山口 瞳 人 殺 し(上)     1  井崎は、自分のやっていることが、非常に綿密な計画による行動だと思っていた。妙手ではなくて必然手だと思っていた。これ以外に手はない。  また、それが綿密であればあるほど、なにか犯罪めいたものに思われてくる。思いつきというものは、創作のプランにしても、新製品を売りだすための手段にしても、女が部屋の模様替えをしたり、髪型を変えるといったようなことにしても、どこか犯罪に似たところがある。人を驚かせたり騙《だま》したりする。  ここで入院するというのも、井崎がずっと以前から考えていたことだった。予定の行動だった。しかし、中学の同期生で、医者である湯村がそれを勧めたということも事実だった。このへんで、井崎は、自分の企《たくら》みと現実とが、ごっちゃになってくる。  井崎の病気は、特に入院を必要とするようなものではなかった。通院して検査を続けるだけで充分である。しかし、食餌《しよくじ》療法が基本になる病気だから、病院の食事を摂《と》ったうえで検査をうけたほうがいい。井崎のような職業では、自宅にいては、病院の指定する規則正しい生活や、きめられたカロリーを等分に三度にわけて摂取するというようなことは不可能だった。井崎には糖尿病の疑いがあった。  湯村は、二週間の検査と、三週間の検査とがあると言った。それによって、検査の方法が違ってくる。井崎は三週間のほうを選んだ。糖尿病は、本体の尿糖の排出よりも、併発する余病のほうがこわい。腎臓や心臓や眼底出血や血管の収縮など、あらゆるところに症状があらわれてくる。そのために、検査は厄介だった。  それは一種の成人病であり老人病だった。誰でも四十歳を過ぎれば、その日の体《からだ》の調子によって尿糖が出る。病気と見きわめることも困難である。病気であって病気でないようなところがあった。  井崎は入院を計画した。それは、いくらか病気を馬鹿にしている気味があった。湯村は入院に賛成し、強く勧めた。それは病気を重くみているためかもしれない。  井崎のほうも、こんな生活がこのまま続くとすると、その病気以外のことで死んでしまうかもしれないという怖《おそ》れがあった。その心配は、たえず心のどこかにひっかかっていた。どこかで断ちきらないといけない。その意味からすると、入院は一石二鳥ということになる。しかし、一石二鳥というような手段は、どこか綱渡りに似た危っかしいところがある。  井崎は自分の計画通りに事態を進行させていって、必然的に入院というところまできたと思っている。すくなくとも、これまでは自分の生活をこんなふうに、危っかしいまでに演出したことはなかった。同時に、演出しているのではなくて、何か別のものに自分が操られているのではないかという疑懼《ぎく》があった。  このように、自分の行動に確信がもてなかったり判断がつかなかったりするのも、糖尿病のひとつの症候であると思われた。  心理学的にいうと、絶望とは、進むべき道がないのではなくて、ふたつの道が見えていて、いずれを行くかをきめかねている状態であるという。二者択一が出来ないのである。井崎は若いころからそういう傾向があったけれど、年々にそれが強くなってきているのを感ずる。頭がやわらかくなってしまっていて、決心がつきかねるのである。これは初老期|鬱病《うつびよう》の症候であって、まず無気力になる糖尿病と無関係ではない。  入院はきわめて計画的な行動であると思う半面において、井崎は、自分で掘った落し穴に落ちてゆく自分を横で眺めているような気がした。  井崎は疲れていた。疲れているという感じは他人には説明のしようのないものだった。  病院に湯村がいること、病院の規則が厳格であること、病院の所在地が東京から遠く離れていること、それらの全《すべ》ては井崎にとって都合のいいことだった。そのへんは、井崎の計算のうちにはいっていた。     2  井崎の部屋は、|東 病棟《ひがしびようとう》の四階の南側にあった。  長い廊下を通り、エレベーターで四階にあがり、また廊下を歩いて自分の部屋に案内されるまでに、井崎の目についたのは寝間着だった。寝間着と白衣ばかりである。そうでないのは一応は病院とは関係のない人たちである。  寝間着は病院では制服である。入院患者は寝間着以外のものを着ることを許されていない。それは無断外出を防ぐためであり、病人と見舞客とを区別するためのものであった。  子供のように派手な明るい色調のパジャマを着ている老人がいるし、太い縞柄《しまがら》の浴衣を着た男がいる。そのうえに丹前を羽織っている者もいるけど、それは少数であって、病院のなかは暖い。総じて、誰もが、いくらか派手好みになっているように見えた。自宅ではもっと地味なものを着ているはずである。ここでは、寝間着に凝ったり、工夫をこらしたりするのがひとつの楽しみになっているのだろう。規制された生活では、誰もが子供にかえるのかもしれない。  一階の待合室や外来の診察室と、二階からうえの病棟とでは感じが違っていた。一階には社会があり、病棟にはそれがなかった。病棟は監視されていた。  エレベーターを出たところに面会室があり、それは患者用の喫煙室を兼ねている。廊下をはさんで、個室と相部屋とが不規則にならんでいる。相部屋は総室とよばれていた。総室は男の部屋と女の部屋にわかれている。健康保険証があれば、六人か八人の総室にいるかぎり、入院費用は無料にちかい。個室では部屋代を余分に支払うことになる。それは差額ベッドとよばれている。それでも、ホテルに泊ることを考えるとすると、格段に安い。  総室にいる患者が個室に移されるとすれば、たいていは危険な状態を意味していた。医者と看護婦が一晩中警戒するためには個室でなければならない。そういう患者は唸《うな》り声《ごえ》をあげたりする。家族の者も、最後の何日かを個室で過させたいと願うということもあるだろう。  東病棟の四階は、内科で、主に肝臓病と腎臓病と糖尿病の患者が入院していた。  井崎は個室を申しこんでいた。病室で仕事をしなければならないからだった。井崎の場合は、病気の性質からしても、ほとんど健康人とかわるところがない。  病院には死にかかっている人間がいる。恢復期《かいふくき》の患者がいる。恢復期の患者は、世間で働いている人達よりも、むしろ健康であるかもしれない。手術を待っている患者がいるし、手術や検査の結果が判明しない患者がいる。苦痛のために泣き叫んでいる患者がいるし、その隣の部屋からは歓声の混った話し声がきこえてきたりする。  井崎には、そういう感じが肌に馴染《なじ》まないような気がする。もっとも、それは馴染むという性質のものではないかもしれないが——。  井崎の案内された病室の南側は、全面アルミサッシの窓であって、白いカーテンで覆《おお》われていた。隅にロッカーがある。  ベッドの頭のところに名札があり、その名札の色によって安静度が示されている。壁に電気スタンドが取りつけてあって、その隣に看護婦を呼ぶためのインターホーンが備えられている。  ベッドの脇にスチール製の物入れがある。最上段の板を抽《ひ》きだすと、それが食事用の台になる。物入れの前に椅子がある。  北側の壁には、鏡と洗面用の器具がとりつけられている。  その左側が扉で、扉に覗《のぞ》き窓《まど》がある。夜中でも、看護婦が、一時間交替で患者を観察する。  井崎が、部屋の模様を見て、持ってきた荷物を整理して、スリッパや醤油や食卓塩やコップや石鹸などの必要な品を売店で買って戻ってきたときに、案内してくれたのとは別の看護婦がはいってきた。 「オリエンテーションを行います」  色の浅黒い小柄な看護婦が、インターホーンの使用法や、安静度に従った諸注意や、面会時間のことなどを告げた。早口でききとりにくいが、それらのことは病院で渡された案内書に書いてあると思った。  午後の面会時間になって、白衣を着た湯村が来た。 「どうですか、落ちつきましたか。なにか足りないものはないですか」  湯村は、魔法瓶とスプーンとナイフと箸箱《はしばこ》を持ってきた。魔法瓶以外のものは、井崎は用意してきていた。湯村はすこしがっかりしたような表情をした。井崎は、父が長く入院していたので、それらの品が必要であることを知っていた。 「机がないかね。これじゃ原稿が書けない」 「さあ、そんなもの、あるかな」 「なんでもいいんだ。こわれた事務机かなんかないか」 「待ってくださいよ」  湯村は外に出て、ベッドの上にかぶさるような移動式の台を持ってきた。 「これは重病人がベッドの上で食事をするための台なんだ。本当はきみはいけないんだけれど、まあ、いいでしょう」  井崎はベッドに乗って正座して、台の高さをたしかめた。 「ちょうどいいな。これで充分だ。これは安静度がAの人が使うのか」  井崎と湯村は中学のときの同期生である。その中学は、毎年、成績順によってクラスが変更になる。井崎と湯村とが同じクラスになったのは一年間だけであるから、それほど親しかったわけではない。  井崎の父は、若いときからの重症の糖尿病で、担当医の話によれば、あらゆる合併症を順序通りに併発して、三年前に死んだ。その病院に湯村がいた。父は、湯村が息子と同期生であることを知っていて、頼りにしていた。井崎が湯村と親しくなったのは、父が死んでから後のことである。  父の遺品のなかに、シノテスト(糖定量試薬)があった。井崎がふざけ半分にテストしてみると、尿糖五パーセントという色調があらわれた。それは、毎日のように、一喜一憂していた父の悪いほうの症状だった。  三十代の終り頃から体重が増してきたし、頻尿の傾向や喉《のど》の乾くことなどから、井崎は自分でも疑いをいだいていた。それに、糖尿病の体質が遺伝することも知っていた。  井崎は湯村のところへ相談にゆくようになった。湯村は、厳密な検査をすすめた。  しかし、井崎はその病院に入院する気にはなれなかった。父の死んだ病院に同じ病気で入院するのは厭《いや》だったし、その病院とかかわりあいをもちたくないという事情があった。父はその病院では一種の名物男であったことが、だんだんにわかってきていた。不名誉な意味での名物男だった。井崎が渡していた入院費を病院に払っていなくて、恥をかくようなこともあった。それも死後になってわかった。井崎と妻の道子は、葬式のあとで、担当医と看護婦のところへ挨拶廻《あいさつまわ》りに行ったときに、それを知らされた。借金が残っていた。それも井崎の手持ちの金ではすぐに始末のつかない額になっていた。  井崎は湯村の自宅へ遊びにゆくようになった。そうかといって他の病院をたずねる決心もつかない。その頃の井崎には、気持のうえでも時間的にも余裕がなかった。しかし、いつかは入院をせまられる事態になると予測していた。糖尿病の治療法の最初にあげられるものは、ストレスの解消である。それは、井崎のような職業では、仕事をやめないかぎり、不可能だった。病気が悪化するのを待つようなことになっていた。  湯村は、まもなく、自分で希望して、京都の病院に転勤した。彼は京都の大学を卒業していた。湯村はその理由を次のように説明していた。 「毎日のように人間が死んでゆくのを見ていると、いったい人間はなんのために生きているのかと考えるようになるんですよ。夜中に学会に提出するためのレポートかなんかを書いているとするだろう。それが終ってウイスキイを飲んでいると、なにかおかしくなるんだな。それが昂《こう》じたんですよ。人間が生きるということは、月を見たり花を見たりすることじゃないですかね。いろいろなことを考える人がいるけれど、私は、そう思ったんです。しょせんはその程度のことじゃないかなあ。月見をしたり桜を見たりするには、やっぱり京都がいいからね。……患者をみていると、あと二年とか三年ということがわかるときがあるんだけれど、実につまらないことにかまけているんだね。月も花も見ない。本も読まない。あれは不思議な気がするね。医者だって同じことでしてね。五十歳の医者がいるんだけれど、あと何年生きられると思っているんだろう。そんな話をしても何も感じないようなんだな。もっとも、なんのために生きているかなんてことを思いつめると気が狂ったりするかもしれないけれどね」  井崎は、自分と同年齢で医者になった男が、中堅というよりは幹部にちかい位置にいることを知った。湯村も、京都の病院で、内科の三人の部長のうちの一人である。彼等の能力や仕事の意味からするならば、収入がきわめて少いことに驚かされる。湯村には開業医になる意志がない。病院勤めで薄給で我慢している男には、湯村のような戦中世代の医者が多いこともわかってきた。開業して小型自動車を運転して稼《かせ》ぎまくっている医者は、もっと若い男が多いのである。それは現在の健康保険という制度からもきている。一日に百人の患者をみる開業医もすくなくない。湯村には、そういうことは出来ないのである。  死にかかっている人間と、恢復期の人間がいることが、すぐに感じとられた。井崎の場合はどちらにも属さない。寝間着の集団を見たときに、井崎は、なにか自分が素見《ひやかし》の客ででもあるかのように思われた。  しかし、通院するよりは入院したほうがいいと言ったのは湯村である。シノテストなどによる素人の検査では本当のところはわからないのである。この病気では、医者は患者の生活の全部を掴《つか》んでいなければ正確な検査ができない。そのことを井崎も理解するようになった。  医局の前にある量りで目方を計ってみると、五十三キロになっていた。井崎は一年前には六十五キロだった。井崎の理想体重は五十七キロである。湯村に注意されて食事を制限すると一月ばかりで、ほぼ理想体重になった。痩《や》せることは井崎の場合はそれほど難事ではなかった。酒をやめ糖分を断てばよい。しかし、それよりもさらに四キロも五キロも体重が減ってくるのが無気味だった。入院を決意したのは、そういうことも原因になっていた。  仕事の関係者と、留守中に世話になる人にハガキを書く。咳《せき》と痰《たん》がかなりひどい。  体温は六度八分で、風邪をひいたような状態で体がだるい。湯村に頼んで睡眠薬を貰う。出かける前に無理を重ねてきたので、このような状態であるのもやむをえないと思った。  道子に手紙を書く。それは結婚以来はじめてのことだった。宛名《あてな》を井崎道子殿とする。     3 「行っちゃ、厭……」  目を閉じたままで、瑛子《えいこ》が、掠《かす》れた声で言った。瑛子は浴衣に袖を通しただけで、帯をしめず、下着もつけていなかった。浴衣の前をあわせて、そこを両手でおさえていた。  井崎の手を乱暴にはねのけた。体を固くしていた。暗がりに瑛子の白い顔が浮きあがっている。右の目尻から涙が一条ながれて、耳のほうに伝わった。瑛子は井崎を拒絶するのではなくて、別のなにかを退けているように思われた。そんなふうに思われることが何度かあった。井崎は、京都の病院に入院することをぎりぎりの日になるまで瑛子に言わなかった。そのために瑛子は怒っているのかもしれない。しかし、入院する前の日を私にちょうだいと言ったのは瑛子のほうである。  井崎は瑛子と並行に寝て、天井を凝視する形になった。だんだん目が馴《な》れてきて、ぼんやりと物の形が見えてくる。  咳が出る。痰が喉にからむ。風邪のときのように頭がかすんでいて、後頭部に鈍い痛みがある。全体に力がない。  隣の部屋に旅行鞄と風呂敷包みがある。三週間分の衣服と下着類と、こまごました道具類がはいっている。別に仕事用の筆記具やノートや原稿用紙や書籍をいれた鞄がある。それらの荷物が井崎に何かを語りかけてくるような気がする。  時間がない、と思った。——時間がない。そうかといって何をする気もおこらない。  俺《おれ》はいま、とんでもないことをしているんだぞ、と思った。道子に対しても瑛子に対しても、とんでもないことをしている。世間の常識からすれば、とても考えられないようなことをしている。こんなことをしていて、いいのか。  隣の部屋の荷物が、時間がないぞ、お前はとんでもないことをしているんだぞと語りかけてくるように思われた。そっちのほうに、世間とか社会とか生活とか現実とかがあるように思われた。寝間着やシャツやサルマタが風呂敷に詰めこまれている。外出用の替え上着に替えズボン、スポーツシャツ。浴衣が二枚、パジャマが一枚。それは湯村の妻に洗濯を頼むとして、三枚の寝間着があればやりくりがつくという道子の配慮と計算を示していた。シャツとサルマタが十二枚ずつ。それは一日おきに履《は》き捨てにしていい数量だった。隣の部屋には、そのような現実と営為と配慮と日常的なるものが詰めこまれているが、こっちには何もない。井崎にはそんなふうに思われた。 「……先生?」  長い時間のあとで瑛子が言った。 「なに?」  瑛子は、そのあと一分ぐらい、だまっていた。 「……ばかねえ、なんでもないわよ」  瑛子の体も声も、やわらかくなっていた。瑛子は何か言おうとしたのに違いない。言おうとして止めたのだ。瑛子は、ときどき何か告白したいような素振りをみせることがある。井崎が追及すると殻を閉じてしまう。親密になることを拒むのである。その感じは、井崎がもっと若いときに知っていた不良少女に似ていた。唇を固く結び、目は直視することがない。自分だけに執着する女である。  瑛子は井崎のことを先生と呼んでいた。決して名を呼んだり、その他の言い方をしようとはしない。井崎は何度も注意した。それまで井崎は誰にも先生とは呼ばせないようにしていた。雑誌記者から電話があったときでも、いちいち訂正していた。しかし、瑛子だけは、ついに頑固《がんこ》に自分を守り通した。まるで自分の領分を侵されまいとでもするように、井崎の申し入れをきかなかった。それは、あまり感じのよいものではなかった。  井崎は、瑛子と初めてそうなったときのことを何度も思いかえす。  井崎が最初に強く感じたのは、この女は花電車ができるということだった。それがこの女を不幸にしているのではないかとも思った。井崎はそれほど多くの女を知っているわけではないけれど、瑛子の体はかなり特異であると思われた。それが女の体として勝《すぐ》れているのか畸型《きけい》であるのかはわからないけれど。  十五、六年ほど前に、井崎は友人達と一緒に花電車を見た。どうしてこの女がこういう商売をしなければならないのかと思われるほどに、その女は整った顔立ちをしていた。体も全体にふっくらとしていて、裸になっても醜悪な感じはなかった。  女は、バナナを切ったり、銭勘定をしたり、煙草に火をつけて銜《くわ》えたり、筆で文字を書いたり、卵を飛ばしたりした。友人の一人が、女っていうのは自分の体で商売することができるんだなあと言った。そのころは井崎も若かった。二十代の終り頃だった。井崎には、そういう商売(ブルーフィルムを撮影する男と組になっている)よりも、そういう体をもっている女のほうが不思議だった。  いつでも井崎は瑛子との最初のときを思いだすたびに、いくらか滑稽《こつけい》な感じがするのである。  終ったときに、瑛子は、 「痛かった?」  と真剣な顔で言った。それは男の言う言葉ではないかと思ったが、井崎は黙っていた。井崎のまえに、何人かの男が悲鳴をあげたに違いない。そのことも滑稽だった。井崎は瑛子の体にふれたときに、何人か、十人か二十人か、いやそれよりもっと多いだろうと思われる男達が、瑛子の体を通過しただろうと直感した。そのなかに何人かの熟練者がいる。瑛子の体は、いったん壁に突き当ったような感じがあり、その壁の奥に小部屋があり、壁と思われた部分に強い緊縮力があるという式のものだった。井崎は、その壁で引き返してしまった男がいるに違いないとも思った。  瑛子の体が瑛子を不幸にしている。瑛子を知った男が、そのことを吹聴《ふいちよう》する。男たちが瑛子を玩具《おもちや》にする。瑛子もそのことを自覚するようになる。面白がって試してみようとする気分と、そのことを男に知らせ男を喜ばせようとする考えと、自暴自棄と——。  瑛子が普通の体であったら、もっとつつましい生き方をしたかもしれない。  そのときの瑛子は二十四歳だった。三十歳になったら自殺するといっていた。  三十歳までと口走る女を、井崎は瑛子のほかに何人も知っている。それは酒場《バー》の女に限ったことではない。三十歳までに結婚する。三十歳になったら店をやめる。だって、もうお婆さんじゃない? そんなのみじめじゃない? 三十歳までにお金を溜《た》めて自分の店を持つ。三十歳になったら死んじまう。そんなふうに言うのは自分の容貌《ようぼう》に自信をもっている女に多かった。また、世の中で自分一人がそう考えているのだと思いこんでいるらしいのが、男の側からすると奇怪だった。かなり教養のある女でも同じことを言う。すると、数え齢の三十三歳は女の厄年だというのは意味があるのかもしれないと井崎は考えたりする。もっとも、どの女も、三十歳になると、三十三歳まで、三十五歳までというように小刻みに延長するのである。そうして、どの女も四十歳まで、とは言わない。四十歳という数字を決して口にしない。  瑛子との最初のときは、こんなふうだった。  店が終って二人で外へ出た。夜になってもまだ暑かった。瑛子は酔っていた。もっと飲みたいと言った。井崎は瑛子をもてあましているような感じがあった。二人は、井崎の行きつけの小さな酒場まで歩いていった。そこならば我儘《わがまま》がきくし、表を締めて、いくらでも時間を延長してくれるのである。瑛子は日本酒のほうが好きだったけれど、その店は酒を置いていない。瑛子はウイスキイをタンブラーに注《つ》いで呷《あお》るようにして飲んだ。  井崎が声をかけて、酒場を出た。その時刻になれば、自動車を楽にとめることができる。井崎は、いつものように、東京では西のはずれになる自分のアパートの位置と、瑛子のアパートの所在地を運転手に告げた。瑛子のところへ寄っても、それほど廻り道にはならない。  青梅《おうめ》街道を十分ぐらい進んだときに、瑛子が、別の地名を言った。それは反対方向で、多摩川よりは隅田川に近かった。瑛子は、そこに叔母の家があり、今日はそこに泊るのだという。  瑛子が体を寄せてきた。 「先生。三業地って、なんだか知ってる?」 「馬鹿にしちゃいけないよ。これでも小説を書くんだから」 「私、泊ったことがあるの」  井崎は三業地の意味を説明した。井崎は瑛子の考えに気づいていた。叔母の家に泊るなら、酒場から電話をかけるはずである。三業地の意味を訊《き》いたのも、もちろん、別の意図からのことである。  井崎は運転手に、知っている待合の名と場所を言った。しかし、すぐに、待合は十一時半で終業になることを思いだした。それに、その待合では宿泊することができない。 「どこでもいいから、ホテルがあったらとめてくれないか」 「いやよ、私……」 「馬鹿なことを言うな」  部屋に通されたときも、瑛子は背をむけて、きちんと坐っていた。井崎が背中のファスナーに手をかけたときも、それをはねのけるようにした。 「いやよ。……私、自分で脱ぎますから」  瑛子はベッドのある部屋にはいった。こういうホテルの部屋の配置もよく心得ている様子だった。 「いいって言うまで、はいってきちゃいやよ」  井崎は風呂場で、ざっと湯を浴びた。べッドルームからは物音がしない。井崎は、そっちへはいっていった。 「電気を消して……」 「だって何も見えないじゃないか」 「駄目。全部、消して。点《つ》けちゃいやよ。……見ちゃ駄目よ」  井崎は豆電球も消した。暗黒になり、音も消えた。瑛子は全裸になって、向うむきに横たわっていた。 「私、強いんだから」  瑛子は、勢いこむような調子で言った。 「どのくらい?」 「十回よ。十回じゃなくちゃいやよ」  頂上に達するのが十回という意味だろう。井崎はそれを瑛子の強がりと羞恥《しゆうち》だと受けとった。彼は瑛子の顔をひきよせて、上を向かせようとした。瑛子は、そこでも強く抗《あらが》った。腰をひねり、肢《あし》を乱暴に動かす。そのあたりがツルツルしていた。 「水野はね、三回よ。水野は三回できたんだから……」  瑛子の呼吸が荒くなっていた。一人で昂奮《こうふん》してしまうのだろう。井崎にはとてもそんな能力はない。  水野というのは広告代理店の社長で、まだ五十歳にはなっていない。いろいろ如何《いかが》わしい噂のある男だった。広告代理業というのは一種の利権のようなものであって、相当の辣腕家《らつわんか》でなければそこに割りこむことのできない業種である。どういう工作が行われているのかわからないが、水野は十年前にその会社を興して、一流電機メーカーや証券会社などの有名なスポンサーを掴んでいた。恐喝《きようかつ》に近いやりかたで仕事をのばしているという噂があった。井崎が同人雑誌をやっていた頃に、水野は印刷会社を経営していて、その時分から面識があった。三年ほど前から出版業をはじめて、井崎を顧問にむかえようとしたことがある。井崎は水野の気心が知れないのでそれを断った。瑛子の話によると、水野は、井崎の仕事よりもプランナーとしての能力を評価しているらしい。  瑛子は、水野とは別れたと言っていた。 「朝までに? 朝までに三回?」 「そう。……朝までに。……はじめてのときに」  たちまち瑛子は大声をあげた。井崎は、瑛子のやりかたには少し自分勝手なところがありはしないかと思った。共同作業という感じがない。娼婦《しようふ》であっても、看板をかかげている娼婦であればこんなことはないだろうと思った。労《いたわ》りがない。そのときに、同時に、井崎はこの女は花電車ができると感じたのである。 「痛かった?」  と、瑛子が言った。  すこし経ってから、瑛子が叫んだ。 「そんなはずがない。そんなはずがないわ」  井崎は、妻の道子以外の女では、男女のことが完全には行われなくなっていた。たいていのときは、それが泥酔《でいすい》状態で行われるというせいでもあったろう。 「そんなはずはない!」  瑛子は裸で布団を剥《は》ぎ、ベッドのうえで体をまげ、のけぞらせ、足を上下に激しく動かせた。それは、井崎が瑛子のことを愛していないはずはないのにという意味であったようだ。この体に魅せられない男はいないはずだということでもあったろう。瑛子は充分に満足してはいなかった。  井崎は淫乱《いんらん》といわれる女が、実は不感症のためにそうなっているという実例を知っていたし、そのことを書物で読んだことがあった。満足が得られないために男を渡りあるくようになるという。しかし、瑛子のように敏感すぎる女も、別の意味で満足が得られないのではないかと思った。  しかし、瑛子は、裸のままで、すぐに寝入った。むこうむきに、体を折りまげて、井崎の脇腹に臀部《でんぶ》を押しつけるようにしていた。 「このまま、こうやっていたいわ。このまま朝まで、こうやっているの」  そう言った直後に、瑛子は寝息をたてていた。井崎は、瑛子はまだ若いのだと思った。若くて、それだけ健康なのだと思った。  井崎は外泊をしない主義で通している。瑛子が寝入ったのを見とどけてから、ゆっくりとベッドを出て衣服を着けた。  その後、ながいあいだ、次のような光景が井崎の頭にひっかかり、井崎を苦しめるようになった。  瑛子が目をさます。隣に井崎がいない。電気をつける。井崎の洋服がない。飲みのこしのビール瓶がある。瑛子は井崎が帰ったことを知る。鏡にむかい顔を動かしてみる。のろのろと髪をとかす。宿酔《ふつかよい》で胃が痛い。洋服を着る。玄関で中年の女と顔があう。靴をはく。表に出る。朝になっている。朝日が斜めに射している。もう暑くなっている。空車はなかなか来ない。花街の旅館の多い町に、一人で立っている若い女を男が奇異な目で見て通りすぎる。  その後、井崎は、黙って一人で先に帰ることをしないようになった。  入院の前日に、井崎が瑛子と旅館に泊ったのは、サラリーマン用語でいえば出張に下駄をはいたようなものであった。  道子は、井崎がその日に入院したと思っている。湯村とは、示し合わせてあった。道子が病院や湯村の家に電話をかけてくるような気遣《きづか》いはなかった。道子からは電話をかけてこないという約束がしてあった。それは道子のほうで言いだしたことだった。私、涙が出てくるから電話はかけないと言ったのである。結婚以来、三週間も離れて暮すようなことはなかった。 「行っちゃ、厭……」  瑛子が井崎の胸に鼻を押しつけてきた。そのあたりが涙で濡《ぬ》れていた。その頃は、まだイッチャーイヤーという整髪剤のTVコマーシャルが流行語になる以前だった。  井崎は、つい二、三年前の自分と、いまの自分が懸け離れてきているのを感ずる。それは瑛子のせいばかりではなかった。さまざまな要素が重なっていった。それらの要素が、たがいに照応しあっているようにも思われた。  四十三歳という年齢のせいでもあった。たとえばそれは仕事に影響した。なんでもなく出来た仕事がやれなくなってきている。馬鹿馬鹿しくなる。かりに、雑誌社から映画の批評を書くように依頼されたとする。それは以前の井崎にとっては、比較的に楽な、楽しいほうの仕事だった。しかし、その映画の製作者も監督も、井崎よりずっと若いということが多くなってきた。すると、何か、自分の年齢を考えて馬鹿馬鹿しくなる。第一に、作品そのものに感動しない。笑ったり酔ったりすることがない。観客も井崎よりずっと若い。周囲の笑い声が井崎にむけられているように感ずる。お前にはわからないのだ、お前はもうひっこんでいろと言われているような気がする。そういうことが重なると仕事が億劫《おつくう》になってくる。そうして、週刊誌でも雑誌でも、読者対象は二十代、三十代なのである。井崎は、だんだんに隅のほうに押しやられてくるように感ずる。  座談会とか打ちあわせ会とかパーティーに出席して、自分が最年長者であるのに気づくことがある。それまで年長者を突きあげるようにして進んできたのに、いつのまにか突きあげられる側に変ろうとしてきているのを感ずる。それも居心地のわるいことのひとつだった。  体力が衰えてくる。体質が変ってきている。そうして、いま、成人病より老人病にちかい病名を宣告されようとしている。井崎は、自分の感受性だけを頼りにして、それを唯一の商売の元手として生きてきた。それが鈍くなってきている。土台が揺らぎ、罅《ひび》われてきている。青年でもなく老年でもないというのは、何か中途半端である。  保護される立場から保護する立場に、告発する側から告発される側に変ろうとしている。若者は同士ではなくて、こちらにむかって牙《きば》を研《と》いでいるのである。攻撃しながら進んできたつもりだったのに、いつのまにか、自分達が背後からの攻撃目標になってきているのを感ずる。  井崎は数年前から食品会社の宣伝部の嘱託になっている。その会社の製品も、嘘つき食品、危険な食品、食品公害という言葉で告発されているのである。  かりに井崎が石油化学関係の会社や自動車会社などに勤めていたとしても同じことだったろう。井崎の年代の者達が告発されているように感ずる。  家庭の日常的なことについて、息子の教育について、井崎は判断がつきかねるようになってきている。  そんなふうに考えるのは、初老期鬱病の症候なのだろうか。居心地がわるい、立場がない、行き詰っている……。  いずれにしても、それらのことが重なりあって、井崎が変ってきているという事実は動かし難いように思われる。  妻にひきずられ、瑛子にゆり動かされる。決断力が鈍くなっている。入院する前日に、妻を欺いて女と旅館に泊るというようなことは、二年か三年前の井崎には考えられないことだった。それは若者の大胆不敵というのとも違っていた。  危険なことをしていて、危険という感覚が失われてくる。何かが狂っている。 「なにが、不惑か……」  井崎は、瑛子の頭を押してやった。熱があるようで、頭が霞《かす》んでいて、体全体が、だるい。  遊んでもいいけれど、作家の井崎|宏《ひろし》、ホステスと宿泊中に急死なんていう新聞記事にならないようにしてね、という道子の言葉と嘲笑《ちようしよう》するような顔を思いだした。     4  入院が二日目になった。  体温は、朝、六度一分。昼、六度七分。咳も痰もとまらない。湯村に頼んで鎮咳剤《ちんがいざい》を貰う。体重、五十三・八キロ。  井崎は、妙な具合に自分が几帳面《きちようめん》になっているのを感ずる。  熱心に手紙を書く。ベッドのうえで原稿を書く。文字を書くのが苦痛ではなくて楽しみになっているのが信じられないような不思議なことだった。  アジシオ、石鹸箱、盆、ハガキ、鉛筆を買う。  湯村と担当医の滝本から禁煙を申しわたされているのに、煙草をやめることができない。しかし、その日は十五本程度におさえることができた。ちょっと吸って捨てるようにする。風邪気味のために、煙草がうまくないのは有難いような困るようなことだった。  煙草は面会室で吸うのである。四階の患者は、すべて禁煙を申しわたされているはずである。自分の担当医が面会室の前の廊下を通り過ぎるときに隠れるようにする。  井崎も、面会室から出ようとするときに滝本と会ってしまった。 「いけないと思っているんですけれどね」  井崎は弁解する口調になった。 「自分で……。自分で?」  滝本が言った。それは自分でそう思っているのに、なぜやめられないのかという意味だった。滝本は井崎のだいたいの病状から推して一日に五本までなら許可すると言っていた。彼は糖尿病よりも、併発する心不全のほうをおそれているのである。  快晴というべき日で暖い。井崎は、明るく暖いということで南側の病室を希望したが、そこは京都市の基幹道路に面しているようで、明け方になるまでトラックの騒音がきかれた。  病室の内部をスケッチする。このように、原稿を書いたり手紙を書いたり、こまごました買物をしたり絵を描いたりするのは、鬱病が躁病《そうびよう》に変ってきたのではないかと思われる。どんどん片づけてゆきたい気分になる。何かに追いたてられているようで、じっとしていられない。軍隊にいたときがそうだった。軍隊から家に帰ってきて一週間ばかりがそういう状態だった。  道子への手紙。  消燈、面会時間、煙草など、なかなか厳重で、湯村は、私が看護婦に苛《いじ》められるのを嬉しそうにして見ている。  面会時間は、平日が午後三時から五時までと、七時から八時までの二回。休日は、これに午前十時から正午までが加わります。だから電話もこのときでないと駄目。仕事のことで電話をかける用のある人には、これを教えてあげてください。  K社に連絡するのを忘れました。何か言ってきたら、原稿は病院から送るから心配しないように言ってください。  退院は十一月十日の月曜日になるそうです。九日にそちらを発って、その晩は湯村の家に泊り、十日の朝にむかえにきてください。湯村は、八日に東京へ行き、九日は同行してくれるそうです。そっちの人数がきまったら知らせてください。そのあとの旅館の手配の都合がありますので。  朝は平熱でしたが、昼は微熱程度。すこし咳が出ます。いろいろ検査がはじまっています。一人で何もかもやっていると、失敗もあり、配膳車に箸を置いてしまって注意されました。あれは洗って手許に置いておかなければいけなかった。  酒はもちろん飲めませんが、煙草も、だんだん少くしていって、多分やめられると思います。煙草は病室では禁じられていて、面会室で吸うのですが、一階の待合室へ行って吸うこともあります。どういうものかウマクない。  なんだか東京での僕の生活は間違っていたのではないかという気がしたりします。周囲の患者を見ていると、そんな気がします。  京都へ来たら、いろいろ案内しましょう。紅葉がちょうどいい頃だと思います。二日ぐらいは余裕をみてください。  また書きます。 「おばさん、またやっているな。えらい、まあ、熱心なもんやな」  一目で肝臓病とわかるように、目も顔も黄色になっている男が面会室で言った。彼はトラックの運転手で河原という名である。  井崎も、その六十歳ぐらいの痩せこけた女に気づいていた。  はじめ、井崎は、その女は気が狂っているのではないかと思った。赤と黄の縦縞の子供用と思われるパジャマを着ていて、小学生のように、手をあげ、高く足をあげ、ゆっくりと廊下の端から端まで歩いてゆく。髪が乱れていて、その様子が一心不乱で、ゼンマイ仕掛けの人形のように歩く。廊下は東の端が行き止まりで、非常階段に出る扉《とびら》の把手《とつて》に触れ、くるりと廻って戻ってくる。女は何度もそれを繰りかえしている。  午後になって、井崎は、その女が何かの手術の予後で、医者に歩行練習をするようにいわれているのだということに気づいた。女に声をかける看護婦の口ぶりでそれがわかった。そのほかにも、手摺《てすり》につかまり、附添がついて歩行練習をしている老人もいた。  しかし、六十歳ぐらいの女が、もし、そのままの恰好《かつこう》で路上を歩いたら、間違いなく気違いと見られるだろう。やはり、病院は特殊な場所なのである。  手を振り、手を振り、女が機械人形のように歩いている。医者に言われたように、手を振り、手を振り、足をあげ、廊下の端から端まで、きちんと歩く。その目は、何も見ていないように思われる。それもひとつの人間の営為であると井崎は思った。  手を振り、手を振り、夕陽を浴びていたいよ。そういう詩があったような気がした。  井崎が東京での生活が間違っていたような気がすると書いたのは、その女の歩く姿を見たことと無関係ではないように思われる。一心不乱に歩く女の姿が井崎の胸をしめつけるようにする。     5  瑛子は、新宿の『金属』という名の酒場の女だった。  六年ほど前までは、井崎は『金属』の常連であった。井崎は『金属』が好きだった。  第一に、客の質がよかった。井崎は、酒場における最高のアクセサリーは客だと考えている。店内も申しぶんないほどに落ちついていて、ゆったりとしている。バーテンダーも、女達も、他の店に較べると、格段に教育がゆきとどいている。  バーテンダーが二人、ボーイが二人、フロアマネージャーが一人、女が十五人ほどというちいさい店であるが、高級酒場だといってよかった。景気不景気に関係なく、いつでも適当に繁昌《はんじよう》していた。井崎は『金属』が繁昌する理由がなかなかわからなかった。  一階が事務室とロッカールーム、二階が酒場で、三階を貸事務所にしている。戦前の建物で、落籍された新橋の名妓が、遊び半分にはじめた店だということをきいた。そのときは、三階が住居になっていたようだ。むろん、いまでは代がかわっている。  はじめ、井崎は何度も驚かされた。  二階へあがる階段は、鉄道の枕木を払いさげてもらってコーヒーで煮しめたものであるという。カウンターはホワイトオークだった。四つある卓のひとつは、英国の修道院と同じ拵《こしら》えであるという。カウンターの背後の大きな鏡の縁取りは象牙《ぞうげ》である。ちいさなシャンデリアがいくつもあって、何十万円かで譲ってくれという客が絶えないという話もきいた。それらの調度がいい感じをつくっていた。といって、取りすました感じではなくて適度に明るいのである。  井崎が店名についてたずねたときに女主人格の安江が言った。 「さあね、だってお客様はみんな金属じゃない」  その後、井崎は、店のことについて、あまり訊かないようになった。どうやって『金属』が、いい客層を掴み、それを維持しているかということだけが、ずっと謎《なぞ》のように心にひっかかっていた。  毎晩のように『金属』で飲んでいた井崎の足が次第に遠くなっていった。特に、糖尿病の疑いが感ぜられるようになった三年前からの一年間は、全く『金属』から離れていた。  井崎が入院する一年半ほど前に『金属』に行ったときに、隣に坐ったのが瑛子だった。 「先生、久しぶりね」 「久しぶりって、俺はきみを知らないよ」 「あら……」  三年前に瑛子は井崎の席についたことがあるという。そのときの瑛子は学生アルバイトであったそうだ。 「学生アルバイトというと、大学生かね」 「そう」 「どこの大学?」  瑛子は答えない。三年前のそのときに、井崎は瑛子の服装をからかったというのである。 「そのお洋服、まだ持っているわ。こんど着てくるわ。それを見たら思いだすわよ」 『金属』の女は、一人残らず変っていて、井崎が知っているのは安江だけになっていた。学生アルバイトで、ときどき手伝いにきていた瑛子だけが井崎を見知っていた。井崎は瑛子の客と見られるようになった。  女は昔とくらべると、ずっと若くなっていた。その頃は関西や中国地方の出身の女が多かった。それが東京生まれの女にかわっていて、井崎には、かえって物珍しく感ぜられた。それだけ『金属』が店として新宿に根をおろしたともいえるのではないかと思った。井崎と女たちの年齢の差が開いたことも気分を楽にしてくれる。  井崎はまた『金属』に通うようになった。酒場に繁昌する周期があるように、客のほうにも、似たような事情があるのかもしれない。半年か一年で飽きてしまって、また興味を抱《いだ》くということがあるのだろう。それは店の女の交替期とも関係があるようだ。通いだしてみると『金属』はやはりいい酒場だった。 『金属』は、以前とくらべて、何かが少し変っていた。時代の変化でもあるのだろう。井崎の同年齢の飲み仲間たちに体をこわす者が多くなっていて、酒場で顔をあわせる機会がすくなくなったせいであるかもしれない。十年前では『金属』で飲んでいて知人に会わないというようなことはなかった。それだけ客層が変ってきたともいえる。淋《さび》しく思うことのある半面、そのことも井崎を気楽にさせたといえないこともない。そういう物珍しさが、井崎を、しばらくのあいだ『金属』にひきつけたようだった。  瑛子は、先生は私のお客よと言った。誰某はどの娘《こ》の客といったことをあからさまに口にする。以前は、そんなことはなかった。しかし、井崎がそのことに気づいたのは、ずっと後になってからのことだった。何かが変ってきたというのは、そのへんのところである。  女たちは、あまり客の噂《うわさ》をしないようになっていた。ほかの女の客に触れまいとしているようだ。それに、交替も激しくなっている。勝負が早くなってきているともいえるかもしれない。二年か三年で金を溜めて身を退《ひ》くか自分の店をもつかするのだろう。以前のように女給|稼業《かぎよう》に徹しようとする女は見られなくなった。その点では、井崎の場合は、昔なじみの安江がいることが何か心強く感ぜられた。  ある女に、ABCDEという五人の客がついているとする。ABCと体の関係があり、DEとは単に親しい客であるとする。その女が五人の客を操ることは自由である。しかし、ABCが店のなかで他の女に手を出すことはタブーのようになっていた。DもEも同様である。 「これは、昔の吉原ではないか」  井崎は、そう思ったりする。そのことも井崎が瑛子と特に親密になってから知ったことだった。  酒を売るよりも女を売るという傾向が強くなってきている。  しかし、瑛子とそうなってからは、他の女たちの感じが違ってきた。瑛子は、どういうものか、それを他の女にわからせるような態度をとってきた。先生は私のお客よと言う。 「先生、もう、隠したって駄目よ、みんな知っているんだから。噂になっているんだから」  といったようなことを言う。それが事実かどうかわからないが、井崎には、瑛子の態度が奇異なものに思われた。ふつうは、瑛子のほうで隠そうとするはずである。誰とでも寝る女という評判がたてば、店に居辛くなるものである。そうやって転々と酒場を移ってゆく女を井崎は知っている。  稀《まれ》に、瑛子のように、態度を鮮明にする女がいる。夢中になる女がいる。そういう女は、女給としては純情型の女である。年齢でいうと、二十七、八歳から上である。また、結婚しないで、ずっとこの道の商売を続けてゆこうと決心している女である。ホステスではなくて女給の型である。相手の男は、パトロンになる能力のない若い男である。芸者が役者に入れ揚げるというのと似ていた。  ある時期の安江がそうだった。そのときは目の色が違っていた。カッとなっていた。男は、不動産会社に勤めていて、三十歳で、妻子がいた。専務の娘を妻にしている男が家庭を捨てることは考えられなかった。安江のほうでもそれを希《のぞ》んでいるのではなかった。恋人であればよいのだ。誰の目にも半年以上も関係が続くとは思われなかった。プレイボーイというより、実のない男であることがわかっていた。男は逃腰になっていた。  井崎は、パトロンになる能力がないということを別にすれば、どの条件にもあてはまらなかった。瑛子は純情型の女ではない。まだ若いし、結婚をすっかり諦めているわけでもなかった。『金属』で三年間はたらいて、金を溜めて、そのうえに借金をして、自分の店を開くのだと言っていたが、井崎は、瑛子にはそれがやれそうに思われなかった。なによりも、小さい店であっても、経営者として働いている瑛子の姿を想像することが出来なかった。そうなるための何かが瑛子には欠けていると思われた。ちいさければちいさいなりの女主人としての貫禄のようなものが瑛子には全く見られなかった。瑛子は、自分でも、ビルの地下の窩《あなぐら》のような店で、蟻地獄《ありじごく》のようにして客を待っているのは厭よと言っていた。たいていは、そういう所から出発するのである。少くとも、それだけの気構えがなくてはいけない。  結婚もできないだろう。(井崎は、自分のちいさな酒場で、客の相手をしたり、請求書を書いたりしている瑛子より、団地アパートのリビングキチンで、前掛をかけて夫の帰りを待っている瑛子を想像することのほうが、よっぽど困難だった)  事務員にもなれない。映画女優やファッションモデルのようなタレントにもなれない。老人の妾《めかけ》で我慢するようなこともできない。瑛子は、そうなるための何かが不足しているのであり、あるいは何かが多すぎるのである。  瑛子は、三十歳になったら死んでしまうと言っていた。井崎には、この言葉が一番ピッタリくるのである。自分のその気持を少しも残酷だとは思っていなかった。女の命ということでいえば、どんな女でも、遅くも三十二、三歳までで、一度は死ぬのである。結婚を諦めるという形もあるだろうと思う。殻を閉じ、城壁を築く。そうやって生まれ変る。別のものになる。しかし、瑛子に関しては、生まれ変った姿というものが、井崎には全く想像がつかなかった。  井崎が『金属』に電話をかけて瑛子を夕食に誘う。すると瑛子は、店の女を連れてくる。井崎が食品会社に出勤するのは水曜日だった。瑛子は、それを知っていて、水曜日には、夕食をしないで待っていた。『金属』の、女たちの出勤時刻は六時半である。前夜、十二時過ぎまで居残った女は七時までに店にはいればよい。瑛子は、前日の夜が遅くなったときでも、水曜日は六時半よりも前に店に来ていた。  女たちは、出勤して、半数ずつ交替で夕食を摂りに店を出る。それが、三十分とか、ときには一時間以上も帰ってこない女がいることがわかってきた。以前は、そんなことはなかった。出勤時刻は六時で、躾《しつけ》の厳しい店だった。  時代が変ったのである。『金属』も、会社の帰りに一時間ぐらい飲むために立ち寄るという酒場ではなくなっていた。そういう客が尠《すくな》くなっていた。ほとんどが社用接待の客である。十年ほど前に『金属』に文士たちの集まる時期があった。その頃は、四時とか五時に、バーテンダーを相手に飲んでいる客がいた。雑誌記者にせかされて、カウンターで、いそいで話題作を読んでいる評論家がいた。書評の仕事だろう。二枚か三枚の原稿をそこで書き、晴れ晴れとした顔で、そのまま飲み続けたりしていた。井崎にとっては、その頃の『金属』は、社交場であり戦場であるように思われていた。妻の道子も、そのことを知っていて、酒場の請求書に厭な顔をするようなことはなかった。  昼間から酒を飲むような小説家や評論家の数がすくなくなってきた。なにか全体にビジネスライクになってきた。『金属』のほうも、会社組織が整ってきて、青木の経営する同系列の従業員たちで組合をつくる話がもちあがっていた。開店当時からの客である井崎は、六時半より前に飲みに行っても断られることはなかったが、歓迎されていないことがわかるようになった。井崎が、一年間ぐらいのブランクがあって、また『金属』に通いだすようになって、しばらくの間は、開店時刻が六時ではなくて六時半になったのに気づかないでいた。  早い時間に酒場に来る、女ではなくて酒を目当てにするような、あるいは『金属』を自分の家の一室のように思っている客がすくなくなったのは、ひとつには、井崎と同年齢の酒好きの男の大半が、それぞれ家を建て、その家が中心地から遠くなったせいでもあった。それになんといっても、勘定が高くなってきていた。井崎が『金属』に通うといっても、週に二度を越すのは無理だった。  どうかすると、八時半から九時になっても、一人も客の来ない日がある。そういうときには、井崎は、自分のほうが場違いであるようなキマリのわるいような思いをした。  八時半から十時半まで、九時から十一時までという客は、社用接待の客である。『金属』が、パーティーや宴会や会合のあとの二次会の会場になっていた。高級酒場は、どこでも同じことだろう。そういう客は、十一時に近くなると、あわてるようにして帰ってゆく。十一時を過ぎると、銀座でも新宿でも、タクシーが拾えなくなる。ハイヤーも来なくなる。  それより後に残っているのは、運転手つきの自家用車をもっている男たちだった。『金属』には、そういう客も少くなかった。もう一組は、午前一時を過ぎて、またタクシーを掴《つか》まえられる時刻になるのを待っている男たちだった。  あるとき、井崎は、体が疲れていて、翌日から急ぎの仕事があったので、早目にハイヤーを頼んだことがある。大型車が来てしまった。そのときは、安江と瑛子が自動車のところまで送りにきた。 「接待されるほうも辛いですねえ」  自動車が動きだして、しばらくして運転手が言った。『金属』の開店何周年かの洋菓子の箱を安江に渡されたせいでもあったろう。 「あじけないわねえ」  その話をしたときに、安江が言った。その日も、まだ八時前で、井崎のほかに客がいなくて、店はひっそりしていた。ほかの店と違って、そういうときでも『金属』の女たちは、週刊誌を読んだり煙草を吸ったりしないで坐っていた。女同士で私語することもない。  井崎は女たちがすっかり変ってしまったことを安江に嘆いたことがあった。サービスの仕方が、以前とは変ってきていた。サービスが客本位でなくなってきている。 「しょうがないじゃないのさあ。そういうのを喜ぶお客さんもいらっしゃるんだから。……この頃の若い女の子は、二年か三年でお金を溜めて出ていっちゃうことだけ考えているんだから」  安江は、珍しく開きなおったような口調で言った。  しかし、『金属』は、どんな日でも、一度は満員にならないときはなかった。それが『金属』の実力を示していた。酒場の不況が伝えられ、どこそこの店が倒産しそうだという噂があったときでも『金属』だけは賑わっていた。  二月の半ばの大雪の降った日に、井崎は瑛子と賭《かけ》をした。井崎は、今夜は客は一人も来ないと言った。安江に、こんな日は閉店にしたらどうかと冗談を言った。事実、九時半になるまで客は来なかった。瑛子は、絶対に十人はいらっしゃると言っていた。十時ちかくなって、井崎の顔見知りのカメラマンがあらわれた。井崎としても負けを承知のうえの賭であるが、十時半になって、気づいたときには、ほぼ満席になっていた。そういう日は、社用族ではなくて、井崎の知っている顔が多かった。むかしの『金属』にもどっていた。酒場全体がひとつの顔を呈する瞬間があるとすれば、『金属』は様々な顔を持っていると、そのとき井崎は思った。『金属』の実力を、そのときに、はっきりと感じた。社用族が来ないと判断されたときに、『金属』の昔の常連が集まったのである。 『金属』について、井崎が不思議に思う、もうひとつのことは、女たちの日給が安いことである。これだけ繁昌していて、これだけ上等の客層を掴んでいる割には、給料が安すぎるように思われた。服装や靴やアクセサリーや、髪や化粧について、安江がきびしく注意したり、注文しているところを井崎は何度か見ていた。  中堅級の瑛子の日給は五千円である。実働二十五日として、月収は十二万五千円である。そこから税金を差しひかれる。三カ月間、無遅刻無欠勤を続けると五万円の報奨金を貰《もら》えるほかは、有給休暇も、その他の何の手当ても保証もなかった。遅刻に対する罰則も、三十分刻みで給料を差しひかれるきびしいものだった。指名制と、そうでない店との違いはあるにしても、井崎は月収百万円以上という女給がいることを知っていた。週刊誌などから得た知識からしても『金属』の女の収入はすくないと思われた。  しかし、井崎は、『金属』はいい店だし、安江は確《しつか》りした女だから、よその店に移るようなことは考えないようにしたほうがいいと瑛子に言っていた。瑛子も、そのつもりでいるようだった。瑛子は日給について愚痴を滾《こぼ》すようなことはなかった。  井崎には、どうして『金属』が繁昌し、いい客がついているか、また、どうして店の女の日給が安いのかということが、依然として、ずっと不明だった。そのふたつが結びつかなかった。それでいて『金属』の女には、どこかにゆったりしたところがあった。それが独特の店の雰囲気《ふんいき》をつくっていた。そうでない女は、すぐにやめた。  井崎が、営業時間中に『金属』の女を夕食に誘いだすようになったのは、そういうことがわかってきてからのことであった。八時までは、店のほうでも大目に見ているようだった。  瑛子にかぎらないことだけれど、そういう店で働く女たちは、料亭に関していっても偏頗《へんぱ》なところがあった。井崎が気遅れするような格式の高いスッポン料理や河豚《ふぐ》料理の店を知っていても、たとえば中国料理についてはラーメンや五目ソバぐらいしか知らないというところがある。それは、むろん、客に連れて行ってもらったり、宴席によばれたりするためだった。客によって左右されているのであって、当然といえば当然のことだった。しかし、ことは料亭にかぎらない。どこか偏頗だった。  瑛子は寿司は嫌いだと言っていた。しかし、本当はそうではなくて、寿司屋を知らないのである。どうしていいかわからないのである。ということがわかってきた。刺身が好きで寿司屋が嫌いということはあり得ないはずである。肩肘《かたひじ》張って生きているようなところがあった。  瑛子はヌルヌルした食物は嫌いだと言っていた。好き嫌いの激しいほうだった。あるとき、井崎は、だまって鮟鱇鍋《あんこうなべ》を注文した。瑛子は気味わるがる素ぶりを示した。しかし、その次からはその店では自分で鮟鱇鍋や甘鯛の刺身や鯛の白子を注文するようになった。  食事の途中で瑛子は、突然、天ぷらを注文するようなことがあった。井崎は、そういうことが厭だった。天ぷらには下拵《したごしら》えがいる。はたして板前は不快な顔をした。それが当りまえである。  そういう点については、瑛子は、若く、無智だった。我儘だった。井崎からするならば、この頃の若い女に共通する下司《げす》なところがあるということになる。井崎は、瑛子を教育するつもりはないが、その点だけは注意した。  井崎は自分も一種のサービス業者のつもりでいる。半分はヤクザな稼業だと思っている。だから、瑛子にかぎらず、『金属』の女や、小料理屋の仲居にも気をつかっているつもりだった。  瑛子は、夕食に誘われると、店の女を連れてきた。閉店後も、新宿の他の酒場や、赤坂の小料理屋へ誘うと、ほかの女を一人か二人連れてくる。それは、酒場の女がよくするような警戒心のためではなかった。  そういうところが、井崎には奇異に感ぜられた。酒場の女は、自分と客とが特別の関係にあることを隠そうとするものである。女のほうで隠そうとすれば、かなりのところまでは隠せるものである。  瑛子は、井崎によって恩義を売っているのかとも思った。それは主として交通事情のためだった。閉店後に別の女を誘えば、井崎はその女を送り、つぎに瑛子を送ることになる。しかし、瑛子は、そんなふうな女ではなかった。  井崎におぼろげにわかることは、瑛子が店のなかで孤立していることだった。瑛子には女の友達がいない。瑛子に心を許す女がいない。瑛子が店の女を連れてくるのはそのためだと思われた。それがわかってきたのも、ずっと後になってからのことである。  井崎と瑛子との関係は、瑛子の言葉によれば、店のなかで誰一人知らぬ者はないという。その言葉を井崎は全面的に信じたわけではなかった。  瑛子は、一年前までは広告代理店の社長の水野の女であった、と言った。どうせわかってしまうことですからと言った。みんな知っていることですからとも言った。しかし、井崎はそのことを知らなかったし、瑛子と特別な関係になってからでも、そのことを誰かに教えられることもなかった。そういうことは自然に耳に入ってくるものである。ただし、水野と井崎とが十数年前からの知りあいであることを知っているのは、瑛子と安江のほかは極めて少数であるに違いない。  だから、井崎と瑛子とが噂になっているという瑛子の言葉を信ずるわけにはいかなかった。  しかし、瑛子がそう言った頃から、『金属』の他の女の井崎に対する態度が違ってきた。いわば親密になった。  たとえば、友絵が、こんなことを言う。 「あたし、明後日、引越しをするの。こんどは少しマシなアパートなのよ。ねえ、井崎さん、遊びに来て。……瑛子や阿佐子と一緒に。みんなで泊りにきてよ。……え? もちろん、ハゲのいない日よ。うちのハゲは来る日がきまっているんだから、だいじょうぶ」  ハゲというのは、パトロンの隠語である。友絵は、瑛子とは逆の性格だった。店に馴染んでいて、店の女になっていた。瑛子のような鋭いところはない。瑛子はほっそりしているが、友絵は中肉といったところだろう。愚鈍に見えるところがあって、それだけに客に愛されていて人気があった。瑛子との相違は、友絵には店全体の調和をはかろうとする傾向があるということである。そういう点が瑛子と甚《はなはだ》しく異っていた。  友絵がそんなことを言ったのは、井崎を仲間だと思いはじめたからだろう。  春代は、別の店で、婚約者を紹介した。それは海運業に勤めている若い男だった。井崎は、一目で、その結婚がすんなりとはまとまりにくいだろうと思った。男の表情に暗い所があった。井崎は、春代の過去に何人かの男がいることを春代自身から聞いて知っていた。春代は、瑛子より若くて陽気な女だった。井崎に婚約者を紹介したのは、彼女自身が迷っていて、危惧《きぐ》を感じていたせいだろう。 「そうなのよ。あたしたち、駄目かしら。……むずかしいわねえ。どうしたらいい? でもねえ、井崎さん、外国へ行くときがあったら、あたしに言って。……彼に紹介させるから。……船なら半額で行けるのよ」  春代も、どこの店にいても目立つような女であるが、やはり瑛子とはどこかがまるで違っていた。井崎は、自分がだんだんに瑛子に傾斜するようになったのは、それが自分の好みだったと思うようになった。瑛子と、友絵や春代との相違のひとつは、瑛子には匂《にお》いがないということだった。体臭がない。女臭いところがない。裸になっても匂わない。顔だけが、わずかに、酸っぱいようなクリームの匂いを放っていた。それに、友絵や春代を、善良な、ふつうの母性愛型とするならば、瑛子は悪女型である。  瑛子が水野と別れたのは、水野が『金属』の他の女に手を出したからであるという。  井崎はそれがどの女であるかを知りたいと思うようになった。水野とは『金属』で月に一度か二度は顔をあわせることがあった。知っておいたほうがいいと思った。井崎は一計を案じた。彼は、水野が十数年前から煙草はロスマンズにきめていることを知っていた。  井崎は、しばらくの間、ロスマンズだけしか吸わないようにした。そうなると、自然に、ロスマンズをうまく感ずるようになるものである。 「あら、あなたもロスマンズなの」  そう言ったのは阿佐子である。カウンターの上で、阿佐子はロスマンズの箱を弄《もてあそ》んでいた。水野の女は、阿佐子だった。阿佐子の声と動作とで、それは明瞭だった。  井崎の計算によれば、水野が阿佐子と関係し、それを知った瑛子が怒ったのは、阿佐子が『金属』に来て二カ月後ということになる。  井崎が初めて阿佐子を見たのは、化粧室のなかだった。『金属』は、化粧室も、それに続く便所も、ゆったりとしていて豪華だった。  阿佐子は、和服を着ていて、化粧室の椅子に腰かけて煙草を吸っていた。そのときも、井崎は七時前に『金属』に到着していた。『金属』では、女が客用の化粧室に入ることも、客の前で煙草を吸うことも禁じられていた。 「あれ。あなたみたいなきれいな人がいたっけ」  半分はお世辞で、半分は本気だった。阿佐子は、モダンな顔立ちであるが、和服のほうが似あった。 「いるわよ」  阿佐子は落ちついていて、新人の風情《ふぜい》はなかった。瑛子が何をしてもピッタリとこない女だとすれば、阿佐子は、妾でも、旅館の女主人でもすぐにおさまってしまう女であるように見受けられた。 「ぼくの席に来てくれるかね」 「行くわよ。ちょっと待っててよ」  水野が阿佐子に手をだしたとすれば、瑛子が怒るのは理由があることのように思われた。  阿佐子は、こんなことを言ったことがある。 「あたし、ホステスなんて、こんな楽な商売ないと思うわ。六時半から十一時半まで、ただ坐っているだけで、申しわけないみたいなお月給をいただけるんですもの。……だけど、あたし、十八歳ぐらいの頃には、酒場に勤めるなんて、考えてみたこともなかったわ」  それは、誰が聞いたとしても納得のゆく話だった。こういう点に関しては、阿佐子のほうが瑛子よりもずっと上手《うわて》だった。阿佐子は、父が事業に失敗して、彼女の考えていなかったコースを辿《たど》るようになったという。阿佐子がそう言ったのは、勤めて間のない頃で、水野と関係する以前のことだった。  井崎が瑛子を好ましく思うのは、商売に熱心なところだった。それは井崎には意外なことに思われた。瑛子は休まないし、遅刻しない。  井崎が六時過ぎに『金属』に到着して、誰もいないだろうと思っていると、いつの間にか暗がりから飛びだすようにして、カウンターの井崎の隣の椅子に坐ったりすることがある。  九時を過ぎて、満席になることがある。 「よかったね、今日は」  自分の贔屓《ひいき》にする店が繁昌することも井崎にとって喜ばしいことだった。酒場も、適度に混んでいないといけない。 「まだまだ……」  瑛子は勢《はず》みをつけるようにして言った。 「こんなこっちゃ駄目よ、まだまだ……」  瑛子の言うのは、卓のほうが客でいっぱいになり、女たちは補助椅子に坐り、カウンターのスツールも客で占められて、そこの女たちは立っているようでなければいけないという意味だった。実際に『金属』は、そんなふうになる夜があった。  酒場に働く女は、たいていは湧《わ》きたつような雰囲気を好むものである。  安江は、どんなに満員になっても、カウンターの客が少いと淋しいと言っていた。カウンターの客は、社用接待の客でない自前の客であり、店についている客である。  瑛子は、 「月曜日には六時にお店に出なくちゃいけないの。絶対に遅刻しちゃいけないの」  とも言っていた。�絶対に�に力をいれて言った。それは、どこか幼くて、女学生のようにきこえた。月曜日には、青木の経営する同系列のどの酒場でもミーティングが行われるのである。  全く、ホステスという仕事は、なにか、とりとめのない仕事であるように思われることがある。  若い客とフロアで踊っているときの瑛子は、文化祭に招かれた女子大生であるかのように見えた。会社へ集金に行くときの瑛子は、経理部長であり、いっぱしの経営者だった。店の車に中元・歳暮の品を積んで配って歩くときの瑛子は若奥様であった。ボックスで、中年紳士に隣合っているときの瑛子は、パーティーに出席した令嬢ふうだった。老人の客の、たとえば彼の娘の縁談についての相談相手になっていることもあった。その姿は、何か娘の家庭教師に似ていた。そうして、閉店後のある夜の瑛子は、完全に娼婦《しようふ》だった。  月曜日にかぎらず、奥の丸いテーブルに女たちが集まって、打ちあわせをしていることがあった。早い時間に飲みにゆく井崎は、そういう光景も何度か見ていた。井崎を見ても、そのまま十分間ぐらいは打ちあわせが続くことがあった。  それは、試合を翌日に控えたバレーボールのチームであるかのように見えた。『金属』では、女給にレポートを提出させることがあった。レポートの内容を井崎は知らない。  それから、どうやら、顧客についてのカードをつくっているような気配があった。姓名、年齢、住所、会社名、職業、部署、紹介者、支払能力、その他を担当者ごとに記入して提出するようだった。  女たちをバレーボールのチームとするならば、安江が監督であり、瑛子が主将だった。瑛子は、友絵や春代にレポートの書き方を教えていた。傲《おご》った様子はなく、いい感じだった。女たちは、いつもと違った顔付きをしていた。真剣な表情で、ひそひそと打ちあわせを続けていた。井崎は、瑛子が女子大生として教場にいるかぎりは素直な良い学生ではなかったろうかと思ったりした。  安江が何か言う度に、全員が大声でハイッと答えるのではないかと錯覚しそうになることもあった。  瑛子は店を休まないし、遅刻しないし、カウンターやボックスをこまめに動きまわるし、客の席以外の仕事にも熱心だったし、その点ではいいホステスだった。暮時分に行われる仮装パーティーでも、すすんで変った役柄を買ってでていた。そんなふうな気のいいところがあった。  瑛子は無口だった。親密になったからといって、世帯じみた話をされるのは井崎も厭だった。また、女給の常套語《じようとうご》を口にしてケタケタ笑ったりされるのも鬱陶《うつとう》しいと思った。すっと寄ってきて黙って坐っていてくれればいい。愛想のわるいくらいの女の方が井崎は好きだった。  また瑛子はめったにはドレスアップすることもない。どこかに素人っぽさが残っていて、それで却《かえ》って目立つのだと井崎は思っていた。瑛子の服装はジュニア・スタイルにちかいのだろうか。あるいはカレッジふうなのだろうか。黒っぽい洋服や、枯草色や紺色のチェックなどが多かった。気にいった洋服を続けて何日も着てくることがある。それは高価なものではなかった。その点でも、和服の多い阿佐子とはずいぶん違う。しかし、化粧だけは、目のあたりがきつくなっていた。こうしないと、暗い店内では引きたたないのだと言っていた。よく見ると包《くる》みボタンの布が擦《す》りきれそうになっているワンピースを着ていたりする。そういう女は『金属』には一人もいない。瑛子は、ある点では、女給という職業にも抵抗しようとしているように見うけられた。  愛想のないことと服装については安江に注意されることがあった。井崎も、この女は、髪の手入れや服装について、普通の家庭女性よりも不熱心で投げやりなのではないかと思うことがあった。それは、服装だけでなく、金銭の扱いについても、ぞんざいなところがあった。月末に貰う給料を袋ごと落したり、客に貰った高価なブローチを紛失したりする。  阿佐子は、あたし、昨日の日曜日は、気がついたら二百円しかなくてさ、お部屋のなかでじっとしていたの、それで今日は嬉しくてね、早くお店に来たの、だって、このあいだのパーティーのお金がもらえる日でしょう、うれしくてね、などと言う。 「井崎さん、あたし、どんな枕をして寝ていると思う?」 「パンヤだろう。横に長い、ダブルの」 「そう。ですけどね、あたし、その枕で寝ないのよ。あたし、枕なしで寝られるの。で、その枕がどうなっているかっていうとね、クーラーの脇のところのガラスに隙間《すきま》があるのよ。そこに押しつけてあるの。ずっとそのまま……」  と、言ったりする。阿佐子の言葉には生活感があった。一人でマンションで暮している女の実感があった。瑛子には、そういうものがない。瑛子は、うっすらと笑ってその話を聞いていた。  瑛子は井崎がカウンターにいても、まるで寄りつかない日があった。そういうときは、井崎は、瑛子の客のうちのABCDEの誰かが来ているのだなと思った。それでいいと思っていた。しかし、瑛子は、ことさらに井崎から目をそむけるようにしていた。また、井崎が帰るときも、扉のところまで送りにでることもしなかった。それがわかってからは、井崎は、そんな日は逃げるようにして店を出た。  井崎が一年間のブランクがあって、また『金属』に通いだすようになったのは、その年の五月の半ば頃だった。  井崎がカウンターで飲んでいて、瑛子が隣に坐っていた。そこへ、井崎と親しい小説家がはいってきて、ボックスに坐り、井崎に気がついて手をあげた。 「あっちへ行っちゃ厭よ。絶対に厭よ」  瑛子が井崎の腕を掴んだ。その小説家について、あるいはその席についた女に関して、なにか具合のわるいことがあるのだろうと思った。同時に井崎は、おや、おかしいな、とも思った。それが七月の初めだった。  八月になって、店の女たちとプールヘ行くという話をきいて、井崎は、瑛子を連れだして海水着を買いに行った。『金属』のそばにある舶載品専門の洋品店だった。井崎は、フランス製の黒の水着を選んだ。背中のところが大胆に刳《えぐ》れていた。 「厭……。そんなの厭だ」  戸口のところに立ったままの瑛子が言った。恥ずかしそうにしていて、店のなかまで入らなかった。瑛子の言い方は学生ふうだった。  井崎は、かまわずに、その海水着を袋にいれて貰った。 「井崎さん、珍しいですね」  と、洋品店の主人が言った。 「え?」 「あなたがアクセサリーを連れて歩くなんて」  その頃、井崎は瑛子をうるさいくらいに思っていた。めんどうなことになるといやだなと思っていた。美しい女だとも思っていなかった。  しかし、どうやら『金属』では、瑛子を井崎の係りの女にしようとしているらしかった。瑛子が、先生は私のお客よと言うようになったのは、その年の冬になってからのことである。それまでは、井崎は安江の客のつもりでいた。『金属』へ行きだした初めの頃から、そのつもりだった。井崎は安江が好きだったし、マダムの客でいるほうが安全だった。どこの店でもそうしていた。  安江は、ずっと以前に、井崎さんは本当はどの娘《こ》が好きなのと訊《き》いたことがある。女によっては世話をしてやってもいいという口振りだった。井崎はそういうことは嫌いだったし、実際に寝てみたいと思う女は『金属』にはいなかった。  井崎が瑛子に海水着を買ったのは、特別の意味があってのことではなかった。行きつけの待合の女中に、暮に財布を買ってやるという程度のことである。安江に対しても、井崎はずっとそんなふうにしていた。世話になっていると思っていた。また、今後とも客を連れてきたりして世話になることがあるので、よろしくという意味だった。瑛子がそれをどのように理解したかは疑問だった。そのへんが、安江たちの年齢の女給と瑛子との違いである。若い女は実利を求め、それをそのように解釈しようとする傾向がある。  新宿で井崎がよく行く店は、『金属』のほかに三軒あった。二軒が酒場で、一軒が小料理屋だった。  秋になって、井崎が、ほかの店に廻ろうとすると、瑛子がついてくるようになった。それは、むろん、本来は許されないことだった。営業時間中のことだった。  瑛子は、井崎を送って出るふりをして、フロアマネージャーに、 「十分だけ……。おねがい」  というようなことを言った。 「私はね、古顔なのよ。ほかの人たちとは違うの。キャリアの差よ」  瑛子は、学生のときに手伝いにきていたときからすると四年になり『金属』のホステスになってからでも二年に近くなろうとしていた。  しかし、よその店に行って、十分で帰れるわけがなかった。瑛子にせがまれて、また『金属』に戻ったりするようになる。  ほかの店では、井崎は、瑛子のことを、町で声をかけて拾ってきた娘だと言っていた。瑛子は、そういう店へ行くと、断然、目立つのである。 「ねえ、井崎さん、町で拾ったのって本当なの?」  その店のマダムが言った。 「本当だよ」 「なんとかならないかしら。話してみてくれない?」  瑛子は神妙にしていたし、化粧はきつくても、服装が素人っぽいので、本気にされることがあった。 「凄い美人じゃないか」  競馬評論家にそう言われたことがあった。 「そうかな」  井崎は瑛子を美人だとは思っていなかった。ホステスとしては標準程度だと思っていた。 「すこし汗ばんでいるけれど、頸のあげさげといい、尾の振りといい、申しぶんないね。それに、腰の張り具合と肢《あし》の踏みこみ……」 「パドック(曳馬所)ではそう見えるんだよ」  井崎は、化粧と、酒場のなかの照明のせいだと思っていた。それに、井崎は、女も、馬と同じように日によって出来不出来があると思っていた。競馬評論家が瑛子に驚嘆したのは、瑛子の出来のよかった日だと思っている。  井崎が瑛子を美しい女だと思うようになったのは、化粧を落した瑛子の顔を見てから後のことである。瑛子の素顔を美しいと思った。そのとき、瑛子は、強風にむかって目を閉じている女の顔になった。童女の顔になった。  ある日、瑛子を送って帰る自動車のなかで、突然、瑛子は井崎のほうに身を寄せて、 「私、水野の女だったのよ」  と、言った。井崎は、このとき、瑛子が女としての全ての恥を井崎にぶちまけようとしているのだと思った。井崎の前で裸になろうとしているのだと思った。 「どうせわかってしまうことだから言ってしまいますけれどね、私、水野の女だったの。……一年間」  水野の女というのは、水野の妾というのとも意味が違うだろう。瑛子のほうでも惚れているという響きがあった。  井崎からするならば、水野は、狡猾《こうかつ》と、精力的であることと、田舎者の勤勉さ以外には何の取柄もない男だった。むろん、そのことは男としての一種の勝《すぐ》れた資質と能力であって、女にとって頼もしくみえるということはあるだろう。井崎は水野を嫌っていた。嫌いというより理解の外にいる男だった。また、水野は本当は気がちいさくて臆病《おくびよう》な男だとも思っていた。  井崎は、すこしがっかりした。 「だってね、そのときは、水野は、毎日、お店に来ていたの。それでね、帰るときに、お前さんがいるから『金属』に来るんだって言うの。殺し文句がとてもうまいの。……誰だって、そんなふうにされれば……。女の子なら誰だって……」  瑛子は涙を流していた。 「それにね、私、騙《だま》されたの。……私、もっと好きな人がいたの。……その人が待っているからっていうんで行ってみたら、いたのは水野だったの。……それで、それから、安江ねえさんにも言われたの。私、駄目なの。……でも誰だってそうでしょう。ああいうお店に勤めていたら……ああ、私……それから……」  瑛子は酔っていた。井崎も酔っていた。  瑛子は、もっと何かを告白したいようだった。 「ねえ、先生、私のこと、書いてよ。私のこと、小説に書いて……。私を踏み台にして……」  井崎は、それ以上のことを言わせないために瑛子の唇をふさいだ。井崎は、水野に立ちむかおうとする気分になっていた。水野は手強《てごわ》い相手だった。  しかし、そのときでも、瑛子を愛《いと》しいと思ったのではなかった。ホステスを送る客が、自動車のなかで女の手を握ったり肩を抱いたりする程度のことだと思っていた。瑛子は酔っていた。瑛子の言う意味での、瑛子の客になろうとは思っていなかった。     6 「こういうつもりではなかったんだが……」  井崎と湯村が、病室で将棋を指している。湯村は白衣を着ていて、盤面におおいかぶさるようにして考えている。髪がたれさがっている。  入院が三日目になった。  午後三時と五時の間の面会時間である。湯村は、病院の規則をきちんと守っている。  井崎も湯村も、将棋の段位を申請するとすれば、初段ではなくて二段か三段になる力を持っている。だから、二時間の面会時間で一局を指すのは少し困難である。 「こんなはずではなかったんだが……」  湯村と親しくなったのは、将棋のためでもあった。将棋の力が互角であって、しかも医者であるということで、湯村は井崎にとって得がたい友人の一人だった。 「おい、湯村、そう思うことはないか」 「え?」  やっと湯村が顔をあげた。 「こんなはずではなかったと思うことはないか」 「なんのことでしょう」  湯村の頭が将棋から離れたのがわかった。対局中に話しかけたのは、井崎のほうの形勢がいいからである。 「戦争が終るだろう。平和になるだろう。軍隊のない国が出来たわけだ。そいつは俺《おれ》にとっては天国であったはずだった。徴兵制度のない国というのはね。これだけは絶対に守ろうと思って生きてきたような気がするんだな」 「………」 「ところが、しかし、そうじゃないんだね。俺はね、戦争中は、大人は全部俺の敵だと思いこんでいたんだ。つまり、徴兵制度ということでね。俺を軍隊にいれて、戦争につれていって殺そうとしていると思っていたんだ。自分より一歳でも年長の者は、すべて敵だと思っていた」 「………」 「沢渡って奴がいたろう。二年うえに」 「ああ、海兵へ行ったやつか」 「そう。あいつは、どういうわけか海兵の服を着て、学校へ演説にきたろう」 「ずっと級長だったね」 「あいつなんか憎らしくてしょうがなかったな」 「どうして?」 「海兵に来い、陸士に来いっていう演説をぶっていたろう。偉《えら》そうな顔をしやがって」 「単純なんだろう」 「そうかもしれないけれど、海兵や陸士へ行くのは死ねっていうことだろう」 「行かなくたって兵隊にとられましたよ」 「そうかもしれないけれど、なんの権利があってあんなことを言ったのかね。戦争に対する疑問なんて、あいつにはまるっきりなかったね。いまだから言うんじゃないけれど、俺は、軍隊も戦争も厭だったね。これは、はっきりしているんだ。生理的に厭だった。とくに職業軍人はね。職業軍人になろうとする奴は嫌いだった」 「………」 「沢渡は俺にとって敵だった。ところが……。おい、大坪義男っていうのを知っているかい」 「知らないね」 「文芸評論家で、なかなか人気があるんだけどね。俺たちが中学の五年だったときに一年生だったんだ。……それで、そういう話をしたらね、大坪の奴、私にとって井崎さんたちも敵だったと言うんだ」 「敵?」 「そうなんだ。……戦争が終って、天皇が人間宣言をした。そのとき大坪は、はじめて天皇が人間であることを理解したというんだよ。彼は、そのとき中学の二年かな。大坪は、こう言うんだ。戦争中に、彼が一年生で、俺たちが五年生だったときに、井崎さんたちは天皇が人間であることを知っていたはずだと言うんだね。そのくらいの理解力があったはずだと言うんだ。それでね、どうしてそのことを下級生に教えてくれなかったんだろうかって……」 「ふうん」 「だから敵だと言うんだね。ちょっとこれは辛いね。だって、天皇は人間であるなんて下級生に演説したら、それこそ、ぶち殺されていたろう」 「………」 「それはどっちでもいいけれどね、そういう時代からすれば、いまは天国のはずだろう。ところが、そうじゃないんだな」 「………」 「戦争も平和も人殺しという点では同じなんだな」 「そんなことはないだろう」 「女房や友人や、仕事先の男とつきあうのは相手を殺しにかかることなんじゃないか」 「私は、きみを助けようとしているんですがね」  井崎はすぐに神経がとんがってくる。また、井崎と湯村では、思考の方法や構造が違っている。それが二人の職業を分けたことになる。 「栗原秀樹っていうの、知ってる?」 「知らないね」 「大坪よりも、ずっと若い。まだ二十代だ。劇作家だけれど、これが全共闘のバックボーンの一人なんだ。うちの息子なんかも信者になっているけれど……」 「林太郎《りんたろう》くんの?」  湯村は、そう言って指し手を進めた。 「そう」 「林太郎くんは、三派全学連? だってまだ高校生じゃないか」 「高校三年というと、かなりやるわけさ。もちろん、全共闘ではチンピラだけどね」 「心配じゃない?」 「心配なんかしないさ。高校三年になれば、もう親の責任じゃないからね。……その栗原秀樹なんだけれど」 「………」 「彼は、こう言うんだ。戦争の反対は平和じゃないって……。戦争の反対は平和じゃなくて革命だと言うんだ。革命のためには軍隊が必要なんだそうだ」 「なるほど。そりゃそうかもしれないね。素手じゃ恰好《かつこう》がつかないや。運動会の棒倒しみたいに」 「笑ってちゃいけないよ。敵であるにしろ、味方であるにしろ、軍隊という組織が必要だと言うんだね」 「………」 「それはね、戦略的に、ということだけではなくて、彼等のムードとしても、そういう組織を必要としているらしいんだ。つまり、憧《あこが》れているんだな。これには、がっかりしたね。というよりショックをうけた」 「そうだろうね、きみなら……」 「それでね、現に、軍隊に似た組織を持っているそうだよ。制服を着て、山の中で演習したりしているようなんだ。まあ、ボーイスカウトに毛のはえたようなものだろうけれども」 「………」 「つまり、戦略的にということと同時に、なんというか一種の連帯感みたいなもの、一体感みたいなものを求めているんだね」 「それは、わかるような気がするな」 「わかるような気がするだろう。だから困っちまう。彼等の論理は、めちゃくちゃなんだ。やっていることも全く意味がない。しかし、わかるような気がするようなところもある」 「………」 「しかしだね、俺は、戦後の二十何年間、栗原秀樹たちの世代のために戦ってきたつもりなんだ。自分の息子の世代のためにさ」 「憲法第九条のためにか?」 「そうだと言ってもいいよ。武力の放棄さ。徴兵制度の復活を阻止《そし》するために戦ってきたようなもんだ。とにかく、もっと簡単に言っちまえば息子を戦争に行かせたくない。軍隊みたいなところへ入れたくない……。こっちのほうも、単純といえば実に単純なんだな。幼稚だとは思わないけれど、誰でも考えているし、誰でも言ったりするようなことだ。しかし、俺は、軍隊というのが生理的に嫌いなんだ。……この生理的に嫌いだということは、根本的に間違っていないと思うんだな。そういう信念でもって生きてきたような気がする」 「わかるよ。そのへんのところも」 「俺は左翼でもなければ右翼でもない。学者でも評論家でもないし、戦争反対のお題目を唱えることを商売の種にしていたわけでもない。どっちかといえばヤクザ者だね。しかし、徴兵制度のことになるとカッとなってしまう」 「………」 「ところがだよ、その栗原秀樹や、栗原の世代の男たちが、軍隊のような組織をほしがっているんだね」 「林太郎くんは?」 「林太郎は、徴兵制度に関しては同じ意見らしい。日本内地のベトナム基地化反対というようなことを言ってるらしいんだ。アメリカ帝国主義の支配下にある自民党政府により、高校の教育も軍国主義的色彩が濃くなってきていると吐《ぬ》かしやがる。それは、パパの言う徴兵制度の復活につながるものだと言うんだね」 「同志じゃないか」 「どうだかね。……たしかに、子供の学校も進学主義というか、受験勉強ばかりの学校になっているようだね。つまり、東京大学万能主義というかぎりにおいて、自分の学校も、帝国主義的権力の末端機関だというんだ」 「筋が通っているじゃないか」 「徴兵制度の復活を阻止するためにも、いまの自民党政府を武力で倒さなくてはいけない。われわれの武装闘争は、決して暴力行為ではない。もっと大きな目に見えない暴力に対して、わずかに立ちむかうことによって民衆の自覚を促しているんだそうだ。そのために、まず、武力でもって授業を破壊し、できるならば高校を占拠したいというんだね。こっちのほうも武力と組織を必要としているんだ」 「………」 「実際に、学校の授業がつまらないというのも事実だと思うよ。このごろの高校は、文化祭も運動会も、春にまとめてやっちまうんだ。秋から受験勉強ばかりに打ちこませるためにね。それに遠足なんかも、体育の単位になるように仕組んである。修学旅行も二年のときに済ませてしまう。誰がそうさせているのかというと、教育ママだよ。マイホーム主義だよ。家庭の平和と立身出世主義が息子を武力闘争に追いこんでいるわけだ。俺は、そうだと思うよ」 「………」 「林太郎のことはどうでもいいよ。俺は、勝手にやれって言ってるんだ。しかし、栗原秀樹の場合に限って言えばだね、どうにも、こう、ザラザラしてくるんだね」 「老いたる戦中派としては、か?」 「そうかもしれない。ある雑誌の座談会でね、大坪義男から、お前は敵だときめつけられ、栗原秀樹から軍隊組織がほしいと言われたわけさ。これは、ギョッとするね」 「………」 「栗原秀樹とか林太郎みたいなのを育てちまったのは、実は俺たちなんだからね。俺たちとか、俺たちよりもう少し上の世代の男たちが育てちまったんだ。これは逃れようがない」 「そうとばかりは言えないだろう。そんなに神経質に考えちゃいけないよ」 「それはそうだけどさ」 「そこで、こんなはずではなかったということになるのか」 「そうなんだ。子供に軍隊生活をさせないというのは、俺にとっての、ひとつの立場であったわけだ。ところが、子供たちの世代、それから子供たちの若い指導者が軍隊組織をほしいと言いだしているんだ。その気持は少しは理解できるんだけれど、俺の立場がなくなったというのも事実なんだ。……こんなはずではなかったというのは、そのことだけではないけれどね、家庭の平和も、マイホーム主義も……それに……」  そう言いかけたときに、井崎は鋭い痛みが体を走りぬけるような気がした。 「どうしたんです」  湯村は、盤面をのぞきこむ姿勢を続けていたが、井崎が急にだまってしまったので、驚いたように目をあげ、眼鏡の位置をなおした。  思いきって言ってしまえ、と井崎は思った。 「今年の夏の終りに、甲府へ行ったんだ」 「………」 「甲府の温泉旅館に原稿を書きに行ったんだけれどね。うまく書けないで、部屋に閉じこもっていたら、宿屋の主人が町を案内してくれたんだ。昔の兵舎も案内してくれた。そこは山梨大学の寮になっているんだよ。俺は、山梨の六三部隊というところに入営したんだ。きみは軍隊生活を知らないだろう」 「知らないね」  湯村は、文科系の大学に進学する予定でいた。戦争の末期で、湯村は軍隊を逃れるために医科を志望したのである。戦争が終っても、そのまま学校を続け、心ならずも医者になってしまった。そのことを、湯村は�仮り末代�と言っていた。仮りにそうしたつもりが末代までのことになってしまったという意味である。井崎や湯村の同期生には、そういう男が少くなく、医者の数が多いし、本来は文科系に進むはずの男が、理科系の学校を卒業して化学工業の会社に入社したり、研究所に勤めたりしている。井崎の観測によれば、そういう同期生も、あまり幸福そうには思われない。 「ちゃんと残っているんだ。蚕棚《かいこだな》のような内務班も下士官室も、中央の広い廊下も| 甃 《いしだたみ》も」  予期しない涙が溢《あふ》れそうになった。 「へええ。丈夫なもんだね」 「頑丈だね、昔の工兵隊の造ったものは。……便所も行ってみたよ。それから洗面所も。……洗面所は、同時に洗濯する所でもありましてね。その裏の空地が物干場《ぶつかんじよう》になっている」 「甲府の聯隊《れんたい》は焼けたんだろう」 「七月十日だったかな。たしか七月十日の空襲で焼けたんだよ。しかし、案外に兵舎はやられなかった。というのは、なにしろ、人手があったからね。全部木造だけれど、焼夷弾《しよういだん》ぐらいは、兵隊が屋根に登って消してしまう。……それで、むろん、大学だから、ほとんど鉄筋の校舎に改造されている。しかし、わずかに残っているんだ。それが、どう考えても俺のいた兵舎だった。不思議に、その位置に立ってみると、それがわかるんだな。板張りの板は雨に晒《さら》されて船板のようになっているけれどね」  いろいろな思いがあふれてきて、何を、どの順序で、どう言っていいかわからない。 「そうかね、そんなに……」 「甃は兵舎のなかにある。つまり、そこで小隊ごとに分れているんだ。たとえば、夜中に便所へ行くとするだろう。営内靴《えいないか》を履き、編上靴《へんじようか》を持って内務班を出て、甃のところで編上靴に履きかえて便所へ行く。いや便所ではなく厠《かわや》だ。俺はね、高粱米《コーリヤンまい》ばかり食べさせられていて、下痢をしていたから、夜中に三度も四度も便所へ行く。そうすると、編上靴に履きかえるのが面倒になってくる。軍隊では厠は室内ではなくて屋外という解釈だからね。甃の上に簀子《すのこ》が敷いてある。その簀子を避けて編上靴を履いて厠へ行く。俺には、どうしても夜中に靴を履いて便所へ行くという感覚が馴染めないんだ。それで、一度、営内靴で厠へ行った」 「………」 「たちまち、ぶん殴《なぐ》られた。体が横倒しになって、鼻のあたりにツンとした感じが来る。それでも、すぐに直立不動の姿勢をとらなければいけない。あまり痛いという感じはないけれどね」 「………」 「もっとも、そのときは俺が悪かった。不寝番に、おい、と呼びとめられて、僕ですかと言ってしまったんだ」 「自分でありますか、と言うのかね」 「それでもいけないのかもしれないけれどね。その不寝番のことだけれどね、怪しい奴だと思ったら、誰《たれ》か、と叫ぶんだ。三度追及して返事がなければ殺していいことになっているんだ。実際には、そんなことは起らないけれどね、そういうふうな感じはわかるかね」  湯村は答えない。 「便所では、もう一度おこられた。便所から出て、後手《うしろで》で扉を締めたんだ。そんなこと、よくやるじゃないか。うっかりしたわけじゃない。それでいいと思っていたんだ。……そこを古年次兵《こねんじへい》に見られてしまった。そのときも殴られた。……殴られることは、たいしたことじゃない。しかしだね、軍隊というところは、そういう瑣末《さまつ》主義の行われるところなんだ。すべて、瑣末主義なんだ。形式主義かな。瑣末主義も形式主義も、だんだんに微細になってくる。尽忠報国も忠勇無双も愛国心も全く関係がない」 「………」 「そういう所なんだよ。俺には耐えられない。軍隊というのは、栗原秀樹の考えているようなカッコイイものじゃない。日本の軍隊というところは」 「………」 「便所から出たらね、直立して便所の扉に直面し、右手でもって正確に閂《かんぬき》を締めなければいけない」 「小笠原流だね」 「そうだ。『エチケット読本』なんていう本を見るとね、うしろ手でドアを閉めてはならないと書いてあるからね。襖《ふすま》を締めるときは、襖の前に膝をそろえて坐り、右に締めるときは左手で親骨の下部を持ってひきよせ、右手を引き手にかけて閑めるんだそうだ。……軍隊というのは、そういう女性的で陰湿なところなんだ」 「………」 「俺はね、栗原秀樹の頸を掴まえて甲府聯隊の兵舎の跡へ連れて行って見せてやりたい。そこで、どんなことが、どんなふうに行われたか、教えてやりたい」 「おい、あんまり昂奮《こうふん》しないほうがいいよ」 「夜中に便所に起きるとね、ピタアッという乾いたような湿ったような音がきこえてくるんだ。これは、下士官が初年兵をスリッパで殴る音なんだ。スリッパのことを何ていったっけな。上靴《じようか》かな。そのスリッパには鋲《びよう》が打ってある。……おい、軍隊ではスリッパにも編上靴にも鋲が打ってあるんだけれど、その鋲の数が幾つあるか知ってるか」 「………」 「たとえば編上靴の裏には、どういう位置に、どういう排列で、何箇ずつ鋲が打ってあるかを知っていなければいけない」 「………」 「馬鹿馬鹿しいじゃないか、そんなことは。殴られることは、まだしも我慢できるよ。しかし、形式主義と瑣末主義を強制されることには耐えられない。……また、そういうことに実に適している人間がいるんだよ」 「………」 「栗原秀樹の頸根っこを掴まえて、蚕棚のようなべッドで何が行われたかを教えてやりたい。南京虫《ナンキンむし》と虱《しらみ》がどのくらいいて、鶯《うぐいす》の谷渡りとかミンミン蝉《ぜみ》という刑罰がどういうものであったかを実地で知らせてやりたい。内務班はどういう匂いがしたか。厠はどういう匂いがしたか。物干場で何が行われたか。靴下一枚なくすとどうなるか。略帽を盗《と》られた男がどうなったか。……そいつはね、略帽を盗まれた男はね、鉄帽をかぶせられたんだ。朝の整列のときも、炎天を行進するときも。……そいつは、いい兵隊だった。優しい奴だった。罰せらるべきは略帽を盗った男じゃないのかね。軍隊では、そういう論理は通らないんだ。盗られたほうが悪い。それで、軍隊では、敵はアメリカ軍じゃないんだ。敵は日本軍なんだ。軍隊そのものなんだ。中隊長も下士官も班長も古年次兵も、隣に寝ている男も、みんな敵だ。そういう陰湿なものに耐えられると思うかね」 「………」 「タートルネックなんか着てね、赤のはいった上着を着てね、ケミカルシューズを穿《は》いてね、揉上《もみあげ》を伸ばしてね、利いたふうなことを言うあの若い男に、それを見せてやりたい」 「………」 「栗原秀樹だけじゃない。もっと俺の年代に近い男にも、そういう人がいるんだ。自衛のために徴兵制度を復活せよ。核武装せよ。すでに軍隊ごっこをはじめている人もいる」 「それは違うんじゃないかな。その人たちの言うことは……」 「そうかもしれない。しかし、ただひとつ、わかっていることがあるよ。その人たちは軍隊生活の経験がないんだ。それから、もう彼等は兵隊にとられる心配がない。かりに軍隊に入隊したとしても、いきなり将校だろう。いや、参謀本部だろう。……俺のときにはね、四十何歳かで召集になって、二等兵で、略帽をかぶって、二十歳そこそこの見習い士官に殴られている男がいたからね。彼等はそういう男とは違うんだよ。彼等は、学生時代から人気者で、能力があり、将来を約束されている男たちだった」 「待ってくださいよ。きみの考えは、どこかズレているね」 「ズレているさ。下から眺めているだけだからね。論理にはならない。ミンミン蝉をやらせる男もいれば、やらされる男もいる。そういう組織を造って貰いたくないと言っているだけさ。むやみに殺される兵隊の身になってみなさいよ。将棋でいえば……」  井崎は、盤上の銀や桂や歩を指で押えた。 「俺たちは、これだからね。俺たちは駒なんだ。駒を動かす人にはなれないし、なりたくもない。しかし、動かされるとすれば、一度は駒になったことのある人に動かしてもらいたい。内務班の匂いを知っている人にね。ミンミン蝉をやらされたことのある人にね。……非常に正直に、非常に率直に言うのだけれどね、これは俺の好みだけれどね、山の上に御殿みたいな家を構えている人に号令されて死にたいとは思わない」 「むちゃなことを言うなよ。御殿も陋屋《ろうおく》も関係ないじゃないか。きみだって高級マンションに住んでいるんだし……偏見というか、きみの考えは間違っているよ」 「映画俳優みたいな顔をしている人に殺されたくない。むろん、偏見さ。ひがみ根性さ。しかし、これは俺の立場なんだ」 「その、さっきの、栗原という人ね。その人の考えている軍隊というのは違うんじゃないか」  そのときに、また井崎の胸に痛いものが走った。井崎を刺すのは兵舎ではなくて、別の情景だった。それは湖だった。人工湖だった。人工湖のあたりの空気は乾いていて、真昼であって、人影がなかった。人の背丈の倍ほどにも伸びたグラジオラスが赤く咲いていた。木の蔭に、紫陽花《あじさい》が残っていた。 「えっ? もちろん、そうだろう。もっとカッコイイものだろう」 「それに、二十何年か前の日本と、いまの日本とは違うよ。いまの日本に軍隊が出来ても、木造の兵舎じゃないし、厠はトイレットだし、南京虫も虱もいないよ。鶯の谷渡りもミンミン蝉もないよ。きみは何か亡霊みたいなものにとりつかれているんじゃないか。きみのは被害|妄想《もうそう》だよ」 「おい、湯村。……俺は、日本人というものを信用していないんだ。日本人は駄目なんだ。軍隊をつくって、何年か経てば、かならず、ああなるよ。湿っぽくなってくるよ。瑣末主義になるよ。オリンピックを見ろよ。万国博をみろよ……」  そのころは、まだ万国博覧会は開催されていなかった。しかし、井崎が嘱託になっている食品会社でも、幹部も営業部も宣伝部も、万国博覧会にひきずり廻されていた。 「それはどうでしょうかね。第一、人間が変ってきてるじゃないか。とくに若い人たちは」 「すぐに夢中になる。形式主義になる。競争心をあおられる。そうやって、編上靴の鋲の数を数えさせるようになるんだ。人のものを盗ったって員数をそろえるようになるんだ」  湯村は、手がつけられないという顔をした。病人を看《み》る医者の顔になった。 「日本だけじゃないだろう。アメリカの軍隊だって、内部にはいれば同じことだよ。軍隊という人殺しの組織を造れば、自然にそんなふうになると思うよ」 「それで、どうなのかね。井崎の言うような軍隊のない日本になって、二十何年か経って、それで日本はどうなったのかね」  湯村の将棋は、勝負をあきらめずに、しぶとく粘ってくるというところに特徴がある。喰いさがってくる。 「それで弱っているんだ。それで困っているんじゃないか」  井崎は疲れてしまって、頭が混乱してくる。それは湯村にはわかっているはずだ。しかし、湯村は敗勢と思われる将棋を投げようとしない。それは、ひとつには、井崎が終盤に弱いことを知っているからでもあった。また結着をつけるというのが湯村の性格でもあった。  そこへ、老人の患者がはいってきた。おじゃまします、見せてください、と彼は言った。  年齢は、六十歳と七十歳の間であるように思われた。椅子もないのだが、突っ立ったままで将棋を見ている。湯村は、そっちのほうを見ようともしない。井崎は老人の目を見ていて、将棋が全く指せないか、駒の動きを知っているという程度の棋力であることがわかった。  トラックの運転手の河原たちがよく話題にしている老人であることが知れた。手を振り、足を高くあげて、口のなかでオイッチニと呟きながら歩行練習を続ける女と、この老人が面会室における嘲笑《ちようしよう》の対象になっていた。  老人は看護婦用の覗き窓から、部屋のなかを一室ずつ覗いて廻るのである。女子の総室の前では、立ちどまって長いあいだ見ている。そのことが話題になっていた。注意されても、やめようとしない。  老人は、井崎たちが将棋を指しているのを見て、はいってきたのだろう。  それがわかったので、井崎は、気にとめないことにした。局面は縺《もつ》れてきていた。双方が入玉模様になる。こうなると、湯村のペースであって、地力は湯村のほうがうえだから、井崎は局面の見方が悲観的になってくる。  五分とか七分という、素人将棋としては長考が続いていた。  湯村が考えているときに、さきほどの胸を緊《し》めつけられるような感情が戻ってきた。  山梨の聯隊を温泉旅館の主人に案内された翌日の夜おそく、瑛子が旅館に来た。  その次の日に、井崎と瑛子とは、山の中の人工湖でボートを漕《こ》いだ。瑛子は歌を歌った。その歌声がきこえてくるのである。ふだんは掠《かす》れている瑛子の声は、歌になると、小さな声であるが、高く澄んでいた。  Row,row,row your boat  gently down the stream ……  湖の上は二人だけで、あたりに人影が無かった。  湯村との将棋は、休憩時間が過ぎたこともあって、指しわけになった。そのときの形勢でいえば、井崎の敗勢といってよかった。湯村は、中盤までの形勢が悪すぎたので、指しわけを諒承《りようしよう》する形になった。  入院の三日目の日は、終日、明るく晴れていた。晴れているけれど、光のなかにいるというより水のなかにいる感じだった。それが京都という町の特色だろう。盆地は、どこでもそうなのかもしれない。晴れていても、山の上には雲がある。その雲が光っている。日光が水のなかに射すように光って見える。  体重は五十四・五キロになった。  腎臓と胸(レントゲン)と眼科の検査。眼科では異常がないという。瞳孔《どうこう》のうえの半月形の白い膜のようなものが気になっていたのだが。  原稿を郵送する。夕方になって、湯村が秋草を持ってくる。杜鵑草《ほととぎす》、鶏冠《けいとう》など。それに壺。それとトランジスタラジオ。髭剃り用の刷子《ブラツシユ》を買ってきてくれるように頼む。  道子への手紙。  昨日も今日も快晴。南側の部屋なので暑いくらいです。「G」(京都の酒場)の使いの人が来て、梅干を置いていった。これは、煙草をやめるときに、ふつうは強い酒を飲んで酔っぱらってしまうか、あるいは飴玉をしゃぶるかするのに、僕には両方とも禁じられていると言ったのに対して「G」のおかみさんが、そんなら梅干のタネをしゃぶったらいいということで届けてよこしたものです。見舞いの第一号が梅干であるとは——。  咳は出ないようになりました。だいたい平熱。この部屋は、案外、騒音がきこえます。また、病院というところは意外にも夜中の物音が絶えず、眠りにくいのが難。  もし、誰か見舞いにくるというような話があったら、極力、ことわってください。来ても何も出来ないので、こちらの気持の負担になります。いまの目標は禁煙にあり、それには人に会わないほうがいいのです。  今年はマツタケは不作だそうです。外出の許可は出そうもありませんが、何か機会があったら菓子を送るようにしましょう。  依然として、目も顔も黄色い河原のところへ、女の見舞客が来ている。十七、八歳であるが、自分の娘ではない。面会室でなかったら膝のうえに乗せているところだろう。  河原の感じは、いつもとまるで違っていて、口数がすくなくなっている。  軍隊があって、もしこの男が、内務班のことに習熟してしまったら、と井崎は考える。それは、おそろしいことだった。河原は、井崎のいた班の古年次兵と、風貌《ふうぼう》も性格もよく似ていた。  日本人は怖《おそろ》しい。日本に軍隊ができることは怖しい。林太郎や、栗原秀樹までを含めて、若い男たちをあそこへ追いやってはいけない。そうかといって、いまの時代はどうなのだろう。  井崎は面会室で煙草を吸いながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。     7  井崎は安穏を欲していた。井崎は疲れてしまっていた。やることはやったし、書きたかったことは書きつくしてしまったと思っていた。何か新しいことを書くとすれば、勉強し直さなければいけない。そのためにも休息が必要だと思っていた。  しかし、彼の職業では、それが許されていなかった。許されるとすれば、五十歳半ばか六十歳にならないといけない。そうでなければ、よほど鞏固《きようこ》な意志があるか、よほどジャーナリスティックな才能に恵まれているかしなければならぬ。井崎には、それが無い。  また、彼自身の経済的な事情からしても、休息するわけにはいかなかった。三年前に父が死んだときに、ほとんど貯えを出し尽してしまっていた。井崎はその一年後に郊外にマンションを買った。それは、主として、看病に追われ続けてきた道子を慰労するためのものだった。マンションは、分割払いで千二百万円である。それは、彼としては、なんとかなるだろうと思われる金額だった。しかし、内装と家具類とで、さらに五百万円ちかくの金額を要することに気づいていなかった。中途半端な形で引越すことになった。容易に支払いの目処《めど》がつくという金額ではなかった。借金の返済と税金に追われるようになった。  井崎の願った安穏とは、たとえば、博奕《ばくち》をやっていて馬鹿に調子よくツイてくることがあるが、相手が精神的に萎縮《いしゆく》してしまって、こちらは少しぐらい負けてもいいような鷹揚《おうよう》な気分になり、そのために得もしなければ損もしなくなるといったような状態だった。凧《たこ》が空に位置をしめて動かなくなる状態だった。あるいは、澄んだ独楽《こま》だった。  井崎は、終戦の翌年の十九歳のときからサラリーマン生活を続けていた。彼は、ずっと雑誌記者だった。雑誌の仕事は、際限のないような仕事だった。彼の勤める小さな出版社は何度も倒産し、似たような職場を渡り歩くようになった。暖簾《のれん》がものをいう時代に変っていった。新興出版社のほとんどが潰れていた。彼は、倒産のたびに、体も神経もすりへらしてきた。際限のない仕事は、身銭を切る仕事でもあった。将来性のない仕事だった。なによりも神経がまいってしまう。それをきりぬけてきたのは、彼が若かったからだった。その仕事が嫌いではなかったからだ。  小説を書くようになってから十年になるが、同じような気持でやってきた。それもまた際限のない仕事だった。神経を磨《す》り減らすことだった。また、彼は、自分が幸運にも恵まれてきたと思っていた。  そうやって二十年以上も続けてきたからには、時には、凧が揚がるような独楽が澄むような状態になってもいいのではないかと思っていた。  井崎は多くをのぞんでいるのではない。彼の欲する安穏とは、決して、だいそれた願いではない。  金銭のことは、実際は、それほど苦にしてはいなかった。いざとなれば、マンションでも調度類でも売り払って小さなアパートを借りればいい。それが井崎の仕事に影響するというようなことはない。彼は住居に執着することはないし、別荘や自家用自動車をほしいと思ったことはなかった。その意味での彼の欲する安穏とは、長屋住まいで小金があり、趣味的な仕事を持つ老人といった程度のことである。ただし、資料となる書籍類や、客の多い職業を考えると、そのことの実現は困難になるけれど……。  井崎の願っていた安穏は、金銭のことも関係があるのだけれど、主として、妻の道子とのことだった。ここまでくれば、もう少しはおだやかな生活になってもいいのではないかと思っていた。  井崎と道子は、毎年の夏に、つまらないことで諍《いさか》いをする。テーマは、いつでも同じだった。それが十年以上も続いていた。  道子は海へ行こうという。道子は海岸が好きだった。それも、脱衣場を兼ねた葭簀張《よしずば》りの茶店があり、遊技場があり、ハワイアン音楽が流れているような湘南《しようなん》地方の海水浴場が好きだった。そういうところの貸別荘を借りたいという。井崎は、それは、デパートで買物をするのと同じくらいに嫌いだった。  なによりも神経が疲れてしまう。井崎は、人混みと騒音が苦手だった。湘南海岸は昔とは違ってきている。海岸で夜を明かす若者たちがいる。トランジスタラジオやレコードプレイヤーを持ってきている。そういう人たちに混って泳いだり散歩したりするのは厭だった。関西で犯罪を犯した青年が自動車で湘南海岸に逃げてきて掴まったりする事件が続いていた。  それに、貸別荘を借りれば、親類の者が押しかけてくるのがわかっている。断る口実がないし、一人ではいられない道子は、むしろ、そのことを予定しているのである。そこで仕事をしたり、そこから東京へ通ったりすることは、井崎には出来ない。思いがけない出費もあるだろうし、保養にならないことがわかっていた。  井崎は、行くとすれば、多摩川の上流の旅館か、山の中の温泉地のほうがよかった。しかし、淋しいところが嫌いというより、それを恐怖する道子が相手では、相談する余地もないような考えだった。  避暑というときに道子の頭に浮かぶのは海岸であり、井崎の場合は、山か高原だった。道子の家は、戦前には湘南海岸に別荘を持っていた。井崎のほうは軽井沢に別荘があった。海と山に別れるのは、そのせいでもあるだろう。  また、二人の育った環境が違っていた。少女時代の道子の家の隣には、屋台店のオデン屋が住んでいたという。道子の家が貧しかったのではなくて、そういう土地柄だった。だから、道子は、屋台のオデンを食べたりするようなことが平気でやれた。井崎は、腹が減っても、酔っていても、そういうことができない。不潔な感じを拭《ぬぐ》えない。子供のときに、それはいけないこととして育てられてきた。井崎は、東京の山の手で育った。  道子にとって、盛り場は浅草である。井崎にとっては銀座である。道子は、ずっと、銀座というところが怖《こわ》くて仕方がなかったという。井崎には、そういう感覚が掴めない。井崎は浅草のほうがこわい。  それでも、毎年、夏になると、三泊ぐらいで、湘南地方のホテルに出かけていた。それ以上のことは、井崎には、金銭的にも時間的にも余裕がなかった。井崎は、海岸も、海岸べりに建っているようなホテルも嫌いだったけれど我慢するより仕方がなかった。一日中ベッドで寝ているか酒を飲むかして過していた。そのことが道子を不機嫌にした。また、冷房に馴れない道子が下痢をしたり、林太郎が喘息《ぜんそく》の発作を起したりして、楽しく遊んだという記憶がない。  ある年の夏に、井崎は道子に無理に誘われて泳いだときに、沖で心臓発作を起した。急に冷たい流れのなかにはいって、呼吸がとまったようになった。あのとき、林太郎のゴムボートがそばになかったら、井崎は確実に死んでいたと思う。そのことを道子に告げていない。井崎が、ホテルヘ行くと酒を飲んでしまって海へ行こうとしないのはそのためである。 「私、十日だって厭なんだからね。海へ十日行くんだって本当は満足していないのよ。一カ月ね。一カ月から一カ月半ぐらいよ。それくらい海へ行っていなければ海へ行ったって気がしないのよ」  それを言うときの道子は、憎さげで醜い顔になっていた。不快なことがあると、道子はそれを話題にして井崎を苛《いじ》めようとする。  ただし、井崎は、道子が海を好むのを咎《とが》めようとする気持はなかった。道子の思い描いていることはよくわかるし、そのこと自体は、好ましいくらいのことだった。道子は、蒼い空や遠い雲や水平線や白い波が無性に好きなのであり、そこに身を委ねてしまうときの気持は何物にも換えがたいようなものであったのだろう。そうして道子にとっては、泳ぎながらふりかえって見る海岸が、たとえば浅草につながるような具合に繁華なものでなくてはならない。道子には鄙《ひな》びたものを味わう素地がない。東京で育った女の殆《ほとん》どがそうであるように、それがわからないのではなく、それを知る機会がなかったからである。また、そういう年代に育ってしまったのである。いまのように、若い女が、女同士で九州や北海道の旅に出られるような時代ではなかった。  少年といっていいようなときから会社に勤めていて、追われるような思いで暮してきた井崎は、それがわかっていても、かりに経済的なゆとりがあったとしても、海辺の別荘を借りようとするような気持の余裕がなかった。井崎は、いまでも、追われるような思いを払拭《ふつしよく》することができない。そのことが、彼をいっそう苛立《いらだ》たせた。道子には、それを承知で井崎を擽《くすぐ》ろうとするようなところがある。  井崎の欲している安穏とは、そのようなものだった。ひとつには経済的な余裕だった。ひとつには道子とのことだった。井崎は、その両方にむかって、もういいじゃないか、これだけやってきたのだから、もういいじゃないか、勘弁してくれよ、と囁《ささや》きかけたいような気持になっていた。情報時代とか、ジャーナリズムの異常発達とかいわれるものも井崎を追いつめていた。 「結局、私は、おばあちゃんと同じなのね」  道子は、自分の母をおばあちゃんと呼んでいた。井崎にとっての義母は、一年のうちの大半を井崎の家で暮していた。  それを言われるのが、井崎にとって、いちばん辛いことだった。  井崎と道子は、終戦直後に一年ばかり通っていた大学の同級生で同年齢である。二人ともその大学をやめて、すぐに結婚した。女のほうはどうということはないけれど、井崎にしてみれば早婚である。それを井崎は、道子の母から道子を奪ったように思っていたのである。救いだしたように思っていた。  道子の家を地味で堅実で閉鎖的であるとすれば、井崎の家は派手で自堕落《じだらく》で開放的だった。井崎は、道子が、井崎の家の家風をより好んでいると思っていたのだ。 「昨日、お母さんに抓《つね》られたの」  学校の帰りに二人で映画を見て、町を歩いているときに道子が言った。その前日も、同じようにして町を歩いていて、帰りが遅いといって叱られたのである。二人とも十八歳だった。 「今日だって叱られるわ。昨日より遅いんですもの」  道子の家に近づいていた。 「どこを抓るの?」  道子は頬をつまんで、その手を何度も横に振った。それが井崎を刺戟《しげき》した。その刺戟は、性的なものだった。抓らなくたっていいじゃないかと井崎は思った。  道子の母は情感に乏しい女だった。言葉でもって娘を諭すようなことをしない。そのかわり、事務に堪能で、仕事の出来る女だった。職人肌の夫にかわって、町工場の経理を担当していた。家のなかで権力をもっていた。  結婚して二年か三年経ったときに、道子は空襲の話をした。  道子は、そのとき向島《むこうじま》に住んでいて、三月十日の空襲のときに、母と二人で逃げた。途中で、はなればなれになった。夜が明けたときに、道子は、母も、家に残った父も死んでしまったと思った。そのとき、悲しみよりもほっとしたような思いのほうが強かった。重石《おもし》がとれて自由になったように思ったという。  それは井崎には全く想像のつかない気持だった。井崎が道子を救ったと思っていたのは、そういうことがあったからである。井崎は、結婚とは、若い男と女とが世帯を持つことではなくて、男と女とが親のところから逃げだすことだと思うようになった。井崎は道子に手を貸したと思っていた。  それから二十年経って、道子に、結局は母と同じだと言われると、井崎はがっかりしてしまう。  諍いの結着がそこへゆく。母と同じだというのは、私はあなたなんかとは全く逆の性格なんだということになる。井崎が救ったのではなく不幸におとしいれているということになる。  道子の母は、齢をとって、実務家の面が消え、閉鎖的なところだけが残っていた。  たとえば、目の前の電話が鳴っても受話器を取ろうとはしない。体をビクッと震わせて横をむいてしまう。自分の知らない世界を拒もうとする。マスコミという派手な世界に恐怖する。井崎のところにはタレントといわれる人達から電話がかかってくることがあるが、道子の母からするとそれはスターであり、スターは偉い人であり、偉い人と話をするのがこわいのだ。  井崎にも馴染もうとしない。いつでもギクシャクしている。それは頑固《がんこ》なのではなくて、知らない世界に対する気遅れなのだ。それが道子の家の家風のようなものであって、道子の兄にも姉にも似たようなところがある。道子の兄や姉が井崎のところに来たがらないのは、ひとつには便所が洋式であるからだ。そういうことに気がつくまでには時間がかかり、わかったとしても井崎には理解のしにくいことである。知らないことは全て拒絶するというふうにしか思われない。  井崎は、道子が開放的な井崎の家に憧《あこが》れていたと思っていた。道子にしても、はじめのうちはそういう気持があったはずである。  職業の関係で、井崎のところには来客が多い。友人も多い。道子は、だんだんに客を嫌うようになった。  ときに麻雀《マージヤン》になることがある。道子は決して仲間にはいろうとはしない。もともと、勝負事や、他人との金銭のやりとりには不向きな女である。麻雀がはじまれば、道子はどうしてもサービス係りになってしまう。といって井崎が麻雀を教えようとすると道子は逃げるようにする。ゲームを見ていればおぼえられるのに見ようとはしない。  それは、自分が初心者として仲間に加わったときに他の人に迷惑をかけるのではないかという気持が先行するからである。そうやって閉鎖的になる。  道子との諍いは、そういうあたりにも及んでくる。  井崎の願う安穏な生活とは、そういうところにもあった。下手でもなんでも、どんなに負けようと、どんなに他人が迷惑しようとも(実際は迷惑になるようなことはない)道子が笑いながら麻雀の仲間に加わってくれればよい。そうならないかと思う。あるいは全く勝負事をあきらめてサービスに専念するのでもよい。自分の部屋にひきこもって早く寝てしまうのでもよい。道子は、そのいずれでもない。客がいる以上はキチンとしなければ気がすまないのだ。食事にしても、麻雀の客などは丼物《どんぶりもの》で済ませばよい。道子には、それが出来ない。刺身をとり、肉を焼き、吸物をつくる。ツマミモノを用意し、果物と菓子を買い、コーヒーをいれる。これでは、道子も、井崎のほうも疲れてしまう。 「要するに、俺は腹の足しになることしか出来ないのだ。いまさら俺の性格をかえることはできない」  道子は、夏は海岸で暮し、音楽会や芝居や映画に二人で出かけるという生活をのぞんでいたようである。道子には井崎がそういう男であるように見えていたようだ。  井崎は、戦前は新響(いまのN響)の会員であったし、築地小劇場にも通ったし、六代目菊五郎の芝居は欠かさずに見ていたし、そのころの少年の多くがそうであったように仏蘭西《フランス》映画に心酔していた時期がある。道子は井崎をそういう男だと思っていたようだ。  井崎がそうでなくなったのは、なんといっても生活に追われたからである。やはり、ずっと経済的にも気持のうえでも余裕がなかった。いや。追われたというより、絶えず何かに急《せ》かされているような思いで暮してきた。それがずっと続いている。たえず、せかせかしている。のんびり芝居見物するという気持になれない。映画は仕事で見るか、自分の原作のもの以外は見たことがない。  それを道子は、井崎がそういう世界をとっくの昔に卒業してしまって自分が取り残されているというように解釈する。  井崎は、三十歳ごろから新劇を見ても映画を見ても感動しないようになっていた。もっとはっきり言えば、書物の世界から得る喜びとくらべるならば、それは、かなり低俗なものだと考えている。そのことを道子に本当に理解させるのは困難だろう。井崎は仕事と酒と勝負事だけに打ちこんできた。こっちのほうが井崎の本質に近いかもしれない。  それでも井崎は仕事仲間では愛妻家ということになっている。辛い観察をしたがる男たちだから、愛妻家というのは、家の中に女がいなくては心細くて仕方のない人種だときめつけたりする。それは井崎には当っているように思われる。  道子の不満はそのようなものであり、井崎もそのことを理解する。  井崎は道子と調和したいと思う。いたわってやりたいと思う。労《いたわ》るということは妥協することだ。井崎がそう思うようになったのは四十歳になってからのことである。道子が父の看病につくすようになってから後のことである。  井崎は安穏に暮したいと思う。道子をいたわりたいと思う。しかし、その方策がつかないのである。反対に、道子との諍いが募るのである。  井崎と道子とは学生結婚であるが、学生結婚はうまくゆかないという説がある。それは、はじめのときに仲間であり同僚であったのが、だんだんに夫が夫の世界にはいってゆくときに、妻のほうで裏切られたような感じをいだくからであるという。淋しくなるという。  道子は、井崎が小説を書くようになる以前のほうが楽しかったという。井崎が出版社に勤めていたときは、時代も時代であったけれど、いまではとうてい考えられないくらいに貧しかった。しかし、道子にすれば、そのときのほうがよかったという。小説を書くようになってから、井崎は自分の手の届かない所に行ってしまって、自分のものではなくなってしまった。井崎は、いわば社会的存在になってしまったというのである。道子の不満と不安は、そういうところにもあるかもしれない。  井崎は、アメリカ人の夫妻のように「愛している」ということが平気で言えるような、それが義務づけられているような社会であったほうが便利ではないかと思ったりする。  実際に、井崎は、愛しているとか、それにちかい言葉を言ってみたいように思う。それは何割方かは本音であるといっていい。井崎は他人の夫婦関係について全く知るところがない。いったい、他家ではどうなっているのか。性的な会話が行われるのか。それはどのように行われるのか。  このような中年の夫が「妻と親しむ」とすれば、旅に出る以外にはない。一緒に旅行をすることだ。  井崎はそれをどのように強く願っていたことか。……温泉地であれば、休養しながら妻にサービスすることができる。そこで仕事をすることもできる。主婦にとって、もっとも喜ばしいことは、あげ膳、据え膳である。そのことはよく承知している。  井崎のような職業であれば、住所不定であっても暮すことができる。旅先から原稿を送ればいいのだ。井崎は何度もそのことを考える。道子と二人で旅に出る。日本全国を気ままに歩く。旅館で原稿を書き、出版社に送る。そういう生活は不可能ではない。高校三年になった林太郎は学校の近くで下宿生活をしている。そのほうの心配もない。井崎と道子は二人きりなのだ。  しかし、その唯ひとつの方策も全くとざされているのである。 「鉄道病」という病名がある。道子がそれなのだ。道子は電車に乗れない。むろん、飛行機にも船にも乗れない。  海岸のホテルに行くときは、どんなに遠くても自動車で行く。そうして、よその土地では井崎が附き添っていなければならない。道子は特定の道以外は、それが居住地であっても一人で歩くこともできない。  それならば、なぜ道子が、湘南の貸別荘で暮して、井崎を東京へ送りだせるかという疑問が残るかもしれないが、この「鉄道病」の説明は、なかなかに厄介なのである。  もし道子にそんな病気がなければ、当然、井崎とともに京都に来て看護できたはずである。また、そうでなかったならば、井崎も遠隔地の病院に入院する必要はなかったはずである。     8 「ストリート・フォビアというのを知っているかい」  と、湯村が言った。  それが、京都の病院に入院してから四日目のことだった。白衣を着た湯村が椅子に腰かけていて、井崎はベッドのうえで胡座《あぐら》をかいていた。 「知らないね」 「街路恐怖というのだけれどね。外出恐怖と結びつくことが多いんだそうだ。専門じゃありませんからね、私はよくは知りませんけれどね。最近、雑誌で読んだんですよ。ストリート・フォビアはストリート・ガール・フォビアなんだそうだ」 「街娼婦かね」 「そうなんだ。町を一人で歩くのをおそれるのは、男に声をかけられるのがこわいんだそうだよ」 「それは内心に、そうされたいという願望があるからなんだろう」 「よくわかるね。街娼婦になることを怖れているんだね」 「道子もそうかもしれない」 「いや、これは冗談ですよ。そういう例があるというだけだ」 「あれは色情狂だよ」 「またそういうことを言う。それを言っちゃいけない」 「俺の説は全ての女は色情狂だというんだから、言ったってかまわない。男を独占したい。男を自分のそばにひきつけておきたいというのが女の本質だろう。そういうものを本質的に備えているんだ」 「それが色情狂かね」 「色情狂だと思うね、男の目からするならば。……新婚の頃だけどね。俺は女房から逃げだして物干《ものほし》で寝たことがある」 「………」 「だから、夏だったんだね。俺は女房がうるさくて仕方がなかった。こういう気持は女には理解できないと思うね。……女房のほうは、夫婦というのは毎晩抱きあって寝るもんだと思っていたのかもしれない。男はそうはいかないよね」 「それでショックをうけたのかな」 「まさか。……女のほうは抱きあって寝たってなんともない。男はそうはいかない。これは俺たちだけじゃなくて、新婚夫婦は一度は経験することなんじゃないか。女のほうはわからない。嫌われたと思うかもしれない。それがショックといえばショックだけれど」 「………」 「だから、毎晩女房と一緒に寝てやるような男がいれば、どんなに貧しくたって女は幸福なんだろうと思うね」 「それで女は色情狂だというのかね」 「まあそういうことだね。男のほうは、ほら、子供のときに、密室をつくりたがるだろう。屋根裏とか物置とかにさ。一人になりたいんだよ。それは子供っぽいんじゃなくてさ、やっぱり男の本質なんじゃないだろうか。男と女の争いはそれじゃないか。逃げようとするのと引き留めようとするのと」 「………」 「結婚してからでも、俺がいちばん楽しかったのは、読みたいと思っていた本を買ってきてさ、一人で、自分のべッドでその本を読むことだったな。それ以外に楽しみはなかったな」 「私もそうだった。みんなそうでしょう」 「しかし女房には理解ができない。それが男にとって勉強なんだけれどね。そうやってふとってゆくのにね」 「それはわかりますけれどね、色情狂とは関係ないでしょう」 「関係ないか」 「ありませんよ。ああ、そのさっきの雑誌ですけれどね。外出恐怖症というのは花柳界の女性に多いそうですよ」 「………」 「下町の芸妓さんでね、山の手へ行くと不安発作を起すという例があるそうです」 「道子は銀座がこわかったそうだ。浅草は平気だけれど、銀座はこわい」 「閉鎖的な社会に住んでいて、山の手へ行くと価値観がこわれてしまうせいだと説明してありました」 「俺も、均合《つりあ》わぬは不縁の基というのは真理だと思うね」 「気にしないでくださいよ。参考のためにと思って言ってるんですから」 「気になんかしていない」 「それから、内気な性格の人ばかりとはかぎらないそうです。発病以前は、気の強い積極的な性格の人に多いとも書いてあったな」 「そうかもしれないな。何か自分の自由にならないことがあって、それが昂《こう》じて発作を起すのかもしれない」 「そう書いてありました」 「しかし、女房のは外出恐怖症ではなくて、乗物恐怖症だよ。……いや、外出恐怖症も混っているんだ。たとえば、どこまでも続くような一本道があるだろう。そういうところは歩けないんだそうだ。こわいんだね。そのへんは、どうも俺には全然わからない。それから、発作が起ってすぐのときの、いちばんひどいときは、やっぱり一人では外出できなかった。ところがね、不思議なんだね、魚屋とか八百屋とか乾物屋のかたまっている一角があるんだけれどね、そこへは一人で歩いて行かれるんだ。つまり、俺と林太郎のための惣菜を買いに行くことはできるんだ。もちろん、横道へはいることはできない。それと、雨の降った日に、近くの駅に傘を持って俺を迎えにくることはできる。その二つの道しか歩けない。そのひとつも雨が降らなければ歩けない」 「ふうむ……」 「なんだか俺はぞっとするんだ。つまり、女ってものにね。それが女なんだね。男を引きつけて置こうとする力は凄いもんだね。その瞬間だけは発作のことを忘れてしまうんだね。これは本能かね」 「有難いことじゃないですか」 「そうなんだ。有難いことでもあるんだ。ぞっとするのと有難いと思うのが半々だね。だって食事の支度ができないとなったら本当に困っちまうからね」  道子が発作を起したのは、結婚後二年目の昭和二十六年だった。林太郎の生後八カ月というときだった。  直接の原因は、堕胎のときの麻酔薬が体質にあわなかったためである。その日に病院から帰ってきて、深夜に手足が硬直して動かなくなった。顔も痙攣《けいれん》した。脈搏《みやくはく》は数えられぬほど早くなった。  そのときから、道子は一人歩きが出来ないようになった。半年間は、一週に一度の割で発作を起した。電車に乗れないのは、もし、電車に乗っているときに発作が起きたら困ると思うからである。  ある医者はヒステリー症状だと言い、ある医者は心臓神経症だと言った。脚気だと言う医者もいた。東大病院では「なんでもない」と言われた。  発作は、週に一度が、半月に一度、月に一度というふうに減少して、五年後には、起らないようになった。鉄道病とか乗物恐怖症といわれるものだけが残った。 「パパがいけないんだからね」  と、道子は言う。道子は井崎のことをパパと呼んでいた。 「パパが堕胎《おろ》せって言ったから、堕胎したんだからね。私は産みたかったんだ。一生恨んでやるからね。私は、ピョコタンピョコタンって何人でも産みたかったんだ。お産なんて、ちっとも苦しくもなければ痛くもない。私は産みたかったんだ」  しかし、その頃は、子供が一人いるだけでもアパートを借りるのが困難な時代だった。  四日目も、よく晴れた日だった。  夜中になっても、なにか廊下のあたりが騒がしいのは、四二二号室の患者が危険な状態でいるからだということがわかった。腎臓病であるという。  腎臓病の末期は、痛みが激しくて、患者は苦しんで死ぬと滝本が言った。糖尿病は、必ずといっていいほど腎臓病を併発する。井崎の父もそうだった。井崎自身も、そのことは覚悟している。 「苦しんで死ぬのか」  と、滝本の言葉を反芻《はんすう》してみる。しかし、それはまだ遠いことのように思われた。  病院の裏庭では、草を刈って焚火《たきび》をしている。井崎は、面会室で、それを眺めていた。手伝ってみたいような気分になる。しかし、寝間着のままで表に出るわけにはいかないし、着換えることは禁じられている。井崎は、やはり拘束されているのだと思った。  尿糖の具合は、いままでのところでも、ずっと良くなっていると看護婦に言われる。生活管理が違うからだろう。酒を飲まず、煙草の数を減らし、来客がないと文字を書くのが苦痛ではなくなってくる。手紙を書いたり、湯村の持ってきた秋草を写生したりする。  道子への手紙。  快晴が続いている。山がよく見える。  昨日は腎臓、胸(レントゲン)、眼科などの検査があった。食事は残らず食べているが、糖は減ってきている由。煙草は一日五本という指定。風邪がなおり元気になれば禁煙に挑戦するつもり。ただし、原稿を書くと駄目だ。行きづまると、どうしても、ここで一服という気持になる。  四時五十分に晩飯がくるのだから厭になってしまう。意外にもタマゴが多い。タマゴはコレステロールに悪いはずなのだが、予算の関係で、そうなるらしい。タマゴ焼き、ハムエッグ、ボイルドエッグなど。しかし、一日に〇・五キロふえる感じで、五十四・五キロになった。湯村先生に頬がふっくらとしてきたと言われる。やはり酒がいけなかったのかな。  ベッドの上で原稿を書いていると、なんだか独房の政治犯のようだ。それはのぞむところ。  なかなか風邪がぬけない。睡眠不足と、暖房になれぬせいか。今夜あたりから眠れるようになると思う。どうやら、一人わるい患者がいるらしく、一晩中バタバタやっている。  文字を書くのが楽しい。唯一の道楽のようで不思議な体験です。  ツワブキが咲いたでしょう。サザンカはまだですか。     9  井崎が畠《はたけ》の中に画架をたてて絵を描いている。畠に雪が残っている。井崎は農村風景を描いてみたいと思っていた。  井崎が立っているのは麦畠である。そのむこうに小川があるが、流れは見えていない。小川の向う側が野原になっている。その先に藁葺《わらぶ》きの農家がある。このあたりでは、かなり大きな農家である。農家の背後は森である。そうして、そのあたりから地面が次第に高くなっていって、甲州街道になる。昔の甲州街道は、ずっと下のほうに、つまり、農家のあるあたりにあったそうだ。井崎としては、武蔵野台地のいちばん低いところに立っていることになる。井崎の背後の水田地帯を四、五百メートル南に歩けば多摩川につき当る。  農家の左端に樹齢百年を越すと思われる欅《けやき》の大木が立っている。まだ新芽をふいていない。その下に水車があるが、いまは使われていない。そのあたりに納屋があり、蔵がある。  大きな柿の木がある。その枝ぶりが農家に風情をそえている。庭に、鶏と矮鶏《ちやぼ》が歩いている。小型トラックがある。井崎には見当のつかぬ農機具がある。盆栽用の棚《たな》らしきものも見える。  井崎は、それらの見えているものを全て描いてしまおうと思う。 「俺には見えているのだから描くよりほかにない」  黒のコンテで、それを写生している。  井崎の絵に対する考え方は、自分の目に見えているかぎりのものを全て正確に描きつくそうということである。実際には、そんなことは不可能である。しかし、井崎は、そのことにむかって格闘しようとする。  井崎は自分に絵画の才能があるとは思っていない。絵画の本を読んだこともないし、勉強したいと思ったこともない。やみくもに、見えるかぎりのものを正確に描きつくそうとするだけだ。そうやっているうちに、いつかは、どこかに突きぬけるのではないかと思う。そのことに自信も成算もない。そういう画家がいるのか、それが絵画の勉強法として正しいのかどうかということも知らない。そうやっているうちに自分の画風というものができるのではないかと漠然《ばくぜん》と考えている。そうする以外にないように思いこんでいる。しかし、実際は、いつまでたっても進歩しないし、うまく描けたと思ったことがない。いつまでも小学生の写生の段階にとどまっている。井崎は泣きたいような気分になる。自分で自分を苛めているような気がする。井崎は、いつかは自分の気にいった風景画を完成して、額にいれて部屋に飾りたいと思うのだが、それが果たされたことがない。デッサンが終ったら油絵に進みたいと思うのだが、それは遠い遠い先のことに思われる。  一年に一度か二度ぐらい、井崎は無性に絵が描きたくなる。風景と静物に限られているが、そういう描き方だから、時間がかかってしまって光線の変化に悩まされる。二日も三日も通うわけにもいかない。  冬の陽《ひ》があわあわしくなってきていて、西の空が赤くなりはじめている。右手が冷たくなってくる。左手は、ポケットにつっこんでいる。  井崎の目が女を把《とら》えている。女がちらちらしている。女は、多摩川に通ずる道のあたりにいる。その道を、ときどき農家の小型トラックが通りすぎる。水田にも畠にも人がいない。  女が近づいてきた。女は瑛子だった。  瑛子は二十メートルぐらいのところで立ちどまって、すぐには井崎のところへやってこない。 「なんだ、きみか……」  井崎の目が瑛子を把えてから、七、八分の時間が経っていた。 「なんだってことはないでしょう」  掠《かす》れた声で笑った。 「どうしてわかった?」 「………」 「俺、なにか言ったかね」 「あら……」 「喋《しやべ》ったのかね。ここへ写生に来るって」  瑛子は答えない。  井崎が喋ったのに違いない。すこしずつ思いだした。多分『金属』で、今度の日曜日に多摩川へ写生に行くと言ったのだろう。下車駅と、だいたいの方角を言ったのに違いない。そうでなければ瑛子が来られるはずがない。そのときも井崎はひどく酔っていたのだろう。瑛子は答えないけれど、私も行っていいかしらぐらいのことはあったのだろう。井崎は忘れていた。まるで記憶がない。  それにしても、ふつうの女なら、井崎を発見したところで声をかけるだろう。あるいは、まっすぐに近づいてくるはずである。井崎は、瑛子のそういうところがわからない。  郊外に写生に行くとするならば、まず家族連れということを考えるだろう。瑛子が遠くの路上で躊躇《ちゆうちよ》していたのはそのためかもしれない。それを確かめていたのかもしれない。  瑛子は、やっと、無言で近づいてきた。 「よく来てくれたね」  井崎はまだ驚きのほうが強かった。瑛子は黙って熱心に絵を見ていた。 「弁当でも持ってきてくれたのかね」  瑛子は小さなハンドバッグしか持っていなかった。 「チョコレートかなんかないか。だいたい、若い女ってのは、ハンドバッグのなかにチョコレートとかチューインガムとかをいれておくもんじゃないのか」  井崎はハンドバッグに手をかけようとした。瑛子は逃げるように飛びさがった。 「手……」 「………」 「まっくろ……」  右掌《みぎて》の三本の指が黒くなっていた。しかし、瑛子は井崎の手が汚れているので逃げたのではなさそうだった。 「ごめん」  瑛子はまた近づいて絵を見た。 「先生、私に絵を教えて……」 「教えるならもっといいひとを紹介しよう」 「……いや」 「俺は下手なんだ」 「あ、これ、水車ね」  瑛子は、絵のほうから水車を発見した。 「動いていないけれどね」 「私、水車が見たかったの。……私、見てくるわ」  飛びはねるようにして農家のほうへ駈けていった。井崎は何か胸のなかに暖いものが溢《あふ》れてくるような気がした。口笛を吹きたいような感じになった。  瑛子はなかなか帰ってこなかった。農家の裏のほうや森のあたりを見ているようだった。そのために井崎の絵は捗《はかど》った。  うす暗くなってきた。  瑛子が戻ってきた。井崎は、はじめて瑛子の顔を正面から見たように思った。店にいるときとは違って、アイシャドウをつけていなかった。少女っぽい顔になっていた。井崎は少し感動した。 「これ貰《もら》っちゃった」  干柿を持っていた。 「不思議な才能があるんだね」 「これを見ていたのよ。そしたら、お婆さんがくれたの」 「ついでに沢庵《たくあん》なんかも貰ってくればよかったのに」 「………」 「もうちょっと待っていてくれないか。……あと、二、三十分……」 「いくらでも待つわよ。私、邪魔しにきたんじゃないもん」  瑛子は離れたところで体を動かしていた。 「寒くないか」 「寒くないわよ」  井崎は、マフラーを放《ほう》った。  瑛子は、そのあたりで、駈けたり、飛びはねたりしていた。 「私、体操は駄目だったけれど、幅跳びだけはうまかったの」 「蛙みたいな女だな」 「失礼しちゃうわ」 「むかし、蛙に似た女を募集したことがあったね。きみなら合格したかもしれない」  瑛子は目が大きい。 「コルゲンコーワでしょう。あのとき、私は小学生だったわ」 「小学生じゃ駄目か」  瑛子は幅跳びや走り幅跳びをやっていた。 「こういう所へ来るときは運動靴か、せめてズックの靴をはいてこなくちゃ……」 「私、縄跳びもうまいのよ」 「跳ねるの専門だね」  瑛子は腰をおろして、ちいさい声で歌を歌っていた。  Gin'a body,meet a body    comin'thro'the rye,  Gin'a body kiss a body need a body cry?  Oh,llka lassie has her laddie,    ne'er a ane ha'e l,  Yet a'the lads they smile at me,    when comin'thro'the rye. 「英文科だな……」  瑛子は答えない。  井崎は道具を片づけた。 「行こうか」  二人は畦道《あぜみち》を歩いた。 「退屈だったの?」 「うちにいたって、しょうがないんですもの」  井崎は瑛子の手を握ろうとした。瑛子は、それを強くふりはらった。ずっと後になっても、どんなときでも、瑛子は、恋人同士のように見えるようなことを拒否した。 「先生、その絵を私にちょうだい」 「いやだ。もっとうまく描けたらあげるよ」 「………」 「どっかで食事でもしようか」 「厭。……私、まっすぐ帰るの。水曜日に、またお店に来てちょうだい。……絵なんかいいわ。このマフラー、貰っちゃうから」  駅に着いたときに、瑛子は右掌をひろげた。石を持っていた。 「どうしたの?」 「だって、先生が触《さわ》った石なんですもの」  それは畦道を歩いていたときに、井崎が形が面白そうだと思い、いったん拾って捨てた石だった。井崎は酒場にいるときの瑛子と、そういう瑛子とが結びつかない。  その日は、三つ目の駅で井崎が降り、そのまま別れた。  それは、井崎が入院したときからすると、八カ月以前であり、『金属』へ通いだしたときからすると十カ月後だった。  瑛子が、先生は私のお客よと言いだすようになった頃だった。井崎は、瑛子について、なんだかおかしいなと思うようになっていた。瑛子に対する自分の気持も、すこしおかしい。     10  道子への手紙。  今朝は五時から検尿。五時半に葡萄糖《ぶどうとう》を飲んで、また検尿。これが八時半まで続く。  今朝の食事。食パン三片。ユデタマゴ。バナナ。牛乳。マーガリン。なんでも全部食べることにしている。  京都の女言葉は、終りに「し」がつく。「八時半にまた検尿です|し《ヽ》」という具合。「滝本先生がまたいらっしゃいます|し《ヽ》」。今日の検査は、いま終ったところ。看護婦が「これで終りました|し《ヽ》」と言う。文庫本をあげようとしたら「いまは勤務中です|し《ヽ》」と言って出ていった。  看護婦に菓子でもあげようと思ったら、この病院は、そういうことがやかましいらしく、湯村に頼んで文庫本を五冊買ってきてもらって部屋に置いてあるのです。自分の本ならいいだろうというわけ。  昨夜は安定剤を貰ったせいか、いままでよりはよく眠れた。馴れてきたせいかもしれない。それでも夜中に二度目をさます。  全般的にいって、愉しい療養生活といっていいと思うけれど、生死の間を行ったり来たりという患者が周囲にいるわけで、あまりノンビリした顔をしていてはいけないと思う。  それに、糖尿病というやつは、なかなか厄介な病気で、油断できない。気をゆるめたらオシマイダ。  面会室で、患者同士の座談を聞いていると、驚くことが多い。藤沢という四十歳ぐらいの男はアルコール中毒である。仕事は何かわからない。病名は、どうやら肝硬変症であるらしい。 「車のほうで勝手にとまりよる。気イついたときは、もう酒屋のなかや。わたしら、自分で八合でも一升でも飲みよるさかい。ツキアイやったら二升飲むわ」  藤沢が梯子酒《はしござけ》の話をしている。井崎は、はじめ、車というのは自動車のことだと思って聞いていた。自家用車で何軒もの酒場や小料理屋を梯子酒するのだと思っていた。しかし、車というのが自転車であるということがわかってきた。すると、工場にでも勤めているのか。井崎が聞き誤ったのは、そんなに酔っていては自転車に乗れるはずがないという先入観があったせいだろう。 「飲まないで帰った日は、玄関をあけますやろ。わたしは、いっさい声を出さないんですわ。女房がコップに酒をいれて持ってきますわ。洋服も着換えんと、ぐっと飲みます」 「ほう。えらいもんやな」 「それで、お代りや。もう一杯、キューッとやりまんのや。ほら、うまいですわ。それで、コップに二杯飲み終って、はじめて、ただいま、や。いま帰りましたって、これですからね」  肝臓の患者は、ほとんどアルコール中毒である。彼等は、夜、裏門から抜けだして、ホルモン焼きの屋台へ飲みに行く。また、病室のどこかにウイスキイのポケット瓶をかくしている。ビールの栓を音をたてずに開ける法を説明する男がいる。  井崎が東京から持ってきた灰皿と、酒場の「G」が届けてよこした梅干が、いつのまにか失《な》くなっているのに気づいた。看護婦が、見つけて、井崎の知らぬ間に持っていってしまうのだろう。退院のときに返してくれるのだと思って、井崎は、そのことについて訊くことをしなかった。  このような厳重な管理のなかで、肝臓病の患者は、どうやって酒類を隠すのだろうか。  肝硬変症はもとより、肝臓病の患者が酒を飲むことは自殺行為である。井崎は、そういう男を見ていると、いったい、彼等にとって生きるとはどういうことなのかと考えてしまう。そのことに驚いてしまう。死にむかって一直線に急速度に突き進んでいる男たちであるとしか思われない。それでいて、何かに悩んでいる様子もなく、屈託するところもない。健康保険証があれば、入院費用はほとんど無料である。井崎は、そのときも、軍隊生活との相似を考えていた。  男の患者の話題は、酒の話、煙草の話、女の話にかぎられている。週刊誌、雑誌を互いに交換して読んでいる。彼等の読む頁《ページ》も限られている。一般に、エロ小説といわれているものしか読まない。もっとも、煙草に関していえば、井崎も、けっして大きな顔はできない。滝本や湯村から禁じられていることが守れないのである。  肝臓病の患者のなかに一人だけ、酒を飲まない男がいる。やはり四十歳ぐらいで、不動産の関係の仕事をしていて金廻りがいいようだ。  恰幅《かつぷく》の良い男で、顔の色艶もいい。彼は、活発に病室と面会室の間を往復していた。絶えず自動電話で事務所と連絡している。  彼は自分の病名が納得できないようだった。不法監禁されている男のような態度をとっていた。他の患者とは違うのだということを誇示するようなところがあった。井崎に、同時に英訳のわかるような国語辞典はないかと訊ねたりした。  彼は、裏庭に自家用車を置いてある。夜になると、それを運転して、女に会いに行くのである。井崎に前夜のことを細かく報告したりする。病院は厳重に管理されている。しかし、それが病院であるかぎりは、どんな深夜でも、どこかに通り抜けられる道があるはずである。どうやら、患者たちは、看護婦の宿舎と病室との間の通路を利用しているらしい。  その不動産業者の妻は、毎日、面会に来る。二十四、五歳ぐらいの大柄の美しい女だった。彼は他のどの患者よりも、妻に対して親切だった。女の扱いがうまいということがすぐに知れた。なにか、犬の訓練士が犬を扱っているようにも見えた。優しいのだけれど、注意すべきところは注意し、叱るべきところは叱っているのである。妻がエレベーターに乗ってしまうと、井崎にむかって舌をだした。  井崎は、その男を見ているときに、やっぱりそういうものだろうと思った。女あしらいは、こうでなくてはいけない。それが自分にはできない。  道子への手紙。  尿糖の出具合は、ずっとよくなっているそうだ。やはり、最初のときは、夏うちの不節制が結果にあらわれたのだろう。以後、気をつけます。  裏庭で、毎日、夏草を刈り焚火をしている。手伝いたいのだけれど、外出禁止だから仕方がない。  容態の悪い患者は、腎臓病の末期だそうで、十五分おきの点滴で、医者も看護婦も家族の人たちも大変だ。  今日は薄曇りで、このほうが暑くなくて眠れそうです。風邪は、ずいぶんよくなった。  京都といっても、ここは工場地帯で、遠くの山以外は、全く窓の外がつまらない。しかし、患者や見舞客を見ていると面白いし、勉強になるようなこともあります。  留守中の電話など、控えておいてください。新聞もとっておいてください。頼みます。  四二二号室の腎臓病の患者の容態は、いよいよ悪くなっているらしい。重態から危篤という状況になったのだろう。  十五分おきの点滴が、ずっと続いている。その部屋の扉は、たいていは開け放しになっていて、医者や看護婦や近親者の出入が激しくなっている。そのあたりの看護婦たちは、私語することもないし、笑うこともない。言葉が自然に鋭く短くなっている。担当医の滝本の顔も、ひき緊《しま》っている。一人の人間の生命を守るために、あるいはその最期を見届けるために、医者と看護婦と近親者でチームが結成されているのだけれど、チーム内での連絡の密度が濃くなっている。慌《あわただ》しくなってきている。  こんなふうにではなく、あるとき、ひっそりと扉が開いて、白布に覆われた寝台車が出てゆくことがある。その寝台車にむかって老齢の患者が頭をさげ、看護婦が立ち止って黙礼したりする。寝台車は大きいほうのエレベーターで地下の霊安室へ運ばれてゆく。身寄りのない患者がいるのだろう。 「お陀仏《だぶつ》や」  面会室にいる河原がそんなことを言う。面会室は少し静かになる。 「ほう。ちっとも知らなんだな。何号室の患者や」  別の男が言うが誰も答えない。病院では、こういう患者は西病棟の端のほうに移しているらしい。井崎は、そっちのほうへ歩いていって、空室だと思っていたところに患者がいるのを発見したことがある。そのあたりは静かで物音がしなかった。看護婦は死者のことを裏口退院と言っている。 「いのち尽きれば、あの世行きぃ」  河原は節をつけて言った。それは戦時中に軍隊で流行した歌の節廻しだった。河原は、頸を竦《すく》め、頭へ掌をのせた。  そういう患者に較べれば、四二二号室は、緊迫していて、動きが激しかった。夜なかじゅう看護婦が摺《す》り足《あし》で動く気配が感ぜられた。小さい叫び声があがる。患者の低い唸り声が聞えてくる。これを励ますような慰めるような声がある。  翌朝になって、その患者の身内の人たちで面会室がほぼ一杯になっているのを知った。面会室でないと煙草が吸えないので、井崎は隅に立っていた。 「すみませんね」  その人たちは、ほかの患者に遠慮していた。  面会室で夜を明かした人が何人かいる。長椅子で仮眠した人がいる。朝になって遠くから駈けつけてきた人がいる。彼等は、どうやって知らせをきき、どんなふうに電車を乗り継いできたかを語っていた。久闊《きゆうかつ》を叙するような短い挨拶がある。それらの光景は、どこか間が抜けていた。おざなりのところがある。死んでゆく患者にとっては何の力にもならない。  長椅子の中央に、五十歳ぐらいの女の附添人が、股を開き加減に坐っていて、煙草を吸っていた。彼女は憔悴《しようすい》していて、いくらか昂奮していた。井崎も、彼女がこの三日間はほとんど寝ていないことを知っていた。その室では彼女が主役だった。彼女の様子は、患者がひとつの峠を越したことを示していた。しかし、同時に、もっと困難な峠がすぐにやってくるに違いないことをも示していた。井崎には、彼女は、あと二日でも三日でも徹夜できるだろうと思われた。そういう気構えが見られた。そのために休息しているのだと思った。  その女の附添人は、あきらかに緊張し昂奮しているのがわかるのだけれど、ほかの人たちにくらべると遥かに落ちついていた。彼女は見舞客の質問に手短に容態を話していた。彼女は患者を治療するためのチームの一員であるが、ほかの人たちはそうではない。見舞客は、郷里に帰って報告するためにのみそれが必要なのだった。患者の生死には関係のない人たちだった。女の附添人は劇に参加しているが、見舞客は見物人であるに過ぎない。彼女には、いわば、威厳があった。彼女はプロフェショナルだった。  小水が出ればいいんだが、と呟《つぶや》く人がいた。帰りの電車や宿泊のことを言う人がいる。命令口調の人がいる。病院の施設について文句を言う人もいる。どうやら、病人は、この一族のなかでは、かなり重い位置にいる男であるようだ。  しかし、井崎もいつとはなしに顔見知りになっている、本当に病人を看護し続けている人たちは黙っていた。彼等は疲れてもいるのだった。また、彼等は観念もしているようだった。するだけのことはしているという自負と満足感があるようだ。彼等は質問や労《いたわ》りの言葉に静かに微笑で答えたりする。序幕から参加している彼等にとっては、いまは単に大詰に差しかかっているというに過ぎなかった。その点が、見舞いに来るという役割だけしか果たせない人たちとは違っていた。少数の彼等は横暴にも思われる見舞客の言葉に耐えていた。  部屋の隅に、空になった弁当の折詰が積み重ねられている。そこに卵の殻や蜜柑の皮の切れっ端やらが散っている。  なにもかも、そっくり同じだった。すべての情景が、井崎の父の保男《やすお》が死んだときとそっくり同じだった。     11  そのとき井崎は、その病院の長い廊下の中央にある休憩所に立っていて、病院の中庭を見おろしていた。どの病棟も、中央が円形になっていて、そこが休憩所であり喫煙所であり、赤電話があり、円に沿って長椅子が置かれている。そこは歩行練習をする患者が、ひと休みする場所でもあった。附添人が長椅子に横になって仮眠をとることもある。そういう場所だから、井崎は、ひどく疲れていたけれど、遠慮して、立ったままで煙草を吸っていた。また、椅子に腰をおろすという気持にもなれないでいた。  八月の中旬の昼過ぎで、暑い日が続いていたが、いくらかの風はあった。暑さが続いて病人が弱っているという。この夏が越せずに亡くなってゆく人が多いということを、井崎は、病院のそばの喫茶店で聞いた。井崎は、その喫茶店で見舞客のためのアイスクリームを買って帰ってきたところだった。  どの病室の扉も開け放しになっていて、井崎の立っているその位置にも、井崎の父のせわしないような呼気がきこえていた。それは時に唸り声になった。父のどこにそんな体力が残っているかが疑わしく思われるような力のこもった唸り声だった。それは父の声ではなくて、死んでゆく男の誰でもが発するような、病気に対する最後の抵抗と拒否であるかのように思われた。  一時間ほど前に病院に到着した井崎は、父の顔に覆《おお》いかぶさるようにしてみた。父の保男は、あきらかにそれが井崎であることを諒解《りようかい》したのである。全く思いがけないことだったが、保男は井崎の名を呼んだ。 「宏、か……」  入歯は上下ともにはずしてあって息が洩《も》れていたが、道子も看護婦も驚くくらいに、言葉は明瞭だった。重態という連絡をうけて、いそいで病院へ来た井崎も道子も、父が言語を発するとは考えてもみなかったことだった。そうして、しかし、それが最後だった。保男は、その後は、何もものを言わなかった。医者も、病人のそばへ寄って声をかけたりすることを禁じていた。担当医の湯村は、非番で、道子が連絡したが、まだ来ていなかった。その頃、井崎と湯村は、まだそれほど親しくなっていなかった。  井崎は、休憩所の窓から、ぼんやりと中庭を見おろしていた。帽子もシャツもパンツも真新しいものを着た男の子が捕虫網と籠とを持って立っているのが見えた。色白で目が大きく、少女のようにも見えるが、服装も動作も男の子だった。  建物と建物との間に男の子が立っている。視界はきわめて狭い。そのあたりに雑草が生い茂っている。東京の中心地にある古い病院だった。  井崎は、父が自分の名を呼んだことにショックを受けていた。それは、井崎が見舞いにきて、しかも顔のうえに覆いかぶさるようにしたということで、父がショックを受けただろうと考えることと同じだった。井崎は、すでに父が息子を息子と認める力が無くなっているだろうと思って、そんなことをしたのである。井崎のほうで父の名を呼ぶようなことはしなかった。  井崎は、ずっと父と仲違いを続けていた。井崎のほうで見はなしていた。しかし、何度もの入院の費用を拵《こしら》えるのは井崎であり、看病するのは道子である。退院すると、父は井崎の家に帰ってきた。井崎は長男ではなかった。また、わずかばかりの父の資産を管理しているのは井崎の弟だった。その点では、七人|同胞《きようだい》の末娘である道子が母のめんどうを看るようになっているのと似ていた。井崎は道子に対しては、義母をそっくりひきとってもいいと言っていた。道子のほうは、自分が義父を看病するより仕方がないと観念していた。突きはなすようなことは出来ない。井崎の友人の一人は、二人ともそういう星の下に生まれたんだから仕方がないという言い方をする。  井崎の父は井崎を頼りにしていた。しかし、井崎は父を嫌っていた。怖《おそ》れていた。  たとえば、こういうことがある。  何度目かの入院のときに、父は若い准看護婦と恋愛した。父は六十五歳を過ぎていた。恋愛といっても、むろん、父からの一方的なものであるに違いない。結婚を申しこんだという話も聞いた。その看護婦は、非常に貧しい家の娘であったようだ。だから、娘のほうからするならば、見栄っぱりで、金銭について手離れのいい父のその金だけに引きずられて、しょうことなしに付きあっていたのだと思われる。父からすれば、若くて肉づきのいい娘であれば、どんな女でもいいという状態であったのだろう。  退院してきて、井崎の三間だけの一室にいるときでも、父は、その竹谷という看護婦と交際を続けていた。 「今日は、おデートがあるんだ」  というような言い方をして、派手な替え上着を着て、ベレー帽をかぶって出かけて行った。一週の一度の通院を楽しみにもしていた。銀座通りを歩いて、井崎のッケのきく料理屋で食事をしたりする。 「病院の看護婦の、竹谷ね……」  父は、その娘を話題にしたがる。そういうときの父は、反省も自制心も、井崎や道子に対する配慮もなかった。 「アレがね……」  と言う、そのアレに特別なアクセントがある。文字にすれば�彼女《あれ》�という響きがあった。そのときの父には、入院や治療の費用で苦しんでいる井崎や道子に対する配慮が全く欠けていた。井崎は何か特別な動物を見るような思いをする。不快感がわっと湧きでてきて寝室に去ってしまう。それは道子に対する申しわけのなさともつながっていた。  資産を管理している井崎の弟から、毎月二万円の金が送られてくる。父と弟とで、そういう約束がとりかわされていた。しかし、その二万円のうちのいくらかを父が道子に渡すということは一度も無かった。父の言いぶんは、生活費や治療のための費用は、家計簿につけておいて、俺が死んだときに弟に請求すればよいということであった。実際には、そんなことは不可能だった。糖尿病の末期の食餌療法というのは非常に面倒なものである。また、弟からの二万円の仕送りは跡絶《とだ》えがちというより、ほとんど実行されていなくて、父と弟との諍いが絶えなかった。そういうときは、父は、井崎や道子に対しても不機嫌になっていた。  井崎は父を嫌っていた。  だから、父が危篤状態になって、父が井崎の名を呼んだときにショックをうけたというのは、そういう父が、井崎が見舞いに来たのを知って、死期を覚ったのではないかと思ったからだった。  井崎は道子とともに何度も病院へ見舞いに行っていた。いつでも井崎は病室の外にいるか、病室に入っても、父と口をきかないようにしていた。いつでも井崎は不機嫌だった。それは、井崎の意に反して、また湯村にくどいほど頼んでも、父は勝手に、病院の最高の値段の部屋に移ってしまっているからだった。そうなると、部屋代と治療費と附添人の支払いを合算すると月額三十万円ちかくなってしまう。それは井崎にとっては、支払いの不可能な金額だった。不可能であるけれど、なんとかして支払わねばならぬ金だった。そのために、井崎は、余分な雑文をひきうけなければならなかった。文章が荒れてきていると批評されることもあった。出版社から借金を重ねていた。それも井崎の評判を悪くしていた。井崎の貧乏は不思議だと言われることもあった。  井崎は、一度でもいいから、父に関して俺を上機嫌にさせる機会を与えてくれと祈ったりするようなことがあった。 「あいつらが何と言おうと、病人は俺なんだから……。病人の本人の俺が言うんだから、俺の言うとおりにしてくれ」  医者や看護婦にそう言って、父は、最上等の部屋に移ってしまうのである。  父のそういう行いが、ほかの同胞が父の面倒を見ない口実にもなっていた。あんな人の見舞いに行きたくない、お小遣《こづか》いをあげても、どうせ竹谷さんにとられてしまうんでしょうといったように……。すべてが井崎と道子にかぶさってきていた。  井崎が父に対して不機嫌になっていることを、父はよく承知していた。  重態であるという連絡をうけて、井崎と道子とが父の病室を訪れたときには、ほかの見舞客は誰もいなかった。井崎は、いきなり父のベッドに近づいて、父の顔に自分の顔を寄せた。それは自分でも思ってもみなかったようなことだった。井崎は、病院の連絡で、これが最後であることを察していた。  そのときに、父は、目を開いて、井崎の名を呼んだのだった。 「宏か、……」  井崎は、そんなことをぼんやりと考えながら、中庭を見おろしていた。井崎にしても、幼いときから父を憎んでいたわけではなかった。井崎は、むしろ父と母とを熱愛していた。 「どうして、こんなことになっちまったんだろう」  捕虫網を持っている男の子が何かを叫んだ。誰かを呼んでいるような声だった。井崎は、多分、母親を呼んでいるのだろうと思ったが、狭い視界にあらわれたのは、男の子と同年齢と思われる少女だった。少女は、男の子よりはずっと粗末なワンピースを着ていた。そのうしろからパジャマを着た男の子が出てきた。パジャマの子供が入院していて、あとの二人が親に連れられて見舞いに来ているのだろうと思われた。捕虫網を持った男の子が逃げるようにして駈けだした。女の子とパジャマの男の子がそれを追い、三人とも視界から消えた。  父の唸り声がきこえている。  親類縁者が集まってきていた。彼等は、面会室にいた。道子はその応対で忙しくなっていた。病室にいる道子を意味もなく呼びだしたりする男がいる。道子にすれば、父の最期を見届けたいという思いがあったかもしれない。父の生死とは全く関係のない親類の娘が、ベッドの傍《そば》に突っ立っていたりする。それは見舞客ではなく、見物人だった。そんな娘を呼んだのではないけれど、一軒に連絡すると、その家の配慮で他家に報告されたりするのである。それは、井崎や道子からすれば、わずらわしいことだった。腹立たしいことだった。しかし、腹を立てても仕方のないようなことだった。そのようにして最期の時が迫っているのだった。  父の附添人は、父が井崎の名を呼んだのを喜んでいるようなところがあった。彼女も徹夜が続いていた。それが彼女の仕事だった。彼女は、父が井崎と道子を頼りにしていることを知っていた。彼女自身も井崎と道子を頼りにしていた。  附添人の言うように、井崎も、そのことを素直に認めて、素直に喜んでいたほうがよかったのかもしれない。いずれにしても、父は生死の間にいて、わけがわからない状態であるといっていいだろう。いずれにしても、父は、まもなく息をひきとるのである。いや、何年か前に、父の男としての一生は終ってしまっているのである。  それらの状況は、京都の病院の四二二号室の患者と親類縁者と見舞客との関係によく似ていた。京都の病院も、父の死んだ東京の病院も、はじめは同じく避病院として出発していた。井崎のいる京都の病院は、半年前に新築されたということだけが違っていた。  見栄っぱりである井崎の父が、そういう病院に入ったのは、そこに糖尿病の権威といわれる医者がいるからだった。その医者は、井崎の父の若いときからの担当医だった。  夜になって、父は静かになり、見舞客はひきあげて、井崎と道子の二人になった。小康状態というところだろう。父は、ときどき、目をひらく。しかし、名を呼んでも反応がない。井崎と道子と附添の女とが顔を見あわせたりする。病状とお互いの気持が通じあっていて、関係のない見舞客に、すこし休んだほうがいいと言われるような、わずらわしいことは起らなかった。  斎藤茂吉の歌にある「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」という、その「しんしん」がよく理解できるような夜だった。  父は、その翌々日の午前五時四十五分に死んだ。人工呼吸を続けていた医師が頭をさげ、腕時計を見た。井崎も時計を見た。それは親類縁者やら、区役所やらに報告するためのものだった。  井崎が、休憩室の窓から眺めていた捕虫網を持った男の子と同じくらいの年齢の頃だった。日支事変のはじまる前で、その頃、事業に失敗した父は、地方都市の郊外に逼塞《ひつそく》していた。井崎の母も胃腸がよわくて、顔が黒ずんでいて、痩せていた。乳呑子をいれた四人の子供がいる。  こんどは父が衰えていった。体の調子がおかしいという。試験管にいれた尿を持って、井崎は医者の所へ行かされた。 「これは大変だよ。坊ちゃん、見てごらんなさい」  試験管の尿は真っ黒になっていた。 「重症だよ、これは」  糖尿病だった。戦前では、糖尿病はいまよりもずっと怖れられていた。金のかかる病気だった。不治の病であるとされていた。  井崎は父の尿を持って、泣きながら田舎道を歩いていた。たいへんだ、たいへんだ。もう駄目だ。みんな駄目になる。高利貸や、金を借りている親類から逃げるようにして田舎町に住んでいるのである。頼るものはない。  路の脇に土堤がある。土堤づたいに井崎は歩いていた。涙があふれてくる。|※[#「口+歳」]《しやく》りあげる。そのときのことを井崎ははっきりと憶《おぼ》えている。父は三十五歳であったはずだ。  父の後半生は、この糖尿病との戦いだった。重症の糖尿病は、次から次へと余病を併発する。腎臓病、肺結核、胃腸病、眼底出血、脳血栓《のうけつせん》。医者が半ばあきらめたことが三度か四度あった。肺膿瘍《はいのうよう》となったときは、若い医者が実験的な手術を試みて奇蹟的に助かったのだった。死後に解剖してわかったことであるが心筋|梗塞《こうそく》の後遺症もあった。腫物《しゆもつ》が出来ると容易にはなおらない。  しかし、脳血栓で倒れる以前は、どんな場合でも父は元気だった。病気に対して用心深くはあったけれど、けろっとしているところがあった。  そういう父を井崎は憎んでいた。井崎の欲する安穏な生活などは父は考えてみたこともないようだった。もっと大きなことを考えていた。井崎と父とは、そのことで衝突した。井崎は、体の衰えている父を罵《ののし》るようになった。井崎からすれば、入院するときは、それが二人か三人の相部屋、あるいは小さい個室であって月に二万円の小遣いがあれば老人としてはそれで充分ではないかということになる。  井崎が小説家として認められるようになったのは、そういう父との経緯《いきさつ》を書いた小説によってのことだった。井崎が出版社から借金することが出来るようになったのはそれ以後のことだった。それは、ちょっと皮肉な出来事だった。 「おじいちゃんは運の強い男なんだ。肺膿瘍のときもそうだったけれど、こんどのことだってそうなんだ。あんなことがなければ、おじいちゃんはとっくの昔に死んでいたよ」  井崎の弟は、そんなことを言った。それは、井崎が父のことを書いた小説のひとつで文学賞を受け、それによって井崎の生活が確保され、従って、多額の費用を要する入院生活ができるようになったことを言っているのだった。  しかし、親類の者たちは、井崎や道子のことを決してよくは言わなかった。あんなひどいことを書いて、という批難があった。それは井崎も甘受しなければならない。 「子供が親の面倒を見るのは当りまえなんだ。井崎さんも道子さんも、当りまえのことをしているだけじゃないか」  病院で、見舞客にそんなことを言われて、道子が歯ぎしりして口惜しがって井崎に報告することがあった。言葉としてはそのとおりであるけれど、井崎の四人の同胞《きようだい》は誰一人として父の面倒を見ようとはしなかった。病院の支払いは十日目毎に行われるが、その一回分が十万円に達することがあった。 「あたしね、ああいうおじいちゃんを見るのが厭なのよ。可哀相でね。とにかく厭なのよ」  病院のすぐ近くに住んでいる井崎の妹が言った。その妹は見舞いにも来なかった。道子にはそれが不可解だった。下着の洗濯ぐらいはやってくれてもいいのではないかと道子は言っていた。  父の最期のときには、そういう人たちが集まってきていた。たとえば、井崎の弟の妻の両親や、妹の夫の父親は、それぞれの娘や息子の側に就くことになる。そういう人たちを、井崎も道子も附添人も離れて見るようになる。  父の葬式のときに、父の古くからの友人が、井崎を蔭に呼んで言った。 「正直言って、ホッとしてるんじゃないですか。あなたと道子さんが一番たいへんだったんだ」  七十歳に近いその人は、まだ弁護士として働いていて、父の性格や行状をよく知っていた。井崎には借金の跡始末が頭にあって、ホッとするような状況ではなかったけれど、その人の言おうとすることはよくわかった。また、古くからの友人にそんなことを言われる父の生涯をあらためて考えてみたりもした。  道子の母のことについても、同じようなことがあった。義母の面倒をみていても必ずしもよく言われるとは限らない。たとえば、道子の長兄は、それでは俺の立場がなくなると言ってからんできたりする。  井崎は、最後まで面倒をみて、自分の家で葬式を出してもいいと考えていた。それは道子に対する義理だてという気持からではなかった。しかし、義母にとっては、そういったことも、あまり愉快ではないようだった。彼女にとっては、やはり、本家が繁栄するのでなければならない。  井崎は、どういう形であるかはわからなかったけれど、いつかは父に復讐《ふくしゆう》されると思っていた。それは、父のことを悪く書いたからだった。父は井崎の受賞作を読んでいた。父は、ただ、読んだよ、とだけ言った。反面において、見栄っぱりの父は、息子の名が出るのは喜ばしいことでもあったようだ。  漠然としているけれど、井崎は、そのことで罰を受けるはずだという怖れを抱いていた。道子に言わせれば、それは井崎の被害|妄想《もうそう》ということになる。そういう傾向が募ってきていることも事実だった。  井崎は、その罰が、とうとうやってきたと思った。  井崎の勤めている食品会社の重役に、こう言われたことがある。 「井崎くんの書くものはいいけれど、お父さんの悪口を書くことだけは厭だな」  そう言われたのは、その重役からだけではなかった。  井崎の怖れていた罰が、井崎のとうてい考え及ばなかった、もっとも悪い形であらわれてきた。井崎はそう思った。  井崎は父に似てきたのである。  そんなふうになろうとは考えてみたこともなかった。井崎は父とは全く逆な性格であると思いこんでいた。父のようになることはあるまい、父のようになってはいけないと思い続けてきたのである。  それは、父と同じ糖尿病に罹《かか》ったということではなかった。体質が遺伝することを知っていたので、そのことの覚悟はできていた。  井崎の憎んでいた、嫌悪していた性格が自分のうえにあらわれてきているのを知った。 「おじいちゃまにそっくり……」  道子がそう言うのは厭がらせである。道子の不機嫌のときである。井崎はそれに反撥《はんぱつ》してきた。しかし、自分で、父に似てきたなと思うことが多くなってきていた。そのたびに、井崎は、びっくりする。  それは、単に、老化現象であるかもしれない。そうであるに違いない。しかし、井崎は、父に復讐されているのだと思ってしまう。父における、昏《くら》い、弱い、厭らしいことが、井崎の体や心の持ち方にあらわれはじめてきている。  糖尿病の病状のあらわれとして、睾丸《こうがん》や肛門《こうもん》の近辺に腫物が出来ることがある。それは、なかなか治り難い。治りにくいばかりでなく、腫物ができると糖尿病自体も進行するのである。腫物は頭部や鼠蹊部《そけいぶ》にも出来る。  若いときからの糖尿病患者で、この病気に運動が必要であることを知っている父は、毎日の散歩や体操を怠らない。父は、散歩や体操をするけれど、庭を掃いたりすることは決してやらない。そのへんが自分本位であって、そういうことも井崎は嫌っていた。  体操の出来る男が、睾丸のあたりの薬やガーゼの交換ができないはずがない。それは手の届く場所にあった。しかし、父は決してそれを自分ではやらなかった。 「ミーちゃんや、頼むわ……」  父は、猫撫声《ねこなでごえ》で、ありったけの媚態《びたい》を示して、それを道子にやらせようとする。俄《にわ》かに病人を装うのである。  また、ときに、体が痺《しび》れて動かないと言って、布団のうえに寝たままで、道子に寝間着を取り換えさせたりもする。道子は父のうえに覆いかぶさらないといけないようになる。そのとき父は何かに陶酔している人間の表情になる。女の顔になる。陶酔と無抵抗と淫靡《いんぴ》があらわれる。醜悪な人形になる。 「おじいちゃまねえ、糖尿病だと必ず目の検査があるでしょう、それが、あの病院だと女医さんなのよ。寝ていらして、女医さんが目を診《み》るときは、顔がすうっと近づいてくるでしょう、そのとき、おじいちゃまは、女医さんが自分に接吻してくれるんだって想像するんですって。それが楽しみなんですって。私にはいろんなことを言うのよ。もっととっても変なことでも何でも話すわ」  道子が言った。とっても変なことが何であるかを井崎は知らないし、聞いてみたいとは思わない。  父は、道子が風呂にはいっているときに、間違ったふりをして、裸でとびこんできたりするようなこともあった。  井崎は自分がそんなふうな老人になってゆくのを自覚するようなことがある。父の気持を理解するようになる。それは理性を越えた、抗し難い一種の力であるかのようにも思われた。  どうでもいいと思ってしまうことがある。自制心が失われてゆく。  准看護婦の竹谷と、女給の瑛子とは違う。しかし、井崎は、瑛子に対する傾斜や、心の持ち方が、父のそれに似てきているのではないかと感ずることがあるのである。それは、井崎にとっては、きわめて情けない心の持ち方だった。井崎が晩年の父を狂人として見てきたように、井崎も狂っているのかもしれない。     12 「俺のおやじは、ずいぶん、迷惑をかけたんだろうな」  井崎と湯村が、病院の屋上にいた。その日もよく晴れていた。晴れてはいるけれど、京都の秋は隈《くま》なく晴れあがるということはなくて、遠くの山に夏のような雲が残っていた。その雲の下は雨であるのかもしれない。  湯村は、父の話になると、なにかそれを避けようとするようなところがある。それが医師としての作法であるのかもしれない。あるいは、父の態度は、お話にならぬほどに傍若無人《ぼうじやくぶじん》であったのかもしれない。あるいはまた、湯村は、案外に、附添人や看護婦ほどには父のことを知らないのかもしれない。そのへんのところがわからない。父は自分をよく見せるということに関しては、かなり巧妙だった。 「すまないと思っている」 「あなたが謝《あやま》ることはありませんよ。しかし、はじめは驚きました」 「そうだろうね」 「変った親子だと思いました」 「そうでしょう。俺のことだって傍《はた》からでは理解できないと思うよ」  患者は病院の屋上へ行くことを禁止されている。危険防止のためだろう。しかし、糖尿病患者には運動が必要なのであって、その点では矛盾していることになる。病室や廊下だけでは、なにほどのことも出来ない。 「とにかく、お父さんのおっしゃることと、あなたたちの言うことが、まるっきり喰い違っているんですからね」 「悪逆無道の息子か」  井崎は父が最後の入院に出かけた日のことを思いだしていた。井崎は道子とともに両側から父を抱きかかえたときに、父の体に糞臭《ふんしゆう》がたちこめているのを知った。大便や尿に対する感覚が失われて、失禁が続くようになってから三日経っていた。結核でも腎臓でもなく、脳血栓という最後の段階に来ていた。  昭和三十九年十一月十三日の父の日記は、次のようになっている。 「案外早く元気よくなる。早くおきる。民子見舞いに来る。シャツと一千円貰う。夕方かえる。夜になり体がフラつき、変となる。やはり睡眠不足から来たのかも知れず、早く床に入ることにする」  父が倒れたのはその翌日であって、日記帳は、ここで終っている。  病室で寝間着に着せかえられ、横になった父は、すぐに持ってきた小型テレビをつけるように言った。九州場所の相撲の時間だった。よく見えるような位置と角度がきまるまでに、かなりの時間がかかった。  井崎は、そのときも、父の我儘と駄々《だだ》っ児《こ》ぶりを見るような思いをした。周囲の人間に対する斟酌《しんしやく》というものがない。自分だけの快適な状況をすぐにつくろうとする。  しかし、湯村は、病室に入ってきて即座にテレビを消した。 「ちょっと我慢していただきましょうね」  そう言って、井崎には、きつい目で首を振った。  診察が終って、湯村が廊下に出たときに、井崎と道子とは自然に彼を追うような形になった。 「順序にきていますね、やっぱり」  糖尿病から腎臓病の併発、老人性肺結核、脳血栓というのは順序通りであるという。 「高畠さんに電話で相談しましたらね、懐しそうに言っていましたよ。とうとう、やっぱりって……」  高畠というのは、父が糖尿病だけのときからの担当医であり、父よりも高齢だった。  そのとき井崎は、とりあえず空いていた病室に父をいれてもらったのであるが、その部屋は、その病院では、上中下と三段階にわかれている個室の中にあたっていた。  井崎はそのとき湯村に、病状が落ちついたら、下のほうの個室に移してくれるように頼んだ。  湯村は、ゆっくりと頷《うなず》いた。いつのまにか医者としての貫禄を身につけていた。井崎とその話をしているときに、うっすらと二度ばかり笑うのを井崎は見た。変った親子だと言ったのは、そのへんのことを言っているのだろう。  おそらく、病室の変更などは、婦長とか看護婦のほうに属した事柄だったのだろう。診察が終った直後に、井崎が急き込むような調子で金銭にかかわることを言いだしたのを奇異に思ったのかもしれない。井崎は、しかし、そのように切羽詰《せつぱつま》った状態だった。  井崎と道子が病室に戻ったときに、中年の看護婦が飛びこむようにして入ってきた。 「ねえねえ、おじいちゃん、どうしたの。あんなに元気だったのに。ええ? 元気ださなくちゃ駄目じゃないの。せっかくの色男がだいなしじゃないの。さあ、元気になりましょうよ」  看護婦は、そう言いながら、覆いかぶさって毛布をなおし、父の体の周辺を乱暴に叩《たた》くようにした。 「びっくりしたわ、私、医局できいて……」 「口がうまくきけないんですの」  道子が、はらはらするような口調で言った。 「そうですってねえ。私にまかせてちょうだい。すぐによくなりますから」  看護婦には、いくらか蓮《はす》っ葉《ぱ》なところがあった。それだけ親身なところもあった。父の恋愛は、病院では評判になっていたのだろう。そのときも井崎は身震いするような恥しさを覚えた。また、同時に、他人を肉親以上に親身にさせてしまう父の社交的な技術を有難いことのようにも思った。それが父の生命力でもあった。井崎は、父のそのような才能や技術を、ずっと憎み続けてきた。 「はじめはよくわかりませんでしたよ、あなたの気持が……。しかし、だんだんにわかってきましたよ」 「あたりまえだよ」  入院して十日後に弟から連絡があり、井崎が病院へ行ってみると、父は南側の最上等の個室へ移っていた。そこは広くて、明るくて、日当りがよかった。応接セットやデッキチェアを買ってあり、花瓶をのせる台があり、洒落《しやれ》た茶箪笥には茶道具が揃っていて、ホテルの一室か妾宅のようにも見えた。父は上機嫌だった。  勢いこんできた井崎も道子も、実際にそういう様子を見ると文句が言えなかった。ただし、その部屋を賞《ほ》める妹や親類の者には腹をたてた。 「あったかくなるまで、このままにしておきましょうよ。……ねえ、三月いっぱいまで」  道子は父にきこえないようにして言った。道子の言うのは主として附添人のためのことだった。南側の部屋は、ベランダがついていて、洗濯のときに格段に便利だった。井崎は諒承した。というより観念した。 「おい、湯村。小説家ってどのくらいの収入があると思っているかね」 「……さあ」 「ピンからキリまでだけれどね。かりに流行作家だとしてね、毎月四十万円を浮かせる小説家ってのはそう何人もいないはずだよ」 「それはそうでしょう」 「そうでしょうって、あの期間に俺がどうやって暮していたと思うかね」 「わかりませんね」 「わからないだろう。俺にもわからない。どうやって暮していたのかね。……まあ、貯金を全部はたいて、出版社や銀行から借りられるだけのものを借りたってことだろうけれどね、いまじゃとても出来ないよ。その元気がない」 「お父さんはとても金持のようなことを言っておられましたけれどね」 「だってね、俺の原作のラジオドラマがあるとするだろう。道子が病人の楽しみだと思って報告するよ。そうすると、わざと、テレビの連続ドラマとか映画化というように聞き間違えたふりをするんだよ。それで、五百万円とか一千万円とかはいるって言いふらすんだ」 「………」 「おい、ラジオの三十分ドラマの原作料っていくらぐらいだと思う?」 「さあ」 「五千円から一万円ぐらいだよ」 「そうかもしれませんね」 「そうなんだよ」 「……私の父は胃癌《いがん》で死んだんですけれどね」 「知ってますよ」 「私は個室にいれるんですよ」 「………」 「すこしよくなると、自分で総室に移ってしまうんですよ」 「………」 「それで、しばらくすると、勝手に退院して家へ帰ってきてしまうんですよ」  うらやましいなと言おうとして井崎は思いとどまった。 「ふうん」 「困っちゃいましてね」  湯村の言い方には、いくらか勝ち誇ったような感じがあった。井崎にはそう思われた。  井崎は鼻の奥が水っぽくなって、うっすらと涙がたまってきたのに気づいた。もし、井崎の父がそのようであったなら、井崎も道子も、むりやりに個室に押しこんだろう。母の死以後、父は、そんなふうな意味で、井崎をいい気持にさせてくれることがなかった。 「こっちは親孝行をさせてくれないんだ」 「そうですかねえ。でも、あなたには感謝していましたよ」 「しかし、たとえば、十日目毎の入院費用の金策がつかなくて一日遅れるとするだろう。そうすると、荒れ狂うんだよ。息子が俺に恥をかかせたなんて言ったらしいね。さすがに道子が怒ってね、病院へ行くと、こんどは済まない、迷惑をかけるって泣くんだそうだ。そのへんが変幻自在でね」 「そんなこと言っちゃいけないよ」 「だってね、自分の財布には三万円ぐらい入っているんだよ。附添人の費用ぐらいは払えるんだよ。それを言うと、忘れていたなんて言ってね。……とぼけるのがうまいんだ」  父が死んで、葬式の済んだあと、井崎と道子とで病院へ挨拶に行ったときのことを思いだした。井崎は、湯村とあと二人の医者に若干の謝礼を支払い、二十人にちかい看護婦に菓子の箱を渡し、附添人にも三カ月分程度の給料を支払って、すべてが済んだと思って病院を出ようとしたときに、会計係に呼びとめられた。入院費が滞《とどこお》っているという。それも、すぐには支払えない額になっていた。井崎はそのときの驚きと屈辱感を忘れることができない。父は最後にいたるまで、井崎をいい気持にすることがなかった。  湯村に、研究費という名目で紙包みを手渡したときにも彼はうっすらと妙な顔で笑った。井崎は、病院を出ようとしたときに、湯村の表情の意味を知らされたのである。 「おやじが自殺をはかったのを知ってるかね」 「知りませんね」 「死ぬ十日ぐらい前だったらしいけれど、味覚糖という菓子があるだろう」 「………」 「あれを売店で買ってきてね、べッドのうえで一袋食べちまったんだそうだ」 「知りませんね」 「担当医がそれじゃ困りますねえ。附添人がそう言っていた。もっとも、もう狂っていたのかもしれない。……凄い力だったそうだ。附添の人がとめようとしたけれど駄目だったらしい」 「前から、おれは羊羹《ようかん》を一本食べれば自殺できるって言っていたからね。味覚糖にしたのは狂言自殺かもしれない」 「もうよしなさいよ、そんなことを言うのは」 「みんなそう言うね。俺がおやじの悪口を言うのは、やっぱり聞き苦しいかね」 「愉快じゃありませんね。いいことじゃないですよ」 「その前にね、本当に自殺しようとしたことがあったらしい」 「………」 「死ぬ一カ月ぐらい前だったらしいけれどね、屋上へあがって飛び降りようとしたらしい」 「………」 「あの病院は患者が屋上へあがれたからね。……で、金網を乗り越える体力がなかったって言うんだ」  井崎は目の前の鉄のパイプに触れてみた。いまの井崎なら、そこを乗り越えることは容易だった。 「それも初耳だな」 「俺はこっちのほうを信用するよ。味覚糖はどうかわからないけれど、ともかく、ふらふらっと屋上へあがっていった気持はわかるような気がするね」 「残酷《ざんこく》な言い方だな」 「残酷かもしれないけれど、わかるね。息子にみはなされて、失恋して、わけのわからない借金をつくって、治る見通しのつかない病気になってさ。……糖尿病だけでも三十五年だぜ」 「もうやめろよ」  湯村が言葉を強くして井崎を見た。髪がわずかに揺れた。風が出てきた。 「そのことだけは信用するよ。おやじは普通の病人じゃない。若いときからスポーツマンでね。体力には自信があったんだ。金網を越えられると思って屋上へあがってきたんだ」 「………」 「そのときは辛かったと思うよ。自殺する体力もないってことはね……。変な言い方だけれど、そのときは、おやじは正気だったと思うよ。普通の人間になっていたんだと思うよ。……なんだか夕方だったような気がするね。東京タワーに灯《ひ》がついて」 「おい。やめないか」 「………」 「さあ……」  湯村が時計を見た。午後の面会時間が終ろうとしている。寒くなってきた。 「おい、湯村。俺はおやじに似てきたと思わないか」 「そうだねえ」  湯村は、まともに井崎を見た。 「なんだか似てきたような気がする」 「外見ですか」 「外見もそうだけれど、なんだか、狡猾《こうかつ》になってきた。それから気が弱くなってきた」 「………」 「自殺するというんじゃないよ。何か目標がなくなってきた。すぐに物悲しくなってくる。若いときは物悲しくなってくるのが一種の原動力になっていたこともあったんだ。それが、現在では、ただ単に物悲しいだけだ。これは糖尿病のせいかね」 「そういう傾向はありますけれどね。まだ、そんな齢《とし》じゃない」 「しかし、ある作家の小説で読んだんだけれど、昔はね、昭和十年頃はね、四十一、二歳の男が酒場に入ってゆくと老人扱いされたそうだ。いまで言うと六十歳ぐらいの感じだったそうだ。そりゃ平均寿命は伸びたけれどね、いまでも六十歳ぐらいの体力や気力の四十歳の男がいると思うんだけれどね」 「時間だよ」 「………」 「さあ、行こう」  湯村が井崎の腕を掴《つか》んだ。井崎も、自分の饒舌《じようぜつ》にストップをかけたい気持になった。     13  道子への手紙。  十二月九日に、こちらへ迎えに来るとしたら、その日は病院に泊ったらどうだろうか。林太郎が一緒なら湯村先生の所に厄介になればいい。秀子さんが一緒なら、どこかに宿をとろう。  十日に退院して、京都の菓子屋を食べ歩こう。もちろん僕は見物するだけだけれど。古道具屋を見て歩こう。箪笥は湯村先生に頼んで見て貰っている。  十一日には紅葉を見に行こう。三千院でも高山寺《こうざんじ》でもいいけれど、僕は北山杉の里とか古知谷《こちだに》なんかのほうが好きだ。初めてなのだから、女学生の修学旅行のコースでもいいよ。  旅館は町中の京都ふうの小さな旅館でもいいし、ちょっと贅沢《ぜいたく》な割烹《かつぽう》旅館でもいい。食事のうまいところを知っているよ。いずれにしても一度は京都料理を食べよう。さきのことになるけれど、考えておいてください。  また、どうしても新幹線に乗る自信がなければ、僕一人で帰る。そのときは十一日に帰る。  しかし、なんとか頑張って、奮発して、迎えにきてくれないか。こんないい機会はないと思う。  今日は胃の検査があったので、朝から絶食だった。水もお茶も駄目。煙草も駄目。実に苦しい。苦しくて仕方がないので、窓から見える景色を描きました。苦しがって描いている感じがわかるでしょう。絵を描いていると、ずいぶん気持がまぎれます。  昨日は中村さんからハガキがきました。これが来信の第一号。ほかの奴等ときたら、全く薄情者ばかりです。  いまバリウムを飲んで検査してきたところ。やはり辛かった。とても慎重に検査する。機械も複雑になってきた。  熱はさがったが、タンが出る。なれてきて眠れるようになったのが有難い。仕事はやっています。  四二二号室の患者は小康を得たようだった。面会室に集まった人たちが散りはじめた。奇蹟的という言葉が囁《ささや》かれている。同時に、やれやれという、がっかりしたような表情の男もいた。  面会室は静かになり、ふたたび常連で占められるようになる。酒の話。女の話。煙草の話。 「飯のあとの煙草はうまいなあ。……飯のあと一本ぐらいはええやんか」  これは心臓病で煙草を厳禁されている男の言葉。  ハイライトの箱に、購入したときの日時を記入している男がいる。何日間で何本吸うかを調べているのだろう。あるときの父もそうしていた。これは気休め程度で役に立たない。 「パチンコ屋の煙草はまずいで……」 「なんでや」 「さあ、古いのとちがうか」 「西陽《にしび》のあたる煙草屋は売れないと言いますなあ」 「なるほど」 「駅の煙草はうまいで」 「やっぱり新鮮なのがええのかなあ。女といっしょやで」 「雨の降っている日は煙草がうまいでしょう」 「そうです。冬はあかんなあ。乾燥しているせいやろか」 「私は梅雨時《つゆどき》に買い溜めるんです」 「念のいった話やなあ」  体重、朝、五十四・二キロ。夕食後、五十五キロ。     14  体重五十三・五キロ。  面会室で河原がトランジスタラジオを聞いている。歌謡曲が好きらしい。別の男がはいってくる。 「バタやん、ええなあ」 「そうでっか。私も、バタやん、好きやで」  小さな喫茶店。水色のワルツ。……男たちがうっとりした顔できいている。 「おっさん、すっきりした顔色ではいってきたが、もう退院でっか」  二度目に面会室へ行ったときに、井崎は、河原に声をかけられた。自分でも体が軽くなり、目の色がきれいになったような気がする。肩が凝らないというのも、何か不思議なことのような気がする。  他の男たちからすると、井崎が通院でもいいのに入院したということが理解できないらしい。糖尿病で入院している患者の大部分は、眼底出血の段階にすすんでいる。井崎が、二週間でいいところを三週間の入院を希望したと言うと、一様に驚いてみせた。彼等は、誰もが、一刻も早く退院したいような様子だった。  井崎からするならば、彼等が、病院の食事以外に、餅《もち》やら菓子やらを持ちこんでいたり、抜けだして酒を飲みに行くということが納得できない。  また血糖の検査。  胃腸は健康であるが、胃酸過多の傾向があるという。コーヒーおよび刺戟物の摂取を禁止される。  はじめての入浴。  翌日から糖尿病の薬を使用することを申し渡される。食後二時間の血糖の減り方が悪いのだという。  井崎は、薬による低血糖症状があらわれるのが薄気味わるい。父のことで、急に空腹になったり、手が震えてきたりすることがあるのを知っている。しかし、夕方になって、薬の使用は、とりやめになったと滝本が言ってきた。その日の検査の結果が良かったのだろう。当分は食餌《しよくじ》療法だけが続けられることになる。  道子からの手紙。  お手紙、何度も有難うございました。  手紙は、こわごわ封を切りました。でも、こわさが先にのばされたようで拍子抜けの感じです。  持っていた灰皿もとりあげられたとか、ドアの窓から看護婦さんがのぞくとか、独房の感じですね。  煙草をのまないと仕事にさしつかえるのではないかと思ったりしています。思いのほか、きびしいのですね。  昨日は林太郎の友達が八人来て徹夜で昼頃まで遊んでゆきました。寝不足になりますけれど賑やかで助かりました。  私は、いままで、自分の心臓発作やなんかで変になって死ぬと、林太郎やパパが可哀相だと思って、ゴーマンにもそれで苦しんでいたのですが、今は、いつ死んでも、林太郎はそれでかえって強い一人前の若者になるだろうし、パパも結構お楽しみをみつけられているようだし、もう私の考えは本当に間違っていたのだと思ったら、なんだか気が楽になりました。(多少は皮肉ですが、決して決して全部は皮肉ではありません)  いままではパパが留守だと、明るいとねむれないくせに、スタンドをつけっぱなしで、いつ目がさめても本が読めるように、読みかけのところを手で押えたまま、うつらうつらして明け方まで過していたのですが、二十日の夜から真っ暗にして(たびたび目はさめますけれども)どうなろうとかまやしないと思っていると、少し平気で一人でいられそうです。乳離れをしなくてはいけないのですものね。私みたいなノイローゼは「子供がえり」っていうらしいのね。デパートのなかで親にはぐれてワアワア泣いている子供の心と同じです。いつもパパにしがみついていないと不安なのね。ともかく少し自分を叩き直さなくてはと思っています。本当に、われながら、手がかかって、自分でいやになるのです。パパは、さぞ、うっとうしいことでしょう。  今年の春頃から、悪い予感がしていました。この予感は当っていたわけです。おそろしいほどに。これは私の感じだけで、間違っているかもしれないけれど。私が早くどっしりと落着いた奥様になればいいのです。いつまでもパパを恋人としか思えないほど、パパに夢中なのがいけないのですね。でも、じょじょになれるかもしれない。すぐに若い人に張りあったりして、みっともないわね。四十二歳にもなって……。それに、パパは若いんですものね。  パパが、すぐに物悲しくなって、万葉集の歌を口ずさむと涙が出る、老化現象だなんて言ったけれど、私は、パパが恋をしているから、と思っているのよ。「ささなみの志賀《しが》の大曲《おおわだ》よどむとも昔の人に亦《また》も逢《あ》はめやも」。この昔の人とは、昔のパパの意味。パパは変ってしまったのだなあと解釈するわけです。  でも、私は、恋愛が、大の大の大の好き。パパはいつでも恋人よ。だからパパがすこし変だと、すばらしい恋をさせてあげたい、あの、めくるめくような(?)感情に溺《おぼ》れさせてあげたいという気もするのよ。ほんのすこしはね。  もうよします。パパが遅くても、毎日でも午前三時半までに帰っていれば永久に私は何とも思わなかったのにね。そしていつもと違った行動をとらなければよかったのに。急に優しくしたりするから疑われるのよ。私はすごく喜んじゃったけれど。ちなみに、あの皮の洋服は五万五千円でした。おどろいたでしょう。やっぱり、妻に優しくしたりするもんじゃありませんよ。  午前三時半というのはイイセンよ。四時というのは、妻としてはちょっと悲しくなる時間なのよ。家が遠いことも、自動車が拾えないことも、酒場が楽しいことも理解があるつもりなのに……。  パパのような優しい夫の妻も、ときに辛いことがあるのね。でも本当に悪い奥さんでごめんなさい。これからは家事に専念します。パパとのおしゃべりが、いちばん楽しいんだけれど。  今日は樽《たる》を洗って、明日は白菜を漬《つ》けます。ベランダのリンドウが二輪咲きました。とてもきれいな青です。山茶花《さざんか》を瓶に活けました。  パパの部屋は四階で新幹線が見えるそうですね。でも、酒、煙草なしで、本当に可哀相ね。もう、今度、飲めるようになっても道子より飲まないように。道子は、毎晩、水割りを二杯飲んでいます。そして、メロメロになって、毎晩、泣いています。早くよくなって帰ってきてください。  下品な手紙で申しわけありません。  井崎は、道子からの最初の手紙を読み終って、やれやれと思った。熱が出てきたようにも思った。  道子の書いているように鬱陶《うつとう》しい手紙だった。べったりとまつわりついてくるような感じがした。  いったい、世のなかの夫婦たちは、友人達の夫婦関係は、どんなふうになっているのだろうか。こんなふうに、妻は、いつまでも、しがみついてくるものなのだろうか。  井崎と道子との夫婦関係が間違っているとすれば、あるいは幼なすぎるとすれば、井崎と道子のどちらに罪があるのだろうか。  井崎の母が死に、父が死に、林太郎が下宿生活をはじめていて、井崎の家は、井崎と道子の二人きりになっている。  井崎と道子は変らなければいけない。生活は、すでに変ってしまっているのだ。逆にいえば、新婚のときと同じ状態にもどってしまっているのである。  しかし、井崎は、道子の手紙を読んで、井崎の計画のうちのひとつの目的が達せられたように思った。それは間違いのないことだった。  結婚後、二十年間、井崎と道子とは、手紙のやりとりをすることがなかった。手紙でなければ言えないことがある。  井崎は、道子に、思っていることをすべて吐きださせてやりたいと思っていた。それが遠くの病院を選んだ目的のひとつだった。井崎は、入院している自分よりも、もっと大きな手術を道子が受けているように思った。  もう少しの辛抱《しんぼう》だと思った。井崎も辛抱し、道子も辛抱しなければいけない。越え難い目の前の坂を越えなければならない。それが可能であるか、あるいは坂の向うに何があるかはわからないけれど。  井崎は道子の手紙に厭らしさを感じた。女らしい厭らしさだった。それは井崎が最初から覚悟をきめていたことだった。  その意味では井崎は道子の手紙に満足していた。井崎の気持は複雑だった。  京都へ来てから、はじめての雨になった。     15  女には誰でも秘密があるのよと道子が言った。女は、誰だって、嘘をつくのよとも言った。それは、たいていのときは、井崎と道子とに諍《いさか》いがあって、井崎が優勢になり、道子が問い詰められて返答が出来なくなったときに言う言葉だった。  それは、道子の逃げ口上だった。しかし、そう言われてみると、それは道子だけのことではなくて、女についての一般論であるようにも思われてくるのである。道子が悪いのではなく、道子が女であることが悪いのだというふうに——。  道子は井崎に内緒で親類の誰彼に金を貸してしまうことがある。また、一年も前に買った着物を、突然、箪笥の底から出してみせたりするようなことがある。道子の言う秘密とは、その程度のことであるのかもしれない。  井崎は道子に、他人に金を貸すときは、親類であっても一応は相談してくれと言ってあった。また、一万円以上の買いものをするときも同じようにしてくれと言ってあった。道子は井崎のその申しいれを守ったことがなかった。  道子はあるとき、えヘヘヘヘえと曖昧《あいまい》な顔で笑いながら親類から送られてきた現金書留の封筒を見せたりすることがある。だから、道子は、井崎に隠れてそれをやっているのではなかった。隠そうと思えば最後まで隠しおおせることだった。 「あのひとも感心ね」  などと言いながら、その金を銀行預金とは別の郵便貯金にいれたりする。井崎には道子が何か金を弄《いじ》っているように思われた。秘密を楽しんでいるようにも思われる。そのへんが不可解である。男にとっては、たとえそれが一万円という程度の金であっても、それが入ってくるときにも、それを他人に貸すときにも、またその金が戻ってくるときにも、ある種の感慨が伴うのである。それは、稼《かせ》ぐ者《もの》と消費する者との差であるかもしれない。井崎は自分のことを格別に悋嗇漢《りんしよくかん》だとは思わないし、道子のことを浪費家だと思っているのでもない。また、そのことが発覚したからといって、道子を叱ったりすることもない。  井崎は、どうかすると、原稿料が五千円という短い随筆を書くのに三日もかかったりすることがある。道子はそのことを知っているので言いだしにくいのかもしれない。  井崎のほうは、金を貸すときにも、買物をするときにも、道子にいちいち相談していた。セーターやネクタイを買ってくると言って家を出て、何軒ものデパートや洋品店を見て廻って、結局は買えずに帰ってくることがあった。ふらっと買ってしまうということもなかった。道子が五万五千円の毛皮のコートを買ったのは、まえまえからそういうものがほしいと思っていたのだとしても、ある日、デパートの外人デザイナーの関係している売り場を通りかかったときに、ふらふらっと買ってしまったのだった。自分の体にあうように仕立て直してもらうのに一週間かかり、それを受けとって、なお一カ月ぐらい後に井崎と一緒に外出するときに着るというときになるまで、道子は内緒にしていた。道子には、喜びと、いくらかの反省があったに違いない。それは女にしか理解のできない秘密の喜びでもあるのだろう。井崎がそのコートの金額を実際に知ったのは、京都の病院へきた手紙によってのことだった。こんなふうに、女は、白状するにしても小出しにしか白状しない。しぶといところがある。コートはまだしも、着物や帯のことになると、井崎には全く値段の見当がつかない。これ、買っちゃったのよ、安かったのよ、月賦なのよ、という程度のことで、金額が明かされたことがない。道子は、その呉服屋にも金を融通していた。しかし、井崎は、その金額も、どういう事情があってそういうことになったのかということも知らされていない。また、井崎のほうも、特に知りたいとも思っていない。金を借りてしまえば縁が切れるということがないので、その金を現物でもって済《な》してゆくというのが呉服屋の常套《じようとう》手段だろう。そういう、女の弱味につけこむような商法を井崎は不快に思わぬわけにはいかない。  そういうことをひっくるめて、いつでも自分の胸のうちに何かを匿《かく》しておけるというのは女の属性であろうと井崎は考える。もしかしたら、匿すこと自体に女の喜びがあるのかもしれない。恋愛によって女が歓びに慄《ふる》えるとすれば、その大部分は、それが密《みそ》か事《ごと》であるためだと井崎は思ってしまう。  そんなことが諍いのキッカケになることが稀にあったとしても、井崎はそのことで道子を責めたりはしない。  秘《かく》すということは、道子にかぎったことではない。女は、男のように、打ち明けるということが滅多にはない。かりに打ち明けたとしても、そのことをもう一度話題にしたり確かめようとしたりすると口を閉じてしまう。井崎が知っているかぎり、どの女も、そうだった。女には秘密があり、秘密めかしたところがある。出版社にいたときの頭のいい女の同僚もそうだったし、いまの食品会社の女事務員も同様だった。  瑛子も、道子と全く同じことを言った。 「女のひとって嘘をつくのよ。誰だって秘密があるのよ」  まるでそれが女だと言いたいような感じだった。 「きみは、いま、パトロンがいないの」 「そんなひと、いるわけがないじゃありませんか」 「それはいけないね。早くいい旦那をみつけなくちゃいけない。そうしてお金を溜めなくちゃいけない」  それは半分は冗談で、半分は本気だった。瑛子はそうする以外にうまく生きてゆく方法がないように思われる。 「先生、そんなことを言っていいの。本当に私に旦那がいたほうがいいの」 「いいさ」  井崎は、『金属』に来る男の品さだめをした。一応の男前で、社会的な地位が安定していて、金ばなれのよさそうな男の名をあげてみる。瑛子はしらけたような顔できいていたが、井崎の言う男たちについて、的確な判断をくだしたり、説明したりする。 「——は?」 「あのひとは駄目。あのひとはユリちゃんじゃないの。あら、知らなかったの」 「——は、どう?」 「あの人も駄目よ。あの人はホテル代しか払わないんだから」 「そういう感じだな。じゃ、——は?」 「かならず二万円はくれるわ。でも、それだけよ。それだけじゃしょうがないじゃありませんか」 「よく知っているね」 「ひとから聞いた話よ。あら、いやだ。私のことだと思って聞いていたの。失礼ね。それに、私、自分のことなんか言わないわ」 「水野は、どう? 水野はどうだった」 「ときどき十万円くれるの。ドレスでも買いなさいって」  その、ときどきというのが何カ月に一度かということがわからない。訊《き》いても瑛子は答えないだろう。井崎も、訊こうとは思わない。井崎は水野も案外にシミッタレだなとは思うけれど、たとえそれが三カ月に一度であったとしても彼には手の届かない金額である。それに、水野の女は瑛子だけではない。  井崎のやり方は、そのときに持っている自分の小遣いをそっくり女に渡してしまうという方式だった。その金は三万円を越すことはない。 「——は、どうなの?」  毎晩のように一人で『金属』に飲みにきていて、カウンター以外に坐らない客の名を言った。 「馬鹿ねえ。あの人は、ずっと安江ねえさんに結婚を申しこんでいる人なのよ」 「知らなかったな」 「有名じゃないの。もう、十年になるわ」 「安江さんも、案外、面喰《めんく》いだね」  その男は独り暮しで、既製服メーカーの副社長であるが、小柄で、頭が禿げあがっていて、陰気な感じがした。 「だんだんにそうなるようね」 「勿体《もつたい》ない話じゃないか」 「安江|姐《ねえ》さんは逃げ廻っているわ。とっても厭なんだって。それに安江ねえさんには恋人がいるのよ」  瑛子の言った安江の男は、演技派で知られている独身の映画俳優だった。井崎は『金属』でその俳優に会ったことはない。それではわかるはずがなかった。それにしても、井崎は、いつでも瑛子の話に驚かされる。 「——は?」 「ねえ、先生、ほんとうに私に旦那がいてもいいの?」 「いいよ。いいっていうより仕方がないじゃないか。こっちに資格がないんだから。ヒモでたくさんだ」  しかし、『金属』が終業になって、瑛子と二人になって巫山戯《ふざけ》ながらそういう話をしているうちに真実に突き当ることがある。真実というのは、井崎が瑛子の体験を嗅《か》ぎあてたということになろうか。井崎が誰某はと訊いてみて、瑛子が答えないというときに、それは臭いといえば臭い。  また、井崎は、そんなことを最後まで問い詰めてみようという気もなかった。それは井崎が小説を書くというのと同じように、瑛子にとっては「営業」だった。死活問題だった。井崎にしても、誰に問われても、書こうとしている小説の結末までをすべて明かしてしまうようなことはない。  瑛子にABC、もしくはABCDEという客がいることは間違いない。ABCのうち、どれがパトロンで、どれが馴染みの客で、どれが浮気の相手かということもわかっていない。また、パトロンと言っても、体の関係も、金額のことも、その受け渡しの方法も種々様々である。井崎はそんなことまで知りたいとは思わない。  その瑛子が、困ってくると、 「女のひとっていうのは嘘をつくのよ。誰だってそうなのよ。誰だって秘密を持っているのよ」  と、言うのである。それは、問わず語りであることが多い。井崎は知ろうとはしていない。むしろ、瑛子にパトロンがいたほうが、ずっと気が楽だ。井崎は『金属』で酒を飲んでいて恥をかくというのが厭だったし、瑛子を恥ずかしめてもいけないと思うだけである。 「絶対に、私、言わないわよ。プロっていうのはね、相手の男の人の名前を言わないものなのよ。それがプロなのよ。私、プロですからね」  瑛子が水野のことを言ったのは、それでもって井崎の気を引こうとしたのだろう。  また、あるときの瑛子は、こう言った。 「へえ、私にパトロンがいるんですって? 誰が言ったんでしょうね」  瑛子は、いつでも、ダイヤの指輪を填《は》めていた。そのダイヤは小さいけれど、カッティングも、指輪全体のデザインも見事なものだった。井崎は、瑛子に会うと、一度は目がそこへゆく。井崎は宝石についてはまるきり無智だけれど、趣味のいいものだということがわかっていた。  井崎は瑛子のおとなしすぎるような服装からして、その指輪もたいした金額のものではないだろうと思っていた。井崎は、浅草の夜店で買ったのだろうとか、イミテーションにしてはよく出来ているなというような冗談を言っていた。  どういう時だったか、瑛子は、この指輪、五十八万円よ、嘘だと思ったら、銀座のT堂に同じものが出てますから見てきてごらんなさいよと言ったことがある。瑛子の言ったことは本当だった。これも瑛子の問わず語りの一種である。  その後の瑛子が、指輪を無造作にカウンターの上に放りだすようなことがあって、井崎のほうがハラハラしたりする。また、あるときは、これは母の形見よと言ったりもする。瑛子の生いたちや環境からして、それも嘘であることが明白だった。そんな古い型の指輪が、現在もT堂に陳列されているわけがない。 「『金属』の瑛子ねえさんがそんな安物をするもんですか」  瑛子は『金属』の女であることを誇りにしているようなところもあった。これ以上は落ちてはいけないと自分に言いきかせているのかもしれない。しかし、安江にしても阿佐子にしても、わざとイミテーションの真珠のチョーカーを着けたりする。そういう点は、瑛子は正直といえば正直で、女としての善良さと同時に底の浅い所をも見せていた。イミテーションのほうが粋だということもあるのである。 「俺の前に、何人?」  井崎はそんなことを訊いてみたことがある。井崎は数においても瑛子にたちうちできないことを知っていた。 「三人よ」  瑛子は即座に、すらっとした調子で言った。そんなふうだから、井崎には三人が三十人にきこえるのである。  また、瑛子は、男は老人の体しか知らないと言っていた。瑛子の年齢からするならば、水野でさえ老人になってしまう。 「私、おじいさんのほうが好きなの。若い人は、あつかましいから厭なの」  そう言ったかと思うと、 「学生時代は別よ。学生時代はメチャメチャだったから」  と、言ったりもする。  女は嘘を吐く。それが女の属性である。それは商売女に限ったことではない。写真でさえ、なかなか見せようとはしない。女がアルバムを見せたとしたら、よくよく決心したうえでのことであるに違いない。  道子は金を貸したり買物をしたりすることで井崎に秘密を持つ。そのことは可愛らしいくらいのことである。  しかし、道子は、出版社に渡す前の、井崎の小説や随筆の原稿を読んでしまったりすることがある。井崎が仕事をするときは明け方までかかってしまう。起きてきた道子は、原稿の進捗《しんちよく》状況を見ようとして、ついつい読んでしまうということがあるようだ。  原稿の女の下着などの記述に間違いがあると、道子は黙っていられなくて、井崎に注意したりするようになる。そういうことが井崎には理解できない。道子の指摘が正しくて、そのために井崎は助かったと思うことが何度もあったが、きわめて不愉快なことだった。  また、道子は、井崎のところへきた手紙を開封してしまうことがある。うっかりしてということもあるし、井崎の旅行中で、仕事に必要な手紙かもしれないという配慮があってのこともあるけれど、興味本位ということもないわけではないようだ。  道子との諍《いさか》いは、そういうことに発することが多い。それは、男と女との避けられぬ差異であるかもしれない。井崎のほうは、道子宛の手紙を開封したりするようなことは考えてみたこともなかった。ハガキでも、机のうえにひろげたままの日記でも、井崎は目をそむけるようにする。女は、秘密をもちたがると同時に、男の秘密を嗅ぎつけようとする本性を備えているのかもしれないと思う。  そのあたりのことになると、井崎は、もう観念している。そういうものだと思ってしまっている。  しかし、道子に、 「私、パパに、ひとつだけ言ってないことがあるの。それは、死ぬまで、絶対に言わないの。それは秘密なのよ」  と、言われたりすると、事情が違ってくる。おだやかではないと思うわけだ。  学生結婚というのはママゴトの延長のようなところがあるのだけれど、それだけに、道子にそう言われると、無気味な感じがするのである。そうかといって、井崎は、道子が秘密にしておきたいと言っているものを知ろうとは思わない。いまとなれば、そんなことも、どうでもいいように思われる。無気味は無気味で、そっとしておいてもよい。  井崎は一年に一度という程度のことで思いだす言葉がある。  井崎が道子と大学で知りあった最初の頃は、井崎よりも同じグループの相原のほうが先に道子と親しくなった。井崎は最初の頃は女子学生と積極的に交際しようとする気持をもっていなかった。相原は、他の学生と較《くら》べると早熟だった。学校以外のところで道子と会っているようだった。  あるとき、相原が井崎に言った。 「おい、遂に道子さんに止《とど》めを刺したぞ」  終戦直後というべき時代であって、現在とは、若い男女関係の事情がまるで違っていた。いまであれば、止めを刺したというのは間違いなく肉体関係が行きつくところまで行ったという意味になる。しかし、当時であれば、それは接吻程度のことであったかもしれないのである。いずれにしても井崎は、その言葉をあまり気にとめずに聞き流していた。相原は、その大学には一年間在学しただけで、経済専門の大学に転校してしまった。  井崎は、道子に、パパにまだひとつだけ言ってないことがあるのと言われると、反射的に相原の言葉を思いだす。しかし、それとても、いまの井崎にはどうでもいいことのように思われてくる。  井崎が最初に道子に注意するようになったのは、大学に入学して何日か経って、懇親会が開かれて、その席上で自己紹介があったときに、道子が、私は不良少女になりたいんですと発言したときからだった。その程度のことでも、当時の女子学生としてはショッキングな発言だった。井崎は道子に危っかしいものを感じた。そういう気持で、だんだん惹《ひ》かれていった。いま考えると、道子がそんなことを言ったのは家庭環境のせいであったかもしれない。固すぎるような、閉鎖的な家庭が、かえって道子にそう言わせたのだろう。道子の発言や、それに惹かれて、まもなく結婚するようにまでなった井崎と道子とは、ママゴトの夫婦にちかい関係がずっと保たれるようになる。安定した収入があって、その夫に従う齢下の妻という関係ではなかった。井崎と道子との年齢差は十カ月であるに過ぎない。  道子には、いくらかエキセントリックなところがあった。  結婚する以前に、道子と二人で海岸を歩いていて、何か気に喰わぬことがあって、道子は海のなかへ歩いていってしまったことがある。井崎は、そのときのことを記憶していないという道子に驚いてしまう。多分、それは、井崎が道子と確実に結婚するという意志はないと告げたときのことであったろうと思われる。終戦直後というときは、男も女も、まだ死と隣りあわせにいるような気分でいて、海のなかへ歩いて行ってしまうということが、それほど奇矯《ききよう》な行動であるとも思えないようなところがあった。奇妙な時代だった。井崎は海に突き進んでゆく道子を見て、勝手にしやがれと思っていた。道子が死んでしまうということよりも、ひきかえしてきたあとで、靴をどうするのだろうということのほうが気に懸《かか》っていた。靴一足の入手が容易でなかった頃である。死よりも、そういう意味で、井崎は道子を大胆な変った女だなと思ったことを覚えている。  道子は鳥をこわがった。鳥のなかでも鶏を怖がった。鶏の鶏冠《とさか》や目や肢《あし》や爪がこわいのである。毛を毟《むし》られて肉屋の店頭に逆さに吊《つる》された鶏をこわがった。そのために肉屋の前が通れない。雛《ひな》もこわい。卵から孵《かえ》って翼の濡《ぬ》れているような雛が特にこわい。  鶏をこわがる女は、井崎の知っている範囲でも道子だけではないけれど、道子のこわがり方は異常だった。それが現在にまで続いている。道子は鶏に追いかけられる夢を見て泣き叫ぶことがある。  道子はオバケもこわがった。そのこわがりかたが井崎からすると異常なのである。これも結婚以前に、井崎は道子を騙《だま》して幽霊の出る歌舞伎を見に行ったことがある。騙すというより、これから結婚しようとする女をよく知っておきたいという気持もあった。しかし、道子の怖《こわ》がり方は子供が痙攣《けいれん》をおこすのと同じようなものだった。  道子の変っている点は、恐怖感だけではなかった。子供のときの旅行で、峨々《がが》たる山が汽車の窓に逼《せま》ってくるということでさえ怖いのだった。その怖さには喜びも混じているという。昂奮しやすいのだろうか。感受性が強すぎるのだろうか。道子においては狭い狭い世界だけが必要なのだった。  道子のすぐ上の姉が女学生のときに神経衰弱が昂じて自殺しているということを知らされたのは、結婚後十年以上も経ってからのことだった。道子も、道子の母も、そのことを井崎に隠していた。そういうことが、井崎や、井崎の家の家風とずいぶん違っているところだった。井崎のほうでは、七人も同胞《きようだい》がいれば、一人ぐらいはそんな人間がいても当りまえだぐらいに考えてしまう。  これは結婚してからわかったことであるけれど、道子には、井崎の気のつかない我儘なところがあった。  井崎と道子とが散歩に出る。井崎は足が速い。気がついてみると、道子が百メートルぐらい後方にいることがあった。わざと歩度をゆるめているとしか考えられなかった。反対に、井崎が重い荷物を持っていたりすると、道子は、振りむきもしないで、ずんずん先へ行ってしまうということもあった。そういうあたりの心理が、道子のふだんの行状からして、井崎には見当がつかないのである。  井崎は道子に振り廻されてきたように思っていた。  だから、結婚二年目に、道子が心臓発作を起して、後に鉄道病とかストリート・フォビアとかいわれる症状が見られるようになったときに、井崎は、自分一人では、道子の本来もっているところの性格が、そういう形であらわれたのだと思っていた。それは閉鎖的な性癖だった。一種の我儘であり、幼児性だった。  道子の発作の直接の原因は、堕胎のときの麻酔薬のせいだった。道子の症状は、堕胎における罪悪感だと説明する医者がいる。そういう気味がないわけではないけれど、もしそうだとするならば、戦後の何百万人という女性がノイローゼの患者になっているはずだと井崎は考えている。 「パパがいけないんだよ。堕胎《おろ》せと言ったのはパパなんだからね」  発作がおきたときや不機嫌でいるときの道子は、そう言って井崎を責めたてた。  いずれにしても、道子とのそういう生活は呼吸《いき》がつまるのである。  このままで、こういう形で、道子との生活が終るのは厭だと井崎は考えていた。そう考えるようになってきた。  手術をしなければいけない。それは冒険であり、賭《かけ》であるかもしれない。それは井崎にしかわからないことであり、井崎のほかには誰にもやれないことだった。  幼児は、初めは誰でも海をこわがる。海へ連れて行くと、海のほうを見ないで砂弄《すないじ》りをしようとする。大海を見ようとはしない。幼児を海に馴れさせる方法はただひとつである。泣き叫ぼうが暴れようが、幼児を抱いていって海に漬ければいいのである。たちまち幼児は海が好きになる。  道子を連れて旅に出るために汽車に乗せることは尋常な方法では不可能であることを井崎は知っていた。  道子は、井崎も林太郎も、自分がいなければ暮していかれないと思っているようなところがあった。女は一種の支配者であると井崎は思う。それは幼児性とは異るところの、もうひとつの女の属性だと井崎は考えていた。そういう意味においても道子は激しい女だった。これを打ちこわすのは容易なことではない。  井崎は手術を行おうと思っていた。その機会をとらえようとしていた。  井崎は道子のほかに女を知らないのではない。しかし、浮気が道子に知れてしまうのは、通常の家庭とは意味が違っていた。なんといっても道子は病人だった。  また井崎自身も、友人たちと較べれば、女に関しては淡泊だった。それは非常に早く結婚してしまったことにも起因している。女を知る機会や、女によって失望するということが友人たちに比較して遥かに少いといえるだろう。  井崎は、友人にくらべて異性関係が淡泊であるにも拘《かかわ》らず、道子に責めたてられるのは、理に合わないとするようなところがあった。井崎がそう考えているということも、道子との生活を息苦しいものにしていた。  井崎は、道子に優しい言葉を言ってみたいと思う。歯の浮くような言葉であってもいい。しかし、井崎にはそれが出来なかった。ずっと、ながいあいだ——。  もっとも、夫婦で温泉宿にでも出掛けるというような機会さえ全く与えられていないのだから、そんなことは不可能であるともいえるだろう。  井崎は職業で色紙をもとめられる機会が多い。しかし、井崎は、自分だけの気のきいた詞《ことば》をつくるという才能がないし、色紙用の常套句《じようとうく》を書こうという気にもなれない。それは照れ臭いのである。  井崎は仕方なく、万葉集や折口信夫《おりくちしのぶ》の歌を書いた。書家ではないのだから、そんなことはおかしいのであるが、それ以外の方法を思いつかなかった。井崎は自己流で習字をはじめた。  井崎が練習したのは、次のような歌である。 [#ここから1字下げ] ささなみの志賀《しが》の辛崎幸《からさきさき》くあれど大宮人《おおみやびと》の船待ちかねつ ささなみの志賀の大曲《おおわだ》よどむとも昔の人に亦《また》も逢《あ》はめやも あをによし寧楽《なら》の都は咲く花の薫《にお》ふがごとく今|盛《さかり》なり 春の野に菫採《すみれつ》みにと来《き》し吾《われ》ぞ野をなつかしみ一夜《ひとよ》寝にける うらうらに照れる春日《はるひ》に雲雀《ひばり》あがり情悲《こころがな》しも独《ひとり》しおもへば ますらをと思へる吾《われ》や水茎《みずくき》の水城《みずき》のうへに涕拭《なみだのご》はむ [#ここで字下げ終わり]  折口信夫では、次の歌だった。 [#ここから1字下げ] 葛《くず》の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり 人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。旅寝かさなるほどの かそけさ 道に死ぬる馬は、仏となりにけり。行きとゞまらむ旅ならなくに [#ここで字下げ終わり]  折口信夫の歌は、林太郎の教科書で見たものだった。しかし、死とか仏とかという言葉のある色紙を他人に渡すわけにはいかない。そこで、柿本人麿《かきのもとひとまろ》や、折口信夫の「葛の花」を書くことが多くなる。  道子は、このなかの、柿本人麿の「ささなみの志賀の大曲よどむとも昔の人に亦も逢はめやも」を書いた色紙を小抽出《こひきだ》しに蔵《しま》っていた。それは道子の好きな歌でもあった。  この歌の「昔の人」は大宮人である。しかし、道子は、それを井崎であるように解釈する。昔の井崎、道子と知りあってから結婚するまでの井崎である。  そんなふうに、道子は、井崎のことについても、閉鎖的に、短い期間に限定しようとする。  あの頃のパパは素敵だったと言う。そんなふうに言われることは、井崎にとっては鬱陶《うつとう》しいだけのことである。色紙とその歌も、道子の井崎に対する攻撃材料になっていた。 「私は、もう、昔の人に逢えないのね」  過去にのみ執着することもまた女の属性なのだろうか。     16  入院が八日目になった。  滝本から外出許可証を貰って郵便局へ行く。東京へ送る原稿が少し遅れて、速達でないと心配になってきたからである。病院内のポストでは速達の手続きが出来ない。速達は看護婦に頼むのが正式なのだけれど、原稿の扱いに馴れていない人では心もとないのである。  歩いて五分という距離であり、体は恢復《かいふく》しているはずなのに、なにかふらふらするような感じがある。横断歩道を渡るのがこわいような気がする。自動車がこわい。  井崎は面会室の会話で、退院した日に階段からころげ落ちた人の話を聞いていた。また、道を歩いていて、ちょっとした起伏で蹴つまずくこともあるという。河原は、それは病院の廊下は全く平らであって、そういう所しか歩いていないせいであると説明していた。  京都市の道路や路地裏が綺麗《きれい》なのに驚く。掃除がゆきとどいている。そういう所が都なのだと思う。  滝本の書いた外出許可証には三十分間の余裕があった。井崎は、出来るかぎりの遠廻りをして病院に戻った。  阿佐子から手紙が来ていた。  追伸のところに、井崎さんの今着ていらっしゃるのは袖のすこし長いパジャマですか、それとも裾のややみじかいお古のゆかたですか、ちょっと知りたい気がします、という文句があった。  瑛子からは手紙がくるわけがない。手紙を書くような女ではないことを井崎は承知していた。  道子からの手紙。  ふっと時計を見ると夜の十一時だったりして。パパはもうとっくに寝ているのかしらと思います。熱がさがった由なによりです。  昨日の夜、藤田先生の奥様からお電話がありました。お大事にとのことでした。  今日のお昼ごろ、森さんの奥様が留守見舞いに来てくださいました。本当に奥様もいい方。「真夜中でも何かあったら何でも言って下さいよ」と言ってくださいました。可哀そう可哀そうと道子にとても同情してくださるのよ。でも道子が強くなるチャンスよね。  この前は変な手紙出してすみません。向島育ちの長屋のオッカアね。でも言いたいこと言ってスッとしています。ともかく、いろいろ考えるいい機会だと思っています。  一昨日も、今日も、林太郎の友達が集まり、高校の封鎖に参加する空気です。心配したお母さんや先生から電話があります。私を責める電話ではないし、私はわからないので放ってあります。林太郎には暴力だけは恥だから止めるようにとだけ言ってあります。堂々の論陣を張って先生を負かすようにと言ってあります。林太郎は明日の行動には参加しない様子ですけれど。  なんだかパパが心配です。酒煙草の禁断症状で少し気が弱くなっているようで——。ガンバッテくださいね。あっ、こういうこと言う奥さんはいけないんだっけ。すみません。  秀子さん、行ってくれるそうです。私も湯村先生と二人だと気づまりで、ちょっと厭だし、秀子さんに行って貰います。なんとかしてお迎えに行きますね。切符のこと、どうすればいいか指示してください。  何か必要なもの、ほしいものあったら送ります。では大事にしてください。  午後三時の便で、道子からのもう一通の手紙がきた。その書きだしは「大変なことになりました」となっていて、新聞のキリヌキが貼《は》りつけてある。  新聞の見出しは「外人部隊、大あばれ。未明、S高校に乱入」となっている。  以下、新聞記事。  二十五日午前五時半ごろ、東京都××市私立S高校(R校長)の正門西側の工事用出入口から白ヘルメット、覆面スタイルの高校生ふうの十五、六人が乱入、職員室の机にあった書類などをメチャメチャにする一方、ガラス窓を割りながら二十五、二十六番教室の机を持ち出し、長さ二十メートル、高さ一・六メートルのバリケードを築いた。  この騒ぎでかけつけた同校社会科教諭Mさん(四三)と英語教諭Dさん(三四)の二人が角材で顔や頭を殴られ、それぞれ七日間のけがをした。  F署員が一一〇番で現場に急行したが、そのとき、高校生は高さ二メートルの金網のサクを乗り越えて逃げた。  同署は傷害、器物損壊の疑いで高校生を捜しているが、同署とR校長の話では乱入した高校生らは同校の生徒ではなく、いわゆる外人部隊で、何のために封鎖しようとしたかわからないという。  道子からの最初の手紙に、林太郎の友達が八人来て徹夜で昼頃まで遊んでいったと書いてあったのは、その高校に乱入するための会合であることがあきらかになった。  井崎の留守中の家が集合場所に使われていたのである。  井崎からするならば、家をそんなふうに使われるのは迷惑であるが、その他のことに関していえば、それはどうでもよいことであった。林太郎は林太郎で、自由に行動すればいいという考えだった。  林太郎が高校の三年生になったときから、井崎はそう考えていた。林太郎が下宿生活をしたいと言ったときに、井崎はすぐに許可した。酒も煙草も、井崎のほうですすめた。  林太郎の年齢は、井崎が徴兵検査を受けた年齢だった。次の年に井崎は入営していた。そのときの井崎は、入営する以前に、いっぱしの大人だった。周囲から干渉されることを嫌っていた。  井崎が林太郎を教育するとすれば、それは小学生と中学生のときに終っていると思っていた。あとは好きなようにすればいい。あとのことは親の責任ではない。そういう考えが間違っているかどうかはわからないけれど、井崎が林太郎の年齢のときには、そんなふうにしてもらいたいと思っていたのである。  やりたいようにやれ。勝手にやれ。卑怯《ひきよう》な真似《まね》をするな。逃げるな。弱い者を苛《いじ》めるな。正面からぶつかれ。……井崎が林太郎に言うのはその程度のことである。その考えが、間違っていてもいい。怪我をしようが、警察に留置されようが、それは親の知ったことではない。井崎は、林太郎のことに関しては、そのように考えていた。林太郎は、井崎が道子と知りあった頃の年齢に近づいていた。  道子からの手紙。  大変なことになりました。  二十二日に泊った子と同じ子もいたりしたけど、二十四日に、また十人ぐらい泊りにきました。T君を信頼してたし、別にあまり重大に考えなかったの。林太郎も事前に何も言わないし、在校生のデモを8ミリで撮《と》るなんてことを言ってたので、在校生のを遠くから見守る程度かと思っていたの。そうしたらだんだんに集まってきて(道子は十二時ごろ寝たけど)午前四時ごろ勢揃《せいぞろ》いして、四時半に静かに出発。そっと寝室の窓からのぞいたらゲバ棒も何本か見えるの。小雨のなかを出て行きました。それがこの新聞記事なの。  六時半ごろ、散り散りに八人が逃げてきました。もちろん林太郎も。——うちがアジトとはね。私は若者が好きだけど、やはりタダ破壊的な面もあるみたいで、ダンコもうことわろうと思います。本当にすみません。パパがいらしたらどうなさったかしら。林太郎は「ぼくはいつもミソッカスだから心配しなくていいよ」と言うけど、それがかえってあやしいとも思われます。ともかく行動には必ず参加しているんですもの。  一人か二人、掴《つか》まったらしいです。その子がみんなの名前を言うかどうか。学校にはいる直前に、ヘルメット、タオルをしたようです。T君は「おれ、暑くて、職員室でタオルをとったから、みつかったかな」なんて言ってたけど。  でも、今朝の行動に、どれくらいの価値があったのかしら。先生方も不穏の空気を感じたのか、二十人ぐらいいらしたそうです。「こんなんで掴まったらバカらしいから、すぐ逃げた」とみんな言ってました。示威行動かしら。私は帰ってきた子供たちに御飯とおみおつけをつくっただけ。話しあう気はしないの。  でも、お昼ごろまで「おまわりにつかまると小母さんに迷惑がかかる」と言って、林太郎のベッドに四、五人がかたまって寝ていたりすると、可愛らしくなっちゃう。みんな、ものすごい連帯感があって、楽しくて嬉しくてたまらないみたいなの。  あのひとは全く平静です。すごくえらい子かもしれない。でも本当にちょっとパパの立場や、お世話になった先生方のことを考えると困ります。この手紙つき次第お電話ください。「家をつかうのは断ること」とか御指示ください。  今日は林太郎はいろいろ話しあい(どこでするのか)があるらしく遅くなるそうです。でも、パパの留守中は遅くなっても必ず家のほうへ帰ってきてくれるそうですけど。  パパ留守でも、なにやかや賑やかです。気がまぎれていいです。検査はいかがですか。お酒よせばすぐよくなるような気がします。  ぜんぜん知らない土地で新しい人生をはじめたらと、私でさえパパのために考えます。お酒も煙草もやらない人になって。そして独身でね。いまのパパの理想でしょうね。  だって、このままじゃ小説も書けないでしょう。そして、可愛い奥さんをもらって、もう一度すごい健康な生活をするの。本当の蒸発ね。パパのためを本当に本当に思うとこうなるの。もちろん、こんなこと厭よ。  でも、少し生活を改善しないとね。誰も知らないアパートを借りてパパときどき蒸発したら。(道子には知らせてほしいけど)ああ、またちょっとヘンになってきたから、もうこれでよします。くれぐれもお大事にね。     17  井崎は父に似てきた。他人にもそう言われるし、自分でもそう思うことがあった。ちょっとした動作や、心の持ち方で、不意に「あ、これは父に似ているな」と思うことが多くなった。その度に井崎は父に復讐《ふくしゆう》されていると思った。  井崎は急激に老けてきた。通常、厄年といわれる年齢になっている。厄年というのは、体の変化に心のほうで追いついていかない状態ではあるまいかと思ってみたりする。こまかな神経のつかい方が出来なくなってきている。鈍麻している。そのくせ、余計な神経が尖《とが》ってきていて、怒りっぽくなっている。公害問題が騒がれはじめたころ、大気汚染を報じているテレビの画面にむかって「みんな死んじまえ」と怒鳴ったことがある。それも、自分でも思いがけない発作的な出来事だった。  中年には中年の服装があり、暮し方がある。そのことによって調和のとれた一種の美しさが生ずると考えているが、そのことに馴染《なじ》むことができないでいて、三十代のはじめのころと同じ乱暴な仕事をしたり、酒の飲み方をして、何度も後悔する。年齢を思い知らされる。  あるとき、井崎が『金属』で飲んでいて、井崎の席の脇を文芸評論家の松田が通り抜けるということがあった。ほぼ一年ぶりぐらいで顔を見たので、井崎は立ちあがって声をかけた。松田のほうが井崎より二歳ぐらい若い。松田は、いつものような人懐っこい笑顔で会釈して奥のほうの席へ案内されていった。十五年ほど前に、井崎と松田とは同人雑誌の仲間だった。その雑誌は三年続いた。その頃、松田は井崎の家へ何度も遊びにきていた。雑誌記者であった井崎は、新進の評論家として名のでてきた松田の家に原稿を受けとりに行ったこともある。だから、井崎と松田とは、同業というより友人関係にあったというほうがいい。奥のほうに案内された松田が、五分ほど経って、あわてたように戻ってきて、あ、失敬失敬、井崎だったのかと言った。松田は見間違えたのである。その慌《あわ》て方《かた》は、彼の育ちのよさを示していた。おそらく、松田は、女給に、さっき俺に挨拶したあの男は誰だいといったふうにたずねたのだろう。  松田から、すぐにハガキが来た。昨日は失礼した。あんまり老けてみえたので間違えてしまったという簡単な文面だった。井崎はそのことでショックを受けるようなことはなかったけれど、ずっと長く心に残った。  また、林太郎とキャッチボールをしていて、若い頃と同じフォームで、同じように投げたつもりで、球がとんでもない方角にいってしまうことがあった。それも井崎には信じ難いことのひとつだった。  井崎は博奕《ばくち》が好きだった。自分でも博才があると思っていたし、友人達から怖れられていたような時期があった。しかし、この二、三年の間は、競馬でも麻雀でも花札でも、ほとんど勝ったことがない。面白いようにツキが廻ってくるというようなことは無くなってしまっていた。  競馬場へ行っても、ちっとも楽しくならない。すぐに、なにか物悲しくなってくる。競馬場へ行くのは気晴らしと運動のためなのであるが、井崎は、疲れ、憂鬱になってくる。  井崎の買った馬が先頭をきって逃げている。彼は、その馬の単勝式と複勝式の勝馬投票券を持っている。直線に入っても、まだひきはなしている。このぶんなら、あるいはと思って期待していると他馬が競《せ》りかけてくる。馬の脚勢がおとろえてくる。それでも三着には粘れるだろうと思っていると、ゴール前の百メートルあたりで、急に止ったようにずるずると後退してしまう。ゴールを過ぎたところでは、十八頭立ての後から二頭目であったりする。  そのときに井崎は悲しくなってくる。馬券を取られたというよりは、なにかもっと漠然《ばくぜん》とした悲しさである。自分の推理や判断に根拠がなかったように思われてくる。  以前は、そんなことはなかった。もともと競馬とは、そのようなギャンブルである。どんなに調べても相手は馬なのであり、不測の事態が起きるほうが当然なのであり、それが面白さにつながっているはずだった。そのことは承知しているのに、なにやら物悲しくなってくるのである。  井崎が競馬場で物悲しさを感ずるのは、負けてばかりいるせいではなくて、自分の旧式な方法が現代では通用しなくなっているのを感ずるからである。情報過多、解説過多の時代にとり残されてしまっているように思ってしまう。井崎にとって、競馬は、のんびりと馬を見て、のんびりと自分の目に適《あ》った馬を追いかけるという楽しいギャンブルだった。いまのように、コンピューターの示す数字を見て、馬体重を調べ、予想配当を見るというようなアタフタとした賭事ではなかった。  いや、それだけではない。井崎は判断力が鈍ってきているのである。自制心が失われているのである。喰いさがる気力を失っている。勝負をするときに必要な、自分の型がなくなっている。孤独に耐えて頑固になることで自分の型が生じてくる。そういうものが失われてきている。記憶のスポーツであるといわれる競馬における記憶力がおとろえてきている。自分の目で見たレース展開も、そのときの馬の名さえもすぐに忘れてしまう。  レースが終ったときに、井崎は、うっすらと涙がたまってくるように感ずることがある。それは、馬券を取り損ったという口惜し涙ではない。ただ漠然と物悲しくなってくるのである。そういう様子を知人に見られまいとして、あたりを見廻すようなことがある。そういうこと全体の馬鹿馬鹿しさを承知していて、井崎は、自分の気持をもてあましている。  井崎は父に競馬を教えられた。父は、井崎からするならば、もっと旧式な競馬だった。父は調教訓練を見に行ったりした。あとは自分の勘に頼っていた。そういう父と口論になったりすることがあった。しかし、現在の自分の立場は、そのときの父に似ているように思うのである。  井崎の父は麻雀が好きだった。しかし和了《ホーラ》のときの点数の計算が出来なかった。井崎からするならば、勘定が出来なくて麻雀を打つなどということは、とうてい考えられないことだった。そのことで井崎は父を罵倒《ばとう》したことがある。麻雀の点数が数えられないというようなことは、さほどのことではないのであるが、父は鉄火場《てつかば》に近い所へ出掛けてゆくのである。父は麻雀が下手だった。それは家計に響き、母を苦しめるようになる。井崎が罵倒し、いつでも父の技倆《ぎりよう》を冷笑したのは、麻雀を止めさせたいと思ったからであった。  父の麻雀は、体が弱ってきて、徹夜にたえられず、失禁したりして、そのような状態で家に担《かつ》ぎこまれるようになるまで続いた。  信じられないことが起った。井崎も、計算が出来なくなったのである。それは、ひとつには、ルールがどんどん変ってゆくからだった。また、井崎は、博奕には興味を失っていて、麻雀を打つというのは接待か時間潰しに限られていて、二月に一度という程度にしかゲームに参加することがなくて、新ルールに習熟しないせいでもあった。しかし、むろん、計算の方法は知っているのである。それが閃《ひらめ》くようにして出てこないのである。だんだんに井崎は勘定するのがめんどうになってきて、他人まかせになる。それでは、井崎が父を冷笑したのと同じ状態であるといっていい。  糖尿病で目が悪くなっていた父は二万《リヤンワン》と三万《サンワン》とを見誤って、和了したつもりで牌《パイ》を倒すことがあった。これは満貫《まんがん》を放銃《ほうじゆう》したと同じように支払うというのが普通のルールである。  井崎はそういうことはなかったけれど、不思議としか思いようのない誤りを冒すことが多くなった。たとえば立直《リーチ》をかける。海底《ハイテン》間際に五万《ウーワン》を自摸《ツモ》してくる。危い牌を掴んだなと思っても立直だから仕方なくその五万を捨てる。それが放銃牌である。しかし、放銃した途端に、井崎は、あっと叫ぶ。五万は井崎が暗刻《アンコ》で持っているのである。つまり、井崎は、その牌を捨てずに、暗槓《アンカン》することが出来たのである。しかも、奇妙に、そういうときに限って、嶺上開花《リンシヤンカイホー》で和了できたことがわかったりする。それと同じような誤りが重なってくる。  麻雀というのは、実際は、複雑そうにみえるけれど、運に左右される単純なゲームである。極端なことをいえば、和了できるときに余所見《よそみ》をして見過してしまうというようなミスの少い人が勝つだけのゲームである。  井崎は、不注意と、集中力に欠けてきていて、ミスが多くなってくる。麻雀をやっていても、井崎は、競馬場にいるときと同じように物悲しくなってくる。  父に似るというのは博奕だけのことではない。  晩年の父は、服装が派手好みになっていた。若いときからお洒落であったけれど、井崎から見ると、好みが次第に低下していた。テレビを見ていて、歌謡番組に出ている若手歌手の服装に感じいったりする。一緒に町を歩いていて、ウィンドウに出ているセーターを買ってくれと強請《ねだ》ったりする。道子が、おじいちゃま、あれは女物よと教えても、父は、なかなか店の前をはなれようとしない。あきらめがつかないのである。それは、井崎からすると、父が恋愛中であって、すこしでも女の関心をひきたいと考えているからだというふうに思われた。あるいは、若い女に同化しようとする心持であるかのようにもみえた。そういう様子が、破廉恥《はれんち》だった。男は、年寄るに従って、女になり子供になってしまうように思われた。  父はベレー帽をかぶりステッキをついていたけれど、そのベレー帽のかぶりかたも、表情も、声の出し方も、どこか女っぽくなっていた。全体の様子が、井崎には、非常に狡猾《こうかつ》な男であるように見えた。  服装のことに関して言うと、井崎は、背広では、最初のときから紺系統で通してきていた。背広もネクタイも全て紺無地だった。背広はサージが好きだった。おそらく、このままの好みで一生が終ると思っていた。  しかし、井崎は、ふらっと赤のはいったネクタイを買ったりするようになっていた。それも思いがけないことだった。また道子にすすめられて、緑系統の替え上着やフラノのズボンをあつらえたりもするようになった。それも、井崎には考えられないことだった。井崎は、それも老化現象のあらわれだと思い定めることにした。  オーバーが嫌いで、マフラーも手袋もしない主義で通してきた。その井崎が、カシミヤのオーバーをあつらえ、ビキューナーのマフラーを買ったりする。それも老化現象だと思うのであるが、寒さに弱くなったと思うと同時に、内心の破廉恥だなという感じを拭《ぬぐ》うことができない。こんなはずではなかったと思う。  何度目かの退院で、父が家にもどってきたときに、テレビの連続ドラマで、一種の「悪女ブーム」という現象がみられた。父は、その一人で名の売れてきた文学座の小川真由美のファンになっていた。入院中は、連続テレビドラマを見ることが最大の楽しみであったのだろう。父の好きになった女優が、そのほかに二人か三人いた。いずれも、若くて悪女っぽい役柄に扮していた。それは昼の番組であったり、深夜にちかい時間帯であったりした。父は、どんなに遅くても、起きて待っていた。井崎は怖《おそろ》しいようにも思い、音量をいっぱいにするので、林太郎の目がさめるのではないかと思って注意することがあった。井崎にすれば、そういう父が薄気味わるいのである。  悪女好みというのも、ひとつの老化現象ではあるまいか。悪女であるか、あるいは一種|痴呆的《ちほうてき》な女でなければ老人に接近することはあるまいと思われる。また、老人の側からするならば、それだけ責任が少くてすむということがある。  井崎が瑛子に惹かれるようになったときにも、やはり、父に似てきたなと思わないわけにはいかなかった。  井崎は、あるとき、瑛子によく似ているファッションモデルを発見した。その女は、時計のTVCFに出演していた。コマーシャル・フィルムで、あまり意味もなく裸になるシーンの出てくるものが流行しはじめていた。その女は、裸全体を見せることはない。しかし、男物の腕時計をしていて、目を閉じてシャワーを浴びたりする。あるいは、若い男に背後から抱きついて目を閉じたりする。あるいは薄物一枚で髪をなびかせて草原を走ったりする。そういう場面は、時計を売るということからすると、井崎には意味のない場面であるようにみえた。そのときのファッションモデルの顔が、素顔になったときの瑛子に似ていた。  井崎は、その国産腕時計のメーカーの提供する、つまらない歌謡曲番組の時間を知るようになった。井崎としては頭のところに出てくるCFをみればそれでいいのだった。そうして、そのCFが造り変えられないことを願っていた。その女が他の女に変らないことを願っていた。また、別の意味で、そのCFを嫌悪《けんお》していた。しかし、そのCFを見ることは、風呂からあがってきたときの瑛子を見ることだった。井崎の顔の下で目を閉じている瑛子を見ることだった。井崎は、その時間になると仕事部屋をはなれてテレビの前に坐らないではいられなかった。そういう心持が、父に似てきていると思った。  井崎が糖尿病を自覚し、それを宣告されたような形になったとき、瑛子に傾いていったのは、それは男の生殖本能ではないかと考えたことがある。駄目だと言われたときに、それに反撥《はんぱつ》し抵抗しようとする——。それは男の本能なのではあるまいか。  井崎と父とでは年齢的な差がある。父の場合は、死を本能的に知った場合の男の立場ではあるまいか。最後の足掻《あが》きではあるまいか。そういう考えは、井崎に確信があってのことではない。自分に都合よく考えようとしたためでもない。井崎には、それらのことが不思議なのである。  井崎と父とでは、年齢や、性格や、育った環境と時代の差があるのだけれど、井崎と父とを近づけている別の要素がある。井崎には罪の意識がある。それが井崎を老いこませていると考えていた。  ものを書くということは、一方で、罪の意識を育ててしまうと井崎は考えていた。特に井崎のように小説を書いていると、それが私小説でなくても、誰かをモデルにしてしまうことを免れ難い。それが誰かを傷つけてしまうことがあるのと同様に、いや、それ以上に自分の神経を傷《いた》めてしまう。それは井崎だけのことではなかった。井崎の同年輩の同業者で、そのことで参ってしまっている者の数は少くない。それも免れ難いことだった。それが井崎を老いこませ、父に近づけていた。  井崎が父と似てきたと思うのは、博奕や服装や女だけに関してのことではない。ちょっとした挙措動作が似てきたように思う。咳ばらいや独り言が似てきた。それはやむをえないことであるが、同時に、井崎にとっては忌々《いまいま》しいことだった。  井崎は、いつからか、風邪をひいたような状態が続いている。自分でもそう思うし、そう思っていないで電話に出たときでも、風邪ですかと言われたりする。その状態は、ずっと治るということがない。  井崎は、だいたいにおいて、夕食後から仕事をはじめる。一段落すると、それが十時であったり、十一時半であったりする。すると、不意に『金属』で働いている瑛子のことを思ったりする。その時刻では『金属』では喧騒《けんそう》ともいうべき状況であって、瑛子は、井崎のほかのABCDEという客の誰かをあやつっているに違いない。そのことが、時に井崎を苦しめるようになる。そうかといって井崎にはそれをどうすることも出来ないし、また、どうしようとする気持もない。すこし心が騒ぎ、すこし痴呆的な状態になるだけである。     18  井崎は、滝本と一緒に屋上に出た。患者が屋上に出ることは禁止されているので、医者に頼まなければならない。湯村なら問題はないが、他の医者だと理由を見つけなければならない。  そのときは虹《にじ》が出ていた。大きな虹が出ていた。東京では、そういう虹を見ることは滅多にはないが、京都ではどうなのかということが井崎にはわからない。  井崎は、面会室にいて虹を見ていた。  通りかかった滝本に、 「虹が出ていますね」  と言った。  井崎は、虹のために、ずっと長い間、面会室にいた。井崎の南側の病室からでは見ることが出来なかった。  午前中に血糖の検査が行われた。そのあとで心臓の検査。心電図をとる。階段の昇降を三分間続けたあとの心電図をもう一枚。前回のときは、この運動負荷後の状態が悪かった。  昼食後、面会室へ行ってみると、北山のあたりの山腹から頂上にかけて、全体に虹がかかっているように見えた。普通の太鼓橋のような虹ではない。山全体に靄《もや》がかかっているようで、その靄が全体に虹色となっているのである。山と山との間が薄く五彩に七彩に色どられている。  井崎は、そういう光景を見るのは初めてのことだった。それが虹であるのか、虹と呼んでいいのかどうかということもわからない。北山の谷あいに、そのように輝く雲がうずくまっているのである。不思議な眺めだった。それとも、京都のような山に囲まれた町では、こういう現象は珍しくないのだろうか。  井崎は、長い間、面会室にいて、北山のあたりを眺めていた。面会室の窓からそれを眺めたのは井崎だけではなかった。誰も何も言わなかった。  朝の風の勁《つよ》い日だった。よく晴れていた。いまは、風があるのかどうかということが、そこからはわからない。多分、風はないのだろう。快晴といっていいような空である。すると、北山のあたりだけに雨が降っているのだろうか。  それが十二時半頃だった。  井崎が次に面会室に行ってみると、こんどは、非常に大きな虹が出ていた。幅がふとく雄大である。それは普通の、井崎の何度も見た虹の形だった。井崎には、北山のあたりから虹が湧きだしたように思われた。するすると伸びていって太鼓橋の形になったように思われた。……時計を見ると、一時十五分だった。四十分か四十五分後に、こうなった。 「虹が出ていますよ」  入院患者の一人に井崎が言った。その若い男の患者は窓のところへ行って外を見たが何も言わなかった。彼はすぐに長椅子にもどって週刊誌を読みはじめた。  井崎は、また一人になって虹を見た。そのとき、快晴の空が雨になった。ひとしきり、激しく降った。それも信じられないような感じの出来事だった。  虹が消えた。しかし、雨が通り過ぎたと思われた瞬間に、前よりもさらに鮮《あざ》やかな虹がかかっていた。そうして、空は快晴である。  滝本が通りかかったのは、そのときである。  井崎は滝本とならんで廊下へ出た。 「滝本さん、屋上へ連れていってくれませんか」  滝本は驚いたように井崎を見た。 「いま、いそがしいんですか」 「そんなことはありません」 「虹を見たいんですよ」  滝本は医局へ行って、屋上に通ずる扉の鍵《かぎ》を持ってきた。  やはり風は凪《な》いでいた。 「こんなに大きな虹が出るのは珍しいことなんですか」 「………」 「それとも、京都ではよく見られるのですか」 「さあ。……やっぱり、こんなのは珍しいでしょうね」 「どこからどこまでと言ったらいいんでしょうか」 「………」 「女房に手紙で知らせてやろうと思いましてね」  井崎は、そう考えて、ごく普通に言ったつもりだったが、自分で笑いだしてしまった。 「奥さんに?」  とりあえず驚いてみせるというのが滝本の癖であるようだ。 「おかしいですか」 「おかしくないですけれど」  滝本の眼鏡のなかの目が笑っている。 「左の端ですね、あれは、どこといったらいいんでしょう。何山でもいいし、何町でもいい……」 「さあね……」  滝本は、しばらく、そっちのほうを睨《にら》んでいた。 「だいたいでいいんです」 「船岡でしょうね。船岡といっていいと思いますよ」  彼は船岡の歴史的背景に少し触れた。 「こっちのほうは? 右のほうの山は」 「高台寺です」 「あれが高台寺ですか」 「船岡から高台寺まででいいでしょう。奥さんに、そう書いてあげてください。ですけれど、虹っていうのは、どこからどこまでとはいいにくいですね」 「………」 「実際に、そこへ行ったら虹があるのかどうか。ここから見た感じが船岡というだけの話ですよ」 「しかし、船岡から出ているように見えるんじゃないですか」 「そうなんですけれどね。……子供のときに、虹を自転車に乗って追いかけたことがあるんですよ」 「自転車で?」 「いまのように、船岡から出ているように見えるでしょう。そのときは船岡じゃありませんでしたけれどね。こんなふうになっていて、そこまで行ってみようと思ったんです」 「どうでした?」 「ありませんでしたね。どこまで行っても虹は逃げていきますね」 「ありませんか」  しかし、井崎にも、その虹の左端は、船岡にあるように見えた。滝本の子供のときの気持がよくわかるように思われる。また、そこへ行ったら虹がなくて、どんどん逃げてゆくというのもよくわかる。  小雨が降ってきた。遠くの空は晴れている。井崎は病室にもどった。その虹が消えたのは三時すこし前だった。  夜になって、井崎の勤務する食品会社の大阪支店の太田が秋草と壺《つぼ》とを持ってくる。そのほかに色鉛筆と画用紙と消しゴムと小刀。  昼前に太田から電話があって、見舞いに行きたいが何を持っていったらいいかと言う。井崎は、写生をしたいので、近所の野原で雑草を取ってきてくれと言った。オミナエシでもアカマンマでもカルカヤでもいいと言った。  太田は一年前まで東京本社の宣伝部にいて転勤になった。一緒に仕事をし、酒を飲んだ仲間である。五十歳にちかいが、逆に井崎をコピーライターの先輩として立ててくれるようなところがある。彼は営業部から移ってきたのだ。 「水臭いなあ……」  太田はなんべんもそれを言った。井崎は、ほとんど誰にも知らせずに京都の病院に入院した。食品会社には病院名と電話番号だけを知らせてあった。見舞いは断っておいた。太田は偶然、東京に出張して入院のことを知ったというのである。彼は、会社は大阪にあるが、住居は京都なのである。  大阪から電話して、午後からの半日休暇をとり、嵐山へ行って雑草を取ってきたのだという。それで遅くなった。雑草は、多くは、井崎も太田も名を知らぬものだった。秋草と壺と画用紙などで大荷物になっていた。 「往生しましたぜ」 「すまない」  秋草といっても、すでにその盛りを過ぎているのである。知らない土地の病院のなかにいると、そういうことがわからない。 「大方は枯れてしまっていて……」 「枯れていたってよかったんだ」  太田の来ようが遅かったので、八時までという面会時間はすぐに経ってしまった。それに、煙草も菓子もいけない病室では手持|無沙汰《ぶさた》で話が跡《と》ぎれてしまう。井崎に出来ることは魔法瓶の茶を何度も淹《い》れかえることだけだった。 「なんでも用事をいいつけてください。すぐ近所なんですから」 「用事って、別に何もないよ」 「洗濯物は?」 「湯村先生に頼んでいる」 「うちの家内にやらせますのに……」 「いいんだ」 「ほんとに、なんでも言ってください」  それだけで、太田は、すでに涙ぐんでいるような声になる。 「こういう三十六色の色鉛筆ね、子供のときから欲しいと思っていたんだ。しかし、買おうと思うとなかなか買えないもんでね」 「そうです」 「ありがとう」 「七十二色のもありますけれどね」 「そんなのは、いけない」 「しかし、七十二色でも、そのものずばりの色はなかなかありませんよ」 「そうかもしれないね」  井崎と太田は、すこし絵の話をした。井崎は頭が痛くなってきた。風邪をひいたような状態は依然として去っていない。  面会時間の過ぎている廊下を太田は足音を忍ばせるようにして歩いた。井崎はエレベーターのところまで送った。  眠ったと思ったら、すぐに目がさめた。それが、向い側の病室から聞えてくる唸《うな》り声《ごえ》のためだとわかるまでに少し時間がかかった。井崎自身も、虹や太田の来訪で、いくらか昂奮していたのだと思われる。 「痛いよう……先生、助けてください」  そういう声が、間を置いてきこえてくる。 「ねえ、先生、来てください……ねえ、ねえ、先生、来てよ。……ねえ、先生を呼んできて……」  それは新しく入院してきた女の患者だった。あるいは、どこかの総室から個室に移されてきた患者であるのかもしれない。やはり、腎臓病であると滝本が言っていた。  その病室には女が二人いて、患者は若いほうの女であることが声で知れた。年寄りは彼女の母なのだろう。井崎は、それまでは反対に考えていた。老人が患者だと思っていた。 「先生、ああああ、先生、ああ……」  低く、とぎれがちに、ときにはずっと続いて、ときに高く、患者の声がきこえる、患者は無意識であるかもしれない。 「ああ、先生、早く来て! 先生、早く、早く……私を助けにきて……先生、先生、死んじゃう死んじゃう、死んじゃうよう……ねえ、先生、先生……助けて……早く来てよう……」  井崎の胸に痛みが走った。それは、湯村と将棋を指していたときに感じたのと同種類の痛みだった。そのときに思いだしたのと同じ情景を思い描いた。それは、向いの部屋の患者に対する心の痛みではなかった。  二カ月前の八月の末に、井崎は甲府市から自動車に乗って一時間ばかりを要する山のなかの温泉宿で瑛子と会っていた。  井崎がそれを思いだしたのは、滝本と一緒に、長時間にわたって山を眺めていたせいであったかもしれない。秋草のせいであるかもしれない。いや、それよりも、やはり、若い女の苦しんでいる声をきいているからだろう。その声は、あるときの瑛子の声に似ていた。瑛子も、先生、ああああ、先生……という声を発した。     19  そのとき井崎は甲府市の郊外にいた。  井崎は、二カ月に一度ぐらいの割で、一週間か十日間を、東京から離れたところで暮す。それは、すこしまとまったものを執筆しようと思ったときだった。それは書斎と酒場だけという生活から逃げるためだった。また、道子から逃れるためでもあった。道子のためにもそのほうがいいと思っていた。会社員とは違うから一日中顔をあわせていることになる。道子としても気詰りだろう。井崎がいれば来客が多くて道子は疲れてしまう。  井崎は、湯河原にある食品会社の社員寮を使うことが多かった。そこの賄婦《まかないふ》とも女中とも親しくなっていた。先代の社長の別荘であったという社員寮は、部屋も廊下もゆったりとしていて気持が落ちついた。あとの半分ぐらいは、奥多摩であったり、箱根であったり、東北の温泉旅館であったりした。山梨へ行ったのは初めてである。  いつでも、井崎は、その土地や旅館に満足した。井崎のような客は最近は珍しいようで、手がかからないし、気心が知れてくると、どこでも親切にしてくれた。  旅から帰ってくると、井崎は、とてもいい所だったから、こんどは皆で一緒に行こうと言うのが口癖のようになってしまった。旅館にも、この次は女房子供を連れてくると言う。  井崎は、自分ではその口癖に気づいていなかった。 「ほら、また言ったでしょう」  と、道子が言った。 「私と林太郎で話していたのよ。きっと、一緒に行こうって言うって」  電車には乗れないし、山の中の温泉宿と聞いただけで顔色の変る道子とともに旅をすることは不可能なことだった。それを承知していて、ついつい、そう言ってしまう。  道子のほうは、それも一種の厭がらせだと受けとっているようだった。井崎は、とたんに不愉快になる。道子と二人で、あるいは林太郎と三人で旅行することは、井崎の二十年来の切実な願いだった。その気持には、すこしも混りっ気はないと思っていた。それは、夫婦愛とか家族愛だけではなくて、たとえば道子という一人の女に東北のナナカマドを見せてやりたいという思いがあったのである。道子なら、その美しさを理解できるはずだと思っていた。津和野城址《つわのじようし》の紅葉でもよかった。  しかし、道子は、福島と米沢の中間にある峠《とうげ》という駅からトラックで一時間ほど登って、そこから崖《がけ》の道を十五分ほど歩いた、旅館が一軒しかない姥湯《うばゆ》の宿の前のナナカマドだと言ったら、それだけで怖気《おぞけ》をふるってしまうにきまっている。井崎の好きな津和野へ行くには、山陽新幹線が出来るまでは、いったんジェット機に乗って福岡へ行かなければならない。そういうことを考えると、井崎の気持が厭がらせのように受けとられても仕方がないと思ってしまう。  一週間か十日間の旅に出ても、井崎は、よほどのことがないかぎり一軒の旅館から動かない。そうして、はじめの三日間は仕事をしないことにきめていた。それは気分の調整をはかるためだった。それよりも、そのように、井崎は疲れていた。はじめは寝ることが仕事だと思うことにしていた。それには温泉であったほうがいい。井崎は、むしろ湯疲れを利用して眠るのである。  山梨へ行ったときの三日目に、宿の主人のすすめもあって、彼の運転する自動車で甲府市ヘ行った。主人が案内してくれたのは、葡萄園と武田神社と古湯坊《こゆぼう》である。井崎が見たいと思ったのは、どういう角度でもいいし、どういう時刻でもよかったけれど、富士だった。しかし、その日は富士が見えなかった。  武田神社から古湯坊にむかうときに、井崎は、見覚えのある風景に出会った。 「甲府の聯隊《れんたい》はこのへんじゃなかったんですか」  井崎は、甲府の部隊に入隊して、そこの兵舎で二週間ばかりを過した。  宿の主人は、山梨大学になっているそのあたりを案内してくれた。そこで井崎は、どうしてもそこに自分がいたとしか思われない旧兵舎を発見したのである。そこは今は学生寮になっていた。  それを見たのがよかったのか悪かったのかという判断がつかない。しかし、井崎は、なにか昂奮してしまって、あと何日かは仕事が出来ないと思ってしまった。  次の日の夜の八時になって、井崎は『金属』に電話して瑛子を呼んでもらった。そんなことも初めてのことだった。井崎は、東京を離れたときの生活を大事にしていた。  甲府の郊外の山のなかの温泉宿から電話をしているのだと言ったときに、井崎の言葉が終らないうちに、瑛子は、いきなり、いまからすぐそこへ行くわと言った。そういうことも、いかにも瑛子らしかった。 「そんなことをしていいのかね」 「平気よ。ぜんぜんお客さんがいないんですもの。だって今日は土曜日ですもの」 「土曜日?」  井崎は曜日を忘れていた。そう思って電話をしたのではない。『金属』へ来る客は、週休二日制の会社の社員がいたし、最近では午後からゴルフヘ行ってしまう男が多かった。銀座あたりでは、夏うちは土曜日を休業にする酒場もあった。 「先生、土曜日だっていうことを知らなかったの?」 「忘れていた」 「馬鹿ねえ。いまからすぐに行くわよ。何かほしいものはない?」 「酔っぱらっているのか」 「いいえ。ぜんぜん飲んでいませんよ」  困ったことになったと思った。 「いいのかな」  瑛子は、井崎が遠慮しているのだと思ったようだ。 「かまやしないわよ。なんなら、いま安江|姐《ねえ》さんをここへ呼びましょうか」 「それは厭だ」 「ちゃんと許可を貰いますから」  ピアノ弾《ひ》きのピアノが聞えてくる。井崎は、酒場の喧騒を電話で聞きたいと思っただけである。これでは、あと何日仕事が出来ない日が続くかわからない。それにしても、瑛子が、おおっぴらに店を抜けだして、一人だけで旅館にいる客のところへ来るのが知れてもかまわないというのが井崎には理解できないことだった。 「じゃあ、自動車でいらっしゃい」  新宿からならば、中央高速道路を利用すれば三時間足らずでこちらへ着くだろうと思った。 「はい。じゃ、先生、すぐ出るわよ。いいのね……」  十時近くになったときに、瑛子から電話がかかってきた。 「いま、高尾の駅にいるのよ」 「どうして?」 「だって中央線に乗ったら、高尾でおろされちまったのよ」 「中央線の電車かね」 「そうよ」 「それなら当りまえだよ。馬鹿だなあ。自動車に乗れって言ったじゃないか」 「だって……」  やはり、店を出る前に手間どったのだろう。それにしても酒場で働くホステスの知識は偏頗《へんぱ》だと思わないわけにはいかない。時刻表を見て、甲府行の急行列車を探すという程度の知識もないようだった。 「中央線といったって高尾どまりの通勤電車と、松本行の列車とはちがうんだよ」 「………」 「高尾じゃ急行はとまらないだろう」 「そうなの」 「いま、どこ?」 「高尾の駅前の喫茶店」 「だいじょうぶなのか」 「だって、あと三十分あるんですもの」 「とにかく、待っているよ。甲府に着いたらね、駅前にタクシーがあるから、それに乗ってきなさい」  十二時半を過ぎて、また瑛子から電話があった。それまで、井崎は、旅館の窓をあけて表を見ていた。こんな時刻になるのは考えられないことだった。ずっと胸騒ぎがしていた。井崎は、いろいろのケースを考えていた。深夜なら、甲府からタクシーに乗れば十二時前に着くはずである。 「いま、駅にいるのよ」 「駅? 駅って甲府?」 「ちがうわよ」  瑛子は、甲府から出ている身延線《みのぶせん》の駅名を言った。それは、井崎の泊っている温泉町と同じ名だった。 「駅前にタクシー会社があるだろう」 「もう、しまっちゃってるの」 「よし、わかった。そこにいてくれよ。むかえに行くから」  下りなら、いそいで歩けば三十分あまりで行かれるだろうと思った。  瑛子が旅館に来ることがわかったとき、井崎は瑛子のための部屋を予約した。それは廊下をへだてた向い側にあった。宿の主人には友達が来ることになったとだけ言ってあった。  井崎がそうしたのは、宿の人に対する気恥しさだけのためでもなく、咄嗟《とつさ》のことであわてたわけでもなかった。瑛子をゆっくり寝かせてやりたいと思ったからだ。  温泉というよりは湯治場といったほうがいいような旅館だったので、電話は帳場にあった。井崎は宿の主人に、駅まで人を迎えに行くので、玄関の扉《とびら》をあけておいてくれるように頼んだ。 「下駄を借ります。遅くなってしまって……」  しかし、主人は井崎と一緒に玄関の潜《くぐ》り戸《ど》から外に出て、ガレージのシャッターに手をかけた。 「自動車で行きましょう」  彼はそれだけしか言わなかった。帳場で電話をきいていて、たいていのことは察しているようだった。  井崎も、宿の主人も、ずっと無言でいた。八月の末で寒くはない。どの家も戸を締めていたが、温泉町だから、まだいくらかの人通りがあった。  遠くに人が佇《た》っているのが見えた。駅の待合室の外の廂《ひさし》の下に裸電球があり、その下に女が立っていた。あたりは真っ暗だった。駅前の商店街も灯《ひ》を消していた。駅の事務室は、ぼんやりと明るくなっている。駅の脇に踏切があり、そこにも外燈が点《とも》っている。駐在所を示す赤電球がある。しかし、女の頭のうえの電球だけが強い光を放っていた。女は、スポット・ライトを浴びている形になっていた。女は黒い皮製のミニスカートを穿《は》いている。上着も黒と白の粗《あら》いチェックであり、黒いエナメルのハイヒールを履《は》いていた。井崎は女の頭上に蚊柱がたっているように思った。裸電球のそばに虫が群れていた。  その女は瑛子であるに違いない。瑛子は、井崎の乗っている自動車が駈って行く道に対して横むきに立っていた。自動車の音も聞えているだろうし、ライトも目にはいっているだろうと思われるのに、こちらを見ようともしなかった。  自動車が駅前広場に進んで、助手席に坐っている男が井崎だとわかったと思われたときにも、瑛子はちらっと自動車を見ただけで、旧《もと》の姿勢を変えなかった。  ふつうの女なら、自動車に駈け寄るか、手を振ったりするのではないかと井崎は思った。井崎はそれを期待していた。しかし、瑛子は、大きく目を瞠《みひら》いて、そっぽを向いていた。電話口の弾《はず》むような甘えるような声からすると別人であるかのように思われた。井崎には、それが意外だった。若い女が、深夜に、知らぬ土地の、淋しい危険な場所に立っていて、迎えの自動車が来たことを知ったならば、喜悦の情をあらわすのではないか。それが普通だろう。遠い所にいる男を、商売を犠牲にして訪ねてきたのだから、男に会った瞬間に、笑いかけたりするのが自然だろう。井崎は金になる客ではなかった。状況からすれば間夫《まぶ》である。——そういうことが、井崎にとって不可解だった。瑛子は、ずっと後にいたるまで、井崎に対して、そういう姿勢を崩さなかった。瑛子は、いつでも、何かを拒絶していた。情緒を退けていた。  井崎は、こうも思う。  瑛子は山のほうから自動車が降りてくるのを承知していた。それが、多分、井崎の乗っている自動車であるだろうという予測がつく。しかし、もしかしたら、それは井崎ではないかもしれない。うっかりして手を振ったり駈け寄ったりして違う男であったら大変なことになる。——なるかもしれない。また、それが井崎であることがわかったとしても、運転している男が誰であるかがわからない。井崎からするならば、瑛子は、必要以上に、とても考え及ばぬほどに男を警戒している。それが、瑛子の言うプロなのであるかもしれない。瑛子の態度は、拗《す》ねているというのとも少し違っていた。井崎は、なにか、瑛子は男に酷《ひど》い目《め》にあったことのある女ではないかという気がした。それも一度ではなく——。そうして、瑛子は、決して事件を井崎に告げることはあるまいと思われた。どんなことがあっても男に気を許してはいけないと思い定めている女であるように思われた。  しかし、自動車が瑛子の前にとまり、運転している男が、実直そうな、無害な男であることがわかり、井崎が自動車を降りて瑛子の体のそばに近づいたときにもずっと無言でいて、唇を固く結んだ顔でいるというあたりになると、井崎にはわからなくなってくる。  井崎が山間の小駅に佇っている瑛子を認めてから、その前に自動車がとまるまでの時間は非常に短いものだった。三十秒もかからなかったろう。  井崎が、まっさきに感じたのは、こういうところにいてはいけない女だということだった。あたりが暗くなっていて、瑛子はスポット・ライトを浴びている。白と黒の服装で、ハンドバッグも黒く、そのために、白い横顔がくっきりと浮かびあがっている。店から直接に来たために、きつい化粧になっている。もともと大きな目が、アイラインで強調されている。それは、フェイドアウトになり、部分照明だけが女主人公を照らしだしているミュージカルスの舞台の一場面だった。それは危険な感じがした。瑛子が危険な目に遇《あ》いそうだというのではなく、瑛子そのものが危険な存在だった。もし、ここに村の青年の誰かが通りかかったら、その足は釘づけになり、その目は凝結してしまうのではないかと思われた。井崎には、瑛子の姿がそんなふうに映じた。瑛子は狭い狭い所にしか生きられない。それはたとえばマンションの一室と酒場のなかというふうに限定されていた。宏壮《こうそう》な邸内と別荘と自動車のなかと社交場にしか居られない女がいるのと同じように——。瑛子それ自体が危険である。それが瑛子を固定し、まげてしまっている。英国のキーラー嬢にそれ以外の生き方が考えられないのと同じように——。たとえそれが昼日中であったとしても、瑛子は山のなかの駅から湯治場までの道を歩くことはできないだろう。瑛子が歩いたとしたら、藪《やぶ》の中に何人かの若い男が潜んで襲いかかる機会を待つようになると思われる。  結婚もできないし、妾にもなれない。女優にもファッションモデルにもなれない。事務員にもなれない。瑛子は、いまのように、萍《うきくさ》のように流れてゆくしか生きる道がない。男に騙《だま》され、男を騙すとしても、それもあと何年間やれるだろうか。その年月は、あっという間に過ぎ去ってゆくはずである。  フロント・グラスを通して瑛子の姿を見たときに、井崎は、同時に、どんなことがあろうとも、この女と関《かかわ》りを持って行こうという強い感情に把《とら》えられた。瑛子がこのままの商売を続けてゆくにしても、自分の店を持つにしても、結婚するにしても、誰かの妾になるにしても、金のありそうな男を物色して、くっついたり離れたりしながら生きてゆくにしても、いずれにしても、ずっと瑛子を見ていてやろうと思った。どうせ、女は、下等と高等の区別はあるにしても、誰でも淫売《いんばい》じゃないかと思った。ジャクリーヌ・ケネディにしてもデビ夫人にしても、王妃となった女優もクリスチーヌ・キーラーにしても同じことではないかと思った。それは憐愍《れんびん》の情にちかかった。  井崎は、この女に全財産をやってしまおうと思った。その瞬間に、井崎は、自分で苦笑していた。全財産といったって、井崎に出来ることは、せいぜいが自分の毎月の小遣いをそっくり瑛子に渡すという程度のことだった。ほかの店で遊ばないで、酒場を『金属』一軒だけにするという程度のことだった。ホテル代や自動車代を差し引けば、瑛子に渡せる金額は、ほんの僅かなものであるに過ぎない。  しかし、井崎が瑛子を自動車に乗せるまでにそう思ったことに間違いはない。また、井崎は、そんなふうに、瑛子に憐愍を感じたのと同じくらいの分量で、なんという厭味な女だろうかとも思った。井崎が瑛子を呼んだのではない。瑛子のほうで飛びこんできたのである。瑛子は、しかし、井崎を見てからは、そういう素振りは少しも示すことがなかった。  自動車のなかで、井崎も瑛子も無言でいた。井崎も、今度は後部の座席に席を移していた。 「どうして自動車に乗ってこなかったんだ」  井崎の声は、怒っているようにきこえたかもしれない。 「だって、怕《こわ》いじゃないの」 「ハイヤーを呼べばよかったじゃないか、お店で頼んで……」 「ハイヤーだって怕いわ」  運転手と二人きりになるという意味では、ハイヤーでも同じことだった。高速道路があるにしても、ここまで来るには幾つかの暗い峠を越さなくてはいけない。そのへんの男と女の違いが井崎には掴めていない。 「私、どんなに遅くなっても電車で来るつもりだったの」 「………」 「身延線は、終電だったわ」  井崎は、瑛子のような危険な職業に就いている女は、もっと大胆なのだろうと錯覚していた。危険の性質が違うのである。 「甲府からタクシーに乗ればよかったのに。旅館の名を言えばすぐにわかるんだから」 「そんなの厭よ。……こわいわ」  井崎は黙っていた。  瑛子はしばらく経ってから言った。 「でもね、もし、電車がなくなっていたら、私、交番に行くの。それで、お巡りさんに車をとめてもらうの。それなら大丈夫よ。お巡りさんに、いい運転手さんを探してくださいって頼んじゃうの」  井崎は、やはり、この女は何度かの危険をくぐり抜けているなと思った。井崎とは別の世界の知恵を身につけているような気がした。  井崎の部屋の入口にちかい端のほうに瑛子は、畳のうえに直《じ》かに横坐りに坐っていた。風呂にはいり、浴衣に着かえるように言ったけれど、瑛子はすぐに立とうとはしなかった。瑛子は、それまででも決して井崎と一緒に風呂にはいることはなかった。瑛子は、いつでもそれを拒絶していた。そういうところも井崎には理解し難いことだった。瑛子の体は、色が白く肌理《きめ》がこまかい。小柄で痩せているけれども均整がとれている。乳房は薄く盛りあがっているだけだけれど、そんなことは井崎の承知していることだった。そのくせ、寝るときは、たいていは裸になってしまう。寝室でふざけるということもない。 「それ、ちょうだい」  机のうえにウイスキイの瓶があった。井崎が家から持ってきたもので封を切ってなかった。 「これか」  井崎は封を切って、瓶とタンブラーを瑛子の前に運んだ。 「それは、なに?」  床の間に一升瓶が置いてある。井崎が汲《く》んできた、この温泉場の源泉だった。 「ミネラル・ウオーターだよ。しかし、強過ぎるかもしれない」 「………」 「氷はないよ。水とどっちにするかね。この源泉と……」 「一升瓶」  瑛子は、タンブラーに半分ほどウイスキイを注《つ》ぎ、源泉で満たし、最初の一杯を呷《あお》るようにして飲んだ。いつでも瑛子はそんなふうだった。飲まないときは一滴も飲まない。飲むときは乱れてしまう。呷るようにして飲む。瑛子が井崎に、どっかへ連れてってとせがむときは、いつでも泥酔していた。『金属』で飲んでいて、瑛子が、今日は帰っちゃ駄目よと言うときは、目の色が変っていて、体が柔かくなっていた。井崎に、訳もなく、大声をあげてしがみついたりする。他の女給が顔を顰《ひそ》めて席を移したりする。そうでないときの瑛子は無口だった。井崎の手が肩に触れただけで邪慳《じやけん》に振りはらったりする。  それが瑛子における手続きであるように思われた。逆にいえば、瑛子をモノにしようとする客がいたら、瑛子にむりやり飲ませてしまえばいいと思われた。  井崎も、薄い水割りをつくって、窓際の椅子に腰をおろして、飲んでいる瑛子を見ていた。こういうときに、瑛子は、井崎の向い側の椅子に坐るということさえもしない。 「そんなに飲んじゃ駄目だ」  瑛子は二杯目もタンブラーの半ばまでウイスキイを注いだ。言っても無駄だということを井崎は知っていた。 「ウイスキイもウイスキイだけれどね、その源泉は強いからね」 「………」 「この温泉は、漬《つか》るだけでもあたることがあるんだって……いっぺんに飲むと気持がわるくなるよ」  瑛子は、しかし、わざとのように二杯目もすばやく飲みほした。  井崎の思っていたようには疲れている様子は見られなかった。それは瑛子の目を見ればわかる。 「あああ……」  ひといきついたように声をあげた。嗄《しわが》れた、女としては野太いような声だった。しぶとい女だなと思った。この女が革命家になったら、捕えられて拷問《ごうもん》を受けても決して白状しないだろう。 「なんだい?」 「なんでもないわよ」  井崎も二杯目の水割りをつくった。用心して、源泉はつかわない。瑛子は、ホテルにいても自分から体を寄せてくるようなことはしない。井崎はそのことも知っていた。 「これ、見てもいい?」  瑛子の手の届くところにスケッチ・ブックがあった。それはパステルで描いたものだった。 「紙芝居の絵のようになっちまった」  その一枚は、井崎がいまいる位置から、川と橋と、橋のそばの柳の大木を描いたものである。瑛子に電話してから、井崎はその絵を描きだした。その頃は、まだ外燈が明るくて、芸者の通るのが見えたりしていた。だんだんに塗りつぶして、平板な絵になった。  井崎は、絵にある柳のあたりを見た。その時間になっても、川の向うの山のあたりで、ウイーン、ウイーンという蝉の鳴き声がする。川の音とそれとが混じていた。 「ねえ、先生、見て……」  瑛子は坐りなおして、スケッチ・ブックを紙芝居の絵のように膝のうえで構えていた。目がきらきらと光っていた。  いつのまにかウイスキイの瓶は半分ちかくあけられていて、瑛子は四杯目のタンブラーを満たしていた。  井崎は風呂場までの図面を描き、家族風呂の位置を示した。井崎の部屋は二階で、風呂場は一階にある。あたりは、すっかり寝静まっていた。 「先生、来ちゃ、いやよ」 「行きゃしないよ」  井崎は、宿の主人から預かっていた家族風呂の鍵《かぎ》を渡した。その風呂は、非常に狭くて、主として新婚旅行者が使うのだと聞いていた。  井崎はウイスキイを持って瑛子の部屋に入っていった。灯は消してあったが、テレビが点《つ》いていて、日本物の映画が映っていた。探偵物のようで、追跡と射ちあいの場面になった。井崎は、あらためて土曜日の夜であることを思いだした。  瑛子は掛布団の上に仰向けに寝ていた。瑛子の顔をテレビの明りが照らしだしていた。浴衣になっていて、裾前を両肢《りようあし》で固くはさんでいることがわかった。瑛子は無言で虚《うつ》ろな顔をしていた。  髪を引っ詰めにしていて、化粧を落した瑛子は、十六、七歳の少女の顔になっていた。井崎は水割りをつくり、ちょっと口をつけてから瑛子とならんで横になった。  瑛子は今度はストレートでウイスキイを飲んだ。 「たいへんだったのよ」 「出てくるときに?」 「そうよ。きまっているじゃないの。それに……」  店を出るときに悶着《もんちやく》があったようだ。瑛子はそれ以上のことは話さない。井崎はそれにも馴れていた。もしかすると、日曜日は、瑛子の客がアパートヘ訪ねてくることになっていたのかもしれない。そういう工作も行ったのだろう。 「先生って、なんにも知らないのね」 「知らないさ」 「ねえ、先生、私のこと、書いて」  それを言うのも何度目かのことだった。しかし、瑛子は、決して身上話を口にしない。  その声も顔つきも落ちついていると思われたのに、いきなり瑛子は井崎にむしゃぶりついてきた。井崎の胸に鼻を押しつけてきて、激しい勢いで泣いた。 「私って、悪い女なのよ」 「そんなことはないだろう」  そのときの井崎は、それを幼い偽悪趣味だと受けとった。 「慰めようったって駄目よ。私は悪い女なんだから……。私なんて、人間じゃないのよ」  井崎は、いくらかうんざりした感じになった。少女趣味につきあわされるのは勘弁してもらいたいと思った。 「こういう商売をしているからかね」 「………」 「どんな商売だって同じことじゃないか。小説家なんて人非人だよ。……俺は娼婦《しようふ》は尊敬しているけれどね」  井崎は、瑛子が娼婦であるかどうかということも半信半疑でいた。 「ああああ、先生……。助けてくださいよ」 「助けるなんてことは出来やしない」 「………」 「『金属』はいいお店だからね。そこできちんと勤めることだけを考えていたらいいじゃないか。青木もちゃんとした人だし、安江さんもいい人だから」  瑛子は、鼻から息を吹きだすようにして、ふふっと笑った。それは、先生って何も知らないのねという言葉につながっていると思われた。  ウイスキイの残りを瑛子は一気に飲みほした。 「結婚するのが一番いいんですけれどね」  それは、もっとも実感から遠い言葉だった。瑛子自身がそう思っているだろう。井崎は笑いをこらえた。暗がりだから気どられることはない。しかし、外面だけからするならば、瑛子はまだ若いし、いつかの競馬評論家のように、凄い美人だと言う人もいるくらいだし、育ちが悪いということもないようだった。『金属』では、大学を出ているホステスは瑛子一人だった。瑛子に求婚する男がいないとはいえない。  ただし、瑛子がそんなことを言うのは、それを諦《あきら》めていて、自分で愛想を尽かしている証拠であるともいえる。 「あきらめることはない。後妻のくちだってないわけではないし」  井崎はそれを真面目に考えて言ったつもりであるが、瑛子は悪意と受けとったようで、井崎の体を押しのけた。 「ひどいわ」  井崎は瑛子の顔を両掌《りようて》ではさんでひきよせた。瑛子の頬が濡《ぬ》れていた。瑛子はまた声をあげて泣いた。それは主として酒のせいだった。瑛子は酔っていた。  テレビの映画が終って、画面が白くなっていた。  瑛子は何度も、先生、先生と叫び、先生、助けてくださいと言った。おそらく瑛子はそのことを記憶していないだろう。そういうことも、井崎に、結婚には不向きな女だと思わせた。 「私って、こういうこと、ほんとは好きじゃないの」  井崎は他の何人かの女から同じことを聞いていた。しかし、井崎はそれを嘘だと思ったのではない。その感じは井崎にもわかる。それは儀式のようなものだ。儀式がなければ際限がなくなる。 「私、抱きあっているだけが好きなの」  井崎は、立ちあがってテレビを消し、豆電球を点けた。 「俺の親類にこういう女の子がいるんだけどね」 「………」 「とても強情っぱりでね。可愛い女の子なんだけどね、気が強くて、叱られても泣かないんだ。撲《なぐ》っても泣かない。押しいれにいれるとね、自分でさっさと入ってしまうそうなんだ。それで出てこないんだ。親は張りあいがないし、心配になるし、また、腹も立ってくる。便所に押しこめても出てこない。かえって困るようなことになる」 「………」 「無口な子でね。ふだんは、とてもおとなしい。そういうところが、親からすると憎らしいくらいに見えるんだそうだ。その子の兄さんは、反対に腕白坊主なんだけれど、叱られるとすぐに泣くんだ。それでもって親が兄のほうを叱ると、突如としてその女の子は反抗して、母親の腕を噛んだりするんだそうだ。……きみは、その女の子みたいな子だったんじゃないか」  瑛子は黙っていた。黙っているのは、井崎の話のどこかが瑛子の幼女のときと符合しているからだろう。 「私、あたま、いたい」 「飲み過ぎたんだろう。薬を持ってきてやろうか」 「そうじゃないの」  瑛子の昂奮はさめていないようだった。瑛子はまたしがみついてきた。 「かわいそうに」 「私、おっかないの」 「………」 「こわいのよ。おっかないの。おっかないから厭なの」 「なにがこわいの」 「こうやっているのが怕《こわ》いの。ほんとはね、私、好きじゃないの。おっかないの」  瑛子は言葉とは逆に、股をすり寄せてくる。硫黄分の多い温泉に漬《つか》ってきたせいもあって、瑛子の体はどこもすべすべしていた。瑛子の言葉は譫言《うわごと》であるかのように聞かれた。 「私ってね、悪い女なのよ。知ってる?」 「知らないね」 「………」 「悪い人なんているわけがない」 「私ってね、人間じゃないの」  瑛子は涙を流していた。 「人間じゃない?」 「ねえ、先生、私のこと、書いてくれる?」 「書くよ」  井崎は瑛子が何かを言いだすのを待っていた。それは、なにか、あさましいような感じだった。瑛子の告白が自分の商売につながるような感じが厭だった。 「私の父と母はね、離婚したのよ。父が女に狂って逃げちゃったの。それで母が再婚しましてね、私は伯父の家にあずけられたのよ。私はそれを知らなかったの。知らないで育てられたのよ。伯父のところに兄が二人いましてね、だから従兄《いとこ》よね。……私は本当の兄さんだと思っていたのよ。伯父の家は島津山にあってね……。島津山って知ってる?」 「知ってるさ。お邸町《やしきまち》だ」 「そうなの。大きな家でね。……それで、兄さんは二人とも、とてもいいひとだったのよ。勉強も出来ますしね、きちんとしているし、優しいし……」 「………」 「私たちね、一緒に受験勉強をしていたのよ。私が高校を受ける頃ね……。下の兄と夜中に家を抜けだして、スナックヘコーヒーを飲みに行ったりしたわ」 「………」 「その頃は、よかったのよ」 「きみは、グレちまったんだろう」 「そうよ。だって、そうじゃないの。とてもいい兄だったんですもの。伯父も伯母も可愛がっていましたし、とっても自慢していたの。素敵な兄なんですから……。だから、私がこんなになっちまったのは当りまえでしょう」 「どうしてかねえ。わからないな」 「わかるじゃないの。私は勉強が出来ないし、叱られ役だったの」 「わからないねえ。伯父さんは、きみのことを可愛がってはいたんだろう」 「そりゃそうよ。……わからなければいいわ。私は成績が悪いのよ。どんどん、さがってゆくのよ」 「俺《おれ》だって中学生のときは劣等生だったよ」 「慰めなくたっていいのよ。……わかるじゃないの。私の立場がないのよ」 「わからないね。気が強いからいけなかったんだろう」 「反抗的になったのよ。伯父や伯母の言うことをきかないようになっちゃった」  瑛子の言うことは井崎にはよくわからない。あとからつけた理窟《りくつ》であるように思われる。 「それから?」 「その頃ね、父が暴れこんできたの。短刀を持って……」 「………」 「どうしてだかわからないんですけれどね、強請《ゆすり》に来たのね」 「きみは、それがお父さんだってことを、そのとき初めて知ったの?」 「うすうす感づいていたわ。私、知ってたのよ。……でも、それはたいしたことじゃないわ。父は何度も何度も、お金を貰いにきたの。すっかりおちぶれていてね、何をやっても駄目だったらしいわ」 「………」 「そのうちにね、父が自動車事故に遇《あ》ったの」 「死んじゃった……」 「死ななかったの。……でもねえ、私、死ねばいいと思ったのよ。……ねえ、私の父なのよ。可哀相な人だったのよ。それを……私は……死ねばいいと思ったのよ。ねえ、こういうのは、人間じゃないでしょう」 「それは当然じゃないか。俺だって死ねばいいと思うよ」 「嘘よ。そんなことはないわ。誰だって、そんなことはないわ。私の父なのよ。……父が交通事故に遇ったっていう電話があったとき、私、とても喜んじゃったのよ。自分の部屋でね、私、笑いそうになっちゃったのよ。……ねえ、こういうのは人間じゃないでしょう。死ねばいいって……」  瑛子は幼女の声で泣いた。 「俺だって、父を憎んでいたよ」 「先生、同情しなくていいのよ。……私はね、父が死ねばいいと思って、それから、死んでも新聞に書かれないようにって祈っていたの」 「どうして」 「私、新聞に出ると、私の名前も出ると思っていたの。そういうのって厭じゃない?」 「………」 「学校で、恥ずかしいじゃないの。私の本当のことを知っているお友達もいたのよ。それに、父は悪いことをしていたの」 「悪いことって?」  瑛子はそれを言わなかった。 「ねえ、私って悪い女なのよ。人間じゃないのよ」 「そんなことはないよ」 「新聞に出るのは厭だったのよ。でも、死んでほしいと思ったの」  井崎は、その話は、半分は造り話であるような気がした。それに、告白ではなくて、瑛子の自己陶酔であるようにも思われた。また、瑛子が小説の材料を提供してくれたのだとしても、その程度の話なら、井崎は勝手につくりあげることが出来る。井崎が知りたいのは、その後の瑛子であり、現在の瑛子だった。瑛子は肝腎《かんじん》なことは決して言わない。現在の生活を言おうとはしない。  井崎が感じたのは、瑛子が、先天的に不良少女だったのではないかということだった。それは、むしろ、井崎にとっては都合のいいことだった。  井崎は不思議に思う。新宿から山梨県の温泉宿に男を訪ねてくるとしたら、何か、ちょっとした食料品でも買ってくるのが自然ではあるまいか。井崎の知っている女には、すべて、それがあった。  瑛子は、そういう心遣いや情感に乏しい女であるように思われた。それも井崎にとって都合のいいことであったのだけれど——。 「先生、私、先生のこと好きだけれど、先生を奥様から取ってしまおうなんて考えたことないわ」  瑛子は泣き止んでいた。目を瞠《みひら》いて天井を見ていた。 「先生、私、もう、女の子じゃないのね」 「………」 「私、もう、女の子じゃなくて、女になっちゃったのね」  それも、なにか、しらじらしい感じだった。  井崎が朝早く起きて、風呂に入り、部屋にもどると、瑛子がいた。瑛子は洋服を着ていて、髪は束ねてあるだけだけれど、化粧が済んでいて、晴れ晴れとした顔をしていた。 「風呂にはいったの?」 「いいえ」 「はいってきたら?」 「いや」 「………」 「先生、サングラス持ってない?」 「持ってこなかった」 「私、こんな顔じゃ厭なの」 「………」 「脹《は》れぼったいでしょう」  あんなに泣いたにしては、瑛子の言うほどには目のあたりが脹れているということはなかった。  時計を見ると、八時を過ぎたところだった。瑛子は三時間ぐらいしか寝ていないことになる。 「もっと寝ていればよかったのに」  瑛子は鏡の前で目を動かしていた。  八時半という約束の朝食の膳《ぜん》が運ばれてきた。瑛子は、コレステロールの関係で、医者に制限されている井崎の卵焼きも食べた。井崎は、酒場勤めの女は、遅くまで寝ていて、食欲も乏しいのではないかと思っていたのだ。特に瑛子のような細身の女はそうだと思っていた。  井崎と瑛子は、サングラスと運動靴を買うために町へ出た。町といっても、川のこちら側の、上下で二百メートルほどの一筋道だけである。どこにいても、立ちどまると川の音がした。  瑛子はサングラスを買わなかった。土産品程度のものしか売っていなかったし、店にはいると瑛子は恥ずかしがって眼鏡を手に取ることもしなかった。瑛子は、買物のために町を歩くということを嬉しそうにしていた。  運動靴を売っている店もなかった。小学校があるのだから、それは信じ難いことのようであったけれど、履物《はきもの》の店はなく、雑貨屋も、サンダルだけで運動靴を扱っていなかった。駅まで歩いても、そこで売っているかどうかわからないという。  井崎は、それをあきらめた。旅館の前の道を山に向って行けるところまで歩いて見ようと思っていたのである。  白い夏という言葉があるけれど、その道はどこまでも白く乾いていて、追い越してゆく自動車が埃《ほこり》を舞いあげた。  井崎は川の向う側の道を歩いてみたいと思っていた。そっちの道は日蔭になっている。  道に熟《う》れて紫色になっている野木瓜《あけび》が落ちていた。 「これ、なんだか知ってるかい」 「知らない」 「野木瓜だよ」  井崎は道の端の崖を登って、野木瓜の蔓《つる》を発見し、瑛子に投げた。 「喉にいいんだ。喘息《ぜんそく》の薬になる」  野木瓜の実は、うすら甘く、口いっぱいにまつわりつく感じだった。瑛子は自分では食べずに青い罅裂《えみわ》れていない実をハンドバッグにいれた。  道路工事だか伐採だかの人夫が七、八人、山からおりてきた。彼等は露骨に瑛子を見た。井崎は無理からぬように思った。そのあたりで、井崎は瑛子の手を取った。  途中で一度、川に降りようとした。その道はかなり急で、川に行きつく前に炭焼|小舎《ごや》があった。それは、かえって危険な感じがあった。井崎は、どこかで宿でつくってもらった昼食を摂ろうとしていたのである。  そこから、さらに登ったところに、長い吊橋《つりばし》があった。それで向う岸に渡ることができる。  井崎には高所恐怖症の気味がある。一人だったら渡る気にはなれなかっただろう。 「こわいわ」 「俺だってこわいさ」  井崎は瑛子の手を強く握った。  吊橋の真中まできたときに、瑛子は、急に井崎の手を離して駈けだした。あぶない、と思った。吊橋が切れることはないにしても、瑛子のハイヒールが、あぶない。瑛子は、たとえ吊橋が切れたとしても、自分だけは向う岸に飛び移れるというあたりで、ロープに手をかけて橋を揺らせはじめた。肢を屈伸した。井崎のいるあたりでは、揺れが激しくなる。井崎は、この女には何をされても仕方がないのだと思った。瑛子の形のよい臀《しり》が上下していた。  向う岸の道は、細く暗くなっている。  道に花が散っていた。 「これはなんだ?」  井崎は花片《はなびら》を拾った。 「葛《くず》の花だよ」  そう言って空を見あげた。葛の花はどこに咲いているのかわからない。 「『なんの花か散る』という小説があるだろう。俺はその小説を読んでいないけれど、題名だけで、葛の花であるような気がして仕方がないんだ。なんの花か散るという感じじゃないか、この花は……」  そこからさらに二百メートルほど登ったところに右に折れる道があり、険《けわ》しい道を登ってゆくと急に視界がひらけ、そこに湖があった。湖には駅から通ずる広い道もあることを発見した。  それは、何年か前まで、葡萄畑に撒水《さんすい》するために掘られた人工湖だった。いまは深く掘られた地下水をポンプで汲みあげているという。井崎は宿の主人にきいた話を思いだした。人工湖は冬はスケート場になるらしい。  湖の周囲も、いかにも人工湖らしく白く乾いていて、赤土が露出しているところもあった。あたりに人影がない。  ボートが三|艘《ぞう》浮いていて、茶店があり、旗が立っている。  井崎は、そこで昼食をつかわせてもらおうと思った。  茶店には三十歳ぐらいの女がいた。案外に広くて二間の畳敷きの部屋がある。  井崎は、申しわけのようにビールを注文した。瑛子は、そこでも宿から持ってきた大きな握り飯を三箇食べ、茹《ゆ》で卵《たまご》も白菜漬けも残らず食べた。それは井崎にとっては喜ばしいことだった。 「すこし、寝ないか」 「いや」 「だけど、ねむいだろう」 「ねむくなんかないわ」 「………」 「ボートに乗りましょうよ」  野木瓜の実を取るために崖に登ったことも、吊橋を渡ったことも、井崎には何か不思議な出来事のように思われる。いままた、瑛子に言われてボートに乗ろうとしている。 「よし……」  茶店の前に、申しわけのように庭がつくられている。田舎の小さな駅に見られるように、サルビアとポンポンダリアとヒマワリが咲いている。グラジオラスは大きく伸びていて、葉は猛々《たけだけ》しいようにさえ思われる。それらの花が満開であることが夏の終りを告げているように思われる。コスモスは、まだ数えるほどにしか咲いていない。若い林檎《りんご》の樹に林檎が生《な》っていて袋をかぶっている。  花壇のなかに、両側を子供の頭ぐらいの石で縁どった道があり、それがボート乗り場に通じている。  いちばん長いところが二百メートルほどの小さい湖だった。井崎がボートに乗ることを承知したのは、むこう側の暗い蔭になっているところに咲いている花を確かめたいからだった。  茶店の女を除いては、全く人影がない。  あたりの空気は乾ききっているけれど、どこかに秋の気配があった。日曜日なのに、そこに誰もいないということも、シーズンの終りを示していた。泳ぐ子供も、釣人もいない。  井崎は、体に新しい力が湧《わ》いてきたように思った。オールを握ったときに、そう思った。もう若くはない。しかし、俺はまだ年寄りではない。  むこう岸の花は、咲き残っていた紫陽花《あじさい》だった。それを見たあとで湖の中央にもどった。そうでないとオールが地にとどいてしまうような気がする。井崎は手をはなし、足を伸ばして、横になった。風もない。  瑛子が歌った。  Row,row,row your boat  gently down the stream  Merrily,merrily,merrily,merrily  Life is but a dream.  瑛子の声は嗄《しわが》れているけれど、歌のときは細く高くなる。 「おい、瑛子。そのライフ・イズ・バット・ア・ドリームというところだけれどね」 「………」 「俺は、ずっと、人生夢の如し、と訳していたんだよ」 「馬鹿ねえ」 「そう思っていたんだよ。人生夢の如し……」 「ちがうわよ。but は very なのよ」 「それはわかっているさ。だけど、そう訳したくなるじゃないか。日本人としては」 「………」 「だから外国人は嫌いなんだ」 「………」 「この世は、まこと、夢のように愉《たの》しいなんて訳せるかよ、馬鹿馬鹿しくって。だから、そういうようだから俺は劣等生だったんだ。学校の成績なんてものはね、ま、そういうものかな」 「………」 「愉し愉し、この世は甘き夢みるように、か。冗談じゃないよ」 「だって、そんなことを言ったって……」 「きみの従兄のような秀才じゃないからね。……漕《こ》げや漕げや汝《な》が舟、なんていう訳もあったね。この世は甘き夢、か。それじゃあ、俺にとっては歌にならないんだよ。人間わずか五十年、人生夢の如し……」  井崎は、このまま湖に飛びこんで溺《おぼ》れ死んでもいいような気がした。  瑛子はいくつかの歌を歌った。井崎には、その日の瑛子は優しい少女であるように思われた。 「頼むから、少し寝てくれないか」  茶店にもどってから言った。井崎はそう思ったし、それ以上のサービスの方法を思いつかなかった。 「いやよ」  井崎は、湖と、むこう岸の咲き残った紫陽花の写生をはじめた。瑛子も、スケッチ・ブックの一枚をはぎとって、山を描きはじめた。瑛子はすぐに飽きてしまったようだ。瑛子の絵は、小学生のように乱暴だった。  井崎が気がついたときに、瑛子がいなくて、隣の部屋で眠っていることがわかった。座布団二枚の上に俯《うつぶ》せになって、臀を突きだすようにしていた。その臀は少年のように縦に盛りあがっていた。  井崎は仕事をあきらめて、明日は、瑛子と一緒に東京へ帰ろうと思った。六時までに新宿に着くような列車に乗ればいい。  絵をやめて、スケッチ・ブックに筆で文字を描いた。宿の主人に色紙を頼まれていたからだった。  葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり  それを何度も書いた。  日は赤くなっていたが、瑛子を起していいものかどうか迷っていた。できるだけ寝かせておきたいと思った。  盛り一時《ひととき》真夏の昼を燃ゆる緋罌粟と散らずもの  それは長唄の『お七|吉三《きちさ》』の詞《ことば》であって、井崎の好きな箇所であるけれど、八百屋お七はまずいかなとも考えていた。  瑛子は恥ずかしがりだから、俯せに寝ているところを起されるのは厭がるかもしれない。  それから一時間ほど経って、隣の部屋を見ると、瑛子は起きていて、坐って文庫本を読んでいた。座布団も片づけてある。  瑛子は、スケッチ・ブックを見た。葛の花のところを見ていた。 「いい歌だろう。淋しい歌だけど、妙に人間臭いところがある。そこが好きなんだ」 「この山道、と、色あたらし、ね。色あたらし、というのが字余りになっているところがいいわ」  井崎は、ドキッとした。そのことに気づいていなかったのだ。言われてみると、この歌の調べのよさは、まさに字余りのせいだった。瑛子には、そういう鋭いところがある。  井崎は自分の書いた文字を見ていた。そうして、そのときに井崎の胸を撲《う》ったのは、「色あたらし」でも「この山道」でもなかった。  ——踏みしだかれて、色があたらしくなるだろうか。それはどういうことなのだろうか。物悲しいような感情が井崎を襲い、それに把《とら》えられていた。  茶店の女の人以外に誰もいない山のなかの人工湖のそばで、井崎と瑛子とが、釈迢空《しやくちようくう》の歌を見ている。 「踏みしだかれて……」  井崎は、それを声にださないで自分にむかって呟《つぶや》いた。井崎の眼前に浮かんできたのは、山のなかの小さな駅の裸電球に照らされて横むきに立っている瑛子の姿だった。  瑛子は、前日の夜に、こんなことも言った。 「私がお客さんと寝るでしょう。ふっと気がつくと、お客さんは、起きていて、ネクタイをしめているのよ。寝ていたって、ネクタイをしめる音はわかるのよ。そのとき、とっても厭なのよ。私だって選り好みするから、楽しい感じはあるのよ。でもね、お客さんが、ワイシャツを着て、ネクタイをしめるときの感じって、とっても厭よ。だって、お客さんは帰るんですものね。私は置いていかれるのよ」  瑛子は、こうも言った。 「人生裏街道なのよ。だからね、そのとき、一種の快感もあるわけよ。へええ、どうせ、社長といったって誰かさんにペコペコ頭をさげて、家へ帰ったら奥さんに言訳して……。そこへゆくと、私のほうが、ずっと公明正大じゃないのさ。ザマミロという快感もあるのよ。ねえ、先生、こういうのいけない。おかしい?」  身上話の最後は、こうなっていた。 「私がこうなったのは、父が女に狂って母を捨てたからよ。それがなければ、私は別の道を歩いていたわ。私は母に会ったことがあるのよ。そのとき、母はそう言っていたわ。お前が可哀相だって。冗談じゃないわ」  それも造り話であるかもしれない。しかし、瑛子のほうでどう思ったとしても、男のほうからすると、瑛子は、「踏みしだかれて」だろう。  瑛子は、スケッチ・ブックをめくって、『お七吉三』を見て、 「もう真夏じゃないわよ」  と、言った。 「夏じゃないさ。夏も終ったんだ」 「………」 「だけど、これもいいじゃないか、盛り一時真夏の昼を、っていうところがさ。いいと思わないか」  井崎はそれも瑛子になぞらえて言っているような気がした。  その日の夜になって、もう一度、町へ出た。今度は、下流のほうへ歩いていった。  町がきれて、暗くなっているところに石の橋が懸《かか》っていた。井崎と瑛子とは、そこから川を見おろしていた。  不意に、青年達の声がきこえ、橋のうえをばらばらに駈けて通り過ぎた。 「こわいわ」  近くでみると、それは少年の顔で、ランニングの訓練であるようだった。井崎は、瑛子が強姦されたことのある女であるかもしれないと思った。酒場で働く女にはそういう災難に遇ったことのある女性が案外に多いのである。  少年達が過ぎ去ったあとで、井崎は瑛子を抱こうとした。思いがけぬほどの強さで、瑛子はそれを拒《しりぞ》けた。  二人とも旅館の浴衣を着て、下駄を履いていた。そういう恰好で、温泉町の外れの川に懸った橋のうえで肩を抱かれるというようなことを瑛子は拒否しようとしていた。  瑛子は、寝室でも、あるいは自動車のなかでも、唇以外の箇所に接吻されることを嫌った。額でも耳でも目でも、それを避けようとした。瑛子は格別に擽《くすぐ》ったがりやであるのではなかった。強いアイラインを引いているので目に触れられるのを厭がるのでもなかった。湯あがりで化粧を落しているときでも同様だった。 『金属』のなかにいて、井崎が酔って瑛子の手を握ったり、肩に手をかけようとして、邪慳《じやけん》に振りはらわれたりすることが何度かあった。井崎の買った上質の薄手の丸首シャツを着てきたので、井崎が材質を確かめるために触れようとすると、声をあげて飛び退《すさ》ったりするので、井崎は驚いてしまう。それは、瑛子が、私は自由にならない女だと言っているようでもあり、他の女と一緒にしないでくれと言っているようでもあり、あるいは気紛《きまぐ》れな女なのであるか、癇症《かんしよう》で我儘なのか、井崎にはいずれとも見当がつかない。  瑛子は、唇は営業用であり、額とか耳とか目とかはそうではないと思っているのかもしれない。あるいは、唇は快楽に直結するものであるが、他の箇所はそうではないと思っているのかもしれない。唇だけは客の自由にさせないという娼婦と逆のようでいて、実際は同じことなのだと井崎は思った。  瑛子は、井崎の知っているどの女と較べてみても、きわめて敏感だった。接吻だけで、全身が発汗し、濡れてくるようだった。井崎には瑛子は特異な体質であるように思われる。瑛子は慎しみを失ってしまう。そうでないときの瑛子は、井崎の理解の届かぬほどに羞恥心《しゆうちしん》が強い。そういう体質であるので羞恥心が強いのだといえないこともない。  瑛子は、どんなに疲れていても、どんなに酔っていても、井崎といったんそうなってしまえば、井崎の要求を退けることはない。瑛子が、井崎との最初のときに、私は強いのよと言ったのは、嘘でも強がりでもなかった。  大量の酒を急ピッチで飲む。そうやって自分を殺してしまう。羞恥心を失くしてしまう。そうやって男を求め、男の要求に応じようとするのが瑛子の順序だった。  どんな女にでも「理由づけ」が必要だった。納得ずくならばいい。どんな理由でもいい。瑛子の場合は酒だった。井崎も大量の酒を飲むけれど、瑛子のように、コップ酒を続けて呷るような飲み方はしない。  それらすべてのことをひっくるめて、井崎の知るかぎり、瑛子は、一般的に言って、不良少女だった。それは、嘘か本当かわからないけれど、瑛子の生いたちとも無関係ではなかった。瑛子が東京の山の手の、中流階級の子弟の多い、都会的ともいえるような大学を卒業していることは間違いがなかった。そこには井崎の知っている男が何人か勤務していて、瑛子はその男の研究内容や性癖を的確に把えて話をしてくれたことがある。その大学の卒業生でホステスを勤めている女は、どんなに多くても三人以上いるとは思われない。どこかで瑛子の道が外れてしまったのである。  歪《ゆが》んでいる。素直になろうとしない。扱いにくい女だった。  すべての不良少女がそうであるように、瑛子は男を直視しようとしない。いつでも俯《うつむ》いている。視るときは上目遣いになる。斬り込むことだけを考えて、受け容れようとしない。人の言を信じない。そういうことは、瑛子がいくら気負ってみても、井崎からすれば、いかにも子供っぽいとしか思われない。  瑛子は虚《うつろ》な目付きをする。話をしていても別のことを考えていることが多いに違いない。こういう子供は肉親に愛されない。仲間から孤立する。瑛子には友達がいない。落ちつきがない。計画性がない。  そのとき、井崎と瑛子の脇を走り抜けて、神社のある山のほうへ駈けていったのは、中学生だった。七、八人が声を出して駈け抜けたあとで、遅れている三人が通り過ぎた。夏休みの体育部の訓練であるかもしれないし、田舎の子供たちの度胸だめしかもしれない。 「こわいわ」  瑛子は同じことを言った。瑛子にとっては、すでに、屋外はすべて怖《こわ》いものになっているとも思われた。自分のアパートの一室と、酒場とホテル以外のところは怖いのかもしれない。瑛子は暗い密室に住んでいるのである。 「こわくなんかないよ」 「………」 「帰ろうか」  瑛子が項突《うなず》いた。 「先生。痩せるにはどうしたらいいの」 「ふとってきた?」 「そうよ。ふとっちゃって……」  そんなふうには見えなかった。はじめ、瑛子は、体重は四十三キロだと言っていた。その後のことは知らない。  反対に、井崎は、六十五キロあったのが、ひどいときは五十二キロにまで減っていた。井崎にとっては、痩せ過ぎるというのが無気味である。 「痩せるというのは簡単だよ。お酒をやめればいい。それから、お菓子を食べない。コーヒーを飲んでも砂糖をいれない。酒と糖分を断てばいい」 「お菓子は食べませんけれどね……」  こういう商売をしていて酒を断つということは不可能だというように難《むずか》しい顔をした。また、瑛子は、飲まない日は全く飲まないけれど、機嫌がよくて調子の出てきたように見受けられる日は、熱心に活発に席を動き廻って、客の勧める酒を飲んでいた。そんなふうにしていたら、あと三年か四年で、胃か肝臓をやられるにきまっている。そうでなくても不健康な勤めだった。  あっと思ったときには、もう瑛子は井崎の言葉に逆《さから》うようにして、残りのウイスキイの瓶を引き寄せていた。いつもの、何にでも反対する子供のような、ふて腐れた感じがあった。  しかし、そのことを除いては、その日の瑛子は珍しく素直だった。  井崎は原稿をあきらめて、雑文集の校正をはじめていた。瑛子は寝ないで、隣に坐ってゲラ刷を覗《のぞ》きこんでいた。  井崎が頁を繰ると、ときどき、その手を押えて、もとに戻した。瑛子は実に正確に井崎の気づかない誤植を指摘した。 「えっ? これ? さあ、どっちがいいかなあ」  瑛子は�日が差す�というところを指さしていた。井崎は、雑文では、なるべく、辞書の最初に出ている文字を使うことにしていた。しかし、その箇所は、読み返してみると、瑛子の言うように�日が射す�としたほうが文章としての利きがいいように思われた。瑛子には、そういう鋭いところがある。  井崎の隣に、そうやって瑛子が坐っていると、従兄と机をならべて受験勉強したという瑛子の学生時代のことが思われた。  瑛子は洗った髪を強い輪ゴムで束ねていた。そのほうが瑛子の顔立ちには、ずっとよく似あっている。素顔のほうが美しい。瑛子の素顔を見た男は何人もいるだろうが、このように感じている男はどれだけいるだろうか。瑛子は強風に目を閉じている童女の顔になっていた。シャワーを浴びている、時計メーカーのCFのモデルの顔になっていた。どういう加減で、この女が、こんなふうになってしまったかという思いが井崎を辛くさせた。瑛子は、いま、束《つか》の間《ま》の安息を得ている。その安息の時間は極めて短い。それは井崎にとっても同様だった。井崎にとっての人生の時は、むこう側に無限にひろがっているのではなくて、死という彼岸から、徐々に、そうして急速に狭められてきているように思われる。 「昼間の、葛の花の歌だけれどね」  井崎は赤のボールペンを擱《お》いた。 「驚いたなあ。色あたらしが字余りになっているのに本当は気がつかないでいたんだ。子供の教科書で見て思いだしたんだけれど、歌そのものは学生のときから知っていて、好きな歌だったんだ。一番好きな歌だな、釈迢空のなかでは……」 「シャク・ショウクウ?」  井崎はそのように発音した。 「そう」 「あれは、シャク・チョウクウじゃないの?」 「シャク・チョウクウ?」  そう言われると、そうでもあるようだし、井崎はそれに類する記憶力が衰えてしまっている。 「そうかもしれない。家へ帰ったら調べておこう」 「私は、そう習ったわ」  井崎はそのときも驚いた。単に鋭いというだけでなく瑛子の頭脳の働きは筋がいいと思った。また、どこかに学生っぽいところが残っている。 「折口信夫は、オリクチ・シノブだろう。あれも本当はオリグチ・ノブオだと思うよ。ちょっと気取って訓《よ》むようなところがあるからね」  それは井崎の弁解であるに過ぎない。 「私、楽しかったわ」 「なにが?」 「今日よ」 「………」 「今日の遠足よ」 「でも、疲れていたんだろう」 「疲れてなんかいなかったわ」 「ボートがよかったの?」 「………」 「それとも、昼寝?」 「失礼しちゃうわ。……そうじゃないわ。湖まで行く道がよかったのよ。歩いていて、とっても楽しかったの」  その道は白く乾いていて、暑かった。山道を自動車の幅に拡げただけで、石が転がっていて歩き難かった。前途に何があるかわからなくて、どこまでも続いているようで、井崎は、瑛子をどこかで休ませたいと思って焦《あせ》っていた。 「そうかね」  井崎は、その意味を探索しようとして止めた。どうせ瑛子はまともには答えないにきまっている。 「泣いたあとだからだろう」 「いじわる」  瑛子が井崎を撲《ぶ》った。わずかに瑛子の若い女が匂った。  瑛子は、のんびりと、あてもなく山道を歩くというような経験が全く無かったのだろう。そのことだけは信じていいように思った。  ずっと後になっても、瑛子は、あのときは楽しかったという言葉を何回か繰り返した。  ずっと後になって、井崎と瑛子とが仲違いするようになってからでも、瑛子は甲府の晩夏の山道と同じような機会を掴《つか》もうとしていた。 「先生、これだけは信用してよ。私、本当に行こうと思っていたのよ」  井崎が『金属』へ行って、瑛子が井崎の席に着かないようになってからでも、通りすがりに耳許で囁《ささや》くことがあった。  瑛子は、井崎の連載中の雑誌の発売日と締切日を知っていた。そこから割りだせば、井崎が仕事を持って旅に出る日の大体の見当がつく。出版社か井崎の勤務先の食品会社に電話すれば井崎の居所がわかる。瑛子は『金属』に来るジャーナリストの何人かと親しくしていたから、その気になればわけはない。また、そういうことに関しては、瑛子にかぎらず、酒場に働く女たちは、敏感で抜け目がない。それが職業であり、訓練を受けているともいえた。阿佐子にしてもそうだった。連載中の雑誌の担当者以外には誰にも知らせずに京都の病院に入院したはずなのに、阿佐子は病院の住所を調べて手紙を寄越したのである。阿佐子の手紙は、道子の次に早かった。  そうやって、瑛子が、その後、井崎の旅先の旅館の電話番号を突きとめたことが二度あったという。そのへんの瑛子の神経はよく理解できないけれど、甲府の印象が強く残っていたのは事実であったようだ。  井崎は、旅先の仕事場へ誰かを招くということはない。むしろ、瑛子にも知らせない。甲府のときは別にしても、瑛子がそこに来るということは、きわめて危険なことだった。井崎の仕事にとっても危険だった。いや、甲府のことがあって、井崎はさらに危険を感ずるようになったといったほうがいい。  しかし、瑛子にしてみれば、井崎が好んで利用するような辺鄙《へんぴ》なところにある旅館に出かけるのは容易なことではなかったろう。また、客としての井崎が瑛子を遠い所へ呼ぶのは普通に考えれば、エクスペンスィブなことだった。瑛子自身がエクスペンスィブな女だった。それは、新橋や赤坂の一流の芸妓に遠出をかけるのと同じことだった。 「私、今月は、本当に行こうと思っていたのよ。本気だったの」  瑛子の言葉には、いくらか恩着せがましい調子があった。それにしても、仲違いしてからも、旅先の井崎にだけ執着したのは異様なことに思われた。そのへんが、奇矯《ききよう》で、我儘で、不可解だった。 「どうしてそんなことを考えたんだ」 「だって、淋しいじゃない?」  そういうときの瑛子はすぐに涙を流した。  井崎は予定を変更して、翌日の瑛子の出勤時刻に間にあうような新宿行きの特急の切符の手配を宿の主人に頼んだ。  中央線の列車のなかでも、瑛子は親密な態度を保っていた。  井崎は、座席にいても、前夜の校正の仕事を続けていた。瑛子は覆いかぶさるようにして、それを見ていた。  瑛子に言わせると、東北線や中央線は、乗っていても気が楽なのだそうだ。誰かに会うという気遣いが全くない。一人で乗っていて、もし、客の誰かに会ったとしても、男に会いに行くとは思われない。とっさの場合に、故郷の肉親が急病だという嘘が吐ける。これに反して、東海道新幹線に一人で乗るときは、非常に心細い感じになるという。たとえそれが事実であったとしても、女が一人で京都や奈良へ見物に行くというのは、とうてい信じてもらえないのだそうだ。荒稼《あらかせ》ぎをしている女だと思われてしまう。温泉地の多い上越線や信越線にも似たようなところがある。それは酒場勤めをしている女にしかわからない神経の遣いようだった。 「こんな頭じゃ困っちゃうわ」  瑛子には、座席や化粧室で、ちょっちょっと髪を直してしまうような器用なところがない。 「『金属』の瑛子|姐《ねえ》さんがこれじゃいけないわね。叱られちゃうわ」  井崎は、旅費の残りの全額を瑛子に渡した。 「あら。そんなつもりじゃなかったのよ」  松本発の特急は大月と八王子以外は停車しない。列車は、井崎の住む町の駅を通過した。井崎は自然にプラットフォームを見た。 「あれ、私のアパート」  吉祥寺を過ぎて五分ほど経ったときに、瑛子が北のほうを指さした。 「どれ?」  それは、そのあたりでは、かなりな高層建築だった。  井崎は、瑛子を送っていっても、瑛子のアパートを知ろうとしたことはなかった。それを自分に禁じていたし、瑛子は、いつでも、かなり離れたところで降りているようだった。 「凄いじゃないか。マンションだね」  瑛子はそれには答えない。井崎は瑛子の住居の電話番号も知らない。  その日、井崎は『金属』へは寄らなかった。甲府から電話をかけて、校正刷を渡す編集者と、小料理屋で待ちあわせていた。  遅くなってから瑛子の電話があった。 「どうも、ありがとう」 「えっ?」 「私、お洋服、買っちゃった。ちょうどよかったわ。靴も買っちゃったの」 「あれで買えるの?」 「買えるわよ」 「それはよかった。埃《ほこり》になったんで心配していたんだ」 「………」 「夏物だからね」  井崎はその年の夏が終ったように感じた。そのときの瑛子には、優しい感情と、行き届いた心遣いが残っていた。     20  入院が十日目を過ぎていた。  その病院には生活保護を受けている男も入院していた。彼は松葉杖をついていた。足が悪いのだけれど、頬の肉が落ちていて、目が飛びだすようになっていて、無残な顔付きだった。胃潰瘍《いかいよう》が相当に悪いらしい。井崎には人間としての形が頽《くず》れてしまっているように見えた。  はじめて面会室でその男に会った日に、井崎は住所を訊《たず》ねた。  男は黙っていた。  その男はリヤカーの上に寝ているのだということがわかってきた。バタヤなのかもしれない。それで、住所不定になっているのだ。 「家賃として六千円支給してくれますわ。これは二百円のベッドで三十日間という意味やで……。下京にはあるけど、中京区には、そんなん簡易宿泊所みたいなもんあらへん。河端《かわばた》でリヤカーの上に寝とるの知らんから」  男の言うことが井崎には正確には通じない。川端が、川の端なのか、川端町という町名なのか。生活保護費として、毎月九千七百円支給される。正月には別に五千円。そのほかに寝間着も支給される。それも現物でなくて金で渡されることもある。 「福祉事務所、ようしてくれるわ。酒飲むときは外で飲んできて、酔いさましてから帰るからね」  身体障害者として登録されていて、働きに出ていて、リヤカーで眠ってしまったり、入院したりということを繰りかえしているようだった。  ときどき胃痙攣《いけいれん》のような発作を起す。男は警察へ行って証明書を見せると、福祉事務所からのハイヤーが迎えに来る。そのとき、男は、簡易宿泊所か借りている部屋へ帰りたいと思っていても否応なしに入院させられてしまうのだという。 「福祉事務所は、ようやってくれるわ」  男はそれを繰り返していた。生活保護費九千七百円、家賃六千円の支給というのは悪くないと井崎も思った。京都市は、特別に条件がいいのかもしれない。 「それは、あんたが真面目にようやっとるからや」  河原や藤沢が集まってきていた。松葉杖の男に菓子パンや餅を与えている老人もいた。みんなが、この醜怪とも見えるような松葉杖の男を愛しているように思われた。しかし、それは、一方において、犬を可愛がっている乞食《こじき》の群《むれ》であるかのようにも見えた。  酒を飲みに行って、酔いを覚まして帰ってくるということを、男は病院のなかでも続けていて、そのほうの常習犯だった。その意味では、病院も、男を見放していて、注意したりはしないようだった。周囲の男たちは、それを面白がって見ているようだった。真面目にやっているというのは、いったい、その男のどの面を指しているのだろうか。  男は、働きに出たいからと言って、退院する。そうして、酒を飲み、発作を起して病院に担ぎこまれる。井崎からすると、松葉杖の男は、病院でも簡易宿泊所でも、じっとしていたらよさそうに思われる。それで暮せないというわけではないだろう。しかし、男には、そうしてはいられない何かがあるのだろう。それが何であるのか、井崎にはわからない。人々の憐憫《れんびん》の目に耐えることは出来ない。男は、そう思っているのかもしれない。その男には、酒を飲んで、暴れたりして、道端に寝たりして、すべてを忘れてしまうことだけは出来る。井崎にはそのように思われた。  男は、あきらかに繁栄と平和のオコボレで生きていた。じっとしていれば、身体障害者としての保護を受けていれば、健康な一般人よりも長命を保つことが出来るかもしれない。しかし、男は、そうしようとはしない。塹壕《ざんごう》から出てゆくようにして病院を脱出し、朝からホルモン焼きの店に行って酒を飲み、酔いを覚まして、病院に寝に帰ってくる。あるいは、正体をなくして福祉事務所から廻ってくるハイヤーに乗せられる。これが戦争以前であったならば、男は乞食になっていただろう。井崎の知るかぎり、乞食も、生活困窮者も、失業者も、ヤクザ者も、その数が減ってきている。誰もが生きられる。長生きしようと思えば、よほどの不運がないかぎり誰もが長生き出来る。  それは、トラックの運転手の河原にしても同じことだ。三カ月を過ぎてから、月給が六割になったというけれど、入院費も食費も無料であり、ときに女を呼びよせたり、トランジスタラジオを見せびらかしたりして、結構、楽しそうにやっている。彼が怠け者で、会社がもてあましていることは、彼自身の口ぶりからも察することが出来る。河原の場合は、会社が労働者から搾取《さくしゆ》するのではなくて、労働者として、会社と平和国家から、いかに搾取するかに腐心し、そこに生き甲斐を見つけようとしているというふうに思われてくる。  もし、これが戦争中であったならば、と井崎は思う。松葉杖の男も河原も、井崎のとうてい及ばぬような働きを示すかもしれない。松葉杖の男は、真っ先に塹壕を飛びだすかもしれない。河原は機敏に逃げ廻って、それなりの役割を果たすかもしれない。井崎はそういう例を知っている。短い軍隊生活のなかで、戦場から帰ってきた下士官からの話を聞いていた。すくなくとも、河原にも役目があり、それなりにイキイキしていたと思う。どちらがいいのか……。井崎は妙な考えにとりつかれていた。松葉杖の男も河原も、一兵士でもなければ奴隷でもない。しかし、号令されて動いたほうがいいのか。そうでないほうがいいのか。そのへんのところがわからない。  病院で、井崎をふくめた男たちが死を待っている。いや、待っているというほどの積極性もない。  それは 井崎に関して言っても同じことだった。  井崎が泡銭《あぶくぜに》を得て、女と遊び、酒を飲んでいられるのも、平和国家のためである。井崎自身も、一箇の呑んだくれであるに過ぎない。そうやって死を待っている。 「餅屋は、やっているかね」  比較的健康な男たちは、朝の七時になると面会室に集まってくる。煙草を吸うためである。 「やってるよ。ホルモンはまだやけどね」  松葉杖の男が答えた。 「安倍川餅《あべかわもち》、喰いたいなあ」 「散歩に行こうか」 「外はさぶいで……。風があるさかい」 「わたし、洋服着て外へ出ますねん」  外へ出ることも、洋服を着ることも禁じられているはずである。病院の食事以外のものを食べることも、酒を飲むことも、もちろん、許されていない。  井崎にはそれが不思議なのだ。どうやって男たちは洋服に着かえたり、抜けだしたりすることが出来るのか。軍隊にいたときも、そうだった。平気で脱柵《だつさく》するし、女子青年団員と懇《ねんご》ろになってしまう兵隊がいた。  河原が、人を殺したことのある同僚の話をした。その男は、若いときに、土木工事をやっていて、喧嘩の果てに、仲間を殴り殺してしまった。  彼は、ふだんは、きわめておとなしい。しかし、突然、道端の石を拾って自分の頭を叩《たた》いたりすることがあるという。 「亡霊が出るんやろうなあ。そら、耐えられんで」  すると、松葉杖の男に、あんたは真面目にやってるからと言った老人の言葉は、人を殺したり、盗みを働かないから、という意味であったのかもしれない。  そのときも、あとは、女と煙草の話になった。老人は、萩《はぎ》とか白梅とか福寿草とかいう煙草の名をあげた。  心臓病で、煙草は一日に一本だけと言われている患者の話。  一本を少し吸って消して机の端に置いておく。医者には、こうやって吸ってますねんと言ってそれを見せる。彼は、実際は別の煙草を吸っているのである。  井崎にはそれも不思議なのだ。この男たちは、せいいっぱいの努力で生きてゆくのと同じ分量でもって死にむかって傾斜してゆくように思われる。  皮膚科の検査。  体重、五十四キロ。体温、六度五分。  夜になって、八時までの面会時間が終り、就寝時刻の九時を告げる「白鳥の湖」のオルゴールが鳴り終ったあとで看護婦が呼びに来た。東京からの電話であるという。  それは瑛子からだった。  次の日曜日に見舞いに来るという。  瑛子はひどく酔っていた。築地《つきじ》の河豚《ふぐ》料理屋にいるのだという。客に呼ばれたのである。その時間まで店ではないところで接待を勤めているとするならば、『金属』にとっても大切な客であるにちがいない。 「酔ってるねえ」 「酔ってなんかいないわよ」  呂律《ろれつ》がおかしくなっていた。 「相当ひどいよ」 「だってねえ、ヒレ酒なんですもの。……私、ヒレ酒を三杯飲んじゃった。それからあとは、ふつうのお酒なの」 「………」 「どんどん飲んじゃうの」 「だいじょうぶなのか、そこは……」 「平気よ。ここは廊下なの。電話のあるところは廊下なの。お座敷からはずっと離れているの。聞えやしないから大丈夫なの」  瑛子は廊下に坐りこんでしまっているように思われた。呼吸がせわしなくなっている。 「先生のこと、好きよ」 「………」 「嘘よ。先生なんか大嫌いよ。とっても、大嫌いよ。大嫌いなんだから……」  電話の声が跡切《とぎ》れ、瑛子が泣きだした。 「おい、切るぞ」  医局は暗くなっていて、当直の看護婦が二人残っていて、カルテを繰っていた。 「だめ。切っちゃ駄目。ずっとこうやっているの」 「………」 「切ったって、すぐにまた掛けますからね。内線番号だって、わかっているんですから……。ねえ、先生のこと、好きよ。それでいいでしょう。先生は、それでいいんでしょう」  井崎は時計を見た。十分を経過している。黙ってカレンダーを見た。瑛子の来るという日は三日後になっている。  瑛子は、わけのわからないことを話し続けている。それでいいんでしょうという言葉を何度も繰り返し、それがヒステリックに高くなり、尻あがりになる。そうして電話の声が跡切れる。 「私、泣いてるの」 「わかっているよ」 「泣いているのよ、私。わかってるの」  瑛子はいくらか静かになり、感情が覚めてきたようだった。歔欷《すすりなき》の間隔が遠くなった。 「おい。切るよ……」 「はい。もういいわ。さようなら、先生……」  その電話があったのは、甲府へ行ってから二カ月後ということになる。  入院する前日に、つまり、道子に入院すると言って出かけた日に、井崎は瑛子と、都内の旅館に泊った。  瑛子は、とても三週間は耐えられないと言った。行っちゃ厭だと泣き叫んだ。それは、井崎が、ぎりぎりの日になるまで、入院のことを瑛子に知らせなかったためでもあった。  井崎は瑛子に、ほぼ二週間目にあたる日曜日になったら、多分一日ぐらいなら外泊の許可が貰えるだろうと言った。そのときに京都へ遊びに来たらどうかと言ってあった。それは一種の逃げ口上だった。  まさか、瑛子が、そのことを覚えていて、京都まで来るとは思っていなかった。そうして、井崎は、もし、京都まで見舞いに来るなら、阿佐子でも友絵でも誰でもいいから、二人か三人連れてくるように言ってあった。京都見物をさせるつもりだった。 「厭よ、私。……私、一人で行くわ」  旅館の都合があるので、電話口でそれを訊《き》いたときに瑛子が言った。 「ゼッタイ、一人で行くわ。阿佐子や友絵なんか連れて行かないわよ」  酒を飲んでいて泣きだしたときの瑛子には何を言っても無駄であることを知っていた。  井崎は、ずっと半信半疑でいた。甲府へ遊びに来るというときも、瑛子の顔を見るまでは半信半疑でいた。  半信半疑ということでいえば、瑛子が娼婦であるかどうか、不良少女であるのかどうか、きまったパトロンがいるのかいないのか、そういうことが、すべて、井崎にとって半信半疑の状態だった。瑛子は、パトロンはいないと言う。パトロンがいないとすれば娼婦になる。どちらにしても大差はないが……。     21  井崎は、朝、目がさめて、ああよかったと思うことがある。目がさめて起きるというよりは、実感としては「蘇《よみがえ》った」というにちかい。  すると、昨夜は、どういう具合に床に就いたかと考えてみる。 「ああそうだ。もう、どうなるかわからない。俺は俺の体に責任は持たんぞ。どうともなれ。勝手にしてくれ。そう思って寝たんだったな」  隣に寝ている道子を「俺はもう駄目だ、どうかよろしく。あまり悲しまないようにしてくれ」という思いで見て、布団をかぶることがある。  三、四年前は、井崎は、ポックリ病というのが怖かった。夜中に大声を発し、あるいは唸りながら、死んでしまう。井崎は、ポックリ病といったって、なにか原因があり、自覚症状があったに違いないと思っている。しかし、ポックリ病に限って、当人に自覚症状を訊くわけにはいかない。  いまの俺のこの状態は、ポックリ病で死ぬ人の前夜の状態、あるいは前駆的症状ではないかと思うことがある。そう思いながら床に就く。  井崎は、あまり睡眠薬を用いなかった。睡眠薬よりも頭痛薬のほうを愛用していた。もし睡眠薬を服んで眠れなかったとすると、翌日が辛いという考えがあった。  酒と鎮痛剤で眠っていた。それが、いつのまにか、道子の精神安定剤を服《の》むようになっていた。道子は重症のノイローゼ患者であるから、強い薬ではないかという考えが一方にあり、もう一方では、それは気休め程度の薬ではないかとも考えた。井崎はそれを確かめようとしない。道子が医者に調合してもらう白い粉薬を服む。いまでは、それが井崎の薬になってしまっている。  仕事が終ったあと、それは深夜か明け方であるが、酒を飲み、鎮痛剤を服み、また酒を飲み、しばらくして道子の薬を服む。そうやって時を過す。  睡眠薬愛用者の怖《おそろ》しいのは、はたして薬を服んだのか服まなかったのか忘れてしまうことにあるときいたことがある。井崎はその話をあまり信用していなかったが、自分のことになってみて、それが事実であることを悟った。酒を飲み、時が過ぎていって、いつのまにか一時間経ち二時間経ち、鎮痛剤を服んだのか道子の薬を服んだのか、わからなくなってしまう。どうともなれと思う。これでおさらばだと思う。そうやって、最後に道子の白い粉薬を服んでベッドにもぐりこむ。  それでもすぐに目がさめてしまうことがある。井崎の場合は、たいていは、胸が苦しくなって横になっていられなくなるのである。  井崎はべッドのうえで正座する。苦しくて唸り声を発する。胸が苦しい。ときに激しく胸のあたりが痛む。それが右の胸であるときは、やや安堵感《あんどかん》がある。胸の皮が突っ張る。それは神経痛ではないかと思っていた。左の胸が痛むときは、無気味である。  井崎は自分の病気に関する不安感は、きわめて幼稚で単純だと思っていた。他人に話しても、気のせいだとして一笑に附される程度のことであるに違いない。しかし、それがポックリ病の前触れではないと断言できる医者もいないはずだと考えていた。  井崎は、いつのまにか、ポックリ病に対する恐怖を卒業していた。一万人に一人のことだ、十万人に一人のことだと自分に言いきかせるようにしてきた。それよりも、恐怖することに飽きてしまったのかもしれない。  どうともなれ。そう思って毎晩の床に就く。  井崎も湯村も、中学のときの同期生の動向については、それほど精《くわ》しくない。それでも心臓発作で死んだ同期生の名を三人は挙げることができる。そういう年齢になっていた。  心臓が痛むという感じを、井崎は実際に感じとったことはない。あくまでも胸が痛むという程度のことである。心臓の痛みというものは、もっと激しい痛みではないかと、漠然《ばくぜん》と考えている。しかし、井崎における胸の痛みが、心臓と全く無関係であるかどうかという点になると、むろん井崎には確信がない。井崎はそれを怖れていた。湯村も滝本も、井崎の糖尿病よりも、心不全のほうを警戒していた。それは、ひとつには、井崎の性格と、休息の不可能な職業を知っているからだった。湯村や滝本からすれば、井崎の生活は不可解であるだろう。どこかで断ち切れるはずだと考えているに違いない。医者が普通に考えて、井崎の日常は、一口に言って、乱暴だとしか考えられないだろう。それが十年続いていた。それは井崎だけではない。井崎の同業者は、ほとんど同じことを続けている。  井崎は、本当はひどく健康なのだと友人達にからかわれたりすることがある。井崎からすれば、それは単に�馴れ�であるに過ぎない。  井崎は、苦しいと思う。苦しくて唸り声を発する。  以前はこんなふうではなかったと思う。そうして、一年前のことを考える。すると、いや、そうではない、一年前も同じだったと思う。そうやって、十年前、十五年前までさかのぼることになる。どこまでいっても同じだった。唸りながら仕事を続けてきたことに変りはない。心のやすまる時はなかった。  ただ、それが、いまのように、死と結びついて考えられなかっただけのことだ。胸が痛むとき、眠れないときに、それは単に過労だと思っていたにすぎない。  眠れなくて、ベッドの上に坐ってしまうことは、七年前にも八年前にもあった。  道子は、私が一緒に起きていてあげるわと言って、朝まで井崎の胸や背中を撫《な》でていることがあった。朝になって医者を呼び、ビタミン剤を注射して仕事をはじめることがあった。  心筋|梗塞《こうそく》に似た胸の痛みを感じたのは、六年ほど前のことである。そのとき井崎は、午前九時発の飛行機で九州方面へ取材に行くために、羽田空港のホテルに部屋を予約していた。  銀座で酒を飲んでいて、井崎が全く無名のときから雑文を書かせたり連載小説を書かせたりしてくれた編集長と一緒になった。その編集長と大学で同期であるカメラマンも加わった。  井崎は、どうせ朝の飛行機で発つのだし、空港のホテルに部屋があるのだから、遅くまで飲んでいてもいいなと思った。編集長と二人でカメラマンの家に行った。井崎がその家を出て空港ホテルに着いたのが午前四時だった。その時刻ではフロントに人がいなかった。  気づいたときに、胸のあたりに激痛が襲ってきた。鍵がなければ部屋へ行くことができない。井崎は全身の力をふりしぼるようにして大声を発し、ボーイを起した。多分、ビジネスホテルとしてのルールがあって、午前四時という時刻では客を受けつけなかったのだろう。  胸のあたりの激しい痛みは搭乗《とうじよう》する時刻まで続いた。井崎は鎮痛剤とビタミン剤を大量に服み、その痛みは収まることは収まった。その発作的な痛みが心筋梗塞であったかどうかはわからない。  その後、一年に四度か五度という割合で、激しい痛みに襲われるようになった。  井崎は「余命いくばくもなし」と言ったり書いたりするようになった。すると十歳も年長である知人は真顔で怒るのである。「そんなことを言うなら、こっちは秒読みだ。そんなことを書くもんじゃない」  持時間がすくなくなったというのは、しかし、井崎の実感だった。  井崎の父は、他家で麻雀をしていて昏倒《こんとう》し、家に担ぎこまれるようなことがあった。いまの井崎は、そのときの父を思いだすと、なにか、西部劇で戦いに傷ついた老人が、瀕死《ひんし》の状態で味方の家に運びこまれる場面であったような感じがする。あれもやはり戦う男であったような気がする。父も最後の抵抗を試みていたように思われる。そういう感じ方の変化が不思議といえば不思議だった。  父は家族に迷惑をかけるというようなことは承知のうえのことであったような気がする。あの我儘は、死期を悟った男の最後の抗《あらが》いであったように思われてくる。それが父の不養生であり、女であり、博奕《ばくち》であったように思われる。井崎はまだそれを全て宥《ゆる》すという気持にはなっていないが、いくぶんかは理解するようになってきた。  井崎は、まだ死期を悟るという段階にまでは至っていない。  しかし、四十三歳の井崎と、四十二歳の道子という状況は、この一年間しかないという思いが濃くなってくるのである。道子が、通常にいわれるような「女でなくなる」時期にいたるまで、あと数年しかないという考えが刻々に色濃くなってゆくのである。  単に性交の相手だけということであれば、井崎は道子一人で充分だった。井崎は道子に満足していた。道子でなければ満足が得られなかった。  井崎の欲しているのは安穏だった。安気な生活だった。それ以上のことは望んではいなかった。もういいじゃないかと思う。これだけやってきたのだから、もういいじゃないかと思う。井崎は、へたばっていた。  依然として、井崎には経済的な圧迫がのしかかっていた。銀行にも、会社にも、出版社にも借金が残っていた。出版社からの借金も、はじめは一社であったのが二社になり、その一社も、出版部、週刊誌、中間雑誌、文芸雑誌と、編集部ごとにわけて金を借りるようになった。そういうことが出来る位置にいられるようになったといえないこともないけれど、いまどき井崎さんのような作家は珍しいと年若い編集者にからかわれることもあった。古来、借金は文豪の条件のひとつです、と慰めているのか嘲笑《ちようしよう》しているのかわからないようなことを言われたりした。井崎にしてみれば、それどころではなくて、へたばっていて、気が重くなるばかりだった。  そうやって、文債ともいうべきものが溜《たま》ってしまう。また、井崎自身が、自分で書きたいと思っているテーマがないわけではない。時間がないと思った。そこに到達するまでの時間があるかどうか。余命いくばくもなしというのは、井崎にとっては決して誇張ではなかった。  しかし、井崎は、金のことは、それほど苦にしているわけではなかった。そういう図々しさは、父の血統をひいていて、生得のものだと思っていた。  井崎の頭を占めているのは道子だった。道子の病気だった。道子との諍《いさか》いだった。それは井崎の仕事に影響した。  井崎は道子の病気を治したいと思っていた。それは井崎にしか出来ない。医者の領分ではない。その方法はひとつしかないと思っていた。それは賭《かけ》だった。ひとつしかない方法は危険な手段だった。井崎は、だんだんにそのように思いつめ、その思いが濃くなり、そうして、そのために残された時間は極めてわずかであると思うようになっていた。  六十歳になってから、やっとお互いの立場を理解しあうようになり、安穏な夫婦生活を送れるようになったという話を聞くことがある。  それでは遅い。 [#地付き]〈人殺し上 了〉 〈底 本〉文春文庫 昭和五十年二月二十五日刊