[#表紙(表紙.jpg)] 松本清張 虚線の下絵 目 次  与えられた生  虚線の下絵  通過する客  首 相 官 邸 [#改ページ]   与えられた生      1  桑木は三カ月ほど前に、内臓外科専門のA病院で胃癌《いがん》の切除手術を受けた。  その以前、ほとんどの癌患者がそうであるように桑木も自覚症状がなかった。何となく痩せてきて、顔色も悪くなったのが半年前からである。日本画家である彼は、秋の展覧会に出す大きな作品を春から夏にかけて三つほど制作したので、その疲れのせいだと思っていた。ことに今年の夏は暑さがひどくて身体にこたえた。  今まではこういうことはなかったが、四十をこすと無理ができなくなるのかなと思った。が、それよりもここ二、三年の間に画壇で認められるようになってから意識して大きな作品をつづけさまに描いてきたので、その疲労がつもったのだと考えていた。日本画といっても彼の描くのは洋画と同じように百号くらいの大きさに岩絵具を押しつけてゆく作業で、しかも、洋画と違い、日本画の繊細な線を生かして描くから、体力も神経も消耗する。日本画の伝統的な手法を基盤にして洋画の厚いボリウムを導入しているのが彼の作風であった。  先輩や批評家などに将来を嘱望されると、自分でも希望や野心のようなものが出て来て、どうしても大作本位になってしまう。桑木にはライバルのような対手《あいて》が二、三人はいて、それへの意識からも肉体的に過重にたち向った。展覧会の出品制作が終ったころ、ある画商の依頼で、無理を承知で個展用の作品をつづいて描きはじめた。  そんなことで、顔色が悪くなるのも、痩せてくるのも、仕事のせいだと思っていた。 「挿絵のほうぐらいは、お断りになったら?」  と妻の孝子は忠告した。  桑木は五年前と三年前に或る名の通った出版社から出ている小説雑誌のために一年間、連載小説の挿絵を描いたことがあり、今年も夏ごろからまた同じ雑誌に一年間の約束をしていた。挿絵をかくのはマイナスになっても利点はないので、彼はなるべくこの三度目のぶんを断りたかったが、五年前のそれは絵具代の足しという意味もあって、そのときはかなり助かった。で、編集者には何となく義理を感じていた。  係の編集者は高岡雅子という二十六、七の顔の小さい女だった。決して美人ではないが画家の眼から見ても服装が気が利いていて、とくに配色に感覚が届いていた。動作も、ものの云い方もきびきびしていて、それで女としての控え目なところを失わなかった。頭の回転も早く、知性もあった。常識のない女流画家だとかモデルとか、そういう女性しか知らない桑木には高岡雅子が新鮮に映ったのはたしかである。しかし、それですぐに心が動いたわけではなかった。彼とは全く別な社会の人間だし、それに彼女には夫があった。 「あなたは高岡さんには弱いから」  妻は、忠告に煮え切らない桑木を見て、ちょっと揶揄《やゆ》するように笑った。  だが、高岡雅子は妻とも懇意にしていた。それは挿絵が出来上るまで待っているときとか、彼がほかの仕事で画室から出てこられないときとかに座敷で妻が話相手になっているうち、親しさが出たのだが、妻と話をしている際の彼女はそれに向くような話し方をした。仕事の打合せや絵のことなど話しているときに妻が入ってくると、雅子の言葉も様子も急に変って、妻とはいわば世間の女房どうしの話しぶりになった。  桑木の妻は、どちらかというと下町の女房的で、むつかしい話は嫌いだし、また分りもせず、亭主の美術方面にも深い理解はなかった。それはそれで構わないのだが、高岡雅子がそうした女房に調子を合わせ、ときにはくだらない話で二人でゲラゲラ笑っているのをみると桑木は彼女に感心した。  雑誌の女性編集者というのは、それぞれ癖のある寄稿家の間をまわり、またその家族とも接するので、女性という特殊な立場から、とくに相手方の女房には気をつかって、そんな修練が出来ているのかと思った。或る高名な学者の妻は、女性編集者を決して家の中に入れないために、主人は門のところまで出て立話をするというのを聞いたことがあるので、高岡雅子の上手な態度を見るとよけいにそう考えた。だが高岡雅子の使い分けの振舞は少しもイヤ味がなく、妻に迎合する様子もまったくみられず、まことに自然でさばさばしていた。それで、妻のほうも彼女が気に入っていた。いちがいに女性編集者といっても、彼女の場合はよほど頭がいいか、機転が利いているのだろうと桑木は思った。  挿絵のほうは断ったらどうかという妻の言葉に桑木がうなずかなかったのは、五年前からの義理もあるが、そんなことで今度の約束中止によって雅子に嫌な思いをさせたくなかったのが大きかった。少々、身体の調子が悪くても、何とか義務が果せそうだった。  挿絵というのは、その専門の人ならともかく、やってみると案外に厄介なものだった。桑木には画壇の連中に絶えず仕事を見られているという意識もあって、挿絵にも新しい工夫をしていた。とくに三年前のが好評で、今度もその雑誌社の役員と編集長が高岡雅子といっしょに、というよりも彼女に連れられて頼みに来たのだった。  五年前にはじめたとき、その最初に出来上った挿絵を見て賞めたのは雅子で、そのときの彼女の感想も決して的をはずれたものではなかった。画室に置いた普通の画を彼女に見せても、見当はずれなことを云う批評家よりもずっと正確だった。聞けば、彼に注目して挿絵(それはある大家の小説だった)を依頼しようと編集会議で云い出したのは雅子だそうで、五年前といえば桑木は世間的には知られて居らず、いわば海のものとも山のものとも分らない畑違いの絵描きだったのだが、その冒険が彼女の主張で通ったというのも、ひとつは彼女が編集部で相当な影響力を持っていたからであろう。そして、それは彼女の怜悧さによるものと思われた。  最初桑木は濃淡のウス墨の調子と印刷効果とが違っているのに困ったものだが、そういう製版技術的な面を印刷会社から聞いてきては彼にいろいろと伝えたのも雅子であった。頼むわけではないのに、彼女のほうで積極的に行動した。桑木の描いた挿絵は新風を送ったという意味で、挿絵画家の間でも真似するものも出たくらいだった。だが、そうした彼の工夫には雅子のきわめて控え目な意見といったものがかなりとり入れられていた。  だが、五年前と今とでは桑木も仕事の量も画家としての位置も違ってきていた。すでに三年前にしても毎月三枚の挿絵だが、本来の仕事の間にはさむのは煩《うるさ》くもあり苦痛でもあった。感興の乗った仕事ととり組んでいる際、そんなものを持込まれると、ふいに埃っぽい夾雑物《きようざつぶつ》が入ったような気持になる。挿絵といってもいざそれにとりかかると、いい加減にはできない性質で、ときには本来の制作以上の苦労を要した。雑誌だから多くの人の眼にふれるし、画壇の人々も見ている。なんだ、あいつ挿絵なんか描いているのかと冷笑されるのを、その絵で押返したい気負いがあった。やはりライバルへの意識が働くし、近ごろ名前の出てきた画家の挿絵に世間の人の抱く興味とか好奇心とかにもこたえたい欲もあった。  ほかの雑誌社からも申込みはあったが、むろんそれは断ってきた。一つくらいはまあまあだが二つ以上挿絵をかくのは不為《ふため》だという心得であったが、それが自然と高岡雅子に義理立てするような結果になり、彼女も桑木を徳とするようになった。  三年前も二回目の挿絵が好評で、その一方で苦労して制作した展覧会出品作も最優秀作の賞をもらった。  大きな制作をつづけたあとの疲労は容易に抜けず、桑木が期待したように顔色や体重も回復しなかった。食欲もなくなってくるばかりで、下腹部が何となく重苦しかった。桑木は胃腸のほうには前から自信があったが、それも疲れのためと思っていた。  胃薬を飲んでみたり、強壮剤のようなものを買ったりしたが少しも効果がなく、顔色は冴えないままだった。食べ物の好みも、あまり食欲がないのに変ってきた。妻の孝子は、四十をすぎての変調だと云っていた。  そのうち、桑木はある美術雑誌のために座談会に引張り出された。ホテルの部屋で行われたのだが、常連の美術評論家のほかに絵の愛好家として、ある病院の院長が桑木の横にすわった。桑木が口を開いているとき、その院長は彼のほうに顔を近づけて聞いていた。はじめはそうでもなかったが、途中からそんなしぐさになった。絵の愛好家というのは絵描きの話にそんなに興味があるのかなと桑木は思った。医者にはだいたい絵の好きな人が多い。  三、四日経って、その雑誌の編集者が原稿料を持って桑木の家に来た。そして、院長の話として、桑木さんは胃がおかしいのではないか、一度、適当な医者に診てもらったらどうだろうか、自分でよかったら診察してもいいが、ということを伝えた。その院長は内臓外科が専門だった。編集者は遠慮そうに、あのとき院長は隣にいて桑木の口臭が気にかかっていたのだ、とも云った。あれは医者が絵の話に熱心だったのではなく、こっちの口の臭いを嗅《か》いでいたと分って、桑木は少し不愉快になった。  だが、彼にもぎくりとするものがあった。父親は六十一歳で胃潰瘍《いかいよう》で死んでいる。当時、桑木は胃癌ではないかと疑って何度も医者に問うたのだが、その老医師は絶対にそうではないと云い張った。田舎のことだし、その医者の信用を考えて桑木もそのままにしたのだが、胃癌の疑いはいまだに残っていた。  胃癌に遺伝性はないと知っているが、同時に肉親に胃癌にかかった者があればその体質があることも桑木は知っていた。彼は、亡父の病名の疑惑と現在の自分の感覚とを思い合わせた。もちろん癌は自覚症状が無いのが特徴だとはいうけれど、ここまで胃のあたりに重ったるい感じがあったり、食欲がなく、痩せてきたりしているのは、もう自覚症状というほかはないと思った。つまり、癌としては手遅れではなかろうかという不安が募ってきた。専門医が横で嗅いで分るくらいの口臭なら、癌は相当に進行しているのではないか。      2  桑木は、その病院長の手術で胃の半分を除いてもらい、一カ月の入院生活で家に戻った。  手術前、病院長は明瞭に癌だと云った。レントゲン撮影や、胃カメラを呑んだが、レントゲンでは腸に近い胃の部分にギザギザがあり、その虫喰いのようにへこんだところが癌の発生部だと説明され、胃カメラに付いた器具が胃の組織の一部を削りとったのを病理検査してみて間違いないということだった。この位置は癌がよくできるところだそうである。  ただ、ほかに転移がみられないから、今のうちに切除したら絶対に大丈夫だ、心配はいらない、と院長は引きうけた。桑木の懸念もその点だったのだが、院長が患者にかくさずに癌だと明言する以上、転移のないことも本当だろうと信じた。もし、手術しても治癒の見込みのないものだったら、ほかの病名でごまかすに違いない。当人にわざわざショックを与えるようなことを宣言するはずもあるまい。  もっとも病院長は、あんたは芸術家だからはっきり云うけれど、といって癌をかくさなかったのだが、それは医師の買いかぶりで、桑木はそう聞いたとき眼のさきが暗くなり、全身から力が脱けた。美術好きの院長の前では無理して平気を装ったが、家に戻るまでの虚脱感といったらなかった。癌で死んだ先輩や知人の顔ばかりがチラついた。  桑木は、いま癌で倒れたくなかった。ここで死んだら敗けだと思った。だれに向って敗北するかはっきりした対象は分らなかったが、それは競争相手でもあるし、自分自身でもあった。突然、死の割れ目が足もとに見えてきたため日ごろ考えつかないことを思ったのかもしれない。桑木はようやく画壇の注目を集め、世評にも上ったばかりの今、これからが本当の仕事だと思っているのに、ここで仆《たお》れるのは無念でもあるし、情けなかった。四十すぎで死んだところで、のちの人はだれも「天才」とは云ってくれないし、むろんのことそれに値する仕事もしていなかった。少し見込みのある奴が早く死んだと云うだけだろう。かげで手を拍《う》っているライバルもいるにちがいなかった。  死病を宣告されると、これまで想を練っていた新しい方向がひどく鮮明に浮んできた。事実、その着想を得たときは昂奮して二、三日は夜も眠れなかった。その後もずっとその考えを追ってきたのだけれど、今までぼんやりとしていたそれがここで明確になってきた。それも生きる期間を制限されて気持が急に真剣になったものか、神経的な感覚が尖鋭になったものかよく分らなかったが、多分両方にちがいない。その思いついた新しい分野を造形化したら必ず成功しそうであった。絵具の色まで眼の奥に現われた。それも、まだだれもやってない配色だった。  桑木は、意欲が奔流となって起ってきたが、死までの短い日数を考え、さらに病院生活だとか体力の喪失を考慮に入れると、一枚も描けないことが分って、たちまち野心が崩れた。画壇に問うなら大作しかないのである。  はっきりと成功が分っているものを、そしてその結果画壇での地位が躍進し、世間の声望を大きく獲得できるのが知れ切っているのに、このまま仆れるのがこの上なく口惜しかった。  桑木は、死の影を濃く覚えるようになった。あと三年くらい生きて大きな仕事をやりとげたいという希望も不可能かもしれぬと自覚した。  いよいよ病院に入るまでの五日間、桑木は妻の孝子に云って、画室にある絵の処分を云い渡した。出来の悪いのは庭に持出して焼き、いくらかでも気に入ったぶんは死後に画商に渡すようにした。だが、その絵も彼が現在考えている方向に比べると何ともわびしい凡作だった。それだけ胸中の野心作がわれながらすぐれているからで、これが果し得ないのは何とも無念だった。  わずかだが資産らしいものの整理だとか、手紙や日記類の処分だとか、かたみ分けに必要と思われる品物の選択だとかというあとに備える事務的なことをしていると自分の生涯の終りがなまなましく表面に浮び上ってきた。そんな行為の自分をそばから放心したように眺めているような自身に気づき、もはや避けようのない殺人者を前にしたように気力を失い、虚脱した人間になりかかっていることが分った。  孝子も周囲の者も桑木のそうした動揺を神経質だとか気が弱すぎるとか云ったし、彼自身もときにそう考えないでもなかった。実際、胃癌でも助かっている人が少なくないのである。が、それは幸運なほうで、同時に、手術後に死んでいる人も多い。桑木は、これまで小さな賭けごとをやってもすぐに負けるほうだし、たとえばクジ引きなどにも当ったことはなく、思わぬ幸運にめぐまれたという記憶は一度もなかった。どうも幸運には縁がなく、今度も助かる組に入れそうには思えなかった。折角、野心的な方向を発見しながらも、癌にかかったことがそれを証明しているようだった。桑木はずっと以前、夏目漱石の「こゝろ」という小説を読んだとき渡辺崋山が邯鄲《かんたん》という絵を描くために死期を一週間繰り延べたという話に出遇った。それが本当かどうか調べてみようと思っているうちにそのままになったが、いま、それが久しぶりに胸の中に浮んできた。その話は、崋山の異常な絵への執念を強調しているのだろうが、崋山は自殺だから死期を延ばそうと思えば一週間でも一カ月でもさきにのばすことは自在である。死病と分ればいかに崋山でもそれだけの気力はなかろうと思われる。崋山が自決の前に描いたのは世間に有名な「盧生《ろせい》睡夢之図」で、崋山もまた西洋画の遠近法を山水画にとり入れて新方向を意図した。  しかし、崋山は別としても自分の場合は、たった一作を描いただけでは駄目である。新しい方向にすすむには試作を何度となくくり返し、いろいろと迷った末にやっと目的に到達するのである。成功した大作を十何枚も描かないと画壇も認めてくれず、世間も注目してくれない。一カ月はおろか三年も五年もかかるのである。中江兆民は医者に喉頭癌による死期を宣告されて、「一年有半」とその続編を書いたけれど、崋山や兆民のようにすでに出来上った人間は|おまけ《ヽヽヽ》のように一作か二作を書けばすむ。未完の人間はそうはゆかなかった。  知人や友人は、医者が患者に向って癌だとはっきり宣告し、転移も無いと断言して治癒を請け合ったのだから心配はいらないと慰めもし、励ましもしたが、桑木には他人の口の先では得心がいかなかった。だが、孝子は死後の整理らしいものをいろいろとやっている彼をみても、さして悲壮な顔もせず、むしろその深刻ぶりを大げさととっていた。それが、よくあるように本人の気分をひき立たせるための素振りではなく、彼女の気持の正直なあらわれだった。つまり、孝子は一途に医者の云うことを信じて、夫の懊悩《おうのう》には味方しなかった。  崋山の話が載っている漱石の「こゝろ」のなかにあった文章と思うが(彼はこの小説が好きで今でも断片的にその文章が頭にぼんやりと出てくる)「あなたは死という事実をまだ真面目に考えたことがありませんね」というセリフをおぼえている。この言葉を桑木は妻にも知人にも投げつけたかった。おまえたちは、おれの死という事実についてまだ真面目に考えてはいないね。──こういう場合、妻と知人とをいっしょくたにするのは不自然だが、彼の病気、死の危険率に対する妻の関心の程度が他人なみのように思えた。もっとも、これまで他人に対しても自分も同じだったからあまり責めることはできない。孝子が同様の病気になっても、いまの彼女の態度より果して心配の度合が強いだろうか。結局、死は本人だけの上に落ちてくるものであり、その下で「真面目に考える」のは当人だけであった。      3  桑木がA外科病院で朝十時に手術をうけたのは初めの診断から十日後だった。はじめの五日間くらいはわずらわしい精密検査がつづいた。手術の前夜、病院の窓から見える街の灯を二度と眼にすることができるかどうか分らないと思ったが、胃切除の手術は翌日早くからはじまって実際は三時間くらいで済んだ。麻酔をされる前まで、彼も検査の結果転移は無いという医師の言葉をやはり頼りにしていた。しかし、一方では、この手術によってかえって死が決定的になるような不安が強かった。麻酔で昏睡するのが死の予行演習のような気がした。  眼がさめたのは夜だった。うすいカーテンを透かして電燈の光を見たのでそう思ったのだが、実はそこは隔離された重症病室で、暗い電燈が日夜つけ放しになっているのをあとで知った。うすいカーテンはビニールの酸素テントだった。三、四人の看護婦の白衣がちらちら動いていた。ほかにも酸素テントがいくつか立っていて患者が寝ていた。桑木は麻酔のためにまだ頭がもうろうとしていたが、手術が終ったことはこんな異様な病室のベッドに寝かされているので分った。意識をとりもどした際は何ともなかったが、ちょっと身体を動かしたとき腹のあたりに刺すような激しい痛みをおぼえた。腹腔の内部ではなく、皮膚が裂けるような感覚であった。二つの鼻の孔には長いゴム管のゾンデがさし入れてあった。両脚もくくりつけられていた。  彼の唸り声を聞いたのか、看護婦が懐中電灯をともしてビニールの外からのぞきにきた。動かないで下さい、と看護婦は云った。苦しいですか、とも訊いた。  桑木は朝十時に手術台に寝せられたのを覚えていたので、夜になって(まだ夜だと思っていた)麻酔がさめるようでは手術が相当に手間どったのだなと考えた。まず、悪いことではないと思った。腹を開いてみて、患部がどうにも手のつけられぬくらい癌に冒されていたら、医者はそのまますぐに腹を閉じてしまうと聞いていたからである。その場合、手術時間は極めて短いはずだ。  医師はひとまず胃の腫瘍部を切りとった。あとは転移の問題だった。肥った院長の云うことが本当かどうかはこれから分ってくるだろうと眼を閉じた。看護婦は用事があるときはこれを振ってくれといって枕もとに幼児用のガラガラを置いた。童心に帰ってくださいといって笑った。医師は姿を見せなかった。  桑木さん、お家《うち》の方がお見えですよ、という看護婦の声に桑木は眼を開けた。妻と中学二年生の男の子が酸素テントに顔を寄せて横に立っていた。 「手術は無事に終りましたよ」  孝子は笑顔を見せて云った。 「胃の半分を切り除《と》っていただきました。わたしも先生に膿盤に入れたのを見せてもらったけれど、癌のところはわずかだったわ。これがもう少し進行してひろがっていたら、ほかの個所の転移は確実だったんですって」  孝子の声には特別に感動はなかった。彼女の性格で日ごろから何につけてもエモーショナルなものがないのだが、それだけに正直であった。桑木としてもこの際そんな事務的な報告めいた云い方が真実を判断する上ではよかったが、妻の感動の少ないのに、やはりもの足りなさがあった。  桑木がはじめて生きられるという希望を持ったのは、手術後三日ぐらいからで、院長が手術の成功と転移のないのを確認したと誇らしげに告げてからだった。 「あなたの場合は非常に幸運です。もう少し病院においでになるのがおくれていたら厄介なことになってましたよ。ほかへの転移は絶対にありません。患部を切りとってしまっただけで安全です。だからコバルト照射もそれほどやる必要はありません」  赭《あか》ら顔で、髪の白い、肥った院長は自信をもって云った。  院長に、幸運といわれると桑木はちょっと奇妙な気持になった。これまで幸運には縁がないものと観念していたのに、やはりそういうこともあるのかと思った。しかし、それなら命拾いしたのだからこれくらい大きな幸運はあるまい。  単に命が助かっただけではない。一旦は絶望していた仕事への希望が戻ってきた。考えついた新しい仕事に全力で立ち向うことができる。  桑木は、暗い電燈の光に透かして点滴瓶からレモン色の液体がゆっくりと管を伝わって足首の静脈に入ってゆくのを寝ながら眺め、生命の充実を感じた。点滴は雨後の雨だれよりも悠長だったが、それは彼にこれからの人生の長さと、決して急いではならない仕事の重さとを教えているようであった。彼は陰気な、暗い重症患者室に横たわってはいたが、心は早くも画室にあった。それから、写生のために車を走らせている運転台の自分の姿も浮んだ。  四日後に、桑木はその暗い部屋から出て本館二階の普通病室に移された。個室だったが窓から溢れている外光が眼に痛かった。その窓枠の下には届けられた花がいくつもならんでいた。知り合いの人たちの見舞だが、赤い、華やかな色はこれまでの灰色の壁だけの部屋とは別世界だった。桑木は地獄から帰還したような心持になった。  孝子は花を届けてくれた人たちの名前を云った。 「これ、高岡さんからよ」  彼女はカトレヤとカーネーションのまじっている花束を指して云った。花瓶が足りないので病院から借りた大きなガラス瓶が代用になっていた。 「高岡さんはあなたが入院したことは全然知らなかったといってびっくりなさっていたわ」  夏からはじめる約束なのに桑木は高岡雅子にはまだ入院のことを云ってなかった。いやなことは云いたくない気持があった。はっきりと断るのは手術後の決定をみた上でしたかった。 「手術した日に電話を下さってはじめて知ったといって、その日の二時ごろこの病室に来て下さったわ」  二時ごろというと桑木が麻酔からさめるかさめない時だった。花はむろん出版社から贈られたものにちがいないが、択んだのは雅子である。うす紫の花弁を伸ばしているカトレヤを見ていると、桑木には配色に神経の届いた雅子の姿が出て、なまあたたかいものが胸にさした。  暗い洞窟のような重症病室から出てきたのは、そのまま死から匍《は》い出してきた思いだが、同時に感激性が過剰になっているのを自覚した。が、それは少しも自己嫌悪を感じさせなかった。むしろ、素直にこの喜びに甘えたかった。これから生きて思う存分な仕事が出来る。どんな野心も冒険も仕事の上に試みられる。崋山の一カ月や兆民の一年有半の比ではなかった。  高岡雅子が病室に顔を見せたのはそれから二日後だった。孝子がノックを聞いて入口のドアに歩いたが、そこで二人はちょっと立話をしていた。桑木は雅子の声がすぐに分った。  雅子は赤いツウピースを着ていた。前衿に濃紺のネッカチーフをおしこみ、胸のポケットにも同色のハンカチをのぞかせていた。洋服の赤色は朱系統ではなく冴えたクリムスンレーキだった。アクセサリーの濃紺との強い対照があまり色の白くない彼女の顔をはっきりさせ、ひき締った感じであった。 「先生、びっくりしましたわ。前に伺ったとき、ご病気のことはちっともおっしゃいませんでしたから」  雅子はベッドの横から眼を細めてのぞいた。彼女はとり澄ました顔よりも笑顔のほうに魅力があった。眼もとにも口もとにも明るい愛嬌が出た。  桑木はまだ自由に身体が動かせなかった。 「でも、いま奥様から伺うと、手術もうまくいったそうで、ほっとしました。それに、ほかに異常がないのが何よりでしたわ」  雅子は転移のことを云っていた。  孝子は台所のほうで、ここからは見えない角を曲った簡単な炊事場で客のために茶の用意をしていた。病院は古いだけに旧式な病室は余裕があった。その代わり、壁に|しみ《ヽヽ》があり、塗料もよごれていた。  桑木はこれまで雅子の顔とこんなに間近に接したことはなかった。彼女がいつもと違って派手な色の支度できたのも病人を明るくさせるための心遣いだと気づくと、ふいにその頬か服かに指先でふれたい衝動を起した。台所では茶碗の音がしていた。 「あなたのほうに描く挿絵、あれは何月でしたかね?」  桑木は、急に起った自分の異常心理を戒めるように云った。 「六月の末で結構です。まだ、ずいぶん間《ま》がありますわ。それまで十分にご静養なすって、また大評判になる、ご立派な作品を描いてください」  雅子は微笑をつづけていた。大体が彼女の云い方はあっさりしたほうだった。桑木は女の粘っこい云い方は嫌いなほうで淡泊を好んだ。が、雅子のそれは男っぽいというのではなく、潤いが含まれていた。 「社長と編集長とがすぐにお見舞にお伺いするといってましたけど、ご迷惑になってはと思い、わたくしがご様子を拝見にさきに参りましたの。……社長も編集長も先生のご作品がわたくしのほうにだけいただけるのをどんなに感謝申上げているか分りませんわ」  社長とか編集長とかに遇うよりも、雅子に来てもらうのがはるかに心愉しかった。  評判になるといえば挿絵のほうでも着想がないではなかった。それもいわば新方向に沿ったもので、試作の一つにしたかった。桑木はそのことでも雅子と話合いたかったが、孝子が近くにいたのではその気分になれなかった。とにかく考えていることをいろんなかたちで出してみたかった。  孝子が茶を持ってきたので、雅子は桑木のベッドから離れ、客用の長椅子に退いた。孝子も彼女の横にならんで坐り、女二人の会話になった。  それは桑木の病気のことからはじまったが、雅子はやはり孝子の話に合わせていた。隣の女房どうしが裏口で立話をしているような調子だったが、いつもながら雅子の上手な適応性に桑木は感心した。編集者として自然に身につけた交際性か人妻の日常的な融和性か分らなかったが、妻の調子につき合っている雅子に奥床しさをおぼえた。孝子のほうはありのままの話しぶりだった。  桑木は雅子に対して妻が少々|羞《はず》かしくなったけれど、向うでする女二人のおしゃべりを寝ながら聞いていると、それなりに悪くはなかった。そうして、雅子のような女を、もし妻に持っていると窮屈で息苦しいだろうか、それとも仕事の上の大きな協力者となるだろうか、というようなことをぼんやり考えていた。それも生を得た歓びの一つといえた。  そのとき、院長の回診があった。若い医者一人と看護婦二人を従えて入ってきたので、女二人は立上り、孝子だけがこっちにきた。  やあ、桑木さん、どうですか、と肥った院長は元気な声で云って、看護婦がひろげた桑木の腹を五つ揃えた指先で軽く圧《おさ》えるように撫でた。腹の真ん中にはタテに一本の黒い筋があり、それを綴じて左右に同じ短い筋がその上にならんでいた。この病院に上ってから孝子があんたの手術した傷口を見せてあげるといって鏡をかざしたので桑木はのぞいたのだが、まるでチャックか蜈蚣《むかで》を想像するそのかたちに胸が悪くなって眼を逸らしたものだった。いま、雅子が妻のうしろに寄ってきてこっちをのぞきこんだので、彼はこの醜悪な傷あとを見られるのがはずかしかった。  院長は若い医者に桑木の腹を見せながらドイツ語で小さく何か云っていた。それは教えているような様子だったが、桑木が顔を横に向けて閉じていた眼をうすく開けると、その視線の先に雅子の顔があった。  桑木は、おやと思った。院長が若い医者に云うのに雅子がかすかにうなずいている。雅子はドイツ語が分るのかな、と思った。      4  桑木は病院に一カ月近くいて、退院するとすぐに湯河原に行った。孝子もはじめの三、四日はいっしょにいた。それは彼にとって退屈きわまりない生活だった。夫婦も家にいると、それがきまりとして諦めるので何でもないが、旅館に三、四日でもいっしょにいると、居場所が狭いだけに懶《ものう》くて窮屈でやりきれなかった。湯河原の町も川に沿った細い一本道の旅館街で、見る所とてなかった。黒曜石の石|鏃《やじり》が出るという丘に上ってステッキの先で土をほじくってみたりするくらいがせいぜいの気紛れだった。他人の眼から見たら、中年の夫婦が温泉地にきて仲よく散歩しているような幸福な姿にうつるだろうが、当人の気持は空虚に近いものがあった。これも生きかえった贅沢かもしれない。病院ではじめてガスが出てから番茶を飲まされて、こんなおいしいものとは知らなかった。癒ったら食べものに関する限りどんなわがままも云うまいと思ったが、何でも食べられるようになってからは病院側の出す患者食が口に合わなくなった。それと今の場合とがよく似ていた。妻と二人で病後の愉しさをしみじみと味わうという実感には距離があった。  孝子が東京に帰ったあと、桑木は解放された気になった。妻といっしょでは画の工夫もできなかった。家でも制作中は画室に妻を入らせない習慣でもあるが、宿で鼻の先に始終女房がいたのではその気になれなかった。  東京から画商の支配人がやってきたときは実際に助かった。胃が半分になってからは、食事もほんの一口だけとなり、酒も、医者は僅かならいいと云ったが、彼はこわくて飲めなかった。酒の好きなその画商は遠慮しいしい盃を持ち、画壇の噂話などした。それは桑木に刺戟と昂奮を与えた。  彼は、ほとんど自分の絵を一手に引きうけているその一流の画商の番頭に、身体が元通りに戻ったらこういう画を描きたいと思っているといって、考えている構想を話した。結構ですね、結構ですね、と相手はうなずき、それはきっと画壇に旋風を捲き起すでしょう、大いにやって下さい、うちでいくらでも引きうけさせていただきますと乗気となった。桑木は、それが半分は商売人のお世辞で、いざ新しい絵が出来てみると遠回しながらいろいろと註文をつけるくせに何を云うかと思いながらも、悪い心地はしなかった。最初こそ画商のほうで新傾向に不満でも、必ず圧倒してみせると内心で勢《きお》い立った。  画商は盃を措いて笑いながら、先生、それにつけてもこの際お道楽の挿絵のほうはおやめになったらいかがですか、と云った。桑木は虚を衝かれた気がしたが、どうしてやめなければいけないのかね、と反問した。あれは先生のプラスにはならないように思いますが、と番頭は桑木の気色が意外に激しいのにおどろいて弱気に弁じた。そういう理由でくるとは予想していたから、桑木は挿絵といってもぼくのは描きたい通りに描く、決して先方の註文や妥協には応じていない、君は道楽というが自分では道楽のつもりではなくデッサンや構図の勉強のつもりでやっている、それとも挿絵を描いていたらぼくの画の値段が下がるとでもいうのかい、と云うと、いや、そういうわけでもありませんが、ま、一つの雑誌ぐらいならよいでしょう、と口を濁した。  しかし、この画商の支配人の云うことは胸に突き刺さったので、桑木はおのずと不愉快な顔になった。画壇仲間の蔭口をこの番頭の口から聞いた心地である。番頭は桑木の機嫌を気にしながら怱々《そうそう》に帰って行った。  桑木は、高岡雅子の顔を泛《うか》べた。もし、彼女が居なかったら、画商の云うことにうなずいて、そうだね、それじゃ雑誌に絵を描くのはやめるよ、と一言のもとに応じただろう。人に云われるまでもなく、それが利点にならないのは分っているので、すでに中止していたと思う。  だが、五年前に生活の急場をその出版社の仕事で救われた過去を考えるとむげにも断りきれない。三年前に再びはじめた挿絵にしても好評を得た。それは自分の思い通りに描いたのであって、決して雑誌や読者に媚びる気持ではなかった。それだから成功したといえる。あとで亜流が続出したくらいである。出版社には感謝された。高岡雅子がだれよりもよろこんだ。それは担当者の手柄というよりも親しい人間の欣《よろこ》びであった。その雑誌というよりも雅子への義理のようなものがそこから生じた。  しかし、挿絵のことにこうまで執着するのは義理だけだろうかと桑木は心の隅に疑問を生じた。そこに雅子への好意が動いてはいないだろうか。むろん、その好意は係の編集者に対するものが前提にあるのだが、単にそれのみだろうか。  画商の番頭が挿絵の中止を勧めたとき、彼は心で高岡雅子を味方にしていた。自分でも痛いところを衝かれただけに雅子の姿を支柱にして番頭の非難に耐えた。画商のそれは画壇仲間の批判を代表したようなものだから、少しく大げさにいえばこれは彼女ひとりを味方にして画壇に立向ったのである。女房の姿はなかった。  次に、その妻が東京に帰ったあと、桑木は高岡雅子がこの湯河原に訪ねてくるような幻想をもった。そんなことがあり得るはずはなかった。挿絵の仕事がはじまるのはまだ先のことだし、見舞としてもこんなところまでくるとは考えられない。彼女は亭主もちである。亭主はどういう仕事の人だか聞いたこともないが。  それでも桑木は雅子がふいに宿にやって来そうなはかない期待を消すことができなかった。宿に来たからといってべつにどういうこともない。ただ、いっしょに語り、相|伴《つ》れてその辺を散歩するだけで満足だった。それも彼女は日帰りだから数時間だけである。桑木は、場所が場所だけに初老や中年男が年の違う女と肩をならべて歩いている姿を飽きるほど見たが、不潔な気はしなかった。むしろ、来るはずのない高岡雅子を心待ちしている自分にくらべて羨望が湧いた。  このような気持は、編集者に対する親しさだけで説明されるであろうか。そこには雅子個人への好意が多分に混りこんでいる。桑木はそこまでは否定しなかった。が、温泉宿でひそかに彼女のくるのを願っているのも、たった一人でいる寂しさのあまりで、これが普通の状態ではない。東京に帰れば何でもなくなることで、つまりは知人への好意以上でないと自分に説き聞かせた。  しかし、病院のベッドの上からさしのぞいた雅子の頬や服の端に指さきを触れたくなった衝動を思い出すと、そうとばかりはきめられない。あれを病人の感傷から発する一時的な発作と考えても、日ごろの彼女への好意以上のものがそうさせたのではないか。見えないところでは妻が茶碗の音を立てていた。そこには秘密めいた空気があった。桑木は、いまでも動悸をおぼえる。  でも、そういうことも心の中にあっていいと桑木は思った。べつにそれがどう発展するというのでもないのだ。相手も亭主ある女だ。こちらから誘っても応じるはずはない。冷静に考えると、高岡雅子の態度は雑誌編集者としての愛想であって、個人感情があるわけはなかった。他の寄稿家に対しても彼女は同じ態度で接しているにちがいなかった。それをとり違えて、こっちで妙な素振りに出ると恥をかくにきまっている。  桑木は、温泉宿でこんなひとり角力《ずもう》をとっているのも、病後の心理からだと思った。高岡雅子とはこのまま距離をおいてつき合うことにしよう。たとえば画商の非難に彼女の姿を眼にうかべて闘ったように彼女を心のどこかにある意味の支柱として──実際の支柱になるとは考えないが、そういう幻想を彼女の上につくってもかまわない。そんなものが一つくらいあってもよいではないか。桑木は、それも生を得た歓びと考えたかった。気づいてみると、彼は、「死という事実」を真面目に考えた一時期からも遠ざかっていた。  東京に帰ると女房が、 「少しは調子がよくなりましたか」  ときいた。桑木は、うん、といった。宿の浴槽でも腹に同じ手術の傷あとのある人に何人か出遇ったが、こういう傷にはこの温泉がいちばんよく効くと云い、桑木もそんな心地になっていた。  四、五日すると高岡雅子から電話がかかった。受けた孝子は、雅子がこれから社長や編集長といっしょにご挨拶に来たいといっていると取次いだ。彼は湯河原でのことを思い出し、その電話を温泉宿で聞いたらあのときの気持が救われただろうと思った。もっとも、それも女房も居ず、彼女もひとりで来る場合だった。  社長と編集長とが家に来て、桑木にかわるがわる見舞を兼ねた挨拶を述べた。湯河原には戦前からたびたび行ったことがあるという社長は、土地や旅館の変遷をひとしきり述べた。  そんな雑談の間、高岡雅子は何も口を入れずにただニコニコしていた。社長や編集長に遠慮しているらしかったが、黙っていても彼女の明るい微笑は桑木の心にいちばんよく語りかけていた。彼は男二人の話をときどき上《うわ》の空で聞いた。湯河原で自分がどんなことを考えていたか、その妄想を全く知らない雅子は男たちの話にうなずいたり、それが癖で心持ち顎《あご》をあげるようにして笑ったりしていた。      5  湯河原から帰って二カ月ばかり過ぎたころ、桑木は腹に痛みをおぼえた。  考えていた意図の構想がやっとまとまり、その習作にかかっているときだった。画板にかがみこんでいた上体を起した拍子に下腹が痛くなった。はじめはそれほど気にならなかった。小腹が痛んで、しばらくすると癒るという状態は健康時にもよくある。彼はそれだと思って、そのままじっとしていた。 「どうかしましたか?」  昼飯の都合を問いに画室をのぞいた妻が彼の恰好を見て訊いた。 「ちょっと腹が痛い」  孝子は眉を寄せて彼の様子をのぞきこんだ。 「病気が癒ってないんじゃないですか?」 「胃のまわりの神経が一時的にどうかしたのかもしれない。少し経つと快くなるだろう」  桑木は顔をしかめて云った。 「少し横になったら? 部屋のほうに床をとりましょうか」 「いや、このままでいい。ここでやすんでいる」  桑木は肘枕をし、脇腹を下にして寝た。孝子は枕と毛布を持ってきた。  彼は眼を閉じていたが、腹痛は去らなかった。  桑木は孝子にも云ったようにこれを癌の発作とは思わなかった。患部は、まだ冒されてない周囲まで大きく切除している。万一残部に癌があったとしても、手術後二カ月を過ぎたくらいで再発するとは思えなかった。第一、癌に自覚症状があるわけがなかった。  それで桑木は、何か悪いものを食べて中毒したのかと思い、昨夜から今朝までの食事を思い返してみたが心当りはなかった。それにこの痛みは中毒とは違い、臓器そのものが異変を起しているような疼痛《とうつう》だった。胸のむかつきもそこから発しているようだった。 「くだし薬を買ってきてくれ」  桑木は画室から出て茶の間をのぞいた。 「顔色が悪いわ。大丈夫かしら」  孝子は近所の薬屋に走った。  彼は薬を飲んだが便通もなく、腹の痛さも去らなかった。みぞおちのあたりがムカムカしてきた。 「A病院に行って診てもらったら?」  孝子はすすめた。  桑木は癌でないと思いこんでいるだけに、その手術をうけた病院にすぐ駈けこむのは滑稽に思われそうだった。  孝子は、とりあえず、近所のかかりつけの医者に来てもらった。 「胃を切られて二カ月めぐらいには、よく変調があるものです。輸血のせいで血清肝炎が出るのもそのころですが、いまのところ黄疸《おうだん》の症状はありません」  医者は、手術の傷痕の上を撫でたり、眼瞼《がんけん》を開いて見たりしたのち、注射を二、三本して帰った。孝子はあとから飲み薬を医者のもとに取りに行った。腹痛もどうにかおさまり、その晩は注射の睡眠剤で寝たが、あくる朝、食べたものをみんな吐いた。  孝子がA病院に電話すると、看護婦の取次で出た院長は症状を質問した上ですぐ来てくれと云った。桑木は少し不安になったが、癌の再発ではないという信念から、大きな心配は起らなかった。呼んだハイヤーで妻と病院に行く途中も同じ気持であった。  久しぶりに会った肥えた院長は診察室で桑木にいろいろと訊いた。快活な医者だったが、今度は声に元気がなく、表情も心もち硬かった。  院長は彼を部屋の壁ぎわにある黒革張りの寝台に寝せ、自分が手術した彼の腹の上を掌で軽く押えたりした。桑木の真上にある院長の顔は一層不機嫌そうだった。白い天井に黒い蠅が一匹とまっていた。  桑木は、大小何本ものアンプルから太い注射器に液体を吸いあげている看護婦の手もとを見ていた。院長がうしろむきに机で桑木のカルテを見たり、部厚い本を出して読んだりして黙っているので、彼は新しい不安をおぼえた。  静脈注射一本と皮下注射二本とが終った。素人の桑木にも鎮静剤や栄養剤や抗生物質、強心剤などだと分った。  院長は看護婦に待合室にいる妻を呼びにやった。女房まで同席させるというので桑木は何を宣告されるのかと動悸が速くなった。 「もう一度、ちょっとお腹《なか》を開いてみたいと思います」  院長は、口にしにくいことを思い切って吐くように云った。 「え、それはどういうことですか。転移があるのですか?」  桑木は、あわてるとみっともないと思い、なるべく平静な声で問うた。が、再度の手術をすると聞いて穴の中に引き戻されるようだった。 「転移はありません。絶対その気遣いはありません」  院長がそれを強調するのが、何かを弁解する前提のように思えた。 「では、ほかに?」  孝子がそばから口早に訊いた。 「そう……」  院長は大きな顎をうつむき加減に引いて額に皺《しわ》を寄せた。太い眉の端に白くて長い毛があった。 「前の手術のとき、ちょっと手のゆき届かなかったところがあるようです。それで、そこに癌細胞の一部が残っているように思われるので、もう一度お腹を開《あ》けたいのですよ。もし、そうだとすれば、そこを完全にしとかないといけませんから」  院長も困ったような声だった。  桑木は妻と顔を見合わせた。まさか、と思っていたことが事実だった。これは明らかに医者の手落ちといえた。自覚症状がないと思っていた癌がこの痛みを出していると聞いたのは案外だった。それだけに癌の進行が思われた。  孝子の頭にも同じ思いが走ったらしく、 「その手術は簡単に済むのですか?」  と、露骨に不満と懸念とをあらわして医者を見た。 「そう……まあ、それほど簡単というわけにもゆきません。ちょっと時間がかかると思います」  院長の声には狼狽と困惑とがはっきり出ていた。──  帰りの車のなかで、桑木は妻とはろくに口をきかなかった。重い暗鬱が鉛のように胸に詰っていた。胃の半分を切り除《と》ったというのに癌は残っていた。手術の手落ちを院長は認めたが、再手術が厄介らしいことはあの医者の見栄を捨てた当惑ぶりで分った。残った癌は進行している。腹痛、嘔気《はきけ》という自覚症状になっているのはただごとではない。どういうことになるのか。不吉な想像が次々と起きた。車の窓に動く街の風景から色が失われた。それは前回の手術前の経験と同じであった。 「外科ではずっと前から名の通っている病院なのに変ねえ」  孝子は首をかしげていた。 「院長さんも世間に信用のある人なのに。ときたま、こういうことがあるのかしら」 「………」 「次の手術は入院が長引きそうね。病院側に落度があるとすれば入院費は安くするかもしれないわ」  入院費のことを頭におく妻に桑木は腹が立ったが、ものを云う気もしないので押し黙っていた。そんな問題ではない。再手術がうまくゆくかどうか分らないのだ、困りきった院長の顔が何を語っているのか読みとれなかったのか、と心のなかで妻に、怒鳴っていた。その孝子は病院からもらったふくれた薬袋を大事そうに持っていた。  死の事実を真面目に考える意識が再び桑木に戻ってきた。一度考えたことが二度目となると、最初よりはそれがより本能的となった。理性も何もなく、ただ、がむしゃらに死にたくないという気持でいっぱいだった。一度目は画のことを考えたが、今度は画のことなどはどうでもよく、生きたいという望みだけが突走っていた。自殺に失敗した人間が死を恐れる気持とどこか似ていた。  こんなことは孝子には云えなかった。心配させるからではなく、再手術を死に結びつけている彼の考えを神経過敏だとか思い過しだとか云われそうだったからだ。孝子はあまり深いことは考えない性質だった。  家に帰ると高岡雅子が来て待っていた。雑誌の仕事をはじめる時期が近づいたので打合せのためらしかった。 「三十分前に伺ったら、先生が病院にいらしたとお手伝いさんに聞いたのでお待ちしていました。どうかなさったのですか?」  雅子はせまい応接間で桑木と孝子の両方の顔を見くらべながら云った。彼は疲れてすぐ長椅子に横になったが、その様子を雅子は見まもっていた。  孝子が医者の云ったことを話し出した。注射がきいたのか、腹痛や胸のむかつきがおさまったので、桑木は眼をつむって妻の話を聞いていた。 「こんなことを申上げると余計なおせっかいのようですが」  雅子は孝子の話を聞き終ると、少し考えるようにして云った。 「再手術は別な病院でなさったらいかがでしょうか?」  桑木はおどろいて眼を開けた。雅子の視線がこっちに注がれていた。 「A先生も立派な腕の方だと思いますが、お話を伺うと、それはやはり前の手術にミスがあったと思います。わたくしにはよく分りませんが、患部の切除が完全でなかったので、そこが再発したのではないかと思います。そのために食べものがうけつけられないのかも分りませんわ。二度目の手術は面倒と聞いていますので、A先生には悪いけど、思い切ってもっといいお医者におかかりになったほうがよくはありませんか?」 「再手術はそんなに厄介ですか?」  桑木は孝子が口を出す前に云った。 「ええ、はっきり申上げて簡単ではないようです。ちょうど着物を縫うのでも、新しいのを仕立てるよりも、古いのを縫いかえすほうが面倒で手間をとるのと似ていますわ」  桑木は、A病院の病室で院長の回診に居合せた雅子が院長のドイツ語にひとりで微かにうなずいていたのを思い出した。 「あなたはよく知っている。知った人にその経験者があるんですか?」 「いいえ、実は、主人が医療雑誌の、いわばお医者さんの業界誌のようなところに勤めていますので、聞きかじりですわ」  雅子は少し顔を赧《あか》くして答えた。 「あ、そうか。道理で……」  桑木は雅子の夫の職業をはじめて聞いた。 「そいじゃ、あなた、高岡さんのおっしゃる通りにしたらどうですか?」  孝子がすぐに云った。  桑木の眼にはA院長のあわてた素振りと困った顔つきとが灼きついていた。それは二度目の手術が困難なことが院長に分っていたからだ。彼は脚に脂汁がふき出てくるような思いになった。 「どこか、いい病院がありますか?」  桑木は上体を起して雅子にきいた。 「ええ、F先生はどうでしょうか。内臓外科ではいちばんだと思いますが。R病院の外科部長ですけれど、評判通りの腕だと思いますわ」  評判通りといわれても桑木はFの名を知らなかった。むろん孝子も同じだった。 「A先生もいい外科医ですが、やはり少し古い型ではないでしょうか。外科の技術はいま日進月歩だそうですから。胃切除の手術にしても以前と今とはまるきり違いますわ、所要時間も早いし……」  雅子はA院長を遠回しに批判した。桑木も院長の白髪と古びた病院の建物を眼に浮べた。いかにも時代に遅れた医者の感じがしてきた。 「そのFさんがほかで失敗した手術を引きうけてくれますかね?」  桑木はその点が懸念だった。 「F先生は主人もよく存じ上げているので、主人からお頼みしたら引きうけて下さると思います。先生、早いほどいいんですわ。もし、よろしかったら、わたくしが主人にすぐ連絡しますけど」  雅子は真剣に云った。桑木は、彼女の夫の世話になるのは気がすすまなかった。これまで職業もきいたことのない人に俄《にわ》かに面倒をかけるのに抵抗をもった。が、実は雅子の亭主というのに拘泥《こだわ》っているのだった。 「あなた、高岡さんにそうお願いしたら?」  と孝子が横から云った。      6  それから三カ月近く経った。桑木の環境はまるきり変ってしまった。  桑木は一カ月以上R病院に入院していた。  再手術を受ける前の二日間、彼は生への執着にもがいた。それは自分でも醜いと思うほどだった。動物的な足掻《あが》きだった。画の未練もあったが、一回目の手術前に考えたような冷静なものは失われていた。  それは彼の神経の昂奮だけではなかった。こうしたやり直しの手術は死亡率が高く、五〇%に達すると聞いた。F外科部長は胃癌の手術にかけては当代第一である。手術の仕方も新工夫になるものが多く、Fの方式が日本だけでなく世界の臨床外科医学界に踏襲されている。自信の強い人だから敵も多いが、その実力は認められていた。手術の時間はひどく速い。手術例の多いことは日本の医者ではほかにいないが世界でも一、二位だという。胃癌の手術には普通一時間くらいで済ますF博士が、桑木の場合は三時間近くを要した。そんなことを彼は雅子から聞いた。  わたしのところに来てよかったですよ、とF博士は桑木の手術のすんだあと、色の黒い、長い顔で笑った。非常にむつかしい手術で、ほかの病院だと生命《いのち》があったかどうか分らぬと云った。桑木はA病院長の困り切った顔が今さらのように思い出された。院長には自信がなかったのであろう。自分が腹を開いたのだし、落度の責任があるので、ほかの病院に行ってくれとは云えなかったのだ。さりとて自分の腕では覚束ないと思った慄えにちがいなかった。雅子の助言は、桑木にもA院長にも救いの神であった。  桑木の胃は全部切り除られた。食道の端に直結された腸が今後は胃の働きをする。専門用語では、腹腔内で残胃|全剔《ぜんてき》、食道空腸|吻合《ふんごう》というのだそうである。退院前にレントゲンを撮られたが、あとでそれがF博士の報告例になった。彼はその要約を見せられたが、こんなふうに書いてあった。 ≪著効例の症例一は四十二歳の男子で某病院で胃切除をうけたが約七十日後、悪心《おしん》嘔吐を訴え食物摂取不能で来院した。レ線による残胃にはかなりの腫瘤状陰影欠損があり、生検で adenocarcinoma(腺癌)と診断、直ちに腹腔内で残胃を全剔し、食道空腸吻合を行い、部分的にコバルト照射による合併療法を行った。転帰については良好である≫  桑木は彼自身の「看護日誌」も見せられた。それには「恢復室より普通病室に帰室のため落ちつかぬ様子」だとか「喉頭違和感を訴うためテラマイ・トローチ投与」とか「嘔吐(+)、下腹部痛のためにY主任報告、診察の結果、左記処置施行」とか「疼痛緩和」とかの文字がある。処置のところには注射薬の名前が連記してあった。 「刺身《さしみ》二切を摂取する。嘔吐(+)、胆汁不変なるも様子を見る」「創部出血(?)」「下腹部ドレナージ創点検、異常出血なし。同部の痛みを再度訴える。浸出血液逐次減少する」「挿入ドレインに悪臭ある分泌物流出の開始を認む、又、この事を話して理解させる」といった類の字句は医者と患者の交渉である。  看護婦のものには、 「巡視、良眠中」「一般状態特に著変なし、睡眠中」「検温、気分良好」「著変訴えなし」「検温、コバルト照射、点滴」「ネブライザ吸入」「胸部ガーゼ湿布」「輸液開始」「良眠」「繃帯交換」「尿褐色、量合計二一六〇cc、比重一・〇三〇」「カナマイ1g筋注」「O2テント除去」「部分清拭」「洗面介助」といった短い文字がならんでいた。  桑木は、こうした記録をよむと、一カ月以上の入院生活のうち、二週間ばかりの苦しい時期が眼の前に蘇った。手術が終って地下室の恢復室と呼ばれる重点看護の病室に横たわっていたときの医師や看護婦たちの顔が見えた。どうかすると前のA病院とこんがらかりそうだったが、不愛想で短い文字はそのときどきの人の動作や周囲の情景を歴然と浮び上らせた。  たとえば「恢復室より普通病室に帰室のため落ちつかぬ様子」とあるが、看護婦の眼にはそう映ったかもしれない。しかし、あのときは死の影に怖れていたのだ。手術のあとに死が自分を捉えにくると思っていた。暗い地下室の恢復室から、窓に日光の射す普通病室に移ってかえって不安になったのも、人手の多い看護婦の完全看護から放され、頼りない気がしたからである。とうてい治癒の見込みのない癌患者は、自宅に戻されて最後の気儘な時間を与えられるというが、自分もやがてはそうなるのではないかという予感がした。──  その看護日誌などを写して桑木に持ってきて見せたのは高岡雅子だった。 「よく、こんなものを借りられて写せましたね?」  几帳面な字体で書きとっている雅子の筆蹟を見ながら桑木は云った。 「主人がF先生にお願いして一ン日《ち》だけ拝借したんです」  雅子は例の心もちあごをあげるようにして微笑《わら》った。  雅子の夫は医療界の業界誌の編集者なのでそういうところにも顔がきいているのであろう。患者の申込みの多いF博士が急に手術を引きうけてくれたのも彼女の夫の顔であった。こうして度々その夫の世話になるのが桑木には当惑であった。 「こんなものを借りてきてくれとご主人に頼んだのはあなたでしょう?」 「そうです。先生にお見せしようと思って。もう絶対に癌の再発のないことが分っていただけると思いまして。口先では、先生はなかなか信用なさいませんから」 「それはよく分って安心だけど。……ご主人は変に思われませんでしたか?」 「べつに。だって、わたくしが先生の係だから当然だと思ってますわ。何も疑っていませんわ」  この会話は、妻の居ないところ、そして周囲に人の眼があまりない裏通りの散歩道で行われた。  三カ月後に、桑木の環境が変ったというのはそういう意味である。  雅子はR病院にはたびたび見舞にきた。退院してからも自宅には病後の様子を見に訪れた。雑誌のほうの仕事は、彼が仆《たお》れたので予定を変えて他の挿絵画家となったが、別な小説が新しくはじまる。雑誌社としては桑木の絵をぜひ欲しいので、それを受け持ってもらえないかということだった。その交渉も主に雅子が当った。社のほうも雅子が桑木に気に入られているのを知っていた。そんなこともあって雅子はよく来た。  桑木は、雅子がくると気持が休まった。彼女と対《むか》い合って話しているといつになく気分が浮き立った。いわば生命を拾ってくれた恩人だから、ほかの人とは違うという心はあったが、そんな義理だけの意識ではなかった。それ以上の気持が乗っていた。  雅子はむろん孝子ともよく話をした。孝子も前に増して雅子と親しくした。女二人の話声が家の中でしているのを聞いていると、桑木はこの平和を乱すまいと思った。平和を乱すような動作に出るおそれが彼の意識にあった。そのため、雅子と話すときはなるべく妻を横に置くように心がけ、実行したこともあるが、やはり妻がいっしょでないほうが愉しかった。  ある日、雅子が来たとき孝子は家に居なかった。二人はいつものようにせまい応接間で向い合った。一時間ほどとりとめのない話をし、最後に彼は二、三日前に出来上って、美術出版社から届けてきたばかりの自分の画集を彼女に見せた。それは彼女に贈るつもりだったのだが、その前に説明するつもりでその大型の本を開いた。雅子は向い側から彼の傍にきていっしょにページをのぞきこんだ。  それは企みでも何でもなかった。が、雅子の頬が彼の耳のあたりのすぐ横にあって、その手がときどき画集の画の上に出されると、心が波打ってきた。遂に、彼は衝動的に彼女の指を上から握りこんだ。まったく一瞬の、前後の思慮を忘れた行動だった。  前に桑木は病院で雅子が彼の顔のすぐそばまできたのをおぼえている。妻はそこから見えないところで茶碗の音を立てていた。彼は今にも雅子の頬か服かに手を伸ばしそうになった。つまり、この衝動には経験があった。それが彼を大胆にさせたといえる。  雅子はそのときびっくりして手を引っこめようとした。声を出さずに握りこまれた指だけがもがいた。桑木は自分の恥を消すために握った指をいっそう強くして放さなかった。  雅子の呼吸が乱れてきたとき、桑木によろこびが起った。彼女の息遣いの激しさが驚愕や恐怖からではないと知ってだった。もし、彼女が相手に恥を掻かせないでこの場を切抜けようとするなら、わざと冷静になるだろう。三十に近くなっていて、仕事の上でも男に接することの多い彼女にはそれだけの余裕があるはずだし、まして悧口な女であった。彼女が苦しそうな息を吐いているのは、彼への感情があるからである。桑木はそうとった。  三日ばかりして、彼は思い切って雑誌社に電話した。雅子に青山あたりにある喫茶店に出てくるように云った。彼は危ぶんだが、雅子は事務的にその時間に伺いますと答えた。前の口調と変っていた。  その正面切ったような云い方をどのようにとっていいか、桑木は雅子の顔を見るまで心配だった。この前、雅子はあれから黙って帰って行った。その顔は真赤になっていた。彼の無作法を憤ったのではないと思いながらも、その言葉を聞くまでは分らなかった。彼女のいつもの電話の声は担当の編集者らしい親しげな云い方だった。それが今度は打って変っている。それが腹立ちのためか、それとも、あんなことがあった意識で周囲の人に気を兼ね、いつもの調子になれなかったのか、どっちだろうと気を揉《も》んだ。  実際はあとのほうであった。      7  いったい雅子の気持はどの程度のものだろうか。はじめのころ、桑木はこの問題でずいぶん悩んだ。  雅子は自分の挿絵が欲しいばかりに、強引な自分の愛につき合っているのではなかろうか。それは彼女の社での、成績につながる。桑木はそう想像する自分に自惚《うぬぼ》れがあるとは思うけれど、人に語ってもそう笑われもすまい。編集者といういわば社交性の欠かせない仕事をしてきている彼女は、そこまで社交性を拡大していないとはいえないのだ。今までにも似たような経験があるのではなかろうか。こうした功利的な面を考えてみると、高岡雅子の明るい淡泊《あつさり》した人への接しぶり、その中にこめられた女らしいつつましさ、それから滲み出るそこはかとない色気など、みんな計算ずくのようでもある。過去に、彼女に特別な好意を寄せた男たちにもこうして適度に応じて、あしらっていたのではないか。そうだとすれば雅子は悪人である。  桑木は、夫を愛しているかと雅子にきいた。これが彼女の心を量る重要な分銅であった。はじめのうち雅子は困った顔ではっきりとは答えなかった。愛しているともいわなかったが、愛していないともいわなかった。そのうち、実際は夫と性格が合わないのだと云い出した。 「だって、恋愛結婚じゃなかったの?」  やはり寂しい裏通りを歩きながら桑木は云った。歩く場所はほとんどきまっていて、長い塀の多い邸町が択ばれた。その辺の地理はどんな小さな路地でも詳しく二人の頭に入っていた。雅子を喫茶店に呼んで以来、十何べんもこの界隈《かいわい》を通っていた。 「恋愛結婚に似たものですが、そのころ、わたしは若くて、何も分らなかったんです。あの人の情熱に圧されてふらふらといっしょになったんですが、その時でも、すでにもう少し考えなければという気持はありました。それが頑張れなかったんですのね。結婚してから一年目にはもう後悔しました」  雅子は足の運びをゆるめながら語った。両側の家々は日射しの中に静まりかえっていたが、あとになると黒い植込みの間から灯が洩れているのを眺めるようになった。それはそのまま二人の間の進行であった。  どういう点で二人の性格が合わないのか、桑木は深くは訊かなかった。彼女の夫の欠点を聞き出す結果になりそうなので節度を守った。ただ、彼女が夫にそれほどの愛情を持っていないということだけを聞けば十分であった。  桑木は、夫のほうの気持はどうかと雅子にきいた。 「前ほどではありません。わたしの気持が彼にも自然と分りますから」  この答えも彼を満足させた。  次の角を曲るとどういう家があって、右の坂を下りるとどんな家がある、と二人の散歩道がみんな分っているように、桑木は雅子の言葉を聞いてからこの先雅子との発展が予想できそうであった。が、歩いて知っているこの道も、まだ足を入れたことのない未知の街につながっている。この道が短いように、雅子と唇を合わせてからの時日も短かった。将来のことは分らなかった。  雅子は奥さんを愛しているかとは桑木に一度も訊かなかった。それは彼女が孝子をよく識《し》っていて、彼の返事から孝子を傷つけることになるのをおそれたからだろう。その点、彼が雅子の夫のことを詳しく聞かないのと似ているが、彼女の場合、家や病院にたびたび来て、孝子と親しくしている(雅子のほうで調子を合わせているのだが)のでよけいに夫婦の間を訊きづらかったにちがいない。  しかし、雅子はああ云うけれど、その夫は彼女を愛しているのではないかと桑木は想像した。自分の入院についても夫は彼女の云う通りにすぐにF博士に頼んでいるし、看護日誌なども借りて来ている。彼女の云うことをすぐきくのは、夫に愛情があるからだろう。ただ、雅子の云う性格が合わないのは彼女のほうからで、そのへんの事情もだいたい察しがついた。桑木は、雅子を通じてのことだが、F博士の手術をあの場で受けて救われたのがその夫の世話と思うと心苦しいものがあった。それは前におぼえた当惑とは違う。あの時は、雅子の夫だという意識からその好意に心がはずまなかったのだが、今からふり返ると嫉妬に近いものがまじっていた。しかし、現在は違う。桑木のほうで雅子の夫を裏切りつつあった。  唇を合わせるようになってから雅子は桑木の家に来なくなった。 「高岡さんは、近ごろさっぱり見えなくなったわね」  孝子は夕食のとき云った。桑木はどきりとしたが、 「仕事のほうが忙しいんだろうな」  と、気にかけないふうに呟いた。 「前には、あんなにたびたびいらしたのに……」  妻はふしぎそうに云った。そして彼の顔をちょっと見たが、桑木は自分の顔色が変ってはいないかと心臓が速くなった。 「だって、あなたが引きうけた雑誌の仕事、そろそろはじまるんでしょう?」 「うむ。……あれは一応断ったよ」 「あら、どうして?」 「前のような身体ではなし、ここ一、二年は気をつけなければいけない。本格的な仕事のためにも、雑誌のぶんだけ負担になるからな」 「止めるの。そいじゃ高岡さんに悪いじゃあないの。あんなにあなたのことをよくして下さったのに……」  孝子は彼を非難するように云った。  桑木は安心した。妻は何も気づいていなかった。  雑誌のほうは断ったのではなく、もっとさきに延ばしてもらったのである。実際は断りたいのだが、それでは編集長が承知しないので雅子の計らいでもう少し先に、次の次にはじまる小説からつき合うことにしてもらった。  そう云い出したのも雅子のほうからだった。挿絵がはじまると担当者として毎月一、二回はきまってお宅に行かなければならないが、奥さまの顔を見るのが辛い、との理由だった。代りの者を行かせてくれと編集長にたのむのも不自然で出来ないことだから、いっそ当分は身体の要心ということで先に延ばそうと彼女は提案した。  桑木はよろこんで承知した。彼も雅子に来られるのは辛くなっていた。何でもないことだけど、こっちの夫婦の様子など、これまでとは違って雅子の眼には苦痛にちがいなかった。その上、二人の女の間にはさまって気を使っている自分を想像するだけでもイヤだった。  しかし、雅子の言葉がうれしかったのはただそれだけでなく、もっと大きな理由があった。はじめて雅子が計算ずくで彼とつき合っているのではなく、本当の感情からだと分ったからだ。彼の挿絵が延びるのは、社での彼女の失点にはなりこそすれ、得にはならなかった。げんに社長も編集長もひどく機嫌が悪かったという。  どんなに編集長が不機嫌でも、わたしには奥さんの顔を見ることはできない、と雅子は云った。 「でも、あんなにあなたの挿絵が欲しくて熱心に足を運んでこられた高岡さんが、よく中止を承知されましたね?」  孝子はその夕食の会話のつづきで云った。 「そりゃ、仕方がないよ、こっちの身体が大事だもの」  桑木は少し突慳貪《つつけんどん》に答えた。 「そりゃ、そうだけど……」  妻は黙っていたが、 「わたし、お仕事に関係なく、電話して高岡さんを家にお呼びしようかしら。おつき合いしてもきっといい方だから」  と云い出した。桑木は内心狼狽して叱った。 「止せよ。向うはお前と違って遊んでいるんじゃないんだ。忙しい人を呼びつけるなんて迷惑になるぞ」  孝子は不満そうに黙っていたが、 「高岡さん、どうして雑誌社をやめないのかしら」  と、また云った。桑木は孝子が執拗に雅子のことばかり話題にするので警戒した。 「そりゃ、編集の仕事が好きだからだろう。ああいう仕事は、好きな人でないとやれない。子供も居ないというからな」  彼は当り障りのないことを答えた。 「だって、もう五年以上いまのお仕事をなさってるんでしょう? ご主人がよく承知なすってるのね、帰りが不規則だろうし、ご主人も不自由だと思うわ」  桑木もそのことでは前に雅子にきいたことがあった。返事では、主人もはじめは雑誌社をやめるように云っていたが、今では諦めているというのだった。夫は、雅子の帰りが分らないので、晩飯など途中の店で食べてくるということだった。いまに離縁になりますわ、とそのとき雅子は冗談に云ったが、いまはその言葉を桑木は別な意味で考えはじめていた。 「でも、わたしは高岡さんが羨《うらや》ましいわ。才能がおありだから。わたしは、あなたに云われるように能なしだから家で遊んでいるよりほかしようがないわ」  孝子は少し皮肉な調子で云った。  桑木は、妻が雅子との間をうすうす感づいているような気がして動悸が高くなった。      8  妻に彼の行動が分ったのは、それから三カ月ほど経ってだった。  何でもない程度のときには孝子も気づかなかったが、雅子と肉体関係ができてからはさすが嗅ぎつけるようになった。  孝子はその前、近ごろ様子の変った桑木を疑っていたが、相手が雅子と知ったのは案外早かった。  桑木は、雅子と遇うために車で出かけるようになった。カモフラージュのためにスケッチブックなど運転台の横に置いたりした。外国製の古い小型車はここ数カ月も車庫から出してなかったので、妻が女中と大掃除をした。 「まだ、身体が元どおりになってないのに大丈夫ですか?」  はじめて出かけるとき妻は半分心配そうにきいた。 「大丈夫だ。ゆっくり運転するから。タクシーに乗るより安全だよ」  前にはこの車でほうぼうをスケッチして回ったものだった。勝手なところに行けるので便利だった。運転免許証は五年前にとっていた。 「よく気をつけてね。病気は助かったが、事故で命を落したなんてイヤよ」 「まったくだ」  妻の眼をごまかすために、スケッチブックには適当に街や田舎の風景を想像で描いてこなければならなかった。  桑木は、ある場所まで車を運転して行き、そこで雅子と落合い、夜の裏通りを歩きながら人の来ないところでは手を握ったり、外灯の光りがかくれている場所では接吻したり、いつまでもそういう段階では桑木もあせってきた。彼は、いつぞや湯河原の旅館で空しく雅子を心待ちしていたことを彼女に語った。  雅子は下をむいて笑っていた。 「だって、わたしは先生の気持は何も知らなかったんですもの。無理だわ」 「そりゃ、待つほうが無理だったけど。あのときの虚しかった気持をとり返したいんだ。ぼくは、あさってあたりもう一度湯河原に行く。今度は来てくれるね?」 「前のとき、どういうつもりでわたしを待ってらしたの?」 「宿で話をしたり、いっしょに散歩したり……」 「今度も、それだけですのね? それ以上は何もなさらないわね?」 「しない」 「それを約束してくださるなら伺います」  桑木は孝子には三、四日ほどひとりで湯河原に行ってくると云った。当時は孝子も不審を持っていなかった。 「この前の旅館ですか?」 「うむ、一応は入ってみるけど、飽いたらよそに移るかもしれない。どっちみち、二、三日で帰ってくるから」 「行ってらっしゃい」  孝子はうなずいた。  家を出る前、彼女は身の回りのものなどスーツケースに詰めた。桑木は湯河原ではどういうことになるか分っていたので、妻の顔がよく見られなかった。が、もう仕方がないと思った。旅館にくるのを承知した雅子もその覚悟でいるにちがいなかった。家を出て駅までのタクシーに乗ったとき、妻も家もうしろのほうに流れ去った。  湯河原では最初の晩だけこの前の旅館にひとりで泊った。あくる日の夕方近く、雅子から旅館に電話がかかってきたので、桑木は急いで勘定を払った。  湯河原の駅には、片隅に雅子がうしろ向きに立っていた。わざと目立たない服装だった。  駅前のタクシーに二人で乗ると、箱根の強羅に行くよう運転手に云った。湯河原の町に逆戻りし、たったいま出たばかりの旅館の前を通過した。孝子にはひとまずこの前の宿に入るがあとはどこに移るか分らないといったのはこの行動を予定していたからだ。この前と同じ旅館に泊ったのも孝子を安心させるためで、桑木は自分が知能犯にみえた。  山を越えて下り道となった。下に強羅が見えてきた。  旅館はどこかと運転手がきいたので、なるべく静かなところを頼むというと、眼鏡をかけた三十くらいの運転手は、横に大きな欅《けやき》がそびえている門の中に車をすべりこませた。両脇に自然林をとり入れた砂利道は立派な玄関まで長かった。そこまでくると、雅子の姿勢が固くなった。  建物は斜面に沿って上に伸びていて、いくつかの渡廊下でつながれていた。通されたのはいちばん上に当る部屋で、前面の黒い山の稜線の裾を這った夕靄《ゆうもや》のなかには下の町の灯が小さく光っていた。  障子を開けて眺めている雅子を桑木は斜めうしろから抱いた。唇をはなすと、 「約束を守って下さるわね?」  と、雅子は念を押した。初めてキスしたときと同じように呼吸がはずみ、肩が波打っていた。  結局、その約束は守れなかった。雅子も最後には争わなかった。彼女も覚悟をきめていた。 「君が好きだ」  と桑木は云った。この言葉はありふれていて、いかにも重味がなかった。愛している、という言葉はもっと卑俗で、気障《きざ》で、彼は口に出せなかった。といって、ほかの言葉は探せなかった。だが、それだけでも女は十分に言葉の現実をうけとってくれた。雅子は応えた。 「ぼくの愛情は変らないよ」  これも、そう云うほかなかった。  だが、現実的な愛情のやりとりは別なところにあった。  桑木は、腹の手術の痕を雅子に見せないようにした。 「あら、そんなにお匿しになることはないわ。どれ、見せて」  雅子は彼の寝巻の前をひろげた。 「醜悪だから困るな」  桑木はそこを彼女にじっと見つめられるのが恥ずかしくて堪えられなかった。二度も切っているので無残な痕だった。自分でも嫌悪を催すのだから、他人の眼にはさぞ不快に違いなかった。女が見たら嘔気《はきけ》が起るかもしれなかった。  しかし、雅子は眼を逸らさずに凝視して、 「でも、わたしには醜悪とも何とも感じないわ。ずいぶん上手に、きれいに切ってあると感心しているだけですわ。よかったわ、これでお丈夫になれて」  と云った。  病院でも回診のときこの傷痕を雅子にのぞかれているが、いま彼女のその言葉を聞いて桑木には感動がこみ上った。もはや他人でないという実感が身体じゅうにひろがった。 「丈夫になれたのは、君のおかげだな」 「そんなことはないけれど。……でも、折角命拾いなさったのに、わたしとこんなことになってお苦しみになるかもしれませんわ」 「苦しむもんか。たとえ苦しんでもいいよ。命を拾っただけの意義があったと思っている」  それこそ気持の真実を云い表わしていた。  朝、雅子は小さな鏡台に向って髪を直しながら東京にすぐ帰ると云い出した。雑誌社には私用で一日休むと云っているし、夫には仕事で一晩泊りで地方に出張するといってあるので、二晩もつづけては泊れないと云った。桑木はそういう雅子をひきとめることができなかった。無理をすると破綻《はたん》がきそうだった。  桑木は雅子を帰したあと、畳に寝転がったり、近くを散歩したりして一日じゅうを持てあました。湯河原で得なかった望みを昨夜充足させた。もっとも前の湯河原のときはそこまでの高望みはしていなかったが、今度はこうした結果になった。二つの間にはこれからの関係で天地ほどの相違があった。  しかし、桑木はこのことから家庭が破壊されるとも思わず、また、する気もなかった。雅子にしてもきっとそうに違いない。彼女は亭主があるから自分以上に要心深いだろうと思った。  桑木は、これを浮気とは考えたくなかった。孝子とくらべると雅子はずっと人間が上だった。もし、孝子と別れ、雅子も夫と離婚できれば、彼は躊躇《ちゆうちよ》なく雅子と結婚するだろう。そのほうがどんなに幸福な半生を送れるかしれない。仕事の上でも、雅子を得たほうがどれだけプラスになるか分らなかった。  が、所詮それは不可能なことで、雅子が離婚に踏み切るとは考えられず、彼も孝子と無理押しに別れることはできなかった。ことにこっちには子供もあることだし、別れ話から生じるいろいろなトラブルを考えるとその勇気はなかった。  すると、雅子とはこのままの状態ですすむことになる。が、こうした位置は桑木にそれほど不満ではなかった。理想が実現できないとすれば、この状況で辛抱しなければならないではないか。辛抱というよりも彼には満足であった。八方に故障がなく、知らせないままにおけば誰もが傷つかずに済む。  桑木は、それを男の得手勝手や狡《ずる》さとして、自分でも考えないではなかった。しかし、理想的な環境が獲得できない以上、これもやむを得ないと自答した。  そんなことを考えて昼間は時間を送ったが、夜は寂しくてならなかった。昨夜の雅子の言葉や肢体が生き返って、じっとしていられなかった。  雅子は、桑木を愛していると云った。彼女もその言葉しか知らなかった。どうしてだときくと、彼女は表現をまとめるように考えていたが、やさしいから、と一言で答えた。 (君の主人だってやさしいじゃないか?) (やさしさが違うわ。そうね。……でも、あなたのは深いから。それに惹《ひ》かれたのね)  やさしさが深い、という表現の解釈を推察できた。分析的な言葉をならべて聞く必要はなく、それだけで輪郭が分り、情感的に内容がくみとれた。 (それなら君の主人のやさしさは浅いのかね?) (意地悪ね。そんな質問はなさらないで)  雅子は顔をそむけた。  想像通り、雅子の夫は彼女を愛しているのだと桑木は思った。が、彼女は常からその夫にもの足りなさをもっている。ここで、彼は中年と青年との幅の違い、社会的地位の開き、思考方法の相違など頭に入れてみるが、自分が現われなくとも、彼女は性格の異《ちが》いということで結婚の失敗を自覚しているのだ。その点でも、桑木は自分の責任が軽いような気がした。  桑木は、昨夜の雅子のことを思い出し、そうして今ごろ雅子はどうしているだろうと思った。すると夫と床をならべている雅子が、灯を消した天井のあたりに浮び、ますます眠れなくなった。妻は≪贖罪《しよくざい》≫のため、またその罪を隠すために夫の傍に近づくと思ったからだ。彼は深夜の浴室に二度までも下りた。 「そんなことがわたしにできるもんですか」  箱根から帰って三日後、雅子に会ったとき、彼女は唇の端を曲げるようにして桑木の妄想に抗議した。 「女にはそんな上手な真似はできませんわ。少なくともわたしにはできないわ」  遇うのはそういう種類の旅館になっていた。そんな場所を雅子も嫌ったが、桑木も不愉快だった。気持がけがされるようだった。が、ほかに適当なところはなかった。桑木は夕方近くから古い小型の外車を運転し、途中の駐車場にあずけるとあとはタクシーで雅子との待合せ場所に急いだ。  あるとき、雅子を腕の中に入れていると、 「もう、どうなってもしかたがないわね」  と、溜息をつくように云った。  それが絶望的とも自暴自棄ともとれるように聞えたので、桑木は黙って彼女の顔を見ていた。そのとき雅子は妙にうつろな瞳をしていたが、意味は二週間後に──その間に三度例の場所で遇って──分った。  夫とは別れる決心をしたと彼女ははっきりした口調で云った。いつものように、わずかに顎をあげて微笑していたが、それには決意した人間がみせる妙な冷たさがあった。 「あなたは奥さまと別れなくてもいいのよ。わたしは勝手にそうするんだから。彼にはあなたのことは何も云ってないのよ。ただ、別れてほしいと云っただけなの」  夫は何と答えたか、と桑木は自分の声とは思えない声になって訊いた。 「仕方がないでしょ。わたしが別れたいというんだから」  雅子は低いが落ちついた声で云った。  そんなに簡単に離婚ができるのかと桑木は疑ったが、|しん《ヽヽ》の強い彼女なら夫を無理に承諾させるかも分らなかった。  彼女が夫と別れたあとは、自分との間はどうなるのだろうと桑木はこれから先の成行に見当がつかなかった。 「彼と別れたら、わたしどこかのアパートに移ります。田舎の実家のほうには帰らないわ。……あなたがそういうわたしの所に遊びに来てくださってもいいし、お嫌だったらこれきりにしてもいいのよ。あなたには相談せずに、みんなわたしの勝手な判断でやったんだから」  これきりにしていいと云われても、桑木は、それならそうしようというわけにはゆかなかった。こういう事態になったのも自分に責任がある。いまさら逃げるような真似はできなかった。が、そんな責任論などよりも、何よりも雅子がひとり住んでいるアパートに行けるのが彼の心を強くとらえた。これから彼女の夫のことを頭に置かずに自由に愛せると思うと、容易ならぬ事態も意識からうすれて、全身に欣びが満ちてきた。 「ほんとうは来ていただきたいと云いたかったの。うれしいわ」  雅子は桑木の返事をきくと彼の顔に頬を強く押しつけて云った。 「たとえ、ひと月でもふた月でも、あなたと二人きりの生活をしたかったの。毎日でなくてもいいわ。あなたにはお仕事とお家のことがあるから。三時間ぐらいずつ、一週間に二度でも一度でもいいからいっしょに居たいの。あなたには経済的な負担はかけないから。……こんな場所ではなく、わたしの部屋で」  雅子は旅館の部屋を見回した。床には悪達者な墨絵の軸がかかり、横には布をかぶせたテレビが置いてあった。畳には煙草の焦げ跡がついていた。  その晩、駐車場から車をひき出して家に帰るときの気持はあとまで忘れられなかった。一生の危機に立ったような不安で、脚が慄えそうだった。雅子と別れてからことの重大さに眼がさめた思いだった。  わずかな気休めは、雅子が一週間に一、二度、それも数時間いっしょに居てくれたらいいということ、彼が別れたいときはいつでも別れてもかまわないと云った言葉だった。そこにはまだ追い詰められてない余裕《ゆとり》があった。それは最後には窮地から脱せられる余地でもあった。破滅は絶対に避けねばならないと桑木は思った。  自分にはこれから先やらねばならない仕事がある。病院で死から脱《のが》れようともがいたのもそのためだった。幸い、命は助かった。これを大切にしなければならぬ。意欲的な仕事をしろと神が命を与えてくれたと思った。きまった神なんかは信じないけれど、どこかに神のようなものが漠然と存在して運命を采配《さいはい》しているように思えた。勝手な解釈をすれば、これも神の摂理だった。  前には、雅子が離婚し、自分も孝子と夫婦別れするようになればいいと桑木は願望した。いま、雅子は簡単に亭主と別れることになった。望みの半分は達せられたのである。が、あとの半分、自分のほうはそれほど容易に孝子と別れられそうになかった。雅子には子供がないが、自分のほうにはある。のみならず、孝子が絶対に離婚を承服する見込みはなかった。別居にしても同じで、孝子は別居も離婚も変りがないと信じているにちがいない。  桑木が無理|強《じ》いをすれば大きな騒動が起る。孝子を愛しているわけではないが、それが怕《こわ》かった。彼は自分の小心なことをだれよりもよく知っていた。トラブルが起ると気分がかきまわされ、仕事が手につかないのが分りきっていた。彼は何よりも平和な雰囲気と平静な心境を欲した。それでこそ仕事に精魂が打ちこめるのである。野心作の完成が実現できる。家の中が揉めると、細い神経は怯え、思考は破壊され、筆を握る指先は慄えるにちがいなかった。  桑木は自分の考えついた新方向が必ず成功すると信じていた。これは今後の画壇の新傾向となるだろう。画壇に旋風を起し、「敵」を圧倒するに違いなかった。それが、すぐそこに見えている。現在は、平静な環境の維持だけを願った。  雅子といっしょになるなら──もし、そういう事態がくれば、彼のめざしている意欲作が成功し、それが次々と軌道に乗ってある程度の定着を得たのちにしたかった。身勝手なことかもしれないが、芸術家のわがままとして許してもらいたい。それまでは──そう長くはない平和を自分の身に与えてもらいたかった。孝子より雅子を得たほうが、はるかに後半生が仕合せで、充実がありそうだった。  桑木は、癌で助かったよろこびもそれではじめて意義があるのだと思った。      9  夏の間じゅう桑木は妻に苦しめられ通しだった。  孝子は、雅子が夫と別れてアパートにひとりでいることもどういう方法でか知っていた。彼女はその手段を云わなかったが、私立探偵社を使ったらしかった。心当りはあった。 「高岡さんは別れたそうだけど、あなたといっしょになるつもりなの?」  孝子は蒼い顔で彼を問い詰めた。はじめの数日は泣くばかりだったが、あとでは激しく、突っかかってきた。 「そうじゃない、前から亭主とうまくいってなかったのだ」  桑木は鉢をかぶったように頭が重かった。彼は毎日のように孝子に責められて、夜もろくに睡っていなかった。仕事どころでなく、家の中は針のむしろに坐っているようだった。 「でも、あんたとそういうことになって別れたんでしょう? だから、あんたにはその責任があるのね?」 「責任が全く無いとは云わない。が、おれがすぐにはあの女といっしょになる義務はないのだ」 「すぐには、と云ったわね、じゃ、いずれは、わたしと別れてあの女といっしょになるのね?」  そう云われると桑木は詰った。そのつもりはない、と云えば、孝子は即刻に雅子と手を切れと逼《せま》るにちがいなかった。彼は近いことではないが、いつかは雅子といっしょになるような予想があった。そのように努力してその方向に持ってゆこうというのではなく、情勢の上から、結局は自然とそうなってゆくような気がしていた。すると、雅子とは絶対にいっしょにならないと断言するのは後めたかった。 「とにかく、おれに画を描かせろ。しばらくは何も云うな」 「勝手な云いぶんね。こんなことではわたしの胸がおさまらないわ。いったい、どうするの?」 「そのうち、何とか解決する」 「解決って、あの女と別れるの? それともわたしを追出すの?」 「ばかなことを云うな。だから、いいように解決すると云っている」 「あなたの気持はさっぱり分らないわ。はっきり云ったらどう?」 「おまえは毎日毎晩そんなことを云って、おれの画の仕事を滅茶滅茶にするつもりか?」 「画なんか描かなくてもいいわよ。こっちのほうからカタをつけて」  桑木はむしゃくしゃして家をとび出した。行先が知れているので、孝子はガレージから引張り出した車にしがみついたりした。 「あの女のところに行くんだったら、わたしを轢き殺してから行ってちょうだい」  雅子がずっと年下だということも孝子を逆上させていた。 「みっともない真似をするな。近所の手前があるぞ」 「みっともないのはあんたよ。何よ、身体もまだ十分に回復しないくせに昼間から女のとこへ行くなんて」 「そんなところへ行くもんか。写生がてら、気分晴らしに郊外をすっ飛ばしてくるんだ」 「もうだまされないわ。スケッチブックなんか体裁に持ったりして、前からその手であの女と遇ってたくせに」  昼間は何も仕事ができないので、夜、画室にこもったけれど、電灯の下では色も何も分らず、第一、乱れた気分がなおらなかった。孝子も睡れないとみえて、夜中というのに居間のほうでふいに大きな音を立て、わざとらしく廊下を足踏み鳴らして往復した。彼女は不眠がつづくと病的な発作が多くなった。それがいちいち桑木の神経にひびいた。画商との約束の画があるので、彼も苛々《いらいら》した。  孝子は日ごろ出入りをとめている画室にも侵入した。桑木の近くにぺたりと坐って彼を睨《ね》めつけた。光った眼で黙っているときもあれば、雅子のことで喚き立てることもあった。それにつれて彼の過去の女のことまで持ち出した。桑木は二度ばかり問題を起したことがあったが、浮気程度で、孝子が騒ぐほどのことはなかった。  桑木のもっとも怖れていた状態になった。野心を賭けた新方向の画を制作するどころではなかった。彼はせめて画を描く間だけの平和が欲しかった。  桑木は雅子には妻のことをなるべくかくしていた。が、彼が元気をなくしていると、それと察した雅子はいろいろと訊いた。彼もこの苦しみの|はけ《ヽヽ》場がないから多少は打ちあけた。また少しは知らせておいたほうがいいと思った。 「お気の毒ね、あなたも」  が、それだからといってあなたとお別れするつもりは絶対にないと雅子は云った。夫と別居し、離婚の手続きを待っている彼女としては当然のいい分だった。彼女は夫には、桑木とのことは最後まで伏せて強引に別れた。そのいきさつは桑木も詳しく聞いている。やはり、気の弱い夫のようだった。 「奥さま、不意にこのアパートにお見えになるかしら?」  雅子は不安げにきくこともあった。 「まさかそこまではしないだろう」  桑木もそれを心配していたが、孝子はそれだけはやっと思いとどまっているようだった。  雅子は、孝子のように今後どうするつもりかなどとは桑木に訊かなかった。あなたと一緒になるつもりで亭主と別れたのではないし、あなたとは一カ月でも二カ月でもこういう生活ができたらそれでいいのだと云っているので、何も云えなかったのかもしれない。ただ、一、二カ月という期間の点は怪しくなって、今では雅子も彼と永久に別れたくない気持が出ていた。彼に将来のことも問わず、毎日勤めに出ているところは、結局は彼が家を出て自分のところにくるものと確信しているように見えた。  そういう雅子の芯の強さが、桑木にも女の図太さとして映ることがあって、ときに気味悪さを感じないでもなかった。 「あんたは、女に生命を助けてもらったと思って、義理を尽してるの?」  孝子が顔を歪めて云うことがあった。もう高岡さんとは云わずに、「女」という呼び名になっていた。 「助けてくれたのは医者だ。くだらんことを云うな」 「こんなことなら、女もいい病院を世話してくれなかったほうがよかったわ。あれからこんなふうにメチャメチャになったんだもの」  孝子は投げつけるように云った。桑木もそれには実感があった。あのとき手術がうまくゆかなくて、死ぬ運命と決っていたら、いまごろは病室で死期を待っていたかもしれない。生命を与えてもらったよろこびも、やりかけている仕事ができるからだった。それが家で破壊されているいま、味わうのはこの苦痛だけであった。こんな状態で生きている意義がどこにあろう。あのまま死を待つ病床に横たわっていたら、この苦悩はなかった。  桑木は漱石の「こゝろ」の中にこんな文句のあるのを思い出した。 (──君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか)  若いときに心を入れて読んだ本はよほど頭の隅に残っているとみえて、ところどころの文字がひょいと起き上ってくる。この旧式な言葉も今は桑木に実感があった。  自分は果して高岡雅子の黒い長い髪に縛られているだろうかと彼は考えた。それには否定の答えが出なかった。たしかに彼は雅子とはすぐには離れられない状態になっていた。その一つに彼女の身体への執着があった。そのことでは夫とは何の歓びも感じなかったという雅子も、彼によって感動をおぼえた。年齢的にいって彼女はそうした時期にさしかかっていたから、夫とつづいていたら同じ目ざめになっていただろうが、彼との刺戟的な関係の発生によって、その昂奮が彼女の感性をよびさましたといってよかった。  いちどそういうことを知った雅子は欲望の強い女になっていた。桑木もそれにひきずられた。自分でも激しくなっていった。女の汗ばんだ、なまぬるい体温からは容易に離れられなくなった。彼は微温に満ちた女の部屋で堕ちてゆくような陶酔に浸った。  が、そうした間も彼は絶えず時計の針を気にした。徹底した虚無にはなりきれなかった。全部が孝子に知られている今、彼の行先が雅子のもとだと孝子に分っているいま、ここに長くいようがいまいが同じことのようだが、それでも時間が早ければ妻の機嫌はいくらかでもよかった。それだけでも画の仕事にとりかかれた。時間を気にして早く帰るのは束の間の平静を得たいからであり、仕事の破滅を喰いとめたいからであった。それは人工的につくられた薄氷のような平和だった。いつ波をかぶって割れるか分らなかった。  彼は雅子のもとから車を運転して帰るとき、いつも孝子の機嫌をあれこれと想像している自分が情けなくなって嫌悪感に陥った。家に戻れば地獄だと思うと、このまま車でだれも知らない土地に逃れたかった。が、そうした衝動をひきとめるのは仕事への未練だった。これが放棄できたら、何でも思い切ったことができるのだが、覚悟はつかなかった。  それなのに彼は三日も家に辛抱していることができなかった。冷たい、とげとげしい妻との対立に耐え切れないのと、それにかかわりなくうずいている雅子への愛着が車庫を開けさせることになった。家を出るときの妻との悶着、帰ってきてからの争い、雅子との愉楽を間においてその前後にやり切れない長い地獄があるのは知れ切っているのに心が抑えきれなかった。  ある晩、桑木がいつもよりは遅くなって帰ってくると、孝子の姿が見えなかった。腹を立てて早寝することもたびたびだったから気にもとめなかったし、かえって寝ているのでほっとした。ともかくこれで騒動は明日の朝まで延びる。今晩はわずかな時間でも画室にこもれると思った。中学生の子供ははなれた別の部屋に寝ていた。この子も近ごろはすっかり無口となっていじけてしまった。  手洗いからの戻り、桑木は廊下でいびき声を聞いた。  孝子はこの問題が起ってからは不眠がつづくので睡眠薬を飲むようになった。その際はいびきをかくのですぐ分る。ときには睡眠薬の発作で、短いが大きな声でどなったり、歯を噛み鳴らして、ウ、ウ、ウ、とうめいたりした。いかにも口惜しそうな声だった。顔も尖ってしまい、皮膚が荒れ、皺がふえた。薬をのんだあとの孝子は身体をフラフラさせた。そんな妻を見ると桑木もさすがに後悔が起るが、喧嘩を挑んできたり、わざと睡眠薬を呑んで喚いたりうめいたりするのがつづくと、いかにも彼に対する当てこすりのようで、憎らしくなった。  だが、そのとき廊下で聞いた孝子のいびきはいつもと違っていた。不規則で、苦しそうだった。桑木は、はっとして部屋の襖をあけた。急いで電灯をつけると、孝子の顔は枕から落ち、大きく口を開けていた。その枕元に転がっている睡眠薬の瓶と、蒲団からのり出している彼女の|よそ《ヽヽ》行の着物を眼にしたとき、彼は一瞬立ちすくんだ。      10  桑木が車で人を轢き殺したのは、孝子の自殺未遂があってから一週間後だった。そのとき彼は運転台の横に雅子を乗せていた。──  孝子が自殺を企ててからは彼の頭も混乱していた。彼女には本当に死ぬ気があったかどうか分らない。電話ですぐに駆けつけてくれた近所の医者は、看護婦と胃洗滌をしたあと、薬が多すぎたようですが、この程度だと致死量までには達しませんから大丈夫です、と云った。医者は事情はうすうす察していたかもしれないが、言葉は過失で押し通した。知った医者だが、桑木は感謝した。  あれは狂言自殺だったのだろうか。医者の言葉から察して孝子がわざと致死量に達しない程度に薬を飲んだともいえるし、その覚悟だったが知識がないために死ねなかったともいえる。遺書らしいものも無かった。が、故意に遺書を書かなかったところは、本気で死ぬつもりだったと考えられなくはなかった。  雅子はそのことですっかり参っている桑木を慰めた。彼女は孝子の自殺未遂(?)については多くふれなかった。それは自分の立場からあまり云うべきでないと考えているらしかった。彼女のその思慮が桑木に好もしかった。むろん雅子もショックを受けたが、自分の感情は口にせず、桑木と遇っている間は彼には何ごとも忘れさせるように親切に抱いた。深い愛情は姉のようでもあった。彼はそれによりかかった。が、それは醒めやすい、短い没我であった。彼は神経過敏な人間が、はっとして目がさめるように、意識がすぐに家庭の破壊のことに走った。彼は自分ながらノイローゼになっていると思った。  その晩、雅子は心配だから途中までいっしょに送って行くと云った。これまでそういうことは一度もなかったが、彼の様子がよほど気がかりに思えたらしかった。桑木は彼女を車に乗せた。  外灯の明るい広い通りだったが、人の影が対面側のとまったタクシーの傍に立っていた。両側とも車が多かったが、その人間は車道の中間にたたずんでいた。様子では、こっち側のタクシーを待っていたが空車がこないので、反対側からきた空車をみつけ、道路を走って横断し、歩道とは逆のところでタクシーを停めたという感じだった。  桑木はその人影を五十メートル手前から確認していたが、タクシーに乗るものと考えてスピードは落さなかった。その人はとまったタクシーの車体に身を寄せて運転手と話している。道路の対面側には車の列が走っているので、その人は背中が危険なことは十分に知っているはずだ。桑木はそう思って十メートル近くまできた。と、予期しないことが起った。その人はタクシーから離れて急にうしろに二、三歩退ったのだった。ブレーキを踏んだが間に合わなかった。横の雅子が叫んだとき、前の人影が躍るように消えた。彼は車体の下に鈍い衝撃を感じた。  車を下りたとき、外灯の光の当った三メートルばかり向うの道路の上に人間の黒い姿が横たわっているのが見えた。桑木は膝頭から力がぬけて、そこまで行くのに水の中を歩くようだった。  彼は寝ている人の傍に寄って声をかけたが返事はなかった。中年の勤め人ふうの男だった。抱きあげるつもりで頭に手をやると、その頭から真黒い水がこぼれた。外灯や、ほかの車のヘッドライトでそれが血だと知ったとき、桑木は自分を失い、何をしていいかわからなくなった。  横を走る車が次々と停って、人が集まってきた。 「この男の車が、この人のうしろからえらいスピードで突っこんだのだ。道路を渡ろうと歩いているところをね。おれは見ていたんだ。こいつ、わき見運転でもしていたのだろう。これだけ明るいところだもの、横断歩道でなくても、歩いている人が分らないはずはない」  大きな声で集まった群衆に説明しているのは、さっきのタクシーの運転手だった。死んだ人は、このタクシーに乗るつもりで運転手に話していたが、運転手が行先が気に入らないかして断った。それで客は交渉をあきらめて、多分、そのあとにくる空車を目でさがすつもりだったのだろう、後も警戒せずに二、三歩さがった。桑木はそう思っている。運転手が高い声であんなことを話しているのは乗車拒否を隠すためだった。  雅子が、早く救急車を、と云った。それを見た人々のなかから、 「女といっしょにいたのか」  という声が聞えた。 「女なんか横に乗せやがって。わき見運転も当り前だよな」  タクシーの運転手は人々に向って桑木を蔑《さげす》むように大声で話しかけ、同意を求めていた。  ──秋の半ば、桑木は業務上過失致死罪で禁錮四カ月の判決をうけて千葉県にある刑務所に入った。  控訴をすすめる知人もあったが、彼はそのまま服罪した。  死んだ人はある会社の課長で、将来その社の幹部にもなるような出来のいい人だった。嘆いた遺族は思い切った慰謝料を要求してきたが、桑木はそれにできるだけ応じた。が、そうした金銭面の謝罪とは別に刑事責任を重く問われた。 ≪本件事故は、被害者が道路交通法第一三条第二項の規定に違反して、歩行者として横断禁止区域となっている現場道路を横断し、××タクシー株式会社運転手Kのタクシーの通過のあと歩道に到ろうとした際、一たん立止り、二、三歩後退したことにその一因があり、右被害者にもかなり重大な過失があるものと解せられるが、その主たる原因は、被告人が自動車運転手としての基本的な義務である進路前方の注視義務を怠り、漫然時速約四〇|粁《キロ》の速度で進行した過失により右被害者の歩行に全く気付かず、自動車前部を同人に衝突させたことにあることが充分認められる。わが国現下の道路交通事情は大多数の道路が、歩車道の区別がある場合でも、歩行者が車道を横断するなどの方法により、自動車その他の車輛と歩行者との通行に共用されており、かかる共用道路における交通の安全のためには、歩行者に比してより大きな交通の危険を発生させる可能性がある自動車運転手に歩行者よりも大きな注意義務を課せられるを相当とする。なお、本判決前、被告人と被害者の遺族との間に金一、二〇〇万円を弁済する旨の和解が成立したことが認められるが、右判決量刑を動かすに足りるものと認めることはできない≫  判決理由のあらましはこういうことだった。弁護士は控訴すれば罰金刑で済むといった。裁判関係に詳しい知人は、二、三年来、交通事故による死亡者が激増しているので、以前は罰金刑ですんだものが体刑主義でゆくようになったと気の毒そうに云った。検事は、運転台の横に雅子がいっしょに乗っていた事実を重視し、わき見運転の疑いがあると主張したが、判決ではこれを斥《しりぞ》けた。立証のないためだったが、これが裁判官の心証に影響を与えたのは確かのようだった。  桑木が一審で服罪したのは、死んだ人に詫びる気持が大きかった。彼は癌にかかって以来、絶えず心で死と向い合った。自然の暴力者の前に怖れつづけた。生に遁《に》げこもうともがいた。死の事実をこれほど真剣に考えたことはなかった。ところがその人は、死という事実を「真面目に考える」瞬間も与えられず、人生の愉快のさなかに突如生命が消えたのである。その人は周囲からも期待がかけられ、自身も大望をもっていた。  桑木の死から脱れたいというあがきのなかには画に対する野心があったが、芸術的な欲望と、会社での出世という欲望との間に当人にとってどれほどのへだたりがあろう。そういう人を殺した罪の意識は強かった。  同時に、桑木には控訴して二審の判決があるまで家に長く居るのが苦痛だった。孝子は桑木の過失を天罰だと罵った。事故を起したとき車に雅子が同乗していたのに激怒していた。  彼は地獄の家に居るよりも、隔離されたところに独居していたかった。先輩、友人、画商らが裁判長宛に減刑歎願書などを出してくれたのがむしろつらかった。四カ月間、社会から脱れて自分を見つめてみたかった。孝子から離れているだけでも息がつけた。  ひとまず××刑務所に入れられた。独房は三畳くらいの板の間で、そのうち洗面所と便器の場所をとるので、寝起きするところは二畳くらいしかなかった。彼はここで巨大な国家の腕力を身にしみて味わった。彼は昂奮と屈辱感とで二晩も三晩も睡れなかった。  差入れは孝子と雅子の両ほうからきた。食べものは許されなかったが、着るものや日用品や本などは届けられた。雅子のほうが品がよかったというだけではないが、彼は彼女のさし入れた品を主に使った。そのほうが気が楽だった。心もこのほうがこもっているように思われる。折から寒くなりかかっていた。孝子の品はいつまでもたたまれたままでいた。  十日間がすぎると、桑木は千葉の××刑務所支所に送られた。いっしょに送られた仲間はいずれも車で人を殺した人間ばかりだった。若いトラックやタクシーの運転手、中年の会社員、商店主などさまざまだった。  千葉の刑務所は町からはなれたところにあって、旧陸軍の小兵舎を改造したものだった。近くに新築の小住宅がぼつぼつと建っていたが、以前の荒野の面影は残っていた。その代り外界を防ぐ高いコンクリート塀はなく、米軍の施設のように金網が周囲にめぐらされているだけだった。  桑木はそれを見たとき当惑した。運動場に出たときや、房舎から工場に通うときなど近所の住宅や道路を歩く人がまる見えなのである。先方からのぞかれるのが不快なのではなく、こっちから市民生活を眺めて気持に動揺が起りそうだった。  独房に入るとき、彼は新入りの仲間といっしょに担当看守から心得を聞いた。ここも独房は五平方メートルで、そのうち洗面所と便所が三分の一を占めていた。前の刑務所では便所が別で水洗だったが、ここでは房の隅の板をめくると下が便壺になっていた。慣れるまで用が足せなかった。壁にホウキ、チリトリ、ハタキなどがかかっていた。小さな机があって、これが食卓にもなれば本を読む台にもなる。看守は狭い部屋でどのように生活するか、器具の使用法などを説明した。その合理的なのに彼は感心した。  看守が、廊下で器具の見本を使いながら、これはこのようにする、必ずこうする、などと一くぎり説明するたびに、いいかい、分ったね、と皆に念を押した。そのつど、皆は、はい、と声を揃えて返事した。  窓も扉も鉄格子をはめられた中で桑木は一週間を送った。昂奮したが、前の××刑務所にはじめて入れられたときのようなことはなかった。  この房舎は全部独居房で、コンクリートの細長い廊下の左右に二十室ずつならんでいた。彼の房からも廊下をへだてて鍵のかかった扉が四つくらい見えた。その上部の鉄格子の窓からは、頭が動くのが見えたり、向うでもこっちをのぞく顔と遇ったりした。右隣の部屋は始終ゴソゴソしていたが左隣はときたま低い物音を立てるくらいで留守のように静かだった。  ここには、こうした閉鎖独居房の生活を終えた収容者たちの工場に出入りする足音や、朝と午後の点呼の声や、自動車運転の再教習をうける声などが四方から聞えた。日曜日には、運動場のほうでバスケットボールをする騒ぎ声が聞えた。  この刑務所は凶悪犯や破廉恥罪を犯してきた人が居ないし、刑期も短いので、普通の刑務所より待遇がずっと寛大で、受刑者たちの行動もかなり自由が許されていた。  うすい藍色の受刑者服を着た桑木は、独房の隅にうずくまっていた。  自分を見つめる──それがまだよく分らなかった。頭の中に湧いてくるのは雅子と孝子のことばかりであった。それから画壇関係の友人や知人、画商などの顔が浮んだ。今度の事件でこんな場所に入っている自分のことを嗤《わら》っている競争相手も出た。  彼は、まだなじめない環境のために雑念に妨げられているのだと思った。とくに夕刻からが辛かった。ひとりで夕食をとり、床をのべている雅子が眼の前にちらついてならなかった。──来てみると、四カ月の刑期は長かった。      11  一週間すぎると、桑木は独房から十四人一室の雑居房に移された。「練成犯」という名だった。同時に、工場に配置される前の適性検査をうけた。所内の工場は、建築資材用の金網、紙函の型抜き、活版印刷、自動車のゴム部品、農耕、食品加工などがあった。食品加工とは醤油と味噌の製造のことである。  桑木は植字工を択んだ。他の作業はいずれも指さきが荒れるからである。一時は画を描くこともやめようと思ったが、これだけはまだ捨てきれなかった。  孝子がはじめて面会にきた。子供を連れていた。面会所は事務所と廊下を隔てた向い側の白い壁だけのうす暗い部屋で、金網ごしだが看守も何もついていなかった。 「お元気ですか?」  孝子は作業服をきている桑木を眺めて云った。かくべつ感動の様子もなかった。眼つきも声も普通だった。 「家で変ったことはないか」  桑木はきいた。 「ありません。近ごろはよく眠れるようになりました」  孝子は皮肉な口調で云った。 「おれが家にいないほうがいいんだな」  桑木は云った。雅子のところに行けないで孝子は苛立たないですむ。孝子はうす笑いしていた。 「あの女《ひと》はわたしより前に面会に来たでしょう?」  孝子は急に鋭い調子になって訊いた。 「来ない」 「ほんとうかしら?」 「嘘だと思ったら、事務所の人に面会人名簿を調べてもらってみろ」  桑木はここでも家での格闘を感じた。隣で収容者と話している老母と妻とがちょっとおどろいたようにこっちを見た。  中学生の子供は口をかたく結んで、眼だけ動かしていた。桑木は勉強のことをきいたが、子供は短い返事をするだけだった。孝子はタオル、歯みがき、チリ紙などといっしょに受付で許可になった雑誌を差入れして帰った。東京から一時間あまりだが、今度はいつ来るとは云わなかった。  桑木は工場に戻ったが、しばらくは雑駁《ざつぱく》とした気持が消えなかった。寂しい気持だった。それには孝子への憤りが含まれていた。寂しいといえば、雅子の面会がなかった。このほうの感情には飢えがあった。  が、その理由は看守から届けられた雅子の手紙で分った。手紙には、ご不自由なご生活を想像しています、なんといっても手術後間もないので身体のことが心配になります、看守さんにお会いして柔かい食事のことをお願いしておきました、せっかくここまで来てお会いできないのを情けなく思いましたが、面会人は本人の妻と三等親以内に限るとかで、わたくしの場合は許可になりませんでした、続柄を訊かれても答えるすべがないのです、不吉な比喩ですが、恋しい人が死んでも最後のお別れにも近づけない世の女性のことを連想します、こんなことを書いてごめんなさい、あなたはなるべく余分なことは考えないで、身体の練成道場に入ったような気持でのんびりと暮し(馴れないお仕事をなさってお苦しいとは思いますが)、体力づくりをしてください、四カ月はすぐですし、あなたは成績優秀だそうですからきっとそれより早くお出になると思います、それまでわたくしは社のお仕事に追われて気をまぎらわしています、くれぐれもお大切に、と書いてあった。  桑木は泪が出た。そうして冬枯れの道をバスで近くの駅に帰る雅子のしょんぼりした姿がいつまでも眼の奥に残った。  戸籍上の続柄で決めるのは不合理だった。心の離れた妻よりも心のふれ合う女が人生のほんとうの伴侶ではないか。そういう相手こそ会いたいのに、戸籍上の他人というだけで拒まれる。他人というなら偶然の結びつきでいっしょになって、愛情を失った妻のほうがよっぽど「他人」である。  収容者は若い人が多く、三十五歳以上は全体の四分の一くらいだった。会社の上級社員、教師、運転手、外交員、小企業の社長、商店主などいろいろだった。彼らは若い仲間にまじって明るく働き、遊んだ。実働時間は六時間で午後三時には工員としての仕事が終り、あとはクラブごとに図書室に行ったり、レコード、将棋、俳句などをたのしむ。週番の班長に断れば、所内のどこへ行くのも自由で、看守も付いていなかった。  桑木もそこにいる人たちとの違和感も次第に除かれ、仲間意識も出てきた。不自由なのは煙草を禁じられていることと、煖をとる火がないことだった。昼は寒い風が吹き、夜は冷えこんだ。  人々の中には面会のあと憂鬱そうな顔になるのも少なくはなかった。彼はそれを見て自分と似た立場の人だろうと想像した。が、時日が経って話合うようになってから、彼らの憂鬱はそうではないことが分った。留守の間に肝心の主人が居ないため経営がうまくゆかないとか、共同出資者に事業を乗っ取られそうだとか、勤め先を馘首《くび》になったとか、そんな種類のことが原因と分った。それを妻や親や兄弟が知らせがてらに相談にくるのである。 「刑期は短いようだけど、このための家庭崩壊はいろいろありますね、聞いた話だけど妻君に男が出来て逃げたという例もありますよ」  仲間の一人は云った。  桑木は、悪いことだけど、妻にそういうことが起ったらいいと、ひそかに願望した。しかし、孝子には起りそうにない。性格的にその要素の全くない現実的な女だった。  雅子のことを考えるとき、彼の想念には肉慾的な衝動がどこかに伴っていた。彼からはなれている彼女の状態を思うとその気持が強くなるのである。社の忙しい仕事に気を紛らわせている、と手紙にあったのも彼女が暗にそれを云っているようだった。  孝子は、もう一度面会に来た。印刷工場で看守からその連絡をうけたときから面会所に行くのに気がすすまなかった。  孝子は、初めから敵意を彼に示した。光った眼は家で争っていたときと全く同じであった。何かあったな、と桑木は直感した。 「あの女とそこの駅で遇ったわ」  今日は隣に面会人が居ないし、子供も連れてきてないので孝子は遠慮なく云った。  桑木はしばらく口がきけなかった。 「同じ電車でも車輛が別だったから分らなかったけど、駅前のバスの停留所でいっしょになったわ。あの女、わたしの顔を見ると真赧《まつか》になってコソコソと駅のほうに逃げて行ったわ」 「………」 「あの女、面会か差入れに来たんだろうけど図々しいわね。面会なんか出来やしないくせに」  孝子は勝ち誇ったように云った。この前、事務所で聞いて、妻でない限りほかの女は面会できないと知ったようだった。  続柄を楯にとるのは無意味だ、そんなものじゃないぞと桑木は云いたかったが堪《こら》えた。孝子とは五、六分かそこらで彼のほうから面会を打切った。  桑木は、雅子が妻に睨みつけられてどんな心持で駅から東京に引返したかを想像し、爪立ちする思いであった。屈辱と失望で打ちひしがれたにちがいない。彼女が孝子に遇ったのは不運だった。それは自分にとっても不運だった。  面会所から工場に帰りながら、彼はすぐに雅子に手紙を出そうと文句を考えていた。が、それは孝子への悪《にく》しみがさきに立って思案を乱した。  どの房舎の前にも寒菊が咲いていた。  こっちから手紙を出す前に、雅子からの手紙が先に来た。今日はそちらに面会に行ったが、駅で奥さまの顔を見たのですぐに引返しました、わたしは自分の立場を思い、情けなくてアパートに帰ってからはずっと泣き通しでしたが、わたしのあなたに対する気持は少しも変りはありません、面会するには規則があるそうですが、何とか当局の方にお願いして希望を達するつもりです、というのが大体の意で、午前二時記、とあった。  四、五日して桑木は庶務課長から呼び出しをうけた。課長は五十すぎの、白髪の目立つ温和な人だった。二人は小さな部屋で対《むか》い合った。 「高岡雅子という婦人を知っているかね」  課長は微笑をうかべて静かに訊いた。課長は桑木の人格を尊重していた。 「はあ、知っています」  桑木は彼女の手紙を検閲で読まれていると思ってうなずいた。 「君とはどういう間柄の人ですか?」  桑木は黙っていた。返事を拒否するのではなく、答えを考えていた。すると課長は云った。 「こんなことをたずねるのはほかでもない、その婦人が昨日こっちに来てぜひ面会させてくれというんですよ」 「昨日ですか?」  雅子は手紙を出してからあまり間を置かずに来たらしかった。 「うむ、それでね、こっちの規則を云ったところ、それは知っているが何とかならないかという話。あまり熱心に云うので、ぼくから前例を云いました。前例というのは、妻君と愛人のある収容者が此処を出てから、妻君のもとにかえるよりも愛人のほうに行きたいというし、愛人のほうも身がらを引き取ると云う。それで、こっちも愛人に面会を許した、そう話しました。すると高岡さんという婦人は、君が出所したら引き取ると云うんですよ」  桑木はうなだれた。雅子の云いそうなことだったが、胸には複雑な感情が一時に渦巻いた。 「君はどうしますか。……こういう問題はわれわれの介入することではないし、当事者間の事情は、第三者には軽々しく判断できないものがありますから、君のほうでもよく考えて、あとで返事をして下さい」  桑木は胸から突きあがるものをそのまま口にした。 「課長さん。ぼくは高岡のほうに行きます。ですから、面会させて下さい」  庶務課長は深い眼で彼を見ていたが、 「間違いありませんね?」  と念を押してうなずいた。  三、四日間はこの問題ばかりを桑木は自分で追求した。これで妻と別れるきっかけを与えられたというのが結論だった。家に帰っても結局は以前の蒸し返しになる。  地獄の継続は分りきっていた。妻と別れるには面倒が起るだろうが、いずれは免れないことだった。彼には自主的に解決する自信がなかったので、こうした客観的な条件をかりることが又とない機会と思われた。  人生の出直しをしようと桑木は考えた。雅子といっしょに暮したら、心も落ちつき、いい仕事ができるに違いない。雅子の助力がそれを進めてくれると思った。  現在の家は孝子に与え、当分どこか小さな家を借りて勤めをやめた雅子と住み、平和な生活のなかでじっくりと仕事しようと思った。勇気と緊張が湧いてきた。  雅子とは事務所の傍の屋外面会所で遇った。そこは庭の亭《ちん》のようなつくりで、旧兵舎時代に兵隊の面会所だった場所である。むろんほかの面会者たちといっしょだったが、若い看守は遠くの位置から眺めているだけであった。  亭のまわりの花壇にも寒菊が咲き乱れていた。 「あなたの身がらを引きうけると誓って、やっと面会が許されましたわ」  雅子は桑木の顔を見るとまっ先に云った。  雅子はそれから二度面会に来た。孝子はあれきり来なかった。こうした雅子との話を妻が知っているとは思えなかったが、妻がぱったり顔を見せなくなったのは運命の暗示のような気がした。 「あと、ここにはどのくらい?」  三度目の面会のとき、雅子はきいた。 「普通なら、二カ月半残っているが、たいてい早く出ているから、長くて一カ月半かな」 「一カ月半?……長いわねえ」  雅子は眼を空のほうにむけて遠くを見るように茫乎とした瞳になった。  二週間ほど経って雅子からハガキがきた。いま、締切間際なので校了がすむまで面会に行けないという文句だった。桑木は、この前、雅子が≪一カ月半?……長いわねえ≫といった呟きと≪忙しい仕事に追われて何もかも忘れている≫というずっと以前の手紙の文字とを結びつけた。  それから十日経って、社用で京都に来ているという短い文章の絵はがきが来た。裏は南禅寺の写真だった。桑木は、きれいな彼女の筆蹟と簡単な文句に心を深めた。  そのあと雅子の面会はなかった。桑木は、忙しいのだろうと思っていた。刑務所の周囲にある金網ごしには近くに家がならんで若い夫婦などが出入りした。  家々の屋根はたいてい赤や青の文化住宅だったが、彼はこんど雅子と住む家として、できるならもっと田舎の林に囲まれた藁ぶきの農家を借りたかった。画室は裏に建て増しすればいい。──はじめここに入った頃は金網ごしに「市民生活」を見るのがどうにも苦痛でならなかったが、いまはたのしくなった。黄色に枯れていた草も青くなっていた。冬を越した。  仮出所の通知は思ったより早く来た。彼は、出所準備として独居房に移されたが、前の拘禁独居房と違い、内の面積は同じでも板の間は畳と変り、壁には額縁の画がかかっていた。扉には錠もなかった。ゴム裏の草履も新しいのが支給された。何もかも新しい生活の準備に思えた。  出所する前日、桑木は雅子に通知の電報を打った。孝子には知らせなかった。  出所する日の朝、雅子に打った電報は「居住人不明」の附箋つきで戻ってきた。桑木はよく分らなかった。むろん雅子も、孝子も迎えにこなかった。  桑木は雅子のアパートを訪ねた。雅子は移転していた。前の夫のもとに帰っていることが管理人の言葉で知らされた。  五日後、桑木の死体は四国の山の中で発見された。 [#改ページ]   虚線の下絵      1  久間は、夕方の六時ごろ、倉沢の家の前まで行った。門のところに小型自動車が停っていたので、どこかの画商がきていると思い、そこで道を引返した。だが、百メートルほど戻ったところで思い直して戻りかけた。  そのとき、門の中から一人の男が出てきて車のほうに近づいたので、久間はよその家の横に身を寄せた。車に灯がついて、運転手が降りてドアを開けている。背の低い男で、久間には見おぼえのない顔だった。どうせ画商だろうが、そっちのほうの交際はとうになくなっているので、どこの誰とも分らなかった。  車の尻の赤い灯が向うの角に消えたところで、久間は倉沢の玄関に入った。ドアを開けたが、来客の揃えた靴はなかった。  思いがけなく倉沢自身がひょいと顔を出して、なんだ、君か、と云った。その様子からみて、さっきの客が忘れものをして戻ったかと思ったようである。 「いま、いいか?」  久間は倉沢の都合を訊いた。 「ああ、いいよ。飯、まだだろう?」  倉沢は横手の廊下に入った。この家には日本間と洋間の応接室があるが、倉沢は久間をそこには決して入れない。いつも離れにある八畳の部屋だった。その部屋は家族や親しい人間が雑談をするといった所で、ここには倉沢も決して画商を入れなかった。  倉沢が久間をいつもそこに入れるのは画商に遇わせないための心づかいからである。もう、そういう心配は要らないと思うのだが、こっちからわざわざそう云うのも胸の中につかえるものがあるので、久間は言葉に出したことがない。  近ごろ、すっかり貫禄がついて肥った倉沢が廊下に大きな声を出した。 「久間が来ている。こっちに何か持ってこい」  倉沢の妻の道子が襖の蔭から顔を出した。 「いつ、いらしたの? ちっとも知りませんで」  久間は、画商と入れ違いです、とも云えないので、軽く手をあげた。 「やっぱりウイスキーか?」  倉沢が訊いた。そうだ、と云うと、 「ビールもときどき飲むかい?」  と、細い眼に微笑をふくませた。 「飲むが、今日はウイスキーのほうがいい」  倉沢は、ビールもだんだんよくなったぞ、と云って、ガラス障子越しの庭に眼を投げた。枝の端や石の上に弱い夕陽の残りが当っていた。 「どうだ、仕事のほうはうまく行ってるか?」  倉沢が女中の運んだスコッチの瓶を久間のグラスにつぎながら云った。 「まあ、ぼつぼつだ」 「そうか」  久間の仕事というのは、油絵で他人の肖像画を描くことである。倉沢のほうはれっきとした純粋絵画で、倉沢の立場からすると久間に仕事の話は立入ってできないのである。倉沢は今、中堅作家のトップクラスを進んでいる。画商も一流どころが二軒ついているはずだった。  道子が料理の皿を運んできた。それが食卓の上に揃わないうちに、女中が来客の名を告げてきた。  道子がちょっと困った顔をして夫を見た。倉沢は、面倒だから上げろよ、ここはおれたちでやる、と云った。道子はエプロンをはずしながら起ち上ったが、彼女は倉沢のマネージャー格である。画商との交渉はもとより、美術雑誌の原稿を引受けるかどうかもこの妻が一切とり仕切っていた。 「相変らず忙しいんだな?」  久間は、それが相手に皮肉に取られないように自然な口ぶりで訊いた。 「なに、それほどでもない。人の出入りが多いから忙しそうに見えるだけだ」  倉沢はグラスのウイスキーに噎《む》せたようにして答えた。  二、三十分ばかり当りさわりのない話をしていたが、道子が戻ってきて顔をのぞかせ、眼顔で倉沢を呼んだ。  女房の耳打ちを聞いた倉沢は、久間を振り返った。 「悪いが、ちょっと十分ばかり失敬する。客は玄関先に立っているから、すぐ済むよ」  ひとりで残されると、食卓の皿と料理が冷たい物体になってみえた。  久間がさっきスコッチのほうがいいといったのは、倉沢の前でビールを飲みたくなかったからだ。倉沢はそれに気づいているだろう。だから、彼はわざと軽くビールのことにふれたのだ。まるきり黙っていてはこだわっているようにとられると倉沢は思っているにちがいない。倉沢はそういう神経の男である。  ──もう、十年ぐらい前になる。先妻が生きていたときだ。ビールのことは久間の古い記憶に沈んでいる。  そのころから倉沢と久間の間は格段に水が開いていた。倉沢は新進画家から中堅画家の域に華やかに進んでいた。新聞の展覧会評でほめられ、賞を次々とっていた。専門誌でない、普通の雑誌にも彼の絵の写真版が大きく載った。もちろん、彼には画商がついた。  久間は辛抱した。売出しが倉沢よりは少し遅れているだけだと思った。倉沢の画がそれほどいいとは考えていない。世評がよすぎる。倉沢の画には必ず先では行詰まる不安定なものがあった。それを他人は気がつかない。倉沢自身はそれを自覚しているらしいが、解決できないままにずるずると先に延ばしているように見えた。  いまに倉沢に低迷の時期がくる。その停滞期に久間は一気に追いつくつもりだった。いや、そう急速でなくとも、少なくとも距離は縮めそうだった。そのころは久間にもそういう自信と元気があった。  久間の家が近所の出火で焼けた。借地の上に、家に保険がかけてなかった。田舎の父親が死ぬとすぐわずかな山を売って建てたアトリエ付の家だった。 「お父さんの山をすぐに売ったバツだわ」  先妻の定子はそういったが、実際、さし当って入る家がなかった。せまくて光線の暗いアパートでは仕事ができない。  ぼくの家にこないか、といってくれたのは倉沢だった。アトリエも共同で使おうと云った。倉沢の家はここに移る前の場所だったが、それでもかなりひろかった。ちょうど倉沢の妻が一カ月前に療養所に入っていて、あと、三カ月くらいはかかりそうだった。だから久間夫婦に来てもらうと、ついでにぼくの食事の世話がしてもらえると倉沢は云った。彼は通いの家政婦の賃金が高い上に横着だといってこぼしている時だった。  その誘いにうかうかと乗ったのがいけなかった。家が焼けただけならまだよかったが、つい、安直な気持を起して夫婦で倉沢の家に入ったのが久間の失敗のはじまりだった。  倉沢は、久間夫婦のために玄関からすぐの二間つづきの部屋を提供し、自分は二階に上った。定子は申訳ないといって家じゅうの掃除を家政婦といっしょにし、料理に心をこめた。倉沢はよろこんでいた。  アトリエは三日交替で二人で使うことにした。それを倉沢はきちんと守り、どんなに仕事がこんできても約束の日にはパレットをしまって久間にあけ渡した。  久間も倉沢も最初に考えてなかったことが起った。本当は久間の迂闊《うかつ》だったのだが、この家を訪ねてくるのは倉沢に用事のある者ばかりだった。当り前に聞えるかもしれないが、ここには主人の画家のほかにもう一人の画家がいるのだ。しかし、画商でも美術雑誌の編集者でも、みんな倉沢の訪問者で、久間には用事がなかった。  玄関のすぐ近くの部屋だけに、来客のつど、そこに出るのは、久間か妻の定子だった。  やあ、と画商の番頭も、雑誌の編集者も久間の顔を見て、まぶしそうに笑った。 「倉沢さん、いらっしゃいますかア?」 「ちょっと待って下さい」  久間は、二階に上ったり、アトリエに行ったりして倉沢に知らせる。 「どうぞ上って下さいといってますよ」  倉沢の返事をきいて久間が玄関に引返して云うと、 「久間さんのお取次とは恐縮ですな」  と訪問者は頭に片手をやったり、おじぎをしたりした。彼らは、倉沢先生というとき、久間にも同列に久間先生と呼んだ。久間も五、六年前は倉沢といっしょに新進作家扱いにされ、画商も編集者も彼を知っていた。定子が玄関に出ると、彼らは久間の妻と知ってからでも女中に向うような態度だった。      2  一カ月ぐらいはそれでもよかったが、それから先は、久間も憂鬱になってきた。どのように人がきても、久間の画を頂戴したいという画商はなかった。随筆を依頼する編集者もいなかった。久間が玄関に出ると、そうした種類の訪問者のほとんどが、多少、困惑した笑顔で倉沢への取次を頼むのである。  久間は倉沢との開きの大きいのをいまさらのように知って衝撃をうけた。離れていては分らなかった。いっしょに住んでみて初めてその現実を知った。訪問者は二階やアトリエで倉沢との話がすむとさっさと玄関に戻る。久間は襖越しに訪問者の足音を虚ろな気持で聞いた。彼らは久間に声をかけるどころか、忍び足に、逃げるように前の廊下を通過した。  与えられた三日交替のアトリエに入り、久間はいつ売れるとも分らない画を、熱の入らない気持で描きつづけた。倉沢は久間の入っているときはアトリエにこなかった。久間は、倉沢がこっちの気持を何もかも承知して遠慮しているのだと分っていた。倉沢はそういう気の使いかたをする男だった。  だから、久間も、倉沢が画を描いているときのアトリエには近づかなかった。倉沢の描く画は片端から売れる。いや、描かない前から画商との約束が成立していた。倉沢には脂の乗った仕事であった。  だが、もし、久間が倉沢の制作中のアトリエへ行けば倉沢は迷惑すると思った。のぞかれて仕事がやりにくいというだけではない、その点は、一つ家に寝起きする友人だから他人とは違う。そうではなく、久間が倉沢の制作を見にゆけば、倉沢も久間のアトリエに入ってくるに違いなかった。倉沢がそれをしなかったら、久間の仕事を無視していることになる。久間に対等意識をもたせるために、倉沢はやってくる。それで、久間は倉沢から自分の仕事を見られたくないため、倉沢のいるアトリエには行かなかった。こうすれば、倉沢は久間の制作をのぞく「対等」の義務からまぬがれる。  倉沢の神経は、久間に卑屈な気持をできるだけ起させないように働いた。それが久間にこたえた。  画商や美術雑誌の編集者、新聞社の美術担当記者などが訪ねてくると、倉沢は久間も二階に呼んだ。彼は、久間をその歓談に加わらせることで画商や記者に久間の存在を認めさせようとした。  倉沢は久間の前では明らさまには云わなかったけれど、画商には、久間の画も一、二枚はとってくれないかと頼んでいる。画商は、先生の画がいただけるなら久間さんの画ももらってもいいと云った。久間がそんなふうに想像するのは、久間の三十号が二枚画商に引きとられたとき、倉沢の十号も一枚渡されたからだった。  久間も倉沢もビールが好きだったので、画商や記者などと飲むときは必ずビールだった。客の人数が多いと、倉沢は一ダースのビールを木箱のままで畳の上においた。倉沢は少し酔うと派手になる癖があった。  あるとき、美術雑誌の記者の一人が、座興に栓抜きを用いないで素手でビールを開ける方法を披露した。それは二本のビール瓶の王冠のところを、人差指と中指との間にはさんで、ギザギザのところを互いに食い合わせトンと畳や机の上に突きおろす。瞬間、二つの王冠は刎《は》ねとび、ビールが噴水のように天井まであがるのである。  そこにいた連中が面白がって真似してみたが、うまくゆかなかった。 「よし、おれがやってみよう」  久間も二本のビールを指の間にはさんだ。 「久間さん、気をつけないと、指をケガしますよ」  その記者が注意した。  久間は指の間に合わせたビール瓶を力いっぱい畳の上に突き落した。液体は噴いたが天井までは上らずに畳の上に洪水のように流れた。それから泡だらけの久間の指に鮮血が溢《あふ》れ出た。瓶の首が割れ、尖った先が久間の指を切っていた。  みんなが騒ぎ、倉沢が階下から久間の妻の定子を呼ばせた。定子が駈け上ってきて、エプロンを裂き久間の指に巻いたが、すぐに真赤になった。倉沢は起ち上り、うろうろして押入れから布ぎれを探していた。  久間は、なに、たいしたことはない、と坐りつづけようとしたが、みなもすすめて、定子は彼を階下に抱えるようにして連れて降りた。 「奥さん、傷口が深いといけないから、医者を呼びましょう」  倉沢は、そこにいる記者に向い、かかりつけの医者の電話番号を性急に教えていた。右手の指がケガでは、画家は困るなア、と誰かが呟くように云ったのを久間はおぼえている。  久間は自分ら夫婦の部屋に戻って脚を投げ出した。医者がくるまで、定子が布の上にも布を何重にも指に厚く捲くが、その下から滲んできた血がひろがるのを久間は気持よく眺めていた。少し経ってから感じられてきた痛みも爽快だった。 「どうして、こんな無茶をするの?」  定子は泣きそうな顔でいった。久間は定子が自分の気持を読んでいたのを知った。  ──久間は、二本のビール瓶を指にはさんで持上げたとき、身体の中にモーターが唸り出したように激しい憤りが駈けまわるのをおぼえたのだ。その憤りは倉沢だけに向っていたのではなかった。また、自身にむけただけでもない。眼の前にならんでいる画商の番頭や美術雑誌の記者たち、その彼方にある世間に対してだけでもなかった。いわば、その全体をあつめてかき回したようなわけの分らぬ相手にだった。  指に血が噴き出して皆が騒いだとき、久間は曲芸の失敗にテレたように、人のよさそうなつくり笑いをしていた。だが、実は自分の体内から、不甲斐ないもの、腐ったもの、濁ったもの、弱いもの、そういった血液が流れ出てゆくような、痛《いた》がゆいような快感をおぼえていた。  そのとき、久間を見ていた倉沢の視線がちょっと変った。瞬間だが、眉間に軽い皺を寄せ、眼をすぼめ、鋭い瞳になって凝視した。久間は、倉沢に心をのぞかれたような気がして、どきりとした。倉沢が医者医者と騒ぎ出したのはそれからだが、倉沢もその瞬間の鋭い目つきを久間からごまかすため、医者の電話番号のことなど口早に記者に云ったようだった。  階下で定子は低い声で云った。 「ねえ、なるべく早く倉沢さんの家を出たほうがいいんじゃないですか?」  久間は顔を横にむけた。 「どうしてだ?」 「どうしてっていうこともないけれど……」  定子は何かつづけたそうだったが、夫の憤った顔を見て黙った。 「倉沢の友情をふり切って出られるか」  久間は反対のことを云った。定子は倉沢の家にいっしょにいる久間の苦しみを見かねている。そして自分も苦しんでいるのだ。それが分っているから久間も、語気を少し弱めた。 「すぐに入れる家が見つかるならとにかくだが……」 「アパートでもいいじゃありませんか?」 「なに。おれは画描きだぞ。そんな、仕事もない、暗い、サルの檻のようなところに入れるか」  久間は再び定子を叱った。  ──そんなこともあったと、久間はまたグラスを口に当てて庭を見た。石も枝も暗い中に溶けている。倉沢夫婦はまだ帰ってこない。玄関での立話が長引いているのであろう。どうせ画商がきて画をねだっているに違いない。画商が頭を下げつづけて倉沢に食い下がっている様子が目にみえるようだった。  定子は、倉沢の家を出てから三年後に死んだ。以来、久間は今の牧子と一緒になるまで二年間、ひとりで暮した。  久間は、はじめてビールの栓を抜く曲芸で手を切ったとき、右手の指を切ったのでは画家として困るだろうな、とだれかが云った言葉をまだおぼえている。  画はあのときに捨てたのだと、久間は考えている。定子に、倉沢の友情の手前、この家から出られるかと云ったのは、もちろん虚勢だった。アパートではアトリエがないと云ったのもカラ威張りである。あのときはまだ一縷《いちる》の執念が残って、倉沢の家を出ることが敗北のように思われた。  だが、倉沢の家にいる間、久間はビールの曲芸だけは上手になった。倉沢と飲み屋に行っても、久間は面白がって栓を天井高く噴きとばした。初めて指の血を流したときにみせた、倉沢のあの眼つきを消すために。  精も根も尽き果てて半年後に、倉沢の家を出たのが秋の末、もう素直に定子のすすめるアパートに入った。窓が外だけしかない、暗いサルの檻のような部屋であった。      3  久間は、二、三年は何とか画を描いて食いつないだ。彼は写実ばかりを描いた。売り画は具象でないとさばけない。もともと、自分でも写実が身に合っているように思えた。彼は静物でも風景でも写真のように再現してゆく技巧に長じはじめた。芸術絵画は全く放擲《ほうてき》した。  久間は、倉沢のその後の作品を遠いところから眺めていた。前に倉沢の基本的な弱点と思われていたところは、いつの間にか倉沢自身が克服していた。久間は改めて倉沢の才能に驚歎し、自分が彼に敗北したのは当然だと思うようになった。倉沢の家にいっしょに居なかったら、この敗北はもう少し先に延びるか、あるいは幸運な救いが違ったかたちできたかもしれない。だが、一挙に崩壊したほうが彼にはこころよかった。  久間は画壇に一切の野心を棄てると、今度は虚心に倉沢の家に出入りできるようになった。さばさばして何のわだかまりも、こだわりもなかった。倉沢も歓迎した。しかし、彼の家で画商などに遇うのはやっぱり不愉快だった。倉沢もそれは心得ていて、彼がくると、なるべく画壇の話はしないようにしたし、画商に見られない部屋に彼を入れた。  久間は売り画を自分からさばいて歩き、それでどうにか生活を立てていたが、五年前から現在の牧子と一緒に家をもつと、一年ばかり肖像画に転向した。そのほうがはるかにいい値になったし、注文主やその家族の画を描くのだから売りはぐれはなかった。その代り、注文をとるのが大変だった。  久間は、身につけた写実的な技巧で他人の肖像をこしらえあげた。それも相手の人物のところに行ってカンバスを据えるのではなく、写真をもらって来て、描くのである。彼は、写真の人物を少しばかり若くしたり、下品な顔を荘重にしたり、醜いところを美しく修整したり、また、ぞんざいな恰好をモーニングに直したりすることなど大そう巧くなっていた。  そうした注文は、間にブローカーのような外交員がいて、それから仕事をもらうのだが、外交員の歩合は久間の画料より多い。外交員のほうにも理屈があり、肖像画の注文主を探すのは並大抵ではなく、相手の承諾を取るまでどれだけ小遣いと時間を使うか分らないと云った。先生、それがお気に入らないなら、ご自分で注文を取ってごらんなさい、われわれの苦労が分りますよ、とブローカーは云った。それには、自分たちに頼らなければ仕事は一つもないのだという嘲《あざけ》りが含まれていた。  口惜しいが、それは事実だった。久間には、自分で肖像画の注文主を探して歩くことは到底できなかった。  久間は、そんなブローカーを頼るよりも、倉沢に頼んで伝手《つて》を求めようかと思ったことが何度かあった。倉沢なら一流の画商がついているので、その画商の顔で肖像画の依頼者を紹介してくれるに違いなかった。それだと画商にわずかな礼をするだけで済む。また、画料も少しは高く出してくれるだろう。しかし、久間は、舌を噛んでも倉沢にはそれが云えないと思った。今でも倉沢は久間を対等の友人として扱ってくれている。卑屈なことは云えなかった。  倉沢もまた、ついぞ紹介のことを口に出したことはなかった。倉沢にも久間の気持が分っている。  久間は、五年前にいまの牧子と一緒になった。年齢はひと回りも下だが、もちろん、初婚ではない。夫が病死してから生命保険の勧誘員をしていた。  ──遠くの部屋でテレビがしゃべっている。倉沢夫婦が久間の待っている部屋にようやく戻ってきた。 「失敬失敬」  と、倉沢は詫びて坐った。 「しつこい男が来てね、どうも長くなった。……おい、料理が冷えたぞ」  久間は、倉沢と飲んだが、つい長くなって、時計を見ると九時を回っていた。 「思わず長居をしたな。そろそろ失礼するよ」  久間は膝を組直した。 「そうか。まあ、あんまり引止めても奥さんに悪いかもしれない」 「なに、あいつは十一時ごろでないと帰ってこない」  久間は答えた。 「奥さまも大変ですわねえ」  道子が横から云った。 「なにしろ、肖像画の注文取りは保険のような具合にはゆかないようですよ。肖像画となると、相手をつかまえに追っかけ回すのが苦労のようです」  肖像画、肖像画と何度も倉沢夫婦の前で口にするのにも久間は慣れた。 「相手が、まあ、中小企業でも社長は社長でしょう。それが会社にくるように約束をしたので行ってみると外出していたり、外出先を訪ねるとまた別の所に居たり……夜でもほうぼう居場所が変ってくるんですな」 「うむ、大変だ」  倉沢が気軽にうなずいた。 「しかしね、まあ、あいつは前に保険の外交をしていただけに少しは馴れてるんだろうな、ぼくの仕事が切れない程度には何とか注文はもらってくるよ」  道子が黙ってうなずいた。 「前の定子はそういうことのできない女でしたがね、その代り苦労させたまま死なせました」 「ほんとに定子さんはお気の毒でしたわ」 「しかし、いま生きていてもいい目を見せられないんですから。先に死んだほうがよかったかも分りません」 「久間さん、若くてきれいな奥さんをおもらいになったからって、そう云うものじゃありませんわ」 「若くもないんですがね。しかし、前の保険の外交時代から、外に出るとき派手な支度が習慣になっているのです。そういう恰好をしないと注文が取れないようですな。支度賃にも相当かかりますよ」 「やはり身ぎれいにしていないといけないんだろうな」  と、倉沢が云った。久間は倉沢に向った。 「だから、ぼくがときどき先方の注文主のところに出かけてやろうかと云ってるんだ。あれが話をつけているところだったら、ぼくでも遇いに行けるからね。ところが、あれは、その必要はないというんだよ。忙しくても自分でちゃんとするから、画だけを描いていてくれといってな」  久間がそこまで話すと、 「そりゃそうですわ。久間さんが先方においでにならないほうがいいですわ」  と、道子が云った。 「なぜです? ぼくが顔を出してはいけませんですかね?」 「いけないということはないけど」  道子は妙にあわてた顔になった。 「やっぱり、そりゃ奥さまにお任せになったほうがいいと思うんです。だって、奥さまはちゃんとそのつもりでやってらっしゃるんですから。ご先方が久間さんに遇いたいとおっしゃるなら別ですけどね」 「そうですかねえ。ぼくは、あれがあんまり忙しがっているので、少しはぼくが出たら、そのぶん手がはぶけると思ったんですがね」  久間はもう一度、時計を見て膝を起した。 「牧子は、ぼくが倉沢のところに行くというと喜んでいるんですよ」 「牧子さんにも、来ていただくようにいって下さい」  久間が倉沢の家に行くのを、牧子が喜んでいるのは事実である。      4  久間は駅を降りて暗い道を歩く。郊外だから、駅前の商店街も八時ごろからもう戸を閉める。いっしょに電車を降りた人が次第に疎らとなった。久間の家は薬屋の角から曲る小さい路で、両側は同じ恰好の家がならんでいる。彼がそこまでくると、ここからは見えないが近くの道で車のとまる音を聞いた。  久間が自分の家の前に立っていると、薬屋の角から現われて歩いてくる姿が牧子だった。夜が遅いとタクシーで帰る。 「おい」  久間が声をかけると、牧子の黒い影がぎょっとしたように立停った。自分の家の前に立っている男が亭主と分りそうなものを、変な男がいると間違えたらしかった。牧子はまだそこに突立っていた。 「どうした?」 「不意だから、びっくりして……」  と、急に動き出した。 「あなたも今なんですか?」  声が少し慄えているようだった。よほどおどろいたらしかった。 「倉沢のところに行ってきた」 「電車で?」 「うむ」  牧子はハンドバッグから鍵を探しながら、 「倉沢さんはお元気でした?」  と、ようやく普通の声に戻った。 「ああ」  牧子が格子戸を開けて先に入った。  三畳に六畳、八畳の間取りだったが、八畳の間は家主にたのんで板張りに改造し仕事場にしていた。画架や椅子やカンバスがある。建て売りだったのを、持主がよそに家を建てたため、不動産屋を通じて借りた。安普請だから、もうほうぼうが痛みかけていた。  牧子は着替えもせず、そのまま風呂場に降りた。ガスをつける気配がした。 「今日は先方に遇えたかい?」  と、久間は座敷から訊いた。 「ええ」  と、戸の向うから返事があって、 「あなた、お風呂は?」 「うむ、どっちでもいいな」  不精な久間はそう云った。 「じゃ、わたし、お先に……」  ──いま、牧子が頼んでいるのは、繊維会社の社長だった。顔が広いので肖像画を頼む先を紹介してくれることになっている。  これで、二、三人でも紹介してもらったら、当分はやってゆける。仕事の切れ間がない。いまアトリエの画架に載っているカンバスは絵具をつける前の線描きだが、当人は小さな金属会社の社長ということだった。本人の写真を渡されているが、どうもまだ感じがつかめないでいる。  まるい、のっぺりした顔だ。こういうのは画として描きにくい。本人に遇えると特徴的な印象が得られるのだが、写真だけではそれがとれない。感じをつかむのと、つかまないのとでは仕上りが違ってくる。  しかし、牧子は遇わないほうがいいと云って久間を制《と》めていた。 「あなたが嫌いになるタイプの人よ。だから、遇えばあなたは無愛想な顔をなさるだろうし、それが先方に見えると、せっかくの注文が中止になりかねませんわ。あなたはとっつきが悪いから」  たしかに、久間は人を好き嫌いする癖を持っていた。牧子に云われてみると、その金属会社の社長の顔は不愉快になりそうなほうの型だった。面会して先方に悪い感じを与えたら、画の注文が中止になるかも分らない。注文主は大体がわが儘なのである。  これが普通の絵画だと、よそに回すことができる。肖像画はそうはゆかない。  久間は、それでも肖像画を描き出してからずいぶん辛抱強くなってきたと思っている。先方の虚栄心を満足させるために、上品に、そして美しく人物を仕上げなければならない。そうして出来たものでも、先方は必ず三カ所や四カ所は我慢できないような修整を要求してきた。  久間も牧子が注文をとってくる腕に頼るほかはないので、彼女が先方と遇わないほうがいいと云えばそれに従った。実際、彼がこれまで肖像画の本人に遇ったのはほんのわずかだった。そして、そのうちの何人かは、牧子の云うように不快な人物であった。  しかし、牧子は前に生命保険の勧誘をしていただけあって、注文をよくとってくる。前にブローカーに頼んでいたころでも、こんなに仕事がくることはなかった。ふた月くらい遊んだことも珍しくない。牧子がブローカーの歩合が過大なことを知って、それならわたしがやってみるわ、と云い出してから働きだした。 「生命保険の勧誘もコツは同じだわ」  牧子は久間に云った。  彼女は「外交」という関係で服装は少々派手にして歩いた。三十二歳の女がずっと若づくりの化粧である。服も、いつも同じものでは相手にわびしく見られると云って、絶えず新しいのをつくった。それに、高級な果物や菓子の手みやげなど入れると、けっこう費用はかかる。  しかし、あんまり貧弱な恰好だと、先方が軽蔑して注文しないし、たとえ承諾しても画料が安くなる。ほかの外交員も同じだが、商品を高く売りつけるため服装に資本をかけ、久間を安っぽい肖像画家と混同されないため牧子はおしゃれをした。以前、生命保険の勧誘員をしていただけに、久間がおどろくくらい趣味がよく、案外に洗練されていた。牧子は久間に配色の助言を求めたが、その必要があまりないくらいだった。ただ、化粧が濃すぎた。久間がそのことをいうと、外で人に遇うには、あまり素人っぽい野暮ったさではいけないと牧子は保険会社時代の経験を云った。そう聞けばうなずかれないことはないから久間は黙った。そのうち、久間は自分の女房とは思われない色気を、何かの調子で牧子に感じることがあった。彼女が女ざかりにきていたせいもあった。ふしぎと、それまで普通だった久間の性欲が強くなったのである。 「わたしもそういつまでも若くないから、これからは和服にしてみたいわ。でも、和服だと洋服よりはもっと金がかかるし……」  近ごろ牧子はそんなことを云った。  和服のほうがもっと色気がにじみ出るかもしれないなと久間もひそかに思った。  牧子は、こんな借家でなしに自分の家を建てたいと前から云いつづけている。久間もはじめは夢のような話だと聞いていたが、今の仕事がこのままの調子でつづけば、もしかすると、五、六年先ぐらいには小さな家ぐらい買えるかもしれないと思うようになった。 「いいえ、そんな小さな家では駄目だわ。ちゃんとしたアトリエがついた家を建てたいわ。郊外のほうの静かな所に建てて、十分な光線と不自由のない広さの画室であなたに仕事をしていただきたいわ」  画のことも画壇のことも知らない牧子は久間の才能を信じていた。彼女は久間が倉沢の友人だということから、彼もそのうちにはきっといい画を描くに違いないと思い込んでいるようだった。  久間は何度か牧子を伴《つ》れて倉沢の家に行っている。 「あんな素晴しいアトリエだから倉沢さんも立派な画が描けるんですのね。あなたもいいアトリエがもてたらいい画が描けますわ」  牧子はたびたびではないが、倉沢の家に行くごとにその希望をふくらませるようだった。前に結婚に失敗したり、保険会社の外交になったりしたのだが、性格はいじけていなかった。むしろ単純なくらいだった。  久間は牧子に云い聞かせた。おれは普通の絵画はもう捨てたのだ。ずいぶん苦しんだが、遂に才能がないことが分った。それでこういうものを描いているが、画壇は一度肖像画を描いて売るようになった画家は、もう、まともには相手にしないのだ。折角だが、おれの才能への夢は願下げにしてもらおう。  だが、牧子は、倉沢さんがいらっしゃるじゃありませんか、倉沢さんにお願いしたら画壇へのカムバックだって出来ないことはないでしょう、と云った。倉沢にはそんな迷惑をかけたくない、友だちとして旧くからのつき合いだが、今まで一度も無理を云ったこともないし迷惑をかけたこともない、だから倉沢に頼むのは無理だよ、と彼は云いきかせる。倉沢の前に立枯れてしまったのだ。  倉沢さんにならわたしがお願いします、あなたのことを頼めば、きっと何とかして下さると思うわ、と牧子はいう。この年でかと久間は苦笑する。いいえ、あなたはまだ四十四じゃないの、年を云うころじゃありませんわ。そうか、そうか、と久間は、それ以上牧子には逆らわない。  牧子は、あなたの肖像画はどこでもほめられると云った。久間の肖像画の俗な技巧が画壇にもほめられると思いこんでいる。  牧子が風呂から出てきた。上気した顔の艶だった。 「おい紹介状はもらえたのか?」  久間は寝巻になった牧子にさっきのつづきを訊いた。寝巻姿は久間の眼にも今夜は嬌《なまめ》いていた。 「ええ、やっと二口だけ」  牧子はけだるそうに坐っていた。紹介状の入っているらしいハンドバッグをとるでもなく、そのままじっとしていた。  紹介してくれる鈴木というのは、牧子が注文をもらい、次に描く予定の人だった。中程度の繊維会社の社長だそうだが、顔は各方面に広いというのである。 「でも、困ったわ」  牧子は横に置いてあった新聞紙を畳の上に指で引寄せ、見出しをぼんやり眺めるようにした。 「紹介していただいた二人は東京でなく、関西の人なの。繊維会社だけに京都なのね。……どうしようかと思ってるわ」 「向うは東京に出てこないのか?」 「ときたまですって。でも、それがいつ東京に出ていらっしゃるか分らないというの」  京都に行けばどうしても一泊になるから、それで牧子は、躊《ためら》っているらしかった。 「なんとか東京に出てきたところをつかまえられないかな」  牧子は黙っていた。 「京都に行けば、汽車賃も旅館代もかかるから費用に喰われるよ。先方がそのぶん出してくれるか、画料でみてくれるなら別だがな」 「鈴木さんは、それは向うの方に出させるといってらっしゃるけど……」 「そうか。それならいいじゃないか」  久間は、牧子がまた黙ったので、 「ひとりで京都に行って泊るのがいやなのか?」  ときいた。彼女の躊いはそこにあると思った。  牧子は黙ったままうなずいた。これまで、注文とりに東京をはなれて泊ったことはなかった。 「それじゃ、向うの人が東京に出たときに遇ったらいい」 「でも、いつ出てくるか分らないし、出てきても、ご本人もそうだけど、鈴木さんが連絡してくださるかどうか分らないわ」  先方からすすんで描いてくれといっているのではなく、こっちから頼んでいるので、向うがそれほどまでやってくれないのは当然だった。 「わたしが紹介状を持って京都に行けば、注文がとれるとは思うけど」  牧子は半分気のり薄で、半分意欲が動いているように呟いた。  久間は、もし、なんだったらおれもいっしょに京都について行っていいよ、と云おうとしたが、その言葉を呑みこんだ。女房の仕事にのこのこと附添って行くのはみっともないし、そのみっともなさを牧子に指摘されそうだった。物見遊山の身分ではなかった。 「旅館でも、ちゃんとしたところを予約して泊ればいい」  久間がいうと、牧子は、 「そうね」  と、また新聞の上に眼を落して、決断がつかないようだった。  久間は、牧子の寝巻姿と京都の宿にひとりで横たわっている牧子とが重なった。 「さあ、寝るか」  彼は、わざとあくびまじりに云って立ち上った。  蒲団の中で久間が牧子を引寄せようとすると、 「いや」  と、彼女は身をはなした。 「疲れてるから、よして」  背中をむけて云った。      5  久間は絵具を買いに都心に出た。  今とりかかっている宮原という金属会社の社長の顔がどうにも描けない。一枚の写真だけでは感じがつかめないのだ。牧子に他の写真をもらってくるようにと云ったが、最近のはこれ一枚しかないと云って先方が出さないそうである。他に比較する写真があれば何とか分ると思うが、こののっぺりした顔はどうにも形にとりにくかった。描きあげてから違った印象の顔になると、先方は受取るのをしぶる。無理をして勧誘したのだから、向うでもなるべく金は出したくない。油の肖像画というだけで、久間は画壇のちょっとした作家くらいの値段に近い金をとっていたのだ。  久間は絵具を選《よ》りながら、そんなことをまた頭に浮べていたのだが、ふと、ここまで出たついでに、これから先方の会社にちょっと寄ってもいいなと思った。そう大して遠いところではない。ほんの五分か十分話せば済むことである。実際の人物を眼で見るのと見ないのとでは自信に格段の相違があった。  久間は牧子から見せられた名刺にある本社の町名を思い出し、画材屋を出ると、ぶらぶらと歩いた。国電の駅に行くには斜めに狭い道を通る。その辺はちょっと目立たない裏通りになっていて、ひっそりと、高級な店のならんでいる町並みだった。  ふと見ると、レストランと洋装店に挟まれたせまい店頭のウインドーに額縁が三点ほど飾られてあった。こんなところに画廊があるのかと思い、久間はそのショウウインドーに寄った。看板にして出している三枚の画は、ひと目で知れる著名画家のものだった。こんな小さな店で、よくこういうものが手に入ったと思われる。あるいは、よそから画をかりて店の飾りにしたのかもしれなかった。  久間はガラスに眼をすりよせて中をのぞいた。店の表はドアになっているが、ウインドーからは店内の両側がまる見えで、その壁にも中堅画家の画が他の無名画家の中にまじってかかっていた。  久間は、思わぬところに意外な店を発見したようで、なおも立ったまま見ていると、左側のほうに三十二、三かと思われる女が現われた。面長な顔の、和服の似合う女で、塩沢の絣《かすり》と、黒っぽい帯を締めていた。素人にしては垢ぬけしすぎた粋《いき》な感じである。  あれがここの主人の細君かなと思っていると、女のほうでも道からウインドー越しにのぞいている久間の顔に気づいて、自分もそこから彼のほうを透かすように見た。だが光線の具合でよく見えないらしい。こっちからは分る。眼鼻立ちのはっきりした顔である。髪も無造作に引きつめたようなかたちだが、美容師の手が毎日入っているようである。  久間は、自分の息で、まるく曇ったウインドーの前からはなれた。女と顔を合わせたとき体裁が悪かったので店の名前まで見なかったが、たしかに以前はこの場所になかった店である。近ごろはほうぼうに画廊が出来たということだが、あれもその一つかも分らない。だが、あんな小さな店で、よくもあれだけの画家のものを集められたなと思った。店主は以前、どこか大きな画廊の番頭をしていて、その顔で集めたのかもしれない。もし、そうだったら、自分も十年前は倉沢のところにくる画廊の番頭をよく知っていたし、いっしょに飲んだこともあるので、ここで顔を合わせたくないと思った。その店主も、あるいは十年前の自分のビールの栓抜き曲芸を知っている男かもしれなかった。  久間は国電で二つ目の駅で降りて、広い坂道を下った。大きな教会のある横を曲ったところにその会社があるとは、駅に降りて教えてもらった。  その会社は横丁に面した通りの五階建の古いビルだった。久間は絵具の包みを抱えたまま入口の前を往復したあと入った。  受付の女の子が妙な目つきで名刺を受取った。久間の長い髪は耳の半分まで蔽っていて、こういう会社の訪問客としては異様だった。  女の子が戻ってくるのは長かった。せまい、粗末な応接室に入れられてからはもっと長かった。久間は社長が多忙か来客中かで待たされているのだと思っていた。  ドアを開けて入ってきたのは三十五、六くらいの赤黒い顔の男で、もちろん社長ではなく、総務課の者か何か、とにかく秘書のような男だった。 「社長にお遇いになりたいそうですが、どういう用件ですか?」  その男は久間が最初に頭を下げても会釈も返さず、いきなり云った。きつい表情で彼を見つめたままで、自分の名前も云わなかった。指の先に久間の名刺を挟んでいる。 「ぼくは、今度、社長さんの肖像画を描かせてもらっている者ですが、ちょっと社長さんにお目にかかりたいのです」  男は眼を大きく開き、視線をまっすぐにむけて、 「ですから、その用件をおききしているのですよ」  と、せっかちに云った。 「社長さんのお顔を拝見して、それから画にとりかかりたいんです」  この社員は何か誤解しているのではないかと久間は思った。 「こちらは、あなたとどういう関係の方ですか?」  男は急にポケットから小型名刺を出してみせた。牧子のものだった。 「はあ、それはわたしの家内です」 「奥さん?」  男は久間の名刺と牧子の名刺とをならべるようにして見ていたが、 「なるほど、住所もおんなじですな……奥さんですな」  男は何かたしかめるように云い、唇の端にかすかに笑いを浮べた。  久間は、変なことをいう男だと思ったが、女房が注文とりに来て、亭主の画描きが人相見にあとで来たのをふしぎがっているのかもしれない。牧子が前もって云ってなかったからだろう。そこで久間は云った。 「社長にお目にかかって実物のお顔を拝見すると、画のほうがうまく描けるんですが」 「しかし、この方は」  男は牧子の名刺の頭を指で押えて、 「写真が一枚あればいいと云ってたそうですよ」  と、何か詰《なじ》るように訊いた。 「それはそうなんですが、写真だけでなく、ご本人にお目にかかれば、もっとその感じが捉えられると思うんです。写真ではどうしてもご本人と印象が違うことがありますから」 「ああ、そうですか。分りました」  社員は久間を睨むように見て、 「これは社長からお伝えしてくれということでしたが、明日の午後五時半ごろ、社長宛にこの婦人から電話してもらいたいということでした」  と、牧子の名刺をヒラヒラと振るようにして云い、先に椅子から起ち上った。  その晩十時前に牧子は帰ってきた。久間が宮原金属の本社に社長を訪ねて行ったと云うと、牧子は急に黙って、彼の顔を見た。 「絵具を買いに行ったついでに寄ってみたんだ。なにしろ、あの写真ではどうも手がかりがないのでね、本人を見たらそれがつかめると思ったんだ。しかし、遇ってもらえなかった」  牧子が非難するような眼で見ているので、久間はつい言訳めいたことを云った。 「これからはあなたが直接向うには行かないで下さいよ」  牧子は久間が意外と思うほど強い声で云った。 「なるべく行かないつもりだったが、今度の場合は特別だよ」 「それで、会社のだれとも遇わなかったんですか?」 「何だか知らないが、社員が出てきて、社長は忙しいから遇えないと云っただけだ。……あ、そうそう、忘れていたけど、その人が云うには、明日の午後五時半ごろ、お前から社長に電話してくれということだったよ」  牧子はついと起って台所に行った。      6  翌日、牧子は八時ごろに帰ってきて、すぐに着替えにかかった。不機嫌そうな横顔だった。 「宮原金属の社長に電話をかけたか?」  久間は訊いた。ことづけの結果をたしかめないと先方に悪いと思ったからそういった。何といっても客なのである。 「ええ」  牧子は少し沈んだ様子で答えた。  牧子はときどき不機嫌そうに黙っている日があった。それは外を歩いて働いている女にありがちなことだと久間は思って、むしろ同情していた。 「どういう電話だったかい?」  久間は、つい、機嫌をとるような調子で訊いた。 「何でもなかったの」  牧子は小さな声で云った。 「そうか。それはよかったな。おれはまた余計なところに顔を出して宮原さんの機嫌をそこねたのかと思ったよ」 「あなた」  牧子はふいに鋭い声になって、 「わたしと打合せしないかぎり、これから黙って先方にうかがわないで頂戴」  と、云ったが、自分でそれに気がついたように言葉の調子を柔らげた。 「わたし、外交員でしょう。ですから先方にはいろいろとあなたのことを都合よく云ってあるんです。偉い画家のように吹込んでいるんです。それなのに、あなたがのこのこと顔をお出しになっちゃ困りますわ」 「そうか。外交としての作戦があるんだな。よしよし。これからはどこにも出かけない。しかし、今度の場合だけは、そういう事情で特別だったからな」 「分ってます」  牧子は何となく沈黙したあと、 「わたしは前に保険の外交をやっていたから、そのときの癖がどうしても抜けないのね」  といった。 「保険の外交は、先方にお世辞を云って、保険のことをいいことずくめで云わなければならないんです。わたしは初めずいぶん苦労したけど、そのうち先輩に教えられて要領をおぼえたわ。会社には各人の契約高が一目で分るグラフを貼り出してあって、その月の各外交員の成績がひと目で分るようになってるの」 「お前の成績は皆のビリに近いほうだろう?」  久間は世間話のような調子になった。 「そうでもなかったわ。ずいぶん奮闘したから奨励賞をもらったこともあるわ」  牧子はそんな話をちょっとしたが、自分で詰らなそうにまた前の冴えない顔色になった。  あんまり機嫌がよくないので、久間は、 「では、明日あたりから宮原社長の顔でも描くかな」  と、起ち上り、仕事場に歩いて画架のカンバスを見ていた。横には宮原ののっぺりとした顔写真があるが、どう考えてもこの人相は特徴が捉えにくかった。  翌朝、牧子は早く家を出た。久間は遅く起きて、昼からぼつぼつ仕事にとりかかるつもりでいた。すると、画架の傍に立てかけておいた宮原の顔写真がなかった。そのへんを探したが、見当らない。風に吹かれて家の外に飛ばすはずはないと思ったものの、一応は勝手口の外に出たが、やはり見えなかった。  昨夜まで家の中にあったものがないというのは、牧子がどこかに始末をしたのかも分らない。だが、牧子が何も云わないで出たのがおかしい。  夕方七時ごろ、牧子が疲れた顔で戻ってきた。 「おい、写真を知らないか?」  久間は早速訊いた。 「写真は、今朝、わたしが先方にお返ししに行ったんです」  と、無表情に答えた。 「返した?」 「あなた、宮原さんはもういいんですって」  牧子は彼をちらりと見て云った。 「いいというのは……描かないでくれというのか?」  牧子はうなずいた。 「変だな。ぼくが行ったのが向うの機嫌を悪くしたのかな?」 「何だか知らないけれど、あまり癪《しやく》にさわることを云ったから、こっちで断ったわ」 「え、どんなことを云った。昨日の夕方、お前が宮原さんに電話をかけたときか?」 「宮原さんは、思ったよりあなたが貧弱な画描きさんに見えたのね。あなたが面会した部下が報告したらしいわ。だから、画は約束の半値にしろというの。それならお断りしますと云って、今朝、向うに行って写真をつき返してきたわ。……昨夜はあなたに黙っていたけど、ごめんなさい」  久間には牧子の昨夜の不機嫌さがやっと分った。 「まあ、そう腹を立てなくともいい。実は、おれもそれで助かった。あんな描きにくい画を描かなくて済んだからね。描きあげてから突き返されたら、もっとひどい目に遭うからな。……仕事は切れ目なくあるんだからいいじゃないか」  久間は牧子を慰めた。  そんなことがあって五、六日経ったときだった。  久間は倉沢の家に遊びに行った。いつものように横手から道を曲って通用口に行こうとすると、向うのほうから和服の女が現われた。それが倉沢の家の門から出てきたので彼は眼に止めたのだが、おや、と思った。撫で肩のすらりとした和服が反対側へ歩いていた。その髪のかたちで思い出したのだが、先日、絵具を買いに出たとき見かけた小さな画廊の女だった。白いカスリの柄にも、黒い帯に油で描いたアザミの大きな花にも見おぼえがある。  久間は、倉沢があんな画商にまでねだられているのかと思って、いつもの部屋に通されたあと、出てきた倉沢に訊いてみた。 「知っているのか。なかなかの美人だろう」  倉沢は笑っていた。 「あの画廊の奥さんかね?」 「いや、女主人だ」 「おどろいたな。おれはあの店先でチラリと見たとき、細君だと思っていたが。それで、今日、門の前で見かけたときも、主人の使いで君の画を狙いにきたと思っていた」 「まさに女主人だ。今日で六度目か七度目になるよ」  そのとき道子が入ってきた。話の終りのほうが耳に入ったらしく、そこに坐って、 「近ごろああいうきれいな女《ひと》が画商をはじめてるのが多いんですって」  と、笑いながら云った。 「そうですか」 「ねえ、あんな美人でしょう。気むずかしい先生方も、何度もこられたら、つい、小品くらい出すようなお気持になられるんじゃありませんか」  久間は、あの狭い画廊のショウウインドーに三つかかっていた有名な中堅作家の画を思い出した。 「ああいうあだっぽい美人が行くと、画描きも決心がぐらつくんですかね」 「どなただって悪い気持がしませんもの。……ねえ、あなた」  と、道子は倉沢の顔を笑って見た。 「うん、まあね」  倉沢は眼をすぼめて苦笑し、 「なかなか濃厚なコケットリイだよ。ちょっと妙な気持になるね」 「倉沢も、も少しでイカれるところだったんですのよ」  道子が笑った眼もとのままで云った。 「ふれたら落ちそうな風情《ふぜい》を見せるのか?」  久間は倉沢にきいた。 「そういうものを感じさせるな」 「生憎《あいにく》とわたしが家にいたから、倉沢も口惜しがってると思いますわ」  道子が久間に云った。 「あの方、しつこくここにいらっしゃるんですのよ。普通だと、おつき合いのない画商には画をあげないでしょ、先方でもダメだと思ってはじめからお出でになりませんけど、ああいうきれいな女の方は、自信がありますのね。それで成功してるからでしょう」 「ぼくは、偶然、その女のひとの店に中堅画家の画が出ていたのを見ましたよ」 「そうでしょう。それも色気戦術ですわね。ひと晩くらいの浮気、なさるんじゃありませんか。ほかにもああいうきれいな女画商さんの似たような話を聞きますわ。女の武器でなさる外交ね……」 「もうそんな話はよせ」  倉沢が低いが強い声で云った。  道子は少しきょとんとしていたが、すぐに顔から今までの微笑が消えた。 「そうね……」  彼女は話題を変えようとしたが急には思いつかないらしく、あわてていた。 「ときに、君……」  倉沢が久間とは関係のない話を彼の顔色を見い見い、唐突にしゃべりはじめた。  久間が、牧子のことを暗い気持でよく考えるようになったのは、さり気ない顔で倉沢の家を出てからだった。ウイスキーもすすめられるままに飲んだが、女画商の話の途中から気づいたことが胸をつかえさせた。  倉沢は、道子にあの女画商の話を途中からやめさせた。色気で画家に当り、要求次第では浮気もしてるだろうと道子が云ったときだ。その道子も倉沢にとめられて、急に話を変えようとした。倉沢はふいに木に竹をついだような話をしはじめた。  あれは何だろう。女画商の話をしているうちに牧子のことに倉沢夫婦が気づいたからではないか。それは女画商と牧子とに相似た点があるからだろう。女画商は商売になる画家からも画をもらいたがっているが、同時に客にも同じ手段を使っているに違いない。  女が画を売りあるくことでは、牧子も同じだ。いや、牧子の場合はそれが専門である。紹介から紹介で肖像画の注文主を探して歩く。普通の画よりは特殊なだけに、むつかしい仕事だ。十の紹介先を回って、一つでもものになればいいほうである。以前、ブローカーだった男はそう云って、高率な歩合の正当性を理由づけた。  その手馴れたブローカーよりも牧子のとってくる注文が多いのである。久間は、それをはじめ彼女の保険外交員の経験とばかり思いこんでいた。しかし、それだけだったろうか、と今は行く手の黒い厚い壁を見つめるような気持で歩いた。  久間は、この前、牧子が夜十一時ごろに帰ってきたときを思い出した。彼は倉沢の家から戻ったときだったが、ちょうど家の近所でタクシーが停る音がしたので彼女だろうと思い、そこで立って待っていた。歩いてくる牧子にそこから声をかけたのだが、そのとき、彼女はぎょっとした様子で立停った。久間は、これまで彼女が他の男と間違えたのかと思っていたのだが、それにしては彼女の衝撃が少し強かった。牧子は戸に鍵を差して回しながら何か云っていたが、その声はかすかに震えをおびていた。牧子は何を怖れていたのか。そういえば、あの晩は牧子が鈴木という繊維商に肖像画の紹介状を書いてもらってきた晩だった。  牧子があのとき声をかけられて、おびえるように立停ったのは、その前までの時間に何かがあったからではないか。牧子は、一時間前まで居た場所をあたかも彼に見つめられたような気持になったのではなかろうか。いや、もっと現実的にいって、家の近くに停った車の音を牧子がタクシーで帰ったとばかり思っていたが、案外、鈴木の乗用車で送られてきたのかもしれぬ。そうだ、あの時、牧子は彼に電車で帰ったのかときいた。駅から歩いてくると牧子が車で帰る道順とは違うのだ。彼女は車に乗っていたところを見られなかったかどうか気づかったのだろう。  久間には思い当ることはまだあった。あの晩、牧子は着ているものを脱ぎもせず、そのまま風呂場に降りてガスをつけ、湯を沸かしていたが、ろくに落ちつかないで、何だか避けるようにしていた。彼女は、一応、風呂をすすめたが、彼が入らないと云うと、それが幸いのようにひとりで湯を浴びた。ふだんの彼女は不精な夫が風呂に入らないのをうるさく催促するほうだった。そして、その晩は彼に抱かれるのを拒んだ。  考えてみると、そういうことがときどきある。  もっとある。この前、彼が宮原社長をふいに訪ねたと知った牧子は険しい機嫌になった。なぜ、そんなことをするのかと詰《なじ》ったあと、打合せしてないところには勝手に顔を出してくれるなと念を押すように云った。  久間は、宮原社長の代理に出てきた部下が、自分の名刺と牧子のそれとをならべ、あなたはこの方の何に当るのですか、と訊いたのに思い当った。牧子は先方に亭主持ちということを云ってなかったのだ。だから、二つの名刺の住所が同じだと知って社員は、なるほど、夫婦ですな、と嘲るように云った。恐喝しに亭主が来たという態度だったのである。それはそのまま宮原社長の代行なのだ。  その文句を云いたいため、宮原は牧子にあくる日の夕方電話をかけるようにさせたのだろう。その晩、牧子が帰宅したのが八時ごろ。その一、二時間が宮原といっしょにいた時間である。画室の画架の傍においてあった宮原の写真を牧子が返しに行ったのはまたあくる日だった。  女画商のやりかたを、倉沢から聞かされた久間は、方法は牧子も同じだと思い当った。久間は、これまで牧子がむずかしい肖像画の注文をよくとってくると感心していたが、その秘訣は道子のいう「色気」戦術だったのだ。道子は、その女画商が画家の要求次第では一晩ぐらいの浮気はするらしいと云っていた。倉沢が妻の話を急に遮ったのはそのときだ。  倉沢夫婦は牧子のことをうすうす知っていたのではあるまいか。この前の晩、久間が、牧子も忙しいから自分が先方に行って手伝ってもいいと云ったとき、倉沢夫婦は、そんなところに君は顔を出さないほうがいいと、強く制《と》めた。倉沢夫婦は知っている。  倉沢夫婦が家にいてそれを知るわけはないから、出入りの画商たちの噂を聞いたのかも分らない。そうすると、牧子の話は相当噂になっているのだろう。倉沢夫婦はそれを彼に云いにくいから黙っているのだ。倉沢も道子も、彼が牧子を愛しているのを知っている。──そんなことを一つ一つ、まるで帳簿の数字を引合わせるように久間は考えていった。  外から帰った牧子の機嫌がときどき変った。妙に沈んで、ものもあまり云わず、何だか久間によそよそしくする。久間はそれを彼女の疲労のせいにしていた。そういうとき牧子は、夫を近づけなかった。背中を向け、身体を縮めるようにして寝るのである。  久間は欲望がわりあいに起るほうだった。牧子もそれに慣れて自分でもその陶酔に浸れるようになった。彼女はむしろ、そうした感覚の変化を自分でもふしぎがっていた。前の短い結婚生活にはなかったものだという。牧子がちょうどその年齢に達したからだろうが、久間からすれば若い女といっしょになって生命が逆戻りしたともいえる。彼のその荒々しさをまた牧子が受け入れるのである。  だから、牧子が彼を拒むのはそのときに気乗りがしないからではなく、ほかの理由があるにちがいない。疲労は別な原因だった。それとも彼女は罪の意識から彼を拒絶していたのかもしれぬ。  もう若くはないから、これから和服にしようかしら、と牧子は云っていた。いろいろ扮装を考えているのだ。女画商も和服であった。中年にさしかかった女は着物で色気を見せようとするらしい。そして、中年や初老の男の気を唆《そその》かそうとするのか。殊に肖像画を頼む連中は、個人で事業に成功した中小企業者に多い。大企業のサラリーマン社長はそんなものは頼まないし、また、できない。中小企業の成功者には名誉欲と同じ程度に女の欲がある。  久間には、黒い厚い壁が次第にうすくなり、透けて見えてきた。      7  久間は、自分の疑惑を牧子には云わなかった。また、それほど追及もしなかった。家での様子をじっと眺めた。  牧子の化粧は濃くなり、おしゃれも派手になった。ボロ家の女房とは思えないくらいで、まるで裕福な階級の女のようだった。そして、久間にもそれと分るくらい色気が増してきた。  帰りも遅いことが多い。もっとも、客は必ずしも約束どおり彼女がくるのを待っているとは限らないので居場所が転々とする。本社に来てくれと約束していても、その時間に行ってみると相手は支店に行っていたり、地方に出張したりしていた。四時間も五時間もかかる会議を受付の椅子にじっと待っていることも少なくなかった。注文だけでなく、紹介状をもらうためだけでも時間と苦労がいる。この仕事には紹介状は貴重で、これがないと伸びる手がかりを失う。牧子が疲れて帰るのも無理はないし、原因の分らない不機嫌もそのせいだと彼はこれまで考えていた。  だが、そのことに気がついてからの、彼の観察は、彼が帰納した論理を逆にパターンとしてそれに嵌《は》めてみた。彼女の様子をみるとそれほど図式の例外と思われるものはなかった。しかし、牧子はまだ彼の観察の眼に気がついていない。ただ、久間の情欲が強くなり、ときどき荒々しくなるのは知っていたが。  久間は、嫉妬が表面に出るのを抑える代り、夜の行為で牧子を虐めた。彼は、うかつな言葉を吐いて牧子と別れることになるのをおそれた。疑いは自分だけの空想にして、なるべく実際のことはたしかめないようにした。彼女の行動を知るには、彼が自分でそのあとを尾《つ》けてみてもいいし、それが困難なら、専門の人間に頼めばすぐ分ることだった。だが、久間のほうでそれを隠蔽したい気持があった。だが、一方ではまたそれをぼんやりとでも確かめてみたい気持はどこかあった。あんまり空想だけでも頼りなくなってきた。ほんのもう少し知りたかった。 「鈴木さんに京都の客を紹介してもらうことだが、あれはどうなった?」  久間は、ある日、牧子に訊いてみた。 「ああ、あれ」  牧子は気のりしない顔になって近ごろ着はじめた和服を脱ぎながら、 「京都までは大変だから、どうしようかと思ってるわ」  と、帯をとき、次々と腰紐をほどいて畳に投げながら云った。 「やっぱり向うの人が東京に出てくる日は分らないのか?」 「そうね、やっぱり……」  長襦袢《ながじゆばん》を重ねて前をはだけたままの着物を牧子はくるりと畳に脱いだ、その風が久間の顔に当った。牧子は肌襦袢と湯文字だけになって、押入れのふだん着をとりに行った。亭主の前だからおそれ気もなかった。久間は急に起ち上り、まだふだん着に手を通さない前に牧子のうしろから抱きついた。肌襦袢がずれ、首筋から肩、背中にかけて白い皮膚があらわれた。それはかすかに饐《す》えたにおいをもっていた。 「なにをするの?」  牧子は襦袢の衿を両手でたぐりあげようとしたが、久間は手をはなさなかった。首筋の下にも、肩にも、変ったところはなく、白い皮膚に脂が鈍く光っていた。死んだ定子にはついぞおぼえなかった久間の衝動だった。  そうした久間の変り方で、牧子は何かを感づいたらしかった。彼を警戒するように早く帰るようになった。牧子がこっちの顔色をうかがっているのが久間にはよく分った。  注文の数が急に減った。やっぱり、そうだった。牧子は夜でないと注文がとれないのだ。むろん、注文の全部がそうだというのではない。先方の都合で昼間は遇えない人が多いだろうし、どうしても夜にかかる。保険の勧誘以上に困難な仕事で、粘り強い根気が要る。しかし、十の注文のうち、三つか四つくらいは怪しい。自分でも肖像画を注文し、他人への紹介状を気前よく書く客は臭い。  そういうことになる手順を久間は考えた。相手は、女ざかりの、きれいな身装《みなり》で媚態をふくんだ肖像画の外交員に興味をもつ。肖像画などやたらと人が依頼しないのが分っている。安い画料ではないのだ。是非とも欲しいというものではない。だから、牧子の勧誘にすぐには応じないで、曖昧に微笑し、彼女が手もとに近づくまでじらせる。諾否を決定するまで、絶対に彼女が逃げないことを知っている。  牧子は最初のうちは会社や自宅などに訪ねるだろうが、相手に下心があれば、次からはホテルのロビーとか、喫茶店とか、ときにはレストランでということになるだろう。面会場所は客のほうに決定権がある。いま、人と飲んでいるから料理屋にこいとか、泊っている旅館にきてくれ、こういうときでないと話を聞く時間がないとか云うに違いない。家族の留守に自宅に呼びよせることもあろう。いずれにしても牧子は相手の決定に従わなければならない。不承知は、もらえる仕事を放棄することである。  そうした誘惑を牧子は逃げ切れるつもりでいる。はじめの接触では、相手の男の気を唆るようなきれいな化粧と装いをし、媚をみせ、甘い声でお世辞を云い、相手の投げかける意味ありげな謎に変化のある反応を示す。肖像画を道具にして、初老や中年の男と三十女の駈引がはじまる。が、結局、のっぴきならぬ立場に追い詰められるのは女のほうだ。上手な言訳も口実も出つくし、それを相手に塞がれ、追い詰められる。あとは仕事を取るか、諦めるかという単一な撰択にもどるのだ。  ──牧子の帰りがまた少しずつ遅れるようになった。久間への言訳が多くなった。  久間は知らぬ顔をして画を描く。仕事は早い。商品だから時間をかけるのはもったいない。だが、腕は上ってきた。精緻な技巧に磨きがかかる。職人的な技術である。もう、カンバスにろくに下図の線をとる必要もなかった。ちゃんと写真の顔に似てくる。レンブラント流にもゴヤ風にも自在に描けた。  牧子の言訳を聞きながら久間の身体の血がたぎってくる。画を描いているときは彼女の声を聞きながら筆だけが自動的に動いた。感情を抑え、その抑えている苦痛をどこかで愉しんでいるようであった。そうでないときは身体を動かさずに、じっとしている。囚人が獄窓の冬の陽射しに身を寄せて凝乎《じつ》として坐り、苦痛を身体中に沈潜させて味わっているのと似ているのではないかと自分でも思った。── 「お金、だいぶん溜ったわ」  ある日、牧子が云った。 「そうか」 「でも、アトリエつきの家を建てるにはまだ足りないわ。郊外の安い土地だったら、百坪くらい買えるかもしれないけど」  牧子は明るい声でつづけた。 「これもあなたが働いて下さるからだわ。ほんとにありがたいわ」  牧子の顔は嘘を云っているように見えなかった。感情が溢れ出ていた。久間は、勧誘先のこと以外、牧子が自分に云ったりすることは真実だと思っている。 「それなら、土地だけ買っておけばいいじゃないか」 「だめ。わたしは、土地といっしょに家もつくりたいの。あなたにはひろいアトリエに早く入ってもらいたいわ。そして、いい仕事をしていただきたいわ。その気になれば倉沢さんに追いつけるでしょう?」  牧子はまだそれを信じていた。久間が何度云ってきかせても理解ができなかった。曾《かつ》ては倉沢といっしょに画壇に出たということ、今も倉沢とは親しいこと、それが彼を評価する牧子の基準だった。小さな借家でなく、倉沢のような立派なアトリエを与えれば、久間も奮起し、世に出られると信じていた。敗北した画家の荒廃した心理を彼女は知らなかった。それをまた云っても無駄なので、久間は、ふと思いついて別なことをきいた。 「前に京都行のことを云っていたが、あれはどうなった?」  牧子は久間の顔をチラリと窺うように見て、 「どうしようかと思ってるわ。もし行けば関西のほうの仕事が開拓できるんだけど。東京よりは画料が高くてもいいというの」 「だれがそう云ったのだ?」 「鈴木さんです。あの方が紹介して下さったの」 「それなら行ってもいいじゃないか。いま、家を建てるまでに貯金が出来ていないと云ったろう。それだけ早く出来るじゃないか」 「京都まで行くのは気が弾《はず》まないので、まだ迷っていたわ。そうね、あなたがそう云うんなら本気に考えてもいいわ。ほんの二晩か三晩だし、関西は個人経営の会社の社長さんが多いので注文もあると思うの」  牧子は久間の言葉で決心をつけたように云った。 「ホテルはちゃんと予約して行ったほうがいいぞ」 「ホテルなんて、そんな高いところに泊らないわ。安い旅館にいくわ」 「鈴木さんといえば、まだあれにとりかかっていないが、ずいぶんぼくに好意を持ってくれるんだね」  牧子にとは云わなかった。すると、彼女はまた久間の顔に複雑な視線を走らせたが、 「鈴木さんは、あなたの画がとても気に入ったんですって、ずいぶんほめて下さったわ。見本を見て感心なさって……」  久間に或る考えが起ったのはこのときだった。 「鈴木さんの画も早くとりかからなければいけないな。前のぶんがつかえていたからかかれなかったが」 「そうして頂戴」 「なあ、牧子。おれは鈴木さんにちょっと遇ってみたいんだ」  牧子の顔に狼狽が走った。彼の真意をさぐるように顔を見ていたが、 「どうして?」  と、おそれるように訊いた。 「いや、鈴木さんの顔の色が、どうもよく泛んでこない。それはお前から大体は聞いているが、それだけ好意を持って下さるんだから、実際に近い色を塗りたい。それにお礼もいいたいし、できれば、そのとき、スケッチをさせてもらうともっといいんだがな」 「鈴木さんは忙しい方だから、そんな時間があるかしら?」  牧子は首をかしげるようにしたが、遇わせたくない気持はみえていた。 「忙しいなら仕方がないが、とにかく電話ででもいいから問合せてくれないか。それに、ぼくの画をそんなにほめて下さるならお礼も云わなければならないしな。前に宮原さんのときは相談しなかったといってお前に叱られたから、今度は相談するんだ。とにかく向うの都合を聞いてくれ」      8  ──画架を据えた横の、机の上に一枚の写真とスケッチとが載っている。スケッチは画帖に鉛筆で入念に描きこんである。  薄い髪と禿げ上って広い額《ひたい》。少し下り気味の濃い眉毛、その眉の端には長命を思わせる白い長い毛が三、四本、ちょうど買いたての筆のように黒いなかにまじっている。ふくよかな頬は肥えた鼻の両脇から出た二本の深い皺からもりあげられている。唇はうすく、少し受け口である。顎は扁平で、その下の深くて暗い陥没からはじまる咽喉《のど》には、たるんだ皮膚がいくつもの皺の筋をなしている。ただ、つき出た咽喉ボトケだけが流れの中の岩石のように皺筋をまわりから斥《しりぞ》けていた。そうした老いた皮膚を截然と区切っているのが白いカラーと、その下に直線に下っている渋ハデなネクタイと、大きなダイヤのピンだった。  背はずんぐりしている。猪首である。顔艶は熟れた柿のようにてかてかしている。繊維会社の鈴木社長だったが、この顔の色は久間が直接に会って見たものだ。写真とならんだスケッチはそのときの写生である。  牧子は京都に昨日から発《た》っている。明日の晩でないと帰らない。  久間はスケッチ・ブックと写真とを比較しながら、まだ何も下図の線をつけていない画布に眼を据えている。そこに泛んでいるのは、まだ顔の輪郭になっていない、鈴木と遇ったときの場面が動いていた。  牧子は、久間が鈴木に遇いたいと云ったのを先方に伝えた。それからお遇いしようという鈴木の返事をもらってきた。それを久間に云ったときの牧子の安心したような、不安のような表情が忘れられない。  鈴木という人は、きっと豪快な性格なのであろう。久間に来てもらって平気だと牧子に云ったのだ。避けるのはかえって不自然だと、彼は不安がる牧子に云ったのだろう。一代で今の会社をつくりあげた男だけに図太い神経と狡猾な策略を鍛えている。  牧子は久間とは同行しなかった。他に約束した勧誘先に遇わなければならないと云ったのだが、さすがに亭主と鈴木の間に坐る勇気はないらしかった。  やあ、と鈴木はその会社の社長室で久間に笑顔を見せた。気持に何の隔りもない朗らかな態度で、愛想のいい話しかたである。細い眼は人がよさそうである。だが、久間はその社長室に入った瞬間に彼を見た鈴木の眼の光を知っていた。それは好奇心と軽蔑と、多少の危惧と嫉妬とをまじえていた。その眼つきは、彼と話している間にもときどきつくられた。  ちょっとお顔を写生させていただきます、と久間はスケッチ・ブックをひろげた。牧子からそう伝えさせてあることだ。少しテレ臭いな、と鈴木は云い、窓ぎわ近いところの椅子にかけた。写生の邪魔になるからと社員が入らないようにたのんだのも承知してくれた。  久間はスケッチ・ブックをひろげ、鉛筆を持ち、鈴木の顔を正面から見た。対象を見つめる画家の眼が、鈴木の禿げ上った額や肥えた鼻やうすい受け口を撫でて回った。ことに相手の眼には遠慮のない視線を当てた。  鈴木は眼のやり場に困ったようであった。自分の顔が写生されているということでは誰しも困った顔になるが、鈴木のはそれとは少し違っていた。どうも照れ臭いとか、落ちつかないとか云っていたが、その眼が久間の視線を避けるようにうろうろした。それにつれて顔が動くと、じっとして下さい、と久間は命じた。画家の威厳である。鈴木は正面から注がれている久間の視線をのがれることに努力しはじめた。久間は丁寧にスケッチをする。対象を見つめたのち、紙に鉛筆を走らせている間だけ鈴木の眼が休息をした。だが、それもすぐにスケッチからあげる久間の顔に当ると、また瞳がもがいた。──これこそ久間が考えてきた実験だった。  久間は、これほど時間をかけて人の顔を写生したことは今までなかった。が、鉛筆の線を追って紙に眼を落したときよりも、対象に眼を据えているときが長かった。正面に据えた鈴木の顔を枷《かせ》に嵌めこんだように微動だにもさせない睨みだった。鈴木の額に汗が滲んできた。まだ、じっとしていなければいけないかね、などという言葉は鈴木の口から出なくなった。表情は硬直し、多分鈴木自身も自慢にしているであろう熟れた柿のような赤い艶も色褪せていた。鈴木は、襲いかかってくる復讐的な暴力を前にしているようにすくんでいた。  念を入れて写生してきたから、鈴木の顔はスケッチ・ブックに細密な描線で出ている。写真よりもなまなましく、現実的であった。額、眉、眼、鼻、口、顎、耳の各部分の醜いところが写実的に誇張されていた。その醜悪には漁色的な濁りが汁に浮いた脂のように光っていた。だが、スケッチをこうして見ていると、鉛筆の線に現われたその醜悪には妖奇な美があった。ブリューゲルの人物画のように歪んだ美があった。本人を前にして写生しているときは気づかなかったものだ。久間は、画布に向って一度眼を閉じた。彼は木炭をつかむと一気に線を走らせた。牧子の裸像を描くのに迷いはなかった。熟知した記憶がいつでも眼の前にモデルを横たえてくれる。久間は裸婦の上に鈴木の顔と身体とを置いた。構図は、瞬間にひらめいたものである。二つの人物のある部分を醜悪に誇張した。  久間は完成した素描を熱い眼で長いこと眺めていた。復讐的な満足感は、やがて彼自身の肉体の中に奇妙な陶酔に変ってひろがった。久間はそこで二十何年前にしたことを行なった。  ──夕方、久間は倉沢の家に走った。 「おい、ビール飲もう」 「ビールを?」  倉沢はびっくりしたように久間を見た。 「思い出したように何だ?」 「だいぶん暑くなったからな」 「よかろう」  倉沢は立って出た。多分、久間が変な顔をしてきているから何かあったのかもしれないと妻に云いに行ったのだろう。道子がビールを二本、盆にのせてのぞきに来た。 「久間さん、ビールとはお珍しいわ」  道子はそう云いながらも久間の顔をまじまじと見ていた。倉沢もいっしょに眺めていた。 「そうですな」 「牧子さんは?」  道子がさりげないふうに訊いた。 「いま、京都です。ぼくの仕事の注文とりですよ。昨夜から行ってます。明日の夕方、戻ってくる予定ですが」  久間の眼には、京都の旅館の一室で行なわれている素描の通りの光景が浮んだ。鈴木は牧子のあとから京都に行ったかもしれない。それとも、京都の注文主が鈴木の代りをしているかも分らなかった。  牧子が京都に二晩泊りで行っていると聞いて道子はちょっと下を向き、倉沢も一瞬眼を逸らせた。久間には倉沢夫婦が何を考えているか分っていた。  道子が栓抜きを出したので、久間はとめた。 「それ、いりませんよ」  久間は二本のビールを手もとに引きよせ、指の間にはさんだ。 「あぶないわ、久間さん」 「大丈夫ですよ」 「だって、もう長いこと、やってないんでしょう?」 「まあ、見ていて下さい」  倉沢は黙っていた。久間は二本の瓶をいっしょにつかんで持ち上げると、思い切り下に叩きつけた。二つの栓は宙に飛び、ビールは天井まで噴水となった。 「ほらね、うまいもんでしょう。もう、血が流れることはありませんよ」  久間は指をひろげて見せた。もう一度云った。 「もう、血が流れることはありませんよ」  ──久間が倉沢の呼んでくれたハイヤーで家に帰ったのは十二時ごろだった。頭の中にはカンバスの素描が残っている。牧子は明日の夕方、戻ってくる予定だ。それまでにあの上に鈴木の肖像画の下塗りをしてやろう。それはやがて仕上げられる。だれも、色彩の豊かな肖像画の下に当人の醜悪な素描がかくれているとは知らない。牧子も知らぬ。  久間は格子戸の前にきて眼をむいた。家の中に電灯がついている。たしかに消して出たおぼえがある。手をかけたが、格子戸は開かなかった。久間は鍵をとり出して開けた。  部屋の様子が違っていた。はっとして仕事場に歩いた。カンバスは醜悪な素描のまま画架にのっていた。  彼はあたりを見回した。乱雑にしていたものがきれいに片づけてある。牧子だと分った。京都から予定をくりあげて戻ったのだ。もう一度よく部屋の中を見まわすと、机の上に銀行の預金通帳と印鑑とが揃えておいてあった。久間は、この家に二度と帰ることはない牧子の走る足音を聞いた。 [#改ページ]   通過する客      1  少し大げさにいうと、妻と夫の性格の不一致は古来しばしば小説や劇のテーマとなるように、実際の上でもそれが原因して大事にいたることがある。しかし、それだけが原因で破局をひき起す率は少ない。妻としての権利が認められ、周囲への気がねや非難の考慮が減少した現在でも、性格の不一致というだけで離婚にまで発展する例はまだ珍しいのである。妻の側からいえば、取立てていうことがないだけに、その抑制と忍耐によって、ぎりぎりまでは、なるべく世間にボロを出さないようにし、隣近所に向って微笑を向けているのが多いからだろう。  夫が妻の不満を弾圧するか、反撥してくるかするなら、まだ妻はその手応えによって生甲斐を感じるだろうが、そうでなく、夫が寛容で、愛情があり、何の反応も見せない場合、妻は苛立ちで日を送るだけである。この場合の夫の愛情は荷厄介としか受取らない。  その空虚と焦燥に耐えるためには、妻は夫にわが儘にふるまうか、普通の夫が我慢できないようなヒステリックな行為に出るか、あるいはそうしたことを自ら惨めだと思って逃避先を自分勝手な趣味に求めるかである。どちらが高級でどちらが低級かは評価できないが、いくぶん教養の差はいえるかもしれない。  波津子の場合は後者に当ろう。彼女は二十二で結婚し、二年後に夫と死別し、四年間はひとりでいたが、五年目の二十八で歯科医の山根正造と再婚した。年齢が十五歳開いているのはそのためで、彼のほうは三年前に最初の妻を失っていた。  彼女の結婚の性質ははじめが恋愛で、二度目は見合いであった。波津子ははじめて遇ったときから山根を誠実な人とは見ても、愛せる人ではないと思っていた。が、これは恋愛結婚ではない。そうした感情は前の夫とともに死んでしまったと思っていたから、彼女は肉親の熱心なすすめで踏み切った。「後妻」という世間的に不愉快な名が彼女の心を修道女の意識にさせた。もともと彼女はロマンティックなほうで、自分でもそれを知っていたが、「後妻」の生活は一切そうした夢を放逐した覚悟だった。その悲壮感が実は彼女の浪漫性から出ていることには気がつかなかった。  山根正造は評判のいい歯科医で、いまでは都心に医院を持っている。女医二人、技工士一人、看護婦三人でかなり繁昌していた。その繁栄はまったく山根ひとりの才覚で、波津子の内助の功は含まれていなかった。彼女は夫の仕事に非協力的とはいえないまでも無関心であった。  山根は、しかしそうした波津子の態度を詰《なじ》りはしなかった。彼は、このずっと年下の妻を愛していたので、実生活面では可愛い無能力者として保護していた。が、彼女は、この結婚の当初に感じたように彼を誠実な夫とは信じていたが、どうしても深い愛情をもつことはできなかった。年齢の隔たりだけでなく、性格も趣味も、教養も、感受性も、生活する上での考え方もまるで違っていた。  再婚のときから諦めてはいたが、やはり索莫たる気持は拭えなかった。それが彼女を苛々《いらいら》させていたことも否定できない。といって、彼女は夫に理由もなく突っかかったり、乱暴な言葉や動作に出ようとは思わなかった。それは彼女の好みと合わなかった。  波津子はいい家庭で育ち、有名な女子大を出た。学校の教育よりも両親の躾《しつけ》がよかったので、反抗を悪徳として考えていた。頭の中だけでなく、意識の底までそれは滲《し》み通っていた。むろん、それは彼女の生来の素質によるところが大きかった。  山根は世間的な夫として申し分なかった。少しく難をいえば酒を飲みすぎるくらいで、ほかに道楽があるではなく、妻を裏切ることは一度もなかった。それが波津子にかえって息苦しい扉になった。気分が悪くなるほどききすぎたスチームの部屋にずっと居つづけるようなものだった。  それに、夫と話題が共通しないのがやりきれなかった。彼女の文学的な(広い意味での)繊細な話には夫はまったく無関心で、ときたま応じても、きわめて初歩的な知識しかなかった。また、夫の話は、情緒のない、卑俗的なことばかりで、彼女の琴線にふれるどころか、聞いていてむかむかしてくるのだった。で、結局、彼女は夫の話を必要以外は聞かないようにし、また話さないようにした。  そんな妻にも夫は感情を荒らげなかった。相変らず彼女を大事にし、愛情ある寛容をもちつづけた。夫のそれは忍耐ではなかったが、彼女のほうは忍耐で夫に接した。こうした夫婦の条件では、大騒ぎになるような破局は起るべくもなかった。  波津子は女子大のころから好きだった英文学を未だにつづけていた。恋愛結婚した死んだ夫もその方面で学者になろうとした人である。その趣味を再婚の夫のもとでつづけるのは一種の罪悪であるが、彼女はそれを敢えて棄てなかった。それは彼女の砂に撒《ま》かれるただ一滴の水であった。もちろんその趣味が亡夫と共通のものであり、亡夫からうけた影響の大きかったことも彼女から山根に云ってあった。彼はそれを諒承した。結婚当初だけでなく、いまでも妻の書棚に横文字の本がならんでいたり、机上でその本が開かれていても彼はついぞいやな顔をしなかった。のみならず、かえってそれを妻の高尚な趣味として奨励していた。彼はそれをまるで、謡《うたい》か茶道の稽古ごとのように考えていた。彼女のその趣味に前の夫の人格が色濃く残っていることには無頓着であった。すでにそのころは、そういうデリカシイのない人だと思うようになっていたから、彼女も後めたさは感じないですんだ。それが夫への抵抗であり、不満の捌《は》け口ともいえた。  波津子は前の夫に死なれた後、試験をうけて英語ガイドの資格をとった。その時は再婚の意志がなく、生活のためにいつでも通訳になれる用意をした。彼女の名は日本観光通訳協会に登録された。当時は実家にいた。  彼女はその四年間に実際にガイドをつとめた。春と秋の季節には外国から、とくにアメリカから観光客がやってくる。団体もあるし、個人もあった。彼女にはその希望もあって、夫婦者や婦人が観光会社から割り当てられた。ときには婦人客について箱根や日光に一泊して案内した。  彼女は職業的なガイドではなかったので、親切だった。彼女の勉強好きは案内する土地の歴史、地理を研究していたので、アメリカからきた老学者夫婦をひどく満足させたことがある。もっともこれは特殊な例で、たいていの客は山水の景と、古建築の輪奐《りんかん》の美を単純によろこんだ。しかし、そのときすら彼女の説明には知性が滲《にじ》んでいた。また、彼女の英語は、本の上の影響だけでなく、女子大時代にイギリス人教師について会話をみっちりとやったから正統な文法と発音を持っていた。やくざなメリケン英語をまき散らす一部の職業的通訳とは違っていた。その上、彼女には、いい家庭の子女ならたいていは持っている伝統的な素質があった。  波津子に案内された外国客の中には、彼女に好意をもち、通訳兼ガイドとは見ないで、日本の知識層の婦人に会えてうれしいと云う者があった。そうした機縁から結ばれた友情がいまだにつづいて手紙をやりとりする外国人がなん人かいた。また、その人たちの紹介で、波津子を協会に指名してくる客や、彼女のところに直接に手紙をよこす人もいた。  夫と死別後の四年間はそういうこともけっこう気をまぎらせることができた。が、彼女はやがてガイドの仕事で生活を立ててゆく虚しさを自覚するようになった。趣味だから時々は愉しいのである。げんに、彼女が職業にしてないと知りながらも、一介のガイド婦人としてしか見ない客もあった。彼女は山根と再婚する前から、協会から仕事を云ってきてもなるべく出ないようにした。が、英語を話すことにはまだ未練が残っていたので、登録から名前を消さないようにしてもらった。  英語を話すことといえば、波津子は女子大時代の友だちのつくっている英文学のグループに当時から入っていた。講師には母校のイギリス人婦人教師を招き、小説や戯曲をテキストにした。すべて英語による輪講だったが、半分は雑談であったから楽しかった。  波津子はいまでもその会に週一回出かけた。会場には学校の会館の一室を借りたが、学校の建物は変ってもそこは彼女らの曾ての青春の場所だったので、若々しい気分になれた。山根はそこに彼女が出るのもよろこんで許可を与えた。夫は、やはり茶道か謡の稽古場に行くのと同じにしか考えていないようだった。  グループの人や他の級友の消息にも変化はあった。夫と不仲で離婚した人もいた。恋人に走った人もいた。いまだに独身で長い青春を享楽している人もいた。しかし、波津子はそんな話を聞いても、それを「お話」としてうけとめるだけで、現実に自分とひきくらべて考えることはなかった。それだけの実行力がないことが分っていて、自分には不満な夫と暮して一生を終るのが運命だと諦めていた。  それどころか、いまテキストに使っている英訳本のイプセンを読んでも、その古典的な「自我」を知識としては吸収するが、自分には無縁なこととして心に影響されることはなかった。それも彼女には絵空事《えそらごと》であった。      2  三月のおわりだった。波津子に観光会社から電話がかかって、二週間後に到着するアメリカ人観光客の中にぜひあなたに通訳と案内をしてもらいたいと希望している婦人がいる、それは以前にあなたに案内してもらったリバース夫妻の友だちで、あなたがたいへんよかったという推薦を夫妻からうけたということだが、お願いできないだろうか、とのことだった。  リバース夫妻には波津子も記憶があった。主人はボストンの法律家で、おだやかな紳士だった。リバース夫人も知性のあるおとなしい奥さんとして印象に残っていた。案内したのは再婚の一年前のことで、たしか夫妻の帰国後、一度だけ手紙を往復させた。  マサチューセッツ州の首都ボストンは歴史があるだけに、いまだに英本国の言葉や習慣を残している。ケネディ家がここの出身だったように、法律家や学者などの知識人が多く住んでいる。リバース夫妻もイギリス流の表現や発音で話し、イギリス人のマナーを持っていた。その古典的な風格が波津子に快い印象を与えて、忘れられなかった。  波津子は何年かぶりに心が動いた。リバース夫妻の友だちなら、きっと知性のあるアメリカ婦人にちがいない。そんな婦人と数日間でもつき合うのは、単調な生活に変化をつける意味でも愉しいことであった。ただ、先方の申出にひとつの条件が含まれていたから、さすがに彼女は即答を避け、一日だけ考えさせてくれと電話でいった。  診療が済んで、つづきの自宅に帰った山根に波津子は今日の観光会社からの依頼を話した。そのとき、きっと彼女の表情には生々《いきいき》としたものが見えたのだろう、夫は一も二もなく、そうするがいいとすすめた。  でも、困ったことがあるの、その婦人の希望では、東京だけでなく、日光と京都に行きたいからそこまでついて来てくれないかというの、むろん旅費、宿泊料、雑費一切は会社に請求できて、それは問題でないにしても、日光、京都だけでも三泊四日の留守になるのが困るわ、と波津子は云った。その顔には夫の許可を求める希望がありありと出ていた。  これまでそういう旅行はあったのか、と夫は訊いた。波津子は詳しく説明した。婦人単独の場合は、どこに行くのにもその人と離れないのはもちろんのこと、ホテルも同じである。ことに今度の婦人はリバース夫妻の友だちだからいいとこの夫人にちがいないこと、夫妻の場合がそうであったようにアメリカの知識階級の婦人はなかなか魅力的であることなどを話した。いつもは夫との間に話のはずまない彼女だったが、このときは内心で夫を説得したい気持があってか、多少とも彼の意を迎えるように語った。  山根は早速に同意を与えた。それは君の気分転換になっていいだろうと、むしろ彼のほうから積極的にすすめた。波津子は、彼に実感をもって感謝した。そういうことはこれまでもしばしばあったが、今度の感謝は大きいほうだった。が、彼女はそれほどの喜びも夫にはみせず、むしろ、しぶい顔をした。それは彼女の夫に対する習性になっていた。  翌朝、波津子は観光会社に電話して承諾を伝えた。係の話では、そのアメリカ婦人は約二週間後の四月七日午後に羽田に着いて、すぐにキャピタル・ホテルに入る予定だからホテルで待つように。婦人の名はミセス・マーベル・ブロートンといい、三十二歳、ボストンからくるという以外、詳しいことは分らないということだった。  二週間経った四月六日の午前十一時ごろだった。波津子のところに看護婦が顔を出し、いま、診療室にアメリカ婦人がきているが、言葉がよく判らないから先生が奥さまに聞いてほしいと云っている、と伝えた。  波津子は、一日早くミセス・ブロートンが到着して、もうわが家を探して来たかとおどろいたが、もちろんそれは錯覚だった。治療椅子に坐って白い前だれをかけているのは赤毛で、まる顔の二十八、九ぐらいとみえるアメリカ婦人であった。  入ってきた波津子を見て、青く隈どった大きな眼で愛想のいい挨拶を送った。その前にマスクをした山根がとまどった眼つきで立っていた。椅子についた電燈は患者の大きな顎と、真赤な唇を正面から毒々しく輝かしていた。 「この婦人がね、歯の治療をしたいと云われるんだが、見たところ齲歯《むしば》は無い。けれど、何か云っている。聞いてくれないか?」  夫は云った。看護婦たちがはなれたところから見ていた。  波津子は、微笑しているアメリカ婦人に向った。栄養のゆきわたったその顔は、波津子の英語を聞くと眼を見開いていった。 「わたしはこの歯が少し痛いのです。きっとムシ歯に冒されかかっていると思いますから、そこを削ってください」  患者は口を開き、紅い爪の小指で奥を指した。南部訛りだった。 「どう検《しら》べてもまだ痛むほどのムシ歯にはなってないんだがねえ、強いていえば奥歯の一つの根がやや弱い程度だが」  山根は眉根を寄せた。油気のない、縮れ気味の髪には白いものが混りはじめていた。  波津子がその通りに伝えると、アメリカ婦人は、でも痛いのです、と嫣然《えんぜん》としていた。波津子が見てもその微笑にこぼれる歯は皓《しろ》く、健康な艶を帯びていた。 「歯槽膿漏じゃないかしら?」  波津子は素人らしい質問を夫に向けた。 「そうじゃないな」  夫は明言した。 「あなたの歯はどこも悪いところはないといっていますが。痛いのは、気のせいじゃありませんか?」  波津子は婦人にいった。 「違います。ほんとうに痛いのです。わたし、地方に住んでいますが、地方の歯医者では頼りないと思って、わざわざ東京に出てきたのです。東京のデンティストは優秀だと聞きましたから」  婦人は大きな唇を忙しく動かして答えた。 「地方って、どちらですの?」 「R市です。そこにある工場の研究所で、夫は技師をしています」  有名工場の研究所は最も尖端的な電子科学を取扱い、多くのアメリカ人技術者が家族づれできていることは波津子も聞いていた。R市は東京から百キロも西のほうにある。 「いくら東京の歯医者でも、悪くない歯を癒すことはできない」  夫は、マスクから出た眼を苦笑させた。 「折角、ここに見えたんですもの、気のすむように何かちょっとしてあげたら?」  波津子は夫にいった。が、彼は困ったようにアメリカ婦人を見ていた。相手は何かいった。 「歯の治療の目的だけでわざわざ東京に出てきた、何日かかってもいいから十分に治療してほしい、とおっしゃってるわ」 「わざわざかね、へええ。しかし、べつに悪いとこがないんだからな。これで、おしゃれのために金歯にするとかいうのなら別だがね。が、外国婦人は金歯は好まないはずだがね」 「あなたは歯の一つに何か技巧的なものをなさりたいのですか?」  波津子は婦人に顔を戻した。彼女は当惑したように考えていたが、目立たないところにそうしてもらいたいといった。山根はほんの少しばかりゆるんでいるその歯の裏に補強を施そうといった。 「それにはどれくらい日数がかかりますか?」  赤毛の女はきいた。夫は五、六日も通ってもらえれば十分だといった。 「そのため多少その歯を削ったりしますが」  波津子は夫の言葉をとり次いだ。 「おお、そうしてください。どんなに長くかかってもかまいませんから」  さしせまった必要もないのにそうするのが、日本人の患者にくらべて理解できなかった。そういえば、たったの今まで訴えていた歯痛も忘れたように口にしないのも不得要領であった。 「それでは、いまからでもそれをはじめましょうか、とデンティストはいっていますけど」 「明日からではいけませんか。実は友だちの家を訪問する約束の時間がせまっているのです。明日からだったら指定の時間に参ります」  新しい患者はいった。 「いいでしょう。明日の今ごろおいでになって下さい。……お名前をお聞かせ願えますか?」 「ジーン・コンウェルですわ。一九××年生れです。現住所はR市ですが、東京ではキャピタル・ホテルに泊っています。やはり東京に用事があってきている主人の同僚の夫人といっしょに居ます」  波津子は診療簿に彼女の名前を記載し、ついで受診票に記入して新しい患者に渡した。 「このカードはこの歯科医に通っているという証明書ですか?」  コンウェル夫人は受診票を見つめながら波津子にきいた。 「まあ、そういったものです」 「ありがとう。大事にとっておきますわ」  彼女はハンドバッグに大切そうにそれをしまった。  むろん国民保険でなかったので、初診料は普通にもらった。彼女は一万円札を出してお釣りを取った。 「あなたの英語、とても素敵ですわ。イギリスかアメリカにいらしたことがありますの?」  ミセス・コンウェルは診療室の出口のところで波津子にいった。派手な服装《みなり》だった。 「いいえ。まだ外国に行ったことはございません」 「それにしては、ずいぶんお上手ですわ」  患者は、それこそお上手を云って、嬉々として出て行った。      3  翌日の午後一時、波津子はキャピタル・ホテルのロビーに這入《はい》って行った。観光会社の顔見知りの人と何年かぶりに会った。 「ブロートンさんは三十分前にこのホテルに入って、いま部屋で着更えの支度をしています。あと、五、六分もしたらここに降りてくると思います」  その間に、彼は波津子と打合せをした。ミセス・ブロートンの滞日期間は約三週間だが、最初の部分、つまり東京をざっと見て回ることと日光と京都行だけは先方で波津子を希望している。で、そのあとはこちらから適当な通訳と交替させるからということだった。ここで波津子は彼と通訳料その他、具体的な条件について簡単な約束をとり交した。それは物価のせいで金額が上っている以外、以前と同一条件だった。  遥か向うのエレベーターのある場所からひと群れの外人客にまじって、ブロンドの髪をし、ブルーのセーターに真赤なカーディガンを袖を通さずにかけた女が歩いてくるのが見えた。係の男は椅子から立上り、招くようにそっちに微笑を向けた。  マーベル・ブロートンは卵がたの顔に、先のちょっと上むいた鼻を持ち、口がひろく、顎が短かった。胴体もそれほど張っていなかったので、全体の印象はむしろ優雅に感じられた。ただ、眼のふちに小皺がかなりあった。波津子はいい印象を持った。 「ヘレンからあなたあての手紙をあずかって来ましたわ、ミセス・サクマ」  ミセス・ブロートンは波津子に封筒をさし出した。佐久間は波津子が前の夫と死別後に実家に戻ったときの姓である。ヘレン・リバースからの手紙には、その後の自分たちの消息を述べたあと、ミセス・ブロートンは近隣の人で、今度日本からホンコン、バンコック、シンガポールなど東南アジアをひとりで観光してまわるので、日本ではあなたがわたしたち夫婦に与えたと同じ親切と友情を以て彼女を助けてほしい、彼女の主人はお金持である、と簡略だが、行き届いた文章で認《したた》めてあった。 「ヘレンからあなたによろしくとのことでしたわ」  ミセス・ブロートンは横の椅子に腰を下ろし、乾いた声でいった。波津子は自分のいまの姓は山根だと訂正した。  波津子は、打解けるためにあらためてリバース夫妻の近況を彼女にきいた。夫妻はあれから三度もヨーロッパ旅行に出かけたこと、リバース氏の法律事務所が繁昌していること、長男が大学に入って父親のあとをつぐために法律を勉強していること、ヘレンが近所の娘たちにフランス料理を教えていることなど、紹介の手紙にはないことを話した。彼女はリバース夫人のことをヘレンと呼んで、その親交ぶりを強調しているようだった。  しかし、言葉と言葉の間は途切れ、抑揚がなかった。だが、まさに|イギリスの《ヽヽヽヽヽ》発音だった。  そこで、観光のスケジュールが組まれた。今日は疲れているので、明日は東京を見て回り、あさっては日光に一泊、次の日に東京に帰って泊り、一日置いた次から京都に行くことに決定した。観光会社の係の人はその打合せがすむと、英文の案内パンフレットを置いて忙しそうに帰って行った。  波津子はミセス・ブロートンをそれとなく観察した。両の耳に大粒の真珠がぶら下り、その首飾りは三連で、指には二カラットはある結婚指輪がはまっていた。金色の産毛のある手首には金《きん》の太い腕輪《ブレスレツト》が捲きついていた。カーディガンには唐草模様のようなものが賑やかに匍《は》い、赤いセーターの腕には金の孔雀が羽根をひろげ、その先には一つ一つ紅玉《ルビー》とヒスイとが嵌っていた。それはリバース夫人の紹介状にある彼女が金持の奥さんだということを納得させるに十分であった。きらきらした装いは、アメリカ婦人の一特性だから慣れてはいても、ミセス・ブロートンは、いいとこの家庭にしては、いくらか飾りの度合いが強いようだった。  だが、日本に着いたばかりで疲れているのか、それともそれが知性による性質なのか、彼女は思ったより言葉少なだった。美人とはいえないにしても、その上品な顔にはどことなく憂愁のかげがさしているように思われ、やや賑やかな服飾からうける印象とは離れた感じを波津子は本人からうけた。それというのが、昨日、不得要領な歯の治療をうけにきたミセス・コンウェルの顔がまったく典型的なアメリカ婦人の不器量をその部分部分に持っていたからで、つい、それと比較したからであろう。  明日を約束して波津子はホテルを出た。思ったより時間をとらなかったので、小旅行でもカーディガンぐらいは新しいのを着たいと思って杉田幸枝に電話した。杉田幸枝は同級生だが、いまだに独身で、京橋のほうで洋裁店を開いていた。デザイナーとしては一般的に名を知られていないが、いいセンスを持っていて、高級な客をひきつけていた。店では輸入の出来合い服や服飾品をならべていた。彼女は英文学のグループではなかったけれど、その噂は何かと連中の話題に上っていた。 「しばらくねえ、わたしもお会いしたいわ。ちょうど手が空《す》いているとこなの。すぐにいらして」  杉田幸枝は高い調子の声を電話で聞かせた。店に入ってゆくと、女店員がすぐに二階に知らせに上った。二階はオーダー服の客の休憩室や仮縫の室になっていた。そのつづきには幸枝の個室があった。店員が下りてきて、いま客の寸法をとっているが、すぐ済むから上ってくれと伝えた。波津子は、ちょうどよかったのでその間に下に陳列してあるカーディガンを択ぶことにした。あのアメリカ婦人といっしょにならぶことを考え、いつもよりは色の冴えたものを手にとった。あまり地味なものだと人目に自分が貧弱に映りそうであった。  十五分ばかりすると、客を送って階段を降りてくる杉田幸枝の黒っぽい服が見えた。先頭の客というのが茶色の髪を緑色のコートの肩に垂らした、背の高い、痩せた中年の外国婦人だった。広い額に、顴骨《かんこつ》が出て、眼が落ちくぼみ、眼玉ばかりぎょろぎょろしていた。皺がその顔をよけいに乾からびさせてみえた。が、コートの割れた前から出ているのは煉瓦色のワンピースで、裾は太腿のところまで切り上げたミニだった。  その女の姿が店の前から通りに消えたあと、杉田幸枝は波津子のそばにきた。 「これ、派手かしら」  波津子はデザイナーに択び出したカーディガンを見せた。 「決して派手じゃないわ。あなたによくうつるわよ」 「そうかしら」 「いったい、あなたの好みは地味すぎるわ。いまのアメリカ人の奥さん、三十九歳ですってよ。あの真似をしなくちゃア」  そのアメリカ婦人のお供でこの新しいカーディガンを購入することになったとは波津子は云わなかった。二階に上って休憩室のソファにならんでかけた。女店員がコーヒーを持ってきた。 「さっきのお客さんね、ご主人と地方に住んでいるんだけど、服がつくりたくて東京にそのために出て来たんですって。服を二着注文したから仮縫まで十日間、出来上りがまた一週間くらいだから二十日間近く、地方と東京とを行ったり来たりできてうれしいと云ってたわ。東京に出てきたときは、二晩ずつホテルに泊るんですって」  杉田幸枝は細巻の煙草をふかしていった。 「地方ってどこなの?」 「R市。ご主人はエンジニアですって」  波津子は、うっかり夫の患者のことを口走るところだった。それが舌の奥で消えたのは医師の妻の意識からである。 「友だちの奥さんといっしょに出て来ているというんだけど、何もない田舎に引込んで居たんじゃ、退屈でやり切れないでしょうね。だから用事をつくって、いそいそと東京に出てくるんじゃない? そういつもお互いの家に呼んだり呼ばれたりするパーティも種切れでしょうし、ポーカーだっていい加減飽き飽きしてくるわよ。考えてみると気の毒ね。ご主人はいい給料をとっているかもしれないけど」  幸枝は笑った。 「それでご夫婦の倦怠期が乗り切られたらいいわ」 「あら、なんだか実感のこもっていそうな言葉ね。あなたのところはどうなの?」  幸枝が波津子の顔をのぞいた。 「わたしのとこははじめから水みたいに淡々としたものよ。倦怠期っていうのは激烈な愛情のあとにくるものじゃないかしら、そういうの、はじめからないんだから」  死んだ夫が生きていたら、そうした倦怠期を迎えていただろうかと波津子はふと遠くをふり返る心地になった。 「でも、そういう間柄もまたいいわ」  と、幸枝は云った。彼女は波津子の亡夫のことも再婚の経緯も知っていた。それで多分、後妻の立場に遠慮して云ったのかと波津子は思った。  杉田幸枝のことが旧友の間に話題になるのは、彼女の奔放とも見える性格からだった。ずっと独身をつづけてきている彼女には一種の男性遍歴といった噂が絶えなかった。この店にもそうした特殊な庇護者がいるという人がある。どこまで本当だか分らないが、結婚の意志のない彼女の生き方からするとある程度うなずけた。すると、淡泊な夫婦の間を波津子から聞いてさりげなく洩らした幸枝の妙に述懐的な口吻《くちぶり》は、彼女の経た激しい恋愛のあとの度々の苦悩が吐かせたのであろうか。波津子はそんなふうにも感じたのだが、次の幸枝の言葉はそれを裏切っていた。 「あなたの生き方はそれでいいと思うの。あなたらしいわ。でも、わたしはあなたのようにはできないわ。結婚とは一生縁がなさそうよ。もう決して若くないから、この辺が年貢の納めどきと思って身を固めようと思うこともあるけど、こうなっては走り出した車みたいに停ることができないわ。そら、じっと静止してゆっくり日射しを愉しんでいるほかの車を見たら、わたしもああいうふうに落ちつきたい、好きこのんで悪路を一生懸命、走ることはないと思うけれどね、もう出来ないの。ちょうど、あなたがわたしの真似ができないように」 「でも、あなたにはその悪路が生甲斐があるからいいじゃないの。エンコしている車は埃をかぶってゆくだけで、新しい景色は見ようにも見られないわ」  波津子は答えた。      4  夕食のとき、波津子は夫にきいた。 「昨日のアメリカ婦人の患者は今日来ましたか?」 「ああ、来た、来た。どうしようもないから、ちょっと歯をいじって帰ってもらったよ。のん気なんだな、何日かかってもいいというんだから」  晩酌で顔をうす赤くしている山根は云った。 「あの女、友だちと東京に来ていると云ってたね、その人もいっしょに付き合ってるのかな?」  波津子は、杉田幸枝の客のことを云いかかったが、ここでも言葉を呑んだ。あの二人はいっしょかもしれない。いっしょでないかもしれない。 「地方だと、いろいろ品物が揃わないんじゃないかしら。それに東京の都会的な空気にふれてみたいのよ」  波津子としてはいつになく話すほうだったから、山根の機嫌はよかった。 「その気持は分るね。つまりハネを伸ばしにやってきたんだろう。それにしても旅費を使い、一流のホテルに何日も泊らせて歯の治療に出すアメリカの亭主はさすが女房大事だね。よっぽど高給をとってるんだろうな」 「奥さんがハネを伸ばすといっても知れたものよ。男性と違って、そのお友だちと買物したり、映画を見たり、うまいものを食べ歩いたり、そんなことだわ」 「女の子の年とったやつだな。君の今度のお客さんもそのもう一つ輪をかけたほうだろう。今日、はじめて遇った印象はどうだった?」 「どうということはないわ」  波津子はマーベル・ブロートンの卵型の愁いをふくんだ優雅な顔を眼に泛べた。金持の奥さんということだが、これまで接した成金のおかみさん連中とは違うようである。リバース夫人の親友らしいから、同程度の教養と謙抑とを持っていると思われた。正しいイギリス語に近かったが、それが言葉少なだったことに好感がもたれた。案内はきっとうまくいくにちがいない。先方も女のひとり旅だから、リバース夫妻の場合よりも、もっと友だちになれそうだった。そうしたら、いろいろと打ちあけた話もしてくれるであろう。あのそこはかとない寂しい表情が彼女の生来のものなのか、それとも後天的な要素によるものなのか、そのへんの理由も知れそうだった。波津子はそれに妙に関心があった。  翌日、波津子は午前十時にはキャピタル・ホテルのロビーの椅子にかけていた。ミセス・ブロートンは約束より三十分も遅れて、疲れの癒えないような顔で降りてきた。彼女はちょっと波津子に微笑を見せただけで、快活に話しかけることはなかった。が、支度のほうはやはり派手だった。  東京の遊覧は普通のコースからはじまった。皇居、明治神宮、浅草、銀座などだった。ミセス・ブロートンは江戸城と神社には思ったほど興味を示さなかった。波津子が説明していても、何かうっとりとほかのことを考えているようで、途中で、ときどき、はっとして話を聞くような具合だった。質問もあまりしなかった。波津子は、この程度ではまだ日本の伝統美が十分でないので、彼女が強い興味を起さないのだと思った。浅草の仲見世では、彼女は少しばかり、きょろきょろしたが、これはたいていの外人客がよろこぶ場所である。  午過ぎには、目白台にあるC荘に寄って、芝生と木立の庭の見えるところでテーブルをとった。丘の上には桜が雪のようにひろがり、赤い幔幕《まんまく》が引きまわされてあった。昼食はサンドウィッチと紅茶だったが、払いは波津子がした。彼女にしてみればこれから三泊四日の旅の懇親を深めたい意味もあった。それに対して客は大して礼を云わなかった。  その簡単な食事が済んで、庭園の路をひろった。丘の起伏にしたがって上下する径《みち》は人ひとりが歩ける程度で、向うからくる人とすれ違うとき身体を斜めにしなければならなかった。アメリカ人も少なくなかった。ミセス・ブロートンはそれらの人々を気づかれないように見ていた。やはり最初の異国で見かける同国人がなつかしいのであろう。彼らは夫婦者や同伴者が多かった。竹藪のある古い池も、五重塔のミニチュアも彼女にまだ本格的な興味を起させなかった。  客があまりしゃべらないので、波津子は彼女の内容がまだつかめなかった。主人がどのような事業をしているのか、家庭はどうなのか、そして彼女自身の趣味や嗜好はどうなのかさっぱり分らなかった。アメリカ婦人でもこのひとは内気な日本人に似ているところがあるのかもしれなかった。それとも、はじめての女の東洋の旅で用心深くなっているともとれた。波津子は、リバース夫妻との交際から聞いて彼女のことを知ろうとしたが、ほとんど無駄だった。彼女はそれほどリバース夫妻とは付合いが深くないようで、夫妻について話すことといえば通りいっぺんのものしかなかった。察するところ、近所づきあい程度を越えてないらしく、彼女が日本にくるというのでリバース夫人が紹介状を書いたといういきさつのようであった。  波津子がミセス・ブロートンから聞き出したのは、彼女に男女二人の子があること、主人の事業が食品の加工関係ということだけだった。食品加工といえばボストンの肉類と魚類のかん詰工業は知られている。そのどっちかであろう。金持として環境のいいところに自宅があるのは法律家のリバース夫妻の近所にいることでたしかである。主人は忙しくて来られなかったということだった。  波津子は、それとなく彼女の読書の傾向をたずねたが、これも殆ど答えが返ってこなかった。あまり立入るのも不躾なので、それ以上は控えたが、何となく扱いにくい客だとはだんだん分ってきた。しかし、それも、これから四日間の旅で気持もほぐれ、次第に理解できてくるだろうと思った。  波津子は彼女をホテルの前まで送り、夕食はせずに帰った。疲れていた。 「だいぶん、くたびれているようだな。そんなに気苦労なら、やめたらどうだね?」  夫は波津子の顔を見ていった。 「何年ぶりかにやったからです。ひきうけた以上はこのお客だけはやらないと」 「それは、放り出すわけにはゆかないだろうけどさ。相手は気むずかしい人かね?」 「そうでもありません。旅馴れない方でしょう」 「いくつぐらいの婦人かね?」 「三十二とかいうことだったけど」  外人のガイドは山根と結婚して初めてだったので、彼はいろいろと彼女の経験を聞きたがったが、波津子は煩わしいのであまり答えなかった。  そうした妻の態度には夫も馴れているので、気にもしなかった。かえって彼から快活に云い出した。 「今日も、あのアメリカ人の奥さんが来たよ。今夜もう一晩こっちのホテルに泊って明朝R市に帰り、四、五日してまた来るといっていたがいかにもうれしそうだったな。言葉はよく判らないが、看護婦にも愛嬌をふりまいてね。治療はできるだけ長くかけていいというんだ。あんなの治療のうちに入らないから、田舎の歯医者だって笑ってやるはずだよ」  ミセス・ブロートンが少しでもそんなふうに楽天的な女だったら、ほんとに助かるのだが、彼女はどうやら、良いとこの奥さんぶっているのかもしれない。憂愁の面ざしと見えたのは、もしかすると気取りのための錯覚かも分らなかった。高級住宅地の広い家に住み、夫に食品加工会社の社長を持ち、旧い英国の慣習を残す社交界に出入りしているブロートン夫人が、気まぐれな東洋観光のひとり旅に出たとすれば、ある程度の気取りは我慢しなければならないかとも思った。  波津子はこれまでのガイドの経験で、庶民的で饒舌なアメリカ婦人の客を受けもつ一方、数は少ないが、いささか気どっている客を知らないではなかった。むろん、そういう客はこっちの感情さえ殺してしまえば扱いやすくもあるのだが、やはり苦手ではあった。そのなかでも、今度のミセス・ブロートンはかなりの難物に思えた。しかし、まず明日、日光に行って見なければ、それは分らなかった。      5  下今市《しもいまいち》までのロマンス・カーの二時間は波津子にとって気詰りだった。窓ぎわの席のミセス・ブロートンはときどき単調な平野の流れに眼を遣るだけで、退屈そうにしていた。本を開くでもなく、話しかけるでもなく、短い顎を衿もとに沈ませて鬱々とした眼つきでいた。波津子は一度、田園に現われてくる農家を指して日本の農業生活を説明しかけた。前に農家の生活の話(それはいささか民俗学的な解説になり過ぎたが)をひどく喜んでくれたアメリカ人を思い出し、またこの女客の主人の事業が果実にも関係があるかもしれないということから、サービスのつもりで説明しはじめたのだが、ミセス・ブロートンはちらりと視線を農家に投げただけでそれ以上の興味を示さなかった。  これで彼女が本か雑誌をとり出して読み出せば、波津子も持参の書籍を開くのだが、一向にその気配もないので勝手なこともできなかった。アメリカ婦人のなかには、こういう列車の中では陽気なおしゃべりをつづけ、近所近辺の井戸端会議的な噂はもとよりのこと、そんなことを話してもいいのかと思われるくらい自分の家庭内のプライバシーをあけすけに云うのが多い。そういう客にも当惑するが、いま横にいるボストンからの女客のように寡黙を旨とするのも困りものだった。  これでもし、客が本を読み出せば、その本の題名や著者から彼女の趣味の傾向とか教養の程度に察しがつき、また、それから話題の見つけようもあるが、何も材料《データ》を示さないので見当がつかなかった。ミセス・ブロートンは睡るがごとく瞑想するがごとく頭を座席の背に投げかけ、ときどき小さなあくびをした。もっとも、あたたかい陽気である。客の気持を邪魔しては悪いので、波津子も黙って、なるべくほかのことを考えるようにした。農村の防風林の間には満開の桜があった。  日光で指定のホテルに車を着けたのが三時ごろだった。ここでは波津子にとって思わぬ障害が待っていた。フロントでは、あいにくと部屋がいっぱいなのでガイドの方はよその旅館を紹介するからそちらに移ってほしい、といった。折から外人客のラッシュだというのである。  観光業者のほうでは、客とガイドとは同じホテルに部屋を予約してあるのだが、それは約束だけで厳重な確認《コンフアーム》までとっていないのが普通である。ホテル側では、通常値段の半分以下の宿泊料しかとれないガイドに部屋を奪われるよりも一人でも外人客をとりたい。それはよくあることで、ホテルにかけ合っても無駄なのだが、波津子には初めての経験だった。 「残念ですが、私のホテルはこことは違うことになりました。もし、私に御用があったらフロントにそういって下さい、その連絡で私はいつでもあなたの部屋に伺います」 「なぜ?」  ミセス・ブロートンは怪訝《けげん》そうに訊いた。 「ホテルの事情でそうなりました」  客はその事情というのに察しがついたらしく、べつだん心細がる様子でもなく、また波津子にでもなく、むしろ主人と従者との区別は当然だというように短い顎をうなずかせた。 「まだ、そのへんを見て回る時間はあります。これからどうなさいますか?」  客は壁時計に眼をやって、 「まもなく四時だから、わたしはこのまま部屋にひっこむわ。明日は十時にロビーに来てちょうだい」  と命令して、小さなスーツケースを渡した案内のボーイのあとにさっさとついて行った。いったいに外国客は四時をすぎると見物をやめてしまうものだが。  波津子はホテルからあまり遠くない小さな旅館に入ったが、苦手な客から解放されたものの、多少ともみじめな気持はぬぐえなかった。こんなことなら臨時のガイドなんかするのではなかったと後悔し、風変りな婦人を紹介してくれたリバース夫妻を恨む気持になった。  しかし、反面ではあるいはこれは誤解かもしれない。あの理知的な夫妻がつき合っているのだ、そう変な女性であるわけはない、ミセス・ブロートンは少しばかりとっつきが悪いだけで、実際は教養のあるひとだが、はじめての日本のひとり旅にちょっと神経質《センシテイブ》になっているのであろうと解釈した。なんといっても彼女に会っているのは昨日の数時間と今日の三時間だけである、ほんとうのところはよく分らないのだ。明日の本格的な観光コースから先方の緊張した気分もゆるみ、打ちとけてくれるにちがいないと思った。──波津子はその晩、入れられた小部屋もさることながら、近くでする男客たちの騒ぎに怯えて容易に寝つかれなかった。ホテルからの連絡電話はなかった。  朝、十時近くになるのを待ちかねて波津子がホテルに行くと、ミセス・ブロートンはまたもや三十分おくれてロビーに降りてきた。大きな口にはっきりした微笑があったので昨日より少し機嫌がいいようだった。波津子のほうが寝不足で、頭がぼんやりしていた。  貸切の車をたのんで最初に東照宮に行った。シーズンなのでどこも混み合っていた。外国人も多く、はっきりそれと分る日本婦人のガイドに付添われている組もたくさんあった。ミセス・ブロートンはここでもときどき、その人たちに視線を向けていた。  陽明門までの参道を歩く途中、波津子は彼女に東照宮の説明、簡単な概念を与えるために先ず云いはじめた。杉林の間に隠顕する朱塗りの付属建物ははじめてミセス・ブロートンの興味を惹き、おとなしく波津子の説明を聞いていた。  陽明門の石段までくると、彼女は眼を輝かして金色に青丹《あおに》の極彩色を見上げ、 「ワンダフル!」  と小さく叫んだ。観光客としてのはじめての純真な反応に波津子は、ほっとしたが、それ以上の観察的な感想は彼女の口からは聞かれなかった。  それは楼門をくぐって拝殿を見せても、朱塗りの廊下から屋根の廂の下に対極線で入ってくる楼門と廻廊の構図を眺めても、または花卉《かき》と瑞鳥を散らした格天井《ごうてんじよう》を見あげても同じで、「ワンダフル」の感歎詞だけだった。大きな眼だけがもの珍しそうに動いていた。  こんなとき、波津子は、はてなと思った。リバース夫妻はアメリカ人一般の感歎詞は口にしなかった。夫妻はチャーミングとか absolutely marvelous とか divine とか英国人ふうに云って、ワンダフルとはあまりいわなかった。そして観賞するにしても、どの点がすぐれているとか、美しいとかいっていた。決して漠然としたことは云わなかった。観察が細部にわたっていた。したがって遠慮勝ちだが、批判が伴っていた。そこに波津子はアメリカでも特殊なボストン市の、家系のいい、知識階級の夫妻を見る思いがしたものだった。  ところが、ミセス・ブロートンは中禅寺湖に向う羊腸たるドライブウエイからの展望も、光る湖畔の佇みも、水煙立つ華厳の滝も、やはり前と変りがなく、咏歎はワンダフルだけだった。 ≪教養ある婦人がものごとを観察する場合、彼女らの言葉は概して対象に分析的であり、過去の経験と比較的であり、具体的であり、かつ客観的である。これに反し、教養の豊かならざる婦人が観賞に際して発する言葉は、概して主情的であり、抽象的であり、単純であり、かつ感情過多である。これは表現能力の問題にもかかわっていて……≫  波津子は比較言語学の一ページの文句を思い出した。シュライヒャーの著書だったかどうか忘れたが、とにかく、女性の感情表現の個所だったように思う。  ミセス・ブロートンの、日本人ガイドに距離を置いたような態度の裏に、この文章の後半の数行があてはまるかどうかにはまだ多少の躊躇を要するだろう。が、日光を回ったら彼女の寡黙という殻の一部が破れて実際の性格や感情がのぞき出ると思っていた波津子は、その限りでは期待の一つが果されたといえた。同じ地区に住み、交際はあっても、ミセス・ブロートンはリバース夫妻とは異なった位置にいるようであった。そう思うと、憂愁を刷《は》いたその表情からもそれは当人の寡黙に負うところが大きかったが、知性が次第に失われて映ってくるのだった。  小さなトラブルが最後に起った。  ホテルに戻って夕食をしたが、波津子はガイドとして、協会とホテル業者側できめられた定食をとった。特別割引で四百円ばかりのものだったが、ミセス・ブロートンはもちろん千五百円くらいのフルコースをとった。彼女は例の眼つきでちらちらと波津子の貧弱な皿を見ていた。もし、彼女があなたの皿には、わたしのようにエビのフライがないとか、虹マスのコキールが載っていないとか云うのだったら、わたしはお魚類が嫌いですから、と答えるつもりでいた。それは過去の経験にあった。察しのよい客は、それでもわたしと同じ料理をとってくれ、ご馳走するからといって愉しげに会話をつづけるのだが、ミセス・ブロートンは目の前にならんだ差別にはまったく無関心を装っていた。いや、その差別が当然のような顔つきですらあった。のみならず、彼女は途中で自分だけのジンフィズを注文した。波津子はアメリカ人の合理性には慣れていたが、この女客は少しばかり神経に障った。  その小さなトラブルは食堂の客が多すぎたことに原因した。上野行電車の発車時間が迫っているのにデザートがなかなか運ばれてこなかった。ジンフィズもあらわれなかった。いったい時間が少ないからそんな酒の注文など途中からするのは止したほうがいいと波津子は忠告しようと思ったが、なにせ相手ひとりが飲むのだからとめることもできなかったのである。で、結局、デザートのフルーツと紅茶もジンフィズもこないうちに席を起たなければならない仕儀となった。会計係は当然のことにミセス・ブロートンに右の代金を含んだ額を請求した。 「わたしは食べてないものを払うことはできない。時間に間に合わせなかった責任はホテルにある」  彼女は拒絶した。会計係と彼女との間に押問答がくりひろげられたが、彼女は頑強だった。三百二十円よけいに払うかどうかの話だった。  会計係は波津子に、何とかして下さい、と苦情の鉾先《ほこさき》を向けた。これ以上、紛争がつづくと座席を予約してある電車に乗り遅れそうなので、波津子は金を払った。 「あなたはあんな金を出す必要はなかったのです」  電車が動き出してから、それまで自動車の中でも何やら不機嫌な様子で気がかりげにしていた女客が波津子に云った。 「あなたのおっしゃる通りかも分りません、ミセス・ブロートン。でも、あの場合、この電車に間に合いそうにないので仕方がなかったのです」  波津子は微笑をこめて答えた。 「あなたはわたしのために損をなさったわね。わたしはあなたにその損を補償しなければならないの?」 「そんなお気づかいは要《い》りません。わずかなお金ですし、わたしが自分の自由意志でしたことですから」  ミセス・ブロートンは黙って窓外に眼を投げた。それを当然のこととする顔つきだった。わずか三百二十円の話だが。……      6  波津子は、自分はいいガイドでないのではないかと反省した。これが職業的なガイドだったら、もっと上手にむずかしい女客を扱い、その気持を解きほぐして、うまくもってゆくにちがいない。つまり職業意識と技術に徹して難物を片づけると思われる。経験に照らして客の形態を弁別して、その分類にしたがって処理法のカードがとり出せるだろう。  しかし、波津子にはそこまでの能力がなかった。あるのは善意だけであった。言葉で外国女性の資性と友情に接し、知識を深めようとしているのだ。それが家庭生活の虚しさを充足させてくれる外の空気であった。が、その相手がたまたま手にあまる人間だと、かえって苦しみ疲れる。困憊《こんぱい》だけでなく、対立する相手に神経が苛立ち、心が傷つく。それは職業的に虚心になり切れないところから生じる災難だった。しかし、それには自分のひとり合点や、思い過しや、深読みがあるし、被害妄想的なところもあるだろう。人間性や性格の相違はいたしかたがないが、熟知によらない相互誤解からくる感情のさざなみはできるだけこれをとりしずめなければならぬ。そして抑制しなければならないのはこちら側だった。先方は大切な客であり、こちらは通訳兼ガイドだった。その任務にある限り、附添人なのだ。たとえ、リバース夫妻の紹介とはいえ、ミセス・ブロートンは波津子の友人ではなかった。  迎えた客が少しばかり風変りであろうと、ボストン市周辺の良家の夫人を気取ろうと、そして、その下から知性の破綻がのぞこうと、こちらは神経を尖らせることはないのである。現在は与えられた職分、つまり自己をむなしくして、いいガイドを心がけねばならないのである。もし、こちらの不愉快な感情が表情や言葉の調子のどこかに出ると、それは忽ち相手に感応し、それがまたこっちにはねかえってくるといった相互反応の悪化ともなりかねなかった。  ──翌々日の京都行の列車の中では、波津子はそうした努力にもかかわらず、ミセス・ブロートンとの間に急にどのような感情の翳《かげ》りがさすかとひやひやしながら席を隣合わせた。  新幹線の超特急は客がいっぱいで、この一等車も空席がなく、その三分の一も観光の外人客で占められていた。男女組もいるし、女だけの組もいた。  たったひとりのミセス・ブロートンは寂しそうにしていた。が、やがて気がかりに前方のアメリカ人のグループに視線を放ちはじめた。そこには三人組の中年女が、それも五十に近い女たちがいて、横には明らかに職業的な婦人ガイドがいた。彼女は二十七、八歳くらいで、車窓に向ってしきりと説明していた。女客は三人ともおとなしく顔を外に向けて聞いていた。  波津子はガイドと同車するのは、しかも専門のガイドさんと乗り合わせるのは気詰りだが仕方がなかった。で、こちらも先方に倣《なら》い、ミセス・ブロートンに、ちょうど横浜を通過するところだったので、その説明にとりかかった。しかし、彼女は相変らず聞いているのかいないのか分らず、受け答えもせず、ときどきお義理に景色に眼を向けるだけだった。が、視線を前方のグループに走らせるときだけは、その青い瞳に熱が入った。  それでも四十分は座席で落ちつかなげに坐っていたが、どうにも辛抱できないように腰をあげた。ミセス・ブロートンは通路に出ると、揺れる車内に脚で重心をとりながら前方へ歩いた。はじめトイレにでも行くのかと思ったが、そうではなく、彼女は中年女三人組の席に立ち停ると、にこやかな横顔をみせてその一人に何か話しかけた。  女三人は前の座席に二人がこっちむきにならび、手前に一人がガイドと坐っていたが、一斉に彼女に顔を仰向けて、囀《さえず》りはじめた。ミセス・ブロートンの横顔に活気がうまれ、唇の動かし方も忙しかった。ここからは遠いので、話の内容は分らなかった。  話はすぐに済むかと思われたが、とうとう横のガイドが立上って席をミセス・ブロートンに譲るほど終るところを知らなかった。  席を失ったガイドは波津子のところに逆に歩いてきた。互いに挨拶を交した。 「そこ、ちょっと拝借してよろしいでしょうか?」 「どうぞ」  と波津子は云ったが、ちらりとミセス・ブロートンの金髪の後頭を見た。 「あれじゃ、ちょっと済みそうもない長話になりそうですわ」  ベージュのスーツを着たガイドは歯の間に舌の先をのぞかせて空いた席に坐った。 「あなたのお客さまはどちらから見えたんですの?」  ガイドが訊いた。 「ボストンからです」 「そう。わたくしのほうはサンフランシスコからですの」  ボストンのミセス・ブロートンが西部の主婦たちと話がはずんでも、波津子にはもうそれほど不自然には感じられなくなっていた。それどころか、彼女が静かな沈黙を破って、おかみさん連中と口角泡をとばすといったぐあいにしゃべるのをほほえましい眼で見ていた。波津子がこれまで感じていたミセス・ブロートンとの隔たりは縮まりつつあった。彼女に対する観察の焦点も違ってきていた。  波津子は専門ガイド嬢と当りさわりのない雑談を交した。話し方からしても相手はその職業の経験が長いようだった。しかし、お互いに穿鑿《せんさく》は避けていた。  そのうち、向うのアメリカ婦人たちは、話の途中にこっちに一瞥を投げかけるようになった。 「わたしたちの棚下《たなお》ろしをしているようです」  ベテランのガイドは笑いながらいった。 「何ですの?」 「隣の芝生はより美しく見えるというじゃありませんか」  客どうしでお互いのガイドの批評をしているらしかった。ミセス・ブロートンが自分のガイドのことをよく云うはずはなかった。不親切で、愛嬌がなくて、気が利かなくて、高慢である。客からみた自分が波津子に反映した。ミセス・ブロートンが旅先の同国人に自分についたガイドを話し、先方は先方で、自分たちのガイドを自慢し、そんな女だったら観光会社に云って交替させたらどうかと親切ごかしに、実は興味たっぷりにすすめている会話が聞えそうだった。 「とにかくああいう人たちはよく情報を交換しますわね。わたしたちは馴れていますから平気ですけど」  ベテランは波津子の気持を推し測って、慰めるように云った。  しばらくすると、新しい局面が展開された。通路を隔てて反対の席に坐っていた外人の男が起ち上り、婦人たちの席に近づいて話しはじめたのである。  男はあきらかにアメリカ人だった。二十六、七歳くらいで、背が高く、薄茶色の髪を持った面長の顔で、そのブルーのスーツがよく似合った。彼はつつしみ深く、婦人たちと言葉を交していた。通路に立ち、座席の背のふちに軽く手を置いて身体を支えている青年に、婦人たちは顔を仰向け、いずれも眼を輝かし、こぼれるような微笑をむけて話にうなずいたり、短い質問を発したりしていた。自分の椅子のうしろに青年の手を置かれたミセス・ブロートンの横顔はこちらからはよく見えなかった。 「あの人は日本の旅行の事情など話してあげているようですわ」  ベテランのガイドが波津子にささやいてつづけた。 「……あの青年はきっと日本に相当長く居る人でしょうね。ほら、知ったかぶりして何か説明してるでしょう。よけいなことを吹込まれてると、あとがやりにくくて困るわ。それに、あの青年、ちょっとハンサムでしょ、おかみさん連中、いい気分になってますわね」  ミセス・ブロートンが青年と話をはじめたことは、彼の顔が真下に向いたことで分った。ボストンの女は、すっかりその座席に落ちついてしまったようだった。      7  京都の指定ホテルに行く途中、車のなかでのミセス・ブロートンの機嫌はかなりよくなっていた。波津子は、いまにもガイドの解任を云い渡されるかと思っていたが、今度は逆に彼女のほうから言葉をかけてきた。五重の塔を見て問い、橋の上を歩く着物姿の女性について訊き、瓦屋根の町なみを眺めては質問した。珍しいことだった。もっとも、それについて波津子が説明しかけても、上《うわ》の空で聞いていることに変りはなかったが。今度は前のようにもの想いに耽って耳に入らぬのではなく、ほかのことに気をとられて注意が散漫になっているようだった。  波津子は女客の変化について列車中の薄茶色の髪の青年に結びつけるのをはしたない想像とは思っても、あの青年の影響を推測しないわけにはゆかなかった。横のミセス・ブロートンの瞳はもはや沈んでなく、何か陶酔した色が揺曳していた。  ホテルでは、波津子の部屋が彼女の隣室に確保されてあった。五階の北側に近いところで、前面には広い道路に沿ってゆるやかな丘陵の裾と茂った木立とがあり、寺の大きな屋根が間にのぞいていた。 「平安|神宮《シユライン》の庭園を見たいから、今から案内して下さい」  ミセス・ブロートンはボーイに手荷物を部屋に入れさせるなり波津子にいった。はじめから積極的であった。波津子は彼女がその神社の名をすぐに口にしたことから、列車の青年に教えられたのだと知った。ベテランのガイドの、日本にいる青年が余計な知恵をつけなければいいが、という懸念は当っていた。もっとも、平安神宮はスケジュールの中にすでに入っていたのでそれほどの支障にはならなかった。  それよりも、午後二時近くなのにホテルで昼食もとらず、お茶いっぱい飲まないでとび出そうというミセス・ブロートンの性急さにはおどろいた。波津子は今朝早く起きたのでお腹が空いていた。が、不平をいうわけにはゆかなかった。  ホテルと平安神宮とは車で五、六分くらいで、赤い大鳥居は外人向きだった。朱塗りの神門の前で波津子は「この門は九世紀ごろにあった応天門という皇居の門の模型で……」と云いかけ、大極殿の前では「この建物はそのころの帝《みかど》が国家の大礼を行なった宮殿を摸し、原形の八分の五に縮めて……」と云いかけたが、ミセス・ブロートンはいずれも半分も聞いてはいず、心はそぞろにほかの場所に行くのに急いでいるようであった。  こうした経験も過去に波津子にないではなかった。一つのことを説明していると、外人客は急に他に眼を転じ、説明の終らないうちに新しい、まったく関連のない質問をする。かくて質問は転々として即興的に移り飛び、遂に案内者を沈黙させてしまうのである。これらの気まぐれな客を知性のある人物と評価することはできなかった。シュライヒャーの比較言語学を持出すまでもなく、それは単なる感情の奔出でしかなかった。  しかし、ミセス・ブロートンのいまの様子はそれとも違っていた。彼女の表情は心ここにあらずといったふうに建物の背後の庭園に気持がむかっているのがありありと分った。  庭園に入ると、女客は眼を大きく見開き、満足の溜息を洩らした。新緑は燃え、満開のシダレ桜が嫋々《じようじよう》と枝を垂らしていた。彼女は、ワンダフル、と大きな口で云った。波津子は、この感歎詞を気にしないように努めた。  人々は多かった。修学旅行の学生団体も少なくなかった。一万坪の回遊式日本庭園も、径《こみち》のいたるところが群衆の歩きで埋まっていた。  ミセス・ブロートンは眼をきょろきょろさせていた。まるで美しい景色の探しものをしているみたいだった。これまでそれほどの興味を示さなかった彼女も、ここに来てはじめて強烈な感動をおぼえたようだった。波津子は案内者として生甲斐をおぼえ、もっと彼女をよろこばせたくなった。心に抱いていた違和感も融けかかっていた。  二つの池に挟まれた道にきた。 「ミセス・ブロートン、こちらの池は白虎《ホワイト・タイガー》の名で呼ばれ……」  突然、ミセス・ブロートンは反対側の蒼竜の池のそばにある松のかたに眼を走らせ、急いでそっちに足を動かした。  松の枝の下には、長身を少しかがめるようにして、薄茶色の髪のアメリカ青年がひとりで立っていた。列車の中で見たブルーの上衣《スーツ》に淡いグレーのズボンの色が陽光に冴えていた。近づいた青年の微笑の顔も明暗がはっきりしていた。  この再会に、ミセス・ブロートンの顔はよろこびに満ち、青年の顔に仰向いて何かと語りかけていた。彼のほうはニコニコしていた。  波津子は、人の歩きに肩をこづかれながら遠慮してこちら側に立っていた。青年が波津子のほうにちょっと眼をむけ、すぐにミセス・ブロートンに何かいった。打合せが行なわれているようだった。  とうとう女客がこっちに歩いてきた。卵型の顔には上機嫌な昂奮が出ていた。 「ミセス・ヤマネ、今日のところは、わたし、あの方に案内していただくことになったから、あなたはいいわ。ホテルに帰って食事をするなり、買物をするなり、ご自由になさって結構よ」  彼女は上品なイギリス語で波津子に通告した。 「そうですか。では、わたくしはホテルにいてあなたのお帰りをお待ちしていればよろしいのですか?」 「待たなくてもいいのよ。これからあなたには用事がなさそうだから。……あの方は、日本に何年間かいて、ケウト(京都)のことも詳しいそうだから。アメリカ人に向くレストランをよくご存知ですって」 「では、お先に失礼します」  波津子はそういったが、あわてて訊いた。 「明日はどうなさいますか? 見物のことなんですけど」 「もちろん、あなたにお願いしてよ。……そうね、明日午前十一時にロビーで待っていてくださいね」  松のところから青年が波津子に会釈を送ってきた。  波津子はホテルに帰って遅い昼食をとった。日本観光通訳協会協定の割引き定食であった。  ミセス・ブロートンは、あの青年と偶然に平安神宮の庭園で遇ったのだろうか。波津子はフォークを動かしながら考えた。ミセス・ブロートンがこのホテルに着くや否や茶も飲まず、昼食もたべずに(彼女は決して少食のほうではなかった)まっすぐに平安神宮に向ったことといい、朱塗りの古典的な建物には気もそぞろに背面の庭園に急いだことといい、庭では何か探している眼つきだったが、池の傍で青年を見つけたときの素早い行動といい、あれは決して予期しない再会とは思えなかった。あそこで落合う約束は、すでに列車の中でこっそりと成立していたのではあるまいか。  現在、どこかを歩いている二人の姿が波津子の眼の前に浮んできた。ミセス・ブロートンは年下の青年のブルーの袖に手をあずけ、はずんだ足どりで異国の街を歩き回っているかもしれなかった。今度は彼の説明に一心に耳を傾けるだろう、愉しげに風景を見て、いろいろと質問を発しているであろう。ほほ笑《え》み、言葉多く。──  波津子は、自分の客の沈鬱な様子の原因が少し判ったような気がした。彼女はひとりで日本にきて孤独をおぼえていたのだ。初めての旅の不安と、警戒にわが心を鎖《とざ》し、表情を硬化させていたのである。アメリカ人で、きれいなイギリス語の発音をするのに、その言葉を駆使しようともせず、絶えず引込み思案でいたのだ。そこに、あの同国人の青年があらわれ、彼女に助力を申入れた。若くて、ハンサムである。ミセス・ブロートンの心が開き、うっとりとした雰囲気に浸る気分になったのだろう。  青年をホテルに訪ねてこさせなかったのは、ミセス・ブロートンの良識であると波津子は考えた。ホテルに彼を訪問させるほど彼とは熟知の間柄ではもちろんない。こっちに来るときの列車の中で、それこそ偶然に知合っただけで、いわば行きずりの相手なのだ。英国の旧い習慣の残っている環境で生活している彼女が、そんなけじめのない振舞をするはずはなかった。それに彼女には主人がある。  しかし、と波津子は自分の考えを追った。しかし、いま、ミセス・ブロートンは自由を得ている。その自由に少しばかりのロマンティックな微風がそよぎかけてもいいではないか。食品加工会社の主人は妻の彼女にあまり親切でないかもしれない。仕事が忙しいといって妻ひとりを東洋の旅に出したことでもそのへんの察しはつきそうである。そうすると、妻もまた夫と家庭に不満をもち、索莫たる気持で日を送っているのではあるまいか。  波津子はミセス・ブロートンの硬かった表情が和《なご》み、生々とし、その沈黙の故に優雅にみえた顔が多少俗っぽくなろうとも、笑顔と饒舌に変ってくるのを祝いたい気持になった。そして、いつかは自分も若い時からの希望通りに、外国のひとり旅をしたい、とぼんやり思った。山根はいつでも出かけてくるがいい、と云っている。  それから波津子は河原町あたりに出て本屋に寄って二冊ばかり本を買ったり、美術館に入ったりして、またホテルに戻った。京都には縁づいた旧友がいたが、電話で話をする気持までにはならなかった。  夜は九時にベッドに入ったが、睡るまでミセス・ブロートンが隣室に帰ったかどうか分らなかった。  ところが、朝七時に眼がさめたので、爽やかな空気の中を南禅寺あたりまで散歩しようと思い、波津子がドアを開けて廊下に出たところ、隣の部屋からも薄茶色の、少し縮れた髪の青年が出てきた。  不意のことだったし、これは双方で引込みがつかなかった。波津子が部屋の中に逃げこむこともできず、息を呑んでドアを背にして立ちすくんでいると、青年は肩をそびやかして、上衣のボタンをかけ直し、廊下を自然な足どりで歩き去った。  隣の部屋からはこそとも音が聞えなかった。      8  十一時を三十分過ぎて、ミセス・ブロートンがエレベーターからロビーに吐き出されてきた。  実のところ、波津子は彼女の顔を見るのが辛《つら》かった。波津子のほうが顔を赤らめ、胸がどきどきしていた。視線を逸《そ》らせて迎えると相手は平気な顔でいた。 「お待たせしたわね」  と、ミセス・ブロートンは弾力を含んだ声でいった。その顔には生彩があった。すでに外出の支度を終えていて、アイシャドウも口紅《ルージユ》も入念で濃いめだった。眼は光沢を帯び、ブロンドの髪はほどよく形が整えられていた。 「今日は、わたし、ひとりでこの街をぶらぶら歩いてみたいのです。道に迷ってもホテルが分ってるから大丈夫ですよ。また、道をとり違えたほうが、かえって日本の生活がよく判って面白いと思います。だから、今日もあなたはご自分の自由な時間をずっと持っていいわ」  彼女は、格調のあるイギリス語でいった。波津子は、大丈夫ですか、とは問い返せなかった。それは愚かしい質問だった。眼を伏せて、はい、といった。映画にあるイエス、マダム、と答える女中《メイド》の場面を思い出しながら。  ひとりになって波津子は、泣きたくなった。あの女と青年と二人に侮辱されたようで惨めだった。このまま、まっすぐ東京行の列車に乗りたくなった。外国の召使だったら、脱いだエプロンを床に叩きつけるところである。  しかし、波津子はミセス・ブロートンから解約を云い渡されたのではなかった。契約したのは観光会社とであった。資格の保証は日本観光通訳協会がしていた。勝手な行動はできなかった。たとえ臨時とはいえ、そうすればあきらかに任務の放棄であり、他の関係者に迷惑をかけることだった。  それに──と冷静になってから波津子は考えた。ミセス・ブロートンは青年が部屋から出て行ったのを見られたとはまだ知ってないようだった。青年はあれきり戻ってこなかったので、ミセス・ブロートンがその事実を知るとすれば、これから青年に会って話を聞いてからである。そのためにロビーで、遇ったとき、彼女はこちらが顔負けするくらい平然たる様子でいられたのだ。  すると、問題は次の彼女との顔合せにあった。波津子はまた胸が高鳴ってきた。次に起るミセス・ブロートンの羞恥にどう対応するか、そしてその場面をどう切抜けるかだった。  孤独な初旅のミセス・ブロートンの横顔を撫でたのはロマンティックな微風ではなかった。彼女はいきなり情熱の嵐に捲きこまれたのである。保守的なイギリスの家庭の慣習をうけついでいると思われるボストンの良家の夫人は、若者をホテルのフロントを通じて正式に訪わせるのは断ったが、夜間に野良猫を部屋に入れるようにドアの隙間から彼を呼び入れたのである。廊下に人の気配のないのを見すまし、隣室の客の寝息をうかがい、年下の男を内にすべりこませた。青年が彼女に云い寄ったのか、彼女のほうから彼を誘惑したかは判らないが、その約束は昨日の昼、平安神宮の庭園で会って京都の街を徘徊《はいかい》している間に成立したにちがいなかった。  波津子には、ブロートン夫人を非難する理由がいくらでもあった。背徳、不倫、狡猾、厚顔、不潔──あらゆる軽蔑の言葉が投げつけられ得る。また、実際に青年が彼女の部屋から早朝に出て行く姿を見て以来、五体中にその感情が湧き立ち、現在でもそれは続いているのだが、彼女は妙にそれがうすれてゆくのをおぼえた。  ミセス・ブロートンの憂鬱げな、そのために気取っていると錯覚した硬い態度、何ごとにも興味なさそうな表情、人を寄せつけない寡黙は、いまはまったく崩れ、その顔は生彩ある感動にあふれ、唇は歓喜に忙しく動いている。他愛のないその変化はすべて彼女の幸福感から発していた。  波津子は、ミセス・ブロートンの最初に見せた無愛想さ、なじめない気むずかしさ、自分から話しかけようとはしない非妥協性、人の言葉を聞こうとはしない姿が、そのまま自分自身、夫の山根に見せている姿勢であることに気づいた。夫だけでなく、いや、夫に対してそうであるから、まして他人にはそうだった。ただ、他人には礼を失しないようにしているだけだ。それは彼女に内面の喜びがないからだった。充たされる愛情のない空虚さからだった。彼女自体がそれを持てあまし、嫌悪に陥っていた。──もし、こういう人がほかにあって、ほんの束の間でも人生の喜びを味わうことができたら、祝福してあげていい。自分にはとうていそのようなことはできないが、寸分|異《たが》わぬ同じ人間が他に存在していたら、そうなるようにできるだけ手伝ってあげたい……。  波津子には、杉田幸枝のような生き方はとうてい出来なかった。自分の性格に無いものだった。それだけに遥かなる羨望があった。彼女には、歯の治療を理由に、近県から東京に友だちとハネを伸ばしにきている技師夫人のような素朴な脱出行為さえできなかった。  波津子がミセス・ブロートンの振舞に怒りと軽侮がうすれてきたのは、こういうことをいろいろ考えるようになってであった。  その日、波津子はまったくミセス・ブロートンを見かけなかった。自分は自分なりの行動で洛西の寺々を歩き回った。いたるところに外国人がいたが、彼女と青年の姿はなかった。  夕食をひとりで済まし、部屋には早目にこもった。隣室にミセス・ブロートンが帰ってくる気配はなかった。本を開いたが、活字だけが眼に浮き上って、内容がよく頭に入ってこなかった。波津子は街で買った睡眠薬を飲んで、ベッドの横の明りを消した。睡眠薬は日ごろ使ってないのにどういうわけでそれを買う気になったかよく分らなかった。  あくる朝、眼が醒めたのが十時すぎだった。おどろいて支度を整えたが、薬のせいか、頭が重く、微熱があるみたいだった。鏡を見ても頬に艶がなかった。  波津子は、隣室をノックするのが怕《こわ》かった。いちばんいいのはミセス・ブロートンのほうから連絡してくれることだが、それが容易にこなかった。波津子は隣の部屋の重苦しい空気がこの部屋にも滲みこんでくるようで落ちついていられなかった。廊下をメイドが往来して各部屋の掃除をはじめ出したので、思い切って室内電話をとった。聞きなれた女の声はすぐに出た。 「お早うございます、ミセス・ブロートン。これから、どうなさいますか?」  返事はすぐにこなかった。沈黙が長かったので、こっちの言葉が聞えないのかと思ったくらいだった。 「朝食は部屋でとりました。昼食もあなたがひとりで適当にすませて下さい」  ミセス・ブロートンは気だるげな声で云った。朝食を済ませたというから、意外に早く起きていたことが分った。  予定だと、十一時までにはホテルをチェック・アウトした上、洛北を車でひとめぐりし、午後二時三十一分の超特急で帰京することになっていた。  波津子がそのことを電話でいうと、 「今日の見物はとりやめます。ホテルのほうは時間を延長します」  と、ミセス・ブロートンは口早に答えた。あの合理主義の女が高い時間延長料金を出してまで部屋に頑張ろうというのには何か事情がありそうだった。むろん、アメリカ青年に関連したことだろうが、電話の様子だと、部屋には現在彼女ひとりのようだった。 「駅には午後二時十分までに行かなければなりませんから、ホテルを一時四十分ごろに出発したいと思います」  波津子が念のために云うと、相手は分ったといって電話を切った。すぐ隣の部屋なのに電話で話し合わねばならないとは奇妙だった。  波津子は、それからの時間の消しようがなかった。中途半端なので遠くに行くこともできず、せいぜいが近くの散歩だった。ミセス・ブロートンの「事情」を考えると、ホテルの中をうろうろすることもできず、昼食は外でとった。南禅寺前の店で湯豆腐をおかずにして食べたが、彼女にあの「事情」がなかったら、ここに連れてくるのだがと思った。いったい、あの青年は、どんな「通《つう》ぶり」を発揮して彼女を二日間ひっぱり回したのだろう。  一時ちょっとすぎにホテルに戻り、ロビーから電話した。ミセス・ブロートンの声はすぐに出た。 「もう、そろそろ出発の時間ですが……」  波津子がいうと、彼女の返事の前にはまた停滞があった。 「もう少し、このホテルに居たいのです」  彼女は少し苛々した声でいった。 「そうすると、列車に間に合いませんが……」  波津子は意外な思いでいった。 「やむを得ませんから、夕方の列車、そう、七時ごろに出る列車にしてください」  電話は今回も先方からさきに切った。波津子は事情を訊きに客の部屋に行くこともできなかった。      9  五時半ごろになって波津子がロビーからまた電話すると、ミセス・ブロートンの声は弱くなっていた。 「もう、一時間ほど遅い列車にできませんか?」 「でも、そうすると東京に帰るのが遅くなりますが。それに特急券が役に立たなくなったので座席がとれるかどうか分りませんわ」  客の非常識というよりも、彼女の身近に何かが生じたことは明らかだった。 「お話を伺いにそちらに参りましょうか」  波津子は思い切っていった。 「ええ……」  返事は不承不承だった。  部屋のクッションにミセス・ブロートンは元気なく坐りこんでいた。その顔は蒼褪《あおざ》め、眼が神経質に光っていた。横のツウィン・ベッドにはきれいにカバーがかけられてあった。波津子はおそるおそる彼女の前に近づいた。 「どうかなさいましたか?」  ミセス・ブロートンはあらぬところに眼を据え、唇を噛んでいた。 「彼がやってこない」  彼女は、慄え声でいった。青年のことをいっているのはもちろんだった。  波津子は言葉が出なかった。「事情」の内容が判らないので、彼女の様子を見まもっているだけだった。ミセス・ブロートンが早くから化粧していることは分ったが、それもいまは崩れ、粗い皮膚がのぞいていた。金髪も乱れていた。彼女が午前中からこうして椅子にずっと坐りつづけていたことは容易に推測できた。 「何時ごろに見えるといっておられましたか?」 「事情」抜きの会話となった。 「午前十時にわたしの部屋にくる約束だった」 「もう八時間も経ちますわね。その間、電話か何かで連絡はなかったのですか?」 「ないわ。わたしがこうして待ちつづけているのに」 「あの方の居どころは?」 「Rホテルと云ってたから、そのホテルに電話したら、そんな名前の人は泊ってないといったわ」  ミセス・ブロートンの上品な言葉はくずれ、アメリカ語の地金《じがね》が出てきた。昂奮するにつれ、俗語も混ってきた。  彼との約束といっても、かなり重大な約束だったことが、彼女のとり乱した様子から察しがついた。 「ホテルで分らなくとも、あの方の東京かどこかの住所と電話番号はお分りでしょう。名刺をもらってないのですか?」 「名刺はくれなかった。名前はアーサー・ヘンソン。東京のアパートの電話番号を教えてくれたから、そこにも電話したけど、そんな人、居ないと管理人がいった。……もう八時間以上よ。わたしはその間この部屋に、電話の横に、奴隷のように縛りつけられていたわ。それなのに|あいつ《ヽヽヽ》何の音沙汰もない。わたしは|あいつ《ヽヽヽ》に二千ドルだまし取られたらしいわ」 「二千ドル?」  はじめて「事情」が顕われてきた。ミセス・ブロートンはアーサー・ヘンソンなる(その名前もいい加減にちがいない)若い男に二千ドルを貸したが、その返済時間がすぎても何の連絡もない。ホテルもアパートもその人物のことを知らないというのである。 「わたしは欺されたのね。あの男、コロラド州のデンバーの生れだといった。わたしはそのロッキー山脈の麓にある避暑地に行ったことがあるので、つい、なつかしくなって信用した。貿易商でケウトに取引のことで来たが、急に仕入れたいものがあるので、現金の足りないぶんの二千ドルをちょっと貸してほしい、明日の九時には東京からの電報送金が銀行でとれるから、十時までには必ずこのホテルに持ってくるといった。それで、つい、お金を出したの。証文も何も無しに」  波津子には、松の木蔭から会釈を送ってきた薄茶色の髪の青年の微笑が浮んできた。 「何かの都合で遅れてるのかもしれませんね。もう少し待ってみますか」  欺されていることは明瞭なのに、波津子は彼女を慰めるためにいった。あとは終列車しかなかった。  遂に、その時間も切迫してきた。ミセス・ブロートンはこれまでのとり澄ました様子をすっかりかなぐり捨て、泣き、喚いた。あらゆる悪態の言葉がアーサーなる詐欺漢に向って吐かれた。行儀正しいイギリス語は放棄され、感情的なアメリカ語が野卑につづけられた。上品な卵型の顔はゆがみ、眼からは泪がとめどもなく流れ、洟《はな》をすすり、大きな口には唾《つば》が溜っていた。装身具がきらびやかなだけに、そして三十二歳という年齢のゆえに、まことに醜い形相とはなった。  やっと、二つならぶ席がとれた最終の超特急列車の中で、ミセス・ブロートンは見るも気の毒なくらい打ち悄《しお》れていた。も早、アーサーに対する呪いの言葉は吐かれなくなり、ハンカチで赤らんだ鼻を蔽って涕泣《ていきゆう》していた。彼女の旅先のロマンティックな経験は無残な破綻を迎えた。 「ミセス・ブロートン、あなたはあの青年を探し出す方法をとりたいと思いますか? お金を少しでも取り返すためにですが」  波津子は低い声で訊いた。 「とんでもないわ」ミセス・ブロートンは激しく首を振った。「警察なんかに訴えないで。こんなこと、主人に分ったらたいへんだわ。こんな屈辱はだれにも知られたくないの。ミセス・ヤマネ、あなたもわたしの秘密を守ってちょうだい、あなたの良人《ハズバンド》にも云わないで」  彼女は恥も体裁もなくといったふうに波津子に懇願した。いまは隠れ遊びを悔む|庶民の《ヽヽヽ》女房に完全になっていた。 「もちろんだれにも云いませんわ」 「ありがとう。……わたし、お金が足りなくなったからホンコンにもバンコックにも行かないで、このままアメリカに帰るわ」  東京駅で別れるとき、ミセス・ブロートンは波津子にガイド料金を払ったのち、お金が心細いといってチップを一銭もくれなかった。  タクシーで家に帰ったのが十二時すぎだった。みんな寝ていて、山根が起きて玄関を開けた。 「ずいぶん遅かったね」  山根は睡そうな声でいった。 「で、京都はどうだった?」  彼は波津子の後からついてきて訊いた。 「べつに、どうということもなかったわ」  波津子は投げやりな口調でいった。その不機嫌さに、アーサーに遇う前のミセス・ブロートンの態度を連想しながら。  ──二週間くらい経ったのち、R市のある工場の者だという男が山根を訪ねてきた。その話を波津子は夫からあとで聞いた。夫は屈託なく笑っていた。 「例の奇妙な歯の治療できているアメリカ人の技師の女房のことだよ、ジーン・コンウェルとかいう……。その亭主のコンウェルが、女房のムシ歯はここに治療に長く通う必要がある程度なのかどうか知りたいといって、工場の人をこっそり聞き合わせにこさせたんだよ。で、まあ、適当に答えておいたがね、亭主はどうやら女房の所行をかぎつけたらしいな。そういえば、あの患者、この二日ばかり姿を見せなくなったよ」  波津子は、ミセス・コンウェル夫人の泊っているキャピタル・ホテルに深夜フロントを通さずに出入りしている薄茶色の髪の、ブルーの上衣にグレーのズボンをはいた長身の青年を眼に泛べた。が、むろんそれは連想のなせる幻想であろうと思った。  二日置いて、観光会社から波津子にアメリカの夫婦者を案内してくれないかという「仕事」の口が電話でかかってきた。波津子は、当分その気持がないからといって、その場で断った。 [#改ページ]   首 相 官 邸      1  医務室での診断は午前九時にはじまって十一時半に終る。受診患者が多くても少なくても毎日この時間は守られた。多ければ軍医は速く診《み》るし、少なければていねいに診る。  舎前で日朝点呼があり、中隊週番士官の短い(長いのもある)訓示が終ると、週番下士官が整列の兵に向い、診断を受けたい者は班長に申出ろ、という。食事の終った各中隊の兵が、赤筋の腕章を捲いた週番上等兵に引率され、聯隊の西南側にある横長い建物の医務室にだらだら坂を下ってくる姿を見るのは九時十分前だった。  診察室は広くて寒かった。ダルマストーブが間隔を置いて三つあるが、軍医用のものだった。指先が冷たくては打診ができない。軍医の前で半裸になって腰かける患者兵だけがつかの間の恩恵をうけた。  ストーブが三つあるのは三箇大隊に軍医が一人ずついるからだが、定員が一名欠なので、二人の軍医で十一箇中隊を診なければならなかった。一箇大隊は三箇中隊、三三が九箇中隊だが、機関銃隊と歩兵砲隊とが加わる。  受診兵が多いと、ストーブの火が落ちても診察室はむせかえるような男臭さに、なま温かい空気になった。聯隊は一カ月半前の一月十日に入った新兵で充満していた。三月には師団ごと満州に行くので、平年よりは入営兵が多い。診断を受けにくるのも初年兵がほとんどだった。  引率者はたいてい週番上等兵で、週番下士はあまりいなかった。下士官は、初年兵教育のほうにかかりきりで、医務室通いどころではなかった。三カ月の第一期の基礎教育最中だが、渡満を控えた訓練は激しい。第一師団が海外に動員されるのは日露戦争以後三十数年ぶりだった。  受診の初年兵には気管支炎と、擦傷、捻挫、凍傷などが多かった。風邪と凍傷は一月半ばからの寒さと馴れない軍隊生活とに関係がある。擦傷、捻挫は訓練のせいである。風邪で医務室にくるのは東京周辺からきた者が大半だった。  第二大隊所属の森田軍医中尉は手際よく診断をすすめてゆく。第三大隊の軍医が欠なので、そのぶん第一大隊所属の野村軍医中尉と等分に引きうけなければならない。第三大隊の各中隊の受診者は、森田軍医のところでも野村軍医のところでも受診者の数の少ない列に加わる。  森田軍医の診断は正確だった。木村見習医官はいつも横に立って感心した。患者が受診票に書き入れた自覚症状の幼稚な文句を一瞥《いちべつ》し、二言、三言問診する。型のように両|眼瞼《がんけん》の検査からはじめる。その結果、引率の各班週番下士官や上等兵に「練兵休三日間」とか「入室五日間」とか「入院」とかを規定通りに告げる。「軍医ハ引率者ニ病名、診断区分、傷病等差、発病月日、前項ノ決定事項及予防、衛生ニ関スル必要ノ事項ヲ示シ、患者名簿ノ記入ヲ検ス」。診断は一人について十分とはかからなかった。余分なものは一切なかった。簡潔で、的確な処理だった。十カ月たらずだがT大の附属病院の内科医局で実習した木村にははじめおどろきだった。あんまり簡単な診断なので不安であった。多いときは、一人の軍医が三十人ぐらい引きうけなければならぬ。それを二時間半くらいで片づけるのだから、むろん人数と時間に合わせての診断であった。兵隊だからどうでもいいことにして員数《いんずう》でやっているのかと思ったが、森田軍医の診断ぶりを見て、それが粗雑なのでなく、きわめて能率的であるのを知った。リズム感さえある。考えてみると、ここでは患者に対する愛嬌的な思惑は一切必要なかった。  森田軍医にくらべ、野村軍医のほうはかなり員数式だった。はじめのほうの患者はそれでもていねいに診ているが、だんだん杜撰《ずさん》になり、荒っぽく片づけていった。立って、受診者の列の数を眺め、わあ、今日は大勢いるな、と面倒臭そうな顔をして椅子にかける。その日の診断法は決まったようなものだった。少々の気管支炎は、よしよし、といって練兵休二日くらいの宣告で帰してしまう。ろくに聴診器も当てない。あるとき、軽い気管支炎だったと思った兵隊が実は急性肺炎《プノイモニー》で、医務室の休養室から衛戍《えいじゆ》病院に送ったときは危うく死ぬところだった。野村軍医は森田軍医より先輩である。肥った野村軍医は飄逸《ひよういつ》なところがあり、医務室にいる看護兵には妙に人気があった。  各中隊の順序なので、機関銃隊が最後の診断になった。森田軍医は十一中隊の兵の半分まで診たころ、ちらりと後につづく機関銃隊の列を見る。銃隊はいつも受診者が少ない。前にそう言ってうしろに立っている木村と天野見習医官をふりむいたものである。天野も木村と同じように機関銃隊付であった。  森田軍医が、銃隊の少ない受診兵に眼を投げて唇にかすかな笑みを泛《うか》べるのは兵の気力充実に満足しているのでもなければ、診断終りの十一時半に近づいているからでもなかった。はじめのころは、木村もそんなふうに解釈して、銃隊付の見習医官として一種の誇り──初心《うぶ》な、かりそめの軍人意識の矜持《きようじ》を感じたものだが、森田軍医の微笑をたびたび見ているうち、それが実は皮肉な表情であり、冷嘲と反撥が含まれていることに気づいた。  森田軍医の冷笑の向うに、機関銃隊長の顔があるのは確かだった。絶えず何か行動していなければ不安でならないようなこの中尉はこの聯隊で特異な存在であった。切れ長な眼をもつ顔には我意が漲《みなぎ》り、言葉にも姿にも神経がぴりぴり震えていた。まさに弓の両端が撓《しな》って引絞られた弦を想わせる緊張が彼の肩にも歩き方にも現われていた。彼を見る誰もが青年将校の権化という形容がそのままあてはまるのを思う。  機関銃隊の訓練はすさまじかった。各隊とも初年兵教育はいつになく激しかったが、銃隊は他を超えていた。他中隊は、ここに居る間に基礎教育の大体を済ませ仕上げは現地で行なう聯隊の方針に従っていたが、銃隊だけは渡満前にすべての短期完成を目ざしていた。「短期教育ニ於テハ・課目ヲ直後ノ戦場ニ必須ナルモノニ局限スルト共ニ到達スベキ訓練ノ目標特ニ演練ノ重点ヲ明確ニシ有スル手段ヲ尽クシテ其ノ目的達成ニ邁進《まいしん》スルヲ要ス」。この着眼から銃隊長は「直後の戦場に必須なもの」に局限した初年兵教育を行ない、そのためには僅少の時間をも巧みに利用し、旺盛な熱意で期間の短少を補足することを緊要としているようだった。どんなわずかな時間でも訓練があった。初年兵は重い九二式重機関銃を八人がかりで担いで回る。間稽古《まげいこ》といって、点呼後から朝食までの二、三十分間、他中隊では銃剣術の稽古をするが、銃隊では短剣に似せた竹刀で攻撃、防禦の練習が行なわれた。射撃場に毎日のように出かけて、演習は頻繁だった。それにM教官が張切っていた。助教、助手の下士官、上等兵は息つく間もなかった。初年兵は喘《あえ》いでいた。その先頭にはいつも佩刀《はいとう》の頭を押えたK中尉の颯爽《さつそう》とした姿があった。  森田軍医の口辺に漂うあるかなきかの冷笑は、そうしたK中尉の果敢な姿にむけられている。銃隊の受診患者が他中隊よりいつも少ないというのは、隊長の軍人精神教育が初年兵の身体を鍛錬している成果として映ってみえる。そのことに自慢げなK中尉への反感が森田軍医の嘲笑のかげにあった。それは相手の非科学性にむけた非難ではない、本科の将校と医官との間に横たわる格差意識からきている。  森田軍医中尉は陸軍軍医学校出であった。病院や町医者などの召集将校ではなかった。それすら本科の将校には怯《ひ》け目を持っている。本科士官でも通常の性格だったら、それほど著しくはないだろう。それは隠微の間にはあるが、K中尉のような強烈な自己顕示の男が対象となると、軍医の反撥も露骨になってくる。  ──木村は自分が見習医官だけに、森田軍医の微笑をそのように写し取った。  木村は去年の三月にT大医学部を卒業し、十二月の入営まで医局にいた。徴兵延期があったから二十六歳だった。二十一歳の壮丁といっしょに初年兵の苦労をする気はなかった。医師の免許を持っている者は軍医を志願することができる。むしろ徴兵検査官のほうから積極的にそれをすすめた。この歩兵第一聯隊に入営と同時に軍医候補生となって今年の一月一日付で機関銃隊に配属替となった。そうしてこの二月一日に見習医官を命じられた。初年兵としての教練はたった一カ月ばかりである。あとの一カ月は銃隊の軍医候補生としての教育を医務室で高級軍医や各大隊の軍医、医務室の看護特務曹長などから受けた。この聯隊で軍医候補生は十名だった。しかし、教育は名ばかりで高級軍医は滅多に彼らの前に姿を見せなかった。野村中尉と森田中尉とがはじめ二週間ばかり、診断のすんだ午後、何とか講義はしたが、あとは「自習」の連続だった。現役志願上りだという年齢の若い、老成した顔の医務室特務曹長は、衛生事務と報告書類作製について煩瑣《はんさ》な内容を三日間話しただけで、あとはずっと事務室に引込んだままだった。聯隊は教育機関ではなかった。  軍医候補生は、幹部候補生なみの扱いだったが、幹部候補生のような兵科の特別訓練はなかった。このほうは普通の初年兵以上に|しぼられた《ヽヽヽヽヽ》。将来上官になる者に対して、今のうちに苛《いじ》めるという下士、上等兵の助教や助手たちの嫉妬が手伝っているというが、軍医候補生に対する訓練というのは医務室での以上のような教育だから、全く何もないにひとしかった。虐められるほどの充実感もなかった。また、軍医候補生は幹部候補生と同じように一切の勤務に就けられることがないので、与えられた中隊内の別室に中途半端な気持で起居しているだけだった。  もっとも、演習の際に連れ出されるときはある。行軍中は兵の最後尾につき、演習中は列外で傍観しているのである。      2  見習医官は将校でもなければ兵隊でもなかった。下士官でもなかった。曹長の衿章《えりしよう》だが、星の印の入ったまるいバッジが横に付いている。座金《ざがね》と呼んで見習士官の身分をあらわしているが、何かの懲罰をうけると(それは重要な軍規を犯したときだが)いっぺんに一等兵に降等される性質のものだった。  兵科の見習士官だと中隊長の命令で初年兵の教官をつとめるが、見習医官にはそういうものはない。看護兵も中隊の兵で、彼らの部下ではなかった。この二重の曖昧さが見習医官の存在を宙に浮かせていた。中隊の将校室の隣に見習医官室という一室があてがわれ、そこで起居しているが、一応部屋の当番兵はついていた。が、甚だ不親切だった。  見習医官の直属上官も、高級軍医と所属中隊長という二重性があった。「高級軍医ハ・見習医官ノ・教育ヲ掌《つかさど》リ其ノ他医務室ニ於ケル諸般ノ業務ヲ処理ス」「中隊附諸官ハ中隊長ノ命ヲ承ケ各※[#二の字点、unicode303b]分担ノ職務ニ従事シ」の軍隊内務書にある二つの項目の谷間に彼らはあった。もっとも中隊配属の見習軍医が「中隊附諸官」の中に入るかどうかは疑わしいが、中隊内に居候している以上、中隊長の指揮下にあることは間違いなかった。  年とった高級軍医はのらりくらりとした男だったが、銃隊長は木村にも天野にも威圧をおぼえさせる上官だった。今年の一月初め機関銃隊に配属替になったとき、両人は隊長室に行って申告をした。K中尉は椅子から起ち、姿勢を正して聞いていた。切れ長だが白眼がちの鋭い瞳を二人の顔に凝らし、口を真一文字に結んでいた。申告が終ると、銃隊は歩兵聯隊の華である、君たちはこの銃隊に配属されたことを名誉と思わねばならぬ、しっかり勉強しろ、と張りのある声で答えた。銃隊長は木村と天野より一つ下の二十六歳であったが、二人にはずっと年上に見えた。  K中尉の眼つきについて天野は、書生のような顔をしているがあの眼光はうす気味悪いな、刑事の眼つきにも似ているけど、それとも違う、何か執念にとり憑《つ》かれたような眼だ、と木村にいった。K中尉の顔色は白いというよりも蒼白く、そして何かのときは急に赤味が差した。  しっかり勉強しろといったが、銃隊長は軍医候補生のほうには見むきもしなかった。廊下や営庭で遇って敬礼しても軽く答礼するだけでさっさと通りすぎた。K中尉は絶えず何かしら忙しがっていた。二人が医務室や軍医候補生室で何をしようと放任していた。しかし、木村は、どこかで隊長に見つめられているような気がして居心地が悪かった。隊長はときどき中隊事務室の特務曹長を隊長室に呼び入れ癇癪《かんしやく》を起した声で叱った。何か聯隊本部に提出する報告書が気に入らないというようなことだった。隊長室の隣が将校室、その隣が軍医候補生室だったが、声はたやすく届いた。隊長が扉をばたん、ばたんと開閉する音も聞えた。軍医候補生が何をしているか隊長には分っているが、員数外だからわざと問題にしてないのだという感じで二人に伝わった。  二月一日付で見習医官になったときも、二人は揃ってK中尉に申告した。このときもK中尉は不動の姿勢に近い端厳な態度で聞いていたが、凝視する小さな瞳の表情は前と変らなかった。しっかりやれ、と短くいった。それだけが、勉強しろ、といった一カ月前の言葉とは変っていた。  天野は、K中尉の眼つきは偏執狂者のようなところがあるといった。が、これは天野の独創ではなく、どうやら芥川龍之介の「将軍」をよんだ影響らしかった。≪そのモノメニアックな眼の色が、殊にかう云ふ場合には、気味の悪い輝きを加へるのだつた≫。しかし、たとえそれが借りものであっても、天野のK中尉評には実感があった。  しっかりやれ、といったがK中尉が二人の新しい軍医見習士官を眼中に置いてないことは前と同じだった。軍医候補生の部屋が見習医官室に呼称だけが変ったように、あるいは二人が長剣を腰に吊り、行軍のとき軍医携帯|嚢《のう》を肩から掛けることを許されるという小さな違いだけで、K中尉のよそよそしい扱いに変化はなかった。  もっとも軍医見習士官は軍医少尉に任官と同時にどこの聯隊に転属して出るか分らなかった。転属にならなくとも、大隊付となって中隊から離れ、営外居住者となる。その意味では木村も天野も銃隊は仮《かり》の宿であった。定着する人間ではないからK中尉が半分厄介視しているともいえた。  しかし、全体からいえば、医官であるが故に彼らは疎外者であった。その証拠に内務書に≪本書中見習士官ト称スルハ見習主計、見習医官、見習薬剤官及見習獣医官ヲ含ム≫とあって見習医官は兵科の見習士官よりは一段格下げのかたちで規定されてあり、中隊長も同じ|やどかり《ヽヽヽヽ》の立場でも見習士官のほうは本気で仕込んでいる。  この兵科の将校との関係は軍医中尉になっても少佐になってもいっこうに変らないようだった。出生の卑しさが一生涯つきまとっているのと似ていた。医務室で森田軍医中尉が少ない銃隊の受診患者を眺め、その列のうしろにあるK中尉に敵意ある冷笑を向ける(ように思われる)気持は木村に納得できるのである。  医務室の診断が遅くて十一時四十分までで切り上げられるのは、十二時からの将校集会所での会食に間に合わせるためだった。十二時十分前になると将校集会所の庭園のような並木道を佐官や尉官たちが三々五々に歩いて行った。談笑しているのもいれば、たった一人で不機嫌そうにうつむいて歩いている将校もいた。  その中で、K中尉と第十一中隊の中隊長代理N中尉の肩を並べて歩く姿がよく見られた。この二人は仲がいい。N中尉はおっとりとした長顔で、軍帽のひさしの下の容貌が軍国映画や芝居の俳優のようであった。K中尉が主に口を開き、N中尉は微笑で聞いているほうだった。このときばかりはK中尉のあの白眼がちな眼が細まり、咽喉の奥まで見せて笑う二十六歳の普通の若者になった。こんなK中尉を見ると、森田軍医中尉の反感も当人自身ひどく大人気なく感じられてくるにちがいない。銃隊の隊付将校のM少尉は任官後あまり時が経っていない。M少尉はK中尉に心服し、教官として精出している。  もう一人、K中尉やN中尉と仲のいいのに古参大尉がいた。古参大尉は第七中隊長で、もともと技術将校ということだった。それよりも侍従武官長の女婿《じよせい》というので聯隊内では有名だった。聯隊長も聯隊付先任中佐もこの古参大尉には遠慮がちだという風評を木村も何かと耳にする。目立って背の高い大尉の姿は兵隊たちにも別格の眼で見られていた。K中尉やN中尉と親しいといっても、年齢も大尉がずっと上だし、上官である。K中尉が大尉に何かと近づいて、相談でもするように話しかけている姿はよく見られた。ときには突っかかっていくような勢いも眼についた。それに対して大尉は兄がわがままな弟をあしらうように相手にならないときもあるし、おだやかに言い聞かせているときもあった。いかにも相談ごとに乗ってやるといったように、背中をまるめて低いK中尉の背丈とならび、うなずいていることもあった。  しかし、これらは木村のときたまの瞥見《べつけん》で、いつも両人が他の将校や下士や兵隊の眼のある前で相談や打合せごとをするのではなかった。  木村は、だが、将校集会所に歩いてゆく将校たちの様子を絶えず見ている余裕はなかった。将集での会食は重い鉛でまわりから締めつけられたような苦痛であった。  それは会食のテーブル配置を見れば分る。広間の奥正面に横長く卓をならべ白布をかけている。正面に向って縦に三列の長い卓ができている。中央の横長い卓は聯隊長を中心に聯隊本部付の佐官級がこちら向きにすわる。縦の三列は窓ぎわから第一大隊、第二大隊、第三大隊の順で、それには所属の諸中隊が占める。見習士官をはじめ見習主計官、見習医官、見習薬剤官などそれに≪含まれる者≫は聯隊幹部のいる横長の卓のこちら側に、聯隊長などとさし向いに坐らされるのである。まさに結婚式のメイン・テーブル、新郎新婦を聯隊長と聯隊付先任中佐に見立てるなら、見習士官やそれに含まれる見習医官たちは重だった来賓、必ず初めのほうでテーブルスピーチを指名される席だった。  背後には、眼にこそ見えないが、大隊長、中隊長、中隊長代理、中隊付士官が三列の縦長の卓の両側に居ならんでいる。修業中の身は、前からは最高幹部の威厳に慴伏《しようふく》して箸の上げ下げにも手が震え、うしろからは姿勢の崩れを睨まれているようで自分の背中ではない心地がした。当番兵が飾った炊事場特製の料理も少しも味が分らなかった。      3  食事中、聯隊長は前で硬くなっている見習士官や医官たちに質問した。聯隊長は陸軍省の補任課長から転任してきた人である。当人が本省からの転任を希望したといわれるだけにたいそう元気だった。聯隊長の質問は勿論見習医官のほうにも飛んできた。兵営とは一口にいってどういうところかとか、軍紀とは何かとか医者の卵から迷いこんだ者に軍人精神を自然と移植するような質問だった。それらは軍隊内務書綱領の項に出ているきわめて初歩的な問いであったが、見習士官や医官たちは暗記した通りを正確に答えようとしては間違ったりした。  聯隊はあと一、二カ月後に満州に渡るので、聯隊長の質問は寒地衛生対策が多かった。水筒の水が凍らないようにするにはどうしたらよいかとか、寒地でかかりやすい伝染病は何かと訊いた。名指しされた見習医官はあわてて箸を置き、椅子にかけたまま不動の姿勢をとり、水筒の水が凍らないためには少量の砂糖か塩を混入するを可とします、と答える。別の見習医官は異った質問に、寒地では発疹《ほつしん》チフスが昔からみられる戦病の主病であって、腸チフス、回帰熱と共に三者一体となって猛威を振うを例とします。病原菌は虱《しらみ》が媒体となるので、予防には、身体、衣服、居所を清潔にして虱が発生しないようにしなければならぬ、地方人、苦力《クーリー》、接客業者との接触、浴場などで虱を貰いうけないようにしなければなりません、と答えた。接客業者と聞いた聯隊長は、何かつづけて質問したそうだったが止めた。花柳病対策のことらしかった。戦闘中の凍傷はどんな具合か、おい君、と言葉と指名者を変えた。はい、「寒地衛生提要」によれば、戦闘兵三百六十四名中の凍傷について調査するに、渡河の為が百二十一名、伏射の位置にてが九十三名、停止間が五十四名、戦闘中十六名、歩哨中十五名とあります、おおむねこの比率にて凍傷に罹《かか》るものと思考されます、と答えた。これは志村見習医官で、志村は第十一中隊付であった。試験勉強の成果であった。  聯隊長と居ならぶ端には、高級軍医と野村軍医中尉、森田軍医中尉がいて見習医官の返答に聴き入っている。教育係の高級軍医としては当然の緊張ながら、聯隊長に対する自分の成績にかかわることだった。が、森田軍医中尉だけは関心なげに傍聴の態度であった。野村軍医中尉は、医務室での投げやりな診断ぶりとは違い、表情は細心であった。  見習医官として教育を受けている実感は、将集における聯隊長の質問に最も充足されるように思われた。高級軍医はときどき思い出したように講義をするが、時間も短く、おざなりのものだった。高級軍医は医者というよりむしろ聯隊の行政官の一人であった。忙しがって質問を寄せつけなかった。  見習医官室には軍陣医学の本が手箱の載っている棚にならんでいた。教科書ではあるが、軍医に相手にされないこの状況では自習用のテキストにすぎなかった。「軍陣衛生学」「軍陣防疫学」「戦傷学」「軍隊病学」「選兵医学」「軍陣内科学」などが主だった。  これらは、「軍陣」を除《と》ってしまえば、すべて普通の内科学、外科学、衛生学の内容と変るところがない。せいぜい集団医学の応用、もしくは結合であった。医学の目的はすべて傷病者を死より救い、治癒させ社会に復帰せしめるにあるが、軍陣医学は戦力保持のために傷病者を戦力に復帰せしむるにある。戦力は戦死につながっている。殺すために助けるようなものである。医学本来の大目的に背馳《はいち》するこの矛盾を「軍陣医学」はどのように説明するか。たとえば「軍陣内科学」はこう言う。 「軍陣内科学ハ一般内科学ノ軍隊ヘノ適用ニ過ギズトシテ特ニ軍陣内科学ノ存在ノ意義アリトセバ、学校内科学、工場内科学等ノ集団ニ対スル内科学ト選ブ所ナク、之ヲ要スルニ一般内科学ヲ戦場裡ノモノタラシメバ可ナリトノ説ヲナス者アリ。従来ノ内科学ノ臨床ハ病者ニ就キ生命ノ延長、苦痛ノ軽減ヲ主要ナル目的トセルニ、軍事ハ百般戦闘ヲ基準トシ、将兵ハ命令ニヨリ与ヘラレタル任務達成ノ為ニハ生命ヲ鴻毛《こうもう》ノ軽キニ比シテ死地ニ突入シ、困苦欠乏ニ堪ヘ辛酸ヲ嘗《な》ムルハ当然ニシテ、従来ノ臨床医学ノ目的ヲ直チニ軍陣内科学ノ目的トナスコトヲ得ズ」  ここでは戦傷死のことは文字にならず、死地で辛酸を嘗むるは当然という言葉に代置されている。「死地」「生命ヲ鴻毛ノ軽キ」などによって「当然」の戦闘死が目的視されている。それ故に、従来の臨床医学の目的を直ちに軍陣内科学の目的となすことを得ず、と大上段に振りかぶって決定する。  結論を説明する過程に科学的理論が抜かされ、身を鴻毛の軽きに置く忠義で医学の「目的」背馳が裁断されている。 「そこんところを鴎外はどんなふうに考えたか、鴎外の書いたものをひっくり返してみたが、眼についたものにたった一カ所ある」  と、天野は木村に言った。天野は文学好きで軍陣医学の教科書よりも文学書が多かった。外出のたびに本屋から買ってくるのだが、その一部は人目につかないところに隠していた。  天野がとり出したのは、古本屋で発見したという「公衆医事」第一巻十二号の古雑誌で、ぼろぼろになっていた。そこで森鴎外は「兵役篇」の稿を起している。 「兵の役に服するや、必ずしも其身の健康を顧慮せず。戦時には軍事上の目的のために健康と性《(ママ)》命とを抛《なげう》つべきこと論を須《ま》たず。平時にても亦操錬のために労苦を避くるに由なし。然れども兵役中の衛生法は、啻《ただ》に人生博愛の理よりして其必要を認む可きのみならず、彼軍事上の目的も亦之を講ずるにあらでは決して達す可からず。故|奈何《いかん》といふに、兵の健康は戦力の一要素なればなり」  軍陣衛生学は「人生博愛」の上から必要とする一方、兵の健康保持は戦闘力の一要素とし軍事上の目的から生命を抛つことは「論を須《ま》た」ない前提であると、鴎外はいう。医学の「人生博愛」の目的が「軍事上の目的」に明瞭に転換されている。  医者、文学者である鴎外は一般医学と軍陣医学の目的背反に悩んだに違いないが、結局は軍人としてかく勇断したと天野はいった。  それから木村と天野の間では、鴎外が軍人としての忠義精神からこう断言したのか、この結論は職業軍人の環境的な慣習に従ったのか、それとも軍人官僚としての鴎外の出世主義によるものかという議論になった。鴎外びいきの天野は慣習説をとったが、木村は役人的な出世主義説をとった。ひとつはこの聯隊のすぐ前にあるフランス料理店に三田文学の匂いをなつかしんでいる天野への皮肉もあった。天野はその店の前を通るたびに、鼻に息を吸いこみ、ああ、蒲原有明の匂いがする、北原白秋の匂いがする、小山内薫の匂いがするなどといっていた。  だが、そうはいっても、天野はその店には一度も入ったことはなかった。いや、入れなかった。そこには銃隊長や第十一中隊のN中尉、それに近くの歩兵の第三聯隊の中、少尉の将校がよく出入りしていたからである。それにいつぞや銃隊長に面会にきたことのある地方人も見かけた。  K中尉は世相の堕落をいい、重臣の腐敗を攻撃し、これを改革するには昭和維新を断行しなければならないと、よく兵隊たちに訓示していた。K中尉が週番士官に当ると、日夕点呼後、消燈までの間、よく「石廊下集合」がかかった。中隊長室や将校室、中隊事務室のあるところと各班のあるところは切れていて、舎前と舎後を往復する通路にもなるちょっと広い三和土《たたき》がある。石廊下はその呼称だが、週番上等兵が「石廊下集合」を各班に大声で告げて回ると、木村はまたかと思って天野といっしょに見習医官室から出て行く。週番士官は、聯隊長が聯隊から退出したあと、その代理となる。  K中尉は事務室ぎわの、三、四段高いコンクリートの階段の上に立って、ひしめく中隊じゅうの下士官兵を見下ろし、精神訓話をはじめる。重臣層が陛下の聖明を掩《おお》い奉り、政界財界と結託して日本を腐敗させている。このままだと日本は滅亡する。ここで昭和維新を断行して体制を改革し、重臣を駆逐して、陛下の御親政を仰がなければならぬ。ことにM博士の「天皇機関説」なるものは不忠不義の学説であるが、現教育総監はこれを支持している。軍の上層部もかく腐敗している。われわれは昭和維新実現のため、奸臣《かんしん》N軍務局長を斬ったA中佐の精神を継ぎ、昭和の捨石となる覚悟が必要である。昭和維新実現の緒を見てこそ、われわれははじめて安心し満州に征き、生命を賭して日本を護ることができるのである。──話し方は違っても論旨はいつもきまっていた。  兵はいつも謹聴していた。果して理解できたかどうかは分らない。兵の大半は義務教育の高等小学校卒だけで、なかには尋常科四年までしかいっていない者もいる。実際、よくみると神妙な聴衆には退屈な顔つきがずいぶんと見えた。  銃隊長にその兵たちの表情が分らぬはずはなかった。彼は、集合した兵のなかから一人の顔色のすぐれない者や、一人のわき見する者を直ちに指摘し得る熟練の統率者である。兵たちの倦怠がどうして判らないでいようか。  それでもK中尉は構わずに話しつづけた。熱っぽい口調である。自分の話に陶酔し、没入してゆくところがある。兵に分ろうが分るまいが、反応などはどうでもいいといった調子であった。それでも最後には、皆にはよく分らないところもあるだろうが、いまに分る、とにかく天皇陛下の御為なら喜んで一命をお捧げするという気持が大切である、それでこそ日本は安泰であり、国民は安んじて生業にいそしむことができるのだ、どうだ、分ったか、というと、初年兵は声を一つにして、はい、と大きく返事するのだった。よし、解散させいと隊長は満足そうにそのあとを言った。  石廊下集合の時だけではない、営庭での教錬も、戸山ヶ原の野外演習でもK中尉は休憩時には皆に円陣を作らせ、同じ主旨の精神訓話をした。戸山ヶ原では、ときに下士を使いに走らせて近くの店から餅や饅頭《まんじゆう》を初年兵のためにどっさりと買ってこさせる。隊長のポケットマネーの中からだった。      4  これが初年兵に対する適切な精神訓話だろうかと木村は疑問を感じる。その訓話の寸間の機会の捉え方は「精神要素ノ涵養《かんよう》ハ教育ノ神髄ニシテ寤寐《ごび》ノ間モ忽《ゆるが》セニスベカラザルモノナリ」の「軍隊教育令」第四十二条に当るとしても、第四十三条「勅諭及勅語ハ実ニ精神要素涵養ノ本源ナリ故ニ時ト所トヲ論ゼズ機ニ触レ物ニ応ズル毎ニ聖旨ノ存スル所ヲ訓諭シ」にはK隊長の訓話内容はそぐわない。重臣をとり除かねばならぬとか昭和維新の断行理由とかは勅諭および勅語のどこにも載っていない。それが聖旨の存するところであるかという疑いになるし、反問したくなる。  M博士の「天皇機関説」が貴族院で攻撃され、博士が同院で釈明演説を行なったのは去年の冬で、木村のまだ卒業前であった。新聞に大きく報道されたから強い印象になっている。教授の一人がこのような学説を攻撃する軍部は怪しからんと教室で憤慨していた。木村も同じ感想ではあったが、とくに身を入れて考えたわけではない。いわば自分と直接には関係のないところで起った現象として是非の感想を持っただけである。K中尉が精神訓話のなかにしばしば持出すA中佐のことも、白昼の陸軍省で軍務局長が地方部隊の一中佐のために斬殺されたというので新聞に大きく出ていた。陸軍礼服を着たA中佐の写真も記憶にある。陸軍の上層部に何かあつれきがあるらしいとは想像されたが、べつに興味を持ったわけではなく、これも世間一般の出来ごととして遠いところにあった。若手軍人が唱える昭和維新という語も新聞で見たが、実感の伴わない、空疎な言葉にしか感じなかった。  木村は、十二月には入営するとは分っていたが、軍医候補生から出発する自分に、軍上層部のことが何の関係があろうと思い、天皇機関説に関心もなかった。  ところが今年の一月十日入営兵を迎えたとき、ほんの四十日ばかり前、K中尉が兄貴分のようにしている第七中隊長の古参大尉が週番司令のとき、入営兵の附添父兄に挨拶をした。木村も天野もその他の軍医見習生も、新兵の身体検査の手伝いに駆り出されたから、営庭に急設された慰問演芸会の舞台のような上で話した大尉の挨拶を聞いた。このときも天皇機関説排斥や重臣排斥、A中佐称揚の言葉であった。昭和維新という用語も耳に入った。世間の出来事だったのに、そして娑婆《しやば》にいたときですら縁遠い話だとしていたのに、逆に新しく身を置いた環境のすぐ近くにそれが生きた姿でいたのである。  機関銃隊に配属替になってからは、K中尉の精神訓話で、ますます天皇機関説も昭和維新も身辺近くに忍び寄ってきた。いまでは隊長の凡百の機会を捕捉する「説示ノ反復」によって印象が深刻となり、昭和維新はすぐ隣に立っている思いだった。  しかし、隣にならんでいる以上、まだ自分とは関係のないことだった。赤の他人でも群衆の中で偶然に肩をならべることだってある。手を組まない限り、無関係だった。  実際、K中尉は一度も木村見習医官や天野見習医官に昭和維新の教育をしたことはなかった。銃隊長は兵には熱心に訓話したが、演習などで随行した木村や天野が横で聞いていても両人を全く無視していた。語りかけはもっぱら兵に向ってで、傍観する見習医官の反応など見ようともしなかった。K中尉の眼に二人は、演説の途中に通りかかる通行人の影ほどにも写らないようだった。  教化の対象外にされているといえばそれまでだが、そこにも兵科の将校の医官に対する差別観念を感じる。戦闘本位に組織された軍隊にあって、医学の目的について人道主義と殺戮《さつりく》奉仕との矛盾背馳に悩むような軍医がいたのでは、兵科の将校に蔑視《べつし》されるのは当然かもしれない。と、木村は考えるものの、軍隊に在る限り、この居心地の悪い谷間に忍従しなければならないと思うといい気持ではなかった。  だが、一生、軍隊にいるわけではない。戦争が起らない限り、あと二年で除隊だった。満州駐留もこれまでの例からみると、師団は二年交替なので、内地に帰還したときに除隊となる計算である。寒い満州で暮すのは辛いが、少尉になれば本格的な将校待遇だから、兵たちと違い、煖房のある屋内で過すことが出来るだろう。  高級軍医の指示は、寒地衛生対策というので自習の教程はそれに重点が置かれていた。手箱の横にならんだ本の題名は見るからに寒気を起させるものばかりだった。「凍傷及|凍冱《とうご》学」「寒地衛生学」「寒地衛生提要」「寒地軍陣医学」。──  いったい満州の温度はどれくらいあるかと思って「寒地衛生提要」をめくって見ると、極寒期の北満(斉々哈爾《チチハル》附近)で最低温度零下四十二度、黒竜江附近で同四十五度、南満の新京で同三一・六度、奉天で同二六・八度、大連、旅順で同一五・五度と表示されてある。北満では「空気乾燥シ北又ハ北西風多ク寒威酷烈ナルモ所謂《いわゆる》三寒四温ノ現象顕著ナリ」と概況を書いている。四|温《ヽ》といったところで三|寒《ヽ》の寒威酷烈が基準だろうから「温」でも期待は出来ない。  木村は小さいときから寒さにはひ弱いので、これだけが不安であった。満州移駐といっても、北満か南満かまだ分っていない。軍機に属することで、聯隊長もまだ知っていないだろうという話だった。もし、北満だったらどうしようか。  この二月に入ってから東京は例年になく雪が多かった。四日には午後から降り出した雪が夜に入って積り、風も交えて四十九年以来の暴風雪となった。電車もバスも停り、送電も危険なので停めたから東京全市は暗黒となった。その後もちょいちょい降る。  銃隊長は意気|旺《さか》んとなり、教錬、演習を毎日つづけ、息もつかせぬ体《てい》となった。まさに満州を想定しての耐寒演習であった。営庭での教錬には木村も天野も駆り出されることはないから医務室に逃避していればよいが、野外演習や行軍となると軍医の役目で随行しなければならなかった。それは昼間だけでなく、夜間でも行なわれた。予告なしの非常呼集だった。そういうことが一月と二月と二度あった。渡満の期日が切迫するにつれ、銃隊長の初年兵速成教育はピッチをあげているようである。二回目は二月十二日で、営門を出て六本木の交差点を電車通りに沿って赤坂の溜池から特許局横の坂を上り、首相官邸の横を通って三宅坂に下り、警視庁の前を素通りし、霞ヶ関を左折して二重橋前に到る夜間行軍だった。二重橋では整列してK中尉の号令で天皇陛下万歳を三唱した。  そのあと、K中尉は一同にいった。軍人はサラリーマンではない、いつでも生命を擲《なげう》って国家のために尽さねばならぬ、A中佐がその模範である。お前たちは近く渡満するが、その前に匪賊《ひぞく》を討伐せねばならぬ。  三十分にわたるその演説が終るころには靴先の指が千切れるように冷えた。  軍人のサラリーマン化はK中尉の口癖の一つで、それには聯隊本部の将校や他中隊の将校が槍玉に上った。あいつらには軍人精神がない、軍服を着たサラリーマンで、月給泥棒であると罵《ののし》っていた。  それにしても匪賊とはだれか。彼の日ごろの口吻《くちぶり》からしてどうやら重臣層らしいが、癖になっている激越な表現はとうとうそこまで行きついてしまった。匪賊といえば討伐と連帯語みたいになるので、渡満の前に討伐せねばならぬと勢い口を衝《つ》いて出たのであろう。  K中尉がどんな考えをもっているか知らないが、なんだかひとりで激昂して、せかせかと動きまわっているようにみえる。 「匪賊」を討伐するという言葉を文字通りに受取っても、渡満まであと一カ月かそこらである。五・一五事件のように同志将校と同志民間人とで決行するにしても、準備に期間を要する。とてもあと一カ月ぐらいのうちにそれが実行できるとは思えなかった。  天野は、言う。任官しても機関銃隊を抱えている第三大隊の所属じゃ困るなあ、あんな銃隊長のいる下では兵隊も可哀相だが、附き合いさせられるこっちもかなわないなあと言った。それは木村と同じ思いだった。どうか他の聯隊に転属になるようにと祈った。それが出来なければ第一大隊か第二大隊の所属にしてもらいたい。極寒の満州で銃隊の行軍や野外演習に附き合わされるのは迷惑を通り越してそら恐ろしくなった。火の気のある屋内にじっとさせてはおかないだろう。あの中尉なら匪賊討伐は志願してでも行くにちがいなかった。  二年間の兵役義務を済ませたら、木村はT大附属病院の医局に戻り、博士号を貰うまで無給で辛抱し、やがては、父親のあとを嗣《つ》いで開業医になるつもりだった。平々凡々の道で、べつに特別な野心も希望もなかった。ただ、ここでは何の遠慮もなく鴎外のいう「人生博愛の理」である医学の大目的にすすめる。それだけに二年間を無事に過したかった。  或る晩、天野が見習軍医士官室で木村に発見があるといった。この部屋は兵舎の消灯後でも、勉強という名目で何時間でも点灯が許可されていた。 「鴎外が軍務の傍ら、せっせと小説や随筆に精出した理由を発見したよ。陸軍軍医総監を最終の目標として軍人官僚の道を歩いた鴎外は、軍医候補生のときから、明治時代には何といったか知らんが、軍医少尉になっても中尉になっても兵科の将校から差別視されていたにちがいない。しかも鴎外は軍籍から身を退く意志は毛頭なかった。自らを投げ入れた閉鎖社会には脱《ぬ》け口がなかったのだ。差別視は彼が軍人官僚の道を歩く限り脱《のが》れることはできず、鴎外はそのコンプレックスの捌《は》け口を文学の清流に求めたと思う。これはおれたちの今の経験がなければ分らないことさ」 「しかし、鴎外はドイツに留学している」 「どんなに優秀でも軍医は軍医だ。第一、軍医総監といっても中将どまり、教育総監は大将だからな。聯隊でも軍医は兵に衛生講話をするようになっているが、軍医の行なう衛生講話には将校之に立会うものとす、と規定されてある。つまり、兵科将校の威厳と監視がなければ軍医の講話も権威がないと見ているのだ。鴎外が勤務のほかにあれだけの質量共に専門の文学者を凌駕《りようが》する作品をひたすら書いていったのはそんな怒りのようなものが原動力となっている気がするな」 「根拠がなければ何ともいえない」 「典拠はあるよ。これさ」  と、天野は鴎外の本の中の「鴎外漁史とは誰ぞ」の一節を出した。 ≪……予が医学を以て相交はる人は、他《あれ》は小説家だから与《とも》に医学を談ずるには足らないと云ひ、予が官職を以て相対する人は、他は小説家だから重事を托するには足らないと云つて、暗々裡に我進歩を礙《さまた》げ、我成功を挫いたことは幾何《いくばく》といふことを知らない。……官事に鞅掌《おうしよう》して居ながら、その好意と悪意とを問はず、人の我|真面目《しんめんぼく》を認めて呉れないのを見るごとに、独り自ら悲しむことを禁ずることを得なかつたのである≫ 「この官職の字句を仮《かり》に兵科の軍職とし、他《あれ》は小説家だから重事を托するには足らない、というところに、他は軍医であり小説家でもあるから、軍事の重事を托するには足らないと付け加えたら、どうだろう」      5  日曜日、外出した天野が夕方七時ごろに帰ってきた。天野は早速に木村に語った。  今日は高円寺の親戚の家に遊びに行って、夕食を食べて行けと引きとめられたが、思うところがあって振り切って出た。念願にしていた例の店のフランス料理を食べたいと考えていたからである。日曜日だから、今日は青年将校たちが来ていないだろうと思った。  果して、店の中には将校の姿はなかった。地方人ばかりで、家族連れできている。それでも遠慮して隅のほうで牛肉の赤葡萄酒煮込み、エビのコキールなどをとって久しぶりに舌を満足させた。が、同時になつかしい文学の匂いを十分に吸った。二階にも客があるらしく女中が料理を運んでいた。びくびくしていたが勘定を払うまでは将校はこなかった。なにしろ聯隊のすぐ前だから、気をつかうことおびただしい。  店を出ると、暗いところからインバネスの男が寒そうな恰好《かつこう》で寄ってきた。手帳を出して赤坂憲兵分隊の伍長だという。見習医官の分際でフランス料理店に入ったのを怪しまれたのか、それとも軍隊の法規にふれているのかと思ってこっちは顔色を変えた。すると、憲兵はおだやかな調子で、あなたは歩一の見習医官かと衿章をのぞき、姓名を訊いた。この店にはひとりで来たのか、連れがあるのかと訊くのでひとりだというと、K中尉やN中尉は来ていなかったかと訊く。K中尉は自分の銃隊長である。天野は、両人とも見ないと答えた。それじゃ歩三聯隊のこうこういう将校はどうですかと私服の憲兵は知らない名前をならべた。それも知らぬ、といった。では、地方人でこういう人相特徴の男はいなかったかときくので、地方人の客はいたが一向に心当りがないと答えた。では、二階の客はどうですか。二階のことまで分らぬ。最後にあなたは歩一のどの中隊に配属されているのかとたずねた。K中尉の機関銃隊だというと向うは、どきりとしたようで、失礼しました、と頭を下げて去った。どうもK中尉は憲兵隊でも重要に考えている注意人物らしい。この前からフランス料理店に入ろう入ろうと思いながら、いつもためらってきたのはK中尉はじめ若手将校連の出入りする姿を見かけるからだが、憲兵隊ではずっとあの連中を張っているんだな、と天野は声を低めて言った。  K中尉は歩一だけでなく、歩三の青年将校とも語って何ごとか相談しているらしい。憲兵が地方人のことを天野に訊いたというから、やはり五・一五事件みたいに右翼団体の若者が一騒動の際は加わるつもりかもしれない、と木村は思った。だが、満州に行く日は逼《せま》っているし、部隊もその準備でだんだん忙しくなってゆくから、とても実行はできまい。K中尉の言うのは青年らしい大言壮語で、五・一五事件では海軍の中尉や少尉が監獄に入れられ、一生を棒に振っているから、青年将校に誇りを持ち、あれで案外見栄坊の彼が無茶なことには踏み切れまいと思った。K中尉は少尉のころ聯隊旗手だった。  しかし、K中尉の口癖となっている将校のサラリーマン化というのには木村も同感していた。中隊長でも惰性で仕事をしているのが多い。初年兵教育でも、若い少尉や見習士官に教官をやらせて任せ放しにし、教錬にも行軍にも出ない。要領のよいのは聯隊本部でうろうろして聯隊長や聯隊付中佐のご機嫌をとっている。聯隊長が魚釣りが好きだといえば浜にお供をし、碁が好きだといえば碁を習う。聞いた話だが、刀剣に趣味のある聯隊長が来たとたんに、聯隊の将校団に刀剣いじりが流行《はや》ったという。  中隊長のなかには、隊長室にいるよりも将校集会所あたりで遊んでいる者もいた。将集には娯楽室があって玉突、碁、将棋の設備ができている。見習士官の身分では入って行けないが、将校たちはそこで半日くらい遊ぶ。当番兵を見張りに立たせ、聯隊長などの姿を警戒させる。また聯隊本部付の少佐や大尉級がほとんどそうだった。隊には顔を見せるだけで外出ばかりしている将校もいた。  教錬、演習にはいつも教官とともに兵の先頭に立っているK中尉がそうした将校を月給泥棒と蔭で罵るのは無理もなかった。K中尉は軍人精神を宗教としている男である。その日常の行動は信徒の振舞だった。職分ノ存ズル所身命ヲ君国ニ献ゲテ水火尚辞セザルモノ実ニ其ノ精華ナリ。之ヲ以テ上官ハ啻《ただ》ニ演習勤務等ノ際ニ於ケルノミナラズ坐臥寝食ノ間ニ於テモ亦細心注意シ之ガ陶冶ニ勉メ部下ヲシテ常ニ軍人ニ賜リタル勅諭ト国家建設ノ本旨トヲ銘記シ且兵役ノ国家ニ対スル崇高ナル責務及名誉タルコトヲ自覚セシメ苟《いやしく》モ思索ノ選ヲ誤ルガ如キコトナカラシム可シ。経典の文章は一種のリズムをもち、思わず朗々として誦したくなる爽快さがある。K中尉はこの戒律の没入者、苦行者のようであった。  木村は、天野がK中尉の眼には偏執狂者のような光があるといったのを思い出した。宗教それ自体にはもともと狂熱的な要素があり、信徒のファナチシズムがモノメニアックなものを包含するのは当然かもしれなかった。  だが、月給泥棒と軍人精神教徒とを別の観点から眺めるとそこに潮流の縞のような区別が見えてくる。将校の年齢層の相違だった。少、中尉は二十三歳から二十七、八歳までである。幼年学校、士官学校と、世間とは閉鎖的な学校生活を経て、隊の中に送りこまれる。ここまでは修道僧《モンク》である。青年の純真が経典の教えに燃え立つ。  しかし、やがて彼らは結婚する。世間との交際がはじまり、子供をもち、家庭の維持を主体とすれば軍隊は単なる勤め場所になる。分別がついて事の理非を御勅諭では割り切れなくなってくる。出世は家庭経済生活の向上と、仲間や世間への見栄と二つの道にかかっている。要領のいいサラリーマン化は古参中尉から大尉あたりではじまっているようだ。K中尉のような若手将校もやがては血気を去って分別臭い中堅将校となって、次の若い者から同じような蔭口をきかれるのではなかろうか。  げんにK中尉らが兄貴分のように親しんでいる古参大尉は、彼らの話を半分仕方なさそうに、駄々っ子の言うことを苦笑で聞いているような態度である。ほんの一瞥《いちべつ》の光景だが、そう感じられる。 「それでは、A中佐はどうかい?」  と、木村の感想を聞いて天野は問うた。  A中佐の言行録はK中尉が精神訓話の中で繰り返し語ったものだった。お前たちはA中佐殿の言行が或いは変り者のように映るかもしれない、が、至誠奉公の精神を行動に体現する軍人は世間の眼からみて変り者に見えてよいのだ、それは社会の風潮が腐っているからだ、軍人はご奉公のためには社会的常識からもはなれなければならない。K中尉はA中佐の逸話を引いたあとでそう説明した。 「A中佐が、隊長の言う通りの人だったら、少尉時代の心でそのまま年寄りになったという感じだな」  木村はそう答えたが、K中尉自身はどうだろうかと考えた。あの薄気味の悪い光がその眼から除《と》れるのは相当に時間がかかるにしても、K中尉はA中佐にはならないだろう。二年間満州で過して内地に帰れば、分別臭い大尉になっているのではあるまいか。銃隊長が狂熱的な信徒でここに居るのも、あと一、二カ月の間だ、と思った。  天野が外出先で買ってきた新聞には、総選挙の結果、政友会が惨敗し、無産党が画期的な進出をしたと大きく出ていた。無産党が二十以上の議席を得ようとは予想もしないことだったとある。 「隊長がいうように、軍人の力を借りなくても今に重臣層は崩壊してゆくんじゃないかな」  天野は新聞から眼をはなして手の甲を擦《こす》った。 「お、ストーブの石炭が心細くなったな。当番兵を呼んで石炭を持ってこさせよう」  しかし、当番兵も見習士官室や下士官室と違って、見習医官室には親切でなく、万事がおろそかであった。用事を言いつけるにもこっちに遠慮が要る。  点呼ラッパが鳴った。「てんこゥ」と兵が廊下で呶鳴っていた。 「ああ、今日も一日が暮れたなあ」  天野が溜息まじりに言った。 「まだ暮れないよ。隊長殿の訓話が終るまではな。あれが終了しないことには気持が落ちつかない」  木村は笑った。近くの班内で点呼前の騒々しい音がしていた。      6  その晩と翌晩とは、点呼後に銃隊長の精神訓話はあったが、次の夜はなかった。今夜は二十五日で、二月もあと四日を残すだけとなった。  夢の中で音と声を聞いた。次第にはっきりして、扉を叩く音と、「見習医官殿」という声になった。大声ではないが急用の調子である。  木村はベッドから起きて電燈をつけた。天野も眼を醒ましていた。腕時計を見ると三時二十七分だった。 「入れ」  上等兵が入ってきた。外套を着て帯剣をつけていた。硬《こわ》ばった表情だった。木村は、班内かどこかの中隊に急病人が出たのかと思ったが、すぐに演習の非常呼集だなとさとった。非常呼集では前に二度起されている。 「非常呼集であります」  上等兵は眼を二人に等分に配っていった。 「よし」 「隊長殿がお呼びであります。事務室におられます。……見習医官殿、今度は演習ではありません」  上等兵はそれだけ言うと、急いで出て行った。上靴《じようか》(スリッパ)でなく、編上靴《へんじようか》をはいていた。  木村と天野は大急ぎで支度をした。各班のあるほうから足音や物を運ぶ音が乱れていた。それだけは騒がしいが、兵隊の声は低かった。 「演習ではないと言ったな。何だろう?」  と木村はいった。意味が分らなかった。 「おや、十一中隊も起きている」  天野が上衣のボタンをかけながら窓を覗いて言った。隣の兵舎の窓にも電燈がともり、舎前の雪が明るくなっていた。 「十一中隊も非常呼集か。合同かな」  十一中隊長代理はN中尉である。K中尉とは仲がいい。将校集会所にはよく二人で肩をならべてくる。天野は合同かなと言ったが、演習ではないといった上等兵の言葉をまだ解《げ》しかねていた。ストーブの火が消えていて寒かった。 「志村も起されているだろうな」  と天野がいった。志村もいっしょに見習医官になった仲間で十一中隊付だった。  事務室は廊下の向い側になる。木村が天野のあとから入ると、K中尉はあかあかと火の燃えるストーブの傍に立ちはだかり、初めて見る顔の中尉と話をしていた。少しはなれた横にはM少尉が赤い顔をして二人の話を聞く恰好で立っていた。三人の将校は指揮刀でなく、軍刀を吊っていた。  将校たちは演習の時の支度と変らないが、今度は拳銃を肩にかけていた。重々しい空気であった。  K中尉は話をやめ、ならんでいる木村と天野に姿勢を向けた。口もとに微笑を出したがすぐに消した。 「見習医官」  と、彼は顎《あご》を少し反らしていった。 「かねて支配階級の腐敗堕落を憤慨している青年将校は蹶起《けつき》した。わが銃隊はこれより出動する」  宣言するような張りのある声をここで切ると調子をちょっと変えた。 「貴官等はわが隊の最後尾より来い。負傷者等が出た場合にはよろしく頼む」  K中尉はそういったあと、じっと(例の眼つきで)二人を見つめた。見知らぬ中尉もM少尉もこっちを眺めていた。そこで気づいたのだが、将校三人とも長靴の先を藁《わら》で巻いていた。雪の滑り止めだった。 「自分らは銃隊の最後尾より参ります。負傷者等が出た場合は適宜処置いたします」  天野が復誦すると、 「ご苦労」  Kは突放すような語調でいった。一点に凝った小さな瞳の、吸い込むような視線は、二人が三十五度の敬礼から頭を上げた後まで残っていた。  見習医官室に戻ると、木村も天野もものを言わなかった。木村は軍医携帯嚢を点検した。小外科器嚢、注射薬、救急薬などをあらためた。「実戦」となると足りないものがいっぱいあるような気がした。その器具の音で天野もあわてたように準備を急いだ。それがまたこっちの気持をせき立てさせた。  K中尉は、いよいよやるらしいと分ったが、木村にはまだ実感がなかった。まさか、十一中隊のN中尉と組んで両中隊の兵隊まで連れ出そうとは予想しなかった。まだ、演習ではないかという気がした。前の二回は初めから演習だと分っていたから、今度は気合を入れるため実戦に見せかけ、適当なところで状況終りにするつもりではなかろうか。 「おい、本モノかな?」  天野も同じ思いとみえて訊いてきた。 「さあ。まさかと思うが」  まさかと思うが本モノかもしれない、が、演習かもしれない、というつもりだった。 「知らない中尉がいたな。この聯隊の将校ではない。あの人は何だろう?」  天野が医療嚢の準備を終っていった。木村はそれを思い出し、他部隊の将校が来ている以上は本モノの可能性が強く考えられてきた。  だが、K中尉は支配階級の打倒だといった。負傷者などが出たら頼むといった。どこの部隊と戦争するのだろうか。支配階級はどこかの軍隊を抱えこんでいるのだろうか。  二年兵の看護兵が入ってきて、どういうものを支度して持って行ったらいいかと訊いた。天野が医療行嚢は中隊にあるかと問うた。 「医療行嚢は医務室の薬剤室にあります。宿直下士官が保管されていますが、班長殿は医務室に行ってはいけないと言われました」  医務室に物品を受領に行くと行動の秘密が洩れるという意味らしかった。 「中隊にあるものは?」 「看護兵用の繃帯嚢だけであります」  内容は脱脂綿、繃帯、三角巾、沃度丁幾《ヨードチンキ》、メンタ酒、副木《そえぎ》などといった簡単な繃帯材料だけだった。 「初年兵の看護兵三名をおれたちにつけてくれ。隊長殿の命令で隊の最後尾につく」  そのあと語調を変えて木村はきいた。 「班の兵隊はどういう準備をしているかい?」 「機関銃の銃身を演習用のものから実戦用の銃身に換えております。各班には実包も渡されました」  兵が去ると二人は顔を見合せた。 「やっぱり実戦らしいな」  天野は不安な表情を濃くし、昂奮していった。 「どうもそうらしい。だが、いったいどこの部隊と戦うのだろうな?」  木村も激しい動悸をおぼえながら思ったことを言った。 「近衛の聯隊かもしれないぞ」  天野は外套の上に黒い革帯を締めながらいった。なるほど、そうかもしれない。重臣などの支配階級を護るとすれば近衛師団しかなかった。負傷者どころでなく戦死者が続出しそうであった。  木村は、野村軍医や森田軍医はどうするのだろうと思った。軍医に来てもらいたかった。とくに森田軍医中尉に来て欲しかった。森田軍医は内科だが、経験が深いので外科の処置も立派にできそうだった。学校を出て医局に半年ばかりいた貧弱な経験ではわれながら心細く、脚がかすかに震えてきた。 「隊長もM少尉も、兵隊もずいぶん早く起きたらしいぞ。すっかり準備完了だ。もう舎前で整列が終っている」  天野が軍医嚢を肩にかえ手で押えていった。  非常呼集はとっくにあったが、見習医官には最後に知らせたことが分った。前二回の場合は不寝番が廊下を走り「非常呼集、非常呼集」と大声で叫んで回ったので眼がさめたが、今夜はそれはなく、上等兵がこっそり起しにきた。しかも自分たちだけ起すのを遅らせている。その違いも本モノの真剣さを感じさせた。が、その一面、木村はまだ芝居のような気持がしていた。  舎前の雪の上に黒い一団が四つの小隊でならんでいた。左翼の列に重機関銃が十挺以上も白い地面に据えてあった。他の三列は着剣の小銃ばかりだったが、この銃隊には無いはずの軽機関銃班が後方に二班ずつ控えていた。四つの小隊のうち小銃小隊は各二分隊ごとにならび、重機関銃小隊は三箇分隊ずつ二列になっていた。各列の先頭に指揮官が立っていた。将校二名、曹長二名である。将校の二名はM少尉と第一中隊のI少尉だった。どちらも任官後一年も経たない新品少尉である。I少尉がここにならんでいるのは初めて見たから、一中隊の兵が一団の中にまぎれこんでいるのかもしれなかった。第一小隊長と機関銃隊長が曹長である。この体形は、I少尉の参加を別とすると、前二回の演習のときと同じだった。違うのは兵の中に催涙|瓦斯《ガス》の緑筒や煙幕筒を持っている者が多いことで、梯子《はしご》や鉞《まさかり》が見えるのも初めての光景だった。下士官連中は一人のこらず憲兵のように拳銃を肩に吊っていた。  機関銃の銃身はなるほどギザギザのついた実包用になっていた。演習用のはすべすべしている。  K中尉はゆっくりと堵列《とれつ》の中央にすすんで兵隊たちと対《むか》い合った。頭の上に雪が少し降りかかった。注意によって兵の番号は低い声で各小隊の列の間を走った。 「第一小隊、小隊長以下百二十名、集合終り」  右翼列から曹長がいった。 「第二小隊、小隊長以下九十三名、集合終り」  I少尉が甲高い声でいった。 「第三小隊、小隊長以下百六名、集合終り」  M少尉が少年のような声でいった。 「機関銃小隊、小隊長以下八十三名、集合終り」  曹長が最後に押えるような調子でいった。  Kは不動の姿勢で、報告ごとに一々深くうなずいていたが、わずかに股を開いて右側の長靴の先を斜めに出した。 「よし。休ませい」  各兵舎のコンクリート建物は闇の中に森閑と静まり返っていた。この機関銃隊の窓も十一中隊の窓も電燈はすでに消えていた。十一中隊の舎後のほうからは声がしていた。志村見習医官の瘠せた姿が想像された。      7  K中尉は腕時計を遠い営庭の灯に写すようにしたあと、右翼から左翼へ顔を一巡させた。 「ただ今、午前四時三十八分である。未明から皆はご苦労である。しかし、今回は演習ではない。これよりわが銃隊は市内に向って出動する。行先は追って後命する。ただ今より出動の趣旨を皆に伝える。よく聞け」  Kが上衣の物入れ(ポケット)からたたんだ半紙をとり出すと、伍長が隊長の横に回って懐中電灯の光を紙に当てた。彼は軽く咳払いをした。 「謹んでおもんみるにわが神州たるゆえんのものは、万世一神たる天皇陛下の御統帥の下に……」  天皇陛下という語が聞えると兵たちは号令も受けずに一斉に軍靴の踵《かかと》を鳴らして、直立不動の姿勢をとった。Kは、紙から眼を放し、皆に休め、といったが、至尊とか祖宗とか御稜威《みいつ》とかいう語が続出するたびに兵隊の自発的な靴音が起るので、遂に休めを諦めて読みつづけた。声は冬の未明のひきしまった空気の中に、金属性の物体に反響する如くに澄んで伝わった。  だが、そうした単語や「至尊絶対の尊厳をびょうしし、せんじょうこれ働き」とか「奸賊をせんじょするにあらずんばこうぼをいっくうせん」とかいう言葉は耳に入ったが、およその意味には察しはついても、どういう文句なのかよく分らなかった。ましてや兵隊たちには分るまい。それにK中尉は時間を気にしているらしく、早口の棒読みだった。が、終りのほうになって「ここに同憂同志軌を一にして蹶起し、奸賊をちゅうめつして大義をただし、国体の擁護かいげんにかんのうをつくし……」という文句が耳に入った。カイゲン、カンノウとは漢字でどういう文字をはめるのだろうと木村が考える間もなく、隊長は「陸軍歩兵大尉××××、ほか同志一同」と結んで、その半紙をたたんで再び物入れの中に押しこんだ。  兵たちはもとの姿勢のままで佇み声一つ洩れず、肩一つ揺れなかった。荘重な文章の威厳に圧《お》された以上に意味を解し得ないための放心にみえた。  木村は、××大尉の名とほか同志一同というのを最後に聞いて、これはやっぱり演習ではなく実戦だと思った。××大尉とはどこの聯隊の将校なのか知らないが、そういう他部隊の大尉が代表している以上はよほど大規模な出動だと感じた。ほか同志一同というのもまだまだ見知らぬ将校がいっぱい加わっていそうである。 「銃隊の全指揮は自分がとる。合言葉は、尊皇と斬殺である。尊皇は日ごろから隊長が訓示しているから皆はよくおぼえているであろう。斬殺は、奸臣を斬り殺す、あの斬殺である。同士打ちにならないように尊皇と声をかけられたら、斬殺と即座に答えるのだ。よく頭の中に入れておけ。行軍順路と部隊編制は前に同じ。終り」  Kが言葉を結ぶと、教官殿に敬礼、とM少尉が一声叫んだ。白い森林が暗がりに立つようにさっと着剣銃が捧げられた。Kは挙手をし、右から左へ悠然と首《こうべ》を回らせた。天晴れの若武者振りであった。この愛すべき青年将校はいまどのような幻想に陶酔しているのであろうか。 「銃に実包を弾込《たまこ》めせよ。安全装置を忘れるな」  小銃小隊の各小隊長がいった。兵の間にガチャガチャという弾を装填する銃の音がひとしきりつづいた。実包銃身になっている機関銃はすでに用意ができているようで沈黙していた。  第一小隊から隊列が動き出した。K中尉はその先頭に立った。順序はこの前の演習の通りで小銃の二箇小隊のあとに機関銃小隊がつづき、そのあとに軽機を含めた第三小隊が従った。木村は天野とならんでその後尾についた。初年兵の看護兵が三人、大きな看護兵嚢を肩にかけて見習医官のあとから歩いた。  営庭に出ると雪は昨日よりも厚く積もっていた。聯隊本部は真暗だったが、営門は開き、先頭の隊列が、そこから出ていった。電燈のついた衛兵所前には衛兵が整列し、その影は雪の上に流れた灯に映し出されていた。伍長勤務上等兵の衛兵司令が不安そうな眼つきで見ていた。  聯隊前の電車通りに出ると、この機関銃隊の前を行進している部隊の後影が見えた。兵隊の中から、歩三だ、歩三だ、というささやきが起った。活気の出た声だった。ほかの部隊もいっしょだということに不安がなくなったようだった。  雪の電車通りを六本木交差点に向った。町の人かげは一つもなく、家々は屋根だけを白くしてうずくまっていた。天野がうしろをふりかえったが、フランス料理店も暗かった。  そのとき天野が気づいて、あとから部隊が来ているといった。 「おい、十一中隊らしいぞ」  といった。黒い塊から想像して機関銃隊と同じくらいの人数のようだった。 「いよいよ、やるんだなあ。えらいことになったなあ」  天野が声を殺していった。 「志村のやつ、どんな顔をしているかな」  ここまでくれば演習という考えは拭い去らねばならなかった。小銃に実包をこめたのを目にしている。機関銃は実包銃身である。将校は拳銃を吊り、軍刀を携えている。下士官も拳銃の帯紐を肩に斜にしているのである。  六本木の交差点を左に曲った。電車道が下り勾配となっている。福吉町の停留所を過ぎた。前二回とも同じコースだったので、木村はまた演習のような気持が起りかけた。 「おや、歩三は右に曲ったぞ」  溜池の電車通りの交差点で、前を歩いていた部隊が虎ノ門の方角に折れた。隊列が横側になって見えたのではじめて分ったが、この部隊の倍くらいはありそうな人数だった。 「大部隊だなあ」  天野が身震いしたようにいった。が、木村はかえって実戦とは信じられなくなった。諸部隊の合同演習のようだった。  この部隊は前回の順路のように左に曲った。歩三とは左右に岐《わか》れたことになる。うしろを見ると十一中隊はこっちのほうについてきていた。河岸に買出しに行くのか魚屋の印のついた三輪車が電車通りの向う側を走っていた。乗っている者は兵隊の行軍を見るよりも、雪道の運転に難儀していた。  特許局の角から坂道を上った。登り切った左手に首相官邸がある。この前はそこを素通りしてお濠端に下り、二重橋前に出て万歳を三唱した。しかし、今度は前のほうから行進が停止した。雪は降っていなかった。  木村は、この瞬間でもK中尉が「状況終り」の号令を張り上げそうな気がした。この瞬間でも──未練なその想像は、坂の途中にある交番で兵五、六名が巡査を囲んでいる姿を見て、まず破れかけた。次には「機関銃隊前へ!」という声でまったく打ちくだかれた。  隊は二つに分れた。一隊は官邸の正門に向っている。一隊は裏門のほうに進んで坂を下りている。優雅で複雑な輪郭の官邸の建物はやはり白い雪を屋根のほうぼうにのせて黒々とそびえていた。  木村はどっちの小隊に従ったものかととまどったが、結局、すぐ前の小隊の進む裏門のほうに進んだ。それはまた三手に分れ、一手は官邸の西南に当る三つ角の広場に機関銃をならべ、一手は裏門の前で官邸とは逆の空地方面に向って機関銃を据えた。あとの一手は裏門から機関銃を運び入れた。どの機関銃分隊にも小銃分隊が警護し、兵は雪の上で折敷や伏せの姿勢をとった。  木村と天野はどの分隊にいていいか分らなかったが、空地に向って陣どりしている兵のうしろに立った。そこに部隊といっしょになっていた見知らぬ中尉が大股で歩いてきた。 「見習医官。一名はあっちへ行け」  と表門のほうを指した。その眼の当った先に天野がいたので、天野は看護兵一名を連れて急いで歩き去った。 「おい、看護兵。姿勢が高いぞ。ぼやぼやしていると怪我するぞ。もっと離れろ」  分隊長の下士官がどなった。初年兵の看護兵二人はびっくりしてしゃがんだ。木村も片膝を突いた。  しかし、木村は不愉快だった。下士官の怒声はあきらかに看護兵よりも見習医官の彼に向けられたものだった。非戦闘員に対する一種の軽侮と悪《にく》しみが、いかにも邪魔者扱いの叱声に露骨に出ていた。下士官の声に兵の二、三人が低く嗤《わら》った。この緊張のさなかにである。木村はそこを立去りたくなった。  見渡したところ、敵の姿はどこにもなかった。高台のここからは街の白い屋根が闇の下にうすぼんやりとひろがっているだけだった。  建物の中で銃声が鳴った。五、六秒置いて、銃声が四、五発つづいた。拳銃だか小銃の音だか分らなかった。腹に響くような音だった。  機関銃の射手はさきほどから引金に手をかけている。官邸の中で声や音がしていたが、ここまではよく聞えなかった。木村は全神経がきしむくらいに圧迫されるのを感じた。どういうわけか便意を催してきた。      8  状況がさっぱり分らなかったが、裏門の中から兵が一人走り出て、 「見習医官はいないか?」  とあわただしく叫んだ。  木村が思わず身体を起すと、兵は眼の前に発見してちょっとうろたえ、 「見習医官殿でありますか」  と言い直した。 「班長殿が負傷されました。こっちにお出でください」  兵は木村を引張って行くように裏門の中に入った。  すぐ横に守衛所のような小さな建物があり、電燈は消えていたが、一人の兵が腰かけ、もう一人の兵が介抱するように屈みこんでいた。木村を呼んできた兵は、班長殿、見習医官殿です、といい、木村には、腕をやられております、と口早にいった。右腕は手拭で縛ってあった。手拭は血にそまり、その血はひろがりつつあった。軍曹だった。兵二人は上等兵と初年兵で、上等兵のほうが木村を呼びに来たのだった。  木村は軍曹の顔は知っていたが、名前は分らなかった。銃隊に来て日が浅く、日ごろは班や銃隊事務室とは関係がないので、下士官とも交流はなかった。  木村は初年兵に懐中電燈を照らさせ、携帯嚢から注射器具入れを出し、一本ずつ強心剤と止血剤とを注射器に吸いこませた。手拭を解きかかると軍曹は顔をしかめたが、木村に、お世話になります、といった。いつの間にか看護兵が来ていた。  負傷は右腕の上膊部で消毒薬で血を拭くと孔があらわれた。貫通銃創か盲通銃創かよく分らなかった。注射を打ち、リバノールガーゼを厚く当て、看護兵の繃帯嚢から出した繃帯をなん重にも捲いた。  上等兵と初年兵は肩をさすり、班長殿、傷は浅いようです、頑張ってください、と励ましつづけていた。軍曹は痛いらしく、腕を上等兵に支えられたまま腹を前に曲げてうつむき、苦しそうに唸《うな》っていた。上等兵は、見習医官殿、痛みどめの注射をお願いします、としきりと軍曹に親身となり、初年兵もここぞ大事とばかりに軍曹の世話にへばりついていた。木村は、パピナールを持っていたが、もっと重傷者が出た場合を考え、すぐにどこかの病院に送るようにするから、と答えた。が、何処の病院か当てもつかず、自分にそれだけの権限があるかどうかも分らなかった。すべては、慌だしい、息の切れそうな中だった。  本館の中からは銃声は熄《や》んだものの、器物が壊れる音がしきりと起った。大勢で走り回る音も聞える。このとき裏玄関口から兵が一人に背負われ、一人につき添われて出てきた。見習軍医殿、と一人が呼んだ。  背負われた兵は上等兵で、外套の腰のあたりが血に染まっていた。腰をやられたようです、と附添っている初年兵がいった。背負っている兵も初年兵であった。上等兵は口も利けずに、初年兵の肩に顔を伏せ、とぎれとぎれに呻《うめ》いていた。  これだけの出血だといくら繃帯があっても足りないと思い、看護兵に家の中に入って何か布をさがしてこい、というと、宿直室にこういうものがありましたと敷布を持ってきた。守衛所の裏に仮眠所に使っているらしい四畳半ばかりの畳の間があったので、そこにうつ伏せに横たえ、外套を脱がせ、上衣を除《と》って襦袢《シャツ》をめくった。その間も出血がひどく畳にも流れるほどだった。とても軍医携帯嚢の備品では間に合う話ではないので、そのまま敷布を裂いて繃帯代りにし、胴巻きのように厚く捲いた。上等兵は土色の顔色をしていた。これには強心剤と止血剤を数本打った。  初年兵二人は横たわっている上等兵に、上等兵殿、上等兵殿、元気を出してください、と耳もとで代る代る呼んでいた。まるで家族が重傷したように気を揉んでいた。  軍刀と長靴の音が近づいたので見ると、K中尉が苛々した様子で歩いてきていた。そのうしろのほうに天野の顔が見えた。  Kは守衛所の中をのぞいて二人の負傷兵を見下ろした。軍曹が頭を下げて、ちょっと笑った。なんだ、××か、と隊長は軍曹の名をいい、腕をやられたのか、うむ、表玄関の中から射ってきた警官隊の拳銃だな、とうなずき、木村を見て、負傷の程度はどうだ、と訊いた。はい、貫通銃創かと思われますが動脈をはずれているので大丈夫であります、それよりも、こっちが、と上等兵の寝顔を目で示した。上等兵はかけられた外套の下で脚を曲げて沈黙し、隊長に挨拶もできなかった。  すぐ病院にかつぎこんだらいいのではないか、とさすがにK中尉もこのときばかりは木村と天野に相談口調であった。そのほうがよいと思われますが、適当な病院に心当りがありませんので、と木村が相手が相手だけに、あとの責任の鬱陶しさを思っていうと、地方の病院よりは陸軍第一衛戍病院に入れろ、そうしろ、とKは命令した。  第一衛戍病院は新宿若松町だから車で送らなければならない、病院に電話して至急に患者輸送車の手配を頼みましょうかと言いかけたところに下士官が走ってきて、隊長殿、首相らしい老人を見つけました、M少尉殿の弾で中庭に倒れております、と昂奮して報告した。そうか、よし、と隊長は勢いよく返事し、患者のことは木村と天野に任せた恰好で、本館のほうへ駆けるように去った。  衛戍病院に電話したいが、電話機がどこにあるか分らなかった。官邸の中は物が壊れる音がつづき、大勢の軍靴が乱れて走り回っているので、電話機の所在を捜すのも骨のように思われた。  このころになると木村も自分でよほど落ちついてきたように思われた。負傷兵の血を拭いて傷口の手当をしたのが役立ったように感じられ、やはりおれは医者であったとよろこばしい気持も湧いた。  負傷した兵が三人ここに運ばれてきた。一人の負傷者に兵隊が二人つき、下士官や上等兵には三人も四人も初年兵が附いていた。その親切ぶりを見て、木村はまた見習医官という自分の立場が淋しくなった。将校ではないから専任の当番兵も持たず、班と関係がないから下士官のように部下の兵がいなかった。看護兵は三人ほどいるが、班内の兵だからやはり班長や古年次兵を大事にしている。また、見習医官室の当番兵はいたが、これも各班で一週間ごとの交替だから結びつきはうすかった。のみならず、同じ当番兵でも見習医官室つきはほかにくらべてよそよそしく、まったくお義理だけで茶を濁していた。兵科でない格差だった。  すると見習医官、いや、軍医という位置が砂礫《されき》の広場に見えてきた。天野の「鴎外の発見」が胸に浮んだ。  その天野の姿がちょっと見えないと思っていたら、彼は白い息を吐いて戻り、官邸の正門に市川野重砲兵聯隊の将校でこの決行の参加に乗用車で乗りつけたのがいるから、その車を患者輸送に借りるように交渉してきた、いま、裏門に回させている、と木村にいった。それで、急ごしらえの送院患者名簿を書き、軍曹を介抱している兵一名をつけて、上等兵の患者といっしょに車に乗せた。兵隊十名ぐらいで車まで運んだが、担架もないことなので、抱えあげられた上等兵は小犬のような悲鳴をあげていた。  あとから出た負傷者三名を天野といっしょに応急手当したが、みんな拳銃による銃創であった。警護の警官隊も相当に働いたと分り、この完全武装の軍隊の襲撃に対して拳銃頼りに無勢でよく戦ったものだと感心した。曇り空ではあるが、あたりがうす明るくなっていた。  このとき建物の奥から「総理大臣を殺《や》った」という声が聞えた。兵隊たちが騒いでいた。  見習医官殿、総理大臣をやったが、完全に死んだかどうか検《しら》べてください、と十人ばかりの兵の中から下士官がいった。木村は殺気立った兵隊の中で、しかも兵に権力のある下士官がいったので断ることができなかった。初めて美事な首相官邸の中に入ったが、廊下の緋絨毯《ひじゆうたん》は軍靴の泥と、雪の解けたのとで、べとべとになっていた。帝国ホテルにも似た内部は、天井はカンバス張りの置模様、壁は陶器細工だった。各部屋のドアは開け放たれ、卓や椅子がほうり出され、天井から飾り模様のシャンデリヤが落ちて硝子が飛散していた。  聞かなくても兵隊たちがぞろぞろ向っているほうがそうだと思って歩いてゆくと、兵が一群れになってある部屋の前にかたまっていた。木村の姿を見ると、兵たちは黙って道を開けてくれた。このときだけは軍医の資格に優越を覚えた。  なかが日本間だったので長靴を脱いで畳に上ると、それは八畳ぐらいの立派な部屋で、床の間の前に蒲団が敷かれ、老人が眼を閉じて顔だけ出していた。殺されたあとで蒲団の中に運び入れられたらしく右側の頸《くび》から血が出て枕の下に溜っていた。短い白髪頭で、眉が太く、団子鼻の下に白い口髭が立っていた。額の皺《しわ》が眉根の間に寄った深い縦皺にこじれていた。頬にはまだ血色が残っていた。  これが総理大臣か、と思いながら木村は何秒の間か立ったまま見下ろしていた。強い刺戟の連続で感覚がバカになっているのか、別段感慨めいたものも湧かなかった。新聞の写真で見た顔の通りだが、それよりも昨年の七月に病院で脳溢血で死んだ或る会社の社長の顔のほうにもっと近かった。  木村は、そこに誰もついていなかったので、傷口を検べる気にもなれずに入口に出て長靴をはいた。  集まっている兵隊たちが、見習医官殿、総理大臣は死んでいますか、と口々にきいた。木村は、うん、うん、とうなずいて裏口のほうに戻ったが、さっきの下士官の顔も分らず、黙って負傷兵のほうに行った。  さっき軍曹と上等兵を送院した乗用車が戻ってきていた。天野は送院患者名簿を書いた。  さっき、志村見習医官がここに顔を出して帰ったが、十一中隊は陸相官邸を占領しているそうだと天野は伝えた。 「志村はどんな様子だったか?」  木村は、瘠せた志村の顔を泛《うか》べながら訊いた。 「なに、元気だ。あいつも初めは恐ろしかったが、いまは何とも思わなくなったといっていた。なにしろ陸相官邸を見物にこい、と言っていたくらいだからな」  天野は笑いながらいった。  木村が、首相の死顔を見てきたというと、天野は急に笑顔を引込め、眼をまるくした。あたりに兵隊の姿は一人もなかった。天野は志村から聞いた情報を伝えた。 「おい、侍従長も、内大臣も、大蔵大臣も、教育総監もみんな殺られたらしいぞ。陸軍大臣は同志にトリコにされているそうだ」      9  裏門口の兵は、全部表門に回って表玄関で叉銃《さじゆう》して休憩していた。将校たちは官邸の机や椅子を持出して玄関前の広場に集まっている。兵の様子は不安げで、みんなぼんやりとした表情だった。上官ノ命令ハ如何ヲ問ハズ服従スベシ。しかし、一方ではささやく。自覚ナキ外形ノミノ服従ハ何等ノ価値ナキコトヲ思ハザル可カラズ。兵はどっちを信じているのであろう。  K中尉を真ん中に初めてみる大尉と中尉の階級章をつけた将校が三人とM少尉、それに一中隊の少尉らが輪になって明るい顔で話し合っていた。木村は、将校のいるところに行くのは悪いような気がしたが、見習医官では兵隊の仲間に入ることもできず、さりとてひとりはなれてぶらぶらすることもできず、何とはなしに将校らのいるほうに遠慮がちに歩み寄った。  K中尉はまだ昂奮のしずまらぬ顔で大尉の衿章をつけた将校と話していたが、木村を見ると、 「兵の負傷の程度はどうか?」  と訊いた。応急手当のまますぐ衛戍病院に送ったのと、外科のほうは学校で概略を教わった程度なので木村はよく分らなかった。 「自分にはよく分りませんが、大したことはないと思います」  Kは軽くうなずいただけでそれ以上には訊かず、折からやって来た、これも見知らない他部隊の中尉のほうに歩を移した。背の高いその中尉は白い歯をむき出し、内大臣がどうしたこうしたと手振りで状況を説明していたが、ほかの将校もそのまわりに立って聞いていた。  木村は、これらの青年将校が今回の「蹶起」の中心人物かと思うと、国家の体制というのが紙細工のように頼りなく感じられてきた。国家権力は想像もつかぬほど強大で、これを崩すには外国兵力による長期戦以外にはないと考えられたのに、この数人の若い将校たちの手で他愛なくひっくり返されてしまった。それもほんの三十分足らずの間だった。どんな空想でもここまでは及ばない。およそ体制の変革には五年も十年も要すると思われるのに、三十分くらいでそれが出来たというのは非現実なこととしか考えられない。が、非現実なことが現実に眼の前に存在しているし、国家権力が紙細工であったことを見せた連中がすぐ前で談笑しているのである。  だれが調達したのか、兵隊たちの間に酒屋からリヤカーで運ばれた酒樽が据えられた。台所に不自由はない。官邸から持出した見事な茶碗が将校たちに配られ、兵が燗酒《かんざけ》をついで回った。K中尉が見習医官もいっぱい飲めといったので木村は茶碗をとって口をつけた。雪が少し降ってきたが、それほど寒くはなかった。  将校たちの傍に居づらくなったのと、しばらく忘れていた便意を思い出したので、木村は茶碗を置いてそこをはなれ、官邸の中に入って便所をさがした。便所は西洋式の立派なものだったが、使用法を知らない兵隊たちが目も当てられぬくらいよごしていた。  便所を出て裏門に行くと、天野がいて、これから表門入口脇の守衛所でパンを食わせるそうだから行こうと誘った。はじめて腹が減っていることに気づいた。木村が、将校たちと酒をいっぱい飲んだというと、将校連中といっしょにいるのは気詰りだ、守衛所は下士官ばかりだからそっちのほうがいいといった。見習医官は、下士官程度のところに落ちつくのがいちばんいいようであった。  守衛所には下士官たちが十二、三人もいて腰かけるところもなかったが、それでも伍長が二人立って椅子をすすめてくれた。木村と天野は机の上の長い箱に入ったパンを二つ食べた。銃隊の下士官でさえ馴染がないくらいだから、他中隊の下士官の顔を知るわけもなく、二人黙って下士官どうしが話をするのを神妙に聞いていた。下士官たちは、地方部隊が応援のため続々上京するそうだ、と元気をとり戻したように話していた。木村は、このさき、どういうことになるのだろうとひとりで考えていた。  雪が強く降りはじめたので、兵は全部邸内に入った。下士官もそこへひきあげた。  将校たちは玄関の車寄せに移り、そこに机を置き、椅子をぐるりに置いて坐った。そばに大火鉢があり、兵隊が炭を山もりにしているので、シナの山水を描いた陶器が割れそうなくらい火がさかんだった。K中尉が、見習医官は火鉢に当っていろ、といったので、木村と天野ははなれたところに椅子をよせて股を焙《あぶ》っていた。  将校連中は|何か《ヽヽ》話合いをはじめたが、その一人の大尉の肩章をつけ、所属部隊の衿章のない将校がこっちに視線を送っていたが、Kに低くささやいた。Kは椅子から身体をねじ向けて、 「見習医官。貴官たちはしばらく向うに行っておれ」  といった。二人は起きて車寄せから応接間のほうに歩き、中をのぞいたり、廊下をぶらぶらした。緑色のような釉《うわぐすり》をかけた陶器造りの建物の中は美術館の中を歩いているようだった。どの部屋の壁も絹どんす張り、ホールあり、閣議室あり、応接室あり、舞踏場ありで、昭和三年末に百五十万円をかけて完成したこのライト様式の建物は建坪千五百坪、うっかりすると迷い子になる。  そのうち窓を見ると、K中尉の指揮でトラック二台に完全武装の兵隊が五十名くらい乗り機関銃一挺と軽機関銃一艇を積み、K中尉と他の将校三名が同乗して門を出て行った。 「今度はどこを襲撃するつもりだろう?」  天野が見送って呟《つぶや》いた。青年将校たちは今や思うところを自由自在に攻撃できるから、K中尉がどんな偉い人を殺してくるか愉しみのようでもあった。 「こうなると、われわれの立場は気楽なもんだな」  天野が手をうしろに組んでいった。まったく傍観者の立場だなと木村は思った。 「鴎外にね、『傍観機関』という小論があるよ」  天野は、木村の思っていることを察したようにいった。  木村は、傍観機関とはなんだ、やっぱり軍医のことを書いているのか、と訊こうとしたがやめた。こんな際にまだ鴎外の書いたものを持出したり、文学のことを口にする天野に軽い反撥が起った。  こんな際に、というのは、この国家の異常事態に、という意識である。このさしせまった現実のなかで文学などなんの価値があろう。そんなものは泰平の世の玩弄物《がんろうぶつ》だといいたかった。が、そう乱暴なことを考えたり、天野の言い方に反感をおぼえたりするのは、いつの間にかK中尉に影響されているのかと思った。が、その一方では、軍医総監森林太郎の書いたものがあまりに身につまされそうなので、それを回避したい気持もあった。  K中尉は新聞社を襲撃して帰ったということだった。その兵隊と、前からの兵隊たちは官邸の各部屋を占領して、それぞれ班をつくっていた。豪華な模様の入口には、第一班、第二班、第三班というように墨の下手な字の紙がべたべた貼りつけてあった。下士官室、銃隊事務室というのもあった。見習医官室というのは無かった。用のなくなった看護兵はどこかに消えていた。  見習医官室の当番医が第一班の初年兵だったので、木村と天野はその部屋に入ったが、火鉢を囲んだ兵隊たちはうちとけず、自分らばかりで話合っているので、居心地はよくなかった。が、さし当ってどこに行く当てもないので火鉢に手をかざしていると、部屋に入ってきた兵が、いま聯隊長殿がみえてK教官殿と何か話されて帰られた、とみなに知らせた。兵隊たちは、今夜は聯隊に帰るのだろう、もう少しここに逗留《とうりゆう》したい、総理大臣の官邸に寝起きできるとは一生の想い出になる、などと言っていた。第一班は首相秘書官の控室であった。  廊下で、各班、飯上《めしあ》げの使役に出ろ、とどなる声が聞えた。上等兵が廊下に首を出して、おい週番上等兵、官邸の炊事場からご馳走が出るのか、と聞いた。いや、聯隊からいまトラックで昼飯が届いたのだ、と声が答えた。各班から初年兵が七、八人ずつとび出して行った。  聯隊長が訪ねてきたり、聯隊から給与があったりするところをみると、今回の決行は聯隊との連絡の上で行なわれたのだなと木村は思った。そうすると、これは先遣部隊なのだろうか。先遣部隊に事をやらせて、聯隊がじっくりと動く、師団が動くという計画かもしれない。そうでなければ、大尉や中尉あたりだけでこんな大規模な、また思い切ったことがやれる道理はない、と木村は合点がいった。  しかし、そのあと、天野といっしょにK中尉に呼ばれた。 「貴官等は、ただ負傷者の手当に従事しただけで、決してわれわれとともに同志として行動したのでないことは、聯隊長殿をはじめ上官にはよく言ってあるから決して心配するな」  木村は、おかしいぞ、と思った。心配するな、というのは必ずしも四囲の情勢がよくないことを意味しているのではなかろうか。つまり、彼らの行動が法に問われることを予想して、心配するなといっているのではないか。      10  M少尉が来て、いま衛戍病院から電話があった。負傷者のことでききたいから誰かよこせと言ってきたから、病院に行ってくれ、と木村にいった。声の調子が昂ぶっていた。  木村は官邸用の自動車を出してもらい、若松町方面に向ったが、三宅坂、霞ヶ関一帯は決行部隊の兵隊に遮断され、歩哨線が出来て出入りが厳重だった。木村の車も二度とめられた。雪の中を日比谷辺に市民が様子を見に集まっていたが、憲兵にときどき押し返されているようだった。群衆は木村の乗った車をもの珍しそうに眺めていた。  衛戍病院に着くと看護官が出てきて、首相官邸の護衛巡査がこの病院にくる途中で死んだ、歩一部隊のM少尉に軍刀で斬られたということだが、わけが分らないから事情を聞かせてほしい、といった。  木村には、M少尉が少し昂奮していた理由がそれで分った。護衛巡査のことは初めて聞く話なので、木村は、自分も訳が分らないから帰ってよく調べてみるといった。そこに軍医少尉がきて、病院長閣下が会いたいといっておられるのでこっちに来てくださいと案内に立った。  木村はここにくると心の安らぎをおぼえた。この先どうなるか分らぬ決行部隊の中から脱れたからではない。ここがまさに「医学」の世界だったからである。まぎれもなく彼の「本科」であった。  長い廊下を歩いていると、行き遇う軍医も看護兵も、それから看護婦も彼に親しげな表情を見せていた。同じ人種に寄せる親愛感に似ていた。所属部隊の違う差別感は少しもなかった。自分たちの仲間だという意識にみちみちていた。空気に甘い包容感があった。消毒薬の臭いも病院の医局に戻ったような気がする。ここでは兵科の患者が小さくなっているのだ。兵科の将校でも看護兵に遠慮し、孤独の中に卑屈になっていた。木村は久しぶりにのびのびとした心地になった。こういう大騒動が起ったからには、寒い満州行きも中止になり、ほかの聯隊が代るかもしれないと思った。  病院長は少将の肩章をつけた五十半ばの人で、短い頭髪はゴマ塩だが、口髭はほとんど白くなっていた。ふしぎなことに、蒲団の中から出ていた総理大臣の顔に似ていた。  病院長は、木村に貴官は現在何処にいるのか、ときいた。彼は、首相官邸にいることを答え、その経緯を問われるままに述べた。  病院長は聞き終って、半眼にしていた眼蓋《まぶた》を開いた。 「皇軍衛生部の立場は、常にそうした圏外にあることを主義としているのであるが、隊付見習医官の立場とすれば上官の命で出動したのではまた止むを得まい。しかし、今後も衛生部の立場を旨《むね》とするように」  病院長は、諭《さと》すように、同情するように静かな口調でいった。  木村は首相官邸に引返す車の中で、病院長の言葉を思い返した。  病院長閣下は、圏外に立つことが皇軍衛生部の主義だといわれた。圏外とは「傍観」にほかならない。「軍隊成立ノ要義ト戦時ノ要求トニ基キタル特殊ノ境界」にある兵営生活の中で貫くこの傍観主義。「博愛主義」を目的とする医学と、軍隊の目的との美事な調和。── 「ソノ時ハ東京第一衛戍病院ヨリソノママ首相官邸ニ帰ツテ行キマシタ。ソシテ兵ノ足ノマメ[#「マメ」に傍線]ヤ擦過傷等ノ手当ヲシテヤツテ居リマシタ。  夜ニナツテ私ハ容易ニ寝付カレマセンノデ、天野見習医官ヲ誘ツテ陸相官邸ニ出カケマシタ。陸相官邸ニハ第十一中隊ガ居ルコトヲ聞キ、且、第十一中隊ニハ志村見習医官ガ居タカラデアリマス。  志村見習医官ハ陸相官邸ノ通信室ニ居リマシタノデ、ソコデシバラク話コミマシタ。コレカラドウナルノダラウカトイフ見通シデオ互ニイロイロ話合ヒマシタガ、結局三人トモ分リマセンデシタ。  志村見習医官ニ、首相官邸ヲ見物カタガタ泊リニ来ナイカト云フト、志村見習医官ガツイテ来タノデ、首相官邸ノ中ヲ見セ、ソノアトハ三人揃ツテ、空イテヰル部屋ニ寝マシタ。志村ハソノ翌朝食事後、陸相官邸ニ帰リマシタ。  翌晩ハ、私ハ第一内務班ヘ寝テ居リマシタガ、夜半マデナカナカ寝ツカレマセンデシタ。午前二時頃、聯隊ヨリ来タ給与係下士官ヨリ戒厳令ノ敷カレタコトヲ聞イテ驚キマシタ。  朝、玄関前ニ整列シタ兵ノ前デ、K少尉カラ戒厳令ノ達シガアリマシタ。首相官邸ノ部隊ハ戒厳直轄部隊ニナツタト聞カサレマシタ。  ソノ日ハ一日中、自分等ハ官邸ニ居リ、同僚天野見習医官ト語リ合ヒ、互ニ心細クナツテ聯隊ニ帰リ度ク、私ハ官邸カラ聯隊ノ森田軍医中尉ニ電話ヲカケマシタガ、傍ニ兵士達ガ多数居リマシタノデ、思フコトヲ充分ニ話スコトガ出来マセンデシタ。  ソレデモ森田軍医中尉ハ、私ノ意図ヲ察シタトミエ、 『軽率ナコトヲスルナ、出来レバ首相官邸ヲ抜ケ出シテ来イ』  ト云ハレマシタ。森田軍医中尉ハ、私ガ尊敬シテヰル上官ナノデ、ソノヤウナ電話ヲカケタノデアリマス。  天野見習医官ト二人デ相談シ、早ク帰リ度イト思ヒ、色々策ヲ練リマシタガ、ウツカリ抜ケ出テハ歩哨ニ撃タレサウダシ、トイツテ将校ニ話セバドンナコトニナルカ分ラズ、ドウシタモノカト考ヘコンデヰマシタ。  午後二時頃、総理大臣ノ遺骸ヲ取リニ秘書官ノ方達ガ見エマシタ。ソレマデ遺骸ハソノママニシテアツタノデアリマス。K中尉ハ私共見習医官ヲ呼ビ、 『死体ノ処理ヲシロ』  ト言ハレマシタノデ、私共ハ死骸ノ傷口ヲ検ベ、傷部ニ繃帯ヲ施シテヤリマシタ。  夕方ニナツテ、伍長一名ガ拳銃ノ暴発デ右ノ手掌ニ貫通銃創ヲ受ケマシタノデ、私ガ此ノ負傷者ヲ東京第一衛戍病院ニ送リニ行キマシタ。  ソノ時、私ハ再ビ衛戍病院長閣下ニ呼バレ、 『君ハ此処ニトドマレ。モウ首相官邸ニハ帰サヌ』  ト言ハレマシタノデ、安堵シマシタ。  病院長閣下ハ、ソレカラ順次ニ一般状勢ヲ語ラレ、 『言フコトヲ聞カナケレバ、彼《あ》ノ部隊ハ全滅サセルベク、ソノ大命降下モ近キニアル』  ト言ハレマシタ。私ハ国家ノ組織ハヤハリ鞏固デアルト思ヒマシタ。  院長閣下ハ、第一師団軍医部長ト電話デ話シテ居ラレマシタガ、電話ヲ切ルト、私ニ次ノ様ニ言ハレマシタ。 『今マデ君ヲ帰サヌツモリデ居タガ、段々模様ガ良クナリツツアル由デアル。今ノトコロ危険ハ急ニナイト思フカラ、一旦ハ首相官邸ニ帰リ、他ノ見習医官ニ口カラ耳ニ言ヒ伝ヘ、三人トモ無事ニ此ノ病院ニ来イ。  サウスレバ、君ノ立場トシテモ良ク、万一、首相官邸カラ出ラレナクナツタ時ハ、官邸ノ土ヲ掘ツテデモ、マタ卑怯未練ト言ハレテモヨイカラ、生キ長ラヘテクレ』  サウ諭サレマシタノデ、私ハ首相官邸ニ戻リ、天野見習医官ト相談シ、其ノ夜九時頃、首相官邸裏門ノ歩哨ニハ、 『山王ホテル[#「ホテル」に傍線]ニ行ク』  ト称シテ脱出シマシタ。山王ホテル[#「ホテル」に傍線]ニハ歩一ノ将校ダケデナク、歩三ノ将校ガ居リ、志村モソコニ居タノデアリマス。  ソコデ志村見習医官ニ会ヒ、三人デ衛戍病院ニ行カウト決心シマシタガ、志村ハ、 『明日送院スル患者ガアルカラ、ソレヲ今夜ニ繰リ上ゲテ送院シ、ソノ時一緒ニ行クコトニスルカラ、二人ハ先ニ行ケ』  ト言ヒマスノデ、天野ト私ノ二人ハ先ニ衛戍病院ニ行キマシタ。ソノ時モ院長閣下ニオ目ニカカリ、閣下ヨリ、 『病院勤務ヲシテ居ルヤウニ』  ト言ハレマシタ。私共ハ感激シ、ソノママ病院ニ居リマシタガ、実ニ勤務ガ愉シクアリマシタ。  スルト三日後ニ、午後七時頃、院長閣下ハ天野見習医官ト私トヲ呼バレ、 『聯隊カラ迎ヘニ来タカラ帰ツテヨイ』  ト言ハレマシタ。  私共ハ機関銃隊O特務曹長引率ノ下ニ歩一聯隊ニ帰営シ、直チニ衛戍刑務所に勾引《こういん》サレタノデアリマス」    ──木村見習医官訊問調書。 *本作品には今日からすると差別的表現ないしは差別的表現ととられかねない箇所があります。しかし、お読みいただければわかるように、作者は差別に対して強い憤りを持ち、それが創作の原動力にもなっています。その時代の抱えた問題を理解するためにも、こうした表現は安易に変えることはできないと考えます。また、作者は故人でもあります。読者諸賢が本作品を注意深い態度でお読み下さるよう、お願いする次第です。 [#地付き]文春文庫編集部   初 出    与えられた生 文藝春秋 一九六九年一月号    虚線の下絵 別册文藝春秋104号(一九六八年六月)    通過する客 別册文藝春秋107号(一九六九年三月)    首 相 官 邸 文藝春秋 一九六九年八月号  一九七〇年四月、文藝春秋より単行本として刊行  本書は一九七九年八月に刊行された文庫の新装版を底本としています 〈底 本〉文春文庫 平成十七年十一月十日刊