かせたとき、仏罰を怖《おそ》れて寺僧が四散したという挿話《そうわ》を考えたりすると、やはりありがたいものに見えた。暗い堂内にはいった博士は厨子の垂幕《たれまく》に近づいてその顔を見上げた。  この仏像も仰月形の微笑をもっている。しかも、数世紀にわたって秘仏として人目にふれさせなかったため、保存がよく、ほの暗い光の中に一部の金色《こんじき》を映えさせながら青黒く浮び上がっている姿は、法隆寺金堂の仏像より幽玄であった。 「素晴らしいですね」  という声が鳥沢博士の耳のすぐ傍《そば》で聞えた。一緒に見ている人が伴《つ》れにでも言っているのかと思っていると、 「どうです、この唇の笑いの表情がたまらないじゃありませんか」  と、もう一度その声が傍で聞えた。  博士が横を見ると、三十五、六ぐらいの、背の低い、がっちりした体格の男が立って、顔を仏像のほうに向けていた。ほかの人は彼から離れていたので、今の言葉は自分に対《むか》って言ったのだと博士は気がついた。 「まったく立派なものですね」  と、鳥沢博士は答えた。見ず知らずの男だが、こういう場所では何となく親近感を覚えるものだった。 「どうです、唇《くちびる》の赤い色など全く何とも言われないじゃありませんか」  男はもう一度言った。  唇の赤い色——博士はうなずいて、もう一度、微笑している仰月形の唇を見上げた。そこには七世紀の朱の彩色が生々しく残っていた。  博士は、それを見ると、たちまちアメリカ犯罪学雑誌の記事に引き戻された。ストリキニーネで謎の死を遂げたミス・コーラミヤの口辺にも赤い色が付着していたのを思い出したからだった。夢殿観音の唇に残った色が、一九五二年にニューヨークのアパートで死んだ女の口辺の赤い物質と重なり合った。なんということだと博士はまた頭を振った。 「あなたは、さっき、法隆寺の金堂でも立っていらっしゃいましたね」  と、男の声は博士に言った。  博士は、その男を見た。色の黒い、四角い、顎《あご》の張った顔だった。髪はやや長めで、油気がなく、ばさばさしていた。 「あなたも、あのときにあすこにいらしたんですか?」  と、博士は訊《き》いた。 「ええ。ぼくは二時間ぐらい前からあすこに立っていたんです。そして、こちらに回ってきたとき、またあなたにお目にかかった次第です」  男は言った。そういって彼は博士とならび、同じように観音の赤い唇の微笑を見つめていた。  すると、男が低い声でひとり言のようにブツブツ呟《つぶや》きはじめた。博士はとまどったが、耳を澄ますと、男はこんなことを言っているのだった。 「……例えばこの微笑をモナリザの微笑に比するのは正当でない。なるほど二者はともに内部から肉の上に造られた美しさである。そうして深い微笑である。しかしモナリザの微笑には、人類のあらゆる光明とともに人類のあらゆる暗黒が宿っている。この観音の微笑は瞑想《めいそう》の奥で得られた自由の境地の純一な表現である。モナリザの内にひそむヴィナスは、聖者の情熱によって修道院に追い込まれ、騎士の情熱によって霊的|憧憬《どうけい》の対象となり、奔放な人間性の自覚によって反抗的に罪悪の国の女王となった。この観音の内にひそむヴィナスは、単に従順な慈悲の婢《ひ》に過ぎぬ。この観音の像が感覚的な肉の美しさを閑却して、ただ瞑想の美しさにのみ人を引き入れるのはそのためである……」  よく聞いてみると、それは和辻哲郎《わつじてつろう》の『古寺巡礼』の一節で、夢殿観音に当る部分だった。博士自身も二十年前、この本を片手に寺をまわったおぼえがあった。  しかし、こんなむずかしい文句をすらすらと暗誦《あんしよう》している男をすぐ傍に見て博士はびっくりした。奈良や大和《やまと》の古仏に魅せられて熱心に見てまわる人々は多い。だが、このようにやさしくない文章を長々と、まるで舞台の俳優が覚えた台辞《せりふ》を吐くように呟くとは、よほど古仏に熱狂している男であろうと思った。    2  鳥沢博士は、傍にいる男が『古寺巡礼』の一節を暗誦し終って、夢殿観音を恍惚《こうこつ》とした眼つきで見上げているのをそっとふり返った。それから遠慮そうに訊いた。 「あなたは古い仏像がお好きですか?」  見たところ三十代の半ばを少し出たくらいである。脂気《あぶらけ》のないもじゃもじゃした髪は少し縮れている。背は博士より低いから男として短躯のほうだ。肩幅はがっちりとしている。顔色は黒く、鼻も唇も厚かった。大きい眼の上には濃い眉毛《まゆげ》があった。まず醜男《ぶおとこ》の部類にはいるだろう。勤人というほどさっぱりとした身装《みなり》はしていなかった。ワイシャツの衿《えり》はよれよれに折れて、ネクタイも歪《ゆが》んでいた。 「好きです」  と、その男は仏像の顔に眼をむけたまま言った。  近ごろは若い人たちの間に古寺をまわるのが一種の流行となっていると博士は聞いていた。だが、この男には通りいっぺんの趣味ではなく、もっと狂熱的なものがあるように思えた。さっきの文章の暗誦もそうだが、向けられている普通よりは大きな眼がぎらぎらと光っていることも、その印象を深めた。彼は大体が南国的な容貌だった。 「こっちのほうには、よくやって来られるんですか?」  博士はもう一度遠慮気味にきいた。その男が小さなスーツケースを提《さ》げていることにもこのとき気づいたし、言葉も関西ではなかった。 「はあ、わりと来るほうです」  男は、はじめてその太い眼を仏像から博士のほうに向けた。眼もとに微笑が出ていたので、男も飛鳥仏の鑑賞から離れて人間との対話にはいる気分になったようだった。 「ははあ」  といったが、博士は彼の仕事にちょっと見当がつかなかった。わりとよく来るという返事は、それが職業的なものに関《かかわ》りがあるようにも思えた。しかし、鳥沢博士はつつしみ深い性質《たち》だったので、立ち入ったことは訊かなかった。 「だいぶん前から仏像を見ておいでのようですな」  博士は当りさわりのない言葉になった。 「はあ。だが全部じゃありませんね。こういう飛鳥時代のものだけです」  男は半ば羞《は》ずかしそうに、半ば昂然《こうぜん》と答えた。 「ほう、すると、白鳳《はくほう》や天平《てんぴよう》のものにはあまり興味がありませんか?」  博士は珍しそうに訊き返した。珍しそうに、というのは多少の誇張がある。気持はそれほどでもないが、雰囲気《ふんいき》に左右されて言葉が強調的になるのは誰しも経験するところだ。この場合の雰囲気とは夢殿の中であった。それが博士の気持に影響していた。ホテルのロビーでの会話なら、もっと素気《すげ》ないものになったろう。  それに、古美術の愛好者は、飛鳥、白鳳、天平の各時代の仏像のすべてに憧憬を持っている。飛鳥では六朝《りくちよう》様式の直流的技術が白鳳期で隋唐《ずいとう》の影響を受けつつ過渡期のものとなり、天平期にはいると、完全に手本の概念から脱して和様となり、柔らかく写実的に、精神は若々しい雄渾《ゆうこん》に満ちてくる。それぞれに特徴はあっても、なべてこの三期の彫刻に一様に惹《ひ》かれるのが普通の愛好者である。むしろ、天平仏の壮麗美を称《たた》えるほうが多い。  ところが、横にいる色の黒い男は飛鳥仏のみを好みとして挙《あ》げた。そこで博士の質問となったのだが、いまもいう通り、特にその理由を訊くつもりはなかったのに、このときは自分の意志に反して口調がひどく熱心なものになってしまったのである。 「どうして飛鳥仏だけが好きかとおっしゃるのですか?」  と、その男は博士を大きな眼でちらりと見上げた。 「それはですな、ほかの期の仏像からは微笑が消えているからですよ」  この答えを得て、博士自体に微笑が泛《うか》んだ。 「ね、そうでしょう、白鳳のものも、天平のものも微笑が無いじゃありませんか?」  青年は——青年といっていいかどうか、色が黒いし、無造作な服装なので、少し老《ふ》けてみえるが実際の年齢はもっと若いのかもしれなかった。 「なるほどね、しかし、どうして微笑が無いといけないんですか?」  博士は前からの気持のつづきで多少意地悪い反問をした。 「それはですね……」  男はちょっと口ごもった。しかし、それは答えに困ったのではなく、どう説明したら相手にわかるかと言葉を択《えら》んでいたのだった。彼はすぐ勢いよく言った。 「それは、ぼくがこの微笑の表情にとり憑《つ》かれているからですよ」  彼はその証拠を示すように夢殿観音の仰月形の唇にもう一度眼をあげた。そこには相変らず朱《あか》い色が鮮《あざ》やかに映《は》えている。 「とり憑かれている?」  博士は彼の横顔を見た。博士はこの男の言葉とアメリカ犯罪学雑誌の報告例との関連を頭の中で払いのけた。むしろこの男もまたこの古い空気にいる昂奮から大げさな言い方をしていると思った。 「はあ。この時代の仏像の微笑は神秘的で何ともいえませんからね」  と、男は答えた。  このとき、新しい参観者が五、六人いちどきにはいって来たので二人の話は中断された。博士は静かに堂を出て行った。男の靴音もその後《あと》につづいた。博士は近くの中宮寺に足を向けた。スーツケースを持った男は博士の横にならんだ。同行の約束でもしているように自然な振舞いであった。  中宮寺は夢殿から目と鼻の先である。話のつづきをする間《ま》もなかった。五月の陽が男の額に真上から当って、歩いている彼の額は汗ばんでいた。その汗を見ていると彼はいかにも精力的に思えた。一体、どういう職業の人間だろうと博士は考えながら、背の低い男と靴先の運びを揃《そろ》えた。男は少しガニ股《また》であった。指が太かった。  中宮寺にはいると、博士はいつものことながらほっとした気持になる。それは今まで見馴《な》れたいかめしい建物が急にやさしい小さな庵寺《あんじ》に変ることにも因《よ》った。尼寺で、庭もこぢんまりとして美しい。また、それまでは靴ばきのまま大きな彫刻を見上げてきたものだが、ここでは靴を脱いで畳の上にあがるのである。寺内も狭い。ちょうど、二人が行ったときは参観者の姿もまばらで、三、四人の人がしゃがんで隅《すみ》のガラスのケースにある天寿国曼陀羅《てんじゆこくまんだら》に見入っているだけであった。  博士は如意輪観音《によいりんかんのん》、実は弥勒菩薩像《みろくぼさつぞう》ということだが、その前に膝《ひざ》をついて正面から見上げた。男もそれにならってぎごちなく膝をついた。厨子《ずし》のなかの観音は黒い艶《つや》やかな膚を見せながら、うつ向きかげんにほほえみ、しなやかな指先を軽く頬《ほお》に当てている。 「こういう微笑があなたの気に入るのですね?」  と、博士はようやく夢殿の会話をそこでつないだ。 「いや、この微笑はぼくにはそう気に入ったものではありません」  と、男は縮れ毛の頭をわずかに振った。 「どうしてですか、こんなにやさしく慈悲深い微笑を?」 「それがかえってぼくに不満なんです。微笑がやや写実に近すぎて神秘性がうすくなっていますからね」 「なるほど」  博士はこの男の考えが少しはわかりかけてきた。彼は神秘な微笑ということをしきりと言っている。同じ飛鳥仏でも、この中宮寺の観音は観念的なシナの固定様式から脱してかなり写実的になっている。台座にかかった裳のたたみかたは法隆寺の釈迦本尊や薬師如来像と全く同じだが、豊かな肉の厚み、姿の全体に流れる流麗さは次の天平彫刻の曙光《ドオン》になっている。石窟《せつくつ》の影響による浮彫式《レリーフしき》の法隆寺の扁平《へんぺい》な飛鳥仏が、ここでは見事な丸味を帯びた立体に抜け出している。それだけに前者の硬直的な姿勢が除《と》れて柔軟なものになっている。その柔らかさは眼の伏せぐあいにも、首のかしげ方にも、頬に当る指先の曲げ方にも、腰の細まりぐあいにも出ている。  もちろん、唇の微笑もそうだ。それは北魏様の仰月形ではあるが、深い鼻溝《はなみぞ》も浅くなり、上唇《うわくちびる》の厚さは無くなっている。つまりリアルになっているので、幽玄さがうすれていることはたしかである。神秘とは原始的概念の中にあるのかもしれない。この如意輪観音は美しく黒い艶光りがしているが唇の朱は持っていなかった。 「この仏はまだいいほうです。京都の広隆寺《こうりゆうじ》の、例の弥勒菩薩像の微笑となると、もういけませんな」  と、男は言った。 「なるほど」  博士はうなずくだけである。その言葉に博士も広隆寺のその像を瞼《まぶた》に浮べた。その微笑はすでに北魏の様式から全く離脱して、唇はずっと小さくなり、両端が狭《せば》まっているかわり下唇がやや突き出た可愛《かわい》らしい受け唇《くち》になっている。これには人間的な乙女《おとめ》の清純さはあっても、神秘性は全く失われている。 「この中宮寺の像についても」  と、男は眼の前の仏を見上げ、あたりをはばかって小さな声で言った。 「その微笑の形式からいって、まだ北魏のものは遺《のこ》されていますがね。しかし、ずいぶん原《もと》の形が変っている。このことで和辻さんは、たしか、こんなふうに言っていたと思います。……その与える印象はいかにも聖女と呼ぶにふさわしい。しかし、この聖女は、およそ人間の、あるいは神の母ではない。その、ういういしさはあくまでも処女のものである。が、また、その複雑な表情は人間を知らない処女のものとは思えない、といって女では尚更《なおさら》ない。ヴィナスはいかに浄化されてもこの処女にはなれない。しかもなお、そこには女らしさがある。女らしいかたちでなければ表わせないやさしさがある。それは慈悲の権化《ごんげ》である。人間の心の奥の願望が、その求むるところを人体のかたちに結晶せしめたものである。……大体、こんなことだったとおぼえています」  男は夢殿観音で呟いたと同じように、正確に本の文章を暗記して言った。 「ほかの本にも、これと似たりよったりのことが書いてありますね。ぼくにはそれが気に入らないんです。人間らしさ、処女らしさ、女らしさ、また慈悲の権化、そんなものはぼくには何の魅力もありません」 「では、あなたの求める微笑の表情とは何です?」  と、博士は即座に問い返した。 「いわば、人間から離れた、もちろん、処女でも女でもない、また慈悲なぞとは無縁な神秘的な微笑です。こういうやさしい、なだらかな微笑でなく、もっと象徴的な、それは慈悲といったものではない、時には逆な意地悪、憎悪《ぞうお》、嘲笑《ちようしよう》といったものすらも求められるような、そういったものを無限に蔵している謎《なぞ》の微笑ですね」  彼は一応言葉を切ったが、それでは博士に説明が足りないと思ったか、つけ加えた。 「かたちは、それが写実になればなるほど表現が特定なものになってしまいます。そこに見る者にどのようにでも解釈されるといったような神秘な瞑想性《めいそうせい》は失われてきます。ぼくは、人がその形式の概念性をさまざまあげつらってはいるが、とにかく、あの止利《とり》様式の仏像にある『古拙の笑い』には、ふるいつきたくなるような魅力を覚えているんですよ。あの稚拙な単純さにはどのような意味にでも解釈される謎の微笑があります。ダ・ヴィンチのモナリザのような、あんな人間臭い、勿体《もつたい》ぶってとり澄ましたような微笑ではありません。もっと哲学的で、超然的で、それこそ人間のあらゆる愚行をあざ笑っているような止利様式の微笑には、いかなる世界中の名作も及ばないと思います。……その貴重な微笑がどうして白鳳期《はくほうき》以後の彫刻から失われていったのでしょうね?」 「さあ、それはぼくにもよくわかりませんがね」  と、博士はやや当惑して答えた。 「多分、それは飛鳥時代の彫刻が大陸の様式をそのまま受け容《い》れていたためでしょうね。なにしろ、当時は造仏の技術がまだ日本にできていなかった。したがって、たとえば、よく言われることだが、大同の石仏の微笑がそのまま止利の仏師団に真似《まね》されただけでしょう。しかし、白鳳から天平になると日本独自の技術が生れた。そのためアーケイック・スマイルも消えてしまったのでしょうな。大体、日本人の好みからして仏像には森厳《しんげん》を求めるから、�笑い�というのは不向きだったかもわかりませんね」 「まったく惜しいことです。せっかくのものを消してしまって」  男はいまいましげに言った。 「あなたはよほど『古拙の笑い』が気に入っているようですね?」  博士はやや愉快になって訊いた。 「ぼくはああいう微笑の表現だけを追求しているんです」 「追求?」  博士は髪の長い彼を改めて見据えた。 「そうすると、あなたは美術に関係のあるお仕事をしておられるんですか」 「彫刻のほうをやっています」  と、男はうなずいた。 「なるほど」  博士も相手につづいてうなずいた。それで初めて男の熱っぽい眼も、たびたびここに来ているということも、また止利様式の仏像だけが気に入っていることも解釈できた。 「なんとかしてああいう微笑の彫刻を作りたいと思いましてね、これまでずいぶん習作をやってみましたが、どうしてもうまく作れません。腹が立って片っぱしから何十個となく叩《たた》きこわしました。ぼくの腕の足りなさもありますが、まだ対象を十分に自分のものにしてないんですね。だから、もう一度自分の眼を鍛え直すためにこうしてやって来ているわけです。ぼくが作る微笑像はかたちだけは似ていても、どうも人間臭くなっていけないんです」 「すると、あなたの作るのは仏像ではないんですね」 「そうです。現代の人間です。それも現代の女にあの止利様式の微笑を表現したいのですよ。まるで宇宙の謎をそこに罩《こ》めているような象徴的な微笑ですね。それが念願なんです……」  男は大きな眼をギラギラさせて言った。あたかも先ほど彼の額に浮いていた汗がそのまま眼球からも滲《にじ》み出ているような情熱的な光だった。博士はよほど彼の名前を訊こうかと思ったが、相手から名乗られたり名刺を出されたりしたときに、それが不案内だった場合を考えて遠慮した。年齢からいっても、風采《ふうさい》や身装《みなり》からしても、その方面には素人《しろうと》の博士の知識にあるような名のある彫刻家とは思えなかったのだった。  博士は腕時計を見た。この場を立ち去る意志のそれとない表示だった。相手の男はそれに気づいたが、彼はまだ畳に膝《ひざ》をついたままだった。 「それでは、お先に」  博士は言った。 「どうも失礼しました」  相手の男もぎごちなく頭を下げた。先ほど指の太いのに気がついたが、彫刻家と聞かされてその理由も解けた。肩幅も広く、鑿《のみ》を揮《ふる》うのに似つかわしかった。  こうして互いが名前を知らずに別れた。博士にとって観光地の往《ゆ》きずりに出遇《であ》ったわずかな縁であった。  鳥沢博士は三日後に東京に帰った。丹念に奈良一帯を歩いただけにたっぷりした充実感があった。博士が、その翌日警視庁の科学捜査研究所に出て、集まった人びとに話をするとき、この旅行の印象が頭から消えてなかったのは当然だった。  しかし、まさかここで飛鳥や奈良時代の美術について講演するわけにはゆかなかった。博士の頭には、アーケイック・スマイルを追求している背の低い色黒の彫刻家の姿がどこかにこびりついていた。だが、その姿に、旅先で読んだアメリカの犯罪学雑誌の報告例にあるミス・コーラミヤの微笑がつながったとしてもふしぎではない。  この聴講生には、警察大学のしきたりにならって、講師がときどき試問を出し、各自から解答を求めるしくみになっていた。このとき講義のあとの鳥沢博士の試問は、ミス・コーラミヤ事件についての次の三点であった。 「㈰死者は、その状況から判断して自殺なりや、他殺なりや。  ㈪死者の微笑は、最初に駆けつけた医師の診断によれば子癇《しかん》による「笑筋|痙攣《けいれん》」とあるも、ストリキニーネ中毒による激烈な死体硬直にも同様な所見がある。その相互関係の有無《うむ》如何《いかん》。  ㈫死者の口辺を汚染していた赤い物質の正体は不明のままだが、その推定と、枕《まくら》もとにあったスプーンに同様の赤い物質が付着していた理由如何」    3  秋になった。——  ある朝、新聞を読んでいた鳥沢博士は文化欄の展覧会評に眼がふれた。各展覧会が賑《にぎ》やかに蓋開《ふたあ》けしたという記事を社会面で見たのはつい一週間前のことであった。その展覧会の作品評が今朝《けさ》載っている。  ひまな博士は、新聞を大体|隅《すみ》から隅まで読むほうであった。したがって、このときの展覧会評に眼を通したのは、べつに博士が展覧会に特殊な興味を持っていたからではない。いわば、爽《さわ》やかな秋の朝の陽射《ひざ》しが畳の上に流れているように、つい視線がそれに向ったのである。  その展覧会は、ある在野美術団体のものだったが、伝統があって入選のむずかしさで聞えていた。新聞の批評は大家や中堅の作品からはじまっていたが、例によって文句は甚《はなは》だ芸術的な抽象語がならべられている。博士はいつも感心することだが、評者はよくもまあこのように抽象的な語彙《ごい》を豊富に持っているものだと思う。作品よりも活字のほうが遥《はる》かに絢爛《けんらん》としているのだ。その代り読んでいるほうには少しも作品がイメージに浮んでこない。存在するのは評者の小ざかしい知識と、茫漠《ぼうばく》と煙っている表現だけだった。  こうした文章を退屈紛れに読んでいた博士は、終りのところに「微笑」という作品名が眼について、やや興味を持った。批評の言葉は、こんなふうに述べてある。 「新井大助《あらいだいすけ》の『微笑』は、依然として圧倒的に多いアブストラクト彫刻のなかでは写実に徹している。この作者にこれだけの実力があろうとは思わなかった。人間は時として意外な神力を揮《ふる》うものだといえば、この作者に失礼であろうか。この作品は写実でありながら、顔に漂う微笑はふしぎな表情を湛《たた》えている。これは現代の微笑ではなく、古代の仏教美術が創始した『古拙の笑い』にも似ている。その表情を現代的に生かすなら、微笑の儀式とでも題したいような象徴性になる。作者がこのようなモデルを得たとすれば、稀有《けう》の幸運といわねばならない。とまれ、行き詰ったアブストラクトも、暗中模索の新写実主義も、新井のこの作品から意外の暗示を見いだすのではなかろうか」  鳥沢博士がその展覧会に行ってみたい気持を起したのは、この批評の『古拙の笑い』という文字からだった。このとき博士が、「微笑」の作者を、今年の五月に法隆寺の夢殿で出遇った、色の黒い、背の低い、がっちりとした体格の男に連想を結んだとしても不自然ではない。あの男は彫刻家と自称していたし、長い間|飛鳥仏《あすかぶつ》の微笑を追求していると言っていた。あの際、名前を聞くのを遠慮したが、あるいは彼が新井大助だったかもしれないのである。  博士は午後から身支度《みじたく》をした。子供たちはみんなほかに家を持っているので、二十年も経《た》っているこの家の中は老妻と女中だけで森閑《しんかん》としている。玄関で靴をはくと、その老妻がステッキを渡した。大学に行くときも、警視庁に顔を出すときも、いつもこんなふうな出掛け方だった。博士はべつに展覧会に行くとも言わず、散歩してくると妻に告げて出た。今日は何も仕事の無い日であった。  ——その展覧会場はかなりの人だった。博士はプログラムを開き、新井大助の「微笑」というところを探《さが》した。それで知ったのだが、新井大助はそれが初入選だったのである。博士は新聞の批評に、この作家がこれだけの実力があろうとは知らなかったと、やや軽蔑《けいべつ》を含めた称讃《しようさん》をしているのを思い出した。してみると、新井大助は批評家の間に名を知られているほどの若い彫刻家ではあるが、展覧会にはずっと落選をつづけてきたらしい。今回の入選はちょうど、同人雑誌で名前の知れた作家が苦節十年で高名な賞を獲得したのと似ていると博士は思った。もっとも、現代の美術壇については博士は全く不案内であった。  絵画のところはざっと見て過ぎた。彫刻の部屋に急いだのは、やはり「微笑」を見たかったからである。いや、法隆寺で出遇った、色の黒い、眼の大きな男に、もう一度遇ってみたい思いに駆られていた。「微笑」の作者が果して彼であるかどうかはこの際問題ではなかった。たとえ別な人間だったとしても、博士には、暗い厨子《ずし》の前にならんで飛鳥仏の微笑を見上げた男が、その「微笑」像を刻んだ作者にふさわしいと思われた。  第三部の彫刻室にはいると、博士はお目当てのものを隅のほうに発見した。大家や中堅のものは広い場所をとって優遇されていたが、新人のはあまり採光のよくない所にならべられてある。だが、博士はべつにプログラムの順序を探さなくてもわかった。思った通り、人を集めている彫刻が「微笑」であった。  博士は、その前に立った。等身大の胸像である。台が高いので少し見上げたような角度であった。  それは石膏《せつこう》だったが、博士はひと目見てその迫真性におどろいた。これほど人間の顔を精密に写したのも珍しい。実に細部にわたって写実の眼と技術とが行き届いていた。だが、博士が感服したのはそれではなかった。問題は唇《くちびる》である。  それは普通の人間の唇よりはやや大きかった。ほほえみの恰好《かつこう》はまさに仰月形だ。唇の両端が上がって半円を描いている。眼は半眼で、鼻は鋭く高い。顔全体は面長だが、まる味はなく、顎《あご》が力強く張っていた。いま、その半眼を見ると、まるで仏像の眼が見下ろしているようであった。しかしこの眼のかたちだけは飛鳥仏のものではない。止利様式の眼は杏仁様《きようにんよう》といって両眼をアンズの形に見開いている。その眼を半眼に閉じれば、この像の表情になるのではないか。後世の仏師が衰退した技術で造った慈眼と呼ばれるつくりものとは違う。  その眼と眉《まゆ》との間の距離、開いた眉の端の上がり具合、また分厚くて鋭い鼻、よくも飛鳥仏の特徴を捉《とら》えてきたものである。この眉、眼、鼻を見ただけでも、法隆寺の釈迦三尊《しやかさんぞん》、薬師如来、夢殿観音《かんのん》、あるいは安居院《あんごいん》の大仏の面差《おもざ》しをそのまま取ったことがわかる。特に仰月形の唇はその特徴だが、しかし、むろん、仏像そのままを丁寧に写したのではなかった。この彫刻は現代の婦人像である。しかも、写実に徹して各部が仕上げられている。その中に止利の笑いがそっくり融《と》けこんでいるのである。少しも不自然さがない。ぎごちなさがない。アーケイック・スマイルが生き生きと現代の顔に再生しているのである。  現代の顔になっているとだけでは言い足るまい。それはどこか神秘と幽玄の硬《かた》い表情を湛えている。幽玄といっても能面のそれとは違う。神秘といっても西洋のそれではない。顔貌《がんぼう》が異様に見えるのは、写実の中にもこの作者のデフォルメが施されているからであろう。それでいて作者の歪形《わいけい》のあとが少しも感じられない。まるでこの世にこのような容貌の女が存在しているかのようであった。  その上、新人の場所の採光の悪さが、かえってこの彫像の効果を上げていた。うす暗い所に仄《ほの》かに浮いたような像は、あたかも法隆寺の内陣や夢殿の中にはいり、厨子のうす明りをのぞきこんでいるような錯覚に捉えられた。  博士が飽かずに像を眺《なが》めながら立っていると、うしろのほうで見物人のささやきがしていた。 「よくできてるわ。まるで生きてるみたいね」 「でも、少し気持が悪いわ。明るい微笑じゃないわね。なんだか変な気がするわ」 「こういう顔の人が実際いるかしら?」 「モデルは使ったんでしょうけれど、作者は自分のイメージでつくっているのね」  婦人たちの声は、そういうことだった。また男たちも同じことを言い合っている。もっとも、見物人は博士ほどひと所に長く立っているのではないから、次々と変った。だが、どの口からも同じような言葉が聞えてくるのである。  このとき、博士は肩を軽く叩《たた》かれた。ふりむくと、そこに予期した顔が映った。 「やはり、いらしていただけましたね」  と、もじゃもじゃした髪の、背の低い男が黒い顔に白い歯を見せて言った。 「やっぱりあなたでしたか」  博士も同じことを言った。この夏の初め、法隆寺で出遇った男だった。 「おめでとう」  博士は初入選を祝った。 「どうも」  男は——新井大助という新人彫刻家は、照れ臭そうに頭を下げたが、その顔は法隆寺を歩いたときと同じように汗ばんでいた。二人はそこにならんで立ち、「微笑」像を揃《そろ》って見上げた。 「実によくできていますな」  と、博士はお世辞抜きに称讃した。この不細工な恰好をしている小男が、このような素晴らしい技術を持っているとは想像もしてなかった。もしあのとき法隆寺で彼の名刺をもらっていたら、無愛想な顔をしたであろうと思うと、名刺を求めなくてよかったと安堵《あんど》した。 「今朝、新聞の批評を読みましたよ。あなたのことがずいぶん賞《ほ》めてありましたね」  博士は言った。  新井大助は、もじゃもじゃした髪を指で掻《か》いて、 「あんなに賞められたのは初めてです。まったく意外です」  と、うれしそうに言った。 「いや、称讃するだけの価値はありますよ」 「あの批評を書いた人は誰だかわかっているんです。その人は今までぼくが何を制作しても絶対に認めてくれなかったんです。まあ、この世界では権威のある人なんですがね。それがあんなに賞めてくれたんですから夢のようです」  彼は昂奮《こうふん》していた。 「しかし、これであなたも気むずかしい批評家に認められたのですから、前途洋々ですな」 「どうも、どうも」  彼は羞《は》ずかしそうに頭を下げた。 「これは等身大ですね」  と、博士は像を見上げたまま言った。 「そうです」 「さっきもこれを見ている人たちの話を聞いてたんですが、まるで生きた人間のようだと言ってましたよ」 「そうですか」 「あなたは前から写実ばかりやっていらしたんですか?」 「いや、むしろアブストラクトのほうですな。けど、これにも行詰りを感じたんです。抽象派そのものが行き詰っているときですからね、ぼくなりに新生面を開きたかったんです」 「デッサンはしっかりしたものですな。よほど写実の勉強をやってこられたのでしょうな?」 「いえ、それほどでもありませんが」 「近ごろの抽象派の人たちは、いきなりその様式に飛びこむのでデッサンができていないということをよく聞きます。ぼくらにはわからないが、あなたが抽象をやっておられたと聞いて、失礼だが、まともな方だと思いましたよ。だって、こんなに素晴らしい造型力を持っておられるんですからな。……これはモデルをお使いになったんでしょうね、もちろん?」 「はあ、モデルといえばモデルですが……」  新井大助は少し言い澱《よど》んだ。 「いや、そのモデルからこのようにデフォルメされたのはよくわかりますよ。なるほど、あなたが飛鳥仏をよく見に行ったというはずです。実にあれがうまくとり入れられてある」 「ぼくは、あの『古拙の笑い』にとり憑《つ》かれてしまったんです。その対象とぼくとの距離をなんとか縮めようと努力してきたんですが、この作品でどうやら、その努力に希望が見えてきたような気がします。もちろん、まだまだ距離は遠いんですが、今までだと、それが自分ながら絶望的だったのです」 「あなたが、いわゆる『古拙の笑い』を見事に現代のものに創造された技倆《ぎりよう》には敬服しますよ。さっきも鑑賞者が言っていましたが、見ていてふしぎな気持になると言っていました。うす気味悪いという人もいましたよ。この微笑には、実にそれがよく出ている。顔全体の印象も止利《とり》様式の仏像の硬さをそっくり再生してある。この微笑と、この表情の硬さが神秘的なものを感じさせるんですね。ぼくがいちばん感心したのは、視覚的な写実でありながら、その『古拙の笑い』のフォームが実に無理なく融合されていることです。それが内面の美を形成しているのですな。素晴らしい腕です。どうか、今後もこういうものをどしどし制作して下さい」 「こういうものがもう一度できるといいんですがね」  と、新井大助は言った。少し心もとない言い方だった。  それは無理もないと、博士も思った。芸術作品は鋳型《いがた》ではない。一度できたからといって、それと同価値のものが二度生れるとは限らないのである。その点、芸術には突然変異的なものがあり、時として作者自体の資質から離れた独自性をもっている。あるいは、これを偶然性と考えてもいい。新井大助が同等のものを二度つくれる自信に逡巡《しゆんじゆん》したのは彼の謙遜《けんそん》ではなく、そのことを十分に知っているからだろう。  博士がそう考えたとき、新井大助は友人にうしろから呼ばれた。 「それでは、失礼いたします」  彼はいんぎんに博士に頭を下げた。 「どうも……まあ、おめでとう。どうか、これからも頑張《がんば》って下さい」 「ありがとうございます」  新井大助は博士から離れた。彼はここでも博士の名前を訊《き》かなかった。それがいかにも芸術家らしく見えたので博士は好感を持ち、彼がガニ股《また》で友人の男とこの部屋を去るのを見送った。そのうしろ姿には幸運の喜びが溢《あふ》れていた。  鳥沢博士は、もう一度「微笑」像の前に立った。この作者を彼だと知り、さらに短い会話を交《か》わした直後だから、もう少しここに佇《たたず》みたいのは当然の感情だった。  この像の顔は年齢三十歳前後であろうか。引詰髪《ひつつめがみ》なのもどこか飛鳥仏の頭部を思い出す。実際、こうした髪形でないと生《は》え際《ぎわ》が似てこないのである。たとえば、中宮寺の観音は頭の上に二つの肉髻《につけい》をもっているが、生え際はこの像とそっくりである。 「失礼ですが」  と、博士はうしろから忍びやかな声をかけられてふり向いた。そこには顔の長い、痩《や》せぎすの、背の高い男が丁寧な会釈《えしやく》を向けていた。年齢は三十五、六ぐらいだろうか。眉のうすい、顴骨《ほおぼね》の張った顔だった。 「はあ」  博士は観覧者の一人だと思ってうなずくと、その男は前に進み、博士とならんで「微笑」像を見上げた。 「先ほどから、わたしもこれに感心して見ていたのですが、よくできておりますね」  男はつくづくと眺めながら言った。 「よくできています」  と、博士はうなずいた。 「わたしは美術のことは素人《しろうと》ですが、抽象派というのですか、変てこなかたちの彫刻には閉口していたところです。そのなかでこの女の像を見たので、よけいに感心しているのですがね。わたしの眼が古いのでしょうか?」 「いいえ、決してそういうことはありません。これからは抽象の反動として、だんだん、こういうリアルな作風のものが出てくるんじゃないですか」 「そうでしょうね。ああいう謎《なぞ》みたいなかたちじゃ、われわれはいつまでもおつき合いはできません。……しかし、まったくよくできていますね。まるで生きてる人間みたいです。先生、こういうものはやはりモデルを使ってやるんでしょうね?」  男は素人らしく訊いた。博士は、はじめ、先生と言われたので、その顔を眼の端で確認したが、見おぼえはなかった。が、すぐに自分の思い違いがわかった。先生と言ったのは自分のことを知っているからではなく、さっき新井大助と立ち話をしていたので、自分を美術批評家か美術界の先輩くらいに考えているのだ。われながら白髪の老人だし、肥《こ》えて恰幅《かつぷく》がいいので、この場の空気に立って、そう思い違いされたのだとわかった。  しかし、それも博士が自分でそう思っているだけで、向うがはっきりとその思い違いを言葉に出しているのではないから、博士は少し困った微笑を浮べながら答えた。 「モデルはあるでしょう。しかし、それは、この作者がモデルの通りにつくったのではなく、自分のイメージに合うように顔をつくり変えたと思いますよ」 「そういうものですかね。ですが、先生、やはり元のモデルもこれに近いような顔のひとを択《えら》んだんじゃないでしょうか?」  男はまた訊いた。 「それはそうでしょう。まるっきり違った顔では意味がありませんからね。いくらか彼のイメージに近いモデルは居たでしょう」 「そうでしょうね。そうしないと、こんなに、まるで真物《ほんもの》の人間の顔みたいにはできないでしょうね。なるほど、やっぱり、これとそっくりなモデルが居たんでしょうね」  男はひとりでうなずき、しげしげとその顔をうち眺めていた。  博士がそっとそこを去ろうとすると、男はその気配《けはい》を知ったか、ひきとめるように、 「先生、この彫刻家はこのモデルをどこから探《さが》してきたんでしょうね?」  と、また質問した。    4  この彫刻家はこんなモデルをどこから探してきたのかと、その男は訊いた。いかにも素人らしい質問に鳥沢博士も当惑げな微笑をつくった。 「さあ、それはぼくにはわかりませんね。多分、こういうモデルがどこかに居たのだろうが、必ずしも専門のモデルとは限らないでしょう。知合いの人に頼んでモデルになってもらったのかもしれませんね」 「こういう顔つきの人間が居たんでしょうかね?」  博士は、そこで、半ば反射的に何度目かの凝視を「微笑」像に送った。たしかに変った容貌《ようぼう》である。止利様式の硬《かた》い微笑にそっくりの顔であった。そこには宗教的なものさえ感じられる。  博士は、ここで思い当ったのだが、この微笑は岸田劉生《きしだりゆうせい》の「麗子微笑《れいこびしよう》」図に似ている。たしかに似ている。絵画にすればああいうふうになるだろう。しかし、劉生には娘のモデルがあったが、彼もその顔にデフォルマシオンを行い、幻想性を出した。色彩がその妖気《ようき》をたすけている。そういえば、麗子像の硬直した表情にも宗教的なものがあった。あの口もとも仰月形だ。ああいう唇《くちびる》の恰好《かつこう》には宗教的なものがあるのかもしれない。  彫刻には色が無い。しかし、すぐれた彫刻は鑑賞者に色彩を感じさせる。画家が与えて規定した色彩よりも、イメージの上で豊富である。単色が極彩色の極致になる場合がある。  とにかく、博士は、この新井大助の「微笑」像には色彩を感じていた。それも淡い暗色である。劉生の色彩でないことは確かだ。そして、その劉生の麗子像にもモデルがあったのだから、この「微笑」像にもモデルがあったに違いない。しかし、この像の顔そっくりのモデルではあるまい。  ——そんなことを質問者に言ってもはじまらないから、博士は、こう答えて男の傍《そば》からはなれようとした。 「いくらかはこれに似た人が居たかもわかりませんが、芸術家は必ずしもその通りに写すのではないからわかりませんね」 「そうですかねえ」  男は、まだ首をかしげていた。やはり、説明が解《わか》らないようであった。  こうしている間にも、周囲の人たちは絶えず流れていた。博士は見知らぬ男と不適当な長話をしたことを後悔し、用ありげに腕時計をのぞいた。 「先生、先生」  その気配を知った男は、妙に真剣な顔つきで引き止めた。べつに腕をつかんだわけではないが、その語調があたかも博士をそこに釘《くぎ》づけしたいようだった。 「……実は、ちょっと内密にお話ししたいことがあるんです」  彼はあたりにきょろきょろと眼を配った。三、四人の参観者がぐるりに居たし、すぐ背後を通る人も多かった。 「ここではちょっと申し上げにくいんです。恐れ入りますが、あすこまでお運び願えませんでしょうか」  言葉は鄭重《ていちよう》だったが、低い抑《おさ》えたような声が博士にある強制的なものを感じさせた。博士は、つい、彼の言うままに広いホールの中央にある長椅子《ながいす》にかけた。幸いそこは誰もかけていなかった。 「何です?」  博士は訊いた。 「いや、まことに奇妙な噂《うわさ》を聞きましたので、ちょっと先生に伺ってみたくなりました」 「奇妙な噂? あの『微笑』像の作者についてですか?」 「あの彫刻というか、作者というか、まあ、両方なんですが……先生、あの彫刻の大きさは、ちょうど、人間の実物大でございますね?」 「そうですね、そう言っていいでしょう」  博士は、そこから少し遠くなった「微笑」像を眺《なが》めてうなずいた。事実、その前に立っている参観者の顔の大きさと同じであった。 「実に人間の顔をそのまま写してありますね。聞けば、あの彫刻の作者は、今までああいう写実的な作品をつくっていなかったそうですね。これまでのものは、写実から遠い、変てこな顔だったというんですが……」 「そうですか。ぼくはそのへんは不案内ですが、それがどうかしましたか?」  博士は多少もどかしそうに訊いた。 「はあ、実は、その噂というのがあまり突飛《とつぴ》なので、わたしも事実かどうか疑っているんですがね。いや、多分、事実ではないと思いますが……」  男はそう断わって、あとをもっと低い声で言った。 「噂では、あの彫刻は本当の人間の顔からそっくり取ったというんですがね」 「人間の顔から?」  博士は黙って痩せた顴骨の高い彼を見つめていたが、やがてその意味がわかると、ナンセンスなことを聞いたときにつくるうす笑いとなった。 「つまり、あなたは、デスマスクを取るみたいに、あの彫刻が生きた人間の顔を石膏型《せつこうがた》に取ったというんですね?」 「噂です。噂ではそう言っていますが」  と、男は眼を据えたようにうなずいた。 「誰がそんなことを噂してるんですか?」 「名前は申し上げられませんが、若い彫刻家仲間でそのような話が出ています。わたしもその話を頭において、さっきからあの彫刻をしげしげと眺めているんですが、そう言われてみると、なるほど、鼻の具合といい、唇の具合といい、額、頬《ほお》、顎《あご》の凹凸《おうとつ》の具合といい、実際の人間の顔からそっくり型を取らなければ、ああいうふうにうまくできないように思われてきたのです」  ——思うに、この男は、さっき作者の新井大助と話を交《か》わしていたのを見て、すっかりこちらを美術壇の評論家だと考え違いし、自分の疑念を晴らそうとしているのだと、博士は思った。そうでなければ、こんなに熱心に訊いてくるはずはなかった。 「それは、あの彫刻があんまりうまくできているからでしょうね。あるいは、その噂が彫刻家仲間の間から出たとすれば、あまりの出来のよさに嫉妬《しつと》を覚えた人が冗談半分に陰口を利《き》いたのじゃないですか」 「そうですかね?」  男は半信半疑のように首をかしげた。それを見て、博士は乏しい自分の知識を披露《ひろう》した。 「そういうことは西洋にも無いでもなかったんですよ。たとえば、ロダンに『青銅時代』という男の裸像があるんです。あまり写実的なので、当時、実際の人間から石膏型を取ったのではないかと言われたものです。ロダンは否定しましたがね。西洋にもそんな話があるくらいですから、同じような噂が日本にあってもふしぎはないでしょうね」 「そうですか。ロダンがね」  と、男は感心したように言ったが、表情はその説明に服従していなかった。そこで、博士もその無知を説得してやりたい衝動を感じたのだった。よけいなことだが、人間にはそういう気持になる時がある。博士は言った。 「デスマスクのように、生きた人間から石膏型を取るとなると、鼻に管を挿《さ》して呼吸をさせなければならない。そして石膏を全面的に塗りつけて、まず雌型《めがた》を取り、それが固まったところで石膏を流し込み雄型《おがた》をつくる。それで石膏像が完成するわけですが、ご覧なさい。あの彫像の鼻は、たとえあとで修正したとしても、実に自然にできているじゃありませんか。むろん、鼻孔に管を挿したような不自然な痕《あと》もない。まるでデスマスクのように自然です。また彫刻面も人間のマスクから取ったとするとすぐにわかりますが、あの『微笑』像には明らかに作者が粗笨《ラフ》な面の効果を上げている。生きた人間の顔から取れば、決してあんなふうにはなりませんよ」  男は博士の説明に、その言葉の切れ目ごとにうなずいていたが、終るのを待ってまた言い出した。 「先生、お言葉ですが、彫刻の面のそうした技巧は、石膏型を取ってからいくらでも作者にできるんじゃないですかね?」  博士は詰った。なるほど、実際の人間の顔から取った雌型に流しこんだ石膏像だから、効果を出そうと思えば彫刻家の指先一つでどうにでもなりそうだった。 「こんなことを申し上げるのはほかでもありません」  と、男は鳥沢博士の渋い表情を見て、真実を打ち明けるようにさらに小声になって言った。 「実は、この『微笑』像とよく似た顔の女性が、この夏に死んでいるのです」 「ほう」  と、博士も初めて噂にやや真剣となった。 「夏といえば、ちょうど、展覧会の出品制作に当っているでしょう。ほら、新聞によく出ているじゃありませんか、画家が汗をかきながら大作ものと取り組んでいる写真などが」 「そうすると、あなたは、この石膏像が死人の顔から直接取った、つまりデスマスクだというわけですか?」 「若い彫刻家の間では、そういう噂なんです。先ほどは実際の人間から型を取ったと申しましたが、生きた人間からとは申し上げなかったですね。それは死面からという意味だったのです」 「なるほど」  博士は、この男の言葉の用意に少しおどろかされたが、同時に油断のならないものを感じた。今までは美術には全く無知な男として、安心していたのだった。博士の気持は警戒的となった。 「しかし、デスマスクにしても眼が半分開いていますね」と、男は博士の気持に頓着《とんじやく》なく訊いた。「先生、あれはあとで作者が細工できるんでしょうね?」  さっきは、人間の顔から石膏の面にはいくらでも作者の技巧が施されると、この男は言っただけに、博士もそれを肯定しないわけにはゆかなかった。 「それはできないことはないでしょうね」  そう言って博士は、もう一度、そこから「微笑」像を凝視した。今度は美術の鑑賞ではなく、果してそれがデスマスクかどうかを鑑定する眼つきであった。  そう言われてみると、像はデスマスクから取ったようにも見える。単に顔だけではなく、頸《くび》、肩、胸の上部まで、実際の人間から型を取ったようにも思えた。普通のデスマスクだと、そんな部分までは完全には取らない。ちょうど、能面のように顔の前面だけで、耳も無く後頭部も無いのとは違い、この像はすべてを取り入れた立体像であった。もし、ここに死人からそっくり型を取って創作のように見せかけたとすると、こういうものも作れる。半眼も技巧でできよう。  博士は心の中で首を振った。男の影響をふり落そうとしたのだった。 「先生。実を申しますと、わたしはこういう者です」  と、男は初めてポケットから名刺を出した。「共福《きようふく》生命保険株式会社調査室 島上忠太郎《しまがみちゆうたろう》」という活字が博士に映った。 「保険会社の方ですか?」  と、博士は名刺を指に握ったまま相手を見た。調査室といえば、被保険者と会社側とに問題が生じた場合、それを調べる係であろう。ここにおいて博士も、この男がなぜ執拗《しつよう》に「微笑」像のことを質問しているか、およその見当がついた。次に博士は急に索然たる現実に呼び戻された。 「お察しのように、わたしは、契約者と会社側との間にトラブルが起ったとき、その調査をやっている者でございます。お忙しいところをお引止めして申訳ございません」  と、彼は頭を下げて詫《わ》びた。  博士は、自分はあんたが思いこんでいるような美術関係の者ではないと釈明しようとしたが、保険調査員の島上忠太郎は勝手に話をはじめた。 「この新井さんのつくられた『微笑』像の顔とそっくりの被保険者の女性が三月《みつき》前の七月十三日に急に死亡されたんです。二十六歳になる独身の婦人ですがね。その方のお父さんが保険金の受取人になっているので、その支払いを要求されているんです」  博士は不機嫌《ふきげん》に口をつぐんだまま、うなずきもしなかった。そのような話を展覧会場で聞く義務はなかった。 「ご迷惑をおかけします。もうちょっとお聞き願いたいのでございますが」  と、島上は遠慮そうに言ったが、話のほうは少しも気兼ねなくつづけた。 「その女性は、厚木《あつぎ》の近くのアパートにひとりで住んでいたのですがね。無職ですが、はっきり申しますと、あの辺の基地にいる米兵のオンリーだったんです。それが十三日の真夜中に急死しまして、アパートの管理人から窒息死として警察に届けられたんです。その方の顔がこの新井さんのつくった像に非常によく似ています。実は、わたしは、そのアパートの管理人や、同じアパートに居るほかの人たちにもここに来て見てもらったのですが、みんな宅間《たくま》さんにそっくりだとびっくりしていました。その女性は宅間|添子《そえこ》という名なんです」 「そうすると、この作者の新井君と宅間という女性とは交際があったのですか?」  博士は渋い顔をしながらも、思わず釣りこまれて訊《き》いた。 「いいえ、それは全然無かったようです。ですからおかしいんです」 「おかしいというと?」 「もし、この像を作った新井さんと宅間さんとがかねてから交際していたなら、宅間さんの死顔からデスマスクを取って、こういう作品にしたという可能性は出てきますけれど、いくら調べてもそれは無いのです。そこへもってきて、さっきからも繰り返して申し上げる通り、若い彫刻家の間では、この像が人間の顔から型を取ったものだと噂しているので、わたしも妙な疑問を持たないわけにはゆかなくなったのです」 「疑問というと、新井君と宅間さんの死とが何か因果関係があるということですか?」 「そこまでは今は申し上げられませんが、第一、宅間さんの死因がふしぎなんです」 「ああ、さっき窒息と言いましたね?」  博士は、いつの間にか本性がもたげてきていた。 「はあ、窒息です」  窒息というとすぐ考えられる縊死《いし》、絞殺のほか、ガス中毒、一酸化炭素中毒がある。鼻孔が外力で塞《ふさ》がれるとか、狭い場所に押し込められて酸素不足による死亡とかもそうである。宅間添子という女の場合はどうだったのだろうか。 「死体の発見されたのは九時ごろで、亡《な》くなったのは真夜中らしいのですが、アパートの管理人によると、宅間さんは前の晩の十二日の午後九時ごろに帰宅して就寝したそうです。そのとき、相当量のドライアイスを買ってきて枕もとに置き、寝たといいます」 「ドライアイス?」 「はい。そのアパートは冷房装置が無いのです。宅間さんは扇風機ではかえって生暖かいし、クーラーは音がうるさいと言って使わなかったのです。その代り、部屋を閉《し》め切り、ドライアイスを置くようにしていたそうですがね。それもこの夏からはじめたということで、管理人の話では、多分、米兵から習ったんじゃないかと言っていました」 「部屋はどのくらいの広さです?」 「六畳一間に四畳半、それにリビングキチンとバス、トイレが付いています。立派な部屋ですが、家賃も相当高い。まあ、米兵のオンリーとなれば、そのくらいのアパートは借りなければならないでしょう。そのアパートは桜《さくら》アパートというのですが、部屋数は全部で六室です。……そんなわけで、部屋の構造が密閉できるようによくできています。ですから、ドライアイスの効果もあったわけですね。寝室はその四畳半でした。寝るとき、その狭い部屋を閉め切ってしまえば空気の流通も遮断《しやだん》されるわけです」  博士は考えた。そういう状態ならドライアイスが空気を冷却させるのには効果があったであろう。ドライアイスを多量に狭い部屋に持ちこむと炭酸ガスが充満し、酸素の欠乏を来たす。つまり、その状況では寝ている間の窒息死も十分考えられると思った。 「そういう職業の人なら、あるいは自殺という線はないんですか?」 「遺書も無ければ、生前にそんな言動も無いのです。父親のほうはあくまでも事故による死亡だと主張しているんですがね」  保険の支払いは、会社によって多少違うが、たいてい契約して一年または二年のあいだに被保険者が自殺した場合は、会社側が履行しなくても済む。しかし、事故死なら全額を支払わなければならない。博士は、この島上の調査が被保険者の宅間添子の死を自殺のように結論づけたいのだと思った。保険会社のなかには、いろいろ被保険者に条件をつけて会社の支払いをなるべく少なくしようとするところもある。そういうことを聞いていたから博士も不愉快になった。  だが、目下のところ、島上は宅間添子の死に自殺のきめ手がなく困っているようであった。 「解剖はしたのですか?」  と、博士は訊いた。 「はあ、そういう変死ですから、死後に診察にきた医師がすぐに神奈川県警へ届けています。県警では行政解剖をやっているんですが、窒息死という以外何も原因が出てきません。毒物も検出されないのです」    5  共福生命保険の調査員島上忠太郎に粘られた鳥沢博士は、椅子から動くことができなかった。いや、博士のほうが次第に興味を持ってきたといっていい。  博士は、保険の調査員が語る、被保険者だった宅間添子という女性の怪死の話に釣りこまれていた。厚木に住んでいた米兵相手のオンリーだったというその女性は、ドライアイスによる炭酸ガスの発生で窒息死したと判《わか》った。すなわち、狭い部屋に置いたドライアイスからは炭酸ガスが発生するが、この比重は空気に対して一・五二くらいだから、空気を徐々に上に押し上げて行く。炭酸ガスは下に沈み、ベッドに寝ている人間はそれを呼吸することになる。そこで空気は稀薄《きはく》になり、酸素の量は減って、人間は窒息状態になる。——鳥沢博士は、こういう推測を一応立てた。  それは可能性としては考えられる。だが、四畳半ぐらいの部屋にどれぐらいのドライアイスを置けば、人間を窒息死させるだけの炭酸ガスが発生するものかよくわからなかった。これは化学者に聞いてみなければ正確には判明しない。博士がこれまで扱った法廷鑑定には無かった事件例である。それで博士は自前の知識や経験に無いこととして、保険調査員には黙っていた。  しかし、死人は解剖の結果、毒物の検出は見られなかったという。もし、彫刻家新井大助が宅間添子の死顔からデスマスクを取って、それを自分の作品のように仕立てたとすれば、彫刻が示している微笑は死顔に残っていたことになる。つまり、窒息死した女は、その面上に「|古拙の笑い《アーケイツク・スマイル》」を永遠に浮べていたのである。  ここにおいて博士は、奈良から法隆寺へ行く途中で読んだアメリカの犯罪学雑誌の報告例を再び思い出さざるを得なかった。ミス・コーラミヤも死後、奇妙な微笑を浮べていたという。もっとも、報告例の場合は、死人が明らかにストリキニーネを服用していた。つまり、死者の微笑は、ストリキニーネ中毒による「笑筋|痙攣《けいれん》」であった。ただし、彼女の口辺を汚《よご》していた赤い付着物の内容は謎《なぞ》となっている。  博士は、法隆寺や夢殿の飛鳥仏《あすかぶつ》像を見て、ミス・コーラミヤの死を連想したものだが、今度は新井大助の「微笑」像と、そのモデルの死から新しく連想の環《わ》がひろがったのである。ミス・コーラミヤは毒物を飲んでいたが、宅間添子にはその形跡が無かった。違うのはその点で、同じなのは死人が「微笑」をつづけていたことだ。 「その女性がドライアイスを自分で買って来たことは間違いないんですね?」  と、鳥沢博士は保険調査員の島上に訊いた。 「それは間違いないのです。本人は、さっきも申し上げたように、毎晩ドライアイスを枕もとに置いて睡《ねむ》っていましたし、その晩も夕方いつもの店に買いに行き、抱《かか》えて帰っています」  島上は答えた。 「量は?」 「それはかなり多いのです。はじめは五百グラムぐらいでしたが、だんだんふえて、死ぬ前は三キログラムぐらい持ち込んでいたそうです。本人は、馴《な》れてくると、量をふやさなければ涼しく感じなくなったのかもしれませんね」 「そうかもわからないね。本人は、まさかドライアイスの炭酸ガスで窒息するとは知らなかっただろうからね……」  博士がそこまで言って口をつぐんだとき、島上が博士の疑問とするところをきいた。 「先生。人間が呼吸|麻痺《まひ》を起す炭酸ガスの量は、空気に対してどれぐらいの量があればいいのですか?」 「さあ、それはよくわからないな。ぼくは化学者ではないから……」 「炭酸ガスが空気中に一〇パーセントないし二〇パーセントもあれば呼吸麻痺を起すそうです。実はある大学の専門学者から伺ったのです」  調査員は、やはりそこを調べていた。 「そこまで聞いているなら、四畳半ぐらいの広さの部屋にどのくらいドライアイスを置けば、人間を死に至らせる炭酸ガスが発生するかも調べているでしょうね?」  博士は訊いた。 「それも聞いています。三キログラムで、だいたい一〇パーセントだそうです」 「一〇パーセント……すると致死量すれすれだな」 「そうですね」  博士はちょっと黙ったが、重く口をひらいた。 「三キログラムのドライアイスとは、たいへんな量だな。彼女はそれをどこで買っていたのかね?」 「ドライアイスはどこでも買えますが、彼女の場合は米兵のルートで特殊な店から手に入れていたそうです。値段が安い上に、一般の店で買うよりは目立ちませんからね。普通の店で、それだけ買えば、商売でもしてない限り、へんに思われるでしょう」 「米兵はそんな銷夏法《しようかほう》をしているのかな?」 「日本の家屋は蒸し暑いですからね。それに女と遊んでいるなら窓を閉めて置かなければならない。冷房装置が無いのだから、思いつきでそういう方法をとったのでしょう。それが案外よかったので、女は独《ひと》りでいるときもドライアイスを置いたのだと思います」 「しかし、熟睡中でも酸素が欠乏してくると呼吸が苦しくなる。自然と眼がさめるはずだがね」 「言い忘れましたが」と説明の機会を得たように島上はいった。 「さっき、解剖の際、毒物の検出が無かったと言いましたが、毒物ではないが、睡眠薬が胃から検出されたのです」  島上はつづけた。 「これはアパートの管理人が言っていることですが、宅間添子は睡眠薬の常用者だったそうです。ですから睡眠薬のために呼吸の苦しさはわからなかったのでしょう」 「それなら説明ができるかもしれません」 「なにしろ、本人は米兵相手に暮して来ていたので、悪い習慣が自然と身についていたんですね。睡眠薬も日本製のものでなく、向う製のかなり強いものだったそうです」 「麻薬の習慣は無かったんですか?」 「それは無かったそうです」 「その人が亡《な》くなったとき、相手の米兵は居たんですか?」 「その兵隊は任務で十日前から日本を留守にしていました。それ以来、彼女はずっとひとりで居たのです。死んだ当夜もひとりでした」 「毒物の検出は無かったが、顔とか身体とかに変った徴候は?」  博士が訊いたのは、ミス・コーラミヤの口辺の赤い汚染を連想したからだった。そんな連想で質問したとすれば法医学者らしからぬことだが、まだ犯罪学雑誌の幻影が博士の頭に残っていたのである。 「医者に訊いてみたのですが、何も異状はなかったそうです」  と、保険の調査員は答えた。 「筋肉の硬直はどうだったのかな?」  と、博士はひとりごとを呟いた。  このとき初めて調査員が、おや、という眼つきをした。多分、博士の口ぶりに医学の知識を感じたのかもしれなかった。ここにおいて鳥沢博士も、いつまでも相手に思い違いのままにさせておくのが悪くなってきた。それでなくとも先ほどから訂正の機会を望んでいたのである。  鳥沢博士は名刺を出した。先方から先にたとえ職業的でも名刺をくれたのだから、これは礼儀であった。 「あ」  と、保険調査員は口の中で叫び、博士に改めて頭を下げた。 「たいへん失礼をいたしました。わたしはすっかり美術関係の先生だと思っておりました」 「いやいや。どうもそうらしいので、多少当惑していたところです」  博士は穏やかに微笑した。と同時に気分も軽くなった。  調査員はなおも詫《わ》びを繰り返していたが、その眼が今度は別な表情をもってきた。つまり、医学博士の肩書に彼の関心が変ってきたのである。 「先生、先ほど筋肉の硬直とおっしゃったようですが、それはどういう意味でございましょうか?」  と、彼は訊いた。  二人の前には相変らず入場者が歩いて通っていた。 「いや、それはですね、死者の顔の笑いというのが、ときには筋肉の硬直でそう見えることがあるからです」  博士は見物人の群れを眺《なが》めながら簡単に説明した。 「ははあ。それはどういう病気でございますか?」  調査員は質問した。 「そうですな、破傷風なんかの症状が顕著な例でしょう。次には子癇《しかん》も挙《あ》げられますね……」  鳥沢博士が子癇と言ったのは、やはりミス・コーラミヤの場合が頭に残っていたからだった。 「破傷風?」  調査員の島上は小首をかしげたが、被保険者の宅間添子の場合には、それが適用されないと否定した。博士は訊いた。 「その女性は、妊娠していたということはなかったんですか?」  解剖結果を聞いたが、調査員は、その事実は無いと答えた。それから彼は言った。 「先生、いま教えていただいた筋肉の硬直というのは、自然な笑いとは違ってみえるでしょうね?」 「もちろん、違います。筋肉の硬直で表情がそのように見えるだけですから。ある人には泣いているようにも見えるのです」 「先生、あの『微笑』像がもし死者の顔からそのまま取ったものだとすれば、そんな笑顔《えがお》ではありませんね。ご覧なさい、とても自然な微笑ではありませんか」  博士はうなずいて、何度目かの視線を向うの彫像に投げた。  調査員の言う通りである。それは硬《かた》い微笑ではあったが、平和な笑顔だった。その半ば閉じた眼は慈眼とも見え、また一種の恍惚《こうこつ》状態の表情でもあった。唇《くちびる》も決して痙攣による錯覚的な微笑ではない。——しかし、どこかに生硬さがある。博士は、それを先ほどから「古拙の笑い」に結んでいるのだが、その硬さは死後硬直と似通っていないこともなかった。 「それで、彼女についていた保険金というのはどういうことなんです?」  と、博士は現実の問題に質問を戻した。 「あ、それです」  と、彼は大きくうなずいた。 「被保険者の宅間添子は、現在二十六歳です。生れは新潟県ですが、ちゃんと東京の某女子大も卒業している人です。ところが、どういうわけか、いまいったように米兵相手のオンリーになったのですな。ま、その間にいろいろなことがあったのでしょう。それはよくわかっていませんが、想像はできます。彼女は死亡時から十一カ月前にわたしのほうの社と二千万円の生命保険を契約したのです」 「二千万円。ほほう」 「金額は少し大きいのですが、これにはわけがあるのです。彼女が契約の係員に言った言葉によると、自分はこれまでさんざん勝手なことをしてきた、親のおかげで大学まで卒業させてもらったが、その恩に報ゆることは何一つできなかった。自分のような親不孝者はいない。自分はこれからいつどんなことになるかわからない、たとえば、いい相手が出来たら外国に行くかもしれないし、また日本人の居ない土地で自由に暮したいという夢も持っている、世界じゅうを放浪してみたい気持もある、どこで野倒死《のたれじに》をするかわからない。今のうちに、二千万円の生命保険をつけて、それを親に渡したい、それがせめてもの親孝行だと、こう言ったそうです」 「なるほど、そういう女性の考えそうなことですな」 「そうなんです。その受取人というのは新潟の故郷に居る父親になっています。もう六十七歳ですがね」 「少し年をとっていますね。母親は居ないのですか?」 「これは五年ばかり前に亡くなっています」 「ほかに兄弟は?」 「居ません。この父親がひとりで農業か何かをやっているらしいんです」 「そうなれば、彼女の気持もよくわかりますな」 「それで、彼女は二千万円の保険金額に対する掛金を月々三万円払っているのです。相当な掛金ですが、まあ、アメリカさんにくっ付いていれば、そのくらいは何とか出せたのだと思います。現に掛金は一回の遅延もないのですよ」 「そのことは父親も知っているのですか?」 「保険の契約書は、彼女がすぐ送ったそうです」 「そうすると、すでに彼女の死によって、その二千万円は父親に会社から払われているわけですね?」 「いや、目下支払いを保留中です。自殺でもなし、文句のつけようがありませんが、もう少し死因をはっきりさせたいと思うのです」 「しかし、それでは、受取人のほうでおさまらないでしょう?」 「そうなんです。早く支払ってくれと、矢のような催促ですがね。しかし、もうしばらく待ってもらっているのです」 「だが、警察のほうで、そんなふうに死因がはっきりしていれば、問題はないじゃありませんか?」 「われわれが問題にしているのは、なぜ死に至ったかという原因です。警察ではドライアイスによる窒息死だと言っていますが、あるいは彼女がその保険金を早く父親に渡したくて自殺をしたかもわかりませんからね。この場合の自殺が保険金を受け取る目的と関係ないことだったら問題はないのです。だが、保険金を取りたいために、つまり、彼女がその親孝行のために自分を犠牲にしたとすれば、会社のほうとしても素直に支払うわけにはゆかないんですよ。もっとも、まだ彼女の死がはっきり自殺とはわかっていませんが、あるいは彼女の気持のなかに自殺に思われたくない気持があったかもしれませんね。保険金を父親に受け取らせるためには、むしろ事故死に偽装したほうが取りやすいですからね……」  鳥沢博士は、そっと腕時計をめくった。こんな話を蜒々《えんえん》と聞いていても仕方がないと思ってきたのである。  相手は保険屋である。被保険者との面倒に捲《ま》きこまれたくなかった。ことに、博士は肩書つきの名刺を出したことだし、この男からさらに粘《ねば》られても困ると思った。  尤《もつと》も、相手はまだ博士が裁判の鑑定をひきうけていた医者とは知っていなかった。 「いや、どうも申訳ありません」  と、島上調査員もさすがに気の毒そうに頭をさげた。 「長時間、お忙しいところを、おひきとめしました」  実際、長い会話であった。博士は椅子から立ち上がった。その拍子に、眼がまた新井大助作の「微笑」像にむいた。 「あの像は……」  と、博士は、一緒にならんだ島上に言った。 「その宅間添子さんの顔に、よく似ているというんですね?」 「はあ。それは先ほども言いましたように、アパートに居る人がここに来て見て、みんな言ってることです」 「そうすると、あの作者の新井君は宅間添子さんと近づきだったことになるが、それは無かったということでしたね?」 「はあ」 「彼女が死んだ直後に、新井君がそのアパートに現われたということもないんですか?」 「今のところ、その形跡はないのです」 「彼女が死んだのを発見されたのは朝の九時ごろで、亡くなったのは、その前の真夜中ということでしたね?」 「そうです」  調査員は、鳥沢博士の確認にいちいちうなずいた。 「いや、どうもありがとう……」  鳥沢博士は言ったが、それだけでは不自然なように思えた。 「ふしぎな事件ですね。むろん、あなたは作者の新井君にも当って訊《き》いたのでしょうな。そして新井君はこの女のことを知らないと言ったのでしょうな?」 「いや、新井さんにはまだ当っていません。むろん、否定されるにきまっていますから」 「そりゃそうだ。もし新井君がそれを肯定したら大変なことになる。第一、デスマスクから取ったとなれば、あの彫刻は根底から価値を失い、作家的生命まで奪われるからね。まあ、あなたの立場もあるが、警察が宅間さんの死をそう断定したことだし、なるべく穏便に扱って下さいよ」  博士は、それだけ言って、彫刻のならぶ部屋を出口へ向って歩いた。    6  鳥沢博士が警視庁のいつもの会合に出たのは次の週だった。  ここでは鹿爪《しかつめ》らしい講話というのではなく、警部や警部補クラスが博士から世間話を聞いているような気軽さといってよかった。だが、そうした話の間、彼らには参考になることが多かったのである。  一時間半ぐらいでその日の話は終った。勤務の都合上、その人数は決っていなかったが、その日はわりと多かった。  博士は、鑑識課の石井《いしい》警部補を引き止めた。石井は、もう二十年近くも鑑識に腰を据えていて、現場で死体を見ると、ひと目で自他殺を識別するという四十五歳のベテランだった。 「石井君。いま、××展が開かれているんだが、君、行ってみたかね?」 「美術展ですか。ぼくは絵がわからないものですから、行っても駄目《だめ》なんです。どの展覧会ものぞいたことはありません」  石井は赭《あか》ら顔を笑わせた。 「××展は絵ばかりではない。彫刻も出している」 「どっちだってぼくにはおんなじです。彫刻のほうがよけいにわからないでしょう」 「ぼくは先週のぞいたがね、なかなか面白い彫刻があるよ」 「先生のように趣味の広いお方は羨《うらや》ましいですね」 「君もときどきのぞいたほうがいいよ」  石井は、鳥沢博士が前に犯罪学雑誌に載っていたミス・コーラミヤの事件について質問を出したとき、解答を寄せた一人である。死人の口辺についていた赤い色は、多分、死者が子癇をおこさないように飲んでいた一種の呪《まじな》いではないか、という答案を提出したのだ。つまり、赤い物質は民間療法薬のようなもので、たまたま死の直前、急激な苦痛に襲われたときそれを飲んだから、唇の周《まわ》りが赤くなったままに残ったのではないかというのである。 「少し奇妙な話を聞いて来たよ」  と、博士は言い出した。 「何ですか?」 「厚木に起った事件だがね」 「神奈川県警の管内ですね」 「そうだ。話というのはこうだがね」  と、博士は新井大助の「微笑」像のことにはふれずに、共福生命保険会社調査員の島上忠太郎から聞いた宅間添子の死のことを語った。 「なるほど。神奈川県警では過失死として扱い、処理済みになっているんですね」  警部補は聞き終ってから、はじめて煙草を口にくわえた。 「ドライアイスによる炭酸ガスの窒息死というのも珍しいケースだね。ほかにはまだ無いだろう?」 「ありませんね。全国から事故死の報告が警察庁に来て、そこでまとめたものをプリントして、ぼくらのところに回ってくるのですが、そのなかにはありません。ドライアイスとはまた現代的な事故例が出たものですね」 「どうだろう、君のほうから神奈川県警に問い合せて、そのことをもう少し詳しく教えてもらえないだろうかね?」 「とおっしゃるのは、それは過失死ではなく、自殺か他殺の疑いがあるとお考えになるのですか?」 「いや、そこまでははっきり考えてないがね、なにしろ珍しいケースで、興味があるんだ。神奈川県警から詳しいことを聞いてもらえないだろうかね?」  博士は、死者に保険金がからんでいることも、彫刻のこともふれなかった。石井警部補によけいな先入観を与えたくなかったからである。  警察の仕事は速い。石井警部補は、その翌々日、鳥沢博士の家に電話をかけてきた。 「一昨日《おととい》の厚木のお話ですが、大体、神奈川県警から事情を聴《き》きました。それについて、これからご報告にお伺いします」 「いや、君も忙しいから、わざわざ見えるにはおよびませんよ。こちらからぶらりと出向いてもかまいません」 「いいえ、そちらのほうを通る用事がありますので、ちょっとお邪魔さしていただきます」 「それは恐縮ですな」  博士の家は目白《めじろ》の高台にあった。電話が済んで二時間後、石井警部補は窓に一帯の街を見下ろす応接間に坐っていた。 「昨日、神奈川県警の鑑識の人と連絡することがあったのですが、そのときに先生から伺っていたあの話を聞きました。県警の鑑識ではそれを知っていましたので、かなり詳しいことがわかりました」  石井警部補は、そう前置きして話しだした。 「おっしゃるように、亡《な》くなった人は宅間添子さんといって二十六歳、厚木の町はずれにある桜アパートに部屋を借りていますが、それは亡くなる一年前からで、それまでは府中《ふちゆう》のほうに居ました。死亡は今年の七月十三日の朝で、発見者はアパートの管理人で、沢村庄太郎《さわむらしようたろう》さんという五十四歳の人です。その前に彼女のことを申しますと、実父は新潟県のほうに居て農業をいとなんでいます。彼女は東京の某女子大を出てから貿易商社に勤めたりなどしていましたが、どういうものか身を持ち崩《くず》して、ここ三年ぐらいは米兵のオンリーをしていました。現在の相手はリッチモンドという航空将校です。彼は彼女が死ぬ十日前にタイ国へ任務で出ています。リッチモンドと宅間添子の間は悪くはありません。ただ、彼は、彼女が金使いが荒いと言ってこぼしていたそうですが、それも喧嘩《けんか》するほどのことはなく、むしろ仲がよかったそうです。府中に居たときはほかの将校がついていたが、その男が帰国したので別れたのです……」  ここで警部補の話は、宅間添子のドライアイスの炭酸ガス発生による窒息死のことにふれたが、それは博士が保険の調査員島上から展覧会場で聞いたことと大差はなかった。だが、警部補は、それがかなり珍しいらしく、県警から聞いたことを詳しく話した。  宅間添子はリッチモンドから教えられて、毎日ドライアイスを部屋に置く癖があった。彼女は扇風機が生ぬるいと言って嫌《きら》い、ルームクーラーは音がうるさいからいやだと言っていたそうである。それに、人のしないことをやってみたいと言ってドライアイスを冷房用に使った。もっとも、部屋全体ではドライアイスの量を多く要するので四畳半に限っていた。寝るときもそれをベッドの周りに置いていたという。その量が次第にふえて、死ぬ日は三キログラムも買って来ていた。彼女は、それから炭酸ガスが発生して、窒息にまでいたるとは想像もしなかったらしい。  これまでは、かなりのドライアイスを使っても炭酸ガスの弊害はそれほどでもなかった。つまり、死の前に買った三キログラムがふだんより量が多かったのである。  石井警部補は、ここで、三キログラムのドライアイスから発生する炭酸ガスが空気中に約一〇パーセント分を占め、それは人命を損《そこな》うのに足る量であるということを説明した。鳥沢博士が保険の調査員から話を聞いたときに推定していたことと、その話ではあまり違わなかった。  さて、発見の模様はこうである。  十三日の朝九時ごろ、管理をしている沢村庄太郎が、彼女にかかってきた電話を報《し》らせに行った。このアパートは管理人室にしか電話がなく、入居者は電話をかけるにもそこに来なければならないし、外からかかってくれば沢村がいちいち部屋に報らせに行っていた。そのときに沢村が受けた電話は、前線から帰った兵隊がリッチモンドのことづけを彼女に話したいというのだった。  宅間添子は朝が遅い。いつも十時すぎでなければ起きないのだが、このときはリッチモンドからのことづけだというので、沢村も彼女を起しに部屋の前に行ったのである。ドアは内部から鍵《かぎ》がかかり、いくら叩《たた》いても応答がなかった。沢村は電話をいつまでも待たせておけないので、一時間後に電話をしてくれと相手に頼み、もう一度彼女の部屋の前に引き返している。  ふたたびドアを強く叩いたが、応《こた》えはなかった。沢村も変だと思い、外に回って出て、外部からその部屋の窓ガラスをのぞきこんだ。夏のことで、うすいカーテンに映ったのが彼女の寝姿だった。管理人はガラスを強く叩いた。  その音に、近くの部屋の岡島《おかじま》という勤人が顔を出した。沢村は、どうも宅間さんの様子がおかしいので中にはいりたいが、立ち会ってくれ、と岡島に頼んだ。  沢村は、そこに置いてある石で窓ガラスを四、五枚ぐらい叩き割った。そして手を突っこみ、中のねじこみ錠をはずしたのである。 「管理人が窓ガラスを四、五枚もいきなり割ったのかね。ははあ、ガス中毒と思ったんだね?」  博士は、ここで質問した。 「いいえ、そのアパートにはガスはないのです。新開地ですからガスが来てないのです。だから、各室はプロパンガスを使っています」  ガス中毒とは考えなかったが、管理人は宅間添子の様子が異常だと思ったので、窓ガラスを割ってはいることが真先《まつさき》だという観念があった。合鍵は持っていたが、それは自分の部屋まで取りに戻らなければならない。外に立っていたので、合鍵を取りに行き、さらに彼女のドアの前に回るには時間がかかると判断したからだという。  窓ガラスを割ったあと、沢村も自分の昂奮《こうふん》に気がついて傍《そば》に居た岡島に、あなたはわたしの家内に言って合鍵をもらい、ドアからはいって下さい、と頼んだ。岡島は、その通りにした。だから、彼女の死のベッドに近づいたのは沢村が真先であった。毛布をめくってパジャマから出ている手を握ると、彼女は冷たくなっていた。 「県警の話では、宅間添子の死顔はほほえんでいたといいます」  石井警部補は言った。 「ふむ……」  博士は微妙な表情をした。 「よほど愉《たの》しい夢でもみたまま窒息したのでしょうね。普通は炭酸ガスの中毒だから、そんな死顔にはならないはずですが、解剖によって彼女は睡眠薬を飲んでいたことが判《わか》りました。もちろん、睡眠薬は致死量ではありません。しかし、前後不覚の熟睡は考えられます」 「本人が自殺したということは考えられないのかね?」 「その論も一時はありましたが、やはりドライアイスから炭酸ガスが発生するとは知らないで、誤って死んだという意見に落ちついたそうです。遺書もありませんし、前の日も極《きわ》めて朗らかだったそうですから」 「それは誰かと話していたのかね?」 「管理人とです。彼女は米兵のオンリーだというところから、あまりアパートの入居者とは話をしなかったといいます。途《みち》で遇《あ》えば目礼ぐらいはしていたそうですが、自分が白い眼で見られているという引け目で大体、無愛想だったそうです。彼女は勝気なところがあって、その引け目から逆に高姿勢に出たところもあったようです。そのかわり、管理人の沢村夫婦とだけは親しく話していたそうです」 「生活のほうは、その兵隊からもらう金でやっていっていたのかね?」 「リッチモンドはすっかり添子に惚《ほ》れていて、給料のほとんどを出していたそうですからね。ま、女ひとりだし、生活は贅沢《ぜいたく》なほうだったそうです。県警の調べでは、月十二、三万円はもらっていたといいます」 「それじゃ、貯金もできていたんだろう?」 「ところが、十一カ月前から、彼女は生命保険にはいって月々三万円ぐらい掛金を払っていたそうです。二千万円の契約ですから、保険金としては制限いっぱいですね。受取人は、何十年か経《た》ったら自分のもの、その途中で死んだら父親のものというようになっていたそうです」  博士は知らぬ顔で聞いていた。 「その保険金のことで、新潟に居る宅間添子の父親と会社側とが、いま、面倒を起しているそうです。会社側は、契約事項の、一年未満の自殺には保険金を支払わないという条項を楯《たて》に取っているんです」 「しかし、彼女の場合は自殺ではないんだろう?」 「そうなんです。われわれは事故死とみているんですが、保険会社は自殺かもしれないという判断なんですね。会社としてはなるべくチェックしたいのでしょうね。ひとりで新潟の田舎《いなか》に居る父親は、娘が掛金を払っているのを知っているから納まらないんです。管理人の沢村のところに来て、保険会社のやり方に腹を立てて話しているそうです」 「新潟から父親が出て来て管理人のところに行っているのかね。それは彼女が死んだあとだろうな?」 「いや、前にも二、三度は沢村のところに来ていたそうですよ。それまでは父娘《おやこ》の間も往《ゆ》き来がなかったのですが、娘が保険契約書を送ってきてから父親もうれしくなったのでしょう。アパートに来て娘に遇ったり、管理人の沢村夫婦と話したりしていたそうです。泊ることはなかったそうですがね。娘が父親のくるのを嫌うものですから」  博士は聞きながら、保険会社調査員の島上の話と少し違うなと思った。島上の話では、父親は彼女の生前、娘に遇いに厚木のアパートに来たことはないと言っていた。しかし、それはまあ些細《ささい》なことで、石井警部補の話をさまたげるほどでもなかった。  あとの警部補の話は島上の言ったことと同じであった。 「宅間添子がそんな生命保険を自分にかけたのも、自分は勝手なことをしてきているので、せめて死んでからの親孝行をしたいというのですね。実父にも相談無しにやったことだそうです」 「なるほど」 「そのくせ、彼女は父親とは気が合わないのですね。日ごろから手紙もろくに出したことはないそうです。父親のほうも、彼女が保険契約書を送ってきてから二、三度新潟から出てきてアパートに来たが、彼女はそれを嫌っていたそうです。添子は父親に小遣《こづか》いをいくらかやって追い返すようにしていたといいます。これは管理人の沢村の話だそうですが……」  その添子の心理は博士にもわからなくはなかった。 「その父親というのは、新潟の田舎で細々と百姓をやっているんですが、貧乏しているそうです。添子は、そんな保険をかけているくせに父親には仕送りもしてなかったんです。だから、父親が娘の死後、二千万円の保険金が取れるか取れないかで躍起《やつき》になっているのはよくわかります」  島上が言った新井大助作「微笑」像と宅間添子の死との関連が、警部補の話にはなかなか出てこなかった。さっき、ちらりと死顔の微笑のことが洩《も》れるには洩れたが。 「そのほか、現場に不審なことはなかったのかね?」 「いや、それは何もないそうです。ドライアイスの残りがあったほかはべつに……」  と、ここまで言いかけて、警部補は思い出したように言った。 「ただ管理人に言われて合鍵を取りに行き、ドアからはいった岡島という男の話では、彼女の部屋の中に何となく甘い匂《にお》いがしていたと言っていました」 「甘い匂い?」 「ええ。それも気のせいかと思われるくらい微《かす》かなもので、本人も、あるいは思い違いかもしれないと言っていました。事実、部屋の中には甘いものは何もなかったのですからね」 「炭酸ガスは無臭だからね」 「そうです。といって、プロパンガスの中毒でもありません」 「プロパンガスだって?」 「ええ。さっきも申しあげたように、そこにはガスの配管がないのでプロパンガスを使っています。もちろん、プロパンガスで中毒することはないんですが、炭酸ガスと言われたので、ちょっと言ってみただけです……」 「そのプロパンガスはキチンの隅《すみ》に取り付けてあるのかね?」 「いいえ、建物の外です。管理人の話だと、宅間添子が死ぬ前の日に新しいのと取り替えたのだそうです。実際、ボンベの内容も使用量がわずかでした。これは事件とは関係ないですがね」 「さっき甘い匂いと言ったが、甘いのにもいろいろある。どんな種類の甘さだったんだろうな?」 「なんだか、砂糖の匂いのようなものだったそうです。しかし、台所には砂糖を使った煮物のようなものもなく、その岡島という人の思い違いでしょう」  警部補は、ここで話をつけ加えたが、これは博士を、飛び上がるほどおどろかせた。 「先生。その宅間添子の死顔がほほえんでいたということを言いましたね。そのことですが、管理人の沢村は、あんまりその顔が平和なので、岡島にカメラで死顔を写してくれと頼んだそうです。そして、岡島がその通りに写真を何枚も撮《と》ったんだそうです。なんでも、電報を見て新潟から父親が出てくるのには時間がかかるし、それまでに死顔の静かな微笑が崩《くず》れるかもしれない、せめてその写真を父親に見せてやりたいという親切からだそうです」    7  博士の頭に、新井大助作の「微笑」像がひろがったのはいうまでもない。 「君、もう一度|訊《き》くがね、管理人に頼まれた岡島が死顔を撮影したのは警察が到着しない前だったというんだね?」 「はあ、そうです」  と、石井警部補はまだわりあいとのんきだった。 「なにしろ、亡くなった宅間添子がひどく和《なご》やかな微笑を浮べているので、親御《おやご》さんに写真で見せたいという親切心です。親御さんが新潟から来たとき、死顔からせっかくのほほえみが崩れてはいけないというわけですね」 「それは死んだ宅間添子を診《み》た医者が、まだそこに居るときかね?」 「いいえ。その医者がこれは警察に知らせたほうがいいと言って帰ったあと、警察がくるまでの四十分ぐらいの間だったそうです。管理人はよく気がついたものですね」 「管理人の親切はいいとして、その岡島という人が撮った写真はどうなっているのかな?」 「それはちゃんと新潟から出てきた父親に渡したと言っています」 「神奈川県警では、その写真を見ているのかね?」 「いいえ。見てもいないし、取り上げてもいません。警察がそれを取り上げる理由もありませんからね」 「写真は何枚も写したというが、死者の父親に渡したほかに何枚かは岡島が残していただろうね?」 「さあ。あるいは、こっそり残しているかもわかりませんね。しかし、他人の死顔写真はやはり気持が悪いから持っていないかもしれませんね」  博士は、そんなことを考えているのではなかった。その岡島の写真から新井大助があの「微笑」像をつくったのではないかと想像しているのである。保険の調査員は、新井の「微笑」像は実際の人間から型を取ったのだという彫刻家仲間の噂《うわさ》を聞かせた。また、アパートの人間が「微笑」像を展覧会場に見に行って、宅間添子の顔とそっくりだと言ったことも話した。岡島の写真が新井の手に渡り、それを見て新井があの彫像を仕上げたとすれば、岡島と新井はかねてから知人関係にあったことになる。  そうなると、こういう想像ができそうである。——  新井大助が法隆寺で熱っぽく語ったことでもわかる通り、彼は飛鳥仏《あすかぶつ》の微笑に惹《ひ》かれ、いつかはああいうものを自分の彫刻に表現したいと念願していた。岡島という男が新井の友人なら岡島もまた彼の芸術的欲望を知っていたに違いない。そこで岡島は、宅間添子の死顔の微笑を撮影して、そこに新井大助の欲する表情を発見した。もちろん宅間添子の死は彼女自身の過失によるもので、偶然である。また岡島が管理人にその撮影を頼まれたことも偶然である。つまり、岡島の意志は宅間添子の死の上には何も働いていないのだ。  しかし、死者を撮《と》ったあと、岡島がその写真を新井大助に見せることはあり得るだろう。岡島が新井と親しかったとすれば、彼は日ごろから新井に「|古拙の笑い《アーケイツク・スマイル》」の魅力を聞かされ、また、法隆寺の釈迦三尊《しやかさんぞん》、薬師如来、夢殿|観音《かんのん》、安居院《あんごいん》の飛鳥大仏などの写真を見せられているだろう。これらの仏像写真から岡島は偶然にも容易に宅間添子の死の微笑に新井の欲するものを見ることができたに違いない。  しかし、その死顔写真を手本にしただけで、あの「微笑」像がつくれるものだろうか。新井大助はそれほどの腕を持っていたのか。—— 「君、その岡島という人の職業は何だね?」  博士は思案を変えるように煙草を口からはなして訊いた。 「勤人だそうです。まだ独身だそうですがね。なんでも、広告代理店に勤めているとか聞きましたが……」  広告代理業はデザインと関係が深いから、絵描《えか》きや彫刻家とも接触があるだろう。そのへんから岡島と新井大助とが知合いということも考えられないではなかった。博士の気持はやや昂《たかぶ》ってきた。 「もう少し、その岡島という人のことで詳しくわからないかね?」 「なにしろ、このことは神奈川県警で処理していますので、警視庁としては全くタッチしていないのです。ぼくのほうは県警の話の受売りですから、いまはこれ以上のことはわかりません。……しかし、先生、その岡島という男が宅間添子の死に何か関連があるとお考えになるのですか?」  石井警部補は、法医学の老大家の顔をじっと見た。 「いや、そういうわけではないがね」  博士は、新井大助の「微笑」像のことを、いま、警部補に言ったものかどうか迷った。こんなことで新井にあらぬ嫌疑《けんぎ》をかけさせたくない気持がある。法隆寺の暗い内陣で仏像を一緒に眺《なが》めたことを思うと、かりそめの仏縁といったものも考えぬではない。また、これまで不遇だった新井が、今度の出品作で好評を得ているのに、わざわざそれに暗い影を与えたくはなかった。展覧会場で見た新井の歓《よろこ》びに溢《あふ》れた顔や言葉を思い出すと、あの幸福を崩したくない気持である。額に汗をにじませ芸術家らしく情熱的にしゃべっていた新井大助の人柄を博士も好ましいとみた。  しかし、一方では、不明の事実をそのままにしておけない気持も強かった。長い間、事実の探究に従ってきた科学者の癖が博士にはまだ残っていたのである。  石井警部補は、鳥沢博士がやや気むずかしい顔で煙草を吸っているので、話の接《つ》ぎ穂を失ったかたちだが、その所在ない気まずさを救うように、遠慮そうに言った。 「先生、この話を聞いたとき、ぼくは、先日先生から伺ったアメリカの事件例を思い出しましたよ。ほら、ミス・コーラミヤとかいう娘の……」 「ミス・コーラミヤがどうしたというのかね?」  博士は不機嫌に見える自分の顔に気づいて眼もとを笑わせた。博士にも、さきほどからその事件例と宅間添子の死との何かの相似性が頭の中に流れている。 「先生から伺った話では、ミス・コーラミヤは子癇《しかん》で亡くなったが、その顔には微笑が浮んでいたということでしたね。もっとも、それは筋肉の硬直による表情ですが、宅間添子の場合も顔に微笑があった。死者の微笑という点では、両方ともおんなじです。それが先生のお話を思い出させたんです。それからもう一つ、ミス・コーラミヤの口辺には赤い物質がついていた。先生から出された設問は難問でしたが、ぼくはそれについて、病気を癒《なお》したい何かの呪《まじな》いだという答案を書きました。あれは苦し紛れですが、今度の宅間添子の場合は、その部屋に甘い匂いがしていたと岡島が言っています。赤い物質と甘い匂いとは全く違いますが、もし甘い匂いが彼の錯覚でなかったら、得体の知れないことではミス・コーラミヤの赤い物質とちょっと似ていると思うんです」 「なるほどね」  博士は、今まで微笑という点だけを考えていたが、そうか、そういう見方もあると思った。警部補はミス・コーラミヤの口辺の赤い物質の答えに悩まされたので、その印象が強く、甘い匂いに結びついたのかもしれない。宅間添子の部屋には甘い匂いを立てる物体が何も無かったという。 「しかし、ぼくが話したアメリカの犯罪学雑誌の事例を、厚木のアパートで死んだ女にあんまり結んで考えないほうがいいね。どうも、あの話は余計なことだった」  余計なことといえば、自分にも止利《とり》様式の仏像を見に行く途中であれを読んだことが必要以上に強い印象となった。ふだん書斎で読んでいたら、すぐ忘れてしまうような記事であった。したがって警視庁の集まりに行ってそれを話すこともなかったであろう。 「先生、実は昨日会った神奈川県警の鑑識の人に、宅間添子の死顔の写真を複写してもらうように頼んであるんです」  石井警部補は言った。 「なに、写真を?」 「はい、行政解剖をしていますから、警察では当然死体の写真を撮《と》っているんです。ぼくも死者がどんな微笑をしているか見ておきたいと思いましてね」  博士は、すぐ返事をしなかった。先ほど岡島の撮った写真は警察で取り上げなかったと聞いたが、実は警察の手で死者の顔の撮影はしてあったのだ。そうなると彫刻の「微笑」像にふれないわけにはいかない。もし石井警部補がもっと興味を抱《いだ》けば、展覧会の「微笑」像のことや、新井大助のことを探り出してくるだろう。それを知っていて何も言わなかった自分の立場が奇妙なものになる。——博士は、少し落ちつかなくなってきた。  しかし、鳥沢博士は警部補の前にとうとう告白しなかった。やはり、新井大助に迷惑がかかるのをおそれたのである。警部補があとで調べて事情を知ってくれば、そのときのことだと思った。これは何も犯罪事件ときまったわけのものでもない。これ以上の余計な口出しは控えることにした。それでなくとも少し興味を持ちすぎたのである。 「神奈川県警からの、解剖のときに撮った写真が回って来ましたら、先生にすぐお届けに参ります」  と、石井警部補は博士に言った。 「そうかね。じゃ、参考のために見せてもらおうかな」  博士は、わざと気乗りを見せないで言ったが、実はぜひ見たいところだった。その写真さえ一見したら、新井大助の「微笑」像が宅間添子の顔かどうか、たちまち明確になる。  警部補は、その約束を二日後に実行した。わざわざ使いを寄越して写真を届けたのである。当人がこないのは、警部補がまだこの写真と彫刻家の新井大助との関係を知らずにいるものと思えた。もし知っていれば、警部補はいろいろなことをここに聴《き》きに来るはずだ。  博士は、封筒を破って写真をとり出した瞬間、さすがに声を呑《の》んだ。予期していたものの、あまりにも彫刻の顔そっくりである。いや、彫刻の写真を見ているようなものだった。  額から眉《まゆ》、眼、鼻、そして微笑を含んでいる口もと、何から何までその死顔は新井大助のつくった彫刻と寸分も違わない。ただ、写真では眼を閉じているだけだ、彫刻は半眼だったが、それもわずかに瞼《まぶた》が下方に隙《すき》をつくっているだけで、ほとんど写真と変りなかった。ことに、謎《なぞ》のような微笑を浮べている唇《くちびる》は、それが実物写真だけに彫刻にもない迫力があった。常から屍体《したい》写真を見馴《な》れている博士も、これには不気味さを覚えた。石膏《せつこう》彫刻だと、その微笑が白い中に美化されているが、写真ではどす黒い写実がナマに出ているので気持が悪かった。  それにしても、この宅間添子という女は、まったく止利様式の微笑をそのまま伝えているといえる。四、五枚のその写真は、仰向いた死顔の正面、斜め、側面とさまざまな角度と部分で撮られていた。その眼は瞼を伏せているので止利様式の杏仁形《きようにんがた》とは言いがたいにしても、尖《とが》った鼻梁《びりよう》と、肥《こ》えた鼻翼、深い鼻溝《はなみぞ》、仰月形の厚い唇——まるで止利作の仏頭をこの世の人間につくり替えたとしか思えないくらいだった。博士は呆《あき》れて、しばらく写真が手から放せなかった。  さらに二日おいて、石井警部補から速達の手紙が来た。  警部補は、急に事件が起って、そのほうの捜査にかからなければならないのでお伺いすることはできない、しかし、その後神奈川県警から例のことで詳しい話を聞いたので、とりあえず手紙でご報告する、先日お手もとにお届けした写真と共に何かのご参考になれば幸甚《こうじん》です、とあった。  手紙の中には、宅間添子の住んでいた桜アパートの管理人沢村庄太郎と、沢村から頼まれて死人の顔を撮影したという岡島のこと、さらに添子の実父のことが書かれてあった。添子の実父のことは新潟県警に問い合せて、地元署の調べによるとあった。  まず、管理人の沢村庄太郎について—— 「……沢村は本年五十四歳で、妻は春子《はるこ》といって五十歳になります。夫婦の間には子供は居ません。沢村は信州の生れで、もとはその地方で相当な農家だったが沢村が三十五、六歳のころ土地を売って東京に出てきました。農業が嫌《きら》いだったのと、何か商売をしてひと儲《もう》けしようとしたのだといいます。しかし、どれもうまくゆかず、十年後には職業を変え、人に雇われてきました。今の桜アパートには五年前から管理人となって住みこみました。所有主は杉並の馬橋《まばし》に住む黒坂源一《くろさかげんいち》という建築業者で、アパートは建て主が金の支払いに窮したため抵当《かた》に取ったものです。沢村夫婦は世話焼きで、アパートの居住者には大体好評のようです。また彼はこまめに動くほうで、アパートの痛んだ所は自分で修理したり、居住者に頼まれて便利なように部屋の模様変えなどして、ちょっとした便利大工のようなことをやっているそうです。  宅間添子の顔写真を撮影した岡島|初雄《はつお》は、二十七歳の独身です。宅間添子の居る部屋とは二室離れた部屋に居て、自炊《じすい》をしています。銀座にあるH広告代理店に五年勤めています。成績は悪くなく、やがて係長になる人だということです。カメラ狂で、出張には必ずカメラを持参し、懸賞にもよく応募しているということですが、かなりの腕だそうです。岡島と宅間添子の間はまったく没交渉で、途中で遇《あ》うと黙礼を交《か》わす程度だそうです。大体、宅間添子は米兵のオンリーという引け目から隣近所のつき合いはせず、かなり高慢な態度だったようです。また、彼女の部屋は他の部屋と格段の違いで、調度にしても、電気器具にしても高価なものを揃《そろ》えています。  この岡島は、やはり管理人の沢村から頼まれて宅間添子の死顔を写しただけで、プリントはみんな沢村に渡し、ネガは棄《す》ててしまったと言っています。やはり死人の写真がうす気味悪いからだそうです。例の甘い匂《にお》いは、はっきりしたことは言えず、あるいは錯覚かもしれないと言っているそうです。  宅間添子の実父宅間|平造《へいぞう》は六十七歳で、新潟県の新発田《しばた》の田舎《いなか》で、ひとり農業をしています。妻には五年前に死に別れています。子供は添子のほかに長男が居ましたが、これは十年前に死亡しています。添子は土地の学校の成績もよく、高校の教師がすすめて東京の某女子大にはいらせた。平造は今でもそれを悔んでいるということですが、女子大を出た彼女は英語が得意なところから、横浜《よこはま》の貿易商社に勤めました。そのときの恋愛が破れたのがきっかけで、遂《つい》に米兵のオンリーという生活に堕《お》ちてしまい、以後は父親の平造とも音信が途切《とぎ》れてしまいました。平造が添子が死んだも同然と諦《あきら》めていたところ、死ぬ十一カ月ぐらい前に、突然、彼女から二千万円の生命保険証書が送られ、自分の死後はこの保険金を受け取ってくれと添子の手紙がありました。平造は、その保険金額の大きいのにおどろきましたが、同時に、添子がまだ父親をいくらかでも思っていることを知って急に懐《なつ》かしくなり、その手紙にある住所の桜アパートに訪《たず》ねて行ったそうです。  ところが、添子は冷淡で、そんな父親にろくに会おうともしなかったのです。だが、平造のほうでは、年とって老い先が短いのと、娘恋しさで、冷淡にあしらわれるとは知りながら、その後も二回ぐらい新潟県から上京してアパートに行っています。そのとき平造は娘に相手にされないので、管理人の沢村のところに寄っていろいろと愚痴《ぐち》まじりの話をしたと言っています。平造によれば、管理人の沢村は非常に親切な人で、平造に同情して、自分から添子を説得してあげると言って慰めていたそうです。平造は管理人の沢村夫婦を、とてもいい人だとほめているということです」  神奈川県警から再度詳しい話を聞いた石井警部補の報告には、まだ新井大助の彫刻は出てこなかった。これは警察が、その後、桜アパートの調査に来ていない証拠である。来ていれば、保険会社とのトラブルのことも、新井の「微笑」像のことも判るのであるから、それが書かれていなければならないはずだ。    8  鳥沢博士は、朝十時ごろに家を出て新宿から小田急《おだきゆう》に乗った。  用のない身体だが、近ごろは散歩に出るのも億劫《おつくう》だった。ときどき遠い土地から講演を頼まれることがあるが、いっさい断わっている。よほど自分の好きな旅、たとえば、この前に奈良に行ったような気儘《きまま》な旅行以外は、どこにも出かけたくなかった。長い間忙しい仕事をしてきたあとの身体は怠惰な愉《たの》しみを望んでいる。月に二回か三回、例のきまりで警視庁に顔を出すが、ついぞ銀座を回るということもなかった。  それがどうしたはずみか小田急の電車に腰を下ろしたのである。自分では少々遠い散歩のつもりだったが、やはり、この前からつづいている「微笑」像にまつわる出来事が奮発させたのだろう。  電車が多摩川《たまがわ》を渡ると、東京を振り切って出たという感じがする。西のほうから山が迫ってくる。駅も新開地らしい気分をもっていた。  博士は厚木駅で降りた。駅前の賑《にぎ》やかさは、とんと山手線《やまのてせん》のどこかの駅と変りはなかった。博士は待っているタクシーに乗った。 「はじめて来たのだがね、運転手さん、こういう土地を知らないか?」  と、博士は手帳を見て名前を言った。桜アパートの住所である。  博士は、窓から初めて見る厚木の風景を眺《なが》めながら、自分の気持に戸惑いを感じていた。べつに桜アパートを訪ねようとして来たわけではない。また漫然たる散歩でもない。いわば「微笑」像のモデルが住んで居たというアパートをそれとなくひと目見たいという軽い気持からだが、アパートを観察してどうするというのでもなかった。そんなことで、この前からつづいている疑問が解決できるはずでもなく、その手がかりを求めて来たわけでもなかった。強《し》いて言えば、好奇心ともいえない弥次馬《やじうま》根性のようなものだった。それだけに、あの「微笑」像のことが心に残っている自分が子供じみて見えた。  厚木は米軍の空軍基地で有名なので、街の風景もさぞかし横須賀《よこすか》で見るような横文字の看板の商店がならんでいるかと思ったが、それはなかった。ただ普通の町にすぎない。近年は、むしろ東京のベッドタウンとしての発展を遂げているようであった。  タクシーは短い一筋町の賑やかな通りをすぐに駆け抜けた。あとは淋《さび》しい家なみとなり、それも途切れがちになると、川沿いの坂道を下りたり上ったりした。川はやや幅広く、地面を深く刻んでいた。 「中津川《なかつがわ》です。この少し先から中津川渓谷になりますよ」  運転手が説明した。名前は聞いていたが、見るのははじめてであった。この先には吊橋《つりばし》もかかっていると運転手は言った。 「運転手さん、この辺の人かね?」 「お客さんがこれから行きなさる近くですよ」  それなら、この運転手は桜アパートも知っているはずである。博士は、よほどアパートについての噂《うわさ》を聞いてみようと思ったが、我慢した。自分の様子で初めてこの土地に来た人間だと運転手にはわかっている。その人間が桜アパートの居住者の死を根掘り葉掘り訊《き》いていたと、あとで噂になっては困るのである。だが、運転手の注意をひかない程度には聞き出したい気持は動いた。  川沿いの光景がちょっと異なってきた。厚木をはなれてからは古い村の面影《おもかげ》がつづいていたが突然、変った町が前面にあらわれた。洋風の建物が集まり、赤や青の屋根が派手に見えている。 「あすこがお客さんの言われた所ですが、どこに着けますか?」  運転手が徐行に移って背中越しに訊いた。 「桜アパートというんだがね」 「桜アパートなら、その三つ角を左にはいったとこですよ」 「そうかね。しかし、近くに用事があるのでアパートの前に停《と》めることもない。その三つ角で降ろしてもらおうか。あとは歩いてゆく」 「そうですか。車はその前まではいるんですがね」 「いや、いい」  さりげなく観察するには、アパートの前をぶらぶらと歩いたほうがよかった。車を傍《そば》で停めると、近所の眼が集まりそうであった。  通りの店も米兵相手のものがふえてきた。小さなバア、スーベニール・ショップ(土産《みやげ》物屋《ものや》)、安物の婦人服店、雑貨屋といった店がならび、屋根の上に横文字の看板が突き出ていた。 「この辺は米兵の宿舎でも近いのかね?」 「基地がそう遠くないからね、兵隊が遊びにやってくるんです。この辺の百姓家で、俄《にわ》かに家を改造してパンパン宿になっているところもあるんです。ひと頃ほどさかんではないが、今でもそんな家がちらばっていますよ。それ専門の安アパートもあります」 「この辺のアパートはほとんど、そういう種類のものかね?」 「いいえ、それはほんの一、二軒です。そこの先にある桜アパートなどは高級なほうで、都心に通うちゃんとしたサラリーマンが住んでいます。もっとも、この前、アメちゃんのオンリーだった女がその部屋で急死しましたけどね」  桜アパートの宅間添子の話が出たので博士は話を聞くきっかけを見いだしたが、運転手がドアを開《あ》けたので降りないわけにはゆかなかった。 「運転手さん。帰りも乗るから、この辺で待っていてくれたまえ、すぐ戻ってくるから」  降りた所はこの新しい町の中心らしく、スーパーマーケットもあれば、肉屋、魚屋、八百屋《やおや》といったものがならんでいた。米兵の姿は見えなかったが、ひと目でそれとわかる若い女が派手な模様の洋服に素足のサンダルばきでぶらぶらと歩いていた。昼間の彼女らの顔は蒼《あお》く、腫《は》れぼったい眼をしていた。  変った容貌《ようぼう》を持つ宅間添子も、こんな素顔をしていたのだろうかと博士は思った。  桜アパートは坂道の途中にあった。三階建ての新しい建物である。都内で見かけるのと少しもちがわない鉄筋の近代的なスタイルで、背後に深い緑の山林をもっているだけ一段と西欧風に見えた。各階には外から出入りできるような階段がついている。博士は、宅間添子の部屋はどのあたりだったろうかと、心当りにそれとなく眺めながら歩いた。午後一時の昼さがりの中には人影がなかった。  しかし、建物をじろじろ見ながら歩いている老人を家の中から誰が見ているかわからないと博士は思ったので、一旦《いつたん》、そこを通りすぎた。が、すぐに家は尽きて、路《みち》も急に細くなって山の間にはいっている。博士はそこから引き返した。もう一度桜アパートの前を下ったが、やはり人が居なかった。博士は、もしや管理人の沢村庄太郎くらいには遇《あ》えるかもしれないと思ったが、それらしい男の姿もなかった。まあ、それでよかった。なまじっか顔を合わせないほうがよかった、と思ったが、もとの三つ角に近づいたころ、やはり物足りなさを覚えた。せっかくここまで来たことだ。桜アパートの建物を外から見て帰るだけでは、いかにも不満であった。ここに来たのがまんざら無目的でもなかったので味気なくなったが、さりとて管理人を訪ねるほど奇矯《ききよう》な行動にも出られなかった。  三つ角にはタクシーが待っていたが、運転手は若い男と車の傍で立ち話をしていた。相手の男はベレー帽を被《かぶ》り、粗《あら》い格子縞《こうしじま》のシャツに青色のズボンをつけていた。運転手は戻ってくる客の姿を見て、じゃ、また、というように、その男との話を打ち切った。 「お客さん、えらく早く用事が済みましたね。先方は留守だったんですか?」  運転手は元の道に戻りながら話しかけた。 「ああ、あいにくとね」 「せっかくここまでいらして残念ですね」 「残念だ。急に訪ねて来たんでね。前もって報《し》らせなかったのが悪かったよ」  博士はそこまで言って、さっき、この運転手と話をしていたベレー帽の姿がどうやら芸術家みたいな風采《ふうさい》だったのを思い出して訊いてみた。 「ええ、あの男は彫刻家ですよ」  運転手はハンドルを動かしながら答えた。 「なに、彫刻家?」 「ええ、ぼくの居る所はすぐそこですがね……」  と、運転手は顔を右に向けて顎《あご》を動かした。畑の向うに、ひとかたまりの屋根があった。 「あの近所に住んで居るんです」  博士は思わず座席の上で尻《しり》を動かした。桜アパートの近くに若い彫刻家が住んで居るというのだ。新井大助のことに思い当らないほうが不自然だった。 「有望な彫刻家かね?」 「さあ、どうかな。口では大きなことを言っていますがね。窪田亀一《くぼたかめいち》というんです。あんな恰好《かつこう》をしていて、いかにも芸術家を気取っていますよ」 「その人、彫刻の仕事で食えるのかね?」 「とんでもない。親のスネかじりです。親が土地を持っているので、ひとり息子の彼を甘やかしているんです。仲間が東京からくると飯を食わしたり酒を出したりしてね、親のほうが息子のために連中をもてなしていますよ」 「その友だちの中に新井君というのは来ないかね? 君が近所なら知っているかもしれないが」 「新井さんですか。ええ、よくやって来ますよ。なんでも、今度はじめて上野《うえの》の展覧会に入選したといって、窪田君もだいぶショックのようですが。……お客さんは新井さんを知っているんですか?」 「いや、それほど知ってるわけではないがね、展覧会の初入選の中にそんな名前があったのでね」  博士は誤魔化《ごまか》したが、新井大助が宅間添子の住んで居た桜アパートの近くに友だちを訪ねて来ていた事実は、胸をどきんとさせるに十分だった。これまでの警察の報告では、新井大助と桜アパートとは何のつながりもなかったことになっている。 「新井君は、日ごろから窪田君の家にしげしげとやって来ていたのかね?」 「新井さんだけじゃありません。ああいう髪の長い連中が、よく遊びに来ていましたよ。なにしろ、窪田君のところにくれば飯も酒もあるし、喜んで泊めてくれますからね」 「若い人はいいね……」  と、博士は探りを入れた。 「そういう仲間の集まりだと、モデルさんなど若い女のひともくるんだろうね。君は近所なら、そういうところも見ているんだろう?」 「いや、それが女の子は全然来ていませんね。男ばかりでしたよ。その点は窪田君も親がかりですから遠慮していたようです」  では、宅間添子は若い芸術家の家に来ていなかったのか。せっかく見つかった彼女と新井大助を結ぶ線はここで途切《とぎ》れた。  博士はしばらく黙ったが、厚木の駅近くになったので思い切って質問の要点を変えた。 「さっき君は、桜アパートで若い女、つまり米兵の相手をしていた女が急に死んだと言ったね。それ、何か事件でもあったのかね?」 「事件じゃありません。なんでも、そのオンリーはドライアイスをいっぱい買って来て部屋に置いたんだそうですが、睡《ねむ》っている間にドライアイスから炭酸ガスが発生して窒息したということです。ちょっと珍しいでしょう。新聞にも小さく出ていましたよ。まさかドライアイスで死ぬとは誰も思いませんからね」 「そうだね、意外だな。……君は、その女性を見たことがあるの?」 「残念ながら、一度も見たことはありません。あんまり人づき合いはしなかったそうです。ただ、管理人の沢村のおやじさんとだけは打ちとけていたそうですがね。沢村は器用なおやじだから、彼女の部屋には何かとよく世話をしていましたよ。死ぬ前の日だったか、沢村のおやじさんは彼女の部屋のプロパンガスが切れたため、自転車でボンベの取替えに街に行ったくらいですからね」 「この辺はガスがないんだね?」 「ええ。不便な所ですよ。町だけはカッコいいですがね」  鳥沢博士は、厚木の町はずれに桜アパートを見に行って疲れて戻った。だが、行っただけの甲斐《かい》はないでもなかった。  今まで新井大助は桜アパートとも縁がなく、また死んだ宅間添子とも縁がなかったと思っていたが、あの近所に居るタクシーの運転手の話だと、近くに住む彫刻家仲間の家へ新井はたびたび遊びに行っていたのである。もっとも、その家に宅間添子は来ていなかったらしいが、新井がその窪田という友だちの家に行っている以上、同じ土地で、宅間添子を見かけなかったとはいえない。にわかづくりのアメリカ村になったような狭い場所である。通りなどで彼女と擦《す》れ違ったり歩いているのを見かけたりはしたであろう。あの変った容貌をもっている女に新井の眼が注いだということは十分に考えられる。ことに、彼女の微笑をどこかで見て止利《とり》様式のそれに似ていることを発見したら、彼の「芸術的衝動」を掻《か》き立てずにはおかなかったろう。あれほど止利様式の微笑に熱狂的になっている男だ。絶好のモデルを見いだした彼が添子に強く惹《ひ》かれたであろうことは想像できる。  そこまでの推察はまとまったが、それから先の組立てに博士は行き詰った。警察の言葉を信頼すれば、宅間添子と新井との関係は具体的には何も出てこないのである。もっとも、それは石井警部補が神奈川県警から最初の報告を聞いた限りであって、その後、県警がその事故死について再調査をしていないようであるから話は完全とはいえない。だが、それにしても普通の病死ではなく、炭酸ガスによる窒息という事故死だし、現に行政解剖までやっているのだから、彼女の生前の環境について警察でもある程度の調べはしているはずだ。その調査に新井の影が出てこなかったというのは、彼女と新井の交渉がなかったということになる。  博士は、この新事実を石井警部補に報らせて、もう一度詳しい調査を勧めようかと思った。しかし、今のところ、これには犯罪の臭《にお》いが全くないのだから、余計なことをするようである。また、そんな探索からあらぬ嫌疑《けんぎ》が好漢新井大助にかかっても気の毒だ。  しかし、あの「微笑」像が宅間添子の死顔そのままであること、いいかえると、デスマスクから型を取ったという想像がますます強くなっている今、このままでは放っておけないような気がした。真相をわからないままにしておくことが博士の気持を落ちつかなくさせるのである。  鳥沢博士は、新井大助がたとえ岡島の撮影した添子の死顔写真を手本にあの「微笑」像をつくったとしても、どうもそれだけではないと考えるようになっていた。それまであまり上手《じようず》でなかった彫刻家が、突然変異的にあれだけ見事な作品をつくるとは信じられないのである。芸術が時としてその作家の実力以上のものを創造させることはある。しかし、それにはそれなりの基礎と可能性があるのだ。が、新井大助にはその可能性がないように思われる。  それに、何よりも「微笑」像は実際の人間の顔の大きさである。等身大よりも大きくもなく小さくもない。そして心憎いまでの写実的な技術。彫刻家仲間での、あれはデスマスクから取ったのだという噂を博士も信じたくなっていた。——  そうなると、風変りな微笑をもつ宅間添子の事故死と彼の作品との間にはどのような因果関係が潜在していたか、とだれしも疑いたくなる。新井大助が「古拙の笑い」に異常な情熱を持っているだけに、うす気味悪いのである。  なか二日おいて、石井警部補から速達が来たとき、博士は心をはずませて封を切った。 「とり急ぎお報らせいたします。例の件について神奈川県警で再調査したところ、新しい事実が判《わか》りました。それは新井大助という若い彫刻家が浮んできたことです。なんでも、新井は死んだ宅間添子の顔そっくりの彫刻を目下開催中の展覧会に入選作として出品しています。桜アパートの人が彼女が契約した生命保険の調査員に教えられて展覧会を見に行ったところ、その彫刻の顔がまったく彼女と瓜《うり》二つなのにびっくりしたそうです。  そこで警察では新井を参考人として事情を聞いたところ、新井は、桜アパートの近所に友人の彫刻家が住んでいるので、たびたびそこに遊びに行くうち、外出中の宅間添子を見かけ、ぜひ自分の彫刻のモデルにしたくて、一度は路傍でそのことを頼んだが、断わられた。しかし、新井はどうしても諦《あきら》められず、彼女が桜アパートに住んで居ることを知ると、管理人の沢村庄太郎に彼女が承知してくれるように頼み、また、それが不可能なら彼女の居る隣室が空《あ》いているので、そこに部屋を借りたいと申しこんだそうです。しかし、管理人の沢村の供述によれば、新井があまり熱心なので気味が悪くなり、不測の事件でも起ってはと、心配したのと、部屋代が高いので支払いのほうが不安なのとで、断わったそうです。新井は、それをひどく残念がっていたそうです……」    9  石井警部補の手紙を読んで鳥沢博士は、新井大助と宅間添子の人間関係の存在を知った。  すなわち、新井大助は友人窪田亀一の厚木の家に遊びに行っているうち、近くの桜アパートに住む彼女を途中で見かけ、彼女の顔に「芸術的衝動」を覚え、モデルになってくれるように頼んだことがあるというのである。のみならず、新井は彼女からそれを拒絶されると、今度は桜アパートの管理人沢村庄太郎のもとに行き、宅間添子の隣室の空部屋《あきべや》に引っ越したいと申しこんでいる。だが、これは沢村が新井大助の貧乏ぶりを見て部屋代の支払いに不安を感じて断わったという。  とにかく、こうして新井大助・宅間添子という人間関係の線は成立している。  また、新井大助と場所のつながりも完全である。宅間添子の住む近くには新井の友人窪田亀一が居住し、新井はしばしばそこに行っているのであるから、新井大助・宅間添子のほかに、宅間添子・窪田亀一・沢村庄太郎(桜アパートの管理人)という傍系の人間関係の線も成立するのである。  博士は、石井警部補がこういう速達を寄越す以上、すでに宅間添子の死に疑惑を抱いて目下その捜査を開始しているのだと思った。警部補自身が来ないで手紙だけを寄越すのが、何よりそのことを証明しているようであった。  博士は、この間電車で厚木に行って眺《なが》めて通った桜アパートの外景を眼に浮べた。すると、あのときはずいぶん無意味な遠出の散歩だと思っていたが、今にして思うと、その家を自分の眼で実際に見たことが、どれだけこの事件に対して具体的な印象をしっかりと持たせているかしれないとわかった。  また、待たせていたタクシーの傍《そば》で運転手と話していた窪田亀一という若い彫刻家の姿も目撃している。さらにはタクシーの中で運転手の話もナマで聞いた。もし、これが単に人の話ばかりだったら、頭の中では抽象的な理屈としてしか考えられないのだが、あの桜アパートのある奇妙なアメリカ村を実見したことだし、事件の雰囲気《ふんいき》も感覚で受け取られた。先日の漫然たる散歩も決して無駄《むだ》ではなかったと思った。  だが、こうした人間関係がわかっても、それが宅間添子の死とどうつながりを持つかである。言いかえれば、新井大助が彼女の死顔を彫刻に仕上げたということと彼女の死との必然的な関連を求めなければならない。  桜アパートの岡島が撮《と》った写真だけで新井大助があれほどリアルな作品を完成したとは思えない。もし、あれだけの腕があれば、今までの新井にそれだけの評価がなければならないのだ。やはりあれは彫刻家仲間の一部が陰口をきいているように、実物の死顔からデスマスクを取ったのであろうと思っている。  問題はここだ。新井大助が彼女の死を知ってデスマスクを取ったのか、それともデスマスクを取るために彼女の死をつくったのか。換言すれば、新井大助の芸術的衝動が殺人という異常心理にまで昂《たかま》ったかどうかである。  博士は、新井大助の熱っぽい性格をのぞいている。法隆寺や夢殿の内陣に立って飛鳥仏《あすかぶつ》を視《み》つめていたときの彼の恍惚《こうこつ》とした眼、昂奮《こうふん》した言葉、脂《あぶら》の浮いた精力的な顔。……念願の「古拙の笑い」を生きている現代人に実際に見つけたときの歓喜、他人にはわからないその芸術家的な欲望が、このモデルに自己を賭《か》け、その一作によって不遇な境地から脱出したいという願望。——こう考えてくると、新井大助が「微笑の美」を求めて宅間添子を殺し、その死顔から型をとったとしても、あながち不自然な解釈ではないと思われてきた。  すると、これには犯罪がある。  もっとも宅間添子がある日突然、不用意な炭酸ガス中毒で窒息死し、その直後に新井大助が死床にかけつけたとすれば犯罪ではない。せいぜい、遺族の許諾を受けずに死者の顔から勝手にデスマスクを取ったという点を咎《とが》められるだけである。だが、それはあまりに偶然性を認めた都合のいい解釈にすぎる。  宅間添子は事故死だ。病死ではない。その事故死に実は他殺だったという線が出ない限り、以上の偶然性に頼《たよ》る都合のいい解釈は解消しない。もし、その事故死に犯罪の証明があれば、新井大助はその嫌疑を受ける最も濃厚な立場にある。  目下、石井警部補は、その捜査をやっているのではなかろうか。もし、そうだとすれば石井はどの程度に宅間添子の事故死の真相を追及しているだろうか。  鳥沢博士は、今晩にでも石井警部補がここに現われてくるような気がした。そして、自分でもその間にこの事件をいろいろな角度から検討してみようと思った。  宅間添子はドライアイスから発生した炭酸ガスで死んだ。これは解剖の結果わかっているので、その死因に間違いはない。もし期待性を狙《ねら》う他殺ならば、犯人がドライアイスを彼女にすすめて致死量の炭酸ガスが発生するだけの量を買い求めさせたことになるが、彼女の場合は、管理人の話でも以前から相当なドライアイスを買っていたということだし、いわば、それには他人の意志が働いていないのである。  ただ、奇妙なのは、同じアパートに居た岡島が管理人に言われて鍵《かぎ》を取りに行き、表入口からはいったとき「何だか甘い匂《にお》いがしていた」という証言である。管理人の沢村庄太郎は、「べつにそんな匂いはしなかった」と言っているので、あるいは岡島の錯覚かとも思われる。しかし、甘い匂いは博士の気持の一隅に未《いま》だに閉じ籠《こも》っていた。  石井警部補は、その夜鳥沢博士の家にやって来た。警部補は語った。 「新井大助という若い彫刻家を調べました。ぼくらも迂闊《うかつ》でしたが、いま上野の展覧会に出ている彼の作品の『微笑』像は、桜アパートの自室で炭酸ガスの窒息で死んだ宅間添子の顔にそのままだということは、彼女の契約した生命保険の調査員がアパートの連中を展覧会場に伴《つ》れて行ってわかったということです。われわれも管理人の沢村庄太郎や、同じアパートに居る岡島初雄ほか数人を会場に伴れて行き、そのことが間違いでないことを確認しました。実際、所轄署で撮った宅間添子の現場写真を見ても、あの彫刻とそっくりそのままですね。  新井大助を調べた結果を簡単に言いますと、彼はその彫刻は自分のイメージでつくり上げたもので、決してモデルは使ってないというのです。そこで、宅間添子を生前に知っているかと聞くと、それは友人の窪田亀一が桜アパートの近所に住んでいるので、路上で彼女に遇《あ》って、その一風変ったマスクに惹《ひ》かれていたといいました。また、速達で報告したように、彼女からモデルになることを拒絶されると、管理人の沢村に頼んで隣の空部屋に移り、朝夕彼女の顔を見ては作品のイメージづくりをしたかったといってます。しかし、それも断わられたので、仕方なしに眼に焼きついた彼女の顔を浮べてあの彫刻をつくったといっています。その彫像の制作が彼女の死後間のないときからはじまっているので、この点は、ぼくも新井君をだいぶん追及しましたがね」 「それで、どうでした?」 「結局、岡島が撮影した写真を管理人からもらって、それを見ながら彫刻をしたという点を新井は白状しました。なぜ初めからそれを言わなかったかというと、死んだ人の写真をこっそりもらって、それを彫刻のモデルにしたといえば、誤解されると思ったというのです。管理人の沢村とは、前に申し上げたように宅間添子を見そめてからで、その隣室に住みたいというようなことで頼みに行き、それ以来沢村とも知合いになったといいます」 「写真を沢村からもらったいきさつは?」 「それはですね、新井の自供ですが、彼女が死んだということは知らずに、死後五、六日|経《た》って管理人の沢村のところに遊びに行ったのです。あわよくばもう一度部屋借りを頼むことと、そこで彼女の顔が見られるかもしれないという期待とで行ったというのです。そうすると、沢村が、実はこんなわけで死んだと話したので、新井はびっくりしたといいます。すると、沢村が、実は彼女の死顔を写真に撮ってもらっている。あんたがあの女の顔をモデルにしたいと言っていたから、写真に撮ってもらってあんたに上げようと思っていたところだと言って、岡島の写した写真を沢村が渡したというんです。沢村を調べると、彼の答えもそれに間違いありませんでした。沢村は、あまり熱心に新井が宅間添子をモデルにしたがっているので、その熱心さにほだされたと言っています」 「なるほど、そういうことか」  それでは、彼女の死と新井の制作の関係は偶然性によるのではなく、極《きわ》めて常識的な経過をとっていたことが博士にも納得できた。しかし、まだ心が全面的に落ちついたというわけではなかった。石井警部補は博士の顔を見て自分から言い出した。 「新井大助が宅間添子の死に何らかの関係を持っているのではないかと思い、宅間添子が死んだ日、特にその死前の時間における彼のアリバイを調べました。すると、死んだ日は、新井大助のアリバイはちゃんと証明されるのです。その日、新井は午前中ある画商のところに行って話し込み、午後は厚木に行き、友人の窪田亀一のところに来ています」 「なに、じゃ、やっぱり宅間添子の死んだ日には桜アパートの近所に居たんじゃないか?」 「そうなんです。しかし、新井は窪田のところに泊って、翌《あく》る朝早く、七時ごろに同家を出て東京に帰ったと言っています。ぼくもこれを聞いて、これは重大だと思い、窪田のところへ一緒に来ていた他の彫刻家仲間に当ったところ、その晩窪田の家に泊ったのは彼のほか二人いて、一晩じゅう麻雀《マージヤン》をやっているんです。つまり、新井が、その晩九時ごろ宅間添子が帰宅した以後に脱け出していたという事実はなかったのです」 「そのアリバイは絶対かね?」  と、博士はきいた。 「まず間違いないようです」  と、石井警部補は答えた。 「連中が口裏を合わせて新井のアリバイを証明したということは考えられません。それほど新井とは親密な仲間でもないんです。窪田家の両親も、新井はたしかにみんなと麻雀をしていたと言っていました」 「宅間添子の遺体の発見が翌朝の九時ごろで、そして警察から検屍に来たのが十時ごろだったね?」 「そうです」 「岡島が死者の顔を写真に撮ったのは検屍がくる前だったね?」 「そうです。ぼくも先生と同じ疑いを持って、その間に新井大助がアパートにやって来て、添子の死顔からデスマスクを取ったんじゃないかと思いましたが、なにしろ、アパートで変死人が出たというのでアパートの連中が部屋の前をうろうろしていましたからね、新井大助のような男がくればアパートの連中にはわかってるわけですが、誰も彼を見かけてないんです」 「報《し》らせで新潟に居る宅間添子の父親がアパートに駆けつけて来たのは、死体発見の日の夜ということになるね?」 「はあ。父親は新潟で電報を午前十一時に受け取り、すぐに支度《したく》をして急行列車に乗り、上野に着いたのが午後七時ごろだったといいます。それで厚木の桜アパートに到着したのが午後九時半ごろだったそうです。横浜の病院で添子の解剖が終ったのが午後八時、アパートに遺体が返されたのが九時です。ですから、父親は娘の遺体が帰ったところに間に合ったわけです。その晩は管理人夫婦が父親の相手をして遺骸《いがい》の枕もとに坐り、お通夜《つや》をし、翌日焼場に持って行ったということです。葬儀屋や焼場を調べたところ、その通りでした」 「君の報告によると、管理人の沢村庄太郎は宅間添子と親しかったというが、それには何か特別な意味はなかったかね?」  と、鳥沢博士は思いついて訊《き》いた。 「それは何もないでしょう。沢村庄太郎は手先の器用な男で、アパートの居住者の部屋の模様替えに便利大工みたいな真似《まね》をしていたんです。大体が世話好きなんですね。ですから、宅間添子が沢村にだけは親しく口を利《き》いたのも、そういった彼の人のいい性格からで、また宅間添子自身もいくら気位が高いとはいえ、もともとアメちゃんのオンリーという引け目があるところから他人とは挨拶《あいさつ》もしないので、本人も窮屈だったに違いない。で、沢村には打ち解けていたのだと思います。ですから、宅間添子のほうでは内心、管理人を見下していたと思います」 「そうかね。しかし、もう少し、その辺を調べたほうがいいんじゃないかね?」 「そうですね」  と言ったが、警部補はあまり気乗りのしない顔だった。 「君、ぼくもよくわからないが、炭酸ガスで窒息死したものは宅間添子のように微笑しているものかね? あれは筋肉の硬直によって笑って見えるような表情ではないね」 「彼女は睡眠薬を飲んでいましたからね、窒息するまで何かいい夢でもみていたんじゃないですか」 「ぼくの扱った例には炭酸ガスの窒息死があまりないもんだから、その点がわからないんだよ。そうかな。睡眠薬を飲んでいたら夢をみながら窒息するものかね?」  鳥沢博士は、ちょいと首をかしげた。  石井警部補は、もう少しこれを調べてみますが、なにしろ、遺体はすでに骨になっているので、なかなか困難な調べです、と言って、その晩はそそくさと帰って行った。  新井大助にとって大事なのは宅間添子の笑顔であった。死んだ顔にその特異な微笑が無かったら、新井には何の価値もないのである。もし新井がデスマスクからあの「微笑」像をもくろんだとすると、彼女の死顔には微笑が存在していなければならなかった。仮に新井が何らかの方法で宅間添子を炭酸ガス中毒死に見せかけて殺害したとすれば、そこに微笑を泛《うか》ばすことに工夫しなければならない。警部補が言ったように睡眠薬を飲んで熟睡のまま死んだとしても、それだけで彼女がいい夢をみて微笑《わら》い、それを死顔にとどめ得るとは限らないのである。そういうこともあるかもしれないが、人をそうした目的で殺す以上、必ず微笑のまま死ぬという必然的な方法が採《と》られなければならない。  そんならどういう方法か。死因は炭酸ガスに間違いないから、笑って睡《ねむ》る薬でも用いたのであろうか。近ごろはアメリカから危険な新薬がひそかにはいっているという。それは麻薬と同じ効果をもつもので、日本でもひそかに若い人が用いているという。しかし、死体は解剖されているから、そういうものを飲んでいれば解剖で発見されるだろう。添子がそうした新薬を飲んだわけでもない。  鳥沢博士は、炭酸ガス以外に、もう一つ笑いを誘うようなものが宅間添子の死の間際《まぎわ》に部屋にあったのではないかと想像した。そして写真を撮った岡島が彼女の部屋にはいったときに、あるかなしかの甘い匂《にお》いを嗅《か》いだことに想《おも》い到った。  博士は、すぐに知人の若い教授に電話をした。その教授は化学を大学で教えていた。 「甘い匂いのする笑い薬ですか」  と、電話口で、その化学の教授はまず自分から笑い出した。 「今すぐには思いつかないが、あとで調べてご返事します」  ということだった。  大体、学者の調べというのは悠長《ゆうちよう》である。慎重を期すから調べに手間がかかる。その日の夕方まで相手からの電話はなかった。博士は、こちらから催促するのを遠慮した。いくら後輩でも学者の立場はよくわかっているので請求はできない。ただ、その返事に解決をかけているような感じで気持が焦《あせ》っていないではなかった。  配達された夕刊に、プロパンガスのボンベが爆発してその家の台所が破壊され、主婦が重傷を負ったという記事が載っていた。博士はそれを見て、ひところ爆発が頻繁《ひんぱん》だったプロパンガスも近ごろは大そう安全になり、事故もなかったのにと思った。そして、そういえば、桜アパートのあるあたりはガス管がはいってなく、どの家もプロパンガスを使っていることを思い出した。そうだ。たしか宅間添子の部屋にもプロパンガスのボンベがつけてあり、その死の前日だかに管理人の沢村庄太郎が新しいボンベと取り替えに自転車で街に行っていたということも、つづいて思い出した。  博士が弾《はじ》かれたように椅子を起《た》ったのは、沈思黙考の三十分が過ぎてからだった。もう遠慮していられず、博士は、こちらから後輩の化学教授に電話をした。—— 「どうです、わかりましたか?」  と、博士は電話に出た教授に訊いた。 「どうも……いま、いろいろ調べているところですがね」  教授の声には苦笑が感じられた。 「どうもご苦労さまです。……これはぼくがたった今思いついたことなんですが、まあ、素人《しろうと》の考えとして参考に聞いておいて下さい」 「はあ」  博士は、そこで短い言葉を話した。 「ああ」  と、教授が電話の向うで叫んだ。 「そこに気がつきませんでした。これはぼくもうっかりしていました。実は……」  教授は急に勢いよく何やら説明しはじめた。  ——その電話が切れたあと、博士は少々|昂奮《こうふん》していた。時計を見ると九時半すぎだった。この時刻なら、石井警部補はまだ本庁に残っているかもしれない。博士は警視庁にダイヤルを回した。警部補は居残っていた。    10  鳥沢博士が化学の教授と電話で何事かを話し合ったあと、警視庁の石井警部補に電話した夜から二日目の朝であった。  石井警部補が神奈川県警捜査課の係長を伴《つ》れて鳥沢博士の宅にたずねてきた。 「元田《もとだ》警部補です」  石井が博士に紹介した神奈川県警捜査課の元田係長は、ひょろひょろと痩《や》せた背の高い男だった。 「どうも、ぼくが先生のお話を聞いて、それを神奈川県警に問い合せ、県警から聞いたことを先生のほうにお取次ぎをするというのではまわりくどいので、今日は元田君に直接来ていただきました」  石井警部補は言った。  元田警部補は、石井を通じていろいろ先生のアドバイスをいただき、たいへんありがとう存じます、と博士に礼を述べた。 「昨日、新井大助君に連絡して県警のほうに来てもらいました。そしていろいろききましたよ。まず、宅間添子を知っているかどうかをたずねたところ、新井君はそれは知らないでもないというのです」  元田警部補は話した。 「ただ、それほど彼女とは親しくはなかった。誰に紹介されたのでもなく、彼女の住んでいる桜アパートの近所に窪田《くぼた》亀一という彫刻家仲間が居るので、そこに遊びに行っているうち、たまたま近所を通っている彼女を見かけた。その容貌《ようぼう》が自分の創作意欲を起したので、路傍《みちばた》でモデルになってくれないかと彼女に頼んだこともあるそうです」  以下の話は一昨日、石井警部補が桜アパートの管理人沢村庄太郎の話として伝えてきた内容と同じだった。ただ、今度は新井大助の言葉として裏打ちされたのである。 「なるほど。それで、展覧会に出している『微笑』像は、新井君がそのときに見た彼女の印象を頼《たよ》りに彫ったというんですか?」  博士は茶をのみながら訊いた。 「いや、それもあるけれど、主として桜アパートに居る岡島という人が撮った彼女の死顔写真に従ったというんです。その写真は、管理人の沢村が彼女の死を発見した直後、その顔に微笑が浮んで、たいそうやさしい表情をしているので、新潟から駆けつけてくる彼女の実父に見せるため岡島に撮影を頼んだというんです。つまり、死顔は時間が経《た》つとどうしても崩《くず》れるし、それに、事実、そのあと行政解剖に回っていますからね。岡島が撮影したのは、死んだ彼女を診《み》た医者が帰ったすぐあと、警察から検屍《けんし》にくる前の間なんです。管理人はかねて新井君が彼女の顔をモデルにしたくて、彼女の隣の部屋を借りたいと申し込んだくらいに熱心だったので、翌々日だかに岡島からもらった彼女の死顔写真を新井君の家に郵送したんだそうです」  写真郵送の点を除けば、それも博士は石井警部補から一昨日大体聞いたことであった。 「そうすると、新井君は宅間添子の死体を全く見ていないというんですね?」 「そうです。その写真が送られて来てはじめて添子が死んだとわかって、びっくりしたと言っていました。しかし、その写真のお蔭《かげ》であの『微笑』像ができたと言っています」 「宅間添子の死体発見が七月十三日の朝九時ごろでしたね。死後経過は五時間ないし六時間ということだったから、彼女がドライアイスから発生した炭酸ガスで窒息死したのは十三日の午前三時か四時ということになる。そして彼女が寝たのは前の晩の十時ごろということでしたな。……新井君の場合、十二日の晩から十三日の朝にかけてのアリバイはどうなんですか?」  鳥沢博士は元田警部補にきいた。警視庁の石井警部補は、今日はもっぱら二人の話の聞き役であった。 「それはあることはあるんですが、奇妙なことに、その時間、新井君は桜アパートと同じ土地の友人窪田亀一のところに居たんです」  元田警部補は言った。 「ええ、それは石井君からも聞きましたが、十二日の晩からずっと泊り込んでいたんですか?」 「泊り込んだというか、十二日の晩から翌朝まで麻雀《マージヤン》をしていたんです。窪田のほかに二人の友人が居ましてね。この二人は土地の人間で、窪田の友人です」 「徹夜の麻雀だな」 「新井君が窪田の家にふらりと遊びに来たのが十二日の午後六時ごろ。それから、窪田のほうから今夜は麻雀をやろうかということになり、窪田が土地の友人二人をメンバーとして誘い、八時ごろから始まって翌朝の五時すぎに終ったということです」 「新井君はいつも窪田の家に来て麻雀をやっていたんですか?」 「三回に一度ぐらい麻雀をやっていたそうです」  偶然にも十二日の晩、新井は窪田の家に行った。しかし、麻雀を徹夜でやろうと言ったのは窪田のほうである。もし新井が麻雀を始めようと言い出したなら、宅間添子の死とひっかけて少し臭くなるが、窪田の発議というのでは新井の意志ではないのだから、この辺がうすれてくる。  それだけではない。新井が宅間添子の死と関係がないのは、十二日の晩の八時ごろから始まった麻雀が翌朝の五時すぎまでつづけられていることだ。四人で卓《テーブル》を囲んだのだから、五人の場合のように、一人が休むということはなかった。つまり、桜アパートと同じ土地だが、新井は窪田の家から一歩も出ていないのである。  この点について元田警部補は、窪田や、当夜一緒に麻雀をした彼の友人二人についていちいち証言を求め、新井供述の事実をたしかめたという。 「それで、新井君が窪田君の家を出たのは何時ごろ?」  博士は訊《き》いた。 「麻雀が済んだのが十三日の午前五時すぎで、みんな疲れたから寝ようということになったが、新井君だけは東京に帰るといって、五時半ごろに窪田の家を出ています。窪田は独《ひと》り者で、両親の居る母屋《おもや》の離れに居るから、その離れで三人はごろ寝をしたといいます。そしてすぐに睡ったそうです」 「それじゃ、新井君だけが厚木駅まで歩いて、電車に乗って帰ったわけだな?」 「一番バスは八時にしかこないので、厚木駅まで徒歩で三十分歩いて行ったそうです」 「そうすると、彼が厚木の駅に着いたのは午前六時すぎということになるね。その間、彼が歩いているのを見た者はないのかね? 七月の六時ごろというと、もうすっかり明るいはずだが」 「それはあるんです。駅の近くではなくて、新井君が窪田の家を出て道を歩いているときですが、近所の主婦が彼と出遇《であ》っています。ただ、主婦の言う時間が少し違うんです。主婦は、彼に遇ったのは午前六時前ではなく、六時を過ぎていた、たしか六時二十分ごろだったというんですがね」 「窪田君の家で麻雀をやめたのは五時すぎ、新井君だけが帰るといって支度《したく》をし、その家を出たのが五時三十分ごろとすると、その近くの道で主婦が新井君を見かけたのは六時前でなければならない。六時二十分すぎというのは、ちょっとおかしいな。主婦の記憶の間違いではないかね?」 「その主婦は時計を持っていなかったので、あるいは自分の間違いかもしれないと言っていました。なにしろ、もう三カ月も経っているから、無理もないところもあります」  博士はじっと考えていた。 「その主婦の話では、新井君は風呂敷《ふろしき》包みを手に持っていたと言っていました」  元田警部補は言った。 「風呂敷包みを?」 「はあ。新井君に訊くと、夏によその家に泊りに行くので着替えの下着を風呂敷に包み持参におよんでいたんだそうです。新井は、いつもそうしていたと窪田も証言するし、麻雀をやった二人も風呂敷包みの下着のことは知っていました」 「新井君はきれい好きなんだなあ」  博士は言って、質問を変えた。 「桜アパートの管理人沢村庄太郎が宅間添子の死を窓越しに発見したのは、その日の午前九時ごろだったね。沢村はそれまで自分の部屋で寝ていたのかな?」 「沢村を調べましたら、彼はそう言っていました。起きるのは七時ごろ起きたが、電話の取次に宅間添子の部屋に行き、様子がおかしいと思って窓ガラスを割って中にはいり、彼女の死を発見したのが九時だというんです。これは細君もそう言ってます」 「そうすると、管理人が起きた七時ごろは、すでに新井君は小田急の電車で新宿駅に着くか着かないころだな?」 「そういうわけです」 「ところで、沢村は手先の器用な男だし、宅間添子の部屋には相当世話を焼いていたというが、彼女はアパートのほかの者に対しては極《きわ》めて愛想がなかった。米兵のオンリーという引け目から、逆に他人に冷淡だった。しかし、沢村は管理人のことだし、彼女は彼には親しい口を利《き》いていたんだろうな」 「そうなんです。彼女は沢村とだけは打ち解けた話をしていたそうです。何といっても、アパートの中で孤立していますからね」 「その沢村が、彼女の部屋のプロパンガスが切れたというので、それを彼女の死ぬ前の日に自転車で町に買いに行っている。たしかそんなことを言ったように聞いているが」  と、博士はその話を聞かせてくれた横の石井警部補の顔を見た。石井はうなずいた。 「そうなんです」  と、元田がひきとって答えた。 「それについて、沢村が自転車の荷台にそのプロパンガスのボンベを積んで帰るところを見た人も出てきました。荷台にくくりつけていたが、その上を防水布で蔽《おお》って、バルブだけがのぞいていたといいます」 「なに、胴体を防水布で包んでいた? そしてバルブだけがのぞいていたというのだね?」 「そうなんです」 「で、その取り替えたプロパンガスは彼女の部屋にあったの?」 「もう三カ月以上も前ですから、今はその部屋は他人がはいっていてわかりませんが、死んだ宅間添子のあとにはいった人の話では、取り付けられたプロパンガスはまだ新しかったといいます」  博士は再び考えこんだ。そして元田にきいた。 「ところで、沢村庄太郎は桜アパートの管理人に住み込むまでいろいろと職業を変ったと言っていたね。そのなかに薬店とか病院関係の仕事をやっていないかね?」 「病院があります。これは東京の××大学附属病院の雑役夫を三カ月ほどやっています。……先生、それが何か?」 「それだけ聞けば結構」  と、博士は大きくうなずいた。 「実は、ぼくのほうから話したいことがあったのだが、その前にあなたのほうの調べを聞きたかったのです。ぼくが話したいというのは、実はこういうことなんだがね……」  と、鳥沢博士が言い出したとき、横の石井警部補も元田と一緒に博士の口もとを見つめた。  それからさらに三日目、神奈川県警の元田警部補は警視庁の石井警部補とまた連れ立って博士に会いに来た。今度は二人ともうれしそうだった。 「先生、お蔭さまで、すっかり事件は片づきました。どうもありがとうございます」  元田警部補が長身を折って深々と頭を下げた。 「ところで、先生は、どうしてあのガスのことにお気づきになったんですか?」  ひとしきり礼の言葉を述べたあと、元田は博士にきいた。 「ぼくはね、宅間添子が、その死顔に微笑を残していたということが大きな問題だと思いましたよ」  と、博士は自分も微笑しながら言い出した。 「この微笑から新井大助は彫像を作ったわけだね。その笑顔は一種独特な表情で、普通の微笑のかたちではない。飛鳥《あすか》時代の仏像に見るような表情だった。また、それが新井大助には大きな魅力だった。してみると、彼女が死んでこの笑顔が消えていたら、新井に何の魅力もなかったわけです。管理人の沢村がわざわざ死顔の微笑を岡島に撮《と》らせて新井に送ったというくらいだからね」 「ははあ」 「では、この微笑は彼女の死顔に自然にできたのか、それとも何か他の力でつくられたのか。いろいろ考えてみたが、事件のいきさつからして、彼女の笑顔はどうも作為的につくられたような気がした。彼女自身ではなく、他の者の手でね、そう感じましたな。……次は例の岡島が言っていた甘い匂《にお》いだ。岡島は管理人の沢村に言われて彼女の部屋の合鍵《あいかぎ》を管理人室に取りに行き、最初にドアを開《あ》けてはいった男だね。そこで甘い匂いを嗅《か》いだ。甘い匂いと死顔の微笑とはどう関連するか、これで考えさせられましたよ。つまり岡島がはいったときに嗅いだ甘い匂いは、以前から彼女の部屋に残っていたのではないかとね。  そのときぼくの頭に浮んだのが、管理人の沢村が新しく買って来たというプロパンガスのボンベだね。大体、プロパンガスが切れた場合は、管理人が電話をかけて取りつけの店から取替えの品を持ってこさせるのが普通だ。沢村は電話をかけた、店員がなかなか持ってこないし、彼女は部屋のプロパンガスが切れて困っているというので、自分が親切にも取りに行ったということでしたね?」 「そうです。沢村はそう言ってました」 「では、沢村が彼女の寝ている間にその部屋にプロパンガスを放出したらどうなるだろう。が、これは駄目《だめ》です。プロパンガスには多少の匂いがあるが、甘くはないし、第一、普通のガスのように人が死ぬほどの毒性はない。だが、ガスのことが頭に残っていたから、ぼくの知っている化学の教授に電話した。そしたら、はじめて笑気ガスというのを教授は教えてくれました。  笑気ガスは亜酸化窒素で、空気に対する比重が一・五三だそうだ。つまり、空気より重い。部屋の中で放出すると下のほうに沈む。だから、寝ている人間はそれを吸うわけだね。笑気ガスというのは色がなく、味もなく、ただ甘い匂いがする無機ガスで、麻酔作用をもっている。だから、病院などの手術には近ごろ、全身麻酔に笑気ガスを使用して好成績を上げているというのが教授の話だった。これを吸うと人間が笑っているように見えるんだそうだね。  そこで、宅間添子は笑気ガスで微笑を浮べながら、深い睡《ねむ》りの中で、枕もとの多量なドライアイスから発生した炭酸ガスによって密室内で死んだということがわかった。そして君たちの三日前の話では、沢村が彼女のために自転車でプロパンガスの新しいのを買いに行ったのを見た人があると言ったね。その人の話では、胴体を防水布で蔽い、自転車の荷台に積んで縄《なわ》をかけてあったという。そしてバルブの所だけがのぞいていたということだった。これでぼくには犯人がはっきりしましたよ。というのは、プロパンガスのボンベは胴体が太くて円い。ちょうどダルマのような恰好《かつこう》だ。笑気ガスのボンベは細長い。それでは運ぶのを途中で他人に見られた場合、一目瞭然《いちもくりようぜん》だ。プロパンガスのボンベとは違うからね。だから防水布で蔽って誤魔化《ごまか》したのだ。まあ、胴体の所は、防水布の下に何かを置いてふくらましておけば他人の眼には区別はつきはしない。……やっぱりそうだったかね?」 「その通りでした。沢村は笑気ガスのボンベの横に別な物をくっつけて、上から防水布の覆《おお》いをかけてわからなくしたと言っています」  元田警部補は答えた。そして彼は調べたことを、以下のように報告した。  管理人の沢村は宅間添子に惚《ほ》れていた。彼女のもとに通う米兵のこないとき、沢村はたびたび女房にかくれて言い寄っていたが、彼女のほうで相手にしなかった。そこに彼女が二千万円の生命保険をつけ、受取人を実父にしていることを知った。ところが、その父親は新潟から出て来て沢村に二度ばかり会った。父親は添子が相手にしないので自然と、そのつど沢村と話し込むようになったのだが、沢村からすると、その父親が彼女の死んだ場合二千万円も手にはいることに嫉妬《しつと》を感じた。これはめぐまれない境遇のアパート管理人沢村庄太郎にひがみを起させた。  ただし、その二千万円の保険金を受け取るのは彼女が死んでからだが、添子のほうは、沢村から見て、いつ自殺するかわからないようなところがあった。自殺でも契約後一年を過ぎると保険金は支払われる。これが沢村に分別を失わせた。彼によると、添子は早い時期に必ず自殺するように思えてならなかったというのである。  添子は女子大まで出ているのに、英語好きがかえって災いし、米兵との交際から遂《つい》にオンリーにまで転落した。たしかに厭世《えんせい》的な自殺をいつも考えているような女であった。最後の親孝行として受取人を父親にした二千万円の保険にはいったのも、自殺を見つめていたからだろう。沢村の観測もその意味ではあまり間違っていなかったといえる。  そこで、二千万円の保険金をあんな父親に渡したくない気持が沢村に起った。他人の幸福を妨害したくなった。聞けば、あと一カ月ぐらいで契約から満一年になって保険金支払いの効力が発生するという。沢村は、一年未満内に添子の死を望むようになった。それには彼女に相手にされない彼の恨みもこもっていた。  ここにおいて沢村は添子がドライアイスを銷夏用《しようかよう》に使用して寝るのに眼をつけた。ドライアイスから炭酸ガスが発生することも彼は知っていた。沢村は自分で別にドライアイスを買い、彼女が睡ったあと、その部屋にはいって自分の買ったドライアイスを加えた。管理人の彼は各部屋の合鍵を持っていたので、何の障害もなかった。睡眠薬を飲んで寝たかもしれない彼女の睡眠を、より確実にするために笑気ガスのボンベも、そのときに持ち込み、バルブをゆるめて部屋に放出した。彼女は熟睡していて何も知らなかった。  笑気ガスは睡眠中の人間にでもその効力を与える。睡ったままの彼女には、笑気ガスによって深い麻酔状態と笑顔がつくり出された。笑顔は死後もそのまま唇《くちびる》に保たれたのである。  沢村は前に東京の某大学付属病院の雑役夫をしていたから、笑気ガスのことはそのときに知っていた。その笑気ガスのボンベは、彼が自転車で原町田《はらまちだ》まで買いに行った。わざと厚木を避けたのである。また、そのことを誤魔化すために、彼女の死亡後、新しい借り手がはいる間に、今度はいつもの店に言いつけてプロパンガスのボンベを取り替えさせた……。 「なるほど。しかし、まだわからないことがある。その死顔を新井大助にデスマスクに取らせたわけだが、それはいつ沢村が新井に彼女の死を教え、また新井がいつそれをデスマスクに取ったのかね?」  話を聞いた博士は問うた。 「それは全くの偶然です。新井大助が窪田の家で徹夜の麻雀をしたのは事件とは全く関係のないことでした。彼は十三日の五時四十分ごろに窪田の家をひとりで出ました。そして駅に向って歩いているときに何となく桜アパートの前をまわった。やはり彼は宅間添子に惹《ひ》かれていたので、アパートを見たくなったんですね。すると、その前で管理人の沢村と出遇《であ》った。沢村が七時ごろに起きたというのは嘘《うそ》で、彼はもう宅間添子のことが気になって早起きをし、外をうろうろしていたんですね。そのとき新井の顔を見た沢村は急に思いついたというんですが、あの女はたった今、死んだよ、と新井に告げた……」 「え、死んだと言ったの? 沢村はその時にすでに彼女の死をたしかめたのかね?」 「いや、そうじゃないんです。死ぬことは間違いないとは思っていたが、犯罪者の心理として彼女が事故死をしたことを早く誰かに言いたくなっていたんですね。自分が女を殺したと思われたくない気持が働いたわけです。そして、たった今死亡したからデスマスクを取ったらどうだと新井に言ったそうです。新井は芸術家|肌《はだ》といいますか、とにかく、その話に有頂天となり、前後の分別もなく飛びつき、デスマスクを取ることになった」 「ところが、新井はその材料を持っていなかったから、彼は窪田の家に引っ返したわけだね?」  博士がうなずいて言った。 「そうなんです。彼は窪田の家に石膏《せつこう》材料を取りに戻ったんです。ところがはいってみると、窪田と二人の友だちは徹夜の麻雀で疲れ、熟睡している。起すのも悪いと思って窪田のアトリエにはいり、石膏材料を必要ぶんだけ取って、その道具を下着と一緒に風呂敷《ふろしき》に包んでアパートのほうへ行ったわけです」 「ああ、そのとき近くの主婦が新井を見かけたのだね。だから六時前ではなく、六時二十分ごろだったと言ったわけだ。主婦のおぼえていた時間は正確だったのだね」 「そうなんです。そして新井は沢村の手引きで彼女の部屋にはいり、その死顔の微笑を見て無我夢中で彼女の顔に石膏を塗り、デスマスクを取ったといいます。そしてまっすぐ東京に引っ返したのですが、あとで怖《おそ》ろしくなった。また沢村の口止めもあって誰にも言えなかったのです。もちろん、石膏材料を黙って取ってきた窪田にも話さない。窪田のほうも、そのくらいの石膏材料が減ったところで、あんまり目立たないから気がつかなかったといいます」 「新井大助には、自分の行動を誰にも言えないもう一つの理由があるんですよ。彼がデスマスクからあの芸術作品をつくったとすれば、彼の彫刻家としての生命は終るからね。これは当人が口が裂けても言えないはずです」  ——博士の眼には、飛鳥仏の微笑の唇と、それを熱心に見ている新井大助の眼とが同時に浮んできた。そして、宅間添子が生から死までつづけていた「古拙の笑い」を想像すると、何となく「微笑の儀式」という言葉が口の中に出てきた。 この作品は昭和四十八年九月新潮文庫版が刊行された。 本作品中、今日の観点からみると差別的ととられかねない表現が散見しますが、作品自体のもつ文学性ならびに芸術性、また著者がすでに故人であるという事情に鑑み、原文どおりとしました。(編集部)