山村美紗 京都西陣殺人事件 目 次  第一章 西陣の旧家  第二章 匂い袋の謎  第三章 離れ座敷の死体  第四章 密室殺人?  第五章 投資ゲーム  第六章 意外な展開  第七章 地上げ屋  第八章 意外な動機  第一章 西陣の旧家     1  週刊誌のグラビヤに、キャサリンの写真がのった。 〈アメリカの経済視察団に紅一点〉  という見出しである。  アメリカ側は、民間企業の社長や、副社長たち三十六人のビッグチームである。  現在、日本政府と民間の共同で、東京再開発の巨大計画が進行している。その中には、東京湾横断道路の建設も、含まれていた。  それに、駐日大使館がバックアップして、東京再開発計画にアメリカ企業にも参加させるようにと要求している。  そのチームに、キャサリンが参加しているのは、ロスに本拠のあるUSセメントの社長、マイク・ジェイソンの要請によるものだった。  マイクは、キャサリンの父親が副大統領だった頃、秘書官をやっていた男である。  マイクは初めて日本へ来る。それで日本の事情に詳しく、日本の政界人にも顔のきくキャサリンに同行してくれるように頼んだのである。  一行は東京のホテルニューオータニにチェックインした。  翌日から、日本側の政府委員との会談、民間プロジェクトチームの役員からの説明をきく会議がはじまった。  キャサリンは、マイクに色々と助言したり、通訳を買って出るほか、他の団員の相談にものった。  日本がはじめての人も多く、日本人特有のいいまわしに、戸惑うことが多かったからである。  三日目、ホテルに戻って来ると、京都の浜口から電話がかかって来た。 「そろそろ、そちらの仕事も終る頃じゃないかと思って」 「明日、パーティーがあって終りよ。早く、京都へ帰って、イチローに会いたいわ」 「僕もだよ。ところで、仕事の方は、上手《うま》くいっているの? 日本側のガードは固いと思うけど」 「今回は、アメリカ側の要求を伝えるだけに終るだろうと、最初から思っていたから、私は、あまりがっかりもしていないわ。でも、一行の中には、なぜ日本人は、あんなに排他的なのだと失望している人もいたわ」 「そうだろうね。日本人は、仲間意識が強いし、外国の資金力に恐れを抱いているからね」 「工事の受注は、入札制にするというので、日本も開放的になったと喜んだ時期もあったわ」 「それ、正しくは、指名入札制でしょう?」 「イエス」  と、キャサリンは笑った。 「通訳が、指名の部分をとばして入札の方だけ訳してしまったの。だから、私はあわてて、指名入札制だって、訂正してまわったわ」 「その指名の中身が問題なんだ」 「イエス。今までの日本の工事に実績のあった会社を指名して、その中で、入札させるというのよ。アメリカの会社は、今まで、日本の工事の実績はないのだから、実際には、一社も、入札に参加できないわけだわ。一見、オープンに見える入札制になっているようだけど、アメリカ企業は、完全にクローズされているわ」 「日本人のやり方に失望した?」 「ノー。私は大体予想していたことだから、別に失望はなかったわ。それより、もっと驚いたことがあるの」  キャサリンは、いきいきしていた。彼女は静かな京都でじっとしているより、こういう緊張した場所に身を置く方が似合っているらしい。 「どんなこと?」 「東京再開発計画ということなので、ひとりで、東京の中心地の地価を調べてみたの。まるで、めちゃくちゃだわ。去年、私が来た時に、一平方メートル五百万円だったところが、三倍の千五百万円になっていたわ。世界一物価が安定している日本で、土地だけが、なぜ、一年に三倍もあがるのかしら?」 「たしかに、都心部のマンションだってその位あがっているみたいだね。色々の条件が重なっているらしいけど」  浜口は、東京の友人が、三倍にあがったのでマンションを売ったといっていたのを思い出しながらいった。 「三倍にもなって、もうかるというのが、私には不可解だわ」 「それだけ、都心の売り地が少ないということなんだろうね。京都でも、中心部の土地は、なかなか売りに出ないよ。何百年もそこに住んでるという人が多いからだけど」  キャサリンは、明後日もう一度、京都に着く時間を知らせるといって、電話を切った。     2  翌日、日本側主催のパーティーがあって、一行は、そのあと、整備新幹線の現場を見学に青森へ行くことになった。  キャサリンは解放されて、翌々日、京都にむかった。  午前八時東京発の「ひかり」にしたのは、浜口が新しい車両が使われていると教えてくれたからである。  二階建ての車両になっている食堂車で、キャサリンは、車窓の景色を楽しみながら、朝食を注文した。  ゆっくりとコーヒーを飲んでいると、 「ご一緒していいでしょうか?」  と、声をかけられた。  二十七、八歳の美しい女性である。  キャサリンがアメリカ人なので、大抵の日本人は下手な英語で話しかけてくる。  ここは日本なのに、なぜ、日本語で話しかけないのかと、いつも不思議に思っていたから、キャサリンは、相手の女性の物怖《ものお》じしない日本語に好意を持った。 「どうぞ」  と、キャサリンは笑顔でいった。この列車は人気があって、食堂車もほぼ満席だったからでもある。 「有難うございます。よかったわ」  その女性は、にっこりして、ウエイトレスにキャサリンと同じものを注文した。  その女性は、目が大きくて、まつ毛が長く、鼻すじが通っていてみればみるほど美人だった。食事がなかなか来なくて、手持|無沙汰《ぶさた》にしているので、キャサリンが話しかけた。 「女優さんですか?」 「いいえ、建築をやっています」 「建築家?」  キャサリンはびっくりした。 「はい。京都の古い建物を見に行くところです」 「女性の建築家って素敵だわ。日本には少ないでしょう?」 「でも、女だからってたよりなく思われることも多いですわ」 「私も、京都でおりるの」  キャサリンがいうと、彼女は眼を輝かせた。 「じゃあ、また、お会いできるかもしれませんね」 「ええ、私も京都の建物は好きだわ」 「外国の若い女性が、日本の古い建築を、どう思うか、とても興味がありますわ」 「なぜ?」 「新しい建物を建てるとき、日本人だけの考えより、国際都市らしく、外国人の、それも女性の考えが参考になると思っているんです。でも今の日本の建築は、あまりにも外国のマネで、つまらないような気がします。日本の古い建築をとり入れたら、かえって斬新《ざんしん》な感じになるんじゃないかと思うんです。ですから、京都の古い建築のどこが外国人女性に魅力的なのか、きかせて頂ければうれしいのですけど」 「たしかに日本の現在の建築は、アメリカや、ヨーロッパの建築の小型版という気がするわ。その点、京都の古いお寺や建物は、木造建築の美しさをいかして、独自だし、ロマンが感じられるわ」 「私も、同感ですわ。外国の方は、日本人より、時には、鋭く日本の本質を見抜いているところがありますね」  二人は、意気投合して、熱心に話し合った。彼女は、栗田麻子という名前だとわかった。  キャサリンは、彼女が、熱心に自分の意見をどんどんいうところにも好感を持った。  日本の女性で、キャサリンが、一番不満に思うのは、彼女たちは、やさしく優雅だが、自分の意見を持たないことだった。  その点、彼女は美しく、しかも、ちゃんと自分の意見を持っている。  二人は、食堂車を出てからも、隣り同士に坐って色々話をした。 「京都で、是非、もう一度会いましょう」  とキャサリンは約束した。     3  京都駅には、浜口が迎えに来てくれていた。  ホームで、キャサリンは彼に栗田麻子を紹介した。 「建築をやっていらっしゃるんですか?」  浜口も興味を持ったようだった。  キャサリンは、ずっとアメリカに帰っていたので、三カ月ぶりの京都である。  麻子も、キャサリンと同じ京都ホテルに泊るというので、浜口の車で送ることになった。 「京都も、中心部の土地は、異常に値上りしてるの?」  キャサリンは、浜口にきいた。 「東京ほどじゃないけど、京都でも土地は不足しているから、中心部では、徐々に高くなっているみたいですね。しかし、東京ほど高くならないのは、京都の中心地には、昔からの建物や美観を残そうということで色々と建物の規制があって、高い値段で買っても、高層ビルなどが建てられず、引きあわないからですよ」  キャサリンは、二人だけで話しているといけないと思ったのか、麻子にむかって、 「あなたは、建築家として、土地が異常に高くなっていることを、どう思いますか?」  と、きいた。 「全く興味がないといったら嘘になりますけど、私の仕事は、与えられた土地に、どんな建物を建てるかということですから。広い土地ほど、思い通りの設計が出来ることは事実ですわ」  麻子は、あっさりといった。 「なるほどね、その通りだわ。ところで、京都で、どんな建物を見るんですか?」 「お寺や、神社も見ますけど、祇園《ぎおん》のお茶屋さんとか、古い旅館なんかの方が見たいんです」  と、麻子はいった。 「西陣にも、昔っからの家があるわ。京都の家は何百年も続いている家がいっぱいあるの」  キャサリンがいった。 「そういえば、電話で西陣に住みたいといっていたね。キャシイ」  浜口が、ハンドルを切りながらいった。 「そうなの。私、織物もしてみたいし、西陣の街にも興味があるわ」 「じゃあ、今日の午後でも、西陣を見物に行ってみる? 西陣の関係者にコネがあるから、話をしておきますよ」  浜口がいった。 「私も一緒に行っていいでしょうか?」  麻子が、遠慮がちにいった。 「ええ。どうぞ」  キャサリンは、にこやかにいった。  ホテルに着くと、キャサリンは、麻子と別れて予約してある部屋に浜口と入った。 「彼女が気に入ったみたいですね?」  ソファに腰を下して浜口がいった。 「私、日本の男性には、イチローといういい友人がいるけど、女の人には親しい人があまりないの。彼女なら、意見もたたかわすことが出来るし、日本女性らしい優雅さも持っているから、いい友だちになれると思うの」 「そういえば、彼女は、着物も似合いそうですね」 「ええ。きっと似合うと思うわ」  キャサリンは、麻子のほっそりとしたスタイルを心に描いていった。  昼食は、ホテルの中のレストランでとった。  浜口は、キャサリンが、食事のあとのコーヒーを飲んでいる間に、電話で、西陣で、一、二という大きな織物会社に話をつけた。  テーブルに戻ってくると、浜口は、 「小林総左衛門という人が、会ってくれることになりましたよ」 「サムライみたいな名前の人ね」 「二百五十年の歴史がある家なんですよ。創業は、一七二五年だといわれています」 「アメリカの建国より古いわ」 「西陣の組合長もやっているし、茶道や謡曲もたしなむ趣味人なんですよ、いってみれば、京都の旦那衆の典型みたいな人物なんです」 「でも、今、西陣は不景気なんでしょう? そんなに悠々としていていいのかしら」 「その通りだけど、小林家には、二百五十年間に貯《たくわ》えた資産があり、広大な土地や、値打ちのある古美術もあるから、生活は豊かなんじゃないかな」 「富豪なのね」 「今日は、まず、お邸《やしき》にお邪魔することにしましたよ」  と、浜口はいった。  栗田麻子にも声をかけて、三人で西陣の小林家にむかった。     4  千坪ほどの工場に隣接して、五百坪ほどの家があった。  苔《こけ》むした大きな門から玄関までが長く、手入れされた樹木がしげっている。 「石が素晴らしいわ」  キャサリンは、庭のところどころにおかれた巨大な石を眺めていった。  磨き抜かれた廊下を通っていくと、時代劇に出て来るような座敷に出た。  当主の小林総左衛門は、六十二、三歳でさすがに和服姿がぴったりときまっている。  彼はぴんと背すじを伸ばして、挨拶をした。 「本当に、サムライみたいだわ」  キャサリンが、小声で浜口にささやいた。  挨拶がすむと、キャサリンたちは、まず家の中を案内して貰った。案内してくれたのは、加代という当主の夫人だった。上品な顔立ちだが、地味な着物をきて淋しそうな感じの女性である。  三十畳近い広い和室には、西陣の花といわれる能装束《のうしようぞく》が、衣桁《いこう》にかけて、二着、飾ってある。 「右が、流水|花筏《はないかだ》文様唐織で、左が、縞に桐唐草文様の唐織といいます」  と、加代が説明した。 「これ、手織りですか?」  キャサリンは、そっと能装束に触れながら、加代にきいた。 「はい。それは、うちの織匠が手で織ったものですわ」 「あとで、その織った方に、お会いしたいわ」 「はい。ご紹介します」 「いつも、こういう能衣裳や歌舞伎の舞台を見るたびに思うんですけど、日本人の美意識って、本当は、渋さとは、逆なんじゃないかしら? 豪華|絢爛《けんらん》でしょう? それなのに、渋さとか、ワビとかサビといって、モノトーンみたいな色彩が、日本人らしいというのは、不思議で仕方がないわ」  キャサリンは、アメリカ人らしい疑問を口にした。  加代は、同じような質問を、何度も受けていると見えて、笑っているだけである。 「それは、多分、歴史と政治のせいじゃないかな」  代って、浜口がいった。  茶室や、庭も見せてくれた。  昔、小堀遠州が、別宅に使っていたといわれるだけに、茶室も、庭も、落着いた素晴らしいものだった。  建築家の麻子は、興味を持ったようで、黙りこくってじっと眺めている。  キャサリンが、浜口と、別れていた三カ月間の話をしている間に、麻子は、庭におりて、大きな庭石や、竹垣などを見ていた。  加代はおりていくと、麻子と何か話している。  キャサリンは、浜口と並んで縁側に腰を下した。 「彼女、何を話しているんでしょうね。随分熱心に話してるね」  浜口がいった。 「若い日本の建築家が、自分の国の古い建築を見直しているのは、いいことだと思うわ」 「まあそうだけど。冬になったら、この邸は寒いでしょうね」  浜口がいった。 「自然との調和が、日本人の美の基準なんでしょう? それなら、暑さ、寒さぐらいは、我慢しないと仕方がないわ」 「しかし、住む人間にとっては、決して快適とはいえないなあ」 「じゃあ、イチローは、この西陣が、鉄筋コンクリートで、味気ないビル街に変った方がいいと思っているの?」 「変えようという人もいることは事実だよ。空間も利用出来るからね」  浜口はいった。 「ここのご主人はどうなのかしら? このミスター・サムライは、頑固に、このままの生活を守っていく気だと思うんだけど」 「彼は、今の生活がいいにきまってるよ」 「なぜ?」 「金がなければ、邸や庭を全部つぶしてホテルとかマンションにすれば、大きな金が入ってくるからという気にもなるだろうけど、彼のように道楽の仕放題で生活に困ってなければ、こういう優雅な生活がいいにきまってるよ。女遊びにも、随分金を使ったといううわさだし……」 「イチローは、羨《うらや》ましそうね」  キャサリンが笑った。 「誤解されると困るんだけど、日本の男にとっては、彼の生き方は、一つの憧れじゃないかな。亭主関白で、月見の宴だ、正月だといって、この広い邸に客を呼んで茶会をし、祇園の舞妓《まいこ》の旦那になり、能狂言や、美術品を集めるというのは、サラリーマンには出来ないことだからね」 「奥さんは、何もいわないのかしら?」 「いわないだろうね。京都のこういう旧家に嫁ぐ女性というのは、絶対に文句をいわず、夫の浮気を知っていても平然としているという教育を受けているから」 「私にはわからないわ」  キャサリンがいった。  麻子が戻って来た。  加代の方は、質問攻めにあって疲れたような顔をしていた。     5  このあと、工場の方で織匠の老人に、紹介して貰った。  清水重太郎という六十五歳の職人である。  いかにも職人らしい、小柄で、口数の少ない、律義な感じの男だった。  西陣織の美しさは、織匠の感覚に左右されるといわれる。それだけに、糸の色をえらぶ時の眼は鋭かった。  キャサリンたちの前で、実際に、織機を動かして貰った。  さまざまの色彩の糸をからめた杼《ひ》が、いくつも、織匠の前に並ぶ。  キャサリンが数えると、三十もあった。  それを横糸として、織り込んでいくのである。  それだけではない。絢爛豪華な感じを出すために、細長く裁断した金箔や銀箔を、一本一本、竹べらで織り込んでいく。 「ファンタスティック!」  キャサリンは、感嘆の声をあげた。 「確かに、これは、機械じゃできないですね」  浜口がいった。  見学が終って、キャサリンたちが、礼をいって帰ろうとすると、加代が、 「これから、祇園のお茶屋さんにご案内します」  といった。 「え、お茶屋さん? でも、僕らは社長にご挨拶して帰ろうと思ってるんですが」 「主人は、もう、お茶屋さんに行って待っているんです」 「でも……」 「皆さんが行ってくれはらへんと、困るんです。機嫌が悪うなりますよって」  加代は頭をさげた。 「社長は、いつもそうなんですか?」 「はい」  表で、車のクラクションの音がきこえる。 「どうします?」  浜口はキャサリンと麻子の顔を見た。 「行きたいわ。久しぶりに舞妓さんを見たい」  キャサリンがいい、麻子も、 「私も行っていいのでしょうか? 舞妓さんを見るチャンスなんてめったにないので」  と、顔を輝かせた。  そこで、三人は、加代がよんでくれたタクシーに乗って、祇園のお茶屋に向った。  花見小路で車をおり、格子のはまったお茶屋へ入ると、 「おいでやす。お待ち兼ねどっせ」  と、おかみが出て来て、三人を座敷に案内した。  小林総左衛門は、自宅で見たときとは違って、二十二、三の美しい芸妓《げいぎ》をはべらして、上機嫌だった。 「よう来てくれはりました。今晩あたり祇園へ行こうと思てたんで、お客さんが来てくれはって丁度よろしおした。どうか、気楽に遊んで行っとくれやす」  小林はキャサリンにいった。  遊び人の小林も、祇園へ行くのに、客を招待するという口実がある方が家を出やすいらしい。  料理が運ばれ、三人の舞妓たちが入って来て甲斐《かい》がいしくお酌をしはじめると、座はにぎやかになった。キャサリンは、前にもお茶屋に来ているので、舞妓たちとすぐに親しくなって話している。  自宅で正装して、キャサリンたちを迎えたときの小林と、美しい舞妓とたわむれている彼とは、全く別人のようにみえた。  だが、どちらも小林総左衛門なのだ。  日本人のタテマエとホンネ、公人と私人の使いわけは、キャサリンは、何回もの来日でよく知っていた。  比較的アメリカ的な浜口でも、そんなところがあるから、最も日本的な男である小林が、さっきとは別人の面を見せても、不思議ではないだろう。  キャサリンは、自分の横に坐った可愛《かわい》らしい舞妓に、 「あのきれいな人は、何という名前?」  と、小林の傍にいる芸妓のことをきいてみた。 「市花|姐《ねえ》さんどす」  と、十七歳だという舞妓がいった。 「小林さんとは、どんな関係なの?」  キャサリンは、興味を持ってきいてみた。  舞妓は、 「さあ、知りまへん」  と、笑ったが、知っている顔だった。 〈小林さんが、市花さんの旦那さんなのだわ〉  キャサリンは思った。  旦那というのが、どんな関係なのかは、キャサリンも知っていた。  麻子も、小林と市花の関係に興味を持ったらしく、おかみをつかまえて、 「舞妓さんとか、芸妓さんの旦那さんになるには、どのくらいかかるものなんですか?」  と、きいた。 「お嬢さんが、旦那さんになってくれはるんどすか?」  おかみは、からかうようにいった。 「私は、女だから駄目よ」 「おなごはんでもかましまへんえ」  と、おかみは笑った。 「身受けするのには、一千万円ぐらいいるときいたけど、本当かしら?」  麻子は、熱心にきいている。 「さあ、どうどすやろ」  おかみは、はぐらかすようにいった。 「週刊誌でよんだんですけど、一千万円で、身受けして、そのあとも、毎月何百万も必要なんでしょう? 旦那さんになると……」  麻子は、おかみの隣りにいる舞妓にきいた。  若い舞妓はどう返事したらいいかわからないという顔で、 「まだ、わからへんのどす」  といった。  麻子は、そのあと、市花のそばに行ったときにも、 「あなたみたいなきれいな芸妓さんには、もちろん、旦那さんがいらっしゃるんでしょう?」  ときいた。 「知りまへん」  市花は、困ったように、おかみの顔をみている。  他の舞妓と話していた小林がふりむいて、 「この妓には、いい旦那がいてますよ。優しくて、気前のええ、男前の旦那が」  と、笑った。  その自信にあふれた顔を見て、キャサリンは、自分の直感があたったと思った。  市花は、「いややわァ」と、小林を軽くぶつ真似をした。  こうなると、誰の目にも、小林と市花の関係は明らかなのだが、麻子は、気がつかないのか、 「そんな景気のいい旦那さんて、何をしてる人? きっと、何億って財産のある人なんでしょう? 宝石商かな? それとも、お医者さん?」  と、きく。  市花は、今度は、はっきりと、迷惑そうな顔をした。  そのとき、おかみが口をはさんで、 「さあ、そろそろ、片付けて、舞妓ちゃんに踊って貰いまひょ」  といった。  膳が片付けられ、隣りの部屋に金|屏風《びようぶ》をたてて踊りになった。  最初に市花が一人で踊った。  金屏風の前に、すっと立って扇を構えた姿は、さすがにきまっていて、美しかった。  切れ長の眼が色っぽく、三味線にあわせて踊り出すと、腰のあたりがなよやかに動いて女っぽい。 「素敵ね」  キャサリンが素直にいった。そのあとは、三人の舞妓が賑やかに祇園小唄を踊った。  三人の中には、お座敷に出たばかりという新人の舞妓もいて、そのぎこちなさが、かえって可愛かった。  キャサリンたちが、京都ホテルに帰ったのは十時半近かった。 「あの栗田麻子という女性には、はらはらしましたよ」  浜口は、ソファに腰をかけていった。 「そうね、不粋なことばかりきいてたわね、好奇心が強いのかしら」 「年頃の女だから気になるんだろうね。キャシイだって、最初に祇園に行った時には、旦那の制度や、身受けということに興味をもって僕を質問攻めにしていたよ。覚えてる?」 「覚えてるわ。でも、私の場合はアメリカ人だからみんな笑っていたわ」 「あの市花という芸妓は、やっぱり、小林さんの恋人なんですね」 「彼は、それを全然隠さないのね。むしろ、自慢しているようだったわ。京都じゃ舞妓や芸妓の旦那になるというのは、金持ちで、プレイボーイだというステータスなのね」  キャサリンは、わからないというようにいった。 「そうですね。京都でなくても日本じゃ浮気は、男の勲章という考えもありますね」 「でも、今、西陣は不景気だから、彼が、芸妓の旦那になったりして派手なことをしているのは、批判されないのかしら?」  キャサリンはいった。 「不景気だから、彼が祇園で旦那になっているということは、明るい話題になると思いますね。信用にもなるんですよ。あれだけの会社だと、下請業者も多いですからね」 「そういうものなのかしら?」  キャサリンが考えている間に浜口は立ち上って、 「じゃあ、今日はこれで。疲れているでしょうからゆっくり眠って下さい」  といって出て行った。  第二章 匂い袋の謎     1  翌日、キャサリンが浜口に電話しようとしているところへ、彼の方からかかって来た。 「今、どこ? 昼食を一緒にしたいんだけど」  キャサリンがのんびりというと、浜口は緊張した声でいった。 「今、警察なんだ。狩矢警部に代ります」  と、いった。 「何がおこったの?」  思わず英語でいうと、狩矢の声に代って、 「ミス・ターナー・キャサリン?」  といった。 「あ、ミスター・狩矢ね、イチローはどうしたの? 交通違反でもおこしたの?」 「違いますよ。祇園の市花という女性を知っていますか?」 「イエス。昨夜、彼女に会いました。ミスター・浜口と一緒に」 「それで、浜口さんに来て貰っているんです。市花さんが、自宅マンションで殺されたんです」 「えっ、信じられないわ」 「浜口さんもそういっています。キャサリンさん。あなたにも、昨夜のことをお訊きしたいので、こちらへ来ていただけませんか? パトカーで橋口にむかえに行かせますが」 「タクシーで行きますわ。どこの警察?」 「祇園東山警察署です」 「わかりました。すぐ行きます」  キャサリンは電話を置くと、すぐに服を着がえてタクシーに乗った。  車の中で、キャサリンは、昨夜、金屏風の前であでやかに踊った市花の姿を思い出していた。彼女の華やかに自信に満ちた顔が、もうこの世にないとはどうしても思えない。  東山警察署へ着いて中へ入ると、浜口が迎えてくれた。 「栗田麻子さんも呼ばれて来ていますよ」  と、浜口がいった。 「本当に、あの芸妓さん殺されたの?」 「本当なんだ。僕も信じられなかったけど。この近くのマンションで殺されたらしい。遺体も見て来たけど」  浜口もさすがに蒼い顔をしている。  そこへ顔見知りの狩矢警部がやって来た。 「わざわざ申しわけありません。大体のことは、浜口さんと、栗田さんからききましたが、あなたにも、伺いたいと思いまして……」  キャサリンは、栗田麻子が、どんな証言をしたか興味があった。 「彼女は、昨日のこと、どんなふうに話しているんですか?」 「彼女って栗田麻子さんのことですか?」 「イエス」 「あなた方と、西陣の小林総左衛門氏をたずねてから、お茶屋に招待されて、市花や舞妓たちの踊りをみて、十時すぎに、ホテルに帰ったといっています」 「その通りだわ」 「そこで、昨夜のお茶屋での雰囲気ですが、何かおかしなことはありませんでしたか? 市花さんがふさぎこんでいたとか、何か、気になるようなことを言っていたとか……」  狩矢は、キャサリンをみつめた。 「さあ、何も気がつきませんでしたわ。彼女は、華やかで、機嫌がよかったし、小林さんと、べたべたしてました。彼女のことは私にきくより、お茶屋さんのおかみさんや、一緒だった三人の舞妓さんたちにきいた方がよくわかると思いますわ」 「そうなんですが、彼女たちは口がかたくて、何もいわないのです。お座敷のことやお客さんのことも」 「じゃあ、小林総左衛門さんにきいたらどうですか? 彼は呼ばないのですか?」 「もちろん、ききますが、あなた方からもいろいろと聞いておきたかったのです」 「ということは、ミスター・狩矢は、彼を疑っているのね?」  キャサリンがいうと、狩矢は困ったような顔でうなずいた。 「まあ、今のところ、動機がありそうなのは小林さんだけですからね、彼が市花という芸妓の旦那だったことはご存知ですか?」 「イエス、イチローからききました。みんな知ってることだそうです」 「そうなんです。それでおききするんですが、昨夜、小林さんと市花の間に、女性のあなたからみて、何か、諍《いさか》いのようなものは感じられませんでしたか?」 「いいえ。とっても仲がいいように見えましたわ」 「一見、仲良くみえても、実は、冷たく憎み合っているということもあるでしょう?」 「そういうこともあるでしょうけど、昨夜は、本当に、アイアイアイという感じでした」 「え?」  すると浜口が横から、 「和気|藹々《あいあい》でしょう」  といった。     2 「私には、あの小林さんが彼女を殺したとは思えません。大変なお金を出してやっと手に入れた女性なんでしょう?」 「それだけに、彼女が裏切ったら、殺したいほど憎むことも考えられますからね」  狩矢は、静かにいった。 「彼女、浮気してたんですか?」  キャサリンは、いきいきした眼をした。  狩矢はあわてていった。 「いや、それは、まだわかりません。でも、何もなければ、彼女が死ぬはずがありませんからね」 「彼女は、いつ頃殺されたんですか?」  キャサリンはきいた。  狩矢は苦笑した。 「どうやら、いつもの探偵癖が出たみたいですね」 「昨夜、美しい舞姿を見せてくれた人が、突然、殺されてしまったんですから、関心を持つのは当然でしょう?」  キャサリンはムキになっていった。 「まだ、解剖がすんでないので、正確な時間はわかりません。ただ、昨夜は、午前一時まで働いていたことはわかっています。昨夜じゃなくて、今朝ですね。そのあと、タクシーで、マンションに帰っています。午前一時半頃でしょう。殺されたのは、そのあとということになりますね」 「じゃあ、泥棒が入って、彼女に見つかって殺したとも考えられるわ」 「それは、まずありませんね。部屋が荒されていないし、二十万円の現金や、高価な宝石、時計などが盗られていません」 「とすると、顔見知りの犯行?」 「だと思いますね、彼女は、後頭部を殴られ、首を締められていたんですが、どうも彼女が、自分で相手を部屋に招じ入れたと思われるんですよ。用心深い女性だというのに、ドアのカギはこわされていなくて、犯人は中に入っていますからね」 「それで小林さんは?」 「一番簡単にマンションの部屋に入れる人物ですからね。カギも持っているでしょうし、被害者だって喜んで中へ入れるでしょうね」  キャサリンは、考え込んだ。 〈あれから、小林さんは家に帰ったのかしら? それとも、彼女の部屋へ行ったのか〉 「キャサリンさん。ちょっと見てくれますか?」  狩矢が引き出しから、小さい友禅の袋を出した。紐がついている。 「匂い袋だわ」 「なるほど、いい匂いがしますね。彼女の手には、これが握られていました。これは、彼女のものだと思いますか?」 「いえ、……」  キャサリンは、その途端に、あることに気づいてはっとしたような顔をした。     3  そのとき、小林総左衛門があわただしく刑事にかこまれて入って来た。  キャサリンたちは、廊下に出るようにいわれた。  やがて、 「市花を殺したのは誰なんですか?」  と、大声で怒鳴るようにいうのがきこえた。 「イチロー、あの小林さんが犯人だと思う?」 「いや、思いません」 「じゃあ、誰が犯人なの?」 「それがわかっていれば、狩矢警部に話していますよ」 「私は、奥さんが怪しいと思うの」  キャサリンは、突然いった。 「どうしてですか?」  横にいた栗田麻子がいった。 「狩矢さんがいっていたけど、死体は、一つの匂い袋を持っていたというわ。あれは、あの奥さんが私たちを案内するとき持っていたものだわ。私、あまりいい匂いがするから、ふと、彼女の帯のところを見たの。そしたら、あの匂い袋が、帯にはさんであったの。だから間違いないわ。奥さんが匂い袋を持っていたのがもっと前だったら、彼女がそれを落として、拾った人が身につけていて、市花さんを殺したといえるけど、私たちが家を出る前、奥さんがあれをつけていて、それが、その夜死んだ市花さんの手にあったということは、奥さんが殺したということになるわ」 「動機はジェラシー?」  浜口がきいた。 「イエス」  浜口は首をかしげた。 「信じられませんね、あの奥さんは、夫が芸妓を身受けしたくらいで、その芸妓を殺すようなことをしませんよ。とても物わかりのいい奥さんということで、評判なんです。男は浮気するぐらいの方がいいと、いう人ですから」 「それは勝手な想像でしょう? 本当はあの奥さんは、夫の浮気に腹を立てていたんですわ。それを、物わかりのいい人だといわれて、じっと耐えていた。でも、とうとう爆発したんじゃありませんか?」  麻子がいった。彼女は、京都の女性でないので、よけい理解できないのだ。 「匂い袋の件は確かに不思議だけど、彼女が、夫の愛人を殺すというのは信じられないなあ。愛人が素人ならとにかく、芸妓ですからね。僕のきいたところでは、市花にマンションを買ってやったのは、奥さんだということだけど」 「本当なの?」  キャサリンがびっくりしたように浜口の顔をみた。 「アメリカ人のキャシイには、不思議に思えるかも知れないけど、西陣をはじめとして、京都の老舗《しにせ》の奥さんというのは、夫に自分からすすめて遊ばせてやるくらいじゃないと、つとまらないんですよ。夫が芸妓や舞妓を囲ったくらいで騒いだりすると、まわりから軽蔑されるんです。物わかりが悪いとか、不粋だとかいって。だから、あの奥さんも、夫が、市花という芸妓を囲っても平気でいたんですよ。彼女のところへ行くとわかっていても、にっこりと夫を送り出していたそうですよ。だから、あの奥さんは、立派だと評判がいいんです」 「奥さんは、随分無理をしていたんだと思うわ。夫の浮気に平然としていられる人なんて、あり得ないわ。我慢していれば、それだけ、怒りは内向するわ。それが爆発したのかも……」  キャサリンがいった。 「私も同感ですわ」  栗田麻子がいった。 「小林さんの家族は、奥さんだけなの?」  キャサリンがきいた。 「いや、息子さんが、一人います」 「昨日は、見なかったわ」 「あの家を出ているんです。三十歳くらいで、サラリーマンです。先妻の子で、小林さんが彼の高校生時代に後妻をもらったので、反撥して、大学へ入ってからは、ずっと別居しているんです。まだ独身だということですが」 「そういえば、あの加代という奥さんは若いわね。地味な恰好《かつこう》をしているけど、四十歳前後だわ」  キャサリンは、物静かな加代の顔を思い出していた。  落着き払い、自分の感情を表に出さない感じの女性だったが、そんな家庭の事情があったのか。     4  狩矢がやれやれという顔で、廊下へ出て来た。 「どうでしたか? 小林総左衛門さんを訊問して何かわかりましたか?」  浜口がきくと、狩矢は首を振った。 「訊問どころか、一方的にまくしたてられましてね。まるで、殺されたのが警察の責任みたいないい方でね。よほどあの芸妓を愛していたようですね」 「警察の責任ってどういうことなの?」  キャサリンは、びっくりしたようにいった。 「実は、彼女の住んでいたマンションは、独身女性、それも、水商売の女性が、沢山入居しているところです。前から、干してある下着が盗まれたとか、変な男にのぞかれたとかいう訴えが、警察にあったんです。それに対して、適切な対応をしなかったからこういうことになったんじゃないかと、小林さんにいわれました」 「痴漢の犯行の可能性は、ないんでしょう?」  浜口は、狩矢警部に同情する口ぶりできいた。 「まずありませんね。そんな人間を、被害者が部屋に入れる筈はありませんし、暴行されてもいないのです」 「やはり、顔見知りの犯行の線ですか?」 「私はそう思っています」  と、狩矢はきっぱりいった。 「小林家の家族からも、事情をきくんでしょう?」 「家族ですか?」 「奥さんや息子さんですよ。僕は、小林さんと芸妓さんの仲は、奥さん公認で嫉妬なんかなかったといったんですが、キャシイや栗田さんは、そんなことはないというんです。夫の女関係に耐えに耐えた末、それが爆発したんじゃないかというんです」  浜口は、二人の若い女性に眼をやった。  狩矢は、微笑しながら、キャサリンと麻子を見た。 「アメリカなら、とっくに離婚手続きをしているか、ライフルで夫を撃っているわ」  キャサリンがいった。 「そちらのご意見はどうですか?」  狩矢が麻子を見た。  麻子は考えていたが、 「アメリカの女性だったら、浮気した夫をライフルで撃つでしょうけど、日本の女性は、夫を殺せなくて、夫の浮気の相手を撃つことが多いと思いますわ」  と、いった。 「すると、奥さんがあやしいと思うのですか?」 「顔見知りの犯行なら、可能性があると思いますけど」  麻子がいうと、キャサリンが匂い袋の話をした。 「えっ、それは本当ですか? あれは奥さんが直前までつけていたものなんですか?」  さすがに狩矢が驚いたようにいった。 「同じ柄のものがいくつも売っているかもしれません。でも、念のため、奥さんが、あの匂い袋を持っているかどうかきいて下さい。彼女が持っていれば、別の匂い袋ということになりますけど、もし、奥さんがなくしたということだったら、事件に関係があるんじゃないかしら?」  狩矢はうなずいた。 「それで、奥さんがあやしいという理由はわかりましたが、息子はどうしてあやしいんですか?」 「息子さんも、若いときには、お父さんや後妻の加代さんに反撥して家を出たけど、もう三十歳です。そろそろ、結婚もしたいし、家の財産も気になってくる頃です。サラリーマンではお金も自由になりませんから。ひょっとしたら結婚の費用を出して欲しいと父親にいって拒否されたということも考えられます。自分は道楽して芸妓を囲ったり贅沢しているのに、息子には結婚の費用も出してくれない。そこで思いなおして父の気に入りの芸妓から話して貰おうと彼女を訪れたが、彼女に冷たくあしらわれた。それでかっとなって殺してしまった……」  浜口がいうと、狩矢はうなずいた。何か、彼にも心あたりがあるようだった。 「小林家の経済状態はどうだったんですか?」  キャサリンがきいた。 「経済状態ですか?」 「ええ。今、西陣は不景気で、倒産したり、機械を処分しているでしょう? 舞妓や芸妓の旦那になるのは、いくら男の勲章といっても、小林家の経済状態がどのくらい悪いかで、家族の反撥もちがうんじゃないかと思うんです」 「それはそうですね。まだ、詳しくは調べていませんが、刑事たちがきいたところでは、かなりの額の借金があるようですね」 「そうでしょうね」  キャサリンがうなずくと、狩矢は、 「西陣のことは、我々より浜口さんの方がよく知ってるじゃありませんか? お知りあいも多いようですし、西陣のことを研究されたことがあるときいていますが」  と、いった。 「表向きだけですよ。小林家も、直接知っていたわけではなく、知人からきいているだけですから」  そのとき、「あ、奥さん」と、麻子が小声でいった。     5  キャサリンがふりかえると、小林加代が階段を上って来たところだった。  眼を伏せるようにして廊下を歩いてくると、キャサリンたちに黙礼して部屋に入っていった。 「彼女も、呼んだんですか?」  浜口がきくと、狩矢は、 「呼んだのは小林さんですよ」  と苦笑した。 「小林さんがですか?」 「電話を貸してくれというので、弁護士にでも連絡するのかと思ったら、奥さんにかけて迎えに来いって命令してましたよ。……ついでですから、奥さんにも事情をきいてきます」  と、部屋に入って行った。 「そろそろ引き揚げましょうか?」  浜口は二人に声をかけた。  三人が東山警察署の外に出たとき、昨日行ったお茶屋のおかみがタクシーであわただしく乗りつけてきたのにぶつかった。おかみは、浜口たちを見つけると、すがるような眼をしてそばへやって来た。 「もう、えらいことで、動転してしもうて……」 「市花さんは何かいってませんでしたか? 誰かに脅かされているとか、妬《ねた》まれているとか」  キャサリンがきいた。  おかみはとんでもないというような顔をして、 「ぜんぜんそんなことあらしまへん。小林はんともうまくいってましたし……」  といってから、浜口の方をむいた。 「浜口はん、市花ちゃんを殺したのは、誰ですやろ? 教えとくれやす」 「警察もまだ見当がつかないみたいだね。もちろん、僕もわからない」 「そうどすか……」  おかみはそういうと、小走りに部屋の中に入っていった。  寺院建築を見に行くという麻子と、警察の前で別れて、キャサリンと浜口は祇園の方へ歩いて行った。  朝晩は寒さを感じるようになっていたが、昼間、陽が当るとあたたかかった。  秋と冬が同居している感じだった。  一力《いちりき》の前を通って、歌舞練場の方に歩いていく。昼間は舞妓の姿もなく、ひっそりとしている。 「小林さんの息子さんて、どんな人なの?」  歩きながらキャサリンがきいた。 「あれっ、またいつもの探偵癖ですか?」 「イチローまでそんな。だって、これは、私たちが巻き込まれてしまった事件なのよ。ひとごとじゃないわ」 「まあいいですよ。僕は会ったことがないけど、同じ京南大学の西くんの友だちで、話はよくきいています。彼は、東山五条に住んでいて、証券会社につとめているんです。背の高い、ハンサムな坊っちゃんタイプの男性だそうですよ」 「狩矢警部は、市花さんは妊娠していたといっていたわ。すると、小林さんは、多分、自分の子供として認めるでしょうね。それを何というんだったかしら?」 「認知する、でしょう?」 「そう、そうすれば、その子供にも、財産相続権が出来るわけね。それが腹立たしかったともいえるわ。実の子供の自分は、外に出ていて冷たくされているのに、芸妓の子供が、父親の子として大切にされるというのは。でも、彼が、市花さんの妊娠を知る機会はあったのかしら?」 「それはあったと思いますね。小林さんは家でも平気で市花に子供が出来たことを言ったと思うし、あの家には、先妻の時からいるお手伝いの|その《ヽヽ》という女の人がいて、和彦くんの味方ですから」 「カズヒコというのが、その息子さんの名前なの?」 「そうです。小林和彦です。彼のところには|その《ヽヽ》さんが、ちょいちょいものを運んでいるらしいって、友だちがいってました」 「加代さん、和彦さん、どっちもあやしいわ」  キャサリンは首をひねる。 「困りましたねえ」  浜口が当惑したようにいった。  東山通りに出て、しばらくして、浜口が立ちどまって、指さした。 「あれが、市花さんが住んでいたマンションみたいですね。狩失警部が、『祇園ハイム』といってましたから」  それは、煉瓦貼りの洒落たベランダのついたマンションだった。     6  隣りにある寺のクラシックな感じと妙にマッチしたマンションを見ながらキャサリンがいった。 「何となく、彼女が興味を持ちそうな建物だわ」 「そういえばそうですね」  浜口もうなずいた。 「中を見たいわ」 「中って、あの芸妓が殺されていた部屋ですか?」 「イエス」 「ミスター・狩矢がいたら、また、探偵の虫が出たって苦笑するんじゃありませんか」 「私は、ああいう日本的な芸者さんが、どんな部屋に住んでいるのか、興味があるだけだわ」  キャサリンがすましていった。  もちろん、それだけで、キャサリンが、部屋を見たい筈はないのだ。 「見せてくれるかどうかわかりませんよ」  浜口はいいながら、マンションに入っていった。  風致の規制があるので、五階までしか建てられないその最上階に、エレベーターであがっていくと、廊下に、見覚えのある刑事が立っていた。  橋口警部補だった。  キャサリンは、うれしそうにかけ寄った。 「ミスター・橋口、現場を見せて下さい」  橋口は金髪美人のキャサリンに迫られて、困ったような、それでいて嬉しそうな顔で、 「困りますねえ。現場を保存するためにこうしているわけですから」  と、いったが、結局は見せてくれた。  4LDKで、洋風と和風が一体になった感じだった。  壁にゴブラン織りが掛っているかと思うと、長火鉢が置かれていたりする。 「今度の事件を、ミスター・橋口は、簡単だと考えているわけ?」  キャサリンは、冷やかすように、橋口にいった。 「事件に簡単なものはありませんけどね。まあ、今回の事件は、物盗りの犯行ではないし、被害者と顔見知りの人間が犯人だと思いますから、一つ一つ消していったら、しまいには、犯人にたどりつけると思っています。遺留品もありますし……」 「ああ、あの匂い袋?」 「そうです。あなたが、証言して下さったので、小林夫人に話をききました」 「何といってました?」  キャサリンが躯《からだ》を乗り出した。 「この通りありますよと見せてくれました。同じ布地の匂い袋でしたが、赤い紐がついてました。被害者が持っていたのは黄色い紐がついていましたが」 「あっ、それおかしいわ」  キャサリンが叫んだ。 「どうしたんですか?」 「あの時、彼女がつけていたのは、黄色い紐だったわ。絶対赤い紐じゃないわ」 「本当ですか?」  橋口が、真剣な顔になった。 「イチロー、覚えていない?」 「さあ、僕は気がつかなかったね、麻子さんはどうだろう?」 「彼女は今どこにいるのかわからないわ。お寺を見るといっていたから」  キャサリンは考え込んでいたが、突然、 「あっ、そうだわ」  といった。 「あのとき麻子さんが、写真を撮ったでしょう? 私とイチローと、奥さんと小林さんとで、交代して。次には、私が撮ったわ。あの写真を見たら、匂い袋が写ってる筈だわ」 「それはいい、彼女がホテルに帰った頃をみはからって連絡してみます」  橋口が興奮していった。 「もし、写真に写っているのが黄色だったら、奥さんは嘘をついていることになるわ。その場合、奥さんは、あの匂い袋をなくしたのに気がついて、同じ模様の匂い袋を買うか、もとから持っていて、それを橋口さんに見せたんだわ」  浜口は、心配そうな顔で二人のやりとりを見守っている。  部屋を一通り見終ると、キャサリンと浜口は外へ出た。  第三章 離れ座敷の死体     1  浜口もキャサリンも、殺された市花の葬儀を、誰がやるのかに、大いに興味を持っていた。  彼女は、いわばお妾《めかけ》である。まさか、彼女の葬儀を、本宅でやるわけにはいかないだろう。しかし、彼女は身よりがないときいている。  置屋のおかみあたりが喪主となって、ひっそりとやるのだろうかと思っていたが、意外なことに、小林総左衛門の名前で堂々と行われたのである。  しかも、すべてを取りしきったのが、妻の加代だということに、さすがに浜口も二度びっくりしてしまった。  葬儀は、東山のS寺で行われた。  小柄な加代は、黒い喪服に身を包み、甲斐《かい》がいしく動きまわった。  肝心の小林総左衛門は、終始、難しい顔で坐っているだけである。  寺への挨拶も、葬儀の通知も、参列者への挨拶も、すべて加代がやっていた。 「彼女の心理は、私には不可解だわ」  とキャサリンは、葬儀に参列しながら、浜口にいった。 「京都人のことを知っている僕でも、あっけにとられています」 「何だか、彼女、家で見た時よりいきいきしているみたいだわ」 「そうですね」  浜口にもそう見えた。  舞妓や芸妓や、お茶屋のおかみさんたちもやって来た。  彼女たちの中には、キャサリンが、日本語がわからないと思って、顔を寄せ合って、小林家のことなどを、あれこれうわさしあっているものもいた。  ただ、加代のことは一様にほめていた。 「ほんま腹が立つやろに、立派な人どすなあ」 「市花ちゃんも、コーさんに世話にならはって幸せやったなあ」 「あんなええ奥さんあらへん」  そんな言葉のあとで、急に、声をひそめて、 「ひょっとしたら、あの奥さんが殺さはったのと違うやろか」 「市花ちゃん、妊娠してたということやけど、それで、子供の出けへん奥さんが、かっとしはったとちがう?」  などといったりもしていた。  狩矢たちも、小林加代に疑いの目をむけているようにみえたが、すべては葬儀が終ってからと思っているようだった。  栗田麻子も、S寺にやって来た。  浜口とキャサリンがいるのをみつけると、ほっとした顔をしてそばに来て、 「お焼香した方がいいのでしょうか?」  と、小声できいた。 「もちろんですわ。私たちはもうすませました」  キャサリンがいった。  麻子はうなずいて、列に並んだ。 「息子の和彦は来ないね、当然だろうけど」  浜口が、列をみながら英語で話しかけた。他人にきかれないためだ。 「まあ、父親や継母《ままはは》に反撥して家を出た人だから、こんな時に来るはずはないと思ってたけど」 「どんな人か見てみたいわ」  キャサリンも英語でいった。 「どうして?」 「だって、彼は容疑者の一人だわ。市花さんが父親の子供を生むときけば、危機感を覚えるにきまってるわ。他に子供がなければ、ソーザエモンだって彼に戻ってきて欲しいと思うだろうけど、子供が出来てしまえば、財産もとられるし、うとまれると思うに違いないわ」 「なるほど」  葬儀がおわり、挨拶したのも、小林ではなくて、加代だった。 「本日は、ご参列いただいて有難うございました」  といって頭をさげる簡単なものだったが、常識からいうと妙なものだった。  当主の不始末の尻ぬぐいをする賢夫人の感じがないではないが、勘ぐれば、自分を疑っている警察にむかって、「こんなことまでする私が、犯人の筈がないでしょう」と、主張しているようにも見える。  棺が焼場へ行くのを、キャサリンと浜口は見送った。  同じように見送っている狩矢に向って、キャサリンが、 「ミスター・狩矢。匂い袋の紐が違っていたこと、彼女にきいてみましたか?」  と、きいた。 「ああ、ききました。彼女は、ああいう匂い袋をいくつも持っているので、黄色い紐のもありますといって、出して見せてくれました。確かに、同じような模様で、黄色い紐のもありましたが、栗田さんに借りた写真に写っているものかどうかは、小さくてわかりません」 「あわてて、同じものを買って来たということもありますね。彼女が匂い袋を買う店はきまってるんですか?」 「いや、きまってないそうです。でも、同じ柄のを売っている店を探して歩いた結果、祇園の四条通りで売っていることがわかったので、きいてみました。小林夫人は、被害者が死んだ翌日、匂い袋を買いに来て五個ほど買っていったといいます。その中に、黄色い紐があったかどうかわからないそうです」 「刑事さんにきかれ、匂い袋をおとしたことに気がついたので、あわてて買いに行ったんじゃないかしら? 五個も買ったのは、どれが必要かをカムフラージュするためだわ」  狩矢は、何もいわずうなずいていたが、 「まあ、葬儀がおわったら、ゆっくり話をきいてみようと思っています」     2  市花の遺骨は、置屋のおかみが引きとった。小林家としても、さすがに、遺骨まで、自宅に置くわけにはいかなかったのだろう。  葬儀の翌日、キャサリンは、無理にせがんで、浜口に、小林和彦と会わせて貰った。  彼の勤める会社の昼休みに、近くの喫茶店でである。  三十歳というが、独身のためか若々しく、なかなかハンサムな男だった。 「証券会社につとめていらっしゃるそうですが、私も株には興味を持っています。今どんな株がいいんですか?」  キャサリンがきいた。  浜口は、キャサリンが株をやりたいので、話をきかせてやって欲しいといって呼び出したのだ。  まさか、殺人事件でお宅の家のことをききたいとはいえないからである。 「そうですね、再開発関連株とか、内需関連株、それから、日立、松下、東芝など……失礼ですが一体、いくらぐらいの予算で株をやられるつもりですか?」  彼は、あまり気のなさそうな顔でいった。 「五千万円くらい」 「えっ、五千万円? 若いのに随分お金をお持ちですね。株をやるのに、五千万や一億持って来る人は珍しくないけど、あなたのような若い女性が……」  和彦は、急にキャサリンに関心を持ったようだった。  キャサリンの家が、世界でも有数な富豪で何百億でも何兆でもお金があるのだと知ったら、彼はびっくりするだろうなと浜口は思った。  彼は熱心に株の説明をはじめた。  色々きいたあと、キャサリンは、 「あなたも、株をやっていらっしゃるの?」  と、きいた。 「そんな金ありませんよ。サラリーマンですから」 「でも、お父さまは、有名な西陣のソーザエモンさんだってききましたわ。お父さんはお金持ちなんでしょう?」 「父とは関係ありませんよ。僕は家を出てますし……」  彼は吐き捨てるようにいった。 「私、市花さんのお葬式に行きましたわ。お母さんが一生懸命世話をしてらして。あなたは来られませんでしたね?」  キャサリンがいうと、よけい彼の顔が歪んだ。 「あんな葬式に僕が行ける筈がないじゃありませんか、父親の妾の葬式ですよ。加代さんがそれに走りまわるなんて、みっともない」 「お父さんが嫌いなんですか?」 「正直いって嫌いですね。父も株を少々やってますが、僕の店ではなく、わざわざ別の店でやっているのです。それに、今、不景気で借金もあるのに、女にマンションを買ってやったりして。めちゃくちゃですよ」 「君は、市花さんに会ったことはあるの?」  浜口がきいた。 「二度ばかり会っています。おやじが珍しく、株を買う客を紹介するといって、お茶屋に来るようにいった時に会ったのが最初です。離れていても、やっぱり僕のことを考えていてくれるのだなとほろりとして出むいたら、確かに、ある会社の社長を紹介されましたが、それはつけ足しでした。あの芸妓を身受けすることになっていて、引き合わせるのが目的だったんです」 「もう一度は?」 「彼女に、おやじと別れて欲しいと言いに、マンションに行きました。おやじは今、商売が不景気で借金までしているのに、彼女にどんどんつぎ込んでいると、お手伝いの女性にきいたものですから」  彼にも、浜口たちが、株の話だけでなく、家庭の事情をききにきているのが目的だとわかったようで、あっさりと話した。 「家に戻る気はないんですか?」  浜口がきいた。 「戻りません。でも、僕はあの家の長男ですから、いずれ、財産についてははっきりさせたいと思っています。父が死んで、継母《はは》に二分の一も財産がいくなんて許せない」 「でも、財産ていっても、さっき、借金があるっていったでしょう? 借金を相続するんですか?」  キャサリンがいった。 「現金はもちろんありませんが、土地がありますからね、千五百坪はありますから、借金を払っても、相当な額になります。父が死んだら、僕は、土地を処分して、その金で一生に一度の株を張りたいと思っているんですよ。そのために、今、一生懸命、株の勉強をしています」 「そんなことあまり人にいわない方がいいわ」 「どうしてですか?」 「あなたが、市花さんを殺した犯人だと思われるわ」 「平気ですよ、僕は殺人なんかしてないから。殺すなら、あんな芸妓なんかじゃなくて……」 「加代さんを殺す!」  キャサリンが間髪《かんはつ》を入れずいった。 「アハハ、冗談ですよ」  そのとき、喫茶店のマスターが、 「小林和彦さーん、いませんか?」  と大声でいった。  和彦が手をあげて、カウンターの方へ歩いていった。  どうやら、電話が入っているらしい。会社に掛って来たのをまわしたのだろう。  浜口が見ていると、和彦は受話器をうけとって、何か話しているようだったが、急に、堅い表情になり、そのままの表情で、戻って来た。 「継母《はは》が死にました」  和彦が、ぽつりといった。  一瞬、浜口は、ぽかんとしていたが、すぐに、 「それ、加代さんのことですか?」  と、いった。 「そうです。自殺したといってました」 「でも、なぜあの人が……」 「わかりません。とにかく家に帰ります」  さすがに和彦の顔は蒼ざめていた。 「私たちも行っていいかしら?」  キャサリンがきいた。 「なぜ?」 「先日伺ったとき、親切にして頂いたから」 「好きなようにして下さい」  和彦は、いうなり、あわただしく店を出ていった。  キャサリンが、興奮していた。 「信じられないわ、あの人が死んだなんて」 「でも、キャシイ。昨日の葬儀の時の彼女の様子は、どこか異常だったと思わない?」 「じゃあ、自殺だというの?」 「かも知れません。その場合は、昨日から覚悟してたんじゃないかな」 「お妾さんの葬儀を、平然と取りしきっていたから?」 「イエス、後始末をきちんとすませてから死んだんじゃないかな。そうなると、女道楽ばかりしていた夫への無言の抗議ということになりますね」 「とにかく、行ってみましょうよ」  キャサリンは、浜口を促した。  タクシーを拾って、二人は西陣の小林邸へ向った。  家の前まで来ると、京都府警のパトカーが、二台とまっているのが見えた。どうやら、狩矢たちも、驚いて駈けつけたらしい。  近所の人たちも、そっと門から中をのぞいている。  浜口とキャサリンが中に入っていくと、途中で、制服姿の警官にとめられた。 「僕たちは、小林さんの知り合いなんだ」  と、浜口が警官と押し問答しているところへ、狩矢警部がやって来た。 「あ、狩矢さん」  浜口が声をかけると、 「その人ならいいんだ。入ってもらいなさい」  と、いってくれた。  現場は、別棟の離れだった。  和服姿の加代が、畳の上に、横むきに倒れているのがみえた。両足が友禅の紐でしばってある。  鑑識が、盛んに写真をとっていた。  さっき別れた和彦が、呆然と、部屋の隅に立っていた。 「自殺なんですか?」  と、キャサリンが、声をひそめて狩矢にきいた。 「断定は出来ませんが、状況は自殺のようですね、遺書もあります」 「遺書があるんですか?」 「そうです」 「見せて頂けませんか?」 「まず、ご主人の小林さんに見せなければなりませんから。内容は、これで、全ておわりましたという内容です」 「誰にむかって書いたものなんですか?」  と、浜口がきいた。 「もちろん、ご主人宛てですよ」 「そのご主人は、どこに行ったんですか?」 「同業者と、朝早く、ゴルフに出かけたということです。どこのゴルフ場かわかっているので、今、連絡を取っています」 「呑気なものですね」  浜口が腹立たしげにいった。 「いろいろと他人《ひと》の口がうるさいので、逃げ出したのかも知れませんね」  狩矢がかばうようにいった。 「毒死みたい」  キャサリンが、死体をみつめていった。 「青酸性化合物による毒死です」 「発見者は誰なんですか?」 「お手伝いの女性です。彼女は、朝ご主人を送り出したあと、買物に出かけていて、帰って来てからも気がつかずに、昼食の時間に、探しに行って発見したんです。部屋は、内側から閉まっていて、呼んでも応えがなかったので、裏にまわってガラス戸から中をみると、奥さんが倒れていたので、あわてて110番し、息子さんにも連絡したようです」 「密室ですか……」  キャサリンが呟《つぶや》いた。  多分、狩矢が自殺説をとっているのも、身だしなみとして両足をしばっていたことや、遺書と共に部屋に戸締りがしてあったことがあるのだろう。 「警察は、彼女が、芸妓さんを殺した犯人で、そのために自殺したと思っているんじゃありませんか?」  キャサリンが、狩矢にいった。  狩矢は、苦笑した。 「そんなことは、まだ考えていません。これから考えるかもしれませんが」 「遺書には、市花さんを殺したとは書いてないんでしょう?」 「ええ、それはありません。でも、遺書に事実を書くとは限りません。人間は、自分の死を飾ろうとしますからね」 「警部、終りました」  鑑識がいい、引き揚げて行った。  死体も、担架に乗せて、警察の車で運ばれて行ってしまった。     3  狩矢は、まだ残って、部屋の中を見まわしている。  浜口とキャサリンも、つられて部屋の中を見まわした。  部屋のまん中に炉が切られ、釜に湯がわいていた。  抹茶の入った茶碗がころがり、茶筅《ちやせん》や、ふくさなど茶の道具が並べられていた。 〈彼女は、お茶を点《た》てて、その中に毒物を入れて飲んだのだろうか?〉  浜口は、思った。  キャサリンも同じことを考えたらしい。 「京都の女性は、お茶を点ててから、自殺するものなのかしら?」 「そんなことはありませんよ。でも、最後にお茶を飲んで心を落着けて遺書をかき、そのあと、毒を入れたお茶をもう一服飲んで死んだのかもしれませんね」  狩矢が、部屋を出て行ったあと、キャサリンは、仕事柄、いつも持っているカメラで、素早く部屋の写真を写した。 「ねえ、イチロー、彼女が、夫の愛人を殺して、覚悟の自殺をしたのだとしたら、事件はこれで終ったことになるわ」 「何だか、不服そうですね」 「あまり簡単に結末を迎えすぎると思うわ」 「しかし、現実の事件は案外簡単なものなんじゃありませんか」  浜口がいったとき、表で車のとまる音がした。  やがて、あわただしい足音がして、小林総左衛門が入って来た。  ずっと和服ばかり見ていたのだが、今日の彼は、洒落たゴルフウェアだった。  それが、意外に、この老人に似合っていた。 「加代が死んだって本当なのか!」  小林は、吠えるような声で叫んだ。 「その通りです」  狩矢が、落着いた声でいった。  小林は、部屋を見まわし、死体がもう運び去られたのを見ると、急に、がっくりしたように、肩をおとした。 「これが、あなた宛の遺書です」  小林はふるえる手でのろのろと封筒をあけ、読みはじめた。  浜口は、小林がどんな反応を示すか、興味を持って見守った。それによって、何が書かれているのか、大体の見当がつくと思ったのである。  小林は、読み終ると一瞬、空をみつめ、やがて封筒と一緒に中身の便箋まで放り投げた。 「人さわがせなことをしおって……」  しかし、突っ立ったその姿は淋しそうで、孤独だった。  狩矢が小林の投げ捨てた遺書を拾いあげ、 「いろいろとお聞きしたいことがあるんですが」  と、彼を部屋から連れ出した。  浜口とキャサリンは、庭下駄を突っかけて庭に出た。  初冬の陽が庭一杯に降りそそぎ、木々が紅葉している。 「夫婦関係は、冷え切っていたみたいね」  キャサリンがいった。 「それは、彼が、彼女の死を知ってもとり乱さなかったから?」 「イエス」 「遺書の中に、夫を非難するようなことが書いてあったかもしれないよ。それに、あのくらいの年齢の日本の男性は、面子《メンツ》にこだわりますからね」 「面子にこだわるって?」 「妻に自殺されるなんてみっともないことだし、その上、僕や、君みたいな第三者がいた。だから、彼としては、カッコがつかなくなって、あんな言葉を口にしたんじゃないかと思うんですよ」 「じゃあ、イチローは、夫婦仲はよかったと思うの?」 「いや、よかったとはいわないけど、キャシイのいうように冷え切っていたとも思わないんだけど」 「じゃあ、なぜ、あの奥さんは、自殺したのかしら?」 「ミスター・狩矢にいわせれば、彼女が、市花を殺して、その責任をとったということになるんだと思うよ」 「遺書には、市花さんを殺したことは書いてなかったと、ミスター・狩矢はいっていたわ」 「遺書を見たいな」 「同感だわ」 「ミスター・狩矢に話してみるよ」  と、浜口はいった。  狩矢は、受取人の小林が投げ捨てたものだから、その時に見たのだといえばいいと勝手な解釈をして、問題の遺書を、浜口とキャサリンに見せてくれた。  便箋に細い字でそれはきれいに書かれていた。     4  私が、小林家へ来てから十二年、いろいろお世話になりました。  でも、今回ばかりは、ショックを受けました。  あなたにとって、私は一体何だったのでしょう?  すべてが終わった感じがします。  覚悟はしていたことですが、現実のものになると、やはり動揺します。  私のわがままを許して頂きたいと思います。 加 代  ご主人様 「これが遺書ですか?」  浜口が狩矢にいった。  キャサリンも、何回も読み返している。 「遺書というより、置手紙みたいな気がするわ」 「その通りです。遺書といえば遺書に思えるし、置手紙といえば、置手紙のような気がします」  狩矢は、素直にいった。 「それなら、何故警察は、これを遺書と断定したわけですか?」  浜口が、とがめるようにいった。 「断定したわけじゃありません。ただ、こういうことはいえるんじゃありませんか? ここに、『さようなら』とだけ書いた手紙があるとします。書いた人間が、旅立ってしまったら置手紙になるし、もし、死んでしまえば、遺書になる。そうでしょう?」 「それと同じことだというわけなの?」  キャサリンがきいた。 「そうです。だから、もし、奥さんが家を出たというのなら置手紙です。別れる意志を書き残したという……。しかし、彼女は現実に、この手紙を書いたあと死んでいるんです。それに、今きいたのですがこの奥さんは、過去に、自殺しようとしたことがあるんですよ。お手伝いさんの話では」 「本当?」 「奥さんは、子供が欲しかったのに、子供が出来なくて、その上、ご主人の女遊びがはげしいので、絶望的になり、睡眠薬を多量にお手伝いさんに買いにやったことがあるそうです。机の上の睡眠薬をみつめて、じっと坐っている奥さんをみて、お手伝いさんが、あわててご主人に電話をかけ、奥さんをとめたということです」 「でも、実行はしてないわ。それほど思いつめていることを、ご主人に知って欲しかっただけじゃないかしら」  キャサリンは、自殺ということに疑問を感じているようだった。 「前のときはとにかく、今回は、遺書があり、部屋も戸締りされていたし、足をしばって乱れないようにしているので、状況は覚悟の自殺と思われます。芸妓の市花を殺したのではないかという疑いもあるので、動機もあります」 「じゃあ、この事件は自殺として処理されるんですか?」 「あとは毒物の入手経路です。それがわかれば、一層はっきりすると思いますね」  そういうと、狩矢は府警本部へ戻るために出ていった。  浜口とキャサリンも外へ出た。 「とにかく驚きましたね。会ったばかりの人が続けて二人も死ぬなんて、それも病死じゃなくて変死です」  浜口が、キャサリンにいった。 「息子の和彦さんは、どこへ行ってしまったのかしら? すぐに姿が見えなくなってしまったけど」 「父親が帰って来るのといれちがいに、どこかへ行ってしまいましたね。父親と顔を合わせたくなかったのかもしれないし、彼に忠実なお手伝いの部屋へ行って話をしているのかもしれませんね」 「継母《ままはは》が死んだことで、あの息子さんが家に戻りやすくなったことは事実ね。私の勘では、そのうち、あの息子さんは家に戻ってくると思うわ。父親の方だって、一人ぼっちになったら、口では何といっても一人息子に家に帰って欲しいと思うでしょうし、あの家には、彼の味方のお手伝いさんがいるのだから帰りやすいわ」 「そうでしょうか。何年も家を出ているのに、そうすんなりとは戻らないと思いますよ、男には、意地がありますから」  浜口は、車をスタートさせた。 「でも、あの息子さんは、財産に執着を持っているわ。証券会社につとめてみて、はじめてお金の力というものを感じたのじゃないかしら? 親に反撥しながら、親の財産だけはアテにするというのは、今の若者に共通する性格だわ」 「やっぱり新人類ですかね」  浜口は苦笑した。  第四章 密室殺人?     1  小林加代の遺体は、京大病院で解剖された。死因は、やはり、青酸性毒物による中毒死で、死亡推定時刻は午前十時から十一時の間だった。  主人の小林総左衛門がゴルフに出かけたのが、午前八時。お手伝いが外出したのが九時半から十一時で、その間に死んだことになる。  自殺と考えれば、加代は人のいなくなった静かな時間に、夫宛ての遺書を書き、お茶を点てて、足をしばってから、服毒して死んだということになる。  死体の傍にあった茶碗からは、抹茶にまざった青酸性毒物が検出された。  翌日、加代の遺体は西陣の家に戻り、通夜に続いて葬儀が行われた。  市花の葬儀のときには、参列者も限られていたが、今回は、西陣の有力者の妻の葬儀ということで、参列者が、ひきも切らなかった。  警察は、加代の遺書を、マスコミには発表しなかった。  殺人事件と断定されれば、発表しただろうが、今は、自殺の線が強かったからである。  新聞には、病死の扱いで、心不全と書かれていた。  京都の旧家では、自殺などという不名誉なことは伏せ、病死ということにするのが慣例になっているらしい。  参列者のすべてが、病死というのを信じていたかどうかはわからないが、人々の間からは、残された夫に対して、「お気の毒に」の言葉がささやかれていた。  浜口とキャサリンも参列した。 「随分、参列者が多いのね」  と、キャサリンはおどろいていた。  庭にも道路にも、黒い喪服の列があふれていたからである。 「こんなときの京都人は、律義なんですよ。義理とか、つき合いを大切にしますからね」 「あの息子さんは、まだ、あらわれないわね」 「来ない筈はないですよ。一応母親なんだから」 「来にくいのかしら? 今何時?」 「二時十分。三時までに来ないと棺が出てしまいますね」  二人は表の方に様子を見に行った。その鼻先でタクシーがとまった。  降りて来たのは、今うわさしていた和彦だった。 「あ、よかった」  キャサリンがいったとき、もう一人が降りて来た。  それは栗田麻子だった。 「どうしたの? 一体」  キャサリンは目を大きく見ひらいていった。 「今日、河原町の喫茶店で偶然お会いしたんです。私と建築関係の大学の先生が、お茶を飲んでいたら、黒いスーツを着たこの方が、深刻な顔をして考え込んでいらっしゃるんです。大学の先生が、小林さんの息子さんだといっておくやみをいわれたので、私も御挨拶したんです」  麻子は、ちょっと恥ずかしそうに弁解した。 「彼女に説得されて来ることにしたんですよ」  和彦はそういうとさっさと中に入って行った。  麻子はキャサリンに、 「あの方、葬儀に出ようかどうしようかと迷っていたみたい。それで、出た方がいいとおすすめしたんです。だってあの方は、黒いスーツを着ていたんですから、内心では出るつもりなんだと思いましたから」  といい、焼香のため家の中に入っていった。  一日おいて、浜口がキャサリンを乗せて、東山警察の前を通ると、狩矢警部が中へ入っていくのがみえた。 「ミスター・狩矢だわ」  キャサリンがいい、浜口は車をとめて、二人で中に入っていった。  狩矢警部は、「祇園のマンションにおける芸妓殺人事件捜査本部」と書かれた部屋の中に入って行った。 「あら、まだ、この捜査本部は解散してないのね」  キャサリンが見上げていると、狩矢警部が出て来た。 「おやっ、何か用ですか?」 「いや、通りかかったら狩矢さんが入って行くのが見えたので、つい入って来たんです」  浜口が答えた。 「じゃあ、コーヒーでもご馳走しましょう」  狩矢はそういって、近くの喫茶店から、コーヒーを持って来させた。     2 「まだ捜査本部は解散しないのですか?」  キャサリンが、いたずらっぽい顔で狩矢を見た。 「芸妓の市花を、小林加代が殺したという証拠がないし、加代さんの青酸カリの入手方法もわからないんですよ」  狩矢は、当惑したようにいった。  浜口はコーヒーをかきまわしながら、 「青酸カリというのは、意外に簡単に手に入るんですね。先日、新聞に学校の先生が理科の実験に使うんだといって、薬局で大量に買ったということが出てましてね、その人は自殺に使ったので、問題になったんですが」 「確かに、意外に簡単に手に入りますね。しかし、買う時は身分証明書がいりますし、その人が自殺したと知ったら、薬局が届け出てくるものですが」  狩矢も、コーヒーを飲みながらいった。 「すると、小林加代さんが、青酸カリを手に入れた様子はないんですか?」 「そうです。今のところ、京都中の薬局やメッキ工場に照会したのですが、反応がないのです」 「じゃあ、加代さんの死は、他殺の疑いもあると思っていらっしゃるんですか?」  キャサリンが、いきいきした顔になった。 「いや、それはまだ考えていません。ただ、市花を殺したのかどうかはまだわからないので、こうして捜査本部をおいて調べているのです。加代さんの方も、他殺だとすると、加代さんと市花を殺した犯人は、同じ犯人ということになりますが、その場合、動機があるのは誰かということも考えてはいますが……」 「小林和彦さんのことをいってるんですか?」  キャサリンがずばりといった。 「いや、そうはいってません。あなた方は、彼に会われたようですが、どんな男だと思いましたか?」  狩矢の目が真剣になった。  それは、彼が和彦に注目していることを示していた。  キャサリンは正直に彼に対する感想を述べたあと、 「そういえば、加代さんも、市花さんも殺されたのだとしたら、一番疑われるのは、和彦さんですね」  と、いった。 「ほう、何故ですか?」  狩矢は、わかっているくせにわざとしらばくれた。 「彼は父親と不仲だったし、継母の加代さんを憎んでいた。また、借金があるのに父がどんどん芸妓に金をつかうのも許せないと思っていた。その芸妓と継母が死んで、一番喜ぶのは和彦さんだからだわ。彼は、家を出たくらいだから、家の財産には無関心かと思ったら、反対で、財産にすごい執着を持っていたわ。彼は、父親が死んで財産が自分のものになったら、それで、株の大勝負をしたいといってましたから」 「だからといって、彼が、二人の女性を殺したとは思えないよ。彼が本当に犯人だったら、そんなことは言わず、財産に関心がないというと思うんだけど」  浜口がいった。 「お二人の見方は、両方とも当っていると思います。彼は、金持ちの息子らしく、我ままなところや怒りっぽいところがあるけど、自分の思っていることを正直に話してしまう育ちのいいところもあります。その一方で、父に反撥しながら父親の財産をアテにしているところもあって、なかなか興味深い人物だと思いますよ」  狩矢は、そういってコーヒーを一口のんでから、 「その小林和彦ですが、昨日、北山通りを若い女性と楽しそうに歩いているのを、うちの刑事が見たといってましたよ」  と、いった。 「多分、栗田麻子さんだわ」  キャサリンがいった。 「栗田麻子というと、市花が殺されたとき証言して貰った女性ですか?」 「イエス」 「二人はどうして知り合ったのかな?」  キャサリンは、葬儀の日に、二人が喫茶店で会ったという話をした。 「ほう、そういうことがあったんですか」  狩矢は面白そうにいった。 「一昨日《おととい》、小林家へ行ったら、息子の和彦がやって来たので、父親と和解したのかと思ったんですが」 「その中に、本当に和解すると思いますわ。二人を反目させた後妻の加代さんと、市花さんがいなくなったんですから」 「恋人が出来たら、男も変りますからね。結婚したくなるし、そうなると、結婚式の費用もいる、欲が出て来ますからね」  狩矢は、ぼそっといった。     3  浜口とキャサリンは、東山警察署を出て、車のところに戻った。 「あの二人、つき合ってるんだね、知らなかったなあ」 「お似合いだわ、彼はなかなかハンサムだし、彼女は美人だから」 「僕は、彼は家に帰った方がいいと思っているんですよ。奥さんが死んで、小林さん一人ですからね、お手伝いさんがいるといっても、何かを相談できるという相手じゃない。やはり、息子がいる方がいいと思う」 「ソーザエモンさんは、戻って貰いたいと思っているのかしら?」 「強がりをいっているけど、あの年になれば、気も弱くなっていると思うね」 「二人の間に、緩衝《かんしよう》地帯として、麻子さんが入ってくれば、上手くいくんじゃないかしら?」 「いい考えですね。彼女なら、才気もあるし人の気持もよくわかるから、父親と息子の仲をうまくとりもつと思いますよ」 「和彦さんと彼女と、どっちがより強く愛しているかしら?」  キャサリンは、女らしい質問をした。 「さあ、どっちかな。まだ、愛し合うところまでいっていないんじゃないですか。好意を感じはじめているぐらいのところだと思うけど」 「今度、彼女に会って聞いてみるわ。二人の愛はどんなものなのか」  キャサリンがいった。 「変な質問をして、折角の恋人ムードをぶちこわさないで欲しいな」 「そうだわ、イチローは、和彦さんに会ってみて。彼が麻子のことをどう思っているのかきいてみてくれない?」 「なぜ、そんなことするんですか? 二人のことは、二人に任せておけばいいのに」  浜口は、軽く眉をひそめていった。  いつもの、キャサリンらしくない提案だと思ったからである。  恋愛に興味を持つのは、キャサリンも、他の若い女性と変らないが、個人主義の発達しているアメリカ人らしく、いつもは、他人のプライバシイには冷たすぎるほど立ち入らないキャサリンだからである。 「とにかく、興味があるの、お願い」  キャサリンがいったので、浜口は、仕方なく、翌日、小林和彦を訪ねた。  口実がないと会いにくいので、キャサリンのお金一千万円をあずかって、株を買うことにした。  キャサリンは、そのお金を、アメリカの父親から送って貰ったのである。  会社に行って、金をあずけ、キャサリンの希望する株の指値《さしね》をして、買って貰うようにたのむと、さすがに、和彦はうれしそうな顔をした。 「どうも有難うございます。本当にこんなにすぐに株を買って頂けるなんて思ってませんでした。最近は、ひやかしの客が多いですから」 「じゃあ、株の成功を祈って、前祝いに軽く食事をしましょうか?」  浜口が誘うと、彼は、ちょっと待って下さいといって、どこかに電話をかけてから、 「じゃあ、お供します」  と、いった。 〈彼女と約束があったので、電話をかけたのだろう〉  と、浜口は思った。  二人は、花見小路の歌舞練場前の小料理屋に入った。  オードブル風の口とりが出て、まず、ビールを注いで乾杯する。 「株が上りますように」 「有難う」  二人は、しばらく株の話をしたあと、浜口が、さりげなくいった。 「それで、家に帰るんですか? お父さんもなんとかいいながらもあなたをたよりにしているようにみえますよ」  すると、和彦が、激しく首を振った。 「なにがたよりにしているものですか。おやじは、もう新しい女を物色していますよ。気に入った女性がみつかったら再婚もするんじゃないですか、どうしても、自分の子供を生ませたいといってましたからね。数年前から」 「自分の子供って、あなたがいるじゃありませんか」  浜口は、不思議そうにいった。 「誰かがいいかげんなことを言ったのを信じて、僕を、自分の子じゃないと思っているんですよ。母は、父と結婚する前、父の友人の恋人でしたからね。結婚して月足らずで僕が生まれたので、疑っているんです。小さいときは、そうでもなかったんですが、五年ほど前、僕が盲腸を手術したとき、血液型が、母のいっていたO型でなくてA型だったことがわかったものですからね。父はO型で、母がA型だったのですから、僕がA型で別におかしくないのですが、母がどうしたわけか、この子はO型だと父にいっていたんです。検査が間違っていたのか、母が父におもねて父と同じO型だといったのか、今となってはわかりませんが、おやじはそれを、母が他の男の子であることをかくすために嘘をいったととったんです。ばかばかしいことですが、それ以来、よけい僕につめたくなりました。それで、本当の自分の子が欲しいと言うようになったのです」  和彦はビールを一口飲んでまた続けた。 「ですから、市花に子供が出来たと知ったときには、それは喜んでいましたよ」  和彦は、憮然とした顔でいった。     4 「お父さんの再婚はともかくとして、あなたの結婚はどうなんですか?」 「え、僕の結婚?」 「栗田麻子という人と楽しそうに北山通りを歩いていたと狩矢警部がいってましたよ」 「狩矢警部が? というと、僕は尾《つ》けられていたんですか?」  和彦は、顔色を変えた。 「いや、部下の刑事さんが、偶然みたらしいですよ」  浜口は、あわてていった。和彦はまだ割り切れない顔をしたままで、 「ええ。彼女とは、つき合ってますけど、まだ、三回会っただけですよ。結婚なんて話全然出てません。あのくらいの友だちなら、何人もいますよ」  と、ムキになっていった。  しかし、時間がたって酒が入るにつれて、だんだん、話がほぐれて来た。 「そうですね、栗田麻子という人は、感じのいい人ですよね、京都の女性とは違って意見をはっきりいうし、話をしていて面白い人ですね。彼女は、株のこともよく知っていて、ゲームをしましょうというんです」 「どんなゲームですか?」 「彼女がいうには、私はお金を持っていないから、本当の株は買えないけど、架空で、自分がこれと思った株を何万株か買ったことにして、何日目かにその結果を見て楽しむことをしているというのです。それで、二人でそれぞれ架空の株を買ったことにして、どっちがもうけるかゲームしましょうというんです。ささやかで、楽しいゲームでしょう? 負けた方が勝った方に食事をおごるというものです」 「楽しそうですね」 「楽しいですよ、僕はプロだから、架空の話なんかつまらないと思っていたけど、彼女とゲームするのは面白いと思って、すぐに、はじめましたよ。一週間後にどっちが上っているか興味がありますよ」 「やっぱり、あなたは相当、彼女に好意を持っていますよ」 「そうでしょうか」 「彼女の方は、どうなんでしょうね」 「さあ、どうなんでしょう?」  和彦は、すっかり恋する若者の顔になっていた。  その頃、キャサリンも、栗田麻子と、河原町通りで、寿司をつまんでいた。 「京都の建物は、だいぶ見られましたか?」 「ええ。やっぱり京都は素晴らしいですわ。戦災にもあってないし、古い建物がたくさんあって……」  二人は、ビールを飲み、ウニやトロを注文してしばらくは、ファッションの話や、京都の食べ物の話などしていたが、ふと気がついたように、麻子がいった。 「あら、今日はイチローさんは?」 「彼は、今、ある人と会ってるの。誰かわかりますか? あなたの知ってる人よ」  キャサリンは、いたずらっぽくいった。 「さあ、誰でしょうか。私、京都にあんまり知っている人いないんですよ」  麻子はにこやかにいった。 「小林和彦さんですわ」 「えっ、小林さん? どうして、小林さんと」 「私、今度株を買うことにしたの。それで小林さんに色々教えて貰ったんです。でも、私はアメリカ人だから、イチローの名義で、彼に買って貰うことにして、今日、お金を持って行って貰ったの」 「まあ、そうだったんですか」  彼女は、驚いたようにいったが、本当は、彼から連絡があって、知っていたのかもしれないとキャサリンは思った。 「昨日、ミスター・狩矢にきいたら、あなたと小林さんが北山通りを楽しそうに歩いていたのを見た刑事さんがいるんですって、本当?」  キャサリンがきいた。 「本当ですわ。株のことや、色々お話ししてとても楽しかったですわ」  彼女は、にっこりした。 「じゃあ、彼と結婚するつもり?」 「あら、そんな話は全然出てませんわ。まだ三回しか会ってないんですもの」 「昨日、イチローといってたんだけど、和彦さんは、あの家に帰った方がいいと思うの。そして、あなたのような美しくて、頭のいいお嫁さんが、親子の間の緩衝地帯になったら、小林家もうまく生まれかわるんじゃないかって」  キャサリンは、本心からいった。 「有難うございます。でも、どうしてそんなに小林家のことが気になるんですか? もとから親しいわけじゃないでしょう?」  麻子は、不思議そうな顔をした。 「何百年も続いた京都の名家が崩壊していくのをみるのはたまらないからですわ。それに、あなたが好きだから、ずっと京都に住んで、お友だちになって欲しいの」 「有難う、キャサリンさん。私も年だし、そろそろ結婚のことを考えなくてはとは思っているんです。でも、あの方とはそこまでの話はないし、自然にまかせて、お互いがその気になったら、そうしますわ。その時には、キャサリンさん、応援してね」  麻子は、素直にいった。 「もちろんだわ。そのためにも、もう少し、京都に滞在した方がいいと思うわ。まさか、もう東京へ帰るんじゃないでしょう?」 「ええ。今は、一つの仕事が終ったところで、一カ月程、ゆっくり出来るんです。本当は、京都を見たあと、ヨーロッパの方に行くつもりだったんですけど、もうしばらく京都に留まろうかと思っています。小林さんも、そうおっしゃって下さるし……」 「なーんだ、しっかり話はついてるんだわ」  キャサリンは、大げさにのけぞった。     5  翌日の午後、浜口とキャサリンは、宝ヶ池に新しくオープンしたホテルのロビーで待ち合わせた。  キャサリンが、東京で一緒に行動した経済視察団が、このホテルに滞在しているからである。  キャサリンは、彼等に会うと、仕事の話をし、そのあと、浜口と食事をすることになっていた。  時間きっちりに、キャサリンがロビーにおりて来た。 「あ、イチロー、待った?」 「いいえ、今来たところです」  二人は、連れだってホテル内のレストランに入った。 「いいホテルだわ。きれいだし、設備がいいわ。でも、こんな郊外に建てて、採算があうのかしら?」  キャサリンは、まわりをきょろきょろ見まわしながらいった。 「ここは、京都市が京都の地盤沈下を心配して、国際会議都市として、将来、京都市を発展させるために、国際会議場の前の市有地である宝ヶ池公園を、安い価格で払い下げて作ったものなんです」 「そういえば、その話きいたことがあるわ。京都のホテル戦争のきっかけになったって」  キャサリンがうなずいた。 「京都には風致地区指定というのがあって、市の五分の四の家は、建物の厳しい規制にひっかかって、思うような家が建たないんですが、このホテルの場合は、京都市が肩入れしているだけに、条件をゆるめて、これだけのホテルを建てたので、市民の大反対の集会があったりして大変でしたね。京都市としては、今年開かれたサミットを、本当は京都で開催するように誘致して、ゆくゆくは国際都市になるようにと考えて決定したんですけどね」 「ホテル反対さわぎのため、結局、四月のサミットに間に合わなかったのね」 「そうです。どうして、このホテルだけに規制をとりはらって便宜をはかるのかということで、大モメして、結局、周囲の土地も、規制をゆるめることになり、今まで、建てることの出来なかったビルや建物が建つことになって、地価が上ってるんですよ。京都市は、坪あたり、三十四万八千円という破格の安さで売ったんですが、ここは、坪百万はしてるんです。ホテル一つ建てるのも大変ですね」 「でも、私は、規制をゆるめることには賛成だわ。京都の風致地区規制というのは、少しきびしすぎるように思えるわ。私の知っている東山の友人なんか、百坪の土地を買って、三十坪のしかも二階建てしか建てられないとなげいていたわ。風致規制には、一種、二種、三種と三つあるのだけど、一種だとおもての土塀がくずれおちても、勝手に直せないし、一々お伺いをたてて、指定通りの色、材質で修理しないといけないというわ。友だちのところは、二種なんだけど、さっきいったように、百坪の地に三十坪しか建てられず、二階建ての和風じゃないと駄目なのだそうよ。屋根瓦は、黒にきめられているし、壁は、白は許可にならず、ねずみ色とか、じゅらく色にきめられているの。屋根の勾配もあまり急なのはだめで、まるで小学生の書く家のような恰好じゃないと許可にならないなんて、ひどいと思うわ。昔にきめられた規制だというけど、それから十五年もたって、人々の感覚も、建築デザインも随分変っていると思うの。自分の建てたい形や色の家を建てられないなんて、アメリカじゃ考えられないことだわ。建築をやっている麻子に、このことをどう思うかきいてみたいと思ってるの」  キャサリンは、興奮していった。  東山の家というのは、キャサリンが、京都に来て知り合いになった女流作家の家なのである。  浜口は、うなずいてきいていたが、 「その麻子さんですが、昨夜会ってどうでしたか?」  と、きいた。     6  キャサリンは、スープをスプーンですくいながら、昨夜のことを報告した。 「そういうわけでやっぱり二人は、恋人同士みたいだわ。イチローの方はどうだったの?」 「僕の方も、彼等はやっぱりいい線いっていると思いましたよ。あの二人は、結婚するかもしれませんね」  浜口はそういってから、思い出したように、一千万円の受取書をキャサリンに渡した。 「もし、この株が値上りしたら、もうかった分を、彼等にお祝いにプレゼントしてもいいわね」  キャサリンが、笑いながらいった。 「彼等が結婚し、やがて、今の当主が死んで財産が自分のものになったら和彦さんは、あの家を売るでしょうね。相続税と借金をひいた残りの金で、彼は、株を買うに違いありませんよ。彼は前のときに、株で勝負したいという夢を話してましたから」 「そして、株でもうかったら、土地を買って、麻子さんの設計で、モダンな家を建てるでしょうね。いや、案外、彼女は、京都らしい格子のはまった和風の家を建てるかもしれないけど」  キャサリンが、その風景を思い浮かべるように、目をつぶった。 「メデタシ、メデタシですね」  浜口がいうと、キャサリンは、ぱっと目を開いていった。 「メデタシではないわ。だって、殺人事件が解決してないもの」 「確かにそうですね。あれは、誰が犯人なのかな」  浜口の顔が真剣になった。 「私、昨日一晩考えたのだけど、加代さんは、自殺したのじゃなくて、他殺だと思うの。つまり、密室殺人よ」 「えっ、どうしてですか?」  浜口は、びっくりして、キャサリンの顔をみつめた。 「加代さんだけど、正座したような形で、ひざをしばっていたでしょう? 友禅の腰紐で。あれがおかしいわ」 「でもあれは、日本の女が自殺するときのたしなみで、昔から武士の妻などは、死んだときに、裾がひらかないように、しばって死ぬのです。今でも川にとびこむときなどに、しばって死ぬ人もいますよ。キャサリンは、アメリカ人だから、そういうのを知らないと思うけど」  浜口がいった。 「そのことは知っているわ。それじゃなくて、紐のしばり方だわ」  キャサリンは、首からスカーフをはずして、椅子の上に坐り、ひざをしばった。 「ほら、加代さんが自分でひざをしばったとしたら、蝶々むすびは、手前にくるはずだわ。あれは他人が、あとから覚悟の自殺にみせかけるためにむかい側からしばったので、反対側をむいていたわ。イチロー、しばってみて」  キャサリンは、スカーフを浜口にわたした。 「こんなところで、おかしいですよ。わかりましたよ、絵にかいてみます。こうでしょう?」  浜口がナプキンに図をかいてみせた。 「その通りだわ、あのとき、蝶々にむすんだはしは、外側をむいていたから、本人がしばったんじゃないわ」 「なるほど、そういわれたら、そうですね。あれは他殺なんですね。すると犯人は、加代さんに、書き置きをかかせ、お茶をたてて飲んでいる間に、青酸カリを入れて、彼女を殺した。そして、彼女が息たえるのを待って、膝をしばり、部屋を密室にして出ていったんですね」 「そうだと思うわ。どうして密室を作ったのかはわからないけど、彼女は自殺はしなかった。ということは、市花さんを殺したのも、加代さんではなく、その犯人ということになるわ」 「狩矢警部に話しましょう。すぐに」  浜口は立ちあがったがキャサリンは、首をふった。 「折角のコースを残すのはもったいないわ。食べてからにしましょう」  第五章 投資ゲーム     1  一時間後、浜口とキャサリンは、府警本部にいた。  キャサリンの話をきいた狩矢は、大きくうなずいた。 「確かに腰のひもは、被害者のむかい側からしかむすべないむすび方です。いいことを教えて下さって有難うございます。実は、我々も、あれは、他殺ではないかと考えるようになっていたのです。というのは、死亡者の着物の裾の本来なら合わさった内側、つまり下前に毒物の入った抹茶がこぼれているのを発見したからです。膝をしばってからでは、裾はひらかないので、そこに、抹茶がとぶはずがないのです。被害者は、多分茶碗の抹茶を一口か二口飲んだところで苦しみ出して倒れ、着物の裾が開いた。茶碗がとび、残っていた茶が、着物の下前にもとび散ったのだと思われます。それに気がつかなかった犯人は、覚悟の自殺とみせかけるために、裾をあわせ、腰紐でしばったのではないでしょうか」 「きっとそうですわ。彼女は殺されたのですわ」 「我々も最初、小林加代さんが、自殺したと仮定して、毒物の入手方法を調べたのですが、どうしても解明できないのです。屋敷のどこを探しても、青酸性の毒物は見つからないのです」  狩矢がいった。 「まだ、不審なことがありますわ」  キャサリンが、ゆっくりといった。 「どんなことですか?」 「加代さんの倒れていた位置、茶碗のとんでいた場所などから考えて、加代さんが、お茶を飲んだ位置は、お茶会の客の位置だとしか思えないのです。つまり、加代さんは誰かがお茶を点《た》て、そのお茶を受けとって飲んだと思われるのです。部屋の中に、加代さんが一人だけでお茶を点てたら、もっと釜の近くにいるはずです。それが、全く遠いところに、しかも、お茶を点てる人と向かい合うようなむきに坐っていたというのは、おかしいと思うのです」 「なるほど」  狩矢が、うなずいて腕を組んだ。 「しかし、あの部屋は密室でしたよ。部屋の真中に炉は切ってありましたが、茶室ではなく、普通の部屋でしたが、戸はすべてしまっていました。これは、どう考えますか? キャサリンさん」 「それがまだわからないのです。でも、きっと、みつけることができると思います。出来れば、現場をもう一度みせて頂きたいのですが」  キャサリンが、狩矢にいった。 「ええいいですよ。では、これから行きましょうか? どうせ、我々も、もう一度、現場を見直さないといけないわけですから」  すぐに覆面パトカーで、キャサリンたちは小林家に向った。  小林家に近づくにつれて、一軒、また一軒と店を閉めているところが目についた。  戸があいたままで、はた織機がほこりをかぶったままで打ち捨ててあるのが見えるところもあった。 「西陣て、こんなに景気が悪かったのですか?」  キャサリンが驚いていった。 「繊維は不況ですね。こうして、一つ一つ手織りで布を仕上げても、コストが高くなって売れないのです。大手の織物会社が大量生産した、安い布地や化繊などにくわれてしまう上に、最近は、着物を着る人も少なくなっていますからね」  狩矢が、痛ましそうにいった。 「でも成人の日などがあって、若い女性が着物を買うようになったのじゃないかしら?」 「その時買う一枚ぐらいですね。嫁入り道具にも、昔ほどたくさん持って行きませんし、だんだんすたれていってますね」 「残念だわ。日本の着物ほどすてきなものはないのに。じゃあ、ソーザエモンさんのところなども、経営が苦しいわけですか?」 「一般の人はあまり着物を着なくなったといっても、能衣装や歌舞伎、舞台衣装、それに女優さんが、結婚のときに着る打掛けなどの高級品は、今も需要があるわけですから、そういうものばかり扱っている小林さんのところなどは、別格ですよ。でも、前にくらべたら、あきないは大幅に減っているでしょうね」 「では西陣の人たちはこれからどうしていくのかしら? ああして店を閉めたところは、どうなるのかしら?」 「最近、地上げ屋が随分入って来ているようですね。彼等が土地を買い占めて行き、やがて、ビルでも建つんじゃありませんか。何年かたつと、このあたりはすっかり変ってしまうかもしれませんね。京都人として、淋しい気がしますが」  喋っているうちに、小林家がみえて来た。     2  玄関に入ると、お手伝いの|その《ヽヽ》という女性が出て来た。目が細くぽっちゃりとして、能面のような顔だ。 「ご主人は今、お客さんが来てはるんです」 「お客って誰?」  キャサリンがぶしつけにきいた。 「このお邸《やしき》の土地を売って欲しいといって何度も来てはる人です。ご主人の知ってはる東京の代議士さんからのご紹介やので、仕方なしに会うてはるんです。すぐ帰らはると思いますのでちょっと待っていて下さい」 「ここまで地上げ屋が来てるのか」  狩矢があきれたようにいった。  しばらく待っていると、奥から総左衛門の大きな声がした。 「この土地は、絶対売りまへん。二百五十年も続いた家業ですさかいに、私の代でやめるわけにはいかへんのです。気持は変りまへんよって、もう来んといてくれやす」  そして四十歳くらいの精悍《せいかん》な感じの男を送って総左衛門が姿をみせた。  男は、世慣れた感じで、何度も総左衛門に頭を下げ、会うだけはまた会って欲しいといって帰っていった。  総左衛門は、不機嫌な顔をして男を見送っていたが、狩矢たちに気づくと、 「何の用です?」  ときいた。  狩矢が離れをもう一度見せて欲しいのだというと、総左衛門はうなずき、 「どうぞ、ご自由に」  といって、自分の部屋にひっ込んでしまった。  キャサリンたちは、離れにむかった。  八畳ほどの和室で、正面に床があり、一間ほどの幅の広い廊下がついている。その隅を水屋に使っていたらしく、水道と小さな流しがついていた。  キャサリンは、写真をとり、そのあと、手帳に部屋の見取り図を描き込んだ。 「あの時、死体に気をとられていたので、部屋の中は、どんなだったか覚えていなかったわ」  と、キャサリンがいった。 「この部屋に入るのには、入口と、廊下側の四枚のガラス戸と掃き出し口しかないわ。掃き出し口は、しっかりしまっていたのかしら?」  キャサリンが見に行った。  畳から五十センチくらいの高さまで、ガラスの入った障子が二枚入っていて、重なったところに、さし込み錠がさされている。  キャサリンが、ひっぱって動かそうとしたが、全然うごかなかった。 「入口の戸は、掛金になっていますね。これはかかっていたんでしょうね?」  浜口がいった。 「しっかりかかっていましたよ。それで、我々は廊下側のガラス戸を破って入ったのです」 「廊下側のガラス戸はサッシュじゃないんですね。今は、大抵の家はサッシュだけど」  キャサリンが廊下に出ていった。 「ここは純日本的な旧家ですし、離れは茶室風になっているので、サッシュなどは使わないんだと思いますよ」  たしかに離れは風流なつくりで、屋根はかやぶきで、掃き出し口にはまっている障子のさんなども、栗の木に彫刻がしてあるという凝ったものだった。 「どうですか? 密室の謎は見当がつきましたか?」  狩矢が、キャサリンにきいた。 「いいえ、全然わかりません。でも、他殺なら、犯人が考えたわけですから、私も絶対、挑戦してみますわ」  キャサリンは、きっぱりといった。  小林家を辞して二人がホテルまで戻ってくると、ロビーに栗田麻子がいた。  今日は、着物を着ている。 「デートですか?」  キャサリンが声をかけると、麻子はにっこり笑った。 「今日は、紅葉を見に行って来たんです。詩仙堂へ行って来たんですけど、とてもきれいでしたわ。今、戻って来たところです」 「小林さんは、もう帰ってしまったんですか?」 「いいえ、今、会社へ電話をかけて、仕事の連絡がなかったかきいているんです。後場《ごば》がすんでから行ったのですけど、キャサリンさんの株は、指値《さしね》で買えたといってましたわ」 「本当? うれしいわ」  といっているところへ、小林が戻って来た。彼は、ちょっとびっくりしたようだったが、すぐに麻子が言ったのと同じことを報告した。 「調子がいいみたいですよ。前場《ぜんば》で買ったのですが、午後からもう五円ほど上ってましたから」 「手数料を払って少しもうけがあったら一旦売って下さい。株でもうける気分を一度味わってみたいの」  キャサリンがいった。 「承知しました」  小林は頭をさげた。     3 「これからどうなさるんですか?」  麻子がキャサリンにきいた。 「夕食をイチローとしようと思って帰って来たの。そちらは?」 「私たちも、これから食事をしようといっていたんです。ね、和彦さん」 「あ、そうだ。四人で一緒に食事をしましょうか。どうせ、このホテルでなさるんでしょう? 今日は僕がご馳走しますよ。昨日、招待していただいたし、株も買っていただきましたから」  小林にいわれて、四人は一緒に日本料理の店に入っていった。  注文したあと、自然に話は事件のことになった。  浜口が、和彦にあなたのお父さんの家に行って来ましたというと、和彦は、 「僕のことを何か話しに行ったんですか?」  と、きいた。 「いいえ、密室の謎を解こうと思って行ったんです」  キャサリンが、加代さんの死は、自殺ではなく、他殺だというと、和彦と麻子はびっくりしたように、キャサリンを見た。  キャサリンがその理由を説明すると、 「じゃあ、誰が継母《はは》を殺したんですか?」  と、和彦がいった。 「それはわかりません。でも、芸妓の市花さんと加代さんは同じ犯人に殺されたのだと思いますわ。市花さんを加代さんが殺して自殺したのではないことは、たしかですわ」  キャサリンは、はっきりといった。 「でも、加代さんを殺してどんな得があるというんでしょう? あんなにおとなしい控え目な人を」  麻子がいいかけると突然、和彦が激しい口調でいった。 「それは表面だけだ。あの人の内心をあなたは知らないから、そういうことをいうんだ。あの人ほど気の強い、したたかな女はいませんよ。僕の母親を追い出して本妻になった女ですよ」 「和彦さん、やめて。そんなことを言うと、あなたが加代さんを殺したと疑われますわ」  麻子が心配そうにいった。  浜口はあわてていった。 「さあ、食事にしましょう。誰も、和彦さんが犯人だなんて思ってませんよ」  食事が運ばれて来て、やっと、なごやかな雰囲気が戻って来た。  食事が終って二人と別れ、キャサリンは自分の部屋に浜口と帰って来た。 「和彦さんは加代さんのことを、二面性のある人だといったけど、彼も、二面性を持っているわ。育ちがよくて、無邪気なところと、激しやすく、怒りっぽいところと」  キャサリンがいった。 「そうですね。でも、それは彼の性格もあるけど、理由があるからじゃないかな。彼が、加代さんに嫌悪感を持っていることはわかるし、そのために激昂したのも事実だけど、本当は、加代さんの死が自殺でなく他殺だと我々に見破られたことで、とり乱したんじゃないかな」 「ということは、彼が、加代さんを殺した犯人だというの?」  キャサリンは、浜口の顔をまじまじと見つめた。 「かも知れないと思っているだけですよ。だってそうじゃないですか。犯人かもしれないと思った加代さんが殺されたとなると、他に、犯人らしい人物はいないじゃありませんか?」 「………」  キャサリンもそう思ったらしく、考え込んでいる。 「確かに動機はあるわ。彼は、市花さんを嫌っていたし、加代さんも憎んでいた。またそういう感情的なものだけでなく、二人が死ねば、財産がいずれは自分だけのものになるし、とび出した家にも帰れるというメリットがあるわ」 「でしょう?」 「でも、彼に、私たちがいくら考えても解けないようなあの密室を作る能力があるかしら?」 「でも、あれは彼の家ですよ。彼が生まれ育った家だから、建物の構造なんかよく知ってるんじゃないかな。だから、密室を作ることも簡単だったといえませんか?」 「それはそうね。それ以外に家の構造を知っているのは、ソーザエモンさんと、お手伝いの|その《ヽヽ》さんしかいないわね。あの二人に動機はあるかしら?」  キャサリンは、冷静にいった。     4 「総左衛門さんは、芸妓の市花を気に入っていたからこそ、旦那になり、マンションまで買っていたのに、市花を殺すはずはないと思うけどなあ。子供も生まれるというのに。奥さんの加代さんを殺したというのなら、そうかもしれないと思うけど」  浜口は否定的だった。 「確かに、ソーザエモンさんが、一見市花を殺すはずはないと思われるわ。でも、こういうことも考えられないかしら? 彼は、きっすいの京都人だわ。だから、家を守るということには、異常なほどの執念を持っていると思うの。和彦さんは、父は自分に冷たいというけど、ソーザエモンさんの方は、和彦さんこそ、小林家の跡とりだと思い、心では彼が帰って来てくれるのを待っていたんだわ。ただ、頑固な人だから、自分からは絶対そういうそぶりはみせず、彼に冷淡な態度をみせていた。それが、奥さんとの間に、嵐をおこさない……、いや、風をたてない生活の知恵でもあったんだわ」 「なんでもいいけど、それ、『波風をたてない』というんじゃない?」 「そうだわ、波風をたてない方法でもあったんだわ。その一方、芸妓さんたちと浮気したりしているのは、奥さんとは冷たい関係なんだ、と、和彦さんに見せたかったんじゃないかしら? 京都の人は、表面にみえるのと内心は違うというのをイヤという程見て来たから、少しはわかるの」 「そこまではわかるような気がするけど。それがどうして市花さんを殺すことになるんですか?」  浜口は、わからないというようにいった。 「市花さんが子供が出来たといったからだわ」 「どうして?」 「子供が出来たら、当然、認知して欲しいというにきまっているし、やがては、妻になりたいというかもしれない。たとえ言わなくても、家庭へ介入して来て、家庭が乱れるもとになる。それで、彼女をひとおもいに消したんじゃないかしら?」 「自分の子供も殺すことになるけど、そんなこと出来るかな」 「日本人は、どんどん中絶してるわ。そして平然としているわ。赤ん坊の顔を見ない内は、中絶と同じ感覚なのじゃないかしら」 「なるほどね。それに、彼にはもう現金がなくて、市花の旦那としての体面を保つことが出来なくなっていたのかもしれないね。家や土地は大変な財産だけど、現金はなくて、借金してるくらいだから、このあと、子供が生まれたら、出産費用だ、養育費だと、普通の家庭の場合の何倍もの金がいる。ああいう色街では、子供が出来たので旦那がこんな祝いをしてくれた、こんな産着をつくってくれたと、一々、見栄をはるものだから、芸妓や舞妓に子供を生ませるというのは大変な決心がいるものなんですよ。今だけならとにかく、今後二十年も、子供が成人になるまで使いつづけるだけの金もないし、子供が出来たことがわかったら、和彦くんは、絶対に帰って来なくなる。そう考えて、悩んだ末、ひとおもいに、市花を殺したということはあるかもしれませんね」  浜口も、次第にキャサリンの意見に同調してきた。 「では、市花を総左衛門さんが殺したとして、加代さんはどうして殺したんですか?」 「きっと、市花殺しを感づかれたからだわ。同じ家にいれば、ソーザエモンが、いつ帰ってきたか、どんな様子だったか手にとるようにわかる。今まで、浮気をされても、何をされても、耐えて来たあの人が、はじめて優位に立ったんだわ。それで、そのことを黙っているかわりに息子には財産をわたさないという遺言を書いてくれとか何とかいったんじゃない? ソーザエモンは、そのときは、おとなしく承知したけど、彼女を殺すことを決心したんだわ。加代さんには、もう愛情を感じていなかったし、加代さんが死ねば、息子が戻って来ると思ったんじゃないかしら?」 「総左衛門さんが、密室のトリックを考えるとは考えにくいけど、あの家のことは、彼が一番よく知っている筈ですよね」  浜口は、ため息をついた。 「お手伝いの|その《ヽヽ》さんが犯人かもしれないというのは何故ですか?」  浜口は、煙草に火をつけた。 「彼女は、あの家に長くいて、和彦さんに忠実な人よ。和彦さんを追い出したと思っている加代さんを憎んでいたと思うし、市花さんは、もっと嫌いだったかもしれない。二人が死ねば、あの家に和彦さんが帰って来るし、財産もいずれは和彦さんのものになると考えたんじゃないかしら」 「なるほど。これは、無理がなくて、すっきりいきますね。僕は、和彦くんが犯人じゃなければ、そのお手伝いが犯人じゃないかと思いますね。総左衛門さんが、犯人というのは、ちょっと無理がある気がするなあ。それに、加代さんが死んでいたときにはゴルフ場に行っていたんでしょう? 目撃者もいるはずですよ」 「そうね。でも、密室の謎が解けないと、犯人をつきとめるのはむつかしいわ」     5  翌日、浜口は大学で講義があるので、キャサリンは一人で証券会社へ行った。  四条通りのその店は、大きく、活気にみちていた。  営業のカウンターに行って小林和彦を呼ぶと、仲間の営業マンらしい男がしばらく探してくれたが、 「今までいたような気がするんですが、みつかりません。でも、前場中ですから、すぐ戻ってくると思いますよ。そこで、ちょっと待っていて下さい」  といった。  キャサリンは、刻々と変っていく株式市況の掲示板を見ていた。  店内にいる客も、真剣な目つきで、掲示板を凝視している。営業マンは、とび歩き、一刻もじっとしていない。電話で注文を受けている営業マンも多かった。  ずっと低迷していた株が、今日は反撥していることもあって、店内は熱気にあふれている。 〈他の会社とは全然違うわ。こういうところに毎日働いていると、お金がすべてという気持になるんじゃないかしら?〉  そう思って、掲示された株価をみていると、カウンターの中から、和彦が出て来た。どうやら、社員専用の裏口があるらしい。彼は、キャサリンをみると、顔を輝かせてとんで来た。 「来て下さったんですか? すみません。株、上ってますよ。今現在で、二十万の利益があります。売りますか?」 「イエス、お願いします」  二人は、そのあと、次は何を買うか等、熱心に話し合った。そのあと、彼は急に改まっていった。 「僕は、全然知らなかったんですが、キャサリンさんは、アメリカの元副大統領のお嬢さんだそうですね? あの有名な自動車会社のオーナーでもある……」  彼は興奮していた。いい投資家をみつけたと思ったのだろう。  彼は盛んに、お父さんにいってもっと資金を出して貰ったらどうかと、すすめた。キャサリンは、にこにこしながらきいていたが、その気はほとんどなかった。  金もうけは、父親がいくらでもしてくれるからである。  証券会社を出ると、キャサリンは、ホテルへ戻った。  部屋へ入って五分ほどしたとき、電話がかかって来た。  浜口かと思ったが、それは意外にもアメリカの父親からだった。  彼は、キャサリンに、元気でいるかときいたあと、日本のある建設会社の幹部に会うようにといった。  父親の持っているビルの一つを日本のその会社が買いたいといってきているが、信用できる会社かどうか、浜口の伯父にいって調べて貰って欲しいし、キャサリンにも幹部と会って考えて欲しいというものだった。  詳しいことは、手紙で送ったから、それを読むようにということで、電話は切れた。  キャサリンは、ホテルのロビーへ行って、手紙が来てないかときいた。 「ああ、丁度来てます。さっきお持ちしたのですが、お留守だったので持ち帰りました」  キャサリンは、部屋にかえって、手紙を開いた。  今、日本企業は、アメリカの不動産やビルを、どんどん買い占めているという。  ニューヨークのティファニービルが、秀和によって買われたのをはじめ、三井、三菱などの不動産や、大成、大林、竹中工務店など、有名ビルや土地、駐車場などを買いあさっている。なぜそういう現象がおこったかというと、日本の円高と、東京の地価の狂乱で、買う土地がなくなって、東京の地価に比べて割安のニューヨークや、ロスアンゼルスなどの土地に殺到していること。それに、企業の金あまり現象が影響しているのだという。  アメリカとしては貿易摩擦の解消になると、日本企業からの資本流入を歓迎ムードでむかえているということだった。  ニューヨークのビルを買うツアーもくまれているという。  キャサリンの父親も大小百以上のビルのオーナーをしていて、いくつか売りたいビルもあり、申し込みも多いが、中でも熱心な大南建設に、売る話が成立しかかっているので今、調査中だが、キャサリンにも協力して欲しいという話だった。  大南建設というのは、キャサリンもよく知っているマンションやビル建設で有名な会社である。新聞にも、よく広告が出ている。  しかし、内容がどうなのかは、素人のキャサリンには、よくわからなかった。     6  それで、すぐに浜口に電話をしたが、彼はまだ帰っていなかった。  仕方なく、麻子に電話すると、彼女はいて、すぐに、キャサリンの部屋にやって来た。 「今日、証券会社に行ったんですよ。そして和彦さんに会いましたわ」  キャサリンがいうと、麻子はにっこりした。 「株が十円以上、上ったそうですね、おめでとうございます」 「もうきいたんですか? あ、そうだわ。私が行ったとき、彼は外出していたけど、あなたと会ってたんじゃありませんか? 今日会ってないといくら上ったかわからないでしょう?」  キャサリンが、ひやかすようにいった。 「あら、いやですわ。今日は会っていません。彼から電話があって知ったんです」 「ああそうだったんですか。私、出かけるとき、お誘いしようと思って伺ったんだけど、いらっしゃらなかったから」 「ああ、それは、私、喫茶室で人と会ってたからですわ。仕事の話で」 「あら、仕事が入ったんですか? じゃあ、東京へ帰るんですか?」  キャサリンは、びっくりしたようにいった。 「いえ、それがいいお話なんです。大南建設という会社が、私に京都に建てるマンションの設計をしないかといって来たんですの」 「大南建設?」  キャサリンは、偶然の一致に驚きながらきいた。 「ご存知ですか? ほら、よく広告してるでしょう? マンションを」 「ええ、知ってます」 「そこが、今度、西陣でマンションを建設するんですって。休暇をとろうと思っていたんですけど、京都なので、引き受けようかと思うんです」  麻子はいきいきとして話した。 「それはおめでとう麻子。あなたが設計するのは、西陣のどこなんですか?」  キャサリンは、社交辞令できいた。 「それが、あの小林総左衛門さんの隣りなんです。会社の方の隣りですけど」 「あのへんは、風致地区じゃないんですか?」 「風致地区なんてよく知っていらっしゃるんですね。風致地区なんですけど、小林さんの家のところは、ぎりぎりで風致三種地区になっているんです」 「三種というとマンションが建てられるんですか?」 「ええ。道路をへだててむかい側は二種なんですが、二種とはすごい違いなんです。外装が白でもいいし、五階建てが建つんです。洋風でもいいし、マンションが建てられるんです」 「でも……」  キャサリンが考え込んだ。 「どうしたんですか?」 「でも、あのへんの住民の反対はないかしら? 西陣というのは、古い町だし、昔からの人がすんでいるでしょう? 家もみんな和風だわ。そこに、全く異質なマンションが建つときいたら、さわぎがおこるんじゃないか心配だわ。近所の人たちだけでなく、あのソーザエモンさんも、反対するんじゃないかしら?」  麻子は考え込んでいたが、 「やっぱりこの仕事引き受けない方がいいかもしれませんね。小林さんが反対なら。でも、私が辞退しても、マンションは建ちますわ、別の人が設計して……」 「そうでしょうね。それは仕方のないことですわ。でも、あなたが和彦さんと結婚するかもしれないとしたら、ソーザエモンさんの機嫌を損なわない方がいいと思いますわ」 「私は、和彦さんと結婚するかどうかは、わかりませんけど、総左衛門さんには悪くいわれたくありません。でも、大南建設には、今まで、仕事でずっとお世話になっていて義理があるんです。断りにくいですわ。もう二度と仕事がこないかもしれないし」  麻子は、困惑したようにいった。  キャサリンも、困ったように考え込んだ。 「和彦さんに相談してみたらどうかしら?」  第六章 意外な展開     1  キャサリンは、大南建設の取締役営業部長と会うことになった。  栗田麻子が和彦と相談したところ、彼は、設計を引き受けた方がいいといった。 「折角の仕事なんだから、断ることはないよ。君はマンションのオーナーではないわけだし、設計をたのまれただけなんだから、それほど犠牲を払って断ることはないんじゃないかな」  彼は、そういって、小林家へ麻子を連れて行き、父親に話をしてくれたが、総左衛門は絶対反対だといった。  西陣の町がなくなってしまうというのだ。うなずいてきいていた麻子は、 「わかりました。私は、会社から設計をしろといわれたので、単純に喜んで引き受けたのですが、色々事情を伺うと、この地にマンションを建てるのは無理だとわかりました。私は、設計を辞退します。それから、マンションを建てるのをあきらめるように、出来るだけ説得してみます」  と、いった。  そして、実際に、大南建設に、あの場所にマンションを建てるのは、やめてもらえないかと、頼んだということだった。  しかし、大南建設としては、マンションを建設するつもりで、倒産したり、景気の悪い織元を何軒も買収しているので、建てないわけにはいかないとにべもなく拒絶したという。  キャサリンは、そういう経過を、株のことで会うたびに、和彦にきいた。 「彼女は、僕の父親の邸《やしき》の隣接地でなければ、設計したと思うんです。だから、彼女に悪くて仕方がないんです。彼女の仕事の大部分は、大南建設からのものだときいています。彼女は、当分、仕事を失うと思います」  和彦は苦しそうな顔をした。  キャサリンは、本当に麻子が、マンションを建てないように会社に言ったというのが信じられなかった。  もし、本当に言ったとしたら、それは、和彦に対する愛からだろう。  父親から大南建設のことを調べてほしいといわれていたこともあるので、キャサリンは、ある日、大南建設の取締役に会った。  五十歳位の眼鏡をかけた田上というその取締役は、おだやかな笑顔で、キャサリンに対した。  キャサリンが、ターナー元副大統領の娘だと知っているので、アメリカのビルを売って貰いたいと、一生懸命なのだ。  キャサリンの父親のビルは、マンハッタンの一番いい場所にあり、値段も手頃なのである。  キャサリンは、一通り、大南建設の話をきいたあと、話を、西陣のマンションに移した。田上は、キャサリンがその件を知っているので驚いた顔をしたが、 「あれには困っています。設計を依頼した栗田麻子さんが、あの場所にマンションを建てるのはやめてくれというのです。設計も辞退してしまいましてね。今まで、まわりの住民が反対するのは慣れていますけど、いわば身内からいわれるのははじめてですからね、でも、高い金を出して買収したわけですから、何も建てないわけにはいかないし、土地が高いのでビルかマンションでないとひき合いませんからね」  と、いった。  キャサリンは、栗田麻子が本当に、マンション建設反対を言っていたことに感激した。 〈彼女は、思ったより素晴らしい女性だわ。その彼女が仕事を失うなんて許せない〉  そう思ったので、取締役に、条件を出した。 「私は、父に、大南建設のことは、いい会社だといっておきますわ」 「有難うございます」 「その代り、栗田麻子さんを仕事から干すようなことはしないで下さい。彼女は、私の友人なんです」 「ほう、それは本当ですか?」  田上はびっくりしたような顔をした。 「そうです。彼女は、素敵な女性です。彼女は今、恋愛をしていて、その彼のおとうさんが、小林ソーザエモンといって、マンションの隣接地のオーナーなのです」 「小林総左衛門さんのですか? あの場所は、我々も欲しくて何度も足を運んだんですが、どうしても手に入りませんでした。そうですか、あそこの息子さんと彼女は恋愛中なのですか……」  田上は考えていたが、 「わかりました、あの場所にマンションを建てることは見合わせましょう。そして、彼女はもちろん、今後も、うちの社で仕事をお願いすることにします。才能のある女性ですからね。我々も、目先のことばかりは考えていません。先で、小林夫人となった彼女に、土地のことで話を持っていくかもしれませんし、何より、あなたの印象をよくして、アメリカのお父さまによくいって頂きたいですから」  と、約束した。     2  キャサリンは上機嫌で、ホテルに戻って来た。 〈たまには父を利用したってかまわないわ〉  この朗報を、早く、和彦と麻子に伝えたいと思った。  運がよくて二度目に買った株も上っていて、精算することになっていた。  キャサリンは、浜口と二人で、証券会社に行き、和彦にこのことを伝え、麻子も一緒に食事をしようといった。  一番先に麻子に伝えたかったのだが、彼女は外出中だったからである。  和彦は喜んで招待に応じたが、出来ればその前に、父のところで、その話をして欲しいといった。 「父の希望を通してあげたのですから、父に、どういう経過で、マンション建設が中止になったかきかせたいのです。キャサリンさんと彼女のおかげだとわかれば、父も、彼女を見る目が変ってくると思うのです」  キャサリンは、あっさりとそうしましょうといった。  五時に小林家に集ることを約束して帰る途中、キャサリンは、和彦は、家に帰るつもりなんだと思った。 〈だから、自分の妻として一緒に住む麻子さんのことを、父親によく思ってもらいたいのだわ〉  小林家に行ったら、麻子のことをうんとほめようと思った。  殺人事件は一向に解決しないが、総左衛門と和彦夫婦が仲良く暮していけば、小林家にも春が来るだろう。  夕方までには時間があるので、浜口に電話したが、まだ大学から帰っていないようだった。  それで、ぶらりと、府警本部に狩矢警部をたずねた。  事件が、その後どうなっているのかききたいと思ったからである。  狩矢警部は外から戻って来たところだといって、遅い昼食をたべていた。  みると、ざるそばだった。 「もう少し早ければ、キャサリンさんにもご馳走したんですがね」 「いえ、結構ですわ。さっき食べたところですから」  狩矢は、あっという間に二枚のざるそばを平らげて、お茶を飲み、キャサリンの前に坐った。 「お待たせしました。今日は何の用ですか?」  キャサリンが大した用はないのだけど、狩矢さんの顔を見たくて来ました、というと狩矢はにやっと笑った。 「僕が推理しましょう。第一に、今日は、浜口さんと一緒でない。だから、浜口さんが留守か、彼にフラれたので、時間を持てあまして、ここへ来た。第二に、事件がどうなっているか知りたくて、ここへ来た……」 「正解ですわ。狩矢さんの推理力ってすばらしいわ。シャーロック・ホームズもかなわないわ」 「いいかげんにして下さい。ほめても何も教えませんよ」 「ただし、イチローにフラれたというのはあたってないわ。今日五時に、四人で、ソーザエモンのところへ行って、そのあと食事をすることになっているんですから」 「ほう、四人でですか、仲がいいんですね」  狩矢がいった。  それでキャサリンはマンション建設の一件を話した。  こちらが何か話さなければ、狩矢が何もいってくれそうになかったからである。  ついでに、総左衛門が犯人の場合と、お手伝いの|その《ヽヽ》が犯人の場合の動機を考えてみたといって、浜口との推理を話した。  和彦以外にも、疑ってみれば、容疑者は何人もいるということを言いたかったのである。狩矢はそれについては盲点だったといい、いいことを教えてくれたといった。  そのあと、今までのききこみで、市花が殺された頃、市花の部屋のある五階の非常階段から、日本髪の芸妓風の女性が一人あわてておりて来たのを見た人がいるということと、小林家で加代が死亡した頃、男性が一人、庭の方から出てくるのを見たという情報を教えてくれた。     3 「すると、市花さんを殺したのは、仲間の芸妓かもしれないんですね?」  キャサリンは驚いてきいた。 「かも知れないし、その芸妓が行ったとき、市花は、すでに殺されていて、驚いた芸妓があわてて逃げて来たのかもしれないと思うのです。それで、改めて、仲間の芸妓たちを調べています」 「非常階段というのは、普通使わないのでしょう?」  キャサリンは、市花のマンションのらせん階段を思い浮かべながらいった。 「そうです。五階からだし、夜ですからね。それに、和服だとよけいエレベーターを使うと思うんです。それを、非常階段にしたというのは、エレベーターで、誰かに顔をみられたくなかったからだと思います」 「その芸妓さんが市花さんの部屋から出て来たとはいい切れないでしょう? 五階の他の部屋から出てきたのかもしれませんね?」 「いや、被害者市花の部屋は、五階の端で、非常階段に一番近いですが、となりの部屋の横には、二つあるエレベーターの一つがついていますから、おりるのなら、それを使うと思うんです」 「そうですか……」  キャサリンは考え込んだ。  市花を殺したのが、小林家の人でなく、仲間の芸者なのだったら、こんなにいいことはない。それで、次の質問をした。 「加代さんが死んだ時刻に、小林家の方から出て来た男というのは誰なんでしょうか?」 「総左衛門じゃありませんね。彼は、ゴルフ場にいたことがはっきりしていますから。我々は、小林和彦氏じゃないかと考えているんですが、キャサリンはどう思いますか?」  狩矢は、じっとキャサリンを見た。 「でも、その時間には、彼は証券会社にいたんでしょう? 前場の最中ですわ」 「本人もそういっていました。しかし、戦争のようなさわぎの中で、誰も彼がいたかどうか覚えていませんからね。営業マンも客も、株の動きの方に気をとられていますから」 「そういえば……」  キャサリンが、証券会社に行ったのも、朝の十時すぎだったが、彼は席をはずしていた。そして、仲間の営業マンは、それに気がつかずにいたと、キャサリンは思い出した。  あの時のように、社員専用の裏口から抜け出して、自分の家に行き、継母《ままはは》を殺して戻って来るのは簡単なのだ。  彼なら、家の構造もよく知っているし、頭のいい男だから、密室も作れる。 「どうしました? 何か思い当ることがあるんですか?」  狩矢にいわれ、キャサリンは我にかえった。 「いえ、何でもないんです」 「そうですか? 何か思い当ることがあるような顔つきでしたが……」  狩矢は、じっとみつめたが、それ以上はいわなかった。  キャサリンは、ぼんやりと考え込みながら、ホテルに戻って来た。  もう一度電話をかけると、今度は浜口がいて、小林家にいくことを承知してくれた。  浜口と二人で小林家に行くと、門の前で和彦たち二人が待っていた。やはり、自分たちだけでは入りにくいのだろう。  座敷に通って、総左衛門に会い、マンション建設が中止になった話をすると、総左衛門は、非常に喜んだ。麻子にも好意をもったようだった。  彼は、二人の様子から、和彦が麻子を愛していることを感じたらしく、 「どうか、不出来な息子ですが、今後もあなたがついて、助けてやって下さい」  と、いった。  途中で、手洗いに行こうとキャサリンが何げなく廊下の障子をあけると、立ちぎきしていたらしい|その《ヽヽ》が、あわてて逃げていくのがみえた。 〈彼女は、和彦と麻子の仲を知って、嫉妬はしないだろうか?〉  キャサリンは、ふと、そういったことを考えた。  和やかな雰囲気で話がおわり、総左衛門は最後に和彦に、家に帰って来るようにといった。 「今すぐでのうてもええ。ここは、お前の家やから、お前に継いでもらわんならんのや」  総左衛門はそういって、近々結婚式をあげる有名女優の打掛けが仕上って来ているのを見せたりした。  六時に四人は、外に出て、木屋町の料亭へむかった。     4  総左衛門が、心を開いてくれたことで、和彦や麻子もほっとしたらしく、席は賑やかに盛り上った。それに、キャサリンの株もあがって、トータルで五十万円に近い利益があったことも、みんなの気分を高揚させていた。  しかし、キャサリンは、狩矢警部がいった、加代が死んだ時刻頃、小林家を出て来た男が和彦ではないかという言葉がひっかかっていた。  しかし、他の三人はそのことを知らずにはしゃいでいる。  浜口が、二人に、架空の株を買って値上りを楽しむ株ゲームはどうだったかときいた。 「それが、僕の買った株は、わずかですが値下りしたのに、彼女の買った株は、あれよあれよといううちに値上りして、今日現在で二十三円高なんですよ、完全に僕が負けました」 「そんないい株があるのなら教えて頂きたいわ。今度から麻子さんに相談しようかしら」  キャサリンがいった。 「あら、たまたまあたっただけですわ。ビギナーズラックってあるでしょう? ギャンブルで素人だって最初はうまくいくというのを。やっぱり彼はプロですし、次には絶対、彼が勝ちますわ」 「ゴチソーサマ」  キャサリンが笑った。 「ああ、架空の株でなくて、本当の株を買いたいな。他人の株を買う手助けばかりじゃなくて、一度、自分の株を買いたいなあ」  和彦が、酒に酔った勢いで本音をいった。 「キャサリンさんは別ですが、店に来る客というのは、値上りして儲かれば、自分のカンが正しかったのだというし、失敗したら僕たち担当者が悪いというんですよ。つまらない商売です。客が何百万もうけても歩合いをもらえるわけじゃないし……」  和彦は、少し荒れていた。 「いいじゃありませんか、人のお金で勉強できると思えば。私だって同じですわ。寝食を忘れて一生懸命設計しても、家が建ってしまえば、二度とその家に入れないんですもの。入れる時といえば、どこが悪い、設計ミスだと叱られる時だけですわ。でも、いつか、自分の家を建てる時のために、練習させていただいているんだと思うようにしてるんです」  麻子が、やさしく和彦をなぐさめた。 〈彼女なら、きっといい奥さんになるわ〉  キャサリンはそう思って二人をみつめていた。 「お父さんにいって、少し出資して貰ったらどうですか?」  浜口が、にこにこしながらいった。 「駄目ですよっ」  和彦が、急に不機嫌な声でいった。 「家には、一億以上借金があるらしいし、商売は赤字に近くて現金なんか全然ありませんよ」 「でも、高そうな骨董《こつとう》品なんかが、たくさんありましたわ。あれを処分すれば、お金なんかすぐに出来るんじゃありませんか?」  キャサリンがいった。 「あんなものニセ物ばかりですよ。おやじは、家のものにはきびしいくせに、外部のものには甘くて、高い金でニセ物ばかりつかまされているんですよ、売ったっていくらにもなりませんよ。それなのに、市花にマンションを買ってやったりして。あのマンションも気前よく、置屋のおかみにやってしまいましたよ。処分して、迷惑をかけたつぐないにしたいって。残れば、彼女の墓をたてて供養してやって欲しいって。馬鹿ですよ、四千万で売れるのに。四千万あれば、株が買えるのに」  和彦は、酒に酔うと乱れるたちのようだった。  キャサリンは、みんな穏やかに飲んでいれば、事件の話をしないでおこうと思っていたのだが、この際だと思って、狩矢の話をして、和彦が、その日、小林家に行かなかったかどうかきくことにした。 「和彦さんが殺したとは思っていません。和彦さんが行かれたとき、加代さんは、すでに死んでいたのかもしれないと思うんです。それなら、正直にそのことを言った方が疑われなくてすむと思うのです」  キャサリンの言葉に、彼は顔色を変えた。 「家には行ってませんよ。まして、父親がゴルフに行っていない留守に行くはずがないじゃありませんか」 「あら、その日、お父さんがゴルフに行くの知っていたんですか?」  キャサリンがきいた。 「|その《ヽヽ》にききました。彼女は、前日、僕のところに電話してきて、色々話したあと、ゴルフのこともいったのです」  座が急に静かになり、白けた空気が流れた。 「さあ、もう帰ろう。こんなところで飲んでいてもつまらないよ。麻子さん、送って下さい」  和彦は立ち上り、仲居にタクシーをたのんだ。はらはらして彼をみつめていた麻子が立ち上り、 「とにかく、送っていきます。今日は折角呼んで下さったのに申しわけありません」  と、二人にあやまり、彼を抱きかかえるようにして出て行った。     5  彼等が帰ったあと、キャサリンと一緒に飲み歩いたため、浜口が翌朝おきるのは遅かった。  歯をみがき、コーヒーをわかしていると、電話が鳴った。 〈キャシイかな〉  と受話器をとると、それは狩矢警部だった。 「やあ、狩矢さん」  浜口が気軽に挨拶したが、狩矢の声は、暗かった。 「また事件がおきました。小林総左衛門さんが、自宅で死亡したんです」 「え? 本当ですか? 病気でですか?」 「毒死です。なかなか起きて来ないので、お手伝いの|その《ヽヽ》という女性が見に行って発見したんです。死亡は昨夜のようです」 「キャサリンも知っているんですか?」 「いいえ、これから知らせようと思っています。それで、お話をききたいのですが……」 「キャサリンには、私から知らせます。それからすぐにそっちに行きます」  浜口は、授業のない日でよかったと思いながら、キャサリンに電話し、小林家にかけつけた。  小林家の前には、パトカーが何台もとまっていたが、出て来た橋口警部補は、死体はもう運ばれて行ったのだといった。  狩矢は、一通り検死が終ったあとで、電話をかけてきたのだろう。  中へ入ると、狩矢が、二、三人の刑事と話をしていた。  浜口の顔をみると、狩矢はそばへ来て、呼びたてたことをあやまった。 「それで、どういうことだったんですか? 昨日は、元気で息子さんとも和解して喜んでいたのに」  狩矢は遺書らしきものがあり、死亡時刻は、昨夜の十時前後だと思うといった。 「では、自殺ですか?」 「状況はそうとも考えられます。遺書はこれですが」  そこへ、キャサリンが入って来た。キャサリンもびっくりしたといって興奮していた。二人は遺書を見た。 「私の死後、間違いがおこってはいけないので、借金の詳細を書き残しておきます。返済は、工場の空地を売却してあてるように。  ………  ………」  手紙は墨で書かれ、どこからいくら借りて、利率はいくらかということが几帳面に記録されていた。証書も添えられている。 「年寄りは律義だなあ。心配は尤《もつと》もですね。当主が亡くなったあと、借金取りが我も我もとやって来て、財産があっという間になくなってしまうということはよくあることですから」  浜口がいったが、キャサリンは黙っている。 「それで、昨夜のことをおききしたいのですが、昨夜は確か、四人で食事をされるということでしたが、何時に食事は終ったんですか?」 「六時から食べはじめて、八時すぎには解散しました」 「えーと、一人ずつ帰られたのですか?」  狩矢は、なぜかこだわっている。 「和彦さんと麻子さんが、一足先に店を出て、そのあと僕とキャシイは飲みに行きましたが」 「二人は、まだ来てないんですか?」  突然、キャサリンがきいた。 「いや、和彦くんだけ呼びました。別の部屋で話をきいています。彼の話では、あのあと、彼女をホテルに送って行って、家には、九時頃帰ったといっていますが……」 「ソーザエモンさんが亡くなったのが、十時だとしたら、お手伝いの人は、何といっているんですか? 誰か来たとか、ソーザエモンさんが、どうしていたか彼女が知ってるはずでしょう?」  キャサリンは小声でいった。 「彼女は、夜は誰も来なかったといっています。総左衛門さんは九時頃から自分の部屋で、一人で酒やウイスキーを飲んでいたので、自分の部屋で、テレビを見て寝たというんです」 「和彦さんが訪ねてきていたのではないんでしょうか? 彼が麻子さんを送ったあと、まっすぐここに来れば、九時か九時半には来ることが出来ます。そして、争いがおこって、和彦さんが毒を飲ませたということはありませんか。あのお手伝いさんは、和彦さんの忠実な味方ですから、誰もこなかったといっているのでは」  キャサリンが突っ込んだ。 「キャサリンさんは、総左衛門さんの死を自殺とは思っていないんですね?」  狩矢が、じっとキャサリンをみつめた。 「イエス。この家に関係ある人が、三人も続けて死ぬのは異常ですわ。特に、夫婦とも毒物で死んでしまうなんて、あのお手伝いさんは、何かを隠しているんじゃないかしら? 和彦さんが、犯人でなければ、あのお手伝いさんが怪しいわ」 「まあ、待って下さい。確かに、彼女は、ちょっとおかしいところがあるのです。誰も来なかったかときいたとき、一瞬ですが、躊躇《ちゆうちよ》しました。ウソ発見器なら、確実にクロでしょうね」  そのとき、橋口が呼びに来たので、狩矢は、 「お呼びたてしてすみませんでした。ではこれで引取って下さい。何かあったら、また連絡します」  と、行ってしまった。     6 「驚いたわ。ソーザエモンが死ぬなんて」  外に出て浜口の車に乗ると、キャサリンがいった。 「本当だなあ。僕も驚きましたよ。でも、僕は、和彦くんが犯人だとは思わないんだけど。キャシイは、彼を随分疑ってたみたいだけど」 「どうして彼じゃないの?」 「折角、昨日和解したのに、彼が殺すはずがないと思うんですよ。麻子さんのことも、反対されたわけじゃなくて、快く了承したんだから、彼には、何も不満はない筈だよ」 「でも、彼は悪酔いして私たちにまであたり散らしてたわ。あの勢いで、お父さんのところに行って、株にお金を出すように言ったんじゃないかしら? それを拒否されて、カッとなって……」 「カッとなって殺すのなら、毒殺したりしないで、殴り殺すなり、首を締めると思うんだ。毒殺なら、毒物を持っていかないといけないし、遺書らしきものを置いたり、計画的で冷静でないと出来ないと思うんですよ」 「じゃあ、イチローは、ソーザエモンさんは誰に殺されたと思うの?」 「やっぱり自殺じゃないかな。加代さんのときには、自殺じゃないと思ったけど、今度は、自殺と考える方が自然な気がするんだ」 「ソーザエモンが奥さんを殺して自殺したというの?」  キャサリンが大きな声を出した。 「いや、それはわからないけど、総左衛門さんは、息子が帰って来る見通しがついたので、ほっとして自殺したんじゃないかな。息子が奥さんをもらって来ても、家には借金があるという状態だ。しかし、プライドが高い老人は、自分の生きているうちに、工場の一部を処分することは出来ない。東京などと違って京都では、同じ場所に住みつづけていて隣り近所はみんな子供の時から知っているというような環境だから、家の一部を売ったりしたら、あの家はあの人の代で潰れたとうわさされますからね。老人は、自分が死ねば、相続税を払うという口実で、敷地の一部を売っても、言いわけがたつと思ったんじゃないかな。僕は、あの人なりの親心のように思うんだけど」 「そうかしら……」  キャサリンは、考え込んでいる。 「キャシイは、どうしても他殺にしたいの?」 「そんなことはないけど、あのお手伝いさんが犯人ということはないかしら? 昨夜、和彦さんは、あの家に行って、お金を出せといって、喧嘩《けんか》になった。そして、怒って帰っていった。それをきいていた|その《ヽヽ》さんが坊っちゃんのためと思って、ソーザエモンさんのお酒かウイスキーに毒を入れたんじゃないかしら」 「なるほど。そういうことも考えられますねえ」  浜口も、あのお手伝いには、何か不審なものを感じていた。 「ねえ、イチロー、あのお手伝いさんのこと調べて欲しいわ。一体、どういう人なのか、いつからあの家に来てるのか」 「調べるって、どういう風にして調べたらいいのかなあ。狩矢警部にきいた方が早いと思うけど」 「じゃあ、橋口さんにきいてみて。橋口さんだったら、教えてくれると思うの」 「オーケー。じゃあ、きいておく。あ、それから、この間、キャシイのお父さんからたのまれた大南建設の調査、伯父にたのんでおきましたよ」 「サンキュー」 「伯父の方から、調べて直接お父さんに報告して貰うことにしたけど、それでいい?」 「もちろんよ、有難う」  キャサリンは、車の中で、浜口にキスをした。  第七章 地上げ屋     1  小林総左衛門の葬儀は、和彦が喪主となって盛大に行われた。  浜口とキャサリン、そして麻子も葬儀に参列した。  麻子は、眼をまっ赤に泣きはらしていた。 「折角、お会いして、お話ししたばかりでしたのに。やさしそうないい方で、マンションのことでは、あんなに喜んで下さって、私もうれしかったのに」  麻子は、喪主の席に坐った和彦を時々目で追いながら悲しそうにいった。  お手伝いの|その《ヽヽ》は、喪服を着て一生懸命働いていたが、麻子を見ると、反感のこもった眼でじっと睨《にら》んだ。 「|その《ヽヽ》さんは、麻子さんが嫌いなのね」  キャサリンは、麻子が焼香に立った間に、浜口にささやいた。 「それはわかるなあ。彼女は、和彦くんのためにと一生懸命で、彼が家を出てからも、家の中の情報を伝えたり、何かと届けに行ったりして尽していた。それなのに、いざ彼が帰って来るとなると、恋人を連れて来たのだから、やきもちを焼くのは当然ですよ。ひょっとしたら、彼女は、和彦くんが好きなのかもしれない」 「彼女は、今、いくつくらいかしら?」 「三十すぎだろうね。和彦くんとそう変らない年齢だし、独身だというから、本当は、自分がこの家の主婦になりたいのじゃないかな」 「このあと、和彦さんが帰って来たら、彼女はどうなるのかしら? クビにはしないでしょうね」 「さあ、わからない。和彦くんだって、結婚すれば、当然二人っきりで暮したいだろうからね」 「あの人も可哀そうね」  キャサリンは、いつまでも|その《ヽヽ》の方を目で追っていた。  市花の事件と、加代の死については、他殺ということで、捜査本部が出来ていたが、総左衛門の死は、自殺で処理されるだろうということだった。  加代の時のように、他殺だというきめ手がみつからないからである。  総左衛門の自室からは、小さな瓶に入った青酸カリの粉末が発見され、入手経路はわからないが、加代も、同じ瓶の毒物を飲んで死んだのではないかと狩矢たちはみているようだった。  浜口は、出棺を待つ間、道路に立って小林家の隣接地を眺めていた。  もとあった家はこわされ、更地《さらち》になっていたが、マンションは建設されず、駐車場になっている。  そこに、葬儀に来た人たちの車がたくさん入っていた。  小林家の織物工場は、当分仕事を休業するという張り紙が出ていた。  出棺まぎわに、狩矢警部がやって来て、|その《ヽヽ》について調べたことを二人に話してくれた。  |その《ヽヽ》は、和彦が十五歳のときに小林家に来て、もう十五年も小林家にお手伝いとして住んでいるということだった。 「彼女の家は、昔は景気のいい織元だったのですが、その得意先を、小林総左衛門さんの会社にとられ、家は倒産したようです。彼女は高校を卒業すると、すぐに小林家に来て働き、総左衛門さんも、罪ほろぼしの気持からか、彼女にはよくしてやっていたということです。今は、三十三歳だと思います」  狩矢は、それだけ言うと、忙しそうに走って行ってしまった。  霊柩車が行ってしまうと、参列者は三々五々帰りはじめた。  浜口とキャサリンも帰途についた。  麻子は何か手伝っているのか、姿がみえないので、二人は浜口の車でキャサリンの泊っているホテルにむかった。 「どこかでお茶でも飲みたいけど、二人とも黒ずくめの服じゃ喫茶店にも寄れないわ」  キャサリンがいった。 「僕は、着がえの背広を車に積んで来てますが、キャシイは、早くホテルに帰って着がえた方がいいね」 「ええ、そして、私の部屋でルームサービスで、何かとりましょう。ちょっと相談もあるし……」     2 「何の相談?」 「それは、そう重要なことじゃないから、あとで話すわ。それより、葬儀の間に考えたのだけど、まさか、あの麻子さんが犯人じゃないでしょうね」 「えっ、どうして彼女が? 動機がないよ」  浜口はびっくりして、車の速度をゆるめた。 「動機はあるわ。市花さんが死に、加代さんが死に、当主のソーザエモンまで死んだわ。あの家は和彦さんのものになり、彼と結婚する麻子さんのものになるわ。もしあの家を売ったとしたら、千五百坪で坪二百万円としても、えーと、三億、いや三十億もの金持ちになれるわ。相続税と借金を払っても十億以上のお金が入るでしょう?」 「うーん、それはそうだけど、別に殺さなくても、和彦くんの妻になれば、いずれはそれだけのものが入ってくると思うけど」  浜口は、考え込んでいる。 「でも、ソーザエモンが生きていて、奥さんがいて、ソーザエモンの愛人に子供まで出来たら、その中にお嫁に入っていくのは大変だわ。日本のドラマでよくやっているヨメ・シュウトメの争いになるわ。それにソーザエモンに子供が出来たら、財産は半分になる。いや、和彦さんは、追い出されたままになって、財産は、もらえなくなるかもしれないわ。ソーザエモンが遺言で、その子供に全部の財産をゆずると書いたら」 「法定遺留分はありますけどね」 「とにかく、なかなか和彦のものにはならないわ。みんなが生きていて、ソーザエモンが死んだ場合、日本の法律では、奥さんが半分で、あとの半分を、二人の子供が分けあうことになるでしょう? 大きなちがいだわ」 「認知された子供は、正式に生まれた子、つまり和彦くんの半分の相続権がありますね。しかし、和彦くんが殺したというのならわかるけど、麻子さんがすべての殺人の犯人とは、ちょっと考え難いな」 「彼女が、美人だから?」 「それもあるかもしれないけど、あれだけ頭のいい、才気のある女性が、お金のためだけで、三人もの人間を殺すかなと思うんだけど」 「愛のためじゃない? 和彦さんのために」 「でも、市花が殺されたのは、二人がまだ知り合う前ですよ」 「あ、そうか……。じゃあ、わからないわ」  二人は、ホテルについてからも、続きを話した。 「でも、キャシイ、彼女が犯人だとしたら、無理な点がいくつかあるよ」 「どんなこと?」  キャサリンは、ルームサービスでとったココアをかきまわしながらきいた。 「加代さんが死んだ部屋の密室だけど、あの家には、一度しか行ったことのない彼女が、どうして密室を作れるのだろうというのが一つ。それから、加代さんが死んだ時刻には、男性が家から出て来てる。これはどう解釈するのかな? 彼女の姿を見た人はいない。それから、市花が死んだ時刻には、日本髪を結った芸妓らしい女性が、非常階段からおりてきている。これも、彼女ではないし、もしその時、麻子さんが殺したとしたらその芸妓にみられている筈でしょう? それから、総左衛門さんが死んだ夜だけど、もし、彼女があの家をたずねて、総左衛門さんと会い、彼を殺したのだとしたら、どうして、お手伝いさんにみつからなかったかということが謎です。あのお手伝いさんは、和彦くんが来たことは黙っているかもしれないけど、ライバルともいえる麻子さんが来たのなら、絶対黙っていないと思いますよ」  キャサリンは、素直にうなずいた。 「やっぱり、彼女は犯人ではないわ」 「犯人は和彦くんか、お手伝いの|その《ヽヽ》さんのどちらかということになりますね。いや、二人の共謀かもしれない。でも、それを証明するのはむずかしいですね」  浜口は、ため息をついた。 「でも仕方がないわ、事件が未解決のままおわるのならそれで。私たちとは関係ないことですもの」  珍しくキャサリンが消極的なことをいった。  和彦や麻子を不幸にしたくないと思っているのだろう。     3 「それはそうと、さっき、相談したいことがあるといったのは何ですか?」  浜口がきいた。 「私の住まいのことなの。前に借りていたところは、アメリカに帰るときに解約してしまったのだけど、いつまでもホテルにいるのも不便だから、どこかに家を探そうと思うの」 「それはいい考えですね。今度は、しばらく日本にいることが出来るんですか?」 「イエス。だから、本当は小さな家を買ってもいいのだけど、マンションでもいいわ」  キャサリンは、さっきまでの顔とは打ってかわって楽しそうにいった。 「家を買うって大変ですよ。まあ、キャシイのところは金持ちだから、家の一軒ぐらい何ともないだろうけど」 「あら、日本では、借りるより買う方が得だと思うわ。しばらく住んで売れば、値上りしているから、住んだ分だけただになった上で、いくらか儲かるわ」 「参りましたね。経済観念が発達していらっしゃる。じゃあ、家を一軒買いますか、建売りか何か」 「出来れば、日本的な古い家がいいわ。マンションとか、今、建ったばかりの家は魅力がないわ」 「じゃあ探してみましょう。でも日本的な古い家は、冬、寒いかもしれませんよ。これから冬になるのに大丈夫ですか?」 「大丈夫よ。暖房はちゃんと考えるから。それにしても日本は家が高いわ。アメリカだと五千万円も出せば、プールつきの家が買えるのだけど」 「だから、日本の企業がアメリカのビルを買いあさるのでしょうね。そういえば、葬式の時、随分、地上げ屋が来てましたね」 「本当? あの邸《やしき》を買いたいのかしら?」 「そうみたいですよ、彼等の嗅覚はすばらしいですからね。和彦くんは、前から地上げ屋がよくたずねて来ているようだといってましたね。|その《ヽヽ》さんからの情報らしいですが」 「当主が死んだら、土地を売ると思っているのね」 「この間も話に出たように、借金もあるし、相続税も巨額でしょうからね」 「もし、彼が邸を売ったとしたら何が建つのかしら? マンションかしら?」 「千五百坪もあるし、ホテルでも建てようと思えば建つでしょうね」 「でも彼は、千五百坪全部は売らないと思うわ。家の方だけ残して、会社というか、工場の方だけ売るんじゃないかしら」 「そうかもしれませんね。あの家は、彼が生まれて育った家ですから」 「とにかく、私の家探してね」 「わかりました。キャシイは家をみつけるとして、彼女はどうするかな? 栗田麻子さんは?」 「彼女は、ホテル住まいを続けるみたいだわ。どうせそのうち、和彦さんと一緒に住むのだと思うけど」 「なるほど」  それから一週間後、キャサリンの家がみつかった。  場所は堀川通りで、土地が五十坪で古い二階屋が建っているという。  早速キャサリンは見に行き、八千万円というのを六千万円に値切って買うことにした。 「さすが財閥はちがいますね。もちろん、キャシイのニューヨークの家は十億もするのだから桁《けた》ちがいだけど」 「今、三・三平方メートル、いや、一坪、百万円という土地は、市内にはめったにないわ。いい買物だと思っているの。父にはお金を借りたけど、この家を売るときは絶対値上りしてると思うわ。明日にでも和彦さんに会って投資したお金を精算して貰ってそれで、家を買うわ。株には最初一千万円入れたのだけどあと四、五千万円つぎ込んだから少し足せば買えるわ」  キャサリンは、張り切っていた。     4  一カ月がまたたくうちに過ぎた。  キャサリンは、家の改修が終り、明日には新しい家に移ることになっていた。  事件の方は、一向に解決せず、狩矢から連絡もなかった。  引っ越しといっても四カ月前アメリカに帰るときに荷物は全部整理して、今回は、トランク二つで来日したので、持って行くものはほとんどない。  明日の打合わせにやって来た浜口とキャサリンが、部屋で話していると、ロビーから電話がかかって来た。  相手は、小林和彦だった。  是非、お話ししたいことがあるので会って欲しいという。  ロビーに出て行くと、和彦がしょんぼりとしていた。  喫茶コーナーへ坐って話をきくと、麻子が、東京へ帰ってしまったのだという。 「どういうことですか? 喧嘩《けんか》でもしたのですか?」  キャサリンがきくと、和彦は首をふった。 「僕は、今回、家も会社も売ることにして手付金を受けとり、契約しました。坪二百二十万で売れましたから、総額三十三億です。僕はどこかに、一億か二億の土地を買って、彼女に設計してもらって家を建て、借金を返したあとのお金で、株をやって、せめて相続税の何分の一でももうけたいと思っていました。彼女もそれに賛成してくれ、僕は、久しぶりにいきいきとこの一カ月をすごしました。でも、今になって、彼女は、僕とは結婚しないといって来たのです」 「どうしてですか?」  キャサリンは、びっくりしてきいた。 「彼女は、狩矢警部に、財産目あてで結婚をするため、殺人をしたのではないかと疑われたことが、許せなかったんです。むこうは、警察だから、誰でも疑ってかかるんだ。僕も調べられたし、お手伝いの|その《ヽヽ》だって、随分きびしく調べられたのだから気にすることはないといったのですが、そうでないことを証明したいので、あなたとは結婚しないというのです。彼女は潔癖すぎるのだと思います。『私は、あなたを愛したのであって、財産を愛したのではないのです』という置き手紙をして、東京に帰ってしまいました。お手伝いの|その《ヽヽ》が、しつこく彼女にイヤ味をいったことも原因だと思います。大南建設にも連絡したのですが、彼女の居所はわかりませんでした。大南建設にも、彼女は、仕事をやめるという旨の手紙を出していなくなってしまったのです。キャサリンさん、浜口さん、何とか、彼女を探してもらえないでしょうか?」  和彦は、すっかり沈んだ様子でいった。  二人にとっても、麻子が結婚を断っていなくなるというのは思いもしなかったことで、ショックだった。 「なんとか探してみますわ。彼女だって、食べて行かなければいけないのですから、そのうちに仕事をすると思いますわ。建築関係を調べれば、きっと消息はつかめると思いますわ」  と、なぐさめて帰したが、二人とも、わけがわからなかった。  とりあえず府警本部に行って狩矢警部に、事情を話すと、彼も驚いた顔をした。 「本当だとしたら、随分、欲のない女性ですね。今にも三十億が手に入る男が彼女を愛しているのにいなくなってしまうとは……、我々も、そんなに疑って調べたわけではありませんし、それが原因だといわれても……」  そのとき、そばできいていた橋口が、はっとしたようにいった。 「彼女は、和彦に殺されて、どこかに埋められたんじゃないでしょうか?」 「え? そんな……」  浜口が、彼に似合わない大声をあげた。 「やっぱり、犯人は小林和彦ですよ。彼は、自分が金を握りたいため、邪魔になる父の愛人を殺し、継母《ままはは》を殺し、最後には、父親まで殺したんですよ。多分、父親は本当の父親じゃなかったんでしょう。そして、思い通りに、家を相続し、それを金にかえた。しかし、そのことを頭のいい栗田麻子に感づかれ、殺して死体を処分したのじゃないでしょうか? そして、彼女にフラれたと、あわれっぽくお二人にいいに来た。彼が、彼女とあつあつのようにみせたのは、すべてカムフラージュなんですよ。恋をするようなロマンのある男だとみせかける。でないと、結婚することがきまり、金が三十億も入るときになって、不可解な理由で、いなくなったりしませんよ。いくら考えてもおかしいですよ、きっと彼女は、もう死んでいますよ」 「そうかもしれないな。そうでなければ彼女が姿を消すはずがないな。まず、彼女の行方を探してみよう」  狩矢が真剣な顔でいった。  浜口もキャサリンも、蒼い顔で立ちすくんだ。  府警本部を出てからも、キャサリンの顔は蒼ざめたままだった。 「確かにおかしいわ。そういえば、加代さんが死んだ頃、男が小林家から出ていったときいたわ。あれは、和彦さんだったのだわ」 「しかし、市花のときは、男じゃなくて、日本髪の女性だったというよ。話があわないけど」 「そのときは、うまく見られなかったのだわ。日本髪の芸妓は、無関係な人なんだわ」 「そうかもしれないね」  浜口も、暗い顔になった。 「彼女死んでしまったのかしら?」 「そうとしか考えられないね」     5  栗田麻子の行方は沓《よう》としてわからなかった。キャサリンは、予定通り、新しい家に引っ越し、新しい家具を買い入れたり、整理に忙しかった。  和彦の方は、残金を貰い、数日うちに、家をあけわたすということを、きいていた。  ある日キャサリンは、浜口に誘われて、久しぶりに外に出た。 「いよいよ、小林家も解体されるんだね。あの文化財に指定されそうな家がなくなるなんて淋しいね」  浜口がいった。 「最後に見ておきたいわ。そして、写真にとっておきたいわ」 「じゃあ、行ってみようか?」  二人は、西陣へ足をむけた。  ほとんどの家具は処分され、がらんとした家に、和彦が立っていた。さすがに感慨深げだった。 「やあ、どうも」  キャサリンは、この家がなくなると思うと残念なので写真をとりに来たといった。 「そうですか。いい写真が出来たら、僕にも下さい。……麻子はまだ見つかりませんか?」  彼は、気になるとみえてきいた。 「わかりませんね、一生懸命調べたのですが……」 「そうですか」  彼は、家の中へ入ってしまった。  しばらく外観を写してから、二人は中へ入っていった。  家の中は、雑多にちらかっていた。  キャサリンは、総左衛門の部屋に足をふみ入れた。部屋中、ゴミの山だった。  いつも彼が坐っていたあたりに、電話機と電話帳がある以外は、ほとんど、もう家具はなかった。 「この電話まだ通じるのかしら?」 「さあ、受話器をあげてツーといえば、通じるのじゃないかな」  キャサリンが受話器をとりあげた。 「大丈夫だわ、ちょっと借りようかしら? 今日、電機屋さんが、暖房器具を持ってくるはずだったのに忘れていたわ。連絡しとかないと……」  キャサリンは、手帳を開いたが、その電機屋の電話番号は書いてなかった。 「番号調べできいたら」 「それが、住所がわからないの。ハヤシ電機ってよくある名前だから、わからないかもしれないわ」 「じゃあ、電話帳で調べてみようか?」 「おねがい」  浜口が電話帳をめくっているうちに、中にはさんだ小さな紙が舞いおちた。キャサリンが素早く拾いあげた。 「新聞代の領収書だわ」  捨てようとしたキャサリンの手がとまった。 「字が書いてあるわ。毛筆で。えーと、先斗町福菊子九、誰のことかしら?」 「どれどれ」  浜口が、受けとってみた。 「これは、総左衛門さんが死んだ日のですよ。領収書に日づけが書いてあります。それに、毛筆でうまい字だから、彼がメモしたものですね。先斗町、福菊、子、九、一体何だろう?」  といっているところへ、和彦が出て来た。  浜口は彼にその領収書をみせた。 「先斗町、福菊、子、ああ、福菊という名前をきいたことがありますよ。父が、昔、面倒をみていた芸妓だそうです。でも子って何かな」  和彦は、不思議そうな顔をした。 「これ、お借りしていいですか?」 「ええ、いいですけど、それが何か……」 「さあ、わかりませんが、ちょっと調べてみたいのです」  浜口とキャサリンは、それを持って外に出た。 「まず、新聞の販売店へ行きましょう。この領収書を何時に渡したか。それから、先斗町です」  販売店できくと、集金は、午後五時ごろにしたものだとわかった。 「ソーザエモンさんが死んだ日の五時以後に、これは書かれたものなのね、多分、電話がかかって来て、メモしたんだわ」 「九というのは、九時に会うという約束かもしれないですね。すると彼の死と何か関係があるかもしれませんね。全く、見当違いかもしれませんが」 「狩矢警部にいった方がいいんじゃない? 先斗町を調べるとき、警察の方が早いわ」 「そうですね」  浜口は、車の電話で、狩矢警部にこのことを話した。 「九というのが、ひっかかるのです。九時ということなら、彼の死と関係があるかもしれません」  狩矢は、すぐに行くので、先斗町の駐車場で待つようにといった。     6  狩矢警部と一緒に調べた結果、福菊を知っているという六十くらいのお茶屋のおかみに会うことができた。彼女の話では、福菊というのは、三十年ほど前、ここで芸妓をしていて、小林総左衛門が可愛がっていた妓だという。 「福菊さんは、小林の旦那さんの子供を妊娠しはったんどすけど、丁度、本宅にも子供さんが出来はったあとやったんで、おろしてくれといわれたんどす。福菊ちゃんは、どうしても生みたいというて、芸妓をやめて、東京の方へ行ってしもたんです。それからはずっと音信がありまへんよって、どうなったのかわからしまへん。五年ほど前、小林の旦那さんが訪ねて来はって、福菊の行方を知らへんかとききにきはったことがあるんどす」 「ソーザエモンさんは、和彦さんに家出されて、急に自分の本当の子がもう一人いるのかもしれないと探す気になったんでしょうね」  キャサリンがいった。 「半年ほど前のことですけど、二十七、八歳の女の人がたずねて来はって、福菊さんのことを、えろうきいて行かはりましたわ」  おかみは淡々といった。 「えっ、本当ですか? どんな人でしたの、それは」  おかみが話したその女性というのは、栗田麻子にそっくりだった。 「ひょっとして、この人かしら?」  キャサリンが、写真をみせると、おかみは大きくうなずいた。 「髪の毛は、もっと短こおしたけど、この人どす」 「やっぱり」  キャサリンと浜口は、顔を見合わせた。  帰り道で、キャサリンは、狩矢警部にいった。 「栗田麻子さんは、ソーザエモンさんの娘だったのかもしれませんね。彼女は、あの日小林家に、午後五時以後に電話して、福菊の娘だといい、面会を求めたのではないでしょうか? 九時に伺うといって。他のことなら、めったに会わないソーザエモンさんも、娘だというので会うことにし、その時、殺されたのでは……」 「しかし、それなら、お手伝いの|その《ヽヽ》が気がつかない筈はないでしょう?」  狩矢は、冷静にいった。 「ミスター・狩矢が、ソーザエモンさんだったら、そのとき、どうしますか? お手伝いさんにきかれてはまずいと思って、口実を作って外に出すんじゃないでしょうか? だから、その時刻、お手伝いさんは家にいなかったのですわ」 「わかりました。|その《ヽヽ》さんを調べてみましょう」  そういって狩矢は別れていった。  その後姿を見送りながら、浜口は、わからないというようにいった。 「実の父を、折角再会したというのに殺すでしょうか?」 「でも、彼女には捨てられた恨みがあったのじゃないかしら? 三十年近くも恨んでいたら、殺意になることもあるわ」 「でも、実の親子とわかったら、あの財産の何分の一かを貰うことが出来るんですよ、どうして殺すのかなあ」 「ソーザエモンが、娘と認めなかったので、カッとして殺したのじゃない?」 「そうかなあ、それなら、市花や、加代さんを殺す必要はなかったんじゃないかね。一番先に、総左衛門に会えばいいのに」  浜口にいわれて、キャサリンは考え込んだ。 「私の推理はまちがっていたかもしれないわ。彼女は、ソーザエモンの子供などでなく、彼に、こっそり会う口実に、娘だといったのかもしれないわ」  しばらく黙って運転していた浜口が、急に思いついたようにいった。 「いや、やっぱり、彼女は、総左衛門さんの娘だったのかもしれない。彼女が、父親と感激の対面をして帰ったあと、それを立ちぎきしていた和彦が、父親を殺したのかもしれないよ。そして、次には、彼女を殺して、死体を処分してしまったのかもしれない。兄妹なら結婚は出来ないし、財産の半分は、彼女のものになるから」 「怖いわ、それが本当なら」  キャサリンは、身ぶるいした。  第八章 意外な動機     1  狩矢が、お手伝いの|その《ヽヽ》を調べた結果、やはり、彼女は、その夜、外出していたことがわかった。  彼女が、七時半頃、食事の後片付けをしていると、珍しく総左衛門が台所に来て、十一時頃まで、北野の祭りの夜店を見に行って来ていいといったという。  彼女は、幸せだった子供の頃の郷愁から、祭りや夜店を見に行くのが好きだったのである。今は亡き、父や母と祭りに行った頃にかえって、祭りを楽しむのである。  八時頃いそいそと外へ出たが、折角だから、和彦に会いたいと思って行ってみたが、留守だった。仕方なく、祭りを見に行って十一時頃帰ったが、声をかけても返事がないので、もう寝たのだろうと思って、自分も眠ったという。  翌日、総左衛門が死んでいるのを知ったとき、はっと思ったのは、和彦が殺したのではないかということだった。  それなら、ずっと自分は家にいたが、誰もたずねて来なかったと言おうと決心したと、彼女は白状した。  狩矢が、和彦にきくと、自分は、麻子を送って九時すぎに帰って来たので入れちがいだったのだろうと言い張った。  狩矢は、そこで、壁にぶつかってしまった。 「栗田麻子が九時すぎに、総左衛門さんを訪ねたのは間違いない。問題は、その時、彼女が総左衛門さんを殺したのか、彼女が帰ったあと、話をきいていた和彦が、総左衛門さんを殺したのかがわからないことだ」  狩矢は、浜口にむかっていった。 「栗田麻子の死体が出て来たら、犯人は、和彦ですね。死体はあの屋敷のどこかに埋まっているんじゃないでしょうか?」 「それはないと思うな、あの屋敷はそのうち整地されてしまう。埋めていたら、その時、みつかってしまうじゃないか。そんな馬鹿なことをするはずがない」 「あ、そうですね。では、どこでしょうかね」  浜口は、首をかしげた。  それでもあきらめ切れず、彼は、屋敷のどこかに栗田麻子の死体があるかもしれないと、小林家へむかった。  邸《やしき》はすっかり、取りこわされ、あとかたもなくなっていてブルドーザーが入って整地をしていた。  まわりにはりめぐらされたテント地には大南建設の名前が、大きくプリントされていた。 〈大南建設が買収したのか、あとは、何になるのだろう?〉  浜口が、整地している労務者にきいてみると、ホテルが建つのだという。 「ここが千五百坪、それ以前に大南建設では、まわりの家も相当買収してますよって、ええホテルが建ちますわ。ホテルのオーナーは、別の大手の会社ですけどな。大南建設が、土地をうまいこと買収したわけですワ」  そのとき、キャサリンがやって来た。  キャサリンも、今の話をきいていたらしい。 「大南建設というのは、すご腕の地上げ屋を使って、なかなか売らない土地や建物を買収しては、まとめて、ホテルを建てる企業や、ビル業者に、転売している会社らしいですね。今日父からきいたところでは」  キャサリンは、浜口にいった。 「なるほど。マンションを建てたりしているけど、それが本業なんですか。でも、ここは、地上げ屋も使わず、うまく買収しましたね」  そのとき、二人の男が、土地を見ながら話しているのがきこえて来た。 「それにしても、大南さんは、うまいこと地上げしましたなあ。我々は、完敗ですワ。二百五十年も続いた老舗《しにせ》やし、ここだけは、難攻不落やとおもたんですがねえ」  すると、もう一人がいった。 「大南さんは、女地上げ屋を使うたいううわさでっせ。えらいべっぴんの。女にはかないまへんなあ」 「坪五百万以上で売れますやろなあ、まわりの土地にマンションを建てるやなんていうて、すっかりだまされましたわ。はじめから、ここを買収できる成算があったんですなあ」  きいていたキャサリンの顔色が変った。 「彼女は、女地上げ屋だったんだわ」 「なるほど。息子の恋人や、当主の落し子やとこみ入った手を使って、彼女の目的はこの土地を売らせることだけだったんですね」  浜口の顔も怒りで赤くなった。     2  彼女が地上げ屋だとわかれば、すべての謎は解ける。  彼女は、売ることに邪魔な人物を次々と消していって、最後に坊っちゃん育ちで、考えの甘い息子だけを残し、金があれば、株であなたの力をためせるともちかけて、土地を売らせたのだ。  そして、目的を達したあと疑われそうになったら、結婚はしないと姿を消せば、これだけの財産を、受けとらないのだから、彼女は犯人でないと思わせるために逃げてしまったのだ。  警察では、この売買で、三十億もの現金を手に入れた和彦を、最後まで疑い、麻子まで殺したのではないかと、やっきとなるに違いなかった。  警察では、全力をあげて、彼女の行方を探しはじめた。 「でも、市花を殺したのが、彼女だとしたら、日本髪姿の芸妓は、何の関係もないのだろうか? それに、どうして彼女は、誰にも姿をみられなかったのか、それがわかりませんね」  新しい家で、浜口がキャサリンにいった。 「それは、簡単だわ。彼女が日本髪の芸妓に化けたんだわ」 「えっ」 「姿を見られたときに、彼女だとわからないように変装したのだわ。地上げ屋なんだもの、そのくらいの費用は安いものだわ。お座敷から私たちと一緒に出たのが十時すぎ、それから、近くのホテルにおいておいた日本髪のかつらをかぶり、化粧して、着物を着る。あらかじめ、市花の帰る時間をきいておけば、一時に行くには、三時間もあるから、充分準備できるわ」 「なるほど、では、加代さんを殺したときには、どうしたんですか? まさか、男に変装したのじゃないでしょう?」 「その通り、変装したのよ。男に変装するのは楽だわ。最近は、かつらが発達しているし、あの人は長身で細身だから、背広をきれば、すぐ男になれるわ。今は、普通でも、男も女も同じような髪型をしていて、うしろからみれば区別がつかないくらいだもの」 「では、もう一つ、総左衛門さんは、彼女がたずねて来たとき、どんな態度をとったんでしょうかね」 「多分、よろこんで迎えたんじゃないかしら。あんなにきれいな人だし、マンションのことでは好意を持っているから、うれしくなって、一緒にウイスキーを飲んだと思うの」  キャサリンは、やりきれないという顔をした。 「では、マンションのことは、芝居だったんですね。もともとマンションを建てる気なんかなくて、大南の幹部とは、グルだったんですか?」 「今にして思えばそうね。マンションをとりやめて、ソーザエモンさんに取り入るきっかけにしたんだわ」 「ひどい話だなあ、では、加代さんを殺したときの密室は、どうやって作ったんですか?」 「それは、今、解いている途中だわ。密室はきっと解けると思うけど、一つだけわからないことがあるわ」 「ほう何ですか?」 「あの聡明な人が、いくら地上げ屋だといっても、殺人まで犯した動機よ」 「それは、土地を売らせたかったから、でしょう?」 「きっと、それ以外にも、小林家を恨んでいた動機が何かあるんだわ。お金だけではないと思うの」 「そうかなあ」  浜口は、よくわからないという顔でいった。 「さあイチロー、なんでもいいから、早く家具の移動手伝って。それから掃除も。午後からベッドが届くのよ」 「なんだ、結局、ベッドを買ったんですか? 日本人風にふとん敷いて寝るといっていたのに」 「やっぱり私はアメリカ人なのね。昼間踏んで歩いている畳の上にふとんを敷いて寝るというのはどうも落着かないわ。ふとんを片付けてしまえば、部屋が広く使えるというのは、狭い日本の家では、素晴らしい発想だと思ったのだけど。だから、ベッドを入れるスペースを作らないといけないのよ。この部屋、応接間にしたのだけど、やめて寝室にするわ」 「やれやれ。よく気の変るお嬢さんだ」  浜口は、応接セットを庭に運び出し、部屋をあけ放って、掃除機をかけはじめた。  そのとき、玄関のチャイムが鳴って出て行ったキャサリンが、あわてて戻って来た。 「イチロー、大変だわ。もうベッドが来ちゃったわ、どうしよう?」 「大丈夫ですよ、もうあらかた片付きましたから」 「そう、よかったわ」  部屋を点検するように見まわしたキャサリンが、「あっ」と大声をあげた。 「そこのはめ殺しのふすまはどうしたのォ。破ってしまったの? 折角いい絵がかいてあったのに」 「ああ、空気を入れかえるために、はずしたんですよ。釘がなくなってましたから」  キャサリンは、部屋のすみにぽっかりとあいた壁をまじまじとみつめた。     3 「イチロー、わかったわ。加代さんが殺された密室の謎が」 「本当ですか?」  浜口は、びっくりして掃除機のスイッチを切った。 「離れの掃き出し窓だわ。あれは、枠の中にガラス障子が入ったはめ殺し戸だと狩矢さんがいっていたし、私もさわってみたけど、びくとも動かなかったわ。もともとは、掃き出し口だけど、用心のために、あかないようにはめ殺しにしたんだと思ったわ。でも、本当は、ここのふすまと同じで、釘をはずせばあいたんだわ。だから、犯行後、そこから出て、外から、ガラス戸のまわりに接着剤でもつけて、しっかりとくっつけたのよ。あの部屋は、加代さんが専《もつぱ》ら使っていたし、ソーザエモンは、細かいことには気づかない。お手伝いさんも、狩矢警部から、ここはいつも閉まっていたんだねといわれれば、はいと答えたと思うの。サッシュ戸の入った洋風建築とちがって、日本の家屋は、やれ床だ、ちがい棚だと一軒一軒内部構造がちがうから、はじめて現場を見た人には、もともとどうなっていたのかわからないわ。それに、戸締りも、カギとか、電子ロックではなくて、釘とか、しんばり棒のようなあいまいなものだから、外国の密室のようなわけにはいかないんだわ」 「なるほど、では、早速、狩矢さんに話しに行きましょう」 「珍しく積極的なのね」 「いやもう掃除にはあきましたから、逃げ出せるのなら、警察へでも、どこへでも行きます」 「アハハ」  三十分後、浜口とキャサリンは、府警本部で狩矢警部と会っていた。 「なるほど。そうでしたか、いや、有難うございます。この密室が解けないと、犯人を逮捕しても裁判で、犯行を説明することが出来なくて負けると思っていたのです」  しかし、キャサリンは、しょんぼりしている。 「どうしたんですか?」 「でも、あの家はもう解体されてしまってあとかたもないわ。現場に行って、推理が合っていたかどうか、接着剤がつかわれたかどうかをたしかめることは出来ませんわ」  すると、狩矢がにっこりと笑った。 「幸いなことには、あの離れを茶室にしたいという人が近くにいましてね。そっくりそのまま移したんですよ。ですから、今も、もとのままであります」 「えっ、本当?」  キャサリンが、うれしさにとび上った。  早速、離れを調べたところ、確かに工業用接着剤が使われていて、その一部分に指紋が検出された。  栗田麻子はヨーロッパから帰ったところを逮捕された。彼女の本名は、阿久田リサ子といって、すご腕の女地上げ屋であることも、大南建設を追及してわかったのである。  彼女は、あっさりと犯行を自白した。     4  彼女の家は、小林総左衛門の会社の下請けをしていた織匠で、その腕は高く評価されていたという。  ところが、彼女が十歳のとき母親が、総左衛門と今でいう不倫の関係になったあと捨てられ、自殺した。  やけになった父親は、酒びたりになって腕が落ち、織物業界から相手にされなくなって、彼女が高校生のとき失意のうちに死亡した。  彼女は、父親が、お前が結婚するときにきせたいといって最後までとっておいた超豪華な打掛けと振袖を売り払い、東京に出て、アルバイトをしながら大学の建築科を卒業し、地上げ屋になったという。 「やっぱり、彼女は、小林さん一家に恨みを持っていたのね。小林邸の地上げを依頼されたとき、彼女は、運命的なものを感じて、一家を殺すことを決心したんだわ」  事件が落着したある日、家にやって来た浜口にキャサリンはいった。 「栗田麻子というのが仮の名前だとは思いませんでしたね。阿久田リサ子だったんですか。だから、警察が探してもわからず、彼女と小林家の因縁もわからなかった。でも、彼女、その点では卑怯ですね。本名で勝負しないなんて。それに折角復讐しても、誰もわからなければ、意味がないんじゃないでしょうか?」 「イチロー、まだわからないの」  キャサリンは、いたずらっぽく浜口を見た。 「何がですか?」 「彼女はちゃんと、私たちに本名を教えているわ」 「いつですか?」 「栗田麻子、クリタアサコは、阿久田リサ子、アクタリサコのアナグラムだわ。彼女は卑怯じゃないわ」 「なるほど。そうだったんですか?」 「それに、彼女は、その気があれば、小林和彦と結婚することも出来たのよ。三十三億もの財産を持った当の妻に」 「でも、彼女は結婚しないで去っていった。それが地上げ屋のプライドなんですかね」 「違うわ。彼を本当に愛してしまったから、彼の父や継母や父の愛人を殺した自分が、妻になることは出来ないと思ったのね。彼女は、潔癖なところがある人なんだわ」 「それは少し甘い見方じゃないかな。彼女は、和彦くんなんか愛してなかったと思いますけどね」  浜口は、冷静だった。 「そんなことはないと思うわ。新聞を見てごらんなさい。和彦さんがすべての財産をかけて買いあさった株は、みんなすごい値上りをしているわ、バイオ株の武田、三共など薬品株は。それから、再開発関連株の日本製工など、これは全部、彼女が、和彦さんと楽しんでいた架空株ゲームの銘柄よ。彼女は、カンがいいから、上る株を知っていて、それを和彦さんに買わせてもうけさせたかったのだわ。彼の財産は、そのうち倍にもなるんじゃないかしら?」 「なるほどねえ。しかし、それが再開発関連株とは、皮肉ですね。どうして、日本製工などが再開発関連株なんですか?」 「府中工場を三井不動産なんかと協同して、再開発するという話だわ」 「最近、世の中は、再開発ブームですね」  浜口は、ため息をついた。 「彼女は、私にも再開発関連株を買うようにすすめたわ。彼女にしては、しつこいすすめ方だと思ったけど、あれは、この事件のヒントを教えてくれたのかもしれないわ。再開発に関連した事件だという……」 「惜しい女性でしたね。あれだけ美しくて、頭がいいのに……」  二人は、顔を見合わせて、うなずきあった。  十二月二十一日に、二人は東寺の終《しま》い弘法に出かけた。  みわたす限り露天の店が並んでいる。  植木市や陶器の店、輪投げ、古道具市など、木枯しの中で、大勢の人がつめかけ、境内は活気にあふれていた。 「ちょっとイチロー」 「どうしたんですか?」 「あれは、小林家にいたお手伝いの|その《ヽヽ》さんじゃないかしら?」  キャサリンは、カルメラ焼きの前にたたずんでいる女性を指さした。 「彼女はどうしているんでしょうね」 「さあ、小林家がなくなってしまったのだから、行くところがないのかもしれないわ」 「彼女も可哀そうですね」  ちょっと目をはなしたすきに、彼女の姿は、みえなくなってしまった。 「あそこにホテルが建つんでしょうか? 地上げ屋が殺人までしたのに大南建設は、何も罰せられないのかな」 「地上げ屋は一匹狼で、彼女が勝手にやったことで、大南建設とはかかわりないといって逃げてしまったそうよ。それに、もうあの土地は、大南建設からホテルのオーナーに転売されてしまっているわ」 「ひどい話ですね」  二人は小林邸のあと地へ足をむけた。  そこは、きれいに整地され、ホテル建設地という立札が立てられて、大勢の人が基礎づくりに大わらわだった。 「京都も変っていくのね」  じっとみつめていると、橋口警部補に声をかけられた。 「やあ、また会いましたね」 「彼女はどうしてるかしら?」 「昨日、小林和彦が面会に来ましたよ。株の上ったことをいったら、彼女、うれしそうに、にっこりしていたそうです」 「よかったわ」  キャサリンが、うれしそうにいったとき、橋口の顔が歪んで、 「そのあと、彼女は自殺しました」 単行本 昭和六十二年七月文藝春秋刊 底 本 文春文庫 平成二年三月十日刊