松本清張 迷走地図(下)  貸金庫  土井信行は、タクシーで浅草三丁目に向った。雨の日の午前十一時ごろだった。  ホテルの部屋で受けた外浦卓郎の電話による番地をタクシーの運転手に云ったのだが、この運転手は浅草の地理に不案内とみえて、碁盤の目になった町をうろうろと走りまわった。  言問《こととい》通りを北に入ったこの界隈《かいわい》はスナックバーと小料理屋とがやたらと眼につく。あいだあいだに普通の商店や小さなビルもはさまっているが、風俗営業は料亭を中心に集っていた。  その料亭も一カ所にはかたまらずに、とびとびに一軒か二軒ずつ散在していた。どれもがあまり大きくなかった。  土井が運転手に渡したメモは、「浅草三丁目××番地、桐《きり》の家《や》」というのだが、これがわからない。午前十一時という時間はこうした町では半分眠りからさめてない状態で、スナックバーも飲み屋もトルコもまだ表を開けてなかった。ほかの料亭は玄関も勝手口も戸を閉めていて、訊《たず》ねようがなかった。浅草三丁目は言問通りを隔てて、浅草寺《せんそうじ》の裏、奥山と対《むか》い合う。  お好み焼屋、手焼き煎餅《せんべい》屋、すし屋、「うどんすき」屋、しるこ屋などに運転手が訊《き》いても、知らねえな、とそっけなかった。  山の手を専門にしているタクシー運転手は、異邦の土地に足を踏み入れたようで半泣き顔だった。  けっきょく方眼紙形の町を電《いなずま》形に縫って車を走らせたのが正攻法で、ようやくのことに該当の番地に出ることができた。  それまで途中に芸妓《げいぎ》専用のカツラ屋があったり、「小唄|稽古《けいこ》所」があったり、「京染専門」の店があったりするのは、さすが土地柄であった。 「桐の家」は小さな待合であった。背景にアパートがあったりして、この家の塀の中から一本のしだれ柳が出ていなかったら、普通のしもたやとそう変りはなかった。  もっとも、そのまわりには、スナックバー「シャガール」「ハイドン」「しんちゃん」「さち子」「京洛」「杏花」、小料理屋の「追分」「竹むら」「正直亭」「若芽」などの看板がならんでいた。  タクシーをおりて土井は「桐の家」の狭い門を見上げた。しだれ柳だけが新緑色に冴《さ》えていて、それだけに粋《いき》づくりの古い家屋がくろずんでいた。  外浦卓郎ともあろう男が、こんな侘《わび》しい待合を使うのかと土井は一瞬眼を凝らしたが、番地も名前も間違いなかった。  表の格子戸はまだ閉め切ってあり、玄関前の飛び石には水も打ってなかった。  土井はボタンを押した。  玄関の格子戸が細目に開いて、女の眼が中からのぞいた。  土井が言葉を出さない前に格子戸がいっぱいに開き、いらっしゃいませ、外浦さんがお待ちかねでございます、と腰をかがめたのは、三十四、五くらいの女中だった。  玄関を上ったすぐ横が階段で、二階に上った廊下の右手の襖《ふすま》に女中は手をかけた。そこは四畳半の控えの間で、女中は仕切りの襖の前に膝《ひざ》を突いて、 「お見えになりました」  と奥へ声をかけた。 「どうぞ」  さぞかしマイクによく乗ると思われるような太い徹《とお》る声が土井の知る外浦の特徴だったが、この、どうぞ、という答えには、声の嗄《かすれ》があった。  襖を開けると、正面の床柱を背にして外浦卓郎が、料理の小皿を乗せた朱塗りの座卓の前に坐っていた。  土井は外浦の顔を見た瞬間、ああこの人は疲れているな、と思った。襖越しの声といい、顔の表情といい、外浦の疲労を直感した。  最初に来た感じが、正確なことがある。だんだん話し合っているうちに相手の表情も声も普通になってきて、何とも思わなくなるものだが、あとで考えてみて、やはり最初の瞬間の印象が正しかったと知ることが多い。  外浦とはOホテルの宴会場ロビーで偶然に遇《あ》って以来である。土井は「川村正明君を励ます会」の入口の列にならび、外浦はどこやらの結婚披露宴に列するとかで礼服姿で客溜《きやくだま》りに居た。いま会うのが二カ月ぶりというせいもあって、さっきの直感になったのである。 「やあ、ようこそ」  外浦はそこから土井に声をかけた。 「忙しいところをお呼び立てして済まなかったな」 「おそくなりました」  土井は畳に膝を揃《そろ》えて、先輩に挨拶した。 「ちょっと道がわからなかったものですから、タクシーが迷いました」 「そうでしょう。お初めてのお方はたいていそうなんでございますよ。小さなうちなもんですから。申しわけありません」  女中が引きとって云い、 「どうぞ」  と、用意の座布団の上へすすめた。外浦と真向いだった。  座敷は十畳ぐらいであった。天井板も欄間《らんま》も柱も桐油《とうゆ》を塗ったように古い色をしていた。窓ぎわの障子から午後の明るい光線が流れていた。  まずビールで雑談となった。東大法学部の先輩後輩の間である。年齢が十年以上違う。それに外浦は卒業だが、土井は中途退学した。昭和四十三、四十四年の東大紛争では全共闘に属して活動し、三回逮捕された。  が、いま二人の雑談にその話は出ない。外浦からは、彼が現在仕えている寺西|正毅《まさたけ》のことも、それを中心にした政界の話もなかった。当りさわりのない世間話である。  土井からすれば、なぜ外浦が自分をここに呼んだのかまだわからないでいる。十三、四年前、まだ外浦が経済新聞社に居るころ、何度か彼の話を聞きに行ったことはあるが、外浦が東方開発の社長和久|宏《ひろし》に引張られてその秘書となっていらい足踏みしなくなった。和久宏は、いわゆる財界の世話役であった。  その後、外浦卓郎は寺西正毅の私設秘書となった。寺西が外浦を和久宏に懇請して「借り受けた」という風聞であった。これが成功したとき、寺西夫妻が揃って和久邸を訪問し、厚く礼を述べたというのだ。  現在の仕事に入った土井は、永田町付近でときに外浦の姿をよそながら見かけることがあった。が、それもいわば路上の目睹《もくと》にすぎず、土井から進んで外浦に近づいて挨拶するようなことはなかった。土井には、かつての全共闘運動に挫折した過去のみならず、現在保守党議員らのゴーストライターをして「身を売っている」という「裏切者」にも似た自己屈辱があった。  この前、Oホテルの宴会場ロビーで、「川村正明君を励ます会」の列にならんでいる土井を見つけた外浦が、結婚披露宴の客の輪から抜けて歩み寄り、 (やあ、しばらく)  と声をかけてきたのは、土井には思いがけないことであった。 (もう何年になる?)  外浦は笑顔で土井に訊いた。 (十三、四年にはなると思いますが、ご無沙汰しています) (もうそんなになるかね。きみは変ってませんね) (外浦さんこそ以前のままです。前よりはお肥《ふと》りになったようですが)  最近の外浦をよそながら見ている土井だったが、挨拶してないので、これは社交的な言辞になった。 (そのうち、久しぶりに話したいものだね) (でも、外浦さんはお忙しいんでしょう?) (いや、そうでもないよ、電話をくれたらいい)  その場の言葉だけと思っていたが、久しぶりに話したいというのが今日の実際になった。しかも外浦のほうから電話をくれて、ここへ呼び出されたのである。  料理が次々に運ばれてきた。二人はビールを酌み合った。  外浦は雑談をつづける。ここへ呼んだ彼の目的が土井にはまだわからない。そのうち、久しぶりに話したいものだね、といった彼の言葉どおりに、久闊《きゆうかつ》を叙す雑談だけで終始するのだろうか。女中一人がそこに付き切りで坐っていて、ビールを注《つ》いだり、料理の皿をならべたりしていた。 「この前のOホテルでの川村代議士の会はなかなか盛会だったようだね。きみも出席した会だが」  雑談だったが、世間話でもなかった。 「はあ、相当盛会でした」  土井はなんとなく眼を伏せて答えた。 「上山庄平さんが代表世話人になっている�革新クラブ�のヤング・パワー議員さんたちは、なかなか活発じゃないか」 「はあ」  土井は外浦に「革新クラブ」をどう思いますか、と訊きたかったが、川村正明のスピーチの原稿は自分が代って書いた気遅れから、それが口にできなかった。  外浦は、きみはいまどんなことをやっているのかとはまだ訊いてこなかった。寺西の秘書をしていて、永田町界隈の情報に通じている外浦のことだから、何をしているかぐらいは耳にしているだろうと土井は思った。げんに自分の仕事のことを外浦が質問しないのはその証拠のように思われた。  とすれば、そんなことを問えば後輩の心を傷つけるという外浦の思いやりかと土井は思った。そういえばいまの外浦は始終明るい笑顔と快活な話しかたで対してくれているのである。  ——その顔には、ここへ入ってきた瞬間に受けた外浦の疲れた声も表情も消えていた。相対して話しているうちに、「馴《な》れ」が出てきて、べつだんのことも感じなくなったせいかもしれなかった。 「ぼくは、川村正明さんの会に出た友人から聞いたんだがね。あの会では板倉退介先生がたいへんなご機嫌だったそうだ。板倉派の幹部どころが総出で、上山さんの張り切りようったらなかった、と云っていたが、そうだったかね?」  これは外浦が他派閥の「情報」をとるのでは決してなかった。そんな必要は少しもないのだ。板倉派は党内第三位の勢力で、人数が最も少い。とくに上山らの新グループが板倉派から「突出」していて、いつ板倉派から分離するかわからないといわれている。板倉退介はじめ同派の幹部が若い二世議員の川村正明の会に出たのも、その分裂を喰い止める策とも噂《うわさ》されているくらいだ。次期首班の「禅譲」が確定している寺西正毅の秘書が、少数派の動向を気にすることは何もなかった。  外浦卓郎の口から「川村正明君を励ます会」の話が出たのも、土井から情報をとるというのではなく、世間話の一つにすぎなかった。 「これもその会に出ていた人の話だけどね」  外浦は、にこにこして云った。 「川村さんのスピーチがとてもよかった、というんだな。近ごろの若い議員さんは演説がうまいと賞《ほ》めていたよ」  土井は下をむいた。  外浦はどこまで知っているのだろうか。知っていてトボケているのか、ほんとに知らないで云っているのか。  土井は、一瞬、眼を外浦の顔に走らせたが、外浦はただ陶然とした表情だった。—— (今日の日本の政治を引張って行っているのは、どういう人たちでしょうか? それはひとにぎりの恍惚《こうこつ》の老人たちです。老衰によって脳が軟化し、外界への認識、理解などに障害が起ることです。老政治家の恍惚とは自己への己惚《うぬぼ》れ、もしくは自己の置かれた環境への己惚れという独特のナルシシズムであります。すべてが自己個人本位に立つ己惚れでありまして、世界動向の中で日本がどのような立場になっているかは、いっこうに認識がないのであります。老衰せる脳の後頭葉、すでに枯死せる視覚、知覚、認識、理解力。しかして、肥大せる前頭葉にうごめく生存欲、所有欲、自己顕示欲の年寄り政治家に、日本を任せてよいでしょうか。断じて否であります。われわれ若い行動派が改革を行わなければならないが、もう改革というナマぬるいものではなく、革命という思い切った手術が必要であります。われわれは新右翼ではありません。あくまでも国民本位の国民主義であります。いわゆる民族主義とも違います。日本のため、一億の国民と共に歩くものでございます。……「励ます会」で川村正明のスピーチ)  それに重なって、もう一つの文章が蘇《よみがえ》った。—— (東大闘争の現局面についての檄《げき》。——  現在の日本における国立大学の総体的具現者である東京大学の制度、秩序、意識の徹底解体、破壊を東大闘争の根底にすえ、その過程における必然的媒体として、その思想的物理的表現として、鋼鉄の全学バリケードを構築すること、そして現在闘争に直接参加している二千余の学生、大学院生、助手、職員が、その全学バリケードを死守する決意を固めること、これのみが東大闘争の質的飛躍を保証し、未曾有《みぞう》の長期闘争の展望をきりひらく唯一の道である。大衆団交実現の圧力手段としての全学封鎖、貴族的、言語的、象徴的な全学封鎖と訣別《けつべつ》し、今こそ鋼鉄の全学バリケードへ邁進《まいしん》する時がきた……  ……場合によっては文・医学部をのこして授業再開にふみきろうとする大学当局の方針は、一月以来三〇〇日にわたって闘う中で、文・医闘争を全学、全国の学園闘争のなかで位置づけ、深化させてきた全学共闘会議への真向からの挑戦である。これに対するわれわれの方針もまた明白である。卒業問題を克服し、大学閉鎖の恫喝《どうかつ》に屈せず、長期闘争を耐えぬく戦列の強化を直ちに開始することである。 諸君、重大決意をせよ! 七項目要求貫徹、東京大学解体へ向って一大長期戦争を展開せよ! その必然的媒体としての鋼鉄の全学バリケードを築け!)  ——前者は土井信行が川村正明議員のために代作した「励ます会」でのスピーチ用原稿であり、後者は東大生のころ彼がガリ版でしきりと刷っていた「檄」の一つである。  前者の川村議員のスピーチと、後者の「全共闘」の東大宣言との間には十四年の年月の差がある。内容的にも一は保守勢力のために、一は十四年前に反体制の闘いであった。  この間に日本の情勢も、かつての「全共闘」の運動家も大きく変っている。かつての同志の中には「底辺の生活」を送っている者もあり、運動のことは口を拭《ぬぐ》って世俗的な「出世」の道を歩いている者もいる。  後者の種類には土井が入っている。ゴーストライターとして政憲党に手助けしている土井の悔恨であり、運動の挫折から階級を裏切ったという背信意識であり、また自虐でもあった。  外浦卓郎は学生時代からノンポリであり、卒業してからは新聞記者となり、財界世話役の和久宏の秘書となり、いまは寺西正毅の和久への要請によってその秘書となっている。いわば同じ保守勢力の中に巣くっているので、土井は外浦に対して気が楽なはずだが、「裏切り」の意識があるため、そして外浦が冷徹な第三者だけに、彼の心は萎縮《いしゆく》した。  もっとも、外浦は土井にそのような窮屈なものを与える言葉や素振りを決して云ったり見せたりはしなかった。むしろ土井の心に佶屈《きつくつ》としたものを起させないように配慮しているふしがあった。すべてを知っているが知らぬ顔をされているというのは、これまた土井にとってつらいことであった。  ふいと、外浦が傍《そば》の女中に微笑して云った。 「ここは、ぼくらが勝手に飲むからいいですよ。料理だけを運んでください」 「はい」  女中はおじぎをして座敷を出ていった。  土井の心は緊張した。外浦は自分をここへ呼んだ用件を今から云い出すのである。 「土井君」  外浦は、座椅子に背をよりかかり、身体《からだ》を斜めに崩した楽なかっこうで、なにか冗談を云い出すときの笑顔になった。 「こんど、ぼくは寺西先生の秘書を辞めることになったよ」  土井は眼を上げて外浦の顔を見つめた。嘘《うそ》でしょう、と言葉が口から出かかったが、外浦の眼が笑ってないことと、自分をここへ呼んだ話がそれだとわかって、声を呑《の》み、 「それはまた……」  と、ようやく云った。 「急なことですね」 「いや、急でもないよ。前から考えていたことでね」  理由は何ですか、と土井が訊ねる前に、外浦のほうから説明した。 「ぼくも寺西先生にお仕えして、もう三年になる。このへんが退《ひ》きどきと思うんだ」  云ってビールを飲んだ。  その手もとを眺めて土井はきいた。 「でも、秋には寺西先生が政憲党の総裁、内閣総理というのが決まっているんでしょう? 桂総理からの禅譲がね。そんな重要な時期を前にして、外浦さんが秘書を辞められるのは、先生に大きな打撃じゃないんですか」 「いや、ぼくでなくても、その任に当る人材はいっぱい居るよ。だいたい、ぼくは野人だから、寺西先生が野に在るときは秘書としてなんとか勤まるが、総理になられるとなると、ぼくの手に負えんよ。とても首相秘書官というガラじゃない。ご免いただきたい」 「けど、外浦さんが辞められるのを、よく寺西先生がご承知なさいましたね?」 「ぼくも疲れたからね。先生にもそのことがわかっているので、円満にお暇をくださったのだ」  疲れた、と外浦の語調には正直なものがこもっていた。対座している間に忘れてしまったけれど、この座敷に入る前に襖越しに聞いた外浦のけだるそうな嗄れた声、襖を開けた瞬間に見た彼の疲労した表情が土井の眼にふたたび蘇ってきた。最初の瞬時の印象がやはり実際なのであろう。  いま、外浦の顔には血の色がさしている。声には力があった。だが、それも後輩と話しているときの一種の愉《たの》しさ、ビールのほろ酔いが加勢しているのであって、その皮膚の下には疲労の滓《おり》が溜まっているように次第に思われてきた。  外浦卓郎が寺西正毅の有能な秘書というのは永田町の人種なら誰もが知っている。その裏には人知れぬ努力と苦労があったのだろう。 「で、これから外浦さんはどうなさいますか」  土井は、ややあって訊いた。 「うむ、また和久さんのもとに戻ることにしたよ。ほかに行く先もないからね」  外浦は笑いながら答えた。  ほかに行く先がないというのは外浦の謙遜《けんそん》であった。和久宏が寺西の懇請で外浦を彼に「貸した」というのは永田町界隈に知られた噂であり、和久のほうから「早く外浦を返してくれ」と寺西へ申し入れているというのも伝わっている風聞であった。  こうなると、外浦が寺西の秘書仕事に疲れたために辞めるのか、和久宏が「返還」を迫ったため寺西が外浦を返さざるを得なくなったのか、その区別が土井にはわからなくなってくる。  もしあとの場合だとすると、外浦を秘書として「貸してもらった」とき、寺西夫妻が揃って、和久のもとにお礼に行ったというくらいにいんぎんを尽したのだから、その律義さの手前、寺西も和久の要求を呑まないわけにはゆかなかったということになる。いうまでもなく和久宏は財界の世話役である。 「和久さんの下に戻ったら、当分、チリあたりで遊んでこようと思っている」  外浦は眼もとを笑わせて云った。 「チリですって? 南米の?」  土井はおどろいて問い返した。 「そう」  外浦はうなずいて云った。 「和久さんの東方開発は、サンチアゴに本社を置く現地法人の『チリ東方開発』を持っている。チリの地下資源のうち銅の生産高はアメリカに次いで世界第二位、チリ硝石はまだ二十億トンの埋蔵量があるそうだ。『チリ東方開発』はその開発と輸出に割りこんでいる。それに鉄だ。これは砂漠地帯の南にあって、赤鉄鉱といって品位が高い。いまだに露天掘りをやっているくらいだから、埋蔵量はどのくらいあるかしれない。和久さんはこれを現地企業と合弁で開発しようとしている」 「外浦さんは、現地法人の『チリ東方開発』へ出向ですか」 「そういったところだ。だが、ぼくは鉱山のことはわからないし、商売も知らない。だから現地法人の副社長という名目で、まだ行ったことのないチリでのんびりしようと思っている」 「チリとは遠いですなア」 「遠い」 「いつ日本に帰ってこられるんですか」 「いまのところ、二年くらいのつもりだが」  土井はふと思った。外浦がチリに行くのは、寺西が首相になったとき、そこの利権を取るための布石ではなかろうか。寺西と和久とは相通じている。過去のことだが、アメリカ訪問の途次、チリを公式に訪れた日本の首相が、チリの漁業利権を抜け目なく取得してきた例もある。—— 「そこでね、土井君、きみに頼みがある」  チリ開発の話がざっと終って外浦は云った。 「そんなわけで、ぼくがチリに行けば、まず二年間はサンチアゴに居なければならない。ときどき本社出張で日本に帰ってくることはあっても、それは一週間程度の東京滞在だ。頼みというのはね、ぼくが『チリ東方開発』を辞めて帰国するまできみに預かってもらいたいものがあるのさ」 「はあ。なんですか知りませんが、それはかなり重要なものですか」 「ぼくにとって重要書類だ。といっても、政治とか政党とか、そんなものとはかかわりないものだ。もちろん和久さんの会社関係のものでもない」  チリから帰国するまで書類を預かってくれというのが、ここへ自分を呼んだ外浦の目的だったと土井ははじめて知った。  外浦はいま「ぼくにとって重要書類だ」と云った。半ば冗談めかした言葉のようだが、その表情には真面目なものが出ていた。土井はそれに惹《ひ》かされた。 「それは外浦さんの個人的な書類ですか」 「うむ」  外浦はちょっと返事をためらったが、 「まあそういうことだね」  少し曖昧《あいまい》気味に答えた。 「その書類はいまお宅に置いてあるのですか」 「いや、家には置いてない」  というのが外浦のはっきりした言葉だった。 「じつをいうとね、その書類は十日ぐらい前までずっと家に置いていた。ぼくの書斎の或る場所にね。だが、和久さんの命令でチリ行きが決まってからは、銀行の個人用貸金庫の中に移した」 「奥さんは、その書類のことをご存知なんですか」 「知らない。教えてないのだ」 「……」 「ぼくが女房に教えてないことがいっぱいある。ぼくの仕事の性質上、家族に話せないことが多いのだ。寺西先生を中心にした政治とか政党関係はどれも極秘だからね。また、女房もそんなことには関心がない。……そうだな、銀行の貸金庫に入れているその書類も、その一つといっていいかな」 「外浦さんにとって重要書類だと云われますが……」 「政治家の秘書をしているとね、個人的なものが政治や政党関係といっしょになっている。個人的な書類だが、政局との関連が深いのさ。だから、ぼくの長い留守に家に置くのが気がかりになってね」  どうやらそれは「秘書日記」のようだった。  大物政治家の秘書がメモ的な日記をつけることは多い。  たとえば大正末期の首相|原敬《はらたかし》の秘書だった松本剛吉の「松本剛吉日記」、元老|西園寺公望《さいおんじきんもち》の秘書原田熊雄の「原田日記」がある。前者は現代史の東大教授の著書「大正デモクラシー期の政治」にそっくり転載され、後者は「東京裁判」に証拠品として提出されて有名となった。原田熊雄述「西園寺公と政局」という刊本も出ている。  それらは著名な例だが、一般には知られていないけれど、議員の秘書はたいてい心覚えの意味で日記またはそれに類似したメモを付けている。ほとんどは議員の行動や陳情処理に関することだが、もう一つの意味は秘書自身の「防衛」のためでもあった。「防衛」とは、秘書が政治献金をうけとったのを議員から「秘書が中間で抜き取った」という嫌疑をかけられたばあいに備えて、献金先と献金額とを日記に明記しておくことである。  いずれにしても、外浦の云う「ぼくにとって重要書類」が、個人の中に政局が入りこんだ「日記」であろうと土井は見当をつけた。  それなら二年間自分の居ない家にそれを置いておく外浦の不安はわかる。盗難ということもあるし、火災ということもある。銀行の個人用貸金庫がもっとも安全であろう。  しかし、貸金庫にあるその「書類」を自分に預かってくれと云う外浦の意味はどういうことだろうかと土井は思った。  土井がそれを外浦に云うと、彼は説明した。 「チリに二年間居るあいだに、どんな不測の事態が起るかしれないと思うからさ。チリなんてぼくははじめて行く。鉄鉱山は砂漠や峡谷の中にあるそうだ。そんなところにも視察に行かなければならない。その気候風土にも馴れない。いつ病気にかかるかもしれない。そういう事態になったとき、きみに銀行の貸金庫のカギをうけとる代理人になってほしいんだ」  銀行の個人用貸金庫の代理人になってくれと云われて、土井は外浦の気持がはかりかねた。その代理人には外浦の妻が当るべきではないか。 「きみは、ぼくが、なぜ代理人を女房にしないで、きみにそれを頼んでいるか、ふしぎに思っているのだろう?」  外浦は云ってからコップをぐっとあおり、のびた咽喉《のど》の動きをこちらに見せた。 「そうです」  土井は、泡だけが残った彼のコップにビールを注いだ。 「その理由は、さっき云ったのと同じでね。女房は貸金庫の書類を読むかもしれない。現在はそれが困るんだ。女房にも知られたくないなまなましい政局のことがいっぱい書いてある。寺西先生に迷惑をかけることになる」  コップに満たされたものを外浦はひと口飲んで云った。 「そりゃあぼくだって同じですよ」 「いや、きみなら、中を見やしない」 「好奇心からタブーを破るということもありますよ」 「二年間だ。二年間はその好奇心を抑えてもらいたい。ただしだ、サンチアゴからぼくの指示がきみへ行ったら、代理人として貸金庫を開け、書類の内容を読んでもよろしい」 「どういう場合に、外浦さんからの指示がチリから来るんですか」 「ぼくの心境に変化がきたときだな」 「……」 「人間の気持は変りやすい。外国にひとりで長く住むと、そういう可能性がある」 「奥さんをお伴《つ》れになって赴任されたらいかがですか」 「上の子が来年大学受験でね。一つ下の子がそれにつづいている。女房は行けないよ」 「二年間とは長いですね」 「長い」 「一年間ぐらいにしてもらえないものですか」 「和久さんにいえば、期間を縮めてくれないでもない。副社長というポストは、ほとんど遊びだからね。二年間チリに居たいというのは、ぼくから和久さんに頼んだことだ。ぼくも寺西先生の秘書をしていて疲れたからね。向うでのんびりと暮して、疲れをやすめたいのだ。ほんとに疲れたよ。年のせいもあるがね」  最初に見た外浦の「疲労」はやはり間違いでなかったようである。 「土井君」  外浦は腕時計に眼を落して云った。 「いまが一時前だ。急いでメシを食って銀行に行こう。貸金庫の代理人をきみにする手続きをするためにね」  外浦が手を鳴らすと、先ほどの女中が入ってきた。 「メシだ、メシだ」  外浦の貸金庫は、A銀行|向島《むこうじま》支店にあるという。 「向島支店とは、妙な場所に貸金庫をつくったときみは思うかしれないが、ちょっと気づかれない盲点と思うよ」  タクシーの中で外浦は云って、いくらかいたずらっぽい眼つきをした。車は言問橋を渡っていた。 「外浦さんは、どうしてぼくを貸金庫の代理人に択《えら》ばれたんですか」  土井は「桐の家」に居るときから口に出したいことをやっと云った。 「ぼくには友人も知人もいっぱい居る。だが、その人たちはあまりにぼくと政党的な関係にありすぎるか、遠い間柄だったりするからね」  外浦は煙草の先にライターを寄せた。 「ぼくだって外浦さんには遠い存在だと思いますがね。ずっとお会いして話したことがないのですから。今日が十何年ぶりですよ」 「それでいいんだよ。こうして会えば、ちゃんと心が通うじゃないか」 「外浦さんは、どうしてぼくを信用なさるんですか。……ぼくは全共闘くずれです。かつての階級運動を裏切って、いまでは保守勢力の恥ずべき奉仕者です。それも最も下等なゴーストライターです。金儲《かねもう》けのためにね」  これこそ逡巡《しゆんじゆん》して云えなかった言葉だった。いまの瞬間、自虐の衝動からそれが口から吐けた。 「そんなことはぼくと関係ないよ」  外浦は窓にむいて煙をふかした。言問橋を渡った車は、左に折れて、道幅の広い水戸《みと》街道を進んでいた。向島二丁目のあたりだった。 「ぼくは、きみを信用している」  外浦は云った。 「学校の後輩としてですか」 「うん。それもあるね」  あとの会話をする間がなかった。広い通りの右側角に、「A銀行向島支店」の赤い看板が四階建ての白い建物の上に見えた。  正面入口前で二人はタクシーを降りた。  中に入って、個人用貸金庫の係のところへ行った。 「いらっしゃいませ」  中年の行員が外浦の顔を見て奥からカウンターの前に出てきて、頭をさげた。次長だと外浦は土井に紹介した。 「森さん」  外浦は次長に云った。 「こちらは土井信行君というぼくの友人です。ぼくの貸金庫の代理人になってもらうのだが、手続きはどうしたらいいんですか」 「さようでございますか。こちらへどうぞ」  森次長は土井を見て、外浦といっしょに応接室へ誘った。  せまい応接室で貸金庫の代理人を指定する手続きがとられた。  森次長が持ってきた「貸金庫賃貸記入帳」というカードには、すでに使用者外浦卓郎の署名と届印があったが、その下に「代理人」の欄があった。番号は2674であった。 ≪下記の者を代理人と定め私が借用しました貴社貸金庫の開扉《かいひ》その他借用中に生ずる一切の事項を処理する権限を委任しましたから予《あらかじ》め同人の筆蹟《ひつせき》印鑑を下記の通りお届けします≫  土井信行は「代理人」の項に住所と氏名を署名し、「届印」の判コを捺《お》した。 「ありがとうございます」  次長は、土井の顔を見おぼえるように眺めて低頭した。 「今日は金庫にご用はありませんか」  次長が外浦に訊《き》いたのは、彼が代理人と定めた土井に貸金庫の様子を見せるかどうかを問うたのだった。 「いや、今日は用がありません」  外浦は、ちょっと考えてから、自分だけ貸金庫室へ入り、なかの物を確認している様子であった。  すぐに出てきた外浦は土井に顔をむけた。 「この�2674のカギは、使用者のぼくが一つと、銀行が一つ持っている。この二つのカギがないと金庫の扉は開かないようになっている」  彼は、内ポケットの奥から茶色の小さな革袋をとり出し、中のカギを土井に見せた。普通のキーと変らなかった。 「わかりました」  土井はそれを眼にして云った。  その場では土井もカギを手にすることはできなかったが、銀行を出てタクシーに乗ってから、外浦はカギの入った茶色の革袋を土井にさし出した。 「土井君。これをきみに渡すよ」 「えっ、もうですか」 「うむ。サンチアゴへの出発が一週間後だ。今のうちに預かってもらったほうがいい。出発準備や何やかでばたばたして、きみに会える時間があるかどうかわからないからね」 「ずいぶん出発が急ですね」 「行くと決まったからには早く行きたいよ」  外浦は微笑した。タクシーは向島ランプから高速道路に上り都心へ向ったが、窓の外に流れるビル上の雲がその微笑の片側を光らせていた。妙に寂しそうな口もとに土井は感じた。 「外浦さん。カギはたしかにお預かりしました」  土井は小さな革袋を内ポケットの奥にしまった。 「ありがとう。おねがいする」  貸金庫のカギをポケットに入れたあと、土井は云った。 「外浦さん。�桐の家�では、ちょっと気がかりなことを云われましたね」 「どう云ったかね?」  外浦の瞳《ひとみ》がわずかに揺れた。 「サンチアゴ滞在中に、不測の事態が起るかもしれないと云われました。あれはどういう意味ですか」 「べつに、どうっという意味ではないよ」  外浦は明るく笑った。 「馴れない気候風土の外国に居ると、健康をやられるかもしれないということさ。サンチアゴは気温十四度で、地中海性気候だが、赤鉄鉱の鉱山のある南緯三十度地帯はアタカマ砂漠やタラパカ砂漠がある。そこのイキケという土地は『チリ東方開発』の事実上の本拠だ。副社長として赴任するからにはサンチアゴばかりにへばりついてはいられない。イキケの採鉱所に長く居ることになろうね」  土井には南北に細長いチリが地図の上でしかわからなかった。 「じゃ、副社長の話をお断りになったらどうですか」 「そうはいかんな。和久さんにはずいぶんお世話になっている」 「じゃ、健康を少しでも害されたら、早いとこ帰国されるんですね」 「そうするつもりだがね。だが、病気ばかりじゃないよ」 「え?」 「チリは有名な地震国だ。過去にも大地震の災害がたびたび起ってたくさんな犠牲者が出ている。ぼくの云う不測の事態とは、そういう意味だ。地震の点では、チリに居ようと日本に居ようと変らないがね」  外浦は左右に揺れるタクシーの中で云った。 「では、そういう不測の事態に備えてぼくを貸金庫の代理人にされたのはわかりますが、カギで金庫の中を開けるのは、外浦さんが無事に帰国されてからでいいんじゃないですか」 「それでもいいがね。しかし、それまでに金庫の中を開けて、中のものを確認してもらいたい気持が動きそうなんだ。サンチアゴからのぼくの電報が届いたら、ぜひそうしてくれたまえ」 「確認とは、その書類の内容ですか」 「そう。書類は貸金庫に入れてある。その包みの封を切って開け、中身を読んでおいてほしい。厳重な封をしてあるから、ぼくの指示があるまで開封してもらっては困る」 「サンチアゴから指令が来て、ぼくが書類を読みますね。そのあと、もう一度箱に納め密封をして金庫に戻すんですか」 「そうしてくれ。しかし、書類の処分はきみに任せるよ」  貸金庫の中にある書類の処分はきみに任せる——というのは、これまたどういうことだろうか。  土井は質問した。 「その処分のこともね、ぼくの書いたものが書類といっしょに入っている。それを読んでほしい」  外浦は答えて、つけ加えた。 「�2674には、それだけしか入っていない。……よろしく頼むよ」  彼は土井の肩をたたいた。 「はあ」  土井は引受けないわけにはゆかなかった。 「きみは、これから、どうする?」 「アダムズ・ホテルに戻ります」 「そうか。ぼくは丸の内の東方開発本社へ行くけど」 「本社前に外浦さんをお送りしてから、ホテルへ行きます」  神田橋のランプで高速道路を下りると、丸の内のビル街が近づいた。 「土井君。きみのところには速記者が居るそうだね」  外浦はふいと云った。 「はあ。ぼくの口述を取ってもらっています」  土井が答えると、外浦はポケットからすこし部厚い封筒を出した。封筒には何も書いてなかった。 「これは、ぼくが速記文字で書いた随筆のようなものだ。きみんとこの速記者のひとに読んでもらってくれないかね」 「そういえば外浦さんは速記を習われていたとかいっておられましたね」 「新聞社に居たころ、連絡部の速記者に習ったんだ。速記文字で日記などをつけていると、他人には暗号のように読めないし、人の話もすぐ書き取れるし、便利だよ。もっともぼくの速記記号は、旧《ふる》いし、それに自己流の工夫がだいぶん混っているから、きみんとこの速記者のひとに復元できるかどうかわからないがね」 「随筆と云われましたが、なぜそれを速記文字で書かれたのですか」 「癖だよ。日記も速記式に記《つ》けているくらいだからね。書くのに速い」 「この随筆と、貸金庫の書類とは、いくらか関連がありますか」 「それは全くない。全然、ないよ」  外浦は激しく首を振った。 「随筆といってもね、まあ、創作のようなものだ」 「創作? 小説ですか」 「……のようなものだ。いたずら書きだよ。ぼくの速記の腕をきみんとこの速記者に見てもらいたいな」  外浦が声を出さずに笑ったとき、タクシーが停まった。  速記文字  土井信行は、アダムズ・ホテルに戻った。  ロビーを通っていると、横のイスから身を起して寄ってきた長身の眼鏡の男がいる。 「土井さんではありませんか」  立ちどまった土井に、その頬骨の張った三十男は名刺を出した。政憲党議員長谷川勝一郎の秘書小泉尚哉とあった。  この男なら三日前に電話をかけてきて、長谷川議員が著書を出したいからその代作を書いてほしいと云った。面会の日と時間を指定したのが今日の午後四時であった。 「どうぞ」  土井は招じたが、事務所へ上るエレベーターの中で、小泉秘書はお世辞めいたことを云っていた。手土産らしい包みを提げていた。  事務所にしている部屋のドアを、ブザーを聞いた佐伯昌子《さえきまさこ》が開いた。 「お客さまです」  土井は伴れの男のことを云った。 「いらっしゃいませ。どうぞ、こちらへ」  佐伯昌子は小泉を応接間に通した。土井の口述を速記する彼女は、しぜんと彼の秘書役も兼ねていた。  小泉が応接間のクッションに落ちつき、佐伯昌子が客に茶を出して次の間に戻った。二部屋つづきのその部屋は、土井の「書斎」であり、佐伯昌子の仕事場でもあった。  応接間から小泉の持参した手土産のケーキ入り函《はこ》を運んできた佐伯昌子の前で、土井は外浦にもらった封筒の中身を引き出した。  うすい便箋《びんせん》六枚に、横書きの速記文字が綴《つづ》られていた。アラビア文字にも似た、ミミズが這《は》ったような記号だった。 「速記ですね」  佐伯昌子は、ひと目見るなり云った。 「ある人から預かったのだが、速記者ではないけれど、それを趣味にしている人でね。自己流に書いたので、ほかの人には読めないかもしれないが、判読してくれと云ってました。初めのほうだけでも、ちょっと読んでくれますか」 「拝見します」  小柄な佐伯昌子は便箋を手に取って冒頭部分に眼を落していたが、眉を寄せて首をかしげた。 「この速記の記号は、わたしが使っている速記式とは違いますね」  彼女は記号を見つめて云った。 「その人は、新聞社の速記者に習ったと云っていたが」 「そうでしょう、きっと。速記法もいろいろあって、参議院式、衆議院式とか熊崎式とか中根式とか早稲田式とか、旧いところでは田鎖式があります。ですから、わたしのように中根式を学んだものは、たとえば早稲田式を見てもすぐには読めません。この速記文字は、どうやら熊崎式のようですわ」  土井に渡された外浦卓郎の手紙を見つめて昌子はつぶやいた。 「熊崎式?」 「いまどき珍しいですね。熊崎式は旧式になってしまって、現在はほとんど誰もやっていません。これを書かれたのは、どういう方ですか」 「以前にも話したけれど、ずっと前に新聞社にいて、その連絡部の速記者から習ったと云ってたけど」 「では、その新聞社の速記者は熊崎式だったんですね」  以前、新聞社の連絡部は地方の支局や通信部からの送稿を電話で受けながら、その声を速記したものである。現在は送稿の文字がそのまま電送で入ってくる。外浦が連絡部の者に速記を習ったのは旧い時代のもので、それだから今は廃《すた》れたも同様の熊崎式だったのであろう。 「ほかの速記方式だと、あなたには全然読めないのですか」  せっかく外浦からもらった書いたものが、まったくわからないのでは残念である。 「そうですね、これが参議院式とか衆議院式とか、早稲田式とかでしたら、その方式のテキストが出ていますから、それを見ればわかります。いくら個人の工夫があっても基本は変りませんから。でも、熊崎式をやってる人は知りませんし、そのテキストも出ていませんから、わたしにはわかりませんわ」 「そう?」 「でも、ちょっと待ってください」  土井の失望した顔を見て昌子は云った。 「見当がつく方法がないでもありません」 「方法があるの?」 「ありそうです。というのは、速記文字はア段とア行との変化がわかれば見当がつくからです」 「……」 「その変化の法則は、カ段とカ行、サ段とサ行というように以下タ、ナ、ハ、マ、ヤ、ラ、ワの各段と各行に共通します。文字は崩してあっても、その法則は変りません」 「熊崎式はテキストもないし、それを使っている速記者も少いというのに、ア行ならア行、サ行ならサ行をどうして見つけることができるのですか」 「それはですね、固有名詞です。普通名詞や動詞、語尾の変化などは速く取るために自分流に崩しますが、固有名詞だけはきちんと書かないと、あとで自分でもわからなくなります。ですから、その固有名詞から各行の文字を拾えば、その推理で全部がわかるようになると思います」  佐伯昌子は、見馴れない熊崎式速記文字でも解読の可能性があることを云った。 「佐伯さん。では、ぼくがこれから来客と会っている間に、この手紙の速記文字を解読して、普通の文字に復元してくれませんか。解る部分だけでいいですから」  土井が云うと、佐伯昌子は熊崎式速記文字を睨《にら》んで、 「見ただけでもむつかしそうですが、できるかぎりやってみますわ」  と努力のほどを示した。 「頼みます」 「でも、土井さん。原井先生の『演説集』がまだ半分くらいしかできていません。沢田先生の『日本の新しい道を考える』もたいへん急がれておられるのでしょう?」 「そうだけど」  すべて土井の代作による口述の速記だった。速記文字を復元(反訳ともいう)する時間は、速記の時間の三倍はゆうにかかる。  佐伯昌子は言外に、急いで完成しなければならぬ仕事が詰まっているのに、馴《な》れない他方式の速記文字の復元に要する時間的な費消を云っているのだった。考えながら解読するのだから、自分が取った速記を復元する時間のまた何倍かかるかわからない。  それよりも急ぐ仕事を先にして、こっちのほうはあとにしたらどうかと彼女は云いたげであった。その助言はもっともだが、土井としては外浦の速記文字を早く読みたかった。そのくらい興味を唆《そそ》るものがあった。 「いや、やっぱりこっちの復元を先にやってください」  土井は彼女に命じた。 「そうですか」 「ぼくには必要です。原井さんと沢田さんの原稿のほうは、もうすこし待ってもらいましょう」 「はい、わかりました」  佐伯昌子は小さな顔をうなずかせた。  土井は次の間に入った。応接室式になっているこの部屋の革張り椅子に、長谷川勝一郎議員の秘書小泉尚哉が腰を深く落して退屈そうに煙草をふかしていた。 「お待たせしました」  小泉秘書は喫いさしの煙草を灰皿のふちに乗せて立ち上った。顔の長い、縁なし眼鏡の男だった。 「お電話申し上げた長谷川の秘書小泉尚哉です」  彼は型どおりに土井に名刺を出した。襟に秘書バッジがある。 「いつも長谷川がお世話になります」  小泉は挨拶した。  土井は長谷川議員に一度も会ったことはなかった。電話がかかってきてもだれかれとなく「いつも××(議員の名)がお世話になります」というのが議員秘書族に見る舌の習性であった。  小泉秘書の依頼は、政憲党所属衆議院議員長谷川勝一郎の「著書」を書いてほしいというのだった。  この応接間の客といえばみなそうした用向きばかりである。弁護士事務所の客が法律関係や裁判沙汰の事件依頼人であるように、煖炉《だんろ》の燃えるシャーロック・ホームズの客間に駈け込むのが犯罪事件の解決依頼人であるように、一つとしてほかの相談ごとはなかった。  近ごろは国会議員のパーティばやりである。つい先々月も川村正明の「励ます会」がOホテルであった。パーティをすれば議員にはカネが入る。パーティを開くには名分がなくてはならない。「励ます会」のほかに最も多いのが出版記念会であった。しかし、議員は著書が書けない。秘書にも書けない。忙しいせいでもあるが、それだけではない。才能を要する。そこで自己の頭脳の代用品が必須となってくる。 「どういうご趣旨の著書ですか」  土井は事務的に小泉秘書に訊いた。 「そうですな」  小泉は困った顔をした。 「ぼくらにはちょっと題目が浮びませんが、何かございませんか」  ほとんどの「依頼人」が同じことを云う。そちらはゴーストライターが商売だからそんなことには馴れているだろうといった顔だった。 「さあ」  土井が首をかしげると、 「なんでもけっこうです。土井さんにお任せします」  と、縁なし眼鏡の秘書は云った。  これも「依頼人」の共通した言葉だった。内容はどうでもよい。「著書」さえできればいいのである。パーティは議員の収入になる。大物議員の場合、一流ホテルで催すと、パーティ券がおよそ一億円の売上げになる。ホテルの使用料(料理代、酒代、サービス代など)を引いても、その六割ないし五割は懐に入るしくみだ。「著書」はその看板であった。本気で熟読する者はいない。  が、その看板がなければ、一夜にして五、六千万円もの利益は得られない。議員の「著書」を何としてでも書いてほしいのである。  それがとくにベテランの名ある土井に集中してくる。 「長谷川先生の著書は四六判で、どのくらいのページ数にしたいとご希望ですか」  土井は冷えた茶をひと口すすってきいた。 「あんまりうすっぺらでも困ります。このくらいの厚さです」  小泉秘書は親指と人さし指との間を上下に開いた。一センチ半ほどあった。 「ははあ。二百十ページくらいですな」  土井はすぐに計算した。 「四六判で二百十ページというと、十ポイントの活字をゆるく組んでも十四行、一行が三十五字で、一ページが四百九十字ですね。約五百字の二百ページとして、四百字詰の原稿用紙で約二百五十枚書かなければなりません。それだけの枚数を書くからには、ぼくに内容を任せると云われても困ります。なにかテーマをきめてください」  土井は相手の長い顔に云った。 「それが、いまのところ何もテーマが浮ばないのです」  小泉秘書は、縁なし眼鏡の下で瞳をうろうろさせた。 「長谷川先生はいかがですか」 「おやじはぼくに任せるから、土井さんにお願いしてこいと云うだけです」 「その本は急ぎますか」 「急ぎます、急ぎます」  秘書はにわかに身を前に動かした。 「二カ月後に出版記念のパーティを予定しています。それまでに間に合うように書いていただけませんか。会場もNホテルに決めて、鳳翔《ほうしよう》の間も押えているのです」 「お気の毒ですが、とうてい間に合いません」  土井は前の煙草をつまんで答えた。 「間に合いませんか」 「いいですか。二百五十枚の原稿を書くとなると、ぼくがいま抱えこんでいる仕事の状態だと一カ月以上はかかります。それから印刷所に回って、組みとか印刷とか製本とかに一カ月はかかるでしょう」 「印刷屋や製本屋には手を回してあります。二十日間ぐらいでやると云っています。カネをうんとはずみますから」  五千万円か六千万円の利益を目の前にして、印刷代の少々の増しは平気なはずだった。 「たとえ印刷屋や製本屋がそうでも、ぼくの原稿が間に合いませんね」 「土井さんは速記者を使って口述なさっているから、お仕事は速いと聞きましたが」 「前から頼まれている先生がたの著書が二つあるのです。そのほかにもありますが、とくにその二つが急がれているので、それが済まないことにはお引受けできませんね」 「さすがに土井さんは理論派の、流行児《はやりつこ》ですね」  小泉秘書は、皮肉でも何でもなく、むしろ讃歎の眼で云った。 「理論派」の代作者と云われる意味が土井にはわかっていた。かれらは東大法学部の全共闘運動家だったのを云っているのだ。  いま引受けている沢田議員の著書「日本の新しい道を考える」に、自分はどのような「理論」を書きつつあるのか。原井健一郎議員の著書「演説集」にはどのような「理論」を展開しているか。すべて全共闘時代の「敵」の理論である。それを現在の政治、社会情勢に合わせ、さらに「敵」の理論を上乗せしたものだ。 ≪我々千四百の法学部生は、機動隊導入糾弾、医学部闘争勝利、東大の自治に民主的な慣行と制度的保障を実現させるために、昨日568:187:39:13で圧倒的にスト権を確立した。我々はこの闘争の重大性と、昨日の総長『会見』の結果にかんがみて、本日ストライキをもって我々の闘う不屈の意志を内外に高らかに宣言する。  我々の法学部の本日のストライキは、法学部九十年の歴史に画期的な一ページを切り開くものである。基礎単位もなく、討論の場も保障されない我々は、実に徹底した討論を、ロビーで、図書館前のしばふで、演習室で展開し、三年の旧クラスを復活し固い団結を打ち固めてきた。学部長交渉や、学内デモを成功させ、六・二〇闘争には学生大会でもって参加した。六・一七以後の闘いをすべて集約した本日のストライキは、法学部が反動的支配者養成所であった過去の歴史を突破する日でもある。我々は、この闘争が実に様々な困難を迎えるであろう事は百も承知である。我々は、この闘争を最終の勝利の日まで全東大の闘う人々と共に闘い抜く事を断固として表明し、本日のスト権を行使することをここに宣言する≫  ——小泉秘書の声が、土井信行の回想を破った。 「ねえ、土井さん。なんとかして長谷川の著書をお書き願えませんか。お願いします。このとおりです」  小泉は両膝《りようひざ》の上に両手を置いて、土井に向い、深々と頭を垂れた。 「困りますね、小泉さん。まずその手をあげてください」  土井は眼がさめたようになって相手を見すえた。 「いま申しあげたとおりです。とうていお引受けできません。物理的に不可能なのです」 「あのう、原稿料のほうは、ほかの先生方の二割増しぐらいお出ししたいのですが」 「え?」 「おやじがそう申しているのですが」 「ダメです。長谷川先生によろしくお伝えください」 「まあそうおっしゃらずに、なんとかお考え直していただけませんか」 「考え直す余地はありません。失礼ですが、どうぞお引きとりください」 「そうですか」  小泉秘書は未練そうに、また電話するかもしれないと云って部屋を出て行った。  土井はクッションに長いこと埋まっていた。頭を抱え、太い息を吐きつづけて、こそとも身動きしなかった。ひきしまった身体《からだ》が、牛のように重く見えた。 ≪闘う人々と共に闘い抜くことを断固として表明し……≫ 「土井さん」  いつのまにか佐伯昌子が椅子のうしろに来ていた。 「ご気分でもお悪いのですか」  彼女はうずくまっている土井をのぞきこんできいた。 「いや」  土井は椅子の上で身を起した。 「ちょっと疲れたんです」 「お顔色がよくありませんわ」  彼女は土井の顔をまじまじと見て云った。 「大丈夫です。いま帰って行ったお客さんが相当強引な話をするものだから、その応対にくたびれたんです」 「お話、お断りになってよかったと思います。あちらでうかがっていて、ほっとしましたわ」  中仕切りのドアは閉めてあったが、こちらの話は次の間に筒抜けだった。 「土井さん。さっきの熊崎式の速記文字ですが、すこし見当がつきましたわ」  佐伯昌子は、土井の気持を引き立てるように云った。 「え、わかったんですか」  事実、土井は頭を押えてうずくまっていた革椅子から急に身を起して、女性速記者の顔を凝視した。 「全部ではありません」  彼女は土井の勢いと、その早呑《はやの》みこみにあわてたように云った。 「一部でもいいです。それはどういう個所ですか」 「タイトルです」 「題名ですか。何というんです?」 「夏の夜の夢、というのですわ」 「夏の夜の夢?」 「夏の夜の夢」は有名なシェイクスピアの作品名だ。 「でもそれは題名だけで、内容はシェイクスピアの劇とはまったく関係がないのはたしかです」 「内容は、どういうことが書いてあるんです?」 「それをこれから読んでゆこうと思いますわ。固有名詞ではありませんが、�夏�と�夢�という普通名詞がはっきりと書いてあるんです。タイトルだからでしょうね。�夏�と�夢�とがわかれば、字数からいって、�の夜の�が推定できました。シェイクスピアですもの」 「そうですね」 「すると、ここで、ナ、ツ、ノ、ヨ、ユ、メという六字が得られました。つまり、さきほど申しましたナ行、タ行、ヤ行、マ行の変化を応用して解読すればいいと思うのです」  佐伯昌子は微笑した。  四日経った。  佐伯昌子は、政憲党の沢田平兵衛衆院議員の「日本の新しい道を考える」を復元している。この「著書」は土井が一週間にわたって、とびとびに口述したもので、用事にさまたげられなかったら、三日間くらいでできる程度のものだった。  佐伯昌子はその復元作業を、アダムズ・ホテルの「土井事務所」でもするが、自分のアパートに持ち帰ってもつづけている。  土井はいま同党の原井健一郎議員の「演説集」を口述しているが、その半分を終っていた。「著書」も「演説集」もあまり高度な内容は適当でない。密度も要らない。読んで「面白くてタメになる」のがいいが、注文主はかならずしも「タメになる」ことを要求しない。「出版記念会」の材料になればよいのである。  本を出したとなれば、「出版記念会」は東京でも選挙区でも開ける。名目しだいでは関西でも催すことができる。それだけ議員の収入が二倍になり三倍になるため、当の議員は随喜する。「出版記念会」は、いまや議員たちの有力な資金源の一つとなっている。  土井は、こうした本を書くのに、資料を集め、材料を整え、メモをとって構想を練る。議員も秘書も「お任せ」だから、全部自分で考えてやらなければならない。なかには、だいたいこういう趣旨を、と注文してくるのがあるが、これだとやりやすい。が、その趣旨なるものはおよそ月なみで、陳腐きわまるから、土井は自分なりに軌道修正する。そうして完成した原稿は、先方の予想以上の出来栄えなので、たいそう満足される。  けれども土井の苦労は注文主によって、それぞれ書きわけなければならないことだ。みなが、一色になってはいけない。たとえ大同小異でも(みんな保守の政憲党だから)、述べることがそれぞれ変っていなければならない。  そこで、彼は注文主の議員に一応会って話を聞くが、その議員の知的程度、教養程度を判別し、その言葉の癖をのみこみ、身ぶりで性格を知る。さらにその議員の出身地や選挙区の地方的特徴も勘案して、文章を工夫する。一度それらが決まれば、口述はわりあいにすらすらといった。それまでの準備に時間がかかるのだ。 「佐伯さん」  土井は、沢田平兵衛議員の「日本の新しい道を考える」の残りを復元している佐伯昌子のうしろに立った。  左側に置いた自分の速記文字を見い見いして、原稿用紙に普通の文字を埋めている。速記は、二つに折った半紙を綴《と》じて鉛筆で書く。まるで唐草文様のような記号だった。復元はボールペンだった。 「この前の、�夏の夜の夢�の速記文字だけど、内容がだいぶんわかりましたか」  昌子は、ボールペンを措《お》いて土井のほうへ向いた。 「まだ読めない字がいっぱいあります。熊崎式というのが旧式で、そのうえ、書かれた方の自分なりの崩し文字がありますから、こちらで推理しながら判読しなければならないんです。まだ時間がかかります」 「そう」 「でも、ナ、ツ、ノ、ヨ、ノ、ユ、メ、を手がかりに、各行と各段の変化をたどってみて、すこしは見当がつきました。内容は、恋を中心にした小説のようですわ」  身体が小さく顔が細いせいもあって、色気を感じさせない女だった。あまり美しくないためか、化粧して来たことがない。頭のてっぺんから足の先まで女速記者であった。  佐伯昌子が「恋」という言葉を口にしても、まるで包丁とか茶碗《ちやわん》とかの即物的な響きにしか聞えなかった。  そぐわないといえば、外浦卓郎が恋愛小説を速記文字で書いているということだった。意外というよりも、その違和感が先に立った。 「それには主人公の名前と、ヒロインの名前が出てくるんですか」  土井がきいたのは、速記者は固有名詞だけは崩さずにきちんと書くものだと昌子から前に聞いていたからである。 「名前は出てきません」  昌子は、自分でも首をかしげて答えた。 「主人公が『彼』で、ヒロインが『彼女』です。おしまいまで、ずっとそれが通されています」 「周囲の登場人物は?」 「これも『A』とか『B』とか『X』とか『Z』などです」 「ほほう。まるで前衛的な観念小説のようですな」  土井は云ったが、むろん外浦卓郎がそんな「文学作品」を書くとは思えなかった。第一、そんな「文学作品」だったら速記文字で書く必要はない。これは遊びの文章にちがいない。  二日あと、佐伯昌子が「事務所」で土井に云った。 「土井さん。『夏の夜の夢』の筋がだいたいわかりました」  見馴れない熊崎式速記文字がおよそのところ解読できたというのである。苦労したらしかった。 「そりゃァよかった。どういうのです?」 「まだこまかなところがわからないで残っていますが」 「あらましでいいです」 「主人公の『彼』は中年のようです。年齢はわかりませんが、妻子があります。ヒロインの『彼女』は人妻で、子供が二人居ます。その夫はZの記号であらわされています。Zはどういう職業の人だかわかりませんが、企業家のようです。というのは始終会社の仕事で忙しがっていて、地方の出張が頻繁で、家にたまに居ても来客が多い人です」  佐伯昌子は話しはじめた。 「そして『彼』はZの会社の幹部社員で、Zの直系らしいのです。『彼』はZ社長の家によく行って、社長に社内情報を報告したり、社長から重要な指示をうけたりしています。そういうことで、社長の家庭とは非常に親しく、社長にも、また夫人つまり『彼女』にも信頼を得ています」 「なるほど」 「Z社長は、日曜、祭日の休日でも地方の出張などがあったり、遠方へゴルフに行ったりしていて、留守がちです。子供の相手になってやれない。そのウラには、どうやら社長には外に愛人がいるらしいんです。そのために家庭サービスがおろそかになるんですね」 「ははあ」 「社長夫人である『彼女』は、休日に東京から車で二時間ほどの保養地にホテルをとって子供と過すのをならわしにしています。息子が高校生、娘は中学生のようです。ところが『彼女』はひとりで週末の夜からホテルへ行っていて、日曜日の午前中に東京からそこにくる子供たちを待っているというふうです」 「『彼女』はどうして週末に子供たちといっしょに保養地へ行かないのかな」 「たまにはひとりになって休養したいのです。子供をつれてゆくと、ほんとの休養にはなりませんから。週末の一晩だけひとりになりたいのですね、温泉にゆうゆうとつかって」 「温泉?」 「その保養地は、どうやら箱根がモデルのようですわ」  ここまで話したとき、電話が鳴った。  昌子が受話器をとった。先方の話をメモしてから受話器に手で蓋《ふた》をし、土井にふりむいた。 「錦織《にしごり》先生の秘書の畑中さんという方からです。お願いごとがあって、近日中にぜひお目にかかりたいと云っておられますが」  錦織宇吉は寺西正毅の直系で、国務大臣を二度つとめた。もとからの寺西派ではないが、他派閥から入って、いつのまにか寺西の側近的存在となった。「口八丁、手八丁」の評がある。  その錦織議員の秘書が会いたいというからには、錦織の代作を頼むというのだろう。どのような話の内容か聞くだけは聞いてみようと土井は思った。 「土井です」  昌子から取った受話器に云った。 「やあ、土井さんですか。いま秘書の方にお伝えした錦織宇吉の秘書の畑中正太郎と申します。初めまして」  電話を受ける佐伯昌子を、知らない外部の者は秘書の声だと思っていた。  土井が通話しているあいだに昌子は紅茶の支度をしていた。ジャーにはいつも熱い湯が入れてあった。  電話の畑中は世馴れた調子で、こんど錦織が伝記ものを書くので、その草稿をつくっていただけないだろうか、といった。 「伝記というのは錦織先生ご自身のですか」 「それだと自伝ですね。いいえ、自伝ではありません。ある人の伝記です。それはお目にかかってからお話ししますが」  たぶんそれは郷党の先輩の伝記だろうと土井は思った。当選七回、大臣経験のベテラン議員でも「出版記念会」はやりたいらしい。政治への抱負といった式の「自著」はもうありふれているので、それを「伝記」に変える趣向が錦織の目先の利くところかもしれない。伝記の主人公が大実業家であれば、その本は企業ぐるみで全部買ってくれるだろうし、金ヅルも太くなる。出版記念会のパーティ券だけではないのだ。  土井は畑中秘書に面会の日時を約束して電話を早く切った。佐伯昌子から「夏の夜の夢」のつづきを聞きたいからだった。 「『彼女』で表現されている社長夫人が、週末にひとりで保養地へ行き、その晩はホテルに泊って翌日の日曜日に子供二人を迎えるところでしたわね」  昌子は紅茶を土井の前に置き、行儀よく椅子に落ちついてから云った。 「その保養地へ行くとき、『彼』が車を運転して『彼女』をホテルへ届けるのです。専用の運転手よりも『彼』のほうが気がおけなくていいというわけです。これは『彼女』の夫の『Z』からも妻のためにそうしてくれるように『彼』に頼んでいるのでした。……」  というところまで、佐伯昌子は「夏の夜の夢」の筋を土井に話した。  その設定からすれば、「彼」と「彼女」の間が、どのように進行するかは、いま「読者」の立場である土井にも、おぼろげながら、予想がつきかけた。 「ホテルに『彼女』を送っても、両人はそこのロビーでお茶を飲むていどで、『彼』はすぐに東京へ引返してくるのです」  そこから佐伯昌子はつづける。保養地のモデルが箱根らしいとはさきほど土井は聞いた。「彼」は東京から二時間の距離をとんぼ返りするのである。 「そのうちに、ホテルでのお茶が夕食を共にするようになるのです。『彼女』にしてみれば東京から自分を送りとどけてくれたのだから、お茶だけで『彼』を返すのは悪いような気持なんですね。人情ですわ。夫の『Z』から『彼』に頼んで車でエスコートしてもらっていることだし、『彼女』としてはやましい気持がなかったのです。『彼』もまた同じでした。その夕食にしたってホテルの中にある一般のレストランでしたからね」  熊崎式速記文字で綴《つづ》った外浦卓郎の「小説」であった。「彼」が外浦自身に当るかどうかはわからないにしても、外浦の面影が重なってくる。  してみると、「Z」社長は東方開発社長和久宏のことなのか。和久は社長業のほかに財界の世話役として多忙をきわめている。家族サービスが十分にできないと思われる。愛人も数人くらいは居そうである。「Z」の設定とよく似ている。となると、「彼女」は和久夫人ということになる。 「夏の夜の夢」は、外浦卓郎の「告白小説」であろうか。先のプロットがだいたい想像できる。それとも、まったく架空の「物語」なのか。 「そうしているうちに……」  佐伯昌子はつづけた。 「ホテルでの夕食に『彼』は酒を少しずつ飲むようになるのです。もともとお酒が好きな人になっています。保養地から東京に車で帰るのですから、これはドライバーの自制を破ったことになります。『彼女』もそれを承知で『彼』にお酒をすすめます。『彼女』にしてみれば、社務に忙しい『彼』が私的な奉仕をしてくれるのですから、申しわけないという気持があるんですね。『彼女』はお酒がきらいなほうではないようです。酒が入ると、もう『彼』は車を運転して東京へ帰ることができませんね。その夜はホテルに泊るしかありません」 「ホテルに『彼』が泊るといっても、『彼女』とはもちろん別々の部屋でした」  佐伯昌子は、色気のない顔で話をついだ。 「そうしているうちに、『彼』が『彼女』を車で保養地へ送って、同じホテルに泊る回数がしだいに多くなります。けれども決して同じ部屋ではありません。階《フロア》も違います」  昌子はそこを強調したいようであった。 「でも、部屋に入ってからでも、『彼』と『彼女』とは互いに室内電話で話をし合います。睡《ねむ》るまで」 「どういう話ですか」 「そこのところの速記文字がよく読めないのです。なんだか謎《なぞ》かけ問答のようですわ」 「謎かけ問答?」 「今は廃《すた》れたけれど、以前に二十の扉式の謎問答がありましたわね。ああいうものらしいんです。他愛ないもののようです。それが終ると、おやすみなさいを云い合って受話器を措くのです」  同じホテルに泊っている意識から、すぐには寝つかれないままに、そういう電話をかけ合うのか。気持の昂《たか》ぶりをしずめるために。また部屋に入ってからも相手の声を聞くために。—— 「そういうことが二カ月ほどつづきました。夏になりました。保養地は涼しいのですが、二人はしだいに寝苦しい夜を迎えるようになりました。若い人たちが集り、暗い林間にはキャンプファイアが燃え、青春の歌声がホテルの窓に聞えます。そんなある真夜中、『彼女』が『彼』の部屋を訪れてきます。ひそかなノックがドアに鳴ったとき、それが誰の訪問かを知っている『彼』は、しばらく迷いますが、思い切ってドアを開けます。『彼女』は黒い紗《しや》のベールで顔を掩《おお》っていたのですが、それをかなぐり捨てて『彼』の胸に顔を埋め、慟哭《どうこく》するのです。そうして泣きじゃくりながら『彼』へ愛を告白します」 「……」 「翌朝まで『彼女』は、『彼』の部屋から去りませんでした」  和久夫人と外浦のことだろうか。それとも彼のまったくのつくりごとか。 「それから、どうなるんです?」 「残念ながら、物語はそこまでです。でも、『Z』にかくれた『彼』と『彼女』の不倫の恋がつづくことを、この『夏の夜の夢』は暗示しています」  色気のない佐伯昌子の眼も、さすがに異った表情があらわれていた。彼女は話し終ったあと、溜息《ためいき》のようなものを吐いた。 「ねえ、土井さん。これを書かれた方の、ご自分の告白なんでしょうか」  横へ視線をやって、女性速記者は呟《つぶや》くように訊いた。  成田にて  土曜日の夜七時ごろだった。土井の乗ったタクシーは成田空港前の検問所で停められた。  タクシーは京成電車の成田駅前から拾った。都内の箱崎から出ている空港行のバスを利用しなかったのは、チリに発つ外浦卓郎の見送り人らと顔を合わせたくなかったからだ。  検問所では、制服の警備員が車の窓をのぞきこんで、土井の顔を見つめた。 「お見送りですか」 「そうです」  手荷物はなかった。もう一人の警備員が後部トランクを開けさせたが何もなかった。 「何時発の便ですか」 「二十時二十分発ロスアンゼルス行のJALです」 「身分証明書をお持ちですか」  土井は地下鉄の定期券に名刺を添えて出した。名刺には「事務所・アダムズ・ホテル一三五号室」とだけ入っている。 「事務所というと、どういうお仕事の事務所ですか」 「速記の仕事です」 「ソッキ?」 「人のしゃべるのを書きとる速記です」  土井は手つきでその真似をした。  警備員は何かもっと質問したそうだったが、 「まあいいでしょう」  と、定期券と名刺とを返してくれた。  ターミナル・ビルに行くまでにも、出動服の機動隊員が道路の両側にところどころ防護板を前にしているのがタクシーのヘッドライトに浮び出た。後方には鳶色《とびいろ》の輸送車が配置されてあった。  出発ロビーは人で混んでいた。この時刻はヨーロッパ便の出発とも重なっている。旅立つ者と見送り人とが、搭乗手続きのカウンターのまわりに群れていた。  土井はJALのカウンターの前を眺めた。が、知った顔はなかった。彼は窓ぎわの椅子に腰をおろした。窓には、構内の灯が装飾のようにならんでいた。  毎土曜日の午後八時二十分に発つJAL機は、ロスアンゼルスでサンチアゴ行PAM航空機と連絡する。  昨日の午後、土井は外浦から速達のハガキをうけとった。 ≪お忙しいだろうから、お見送りは不要です。ただ、黙って発ったと怨《うら》まれては困るので、いちおう報《し》らせる。20・20発ロス行JAL。いずれサンチアゴから手紙を出します。では、お元気で≫  出発時刻まで時間があまりないのに、外浦の顔も、その見送り人の姿も見えなかった。土井はポケットからハガキを出した。時刻に間違いはなかった。彼の到着は遅れているようだった。  外浦卓郎の「夏の夜の夢」が意味するものは何だろうか、と各航空会社の出発カウンターを見渡す一隅で土井は考えた。  あれは外浦のイタズラか。旧い方式の速記文字で書いたことじたいがイタズラめいているが、そのために内容もつくりごとなのか。  しかし、「夏の夜の夢」を、銀行の貸金庫のカギといっしょに外浦が渡してくれたところをみると、両者は関係がありそうにもみえる。つまり「夏の夜の夢」は貸金庫書類のアウトラインをほのめかしているようにも思えるのだ。  速記文字「夏の夜の夢」は、佐伯昌子の解読によると、物語は途中までのようである。結末が書いてない。進行形のままに筆を措いている。そういうところが、かえって現実性があった。もし、それがフィクションなら、起承転結といった物語の体裁をととのえているはずだからである。  が、その一方、「作者」の外浦は、話のまとまりがつかなくなって、途中で投げ出したとみることもできる。発表する気のない話だから、そこは「作者」がわがままで、面倒臭くなって中絶したのかもしれないのだ。  ロスアンゼルス行のほか、ヨーロッパ便の出発時刻が近づいて、ロビーには人がふえ、渦巻いていた。その上に、案内の英語アナウンスがふりそそぐ。空港特有の、はなやかな昂奮《こうふん》をもりあげたあわただしさであった。車輪つきの大型トランクを引張ってゆくアベック、出発の前に見送り人と談笑している群。花束を持っている新婚旅行らしい若い組。土井のすぐ横には、どこかへ出かける若い女が二十人ぐらい輪になって立話をしている。髭《ひげ》で顔をうずめ、眼だけを光らせている外人と日本人。手をつないでいるアメリカ人の老夫婦、赤毛の髪をふり乱し、ジーパンの長い脚で闊歩《かつぽ》するフランス女、黄色い裾《すそ》をひきずり、肩をたくしあげているインドの婦人たち。 「やあ、土井さんじゃないですか」  人ごみの中から現れた小さな男が声をかけてきた。はじめから顔をくしゃくしゃにして笑うのは「院内紙記者」の西田八郎であった。 「やあ」  土井は腰を浮かした。 「しばらくですな」  左手に学生が持つような折りカバンをさげた西田は、右手を挙げ、兵隊のような失敬をした。  一列の椅子は人々で詰まっている。土井は立って西田へ席を譲ると、 「いや、そのまま、そのまま」  と、土井の前に前こごみに佇《たたず》んだ。  数年前までは、土井は西田と永田町や霞が関|界隈《かいわい》でよく顔を合わせた。そのころ土井は、ある大手の院内紙の記者をしていた。様子のわからない新米時代に、うろうろしているとき西田に遇《あ》うと、彼は親切にいろいろなことを教えてくれた。様子のわからない場所には、その前まで連れて行ってくれた。  議員や議員秘書の間で西田の評判はよくなかった。ハエのようにうるさくて、針小棒大な「情報」を持ち歩き、しつこくカネをせびるというのである。その悪評には、金槌《かなづち》で叩きこんだような顔と、背が低いという彼の肉体的条件がだいぶん手伝っていた。  元地方紙東京支社員上りの古い院内紙記者だが、そのころから群にはぐれた一羽のカラスのようなもので、バックがないので、どうしても「お客」の議員たちに愛想笑いをしながら、ぺこぺこと頭をさげることになる。そういうことが議員秘書らからは卑屈にみえ、院内紙記者仲間からもバカにされる。  五十歳の西田の矮小《わいしよう》な身体《からだ》はいつも粗末な洋服をまとい、短い足先はカカトのすり切れたドタ靴をはいていた。西田には、まだ中学生の娘をかしらに四人の子がいて、生活が苦しいということだった。だが、それは皆の同情にはならず、憫笑《びんしよう》の対象でしかなかった。  また、もう一つ西田が軽蔑《けいべつ》されているのは、彼が詩の同人雑誌「季節風」に詩を出していることだった。いい年をして、あんなものを書いて、ということになる。これが俳句の類《たぐ》いだったら、まだマシなのだが、青臭い「詩」では見下されるばかりだ。  それに、西田の貧乏は「季節風」の印刷費用の大半を自分で負担しているのにもよる。「同人」は二十代の青年がほとんどだから、遊ぶ金はあっても、同人費はろくに払わない。文学青年時代の尻尾《しつぽ》が付いている西田は、まわりの文学青年の親分のような気持になって、さらぬだに楽でない家計を犠牲にして同人誌にカネを出している。そのため「季節風」は三十二ページという薄ぺらなもので、ほんとうは自分の作品で埋めつくしたい西田も若い同人たちのために一篇の詩で我慢しているのだった。この同人誌の貧弱さがまた西田の風貌《ふうぼう》とよく似合うのだった。  西田の相変らずな見すぼらしい服装が眼の前に立っている。土井は、眼を落さないわけにはゆかなかった。視線が落ちた膝のズボンも、上着も、英国製の生地《きじ》で、最近の仕立てだった。土井は自分が恥かしかった。 「土井くん。だれかをお見送り?」  西田はにこにこしてきいた。前歯が一本欠けていた。土井のりゅうとした服装など、彼の眼にはまったく入っていないようだった。 「外浦卓郎さんの見送りです」 「外浦さん?」  西田は云って、ああ、と口の中で声を出した。 「寺西正毅先生の秘書だった人だな」 「そうです。ご存知ですか、外浦さんを」 「いや、会ったことはないけど、しかし、有名な秘書だからね」  西田のような貧弱な院内紙記者では、外浦秘書に近づけなかったようである。 「外浦さんは最近、寺西先生の秘書をやめたそうじゃない?」  西田はその話を知っていた。 「和久宏さんのもとに円満に戻ったのです。そしてこんど和久さんがつくっている『チリ東方開発』の役員となって出向することになり、今日がその出発です」  西田が訝《いぶか》しそうな眼をしたので、 「じつは、ぼくは大学で外浦さんの後輩なんです」  と説明した。 「ああそうか。じゃ、外浦さんも東大の法科?」 「むこうは十年先輩ですが」  それで見送りの理由がわかったと西田は納得した顔になった。  土井は、西田がここに来ているのは、てっきり彼も外浦の見送りに集っている議員連中からの「取材」だと思っていただけに、様子が違うのが案外だった。 「西田さんも、どなたかをお見送りですか」  土井は、つい訊《き》いてみた。 「いや、ぼくはね、出迎えのほうだよ」  西田は、うすくなった頭を振った。冬枯れの草のような髪は、それでも両側が芸術家のように長く、ちぢれていた。 「出迎え?」  ここは出発ロビーだから、場所が違いますよ、と土井が注意しようとすると、西田はロビーの壁にかかった大時計に眼をやった。 「到着時刻にはまだ一時間近くあるんでね。退屈だから、こっちへ遊びに来た。そしたら、あんたに遇った」 「はあ」 「チリ行の出発は何時なの?」 「チリのサンチアゴ行は直行でなく、ロスアンゼルスで乗りかえらしいです。JALのロス行は二十時二十分です」 「じゃ、もう、あんまり時間がないな」  西田は大時計に眼をやった。 「ロス行の出発時刻がせまっているというのに、外浦氏を見送る金バッジの連中の姿が見えないなあ」  西田は、うすい頭をJALのカウンター付近にねじむけた。  事実、そこには外浦卓郎の見送りと思われる顔はなかった。 「ああわかった」  西田が急に大きな声を出した。 「みんなは、きっと特別待合室に居るんですよ。エライ人ばかりだからな」  彼は欠けた前歯を出して、にっと笑った。  なるほどそうか、と土井も合点した。 「特別待合室は、四つも五つもあるので、外浦氏とその見送りの一団がどの特別待合室を使ってるかわからんな。どれどれ、ぼくが聞いてきてあげよう、特別待合室案内所は、商店街のはじっこにあるはずだから。たしか『アビリオン』というレストランの隣だったように思う」  西田がそっちへ足をむけそうになったので、土井はあわててとめた。 「西田さん、いいんですよ。ぼくは特別待合室なんかには入りたくないですから。外浦さんがここへ姿をあらわしたときに、挨拶するつもりですから」 「そうだけど、何号の特別待合室か、それだけを聞いてくるよ。じつはね」  西田は眼をつむった。 「ぼくだって見送りの顔ぶれに興味しんしんなんでね。その特別待合室にもぐりこんでみようと思いついたんでね」 「……」 「ああそうだ、ぼくが戻ってくるまで、退屈しのぎに、これでも見ていてください」  西田は、くたびれた折りカバンを急いで開けると、中から薄いパンフレットのようなものをとり出して、土井に渡した。 「三日前にでき上ったばかりです」  見ると、パンフレットではなく、セピア色の抽象絵画の木版刷りに「同人雑誌」の活字とならんで、これも木版の「季節風」の黒刷りが表紙となっていた。 「そこに、ぼくのつまらない詩が載っている。まあ読んでください。二十ページからだが」  西田は、いくらか昂ぶったような声で云った。 「拝見します」 「じゃア」  西田の着古した洋服は、人ごみの間をすり抜けて構内商店街のほうへ消えた。  西田が特別待合室にもぐりこむというのは、そこに居るらしい議員連中へ話しかけたいもののようで、本院や議員会館を廊下トンビする気持と変らなくみえた。土井はその西田の後姿と、渡されたばかりの同人雑誌との距離を、しばしはかりかねた。  土井は、同人雑誌「季節風」を開いた。西田が指定した二十ページ目である。    池辺の路   西田 八郎   池の辺《へ》の 白き路   行き遇ひし ひとむれ   なかに 識《し》れる   女子《をみな》あり   彼女の微笑《わら》ふ瞳《ひとみ》は   われにむけし 一瞬のもの   嫁ぐ先決めに   母、姉、縁者らに   かこまれて 過ぐ   彼女は知る わが心   それ故に 送り来りし   ほほ笑みなりき   風が   水面をわたり   光線を   走らせて 消ゆ   ああ わが境遇《さだめ》   彼女への   告白《ことば》を 阻む   三十年《みそとせ》経し今も   暗き戸は われを囲む   されど なほ   薔薇の花弁《はなびら》の如きほほゑみ   眼底に描けば 光駆け行く  ——本院や会館の廊下トンビをして、議員や秘書をつかまえてはみみっちい「情報」を売ったり、「おつきあい広告」という名目でカネをせびって歩く西田八郎と、これが同一人の作った詩か。……  詩は義理にも上手とはいえない。が、この少年のような抒情《じよじよう》が西田の生活の暗さを救っているのだろう。人から軽蔑され、見くだされているのも彼にはわかっている。その屈辱の気持を浄《きよ》らかにするのが、彼にとっては「詩」であり、それが彼の生活の支えとなっている。だからこそ生活費を削ってでも、「季節風」を守りつづけているのにちがいない。  土井は「代作」業をはじめてから、身なりが立派になったとか、羽振りがよくなったとか人に云われ、陰口されるようになった。それにはたぶんに妬《ねた》みがある。じっさいそういう眼で露骨に見られるのだ。永田町界隈を徘徊《はいかい》して、以前《もと》の彼を知っている人たちである。それらへは反撥《はんぱつ》を感じ、わざと挑戦的な態度に出ることもあるが、西田八郎は人一倍うすよごれた格好はしていても、一度もそういう羨望《せんぼう》とか嫉妬《しつと》の眼をこっちにむけたことはなかった。どこまでも堂々としていて、以前と変らない。土井は「詩」が西田の心の支えになっているのを知った。  西田八郎の稚拙な「詩」は、彼の生活に宗教的なほど充実感となっている。うすっぺらな「季節風」発行のためには、なりふりをかまわなかった。  土井にはまたしても十数年前の「檄《げき》」が浮んでくる。 ≪本部中心のバリケードを  全学封鎖に高めよ!  首都、全国の学園バリケード闘争と結合し、  東大解放区を、帝国主義権力中枢攻撃の  闘いと結んだ街頭バリケード構築!  (=生産点バリケードの街頭への進出の萌芽形態)  それへの一大拠点へ発展させよ!  権力の仮面をひきはがし  その階級性を明らかにする中でこそ  闘いを進めなければならない  自らの階級性(全社会的立場)を  獲得せねばならない!≫  ——かつてのこの熱情的な「詩」が、いま土井の身体の中を風のように吹き抜けて行く。残るのは、自己にむけた泥のような悔恨と苛責《かしやく》だった。  他人のための代作があった。—— ≪老衰せる脳の後頭葉、すでに枯死せる視覚、知覚、認識、理解力。しかして肥大せる前頭葉にうごめく生存欲、所有欲、自己顕示欲の、年寄り政治家に、日本を任せてよいでしょうか。断じて否であります。この人たちはわが党の長老ばかりでありますが、即刻に退場を願わねばなりません。そのためには党の改革が急務であります。今秋の総裁選挙は、真の公選ではなく、禅譲という三千年も昔の中国に逆戻りしたような密室内の帝王委譲であります。国民を愚弄《ぐろう》するにもほどほどにしてもらいたい。ふざけるな、と云いたいのであります。  首相の座が桂さんから寺西さんへ、シャン、シャン、シャンと手をしめて行われる。まるでやくざの親分の跡目相続と同じであります。それに対して党内において奇異の声がいっこうに高まらないのはふしぎであります。わが党は、よほど重症になっているようであります。それを救うには、われわれ若い行動派が改革を行わなければなりません。  わたくしども革新クラブは、あくまでも国民本位の国民主義であります。国民主義といえば、ナショナリズムと誤解されるかもわかりませんが、いわゆる民族主義とも違います。日本のため、一億の国民と共に歩くものであります。そうして日本を担うものは、やはり保守本流の、わが政憲党以外にないのであります。断じて、現在の野党ではないのであります≫(川村正明議員のスピーチのために土井信行の代作)  西田八郎がロビーの人混みをわけて戻ってきた。  例の顔をくしゃくしゃにした笑いで、急いで引返してきたせいか、息をはずませていた。 「外浦さんの特別待合室がわかった」  彼は土井のほうへその顔を寄せて云った。 「六号の特別待合室だ。三十人ぶんの椅子があって、やはりいちばん広いらしい。案内所で聞きました。場所はあっちのほうだが」  西田は手を挙げて、いま戻ってきた商店街の入口と搭乗手続きカウンターとの間の、せまいロビーの奥を指さした。 「どうも、ありがとう」  そっちのほうへは遠い視線を移しただけで、動く様子のない土井を見て西田は意外げだった。 「おや、むこうには行かないの?」 「西田さん、すみませんでした。でも、ぼくは、やはり外浦さんがこっちへ出てくるのを待ちます」 「そう」  せっかく特別待合室をさがしてやったのに、と西田は呟きそうだったが、すぐに土井の気持を察したようにうなずいた。 「じゃ、ぼくだけでも、ちょっとその部屋をのぞいてみるかな」 「……」 「あ、気にしなくてもいいよ。そこにどんな顔ぶれが集ってるか、自分の興味でのぞきにいくのだから」 「そうですか」 「わかったら、きみに知らせます」 「西田さん、到着ロビーのほうはまだ大丈夫ですか」 「ああ出迎えのほうか。いや、まだ時間がたっぷりとある。じゃあね」  西田の低い背は、もう一度人群れの中を縫うようにして去った。  西田が六号特別待合室を見に行ったのは、こっちへの親切か、それとも彼自身のためなのか、土井にはよくわからなかった。  西田はあらゆる機会をとらえて「廊下トンビ精神」を発揮するのだろう。機会は彼の商売的な利益につながっているからだ。  特別待合室へ行っても歓迎される男ではなかった。西田は、そこに集っている議員のだれかれとなしに頭をさげ、顔をくしゃくしゃにして愛想笑いをするのだろう。だが、彼にとり合う者は少く、場所違いの闖入者《ちんにゆうしや》として冷たい眼をむけられる。ここは議員会館ではないぞ、と皮肉を云う者、こんなところまで追いかけてきたのか、と露骨にイヤ味を云う者。——そんな情景が土井には眼にみえるようであった。  抒情詩人とは別人の西田八郎が、そこにあった。  出発ロビーの人は減るどころかますますふえてきた。各国行の出発機の時間帯が輻湊《ふくそう》してきたのだろう。日本語、英語のアナウンスが頻繁となった。  JALのロスアンゼルス行の搭乗が放送された。そのとき、西田がまたもや人ごみを分けてあたふたと土井の前に戻ってきた。 「六号特別待合室では、外浦君を囲み、和久社長の発声で最後の乾杯だ。もうすぐこっちに現れる」  西田は口早に云った。 「ぼくがドアを開けて入るといきなりそういう場面だったから、よく見えなかったけれど、眼にとまったかぎりでは、議員は福島藤四郎、中条貫一、滝沢俊雄、それに古橋恭三郎の四人だ。そろって『鉢の木会』のメンバーだな」 「鉢の木会」は寺西正毅派とそのスポンサー的な財界人との懇親団体である。月一回の夜の会合が赤坂の料亭でおこなわれる。西田が名を挙げた四人のうち三人は大臣経験者だった。 「それと議員秘書連が十二人。あとは東方開発の役員とか社員らしいのが二十人も来ている。そのへんになると、だれがだれやらぼくにはさっぱりわからん。御大の寺西正毅は姿が見えなかった。禅譲の時期がしだいに切迫してきたので、なにかと忙しいんだろうな」  西田は報告した。  おりから、JALのカウンターへ四十人くらいの一団がぞろぞろと流れてきた。先頭に外浦卓郎が進み、その妻と高校三年生くらいの女の児二人がうしろに従っていた。あとはバッジをつけた男たちがつづいていた。バッジは、国会議員の金色や議員秘書のアズキ色であったが、多くは「東方開発」のマークを浮かせた七宝の朱色であった。  議員らは、西田が報《し》らせてきたように、寺西派ばかりであって、元大臣の顔が見えた。彼らは寺西正毅の秘書の外浦には相当世話になったようで、かつて寺西派に振り当てられる閣僚の椅子には、外浦の蔭《かげ》の進言があったはずだ。土井はそう聞いている。  寺西正毅こそ前秘書への見送りはなかったが、閣僚経験者たちは義理にでも成田に来なければならなかったのだろう。義理といえば、もう一つ「鉢の木会」に所属する議員連中としては有力なスポンサーの和久宏への追従がある。つまり寺西の前秘書と、「金主」への手前という、二つの義理が議員らの外浦見送りに重なっていた。  白髪の多い頭で、箱のようにずんぐりとした身体の六十半ばの紳士がいた。新聞や雑誌の顔写真で見かける「東方開発」の社長で「財界の世話人」和久宏であった。和久は若い妻をつれていた。  西田八郎の姿は、いつのまにか消えていた。 「やあ」  外浦卓郎は、近づいてきた土井の顔を見て快活に笑った。 「わざわざ恐縮。……送ってくれなくともよかったのに」 「ハガキをもらいましたが、お見送りしないわけにもゆきませんのでね。おめでとうございます」 「チリ東方開発」副社長就任と、その鹿島立ちのお祝いであった。 「ありがとう」  外浦は手を出した。土井はそれを力強く握った。 「女房です」  すぐうしろにいる、背のすらりとした撫《な》で肩の女を土井にひきあわせた。 「主人がいつもお世話になりまして。かねがねお噂《うわさ》は主人からうかがっております」  面長の、眼のくるりとした妻だった。同じ眼が、傍《そば》の高校三年生の娘の顔にもあった。  皆の手前、土井は速記文字の「夏の夜の夢」を読んだとは外浦に云えなかった。 「社長」  外浦が和久宏に云った。 「大学の後輩の土井信行君です」  和久宏は、ちらりと土井を見て、黙ってうなずいただけだった。外浦から土井のことは聞いていないようであった。 「そろそろ、時間がありませんが」  東方開発の社員が云って、持っている外浦のスーツケースと吊《つ》りカバンとを随行者に渡した。随行者は本社の連絡と外浦副社長出迎えを兼ねて、サンチアゴから来た「チリ東方開発」の社員だった。  見送り人たちとの最後の別れとなった。 「頑張ってください」 「一路平安に」  口々に云った。  搭乗口へ降りるエスカレーターのところに立った外浦にむけて、 「万歳」  と、元大臣が両手を挙げた。上着がめくれ、腹のワイシャツが出た。「万歳」三唱は議員族が好む習性だった。  頭を垂れていた外浦が、顔をあげると、忘れものでもしたように、つかつかと土井のところへ寄ってきた。土井の肩に手を当て、押しやるようにすこし離れたところへ行った。 「土井君」  見送りの皆の耳に届かない低い声だった。 「銀行の貸金庫に入れた書類は、きみの自由にしていいからね。処理を任せるよ」  外浦から意外なことを聞いて、土井は彼の顔を見あげた。 「処理ですって?」 「うむ」  外浦はほほ笑んでいた。 「しかし、それは、外浦さんから貸金庫を開けてもいいという指示がサンチアゴからきたあとのことでしょう?」  これにも外浦は眼でうなずいた。 「書類の処理は、貸金庫を開扉《かいひ》してもいいという外浦さんの指示が来てからでもいいじゃないですか」  土井は云った。 「その指示が出せない場合も考えたのさ」 「どういう意味ですか」 「ほら、この前、浅草で話したじゃないか。現地で病気になるとか、何かの事故に遭うとか……」 「出発間際に、縁起でもないことを云わないでください」 「いや、ぼくは取り越し苦労をするたちでね。よけいな心配をする」  取り越し苦労は、寺西正毅に仕えてから身につけたのかもしれない。秘書として政界という修羅場《しゆらば》の裏方をつとめていると、他派閥の動向、自派議員らの寝返りにも気を配らなければならない。  浅草の待合「桐の家」で外浦が云った言葉が土井に思い出される。 (チリに二年間居るあいだに、どんな不測の事態が起るかしれないと思うからさ。チリなんてぼくははじめて行く。鉄鉱山は砂漠や峡谷の中にあるそうだ。そんなところにも視察に行かなければならない。その気候風土にも馴《な》れない。いつ病気にかかるかもしれない。そういう事態になったとき、きみに銀行の貸金庫のカギをうけとる代理人になってほしいんだ)  チリでの「不測の事態」のとき、指示を待たなくても土井は代理人として貸金庫を開扉していいというのだが、自分にその「不測の事態」になったのを知る方法があるのだろうか。あるいは「チリ東方開発」の社員が国際電話をかけてくるのか、そのへんのことが土井にわからなかった。  わからないといえば、貸金庫�2674の中の「女房にも読ませたくない」書類を、土井には「見てもいい」と云ったのみならず、いま「処理」を一任すると加えた意味の不明なことだった。「書類は、きみの自由にしていいからね。処理を任せるよ」という「処理」とは、何をさすのか。  だが、土井は訊《き》き返せなかった。外浦の妻子、和久宏社長夫妻、議員連中、社員たち大勢の見送り人の見ている中だった。かれらは、外浦が出発のエスカレーターに乗る直前、踵《きびす》を返して何を土井とひそひそ話をしているかと訝《あや》しむ眼になっていた。 「わかりました」  半ば上《うわ》の空で土井は答えた。  ロスアンゼルス行二十時二十分発のJAL機は定時に離陸した。成田の黒い森の上を旋回する翼の赤い灯が、夜空の東へ消えるまで、土井は立ち尽した。  まわりに外浦の見送り人は一人もいなかった。外浦の姿が搭乗口へ降りるエスカレーターで消えたとき、まず議員とその秘書らが帰り、つづいて和久宏夫妻が外浦の妻と娘とを促して去った。「東方開発」の社員らがそのあとを流れて行った。  土井は、佐伯昌子が語って聞かせた「夏の夜の夢」のストーリーから、和久夫人の表情を、それとなく注目したが、夫と二十歳以上は年齢が違うと思われる夫人は、たしかに若くて、うつくしい顔だった。四十をすぎたとは思えないくらいで、女ざかりの魅力を持っていた。この人妻なら他の男とひそかな愛の交渉を持っていてもふしぎでなく思われた。夫は「東方開発」の社長のほか、財界の世話役として多忙をきわめている。関西やその他の財界人と懇談するために出張も多いし、ゴルフその他の交際に家を明けることもしばしばであろう。外には数人の女もいそうであった。  これを「夏の夜の夢」のZと、その妻の「彼女」にあてはめれば、そのシチュエーションはまさにぴたりであった。そこに寸分の隙《すき》もなく思われた。  けれども、土井のひそかな観察では、和久夫人の外浦を送る表情には、なんの感情的な変化もなかった。夫のうしろに従って、外浦の別れの挨拶をうけたり、また夫人のほうから惜別を云ったりするところなど、見送り人の一人という感じでしかなかった。外浦卓郎もまたそのような態度で夫人に接していた。  これは、和久宏をはじめ見送り人の手前、わざと淡々とした様子を、夫人も外浦もとりつくろっているように思われた。ここではお互いが顔や動作に、すこしでも破綻《はたん》を見せてはならないのである。他の者が奇異に思ったら危険きわまりない。  女のつくられた表情は、しかし、崩れやすいものだ。そう思って土井は夫人の顔をこっそり見ていたが、その眼に泪《なみだ》が光るどころか、おしまいまで晴々とした微笑をつづけていた。  ——土井は、学生のころに読んだ芥川龍之介の小説「手巾《ハンケチ》」を思い出した。「顔で笑って、心で泣く」という女の「演技」をテーマにしたものだ。  和久夫人の最後までの明るい笑顔は、「女の演技」だったのだろうか。とすれば、中年女性である人妻の、したたかな演技というほかはなかった。  彼女に対する外浦卓郎もまた同じであろう。……  土井は頭を激しく振って、階下の出口へ向うエスカレーターに乗った。  土井は、空港ビルの広場前に出て、都内の箱崎行のバスが駐《と》まっている位置へ歩いた。  外浦卓郎を見送った和久夫妻と、その「東方開発」の社員たち、議員連中の姿はすでにそこになかった。皆は乗用車で、とっくに都内へ帰って行ったのだ。  バスに乗る行列のあとについた土井が、ふとタクシー乗場のほうを見ると、その近くの、ビルの壁に身をよせるようにして、小男の影が佇《たたず》んでいるのが眼に入った。空港の照明が輝きならぶ間隔の、ちょうどその切れたところの暗がりを択《えら》んだような場所であった。  おや、あんなところに西田八郎が居る。  土井は凝視した。ここからは七十メートルくらいの距離があった。  西田はタクシーで帰るのかしら。  成田空港から都内までのタクシー料金は一万二、三千円くらいだろう。タクシーに乗るとすれば、西田はずいぶんムダ使いをするものだと土井はなおも彼の姿を眺めていた。  西田は土井が外浦を見送っているあいだに、いつのまにか居なくなっていたのだ。彼は到着ロビーに用事があるといっていたから、帰国の知り合いでも迎えに行ったのだろうと土井は考えたものだった。  それを思い出して、土井が眼を西田からタクシー乗場へ移すと、いまや、一台のタクシーの横に男女一組の客が立っていて、後部トランクに大きなバッゲージ三個、ふくらんだショッピングバッグ二個を運転手に入れさせているところだった。ビルの壁ぎわに立つ西田の視線は、あきらかにその男女に向けられていた。  ちょうど構内の照明がその男女の上にふりそそぎ、バス停の土井の位置からすると、光が両人の顔を正面から浮き出していた。  女は真赤なスーツを着て、肩には航空会社のショルダーバッグをかけ、片手にはワニ皮のハンドバッグを持っていた。その真白な顔に土井の見おぼえはなかった。  男のほうだが、これは三個の荷物が車の後部トランクに入りきれなくて、運転手に手伝って上から荷物を押えこんでいた。  男の顔にも姿かっこうにも、土井の心当りはあった。衆院第一議員会館で見かける顔で、政憲党議員の丸山の秘書であった。  やがて後部トランクの蓋《ふた》を何とか押しこんだタクシーは走り出して、バス停の前を通過した。そのとき、もう一度男の横顔が、窓に射す照明に映った。  土井が箱崎行のバスの座席にいると、発車間際に、西田八郎があたふたと乗りこんできた。  後部に空いた座席を見つけて腰をおろした西田は、ほっとした顔で、まわりをきょろきょろ眺めまわしていたが、土井の姿を見つけると、また腰を上げ、土井の前の吊り皮に手を近づけてきた。 「やあ、土井君」  とたんにバスが走り出したので、西田の小さな身体《からだ》が斜めに大きく傾いた。 「あ、西田さん」  土井はバスの中で初めて再会したような顔をしないわけにはゆかなかった。 「外浦さんの見送りは無事済んだかね?」 「はあ、終りました」 「盛大だったろうね、あの顔ぶれでは」 「賑《にぎ》やかでした。……西田さんのお出迎えもすみましたか」  女づれでタクシーに乗りこむ議員秘書の顔が土井の眼に残った。 「すんだけどね」  西田は土井のまわりに乗客がいっぱい居るのを見て、 「ちょっと話したいことがあるので、ぼくの座席に来てくれませんか」  と、かがみこんで云った。  後部の西田の座席の隣が、ちょうど一つ空いていた。 「土井君、ぼくが迎えたのは香港《ホンコン》から帰った有川昌造という男だ。丸山耕一議員の第一秘書でね」  西田は土井の耳にささやいた。 「迎えたといっても、よそながらこっそりと迎えたといったところだ。先方はぼくに気がつかない」 「……」  土井は西田の顔を黙って見た。 「ワニ皮のハンドバッグを持った女連れだったが、女房じゃない。有川のコレだ」  西田は小指を立てた。  土井は、有川昌造に先だって赤いスーツの女が眼に戻った。 「その伴《つ》れの女の素姓を、きみはどう思いますかね?」  西田は、いたずらっぽい眼をした。が、その表情はひどく意味ありげであった。 「バーのホステスとか、そういう職業のひとですか」 「違いますね」  西田は首を振った。 「彼女はいま、ああいう派手なかっこうをしているが、ふだんは地味な身なりなんだ。ちょっと若そうに見えるけどね、実際は四十に手がとどいている。彼女はね、カタイところにつとめている独身の女事務員ですよ」  中年の議員秘書がオールドミスの女事務員と香港から帰ってきたとなると、ありふれた浮気ということだろう。  その程度のことで、わざわざ自分の座席の横に引張ってきて、さも重大げに小さな声で話す西田をみると、相変らずだなと土井は思った。議員会館などを廊下トンビしながら、内容のない話を、極秘情報のように議員らに耳うちするのが、西田のやりかたであった。その癖がここにも出ている。  土井の顔を見た西田は、 「云おうかな、云うまいかな。……ほんとのことを云うと、あんたも、きっと興味を起すんだがな」  と、こっちにも気を持たせるようにじれったそうに手をこすり合せた。 「そんな話なら聞きたいですね。だれにもしゃべりませんから、聞かしてください」  土井にはあまり関心がなかったが、つきあいのつもりで云った。 「うむ、そうだな」  西田は土井の横顔を見ていたが、 「あんたは口がかたいから、話してもいいけど……」  と云いかけて、また首を左右に振った。 「いや、よそう。あんたを信用しないわけではないけど、もうすこし待ってもらいます。というのは、ことがあまりに重大だからね」 「そうですか」  議員秘書と、どこかの会社の女事務員との浮気がそんなに重大なのだろうか。 「ね、土井君。ぼくがわざわざ成田空港まで来てだな、香港から帰るあの両人を確認したというのは、よっぽどのことだとは思わないかね?」 「……」 「ぼくは永田町周辺で取材の仕事をしている。とすればだな、あの女はただの会社事務員なんかじゃない、ということぐらい、察してもらいたいですね」  西田はそれだけを云うと、あとは腕を組んで沈黙してしまった。  死者の始末  長い長い国会が終った。会期延長につぐ延長で、八月半ばまでかかった。  桂重信首相は、前から予定されたアメリカ大統領会見と、ヨーロッパ各国訪問の旅に上った。桂首相の「任期」は、あと三カ月あまりである。秋には、寺西正毅への政権禅譲がおこなわれる。目下のところ、これに対し桂派からの反撥《はんぱつ》は出ていない。七十三歳の老総理としては、これ以上に政権への執着がないことを新聞談話などでほのめかしていた。  ただ、桂派と寺西派との間に密約があることを取り沙汰されていた。寺西の首相任期は二年間、そのあとはまた桂派が政権の委譲を受けるという約束だ。タライまわしである。  党内第三の派閥板倉退介とその一派が、これを警戒している。独立で政権が取れる見込みがないので、他の「反主流」を糾合して、いまから示威をおこなっている。本音は、現在自派から出している閣僚の椅子を「寺西内閣」では四つにふやせというにあるらしい。四つはむつかしかろう。三に落ちつくのを見越し、あるいはそれを狙っての吹っかけとの観測がある。掛け値を云うのは商売人だけとはかぎらない。  非主流のかなしさで、板倉派の内部は絶えず揺れている。中堅の上山庄平などがつくっている「革新クラブ」も、板倉退介にとっては頭痛のタネだった。「革新クラブ」の「突出」がいつ分派行動に発展するかわからないからで、げんに上山庄平派の旗あげも近いという新聞情報もある。それを引きとめる板倉派の策が、新内閣成立の際に閣僚の「革新クラブ」への分配である。板倉の「革新クラブ」への宥和策《ゆうわさく》は、たとえばそれに所属する川村正明の「励ます会」に、幹部級をひきいて出席したことにもあらわれている。  一方、以前から板倉退介派と合わない寺西正毅派は、たえず板倉派の切り崩しを隠微の間におこなっている。その標的となっているのが上山の「革新クラブ」だ。次期政権の寺西派では新内閣ができたとき、「革新クラブ」のめぼしいところを一尾釣りにして大臣にさせ、かれらの分断を考え、すでにその画策はひそかにはじまっていると、新聞のゴシップは伝えていた。  政局の流動が表面に出るのは、桂首相の帰国後からはじまり、今秋十一月がヤマ場となろう。といっても「禅譲」がすでに決定していることだから、それほどの激動はなさそうである。桂首相の各国訪問の出発をわざわざ羽田空港へ見送りに行った寺西正毅と、見送られる首相の破顔した握手が新聞写真に出た。「寺西氏はもう新首相気どり」と新聞がひやかしていた。  議員連の海外視察旅行が頻繁となった。   「先生は外国遊びや秘書の夏     省吾」  夜八時ごろ、鍋屋《なべや》健三はビールの酔いでうたたねしているところを妻に起された。 「川村先生から電話ですよ」  鍋屋は寝返りを打った。 「ほっとけ。どうせたいした用事じゃなか。起しても起きんと云うとけ」 「それでも、先生の声がヘンよ」 「……」 「なにか、ただならぬ声ですよ。いつもとは調子がちがうわ。走ったあとのように息切れがしてるみたいよ」  鍋屋は眼を開けた。 「今日は、何日だ?」  訊いたのは、政情が一気に緊迫したのではないかと瞬間に思ったからだ。まだ頭が寝ぼけていた。 「八月二十日よ。お盆がすんだばかりじゃないの」  九州では八月盆である。  鍋屋は起きて、はずしてある受話器を耳に当てた。 「もしもし」 「お、鍋屋君」  川村正明の声がとびつくような調子で聞えた。 「すまんが、大急ぎで来てくれんか」  低く抑えた声だが、それもふだんとは変っている。はあ、はあ、はあ、と苦しげな息使いが受話器に伝わった。 「どうしたとですか」  鍋屋も異常事態の発生を察した。 「電話では話ができない。とにかく、すぐにこっちへ来てほしいよ」  小さいが、うわずった声だった。 「いま、どこに、おんしゃるとな?」 「ぼくの家だ。マンションだ」  川村正明が南麻布の有栖川宮《ありすがわのみや》記念公園近くの新築マンションを買った話は、ずっと前に第一議員会館で遇った情報屋の西田八郎から耳にした。そのときまで川村は何も話さず、したがって鍋屋も知らなかった。  その後、川村の妻が国もとから子供二人といっしょに出京して、そのマンションに入った。鍋屋は二回ほどそこに行き、川村の妻とも会っている。マンションの四階で、和洋の応接間二つ、居間は洋室二つ、和室二つ、寝室二つ、キチンとダイニングルーム、ベランダ付きという広さで、新装のデザインはフランス風といった「豪華」さであった。購入費は一億一千万円だったという。川村は、赤坂の議員宿舎から家族でそこに移り住むまで、なぜか鍋屋には知らせなかったのだった。—— 「奥さんは?」 「家内はいま留守だ。一昨日から子供をつれて国もとに帰っている。選挙区の手当で、十日間ほど張りつかせている。海水浴をかねてね」  川村は、まだ心細そうな声で云った。 「じゃ、すぐにこれから行きます」  鍋屋が云うと、 「ちょっと待ってくれ」  川村正明のあわてた声が受話器に響いた。 「くるときには、マンションの裏口から入ってくれんか」 「裏口?」 「表側では、ちょっと、まずいことがある」  川村の声が慄《ふる》えを帯びているようだった。 「……」 「なるべく人目に立たないように来てくれ」 「とにかく、これから行く」 「たのむよ」  鍋屋は妻に開襟シャツと、ギャバジンのカーキ色のズボンを出させた。目立たない服装にした。 「川村先生の用事はなんですか」  妻は支度をしている鍋屋の横できいた。 「おれにもさっぱりわからん。ヤッコさん、だいぶんあわてとるらしかばってん」  古い登山帽をかぶって家を出た。京王帝都線の東松原駅から電車に乗り、渋谷に降りてタクシーをつかまえた。渋谷は白い姿の人で溢《あふ》れていた。  電車の中でも、タクシーの中でも鍋屋は川村の用事をあれこれと想像した。  もしかすると、あのことではないか。  あのこととは織部佐登子との間だ。織部佐登子はとっくにハワイから帰っている。川村にそれとなく聞いてみると、いつも冴《さ》えない顔になって、口の中でぶつぶつ云っていた。察するところ、何度彼女に連絡しても、思わしい結果にならないようだった。さすが「男の魅力」に自信をもつ彼も、織部佐登子には翻弄《ほんろう》され放しで歯が立たないようであった。  織部佐登子には財界人のパトロンが付いている。それは寺西正毅に政治献金をして逆リベートを取るような大物である。ハワイへ静養に行ったというのも、その彼といっしょだったにちがいない。二世議員の川村などを彼女が相手にするわけもなかった。が、鍋屋はそのことを川村には云わなかった。なんにも知らない川村が、断念せずに、佐登子からなおもきりきり舞いさせられるところを眺めたかった。  織部佐登子が戻っているとわかっていながらも、鍋屋はあれから「クラブ・オリベ」には行かなかった。川村がいまだに彼女に熱くなっているとき、うかつに店で彼と顔を合わせる気まずさを避けたのだ。彼女から、そのパトロンと寺西正毅の関係を聞き出すのは、まだあとでいい。  が、前後の分別のない川村正明のこと、織部佐登子へ猪突《ちよとつ》して、何か問題を起したのではあるまいか。電話でおどおどした声は、そういうことか。自分で始末がつかずに、尻ぬぐいを持ちこむつもりかもしれない。  ——いや、問題はほかにもまだある。  タクシーは夜の南麻布へ近づいた。急に川村正明に呼び出されたことで、鍋屋の思案はつづく。  織部佐登子の件でなかったら、岩田良江のことかもしれない。が、このほうは事態がおさまっているようだ。  ようだ、というのは、川村が鍋屋に岩田良江とのことを沈黙しているからだ。川村のお坊ちゃん気質は、いつも体裁をとりつくろって、かっこうのいい面ばかりを見せようとしている。都合の悪いことは秘書にも隠している。そのくせ、破綻《はたん》すると、あと始末を秘書に押しつける。第一、第二秘書にはさすがに云い出しかねているが、先代からの私設秘書の鍋屋には、オジさんくらいに思って相談したり、頼みにくる。  鍋屋は、川村が岩田良江に一億円ものカネを出させて南麻布に新築のマンションを買い、国もとから妻子を呼びよせたのを知っている。西田八郎からの「耳うち」が最初だが、その後、ひそかに調べてみると、案の定、岩田良江から政治資金の名目で一億円を出させたことがわかった。  川村はこれまで、岩田良江から何度となくカネをまき上げている。亡夫の遺産をうけつぎ、西新宿に旅館「香花荘」を経営するこの中年の未亡人は、年下の川村正明に魂まで奪われている。彼女は川村にどれだけ「政治資金」を提供してきたかわからない。  川村も良江のご機嫌をとるのによく努めた。国会があるときは、委員会をぬけ出してタクシーで「香花荘」へ駆けつけ、閉め切った一間で良江と一時間ほど過す。その間、女中は一人もよりつかない。  それでとうとう事故を起した。西新宿から代々木へ抜ける狭い道を通るとき、乗ったタクシーが老婆を刎《は》ねた。議員バッジをはずしていた川村は、あわててその場から逃げようとした。そこを目撃者に咎《とが》められ、警官の訊問《じんもん》を受けた。それがテレビのローカルニュースに出た。思わぬ事故に遭遇して狼狽《ろうばい》し、逃亡を企てるところはいかにも川村正明らしかった。  だが、一億円を良江から取り上げた今回は、これまでの場合とは違う。川村はそのカネで高級マンションを買い、国もとから妻子を呼び、いっしょに暮したのだ。これが良江にわかったら、どんな騒動がもち上るかしれない、と鍋屋は面白半分にひやひやしたものだ。川村正明のために総額にして遺産の半分近くを取られた岩田良江は、経営する旅館の屋台骨までおかしくしているだろう。それなのに、「政治資金」と称して取った一億円のカネでマンションを買い、そこに妻子を呼びよせたとあれば、中年女の怨《うら》み、逆上は刃傷《にんじよう》沙汰にもなりかねない、と思ったものだが、意外にもその後は平穏であった。  川村正明は、鍋屋に一口も明かさないが、岩田良江をなだめすかして、妻に知れないようにいまだに関係をつづけている。そこに年下の男から離れ得ない中年女の業《ごう》のようなものがあった。  川村がそのことで、なにも云わないから、鍋屋もわざと聞きもしなかった。川村には体裁が悪いのだろうと鍋屋が察してのことだ。  いまに岩田良江のことで騒動がもちあがると思っていたが、現在のところ何もなかった。川村が良江を上手に抑え、彼女もまた関係の永続を望むのあまり彼に柔順になっているにちがいない。してみると、こっちは問題がないはずだ。  すると、川村があわてて呼び出しの電話をかけてきたのはなんだろうか。ことによると今秋に成立する「寺西内閣」に「革新クラブ」から入閣を振り当てられ、環境庁長官の椅子でも下交渉をうけたのかもしれない。そこでのぼせ上り、今夜のうわずった電話になったのかもしれない。  だが、まさか、と鍋屋は思った。まさか、若い川村正明にいきなり国務大臣の椅子が転げこむとは思えない。いくら寺西正毅が「革新クラブ」を手なずけるにしても、川村よりはもっと先輩がいる。だいいちリーダー格の上山庄平にしてからまだいいポストの大臣になったことがないのだ。  どうも、よくわからん。  あれこれと考えているうちに、南麻布の有栖川宮記念公園の近くにきた。こんもりとした森林のある塀の外には坂道に沿って街灯がならび、周辺にはビルだの住宅だのの窓の灯がとりまいている。外国大使館もある。川村が入っているマンションは八階建てで、化粧|煉瓦《れんが》のチョコレート色が夜に沈み、それを街灯がぽつぽつと映し出していた。 「おや」  運転手がマンションの五十メートルくらい手前に来て、前方を見つめた。 「なにか事故があったようですね」  鍋屋が座席から乗り出してフロントガラスを見つめると、パトカーの赤い警戒灯が強い光で点滅し、懐中電灯を持った警官が地上を巻き尺で測ったり、白墨の線を引いたりしていた。傍《そば》には灯を消したタクシーが一台とまっていて、運転手が警官に何か昂奮《こうふん》した様子でしゃべっていた。道路の半分まで警官たちが出て、これに人だかりがしている。あきらかに交通事故の発生だった。だが、救急車は見えなかった。 「ここでいい」  鍋屋は車を降りた。  マンションの裏から目立たないように入ってくれといった川村の電話と、目前の交通事故とが関連していることを知った。  鍋屋は、マンションの裏から中へ入り、エレベーターは使わずに階段を上り、四階の通路に出た。  向うを見ると、エレベーター昇降口前の小さなホールに、このマンションに入居している主婦たちが三人|佇《たたず》んで顔を寄せ合い、ひそひそ話をしていた。  川村正明の426号室は、この通路を突き当った左側で、最も広い。鍋屋が歩いて上った階段からすると端と端になる。で、どうしても主婦らが立話をしている前を通らねばならなかった。  裏から入れだの、目立たないかっこうで来いだのと云う川村の注文を思い出した鍋屋は、主婦らが散るのを待って、階段上の踊り場の窓を向いて外を眺めた。上には非常口の標示が出ている。有栖川宮記念公園を見下ろす夜の風景で、黒々とした森林の塀に沿って坂道の街灯が浮んでいた。  主婦たちの声は低く、背中をむけて立つ鍋屋の耳には入らなかった。三分くらいそこで外を見ていたが、主婦たちは容易に立ち去りそうにもなかった。  川村が電話で早く来てくれと云ったこともあり、そこでいつまで待っていてもキリがないので、鍋屋がむき直って通路を歩き出そうとしたとき、おりから上ってきたエレベーターから、やはり居住者の主婦四人が吐き出された。 「あら、今晩は」  などと四人は、前からそこのホールにいる三人と挨拶を交わし合ったが、たちまちいっしょになり、七人で新しくひそひそ話をはじめた。  この立話は長引くと思った鍋屋は、登山帽をかぶったまま、うつむきかげんに主婦たちのうしろをゆっくりと通り抜けた。  そのとき耳に入った主婦らの低い声は、 「横断歩道を渡らずに、対《むか》い側から急いでこっちへ横切ってきたもんだから、あっというまにタクシーに刎ねられたんですって」 「まあ、危ないわねえ」 「病院に運ばれる途中、救急車の中で亡くなったんですって」 「どこの方でしょうねえ?」  などというのだった。  このマンションの表通りで起った交通事故のことらしい。さっき人だかりがした中で、警官がタクシーの運転手から事情を聴いたり、地面に白墨の線を引いたりしているのを鍋屋は見たが、タクシーに刎ねられた人が死亡したことを、この話し声ではじめて知った。  川村の426号室にくるまで、鍋屋は主婦たちの視線を背中に感じた。  426号室を軽くノックすると、ドアが少し開いて、川村正明の顔がのぞいた。 「やあ、よくきてくれた」  鍋屋の姿を見て、川村はほっとした表情だった。すぐにドアのチェーンをはずして鍋屋を中に入れ、あとはぴたりと閉めてロックした。  鍋屋はここに二度来ているが、いつ来ても広々として贅沢《ぜいたく》な部屋だった。調度も凝っている。ここを買いとるについて岩田良江から一億円以上もしぼっているので、室内装飾はどんなことでもできるわけだ。赤坂の議員宿舎とは雲泥の相違だった。  川村は鍋屋を、その立派な応接間に通した。奥さんが留守だと、電話でいっていたが、本当に一人らしくしんと静まりかえっている。  鍋屋は、まわりを見まわした。  ところが、鍋屋の横にきて椅子にかけた川村は元気がないばかりか、なにかおびえたような様子だった。 「顔色の悪かな?」  鍋屋は見て云った。 「うむ」  川村は急に両手で顔を掩《おお》って、テーブルの上にうつぶした。そうしてにわかに肩を震わせて嗚咽《おえつ》しはじめた。  鍋屋は、あっけにとられた。川村の感動癖は、選挙演説でも後援会での演説でも、感きわまってすぐに泣き出すのだが、あれは演技だ。いまの涕泣《ていきゆう》は、どうやらほんもののようだった。 「鍋屋君。助けてくれ」  川村は声を絞った。 「いったい、どげんしたとな?」  鍋屋は、わけがわからなかった。 「ああ、これがわかると、ぼくは身の破滅になる。反対派に叩かれて、次の選挙には落ちる」  川村は身もだえする。 「まあ落ちついたがよかよ。いきなりそげんことば云われても、ようわからんたい」  鍋屋は、叔父のような気持になって云った。 「鍋屋君」  川村は、顔をあげたが、眼がきらきらと光っていた。が、それは涙を溜《た》めた眼ではなかった。 「岩田良江が交通事故に遇《あ》った」 「えっ」  鍋屋は耳のそばで雷が鳴ったような気がした。  すぐに閃《ひらめ》く光景があった。 「じゃ、このマンションの前でタクシーに刎ねられたのは?」 「そうなんだ。良江だ」  川村は無限に沈痛な顔だった。  マンションの前でタクシーに刎ねられて死んだのが岩田良江と知ったとたん、鍋屋にはそれまでの一連の筋が逆回転して浮んだ。  川村と良江の関係は依然としてつづいていた。川村の妻は子供をつれて国もとに十日間の予定で帰っている。その留守に川村は良江を呼び入れようとしたのだ。  良江は新宿からタクシーできた。ところがマンションは進行方向の右側にあり、タクシーは左側に停る。  良江は左側で降りて、向い側のマンションに歩いて渡りかけた。車はそれほど多くはない。一刻も早くと思ったにちがいない良江は、そこからは距離がある信号の横断歩道へ行かずに、直線に渡りかけた。いそいそとする女心は、左右もよく見ずに急いだ。そこへタクシーが突込んできた。運転手がブレーキをかける間もなかった。—— 「良江は死んだかもしれない。……その被害者が、ぼくに逢いにくる女だとわかったら」  川村正明は、おろおろ声で鍋屋に云った。 「女房がどんなに怒るかしれない。騒動がもちあがる。良江がぼくのところへ来ていたことも、マンションじゅうにわかってしまうんだ。困った、困った」  彼はまた顔を蔽《おお》った。 「えらいことになったな」  鍋屋は、怯《おび》える川村を見て問うた。 「良江さんは死んだかも知れん、とあんたは云うばってん、病院に警察がきて被害者の持ちものを調べたら、すぐに身元がわかろうな?」 「いや、そのへんは彼女も用心して、こっちへくるときは名刺も、香花荘の印刷物類も、いっさい身につけていない。だから身元はわからないはずだ」  鍋屋は、エレベーター前で立話をしている主婦たちが、「どこの方でしょうね」と云い合っていたのを思い出した。 「良江さんがここへ来るのは、こんどが初めてじゃなかとな?」 「うん。一昨日の晩、ここに泊って行った。女房は一昨日の朝、国もとに帰ったからな」  川村は、さすがに体裁の悪そうな顔をして、 「良江はね、女房が居ないとわかると、ここへ泊りに来たがってしかたがなかったんだ。朝早く帰って行くがね。ぼくもそれには負けたんだよ。こんなことになるんだったら、断然拒否すればよかったのに」  と、後悔しきりだった。  だが、良江がここに来たがったのか、女房の留守を幸いに、川村が彼女を引き入れたのか、わかったものではないと鍋屋は思った。 「鍋屋君。ぼくを助けてくれ」  川村はまた叫んだ。 「正明さん。あんたば助けるちゅうても、どげんすればよかとな?」  鍋屋は訊いた。「正明さん」は、先代が生きているときからの呼び名だった。 「良江が死んだとすれば、明日の新聞にこの身元のわからぬ交通事故死者のことが出る。香花荘の使用人たちが警察に問い合せるだろう。そうなると、えらいことになる。だから、そういう事態にならないうちに、君がすぐ警察に行って、被害者は自分の知り合いの者だと云って病院から良江を引きとり、香花荘へ運んでほしいのだ」 「……」 「たのむ。一生のお願いだ」  川村は手を合わせた。  死んだ父親代議士も利己主義に徹していたが、息子もその血を引いている。ただ、父親ほどのキャリアと年齢がない二世議員は、こうして私設秘書に、狡《ずる》く下手《したで》に出ているだけだった。 「仕方がなか」  鍋屋は、ぽつりと云った。 「え、引きうけてくれるか」  川村は、とたんに顔を輝かし、椅子からふいに立つとテーブルに両手を突いた。 「ありがとう、ありがとう」  秘書に叩頭《こうとう》した。 「良江さんの生死はわからんが、かりにもし死んだとすれば、病院にいつまでも置いとくわけにはいかんからな」 「死んだかもしれないな——」  川村のひとりごとには、彼の希望的な響きがあった。  鍋屋は、川村の身勝手すぎる呟きに反撥し、激しく叱りたかった。が、彼の追いつめられた立場も考えないわけにはいかなかった。  で、云った。 「その場合、ぼくが遺体を引きとって香花荘へ送るわけにはいかんばな。そげなことをすれば、ぼくがあんたの秘書と警察にわかって、あんたの名前が出てくるたい」 「そりゃ、困る。絶対に困る」 「サツ回りの新聞記者が、それを聞いたら、あんたと良江さんとのことを嗅《か》ぎつけて書くかもしれん」 「そういうことにならないようにしてくれ。そんな記事が出たら、中島武平が大よろこびして、新聞を大量にコピーして選挙区へ送りつける。次の選挙でぼくは負ける」  冷房がよくきいている部屋だったが、川村は額に汗を出していた。 「ぼくが警察や病院へ名前を出して行かんでも、良江さんを香花荘へ届ける方法はある」 「え、そんないい方法があるのか」 「香花荘に電話ばして、おかみさんが交通事故に遇った、こういう病院に居る、と女中に云えばよか。香花荘から病院へ迎えに行くよ」  聞いた川村正明は、ぽかんとした。 「香花荘」に電話すればいい、と鍋屋が云ったとき、一瞬、川村は呆然《ぼうぜん》自失のていだったが、やがて、その口もとに、おかしそうな笑いがひとりでに浮び出た。 「なんだ、そうか。バカみたい……」  川村は口の中で云った。 「そんな簡単なことを、どうして今まで気がつかなかったんだろうか。簡単至極な、バカみたいなことを……」 「あんたは、気の動転しとるとたい」  鍋屋は、あわれむような眼を川村にむけた。 「正明さん。もっと、落ちつきんしゃい」 「うむ、うむ」  自分に云い聞かせるように川村はこっくりと二、三度深くうなずいた。 「うろたえてはいかん。そんな単純なことが考えつかんようではおれもダメだなあ。落ちつけ、落ちつけ」  自分に云い聞かせながら川村は、こみ上げるうれしそうな笑いを、どうしようもないといったふうだった。 「鍋屋君」  川村は秘書の手を握った。 「ありがとう、ありがとう。助かったよ」  満面の笑顔であった。 「いやいや。万事がうまくいってよかったな」 「万事」という語に力を入れたのは、川村の妻にもこの重大な隠しごとが暴露しないですんだ、という皮肉をきかせたのだ。しかし、まだ気持がうわずっている川村にこれがどのくらい通じたか。 「なあ、鍋屋君。香花荘への電話は、どこかでかけてくれるか」  川村の気持はそこにあった。一刻も早く「予防処置」をしたがっていた。 「どこというよりも、ここから電話したほうがよか。よそでかけると、だれに聞かれんでもなか。ここでかけたほうが安全で、しかも、早く話が通じる」 「まさか、きみの名前で電話するんじゃなかろうな?」 「そげなうかつなことばするもんか。匿名の通報者たい」 「そりゃ、いい。じゃ、早く電話してくれ」 「香花荘の電話番号は?」  電話機に寄ってダイヤルに指をかけた鍋屋は、川村へふりむいた。  川村は、わが家の電話のように番号をすらすらと答えた。  鍋屋はそのとおりにダイヤルをまわしかけたが、途中で受話器をがちゃんと置いた。 「どうした?」 「ダメだ。良江さんが、どこの病院へ担ぎこまれたか、それがわからん」 「……」  川村がまた顔を曇らせた。 「そいじゃ、このマンション前の事故現場で、警官が検証ばしとるけん、良江さんが救急車で運ばれて行った先の病院の名を聞いてみよう。まだ、そのへんに残っとるじゃろうからな」  鍋屋は云った。 「マンションの前は、どんな様子だ?」  川村は気がかりげにきいた。 「だいぶん人が集っとる。ぼくがこの部屋にくるときも、エレベーター前のホールで、現場ば見て帰った住人の奥さん連が集って、ひそひそと話し合っとったがな。一昨日の晩に、良江さんがここに泊ったというなら、その姿を奥さん連に見られたとちがうか」 「……」 「ぼくがこの部屋へむかって廊下を歩いてくる後姿を奥さん連はじっと見送っとったよ」 「鍋屋君。麻布警察署へ電話してくれ」 「麻布署へ?」 「そこの交通課に訊《き》いたら、良江が担ぎこまれた病院の名がわかる。ここの前に居るおまわりに聞くこともない」 「なるほど」  こう頭がまわってくるようになっては、川村もだいぶん落ちつきをとり戻したわいと鍋屋は思った。  電話番号帳で調べ、麻布署へ電話した。交通課は、その婦人の被害者なら、南麻布一丁目の前岡病院だと答え、すでに死亡していると教えた。これで確認がとれた。 「良江さんはやっぱり死んどらした」  受話器を置いて鍋屋が云うと、川村は一瞬よろこびの眼を輝かせた。が、鍋屋の手前、すぐに沈痛な顔をした。 「可哀想にな。なむあみだぶつ、なむあみだぶつ……」  鍋屋は合掌した。  川村は下をむいて、またも両手で顔を蔽った。が、その両手の下にある顔は、これで禍根が絶てたという大安心の表情であった。  川村が岩田良江からしぼり取ったカネは、総額にして二億円以上であろうと鍋屋は推定している。良江は川村の云いなりになって亡夫の遺産を惜しげもなく彼に注《つ》ぎこんだ。そのために香花荘旅館の経営もおかしくなっているはずだ。この中年の未亡人は、旅館を捨てる覚悟で川村に慕い寄っている。自分が出した一億円のカネで、川村がこのマンションの部屋を買い、妻子と住んでいることがわかったあとも、川村と別れ得ないでいる。そうして川村の妻子の留守をねらって、ここへ忍んでくるあわれさであった。  あのままだと、ほんとうにどんな騒動がもち上るかわからなかった。もち上ってもふしぎではないのだ。——川村にとって良江の交通事故死は、背負った重荷が思いがけなく除《と》れ、晴れ晴れとした心地にちがいなかった。  川村がダイヤルを回して、その指をはなすと、受話器を鍋屋へ渡した。 「香花荘が出たよ」  鍋屋は川村から取った受話器を耳につけた。 「香花荘でございます」  女中らしい声だった。 「やあ、今晩は」  鍋屋は、ごくりと唾《つば》を呑《の》みこんで云った。 「おかみさんは居ますか」 「ちょっと外出していますけれど」 「行先は?」 「あの、どちらさまでしょうか」 「麻布署の者ですが」 「え?」  女中は、どきんとしたようだった。 「ちょっと、おかみさんの行先を知りたいのですがね」 「横浜の知り合いの家へ行くといって出かけましたが」 「いつ、お帰りですか」 「今晩は、むこうへ泊って、明日の午前中に帰る予定ですが」 「その知り合いのお名前は?」 「聞いておりませんけれど」  やはり岩田良江は川村のマンションに行くと云って出ていない。彼女には秘密行動だからウソは当然である。が、それだけを聞けば十分で、鍋屋も安堵《あんど》した。 「では、よく聞いてください。おたくのおかみさんらしい婦人が、交通事故で大ケガをされたんです」 「えっ」 「病院は、南麻布一丁目の前岡病院です」 「もしもし」  女中の声がけたたましく響いた。 「いいですね、南麻布一丁目の前岡病院ですよ。すぐ来てください」 「は、はい」  おろおろする女中の声を最後に、鍋屋は受話器を置いた。 「済んだ。……」  川村に云って鍋屋は、ふう、と大きな息を吐いた。 「ありがとう。助かったよ」  川村は鍋屋の肩に抱きついた。 「感謝する。ぼくは、一生の危機を脱した」  熱い口調は、いつもの川村の大げさな身ぶりではなく、本心からのものだった。  川村は別の部屋からウイスキーを持ち出して乾杯もしかねまじきありさまであった。 「ところで、鍋屋君。もう一つ、頼みがあるんだけど」  手をこすりあわせるようなしぐささえ見せて川村は云った。 「何か……?」 「あんたに処分してもらいたいものがあるんだけど」  かたづけ  窓の外には、暗い有栖川宮《ありすがわのみや》記念公園をかこむ建物の灯がならんでいた。  頼みがあると云ったときから川村は鍋屋の機嫌をとるような言葉の調子だった。この男がこんな下手の口調になるときは、かならず難問題を持ち出す。過去の例からそうわかっている鍋屋は、思わず警戒の色になったが、処分してほしいものがあると云われて、さらに要心を増した。 「何ば処分すると?」  鍋屋が川村をまっすぐに見ると、川村は、少々てれ臭そうな顔だった。 「ほかでもないけど、良江がおとといの晩、ここに持ち込んだものがある」  あとを云いよどんでいた。 「何ば持ちこんできたとな?」 「うむ。……じつはな、良江のネグリジェだ。それと、下着」  あっ、と思った。 「女房が帰ってくる十日間のあいだ、良江は毎晩でもここへ泊りにくるつもりで、そういう夜のものを置いているのだ」  川村は、さすがに、ばつの悪そうな顔をした。  良江も大胆だと鍋屋は思った。しかし、考えてみると、このマンションは彼女のカネで買ったのだから、ここは彼女の家ではないか。わが家に彼女が泊りにくるのはあたりまえだ。むしろ川村夫婦が間借り人といえる。  しかし、良江にはそんな意識は毛頭なかったろう。好きな男に逢《あ》いにくる一心だ。川村の妻が留守だけに、その冒険で良江の情念は燃え上る。刺戟《しげき》は川村も同じだったにちがいない。 「なあ鍋屋君」  浮かぬ顔をしている鍋屋を見て川村はどう勘違いしたか、ますます追従するような調子になった。 「そういう女のものをぼくは持ち出すことができない。どこに捨てていいかわからんしな。うかつな場所に捨てると、なんだかアシがつきそうなんだ。といって、このマンションで焼くこともできない。まったく始末に困るよ。最後のお願いだ。あんたの手で、わからないように処分してくれないだろうか」  懇願口調であった。 「しようがなかな」  鍋屋は不承々々に答えるしかなかった。親戚《しんせき》にいる軟派の不良少年の尻ぬぐいをしてやるような気持だった。 「ありがとう」  川村は云うなり飛び出した。別の部屋で押入れらしい襖《ふすま》を強く開ける音がし、なにかごとごとやっていたが、戻ってきたときは、その手にふくれた風呂敷包みをさげていた。 「これだよ」  川村は屑屋《くずや》にでも払い下げるような調子で云った。 「この中に、良江のネグリジェと下着とが入っている」  鍋屋は川村から紫色の風呂敷包みを受けとり、結び目の下を指でちょっと押し開いた。長襦袢《ながじゆばん》かと思うような派手なネグリジェが見え、その下には、たたんで重ねたピンクの下着の端がのぞいていた。 「う。……こりゃ、おおごとじゃ」  鍋屋は眼をまるくした。 「だろう?」  川村は臆面もなく眼もとを笑わせた。 「こんな色気のあるやつを、うかつに処分もできない。鍋屋君、たのむよ。うまくやってくれるのは、あんたしか居ないのだ」 「しかしな、今となっては、これは良江さんの遺品《かたみ》だよ。正明さん。あんた、そうは思わんか」  鍋屋のこの一言は川村の胸を刺したはずだった。「遺品」と云われて、川村はさすがにしゅんとなった。が、その表情はすぐにもとに戻った。 「遺品かどうか知らないけど、いまはそんなことを云ってる場合じゃないよ。鍋屋君、感傷に浸らないことにしよう。過度の感傷は、現実につまずくモトだ」  鍋屋は耳を疑った。川村がおれに説教しているのだ。もてあそんだ女を死なせた男が。良江の死は、彼の責任ではないか。 「この風呂敷包みの中身が、ぼくの政治的生命をも失いかねないのだ。中島武平がスキあらばと虎視タンタン、ぼくを狙っている。感傷に陥らずに、この際、禍根となるものは始末しよう」 「良江さんには申しわけないけど、仕方がなかな」  鍋屋は、川村の酷薄無情を憎みながらも、引きうけるほかなかった。 「よろしく、たのむ」  川村はそれを見越したように云った。さきほどの懇願調はうすくなり、秘書に命じる口調が濃くなりつつあった。 「この風呂敷も良江さんが持ってきたのかんた?」 「うむ。彼女のだ」 「この風呂敷包みばぶらぶら持って行くわけにはゆかんばな。この上から新聞紙で包もう」 「それもそうだな」  川村は押入れのほうに引返して、古新聞五、六枚と、ビニールの白い紐《ひも》を持ってきた。鍋屋は風呂敷包みの上を古新聞紙でくるみ、紐を十文字にかけた。 「それじゃ、これで帰るけんな」  ふくれた新聞包みを持って鍋屋は立ち上った。 「お願いする。こういうとき、ぼくには、あんたしか頼む者がない」  川村は神妙に頭をさげた。 「正明さん」  立ったまま鍋屋は川村に呼びかけた。  正明さん、と云われた川村は、鍋屋に問い返すように眼を上げた。どこか身がまえているような様子だった。 「あの、オリベのママのことだがな。最近は逢っているのかな?」 「……」  鍋屋がまるきり変った話題を持ち出したので、川村は瞬間、あっけにとられた顔をした。  川村にしてみれば、こんな煩《わずら》わしい、しかも危機を救ってくれた私設秘書から、法外な礼金でも要求されると思ったらしい。そのために警戒の身がまえだったのだが、その鍋屋の話が織部佐登子のことだったので、案に相違して、とまどったのだ。 「ハワイには、どれくらい居たか知らんが、交通事故の後遺症はどうかね?」  これは鍋屋のサグリだった。川村が、あの真相をどの程度に気づいているかである。 「佐登子は、見たところ、事故前と変らない」  ——川村は何も知っていなかった。  織部佐登子の入院先には、鍋屋が川村の代理で見舞いの花を届けに行った。  佐登子の車が他の車に追突されて、彼女があやうくムチ打ち症になるところであったというのは、病室につき添っている波子が面会室に出てきての話だった。鍋屋はそれを川村に報告したのだが、川村はそのとおり未《いま》だに信じている。その後、佐登子も店に川村がくると、同じことを云っているらしかった。 「正明さん。あんたは妙に交通事故に縁のある人たいな。ほら、新宿であんたの乗ったタクシーがお婆さんをはねたことといい、オリベのママの話といい、今回の良江さんのことといい、みなそうなっとる」  川村は苦笑のかわりに、顔をしかめた。  三つのうち、織部佐登子の交通事故の内容を鍋屋は川村に云ってなかった。この若僧に打ちあけるには、あまりに惜しい話だった。ことは、寺西正毅が政治献金の逆リベート二千万円を献金の企業社長へ払っているのにからまっている。その社長が佐登子のパトロンときている。これは胸の中にあたためておいて、何かのときに金儲《かねもう》けの材料に使わなければならない、と鍋屋は思っている。 「ママは、あんたがプレゼントしたフランス製高級品のオーストリッチのハンドバッグを、愛用しとると云うとるかんた?」  鍋屋はきいた。 「さあ、ハンドバッグのことは何も云わんな、佐登子は」  川村はそれも知っていなかった。駝鳥《だちよう》のバッグの利用のされ方を。  鍋屋には、川村が織部佐登子にプレゼントしたフランス製高級品モラビトのハンドバッグが、現金二千万円を詰める運搬道具にされたことがすでにわかっている。  それは彼がデパートで被害に遇ったハンドバッグを買ったことから事情を聴きにきた所轄署の捜査課長の話からわかったのだが、警察ではこの盗難も、犯人の若者が自首してきたことも発表しなかった。新聞には出ていない。  二千万円も強奪されたというのに被害届が出ていないのだ。警察が事件を公表しないのは、その被害届がないということに関連があるらしい。警察では、二千万円のカネの性質に或る種の推定を抱いて、被害届が出るまでは発表を抑えているのではないか。或る種の推定とは、奪《と》られた現場ときわめて近いところに、政憲党の大物寺西正毅の邸《やしき》があることと関連しているように思う。警察は「政治」がからむと、とたんに臆病になる傾向がある。  鍋屋は警察から見せられた写真のハンドバッグ(自首した犯人が警察に持ってきた)が、デパートで自分自身が買ったものであることを確認したが、捜査課長の話によれば、その新しいバッグにこすったキズがついており、キズあとには白い粉が僅《わず》かながら付着していたという。  鍋屋は自分で「検証」の結果、盗難現場に近い福島家と加藤家との間の、身体を斜めにしなければ入れないような狭い路地を行くと、寺西正毅邸の裏口に突き当るのを知った。これで政治献金の逆リベートが政治家から献金を出した先にペイ・バックされたことが推定できた。献金の一部還流である。その隠密の運び屋が、織部佐登子であった。  もちろんこういうことは川村にもだれにも、おくびにも出さなかった。推定した「事実」は、これはこれであとから取引材料として十分に利用する価値があるのだ。それまでは、大事にしまっておかねばならない。  しかし、それとは別に、もしも川村が織部佐登子に求愛のため大奮発して買った優雅なオーストリッチのハンドバッグが、じつは逆リベートを入れる荷箱代りにされたと知ったら、どんな顔をするだろうか、と鍋屋は内心おかしくなった。しかも川村が惚《ほ》れている織部佐登子は、そのパトロンのために運び屋をつとめていたのだ。 「正明さん。あんた、ハワイからママが帰った後、たびたび飲みに行っとるとかんた?」  鍋屋はきいた。 「いや、三、四度は行ったが、それからは行ってない」  川村は面白くなさそうな顔になった。 「どうして、ママの顔を見にオリベに行かんとな?」  鍋屋はふしぎそうに川村に訊いた。 「佐登子はな、あいつはバカな女だ。おれは、バカな女は嫌いでな。不愉快になったから、もうあの店には行かんよ」 「へええ」  鍋屋は川村の不機嫌な顔をじっと見た。  バカな女だと云ったから、さては織部佐登子にパトロンのあることがわかったのかと思ったが、彼の表情からすると、そうでもないらしい。どうやら佐登子に云い寄って、彼女からニベもなく拒絶されたらしいのである。  バーのママは客からいろいろと誘惑の言葉をかけられるが、それになびくが如くなびかざるが如く、嫣然《えんぜん》として遁《に》げているのが商売のコツである。それはどこかスポーツのゲームにも似ている。だが、あまり執拗《しつよう》にまつわってこられると、ぴしゃりと引導を渡す。限界だ。その客を失ってもかまわないのである。  どうやら川村は織部佐登子からその平手打ちを喰ったらしいのだ。女には自信のある川村のこと、もちまえの押しでいったところ、最後には惨敗した模様であった。百万円のハンドバッグを返せ、と彼は云いたいところだろうが、さすがにバッジの誇りがそれを許さない。で、「バカな女だ」という悪口になったのであろう。  このへんのところは店の波子にきいたらよくわかるだろう。波子といえば、あれきり会っていない。鍋屋はそろそろオリベに電話してみようと、川村の「失意」状態を眺めるという妙なときに思いついた。 「じゃ、ぼくはこれを持って行くからな」  鍋屋はこわきにかかえた、大きな新聞包みを揺すり、川村に云った。 「たのむ」  川村も目下の急に、織部佐登子のことを考えている余裕はなかった。 「くれぐれも、気をつけてな」  岩田良江のネグリジェや下着の処分のことだ。  川村は、良江のことでは危機が去ったと安心する中にも、最終の結着まではまだ一抹の不安を抱いているようだった。  鍋屋はだれもいない通路に出た。階段を使用しようと思ったが、人影もない階段を新聞包みを抱え、とことこと一人で歩いて降りると怪しまれそうな気がした。昇ってきたエレベーターにはだれも居なかった。  下に降りて、マンションの前に出た。岩田良江が刎《は》ねられた地面には、警察が引いた白墨の線がわびしく残っていた。  鍋屋は彼女の遺品を手に抱えている自分を知って、ぞっとし、白線の中にむかって頭を深々とさげた。  鍋屋は、有栖川宮記念公園の前に立った。コンクリート塀で囲まれた公園の中には人がいた。公園内の屑カゴに新聞包みを投げ入れるのを思いとどまった。それに川村のマンションに近すぎた。  タクシーがきた。 「芝公園へ」  アクセルを踏む前に運転手が、 「どっちの道を行きますかね」  と、自分でも思案げにきいた。 「どっちの道でもかまわない。きみの馴《な》れた道を行ってくれ」  鍋屋はこの辺の地理には不案内だった。  広い道を走った。両側の店はほとんど閉まっている。九時半であった。交差点に、仙台坂上の標識が出ていた。  新聞包みを座席の隅に置いて降りることを思いついた。これがいちばん安全だ。次の客が乗りこんで、おや、こんな物があるよ、と運転手に教えるか、運転手が気づくかして、忘れものは営業所に届けられる。営業所で開けてみて、婦人用のネグリジェと下着と知り、ずいぶん色っぽい忘れものだな、と笑って、遺失品係に回すだろう。ネグリジェにも下着にもかくべつの特徴はないと川村が云った。  タクシーの中がいい、と鍋屋は思った。運転手に忘れものを気づかれないように降りることだ。もしもし、お客さん、忘れものですよ、という声が追いかけてこないように。  一ノ橋の交差点で赤信号になって停止した。  そのとき運転席で、無線連絡の声が鳴りはじめた。 「お知らせします。東大井二丁目から乗られたお客さんが車内に大きな荷物を忘れられています。男の方で、年齢は二十七、八歳くらい。白い開襟シャツにジーパンのズボンをはいておられます。髪を長く伸ばし、眼鏡をかけ、ほお骨の出た顔です。身長百七十センチくらい、やや瘠《や》せておられます。……お知らせします。東大井二丁目から九時ごろに乗られたお客さんが……」 「車内に忘れもの」は暗号だ。警視庁から通報をうけたタクシーセンターの放送で、犯罪の発生を全タクシーに通報する暗号であるのを鍋屋は知っていた。何かの犯人がタクシーを使って逃走中か、タクシー強盗かであった。「忘れもの」の主の特徴を詳細に云っているのはそのためだった。「大きな忘れもの」というのは凶悪犯人を意味しているのかもしれなかった。  この放送を聞いて鍋屋は、新聞包みを、このタクシーの中に置いて降りることができなくなった。  芝公園前に着いたとき、彼は相変らず包みを抱えて、すごすごとタクシーを降りた。  公園の中は木蔭《こかげ》のところどころに外灯が立って、青い葉を映し出していた。鍋屋はその中を歩いた。  夜の公園の中ではアベックが手を組んで歩いていた。灯のあるところでは全身が現れ、過ぎると暗がりに消えた。光のないところを択《えら》んでアベックがベンチに肩を寄せ合ったり、闇の溜った芝生の上にすわって抱き合ったりしていた。星がなく、蒸し暑かった。木立の上には、近くのプリンスホテルの高層の灯がならんでいた。  鍋屋は新聞包みを持ってうろうろした。ガサガサと新聞紙が鳴る。こんなものの捨て場所はどこでもありそうだが、いざとなると適当なところがなかった。  円筒形の金網になっている屑入れは、ほとんどが遊歩道に沿って配置されてあった。道には間隔をおいて男女づれがのろのろと歩いている。ベンチにもアベックが腰かけている。まるで見張りをしているようであった。屑入れに新聞包みを投げこんだところを見られ、あやしまれそうであった。  遊歩道からはずれたところの木立の中に捨てようとしたが、そこにもアベックがひそんでいた。  それに、覗《のぞ》きを趣味とする変った人々がいて、そのへんの闇《やみ》の中を潜行しているかもしれない。また、それらを取締る警官も徘徊《はいかい》しているようだった。  屑入れに投げこみさえすれば、明日は清掃人がきて、これを荷車へ集める。あとは清掃工場へ行くか、埋立地行であろう。赤いネグリジェと、なまめかしい婦人用下着は灰になるか、塵埃《じんあい》堆積の中に埋められる。  屑入れに新聞包みを入れるという簡単至極な動作が、じつは容易でないことが鍋屋にわかった。  アベックがうごめく公園が適当でないのだ。代々木公園にしても、外苑《がいえん》にしても同じであろう。  といって、道ばたの軒下にあるゴミ箱に入れるのには気持の抵抗があった。岩田良江の「遺品」だという意識が首をもたげてきたのである。公園の屑入れも同じようなものだが、食べものの残りなどをほうりこんでいる家庭のゴミ箱ではあまりに可哀想だ。  この上は、大井埠頭までタクシーで行って、海に流すしかないと思った。「水葬」である。しかし、たかが新聞包み一つぐらいと思ったが、いざ実行にあたって、こんなに苦労させられるとは思わなかった。  鍋屋はここをあきらめて、公園の外に出た。タクシーを拾うつもりで、広い通りの端に立った。  だが、タクシーの群は流れていても、「空車」の赤ランプを掲げた車は容易にこなかった。増上寺の門のほうへ歩いた。  このとき、すれ違ってふり返った背の低い男がいた。 「あ、鍋屋さんじゃないですか」  名を呼ばれて鍋屋は見返った。  朱塗りの増上寺の門前に、プリンスホテルの遠い明りをうけて立つのは、院内紙記者の西田八郎であった。  鍋屋はこの西田が常から川村正明に邪慳《じやけん》にされているのを知っている。先代は西田とおつきあいをしていたが、正明は「おやじはおやじ、おれはそんな旧《ふる》いしきたりと関係がない」と西田にカネを出すのを拒絶した。たいした金額ではない。西田程度なら、年間三万円そこそこだ。しかし、そういうドライな二世議員がふえてきた。その種類の収入の減少が、院内紙激減の原因ともなっている。  川村が西田に冷たくしているのだから、西田も川村にいい感じを持っていない。したがって西田は、その秘書の鍋屋にも嫌悪の気持があろう。  新聞包みをこわきに抱えている鍋屋は、悪い所で悪い奴に出遇《であ》ったと思ったが、遁《に》げるわけにもゆかず、 「やあ、西田君か。今晩は」  と、二、三歩あと戻りした。 「どうもよく似たお方だと思っていましたが、やっぱり鍋屋さんでしたな。今晩は」  小さな男は頭をさげた。西田は、黒の夏シャツに、黒のズボンという黒ずくめであった。おしゃれな服装かもしれないが、西田ではガラでないように思われた。 「川村先生は、お元気ですか」 「ありがとう、変りはなかです」 「お若いのに、なかなかご活躍ですな。�革新クラブ�の中のホープだという評判です」  思いがけなく西田は愛想というよりもお世辞がよかった。川村に云ってこの次から西田にカネを出すように云おうと鍋屋は思った。 「川村にそう伝えます。川村もそれば聞いたらよろこぶですたい」  鍋屋は感謝したが、この院内紙記者は気持が悪い。前に「川村が妻子を国もとから呼びよせるために南麻布にマンションを買った」という情報を鍋屋の耳に入れたのも西田であった。  川村先生はいまも南麻布のマンションでご家族とともにけっこうにお暮しでしょうか、などといまにも西田に云われはしないかと鍋屋は思ったが、それはなかった。  そのかわり、西田が新聞包みにジロリと眼をむけたので、鍋屋はひやひやした。それは何ですかと云われそうな気がした。 「西田君は、こげな時間に、こげなところまで取材ですか」  西田の口を封じる意味もあって鍋屋は先に問うた。 「まあ取材というほどでもないですが……」  こんどは西田がなんとなく口ごもった。  前の国道15号線には、タクシーの灯が流れ交うている。  それではこれで失礼、と鍋屋が云おうとする前に、西田から云った。 「鍋屋さんも、こういう場所にはよくおいでになるんですか」  その質問には、秘書として川村議員の用事で、という含みがあった。 「いやいや、今日は、私用で、その先に居るぼくの友人ば訪ねての帰りですよ。タクシーば拾おうと思ってここに立っとるんですが、空車がなかなか来んもんでね」  鍋屋は前の国道を流れるタクシーの実車ばかりを眺めて云った。 「空いたタクシーなら、ホテルの前にいくらでも客待ちのがありますよ」  西田は、そこから夜目にも白いプリンスホテルの白い建物をさした。 「あ、そうか。それは気がつかなかった。じゃ、歩いて、そっちへ行こう」  鍋屋は少しでも早く西田と別れたかった。 「じゃ、ぼくもそこまでいっしょに歩きましょう」 「え?」  鍋屋は西田にとりつかれたような気がした。 「ぼくもね、ちょっと、用事があるんです」  振り切る口実がないままに、鍋屋は西田と同行した。肥《ふと》った男と、瘠せた小男とは、ならんでホテル前のタクシー駐車場のほうへむかった。  増上寺前からそこまではちょっとした距離だった。ホテルの正面まででも広場を二百メートルくらい歩かねばならなかった。 「ちょっと」  広場を半分くらいきたところで、西田が鍋屋の歩行を制して足をとめた。 「こうしてみると、やはり高級ホテルの一つですなあ」  西田は両手をうしろに組んで幾何学的に配列された窓々の輝きを見上げている。いまさら何を、と鍋屋は思ったが、東京者の西田がお上りさんが口にするようなことを云うわけはなく、なにか意味があるように思われた。 「こういうホテルだと、一泊料金はどれくらいですかね?」  西田が呟《つぶや》いた。 「いろいろあるだろうけど、普通で三万円から四万円じゃなかですかね」 「一泊四万円ね。それが長期滞在だと、どれくらいですかね?」 「さあ。長期といっても、いろいろあるけど」 「二カ月くらいです」 「二カ月というと、すこし割安になるかな」 「それでも庶民の夢ですな。うしろの新館が四十階です。そこに、恋人といっしょに長期滞在したら、どんなにいいかしれない。そして、ときには香港あたりに遊びに行ったりしましてね」  鍋屋は西田の横顔をのぞいた。やはり、何か意味がある。  西田は、この一流ホテルに恋人と二カ月の長期滞在とか、ときには香港に遊びに行くとか云って、なにやら特定の人物を暗示しているようであった。 「あんたの知っとる人が、ここに滞在ばされとるのかんた?」  鍋屋はきいた。関心を惹《ひ》くような話題になると、つい、お国|訛《くになま》りが出る。  西田はやはり片脚を貧乏ぶるいさせながら、答えようかな、黙っていようかな、と思案するふうだった。 「話は違いますが、鍋屋さん」  小男の院内紙記者は云い出した。 「あんたは、丸山耕一議員の秘書有川昌造さんを知っておられるでしょうな?」 「有川君なら、よく知っとるたい。それほど親しいというわけでもなかばってん、同じ秘書仲間じゃけんなあ」  いつぞや日本橋のデパートの特選売場で、鍋屋はオーストリッチのハンドバッグ、有川はワニ皮のハンドバッグと、ハチ合せになったものだ。 「有川さんは議員秘書同盟を組織して、その委員長になられたりして、なかなかのやり手ですなあ」 「うむ、あの人は、やり手じゃ」  特選売場では、バーのホステスらしい女をつれてワニ皮を買ってやり、議員秘書同盟委員長の名刺を店員にふり回していた。おかげで、そこからアシがつき、オーストリッチを買ったこっちのことまでわかり、赤坂警察署の捜査課長の追及をうけた。 「あの議員秘書同盟というのは、実際に活動しているのですかね?」 「はじめは、かけ声の大きかばってん、いまはそうでもなか模様だな。議員秘書の不安定な地位ば改善するという旗印で会館の秘書連中が相当参加したけど、そのうち親睦《しんぼく》団体にもならんことを知って、だいぶん脱退者が出たとか聞いたがな。これはぼくの推測で、だれにも云わんでほしかけど、有川君は委員長の肩書を自分のために外部に利用しとるんじゃなかかな。有川君は関西人で、商売のうまかけんな」 「そのようですな」  西田がすぐに同感したので、鍋屋はヘンに思った。 「おや、きみは有川君の性格ば知っとるとかな?」 「いくらかは知っています。有川さんは、議員秘書同盟委員長の肩書を名実ともに充実するために、目下、調略に努力中のようにみえますね」 「調略」という戦国時代のような古い言葉が出たので鍋屋はちょっと判じかねたが、謀略と同じ意味とは察した。 「有川君が調略? そりゃ、どういう行動かんた?」  こわきの新聞包みを抱えあげたとたん、それがガサガサと音を立てた。 「それはまだ口外の限りではありませんね」  西田は気を持たせるように低く笑った。  だが、このとき鍋屋は、西田がこんなところにうろついているのはただごとでないと気がついた。タクシーの空車ならホテルの前に客待ちのがいっぱいいますよと西田に云われてここまで連れてこられたものの、その西田が先刻からこの辺に居たらしいこと、そしていまの位置に立ちどまって、プリンスホテルを見上げているのを見ると、西田の関心がこのホテルにあることを知った。というよりも、なんだかここを監視しているようなぐあいだった。  西田が「話は違いますが」などと逸《そ》らしておきながら、「このホテルに長期滞在して、ときには香港に遊びに行く男女」の話と、ホテルへ向けるいまの眼のすわりかたとが、同一線上にあるのに鍋屋は気づいたのだった。 「話は違いますが」と云ったあと、西田はつづいてそのヒントを出しているではないか。有川昌造さんを知っているか、と云ったのがその一端だ。まさかあの有川がと鍋屋は意外な思いであった。 「きみの云うこのホテルの長期滞在客は有川君のことか」  鍋屋は知らずに声が高くなった。 「は、ははは」  小男は大きな声を出して笑った。  質問に対する答えをはぐらかすのに呵々大笑《かかたいしよう》をもってするのは議員連中の癖だ。本院や議員会館に出入りする院内紙記者も、議員のその習性を真似るものらしい。しかし、この場合の小男西田の笑いは、質問の肯定を意味した。  鍋屋はたちまち諒解《りようかい》した。自分自身が、女をつれている有川を二度見ているからだ。  最初は夜の銀座で、川村正明に連絡して公衆電話ボックスを出たとき、二度目は例のデパートの特選売場であった。二度とも同じ女だ。四十を二つか三つ越した年齢で、不器量な顔だった。厚化粧でも、それがかくせない。派手な洋服は紛《まご》うことなくホステスであった。有川だから、あんなよろしくない顔の女がくっつくのだと思ったものだ。  デパートでは女に百万円以上もするワニ皮のハンドバッグを買ってやっていた。そうした有川と、この高価なホテルに女と長期滞在し、ときには香港に遊びに行くという西田の話とは符合するではないか。  ワニ皮のハンドバッグを女に買い与えたのを見たときは、有川も議員秘書同盟委員長の名刺一枚でずいぶんカネまわりがよくなったと鍋屋は思ったものだ。しかし、銀座の女とこの一流ホテルに長期宿泊し、しかも香港にいっしょに遊びに行ったりできるほどの荒かせぎが、議員秘書同盟委員長の名刺でできるものだろうか。いくらその肩書で関係者をカラおどしするにしても。……  鍋屋の不審顔を見て、その意味を察したか、西田は謎《なぞ》めいたことをぽつんと洩《も》らした。 「鍋屋さん。カネを出すほうは、なにも男性ばかりとはかぎりませんよ」  鍋屋は横の西田の顔へふりむいた。その西田は、片脚の貧乏ぶるいをやめずに、「金槌《かなづち》で叩きこんだ」ような顔を、にやにやさせていた。 「えっ、じゃ、女のほうが?」 「ふ、ふふふ」 「あのホステスは、そんなに荒かせぎばしとるとか?」 「あの年増、あの顔で、と鍋屋さんは云いたいところでしょう?」 「わかった。バーのナンバーワンは顔よりも腕だそうだな。そげなことば聞いたことがある」 「それとも違いますな」 「違う? わかった。じゃ、女には金持ちのオヤジがついていて、有川君は女のヒモか? ちょっと、それも、有川君の年じゃそぐわんばってんが……」 「まったく違いますね。鍋屋さんはあの女がバーで働いていると思うから間違ってくるんですよ」 「なに、バーのホステスじゃなかとか」 「シロウトです。ズブのね。それも、カタイところに勤めている女性ですよ」 「カタイところというたら、銀行か」  女子行員の使い込みが連想に走った。 「ううむ。……ぜんぜん当りませんな」 「わからん。どげな素姓か」 「さっき、ヒントは出しておいたんですがねえ」 「……」 「有川さんは議員秘書同盟委員長の肩書を名実ともに充実するため、目下、調略に努力中のようにみえます、と云ったでしょう?」 「わからんなあ、どうも」 「ま、このくらいにしときましょう。は、ははは」  院内紙記者の笑いは意味深長に聞えた。西田八郎くらいの古狸《ふるだぬき》となると、なにかをつかんでいるのはたしかだった。このホテルに泊っている有川昌造と、その伴《つ》れの女の間に何があるのか。  鍋屋もつられてホテルの窓を見上げたが、西田の視線の先がどの窓にあるのかさだかにわからなかった。灯のついた窓もあるし、暗い窓もあった。 「西田君」  鍋屋は、皮肉の一つも云いたくなった。 「きみは、こんなところに長い間ひとりで立ったり、歩きまわったりして、退屈じゃなかとかね?」 「ちっとも退屈せんですな」  小男は肩をそびやかして答えた。 「ぼくは詩人です。こうしてひとりで立っている間、詩を考えてるんですよ」 「へええ、きみは詩人だったのか」  鍋屋はびっくりした眼で、じつはひやかすような眼で西田の顔を見た。 「それはすこしも知らんかったな」 「ぼくが詩を書いていると云うと、みんな意外だという顔をしますね。は、ははは」  こんどは昂然《こうぜん》とした笑いかたに変った。 「どげな詩ば書いとるとな?」 「さあ。それは口では云えませんな。ぼくは『季節風』という詩の同人雑誌を持っているのです。それに載った詩でも読んでいただきませんとね」  このとき鍋屋は新聞包みを抱えた左手がだるくなったので、右手に持ちかえた。そのひょうしに古新聞紙がまたガサガサと鳴った。  西田がそれをじろりと見た。そのときだけでなく、さきほどから西田の視線はそれにちらちら当っていた。  鍋屋は、もうこのへんで西田と離れなければならないと思った。西田が投げかけた謎にも気を引かれたが、彼から新聞包みの中身を見抜かれるのをもっとおそれた。 「じゃ、西田君。これで失礼します」  鍋屋は別れを告げた。 「そうですか。失礼しました。……おや、鍋屋さん。タクシーが駐車しているのは、あっちのほうですよ」  斜め横にそれて行く鍋屋に西田は注意した。 「いや、電話をかける用事ば思い出してな、ホテルの中の電話室に入るのたい」 「あ、そうですか。……じゃ、これで」  西田はうしろから手を振った。  鍋屋は正面入口へはいった。ボーイが四、五人立っている。時間がおそいので、ロビーには人が少かった。  鍋屋は公衆電話室には行かずにトイレに入った。偶然にもトイレが新聞包みを捨てるのに、かっこうな場所だと知った。時間がおそいので、利用する人は居ない。あとから入ってくる人間も途切れている。  彼は、新聞包みを洗面所の横に置いてある屑《くず》カゴの中に入れた。ごそっと音がした。死んだ岩田良江が声を出したような気がした。彼は逃げ出した。  明日の朝になれば、ホテルの掃除人が屑箱の新聞包みの「遺品」を、ワーゴンに積んだビニール大袋の中に移すだろう。それから焼却炉の中に入れられる。苦労して公園をさまようことはなかった。  鍋屋は、西田に見られないように、ロビーから売店のある通路へ歩いて、横の出入口から外に出た。東京タワー方面へ行く道に歩く前、こっそりふり返ったが、ここから遠い広場に、「詩人」西田八郎の小さな姿はなかった。  チリの死  土井信行はアダムズ・ホテルの「事務所」で、速記の佐伯昌子を相手に口述をしていた。  政憲党の議員|錦織《にしごり》宇吉から依頼された「偉人・寺西正毅」の代作であった。  二カ月前、やはりここで外浦卓郎の書いた速記文字「夏の夜の夢」の内容を佐伯昌子から聞いているとき、錦織の秘書の畑中正太郎から電話があり、著者錦織宇吉の名で「ある人の伝記」を書いてほしいと云われた。  約束した日に畑中秘書に会ってみると、それが寺西正毅の伝記であった。  錦織宇吉という人は、目先が利き、これまで派閥を渡り歩いていたが、いつの間にか寺西派の幹部におさまっているという才子型であった。数代前の内閣で国務大臣兼国土庁長官の椅子を得たのも、寺西正毅がはめ込んだといわれる。  畑中秘書から電話があったとき、そのようなベテラン議員でも「著書の出版」を名目に資金集めのパーティをやりたいのかと土井は思ったものだが、それが寺西正毅伝とわかって、いまさらのように錦織の才子ぶりを知った。  たぶんこれは錦織宇吉から寺西正毅へ持ち出した話で、寺西は、きみ、おれの伝記はまだ早いよ、とテレて断ったにちがいないが、錦織はもち前の押しで寺西に承諾させたのであろう。錦織がその伝記に付けた書名も「偉人・寺西正毅」という臆面のなさであった。  この「著書」で、錦織宇吉はますます寺西にとりいることになる。寺西にしてもこの才子のあらわな追従がわかっていても、悪い気はしないのだろう。企業でトップに立つ者でも、部下のおべっかを十分に知りつつ、おべっかには弱く、彼らにお茶坊主的存在を許すことになる。 「偉人・寺西正毅」の出版記念パーティには、政財界の大多数が参会するであろう。義理上、桂重信派も、板倉退介派も、中間派も、その主だった議員が集るにちがいない。最も大きな利点は、このパーティ券の購入者が、寺西派と親しい財界人のみならず、これも付き合いの上から桂派、板倉派とつながる企業だということである。パーティ券の値もきっと高いにちがいなく、一夜にして二億円にはなるだろう。  錦織宇吉の計算はそれだけにとどまらない。「禅譲」が迫ったこの時期、「偉人・寺西正毅」の出版は、次期内閣入閣の事前運動ともなっている。  政界ほど阿諛《あゆ》迎合、追従が効くところはない。 「偉人・寺西正毅」を代作するにあたり、土井はその資料を錦織議員の秘書畑中正太郎から供給された。  およそ伝記を書くばあい、著者はできるだけ客観的な資料を求め、その蒐集《しゆうしゆう》に苦心するのだが、寺西伝のばあい、その必要はさらになかった。  これには客観性がすこしも要求されないのみならず、かえってそれが邪魔なのである。ひたすら称讃に終始すればよい。寺西に関する資料はこちらから努力して集める必要はなく、畑中秘書がいくらでも届けてくれ、しかもその内容たるや美談が荘厳具のように金色で塗りたてられている。  寺西正毅の幼年時代は神童であり、一高、東大時代は秀才であり、大蔵官僚時代は同期のトップに立つ能吏であった。局長のときに時の首相に見込まれてそのブレーンとなって政界入りをした。かくて「その人格、識見、手腕を慕う」議員が彼の下に集り、ここに政憲党員の四分の一にも達する寺西派ができた。寺西自身も歴代の内閣に重要閣僚を三度つとめ、そのうち一度は副総理となっている。  幼な友だち、一高、東大時代の同窓生、大蔵省役人時代の同期生、政界の先輩・後輩の「談話」がその主な「資料」だった。それらが「偉人・寺西正毅」の高層建築を構成している。 「伝記」は、当然に寺西正毅の家族関係も語らねばならない。夫人文子との結婚にまつわる逸話、その生家の環境、夫人の友人の話がこれまた「資料」として畑中秘書から持ちこまれた。これらは「良妻賢母」の一色に塗りつぶされている。  寺西正毅をここまで来させたのは、文子夫人の内助の功が大きい。夫人はその教養の深さにもかかわらず、きわめて「平民的」であり、だれにもこころよい印象を与えた。およそ政治家の妻は、その性格しだいで政治家自身の成長を左右する。貞淑で、明るい文子夫人の存在は寺西正毅の今日をあらしめた大きな要素である。  夫人は夫に誠実であり、夫想いである。たとえば、選挙のとき、東京において多忙な主人にかわって選挙区に詰め、地元の人々に接する。その馥郁《ふくいく》とした滋味ある人柄は、選挙民を魅了せずにはおかない。いかなる選挙参謀といえども、文子夫人のたくまぬ人心|収攬《しゆうらん》術にはカブトを脱ぐ。  衆院議員の任期満了前、または解散気運が濃厚となったとき、文子夫人は逸早《いちはや》く選挙区に帰り、選挙が行われるまで一カ月以上をそこで過す。運動員らと共にトラックにも乗って回るし、選対本部に詰めている。ほとんど寝《やす》むことなく、帯も解かぬ。  およそ文子夫人を知る者で、夫人を賞揚しない者はない。寺西正毅が連続して最高点の票を獲得するのは、本人の郷里での声望もさることながら、その裏方で働く夫人の懸命な努力に負うところが大きい。寺西正毅もそのことをよく知っていて、夫人に感謝している。夫婦仲はきわめて円満である。  ——錦織宇吉の秘書畑中正太郎の供給した「資料」で文子夫人に関するのは、このようなものであった。それらはもちろん錦織宇吉の指示によって畑中秘書が蒐集したのだ。これによって錦織宇吉は、さらに文子夫人の信頼を増すことになろうし、また錦織の狙う効果であろう。夫人の信寵《しんちよう》を得るのが、主君に登用される捷径《しようけい》とは、古今東西の歴史がおしえるところである。 「伝記作者」としてはこれくらい楽な仕事はない。与えられた「資料」をつなぎ合せればよいのだから。——精神的な抵抗を排し、ひたすら「商売」に徹して。  土井信行はこの初仕事をたのまれて、いちおうこれまで出ている伝記類に眼を通した。たとえば、徳富蘇峰の「公爵|山縣有朋《やまがたありとも》伝」である。 「貞子(有朋夫人)は、天資|敏慧《びんけい》、夙《つと》に謡、能、仕舞、琴、踊、長唄、横笛、皷、太皷等の遊芸を修め一として其の長技を発揮せざるものは無かつた。然《し》かも和歌の如きも亦殆《またほとん》ど作家の域を磨するものがある。貞子は善《よ》く公に事《つか》へ、内助の功も亦決して尠《すくな》くなかつた」  やはり蘇峰の「公爵桂太郎伝」。 「公は一家の財政を可那子夫人に一任し、可那夫人は、善く公の意を体し、厳格に勤倹主義を実行し、終始変せざりし。子女の教育は、公又之を夫人に一任したり。公は器度寛宏、喜怒色に形《あら》はれず、最も同情に富み、友愛に篤《あつ》く、其の夫人に対し、子女に対するや、満腹の同情を傾注せるを以て、公の家庭は常に和気|藹々《あいあい》の情に満ちたりき」  ——こういう流儀を、現代風に書き直せばよい、と土井は思った。彼自身が自己を封殺すれば。  これまでは、議員の代筆を、その議員の身になって土井が勝手に書いたものだが、「偉人・寺西正毅」という伝記になると、そうもゆかなかった。  土井は畑中秘書から供給された相当量の「資料」を整理し、メモをとり、それによって構成をつくった。  それだけに、口述しながらも、それがときどき行き詰まる。「資料」を見る。考える。そんな口述の小休みのときだった。机上の電話が鳴った。  佐伯昌子が受話器をとって聞いて、 「東方開発の社長秘書室長の斎藤さんという方からお電話です」  と、受話器を渡した。 「土井さんですね?」  先方はまだ若い声だったが、重々しい口調で云った。 「一時間ほど前に、サンチアゴから本社へ電報が入りました。チリ東方開発の外浦副社長が、交通事故で、亡くなられました」  亡くなった、という単語が、土井の聴覚にすぐには反応しなかった。二度聞き返したあとは、脳が一瞬、麻痺《まひ》した。 「外浦さんとはお親しかったようですので、土井さんにこのことをお伝えします。……もしもし、聞えますか」 「あ、失礼」  土井はわれにかえった。 「外浦さんが亡くなったのは、いつですか」 「九月十五日に、サンチアゴ郊外で外浦さんの乗用車が衝突し、外浦さんは重態のまま病院に運ばれましたが、死亡されたということです」  東方開発の社長室長は云った。 「もっと詳しいことはわかりませんか」 「電文がかんたんで、いまのところそれしかわかりません。詳しい報告はあとからくると思います。わたしどもも、それを待っているのですが。さらに詳報が来ましたら、お知らせします」 「外浦さんの家族の方は、現地へ行かれるのですか」 「奥さまにお知らせしました。たぶん奥さまがサンチアゴへ明日にでも向われると思います。……では、これで失礼します」 「どうもありがとうございます」  受話器を置いてから、土井の胸にはじめて動悸《どうき》が激しくうってきた。 (チリに二年間居るあいだに、どんな不測の事態が起るかもしれない)  赴任前、外浦卓郎の云い残した声が耳に蘇《よみがえ》ってくる。二年をまたずに、もうそれが現実に起ったのだ。——  電話の言葉を横で聞いて、立ちすくんでいる佐伯昌子にむかって土井は云った。 「『夏の夜の夢』の作者は、チリで死んだ」 「夏の夜の夢」の作者が外浦卓郎とは佐伯昌子も、土井から聞いて知っていた。 「まあ、外浦さんが……」  彼女は一瞬に凍りついた顔になった。 「急に、亡くなるなんて、信じられませんわ」  信じられないのは、土井がその倍以上であった。  こんなに早く、外浦が交通事故で死ぬということがあり得るだろうか。チリに二年間の約束で赴任したのに、あんまり早すぎる。  外浦は銀行の個人用貸金庫の代理人になってくれ、と土井にたのんだ。チリ行が決まってからである。  寺西正毅の私設秘書をやめたのも唐突な感じなら、チリ行も急なことだった。  もっとも、和久宏は寺西に外浦の「返還」を求め、寺西も事前の約束にしたがって、やむなく外浦を返したという事情はあろう。和久は外浦が手もとに戻るとすぐに「チリ東方開発」の副社長に任命したが、この事実はその経緯を裏書きしている。  だが、外浦の赴任のあわただしさには何か意味の知れぬものを土井は感じる。企業内部のことは門外漢にはわからぬにしても。  外浦にはチリへ行く前から「虫の知らせ」のようなものがあったのだろうか、と土井は考えるのだ。 (副社長というポストは、ほとんど遊びだからね。二年間チリに居たいというのは、ぼくから和久さんに頼んだことだ。ぼくも寺西先生の秘書をしていて疲れたからね。向うでのんびりと暮して、疲れをやすめたいのだ。ほんとに疲れたよ。年のせいもあるがね)  浅草の「桐の家」での外浦の話だった。 (サンチアゴへの出発が一週間後だ。今のうちに、この貸金庫のカギを、きみに預かってもらったほうがいい。向うへ行くと決まったからには早く行きたいよ)  A銀行向島支店で、土井が外浦の貸金庫の代理人となり、その手続きをすませたあとの話だった。 (馴《な》れない気候風土の外国に居ると、健康をやられるかもしれないということさ。副社長として赴任するからにはサンチアゴばかりにへばりついてはいられない。砂漠地帯と接するイキケの採鉱所に長く居ることになろうね。だが、病気ばかりじゃないよ。チリは有名な地震国だ。過去にも大地震の災害がたびたび起ってたくさんな犠牲者が出ている。ぼくの云う不測の事態とは、そういう意味だ)  向島の銀行を出て、丸の内方面へむかうタクシーの中だった。  しかし、外浦の云う「不測の事態」に、交通事故の話はなかった! (銀行の貸金庫に入れた書類は、きみの自由にしていいからね。処理を任せるよ)  成田空港だった。搭乗口へ向うエスカレーターにのる直前になって外浦は脚を戻し、皆の前から土井だけを離してそう云った。  土井が、それは貸金庫を開けてもいいという外浦さんの指示がサンチアゴからきたあとでもいいでしょうと云うと、外浦はちょっと首をかしげるようにして、ぽつりと答えた。 (その指示がサンチアゴから出せない場合も考えたのさ。現地で病気になるとか、何かの事故に遭うとか……)  ここではじめて「地震」以外に、「何かの事故」という言葉が出たのだ。  外浦はこんどの事故死を、あのときから漠然と予感していたのだろうか。虫が知らせるとは、そういう予感をいうのかもしれないが、それがあまりに早く的中した。  土井はチリからの外浦の通信を三度もらった。みな絵ハガキに書いたもので、サンチアゴからだった。 ≪成田ではお見送りありがとう。ホテルに入って三日目になる。当地は春の半ば。首都だけに繁華街は人出が多い。人口密度が一キロ平方に一・二人という南部地方をここでは想像ができない。果物屋には、サクランボ、リンゴ、メロン、アンズ、レモン、パパイア、クルミなどがはんらんしている。スペイン語もはんらん。南北に帯のように細長い国に二年間居るとすれば、これからスペイン語もおぼえねばならないでしょう。では、また。≫  写真は、港湾の埠頭《ふとう》風景である。  二度目の通信。 ≪三週間経ちました。ホテル住いだが、アメリカの車を一台買った。ポンティアックだ。そのうちに「世界一の砂漠」地帯にある北部の採銅所へ行く。一週間前に、東部のアンデス山脈のカラクエン火山の近くまでポンティアックで行ってみた。火山の斜面は南洋杉に蔽《おお》われている。村の教会は粘土でできていて、梁《はり》はサボテンでつくられていた。では、また。≫  裏の写真は渓谷の小村風景。  最後になった通信。 ≪車で、中部の草原地帯へ行ってみました。アンデスの山々はまだ雪をかぶっていた。草原には黄色い花が桃のように咲いている。「エスピノ」と呼んでいるが、アカシアの一種のようだ。北部の銅鉱山にはまだ行かずにサンチアゴで横着をきめこんでいる。元気かね? 頑張ってください。≫  写真は、塩水の鹹湖《かんこ》。  この三枚の絵ハガキ通信からは、「虫の知らせ」と推定する字句は見出せなかった。  土井は、外浦の妻を見送りの成田空港ではじめて見たくらいで、知らないひとといってもよかった。それで、外浦の死の報で、その留守宅に駆けつけることも、電話をかけることも遠慮した。「東方開発」の社長秘書室長からの詳報を待つしかなかった。  二回目の電話は、翌日午前十一時ごろ、ホテルの土井の事務所へ入った。 「外浦副社長は、向うで買われたマイカーを運転されてサンチアゴの郊外を走っているときに交通事故に遭われたのです」  秘書室長は云った。  向うで買ったマイカーと聞いて、外浦の絵ハガキ通信にあるポンティアックに土井は思いあたった。 「事故の詳しいことはわかりませんか」 「街路樹に車が衝突したのです。エンジン部がめちゃめちゃに破壊されて、副社長は即死だったといいます」 「……」 「警察の調べでは、百キロのスピードだったといいます。道路は道幅も広く、完全舗装で、直線コースだそうです。車も少いので、いまのところ居眠り運転の見方が強いということです」  なぜ外浦は百キロも出していたのか。急用ということは考えられない。三枚の絵ハガキ通信でも、観光ドライブが多いのだ。 「同乗者はなかったのですか」 「ありません。副社長だけです」 「奥さんは、いつ、サンチアゴへ向われますか」 「今日の二十時二十分発ロスアンゼルス行のJALです」  それだったら外浦が出発したと同じ便であった。妻は二カ月前、その便で赴任する夫を見送り、その便で夫の遺骨を迎えに行く。 「遺骨のご帰国は、いつになりますか」 「いまのところ未定です。チリ東方開発が現地で告別式を営んだりしますので。帰国の予定がわかりしだい、お知らせします」  受話器を置いたあと、土井は一分ほどそのままの姿勢でいた。それから立ち上った。 「お出かけですか」  速記の復元をしている佐伯昌子が隣から顔を出した。 「そのへんを散歩してきます」  じっとしていられなかった。  玄関を出るときに衆院事務局の車が到着した。赤ら顔の小肥《こぶと》りの男がさきに降りた。つづいて白髪で、怒り肩の、ニワトリのような眼をした議員バッジが座席から身をずらせていた。政憲党の幹事長だった。赤ら顔の五十男がむき直って幹事長を迎えていた。土井も見かけたことのある同党の経理局長であった。二人とも深刻げな顔をしていた。ホテルにいるだれかに会いに来たか、むつかしい相談ごとをしにこのホテルへ来たという感じだった。  土井は両人の視線を避けて、ホテル軒下を横に歩いた。神社の坂道へむかった。  日枝《ひえ》神社の境内は人がすくなかった。近くのアダムズ・ホテルに泊っているらしい外国婦人が六、七人かたまって社殿を見物していた。  朱塗りの拝殿前も、参拝者がまばらであった。拍手《かしわで》の音も少かった。  やはり朱塗りの回廊前に、赤い敷物をかけた腰かけの上に外国青年が掛けて英字新聞を読んでいた。うしろには山王祭を描いた画の扁額《へんがく》がならんでいた。土井は離れたところに腰をおろした。  サンチアゴでの外浦卓郎の交通事故死は、新聞には一行も出なかった。陣笠代議士の死亡は写真入りで掲載されるが、政憲党の次期総裁・総理大臣寺西正毅の帷幄《いあく》に参じて、政界の一方を動かしていた外浦秘書の死は、日本のジャーナリズムに載ることもなかった。「チリ東方開発副社長」の死にニュースバリューはなかった。  外浦卓郎の死は、もはや、疑うことのない事実だ。ふしぎなことに、外浦自身がこの死を予感して、土井に断片的な言葉をのこしている。いまとなっては「遺言」のようにもとれる。  ——不測の事態が起り、サンチアゴからのぼくの指示が不可能になったら、A銀行向島支店のぼくの貸金庫を開けて、中のものをきみが自由に処理していい。きみは、ぼくの代理人として銀行に登録してあるではないか。  両手で頭を抱えている土井の耳に、外浦の声が、まるで国際電話のように聞えるようであった。  外浦の妻が遺骨を胸に吊《つ》って帰国したのを見てからにしようか。その前に貸金庫を開くのは、いかにも不道徳のように思われた。 (ぼくは、女房に知らせてないことがいっぱいある)  外浦の言葉がここでも土井の耳を搏《う》った。�2674の個人金庫の存在も、ましてやその中に格納されたものも、外浦の妻は夫から知らされてないのではないか。いまになって、第三者たる自分がそれを彼女に通知するのは外浦との約束に違背しそうであった。いや、その秘密な物質の存在は、外浦の妻に打撃となるような気がした。  そう考えたものの、土井にはまだ決心がつかなかった。思い惑いながら拝殿のほうへ眼をやると、中年の夫婦が、社前の両側にある「夫婦《めおと》猿」の黒い置物を両手でかわるがわる撫《な》でていた。猿は山王さまのお使いで、これを撫でると息災を得るという。  その向うの、拝殿の階《きざはし》横に「おみくじ」箱が見えた。  迷った土井は立って、そこへ歩いた。「おみくじ」が「吉」だったら向島へ走ろう。「凶」だったら止《や》めようと思った。自分の行為を嗤《わら》うまい、と彼は思った。  決断を、職業的な予言者や八卦見《はつけみ》の「霊言」に托《たく》する政治家は稀《まれ》ではない。ふるいところでは、明治の末期、大正のはじめに青山の穏田《おんでん》に大邸宅をかまえた飯野吉三郎のもとへは、その「予言」を聞かんとして元老山県有朋はその使者を出入りさせ、宮廷に一種の勢力を持っていた歌人の下田歌子もここに頻繁に出入りした。ときの女官長もこの「穏田の行者」を崇拝した。その他の群小政治家が踵《きびす》を接して「穏田|詣《まい》り」をしたのはいうまでもない。現在でもかかる「予言者」の託宣にたよる政治家は少くない。  近代の政治といえども、政治の世界は「一寸先が闇《やみ》」である。叡知《えいち》な思慮と判断のみでは律しきれないのだ。ここに近代が江戸時代へ遡行《そこう》する。「神言・霊言・予言」に依存するのは相場師だけとはかぎらない。政治家も——いや、政治家もまた相場師と異ならない要素がある。  土井信行は、赤塗りの「おみくじ」箱の口に百円玉を入れるとき、自分の行為を嗤うまいとした。  百円玉が落ちて、下の口から「おみくじ」がキップのように出た。はなれたところで、封を開いた。「吉」ならば向島、凶ならば中止である。  出たのは「小吉」であった。 「吉」か「凶」かと思っていたが、「小吉」は予想していなかった。外国人のために英文で"A Little Better Luck"と翻訳してある。  土井は迷った。「小吉」とは「半吉」という意味か。 ≪ひとかたになびくと見せて青やぎの ゆくえさだめぬひとごころかな≫  という和歌らしいのが上にある。 ≪思うにまかすようで心にまかせぬことがあり おもわぬ幸福ある様でも よく気をつけないと後で 損することあり≫  と説明してある。 ≪願望 初めにきをつけねば中途でやぶれる≫ ≪商売 ねだん上下なし≫ ≪争い事 女相手ならば負け≫ ≪相場 上がるを買え≫  ——向島へ行こう、と土井は決断した。「小吉」を「吉」に、ねじまげて解釈したのは、彼の心に向島行がはじめから横たわっているからであった。 「お帰んなさい」  佐伯昌子が迎えた。  留守しているあいだにかかってきた電話のメモをさし出した。 ≪錦織先生の畑中秘書から。お帰り次第、電話をくださいとのことです。11時20分≫ 「偉人・寺西正毅」の原稿督促である。  土井は机の抽出《ひきだ》しに鍵《かぎ》をさしこんで開けた。ほかの抽出しはそのままだが、これだけは鍵をかけてある。  その抽出しに革製の小さな袋がしまってある。その中に貸金庫のキーと自分の印鑑とがはいっている。袋ごと洋服の内ポケットに入れた。 「二時間ばかり外出します」 「あの、畑中秘書からまた電話があったら、どうお伝えしておきましょうか」 「四時ごろにこちらから電話すると云ってください」 「わかりました」 「どうせ寺西正毅伝の催促です。これまでどのくらいはかどっている?」  口述速記であった。 「そうですね。四百字詰めの原稿紙にして百五十枚くらいです。そのうち、まだ復元してないのが五十枚くらいです」 「では、その復元をすすめておいてください」 「そうします。いってらっしゃいませ」  佐伯昌子は頭をさげた。  土井は一階ロビーに下りた。今日も結婚披露宴があるらしく、エレベーター前ホールに振袖姿のお嬢さんたちが華やかに集っていた。  正面出口ドアの前に見おぼえの黒塗りがとまっていた。さっきの衆院事務局の車だった。  タクシー乗場に歩きかけて、土井はふりかえった。ホテルの中から二人の男が出てきた。ニワトリの眼と怒り肩とを持った政憲党の幹事長と、小肥りの経理局長だった。土井が日枝神社へ行くときにホテルに到着したから、せいぜい一時間しかホテルにいなかった。どのような話合いをしたのか。幹事長の横顔はむつかしい表情だったし、経理局長は元気がなさそうであった。  タクシーに乗った。 「向島へ」 「高速道路を利用しますか」  そうしてくれと答えたとき、前の黒塗りが走り出た。うしろの窓に猪首《いくび》の幹事長と体格のいい経理局長の背中がならんでいた。ナンバープレートには衆院事務局の番号がついている。  霞が関ランプから首都高速道路に入った。三十分ばかりして隅田川を渡り、川を左手に見るようになった。両国橋、蔵前橋、廐橋《うまやばし》、駒形橋、吾妻橋《あずまばし》、言問橋《ことといばし》が眼下に過ぎた。二カ月前には、この逆の順を外浦卓郎とタクシーで走ったものだった。 (向島支店とは、妙な場所に貸金庫をつくったときみは思うかしれないが、ちょっと気づかれない盲点と思うよ)  その車内の外浦の言葉で、そのあと彼はちょっといたずらっぽい眼をしたのを土井はおぼえている。  タクシーは向島のランプで下りると、向島の街に入った。  土井はA銀行向島支店へ入った。  次長が出てきた。 「外浦さんは『チリ東方開発』の副社長に栄転されたというご挨拶状をいただきました。向うではお元気ですか」  次長がにこにこして訊《き》いた。 「はあ……」  土井は口の中で返事した。 「外浦さんは、出来る方ですからなあ。さぞ、ご活躍でしょう?」 「ええ、まあなんとか」  外浦の事故死が新聞記事になってないのが、さいわいだった。 「チリのご赴任が外浦さんにわかっていたから、土井さんを貸金庫の代理人に指定されたんですね?」 「そういう含みもあったと思います」  土井は答えるしかなかった。 「では、どうぞ、こちらへ」  次長は土井を地下の貸金庫室へ案内した。ここは土井に初めてであった。  階段を降りると、事務室があった。コーナーが二つにわかれていて、左側が応接用のデスクで主任がすわり、右側のカウンターには女子行員二人がならんでいた。中央が金庫室の入口だった。  主任が机からはなれて、次長にともなわれた土井の前にきて挨拶した。  土井は持参の印鑑を、女子行員の出した「貸金庫開閉票」に捺《お》した。女子行員はカードの「貸金庫賃貸記入帳」にある土井の届印と照合した。このカードは、前に外浦とこの銀行に来て「代理人」の登録をしたもので、「使用者氏名欄」には外浦卓郎の署名と届印とがあった。  土井は、何秒間か外浦のサインをなつかしい気持で見入った。  土井が女子行員に導かれて金庫室に入るとき、次長は上へ去り、主任は自席に戻った。  五坪ばかりの金庫室の三方は、鋼鉄製の格納庫が天井まで壁となり、番号のついた抽出しが方眼紙形にならんでいた。抽出しは深さの違いによって区分されていた。天井の照明は、貴重品を呑《の》みこんでいるこの鋼鉄箱の列を冷たく光らせていた。  女子行員は、土井の出した�2674号つきのキーと、銀行側の保管キーとを、抽出しの二つの孔《あな》にそれぞれさしこんでまわした。深さ七センチの抽出しは開いた。銀行ではこれを「保護箱」と呼んでいる。 「どうぞ、あちらで」  女子行員は反対側をさした。応接室のような個室が三つならんでいた。  土井は、抜き出した抽出しの保護箱を抱え、その一室に入った。中には、つくりつけの机があり、椅子がおかれてあった。ドアを内から閉めて、ロックしたとき、女子行員の靴音が忍ぶように出口へ去った。  恋情  土井信行は保護箱を机の上に置いて椅子にかけた。深さ七センチ、幅二十八・六センチ、奥行五十三・五センチのこの鋼鉄製のそれは、「宝の小函《こばこ》」であった。蓋《ふた》を取って中をのぞくと、渋紙の小さな包みが、底に一つだけ沈んでいた。  土井はその包みを手にとった。貴金属の重量ではなかった。軽いものだった。  土井は昂奮《こうふん》をおさえ、渋紙の包みを解きはじめた。個室は無人の天地であった。その狭い空間に、土井だけが存在していた。  渋紙を除《と》った。ふくらんだ茶色の大型封筒があらわれた。封筒は糊《のり》づけしてあった。「代理人」の権利で、封を切った。封筒から抜き出した中のものを机の上に出した。  紙ぎれの束であった。ゴム輪で、無造作にくくってあった。  それとは別に、普通の封筒が添えられてあった。「土井信行君」と、外浦の筆蹟《ひつせき》があった。  紙ぎれの束をゴム輪からはずす前に、土井はまず、その封筒の中身を抜き出した。便箋《びんせん》数枚が折りたたんであった。 ≪土井信行君  ぼくがどうしてこういうものを遺したか、きみはふしぎに思うだろう。じつのところ、ぼくにもよくわからない。白状して云えることは、こうしたレターや連絡メモを彼女から手渡されたぼくが、それらを処分することなく、ひそかに保存しておいたことだ。彼女は、ぼくが一読後ただちに焼却したり、他人が読めないように、こまかくちぎって破棄したと信じているにちがいない。しかし、ぼくは、これらを燃したり、破ったりすることなく、ほとんど全部を隠匿しておいたのだ。  見るとおり、「通信」はいずれも小さな紙片に走り書きされている。彼女はこれを、人の眼にふれないように、手の中にまるめて、匆々《そうそう》にぼくに渡した。もらったぼくもまたそれを掌《て》の中に握りこんだ。紙は皺《しわ》だらけになった。あとで、人の居ない場所にきて、ぼくは皺をのばして、「通信」を読んだ。  それらを溜《た》めたのが、この紙ぎれの束だ。読み終ってから、ぼくが一枚一枚、アイロンを上からかけて皺のばしをし、保管したのだ。そんなことは彼女も露知るまい。  なぜ、そうしたのか。ぼくは彼女を裏切っただけでなく、これらを「証拠品」にして、あとで、なんらかの折に、なんらかの目的に役立てようと思ったのだ。  なんらかの目的に——こう書けば、きみにもぼくの意図がわかるだろう。或る種の野心があったことをね。≫  土井は、心を騒がせながら外浦の手紙のつづきを読んだ。 ≪……ぼくは、これらの「通信」を、ぼくの野心的な意図に沿った武器に使うつもりだった。そのために、紙の皺をアイロンでのばし、きれいにして保存しておいた。むろん、自宅にも事務所にも、その隠匿場所はない。だから、この向島の銀行の貸金庫を択《えら》んだ。万が一、他人にこの恋文の存在を気づかれて、捜索を受けたとしても、この貸金庫はこよなき安全地帯だ。ぼくが銀行から専用にもらったキーに加えて、届けたサインや印鑑がなければ、金庫は一センチも開かないのだ。他人は絶対に手出しができぬ。  こう書けば、きみはぼくを軽蔑《けいべつ》するだろう。ぼくは彼女に対して重大な背信をした。彼女は純真だ。ぼくの心の底に、そんなおそろしい野心がひそんでいようとは夢にも気づいていなかった。今でもそうだ。  ぼくはチリに行く前で、その準備のこともあって忙しい。だから、急いで終りを書く。  けっきょく、ぼくはこれらの恋文を利用できなかった。ついに機会がなかったからだ。ぼくが日本を去る決心になったのは、あるいは自分からその利用する機会を永久に捨てたといえそうだ。なぜか。その心境をここに書くには複雑にすぎる。  では、これらの恋文の束を灰にしてしまえばいいではないか、ときみは云うだろう。ぼくだって、同じ呟《つぶや》きが胸の中から聞えてくる。だが、それができなかった。一口にいってしまえば灰にするには「惜しい」からだ。政治家の秘書として、三年間働いているうちに、ぼくの良心も政界の汚穢《おわい》に感染したのだろう。政界では、常識でないことが常識として通っているのだ。  これらの「通信」を保存し、きみにこの処理の一切を委《ゆだ》ねるぼくの心境は、自分でも不可解で、説明ができない。それをこの手紙に書けば、ぼくの文章は支離滅裂なものになろう。だから、もうこれ以上は書けない。理由は、これを燃してしまうには、「惜しい」という乱暴な云いかたしかないのだ。  この手紙は、きみと浅草の「桐の家」で話し合ったあと、銀行に来た時金庫の中に入れた。  そのとき、ぼくはこの彼女からの「通信」を一時間もかけてふたたび読み返した。だれも居ないところで、まるで金庫に納めたダイヤモンドと再会して、これを指先で愛撫《あいぶ》する金満家のように。隠し貯えた貴金属を灰にする決心にはなかなかなれないものだ。……≫  土井は、紙を束ねた太いゴム輪をはずした。いよいよという気持だった。紙が折り重なって机の上に崩れた。  市販の便箋に四枚つづきに書いたのがいちばん長いほうだった。一枚のもある。メモ用紙に走り書きしたのがある。紙の大きさは揃っていない。四隅が少しめくれあがっていた。アイロンをかけて、皺を伸ばした跡が歴然としていた。  達筆であった。日付はまったくなかった。宛名もなかった。  土井は、胸をとどろかせながら、束のいちばん上に置かれた便箋四枚つづきのものから読みはじめた。 ≪お会いする機会がなかなか見つかりません。あなたのお顔は一週間に二日は拝見していますし、お声も聞いておりますが、そのお顔もお声もわたしに対してではなく、主人や他の人たちにむけてです。あなたはわたしを一切無視していらっしゃいます。それは一カ月もお会いしないよりも、わたしにとってもっと辛《つら》いことです。危険だから、おたがいに十分に気をつけよう、おおぜいの人の眼にさらされているのだから、とあなたは常からおっしゃっています。二人のあいだのちょっとした動作、眼の交わしかた一つでも、まわりの人たちに気づかれるおそれがあるから、これまでどおりに知らぬ顔で振舞いましょうとはじめに申上げたのは、わたしです。三つ年上の女の小賢《こざか》しい言葉を、あなたはよくまもってこられました。  それとは知りながらも、わたしにはこういう状態がだんだん辛くなってきました。理性で抑えようとしても、胸の苦しさをどうすることもできません。だれにも知られてはならない二人の間という苦痛をこんどはじめて味わいました。生れて初めて……。  でも、いまはいたしかたがないとあきらめております。そのうちに、きっとわたしたちの希望どおりになるという夢にすがりながら、毎日を生きています。現在の苦しい、やるせない気持をすこしでも紛らわせようと思って、パーティがあればパーティに出かけ、うちに見える多くの人たちともしゃべっていますが、みんなダメです。かえって憂鬱《ゆううつ》になるばかりです。  どうしたらいいかわかりません。あなたは、何一つおっしゃいません。それがわたしに耐えがたくなってまいりました。なにか自分自身が空気を撫《な》でているような感じです。思いきり、あなたの強い反応を望みたいのです。こっぴどく叱られたいのです。こんなにあなたをお慕いしているわたしなのに、それすらも自由にならないとは、なさけなくて、ただ、いらいらするばかりです。……≫  女からの恋文であった。  もらったのは、むろん外浦卓郎である。出したほうはわからない。  しかし、この文面だけでも、その女性が人妻であること、外浦よりは「三つ年上の女」であることが推測できた。 「パーティがあればパーティに出かけ」「うちに見える多くの人たち」の字句から、彼女の置かれた環境に想像がつく。  そればかりではない。「お顔は一週間に二日は拝見していますし、お声も聞いております」とある。外浦は彼女の家へ、その頻度で出入りしているのだ。むろん彼女の「主人」に用事があって。……  土井は、次の手紙に移った。便箋三枚である。達筆に変りはない。 ≪昨夜は十時前に家へ帰りました。途中まではあなたとごいっしょのタクシーでしたが、その車を二人とも降りて、別々に流しのタクシーを拾いました。あなたは、わたしがタクシーに手をあげて中に乗りこむまで、五メートルくらい離れたところにたたずんで、人知れず見送ってくださいました。  わたしはじぶんの背中に、あなたの視線を幸福に感じました。  それはお会いしたときよりも、もっと充実感がありました。お会いしているときは、仕合せに身をゆだねていても、どこかに隙間風の吹くのを感じているのです。あなたが黙って、何もおっしゃらないからいけないのです。うんと叱っていただいたら、それか、はしゃいでいただいたら、どんなにいいかわかりません。わたしはいつもそれを期待してお会いする場所へ参っておりますのに。  お話ししたいことはいっぱいあるのに、いざあなたのそういうお顔を見ていると、何も話せなくなるのです。つまらぬ話をすると、あなたのご気分をこわし、軽蔑を買いそうなんです。  わたしには、あなたの置かれた立場も、わたしのそれも、じゅうぶんすぎるくらいにわかっています。でも、せめてお会いしているあいだは、そんなことはいっさいお忘れになっていただきたいのです。いつも、わたしたちの間に、理性のガラスを一枚はさんでいらっしゃるようなあなたが、わたしにはかなしいのです。ばかな女とおさげすみでしょうけれど。  それからすれば、お別れしてからわたしがタクシーを拾うまで、離れたところに立って、じっと見ていてくださるあなたの視線は、わたしへの愛情そのものという感じです。その瞬間、わたしは幸福にみちあふれるのです。箱根の夜が戻ったように。……≫ ≪箱根の夜が戻ったように。……≫  この字句につきあたったとき、土井は眼の前に火花が散るのを見た。  ——外浦卓郎の速記文字「夏の夜の夢」であった。佐伯昌子がこれを復元して語ってくれた。 (暗い林間にはキャンプファイアが燃え、青春の歌声がホテルの窓に聞えます。そんなある真夜中、『彼女』が『彼』の部屋を訪れてきます。ひそかなノックがドアに鳴ったとき、それが誰の訪問かを知っている『彼』は、しばらく迷いますが、思い切ってドアを開けます。『彼女』は黒い紗《しや》のベールで顔を掩《おお》っていたのですが、それをかなぐり捨てて『彼』の胸に顔を埋め、慟哭《どうこく》するのです。そうして泣きじゃくりながら『彼』へ愛を告白します。翌朝まで『彼女』は、『彼』の部屋から去りませんでした。……)  それがここに手紙となっている。  土井はしばらく眼をつむった。一気には次に移れなかった。「夢物語」が次第に現実となって顕《あら》われはじめている。過去だが、現在のように迫真性があった。  彼は呼吸を整えた。 ≪昨今は、主人のためにずいぶん尽していただいていますわね。主人は感謝していました。  でも、わたしには、あなたがわたしとの間を清算するために、何もかも忘れるように主人に尽していらっしゃるような気がして、かなしいのです。  仕事をしておられるあなたのお顔は、憤《おこ》ってらっしゃるみたい。それがわたしのおろかさに対してのようで、とても憂鬱なんです。どうか、わたしのこの気持を救ってください。そうしていただかないと、やりきれないのです。今日は家に主人のお客さまが多くて、長い手紙が書けません。みんなが寝たあとの午前一時半にこれを急いで書いています。≫ ≪昨日やっとあなたからお手紙をもらったので、ようやく心がおちつきました。いつものことですが、あなたのお手紙を火に燃してしまうのは、まるでじぶんの魂が消滅してしまうようで、とても悲しくてなりません。でも、他人の眼にふれると一大事ですから、いたしかたがありませんけれど。  あなたも、わたしからの手紙を火中にされるときは同じ気持かしら? あなたのお手紙が火にめらめらと燃えてまっくろな灰になってゆくのを見るとき、そんな思いになります。でも、わたしはあなたなしには、もう、生きてゆけないのです。交換する手紙がむなしく灰になってゆくのとは逆に、二人の仲の永遠を信じています。ほんとうに、いつまでも。≫ ≪このごろ、ちょっと要心をしないといけないような気がします。  といって、べつに変った様子がおこったのではないので、安心してください。かくれたことをしている身の、疑心暗鬼だと思います。  わたしは、このごろすこしノイローゼになっているのかもわかりません。あなたのお気持をはかりかねて、ヒスになったり、ノイローゼになったりして、どういうことでしょう?  あなたの責任にするつもりは毛頭ありません。すべてはわたしの愚かさから出ています。でも、それだけに、わたしを安心させてくださいね。そうすると、わたしの精神状態はなおります。まるで小娘のようなことを云うと、おわらいになるかもしれませんが。  近ごろ、まわりを要心しなければいけないということ、べつに変った状態がおこったというのではありませんから、あまりお気になさらないように。これまでどおり自然にふるまってください。≫ ≪今日のお電話ありがとう。  電話では長くお話しできないので、また手紙を書くことにしました。……ここまで書いたとき、主人の客が七、八人入来。これで中止。≫ ≪主人の命令で、仕方なく選挙区へ行き、そこで三週間ほど過ごしました。味気ない、砂をかむような暮しでした。でも、選挙区の人たちには、それと気どられないように愛想よくふるまわねばならず、ほんとうにつらいことでした。周囲の耳があって、あなたにお電話することもできず、ストレスがつのるばかりでした。いちど、思い切ってお宅にお電話して、せめてお声をと思いましたが、奥さまがお出になったので黙って切りました。はしたない女だとさげすまないでください。  三週間ぶりに帰って、やっとあなたにお会いしたのに、あなたのお顔色が悪いのにびっくりしました。あなたも、東京に居ないわたしのために苦しんでいらっしゃると思って、お可哀そうと思う一方、泪《なみだ》が出るほどうれしかったのです。  なのに、昨夜、二人きりになったときのあなたのお言葉は、ほんとうに意外でした。わたしだって、ずっと苦しんできているのです。いつかは……という希望がわたしをささえてきていました。それなのに、わたしがいちばんおそれるお言葉が、あなたのお口から平気で出たんですもの。まるで断崖《だんがい》へつき落されたような心地になりました。いいえ、もう、わたしはあなたとお別れすることはできません。死んでも……。それだけは知っておいてください。 文子≫ ≪……文子≫  この名を手紙の末尾に見たとき土井は眼の前が揺れ、全身が痺《しび》れたようになった。  これまで文面を読んできて、頭の隅にその疑惑が一片の黒雲のように浮んでこないではなかった。が、それはむしろ外浦卓郎が以前から仕えている東方開発の社長和久宏夫人に濃かった。  この何枚目かの手紙に、「主人の命令で、仕方なく選挙区へ行き」の字句につきあたったときも、胸を衝《つ》かれて息を呑《の》んだが、「文子」の署名でそれが決定的になった。  女性にはめずらしい男ぽい達筆の行間から、雑誌のグラビアなどで見たことのある寺西正毅夫人の顔が顕われてきた。  やわらかな表情だった。理性的な、きりっとした眉が眼鏡とよく似合う。その奥から慈愛に満ちた切長な眼がカメラにむいていた。唇の両端はほほ笑みに深まり、豊かな頬に浅いえくぼをつくっている。やや大柄な身体《からだ》を、こまかな紋様の和服の着付でひきしめていた。年齢よりは若く見えるのだ。自邸の庭にある深い木立の背景が彼女の立姿をくっきりと浮き出していた。名流夫人に特有な落ちつきと威厳と、理知と寛容とが、魅力的な融合をとげていた。この秋には、首相夫人となるはずのひとであった。——  主家の夫人と秘書とのひそかな愛情関係は、さして珍しいことではないかもしれない。だが、まさか外浦卓郎と寺西夫人との間にそれがあるとは土井は空想もしてなかった。この銀行貸金庫の一坪くらいの空間に嵐《あらし》が満ちているのを感じた。  次の手紙に、すぐには土井の指が動かなかった。手も身体も石のように硬直していた。それなのに頭の中だけは熱い思案が激しくかけめぐっていた。  いったいどのようにして、そういうことになったのか。  いまにして思いあたる。外浦の速記文字「夏の夜の夢」は、その「解説」だったのだ。土曜日の夕方から夫人は箱根のホテルへ行く。翌日の日曜日には子供がそこへくる。政治家の夫人として日ごろ多忙な彼女は、せめて一夜はひとりになって休息を求める。そのエスコートが外浦秘書の役目だった。彼の運転する車で、いつもそうしていた。  はじめのうちは運転者の秘書を慰労して夫人は食事をいっしょにするだけで彼を帰していた。その回が重なって、うちとけるようになる。食事のテーブルには二人ぶんのワインが運ばれるようになった。あとは速記文字が叙述している。  土井は、胸の動悸《どうき》を抑えて、ようやく次の手紙をめくった。灰皿にはいつのまにか半分しか吸わないで捨てた煙草が十本ぐらいにもなっていた。 ≪あなたもどんなにか悲しい気持でおられると思います。あなたのお顔をみていると、それがよくわかります。わたしにたいして、どのようにあなたが人の前をとりつくろっておられても、痛いほどわかるのです。  なにもかも放って、死んでしまいたいくらいです。いま、このお手紙を書きながら、ひとりで涙を流しています。この前、あなたとお会いしたら、その表情から、あなたも同じ思いで悩んでいらっしゃるとすぐに感じました。お顔色が蒼《あお》ざめていました。  わたしたちは不可能なことを、懸命にやりとげる運命にあるのではないでしょうか。(午前三時半)≫ ≪昨日は、いつものところに一時五分くらい前から立っていました。人に顔をじろじろと見られそうなので困りました。待ち合せの場所が視野に入るような範囲のなかで、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、商店の店さきで買いものをするようなふうを装ったりして。お約束の時間が二十分過ぎて、もう帰ろうと思って立ち去りかけるのですが、入れ違いにあなたが急いでいらっしゃるような気がして、それにひかれて、とうとう一時間近く待ちました。いっぽうでは、あなたのお身体の調子が悪いのではないかと心配して。……  でも、さっきのお電話で、昨日のうらみごとを忘れてしまいました。主人のそんな用事で長引いたとは知らずに、あなたのお心を疑っていたのは申しわけありませんでした。すぐに連絡ができない悲哀をつくづくと感じます。明後日をたのしみにしています。いまのお電話のとおりに。≫ ≪わがままを云ってごめんなさいね。たのしいときに、つい、思ってもみなかったわがままが出るのです。やっぱり女ですね。それなのに、あなたはじっと我慢してくださいました。いつものように。わたしはこの二年間、いつも同じことを考えては暮しております。できるだけ早く、あなたをあきらめること、そうでないとお互いにたいへんなことがおこるからと。でも、わたしはあなたが好きで好きでしかたがないのです。この気持はどうにもならないのです。上手な云い方はできませんが。  この手紙、およみになったらすぐに破いてください。忘れずに。 文子≫  ——二年間つづいた仲だったのか、と土井は知った。すると外浦卓郎が寺西正毅の秘書となってから一年後に、この愛情関係は発生している。 ≪昨夜は、いつまでもねむれませんでした。あなたのお言葉が、胸のなかにくりかえしくりかえし湧《わ》いてくるのです。消しても、消しても、ダメなんです。  別れぎわにあなたのおっしゃったお言葉が、わたしをおびやかすのです。あなたはほん気で、あんなことをおっしゃったんですか。わたしのいまの危機をすくうためにですか。わたしは、ああとうとうやってきたと覚悟しました。いよいよお別れのときかと。  でも、あれはあなたがわたしをためしてみられたのだと思い返しました。ね、きっと、そうなんでしょ? わたしは、どんなことがあってもお別れいたしませんから。……≫ ≪みえないところで、いつまでもいつまでもわたしがあなたをお慕いしていると信じて……≫(メモ用紙の一枚に走り書き) ≪明日の午後一時に買いものに出ます。運ちゃんの眼がちょっと油断なりませんが、大丈夫です。二時に、Kにきてください。わたしがおくれても待っててね。おくれてもかならず二十分以内には行きますから。≫(メモ用紙の一枚に走り書き) ≪いま、ぼんやりとひとりですわっています。主人の客にわるいとは思いながら、サービスする気になりません。無理にサービスすれば、顔色に出そうで、困るのです。  それにしても、政治家の客というのは、どうしてああもガサツなのでしょうか。いつものことですが。とにかくいまきているのはOさん、Kさん、Nさん、Iさん、Sさんです。このinitialだけでおわかりでしょう? 主人がお相手しているのでいいようなものですが、わたしだったら、二十分もそこにすわっているだけで疲れてしまいます。心にもないおしゃべりもしなければなりませんから。  疲れるといえば、あなたは疲れてしかたがないとよく云っておられます。わたしのおすすめするように、いちどお医者さんに診ていただいたらいかがですか。お顔色もよくありませんわ。奥さまは、どうおっしゃっていますか。  それとも、あなたを疲れさせ、蒼《あお》ざめさせているのは、わたしのせいではないかしら?  もしそうだとすれば、申しわけのないことです。お医者さまに診ていただいても、フィジカルにはどこもわるいところがなく、疲れや神経衰弱気味なのは、精神的な負担からきていると云われたら、かえってあやしまれるかもわかりませんわね。あなたはお仕事のほうには馴《な》れていらっしゃるんですから。  いろいろなことを考えています。あなたの健康のことを思って、当分はお会いしないほうがいいかしら。≫ ≪この次には、ぜひ奥さまをおつれください。主人も安心しますし、そのほうをよろこびます。  べつに変った様子がおこったわけではありませんが、奥さまが長いあいだおみえにならないと、空気がヘンになっても困ります。わたしのこの気持、わかっていただけるとおもいます。何かにおびえながら暮しているのは、かなしいことですが。でも、こうなってはしかたがありませんわ。≫ ≪明日の午後一時半に、Kにきてください。おねがい。スキをみて、これを書きました。すぐに燃して。≫(メモ用紙に走り書き)  ——「K」がデートの場所らしかった。そこは喫茶店だろうか、それともホテルだろうか。あるいは二人でホテルに行くまでの中継場所だろうか。土井の脳裡《のうり》にいまわしい愛欲図が浮んだ。  彼は頭を激しく振った。彼女は「スキをみて」これを走り書きし、「スキをみて」これを外浦の手に握らせたのだろう。秘書としてこの家にきた外浦にすばやく、隠れて手渡したのだ。  外浦は、このレポを破りもせず、燃やしもせず、あとでアイロンをかけて皺を伸ばして、保存しておいたのだ。  どうした外浦の心理からか。なんの目的からか。 ≪一昨日は、奥さまにおみえいただいて、ほんとうにありがとうございました。主人もよろこんで、とてもご機嫌でした。わたしのおもいすごしかもしれませんが、主人も安心しているようにみえました。そして奥さまも。  わたしはイヤな女でしょうか。まわりの人たちをだまして。……そういうわたしが嫌いになったら、遠慮なく、どうぞそうおっしゃってください。だまっていないで、うんと叱ってください。でも、別れるなんて、おっしゃらないで……≫ ≪さきのことをおもうと、胸の痛むことばかりです。あなたが、わたし以上になやんでいらっしゃると思うと、泣きたくなります。  そのせいか、あなたのお顔色がこのごろとみにすぐれません。わたしの前では平気をよそおっていらっしゃいますが、ほんとうは地獄のような苦しみにあるのではありませんか。だったら、どうかうちあけてください。すこしでも口に出されたら、それだけお苦しみが軽くなるのではないかしら。あなたのお苦しみは、わたしのせいですから、できるだけわたしも負担したいとおもいます。 文子≫  二人の靴音がドアの外に近づいた。この個室にはだれも入ってこないとはわかりながらも、土井は思わず箱の上を、傍《そば》のメモ用紙で蔽《おお》った。  隣のドアが開く音がした。 「どうぞ、ごゆっくり」  案内してきた女子行員の声がし、その靴音は忍びやかに去った。ドアが締り、内側からロックする音がした。  隣室の新来者が、椅子を動かし、机の上の箱を開ける音をさせている。咳《せき》が聞える。  土井は蓋のメモ用紙を除《と》った。 ≪あなたは、いつもわたしの云うとおりに、だまって、すなおに、したがってらっしゃいます。それがわたしには、はがゆいというか、いらいらさせます。先日、あなたがウチにみえたとき、わたしが、ずっと、とげとげしい態度になったのをお気にされていたとおもいます。あれは、そのあらわれです。わたしはやはり女です。浅慮な女です。わたしのこんな性格に、あなたの愛情はさめませんか。卑劣な女だとか。だったら、どうぞ、そのとおりにおっしゃってください。わたしはつまらない女です。どうしてこうなのだろうかと自分でもイヤ気がさし、死んでしまいたくなります。≫ ≪この前は、あんな文面をさしあげて、ごめんなさい。わたしはどうかしていたのです。じぶんながらわかりません。ヒスの原因のひとつは、客があまりに多すぎるからです。このごろは朝五時からつめかけてこられるでしょう? 各部屋ともいっぱいです。まるで旅館かお茶屋さんのようです。禅譲とかがちかづいて、自薦他薦の「大臣候補者」のおしかけです。各派各自の「閣僚名簿」をあわせると、二十いくとおりもあるそうです。それに、いまから早々と利権運動の陳情競争でしょう。家の中がなんとなく殺気立っているのが、わたしの神経を刺戟《しげき》して、ヒスをおこさせ、あなたにまであたったのです。ほんとうにごめんなさい。悪かったとおもいます。  そんな話のお客さまは、なるべく事務所へまわしてくださるように、あなたからも主人にすすめてください。もう云ってくださっているとおもいますが、主人がああいう性質ですから、なかなか云うことを聞かないのだとおもいます。ご苦労をお察しします。でも、あなたばかりが万事に躍起になることはありません。中江さん、倉橋さん、白井さん、下村さんなどプロパーの秘書どもに分担させてください。みんなアタマのわるい、そしてルーズな連中ですけれど。あなたはもうすこしのんびりしていてください。お身体にますますさわりますわ。この次、お会いしたとき、十分にご介抱してさしあげます。この意味、おわかり?≫ ≪銀座に出て、S屋に寄りましたところ、mila sch嗜のマフラーが眼につきましたので、少し季節はずれですが、奥さま宛《あて》に送らせていただきました。色はちょうどいいとおもいますが。お気に召せばうれしいんですけれど。  店内を見まわしていたら、モラビトのオーストリッチの大型ハンドバッグがありました。お値段は百万円と出ていました。  モラビトのオーストリッチ・ハンドバッグといえば、例の織部佐登子さんには気の毒なことをしたとおもっています。あなたのお話だと、織部さんにあのハンドバッグをプレゼントしたのは、若手議員さんだそうですが、お気の毒なのは、こっちの議員さんのほうかもしれませんね。ごじぶんのプレゼントしたものが、まさかあんな用途に使われるとはおもってもみなかったでしょうから、お気の毒なのはこっちのほうかもしれません。わるいけど、ちょっとおかしいような気もします。  あのあと、織部さんが、おカネごとハンドバッグを路上で奪われたと聞いてびっくりしました。もし、その強奪犯人がつかまったら大金が入っているので、警察の追及がはじまるのではないかとひやひやしていましたが、その後、なんの音沙汰もないので胸をなでおろしました。あのとき織部さんにたいしてあなたの助言が適切だったとおもいます。主人にこの出来ごとを話してないのもよかったとおもいます。  いちど織部佐登子さんのお店へつれて行ってくださいませんか。この前は、気持のまぎらしようもないので、倉橋秘書と赤坂のナイトクラブへ行き、ダンスなどしましたが、あれと同じにオープンで、わたしたちのあいだをだれも疑わないとおもいます。  それとも、織部ママのクロウトの眼(keen sense!)を、ごまかせないかしら。だったら、こわいから、やっぱりやめましょう。≫ ≪お送りしたマフラー、まず奥さまにお気に入ったとかでなによりです。わたしも安心しました。  こうして、おどおどしながら、周囲をごまかしてゆくのが、いつまでつづけられるでしょうか。そのうちに破局がくるとおもいます。わたしには覚悟ができていますが、あなたはどうかしら。いつお会いしても黙ってばかりいらっしゃるんですもの。いまだにお心がつかみかねています。ちゃんとつかんでいるつもりなのに、ひとりになると、その自信が指の間から砂のようにこぼれ落ちるようで、かなしくなります。でも、もう何も申しあげません。あなたのお疲れがひどく、お顔色がよくないのは、わたしがあなたを責めている結果のようにおもわれますから。現在も、さきのことも、あまり考えないことにしましょう。≫ ≪昨日、主人に朝食のお給仕をしていると、外浦君の顔色が悪いがどうしたんだろうね、とつぶやいたので、わたしはぎょっとしました。そして、この前も、医者にみせたらどうかと彼に云ったところ、ええ、とか、はい、とか云うだけで、病院に行った様子がみえない、おまえからも外浦君にすすめてみたらどうか、と主人はわたしの顔をみて云いました。  主人が、あなたとわたしとの間をさぐっているような気がして、ぎょっとなりました。その表情を知られないようにごまかしましたが、主人があなたをほんとうに心配しているとわかって申しわけなくなりました。  この前いらしていただいた奥さまのお話では、病院に行くようにすすめられても、あなたは、なんだかんだと云っておいでにならないとのことです。わたしからもお医者に診てもらうようにと申しあげているのに、やはりそれをたいぎがってらっしゃいますわね。  わたしもそうですが、病院へ精密検査を受けに行くと、いろんな悪いところを指摘されそうで、それがイヤで、つい行くのがおっくうになります。あなたも同じお気持だろうとおもいますけど、お仕事が忙しいだけにお身体のほうは、じゅうぶんに気をつけてください。どうか、わたしのためにも勇をふるって病院へ行ってください。 文子≫ ≪もう十日以上もあなたのお顔を見ません。ウチへおいでになる回数がだんだんすくなくなってゆくようです。このごろはお仕事がいちだんと多忙で、事務所のほうへ釘《くぎ》づけになられていたり、ほうぼうへ主人のためにとびまわっておられるのはよくわかりますが、わたしにはさみしいことです。なんとか理由をおつくりになって、ウチへ来ていただけませんか。……会いたい、会いたい、と思うと、むしょうに会いたいのです。≫ ≪明後日の三時にKにきてください。いいこと? 明日とお間違えにならないように。わたしがおくれても待っていて……≫(メモ用紙に走り書き) ≪いま夜の十一時にこれを書いています。主人は赤坂あたりの宴会からまだ帰ってきません。今日はほんとうにうれしゅうございました。それにお元気だったのが何よりでした。そのうちにきっと病院へ行くとおっしゃったのもうれしいかぎりです。≫ ≪あなたのこのごろのご様子がわたしには不安です。まさか、わたしからおはなれになるのではないでしょうね? わたしははなれませんよ。≫  隣の個室から高い咳が聞えた。初老の男のように思える。  土井は手紙をもとどおり大型封筒の中へおさめ、それを渋紙に包み、鋼鉄製の保護箱の底に入れて蓋《ふた》をした。この長方形の保護箱はそのまま貸金庫棚の抽出《ひきだ》しになる。  ベルを押し、ドアのロックをはずして土井は出た。係の女子行員が来た。 「おすみでございますか」 「秘密の手紙」は、抽出しの中に沈んだまま棚の中にはめこまれた。 「ありがとうございました」  貸金庫係の主任が椅子から立って頭をさげた。  外に出た。自然の陽が奇妙なほど明るく感じられた。地下の密室とは違う、動く人間の広い世界がそこにあった。空気は新鮮だった。  ただ一人、秘密をのぞいたという意識が土井にしだいに強くなってきた。男は知名度のない人間だ。しかし、女はそうではない。著名な政治家の夫人で、今年の秋には総理大臣夫人にもなるひとであった。  この貸金庫のある銀行から早く離れたくなった。タクシーへ半ば無意識に手をあげた。 「どちらへ」  座席に坐ってから行先が自分でわからなかった。静かなところを歩きたい。 「隅田公園へ」 「隅田公園? すぐそこだよ」  運転手はふりかえったが、客が蒼い顔で、ぼんやりといるのを見ると、そのまま車を走らせた。  寺西正毅の側近、錦織議員の秘書畑中正太郎から持ちこまれた「偉人・寺西正毅」の代作資料が土井の頭にひろがっていた。 「およそ政治家の妻は、その性格しだいで政治家自身の成長を左右する。貞淑で、明るい文子夫人の存在は寺西正毅の今日をあらしめた大きな要素である。  夫人は夫に誠実であり、夫想いである。たとえば、選挙のとき、東京において多忙な主人にかわって選挙区に詰め、地元の人々に接する。その馥郁《ふくいく》とした滋味ある人柄は、選挙民を魅了せずにはおかない。いかなる選挙参謀といえども、文子夫人のたくまぬ人心|収攬《しゆうらん》術にはカブトを脱ぐ。  衆院議員の任期満了前、または解散気運が濃厚となったとき、文子夫人は逸早《いちはや》く選挙区に帰り、選挙が行われるまで一カ月以上をそこで過す。運動員らと共にトラックにも乗って回るし、選対本部に詰めている。ほとんど寝《やす》むことなく、帯も解かぬ。……」  秘密の力学  二時すぎの隅田公園は、人がまばらだった。葉桜の繁る並木の土堤道《どてみち》を土井は歩いた。葉の末がもう黄ばんでいた。  隅田川を越して浅草寺の大屋根が見えた。「桐の家」のある浅草三丁目は、大屋根の向うにあたる。 「桐の家」では外浦と長いこと話した。だから彼の顔を土井は正面からじっくりと見た。雑誌のグラビアなどに出た寺西夫人文子の顔がそれにならぶ。  耳には外浦の話し声が聞える。眼には文子夫人の達筆な文字がやきついている。 (ぼくも寺西先生にお仕えして、もう三年になる。このへんが退《ひ》きどきと思うんだ。……だいたい、ぼくは野人だから、寺西先生が野に在るときは秘書としてなんとか勤まるが、総理になられるとなると、ぼくの手に負えんよ。とても首相秘書官というガラじゃない。ご免いただきたい。……ぼくも疲れたからね。先生にもそのことがわかっているので、円満にお暇をくださったのだ) ≪……三つ年上の女の小賢《こざか》しい言葉を、あなたはよくまもってこられました。……わたしにはこういう状態がだんだん辛《つら》くなってきました。理性で抑えようとしても、胸の苦しさをどうすることもできません。だれにも知られてはならない二人の間という苦痛をこんどはじめて味わいました。生れて初めて。……こんなにあなたをお慕いしているわたしなのに、それすらも自由にならないとは、なさけなくて、ただ、いらいらするばかりです。≫ (また和久さんのもとに戻ることにしたよ。ほかに行く先もないからね) ≪お会いしているときは、仕合せに身をゆだねていても、どこかに隙間《すきま》風の吹くのを感じているのです。あなたが黙って、何もおっしゃらないからいけないのです。うんと叱っていただいたら、それか、はしゃいでいただいたら、どんなにいいかわかりません。わたしはいつもそれを期待してお会いする場所へ参っておりますのに。……わたしたちの間に、理性のガラスを一枚はさんでいらっしゃるようなあなたが、わたしにはかなしいのです。ばかな女とおさげすみでしょうけれど。≫ (寺西先生の秘書をぼくがやめるのはね、急でもないよ。前から考えていたことでね。和久さんの下に戻ったら、当分、チリあたりで遊んでこようと思っている) ≪二時に、Kにきてください。わたしがおくれても待っててね。おくれてもかならず二十分以内には行きますから。≫  ——「K」とは「桐の家」のことではなかろうか。  外浦と文子夫人とが逢っていた場所は、ホテルなどではあるまい。そんなところだと、あまりに眼が多すぎ、政財界の関係者やジャーナリストがうろうろしている。  あやしげな旅館やホテルなどは論外だ。そんなところでは両人の矜持《きようじ》がゆるさない。 「桐の家」だと、あいびきの場所に適切である。小さな、目立たない待合であった。  背後にアパートがあったりして、この家の塀の中から一本のしだれ柳が出ていなかったら、普通のしもたやとそう変りはなかった。そこへ行く道もわかりにくく、土井のタクシーが迷ったくらいだった。浅草というのも盲点で、「かくれが」としては格好であった。  土井は、外浦にこの家を指定されて彼に会いに行ったが、そのとき、外浦卓郎ともあろう男が、どうしてこんな侘《わび》しい待合を使うのかといぶかしく思ったものだが、いまにして合点がゆく。  おかみが座敷に挨拶に出なかったのも、かえって外浦がこの家をよく使っていることを想像させた。三十五、六歳の女中がいたが、外浦にはもの馴れた態度だった。女中は一人か二人しか居ないようである。ひとときの逢瀬《おうせ》の場所としてはまさにふさわしかった。 ≪Kにきてください。おねがい。スキをみて、これを書きました。すぐに燃して。≫  隅田川の上を白い鳥の群がわたっていた。土井のうしろを年よりの夫婦者が通りすぎた。 ≪わたしはこの二年間、いつも同じことを考えては暮しております。できるだけ早く、あなたをあきらめること、そうでないとお互いにたいへんなことがおこるからと。でも、わたしはあなたが好きで好きでしかたがないのです。この気持はどうにもならないのです。上手な云い方はできませんが。  この手紙、およみになったらすぐに破いてください。忘れずに。 文子≫  速記文字「夏の夜の夢」にある箱根のホテルから浅草の待合へ。それは二年間つづいた仲であった。  外浦は文子夫人からもらった手紙を、燃しもせず、破りもせず、そして捨てもせずに、ていねいに保存しておいた。  何故か。「恋の記念」にか。——そうではない。外浦はこれをなんらかの「道具」にしようとしたのだ。  外浦より三つ上の文子夫人は純真であった。彼に対するひたむきな恋情がどの文面にも溢《あふ》れている。死にたくなるほど恋しいと書いてある。外浦卓郎はまさしく彼女の純情を踏みにじったのだ。  外浦が寺西正毅の秘書を辞めて、和久宏の「東方開発」に戻ったのは、唐突だった、と今にして土井は想いかえした。そうしてすぐに彼はチリへ去った。  あれは外浦に文子夫人との恋愛が苦痛になったので、それを清算する意味だったのか。いや、彼女の恋文からすると、彼女と話合いの上での別れとは思えない。彼女のほうは、死んでも別れない、という意味をめんめんと書いているのだ。  してみると、外浦のチリ行はまさに彼女からの逃避であった。外浦は、土井に「疲れた」と云っていた。絶対に外にわかってはならない恋愛に疲れたのだろう。もしこのことが少しでも外部に洩《も》れたら、政憲党の一方の派閥の首長である寺西正毅の、「次期総理」の行手にも暗い影を投げるかもしれない。外浦はこの恋愛に神経をすり減らしたことであろう。彼はそれに疲れはてた。  が、文子夫人は外浦のその疲れを、夫の秘書としての多忙な仕事の結果にしている。なにも知らないその夫まで、彼の疲労を健康上のことに解して、病院へ行くようにすすめているのだ。  文子夫人は手紙で、自身のことを「浅慮な女」だと書いている。恋愛に眼が昏《くら》んで、というよりもその恋愛をいつまでもつづけたい一心から、それを彼の精神的な苦悩とは考えなかった。銀行の貸金庫に保存されている「恋文」を読むかぎり、両人の間に別れ話は出ていない。  しかし、外浦は文子夫人との恋愛に苦悩していたろうか。疑念がまたもや土井の胸に濃くひろがってきた。  外浦はその恋文を貸金庫の中に保存しておいた。夫人が想像もしてない行為だった。  その目的は、その恋文の束を道具に、外浦が巨《おお》きな条件を獲得するにあった。  地位か、カネか、または事業か。それとも危なくなったときわが身を防衛する武器にするつもりか。それ以外には考えられないのだ。  それならば、外浦卓郎は悪人である。大悪人だ!  たとえそれが「不倫な恋」であろうと、彼は年上の文子夫人の純情な、ひたむきの愛を、打算の対象、取引の道具に利用しようとしたのだ。  政界のボスの裏側にいて、その世界にさまざまな権謀術数でうごめいている人間群を見ているうちに、外浦秘書の良心も麻痺《まひ》したのか。あらゆる善意も、自己の利益に利用できるものは利用せずにはおかないていの不逞《ふてい》な根性。  そと眼には、スマートで、知的で、もの静かにみえる外浦卓郎だが、その内部にイアーゴのような悪の天才があったのか。  土井は、公園のベンチにかけていた。うしろは三囲《みめぐり》神社が近い。浅草の空を鼠色《ねずみいろ》の雲が断層のような縞《しま》をつくって蔽っていた。川面は鉛色だった。前の道を、高校生の一団が声をあげて駆け去った。  土井は思案をつづけた。  ——外浦卓郎は、なぜ彼の武器ともなる寺西正毅夫人文子の恋文を入れた銀行貸金庫の代理人に自分を指定し、そのキーを預けて行ったのだろうか。彼のチリの在任は二年間である。二年ぐらいはすぐに経ってしまう。その期間、恋文は貸金庫に預け放しにしておいてかまわないではないか。  その理由として外浦は、遠い外国で生活するあいだに起るかもしれない「万一」を云った。そして彼の予感は的中した。  それだけならまだ理解できる。が、その貸金庫の中のものを、万一の場合は、きみの自由にしていい、と再三云ったのはどういうつもりからだろうか。 (銀行の貸金庫に入れた書類は、きみの自由にしていいからね。処理を任せるよ)  成田空港の搭乗口へ向う直前、外浦が自分だけを呼んでささやいた言葉だった。  しかし、その理由は、外浦自身が貸金庫の中の「恋文」に添えた自分あての手紙で、はっきりと書いているのだ。 ≪……ぼくは、これらの「通信」を、ぼくの野心的な意図に沿った武器に使うつもりだった。……けっきょく、ぼくはこれらの恋文を利用できなかった。ついに機会がなかったからだ。ぼくが日本を去る決心になったのは、あるいは自分からその利用する機会を永久に捨てたといえそうだ。なぜか。その心境をここに書くには複雑にすぎる。  では、これらの恋文の束を灰にしてしまえばいいではないか、ときみは云うだろう。ぼくだって、同じ呟《つぶや》きが胸の中から聞えてくる。だが、それができなかった。一口にいってしまえば灰にするには「惜しい」からだ。政治家の秘書として、三年間働いているうちに、ぼくの良心も政界の汚穢《おわい》に感染したのだろう。政界では、常識でないことが常識として通っているのだ。  これらの「通信」を保存し、きみにこの処理の一切を委《ゆだ》ねるぼくの心境は、自分でも不可解で、説明ができない。それをこの手紙に書けば、ぼくの文章は支離滅裂なものになろう。だから、もうこれ以上は書けない。理由は、これを燃してしまうには、「惜しい」という乱暴な云いかたしかないのだ。  ぼくはこの彼女からの「通信」を一時間もかけてふたたび読み返した。だれも居ないところで、まるで金庫に納めたダイヤモンドと再会して、これを指先で愛撫《あいぶ》する金満家のように。隠し貯えた貴金属を灰にする決心にはなかなかなれないものだ。……≫  外浦は、きみにこの恋文の処理の一切を委ねるぼくの心境は、自分でも不可解で、説明ができない。理由は燃してしまうには「惜しい」という乱暴な云いかたしかない。隠し貯えた貴金属を灰にする決心にはなかなかなれないものだ、と書いている。  外浦は、はっきりとは書かないが、この「隠し貯えた貴金属」を土井に譲って、それを土井が売ろうが取引しようが、自由にしていいと云っているのだ。それは土井にわかる。つまり外浦は自身の蔵した計画を、土井の実行にまかせると云っているのである。  ここで土井は、外浦がなぜ「恋文」の委任と、その計画の委譲とに自分を択《えら》んだかを考えてみた。  東大の先輩と後輩というだけで、日ごろは往来もしなかった。外浦は思想的にはノンポリ、自分は東大全共闘あがりだ。これが外浦に自分を「委譲」の適任者に択ばせたのではなかろうか。  外浦のまわりは政界関係者か、和久宏の企業関係者ばかりだ。「貴金属を灰にするのは惜しい」心境でいた外浦は、自分をかっこうな候補者に択んだ。それはいつ、どこでか。  Oホテルの宴会場のロビーだったと土井は思いあたった。あのとき、外浦はどこかの結婚披露宴に出るためにモーニングをきて待っていた。自分は「川村正明議員を励ます会」の出席の列にならんでいた。外浦が見つけて、むこうからやってきた。 (やあ、しばらく) (お久しぶりです) (もう何年になる?) (十三、四年にはなると思いますが、ご無沙汰しています) (もうそんなになるかね。きみは変ってませんね。そのうち、久しぶりに話したいものだね) (でも、外浦さんはお忙しいんでしょう?) (いや、そうでもないよ、電話をくれたらいい)  いまでも憶えているそのときの立話だった。  あのとき、外浦が自分の顔を列の中に見つけて、「委譲者」と決めたのではなかったろうか。そんな気がしてならない。  前から識《し》っていて、しかも日ごろから交際がない後輩に「秘密」の保管と、その処理を任せるのがいちばんいい。うかつな者に托《たく》すると、周囲にカンづかれるおそれがあるのだ。  外浦はたぶん自分が議員たちの「著書」や「演説」の代作をしているのを、他から聞いているにちがいなかった。その、しがない暮しをしていても、政界や政治家に対して虚無的な気持を持っているのも察していたのだろう。全共闘上りの、せめてもの意地として。  土井はベンチから立ち上った。  膝《ひざ》を伸ばした瞬間、ふいに起った疑念があった。  サンチアゴ郊外での外浦は、交通事故死というが、あれはそれにみせかけた自殺ではなかったか。  車の運転を誤ったための死と、わざと誤って死ぬのと、その区別はつきにくいのだ。 「チリ東方開発」からの報告では、外浦は道路を百キロで車を飛ばしているときに運転を誤って街路樹に衝突したという。運転のミスか、自殺の目的で衝突したのか、だれにも判断はできまい。  サンチアゴに赴任してからもらった外浦の「チリ通信」には、暗い文字は一つもなかった。そこには南米の美しい風景と、砂漠の荒涼とした抒情《じよじよう》が短信で書かれてあるだけだった。「自殺」を暗示するものは何もなかった。  にもかかわらず、それを「自殺」としたときに、はじめて解ける謎《なぞ》が多いのだ。  外浦が「不測の事態」とか「万一の場合」とかをしきりに口にしていたのがそれである。あれは、それとなしに自殺を予告していたのではあるまいか。 「悪人」の外浦も、文子夫人の不倫だが、純情な愛を裏切ったわが行為に耐えられなくなったのだろう。のみならず、その夫の寺西正毅を欺いたことへの苛責《かしやく》、ひいてはその紹介者であり恩人である和久宏に背信したイアーゴの如き罪が、ひしひしと良心に逼《せま》ってきたにちがいない。  つまりは、文子夫人に黙ってチリに去ったことが彼女との「不倫な恋」の清算であり、その夫と恩人への謝罪であったろう。口にも云えず、筆にも書けない告白を自殺という行動に代えた。しかもけっして気づかれることのない、遠い外国からの「告白」を。  土井の胸の動悸《どうき》は激しく搏《う》ちはじめた。  だが、すぐにそれはやんだ。  それほど良心の苛責に耐えられなかった外浦卓郎が、なぜ文子夫人からの恋文の束を「惜しい」と云って焼却もしないで、どのように処理してもいい、と他人の自分に委譲したのか。まるで外浦自身の計画の継承者のように見立てて、である。  これは土井が考える外浦の贖罪《しよくざい》に矛盾していた。心から謝罪するなら、証拠となる恋文は、チリに出発前、外浦がことごとく灰にしてしまうべきではないか。彼はそれをしていない。とすれば外浦はやはり悪人だ。  この悪人の外浦と、彼の「自殺」とを、どう解釈すべきか。  どうしてもわからなかった。土井にわかっているのは、外浦がたいへんな「荷物」を自分に遺してくれたことであった。  銀行貸金庫に収められている重大で、厄介な「書類」の始末を土井は考えた。どのように処理してくれてもいいと外浦は云っているのだ。  所有者は死亡した。「代理人」としてほんらいなら所有者の妻に引きわたすべきだが、むろんそういうことはできなかった。外浦が妻には隠している密書である。夫と寺西夫人との間をその妻に永久に知らせてはならぬ。悲歎させるのは余計なことだった。  次の方法は、この手紙の束を、その発送者に返すことであった。ほんらいならそれが筋道だろう。  だが、そんなことはとうていできなかった。文子夫人に大きな衝撃を与えるだけである。  夫人は、それらの手紙や連絡メモがこの世に存在しないと思っている。それが出現したのだ。しかも第三者の手に握られていた。彼女の驚愕《きようがく》は想像を絶する。  文子夫人はあくまでも外浦のおとなしい愛を確信していた。「あなたは、いつもわたしの云うとおりに、だまって、したがってらっしゃいます」と文中の一つにもあった。読んだらすぐに燃してください、破ってください、と頼んだ夫人の言葉どおりに彼は従っているものと夫人は信じていた。  彼から完全に裏切られた夫人の心情を思うと、あの手紙の束を、とうてい彼女に返せるものではなかった。  だいいち、その返却の方法がない。夫人のもとを訪れ、だれにも気づかれずに夫人に直接これをそっと手渡すのが、いい方法かもしれない。しかし、一面識もない夫人に対してそれがどうして出来よう?  寺西家には人が多い。秘書たちも詰めている。これまでついぞ訪れたことのない自分の不意の訪問は訝《いぶか》られるにちがいない。いちど不審を起されたら、それでおしまいだ。秘密はまず周囲から察知されるかもしれない。  では、「親展」の小包にして夫人|宛《あて》に送ってはどうだろうか。それがもっとも無難のようであった。が、夫人の手にそれが届くまで、思いがけない故障が起らないとはかぎらぬ。人の多い寺西家だ。いままで聞いたこともない人(たとえ偽名であろうと)から、夫人宛に「親展」の小包が配達されたら、時節柄、警戒されて、書生か女中たちの手で荷が解かれる可能性がある。いや、爆発物かと恐れられて包装のまま警察に届けられるかもしれない。  しかし、「届ける」方法よりも、まず、それを受けとったときの夫人の衝撃を想わねばならない。彼女は名状しがたい打撃にうちひしがれ、もしかすると、最悪の身の処置をしないともかぎらず、そうしないという保証はどこにもなかった。  あの秘密の手紙はいっそ焼却してしまおうか。  最も賢明な処理であった。「秘密」は闇《やみ》から闇へ葬られ、だれをも傷つけることなく終る。  そうだ、そうしよう、と土井は決心した。  もしかすると、個人金庫�2674の「代理人」が土井だというのが、あの取引銀行から外浦の妻へ通告されるかもしれない。しかし、その場合でも、金庫の中には代用品を入れておく方法もあるのだ。  土井は、焼却を決心すると、はじめて気持が落ちついた。なんとなく晴々した心持になって、公園横から吾妻橋を歩いて渡り、地下鉄の浅草駅のホームへ降りた。もうアダムズ・ホテルのわが事務所へ帰らねばならぬ時刻だった。  渋谷行の地下鉄電車に乗った。かなり長い乗車時間だった。照明のあかるい駅のホームに停るほかは、何も見えない暗い隧道《ずいどう》であった。  これが彼の思案を深めたといえようか。ふいに、また疑問がおこった。  ——外浦のチリでの自動車事故死が、彼の自殺だったとすれば、彼はなぜ恋文を灰にせずに貸金庫にそれを残したのか。それをたんに「灰にするには惜しい」という外浦自身の理由づけでは弱い。外国で自殺する外浦にとって、「ある種の野心による目的で保存した」(土井宛の外浦の手紙)文子夫人からの恋文の束は、もはや必要ないはずだ。  それなのに外浦がその「証拠品」を個人金庫�2674に遺して、自分をその代理人に指定したのは矛盾する。土井は考えたあげく、外浦の死はやはり車の運転ミスによる過失死だと思った。  すなわち、外浦は二年後にはチリから帰国するつもりで、あれを保存しておいたのだろう。二年もすると、寺西夫人との間も自然清算のかたちとなり、すべてホトボリがさめる。それまで貸金庫は、土井を代理人にしておく。  銀行側も、�2674の当該番号主が二年間も日本を留守にすることにいささかの不安があり、代理人の設定を希望したろう。もし代理人の設定が正式になされてないときは、銀行側はそれを外浦の妻に依頼するかもしれない。これは外浦のもっともおそれたところだったろう。だから外浦は、二年後に東京へ戻ってくるまでの期間、土井を代理人にしたのだ。留守のあいだ、指示がチリからこないかぎり、土井が個人金庫の中を見ることは絶対にないと外浦は信じていたのだ。  土井は赤坂のアダムズ・ホテルの事務所へ戻った。四時半になっていた。 「お帰んなさい」  佐伯昌子が迎えた。 「留守中に電話はありませんでしたか」 「ございました」  佐伯昌子はメモを運んできた。  都合で四件だった。その中に錦織議員の秘書畑中正太郎のがある。 「佐伯さん。畑中さんはどこから電話してきましたか」 「さあ。それはべつにおっしゃいませんでしたが」 「錦織先生のところからかもしれないな。会館の錦織先生の事務所へ電話してみてください」 「わかりました」  昌子が衆院第一議員会館にダイヤルして、錦織先生の事務所へと交換台に云っていた。 「おそれいりますが、畑中秘書さんはいらっしゃいますか。こちらは土井信行でございますが」  いらっしゃるそうです、と昌子は受話器を土井にさし出した。 「あ、畑中さんですか。土井です。お電話をいただいたそうですが、留守をしてて失礼しました」 「やあどうも。じつは、催促するようで恐縮ですが、お願いした原稿は、どのくらいはかどっているでしょうか」 「……」 「もしもし。だいぶんお忙しいようなので、期日どおりに間に合うかどうか心配なので、うかがってみたかったのですが」 「……」 「もしもし。聞えますか」 「……畑中さん。じつはそのことで、ぼくのほうからお詫《わ》びを申上げたくて、お目にかかりたいのですが」 「えっ、お詫びですって?」  畑中が叫んだ。 「それはどういうのです? まさか期日が大幅におくれるというのではないでしょうな?」 「期日がおくれるというよりも、お断り申上げたいのです」  横で、佐伯昌子がびっくりした顔になった。 「もしもし、土井さん、断るって、それは、ほんとうですか」  受話器に畑中正太郎が頓狂《とんきよう》な声を上げた。 「まことに申しわけございませんが」  土井は受話器に頭をさげるように云った。 「そんな……、土井さん、そんな……バカな話って、ありますか。い、いったい、今になってどういうことですか」  畑中秘書は、あわをくってどもった。 「じつを申しますと、身体の調子が悪いんです。それで、いったんお引受けしましたが、お約束の日までに原稿を仕上げる自信を失くしたんです。まことに済みませんが……」 「とにかく、今からそっちへ、至急にうかがいますよ」  畑中はこっちの返事も待たずに電話を切った。  佐伯昌子が眼をまるくして、椅子に腰を落した土井を見た。  ——事情がわかってからは、「偉人・寺西正毅」を書けるものではなかった。寺西正毅その人には気の毒だった。しかし、畑中正太郎が渡してくれた「資料」の、 ≪寺西正毅をここまで来させたのは、文子夫人の内助の功が大きい。夫人はその教養の深さにもかかわらず、きわめて平民的であり、だれにもこころよい印象を与えた。……貞淑で、明るい文子夫人の存在は寺西正毅の今日をあらしめた大きな要素である。夫人は夫に誠実であり、夫想いである。……≫  などという文字が、どうして綴《つづ》れようか。あまりにしらじらしい。たとえ外浦に抱いた夫人の「無邪気で、純真な愛情」を信じるにしても。——  文子夫人は被害者であった。寺西正毅もまた、当人が気づかないにしても、被害者であった。こちらが知らないうちならともかく、知っていて飾り立てた寺西正毅伝を代作するのは、あまりに両人が傷ましかった。  佐伯昌子が紅茶をいれてきた。黙然と座している土井を見まもりながら、彼女は遠慮そうにきいた。 「錦織先生のお仕事、お断りになるんですか」  おどおどした様子だった。 「ああ」  土井は口の中で答えた。昌子はもっと聞きたそうだったが、土井の不機嫌をおそれるように次室に引込んだ。  電話が鳴った。  畑中正太郎にちがいない。議員会館からここまでは、車ではわずかの時間しかかからない。 「畑中です」  電話は云った。 「いま、フロントまで来ていますが……」 「どうぞ、わたしの事務所へおいでください」  ロビーから電話する畑中正太郎に土井は答えた。話合いは険悪になるかもしれず、客の多いロビーの喫茶室は適当でなかった。 「わたし、ちょっと失礼します」  机の上の速記|帖《ちよう》などをかたづけて部屋を出て行こうとする佐伯と、錦織宇吉議員の畑中秘書がドアでばったり顔をあわせるはめとなった。  部屋に入ってきた畑中は、はじめから顔色を変えていた。運動選手のような体格で、日ごろはにこにこして、人あたりのいい男だった。 「さきほどは電話で失礼しました」  頭を下げる土井のまむかいに畑中は股《また》をひろげて腰をおろしたが、硬い笑いをつくり、まず煙草を一本抜き出した。 「おどろきましたよ」  煙を吐き出して畑中は云ったが、まだ笑顔はつづけていた。 「あの電話はショックでしたよ、土井さん。しかし、結局はなんとかさしくっていただけるんでしょう?」 「どうも、申しわけありませんが」 「そんなことをいまごろおっしゃっても困りますなあ。あなたは引きうけられたんですからねえ」 「申しわけありません」 「いや、じつをいいますと、この話は、もううちのおやじから寺西先生の耳に入れてあるんです。寺西先生も、あなたがお書きになるというので、とても期待してらっしゃるということです」 「寺西先生が、ですか」 「そうですよ」  畑中は力強く云って土井を見すえた。  寺西正毅が自分のことを知るわけはない、それは秘書のハッタリだと土井は思った。寺西の名さえ出せば、一も二もなく屈伏するだろうという策略であった。その魂胆はわかっているが、寺西正毅の名を出されると、土井には別の意味で衝撃だった。いまや、その夫人の秘密を自分だけが知っている。これまで会ったことのない寺西にたいして、心がしめつけられる思いであった。  しかし、「偉人・寺西正毅」の代作のことが寺西へ錦織から伝えてあるとすると、たとえ代作者たる自分のことを寺西が知らなくても、ますますこの仕事は引きうけられなかった。  土井がうつむいたのを見た畑中は勘違いして笑顔を拡大し、 「まあそういうわけで、寺西先生も土井さんの原稿の出来上りをひどくたのしみにしてらっしゃる。おやじもよろこんでいる。おやじはこうも云ってるんです。原稿が完成したら、土井さんを寺西先生におひきあわせしたい、とね」  寺西正毅に土井を会わせたいとの意向を錦織宇吉が持っているというのは、これもこっちを翻意させたいための畑中秘書のウソにちがいなかった。寺西に会えば、その知遇を得る意味で、土井の今後が有利になるということだろうが、たとえそれが畑中の口からの出まかせとしても、そう聞くと土井はいよいよ拒絶の意志をかためないわけにはゆかなかった。 「理由は、何です?」  土井の返事と、その固い意志を浮べた表情を見ると、畑中の顔から微笑が潮のようにすーっと引き、かわってけわしい眼になった。 「どうも身体の調子が悪くて、お約束を守る自信がなくなったのです」  土井は上体を折って云った。 「どこがお悪いのですか」  畑中の土井にむける凝視は、その云いわけをあたまから信用していなかった。 「疲れているんです。心身ともに疲労しているのです。こんな状態では、頭の中がもやもやとして、考えがまとまらないんです」 「けど、わたしのほうでさしあげた資料があるでしょう? あの資料をつなぎ合せて書いてもらえば、それほど頭をお使いになるということもないと思いますがねえ」 「いえ、筆をとるとなると、やっぱりじぶんの構想と文章でないと満足できないのです。いただいた資料はたいへんよく出来ていますが、資料はあくまでも参考ですから」 「論文を書くわけじゃなし、そこまで厳密に考える必要がありますかな? 伝記ですよ。主人公をほめあげる文章でいいんですがなあ」 「どうも、こんな体調では自信がありません」 「土井さん。おやじに対してぼくの立場はどうなるんです?」 「まったく申しわけありません」 「子供の使いじゃなし、いったん引きうけた人から、どういうつもりかしらないが、断られましたと報告するわけにはゆきませんよ」 「……」 「土井さん。あんたの気持が変ったのは、何かほかの原因があるんでしょう? それを正直に云ってもらうと、おやじに納得させようもあるんですがね」 「身体の調子がよくないのです」 「そんな見えすいたウソはとおらないよ。また、報告もできやしない。ほんとうは、反寺西派から、あんたに圧力がかかったんじゃないか」  畑中は次第に威丈高になっていた。そうして思いもよらない邪推の言葉になっていた。 「とんでもない、そんな圧力なんかどこからもありません」 「あんたは、いろいろな先生がたの代筆を商売にしてるからね。……」  土井の拒絶の意志が動かないと知った畑中正太郎は、肩をそびやかし、体格のいい身体を反身《そりみ》にさせ、日ごろあいそのいい顔が夜叉《やしや》に変って、土井に勝手な言葉を吐いた。 「……あんたは代作業だから各派閥の先生がたの秘書連中が、いろんな仕事を頼みにくる。しぜんと、うちのおやじが寺西先生の伝記の代筆を注文したのが洩《も》れる。それを知った反寺西派の者が、あんたに圧力をかけて中止させたんだ。そうとしか考えられない」 「そんなことは、絶対にありません。ぼくとしてはその言葉しかないのです」 「それみろ、口が開かないじゃないか」  畑中は憎々しげに云った。 「いちどお引きうけしたものを、お断りするのですから、お詫びするしかありません」  土井は両膝の上に両手をきちんと置き、正座の姿であった。 「ふん。では、もうすこしこっちの推定を云ってやろうか。おまえさんにその仕事をやめさせたのは、桂派の者だろう?」  これも意表に出た言葉だった。 「おれには、それがだれだか見当がついているんだよ」  土井が黙っているのをみて、畑中は図星を当てたつもりで云い募った。言葉がやくざぽくなってきたのは、もともと畑中正太郎は錦織宇吉の選挙区での暴力団上りだからである。これはもう事実としてひろく知られていた。 「桂派の連中はな」  畑中はその言葉つきでつづけた。 「桂親分が寺西先生へ総裁と政権を委譲するのに腹が立ってしかたがないのだ。いま、さかんに親分をつきあげている。けど、親分自身が寺西先生へこの秋に禅譲を公言してるから、これはもうひっくりかえしようがない。そんなムシャクシャした業腹《ごうはら》なところに、『偉人・寺西正毅』が出ると聞いて、連中はアタマにきてるんだ。それで、おまえさんへ手をまわした」 「まったくちがいますが……」 「おまえさんは、全共闘くずれだ。安田講堂を占領したってなあ。いまじゃ転向し、代作屋で�敵�に身売りか。そんな根性だから、カネで桂派に転んだのだ。もうおまえなんかには、たのまねえ」 「申しわけありません」  畑中正太郎は土井を睨《ね》めつけて、椅子を倒して立ち上った。 「おぼえておけよ、全共闘め。恥をかかせたことを、忘れねえからな」  土井はドアを開けた。 「すみませんでした。お茶もさしあげないで」  解剖所見  錦織議員の秘書畑中正太郎が土井の事務所で悪態をわめき散らした日から二週間後の、昼だった。  一時ごろ、電話を受けていた佐伯昌子が東方開発の上田さんからです、と土井に告げた。 「土井さんですか。わたしは東方開発本社の総務部の上田というものですが」  受話器の声が云った。 「はじめまして。……じつはチリ東方開発の外浦副社長のご遺骨が帰られました」 「あ、いつですか」 「六日前です」 「六日前? すると、告別式は、いつになりますか」  土井はメモ用紙を引き寄せ、鉛筆を持った。 「まことに申しわけございません。葬儀は当社の社葬で、四日前に××寺で行いました」 「……」  土井は鉛筆を捨てた。 「土井さんにお報《し》らせしなければならなかったのですが、外浦未亡人のご意志で、なるべく内輪で、ということなので、ほんの小人数でした。そんなわけで土井さんにも失礼させていただきました」  土井は声が出なかった。 「つきましては、まことに勝手なことを申すようですが、未亡人が土井さんにお目にかからせていただきたいと申されております。いかがなものでしょうか」  土井は胸を衝《つ》かれた。  すぐに脳裡《のうり》を走ったのは、向島の銀行貸金庫だった。いまは未亡人となった外浦の妻が会いたいというのは、そのことであろう。ほかに思いあたるところはなかった。 「承知いたしました」  頭が混乱する中で、土井は答えた。 「お目にかからせていただきます。それは何日《いつ》のことでしょうか」 「未亡人は、今日か明日にでもと申されております。お忙しいところを恐縮ですが、お時間をいただけるでしょうか」  土井は机の前の予定表を手にとった。 「今日でしたら、今からいつでもあいております。明日と、あと二日つづけては、ほかに約束がありますが」  明日から二、三日はふさがっているというのは嘘《うそ》だった。未亡人がどのような話でくるのか、早くそれを知りたかった。 「それでは、本日の四時ではいかがでしょうか」 「わたしのほうは、けっこうです。で、どこでお目にかかったらいいでしょうか」  外浦の自宅へ行って、遺骨を拝みたかった。 「自宅がいいのですが、まだ弔問客がこられていますので、未亡人の希望としては、そちらのホテルのロビーでもと申されております」  土井は四時になるのが不安でもあった。  なぜ外浦の妻も「東方開発」も外浦卓郎の遺骨が帰ってきたのを報らせなかったのだろうか。  外浦卓郎がチリに出発するときには、成田空港まで見送っている。その際、外浦が示した親密ぶりは、まわりの人たちが知っている。和久社長夫妻も見ていることだった。  寺での外浦の葬儀は社葬だったが、参会者を「ごく内輪」に絞ったと「東方開発」の総務部の人は云っていた。土井はじぶんがその「内輪」の中に入っているとは思わなかったが、なぜ、そんな「密葬」のようなことをしたのだろうか。  それには外浦の死の原因に関係があるようにも思われるのだ。やはり外浦卓郎は、自殺ではなかったろうか。それゆえの「密葬」ではなかったろうか。遺骨の帰国を通知した先には、告別式も知らせねばならないから、遺骨の帰国も報らせなかったということになろう。  遺骨は、外浦の妻がチリまで迎えに行った。東方開発の通知では、外浦の運転する車が街路樹に衝突して即死ということだったが、もしかすると、病院に収容されたのちも、外浦は息があったのではないか。——その生存は、妻がサンチアゴの病院に到着するまで持続していたのではあるまいか。生命の消える前の外浦が、妻に何か云い遺したという可能性も考えられるのである。  その遺言は、銀行貸金庫のことかもしれない。だから、未亡人はその貸金庫の代理人の自分に面会したいのかもわからぬと土井は考えた。  だが、この推測には矛盾があった。外浦は、チリに去る前に、金庫の中身は「妻にも云えない」とはっきり話していた。じっさい、あの「恋文」は絶対に外浦の妻に見せるべきものではなかった。——外浦未亡人にあれを渡してしまえば、こっちの気の重い負担は、いっそなくなるのだが。  外浦の妻が早く会いたいという目的がわからなかった。もしかすると、夫が銀行に個人用貸金庫を持っていたことを死床の夫の譫言《うわごと》で推定し、その代理人が後輩の土井信行であることも、それによって推測したのではないだろうか。  彼女に問われたら、どうしよう、と土井は思い惑った。きっぱりと否定すべきだろう。が、追及をうけたときの自分の顔色が心配だった。  四時になるのが長かった。仕事も手につかなかった。隣室で速記を復元する佐伯昌子の鉛筆の音と、紙をめくる音とが静かに聞えた。  土井は心を落ちつかせ、気を紛らすために、応接ソファにかけて外浦にもらった絵ハガキ通信を読みかえした。 ≪……果物屋には、サクランボ、リンゴ、メロン、アンズ、レモン、パパイア、クルミなどがはんらんしている。スペイン語もはんらん。南北に帯のように細長い国に二年間居るとすれば、これからスペイン語もおぼえねばならないでしょう。では、また。≫  最初のサンチアゴ通信だった。  土井はなにげなく読み返してみて気がついた。自殺を考えている者が、スペイン語の勉強を思い立つだろうか。……  外浦の事故死を自殺と推定する線がまた揺れてきた。外浦の妻は、もうすぐにくる。夫の死因について詳しく語るだろう。それを待つしかなかった。  煙草ばかりむやみと吸った。それでも落ちつかずに、今日の朝刊をひろげ、読み残した記事を拾った。ここ数日は大きな見出しだけを拾い、記事は斜め読みするだけであった。  二の面、政治欄の下のほうに一段ベタ扱いで、≪政憲・川村議員が桂派へ≫の見出しがあった。土井は眼を引かれた。 ≪政憲党の川村正明議員は、昨日、所属の「革新クラブ」を脱し、桂栄会に入ったと発表した。桂栄会は桂首相の派閥。これで桂栄会は百十五名となった。≫  へえ、と思った。この十一月にも、次の政権が桂首相から寺西正毅に禅譲されるというのに、なぜ川村は寺西派へ行かずに、桂派に移ったのだろうか。  やはり、カネかなと思った。桂派には前から金権的な体質があった。  だが、金権政治の打破は、上山庄平がリーダーとなっている「革新クラブ」が声を大にして叫んでいるところではないか。さらには、旧《ふる》い政治の排撃をモットーにしている。その標的たる桂首相の派閥に川村が走るとは予想しなかった。  外浦卓郎と十三、四年ぶりに遇《あ》ったのも、「川村正明議員を励ます会」の行われたホテルの宴会場前であった。  その川村議員のスピーチの原稿は土井が書き、それをモトにした川村の演説も会場に聴きに行っている。  建前と本音の反背は代議士の常習とはいえ、これではあまりに露骨すぎよう。  彼の激励会には、「革新クラブ」の母体ともいうべき板倉退介派から、御大をはじめ派の幹部が総出席して、若い川村議員を持ちあげた。大臣経験者の幹部の一人は、 (川村正明先生はわが党のホープであり、近い将来の総理大臣であります)  と、聞いているほうが恥かしくなるような、臆面もないお追従まで述べた。  それというのがすべてこれ少数派の板倉派が自己の勢力を確保したいがためである。なのに、川村が板倉派=「革新クラブ」を脱して桂派に奔《はし》ったのは、あまりにも人情なき行動ではないか。  政治家に「不人情」や「不条理」は付きもので、べつにふしぎではない。  それにしても、この十一月ごろに桂重信が総理・総裁の座を降りるときまっているのに、その桂派がなぜに今ごろ、川村正明を取りこんで、派閥の人数をふやさなければならないのか。首相の「禅譲」後も、なお勢力の示威のためか。  新聞にはまだ観測が出ていないけれど、どうも桂派は政権のタライまわしをねらっているようである。すでに「禅譲」そのものが、タライまわしの前段階だ。だから、桂重信と寺西正毅のあいだには、次の次はふたたび「桂政権」という密約が結ばれているとみなければならない。  しかし、それだったら桂派は、この時期に、板倉派を刺戟《しげき》するとわかっていながらも、あえて川村を自派に引き抜く強引なことをしなくてもいいように思われる。「革新クラブ」は板倉派の「出城」だからだ。「金権体質」の桂派の、あいも変らぬ札束で頬を叩くようなあくどいやりかたに板倉派は憤激しているにちがいない。  川村正明は、桂派から相当な「移籍料」をうけとったであろう。七百万円か、一千万円か。盆暮のお手当は、もちろん別である。川村はOホテルでの「励ます会」で「金権政治」をはげしく攻撃した。その原稿は注文主の求めに応じて土井が書いたのだ。新聞を見て、土井は恥かしい思いになった。  川村が桂派に転んだのはカネいがいにはない。彼は「革新クラブの同志」を裏切り、味方の板倉派に背いた。カネのためには信義も何もない露骨な行動だ。これからはだれも川村を相手にしなくなるだろう。裏切られた板倉派からはもちろん信用されないが、新しい味方となった桂派からも軽蔑《けいべつ》されるのだ。  二世議員の中でも川村正明は有望なほうだとみなから思われているだけに、今後彼への非難は強かろう。  そんなことがわかっていながら桂派に転んだ川村は、よほどまとまったカネの入手に迫られているようにも想像される。  電話が鳴った。  土井は眼がさめたように受話器をとった。 「外浦の家内でございますけれど、土井さまでいらっしゃいましょうか」  成田空港で見送りのとき聞いた声であった。 「土井です。いま、ロビーにおみえですか」 「はい」 「すぐにそちらへ参ります」 「おそれいります」  土井は、用意した香奠《こうでん》の包みを机の抽出《ひきだ》しからとりだした。  一階ロビーの、正面出入口をつきあたった左側の待合せ用クッションの前に、外浦の妻は顔をうつむけて立っていた。喪服ではないが、黒っぽいスーツだった。  その前にすすんだ。 「土井でございます」  彼は低い声で云って、上体を折った。 「その節は、ありがとうございました」  黒いハンドバッグを両手で前にさげた外浦の妻は、膝《ひざ》の上まで頭をさげた。その節は、という礼は、外浦を成田に見送ったのにたいしてだった。  うしろのクッションには、待合せの若い女がひとりでかけ、三人づれの男が煙草を吸いながらこちらを見ていた。  入ったコーヒーショップには、客がまばらだった。隅のテーブルを土井はえらんだ。土井はあらたまって深々と頭をたれた。 「このたびは、なんともおくやみの申しあげようもありません。ご主人があちらで亡くなられたというのを東方開発の方から知らせていただいたときは、信じられませんでした。ぼくには、まだその気持がつづいております」 「主人が生前にはいろいろとお世話さまになり、ありがとう存じました。あつくお礼を申しあげます」  二、三度、頭をさげ合ったのち、椅子についた。  こうして外浦の妻をまむかいから見るのは土井にははじめてだが、化粧のないその顔は蒼白《あおじろ》く、艶《つや》がなかった。  だれもこないうちにと思って、土井は内ポケットから香奠包みをとり出し、テーブルの上をすべらせてさし出した。 「ご霊前にお供えいただきとう存じます」  ほんらいならお宅におうかがいして、ご霊前にご焼香しなければならないのですけれど、申しわけないことですが、お詣《まい》りは後日にさせていただいて、とりあえずここへお見えになった奥さまへ、と低い声で云い添えた。社葬をおこなった東方開発からは告別式の通知をうけなかったことにはふれず、参列しなかった詫びの意味も含めた。  外浦の妻は、それをおしいただくようにして、すなおにうけとった。ハンドバッグにおさめる前、入れちがいのように、当日告別式に参会した人に渡した「会葬御礼」の黒枠ハガキを土井にさし出した。 「葬儀委員長 和久宏」とならんで「喪主 外浦節子」の活字があった。  二人の前に紅茶がきた。 「ご主人の亡くなられたことが、ぼくのようなものにもまだ信じられないくらいですから、奥さまのお気持をお察しいたします」  土井は、「会葬御礼」で名前をはじめて知った外浦節子に頭をさげた。 「はい。成田へ見送ったときが元気な姿の最後でございました。あのまま別れたのでしたら、わたくしもまだ外浦がチリのどこかで生きているような、夢のような気持を抱いていると思いますが、サンチアゴの病院に参りまして、外浦の死をたしかめましてからは……」  外浦節子は、ふいに顔を伏せ、ハンドバッグから急いで出したハンカチで、こみあげる嗚咽《おえつ》を抑えた。  彼女の肩の震えがおさまるまで土井は眼を伏せて黙っていた。  一分くらい経って、節子はハンカチで眼をぬぐい、洟《はな》をかんで顔をあげた。 「失礼しました」  眼のまわりと鼻の先が赤くなっていた。 「……むこうの病院で、寝棺に入った外浦の遺体と対面しましてからは、もう外浦はほんとうに死んでしまった、この世から去ってしまった、という実感が強くきました」  外浦はすでに遺骸《いがい》となっていたのだ。  妻が駆けつけたときは、まだ外浦の生命があったかもしれないという土井の想像は消えた。だから、貸金庫の存在を暗示するような外浦の譫言《うわごと》もなかったのである。  土井の眼には、はてしなくひろがった夜の海が映っていた。 「外浦は車を運転して、サンチアゴ市内をはなれた道路を走っているとき、街路樹に衝突しました。百キロ近い速度を出していたので、買ってまもないポンティアックでしたが、前部のエンジン部分が後部の座席にめりこんでいました。わたしは会社の方からその車の残骸を見せていただきました。現場にも案内していただきました。街路樹は菩提樹《ぼだいじゆ》の太い幹でしたが、車がぶっつかったところは、まるで弾丸をうちこまれたように白く削られていました」 「……」 「その付近、道路は直線コースで、見とおしのよいところです。前を走る車もなかったそうです。ですから、追い抜きでハンドルを誤ったとは考えられず、居睡り運転以外にないということでした」 「……」 「胸部の強い打撲傷で即死でした。そのため、死顔には苦痛の表情がすこしもありませんでした。まったく眠っている顔でした」  夫の死顔を思い出した外浦節子は、急にまた頭を土井の前にたれて、すすり泣きを忍んだ。  節子の髪のうしろに、このホテルの寝殿造りのような建物の角が見えていた。築山の一部が色づきはじめていた。外人の男女が回廊に立って見物している。  窓の外ののんびりとした景色を背景に、ここではひとりの女がかなしんでいた。  土井は声をかけ得ずにいる。慰めの言葉を述べるほど親しい立場ではない。眼の前で泪《なみだ》を流す節子を、いくらかもてあました。まわりの人たちがそれとなくこっちを見ている。  土井は考えた。外浦の妻は、夫の死をその後輩に歎きにきたのだろうか。が、わざわざここまできてそうするほど、彼女との間は近くない。外浦の家に遊びに行ったこともなかった。節子を見たのも、成田の見送りのときがはじめてだった。  外浦が後輩のことを妻に語っていたことはあろう。しかし、ただそれだけで、妻がここへくるほど自分に親しみをもったとは土井に思えなかった。  節子が会いにきた用事は別にある。向島の銀行にある個人用貸金庫のことではないか。土井がその委託代理人になっているのを知って、金庫の鍵《かぎ》の返還を求めにきたのではないだろうか——。  土井の胸が騒ぎはじめた。そのとき外浦節子はふたたび顔をあげた。 「つい、とりみだしまして」  鼻をつまらせていた。 「おかなしみは、ごもっともです」  土井はようやくこたえた。 「お忙しいところを、お時間をいただいたのに、申しわけありません。じつは、土井さんにご報告したいことがありまして、それでおうかがいしたのですが。……お話しする前に泣いたりして、ごめんなさい」 「いえ」  むろん外浦の死のことだろうが、「報告」といういくらかあらたまった言葉が土井には気になった。 「外浦は土井さんにお親しくしていただいているとわたくしに話しておりました」 「ぼくこそ、先輩の外浦さんにお世話になっていました」  外浦は節子にどの程度のことを話していたのか。 「これは、ほかの方にはあんまり申しあげておりません。和久社長さんはじめ五、六人の幹部の方はご存知です。外浦の遺体を解剖した結果でございますが……」 「解剖結果ですって?」  土井は聞き返した。貸金庫のことではなかった。 「はい。交通事故死ですが、あちらの警察では市内の病院で遺体を解剖に付したのです。わたくしが到着する二日前でした」  成田からサンチアゴでは、飛行機がロスアンゼルスで乗換えになったりして時間が長い。解剖は、日本の「行政解剖」にあたるのだろう。 「死因は胸部の打撲傷でした。衝突と同時にハンドルが外浦の胸をつき刺して、心臓も肺もめちゃめちゃになっていたそうです。もちろん即死でした。わたくしは、会社の方の通訳で、解剖された医師から聞かされたのです」  前部のエンジン部分が後部座席にめりこんでいたくらい激しい衝突だった。 「ところが、その解剖の結果、思いもよらない事実がわかりました」 「え?」 「外浦は癌《がん》にかかっておりました」 「なに、癌?」  土井は、あやうく大きな声で叫ぶところだった。 「胃癌でした。その癌が肝臓と肺に転移していました。たとえ生前に手術したとしても、もう処置のしようのない状態でした」  やっと落ちついたのか、節子はわりに淡々と話した。  そうしてハンドバッグから封筒をとり出し、土井の前に置いた。 「これが癌疾患部の医師の所見です。チリ東方開発の方が翻訳してくださいました」  土井は封筒の中の紙をとり出した。指先がふるえた。 ≪胃は大弯側《だいわんそく》に大小の粘膜島を伴う陥凹を有し、大弯、小弯、幽門上下のリンパ節の肥大が認められる。Borrmann分類によるBorrmann㈽ないし㈿型の進行癌が、周囲のリンパ節に転移したものと推察される。肺は事故による損傷が激しく、原形をとどめないが、気管支壁、血管壁が正常より厚く、さらに胸膜には白い網目状の模様を認め、肺門部からの逆行性、リンパ行性による転移がうかがえる。pleuritis carcinomatosa(癌性胸膜炎)を起していた可能性も考えられる。肝はグリソン鞘《しよう》が白く拡大しており、癌細胞が肝門部からグリソン鞘をリンパ行性に瀰漫《びまん》性に浸潤したものと推測する。脾《ひ》への転移は見られない。≫  土井はその「解剖所見」を何度も読み返した。翻訳だが、在留日本人医師がその翻訳を見たとみえ、医学用語が適切に使ってあった。 「おどろきました。まったく意外です」 「所見」を外浦節子に返して土井は云った。 「奥さんはそれをご存知なかったんですか」 「ぜんぜん気がつきませんでした。外浦が何も申しませんでしたから」  節子は返された「所見」の文字に眼を落して答えた。 「ご本人に自覚症状がなかったんですか?」 「はい。でも、いまにして思いあたることがございます」 「どういうことですか」 「外浦がこの二、三カ月らい、疲れていたことですね。本人も、疲れた疲れた、と云っておりました」 「……」 「でも、自分ではそれを仕事のせいにしておりました。寺西先生の秘書を三年前からさせていただいていましたが、それは和久社長が寺西先生から頼まれたからでございます。寺西先生ほどの政治家になりますと、秘書のお仕事もたいへんに忙しく、それに、気をつかわねばならないことばかりだったようです。政治の事情から寺西先生はますますお忙しくなられ、そのぶん秘書の仕事も負担が増し、外浦は疲れることが多くなったようです」  文子夫人の「恋文」にも、外浦の「疲れ」のことが書いてあった。 「わたくしは仕事上の疲れと思っておりましたが、それでもそのようにお疲れになるようだったら、早く病院へ行って診てもらってくださいと外浦にたのみました」  外浦の妻は云った。  夫人の文面にもあった。 ≪……あなたは疲れてしかたがないとよく云っておられます。わたしのおすすめするように、いちどお医者さんに診ていただいたらいかがですか。お顔色もよくありませんわ。奥さまは、どうおっしゃっていますか。≫ 「でも、外浦はいくらわたくしがすすめても、忙しいとか、そのうちに、とか云って、病院へ行こうとはしませんでした。いまから考えると、外浦は病院に行くのが怕《こわ》かったからだと思います。お医者さんの診断を受けたり、精密検査をしてもらったりすると、いろんなことを云われそうで……」  外浦節子のかなしげな声がつづいた。 ≪わたしもそうですが、病院へ精密検査を受けに行くと、いろんな悪いところを指摘されそうで、それがイヤで、つい行くのがおっくうになります。あなたも同じお気持だろうとおもいますけど、お仕事が忙しいだけにお身体《からだ》のほうは、じゅうぶんに気をつけてください。どうか、わたしのためにも勇をふるって病院へ行ってください。 文子≫ 「それに」  外浦節子の次の声が、「恋文」に走る土井の連想を中断させた。 「外浦は、顔色もしだいにすぐれなくなってきていました。それもわたくしは、外浦の言葉を信じて、仕事の多忙なあまりと思っていたのです。あのとき、わたしがそれを癌の症状に結びつけて気がつけばよかったんです」 ≪……いまだにお心がつかみかねています。ちゃんとつかんでいるつもりなのに、ひとりになると、その自信が指の間から砂のようにこぼれ落ちるようで、かなしくなります。でも、もう何も申しあげません。あなたのお疲れがひどく、お顔色がよくないのは、わたしがあなたを責めている結果のようにおもわれますから。現在も、さきのことも、あまり考えないことにしましょう。≫ 「口惜《くや》しいんです。わたくしが何も知らなかったことを!」  突然、外浦の妻節子が叫ぶように云ったので、土井は思わずぎくりとなった。  おそるおそる節子の顔を仰ぎ見ると、節子のいう「知らなかった口惜しさ」とは、夫の癌のことであった。 「もっと早くそれに気がつけば、無理にも外浦を病院へ連れて行き、手術をうけさせたものを、と思うんです。それは、もう手術をしてもダメだったかもわかりません。わかりませんが、交通事故で死に、その解剖で胃と肝臓、肺が癌におかされていたとわかった、というのでは、外浦があまりに可哀想です。わたしの気持も救えません」  節子は、膝の上のハンカチを両手で絞るように握りしめていた。  外浦が癌だったとは、同じように文子夫人も知らなかったのだ。彼の「疲れ」と「顔色のすぐれない」ことの原因を、すべて彼の「忙しさ」に求めて。—— 「外浦さんには」  土井はつぶやくように同じ質問をくり返した。 「自覚症状が、普通の癌患者と同じに、まったくなかったのでしょうか」 「なかったように、わたしには思われます。もし、そのような自覚があれば、すぐに病院へ自分から駆けこんだと思います。外浦は、そうはしておりません。寺西先生からお暇をいただくと、和久社長のもとに戻り、自分から希望してチリへ行ったんですから。もし、外浦にすこしでもその病気の自覚があれば、近代的医学施設のとぼしいチリなんかに参るはずはありませんもの」  外浦卓郎は病院へ行くかわりに、遠いチリへ行った——節子のなにげない言葉から、土井はまた新しい意味を脳裡《のうり》に浮べた。  外浦節子は帰って行った。亡夫の銀行貸金庫のことは口に出さずじまいだったので、まだその存在を知ってないと思われた。亡夫の解剖結果を土井に報告にきただけであった。  外浦卓郎が、和久東方開発社長に自己の身がらを寺西正毅のもとから引き取ってもらい、志望してチリへ赴任して行った理由が「解剖所見」によって新しい意味を持ってきた、と土井は思った。  外浦はやはり自殺だったのだ。彼は癌に冒されていたのを気づいていた。彼がくりかえし云っていた「外国での不測の事態」というのはこのことであった。 「不測の事態」が、癌による死亡をさすのか、または病死を待たずに自殺するのを意味するのか、両方にもとれるが、このばあいはやはり自殺のことにちがいない。  外浦が自殺の意を秘めてチリに出発したとすれば、彼はなぜ貸金庫の中の恋文を処分して行かなかったのだろうか。疑問は当初の点にもどって、堂々めぐりだった。  外浦卓郎が悪人であるのは否みようのない事実だ。その彼は寺西夫人文子をだました。彼女の純真な愛情を自己の将来の利益に利用しようと企らんだ。貴重品のようにていねいに保存し、あとで利益の手段にしようとした。秘書として仕えた主人の寺西正毅を、これによって脅迫しようとした。かりにも愛をかわしたその妻を断崖《だんがい》下に突き落す大悪人だ。  その男は再起できない病にかかった。貯蔵しておいた材料の「武器」を使用する機会がなくなった。しかし、それを破棄もせず焼却もしなかった。おそるべき執着だ。  じぶんでは使用できなかった無念が消えず、それを他の者にやらせる。材料を灰にするのが「惜しくなった」というよりも、執念からである。遂げ得なかった実行を代理人にやらせる。そのために材料をそっくり代理人への「遺産」とした。執念というよりほかにいいようがない。 (きみが自由に処理していい)  外浦が代理人に択《えら》んだ土井に云った。(捨ててもいいよ。それはきみの自由に任せる)というふうにもとれるが、真意は「執念の代行」をさせるにあろう。  外浦節子が去ってからも、土井はロビーのクッションにひとりで坐っていた。他人には人待ち顔に見えただろうが、頭の中は混乱が渦巻いていた。  「釣り」の技巧  あくる日の午前十一時ごろであった。土井の事務所に、向島《むこうじま》の銀行から電話がかかってきた。 「森です。まいどありがとうございます」  森は支店次長で、土井が外浦につれられて貸金庫の代理人になるとき、その手続きに立会った。 「こちらこそお世話になります」  土井は内心、やはり来た、と思った。 「あのう、外浦卓郎さまがチリでお亡くなりになったそうでございますが……」  森の声はすこし云いよどんでいた。 「はい、亡くなりました」 「どうも意外なことで。ご愁傷さまです」 「ありがとうございます」 「つきましては、外浦さまが設置され、土井さまが代理人になってらっしゃるわたしども銀行支店の貸金庫のことでございますが……」  森の声は云いにくそうだった。 「ああそのことでしたら、三、四日じゅうにでもぼくがそちらへうかがおうかと思っていたところです」 「ありがとうございます。お待ちしております」 「あ、もしもし」  土井は、森の声を引きとめた。 「外浦さんがチリで亡くなったことを、どうしてお知りになったんですか」  新聞には記事が出なかった。その死亡広告も掲載されなかった。 「それはですね、外浦さんの奥さまが、一昨日、こちらにおみえになりましたときにご不幸を承りました」  土井はかたずを呑んだ。 「外浦さまの定期預金が当行にございます。奥さまは、その解約におみえになったのですが」  土井は聞いて、ほっとした。貸金庫のことではなかった。  だが、次長はつづけた。 「土井さまが代理人になっておられる外浦さまの個人金庫のことですがね、あれは個人金庫の性格上、一昨日奥さまがみえたときには申し上げなかったのですが、最終的な処置について土井さまのご指示を得たいのです」  外浦が死亡したいまは、いつまでも放置できない。「代理人」の資格にも限界があろう。やはり貸金庫のキーは代理人から未亡人に返還すべきではなかろうか、というニュアンスが次長の言葉に含まれていた。 「ですから、そのことで近日中にそちらへぼくが出むきます」  土井は云ってから、次長に念をおした。 「それまでは、外浦さんの奥さんには個人金庫のことは黙っていてください。故人から云われた事情もありますので。あの金庫のことは、しばらく待って下さい」  わかりました、と次長は云った。  外浦節子に銀行貸金庫の存在を報告するのが「代理人」としての義務だが、その中身は彼女に見せられない。すでにこの世にいない夫の「不倫な恋」を、わざわざ知らせる必要はないのだ。ことにその相手が寺西夫人文子とあってはどんなにか衝撃であろう。文子夫人は、「主人を安心させるために奥さまに家へ遊びにきてもらってください」と外浦に書き送っている。外浦もそのとおりに節子を寺西邸へ行かせている。そういう偽装が行われていたのだ。文子のこんな恋文を節子に読ますのは残酷すぎる。  個人金庫�2674の鍵を外浦節子に引渡す前に、恋文をとり出しておかなければならないと土井は思った。  しかし、それをとり出したあと、何を代替品としてそこに入れておくかが問題だった。空っぽのままにはできない。何も入ってない貸金庫に本人が留守中の代理人を設定したということはあり得ず、さすれば中に入っている品は代理人によって持ち去られたという疑惑になる。  外浦卓郎がどのような趣味を持っていたかは、土井にわからなかった。彼とはそういう話を一度もしたことはなく、その家にも行かなかった。  銀行の個人金庫の中には、重要な秘密書類とか、有価証券とか、貴金属類などを入れるのが普通である。が、そのどれもが代替品とするには土井の手に負えなかった。  あとは骨董《こつとう》などの趣味品だが、本人の趣味がわからないから、うかつなものは入れられない。だいいち、骨董や古美術品になると、値が高く、これも土井の購買能力を超えていた。  どうしたらいいか。——  いい加減なものを代りに入れると、かえって工作がわかる。土井は困惑した。銀行には三、四日中にうかがう、と云ってある。その間に代替品を考えねばならなかった。  そう思案する土井には、いつのまにかあの「材料」を取得したい気持が強くなっていた。あれは外浦から自分が譲り受けたのだ、横領ではない——そういう弁解よりは、「取得権」の意識が濃くなっていた。  それをどのように使うかというところまではまだつきつめて考えていない。とにかくこっちで握っておきたい。自分のものにして寝かせておけば、そのうちにそれがひとりでに発酵して用途を教えてくれるだろう。いわば目的のない目的でじぶんの手に持っておきたかった。  だが、いまその目的を考えるのがおそろしい気もした。はっきりと外浦の執念の相続人になるのが怕い。  �2674の中に、代りとして何を入れたらよいか。——  土井はその晩も、あくる日も、そればかりを考えつづけた。外浦節子に金庫のキーを返す日が迫っていた。  電車に乗っても、道を歩いても、ホテルの事務所で佐伯昌子を相手に口述していても、その切迫が頭からはなれなかった。あせってきた。  口述はいつものようにスムーズにすすまず、云い直したり詰まったりした。あらかじめ書くべき内容のメモをとって、叙述体でしゃべるのだが、精神の集中がなかなかできなかった。  めずらしい、というように佐伯昌子が、口述が途切れている間、鉛筆の手を休めて土井の顔をぬすみ見した。  このとき電話が鳴った。彼女がとる。 「川村先生の秘書の鍋屋さんからです」  考えあぐんでいるときは、電話も気分転換の一つになった。 「こんにちは。鍋屋です。ご無沙汰ばしとります」  受話器から鍋屋健三の太い声が流れた。たったこれだけの言葉にも九州弁がまじっていた。 「こちらこそ。お忙しいようですね」  板倉派系の「革新クラブ」に所属する川村正明が桂派に入ったという新聞記事を思い出した。 「川村が桂派に移ったことを、もうご存知ですな?」 「新聞で知りました」 「そのことについてですが、ぼくの一身上のことであなたに、ご挨拶ばしたいと思うとります。いま、下のロビーに来とりますが、ほんの十分か十五分間だけお会いでけませんか」  川村の「移籍」の挨拶ではなく、鍋屋の一身上の挨拶というのが奇妙に聞えた。とにかく彼の話を聞こうと思った。「代替品」のことで思案が行詰まっている際だった。 「二、三十分くらいで戻ってきます。いままで口述したところを復元していてください」  土井は佐伯昌子に云い置いて部屋を出た。  ロビーのまんなかに鍋屋健三のずんぐりとした大きな身体が立っていた。  その姿を見たとき、瞬間だが、これまでとは別人の鍋屋健三がそこに佇《たたず》んでいるように土井に映った。前から知っている人間をある場所で瞬時に見たとき、いままでの印象とはまるで異なるものを受けることがよくあるが、それが正確な直感になっていることが多い。  いまの鍋屋健三がそうで、見た瞬間、いつもの元気がなく、どことなくしょんぼりとしていた。  だが、やあ土井さん、と大きな声で云って近づいてきたときは、もとの鍋屋に戻っていた。 「お忙しかとこば、すみません」  鍋屋のほうから握手を求めてきた。 「どこか話のでける場所はなかですかな」  鍋屋はいきなり云って、ロビーを警戒的な眼で見まわした。 「そこにコーヒーショップがありますが」  土井は云った。二日前、外浦節子と話したのもその場所だった。 「なるべくこのホテルの中でないほうがよかですな。このホテルには議員さんや議員秘書連中がよく来とりますけんな」  川村議員秘書は云った。 「鍋屋さんの姿をそういう人たちに見られると困りますか」 「ええ。いまはね。けど、土井さんは忙しかけんで、外へは出られんでしょうな?」 「ちょっといまはできません。では、ぼくの事務所ではどうですか。あそこに入ってしまえば、だれにも見られません。来訪者の約束もありませんから」 「秘書のかたの居られるでしょう?」  一身上のことでよほど内緒の話をしたいらしかった。 「秘書ではありません。ぼくの口述を取ってくれる速記者です。口は固いですよ。それでもご心配でしたら、話がすむまで部屋を出て行ってもらってもいいですが」 「そうですか。では、お部屋へうかがいましょう。すみませんな」  エレベーターの中は知らない顔ばかりだった。 「事務所」に入ると、土井は来客用のクッションに鍋屋を招じた。隣室の佐伯昌子が茶の支度にかかった。 「どうも、その節は川村がいろいろとお世話になりました」 「川村正明議員を励ます会」で川村が述べる「謝辞」を代作したことへの礼をあらたまって鍋屋は云った。だいぶん以前のことで、いまさらという気がしたが、考えてみると、土井はあれから鍋屋に遇っていなかった。 「いえ、あまりお役に立ちませんで」 「とんでもない。たいへんな評判でしたよ。あのおかげで、川村坊やの株がずいぶん上りました。来会の聴衆に感動ば与えましたけんな。板倉先生や上山さんもご満悦でした」  それなのに、川村正明がなぜ板倉退介とその派閥「革新クラブ」の上山庄平など「同志」に背いて桂派に奔《はし》ったのか。その弁明が、川村の秘書鍋屋によってこれから述べられるのだろう。  土井は、紅茶を二人の前に置いた佐伯昌子に、三十分ほど席をはずしてほしいと云った。  うなずく昌子を鍋屋が見上げて、 「すみませんなあ」  と、愛嬌《あいきよう》笑いをした。 「どういたしまして。……では、ちょっと散歩に行ってまいります」  佐伯昌子が頭をかがめた。  女速記者がドアの外へ出て行ったのを見とどけたようにして、鍋屋はクッションから大きな腰を浮かし、土井へむかって窮屈そうに上体を折った。 「土井さん。こんど、ぼくは川村正明の秘書ばやめることにしました。どうもいろいろとお世話になりました」  川村正明が桂派へ寝返った言いわけにきたとばかり思っていた土井は、鍋屋の口から「一身上」の意外な挨拶を聞いておどろいた。 「えっ、それはまた、どういうことですか」  鍋屋の顔を見つめないわけにはゆかなかった。  その鍋屋は間をおくように紅茶をすすったが、その眉間《みけん》には縦皺《たてじわ》が寄っていた。  さきほどロビーで鍋屋を見た瞬間、これまでの鍋屋健三とちがって何か悄然《しようぜん》たる雰囲気に包まれているように感じたものだが、そのときの直感といまの彼の眉間にある深い皺とが関連しているように思えた。 「川村はこんど桂派に移りましたな。ぼくは、それに大反対ばしたとです。あんまり節操のなか行動じゃ、そげなことばするとみんなの信用ば失うというてな。先代の先生は信念の人じゃった、どげんカネに誘惑されようと信念ば曲げず、節操ば通された、そげんふうに川村ば直諫《ちよつかん》したとです」  紅茶を一口すすったあとの鍋屋は、いきなり昂然《こうぜん》となって云った。 「そして、こうも川村に云うてやりましたたい。�革新クラブ�はよごれた政憲党ば浄化し、新しか保守政治ばめざすヤング・パワーとして国民から期待されとる、そのホープがあんたじゃと見られとる。この前の�励ます会�のあんたのスピーチでも、下書きは土井さんが書いてくれたばってん、政憲党のロートル支配の弊、金権支配の悪ばあんたは熱っぽく非難攻撃した、あの演説は大受けに受けた、というのはその攻撃目標が首相の桂重信とその派閥にしぼられとるのがわかっとるからだった。なのに、その桂にカネをもらい、尻尾《しつぽ》を振って桂派に移ったら、こりゃ天下のもの笑い、秘書のぼくにしてもまっ昼間、永田町|界隈《かいわい》が歩けんようになる、そう云うてやりましたたい。そしたら、川村は何とぬかしたと思いますか、ぼくにこう云ったとです。そげん恥かしゅうして永田町が歩けんなら、ぼくの秘書をやめたらどうじゃ、とね」 「……」 「川村はぼくにそげなことを云えた義理じゃなかです。ボンクラのあいつのために、ぼくはどげん苦労して尽してやったかしれんとです。で、ぼくはあんまり臓《はらわた》の湧《わ》いたけんが、売り言葉に買い言葉、よオし、そんならやめてやる、と川村に怒鳴ってやりましたたい」  鍋屋は唾《つば》を飛ばして云った。  鍋屋は、川村正明と喧嘩《けんか》して秘書をクビになったという。これが彼のいう「一身上の問題」だったのである。 「鍋屋さん」  土井は慰める意味もあったが、鍋屋が川村に云ったという「直諫」には同感した。 「それは鍋屋さんの云われることがほんとうです。筋がとおっています」 「そう思ってくれますか」  鍋屋は眼を細めた。 「もちろんです。だれが聞いても、ぼくと同じ意見だと思います」 「ありがとう」  鍋屋はなんだか涙ぐんだ眼になった。 「いったい、川村さんは桂派からどのくらいカネをもらってその派に移ったのですか。七百万円か一千万円くらいですか」  新聞を読んだときに思ったことが、つい、言葉に出た。 「みんなそう思うでしょう。じつはぼくもそう思ったとです。ばってん、川村には桂重信からは一文もカネが出とらんとです」 「なに、桂さんからは一文もカネが出てない?」  それは川村正明の云いわけではないか、そんなばかな話はない、カネをもらわずにどうして川村が桂派に転ぼうか。金権で鳴る桂だ、これまでも議員が続々と桂派に「一匹釣り」されるのは、みんなカネの餌《えさ》に食いつくからだ。桂派はそれで人数をふくらましている——新聞、雑誌などの観測がいずれもそれだった。 「川村は実際に桂からカネばもろうとらんとです。ぼくも、川村と喧嘩別れしたあとに、川村の第一秘書からそげん打ちあけられたとです。それば聞いてみてはじめてわかりました。そして、あまりに桂の巧妙なやりかたに、あっとびっくりしました」 「……」 「桂のその手口ば云いましょう。桂の腹心の小山田修二ね、いま党の総務会長ばやっとりますね、その小山田が一カ月前に、院内の廊下で川村の肩を叩いて、こう云ったとです」 (なあ川村君、次の選挙ではウチの派からどうしても一人、新人をきみの選挙区から立たせざるを得なくなってなア。ウチにもいろいろと事情があってな、なるべくそんなことはしたくないのだけど、ほかの選挙区ではどうしても調整がつかん。そういうことで、まことに迷惑だろうが、ひとつ勘弁してほしい。なに、きみほどの実力があれば、ウチの党から三人立っても、きみの当選は確実だよ。安心していいよ。あは、は、は) 「総務会長は、そげなふうに大笑いして行ったということですたい。廊下に立った川村は真青になって、慄《ふる》え上りました。現在川村の選挙区は政憲党二名、野党二名で、川村は三回目は二位当選、四回目はビリです。そこへ桂派が新人候補を割りこませて、派閥ぐるみでそれこそ金権で全力応援すれば、川村の落選は間違いなかです」  次の選挙に桂派から新人を立て同じ選挙区にわりこませると小山田総務会長から聞かされた川村正明が戦慄《せんりつ》したのも無理はない。選挙にあたって桂は札束をばら撒《ま》き、知名度のある桂派の議員——現職大臣、前大臣はもとより、著名な人士を応援弁士に総動員してくる。このところビリ当選の二世議員川村正明などは吹き飛ばされるにちがいない。  たとえ川村が板倉退介に泣きつこうと、「革新クラブ」の上山庄平の侠気《きようき》にすがろうと、党内派閥第三位の板倉や、少人数しか持たぬ上山では、とうてい桂に太刀討ちはできないのだ。  土井は、小山田総務会長の、ぎょろっとした眼が川村正明を威嚇する場面に想像が走った。 「それから、どうなりましたか」  土井は鍋屋にきいた。 「すると、そのあくる日に、菅谷副幹事長、これもご承知のように桂重信の側近ナンバー2ですが、その菅谷栄一から川村に呼び出しがあったとですたい。川村は追い打ちをかけられる話だと思うて、しょげて衆院第一議員会館の議員食堂へ行くと、菅谷がひとりでそこに待っとったのです」  鍋屋は川村の第一秘書から聞いた話をつづけた。 「なに、議員食堂でですか」 「午後三時すぎの議員食堂は、委員会などがあって、議員は居らんで、がらんとしとるとです。そのとき菅谷副幹事長はひとりでした。菅谷は、あのとおりのエビス顔で、川村を横にすわらせ、その肩ばたたいて云うたそうです」 (なあ川村君。昨日、小山田がきみの気を悪くするようなことを云ったそうだが、申しわけなかったな。しかし、わが派閥内にも次の選挙に出たい奴がいっぱい居てな。選挙区の調整がつかんのも事実だ。どうしてもきみの選挙区から一人出さんとどうにもならん情勢になっとる。ぼくも、きみが居るから、それを避けたいと極力努力してみたが、力及ばずだ。まことに申しわけない。……しかしだ、な、ものは相談だが、きみがいっそのことウチの派に入ってくれたらだ、こんな厄介な問題は解消するんだがなあ。もしそうなったらだ、もちろん新人候補はきみの選挙区には立てん。そればかりか、派を挙げてきみを応援するよ。そうなるときみの第一位当選も可能だと思うんだがなあ) 「それで川村は、一コロですたい。菅谷の手を両手で握りしめ、ぼく、明日から桂派に入ります、菅谷先生、どうかよろしくおねがいします、と云ってペコペコ頭ばさげたとです。これが、実際の話です。……ですけん、川村には桂から一文もカネが出とりません。オドシ役にナダメ役、この手に乗せられて川村は桂派にイチコロに転んだとですなあ」  鍋屋健三の話は土井にショックだった。  これまでは桂派が金権にモノをいわせて議員の「一匹釣り」を行い、自派に入れたと思っていた。それは自分だけでなく、だれしもそう考えている。一般も同じに思っている。  だが、鍋屋の話のとおりだと、桂派は一文のカネも使わずに「一匹釣り」ができる。この考えのほうがリアルだ。  土井は、これまで桂派へ「釣られて」行った議員たちのもとの所属派閥を思い出してみた。すると、そのほとんどが、旧木津派、旧船橋派、旧志野派で、いずれもその親分が死亡して意気上らない「中間派」だったことに気づいた。  こういう「弱い派閥」の議員に、桂派の小山田総務会長が、 (悪いけど、次の選挙には、きみの選挙区にウチの派の候補者を立てることにしたから、諒解《りようかい》してくれ)  と、ぎょろっとした眼をむき、次に同じく番頭の菅谷副幹事長に、 (きみがウチの派にきてくれたら万事が円満にゆくんだがなア)  と、リスのような眼を微笑させ、あいそよく云われると、たいてい中間派の弱い議員が、 (副幹事長、よろしくおねがいします)  と、安堵《あんど》して頭をさげることになろう。 「革新クラブ」の川村正明もそれでやられたのだ。結成当初は団結を誇ったヤング・パワーの同クラブも、いまでは「同志」間の利害関係や権力の座にある桂派の分断作戦もあって、組織ががたがたになっている。「革新クラブ」をじぶんの出城のように考えてこれを援助してきた板倉退介の力をもってしても、この崩壊現象を喰いとめることはできないでいる。川村正明が、小山田の脅し、菅谷の宥《なだ》めによって、ふらふらと桂派へ移った理由がここにあった、と思える。  桂重信にはもう以前ほどのカネがないという推測は政界や新聞記者の間でささやかれていた。桂といえども無限の「錬金術師」ではない。大金庫の中も相当に心細くなっているというのである。  なのに、その「一匹釣り」は依然として金権だと信じていた。この矛盾に、政界も政治記者も深く考えようとはしなかった。クロウトはその世界に通じすぎているために先入観に邪魔され、かえって矛盾に対する感覚が鈍磨している。  いま、鍋屋がした話は、その鈍磨に影響された土井の頭を一撃した。そのくらいの眼ざめかたをさせた。 「ありがとう、鍋屋さん。よくわかりました。おかげで、ぼくは眼のウロコがとれたような気がします」  土井は思わず叩頭した。 「こげな話は、人にはあんまりしとうなかですが、土井さんには川村の演説ば書いてもろうたりして、ご迷惑ばかけとりますけん、お詫びの気持でお話ししましたとです」  鍋屋は神妙に云った。  あのような「正義」と「政治改革」に燃えたスピーチの原稿を土井に書いてもらっているのに、こんどの川村正明の桂派入りはそれに違背する言語道断の行為で申しわけないというのが鍋屋の「お詫びの気持」のようであった。 「いや、ぼくは頼まれた仕事をお引きうけしただけで、川村先生がどのような行動をとられようと、なんとも思っていませんよ」  代作が「商売」だから、というのは口に出さなかった。 「すみません。ほんとに恥かしかです」  鍋屋は川村議員秘書として最後の挨拶のつもりか、ひたすらずんぐりとした身体《からだ》を縮めていた。  議員秘書のへりくだりは見せかけで、じつは金バッジをカサにきる傲慢《ごうまん》さをちらちらさせる慇懃《いんぎん》無礼なところがあり、鍋屋にいたっては、その上にハッタリが加わっているのだが、いま土井の前にいる鍋屋は先刻からひきつづいて元気がなかった。鍋屋ほどの者でも、議員秘書をやめたのはやはり精神的に参っているとみえた。  第一、こんごの身のふりかたをどうするのだろうか。議員秘書ほどツブシのきかないものはない。ほとんどが文章が書けないのでジャーナリストとして自立することもできない。会社に入っても、実務ができない。これまでの「慣れ」で、尊大なところばかりが身についているから、周囲と合わない。 「先生の地盤」をもらって議員になるのはよっぽど幸運なほう、県会議員になるのはその次の運。ほとんどはどこかへ消えてしまう。  そういう議員秘書族の「末路」に備えて、「議員秘書同盟」の結成を呼びかけたのが丸山耕一議員の秘書有川昌造で、現在は五、六十人の秘書がそれに加盟していると土井は聞いていた。有川昌造はその委員長となっている。  あの「議員秘書同盟」は、その後、どうなっているのだろうか。あんまり目立った活動はしていないようである。こういう鍋屋の場合こそ「議員秘書同盟」は動いてよさそうなものだが、いま鍋屋のどことなく悄然とした様子をみると、それもないようであった。  土井はそのことを露骨に訊《き》くわけにもゆかず、 「川村先生もあなたに離れられては打撃でしょうね?」  と、あたりさわりのないことをきいた。 「ぼくが秘書をやめても、川村はなんとも思っとりません」  鍋屋は土井の言葉を受けて云った。 「そうでしょうか」 「あの坊やは、大派閥に入ったと思って、かえって有頂天になっとります。フウケモンもよかとこで、醜態ですたい」 「フウケモンというのは、なんですか」 「失礼しました。郷里《くに》の言葉で、腑抜《ふぬ》け者、バカ者という言葉です。ぼくは、川村にはずいぶん面倒ば見てやりました。女の問題でも、どれだけぼくに世話ば焼かせたか知れませんたい」  秘書は議員の公私両面にわたって知悉《ちしつ》している。秘密な走り使いもしている。カネと女の関係だった。とくに後者に議員は秘書を使って平気であった。  土井が黙っていると、鍋屋は云った。 「あの男は、ちょっとばかり様子がよかでしょう? 無知な女ゴはそれにイカれるとですな。アタマの中身のことはぜんぜん考えとらんですたい。川村はウヌボレの強か男ですけん、よか気分でヤニさがっとるし、手も早かです。それで泣かされとる女も多かです。その尻ぬぐいは、みんなぼくがやらされました」  ありそうなことだと思って土井は聞いていた。すると、それが外浦卓郎と寺西文子との関係に重なってきた。  ——銀行の貸金庫には何を入れたらよいだろう?  こびりついている悩みがまた顔を出してきた。 「川村に惚《ほ》れて、彼に財産ばまき上げられた或る旅館のおかみは、そのために生命ば失いました」 「え、自殺したのですか」  土井は、ぎくりとなった。 「いや、自殺じゃなかったばってん、結果的には川村のために殺されたようなもんですたい。交通事故でしたがな」 「交通事故で?」  唾を呑《の》んだ。 「川村はそげなことがわかるとスキャンダルになって騒がれ、女房にも怒られ、票も減る、次の選挙が危のうなるというて、ぼくを拝んであと始末ば頼んだとです。ぼくは出来の悪か坊やの尻ぬぐいばしてやるつもりでかたづけましたが、そげな話ばいっぱいあります。そういうぼくの恩ば忘れて、桂派の秘書連中の云うままになって、ぼくば切ったとです」 「桂派の秘書とあなたとは合わないのですか」 「合いませんな。連中は、川村にくっついてきたぼくを排撃するとです。そして鍋屋を切れと川村ばけしかけたのです」  議員が新たに移って行った派閥のプロパー秘書連に、その議員の秘書が排斥されるのはめずらしくない。一つには先方の排他性によるのと、信用できないといった猜疑《さいぎ》を持たれるからである。  鍋屋もそのために桂派の議員秘書団に排撃されたらしかった。  土井は気の毒になったが、慰めの言葉をかける立場でもなし、また、それほど鍋屋とは親しくなかった。 「ところで、土井さん。ぼくが今日おうかがいしたのは、ご挨拶とお願いがあってのことです」  鍋屋はようやく訪問の目的にふれた。  挨拶というからには川村正明の秘書をやめたことかと思うと、そうではなかった。 「じつは、ぼく、板倉先生に云われて、来年春の参議院選挙で生れる婦人議員の秘書になることになりました」 「え、婦人議員の? それは、どなたですか」  川村正明に切られた鍋屋は、板倉退介に拾われたらしかった。板倉にしても自派の別働隊的な「革新クラブ」の川村に寝返られたのだから川村が憎い。ちょこざいな青二才めがと腹が立つ。で、その川村にクビにされた鍋屋に同情したのだろう。鍋屋にとっては、捨てる神あれば拾う神ありで、大安心のはずだが、その表情が喜色満面というのではなく、むしろ依然として生気がなかった。  そのわけは、土井の問いに対する返事でわかった。 「まだ、どの婦人議員に付くとはきまってなかとです」  鍋屋は、はずみのない声で云った。 「ははあ。でも、当選何回という強い婦人議員は次の選挙でも当選確実でしょうから、あなたが秘書に付く婦人議員も、もう予定されているんじゃないですか」 「ところが、ぼくが秘書に付くのは、そげなベテランじゃなかとです。新人ですたい」 「新人議員さん……ですか」 「はっきり云うと、タレントの婦人議員でしょうや。歌手とか、テレビでおしゃべりしとる司会者とか、女優とか、そげなところです。ですけん、だれが当選するかわからんので、ぼくがだれに付くともきまってなかです」 「……」 「新人議員は東も西もわからんので、それにぼくが付けられるとです」  政憲党本部のある場所には、「遊んでいる」ベテランの秘書たちが顔を出しては屯《たむ》ろしている。これが新人議員の秘書要員だ。議員の死亡、落選などによって失職した議員秘書の溜《た》まり場でもあり、当人たちの売り込み口でもある。  来《きた》る参院選で出てくる新人タレント婦人議員の「秘書要員」と聞いて、鍋屋の意気上らぬ様子が土井に合点できた。  国会のことでは西も東もわからぬ新人議員を「指導」し、「補助」するためにベテラン秘書を付ける。というと聞えはいいが、要するに失業対策である。鍋屋のように四十をこした秘書のベテランが、三十代前半の、ふわふわした女優や歌うたいなどのタレント議員に仕えるとあっては、いかに失業ゆえの身すぎ、世すぎとはいえ、彼が悄然としているはずであった。 「女ゴの議員はむつかしかです」  鍋屋は、やはり元気のない声で云った。 「……すこし議員生活に慣れてくると、わがまま気ままが出てきます。せっかく秘書がお膳立てしたスケジュールば無視して勝手な行動に走るとです。秘書が苦労してつくったスポンサーを、まるで自分がこしらえたような錯覚ばおこす。後援会も秘書が苦心して組織するのを、これも自分の力ででけたような自惚《うぬぼ》ればします。秘書が決めた会合ば平気ですっぽかす。ムラ気で、お天気屋、そのうえにヒスが加わるので、もう滅茶苦茶という話ばよう耳にしとります」 「……」  土井もそれはかねてから聞いていた。 「それにですな、秘書に黙って、ときどき雲がくればします。それがほとんど外での浮気ですたい。秘書がおそるおそる注意すると、わたしは秘書に使われているんじゃないわよ、わたしがあんたたちを使ってるのよ、そんなにわたしが気に入らなかったら、秘書をやめてちょうだい、と柳眉ば逆立てます。秘書は涙ば呑んで我慢せんばでけんとです。そげな婦人議員にこれから付くとですけん、憂鬱《ゆううつ》ですたい」  鍋屋は歎く。ずんぐりした身体をしているだけに、第三者にはかなしいユーモアを感じさせる。 「まあしかし、鍋屋さん。次の参院選挙であなたが付く新人婦人議員も、そういうのばかりじゃないでしょうから、希望をもって努力なさることですね」  これが土井のせいぜいの慰めであった。 「ぼくも、まあそげなふうに自分に云い聞かせとります」  鍋屋は落していた眼をにわかにあげた。 「ついては土井さん。ぼくがどげなタレント議員に付くかわからんばってん、とにかく、そのときは、また素晴らしかスピーチば書いていただきたいのです」 「……」 「タレント議員はまるきりノールスですけんな。頭がからっぽですたい。だいいち、本ば読みません。顔の化粧と、ブラウン管へのお愛嬌ばかりの勉強でしてな」  かくし場所  土井は、鍋屋の頼みを承諾した。同情もあった。それに、来年の参院選挙といえばまだかなり先のことで、それまでに鍋屋の環境がまたどう変るかわからなかった。 「どうもありがとう」  鍋屋は眼をうるませ、大きな手を揉《も》み合せてよろこんだ。この前まで接した鍋屋秘書とはまるきり違い、かなりの気の弱りようにみえた。 「ところで鍋屋さん、丸山先生の秘書の有川さんに、こんどのことを話されましたか」 「有川君ですか」  鍋屋は眉を寄せた。 「彼ともずいぶん会いませんなあ」  語尾にもの憂い響きがあった。 「でも、今回の鍋屋さんのような立場に備えてこそ議員秘書同盟はあるのだし、有川さんは委員長でしょう?」 「それは、そうですが……」 「今度のことで有川さんに相談のため電話をされなかったのですか」 「いや、べつに」  なぜですか、と訊く土井の表情を見た鍋屋は、渋い顔になり、頭に手をやった。 「あの議員秘書同盟というのは、名前はまだそのままに残っとりますが、じつをいうと、雲散霧消のかたちですたい」 「ほう、そりゃまた、どうしてですか」  議員秘書同盟が活動しているという話がいっこうに土井の耳に聞えてこないので、だいたいは察していた。 「やっぱりその何ですな、秘書たちはオヤジ連中に気がねばしとるとですな。その趣旨には賛成ばってん、活動となると二の足ば踏んどるとです。オヤジ連中からみると、派閥横断の労働組合がでけるようなもんですけんなあ。秘書たちは、オヤジ連中に睨《にら》まれるのが恐ろしかとです」 「それでは同盟はつくったものの、団結は望めないのですね?」 「そげんですたい。議員秘書は、口先では偉そうなことば云うとるばってん、意気地のなかです。けっきょく、議員秘書は各派閥ごとにある秘書の懇親会以上には抜けられませんな」 「有川委員長は、組織のそうした現状をどうみておられるんでしょうか」 「有川のことで、どうも近ごろ、おかしかうわさを聞いとります」  鍋屋は顔をしかめた。 「有川さんがおかしいといわれるのは、どういう意味ですか」  土井は鍋屋の言葉をとらえて訊いた。 「どうも、あいつは近ごろ堕落ばしとるようですな。身なりも急に派手になって、金使いの荒かようです。なにか、よかことがあるようですな」 「ははあ。そうすると、相当な余禄があるんですかね?」 「議員秘書同盟委員長の肩書ばフルに利用しとるようですな。あの肩書は余禄かせぎには睨みがききます。事情ば知らん人には、よっぽど権力ば持っているように映りましょうな。先生よりも秘書のほうが実力者という場合も少のうなかですけんな」  陳情は議員にするよりも実力秘書に頼んだほうが、てきぱきとかたづくことが多いのだ。それで、献金する側も秘書にそれを相談する。しぜんと秘書が議員の金ヅルをつくってやる結果となる。  この中間で秘書が献金を抜けば、それだけ秘書の金まわりがよくなる。届出をしない献金には領収証発行の必要がないので、秘書の中間搾取が議員にはわからない。当然に議員は秘書に猜疑心をむける。  ——このとき、土井の頭に閃光《せんこう》が走った。外浦の銀行貸金庫に入れる代替品のヒントを得た心地だった。…… 「有川には恋人がいるようですな」  土井の気持に関係なく鍋屋は、じぶんの話をつづけた。 「ずっと前のことばってん、あいつは女ばつれてデパートの特選売場で、百万円もするワニ皮のハンドバッグば買うてやっとるのを見かけましたよ。そのとき議員秘書同盟委員長の名刺ば自慢そうに振りまわしておりましたな」  鍋屋は、そのとき自分も川村正明の使いで織部佐登子に与えるオーストリッチのハンドバッグを同じ売場で買い、有川昌造と鉢合せしたことなどは、もちろん口にしなかった。  が、有川と女といえば、土井に思いあたることがあった。  それはチリに出発する外浦卓郎を空港の搭乗口まで見送っての帰りだった。例の院内紙記者の西田八郎が空港のタクシー乗場付近をうろうろしているのを見かけた。  西田は香港から帰る女づれの有川を張っていたのだという。じっさい、その二人づれの姿は土井も見かけていた。 (ね、土井君。ぼくがわざわざ成田空港まで来てだな、香港から帰るあの両人を確認したというのは、よっぽどのことだとは思わないかね?)  成田からの帰りのバスで西田は土井に云ったものだった。  西田は土井にこうも云った。 (ワニ皮のハンドバッグを持った女連れだったが、女房じゃない。有川のコレだ。バーのホステスなんかじゃない。彼女はふだんは地味な身なりなんだ。ちょっと若そうに見えるけどね、実際は四十に手がとどいている。彼女はね、カタイところにつとめている独身の女事務員ですよ。……云おうかな、云うまいかな。ほんとのことを云うと、あんたも、きっと興味を起すんだがな)  そんな気を持たせることを西田は云ったあげく、 (いや、よそう。あんたを信用しないわけではないけど、もうすこし待ってもらいます。というのは、ことがあまりに重大だからね)  と、結局、有川の女の素姓をうちあけなかった。  重大だ、重要な秘密だ、と議員たちへささやきかけて、じっさいはそれほどでもない「情報」を話して、いくらかの「謝礼」をせしめるのが西田のような院内紙記者の口癖である。それで土井はそのとき聞き流したが、いま、鍋屋から「有川には女がいる、彼は金使いが荒くなっている、堕落している」と聞かされて、成田空港での西田の話を思い出したのだった。  土井の心は、さっき鍋屋と話の最中に浮んだ貸金庫の代替品のことが気にかかっている。そのヒントが消えないうちに、早く手をつけたかった。  そうした土井の気持の揺れを鍋屋も感じとったか、そわそわしてテーブルに出した煙草の函《はこ》をポケットにしまいこみ、 「どうも、お忙しいところを、思わず長くお邪魔して相済みません」  と叮重《ていちよう》に頭をさげた。 「まあ鍋屋さん、元気を出して頑張ってください」  ドアまで見送って土井は鍋屋を激励した。 「どうもありがとう。よろしくお願いします」  次の選挙で出てくる新人婦人議員の秘書要員となった鍋屋健三は、やはり前ほどの溌剌《はつらつ》さはなかった。  鍋屋健三が帰ってから十分もすると、佐伯昌子が外の散歩から戻ってきた。 「佐伯さん」  土井は彼女をよんだ。 「あなたの速記方式は中根式でしたね?」 「はい、そうです」 「この前、あなたに解読してもらった『夏の夜の夢』の速記文字は熊崎式でしたが、あれを真似て熊崎式の速記が書けますか」  これが、鍋屋との話し中に得たヒントによる着想であった。  佐伯昌子は土井の云う意味がすぐにはわからないふうで、 「土井さんが口述なさるのを、わたしが熊崎式で取るのですか」  と怪訝《けげん》な面持だった。 「口述ではありません。ぼくが原稿を書くから、それを熊崎式速記文字に直してもらいたいのです」 「ただ速記文字にするだけでいいんですか」  昌子は変な顔をした。 「そうです。それもね、長い文章ではなく、企業とか団体名をならべたリストのようなものです。それに数字が付きますがね」 「それくらいでしたら、できないことはありません。いつか『夏の夜の夢』で熊崎式を勉強させていただきましたから、見よう見真似で、なんとか出来そうです」 「じゃ、ぼくがこれから原稿をつくりますから、たのみます」 「あの、それは『夏の夜の夢』のとおりの記号で書かないといけないのでしょうか」 「熊崎式ですよ」 「いいえ、そういう意味ではありません。同じ熊崎式といっても速記者によって癖がありますから。なるべく速く書けるように各自が記号を工夫するんです。もし、『夏の夜の夢』を書いた方の速記にそれを見せかけるとなると、その癖のとおりにわたしが真似しなければいけませんが」  佐伯昌子は呑みこみが早かった。ニセモノをつくるのが土井の意図だと察していた。 「じつはね、ある事情から、そういうことをしなければいけなくなったのです。その事情はちょっと云えませんが」 「わかりました。では、『夏の夜の夢』をもう一度見せてください。こんどはそれを書く勉強をしますから」  佐伯昌子が熊崎式、テキストは「夏の夜の夢」の速記勉強にとりかかっていた。  土井は原稿の下書きをはじめたが、それは「献金リスト」であった。  寺西正毅くらいになると、日本の企業のめぼしいところがほとんど献金する。それを外浦秘書がうけとって寺西へ渡すのだが、この「取次ぎ」の段階で届出のない献金から間を抜いたという寺西からの嫌疑を避けるために秘書はノートを作製してひそかに自分で持っている。自己の防衛策からである。  政党や政治家が自治省に届出る献金は、ぜんたいの一割か二割程度で、あとの大部分の献金は領収証を要さないヤミ献金だ。これが水面下に没した氷山にたとえられている。秘書が中間搾取をしたのではないかという議員の猜疑心はそこから生じる。  外浦が寺西正毅の秘書として果してそのような防衛用のノートを作製して持っていたかどうかは土井にわからない。しかし、いかにもありそうなことだと思われるなら、それは「可能性の事実」として他者に理解される。なぜなら、秘書がうけとった議員への献金をノートに書きとめておくことによって、疑惑を晴らす。その防衛に秘書だけがひそかに持っているものだからである。  この「外浦の献金リスト」を、「恋文」ととりかえて外浦の銀行貸金庫に入れる——これが土井の思いついたトリックだった。  宝石よりも骨董品《こつとうひん》よりも金のインゴットよりも、このほうが政治家の秘書の行為としてふさわしいではないか。献金を中間で抜き取ったという疑惑に備えて、いつでもその無実が証明できるノートを貸金庫に入れていたとすれば、ありそうなこととして関係者を納得させることができる。  ただ、この偽造献金ノートが寺西正毅に見せられる危険がないとはいえないが、もともと秘書が防衛策としてこっそりと作製したのであるから、節子からすすんで、この夫の「献金ノート」を寺西に提示することは絶対にないと考えていい。  熊崎式速記を知っていた外浦が、「献金ノート」を他人に読めないように速記記号で書くことは、きわめて自然に考えられよう。世には日記を速記記号で書いている人もあるくらいだから。  貸金庫に恋文と入れかえに格納する代替品としてはこれがもっとも適切で、われながらいい考えだと土井は思った。ふいと浮んだこの着想が、まるで天啓のように思われた。  寺西正毅に、いかなる企業・営利団体からどれだけの献金がなされているかはわからないが、およその見当はつく。自治省が発表した「政治資金」寄付リストがその標準となる。オモテの献金はヤミ献金の何分の一くらいだから、企業は同じだし、ウラの金額に算定がつく。  土井は下書きをつくった。そのうち、外浦秘書がうけとった金額は、およそこんなものだろうという推測のもとに、企業名と数字とをならべた。  むろん正確ではない。事実からはなれているかもしれない。しかし、貸金庫にあったこの「外浦のメモ」を、節子が外部に公表することも絶対にあり得ない。つまり、どんな企業名と献金額を書こうが、だれにもわからないのである。  それに、速記記号で書かれているので、普通の文字のように筆跡の判定がつかない。むしろ熊崎式速記ということから筆記者は外浦本人だと考えられよう。もっともそれは速記がわかる人だけだが。  要するに、これはいかにも政治家の秘書だった外浦が貸金庫に入れておきそうなものであり、しかもその偽作がなにびとにも見抜けないという完全な利点があった。  用紙はどうするか。メモだから大学ノートのようなものがいいだろう。いかにも手控えらしく少々乱暴に書きつけたほうがよい。  分量はどうするか。外浦は三年間寺西の秘書をしていた。だからノートには少くとも二年間以上のメモが記載されていなければならない。  それをつくるのはたいへんだが、献金は毎日あるわけではないから、日付を適当に按配《あんばい》すればよい。日記とは違うのだ。  それでも二年半の「献金メモ」をつくるのに土井は二時間かかった。だれもこれを見るわけはないのだが、一応もっともらしいメモにしておかなければと思った。  できあがって、隣の佐伯昌子を呼んだ。 「佐伯さん。すまないけど、街へ出て大学ノートを一冊買ってきてください。うすいのでけっこうです。あ、そうだ、なるべく売れ残った古いようなのをね。紙の色が褪《あ》せているのがあると、非常にいいんです」 「わかりました」  佐伯昌子が外から帰ってくるまで、土井は書きあげた下書きの内容に入念に眼を通し、ところどころを訂正した。  昌子が戻ってきた。 「これでいいんでしょうか。あまりはやってなさそうな文房具屋さんに行って探してきたんですが」  日が経っているその大学ノートは、表紙がよごれ、色がさめていた。  その日は三時をすぎたので、銀行は終っていた。土井は佐伯昌子が書き入れた速記記号の大学ノートを、自分のマンションに持ち帰った。そこは南麻布の高台にあった。建物は古び、部屋の設計も時代おくれだった。  土井は五年前に内妻と別れてここへ移った。独り身の住居としては、この旧式の3DKがちょうど似合いであった。  入籍してないその妻とは全共闘のころに識《し》り合った。彼女はある私大の学生だった。泰子というその女は瘠《や》せてはいたが筋肉質の体格で活動家であった。度の強い眼鏡をかけ、早口にしゃべった。独文科の学生で、ドイツ語がその能弁の中に入った。頬が高く、顎《あご》が尖《とが》っていた。しゃべっているうちに自分の言葉に昂奮《こうふん》するたちだった。土井は彼女のほうから求愛された。  同棲《どうせい》生活はそれでも三年間つづいた。泰子は学生闘争が終っても、まだその夢がさめやらぬ様子であった。かならずもう一度学生の闘争運動が戻ってくると信じていた。彼女は、いまではもう色褪せたファッションのような言葉「造反有理」の信奉者であった。  本はよく読むが、妻としての家庭的処理はさっぱりだった。ものぐさで、なにごとにも投げやりだった。台所にはよごれた器ものが溜り、押入れの中は洗濯をしない下着や沓下《くつした》が束になって投げこまれていた。それをクリーニング屋に十日に一度のわりでまとめて出した。台所も押入れの中もゴミ溜めのようだった。土井はその始末をし、買物に行き、食べるものをつくった。彼女は平然としていた。子供は生まない方針で産婦人科病院で二度掻爬《そうは》をうけ、遂には手術で出産の機能を閉じてもらった。  院内記者になって、僅《わず》かな給料でしのいだ。泰子もそのときはゼミの教師の口をさがしたが、英語ならともかくドイツ語では役に立たなかった。もちろん数学も国語も、人に教えるほど出来る女ではなかった。  彼女は土井が運動から脱落したのを激しく批判していたが、そのうち彼に翻意の見こみがないとわかると口を閉じ外へ出かけることが多くなった。行く先は、いわゆる「中国派」の会合だった。彼女の小遣い銭はどうやらその男友だちが出してやっているようだった。  土井が夜遅く仕事を終えて帰ってきても、泰子はそれより遅れて戻ってくるようになった。朝帰りもあった。彼女はべつに弁解もしなかった。彼女がつき合っている男は一人ではないようだった。そのうちに机の上に置き手紙して出て行った。手紙の文面には、変節漢である彼を痛烈に攻撃してあった。  土井が「代作業」をはじめる前であった。  土井は、机の上に佐伯昌子が速記記号で綴《つづ》った大学ノートをひろげた。 ≪×月××日午後×時、東洋製鉄本社へ行き、総務部長川添武一より15,000,000円≫ ≪×月×日午後×時、羽倉建設社長秘書室長大橋省造より20,000,000円≫ ≪×月××日午前××時、畿内電鉄東京支社へ行き、出京中の常務小滝政男より2,500,000円≫  土井の書いた草稿にしたがって、佐伯昌子はそれを唐草文様のような記号に直した。 (数字も速記文字ですか)  アラビア数字が見えないので土井は昌子に訊いた。 (そうです。近ごろの若い速記者はアラビア数字で書くのがふえているようですが、わたしはやっぱり数字も速記記号のほうがいいと思いまして。これが�五�です。これが�八�です。これが�十�で、その横棒を長く伸ばしたのが�百�、もっと長くしたのが�千�、あるいは�万�です。この記号のほうが馴《な》れているんです)  馴れているというよりも、他人が見て暗号になっているのが土井の意図に沿うのだというような云い方だった。察しのいい女だった。 (でも、熊崎式には馴れないので、苦労しました。あの�夏の夜の夢�の速記記号をできるだけ真似したんですが。けど、うまくゆきませんでしたわ。熊崎式には馴れていませんから、やっぱりぎごちないんです。熊崎式の速記者の方が見たら、真似して書いたことがすぐにわかると思いますわ)  佐伯昌子は自信のない顔だった。  その心配は無用だと土井は思った。外浦節子は貸金庫からとり出したこの「遺品」をだれにも見せはしない。だから見破られる気遣いはなかった。  土井はその大学ノートが売れ残りで、表紙はかなり陽にやけているけれど、中の紙がまだ白いのに気づいた。手垢《てあか》やヨゴレもついていなかった。  彼は、押入れを開け、隅にうすくたまったゴミや埃《ほこり》を掌《て》に塗り、それをノートの各ページに、指紋を残さないようになすりつけた。ヨゴレも適当に付けた。その工作が終ってみると、どうにか使い古したノートに見えてきた。  彼はそれをデパートの古い包み紙に包んで机の抽出しの中に入れて鍵《かぎ》をかけた。その準備ができてから睡《ねむ》った。  向島の銀行には十時半に着いた。窓口は混んでいたが、奥にいる次長がアタッシェ・ケースを提げた土井の姿を見て席を立ってきた。 「お早うございます」 「お早う」  次長はカウンターをまわって出てきた。彼の用事を察して、応接室に入れようとするのを、彼のほうから地下階段の入口へ歩いた。 「外浦さんの代理人を辞退したいと思いましてね。その手続きに来たんです」  いっしょに狭い階段を下りながら土井は次長に云った。 「わざわざ恐れ入ります」  理由は次長にわかっていた。むしろ土井のくるのを待っていたような様子であった。  貸金庫室の女子行員二人が揃《そろ》って頭をさげた。主任の席には客がいなかった。  次長が云うと、主任は帳簿をひろげ、登録カードと届出用紙とを机の上に出した。登録カードには使用者の外浦卓郎と代理人の土井信行の名、それに捺印《なついん》とがならんでいた。土井がこれを書いたとき外浦は横からのぞきこんでいたものだった。 「あのお元気な外浦さんがまさかお亡くなりになるとは思いませんでしたね。びっくりしました」  次長は電話では悔みを云ったが、会うのはその電話以来だった。 「残念なことをしました。……ええと、どう書いたらいいのでしょうか」  届出用紙を前にして土井はきいた。 「この欄にお名前を書いていただき、登録の印鑑を捺《お》していただくだけでけっこうです」  今般都合により小生は外浦卓郎殿の代理人を辞退いたすにつき、この段お届けいたします、の活字の横に、土井は署名捺印した。外浦との縁が風を鳴らして切れた思いだった。 「外浦さんの奥さんには、銀行からこのことを通知してください。ぼくのほうからは、とくにお知らせしませんから」  土井は次長に云った。 「わかりました」  家族にも秘密にしている例は少くないようであった。 「では、キーをお引渡しをする前に、金庫の中を確認します」  土井はアタッシェ・ケースを持ち、金庫室に女子行員と入った。保護箱といわれる抽出しを開けるために、銀行のキーと、彼の持っている�2674のキーとがそれぞれの鍵穴にさしこまれた。土井がこのキーを使うのもこれが最後であった。  土井は密室に入り、保護箱を机の上に置いた。机の横には、ボールペン、印肉、メモ用紙などがきちんと揃えられてあった。  鋼鉄製の保護箱の底に、あの「書類」が束ねられていた。  土井は束を解き、数をかぞえた。走り書きのメモを入れて十余通、数に間違いはなかった。  そのついでに、順序を追わず、手にふれたものからもう一度、中を読み返した。 ≪昨日やっとあなたからお手紙をもらったので、ようやく心がおちつきました。いつものことですが、あなたのお手紙を火に燃してしまうのは、まるでじぶんの魂が消滅してしまうようで、とても悲しくてなりません。でも、他人の眼にふれると一大事ですから、いたしかたがありませんけれど。  あなたも、わたしからの手紙を火中にされるときは同じ気持かしら?≫ ≪わたしは、このごろすこしノイローゼになっているのかもわかりません。あなたのお気持をはかりかねて、ヒスになったり、ノイローゼになったりして、どういうことでしょう?  あなたの責任にするつもりは毛頭ありません。すべてはわたしの愚かさから出ています。でも、それだけに、わたしを安心させてくださいね。そうすると、わたしの精神状態はなおります。≫ ≪主人の命令で、仕方なく選挙区へ行き、そこで三週間ほど過ごしました。味気ない、砂をかむような暮しでした。……あなたにお電話することもできず、ストレスがつのるばかりでした。いちど、思い切ってお宅にお電話して、せめてお声をと思いましたが、奥さまがお出になったので黙って切りました。はしたない女だとさげすまないでください。≫ ≪三週間ぶりに帰って、やっとあなたにお会いしたのに、あなたのお顔色が悪いのにびっくりしました。あなたも、東京に居ないわたしのために苦しんでいらっしゃると思って、お可哀そうと思う一方、泪が出るほどうれしかったのです。≫ ≪明日の午後一時に買いものに出ます。運ちゃんの眼がちょっと油断なりませんが、大丈夫です。二時に、Kにきてください。わたしがおくれても待っててね。おくれてもかならず二十分以内には行きますから。≫ ≪別れぎわにあなたのおっしゃったお言葉が、わたしをおびやかすのです。  でも、あれはあなたがわたしをためしてみられたのだと思い返しました。ね、きっと、そうなんでしょ? わたしは、どんなことがあってもお別れいたしませんから。≫ ≪もう、わたしはあなたとお別れすることはできません。死んでも……。それだけは知っておいてください。 文子≫  土井は、あとの手紙を抜き出した。 ≪このごろ、ちょっと要心をしないといけないような気がします。  といって、べつに変った様子がおこったのではないので、安心してください。かくれたことをしている身の、疑心暗鬼だと思います。≫ ≪今日のお電話ありがとう。  電話では長くお話しできないので、また手紙を書くことにしました。……ここまで書いたとき、主人の客が七、八人入来。これで中止。≫ ≪あなたは、いつもわたしの云うとおりに、だまって、すなおに、したがってらっしゃいます。それがわたしには、はがゆいというか、いらいらさせます。先日、あなたがウチにみえたとき、わたしが、ずっと、とげとげしい態度になったのをお気にされていたとおもいます。あれは、そのあらわれです。わたしはやはり女です。浅慮な女です。わたしのこんな性格に、あなたの愛情はさめませんか。卑劣な女だとか。だったら、どうぞ、そのとおりにおっしゃってください。≫ ≪銀座に出て、S屋に寄りましたところ、mila sch嗜のマフラーが眼につきましたので、少し季節はずれですが、奥さま宛《あて》に送らせていただきました。色はちょうどいいとおもいますが。お気に召せばうれしいんですけれど。≫ ≪昨日、主人に朝食のお給仕をしていると、外浦君の顔色が悪いがどうしたんだろうね、とつぶやいたので、わたしはぎょっとしました。そして、この前も、医者にみせたらどうかと彼に云ったところ、ええ、とか、はい、とか云うだけで、病院に行った様子がみえない、おまえからも外浦君にすすめてみたらどうか、と主人はわたしの顔をみて云いました。  主人が、あなたとわたしとの間をさぐっているような気がして、ぎょっとなりました。その表情を知られないようにごまかしましたが、主人があなたをほんとうに心配しているとわかって申しわけなくなりました。≫ ≪どうか、わたしのためにも勇をふるって病院へ行ってください。≫ ≪あなたのこのごろのご様子がわたしには不安です。まさか、わたしからおはなれになるのではないでしょうね? わたしははなれませんよ。≫  ——ほんの四、五通をと思って手にとったのだが、けっきょく土井はこれだけ読んでしまった。  外浦が癌《がん》におかされていたとわかったいま、これを読み返してみると、新しい見方になった。寺西夫人の文面を通じて当時の外浦に自覚症状があったことが知られるのである。  しかし、なんど眼にしてもおそろしい恋文であった。身震いする手紙であった。  土井は、アタッシェ・ケースから速記の「献金ノート」をとり出し、鋼鉄製の保護箱の中に入れ、蓋《ふた》を閉めた。 「恐ろしき恋文」は入れかわりにアタッシェ・ケースに収めた。  個室を出て女子行員を呼んだ。 「終りました」 「はい」  保護箱は開く時は、銀行側と客のキーが必要だが、閉じる時は客がキーをぬくと自動的にロックされる。 「どうもお世話さま」  立会いの女子行員に云ったのは、これが最後という意味だった。  金庫室を出ると、わきの机で次長が待っていた。  土井は�2674鍵を次長に渡した。 「たしかに」  次長はキーを恭々《うやうや》しく受けとった。これでみずから代理人「解任」の手続きがいっさい終了した。 「外浦夫人には銀行から通知していただけますね?」  土井は念を押した。 「はい。わたしどものほうから外浦さまの奥さまに、このことをお知らせ申しあげます」 「では、ぼくはこれで失礼します」 「長いあいだご苦労さまでした。ありがとうございました」  外浦の代理人をつとめた土井へのねぎらいであった。  銀行の前でタクシーを待った。空車を二、三台やり過したのは、運転手の人相がよくないからだった。個人タクシーがきた。初老の、やさしそうな運転手だった。  座席にすわって、アタッシェ・ケースを膝《ひざ》の上に乗せ、両手で抱えこむようにした。莫大な現金か宝石類を持っている心地であった。  ——これをどこにしまっておこうか。  個人金庫という保護から出た貴重品は、いまや裸であった。  だれにも気づかれない匿《かく》し場所、厳重な保管場所を考えなければならなかった。  だが、マンションの部屋にもホテルの事務所にもその場所はなかった。マンションは一日じゅう留守にしているし、事務所は夕方になると帰る。どちらも交互に不在であった。  やはり銀行の個人金庫に預けるしかないと思った。あそこがいちばん安全だ。むろん銀行を変えなければならない。支店の方角も向島とは離れた土地を択《えら》ぶべきであった。  タクシーの窓から或る相互銀行が眼についた。シャッターがおりていた。  今日は土曜日だった、とはじめて気がついた。  明後日の月曜日を待たねばならない。それまで、この貴重品を自分が持っておくことになる。——  アダムズ・ホテルに戻った。  タクシーを降りた土井を、赤い服に金モールの肩飾りをつけた顔馴染のドアマンが笑顔で迎えた。 「お忙しそうですね」  土井のさげているアタッシェ・ケースに眼をとめて云った。  ロビーを横切った。立話をしている人、クッションに腰かけている人、すれ違う人たちが、こっちのケースに一瞥《いちべつ》を走らせるような気が土井にはした。エレベーターを利用したが、黒い四角な函《はこ》をうしろ手に持って人の眼から隠すようにした。  事務所の部屋に戻った。 「お帰んなさい」  佐伯昌子がアタッシェ・ケースを受け取ろうとするのを、 「いや、これはいいんです」  と、自分の机の上に据えた。 「電話はありませんでしたか」 「はい」  昌子はメモを持ってきた。几帳面《きちようめん》な字だった。速記者は速記を復元するとき、楷書に近い文字を書く。  電話は三件あった。二件は、議員著書と党機関雑誌に載せる小論文の督促で、いずれもその秘書からだった。あとの一件には、 ≪午前十一時、西田八郎様から電話。午後にもう一度電話される由。≫  とあった。  あの院内紙記者がどういう用事で電話してきたのだろうと思ったが、関心はなかった。 「山田先生の論文は月曜日に復元が出来あがります。機関誌の締切が迫っているそうですから、こっちのほうを先にやっています。平井先生の著書のほうは、来週いっぱいかかります」  昌子が仕事の進行状態を報告した。  もう馴れたもので、土井の指示がなくても、仕事の手順などは臨機応変に手ぎわよくやってくれる。  が、いまの土井には仕事のことが念頭からうすれていた。月曜日にはどこの銀行の貸金庫を借りようかと考えている。  アタッシェ・ケースが机上のガラス板に美しく投影していた。まるで陳列棚の商品見本のように貴重にみえた。貴重品はこの中にある。  佐伯昌子はじぶんの机に戻った。原稿紙をめくる音がしていた。  土井は都内の区分地図帖をひろげた。  向島と逆の方向は品川区、目黒区、杉並区、世田谷区、港区などである。それらの区を繰って見た。そのどれにも銀行支店名がおびただしく載っていた。ほとんどが貸金庫を持っているにちがいない。借りるのに苦労はなさそうに思えた。  窮  土井信行は、月曜日になるのが待ち遠しかった。 「貴重品(恋文)」は、むろん事務所には置けない。いくら事務机の抽出《ひきだ》しにカギをかけて入れておいても、時間になって事務所を閉鎖したあとは誰も居ない。人の出入りが多いホテルの中だけに不安であった。ほかの部屋にも盗難がたびたび起っている。  マンションに持ち帰ったが、せまい部屋では「貴重品」の隠し場所がなかった。机の中とか洋服ダンスの抽出しの底とかはいちばん危険であった。自分が居るあいだはいいが、外出したときが危険であった。  空巣は現金とかカネになるような品物は持って行くが、こんな手紙類など見むきもしないと思われる。そうは考えても、万一ということがある。泥棒が何もかもいっしょに盗んで行って、書類などは路上に捨ててしまうという話はよく聞く。「貴重品」がそういう目に遇《あ》って、人に読まれたら一大事である。  あの文面から「文子」という書き手の生活環境が推定されるのだ。「主人」のもとにくるのが「政治家の客」であるらしいことや選挙の話などが出ている。「倉橋さん」「中江さん」「白井さん」「下村さん」などという秘書たちの名前も出ている。「閣僚名簿が二十も三十も」という文句もある。大物政治家の夫人に「文子」がいるかどうか、ちょっと調べただけで寺西正毅の奥さんとわかる。 「万一の場合」を考えると、不安が際限なく起った。  土井はとりあえず、手紙の束を、よそからもらった菓子の空き函の中に入れた。ブリキ製で、堅牢である。ブリキに模様と商品名を印刷したありふれたもので、コーヒー豆をしまっておくのに利用していた。相当に古くなっている。これだと平凡すぎて、泥棒の眼に気づかれないだろう。  それにしてもホテルの事務所に出ているあいだの長い留守が心配であった。やはり眼の届くところに置いていないと気がかりだ。そうでないと、仕事に専念できないと思われる。  やはり銀行の貸金庫しかない。あんな安全なところは、ほかにはないのだ。あそこへ預けてしまえば、なんの不安もなく、仕事にうちこめる。  土井は、月曜日の午前九時を過ぎるのを待って、部屋の電話でA銀行の渋谷支店に電話した。候補とする銀行支店は、昨日の休みに電話帳を繰って心あたりをつけておいた。貸金庫は大きな銀行支店しかない。  交換台がその係につないだ。 「おたくの個人金庫を借りたいと思う者ですが……」  土井は名前を云わなかった。 「どちらさまでしょうか」  銀行の個人金庫係は、その電話で訊《たず》ねた。 「土井という者ですが」 「土井さま? あの、わたしどもの銀行とお取引をねがっておりますでしょうか」 「いえ。それはまだありません」 「なにか会社とか商店とかをご経営なさっていらっしゃいますか」 「いや、それはやっていません。まったくの個人です」 「少々お待ちください」  三十秒ぐらい間をおいて、 「申しわけありません。いま調べましたところ、あいにくと個人金庫は全部ふさがっております」  と、ていねいだが、冷たく答えて切られた。  日ごろから取引がないので、満パイを理由に断られたのはあきらかだった。それも、会社や商店の経営だと今後の預金などの取引が銀行に期待できるが、電話一本で問い合せてくる素姓の知れない個人では相手にしないのだとわかった。  土井は、地方銀行の東京支店に預金口座を持っている。が、そこには貸金庫の設備がなかった。  その地銀からの紹介で、他の銀行の貸金庫を借りる方法もないではなかったが、土井はなるべくその方法をとりたくなかった。彼の取引している地銀支店はもちろん彼がアダムズ・ホテルで事務所を持って、どのような仕事をしているかを知っている。そこの紹介で他行に貸金庫を新しく借りたとなると、万が一にもそれが寺西派に知られた場合、「貸金庫を新しく借りた事実」が材料となって疑われそうな気がした。 「万一」が土井をおびやかす。持っている「恋文」の重大さが、彼の意識にのしかかっているからである。これが世間に暴露された場合、寺西正毅の地位からして、たんなるスキャンダルに終らず、政界に大きな波紋を投げるだろう。  土井はB銀行大井町支店に電話した。  個人金庫係が出た。これまでに取引がないことを聞いた先方は、 「そういうことでしたら、こちらの銀行へお越しねがえませんでしょうか」  と、A銀行よりは誠意がありそうだった。 「貸金庫は空いていますか」 「空いたのがございます。お越しねがって、ご相談を承りたいと存じます」  銀行側はこちらの身もとの確認をしたいようだった。 「それとも」  係はつづけた。 「てまえのほうから、ご指定の場所へ行員をさしむけましょうか。ご住所はどちらでございましょうか」  午後二時にOホテルのロビーで、というのが電話で土井がB銀行大井町支店に指定した時刻と場所だった。アダムズ・ホテルを避けたのは、話が決まるまで、こちらの身もとを銀行員に知らせたくなかったからである。Oホテルとアダムズとは遠くなかった。  三十五、六の行員がOホテルのロビーに待っていた。先方は「支店長代理、栗本典夫」の名刺を出したが、土井は名前だけを云い、名刺は出さなかった。 「お電話をありがとうございました」  顧客先回りの支店長代理は、土井の顔を上眼づかいに見ながら挨拶した。 「個人金庫をお借りしたいのですが……」  土井は云った。 「電話でも云いましたが、これまでおたくとは取引がないのです」  それでもいいですか、という意味をつけ加えた。 「はい」  栗本支店長代理は半分うなずくかっこうだった。 「料金はいくらですか」 「一年間の賃貸料が七千五百円になっております」 「それは申しこめばすぐにでも貸していただけるのですか。それとも何か条件があるのですか」  栗本のモノ云いたそうな様子をみて土井のほうからきいた。 「はい。条件というのでは決してありませんが、ご相談として定期預金をおねがいできたらと思っております」 「定期を? それはいくらぐらいからですか」 「いくらでもけっこうでございます。五十万円でも百万円でも……」  云いにくそうな口ぶりだが、馴れたビジネス的な云いかたであった。  支店長代理が貸金庫ぐらいのことで飛んでくるはずだと土井は思った。やはり定期預金が「条件」になっているのだ。 「どうも銀行支店としては本店からの預金獲得が至上命令でございまして。みなさまにご協力ねがっているしだいでございます」  栗本は両の手先をこすり合せるようにして云った。 「わかりますね」 「おそれいります」  銀行員の頭はポマードで光っていた。  土井は五十万円程度の定期預金なら契約してもいいと思った。が、この栗本典夫という支店長代理が、さっきからこっちの顔をじろじろと見ているのが気にそまなかった。 「貸金庫に定期預金を前提条件のようになさるのは、預金獲得のほかに、何か意味があるのでしょうか」  つい、そんなことをきいてみたくなった。  支店長代理は煙草を遠慮そうに喫った。 「個人金庫の賃貸は、もちろんそれじたい銀行業務でございまして、定期預金のことはあくまでも銀行側のお願いでございます。ただ、そうしていただければ、わたしどもも安心なのでございます」 「安心といいますと、どういうことですか」  土井は、自分も煙草を出してたずねた。 「はあ。これはどこまでも一般的なことですが、銀行の個人金庫を利用される方の中には、そのなんと申しますか、ときには悪用される方がないでもないのでございます」 「悪用、といいますと?」  土井はちょっと、どきりとした。 「これはよその銀行にあった過去の例でございますが、個人金庫が脱税の匿し場所になっておりました。国税局の強制査察を受けて明るみに出ました」 「……」 「もっと悪い例も予想されないではありません。個人金庫には重要書類、証券、帳簿などのほかに宝石などの貴金属、金のインゴットなどもお客さまがお入れになっております。そのなかには不正入手の品がないともかぎりません。銀行としてはお客さまをご信頼して個人金庫を提供申しあげているのですが、それだけにそういう最悪の場合にも十分気をつけております。たとえば、警視庁などから犯罪の疑いがあるとして、捜査令状を持ってこられますと、ご本人の立会いがなくとも、銀行は個人金庫を開けないわけにはまいりません。そうなると銀行は信用上まことに困ることになります」 「……そういう実例もあったのですか」 「全国に数多い銀行ですし、個人金庫の制度ができてからも長うございますから、実例がないでもございません。ですから銀行としては個人金庫の利用者の身もとは十分に確認したいのでございます。従来お取引しているお顧客《とくい》さまは間違いないということになります。したがいまして、個人金庫の賃貸借を契約していただく新規のお客さまには定期預金のお願いをしているしだいでございます」 「つまり貸金庫の新規の利用者には、身もと確認だけでは不十分というわけですね?」 「定期預金のほうは、どこまでもお願いでございます」  定期預金を貸金庫にセットする理由についての支店長代理の理屈は少々奇妙だったが、銀行側の警戒はわからないでもなかった。  土井の心に逡巡《しゆんじゆん》が起った。 「考えておきましょう」  思案してから云った。 「さようでございますか」  支店長代理は、また土井の顔を下から見た。  土井はOホテルを出て、アダムズ・ホテルに戻るタクシーの中で考えた。  B銀行の支店長代理の言葉は、すべての銀行の意向を代表しているように思われた。このぶんだと他の銀行へ貸金庫の設定を申しこんでも同じに考えられる。手には、その「重要書類」の入ったアタッシェ・ケースをしっかりと握って、膝にひきつけていた。タクシーの中に大金を忘れる人が新聞に出ているけれど、いま持っているのは大金以上に重要であった。  ——結局、どこか銀行の貸金庫に預けねばなるまい。  それ以外に方法はなさそうである。  マンションの部屋にも、ホテルの事務所にも、適当な隠し場所がなかった。留守している間が心配だ。気にかかって、おちおち仕事ができない。  といって、アタッシェ・ケースをいちいち持ってまわることもできない。あまりの緊張に、かえって置き忘れるということもあるのだ。失策しまい、失策しまいと緊張するあまりに心の余裕を失い、こちこちになって失策するのと同じである。そういう心理状態に陥りそうであった。  アダムズ・ホテルに着いて、ロビーの前の通路をエレベーターのほうへ歩いていると、横から声をかけられた。 「やあ、土井さん」  待合せ場所の椅子から離れてきた西田八郎であった。土井はイヤな気がした。が、それを露骨に顔に出すわけにもゆかず、無理に微笑して立ちどまった。 「さっき、お部屋に電話したところ、まだお見えにならないけれど、まもなくご出勤になるでしょうと秘書の方が云われましたので、ここでお待ちしていました」  背の低い院内紙記者は顔をくしゃくしゃにして、声のない笑いをした。いままで読んでいたらしいうすい雑誌をまるめて、くたびれた洋服のポケットに突込んだが、ちらりと見えた表紙は最近号の詩の同人雑誌「季節風」であった。 「一昨日、お電話をいただいたそうですが」  土井が留守をしていてすみませんでした、と云うと、 「だいぶんお忙しそうですな」  と彼は土井のさげているアタッシェ・ケースに眼を遣った。土井は思わずそれを手を持ち変えて、反対側へ隠すようにした。 「じつはですな、丸山耕一議員の秘書だった有川昌造のことですよ。あんたには直接関係ないけれど、成田空港で有川君のことをぼくが話したいきさつがあるので、ちょっとお耳に入れようと思いましてな」  土井は「丸山耕一議員の秘書だった有川昌造」という言葉を聞きとがめた。 「秘書だった、とおっしゃると、有川さんは丸山先生の秘書をやめられたのですか」 「そう」  院内紙記者は、平べったい顎《あご》を大きく引いた。 「……彼は秘書をクビになったのです。一週間前にね」 「クビ?」  問い返すと、西田はあたりを見まわした。 「ここで立話もできないから、あそこへ行って、ちょっと坐りましょう。まわりに人もあまり居ないようだから」  西田は先に立って奥の隅へ行った。そこは庭園の見える窓ぎわから離れていて、景色がよくないせいか、テーブルには人がまばらであった。  椅子にすわると、西田は両手をテーブルの上に出して指を組み合せて、にやにやした。いかにも最近の極秘情報を教えるといったいきいきとした顔だった。彼にはそれが一つの生き甲斐《がい》のように見えた。  土井は、膝の上にアタッシェ・ケースを乗せて抱え、テーブルのかげにかくすようにした。 「有川昌造が丸山議員の秘書をクビになった原因はだな、ほんの一部の者しか知っていないのです。政憲党の幹部は、ひたかくしにかくしているからね」  西田はあたりの耳を警戒するようにまわりに眼を配ってから、小さな声で云った。テーブルにかがみこんでいる西田の背は、いよいよ低く見えた。 「だから、あんたもそのつもりで聞いてほしい」 「はあ。口外はしません」 「どうせそのうちにはぼつぼつわかってくるだろうが、いまのうちは黙っていてほしいな。政憲党番の新聞記者も知っていないくらいだから」 「重大な情報」を明かす西田八郎の前置きは長かった。  じつのところ、いまの土井には有川昌造が秘書をクビになった話などはどうでもよかった。それよりも銀行の貸金庫のことで頭がいっぱいであった。早く決めたほうがよい。決めるとすれば、わざわざ支店長代理が来てくれたB銀行大井町支店がよかろう。あの支店長代理の眼つきは、少々気に入らないけれど。  なるべく早く安全な貸金庫に格納しなければならない。そうして気持の負担を軽くすることだった。でないと、神経がすり減る。—— 「あんたは成田空港で、有川昌造が連れていた女を見たでしょう? 香港から二人で帰ったところを……」  西田の低い声が戻った。 「はあ、ちらりと見ました。ぼくが空港から箱崎行のバスを待っているときに、有川氏とその女性はタクシーに乗ろうとしていました」  土井はそのときの情景を思い出して云った。 「そうだ、そうだ。あの両人だよ」  西田はテーブルの端を小さく叩くようにして云った。 「西田さんは、あの二人が香港から帰るのを見張っておられるようでしたね?」 「見張っていたのは、それなりに理由があったんですよ。証拠をつかみたくてね」 「……」 「もっとも、あの両人が出来ていることは、香港帰りを押えなくてもわかっているがね。芝のホテルの別館の部屋で三カ月もいっしょに暮していたからね。一泊四万円はしただろうね」  ——これは土井の知らないことだが、西田がそのホテルの前を見張っているときに、川村正明議員の秘書鍋屋健三と偶然に出遇った出来事をさしている。川村のマンションのまん前で車に刎ねられて死んだ旅館香花荘の女主人岩田良江の下着やネグリジェなどを処分するのに、鍋屋が夜の芝公園をうろうろしていたときであった。 「土井君。あんたは丸山耕一議員の著作だか演説の原稿を秘書の有川昌造から頼まれたことはなかったですか」 「いいえ。それはありません。議員秘書同盟の委員長をなさっているとは聞いていましたが。しかし、有川秘書はそんなに収入があるのですか?」  土井にも有川の金の出所が理解できなかった。 「女のほうですよ。その費用を出しているのは」 「じゃ、その女性がお金持ちですか」 「カネなんかない。オールドミスの勤め人さ」  土井は、成田空港で遠くからちらりと見た男女の姿を思い浮べた。 「カネのない二人にどうしてそんなことができるんですか」 「タネを明かせば摩訶《まか》不思議でもなんでもない。あの女性はね、政憲党の経理局の事務員だ。いわば経理局長の助手さ」 「経理局長の助手?」 「請求書などを点検する助手でね。その請求書というのは、ほうぼうの料理屋とかホテルの会合とかで飲み食いした代金だ。つまり党の費用だ。あの女はそういう党費の請求書類をチェックする係だった」  院内紙の記者はつづけて云った。 「料亭やホテルでの会合費用はだな、ほとんどが議員と懇談という名目で招待した企業側が負担する。しかし、議員たちが党の用件で料亭やホテルで会合するのも多い。むろんそれは党が支払う。その種の請求書類を深町安子がチェックする。そうそう、深町安子というのが経理局の女事務員の名前でね。政憲党経理局にはもう二十年も勤めている経理のベテランだ。年齢四十二歳ぐらい。不美人だ。だからいまだに独身です」 「それが有川秘書と仲よくなったのですか」 「大阪弁は言葉がやさしいからね。それに有川も胸に一物あるから深町安子にうまいこと云って近づき、親切ごかしに、自分のものにしおった」 「胸に一物とは何ですか」 「有川君は党の機密を深町安子から聞き出そうとしたのです。経理局は党運営の中枢の一つだからね。なんといっても党の財政を握るものは強い。あらゆる党の情報や各派閥の動きを、カネの面で掌握している」 「……」 「深町安子も四十をこした独身女。ブスだから今までだれも男が相手にしてくれなかった。有川君が初めての男にちがいない。女のほうがのぼせあがった。もう馬車ウマのように彼にとりついた。まわりも何も見えなくなった。……」  土井は、いま膝《ひざ》の上に抱えこんでいるアタッシェ・ケースにひそめた「恋文」の束を想った。 「そこでだな、経理局の女事務員深町安子は党費を使いこんだのです」 「党費を?」 「現金よりも伝票の操作だな。彼女がおもにやったことはね」 「それは、どういうことですか」 「深町安子は一流ホテルに有川と滞在した。恋人とそんなことをするのは女の夢だよ。それから恋人と一流ホテルで食事をすることもね。それらの請求書が党の経理局にまわってくる。それをチェックするのが彼女の係だ。だからどんなことでもできる。自分たちの飲み食いした請求書を党員の架空の会合や招待費ということにしてね。ベテランの彼女が巧妙な手口で仕分けしたのだから、彼女を信頼している局長は、ろくに内容も検討せずにほとんど自動的に判コを捺していた」 「よくそんな大胆なことができたものですね?」 「はじめのうちは、すこしずつ、そんなごまかしをしていたらしい。そのうち、上のほうにはわからないとなると、だんだん大胆になって高級ホテルに恋人と泊る、伝票を操作してカネを浮かし、恋人といっしょに香港に遊びに行くほどにもなったんだな」  西田八郎は面白そうに云った。 「いちばんいい気持になったのは有川昌造でね。深町安子の年齢と不器量などを我慢すれば男|冥利《みようり》に尽きるというものです。悪女の深情にのうのうとしていた。彼女から党の内情はある程度聞き出せたしね。こんな極楽はない」  西田八郎は顔をくしゃくしゃにして笑った。 「……」  土井はその顔を呆《あき》れて見ていた。 「そのうち、有川は党の機密をつかんで、それをタネに利益を得ようと考えたはずだ。それはカネかもしれない。いいポストの要求かもしれない。いつまでも議員秘書ではウダツが上がらないからね。または丸山耕一議員と衝突したときの取引の材料にしたかったのかもしれない。議員秘書同盟が無力なことは、委員長の彼自身がいちばんよく知っていたからね」 「それが途中で挫折したんですか」 「深町安子からね。いくら巧妙な手口でも、大胆すぎることをやっていると気づかれますよ。経理局長が彼女の請求書や伝票の処理に不審を起し、内密に調査した結果、それがわかった。経理局長のショックは大きかったにちがいない。蒼《あお》くなって党幹事長に報告した」  聞きながら土井は、いつぞやアダムズ・ホテルの正面玄関で出遇った幹事長と伴《つ》れの赤ら顔の男とを思い出した。  あれは、向島の銀行へ外浦卓郎の貸金庫を見に行ったものかどうかと迷い、日枝《ひえ》神社まででかけるときであった。  玄関に衆議院事務局の車が到着し、中から白髪で、怒り肩の幹事長と、赤ら顔の小肥りの五十男とが現れた。先に降りた五十男は、背をかがめて車から出る幹事長を迎えていた。土井も顔を知っている経理局長であった。  アダムズ・ホテルに居るだれかに会いに来たか、むつかしい相談ごとをしにここへ来たといった感じで、両人とも深刻な表情をしていた。  いまにして思いあたる。あれは経理局の女事務員の「不正」が分って、人目の多い党本部をさけ、アダムズ・ホテルの一室を借りてその善後策を練りにきたときであろう。—— 「そこでだ、深町安子は依願退職という形式でやめさせた。ことを荒立てなかったのは、周囲や外部への波紋を慮《おもんぱか》ったからだ」 「で、経理局長は責任をとらされたのですか」  土井は膝の上のアタッシェ・ケースを抱え直してきいた。 「とんでもない。幹事長が局長をそんな処分にしたら局長が憤《おこ》る。経理局長を憤らせたら幹事長はたいへんだ。局長が何をぶちまけるかわからない。経理局長はヤミの政治献金の入りや、その出についてはことごとく知っているからね。局長に居直られたら一大事、よって局長にはなんのお咎《とが》めもなしさ。……」 「そこで有川秘書のほうは、どうなりましたか」  土井はつづきをきいた。 「幹事長から丸山耕一議員に云って、有川秘書を即座にやめさせたのさ」  西田は云った。 「有川さんは居直らなかったのですか」 「残念ながら、有川はそれができるほど党の機密を握っていなかった。経理局の女事務員が知っている程度のことは、たいしたことじゃなかったからだ」 「で、有川さんは、いま、どうしていますか」 「さあ、どうしているかな。そんな事情でやめたのだから、政憲党も相手にしてくれないしね。鍋屋君のように新人議員の秘書要員として、党の溜《たま》り場にとぐろを巻いているわけにもゆかないしね」  さすがに院内紙記者は鍋屋健三の消息にも通じていた。土井は鍋屋本人から彼の身の振り方を直接聞いたばかりであった。 「議員秘書同盟の委員長がなんとも締まらない結果になったものだね。これじゃ団結して自己の秘書失業救済を訴えるどころじゃないやね。もちろん女とも別れたという話だ。あの男も功をあせって女につまずいた」  土井は話を聞きながら、ある疑念が起った。西田八郎は有川昌造と深町安子の行動を執拗《しつよう》に追跡していた。この両人のことを「情報」として政憲党の経理局長に売り込んだのは、西田自身ではなかったろうか、という疑いである。  西田八郎は貧乏だ。カネになることはなんでもしたいにちがいない。経理局長が党本部から出てくるところを待ちうけ、素早くすり寄って低い背を伸ばし、局長の耳にささやいている西田の姿が想像できた。  いつもの「針小棒大」な「情報」と違い、深町安子と有川昌造のことは、経理局長なり幹事長にとって西田の言葉どおりに重大であった。そのためにこそ西田はあの二人のあとを専心つけまわしたのだろう。そうだとすれば、彼は相当な報酬をもらったにちがいない。 「まあ、そうはいってもね、有川君はこの永田町にまた舞い戻ってきますよ。永田町の泥水を呑んだ者は、その味が忘れられないからね。それに有川君も四十だ。どこへ行っても使いものにならんよ。議員秘書というのは永田町を出たら干《ひ》もの同然だ。だから彼は永田町に戻ってくるよ。関西弁はトクだね。憎めないからな。厚かましいことを云っても、そうは聞えん。有川のような心臓の強い男は、そのうちだれかの秘書にすべりこむと思うよ」  それが西田の自らを免罪にする言葉のように思えた。 「あ、そうそう」  西田は忘れていたというように、ポケットからまるめた雑誌を抜き出した。 「これ、今度出た『季節風』ですが」  西田八郎が渡した季刊の詩の同人雑誌は、彼のポケットに突込まれていたために、土井が手にとったときは、その薄い冊子は経巻のように捲《ま》きこまれ、皺《しわ》だらけになっていた。 「成田空港で、三カ月前に出たのをあんたに読んでもらったからね。ほら、こんどのぼくの詩はここに出ている」  西田は同人雑誌を逆に巻きもどして平らにしたが、両端はまだ弓なりに反《そ》りかえっていた。が、ぼくの詩はここに出ている、と彼はきたない指先で示した。動作はいきいきとし、口ぶりはうれしさに溢《あふ》れていた。 「こんどの題名は、ほら、ここにあるとおり�幸福なる翻弄《ほんろう》�というんです。まああんまり自信はないけどね。成田空港で前の詩をあんたが読んでくれたから、こんども読んでもらいたいのです。永田町の連中に見せても、わかる奴は居ないからな。そこへゆくと、あんたはさすがに詩や文学がわかる人です」  西田は息をはずませ、土井をすっかりじぶんの理解者に扱った。  永田町の連中に詩のわかる奴がいないと西田は云うが、先方が西田をバカにして彼を相手にしないのである。彼にもそれはわかっている。こうして土井を頼りにするのは、土井がともかく相手になっているからであった。  だが、土井はいま西田に彼の詩が出ている「季節風」のページを突きつけられて、その活字の粗い組みでも、すぐに眼をとおす気にはなれなかった。西田が有川昌造と深町安子とを売ったとわかった直後のことで、さすがに彼が忌わしくなっていた。 「あとで、ゆっくり拝見します」  土井はうすっぺらな同人雑誌をうけとって云った。 「そうかね」  西田はその場で土井に読んでもらいたそうだったが、さすがにそこまでは強制しかねて、 「あんたも忙しいからね。じゃ、この次に遇ったときはぜひ読後感を聞かせてくださいよ」  と頼んだ。  そこには天真|爛漫《らんまん》な無名の「詩人」があるだけだった。全身に詩作のよろこびがあふれていた。 「ダニ」のように見られている、一匹|狼《おおかみ》の院内紙記者の姿は影をひそめていた。一人の人物の中に極端に相反する矛盾が同居し、それがかわるがわる顕《あら》われているように思えた。ある意味で汚辱の世界に生活する西田にとって、「詩」が精神的な支えであり、逃避場所だとは思っても、やはり奇怪な感じは拭《ぬぐ》えなかった。  西田と別れた土井はアタッシェ・ケースを大事に抱え、片手に「季節風」をぞんざいにまるめて持ち、エレベーターに乗った。  午後三時すぎの、土井の遅い出勤を佐伯昌子が迎えた。速記の復元をしていたのを中断して次の部屋から出てきた。 「小包が届いております」  手に細長い包みを持っていた。  土井はアタッシェ・ケースを机の上に置き、西田からもらった「季節風」をそこいらに投げ出して、小包の裏を見た。 「外浦節子」の名と住所とが墨字で書いてあった。  包み紙をとると、隅にデパートの名を印刷した箱があらわれた。開くと、グレーのマフラーが折りたたんで入っていた。小包には入れてはいけない白い封筒がそっと添えてあった。 ≪先日はお忙しいところをお眼にかからせていただき、ありがとうございました。このマフラーは外浦が洋服ダンスの抽出しにしまっていたものでございます。まだ、一度も使っておりません。お世話になりました外浦を偲《しの》んでいただければ、わたくしとしてもこれにまさるよろこびはございません。長いあいだ、ほんとうにありがとう存じました。あつく御礼申上げます。  なお、昨日、外浦の五七忌を内輪だけで営みました。                    外浦 節子  土井信行様≫  いわゆる「かたみわけ」であった。柔かい、絹のマフラーだった。  土井は、はっとしてマフラーを箱からとり出し、その裏をめくった。直感どおり、隅に�mila schon>�の縫取りがあった。  寺西文子が外浦へ贈ったものだ。 ≪銀座に出て、S屋に寄りましたところ、mila schon のマフラーが眼につきましたので、少し季節はずれですが、奥さま宛《あて》に送らせていただきました。色はちょうどいいとおもいますが。お気に召せばうれしいんですけれど。≫  ——寺西文子の「手紙」は、このアタッシェ・ケースの底におさめてある。  文子が外浦とのあいだを気づかれないために、わざと節子あてに送ったものだ。外浦が洋服ダンスの抽出しにしまい込んでいたのは、妻に、さすがに気がさしてのことであろう。そのことを節子は最後まで知らなかった。  いままで土井には、「手紙」の上でしか知らなかった文子が、外浦節子から郵送されたこの現物によって身近に現れた感じであった。  土井は恟然《きようぜん》とマフラーを見つめた。「恋文」がこの現物に化けたようであった。 「あら、すてきな色ですこと!」  佐伯昌子が横からマフラーをのぞいて、小さく叫んだ。  神経加圧  土井はマフラーを箱に戻した。外浦節子の手紙はポケットにおさめ、箱は机の横の抽出しのいちばん下に入れた。  アタッシェ・ケースは眼のとどく机の上にそのままだった。  机には三紙の朝刊が佐伯昌子によって揃《そろ》えられてあった。土井が読んだあと彼女が綴込《とじこ》みをしてくれる。 「これはどこに置きましょうか」  ぞんざいに放り出した同人雑誌を見て昌子がきいた。 「そのへんに置いといてください」 「詩の同人誌、季節風……」  昌子は表紙に眼を落して、文字を呟《つぶや》いた。 「もらったものです。なんだったら向うへ持って行って読んでいいですよ」 「そうですか。じゃ、時間があったときに拝見します」  佐伯昌子は手にとって行きかけた。 「あ、ちょっと。佐伯さん。あなたは詩が好きですか」 「わかりませんけど、わりと好きなほうなんです」 「そこに�幸福なる翻弄�という詩が載っていますが、読んだら感想を聞かせてください。その西田八郎というのは、ぼくの知った人です」 「あ、一昨日お電話をいただいた西田さん?」 「そうです。変った人でね、院内紙記者をしながらそういう同人誌を自腹を切って出してるんです」  金がないので、季刊誌でもそのページ数はうすかった。 「感想なんかとても申し上げられませんけど、とにかく拝見させていただきます」  佐伯昌子が隣室へ去ったあと、土井は新聞を開き、漫然と活字に眼を置いた。やはり政治面が先になった。  だが、活字は見ているだけで、意識は「手紙」と、机の抽出しに入れたマフラーに縛《しば》られていた。相互が、まるで血脈のつながったように有機的に感じられた。——うつろな活字だったが、その中の人名が土井の視覚にうったえた。 ≪寺西正毅氏は十二日、軽井沢で奥平福一、木原光造、茂木泰二郎、三原伝六氏らとゴルフをした。「総裁禅譲」の時期が近づくにつれ、寺西氏の身辺あわただしいなかで、家の子郎党とゴルフに興じる寺西氏には愉快な一日になった。≫  十月二十日付の、ゴシップふうな記事であった。十一月の党大会で政憲党総裁に指名され、首相となる予定の寺西正毅は目下体調つくりに専念しているらしかった。そうして彼とゴルフをたのしんだというこれらの人々は寺西派の幹部であり、たぶん次期の入閣者か党三役になるにちがいなかった。  が、土井の眼を撃ったのは「三原伝六」の名であった。  寺西派の衆院議員三原伝六は「警察官僚OBのボス」だった。ジャーナリズムはそういう表現をもちいている。現在も警察官僚全体に政治的影響力を持つというのが定評だった。  いま、新聞で彼の名を眼にした土井は、空の一角に浮ぶ黒い雲を見るような心地になった。雲が彼の「手紙」の所持に影を落す。  B銀行支店長代理の言葉が耳に聞えてくる。 (銀行の個人金庫でも、その中に犯罪の証拠品が隠されている疑いがあるときは、警察は捜査令状をとってこれを開扉できます。たとえば盗品などですな)  黒雲の断片は大きくなり、みるみるうちに自分の上を蔽《おお》ってくるような気がした。 「手紙」はまさに盗品にひとしかった。 「万一の場合」がまたしても脳裡《のうり》に頭をもたげてきた。万一、その手紙の存在を寺西派が察知し、その所有者がだれであるかを推定したとき、銀行の貸金庫はかならずしも安全ではなくなる。三原伝六が警察を動かして貸金庫の中を捜査させるかもしれないのだ。三原は「親分の危機」とみて、それが政敵の手に渡る前に回収するだろうからだ。  だが、貸金庫の中の存在がどうして寺西派にわかるだろうか。——寺西文子は、外浦が一枚残らず破り捨てたか焼却したと信じている。まさかそれをことごとく保存していたとは想像もしていない。いわんや外浦の死後にそれが第三者に渡っていようとは夢にも知らぬ。  土井はいったんこう考えて気を落ちつかせようとしたが、「万一の場合」の不安な想像がその安堵《あんど》の下からすぐ噴き上ってきた。それが忌わしく心の中を這《は》いまわった。  盲点はだれにもある。自分にもそれがどこかにあるのではなかろうか。金輪際、知れるわけはないと思いながらも、その論理に弱点や隙《すき》があるのではなかろうか。神でも気づかぬ盲点の隙が。——  土井は名刺入れからB銀行大井町支店長代理栗本典夫の名刺を抜き出し、ダイヤルをまわした。交換台は栗本の声を出した。 「一時間前にOホテルで貸金庫のことでお会いした土井ですが」 「あ、土井さま? さきほどは失礼いたしました」  いんぎんな言葉に、土井の見たすくい上げるような眼がまつわっていた。 「考えましたが、貸金庫の申込みは見合せることにしました」 「はあ、お見合せになさいますか」  支店長代理は、土井の電話に云った。 「せっかくご足労をかけましたけれど」  土井はあやまった。 「いえ、それはなんとも思っておりません。てまえどもはお客さまにお目にかかりに行くのが商売でございますから」  栗本支店長代理の口ぶりは商人の叮重《ていちよう》さであった。 「すみません」 「どういたしまして。……けど、土井さま。定期預金の件がいまのところご負担のようでしたら、五十万円でなくとも、三十万円ではいかがでしょうか」 「……」 「ご都合のよろしいときに、あとのご預金をおねがいすることでけっこうでございますが」 「いや、定期預金のことじゃありません。個人金庫の申込みを見合せることにしたのです」 「ははあ、さようでございますか」  栗本はそれで諦《あきら》めたようだった。 「それは残念でございます。では、土井さま、またの機会にぜひおねがいします」  電話は切れた。  支店長代理が、しきりと「土井さま、土井さま」というのが気になった。こちらの住所は教えなかったにしろ、姓を先方に云うべきではなかった、と土井は後悔した。  おれはすこしノイローゼになっているのかもしれないと思った。気にとめないでもいいことが気になるのは、その傾向になっているからだろう。  あの「手紙」の保管でこんなに神経をすり減らすようだったら、思い切って文子夫人に返そうかと考えた。  研究すれば返還の方法がないことはあるまい。前には、その手段が絶対にないように思われたものだが、もっと熟考したら最善の思案が浮ぶかもしれない。  あれを先方に返してしまえば、気がいっぺんに楽になる。持っているから隠し場所に窮する。カエザルのものはカエザルに返せ、か。  それよりも、いっそ燃してしまおうか。そうすればいっさいが空《くう》となる。文子夫人にとっても禍根が永久に消滅するのだ。  そう思っただけでも頭の中が軽くなった。もはや警察官僚を操る三原伝六の見えぬ影におびやかされることもないのである。  落ちつきをとりもどしはしたけれど、そのかわり、心に大きな空洞ができたのをどうしようもなかった。充実の塊りが脱け、急速な弛緩《しかん》が来た。  土井は両肘《りようひじ》を突き、掌《て》で頬をはさんだ。すぐ眼の前のアタッシェ・ケースを凝視した。  佐伯昌子が入ってきた。 「西田さんの詩を拝見しました」  机の上の角に「季節風」をそっと置いた。読後の感想でも云いたそうに、ちょっとそこに立っていたが、肘杖《ひじづえ》をついて思案に耽《ふけ》る土井を見ると、何も云わずにハイヒールの靴音を忍ばせて自分の仕事場所へ戻って行った。  置かれた詩の同人雑誌が目ざわりになったので、土井はそれをつかむと机のいちばん下の抽出《ひきだ》しを開けて投げこんだ。うすい雑誌は、マフラーをおさめた箱の横にすべり落ちた。 ≪mila sch嗜のマフラーが眼につきましたので、少し季節はずれですが、奥さま宛に送らせていただきました。お気に召せばうれしいんですけれど。≫  白い箱の中から外浦卓郎に話しかける文子の声が聞えていた。  ——手紙は絶対に寺西文子に返せない。灰にもできない。それは外浦の遺志に反する。癌《がん》を自覚して自殺したチリでの彼の執念がこれにこもっている!  突然、熱い信念に似たものが土井の胸に噴き上げてきた。  手紙の処分はいますぐでなくてもいいではないか。それはそのうちにゆっくりと考えるとしよう。とにかく、いまはこれを「持っている」ことじたい外浦と自分とのつながりがあるのだ。  そう決めたとき、いったん出来た心の空洞が、そこに物体を流しこんだように充足してきた。もう変えない。  彼は便箋《びんせん》をとり出し、外浦節子に宛てて、一気にペンを走らせた。 ≪先日はわざわざお越しいただいたのに、お慰めの申しあげようもなく、申しわけありませんでした。  本日は、早くもご主人の五七忌にあたり、思いがけなく私にまでご遺愛のお品を御恵送賜り、まことにありがとう存じました。ご主人よりいただいた御温情をいまさらのように想っております。……≫  この礼状を書くことによって、さらに決心を固めたかった。  電話が鳴った。  佐伯昌子が受話器をとって聞いていたが、少々お待ちくださいと、土井のところへきて遠慮そうにとりついだ。 「木下正治先生の秘書で足立さんとおっしゃる方からお電話です。木下先生の著作のことでお願いしたいことがあるので、いつごろお眼にかかれるでしょうかということですが」  木下正治は桂派の議員だった。 「断ってください。いま、仕事が詰まっていて、その時間的余裕がありませんと云って」  じっさい、心の余裕はなかった。  混む地下鉄を利用せずに、タクシーに乗ったのは大事をとったからで、座席の土井はアタッシェ・ケースを膝の上に乗せ、両手で上から押えこんだ。  古いマンションの前に着いた。マイカーをガレージに入れて戻る居住者と出入口で遇った。 「やあ。お帰んなさい」  午後五時であった。土井も挨拶を返した。 「だいぶん日が短くなりましたな」  ロビーに入る前に、どこかの会社の役員は、ちょっとふりかえった。外は暮れて、家や街灯の光が強くなっていた。 「そうですね。朝晩が冷えすぎるくらいになりました」  いっしょにエレベーターに乗った。 「お忙しいでしょう?」  会社役員は土井を自由業だと思っているが、どんな仕事をしているのか判じかねているようだった。 「いえ、そうでもありません」  土井は曖昧《あいまい》に微笑した。 「お先に」  四階で相手は降りた。 「ごめんください」  ドアを出るとき、重役の視線がアタッシェ・ケースへ流れた。  五階で土井は降りた。最上階である。507号室のキーをドアのノブにさしこんでまわす。中に入ってスイッチを押す。玄関にあたる通路とキチンに光が流れた。ドアを閉めてロックした。  住みなれた平凡な部屋が、一昨夜から一変していた。留守のあいだに、だれかが侵入して、そのへんに隠れているのではないかと疑う。のんきに、開放的にしていたのに、急に要心深い戸閉りをし、堅固な防塞《ぼうさい》づくりにする気になった。  このアタッシェ・ケース一個のためだった。  土井は、奥の部屋に灯を入れ、寝室も明るくした。隅々をのぞき、窓を点検してまわった。  そのあとで居間のクッションに坐った。アタッシェ・ケースを傍にひきつけていた。楽な気持ではなかった。  毎日々々、「手紙」をこのカバンに入れて持ちまわることもできなかった。507号室のどこかに隠匿しなければならない。二晩は「菓子」の空カンの中に入れて寝た。だが、自分が出て行ったあと、空カンでは不安であった。  どこに隠そうか。  マンションでは掘るべき床下の地面がなかった。壁にかけた額入りの画のうしろに入れようか。が、そんなところは、侵入者がいちばんに眼をつけそうだった。  書棚には本がならんでいる。本は多いほうであった。政治・経済関係が三分の一を占めているのは、いまの仕事とも関連するが、以前からの関心であった。  いっぱいに書棚に詰まっている本の間に挟もうか。これとても画の額の裏以上に眼をつけられる。  書棚の前、壁の隅にわりと大きな植木鉢が置いてある。青い葉をひろげた観葉植物であった。このゴムの木を引き抜いて、ほかの植物に変え、そのさいに土をとり除き、鉢の底に手紙を油紙にでも包んで入れようか。  土井は、ためしに鉢植えの幹に手をかけて揺すってみた。そのひょうしに腰が書棚にあたって、厚い洋書が床に落ちた。文学書だが、屋根形にひろがった本の間から一枚の紙がはみ出た。  皺を伸ばした謄写版刷りであった。 ≪まさしく本部闘争は、この我々の全力を闘いの象徴として行われた。すべての学友の心の中にわだかまっている自己の変革を通した闘いへの恐れ、そして傷つくことへのおそれが、この本部封鎖の実現によってあとかたもなくけし飛んだ。我々の封鎖によってもたらされた全学的状況は、我々と諸君における離反としてあるのではなく、かえってこの封鎖の実現によって解き放されたところの限りない闘いの可能性、そして自由な行動の発議が保障されたのだ。  一般的アレルギーに振りまわされることなく、諸君の心の中に芽生えた新しい息吹きを見つめよう! そしてその息吹きによる行動と我々の封鎖の関係をきびしく追求していこう! それは我々闘うもののすべての義務である。……≫  十数年前の「記念品」が土井の眼の前に転がり出ている。なぜこれを焼かなかったのか。心の疼《うず》きは、その痛みゆえに傷口をじっと見つめるのである。——  その晩は、アタッシェ・ケースの底から出した「手紙」の束を「銘茶」の空カンに入れ、それをベッドの中に入れて、いっしょに寝た。眠っていて、音が聞えたような気がして二度眼がさめた。  夜が明けた。このごろ、だんだん夜あけが遅くなる。  いつものようにトーストを焼き、ハムエッグをつくった。湯を沸かし、紅茶を飲んだ。  郵便受けに入った朝刊を取ってひろげた。十月二十一日だった。 ≪「禅譲」が迫り、寺西派の意気昂揚——寺西氏の腹中はすでに「組閣」準備≫  大きな見出しである。  このごろ寺西正毅と寺西派の動きに関する記事の回数がふえる。活字の行数も長くなる。  政憲党総裁の椅子が桂重信現総裁・総理大臣から寺西正毅に委譲されるのは、その固い約束によってすでに公然化している。いくら「政権を私物化する」と非難しても、党大会を開いて総裁を選出するという「民主的な方法」が反論となる。党大会は十一月半ばというのが一般の観測であった。  党内の勢力は桂派と寺西派とで大きく分け合い、桂派がなお優勢である。だが、政権の独占にはもう限界がきていて、ここは寺西派に譲り、しばらく両派の協調関係をつづけることになる。だから次はふたたび桂派という密約説が早くもささやかれる。  寺西派は単独では政権が維持できない。閣僚数の比率も、寺西派4、桂派4、板倉派1、中間派1というのが新聞の観測であった。板倉派が参加しなければ、そのぶん寺西派がふえる。  寺西正毅の破顔が新聞に大きく出る。自宅の庭でも、ゴルフ場でも、カメラにむかって意気軒昂といった姿だった。  新政権の構想? そんなものがいまからあるわけはないじゃないか。しばらくは桂政策を踏襲するかって? まだオレが総理と決まったわけじゃないよ。コメントできないね。——記者団の質問に寺西正毅は賑《にぎ》やかに答えていた。  桂重信は現総理・総裁という立場があって、質問してもムダだと思ってか、記者団からの質問はない。当面の経済、外交問題を短く語っているだけである。見方によっては、すでに「前首相」の感があった。首相が出席しなければならぬ国際会議にも閣僚を代理に派遣していた。桂派は静まりかえっている。  反主流の立場をとる板倉退介は、ときおり苦渋と焦燥の顔を紙面に出した。意見は何も出なかった。  土井は、アダムズ・ホテルの「土井事務所」にはその朝も「手紙」をアタッシェ・ケースに入れて出た。  やはり留守しているマンションの507号室に、これを置いておけなかった。  マンションの部屋には隠し場所がなかった。ないとすれば、現物が視野の中にある「土井事務所」に置くしかなかった。そことマンションとの往復、そして外出先にもこれを絶えず携行していなければならなかった。事務所にはいつも速記の佐伯昌子が居ても不安であった。彼女を信頼しているが、なんといっても女一人だ。  額の画の裏もダメ、天井裏もダメ、書棚もダメ、洋服ダンスの底も植木鉢もダメとなると、どれ一カ所として隠し場はなかった。  その夜は、ひと晩じゅう、とりとめのない夢を見た。  朝、頭が重かった。熟睡していないのである。後頭部に鈍痛があった。  ノイローゼになっている、と土井は思った。 「銘茶」の空カンをベッドの中から出して、朝食のテーブルに置いた。  留守中に隠し場がないとすれば、いっそのことキチンのゴミ入れの中に放りこんでおこうか。なにげないところに投げ出しておくのが、侵入者の盲点となって、気づかれないで済むだろう。重要な手紙を、来信の郵便物の箱にいっしょに入れておいたために盗まれなかったというエドガー・A・ポウの短篇を、学生のころ英語のテキストで読んだことがある。  だが、この「盗まれた手紙」というのは、「盲点の隠し場所」として、もう有名になっている。けっして安全ではない。  普通の泥棒だったら、たとえ大事なところにしまっていても、こんな「恋文」などは一顧もしないだろう。泥棒は、現金か、金目の品物だけを狙う。  が、土井が予想する盗人は、「政治的な」泥棒であった。その背後に、警察に強い支配力を持つ寺西派の政治家がいる。もし、寺西夫人の恋文を外浦が保存し、チリへ行く前に彼からそれらを土井信行に托《たく》したことが推定されると、これはお家の一大事、とばかりにこっちの周辺を捜索させ、回収につとめるだろう。それは銀行の貸金庫を開けさせるような合法的なものではなく、一部政治家と結ぶ暴力団的な組織が動員されるにちがいない。留守中の侵入は、空巣狙いを装ってだ。彼らにかかると、「盲点」はない。シラミつぶしに、やさがしされるだろう。 「手紙」を入れたアタッシェ・ケースを持って、アダムズ・ホテルへ向った。やはりタクシーであった。タクシー会社の無線が鳴っている。 「三百十一。三百十一。……はい、了解。……三百十二。……了解。……三百十三。……三百十四。……了解。……三百十五、三百十五号車。……紀尾井町の都市センター会館に行ってください。その前に池田さんという方が立って待っておられます。どうぞ。……そうです、都市センターの正面玄関前です。ネズミ色のコートを着ておられるそうです。……三百十六号車。……了解。三百十七……」  土井はたまらなくなって運転手の背中に声をかけた。 「運転手さん。その無線の声を小さくしてくれませんか」  運転手は返事をしなかった。 「三百十八号。……了解。……三百十九号、三百十九号……」  土井は頭がずきずきしてきた。日ごろは気にならないタクシーの無線が耳から脳に響いた。 「運転手さん。無線の音をもっと低く……」 「お客さん。これはわれわれの業務連絡だよ、これ以上低くしたら、こっちに聞えんよ。外の騒音が高いからね」  タクシー会社と運転手間の業務連絡が、乗客になんの関係があろうか。客は料金を払って乗っている。無線連絡の騒音を遠慮するのは、客への礼儀ではないか。  運転手と争っても仕方がなかった。このさい、トラブルはできるだけ避けねばならないのだ。 「三百二十三、……了解。……三百二十四。……了解。三百二十五、三百二十五号車、……」 「とめてください。そこで降ります」  土井はたまらなくなって云った。 「赤坂までじゃなかったのかね?」 「いいんです、ここで」  運転手は、せせら笑って料金をうけ取った。降りた所が青山一丁目であった。  カバンを大事に抱えて歩道に立った。空車はすぐにきた。それに乗った。 「どちら?」 「近いところで悪いけど、赤坂まで」  運転手は返事をしなかった。  豊川稲荷の前から赤坂見附に下りるまでの坂道は車が多く、それに五方面からの交差点があって信号待ちが長く、渋滞していた。  運転手は前に進まない車にスイッチを入れた。歌謡曲が高い声で流れ出た。女の歌手がヒステリックに叫んでいる。  土井は耳を掩《おお》った。  ——おれは、ほんとにノイローゼにかかっているのではないか。いつもは気にならないことに。  アダムズ・ホテルの四階の事務所に土井は入った。十時をすぎていた。 「お早うございます」  小さな背の佐伯昌子が迎えた。 「お早う」  土井はアタッシェ・ケースを自分の机に置いた。窓からの光に、その影が机のガラス板に映っている。間違いなく、ここに「物体」の存在感が視野に強かった。  それを机の袖抽出しの下に入れるべく、下部の抽出しを開けたとき、まるめ癖のついたうすい雑誌が眼についた。一昨日、西田八郎からもらった同人雑誌「季節風」であった。  カバンをおさめるために雑誌を出した。ついでに、ぱらぱらとめくると、西田八郎の「幸福なる翻弄《ほんろう》」というのが出ていた。   われ、須永の翻弄されたるを読み   その幸福に羨望《せんぼう》す   われは遂に斯《かく》の如き   幸福なる翻弄を受けざりき   軽侮 悪意 欺瞞《ぎまん》 嘲笑《ちようしよう》   そを知れどもわれに返す力なく   ただ追従笑いを泛《うか》べるのみ   すべては生活《たつき》のため   心臆せるため   腸《はらわた》煮え返れど   面《おも》に出さざる術《すべ》を   三十年《みそとせ》ごしに身につく   踏みにじられたる雑草は   明日もまた言はれん   あれは嘘《うそ》だよ と   嘲笑の嘘   悪意の虚言   その翻弄に馴れし半生   われ 須永を羨望す   彼の如き幸福なる翻弄を   されど彼は言ふ   「僕は始終詩を求めて   藻掻《もが》いてゐるのである」   ああ 幸福なる詩人よ  土井は昌子を呼んだ。 「佐伯さん。須永という詩人が居ますかね?」  女速記者は、土井が開いている「季節風」を見て答えた。 「さあ、存じません」 「過去の詩人にも?」 「心あたりがありません」  昌子は、土井の手もとに眼を遣って云った。 「わたしも西田さんのその詩を拝見したんです。ですけど、須永さんという詩人を存じません」 「それじゃ、須永というのは西田八郎さんの詩人仲間かもしれませんね」  土井は昌子の返事を聞いて云った。 「……これは西田さん自身の生活詩ですね。あの人は院内紙記者といっても、新聞を持たない記者です。いわゆる情報屋です。バックのない一匹狼ですから、それで生活するのはたいへんだ。家族はなん人か知らないけどね。いろいろ云われているようだけど、食うためには屈辱に耐えているんですね。根は、善良な人だと思います」  電話が鳴った。  昌子が受けたが、少々、お待ち下さい、とオルゴールに切りかえた。 「木下先生の足立秘書さんからです。一昨日、先生の著作のことで電話された方ですが」 「そのことだったら、断ったはずだが」 「ぜひ土井さんと話したいと云っておられます」  木下正治議員が桂派だとは知っていたが、いまは何派の議員であろうと「出版記念会」用の代作仕事をしたくなかった。  土井は受話器をとりあげた。 「もしもし、土井ですが」 「あ、土井さんですか。や、初めまして」 「どうも」 「一昨日、秘書の方にお電話した木下正治の秘書の足立敏明です。木下がいつもお世話になります」  秘書の口癖だが、足立秘書のは濁った、不透明な声である。 「秘書の方にもお話したように、このたび木下が著書を出版することになりましたが、ついては、土井さんにぜひご協力をお願いしてくれということなのです。お忙しいでしょうが、お目にかからせていただけませんか」 「申しわけありませんが、そのことでしたらお断り申し上げたと思いますが」 「うかがいました。でも、ちょっとだけお会いしたいのですが」 「お役に立たないのがわかっていて、お目にかかるのもどうかと思いますが」 「そんなにお忙しいのですか」 「はあ、ちょっと……」 「なんとかさしくっていただけませんか。木下は土井さんをたいへん期待しているのですが」 「申しわけありません」 「じつは木下の出版記念会の日どりまで決まっておるのです。著書といっても二百枚くらい書いていただければけっこうです。お礼のほうは十分にさせていただきますが」 「残念ですが、どうしてもその時間がとれないのです」 「でも、土井さんは速記者を使ってらっしゃるでしょう?」 「……」 「ご自分でお書きにならなくとも、口述で出来るんじゃありませんか」  足立秘書は、土井が口述速記で仕事をしているのを知っていた。が、これはいままで彼に代作を頼んだ他の秘書から聞いているのだ。  口述だと、ぺらぺらしゃべるだけで原稿ができると思っている相手の無神経に土井は腹が立った。  かりにもその人の代作となれば、仕事にとりかかる前に、その人のだいたいの抱負や意見を聞き、出版物なり講演なりスピーチの意図を確認し、資料を集め、調査すべきものは調査する。その上で構想を練る。書くにあたってその人の身にならなければならないので、本人の性格、日ごろの言葉の癖、環境などを十分に知る必要がある。手間がかかるのだ。  たいていの依頼者がそういうことを顧慮しないでいる。ゴーストライターだと思って安易に考え、見くびっている。  いま、足立秘書の電話がじっさいにそれをあらわしたので、土井はますます不愉快になった。 「たしかに口述速記をしています。しかし、それはぼくがペンで書かないというだけで、執筆する時間は変りません。速記に手を入れたりなどしますからね」  土井は、いくらか突慳貪《つつけんどん》に云った。 「なるほど、そういうものですか」 「はあ」 「その速記の方は、さっき電話に出られた女性ですか」  よけいなことを訊くと思った。 「それはこちらの事情ですから、お答えする必要はないと思いますが」 「失礼」  相手はいちおう軽くあやまった。 「で、土井さん。もう一度お願いしますが、なんとかなりませんか」 「ご期待にそえなくて申しわけありません」 「わかった」  足立秘書の声は急にぞんざいになった。 「もう頼まんよ」 「……」 「きみに無理に頼まなくても、頼むところはほかにたくさんあるからな」  電話は切れた。  こんな言葉を前に一度聞いた、と土井は思い出した。 「偉人・寺西正毅」の執筆を断ったとき、錦織宇吉議員の畑中秘書にだった。もうおまえには頼まん、と。—— 「足立さんは速記がどうとかと訊《き》かれたんですか」  電話のやりとりを聞いていた佐伯昌子が云った。 「速記者は、きみじゃないかと云ってましたよ」 「ヘンですわね」  土井の話を聞いて佐伯昌子は短い髪の頭をかしげた。 「ヘン? どうして?」 「だって、速記してるのは、わたしかって、足立さんはわざわざ訊かれたんでしょう?」 「わざわざというほどでもないが、ついでに聞いてみたくなったのでしょうな。最初に、あなたが電話に出たもんだから」 「それだけかしら?」 「……」 「なんだか気持が悪いわ。わたしのことがさぐられているようで」 「それは思いすごしですよ。あなたのことをさぐるわけはないですからね」 「それはそうですわね。わたしのことをさぐったって、仕方がないんですもの」  彼女は云ったが、まだ腑《ふ》に落ちない顔で仕事場へ行った。  土井は足立秘書との不愉快な電話が後遺症のようになって気分が重かった。  新聞をひろげた。朝刊はマンションの部屋でも読んできているが、読み残しの記事はここにきて見ることにしていた。  火災の記事があった。江戸川区のほうでアパートが全焼した。さいわい犠牲者は出なかったが、罹災者は家財道具を持ち出す間がなく、着のみ着のままで付近の小学校講堂に収容されている。  土井は息を詰めて活字を見た。  そうだ、火災ということがある。あのマンションもいつ出火するかわからない。家財道具がとり出せないように、「手紙」を持ち出せない場合もあり得るのだ。  いままでは、床下のないマンションを不便に思っていたが、それだけではなかった。マンションには多くの家族が入居している。火災の可能性は率が高い。  すぐに一戸建ての家に引越そうと思った。土井は新聞を捨てて、佐伯昌子を呼んだ。 「佐伯さん。借家をさがせばすぐに見つかるものですか」 「借家ですって?」  昌子はとまどった表情になった。 「それは不動産屋さんに頼めば見つけてくれると思いますけど」 「頼みに行ってみるかな、早いとこ」 「土井さんが借家に越されるんですか」  彼女はびっくりしていた。 「そうしたいと思ってるんですよ。マンション住まいもそろそろ鼻についてきましたからね。この際、気分を変えたくなりました」 「あらそうですか」 「ここからあまり遠くないところにあればね」 「私鉄駅前の不動産屋さんをわたしがまわってみましょうか。土井さんはお忙しいから」  昌子はその役を買って出たそうであった。  「嘘よ」  午後三時ごろ、外浦節子が土井をホテルに訪ねてきた。  その二時間前に彼女から、亡き主人のことで三十分ほどお眼にかかりたいのですが、よろしいでしょうか、との電話があった。いずれにしても突然の訪問であった。  土井はその電話をもらったときから来訪の用件を考えたが、銀行の貸金庫のことではないかと思った。外浦卓郎とはそれほど親しく交際していなかったし、会うようになってからもその期間は短かった。彼のことを聞かれても、ほとんど知識はなかった。それは節子にもわかっていよう。とすれば、彼に頼まれて貸金庫の代理人になった事情を訊《たず》ねられること以外にはない。  ロビーに隣り合ったコーヒーショップで土井は節子と会った。彼はまず先日送ってもらった五七忌記念のマフラーの礼を云った。  あれから一カ月以上経って、このごろようやく落ちついてきましたと節子は唇に微笑をうかべた。前に見たときよりは頬がふくらみ、きれいになっていた。 「お忙しいのにあまりお時間を頂戴《ちようだい》してもいけませんので、今日お訪ねしたわたくしの用件というのを申し上げます。それは外浦が銀行に持っていた個人金庫のことでございますが」  やはりそれだった。 「銀行のほうから通知をいただいて、わたくしもその事実をはじめて知ったようなことでございます。その個人金庫は、外浦がチリへ発つ前に、土井さんを代理人にお願いしたそうで、ほんとにお世話になりました」  節子は上体を前に折った。  土井は頭をさげた。 「ぼくが代理人になったのを奥さんに申し上げなかったことをお詫《わ》びします。外浦さんに頼まれたとき、これはまったく自分だけの金庫で、家族には話してないと云われましたので……」  女房には秘密だと云った外浦の言葉を遠まわしに述べた。 「それはよくわかっております。外浦の仕事の性質上、家族にも云えない貸金庫を持っていたのは当然だと思います」  仕事の性質上というのは、大物政治家の秘書だったことをさしていた。 「外浦がチリに在任中、その個人金庫の代理人を、わたくしではなく、土井さんにお願いしたことも、そうした事情からわたくしは納得しております」  それを憾《うら》んでいるわけではないという意味だった。 「そのことで、ちょっとおたずねしたいのですが、土井さんは外浦から代理人を頼まれたとき、その個人金庫の内容を外浦から見せられましたか」  節子はおだやかにきいた。 「いえ、それは拝見させていただいておりません」  土井はきっぱり答えた。 「ただ、銀行の書面に、代理人指定の手続きをさせてもらっただけです。個人金庫はご本人にとって機密でしょうから」 「そうですか」  節子は、ちょっと眼を落した。 「外浦の死亡で土井さんは代理人を辞退され、銀行にその手続きをなさったのでございますね」  彼女はその眼を再び挙げて云った。 「そうです。ほんらいは奥さんに立会っていただくのが普通ですが、外浦さんから依頼されたときがいま申しあげたような事情でしたので、ぼくの代理人辞退は銀行のほうから奥さんにご報告するようにいたしました」 「わかりました。……では、もう一つおたずねさせていただきたいのですが、土井さんは銀行に代理人辞退の届けをお出しになったときも、その個人金庫をごらんになってないのですか。�2674ですが……」 「拝見しました」  土井は荒波に漕《こ》ぎ出る小舟のような気持で云った。銀行にはわかっていることなので、否定のしようがなかった。 「……と申しますのは、ぼくの代理人辞退は外浦さんの個人金庫を奥さんに返還といいますか、お渡しすることなので、いちおう無事かどうかを確認したかったからです」 「それは金庫室でですか」 「保護箱というのですか、�2674の保護箱の抽出しを見るのは、その個室の中です」 「土井さんが保護箱をごらんになったとき、どういうものが中に入っていましたかしら」 「デパートの古い包装紙に包んだものが一つだけでした。その中は見ませんでしたが、手ざわりでは、うすい帳簿のようでした。個人金庫にそれが一つだけとは意外でしたが、よほど重要なものなんだなと思いました」 「わたくしもそれは見ました」  節子は、そのいくらか長い顎《あご》を引いた。 「銀行に�2674を開けていただいたのです。デパートの包装紙に包まれていたのは、古い大学ノート一冊でした。なにか手記のようなものが速記記号で書いてありました。外浦は前々から速記術を知っていました。わたくしは速記を知りません。ですから、そのノートの速記文字に何が書かれてあるのかわかりませんでした」  土井は下をむいてコーヒーをすすった。 「それで、速記を知ってらっしゃる方に、わたくしはその文章を読んでいただきました」  おとなしい声だったが、土井の耳には鋭く聞えた。 「その速記の文面を読まれた方は、こまかいことはわからないけど、金銭の授受のことが書かれていると申されました」  節子はつづけた。 「その方は速記を知ってらっしゃいますが、衆議院式速記のほうだそうです。ところが外浦の速記は熊崎式ということです。方式が違うと読めないのだそうです。ですから外浦の書いた熊崎式速記はこまかいところはわからないそうです。でも、だいたいはそういう内容だと云われました」 「なにぶんにも、ぼくはその内容を見ていませんので」  土井は答えたが、平静を装っていても、胸に動悸《どうき》がうった。それを節子に気付かれないように苦労した。 「さっきもお話したように、外浦は、わたくしには何も話しませんでした。銀行に個人金庫を持っていることも、外浦が死んでからわかったことです」  節子は亡夫を恨むように云った。 「たびたび云うようですが、寺西先生のような偉い政治家の秘書をしていたので、わたくしにも云えないことがたくさんあったと思います。それは当然だったと思います。土井さんは、外浦の個人金庫の代理人になられたのですから、あのノートのことで、外浦から何か聞いておられませんでしたか」  亡夫への恨みが、個人金庫の代理人へふりむけられたような節子の口吻《こうふん》を土井は感じた。 「いいえ。外浦さんからは何も承っておりません」 「そうですか」  節子の眼差しがこっちの胸をのぞいているようだった。 「そのノートに何かご不審の点があるのですか」  土井はその圧迫感から、そう問い返さざるを得なかった。 「はい。じつはノートをお見せした方は、さきほど申しましたように衆議院式速記の方ですが、ノートの速記文字がなんだかぎごちないとおっしゃるのです。外浦は熊崎式速記で書くのに慣れているから、もっと線がスムーズであっていいはずだ、とこう云われるのです。そこで家に残っている外浦の速記をお見せしますと、どうもおかしい、まるきり線の運びが違う。家にある速記は一気に書いてあるのに、金庫にあったノートのは苦労して書いている。運筆にひどく力が入っていると、こうおっしゃるのです。わたくしも両方をくらべましたが、云われてみると、そのとおりに見えました。そこが不審といえば不審なんですが」  土井は黙っていたが、顔をあげた。何か云わないわけにはゆかなかった。 「奥さん、それはですね……」  土井は、できるだけ静かな口調を節子にむけた。 「速記のことはまるきりぼくにはわかりませんが、もし外浦さんのそのノートの速記がいつものものと違っていたとすれば、外浦さんのご病気の進行と関係があるのではないでしょうか」 「とおっしゃいますと?」  節子は、土井に瞳《ひとみ》を凝らした。 「胃癌の進行です。この前、見せていただいたチリの病院の解剖所見では、肝臓にも転移し、癌性胸膜炎を起していたように書いてありました。癌は自覚症状がないといわれていますが、外浦さんのこの状態ではもう相当につらかったのではないでしょうか。外浦さんは、疲れた、疲れた、とぼくにも云っておられました。ご本人は隠しておられたようですが、ぼくらの想像以上につらかったと思うのです」 「……」  節子は眼を落して聞いていた。 「そういう肉体的に最悪なコンディションですから、速記文字を書かれるのもスムーズにはゆかず、ぎごちなくなったのではないでしょうか。極端なたとえかたになって恐縮ですが、気息|奄々《えんえん》といった状態のときは、何を書くにしても骨が折れ、ペンによけいな力が入ります。それと同じではないでしょうか」  節子はうなずいた。 「お話をうかがって、よくわかりました」 「いや、これはぼくの想像で、間違っているかもしれませんが」  節子があまりにすなおに納得したので、土井はすこしあわててつけ加えた。 「いいえ、わたしのほうがそれに気がつきませんでした。おっしゃるとおりだと思います」 「そうですか」 「外浦は寺西先生の秘書として一生懸命に努力して、そしてあのように忙しがっておりました。寺西先生のお宅にも詰めきりでした。そんなわけで、わたくしと話し合う時間もありませんでした。いわば、その時期が夫婦ばらばらな状態でした」 「……」 「わたくしも、外浦の仕事がわからないものですから、遠慮をしていました。いまから思うと、それがいけなかったのだと反省しています。外浦の病気に気づくのがおそかったのもそのためです」  未亡人は帰り支度にかかった。 「ありがとうございました。おかげで気持が落ちつきました」  きれいな眉を上げて、感謝の眼を見せた。  土井は頭を下げるだけで、答えようがなかった。  土井がロビーから「事務所」に戻ってみると、佐伯昌子の姿がなかった。  机の上にメモが置いてあった。 ≪一時間ほど、都立日比谷図書館に行って参ります。電話はどこからもありませんでした。佐伯≫  図書館に何を見に行ったのだろう、と土井は思った。べつに依頼してはいなかった。自分の用事だろうが、外浦節子と面会しているときだったので、その許可を求めにくるのを遠慮したらしかった。佐伯昌子の知識欲は衰えていないようであった。  土井はクッションに身を投げた。窓の外に秋晴れの空があり、隣のビル屋上にならんだ鉢植えの葉が色づいていた。  外浦節子を上手に云いくるめたという気はしなかった。一時の危機が通りすぎた感じであった。あとでふたたび捲き返しがありそうな予感がしていた。  土井は向島の銀行にはその貸金庫を見に二度行っている。その最初のときに、そこの個室に入って、寺西文子の「恋文」を丹念に読んだものだ。だから、二度目よりも最初のそれは時間が長かった。  ところが、外浦節子の話はそれにふれなかった。一度きりだと思っているのだ。それも、時間がかからなかった二度目の場合のことである。  銀行のほうで、節子にそれを明かさなかったとみえる。たぶん「代理人」の立場だった自分に銀行側が配慮したのであろう。銀行のその斟酌《しんしやく》で助かったと土井は思った。  だが、節子が貸金庫の中身の入れ替えにいつまでも気づかないでいるだろうか。すでにノートの速記文字の不審を云ってきたことじたいに、その兆しがあった。  節子は、こっちの「推測」の言葉に、一応は納得して帰ったようだが、帰ってからもその不審を再び起さないともかぎらない。それは彼女に新しい疑問となっていよう。彼女がそのことで再び訪ねてきたときの苦境を、土井はいまから想わずにはいられなかった。  節子は、外浦が寺西の秘書となってからはそっちへかかりきりとなり、寺西の家に詰めきりになっていた、と云った。そのために夫婦の間がばらばらになっていたとも話した。まさにその時期が、外浦と寺西文子との恋愛の最中だったのだ。  文子夫人は、節子に起るかもしれない疑問を防ぐために、外浦に云って節子を自宅に呼ばせている。これは夫寺西正毅の気持をも懸念しての、一石二鳥の手段であった。ある種の恋は知能犯にも似ている。  もしかすると、節子はやがてそれにも気がついてくるかもしれない。 「ただいま」  佐伯昌子が外から戻ってきた。 「無断で外出して済みませんでした」  佐伯昌子はぴょこんとおじぎをした。その顔は、なにかうれしいことでもあったように、にこにこしていた。  ひとりになって、暗鬱《あんうつ》な気分に引込まれていた土井は、一時でも明るいところに出たような気がした。 「図書館だって?」 「そうなんです。急に思いついたものですから」 「どんな事をさがしに行ったんですか」 「順序だててお話しします。……いま、お茶をいれますから」  彼女はめずらしく浮き浮きした様で、ジャーの熱い湯で紅茶をつくった。茶碗《ちやわん》を土井の前に出してから、ハンドバッグを開け、二枚重ねの二つ折りの紙をとり出した。 「同人雑誌『季節風』に載った西田八郎さんの詩『幸福なる翻弄』を読ませてもらったとき、その中に挿入された字句に憶えがあるような気がふとしたのです。はっきりとはわからないけど、どこかで以前に読んだような」 「……」 「彼は言ふ、僕は始終詩を求めて藻掻いてゐると。そこのところです」 「だから、須永という詩人がいたかな、とぼくがあなたにきいたでしょう?」 「思い出せなかったんですが、須永は詩人ではありませんでした。夏目漱石の小説の主人公でした」 「漱石の?」 「須永だけではわからなかったんですが、西田さんの詩の引用に『嘘だよ』とありますね。そして題が『幸福なる翻弄』。これが手がかりになって、若いときに読んだ漱石の『彼岸過迄』だと気がつきました。それをたしかめるために、土井さんがお客さまとご面会中に都立日比谷図書館に行ったんです。わたしは気になることはすぐに確めたくなる性分ですから。それがこのコピーですわ」  佐伯昌子は、土井の前に二つ折りの紙を開いた。昔風な大きな活字の組みであった。 「ここから読んでみてください」  赤鉛筆で印がついたところを昌子は指で示して云った。 「その前に申しあげますけれど、ここに『僕』と一人称で書いてあるのは須永のことです。千代子というのは須永の従妹《いとこ》で、幼児のとき双方の親が行末は夫婦にと口約束をしたけれど、両方とも父親が死んでそれきりになっています。千代子は須永といっしょになりたがっているけれど、気の強い性格なので何も云わない。須永も内心は彼女が好きらしいんですが、内向型なので素振りには出さないでいます。ま、そういう設定です」  土井は、赤鉛筆の印がついた「彼岸過迄」の文章に眼を落そうとした。すると、昌子がまた説明を入れた。 「須永は、以前に千代子に花の画を五、六枚描いてやっていますが、千代子はそれを手文庫の中から出して須永に見せます。そこからですわ」 ≪「貴方《あなた》それを描いて下すつた時分は、今より余程《よつぽど》親切だつたわね」  千代子は突然|斯《か》う云つた。僕には其《その》意味が丸で分らなかつた。画から眼を上げて、彼女の顔を見ると、彼女も黒い大きな瞳を僕の上に凝《じつ》と据ゑてゐた。僕は何《ど》ういふ訳でそんな事を云ふのかと尋ねた。彼女はそれでも答へずに僕の顔を見詰てゐた。やがて何時《いつ》もより小さな声で「でも近頃頼んだつて、そんなに精出《せいだ》して描いては下さらないでせう」と云つた。僕は描くとも描かないとも答へられなかつた。たゞ腹の中で、彼女の言葉を尤《もつと》もだと首肯《うけが》つた。 「夫《それ》でも能《よ》く斯《こ》んな物を丹念に仕舞つて置くね」 「妾《あたし》御嫁に行く時も持つてく積《つもり》よ」  僕は此言葉を聞いて変に悲しくなつた。さうして其《その》悲しい気分が、すぐ千代子の胸に応《こた》へさうなのが猶《なほ》恐ろしかつた。僕は其|刹那《せつな》既に涙の溢れさうな黒い大きな眼を自分の前に想像したのである。 「そんな下《くだ》らないものは持つて行かないが可《い》いよ」 「可いわ、持つて行つたつて、妾のだから」  彼女は斯う云ひつゝ、赤い椿《つばき》や紫の東菊《あづまぎく》を重ねて、又文庫の中へ仕舞つた。僕は自分の気分を変へるためわざと彼女に何時頃嫁に行く積かと聞いた。彼女はもう直《ぢき》に行くのだと答へた。 「然しまだ極《きま》つた訳ぢやないんだらう」 「いゝえ、もう極つたの」  彼女は明らかに答へた。今|迄《まで》自分の安心を得る最後の手段として、一日《じつ》も早く彼女の縁談が纏《まと》まれば好《い》いがと念じてゐた僕の心臓は、此《この》答と共にどきんと音のする浪を打つた。さうして毛穴から這《は》ひ出す様な膏汗《あぶらあせ》が、背中《せなか》と腋《わき》の下を不意に襲つた。千代子は文庫を抱いて立ち上つた。障子を開けるとき、上から僕を見下《みおろ》して、「嘘よ」と一口判切《ひとくちはつきり》云ひ切つた儘《まゝ》、自分の室《へや》の方へ出て行つた。≫ 「ね、これですよ、西田さんの『幸福なる翻弄』にある『嘘よ』の出典は……」  佐伯昌子は、読み終った土井に云った。 「西田さんの詩が、ご自分の生活を歌われたものでしたら、『幸福なる翻弄』という題名が理解できるような気がしますわ」  佐伯昌子は、漱石の「彼岸過迄」に結んで云った。  土井は、机の抽出しから、まるめられた「季節風」をもう一度取り出して、西田の詩のページをひらいて見た。  昌子もそこから眼をその活字に投げて、つづけた。 「西田さんは一匹狼の院内紙記者だと土井さんからうかがいましたが、仕事の上ではたいへんご苦労をなさってらっしゃるようです。遠慮なく申しますと、議員さんや秘書さんたちからお金をせびってまわってらっしゃるんでしょう?」 「永田町周辺にいる、いわゆる情報屋の一人です。バックのない情報屋ですから、大きな顔でのし歩く大手院内紙と違い、賛助金をもらうにも、なみたいていではありません。先方にバカにされて、明日来いの、明後日来いの、そのうちに来いのと云われてね。それでもお金をもらうためには我慢しなければならない」  土井は「詩」に眼を落して云った。 「ちょっと拝借させてください」  昌子は土井から渡された「幸福なる翻弄」を低い声で読んだ。 「それがここに出ていますわ。……軽侮、悪意、欺瞞、嘲笑。そを知れどもわれに返す力なく、ただ追従笑いを泛べるのみ。賜《はらわた》煮え返れど、面《おも》に出さざる術《すべ》を、三十年《みそとせ》ごしに身につく。踏みにじられたる雑草は、明日もまた言はれん。あれは嘘だよ、と」 「……」 「『彼岸過迄』のほうは千代子が云ったので『嘘よ』と女性の言葉になっていますが、西田さんに云ったのは議員さんや秘書さんたちですから、『嘘だよ』となっているんですね。西田さんは、この小説を前に読んでいて、その箇所が強い印象になっていたんでしょうね」  詩人を志した西田だから、漱石の小説ぐらいは読んでいたのだろう、と土井も思った。 「みんなに愚弄《ぐろう》されていると思っている西田さんは、千代子の愛に翻弄されている須永が羨《うらや》ましかったんですね。だって、ご自分はお金をもらいにまわっているんでしょう。その屈辱はご自身にいちばんよくわかっていたのです。でも、生活のために三十年来のその習性がやめられなかったんです」 「永田町の泥水を飲んだ者は、容易にそこから脱けられないといいますね」 「そんな西田さんにとって、千代子に『嘘よ』と云われた須永が、すごくぜいたくな翻弄に思えたのでしょう。女性からの愛の翻弄が……」 「だから、須永がここで」  昌子はコピーの『彼岸過迄』を指先で、とんと叩いた。 「……されど彼は言ふ、『僕は始終詩を求めて、藻掻いてゐる』、というのは、この小説からの文章の引用です。それに、ああ幸福なる詩人よ、とつけ加えているのは、生活のために翻弄されている西田さんの須永に対する皮肉でしょうね。けれど、西田さんもそうした生活にまみれながら詩の同人雑誌を出しているんですから、あの方も詩人ですわ。それで現実の生活環境を忘れようとなさっているんでしょう。須永の詩人とはだいぶん違いますけれど」 「それで、須永と千代子はどうなるんですか」  土井は結末をきいた。 「わかりません。二人の間は平行線のままにして小説は終っています。結婚するともしないともそんな暗示はありません」 「……」 「でも、千代子にお嫁にゆくのを『嘘よ』と云われて『僕の心臓は、此《この》答と共にどきんと音のする浪を打つた。さうして毛穴から這ひ出す様な膏汗《あぶらあせ》が、背中と腋の下を不意に襲つた』という描写は、須永の心理がよく出ていると思いますわ。千代子に翻弄されたとわかって、安心する気持が。……」 「ぼくもそのうちに時間をみつけて『彼岸過迄』を読んでみましょう」  土井は、そのコピーを「季節風」の間に挟んだ。 「あら、ずいぶんお邪魔しちゃって、すみません」  昌子は、話の昂奮《こうふん》からまだ醒《さ》めやらぬ顔だった。 「いや、参考になりました」  そのとき土井はその言葉を、昌子の労をねぎらうつもりの、ごく軽い気持からで云った。彼には、昌子の昂奮に同調するほど文学趣味はなかった。「参考になりました」といったのも、挨拶にすぎなかった。  だが、本当に「参考になった」のは、土井がもう一度、窓の秋空をぼんやりと眺めているときだった。  ——もしかすると、文子夫人は外浦卓郎を翻弄していたのではないだろうか。……  この疑念がふいと心の隅に湧《わ》いたのである。  そんなはずはない。文子夫人の「手紙」を読むと、ひたむきな愛に綴《つづ》られている。夫人の純情を疑うのは、佐伯昌子に漱石の小説を講釈されすぎたからだろう。  土井はそう思って、心の中で頭《かぶり》を振ったが、ひとたび湧いた疑念は、執拗《しつよう》に彼をとらえはじめた。  その疑念からすれば、いままでわからなかったことが解けるのである。  予兆  文子夫人が最後になって外浦に、いままでのことは「嘘よ」と云ったとしたらどうだろう。まさか小説のようにそうは云うまいが、 「二人の間は、これきりにしましょう。いままでのことは何もかも忘れてちょうだい。さようなら」  と宣言したとすれば、どうであろうか。  文子夫人の「恋文」は、それを読むかぎり純情そのものであった。まるで女学生のような文章だった。彼女はすでに五十歳を越している。それでも女は恋文を書くときは、二十歳《はたち》そこそこの「幼稚な」文体になるようである。  恋愛は感情そのものだから、文章によけいな工夫を凝らす必要がない。真情を綴《つづ》るだけでいい。知性も教養も要らぬ。  それがひたむきな愛であればあるほど、情熱的な愛であればあるほど、恋文の文章は少年少女に近いものになる。  いままで土井は、文子夫人の恋文をそう思って読んでいた。だが、ひとたび心に浮んだものが、それに疑いを投げかけてきた。  文子夫人のそのときの純情は事実であったろう。それは恋文の「幼稚な文章」からもうかがえる。はじめから外浦秘書を翻弄する気持はなかった。「もう、どうなってもいい」と決心したこともあったろう。  しかし、途中から夫人の心が変った。彼女は大物政治家の妻の地位、今秋十一月中旬には、総理大臣夫人となる地位に未練が生じたのであろう。もっともなことである。これはだれも非難することはできない。  しかし、外浦からすると、夫人からいままでのことは「嘘よ」と宣告されたのである。翻弄されたのだ。  これまで土井は、外浦が夫人の恋文を焼きもせず破りもせず、丹念に保存していたのを後日の「取引」に役立てたい目的だと思っていた。外浦卓郎は悪人、夫人の純愛を手玉にとった大悪人だと考えていた。  だが、いま起った疑念からすると、外浦は夫人の愛に感激して、それらを灰にしたり、破棄できなかったのではないか。彼女から忙しく掌《て》の中に押しつけられてまるめた逢引《あいび》きの約束のメモも、その皺《しわ》をアイロンで伸ばしたにちがいないし、そのようなことまでして保存しておいたのだろう。  外浦のそれら恋文の保存が性格を一変させたのは、夫人から「別れ」を云い渡された瞬間からであろう。恋文への「愛着」は、「怨念《おんねん》」に変ったのだ。  外浦は急に寺西の秘書を辞め、チリに去った。癌《がん》にむしばまれていることを彼は知っていたと思う。日本を去るにあたり、怨念のこもった「恋文」は後輩に托《たく》した。そうして外浦はチリで「自殺」した。  仕事部屋では、速記を復元する佐伯昌子がペンの音を聞かせている。土井は、青空と向いのビルの屋上に色づく鉢植えの葉を、放心したような瞳で眺めている。  が、土井の脳は活動していた。  ——疑念から組み立てたこの「仮定」を据えてみると、外浦のさまざまな謎《なぞ》が解けてゆく。  東方開発の和久宏に望んで外浦がチリへ行ったことも、サンチアゴ郊外の乗用車事故が自殺と考えられることも、さらには保存していた文子夫人の恋文を大学後輩の自分に委譲したことも、すべてそこから解明されるような気がする。  いままでは、外浦がのちの利益に役立てるために文子夫人の「手紙」を溜《た》めておいたと土井は考えていた。そうして外浦が癌を自覚するや、その利益行使の権利を自分に「譲渡」したと思っていた。  しかし、その考えだけでは、どうも弱かった。弱さがわれながら拭《ぬぐ》えなかった。が、外浦が文子夫人に裏切られたとすれば、この弱点の中心にコンクリートが流れこんだように強化された。  外浦が貸金庫に保存していた文子夫人の「手紙」の中には、彼女から別離を告げたものは一通もなかった。最後の最後まで「別れない」とあった。  だが、「彼岸過迄」の「嘘よ」という千代子の言葉を読んでより、千代子とは逆の翻弄を外浦は文子夫人から受けていたことに土井の推測は到った。  たぶん文子夫人からの「別れ」の手紙はあったにちがいない。外浦がそれを保存しなかったのは、後輩の眼にふれるのを回避したからであろう。それは外浦の自尊心が許さなかったからではないか。それと、それを見せたときには、夫人の恋文を譲渡する意図が露骨にわかってくるからだ。 「別れ」を宣言する手紙はなくても、土井よ、わかってくれるだろう、という外浦の声が聞えそうであった。  文子夫人の火遊びに弄《もてあそば》れた外浦は、残り少いわが生命をわが手で始末をつけ、夫人に対する或る種の想いを後輩に委譲したということであろう。  土井は文子夫人に対して、これまでとは違った意味で、肩の荷が軽くなるのをおぼえた。「手紙」は、受取人の外浦が死亡した現在、差出人の文子夫人の所有に還ると考えていたのだが、いま新しい推定を得て、その「手紙」の束は完全に外浦のものから自分に譲渡されたという実感が強くなってきた。一時は、それらを文子夫人に返却することを思い詰めたものだが、そうしないでよかった。カエザルのものはカエザルのものではなくなっている。所有権が変っていた。  佐伯昌子が速記の復元を土井に持ってきて、彼の机の上に置いた。  復元の区切りごとに原稿紙に書いたものを土井の手もとに届ける。口述なので、その文章を見て手を入れなければならない。用語を違えたり、てにをはなどの助詞を直したり、主語を明確にしたり、言いまわしを変えたりする。いま、机の上に置かれたのは、政憲党寄りといわれているある中間政党の国会議員が出版する「演説集」であった。  復元されたものを読み返してみたが、われながら出来が悪かった。もともと気の乗らない仕事を引きうけたのだが、その結果が文章に歴然と現れている。手を入れようにも直しようがない状態だった。  時間があれば、新しく速記をし直して、これと取り換えたいくらいであった。  ——取り換える。  この心の呟《つぶや》きが、とつぜん別な方向にむけて考えが走った。  もしかすると外浦節子は、貸金庫に残っている熊崎式速記のノートが外浦の書いたものではなく、取り換えられた品だと気づくのではなかろうか。すでにノートの速記文字体に彼女は不審を起して、ここまでやってきたくらいだ。  それが取り換え品だと気づけば、もとからあったもの、すなわち外浦自身が貸金庫に入れた品が当然に彼女の強い関心に上ってくるにちがいなかろう。  そうなったとき、外浦節子はどういう行動をとるだろうか。考えられるのは、寺西正毅のもとに行き、外浦のもとの主人に直接たしかめることである。  あの自分がノートに書きこんだ政治献金先も、その金額も、もちろん出鱈目《でたらめ》である。だれよりもそれは土井にわかっている。次にそれを一瞥《いちべつ》しただけで嘘《うそ》とわかるのは寺西正毅である。 (奥さん。これは真っ赤なニセモノですよ。だれかがほんものと取り換えたんですなあ)  寺西は即座にそう断言するはずである。  だれかが取り換えた、といっても、有力な容疑者は自分以外にはない、と土井は思う。だが、それから先は向うにわかるまい。外浦が貸金庫に入れていたものが何だったかである。これが明確でないかぎりは先方も追及のしようがない。  寺西正毅は、いま海外を回っている。今秋の政権「引き継ぎ」以前に、大急ぎでアジア諸国を「視察」のため、非公式に歴訪中だ。保守陣営の反対派からは「あいつもう総理のような気持になりやがって」という嫉妬《しつと》まじりの悪口が聞えているという。  外浦夫人が貸金庫のことで相談するとすれば、寺西が帰国する三週間先になるだろう、と土井は思った。  外浦卓郎が貸金庫に入れたものは、寺西夫人が告白しないかぎり、絶対にわからない。  寺西をはじめその周辺が、外浦節子の問合せを受けても、そこまでの推測は不可能である。いかに空想力の発達した政界参謀でも、また警察官僚上りの三原伝六議員にしても、そんな奇想天外な想像には到らない。  夫人が外浦へ与えた「恋文」のことを自ら告白する気づかいは絶対にない。それはやがては首相夫人となる彼女にとっては自殺行為にひとしい。土井はそう思う。  それどころか、夫の寺西正毅に多大な迷惑をかける。寺西が首相になっていた場合は、夫人のスキャンダル事件はその地位にまで影響するかもしれない。一国の総理大臣は普通の意味での人格者にして、家庭をよく治める人物でなければならない、と見られている。政策上の問題では、いくらでも野党と論争し、党内の反主流派を抑えることができるが、スキャンダラスな家庭の事情は処置のしようがあるまい。首相は、市井の人とは違うのである。  土井はこれに思いあたって、「恋文」を保存し、その貯蔵品を自分に与えた外浦卓郎の意図が、案外に大きな意味を持っていることを知った。外浦のチリでの死はたぶん自殺であろう。彼はその死と引きかえに価するだけの「爆発物」を後輩の手に譲渡したのだ。外浦は自分を貸金庫の代理人に指定したばかりではなく、その実行の代理人にも指定したのだ。土井はそう思う。 「手紙」が外浦から譲られて自分のものになった現在、もとよりそれを寺西夫人に返す気はない。さりとて、それをなんらかの手段ですぐに実行に移す気はなかった。気持がないというよりも、手段の方法が見当らないのである。  とにかく、それまでは「手紙」を大事に保存しておくしかなかった。  だが、ここには依然として問題がある。「手紙」を持っている間に、それを紛失したときだ。そんな万一の場合が起らないとはかぎらない。それが他人の手に渡ったとなると、内容の文面と「文子」の署名とで、寺西夫人と容易にわかってしまう。夫人の告白をまつまでもなく。  出勤の往復に「手紙」を持ち運びすることは危険だ。家に置いていても同様である。空巣狙いが侵入して、この手紙を読み、ダイヤモンド以上に「値打ちもの」と判断すれば持ち去ってしまうかもしれない。土井の懸念は懸念を生み、心配は次々に簇生《そうせい》する。  佐伯昌子は、近いうちに借家を見つけてくれると云った。それまでをどうするか。  いっそ佐伯昌子の家に、事情を云わずに、「手紙」だけを預かってもらおうか。それがいちばん安全ではなかろうか。  土井は、佐伯昌子が仕事をしている次の間に、なにげない様子で、ぶらぶらと入った。「演説集」の手入れに飽いて、頭休めに話しにきたというかっこうだった。 「ねえ、佐伯さん」  土井が話しかけてきたので、彼女も鉛筆を措《お》いた。 「この前、お願いした借家のことですがね、どこかいいところがありますか」 「そうそう、ご報告するのがおくれました。すみません」  昌子は土井のほうをむいて云った。 「世田谷の梅丘《うめがおか》と赤堤とに候補がありました。両方とも建ててから四、五年くらいしか経っていません。わたしは見に行きませんでしたが、駅前の不動産屋さんの話では、二十五坪くらいで、小家族のお住居にはかっこうなお家《うち》だということでした。土井さんがひとりで住まわれるとは不動産屋には云ってないのです。でも、梅丘にしても、赤堤にしても、土井さんがこちらにお通いになるのには遠いんじゃありません?」 「遠いですな」 「わたしもそう思ったもんですから、お家を見に行かなかったんです。もうすこし近いところを探してみますわ」 「すみません」  土井は礼を云ったあと、これもなにげなく訊《き》いた。 「佐伯さん。長いあいだご様子をおうかがいしていませんが、ご主人はいかがですか」  佐伯昌子の夫は、身体《からだ》が弱くて家の中にひっこんでいる。昌子がそのぶん働いているのである。 「相変らず、家の中でぶらぶらしています」  佐伯昌子は、顔をすこし赤らめて云った。 「健康状態はいいんですか」 「はい。おかげさまで、なんとかもてています。わたしが帰ってくるまで、台所のことをやってくれています」  佐伯昌子の夫は、一日じゅう、家に居る。  いっそ、「手紙」は、事情を云わずに、終日家を守っている彼女の夫に預かってもらおうか。それだと、盗難の危険は少い。  土井はあやうくそれを口に出そうとして思いとどまった。  毎日家に居て退屈している昌子の夫が、預かった「手紙」を盗み見しないという保証はどこにもないのだ。これも危険であった。 「くれぐれもお大事に」  土井は云って、佐伯昌子の傍《そば》から離れた。不得要領なことで、頭のいい昌子は妙に思ったにちがいなかった。  毎日、土井は「手紙」をアタッシェ・ケースに入れて、小さなマンションに帰った。  部屋に入るとすぐに室内を見渡す。  マンションの室内を舐《な》めるように見わたすのが土井の習慣になっていた。「手紙」の隠し場所にあせって、神経が疲れていた。  どのように隠しても、捜索の目的で留守に侵入した者は、眼につく限りの、いかなる物品にも手を出しそうであった。  早く一戸建ての借家を見つけよう。床下でも庭でも、土さえあれば、匿し場所が得られるような気がした。その上を蔽《おお》う偽装は工夫できそうに思える。第一、土中の埋置となれば火災になっても焼けることはない。  それまでアタッシェ・ケースは、事務所の机の上に置き、マンションに帰るとベッドの下に隠す。通勤の往復には手に握って放さない確保の生活がつづくにちがいなかった。  佐伯昌子が、麻布十番に貸家があるのを不動産屋から聞いて土井に知らせた。  土井はそこへ出かけてみたが、その家はマンションやアパートに囲まれて穴ぐらのようであった。絶えず、まわりの窓から見下ろされ、監視される位置にあった。  次は市ケ谷駅前の不動産屋に物件があると昌子がいうので行ってみると、その家は高台の斜面にあって、近所も家がたてこんでいるし、大きな印刷工場もあったりして、トラックの通過が激しかった。  理想の家はなかなか見つからなかった。  焦燥がたかまってきたのは、近ごろ誰かに尾行されているような気がするからである。ふり返ってみたが、べつに変った様子はない。それでも人が跟《つ》けているような気がする。  人につき当てられたときは、思わずアタッシェ・ケースを両手で抱きしめた。そういうことが多くなった。尖《とが》った神経のせいだけとは思えなかった。  外浦節子が銀行の貸金庫のことで来てから二週間経っていた。寺西正毅の側に何らかの変化があるとすれば、そろそろその反応が現れそうな時期とも思えた。  夜、自分のマンションの部屋に戻る。留守のあいだに変った状態が起ってないかと隅から隅まで調べてまわるのが動物的な習性のようになっている。本を読んでも頭の中に入らない。書きものをしても文章がまとまらない。  洋服ダンスから着古したガウンをはずして着た。そのとき、ある考えがひらめいた。いったん着たガウンをまた脱いで、ベッドの上にひろげてみた。  国電信濃町駅近くに、商事会社の名をつけた不動産屋があった。 「社長」と称されている主人のもとに錦織議員の畑中秘書が立ち寄っていて、二人は「社長室」で話していた。ここの主人は政憲党びいきで、錦織議員のファンであった。  五坪くらいの「社長室」の隣が、七坪くらいの「営業部」で、これは駅前から四谷三丁目方面への広い道路に面している。 「営業部」には女性の客が来ていて、営業部員にいろいろとたずねていた。貸家をさがしているらしい。 「営業部」の声は隣の「社長室」に筒抜けであった。畑中秘書は主人と話しながら女性客と営業部員との会話が雑音のように耳に入っていた。 「ご家族は、なん人でいらっしゃいますか」 「一人です。いえ、わたしではありません。知り合いの男の方です」  だから、広くなくてもいいが、なるべく新しい家がいいと云っている。営業部員はほうぼうに貸家があることを話している。「仲間取引」による情報だった。 「もっと永田町に近いところにありませんか」  永田町という声に畑中は主人との話をうわの空にして聞き耳を立てた。 「ははあ。永田町の会社におつとめですか」 「はい。ちょっと……」  営業部員は、原宿、青山、渋谷、神田、代々木と貸家の物件を持ち出した。女性客は青山三丁目裏の家が気に入ったらしく、こちらの紹介で、その家を見に行きたいと番地と家主の名を営業部員に教えてもらっている。 「家を見て、家主さんとお話しになるのは、あなたですか」 「いいえ、わたしではありません。土井さんという人です」  畑中は椅子を起ち、ドアの隙間《すきま》から「営業部」をのぞいた。短い髪で、小さな顔の三十すぎの女であった。  アダムズ・ホテルの土井信行の部屋へ行ったとき、入れ違いに出て行った女であった。土井の口述を速記していると聞いた。顔は憶えている。  彼女が立ち去ったあと、畑中秘書は考えこんだ。  土井信行は、たしかどこかのマンションに住んでいると聞いたが、そこを出て一戸建ての家を借りるらしい。あの女の話でも一人で住むらしいが、それならマンションのほうが便利なはずだ。土井が借家に入りたがっているのはなぜだろうか。 「偉人・寺西正毅」の約束を途中で破棄されただけに、そして怒鳴りつけただけに、土井に対して畑中はいい感情を持っていなかった。  土井信行の悲惨な最期《さいご》にいたるまでの「向う側」の動きは、外からだと不可視的な部分が多い。政治に関連するものはおよそ不透明であって、この出来事もその一つであった。先方はなにやら奥の院めいた神秘性をもち、一般とは高差がありすぎる。  出来事の「予兆」をいえば、外浦節子が寺西文子を自邸に訪問したときがその一つであった。 「あら、いらっしゃい」  応接間に入った文子は、急いで椅子から立ち上って身体を折る節子を、親しそうに迎えた。 「じつは昨日、七七忌をすませましたので、ご挨拶にうかがいました」  深々と頭をさげた節子は、持参の帛紗《ふくさ》包みを卓上にすべらせた。 「あら、もうそうなりますか。早いわね」  寺西夫人は気さくな性質である。気どりがなくて、だれにでも馴々しかった。年内にも、異色ある首相夫人が生れそうであった。  が、文子が七七忌の早かったことを案外そうに口に出したのは、形式的な敬虔《けいけん》さを忘れたというよりも、かつての夫の秘書の上に、その死いらい、関心がうすれていることを表明していた。 「外浦さんは、ほんとに残念でしたわね。まさか外国で交通事故で亡くなるとは思わなかったわ」  文子の口吻《こうふん》はようやく追想的になった。 「わたくしもまだ夢のように思っています。交通事故もですけれど、外浦が癌だったのが、もっと意外でした」  顔に微笑をみせる節子は、ハンカチを鼻に当てていた。 「ほんとにね」  文子は普通の声で云った。 「疲れた、疲れた、とおっしゃってたけれど、ご本人も癌だとはお気づきなかったのかしら?」 「いまから考えると、うすうすは自覚していたようなふしがあります。わたくしには絶対に洩《も》らしませんでしたけれど」 「奥さまは、外浦さんの様子から、もしかするとという予感はなかったですか」 「それに気がつきませんでした。外浦は前から健康でしたから。大学時代は補欠ながらラグビーの選手をしていたくらいでしたから」 「ほんとうに、いい身体をしてらしたわね。肩なんかもりあがって、鋼鉄のような手足の筋肉でしたものね」  この述懐に、節子がふいと訝《いぶか》しげな眼を挙げたので、文子は、はっとなったようだった。 「主人も、わたしも」  彼女は急いで言葉を変え、「主人」という語にアクセントを置いた。 「……外浦さんの疲労を秘書の激務からきているととって、申しわけなく思っておりましたわ」  文子は、外浦節子に言葉をつづけたが、補足するような云いかたであった。 「それで、主人もわたしも早く病院の診断をお受けになるようにおすすめしたんですが、外浦さんはなかなか承知してくださいませんでした。それも秘書のお仕事がお忙しいからでした。もっと強くおすすめして、病院へ無理にお連れするくらいのことをすればよかったと口惜《くや》しく思っています。いまは癌でも早期発見で手術を早くすれば、生命をとりとめるそうですから」  外浦に病院行きをすすめたその時その時の特殊な場所や、手紙に書いた文章などを、文子はあざやかに憶い出しているのだが、むろん節子にはわかりようがなかった。 「外浦を病院へ診せに連れて行かなかったのは、わたくしの責任でございます」  節子は云った。寺西夫妻の自責めいた言葉をうち消すというよりも、妻の立場を強調しているように聞えた。 「でも、奥さま。わたくしは外浦が癌で苦しんで死ぬよりも、交通事故でいっぺんに死んだのがよかったと、いまでは思っております。サンチアゴで外浦の遺体と対面しましたが、安らかな死顔でした。まるで、たのしい夢のつづきを見ているような顔でした」  文子は黙った。  外浦の夢は愉《たの》しいものだったのだろうか。このへんがお別れする時期ですわ、と書き送った手紙の、自分の文字のあとや、インクの色まで眼に残っている。外浦が寺西の秘書を辞め、チリに発ったのは、そのあとであった。 「そう。それがあなたの救いね」  文子は、短い沈黙のあとで云った。自分にとっての救いではなかった。いまでも後味の悪い想いをしていた。 「はい、そうなんです」  節子はうなずいて答えた。 「よかったわ」  文子はやさしく云って、節子の顔を見まもった。 「無理もないことだけど、あなたはお瘠《や》せになったわね」  でも、前よりはきれいになったわ、と文子は云いたいのを控えた。節子は、そのうちに恋愛し、再婚するであろう。 「もう、いつまでもくよくよしないことね。あなたはお若いし、希望がいっぱいあるわ」  文子は慰めを云いながらも、嫉《ねた》ましい気持になった。自分と節子の差は歴然としていた。 「わたくしも、なるべく外浦と愉しかったことだけを憶い出すようにしています」  節子の言葉は、知られない意味さえわかれば、文子へのしっぺ返しであった。文子の顔色がすこし動いた。 「今日、お宅のお玄関を入らせていただいて、すぐに感じましたの」  外浦節子はハンカチを手に握ったままで云った。 「その外浦との愉しかった日の匂いがしましたわ。先生と奥さまとで、わたくしどもは二、三回お招きいただきました」 「あ、そうでしたわね」  文子は眼もとを笑わせたが、胸に苦渋が走るのをおぼえた。  あれは外浦との仲を寺西と節子に知られない故の策であった。 (あんなことは、もうやめてください)  次に外浦に会ったとき、彼は苦しげに云った。 (わたしだって、好きであんなことをしてるんじゃないわよ。でも、二人の間がだれにも知られずに、長つづきするためには、仕方のないことだわ。あなた以上に、わたしは苦しいわ。でも、お互いの愛のために我慢しましょうね)  真実を知らせるのが幸福とはいえなかった。げんに眼の前の節子は、外浦とここに招かれたのを仕合せな想い出にしているではないか。 「ね、今日は、あなたもゆっくりしてらっしゃいよ。主人も外国に行っていることだし、ひさしぶりにワインでもいただきながら、たのしくおしゃべりしましょうよ」  文子は、燥《はしやぎ》を見せて云った。 「ありがとうございます」  そうさせていただきます、と云う前に、節子はいくらかあらたまったように、そして躊《ためら》いがちに云った。 「じつは、先生のご帰国後にお話し申しあげたかったんですが、気になって、それまで待ちきれずに、奥さまに申しあげに参りましたのですけれど」 「なんなの?」  なんなの、という軽い反問とは別に、文子は何かちょっとかまえたような姿勢になった。 「外浦は、向島《むこうじま》のほうにある銀行に個人金庫を借りておりました。わたくしは存じませんでしたが、外浦の死後に、銀行からそのことの通知を受けました」 「貸金庫ね?」  文子が何かを予感したような、ぎくりとした眼になった。 「そうなんです。そこに大事なものを保管していたらしいんです。ところが、外浦がチリへ行くにあたって、その貸金庫の代理人を土井さんという大学時代の後輩の方に指定しておりました。それも、わたくしは知らなかったんですが」 「土井さん?」 「土井信行さんというお名前ですの。日ごろは外浦もあまり親しくしてなかったようで、わたくしも外浦の生前には成田で挨拶をかわした程度です」 「日ごろ往き来されなかった土井さんという方に、大事な貸金庫の代理人を外浦さんはどうしてお頼みになったのかしら」  文子はきいたが、気がかりをふいとおぼえたようであった。 「わたくしもそれは存じません。外浦は何も申しませんでしたから」  節子の答えを聞いて、文子は、 「ヘンね」  と云った。眉を寄せ、だんだん何かを懸念しているようであった。 「外浦さんは、その貸金庫の中に、何を入れてらしたの?」  文子はなにげないふうにたずねたが、咽喉《のど》を動かして唾《つば》をのみこんだ。 「ノートが一冊きりでした」 「ノートが?」 「はい」  文子はすこし安堵《あんど》の表情をみせたが、追うようにきいた。 「そのノートには、どんなことが書いてあるの?」 「速記文字ですから、すぐには読めません。外浦は熊崎式速記術というのを知っていて、メモなんかもそれで書いておりましたから。それで速記を知ってらっしゃる方に、ノートを見ていただきました。その方は、速記法が違うので詳しくは全部がわからないけれど、お金の出納だと教えてくださいました。つまり、外浦が寺西先生の秘書として、政治献金をいただいてきた折のメモのようでございます。献金された先のお名前と、その金額とが記《つ》けてありました」 「あ、そう」  文子は愁眉《しゆうび》を開いた。ほっとしたようなその顔が、節子の注目をひいた。 「でも、奥さま。わたくしにはどうも腑《ふ》に落ちない気がいたしますの」 「どうして?」 「だって、銀行の個人金庫の中に、そんなノートが一冊しかおさめてなかったというのは、なんだか不自然な気がいたしますわ。そら、政治献金ノートは他人の眼にふれては困るものにはちがいありませんけど、それだったら、一冊きりということではなく、もっとあっていいと思います」  秘書の献金ノートは、その授受について後日の嫌疑を避けるため、記録を私的につくっておくのだが、寺西のような派閥の棟梁《とうりよう》だと、献金の口数は多いにちがいないから、ノート一冊ではすむまいというのが、節子の言葉であった。 「そうね。……」  文子はちょっと考えてからきき返した。 「じゃ、あなたは、それをどう思ってらっしゃるの?」 「たいへんとっぴな想像のようですけれど」  節子はためらいがちに云った。 「個人金庫には、そのノートが入る前に、べつな品がおさめられていたんじゃないかと思います。どうもそんな気がしてなりません」 「べつの品って、どういうもの?」 「わかりません。ぜんぜん見当がつきません。わたくしも考えたのですけれど」  文子はふたたび眉の間に皺を寄せた。節子から見て、いっしょに考えてくれているようだった。 「個人金庫の代理人になられた土井さんは、それをご存知ないの?」 「土井さんに会ってお訊きしたんですが、個人金庫の内容品は見てないと云われるんです。わたくしが引き継ぎを受けたのも、銀行の係の方からです。その前に土井さんは代理人として貸金庫室に入って、確認のために保護箱を上からのぞいたけれど、中身までは見なかったとおっしゃいました」 「その土井さんという方が外浦さんの大学時代の後輩というのはさっきお聞きしたけど、どういう職業の方なの?」 「モノをお書きになるお仕事です。それも、政治家の先生方の著書なんかを代作されているとうかがいましたけれど」  文子の表情が暗くなった。それを見て節子は云った。 「わたくしは土井さんが貸金庫の中身をとりかえたとお疑いしているわけではありませんが、こうなると、ノートの速記文字を完全に普通の文字に直して、寺西先生に見ていただこうかと思っております。それが本ものかニセものかを。先生が海外ご視察からお帰りになったら、奥さまからそのようにお願いしていただけませんか」 「いいわ」  いいわと文子は答えたが、その言葉に似ず、表情は明朗でなかった。のみならず、暗い思案顔をつづけた末に、思いきったように節子に云った。 「ねえ、わたしがその土井さんという方にお会いしてみようかしら。主人が帰国する前に。……」 「えっ、奥さまが?」  節子はおどろいて文子の顔を見たが、文子はうつむいていた。 「ええ、できたらね。あなたからは土井さんに訊きづらいことがあるでしょ? わたしだったら、ずけずけと聞けるわよ。土井さんを紹介してくださらない?」 「ええ」  節子は生《なま》返事をした。文子の唐突な言葉がなんとも奇妙だった。それに、寺西の帰国前に土井に会いたいというのも、おかしな話だった。文子夫人は、何を考えているのだろうかと節子は思った。  外浦節子は、一冊のノートを持って、寺西正毅の第一秘書梶谷富士弥のもとに行った。寺西事務所は、紀尾井町のビルの中にある。  梶谷は節子を別室に通した。彼はむろん外浦卓郎とはよく知り合っていたが、その妻とは初対面同様だった。外浦の葬儀のときに悔みを述べたくらいであった。  挨拶がすんだあと、節子は帛紗の包みを開いてノートを梶谷にさし出した。 「これは外浦が記《つ》けていたノートでございます。速記記号ですが、内容は外浦が取り扱った政治献金の手控えのようでございます」 「ははあ」  梶谷は開いたノートを一目見て、 「いやあ、このミミズが這《は》ったような記号はさっぱりわかりませんな」  と、苦笑した。 「わたくしはこれを梶谷さんに鑑定していただきたいのでございます」 「鑑定ですって? 何をですか。ぼくは、この記号にぜんぜん知識がありませんよ」 「そうではありません。記号は専門家の方に解読していただければわかると思いますが、判断していただきたいのは、その内容でございます。外浦がそれだけの献金高をほんとうに中継ぎとして扱ったかどうかでございます」 「外浦さんが扱われた献金のことは、ぼくにはわかりません。寺西先生と外浦さんとの直通でしたから。それは先生が帰国してから、じかにお見せするしかありませんな」 「先生にお見せする前に、梶谷さんなどに鑑定していただきたいのです」 「奥さんは、どうして、それにこだわっていらっしゃるんですか」 「わたくしには、このノートが、もと金庫にあったものとスリかわったニセもののように思えてならないからです。内容がデタラメで、梶谷さんにもわかると思います」  節子は、ノートの話をしたときにおこった寺西夫人の不自然な様子から、夫人が何かを隠していると思った。  総裁譲渡の前  京都の粟田口《あわたぐち》の高台に、料亭「あわた」がある。低い丘陵の斜面に七百坪を占めていた。前面に市街を隔てて吉田山のこんもりとした山丘があり、手前に平安神宮の朱の鳥居が見える。すぐ右手に東山がつづき、麓《ふもと》に南禅寺の大屋根が目に入る。青蓮院《しようれんいん》、知恩院などは左側の森にかくれていた。  十一月初旬の、ある日の午すぎ、「あわた」の奥座敷に入った男女があった。男は白髪の小肥りの人で、血色がよかった。六十半ば、つれの女性は四十そこそこ、わざと地味な色の洋服を着ているが、それだけにはなやかな顔が目立った。真珠の二連の頸飾《くびかざ》りだけが、その美貌《びぼう》とつりあいをとっていた。夫婦ではない。  両人は、ここに何度も来ている親しさを女中たちにみせたが、そのなかにも礼儀正しさがあった。いわば客として来ているだけでなく、この家の主人との交際といった感じであった。  女は銀座の「クラブ・オリベ」の経営者織部佐登子だった。老人は東方鋼管株式会社の社長石井|庫造《くらぞう》であった。人に知られないようにしているが、織部佐登子はその愛人だった。  この両人とむかい合って下座に坐っているのは、七十すぎの背の低い、小肥りの男で、渋い紬《つむぎ》の上下をきていた。この家の主人で、望月稲右衛門という。  望月稲右衛門の実体はよくわからない。とにかく資産家であった。一説には旧財閥家の落胤《らくいん》ともいい、その分与された遺産を資本にして朝鮮戦争時に何かの商売で大儲《おおもう》けしたともいわれる。いまは株をやっている。「あわた」も前経営者から抵当で取ったものである。  その「あわた」を引きついで、今のように自分がオーナーになっているのは、料亭商売が好きなのと、ここで客と会う便宜さからだった。彼自身が食道楽でもあった。  石井庫造は京都にくると、よく「あわた」を使う。そのうち望月稲右衛門と知り合い、もう十五、六年来のつきあいになった。  織部佐登子と石井との仲が成立してから八年になる。いらい、佐登子も石井に伴《つ》れられ、年に二度くらいはここに来た。彼女も「クラブ・オリベ」の商売があるので、京都は二晩泊りくらいだった。 「今年は、紅葉が遅いようですな」  石井は東山の森を眺めて云った。 「へえ、そうどす。こないだの台風でやられましてなあ。そのうえ、十月に入っても、なんや知らん暖こうおしたやろ、いつまでもな。そんで葉の色づきが遅うおす」  つくねんと坐る望月稲右衛門は、背をまるめて云った。  座敷は静かである。稲右衛門の声はぶつぶつ呟《つぶや》くようであった。 「今年は真赤な紅葉を見る日がすくのうおすやろな」  正座の稲右衛門は、膝《ひざ》の上で両の指先を、仏像の定印《じよういん》のように軽く組み合せ、これも若王子《にやくおうじ》あたりに遠い眼を投げた。  食事の済んだ石井庫造と織部佐登子と、相伴《しようばん》の稲右衛門の前に女中がお薄《うす》を運んできて引き退《さが》った。 「今日は、おふたりで奈良かどこぞへお出でやしたんどすか」  稲右衛門は茶碗《ちやわん》をかかえて佐登子に、小さなまるい瞳《ひとみ》をむけた。眼は皺《しわ》に囲まれている。  佐登子が微笑するのを石井がひきとった。 「これからそのつもりでおります。奈良もひさしぶりですからな」 「いまごろのお寺まわりはよろしおすやろ」  稲右衛門の妻は長いこと精神病院にいるということだった。 「いや、望月さん。寺まわりはつけたしで、じつはあなたにすこしお話があってきたのです」 「ほう。なんどすやろ?」 「そうあらたまってきかれると、すこし云いにくいのですが」  石井はお薄をひと口にすすりこんで目立ったが、その茶碗を置いた。志野の白釉《はくゆう》との対照で顔の血色がさらに赤くなったのは、云いにくい話を切り出す前の口ごもりに見えた。 「……これはどこまでも軽いお気持で聞いていただきたいのです。そして、この場かぎりのことにしていただきたいのですが」 「へえ。……」  膝前にかがみこんで茶碗を拝見していた佐登子が顔をあげ、横から石井を見上げ、 「わたくしは、お庭に」  と立ちかけた。 「いや、あんたもそこに居なさい。人に聞かれると困るけど、それほど秘密な話でもないからな」  軽い内輪の話というニュアンスは、石井はむしろ稲右衛門に聞かせた。 「これは頼まれた話を望月さんにお取り次ぎするのです。望月さんとぼくとが懇意というのを聞いたある人から、望月さんのお気持を打診してみてくれと云われましてね。ぼくも一応はひきうけたものの、あとになるほど気が重くなりましてね。そのままにしていたところ、外国へ行ったその人がもう帰ってきます。帰ってくると、どうだった、と訊かれるのにきまっていますから、こうしてお眼にかかりにきたわけです」 「へえ。……」  また膝の上で指を組んでいた稲右衛門が、半分伏せた顔に微笑をうかべた。 「そら、寺西正毅先生のことどすやろ」  声は呟きに似ていた。 「じつはそうなんです」  石井はうなずいたあと、 「寺西先生とどうしてわかりましたか」  と、すこしおどろいたように稲右衛門にきいた。 「そら、わかりますがな。寺西先生が外国へ行っといやすことが新聞に出ましたよってに、ぴんときましてん。それに、石井はんと寺西先生とのお親しい間を考えると、わたしかて推量がつきます」  相手の察しが早ければ、話のすすめかたも楽になった、と石井の顔が微笑に動いていた。 「ご承知のように、十二月のはじめには政憲党の総裁選があります」  石井は云い出した。 「あれ、延びましたん? 今月の中旬のように聞いてましたけど」 「党内事情で延びたらしいのです。どういう党内事情かはよくわかりませんが」 「ははあ」 「しかし寺西先生が総裁に当選することは確実です。桂総理との間に確約が成立していますから」 「新聞などが書いてる�禅譲�どすな?」 「その�禅譲�には変りはありません」 「はあ。けど、なんぼ�禅譲�かて、タダで総裁の椅子と総理の座とを譲り受けて、もらうわけにはゆかしまへんやろ?」 「はい」 「ざっくばらんなとこ、寺西先生は桂総理にどのくらいカネを渡さはることになってますのどす?」 「さあ。そのへんのところはぼくにもよくわかりませんが、まあ五、六十億円くらいは渡すんじゃないかと思います。確実なところは、いくら寺西先生と懇意なぼくにもわかりません」 「そうどすやろな」  稲右衛門は両の指先だけを揉《も》み合せていた。  表の客室からは離れているので、奥のここは静かだった。そのかわり調理場が近く、廊下にはお運びの女中たちの足音が低く聞えていた。  佐登子はうつむいたり、いくらか黄ばんでいる東山の密林へ視線をむけたりしていた。 「五、六十億。……」  稲右衛門がひとり言のように云った。 「そんなけぐらいですみますかな。もっと桂総理に渡す約束になってはるのんとちがいますか」  そのとおりだと思ったが、石井は金額が云えなかった。 「反主流、中間派、そないな議員はんたちにも寺西先生は手当てせんとあかんさかい、こりゃ、二百億近いカネがかかりますやろなア」  稲右衛門は笑って、 「石井はんも、だいぶん骨折りしはりましたなア」  と、低い声で云った。  石井はんもだいぶん骨折りしはりましたなア、と稲右衛門が云うのは総裁選に入用なカネを寺西正毅のために、その何分の一かを石井が調達していることを意味していた。  この部屋の密談は外には聞えない。  ときおり先輩らしい女中が後輩の名を呼ぶ声がした。  佐登子はこれに似た場面が以前にあったのを思い出していた。 (お秋さん、お秋さん)  寺西夫人が古いお手伝いを呼ぶ声だった。 (こっちは、あらかた片づいたの?)  寺西家の台所につづく納戸のような小部屋であった。オーストリッチの大型ハンドバッグに文子夫人から渡された二千万円の札束を詰めて帰るときであった。未明の寺西家の庭には白い鉄線花が見え、棕櫚《しゆろ》に黄色い花が垂れさがっていた。それを彼女は懐中電灯の光で見た。懐中電灯を持っていたのは背の高い外浦秘書だった。同家の裏側にあたるよその家の塀と塀との、狭い路地を往復して案内してくれたものである。  あれは石井の使いで寺西家へ二千万円をうけとりに行ったのだが、あのとき石井は云った。 (寺西先生とは話がついているから、行きさえすればカネを呉《く》れることになっている。ぼくが政治家からカネをもらうのは逆のようだが、世の中にはリベートとしての払い戻しが通則としてあるからね。ぼくが業界献金の窓口になっているから、その労への個人的なペイ・バックさ。二千万円もらってきたら、きみに半分上げるよ)  一千万円はもらえなかった。寺西家の裏から出て、道路を横断しているときに自転車の若者に突き当てられ、二千万円入りのハンドバッグを強奪された。  気が動転して、近くの公衆電話から寺西家にいる外浦秘書を呼び出し、彼に来てもらった。二千万円の被害は警察に届けないほうがいいと外浦は助言してくれた。外浦が介抱してくれたそのときの親切が記憶に残っている。  石井にその突発事故を報《し》らせると、 (その措置でよかった。警察に届けられては困るんだ)  と彼は云った。二千万円は奪《と》られっぱなしだったが、警察に届けての騒ぎになるほうが、もっと石井にも寺西にも痛かったのだ。  その外浦秘書のことを思い出して、ついこのあいだ石井に聞いてみると、 (あの男は寺西先生の秘書をやめて、もとの古巣の和久さんの東方開発に戻り、その会社が持っている南米のチリ鉱山に赴任したが、サンチアゴで交通事故に遇《あ》って死んだということだったね)  という話であった。——  ここ「あわた」の廊下から聞える女中を呼ぶ声に、寺西家の台所を思い出していた織部佐登子は、 「寺西先生は、わたしになんぼ出して欲しいと云わはるのんどすか」  という望月稲右衛門の声に、その追想を破られた。 「はあ。そう単刀直入におききくださると、ぼくもお答えしやすいです」  石井が云った。 「……二十億円です」 「二十億?」  稲右衛門はうつむき、紬の羽織を結んで垂れている紐《ひも》の房を指先でもてあそんだ。 「そら、お急ぎどすの?」 「じつは外国から寺西先生が昨日電報をよこしましてね。できるなら、あの件を早くまとめてくれというのです。ぼくも、あなたには云いにくいので今までぐずぐずしていましたが、そういう電報を外国からもらってはもうお話しするしかないと思って、おうかがいしたしだいです」 「早急に、二十億とは、少々金額が大きゅうおすなア」  稲右衛門はゆっくり云った。 「大きいです。それでよけいにあなたに申しあげにくかったんですが」  石井も相手の調子に語調を合わせた。 「……寺西先生はまだカネが足りないらしいのですな。立候補者一人の総裁選の予定日が延びたのも、カネの問題のゴタつきが原因の一つらしいですね」 「つまり、桂はんがもっとカネを要求してはりますのどすか」 「桂総理というよりもその派閥でしょうね。寺西先生に政権をみすみす渡すのですから、できるだけカネをとりたい、ゴテるだけゴテようという連中が居るのは、たしかです」 「……」 「それに、反主流、中間派も便乗している様子があります」 「石井はんの前どすけど、政治家はどうもきたないようどすなア」 「たしかにきたないです。それはわれわれのように献金をさせられる側によくわかっています」  石井はひと息入れて語をついだ。 「しかしですね、それはよくわかっているけれど、せっかく政権が眼の前にきている寺西先生の立場や心境にも同情できるんです。まあぼくはこれまでのゆきがかり上、寺西シンパですから、このさい、なんとかして先生を助けてあげたいと思うのです」 「へえ。……」 「ぼくがカネを出せればいいんですが、ご存知のようにわが業界も不況でしてね。今期などはわが社の復配が実現するかどうかもわからないくらいです」  鋼管業界は軒なみ不況である。機械構造用鋼管、一般構造用鋼管、建設用鋼管(電線管、水道、ガス管)などが落ちこんだまま、いずれも伸び悩みである。市況底入れといわれているが、低調はまだつづきそうだ。減益幅は拡大するばかりである。——  石井は、自社を含め業界を代表してそんな「泣きごと」を稲右衛門の前にならべたあと、 「そんなわけでして、こんども寺西先生には各社とも無理して献金しましたが、これ以上急場の二十億となると、もう算段ができません。そこで寺西先生から、望月さんに打診してみてもらいたいと頼まれたしだいです」  ゆっくり述べた。  稲右衛門が黙っているのを見た石井は、笑いながらさらにつけ加えた。 「しかし、これはですね、望月さん。あくまでも打診ですから、そのお気持がなければ、この場でお断りいただいてけっこうなんですよ。ぼくも軽い気持で、寺西先生の意向をお取り次ぎしたのですから、寺西先生にも軽く報告します。寺西先生はきっと笑ってうなずくでしょう。そして先生はほかの方面から金策すると思います。なんといっても次期の総理ですから、きっとカネの出場《でば》はあると思います」 「……」 「ですから、どうぞご自由にご返事ください。もし、ぼくの面子《メンツ》などを考慮されるんでしたら、そんなことは、いっさいご懸念なく。寺西先生とぼくとの関係ですからね。できなかったら、この話はあなたとぼくの間で、はじめから無かったことにしましょう」 「石井はん」  稲右衛門は羽織の紐をいじりながら云った。 「寺西政権ができると、あんたがたの企業は有形無形のペイ・バックが期待できるわけどすな。何億献金しやはったかわかりまへんが、そのカネは利子をつけて戻りますがな」 「……」 「利子というても銀行利子のようにカネでやおへんやろ。寺西内閣による特例措置や許認可権の自在な運用どすな。そうどっしゃろ?」 「さあ、それはあんまり期待……」 「期待してはらんといわれると、それは嘘《うそ》になりまっしゃろなア」 「……」 「けど、わてらの商売にはそんな見返りはいっさいおへん。政府から特別措置法をつくってもらうなんぞの恩典の見込みもおへんしな」  稲右衛門は断るつもりだと石井が思ったとき、背の低い紬の老人は云った。 「まあ、こないなイヤミを云うのんはやめときまひょ。……よろし、二十億円、なるべく早いとこ寺西先生に用立てしまひょ」  低いが、きっぱりとした口調だった。  石井は、一時自分の耳を疑って、思わず身体《からだ》を前にのり出した。 「えっ、それじゃ、二十億円を貸していただけるのですか」  確認する声のほうが強かった。 「へえ。そないにさせていただきます」  稲右衛門の口もとが笑っていた。 「わたしかて、いま寺西先生へご用立てしといたら、総理にならはったとき、なにかにつけてそのご好意を受けられると思うとります。ほ、ほほほ。こら冗談どすけどな」  口では笑ったが、稲右衛門の小さな眼は笑っていなかった。 「ありがとうございます」  石井は座布団から降りて、稲右衛門にひれ伏した。 「ご親切のほどは肝に銘じて、けっして忘れません。寺西先生もきっと同じ思いでしょう」  織部佐登子も石井にならって座布団をはずし、両手を畳についた。どう云っていいかわからなかったが、とりあえず、 「ありがとうございます」  と、稲右衛門に云った。 「まあまあ、その手ェあげて、座布団の上に直っておくれやす。そうしてもらわんことには、あとのお話がでけしまへん」 「はい」  石井と佐登子がもとのとおりに戻ったのを見て、稲右衛門が、ぽつりと云った。 「けどな、石井はん。そのカネはいますぐというわけにはゆきまへん。いくらわたしでも二十億円も手もとにおへん。そないに遊ばしとくカネ、おへんさかい」 「……」 「銀行から至急に二十億円借りまひょ。それには担保が要りますがな。その担保には、東京の赤坂|氷川台《ひかわだい》にある一千坪の土地をそっくり入れます。ほれ、氷川神社の横にある杉林の土地どすがな」  石井は二、三度大きく顎《あご》を動かした。そこを知っているからである。 「あの土地は十年前に買いましてん。あそこに『あわた』の東京店を出すつもりでな」  稲右衛門はまた膝の上で指を組み合せて、ぼそぼそとつづけた。 「けど、この商売も不景気どす。東京店を出すのは勇気がいるよってに、しばらく見合せとります。当分、家を建てるつもりはおへんよってに、あの一千坪を銀行に担保に入れまひょ。いまの時価やったら、坪三百五十万円はしますやろな。一千坪で三十五億円。この担保物件やったら、銀行からの融資は一も二もおへんやろ」 「感謝します」  石井は深く頭をさげたあと、口辺に意味ありげな微笑をうかべた。 「じつは望月さん、寺西先生もぼくも、あの氷川の土地に眼をつけて、このお願いにあがったのです」 「おや、寺西先生と石井はんは、あの土地に眼ェつけてはったんどすか」  稲右衛門は、おどろいたように問い返した。  赤坂六丁目の氷川台は、氷川神社のあるあたりが高地で、神社の玉垣に西隣する土地一千坪が杉林と雑木林のままになっている。赤坂の料亭へ行く寺西正毅は、秘書からこれが京都の望月稲右衛門の所有地と聞いたらしく、東方鋼管の石井庫造に、二十億円借入の「打診」を依頼したが、その際、この一千坪が銀行への抵当になることも頭に描いたようである。石井が不動産屋にきいてみると、氷川台でも高所になるほど地価が高いのだ。 「べつに眼をつけていたわけではありませんが、あそこを通りかかるたびに、けっこうな場所だと思っていました」  石井は平静に云った。  稲右衛門はうなずいて、 「わたしも東京に店を出すならあそこやと思うて、ずっと持っておりますねん。そやけど、いま申しましたように、現在は不景気どすよってに店出すのんは見合せてます。というたかて、景気がええようになるのんはいつのことかわからしまへんしなア。そやよってに、あれを銀行に入れて、二十億円を寺西先生にお貸しします。石井さんのお話を聞いて、そないに決心をしましてん」 「ありがとうございます」  石井は何度目かの頭を稲右衛門にむかってさげた。 「それでなア、石井はん。いつ、そのご用立てたお金を寺西先生からお返しねがえますのんか」 「寺西先生が来月の初めには政憲党の総裁と総理大臣に就任されるのは確実です。それでご返済は来年二月末ということにさせていただけませんか」 「けっこうどす。……そやけど、なんどすな、政権をとらはると、どこからともなくおカネがぎょうさん集るもんでっしゃろな」 「そのへんの機微になると、ぼくには詳しいことがわかりません」  石井は笑って答えた。  彼の「打診」は好結果に終った。 「あとは寺西先生のほうから直接に望月さんにお願いすると思います」 「へえ。わかりました」 「ご快諾をいただいて、わたしも大役を果しました」 「ご苦労はんどす」  稲右衛門の微笑《ほほえ》みを見て、畳に手を突いた石井が、突然ヘンな表情をした。彼は顔をゆがめて立ち上った。  その様子を見て、稲右衛門が手を叩いた。 「いえ、わたくしが」  織部佐登子も立って襖《ふすま》を先に開けた。 「お下《しも》どすか」  そこに来た女中は膝をついて石井を見上げた。 「すみません」  佐登子は、手洗いに行く石井を女中に頼んだ。 「どうぞ、こちらへ」  女中に導かれて行く石井の白い後頭に廊下の外からの光があたった。  佐登子がもとの座にすわり直すと、置物のように行儀よく正座する稲右衛門から話しかけられた。 「石井はんは、今年おいくつにならはります?」  にこにこしていた。 「六十五歳でございます」 「そうどすか。まだお若《わこ》おすな。病気をしやはったことはおへんか」 「いえ、とくに……」  じぶんと結ばれてからは、という言葉を佐登子は呑《の》みこんだ。 「お仕事に張りきってはるさかいにお元気どすのやろ。そやけど、お身体はじゅうぶんいたわられるよう、あんさんが気ィつけてあげておくれやす」 「はい。そういたします」  佐登子は頭をさげた。これは「妻」の立場であった。 「そのためには、石井はんもあんまりお仕事に一生懸命にならはらんで、休養や気晴らしが必要やと思います。年とってくると、ストレスといいますのんか、緊張がいちばん悪うおすよって。のんびりとされたほうがよろしおすな」 「はい」 「明日は奈良とかいわはりましたな」 「今夜から奈良の予定でございます」 「けっこうどすな。この季節の奈良は最高どす。ただ、修学旅行の生徒はんや団体はんがうるそうおすけど、こらまア仕方おへんな」 「なるべく団体の行かないところを回りたいと思います。浄瑠璃寺《じようるりじ》のあたりとか、佐保の路とか。……」 「浄瑠璃寺もだんだん人がふえたと聞きました。奈良も、よっぽどへんぴな所《とこ》へ行かな落ちつけんようになりましたな」  石井はまだ手洗いから戻ってこなかった。 「そらそうと」  稲右衛門は佐登子をじっと見て云った。 「話は変りますけど、銀座のクラブの景気はどないどす?」 「はあ、あんまりよくはございません」 「大阪のキタのほうでも同じようなことを云うてます。けど、あんさんとこのお店はそないなこともおへんやろ?」 「ぼつぼつです」 「ママさんが魅力的やさかいに、繁昌してはりますやろ?」 「まあ。そんなことはございませんわ」  佐登子は微笑の眼をあげた。 「東京へお出かけのときは、ぜひお立寄りくださいませ。クラブ・オリベと申します」 「東京へ出たら、お店に寄らせてもらいまひょ」  稲右衛門は佐登子の言葉を受けて云った。やはり膝の上に行儀よく両指を組み合せていた。 「……いまも石井はんにお話ししたように、わたしは赤坂の氷川台に一千坪の土地をもっとります。この商売を東京でもひらくつもりで前に買うときましたのやけど、いまの不況で店開いたら、すぐにつぶれるかもしれしまへんねん。そやけど、あの土地をいつまでも遊ばしておくのも、もったいのうおすよってに、すこし景気がようなったら店出そうと思いましてな、三カ月に一度くらいは様子見に東京へ行ってます」 「その折にはわたくしの店へおこしくださいませ。小さなクラブですけど」  佐登子は誘った。 「へえ、おおきに。そないにさせてもらうかもわかりまへん」 「ぜひ」 「氷川台の土地一千坪のうち、その六百坪ばかりは杉林や雑木林のままにして残そうと思うてます。料理店のほうは、その中に百坪くらいの家と、それに三百坪ばかりの庭を付けましてな」 「まあ、それはすばらしいですわ」  佐登子はその設計図を見たように小さく叫んだ。 「わたくしはまだその氷川台のご所有地を拝見したことはございませんが、お話をうかがっただけでも、自然林の中に京風のお料理屋さん『あわた』さんがあるのが眼に見えるようで、胸がときめきますわ。下には赤坂の街が一眸《いちぼう》に眺められて……」 「ま、それが出来るのがいつのことやらわからしまへんけどな。どうでっしゃろ、土地はまだ余裕がおすよってに、さきざき『クラブ・オリベ』はんが喫茶店でも出しはったら?」 「あら、ほんとにそうさせていただけますの?」  佐登子は眼を輝かしてみせた。 「あんさんさえ、そのお気持があるなら、その場所を提供させてもろてもよろしおす。石井はんの同意を得た上でな」  石井の名が出たとき、佐登子はそっと腕時計をめくった。彼が手洗いに立ってから二十分以上になっていた。 「石井はんは遅うおすな」  稲右衛門は眉を寄せた。 「だれぞにご様子を見にやらせまひょか?」 「いいえ。では、わたくしが……」  佐登子は座布団からすべって立ちかけた。 「女中にご案内させますがな」  稲右衛門は手をたたいた。  襖が開いて女中の顔がのぞいた。 「すみません」  佐登子は女中に低声《こごえ》で云った。  佐登子の前を歩く女中は廊下を曲った。右側に中庭があって、波の形に箒目《ほうきめ》を入れた白砂に黒い岩石が三カ所配されていた。片隅にせまい草むらがあって楓《かえで》が三、四本植わっていた。葉は半分|紅《あか》くなっていた。その横が手洗い所であった。  杉の木目が浮く引き戸の前で女中は、どうぞ、というように佐登子に目礼して去った。  佐登子は戸を二度ノックした。中から返事がなかった。引き戸を開けると、小便器が白く二つならんでいるだけである。それが寒々と眼に映る。いやな予感がした。  佐登子は大便所のドアを叩いた。返事がなかった。二度目は拳《こぶし》で強く打った。これにも応答がなかった。  戸を叩き、大きな声で呼んだ。やはり中からの答えはなかった。悪寒のようなものが走った。内からは挿し込み錠でロックしてあった。  佐登子は急いで女中を呼びに行った。  女中が道具を持った男の従業員とともにきた。男は乱暴に戸を叩いた。返事がないのを知ると、持参の電気ドリルで戸に窓を開けはじめた。そこは中の挿し込み錠の上だった。  このとき、うしろに稲右衛門がほかの女中たちと来て、電気ドリルの作業をじっと見ていた。  戸に四角い小窓ができた。従業員がそこから手首を入れ、指先で挿し込み錠をはずした。カタンと低い音がすると同時に、彼は戸を一気に開けた。  洋式大便器からずり落ちて、タイル張りの上にうつ伏せに倒れた石井庫造の姿がそこにあった。  佐登子が入りこんで石井の身体をゆすった。 「社長、社長!」  返答はなく、身体の反応もなかった。  稲右衛門が佐登子をつきのけるようにして石井の身体の前にしゃがんだ。彼の羽織の裾《すそ》がタイルの床を撫《な》でた。  稲右衛門は石井の肩に手を当て、そっとその白髪頭を起した。  石井庫造は眼を見開いたまま瞳《ひとみ》を一点に据えていた。稲右衛門は片方の掌《て》をその上にかざして動かした。石井の瞳は動かなかった。顔は真赤だった。  稲右衛門は石井の頭を静かにもとどおりに置いた。 「すぐにお医者へ電話おし!」  稲右衛門はふり返って女中に命じ、おろおろしている佐登子に云った。 「佐登子はん。石井はんは脳出血のようどすな」  織部佐登子は、午後四時京都発上り新幹線「ひかり」のグリーン車に乗っていた。一人であった。  トンネルを抜け、大津を過ぎると、琵琶湖が左手に少しのあいだつづく。比叡山《ひえいざん》が遠ざかっていた。  石井庫造は死んだ。医者が「あわた」にきたときはすでに心臓が停止していた。  トイレへ行く前、座敷で石井はヘンな顔をしたが、あれは脳出血に襲われる前で、突然気分が悪くなったのか。彼は望月稲右衛門に遠慮して何も云わずに立って行った。そばにいた佐登子も気がつかなかった。  佐登子はあとのことを稲右衛門に托《たく》して、逃げるように「あわた」を去った。稲右衛門は万事をひきうけると云った。東京の石井の家族に電話することも、遺体を離れに安置することも、そうして東京からかけつけた家族に石井は単独でここにきたと話すことも。従業員にはきびしく口止めさせるであろう。  あっけないことだった。八年間の石井との縁がふいに切断された。音も聞えない。  安土《あずち》の小さな丘が見えたあたりから涙が溢《あふ》れ出た。座席にうつむいてハンカチを顔に押し当てた。石井との憶い出が、啜泣《すすりな》きをやめさせなかった。  車掌が二人づれで検札にきたが、肩をふるわせて伏している婦人客を見ると、そのまま通りすぎた。ほかの乗客がちらちらと視線を送ってきた。乗客は少かった。  ようやく佐登子は洗面所へ立った。大垣をすぎたあたりだった。鏡に映る眼が真赤だった。顔を直すのに時間がかかった。  岐阜あたりで席に戻った。また涙が出そうなので、石井のことはなるべく考えないように努力した。考えるにしても、二人の過去ではなく、現在の「事務的」なほうへふりむけるようにした。  石井は、寺西正毅から頼まれた二十億円融資の依頼を望月稲右衛門に果してから死んだ。稲右衛門が云った言葉が佐登子の耳に残っている。 (石井はんがこないなことにならはってわたしのご返事を寺西先生へ伝えるのはあんさんだけどすさかい。先生のお耳にはあんさんから入れておくれやす。石井はんから頼まれた件は、望月が承知しましたと云うてな)  石井庫造は寺西の希望のたんなる伝達者であった。じっさいの交渉は寺西と稲右衛門のあいだで直接おこなわれる。  石井は大役を果して死んだ戦国時代の忠烈な使者のようなものだった。稲右衛門の言葉もそのへんをくんだのだ。寺西正毅は石井の霊に感泣しなければなるまい。  列車は徐行しはじめた。乗客が立ち上って網棚のカバンなどを取ったりしている。名古屋が近づいていた。 「ぐずぐずせんと、早うしいや」  母親が子供の手を引張っていた。  ホームが流れてきて、止まった。二分間停車とアナウンスが云っている。  放心した佐登子の眼に、ホームに立つ一団の男たちが映った。三十人くらいが輪になってかたまっている。転勤者の見送り風景のようであった。が、違うのはその見送り人たちが、発つ人にぺこぺこと頭をさげていることだった。万歳の声もない。立話がつづいている。  見送られるのは三人である。胸に金バッジがきらめいている。白髪と禿頭《とくとう》と濃い黒髪の男と。——その黒髪の男の横顔を見て、佐登子の虚《うつ》ろな眼は醒《さ》めた。川村正明だった。佐登子は思わず窓ぎわから顔を引いた。  発車ベルが鳴った。見送り人たちは一斉におじぎをし、ついで拍手が起った。  議員三人はこっちの十一号車にくるかと思ったが、乗ったのは前の十二号車であった。それに最後に乗った川村がステップに足をかけたとき、ひょっこり顔をこっちへむけた。佐登子は、川村に見られたかもしれないと思った。一瞬だが、彼が眼をみはったようであった。  拍手し、手を振っているホームの一団が窓からうしろへ過ぎた。陳情組か、それとも政憲党名古屋支部主催の演説会があったのかもしれない。川村正明が一カ月ほど前、党内の「革新クラブ」から桂派に移ったことを佐登子は新聞で読んでいた。  名古屋を出て三十分経った。入口の自動ドアが開いて川村がここへやって来そうな気がした。佐登子は身がまえていた。  川村が青葉台の家にオーストリッチの大型ハンドバッグを「手土産」に持ってきたときが思い出される。いきなり挑みかかってこられた。抱きしめられて唇を吸われそうになった。 (佐登子さん。あんたを愛している。あんたに旦那さんが居てもかまわない。……あんただって、ぼくが好きなはずだ)  その声が耳にいやらしく残っている。  あのハンドバッグは石井の使いで寺西家へ二千万円をうけとりに行ったときに役立った。よその家の塀と塀との間を身体を斜めにして寺西家の裏口へたどりついた。外浦秘書の持つ懐中電灯の光がちらちらしていた。  病院に入ったとき川村の秘書の鍋屋が見舞いにきたと佐登子は波子から聞いたが、ハワイに行ってから川村とはそれきりになった。こちらからよせつけなかった。  川村が恨みごとを云いに十二号車からここへくるかと佐登子は緊張したが、東京に着くまでそのことはなかった。  犯行宣言  土井信行は事務所の帰りに神田の古着店へ行き、ガウンを一着買った。そのついでに文房具店に寄ってビニール製の袋を十五、六枚ばかり求めた。  マンションの入口で、四階の部屋にいる会社員と顔を合わせた。彼とはよくこうしてエレベーターでいっしょになる。 「朝晩が寒くなりましたね」  小さな会社の役員らしい四十半ばのその男は云って、土井がさげているアタッシェ・ケースのほかに右手に抱えているふくれた包みに眼をとめた。 「お買いものですか」  これも挨拶のつもりであった。 「はあ。ちょっと」  土井は思わず包みを隠すようにした。古着店の包装紙は店名がなく、ありきたりのものだった。もう一つのは、文房具店の四角い紙袋である。 「さよなら」 「失礼します」  会社員は四階で降りた。  土井は五階の部屋に帰った。  キーでドアを開け、中を見渡した。これが近ごろ習慣となっている室内点検をした。異常はなかった。  ほっとしてコーヒーをわかした。心の安まりを求めた。コーヒーを飲むのに時間をかけた。  ふくれた包みを開いた。中古のガウンがあらわれた。消毒もクリーニングもしてある。表は太い棒縞《ぼうじま》、裏は鼠色《ねずみいろ》の木綿地であった。  洋服ダンスを開けた。毎夜常用のガウンが吊《つ》り下がっている。チェック模様だ。これをハンガーからはずしてきた。裏はやはり鼠色の木綿だった。古着店のとくらべてみた。クリーニングが済んだばかりなので、古着店のほうがすこし新しく見えるけれど、着古した程度は同じくらいだった。  次に文房具店で買ったビニール袋を出した。これにあり合せの紙を入れて上からさわってみた。ばさばさと紙の音がする。  鋏《はさみ》と、縫い針と糸とを持ち出した。ガウンの裏地の縫いを鋏で入念にほぐした。これは二方だけで、裏地がめくれた。ビニール袋をその間に挿しこんだ。そうしてガウンの表から手を当ててみた。やはり、ばさばさと紙の音がした。ビニール袋の中に入れても紙の音は消えなかった。何度やっても同じだった。  土井は失望した。  文子夫人の「手紙」を分散して二枚のガウンの裏に縫いつけて隠す方法を考えついたのだが、これでは留守中の闖入者《ちんにゆうしや》にガウンをさわられると「手紙」の所在がわかってしまう。  もっとも眼につきやすいありふれた物の中に隠すというのが思いつきだったのだが。——  ビニール袋の中に入れたのでは、ガウンの上から触ると、紙の音を消すことはできなかった。  どうしたものかと土井は思案した。けっきょくビニール袋がうすくて、やわらかいから役に立たないのだ。もっと硬いものならよかろう。  そこでセルロイドの書類入れ袋を考えついた。あれなら硬い。ビニール袋よりは少し厚いが、試してみようと思った。  時間はあった。近くの文房具店はまだ店を開けているはずだ。土井はアタッシェ・ケースをさげて部屋を出た。キーを入念にかけたのはいうまでもない。  少しの外出でもアタッシェ・ケースをいちいち手にさげていなければならない。その煩しさから土井は早く解放されたかった。事務所への往復にもどのような事故があるかわからない。出勤しても留守中安心して置ける場所が欲しかった。ガウンの裏が「闖入者」の眼に盲点と気づいたとき、これしかないと思った。同じポウの小説「盗まれた手紙」を真似ても、「銘茶」の空きカンに入れておくよりもずっと安全である。  いつとはわからぬ一戸建ての家を借りるまでは、この方法しかないのだ。  土井は文房具店に入った。女店員がセルロイドの書類袋を出した。彼は持参の紙を三枚重ねてそれに入れ、上から手でさわってみた。ばさばさという紙の音はしなかった。セルロイドを曲げてみた。それでも紙の音はしなかった。  女店員は、客の変った実験に妙な顔をしていた。土井は二十枚買った。  マンションに戻り、部屋に入った。二着のガウンは裏返しになったままに置かれている。  彼はアタッシェ・ケースから「手紙」をとり出して三枚を入れ、これをほどいたガウンの裏地の間に挿し入れた。そのあとでガウンの上からさわった。やはり紙の音はしなかった。ただ、セルロイドの硬さがふれるだけである。  二着のガウンの裏にこうしてセルロイド袋を一枚ずつならべて縫いこむ。こうして「手紙」を縫いこむのだ。こんな絶好な隠し場所はあるまい。秘密書類の隠匿場所といえば、鍵《かぎ》のかかった机の抽出《ひきだ》しの中か、天井裏か、画の額ぶちの裏か、植木鉢の底などが考えつきやすい。  土井は二着のガウンの裏をほどきはじめた。背中にあたるところは広いし、裾《すそ》も長い。セルロイド袋に「手紙」を四枚ずつ入れると、二着のガウンの裏に全部格納できる。ガウンの裏をほどいたり縫いつけたりするくらいは男の手で十分にできた。  仕上ったガウン二着を洋服ダンスの中のハンガーに吊《つる》した。最も日常的すぎる盲点だった。これでアタッシェ・ケースから解放されたと土井は思った。 「向う側」には波が起っていた。  寺西正毅の第一秘書梶谷富士弥は、外浦節子が持参したノートを検査した。熊崎式速記記号で書かれたそのノートを、同じ熊崎式のわかる速記者にひそかに復元させたところ、まったくのニセものであることがわかった。  いかに元秘書の外浦卓郎が献金の出納を「心覚え」としてつけていたとはいえ、その内容はあまりにも空疎であった。それは寺西正毅本人に確めるまでもなく、第一秘書にはすぐ鑑定がつく。ノートの記載は、この世界に無知であり、ズブの素人による偽作が、一目|瞭然《りようぜん》であった。  記入された政治献金の提供者は大手企業や団体で、さもそれらしい名前になっているが、各派閥に対して共通のものが多く、寺西派独自のものがない。つまり自治省が公表する企業や団体名を安易に取っているのだ。それに、各献金額もいい加減なもので、非現実的な数字の羅列《られつ》になっている。  また、速記の専門家が見たところでは、一見熊崎式の記号になっているが、それに習熟しない者が書いたもの。習熟者がもつ線の闊達《かつたつ》さや、スピード感がない。あたかも熊崎式速記の見本にしたがってなぞったとわかる。記号の線は鈍化し、ペンに力が入りすぎている。  ただし、これはズブの素人が書いたのではなく、熊崎式以外の速記者の手になったと思われる。——  以上によって、熊崎式速記に慣れた外浦卓郎の献金ノートに似せたものを、第三者が作製した幼稚なる偽物と結論づけた。  偽ノートの目的は、外浦の妻節子が云うように、外浦が銀行の個人金庫に入れておいたものとスリかえることにあったと、寺西の第一秘書梶谷富士弥は推定した。  問題は、外浦が個人金庫に入れておいたものが何だったろうかということにある。外浦が自己にふりかかる着服の嫌疑を回避するために献金受領のノートを私的に作製していたことは事実であろう。が、それはどの議員秘書も「防衛」のために「心覚え」をつくっていることであって、かくべつ珍しくはない。第三者が取得するために手のこんだスリ替えを行うほど、外浦自身の出納簿に重大な秘密が書かれていたとは思えない。  梶谷秘書は、外浦節子がきてこのノートのことを寺西夫人に話したところ、「夫人の表情が変った」という言葉がひどく気になった。文子夫人がノートの話にショックをうけたというのは、どういうことだろう?  しかし、こればかりは梶谷にも見当がつかなかった。推測できるのは、スリ替えた者が、その本来の正体を知っていたということである。  梶谷は不安を持ったが、文子夫人の衝撃のこともあって、彼女に直接に問えなかった。  外浦卓郎名義のA銀行|向島《むこうじま》支店個人金庫は、外浦節子の話によると、外浦の大学時代の後輩土井信行が「代理人」になっていたという。 (外浦はそんな銀行の貸金庫を借りていたことなどは、わたしにはすこしも云いませんでした。ですから、外浦がチリに出発する前に土井さんをその貸金庫の代理人に指定していたということも知らなかったのです。外浦がチリで死んでからA銀行向島支店からの通知で、はじめてその事実を知ったわけでございます)  奥さんは土井さんという人に会われましたか、と梶谷第一秘書は節子に訊《き》いた。 (土井さんは外浦がチリに発つ際、成田空港に見送りにきていただいたので、そのときはじめてお目にかかりました。外浦が、土井君は大学時代の後輩だと紹介しただけで、べつに話は交わしませんでした。土井さんと話らしいお話ができたのは、わたくしがアダムズ・ホテルの土井さんをお訪ねしたときです。貸金庫にあったノートのことをうかがったのです)  土井さんはどう云っていましたか。 (自分は外浦さんに依頼されてA銀行向島支店の個人金庫の代理人になったけれど、その金庫の内容までは見ていないと土井さんは云われました。その銀行には、代理人の手続きをとるために外浦といっしょに行ったのが一回で、そのときは金庫室に入らなかった。金庫室に入ったのは外浦が死んでからで、そのときは金庫の保護箱を確認しただけで、内容は見なかった、とそう云われました)  つまり土井さんはその銀行の個人金庫室に入ったのは一回きりだと云われたのですね? (はい。ですからその保護箱の包みの中がノートであったかどうかも知らなかったと云われるのです)  いま、土井さんは赤坂のアダムズ・ホテルに事務所を持っていると云われましたが、土井さんはどういうお仕事をなさっておられるのですか。 (著述業と申すのでしょうか。それもご自分の著作ではなく、他の方から頼まれて、その方の代作のようなことをなさっているように噂《うわさ》で聞いております。それも政治家の著書とか、演説の草稿とか、そういった方面の代作だそうです)  名前は土井信行さんですね? (はい。まだ三十すぎの、お若い方です)  外浦節子を帰したあと梶谷秘書は、土井信行の調査をしなければと思った。  寺西派の議員錦織宇吉が「偉人・寺西正毅」の出版を思い立ち、その代作を秘書の畑中正太郎を通じて、土井信行に頼んだ。  目先がきいて、口八丁手八丁の錦織宇吉がこのような「著書」を出すのは、いうまでもなく「寺西総理」の出現が間近にせまっているからである。こういう種類の代作者は土井信行が現在第一人者だというのである。  ところが、代作をいったん引きうけた土井が急に一方的にその約束を破棄した。電話でその通知をうけた畑中秘書は、アダムズ・ホテルの土井事務所へかけつけ、中止の理由をきいたが土井は明答しなかった。そこで畑中は土井を面罵《めんば》してひきあげた、というのだ。  どうして土井が錦織宇吉の代筆を急に断ったかさっぱりわからない、と畑中秘書は梶谷のもとにきて云っていた。忙しい土井だが、これまではそのような不義理な行為に出たことは一度もなかったという。  梶谷は、いまにしてひそかに考える。それは「偉人・寺西正毅」という寺西正毅伝に原因があったのではなかろうか。というのは「銀行貸金庫にあったノートの話をすると、文子夫人の表情が変った」という外浦節子の言葉に思いあたったからだ。  その言葉を分析すると、寺西夫人がショックを受けたのはノートそのものではなく、それが貸金庫にもとからあったものとスリ替っていたことにある。すると文子夫人は外浦卓郎が貸金庫に入れたものが何であるかを知っていたことになる。  貸金庫の預託品と偽造の献金ノートとを取りかえたのは「代理人」の土井いがいにはない。とすれば、土井が見たであろう預託品の内容と、彼が寺西正毅伝の代作を途中から理由もなく破約したこととが、ここに結合してくるのではないか。——  こう考えたものの、梶谷秘書には外浦が貸金庫に入れたモトのものがいかなる物体だったかはまだ推測がつかなかった。これを文子夫人に質問するには、不安が先にくる。帰国を待って寺西御大に訊くのは、もっと危険をはらんでいるように思える。  けっきょく土井信行当人にあたるしかない。が、それをするにはそれ相当な準備が要る。急激にすると失敗しそうである。直接に本人にあたる前に、梶谷は土井の周辺をさぐることにした。  土井信行は議員の著書や演説の代作に才能がある。理論が整然としているというので人気があった。彼の「理論家」たる所以《ゆえん》はどこからきているのか。  土井信行とは何者か。  調べるまでもなく彼が全共闘くずれのゴーストライターであることが梶谷秘書にわかった。  一九六八年時の大学騒動を捲《ま》き起した中心の東大全共闘。——土井がその全共闘会議の主要メンバーだったことは、彼に「先生の代作」を依頼する議員秘書たちのほとんどが知っている。かえって「だからこそ代作させても当人の身がわりとなってその理論は鋭い」という秘書仲間の評判をとっていた。  かつてはその闘士だったというだけあって、転向したいまの土井信行には危険がなく、職業とはいえ、むしろ政憲党議員の代作をしている事実によって、体制派に協力している。たとえば全共闘以前の全学連の闘士でも、現在ではかつて彼らが抵抗し憎悪した「保守反動」の陣営に入って、「保守擁護理論」を展開しているのが少くない。同様に、全共闘くずれの土井信行には危険はないはずだった。  だが、転向した「思想犯」的な人物には、治安当局のように、体制側は懐疑を持ち、猜疑《さいぎ》的ですらある。  梶谷秘書は土井信行に対して調査の必要を感じた。  土井は、南麻布辺のマンションに五年前から入居している。独身だが、同棲《どうせい》した経験がある。子はない。著述業。その実は主に保守党国会議員の代筆を業とし、年収が三千万円近くある。  マンションから土井は赤坂のアダムズ・ホテルの「土井事務所」へ通う。事務所の部屋代が年間契約で約六百万円である。女性関係は聞かれない。事務所に一人の女性速記者を傭《やと》っている。彼が口述し、彼女にその速記をとらせている。  こういうようなことを梶谷第一秘書は、若い秘書などを使って調べさせた。寺西正毅には秘書が十二人居る。地元の秘書は十六人居る。  部下の秘書からこの報告を受けた梶谷は、土井信行が速記者を使っていることから、これをA銀行向島支店の外浦卓郎名義個人金庫にあった「献金ノート」に容易に結びつけることができた。速記者の名は佐伯昌子というそうだ。三十一歳。夫が居るという。  佐伯昌子は土井に専属する前は、速記者が集っている某速記会に所属していた。会の経営者は外部からの依頼に応じて速記者を派遣する。それまで土井は原稿を自分で書いていたが、仕事が忙しくなってからそれでは間に合なくなり、派遣されてきた佐伯昌子を速記会から引き抜いて自分の専属に傭った。その速記会の方式は中根式であり、佐伯昌子もむろん中根式であった。  梶谷第一秘書は、土井信行に付いている佐伯昌子が中根式の速記者と聞いたときから「献金ノート」の筆者は彼女に間違いないと推定した。  速記者は方式の違う速記を書くこともできなければ、読みとることもできない。衆参両院の速記者(これも両方で方式が違う)に聞いても、みんなそう云うのである。外浦節子がA銀行向島支店に設置された亡夫名義の個人金庫から持参した「献金ノート」は熊崎式速記記号でつけられてあった。熊崎式速記は今は珍しいということだった。外浦卓郎は前からその熟練者であった。  ところが、その「献金ノート」の熊崎式速記は、それに慣熟した者が書いたのではない。記号に円滑なところがなく、速記者特有のスピード感もなく、ひどくぎごちない。他の方式の速記者が熊崎式を真似て書いたのだとは、梶谷がそれを見せた専門家の鑑定であった。ということは外浦卓郎がこれを書いたのではないのだ。そこで中根式速記者の佐伯昌子が、土井の指示にしたがって熊崎式を模倣して書いたということはもはや疑いないことになった。「献金ノート」は外浦卓郎のノートに見せかけた土井の偽造である。これが決定的となった。——  しかし、梶谷秘書は、土井信行はもとより佐伯昌子に直接に当ることを避けた。ただ、土井と佐伯速記者との間に特殊な関係があるかどうかを、アダムズ・ホテルの従業員などに部下の秘書からそれとなく聞かせてみた。が、そこからは梶谷の予期した答えは出なかった。両人は雇傭者《こようしや》と被雇傭者の間でしかないというのである。客の言葉つきや態度や様子に敏感なボーイやメイドたちが、確言するのだから間違いはあるまい。とくに、土井と佐伯昌子とは「事務所」という一つ部屋にいつもいっしょに居るのだから、何かがあれば必ず従業員らの眼に映る。逃れようはあるまい。  このようなことはわかったが、それ以上深く、当人に気づかれずに調査するには限界があった。  寺西の第一秘書梶谷富士弥は、ここまでのことを寺西派の幹部三原伝六議員にうち明けた上で、今後を相談した。  たぶん三原議員の「指示」があったのかもしれない。警察関係者がA銀行向島支店を「私的」に訪問した。  外浦卓郎名義の同行個人金庫に、その代理人の土井信行が何回入っているかをその警察関係者は内密に訊いた。  銀行には守秘義務がある。けれども、総じて銀行も警察には弱い。たとえ捜査令状を持ってこなくても、相当上級の警察官が笑顔で懇談してくれば、その懇談的な要請に銀行側はこたえざるを得ない。  支店長は、次長と個人金庫室の主任とを呼んだ。  銀行支店次長と個人金庫室主任の話では、「代理人」土井信行は、外浦卓郎の死後に二回、同人の個人金庫を見に訪れていることがわかった。まだ外浦の妻の節子に引渡しをする前であった。  ことにその第一回目は、女子行員立会いのもとに抜き出した外浦の保護箱を土井が抱えて個室に入り、一時間以上もそこから出てこなかった。土井が金庫の保護箱に収められた外浦の預託品をゆっくりと見ていた、としか思えない。  第二回目のとき、土井はアタッシェ・ケースをさげて個人金庫室に現れ、同じく外浦の保護箱を抱えて個室に入った。このときは二十分くらいそこに居て、やはりアタッシェ・ケースを持って出てきた。いずれも女子行員の証言である。  この第二回目のときに、保護箱の中にあったものが、熊崎式速記で書かれた「献金ノート」とスリ替えられたと思われる。土井はアタッシェ・ケースに自己偽造のノートを忍ばせて金庫室に来て、前からあった外浦の預託品ととりかえ、個室の中で同じアタッシェ・ケースに入れて持ち帰ったにちがいない。  土井信行をそれほど欲しがらせたものは何だったのだろうか。これが三原議員と梶谷富士弥両人の疑問の焦点となった。  梶谷は外浦節子が寺西夫人と会ったときの話を引いて、問題の貸金庫にあったものは、もしかすると文子夫人の一身上に関する文書のようなものではなかったか。そういう推測を三原に云った。しかし、これはあくまで想像で、その正体についての推定はつかないと述べた。  これを聞いて、頭の禿《は》げ上った、眼の鋭い三原議員の顔色が変った。長い間、捜査畑を歩いてきた経歴者だけに、梶谷の想像だけでも、そこから三原の「経験則」が脳裡《のうり》に展開した。この問題は二人の間に限定して、他人にはもとよりのこと寺西夫妻にも当分厳秘にしておくことを三原は梶谷に云い含めた。  土井がA銀行向島支店の貸金庫から謎《なぞ》のものを引きあげたからには、そのあと他銀行の貸金庫にそれを移した可能性もある。それほど重要なXを独身の土井が留守中のマンションの部屋に置いておくわけはない。人目の多いアダムズ・ホテルの事務所はもちろん不適当である。  三日もすると、三原議員は梶谷富士弥をこっそり呼んで、調査の結果を話した。  それによると、B銀行大井町支店に、土井信行から個人金庫のことで問合せがあったという。支店長代理の栗本典夫がOホテルに出むき、ロビーで土井と会って話し合ったが、結局、土井のほうから個人金庫の利用を断ってきた。理由は、貸金庫の借りうけに付帯する条件的な定期預金に土井が難色を示したというのだ。  それ以外に他銀行の貸金庫を土井が借りている事実はない、とも三原議員は云った。  梶谷富士弥は三原議員の「調査能力」に驚嘆した。  三原議員は、寺西の第一秘書に、土井信行または他の者から、Xについて何か反応はきていないかと鋭い眼つきで訊いた。たとえばXと引きかえに交換条件の申込みのようなものである。  そういうものは今のところいっさい来ていないと梶谷富士弥は三原に答えた。  聞いた三原議員は黙考した末に、 「現物は土井がまだ持っている。どこかに隠匿しているよ」  と断定を云った。 「土井は独身ですから、留守中のマンションを危険と思って、速記者の佐伯昌子に預けているかもしれませんね。佐伯が働きに出ている間は留守に亭主が居ますから」  梶谷の推測を三原は即座にしりぞけた。 「いや、そんなことはあるまい。それほど大事なものは、絶対に他人には預けないよ。現物はかならず土井が持っている」  そのXを早くこっちへ取り返さなければいけない、というのが三原議員の強い意見であった。  寺西議員の私設秘書をしていた外浦卓郎が何をA銀行向島支店の個人金庫に格納していたかはわからない。しかし外浦卓郎は寺西が東方開発社長和久宏に請うて、秘書にした優秀な人物だ。有能な人物ほど危険性を持っているというのが、治安畑をも歩いてきた元警察官僚三原伝六の人物哲学であった。事実、三原も外浦をたびたび見ているし、話も交わしている。いまとなってはその外浦卓郎観はかえって強くなっていた。 「外浦君は寺西先生の秘書を急にやめてしまったね」  三原は思い出して梶谷に云った。 「急というほどでもありません。和久東方開発社長との二年間の約束期間は過ぎていましたからね」  梶谷は、外浦の寺西秘書辞任をとくにあやしんではいなかった。 「それは和久社長のほうから寺西先生に、外浦君を早く自分のもとへ返せと矢のような催促があってのことかね?」 「それは聞いていません。外浦君のほうから秘書をこのへんでやめたいと寺西先生に申し出たそうです」 「やっぱりね」  三原議員は、なんとなくうなずいた。そのうなずきついでに、 「外浦君は和久社長に希望して、すぐにチリの現地法人『チリ東方開発』に副社長として赴任したね。そして、これもすぐだったが、交通事故で死んだね。運転を誤って車を街路樹にぶっつけたそうだが」  と呟《つぶや》いた。 「あれはほんとに彼の運転のミスだったのかね? 交通事故には自殺と区別のつかないものがあるからな」  三原伝六議員は、また梶谷にこうも云った。 「もし外浦君の交通事故が、じっさいには自殺だったとしたら、A銀行向島支店の個人金庫に入れてあったのは、外浦君の遺書と違うかね?」  この疑いは濃厚だ、と三原議員は云うのである。 「外浦君の遺書だとすれば、それには寺西先生夫妻に迷惑がかかるような重大なことが書いてあるかもしれないな」  三原は、刑事のような底光りのする眼に思案の色をうかべた。  梶谷が黙っていると、 「その重大な遺書の入った個人金庫の代理人に外浦君がどうして土井を指定したのか、その理由がよくわからない。それではまるで土井にXの内容を知らせるようなものじゃないか。どういうことだろうね、わからんな」 「わかりませんね」 「とにかく、その物件を早急に土井から取り返すことだよ。寺西先生の政敵の手に入るようなことにでもなったら一大事だ」  この場合の「政敵」とは野党などではなく、党内第三勢力の板倉退介派を意味していると梶谷は思った。 「そうです。そんなモノが板倉派に入ったらたいへんですね」  梶谷がうっかり云うと、 「板倉派じゃない。桂派だ」  と三原議員は断固とした語調で、まるで怒鳴るように云った。  梶谷秘書は、三原は妙なことを云うわいと思った。桂総理はこの十二月にも寺西正毅に次期政権を譲るようになっている。それはむろん公開はされないが、桂派と寺西派の諒解《りようかい》事項となっている。新聞などではしきりとそれを書き立てている。桂派と寺西派とは、いわば唇歯《しんし》の関係にある。それなのに、桂派がどうして「寺西派の政敵」になるのか。梶谷秘書は、怪訝《けげん》な眼で三原議員の顔を見上げた。 「きみにはまだ読めないだろうな」  三原伝六は遠くへむかって言葉をかけるように云った。 「桂派は、今も手兵をふやしているよ。この前も中間派の川村正明を自派に入れたじゃないか。親父さんの川村孝平は党の重鎮で偉かったが、二世の正明はボンクラだ。こいつ、小山田総務会長あたりにおどかされて他愛《たわい》なく桂派へ入った。桂派はそんなふうにじぶんの派閥をふやしている」 「それは寺西先生に政権を委譲したあとも、桂派が威勢を保っておこうというつもりからじゃないですか。政権を取った派閥は大きくなりますからね。それへの守りじゃないですか。次にはまた政権が寺西派からくるという含みのためにもね」  梶谷の言葉を三原議員は黙って冷笑していた。  三原伝六議員を中心に、土井信行の持っている「重要文書」の奪回作戦が極秘のうちに練られた。普通では、土井はとてもこちらの云うことをきかない。土井がそれを持っていることの最終目的がどこにあるかはわからないにしても、とにかく彼が「持っていること」それ自体が、こっちにとって危険であった。  正当な交渉で土井からそれをとり戻すことができないとなると、やむを得ず裏の面から工作しなければならない。「治安」関係に携わってきた三原議員は、そういう実行部隊を持っていた。  だが、いかに極秘裡に事を進めようとしても、その工作が複数の人間のあいだで計画される以上、どこかにそれは洩れてくる。  早い話が、派閥所属の議員には、ひそかに他の派閥と気脈を通じている者が少くない。A派所属の議員はB派に心を寄せ、B派所属の議員はA派にこっそり二股《ふたまた》をかけているといった具合にである。これを「隠れA派」とか「隠れB派」とか、あるいは「隠れC派」とか称している。少々どぎつい言葉を使用するなら、「二重スパイ」といえるかもしれない。議員秘書団を含めてである。このへんはまことに複雑に交錯している。  寺西派に三原伝六議員が居るように、他派閥にも、同じように「治安」関係の履歴を持つ議員が存在する。そうして彼らもまた三原議員同様に、ある種の団体と親睦《しんぼく》である。——  このごろ、寺西正毅を誹謗《ひぼう》する怪情報が永田町一帯にひろがるようになった。寺西は目下海外視察に出ているが、あれは政権の座につくのを予定して、外国と利権の極秘交渉にまわっているというのである。なかにはそれを具体的に表現して、ある開発途上国に対して寺西は多額の「商品借款」を約束した。日本の商品は開発途上国ではひどく高価で売れる。その差額を、相手国の高官と寺西とが分け合って取得するというのであった。  また寺西が外遊途中に立ち寄ったある国には、名は非公式の友好訪問だが、その実はその国の資源輸入に関する利権の獲得にあるというのだった。寺西がその密着している企業のためにとりはからったことで、そのため寺西にはその企業から巨額の政治献金がなされるはずだという。こうしたことは寺西が政権の座につかなければ実現の困難なことばかりだ。 「寺西はもう総理気どりで居やがる」という悪評が出た。事実、寺西正毅が訪問した国々の政府は、近い将来の日本の首相として非公式ながら最大の歓迎を尽し、政策についての注文をつけた。こうしたことが同行の新聞記者団によって報道された。  寺西の海外視察がまるで「汚職の準備旅行」ででもあるような謗《そしり》は、永田町の怪情報だけでなく、院内紙や、いわゆるブラック・ジャーナリズムにも載りはじめた。 「ちょっとマンションに帰ってきます。取ってくるものがあるのでね」  その日の午後二時半、土井はアダムズ・ホテルの事務所を出るときに佐伯昌子にそう云っている。珍しいことで、これまで彼がこんな時間にマンションに帰ったことはなかった。あとで佐伯昌子はあのとき土井は、ふっと死魔に招かれたのだと述懐している。  だが、土井からすれば、虫が知らせたというのだろう。仕事の途中だったが、ふいと留守の部屋が気になって胸騒ぎをおぼえたのだった。  交通渋滞で、いつもの倍の一時間近くかかった。マンションの駐車場はガラ空きだった。出入り口前に白いライトバンが一台とまっている。見かけない車だが、どこかの商店が品物を配達に来たのだろう。青い作業帽と作業服の運転手が、ハンドルに上半身を伏せて居眠りをしていた。顔はわからない。  小さなロビーにはだれもいなかった。真昼の三時半、空洞のようにがらんとしている。人間や車が充満する外からくると嘘《うそ》のように静かな世界だった。  エレベーターも一人だった。五階でとまった。降りた通路にも人影はなかった。  土井は部屋の前にきた。腰をかがめて、とり出したキーをドアの鍵穴にさしこんだ。  瞬間、部屋を間違えたかと思った。青い作業服の男四人がそこにいた。みんなが、時ならぬときに戻ってきた土井を見つめて動かないでいる。角刈り頭の小肥りの男、髪の長い髭《ひげ》の男、いかつい肩の男、いっせいに土井を睨《にら》んだ。窓のカーテンは閉めたままだった。  床の上にガウンが二枚ひろげてあった。裏地が引き裂かれ、セルロイドの書類袋が十五、六枚散乱して、鈍く光っていた。一人の男がそこからとり出した紙を、カバンの中に詰めているところだった。げんにまだその手には「手紙」が握られたままだった。土井はそこに凍りついたようになった。 「土井信行だな?」  小肥りの男が低い声で確認した。 「……」 「やっと、これを見つけたよ」  男は顎《あご》を「手紙」の束にしゃくった。 「ガウンの裏に縫い付けたとは、うまい思いつきだな。けどな、洋服ダンスの中にガウンを二枚もならべて吊《つ》りさげていたのは不自然だったよ。普通の男は、そんなことをしないものだ」  静まり返った中で、土井信行の意識がとらえたのは、男たちが鉄パイプを持って立ち上った光景までであった。あとは脳天が砕かれた。  翌日の各紙朝刊には、土井信行が南麻布のマンションの自室で、侵入者により鉄パイプの乱打をうけて死亡した記事が出た。 ≪……犯行時間とみられる午後四時ごろは同マンション五階の各部屋には人が少く、だれ一人としてこの凶行に気がつかなかった。ただエレベーターを降りてきた作業服の男四人がマンション前に待たせてあったライトバンに乗りこみ走り去ったのを近くの人が目撃している。四人は作業帽をま深にかぶり、顔をかくしていた。この四人が土井さんを殺害した犯人とみられる。またライトバンの運転手もその仲間と思われるが、目撃者がおぼえていた車の番号によりライトバンは五日前の盗難車とわかった。  所轄署の調べによると、土井さんの致命傷は鉄パイプの強打による頭骨の陥没で、即死と推定される。そのほか、肩、胸、背中などにも打撲傷があり、土井さんは鉄パイプを持った犯人にいっせいに襲われたとみられる。現場は血の海で、さんびをきわめている。  洋服ダンスからガウンがなくなっている以外、部屋の中は荒らされていない。土井さんは独り暮しだったために正確な金品の被害状況はわからないが、強奪されたものはなかったと思われる。洋服ダンスには洋服が四着ぶんかかっていたのに、犯人はなぜガウンだけを持ち去ったのか、捜査側は首をひねっている。  また鉄パイプを凶器に用いたことから、殺害の手口が最近頻発する過激派どうしの殺し合いに似ており、警察はこの方面にも捜査をすすめている。  殺された土井さんは著述業だが、保守党の国会議員などの代筆をしており、赤坂のアダムズ・ホテルに事務所を持っている。そうしたことから土井さんには過激派に襲われるような思想的背景はないとみられ、これも疑点となっている≫  土井が夜間にガウンを着ていたというのは隣室の居住者やマンション管理人の言葉からである。洋服ダンスにそれがないことから犯人はガウンだけを奪って逃げたと見られたのである。  ——しかし、そのガウンが二着あったことまではわからなかった。犯人がガウンを運んで行ったのは、二着とも裏地を裂いていたからで、この不審を避けたからである。これを遺しておくと、そこから捜査がはじまるかもしれない。  同様に、セルロイド製の書類袋は一枚のこらず犯人は持ち去った。むろん「手紙」はことごとく持ち去った。  土井が殺されたのは、犯人が彼の留守中にその部屋に入りこみ、中のものをかきまわしているうちにふいに戻ってきた彼と鉢合せになり、その現場と顔を見られたからだが、捜査側にはもちろんそんなことまではわからなかった。  その次の日の朝刊には、土井殺害事件の続報が別の形で出た。 ≪土井さんを殺したのはわれわれだ、過激派が「宣言」≫というのがその見出しであった。  昨日の夕刻、電話が警視庁捜査一課にかかり、われわれは過激派Bの仲間であるがと名乗り、次のような「制裁声明」を電話口で読み上げた。 ≪土井信行は一九六八年の東大を拠点とする帝国主義下の学生解放闘争において、全共闘会議メンバーの仮面をかぶり、国家権力の手先となったスパイである。そのことは当時不明であったが、最近になってわれわれは動かしがたいその事実をようやく握った。  その後の土井は国家権力の中枢、帝国主義の巣窟《そうくつ》であるところの保守反動の総本山政憲党の中にもぐりこんで同党の国会議員どものゴーストライターをつとめている。これは彼が一九六八年の全共闘当時から権力のスパイであったことを証明する以外のなにものでもない。のみならず現在も土井はわれわれの組織の破壊を執拗《しつよう》かつ陰険に企てている。  われわれは一昨日この解放運動の裏切者、階級の敵をわれわれ自身の手で葬り去ったことをここに声明する≫  佐伯昌子はこの新聞記事を読んで、所轄署に走りこんだ。  受付に行って、土井信行が殺害された事件の捜査本部を教えてほしいと云った。 「捜査本部ですって? そんなものはつくっていませんよ。捜査課へ行ってください」  受付の婦警は佐伯昌子を捜査課の係長にまかした。 「新聞で読みましたが、土井さんは過激派が声明するような人ではありません。たしかに東大全共闘には参加したことはありますが、その後はそうした思想運動からすっかり絶縁しています。それは土井さんのもとで速記の仕事で働いてきたわたしがいちばんよく知っております。土井さんを殺した犯人は別です。あの声明は偽装です」  係長は、気の強そうな顔の、小さな女の抗議をとり合なかった。 「これまでの例でもわかるように、過激派の犯行声明はまったく間違いのない事実です。犯人はかれらですよ」 「捜査本部をつくってあるのですか」 「とくにそういうものはつくっていません」 「なぜですか。これは多数犯人による殺人事件ですよ」 「捜査本部をつくるのはケース・バイ・ケースです」 「では、この事件はどのケースにあたるのですか」  佐伯昌子に問いつめられて係長はしぶい顔をして頭に手をやった。 「どうも過激派の内ゲバによる殺しは、警察には苦手でしてね」  こともなし  いわゆる過激派の内ゲバによる殺人事件の犯人逮捕率は、これまで普通の殺人事件捜査にくらべてきわめて低い。警視庁・警察庁からの発表がないから正確にはわからないが、事件発生数に対して検挙率は三〇パーセントないし四〇パーセントそこそこではなかろうか。  路上で通行中の相手を数人が襲って殺害する。あるいは相手のアパートをつきとめ部屋に侵入して集団で殺す。そのつど、「制裁声明」が組織の名で警察に電話で通告される。  その犯行には目撃者がある。証拠の遺留品もある。なのに検挙率が低いというのはどういうことだろうか。もっとも重傷の被害者が警官に訊《き》かれても、加害者の名を口にしないという事件の異常さもあるにはある。  ここにおいて一部には「過激派どうしの殺し合いに警察は見て見ぬふりをしている」「警察は泳がせておいて、かれらどうしの消耗を狙っている」などといったうがった見方や、批判が出ている。  もし土井を殺害したのが、佐伯昌子の叫ぶように、過激派でなかったらどうであろうか。「国家権力のスパイ、解放運動の裏切者、階級の敵を葬り去った」というニセの電話声明は、まことに巧妙な偽装でなければならない。なぜなら、この種の殺人事件の検挙率が低いことを狙っての巧妙な手口だからである。それこそ「警察は見て見ぬふりをしている」という世評どおりならば、その盲点に乗じた「犯罪アリバイ」である。  これはよほど事情に通じた犯人の計画でなければならない。  土井信行には宮崎県に老母と長兄とがいる。九州から出てきて、解剖の済んだ土井の遺体を引きとり、荼毘《だび》に付した。火葬場には佐伯昌子だけが参加した。彼に東京での友人はいなかった。 「土井さんを殺したのは過激派なんかじゃありません。これはそんな組織とは関係のない人たちによって仕組まれたものです」  佐伯昌子は土井の兄に力をこめて云った。 「関係のなか人たちちゅうと、どげな人間ですか」  日向《ひゆうが》の農民は、眼をぱちぱちさせて問い返した。 「それはよくわかりません。ですが、土井さんの不幸な死には現在の政治が関係しています。これは確かです」 「政治?」  兄は新聞を読んでも、政治面は理解できないものとして、それに興味のない男だった。 「そうです。政治が土井さんを殺したのです。それに間違いありません」  農民の兄は、まるで宇宙人が舞いおりて弟を殺した話でも聞くように、茫然《ぼうぜん》としていた。  土井信行の老母と兄とは所轄署に行って、捜査課長に面会した。老母は遺骨箱を包んだ白布を首からさげていた。佐伯昌子は土井の兄に請われて同行した。  捜査課長は、佐伯昌子の顔があるのを見て、また来たか、というような表情をした。 「課長さん。信行ば殺した犯人はまだわかりませんとですか」  兄は課長に向う。課長は老母の首に吊《つ》りさがっている遺骨箱を見て一応手を合わせたが、あとは視線をそむけるようにして答えた。 「目下、鋭意捜査中です」 「犯人の目星はつきましたか」 「いや、まだそこまでにはいたっていないのです。どうも過激派の内ゲバ殺人事件は捜査が厄介でしてね」 「課長さん」  佐伯昌子が進み出た。 「土井さんは過激派じゃありませんよ。たまたま土井さんの過去が全共闘運動家だったために、犯人はそれに見せかけて、新聞に出たような、あんなニセ声明を出しただけです」 「あなたは、この前もここに来て、係長に何やら云っていましたね? あなたは、土井さんとどんな関係があったのですか」  課長の怫然《ふつぜん》とした顔が彼女に向いた。 「わたしは土井さんの口述を速記していた速記者です。ただ、それだけの職業的な関係です。土井さんの口述というのは、政憲党の先生がたの著書や演説の代作でした」 「それは当方の調査でわかっています」 「わたしは土井さんといつも一緒に仕事をしていたのです。もし土井さんが過激派だったら、そういう人たちから電話があったり、連絡に人が来たりしていなければなりません。速記者として土井さんの傍《そば》にいるわたしがいちばんよく知っていますが、そういう事実はまったくありませんでした」 「そうですか」 「もし土井さんが内ゲバで狙われたなら、とっくに早く彼らに殺されているはずです。アダムズ・ホテルに事務所があって、朝から晩までそこに居ることがわかってるんですから」  捜査課長は眼を逸《そ》らせた。 「とにかく、いまは捜査中です。われわれも早く犯人を挙げたいと努めているんですから」 「旦那さん」  老婆が課長の前に出て、とりすがるように云った。 「早う信行の仇ば取ってくんさい。お願いします。この子が可哀想ですけん」  老婆は胸の前の遺骨箱を敲《たた》いた。音が出た。 「いいよ、おばあちゃん。息子さんの仇はかならず取ってあげるよ」  ——捜査は進まず、犯人逮捕の報は、いつまで経っても新聞に出なかった。  衆参両院の議員会館にある各国会議員事務所に院内紙が配られた。事務所のドアの横に付いた郵便受け函《ばこ》に押しこまれる。  その記事に「議員の番付」が出ていた。その「前口上」に曰《いわ》く。 ≪政界は一寸先が闇《やみ》。政局がどう変転するかわからないのを承知の上で、相撲見立ての番付表をつくってみた。ただし、東横綱の予想が不動なことはご存知のとおり。その他の予想の狂いは悪しからず。——  ○東横綱 次期総理大臣 寺西正毅。神奈川出身。  ○西横綱 次期衆議院議長 菅谷健蔵。北海道出身。≫  郵便受けに突込む院内紙のほとんどを、各事務所の議員や秘書たちは、眼もくれないで、すぐにクズかごに投げこんでしまう。しかし、この番付は面白がられたほうだ。  東横綱の「次期総理」の寺西正毅はすでに「分りきったこと」だから、かくべつのことはない。読む者の興味は三役以下の顔ぶれになる。これこそ空想である。  それでもこの院内紙がかくべつの援助をうけている議員の名は番付の上位に挙げてある。「お礼」だから、これを見ればだれがどのくらい援助しているかおよその見当がつく。  その露骨な場面が、いまも会館の或る議員事務所で行われている。奥の部屋に議員は居ない。入口近くの秘書の部屋に中年の院内紙記者が刷り上ったばかりの「新聞」を二十部ばかり持ちこんでいる。第一秘書は、両足を靴のまま机の上にあげて、その一部をひろげている。新聞といっても、これはタブロイド判ペラの両面刷りであった。紙質はザラ紙などではなく、真白な模造紙。 ≪岸辺啓邦氏、寺西内閣に入閣の見込み。防衛庁長官か≫  大きな写真入りだ。いかがですか、と院内紙記者が感想を訊く。まあまあだな、と第一秘書はにやにやして「選挙区へ二百部ほど送ってくれ」と云う。まとまった金が支払われる。  寺西内閣の出現は動かぬものと、だれもかれもが信じきっていた。  寺西正毅が突然、次期総裁の就任を辞退した。——  この報は、永田町を電光のように駆けめぐった。  新聞記者たちが寺西邸へ殺到した。寺西が海外視察から帰って一週間後であった。  桂首相からの「政権禅譲」が、あと二週間に迫った時だ。すなわち政憲党総裁選出の党大会が行われ、その際、桂・寺西のかねての約束にしたがって「寺西正毅総裁」が誕生する。これは行事の「式次第」のように決定されていた。それが忽然《こつぜん》とひっくりかえったのである。  寺西は自宅では新聞記者たちには会わなかった。永田町に近い紀尾井町の寺西事務所で記者会見をする。寺西は自宅を出る。いつも見送る文子夫人は、このときにかぎって玄関先に姿を見せなかった。  車に乗る寺西へ記者たちが群がった。性急な質問が出る。寺西は一言も答えなかった。眉間《みけん》のたて皺《じわ》を深め、口をへの字に曲げている。車の中に入るのをカメラがとりまいた。  記者会見。  政界の流れを一挙に、それも電撃的に変えたのだから、場内に溢《あふ》れる記者団は昂奮《こうふん》していた。正面のテーブルに寺西がすわる。前はさまざまなマイクの林立であった。ひとしきりカメラの閃光《せんこう》がつづいた。  その熱気がしずまるのを待って、寺西が用意したメモを読みあげる。乾いた声だった。あいそのよいほうだが、顔はいくらか蒼《あお》ざめて苦虫をかんだようであった。 「今回の総裁選出の党大会にあたりましては、わたくしは同志とはかって、桂現総裁を支持することにいたしました。これが現下の、また近い未来における日本の政治を安定させる最善の方法と信じるからであります。世上、わたくしの行動に対していろいろ臆測がおこなわれておりますが、そのいずれもが当っておりません。寺西派は一致して、次の総裁に桂重信君を選ぶことにしました。……以上であります」  こんな簡単な「声明」に、満員の記者たちが納得するはずはなかった。記者団席の前から代表質問がすぐに出た。  ——次の総裁就任をにわかにオリられた理由は何ですか。 「次の総裁にわたしが決まったというわけではない。それは党大会の選挙という正式機関によって決定するものだ」  ——しかし、桂首相とあなたの間にはいわゆる政権禅譲の確約があったそうですが。 「桂君との間には、そんな確約はいっさい存在しない。それはすべて臆測にすぎない。民主主義の世の中に、政権の禅譲が許されるべきものではない」  次々と飛ぶ矢のような質問を振り切って寺西正毅は、さっさと退場した。  寺西正毅が、党大会を前にして総裁就任を放棄したことは、それがあまりに唐突にすぎただけに、永田町に衝撃の旋風をまき起した。たんに永田町だけではない。寺西の次期総裁は、桂重信から譲り渡される予定というよりも既定の事実としてマスコミに報道されていたから、「寺西氏、次期総裁をにわかに辞退」の昂奮したテレビ・ニュースと新聞紙面は、全国民を震駭《しんがい》させた。「政界は一寸先が闇《やみ》」のコトワザをまさに如実にあらわしたようなものだった。  国会で絶対多数の政憲党の総裁になるのは、同時に総理大臣になることだから、この急事態は一政党の問題ではなく、日本の政治にかかわる重要事であった。  寺西正毅は総裁就任辞退の理由について記者会見の場で読みあげた声明以外のことは云わない。どのように親しい寺西派の幹部が問うても、また「寺西番」の新聞記者が質問しても、片言隻句すら洩《も》らさなかった。  当然に、ウラの理由について、ああでもないこうでもないという当て推量がしきりとおこなわれた。揣摩《しま》臆測は政界につきものである。  桂・寺西不仲説。——これがいちばん強かった。  だが、なぜ急に不仲になったのかわからない。むろん派閥対派閥だからもともと一心同体のようには親密ではない。つくも離れるも派閥本位の利害関係からである。だが、いったん政権の「禅譲」が半ば公然と決まっているのに、寺西が急にオリた真相が全然わからない。普通、すこしはそれをうかがい知るような材料はあるものだが、それがまったくなかった。  当て推量の第二は、派閥第三勢力の板倉退介派の謀略説である。板倉派は「寺西政権」実現に反撥《はんぱつ》し、その阻止をはかるため、桂派とひそかに組んで、「寺西後継」をホゴにさせたというものだった。  これはたいそううがった見方である。桂重信は寺西正毅へ政権を禅譲するとは口約束したものの、ほんとうはその気がなかった。四囲の情勢からやむなく寺西と密約を結んだが、本心はもっと政権の座にすわりつづけたい。いつまでも総理でいたい。それが桂の偽らぬ心底である。一度、権力を一手に集中して握っている首相が、そうあっさりと政権を手ばなすはずはない。永久に政権の座にというのは、どの首相にとっても強い願望であり、執念ですらある。——推測はそういうのである。  板倉退介の謀略説は、桂首相の本心を見抜いた鋭い洞察から出ている。が、さりとて板倉が桂に働きかけたという形跡は、どう調べてもつかめない。板倉派には、そんな寝わざ師的な策士もいなかった。  寺西正毅の俄《にわ》かなる総裁就任辞退の理由について云われているのは、寺西が最近の外遊で、その立ち寄り先の某国と莫大な額の商品借款と、プラント現地建設の密約を結んできたことである。商品借款も、国際的なプラント輸出という名の借款も、その締結は政府ペースで行われるから、寺西が首相になったとき、汚職の疑いに問われる可能性が強い。げんにこの二点は、すでに新聞に出ていることでもあり、反寺西派がその息のかかった新聞にさかんに書かせていることであった。  この汚職的な密約がオモテに出そうになったので、寺西は情勢不利をさとり、総裁をもう一期見送ることにしたと、推測するのだ。または、桂派がこれを武器にして寺西を脅かし、今回は因果をふくめて断念させたという。  しかし、いかなる揣摩臆測も、寺西が政権を目前にしてこれを自ら放棄したことと、一介の代作業者土井信行の惨殺事件とを結びつけるものはなかった。ましてや土井はもと東大全共闘の運動家であり、「階級の裏切者として処分」されたと「過激派セクト」が警察に電話で表明したところである。  土井信行のマンションを襲い、彼から外浦卓郎の持っていた寺西文子の秘密の「手紙」を奪った複数の侵入者は、寺西派の三原伝六議員の指示による特殊団体の所属者ではなかった。政憲党の各派閥は純粋な独立ではない。いわゆる「隠し××派」といわれるような分子が内在して混淆《こんこう》している。互いに内情をさぐり合い、また「敵」に内通することを警戒し合っている。  それであるから、桂派にも三原伝六的な警察官僚出身の議員がいて、その特殊な情報網から三原の動きを探知し、三原の筋が行動を起す前に行動して「先をこした」ことはきわめて考えられる。もちろん「手紙」の内容は、三原も桂派の情報機関も、それを入手するまでは見当のつかないものだった。  寺西正毅のような政治家にとって汚職関係の問題は、どのようにしても切り抜けられる。それはさしたる難関ではない。  が、ことが夫人の「私行問題」となると、簡単にはゆかない。たとえば首相として公式の儀典的な行事に出席するとか、または外国の大統領などと会談するときなどは、慣例的に夫人同伴となる。その場合、夫人に「とかくの噂《うわさ》」があればたいそう都合の悪い事情になる。  また、たとえば桂派が入手した「手紙」の束を「証拠」に「一家を治め得ない者が、どうして一国を治め得るか」などといって恫喝《どうかつ》しなかったとはいえないのだ。首相という立場だけに、国民の道義的な眼もきびしいのである。  ——寺西が「政権をもう一期見送った」裏に、こういう事情が伏在しているのを推知した者はなかった。  十二月半ばの晴れた日であった。観光バスが来た。 「みなさま。ここは千代田区永田町一丁目でございます。あそこに見える白亜の大殿堂はご存知の国会議事堂でございます。昭和十一年に新しく建築され、建坪は約一万二千五百平方メートル、延面積は約五万二千五百平方メートル、高さ約二十一メートル、中央塔の高さは約六十五メートルでございます。正面向って左が衆議院、右が参議院でございます。只今、国会は開会中でございます」  ガイド嬢の白い手套《てぶくろ》の先が動く。 「衆議院の横手に見えますのが国会内局、衆議院議員面会所、道路をはさんだ左側が衆議院事務局、その南側が国会記者会館、そのずっと左手に総理府がございます」  マイクのガイド嬢の声はここで一段高くなった。 「真向いが首相官邸でございます。ただいまは桂重信総理大臣がその官邸のあるじでございます。桂総理はあの官邸で執務されたり、外国の大使などお客さまに会ったりされておられます」  白い手套の指先が動く。 「議事堂のうしろには、衆議院第一議員会館、同第二議員会館、参議院議員会館の三つがならび、各議員の事務所が入っております」  マイクを持ちかえた。 「みなさま。この台地付近は標高三十メートル、四方とも坂になっております。北は三宅坂と梨の木坂、それから赤坂見附に出るのが富士見坂でございます。台地の南側には三辺坂、山王《さんのう》坂、グミ坂などがございます。東には汐見《しおみ》坂がございます。霞が関坂と三年坂とがそれとならんでおります。……現在の霞が関は官庁街になっております。ごらんください。すぐ下が外務省と科学技術庁、その左が運輸省、建設省、自治省。道路を隔てた前が農林水産省と厚生省でございます。左手、皇居とむかい合う屋上タワーの見える建物は警視庁でございます。坂下の右側は、手前から中央合同庁舎、大蔵省、会計検査院、文部省、通産省とならびます」 「このようにして永田町が立法府の中心、台地下の霞が関が行政府の中軸になっているのがよくおわかりになると思います。この結びつきによって、ここが日本の政治の中枢神経地帯となっているのが知られます。みなさま。こうなると汐見坂ではなく、『政治見坂』と改名したくなりますね。……ご退屈さまでした。では、次に参ります」  観光バスは、年末の軽い埃《ほこり》を、イチョウ並木の根に舞わせて走り去った。  いまは年末近くである。もとより揚《あげ》雲雀《ひばり》なのり出でねど、蝸牛《かたつむり》枝に這《は》わねど、すべて世はこともなし——観光客は有名な上田敏訳・ブラウニングの「春の朝」の詩をさかさまに想い浮べて、この、永田町|界隈《かいわい》の初冬風景が、かくは春のごとくにのどかに映った。 この作品は昭和五十八年八月新潮社より刊行され、昭和六十一年四月新潮文庫版が刊行された。