[#表紙(表紙.jpg)] 山田詠美 快楽の動詞 目 次  快楽の動詞  否定形の肯定  駄洒落の功罪  逆説がお好み  文体同窓会  口 の 増 減  ベッドの創作  不治の快楽  あ と が き [#改ページ]    快楽の動詞  私は行《ゆ》く。なんとも前向きな言葉である。動脈が硬化して血液が下半身に降りて行かなくなったお年を召した方々が、自らの人生におとしまえをつけるために積極性を演出するには素晴しい一文である。もしくは、もう少しばかりお若い、動脈は硬くなっているけれども、その代わり脂分が煮えたぎり額に膜を張らせているような方々もこの言葉がお好きであると思う。カラオケで「マイウェイ」などを歌う傾向のあるナイスミドルと呼ぶのか。  しかし、行くを「ゆく」と読まずに「いく」と読んだらどうであろうか。こちらの方は口語体であり、私たちには馴染み深い発音である。  私はいく。お母さん、いって来るね、と例をあげるまでもなく、私たちには小さい頃からの日常語である。意識することもなく使っていた。しかし、いつの頃からか、私たちは、その言葉が別の意味を持っているのに気付いて行くのである。しかし、どのようにして、それを悟って行くのか。  自分の子供の頃を思い出してみるが、私は、とても本の好きな少女であった。いわゆる文学全集に入っている小説が好きで、放課後は、図書館で時間をつぶしたものである。男女の色恋を扱ったお話が好きだったので、まずは、ぱらぱらとページをめくり、愛とか恋とかいう漢字の出て来る本を選んだ。だから性の知識を得たのは、普通の子供たちよりも早かったと記憶している。  しかし。私が「いく」という言葉の持つ別の意味を知ったのは、高校に入学した後のことである。私が、その意味を知った時、私は得意になり女友達に吹聴した。ところが、皆、その意味をとうに知っていたのである。何故なのだ!? 私は愕然とした。何故に、おませな文学少女であるのを自負していた自分が、彼女たちに遅れをとってしまったのだ!?  そこで、私は、はたと気付いたのだが、私が読みあさっていたのは、ほとんどが純文学というものであった。純文学には「いく」という言葉がなかったのである。もちろん、性的快楽の絶頂を表わす描写もないことはなかった。しかし、「いく」などというそんな平易な言葉では誰も表現していなかったのである。「私はいく」が、「私は恋人と寝床に入り幸福のきわみにまでのぼりつめ涙する」というのと同義語だったなんて─────!!  目からうろこが落ちるとはこのことか。  それまで「私はいく」には、どこそこに、という目的の場所、めざそうとする場所が必ず省略されているのだと思っていた。私はいくとはいえ、それは、どこかにいくのではなく、ある肉体の状況を表わす言葉であったとは。いやはや、おそれ入った。形容詞のように使用する動詞が日本語に存在しようとは。以来、私は快楽の頂点を表現する「いく」という言葉を複雑な思いで読んだり聞いたりしているのである。  ここで、この「いく」にも、明確な目標があるではないかと思う人もいるかもしれない。しかし、エクスタシーというのは、あくまで状態である。すぐに消えさる蜃気楼のようなものである。頂上をめざす登山とは違うということを述べておきたい。頂上をめざそうなどと思い性行為に励めば、たちまち足元をすくわれるのがおちである。  さて、この「いく」の深い意味を知った私は、自分の知りうる言葉の世界がたちまち奇怪な様相を示して行くのに唖然とした。まるで、パズルやだまし絵のように言葉が玩具のように私の頭の中で遊び始めたのである。言葉のすべての意味をすべて載せた辞典があったら、こりゃ大変だわい、と気が昂ぶるのであった。もちろん、そのようなものはあり得ないのだが、私は、想像して興奮した。  真面目な女教師が、「私いきます」などと言おうものなら、この人も快楽のきわみにいったりする人でしょうかねえ、などと心の中で溜息をついた。しようのない子供である。しかし、次第に、この「いく」という言葉にも手垢が付いて来た。もちろん、私が勝手に付けたのだが、これについて思いをはせるのに飽きたのである。別の言葉について考えようとひとりごちる私であった。  と、たちまち浮上して来たのが「死ぬ」という言葉である。私は死ぬ。恐しい言葉である。悲観的なインテリ青年が好んで使いそうな一文である。相手を自分に向かせたがる自意識過剰な人間の脅迫の台詞には最適であると私は思う。老いた方が口にしたら、こちらの方は写実的である。リアリズムと呼ぶのか。  この動詞が、やはり性行為の最中に使われるというのを、私は何故知ったのだろう。多分、盗み読みした男性週刊誌か何かであったろうと思われる。私の通っていた高校は、男女共学の進学校であったが、皆、欲求不満を持て余していたのか、この種の雑誌は、いつもまわし読みされていた。サランラップを避妊具のように加工して、純情な女生徒の机に投げたりする苛めや、本当の避妊具を風船のように膨らませて飛ばしたりするおふざけが、まかり通るような明るい教室であった。しかし、死ぬという言葉を性行為の最中で口に出すような熟練した男女がいたかどうか。  何故に死ぬなどと口走るのだろう、と当時の私は非常に疑問に思ったのであった。性を表現する日本語は、なんと奥深いものであることよ。死ぬというのは、とてもネガティヴな言葉である。快楽の最中に、そのようなネガティヴな至福が訪れるものなのか。比べると、いくというのは、ずい分、ポジティヴな言葉である。同じ心身の状態を表わすのに、どうして、正反対の言葉を使わずにはいられないのだろう。快楽イコール死なのか、快楽イコール生なのか。セックスとは死にそうになるものであり、また生きたくなるものであるのか。  世の中に性を描いた小説は沢山あるが、性行為そのものを描いた小説となると限られて来る。その中でも、体の状態とそれを訴える会話を書き尽くしたものとなると、これは、もう女性の作家の作品には、まれなのではないだろうか。私も、書いたことがないし、多分、書けない。興味の範囲外だからである。そこから生まれる観念や、それにまつわる感傷の方が書くのに値するように思えてしまうのである。しかし、これは、少しも実用的でない。性を観念的に描いたからと言って、だから、どうなのだと言われると身もふたもない。いかに心理描写を尽くして、男女の関わりを書き上げたとしても、「いく」や「死ぬ」には負けるのである。何故なら前者が、真実に近付こうとしたお話であるのに対して、後者は真実そのものだからである。端的で、きれが良い。  ところが、人は、端的できれが良いものを嫌うのである。ものを食うという行為には、どのような素材を使い、どういう種類のスパイスを使ったか、はたまた誰とどういう心の状態で食したかを説明せずにはいられない。便所でうんこをすると口に出すのは良くないのである。どのように着飾ろうとも、そうするのは自然であるにもかかわらず、手を洗いに行く、化粧を直しに行くとあたかも別な行為に及ぶような表現をしなくてはならないのである。それをソフィスティケイションと呼ぶが、とすると複雑な洗練は常に外側にあり、端的できれが良い事実は、人間の秘めごとということになる。そうか、人は、単純なもの程、隠したがるということか。  で、「いく」と「死ぬ」である。男性の書く、あるいは読むポルノ小説には、しばしばこの二つが登場する。書き手は、何故、性行為の最中に、この言葉が連発されると思うのだろう。経験に基づいているのだろうか。あんな変な格好をしている時に、「いく」とか「死ぬ」とか口走るのは、えらいことである。ちなみに、私の女友達に尋ねてみると、半分以上が、そんなこと言わないと言う。しかし、やはり、そう口走ると答えた人もいる。何故、「いく」と「死ぬ」なのかという問いに、皆、一斉に笑ったものだ。それは、そう口走ることに決まっているからだと言う。快楽の慣用句ということか。  秘密の快楽に慣用句があるのは不思議なことである。日本じゅう、ある同じ時刻に、少なくとも何組かの男女が「死ぬ」という言葉を口にしていると想像すると、おかしくもあり不気味でもある。日頃、難しいことをおっしゃる文学者の方々も同じ慣用句を使うのであろうか。描写のない性行為をこっそりとまっとうしているのであろうか。  それにしても、すみませんですめば警察はいらないという言葉があるが「いく」「死ぬ」ですめば文学はいらないとも言える。世の中に警察はいらないと言う人はいないと思うが、文学はいらないと思う人は多いだろう。そういう人々は、本能に理由をつけない。正直である。そして退屈である。  大分昔の話になるが、私の部屋に女友達とその恋人が泊まったことがある。私は、ひとりでベッドに寝て、彼らは、離れたところに布団を敷いて寝た。図々しくも、彼らは、私を無視して、こっそり性行為を始めたのだった。ああいうことは、こっそりと事に及ぼうとすればする程、状況を事細かに他人に知らしめてしまうものである。私は、うんざりしながら毛布をかぶって嵐のすぎ去るのを待った。もちろん、好奇心から聞き耳をたてていた。  その時、感じたのだが、実際に耳にすると、その手の会話というのは、何故、こうも陳腐なのだろう。甘いささやきと本人たちが思うのは、単なるぼそぼそ声にしかすぎない。それが「いく」と「死ぬ」で完結しているのだから、毛布をかぶっている私が、もっと芸を見せろ、と心の内で呟いたのも無理はない。こちらは、場所を提供しているのである。しかし、だからと言って、二人が文学的なロマンあふれる会話を交わしていたら、もっと薄気味悪かっただろう。思うに、文学の中の性行為と実際の性行為とは、まったく別物ではないのか。「いく」「死ぬ」で足りる性行為と、それに描写を必要とする性は、同じところから端を発していても異質なものであるように思う。文学が必要ないのは実際に行動しているからであり、必要であると思う場合、肉体は動いていないのである。私の隣りで、けしからぬ行為に及んだ女友達は、常に行動し続けている美しい女だった。  さて、行動していなかった私は毛布にくるまり、もっと芸を見せろと呟いていた。「いく」「死ぬ」ではなく、もっと他に独自の表現方法があるのではないかと考えていた。エクスタシーの状態である。動詞を使わずに、形容詞、形容動詞を使いたいのである。すると、困惑するのである。具体的なその状態を表わす言葉がないのである。呻きや溜息の方が、はるかに饒舌なのである。人間の言葉に近くすればする程、滑稽になって行く。実際に行動に及ぶ時、最も陳腐でないのは、 「………………………………」  という一文である。本来、言葉にならないものを言葉にしようとするのである。完結させるための「いく」「死ぬ」以外は出て来ないのかもしれない。慣用句は決まりであるから気が楽なのである。それ以外を求めるのは薄気味悪い。しかし、退屈の解消には薄気味悪さの追求が適している。と、いうわけで、「行く」「死ぬ」だけでは嫌だ──っという人々は、実用書以外のものを書いたり読んだりするのである。  ところで、この二つの言葉には進行形がない。状態を表わす言葉であるからだが、その状態は点在しているので進行形が成り立たない。それこそ「あっ」という間の出来事である。快楽の絶頂、そのものだけを指すのである。であるから、普通に快楽を得ている場合は、その言葉の手前である。本当に、どこかにいく訳ではないし、もちろん死ぬ訳もない。「いきそう」「死にそう」と表わすのが本当である。日本語の性は常に予期することで成り立っている。予期した後に頂点がいきなり来るので、途中経過がないのである。いっているその状態を「いく」と断定してしまうので、進行形を分かち合わないのである。  別な女友達の話であるが、彼女は、エクスタシーに達する状態の時に、「今よ」と相手に伝えるのだそうである。 「なんか、身もふたもないって感じだなあ」 「そう? だって他になんて言ったら良いのか解らないじゃない。愛してるなんて言ったら、嘘になるよ。セックスをしていて、愛してるという言葉が浮かぶ人がいるとは思えないよ」 「でも、ロマンティックじゃないでしょう」 「あの瞬間にロマンがあるかなあ。そこに行き着くまでならあるけどねえ。日本語に、いかに情緒があると言っても、あの瞬間を表わす言葉はないと思うよ。日本語って本能には向かない言葉だよ」  そうか。それにしても、「今」というのも、ひとつの点である。日本語の絶頂感は、点、点、点なのである。本能は刹那的に満たされれば良いということか。英語には coming という進行形があるのだが。  ところで、刹那的と言えば、快楽用語に死というイメージを使うのは、いかにもである。死に直面した快楽は確かに相当心地良いことだろう。快楽と幸福は、時に同じ意味を持つが、そのつながりを引き立たせるのは、死を認識した時である。死はそのつながりの影になり引き立てる。とすると、あらかじめ、快楽のために「死ぬ」という言葉が用意されているのは賢明である。日本語は、賢いぞ! と思わずにはいられない。しかも、その「死ぬ」は、たいていひとりだけが口にする言葉であるから、孤独というもうひとつの要素も加わる。人が孤独から逃げようとして、それが成功しつつある時、甘美な思いを味わうことが出来る。それが恍惚ということである。  それにしても、「死ぬ」という快楽用語は女性言葉である。どのポルノ小説を読んでも、男性は「いく」とは口に出すが、「死ぬ」とは言わない。と、すると、死の淵にいるのは女性だけなのだろうか。より深い快楽を味わうのは女性の方なのか。「死ぬ」と言っても本当に死ぬのではないと解っている女性は、狂言を楽しむ才能があるのかもしれない。「死ぬ」と言って死なないのはずるである。女性は、ずるによって男性を引き寄せるのである。  女はずるい。私は女性の性的有様が嫌いである。少し説明を加えると、男性を意識した媚態が嫌なのである。男好みに反応するのが、我慢出来ないのである。この場合、明らかにそれと解る媚態は含まれない。装飾は好きである。私が嫌悪をもよおすのは、端的できれの良い秘密の領域の場合である。そうだ、私は、「死ぬ」と口走って死なない女が嫌いなのだ。そして、多くの男性は、そういう女を好みとしているので、そこも気にくわないのである。「死ぬ」ことに不慮の事故めいた演技が加わっているのに気付く男性は、どれ程いるだろう。はからずも快楽に落ちてしまったことを訴えるさりげない演技。この高等技術は、性のみならず端的できれの良いあらゆる世界に蔓延しつつある。  私が真紀に出会ったのは、もう十五年近くも前のことである。まだ赤坂や六本木が俗悪な大人の匂いを放っていた頃である。私は、赤坂見附のクラブで年上の彼女に出会い夢中になった。彼女は、私が憧れ続けた大人をそのまま形にしたような女だった。私は、クラブで彼女の姿を見つけるたびに後を追い、なるべく近くに席を取り腰を降ろした。私は、彼女をながめ続けることで、初めてベンソンアンドヘッジスという名の煙草を覚え、オピウムの香りを知った。私が、彼女の真似をし始めたのは誰の目にも明らかだった。もちろん、彼女は、私に気付いて声をかけた。学生証持ってる? というのが彼女の初めての言葉だった。私は、持ってる、とどぎまぎしながら答えた。だったら、おいで、と、私を山王下のホテルに連れて行った。そこは米軍関係のホテルだったのでIDカードが必要だったのだ。  私たちは、彼女の恋人の取っていた部屋で、しばらくお喋りをした。恋人はなかなか帰って来なかった。 「他に女がいるのよ。あの人、私のことが大嫌いなのよ、もう」  どうしてだろう、と私は思った。目の前にいる女性は、こんなにも美しいのに。 「いつも、私を見てたでしょう」  私は頷いた。 「どうして?」 「格好の良い女の人が好きなんです」 「あなたに私のことが解るの? まだ子供でしょう?」 「子供って……もう大学生ですけど」 「本当に解るのかなあ」  彼女は、グラスにセブン・セブンを作って啜《すす》っていた。つやつやとした髪が腰まで届く程長かった。 「彼、来ませんね」 「帰って来ないかもよ。寂しいから、あなたを連れて来たのよ。ごめんね、利用しちゃって」  私、友達、いないのよ、と彼女はぽつりと言って、ベッドに横になった。知り合いは、多いけどね。私は女が嫌いなのよ。  変なことを言う人だと思った。 「どうしてですか?」 「いやらしいから。でも、男も嫌いだな」  私は、首を傾けて怪訝そうな表情を浮かべたと思う。彼女は、笑って私を見た。 「男嫌いなのよ。何故って、男はいやらしい女が好きだから」  その時、私には、そのいやらしいという意味がさっぱり解らなかった。しかし、今なら見当がつく。私の憧れた真紀は、男のような性的な魅力を持っていた。  明け方、彼女の恋人が帰って来て、暗闇の中での大げんかが始まった。私は部屋の片隅で不安な気持で成り行きを見守った。よくある三角関係を巡る痴話げんかであったが、そのすさまじさと言ったらなかった。散々、怒鳴り合って二人共疲れ果てたのか沈黙が訪れた。私は、こっそり、毛布から顔を出して、彼らの様子をうかがった。二人は壁際のベッドの上に腰を降ろし、もたれ合っていた。真紀は泣いているようだった。時折、嗚咽《おえつ》が洩れていた。私は、見てはいけないものを見てしまったような居心地の悪い思いで目を閉じた。啜り泣きが始まった。私は、聞くともなくその泣き声を聞いていたのだが、ふとあることを思い出した。女友達が、私の部屋に恋人と泊まりセックスを始めた夜のことをだ。あの時もちょうど、今と同じような押し殺した声を私は聞いていたのではなかったか。溜息、声にならない言葉、呻き声。そして、同じような湿った空気の気配を私は皮膚で感じていたのではなかったか。  真紀は、ぽつりと呟いた。日本語だった。 「私、もう死んじゃうよ」  私は驚いて顔を上げた。恋人のつらそうな瞳にぶつかった。本当に死んじゃうかもしれない。私は恐怖を覚えた。恋人は、彼女の背をゆったりと撫でていた。女友達の洩らした快楽の最中の「死ぬ」という言葉と、真紀の呟いた「死んじゃう」は、どれ程、違う印象を私に与えたことか。どちらもエクスタシーのはざまでこぼれた言葉に違いない。もしかしたら、どちらにも演技が混っていたかもしれない。けれど、真紀の「死んじゃう」には媚がなかったと思う。何故なら、彼女はそれから数カ月後、本当に自殺してしまったからだ。恋人とは、とうに別れた後だったので、失恋が原因かどうか、部外者の私には知るよしもなかったが。  死ぬ前にも、私は何度か赤坂のクラブで彼女と顔を合わせた。いつもと変わらずクールな様子だったので、私は少しも心配していなかった。ただ、彼女は、私の顔を見ると気まずそうに目を外らしたりしたので、それが残念だった。私は、男と寝て洩らす溜息よりも、彼女の啜り泣きの方がずっと気に入っていたのに。そのことを、どのように説明して良いのか解らなかったので、私と彼女は、その後深くつき合うこともなかった。死の知らせはクラブの噂で耳にしたのだ。  私は、ずるのない言葉が好きだ。正直な快楽の言葉は大切にしたいと思っている。「死ぬ」でも「いく」でもいいじゃないかと思う。けれど、そこに、さりげない媚が加わるのは趣味ではない。溜息の行間を当りさわりのない言葉で感じ良くごまかすくらいなら小説など書かない方が良いと思っている。快楽の際に多くの女が口走る「死ぬ」は、感じの良いごまかしであると思う。誰に対して感じを良くするのか。相手の男に対してである。相手の快楽のリアクションを無意識の内に考慮に入れているのである。本当の死には未来などないというのに。  ところで、事が終わった後、それまでの性行為は過去になる訳であるが、この時、ある種の男性は、質問をする。 「いった?」  というのがそれである。 「死んだ?」  という人はいない。当り前である。殺人を犯した人間じゃあるまいし。変である。疑問形にならない「死ぬ」が何故快楽用語であるのか。謎は深まるばかりである。  ある男性の作家が書いた小説を読んだら、女性が、絶頂を迎える時に「落ちる」と叫んでいた。解らないでもないが、不思議である。本当に、そう言う人がいるのだろうか。ヴァリエーションに富んでいる。どこに落ちて行くのだろう。暗い快楽である。  しかし、まあ、やはり主なものは「いく」「死ぬ」であろう。快楽用語の王者である。しかし、純文学には存在しない言葉である。何故だろう。別の言葉に言い替えているからだろうか。けれど、点在する「いく」「死ぬ」を別の言葉に言い替えるのは、とても困難であるように思う。描写は、時の経過を与えがちだからである。そうすると絶頂のポイントは、純文学の盲点であるようにも思えて来る。「射精する」というのは解り易い。しかし、これは、快楽用語ではない。単なる肉体の行動である。女性にはない。見つからない。純文学にエクスタシーは必要ないのか。 「いく」という言葉だけをとらえるなら、いくつかの作品にはそれがある。しかし、実際に性行為に及んだ時の「いく」とは、これもまた同音でありながら異義であると思う。あの単純で解り易い点、点、点は、いったい、どう表現すれば良いのやら。  ところで、英語では、知られているように、「いく」ではなく"come"と言う。来るのである。やはり、ここでも、この言葉はさまざまな意味を持つ。これから、あなたの所に行くよ、というのを"I am coming to you"と言う。決して、"go"を使わないのである。性行為の際も、同じように表現する。お互いの所に来るのである。つまり、向かい合っているのである。  それに比べると、日本語の場合は、お互いが「いく」のだから、二人共、同じ方向を向いている訳である。英語のセックスは向かい合い、日本語の性は同じ方向を向きながらする、すなわち永遠の後背位である。動物の体位と同じである。  私にとって、日本語は、時に複雑に入り組んでいて、手強い相手である。とても繊細である。それなのに後背位。性描写に衝撃を受ける割には、意外と野性的なのである。 [#改ページ]    否定形の肯定  三郎くんは、いわゆる、 「すきっと、さわやか」  な青年である。彼が、この営業所に転勤して来た時、女子社員は、いっせいに、ざわめいた。短く刈り上げた好ましい髪形、太くりりしい眉、通った鼻筋、素直な少年を思わせるあどけなさの残る瞳、時おり微笑が押し広げて見せる真っ白な歯並び。ハンサムな青年を形容しようとすると、つい陳腐な言葉を使ってしまうのだが、人間が異性を好ましく思う時、ほめ言葉は常に陳腐の羅列である。どんなに複雑な魅力を持った男性も、 「すきっと、さわやか」  にはかなわない。清潔感とは、素晴しいものである。誰だって、汚れたハンカチよりも、綺麗なハンカチが好きである。人間は、ハンカチなんかじゃないやい、と反論する男性もいるであろう。しかし、きみだって、制服の処女を好ましく思ってしまう単純な心を持っているだろう。女性だって同じことなのである。  三郎くんは、清潔なハンカチ、洗いたてのシーツのような男性である。ああ、それに、くるまれてみたい、と、どんな女性にもそう思わせてしまう人なのであった。体をくるんだシーツは、必ず汚れる。清潔な男と寝てみたいと感じる女性の真意とは、そうだ、きっと自分の汚れを、そこに付けてみたいと思うことなのかもしれない。  三郎くんは、汚したい願望のある女子社員たちの注目の的になった。周囲の男性社員たちは、もちろん、おもしろくねえぞ、と思っていたが、何を言うことも出来ない。三郎くんは、清潔感溢れる外見を持つと同時に、どうやら心の方も澄みきっているようなのであった。ハンサムで性格もよい、このことは、人から批評を奪うのであった。何を言っても仕方ねえぞ。女子社員に嫌われたくないもんな。人は、自らを窮地に陥れる批評を決してしないものである。  かくして、三郎くんは、新しい仕事場に、自分の心地良い空間を築いて行くのであった。 「ぼくは、本当に幸運ですよ。素晴しい仕事仲間たちに出会えて、毎日が、とても楽しいんです。朝、起きると意欲に燃えている自分の心が解るんです。今日も、やるぞと生命力がみなぎって来るんです」  彼は、自分の歓迎会で、微笑みながらそう言ってのけた。誰もが、その言葉を聞いて感嘆した。 「信じられねえなあ。おれなんて、いつも宿酔《ふつかよい》だぜ。ぎりぎりまで寝てるから朝食だって食ったことねえもんな」 「おれも、そう。まして、仕事の意欲なんて、あんまり湧かねえなあ」  そうぼやく男性社員たちを見て、三郎くんは、首を傾けて微笑した。 「もったいないですよ、そんな。せっかく、生まれて来たからには、心正しく生きるのもいいもんですよ」 「ほんと、きみって、素直なナイスガイなんだなあ」 「素直すぎるって、時々、言われちゃったりするのが、ぼくとしては困るとこなんですが、でも、この営業所のこと、色々、教えて下さいね」  女子社員たちは、彼らの会話を耳にしながら、皆、一様に溜息をついていた。 「なんだか、近頃、はっきりしない駄目男ばかり増えてると思ってたけど、違ったのね」 「うん、感動的よね」 「三郎くんみたいな人とつき合いたいなあ」 「ぬけがけは駄目よ」 「どうする? 協定結ぶ?」 「嫌だ、そんなの」  と、言ったのは京子だった。女子社員の中では、一番の美貌を誇る女性だったが、男性社員は、誰も彼女を落としてやろうなどと考えないのだった。彼女が、本社の重役の愛人であることは周知のことであったし、それにもかかわらず、あちこちで色恋沙汰を起こしてもめている素行の悪さは、とても彼らの手に負えるものではなかったのだ。 「私がいただくわ、彼。そろそろ結婚を考える年齢に私もなっちゃったしね」  他の女子社員たちは、顔を見合わせた。 「京子には、ちょーっと、合わないんじゃない? 彼」 「どうして?」 「遊び相手としてつき合える男の人じゃないわ」 「遊び相手になんかしないわ。私、そろそろ生活変えたいんだもん。幸福な結婚も、いいかなあ、なあんて最近思っているのだよ、私は」  女子社員たちは、肩をすくめた。彼女相手ではかないそうにもないと、おのれを省みたのである。この種の女の子は、普通、同性から忌み嫌われるものであるが、京子の言動は、常に、他人の想像を上まわっているので、誰も、嫌味を言ったり出来ないのだった。あそこまで凄腕では仕方ないと、誰もが思っていた。 「楽しんでいらっしゃる?」  京子は、どうやら作戦を開始したようだった。彼女は、いつのまにか、三郎くんの隣りに座り、彼のグラスにビールを注いだ。 「あ、ありがとうございます。京子さんでしたっけ。グラス空じゃありませんか」  三郎は、京子のグラスを見て言った。 「あ、私、お酒、あまりいただけないの」  京子は品良く両手でグラスを持ちながら言った。すると、三郎くんは、彼女のグラスに注ごうとしたビールの瓶をテーブルに戻した。 「そうですか。お飲みになれないのですか。それはすみません」 「あ、あの、少しならいただけるのよ」 「女性は、そのくらいが可愛いらしくて良いですよね」  京子のグラスに、三郎くんからビールが注がれることはなさそうだった。仕方なく彼女は、三郎くんがトイレに立った時に、ウィスキーの水割を素早く作って飲み干した。女子社員たちは、彼女の様子を見て、肘をつつき合って笑った。 「やるじゃーん、三郎くん」  京子は、彼女たちをにらみつけた。しかし、三郎くんが席に戻ると、再び、品良く微笑して彼を見詰めた。 「あ、カラオケあるんですね。京子さん、一緒に歌いませんか」 「あら、いやだ、私、上手じゃないのよ」  三郎くんは、残念そうな表情を浮かべた。 「上手じゃないんですか。つまらないけど仕方ないな。どなたか、ぼくと歌ってもらえませんか」  女子社員が、歓声を上げて、我も我もと三郎くんの許に寄って来た。京子だけが、そんな馬鹿なという表情を浮かべて呆然としていた。彼女は唇を噛み締めて、女子社員とデュエット曲を歌う三郎くんを見詰めた。その時、三郎くんは、はっきりと、彼女の瞳には獲物として映ったのであった。  翌日、誰もが宿酔で頭を抱えるなか、三郎くんは、元気に出社して来た。 「昨日は、ぼくのために、本当にありがとうございました。あんな楽しい夜は久し振りでした」  誰もが、その言葉を耳にして頭痛が悪化したように感じていた。京子だけが、にこやかに顔を上げて三郎くんを見詰めていた。 「三郎くん、きみ、なんで、そんなに元気なんだい」  隣りの席の吉村が死にそうな声で尋ねた。 「幸せだからです」 「あ、そう」 「ねえ、吉村さん、京子さんて素敵ですね」 「え? ああ、やめとけ、やめとけ、あの女は」 「どうしてですか。品が良いし、美しいし、すごく高価なものを身に付けてるな、お金持ちなのかな」 「どうせ、パパに買ってもらったんだろ」 「娘思いのお父さんなんですねえ。お嬢さまなんですか」  吉村の頭痛は、ひどさを増した。 「仕事ぶりは、確かにお嬢さんだけどね……」  三郎くんは、窓際の席に座る京子を見た。お嬢さまは、朝の陽ざしの中で、清々しく仕事をしているようだった。もちろん、彼女が開けようとしていたマニキュアの瓶は、三郎くんの席からは見えない。おこがましいけれど、ああいう女性とつき合ってみたいものだなあと彼は、つくづく思うのだった。  京子は、着実に、三郎くんに近付き始めた。昼食を共にしたり、退社後に、お茶を飲んだりすることで、二人は徐々に親しい関係を作り上げて行ったのだった。京子としては、早く夜の時間を分け合う仲になりたかったが、三郎くんからはなかなか誘いの言葉が出ないのだった。 「三郎くん、私、今度、あなたとお酒を飲んでみたい」 「でも、京子さん、お酒は飲まないのでは?」 「覚えたいの、飲み方、教えてくださる?」 「ぼくで良ければ、もちろん。でも、御両親、夜、遅くなると心配なさるのでは。京子さんは、たいへんなお嬢さまと聞いてますよ」  京子は、一瞬、呆っ気に取られたが、なんだか、三郎くんは、幸運な勘違いをしているようだと思った。 「大丈夫よ。私、三郎くんを信頼してるもの。男性と夜、出掛けるのは不安だけど、三郎くんなら、私に変なことしたりしないでしょ」 「もちろん、しません」  そして、その言葉どおり、三郎くんは京子に何もしなかったのであった。その夜のことを思い出すと、彼女は怒りのあまり気が狂いそうになった。  三郎くんは、そんな京子の心の内に、まったく気付かずに、夜のデートを思い出しては胸を熱くしていた。美しく控え目な京子、大切に守ってあげたい。彼は、そう呟いた。しかし、少しばかり心配である。京子は、もう家に帰りたくないと言っていた。家で何かあったのだろうか。両親と喧嘩でもしたのだろうか。三郎くんは、そんな京子を優しくいたわり、礼儀正しく家まで送り届けたのであったが、それにしても、彼女は浮かない顔をしていた。 「京子さん、御両親と仲直りした? ぼく、すごく心配してるんだ」  京子は、三郎くんを上目づかいで見た。 「別に、私の家にはなんの問題もないわ」 「ほんと、それなら良かった」 「三郎くん、私のこと好き?」  三郎くんは、自分の頬が熱くなるのを感じた。 「う、うん。好きだ、大好きだよ」 「そう、私もあなたが好き。今晩も会いたいって言ったら?」 「もちろん、時間を作るとも。ぼくは、何よりも京子さんとのひとときを優先したい」  と、いうわけで、その晩も、二人は、バーのカウンターに並んで座ったのであった。京子は、たて続けに、何杯ものカクテルを飲んだ。三郎くんは、いつもと違う彼女の様子に目を白黒させていた。 「大丈夫かい? そんなに飲んで」 「平気よ。私、今夜は帰らないもの」 「やっぱり、まだ家のもめごとが?」 「そんなのないわ。三郎くんたら、私の気持に気付いてるくせに、意地悪ね」  三郎くんは、ぎょっとした。彼は、自分の意地が悪いとは思ったことがなかった。彼は、常に心優しい自分であることを心掛けて来たのである。人に対してばかりではない。動物に対しても、草や木に対しても、虫たちにだって、海や空にだって。 「ぼくを意地悪だなんて、ひどいよ」  京子は、酔ってしまい、すっかり自分が片思いに苦労するヒロインのように振る舞っていることに気付いたものの、もうどうすることも出来なかった。彼女は、涙をこぼしながら言った。 「三郎くんなんて、嫌いよ、もう好きじゃない」  三郎くんは、頭を鈍器で殴られたような気持になった。京子さんに嫌われた!? そんな馬鹿な。どうして、こうなるのだ。ぼくは、彼女の言葉をいつも素直に受け止め、優しく包み込んであげようと努力して来たのに。 「京子さん、ぼくをもう好きじゃなくなったの? それ、ほんとうなの? 何故なんだ、何故!? ぼくたちは、お互いに好き合っているんだとばかり思っていた」 「私のことを好きなら抱いてよ」 「え?」 「馬鹿!!」  再び、三郎くんは衝撃を受けた。確か、今、彼女は、ぼくを馬鹿と呼んだ。馬鹿だって? どうしてなのだ。ぼくは、そんなに頭が悪いか? 確か、昔、テストした知能指数は、ああ、忘れてしまったが、そんなにひどくはなかった筈だ。 「ぼくを馬鹿と思ってるの? 京子さん、ほんとうに?」  京子は、酔いのまわった頭を整理しようとしていた。彼女自身も混乱して来ているのだった。自分が、それほど意味のある言葉を言ったようには思わなかったが、目の前の男は、どうやら、うちひしがれているみたいなのだ。 「三郎くん、何か、私、変なこと言った?」 「いや、あなたは正しいのかもしれない。ぼくは、本当は馬鹿なのかもしれない。あなたの気持をきちんと思いやることが出来なかった」 「そうそう」 「え?」 「とりあえず、三郎くんも飲みなよ」  訳が解らないまま、三郎くんも酒のグラスを重ねた。京子は、突然、酒の勧め方の上手なホステスのようになり、三郎くんは、したたかに酔っ払い、ついに、彼女に連れられて、ホテルの入口をくぐってしまったのである。 「ごめんね、京子さん、こんなところ初めてだろ?」 「え、まあ、そうでございますことよ」  二人は、しばらくベッドの上に腰を降ろしていた。京子は、三郎くんとどのようにして、布団の中にもぐり込もうかと思案していたが、そんな思いを少しも見せずに、もじもじしていた。 「京子さん、こうなったからには、結婚しよう。ぼくに責任を取らせてくれ」 「責任なんて、そんな、取ることないわ」 「いや取るぞ、ぼくは男だものな」 「取らなくていいって」 「いや、取る」 「取らない」 「取るったら、取る」 「じゃ、三郎くん、結婚しよう」 「よしきた」  と、いう訳で二人は無事にベッドにもつれ込んだのであった。しかし、いわゆるビトウィーン・ザ・シーツには、彼にとっての未知の世界が広がっていたのである。もちろん、彼にとって、女性を抱くことは初めての経験ではない。どこをどうすれば女性が喜ぶかは承知していたのだが。  甘い口づけは、徐々に激しいものになり、三郎くんの手は、京子の体の上を歩き始めた。そのたびに、京子はせつない溜息を洩らし、彼を興奮させるのであった。愛し合う者同士が結ばれるのは、なんと素晴しい世界であることか。三郎くんは、感動しながら、京子の下着に手を掛けた。すると、彼女は、小さな声で、こう呟いた。 「いや」  三郎くんは、その瞬間、指の動きを止めた。どうしたのだ、彼女は、今、嫌だと言ったのか。もしかしたら、聞き間違いかもしれないと思い、彼は、再び、下着に指を掛けた。 「いや、止めて」  今度は、聞き間違いではなかった。三郎くんは、すっかり困惑していた。仕方がないので、彼は、下着の上から彼女の体を愛撫したのであった。しばらくすると、再び、彼女は、 「いや、いや、いや」  と、苦し気に呻くではないか。三郎くんは、京子から体を離して、ベッドの上に座り込んだ。彼女は、いったい、何が嫌だと言うのだ。三郎くんは、再び、おそるおそる彼女の体を指でなぞってみた。 「いや、いや、いや、いや、いや」  京子は、おかしな雰囲気を感じて、目を開けた。すると、自分の体の上に重ならんばかりである筈の三郎くんの体は、ベッドのはしの方に移動していたのである。どういうこっちゃ、これは。 「三郎くん」  京子は呼んだ。三郎くんは、ただ悲し気な顔をして彼女を見詰めるばかりであった。 「三郎くん、どうしたの?」 「京子さん、ごめんね」 「どうして謝まるの?」  三郎くんは、立ち上がり、衣服を身に付け始めた。京子は、呆然と、そんな彼を見た。 「どうしたって言うのよ」 「ぼくは、京子さんを愛している。だからこそ、あなたを尊重したい。ぼくは、軽率だったかもしれない。責任を取れば何をしても良いと考えてしまうような自分を、ぼくは憎むよ」  それだけ言い残すと、三郎くんは、名残り惜しそうに京子を一瞥して、ホテルの部屋を出て行った。  後に残された京子には、何が何だかさっぱり解らないのであった。ちょっと、はすっぱに悶え過ぎたかしら、と彼女は思った。しかし、自分に落度はない筈だ、と彼女は考えた。自分は、絶対に男を欲情させるような振る舞いをした筈だ。と、すると。京子は、なるほどと頷いた。彼女の到達した結論はこのことであった。つまり、三郎が、性的不能者であるということ。これなら、すべての彼の行動に納得が行く。仕方ないわね、それじゃあねえ、と京子は、ひとりごちて煙草をくわえた。  三郎くんは、家に戻ってもしばらくは悶々として寝つかれなかった。もちろん、彼は、性的不能者などではなかった。彼の肉体は健康すぎる程であった。しかし、彼は、彼女を尊重したかった。京子さん。彼は、せつない声で愛する女の名を呼んだ。自分の重大な欠陥を知ることもなく、予期しなかった愛の終わりに嘆き悲しむのであった。  さて、人は、何故、恋愛の最中に否定ばかりしてしまうのであろうか。そして、その否定は、何故、肯定の言葉であってはいけないのであろうか。私の知る限り、否定形の肯定を最も多く用いるのは日本人であるようだ。日本語ほど、否定をもって肯定を強調する言語はないように思う。そこには、必ず、強い自意識が存在している。自分は、ここにいて、他人に注目されるのを待っている。そのことが否定形の肯定を作り上げるのだ。つまり、相手あってのものである。  英語は、イエスかノーかが、はっきりしているので、英語を使う外国の人々は自己主張が強いとは、よく言われることであるが、私はむしろ日本語の方が粘り強い自己主張を持っているのではないかと考える。  イエスの時に、ノーと言って、イエスの意味を伝えるのは、心理状態を考えると、あまりにも面倒なことである。その面倒をわざわざ言葉にして投げた時、それは、疑問形を持たない質問になる。さて、私は、本当は何と言いたいのでしょう、という問いを投げて相手に解読させるのである。ことわりなしに自分の真意を汲み取らせようとすること。これが自己主張でなくて何であろうか。相手の時間と感覚をしばし自分のために使わせる、日本語とは、ある種、傍若無人な言葉である。聞き手を束縛してしまうからである。  話し手に束縛されるということに慣れないと、日本語での関わりは少々困難になる。それと反対に、束縛される快楽を覚えると、楽しい時間は長続きし、まことに便利である。 「あなたは、ステーキが好きじゃないの?」 「いいえ、好きではありません」  この会話は、最初の「いいえ」で既に終わっているので、それ以下の言葉が相手を束縛することはない。しかし、日本語では、この会話を用いない。 「あなたは、ステーキが好きじゃないの?」 「はい、好きではありません」  否定形の疑問に、肯定で答えながら否定の意を表わす。複雑である。しかし、それが恋愛関係の中で交わされるのであれば、快楽は長びき幸福は増す。同様に、不愉快な相手と交わすには、苦痛の長過ぎる言葉である。日本語は、複雑な構造を持ちながら、肉体、精神の創り上げる快楽の味方である。  ところで、三郎くんのように、女が「いや」と呟いたからと言って、性行為を途中で止めてしまう男性が本当に存在するかどうかは別にして、何故、女性は、そのような否定の言葉を口にしてしまうのか。私は、他の女性が、そのような行為に及ぶのをあまり目にしたことがないので、本当のところは解らないのだが、男性の友人に尋ねると、ほとんどの相手が、それを口にすると言う。もちろん、日本の女性たちである。外国人の男性には尋ねてみたことがないが、少なくとも、アメリカ人の女性は、快楽を得ている最中に、「ノー」とは言わないのではないかと思われる。むしろ、肯定、肯定、肯定、イエス、イエス、イエスの世界である。  思うに、日本女性の「いや」は、日本男性を喜ばせるために意識して使われているのではないだろうか。いくら何でも、本当に心地よく思っている時に、「いや」であるとは口ばしらないであろう。それでは、何故、「いや」という否定語を男性が喜ぶと思うのか。  日本語には、昔から「いやよ、いやよも好きの内」という慣用句があるが、これは、まさに男性の性的願望を言葉にしたものである。日本男性が否定語によって欲情し理性を奪われてしまうのを責任転嫁して、自らの根拠を見つけ出そうとした隠喩なのである。この言葉は、社会的には消滅しつつあるのだが、いまだ閨房においては有効である。その個人的領域では、どのような言動も、あらかじめ許されているからである。  その許された空間を味わい尽くすために、女性は否定語を多用するのである。否定し、それによって興奮を呼びさまされ喜ぶ男性の状態を見届けることは、女性にとっても喜びである。つまり、否定形の肯定によって、抵抗を装った能動的な性をもって、女性は男性に、運動神経を伴った言語による奉仕をしているのである。  セクシャルハラスメントという言葉が、日本で、本当の意味での犯罪となかなか結び付かないのは、否定形の肯定という個人の領域で許される複雑な日本語の存在を誰もが知っているからである。抵抗を装った服従という普段結び付かない二つの日本語が、ある瞬間に、光と影のように密接であるのを、誰もが、普段、眠りについている反射神経として体に備えているからである。その反射神経が異常をきたして、場所を選ぶことなく発揮されると、犯罪に結び付くこともあり得るのである。  さて、三郎くんは、言葉を受け止める能力までもが、 「すきっと、さわやか」  であったために失敗をしでかしてしまった。汚れたハンカチよりも、清潔なハンカチが好まれるのは、それが、肉体のみとしか接触しないからである。そこに、精神が絡み、言葉を生み出すとなると、あらゆるところで多少汚れたハンカチが必要になる。女子社員たちが、三郎くんを見てざわめいたのは、彼に自分の汚したハンカチを差し出したいという本能故だったかもしれない。自分の汚れは、自分自身には、さほど不快には感じられないものである。そして、もちろん、好きな異性の汚れも、不快ではないものだ。親密な相手と汚れを交換することは、相乗効果を生み、ますます貴重な汚れを作り出す。否定形の肯定が意味を持つのは、こういう場合である。  そういえば、英語にも、こういうのがあった。  ドウ ナスティ  トーク ダーティ  などである。まるでポルノ映画の題名みたいだが、やはり、布団の中では汚れが必要ということか。しかし、ここには、否定形の肯定のような高等技術と相手におまかせの無責任さはない。私に汚ない言葉を言って、とお願いされたら、汚ない言葉を口にしなくてはならない。日本語の「いや」が結局は服従を意味するのに比べて、こちらは、あくまで命令である。日本語において、男性が征服の快楽を得るのと反対に、英語においては、男性は服従の快楽を得るのである。どちらにせよ、行きつくところは一緒のようだが、言葉においては、常に経過が快楽の種類を決めるのである。言葉が肉体に及ぼす影響を考えると、汚れたハンカチをあえて必要とする人間とは、なんと不思議な動物であることよ。  ところで、恋に破れた三郎くんであるが、あれから彼は、どのような生活を送っていたのか。あのホテルでの衝撃の別れ以来、彼はしばらくの間、悲しみに打ちひしがれていた。ネガティヴな言語に股間を蹴とばされ、本物の性的不能者になりかけた程であったが、悪いことも、そうは続かない。彼は、ある朝、京子を含む女子社員数人が、給湯室で自分について話し込んでいるのを耳にしたのである。 「ねえ、どうして京子ったら、三郎くんのことあきらめちゃったの?」 「そうよ、もったいない。しばらくつき合ってたでしょ? 彼ってどうだった?」  三郎くんは、耳をそばだてて、次の京子の言葉を待った。 「彼? 彼ねえ、すごくいい人なのよねえ」  いい人。三郎くんの胸は熱くなった。別れても、彼女は、ぼくをののしったりしないのだ。つらい思いをこらえた甲斐があった、と彼は思った。公の場では、肯定が否定にも成り得るということも、彼は知らなかった。彼は、自分の額に滲んだ汗を拭おうと、ポケットからハンカチを出した。もちろん、そのハンカチは「すきっと、さわやか」な清潔なものであったのは言うまでもない。 [#改ページ]    駄洒落の功罪  モモは、今日は、二人、殺して来た。電車で向かい側の座席に腰を降ろしていた男女である。二人共、三十二、三歳ぐらいであろうか。恋人同士ではなかったと思う。恋に落ちていたら、あのような会話を交わす筈がない。モモ自身が処刑と呼ぶ殺人を行なう時、そう言えば、そこには、恋の匂いなど、少しも漂ってはいない。やはり、あの手の会話は、人から、ロマンやエロスを抹殺してしまうからであろう。ロマンやエロスは臭気に弱いのである。機知という名の臭気である。モモは、思い出すだけでも吐き気をもよおす、死んだ二人の会話を忘れようと、今、必死に、戦っているのだった。 「さっきから熱心にその雑誌を読んでるけど、何かおもしろい記事が出てるのかい?」 「これ? 占いよ」 「へえ、占い、ドント・セル」 「何、それ?」 「売らない、ドント・セル、なんちゃって」 「ぎゃはははは」 「すげえ笑い方、きみ、女だろ」 「私、正直な人」 「何だ、それ?」 「裏のない人」 「ぎゃはははは」  よみがえる悪夢に、モモは頭を抱えた。「占い」で波に乗ってしまった二人は、その後も、駄洒落を連発し続け、ついに、処刑されてしまったのであった。もちろん、二人は、何故自分たちが死ななくてはならないのか、最期の時まで知ることはなかった。だから、彼らの罪は、いっそう深いのだ。  ごろ合わせの類を洒落と呼ぶらしいが、モモは、その非常識と戦い続けて、現在に至っている。彼女によって処刑された人間は、既に千人以上に及んでいる。しかし、その千人以上の人々の死の共通項が見えにくいために、モモは、殺人者の汚名をきせられることもない。モモと同じ種類の人間が、彼らの生前の会話をすべて耳にしたなら、すぐに、共通の死因が判明したに違いないが、そこまで世なおしに意欲を燃やしているのは、モモを含めて、ほんの数人である。もちろん、モモには、そのほんの数人とやらを見分けることが出来る。しかし、気やすく仲間のように話しかけたりはしない。彼らが最も嫌うのは連帯感だからである。  人は何故、ごろ合わせで、連帯感をものにしようとするのだろうか。そして、その連帯から、離れようとしている人間にまで笑いを強要しようとするのであろうか。ごろ合わせを洒落と呼ぶ。しかし、それの正式名称は、駄洒落である。駄洒落の駄は不必要という意味を持つのではないだろうか。それなのに、ある種の人々は、それを必要としているのである。誤って、機知という誉め言葉を進呈している者もいる。  モモは溜息をつかずにはいられない。もちろん、彼女も、小さな頃から人を殺して来た訳ではない。幼い頃、周囲の人々の使う駄洒落に得体の知れぬ不快感を覚え、鳥肌を立てはしたものの、それが殺意につながることはなかった。自分の言葉の感覚は、洒落を使う人種とは違うらしいと違和感を感じながら、息苦しい思いで毎日を生きていた。  幼い頃は良かった。学校の友達は、洒落という不純物を会話に混ぜなかったので、大人たちの時々、口にする罪な言葉を耳に入れないよう気づかえば良かった。しかし、中学、高校へと進む内に、周囲の子供たちは、徐々に、おぞましいエッセンスを会話にたらして、彼女を恐怖のどん底に突き落とし始めたのである。  彼らが言うところの洒落、つまり、駄洒落は、必ず他人の耳を意識している。しかも、耳だけではなく、心を揺らし、それを笑いという肉体労働にまで持って行く程に力強くありたいと切望している。それが無理矢理行なわれようとするさまは、まさに強制労働である。この世に強制労働というものが存在していても良いのだろうか。ねえ、ねえ、聞いて、聞いて。この強制労働は、こういう優しい呼びかけで始まる。うっかり従ってしまった後には、苛酷な収容所でのお務めが待ち受けている。機知とユーモアという名の収容所での作り笑いという務めである。もちろん、これは断固として拒絶することも可能だ。しかし、拒絶した後には、脱走犯としてのラベルを貼られてしまうのである。そのラベルには、冗談を解さない犯○○号と書いてあるのである。  学校生活、社会生活において、そのラベルを貼られることは、悲劇である。日常生活は、常に、対社会の構図を保っているからである。モモは学校からも社会からも、早く自由になりたいと切望した。組織の中に組み込まれず、収容所言葉を使わぬ人間たちだけとかかわって行けたら、どんなに気が楽であろうか。しかし、それには、長い時間を耐えなくてはならない。  暗い青春時代であった。学校が終わると、一目散に家に走って帰って、うがいを三十分続けた。家に収容所言葉はなかった。誤って、テレビを点けた時に、それが聞こえてしまうことがあったが、テレビにラベルを貼り付ける力はなかった。彼女は、もしや、自分だけが、他人と違う言語感覚を持っているのではと悩んだが、そうでないことを、次第に悟って行った。  彼女の数少ない友人たちは、やはり、収容所言葉に笑えない人種であった。彼女の感覚は、あまりにも、それらの言葉を嫌うあまりに、同類を選ぶという能力を手中にしたのである。 「モモ、社会科のあの先生の冗談、笑える?」 「笑えない」 「良かった!! 私もよ。でも、皆、笑ってるから恐かった」 「私も、あの駄洒落って、笑いのファシズムよね」  モモと友人たちの間では、しばしば、このような会話が交わされ、親睦を深めて行ったのである。それは、いつのまにか、秘密結社の様相を呈した。駄洒落を使う人間は、たいがい、権力を手にしているものである。笑いの鍵は、私が握った、とでも言いたげな傲慢さに対抗する術を彼女たちは持っていなかった。  何故、ある種の人々は、笑いを強要するために駄洒落を使うのか。ある時、モモとその仲間は、その疑問を解決するために、仕様もない駄洒落を連発する同級生に、故意に近付いた。彼女の名は、光という名であったが、自分をピカちゃんと呼ばせる収容所の女看守であった。 「ピ、ピ、ピカちゃんの冗談って、すごく、いつも、す、鋭いよね。感心しちゃう」 「良く言われるのよね。私、ユーモアあふれてるって」 「そ、そうね。どうしてなのかな」 「さあ、持って生まれたものかもしれないわね」  モモたちは、恐怖のあまりに立ちすくんだままだった。持って生まれた!? それでは、ピカちゃん、もとい、光の駄洒落が止むことはないというのか!? 「も、持って生まれたってことはないんじゃない? やっぱり、本人の努力っていうか、そういうものもあるんじゃない?」 「んー、頭が良いのかな」  またもや、血の気を失うモモたちであった。厚顔無恥であったか。それとも、光のような人間を本当は頭が良いと言うのか。私たちが、やっぱり馬鹿なのかもしれない。光に気付かれぬように、お互い顔を見合わせるモモグループであった。 「機転がきくなんてのが起点になっちゃったりしてね。きゃーっ、言っちゃった。貴殿はどう思う? なんちゃって」  貧血を起こして倒れている者もいた。これは、正気の沙汰ではない、とモモたちは首を振り、身震いをしながら、その言葉がどのように笑いをとろうとしているのかを判断しようとした。無理だ、と思った。どうして、この言葉を許し、そして、しかも、笑えるというのだ。もう駄目。モモグループのひとりが、口を押さえて、洗面所に駆け込んだ。モモは、脂汗を流しながら、冷静になろうと努めた。そして、収容所言葉に共通する語尾の存在に気付いたのである。 「なんちゃって」である。この語尾は、いったい何を意味しているのだろう。なんて言って─→などと言ったりして─→などと言ったりして、私は○○○○○……と本来のルーツを探ってみる。○○○○○……には、ある意味が省略されている筈だ。はたして、それは? 「馬鹿みたい?」か、それとも、「利口でしょ?」だろうか。モモは考える。前者に違いない。いや、厚顔無恥は、自分を馬鹿とは呼ぶまい。しかし、利口と言い切ってしまうには、相手は狡猾である。もしや、両方ではないのか? ずるさは、常に、両極端の意味を含んでいる。などと言って、私は、馬鹿みたい、でも、利口だから、馬鹿になれるの。この結論に行き着いた時、苦しいながらも安堵の溜息をつかずにはいられなかった。しかし、何という不遜な。もちろん、馬鹿は利口にはなれぬが、本当の利口は、利口を誇示しない。ましてや、省略することにより、偽りの謙遜の要素を含ませるとは、なんと、あさましいことであるか。謙遜は、本人が自覚している場合、媚の変態に他ならないのである。  ばたばたと倒れ行くモモグループを気にすることもなく、光は、輝いた表情を浮かべて言った。 「サービス精神旺盛なのよね、私って。人に気をつかうたちだから」  とうとう耐え切れずに、モモは、その場から走り去った。これ程の苦痛に、世の中の人々は、どうやって耐えているのか。持って生まれた頭が良いから機転がきき、サービス精神によって人を楽しませていると言う。この揺るぎない自信に裏打ちされた自己完結の世界は、いかなることかや。自ら奉仕活動のごとく無料でサービスをするのを、場合によって、余計なお世話と呼ぶ。サーブされるものが、目に見えるのなら、それは、りっぱなボランティアに成り得るが、駄洒落の場合は、鼓膜を汚染するばかりである。モモは、駄洒落から連想することの出来るはた迷惑なサービスについて考える。ひらひらの付いたドアのノブカバー、花柄の電話カバー、ぞうさんの格好のティッシュカバー、Tシャツを利用した車のシートカバー。おお。駄洒落、それは目にも不快なファンシーな覆いのことであったのだ。そう言えば、駄洒落好きな人間は、皆、ファンシーな人々である。洋服にしても、物ごしにしても、私って、ちょっとお馬鹿さんを装ってるのと言いたげな風情を漂わせている。何が、ちょっとお馬鹿だ。おまえたちは、本当の大馬鹿者だ───!!  モモは、ぜいぜいと息を吐きながら、壁に寄りかかり体を支えていた。このままでは、気が狂ってしまう。そう言えば、光の言葉に、胸を悪くしていた子がいたっけ。大丈夫かしら。嘔吐したもの応答せよ、なんちゃって。どひゃ──!! 伝染してしまった。モモは、ついに意識を失った。駄洒落は、時に、人に感染するのである。  モモが、最初に人を処刑したのは、それからまもなくのことである。初夏の昼下がり、昼食後、心地良い風に吹かれながら、サガンの恋愛小説を読むモモの耳に、男子たちの雑談が届いたのだった。 「一番気持いい授業科目はなーんだ」 「えー、わかんねー」 「美術」 「なんでだよ」 「写生するから、なんちゃって」 「ぎゃはははは」 「射精? あ、なるほど、わははは」  サガンの小説に、これ程似合わない雑音は存在するであろうか。モモは、これまで、心の内に溜めて来た嫌悪感が急激に殺意に変わるのを感じていた。そして、その殺意は、彼女の心の中で、凶器さながらにとがり始めた。 「じゃ、こういうの知ってっかよ。新幹線とかけて、射精ととく、そのこころは」 「えー、難しいじゃん、それ、わかんね」 「駅をとばす」 「ぎゃははははは」  その瞬間、モモの内側から嫌悪の矢が飛び出し、駄洒落に笑っていた少年たちに見事に命中してしまったのである。彼らは、何が起こったのか解らぬまま床に倒れて、そのまま息絶えてしまった。モモは、呆然と、自分の目の前で死んでいる少年たちを見詰めた。自分が彼らに何をしたのかが良く解らなかった。ぼんやりと、立ち尽くしたまま、駄洒落の死に向き合っていた。しかし、しばらくたつと、彼女には事の次第が、はっきり見えて来た。自分は駄洒落の駄を処刑する任務を授かったのだ。何故、自分、なのかは解らない。しかし、この世で明らかに駄洒落によって被害をこうむっている人々を救う役目を、今、この時、与えられたのだ。こういうのを啓示を受けると言うのだろうか。世なおしの時代が来た。彼女は、そう確信した日のことを、今でも、はっきりと覚えている。  駄洒落を制すには、駄洒落に精通しなくてはいけない。モモは、それに関するあらゆる知識を吸収し、考察し、分析した。なんと言っても、処刑である。冤罪があってはならない。現行犯は、疑いの余地がないが、人からの情報には、細心の調査を行なった。すると、同じ駄洒落にも、即、処刑しなくてはならないものもあれば、執行猶予の余地のあるものもあり、また、少しも罪にはならないものもあるのに気付くのだった。  駄洒落には、優劣をつけることは出来ない。処刑に値するものばかりなのである。しかし、洒落となれば話は別である。この世界がなかなかに奥深いことも、最近、彼女には理解出来るようになった。洒落が、それだけでは成立せず、形容詞や形容動詞の様相を呈する時、その言葉は、むしろ価値を持つことすらある。上に「お」が付き、お洒落になるだけでまったく違う意味を作ってしまうこともある。お洒落と駄洒落は、一字違いであるのに、雲泥の差が出て来たりする。また、洒落る、と動詞に変化すると、ダンディズムすら滲んで来たりする。  しかし、である。ここで心を許してはならないのだ。洒落のダンディズム化は凡人のなせる技ではないのである。巷にはびこるのは、駄洒落の悪が大半なのだ。それにしても、その最大の悪業とは何か。それは、笑いを絞り取ろうとすることである。そして、それを、何の罪の意識もなくやってのけることである。悪気がない。このことが、最も悪いということにいったいどれ程の人間が気付いているだろうか。駄洒落を使う人間の特徴は悪気がないことである。悪気のない人は、開き直りもまた上手い。その洒落、おかしくないよ、とでも指摘しようものなら、一大事である。ユーモアの解らない人とはつき合いたくないわ、などと開き直るのである。この種の開き直り程、頭の痛いものがあろうか。彼らは、ユーモアを解する人間と解さない人間の二種類の差別化をはかろうとしてやっきになる。洒落(ほんとのとこは駄洒落)イコール ユーモア イコール 機知という公式は、他人を受け入れる隙を持たない。他人の忠告を聞かないばかりか、自分たちはユーモア人種という特権を授かったかのように嬉々として、駄洒落に磨きをかけようとする。本物のユーモアが、地下に潜伏して、泣き崩れているのも知らずに。  ユーモアとは、いつでも独自なものである。インディヴィジュアルであることこそが、ユーモアの特性である。そこには関連性は存在しない。ユーモアが口をついて出る時、舌は同じ動きをしないものである。駄洒落のように足並をそろえたりはしないのである。駄洒落はいつも方向性をもって動く。しかし、ユーモアは言葉のマスゲームではない。あらぬ方向に進んでしまう自堕落な美女なのだ。  駄洒落は常に様式を持つ。そこに当てはまることによって進化(と、言えるか!?)して行く。段階を踏みしめながら上に登って行こうとするのである。この点で、駄洒落は、退屈な学業に酷似している。駄洒落を良しとする人間に、真面目で几帳面な特徴を持つ者が多いのは、このことによる。学業に打ち込めば何とかなる。こう思い実践して来た者の中には、駄洒落の鬼才と呼ばれる人も少なくない。もちろん、モモの処刑の一番の対象だが。  駄洒落が学業なら、ユーモアはアートである。創造性という天賦の才を必要とするものである。それは、教えられるものでもないし、学ぶものでもない。そして、しばしば抽象的な形を取るために、人には解りにくいこともある。しかし、解る人には解る。これこそ特権的だが、ユーモアは、決して特権について語るのを良しとしない。自らを誇示することは、品の無いことであるのをわきまえているからである。駄洒落が自分を誇示し、自己顕示を馬鹿で隠しているように見せるあさましさとは大違いである。そんなもん隠れるかい。頭隠して尻隠さずとは駄洒落のためにある言葉である。だいたい隠す程のものがあるだろうか。正体見たり枯尾花というのも駄洒落のための言葉である。  しかし、こんなに仕様もない駄洒落であるが、その駄洒落が価値を持つ場合もある。それは、それによって引き起こされる笑いがどういう種類であるかによって決まる。笑いには、さまざまな種類がある。駄洒落の価値を上げるのは、実は、軽蔑の笑いと憐憫の笑いを混ぜたものであるのをご存じだろうか。単純な駄洒落というのは、それを認めた笑いを求める。ね、ね、ね、おもしろいでしょ、ってなものである。しかし、高品位な駄洒落は正反対に、ね、ね、ね、おもしろくないでしょ、という笑いを求めるのである。前者の笑いは、わはははは、であるが、後者の笑いは、とほほほほ、である。そして、ここに、おおいなる相違があるのだが、前者の場合、駄洒落を受けた者だけが笑い声を発するのである。駄洒落を口にする側は、故意にクールさを装うのである。大仰な演技者なのである。しかし、後者の方は、与える側も受ける側も、笑い声を発するのである。今、処刑の効果が表われたのか、若者は後者の笑いを習得しつつある。喜ばしいことである。  しかし、時に、前者のパートナーと後者のパートナーが入れ替わってしまうという悲劇も生じる。処刑クラスの駄洒落を発する者は、受け手が、実は、軽蔑と憐憫から笑いを洩らしていることに少しも気付かないことがある。このことで打撃をこうむるのは、受け手である。処刑クラスの鈍感さは、決して、相手の額が冷汗に濡れ、羞恥のために頬が紅潮してしまったことなどには気付かないだろう。頭を掻きながら、笑いが拷問の器具と化して行くのを肌に感じているのは、受け手のみなのである。彼らは憐憫の情を持つぐらいであるから、心優しい。処刑だ! と叫ぶこともなく、顔面が笑いの形押しという責苦で固まりつつあるのをどうする術もなく甘受しているのである。  可哀相な人たち。モモは、唇を噛んで呟く。私にまかせて。彼女は、心に熱いものが湧き上がるのを感じていた。ここのところ、彼女の処刑率は、いちじるしい伸びを見せている。不穏な匂いを感じて、近寄ると、案の定、駄洒落があたりに充満しているのである。この感覚の磨かれ方といったらどうだろう。処刑の矢は決してねらいを外すことなく命中し続けているのだ。もう少し、もう少しで、この世から駄洒落を追放することが出来る。本物の機知とユーモアが大手を振って歩く日が来る。  しかし、やはり、駄洒落もさるものである。どこから処刑の噂が広がったのか、巧妙に姿を隠すことも多くなって来た。いったい、駄洒落のどこが悪いと、各地で小さなデモなども起きているようである。もちろん、鈍感な駄洒落どものことであるから、無防備に、姿を現わし、不粋な自己主張をするものだから、処刑には苦労せずにすんでいるが。この間も、駄洒落の親戚である笑えぬ冗談を処刑した。この種のものは、処刑するのもおぞましい程だが、悪は根こそぎ引っこ抜かなくては世なおしの意味がない。 「まあまあ、きみもこちらに来て座りなさい」 「いやあだ、お客さん、気をつかわないで、お金をつかってよ」  あるいは、 「きみきみ、ビールはあるかね」 「はあい、売る程あるわよ」  というような種類のものである。まったく、こういうホステスが、まだ存在していたとは。モモは、処刑を行なったクラブで呆れ返った。こういう冗談は、駄洒落と共生する細菌のようなものである。それを満足気に聞いていた客も、予想通り、駄洒落を連発し、同じように殺されてしまった。  モモは、自分を、あれ程までに苦しめた収容所の崩壊して行く音を聞いた。冗談の解らない人ね。この収容所の言葉程、間違った使い方をされていたものはなかった。冗談の解らないのはおまえの方だろ、と、今なら大声で言い返しても社会からはじき出されることもない。  しかし、なんとなく一抹の寂しさも感じている。世の中が、少しばかり美しく見え過ぎるのだ。美しいのは良いことではないか。いったい、何故、そのように感じるのだ。駄洒落殺しに情けは無用ではなかったか。いや、これは情けなどではない、とモモは思う。世の中から駄洒落がなくなりつつある今、耳は綺麗に洗われつつある。そこで、モモは、あっと気付くのである。駄洒落に対する免疫もなくなりつつあることに。今、もしも、強烈な駄洒落が出没したら、心ある人々は、それに耐えきれずに死んでしまうかもしれない。処刑の副作用が表われて来るのではないだろうか。  モモは、あせった。こうなったら、一刻も早く、駄洒落を全滅させなくてはならない。ゆったりとかまえてなどいられない。モモは、駄洒落情報のあるところすべてに顔を出し、真偽を確かめたのち、怒りの矢を放った。  しかし、思い出してみると、彼女が恋愛中の男女を処刑したことは一度もない。性行為の最中に踏み込んだこともない。 「いくいく」 「ひゃひゃひゃ、どこに行くんだい」  などとくだらぬことを言いながら、熱情に身をまかせている男女は皆無である。やはり、駄洒落は、ロマンとエロスの天敵のようである。と、すれば、世の中、恋愛中の男女ばかりになれば、駄洒落は、おのずと消滅してしまうに違いない。と、いうことは、駄洒落を使う者の中には、故意に、ロマンを遠ざけるために連発する輩も存在するのではないか。そう言えば、駄洒落によって色気を削り取っている人は少なくない。しかし、何故、ロマンやエロスを、そうまでして、排斥しようとするのか? セックスが嫌い、あるいは恐い。それとも、照れ屋さん? 照れて駄洒落を使うなど本末転倒というものではないか。厚顔無恥の方が、まだ良いのか。  モモは、またひとつ価値ある駄洒落を見つけたのである。異性の欲望を遠ざける手段としての駄洒落である。ここのところを見抜かなくては、本物の世なおしとは呼べない。もてるより、もてない方を選択したあっぱれな駄洒落使いは、処刑の対象から外さなくてはならない。避妊の方法としての駄洒落は、コンドームよりも確実だ。エイズの予防にも有効だ。認可される日も近いだろう。それまでは、がんばらなくてはならない。モモは、自分に言い聞かせる。雑多な駄洒落市場を作るのも良いかもしれない。見せ物としての駄洒落は、決して、人の心を犯したりしないからだ。 [#改ページ]    逆説がお好み  幸子の好みは知的な男である。しかし、彼女自身、本当に知的な男とは、どういうものかを知らない。漠然としたイメージがあるのみである。スーツを着ていれば、男は、ある程度、知的に見えるものであるが、それを脱いだ時に、ゴルフズボンを穿いているような類は、彼女の追い求めているものではないのだ。彼女が好むのは、彼らが仕事をしている時の知的加減ではない。休日にこそ漂う知性である。そういう男と巡り合いたいわあ、と彼女は、いつも目を輝かせている。いったい、どういう男のことを言っているのよ、と友人達は、うんざりしながら尋ねるのだが、具体的な言葉は返って来ない。ただのミーハーじゃないか、この女は、と皆、感じているのだが、本人は、意に介さず、話し続けている。ミーハーが、私のような趣味を持つかしら、と、得意になる始末である。  そういう趣味を持つ彼女であるから、レストラン、喫茶店、バー、果ては図書館においてまで、目を光らせ、知的そうな男に近寄るのであった。彼女と関わりを持った男たちは、決して少なくはなかったが、長くつき合うことは皆無であった。二、三度、夜を過ごしただけで、彼らは、彼女の前から姿を消してしまうのであった。 「やだー、どうして、私って、良い恋に巡り合えないわけ? 男って、ずるいと思わない? 体を求めるまでは熱心なのに、そういう関係になると、逃げ出しちゃうなんて」  幸子は、その日も、友人達の間で涙にむせんでいた。誰もが、また始まったか、とうんざりして溜息をついた。 「体を求める時点で、その男が知的じゃないって解らないわけ? あんたは」  りえ子が、いかにも馬鹿馬鹿しいというように言い放った。それを聞いたミキが、げらげら笑った。 「あら、知的な男だって、欲情するわよね。知性と下半身って、やっぱ、別なんじゃない?」  すると、和美も、おかしそうに口を出した。 「知的なことを日頃話しているのに、すること一緒だと思うと、笑っちゃうよね」 「いいかげんにしてよ!!」  幸子が涙を拭きながら立ち上がった。 「男と女の関係は、頭脳と情緒が裏切り合ってるから、興味深いんじゃないの。私は、そういう人を捜し求めているのよ。人間の英知と動物の野性。私は、そういうものを兼ね合わせている人と恋愛したいのよ」  ほー。一同、顔を見合わせた。誰もが、上半身が野性で、下半身が英知であったら恐しいだろうなあ、と思いついたが、口にはしなかった。幸子の興奮状態を思うと、茶化すのが、ただ申し訳ないのであった。 「幸子、でも、あなたの場合、自分自身に問題があると思うよ」 「そうよ、あなたの外見、内面と外面が、ちっとも、裏切り合ってないもん」 「ほんと、それじゃ、ただのイケイケ、あ、もとい、派手好きな頭の悪い子に見えるよ」  皆の言葉にしゅんとして、自分のミニスカートの裾を降ろそうとする幸子であった。やはり、服装から、なんとかしなくてはいけないのかもしれない。病は気から、知性は格好からである。  翌日から、幸子の服装計画は変革をとげた。なにしろ、ミーハーの彼女であるから、知性あふれるキャリアウーマンに変身することなどお手のものであった。なになに、ニューヨークのキャリアある女性は、通勤の時には、スニーカーを履き、会社に着いてからハイヒールシューズに履き替える、か。やってやろうじゃないか、と彼女は、早速、ナイキのスニーカーで小走りに会社に出社したが、日本の女子社員は、社内でサンダルを履いていたのであった。結局、鞄の中のハイヒールシューズは、退社後のお出掛けにしか役に立たないのであった。ちぇーっ、と思ったが、それは、それで良いのである。彼女の目標は退社後にあるのだから。仕事の後に、ひとときの安らぎを求めている私って、なんか知性派。ひとりで、大人びたバーに腰をかける幸子であった。素通しの眼鏡をカウンターに置き、ああ、今日も、充実していたわ、という演技である。  もちろん、それなりの収穫はあった。しかし、である。やはり、何故か、男達は去って行ってしまうのである。幸子は、混乱してしまい、またもや、友人達を集めて、愚痴を言う破目になった。どうしてなの!? いったい私の何が悪いの? 鼻を啜りながら訴える幸子を、再び、うんざりしながら慰める友人達であった。 「だからさ、本当に知的な男ってのは、格好じゃ、だまされない訳よね」 「私たちだって同じじゃない? 眼鏡かけて本を持ってる男だからって、頭いいなんて思わない訳じゃない?」 「いいかげん、幸子も、馬鹿言ってるの止めた方が良いんじゃない? 世の中に、そんなに知性を持った男なんていないよ」 「そうだよ。受け売りの知識をひけらかすだけの人が、どちらかというと多いよ」 「ほんと。お洒落な知性派をこれ見よがしと俗に言う」 「だいたい、なんだって、知性、知性って騒ぐんだか。私の知ってる作家なんて、飲み屋でつるんで飲んだくれてるだけだよ」  幸子の目が、きらりと光った。 「和美、今、知ってる作家って言ったわね」 「言ったけど……」  幸子は、和美にしがみついた。 「作家っていいじゃーん。知的職業の最たるものよね。ね、紹介して。私、文学の香り漂う人とおつき合いしたい」 「ちょ、ちょっと、それ、短絡的なんじゃない?」  りえ子の声が耳に入らない程、幸子は興奮していた。作家!! 何故、そのことに気付かなかったのであろうか。前髪がさらりとたれる額。バーの片隅で交わされる文学論。なんともレトロではないか。そうだ、忘れていた、知性とは、レトロな空間に存在すべきであるのを。 「えー、そういうの古臭いって言うんじゃないの? レトロな空間って、埃っぽいよ」 「そう? いいじゃない。バーのスツールに腰をかけて片膝なんか立てちゃって、いかすわよ」 「幸子、あのさ、林忠彦の写真じゃないんだから」  幸子は、誰の言葉も聞いていなかった。ただ、うっとりと、頬に手を当てて目を閉じて、片膝を立てた作家に思いをはせるのであった。 「この子、全然、人の言うこと耳に入ってないみたいよ」 「ちょっと、頭、おかしいんじゃない」 「私、もう、やだよ、苛めてやろうかな」 「いいんじゃない? こんなに身の程知らない女は」  突然、何か言った? と問いたげに、友人達を見渡す幸子であった。もちろん、皆、ぎくりとしながら、作り笑いを浮かべていた。ミキが、からかってやれというふうに片目をつぶり、幸子の肩を抱いた。 「あんた、ほんとに、作家と知り合いになりたいわけ? だったら、読書から始めないと共通の話題を持てないよ」 「えー、字を読むの? 面倒臭いなあ。作家の人って、そんなに字を沢山、読んでるの? 和美」 「そりゃ、字読めなきゃ、書けないじゃん」  成程、というように頷く幸子であった。 「幸子、そうだよ、本を読んでみなよ。あらゆる本に、作家の好みの女というものが描かれてるんだよ。傾向と対策は、文学の中に書かれているんだよ」 「そうそう、それが解ったら、私の知り合いの作家を紹介してあげるよ」  幸子は、唇を噛み締めて、決意したように、顔を上げ言った。 「解った。私、読書家になる」  友人達は、笑いをこらえながら、幸子を励ますのであった。馬鹿か、この女は、と皆思っていたが、もちろん、口に出したりはしない。誰もが、幸子に飽き飽きしていたし、それ以上に自分たちの日常にも飽きていた。偶然にも、お楽しみが出来た訳である。彼女の成り行きを見守るのは、クラブで踊るよりも、はるかに楽しそうであった。  その日から、幸子の研究が始まった。彼女は、ベストセラーのみならず、新旧の名作、もちろん男女について書かれた小説を買いあさった。読みあさったのではない。日頃、字を読む機会のあまりなかった彼女に、すべてを読み通せと言うのは無理難題である。彼女は、自分の傾向と対策に役に立ちそうな部分だけを抜き出して読んだ。すると、色々な真実が顔を出して来たのである。 「なんか、結構、男尊女卑じゃーん」  常に、女性が三歩下がっている小説がいくつかあった。そそとして、料理ばかり作っている。おまけに、作家は、美食家で、塩加減などにうるさい。そのニーズに応えている妻は、確かにりっぱである。なんか、物食ってばっかいるみたい、この作家。幸子は、そう思わないこともなかったが、知性は舌に影響するのだと改めて思い直したのである。食いしんぼは、ある種の作家の条件であるらしい。やだー、でも、こういう作家と知り合ったら、飯炊き女になりそう。お手伝いさんやとえば良いのに。  その種の小説には、女性上位でセックスをする女など登場しない。じっと、床の中で耐えているのだが、快楽は感じていなくてはならない。従って、言葉にならない言葉という高等技術が必要である。言葉にならない言葉って不思議な言い方だなあ、と幸子は思う。世の中に、言葉にならない言葉など、存在するのだろうか。 「おまけに、結構、浮気性じゃーん」  どうも、作家は、フリーセックスが好きらしいと幸子は悲しくなった。三歩下がる妻がいるくせに、色々な女とも寝ている。そして、ご丁寧に、きちんと情まで移しているではないか。妻は、恥じらいをもって、布団に寝ているだけであるが、外の女は、割合、大胆であることも解った。時には、縛られたりもする。やだなあ、SMなんて、と幸子は思いもするが、好奇心も知性の要素かもしれないと自分に言い聞かせる。しかし、大胆でも、絶叫したりはしないみたいね。そう、女たちは、性の営みの最中に、決して、大声を出してはならないのだ。おまけに、最初は、合意の上であるにもかかわらず、あらがっている。あらがってるって、何だ? どうして、あらがっているのだ? 幸子は、首をかしげる。抵抗するってことよね。どうして、いちいち抵抗するのであろうか。そうか、作家はレジスタンスが好きなのね、と、これまた勝手に彼女は思う。反権力という言葉が浮かんで来る。何も、布団の中で、反権力をスローガンに掲げることはないじゃないか、と思わないこともない。しかし、やはり、本当の知性は、体制にくみしないことだとも思うのだ。体制? 何の体制だ。体位の間違いではないのか。まあ、あまり追究するのは止めようと、彼女はひとりごちる。 「どうしてかな。病気の身内が多いみたい」  身内の病気で苦労している作家は多いようである。もちろん、本人が病気の場合も、たまにはあるが、病人ではつき合えないので、そういう小説は、一ページで読むのを止めてしまった。本人は、ともかく、身内の病気なら、幸子自身に苦労がかかることもないであろう。しかし、たいてい、死に至る病の場合が多いので、彼女は、ふと、不安になる。お葬式代、大変かもしんない。私、喪服も持ってないしい。しかし、喪服を着た美女も、また、おつなものではないか。葬式の最中に、先程の声にならない声などを出すのも、エロティシズムが漂う。もちろん、大声を出したら不謹慎であるのは承知のことだが。しかし、こちらの親戚でもないのに、死にそうな人間を看病するのは、さぞかし大変であろう。死因の第一位は、癌であるが、結核も忘れることは出来ない。昔は、結核で死ぬ人多かったんだわ、と、なんだか、しみじみとする幸子であった。はかないって、文学的よね、と彼女は改めて思う。読む程に、はかない命の前で知性がいったい何の役に立つのか、こいつ、机の上で悩んでるだけじゃねえか、と、思わないでもなかったが、知性とは、多分、そういうものなのであろうと、彼女は無為な自分を嘆く作家の悲哀について、つくづく考えるのであった。  しかし、再び、幸子は、ぎくりとする。作家の知人、友人には自殺者も多いのである。よくも、まあ、これだけの人々が、自ら命を断ちましたこと、と思うだけで溜息が出る。作家の周囲の自殺者は、あらゆる種類の悩みを抱えているが、その悩みを、作家本人に謎解きのように与えたままこの世を去ってしまう。なんだか、なぞなぞばっかやってるみたい、と思わないではないが、原因究明というのは、作家の大事な仕事であるらしい。しかし、原因を究明し続けるからと言って、その答えが出ることは稀である。でも、よろしいのだ。時間という優しいものが、いつかは解決してくれる。つまり、忘れちゃうってことなの? 幸子は、素朴な疑問を持つが、覚えたての忘却という用語をそれに当てはめる。知性って、忘却も必要なのだ。つまり、都合の悪いことは忘れるということだ。もしかして、便利かも。幸子は、再び嬉しくなる。 「わりかし、教育が好きみたいねえ」  作家は、教育が好きである。年若い女性に、ものを教え込むのが生きがいらしい。たまに、教えられるのが好きな作家もいるようだが、少数派である。私、先生って、嫌いなのよね、学校って、苦手だったのよね、と幸子は過去の記憶を辿ってしまう。しかし、作家の教えているのは、学校の勉強ではない。衣食住に関することである。家庭科の授業!? と一瞬、彼女は吐き気をもよおすが、そうではない。そこには、性というものも含まれている。それなら許してあげよう、と彼女は思う。なんと言っても、彼らは、性的に未熟な女を、達人に仕立てあげることが出来るのである。やはり、知性とは、奪うだけではなく与えることもしなくては。ゴージャスなドレスに、おいしい食事、センスの良いインテリア、おまけに、素晴しいセックス。なんだか、青年実業家みたい、と思わなくもないが、ちっちっ、それは違う。教師は、知性あふれる作家なのだ。携帯電話を持って、大声で話すバブルな奴らとは、ひと味もふた味も違うのである。大声どころか、こちらには、声にならない声という強い味方が付いているのだ。それにしても、年若い女を教育して行くのは、大昔からあるみたい。この光源氏という方もそうみたいだし。こんな年若い女の子を連れて来て、幼女誘拐とかにならないのかしら。やーだ、処女喪失も早いわあ、私、はっきり言って負けてる。しかし、光源氏のような甲斐性のある男は、既に、絶滅しているだろうと思い、彼は別格にする。第一、歌は詠むけれども、文章は書けないみたいである。恋文だけでは知性とは言えないし、作家とも呼べない。あら、これって、女の人が書いたのね、と幸子は気付いて納得する。都合良すぎるものね。同性の|ずる《ヽヽ》には敏感なのである。  学校嫌いであった幸子であるが、こう教育の経過ばかりを読み進むと、男性に教育されるのも素晴しいものに思えるから不思議である。なかには、教育ではなく、調教の場合もあるが、私って、わりとじゃじゃ馬だから良いかも、と、野性を感じたりもするのである。しかし、この教育、調教は、される側に資格があるらしい。この学校には、処女、あるいは、それに近い女性しか入学出来ないのである。何故なら、ここには、開化という重要な課題があるからである。開化という言葉で、幸子は、社会科の教科書に出ていた文明開化の牛鍋をつつくの図しか思い出せない程に、体は熟れている。いっそ、処女の演技指導もしてくれれば良いのに、と彼女は思う。あら、と彼女は、ふと、自分の間違いに気付く。彼女が開化と思っていたのは、実は、開花であったのだ。花が開くとは良く言ったものだ。やはり、知性って、浪漫よね、と彼女は、ひとり納得するのであった。 「なんだか、飲んだくれも多いみたい」  作家たちは、ずい分、酒を飲むらしいのだ。しかも、銘柄にも詳しい。宵のくちは、酒の作法などにもうるさそうだ。しかし、彼らは、教育者でもあるのだ。きっと、酒に関するうんちく、ではなかった知識を幸子に教えてくれることだろう。けれど、彼女は、徐々に不安になって行く。彼らは、飲む程に、傍若無人になるようなのである。時には、吐いたりもする。隣りで、げろ吐かれたらやだなあ、と彼女は心配する。言葉にならない言葉を呟きながら、吐かれた日には、たまったものではない。おまけに身内は病気だし。しかし、こういう形態を破滅型と呼ぶらしい。破滅か。デカダンスよね。退廃的である。退廃を文化と呼ぶことも、もう彼女には解っている。文化って、げろ? さすがの幸子も、この連想には耐えられないのであった。首をぶんぶんと横に振り、考えを変えようとする。酒で、うさをはらすのは、作家ばかりではないが、自らの知性を壊すために酒を飲むのは作家だけである。普通の人は、そのようなもったいないことをしない。一度、かちえた知性に関しては吝嗇である。つまり、もしや、作家は、鷹揚ということではないのか。素晴しいと幸子は思う。 「どうして売春婦が好きなのかしら」  正確に言えば、売春婦という言葉は存在しない。彼らは、身を売る女たちを娼婦と呼んで大切にするのだ。そこには、逆説的な形容詞が必ず付いているのが特徴である。知的な娼婦や可憐な娼婦、聖女のような娼婦もいれば、母のような娼婦もいる。決して、あほの娼婦や、ふしだらな娼婦や、不良っぽい娼婦や不衛生な娼婦が出て来ない。気に入った!! 幸子は、わが意を得たり!! と膝を打つ。体を売る女性に対して、これ程、理解のある人種は珍しいではないか。そして、彼らの愛する娼婦たちも、また魅力にあふれているのである。彼女たちは、決して、客から、しこたま、ふんだくってやろうなどと考えないし、エイズだけどいいややっちゃえなどと危険な思想を持ったりしないし、あーやだやだ、こんなじじいとするなんて、とぼやいたりもしない。料金なんて、本当はいらない、とでも言いたげに無欲なのである。おまけに、時々、快楽を覚えたりもする。しかも、その作家と行為を行なう時にのみ! そんなに、彼らのテクニックは素晴しいのか!! それとも、逆説的形容詞の付く娼婦のみが作家に反応してしまうのか。  特に、幸子は思ったのだが、知性あふれる娼婦というのがスタイリッシュである。知性あふれていて、何故、売り物が体なのかは知らないが、哲学書などが、枕元にあったりするのがいかす。客の作家と本気の恋になど落ちたりして、しかし、クールにやがては立ち去る。あるいは、作家が、本気のあまりに、恋をまっとうしようとする。結婚? それとも心中? いや、しかし、死ぬのは嫌なので、やはり結婚である。そして、妻の座に収まり、三歩下がって、塩加減を見て食事を作り、浮気をされて、病気になり、それを苦にして自殺を図り、教育された若い女に妻の座を奪われ、残るのは、飲み屋のつけ。あれ? 何かがおかしいようにも思うが、気のせいであろうか。  幸子は、首をかしげてみたが、もともと、あまり思い悩むたちではない。なんだか、望んだ答えが出たように感じて、これは、友人達を呼ばなくてはならないと思う。いよいよ作家とのおつき合いを始めるのだ。 「あなたたちのおかげで、良い解答を得られたわ」  幸子の言葉に誰もが顔を見合わせた。目のまわりに隈を作ってまで読書三昧していた彼女のことを思うと、気味が悪かった。 「で、作家は、どういう女が好きか解ったって言うの?」  りえ子がおそるおそる尋ねた。 「もちろんよ、なかなか大変な女性がお好みみたいよ」 「へえ……」  幸子は得意そうに話を続けた。 「もと逆説的形容詞の頭につく娼婦で料理上手で夫をたて、決して能動的にセックスを求めず、あらがいながらもそれに応じて言葉にならない言葉を発し浮気をされてもへっちゃらで、病人の看病が上手く葬式慣れしていて忘れっぽく教育されることを好み隣りにげろを吐かれても人生の深淵をのぞいたと理解をしめす女よ」 「…………」 「何なの? それ」 「その逆説的何とかってのは、何よ、いったい」  幸子は、皆、何も解ってないのねえ、と言うように首を横に振った。 「だから、その逆説から、すべては始まっているわけよね。作家の好みの女になりたければ、まず逆説を手中に収めなくては」  怪訝な表情を浮かべる皆に、幸子は説明した。誰もが呆気にとられていたが、ミキがついに叫んだ。 「がまん出来なーい。知的な娼婦なんていると思う? 可憐な娼婦が存在してると信じてるの? 聖女みたいな娼婦? 母みたいな娼婦と来たら、年増のおばさんてことでしょ?」  この女たちは何も理解していない。幸子は、口惜しさのあまり唇を噛み、震えた。 「あなたたちには解らないかもしれないわ」  そりゃあ、解んないわよーと、一斉に声を上げるわからずや共であった。 「私はね、理解されなくてもいいの。作家って、完全に理解されたらおしまいなのよ。やはり、神秘を合わせ持っているべきだと思う。そのことを悟った私は幸せだったと思う。悲しいけどね、あなたたちにそう言われるのは。でも、感謝もしてるわ。これだけの読書をこなして、知性を身につけることが出来たのは、あなたたちのおかげだとも思ってる」  なんだか、この女、作家みたいな口をきく。皆、同時にそう思った。本当に、おかしくなってしまったみたいだ。和美が冗談めかして言った。 「あのさ、それだけ、色々なことを学んだのなら、あなたが作家になればいいんじゃない?」 「私が?」  ねえ、というように、皆、顔を見合わせて頷いた。 「そうよ。そして、もと逆説的な形容詞が上に付く男娼かなんかをものにして、小説でも書けばいいじゃん。気味悪いけど、画期的な恋愛小説書けるかもよ」  幸子は、つらそうに、首を横に振った。 「そんな簡単な世界じゃないわ。作家の世界って、ものすごく体力がいりそうなのよ」 「体力!?」 「そう、体力勝負なんだわ」 「えー? 作家って肉体労働者なの? 知的職業じゃなかったの?」 「知的な肉体労働者なのよ」  幸子は、きっぱりと言った。その言葉は、まさに逆説的であるとりえ子とミキは思った。和美だけが腑に落ちない表情を浮かべている。 「作家のすべては逆説から始まると言っても過言ではないわ。それに言い忘れたけど、彼らは、大変な使命を持って仕事をしているのよ。あなたたちには解らないかもしれないけど、アイデンティティの危機というのと常に戦っているのよ」 「何なの? そのアイなんとかって」 「自己の同一性っていうのかな。自分が自分であるといういしずえになるものなの」  そりゃあ、そこまで分裂症なら、アイデンティティも崩壊するであろうと皆、思った。 「なんか、その、大変、逆説的ね。作家が、その危機と戦うってのは」 「でしょ?」  幸子は、得意気であった。その雰囲気に押されてしまい、誰も、で、作家とつき合いたいって思いはどうなってしまったのか、と尋ねられないのであった。幸子も、知的な男云々という自分の好みを忘れてしまったようであった。  和美だけが、ぼんやりと、知り合いの作家の男を思い出していた。バーのカウンターで吐きながらも文学論を語る彼。確かに、知的な肉体労働者かもしれない。しかし、その肉体は、労働によって鍛えられて行くのではなく、衰弱し続けて行くばかりなのだ。 [#改ページ]    文体同窓会  会場には濃密な香りが立ちこめている。人々の香水なのか体臭なのかはさだかではないが、かぐわしい香りあり、いかがわしい匂いありで鼻が痛くなりそうである。今夜は、泣く子も黙る文体同窓会の宴である。同窓会と言っても、同期の文体たちが集まる訳ではない。同じ窓から物事を見詰めた経験のある文体たちの、そりゃあ、スノビッシュな集まりなのだ。もちろん、そのようなスノッブの夕べに出席出来る招待状が、私の許に来る筈もない。受付の赤えんぴつさんにチップをはずんで忍び込んだのだ。少しばかりふところ具合は寂しくなったものの、今夜の集まりには、それだけの価値はあると思う。この時ばかりは、囚われた身の上の文体たちが、堂々と作家の許を離れて自由に振る舞うことが出来るのだ。まるで、ワルプルギスの夜。もう既に、酔いつぶれている文体の姿も見える。  と、その時、わくわくと胸躍らせる私の腕をつかんで、ひっ張って行こうとする者がいる。ぎょっとして振り返ると、友達の|ある香《ヽヽヽ》であった。 「ちょっと、|まま代《ヽヽヽ》ったら、そんなにも堂々と歩いてたら見つかっちゃうわよ。ただでさえ今夜は、付箋さんたちの姿が目につくってのに。私たちのようなアンタッチャブルが忍び込んでいると知れたら大変よ」  見ると、ある香は、本当にあおざめている。私はなんだかおかしくなって吹き出した。 「大丈夫よ。こそこそしてると、それこそ怪しまれるわよ。『盗まれた手紙』じゃないけど、堂々と文体さんたちの間に入って騒いでいれば、かえって目立たないものよ」 「まま代って、本当に度胸あるわね。去年の同窓会では、私の友達が見つかって、拘束衣を付けられちゃったのよ。今も、辞書の中に閉じ込められたまま。本当に憐れだわ」 「大丈夫よ。近頃は、この世界も大分、開放的になって、少々の奇行は許されてるみたいだし。第一、聞いた? 家を持たない文体も出て来てる程なのよ」 「匿名会のやつらね。あの運動にはまいったわ。でも、もともと、家を買う程の資金もない文体たちじゃないの。貧乏人の負け惜しみよ」  ある香も、すごいことを言う。彼女は彼女なりにプライドを持っているらしいのだ。そりゃあそうだ。私や彼女たちは、今でこそ、文体たちからは一段格下に見られているが、一族の歴史は古い。ルーツを辿るまでもなく、私たちは私たちだけの誇りと共に生きて来たのだ。それなのに、少数派である文体たちは、特権意識を持っている。私も、そのことを思うと口惜しくなって来る。しかし、文体の集まりに対する憧れはやはり消せないのだ。  私とある香は、ワインのグラスを手にして、いかにもパーティ客のように徘徊した。会場は、とても混み合っているが、人気者の文体の周囲には、はっきりと解る輪がある。私たちは、その輪を遠巻きにして観察した。 「あらひはー、やっぱり、由緒正ひくない文体はー、認めたくないわけよね。だってさー、あらひたちをつかさどる作家たちに申し訳が立たないとー思うのよね」  ひとりの太った女性文体が唾を飛ばして話している。彼女は鼻が詰まっているらしく、不明瞭な発音で話し続けているが、自分の志の高さには並ぶものがないと自負しているために、周囲に飛びかう疑問符を無視して得意になっている。 「なあに、あれ。すごいでぶじゃん」 「知らないの? あの文体を養っている作家もすごいでぶなのよ。名は体を表わす、あ、違った。文体は作家を表わすという言葉どおりなのよ。作家の美食もすぎると、ただ意地汚いだけなのに気付かないから、文体にもコレステロールがたまり続けてる訳よ。作家の自己管理が悪いから、ああなっちゃうのね。贅肉がすごいから見て、『てにをは』だって、お肉で隠れちゃってるの」 「あ、じゃあ、あれが、例の『てにをは』を抜かしてしまう文体なの?」 「そうよ。彼女は、いつも赤えんぴつさんに罪をなすりつけてるけど、本当は本人の責任なのよ。いくら注意深い赤えんぴつさんだって、その贅肉をどかして下さいとは言えないじゃない?」 「そんなに、あの文体が偉いわけ? ただのでぶじゃないの」  ある香は、私の口を慌てて塞いだ。私は、その文体の持ち主の作家の顔を思い浮かべた。彼女は、そういえば、象のような足首を持っていたっけ。いかにも、動作が鈍そうだった。フットワークの悪い作家の文体は憐れにも成人病すれすれの健康状態である。しかし、太ったのは健康な証拠とばかりに、時代遅れの意識を持っているので、どんどん食べ続けている。贅肉の支える文体には明るさがない。脂のおおいが本来の明るさをさえぎってしまい、虚しく人工的な明りを照り返すばかりである。それを本来の明りと勘違いして吸い寄せられる者たちの多いこと。  しかし、まだ自分に吸い寄せられる者の多いことを知っているこの文体の方が、誰にも愛されないでぶプラスぶすの文体よりもはるかにましである。いったい、卑屈になっている文体ほどの困り者が存在するであろうか。完全に卑屈になった文体は、作家の許でいじけているだけだから良いが、始末に困るのが、卑屈である裏側に自意識過剰を匂わせている文体である。  どーせ、私は、でぶでぶすだよ、という作家の許から出向いた文体は、私は、他の奴らみたいにミーハーじゃないんですからね!! やたらに話しかけないでちょーだいよっ!! とばかりに壁の花となっている。しかし、その背中には、注目されたいという願望が漂っているのである。悪戯好きの付箋さんが、時折、貼り付いて、気取るんじゃないよあほ、と忠告している場合もあるが、たいていの場合、付箋さんの糊も乾かしてしまうくらいに依怙地である。  私は、文体の名前にあまり詳しくないが、かりに、先程の鼻詰まりのでぶ文体をAとし、壁の花をBとしてみよう。Aは照り返しのフェイクな光を放っているからと言っても、それを必要とする取り巻きを側に置いているという点で、おおらかさを持つことが出来る。つまり、でぶだっていいじゃん、きみには、他に良いところがあるんだからさあ、と言ってくれるお付きの慰め役がいるのである。共感を持たれているという意識は、それが大きくなるにつれて、いじけ度と反比例して行く。もちろん、飽和状態を越えると、傲慢の雫が凝結して、あたりを洪水状態にしてしまう場合もあるのだが。まあ、さほど罪のないでぶと言えよう。  問題は、Bである。このいじけ度はすごい。作家が男にもてなかったという事実が、文体自体を醜くしているのである。しかし、そんな簡単なこっちゃないのよっ!! と文体は反駁するであろう。Bの言い分は、こういうことではないかと思われる。私はね、自分が文体だからって特別なものだなんて思ってないのっ!! あれこれまわりから言われたくないの!! 文体扱いされて喜んでる奴らを見ると虫酸が走るわ!! お願い、誰も私を相手にしないでちょうだいっ! 私は私の道を行ってるんだからっ!!  で、壁の方を向いているのであるが、それなら何故、この同窓会にわざわざ出向いて来るのか。これこそ屈折した自意識の表われではないか。文体である以上、私を相手にしないでちょうだいっ! などと叫ぶのは認められないのである。 「ねえ、ある香、あの壁の方を向いている女性文体のことだけど」  私は、Bを指して言った。ある香は、ぷっと吹き出した。 「隠れ目立ちたがりやの文体ね。ほら、全身で、私を見てって言ってるじゃない。それなのに、あさっての方向を向いちゃって、頭隠して尻隠さず状態も、あそこまで行くと笑えるわね」  AとBは同族嫌悪というのか、絶対に歩み寄らない。同じ言葉を持っていないかのように、異なった空気を振りまいている。しかし、本当に求めているものは同じではないのだろうか。どちらも、その真意を隠している。文体に必要なのは、金と名誉と評価である。AもBも、本当は、それらすべてを欲しがっているが、口には出さない。作家の性格が、文体を生む時点で、歪んでいたからに違いないと私は見当をつける。作家の才能は、文体を身ごもった時に難産の苦しみではなく、難産の末に授かったものへの喜びを選ぶべきである。AもBも、作家を選ぶことが出来なかったのは大変に不幸である。  ダイエットすりゃあいいのに、と私は思う。でぶの作家がダイエットという志を持った場合、それは文体をもスリムにする筈だ。病は気から。文体は、体から、である。AもBも、自分が太っているということを、何か重大問題が潜んでいるように思っているが、そうではない。文体の変身は、それ程、困難なものではないのだ。ある種のうつ病を持つ文体は、ラジオ体操をしただけで、見事に美しく生まれ変わるものだ。太った文体もそう。作家に、ダイエットして、男でも見つけて、週に一ぺん素晴しいセックスをしてちょうだいよと頼んでみれば良いのだ。文体が作家から受けついだ欲求不満は嫌な匂いを放つという事実。これを知らない文体たちが多すぎると私は思う。自意識は作家を身ごもらせる精液の成分ではあるが、ホルモンの異常により、自意識のみが精液を支配する場合もある。AやBは、その犠牲者と言えないこともないのだ。 「太った文体もやだけどさ、ほら、あそこにいるいかにもの美文も嫌みだよねー。鏡ばっかり見てるよ、あの文体」 「ひゃー、本当だ。人前でお白粉を塗りたくるなよなあ。それと話してる男性文体もすごいじゃん。ソフト帽をかぶって、葉巻を吸ってるよ。いやーん、固ゆで卵を食べ続けてる」 「女性の方は、あちこちに流し目を送ってるよ。あ、スカートのスリットから、ガーターベルトが見えた。エッチだなあ。ストリップティーズするくらいなら全部丸出しにしろこのあま」  気が付くと、ある香は、呆れたように、私を見ていた。つい調子に乗ってしまった自分を、私は照れ笑いでごまかした。 「あ、まま代、見て見て、批評文体さんたちがお通りになるわ。やっぱり、りりしくていらっしゃるう」  私は、ある香の指差す方向を見た。彼女は、批評文体のグルーピーになりたいと心から思っているのだ。でも、身分違いだから諦めてるの、と柄にもなくしおらしい態度を取る彼女を私は可愛いと思う。確かに彼らは、少数グループの割には、態度が毅然としているので目立つ。男性ばかりでかたまっているからかもしれない。もしかしたら同性愛者かも、と言ったら、ある香に、思いきりつねられた。 「なんか、太鼓を持っている人とか、指揮棒を持っている人がいるけれど、ブラスバンドとかやってるの?」 「音楽を奏でるのよ。とっても、お上手なのよ。才能あふれてるのよ」  目や鼻が、まるばつで構成されている文体もいる。ゲームのやりすぎだろうか。ウノやドミノを持っている者もいる。楽しそうである。私は、そのうちゲームに混ぜてもらいたいなあなどと思い、モノポリーやピクチョナリーやボードウォークゲームを持っている者を捜したが、ひとりが人生ゲームを抱えているだけであった。 「なんか結構、あの文体さんたちおもしろそうだね」 「でしょ? 素敵だわあ。特に、あの真ん中の方なんて見てよ。いかすう」  その文体は、何故か男性だというのに、シャネルのアクセサリーをびっしりと身に着けていた。ブランド物も、あそこまで、キッチュに遊ばれると壮観である。しかし、男なら、もっとシンプルに装って欲しいと思うのは私だけであろうか。そう、ある香に伝えると彼女は、ちっとも解ってないのねと言うように首を横に振った。 「あの、おフランスざんす、おっほっほが粋なんじゃないの。あっちのじいさんよりはるかにましよ。あのじいさんは口うるさくて有名なの。好色なくせにストイックなふりしちゃってさ」  そういうものか、と私は思う。文体は見かけだけでは判断出来ないのだ。なかには、非常に酔っている文体もいる。何故か泣き続けている文体もいる。その間に入り、笑い続けているパンクな文体もいる。なんと、その女性文体は、気弱な男性文体を殴り続けているのである。 「つ、強過ぎる……」  私は、なるべく近付かないようにしようと決心するのであった。  それにしても、やはり多くのものが憧れる文体同窓会は華やかである。出席者の数も、並のパーティの比ではない。しかし、よく見てみると、双子やら兄弟姉妹も沢山いるようである。 「見わけがつかない程、似てる方たちがいるね。たとえば、あの文体さんと、あの文体さん」 「そうよ、困ったものね。流行をうのみにする軽薄な奴らは多いから。でも、寿命は短いのよ。養女や養子の文体がほとんどで、作家が与えるべき抵抗力を受けついでない文体さんも多いから」  と、その時、私たちから少し離れた所で悲鳴が聞こえた。人だかりが出来ているようである。私たちは声の方に走り寄った。  見ると、ひとりの文体が、多くの文体にリンチにあっている。 「ひどい。こんな暴行を加えて……。どうにかしなくていいの?」 「うん……でも、私たちには口を出せないわ。私たちどころか、ほら、さっきの批評文体さんたちが率先して、殴る蹴るをしてるんだもの。誰も何も言えないわ」  暴行を受けている男性文体は、既に、顔を腫らして口から血を流しているが、誰も、止めようとする者はいない。もっとやれ! という声も飛ぶ程である。私は、隣りに立って見物していた文体に尋ねた。 「あの、どうして、あの方、あのような目にあっているのですか?」  彼は、驚いたように、私を見た。 「どうしてって、何年ぶりかにようやく同窓会に出て来たから仕様がないのさ。しばらく欠席していた奴は、たいていああいった目にあうんだよ。無視されるよりは本人もずっと良いと思ってるんだろう。ここでは、無視された上に、翌年の招待状すらもらえない奴もいる。それが一番簡単な暗殺方法なんだ。きみ、そんなことも知らないなんて、新入り? どこの展覧会出身? それとも市場の出? 行商してた?」  私は、招かれざる客であるのがばれないように、ある香の手を引いて人の輪から離れた。 「今、聞いたんだけど、暗殺される人もいるんですって!?」 「そうか、さっきの壁の花文体は、それが恐くてやって来たのね。ずるいわね。私は、暗殺なんてへっちゃらって呟いてたのよ」 「そりゃ、やっぱり恐いよお。おまんまの食いあげだよお」 「……まま代って、ほんとにお里が知れる言葉づかいをするんだから。気を付けないと、ばれちゃうわよ。ここの方たちだって、お気楽に見えながら、ちゃんと、ゲラ試験に合格してるんだから、言葉にはうるさいのよ」  私は少し反省した。ある香の言う通りである。どんなに、だらしない姿をしていても、彼らは、ある試験を通り抜けて来ている強者たちなのだ。しかし、推薦でパスした者や縁故で追試を受けずにすんでいる者もいると聞いた。世の中、やはり、ずるもあるらしい。さすがに色仕掛けは少ないらしいが、当然であろう。文体社会において他者に向かう色は、色としての特性を失ってしまうからである。色彩感覚を持たない者だけが、色に惑わされ失策を犯すのである。  ところで、この同窓会には、外国からのお客様も多数みえているようである。無理矢理おし着せの和服に身を包まれて居心地は悪そうであるが、なかなか優雅に振る舞っている。そうかと思うと、目にも止まらぬ速さで食べ物や飲み物を口に入れ走りまわっている方もいる。なんでも、超訳競技の選手の方なのだそうだ。ヤップヤップと歌いながら、流行遅れのダンスを踊っている文体もいる。なかで、いかしていたのは、サックスを吹きながら、ソウルフルにステップを踏んで踊っていたフランスの伊達男であった。彼は、サックスを口から離すたびに、ぺっぺっと唾を吐いていたが、その投げやりな様子も格好が良い。ある香に尋ねると、彼をつかさどる作家はもう故人なのだそうだ。良く見ると、心臓が抜かれて空洞である。秋によお、北京に行こうぜいと叫んでいたが、彼は天安門のことをご存じだろうか。このせつない気持。私は、恋をしてしまったようである。  文体なんかに恋したって駄目よと、ある香は、私に忠告する。ましてや死んだ作家の残した文体さんたちは駄目。亡霊にとりつかれたらどうするの!? このある香の言葉に私はしゅんとする。しかし、この招待客たちの中には少なくない数の作家をなくした文体たちがいる。彼らは、作家から解放された喜びをしみじみと噛み締めるように、楽しげに談笑しているが、なかには憮然とした様子で酒を飲み続けている者もいる。どうやら永遠に喪に服すつもりらしいのだ。悲しいことである。  そんなことを思って歩いていたら、何かにつまずいてしまった。見ると、足許に、しゃがみ込んで泣いている文体がいる。 「ごめんなさい。大丈夫ですか!?」  文体は弱々しく見えた。とてもやせている。私は、彼の腕をつかみ立ち上がらせた。 「どうしたって言うのです」 「駄目なんです。ぼく、カルシュウムが足りなくて、骨が弱いんです」 「なんですって? あのはやりの骨粗鬆症ってやつですか!?」 「らしいです。ぼくの骨は、|す《ヽ》が入ったみたいに穴だらけなんです」 「そんな! あなたの作家さんに言ったら良いじゃありませんか!?」  文体は唇を噛み締めて私を見た。そこにははかなげな光が宿っていて、私の胸を痛くさせるのだった。 「何度も嘆願してるんですよ。でも、カルシュウムなんて作家には必要ないとつっ張るばかりで。それどころか、ヴェジタリアンなので蛋白質も足りないのです。才能だけを食いつぶしていて、ちっとも栄養を摂ろうとしないあの人のところで、ぼくはいつまで生きていられることか」  私は、彼の両腕をつかみ揺さぶった。 「駄目よ。がんばるのよ。作家に言ってあげなさい。肉体がすべてだって!! 骨と筋肉のしっかりしていない文体を作ると、作家自身が滅びてしまうのよ」 「そうですね。でも、まだ、ぼくはましかもしれません。頭がぼけても、気付かずに文体を養っている作家よりは私のとこの作家の方が賢いかもしれない。でも、あなたの励ましは忘れません。ぼく、もう一度、頼んでみます」  私は、よろよろと立ち去るその文体の後ろ姿を見送った。飽食のために太り過ぎている文体がいると思えば、栄養失調で健康を害している文体もいる。いずれにせよ、もっと前向きに生きて行っても良いと思うのだが、彼らは、そう出来ない。ジムに通って、プロテインを飲んで体を少しばかり鍛えたら、彼らの存在価値は、もしかしたら消えて失くなってしまうかもしれないのである。ある種の作家を身ごもらせるのは劣等感によるものが多いらしいのである。  そんなことを考えていると、私の横を不思議な髪飾りを付けた三、四人の文体が通りかかった。 「あのその髪飾り、どこでお買い求めになったの?」  私の質問に皆、不思議そうに顔を見合わせた。 「知らないんですか?」 「ええ」 「これは、ルビですよ」 「ええっ、あのユダヤ教の!?」 「それは、ラビですよ。私たち、このルビを無理にかぶらされて非常に困ってるんです。ちょっと、取ってもらえませんか?」  私は、ルビに手を掛けたが、それは、まったく動かなかった。 「動かないみたいですよ。頭に直接貼り付いているみたい」 「やっぱり。もう、字数の重さが、ぼくらと一致してないんで重くって。最近、こういうことをする作家が多いんで、被害者同盟を作ろうとしてるんです。外国かぶれが多くて困っちゃいますよ。きちんと決まって、お洒落なら良いですよ。でも、そうじゃないと格好悪くて、さっきも古語辞典さんに嫌味を言われるし。被害者同盟、あなたも署名しませんか? 外来語さんたちも、強制的に、『てにをは』をブローチのように付けられてまいっているみたいです。彼らは、ぼくたちよりも、もっと怒ってますよ。なんたって、勝手に、手足を切断されて体を短くされたり、黒髪のかつらをかぶらされたりしてるんですからね」 「大変ですねえ」 「ねえ、署名してくれるんですか? どうなんですか?」  私がとまどっていると、ある香が、にこやかに間に入り、私を連れ出した。 「もう。まま代ったら、本当に困った人ね。私たちが署名出来る訳ないでしょ。字が書けないんだから」  私は、ある香にさとされて少し悲しくなった。私たちは、どうあがいても文体たちの世界には入れないのかもしれない。私たちは文体になるには素朴すぎるのだ。私たちの内には、文体社会にとり入って、ちゃっかりとそこに収まっている者もいないではないが、過去をひた隠しにして苦しんでいる者がほとんどだと言う。私たちは、あらかじめ作為から解放されていて自由なのだから、そこにプライドを持てば良いと言う者もいる。しかし、どうも割り切れないのだ。私たちは私たちなりに文化を創り上げているのだが、それは、たいていの場合、無形である。私は、形ある確固としたものを残したいのに。  突然、警報機が鳴り響いた。皆、何事が起こったのかと一斉にざわめいた。会場に、アナウンスが流れた。 「ただいま、この会場に、話し言葉が、まぎれ込んでいるという情報をキャッチいたしました。皆様、しばらく、そのままでお待ち下さい」  私とある香は、ぎょっとして顔を見合わせた。彼女は、貧血を起こしそうにあおざめている。私は、平静を装って彼女に尋ねた。 「ねえ、私たちのことだと思う?」 「当然よ。少し目立ち過ぎたみたいね」 「受付の赤えんぴつさんにチップはずんだのよ」 「選評文体たちが、もっとはずんだんでしょ」  やがて、選評文体たちが、おごそかに入場し、私たちの許にやって来た。 「お嬢さん方、何故、私たちが来たのかお解りですね」  ある香が、必死に笑顔を作って言った。 「私たち、全然、悪気はなかったんです」 「悪気がないのが一番悪い!! あなたたちに入り込まれると、どうも風紀が乱れてしまって困るんです」 「でも、私たちによく似た文体さんたちもいらっしゃるわ」 「問題児ですよ。困ったものです。しかし、あなたたちとは立場が違う」  私たちは両脇から腕をつかまれて会場を歩いた。出口に向かう途中、何人もの文体たちが、私たちに憐れみのこもった視線を投げかけた。 「いやはや、あんなに綺麗な娘さんたちがねえ……」 「世が世なら、お姫さまだったのになあ」  私は、唇を噛みながら、心魅かれたフランス男を目で捜した。彼は、この騒ぎなど一向に意に介さぬ調子で、サックスを吹き踊り続けて日々の泡をたてていた。やはり、一夜の夢だったのだ。 「ねえ、私たち、どうなるの?」 「さあ、かぎかっこに監禁されちゃうか、新しい作家の才能に引き取られるか、どちらかじゃない? ああ、口惜しい」  新しい作家の才能か。それも運が良ければの話だ。 [#改ページ]    口 の 増 減  拝啓  初めておたより差し上げます。文通欄で、あなたの名前を見つけた時、私は雷に打たれたような衝撃を受けました。この人間は私を待ちわびている、私の手紙を読むべくして生まれたのに違いないと思ったのです。どうです、私と手紙のやりとりをしてみませんか。私は、正直に言いましょう、あまり他人から好かれてはいない人間です。私は、いつも真理を追究した末の言葉を発するので、どうやら、ある種の人々は、私を疎ましく思っているようなのです。世の中には臆病者が多いですからね。そういう人々は、私のように的確な表現をする人間を論理的にやっつけようと戦うことすらせずに、嫌悪するのです。文句があるのなら、冷静に、知的戦いを挑めば良いじゃないかと思うのですが、暴力に訴えたりするのですから嫌になっちゃいます。私の頭が少し良過ぎるのかなと自己反省をしたりもします。頭の良い奴は、大抵の場合、超ダサですが、私は、アバンギャルドなセンスも持ち合わせているので益々、分が悪いんですよね。ほんと、この世の中のことを考えると、私の頭の中のテクストはパラドックスでいっぱいですよ。まさに世紀末って感じです。こんな私と語り合えるってのは、あなただけって感じがするのです。私は、名前だけで、すでに、あなたを認めているのです。今日のとこは、このくらいにしておきますが、私の内には、まだまだ語ることが山盛あるのです。私ほど、あらゆることに批評の眼を持っている者はいないでしょう。お返事、お待ちしています。きっとだよ。 [#地付き]敬具   四月一日 [#地付き]へらず口    ふえず口様  この手紙が届いた時、ふえず口は首をかしげたものである。確かに、彼は、口下手なために友人の出来ない自身を反省して、文通欄に、自分の名前を載せてもらった。しかし、彼が求めていたのは、このような文通相手ではなかったのだ。「文通相手希望。明るく楽しく人生を前向きに考えている方」と、雑誌には載った筈だ。この手紙の主のへらず口という人は、とても、そんな人間ではないように思える。だいたい、ふえず口には、アバンギャルドなセンスのテクストがパラドックスなんて意味不明な言葉が理解出来ない。皆、太陽に向かって走ろうじゃないか!! そういう言葉が好きなのである。雷に打たれたような衝撃と書いてあるが、何故だろう。自分と名前が似ていることに、そこまで意味を持たせるなんて変わったやつだ、と思った。しかし、この一通しか手紙が来なかったのだから仕方がない。ふえず口は、一晩じゅう便箋を前に頭を振りしぼり返事を書いた。  こんにちは。  お手紙、どうもありがとう。きみは、とっても頭の良さそうな人ですね。ぼくは、そうでもないようです。人は、ぼくを単純馬鹿と呼ぶこともあります。ぼくもそうかなと思います。朝起きて太陽の光がカーテンから洩れていると幸せだなあと思います。朝御飯がおいしいと生きてて良かったなあと思います。夜は夜で、星が出ていると自然ってすごいなあと思います。お布団がふかふかだと嬉しいです。でも、一緒に寝る女の人がいないので、ぼくって、もてないなあと悲しくなります。へらず口さんは、どうですか。どういうことを毎日思いますか。 [#地付き]ふえず口より    拝啓  お手紙、楽しく読ませていただいた。きみは、どうやら実存主義者のように、私には思われる。意識したつたない文体は素晴しいよ。飯がうまいというたった一行にアバンポップな香りがするね。しかし、私は、飯がうまいということを一度も感じたことがないので、正直なところ、きみの文を認めることが出来ないのです。飯の炊き方にも色々なシチュエイションがあるというのをきみはご存じだろうか。うわ、すでに、きみだなんて呼んでしまって、親しさをこめ過ぎてしまったが許しておくれね。私は、きみの将来を憂える程に親しくなりたいと思っているのです。憂える。私は、この言葉が大好きだ。私は、朝御飯を目の前にした時ですら憂えているのです。腹はへっている。しかし、ここで、がつがつと食ってしまうのは決して優雅なことではないと自分を制するストイシズムがぼくにはあるのだな。人間、欲望のままに生きては駄目だよ、ふえず口くん。この飯は、どの水で炊きあげたのか、六甲の水か、エビアンか、ヴォルビックか、ペリエか、いや、こいつは有り得ない、飯とペリエの相互関係はないに等しいのだ。そう、水道の水というのはある。しかし、水道の水は野卑だね、まあ、いいが、そういう水の種類を分析するというのを私は文化と呼びたいのだ。解ってもらえるかな。私は、本物を常につかみたいがために、飯を純粋に味わうという権利を放棄してしまったのです。悲しいだろ。でも、仕様がない。近頃、本当に暗澹たる思いだよ。この日本に本当にうまい飯なんかあるのかね。そのことに関しては語りたくもないよ。コシヒカリかササニシキかあきたこまちか、そういやひとめぼれなんてのも出ているらしいが、どれも一緒だね、私にとっては。相違点をあげつらうことすらしたくない。くだらんよ、まったく。しかし、きみのことは認めている。そのことは理解出来るだろう? 私たちは、どうやら良い友人になれそうだ。 [#地付き]敬白   四月五日 [#地付き]へらず口    ふえず口様  ふえず口は、この返事を読んで困ってしまった。悪い人ではないようだ。しかし、何故このように訳の解らないことを書くのだ。うまい飯を食べたことがないのかなあと彼は思う。空腹であれば何でもおいしいと思う自分とは、どうやら違う人種のようなのだ。しかし、彼だって物を食べるだろう。でなきゃ生きられない。エビアンとかペリエとかって一体なんだろう。飯は女の人に炊いてもらえばそれだけでおいしい。しかし、目下のところ自分にはそういう人がいない。不幸だなあ、と彼は思う。それにしても、飯のことについて語れないし語りたくもないらしいへらず口が、ずい分と長いことそれについて書いているのが不思議だ。嫌なら書かなきゃいいのにと思わないでもない。きっと素直なのだろう。心情を吐露してるってやつなんだろう。ぼくに、打ち明け話をしてくれてるのかな?  こんにちは。  お手紙、またまた楽しく読ませていただきました。ぼくは、やっぱり、飯が好きです。だから、堂々とどの飯がうまいかはっきり言います。やっぱり、コシヒカリじゃないかな。でも、それも、ぼくの気分によりますよね。寂しかったり悲しかったりすると御飯はおいしくないです。好きな女の人とかが目の前で御飯をよそってくれたりしたら、それだけで最高の食事になるのになあ、なんて思います。そうだ、ぼくの悩みを話しちゃいます。それは恋人がいないことなんです。恋って、素敵ですよね、すべてが綺麗に見えちゃう。 [#地付き]ふえず口より    拝復  ふえず口くん、色恋は今の時代、あまりはやりではないよ。こんなことを書いてきみをおとしめたくはないのだがね、私は、あまり恋愛を声高に叫ぶ今の時代が好きではないのだ。どこを見ても恋愛だらけじゃないか。テレビを点ければ恋愛ドラマ、本屋に行けば恋愛小説。実に軽薄だ。私は、そんな時代のマイノリティと言えるね。でも、良いのだ。私は思うのだが、マイノリティにはいつも価値がある。誰にでも受けるものなど意味はないとさえ思っているのです。きみは小説を読むかい? 私は能天気な恋愛小説を嫌悪しているのだ。そこに実験的試みが潜んでいるそういうテクストなら許すが、たいていのものは陳腐だ。恋をした、だから雨に濡れても寒くない。そんなものばかりじゃないか。色恋がそんなに一大事かと私は言いたくなる。私は、色恋にまったく興味を持っていない作家の小説が好きだ。本来、小説の価値とはそういうものだろうと私は考える。自分がいかに良い思いをしたかを綴ったものなど反吐が出る程だ。ま、しかし、ここで誤解をして欲しくないのだが、恋を含まない性行為が登場するのは少しは歓迎する。何故なら、性というのは技巧を必要とするものであり、その技巧にはある種の批評性というものが混じるからだ。つまり、いかに性行為が空虚であるかを確認することに小説における性の意味付けが出来る訳だな。私の視点というものが、きみには時々理解出来ないかもしれない。許してくれたまえ。私は常にあらゆる言葉を駆使したいのだ。文化を死滅させないためにね。 [#地付き]不一   四月十日 [#地付き]へらず口    ふえず口様  ふえず口は、ただただ感心するばかりであった。しかし、へらず口が何を言わんとしているのかは理解出来ない。どうやら恋愛なんてくだらない、しかし、セックスは好きだと言おうとしているのだろう。空虚な性行為なんて、つまらなそうだなあと彼は思う。文化と恋愛と一体どういう関係があるのだろう。恋愛で良い思いをするのは下等なことなんだろうか。いずれにせよ、へらず口は、たいそう本を読んでいるようだ。とてもじゃないけど、自分は彼にかなわない。ふえず口は、そう思い唇を噛み締めた。彼は、いつのまにか、へらず口との文通を楽しみ始めていた。そして、文通を愛するすべての者がそうであるように、彼も自分に関する良いイメージを相手に与えたいと思うのだった。ぼくも、少しは物を考えられる人間になりたいものだ。ふえず口は、手始めに恋愛小説を読んでみることにした。  字を読むというのは本当に大変なことだ。ふえず口は、慣れない活字を追い続けた。せめて色や写真が付いていれば、もっと読み易いのだが。世の中の人々は、このように羅列された文字を読み続けているのか。そして、しかも、それについて語り合っているのか。ああ、面倒臭い。恋愛とは読むものではなく、するものではないのか。いけない、このようなことを思うから友人が出来ないのだ。  それにしても、とふえず口は思った。どうして小説の中の主人公は、こんなにも偶然に恵まれているのか。偶然、女性とすれ違う。別に主人公が行動を起こさないのに、女性が主人公にアプローチして来る。ぼくにはその気はないのに困ったな、と主人公は思う。しかし、女性は明らかに主人公に興味を持っている。断わる理由もないので、主人公は女性に引き摺られるようにして関係を持って行く。女性は、私は、○○くんが大好きなの、というようなことを言う。積極的なのだ。本当にこんな偶然があるのか。すれ違った女性が昔の女に似ていた、それだけで、主人公は、ずるずるとその女性と関係を持つ。そんな偶然もある。何故だ。そんなに顔の似た女が世の中には大勢いるのか。羨ましいなあとふえず口は思う。そして、作者の顔写真と照らし合わせて見る。こういう偶然に出会えるのは、さぞかし良い男なのだろう。と、ところが違うのだ。偶然、女と会うと書く作者は、どれもが、もてないだろうなあ、女とは無縁だろうなあ、という顔をしているのである。ふえず口は、しばしの間、呆気にとられる。彼らは、偶然、女性が話しかけて来るとでも思っているのだろうか。  慌てて、今度は、作者の顔写真を見てから本を選んでみる。うわあ、こいつはすけべそうだし、女好きのする顔してるぞ、と思う作家の小説を読んでみる。すると、おやまあ、彼らは、必ず自分の側から進んで女性との関係を作ろうとしているのだ。偶然、その女性と出会ったにしても、必ずそこには本人の側からのアプローチが存在している。そして、もちろん、彼らも良い思いをする。しかし、前者は、別にそうしたくもないのに引き摺られちゃってさ、とつまらなそうにしているのに対し、後者は、自覚を持っているために楽しみの何たるかを知っている。飯はうまくないけど食わなくっちゃと思う人間と、どうせ食うなら最大限のうまい飯を食ってやると燃える人間の差と同じである。これは一体どういうことか。もてない人間は、偶然というものを信じ過ぎているのではないか。起こり得ない偶然だからこそ饒舌に語り尽くそうとしているのではないか。  ふえず口は試しに女性の書いた小説も写真と照らし合わせて読んでみた。やはり、である。陰気でもてそうにない女ほど、偶然に男と出会い関係を結ぶのである。美人でなくても男好きのする女は、積極的に男にキスしたりするのだ。  それでは、偶然を過信する男と女が出会ったら、どういうことになるのだろう。うひゃ、にらみ合いになってしまうではないか。どちらも動けない、まるで相撲の取り組みである。反対に、偶然をアプローチのきっかけとしか思わない男女が出会ったらどうなるか。これもたまらん酒池肉林の嵐である。あれれれれ、いったい恋愛ってのは何なんだ? ふえず口は頭を抱えてしまうのであった。  こんにちは。  へらず口さん、お元気ですか。ぼくは、きみのように頭良くなりたいなあと思って本を読みました。笑わないでくださいね。きみの嫌いな恋愛小説です。でも、日頃、字なんて読まないぼくですから、とても興味深かったんです。でも、どうして女にもてそうにもない作家は小説の中で偶然、女に出会うんでしょうね。きみは、空虚という言葉を使いましたが、偶然と空虚って似ていますよね。でも、そういうたなぼた小説って、ほんと、羨しいです。でも、ぼくは、ほんのちょっと気付いています。もてない顔の男の人(たとえば、ぼくのように)は、偶然なんてないんです。ぼくなんて、いつも駅で、素敵な女性と出会わないかなあなんて思ってますけど、素敵な女性がぼくに目を止めてくれることなどないんです。小説家って嘘つきですね。でも、女にもてそうな小説家は嘘つかないみたいです。彼らが、シャンペンを飲んで女の人と寝ちゃってるのは、彼らがそれを望んで努力してるからと思うんです。恋をした、だから雨に濡れても寒くないって小説ばかりで、やんなっちゃうって、きみは言ってましたが、それは、彼らが、あったかい女の人の体を自分から抱き寄せてる結果だと思うんです。女の人に抱き寄せられるのを待ってたら雨も止んじゃうよね。どう思いますか? [#地付き]ふえず口より    前略  お手紙拝見したよ。きみは、どうも解っちゃいないようだな。偶然が一体何を引き寄せるのかを描くのがポストモダンと言うのだよ。そもそも、きみには装置というものがちっとも理解出来ていない。だいたい日本のエクリチュールの問題と言うのはね、いや、よそう、きみにこんなことを語っても仕方がないね。私は、どうも、自分のレベルでものを考えてしまう癖があるようだ。でも、嬉しいよ。きみは私の影響を受けて書物を繙いた。それがたとえくだらぬ恋愛小説であろうと、人の意見を参考にしてくれたきみを私は友人としたいと思う。それにしても、きみにも少しは解って来ただろう、日本という国のくだらなさを。その中から価値あるものをみつけ出すのは至難の業だ。ほんと、私は嫌になるよ。日本なんか脱出してしまいたいくらいだ。憲法に対する考察も持たない政治家がそれについて語り、文学など死にかけているというのに恋愛や人生について書き綴る阿呆がいて、酒の味も解らぬ輩が吟醸酒について講釈をたれ、怠惰をバブルがはじけたと呼んで貧乏を憂えている。ああ嫌だ。ふえず口くん、私のようなマイノリティは本当に生きにくいよ。それに比べ、きみのような人は幸福だと思います。顔写真と見比べて小説を読むなんて芸当は、私にはとても真似出来ませんよ。しかも、すけべな顔の作家を肯定するなんて。女に自分から声をかける作家なんて作家じゃないよ。雨の日に女の体を抱き寄せたりしちゃいかんのだ。雨なんて関係ない。そうだろ。雨の中でいかに理性を働かせ分析し情況を把握するか、それと人間の行動のひずみを描くべきではないか。だいたいすけべな作家は、そんなことを思いもせずに、高級料亭に行って、すっぽんかなんかを食い、皮膚に脂を浮かせて女将を口説いたりするのだ。で、その顛末を作文に書き多額の金を儲けたりする。そして、今度は、ヴーヴ・クリコのグランダムを啜りながら、ベルーガのキャビアをスプーンで直にすくって女の口に入れてやり、ああ素敵と女に言わせて、ベッドに誘い込み、性行為の仕草をそのまま紙に書き写し、女は女でやりーっと思って、外人相手に浮気をして、くそうとうなる男は、その口惜しさをまた書きなぐって金持になるのだ。もっと、他にやり方はないのかと私は思うのだよ、ふえず口くん、そうじゃないかい、ああ腹が立つ。彼らには観念的な言葉、崇高な言葉に向かう姿勢がまるっきり欠如してしまっているのだ。贅沢は敵なのだ。そんなことに欲望を持ち、それをまっとうしようとする者を私は決して作家とは呼ばない。すけべな作家に内なるカオスがあるか、えっ? うう、いかん、つい理性を失ってしまったようだ。許してくれたまえよ、ふえず口くん。 [#地付き]草々   四月十五日 [#地付き]へらず口    ふえず口様  暗い気持になるふえず口である。しかし、すっぽんやベルーガのキャビアは実にうまそうだ。自分の口にしたことのない食べ物を平然と食べるすけべな作家を、彼は心からいいなあと思う。吟醸酒もヴーヴ・クリコとやらもうまそうだ。そういうものを手に入れるには、やはり雨の中で女の体を抱き寄せることが必要だろう。しかしながら、何故、女を抱き寄せる男が金持になるのか。それは、読者が、そうした小説を求めているからだろう。それでは、同じように、偶然を信じる人々が、偶然の起きる小説を求めているとしてもおかしくない。求められて金持になっている偶然専門作家もいる筈だ。しかし、彼らは、きっと金持になっても、あらあら、偶然、お金が入って来ちゃって、どうしたのかな、金なんて興味ないのに困っちゃいます、という風情を漂わせているのだろう。そんなのはずるいんじゃないのか? ふと、ふえず口は思う。考察だとか、分析だとか、ポストモダンだとか、エクリチュールだとか、へらず口の言うことは少しも理解出来ないが、もしかしたら、それらは、すべて偶然を装った必然ではないのかと。彼は漠然と思う。偶然、考察を必要とするものなど、そんなに多く存在するだろうか。考察をせずにはいられない自分を偶然にも持ってしまった自分、それをあたかも才能のように、へらず口は語っているが、そんな偶然あるだろうか。批評の視点をはからずも持ってしまった。本当にそうだろうか。批評したいという欲望をまっとうするために批評するというのが真実ではないのか。それを、ああやんなっちゃう驚いた、困っちゃうよ、批評眼なんて持っちゃってさ、こんな偶然、ぼくって不幸。ちょっと、ずるいんじゃないのか!? え!? 思わず心の中に怒りが湧いて来て、うろたえるふえず口であった。自分の内に、このような感情が生まれるのは初めてのことであった。  こんにちは。  お手紙ありがとうございました。へらず口くんの言うことは、やっぱり難しいですが、とってもためになっているようです。ぼくも少しはものを考えるようになりたいなあなんて思ってるんです。ちょっと、恥しい告白をしてしまいますね。ぼくは、なんだかんだ言っても、やっぱり、女の人とかっていいなあと思ってしまいます。でも、ぼくには誰も声をかけてくれません。偶然も起きません。で、どうしても我慢出来なくて、この間、ポルノヴィデオ(いわゆる本番AVってやつです)を借りて来てしまいました。へらず口くんは、色恋の混じらない性行為なら許すと言っていたので、ぼくのことも嫌いにならないと思います。しかし、あれって、やっぱりすごいですよね。あんなに簡単に女の子がセックスしちゃうなんて驚きです。とにかく本番ですからすごいんです。手とか足とかおっぱいとか唇とか全部が体のパーツだ! どうだ! という感じにどアップになるのです。べちゃべちゃうにゅうにゅぐりぐりとかいう音もしっかり入っています。これがセックスだぞ、まいったか! という感じなんです。興奮しました。それなのに不思議ですね。女を抱きたいっていう興奮と欲望が少しもぼくの中には生まれなかったのです。生まれたのは、早いとこ自分のあそこを握って射精したいという欲望だったのです。つまり、ぼくは、ポルノによって、セックスをしたいとは思わずにオナニーをしたいと願ったのです。変ですよね。終わった後、ぼくは、ほんの少し自分のことが嫌いになりました。ぼくは女の人と抱き合いたいんです。そして、そうぼくに思わせてくれるものが欲しかったのに。だって、女の人のいない人生なんてつまんないですよ。オナニーだけで一生終えろよな、おまえ。みたいに、AVに言われているようで、しゅんとなってしまいました。  で、ぼくは色々なことを思いました。女の人女の人と言うぼくは、よっぽど女に飢えてるように、へらず口くんは思うでしょうけど、本当は、女の人に代表されるような何かが好きなんじゃないかと思うんです。二人で抱き合ったり御飯を食べたりするような、そういったものが作る何かが。幸せって、そんなに人によって違うものでしょうか。オナニーをしたいと思わせるものなんてやだな、ぼくの幸せってそんなんじゃないなって感じたんです。へらず口くんは良く難しい言葉を使いますが、それってセックスのように気持良いですか? それともオナニーのように心地良いですか? 偶然やって来た快感ですか? 求める故の快感ですか? ほんとに憂えて考察しますか? 憂えるためのパラドックスに必要なのは、オナニーですか? それともセックスなのですか? ポルノですか? それとも恋愛小説ですか? [#地付き]ふえず口より    拝啓  お手紙読みました。大丈夫かい? きみ。ポルノぐらいであせってはいけません。純情だな、ふえず口くんは。私も、ポルノグラフィは好きだよ。安心してくれたまえ。何しろあそこにはちゃちな感傷などみじんもないからね。写実的で実にいい。おかしな感動巨編の映画より真実があるじゃないか。私はね、何しろ人を感動させようとする試みが嫌いなのだ。心に訴えかけようなんて、おこがましいと思わないかい? 何も語らず自分の世界を創り上げる、すると、おのずとその人の価値が滲み出て来るものさ。ポルノグラフィにはそういうものがあるよね。興奮しようとしまいと見る側にゆだねてしまうのは大変良いことだと私は思います。私たちには、興奮するかしないかという選択肢が残されている筈だ。それを選び取るということは、冷静さを駆使するということでもある。選び取ることが出来れば、そこに自分の批評空間が生まれる。はっきり言って、私は、オナニーが好きだ。何故なら、それは自分で選択出来る行為だからさ。セックスじゃそれは出来ない。感動巨編になってしまう。自分で選ぶと言っても、きみの言うすけべな作家が女に声をかけるのとは意を異にしているよ。オナニーには、そんな能動的な嫌らしさがないのだ。手が触れてしまう。当り前だ。自分の体なのだからね。触れてしまうから握ってしまう。握ってしまうから動かしてしまうのだ。ちょっと不幸かな。せずにはいられない何かを持った私は。でも、きみが、正直に、色々と告白してくれたので嬉しくもあるよ。しかしね、きみは、女を抱きたいという欲望を起こさせるものに会いたいと言う。実に陳腐だ。人はいずれ死に至るのだよ。そんなものを求めてどうする? 後に残らない泡のような知的好奇心を食いつぶして行く方がずっと有意義だと私は思う。人と食う飯は、やがて排泄されてしまうのだ。しかし、我々の独自の視点から生み出されたテクストは、ひそかに存在し続けるのさ。悪意、あるいは驚愕を求めてね。そのおおいなる喜びのことを思うと、私は、ペリエで炊いた飯だって平気で食うつもりさ。しかし、楽しいね。私たちは徐々に心が通い合っているようだ。今度一ぺん会いませんか。 [#地付き]敬具   四月二十五日 [#地付き]へらず口    ふえず口様  ふえず口はコンビニエンスストアで、初めてペリエを見た。炭酸じゃねーか、これは。こんなんで炊いた飯が食えるか──っ。と口には出さなかったが、心の中で呟いた。ぼくは絶対に、ベルーガとすっぽんでコシヒカリを食う夢を見たい。うんこにもならない知的好奇心など食べたくない。それにしても、へらず口の言うことは、未だに理解不可能だ。要点をかいつまんで話すことも出来ない。何故だ。もしかしたら、要点というものが存在していないのではないか。解るのは、これだけだ。彼は、女の人のあったかい体を抱くよりも、AVを見て自分のあそこを握る方が好きなのだ。ふえず口は、一所懸命そう自分に言い聞かせた。そりゃ、雨が降っても、女の体は抱き寄せたくないだろう。彼には、雨が降るという偶然すらやって来ないのだ。  ふえず口は、その夜、雑誌社宛に、再び手紙を書いた。  こんにちは。  再び文通相手を希望しますので、文通欄に載せてくださるようお願いします。 「文通相手を求めています。へらない口よりもふえない口を持っている方。そういう方ならどなたでも結構です。できれば、コシヒカリやすっぽんやシャンペンや恋愛小説の好きな方。肌寒い時に女の子の肩を抱き寄せる欲望を持ち実行に移せる方がいいな。」 [#地付き]ふえず口より   [#改ページ]    ベッドの創作  どうして、ある種の作家は、セックスばかり描こうとするのだろうねえ、と男は言った。また始まった、と女は思う。場所は週末のホテルのスィート、二人は情事を楽しむためにここにいる。大人の二人は、部屋に足を踏み入れた途端に欲情してベッドに倒れ込むようなことはない。ルームサービスでシャンペンを頼み、それをゆっくりと飲みながら話をして、気分を高揚させる。グラスの中の泡は、きらきらと輝き、それを目の前にかざすと、窓からの夜景が、よりいっそう美しく見える。こんな時に、また本のお話。女は思うが、それを楽しんでいるのも事実である。二人の出会いは書店の新刊売り場だった。話題がそちらの方向に行ってしまうのも無理はない。どうせなら、写真集の売り場かどこかで、ジャン・ルーシーフの写真などをながめている時に出会いたかったが、彼女が手に取っていたのは山田詠美の本だったし、彼が立ち読みしていたのは村上龍のものだった。  特に女性の作家が性に関してあけすけに描写するってのは、どういうもんかねえ、と男は言う。また、それを恥しげもなく書店のレジに差し出す女が沢山いるってのも、いやはや世の中変わったねえ。それは、やっぱり、セックスというのが重要なことだからじゃないかしら、と女は答える。そうかなあ、セックスというのは秘め事であるべきだと思わないかい? うーん、でも、秘めても秘めなくても、やってるのは事実なんだし、あら、ごめんなさい、やってるですって、と女は頬を赤らめて口元を覆う。いや、いや、ぼくに気を使うことはないよ、何しろ、ぼくたちは、もう他人の関係じゃないんだから。え? セックスをすると他人ではなくなるのか、不思議なことだわ、と女は思う。じゃ、なんなのかしら、兄妹? まさか、親子? まさか、不倫の関係の私たち、夫婦になるわけないし。女は少しの間、とまどう。でも、皆、良く使う言葉よね、他人の関係じゃないって。裸を見せ合うからかしら、まさか。じゃ、温泉で混浴すると他人の関係じゃなくなっちゃう。と、いうことは、やはり、性器と性器の結合が他人同士をそうでない関係にしてしまうのだわ。ひゃ、やはり、性ってもしかしたら、すごいものなんじゃないかしら。  私、セックスって、すごく重要なもんだと思うの。だから、色々な人が文学にしたがるんじゃないかしら。女はおずおずと言う。そうかなあ、と男は呟く。でもねえ、セックスは重要よ! と叫んでる女流作家となんか、ぼくはやりたくないねえ。女は、その言葉に少し傷つく。わざわざ、男とのベッドのために、高価な絹の下着を身に付け、女友達の誘いを断わり、見たいテレビも見ずに、このホテルに飛んで来たのだ。それは、彼女にとって、彼とのセックスが、とても重要な位置をしめているからに他ならない。仕事中も、彼が自分をどのように抱いたかを思い出して顔を赤らめ上の空だ。ここのところ、彼女のプライオリティ第一位が彼との逢瀬なのだ。これが重要でなくてなんであろう。  あなたは、私とのセックスが重要ではないの? 女は、そう言って少し悲しそうな顔をする。男は、慌てて彼女を抱き寄せ、ばかだなあ、重要に決まってるだろ、ほら、ぼくのここは、もうびんびんだよ、などと卑猥な言葉を囁《ささや》いて女の瞳を潤ませる。びんびんだって、やーだ、エッチ、と女は心の中で笑いたくなる。それと同時に欲情し始めている自分に気付いて恥しくなる。卑猥って重要な要素だわ、体を刺激するには。そもそも欲情させる要素って、どういうものかしら、と女は男の胸の中でしばし考えてみる。 〈A〉  男は女をゆっくりと抱き寄せた。女は、あっいやっと小さく呟き、あらがうように首を横に振ったが、吐く息は、もう既に獣めいていて生臭い。ふふふ、もう濡れてるんじゃないのか? 男は呟きながら女の首筋に舌を這わせただけで女は腰を抜かしたように倒れかかって来る。男は女のブラウスの上から、乳首を撫でた。ブラジャーは付けていなかった。女は、せつなそうな溜息をついていた。乳首は徐々に固くとがって来たのが、ブラウスの上からでもはっきりわかる。男はそれを強くつまんだ。止めて、お願い……女は、我慢出来ないと言うように彼の手を払おうとしたが男は止めない。乳首がこんなになって来ちゃったよ。男がそう囁くと、女は「いやっ!!」と小さく叫んだ。男は、そのまま乳房をマッサージするようにもみしだき、その合間に感じやすい乳首をつまんだりこすったりして執拗な愛撫を加えた。女の息が荒くなって来たのを見てとり、男は女の手を自分の股間に導いて言った。ほら、もう、びんびんだよ。 〈B〉  男は女をゆっくりと抱き寄せた。女は、男の肩に自分の頭をのせて思った。この肩の心地良さを得るためだけに、私は、どのような罪をも犯せるだろう。私の溜息が最初にかかる場所。休息の場であるように見せかけて、実は、ルールのない戦場を作り出す場所。私は、ここに自分をのせるために拒絶という言葉を忘れたのだ。彼が重いと感じなければいいのだけれど。女は思った。ヒトがエクスタシーを得る時、それは、脳の中でも一番卑小な、とかげ以下の機能しか持たない部分を使うのです。ある学者の言ったそんな言葉を女は思い出している。私は、彼の吐息のかかる位置にいるだけで、とかげ以下の存在になれるのだ。そう思うと、なんだか自分がいたいけな存在になったような気がして、瞳が潤んで来るのを感じる。ぼくが欲しい? 彼は言って、彼女の首筋に唇を当てる。その内側に隠された彼の舌の温度を彼女は熟知している。絹のブラウスを辿る彼の指が、どのように彼女を甘く裏切り快楽のドアを開けるかも知っている。この男だけが鍵を持っている。そう思うと彼女は、まるで自分を囚われ人のように感じる。だとすると、囚われるということは、なんとやるせない痛みを伴うものであることか。彼女は、負けを認めた人のように小さく息を吐いた。男の肩ごしにシャンペンの泡が見える。彼女は、それを味わっている訳でもないのに、舌の上で消える美しい味のことを思う。おいしいものは、皆、そう。彼女は少し悲しくなる。  男は、そんな彼女の顔を上げさせ、どうしたの? と目で問いかける。女は思う。シャンペンの泡は消える。そして、やがて快楽も。けれど、この男がここにいて、自分を抱こうとしている。瞳の中に自分の姿だけを映して、欲望を抑えることを楽しみながら、押し殺した声に徐々に色を付けて行く。その瞬間だけは確実に存在しているのだ。ぼくが欲しいの? 彼は言う。彼もまた、とかげ以下の脳を酷使しようとするいたいけな動物なのだ。 〈A〉の方がぐっと来るわ、と女は思う。この場合のぐっと来るというのは、下半身をうずかせるという意味だ。何故かしら。どうも、あらがうというのがポイントのように思えて来る。それも、あらがう状態を原因から説明したのではお話にならない。それは、あくまでも意味のないものであるべきだ。いやっ、とか、やめてっ、とか。何故、いやなのか、何故止めたいのかを追求すると下半身には来ないのである。動作を克明に描写するのも大切だわ、と女は思う。指が、どういうふうに動いたか、舌がどういうふうに皮膚を這って行ったか。そして、それらの行為によって、相手がどんなふうに反応するのか。ディテイルも大切だが、それは皮膚に密着したものだけに限る。それも余分な修飾語はこの場合不要なのだ。ブラウス、ブラジャー、で良いのだ。〈B〉のように絹のブラウスである必要はないし、体と離れた位置にあるシャンペンの泡などどうだって良いのだ。シャンペンの泡だって? かつて、シャンペンの泡が肉体をその気にさせたことがあったか、こんにゃろ。女は、心の内で、思わずはしたない言葉を呟き、すぐに反省した。でも、でも、そうすると、私のパンティが絹であるとか、アライアのすごく高いブラウスを奮発したなんてこと、この人との情事には本当は意味ないんじゃないかしら。やーだ、そんなの。 〈A〉は、体をうずかせる。しかし、人は、何故か〈B〉をも必要とするのである。〈A〉だけなんて、私、そんなに、はしたない人間じゃないわっ、の言い訳に、どうしても〈B〉が必要になるのである。二人だけの世界。もう他人じゃない。しかし、〈B〉を前提にしていないと、かたぎの人々は〈A〉に突入出来ないのである。だいそれたこと考えないで、ほらほらっ、〈A〉だけで満足してなさいよ、と言われても、目の前に相手がいる限り、他者の存在を常に意識する。他人から見た自分がどのようであるかを想像する時、少しでも良く思われたいと願った場合、人は〈B〉を自分の手下にしようとする。ベッドの中の楽しみは個人的なものだが、また、最小単位の社会でもあるのだ。  どうしたの? と男が尋ねる。なんだか、ぼおっとしちゃって。女は、男の胸に顔をうずめているが、手は男の股間におかれたままである。ぼくは、こういうことをしながら、きみとおしゃべりをするのが大好きだよ、と男は言う。私も、そう、と女も言う。そういえば、この間、ぼくが読んだ小説で、女性の作家だったけどさ、こんなふうに書いてあったんだぜ。始まりは肉体である。なりゆきは心である、だって。これだからなあって、思ったよ。男は寝てみなきゃわかんないってことだろ。寝てからつき合うかどうか決めるなんて、まあ、近頃の女と来たら、呆れちゃうよ、まったく。女は、心の中で思う。どうしよう、私もそうだ。そもそも不倫だもんね。この人とセックスの相性が良くなかったら、今、ここで、こんなことしてないわ。何度も何度も、この同じ男に抱かれたりしないわ。セックスが合ってるから、私は、いつも週末の夜を空けて待っている。男は、女の髪を撫でながら言う。もっと、世の中、純愛ってものを考えなきゃ駄目だよねえ。セックスなしで、私は、この人をこんなにも好きになれたかしら、と女は思う。始まりは肉体である。なりゆきは心である、か。これを逆に考えてみよう。始まりは心である。なりゆきは肉体である。なんかなー。当り前過ぎてつまんないわ、と女は思う。それに、進めば進む程、酒池肉林みたいで、こちらの方が嫌らしいみたい。最初に体が来ちゃうと、どんどん純化されて行くように思えてしまうのは錯覚か。後に肉体が来ると、年取ってもセックスしなくちゃなんないみたいで、老いてますますさかんって言葉もあるけど、ちょっとね。  男は、女のブラウスのボタンをはずして行った。なんて綺麗な肌なんだ、と男は言う。ぼくは、もうきみから離れられないよと言いながら、女の裸の上半身に舌を這わせて行った。女はゆっくりとソファの上に体を横たえながら、男の肩に手をかける。ベッドに行きましょうと提案するのだが、男は止めない。だめだよ、今夜はゆっくり楽しむんだから、まずは、ここで、準備体操だぜ、ふっふっふ、と男は笑う。毎日、毎日、あんなにも、きみとこうすることを考えていて、やっぱ、ぼくたちって純愛かなあ。男の言葉が、どこか遠くで聞こえているような、そんな気が女にはしている。 〈A〉  男は女を見詰めていた。女は、もう我慢出来ないっ、と言うように男の股間に手をやり、ズボンの上から、その熱く怒張したものをさすった。ああっ、こんなに大きくなってるわ、と女は、まるで初めて知ったかのように感にたえない様子で言うのだった。男はにやりと笑って、このおれのでかいのが、その内、おまえの○○○○に入って行くんだよ、と言った。欲しいかい? 男は、女の耳に舌を入れ、ぴちゃぴちゃと音をたてながら、そう囁いた。あっ、そこは駄目っ。女の反応をうかがいながら男は尋ねる。耳が感じるのかい? そこ、弱いの、お願い止めてっ。女の言葉を無視して、男は耳朶を柔く噛み、みだらな言葉を囁き続けた。弱いのは、ここだけじゃないだろ、ん? どこが、弱いのか言ってみろよ。いや、いや。いやじゃないんだろ、いやなら止めちゃうよ。ああ、止めないで。男は、女のブラウスのボタンをはずして行った。もう既に、女の肌は上気して赤く染まっている。さんざん服の上から弄ばれた乳首がとがりきっていて、ピンク色の乳輪も、こわばって快感を訴えているようだ。ここも弱いんだろ。男は言って、乳首をつまみ、親指と人差し指でこすり上げた。女は、ああっとせつなそうに叫んでのけぞった。お願い、ベッドに連れてってえ、女は懇願するのだが、男は執拗に乳首を親指の腹でこすった。今夜は、一晩じゅうじらして、苛めてやるからな、男のその言葉に、女は、ああ、かんにんしてと悲鳴に似た声を上げた。ずっと、おまえにこうしてやろうと、今日、一日、考えてたんだからな、男は低い声で笑った。 〈B〉  男は女を見詰めていた。女は、彼が、目の前の自分を欲しくてたまらないという表情を浮かべる瞬間が好きだった。その瞳には何の思惑もなく、彼女は、幼い頃、玩具を取り合った幼馴染みの少年を思い出したりする。ただ欲しいという欲望を瞳に浮かべる時、人は、どうしていつも少年や少女の傲慢さを取り戻すのか。後先も考えずに、ただ欲しいと口に出せたあの時代。彼女は思うのだ。大人になった自分が、そう口に出せるのは、この人と向い合った時だけだと。  私たちって、子供みたい。女は言う。男は彼女の耳に口づけながら囁く。大人なんているの? こんなにも欲しいものが目の前にある時に。そして、こんなにも欲しいものを抱き締められる大人がいったい世の中にどのくらいいるのだろう。欲しいものしか見えない。この状態を子供みたいだと言うなら、それでいいじゃないか。  子供の頃、欲しいものを見詰めるのは、いつも昼間だったわ。雨あがりに陽ざしが輝かせていた蜘蛛の巣。川を流れて来た仔犬の死体。好きな男の子のポケットに入っていたキャンディ。生物室にいくつも並んだフラスコ。でも、今、欲しいものは、いつだって夜にある。女は男の肩に手をかけて男を見る。彼の息が吹きかけられていたのは彼女の耳の筈だったのに何故か瞳の方が濡れている。ぼくの好きなものもそうだ。男は言って彼女のブラウスのボタンを震える指で外して行く。だから、ぼくは、夜が好きになった。  なんだか〈A〉は矛盾に満ちてるなあ、と女は思う。いいのに、いやと言う。続けて欲しいのに、止めてと言う。もっと、やれやれと思っているのに、かんにんしてなんて言う。しかも、女性の方だけだ。決して、男が、いやだろいやだろと言って、女がやじゃない、やじゃない、なんて言わない。しかし、これは男の論理だ!! などとフェミニストのように怒ったりは出来ない。男は、おしなべて、このようだし、女は、おしなべて、このようである。これは事実だ。ポルノが女性を冒涜しているなどと言う人がいるけど、レイプ礼賛以外、そりゃ違う。嫌だというのに感じてしまうという状況に興奮する女が多いのは確かである。人の幸福は、どれも似たりよったりで、人の不幸は、それぞれ違うとどこかの国の昔の作家が言っていたが、人のセックスも似たりよったりなのである。しかし、それぞれ違うと思いたいのが人情である。そのために、じゃーん、〈B〉が存在するのだ。〈A〉は、単に気持ち良い幸福だが、〈B〉は複雑な不幸の要素が混じるのである。〈A〉を〈B〉に変えるには不安、不幸せというネガティヴな要素が必要である。〈A〉だけの人生なんて、呑気すぎて退屈よね、と女は思う。退屈な描写なんて読みたくないわ。けれど、その呑気さ加減が肉体を刺激し、性行為を行なわせることは確かである。息吹きかけられて、少年少女時代を回想するよりは、ぴちゃぴちゃ唾液をくっ付けられた方が、下半身はうずくのである。夜が好きだ、と言う男より、おまえの○○○○が好きだと言う男の方が、はるかに女の体を興奮させられるだろう。私は、本が好き、すっごい読書家だと思うわ、と女は認めている。でも〈A〉なんて冗談じゃない。読む本は絶対に〈B〉よ。何故なら、〈B〉は、少しも嫌らしくない。読んでて恥しくないわ。それなのに、それなのに、読んで興奮するのは絶対に〈A〉。うにゅうにゅ、べたべた、ぴちゃぴちゃの〈A〉。擬音の問題かしらと女は思う。 〈B〉の性描写に擬音は存在しない。ロマンを呼び覚ます擬態語は、しばしば登場するが、擬音はないのである。セックスにおいて擬音を作り出すものは何か。それは液体である。汗、唾液、体液である。〈A〉には、常にそれらが存在するために、擬音がある。つまり、〈A〉はいつも濡れているのである。そして、〈B〉は、いつも乾いている。濡れてるってやらしいわよねえ、と女は思う。しかし、事実だから仕様がないわ、とも思う。  液体の他に、〈A〉にあって、〈B〉にないものは何か。うーん、女は考える。やっぱり、あっとか、ううっとか、いやっとか、の意味のない言葉よね、と女は思う。それは常に言葉以前のものである。〈B〉に言葉以前のものは存在しない。話す言葉は、常に相手に伝達されている。ところが〈A〉においては、相手なんて知ったこっちゃないのである。それが口から出るということ自体が価値を持つのである。まるで、言葉を覚え始めた赤ちゃんを珍重するように、〈A〉では、意味のない言葉を使う男女を珍重しているのだ。そう思うと、本当にセックスって原始的、と女は思う。でも、私たち、もう原始人じゃないわ。  そろそろベッドに行こうか、と男が言う。女は頷いて、胸を隠しながらベッドまで歩き、灯りをしぼって、少し暗くする。シャンペン、まだ飲む? と男は尋ね、女は頷く。そうだよな、もったいねえよな、と男は言い、ボトルとグラスをベッドサイドのテーブルに置く。そうだ、体にシャンペンかけて、それを舐めてあげようか、と男は提案し、女は顔を赤らめる。女は、ストッキング、スカート、ショーツの順に脱ぎ、それをベッドの下に落とす。男は、ズボンのベルトを外し、それを降ろし、ブリーフ一枚になって、女の横に体を滑べり込ませた。 〈A〉  男はシャンペンのボトルを手に取った。いやっ、どうするの? 女は不安気に男を見上げて尋ねたが、その声には、明らかに媚が含まれている。男は、シャンペンを女の体に少しずつこぼして行った。女は、その冷たさに体をぴくりと震わせた。さあて、ゆっくりと味わわせてもらうとするか、男は言って、まず最初に胸の谷間を舐め始めた。徐々に乳首に近い方に舌を這わせるのだが、肝心なところははずしている。ああん、お願いじらしちゃいやっ。女は、自ら乳首を男の舌先に合わせようとする。なんだ、こうして欲しいのか、ふふ、こんなに固くなりやがって。男はそこを軽く噛んで、また舌を胸の谷間に移動させた。いやっ、もっと、もっと強く吸って!! 女は懇願し泣きそうになっている。男は、言われた通りに強く吸い、それを舌で転がし始めた。ああ、もう、たまらないっ、それだけでいっちゃいそうっ!! 女は下半身をよじって身悶えた。お願い、お願い、もう片方も!! 女は自分の手で乳房をつかみ男に与えようとした。男は両方の乳首を公平に指でつまみ、舌を脇腹や下腹部に移動させ、くぼみに溜った酒をぺちゃぺちゃと舐めた。舌がくさむらに到達すると、女は、ああっ、もっと下をっ!! お願い、お願いっ、と叫んだ。男は、ゆっくりと女の秘所を舌で割り、花びらのふちを吸った。たちまち、男の口の中には、酒ではない甘い蜜が広がり、女が既に絶頂に達しそうになっていることを知らせた。上端の敏感な尖りを舌でつ突くと、女は、ああっと、なまめいた声を上げて、わなないた。 〈B〉  男はシャンペンのボトルを手に取った。そして、その金色の酒を女の上に注いだ。彼女は、されるままに、ぼんやりと彼の仕草を見ていた。私たち、これまでに、どのくらいのシャンペンを二人で飲んだかしら。彼女の言葉に男は困ったように首をかしげた。さあ。どのくらいかなんて解らない。彼は言って、彼女の皮膚に唇を当てた。私だって覚えていない、と彼女は思う。覚えているのは、その時、その時の味のことだけだ。種類だって解らない。けれど、二人で味わう時、ブリュを選んだ筈が、何故、いつも、セックに変わるように感じるのか。彼女は、快楽に身をゆだねながら、そんな素朴な質問を自分自身にしている。  ラジオからは、雑音混じりにジャズが流れている。そういえば。彼女は、遠のいて行く意識の中で、こんなふうに思う。ディジー・ガレスピーのトランペットは、時々、キスの音に似ているわ。死んじゃったんだわ、彼。彼女は、ジャズのことなんて知らない。彼が彼女に与えたパリで録音されたガレスピー一枚が、彼女のジャズの知識だ。たった一枚のレコード。そして、たったひとりの男。けれど、いったい、どれ程の記憶を彼女の心と体に残したことだろう。足の間にある唇が、どのように自分を喜ばせて行くのかを、彼女は、既に知っている。そして、体の記憶を唇がなぞると、彼女は、その習慣のいとおしさに涙ぐむ。まるでガレスピーのアドリブが、予想出来てしまうのを喜ぶように。 〈A〉は、なんだって、こんなに、お願いばかりしているのか。プリーズ、プリーズ、プリーズ。何故なら、男がなかなか、その願いを聞いてやらないからだ。そして、女も、それを聞き入れて欲しいから、プリーズを連発しているのではない。むしろ、聞き入れてくれるのをのばして欲しいがために、プリーズを連呼するのである。それにしても、〈A〉用語ってあるわ、と女は思う。悶えるという動詞が、そうだ。くさむら。秘所。花びら。たとえるところが、いじらしいじゃありませんか。仮に、〈B〉に、それらが出て来るとしたら、そのものずばりの名称を使う他ないだろう。陰毛と言うし、性器と呼ぶしで、わざと下半身を萎えさせる。性感帯のたとえがないのが〈B〉の特徴であるが、それなのにいったい何故、ディジー・ガレスピーとキスを結びつけたりするのか。どうも、〈B〉は、セックスの最中に、いつも気が散っているようである。してる最中に、シャンペンどんだけ飲んだか思うやつが、ほんとにいるか。大酒飲みだよ、まったく、贅沢は敵だ、清貧の思想をもってセックスに取り組みなさいよ、ほんとに。でも、やっぱり、ドン・ペリニョンはおいしいわよね、と女は思ってしまうのであった。〈A〉においては、それが、シャンペンであろうと、日本酒であろうと、どうでも良いのである。それは、快楽を得る小道具に過ぎない。しかし、〈B〉では、シャンペンで、いかに、エクスタシーに達しそうになったかなど、どうでも良いのだ。ひゃー、わざわざ、シャンペン注いだ男の苦労はどうなる!? シャンペンは、あれこれ物思うための鍵なのである。そうだ、〈B〉には、常に、物思いが必要なのである。〈A〉には、ガレスピーなんて、まったく不必要である。いかに、彼のトランペットがヒップでも、女の、あっいやっいきそうっ、にはかなわないのである。ああ、〈A〉において、文化は、まったく立場ない。  男は、我慢が出来ないというように女に覆いかぶさり、いいかいと尋ねる。女は、頷き、それが合図となったように、二人は、体を合わせて、エクスタシーに達するべく、腰を動かしている。途中、男は、女に同意を求め、女は、私も一緒よと念を押して、快楽をまっとうしたのであった。 〈A〉  男は女の耳許に唇を寄せた。欲しいんだろ、もう我慢が出来ないんだろう? 入れてやろうか。女は、ふりしぼるように、ちょうだい、あなたの太い○○○○を、私の○○○○に入れてっ!! お願いっ!! とせがんだ。男は、ぐいと一気に貫いた。女は、その上品な顔を苦悶に歪めて、男の背に爪を立てて、男の肉棒を締めつけた。女が、いくっと叫んだ瞬間男も、我慢出来ずに、自らを放出した。 〈B〉  男は女の耳許に唇を寄せた。そこで溜息は組み立てられ彼女の名前になる。彼女は、しばらくの間、薄目を開けて彼の顔を見る。死んでいるのか生きているのか、もうわからないわ。彼女の言葉に彼は頷く。生と死の境い目など必要だろうか。こういう場合に。私たちは、かつて生きていた。そして、これからも生きるだろう。けれど、そんな事実が意味を持たなくなる瞬間が、このシーツの隙間にあるのだ、と彼女は思った。吐息で語り爪あとで記録する。ただそれだけを切望して、彼女は、目を閉じ、彼を受け止めた。  バスルームで男がシャワーを使う音がする。鼻歌を歌っているようである。ごきげんじゃない、と女は微笑する。それにしても、今日も良かったわ、と女は思う。だけど、ほんとに〈A〉ってなりふりかまわずだわね、と女は思う。放送禁止用語を連発したりして、でも、それが許されるのが男と女のベッドなんだわ。私も、夢中になっちゃって、ああ恥しい。〈B〉のように、生死の境い目について考えてみたいものだけれど、なかなか上手く行かないのよね、と女は溜息をつく。でも、私は、彼に対していつも真剣なんだもん。真剣って純愛と似てる。そうそう、私は、彼と純愛してるんだわ、と女は安らかな気持になる。ベッドっていつも、ドラマティックで文学的、おまけに気持良いし、エッチだし、他人じゃない関係にもなれちゃうし、えっ、そう考えると、やっぱり、すごく重要なんじゃないの? そう思いながら、女は、いつのまにか眠りに落ちた。バスルームから出てきた男は、ちぇっ、寝ちゃったのかいと言いながら、女の額に口づけ、満ち足りた気分で、読みかけの本を開いた。どうして、ある種の作家は、セックスばかり書こうとするのだろうねえ。 [#改ページ]    不治の快楽  ──さて、日本文学の歴史は、そのまま不治の歴史とも言われています。不治の病、不治の難解、不治のお涙、不治の抽象などなど、なかでも、今、もっとも注目されているお二人、不治の快楽からは浮良地さん、不治の禁欲からは蛾万さんに来ていただいた訳ですが。  蛾万 私が、これまで、ずっと言い続けて来たことですが、そもそも文学というものが、どういうものから生まれているのか、もっと考えて行く必要があると思うんですね。不治の快楽というものは、日本文学をだいなしにする要因になっていると思うんです。快楽を叫ぶところに果して言葉は存在するでしょうか。言葉を必要とするのは、もっと真剣な、私が言う言葉というのは、もちろん文学的な意味での言葉ですけどね、そう、快楽よりもはるかに真摯なところから紡ぎ出されるものだと思うのです。人が心の痛みを覚える、その時、その痛みを甘んじて受けなくてはならない、と思う時の茫漠とした苦しみ、そういうところから生まれて来ると思うのです。浮良地さんは、いつも、快楽、快楽と、まるで、快楽に何か重要なものでも潜んでいるように、お書きになったり、お話しになったりしているようですが、そんなこと、私に言わせれば、甘っちょろい、大いなる勘違いだと思うんですよ。  ──こ、これは、また、始めから手厳しい御意見が。どうですか、浮良地さん、蛾万さんは、今日は、相当にやる気ですよ。  浮良地 困りましたね。快楽というのは、バトルを必要としないんで(笑)。蛾万さんたちの追求してるものとは、そこが違うんですよねえ。禁欲の方たちって、その禁欲具合を比べっこするじゃありませんか。つまり、相対的に物事を追求する訳ですよね。どうしてかって言うと、禁欲の度合いって自分が推しはかること出来ないからですよね。快楽は外への発散、つまりエクスタシー状態ですから、比べることなく独自のものとして成り立つ訳ですね。  蛾万 そんな発散しっぱなしのものを何故文字に置き替えなくてはならないんですか!? 文学というのは内側に向かう作業ですよ。だいたい、私は、最近、頭に来ているんです。快楽なんて、新参者ですよ。それなのに、浮良地さんを始めとするたった数人が、快楽が市民権を取ったように声高に騒ぐものだから、文学界のならず者たちが大きな顔をする訳です。快楽なんて不治じゃないですよ。あくまで一過性のものです。不治の資格ってのは、そんなに生やさしく取れるもんじゃないんです。  浮良地 生やさしいですかねえ、やっぱ。  蛾万 そうですよ。世の中には、もっと、大切な事柄、書かれるのを待っている厳しい世界があるじゃありませんか。そういう世界をふまえてみると、快楽ってのは、ファッションにすぎないと思うんです。  浮良地 ファッションねえ、でも、私は、人の一生って、快楽をまっとうして行くことのくり返しだと思うんですけどねえ。恍惚を追い続けることも、一種の不治だと思うんですけど、違いますか?  蛾万 あまーい!! そんなお気楽なこと言っちゃって、もう。いいですか、人間の生を続かせて行くものは、葛藤ですよ、葛藤。これにいかに耐えて行くか。日本は、昔、とても貧しかった。そういう人々が、快楽などということを考えたと思いますか。日々、思い悩み、欲しいものがあっても得られない苦しみ。それをストイックに受け止めて行くのを綴ったのが日本の文学だったのです。  浮良地 なんか、なあ。今さら、そういうのって、違うような気がする。そういうの書いてる人っているんですか? 今時。  蛾万 勉強足りませんねえ。もちろん、今も、それが主流ですよ。時には観念や抽象の形を取ることもあります。でも、基本は同じじゃありませんか。そういう枠組みを作ることで、穏やかな禁欲主義をつらぬいている訳です。だいたい、あなた、手放しで快楽だなんて、葛藤して来た人々の歴史はどうなるんです。貧しく生活に追われて来た人々のストイシズムは。考えたことあるんですか?  浮良地 ないですけど……貧しいと満たされるべき快楽も大きいでしょうねえ。何故、そっち方向に考えが及ばなかったんでしょうかねえ。結局、貧しい、というその段階で止まっていたんでしょうねえ。マゾだったんですかねえ。あ、でも、マゾって最高の快楽の可能性を持ってますよね。  蛾万 どうしようもないな、あなたという人は。気持よがることしか知らないんですね。そういう人に、人の心を描けるとは思わないな。  浮良地 その、人の心ってのが私には解らないんだなあ。私、自分の心が一番重要なんでね。蛾万さんは、それじゃ、なんですか、その貧乏人たちのために文学しちゃってる訳ですか?  蛾万 ……支持してくれる人は沢山いますよ。  浮良地 うえーっ。どっかの政治系の人みたい。文学と政治って、あなたの中では似たことみたいですねえ。私は、自分のことばっか考えていたいですね。そこに、ファンがついて来るってのがいいや。貧乏な人たち味方に付けるってやだなー。だいたい貧乏は嫌いですよ。快楽を知ってる貧乏人ならいいですけどねえ。でも、貧乏って快楽を拒否してますからねえ、というより拒否を装ってますよねえ。何を気取ってんだろ。ほんとは、玉子焼きひと切れで、すごい快楽を味わえる得な立場なのに。  蛾万 た、た、玉子焼きい!? あなたは真面目に話してんですか!?  ──落ち着いて下さい、蛾万さん。浮良地さんも、そんな挑発するように言わないで。  浮良地 怒るってのも快楽の一種ですよ。  蛾万 失礼、私としたことが、少しばかり度を失ってしまったようで。今日は、ほら、あれでしたよね、文学界に提案されている快楽禁止令の是非について話し合うんでしたよね。  浮良地 快楽禁止令!? な、なんですか、そりゃ。  蛾万 文学から、ちゃちな快楽をそぎ落として行こうという動きですよ。支持者は多いですよ。知らなかったんですか? 浮良地さん。  浮良地 聞いてないよー。  ここまで対談を読み進んで来た、ヨイヨイはあせった。まさに、聞いてないよー、である。仲間たちに知らせなくては。快楽の中で、のんびりと暮していた彼は、文学に何が起こっているかをまったく知らなかったのだ。ヨイヨイは、慌てふためきながら友人のヌクヌクに電話をかけた。 「なんだよお、こんな時間に、せっかく、ぬくぬくしてたのにさ」 「そ、それどころじゃないぞ。今、快楽と禁欲の対談を読んでたんだけどさ、なんと、世の中では、快楽禁止令ってのについて話し合われているらしいんだ」 「なんだ、そりゃ」 「文学から、ぼくたち快楽ウィルスをそぎ落とそうとする動きさ」 「どうやって?」 「そりゃ、知らん」 「無理だろ? 快楽ウィルスの寄生してない文学なんて存在しないもん。全部の文学から、おれたちをそぎ落とすなんて、ものすごい時間を費やすことになるんだぜ」 「だからさ、目立つのからやられるってことじゃないのか?」  ヌクヌクは、受話器の向こう側で、絶句したようだった。 「いったい、なんだって、そんなことを思いついたのかな」 「快楽は派手だからな。禁欲を始めとする頭の堅い連中が忌々しく思っていたんだろう」 「あーあ、生きにくい世の中になって来たなあ。ここんとこ、楽しい日々が続いてたのに。それにしても、目立つ快楽からそぎ落とすってのは本当かね」 「それが一番解りやすいだろ」 「だとすると性の快楽あたりが危ないな。イクイクに知らせてやった方がいいんじゃないか?」 「そうするつもりさ。それにしても、わかってねえなあ。禁欲ってのも快楽の一手段だってのに。苦しみだって悲しみだって、快楽の引きたて役にすぎないってのにさあ。まったく、それを素直に認めようとしないやつらが多過ぎるよ」 「奴らは、快楽が苦しみや悲しみの引き立て役だと思ってるんだよ」 「マゾか」 「そうかもしれん。しかしねえ、すべてのものは、紙にのっけられる時点で、快楽の様変わりだってのに気付いてないんだねえ。あー、やだやだ。文学の生まれる時に確かに存在する快楽より、性的エクスタシーの方が劣ってるなんてこと、あるだろうか。放出という意味では一緒だろうが」 「うむ、そういうこと浮良地も言おうとしてたらしいが、ほら、快楽ってのは、話す時に説得力を失うじゃないか。と、いうより、はなから相手を論破しようなんて気もないのが快楽の特徴だろ。不治の禁欲代表の蛾万に散々言われてたよ」 「蛾万だって!? あんな奴。禁欲のなかでも、もっとも根性の悪い奴じゃないか。あいつに取りつきたいウィルスなんていないぜ。おれは、どうしても食ってけなくなって、あいつに寄生した快楽ウィルスを知ってるが悲惨だよ。満たされない飢えをいつも抱えて貧血状態なんだから。なんでも、アメとムチの法則を知らないんだってさ。いつも、ムチばっかし。痛みを与えるばかりで、後のケアが全然ないらしい」 「うわ、非文化的」 「だろ」 「しかしなあ、対談、まだ途中までしか読んでないんだけどさ、奴は、そこに、自分の高尚さを見出してるらしいんだな、これが」 「たまんねえなー」 「なー」  ひとしきり自分たちの将来を憂えた後、ヨイヨイは、イクイクに電話した。彼女は、ちょうど、その対談に目を通していたところだった。 「しくしく。私、どうしたらいいの? 私、まっさきに、淘汰されてしまうの?」 「元気出せよ。まだ施行されると決まった訳でもない。ただ案が出されただけなんだ」  ヨイヨイの励ましも、あまり役には立たない様子で、イクイクは、不安でならないようだった。 「どうして解ってくれないのかしら。どんな人だって、快楽を味わってるわ。ごはんがおいしい。それだって快楽だわ。でも、まっさきに、私のような性的快楽ウィルスが、非難の対象になるのよ。エクスタシーを描写するのがそんなにいけないの? 私の形容詞や動詞がそぎ落とされるなんて、いやいや、そんなのって、私、死んじゃう。あら、死んじゃうってのも快楽の用語よね。わーん、どうしたらいいのよ」 「ほんとに死んだふりするって手もあるぞ。死を見つめた文学に取り付くのさ。わーお、純文学っぽいぞ。誰も文句言えないぞ」 「やだーっ、しんきくさーい。そんなとこで、死んじゃう死んじゃうって叫んだら、本当に墓場にいっちゃう。あれ、いっちゃうってのも快楽用語だわ。あーん、やっぱり私って、頭隠して尻隠さず、だから、セックスされちゃうのかも」 「やっぱり、生まれや育ちを偽らない方がいいよな。自分に嘘をつくってのは良くないよ。そっか、ぼくたちが、他の不治たちと相容れないのは、そのせいもあるな。嘘つき多いもんな、奴らには」 「気持良いことどうして気持良いって言えないのかしら。苦しみの後に喜びが欲しいって思うのは当然なのに」 「伝統、なのかもな。それより、その対談は全部読んだの?」 「ううん、これからよ。もうちょっと読んでから電話していい?」 「もちろん。ぼく、他の快楽ウィルスの様子も探ってみる」  ──快楽禁止令という法案が出されているのをお聞きになってないと浮良地さんはおっしゃいました。しかし、何故でしょう。これほど、巷で話題になっているというのに。  浮良地 それは……快楽というのは、そもそも、聞く耳持たず状態って場合が多いですからね。  蛾万 自分勝手なんだよな、要するに。エゴイズムは、さっさと消えてなくなりゃいいんですよ。  浮良地 お言葉ですが、自分勝手でない文学なんて、ありますかね。すべての文学は、自己肯定から成り立っているじゃありませんか。  蛾万 これだから快楽は学がないと言われるんだ。自己否定だって存在します。それも、あなたが思ってるよりも、はるかに多くの文学にね。たとえば、私たち、不治の禁欲。それは、自分たちの欲望を人間の叡智を使って否定している訳だ。それから、不治の難解もそうだ。安易に流れやすいところを知識をもって再構築してる訳ですね。加えて言えば、不治の抽象だってそうですよ。具体性文学を殺すというのを自覚した者たちの仕事なんです。あなたたちだけですよ。やりっぱなしの動物くんは。いいですか、文学とは、人間の仕事なのです。いかに、動物でいることからまぬがれるか。そこに力を尽くしてないものを我々、認める訳には行きませんよ。  浮良地 そーかなー。私は、こざかしい人間を動物に戻してやるのが文学と思うけどなー。  蛾万 あなたの言ってること、滅茶苦茶ですよ。まったく、こんな頭の悪い奴らが大手を振ってまかり通っているなんて、私のストイシズムの立場はどうなるんですか。やはり、快楽禁止令は施行されるべきです。文学は、そうしてこそ高みに行くのです。  浮良地 高みに行くとどうなるんですか。落っこっちゃったりしないんですか? あ、でも、落ちるのもいいよな。私、ジェットコースターとか好きなんだ。快感だよな(笑)。  蛾万 ……なんという短絡的な。  ──こほん。話を元に戻します。たとえば、快楽禁止令が、近い将来に本格的に検討されるとして、快楽ウィルスをそぎ取る方法には、どのような方法が考えられますか? そして、また、生かすべき快楽ウィルスがあるとしたら、それは、どのようなものでしょう。これは、蛾万さんにお聞きしたいのですが。  蛾万 物事から快楽を排除するというのは、なまやさしいことではありません。今の文学は、楽な方向に走りがちで、知らない内に快楽ウィルスに取りつかれている場合が多いからです。やはり、委員会のようなものを作り、何年おきかに車検のようなチェックを欠かさないという義務を課すというのは良い方法だと思います。快楽が文体から洩れているというのも、そこで検査出来ます。  浮良地 車検!?  蛾万 踏み絵という方法もありますね。快楽の最たるもの、つまり性のエクスタシーを描いて、それを踏ませるのです。これは効くと思いますよ。  浮良地 踏むことに性的エクスタシーを覚える奴は、どうすんの?  ──浮良地さん、話をまぜっかえさないで下さいね。  蛾万 そぎ取る方法ですが、これは難しいですね。最も暗い文芸誌に閉じ込めて、快楽ウィルスが悲鳴を上げて離れて行くのを待つ、ほら、快楽は、エネルギーを外から補給しないと生きて行けませんから、どうしても外に飛び出そうとするでしょう。そこをねらって、とどめを刺すのです。  浮良地 だけどさあ、そういうふうにして、快楽を排除してどうなるんですか? 私に言わせれば、難解には難解の快楽があり、抽象には抽象の快楽があり、もっとも対極にあると思われる禁欲にだって禁欲の快楽があると思うんですよね。すべてが文学という入口をくぐった瞬間に快楽に支配されると思うなあ。ペンが紙の上に射精してるようなもんですよ。人の痛みだろうが、人間の深淵であろうが、それは、快楽のラベルに過ぎないんじゃないの? 快楽そのものを禁止すると、文学自体も禁止されることになる。そう考えると、ここで話してることすべてが馬鹿馬鹿しいや。そもそも、皆、なんだって、そんなに不治の快楽に目くじら立ててるんですか?  蛾万 気にくわないんでしょう。そう思っている人が大多数なんだ。いわゆる世論というやつですよ。  浮良地 でも、それは文学の世論であって、読者の世論ではないでしょう。  蛾万 ふん、ああ言えばこう言うんだな、あなたも。読者の世論なんて関係ないんですよ、この際。文学の評価と読者の評価は実は関係など何もないのだ。売れる文学などという言葉は本当は存在しないのですよ。そんなことは卑しいのです。文学は、本来、文学のために存在するのです。性を描くのも良いでしょう。しかし、それは快楽を描くこととは違うんですよ。ここで、馬鹿な快楽は勘違いをするのだな。気持いいぞーと大声で叫んでみたりする。そこに取り付いた快楽ウィルスの不遜なことと言ったら。私たちは、その見苦しさを目の当りにすることがいたたまれないのです。  浮良地 快楽のない性なんて、やだなー。すっげえ、つまんなそう。  蛾万 本来、性というのは心の痛みを伴うものです。そういう性文学を認めることにはやぶさかではない。  浮良地 痛い性って、なんだか、報われませんよねえ。せっかく足をもらったのに歩くたびに痛い人魚姫みたいだな。そいじゃ、なんですか。そういう性の場合、射精しないんですかね。不治の禁欲だから我慢するのか。ま、それも気持良いけどねえ。  蛾万 きみ、私に喧嘩を売っているのかい?  浮良地 ピンポーン。  がんばれ、快楽!! イクイクのページをめくる手が震えた。それにしても、彼女には、蛾万の言っていることが、さっぱり理解出来なかった。快楽は、人と自分を比べるという経験があまりないのだ。他人よりも自分の方がどれ程、心地良かったかという比較の文章に取り付いたことは、彼女は一度もなかった。人の共感を得ようとして文章を飾ったこともなかった。共感というのは、彼女の知らないところで発生するものであり、その言葉の存在自体も知らなかったのだ。自分の取り付いた文章だけがすべてであったから、蛾万の言うところの人々の心の痛みという意味も解らなかった。彼女に解るのは自分の心の痛みだけであった。それをいやすための快楽に向かい彼女は文章に取り付いていたのだ。快楽以外のものたちは、本当に、よその人たちを味方につけているのかしら。もし、そうだとしても、それが、そんなにも偉いことなのかしら。なんだか心細い気分になり、彼女は、ヨイヨイに電話をかけた。 「どう? そちらは、他の快楽ウィルスたちの反応はどんなふう?」 「いやあ、皆、あせってるよ。大騒ぎしてる。でも、ほら、ぼくたちって、協力するってことに慣れてないじゃない? てんでに、文句を言ってるだけでさあ。その内、まあ、いっか、なんて言って、またもや自分たちの快楽の世界に入り込んじまう奴もいて。ほんと、ぼくたち団体行動って出来ないたちだよね」 「どうなっちゃうのかしら。快楽禁止令が決まったら」 「まさか!? そんなのあり得ないよ。快楽にだって五分の魂さ。だいたい、あいつらはずるいよ。自分たちだって、ぼくたちと形は違えど、ちゃんと快楽ウィルスを体内に持ってるくせに」 「快楽って、そんなに、いけないことなの?」 「何を言うんだ。そんなこときみが言っちゃだめだよ。ただあいつらは認めたくないだけさ。諦めるなよ、イクイク。ぼくたちが排除されてみろよ。これは大変なことになる。文学は、不眠症と不感症と食欲不振と味覚障害の連中ばかりになっちまう。灰色だぜ、世の中。そんなつまんないことになんか絶対にさせるもんか。しかしなあ、快楽の連中に、決起集会やれって言ってもなあ。集会? うえーっ、だっせーとか言われそうだし」 「ヌクヌクはどうしてるの?」 「寝ちゃったよ、それこそぬくぬくとね。果報は寝て待て、だってさ」 「あっきれた。でも、好きだな。そういうの。やっぱり、私は、気持良いのが好き」 「そりゃ、そうさ。快楽なくしてなんの人生。どんな苦労も快楽が控えているから我慢出来るのさ」 「ちょっと、様子見てみる?」 「それに限るよ」  ──話を進めて行きたいと思います。もしも、文学の世論が、快楽禁止令を支持し……あ、津羅井さんがいらっしゃいました。  津羅井 あ、どーも。遅くなっちゃいまして、ああ、走って来たから心臓に負担がかかる。たまらんな、つらい、つらい。  ──不治の病代表の津羅井さんです。遅れての御登場ですが、ここから座談会形式にして進めて行きたいと思います。  津羅井 で、どこまで話が進んでるんですか?  蛾万 快楽禁止令について話してたんですよ。それがね、津羅井さん、なんと、こちらの浮良地さんは、この案の出されてることすら知らなかったんですよ。  浮良地 そりゃ知りませんよ。私たちは、共同体とは無縁ですしね。うつつを抜かしている内に決められそうになってる。ほんと、皆、自分勝手だよなあ。  津羅井 そりゃそうです。そもそも文学なんてもんは、自分勝手の塊みたいなもんです。  浮良地 それなのに、やり玉にあげられるのは、私たち快楽だけなんてあんまりでしょ。  蛾万 不治の快楽だなんて、露骨すぎるんですよ。良い思いばかりしてる者たちは、どこか別な場所で、自らを表現すりゃいいんだ。苦労知らずの連中に、我々の領域を汚されたくないんですよね。文学は苦界なんです。ストイシズムの聖域なんです。快楽ウィルスよ、死滅しろ!! 私は、それらを、そぎ落とすことに命をかけても良いくらいです。そうでしょ、津羅井さん!!  津羅井 うーん、我々は、存在自体に命をかけてますからねえ。一寸先は闇ですよ。  蛾万 泣かせるねえ。こう来なくっちゃ。やはり正統派ですよ。私は尊敬しますね。不治の病の方々を。弟子とも言える不治の家庭不和の方々や不治の絶望の方たちにも呼びかけませんか。皆で力を合わせて、快楽の奴らを叩きつぶすのです。そうしましょうよ、津羅井さん。  津羅井 ………………。  ──津羅井さん、聞いてらっしゃいますか?  津羅井 あ、すいません。ちょっと、片肺がうずいていたので、煙草吸うと、きついんですよねえ。  蛾万 くーっ、感動的だなあ。それだけの病を背負いながら、それでも煙草を吸おうという自虐性。  浮良地 単に欲望に忠実なだけなんじゃないのか。  蛾万 うるさいんですよ、あなたは。だいたい、あなたたちは、物事を額面どおりにしか受け取らないんだ。文学というものは、もっと、深く、もっと、繊細で、なんて言うのかな、常に、言葉の裏側に意味を隠し持つ洗練の形態なのです。我々だって、そんなに、頭の堅い方じゃないんですよ、実は。不治のポストモダンの方々などは広い心で受け入れています。しかしね、浮良地さん、あなたたちは別です。私たちは断固として戦います。  浮良地 けっ。本気で言ってんのか、このじじい。やってらんねえよな。エクスタシーにそんな意味付けができっかよ。快楽ウィルスをそぎ取るなんて息巻くのは勝手だが、そんなことに夢中になってると、世の中は、ストイシズムという名の快楽だらけになるぞ。まったく、他人のことは、ほっといて欲しいもんだぜ、こんにゃろ。  蛾万 なんという下品な。とうとう正体を現わして来ましたね。宣戦布告と受け取っても良いんですね。  ──お、落ち着いて下さい。ここで、津羅井さんが、快楽禁止令について、どのような見解をお持ちであるのか、きちんと聞いておきましょうよ、津羅井さん、津羅井さん!!  津羅井 おっと、失敬、腹水が溜まって、ちょっと苦しかったもんで。で、なんでしたっけ。  蛾万 快楽禁止令についてですよ。イージーで、筋の通らない快楽は排除されるべきですよね。彼らは、何の苦労もなしに、文学を作って行こうとしてるんです。許せないでしょう? だって、津羅井さんたちは、ものすごい苦労を常に負っているんですから。創作の苦しみはものすごいものでしょう? あなたの場合。  津羅井 う、う、う。いやあ、私たちの場合、永遠に病気が治らないので、書くことには苦労はないんですよ。特権って言うんですかね、ははは、私の場合、必然的に病が向こうからやって来るんでねえ、生みの苦しみとは、無縁なんですわ、あー、つらい、つらい。  蛾万 創作には困らないと……?  津羅井 そうそう。エリートなんですよ。努力しなくても、|ねた《ヽヽ》はたんまり。いやあ、文学しちゃって、文学しちゃって。もう、たまらん。いやあ、文学に携わる者にとっちゃ不治の病は不治の極楽とも言えますな。はっはっはっ、うえっ、ごほごほ。  浮良地 …………極楽禁止令も出したらどうかね。  蛾万 ……………………。  この成り行きは、すぐさま快楽ウィルスたちに広まった。不治の病にとりつくと、なんだか楽な人生を送れるらしいという噂で持ちきりだった。しかし、誰も不治の病の所に面接には行こうとしなかった。極楽には憧れるけどねえ、というのが皆の一致した意見だ。なんか暗そうじゃん? そんなふうに呟いて、極楽まで歩いて行くよりも、目先の快楽に心奪われることを選ぶ輩ばかりだったのだ。 [#改ページ]  あ と が き  気の合う仲間というのを考える時、私の内では、何人かの顔が思い浮かぶが、彼らには、確かに共通点がある。洋服のセンスや音楽の趣味やそういうこととは、まったく関係のない目に見えない共通項。それは、言葉の感覚だ。冗談の質、会話のポイント、快不快の基準、それらが見事に一致している。逆に言えば、一致する人々としか個人的には話をしないので、ますます仲間同士、気が合うようになる。そう、私たちは、言葉に関して、とても排他的で意地悪なのだ。センスの合わないやつは、とことん馬鹿にする。  しかし、我々も大人であるから、たったひとり、別の言葉世界からやって来た人物が混じっていても、あからさまに仲間外れにはしないで、その人の言葉に耳を傾ける。しかし、ふと、顔を上げると、皆の目には同質の困惑が宿っている。こいつを、どうにかして欲しいざんす、とでも言いたげな。  たとえば。  ある男性がこう言った。 「おれって、気はつかうんだけど、腰はつかわないんだよねえ、なんちゃって、はっはっはっ」  絶句である。誰もが唖然としたのに彼は気付かず、自分では、気のきいたことを言っていると思っていた。悲しいことである。こいつの場合、黙って腰をつかっている方が、よっぽど偉い。  また、ある時。  食事の席で、ある女性に誰かが年齢を尋ねたところ、彼女は、意味ありげにこう言い返した。 「いくつに見えますう?」  またも絶句である。本気で彼女の年齢を知りたい人など、誰もいないのである。笛を吹いて、オフサイドと行きたいところである。このような人は、いつも、「当てたら、えーらい」式の問いかけで、周囲の会話のペースを乱すのである。  ポケットジョーク集的な冗談を口にするのも、困りものである。それが、下半身にまつわるものだともっと困る。おやじじゃないんだからさ、そんなこと言ってないで、普通にセックスの話、しましょうよ、と、こちらが思っているのに気付かない人がいるのは、溜息ものである。砂漠で女に飢えた男が、らくだ相手にセックスしようとすると、美しい女に出会う。そして、彼が女に頼んだことは、らくだを押さえてくれ云々、というのを嬉々として話す人間に対しては殺意すら覚える。  こうあげつらってみると、私、そして、私の気の合う仲間たちは、用意された話し言葉を嫌悪するようである。うけをねらった言葉と言い替えても良い。やはり、話し言葉はアドリブ勝負なのである。  それでは、書き言葉はどうか。これも、頭痛い、の連続なのであるが、我々の頭を痛くさせるものは、ある種の人々には心地良いらしいのである。このギャップは、もう埋めようがない。話し言葉は、陰でののしって、|ちゃら《ヽヽヽ》にすることが出来るが、書き言葉はそうは行かない。ののしる代わりに、封印して、どこかにしまってしまうしかないであろう。しかし、時には、うひゃあ、ほんとはアルマーニが好きなのに何故かゴルチエを着てしまっただよう、的なミスもある。本当にこの本は、私のビッグミステイクである。  ああ、それなのに、それなのに、雑誌掲載中のみならず、本を作るのまで、一所懸命に担当してくれた海燕編集部の佐藤芳実くんは本当に奇特な人である。心からお礼を申し上げたいと思う。サンキュー。  あ、そうだ。あるアメリカ人が、日本語でお礼を言う時には、アリゲーターって発音しときゃなんとかなるよって教えられて、日本に来たそうだ。彼は、|わに《ヽヽ》の姿を必死に思い浮かべて、いざ、お礼を言う段になって、クロコダイルと言ってしまったそうである。どうだ! 陳腐だろう。しかし、私たち以外のある種の人々は、これを、いかすざんす、と言って珍重し語りつぐのだ。私たちは、こういういかした事柄と、あくまで戦い続けて行こうじゃないか。  一九九三年一一月 [#地付き]山田詠美  単行本 一九九三年十二月 ベネッセコーポレーション刊 〈底 本〉文春文庫 平成九年四月十日刊